或る小説家の物語 (ナカイユウ)
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プロローグ
scene.0 物語


 都内にある編集スタジオの喫煙室で、映画監督の黒山墨字(くろやますみじ)と芸能プロデューサーの天知心一(あまちしんいち)は次回作についての話をしていた。

 

 「実はね・・・君の考えている”大作映画”の手助けをしたいと思っている。良い話だろ黒山?」

 

 黒山墨字。世界3大映画祭のうちカンヌ・ヴェネツィアで入賞している世界的にも稀有な映画監督で評論家からの評価はすこぶる高いが、一般的な知名度はお世辞にも有名とは言い難い。

 富や名声などには目もくれず、カメラ1つで世界中を駆け回り、ドキュメンタリーを中心に幾つもの映画を制作している日本映画界の異端児。

 

 「手助けか。まさかこの俺のスポンサーにでもなるつもりか?」

 「だったらどうする?」

 「悪い冗談だろ。顔にそう書いてある」

 「酷いな君は。人を見た目だけで判断するなんて」

 「悪いが俺は人の人生を物差しで測る守銭奴の芸能プロデューサーの言うことは信用しないと決めているんでね」

 「それより禁煙したんじゃなかったのかい?」

 「ポスプロ終わりで溜まった疲れを吐き出しているだけだ。隣の誰かさんのせいでかえってストレスが溜まっちまいそうだが」

 

 あからさまに不快感を露にする黒山に、天知はプロデューサーとしての仮面を外し、真剣な表情で黒山に語りかける。

 

 「今や映画というものはスマホ1つさえあれば誰でも出来る。君の作った映画のようにね」

 「・・・何が言いたい?」

 「昔に比べると誰もが“映像作家(クリエイター)”になれる時代になった。黒山もそう思うだろ?」

 「・・・あぁ、それは言えるな。スマホやそこら辺のデジカメ1つで誰かが流行らせた二番煎じのネタを撮って俺の100倍稼いでるユーチューバーのガキを見ると、クソ真面目に映画を撮っていることが馬鹿らしく思えてくることもあるよ」

 

 ここ20数年でインターネットとビデオカメラの技術は格段に向上し、それに比例するように技術はあっという間に全世界へと普及していき、更にそれらが進化していくにつれてクリエイターの数も増えていった。

 

 「こうした技術の発展は、万人をクリエイターにさせちまった。それが何を意味するのかお前ならわかるだろ?」

 「言うまでもないよ」

 

 技術の進化は芸術の退化であるとは一概には言えないが、“自ら映画監督を名乗る覚悟”がある奴は相対的に減ってしまった。それに加えてコンプライアンスという“見えない強敵”が出現して、やたら人の目を気にするようなつまらない上っ面な作品が世に多く出回るようになり、気が付けばそれが世の中のニーズになろうとしている。

 

 “『大映像作家時代』が聞いて呆れる”

 

 「だが黒山。もしもたった1つの映画で日本の映画界が根底から覆ったらどうする?」

 「馬鹿か。たった1つの映画で世界の全てを変えられたら映像作家(おれたち)はこんなに苦労しないだろうよ」

 

 ジャンルを問わず世の中には時代を超えて愛される作品が多数存在するが、それらを作るということは容易なことではない。

 

 「でもその1作がこの世の全てを覆すかもしれない。その1作で才能が正しく評価される在りし日の映画界を取り戻せるかもしれない。もちろんそれが現実になるか未遂で終わるかは君たちの腕次第だけどね」

 

 すると天知は黒山のスマホに一件のメールを送る。

 

 「黒山墨字の大作に繋がるであろうヒントだよ。興味があれば彼と一度コンタクトを取ればいい」

 

 メールに記されているのは、とある人気小説家の連絡先。天知はともかく、黒山もこの男を知っている。

 

 「映画を撮るにはリスクを取ることも必要だ」

 「言われなくても。映画にリスクは付き物だろうが」

 

 得意げに言う天知に、黒山は苛立ちながら答えた。

 

 「こんな時代だからこそ。君たちのような異端児(かわりもの)が必要なんだよ」

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 湾岸(ベイ)エリアに佇む高層マンションに、小説家にして元俳優の夕野憬(せきのさとる)は住んでいる。

 憬の元には著書の映画化などの話が多数寄せられて来ているが、それらのオファーを彼はこれまで全て断ってきた。

 ちなみに映画や舞台への出演という”場違い”なオファーも未だに来ているが、当然これらも全て断っている。

 

 (そんな夕野(あいつ)がまさか二つ返事で会って話を聞くことを約束してくれるとはな・・・)

 

 黒山は憬の住むマンションへと向かっている。憬とは助監督として“あの人”に拾われた頃に映画の撮影で知り合って以降、個人的な付き合いがあったが彼が表舞台から姿を消してからは仕事の都合ですっかり疎遠になり、音信不通の状態だった。

 

 そんなこともあってか、黒山は旧友との9年ぶりの再会に不穏な緊張感を抱いていた。

 

 

「久しぶり。結果的に呼び出す形になってしまったことは謝るよ」

「いや気にするな。ひとまず元気そうでこっちは一安心だ」

「9年も経てば元気にもなるさ」

 

 そう言うと憬はクールに笑みを浮かべ、黒山を襲っていた不穏な緊張感は直ぐに消え去った。

 

 人目を引くような端正かつアンニュイな顔立ちと身長179cmのスラっと引き締まった体格からなるいかにも画面映えしそうな出で立ちは、芸能界から突如姿を消した9年前と比べても全くと言っていいほど変わっていない。

 

 エレベーターで一気に22階まで上がり、異様なまでに静かなホールを左に向かって直ぐの所に、憬の住む部屋はある。

 

 「にしてもすげぇところに住んでんな」

 「これでもここの中だったら安い方だよ」

 「絶対俺の生涯年収より稼いでるだろ?」

 「有難いことに小説家に転身しても俺は“人気者”だからね。金だけはある」

 「安易に謙遜しないところがお前らしいよ」

 

 今から8年ほど前、演技派若手俳優の代表格として実力も人気も絶頂だった中で突如引退した男が発表した小説は大きな話題を呼び、処女作である小説『prayer(プレイヤー)』は120万部を売り上げ、いきなり芥川賞と吉川英治文学新人賞を受賞した。

 以降もこれまでに5冊の作品を発表し、いずれもベストセラーとなり全ての作品が何かしらの賞を獲っている正真正銘の人気小説家である。

 

 そんな人気作家の暮らす部屋の間取りは2LDK。1人暮らしには広すぎるくらいだが、どうやらリビング以外に2つある部屋のうち片方は書斎として完全に仕事場と化しているようだ。

 

 「なんだこの絵は?」

 

 ”来客用”に用意されたリビングにあるソファーの上には、ショールームのように清潔かつ洗練されたインテリアにはあまりに不釣り合いな禍々しい炎の渦で埋め尽くされた絵画が飾られている。

 

 「ああこれか。これは2年前に知り合いの小説家から貰った名もなき画家の絵だよ。綺麗だろ?」

 

 綺麗、と言うにはあまりに存在感が強すぎて危ない香りが漂う1枚の絵画。

 

「随分と恐ろしい絵だな。これじゃあせっかくのインテリアも絵画の炎で埋め尽くされて台無しだぞ」

「人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだ。“綺麗”さっぱり。だからこそ美しい」

「相変わらず、お前の感性は独特だな」

 

 クールな見かけによらず感覚派で何を考えているか分からないところは、役者だった頃から変わっていない。

 

 「酒かコーヒーならどっちを飲む?」

 「コーヒーで頼む」

 「墨字のことだから酒を選ぶかと思ったよ」

 「馬鹿野郎、こっちは仕事で来てんだぞ。酒なんて飲めるか」

 「確かに」

 

 憬はキッチンへ向かうと湯を沸かして自前の器具を取り出してコーヒーを淹れ始める。

 

 「そういえば今回の撮影で内戦地(シリア)に1人で飛び込んでいったらしいな墨字」

 

 当然そんな情報までは公開されていないので憬は知らないはずである。黒山は思わず面を食らう。

 

 「なんでお前がそんなことを知っているんだ?」

 「守銭奴」

 「あー・・・そういうことか」

 

 天知は既に次回作に向けて憬にコンタクトを取っている。冷静に考えれば直ぐに分かる話だ。映画が完成した気の緩みからか思考回路が少しばかりやられているようだ。

 

「それで、本業の方は順調?」

 

 憬からの問いに、黒山はジョークを交えて答える。

 

 「おかげさまでな。命がけだった映画も完成して、おまけに次作からは心強い味方(スポンサー)まで付くし、全てが“絶好調”だよ」

 「そりゃあ良かったな。スポンサーがいなければ大作なんて夢のまた夢だろうし」

 「その代わり俺の胃の穴はまた開きそうだ」

 「ハハッ、確かに」

 「おい笑い事じゃねぇぞ夕野。お前もこれから地獄への道連れになるんだからな」

 「言われなくても分かっているよ。でも天知(あいつ)ほど味方になると頼もしい奴はいないからね」

 「・・・確かにそれは言えてる。認めたくないけど」

 「ほんと仲悪いよなあんたらは」

 「あんな奴と仲良く出来る人間がこの世界にいるとは到底思えない」

 「まぁね。俺もあいつは好きじゃない」

 

 そうこうしているうちに憬の淹れたコーヒーが出来上がる。その見た目と香りからして美味いのが伝わってくる。ちなみに黒山が憬の淹れたコーヒーを飲むのはこの日が初めてである。

 

 「うまっ」

 

 あまりの美味さに思わず声が漏れる。深みがありながらも口当たりがよくしつこくなり過ぎない絶妙なバランスの味わい。コーヒーや料理が趣味ではないのにも関わらず、その腕前は本職のバリスタと遜色ないレベルと言える。

 

 「いやー生き返るわーこれ」

 「相当気に入ったみたいだな。顔色がどんどん良くなっているよ」

 「そんなに顔色悪かったか俺?」

 「あぁ。いつもに増して疲れてる感じがする」

 「9年も会ってないのによく言えるな」

 「あんたの顔は雑誌やネットニュースでたまに見るからね」

 「参考になってねぇよ」

 

 黒山の新作映画、『シリアの遺言』。度重なる紛争によって命が軽んじられた国で生きる人々の日常(リアル)を捉えたドキュメンタリーフィルム。当然その内容は一般受けからはかけ離れた“怪作”であり、この映画の撮影は過酷を極めたという。

 

 「もう戦場カメラマンにでもなっちまえよ」

 「ふざけんな。戦場なんて二度と御免だ」

 「へぇ、映画を撮る為なら人の道を外れることも厭わないって言ってたあんたが珍しい」

 「撮影中に何度も死にかけたからな。おかげで感性が少しばかりまともになっちまったよ」

 

 そう言って黒山は一瞬だけ間を空けると、この映画における重要な場面の話を始めた。

 

 「1人の女と会ったんだ」

 「女?」

 「なぁ夕野?お前ってネタバレとか許せるタイプ?」

 

 内心では映画のネタバレをあまり好まない憬だったが、映画の内容を理解しないと黒山の考えている意図がわからないと判断した憬は、「いいよ、続けてくれ」と黒山を促す。

 

 

 “もしかしたらあの時、俺は死んでいたのかもしれない”

 

 “ヨーロッパへ逃げる”という1人の女性に同行していた俺は、突然その女性から突き飛ばされた。“何しやがる”と掴みかかろうかと思ったその時、数発の銃声が木霊(こだま)すると同時にその女性は地面に吸い寄せられるかのようにその場に倒れ込んだ。

 どうやら彼女は俺を流れ弾から庇って被弾したらしい。銃弾は左胸の付近を貫通し、出血もひどくあっという間にそれは水たまりとなった。誰が見ても明らかな致命傷だった。

 そんな中で彼女は自分の死を悟ったのか、助けを乞うこともなく「私を撮り続けて」と懇願した。そして俺は迷うことなく彼女の言葉を受け入れ、ひたすら流れ弾に倒れた1人の女性の死に際を撮り続けた。

 彼女の願いの為にも、俺は人が死にゆく瞬間を撮り続けることしか出来なかった。それが自分に課せられた使命であると思ったからだ。

 

 もしあの時、俺があの場所にいなかったら。もしあの時、俺があの場所で彼女と出会わなければ。救われるべき命は助かっていたのだろうか。

 

 “結果的に俺は、人を1人殺してしまったのかもしれない”

 

 それでも彼女の死がきっかけで、紛争地帯の日常を映したありきたりなドキュメンタリーフィルムは図らずとも唯一無二の怪作となった。

 

 「でも悩みに悩んだ末、そのシーンはお蔵入りにしたよ」

 「・・・使わない方がこの映画の為になるから使わなかったってことか?」

 「まぁ、そういうことだ。そのおかげでこれ以上ないくらい会心の出来になったけどな」

 

 そう言いながら黒山はどこか悔いを残したような表情でソファーの真上に飾られた絵画を見上げる。

 

 完成した映画の中で、彼女の死を捉えた決定的瞬間が映ることはなかった。それでもこの映画は黒山の手腕によって世界的な評価を得ることになる。ヒットはしなかったが。

 だが黒山は映画の完成と同時に命がけで“撮り続けて”と言っていた彼女の思いを裏切ってしまったような感覚に苛まれるようになった。

 

 そんな時、黒山の意識の中である思いが芽生え始めた。

 

 “1人の女の物語(生き様)を撮る”

 

 監督として独り立ちするようになるずっと前から、そんな映画を撮りたいという漠然とした空想があった。そしてついに、その映画を撮らなければいけない時が来たのだ。

 

 ”1人の女の死によって”

 

 

「墨字の言う通り。映画監督ってのはつくづく呪われているな」

 

 憬の言葉に、黒山は静かに「あぁ」と相槌をする。ひたすら己の美学を追求した映画(アート)と、ヒットさせることを大前提に制作された映画(ありきたり)

 

 もしもこの映画界(せかい)の評価の全てが興行収入だとしたら、正解は間違いなく後者になるだろうが、数字の良し悪しで作品の甲乙を決めつけられるほど、この世界は凡庸には作られていない。だからどっちが正解なのか不正解なのかは、その映画を観た人で意見は十人十色だ。

 

 「周りの声も気にせず、ひたすら撮りたい映画を撮り続けてカンヌとヴェネツィアで賞を獲った。だがこの国の奴らはその功績に全く見向きもしない」

 「意外だな。墨字はそういうのを全く気にしない奴だと思ってた」

 「気にしているわけじゃない。憂いているだけだ。自分の信念を裏切ってつまらない映画しか作らなくなった先輩が、今や押しも押されぬヒットメーカー。これが今の日本映画の現状だ」

 

 黒山が言っている先輩が誰のことであるか、憬は直ぐに察した。

 

 「手塚か。デビュー作の映画はそれなり以上に面白かったんだけどな」

 「ああ。その才能も1本のクレームとどっかの誰かさんに拾われたせいで宝の持ち腐れだ」

 「その代わり彼は“みんな”から愛される監督になった。ほんと、こんな残酷な話はないよ」

 

 明確な答えなんて在りはしない終わりのないマラソン。その情熱が結果に比例しない苦しみは、消費者(にわかもの)にとっては想像など出来るはずがないだろう。

 

 それは映画のみならず、小説だろうと音楽だろうとどの世界でも同じことだ。

 

 「俺もうんざりしているよ。どんなに書いた本が売れようが賞を獲って評価されようが、メディアや一部の連中は“俳優・夕野憬”というブランドを未だに誇示してくる。俺はもう役者なんかじゃないっていうのに」

 「何言って・・・いや、それはそれで辛いよな。お前も」

 

 状況こそ黒山とは正反対だが、憬もまた黒山と同じように自分の置かれている現状を憂いでいた。有名になったからと言って、それが当の本人にとっての幸せになるとは限らない。

 

 “だったらそんな名前、捨ててしまえばいいのに”

 

 別名義(ペンネーム)でも使えばもっとまともに評価されたのではと思う奴もいるだろうが、憬はそんな真似を許さない人間であることを黒山は知っている。

 

 ”夕野憬として在り続けることで自分自身の存在意義が意味を成す”

 

 「だからさ、今まで築いてきたものを全部燃やそうって思うんだよ。この炎のように」

 

 憬は黒山の座っているソファーの上に飾られた炎に目を向けながらそう言った。

 

 「だったらついでに俺にも分けてくれよ。その炎」

 「そのためにここに来たんだろ?墨字」

 

 全てお見通しだと言わんばかりの顔で答える憬に、黒山は軽く溜息を吐く。どいつもこいつも、俺の周りは喰えない奴ばかりだ。

 

 「ところで墨字。あんたの考えている大作映画っていうのはどんな物語だ」

 「・・・1人の女の物語(生き様)だよ」

 「奇遇だな。俺もちょうどそんな物語を考えていたところだ」

 

 すると憬は仕事場となっているリビングに向かい、一つのUSBを手に取って戻ってきた。

 

 「この日の為にずっと温めていたまだ世に出していない幻の一冊だ。とは言っても、ようやくプロットが出来上がった段階だけどな」

 

 それはまさしく、1人の女の生き様を描いた物語。

 

 「ほお、これがお前の言う1人の女の物語(生き様)か」

 「あぁ。こいつを墨字に託そうと思う」

 

 

 

 これは、夜凪景(よなぎけい)百城千世子(ももしろちよこ)たちが女優として活躍するよりも、孤高のハリウッドスター・王賀美陸(おうがみりく)が鮮烈なデビューを果たすよりも前のお話。

 




 毎回プロットを考えては挫折をしていたので、思い切ってロクなプロットも立てずに完全な見切り発車でスタートしたこの物語。果たして本当に終われるのだろうか。色々至らない点が多数ですがよろしくお願いします。

 ちなみにこの回で最も時間を費やしたのがコーヒーの味です。マジで良い表現の仕方が思いつかん。こういうどうでもいいようなところで滅茶苦茶時間をかけるから遅筆になるんですよね・・・・・


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chapter 1.1999
scene.1 夕野憬


 あれは、俺が7歳になった時のことだった。

 

 6月30日。俺は横浜のとある母子家庭に生まれた。だが正確に言うと出生地は東京で、俺にはかつて父親がいたらしい。そんな肝心の父親は物心がつくかどうかの頃に突然姿を消したおかげで、存在するはずのその姿は記憶の片隅にすら残っていない。

 何度か父親がいない理由を母親に聞いたことがあるが、「父親は最初からいない」の一点張りで、結局聞けずじまいである。

 もちろん俺が東京で過ごしていたという記憶も残っていないし、父親がいないことに寂しさを感じたことは一度もない。

 

 そして幼稚園に通い始めて間もない頃から、俺は周りから“変わった子”のように思われるようになった。周りの奴らはやれ“おままごと”やれ“(ブーブー)”、かけっこだ正義の味方(ヒーロー)だと勝手に盛り上がっていた。

 

“何が面白いのか俺には全く理解できなかった”

 

 やがて周囲から孤立し始めた俺を心配してか、幼稚園の先生がアスレチックやピアノ教室など色々と連れて行ってくれたが、残念ながら俺の心は全く揺れることはなく、やがて周りの大人たちは次第に俺を“変わった子”として放任するようになった。

 

 そんなある日、母親に連れてこられる形で初めて入った映画館で観賞した子供向け人気アニメの劇場版。元となるアニメというのは、今でも子供たちから絶大な人気を誇っているアニメで、放送時間は変わったが現在でも放送されている。今も昔も子供たちからの人気は高いが、俺がそのアニメを観たのは母親に連れていかれたこの時だけだ。もちろんあの日以来は1話たりとも観ていない。

 

“何で勝つのはいつも正義で、悪は必ず負けるのだろうか”

 

 どんなに強力な武器と布陣で圧倒していても、最後にはお決まりの”常套句”で毎回倒される。子供心ながらにストーリーがあまりにご都合主義でつまらなく感じた。

 恐らく同い年ぐらいのガキやそこらの小学生あたりならこんなことは思わないだろう。当然こんな感じでは“おともだち”なんて出来るはずもなく、次第に俺は現実から目を背けるかのようにブラウン管の世界に没頭していった。

 

 その流れで7歳の時に初めての夜更かしで観賞した“金曜映画祭『向日葵の揺れる丘』”。正直言ってこの映画のストーリー自体はこれといった特徴はなく、ありきたりなストーリーだった。ただ、生まれて初めて邦画というものをこの目で観た俺は、ブラウン管の中に映る1人の女性のひとつひとつの仕草に夢中になった。

 彼女が笑えば俺は笑顔になり、彼女が泣けば俺は悲しい感情に飲み込まれる。こんな感覚、生まれて初めてだった。

 

“もう一度、彼女を観たい”

 

 あの日から俺は、彼女の姿をもう一度この目で見るために、彼女が出演するドラマやテレビ番組は全てチェックし、時には母親に我儘を言って彼女が出演する映画を観に行ったこともあった。

 母親もまた彼女のファンだったこともあってか、そんな俺を母親は不審がるどころか、俺の我儘に文句も言わず 付き合ってくれた。

 

 仕事の都合で多忙だった母親のことを考えると、本当に申し訳ないことをしたと今は思う。とにかく、あの頃の俺にとって彼女は、かけがえのない生きがいと言ってもいいくらいだった。

 

『千秋楽のチケット取れたけど、どうする?』

 

 ある日母親が言った一言。それは彼女が主演を演じる舞台の千秋楽。タイトルと内容からして小学5年生のガキだった俺にとっては少々難解だったが無論、観ないという選択肢は俺にはなかった。

 

“彼女の芝居を目の前で観られる”

 

 これまでブラウン管とスクリーン越しでしか観ることが出来なかった彼女の芝居を、目の前で観られる。その理由だけで十分だった。

 画面越しでさえどうにかなってしまうのではと思うくらい、感情が揺さぶられた彼女の芝居を同じ空間で味わう。そんな恐怖と緊張とそれを包み込む高揚感。

 観劇の前日、俺は生まれて初めて一睡も出来ない夜を過ごした。

 

 そして迎えた当日。舞台の幕が上がるまでの待ち時間の胸の高鳴りは今でも脳裏に焼き付いている。

 

 “俺は、夢でも見ていたのだろうか”

 

 今まで目撃していた光景が現実ではなくあくまで舞台上の出来事であったと気付いたのは、カーテンコールで巻き起こる割れんばかりのスタンディングオベーションで目覚めた瞬間だった。

 俺は一瞬、寝過ごしてしまったと思い激しく自分を呪ったが、役者陣の真ん中で観客に挨拶をする彼女を見て、夢じゃなかったということを再認識できた。隣にいた母親は号泣していた。

 拍手を送り続ける者、感情移入し過ぎて泣き崩れる者、物語に没入し過ぎて失神する者。この日の劇場は異様な空気に包まれていたという。そしてこれらの空気を生み出したのは、紛れもなくたった1人の女優だった。

 

“生まれて初めて体感した、メソッド演技だった”

 

 いや、今考えてみると彼女の芝居はメソッドの域を超えていたのかもしれない。彼女の芝居に観客は一瞬で引き込まれ、目の前に広がる光景が劇場から物語の世界になる。

 やがて観客からは劇を観ているという感覚が消え失せ、彼女の喜怒哀楽・一挙手一投足が己の身体とリンクするかのように五感に突き刺さる。

 そして舞台が暗転した瞬間に襲い掛かる、正体不明の虚脱感。芝居が上手いとか役に憑依しているとかそういう次元ではない“何か”を、恐らく彼女は掴んでいた。

 

“メソッド演技を超越した、何かを”

 

 

 

 だが、そんな彼女の芝居に直接触れたのがあの日で最初で最後になるとは、この時の俺は思ってもみなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「夕野憬(せきのさとる)くん」

 「はい」

 

 小学校に上がってからも、俺は相変わらずクラスで浮いていた。周りにいる男子の話題は戦隊モノやウルトラ仮面、マンガにゲームに特撮ばかりでついていけるはずもなく、ついていく気すら起きなかった。たまに普段見ているテレビや映画の話題になっても、毎回のように役を演じる俳優の演技やストーリーの統括を空気を読まずざっくばらんに話しては場を白けさせていた。

 

 当然浮いていた俺はガキ大将のクラスメイトに目を付けられ、何度も嫌がらせや喧嘩を売られたことがあった。所謂いじめというやつだ。そしてその度に俺はそいつらを目で殺してやった。

 中二病のような書き方になってしまったが、実際にこいつのおかげで俺はすぐにいじめられなくなった。星アリサを始め普段からドラマや映画に出てくる俳優・女優の演技を観続けた末、独学で身に着いていた何の役にも立たない演技力(メソッド)

 

 そんな俺の様子を見かねて担任からも「もっとクラスのみんなと馴染みなさい」と言われ、馬鹿にしていた流行りものの話に乗っかったりもしてみたが、好きでもない話題に付き合うのは苦痛以外の何者でもなく、結局は元通り。

 いつしか俺には『顔は良いけど話が嚙み合わない上にキレたら何をしでかすか分からない宇宙人』というイメージが学年中で定着していた。

 

 そんな俺にちょっとした転機が訪れたのは、小学6年生の時だった。その日、クラスは転校生が来るという噂で始業式を前に周りは盛り上がっていた。名前だけをみると男子なのか女子なのか分からない名前だったので、“彼女”の名前は直ぐに覚えた。

 

 「今日から新しくこのクラスの仲間になる、環蓮(たまきれん)さんです。みんな、仲良くしましょう」

 

 「環蓮です。よろしく」

 

 クラスが替わろうが、転校生が来ようが、俺の立ち位置は変わらない。休み時間、馬鹿みたいな話と馬鹿みたいなゲームで馬鹿みたいに盛り上がるクラスメイトを遠巻きに見ながら、自分の世界に耽る。環という転校生はどうやら順調にクラスの輪の中に溶け込んでいるようだ。

 しかも女子だけでなく男子のグループにも普通に絡んでいる。まるでずっと前からクラスメイトだったかのように。それを見た憬の中に、理由のない悔しさのような感情が込み上げる。

 

 “この感情は何なんだろう”

 

 「夕野(ゆうの)(けい)だっけ?」

 「えっ・・・いや夕野憬(せきのさとる)・・・だけど」

 

 唐突に話しかけられたせいで、不覚にもどこかぎこちない反応をしてしまった。誰だと思い顔をよく見ると、転校生の環が隣の席に座っていた。

 

 「“夕野憬”。珍しい名前だね。私もちょっと変わった名前だから、仲間が出来たみたいで嬉しい」

 

 環の第一印象ははっきり言って最悪の部類だった。初対面の癖にいきなり馴れ馴れしく接してくる。しかも人の名前をわざとらしく読み間違えた挙句、自分の名前を棚に上げて勝手に仲間が出来たと言い放つ。教室で1人浮いた存在となっている俺に気を遣っているのだろうか。だとしたらそれは余計なお世話だ。

 

 「憬くんってさ、映画とか観る?」

 「まぁ、邦画とかはたまに観るよ」

 「へぇそうなんだ。で、どんなの観てんの?」

 「蓮止めとけって、こいつ映画とかドラマの話になるとほんとに止まらないし言ってることもさっぱりだから」

 「別にいいじゃん。それだけ夢中になれるものがあるってすごいことだと思うよ」

 

 “宇宙人”と仲良くしようとする転校生に茶々を入れる外野ども。でも、環はこんな俺の話を興味津々で聞こうとしてくれている。こんなこといつぶりだろうか。

 憬は嬉しさと緊張が入れ交じって頭が真っ白になりかけていた。

 

 「『向日葵の揺れる丘』が好きかな」

 

 混乱していた頭で導き出した1つの答え。それは、憬が初めて彼女を目撃したあの映画の話だった。

 

 「あーあれでしょ、星アリサが主演のやつ」

 「そうそう。ストーリー自体はありきたりで普通なんだけど主演の星アリサの演技がすごくてさ」

 

 彼女の演技を初めて目撃した時の衝撃と、彼女の表情や仕草一つで揺さぶられていく感情。こうなってしまうともう止まらない。こんな感じで俺は、次第に輪から外されていったはずなのに。

周囲は憬に向けて「また始まったよ」と言わんばかりの視線と空気を送る。

 

 「ほんとに星アリサが好きなんだね。憬くんって」

 「ドン引きだろ?いつもこうなんだよ俺って。好きな俳優の話題になると空気を読まずに喋り続けちまう」

 「別にいいじゃん!私もドラマとか映画とかめっちゃ好きだし!ねぇ?他に好きな俳優さんとかいるの?」

 

 母親以外でこの手の話でここまで盛り上がったのは生まれて初めてだった。嬉しさ半分、怖さ半分。赤の他人から自分の話す言葉を肯定されることは今まで一度もなかった。

 その優しさが罠に見えてしまって、環のことをイマイチ信用できなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「憬くん。一緒に帰ろ」

 

 ロッカーで不意に環から声をかけられ、思わず驚く憬。

 

 「別にいいけど俺の家知らないだろ」

 「知らない」

 「逆方向だったらどうすんの?」

 「別に良くね?細かいことは気にしない」

 「いや少しは気にしろよ。ていうかこっちに引っ越してきたばかりなのに道とか分かるの?」

 「大丈夫だよこう見えて土地勘はある方だから」

 「そういう問題じゃないだろ」

 「いいじゃん細かいことは。さて帰るか憬くん」

 

 “うるさい奴は好きじゃないんだよ”

 

 「嫌だよ1人で帰れ」

 「何だよつれないなー。冷たい男は嫌われるよ?」

 「別に嫌われても俺は構わないし」

 「憬くん。じゃんけん」

 

 いきなり環は俺にじゃんけんを仕掛けてきた。俺は咄嗟にパーを出す。

 

 「よし、私の勝ち。じゃあ一緒に帰るよ」

 「いきなりやるとかずるいよ」

 「じゃあもう一回やる?」

 「当たり前だろ」

 「もしこれで私が勝ったら・・・今度こそ一緒に帰ってくれる?」

 「・・・分かったよ。これで勝ったらな」

 「じゃあ行くよー」

 

 

 

 「やっぱ憬くんはすごいな。テレビや映画のことは何でも知ってるし」

 

 こうしていつもは1人きりだった帰り道に、うるさい転校生が加わった。

 

 「すごくないよ。見れば分かるとおり俺は周りと“ズレてる”だけでロクな奴じゃない。クラスの奴らからも嫌われてるしね」

 「別に“ズレてても”いいじゃん。友達ってことには変わりないんだし」

 

 “友達”。他人からそう言われたのは生まれて初めてだった。だから少し戸惑った。

 

 「良いのかよ俺なんかと友達になって。きっと環さんも俺と同じように嫌われるよ」

 「関係ないよ。周りと少し違ってるぐらいで仲間外れにするような奴は無視すりゃいい。そんな奴と友達になるくらいならみんなから嫌われる方がよっぽどマシだよ」

 「別に環さんが嫌われる必要はないよ」

 「そうだよ。嫌われる必要なんてない。だから私と憬くんが友達になっちゃいけない理由も憬くんがみんなから嫌われていい理由もない。はいこれで悩み相談は終わりっ!」

 

 母親以外で初めて出会った。自分を心の底から肯定してくれる存在。普段は年相応のお転婆なガキみたいな感じなのに、ふと教師が道徳で言いそうなことを話してくる。

 

 「環さんはさ、ひょっとして人生2週目なの?」

 

 考えなしに不意に出た憬の一言。憬が繰り出した予想の斜め上を行く言葉に環は一瞬戸惑う。そしてツボにはまったのか吹き出した。

 

 「待って・・・人生2週目はヤバいって・・・耐えられん・・・!」

 「あぁいやごめん!今のは忘れて!」

 「憬くんってさ、独特な例えをするよね」

 「いや、ごめん。無意識に出た」

 「もうほんと、憬くんは面白いなー」

 

 そう言うと環は満面の笑みで笑った。その笑みに釣られて、憬も思わず笑う。そして憬は、あの時感じた感情の正体に気づいた。

 

“俺は寂しかった”

 

 本当はずっと寂しかった。その寂しさから逃げたくて、ブラウン管の世界に没頭して寂しいという感情をリセットしていた。そこで1人の女優と出会い、彼女の芝居に触れてからテレビに映る役者の感情と自分自身を照らし合わせるようになった。

 それでも現実というものは俺を歓迎してはくれず、やがて周りと“ズレている”ことを自覚して俺なりに周りに合わせるように頑張ってみたが、そもそも自分の基準自体が周りから大きく逸れたものだったので意味がなかった。

 だから、普通にみんなと仲良くやっている奴らが羨ましかった。初日から堂々とみんなの輪の中に入っていく転校生と比較して、その輪の中に入れずにいる自分に嫌気がさしていた。

 

 気が付くと俺の住む(マンション)が目の前まで来ていた。

 

 「ここが憬くん()か」

 「そうだよ。って環さんは大丈夫?家」

 「ああ。私住んでんのあそこの通り挟んですぐのとこだから」

 「そっか」

 「いやー憬の家が近くにあって助かったわー。逆方向だったらどうしようかと思った」

 「土地勘あるんじゃなかったの?」

 「まぁ、結果オーライだからいいでしょ」

 (ホントに楽観的だなこいつは・・・)

 

 環蓮。時にはこいつのことをとても生意気に感じる瞬間があるのだが、そんな環といる時間に俺は妙な心地よさを感じていた。

 

 「環さん」

 

 『今日は楽しかった』と言おうとする憬の言葉を、環は遮る。

 

 「“蓮”でいいよ」

 

  環は憬に下の名前で呼ぶように仕向ける。他人の名前を下で呼ぶのは少しばかり照れくさかったが、羞恥心を取っ払って言ってみる。

 

 「蓮・・・今日は楽しかったよ。ありがとう。また学校で会おうね」

 

 

 こういう時、気の利いた一言が一つでも浮かべられたらなと思うことが何度もある。ただ、そんな一言がパッと思い浮かぶほど俺は器用じゃない。これが、あの時の俺にとって精一杯の感謝だった。

 

 「フッ、人見知りかよ」

 「・・・うるせぇよ」

 

 そんな俺を心底馬鹿にしたように笑う環。彼女のおかげで星アリサを中心に回っていた世界が、動き出したような気がした。

 

 今思えば環との出会いが、これから続く “勘違い”の始まりだったのかもしれない。

 




プロローグをご覧頂いた読者の一部は、きっとこう思っていると思います。
「いやお前が主人公かい」、と。
もし1話をご覧になって日本映画界の生んだ鬼才・黒山墨字の大活躍を期待していた方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。彼の活躍は、いずれ書きます。

主人公。柊然り、夜凪然り、複雑な家庭環境ノルマ達成です。随分と酷いノルマだなこれ・・・がんばれ、主人公たち。

何より環蓮のキャラ設定には最後の最後まで悩みました。でも、子供だった頃はすげぇお転婆だった知り合いが、久々に再会したら滅茶苦茶大人っぽくなっていたというのはよくある話だと思います。

ということで色んなご意見があると思いますが、第一章スタートです。







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scene.2 1999

“蓮が芸能事務所のスカウトキャラバンでグランプリを獲った”

 

 3学期が始まって早々、学校中に知れ渡った衝撃的なニュース。当然クラスはおろか学校中が大騒ぎとなった。

 

 「凄いじゃん蓮!グランプリ獲るなんて」

 「いやー、何か気がついたら獲れちゃったんだよね」

 「え~やばっ!」

 「やっぱり蓮ちゃんは可愛いからな~」

 「まぁね」

 「てことはこれで芸能界デビューじゃん!?」

 「ねぇ?映画とかドラマとかってもう決まってんの?」

 「そんなにすぐには決まらないよ」

 

 取り巻きの真ん中でどんなに煽てられても余裕さを隠そうともしない環の姿。やっぱりグランプリを獲るような奴は周りとは違う華を持っている。俺みたいな奴が近くにいるのがもったいないくらいに。

 

 「でも、私がこうしてデビュー出来たのは、憬のおかげだよ」

 

 思いもよらない一言に、教室の隅で環を遠巻きに見ていた憬は思いきり面を食らう。

 

 「えぇ!?夕野が!?」

 「おいお前、蓮に何した!?」

 「いや、俺は別に何も・・・」

 「憬ってさ、蓮のこと好きなの?」

 「はぁ?何で俺が」

 「ていうか蓮ちゃんを独り占めするなんて許さないから!」

 「何でそうなるんだよ!?」

 

 取り巻きが一斉に俺の方に寄ってきた。たまらず環に視線を送って助けを求めるが、彼女はただ微笑ましく質問攻めにあう俺を見ているだけだ。

 

 “このクソガキ・・・”

 

 結局この日、俺は一日中クラスの男子から環との関係をいじられまくり、女子からは尋問の嵐を食らった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ほんと最悪だよ誰かさんのせいで」

 「でも良かったじゃん。人気者になれて」

 「“晒し台”の間違いだろうが」

 「酷いなー憬は」

 「ていうか何であんなことを人前で言うかなほんとに」

 「良いじゃん。だって本当のことだし」

 「・・・そうだけどさ、普通はこういう2人きりの時に言うもんじゃないの?」

 

 環にスカウトキャラバンを受けるように促したのは俺だった。理由は”華があるから”

 

 元々『周りから可愛いって言われ過ぎて疲れた』と言っていたから断られると思ったが、『憬くんが言うなら』と大手プロダクションが主催するスカウトキャラバンに応募して、そのままグランプリを獲った。こうして環は、芸能界に足を踏み入れることになる。

 

 ちなみにどういう訳かスカウトキャラバンの応募理由には『よく可愛いと言われるから』と書いていた。

 

 「でも、私が憬に感謝してるのは本当だよ?」

 「それは・・・ありがとう」

 「君は真面目か」

 

 いきなりシンプルに褒められてはにかむ憬を、環は満面の笑みを浮かべる

 

 「ところで憬はさ、俳優とか目指さないの?」

 「え?何で?」

 「だって俳優とか女優に凄い詳しいじゃん。だから憬もそういう道に進むのかなって」

 「俺が俳優か・・・」

 

 “憬はさ、俳優とか目指さないの?”

 

 環の一言がきっかけで俺の中に役者になりたいという思いが急速に芽生え始めたが、この頃になると少しずつ家庭の事情を理解するようになった。多忙な仕事をこなしながら女手一つで俺の面倒を見てくれている母親のことを思うと、そのことを言う勇気が出てこなかった。

 

 「分かんないけど、俺は別にいいかな」

 「・・・そっか」

 

 この時に見せた環の少し寂し気な笑顔は、未だに脳裏に深く刻まれている。

 

 この頃の俺は、気の合う親友が1人出来たことで周りを俯瞰するようになった結果、中途半端に臆病になってしまっている気がした。

 そんな俺は卒業文集の将来の夢に「人を幸せにする仕事をしたい」と書いた。家の事情を考えると言い出せなかったが、だからといってその夢を諦めることも出来なかった。悩みに悩んだ末に導き出した、どっちつかずな将来の夢。

 

 ちなみに環は卒業文集に大きく『有名人になって天馬心(てんましん)に会う!』という芸能人とは到底思えないミーハーな夢を大きく書いていた。

 

 

 

 そうした思い出を振り返っていると、気がつけば中学校の校門が目の前にあった。

 

「おっ、クラス一緒じゃん」

 

 不意に環が背後から話しかけてきて憬は思わずびくつく。

 

 「蓮お前さ、話しかける時は一声かけろよ。びっくりするだろうが」

 「ハハッ、悪い」

 

 校舎の正面玄関に張り出されたクラス表を見つめる憬と環。気の合う親友と映画やドラマの話で盛り上がって、たまに二人で下校路を帰る普通の日々。そんな日々が続けばそれでいい。今が楽しければそれでいい。

 

 だが俺はそんなかけがえのない至福を手に入れたのと引き換えに、大きな代償を払うことになる。

 

 

 

 “星アリサの引退”

 

 それはまさに、青天の霹靂だった。入学式の日の夜に飛び込んできた彼女が女優業から引退するというニュースは、各局がこぞって取り上げて一大ニュースとしてお茶の間の話題を独占した。

 最初こそきっと遠くないうちに気が変わって戻ってくるだろうと微かな期待をしていたが、全てやり切ったという清々しさすら感じる表情で彼女が放った『引退宣言』を目撃した瞬間、もう彼女が女優として帰って来ることはないということを俺は悟った。

 

 彼女の最後の舞台のチケットは倍率競争からふるい落とされ、結局俺はその結末を目に焼き付けることが出来なかった。

 はっきり言って受け入れ難い現実だったが、1人の親友が出来たおかげで俺はこの現実をどうにか受け入れることが出来た。

 

 こうして俺は、中学校に入学すると同時に“女優・星アリサ”の世界から卒業した。

 

 その翌日、“元女優・星アリサ”は芸能事務所“スターズ”を設立する。

 

 人気も実力も絶頂期を迎えていた彼女が引退しなければならなかった理由は何だったのか。その答えは全くもって風の中だった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 時は飛んで1年後。春休みのある日、憬と環は2人きりで渋谷にある映画館に向かっていた。環が出演した映画が、遂に公開されるというのだ。

 ちなみに環が出演した映画は、地元の映画館でも公開されているが、何故か俺と環はその映画を観るために渋谷に来ている。理由は二つある。一つ目は“環の気分”だ。

 

 「くそっ・・・折角貯めてた俺の貯金が」

 「さっきからどんだけ金の心配してんだよ」

 「俺はお前と違って“仕事”をしてないからな」

 「じゃあ親から盗めば?」

 「秒でバレるわ」

 「そんなに金に困ってるなら貸そうか?利子は当然つけるけど」

 「ざけんな」

 「大体君がじゃんけんに負けなければこうならなかったのに」

 「(・・・それに関しては何も言えない)」

 

 俺たちが渋谷にいる理由は二つある。二つ目は“俺がじゃんけんに負けた”ことだ。しかも何を思ったか俺の方から勝てる見込みのない試合を持ちかけて、見事に負けてしまった。おかげでこっちは何も言い返せない。

 こうして馬鹿みたいな言い合いをしているうちに、俺たちは目当ての映画館に着いた。

 

 「やっぱり自分の出た作品を自分で観るのは何か嫌だな」

 「ここまで来てそれを言うのか。少しは俺の気持ちも考えろ」

 「いやだって恥ずかしくない?自分の姿をスクリーンで観られるの」

 「だからわざわざ俺がついてきてやってんだ。文句言う暇あるならさっさと入るぞ」

 「じゃんけんに負けた分際で偉そうに」

 「蓮が強すぎるんだよ」

 「・・・憬が弱すぎるだけだよ」

 

 “ぶっ飛ばそうか?”と言い返してやりたかったが、心なしか気が立っている環の様子を見て、言うのを止めた。自分の演技をこれから不特定多数の観客に見せられるという状況を考えると、気が立ってしまうのも無理はない。

 

 エレベーターで4階に上がり窓口で隣同士の席でチケットを切り、スクリーンに入場する。家族以外の人間とこうして映画を観るのは、この日が生まれて初めてだった。300席ほどあるスクリーンの座席は、みるみるうちに埋まっていく。

 

 「満員御礼だな」

 「おかげさまでね」

 

 2人が観賞した映画は、人気小説家・日向光一(ひなたこういち)の代表作である長編小説『1999』を原作とする『1999 -ノストラダムス-』。“ノストラダムス”による“人類滅亡の危機”を迎えた1999年の世界を舞台にした作品。ちなみに環はそんなノストラダムスによる暴動に巻き込まれていく明季(あき)という中学生の役。メインやキーマンとまでは言わないが、そこそこ重要な役どころである。

 

 率直に映画の感想を言うと、当時話題になっていた“ノストラダムスの大予言”の流行りに便乗したB級SF映画のようなタイトルに最初は殆ど期待していなかったが、それとは裏腹な“ノストラダムス”に翻弄され続ける人々の集団心理を描く哲学的メッセージが込められた作品で、商業映画としては内容も攻めたもので意外と楽しむことができた。

 

 もちろん原作を読破するなど事前情報込みでこの映画を観ると楽しみは半減することになるだろう。よく言えば大衆向け、悪く言えばキャスティング頼みといったところか。

 ついでに言うと、やはり『1999 -ノストラダムス-』というタイトルには最後まで慣れなかった。

 

 「・・・あのさ」

 「ん?どうした?」

 「どう・・・だった・・・?」

 

 シアターを後にすると、環が緊張したような態度で俺に聞いてきた。自分の芝居を知り合いに見られた時の何とも言えない小恥ずかしさは、俺にもわかる。

 

 「・・・良かったと思うよ。芝居も変に浮いてなかったし」

 「ほんとに?」

 「本当だよ。主人公に助けを求めるシーンとかは普通に上手いと思ったよ」

 「・・・そう」

 

 確かに環の演技は決して悪くなかった。ただ周りの共演者と比較してしまうと話は変わってくる。

 しかしそんな現実を中学2年の女子に突き付けてしまうのはあまりに酷な話だ。だから俺はそんな環を気遣って当たり障りのない範囲で環の芝居を讃えた。彼女の抱えていた思いなど知る由もなく。

 

 「・・・嘘ついてんじゃねぇよ」

 

 環が吐いた独り言は、表通りの雑踏にかき消されて憬には聞こえない。

 

 「え?何か言ったか?」

 「いや、別に、何でもない」

 

 そう言って環はとぼけたような顔を見せたが、心なしか怒っているように感じた。この時の俺は、環が怒っている理由に気づけずにいた。

 

 

 

 「おい、前」

 「えっ」

 

 憬が話しかけたその瞬間、誰かの腕が環の肩とぶつかり誰かの携帯が落ちた。

 

 「痛った・・・うわー最悪、携帯ぶっ壊れたんだけど」

 「えっ・・・うわマジじゃん」

 「おいどうしてくれんだよこれ」

 

 絡んできた3人組の男。年齢的には20歳前後くらいだろうか。どうやらこの連中は環とぶつかった拍子で携帯が壊れたと言っていたが、とても壊れるほどの衝撃じゃなかったのは目に見えていた。それ以前に、わざとぶつかってきたことも憬はこの目で見ていた。

 

 「ごめんなさい」

 

 だがそこまで気が回っていなかった環は平謝りする。よりによって、面倒な連中に絡まれてしまった。

 

 「ったくこれは弁償だな。でも女子から金を取るのも気が進まないからな。どうする?」

 「ちょうどいいや。おい、隣のガキ。代わりに払ってやれ」

 「えっ?」

 「ちょっと、憬は関係ないでしょ」

 「へぇ、意外と度胸あんじゃん。じゃあ特別に俺らと少しばかり付き合ってくれたらチャラにしてやってもいいぜ」

 「ほんと悪趣味だねアンタら。そんなんじゃ彼女なんて出来ないよ?」

 

 ここに来て環がエキサイトし始める。負けん気が強いのは知っているが、このまま関わっていてもロクなことにならないのは明らかだ。憬は環の手を引っ張り逃げの体勢を取ろうとする。

 

 これと言ったスポーツはやってこなかったが、俺は小さい頃から勉強もスポーツも割と器用にこなせるほうだった。だから喧嘩は苦手だが逃げ足には自信がある。

 

 「まぁ待てよお前ら」

 

 男のうちの1人が環のもう片方の腕を掴んで引っ張ろうとした。すると憬は咄嗟の判断で引き返し、男の腕をほどく。

  

 「・・・憬!?」

 「おいガキ。何だその態度は?」

 

 とりあえずこの現状を打破するために取った憬の秘策。ただ感情的になるだけじゃなく、怒りの感情を利用して自分より強い他の誰かになりきって凄みを効かせてみる。小学生の頃にガキ大将の嫌がらせから逃れるために独学で身に着けた何の役にも立たないメソッドが、こんな形で役に立つ日が来るとは。久々に使ってみたが、案外容易く入れた。

 

 「俺たちがぶつかったことは謝るから、蓮を脅したことを謝れよ」

 「あ?人の携帯壊しておいて何様だお前」

 「取りあえずその携帯を見せてくれよ。壊れているなら良いだろ?」

 「はぁ?なんでてめえに見せないといけねぇんだよ?」

 「見せてくれないとどこが壊れたか分からないじゃん」

 「おいクソガキ、あんま調子に乗ると」

 「本当に壊れているなら見せてくれたって問題ないと思うんだけど?それとも嘘でもついてんの?」

 

 憬は押されるどころか余裕の笑みを浮かべて煽り始める。まるで中学生とは思えない落ち着きと、笑みの中に秘められた底知れぬ殺気に、3人組は明らかに怖気づいている。

 

 「テメェ・・・馬鹿にしやがって!」

 「おい、タクヤマズいって野次馬がいんだぞ!」

 

 取り巻きのリーダー格であろうタクヤという男が環の腕を離して、憬の顔を目掛けてパンチを見舞おうと襲い掛かる。

 

 

 

 「すいません警察ですか?今3人の男が中学生くらいの子供に言いがかりをつけて脅そうとしていまして」

 

 野次馬の中の一人が携帯電話片手に警察に通報する。その声に反応したのか、タクヤは憬の顔面にクリーンヒットする寸でのところでその拳を止めた。

 

 「おい何警察にチクってんだよお前?俺たちは被害者だぞ!」

 「じゃあその携帯見せてくれませんか?もし本当に壊れているならそこのガキ2人からありったけの金を搾り取って構わないので」

 「急にしゃしゃり出て余計なことしやがっ・・・」

 

 タクヤという男が文句を言い切る前に、帽子と黒縁眼鏡をかけたその男はタクヤの携帯を一瞬で奪い取る。とても素人とは思えない早業だった。

 

 「ちょっ!お前人の携帯を・・・」

 

 タクヤが必死に男の手に渡った自分の携帯を取ろうとするも、長身の野次馬男に対してまるで相手になっていない。

 

 「あれ?電源が付きましたよ。おかしいなぁ、壊れているはずの携帯が」

 

 電話ボタンを長押しすると、壊れていたはずの携帯の電源がついた。男は電源のついた携帯を野次馬に見せびらかすように掲げる。その瞬間タクヤを始め3人組の顔が一斉に引き攣る。どうやら図星のようだ。

 

 するとその男はタクヤの耳元に顔を近づけ、

 

 「どうせやるならもっと手の込んだ仕掛けをしないとすぐにバレますよ。何なら僕がその方法を教えてあげましょうか。一回10万円コースで」

 

 と言った。するとタクヤはバツの悪そうな顔で自分の携帯を奪い取る。

 

 「チッ。つまんねぇ・・・」

 「覚えとけよクソガキ」

 「カス」

 

 こうして3人組は俺たちに悪態をつきながら去っていき、野次馬も少しずつ減っていった。

 

 「蓮・・・大丈夫か?」

 「大丈夫なわけないだろ。いきなり豹変されると心臓に悪いわ」

 「それは悪い。でもお前もお前で張り合おうとすんなよ。ああいうのは相手にしないに限る」

 「チッ・・・あぁもうマジで最悪だよ今日は」

 「喧嘩は良くないよお二人さん」

 

 急に声をかけられて2人は思わず振り向く。するとそこには先ほどの野次馬の男が立っていた。

 180cm以上はあろう高身長でスラっとした出で立ち。服装は大人びているが見た感じは高校生くらいだろうか。しかし切れ長の目とどこかニヒルさの漂う顔立ちは、周りの一般人とかけ離れた独特な雰囲気を醸し出している。それにしてもこの男、どこかで見た記憶がある。

 

 「大丈夫かい?」

 「俺は、大丈夫です」

 「たまにいるんだよね、ああいう(やから)ってさ。君たちもこういう繁華街に遊びに来るときは気を付けた方が良いよ」

 「本当に通報してくれたおかげで助かりました」

 「ありがとう。まぁ、実際は通報しているフリをしただけなんだけどね」

 「フリだったの!?」

 「だって折角の休日を揉め事で全部台無しにされたら嫌でしょ」

 「ほんと・・・台無しだよ」

 

 苛立ちを隠せない環が愚痴るように言った、その時だった。

 

 「あれ?君、環蓮でしょ?」

 「えっ?」

 「去年、大手プロダクションのスカウトキャラバンでグランプリを受賞して芸能界デビュー。その応募動機は『よく可愛いと言われるから』だったかな?ティーン雑誌「アリス」のモデルとしての活動を中心に2本のCMに出演。確か一番最近のだと東西ゼミナールのCMだったはず。で、今まさに絶賛公開中の『1999 -ノストラダムス-』に明季役として映画デビュー」

 「・・・嘘でしょ?」

 

 野次馬の男が放つ言葉に俺も含め、環は面を食らう。無理もない。環はグランプリを獲って以降、メディアが彼女を積極的に焦点に充てるようなことはなく、『1999』関連でようやくCM以外でテレビに出るようになったからだ。メディアからしてみればほぼ無名に近い環の活躍をここまで把握している一般人は滅多にいないだろう。少なくともこの男を見る限り、そんな筋金入りのファンである雰囲気は全く感じられない。

 

 「新人にしては華もあるし演技も悪くないと思うよ。でもなんだか小手先のノリでやってるような感じが所々に出てるのが勿体ないよね」

 「なっ、いや・・・・・まぁ」

 

 図星を突かれたのか、環が珍しく相手に対して何も言い返せずにいる。

 

 「でも君は女優において必要な素質はちゃんと持ってる。だから努力をすれば5年以内にその才能は開花すると思うよ」

 「5年かかるんだ・・・」

 「でも本気で仕事に取り組めば、必ず5年後には花開く」

 「それは・・・どうも」

 

 否定しようにも自身の現実を突きつけられて言い返すことが出来ず、拗ねたような態度をとる環。それにしてもこの男、一体何者なんだ。

 

 「あの・・・1つ聞いても良いですか?」

 「いいよ。聞きたいことがあれば何でも聞いてくれ」

 「・・・何で蓮のことをそこまで知っているんですか?」

 「・・・知りたいかい?」

 

 そう言うとこの男は、帽子と眼鏡を外してほくそ笑む。

 男が眼鏡を外して正体を露にした瞬間、憬は何かを思い出していた。ついこの間まで、この男によく似た子役上がりの俳優をテレビでよく見かけていた記憶がある。恐る恐る憬は、目の前の男に問いかける。

 

 「天馬(てんま)・・・(しん)?」

 

 するとその男は意味深な笑みを浮かべ、こう答えた。

 

 「大正解だよ、少年。でも今はただの高校生、天知心一(あまちしんいち)だけどね」

 




喧嘩のクオリティーがマジでチンピラレベルで本当に申し訳ありません。まぁ原作もそうですけどメインは喧嘩ではないのでこれで勘弁を。気が向いたら添削するかもです。

ついでに主人公のキャラが思うように定まっておりません。暴走型主人公は夜凪1人で十分だったのに。こっからどうしようかなマジで・・・文才無しですみません。

そしてあの”ニヒルでノッポな憎い奴”の意外過ぎる過去が発覚?
そう言えば阿良也も彼を前にした時に「こいつは稀に見る正直者だ」と警戒していましたね。だから何だって話なのですが。

ていうか〆るの下手か





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scene.3 スカウト

天馬心(てんましん)。5歳の時に子役としてデビュー。9歳で出演したMHKの大河ドラマで主人公の幼少期を演じたことがきっかけで人気に火がつく。“子役=可愛い、天真爛漫”というイメージを覆す美少年ぶりが話題を呼び、数々のテレビドラマやCMに加え映画にも出演するなど多岐に渡って活躍するも、星アリサの引退とほぼ同時期に突如芸能界から姿を消した。

 

 引退した理由は『学業に専念するため』ということだったが、真相は闇の中だ。

 

 本名、天知心一(あまちしんいち)

 

 

 

 「天馬さん!・・・あの・・・先ほどは天馬さんだと気付かず・・・すみません」

 「いや良いけどさ、あまり僕の“芸名”を大声で叫ばないでくれるかな?」

 「はい、すみません。それと、先ほどは私のような新人にアドバイスをして頂き、ありがとうございます」

 「(何なんだこの状況・・・)」

 

 覚えたての敬語を使って芸能人が一般人に頭を下げるという何とも間の抜けた光景を、憬は何とも言えない感情で見届ける。とは言え、相手はつい1年前まで芸能人だったからこうなるのも無理はないか。

 今では一般人であるとはいえ、同じ芸能人でもある環にとって天知はれっきとした先輩である。

 

 「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。僕はもう芸能界の人間じゃなくて通りすがりの高校生なんだからさ」

 「いえ、私にとって天馬、いや天知さんは役者としての先輩であることには変わらないので」

 「(先輩方から礼儀を叩き込まれたんだろうな・・・)そこまで健気に敬意をもってもらえると、僕も嬉しいよ。ありがとう」

 「いえ・・・ありがとう、ございます」

 

 驚きと嬉しさと色んな感情が縺れ合い環はしどろもどろになっている。ここまであたふたした環を見るのは初めてだった。

 そういえば環が天馬心のファンだったということを、俺はふと思い出した。しかも環からしてみれば文字通り芸能界の先輩でもある。 “あの環”がここまで腰を低くするわけだ。

 

 まぁそれも、“今は昔”の話であるが。

 

 「ついでと言ったら難だけどさ?今からつい最近オープンしたカフェに行く予定なんだけど、一緒に付き合ってくれる?」

 「・・・良いんですか?」

 「もちろん」

 「ありがとうございます!」

 

 ほんの数分前まで“あんな状況”に置かれていたにも関わらず、この変わりよう。ただ、相手はあの“天馬心”である以上、さっきの二の舞になることは恐らくないと信じたい。しかし、この天知という男が何かを企んでいるのは何となく察しがついていた。

 

 「おい蓮、流石に裏があるってこれは」

 「何?せっかくの天知さんからの誘いを断れって言うの?」

 「いやそういう訳じゃないけどさ」

 「ほんと君は芸能界を何も分かってない」

 「別に俺は芸能界の人間じゃないから分かるわけねぇよ」

 「そんなんでよくこの人の芝居はあーだとかこーだとか言えるよねー。ほんと愉快」

 「それは関係ねぇだろうが」

 「まあまあ2人とも喧嘩しない。それよりも、早くここから撤収したほうが良いと思うよ。周りを見てごらん」

 

 天知から言われて周りを見渡すと、いつの間にか俺たちは再び野次馬から視線を送られていた。

 

 「えっ?あれ天馬心じゃない?」

 「いや流石に天馬心がこんな堂々と渋谷なんて歩かないでしょ。すげー似てるけど」

 「にしてもそっくりだよなー」

 「あそこの女の子サインくださいとか言ってたし、もしかしたら本物じゃね?」

 「ていうかあの女の子もどこかで・・・」

 

 引退してから約1年の月日が経ち、その浮世離れした独特な存在感は未だに健在なばかりか、現役時代以上の風格(オーラ)すら感じる。隣にいる環ですら完全に霞んでしまうほどの存在感。なるほど、これが芸能人というやつか。

 

 「全く。変装しなければまともに街すら歩けない。こんなことになるくらいだったら芸能人(スター)になんてなるんじゃなかったよ」

 

 そうやって帽子を深々と被りながら愚痴をこぼす天知は、まるで周囲の野次馬など全く眼中にないような余裕さを身に纏っている。

 

 「君たち、足には自信ある?」

 「もちろんです」

 「人並みには」

 「・・・逃げるよ」

 

 そういうと天知たち3人は、たかりだした野次馬を背に全力で走り出した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 3人が逃げ込んだ先は、天知の言っていた目新しいカフェ。少なくとも俺が住んでいる横浜ではこんな店見たこともない。

 

 「ごめんね面倒なことに付き合わせて」

 「いえ、全然。寧ろ俺たちのことを助けてくれてありがとうございます」

 「礼はいらないよ。僕は当然のことをしただけだ。もちろん、3人分の食事代は僕が全部払うよ」

 「天知さん、(こいつ)には払わなくても大丈夫ですよ」

 「おいてめぇ」

 「アハハ、2人は本当に仲が良いんだね」

 

 天知から核心を突かれ、憬と環は互いに目を反らす。

 

 勘違いしないでほしいが、俺たち2人は付き合っている訳ではない。友達として認め合ったあの日から俺たちの関係は“友達”として進展こそしているが、そこに恋愛感情はない。

 あくまで気の合う親友同士。それでいい。それぐらいがちょうどいい。

 

 「そういえば少年の名前を聞くのを忘れていたね。少年、君の名前は?」

 

 天知から名前を聞かれ、憬は身分証明として持ってきた学生証を天知に見せる。

 

 「夕野憬です」

 「夕野憬か・・・良い名前だ。ドラマや映画のキャスト欄に載っていても全く違和感ないくらいに」

 「それは大袈裟でしょ」

 

 天知たち3人はそれぞれエスプレッソを注文する。ランチにしては遅く、間食を摂るにも微妙な時間帯だったのが幸いし、3人はテーブル席を確保することができた。

 

 スムーズに注文する天知に対して、俺は初見さんお断りの独特な各種メニューに手間取りまくった。

 そんな俺を温かい目で見つめる天知と目が合った瞬間は、死にたくなるほど恥ずかしかった。

 悩みに悩みまくった末、特に飲みたくもなかった一番無難なメニューを俺は注文した。

 

 「ラテ1つ注文するのにどんだけ時間かかってんの」

 「分かりずらいんだよここのメニューは」

 「確かにこの店は初心者にはちょっと手厳しいよね。僕も最初は戸惑ったよ」

 「そうですよね天知さん」

 「夕野くんほどじゃないけどね」

 

 フッと憬を心底馬鹿にしたように吹き出す環。何も言い返せない現実を目の当たりにし、再び恥ずかしさが込み上げる。それから3人は今日観た映画の話や互いの学校生活の話など他愛もないで盛り上がった。

 

 「そしたら憬が、『環さんはさ、ひょっとして人生2週目なの?』って急に言い出して」

 「おいそれは言うなって!」

 「あれはヤバいって・・・」

 「あの時の俺は色々とおかしかったんだよ。誤解しないで天知さん、小5の“クソガキ”だった時の話なんで」

 「本当に面白いなー、夕野くんは」

 「いや違うんですって」

 「ある意味そういうのも才能だよ、君」

 「天知さんの言う通りだよ。いい加減自分のことを変人だと認めた方が良いと思うよ?憬」

 「お前も中々の変人だけどな蓮」

 「君にだけは言われたくないね」

 

 すると天知は急に真面目な顔をして憬と蓮に語りだす。

 

 「でも、芸能界は少し周りとズレてる方がこの世界では上手く生きていける」

 「・・・そうなんですか?」

 「芸能界なんてどこも変わり者の巣窟だよ。夕野くんや環さん以上にぶっ飛んでる人たちなんてザラにいるしね。常識に囚われ過ぎるとすぐに潰れる」

 「確かに。私も時々“すごいところに来てしまったんだな”って感じることがあります」

 

 共感の眼差しを向ける環。なんだか俺一人、置いていかれているような気分だ。

 

 「そう。環さんの言う通りすごいところなんだよ芸能界って。一般社会の常識なんてまるで通用しない。本当に別世界だよ、あそこは」

 「分かったかな?夕野憬くん」

 「なんで蓮がそれを聞くんだよ。普通この流れだと天知さんだろ」

 「目上に対して“だろ”・・・か。そんな態度だとすぐ干されるよ憬くん」

 「なっ・・・すいませんでした。って何で俺は天知さんに謝ってんだ」

 「アハハッ」

 「おい何笑ってんだよ」

 「だって面白いから」

 「あんまり幼馴染をいじめるなよ環さん・・・ククッ」

 「天知さんまで笑ってるじゃないすか」

 

 少しずつお互いの緊張も解けていき、3人の会話は和やかに進んでいく。そしてラテも飲み終わり、そろそろ席を立とうかとしたその時だった。

 

 「そうだ夕野くん、最後に君に渡しておきたいものがあるんだ」

 「え?何ですか?」

 

 そういうと天知は、持っていたバッグから1枚のチラシと履歴書を憬に渡した。

 

 「これ、うちのポストの中に入っていたけど僕は興味ないから夕野くんにあげるよ」

 「・・・これって?」

 

 いきなり訳の分からないチラシと履歴書を渡され憬は困惑するが、そこには見覚えのある事務所の名前が書かれていた。

 

 “スターズ俳優発掘オーディション”

 

 「スターズが今年から俳優発掘オーディションをやるらしい。応募資格12歳から22歳。締め切りは2週間後。合格者には賞金及び弊社所属タレントとしてドラマへの出演が約束されているってさ」

 「なんでこれを俺に・・・」

 「んー、夕野くんにとって“良い話”だから?」

 「・・・はぁ」

 

 いまいち状況が飲み込めない憬。すると天知は不敵な笑みを浮かべる。

 

 「ついでに1つ聞きたいんだけど。何で夕野くんはあの時“演技”をしていたの?」

 「あの時って?」

 「さっきの喧嘩だよ。あんまり思い出したくないだろうけど」

 

 察することの出来ていない憬を環がぶっきらぼうにフォローする。普段の憬を知っている環が俺の“異変”に気づくことはまだ理解できるが、天知は他の誰かの感情を利用していたことを一瞬で見抜いていた。しかも初見で。

 

 「本当はすぐに助けてあげたかったけど、君の“お芝居”が余りにも迫真過ぎてつい見入ってしまったよ。ごめんね、助けるのが遅れて」

 

 天知の目を見る限り、恐らく彼は出鱈目を言っている感じではなさそうだった。

 

 「何でそんなことが分かるのか?って思っているでしょ」

 「・・・そりゃあ、蓮のように普段の俺を知っている奴ならともかく初対面でそんなこと」

 「忘れたのかい?これでも僕は元役者だ。普通の人と比べたら人の心を読むのは容易いことだよ」

 

 そう言いながら天知は、脳幹を指さして不敵に笑う。何故人の心と言いながら脳幹を指すのかは、未だに俺には分からない。

 

 「別に強制はしないよ。僕は無理やり自分の価値観を押し付けるような“非情な人間”にはなりたくないからね」

 

 断りづらくなりそうな空気にならないように、天知は憬に気を遣う。こういう時、目の前の獲物が大物であればあるほど、冷静にゆっくりと時間をかけて仕留めるべきだ。

 

 「ここから先は、君次第だよ」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 大手事務所からの独立。それは芸能界において自らいばらに足を踏み入れるように過酷な道。しかし代表となった星アリサの人脈とその手腕によってスターズは芸能事務所として急成長を遂げる。

 

 俳優として数々の賞を受賞し、女性誌の『抱かれたい男No.1』にも選ばれイケメン俳優として飛ぶ鳥を落とす勢いの人気を誇るカリスマ・早乙女雅臣(さおとめまさおみ)や、若者を中心に絶大な支持を集めるティーンエイジャー世代の代表格・美藤夏歩(みとうかほ)を始めとした大衆を魅了する“5人の人気俳優”を始め、数々のドラマをヒットに導く人気脚本家の月島章人(つきしまあきと)などの著名な演出家や脚本家などの優秀なスタッフ陣を次々と引き抜いてテレビドラマや映画を問わずヒット作を量産し、少数精鋭ながらスターズは設立から僅か1年という驚異的なスピードで業界内から“次世代の筆頭”と呼ばれるようになるほどその勢力を伸ばし続けている。

 

 

 「私は受けてもいいんじゃないかなって思うよ。スターズ」

 「スターズか・・・」

 

 俺は一抹の不安を抱えていた。自分のような変わり者を、星アリサは本当に求めているのだろうかということ。

 

 そんな憬の心情を知ってか知らずか、環は一呼吸置くと今回出演した映画で共演した早乙女の話を始める。

 

 「今回の映画で初めて早乙女さんの演技を間近で見たんだけど・・・凄まじかった。NGなんて一回も出さないし、監督からの要求も瞬時に理解して一発OK。しかも本番が始まる時にはカメラの位置や自分のアングルまで頭に入っているから早乙女さんが出ているシーンの撮影は滅茶苦茶早く終わる。監督の藤崎さんも“これじゃあ俺の居る意味がないね”ってボヤいてたくらいだし」

 

 海辺の民宿を切り盛りする爽やかな好青年に不良上がりの高校教師。自由奔放なバンドマンに重い過去を持つ工場勤務の青年。色んな役柄を華麗に演じ分ける早乙女の芝居は、上手い下手では言い表せない説得力がある。

 そして自身の器用さ以上に“演出家いらず”と噂されるほど、早乙女の役者としての立ち回りの巧さは業界内では知れ渡っている。

 

 「それに早乙女さんは台本を現場に持ち込まないんだよ」

 「えっ?」

 「現場に入る時にはもう早乙女さんの頭の中には劇中の台詞が全て入ってる。自分の台詞だけじゃなく共演者の台詞も全て。恐ろしい話だよ。バラエティーにも出ていてテレビで見ない日はないって言われるほど忙しいのにね。おまけに私が出したNGも“咄嗟の機転”でそのシーンを成立させちゃうくらいだし」

 「マジか・・・」

 

 自身から醸し出される華やかさとは裏腹に、どんな作品でも一切の妥協を許さない真面目でストイックな努力家であり、本番までには毎回演出家の期待以上のクオリティに仕上げてくるため、スタッフや同業者からの評価はすこぶる高い。

 だからといって努力をしている素振りを周りには一切見せず、ファンへの配慮にも一切手を抜かないプロ意識の塊。

 

 ちなみに余談だが、早乙女は星アリサがまだ女優として活躍していた時期に彼女と同じ大手芸能事務所から俳優デビューした経緯があり、彼女とは前事務所からの先輩後輩の関係である。

 

 「最初はただ顔が取り柄なだけのイケメン俳優かと思っていたけど、改めて早乙女さんの演技を目の当たりにしたら、見方が大きく変わった」

 「やっぱりすげぇな・・・役者って」

 「そう・・・本当にすごい世界だよ。役者の世界って」

 

 そう言っている環の表情は、どこか思い詰めているようにも見えた。

 

 「何か・・・あったか?」

 「・・・私が?」

 「いや、何となく悩んでそうな顔してるからさ」

 「えっ?そうかなー」

 

 そう言って環はおどけて見せるが、本気で心配そうに見つめる憬に観念して隠していた本音を打ち明ける。

 

 「・・・やっぱり甘かったなー、私」

 「・・・何が?」

 「芸能界」

 

 それは環が初めて見せた“弱気”だった。

 

 「憬に勧められて軽い気持ちでコンテストに応募したらそのままとんとん拍子でグランプリ獲れちゃって。もちろんグランプリが獲れた時は嬉しかったし憬がいなければこんな貴重な体験も出来なかったから感謝はしてる」

 「・・・そっか」

 「それで雑誌に載ってCMも2本やって、今回の映画は見せ場のある役を演じられた」

 「淡々と言ってるけどそれ凄いことだからな」

 

 一般人の俺からしたら12歳で芸能界デビューを果たし、約1年というスピードであの早乙女と映画で共演している正真正銘のスターだ。

 

 「でも早乙女さんとか周りの共演者の演技を見れば見るほど、自分の姿が醜く思えてきちゃってさ」

 「俺からしてみたらこうして映画で重要な役を任されてる時点で蓮には才能があると思うぞ」

 「映画、観たでしょ。もう一度改めてスクリーンで自分の演技を観たけど。ほんと・・・私ってあんな下手くそだったんだね」

 

 そんな環が今、“真似できない才能”という果てしなく高い壁に直面している。

 

 「別に下手だとは思わなかったよ」

 「気なんて遣わなくていいよ。私は小手先の感情だけで演じてた。天知さんの言う通り、“ノリ”でやってた」

 「きっと天知さんは蓮に期待してたからわざとああいう言い方をしたんだよきっと」

 「綺麗事なんて誰も求めてない」

 「綺麗事なんかじゃねぇよ。第一、努力を続ければ花が開くって言ってたし・・・5年かかるらしいけど」

 「5年か・・・あの人たちを前にしたら5年も頑張れる気力がまるで湧かない。湧く気配もない。こんなんじゃ女優失格だよなぁ・・・」

 

 そう自嘲気味に笑ってみせたが思っていた以上に環は追い詰められているようだった。小手先の励ましは、何一つ響いていない。

 

 すると環は急に映画を観終わったときの話を始める。

 

 「ホントは知ってるよ。映画の感想を聞いた時、私がこれ以上傷つかないように“わざわざ”言葉を選んでくれたこと」

 

 ここで俺は、映画を観た後に環が何故怒っていたのかを理解した。

 

 「いやだからあれは」

 「そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・何も分かってない癖に知ったような口聞きやがって・・・」

 

 そうだ、俺は何も分かっていない。芸能界がどういう世界なのかも。そんな世界に身を置いている環の気持ちも。

 1人の女優に憧れを抱いただけの、どこにでもいるただの中学生。

 

 「確かに蓮より上手い俳優とか女優はまだ沢山いるけど、蓮の代わりを演じられる女優はいないよ」

 「・・・何が言いたいの?」

 

 咄嗟に出てきた、嘘のない言葉。我ながら、俺は何を言っているんだろうと疑問を持ったが、そのまま俺は続けた。

 

 「なんというか・・・この映画を観て俺は、もっと蓮の芝居を観たいな・・・って思った。これからの何年、何十年もお前の芝居を観てみたいって。これからの“女優・環蓮”をさ」

 「私の芝居・・・」

 「だから、ごめん・・・やっぱこれだけはお前のために言っておくわ」

 

 心の中で止まってくれと何度も叫んだが、その意思に反して俺の口は止まらなかった。

 

 「蓮の芝居・・・酷くはなかったけど如何にも“演じてますよ”って雰囲気が滲み出ていて、イマイチ役への感情移入も出来なかったし、全体的にムラもあるし滑舌も所々気になるところがあった」

 

 今更本音を言ったところで何も解決しないことは分かっていたが、それでも俺の中で残っていた選択肢は1つだった。

 

 「やっぱり・・・そんなことだろうと思った。だったら最初からそう言ってくれればいいのに。下手くそだったって」

 「下手くそでもいいじゃねぇかよ!・・・才能があるとかないとか、早乙女さんとか周りがどうだとか、そんなもん関係ねぇよ。確かに良い芝居が出来て越したことはないかもしれないけど、“そんなことに”囚われる必要なんてどこにもない・・・って俺は思ってる。今の蓮がどう思っているかは俺だって全部は分かんねぇ。でも映画を観ていて俺にはお前がお前なりに下手でも必死に周りについていこうとひたむきに頑張っている姿勢は凄く伝わってきたし、何よりスクリーンに映る蓮は本当に輝いてた。少なくとも俺は蓮の芝居が”ノリ”だとは全く思ってねぇし、それはお前が1番よく分かっているはずだろ?違ってたら全力で謝るけどさ・・・だから、蓮は女優失格なんかじゃない」

 

 いつか見たドキュメンタリー番組で誰かが言っていた。役者として芝居の上手さはとても重要なことだが、何より大事なことは自分だけが持っている武器を大切に育てていくということ。

 

 「・・・じゃあ憬はどうすんの?」

 「・・・俺か・・・」

 

 急に核心をつく質問を返され、頭が真っ白になる。ここは嘘でもオーディションを受けると言うべきなのか。あるいは・・・

 

 

 

 “ところで憬はさ、俳優とか目指さないの?”

 

 不意に脳内に響き渡る、環の言葉。その言葉にあの日の俺は、

 

 “俺は別にいいかな”

 

 と答えた。

 

 すると環は

 

 “・・・そっか”

 

 と呟き寂しそうに笑った。何故このタイミングで思い出したかは分からない。

 

 

 

 「蓮。俺受けるよ、スターズのオーディション」

 「・・・は?」

 

 憬からの突然のカミングアウトに、環は理解が追い付けずにいる。

 

 「オーディションを受けて、蓮と同じように俺も役者になる」

 「・・・それで、憬が役者になったらどうなるっていうの?」

 「そうすれば、蓮の気持ちが少しは分かるかなって思ってさ」

 「・・・本気で言ってんのそれ?」

 「・・・本気じゃなかったらこんなこと言わねぇよ。蓮の言う通り、俺は芸能界のことをまだ何も知らない。でも、オーディションに受かって蓮と同じ世界に立てば、今の蓮の気持ちに向き合える自信はある。もちろん、役者として」

 

 俺の中で何かが弾けた。それは役者になるという覚悟を決めたからなのかは分からない。

 

「ねぇ?もう一回言うけど本気で言ってんの?」

「当たり前だろ?俺は本気だよ」

 

 一つ言えるのは、心の中にあった“迷い”が消えたということ。

 

 「・・・そう・・・だったらやってみろよ。オーディションを勝ち抜いて、“こっち側”に来てみろ!・・・そして芝居で・・・私に勝ってみせろ・・・」

 「・・・おう。望むところだ」

 

 『やれるものならやってみろ』とまるで喧嘩を売るかのような挑発的な口調でピシャリと言い放つ環に、『やってやるよ』と言わんばかりに憬は真っすぐ見つめて相槌をうつ。

 

 

 

  この日を境に憬と環はしばらくの間、互いに口をきかなくなった。

 




スターズの設定、現実の世界では1年程度じゃこんな快進撃は無理だと思います。まぁ、王賀美陸というデビューから賞を総なめにして星アリサと喧嘩してアメリカに渡米までをたった1年でやってのけたチートがいる世界ですし。そもそも漫画の世界ですし・・・


そして・・・・・展開が・・・・・遅せぇ・・・・・


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scene.4 才能

「良いんじゃない?そういうのを目指してみるのも」

 

 思いきり反対される覚悟でオーディションを受けるということを打ち明けたが、母親は意外にもすんなりと俺の覚悟を受け入れてくれた。まぁ、賞金が出るとか付け焼刃の保険を一応かけておいたが。

 

 「本当に良いんだな?」

 「もちろん。でもその代わり、自分で決めたことだから最後まで責任を持って取り組んでよね」

 「言われなくても分かってるよ」

 「ほんとに?後で泣き言言われても困るからね?」

 「泣き言なんていう訳ねぇだろ。ガキじゃねぇんだから」

 「中学生なんてまだまだガキでしょ」

 

 父親が失踪して頼れる身内もいない中、仕事をこなしながら辛い顔一つ見せずたった一人で俺の面倒を見てくれている母親。ただ流石に最近は、たまにある母親の友達のようなノリに俺は小恥ずかしさを感じるようになっていた。

 反抗期とまでは行かないが、思わず言葉遣いが荒くなることも増えた。無論、親子としての関係自体は良好だ。

 

 「憬のことだからいつかは俳優になりたいって言ってくる日が来るとは思ってたよ」

 「何だよそれ」

 「だって昔から好きだったでしょ、星アリサとかさ」

 

 星アリサが女優を引退してから早くも1年が経とうとしている。ワイドショーを見ていても“復帰はあるのかないのか”という論争が未だに続いており、街を行く人々からも“復帰を望む声”があるなど、彼女の人気は衰えることを知らない。

 しかし、“あの日”に彼女が魅せた幾千の重圧から解放されたような澄み切った表情は、もう女優を続けることへの未練を完全に断ち切っていたことを意味していたのは明らかだった。

 年老いた姿を見せず、女優として最も美しく輝いたタイミングで表舞台から身を引くという美学は、1人の国民的天才女優を芸能史に残る伝説へと押し上げた。

 

 彼女のことを何も知らなかった俺は、勿体なさを感じつつも当たり前のようにそう思っていた。

 

 

 

 「でもこういうオーディションってさ、死に物狂いで夢を掴みたい人たちが日本中から何万と来るのに、用意されている席は僅か数席なんだよね」

 

 ふと母親は、まるで芸能事務所のオーディションの実態を知っているかのように俺に話してきた。俺は試しに聞いてみた。

 

 「母ちゃんはさ、そういうオーディション受けたことあんの?」

 「あるよ、一度だけ。あんたが受けようとしているスターズ程じゃなかったけどね」

 

 この日母親は、俺に“かつて女優を夢見ていた日々”のことを打ち明けた。

 

 母親は小さい頃から女優になるのが夢で、高校時代には強豪として名の知られていた演劇部に所属し、主演を務めた演目で全国大会に出場して賞を獲ったこともある。その直後、母親は演劇部の仲間や恩師である顧問の勧めもあり、大手事務所が企画する映画への出演をかけた新人俳優向けのオーディションに参加した。

 スターズ程の規模ではないが、1つの席の為に全国から1万人以上の夢追い人が集まったという。

 

 「運よく演技審査まで順調に進んでさ、その時はもしかしたらこのままいけるかもって思ってた」

 

 演技審査でたまたま同じ組になった1人の女の子の演技を目の当たりにした瞬間、自分の描いていた夢がいかに浅はかなものであるかを、自分には才能なんてなかったということを思い知った。私程度の高校演劇上がりが通用するような世界じゃないのに。それも分かっていたはずなのに。

 一瞬だけど本気で“この勝負に勝てる”と思い込んでいた自分を恥じた。そして私は、“ホンモノ”になれないという事実に気づいて、長い夢から覚めた。

 

 「あの頃の私は本当に馬鹿だった。何もかも甘かった」

 

 最終的に残された席に座った勝者は、当時まだ15歳の少女だった。

 

 

 

 「・・・もう少し頑張ろうとかは思わなかったのか?」

 「頑張るとかじゃなくて、何というか、どんなに努力をしても追いつけることが不可能な才能を目の当たりにして、やっと諦めがついた」

 

 笑みを浮かべながらもどこか寂しそうな母親の顔を見て、これ以上聞くのは余りにも酷だと感じ、俺はそれ以上聞かなかった。

 

 「悪い、やっぱり止めにしよう、この話」

 「そうね・・・せっかくオーディションを受けようって決意した人の前で言うような話じゃないしね」

 

 どんなに努力をしても追いつけることが不可能な才能。きっと環も、早乙女や周りを固める共演者たちの演技を目撃して、その壁に直面していることだろう。

 

 「憬。オーディションを受ける前にあんたに言っておくわ・・・オーディションに必勝法はない。大事なのは最後まで自分が一番であることを信じ、それを証明し続けることだよ」

 

 まるで俺を諭すかのような表情で母親はそう語った。

 

 自分が1番であることを信じ続ける。どんな状況でも自分が1番であることを証明し続ける。単純明快に見えて、恐ろしいくらいに奥が深い。自分の持つ芯の強さは、今まで生きてきた人生の縮図。オーディションは既に、生まれた時から始まっているのかもしれない。

 

 「分かってる。俺は俺のベストを尽くす。そして勝ち抜いてやる」

 「素直にありがとうって言えばいいのに。憬はかわいいな」

 「うるせぇわ」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 応募してから1ヶ月が経ち、俺は書類審査並びに2次審査となる面接をパスして、いきなり3次審査に進むことが出来た。まさかこんなにとんとん拍子に進むとは思っていなかったのか、憬は驚きを隠せずにいた。スカウトはおろか、演技経験も実績もない中学2年の少年が初めてのオーディションでいきなり大手芸能事務所の3次審査まで行けること自体、そうそう起こるような出来事ではなかった。厳密に言うと、俺の場合は元人気子役からのスカウトではあるのだが。

 

 「ここが、スターズ・・・」

 

 オーディション会場となるスターズの本社ビル。都内の一等地に立つ5階建てのビルが、まるで新宿の超高層ビル以上に大きく感じた。

 

 

 

 オーディションには約2万人の応募があったらしいが、この場所にたどり着くまでにそのうちの大半が椅子に座る権利すら与えられることなく脱落し、残されたのは男女を含めて僅か500人。

 今思えば、設立2年目の芸能事務所のオーディションにこれだけの応募者が揃うこと自体が異常と言えた。

 

 オーディション会場に入り、会場を包む独特な緊張感に、憬は今更ながらこのオーディションの重大さを痛感していた。この場所に残れている時点で、全員只者ではないのだ。

 当然だが、この中には既に他の芸能事務所や劇団などに所属していたり、雑誌のモデルとして活動している者も少なくない。俺なんかと比べると、経歴や覚悟の度合いがあまりに違い過ぎる。実力者ばかりの役者の卵たちに囲まれる、どこにでもいる中学2年生。生まれて初めて感じる、緊張で胃がおかしくなりそうな感覚。

 

 きっと母親も環も、同じような空気を味わったことだろう。そりゃあ緊張しないほうがおかしい。こんな経験一生に一度あるかどうかだからだ。そして、ここで勝って役者になっても、弱肉強食を絵にかいたようなジャングルに放り出されるわけである。

 俺はようやく、そんなオーディションを勝ち抜いた環の凄さと、彼女が抱えている壁を少しだけ理解した。

 

 “俺は俺。ただベストを尽くせばいい”

 

 

 

 スターズ男優部門・第3次演技審査。対象は255名。そのうち次の第4次演技審査に進めるのは、この中で僅か16人。そして最終審査では4人にまで絞られ、最終的に用意されている合格という名の椅子は男女それぞれ1席だけである。

 審査員として俺たちを見るのは、スカウトマンに業界では有名な演出家や脚本家。ちなみに星アリサの姿はここにはない。つまりここで落ちてしまった場合、彼女に自分の雄姿を一度も見せることなく終わるということ。

 ただし、3次審査の様子はカメラに収められる為、間接的には彼女本人から評価されるのだが。

 

 「78番。小野田祥太(おのだしょうた)、17歳。山瀬エージェンシー所属です。よろしくお願いします。」

 

 俺があてられた組は、よりによって自分以外の全員がどこかしらの事務所や劇団に所属している連中だった。演技未経験のド素人は俺一人。とんだ貧乏くじを引いた。やはりここまでで運を使い果たしてしまったか。

 

負けを認める訳ではないが、もうこうなったらどうにでもなればいい。そう思うと、不思議と緊張感が和らいでいった。

 

 「79番。夕野憬、13歳。横浜市立大倉中学校2年です。よろしくお願いします」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 演技審査が始まった。応募者に課せられた課題は『悲しみ』。ただ悲しみを表現しろと言っても、ただ涙を流して大声で泣けばいいのかと言われればそれは大きな間違いである。

大切なのは心の底から巻き起こる憎悪の感情を、どのようにして悲しみとして落とし込むか。

 

 2万人から選び抜かれた人材であるだけあって、全員“素人”に比べると遥かに上手い。だが、この程度のレベルで通用するなら誰だって芸能界で成功できてしまう。この世界は周りと比べて少し秀でているぐらいでは全く相手にされない世界。やはり、街中に落ちているような原石から唯一無二の宝石になり得る逸材に育て上げるのは、容易なことではない。

 

 “この子・・・完全に悲しみの中に入ってる”

 

 だが79番の少年は違う。一見すると虚ろな目をして只々突っ立っているかのように見えるが、この少年は今まさに、悲しみの中に自分の感情を落とし込み、見事にそれを体現している。純粋な表現力や芝居の精度は、オーディションを受けた誰よりも飛び抜けている。こうしてオーディションをしているのが、馬鹿馬鹿しく思えてくるくらいに。しかもその当事者は演技経験の全くない13歳の中学2年生。

 

 ““あの子”が私に推薦してきた“代役”とは別の子”

 

 もし、どんなに努力をしても追いつけることが不可能な才能と出会った時、あなたならどうする。自分の弱さや愚かさに打ちひしがれて引き返すか、それらを受け止めた上でそれでも前に進み続けるか。

 

 『夕野君。君が今感じている “悲しみ”に、”怒り“を落とし込んで見て』

 

 審査員の月島が憬に指示を出した次の瞬間、それまで死んだ魚のように虚ろだった目に血管が宿り、両目から一筋の涙が流れ落ち、強く握りしめた掌はわなわなと震えている。

 純粋な悲しみというテーマからは少し逸れてしまったが、その光景にオーディション会場は一瞬にして凍り付き、応募者はおろか審査員も動揺を隠せずにいる。

 一体どのような人生を送ったら、13歳でここまでの悲しみを再現できるというのだろうか。

 

 撮影されたオーディションの様子を会議室で観るスターズの役員たち。憬の衝撃は、プロジェクタ越しの映像でも十二分に伝わっている。

 

 「恐ろしいですよ。実績もなければ演技経験もない中学生の少年が、演技1つで場を完全に支配しているのですから」

 「そうね・・・」

 

 そんな一回りも二回りも年上なスタッフや役員全員を束ねているのは、まだ30半ばの若き女社長。彼女がつい1年前までは老若男女誰もが知る国民的天才女優であったのは、有名な話。

 

 “恐ろしい”

 

 独学で身に着けたであろうメソッド演技をここまで極めることのできる才能は、末恐ろしさすら感じるほど素晴らしいし、役者としても魅力的だ。そして年齢も若くきっとこのままこの世界に入れば、俳優として急成長して日本はおろか世界的にも名を残すほどの役者になる可能性すら秘めている。でもそれが、彼のこれからの人生において最善の選択であるかと言われたら、答えは“ノー”だ。

 

 “素晴らしいわ。あなたの“才能”は”

 

 彼にとって最大の不幸は、その才能を“13歳”という若さで手に入れてしまったということ。メソッド演技は演じている“役”の気持ちを掘り下げて“役”として感情を動かすことで、より現実に近いリアルな演技が可能になる。だがその反面、演者への精神的負担はあまりに大きく、芝居に溺れて心を壊し、不眠症や薬物依存に侵されて役者生命を絶たれた役者はこれまでに何人もいる。

 そして、“この手”のメソッド演技は尚更リスクが高い。

 

 “あなたの芝居は、いつか身を滅ぼす”

 

 恐らくこのまま役者になったとしても、彼がその身を自ら滅ぼしてしまう日が来るのは遅かれ早かれやってくる。自分以外の誰かになるという、恐ろしくもあまりに脆い芸術。自らが女優として壊れてしまった“あの日”以降、星アリサは1つの信念を心に誓っている。

 

 “もう誰も“不幸”になんてしない”

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 3次審査が終わり、俺はこのオーディションに確かな手ごたえを感じていた。少なくともあの組の中では最も秀でていたことは周りや審査員の反応で分かった。

 抱えていた苦しみに全く気付けず、知らないうちに開き始めていた親友との距離は、これで少しは縮まったのだろうか。

 

 「あいつ何なん?あれで本当に演技未経験かよ?経歴とか詐称してんじゃねぇの?」

 「夕野だっけ?もしあいつが駄目だったら俺が所属している劇団に紹介してやりたいくらいだよ」

 

 オーディションが終わった後、同じ組でオーディションを受けた応募者の何人かが、俺の話題をしているのが耳に入った。

 元々人の名前を覚えるのはそんなに得意ではないから、同じ組で審査を受けた奴らの名前はいちいち覚えていない。

 

 「なぁ?夕野(アイツ)はどうやってメソッドを覚えたんだろ?」

 「多分アレじゃね?気がついたら身体が覚えていましたみたいな?」

 

 誇張こそされているが、概ね当たってやがる。

 

 「マジかよそんな漫画みたいな話あるかフツー」

 「そうでもしないと説明がつかないだろあの“悲しみ”は」

 「ほぉ~。やっぱ“才能のある奴”はちげぇわ」

 

 恐らくこの一言は純粋な称賛ではなく、嫌味や嫉妬も含めた皮肉が込められているということは何となく察することができた。

 

 “俺は自分のことを才能があると考えたことは一度もないし、思ってもいない” 

 

 と言って割って入りたい気分だったが、面倒なことになりそうなので心の中で呟いてその場を去った。

 

 「結局俺みたいな才能のない奴は、こうやって落とされていくんだろうな」

 「まだ分かんねぇだろ最後まで諦めんな」

 「でも、あの夕野って奴は間違いなくこのオーディションを勝ち抜くだろうな」

 「ほんと、俺もあんな風に才能があったらこんな苦労しないのにな」

 

 

 

 あれから1週間後、憬の元にスターズからA4サイズの封筒が送られてきた。その中に書かれていた1枚の用紙には、“3次審査不合格のお知らせ”と書かれていた。

 

 「・・・蓮に合わせる顔がねぇ・・・」

 

 真っ先に頭の中を駆け巡ったのはオーディションに落ちた悔しさではなく、環のことだった。

 




あれですね。ですよね~としか言いようがないですね。あぁ、やっぱり駄目だったかっていう。

ただ演技力や芝居が凄いだけじゃトップランナーになれないのが、芸能界ですから。知らんけど。

才能か・・・俺も欲しかったな・・・何でもいいから1つでも周りから秀でていると言われるようなとびっきりのやつ・・・






突然話は変わりますが、『私が女優になる日』って何気に面白いですよね。


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scene.5 理由

 
 “やはり、あなたは“非情”になってしまいましたね”

 子役として最も忙しかった時期にドラマの撮影現場で初めて星アリサに会った時、彼女は現場入りして早々わざわざ僕のところに駆け寄って気さくに話しかけてくれて、さらに撮影を通じて芝居にまつわるアドバイスまで丁寧にしてくれた。

 そんな芝居に対して誰よりも正直で真摯に向き合っていた彼女がなぜ舞台を降りなければならなかったのか。その理由は“観客”に分かるはずがない。


 “観客は所詮、煌びやかなステージの裏に隠されている苦痛(ドラマ)なんて知る由もないのだから”



 「やるじゃないか。いきなり最終審査に進めるなんて」

 「(しん)ちゃんに言われても全然嬉しくないのは何でだろうな」

 「さぁ?僕がスカウトとして君を売り込んだから?」

 「もうめんどくさいからそれで正解ってことにしておくよ」

 

 天知は今、ある少年の自宅リビングのソファーに座っている。そして大理石のテーブルを挟んだ反対側のソファーに、天知と同じ霧生(きりゅう)学園の制服を着た1学年後輩であるその少年がふんぞり返った体勢で座っている。

 

 「最終まで進んだというのにつれないな君は」

 「当たり前だろ。全ては仕組まれた“シナリオ”だってことぐらいオレでも分かるよ」

 

 霧生(きりゅう)学園高等学校。中野区の一等地に校舎を構える進学校であり、全国でも数えるほどしかない芸能コースを設ける高校である。芸能コースの生徒の中には全国的に有名なトップアイドルやアスリートも少なからずいるため、彼らが学園に登校すると必ずと言っていいほどお祭り騒ぎになる。

 

 そんな学園で、芸能コースの生徒たち以上に注目を集める進学コースの生徒が1人。

 

 「でも本当に良かったのか心ちゃんは?あんなに良い条件のオファーを断って」

 「僕はもう芸能界(あのせかい)に未練はないからね」

 「それでオレに“代役”を任せたって訳ね。迷惑な話だ」

 「代役どころか君は僕なんかとは比べ物にならないくらいの逸材だよ一色(いっしき)。君にこの学園は狭すぎる。ちょっとした“雑談”をするにもわざわざ君のところにいかないといけないぐらいだからね。校内じゃ外野(ファン)がうるさくて話にならない」

 「何で被害者のオレが責められなきゃいけないんだよ。校内に一歩でも入ったら“ファン”から大量のプレゼントを渡されるはサインやらをねだられるは・・・オレは芸能人でもアスリートでもないただの一般人だっていうのに」

 「母親は世界に名を馳せる芸術家で父親は数々の賞に輝く日本を代表する写真家。おまけに姉は世界を股に掛ける若きヴァイオリニストという“華麗なる一族”。そんな君のどこが“一般人”だというのかい?」

 

 一色十夜(いっしきとおや)。白銀のように透き通った髪と少女漫画の王子様(ヒーロー)を彷彿とさせる爽やかかつ中性的な顔立ち。そして人気アイドルやイケメン俳優と比べても見劣るどころか互角以上の圧倒的なオーラと佇まいを併せ持つ“霧生学園の王子”で、成績優秀ながら運動神経も抜群で隙が無い。

 

 また母親に“20世紀最後の現代美術”の異名を持つ芸術家(アーティスト)一色真夜子(いっしきまやこ)、父親に木村伊兵衛写真賞を始め数々の賞を受賞している写真家(フォトグラファー)一ノ瀬道重(いちのせみちしげ)、そして10歳年の離れた姉にヴァイオリン1つで日本のみならず世界をも飛び回る演奏家(ヴァイオリニスト)一色小夜子(いっしきさよこ)を持つサラブレッドである。

 もちろん十夜自身のポテンシャルの高さはサラブレッドの要素を抜きにしても十分過ぎるほど高く、彼が学園に登校すれば必ずと言っていいほど入り待ちに出待ち、サインを貰いにくるファンなどが群れを成す。

 

 その人気ぶりは霧生学園附属中学校時代から健在で、校長先生から直々に「一色君のせいで学校中の女子が授業に集中できない」と苦情を言われたことや、アイドル事務所や芸能事務所のスカウトマンが直々に十夜をスカウトする為に中学を訪れたことは、今では学園中の伝説となっている。

 

 ちなみに天知は既に芸能界を引退しているが、生徒たちの混乱を避けるという理由で特例として芸能コースに属している。それもこれも十夜のせいで殆ど意味を成していないのだが。

 

 「まさか今まで数多の芸能事務所のスカウトを蹴ってきた君が、こうしてスターズのオーディションを受けてくれるとはね」

 「引き受けたというよりは諦めただけだよ。こんな日常を送るくらいなら芸能界に入った方がマシだということに気付いたからね。教頭や学年主任ともこれ以上揉めたくないし」

 「確かにそうだね。でもありがとう。こんな僕のオファーを引き受けてくれて」

 「・・・一応心ちゃんのことは幼馴染(ともだち)として信頼しているからな」

 「それは光栄だね」

 「その代わり人としては全く尊敬してないけどな」

 

 十夜は文字通り学園で知らない人はいない人気者(スター)であるが、そんな逸材を芸能界が見過ごすはずもなく、十夜の存在は業界内ではオーディション以前から知れ渡っている。

 

 「やっぱり恐いねぇ。“持っている”奴らは」

 

 (タイプ)は違えど、スターダムを駆け上がるような奴は何かしらを“持っている”。憬が独学でメソッド演技を手に入れたように、十夜は生まれながらに“スターになれる素質”を手に入れている。

 この2人の恐ろしいところは、互いにそれらの才能を持っていながら今までその自覚を持っていなかったところ。

 

 「一色。実は今回のオーディションで1人、凄く面白い奴がいるんだ」

 「面白い?どういう奴?」

 「夕野憬。メソッド演技の使い手だよ」

 「セキノサトル・・・ていうかメソッド演技って何だっけ?」

 「役に自分の人格を照らし合わせて、対象となる人格に憑依する。彼はそんなメソッド演技を独学で極めている。しかもまだ中学2年生で演技経験すらないにもかかわらずだ」

 「それは恐ろしいな」

 「(君も十分恐ろしいけどな・・・)これは極論だけど、恐らく彼は相手を好きになる役なら相手に事を本気で好きになるし、相手を殺す役を与えられたら本気で人を殺すつもりで芝居をするだろうね」

 「聞けば聞くほど骨が折れそうな役者だな。で、そのセキノサトルって奴は通ったのか?」

 「それがさ、3次審査で落ちているんだよね」

 「マジかよ・・・一度オーディションでそいつの芝居を観てみたかったなぁ」

 「仕方ないよ。夕野くんはスターズに収まる器じゃなかっただけの話だから」

 「期待外れだったってこと?」

 「いや、期待外れどころか彼の演技力は応募者の中の誰よりも秀でていたらしい」

 「じゃあ落とす理由なんてないじゃん」

 「オーディションは実力が全てじゃない。それ以上に大切なのは“相性”だよ」

 

 例え事務所のゴリ押しだと揶揄されようとも、スターは作り上げるものである。全ては役者の“幸せ”のために。そう考えている事務所からしてみれば、憬のような常識がまるで通用しない“野生児”は招かれざる客であることは明白だ。

 

 「じゃあサトルはスターズにとって相性が最悪だったってこと?」

 「端的に言うとそういうことだ。だから彼は本来、スターズのオーディションを受けた時点で“不合格”なんだよ」

 「何それ凄い理不尽じゃん」

 「芸能界なんてそんなものだよ。1人の人間に対して億単位の金が縦横無尽に飛び回るような世界に投資をする以上、選ぶ側はより慎重にならなければいけないからね。そいつを怠ると芸能界もはじけたバブルの二の舞になるだけだ」

 「なるほど・・・だから“俺”なんだな」

 

 余談だが、天知は今回のオーディションに関する情報をとある“特殊なルート”で共有している。もちろん、外部に漏れたらえらいことになる為、打てる手は打ってある。

 

 「ところで星アリサは何のためにサトルを落とした?」

 「・・・彼の幸せのために」

 

 そう言うと天知は十夜を見つめながら意味深な笑みを浮かべた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「アハハッ、やっぱり駄目だった?」

 「やっぱりって何だよ」

 「まぁそう落ち込むなよ。ド素人がいきなり“星アリサ”のオーディションに受かるなんて宝くじで一等を当てに行くよりハードだろうし」

 「別に落ち込んでないよ。俺が甘かった」

 

 いつもの帰り道に、いつもの2人。俺は残念ながらスターズのオーディションで星アリサと直接会う機会を得ることはなかった。あれだけのことを言っておいて、この始末。

 落ち込んでなどはいない。そもそも、親友の気持ちを少しでも理解したいという不確かな思いで通用するほど、あの世界は甘くないことは分かっていた。

 

 「ごめんな。蓮の宣戦布告、何一つ答えられなくて」

 「宣戦布告・・・?あーあれか、いいよもう。あの時の私ってちょっとどうかしてたし。謝るべきなのは寧ろこっちの方だよ。私のことを気にかけてくれてた憬の気持ちも知らないであんな酷いこと言って」

 「いや良いよ。あれは俺が悪かった」

 「ていうか“宣戦布告”は言い過ぎでしょ」

 

 そう言って環は余裕そうな笑みを浮かべる。渋谷で『1999』を観た帰り道に交わした勝負。というよりも、ちょっとした喧嘩。

 

 「で、憬はこの後どうするの?」

 「どうするか?・・・今はわからん」

 

 オーディション自体には手ごたえがあった。少なくとも演技審査ではあの場にいた誰よりも審査員の反応が良かったことは俺自身でも感じていた。それでも審査に落ちた。自分でやれるだけのことをやって落ちた。それがスターズからの回答だった。

 

 「分からないか・・・じゃあ憬はもう諦めるの?」

 

 急に環が俺の肩を掴んで目の前に回り込み、まるで誘惑するかのような仕草で俺に向かってそう言ってきた。

 

 「ごめん、驚いた?」

 「驚いたというか。“こんな真似”下手にやったら痛い目みるぞ」

 「大丈夫だよ。憬だからやった。これでも私は女優だからね」

 

 初めて魅せた環の“女っぽさ”に一瞬動揺するも、その感情が演技であることを理解するのに時間はかからなかった。

 

 「案外早かったな気づかれるの」

 「うん。すぐに分かった」

 「はぁー、私もまだまだね」

 「でも上手くなってる」

 「君に言われても全然嬉しくない」

 

 やり切った。後悔もない。だからこれからどうするかを考えるのは、今は億劫だ。

 

 「やり切ったというか。何か、俺の中にあったものが燃え尽きたっていうか」

 「燃え尽き症候群か。だったらすぐに治さないと駄目だね」

 「治すって?別に燃え尽き症候群は病気じゃないだろ」

 「病気だよ。“症候群”って時点でね」

 「あぁ・・・確かにな」

 

 燃え尽きるということは、その先のビジョンが見えていないということ。誰しもが人生の中で一度や二度はぶち当たるであろう、スランプという名の壁。

 

 「そんな燃え尽き症候群の憬くんに1つだけ良いことを教えてあげよう」

 「良いこと?」

 

 環が得意げに憬にアドバイスを送る。

 

 「オーディションは実力よりも相性を見られる」

 「相性?どういうことだよそれ」

 「どんなに演技や実力が他の応募者より優れていたとしても、結局取る人の方針だとか他のキャストとのバランスとか大人の事情とか色んなものが交錯して最終的にその人と相性が合うか合わないかで選ばれていく。まぁ中には本当に実力勝負なところもあるらしいけど大手じゃそういうのは厳しいだろうね」

 「流石、芸能人なだけあってその辺の事情は詳しいな」

 「ってマネージャーが言ってた」

 「マネージャーかよ」

 

 俺は環からの豆知識を聞いても、不思議と驚きの感情が湧くことはなかった。その代わりに湧いたのは、“やっぱり”という感情だった。

 

 「てことは俺はスターズの方針から思いっきりズレていたってことか」

 「結果的にそうなるね。でもやり切ったってことは勝負には勝てたってこと。試合には負けちゃったけどね」

 

 本当は薄々気づいていたのかもしれない。俺の知っている“星アリサ”はもういないということ。それをどこかで分かっていながら、俺は負けが確定している試合に出場した。

 

 そして勝負には勝ったが、“主審”の独断と偏見で試合に負けた。

 

 「今回のオーディション。本当に私の為だけに受けたでしょ。心のどこかで自分がスターズに入れないってことを知っていながら」

 

 知ってか知らずか、そんな俺の心境を環はものの見事に言い当てる。

 

 「役者になりたいって気持ちもあったけど。まぁ、大方その気持ちが強かったのは確かだよ。それはごめん」

 

 本当に見切り発車も良いところだった。3次審査で他の奴らが俺に向かって“才能がある奴”と言っていたが、結果を出さなければそれは何の意味も持たない。

 1人の親友の苦しみを理解したいというだけで事務所の契約を勝ち取れるくらいなら、街を歩く人々全員、役者を目指すことだろう。

 

 「憬ってさ、割と情に流されやすいところあるよね」

 「そりゃあ、蓮には悲しい思いをさせたくなかったからな」

 「そういうところだよね。色々頭の中で考えているようで実は行き当たりばったりで後先のことは何も考えていない」

 「あぁ・・・俺はほんとに馬鹿なことをしたよ。甘すぎにも程があった」

 

 そう言いながら自嘲気味に笑う憬を、環は微笑ましいような表情で見つめながら自分なりの決意を伝える。

 

 「でも、憬が“俳優になる”ってあの時に決意してくれたおかげで、これから先の自分の姿がほんの少しだけ想像できた」

 「・・・それは良かったな」

 「仮にあの言葉が本心なんかじゃなくて勢いだけだったとしても、私は嬉しかったよ」

 「・・・そっか。ありがとう」

 「だから少なくともあと5年はこの芸能界で頑張ってみようって思った」

 「5年か。良いと思うよ。先ずは5年頑張ってどこまでいけるかみたいな」

 「たった一回オーディションに落ちたくらいで燃え尽きた君がよく言うよ」

 「やかましいわ」

 

 環は女優を続けることを決意したのか、彼女からはあの日の迷いや卑屈さは消え失せていた。まだまだ至らないところや課題は多いが、女優を続けるために必要な目標が1つできた。それだけで大きな財産だ。

 

 「じゃあもう一度聞くけど、憬はこの後どうするの?」

 「だからそれは」

 「勝てたはずの試合に負けたまま引退(リタイア)するのは悔しくない?」

 

 やり切った。後悔もない。ただほんの少しの悔しさが残っていた。

 

 「・・・悔しくないわけないだろ。けど、勝負に勝っても試合に勝てるとは限らない」

 「だったら、試合に勝つまで勝負を続ければいい」

 

 “『試合に勝つまで勝負を続けろ』か”

 

 「なるほど。確かに勝ちたければ、これからも勝負を続けるしかないよな」

 「そうだよ。そうすればきっと誰かが君を認めてくれる」

 

 例えスターズからの回答が不正解だったとしても、それが役者として不正解であるとは誰も決められない。もちろん、星アリサでさえも。

 

 「なんか、ありがとな色々と」

 「礼なんていらないよ。別に自分のペースでいいし。無理だと思ったら諦めたっていい。こう見えて人に自分の価値観を押し付けるのって嫌いなんだよね私」

 

 そういえば、1つだけ聞こうとして聞きそびれていたことがあった。

 

 「そういえばさ、何であの日わざわざ渋谷に行きたいって言った?」

 「何?まだ根に持ってるの?じゃんけんに負けた敗者の癖に」

 「そういう意味じゃねぇよ。ただ純粋に、何で渋谷まで行って映画を観たいと思ったかを聞きたい」

 

 俺を連れて映画を観た理由は何となくわかるが、渋谷まで行った真相は未だに分からない。当人は“気分”と言っていたが、あの日の様子からしてそれだけの理由ではないはずだった。

 

 「取りあえず地元の映画館で観るよりは知ってる人が誰もいないような所で観たかったって感じかな。渋谷は単純にその時の気分。それはホント」

 

 すると環は少しだけ間を空けると独り言を言うかのようにこう切り出した。

 

 「まぁもう少しぶっちゃけると本当はそれ以上に自分の酷い演技を観たら諦められるのかなって思ってた。少なくとも渋谷みたいに遠くに行けば知ってる人なんて誰もいないじゃん。だからいっそのこと本当に私たちのことを全く知らない人たちから“酷い芝居”だったと言ってくれたら諦めがついた。そうすればどれだけ楽な気持ちになれたか」

 「楽か・・・」

 

 諦めれば気持ちも一気に楽になる。でもその先に待っているのは、きっと終わりのない後悔だろう。

 

 「でも楽になれるかと思ったら、誰かさんに“借り”を作ってしまったせいでまだ続けたいって思ってしまった」

 

 環の言っている“借り”があの約束のことであることを理解するまでには、1秒もかからなかった。

 

 「だから借りを返させてよ。憬」

 

 そうか、あの日のお返しか。借りなんて寧ろ俺が環に作りまくっているというのに。借りを返すべきなのは圧倒的に俺の方なのに。

 

 「・・・分かったよ。蓮からの借りは俺が親友として全部受け取るよ。すぐに受け取れる保証はないけど」

 「・・・親友か。憬の口から初めて聞いたよ」

 「そうだっけ?」

 

 言われてみると、確かに俺の口からは一度も“親友”なんて言葉は言っていなかった気がする。

 

 「じゃあ憬は芝居を続けるってことでOK?」

 

 環のその一言に対する異論など、もうどこにもない。

 

 「OKだ」

 「ホントに?さっきまで燃え尽きたとか言ってたのに」

 

 小学校の卒業文集に書いたどっちつかずな将来の夢である『人を幸せにする仕事をしたい』という曖昧な願いに逃げたことがあった。

 

 スターズが求めていたものを知っていながら隣にいる親友の苦しみを理解したいという勢い任せな決意で無謀な負け戦に挑んだこともあった。

 

 でも、今は違う。星アリサが芝居1つで世界を魅了するという夢を“スターズ”に託したのなら、俺は俺のやり方で彼女の夢を引き継げばいい。何年先かは分からない、実現できるほどの才能があるとも限らない。結局は行き当たりばったりで馬鹿げたどうしようもない幻想のままで終わってしまうかもしれない。

 

 それでも俺は一度でいいからこの目で見てみたいと思った。あの時、彼女が見ていた世界を。

 

 そして俺は知りたいと思った。彼女が女優(役者)を辞めた、本当の理由を。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 スターズの俳優発掘オーディションで審査員を務めている脚本家・月島章人(つきしまあきと)は、ある映画プロデューサーの元に向かい、オーディションの映像を見せていた。

 

 エントリーナンバー79番の応募者。それは演技未経験の中学2年生の少年。特別に華やかさがあるわけではないが、13歳にしては高めな背丈と端正で整った顔立ちは役者として見栄えが良い。

 オーディションの演目は『悲しみ』。他の応募者も挙ってそれぞれの悲しみを表現するが、どれも芯に訴えてくるほどの迫力はない。そんな中1人、無表情でただ突っ立っているように見える応募者が1人。  

 

 そんなモニターに映る少年の『悲しみ』を観る、身長189cmのプロデューサーの大男。

 

 「なるほど。もしも僕がこのオーディションの主催者だったら満場一致で彼を選ぶだろうね」

 

 上地亮(かみじとおる)。プロデューサーとして数多くの映画やドラマを成功に導いてきた実績を持つ『大ヒット請負人』。その活躍は本業である映画・ドラマに留まらず、自身の手腕により数多くの役者やアイドルをスターダムに押し上げるなど芸能プロデューサーとしても超一流と言える実績を持ち、芸能界において非常に顔が広い。

 

 「しかしアッキーには随分と迷惑をかけてしまって申し訳ないね」

 「アッキーは止めて下さいって何度も言っているでしょう」

 

 月島章人(つきしまあきと)。スターズに所属する脚本家で事務所(スターズ)躍進における影の功労者の1人。これまで脚本を手掛けたテレビドラマや映画はいずれも大ヒットを記録し、演出家としての顔も持つ。また彼の作品への出演をきっかけに多数の俳優・女優がブレイクを果たしている。

 

 「今回のスカウトに賛同してくれたことには本当に感謝しているよ」

 「正直こんなリスクは取りたくないと思っていましたよ」

 「でも“ホンモノ”を見て賭けに出るなんて、スターズの癖にアッキーは意外と物好きなんだね」

 「物好きというか、ほっとけなかっただけです。確かに彼はスターズの器ではありませんでした。かといってこのまま彼を野放しにしていては余りに惜しすぎる。星アリサの意に反しますが、少なくとも彼からは役者としてこの世界に導いてはいけない理由が見当たらなかった。改善すべき課題はありますが、演出家からしてみれば夕野君ほど魅力的な原石は10年探しても見つからないでしょう」

 「分かっているねアッキー!流石は一流ゥ!」

 「もういい歳なのに恥ずかしくないんですか?」

 

 シルバーアッシュの髪をノーブルでまとめ上げ、高級ブランドのスーツを華麗に着こなす40代半ばの大男は、英国紳士を彷彿とさせる日本人離れしたジェントルな出で立ちとは裏腹に言動は掴みどころがなく飄々としていて、おおよそ見た目からは想像もつかないくらいの軽薄なノリも平然とかましてくる。

 そんな異端な振る舞いが、この男の見た目をより年齢不詳にしている。

 

 だが今の芸能界においてプロデューサーとして彼の右に出る者は、誰一人としていないと言われている。

 

 「もし彼と“あの子”が同時期に活躍するようなことになったら、芸能界はグッと盛り上がるだろうね」

 「そうでしょうね。その代わり私は嫁にどやされそうですが」

 「そうなることを分かりきった上で引き受けたんでしょアッキーは?」

 「誰のせいだと思っているんですか・・・それにしてもどこからどうやって拾ってきたかは分かりませんが、息子さんも中々見る目があるんじゃないですか?・・・20年ほど前に星アリサを拾ったあなたのように」

 

 月島からの言葉に、上地は少しばかり言葉を詰まらせる。

 

 「・・・そうだね・・・でも僕は感謝しているよ。こうして貴重な金の卵を掘り起こしてくれたことは。ただ・・・ “スタートライン”を横取りされた・・・それだけはいただけないよね・・・」

 

 そう言い放つ上地は不敵に笑いながらも静かに、そして激しく怒っていた。

 




さぁて今週の或る小説家の物語は、怒涛の新キャラクターラッシュでございます。

学園の王子様に大物プロデューサーに売れっ子脚本家・・・この物語はどこへ進んでいくのでしょうか・・・僕自身も分かりません。

まぁ、どうにか、なると思います。知らんけど。

あとこれは補足になりますが、新キャラの1人である一色十夜と原作の13話にチラッと出てくる一色笑子というモブは血のつながりもなければ親戚でもない全くの赤の他人です。

ということで次週もよろしくお願いします。


追記

このところ誤字が酷いですねごめんなさい



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scene.6 ギラギラ


2018年、東京___


 「ハッピーバースデー!夕野憬くん」

 「お・・・・おう・・・」

 

 玄関のドアを開けるとケース片手に黒山が開口一番に俺を祝福してきた。

 見るからに機嫌が良いのが分かるが、上機嫌な黒山を見るのがあまりに久々すぎて誕生日を祝福された喜びの感情は驚きと動揺でかき消された。

 

 「どうした夕野?人が折角誕生日を祝っているというのになんだその反応は?」

 「墨字。お前まさか・・・何か変なものでも吸ったか?」

 「お前は俺を何だと思っていやがる」

 「良かった、正常だ」

 「ぶっ飛ばすぞ」

 

 そして黒山から『ハッピーバースデー』と言われるまで、今日が自分の誕生日であることを忘れていた。

 

 

 

 黒山と憬が久々の再会をしてから約1年が経った。

 

 黒山が “命がけ”で撮影した怪作『シリアの遺言』はヒットこそ記録しなかったが、戦場で生きる様々な人々の日常を生々しく克明に捉えたことや、被写体の感情に合わせて動く“黒山墨字の真骨頂”と言える臨場感の溢れる繊細なカメラワークが大きく評価され、ベルリン国際映画祭の短編部門で金熊賞を受賞した。

 

 これにより映画監督・黒山墨字は、ついに世界3大映画祭全てで入賞するという快挙を達成したが、そんな彼の活躍はワイドショーで数分間だけ取り上げられる程度で終わった。

 どうせ直ぐに忘れ去られてしまうであろう1人の監督が成し遂げた偉業。だが、俺以上のメディア嫌いで富や名声に全く関心のない黒山にとっては、そんなニュースは眼中にすらないだろう。

 

 だから意外だった。メディアやビジネスを大いに嫌うあの黒山が、こんな典型的な商業映画まがいの話に易々と乗っかるはずがないのだから。

 しかもあろうことか自らの記念すべき1作となる映画の脚本(シナリオ)を、わざわざ“他人”に託したのだ。今まで脚本から演出、果ては編集までを全て一人でこなすというスタイルを貫いてきたにも関わらず。

 

 黒山(この男)が何を考えているのか、ますます分からなくなってくる。それでも俺は黒山から言われたある一言で、この“大作映画”に己を捧げることを心に決めた。

 

 ちなみに黒山は映画を撮るためだけに新しい芸能事務所を立ち上げたという。その事務所の名前は『スタジオ大黒天』。

 

 

 

 「あぁーうめぇわやっぱ」

 

 張本人の黒山は行きつけの店で“いつもの”を頼む感覚で憬にコーヒーをオーダーしてリビングで嗜んでいる。

 映画も含め全ての映像作品においても一切の妥協を許さないこの男は、たった1つの映画の為だけに事務所を作り、1年にも渡って原石を探し続けた。

 

 「ところで夕野?執筆の進行状況はどうだ?」

 「取りあえず掛け持ちの片方は無事に終わったよ。あんたが“原石”を探しているうちにね」

 「そうか。なんか悪いな、あんなタイミングで仕事を振っちまって」

 「謝るなよ。了承したのはあくまで俺の方なんだからさ」

 

 ちなみに憬は黒山の大作映画と共に、全く違う作品をつい数日前まで同時進行で執筆していた。無論、黒山とは“全くの別件”である。

 

 「それより早く見せてくれよ。こっちは1年も待ってんだ」

 「まぁそう焦んなよ」

 

 すると黒山は持っていたケースからおもむろにPCを取り出して電源をつけると、独り言のようにボソッと呟く。

 

 「小手調べにちょっとした仕事をさせてみたが、やはり俺の目に狂いはなかった」

 

 黒山の目つきが次第に獲物を見つけた獣のように冴えわたってゆく。1つだけ確かなのは、黒山(こいつ)が何か“とてつもない”ものを見つけてきたということ。こいつの“生気に満ちた(ギラついた)”目を見れば、それは明らかだ。

 

 「どうやら相当期待が持てそうだな。あんたの探し続けていた“原石”ってのは」

 「当たり前だろ。なにせいくらかの仕事を犠牲にしてまで探し続けたくらいだからな。夕野・・・こいつが俺からの誕生日(バースデー)プレゼントだ」

 

 

 

 ノートPCに映っているのは黒山がディレクションを担当したシチューのウェブCM、のメイキング映像である。

 

 「何でメイキングの映像を見せる?」

 「まぁ見てみろよ。何も考えずに」

 

 CMのキャッチフレーズは『父の日にシチューを』。初めて1人でキッチンに立つ少女が、仕事から帰って来る父親のために“慣れない手つき”で手料理を作り、喜ぶ父親の笑顔を思い浮かべながら味見をして終わり。という設定。

 

 『カァァァット!!達人かお前は!!「初めて1人でキッチンに立った少女の役」だぞ!?真剣にやれよ!!』

 『真剣よ!!味見してみる!?』

 『「真剣に作れ」じゃねえ!「真剣に演じろ」ボケ!』

 

 彼女のとった想定外の行動に黒山は声を荒げている。

 初めてキッチンに立った少女とは、一体何だったのか。カメラに映る少女は慣れた手つきで人参の皮をむき、ベテラン料理人並みの早さで玉ねぎをみじん切りにし、フランベまでやってのける。

 彼女が真剣に作った料理が美味いのは間違いないだろうが、問題はそこではない。

 

 「墨字、1つ確認したいのだが・・・本当に彼女があんたの言う“原石”なのか?」

 「あぁそうだ」

 

 憬からの疑心に満ちた問いかけに、黒山は何の迷いも見せずに即答する。

 

 黒山からの真剣という問いに、真剣に料理を作ることで答えた彼女。愚直で純粋であることは芝居をする上で重要なカギであるのだが、それ以前に芝居というものをまるで理解していない。

 だが彼女の本質はまた別のところにあるような気がする。

 

 「コイツ、俺が初めて父親に料理を作ったことを思い出せと言ったら、『父親に料理を作ったことがなかったから“戻るべき過去”がない』と言ってきた。だから俺は、この際相手は誰でもいいから初めて手料理を作った日を思い出せとアドバイスしてやった。誰かのために努力するお前の愛情を見たいとな」

 

 そう言うと黒山は、その直後に撮影されたOKテイクの映像を憬に見せる。

 

 黒山の言葉で、彼女は何かを思い出したのだろうか。先ほどのプロ顔負けの手捌きとは打って変わって、まるで本当に“生まれて初めてキッチンに立った少女”のように所作が不器用になった。

 人参の皮をむくにもおぼつかず、玉ねぎを切る手先は今にも指を切りそうで危なっかしい。そして案の定、カメラに映る彼女は包丁で指を切る。本当は痛くて仕方ないはずなのに、彼女は父親ではない誰かを思いながらそれを笑って誤魔化す。

 こうして出来上がったシチューを味見する彼女が魅せた横顔は、その場にいた関係者全員を納得させるには十分すぎるものだった。

 ちなみに肝心のシチューは本当に“彼女が初めて作ったカレーライス”のように焦げていたため、別撮りになったという。

 

 何もこんなところまで再現する必要はないのにと思ったが・・・なるほど、そういうことか。

 

 「・・・メソッド演技だな。恐らく彼女の芝居におけるバックボーンとなっているのは、今まで自分が生きてきた中で体験したありとあらゆる感情の記憶だ。それらの記憶を自身の過去から引っ張り出して具現化することで、彼女の芝居は初めて成立する。何より彼女は驚くほど自分に対して素直でメソッドの精度も恐ろしく高い。見ていて思わず現実と芝居の境界線が分からなくなる程にね。こんな芝居、並大抵の半生を送っているような人間には到底できないよ。彼女は間違いなく“ホンモノ”だ」

 「たったこれだけの素材で夜凪(コイツ)の素質をここまで見抜くとは流石だな。少なくともスターズの連中(バカ)共に比べたらお前の方がよっぽど見る目があるよ」

 

 炸裂する“夕野節”に黒山は「はい来ました」と言わんばかりに憬に向けてほくそ笑むと、憬はバツの悪そうに顔をしかめる。

 

 「本当はもう少し早く見せてやりたかったが、生憎当社はうちの“看板女優”の売り込みで最近は忙しいからな。結果的にこのタイミングになっちまった」

 「・・・あんたがここまで時間をかけてまで探していた理由がようやく分かったよ。確かに、これ程までの原石は10年かけても見つけられるかどうか分からない」

 「10年に1人と言われてたお前がそれを言うのかよ」

 「いや、夜凪(彼女)はその程度のタマじゃないよ」

 

 “10年に1人の逸材”。憬も俳優として活躍していた時期にそう呼ばれていた。だが黒山が1つの映画の為に探し求めた1人の女優(役者)は、そんなフレーズすら安っぽく思えてしまう程の怪物。

 

 夜凪景(よなぎけい)、17歳。

 

 「10年に1人どころか、夜凪(コイツ)には必ず歴史に名を残す役者になれる素質(ポテンシャル)が眠っている。少なくともそんな才能をもった日本人の女優は、夜凪の他に1人しか俺は知らない」

 「・・・星アリサか?」

 「いきなり当てんじゃねぇよ、外す流れだろ今のは」

 「だって1人しかいないだろ。俺とあんたの原点(ルーツ)と言えば」

 

 星アリサ。10年に1人の逸材と称された演技派俳優と、野心に満ちた二十歳(はたち)そこそこの助監督がこうして巡り会ったのは、1人の天才女優のおかげだった。

 

 「だとしたら夜凪のルーツも俺たちと同じになるな」

 「どういうことだ?」

 「実はスターズの俳優発掘オーディションに審査員で参加してな。そこで拾ったんだよ。コイツ」

 

 スターズのオーディションに景が参加していたことは元より、俺は黒山がどうやって“商売敵”である大手芸能事務所のオーディションに“潜入”したかが気になった。

 

 「それより、どうやってスターズのオーディションに潜り込んだ?」

 「それは業界人じゃないお前には教えられないな。まぁ、こう見えて俺って割と芸能界じゃ顔が効くほうだから、そんなに難しいことじゃないぜ」

 「ほお、“ヤミ監督”の癖に?」

 

 憬の一言に、黒山は殺気だった目つきで挑発しながら掌を鳴らす。

 

 「・・・世界3大映画祭で賞獲った監督に向けて中々のことを言うじゃねぇか、 “アイドル小説家”さんよぉ」

 

 そして黒山の一言に、憬も“殺気”で応酬する。

 

 「今の発言は聞き捨てならないな。あの頃は顔に傷をつけるなと上から散々言われ続けてきたが、今なら一発ぐらいその顔面にぶちかましても問題ないだろう」

 「いいぜ、お前からの喧嘩は買ってやる。その代わり治療費は利子100倍でぶん取るけど文句はねぇよなぁ、“夕野先生”」

 「それはお互い様だよ、“黒山監督”」

 

 立ち上がって睨み合う2人。マンションの一部屋が、一瞬にして殺伐とした空気に包まれたその時、黒山のスマホが鳴った。

 

 「チッ、誰だよこんな時に」

 

 苛立った態度で黒山は着信相手の名前や番号もロクに確認せずに電話に出る。

 

 「はい黒山、んだよお前かよ・・・あぁ・・・おう・・・それで?・・・」

 

 黒山はリビングをほっつき歩きながら誰かと電話をしている。着信相手の“ある一言”で、黒山は野心と安堵に満ちた笑みを浮かべる。

 

 「そうか。ちゃんと評価してくれたことに感謝するぜ。・・・おう・・・当たり前だ。こっから先はそっちに任せるよ。言っとくがこの映画で夜凪とお前のとこの主演を生かすも殺すも全てお前の技量にかかっているからな・・・あぁ・・・何度も言ってんだろ、甘く見てると痛い目見るぞ・・・・・フッ、何だよ分かってんじゃねぇか。だったらもう言うまでもねぇわな・・・おう・・・あぁ・・・取りあえず半分正解ってことにしてやるよ、“後輩のよしみ”として・・・あぁ・・・てことで仮面(アレ)のことは頼んだぞ。じゃあな」

 

 電話を切った黒山の表情は、どこか穏やかだった。

 

 「誰だ?電話の相手は」

 「先輩」

 

 黒山のその一言で、憬は何か大きな企画が動き出していることを察した。

 

 「・・・どうやらこんなところで喧嘩をしている場合じゃなさそうだな」

 「全くだ・・・何てったってうちの広告塔にとって初めての大仕事になるからな。絶対にトチれねぇ」

 

 『デスアイランド』。ある無人島を舞台に漂流した24名の修学旅行生が織りなす壮絶な殺し合い(サバイバル)

 キャストはこの映画の主催となるスターズからの12名に加え、一般公募の12名の計24名の若手俳優陣で構成される。その一般公募の枠の1人に、夜凪景が抜擢されたという。

 

 「でも彼女はスターズの俳優発掘オーディションで一度落とされたから墨字のところにいるんだろ?スターズはよくOKを出したな」

 「当然だ。真正に評価するように“お願い”したからな」

 「手塚のやつ・・・すっかり“染まっちまった”かと思っていたが、意外と酔狂なところもあるんだな」

 「あぁ、だから俺は少しだけ安心しているよ。手塚(アイツ)の心だけはまだ腐っちゃいねぇことが分かったからな」

 

 とは言え、相手は知名度も実力も段違いなスター集団。いくら景の素質が高いとは言え、芸歴1ヶ月程度のド新人が彼らと渡り合うには一筋縄ではいかないことは誰がどう見ても明らかな話だ。

 

 しかも主演は“星アリサの最高傑作”と謳われる“天使”である。

 

 「問題は百城千世子(ももしろちよこ)にあんたの原石が潰されないかだな。百城は素質の高さだけでどうこうできる相手じゃない」

 

 百城千世子(ももしろちよこ)。日本における若手トップ女優の代表格で真っ先に名の上がるスターズ屈指の広告塔にして、“星アリサ”が自他共に認める最高傑作。自身が持つ最大の武器である“天使”のような非現実的な美しさは、従来の女優とは一線を画す唯一無二の魅力となっている。

 

 別名、“スターズの天使”。

 

 「何だよ、随分と心配してくれるじゃねぇか」

 「そりゃあこんな才能は滅多にお目にかかれないからな。間違っても壊すようなことはあってはならない」

 「その心配はいらねぇよ夕野。夜凪はあのCMの時からは比べ物にならないくらい成長している。しかもその過程で手前の中に知らない自分がいるということに気付いちまったからな。メソッド以外の武器を手に入れんとする今のアイツは、誰が立ちはだかろうともう止まらねぇよ。俺からすれば心配どころか、寧ろこうやって女優として成長できる絶好の機会を与えてくれて感謝しているくらいだよ」

 

 憬の景の行く末を心配する声を、黒山は畳みかけるようにかき消す。

 黒山は映像作家としてもそうだが、演出家として芽の出ない役者が心の内に秘めている“未知の領域”を導き出すことにも長けていることを俺は知っている。

 

 “ほんと、あんたの一番怖いところはそういうところだよ”

 

 「取りあえず、映画を撮るための作戦がようやく本格的に動き出したってとこか」

 「そうだな。先ず夜凪には、百城千世子の前にライバルとして立ち塞がってもらう」

 「百城千世子と夜凪景がライバルか。面白そうかも」

 「だろ?でもその代わりとして百城にはまず、夜凪を通じて“天使の仮面”を壊してもらおうと思ってる」

 「天使の仮面か。少なくとも今の百城からは天使以外のイメージは想像つかないが」

 

 “綺麗すぎる”

 

 俺が百城千世子に抱いた最初のイメージ。彼女の持つ魅力に加え、難しい台詞回しや立ち回りなどをいとも簡単にこなす器用さは、同業者からすれば尊敬に値する領域である。だが彼女の芝居は全てが綺麗すぎて、ふと味気なく感じてしまう瞬間がある。

 人間の寿命は平和と医療の発達と共に右肩上がりに伸び続けているが、“天使”の寿命はそう長くはないだろう。綺麗すぎる代物は、飽きられるのも早いからだ。

 

「それは今まで百城(アイツ)が夜凪のような芝居をしてこなかったからだ。自分のことを商品として割り切り、徹底的に自己を排除した客観的な美しさを極めたおかげで世の中じゃ天使だとか天才女優なんて言われてチヤホヤされてるが、決してアイツは“天才”ではない。もちろんあそこまでして努力する才能とプロ根性は認めるけどな」

 

 百城千世子は“天才”ではない。それは彼女がまだ子役だった頃から近くで芝居を観てきた連中なら、いかにここまで上り詰めるのに本人が努力をして来たかが分かることだろう。世間一般のイメージである天才女優とはかけ離れた、スクリーンに映る努力の産物。

 

 「恐らく天使としての寿命はあと3年ってとこだろう。だが百城がそんなことで終わるのは誰も望んじゃいねぇ。アイツがあのまま“ただの天使”として消費されることは間違ってんだよ」

 

 やがて訪れることであろう“天使”としての寿命がすぐ近くまで迫った時、彼女はどうやってそれを乗り越えて行くのか。

 

 「何故あんたは夜凪のみならず百城にもそこまで拘る?」

 「決まってんだろ。百城(助演)の芝居が強ければ強いほど、夜凪(主演)の芝居は際立つからだ。そのためには天使にも化けてもらわなければならないんだよ」

 

 黒山という男は手前の看板女優のみならず、同世代における最大の(ライバル)に当たる百城千世子の女優としての将来のことも徹底的に考えている。

 だからこそ俺は、黒山の核心をつく質問をぶつけた。

 

 「・・・全ては映画のためか?」

 「あぁそうだ」

 

 まるで先ほどのデジャブのように、憬からの問いかけに黒山は何の迷いも見せずに即答する。

 恐らく黒山は今回の映画で百城を助演として使うことを見越している。主演である夜凪景をより際立たせるために。

 

 そして黒山の企んでいることがほんの少しだけ分かってきた今、俺の中である思いが頭の中を駆け巡った

 

 「なぁ墨字」

 「なぁ夕野」

 

 互いに伝えたいことを伝えようと口に出したら見事にハモる。憬の部屋からすべての音が一瞬消え去り、何とも言えない空気に包まれる。

 

 「あぁ、悪い。言いたいことがあるなら先いいぞ、夕野」

 「いや、先に墨字の方から言ってくれ。俺はあんたの考えを知りたい」

 「俺は後でいい。そもそもこの物語はお前の脚本(シナリオ)がなければ始まらないからな。俺は“監督”として、夕野の考えを聞きたい」

 

 このまま譲り合いを延々と続けていても埒が明かないと感じた憬は、結局折れて今度こそ黒山に真意を伝える。

 

 「なぁ墨字・・・もし俺が物語のプロットを全て白紙に戻すと言ったら・・・どうする?」

 

 憬の言葉で、部屋全体が再び沈黙に包まれる。

 

 「・・・どうやら素っ頓狂なことを言っているようではないみたいだな」

 

 憬の顔を吟味するように目で追いながら、独り言のように黒山がつぶやく。

 

 「理由を教えろ」

 

 黒山の言葉を合図に、憬は言葉を続ける。

 

 「墨字がこの映画で何を考えているか俺には分からないことが多いが、少なくとも今の物語(シナリオ)じゃ“黒山墨字の映画”に華を添えるにはあまりに“役者不足”だということだけは分かった」

 「・・・だからといってゼロからもう一度作り直す必要はあんのか?」

 「凡庸なままこの映画を終わらせたくないという思いは俺も同じだ。伊達にこれまで物語(生き様)を書いてきたわけじゃないからな・・・こっちにも覚悟ってものがある」

 

 あの時は随分とすんなり引き受けてもらったが、やはり夕野(コイツ)には夕野(コイツ)なりの流儀ってもんがある。生半可な覚悟でこの映画の話を引き受けるなんてまずあり得ない話だ。コイツの“生気に満ちた(ギラついた)” 目を見れば、それは明らかだ。

 

 “だが、おかげで助かった”

 

 「・・・俺も今のシナリオじゃ夜凪(アイツ)を主演にするには物足りないと思っている。それをどうやってお前に伝えればいいか少しばかり悩んでいたが、これで気が大分楽になった」

 「やっぱり・・・墨字もそう思っていたか」

 

 2人はそのまま互いにテーブルを挟んでリビングのソファーに座る。

 

 芝居に対して目の肥えた2人を唸らせた景の芝居は、今のシナリオじゃ物足りないと思わせざるを得ないほどのものだった。

 彼女の持つ役者としてのポテンシャルの高さは、本当に計り知れない。

 

 「それで、いつまでに仕上げればいい?」

 「映画以前に夜凪には老若男女の誰もが知る人気女優になってもらわないと話にならない。もちろんそのための力は俺も含めてまだ足りていない。計画では夜凪の実力と知名度を考慮した上で映画の公開は3年後と考えている」

 

 傲慢な利己主義に満ちているように見えて、黒山という男は意外にも冷静に物事を判断して理論に基づき映画を作っている。ただし、経営者としては褒めたものではないが。

 

 「3年後か。果たしてそれは長いのか短いのか」

 「それは俺でもまだ分からねぇが、ひとまず来年のうちに“原作”を含め脚本を完成させてくれたら助かる」

 「実質1年と少しってところか・・・ありがとう。少しばかりハードだが了承した」

 「悪いな。またしても“掛け持ち(ダブルブッキング)”させちまって」

 

 何の悪びれもなさそうな顔で平謝りする黒山に憬はクールに微笑みかける。

 

 「あの日のあんたからの電話から、俺はこの映画に全てを捧げると決めている・・・“やるべきこと”は全部やるつもりだよ、“監督”」

 「・・・そうだったな。ご協力に感謝するぜ、“先生”」

 

 すると黒山は立ち上がり、憬に向けて拳を突き出す。それに答えるように憬も立ち上がって拳を突き出し、2人は互いの拳を合わせ合う。

 

 「てことで頼んだぞ。夕野」

 「あぁ。待ってろ」

 

 

 

 夜凪景と百城千世子。映画監督と小説家。白と黒が1つに結びついた時、新たな物語が産声を上げた。

 




映画界の異端児と文学界の異端児によるグータッチ。絵面的には30過ぎのおっさん2人ですが、この場面が漫画になれば最高にクールな1シーンになることでしょう。多分。

ちなみに黒山は一部のファンからヤミ監督という蔑称、もとい愛称が付けられているのですが当の本人はそう呼ばれることを嫌っているみたいです。

そして本誌の主人公、夜凪景がついに初登場です。一瞬だし黒山PCの画面内だけだけど。

さて或る小説家の物語の1章はこの回をもってラストとなります。ということで次回から2章がスタートするわけですが、その前に本篇では収まりきらなかったこぼれ話を1つ、挟んでいきたいと思います。






PS.今年の智辯対決はまたしても弟が制しましたね。


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scene.6.5《幕間》 正直者

これは、黒山が憬の元に夜凪景の映像を見せに来る数日前の話。


 極秘であるが俺は今、2つの作品を掛け持ちしている。

 

 「秘密が暴かれていくと共に歪んだ関係がこうしてひとつになっていき、最終的にそれぞれ行き着くところに辿り着くような結末。これまでの夕野先生の作品ではありそうでなかった斬新さがあって良いと思いますよ」

 

 憬は来客用リビングで編集者とある小説の出版に向けた打ち合わせをしていた。

 小説のタイトルは『hole(ホール)』。“心の穴”をテーマに男に捨てられ“声”を失った画家の主人公と、誰にも言えない秘密を抱えている駆け出しの小説家による二十歳(はたち)の歪んだ恋愛を生々しく描いた最新作。

 

 無論、黒山の大作映画とは“全くの別件”だ。

 

 「この調子で原稿が通れば、予定通り8月中の出版に間に合いそうですね」

 「そうだね」

 

 小説というものは1人でただ黙々と文章を書き連ねていくイメージがあるが、本来は本を出す出版社との二人三脚で企画やプロットから始まり、何回もの修正を繰り返しながら編集者と共に1つの原稿を作り上げていくものだ。

 そして完成した原稿は校正・校閲者の元に届けられ、彼らによる“検問”を突破して初めて世に出回ることを許される。

 

 

 

 「それにしても驚きましたよ。この小説が映画化されるということを知った時は」

 「・・・ごめん。阿笠(あがさ)さんにそんな話したっけ俺?」

 

 彼女の一言に、憬は思わず呆気にとられる。

 少なくとも俺がこの小説を映画化する前提で書いているということは現時点では“2人”しか知らないはずだ。

 

 そんな予期せぬ質問をしてきた彼女の名前は阿笠寧々(あがさねね)。この小説の編集者である。まだ25歳で単独での担当は初めてだというが、少しでも疑問に感じたことは変に気を遣わずありのまま伝え、物怖じせずクールに課題を与えてくる。一人前になったばかりの若手ながら、寧々は肝が据わっていて編集者として目の付け所もいい。

 

 「実は・・・編集長と天知さんが弊社のオフィスで話し合いをしているところを偶然通りがかってしまって、思わず盗み聞きして今回のことを知りました」

 

 物事をいちいち解説のように組み立てながら話すようなところが、彼女の真面目で愚直な人柄を表している。

 その反面として、真面目な割には妙に怖いもの知らずなところがあるという二面性も併せ持つが。

 

 「阿笠さん・・・どこまで聞いたかは問わないが、この話は絶対に口外しないで欲しい。絶対だ」

 「・・・そうですよね。細かくは聞き取れませんでしたが天知さんも『この話はまだ寝かせておいて下さい』と言っていた気がしますから」

 

 流石は天知だ。目の前に転がってきたものが少しでも金になると分かるや否や、すぐさま関係者各所のところへ神出鬼没に現れては、大金とその見返りとなる “良い話”をばら撒いていく。

 

 「相変わらず出版業界でも人気者なんだねあいつは」

 「はい。天知さんの腕にかかればどんな作品でも大ヒットしますからね。おかげさまで映画にドラマに舞台と大変世話になっていますよ」

 

 天知心一の名は、今や映画界や芸能界に留まらず、出版業界でもよく知られている。

 

 「でもあの人ってあまりいい噂を聞かないんですよね。プロデューサーとしては本当に優秀ですけど根っからの守銭奴で目を付けた役者には“良い話”と称して過剰なプロモーションで売り込もうとしたり、作品の為なら手段を選ばないようなところがあるという話をよく聞くと言うか」

 「基本、あいつの行動原理はプロデュースする作品や目を付けた役者が金になるかならないかだからな。腕は確かだが、人間性は褒めたもんじゃない」

 「やっぱり、噂通りなんですね。味方になると誰よりも心強いのですが、私はどうしても天知さんという方を好きになれないです」

 「あまり気にするな。大方の同業者はそう思ってるよ」

 

 プロデューサーとしての優秀さは誰もが認めざるを得ないが、金の為なら手段を選ばず人の感情を平気で逆撫ですることも厭わない悪名高き守銭奴。

 

 プロデューサー・天知心一とはそういう男だ。

 

 「でも何故、そこまでして映画に拘るのですか?これまで作品の映像化をことごとく断ってきた先生が自ら、映画化して欲しいと頼み込んだなんて信じられないです」

 「何だ失望したか?メディア嫌いの “孤高のベストセラー作家”がすっかり“軟派”に落ちぶれたことに」

 

 あまりこの件について答えたくない憬は、寧々にわざと揶揄(からか)うような態度をみせる。

 

 「そうじゃなくて!・・・理由を聞いているんです・・・すいません。感情的になってしまいました」

 

 すると寧々は、如何にも申し訳なさそうな顔で俺に頭を下げる。ほんの少しだけからかうつもりで言っただけだが、こんな感じで本気で謝って来られると胸が痛む。

 

 「いや・・・今のは俺が謝るべきだ。ごめん」

 「あの・・・どうしても言えないのならやっぱり大丈夫です。すみません・・・変なことを聞きました」

 

 そう言うと彼女は再び頭を下げて謝る。

 

 はっきり言って今回の一件ばかりは、是が非でも寧々を巻き込みたくないと思っている。そもそも彼女のような正直で真っ直ぐな人間が、こんな“危険な吊り橋”に足を踏み入れて良いはずがないのだから。

 

 「友人との約束を果たすため・・・俺の口から言えるのはそれだけだ」

 

 そんな彼女に説明できるのは、せいぜいその程度の言葉だった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ところで阿笠さん。1つだけ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 「何でしょうか?」

 

 そう言えば、ある映画を観てからずっと気になっていたことが1つだけあった。

 

 「ついこの間観た映画で阿笠さんによく似た女優がいたんだけど、名前が出てこないんだよね」

 「・・・似ていると言うか、多分それって私の妹だと思います」

 

 思い出した。先週に偶然鑑賞した映画で助演として出演していた彼女。今どきの若手にしては珍しく繊細かつ没入の深い演技を武器にしている典型的な演技派で、主役を喰うような派手さはないが観終わった後も妙に彼女の芝居が頭に残っていた。 

 

 「・・・もしかして、“阿笠みみ”のことか?」

 「はい」

 

 今のところスクリーン以外では目立った活躍はないが、遅かれ早かれ開花(ブレイク)する日が来ることだろう。

 

 「先生もご存じなのですか?妹の美々(みみ)のこと」

 「彼女の出演している映画を一度だけ観た。彼女は今いる10代の女優にしては貴重な演技派だ。特別に華があるわけではないが、実に繊細で良い芝居をする役者だよ」

 「華がない」

 「ああすまん、決して女優として華がないということじゃない。彼女には彼女にしか出せない魅力があるってことだ」

 「無理にフォローしなくてもいいですよ。美々はそういうタイプの役者ではないので」

 

 ついやってしまう、悪い癖。役者の話になると相手の気持ちを考えずに話してしまう。

 何度も治そうと心に誓っているが、芝居から離れて10年が経とうとする今でも油断したらすぐに出る。

 

 「でも俺は煌びやかで洗練された役者よりも、あんたの妹のような人間臭さのある役者の方が好きだ」

 「・・・そうですか」

 

 役者にはそれぞれ十人十色で違った魅力を持っている。大事なのはその魅力を正しく周りの“保護者”たちが磨いてあげるということ。

 

 「あの・・・もしよろしければ、私の話を聞いて頂けますか?」

 「・・・相談があるなら乗るよ」

 

 寧々が妹の美々のことを気にかけているということはすぐに察することができた。

 

 「本当は心の底から美々のことを応援したいのですけど、どうしてもこの先が心配なんです」

 「心配・・・それは美々さん自身のことか?」

 「・・・はい」

 「もし阿笠さんが大丈夫なら美々さんの話を聞かせてくれないか?彼女のこれからのために」

 

 憬は芸能界という異端な世界を見てきたからこそ、ここまで妹の美々を気にかける寧々の気持ちが痛いほど分かる。

 寧々もまた、そんな誰にも相談できないような悩みを打ち明けられるのは美々の憧れでもある憬しかいなかった。

 

 「美々は元々じっくり時間をかけて役を落とし込むような役作りをする役者です。今でこそ美々は純粋に芝居を楽しんでいるみたいですが、当然女優として売れて行くとスケジュールも多忙になり自分の意思に反するような仕事も強いられると思います。その時に下手な人に目を付けられて自分を見失って、やがて壊れてしまわないか・・・それが恐いんです。美々は良くも悪くも真面目で正直者なので」

 

 寧々の話を聞く限り、美々のような正直者(役者)はテレビの世界で広告塔として活躍するよりも名だたる映画監督や劇作家たちと共に自分の芝居をじっくり追求する方が幸せなのかもしれない。

 でもそんな幸せを決められる権利は俺たちにはない。そんな俺たちが出来ることは限られている。

 

 こんな時、彼女にとって“親となる存在”はどうやってその幸せを正しい方向へ導いていくのだろうか。そもそも幸せって、一体何なのだろうか。

 

 「美々さんはきっと、その覚悟を持ってこの世界に飛び込んでいったんだと思う。そうじゃないとあんなお芝居は出来ないよ」

 

 俺がまだ10代のガキだった頃、かつての恩師は言っていた。“芝居が商業活動である限り俳優は商品”であるということ。そしてその事実に“生かされる者”もいれば“殺される者”もいるということ。

 

 「この先どうなるかなんて誰にも分からない。でも彼女が芝居を続けることに喜びを感じている間は、素直に応援してあげることが一番の支えになると思う。他人の幸せは誰にも決められないしね」

 

 それでも役者たちは現実にもがき、現実と戦い続けてきた。やがてそれは、眩い光となって今日も世界中を照らし続けている。

 

 「って役者を辞めた俺が言ったところで説得力は皆無だよな」

 

 そう言って憬は場を和ませるように寧々に向けて自嘲気味におどけてみせる。

 

 「そんなことないですよ。先生の言葉は、説得力の塊のようなものです」

 「説得力の塊?」

 「はい。芸能界の表と裏の両方を見てきたであろう先生だからこそ言えるアドバイスかと」

 「・・・なんかちょいちょい俺のこと馬鹿にしてね?」

 「馬鹿になんてしていません。これは本心です」

 

 今更言うことではないが、どうやら妹の愚直さは姉譲りのようだ。悪気のない正直者ほど、(タチ)の悪いものはない。

 こんなことで言い争っても仕方がないのですぐに俺は話を戻した。

 

 「少なくとも、美々さんが女優として開花する日は遅かれ早かれ必ず来るよ」

 「・・・そうですか」

 「派手さはないが間違いなく役者として光るものを持っているからね。演出家次第ですぐに化けるよ、彼女は」

 「・・・そう言ってもらえると美々もきっと喜びますよ。美々は役者として今でも先生のことを尊敬していますから」

 

 少しばかりの照れを隠しつつ寧々は静かに答える。

 美々が尊敬してやまない女優・環蓮と共に、憬もまた彼女にとっては尊敬すべき役者の1人である。偉大な先輩からの有難い言葉を、寧々は美々の分まで噛みしめる。

 

 “俺なんかを尊敬しているのか、あんたの妹は”

 

 そんな寧々を、憬は複雑な思いで見つめる。

 

 「でもやっぱり恐いんですよ。芸能界って何が起こるか本当に分からないじゃないですか」

 

 複雑な感情を内にしまい込み、憬は引き続きアドバイスを続ける。

 

 「芸能界に足を突っ込んだ以上、そういう危険とは常に隣り合わせだ。時には矛盾と理不尽という受け入れ難い苦痛にぶち当たる。正直者の役者にとっては尚更だ。恐らく美々さんにもその“苦しみ”が多少なりとも襲い掛かってくる日がいずれ来ると思う」

 「じゃあやっぱり美々は」

 「でも美々さんにとって“帰る場所”さえあれば、どんな困難があっても彼女は自分を見失わずに済む」

 「帰る場所、ですか?」

 「そう。だから“寧々”さんは彼女にとっての“帰る場所”として支えてあげて欲しい」

 

 今の俺が寧々に出来る、精一杯のアドバイス。

 常に自分を俯瞰してくれる存在がいるから、どんなに芝居に飲まれようと自分を見失わずにいられる。それはどの国の役者であろうと万国共通の処世術だ。

 

 “全く、役者として“終わった”男が今更何を言っているのやら”

 

 気が付くと打ち合わせは、いつの間にか人生相談となっていた。

 

 

 

 「刊行に向けた打ち合わせのはずが、すっかり人生相談になってしまいましたね。すみません」

 「いや、俺の方こそすまない。こんなアドバイスぐらいしか出来なくて」

 「いえ、とんでもないです。こうして先生の話を聞いていたら、今の幸せそうな美々の姿を見て余計な心配をしていた自分が馬鹿らしく思えてきました」

 「でもそうやって心配してくれる存在がいることが何よりも大事だ。馬鹿らしく思うことなんてない。支えになってくれる人がいるかいないかじゃ大違いだからね」

 「・・・はい」

 「説得力あるだろ?俺が言うと」

 「そうですね」

 

 ちょっと年下をからかってやろうかと思ったら悪意のないすまし顔の返り討ちを喰い、地味に消えたくなるような恥ずかしさが全身を襲う。もちろん消えはしないが。

 それでも何やかんやで掛け持ちの片方がひとまずこうしてひと段落を迎えると、気分はどことなく晴れやかになる。

 

 「今日は本当にありがとうございました」

 「あぁ、こちらこそありがとう」

 

 こうして互いに会釈をして全てがひと段落しようかという時、憬は寧々にある真実を打ち明ける。

 

 「最後に1つだけ聞いておきたいことがある」

 「はい、何でしょうか?」

 

 すると憬は淡々と寧々に問いかける。

 

 「もし俺が、あんたのことを物語を書くために利用していたら・・・どう思う?」

 「・・・もしかして、私のことを利用してます?」

 

 寧々の問いに憬は悪びれる様子もなく

 

 「利用したよ」

 

 と、寧々の目を真っすぐ見つめて言い放った。

 

 1つの物語を作り上げていくピースは、ふとした日常に転がっている。ヒントになるものはどんな些細なものでも利用する。例えそれが他人の人生であっても。

 役者だってそうだ。自分ではない他の誰かを演じている時点で、既に他人の人生を利用しているようなものだ。

 

 そんな人としての道を踏み外した奴らが追い求めてやまない“常軌を逸した喜び”が、常人から理解されることは稀有なことだ。

 

 「失望したか?」

 「いえ・・・異論は全くないです」

 「本当にそう思ってるのか?」

 「確かに人としては褒めたようなものではないかもしれませんが、私は先生が“小説家”として間違っていると思ったことは一度もないです」

 「(さり気なくディスられた?)・・・そうか?」

 「これはあくまで個人の見解ですが、人の人生を書くということは、誰かの人生を利用するということ。そしてその積み重ねがないと、読者の心を打つ小説は書けない。だから、夕野憬の小説はあれだけ多くの人から愛されていると私は思っています」

 

 今までの担当5人に全く同じことを打ち明けたら、全員揃ってその日を最後に俺の元を離れていった。結局そいつらは俺の書く物語(生き様)ではなく、手前の文章しか見ていなかった。

 

 「・・・愛されているのか。俺の作品は」

 「当たり前じゃないですか。そうでないと5作連続で賞なんて獲れないですよ。中身がどうであれ、私はそんな夕野先生の表現する“生き様”を心から尊敬しています」

 

 俺は一部の心無い声と手前の文章しか見ていない出版社の人間に過敏になり、寧々のような純粋な読者の声に耳を傾けることを久しく忘れていたのかもしれない。

 7つ年下の担当“その6”からこうして己の未熟さを痛感させられるとは思っても見なかった。そしてようやく思い出した。大切なのはそんな俺の物語を心から愛してくれる読者の声であるということ。

 

 

 

 「阿笠さん。もし次の物語が思い浮かんだら、その時はまた頼みます」

 

 帰り際の寧々に憬は声をかける。尊敬している小説家からこうして『次も頼む』と言われた時ほど、やりがいを感じる時はない。

 

 「そう仰って頂けて本当に光栄です。次作もよろしくお願いします」

 

 すると寧々は“嘘のない笑顔”で会釈し、憬の部屋を後にする。

 

 

 

 そんな彼女の正直で純粋(まっすぐ)な心すらも、俺は自分の物語の為に利用する。

 




本来であればscene6はこれと二部構成みたいな形にする予定でしたが、尺が長いわどちらも主張が強すぎるわということで分けました。

分かる人には分かりますが、シングルのカップリングにするはずが主張が強すぎてアルバム送りにされた佐倉市出身のロックバンドさんの曲と同じような理由です。はい。

そしてまさかあのキャラクターがこんな形で登場するとは、そう思った方も1人くらいはいるのではないでしょうか?

彼女の為に言っておきますが、彼女だって十分役者としての才能はあるんです。夜凪がおかしいだけなんです。ていうか「阿笠さん」ってすげぇ言いづらそう。

ということで2章もよろしくお願いします。


10/31追記:劇中の小説『hole』のあらすじを少し変えました(今後のストーリーの展開次第ではまた変わっていくかもしれませんがご了承ください)



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chapter 2.親友
scene.7 カウントダウン


2017年、東京___

 「天知から話は聞いているが、墨字なら俺の腕なんか借りなくてもシナリオの1つや2つぐらい作れるだろ?」

 電話越しに久々に聞いた黒山の声。話を聞けば次の映画の構想について相談したいということだった。しかもそれは、短編映画を主戦場としていた黒山にとっては初となる“長編映画”の話。

 「“映画監督・黒山墨字”にとって記念すべき“大作映画”になるんだぞ。本当に良いのか、墨字?」

 これまで脚本から演出、果ては編集までをほぼ全て1人でこなしながら映画を撮ってきた男が放った言葉は、あまりに意外なものだった。

 『お前の脚本(シナリオ)じゃなきゃ駄目なんだ』

 それまで貫いてきた自分の流儀を変えてまで、黒山が作りたい映画とは何なのか。俺の中でその感情は“期待”という形で膨れ上がった。

 「取りあえず一度会って話を聞こう。いつなら会える?」



 黒山の映画を通じて、俺はようやく自分の中にある “呪い”を解くことが出来るかもしれない。そんな気がした。



 22階のバルコニーで夕闇に覆われた街の喧騒を眺めながら、憬は煙草(セッター)を嗜む。仕事終わり、都心の喧騒(コンクリートジャングル)を眺めながらの一服以上の至福はない。

 

 ただ今回は仕事終わりというよりは、かつてない壮大な計画の始まりの(ゴング)を告げる一服であるのだが。

 

 “誰かひとりのために物語を書くというのは、生まれて初めてのことだ”

 

 やるからにはこっちも一切の妥協はしないが、相手は俺以上に妥協を許さないであろうあの“黒山”だ。

 恐らく“土台”となる物語が良ければよいほど、“大作映画”はより際立ったものになっていくのだろう。しかし、これだとまるであいつが言ってた夜凪景と百城千世子みたいだ。 

 

“だとしたら俺が百城で、黒山(あいつ)が夜凪ってことか”

 

 脱線しかけた頭の中をリセットするように、憬は再びタールを体内に流し込んで喧騒に向けて煙を吐く。

 

 “天使と悪魔は呼び名が違うだけ”という話をどこかで聞いたことがある。全天使の長と言われた大天使であるルシファーが、創造主である神の命に反し天を追放され堕天使、すなわち悪魔になったと言われるように(※諸説があります)。

 

 黒山は百城を星アリサという“創造主”に異を唱える“ルシファー”にでもするつもりなのだろうか。今のところ百城からは天使の偶像以外の影も闇も見えてこない。近くにいるのに手が届かない煌びやかなその美しさは、まさに大天使そのものだ。だが天使と呼ばれる百城であってもふと人間に戻る瞬間がある。当たり前だが彼女は役者である以前に1人の人間にすぎないのだから。

 

 かつては天使とされていたルシファーがそうであったように、どんなに周りから善人と親しまれているような人でも“黒い内面”は必ず持っている。そして役者として生きとし生ける奴らは、カチンコの合図や照明の明転を合図に天使にもなれば悪魔にもなる。もちろんその間に存在する無数の人格すらも。

 

 だが稀に、そんな天使と悪魔の領域すらも超えていくような規格外の役者(人間)が生まれてくることもある。

 

 “夜凪景・・・”

 

 黒山の手掛けたウェブCMを見ただけでも、彼女の素質や才能がいかに突き抜けているかがよく分かる。黒山の言う通り、順調にいけば将来的に歴史に名を残す女優になってもおかしくないだろう。

 彼女の芝居からは女優だった頃の星アリサに匹敵するか、あるいはそれ以上の可能性を感じる。

 

 でも何なんだ?この何とも言えないフィルターのかかっているかのようなモヤモヤとした感覚は・・・

 

“・・・今の彼女を見ていると、ふと昔を思い出してしまう”

 

 気が付くと煙草(セッター)は半分にまで減っていた。憬は最後の一服を深く味わうかのように吸い込み暗くなり始めた空に向けて輪を2つばかり放つと、携帯灰皿に擦り付けて火を消した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『本日の芸能トピックです。元女優の星アリサさんが去年立ち上げた芸能事務所スターズ主催の“俳優発掘オーディション”にて見事合格者となった2人のデビュー会見が、昨晩行われました』

 

 土曜日の風呂上がり。部屋着(ジャージ)に着替えた俺はリビングでスターズが主催した俳優発掘オーディションの合格者の会見を伝える22時台のワイドショーを見ていた。

 

 『一色十夜(いっしきとおや)、16歳です。なんか・・・調子狂うな、こうやってカメラとかマイクを一気に向けられると』

 『緊張しますか?』

 『緊張というか、何と言うか。これがスターの世界なんだなっていう。こんなこと言うのはまだ早いですけど』

 『どうですか?“スター”の世界は?』

 『・・・良いんじゃないすか?』

 

 調子が狂うと言いながら無数のカメラとマイクを構える報道陣に一切物怖じせず、マイペースに素直な心境を言うその姿には既にトップスターの風格すら漂っている。ついこの間までただの高校生だったとは思えないくらいに。

 

 『永瀬(ながせ)あずさ。15歳です。小さい頃からずっと憧れていた女優になるという夢が叶って本当に嬉しいです』

 『夢が叶って幸せですか?』

 『もちろん幸せです。でも、肝心なのはここからだと思うので、とにかくこれからは、スターズの名に恥じないような、1人前の女優になるために、日々努力したいと思っています』

 

 フリーダムな十夜に反して至って真面目に記者会見に臨んでいる永瀬。緊張からか所々言葉に詰まる場面があるが、誠意はしっかりと伝わってくる。何か、見ていて思わず応援したくなるような感覚だ。

 

 「結局は美男美女が揃って残ったわね」

 

 リビングに戻ってきた母親が開口一番にスターズを皮肉る。

 

 「ファンじゃなかったのかよあんた」

 「それとこれとは別よ。まぁ、何だかんだで芸能事務所のオーディションに残るような人は“華”があるから妥当っちゃ妥当ね」

 「その芸能事務所のオーディションに落ちた人の前でそれを言うか」

 「仕方ないでしょオーディションなんて中身は二の次のお見合いみたいなものだし。でも一色十夜だっけ?この子は割とカッコいいじゃない。同級生にいたら好きになってるかも」

 「結局ミーハーじゃねぇかよ」

 

 母親とのこれといった中身のない会話をやり過ごしつつ、憬は再びテレビのワイドショーに集中する。ブラウン管の中では司会者のキャスターとコメンテーターが2人の未来のスターについて語り合っていた。

 

 『中でも一色十夜さんは今年の秋に放送が予定されているテレビドラマに主演としての出演が決定しているばかりか、既にCM3本への出演も決まっているそうです。さらに驚くべきことに、一色十夜さんはなんと、あの“一ノ瀬一色夫妻”の息子さんだそうですね』

 『はい。しかもご存じの通り十夜君のお姉さんもヴァイオリニストとして世界を股に掛ける一色小夜子さんなわけですからね』

 『“華麗なる一族”とはこのことなのでしょうね』

 『まさにその通りだと思います。それにスターズは少数精鋭ながら今一番勢いのある芸能事務所の1つといっても過言ではないので良い選択だったと思いますよ。十夜君にとってもスターズにとっても』

 『そして永瀬あずささん。実は彼女、1年前に行われた別の大手芸能事務所のオーディションに最終選考まで残りながら惜しくも落選していて、今回のオーディションで駄目なら女優になる夢を諦めていたそうですね』

 『そうなんですよ。もう本当に永瀬さんにとってはこうして努力が報われて良かった、最後まで挫けずによく頑張ったと讃えてあげたいですね』

 『何でも尊敬している女優に星アリサさんの名前を真っ先に挙げていたそうなので、偶然とは思えない運命的なものを感じますね』

 『彼女は本当に真面目で誠実な努力家だなというのが会見を見ていてもひしひしと伝わってきて、何か自分の子供のように応援したくなりますよね』

 『そうですよねー。ということで本日は芸能コメンテーターの江連公明(えづれきみあき)さんにお越し頂きました。本当にありがとうございました』

 『こちらこそありがとうございました。スターズはオーディションを通じて本当に良い“買い物”をしたと思いますよ』

 『はい。スターズが2万人の中から選び抜いた2人のスターのこれからに、期待したいと思います。ではここからは今入って来ている最新のニュースをお伝えします』

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「行ってくる」

 「母さん今日帰るの遅くなるかもだから鍵持っていきな」

 「おう」

 

 日々のニュースがどんな事件やゴシップを伝えようと、俺の日常は何も変わりはしない。

 

 “『試合に勝つまで勝負を続けろ』”

 

 マンションの階段を降りて、通りに出て左へ向かういつもの通学路。

 環からのアドバイスを受け取ったはいいが、次のステップを決めきれずに進展(ドラマ)のない普通の日々が過ぎる。

 

 一方の環は、新たなCMに加えて来月から放送される予定の民放ドラマにレギュラーキャストの1人として出演が決まっている。

 そしてドラマの撮影が始まったこともあってか環は学校を休みがちになり、このところはロクに会話も交わしていない。

 少しずつ離れていく、親友との距離。どんどん前へと進んでいく環と、いつまでも平行線で停滞している俺。

 

 “何やってんだろうな、俺”

 

 自己嫌悪に似た思いに更けていると一台の高級セダン(ソブリン)が憬の横を追い抜いて、斜め手前の路肩に当然停車する。ハザードランプを付けたセダンの中からスーツを着こなしたモデル体型で年齢不詳の大男が降りてきて、憬の方に歩み寄ってゆく。憬はそのまましらを切ろうと見えないふりをする。

 

 「君が噂の夕野憬くんだね」

 

 無言の抵抗もむなしく、憬はスーツを着た大男に前を塞がれる。

 

 「・・・誰?」

 

 会ったことも見たこともない謎の男と、いきなり自分の名前を当てられるという意味不明な状況に、俺は完全に思考回路がショートしていた。

 

 「これは失敬。怖がらせてしまったね。でも安心して、僕は決して怪しい男ではないんだ」

 「いや、初対面でいきなり名前を当てられた時点で怪しすぎるんですけど」

 「あぁ確かに。それじゃあ怖がらせても仕方ないよね。それはすまなかった」

 「取りあえずこの後フツーに学校あるんで失礼します」

 

 スラっとした見た目にクールで整った顔つきのいかにも紳士的(ジェントル)な雰囲気なのに、喋ると飄々かつどこか軽薄な語り口をする謎の男。そのギャップが物凄く不気味だった。

 

 「へぇー、この後学校かー。何なら僕が送ろうか“学校”まで」

 「いいっすよ1人で行きますから」

 「そんなこと言わずに怖がらせてしまった詫びとしてさ、ねっ?」

 「ていうかマジで誰?」

 「そうだそうだ名前を言って無かったね。僕は」

 「あっ!」

 

 こんな真似は女々しいからあまり使いたくなかったが、流石に身の危険を感じた俺は咄嗟に男の背後に向けて指をさす。すると男は案の定、指をさした方向に身体を向けた。

 男が反対側を向いたのを合図に、俺は全力で逆方向に逃げの体勢を取る。足には自信がある。遅刻は避けられないかもしれないが訳の分からない大男に連れ去られるよりはマシだ。

 

 ここから逃げようと俺は足を一歩踏み入れたが、長い手足の大男の歩幅(フットワーク)からは逃れることは出来ず、直ぐに捕まってしまう。

 

 「離せよマジで!誘拐だろこんなん!」

 「安心してくれ!これは断じて誘拐ではない!」

 「安心出来るかぁ!つーか誰だよお前!?」

 

 離そうにも大男の掴んだ腕は全く微動だにしない。

 

 「このままだとホントに警察沙汰になりそうだから単刀直入に言うね!僕は君をスカウトするためにここに来た!」

 「あぁスカウト・・・・・えっ!?」

 

 大男の放った一言に、憬は思わず素っ頓狂な声を上げる。

 

 「申し遅れてしまって済まないね少年。僕は色々な才能を在るべき場所へ導くようなことを生業にしている者です」

 

 そういうと大男はスーツの内ポケットからスッと名刺を憬に差し出す。軽薄に満ちた言動とは対照的に、名刺を差し出す一連の所作は見た目通りで物凄く上品だった。

 

 「本業はドラマとか映画だけど芸能関連も兼務したり色々とやってるプロデューサーの上地亮(かみじとおる)と言います」

 「・・・本当に本人?」

 「正真正銘。本物です」

 

 プロデューサー・上地亮。数か月前、ドキュメンタリー番組で“大ヒット請負人”として特集されていたのを見たことがあった。彼のプロデュースした作品はいずれも高視聴率ないし大ヒットを飛ばしてばかりで凄い人なのは分かる。そんな男が、一体なぜ?

 

 「・・・俺は、横浜市立大倉中学校2年、夕野憬です」

 

 ひとまず名刺を見る限りマジで本人だという確信は着いたので自己紹介をしたが、事態は何も解決していない。

 

 「それよりプロデューサーが何で俺なんかに?」

 「そうだね・・・夕野くんにとっておきの“良い話”を持ってきたから」

 「良い話?」

 

 憬が話に食いついたことを判断すると上地は表情をガラッと変えて不敵な笑みを浮かべる。

 

“良い話、そんな言葉をどこかで聞いたような気がする”

 

 「ねぇ夕野くん。今から自分の足で学校に行くか。僕の車に乗って“学校”に行くか。どっちにする?」

 「・・・・・何を言っているんですか?」

 

 言っていることはさっぱりだったが、只事ではなさそうだと言うことはさっきまでのふざけ切った雰囲気からは想像もつかない上地の冷徹そうな笑みを見れば明らかだ。

 

 「疑われても仕方ないよね。元来僕らのやっている仕事は胡散臭く思われやすい」

 「そうじゃなくて。上地さんの言っている2択の意味が俺にはよく分からない」

 「これは失敬。ではもっと簡単な2択にしよう。今から自分の足で学校に行って普通の生活を送るか・・・僕と一緒に“現場”に行って役者になるか・・・さてどうする?」

 「どうするって言われても」

 

 戸惑う憬をまるで嘲笑うかのように、上地は憬に更なる追い打ちをかける。

 

 「なぜそんなに迷うんだい?少なくともオーディションの映像を見る限り君の芝居は誰よりも優れていたよ。合格者の2人よりもね」

 

 憬はふとオーディションの光景を思い出すが、少なくとも審査員の中には上地のような男がいた記憶はない。

 

 「まぁこんなところでこれ以上御託を並べても仕方がない。取りあえず今から僕が10秒数えるからそのうちに結論を出してもらおうか。この世界はスピードとタイミングが命だ。こうして目の前に転がっているチャンスを確実につかむことがスターダムを駆け上がる第一歩だからね。はい10」

 

 疑問を考える隙も与えず流れ作業のように上地はカウントを始める。

 

 「9、8」

 「あの」

 「今君に与えられている発言権は、行きますか行きませんだけだ。それ以外を言ったら失格ね。はい7、6」

 

 何故オーディションのことを知っているのかを聞こうとしたが、上地に釘を刺され万事休す。

 

 「5、4」

 

 こうして考えている間にも、カウントは無情に進んでいく。脳内でありとあらゆる感情が交錯し、今にも破裂しそうなくらいだ。

 憬の眼前に、凄まじいスピードで走馬灯が走る。

 

 「3、」

 

 “・・・やっぱり甘かったなー、私 “

 “私ってあんな下手くそだったんだね”

 “俺受けるよ、スターズのオーディション”

“やっぱ“才能のある奴”はちげぇわ“

 “3次審査不合格のお知らせ”

 

 「2、」

 

 “で、憬はこの後どうするの?”

 “憬が“俳優になる”ってあの時に決意してくれたおかげで、これから先の自分の姿がほんの少しだけ想像できた“

 “勝てたはずの試合に負けたまま引退(リタイア)するのは悔しくない?”

 

 「1、」

 

 “ここから先は、君次第だよ”

 “ところで憬はさ、俳優とか目指さないの?”

 

 

 

 「行きます!」

 

上地が0をカウントする寸でのタイミングで、憬は叫んだ。

 

 「・・・ごめん、どっち?」

 「行きます。いや・・・行かせて下さい。現場へ」

 

 憬からの答えに、上地は“待ってました”と言わんばかりに微笑む。

 

 「そうだ・・・それでいい。君はこうして目の前に転がっていたチャンスを自分の手で掴み取った。その積み重ねが、君の中で眠っている才能を呼び覚まし、路上に転がる原石を唯一無二の輝きを放つ高価な宝石に変えてくれる。さて、僕と一緒に“現場”へ行こうか」

 「・・・ところで現場っていうのは?」

 「そんなの決まっているじゃないか。“学校”だよ」

 

 こうして俺は、胡散臭さ全開のプロデューサーの車に乗せられ“学校”、もとい撮影現場へと向かった。




仮タイトル:『学校へ行こう』

時系列:2017年(前書き)→2018年(序盤)→1999年

ちょいと今回はギャグに振りすぎたかもしれません。それもこれも上地Pのせいだと思います。恐らく現時点では彼がぶっちぎりの曲者です。

”つーかこれ以上扱いづらいキャラクターを増やして大丈夫なのか?”

そんな作者の自問自答をよそに第二幕、もとい2章スタートです。



※ちなみに憬が敬語を使いこなせていないのは誤字ではなくガチです。

9/25 追記 一部の登場人物の名前を変えました






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scene.8 感情

 上地という胡散臭いプロデューサーの車に乗せられてから1時間。俺は“撮影現場”、もとい都内近郊のとある廃校に向かっていた。

 

 「いやーね、本来だったら別の子が出る予定だったんだけど昨日になって体調を崩しちゃったらしくてさ。本人は出たがってたんだけどこっちとしても病人をCMに出させる訳にはいかないじゃん。まぁ、彼はドンマイってことで君に白羽の矢を立てたわけだよ」

 

 本来出演するはずの役者のことなど気にも留めず、まるで他人事のように意気揚々と話している上地を見ていると、出演するはず役者に対して申し訳ないような気分になってくる。

 

 「なんか罪悪感がありますね。こんな形で役を奪うのは」

 「別に夕野くんが彼のことを気にする必要は全くないよ。目の前のチャンスを掴めたか掴み損ねたかっていうだけの話だからね。寧ろ君はこの状況に感謝するべきだよ。“こんな僕に身を挺してまで千載一遇のチャンスを与えてくれてありがとう”ってね」

 

 飄々とした口調で夢のある話を持ち掛けてやる気にさせたかと思ったら、急に芸能界という世界の現実を叩きつけるかのような非情なことを平然と笑いながら言い放つ。

 

 「なんちゃって。流石に言い過ぎだねこれは」

 「ほんとっすよ」

 

 かと思ったら今までの話がまるでジョークだったかのような振る舞い始めるプロデューサーの大男。話をすればするほど、彼の本心が分からなくなっていく。

 

 「でも夕野くんが申し訳なく思う気持ちも分かるよ。そもそも最初からそんな風に思っているような連中は役者としてまず大成しないからね」

 「・・・さっきから何を言っているんですか?」

 「ん?何?嫌になっちゃった?うん、そりゃそうだよね。いきなり知らない男に車に乗せられて、どこの現場かも分からねえ所にいきなり連れていかれるんだからさ。分かるよ、夕野くん」

 「まだ何も言ってねぇだろうが・・・」

 

 消え入るくらいの声量で愚痴をこぼす憬。上地という男がどういう意図で俺をこうしてスカウトしたのかは分からないが、少なくともこの男は一般常識からはかなりズレた感性を持っているということだけは分かる。

 

 「俺は嫌だと一言も言ってないし、思ってもいない」

 

 流石に弄ばれているように感じてきた憬は、感情的になって敬語を使うことを忘れて上地に言い放つ。その姿勢を見た上地は、“そう来なくっちゃ”と言わんばかりにほくそ笑む。

 

 「そうだったね。だからここにいるんだよね君は」

 「あぁ・・・せっかく転がってきたチャンス。これを棒に振ったら、“相手”に失礼だ」

 「なんだ分かっているじゃないか。そう、チャンスを逃した彼の分まで本気で()るんだ。このCMを夕野憬という新人にやらせて大正解だったと周りの大人たちに思わせるために」

 「・・・そう言えば、何で俺がスターズでオーディションを受けたことを知ってんの?」

 

 不意に思い出したかのように憬が問いかけると、と上地は意味深な笑みを浮かべた。

 

 「それは企業秘密だから詳しくは言えないね。まぁざっくり話すと、こういうありえないことが常日頃で巻き起こっているのが、“芸能界(この世界)”だよ」

 

 

 

 憬にとっての初仕事は、かの有名な“大手広告企業”の CM。キャッチコピーは『ひとりじゃない。ひとりにしない。』

 

 主人公は学校で空気のように扱われている男子中学生。

 教室での授業、体育の時間、休み時間もいつも1人で過ごしている。理科室に移動する時、誰かに肩をぶつけられ教科書を落とす。そんな主人公を、違うクラスの幼馴染が助けようとするが主人公はそれを断り、理科室へ向かう。

 そして二者面談でも事情を知らない先生から「もっと周りと仲良くしたらどうなんだ?」と言われ、言い返せない主人公。

 こうして主人公の一日は終わり、1人きりでロッカーから外に出ていく。すると幼馴染が主人公に話しかけ、一緒に帰る。

 帰り道で主人公は幼馴染に「1人で抱え込むなよ。何かあったらいつでも助けてやるから」と言って、主人公は静かに頷く。

 

 要約すると“いじめ撲滅キャンペーン”を掲げるCMである。ちなみに憬が演じるのは、主人公を遠巻きに見て助け舟を渡す幼馴染の役。

 

 「夕野憬です。本日はよろしくお願いします」

 

 憬は少しばかり緊張した面持ちで撮影に携わるスタッフに挨拶をする。その挨拶にスタッフたちは軽く会釈をすると、そのまま各自撮影準備に戻っていく。

 見るからにあまり歓迎されているとは言えない状況であるのは、スタッフの目がどこか疑心暗鬼なところで何となく把握できた。

 

 「まぁしょうがないよ。代役で素人の一般人をいきなり連れてこられたら多少なりともアウェーになるさ。こういう空気も役者をやっていれば誰もが一度や二度は通る道だよ」

 

 そんな憬の心情を察するかのように上地が話しかけてきた。

 

 「そう言えばCMの話はちゃんと母親や学校に伝えてます?」

 「もちろんだよ。思いのほか真面目なんだね夕野くんは」

 「・・・別に真面目じゃないっすよ俺なんて」

 

 ひとまず学校には母親の協力を得て担任にだけは本当のことを伝えて生徒には風邪で欠席ということで片付いた。

 ちなみに上地曰く、母親は今回の一件を二つ返事で了承したらしい。特に言うほどのことではないが、少しは心配だと思わないのか・・・と少しだけ感じてしまった。

特に言うほどのことではないが。

 

 そして俺は待機室として用意された別の教室に入り、上地と共にある男を待つ。

 

 「そもそも“あの男”が来ないと事は何も始まらないからね」

 「で?誰を待っているんですか?」

 「夕野くんのような初見さんはビックリし過ぎて腰を抜かすと思うよ。あの人はほんとに“おっかない”から」

 「・・・おっかない?」

 「そう、おっかないんだよ。ところで君はヤクザというものを知ってるかい?」

 「誰がヤクザだこの野郎。全部筒抜けなんだよ」

 

 突然教室に入ってきた強面の中年男。背丈は決して高いとは言えない中肉中背だが、オールバックで固めたヘアスタイルにウェリントンのサングラスから覗く鋭い眼光とグレーの柄シャツというその出で立ちは、まるで親分を彷彿とさせるような迫力を纏っている。

 

 「年のくせに耳だけはいいんだから」

 「まだそんな年じゃねぇわ。相変わらず手柄を横取りするような真似しやがって・・・」

 「せっかく新人さんに来てもらっているんだから穏便に行きましょうよ。社長」

 

 上地からの一言でその男は憬の方を見渡す。“大手芸能事務所の社長”とプロデューサーがただ並んでいるだけなのに、今にも殴り合いや殺し合いが勃発しそうな任侠映画さながらの雰囲気が滲み出ている。

 

 「ね?おっかないでしょ?このおじさん」

 

 そんな社長に臆することなく親指で指差しながら茶化し続ける上地の右足に、社長は思い切り蹴りを入れる。

 

 「お見苦しいところを見せてしまって済まないね。君が今日、急遽代役としてCMに出ることになった夕野君かな?」

 「はい、そうですけど」

 

 蹴られた右足を抱えながら蹲る上地を尻目に、強面の社長はポケットから名刺を取り出して自己紹介を始める。

 

 「カイ・プロダクション代表取締役の海堂正三(かいどうしょうぞう)だ。一応芸能事務所をやっている。そこで蹲っている馬鹿のせいで第一印象は最悪だけどな」

 「それはあなたの強面のせいだと思いますよ」

 「(いや、どっちもどっちだと思う)」

 

 海堂正三(かいどうしょうぞう)。第一線で活躍する俳優やタレントを多数抱え、環が所属している大手芸能事務所(ホリエプロ)と双璧をなす業界内屈指の影響力を誇る芸能事務所、カイ・プロダクションの創始者にして代表取締役社長である。

 それにしても芸能界に興味のない人でも名前は知っているような大企業の社長が、まさかこんな強面の男だとは思わなかった。

 

 「この度は悪徳プロデューサーがとんだ迷惑をかけたな」

 「右も左もわからないような新人の前で悪徳呼ばわりは止めてくれませんか?」

 「お前なんか悪徳以外の何物でもねぇだろうが」

 

 立ち上がって薄笑いを浮かべたような表情の上地を、強面の男は諭す。というより、まるで互いがガンを飛ばすかのように2人の間には見えない火花が散っている。

 そんな“修羅場”などつゆ知らず、撮影で使用する教室ではスタッフらによって撮影準備が進められている。

そんな2人のやり取りを見ていると、ふと天知が言っていたある言葉が浮かぶ。

 

 “芸能界なんてどこも変わり者の巣窟だよ”

 

 どうやら天知が言っていたことは本当らしい。こうしてちょっとした喧嘩のようなやり取りを終えると、3人は長机を隔てて面談のように座る。

 

 ある意味、本番より緊張した。

 

 「話は上地から聞いているのだが、夕野君に聞きたいことがある」

 「はい。何ですか?」

 「・・・君はどうやってメソッド演技を習得した?」

 

 一呼吸分の間を空けて、重い口を開くかのように海堂は憬に問いかける。

 

 

 

 幼少の頃、周りから弾かれていた寂しさから逃れるために観続けたテレビや映画。そこで1人の女優に出会ったことがきっかけで、ありとあらゆる“感情”というものを知った。

 やがて色んな役者の“演技”という名の“感情”を観続けるうちに、同じ感情を自分自身も持っていることに気付き、その感情で自分より強い他の誰かに成りきることでいじめを乗り越えた。

 こうして自分以外の誰かになっている間だけは、世界の誰よりも強くなれているような気がした。

 

 「なるほどな。そうやって君は赤の他人になりきっていた訳か・・・」

 「・・・そうですね」

 

 理由を一通り聞いた海堂は、眉間に人差し指を当てて少しだけ考え込んだ。その様子は、オーディションで審査員たちが見せたリアクションとは明らかに違うものだ。

 

 「・・・夕野君にとって、“芝居”は何だ?」

 

 人差し指を眉間から離した海堂は、憬をサングラス越しに真っすぐ見つめる。

 

 「・・・思い出すこと」

 

 海堂の芝居に対する、憬の答え。他の誰かの感情を思い起こし、自分の感情とリンクさせて己の身体に落とし込む。俺なりのメソッド。

 

 「そうだ。演じると言うことは感情を思い出すことだ。ただ、今の君が考えている芝居というものはいつか破綻する」

 「・・・どういうことですか?」

 「じゃあ逆に聞くが、仮に君の中にはこれまで見てきた役者の数だけ人格が入っているとして、その中に“お前自身”の人格は入っているか?」

 

 ガキ大将や渋谷で不良に絡まれた時、俺は自分より強い他の誰かの感情を利用した。そしてオーディションの時は、観ていたドラマである女優が魅せた表情を利用した。

 

 「・・・入っていないと思います」

 

 確かにこれらの感情の中に、俺という存在はいない。

 

 「・・・気が付いたか?今のお前に欠けているものを」

 

 そんな俺に欠けているもの、それは・・・

 

 「俺自身の、感情・・・」

 

 独り言のように憬が言うと、海堂は軽く頷く。そんな海堂をどこか微笑ましそうな表情で一瞥する上地を海堂は一瞬睨みつけ、視線を再び憬に戻す。

 

 「他人の感情を利用することも芝居の一環だが、他人を演じる前に先ずは自分の感情を知ることだ。芝居というものは物真似をすることが全てじゃない。お前自身の中から、その感情を引き出してこい。これが今日の宿題だ」

 

 “芝居の上手さよりも、自分という武器を大切にすること”

 

 そんなことを言っていた自分が、それを忘れていたということに他人から指摘されて初めて気付かされた。

 

 俺は他人の感情はおろか、自分の中にある自分という存在にすら気付けずにいた。

 

 「夕野。お前の役者としての“素質”、見せてもらうぞ」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「要するに、俺のところに預けたらどこよりも“金”になるからだろ?上地」

 「人聞きの悪いこと言うなぁ正三さんは。僕はただあなたに“金の卵”を売り込んでやっているだけなのに」

 「手前(てめぇ)の考えていることなど3秒あれば分かる」

 「言っておきますがこの後も各プロダクションに“ドサ周り”して彼を売り込むつもりです。少しでも躊躇っていると、直ぐに他社も動き始めますよ。“夕野憬()の獲得”に」

 

 撮影の前日、上地は海堂に“オーディションの映像”を見せる為に事務所の社長室を訪れていた。

 

 「確かにお前の言う通り、コイツは役者として“10年に1人の逸材”になり得るものを持っていることはこの映像だけでも分かるが・・・なるほど。それでアリサはコイツを落としたのか」

 

 モニターに映る憬の“悲しみ”を観ただけで、海堂はそこに秘められている芝居の本質を見抜いていた。

 自分という存在をどこかに置き去りにして、他の誰かに変身する。憬のそれは追体験(メソッド)というよりも多重人格のそれに近いものだ。今のところはその感情を意図的に切り替えられているが、このままだと彼の精神は破綻することだろう。

 

 「やり方は褒めたもんじゃないが・・・それでもここまでメソッドを独学で極めた時点で素質は十分あるだろう」

 

 恐らくアリサはそんな彼の将来を考えた上で落としたのだろう。一度心を壊した彼女(アリサ)の身になれば、それもまた正しい答えなのかもしれない。

 

 「かといって・・・手前(てめぇ)の幸せを他人に決められちまったらつまんねぇよな・・・」

 

 サングラスの中から鋭く眼光を放ち、独り言を言いながらモニターに映る憬に目を光らせるその様子を隣で見ていた上地は軽く頷いた。

 それを横目にチラッと見た海堂は、視線をモニターに向けたまま上地を静かに責め立てる。

 

 「言っておくが上地。俺はお前のやり方を許すつもりはねぇぞ。よりによって面倒なところを巻き込みやがって」

 「面倒?別に問題はないと思いますけどね。寧ろ資本提携している身としては互いの役者やタレントが同じ戦場で切磋琢磨すればするほど利益が出てウィンウィンでしょうが」

 「そういう問題(こと)じゃねぇよ・・・俺はただ、育て上げた原石がお前のような連中の“見世物”にされていくのが気に食わねぇ。それだけの話だ」

 

 すると上地はわざとらしく大きなため息を吐いた。

 

 「・・・全く、アンタは優しすぎる。この期に及んで守ってやれなかった“我が子”への償いでもするつもりかは知りませんが、商業(ビジネス)の世界に身を置いている以上、そういった“私情”で物事を判断するのはただの雑念に過ぎないですよ」

 

 上地の言葉に海堂は煙草に火をつけて一服すると静かに言い返した。

 

 「私情もクソもあるか・・・俺たちは商人(ビジネスマン)である以前に、この世界でしか生きれない“子供たち(ガキ共)”の“保護者()”なんだよ」

 

 その表情はどこか寂し気のあるものだった。そんな海堂の表情を見て、上地は静かに笑う。

 

 「・・・そう思うのなら尚更、あなたが彼を育てるべきです」

 

 

 

 スタッフ達の待機室となっている隣の教室で、海堂と上地はリハーサルの様子をモニター越しに見ていた。

 

 「明らかに自分の芝居に納得していないようですね・・・良い傾向だ」

 「・・・そうだな」

 

 この2人が揃うだけで、撮影現場の緊張感が明らかに増している。

 

 

 

 リハーサル。主人公が廊下で同じクラスの誰かに肩をぶつけられ、教科書を落とす。それを偶然見ていた幼馴染は肩をぶつけた取り巻きが去った後、教科書を拾う主人公に「おい大丈夫か?」と聞いて手伝おうとするが「いいよ自分でやるから」と言って教科書を拾うとそのまま理科室への方へ早歩きで向かう。そんな主人公を気がかりな目で見つめる幼馴染。

 

 ディレクターからカットの合図がかかり、憬はその場で一呼吸をする。

 

 「夕野くんだっけ?随分と良い演技をするじゃねぇか。まるで素人とは思えないくらい」

 

 リハーサルが終わるとディレクターが憬の元に駆け寄り、その芝居を称える。リハの出来栄えはその場にいたスタッフを納得させるには十分なものだったが、憬はまだ自分の芝居に納得していなかった。

 

 他の誰でもない、自分の中にある感情をまだ十分に引き出せていない。

 

 「じゃあ10分後に本番回すぞ」

 

 ディレクターが本番の開始時間を伝える。その声と共に、憬はこのCMにおける主人公の設定を思い出してみる。

 

 “主人公は学校で空気のように扱われている男子中学生”

 

 学校に来てもクラスメイトからは空気のように冷たくあしらわれている。最初は周りの輪の中に溶け込もうと色々と努力をしたのだろうが、周りとのギャップがどんどんと開いていき、“自分はいなくてもいい存在”といつしか思うようになる。

 そんな主人公と小さい頃から仲のいい幼馴染。

 

 『もっとクラスのみんなと馴染みなさい』

 

 小学生の時、担任から言われた一言。あの頃の俺は、周りから宇宙人と言われて煙たがられていた。周りとズレていることを自覚して頑張って周りに合わせようと努力した時もあった。でも結局、現状を変えることはできず諦めかけていた。

 そんな日々を送り続けていた4月のある日、1人の転校生が俺に話しかけてきたことをきっかけに、俺はようやく輪の中に入ることが出来た。

 

 “何でこんなことを今になって思い出したんだろう”

 

 「おいどうした?随分と考えこんじゃって」

 

 このCMのディレクターを務める本郷が憬に話しかける。

 

 「・・・主人公のことを考えていたら、俺自身の過去のことを思い出してました」

 「・・・続けてくれ」

 

 この一言に本郷は一瞬だけキョトンとした反応をするが、憬に話を続けるように促す。

 

 「何というか・・・主人公の気持ちが分かるんですよ。俺も小学生の頃に同じような境遇を経験してるから。周りに馴染むことを諦めて自分の世界に閉じこもりながら、心のどこかではみんなと同じようになりたいと思っていて、本当は寂しかった。そしてこの現状に何も出来ずにいる自分を嫌っていた。主人公もきっとこんな気持ちなんだって。そんな主人公を助けてやりたいって・・・そう思ったんです。あの時の俺みたいにならないように」

 

 憬の辿り着いた答えを一通り聞いた本郷は、

 

 「そうか。そうやってお前は感情を思い出しているんだな」

 

 と何かに気が付いたような顔で答えた。

 

 「で、その感情は思い出せたか?」

 「はい。自分なりに」

 

 そんな本郷からの問いかけに憬は控えめな答えを出すも、その目は自信に満ちていた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 本郷の合図と共に、幼馴染は主人公の元に駆け寄る。

 

 「おい大丈夫か?」

 

 落ちた教科書を一緒に拾おうとする幼馴染に、

 

 「いいよ自分でやるから」

 

 と言ってそそくさと拾ってそのまま理科室へ向かう主人公を、幼馴染は気がかりな目で見つめる。

 

 「カット!」

 

 憬はあくまで本郷の用意したシナリオ通りに動き、用意された台本通りの台詞を正確に喋っていただけだった。

 だが憬が主人公に駆け寄ったその瞬間、憬の演じる幼馴染はフレーム全体を支配するかのように現場の空気を引っ張っていく。

 

 「よっ、一緒に帰ろうぜ」

 

 それは終盤になっても変わらず、クラスで独りぼっちの主人公を題材にしたCMがいつの間にか主人公と幼馴染の2人がメインのようなCMになっていく。

 

 「1人で抱え込むなよ。何かあったらいつでも助けてやるから」

 

 まるで演じている感の全くない自然な芝居。その姿はCMの演者というより、CMの中にある世界で生きている“幼馴染”そのものだった。

 

 “今は、それでいい”

 

 それもそのはずだ。憬が演じていたのは“幼馴染”であって、“自分自身”なのだから。

 

 

 「凄いな、夕野(ルーキー)の芝居は」

 

 撮影終了後、CMディレクターを務める本郷透視(ほんごうとうし)は撮影現場に来ていた海堂に憬の話を持ち掛けていた。

 

 「いや、夕野(コイツ)の芝居はまだまだだよ」

 「相変わらずキレッキレだな海堂さんの基準は。未経験でこれだけやれれば御の字でしょうが」

 「もちろん “並みの新人”がこれぐらいやれれば文句はないさ。だがコイツの持っている素質を考えれば今日の芝居は全然だ。甘く見て百歩譲って及第点をつけてやってもいいってとこだ」

 「流石に厳しすぎやしないかそれは?・・・けどまぁ、海堂さんの言う通り新人でここまでやれるとなると確かに話は変わって来るわな。演出家次第で彼はこれから何段階も化けていくだろうし」

 

 海堂という芸能界の重鎮のような存在を前にしてもこの男はトレードマークの帽子を脱ごうともせず、そればかりか平然とタメ口を使いフランクに接する。

 

 本郷透視(ほんごうとうし)。CMやMV、短編映画を中心に映像作家として活動しながら、脚本家として舞台も手掛けるなど幅広い分野で活躍している。

 態度や言動は生意気だがカメラマンとして、そして演出家としての実力は本物で手掛けた作品で数々の賞を獲るなど、三十路そこそこの若手ながら彼の腕は業界内外から重宝されている。

 

 「言い方は悪いが、うちとしては良い“原石”が手に入ったよ」

 「それはおめっとさん。しかしあんな才能、探しても巡り会えるか分からねぇ」

 

 

 

 

 もしも幼馴染のカットを正面から撮っていたら、主人公は完全に喰われていた。いや、後ろ姿だけでもギリギリだった。

 本音を言うと幼馴染の彼をもっと前に出した演出もアリだと思っているが、そんな“大それた演出”はスポンサーが許してくれない。

 このCMの主人公はたった1人。助演が主演を完全に喰い尽くすということは、作品としての在るべき姿(コンセプト)が破綻することを意味する。

 

 “大手の連中は“注文”が多くて嫌いなんだよな”

 

 それでも多くの制約の中でいかにスポンサーの意向に沿いつつ、誰もが納得するようなより良い作品を作れるのか。これもまた、映像作家の腕の見せ所だ。

 だが今日は、思わぬ収穫があった。

 

 「偶には悪くねぇだろ?“こういう”仕事も」

 「確かに。少なくとも今回に限れば悪くないな」

 「そうか。それは良かったな」

 

 俺には夢がある。いつか必ず、俺自身の力で大作映画(デカいやつ)を一本撮るという夢。その記念すべき一作目には、夕野(こいつ)のような役者(ホンモノ)“2人”を主演に添えて。

 

 「だから感謝するぜ。“おやっさん”」

 

 

 

 急ごしらえで海堂と上地が連れてきた“素人”の芝居に驚きを隠せずにいた本郷は、小型モニターに映る憬の姿を驚愕と期待と興奮が入れ交じった感情で眺めていた。

 




いや~清々しいくらいのオマージュ回ですね。“カイ”だけに・・・・・・

すみませんでした。

最近は、創作を続ける難しさというものを日々痛感しています。それでも週一ノルマ的なものを自分の中で作っておかないと、やる気すら湧かないんですよね。

こんなこと書いてる暇あるなら次話を考えろって話ですが・・・

大丈夫、遅筆さんには必須のアイテム“数話分のストック(仮)”があります。まぁ、貯金は少しずつ減っていますけどね・・・



ていうか劇中劇考えんのマジでムズすぎる


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scene.9 突然

 驚異の新人、彗星の如く現る。


 「なぁ夕野、幽体離脱って知ってるか?」

 

 放課後、帰り支度をする俺に前の席に座る有島がどこか自慢げなテンションで話しかけてきた。

 

 「知ってるよ。自分の魂が勝手に肉体の外に出るみたいなやつだろ」

 「そう。それでさ、この間の金曜にマジで幽体離脱したんだよ俺」

 「・・・マジ?」

 

 幽体離脱なんてそう易々と出来るものではないのでにわかには信じ難いと思いつつ、俺は有島に話の波長を合わせる。

 

 「『須賀(すが)マサヨシ 愛のリクエスト』を聴きながら漫画読んでたらそのまま寝落ちしちゃってさ。そしたらフッと身体が宙に浮く感覚がして、目が覚めたら机に突っ伏して寝てる俺がいんだよ」

 「・・・ほう、それで?」

 「それでふと寝てる俺に触れようとしても触れらんねぇんだよ。んでもって周りを見渡そうとしたら急に下に吸い込まれて、“あ、死んだわ”って思った瞬間目が覚めたわ」

 「いや紛らわしいけど普通に夢だよねそれ」

 

 ちなみに今こうして俺に絡んでいるのは有島龍太(ありしまりゅうた)というクラスメイトで、クラスでは基本的にこいつと話していることが多い。

 

 「それでさ、これもう一回寝ればまた幽体離脱できんじゃね?って思ってまた寝たわけよ。そしたらさ・・・・・」

 「・・・何?」

 「・・・普通に爆睡したわ」

 「だと思った」

 

 中学に上がると小学生の時より周りの奴らと連むことが多くなり、気が付けばこんな俺にもクラス内で何人かの友人が出来ていた。そのうちの1人が音楽と映画と漫画に詳しい有島というわけだ。

 

 「なんだよつれねぇなお前は。そういう夕野は幽体離脱したことあんのか?」

 「幽体離脱は流石に無理だけど“俯瞰”ならできるぞ」

 「何だよ“フカン”って?」

 

 俯瞰。個人差はあるが人間は皆、この“俯瞰”という第三の眼を持って生きているらしい。『自分がどう見られているか』とか、『服が似合っているか』など、人は無意識のうちに自分を俯瞰して周りの視線を気にしているという。

 

 「取りあえず有島、まず目を瞑って見ろ」

 

 有島は「えぇ・・・」と半ばウザがりつつも目を瞑る。有島(こいつ)のようなタイプの人間には、言葉よりも行動で覚えさせた方が手っ取り早い。

 

「目の前に何が視える?」

「何って、真っ暗で何も視えねぇよ目ぇ瞑ってんだから」

「当たり前だ。目が開いていると想像して答えてみろ」

 

 

 

 数日前___

 

 「やっぱりまだ映りが悪いな」

 

 カメラに映るイメージと違う自分の姿に、俺は相変わらず戸惑う。

 

 俺はこの日、教育係として海堂が連れて来た元劇団員という異色の経歴に茶髪パーマと律義な口調のギャップがトレードマークのマネージャーである菅生(すごう)と共に、事務所の一室を借りて“養成プログラム”の一環である“俯瞰”を身に付けるトレーニングをやっていた。

 

 「迫真の芝居が出来るということは素晴らしいことです。でもそれ以上に大切なことは自分の力を出しつつ、監督から自分に求められている芝居を常に頭の中で考え、逸脱しないように自身を俯瞰(コントロール)できるか。俯瞰するということは“自分の芝居”をする上でまず重要なことです」

 

 迫真の芝居というものは観る者の心を惹きつけるのと同時に、それが行き過ぎてしまうと周りから浮いてしまい物語としてのパワーバランスが崩れてしまうリスクもある。

 

 「芝居をする中で自分がどう見られているか、カメラにはどう映っているか、表情や仕草は間違っていないか。どんなに他を圧倒する芝居をしたとしても、圧倒し過ぎて世界観を壊してしまっては元も子もありません」

 

 故にこの世界では実力もそうだが、どれだけ監督や演出家、果てはスポンサーから求められる芝居に適応できるかといった“器用さ”も試される。

 

 良くも悪くも、これがメディアを主戦場とする“大手芸能事務所”と己の芝居を貪欲に追い求める“劇団”の違いである。

 

 

 

 「想像も何も真っ暗で何も見えないことに変わりはねぇぞ」

 「だから想像しろっつんだよ」

 

 幾ら想像しろと言っても有島という奴は目の前が真っ暗の一点張りだ。確かに目を瞑っているから真っ暗なのは正しいことだが。

 やはり行動ではなくちゃんと分かりやすく説明するべきだと俺は思った。

 

 「・・・例えば周りからどう思われてるかとか、今日の服装は似合ってるか、寝癖が付いてないかとかさ。自分が今どう見られているかって思ったことはあるだろ?」

 「あぁごめん。俺そういうの考えたことすらないわ」

 「いや流石に一回はあるだろお前でも」

 「いやないわ。マジで。これだけは断言する」

 「自信満々に言うことじゃねぇぞそれ」

 「そんなことはねぇよ。何も着飾らず何も演じずありのままの自分をさらけ出して、そんな自分を受け入れてくれる友達(ダチ)と出会う・・・最高じゃねぇか。夕野、人っていうのはよ、フカンなんてしなくても生きていけるんだぜ」

 「・・・確かに有島にとっては俯瞰なんて必要ないものかもしれないな。下校時刻になっても寝癖を直そうともしない奴に振った俺も馬鹿だったよ」

 

 少年漫画の主人公を彷彿とさせるイカした決め台詞のような持論を展開しても、シワだらけの制服とウニのように尖りきった寝癖のせいで説得力はまるで皆無だ。

 

 そんな有島を一言で表現すると、“天才と馬鹿は紙一重を地で行くような奴”というところだろうか。

 

 「話変わるけどさ、環って最近すげぇ活躍してるよな」

 「あぁ・・・何てったって月9のレギュラーキャストの1人に選ばれたんだからな」

 

 “環が月9のレギュラーキャストの1人に抜擢された”

 

 当然この情報が正式に解禁されるや否や、学校中が環の話題で埋め尽くされた。同じクラスの生徒があの月9に“毎週”出演するということで、中でも俺と環のいる2組ではお祭り騒ぎのような事態になった。

 CM撮影の帰り道でこのドラマのプロデューサーでもある上地から教えられた情報だと、環が今月から放送されている月9ドラマでレギュラーの1人に抜擢された理由は、このドラマの脚本と演出を手掛けている月島という男の意向らしい。

 

 「毎週観てるけど普段の環とはまるで別人でさ」

 「そりゃあ“別人”を演じてるわけだから当然だろ」

 「さすが“女優”は違うよなぁ。もうすっかり“芸能人”じゃん」

 「そうだな」

 「でもさ、何か寂しくないか?同じクラスで仲の良かった奴が有名人になっていくのってよ」

 「そうか?俺は素直にあいつのことを応援してるけど?」

 「いや俺だって応援はしてるし女優として活躍して欲しいさ。でも、環が有名になればなるほど、俺たちから遠ざかっていくっていうかさ」

 「・・・確かにそれは言えるな」

 

 今日も環はドラマの撮影で学校を休んでいる。撮影が始まってからはスケジュールの関係からか授業を早退したり欠席する日も増えていき、ここ1ヶ月以上は環とロクに話していない。

 そして来週から夏休みが始まるが、それまでに顔を出せるのはせいぜい1日あるかどうかぐらいだろう。

 一方で肝心のドラマは初回で視聴率16.4%と月9にしてはまずまずのスタートを切るが、それからは回を重ねるごとに少しずつであるが視聴率は上がっている。

 ついこの間まで一緒に下校していたようなクラスメイトが、月9に毎週出ているという非現実のような現実。

 

 物理的にも、心理的にも、環の存在はクラスの連中から徐々に遠ざかり始めている。

 

 これは余談だが、俺が来月にOAが予定されているCMに出演することは、環はともかくこの時点では目の前にいる有島も含めまだ誰も知らない。

 

 「だからせめて俺たちだけでもさ、変にドラマのことを祝わずに普段通りに映画の話でもしようぜ。有名人と一般人じゃなく、同じクラスのダチとして」

 「言われなくてもそうするよ。あいつがどんなに有名人になろうと、俺たちにとっては2組の環蓮だからな」

 「あぁ、当たり前だ」

 

 それでも、どんなに距離が離れようと、環が親友であるという事実は何一つ変わることはない。

 

 “俺が役者になろうとも”

 

 「有島ってさ、割と良いこと言うよね」

 「そうか?」

 

 気が付くと教室の中にいたのは憬と有島の2人だけになっていた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 あれからあっという間に1週間が過ぎ、学校は終業式当日を迎えた。毎日のように課されていた宿題や日誌から解放されたクラスの間では案の定、夏休みムードが漂っていた。

 

 「あー海行きてぇなー」

 「今週だけで5回目だぞその台詞を聞いたの」

 「つーか藤沢とか茅ヶ崎にいる奴ってマジで羨ましいよな。目と鼻の先が湘南だし」

 「藤沢と茅ヶ崎に住んでる人全員がそうじゃないと思うぞ」

 

 無論、前の席に座っている有島(こいつ)も例外ではない。

 

 「ところで夕野はどうするよ?この夏休み」

 「俺か・・・さぁ、今のところ何も考えてねぇわ」

 

 何も考えていないと言うと、それは嘘になる。

 

 

 

 “『夕野、念のためここから1ヶ月は予定を空けておいてくれないか?』”

 

先日に海堂から『詳しくはまだ言えないが割と大きな仕事が入るかもしれない』という連絡を貰ったが、まだ確定した訳ではないらしく詳しい話は聞かせてもらえなかった。

 

 

 

 「あ~湘南あたりで暮らしたいな割とマジで」

 「勝手に行ってろ」

 

 こんな感じで他愛のない馬鹿げた話をしているうちに、担任の浅井(あさい)が教室に入るのを合図にするかのように終業式の後に控えるHR(ホームルーム)を告げるチャイムが鳴る。

 

 「結局来なかったな、終業式」

 「・・・あぁ」

 

 あれから1週間、環はとうとう一度も学校に姿を見せることなく、1学期は終わった。

 

 「もしかして女優としてこのまま売れちゃったらもう二度と会えねぇのかな、俺たち」

 

 独り言のように有島が憬に呟く。環が今いる世界というのは、実は周りの奴らが生きている世界とは全く別の世界なのではないかとふと思うことがある。

 

 「芸能界なんてそんなもんだろ。ここにいるみんなとは生きている世界が違いすぎる」

 「・・・意外とドライなんだなお前って」

 「違げぇよ。本当のことを言ってるだけだ」

 

 契約上だと俺は既に事務所に所属している俳優であるが、CMの仕事が終わってからの1ヶ月は養成プログラムという名のレッスンばかりで、今のところ環と同じ芸能界(せかい)を生きているという実感はない。

 

 「突然の報告になってしまったが、今日はみんなに1つだけ残念なお知らせをしなければならない」

 

 そんな終業式の余韻と次はいつ会えるかという期待は、浅井が苦渋の表情で生徒に向けて放ったある言葉によって音を立てて崩れていった。

 

 「今日をもって環さんは大倉中学校を離れ、東京都内の中学校に転校することになった」

 

 浅井曰く、転校する理由としては環が女優としての活動により専念できる環境に移る為だという。本来であれば環は終業式に参加して自分の口で転校することをクラスの全員に伝える予定だったが、撮影スケジュールの変更により学校に来れなくなってしまいこのような形での報告になってしまった。

 

 一連の経緯を説明した後、浅井は前日に環の母親から預かったという環が2組に宛てたメッセージをここにいない本人に代わって代読したが、その内容は頭に一切入ってこなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 HRを終えて帰りの挨拶を済ませた瞬間、憬は周囲に目もくれず環の家へと全力疾走で向かっていた。

 

 “やはり、無理やりにでもタイミングを作って話を聞くべきだった”

 

 妙に周りを避けるような“らしくない”態度をとっていた環のことを、俺は“仕事が大変だろう”と気遣い、こっちからは何の行動(アクション)も起こさずにいた。ドラマの撮影が全部終わってまた学校に来るようになったら、聞きたいことを全部聞こうと思っていた。

 

 そんな考え自体が浅はかだった。

 

 “そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・”

 

 あの時と同じだ。あの時も俺は環に対して下手に気を遣い、返って(あいつ)を苦しめてしまった。結局俺は・・・

 

 「あぁクソっ!」

 

 自分に対する怒りが、叫びとなって溢れ出す。

 ついさっきまで晴れていたはずの空は、憬の気持ちをそのまま表していくかのように次第に曇っていく。

 

 “もう二度と会えねぇのかな、俺たち”

 

 何気なく言ったであろう有島の言葉が、こんな形で現実になってしまうとは思ってもみなかった。

 転校したとしても9月いっぱいまでは少なくとも環の姿は毎週テレビで観れるし、転校先も東京都内だからその気になれば会うことは可能だ。

 

 でもこんな別れ方は俺もそうだが、何より環にしてみればあまりにも辛すぎる。どんなにこれから女優として華々しい活躍をしたとしても、失った時間というものは二度と取り戻すことはできないのだから。

 

 “芸能人(スター)になんてなるんじゃなかったよ”

 

 渋谷に環と映画を観に行ったあの日にチンピラから俺たちを助けてくれた天知が言っていた一言と、己の実力不足に悩んでいた環。煌びやかな芸能界の裏にある有名人にしか分からない苦しみや葛藤、そして有名になるということが必ずしも幸せになるとは限らないということを垣間見た気がした。

 

 先生もいなければ、生徒もいない。大人も子供も対等に扱われる世界で環は今日も他人として架空(フィクション)の世界を生きている。

 

 “とんでもない世界に入っちまったな、俺も”

 

 そんな世界に、俺は少し遅れて足を踏み入れた。いつしか俺も環のように、有島たちや周りを取り囲む“普通の世界”と少しずつ離されていくのだろうか。

 

 “・・・芝居で勝ってみせろ”

 

 いや、きっと環は最初からそういう覚悟を持ってこの世界に飛び込んでいったことだろう。だとしたら俺は、その覚悟に全力で応えるまでだ。

 

 ライバルとして。親友として。

 

 気が付くと環の住む家まで歩いて数分ほどのところにまで来ていた。2車線の通りを抜け2つ目の十字路を右へ曲がってすぐのところに、環の住む家がある。

 点滅する信号にせかされるように勢い任せに横断歩道を走り抜ける。ギリギリ間に合ったことで一瞬だけ気が抜けたのか、憬は目の前にあった数センチの段差に気付かず、足をすくわれ勢いそのままに派手に転ぶ。

 

 「ぐっ・・・!」

 

 咄嗟に受け身を取ろうとしたが、アスファルトで思い切り膝を擦りむいてしまい焼けるような痛みが一瞬だけ襲う。制服のズボンには穴が空き、膝小僧の辺りには血が滲んでいるが、そんなことは今はどうでもいい。

 

 痛む足をもろともせず再び立ち上がって憬は目的地へと走り出す。

 

 “とにかく環と会って話さなければ”、その一心だった。

 

 

 

 学校から走り出して10分と少しで環の家に着いた。家が視界に入った瞬間、それまで放出されていたアドレナリンが切れ出したのか膝小僧にジリジリとした痛みが走る。

 

 「・・・思ったより派手にやったな・・・」

 

 母親から文句を言われるのはともかく、海堂が今の俺の有様をみたら確実に“蹴り”を入れられることだろう。自らの身体が商売道具のようなこの仕事においては、掠り傷1つで“何億”もの金が飛ぶと教わったばかりだと言うのに。

 強いて言うなら見た目こそ派手だが顔には何ひとつ傷がつかなかったことが不幸中の幸いといったところか。

 

 痛む足を少しだけ庇いながら、憬は環家のインターホンを押す。

 

 『はい環です』

 

 インターホン越しに女性の声が聞こえてくる。環の母親の声だ。

 

 「蓮と同じ2組の夕野憬です」

 『えっ?憬くん?ちょっと待ってて』

 

 するとインターホンの音声がプツンと途切れ、それからほどなくして玄関の扉が開いた。

 

 「ごめんごめん、声が随分と大人っぽくなってたから一瞬誰だかわからなかった」

 「いえ、大丈夫です。すいません急に」

 「・・・ちょっと待ってどうしたのその傷?大丈夫?」

 

 最初はにこやかに話していた環の母親だったが、膝から血が滲んでいる憬の様子を見るなり彼女の顔が一気に凍り付いたかのような表情になる。

 

 「あぁ大した傷じゃないので気にしないでください」

 「これのどこが大した傷じゃないのよ。ほら、上がって。早く消毒とかしないと危ないから」

 「いや本当に大丈夫なんで」

 「大丈夫じゃないでしょ。とにかく上がって」

 

 こうして俺は『蓮はいつまで横浜(ここ)にいるのか』という用件だけを玄関先で聞くはずが、環の家に上がって母親から応急処置を受けることになった。

 




※前書きの一文は本編とは一切関係ございません。


今から丁度1ヶ月ほど前、夏休みの終わりにふと聴きたくなるあの曲を作業用BGMにして書き殴っていたのは、良い思い出です。

ある意味深夜テンションみたいなテンションで書いてました。気持ち悪いですね。

しかし転校というイベントは何でこんなにも切ないのでしょうか。僕にはわかりません。

でもそうやって切ないと感じる人はきっと、その分だけ充実した思い出を過ごしてきたことでしょう。

あまり切なさを感じないような人だって、切なさが吹き飛ぶくらい充実した思い出を過ごしてきたことでしょう。


収集がつかなくなってきたので今日はこれで失礼します。


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scene.10 親と子

 「上地から話は全て聞かせてもらったわ。これは一体どういうつもり?章人」

 

 芸能事務所・スターズの社長室。ここでは代表取締役の星アリサと脚本家の月島章人が1対1になって話し合いをしている。

 

 「どういうつもりも何も、そのままの意味だよ」

 

 だが2人の間には、とても穏便な話し合いとは言い難いほど重苦しい空気が流れている。

 

 「上地と共に夕野憬(あの子)をこの芸能界(世界)に引き込んだ挙句、雅臣(主演)の少年時代の役に無理矢理キャスティングさせるなんて。あなたとの“契約”があるとはいえ、身勝手にも程があるわ」

 

 アリサは冷静さを保ちながら淡々と月島を諭すように話を進めているが、内側で怒りが渦巻いているのは明らかだ。

 

 「私が何のためにあの子を遠ざけたか、あなたは分かっているはずでしょう?」

 「・・・彼の“幸せ”のため、だったか」

 

 そう切り出すと月島は一呼吸おいて、静かにアリサの尋問に答える。

 

 「果たしてその選択が、夕野君にとって本当の幸せになるのか・・・僕には分からないね」

 

 自分の中にある“幸せ”と月島の考えている“幸せ”の本質は、当然ながら全く異なったものであることは、アリサはとっくに気付いている。

 

 「何を迷う必要があるのかしら?少なくともあの子の芝居は遅かれ早かれ身を滅ぼす。私は何も間違ったことはしていないわ。全てはあの子の人生を“不幸”にさせないためよ」

 「そうやって他人の幸せを自分で決めつけてしまうのはただの傲慢だよ。アリサ」

 「私のやり方が傲慢?・・・フッ、笑わせないでくれる?」

 

 月島から自分の行いを傲慢の一言で片づけられると、アリサは呆れ返ったような笑みを浮かべる。

 

 「演出家は誰も彼も役者の人生なんて何一つ考えようともしない。そうやってこれまでに何人もの人生を壊してきた“あなた達”の方がよっぽど“傲慢”なように、私には見えるけど?」

 

 嫌悪感を隠そうともしないその言葉を跳ね返すかのように、月島も語気を強める。

 

 「“役者として舞台の上で死ねたら本望”と言っていた君が・・・そんなことを言うようになるとはな」

 

 すると月島を凝視するエメラルドグリーンの瞳が、一瞬だけ怒りで揺らぐ。

 

 「・・・私が先生の舞台で何を“失った”のか・・・あなたにだけは忘れたなんて言わせないわよ」

 「・・・誰が忘れるかよ」

 

 

 

 今から1年半前、“演劇界の重鎮”と呼ばれる演出家が手掛けたある舞台が上演され、日本中はおろか海外からも注目されていたというその舞台で主演を務めた彼女はついに役者としての極地に達し、名実ともに世界を代表する演技派女優になっていたはずだった。

 

 誰よりも作品を愛し誰よりも作品に愛されたその才能は、数多の演出家を惚れさせ、彼女もまたそんな演出家たちの愛に答えてみせた。自分を愛してくれる演出家や作品に囲まれながら死ぬことが、役者冥利に尽きることだと信じて疑わなかった。

 

 そんな彼女は舞台の幕が降りると同時に、“女優・星アリサ”という人生に自らの手で終止符(ピリオド)を打った。1人の女性が背負うにはあまりにも大きすぎる“犠牲”を払って。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ちょうど同じ頃、憬は環の家に上がり環の母親から応急処置を受けていた。

 

 「ったー・・・」

 

 傷口に消毒液が付いた瞬間、電流が流れるかのような痛みが一瞬だけ膝を通じて全身に走り、思わず声が出た。

 

 「よしっ、これでひとまずってところだね」

 「・・・ありがとうございます」

 

 冷静になって振り返れば振り返るほど、本当に自分が情けなく感じてくる。俺はただ、環に会いたかっただけなのに。

 

 「なんか・・・すいませんでした。色々と迷惑かけて」

 

 ふと思い出したが、環の母親とこうしてまともに会話をするのは初めてだった。今までにも何回か会ってはいたが、軽く挨拶をしたぐらいだった。

 

 「いいよ礼なんかしなくても。怪我した人が目の前にいたら助けるのは当然のことでしょ」

 

 それから俺は環の母親からちょっとしたお茶をご馳走になり、環の話で少しばかり盛り上がった。

 

 

 

 静岡で生まれ育ったという環は物心がついた頃から今のように明るく、気がつけばクラスや集団の中心にいるような子だった。

 そして父親の仕事の都合で2年前に、この横浜に引っ越してきた。

 

 「今は全然泣かないけど蓮って小さい頃は凄い泣き虫だったんだよ」

 「へぇーなんか意外ですね」

 「そうでしょ。たかがじゃんけんに負けたぐらいで泣いちゃったりしてさ。あぁ、よく考えたら泣き虫というより負けず嫌いか、極端な」

 

 負けず嫌い。確かにそれは今の環でも当てはまる。普段の振る舞いは楽観的だが、プライドは誰よりも高い。

 軽い気持ちでスカウトキャラバンを受けてとんとん拍子でグランプリを獲ったと言っていたが、その根底には元来の負けず嫌いな性格があったからに違いない。

 そんな負けず嫌いの“小さなプライド”は、芸能界という異端な地で無数のライバルたちに揉まれながらも確たる自我(モノ)に変わりつつある。

 

 だがそれよりも個人的に気になることが1つあった。

 

 「えっ?蓮ってじゃんけんに負けたことがあるんですか?」

 「寧ろじゃんけんは滅茶苦茶弱かったよ。習い事やかけっことかは常に1番だったけどじゃんけんだけは本当に弱くてさ」

 「・・・全然イメージできねぇ」

 

 じゃんけんでは全戦全勝を誇っている(あいつ)が負け続けていたことは、とても想像がつかない。

 

 「蓮が年長だった時、組対抗のドッジボール大会で1対1のまま決着つかずにじゃんけんで勝敗を決めることになって、案の定負けちゃってさ。それで家に帰ったら早々に『あたしのせいでだりあ組が勝てなかった・・・あたしのせいで』って言いながら大泣きしてたよ」

 「・・・なんか、“負けちゃった”じゃなくて“勝てなかった”っていうところがらしいですよね」

 「そうね」

 

 心の中で呟くつもりが、思い切り声になって口から溢れ出してしまった。

 

 「すいません!俺が今言ったことは忘れてください」

 「いいよいいよ全然気にしなくて!私だってそう思ってるからさ」

 

 元から環と彼女はよく似ていると思っていたが、実際にこうして話してみると話し方や仕草もどことなく似ていることに気付く。

 親子だから多少なりとも似るのは当たり前とは言え、少しでも油断しているとまるで大人になった環とそのまま会話をしているかのような錯覚に陥る不思議な感覚。

 

 「しかもあの後に同じ組の男の子から負けたことで色々言われたらしいんだけどそれでも“負けた自分が悪い”って責任感から誰も責めなかったんだよあの子」

 「何もそこまで責任を負わなくていいのに・・・」

 

 ここまで来ると園児の皮を被った大人のようにすら思えてくる。一方で周りに全く興味を示さず、自分の世界という殻に閉じこもっていたどっかの誰かとは大違いだ。

 

 「小さい時から蓮って何でも1番じゃないと気が済まない性格だからさ。本当はもう少し気を抜いて欲しいけど、あの子の性格を考えると極端な負けず嫌いは直せない。そこで勝負ごとにもっと強くなるおまじないをしたわけ」

 「おまじない、ですか?」

 「そしたら今まで勝てなかったのが嘘みたいにじゃんけんで勝てるようになったんだよ」

 「あの・・・それって一体」

 「ごめんね憬くん。ここから先は秘密ってことで」

 

 憬の疑問に無理矢理被せるように環の母親である千晶(ちあき)はじゃんけんの話題を半ば強引に終わらせた。

 

 「取りあえず、その“おまじない”のおかげで蓮はじゃんけんが強くなったってことですね?」

 「そうね。まぁ教えられるのはそれぐらいかな」

 

 核心には迫ることは出来なかったが、環があれだけじゃんけんに強いことに纏わるルーツには触れることが出来た。

 

「・・・そうだ・・・」

 

 俺は危うく一番聞きたかったことを忘れて帰ってしまうところだった。その答えを聞かなかったら俺は何のために全力で走り、何のために膝を擦りむいたかが分からなくなる。

 

 「蓮はいつまでこっちにいるんですか?」

 「・・・・・・」

 

 すると今まで和やかだったリビングの空気が、一瞬で何とも言えない気まずさに包まれる。

 

 「実はね・・・もう蓮はこの家を出て行ったんだよ」

 「えっ・・・」

 

 環は既に2週間ほど前から事務所が用意したマンションの一室で年齢の近い同じ事務所の女優仲間と2人暮らしで生活をしているという。

 

 「本当は今日だけ学校に出て自分の口から話をするはずだったんだけどスケジュールが変わっちゃったみたいで。なんかごめんね。こんな形になって」

 「いや、仕方ないと思いますよ。ドラマに毎週出るとなると学校なんて行く暇もないくらい忙しいだろうし」

 

 いたたまれなくなった憬は、自分の血で朱殷(しゅあん)に染まった制服のズボンを眺める。

 

 “俺は一体何をやっているのだろう”

 

 こんな怪我をしてまで環のところに来てみれば、肝心の本人はもうここにはいない。どうやら聞きたかったことを聞くまでもなく、ただ無駄に自分の身体に傷をつけただけで終わるのは決定事項だったようだ。

 

 これほどまでに自分自身が無様に思えて仕方がないと感じたのは、生まれて初めてだ。

 

 「でも、憬くんをみてると蓮は本当に良い友達に出会えたって思うよ」

 「いや、俺なんて全然ですよ。いつも蓮に助けてもらってばかりで」

 

 思い返すと人生の分岐点(ターニングポイント)となった場面には必ずと言っていいほど環の姿があって、あいつの言葉や存在がきっかけとなって俺はそこから前へ進むことが出来た。

 

 結局、環がいなければ俺は何も出来ずにいた。

 

 「こっちの学校に転校した最初の日、凄い嬉しそうな顔して家に帰って来てさ。それで聞いてみたら『友達が出来た』って言って憬くんの話をしたわけ」

 

 前の小学校では友達というよりはクラスのリーダーやマドンナのような特別扱いを受けていてうんざりしていた。だから俺がリーダーとかマドンナみたいに特別視せず、本当にただの友達の1人として接してくれたことに、心の底から嬉しがっていたらしい。

 

 「何より、憬くんに会えなかったらきっと蓮は女優になってないだろうし。本当に感謝してもしきれないくらいだよ憬くんには」

 「そうですか・・・でも、そのせいで蓮と千晶さんは」

 

 もし俺があの時、環をスカウトキャラバンを勧めなかったら、仲睦まじい親子がこんなに早く離れ離れになることはなかっただろう。

 

 「もしかして私が寂しい思いをしてるって思ってる?」

 「いや、それは」

 

 そんな憬の心情を察した千晶は、優しく穏やかな口調で憬に言葉を投げかける。

 

 「子供が自分の信じた道を進むのなら、親は子を信じて温かく見守ることは当然のことでしょ。距離が離れていても、テレビや映画に出ればそこで会えるし、ドラマや映画の中で死んじゃっても、別にあの子が死ぬわけじゃないからさ。蓮が同じ世界で生きている・・・それだけで私は十分に幸せだよ。だから、寂しくなんか全くない」

 

 そう言って千晶は憬に向かって微笑んでみせる。

 

 「でもそれ以上に、他人のことをここまで思いやれる人に出会えた蓮はもっと幸せ者だよね」

 「あ、はぁ・・・」

 

 物凄く良いことを言われたような気がするが、人から褒められるという経験が周りより乏しかった俺は僅差で羞恥心が勝って、曖昧な返事になる。

 そんな俺の姿を千晶は微笑ましい様子でただ見つめている。本当に、まるで()がそのまま大人(母親)になったみたいに。

 

 

 

 父親がいて、母親がいて、祖父母がいて、兄弟姉妹に囲まれた家族もいる。そういう家族が恵まれていると言われれば、そうなのかもしれない。だが俺の知っている夕野家の家族は、俺と母親の2人だけだ。

 

 『憬くんってさ、お父さんいないの?』

 

 小3の授業参観終わりに、同じクラスの女子から言われた一言。父親の姿は記憶に存在せず、祖父母とも色々と事情があるらしく今まで一度も会ったことがない。

 

 『へぇ~、なんか可哀想だね』

 

 そのことを打ち明けたら、その女子は俺のことを可哀想だと言った。でも、俺にとってはそんな日常が当たり前だったから、全く寂しさは感じなかった。

 だけど、当たり前だと思っていた日常が周りから“可哀想”だと思われていたことが、少しだけショックだった。

 

 『俺さ、父親がいないんだよね』

 『そうなんだ』

 

 環が転校してきてすぐの頃、俺は環に父親がいないと言うことを打ち明けたことがあった。

 

 『寂しくないの?』

 『別に寂しいと思ったことはないよ。俺にとってはそれがいつものことだし。周りから可哀想だって言われたこともあるけど、寧ろ今のままの方が俺はいいと思ってる』

 『・・・そっか』

 

 環は肯定も否定もせず、ただ俺の話を黙って頷きながら聞いてくれた。なんかそれが、全てを受け止めてくれた気がして凄く嬉しかったことを覚えている。

 どんな形であれ自分を支え、応援してくれる家族が1人でもいれば、それで十分だと言う思いは今も変わらない。

 

 

 

 「じゃあ、そろそろ失礼します」

 「あら、もう帰るの」

 

  気が付くと俺は、千晶とかれこれ1時間以上も会話をしていた。

 

 「あんまり長居するのもあれなので」

 「えー私は全然いいのに・・・そうだ、せっかくだから帰る前に手紙でも書いておく?私が送っておいてあげるからさ」

 「え、良いんですか?」

 「もちろん。きっと蓮はびっくりするだろうな」

 

 さよならの一言も言わず、2年2組から去っていった。環とは撮影の関係で欠席や早退を繰り返すようになってからとうとう今日までまともに話をすることはなかった。

 

 だからある意味これは、あの日の答えを聞く絶好のチャンスなのかもしれない。

 

 “でも、本当にこれでいいのだろうか”

 

 でも今から一方的に俺が言葉を送ったところで、それが何になるというのだろうか。そもそも、手紙を通じて俺は何を伝えればいいのだろうか。全く分からない。

 

 「あのー」

 

 “やっぱり、環が目の前にいないと意味がない”

 

 「いいです」

 「・・・あぁそう。まぁ、そうだよね。いきなり手紙書く?って言われても何を書いたらいいかわからないだろうし」

 「そういうことじゃなくて」

 

 今度は憬が千晶の言葉に被せるように言葉を紡ぐ。

 

 「何というか。本当に言いたいことっていうのは直接会って話しておきたいなってことです」

 「・・・でも蓮はもう芸能人だよ。今はドラマで忙しいし、もしかしたらこれがきっかけで大ブレイクなんてしちゃったら、当分会えないよ?」

 

 まさか目の前にいる一人娘の親友が娘と同じ“世界”で働いているとは知らず、千晶は最もな反応をする。一般人と芸能人は、生きている世界がまるで違うからだ。

 

 でも会いたいと言う純粋な気持ちは、芸能人だろうが一般人だろうが関係ない。

 

 「大丈夫ですよ。俺たちは“親友”なので」

 

 環と同じ仕事をしているということはまだ黙っておきたかった憬は、自分でもよく分からない“謎理論”で押し通す。

 

 「親友だからいつでも会えるか・・・うん、いいね」

 

 やがて何とも言えない空気に耐えかねて、憬は千晶と共に笑い合った。まるで親友()と2人でいる時のように。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・こんな話をするつもりで呼び出したんじゃなかったのに」

 

 アリサは深く溜息をついて、右手をこめかみに当てうなだれるような仕草をする。

 

 「あぁ全くだ。僕もそんな話を聞くためにここに来たわけじゃない・・・」

 

 “役者として舞台の上で死ねたら本望”

 

 思い出したくもない過去(トラウマ)をほじくり返されたアリサは、スターズの社長という仮面を演じる余裕もなくなっていた。

 彼女があの舞台で負った傷は、1年以上が経った今でもはっきりと心の中にへばりついて離れないでいる。

 

 そんな彼女を、月島は先ほどとは一変して気遣うような素振りを見せる。

 

 「方法は違えど、これからこの世界に身を投じる“子供たちの幸せ”を守りたいという思いは僕も同じだ・・・だから夕野君のことは心配するな。海堂(あの人)ならきっと彼を正しい方向へと導いてくれる」

 「・・・そういう問題じゃないでしょ」

 

 

 

 “『僕は君の思っているような人間じゃないぞ。それでもいいのか?』”

 

 今思えば月島(この男)を受け入れてしまったことは大きな間違いだった。

 だが、もしこの男と出会っていなければ、私は自らの命すら終わらせていたのかもしれなかったということは代え難い事実だ。

 

 「何で私はあなたなんかと・・・」

 

 力なくアリサは月島に聞こえるか聞こえないかぐらいのか細い声で呟く。

 

 「だったら“契約解消”するか?アリサがそれで幸せになれるのなら僕は構わないよ」

 

 もしも“あの時”、私の心に少しでも余裕があったなら、こんな愚かな選択は絶対にしなかったのだろうか。

 

 だが、今更気付いたところで手遅れだ。

 

 「・・・もう遅いわよ」

 

 そう言うとアリサは一度だけ深呼吸をすると、意を決したような表情を浮かべて月島にある事実を伝えた。

 

 

 

 「・・・そうか」

 

 アリサから告げられた事実に、月島は何とも言えない表情で力なく答えた。

 




先日、本業の方でしょーもなさすぎるミスを犯しまして、この週末はやや気分がブルーです。

まぁ、本当に傍から見れば些細なミスの1つなので次から気を付ければ全然許せるレベルではあると思うのですが・・・こういうのは結構メンタルに来るものです。

社会人になっても、相変わらず心はガラスのままですから。残念。

ということで今日(というか昨日)は執筆開始から初めて一文字も書かない一日を過ごし、おかげさまで少しだけリラックス出来ました。

誰に対してでもありませんが、ありがとうございます。

そんな自分が今欲しいものは、ミスをしても「こんな日もあるさ」と笑い飛ばせるような強い心。







それにしてもこの物語はどこに向かっているのだろう?

ついでに本編の補足ですが月島は脚本と演出の両方をやっていますが、本業はあくまで脚本家です。


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scene.11 鉢合わせ

※本編中に“SMS”という単語が登場しますが、ショートメッセージサービスとは一切関係ございませんのでご了承ください。


 「・・・憬・・・」

 

 私は目の前に立つ憬に向けて手を伸ばそうとする。すると憬は私に何か言葉をかけると後ろの方を向いてそのまま歩き出す。

 

 「・・・待って・・・」

 

 憬の後を追おうとしても、身体が一歩も動かない。やがて目の前の視界が次第にぼやけ始めると、遥か彼方の方から規則的なリズムの機械音が聞こえてくる。

 

 「・・・行かないで・・・」

 

 やがてそのリズムは次第に速くなり、音も次第に大きくなっていく。

 

 

 

 午前6時。環は手探りで目覚ましのアラームを止めて、眠気眼の身体を無理やり起こした。

 

 

 

 「おはよー。なんか随分とうなされてたっぽいけど何の夢見てたの?」

 

 起床から15分。朝シャンを早々に済ませて洗面台で髪を乾かす環に、同居人で同じ事務所に所属する女優の牧静流(まきしずる)が話しかける。

 

 「ついこの間までよく一緒にいた友達の夢を見てた」

 「ふーん。友達の夢ね」

 「ていうか私うなされてたの?」

 「うん。何か『待って』とか『行かないで』とか寝言言ってた」

 「ホントに?・・・怖っ」

 

 どんな夢を見ていたか思い出そうとしても内容が出てこない。唯一記憶に残っているのは、目の前に憬が立っていたことぐらい。

 静流の言っていることを推測するにこれは悪夢だったのだろうか。いや、少なくともそんな感じじゃなかった気がする。

 

 「真面目な蓮のことだから緊張で眠れなかったらどうしようかなって思ってたけど、ぐっすり眠れたようでなによりだよ」

 「私って案外、こういう時に限ってぐっすり眠れるタイプなんだよね」

 「そっか。なら安心だね」

 

 すると牧は、乾かした髪を整える環に後ろからそっと抱きつく。

 

 「ちょっと何やってんの静流?」

 「パワーを分けてんの。蓮が無事に本番を乗り切れるように」

 

 そう。今日から私にとって一番の見せ場となる第8話の撮影が始まる。“麻友”を最後まで演じ切るために、やれることはやってきた。

 

 後はもう、本番で全部出し切るだけだ。

 

 「ありがとう。静流のおかげで最後まで乗り切れそうだよ」

 「何言ってんの?これは全部あなた1人の力だよ」

 

 肩に顔を乗せて抱きつく同い年の先輩女優に鏡越しで目線を合わせながら感謝を伝える環に、牧は微笑みながら言葉(アドバイス)を返した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「主人公の少年時代の役としてお前がスカウトされたぞ」

 

 終業式の2日後、憬は海堂から社長室に呼び出された。突如として決定した初の“大仕事”は、まさかの環が出演している月9ドラマだった。

 しかもそれは、このドラマで脚本兼演出を務める月島からの直接のオファーだった。

 

 「普通にあるんですか?こういうことって」

 「ある訳ねぇだろこんなもん」

 

 憬からの質問を、海堂はつっけんどんな口調で否定する。

 

 「直前になって仕事が入るならまだしも、ただでさえスケジュールとの戦いを強いられる連続ドラマの制作で、まだCM1本しか実績のないド新人に与えられるような仕事は、本来であればエキストラが関の山だろう」

 

 オファーが来たのは、主人公の少年時代の役。出番は1話限りで数分程度らしいが、主人公を演じているのはあの“早乙女雅臣”であり、演じるのはそんな主人公の核心に迫る過去の出来事。

 海堂は続けて事務連絡のようにスケジュールの詳細を伝える。

 

 「ちなみに第10話の顔合わせは明後日に“成城(せいじょう)メディアスタジオ”で行われる。ちなみに台本もそこで配られるらしい。もちろんこれは、お前がこのオファーを受けた場合の話だがな」

 「・・・はぁ」

 「そしてこのドラマの過去パートで、主人公の相手役となる昔の幼馴染を演じるのは牧静流(まきしずる)だ。夕野なら(ヤツ)が誰なのかは説明しなくとも分かるよな?」

 

 

 牧静流(まきしずる)。2歳で芸能界入りして以降、子役離れした演技力を武器に “天才子役”として一躍脚光を浴び、2年前には初主演の映画で日本アカデミー賞新人俳優賞を12歳の若さで受賞するという快挙を成し遂げた。

 今年の4月にも人気少女漫画が原作の連ドラで主演(ヒロイン)を務め、12月には初出演にして初主演の舞台も控えるなど“子役”から“女優”へと成長した彼女の勢いは留まることを知らない。

 

 

 「もちろん知ってます。小4の時に観た学園ドラマで始めて牧静流を初めて知ってからは、牧静流の出演しているドラマは何度も観てました」

 

 4年ほど前、入江(いりえ)ミチル主演の小学校を舞台にした連ドラを偶々観ていたことが、牧を知ったきっかけだった。

 まだ10歳でありながら完全に“子役”ならではの“愛らしさ”が抜けた芝居で、いじめのリーダー格という役を見事なまでに演じ切る彼女の怪演に、鳥肌が立つほどの強烈な恐怖と衝撃を受けた。

 

 「しかも(アイツ)は夕野と同じくまだ14だ。お前はともかく、牧もこれから女優として更に化け続けるだろう」

 

 誕生日の関係で学年こそ牧の方が一つ上だが、俺と彼女は同い年だ。テレビで観ていた時から彼女の演技力の凄さは知っていたが、いざ同業者の身になると実に恐ろしく思えてくる。

 

 「なんか・・・一筋縄では行かないみたいですね」

 「流石のお前もこれを聞いたらビビるか」

 

 少なくとも“星アリサ以来の天才”とまで評されている彼女の演技力が、今いる若手トップ女優の中でも頭一つ抜きん出ていることは確かだ。

 

 「どうする夕野?今ならまだ断ることは出来るぞ。初っ端からこんなリスクをわざわざ背負う必要はない。養成プログラムを一通り受けた今のお前なら、先に繋がる仕事はこれ以外にもまだ幾らでも転がっているだろうからな」

 

 そんな役者の相手役をド新人にやらせることは演出にとっても、演者にとってもあまりにハイリスクな博打である。

 

 「・・・やります。折角の“チャンス”だから」

 「・・・本当に良いんだな?もう一度言うがこれは本来あり得ない話だ。恐らく現場の連中は全員お前のことを疑ってかかって来ることだろう。最悪、今回の仕事で“泣く”ことになる可能性だって十分にある」

 

 それでも転がり込んできたチャンスを引き受けるのは当然のことだ。この世界を這い上がるにはまずは片っ端からチャンスにしがみついていくこと。

 

 「それでもお前は“役者”になるという覚悟はあるか?」

 

 海堂は語気を強めて憬に対して執拗にどれほどの決意を持っているのかを確かめる。しかし憬は、

 

 「・・・“役者”になる覚悟は、もう出来てます」

 

 と真っ直ぐに海堂の目を見て堂々とした口調で返事を返した。

 

 「・・・そうか」

 

 すると海堂は憬の目線を吟味するようにゆっくりと立ち上がる。

 

 「お前はいよいよ“弱肉強食”の世界に足を踏み入れた。極端な話だが、役者の世界は喰うか喰われるかが全てだ。芝居のやり方なんて誰一人として教えてはくれない。最後に頼れるのは自分自身だけだ」

 

 静かな口調で語りかける海堂を、憬は真剣な眼差しで見つめる。

 

 「とにかく先ずは“相手”の芝居を“盗め”。そして“武器”にしろ」

 

 この世界は礼儀作法や発声、演技における基礎的な部分は学べられるだろうが、自分自身が1人の役者として成長するための方法は教えてくれず、正解と言えるやり方もない。

 現場に出てしまえば、最終的に頼れるのは自分だけ。どうしても周りにそびえ立つ高すぎる壁にぶち当たり、己の無力さを知ることもあるだろう。

 そこで自分には何が足りないのかを見つめ直し、やがて人は努力を通じて芝居の“盗み方”を知る。その積み重ねが、どこにでもいる1人の“人間”をたった1人の役者にする。

 

 “役者の技術(テクニック)は、役者から盗め”

 

 

 

 「夕野、ついでに言っておく」

 「何ですか?」

 「・・・“怪我”にはくれぐれも気を付けろ。芸能界ってのは掠り傷1つで何億もの金が飛ぶことだってあるとこの間も教えたはずだ。まさかもう忘れたか?」

 

 ハーフパンツから覗く傷跡を見て、海堂は語気を強めて“尋問”する。

 

 「すいませんでした。これからは本気(マジ)で気を付けます」

 

 ただでさえ強面なグラサン男のかける圧に、俺は頭を下げるしかなかった。

 そんな憬に海堂は、ほんの少しだけ表情を緩めて“忠告”する。

 

 「お前はもう事務所(ウチ)の“俳優”だ。これからは自分の行動に責任を持て」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 月曜ドラマ『HOME -ボクラのいえ-』。

 

 とある理由で中学時代に暴力事件を起こして補導され、それをきっかけにその後は非行の限りを尽くし少年院にも入所していた過去を持つ主人公・東間直樹(とうまなおき)は、都内の町工場で働いて何とか生計を立てる日々を送っていた。  

 しかしその町工場で上司とトラブルを起こしてクビになり、寮も追い出された直樹は路頭に迷う日々を強いられてしまうが、ひょんなことから少年院で世話になった“恩師”とばったり再会し、彼の伝手で阿佐ヶ谷にある邸宅を改装した児童養護施設『ピュア』で働くことになる。

 そこで暮らす様々な事情で家族と離れ離れになった少年少女たちとのふれあいを通じて“本当の家族”、そして“本当の仲間”とは何なのかを身寄りを失った少年少女(子供たち)と共に探し求めていくヒューマンドラマ。

 

 これまで恋愛モノを中心に取り扱ってきた月9としては異例のジャンルであり、放送開始時は“主演俳優”のネームバリューをもってしても見込んでいた程の視聴率を取れていなかったが、初回以降からはじわじわと右肩上がりに視聴率が上がり続け、第4話でついに20%超えを達成している。

 

 

 

 「適当な時間になったら寝なよ」

 「おう」

 

 憬は家に帰るや否や、毎週録画してVHSに録り止めていたこのドラマを改めて見直していた。明後日までに少しでも作品のことを理解するために。

 

 “卑屈でぶっきらぼうだけど本当は正義感の塊で誰よりも優しい心の持ち主”

 

 これが俺の感じた東間直樹のイメージ。ドラマ内では過去の出来事への罪悪感やトラウマから卑屈で周囲とも壁を作る面が目立っているが、『ピュア』に入所する子供達との触れ合いや、『ピュア』で働く職員で直樹と同じく誰にも言えない過去を抱える西野美優紀(にしのみゆき)の存在を通じて、次第にぶっきらぼうながらも周囲へ分け隔てなく接するようになっていく。

 現時点で4話までしか放送されていないため完璧とは言えないが、そんな直樹のキャラクター像を掴むには十分な話数だった。

 

 そして劇中で施設の所長から『君は威圧感を与えかねない』という理由で主人公が着させられている“独特すぎるTシャツ”ですら、主演の早乙女雅臣にかかればいい感じで様になっている。

 

 もちろんそんな主演の早乙女の演技は言うまでもなく、二面性かつ影のある主人公をいつもの器用さで見事に演じ切っている。

 憑依型のような爆発力はないが、ありとあらゆる役柄を華麗に演じ分ける早乙女の芝居には上手い下手では言い表せない説得力(何か)があり、どんな役でも安定して演じられるという技術(テクニック)は彼を唯一無二の“主演俳優(スター)”へと押し上げた。

 

 牧とはまた違った意味で、これから戦わなければいけない高すぎる壁。はっきり言って、こんな強者たちと同じドラマにこれから出るという実感はまだ湧いてこない。

 

 次に注目したのは牧が演じる回想シーンで登場する美沙子(みさこ)という中学時代までいた幼馴染。かつて直樹に幼馴染がいたということは1話から明かされていたが、回想として本人が登場するのは4話からである。

 元々は幼馴染としてとても仲が良かったが、中2の夏に起きた“ある事件”がきっかけで日常は一変してしまう。

 

 現時点では美沙子との過去は詳しくは明かされていないが、恐らく直樹のモノローグを観る限り悲劇的な結末を迎えたことだろう。

 憶測でしか美沙子の感情が現時点では読めないというのがもどかしいが、これに関しては致し方ない。10話の台本を読んだ上で改めて掘り下げるだけだ。

 

 だがこうやってドラマを見直すことによってある意味それ以上のことに気付かされた。

 

 “すげぇな・・・蓮”

 

 リアルタイムで観ていた時から芝居が上手くなったと思っていたが、こうして環が出ているということを意識せずに観てみると、よりそれが顕著に感じる。

 『1999』の時はなんとか周りについていけているぐらいだったのが、今ではこうして周りのキャストとも遜色なく渡り合えている。

 

 「・・・このドラマに相当かけているんだろうな。蓮は」

 

 ドラマの撮影が始まって以降、環とは今日までロクな会話が出来ていないままだ。そう思うと明後日が一気に気まずくなっていく。

 会ったら先ずは何を話そう。久しぶりとかありきたりな感じで行くか?ていうかそもそも話す暇なんてあるのか?

 そもそも役者を名乗れるような実績も経験もないこんな俺に、この役が果たして務まるのだろうか?

 

 考えれば考えるほど、理由のない不安が広がり始める。

 

 それでも引き受けた以上、俺は役者としてあの“場所”に立たなければならない。そうしなければ共演する牧や演出の月島、そして仕事を託してくれた海堂に対して失礼だ。

 

 これが今の俺に課せられた、責任。

 

“余計なことは考えるな。俺はもう役者だ”

 

 俺は自分に向けて鼓舞すると、再びブラウン管の方に意識を向けた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 都心から少し離れた住宅街の一角に鎮座するテレビスタジオ・成城(せいじょう)メディアスタジオ。通称、“SMS”。

 ここでは只今絶賛放送中の月9ドラマ、『HOME -ボクラのいえ-』の撮影が行われている。

 

 「本当に大丈夫ですか?会議室の前まで行かなくても?」

 「良いっすよ。それに中学生にもなって同伴されるって割と恥ずかしくないすか?」

 

 16時15分。マネージャーの菅生が運転する車が、顔合わせの開始時間45分前にSMSに着いた。

 顔合わせが夕方という時間帯になったのは、今まさに撮影スタジオで行われている第8話の撮影終わりに行う関係だという。

 

 ちなみにまだ新人である俺は、最寄り駅までは電車を使って現場に通っている。

 

 「(意外と年頃・・・?)気持ちは分からなくもないのですが、初めての顔合わせで緊張されていると思って」

 「大丈夫です。気持ちは高めて来たんで」

 「(高めすぎて空回りしなければいいが・・・)・・・そうですか」

 

 菅生は会議室の前まで同伴すると言ってくれたが、そのような真似をされると逆に緊張するので断った。

 菅生とはレッスンなどを含めた1ヶ月以上の付き合いを通じて、互いに軽口を交わせるほどの関係性になった。だが、茶髪パーマに律義な口調というギャップにはまだ違和感が拭えないのだが。

 

 「くれぐれも力み過ぎないで下さいね」

 

 車から降りる時に菅生が憬に向けて“(フラグ)”をかけ、憬はその言葉に「心配するな」と言わんばかりに“大丈夫だ”という意思を伝え、堂々とした足取りでエントランスへ向う。

 

 

 

 “やべぇ・・・すっげぇ緊張する”

 

 そして見事にフラグを回収した。エントランスを抜け、顔合わせが行われる会議室が近づくに連れて、一気に緊張感が高まっていく。

 それはスターズのオーディションで味わったものとはまた違うものだ。“堂々としろ”と言い聞かせれば言い聞かせるほどかえって鼓動が高鳴っていく悪循環。

 

 “取りあえず心の準備をしよう”

 

 幸いにも予定時間まではまだ30分以上残っていたこともあり、1階にある広めの休憩スペースの椅子に座り気分を落ち着かせる。

 

 “現場の連中は全員お前のことを疑ってかかって来ることだろう”

 

 海堂の言う通り、いきなりド新人の中学生にこんな“大役”が務まるはずがないと思われることは当然のことだ。

 映画や舞台ならまだしも、稽古をつける時間もロクに取れないような民放の連続ドラマの撮影でこのような配役を行うのはギャンブルに近い。

 

 “全然HOME(ホーム)じゃねぇよな、これ”

 

 今更になって俺はとんでもない仕事を引き受けてしまったことを自覚した。思わず心に響き渡る、『自分の行動に責任を持て』という海堂の言葉。

 そういう割には随分と無茶苦茶なオファーを受けさせられたがもう引き返せないし、少なくとも俺の中では“断る”という選択肢はなかった。

 

 最初のCM(仕事)から契約を経て1ヶ月は“養成期間”という名のレッスンでほぼ事務所に缶詰めのような状況だったから、こうして芝居をできる場を与えられただけで気分は晴れやかだった。

 

 “堂々としろ。俺は”役者“だ”

 

 時間は残り30分。そろそろ本番の撮影が終わる頃だろうか。俺は深く息を吸い込むと視界を遮断して短い瞑想に入り、高まり過ぎた心を落ち着かせて精神を整える。

 

 “会ったらなんて話そうか”

 

 異様なまでの緊張感の正体がようやく分かってきた。この期に及んで俺は、顔合わせのこと以上に環に会った時の心配をしていた。

 俺はその感情を一度置き去りにして、瞑想に入る。

 

 

 

 「大事な顔合わせを前にして“居眠り”をこくなんて、さすが “大物新人”さんは違うね」

 

 突然右隣から女の人の声がして思わず目を開ける。当然、“居眠り”などはしていない。

 

 「俺は別に居眠りなんかしてな・・・」

 

 隣の席に視線を向けた瞬間、俺は視線の先に映った女性の姿に絶句した。

 

 「ん~?どうした新人さん?大丈夫かー?」

 

 いきなり現れた“実力派若手トップ女優”を前に放心状態の俺を、隣の席に座る彼女は安否確認でもするかのように手を振って容赦なくからかい続ける。

 

 「・・・牧、静流・・・」

 「おぉ生きてた生きてた。てっきり緊張し過ぎて気絶したかと思ったよ」

 

 相手の名前を言うだけで精一杯になっている俺に、彼女は容赦なく食って掛かってくる。

 

 「えっ?・・・マジで本物ですか?」

 「当たり前じゃん。あと意外にミーハーなのね」

 「いや、いきなり人気女優が隣に座ってきたら驚くでしょ普通」

 「何言ってんの?こんなの芸能界じゃ普通のことだよ。新人さん」

 「・・・あぁ、確かにそうっすね」

 

 普通の人が突然目の前に大物芸能人が現れたらびっくりするだろうが、今俺がいるのは芸能界。言われてみると確かに当たり前のことだ。おかげで俺は何も言い返せない。

 

 「それより、何で俺のことが分かったんですか?」

 「ん~、“役者の勘”。みたいなやつかな?」

 

 そう言うと牧は静かに立ち上がり、俺もそれに合わせて立ち上がる。

 

 「牧静流です。いきなりこんな大仕事を任されて大変だろうけどよろしく」

 

 少し(ウェーブ)がかったレイヤーカットの赤い髪に宝石の如く透き通る青紫(バイオレット)の瞳。そして右目の下には彼女のトレードマークである泣き黒子(ぼくろ)

 年相応でどこか愛らしさのある可憐な顔立ちにそぐわぬ役そのものに憑依したかのような没入感の深い芝居を武器とする彼女の活躍は、“子役時代”からテレビで何度も見ている。

 

 「俺は、夕野憬です。なるべく足を引っ張らないように頑張ります」

 「いいよタメ口で。堅苦しいのはあまり好きじゃないし」

 

 

 

 こうして俺は顔合わせをする前に、思わぬ形で“美沙子”と鉢合わせをした。

 




何気にこの回が形になるまで3週間ほどかかりました。よく考えたらアクタージュって民放ドラマの話がないんですよね・・・まさかの盲点。
えっ、時代劇?・・・ライダーキック?・・・あれは色々ぶっ飛び過ぎて参考に出来ませんでした・・・全ては自分の力不足です、はい。

てことでいきなりわけわかめいみふみこ状態になった挙句、エタるという単語が脳内でよぎるほどのところまで追い詰められましたが何とかスランプを脱して形にすることが出来ました。

これ以降はどうにか週1ペースでストックも増え続けているので暫くは大丈夫そうです。こんな序盤で終わらせるつもりは早々ないんで・・・あ~あ、言っちゃったよ。








やっぱり創作は、マイペースにやるのが一番いいですね。



※10/21追記 今後の展開を考慮し、誤差の範囲ですがストーリーを変えました


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scene.12 顔合わせ

 ここはSMSのスタジオの中でも最大規模を誇るA1(エーワン)スタジオ。ドラマのセットが目いっぱいに組み込まれたこのスタジオで、『HOME -ボクラのいえ-』の撮影は順調に行われていた。

 

 「本日の撮影はこれにて以上になりますが、17時より第10話の打ち合わせを会議室Aで行いますので各自支度を済ませて集合してください。では一旦解散」

 

 そして脚本兼演出である月島の合図で、第8話のドラマセットでの撮影パートはこの日をもって全て撮り終えた。

 

 

 

 「月島さん。子供の“成長”っていうのはつくづく見ていて驚かされますよね」

 

 撮影が終わり、“アサガヤ”と縦に描かれた白いTシャツにジーンズというシンプルかつ独特な衣装を着た主演の早乙女は演出の月島の隣に並びドラマのセットを見つめていた。

 流石に8話まで来ると、主人公の着ている“おもしろTシャツ”はすっかり見慣れた光景となっている。当然ながら月島は、そんな主人公の“Tシャツ姿”には全く動じない。

 

 「何の話だ?」

 

 そんな月島をよそに早乙女はスタッフ達に挨拶をしてスタジオを後にしようとする1人の少女に視線を向ける。

 

 「・・・『1999(前の映画)』の時はあんなに“下手”だったのに。1年足らずであそこまで上手くなるとは」

 「・・・環か。大器晩成ではあるが、元から(彼女)は女優としての才能を持っている。芝居と言うのは上手いとか下手で決めつけるものではないよ」

 「そんなことは“6年前”からとっくに知っていますよ。だから月島さんはやらせたんでしょ?蓮にあんな“難しい役”を」

 

 このドラマで環が演じている新藤麻友(しんどうまゆ)は、児童養護施設『ピュア』に入所している中学2年生。普段は底抜けに明るいポジティブなムードメーカーとして振る舞っているが、実は母親から捨てられたことによるトラウマで人を信用できなくなっているという二面性を持つ、芸歴2年目の新人が演じるには非常に難しい役である。

 

 「別に深い意味はないよ。新人に難易度の高い役をやらせるという僕のどうしようもない趣味なだけで」

 

 そう月島は嘯いて見せるが、早乙女はオーディションを行った上で環の素質を見抜いて彼女を抜擢したことを知っている。

 

 「(本当は全部分かってるくせに)もし趣味で起用(キャスティング)をするのがまかり通るなら、そこら辺の中学生を拾ってきても成立するじゃないですか?」

 

 月島は決して新人に対して無暗に難しい役を与えている訳ではなく、しっかりと一人一人の素質の有無を見定めた上でキャスティングをしている。

 

 「役を演じるには演じられるだけの才能(モノ)がないと最後まで演じきれない。趣味とは言え、限度ぐらいは持っているさ」

 

 月島は企画の段階で麻友の役には新人を起用すると決めていたが、その中で麻友役に選ばれたのは誰よりも芝居が “下手”だが誰よりも軌道修正(フィードバック)に優れていた環だった。

 演出家との1対1の場面において演出面での注文にすぐさま対応できる力は、ある意味で芝居の上手さ以上に重要な武器である。

 

 「じゃあ、10話で直樹(ボク)の少年時代を演じることになっている“中学生(少年)”も同じ理由(キャスティング)ですか?」

 

 早乙女からの言葉に、月島は少しだけ間をあけて静かに答えた。

 

 「・・・・・信用出来ない役者は演者として使わない。それだけはずっと心に決めている」

 「・・・それを聞いて安心しましたよ。ではまた会議室で」

 

 颯爽としているがどこか意味深ともとれるような口調で早乙女はそう言うと、そのままA1スタジオを後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「芸能界に入って最初の仕事が主人公の少年時代の役だなんて普通はあり得ない話だよ。しかもいきなり月9って」

 「似たようなことを海堂さんからも言われたよ」

 

 憬は牧と共に顔合わせが行われる会議室Aに歩みを進めていた。

 

 「おかげで撮影現場は“大物新人”が来るって噂で持ち切りらしいよ」

 「大物新人って・・・」

 

 もちろんその“大物新人”が誰であるのかはおろか、誰が主人公の少年時代を演じるのかを月島はまだ一部の人間にしか伝えていない。

 しかしどこからかは分からないが、それは根も葉もない噂としてスタッフの間で広まっていき、やがてキャスト陣の方にも飛び火していった。

 

 「ある意味早乙女さんより有名人だよ。憬くん」

 「・・・マジか」

 「あれ?もしかしてビビってる?」

 

 不意に斜め前を歩く牧が振り向きざまに背伸びをして抱きつくような体勢で憬の肩に両腕を乗せ、眼前に顔を近づける。互いの息がかかりそうな程に顔を近づけてきた牧に、憬は思わずたじろぐ。

 

 一度だけ環からも似たようなことを仕掛けられたことがあるが、牧のそれは表情や手の仕草一つとっても明らかに “格が違う”。

 

 「・・・そりゃあビビるだろ。いきなり顔をこんな風に近づけられたら」

 

 あどけない少女のような可憐さと人の心を一瞬で惑わす妖艶さを併せ持つ彼女の姿は、息がかかるほど近くにいるのに目の前を透明なスクリーンで遮られているかのような独特の距離感を感じる。

 

 まるで、画面の向こう側の世界で生きる住人と対峙しているかのように。

 

 「そうじゃなくて・・・」

 

 眼前に映りこむ青紫(バイオレット)の瞳がブラックホールのように意識を吸い寄せる。おかげで俺は金縛りに遭ったかのように身動きが取れない。

 

 「顔合わせのことを聞いてるの」

 

 “芸能界は変わり者の巣窟”だとあの時天知は言っていたが、確かにこんな世界じゃ、まともな考えを持つ人間は潰されていくだけなのかもしれない。

 

 「当たり前だろ。どれだけやる気とか覚悟を持っていても恐いものは恐いし、そもそも俺はこんな風に最初から期待されるのは好きじゃない」

 

 だから俺は、奇をてらうようなことはせず馬鹿正直に本音で答える。ここに来たからには役者として全うする覚悟は持っている。でも恐いものはどんなに強がっても恐いままだ。後で化けの皮が剥がれるくらいなら、皮を被る必要もない。

 

 「そっか・・・憬くんは“正直”なんだね」

 「・・・何が?」

 「だから、憬くんは本当に“正直者”だなって」

 「・・・まぁ、嘘を吐くのは嫌いだし」

 

 そう言うと牧は憬の肩から腕を放し、軽やかな足取りで後ろに2歩ほど下がる。

 

 「ごめんね憬くん。いきなりこんな真似しちゃって」

 「ホントだよ。おかげで寿命が1年縮んだわ」

 「・・・私っていつもこうなんだよね。初対面の人とか何色にも“染まっていない”人を前にすると、こうやってその人の持っている“色”を確かめないと気が済まない」

 

 牧の言っている言葉の意味はよく分からないが、どうやら俺は彼女から自分の中にある“色”というものを探られたらしい。

 

 「・・・もしかして、初めて会う人には片っ端からこういうことをやってんの?」

 「流石に知ってる人にはやらないよ。あくまで初めて会う人にだけ。確か、最初にやったのはブッキーと(テン)くんあたりだったかな?」

 「“ブッキー”ってあのブッキーのこと?」

 「そうだよ」

 「さすが芸能人」

 「それはあなたもでしょ」

 

 “ブッキー”はここ1,2年でドラマや映画に次々と出演している今注目の若手俳優で、彼のことはテレビでも度々顔を見ていたから知っている。

 

 「・・・ていうかさ、“テンくん”って誰?」

 

 だが、テンくんに関しては一体誰なのか全く持って見当がつかない。

 

 「天馬心だよ。もう辞めちゃったけどね」

 「えっ!?」

 

 さり気なくとんでもない事実を言ってきた牧に、俺は驚きを隠す暇もなかった。

 

 「何だかんだ10年くらい一緒にいたかな、あの2人とは」

 「・・・牧さんとあの2人って、どんな関係?」

 「う~ん・・・強いて言うなら、“幼馴染”でもあり“同期”でもあり“戦友”でもある、みたいな。もちろん仲は良いけどね」

 

 児童劇団の27期生として共に過ごした “幼馴染”であり“同期の戦友”でもある3人の子役は、時にライバルとして互いに切磋琢磨し合っていた。

 そして月日は流れ1人は芸能界でもトップクラスの大手芸能事務所に移籍し、1人はかつての天才女優(スター)が立ち上げた新しい芸能事務所に引き抜かれ、そして1人は役者を辞めた。

 

 

 「だからって毎回こんなことしてたら嫌われないか?」

 「嫌われないか、ね・・・そんな心配までしてくれるなんて、憬くんは優しいんだね」

 「・・・別に優しくなんかねぇよ俺は」

 「いや、こうやって他人に嫌われないかとか気にかけてくれる時点で憬くんは十分優しいんだよ」

 

 当たり前のことをしただけだが、こうしていざ他人から言われてみると案外当てはまっているようなものだ。ほじくり返されたところで余計なお世話なのだが。

 

 「じゃあついでに、そんな“優しい”憬くんに1つだけ良いことを教えてあげる」

 

 すると牧は前を向いたまま爛漫で明るめな声色(トーン)をそのままに、

 

 「芸能界はね・・・嫌われてなんぼの世界なんだよ。女優だろうと男優だろうとね」

 

 と言った。

 

 「だから私は、女優を続ける為なら“鬼”になっても構わないって思ってる」

 

 彼女の口から出た言葉からは、とても14歳の少女とは思えないほどの重い覚悟を感じた。

 

 「今はまだ受け入れる必要も知る必要もないけど、憬くんもそのうち分かると思うよ。それまで役者を続けていればの話だけど」

 

 2歳という幼さで異端の世界へ足を踏み入れ、14歳という若さで“女優・牧静流”という十字架を背負っている彼女の重圧に比べれば、俺の掲げている“覚悟(モノ)”なんてちっぽけなカスみたいなものかもしれない。

 

 「牧さんって・・・本当に強いんだな」

 

 そんな彼女を目の前にして、果たして今の俺は役者の名乗れるのだろうか。

 

 「・・・あなたが思っているほど強くないよ。私は」

 

 俺からの言葉に、牧は声色を1トーンほど落とした穏やかな口調で答える。

 

 「だから他の人に比べて自分が劣っているとか自分にない才能(モノ)に無理に縋る必要もない。私だって女優である以前にあなたと同じ“人間”だからね」

 

 そして俺の思っていることを全て知っているかのような口ぶりで、牧はトーンを再び戻して明るめ言った。

 

 「とにかく顔合わせはリラックスして行こう。現場に入れば新人だろうとベテランだろうと皆同じ“役者”なんだから」

 「・・・そうだな」

 

 気が付くと顔合わせが行われる会議室Aが目の前まで迫っていた。だが、相手役となる牧との距離は1ミリも近づいていないような気がした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「お疲れさまでーす」

 

 軽く流すような口調で牧が会議室に入るのに続くように、憬も挨拶をして会議室に足を踏み入れる。

 

 まだ全員が揃っている訳ではないが、そこには月9ドラマのキャスト陣がそれぞれの席に座っているという“異世界”のような空間が広がっていて、その面子は大河や朝ドラには負けるが中々に豪華な顔ぶれである。

 

 もちろんここには、これからの期待がかかる新人()もいる。

 

 「・・・憬?」

 

 俺が俳優として事務所に所属していることを知らない環にとっては、噂の“大物新人”の正体がまさか俺だとは思っていなかったのだろうか珍しく目に見えて動揺している。

 

 「久しぶり・・・元気そうじゃん」

 

 動揺を隠せずにいる環につられるように、憬の言葉もとってつけたかのようになる。

 

 当然ここに環がいるということは知っていたが、いざ面と向かってみると思うような言葉が出ない。

 ここに来るまでに言いたいことは自分なりに考えてきたはずだが、それらは牧と鉢合わせした衝撃でどこかに飛んでいった。

 毎日のように語り合ってた仲の良い親友が相手でも、久々の再会というものはどこか気まずくなるものだ。

 

 「え?待って蓮と憬くんってもしかして知り合い?」

 

 2人の間に覆いかぶさる気まずい空気を取っ払うように、牧が憬と環に割って入る。

 

 「うん。ついこの間転校するまでクラスメイトだった」

 「ホントに?どういう偶然それ」

 「それはこっちが聞きたいよ。どういうこと憬?」

 

 牧が会話に入った瞬間、気まずさは次第に消えていき環は本来の気さくさを取り戻していく。

 

 「どうって言われても、最初に来た仕事が月9(これ)だっただけの話だよ」

 「・・・さすが、“大物”の言うことは違うね蓮ちゃん

 「ホントね。しかもド新人の癖に月9を“これ”呼ばわりって

 「あの、全部丸聞こえなんですけど」

 

 コソコソ話をするかのような仕草でおちょくる2人を見て、憬は千晶の言っていた同居人の女優仲間が牧であることを察した。

 

 「でも噂の“大物新人”がまさか憬だったなんて」

 「だから何なんだよ“大物新人”って」

 「そりゃアンタしかいねぇだろ」

 

 斜め後方から1人の男の声がして、憬は声のする方へ振り向く。

 

 「大手芸能事務所にいきなりスカウトされて、最初の仕事がいきなり月9でしかも与えられた役は主人公の少年時代。大物どころかバケモンだよ、アンタ」

 「・・・ブッキー・・・」

 

 突然の出来事に、俺はつい“愛称”でその男の名前を口にしていた。

 

 

 山吹敦士(やまぶきあつし)。スターズに所属する若手イケメン俳優でこのドラマでは入所者の1人である猪野侑汰(いのゆうた)を演じている。

 俳優として一躍ブレイクしたのはスターズに移籍する前後のここ1,2年の話だが、彼自身は牧と同様に子役時代も含め10年以上に渡って地道に活動しており、俳優としてのキャリアは長い。

 

 通称、“ブッキー”。

 

 

 「つーか見た感じマジモンの中学生じゃん。大物だって聞いて身構えてたんだけど」

 

 やや尖った言動とストリートファッションに金髪頭の風貌は、両親の教育ハラスメントに耐えかねて不良グループに入り盗みや暴力を繰り返し、家を追い出される形で入所してきた劇中屈指のトラブルメーカーである猪野を彷彿とさせる。

 

 「ねぇブッキー、一応私たちも中学生なんだけど?」

 「アンタらはもう“役者”だろ。だからノーカンだよ」

 

 ちなみに子役時代からの“戦友”で芸歴も同じである牧からは普通にブッキーと呼ばれている。

 

 「一応、俺も役者です」

 「オイ新人」

 

 俺の放った言葉が気に障ったのか、山吹は低いトーンで呼びかけるとポケットに両手を突っ込んだままメンチを切るような目つきで睨みつける。

 背丈は俺とほぼ同じか少し高いぐらいだが、渋谷で遭遇したチンピラとは比べ物にならないほどの威圧感。対峙した時のこの空気はただの若手イケメン俳優とは一線を画す独特な存在感を醸し出している。

 

 「(えっ?何?俺なんか怒らせるようなこと言った・・・?)何ですか?」

 「・・・名前は?」

 

 事務所(スターズ)躍進の立役者である早乙女やオーディションに合格した十夜のような王道とは違った“華”を持つ山吹の存在感(キャラクター)は、誰が付けたか知らないがまさに“スターズの異端児”という異名に相応しい。

 

 「・・・夕野憬です」

 

 蹴落とされそうな気持ちをどうにか抑え込んで自分の名前を言うと、山吹はポケットに突っ込んでいた右手を出す。

 あまりの威圧感に“やられる”と感じた俺は、本能的に一歩後ずさりする。

 

 「俺は山吹だ。よろしくな」

 

 そう言うと山吹は握手を求めるようにポケットから出した右手を差し出し、俺もそれに応じる。

 

「(あれ?もしかして割とまともな人?)・・・はい。よろしくお願いします」

 

 握手を交わした瞬間、安堵の感情が頭の中全体に広がった。

 

 「駄目だよブッキー、新人さんをいじめるような真似しちゃ。おかげで憬くんビビってるじゃない」

 「別に何もしてねぇよ。つーかそもそもいじめなんてクソみたいな真似するわけねぇだろ俺が」

 

 もちろん当の本人にその気は全くないのだが、ストリートファッションの金髪男にいきなりメンチを切られたらビビるに決まっている。ていうか普通の人にいきなりやられても恐い。

 

 「あまりウチの新人(ルーキー)をいじめないでくれる?“あっくん”」

 

 すると今度はまた別の方向から、女性の声が聞こえてきた。

 

 「その名前で呼ぶなって言ってんだろ、“姐さん”。それにいじめなんてやってねぇっつの」

 

 山吹が“姐さん”と呼んだこの女性のことも当然俺は知っているし、何なら彼女とは事務所で既に一度だけ会っている。

 

 「お疲れ様です。令香さん」

 「ごめんね。いきなりこの金髪(ガキンチョ)がややこしいことしちゃって」

 「誰がガキだ」

 

 

 水沢令香(みずさわれいか)。憬と同じカイ・プロダクションに所属している人気トップ女優で、朝ドラのヒロインに抜擢されたこともある同事務所の広告塔の1人。このドラマでは児童養護施設『ピュア』で働く職員で、本作のヒロインである西野美優紀を演じている。

 

 無論、俺にとっては事務所の先輩にあたる人物だ。

 

 

 「それにしても初仕事がいきなり“月9(コレ)”って、ホントに大変ね」

 「周りからもよく言われます」

 

 もしかしたら変人に囲まれ過ぎて感覚が麻痺しているだけかもしれないが、彼女は“変わり者の巣窟”であるこの世界においては珍しい“まともな人”のようだ。

 

 「オファーが来たときは流石にビックリしたでしょ?」

 「ビックリはしたけど・・・役者になりたくてこの世界に入ったので、断る理由はなかったです」

 「おぉ~カッコいいじゃん」

 「・・・そうっすか?」

 「ンンッ」

 

 水沢から煽てられて一瞬だけまんざらでもないような顔をした俺に向けて環が咳払いで諭す。

 

 「あんまり調子に乗らない方が良いんじゃないの?新人さん?」

 「言われなくても分かってるわ」

 「・・・やっぱりこの“ふたり”はお似合いだな~」

 

 そんな2人を、牧は微笑ましそうに見つめながらボソッと呟いた。そして牧の呟きに、2人は互いに恥ずかしくなって思わず視線を反らす。

 

 「・・・あのさ、こういうことをいきなり聞くのも難だけど」

 「ただの元クラスメイトですよ」

 

 “2人はどういう関係なの?”と聞こうとした水沢の言葉を遮るように環は答える。

 

 「だよね、憬」

 「お、おう」

 

 言っていることは間違ってはいないが、あまりに環がサバサバした口調で言うものだから何とも言えないショックのような感覚が身体を襲ってくる。

 

 「でも驚いたでしょ?こんな形で同じクラスの友達と再会するって」

 「まぁ驚きましたけど、正直(コイツ)かよって感情の方が今は勝ってますけどね」

 「オイ蓮」

 

 環の一言で、周囲からは笑いが巻き起こる。数か月前、渋谷で“天馬心”に遭遇した時とは比べ物にならないくらい周りに溶け込んでいる環は、今ではすっかり撮影現場で愛されキャラとなっている。

 

 「月9どころか現実(リアル)じゃ“麻友”のクラスメイトって・・・漫画でも早々ねぇぞ」

 「麻友はリアルにいないでしょブッキー」

 「例えばの話だ。つーかこれだと俺が馬鹿なこと言ってるみてぇじゃねぇか」

 「だってバカじゃん」

 「んだと赤毛この野郎!」

 「(全く、山吹と静流(アンタら)も大概ね)」

 

 子役時代からの付き合いである“戦友同士”のやり取りを、水沢は一歩引いてまるで母親のように微笑ましく見つめる。

 

 「随分と楽しそうだね」

 

 突然割って入ってきた渋めなバリトンボイスの男に、思わず水沢たちは一旦会話を止めて挨拶をする。

 

 「君が “海堂さんの秘蔵っ子”という噂の夕野君かな?」

 

 

 尾方重行(おがたしげゆき)。星アリサや乾由高(いぬいゆたか)などをはじめ、更には薬師寺真美(やくしじまみ)など名だたる大物との共演経験を持つ芸歴30年越えのベテラン俳優である。

 このドラマでは児童養護施設『ピュア』の所長である“おやびん”こと六平丈(むさかじょう)を演じている。

 

 

 「秘蔵っ子って・・・随分大袈裟ですね」

 「そうか?俺に言わせれば、それだけ海堂さんから期待されているってことだろうよ」

 「・・・そうなんですか?」

 「とにかく色々大変だろうけど頑張れよ、新入り!」

 

 尾方はそう言うと豪快に笑いながら憬の背中を一回叩き、そのまま自分の定位置に向かう。

 

 悪気が一切ないのは分かっていたから何とか耐えたが、尾方からの“激励”は結構痛かった。そしてふと周りを見回すと、いつの間にか俺は注目の的になっていた。

 

 「今日来たばかりの“新人”がこんなに注目されるって、異常だよホント」

 

 呟くように環は俺に声をかける。こうしてあらゆる方向から視線を送られた俺は、ようやく牧の言っていた“大物新人の噂”というものを身をもって痛感した。独り歩きした噂が引き起こす恐ろしさと共に。

 

 

 

 「お疲れ様です皆さん」

 

 開始時刻のおよそ5分前、このドラマのプロデューサーの上地と脚本兼演出の月島が会議室に入ってきた。

 

 「初日からすっかり人気者だね、“大物新人俳優・夕野憬”くん」

 

 この2人こそ、今回のドラマのキャストに大物新人をぶち込んだ“元凶”である。

 

 「・・・誰のせいだと思ってんすか?」

 「あれ?ひょっとして仕事(オファー)受けるの嫌だった?」

 「別に、嫌じゃないっすけど」

 「だよねぇ?だからここにいるんだよね」

 「当たり前です(なんかよく分かんねぇけどぶん殴りてぇ・・・)」

 

 どうやら俺は、上地という男をどうしても好きにはなれないらしい。プロデューサーとして本当に凄い人なのは分かるが、この男とは全くもって波長が合う気がしない。

 

 「そう言えば早乙女(主演)はどうした?」

 「あれ?言われてみれば早乙女さんまだ来てないじゃない」

 

 尾方からの一言で、一番肝心の“主演俳優”がまだ来ていないことに気付いた。

 

 「まぁ、主演(ヒーロー)は遅れてやって来るものだからね」

 「いや、どうせウン」

 

 牧の独り言に“ストレート”な合いの手を入れようとした山吹の頭を、水沢が寸でのタイミングで引っ叩く。

 

 「なぁ蓮。早乙女さんが遅れることっていつものこと?」

 「いや、いつもだったら誰よりも早く現場入りしてるような人だから普段なら考えられないよ」

 「だとしたら何かあったんかな?」

 「さあ」

 

 憬と環が小声でやり取りをしていたその時、何やら尋常ではないような得体のしれない気配が会議室一体を襲う。

 

 「お、来たみたいですね」

 

 月島が独り言を呟いた瞬間、会議室の空気が一気に変わった。

 

 「遅いぞ。主演(ヒーロー)

 

 空気を一変させた主演(ヒーロー)に、水沢(ヒロイン)は声をかける。彼が会議室に足を踏み入れたその瞬間、まるで誘導されていくかのように視線を持っていかれる感覚に襲われる。

 

 この感覚はまさに“釘付け”というやつだろうか。

 

 “イケメン俳優の頂点”と称される凛々しさと爽やかさが合わさった男前な顔立ち(ルックス)に雑誌モデル出身ならではのスタイルの良さからなる華やかさと、それらに裏打ちされた確かな演技力。

 安定した芝居と天性のカリスマ性を兼ね備えた彼の存在は、まさしく大衆を虜にする“スター”そのものと言えるだろう。

 

 「すいません。楽屋で10分だけ仮眠を取るつもりが30分寝てました」

 

 

 

 その男の名は、早乙女雅臣(さおとめまさおみ)。今、日本で最も“視聴率”を稼ぐ主演俳優である。

 

 

~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 

 このドラマの主人公である直樹が劇中で着ている Tシャツのうちの一つである“アサガヤTシャツ”は、阿佐ヶ谷の商店街に行けば普通に手に入る。

 

 『HOME -ボクラのいえ-』の放送から18年。ドラマの影響と価格の安さから放送当時は飛ぶように売れていた“アサガヤTシャツ”も、今では観光客や物好きぐらいしか買わない代物となっていた。

 

 「あ、これ凄くいい・・・見た目もシンプルで“オシャレ”だし。値段は・・・大丈夫、これならどうにか買える」

 

 そんな “アサガヤTシャツ”を購入した彼女の話は、また別の機会で。

 

 




まず、タイトルに顔合わせと書いておきながら顔合わせが始まる前に話が終わってしまったことを、この場を借りてお詫びいたします。俗に言うタイトル詐欺というやつです。申し訳ありませんでした。

でもヒーローの登場はギリギリ間に合ったのでどうかお許しください。

そして作者の気まぐれで始まったおまけコーナー、【或る小説家の四行小説 ※タイトル変えました】もスタートしました。ただしこれは完全な思いつきと悪ノリですので今回限りで見納めになるかもしれないし、またどこかで再登場するかもしれません。










11/12追記

PS.【或る小説家の四行小説 ※タイトル変えました】は諸事情によりただのおまけになりました


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scene.13 選ばれし者

 その男の名は、早乙女雅臣。今、日本で最も“視聴率”を稼ぐ主演俳優である。


 「すいません。楽屋で10分だけ仮眠を取るつもりが30分寝てました」

 

 会議室に現れて早々、早乙女は顔合わせに参加しているキャストとスタッフ全員に向けて軽く平謝りする。

 

 「珍しいね。どんな時でも一番乗りの早乙女くんが“重役出勤”だなんて」

 

 開始時刻ギリギリになって会議室にやって来た早乙女を、プロデューサーの上地が早々に皮肉る。

 

 「重役出勤じゃなくてただの寝坊ですよ上地さん」

 「自慢げにいう事じゃないぞ早乙女君」

 「勘弁してくださいよ月島さん。こう見えて丸2日寝てないんですよボク」

 

 2日間寝てないのはともかく遅れてやってきた主演俳優(スター)が放つ言葉は、おおよそスターからはかけ離れたごく普通の男の言葉だった。

 

 「まぁ良いじゃないか時間には間に合った訳だし」

 

 “おやびん”を演じる尾方が尽かさず早乙女をフォローする。大御所の芸能人というものは何かと(マナー)に厳しいイメージがあるが、尾方というベテラン俳優は余程のことがなけれは全て笑い飛ばす大らかな心の持ち主だ。

 

 これもまた、大御所故の余裕というものなのだろうか。

 

 「ところでよく眠れたかい?早乙女くん?」

 「はい。おかげさまで今日の夜も乗り切れそうです」

 

 上地からの言葉に早乙女が爽やかな口調で答えると、会議室一体に笑いが起こる。

 誰もが認めざるを得ないスターのオーラを纏いつつ、どこにでもいる青年のような親しみやすさも併せ持っている飾らない自然体なキャラクターこそ、“俳優・早乙女雅臣”が老若男女問わず支持され続けている理由であり、彼自身の魅力の一つでもある。

 

 「チッ、クソじゃねぇのかよ」

 「当たり前でしょ馬鹿じゃないの?」

 「お願いだから今日はもう喋らないでブッキー」

 

 “予想”を外して悔しがる山吹に水沢と牧が揃ってボロクソに叩く。

 

 そんな2人を尻目に空いた席へと向かおうとした早乙女の視界に、1人の少年が映りこむ。

 

 「ん?見ない顔だね」

 

 不意に早乙女と目が合ったその瞬間、恐怖心とも興奮とも似つかぬ感情が心の中に押し寄せる。

 

 「あ、分かった。直樹(ボク)の少年時代を演じる噂の少年でしょ?」

 

 すると早乙女は俺の方へと歩みを進め、俺もまた彼が歩を進めるのを合図に席から立ち上がる。

 

 「東間直樹の少年時代を演じさせて頂きます、夕野憬です。よろしくお願いします」

 

 自分なりに無礼にならないように考えて挨拶をしてみたが、正直に言うとここまでかしこまる必要はあるのかと気が付けば自分に問いかけていた。

 

 「・・・思ったより“礼儀正しい”んだね」

 「・・・そうですか?」

 

 “礼儀正しい”の一言が少なくとも誉め言葉として放たれたものではないということは、早乙女の発した言葉のニュアンスで分かった。

 

 「確かに真面目に取り繕うのは良いことだし大切なことでもある」

 

 そう言うと早乙女は俺の前にグッと近づいて利き手で左肩を掴む。

 

 「でもキミはもう少し無礼で尖ったほうが性に合ってるよ」

 「・・・どういうことですか?」

 

 クールな二枚目を演じているかのような仕草に、俺はまたしても気を取られる。

 

 「役者になったからには、とことん自由にいこうじゃないか。こんな風に優等生ぶってなんかないでさ」

 

 そう言うと早乙女は俺の肩を一回ポンと叩くとすれ違いざまに

 

 「“本当の夕野憬(キミ)”を魅せてくれよ・・・少年」

 

 と囁きながら自分の座る席へと歩き始める。彼から発せられる一語一句の言葉や、一つ一つの所作はまさにブラウン管でよく見ている“トップスター”の輝きそのものだ。

 それは役者として身に着けた技術(テクニック)の産物でもなければ、キャリアを積んだことによる経験値でもない、生まれ持って手に入れた“天性の才能”。

 

 そんな“選ばれし者”の頂点に立つ男を前に、俺は何一つ太刀打ちできなかった。

 

 「では全員揃いましたので、これから第10話の打ち合わせを始めます」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「良かったじゃん。夢が叶って」

 

 第10話の打ち合わせが終わり、憬と環は2人で並ぶようにしてそれぞれのマネージャーの車が待つ正面玄関へと歩を進める。

 

 「おまけに滅茶苦茶良い役を貰えるわみんなから期待されまくるわ、願ったり叶ったりで羨ましいよほんと」

 「・・・みんな期待しすぎなんだよ」

 

 約2か月ぶりぐらいに展開される、いつも通りの環との会話。最初こそぎこちなくなってしまったが、こうして気の知れた仲間と一緒にいると、ただ話しているだけでも心が落ち着く。

 

 「何?嬉しくないの?」

 「もちろんこのオファーが来たときはチャンスだと思って喜んだけど、いきなりあれだけ注目されるとは思わなかったからさ。正直、ちょっと焦ってる」

 

 周りから期待されるという環境とはおおよそ無縁な日常をこれまで生きてきたからか、どうしても過度に期待されると調子が狂ってしまう。

 

 「出番は数分とは言え演技経験のない中学生がいきなり主人公の少年時代に抜擢って、そりゃあ注目されない方がおかしいでしょ」

 「・・・やっぱりそうだよなぁ」

 「どっちだよ」

 

 海堂のような数え切れないほどの修羅場を潜り抜けたであろう男ですら“ある訳がない”と言うくらいだから、確かにそんな新人が来たら注目されない訳がない。

 

 仮に俺が早乙女の立場だったとしたら、間違いなく“大物新人”に注目することだろう。

 

 「でも分かるよ、憬の気持ちは。私もオーディションで麻友の役が決まった時は飛び跳ねるくらい嬉しかったけど、本番が近づくにつれてこんな難しい役なんて私に演じられるのかな?って不安がどんどん大きくなってきてさ・・・プレッシャーは半端じゃなかった」

 

 ドラマを観ていれば分かるが、環が演じている麻友という役は新人が演じるにはあまりに難易度の高い役だ。

 

 「それで私なりに必死に役作りして、何とか今は周りについていけてる。ギリギリだけどね」

 

 そんな一歩間違えれば女優としての将来に影響を与えかねないような難しい役にも、環はひたむきに向き合っている。

 

 「だからごめん・・・憬やみんなと距離を置くようなことしちゃって。本当は終業式の日に謝ろうと思ってたけど、急遽撮影が入ってこのタイミングになっちゃった・・・ほんと今更だよね」

 

 環は麻友という“孤独なムードーメーカー”を完璧に演じる為に、一生に一度しかない学校での思い出を犠牲にして自らを孤独な環境に追いやった。

 

 「全部、役作りの為だったんだ・・・あぁだめだ、何言っても言い訳だよねこんなの」

 「言われなくても分かってるよ。蓮が必死に頑張ってたことは」

 

 そこまでして麻友という役を演じ切ろうとしている環を、一体誰が責められるというのだろうか。

 

 環の真意を知った憬は、終業式の日に“無理やりにでもタイミングを作って話を聞くべきだった”と安易に考えてしまった自分を恥じる。

 

 「蓮がドラマの為に頑張っていることは、クラスのみんなも絶対分かってる」

 「・・・そう?」

 「だからさ・・・悪いなんて思うなよ。俺は蓮がこうして “女優”として周りと切磋琢磨している姿を見れただけで、すごい嬉しい」

 「・・・そっか。ありがと」

 

 少しだけ照れくさそうにしながら、環は答える。クラスメイトとの思い出を犠牲にしてまで役作りに打ち込んでいた環や、俺らと同い年で“女優”としての重圧を全て背負い込んでいる牧を前にすると、今の俺はどうしても場違いに思えてきて仕方がない。

 

 「にしてもすげぇよ蓮は。あの空間にいる人たちと渡り合えているんだから」

 「何が?」

 「俺なんか早乙女さんを前にしたら何も出来なかった。もちろん牧さんや山吹さんも」

 「・・・“早乙女さんとか周りがどうだとか関係ねぇ”って言ったのはどこのどいつ?」

 

 自嘲気味に笑いながら弱気に話す憬の背中を、環が軽く叩く。言われてみればあの時、そんなことを言ったような気がした。

 

 「・・・よく覚えてんな、そんなこと」

 「当たり前でしょ。忘れたくても忘れられないよ、あの日のことは」

 

 あの時、俺はとにかく環を助けてやりたい気持ちでいっぱいで、オーディションを受けると口にしたこと以外は何を言ったのかは自分でもあまり覚えていない。

 

 “必死過ぎて忘れてた。そんなこと”

 

 「必死過ぎて忘れてた。そんなこと」

 

 気が付くと心の声がそのまま口から出ていた。我ながら最低最悪な本音(こと)を言ってしまった。ヤバいと思っても時すでに遅し。

 一瞬だけ環に目を向ける。無表情を装っているが、明らかに少し不機嫌になっている。あまりの気まずさに、ごめんの一言も口から出てこない。

 

 自己嫌悪に陥りながらも再び目線を前に向けると、正面玄関の扉の目の前まで進んでいたことに気付く。扉を抜けた先のロータリーには、2人を待つマネージャーの車がそれぞれ待機している。

 

 「最低だよな・・・俺って」

 

 目線を合わせず、独り言のように俺は語りかける。もう弁明の余地は全くない。

 

 「うん・・・さすがにちょっとショックだよ」

 

 抑揚のない環の声が、心の奥底にズシリと響く。

 

 「でもあの時ってお互い余裕なんて全くなかったじゃん」

 「・・・あぁ、そうだな」

 

 高すぎる壁を前に自暴自棄になりかけていた環と、そんな環の苦しみを理解したいという無鉄砲な理由で芸能界を目指そうとしていた憬。

 

 「それに私だって憬の気持ちも知らずに酷いこと言って八つ当たりもしたし、ドラマが始まってからは役作りの名目でみんなと距離も置いてた。普通に最低だよね」

 

 あの日を糧に1人は女優として頑張るために奮起を誓い、もう1人はオーディションこそ落ちたが、突如として現れた“ややグレー”な救いの手によって晴れて俳優となり、こうして同じ芸能界で同じ世界の住人(芸能人)として再会した。

 

 「だから、今回は引き分けってことで大目に見てあげる」

 「・・・ほんとに良いのか?」

 「うん、いいよ。唯一の親友として特別に」

 「・・・そっか・・・ごめんな」

 「じゃ、この話はもう終わりだね」

 

 2人は互いに視線を合わせることなく、静かに和解する。

 

 「取りあえず “選ばれし者”同士、今日からよろしく。“3日間”だけだし直接共演はしないけど」

 

 正面玄関の扉の前まで来たところで、環は憬に向けて拳を突き出すと憬もそれに無言で答え、拳を合わせる。

 

 「って“選ばれし者”って何だよそれ?」

 「え?何となく憬だったらこんな感じで言いそうだなって」

 「・・・やかましいわ」

 

 そして2人はロータリーに出ると、それぞれのマネージャーが待つ車に乗り込んでいく。

 

 

 

 「クラスメイト同士の友情って傍から見てるだけで面白いよね。学園ドラマみたいでさ」

 「知らねぇよ。つーか静流も行きゃいいじゃん環と仲良いんだし」

 「駄目だよ。せっかくの2人水入らずの時間を邪魔するなんて、私だったら許せない」

 「お前のどうでもいい拘りなんて聞いてねぇ」

 

 そんな憬と環の友情(やりとり)を、牧と山吹は少し離れたところから遠巻きに見ていた。近づくこともなく遠ざかることもなく、一定の距離を取るようにして。

 

 「いつも思うけど明らかにストーカーだよな今やってること」

 「ストーカーじゃないよ。人間観察」

 「どっちにしろ気味悪ぃわ」

 

 俺が“ストーカー”だと言うと、静流(コイツ)が“人間観察”だと返すやり取りをしたのは、もう何度目のことだろうか。

 流石に10年来の付き合いとなると、9歳の辺りから始まったコイツの奇癖にはある程度の耐性がついた。当然それは慣れただけであって、良い気分は全くしない。

 

 だが今回ばかりは、いつもと事情が少し違うみたいだ。

 

 「でも珍しいな。お前が新人如きにここまで“興味”を示すなんてよ」

 

 コイツが毎回のように新人や初対面の役者に対して独特な距離の詰め方(コミュニケーション)を取る理由はとっくに知っているが、新人相手に初対面でこれほど興味を持ったことは少なくとも今までに一度もなかった。

 ついでに俺も一度だけ全く同じようなことをされたが、あれから今日に至るまでコイツからは全く“見向き”もされていない。

 

 「まぁいきなり月島さんから指名のかかる新人なんて前代未聞だからな。注目されて当然ってか」

 

 山吹がわざとらしく独り言を呟いても、牧はその声を気に留めることなくロータリーの方向を凝視する。

 

 “夕野憬・・・”

 

 “海堂正三の秘蔵っ子”、“大物新人”という噂を耳にしてどんな奴かと身構えてみれば、目の前に現れたのは中学生のガキだった。

 顔合わせや環との会話を観察しても、特に肝が据わっているというわけでもなく大役を任せられて普通にプレッシャーを感じているように、どこにでもいる新人と何ら変わった様子はない。

 

 無論、“あの人”がオーディションで夕野を落とした一方、その才能には一目置いていたという話は尚更信じることができない。

 

 だが静流は恐らく、夕野が隠し持っている“本質”というものを既に見抜いている。

 

 “つーか、何で俺まで夕野(アイツ)のことを観察(ストーキング)してんだよ。馬鹿かよ”

 

 そしてこういうところが静流と俺の間に立ちはだかっている差であることは、嫌というほど分かり切っている。

 

 「にしても、何でそんなに夕野を気にしてんだよ?」

 「・・・ねぇブッキー、7、8、9の撮影(ロケ)って来れる?」

 「あ?撮影?・・・ちょっと待ってろ」

 

 話題を反らされるように予定を聞かれ、ひとまず俺は脳内でスケジュールを整理する。

 7日は18時からCMの撮影、8日は出演した映画の舞台挨拶がそれぞれ入っていて、9日は夜にHOME(ワンシーン)の撮影。スケジュールを考えれば・・・

 

 「・・・行けるとしたら7、9ってとこか」

 「じゃあ決まりだね」

 「まだ行くとは言ってねぇだろが」

 

 食い気味に話の主導権を握ってきた牧に、山吹も負けじと食い気味にツッコむ。

 

 「10話のロケ、時間があるなら来てみるといいよ。きっとある意味普段の撮影より有意義な時間になると思うし」

 

 8月7日からの3日間は、直樹がこれまで周りに隠していた中学時代の過去パートの撮影がある。

 つまり、夕野(アイツ)の芝居をこの目で確かめられるということだ。ロケ地の都合で半日分しか見れないが、それだけ静流(コイツ)が興味を持っているのなら行ってみる価値はあるか・・・

 

 「とりあえず気が向いたら行くわ」

 「ホントは興味津々のくせに、素直じゃないなぁ」

 「別に俺はお前と違って普通だわ。ま、くれぐれもやる気を出し過ぎてその新人とやらを潰さないように頼むぜ“美沙子さん”」

 「分かってる」

 

 からかい半分で言ったつもりが真に受けたようなリアクションを取られ、俺は思わず困惑する。

 

 「・・・そんなにすげぇ奴なのか・・・夕野って?」

 「うん。“色”を見た瞬間に分かった」

 「・・・そうか」

 

 その一言を聞いた瞬間、俺は悔しさとも怒りともつかない感情に駆られる。だが、そんなやり場のない感情を解放する場所なんて、どこにもない。

 

 「あれ?ひょっとして嫉妬してる?」

 「は?してねーよ馬鹿じゃねぇの?」

 

 10年来の付き合いでも、こうやって“全てお見通し”と言わんばかりに食ってかかるところだけは未だに嫌いだ。しかも本人には何一つ悪意がないというのが、何ともタチが悪い。

 

「別に気にする必要なんてないよ。ブッキーにはブッキーの良さがあるんだから」

「そういうところが一番ムカつくんだよマセガキ」

 

 そんな静流にとって俺は2コ上の幼馴染であって同期の戦友であるが、“役者(ライバル)”として彼女から見向きされたことは一度もない。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ここは都心某所のラジオ局。主演の早乙女は深夜1時から生放送でオンエアされているラジオ番組にゲスト出演するため、顔合わせが終わると早々にSMSから引き上げ次の現場へ向かっていた。

 

 

 

 「お疲れ様です、早乙女さん。本日はよろしくお願いします」

 「おう、お疲れ」

 

 楽屋のソファーに座り込んで台本を読みながら一服している早乙女の前に、ゲスト出演するラジオ番組のMCを務める同じ事務所(スターズ)美藤夏歩(みとうかほ)が挨拶に来る。

 

 「火、消しとくか?これじゃあせっかくの “ティーンエイジャーのシンボル”にヤニがついて台無しになるだろうし」

 「別に大丈夫ですよ。カメラとマイクが向いている時以外の私は基本オフですから」

 

 

 美藤夏歩(みとうかほ)。スターズに所属する人気若手女優で、若者を中心に絶大な支持を集めている。

 前クールの月9でメインヒロインを務めるなど女優として活躍する一方、毎週土曜に放送されている情報バラエティー番組の女性MCを始め写真集も出すなどマルチに活動しており、メディアで見かける機会は早乙女と肩を並べるほどである。

 

 これは余談だが、彼女もまた早乙女と同じ芸能事務所からスターズに引き抜かれた経緯がある。

 

 「それ、HOMEの台本ですよね?」

 「これね。ついさっき貰った最新(10話)のやつ」

 「良いなぁ、私ももっとドラマや映画に出たいのに」

 「何言ってんだよ、夏歩だって前クールの “DAY by DAY”でヒロインをやっているじゃないか」

 「でもドラマの撮影が終わってからはまともにお芝居してないんですよ。そりゃあ欲求不満になりますって・・・」

 

 愚痴を言い終えると同時に美藤はわざとらしく溜息を漏らす。どうやら本人としてはもっと女優としての仕事をしたいらしい。

 

 「まぁ、スターズ(ここ)に所属してる人で最初から“タレント”志望の人間はいないからね」

 「だから今日はありったけの鬱憤をぶちまけようと思っているので全部受け止めて下さいね、先輩」

 「愚痴るのはいいけどくれぐれも一線は越えないでくれよ?そんな真似されたらHOME(ドラマ)が終わる前にボクたちが終わる」

 

 そして自身が金曜日担当(ラジオパーソナリティー)を務める『美藤夏歩のナイトオブジャパン』もそんな彼女のタレント活動の一環であり、番組自体のブランド力も相まって絶大な人気を誇っている。

 

 「あ、そうだ。“上半期1位”おめでとう」

 

 そして今年、美藤は”上半期のCM女王“に輝くなど今や彼女は早乙女と並んでスターズの広告塔としての地位を固めつつある。

 

 「・・・ってあれ?あんまり嬉しそうじゃないな」

 「とって付けたように言われても嬉しくないです」

 

 もちろん称号を貰えるということはとても誇らしいし、それだけ自分自身に価値があるという揺るぎない証明のようなものだ。こうして価値を見出してくれる大人たちがいるおかげで、女優は女優として生きていける。俳優活動というものは、所詮は水商売と大して変わらないのだから。

 

 「何だよもっと喜べよ。1位ってことはそれだけ周りは夏歩のことを必要としてくれてるわけだからさ」

 「・・・もちろん嬉しいですし、本当にありがたいことですよ。こうして芸能人としての仕事をどんどん頂けることは・・・ただ、私もいつかは早乙女さんのように“役者”としてもっとちゃんと評価されるようになりたいんですよ」

 

 美藤はどんな仕事でも嫌な顔一つせず誠実に取り組む真面目さを持つが、かと言って思うように芝居に専念できない現状を二つ返事で受け入れられるほど単純な女優(人間)ではない。早乙女もそんな彼女を見て読んでいた台本を閉じ、煙草を灰皿に置く。

 

 「焦んなよ。広告塔(スター)になったからには誰しもが嫌でも通らなければならない道だ。ボクだって出来ることなら自分の芝居をもっと追及して、もっと強い役者と己の芝居1つで真剣勝負したいし」

 「・・・やっぱりそうなんですね」

 

 その時、早乙女の楽屋をスタッフがノックする。

 

 「早乙女さん、美藤さん、10分後にリハ始めます」

 「ハイ了解」

 

 スタッフからの事務連絡に、早乙女は灰皿に置いた煙草を手に取り軽い口調で答えると名残惜しむかのように最後の一服を口に運んで煙を吐き出し、そのまま煙草を灰皿に押し付けて火を消す。

 こういうちょっとしたさり気ない仕草ですら、早乙女にかかればドラマの1シーンのように華やかになる。

 

 「夏歩は大丈夫だよ。近いうちに必ず、アリサさんも女優としてちゃんとキミのことを評価してくれる」

 

 星アリサが所属している俳優一人一人の将来のことをしっかりと考えてくれていることは、言われなくても分かっている。

 

 「さて、気分を切り替えて行きますか」

 「あの!」

 「ん?どうした?」

 

 だからこそ、私はどうしても聞いておきたかった。

 

 「アリサさんから聞きました・・・HOME(このドラマ)の仕事が終わったら・・・スターズを辞めるというのは本当なのですか?」

 

 

 

 静寂に包まれた楽屋の中で、一筋の煙草の煙が蛍光灯に吸い込まれていくかのように虚しく漂っていた。

 




2章を書き始めた頃はそろそろ終盤辺りまで来ている予定でしたが、あれよあれよと物語が肥大化していき、ようやくここで折り返し地点・・・になる前提で現在ストックの方は書き進めています。

たかだがCM1本とドラマの打ち合わせだけで7週も費やすという展開の遅さ。早く物語を先へ進ませたいという意思に反して、もどかしく停滞する両腕。

どうしてこうなった・・・?

でもスランプに陥り2週間ゴミだけを量産していた時に比べると、今の悩みはちっぽけかつ贅沢なものかもしれない。

てことで次週は2週間のゴミ生活から脱するきっかけとなったこぼれ話をお届けします。







ついでに感想&ご意見がありましたら気兼ねなく書いて頂けるとありがたき幸せです。

10/05 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


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scene.13.5《幕間》 麻友の感情

 ドラマ『HOME -ボクラのいえ-』の撮影が始まり約2か月。環はこのドラマでレギュラーキャストの1人である新藤麻友(しんどうまゆ)役に抜擢され、忙しい日々を送っていた。

 

 「蓮?先にシャワー浴びていい?」

 「うん、いいよ」

 

 同居人の牧がシャワーを浴びに向かうのをチラッと確認すると、環は台本を手に取って椅子から立ち上がる。

 

 「・・・私ってさ、人を愛せないんだよね・・・」

 

 リビングで1人台本を手に持ち、明後日から撮影が始まる第8話の台本に書かれた自分の台詞を環は復唱する。

 

 「・・・やっぱりなんか違うんだよなぁ・・・」

 

 自分の言った台詞のニュアンスに納得がいかず環は苛立つように軽く溜息をしながら天井を見上げると、そのままダイニングテーブルの椅子に座り込む。

 

 環の演じる麻友は底抜けに明るくポジティブなムードメーカーだが、それはあくまで自分自身を壊さないための仮面。

 その裏では幼少期に両親が離婚し、男をとっかえひっかえするような実母に引き取られて邪魔者扱いされ続けた挙句、小学校の卒業式から帰ったその日に母親から捨てられ一家離散したという壮絶な過去を抱えている非常に難しい役である。

 

 そしてドラマの第8話でついに麻友が笑顔の裏に隠していた過去の全貌が明るみになる、というシナリオ。

 

 「何でこの役をやらせたんだろ・・・月島さんは」

 

 天井を見上げながら環は一言呟く。このドラマの脚本家であり演出としてメガホンも取る月島が役者として実績や経験の少ない新人に敢えて難しい役を与えることは業界内では有名な話だ。

 このドラマで私の演じる麻友は一見すると朗らかだが、周りから常に“愛されてきた”ような自分とは対照的な役。はっきり言って今の私ではこの役が務まる程の実力はないのかもしれない。

 

 “それでも月島(あの人)は私を使ってくれている”

 

 主演を務める早乙女もデビュー当初は周囲から“見た目だけが取り柄”と言われていたが、月島が携わったドラマに出演したことをきっかけに俳優として一気にその才能を開花させていった。

 

 これは月島から与えられたせっかくの試練(チャンス)。こんなところで弱音を吐いたら私は女優じゃない。

 

 “負けてたまるか”

 

 だらっと天井を見上げていた環は姿勢を正し、再び台本に目を向ける。

 

 

 

 親元を離れこの部屋で生活を始めて2週間。本来であれば7月末に引っ越す予定を環は可能な限りで早めていた。全ては役作りのために。

 孤独な感情を自分の中で引き出すために、数少ない登校時間の中でもなるべくクラスメイトと関わることを避けてきた。もちろん、憬とも距離を置いた。

 

 “このままだと私は最後まで麻友を演じきれない”

 

 最後まで演じ切ることを決意した私は、親という存在にポッカリと穴が空いている麻友の気持ちを少しでも理解しようと、予定より早く実家を出ることにした。

 

 “『蓮は本当にそれでいいの?』”

 

 これには放任主義の母もさすがに心配していたが、小一時間の説得で了承を得たことで私は晴れて役作りに専念できる環境を手に入れることができたが、それと引き換えに憬を含む2年2組のクラスメイトとはもう会えなくなってしまった。

 

 “結局何も言えなかったな・・・”

 

 本当は今日、終業式に出席してクラスのみんな、そして憬に自分の口から感謝の言葉を伝えているはずだった。

 だが共演者のスケジュール変更に伴い撮影が1日ずれたことで撮影日が被ってしまい、終業式に行けなくなってしまった。

 今更悔やんでも何の解決にもならないことぐらい分かっている。それでもやっぱり、憬にだけは全てを伝えるべきだったのだろうか。

 

 

 

 「あぁ駄目だ。とにかく今は8話(こっち)に集中しないと」

 

 環は両手で赤くならない程度の強さで自分の両頬をパチンと叩いて再び気合いを入れ、再び台本に目を通す。

 

 

 

 「まーだ台本()読んでんの?」

 

 能天気なテンションでシャワーから上がって部屋着に着替えた静流が背後から抱きついてきた。

 

 「うん。何かまだ自分が麻友の感情を把握しきれてない気がして」

 「そんなことないと思うよ。オンエアを見る限り蓮の言ってた底抜けに明るいけどどこか影がある感じも出てるし」

 「だとしても、今のままじゃ私は8話から先の麻友を演じきれない」

 

 最初は監督の出すOKのサインを信じて疑わなかったが、回を重ねるごとに私と麻友の距離感が一向に縮まっていないという感触が大きくなっている。

 

 「ていうか明日お互いオフじゃん」

 「・・・確かにオフだけど、それが何?」

 「この際思い切って渋谷とかにでも遊びに行かない?リフレッシュって意味で」

 

 そうだ、明日はオフだ。本当は今日だったのが一日ずれ込んでこうなった。だが、明後日からは8話の撮影が始まってしまう。

 

 遊んでいる暇などない。

 

 「ごめん。私パス」

 「えぇ~行こうよせっかくのオフだし」

 

 “それどころじゃないんだよ、私は”

 

 「言っとくけど私は行かないからね。静流と違ってこっちはレギュラーなんだよ」

 「回想シーンだけの出番でも私は本気だよ?」

 

 そう言って静流は余裕そうな笑みを浮かべる。この部屋で同じ釜の飯を食う1学年上の彼女は、基本的にどんな時でもこの調子だ。

 とはいえ、子役から第一線で活躍する静流は女優としても人間としても名実ともに私より遥かに上の存在。

 

 「静流が本気なのは分かってるよ。だから私も早く追いつかないと共演者(周り)に迷惑をかける」

 「気持ちは分かるけど少しぐらい肩の力抜いたらどう?こっちに来てからずっと台本やノートとにらめっこしてても何も始まらないじゃん」

 「それぐらい追い込まないと駄目なんだよ・・・何回も言わせないでくれる?」

 

 横浜の実家を出たあの日も、こんな感じで母にきつく当たってロクに仲直りもしないまま家を後にした。

 自分が最低なことをしている自覚はある。でもそれぐらいの犠牲を伴わないと、この役は最後まで演じきれる気がしない。

 

 だがそこまでしても私は、未だに麻友の感情を上手く引き出せないままでいる。

 

 「・・・ここに来てからあなたはずっと疲れてる」

 

 そう言いながら牧は椅子に座る環の頭をポンと2回叩くと、そのまま優しく頭を撫でる。

 

 「疲れてなんかない。これは私が麻友を最後まで演じ切るために必要なことだよ」

 「でもさぁ、それだけ意地張って本番で空回りしたら虚しいと思わない?」

 

 牧からの一言に、環は言葉が詰まる。心の中で急速に膨れ上がる、負の感情。

 

 「・・・空回りしないためにやってるんだよ・・・」

 

 絞り出した精一杯の言葉。“才能のあるあんたに何が分かる”という感情と、静流から言われた言葉に心の底で納得してしまっている自分が交錯し、自己嫌悪に似た感情に襲われる。

 

 “何やってんだろ・・・私”

 

 「それで?蓮は麻友に近づけたの?」

 

 麻友に近づけていたら、私はここまで思い悩んでいない。

 

 「・・・麻友が感じてる孤独を理解したくてわざと周りと距離を取って、事務所や家族に無理言って予定より1ヶ月以上早くこっちに引っ越した。昨日まで周りにいた家族とか友達をどこかに遠ざければ、麻友の孤独が分かると思ってた」

 

 気がつくと私は、心の内に秘めておいたはずの本音を吐き出していた。そんな私の頭に軽く手を乗せながら、静流は聞き役に徹して相槌を打っている。

 

 「でも今の私はちっとも麻友に近づけてない。思い返すとほんとにバカな話だよね。そんなことをしなくたってもっと効率のいい方法なんていくらでもあるはずなのに」

 「それが分かってるなら肩の力抜けっつーの」

 

 相変わらずのテンションでごもっともなことを言われ、さすがに言い返せない。

 

 「だいたい蓮は役作り以前に演じることに必死過ぎる。だから視野が狭くなって目の前に見えているはずのものも見落とすんだよ」

 「・・・見落とす?」

 「もうこっちに来てから2週間。せっかくここに“お手本”がいるのに全然お芝居のことで相談してくれないじゃん」

 

 静流に言われて初めて気がついた。早く周りに追いつかなければという焦りから、役作りに必死になり過ぎてアドバイスも仰がず全部1人で解決しようとしていたこと。

 

 「それは・・・本当にごめん。でも誤解しないで、私は」

 「分かってるよ。役作りに必死過ぎて気が回らなかったんでしょ」

 

 言葉を被せるように、牧はすかさず環の言いたかったことを返す。

 

 「でも私は好きだよ。蓮のそういう愚直で真っ直ぐなところ」

 「それは・・・ありがと・・・じゃなくてそのせいで視野が狭まってるんでしょ私?」

 「それは常に全力疾走しているからだよ。愚直に前だけ向いて走り続けることは間違いじゃないし、役者としてはとても大切なこと。でも休まずに走り続ければどこかで酸欠になるし、酸欠になれば視界も霞む」

 

 そう言いながら牧はダイニングテーブルを挟んだ反対側の椅子に座り、環を真っ直ぐに見つめる。

 

 「だから一回立ち止まって後ろを振り返ってみなよ?蓮」

 「振り返るって何を?」

 「例えば蓮がまだ小さかった頃の記憶を思い浮かべたりしてさ。案外そういうところにヒントが転がってたりするんだよね」

 「・・・私の思い出・・・」

 「もしよかったら私に聞かせてよ。蓮が女優になる前の話」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 “これは、まだ憬にも明かしていない私の過去”

 

 

 

 幼稚園に通っていた頃から、何故か男女問わずクラスのみんなからモテまくった。周りのみんなと分け隔てなく遊んで、誰かが困っていたら手助けをして、誰かが喧嘩をしていたら真っ先に止める。

 そんな人として当たり前と言われるようなことをただ当たり前にやっていたら、いつの間にかクラスのリーダーのような立場になっていた。

 

 “リーダーになったからには2番手になることは許されない”

 

 そんな幼少期の固定概念が私を負けず嫌いにさせた。幼稚園の時からかけっこや運動会、お遊戯会に習い事でもどんな些細なことも1番でなければ気が済まなくなっていた。

 忘れられないのは年長組の時、組対抗の運動会のドッジボールで1対1のまま時間切れになって最終的にじゃんけんで勝敗をつけることになった時のこと。

 

 “私のせいで負けた”

 

 どんなに他のことで1番になれてもじゃんけんだけは弱いままだった。そして案の定、私はじゃんけんに負けた。同じ組の男子からボロクソに言われたが、すぐにその男子は周りから返り討ちのように文句を言われ、先生からも窘められていた。

 あの後家に帰って、真っ先に母にじゃんけんに勝てる方法を教えるよう泣きついたことを覚えている。

 

 『蓮、じゃんけんにはね、必ず勝てる“おまじない”っていうのがあるんだよ』

 『・・・おまじない?・・・それであたしは勝てるようになるの・・・?』

 『もちろん。コツさえ掴めばキミも無敵さ』

 『・・・むてき?』

 

 母から “必勝法”を教わってから、私はじゃんけんでも1番になれるようになった。

 やがて小学校に上がると勉強も体育もオール5を取り、常にクラス内で話題の中心にいるような人気者になり、担任からも優等生として愛された。

 

 

 

 「へぇ~、蓮はほんとにみんなから愛されていたんだね」

 「・・・そう。だから私は愛を知らない麻友とは真逆なんだよ」

 「けどみんなから愛されてたって言う割に、私には蓮の顔が随分悲しそうに見える」

 

 

 

 最初はまるで自分が王様になったような気分がして純粋に嬉しかった。でも学年が上がるにつれていつしか周りが本当に自分のことを特別(王様)扱いするようになった。

 

 『ほんと蓮は可愛いし勉強もスポーツも出来てカッコいいよね』

 

 『あたしも蓮ちゃんみたいに美人に生まれたかったな~』

 

 『環さんはこのクラス、いや生徒全員のお手本だよ』

 

 いつの間にか私の後ろには“クラスのリーダー”、“クラスのマドンナ”、“みんなのお手本”という肩書きのようなものが付いて回るようになった。

 みんなからは常套句のように可愛いと言われ、私が喧嘩を止めれば“蓮が言うなら”と喧嘩が終わり、関係ない周りは“蓮を困らせるな”と野次を飛ばす始末。

 

 “どうしてこうなっちゃったんだろう?”

 

 私はクラスの人気者(マドンナ)としてではなく、ただの同じクラスメイトとしてみんなと同じように仲良くしたいだけなのに、いつからこうなったのだろう。

 

 “そして私は・・・心の底から笑えなくなった”

 

 贅沢すぎる悩みだと言われたら何も言い返せないかもしれないが、私は次第に周囲の言葉が信じられなくなり心を閉ざすようになった。誰一人として悪気はないという現実が、それに拍車をかけた。だから父の転勤がきっかけで転校することが決まった時は心の底から安堵した。

 

 “もうこんな思いをしないで済むかもしれない”、と。

 

 

 

 「そっか・・・そんなに大変だったんだね」

 「最後の日にみんなからメッセージボードとか花束を貰ってさ、そしたら耐えられなくなってみんなの前で泣いちゃったんだよね」

 

 もちろんそれはクラスのみんなと会えなくなる寂しさというよりは、もう我慢しなくて良いんだという嬉し涙に似たようなものだった。

 

 「今考えたら私も私でホント最低だよね。勝手に自分で悩んで勝手に自分だけで解決しちゃって」

 

 頼れるような、心の内を打ち明けられるような本当の友達は誰もいなかった。ずっと心の奥底に残り続けている思い出したくもない記憶。

 

 「でも私にとっては蓮のそんな思い出すらも羨ましいよ」

 「あんまり羨ましがるようなものじゃないよ。私の思い出なんて」

 

 そう言って自分の過去を自嘲気味に笑う環を見つめ、牧もまた優しく微笑みながら自分の思いを打ち明ける。

 

 「・・・私ってさ、2歳の時に芸能界(このせかい)に入っちゃったから “普通の世界”を知らないんだよね。それなのに女優(私たち)は“普通の世界で普通の人生を送る普通の女の子”を演じなければならない時が来ることもある」

 

 12歳の時にスカウトキャラバンでグランプリを獲ってデビューした環と、2歳で芸能界入りして子役時代から第一線で活躍し続ける実力派の牧。

 同い年で学年も1つしか変わらない2人の間にある、10年分の年月(ギャップ)

 

 「そんな時、私は他のみんなが感じているような“本当の普通”を知らないから、こうやって“普通の人生”を送ってきた人から話を聞かないと、自分の中で満足のいく役作りが出来ない。だから蓮のように最初から“普通の人間”としての過去(バックボーン)を持った役者(ひと)は本当に恵まれているんだよ」

 

 

 

 “私は(あなた)のような人間が本当に羨ましいよ。出来ることなら、もう一度自分の人生を最初からやり直したいって思うくらいに・・・”

 

 

 

 「それに、蓮はもう麻友の感情を“最初”から身に着けてるじゃん。だからあなたは周りと同じように十分に(他人)のことを理解してる」

 

 その言葉に環は首をかしげる。まだどこかピンと来ていない環に、牧はある質問をぶつける。

 

 「蓮は一番辛かった時、どうやってみんなと過ごしてた?」

 

 

 

 心はとっくに限界を迎えていた。それでも私は、クラスメイトの前にいる時だけは明るくポジティブで負けず嫌いな“クラスの人気者”であり続けた。

 

 

 

 「じゃあ何でそうまでして、蓮は人気者(マドンナ)を貫いたの?」

 「・・・そうでもしないと、自分自身が“壊れてしまう”気がしたから」

 「そうだよ。それが答えだよ」

 

 “それが答えだ”という言葉がピシャリと心臓を突き、視界が一気に澄み渡っていくような感覚に襲われる。

 

 「これで分かったでしょ?麻友(他人)は必ず(自分)の中に存在するって」

 

 麻友は、自分を壊さないために笑顔という名の仮面を被っている。状況は違うがある意味、あの頃の私と同じようなものだ。

 

「そうやって勝手に自分の中で壁を作ってる暇があったら、私みたいに(他人)感情(モノ)をどんどん利用して喰って行かないと、骨の髄まで喰い尽くされて抜け殻になるだけだよ?」

 

 “身の回りにあるものは、全て喰い物”

 

 物心がつき始めた時から芸能界に入り、子供も大人も関係ない実力主義の世界でずっと生きてきた牧静流は、こうして子役から女優になった。

 

 普通の世界を知らない少女が普通の世界に生きる人々を演じるために辿り着いた、女優としての美学。

 

 「・・・今更それに気づいても挽回できるのかな・・・?」

 

 だけど私は、静流のようなずば抜けた能力なんて持っていない。自分なりに頑張ってみても、その糸口すら見えてこない。

 

 「気づくのが遅すぎるんだよ・・・」

 

 自分に対する怒りの声が、静かにズシリと響き渡る。間違った解釈のまま、ここまで来てしまった私に挽回するだけの猶予があるのだろうか。

 

 「蓮」

 

 静流の声が聞こえた瞬間両頬にパチンと衝撃が走り、目線が斜め上へと持っていかれる。

 気がつくと静流が私の両頬を抑えながら顔を覗かせていた。

 

「まだ本番も始まってないのに何が遅すぎるっていうの?間に合ったじゃん。“8話(本番)”までに」

「・・・でも、今までずっと“間違って”演じて来たんだよ。もう何もかも」

 

 『もう何もかも手遅れなんだよ』と言いかけた環の言葉を、牧は語気を強めて被せる。

 

「蓮は“間違って”なんかない。麻友だって間違いに薄々気づいていながらも今の自分が正しいと心を偽ってまで無理やり信じて7話(今日)まで生きてきた。そして8話(明日)でそれが間違いだったということを認めざるを得なくなって、それでも“人を愛せない”自分ごと全てを受け入れてくれる本当の“家族”の優しさを思い知る。それってさ、まさしく小学生の時に感じた孤独を乗り越えた今のあなたのことだと思わない?」

 

 “私は知っている。月島(あの人)は蓮の武器である軌道修正(フィードバック)の良さだけでなく長所であり短所でもある愚直で一途なところも利用して、それを見事に“麻友の感情”として昇華させているということを“

 

 「・・・だから蓮は、最初から“麻友”になれていたんだよ」

 

 

 

 『環蓮です。よろしく』

 

 幸か不幸か、私は転校先でも初日からクラスの人気者になった。もちろんそれは、私が物怖じせず馴れ馴れしいくらいに周りの話に乗っていったからだ。なるべく前の学校での思い出を紛らわすために。

 

 “夕野憬”

 

 そんなクラスで、窓際の席に座り自分の世界に耽っている1人の男子がいた。

 

 『ドン引きだろ?いつもこうなんだよ俺って。好きな俳優の話題になると空気を読まずに喋り続けちまう』

 

 このクラスの中では浮いた存在だった役者好きの少し変わったクラスメイトの話は、本当に面白くて引き込まれた。

 でもそれ以上に嬉しかったのは憬が私を特別扱いせず、時には互いに悪口も言い合ったりと本当の意味でただの“友達”として接してくれたこと。

 

 それから程なくして憬とは互いに親友と呼べるほど仲が良くなり、私も次第に本当の意味で心を開けるようになった。

 

 『良いと思うよ。蓮は“華”があるし』

 

 スカウトキャラバンの話を憬に持ち掛けて相談した時、憬は“可愛い”ではなく“華がある”と言ってくれた。何となくその言葉が、本当に自分のことをちゃんと見てくれていると感じて、なぜか心の底から嬉しさがこみ上げた。

 

 だから私はスカウトキャラバンに応募することを決めた。その応募理由には敢えて『よく可愛いと言われるから』と書いた。

 

 それは今までの弱かった自分を糧にして、囚われていた過去と決別するという私なりの決意だった。

 

 『蓮と同じように俺も役者になる』

 

 初めて決まった映画の撮影で自信を粉々に砕かれて、卑屈になってその決意が揺らいでしまったこともあった。そんな時に憬が私に向けたこの言葉のおかげで、やれるところまで頑張ろうと思えた。

 大切な人の気持ちを理解したいという理由だけで同じ道を歩めるほど、この世界は甘くない。それでも、そうまでして私のことを親友として支えていきたいと願う憬の想いは、かけがえのない心の支えとして深く刻まれている。

 

 憬がいるから、今の私がいる。憬がいたから、私は再び心の底から笑えるようになった。

 

 

 

 気がつくと私は目に涙をためていた。憬と『1999』を観に行ったあの時でさえ、涙は一滴も流さなかったのに。

 止まってくれという思いに反して、あらゆる感情を乗せた一筋の涙が頬を伝い始める。

 

 「・・・私の2か月は・・・全部無駄な努力だった・・・でも・・・」

 

 2か月という時間の中で私は色んなものを犠牲にしてきた。そしてその全てが間違いだったことを思い知った。それでも私が選択を間違い続けた2か月は・・・

 

 「・・・無駄じゃ・・・なかったんだ・・・」

 

 両目から大粒の涙をこぼし、声を押し殺して泣いている環を、牧は優しく抱きしめて自分より少し大きな環の背中をさする。

 

 「これであなたは、(麻友)にまた一歩近づけた」

 

 もう少し早くに気付いていれば、きっと麻友をもっと上手く演じられていたかもしれない。気づくのが遅いと言われたら何の反論も出来ない。全部をひっくるめて、これが今の私にとって精一杯の実力。

 

 それでも8話(ここ)から先を演じ切るという自信と手ごたえは確かに掴んだ。

 

 だから後は、今やれることを自分らしくやるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 “(あなた)にはここから・・・もっともっと強くなってもらわなければ困る・・・私が私で在り続けるために・・・”

 




これが、2週間のゴミ量産生活の末に辿り着いた1つの結論です。本当に勢いで書いたため後になってう~んって思うようになる可能性も高いですが、この回無くしてscene.10から先は書けなかったと言い切っていいと思っています。

そしてこれを読んだ読者の中には、もしかしたら環に対する見方が少しだけ変わったと思う人もいれば、そうでもない人もいるかもしれません。

つーことで最近は主に劇中のドラマと主人公が創作における頭痛の種という割とヤバめな綱渡りが続いていますが、次週から後編スタートです。














環(タマキ)と牧(マキ)って、なんかややこしくない? by作者


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scene.14 AWAY

5/15 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


 「墨字はさ、これからどうすんの?」

 「旅に出る。カメラ1つで」

 

 高円寺にある居酒屋の酒の席で、いつかの俺と黒山はこれからのことを語り合っていた。

 

 「期間は?」

 「さぁな、取りあえず撮れるもんが撮れるか軍資金(有り金)がなくなったら日本(こっち)に戻るつもりだ」

 「金欠になって俺に借金するような真似だけはやめてくれよ」

 「安心しろ。こう見えて俺は金の貸し借りはしない主義だからな」

 「ほんとかよ」

 「そんで世界を回れるだけ回ったら日本(ここ)に戻って、大作の1つでも撮ってやろうってとこだ」

 「それはまた野心的なことで」

 

 もしかするとこの時から既に、“あの映画”へのカウントダウンは始まっていたのかもしれない。

 

 「・・・墨字、もし日本(こっち)に戻ってきて大作映画を撮るときが来たらさ・・・」

 

 

 

 午前5時30分。手探りでスマートフォンのアラームを止めて、憬は眠気眼の身体を無理やり起こす。

 

 「・・・はぁ・・・」

 

 ベッドに座り込んだまま、憬は深く溜息をつく。芝居が全てだった世界から離れて10年が経っても、こうして度々“昔の夢”を見ることがある。

 

 「・・・いてぇ・・・」

 

 こんな夢を見た朝は必ずと言っていいほど頭痛に襲われる。耐えられない程の痛みではないが、この状態では朝の日課にしているランニングをする気力は削がれ、嗜好品(セッター)も吸えやしない。

 

 “・・・朝っぱらから気分悪ぃ・・・”

 

 そして今日は14時から週明けに発売される『hole(最新作)』の独占取材が入っていて、その様子は特集として来週末の“ブランチ”で放送されることになっている。

 ここ10年の間は文芸雑誌の取材(インタビュー)しか引き受けてこなかったから、“あんな風に”カメラを向けられるというのは本当に久しぶりのことだ。

 だから今日ばかりはなるべく平常な精神で一日をスタートしたかったが、そんな願望は最悪な目覚めで一気に崩れ去ってしまった。

 

 “よりによって、何でこんな時に”

 

 と嘆いても、何もかも遅い。

 

 それでも芸能界という舞台を降りてからメディアを極力避けてきた俺が、なぜ今になってこんな仕事を引き受けたのか、“その理由”はたった1つだ。

 

 “もちろん、その理由を明かすつもりは毛頭ない”

 

 ひとまず気分転換をするため憬は頭痛薬(タブレット)の入った箱を手に取ってリビングに向かう。

 

「・・・そう言えば今日って・・・」

 

 ふと何かを思いついた憬は、リビングに飾られたカレンダーを見て今日の日付を確認する。

 

 2018年___8月7日___

 

 どうりで心当たりがあったわけだ。ちょうど19年前のこの日、俺は演者としてあるドラマの撮影に臨んでいた。

 

 『HOME-ボクラのいえ-』

 

 ドラマのタイトルも内容もしっかりと覚えている。なにせこれは俺にとって事実上の“俳優デビュー”となったドラマだからだ。あの日の撮影のことは嫌でも忘れられない。

 

 “もうそんなに経つのか・・・”

 

 今日は何かと、昔の思い出が脳裏に浮かんでくる。これはある意味、“因果関係”のようなものなのだろうか。

 

 「・・・今日は踏んだり蹴ったりになりそうだな」

 

 独り言を呟いた憬はリビングに向かい冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出して頭痛薬(タブレット)を流し込むと、バルコニーへ出て早朝の景色を眺めながら気分を落ち着かせた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 8月7日_午前8時05分。東京都町田市立南町田中学校___

 

 「おはようございます」

 

 電車と最寄り駅から現場までを輸送するロケバスを乗り継いで合計1時間と少し。俺は民放ドラマ枠の中でもトップクラスのブランド力を誇る月9の撮影現場に足を踏み入れた。

 

 “HOME(ホーム)というより“AWAY(アウェー)”だな・・・”

 

 出番が1話限りとは言えパッと出のような中学生に、いきなり主人公の少年時代という大役が務まるはずがないというのが、大方の予想だ。

 ましてや主演は“視聴率男”として数多くのドラマに華を添えてきたカリスマ・早乙女雅臣。下手な芝居でもされたらそれこそドラマとしてのブランド力はもとより、脚本・演出の月島の株も落としかねない。

 

 そんな撮影現場となる中学校では海堂のお気に入りである“大物新人”に対する期待と不信感が複雑に混ざり合って不穏に似た空気が渦巻いていた。

 

 “ていうか、また学校かよ・・・”

 

 という具合にどうでもいいことを無理やりにでも思い起こさないと、“ホーム”の空気に押しつぶされそうな予感がした。

 

 どうか次の現場こそはアウェーではなくホームであって欲しいものだ。

 

 

 

 「憬」

 

 不意に背後から肩を叩かれ声のする方へ振り向くと、左の頬に誰かの指が当たる感触がした。

 

 「よっ」

 「・・・蓮!?」

 

 振り返ると牧が無邪気そうな笑顔で俺を見ていた。

 

 「どう?これで少しはリラックス出来た?」

 「・・・ていうかなんで蓮がここにいるんだよ?確か今日は出番がないはずじゃ」

 「憬くんのお芝居をどうしても観たいんだってさ」

 

 すると環の後ろから聞き覚えのある声がした。

 

 「おはよー憬くん」

 

 このドラマで直樹の幼馴染であった日島美沙子(ひしまみさこ)の役を演じる牧と、その隣にはどういう訳か今日の出番はないはずの山吹の姿もある。

 

 「誤解招くような言い方すんじゃねぇよ。俺と環はただ夕野(コイツ)が何かやらかさないか心配で見に来ただけだ」

 「へぇ~、さり気なく蓮のことも庇うなんて、ブッキーかっこいいね」

 「・・・は?別に庇ってねぇし馬鹿じゃねぇのお前?」

 「(こういうのってあまり言わない方が良いんじゃね・・・)」

 

 からかわれた山吹は牧のことを突っぱねるが、図星を突かれたせいで心なしかキレが悪くなっている。

 言葉遣いも見た目も尖っているが、こうしてさり気なく仲間をフォローしたりするところを見ると、本当はとても仲間思いの心優しい人なんだなと感じる。

 

 「つーか少しでも足引っ張るような真似したらぶっ飛ばすからな、新人」

 「・・・うす」

 

 ただし、その伝え方はちょっとばかり不器用なのだが。

 

 「私は静流の言う通り興味があったから来ただけだよ。一応、芸能界に入る前からの仲だったし。心配だけど」

 

 『お前もかよ』と言い返したいところだが、客観的に今の俺が置かれている状況を考えれば、心配されて当然だ。

 

 第10話の過去パートのうち、学校で撮影するシーンは今日と明後日で全て撮り終える予定だ。しかもラストシーン以外は校内での撮影を今日中に済ませるらしい。

 さらに主演である早乙女のスケジュールの都合で読み合わせ込みでリハーサルを行い、そのままぶっつけで本番を行うという中々に新人殺しのスケジュールである。

 

 こういう“イレギュラー”なスケジュールは既に一回だけ経験しているが、これは前のCMとは訳が違う。

 

 「まぁ、なんか演じていて困ったことがあったら私が全部フォローするからさ」

 「気を付けろ。そういって静流(コイツ)夕野(お前)のことを跡形もなく喰うつもりだからな」

 「ほんっと人聞きの悪いこと言うよねブッキーは」

 

 しかも相手は “牧静流”だ。話題性の獲得という意味合いもあるのだろうが、直樹の回想シーンのみに登場する美沙子という役に牧をキャスティングすることは、一視聴者からみても“贅沢”な使い方である。

 

 更に最初に撮影するシーンはいきなりターニングポイントとなるいじめのシーンからである。ドラマというものは、ストーリーの順序ごとに撮影を進めていくという訳ではなく、ロケーションや出演者のスケジュールの都合次第で撮影する順番が決まっていくようなものだ。

 

 特に、こうした民放のゴールデンタイム枠の連ドラともなるとそれが顕著になって現れる。

 

 「でもいきなりあのシーンから始まるけど大丈夫なの?憬」

 

 環が少しだけ心配そうに聞いてきた。確かに声を大にして大丈夫だと言える程ではないが、だからといって万事休すという訳でもない。

 

 「それはやってみないと分からないけど、俺の前には“美沙子(お手本)”がいる」

 

 “だが、自分なりに自信はある”

 

 「・・・お手本ね・・・」

 

 そんな憬の言葉に、牧はどこか意味深な笑みを浮かべる。

 

 「じゃあ憬くんはたった“2話”で美沙子()感情(こと)が分かったの?」

 

 実際にドラマ自体は既に第5話まで放送されていて、既に直樹の回想で美沙子は2度、このドラマに登場している。

 出番はたったの2話で2つを足してもせいぜい数分といったところだが、そこに10話で明かされる過去と照らし合わせれば、完璧とまでは行かないが十分な材料だった。

 

 「全部って訳じゃないけど、大体は分かったつもりだよ」

 

 放送された回想シーンで牧の演じる美沙子の感情に入り込み、10話の台詞と共に美沙子の感情を自分の身体に取り入れることで気持ちを理解し、一旦その感情をリセットした上で直樹の視点で美沙子の感情を受け止める。

 

 ここに来て、俺は幼少の頃に身についていた追体験(メソッド)を遂に正しい意味で有効活用できる機会を得ることができた。

 

 

 

 「へぇ~」

 

 興味深そうに牧は憬を吟味するかのように凝視する。

 

 ”やっぱり、あなたはそういう“タイプ”の役者か”

 

 牧は既に分かっていた。憬の中にある感情が微妙に変化していることを。憬の目が少しずつ“直樹”の感情に近づいているということを。

 

 “さて、お手並み拝見と行きますか・・・期待の新人さん・・・”

 

 

 

 エキストラを含む10話の過去パートに出演する役者全員が現場入りしてから約1時間後、撮影現場の中学校に一台のスポーツカー(FD)が颯爽と乗り込んで来た。

 

 「あのすいません、今日はドラマの撮影でこの学校を使っていますので関係者以外・・・は・・・」

 

 敷地内に入ったFDに気付いた新人のスタッフが制止に向かったが、中に乗っている1人の男を見た瞬間に思わず絶句する。

 

 「ボク、一応関係者ですけど?」

 「あぁ早乙女さんですか!失礼しました!」

 「いやいいよいいよ謝らなくて、本来だったらボクは今日来る必要はないからね」

 「・・・あの、一応月島からはなるべく目立たないようにということなのでってちょっと早乙女さん!?」

 

 スタッフが月島からの伝言を言い切る前に早乙女の操るFDは独特な快音を響かせながら、一気に校内の駐車場へと向かって行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 中学時代、直樹には美沙子という小学校からの幼馴染がいた。

 

 いつも底抜けに明るいクラスの人気者と喧嘩っ早いが根は優しく友達思いの2人は、学校ではクラスメイト達と共に遊んだり、ほぼ毎日のように2人で並んで登下校するなどいつも一緒のような仲だった。

 

 中学に上がるとそれぞれが違う部活に入ったことにより2人でいる時間は少しだけ減るようになったが部活動のない日は一緒に帰ったり、少しでも互いに時間が取れれば他愛もない話で盛り上がったりと、相変わらず仲の良い日々が続いていた。

 

 だがそんな日常は、“ある1つ”の事件をきっかけに一変してしまう。

 

 高校教師である美沙子の父親が、担当するクラスの女子生徒に“手を出して”逮捕された。

 この事件は瞬く間に全国ネットで取り上げられて父親が実名報道されたばかりか、目のくらんだマスコミによって美沙子自身も父親から性的な虐待を受けていたことも明るみにされた。

 

 それは、幼馴染である直樹ですら知らなかった事実であった。

 

 「・・・何だよこれ・・・」

 

 事件から一週間後、“もう大丈夫”と気丈に振舞う美沙子と共にクラスに入って飛び込んで来たのは、目を覆いたくなるような無数の悪口で埋め尽くされた美沙子の机と椅子だった。

 

 「オイ・・・悪口書いた奴・・・全員手ェ挙げろ」

 

 そう言ってもその場にいたクラスメイトは全員、手を挙げることはない。

 

 「・・・お前ら・・・」

 

 直樹は拳を握りしめて、1人1人を睨みつけていく。

 

 「直樹、いいよもう」

 

 そんな直樹の姿にいたたまれなくなった美沙子が、直樹を止めようとする。

 

 「いい訳ねぇだろ!!・・・お前らホントにダセェよ・・・寄ってたかってこんなくだらねぇことしやがって」

 「直樹・・・」

 

 その時、1人の同じクラスの男子が笑っているのが目に入った。

 

 「何笑ってんだよテメェ!」

 「もういいって言ってるでしょ!!」

 

 笑ったクラスメイトの胸ぐらを掴もうとした直樹を、美沙子が止める。

 

 「あたしは大丈夫。だから、これ以上余計な事しないで」

 「・・・日島」

 「・・・全部、あたしが悪いんだから」

 

 そう言うと美沙子は、周りの視線を避けるように俯きながら自分の席に座る。

 

 「・・・別に俺たちは悪口なんて1つも書いてないよ。ただそこに本当のことを書いただけ。ただ、ずっと前から調子こいてて鬱陶しいとは思ってたけどな」

 

 直樹と美沙子のことを笑ったクラスメイトの放ったその言葉に、直樹は人を殺すような視線を送る。

 

 「・・・・・・・」

 

 

 

 「“オイ”はどうした?」

 「あっ」

 

 月島からの合いの手で、憬は台詞が飛んでいたことに気付いた。

 

 「すいません。思いっきり台詞ド忘れしてました」

 「まだリハーサルだ。本番で決めてくれればそれでいい」

 

 憬がNGを出すと同時に、それまで緊張感に包まれていた撮影現場にちょっとした笑いが起こるが、その笑いは新人のNGを茶化すような笑いというよりは、どこか安堵に近いようなものだった。

 

 “大物新人”ともっぱらの噂だった中学生の少年。あの“海堂正三”に才能を見出されただけあって、只者ではないという期待はあったが如何せん演技経験は無いに等しいという不安材料を抱えて迎えたリハーサル。

 

 「もしかしてカメラとかを向けられると緊張するタイプ?」

 「いや、そういう訳じゃないけど、なんか・・・役に入り過ぎて台詞が飛んでたんだと思うわ俺」

 「そう。じゃあ、本番までにどうにかしないとだね」

 

 だがそこで展開された光景は、現場にいた人間の想像を遥かに超えるものだったことがこの2人のやり取りに凝縮されていた。

 

 「おい聞いたか今の?役に入り過ぎて台詞飛んだらしいぞ」

 「嘘だろ?だって芝居経験ゼロだぜあり得ないって」

 

 案の定、それは堰を切るように驚きとなって周囲のスタッフやエキストラを巻き込んでいった。

 

 “リハ(ここ)まではおおよそ想定の範囲内ってとこか”

 

 だが、オーディションで憬が持つ潜在能力の高さを既に目撃していた月島は1ミリも驚いてなどいなかった。

 

 

 

 「嘘・・・」

 

 もちろん、教室(カメラ)の外からスタッフに紛れて山吹と共にリハーサルを見学していた環も、憬の芝居に驚きを隠せずにいる1人だ。

 

 「環?夕野って本当に今まで芝居やったことないのか?」

 「ないですよ。ただ、普通の人より映画やドラマが好きってだけで」

 「・・・そうか」

 

 だが山吹は、環とは違った角度で2人の芝居を見つめていた。

 

 「環って、リハの静流を見るのは初めてか?」

 「はい」

 

 環の相槌を合図にするように、山吹は憬と共に月島と話し合う牧の方に視線を向ける。

 

 「・・・じゃあ予習として1つだけ教えてやる。静流(コイツ)、基本的にリハは “相手の実力”を確かめる為に3,4割ぐらいの力で()ってんだよ。まぁ、本気を出してないってだけで手を抜いてるわけじゃねぇけどな」

 

 静流は本番以外では本気を出さない。だから彼女のことをよく知らない新人や若手はリハで上手くいったと意図せずに勘違いして、本番で必ず痛い目を見るのがオチである。

 そして彼女との共演がきっかけで奮起した役者(やつ)もいれば、自分を見失って最終的に芸能界を去った役者(やつ)もいる。

 

 「だから、静流のリハと本番の芝居は全くの別モンだ。はっきり言ってどうなるかは俺でも分からねぇ」

 

 世間やマスコミは静流のことをあたかも星アリサの後継者のように持ち上げているが、俺からしてみれば静流はアリサの後継者はおろか、寧ろ真逆の存在だと思っている。

 

 「それでも同じカメラの前に立った以上、実力も芸歴も関係ねぇ。皆等しく役者だ。だから俺たち傍観者はその当事者を信じ切るしかない」

 

 少なくとも静流はあの人(アリサ)のような“天然”の役者ではないし、彼女のように優しくないからだ。

 

 「環はどう思う?」

 「・・・私は、憬を信じてます」

 

 山吹からの問いかけに、少し間をあけて環が答える。

 

 「それは“親友”だからか?」

 「多分、役者と親友の半分です」

 「・・・そうだよな」

 

 そう言いながら環は憬に視線を向けるが、そんな環の姿を山吹は複雑な気持ちで見つめていた。

 

 リハとは言え、いきなり静流とここまで渡り合える新人を見たのは初めてだ。リハを見る限り、夕野の芝居の“自然(リアル)”さには目を見張るものがある。どおりで静流が“新人相手”にあそこまで興味を持っていた訳だ。当然、そんな精度の深い芝居を最初から出来るというコイツの才能は類まれなものだが・・・

 

 “・・・俺は、まだ・・・”

 

 夕野の芝居を見届けようとする俺の心の中が “ある感情”でかき乱され、拳に思わず力が入る。

 

 “何で俺まで新人如きに“熱く”なってんだよ・・・”

 

 高ぶる気持ちを鎮めようと山吹は拳に力を入れながら口を閉じたまま深呼吸をして、平常心を取り戻した。

 

 

 

 「おぉ、やってるやってる」

 

 背後から聞き覚えのある声が耳に入り、環と山吹は思わず声のする方へ振り返る。

 

 「おい早乙女(アンタ)、今日は16時から赤坂じゃねぇのかよ?」

 「昼までなら大丈夫でしょ。それにどうしてもあそこの少年のことが気になってさ、納品まで待ちきれなくて来ちゃった」

 「なにいきなり彼氏の家にアポなしで訪ねてきた彼女みたいな台詞言ってんだよアンタ」

 

 突然の主演俳優の訪問に、現場のスタッフや演者たちは驚きと混乱に包まれる。

 

 「おいアレ早乙女雅臣じゃね?」

 「すごい本物だ!」

 「早乙女さんサイン下さい!」

 

 そして主演俳優に気付いたエキストラたちは一瞬にして野次馬と化し、撮影現場はすぐさまイベント会場の如き盛り上がりを見せパニック状態となり、台詞のないエキストラたちは一旦別室に移され、撮影は一時中断となった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「中途半端に時間が空いたから“お忍び”で見学に来るとは聞いていたが、“堂々と登場”しろとは一言も言ってないぞ?早乙女君」

 

 普段は冷静沈着に振舞う月島も、この時ばかりはスケジュールを乱されたのか流石に苛立っていた。そりゃあ、目の前に天下の“早乙女雅臣(スーパースター)”が不意に現れればパニックになるのは当然だ。俺たちのようなキャスト陣はともかく、エキストラの多くは寄ってたかって野次馬と化すミーハーみたいな連中だからだ。

 

 「“予期せぬ状況でも寸分違わず自分の芝居が出来るか?それが一流の役者という奴だ”って月島さんも言っていたじゃないですか」

 「だからってこんなやり方はないだろ、リハを中断させやがって。これはどこぞのドッキリ番組の撮影じゃないんだよ」

 

 これは彼によるちょっとした悪ふざけ、もといサプライズだというがやられた側は場の空気を乱されて溜まったものではない。

 

 「それに明日から10話の撮影が始まるというのに、呑気にノコノコと出番のない現場に来て大丈夫なのか?特にこのところはドラマ関連に加えこの間公開された映画の舞台挨拶と番宣を兼ねたバラエティの収録と、ロクに台本を読む時間も取れていないと聞いているが」

 「大丈夫ですよ。台本はト書きも含めて一字一句全て、“海馬(ここ)”に記憶してきましたから」

 

 月島の言葉を瞬時に理解した早乙女は、こめかみに人差し指を当てながら得意げに答えて見せる。もちろん台本などというものは、現場に持ち込んでなどいない。

 

 「本当に覚えたんですか?」

 

 既に早乙女と共演している役者やスタッフにとってこの光景は慣れたようなものだが、彼のことを噂伝いでしか聞いていなかった俺は冗談半分で聞いてみた。

 

 「静流さん」

 「・・・あの?ここってどこですか」

 

 早乙女から名前を呼ばれた牧は適当に台本をめくると、唐突に10話の1シーンの中にある美優紀の台詞を読み始める。

 

 「見りゃ分かんだろ?墓だよ」

 

 その台詞に間髪入れず早乙女が反応する。もちろん、一字一句間違ってなどいない。

 

 「せっかく連れて行きたい場所があるって聞いてたのに、初っ端から墓って」

 「じゃあ帰るか?」

 「別に帰りませんけど、なんで墓なんですか?」

 「ちょっとさ、挨拶しておきたい昔のダチがいんだよ」

 「・・・昔の友達、ですか?」

 「あぁ・・・結局ここまで来るのに10年もかかっちまった」

 

 牧が読み上げる美優紀の台詞に、早乙女は直樹として一字一句間違えることなく台詞を返す。そればかりか表情の乗せ方や所作はもちろん、間の取り方に至るまで完璧と言える程に仕上がっている。

 

 まさに、“演出家要らず”というのはこういう事であるとでも言いたげな説得力がそこにはあった。

 

 「今日も完璧だね。早乙女さん」

 

 シーンを読み終えると牧が分かりやすく早乙女を煽てる。

 

 いつ寝ているのかすら分からないと言われるほど多忙なスケジュールの中で、一体どうやってこの短期間でここまで役を作り上げて来たのだろうか。

 月島を始めとした早乙女のプロフェッショナルぶりを知る共演者にはあまり驚いた様子はないが、その光景を初めて目撃した俺は驚きを隠せずにいた。

 

 「早乙女君、あんまり新人の前で変な真似はしないでくれないか」

 

 1人だけ置いてけぼりにされている俺を気遣ってか、月島が咄嗟にフォローする。

 

 「えっ?何がですか?ボクはただ台詞合わせをしただけですよ。何か間違ったことしました?」

 

 そんな月島に、早乙女は全く悪びれる様子もなくあっけらかんと言い返す。

 

 「まぁ気にしないでくれ、少年。ボクは人より少しだけ“暗記”が得意なだけだからさ」

 

 早乙女の言った暗記の意味が物凄く不気味に思えて、感情が揺さぶられる。恐らく当の本人には何一つ悪意はないのだろうが、かえってそれが役者としての怖さを倍増させる。

 

 「だからキミは何も気にせず、自分の思うままに“直樹”を演じればいい」

 

 そう言いながら早乙女はまた顔合わせの時と同じように、俺はまたしても“飲み込まれそう”になる。

 

 “駄目だ、惑わされるな”

 

 

 

 「早乙女

 

 月島が諭すように早乙女を呼び捨てる。月島の言葉で何かを察した早乙女は、すぐさま憬から距離を置くと、つかさず憬に詫びを入れる。

 

 「ごめんよ少年。別にプレッシャーをかけているつもりは全くないんだ。ただほんの少し“熱く”なっているだけでさ」

 

 そう言われると余計にプレッシャーがかかって来る。上地と同様、もしかしたら俺は早乙女(この人)のことが苦手なのかもしれない。

 

 「ボクたちは2人で1人を演じるわけだ。共に頑張ろう」

 「・・・はい」

 

 そう言って早乙女は俺に向けて握手を求め、俺はひとまずそれに応じる。

 

 「勝手に場を仕切るな早乙女」

 「だってこうでもしないと撮影を再開できないでしょうが」

 「だったら黙って見学していろ」

 

 主演と監督によるどうしようもないやり取りのおかげで、俺は早乙女からの余分な感情をどうにか排除(シャットアウト)することが出来た。

 

 「全く、こういう悪意のない正直さが一番(タチ)悪いんだよねブッキー」

 「お前が言うな」

 

 牧の言う通り、早乙女の言っている言葉に悪意は何一つないのは分かっている。だから彼の言葉に惑わされる必要もないことだって、分かっている。

 

 「俺のことは心配しなくても大丈夫です。俺は、自分なりに直樹を演じるだけだから」

 

 俺は少しずつ、自分の感情の中に直樹の感情を落とし込んでいく。

 リハの時は無意識に最後の台詞が飛んでしまったが、そこを分岐点に気を付ければもう大丈夫だろう。

 

 「憬」

 

 役に入り始めた俺に、環が声をかける。

 

 「ファイト」

 「・・・おう」

 

 それは、あまりにも何の捻りもないシンプルな一言だった。でも環がひねり出したたった一言に、思いの全てが詰まっていた気がする。

 

 「良いですね。仲間同士の絆って言うのは」

 

 独り言を呟くかのように、早乙女が憬の方に視線を向けたまま月島に話しかける。

 

 「(まゆずみ)君。エキストラとスタッフを全員ここに集合させて」

 『分かりました』

 

 月島はトランシーバー(無線)での黛に指示を仰ぎ、程なくして20数名のエキストラと撮影に携わるスタッフが教室内に集結する。

 

 

 

 「今から5分後にカメリハを再開し、そのまま本番を撮ります。学校のシーンはラストシーンを除き今日1日で撮り終える予定なので、キャスト並びにスタッフの皆さんは円滑に撮影が進められるよう、ご協力お願いします」

 

 

 




先日、アクタージュに次ぐ推しのジャンプ漫画と最推しの4人組ロックバンドによる百鬼夜行が来たる12月24日に行われることが発表されました。




とんだ作業妨害です。(※もちろんこれは褒め言葉です)




いやぁまさかですよ。(さとる)(さとる)のタッグが実現するなんて・・・これは天変地異の1つでも起こるんちゃいますか??


あとこれは余談ですがこの小説の主人公も(さとる)なんですよね・・・




すいません何でもないです。


ただ予告編を見た感じだと今回は珍しく常田さんがメインっぽいんですよね。でも、常田さんの低音ボイスがあるからこそ井口さんのハイトーンが際立ち、この2人の独特なハーモニーに特級レベルのリズム隊が合わさることで唯一無二のエモいサウンドを生み出していると僕は思っています。まさに鬼に金棒、乙骨憂太に祈本里香って感じの最強の組み合わせです。


ちなみに予告編で流れていた箇所はサビではないらしいんですよね。エモすぎますって常田さん・・・おかげでこっちは執筆が捗らないんですよ・・・貴方の作る曲があまりにも良すぎるから・・・





ともかくこれは今まで生きてきた中で史上最高のクリスマスプレゼントだと思っていますが、それでもアクタージュに対する“一途で純愛”なる想いは、特級呪術師と牛魔王が領域展開で襲い掛かろうが何一つ変わることはありません。












※補足ですが本編に登場したブランチはあくまで王●のブランチではありません


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scene.15 一触即発

 六本木の一等地にそびえ立つ高級マンションの最上階にある一室。この部屋に、日本で最も“視聴率”を稼ぐ主演俳優として名を馳せる早乙女は住んでいる。

 

 「珍しいね。同業者(役者)以外は滅多に自分の部屋に人を入れない君が“スタッフ”を招待するなんて」

 「事務所だとアリサ(社長)が色々とうるさいから仕方なくですよ」

 「でも何でアッキーじゃなくてこの僕を呼んだのかい?別にいいけど

 「“アッキー”から言われたんですよ・・・『今のタイミングでこれ以上、 “揉め事”は起さないでくれ』、と」

 「・・・なるほどね」

 

 7月某日、午前1時。早乙女は上地と共に自室のリビングに鎮座する36型のブラウン管で俳優発掘オーディションのビデオ映像を見ていた。

 

 『夕野君。君が今感じている “悲しみ”に、”怒り“を落とし込んで見て』

 

 月島の言葉を合図に、79番の少年が怒りの感情を自らに落とし込んだその瞬間、少年の“悲しみ”はブラウン管を飛び出して部屋中を支配する。

 

 「へぇ・・・」

 

 月島という男は脚本家としてのみならず、演出家としても非常に優れた感覚(センス)を持ち合わせている。そんな彼が美沙子(静流)の相手役として目を付けたのは、演技経験の全くない素人の中学生。

 最初にそれを耳にした時は“目にゴミでも入っているのか?”と月島のことを思わず問いただしてやりたいと思ったが、そんな考えは一瞬にして愚かなものであったことを思い知った。

 

「あの後に一度だけCMの仕事をやらせてみたんだけど、現場の空気が一気にこの少年に引っ張られていってそれはもう凄まじかったよ。海堂さんは全然納得していなかったみたいだけどね」

 

 芸能界では毎年のようにどこぞのワインの如く天才や逸材、何年に1人と呼ばれる連中が湧いてくるが、その多くは過剰なメディアやプロダクションの間違ったゴリ押しで消費され続け、旬が過ぎれば掌を返すように自分より若い才能に乗り換えられ、ポイ捨てされていく。

 

 “蓋を開ければ所詮はその程度の才能”

 

 そんな役者やタレントを、この世界に入った7年の間だけで何人も見てきた。

 

 「いいねぇ・・・」

 

 だから、少年の芝居はかつてないほどの衝撃だった。少なくとも直感で何年に1人と言えるような才能があると感じた新人は、この少年が初めてだった。いや、下手したら彼はその程度で収まる(タマ)ですらないのかもしれない。そんな予感すら感じた。

 

 「 “スターズ”には勿体ないくらいだ・・・」

 

 それと同時に、アリサが何故この少年をオーディションで落としたのかも、間接的に理解ができた。こんな予測不能な怪物は、幸せだけを追求する世界にはあまりに不釣り合いだからだ。

 

 「おっ、久々に“熱く”なってるねぇ、早乙女くん」

 

 熱心にブラウン管に映る少年の“悲しみ”を何度も鑑賞する早乙女を微笑ましく見つめる上地に、早乙女は狂気じみた笑みを浮かべて答える。

 

 「上地さん。“21世紀の俳優”が日本の芸能界を支配する日は、そう遠くないかもしれない・・・」

 

 「・・・今の早乙女くんの顔・・・アリサちゃんにも見せてあげたいよ・・・」

 

 

 

 

 

 “さて・・・ボクを楽しませてくれよ・・・少年”

 

 本番直前。早乙女の目つきが次第に“子供を見守る”ような優しい目から、“獲物(ターゲット)に狙いを定める”ような好戦的で鋭い(ギラついた)眼に変わり、定位置につく憬を期待と興奮が入れ交じったような感情で凝視する。

 

 「それでは本番行きます。ヨーイ、ハイ」

 

 

 

『HOME -ボクラのいえ-』第10話過去パート、本番。撮影開始。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・何だよこれ・・・」

 

 俺と美沙子の目の前に飛び込んで来たのは、目を覆いたくなるような無数の悪口で埋め尽くされた美沙子の机と椅子だった。

 

 「オイ・・・悪口書いた奴・・・全員手ェ挙げろ」

 

 このクラスにいる誰か、あるいは全員が落書きしたのは明らかだが、周りにいる奴らは誰も手を挙げようとしない。

 

 「・・・お前ら・・・!」

 

 “ふざけんなよ・・・美沙子は何も悪くねぇのに・・・何でこんな目に遭わなければいけないんだ・・・”

 

 俺は美沙子に嘲笑うかのような視線を送る周りの奴らを睨みつける。

 

 「直樹、いいよもう」

 

 そんな俺を、美沙子は気丈に振舞いながら止めようとする。無理やり笑顔を作っているが、今にも泣きだしそうな目を見た瞬間、俺は怒りを抑えられなくなった。

 

 「いい訳ねぇだろっ!!」

 「・・・直樹」

 「・・・お前らホントにダセェよ・・・寄ってたかってこんなくだらねぇことしやがって」

 「直樹もうやめて」

 

 美沙子が俺に何か声をかけているが、その声は俺には届かない。

 

 「フッ」

 

 その時、同じクラスの伊藤が俺たちを見て堪えきれずに笑ったのが目に映った。

 

 「何笑ってんだよテメェ!」

 

 俺は怒りに任せて、伊藤の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。

 

 「もういいって言ってるでしょ!!」

 

 伊藤の胸ぐらに掴みかかろうとした俺の手が、美沙子の声に反応して寸でで止まる。

 

 「あたしは大丈夫。だから、これ以上余計な事しないで」

 「・・・日島」

 「・・・全部・・・あたしが悪いんだから」

 

 俺を睨みつけながら言い終えると、美沙子は周りの視線を避けるように俯きながら悪口で埋め尽くされた席に座る。

 そんな美沙子を前にして、何一つ幼馴染を守れずにいる自分の無力さに俺は茫然と立ち尽くす。

 

 「・・・別に俺たちは悪口なんて1つも書いてないよ。ただそこに本当のことを書いただけ。ただ、ずっと前から調子こいてて鬱陶しいとは思ってたけどな」

 

 美沙子と俺を嘲笑った伊藤が悪びれもなく放った言葉が、容赦なく俺の心に深く突き刺さる。

 

 「・・・オイ・・・」

 

 俺は我を忘れ、怒りに任せて勢いそのままに伊藤の顔面を殴りつける。右手の拳に鈍い衝撃が走ると同時に、伊藤は吹き飛ばされ机をなぎ倒すようにして倒れ込む。

 

 “それにしても、やけに右手の拳が“熱い”な・・・”

 

 拳の違和感を感じ取った俺は咄嗟に “伊藤”を演じている新井の顔に目線をやる。すると新井は伊藤と同じように切れた口元を抑えながら目で俺を睨みつけている。

 ただ口元から滲み出ている血は、紛れもなく本物だ。

 

 “・・・ってあれ?もしかして俺・・・マジで殴ってた?”

 

 「・・・ごめん」

 

 憬のごめんの一言を合図に月島がカットをかけ、撮影は再び中断した。

 

 

 

 この時の状況を端的に説明するとこうなる。

 

 まず直樹を演じる憬は月島の演出通りに睨みつけ、そのまま勢い任せに伊藤を殴った。

 一見するとそれはただのOKテイクのようにも見えた。だが、直樹が伊藤を殴った瞬間、本来の撮影であればあり得ない鈍い音が現場全体に微かに響いた。

 この時点で共演者や月島を始め現場にいた大半のスタッフは、唇に血を滲じませる新井を見て憬が本当に殴ってしまったことに気付いたが、月島が一向にカットをかけようとせず当事者2人も演技を続行していたため、撮影現場は今起きていることはアクシデントなのか判断がつかない状況に陥っていた。

 しかし、直樹を演じる憬の表情が少しだけ強張りはじめ、憬が「ごめん」と一言呟いたのを合図に月島はようやくカットをかけ、これにより目の前で巻き起こっていることがアクシデントであるということが確定した。

 

 そして月島のカットを合図に、スタッフは一斉に新井に駆け寄り、応急処置にあたった。

 

 

 

 “やってしまった・・・”

 

 本当にこうして人を殴ってしまっては、それはもはや演技ではなくただの暴力行為だ。役に入り込み過ぎたという“言い訳”では到底済まされない。

 菅生の元で行われたトレーニングでは問題なく出来ていたはずの俯瞰も、直樹の感情が入ったことによって思うようにコントロールが出来なくなっていた。だから俺は殴ってしまった。

 

 「殴ってしまって・・・すいませんでした」

 

 とにかく俺は真っ先にその場に座り込む新井に謝罪する。もう、煮るなり焼くなりどうにでもなればいいという心境だ。

 

 「あぁ、俺は大丈夫だから。これぐらいヘーキヘーキ」

 

 それでも伊藤を演じる新井遊大(あらいゆうだい)は気丈に振舞い、俺の愚行を笑いながら許してくれた。

 罪悪感は尋常ではないが、こうして現場に蔓延る一触即発な空気はどうにか落ち着いた・・・かに見えた。

 

 「オイ夕野!」

 

 声のする方へ目線を向けると、山吹がスタッフの制止を振り切り物凄い剣幕で俺のところに向かってきた。

 

 「お前さ・・・ナメてんの?」

 

 和やかになり始めた現場の空気が一瞬にして再び修羅場と化す。

 

 「・・・確かにナメてたかもしれないです。本当に人を殴ったら、それはもう演技でも何でも」

 

  “演技でも何でもない”と言い切る前に、山吹は俺の胸ぐらを思い切り掴んで来た。

 

 「山吹

 

 掴みかかった山吹に月島が語気を強めて “鶴の一声”をかけると、山吹は掴んで来た勢いと同じぐらいの強さで俺の胸ぐらから手を放す。

 

 「・・・まだ分からねぇのか?お前」

 

 山吹の言っている意味が、この時の俺には全く見当がつかなかった。そして俺が真意を理解していないことを察した山吹は呆れたように静かな溜息をつく。

 

 「分かった・・・今回だけは特別大サービスってことで教えてやる。はっきり言って俺は、お前が共演者を本気で殴ったことは何とも思ってねぇ」

 

 この一言に、周りは一瞬だけどよめく。事実、俺も山吹から発せられた言葉を聞いた瞬間だけは、この男が何を言っているのかがますます分からなくなった。

 

 「ただ、お前はその後に月島さんがまだカットをかけていないにも関わらず手前の独断で勝手に芝居を終わらせた・・・もう意味は分かるよな?」

 

 あの瞬間、俺が新井のことを殴っても月島はカットをかけず、新井もそのまま演技を続けようとしていた。

 それにも関わらず、俺は自分の判断で演技を止めてしまった。それが何を意味するのかをようやく理解した。

 

 “予期せぬ状況でも寸分違わず自分の芝居が出来るか?それが一流の役者という奴だ”

 

 早乙女の言っていた月島の言葉が、脳裏によぎる。

 

 「監督や演出家がOK(オーケー)を出すまでは何が何でも芝居を続ける。それが役者を名乗るための第一歩だろうが」

 

 すると山吹は、俺の目の前に顔を近づける。

 

 「(しま)いまで()り切る覚悟がねぇなら、端から役者なんて名乗ってんじゃねぇよ

 

 山吹から告げられた言葉に、俺は何も言い返せずただその場に立ち尽くすだけだった。

 

 結局このシーンの撮影は直樹が伊藤を殴った後に馬乗りの体勢になって伊藤を殴りつけるという場面があったが、月島の判断で直樹が伊藤を殴ったところで次の回想に移るという演出に変更され、午前の撮影はこのまま終了となった。

 

 そして山吹は「すんませんでした」と月島に軽く平謝りをして教室から出ていき、そのまま早乙女と共に現場を後にした。

 

 

 

 「えっ?伊藤を殴るところだけ撮り直して欲しい?」

 「はい。人を殴った上、月島さんがOKを出す前に演技を止めてしまったので」

 

 休憩時間、俺は無謀にも月島のところに向かいシーンの撮り直しを直談判していた。

 

 「そう言われてもね、実際作品によっては撮影でも演者がビンタしたりされたり蹴られたりすることは無きにしも非ずだからさ。それに殴りかかる寸前でシーンを変えるなりすればどうにかなる話だし」

 「それで月島さんが大丈夫だとしても、俺は最後までちゃんと直樹を演じ切りたいんです」

 「じゃあ聞くけど、夕野君はあくまで“直樹”として“伊藤”のことを殴ったんだよね?」

 

 俺の言葉に無理矢理被せるように、月島が会話の主導権を奪う。

 

 「・・・俺は、そのつもりでいました」

 

 もしも俺が当事者だったら絶対にあんな真似はしなかっただろう。ただ直樹だったら伊藤のことを間違いなく殴っていた。

 それは台本にそう書いてあったからと言うことではなく、直樹なら必ずそうすると分かっていたから。

 

 「だったらそれで良いんだよ。事実、夕野君が演じている直樹は文句なしで“完璧”だったからね。心配しなくとも君はちゃんと最後まで直樹だったよ」

 「でも山吹さんは」

 「注文の多い新人は監督(みんな)から嫌われますよ」

 

 今度は後ろの方から別の誰かにまたしても言葉を遮られる。

 

 「どんなに夕野くんの中で腑に落ちないところがあっても、監督がOKと決めたことはOK、NGと決めたことはNG。撮影現場において、これは絶対です」

 

 助監督の黛美和(まゆずみみわ)が冷徹な口調で俺を諭す。女性でありながらも170センチ(ジャスト)の自分よりも5センチほど背丈があろうモデル体型の彼女から睨まれると、威圧感が半端ではない。

 

 「いい加減、これ以上私たちに迷惑をかけないでください」

 「黛君。それぐらいにしておけ」

 「・・・すいません。言い過ぎました」

 

 まだ何か言いたげな表情を浮かべながらも黛は“監督”の指示を律義に守り、口を慎む。

 

 「・・・とにかく夕野君がこの後何を言おうと、午前に撮ったシーンの撮り直し(リテイク)はできない。君1人のために周りの共演者やスタッフに余計な負担をかけてしまっては、現場の士気も下がる。ここは時間の取れる稽古場じゃない、連続ドラマの撮影現場なんだよ」

 

 一旦言い終えると月島は一呼吸ほど置いて、

 

 「頼む・・・分かってくれないか?」

 

 と穏やかだが恐ろしいくらいに冷めたような口調で説得する。そんな“監督”の “指示”に、俺は従わざるを得なかった。

 

 「・・・はい。すいませんでした」

 

 ここには、自分の芝居を追求する時間は存在しない。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「中々に見応えのある“授業”だったよ、敦士くん」

 「うるせーよ。あんなの授業でもなんでもねぇっつの」

 

 昼下がりの東名高速上り線を、早乙女の運転するFDが走り抜ける。その助手席には午前中の撮影が終わると同時に早乙女と共に現場から引き上げた山吹が座る。

 

 「おっ、そろそろ午後の撮影が始まる頃だな」

 「知るか」

 

 早乙女は左腕にはめている高級ブランドの腕時計をチラ見して呟くと、ぶっきらぼうに窓の外に顔を背けながら山吹が言葉を返す。

 

 「にしても午後の撮影を見ずに帰っちゃって本当に良かったの?スケジュールを考えたら15時ぐらいまでは居れたと思うけど」

 「良いんだよこれで・・・それに、夕野が一体どんな役者(ヤツ)なのか大体分かったしな」

 

 あどけなさは少し残るも端正な顔立ちとスラッとした体格からか見栄えは良いが、かといって早乙女のような飛び抜けた華やかさを持っているわけではなく、普段は周りより少しだけ容姿に恵まれている程度のどこにでもいそうな中2のガキだ。

 だが、ひとたび芝居に入れば周りのもの全てを飲み込むかのような独特かつ強烈な存在感と、その屋台骨となる役に対する異常なまでの入り込みでカメラを支配する。

 

 「アンタの言ってた通りだ。初めて見たよ・・・新人であんなすげぇ芝居する奴」

 

 凄まじい芝居だった。本番になっても夕野は一気に芝居のギアを上げた静流に全く臆することなく、決して負けることなく渡り合っていた。

直後に起こったアクシデントはともかく、そんな新人をこの目で見たのは本当に生まれて初めてのことだ。

 

 「だけどちょっとボクは心配なんだよな」

 「何が?」

 「敦士くんが胸ぐらを掴んだせいで戦意喪失してないかとかさ」

 「アンタは俺のことを何だと思ってやがる」

 「グレイテストティーチャー」

 「それはアンタだろ」

 

 確かにアレは自分でも流石にやり過ぎたと少し反省している。下手な真似をして暴力沙汰みたいに騒がれたら、それこそ事務所(スターズ)の看板に泥を塗ることになる。それだけはごめんだ。

 

 「けどまさか敦士くんが、“終いまで演り切る覚悟がねぇなら、端から役者なんて名乗ってんじゃねぇよ”って言うようになるとは」

 「馬鹿にしてんなら今すぐサイドブレーキ引いてアンタの愛車(FD)お釈迦にすんぞコラ」

 

 物真似をしながら早乙女が俺のことを茶化す。ただでさえイラつくのに、その物真似が悔しいことに滅茶苦茶“巧い”せいで余計に腹が立つ。

 

 「つーか怖がりなアンタのことだからロクに俺たちの騒ぎなんか見れてねぇと思ってたぜ」

 「確かに怖くてまともに見れなかったけど、“聴覚(ここ)”でちゃんと視ていたからね」

 「・・・相変わらずバカウゼェなその“特殊能力”はよ」

 

 当然、早乙女はそんな超人的な特殊能力の持ち主なんかではない。ただ役者として生きていく上で必要不可欠な技術(ワザ)が、周りの役者より少し飛び抜けているだけの話だ。

 

 「でも“先輩”として最高にカッコよかったよ、今日の敦士くん」

 「・・・別に大したことは言ってねぇよ。俺は役者として守って当たり前のことを夕野(アイツ)に教えてやっただけだ」

 

 俺には嫌いな役者(タイプ)が2つある。まずひとつ目が大した実力もないのに威張り散らして自分の価値観を押し付けてくるような傲慢な奴。

 

 「その割には随分と熱くなっていたじゃないか」

 「主演(アンタ)の“分身”を引き受けた以上、生半可な覚悟で演じて欲しくねぇんだよ夕野(アイツ)には。それだけの話だ」

 

 そしてふたつ目が、他の誰よりも才能や実力を持っていながら自分の芝居に自信を持てずにいる臆病な奴だ。

 

 「敦士くんは失望したかい?あの少年に?」

 

 もちろん早乙女は、俺がどんな奴が嫌いなのかを知っている。

 

 「失望してたら、あんなこと言わねぇよ」

 

 そっぽを向きながら答える山吹に、早乙女は前を向いたまま静かに微笑みながら静かに呟く。

 

 「・・・これで未来は安泰だな」

 

 早乙女の言った独り言の意味を、山吹はすぐに理解した。

 

 「・・・本気なんだな・・・アンタ?」

 

 山吹の一言を合図にするように、東京料金所が近づいた高速道路はさらに混雑し始め、流れに合わせるように早乙女は1速ずつ丁寧にシフトダウンする。そして料金所が目の前に見え始めたところで、車の流れが完全に止まる。

 

 「ほんといつも詰まるんだよなぁ料金所って」

 「話そらしてんじゃねぇよ」

 

 前を向いてポケットに手を突っ込みながら山吹が目を合わせずに問いただす。

 

 「らしくねぇだろが」

 

 山吹が言った“らしくねぇ”の一言は、どこか寂しげな雰囲気の漂うものだった。

 

 「別に関係ないことだよ。今の場所にいようがいまいが、相変わらずボクは役者で在り続ける訳だしさ」

 

 当たり障りがないと言われればそれまでだが、これが今の自分が言える本心だ。

 

 「だから敦士くんも今よりもっと強くなってくれよ。“ライバルたち”と共に」

 「・・・ったく、主演俳優は何言ってもサマになるからズリぃよな」

 

 

 

 早乙女からの本心の言葉に、山吹は称賛と嫌味を込めた本心で返した。

 

 

~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 

 「早乙女さんは止めないんですか?」

 

 山吹が憬を叱る為に教室へ殴り込みしていたちょうどその時、環と早乙女は傍観者として教室の外から緊迫した撮影現場を見届けていた。

 

 「うん。ボクはパス」

 「何でですか?こういう時こそ年長者が割って入って止めるのが普通じゃないですか?」

 

 環は密かに期待していた。早乙女は敢えて喧嘩を止めずに互いに思いの丈をぶつけ合わせ、どうしようもなくなったところでそっと手を差し伸べるようなクールな兄貴肌であると。

 

 「だって喧嘩とか超が付くほど苦手だし」

 「えっ!?・・・そうなんですか?(何かすごい意外・・・)」

 「何なら今すぐここから逃げ出したいくらい怖い」

 「・・・その性格でよく不良上がりの高校教師(ティーチャー)を演じられましたね」

 「あれはあくまでフィクションだからね」

 

 そして山吹が憬の胸ぐらを掴み始めると、早乙女は環の後ろに後ずさる。もうそこには、“主演俳優”の威厳というものは存在しなかった。

 

 「・・・何で私の後ろにつくんですか?早乙女さん?」

 「駄目だ・・・胸ぐらとかマジで無理・・・ていうかキレた敦士くん超怖えぇ・・・」

 「・・・嘘でしょ・・・」

 

 

 

 この日、私は尊敬する先輩のことを心の底からダサいと思ってしまった。

 

 

 




ア●パンチ
からの胸ぐら
山吹(ブキ)帰る          



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scene.16 OK

チヨコエルがいないと読者達は不満よな。
中井 動きます。


 「ドンマイ」

 

 意気消沈気味に月島のいる教室から出てきた憬に、環が話しかける。

 

 「想像以上に行き詰まってるみたいだね」

 「あぁ・・・色んな意味でやらかした」

 「ていうかこの後の撮影までにそのテンションどうにか出来そう?」

 「・・・どうにかするしかねぇだろ」

 「だったら無理やりでもいいからテンション上げろよ」

 

 自己嫌悪に打ちひしがれる憬とそれを宥める環。まるで直樹と美沙子を逆にしたかのようなやり取りが展開される。

 

 「・・・月島さんに殴るシーンだけ撮り直し(リテイク)して欲しいって直接お願いしたら、“ここは時間の取れる稽古場じゃない”って怒られた」

 「うん、知ってる」

 「もしかして聞いてた?」

 「壁越しで聞いてた」

 「マジかよ」

 

 初めてドラマの仕事を受けた中学生の新人が、初日からいきなり監督の意見に歯向かう。冷静になって考えてみたら、恐れ知らずにも程がある話だ。

 

 “自分がどれだけ直樹として演じ切れるか、そればかり考えていた”

 

 監督がOKを出せば、それ以上もそれ以下もない。当たり前の話だ。余程の大御所や実力者として認められている者でない限り、監督の意見に物申すということは許されることではない。

 

 まして新人風情であれば尚更のことだ。

 

 「甘く見てたよ。ドラマの現場を」

 

 もし無理やりにでも俺が台本通りに伊藤に馬乗りになって殴り続けていれば、それはそれでOKシーンとして成立していたのだろうか。月島は本気で殴ったところも含めて完璧だったと言ってくれたが、あのまま続けていたら間違いなく取り返しのつかない事態になっていたかもしれない。

 

 というよりも、そもそもあの場面で殴ることを躊躇ってしまった時点で、俺は直樹ではなくなっていた。最後の最後で、覚悟の中に綻びが生まれた。

 

 「山吹さんの言う通りだ。今の俺はまだ役者を名乗れない」

 

 例え月島からOKを出されたとしても、あれはやはり失敗だった。やり場のない後悔のような感情がジワリジワリと染み渡る。

 

 “俺のことは心配しなくても大丈夫です。俺は、自分なりに直樹を演じるだけだから”

 

 もしもこうなることが最初から分かっていれば、絶対にあんな大言壮語は吐かなかっただろう。

 

 「・・・それを言うなら、私だってまだ自信を持って役者を名乗れないよ。月島さんからOKを貰っても、心の底から納得のいくような芝居なんて100回に1回出来るかどうかぐらいだし」

 「・・・そうか」

 

 こんな時に限って、相手を気遣う言葉が全く頭の中から出てこないのが何とももどかしい。自分を蔑むような言葉は、これでもかというくらい頭の中に浮かんでいるにも関わらず。

 

 「それに、静流も山吹さんも早乙女さんもみんな、今の芝居(自分)に納得なんてしてないと思う」

 「えっ?」

 「だって私がどんなに頑張ってもさ、“あの人たち”は常に一歩先二歩先を歩いているんだよ。それに比べて私は追いつくどころか、これ以上離されないように必死にしがみつくのが精一杯・・・それってつまり、周りも私と同じくらいかそれ以上に努力してるってことだなって思っちゃうわけ」

 

 言いたいことを一通り言い終えると、環は溜息交じりに憬に呟く。

 

「・・・一緒に芝居をしていたら、嫌でもそれを突きつけられるからさ」

 

 ただでさえ入れ替わりの激しい芸能界。役者だろうがタレントだろうが芸人だろうが先に待ち受けるのは弱肉強食のジャングルであることは変わらない。

 1つの舞台が終わっても、生き残りを賭けた勝負は一生かけて付きまとう。どんなに天才と呼ばれようが賞を幾多も取ろうが、生き残る者たちは勝負を止めることはしない。故に一度ついた差を埋めていくということは、難しいで済むような話ではない。

 

 「あの人たちの覚悟に比べたら、私の覚悟なんて本当にちっぽけなものだよ」

 

 環の言う通りだ。今の俺の覚悟なんて、ここにいる誰よりも小さくて脆い。

 

 「・・・この仕事(オファー)を引き受けることを決めた時に海堂さんがさ、役者の世界は喰うか喰われるかが全てだって、俺に言ったんだ」

 

 誰よりも努力をした。良い芝居ができた。それがどうした。そんなものは結果として残さなければ何の意味もない。

 

 「その意味が少しずつ分かってきた気がする」

 

 俺はまたしても、オーディションの時と同じような過ちをした。やる気がこうして空回りするほど、虚しい話はない。

 役者になると心に決めていた俺なりの覚悟は、今にも崩れそうになっている。

 

 「憬」

 

 「痛ったっ!」

 

 気持ちを切り替えられずにいる憬の背中を、環が思いっきり叩く。そのあまりの衝撃に、憬は思わずむせ返る。

 

 「おまっ・・・!いくら何でも加減ってのがあんだろ!?」

 「でも気合は入ったでしょ?」

 「気合どころかアザできたって絶対・・・」

 「やっぱりどうしようもなくなったときは“鉄拳制裁”に限るわ」

 「・・・言っとくけどお前が想像している10倍はキツいぞこれ」

 

 はっきり言って背骨がイカれたんじゃないかと錯覚するほどの威力の一撃だった。恐らく今日の撮影が終わる頃には、きっと青あざになっていることだろう。

 

 「でもさ、冗談抜きで気は楽にならない?」

 「・・・まぁ・・・ちょっとだけな」

 

 悔しいが、背中の痛みと共にネガティブな感情はある程度吹き飛んでいった。良くも悪くも、気分を一気に引き締める最終手段は言葉よりも物理の方が断然効果は高いのだろうか。

 

 「とにかく焦んなよ。みんなは君のことを“大物”とかいって持ち上げてるけど、所詮は新人なんだからさ。カッコつけずにそのままで行こうよ、憬」

 

 そして隣にいる環の存在が、ここまで大きく感じたことは今までで初めてだった。

 

 「全く、“先輩”には敵わねぇわ」

 「それはどうも」

 

 からかい半分のノリで返す環に、ムスっとしながらも憬は決意したような目つきで前を見据え、2人は撮影が行われる教室へと歩き出す。

 

 

 

 「ほんと、ブッキー(どいつ)(こいつ)も優しすぎるんだよなぁ・・・」

 

 そんな親友同士のやり取りに誰かがこっそりと耳を立てていたことを、この2人は知らない。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「憬、ジャムってどれくらい残ってる?」

 「まだ半分くらいあるだろ」

 「ちゃんと冷蔵庫の中確認した?」

 「見なくても分かんだろ昨日も使ってんだから」

 

 学校での撮影から一夜明けた朝の7時半。俺は母親と共に朝食の準備をしていた。一人息子にして唯一の家族でもある俺にとって、母親の炊事を手伝うのはいつものことだ。

 

 「いつまでイライラしてんのよ。そんなんで今日の撮影は大丈夫なの?」

 「大丈夫だって現場に着くまでには切り替えっから」

 

 ところで肝心の午後のドラマ撮影はどうだったかというと、環から受けた気合入れも虚しくイライラが残る結果になった。

 ガツンと一発入れられたくらいで現状を一気に変えられるのは、少年漫画の中だけの話だ。

 

 「それにNGを殆ど出さなかっただけでも御の字じゃない、まだド新人なわけだし」

 「言われなくても分かってるわそんぐらい」

 「なのに勝手に自分で悩んで勝手にイライラしちゃって、どんだけ理想が高いのよ?」

 「あのさ、マジで一回黙ってくれね?」

 

 こうして分かり切ったことを言われると、どうしても苛立つものだ。こういう時に限って、母親(この人)はこれでもかというくらい母親面してくる。

 

 「そもそも共演者はあの牧静流な訳でしょ?いきなり1対1で勝とうだなんて無理な話よ」

 「“ミーハー”に何が分かんだよ」

 「それを言うなら世の中の人間の大半はミーハーじゃない。ほんと視野が狭いのね」

 

 普段から親子(2人)揃って言いたいことは割とはっきり言うタイプだからかこうして言い争いになることも少なくない。どんなに仲の良い家族だって、きっと蓋を開ければこんなもんだ。

 

 「だったら大衆(ミーハー)から好かれることが役者の全てだってことかよ?」

 「そんなの“ミーハー”な私に聞かないでよ」

 「チッ、都合のいい奴め」

 

 

 

 「・・・今までほんとにありがと・・・じゃあね・・・」

 

 そう言って放課後の教室から立ち去る美沙子を、直樹はただ茫然と立って見つめる。

 

 「・・・美沙子・・・」

 

 「はいOKです。本日の撮影はこれで以上になります」

 

 

 

 別に昨日の撮影ではNGを連発して足を引っ張るような真似は一度もしなかった。 “結果”だけを見れば昨日の撮影は伊藤を殴ったこと以外は全て順調だった。

 もちろんそれは、監督の月島から発せられるOKのサインを何一つ疑わず信じ切って誠実に従った結果だ。

 

 “でも、俺は完全に飲み込まれていた”

 

 まぁ、午後に撮影したシーンはどちらかと言うと美沙子の見せ場だったので監督から求められた直樹の芝居をしたという意味では、昨日の撮影は及第点をクリアしていたかもしれない。だがそれだけじゃ直樹の役は務まらないし、芝居が出来るからと言って無双出来るような世界じゃないことは俺でも分かっている。

 

 “良い芝居が出来て越したことはないかもしれないけど、“そんなことに”囚われる必要なんてどこにもねぇ”

 

 そんなことを言っていたはずの俺が “そんなこと”に囚われてしまっているこの現状を、環はどう思っているのだろうか?せめて心の底から馬鹿にしたように嘲笑ってくれたらとふと思う。

 

 昨日の撮影で、自分が役者である以前に人として未熟であることを思い知った。それでもあと数時間後には、俺はまた現場入りして直樹にならなければならない。

 

 時間は、待ってはくれない。

 

 

 

 『それでは、先週に起きた主な出来事です』

 

 支度が済むと俺はテレビの電源を付けて適当にチャンネルを合わせる。もちろんこの時間帯で観たい番組なんかないので、所詮はラジオ代わりのようなものだ。

 そして俺は言い合いの直後ということもあって、会話もせず黙々と朝食を口に運ぶ。

 

 「あ、」

 

 母親が急にテレビの方に目線を向けた状態で声を漏らす。その声に釣られるように俺もテレビに目を向けると、某社の携帯型音楽プレーヤーのCMが流れていた。

 

 ミドルナンバーのブリットポップに合わせて樹海のような空間をゆったりとした歩調で歩く白銀の髪と琥珀色の瞳がトレードマークの美少年。年齢は俺とほぼ同じか少し上くらいだが、ただ歩いているだけなのに演出の妙も相まって思わずブラウン管に釘付けになるほどの存在感を示している。

 すると少年の前に蛍のような光が現れ、少年はその光を片手で掴む。そして少年が手を広げると光は一台の携帯型音楽プレーヤーとなり掌の上に収まる。

 

 『掌に、僕だけのアルバム』

 

 神の悪戯かと問いたくなるほどの美形な顔立ちがアップになり、その見た目を裏切らない爽やかかつどこか少年っぽさの残る甘い声色のナレーションが耳に入った瞬間、目の前で音楽プレーヤーを宣伝している少年が誰なのかを思い出した。

 

 「やっぱカッコいいな~十夜くんは」

 「ほんと母ちゃんは一色十夜のこと好きだよな年甲斐もなく」

 「誰がババアだって?」

 「誰もババアとは言ってねぇだろが」

 

 無論、俺の母親はスターズの記者会見をニュースで見て以来すっかり一色十夜のファンと化している。

 あの記者会見から約2か月、十夜は早くも世界的に有名な超大手企業(ブランド)が発売している音楽プレーヤーのイメージキャラクターに抜擢された。今流れたCMもそのプロモーションの一旦である。

 

 「ま、ビジュアルを抜きにしても普通に一色十夜は凄いと思うよ」

 

 たった2ヶ月前までただの高校生だったとは思えないほど、その存在感は輝きを放っている。それが本人の才能なのか、はたまたスターズの英才教育による賜物なのかは分からないが、1つだけ確かなことがある。

 

 “今の俺は、この人みたいに役者を名乗ることができない”

 

 「それに比べて俺は、まだ足元にも及ばない」

 

 自分の置かれた現実を、憬は自虐的な言葉で締めくくる。

 

 「そんなことないでしょ」

 

 その言葉に母親は、テレビに目を向けたまま言い返す。

 

 「だって憬はあの海堂さんから直々にスカウトされたんだから、絶対に役者としてやっていける才能があるんだよ。多分それだけは私でも言える」

 

 高3の時に受けたある映画のオーディションで1人の少女に出会うまで女優になることを夢に見ていた母親は、海堂という男がどれだけすごい人なのかを当然知っている。

 

 「・・・じゃあ俺が役者を続ければ母ちゃんは満足か?自分がなれなかった芸能人の夢をたった1人の息子が代わりに叶えるって意味でよ?」

 「別に私が叶えられなかった夢を追いかけろとは言わないよ。ただ、憬には“あの時”の私みたいな思いだけはして欲しくないだけだよ」

 

 母親は女優の夢を諦めたこと自体を後悔しているわけではない。ただ、とてつもない才能を前にして“勝負をせず”に諦めてしまったことを、今でも後悔している。

 

 「・・・別に、諦めたわけじゃねぇよ」

 

 それを知っている上でこんなことを言われてしまえば、もう何も言えなくなる。

 

 「ハイハイ分かりましたよ続けますよ。続ければいんだろ役者を」

 

 いい加減、“やる気スイッチ”を入れるにしてももう少しマシな方法ぐらいあんだろうが・・・そういうところがズルいんだよ。

 

 「その代わり母ちゃんも、いい加減過去のことをいつまでも根に持ってないで前進めよ」

 「私はとっくに前に進んでいるよ。後悔を教訓にしてね」

 「チッ、図ったなババア

 

 もちろんこれは、母親の常套手段(小芝居)だ。困ったときは最終手段として必ずこの手を使って俺を手中に嵌めてくる。

 

 「何?言いたいことがあるならはっきり言えば?」

 「別になんもねぇよ」

 

 全部分かっているはずなのに毎回乗ってしまうのは、それだけ母親(この人)の芝居が上手いと言うことだ。そんな母親になぜこれだけ演技が出来てあっさりと夢を捨ててしまったのかを聞くのは、あまりに酷なことだろう。

 

 「バ?の後は何て言った?」

 「聞こえてんじゃねぇかよ」

 

 恐らく俺があんな芸能界という“異空間”に放り込まれても何とか適応できているのは、絶対にこの母親の影響だ。そして父親がいないことに全く寂しさを感じないのも、きっとそうだ。

 

 

 

 「ん?誰こんな時間に?」

 

 そんな馬鹿げた茶番をしていると部屋のインターホンが鳴り、母親が玄関へと早歩きで向かって行く。

 

 「はい」

 「すいません。この家に夕野憬くんいらっしゃいますか?」

 「・・・えっ!?」

 

 玄関先に向かった母親が、短い悲鳴を上げると共にバタンと腰を抜かす。全く今日という今日は次から次へとアクシデントが襲ってくる。

 

 「今度はなんだよマジで!いつもにましてめんどk・・・・」

 

 だが玄関先に現れた1人の男が視界に入った瞬間、俺は思わず絶句した。

 

 「どうもー」

 

 無地のTシャツにジーンズというシンプルな格好でキャップを深々と被り、色付きの伊達眼鏡で武装してもその圧倒的なスターのオーラは隠しきれない。

 

 「・・・早乙女さん・・・?何で?」

 

 確か今日は午前中からドラマの撮影があったはず。撮影場所はそこまで遠くないわけだがそんな男がなぜここにいるのか、全く持って理解が追い付かなかった。そんなことより・・・

 

 「・・・オイ、いつまで腰抜かしてんだよ早く立て」

 

 この母親ときたらまだ腰を抜かして立てないでいやがる。

 

 「だって玄関開けたら“早乙女雅臣”がいきなり目の前にいるんだよ・・・そりゃ腰ぐらい抜かすでしょ?」

 「いいからアンタは部屋に戻れ!なんか俺が恥ずいわ!」

 

 芸能人に対する耐性が皆無な人の目の前にいきなり“早乙女雅臣”が現れたらこうなるのも無理はないが、自分の母親の醜態が先輩の前で晒されている後輩の身にも少しはなって欲しいところだ。

 

 だがそれは一旦置いといて・・・

 

 「・・・ていうかなんで俺の住んでるところが分かったんですか?」

 

 一瞬だけタチの悪いドッキリかと思い後ろに視線を送ったが、カメラマンの姿はどこにも見当たらない。つまりこれは完全なプライベートだ。

 

 「上地さんから教えてもらった」

 「あぁ・・・なるほど」

 

 聞いてみたら、ビックリするぐらいしっくりくる理由だった。

 

 「お母さん」

 「あ、はい」

 

 いきなり早乙女から話しかけられた母親は緊張気味に返事をする。

 

 「突然で悪いのですが今日一日、憬くんをお借りしてもよろしいですか?」

 「えっと・・・それはどういう」

 「ちょうど同じ横浜でドラマの撮影(ロケ)をやってるので。同じ役者として“社会見学”がてら勉強させてやりたいなと思いまして」

 

 早乙女の言葉を合図にするように、母親は俺に向かって『行け!行け!』と言わんばかりにジェスチャーを送る。

 

 「・・・この間のお忍び(見学)のお礼がどうしてもしたくてさ。どうだい少年?“技術(モノ)”は盗める時に盗んでおいた方がいいと思うけど?」

 

 早乙女は顔合わせの時と同じようにグッと身体を近づけ、選択を迫る。もちろん、選択肢は1つしかない。

 

 「・・・はい。是非行かせてください」

 

 俺は10分ほどで全ての支度を済ませると、早乙女の車に乗り撮影が行われる“霊園”へと向かった。

 




アンケートのご協力ありがとうございます。とりあえず後書きは引き続き自分勝手に書かせて頂きます。

それとやっぱりチヨコエルは人気者ですね。彼女無くしてアクタージュは語れませんからね。

百城千世子のいないアクタージュなんてスープが入っていないラーメンみたいなものですから・・・・・・って何言ってんだ俺は。


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scene.17 早乙女の芝居

 「昨日は敦士くんが怖い思いをさせちゃってごめんね。本人に代わってボクが謝るよ」

 「いや大丈夫です。元はと言えば俺が全部悪いんで」

 

 午前8時過ぎ、憬は早乙女の(FD)の助手席に座り撮影(ロケ)が行われる霊園へと向かっていた。

 

 「でもキミには敦士くんのことを誤解しないで欲しいんだ。あぁ見えて彼、凄く優しくて仲間思いだから」

 「それは、良く分かってます」

 

 “終いまで演り切る覚悟がねぇなら、端から役者なんて名乗ってんじゃねぇよ”

 

 一見突き放すようにも聞こえるその言葉が、山吹なりの優しさだと言うことは痛いくらいに分かっている。

 

 「ただ流石に胸ぐらは酷かったでしょ?いくら少年のほうに落ち度があるとは言え、暴力はナシだと思わない?そのことも謝るよ」

 「本当に大丈夫ですよ・・・あれもきっと山吹さんなりの優しさだと思ってます」

 

 分かっているからこそ、あまりに自分が醜く思えてしまう。

 

 「月島さんの言うことも聞かずに自分の勝手で芝居を終わらせる・・・今思えば胸ぐらどころか殴られてもおかしくないぐらい失礼なことをしました」

 「そっか・・・で?午後の撮影はどうだったの?」

 

 目線を前に向けたまま早乙女がその後のことを聞いてくる。俺も早乙女と同じように前を向いたまま包み隠さず昨日のことを全て話した。

 

 トレーニングでは出来ていたはずの俯瞰が役に入った途端に思うようにコントロール出来なくなっていたこと。誤って殴ってしまったカットをそのまま使うことに納得がいかず、あの後に月島にリテイクを要求したこと。午後の撮影では月島のOKサインを忠実に守ったが、このままでは自分は美沙子を演じる牧に飲まれたまま終わってしまうということ。

 

 そして今の自分が現場というものを甘く見ていたことを痛感したこと。

 

 「・・・なるほどね・・・じゃあキミはこれからどうするの?」

 「どうするって・・・それは」

 「確かにキミの演じる直樹は本当に素晴らしかったよ。伊藤を殴ってしまったところも含めてね・・・きっと直樹だったら絶対にそうすると思うからさ」

 「・・・はい」

 

 この時点で早乙女が俺のことを褒めるつもりでこんなことを言っているわけではなさそうだというのは、彼から発せられる空気でどことなく感じていた。

 

 「ただ、今のキミには直樹の感情を操れる技術がない。例えるならエンジンの出力だけを無暗に上げまくってバランスが滅茶苦茶になったじゃじゃ馬の改造車(チューンドカー)を初心者マークの素人が運転するようなものだね」

 「・・・はぁ」

 「直線だけは馬鹿っ速いがコーナリングはからっきしダメで、ちょっとでも気を緩めたらコントロールを失って(ウォール)に一直線のマシンに素人なんかが乗ったら・・・余程の強運がない限り即ジエンドさ・・・」

 「・・・・・・すいません、マジで何の話ですか?」

 「ごめん。今の例えは忘れてくれ」

 

 流石に俺が車には全く興味も関心もないということを察知したのか、早乙女は無理やり例え話をなかったことにする。

 正直言って例え話の内容は全くと言っていいほど頭に入って来なかったが、取りあえず早乙女の言いたいことは何となく分かったような気がする。

 

 「とにかく、昨日のキミは直樹の感情に飲み込まれて暴走してしまったということだ。幸か不幸かその暴走が上手い具合に演出として噛み合った感じだけどね」

 

 “最初からそう言えよ”という個人的な心境はともかく、早乙女の言う通りどんなに役として芝居がハマって言おうと暴走は暴走だ。そんな偶然の産物が、芝居として成立するということはあり得ない話だ。

 

 「どんなに最初から飛び抜けた才能を持っていても、それらを完璧に支配(コントロール)できる技術と実力がなければ芝居は直ぐに破綻する。そうならないためにはどうしたらいい?」

 

 ただその答えだけは、この車の助手席に座った時点で分かっている。

 

 「技術を盗んで自分の武器(モノ)にする」

 「・・・分かっているなら、後はそれを行動に移すだけだよ。少年」

 

 そう言うと早乙女は前を向いたままクールに微笑み、俺は負の感情を強引にリセットするように自分に言い聞かせる。

 

 “俺は、”役者“だ”

 

 

 

 早乙女のFDに乗り込んでから30分と少々。俺は第10話の撮影(ロケ)地の1つである横浜市の外れにある霊園に着いた。

 ここでこれから行われるのは、昨日の本番前に早乙女が即興で牧と読み合わせをしていたあの場面。

 

 「おはようございます」

 

 ロケバスで衣装に着替えた早乙女と共に俺は撮影現場に入る。ちなみに早乙女は俺を現場に連れて行くために寄り道をしたため顔合わせに続いてまたしても一番乗りを逃したみたいだが、当の本人はそんなことを気にも留めていない。

 

 ついでに補足すると、今日の撮影で直樹が着ている衣装は普段とは違いちゃんとした服装になっている。まぁ、“アサガヤ”なんて書かれたTシャツで墓参りに行くというハチャメチャな演出をやろうものなら間違いなく視聴者から苦情が殺到することだろう。

 

 そして当然ながら早乙女は台本などというものを現場に持ち込むはずもなく、手ぶらのまま今日も現場入りする。

 

 「あれ?何で憬くんがここにいるの?確か撮影は夕方からじゃ」

 「この少年がどうしてもボクの芝居を見て勉強したいって言うから仕方なく連れて来た」

 「俺に全責任を被せないでくれますか早乙女さん」

 

 どうやらこの現場にいるスタッフ達全員は俺が見学に来ることを知らなかったらしく、水沢も含め『なんで君がここにいるの?』とばかりに視線を送って来る。

 

 “せめて連絡ぐらいはしてくれよ”と早乙女に対して心の中で毒を吐く。

 

 「・・・雅臣?流石に将大(まさひろ)さんやこっちの事務所は通したよね?」

 「当たり前でしょ。“おやっさん”からは“変な真似をしたら潰す”って怒られたけど」

 「・・・ったく、後輩(ルーキー)を早速面倒なことに巻き込まないでくれる?」

 「分かっているよ、今回限りだ」

 

 そんな早乙女も、流石に前事務所の社長である海堂(おやっさん)には許可を取ったらしい。

 ちなみに将大とは早乙女がかつてカイプロに所属していた時に彼のマネージャーを務め、現在は俺のマネジメントを担当している菅生将大(すごうまさひろ)のことである。

 

 「度々悪いね夕野君。早乙女(主演)が無茶言ったせいでこうなって」

 

 撮影準備に取り掛かっていた月島が俺の姿を確認するや否や、声をかけてきた。俺は月島にリテイクを要求したことを改めて謝ろうとした。

 

 「あの、昨日はすいませんでした」

 「あぁ、あれね。別に僕からしてみれば大したことじゃないから大丈夫だよ」

 「・・・あの?憬くんが昨日の撮影で何かしたんですか?」

 

 昨日の撮影で起きたちょっとした事件のことを知らない水沢が尋ねる。その様子を見た早乙女が、

 

 「共演者をぶん殴った

 

 と水沢に耳打ちした。

 

 「はぁ!?」

 

 当然ただ一人何も知らない水沢は驚きの声を上げると、いきなり俺の両肩を強く掴んで激しく揺さぶる。

 

 「えっ何やってんの!?何やってんの!?」

 「落ち着いてください令香さん!ていうかマジで意識飛ぶって!」

 

 俺はさり気なくこの目で見ていた。状況を知らない水沢の耳元で早乙女が何かを吹き込んだことを。

 一瞬だけ俺は早乙女に疑惑の目を向けると、早乙女はそれにウインクで答えた。明らかに図っていたが早乙女もその後に起きたことは恐らく知らないのでこっちからは何も言えないという地獄のような展開に持ち込まれる。

 

 「本当に大したことじゃないから落ち着いてくれないか水沢さん。あくまで相手を殴るシーンで誤って夕野くんの拳がちょっとだけ当たっただけだから。ぶたれた本人も口をほんの少しだけ切ったくらいで全然気にしてないみたいだし」

 「・・・そう。本人が何ともないっていうならしょうがないけど・・・」

 

 状況を瞬時に理解した月島が咄嗟にフォローしたことにより、水沢は何とか落ち着きを取り戻した。だが結果的に俺はちょっとした双方の誤解によってかえって窮地に立たされてしまったようだ。

 

 しかもどっちも紛れもない事実であることで尚更タチが悪くなってしまっている。

 

 「・・・でもいくら事故とはいえ、許されるのは新人()のうちだけよ?憬くん」

 「あ、はい」

 

 落ち着きを取り戻した水沢は、まるで悪さをした息子をキツく叱る母親のような感じで、俺を叱る。その“圧”に、俺はどうすることも出来ない

 

 「特に役者の武器である顔に傷をつけるなんてことは間違ってもしてはならない・・・それだけは本当に肝に銘じておきなさい・・・分かった?」

 「・・・分かりました」

 

 俺がそう言うと水沢は俺の目を3秒ほど凝視して「ならばよろしい」と言って微笑んだ。こうやって飴と鞭を絶妙に使い分けて“弟分”とコミュニケーションを取っていく様は、まさに山吹の言っていた“姐さん”というあだ名が何となく当てはまる。

 

 「あと何で雅臣(あんた)はこのことを知ってたのよ?」

 「ちょっと現場を“お忍び”で見学させてもらってね」

 「あれのどこか“お忍び”なんだ早乙女君?」

 

 早乙女のお忍びという言葉に月島がすかさず諭す。確かにあの登場の仕方は、月島の言う通りおおよそお忍びとは言えなかった。

 

 「演じるための見識を広めるには実物を見るのが一番だからね。ボクにとっては」

 「・・・ほんと、あんたは相変わらずね」

 

  呆れ半分で答える水沢の言い分から察するに、どうやら早乙女が撮休(オフ)の日に撮影現場に現れるのは今に始まったことではないらしい。

 

 そして早乙女の言った一言が、不思議と不気味に感じた。

 

 「月島さん。セッティング終わりましたのでいつでも始めて頂いて大丈夫です」

 「そうか、了解」

 

 収集のつかないような空気を遮るように準備を終えた黛が報告にやってきた。すると不意に彼女と目が合い、俺と黛はぎこちなく軽い会釈をする。昨日の今日ということもあって、少しばかり気まずい空気が2人の間にだけ一瞬流れる。

 

 「さて、今日も1日何事も起きないことを祈って、ササっと終わらせますか」

 「勝手に仕切るな早乙女」

 

 午前9時30分。そんなこんなで結局俺にかけられた誤解が十分に解かれないまま、墓参りのシーンのカメリハを兼ねた本番がスタートした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「なんだ、そっちの話か」

 

 カメリハ終わりの小休憩、俺はタイミングを見計らって本当に謝りたかったことを月島に伝えた。

 

 「リテイクの事ならもう心配しなくていいよ。寧ろ右も左もまだ分からない新人相手に厳しいことを言ってしまった僕の方に非があるくらいだ」

 

 “所詮は新人”

 

 環も言っていたように、どんなに周りが大物だと言って持て囃そうがあくまで俺はまだ右も左も分かっていないようなドがつくほどの新人だ。

 

 「あの・・・」

 

 これ以上迷惑をかけるな、監督の言うことは絶対だと昨日言われたばかりだが、俺は思い切って口を開く。

 

 「月島さんのOKのサインにはもう文句は言いません。でも・・・このままじゃ俺は駄目なんです」

 

 養成期間に俯瞰や体幹などの基礎的な技術を身に着けたところで、それがすぐさま実戦で通用するほどこの世界は凡庸なものではない。

 

 「昨日の撮影を通じて気付きました。俺はまだ、役者を名乗る事ができないって・・・」

 「・・・海堂さんが言っていたよ。夕野君が役者になる覚悟はもう出来ているって」

 

 “・・・“役者”になる覚悟は、もう出来てます“

 

 あの日の俺は、分かっているつもりで何も分かっていなかった。

 

 「悔しいか?まだ役者を名乗り切れずにいる自分自身のことが?」

 

そして湧き上がる、まだ役者になり切れていない中でカメラの前に来てしまった自分に対する不甲斐なさと悔しさ。考えれば考えるほど、どんどん自分が嫌になってくる。

 

 「・・・当たり前ですよ」

 

 それでも、カメラの前に立ってしまった以上はベテランだろうと昨日来たばかりの新人だろうと視聴者()から見れば等しく役者だ。

 

 「だから、今日はしっかりと“技術を盗む”ためにここに来ました」

 

 ならばその期待に今できる精一杯の力で臨むのが礼儀というものだろう。

 

 「今度こそ、胸を張って役者と言い張れるようになりたいんです」

 

 何よりここで役者になることを諦めてしまうことは、こんな自分を本気で叱ってくれた山吹や役者になる覚悟を誓った海堂、役者になった俺を影ながら応援している母親、そして共に役者として切磋琢磨することを約束した環の思いを裏切ることになる。

 

 例え今の自分が場違いな実力しか持ち合わせていないとしても、それだけは本当に許せないことだ。

 

 そう自分に言い聞かせて、俺は無理やり気合を入れる。

 

 「・・・フフッ」

 

 そんな一晩中悩みぬいた末に沸き上がった決死の決意を、月島(この男)は鼻で笑う。

 

 「何がおかしいんすか月島さん?」

 

 俺は思わず内心でカッとなって敬語が雑になる。もちろん俺がどんな思いで話しているかを全て把握するのは無理だろうが、まさか笑われるとは思わなかった。

 

 「失敬・・・新人だった頃の早乙女をつい思い出してしまった・・・」

 「・・・早乙女さんがどうかしたんですか?」

 「いや、別に何てことのない個人的な話だ。それより今日は“早乙女”の芝居を盗みに来たんだろ?」

 「えぇ、はい」

 「だったら今日はそれに集中しよう」

 

 取りあえず俺を馬鹿にしたつもりで笑った訳ではないということは分かったが、肝心の理由はもうすぐ本番だからということではぐらかされた。

 

 

 

 「・・・あの?ここってどこですか」

 「見りゃ分かんだろ?墓だよ」

 

 美優紀に「どうしても見せたいものがある」と言って直樹が連れて行った場所は、ある人物が眠っている霊園だった。

 

 「せっかく連れて行きたい場所があるって聞いてたのに、初っ端から墓って」

 「じゃあ帰るか?」

 「別に帰りませんけど、なんで墓なんですか?」

 

 まさか休暇のデートでいきなり墓に連れていかれるとは思わず、美優紀は困惑している。

 

 「ちょっとさ、挨拶しておきたい昔のダチがいんだよ」

 「・・・昔の友達、ですか?」

 「あぁ・・・結局ここまで来るのに10年もかかっちまった」

 

 そう言うと直樹は、美優紀と共に10年前に自ら命を絶った幼馴染の墓へと向かう。

 

 「カット」

 

 助監督の黛がカットをかけると、早乙女と水沢はスタッフ達とカット割りを再確認した上で別アングルの撮影に移る。

 

 ストーリーに関しては実のところ5話以降の話はすっ飛ばされている感覚なので詳しくは分からないが、9話で美優紀の過去が明るみになり、それを通じてこの2人の距離が一気に縮まる展開になっているらしい。

 

 「はい、霊園の入り口のカットはこれで以上になるので、このまま墓参りのシーンに移ります」

 

 そんなドラマのストーリーはともかく、霊園での撮影(ロケ)早乙女(主人公)水沢(ヒロイン)による抜群のコンビネーションで快調に進んでいく。

 

 「悪いな美沙子・・・10年間も待たせちまって」

 

 美沙子の墓の前で線香を添えて手を拝んで眠る美沙子に声をかける直樹。早乙女の芝居の完成度は昨日の即興稽古(デモンストレーション)からさらに高まっていて、ここまで演技面に対する月島からの注文は全くない。

 

 それは、もはや演出を加える余地もないほど早乙女の芝居が完璧であることを意味している。実際に俺は昨日の撮影でNGこそ出さなかったが、演技面では何度も注文をつけられていることから、決して月島が演技に対して投げやりという訳ではないのだろう。

 

 「美優紀さんも挨拶していいぞ」

 「いえ、私は美沙子さんとは縁もゆかりもないですし、そんな人が挨拶したところで」

 「アンタがいなければ、俺はこうして美沙子のことを受け入れられなかった。アンタがいなければ・・・俺は前に進めなかった」

 「・・・いちいち大袈裟ですよ。直樹さんは・・・」

 

 そう言いながら美優紀は直樹の言葉に応じるように、線香を添えてお参りする。言うまでもないが、そんな早乙女を相手にしても水沢は全く飲み込まれないどころか対等に渡り合っている。

 考えてみれば早乙女のような主演俳優という名の存在(キリスト)が目の前にいても視線が持っていかれない時点で、朝ドラ女優の水沢もまた相当な実力者なのだ。

 

 「こんな現場をいきなり拝められるなんて、夕野君は本当に恵まれているよ」

 

 次のカットに移る合間、月島が俺に囁くように語りかける。もし海堂の言っていた関の山(エキストラ)の仕事だったらこんな機会は恐らく巡って来なかったかもしれないし、早乙女が俺に目を付けることもなかっただろう。

 

 「当たり前だけど、本当に芝居が上手いです。2人とも上手い下手を超えた有無を言わせない説得力のようなものがあると言うか、安心して見てられます」

 

 視聴者や観客が物語の中にいる登場人物に感情移入できるのは、演じる役者が持つ技術と実力の積み重ねで成り立った、安心して観ていられるという安定感。

 

 「でも今の俺には、そんな風に安心して芝居を見届けられる安定感がない」

 

 画面越しでは分からない、同じ空間で同じ空気を吸って初めて気付かされる、弱肉強食の芸能界で頂点に立ち続ける勝ち組(スター)たちの凄さ。

 

 現場に立たないと分からない、カメラの前で赤の他人を演じることの難しさ。

 

 

 

 「・・・新人だった頃の早乙女なんて、今の君と比べると本当に酷かったよ」

 「えっ?」

 

 黛による指揮で次のシーンの撮影準備に取り掛かるスタッフ達をよそに監督ベースからVTRチェックをしている月島が、隣にいる憬にさっきの話の続きを持ち掛ける。

 

 「何か、全然想像できないです」

 「無理はないよ。もう6年も前の話だからね。夕野君だと小学校1,2年生くらいでしょ?」

 

 6年前というと、俺がまだ小2だった頃。あの時はまだ星アリサの姿以外は眼中になく、他の役者には目もくれていなかった。早乙女の存在を最初に知ったのは、その2年後に公開された星アリサ主演の映画で彼女が演じる主人公に想いをよせる相手役を演じていたのが最初だったが、早乙女の芝居には全く違和感を感じなかった。

 

 ちなみに星アリサ目当てで母親に頼み込んで観に行ったその映画は当時小4のガキだった俺にとっては刺激が強く、規制が改定された今だと確実にR-15指定は避けられない内容だろう。この時ばかりは子供心ながら母親に対して「なんで止めてくれなかった?」と観終わった後に心の底から思っていた。

 

 「今でこそ早乙女は“カリスマイケメン俳優(替えの利かない存在)”として大衆からも業界からも重宝されているけど、デビューして暫くは“見た目だけが取り柄”だとか“一本調子な演技しかできないゴリ押し俳優”とか言われ続けていて演技面の評価は散々だったよ・・・」

 

 “そしてその噂通り、出会った時の彼の芝居は最悪の部類だった”

 

 

 今から8年前、姉から勝手に応募される形で参加した大手月刊雑誌が主催する美男子コンテストでグランプリを受賞したことがきっかけでモデルとしてデビューを果たし早くもカリスマ的な人気を得ると、翌年にはカイ・プロダクションと契約を交わし俳優デビュー。1年目から連続ドラマや映画でキーマンや準主役級の役を張るなど、早乙女は俳優として華々しいスタートを切った。

 

 しかしその裏では役者としての実力がまだ乏しい状況で大役を任されていたため撮影現場では経験不足が露呈し、肝心の演技面においても共演者と比べると単調で突き抜けたものがなく業界内はおろか、目の肥えた視聴者からも実力不足が指摘されるなど彼の俳優としての評価はお世辞にも高いとは言えないものだった。

 

 さらに早乙女は最初の現場から台本を一切持ち込まなかった。それは現場に着くまでに台詞を覚えてくるという彼が周囲に迷惑をかけないために定めていたポリシーとのことだったが、皮肉にも台本を持ち込まないというそのスタンスも“向上心がない”と周りから捉えられてしまっていた。

 

 そんな“曰く付き”の主演俳優と出会ったのは、6年前に僕自身が初めて脚本に加え演出も手掛けた連続ドラマでのことだ。

 

 「早乙女雅臣です。初めての主演ということでプレッシャーは凄いですが、最後までよろしくお願いします」

 

 噂通り、早乙女は撮影初日には既に初回の台詞が一字一句頭の中に入っており、共演者の台詞が詰まったり飛んだりしたときは咄嗟にフォローまでするほどの余裕を見せるが、如何せんそれ以外が酷かった。

 

 もちろん表情の作り方、感情の入れ方、動きなどは台本に対して忠実に守っていた。ただ、それらの一つ一つが台本に忠実すぎるあまり上っ面な芝居になっていた。

 それが芝居として成立するだけの技量があればいいのだがそんなものを当時の早乙女が持っているはずはなく、結果として彼の芝居は全体的に悪目立ちしてしまっていた。それは芝居に注文をつけても思うような改善には至らなかった。

 

 「えっ?今のシーンをもう一回撮り直したい?」

 「はい。多分、今までだったら間違いなくNGを出されているはずなので、どうしても納得出来ないんです」

 

 だから敢えて、僕は彼に対してNGを一度も出さないようにした。一部のスタッフや共演者からは苦言を言われたが、「責任は全部自分が負う」ということで押し通した。

 

 「いや、台詞も感情も動きも全部完璧だったからこれでいいんだよ」

 「しかし」

 「早乙女君がこの後何を言おうと、撮り直し(リテイク)はしない。君1人のために周りの共演者やスタッフに余計な時間を割いてしまっては現場の士気だって下がる。ここは一発勝負の世界なんだよ。それでも自分の演技に納得出来ないんだったら、他をあたればいい」

 

 当の本人も、そんな暴論には到底納得していなかったが、寧ろそれが狙いだった。

 

 「確かに僕の演技は、台本に忠実でした。現場に入るまでに共演者の台詞もト書きも含め、一字一句全て覚えてきましたから、それだけは自信を持って言えます。でも・・・それは台本の中だけの話でした」

 

 あの早乙女が自分の不甲斐なさに打ちのめされ切羽詰まった表情で訴えてきた時のことは、一日たりとも忘れたことはない。

 

 「早乙女さんのOKサインには文句を言わず全て従います!もう今日みたいな無礼なことは二度としません!だから・・・こんな僕が変われるにはどうしたらいいか教えて頂けないでしょうか?」

 

 事務所のゴリ押しと揶揄されてはいるが、早乙女という男は超が付くほど仕事に対して誠意をもって取り組んでいることは知っていた。そのやり方が斜め上なだけで、探求心だけはどの役者にも負けてはいなかった。

 

 「早乙女君はさ、暗記は得意?」

 「はい。それだけは他の誰にも負けない自信があります」

 

 そんな彼が役者として一気に開花するにはどうすればいいのか。その答えはあまりに単純明快だった。

 

 「だったらその暗記力を、これからは“技術(テクニック)を盗む”ことに使ってみたらどうだ?」

 「技術(テクニック)を盗む、ですか?」

 「そう。例えば早乙女君が見ていて思わず感心するような上手い芝居をする役者がいたら、その人の芝居を早乙女君なりのやり方で暗記して自分のものにすればいい」

 

 その方法はあまりに他力本願な大博打だったが、賭けを実行した早乙女の芝居は日を追うごとに完成度が上がっていき、最終回を迎える頃にはまるで別人のように芝居が一変したことで彼に対する批判も次第に息を潜めていった。

 

 やがてその勢いのままに星アリサ主演の映画のオーディションで彼女の相手役を射止め、主演のアリサとの共演を通じてさらに才能を開花させた早乙女は、ついに名実ともに日本を代表する“主演俳優”としての地位を確立した。

 

 

 

 「・・・そんな過去があったんですね」

 「でも、今は今で態度がデカくて苛立つことも多々あるけどね」

 「それは何となく分かります」

 

 月島の目線の先にいる噂の張本人は、スタッフと念入りに話し合う水沢にちょっかいを出して頭を引っ叩かれている。

 芸能界と言う世界は、真面目で純粋無垢だったはずの青年をこんな風に変えてしまうのだろうか。それとも自信をつけたことによって本来の早乙女が現れただけなのだろうか。

 

 「でも早乙女の芝居に対する向き合い方は、あの頃から何一つ変わっていない。それだけははっきりと言える」

 

 どちらにしろ、月島の言う通り根本にあるものは昔から同じだということはこの後のシーンではっきりと分かった。

 

 

 

 「・・・東間君?」

 

 美沙子への挨拶を終えた直樹と美優紀の前に、1人の男が現れた。

 

 「・・・直樹さんの知り合いですか、この人?」

 「・・・いや・・・」

 「・・・美沙子の、父です」

 

 男の放った思わぬ一言に、直樹の表情が一瞬だけ揺らぐ。

 

 「行くぞ、美優紀さん」

 

 直樹は男の存在を無視するように、美優紀の手を引っ張るようにして目の前にいる美沙子の父親を素通りする。

 

 「すいませんでした!・・・全部、私のせいです・・・」

 

 すると男は、すれ違いざまに直樹に向けて懺悔の言葉を吐いた。

 

 「私があんな愚かなことをしたせいで、妻と美沙子。そして東間君の家族まで壊してしまった・・・」

 「今更詫び入れられても、どうしろって言うんです?」

 「もちろん許されるなんて思っていない・・・でも私は」

 「もういいっすよそういうのは。今ここでどれだけ詫びろうが、美沙子はもう帰ってこないことはアンタだって分かっているはずだ。だから・・・いい加減全部終わりにしてお互い前に進みませんか?」

 「・・・えっ?」

 

 直樹の言葉に男は思わず振り返る。

 

 「その代わり・・・・・・二度と俺たちの前にその(ツラ)を見せないでください・・・心から頼みます」

 

 振り向いた男を一瞥もせずに言い放つ直樹の表情は、恐ろしいくらいに冷めたものだった。

 

 「良いご身分だよ・・・クズ野郎・・・」

 

 男に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で直樹は毒を吐くと、そのまま美優紀を連れて霊園を後にする。

 

 「カット。それではチェック入ります」

 

 

 

 モニター越しにカット割りの確認をする月島と共に、憬も早乙女の芝居を引き続き観察し続けていた。

 

 「今の芝居を見て、何か気付いたことはあったか?」

 

 早乙女が最後に男に向かって毒を吐いた瞬間、思わず美沙子を失った直樹の情景がフラッシュバックするような感覚に襲われた。

 

 「 “同じ表情”をしていました」

 「・・・“同じ表情”・・・なるほどな」

 

 憬の独特な例えに月島は一瞬だけ考え込むが、憬が早乙女の芝居の本質に気付き始めたことをすぐに理解する。

 

 「月島さん。これが技術(テクニック)を盗む、ってことですか?」

 

 その時に早乙女が魅せた表情は、結果的に美沙子の命を奪う形になってしまった人たち全員に対する怒り。それはまさに、憬の中に存在する直樹の感情と見事にリンクしていた。

 

 「技術を盗むということは役者として成長するための基本事項だよ」

 

 憬からの問いに対して月島は誰に向けるでもなく、モニターを見つめたまま言葉を吐く。

 

 「そんな基本を忠実に守り愚直なまでに今日まで貫き続けたおかげで、早乙女は替えの利かない唯一無二の存在(スター)になれた」

 

 良い芝居をする役者や、刺激を受けた役者からその技術を盗む。相手(ターゲット)は大物だろうが新人だろうがお構いなし。それをただひたすら6年間繰り返してきた1人の男が掴み取った、今の栄光。

 

 「・・・見事にやられた」

 

 心の声が思わず漏れる。午前中に見学したあの1シーンだけで早乙女は、中学時代の過去を俺の芝居を通じて盗んで見事にそれを直樹の感情として昇華させた。俺はまんまと自分の演じる直樹を芝居ごと利用され、完膚なきまでに生贄として喰い尽くされた。

 

 「悪く思わないでくれ、夕野君。これが役者という生き物だ。それはドラマだろうと映画だろうと舞台だろうと、どこでも同じことだ」

 

 昨日の撮影現場での芝居を通じて自分自身が喰われたことを自覚した俺に、月島が言い聞かせる。

 

 「ならばもう、今の君がやるべきことはたった1つだ」

 「・・・・・・早乙女さんの演じる直樹を利用して、中学時代の直樹を演じる」

 

 それに続けた月島の言葉をそのまま繋げるように憬は言葉を続ける。

 

 「・・・そうだ。そして肝心なのはあくまで利用することであって“真似”はしないことだ」

 

 月島は憬を一瞥すると背中を軽く一回だけ叩き、月島からの“激励”に憬は「ありがとうございます」と感謝を述べ、月島もまた憬の感謝に頷きで答えた。

 

 

 

 「どうだい少年。ボクのお芝居は参考になったかい?」

 

 それとほぼ同じくらいのタイミングで、早乙女が監督ベースに顔を覗かせてきた。

 

 「早乙女さんのおかげで直樹を演じる方法が自分なりに分かって、大変参考になりました」

 「そっか。じゃあここから先の撮影は相当期待出来そうだね」

 「はい・・・今度こそ、俺は直樹として最後のカットまで全うします」

 

 すると早乙女は凝視するように俺の目を見つめ、

 

 「・・・その心意気を待っていたんだよ、“憬”」

 

 と呟くように言った。初めて名前で呼ばれ鳥肌が立つような感覚に襲われるが動揺を内側に隠し、憬は早乙女からのグータッチに応じる。

 

 “盗まれたのなら、もう一度盗み返せばいい。利用されたならもう一度利用しろ、早乙女の芝居を。そして・・・今まで生きてきた中で手に入れた技術(全て)を・・・”

 

 

 

 そこにはもう、たった1つのOKテイクに翻弄されていた少年の姿はどこにもなかった。

 




着地点が見えそうで見えない。今日この頃・・・・・・


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scene.18 思惑


一途しか勝たん


 8月7日_21時_中野区某所のマンション

 

 「思った以上に凄かったね、憬くんの芝居」

 

 マネージャーが住む同じ階の部屋で夕食を食べ終え、自分たちの住む部屋に戻るとすぐに思い出したかのように静流が今日のことを話しかけてきた。

 

 「うん。まさかあんなに凄い芝居が出来るとは思っていなかったから、正直驚いてる」

 「そりゃあ驚くでしょ。私だってあんな新人さんを見たのは芸能界に入って初めてだから」

 「へぇ・・・そうなんだ」

 

 明後日の方角を見つめ静流が独り言のようにボソッと呟くと、また思いついたかのように私に目を向けて話しかける。

 

 「・・・蓮はさ、今日の憬くんの芝居を見てどう思った?」

 「・・・どうって言われても」

 

 最初に会った頃から、憬はきっとこのまま俳優になるんだろうなと何となく心の中でイメージしていた。というより、俳優以外のイメージが全く湧いてこなかった。

 もちろん憬とこんな形で再会できたのは素直に嬉しいし、心の底から憬のことは応援している。そのはずなのに、なぜが気分がモヤっとしてどこか整理できていないような感覚が残っている。

 

 「なんだろう?上手く説明できないんだよねこういうの・・・でも」

 「でも?」

 

 “人を殴った以上、あんなのは演技じゃないんで”

 

 山吹(先輩)からキツく言われて、なんとか自分の力で挽回しようと半ばヤケになって月島に直談判して当たり前のことでまた叱られる。

 

 そんなド新人の一部始終を目撃していた私は、何を思っていたのか。

 

 「山吹さんに少しキツく言われただけで何も見えなくなっちゃうようなところは、ちゃんと新人なんだなって・・・それを見たらなんか少しだけ安心した」

 「ふーん・・・じゃあ何で蓮は憬くんのそんな姿を見て安心したの?」

 「・・・それが自分でも分からないんだよね」

 

 そう、私はそんな憬を見て安堵していた。でもなんであの時に私の中でその感情が芽生えたのかは分からない。

 

 「・・・安心したのは、まだ自分の方が同じ役者として彼に勝っていると確信できたから?」

 「・・・えっ?」

 

 どこか意味深な微笑みを浮かべた牧から突然放たれた言葉に、環は理解が追い付けず相槌がワンテンポ(1秒)ほど遅れる。

 

 「突然目の前に現れた親友が、たった1ヶ月で1年以上頑張ってきた今の自分を超えようとしている」

 「何言ってんの静流?」

 

 こうやって静流は時折、全てお見通しと言わんばかりに人の心理を突いてくる。子役の頃からの付き合いである山吹の助言もあって静流の癖は同居する前から知っていたが、その言葉がどこか的を得ているようでいざやられると思考回路が追い付けない。

 

 「そんな親友の芝居を目の当たりにして、驚きと同時に心の中で自分が役者として越されてしまかもしれない恐怖と自分への悔しさを覚えた・・・もし私が蓮の立場だったら、きっとこんな感じで嫉妬に苛まれると思う」

 

 “蓮と同じように俺も役者になる”

 

 あんな浅はかとも言える動機で役者になった憬から見せつけられた、天性の才能という名の武器の恐ろしさ。それに引き換え私は、1年が経った今でも自分のことで精一杯だ。

 

 「・・・純粋に応援したいっていう気持ちのどこかに静流の言う通り、そういう気持ちもあるような気がする」

 

 私にも憬と同じような才能を最初から持っていたら、今のような思いはしないのだろうか?

 

 「でも分からないんだよ・・・この気持ちをどうやって整理したらいいのか」

 「それはどうして?」

 

 自分の無力さを思い知った『1999』の時とも違う、考えれば考えるほど逃げ出したくなるような、身の回りの全てが嫌いになってしまいそうな、今まで生きてきた中で感じたことのなかった説明のつかない感情。

 

 “この感情は・・・何?”

 

 「なんか・・・恐い」

 

 反射的に言葉が出た。果たしてこれは、その気になれば直ぐに自分の中で整理がつくような単純な感情(モノ)なのだろうか。

 

 「・・・恐いか・・・ならその感情は今は使わないことだね。少なくとも今その感情を使ったら、多分あなたは壊れると思うし」

 「壊れる?」

 「そう。嫉妬という感情はとても繊細で一歩でも取り扱いを間違えたら人の心を壊して悪魔にしちゃうからね」

 

 嫉妬。恐らくこの感情を言葉にして表現すると、きっとそういうことになる。

 

 だがこの感情に納得のいく理由をつけた瞬間、憬や周りの人たちと今までのような関係を保つことが出来なくなるかもしれないという恐怖のようなものが、“開けちゃダメだ”とリミッターとしてドアの前に立ち塞がる。

 

 “そもそも今の私には、そんな感情を憬に向けられる覚悟がない”

 

 「・・・やっぱり、忘れた方がいいよね。この感情は」

 「ううん。女優を続けるならこの感情は絶対に忘れてはならないよ」

 「でもそれじゃあ私は壊れるんでしょ?静流の言い分だと」

 「だから、今は心の奥底にそっと閉まっておくんだよ」

 

 心情を知ってか知らずか、リビングのテーブルに座る私の頭を静流は優しく右手で撫でて向かいに置かれた椅子を動かし隣に座る。

 

 相変わらず静流の距離の取り方(コミュニケーション)は独特だが、1ヶ月も一緒に住んでいればそれにもすっかり慣れて今では内心心地よさすら覚えるくらいになった。

 

 もちろんそんなことを本人や周りにカミングアウトすることなんかできないが。

 

 「・・・本当はあまり人に教えたくないんだけど、蓮にはこれから女優として強くなって欲しいから、細かくは言えないけど特別に教えてあげる」

 

 静流は言い終えると「一回しか言わないからね」と前置きして私の耳元でその教訓を呟く。

 

 「蓮が女優を続ける中でどうしても必要になった時に、その感情を使えばいいよ」

 「・・・必要な時って?」

 「それは女優を続けていれば・・・いつかは使う時が来るよ。だからその時が来るまで心の奥で大事に閉まっておくんだよ。“嫉妬”という感情は、役者を続ける上では欠かせない“大切なもの”だから」

 

 この日、静流の口から出たアドバイスは対処法というよりは“女優として覚悟を持て”というメッセージのようなものだった。でもそんな彼女からの一言でモヤモヤが奥底に引っ込んでいき、その感触に比例するかのように心が少しだけ軽くなった。

 

 「・・・ねぇ静流?最終日(あさって)の撮影、私もついていっていい?」

 

 とにかく今は、“この感情”を使うのはやめておこう。いつか使う時が来るその時まで・・・

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 8月8日_16時_横浜市内某所_

 

 墓参りのシーンを撮影した霊園から車で30分と少しのところにある住宅街の一角。ここで本日の残りの撮影が行われる。

 

 ちなみにこのドラマの舞台となっているのは阿佐ヶ谷なのだが、全ての撮影を阿佐ヶ谷近辺でやっている訳ではない。そもそも『ピュア』の施設内は成城にある撮影スタジオで特設セットを組んで撮影していて、環の演じる麻友が通っている中学校に至っては23区内を飛び越えて国分寺にあるという。

 

 補足すると直樹の中学時代の舞台は神奈川だというが昨日の撮影場所は町田だったというように、ドラマの撮影というものは舞台こそ決まっているが実際に使用されるロケ地はてんでバラバラなことが殆どらしい。

 

 だが正直言って、そんなことなど今はどうでもいい・・・

 

 「あの・・・何でよりによってこの場所でロケをするんですか?」

 

 明らかに見覚えのある、ていうか毎日通っている中学校へと続いていくなだらかな坂道。

 

 「共演者に一発見舞った次はスタッフがせっかく探してくれた撮影地に文句を垂れる・・・さすが大物は違うね」

 「そういうことじゃなくて」

 「おいみんな!この少年が!」

 「何でもないです!すいませんでした!」

 「(何でもないならなんで謝るんだよ・・・)」

 

 またしても余計なヘイトを集めてやろうとばかりに揶揄う早乙女とそれを全力で阻止する俺の攻防を準備に取り掛かっている周りのスタッフがやや冷めた目で見つめる。

 これに関しては、失礼極まりない失言をした俺が全面的に悪い。この言葉がスタッフの耳には届いていなかったことが、不幸中の幸いだ。

 

 「で?そういうことじゃないのなら何なのさ?」

 「・・・この道。俺がいつも通ってる通学路です」

 「あぁそっか、だから気合が入っているのか」

 「それは絶対に違う」

 

 事前に撮影する場所は知っていたので言うまでもない。誰が何と言おうと監督の月島がここをロケ地と決めた以上、役者はその場で芝居をするしかない。

 

 「ついでに聞くけど何で早乙女さんもここにいるんですか?」

 「この後暇だから」

 「・・・休まなくて大丈夫なんですか?この間丸2日寝てないって言ってた気がするけど?」

 「別に今から家に帰ってもすることないしリフレッシュするにもこの時間だと中途半端じゃん。だったら家で何の目的もなくグダグダするよりこうやって人の演技を見て芝居の見識を深める方が有意義じゃない?って話だよ。台本だって全部覚えちゃったしね」

 

 早乙女は左手で自分のこめかみを撃つジェスチャーをする。確かに台本を覚えてしまった以上、この男の中でやるべきことはただ1つだ。

 

 「・・・早乙女さん・・・俺は早乙女さんのことを才能に恵まれた天才だと勝手に思っていました」

 

 凛とした顔立ちや自身から放たれる風格(オーラ)と卓越した記憶力。そんな生まれ持った天性の才能だけを武器に芸能界をのし上がってきたと思っていた。けれど、それは大きな間違いだった。

 

 「おぉどうした急に?」

 

 何故このタイミングで、こんな言葉が浮かんできたのかは自分でも分からない。

 

 「でも本当は、他の誰よりも芝居に向き合い、他の誰よりも一生懸命に人知れず血の滲むような努力を重ねてきた。だから早乙女さんは、ずっと主役で居続けられる役者になれた・・・って俺は思います」

 

 だが月島から早乙女の過去を聞かされ、その直後に目の前で見せつけられた“6年間の成果”を見て彼の努力を知り、言わずにはいられなかった。

 

 「・・・別に特別なことはしてないよ。ただ当たり前のことを当たり前にやってるだけさ」

 

 憬からの言葉を、早乙女はすまし顔で返す。

 

 「それに年齢は上だけど同じ役者となると敦士くんとか静流さんの方が先輩だし、ボクより良い芝居をする役者なんてこの世界にはまだ幾らでもいる。それでもってそんな格上の役者()たちといつか同じ舞台に立って真剣勝負が出来るようになるためには、今のうちにもっと自分の芝居を進化(アップデート)させて行かないと駄目なんだ。ボクだって広く見ればキミと同じ“若手俳優”の1人に過ぎないからね」

 

 まるで自分自身に言い聞かせるようにして前を見据えて呟く男の、自分の素質に満足することなくただひたすらに己の芝居を追求していく努力という名の美学。

 

 「今はまだお互い勉学に励む時期だよ、憬」

 「・・・はい」

 

 “俳優・早乙女雅臣”がトップで在り続けるために自身に課した(カルマ)や14歳で“女優・牧静流”の十字架を背負って歩みを進める覚悟を通じて、トップランナーと呼ばれる人たちの凄さと共に、そんな人の芝居を“盗める”という環境がどれほど素晴らしいものであるかを思い知った。

 

 映画やドラマを鑑賞するだけじゃ分からない、演技をするために生まれてきた人たちで構築された唯一無二の世界。

 

 

 

 「相変わらず早乙女さんはそこに立っているだけで絵になるよね」

 

 憬と早乙女が聞き覚えのある声のする方に2人そろって振り向いた瞬間、緩やかな住宅街の坂をバックに道の真ん中に立つ2人の“直樹”に閃光(フラッシュ)が焚かれる。

 

 「ついでに憬くんも」

 

 2人の視線の先には使い捨てフィルムカメラを持ってシャッターを切った牧が“良い写真()が撮れた”と言わんばかりの満足げな笑みを浮かべていた。

 

 「いい写真は撮れたかい?静流さん」

 「えぇ、多分」

 「ところで同居人の“後輩ちゃん”は?」

 「蓮は“アリス”の撮影で今頃スタジオだよ」

 

 どうやら環は雑誌の撮影で今日はいないようだ。ちなみに環は女優業の傍らティーン雑誌である「アリス」の専属モデルとしても活動している。

 

 「あの、牧さん」

 

 そんな同居人()の先輩である牧の姿が目に映ったその瞬間、どういう訳か俺の頭の中に美沙子の姿が浮かんだ。

 

 「何?憬くん?」

 「・・・牧さん。今日もよろしく」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 8月8日_16時30分_新宿_

 

 主要キャストとして出演した映画の公開を記念する舞台挨拶を終えた山吹は、楽屋で舞台挨拶用の衣装から私服に着替えていた。

 

 「・・・そろそろ“あっち”の撮影が始まるくらいってとこか・・・」

 

 私服と共に楽屋のロッカーに無造作に置いていた限定モデルのデジタル式腕時計を手に取り時間を確認した山吹が呟く。

 

 「失礼するわよ」

 

 腕時計を左腕にはめるのとほぼ同時のタイミングで楽屋のドアを少しゆったりとしたリズムでノックする音と共に、聞き覚えのある女性の声がした。

 

 「先ずは舞台挨拶、お疲れさま」

 

 芸能事務所スターズ代表取締役社長・星アリサ。彼女がこうしてわざわざ所属タレントの楽屋にいきなり訪れる時は、必ず何かがある時だ。そして俺には、少なくとも彼女が自分の楽屋を訪れたことに関して、思い当たる節があった。

 

 「・・・昨日の(こと)でここに来たんですか?アリサさん?」

 「ほぼ正解ってところだわ」

 

 昨日のドラマ撮影を見学する際、俺はアリサにそのことを黙って撮影現場に向かっていた。流石に月島には秘密にすることを条件に連絡を入れていたのだが、こんなに早くバレるとは思わなかった。恐らくスタッフの誰かがリークしたのだろう。

 

 「何で黙っていたの?」

 

 逃げる隙を与えないよう、アリサはピシャリとした口調で言い放つ。

 

 「反対されると思ったんすよ。夕野みたいな役者(人間)を恐がるアリサさんのことなら、せっかく幸せにするために引き抜いた自分の子供が悪影響を受けて壊れていくんじゃねぇかって余計な心配をするだろうから」

 「そんなのバレたら一緒じゃない」

 「それはごもっともでした」

 

 無論、相手は雇い主である以前に同期2人の影で“燻っていた”自分を拾い上げ、こうしてスターダムに上げてくれたいわば恩人のような存在。言い訳なんてするつもりは毛頭にもない。

 

 「それと私が夕野憬(あの子)を恐がるというのはどういうこと?敦士?」

 「早乙女さんから聞いたんすよ。アリサさんがオーディションで夕野(アイツ)を落としたこと」

 

 スターズを設立する前日、アリサは突然記者会見を開くとその場で大勢のマスコミを前に只ならぬ覚悟を持った立ち振る舞いで“女優引退”を宣言した。なぜ人気絶頂の中でそんな決断をしたのかは彼女にとって最後の晴れ舞台となった“あの舞台”と、そこに至るまでの1年間で彼女の身に降りかかった出来事を知る連中なら、ある程度は分かることだろう。

 

 「また1人“不幸な役者”が生まれちまうかもしれないってことが恐かったのか?」

 「別に恐かったわけじゃないわ。ただ、今のままだと夕野憬(あの子)は確実に壊れてしまう。だからそうなる前に逃げ道を作ってあげただけよ」

 

 去年の3月、あの舞台の千秋楽を観客の1人として目撃していた俺も全てを知っている訳ではないが一応そのうちの1人だ。だから、夕野の芝居を見てアリサ(この人)が誰よりも演技面で飛び抜けていたはずの夕野を候補から振るい落とした理由もその心境も何となく分かる。

 

 「でも結果的に逃げ道作ったらもっとややこしい事態になってんのは運命のいたずらか?」

 

 だが良かれと思って逃げ道を作ったら皮肉なことによりによって一番厄介な連中に捕まり、ある意味最悪な形で戻ってきてしまったということだ。

 

 「敦士

 「・・・冗談っすよ」

 

 本当に軽い冗談のつもりだったがこれが癪に障ったらしく、アリサは語気を強めて俺の名前を言う。流石に言い過ぎたと俺は脳内で反省する。

 これが芸能界の闇と言ってしまっていいかは知らないが、あくまで部外者の俺は知らない方がよさそうだ。

 

 「その話はともかく、私はあなたのことを他者から悪影響を受けるような半人前だとは思っていないから、一言言ってくれたら可能な限り何処へでも連れて行ってあげるわ」

 

 これ以上は話したくないのか、アリサは半ば強引に話を終わらせる。不幸中の幸いか、昨日のことについてはそこまで怒っている様子はない。

 

 「ところで敦士、明日はどうするつもりなの?」

 「明日?フツーに夜からHOME(ドラマ)ですけど?」

 「それは知っているわ」

 

 だが、妙に嫌な予感がする。

 

 「私が聞いているのは“あの子”のことよ。あなたの事だからどうせ行くつもりでしょ?学校の撮影も」

 「・・・まぁ、そのつもりっすけど」

 

 アリサの女優だった頃を彷彿とする優し気なその口ぶりが、その予感を増長させている。

 

 「昨日の貸しという訳じゃないけど、午前中の撮影に行くなら“彼”も同行させて欲しい。他人の芝居を勉強するには良い機会だから」

 

 その言葉を合図に、楽屋のドアから1人の男が現れる。早乙女や心一のように特別背が高いわけではないが、まるで1人だけ異空間にでもいるかのような唯一無二の存在感を放つこの男のことは、少なくとも俺がスターズに引き抜かれる前から知っている。

 

 「久しぶりだな。“あっくん”」

 

 絶対的な看板俳優(スター)である早乙女雅臣に続くスターズの新たな看板()になるべく破格の待遇で今まさに事務所が育て上げている金の卵。言うまでもないが、この間の俳優発掘オーディションの勝者は始まる前から決まっていたようなものだ。

 

 「アリサさん。十夜(コイツ)を現場に連れて行く代わりに・・・1つだけ俺に教えて欲しいことがあります・・・」

 

 俺は、そんな十夜(コイツ)のことが嫌いだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 学校からの帰り道。少しだけ傾き始めた空が家路につく直樹と美沙子を照らす。

 

 「もう来週には期末だね」

 「何でいきなりテストの話すんだよ」

 「だって直樹、この前の中間って理数系以外は全部赤点だったじゃない?だから大丈夫かなって思って」

 「っるせーよ余計なお世話だ」

 「じゃあ応仁の乱のきっかけになった室町幕府の第8代将軍は?」

 

 そう言って嘯く直樹に、美沙子は特に成績が酷かった歴史の問題を振る。

 

 「織田信長」

 「全然ダメじゃん。時代も違うし」

 「はぁ?将軍つったら信長だろうが」

 

 誇らしげに見当違いな回答をする直樹と、それを呆れた様子で見つめる美沙子。

 

 「・・・今回も直樹のところで勉強会ね」

 「冗談じゃねぇよこのスパルタ娘が」

 「中澤先生も言ってたでしょ?1つでも赤点を取ったら夏休みに補習を受けさせるって。そうなったら補習中は部活にも出れなくなるし。それでも自信があるんだったら私はいいけど?」

 「・・・・・お願いします」

 

 少しだけ悩んだ末、直樹は美沙子からの勉強会を引き受ける。春休みの補習で味わった“課題地獄”に比べたら、まだマシだからだ。

 

 「あのさ、毎回思うんだけど何で俺ん()なん?」

 「なんか・・・自分の部屋だと逆に落ち着かなくてさ。そもそも入れたくないし」

 

 そう言うと美沙子はどこか意味深な笑みを浮かべる。今思えば、その一言が美沙子からのSOSのようなものだったのかもしれない。

 

 「何だよそれ」

 

 

 

 「はいOKです」

 

 17時28分_下校シーン、撮影終了。

 

 

 

 「・・・にしても悲しくなってくるよな」

 「何が?」

 

 撮影が終わっていきなり憬の発した突拍子もない言葉に、牧は思わず戸惑う。

 

 「こうやってくだらない話で盛り上がってるような2人がさ、明日にはもう“離れ離れ”になるんだからよ」

 「あぁ・・・撮影の話か」

 

 ついさっきまで一緒に下校路で談笑し合っていた幼馴染が、明日には目の前で自らの命を落とすという現実。

 

 「早乙女さんの演技を見て、ようやく直樹が美沙子のことをどれだけ想っているかが分かってから・・・なんか美沙子があまりに可哀想に思えてきた」

 

 本当の意味でようやく俺は直樹の感情を理解することができたが、このままじゃ美沙子があまりに報われない。でもこの運命を受け止めなければ直樹にはなれない。下校シーンの撮影が終わった瞬間、そんなジレンマに似た思いが形となって溢れ出てきた。

 

 「何とかして救えないかな美沙子のこと」

 「それは無理だよ憬くん。私たちはカメラが回ってる間は直樹と美沙子になりきらないといけないから」

 

 もしも俺が直樹だったら、今すぐ隣にいる美沙子を救ってやりたい。でも台本に書かれている運命を変えることは、役者としてここに立っている時点で許されない行為だ。

 

 「・・・だよな。俺もそれは分かってるよ」

 

 言い終えると憬は小さく溜息を吐いた。

 

 「・・・憬くんはさ、一度役に入ると完全に役から抜け出すまでに時間がかかるタイプ?」

 「えっ?」

 「・・・ああごめん。ちょっと難しかったかな?」

 

 牧の言ったことに対して一瞬だけ疑問符が付いたが、すぐに大体の意味は理解した。

 

 「いや、多分抜け出すこと自体は早いほうだと俺は思う」

 

 他人の感情に入り込むこと自体はいつしか無意識に出来るようになっていたから比較的容易いもので、そこから戻ることも何の苦労もなく出来ていた。というより、そんなこと考えたこともなかった。

 

 「そっか。ならいいんだけど」

 

 すると牧は俺に向けて意味深に呟く。

 

 「ならって・・・どういうことだよ?」

 

 明らかに裏がありそうな牧の一言がどうしても気になりその意味を問いかけるも、

 

 「普通にそのままの意味だよ。誰かを演じる時に余計な感情が入っていると何かと不都合でしょ?ストーリーにとっても自分にとっても」

 

 と価値観を半ば押し付けられるような形ではぐらかされた。この様子じゃ、きっと俺が問いかけても牧は明確には答えてはくれないだろう。

 

 「・・・・・・まだ俺には“受け入れる必要も知る必要もない”ってことか?」

 

 それでも牧からの返答をどうしても聞いておきたかった俺は、顔合わせの時に言っていた言葉をそのまま返す。

 

 「・・・もう、憬くんは大袈裟だなぁ」

 

 そう言うと牧は俺に向かって半分馬鹿にしたような感じで笑いかける。

 

 「そんな大それたことなんかじゃないよ。役者というのはカチンコの合図で役に入り、カチンコの合図で役から抜け出す。それが役者ってだけの話だから」

 

 結局牧は、それ以上の明確な答えを教えてくれることはなかった。

 

 

 

 「早乙女さんの演技を一度見ただけでこの変わり様・・・新人は伸びしろの宝庫だと上地さんは言っていましたが、この成長速度は脅威ですね」

 

 ドラマのメガホンを取る月島と演出補で月島の愛弟子でもある黛は、憬の変化に内心驚いていた。

 

 「どの世界にもいるものだよ。彼のようにいつか必ず歴史に名を残すような才能を持ち合わせた人間というのは」

 

 日常会話のシーンだからそれが表立っているのは微々たるものだが、昨日の撮影に比べて憬の芝居の精度が明らかに上がっている。同じ現場にいることで分かる、微妙な空気の違い。

 

 「ここまでは“月島さんの想定通り”、というところですか?」

 「人聞きの悪そうな言い分はともかく、大方黛君の言う通りというところだ」

 

 

 

 「・・・何で・・・ここにいるんだよ・・・」

 「・・・もうみんなには顔向けできないけど、このクラス自体は好きだったから・・・」

 「・・・そうか・・・」

 

 直樹が伊藤を殴ってから2週間ほどが経ったある日、あの日を最後に再び学校に姿を見せなくなった美沙子が県外の中学校に転校することが担任からクラスに伝えられた。事情を考えれば当然の話ではあった。

 結局クラスに美沙子が現れることはなかったが、忘れ物を取るために放課後の教室に戻るといないはずの美沙子がいた。

 

 「ごめんね、直樹。こんなことにならなかったら、直樹はサッカー部をクビになることはなかったのに・・・」

 「日島が謝るなよ・・・あれは殴った俺と落書きをした奴らが全部悪い」

 

 あれから直樹は“あの一件”が原因で校則違反として部活動をクビになり、クラスの連中からは標的が移るように厄介者扱いされるようになったが、そんなものは痛くもかゆくもない。

 

 「・・・俺なりに考えたんだよ、どうやって日島を守るかって。でも俺って馬鹿だからさ、日島を虐めた奴を痛い目に合わせるくらいしか思いつかなかったわ・・・笑っちまうよな、人をぶん殴ったところでなんにもならねぇってのに・・・」

 

 ただ幼馴染で一番の親友に何も出来ずにいる自分に、直樹は心底腹が立っていた。

 

 「そんなことないよ」

 

 そんな直樹に、美沙子は決意を込めて伝えたかったことを伝える。

 

 「・・・こんなこと言うのは不謹慎だけどさ・・・直樹が伊藤くんのことを殴ってくれた時、ちょっとだけ気が楽になった」

 「・・・どういう意味だよそれ?」

 「自分でもよく分からないんだけど・・・なんかその時だけ気分がスッキリした。だからありがとう・・・伊藤くんのことを殴ってくれて」

 

 言い終えると美沙子は座っていた自分の椅子から立ち上がる。

 

 「流石にあんまり長く居るのも悪いから、あたしはもう帰るね」

 「え?じゃあ一緒に帰ろうぜ」

 「いや、あたしは1人で帰るから大丈夫だよ」

 「何言ってんだよだって今日で日島は」

 「本当に大丈夫だから」

 

 そして美沙子は今できる精一杯の笑顔を直樹に見せる。

 

 「あたし・・・直樹と親友になれて本当に良かった!」

 「・・・おう。俺も良かったわ・・・日島とダチになれて」

 

 本当は今すぐ美沙子を引き留めたい直樹だが、意思に反して足は動かない。

 

 「・・・今までほんとにありがと・・・じゃあね・・・」

 

 最後の言葉を言うと美沙子は何かを振り切るように駆け足で教室を立ち去る。

 

 「・・・美沙子・・・」

 

 そんな美沙子の姿を、直樹はただ茫然と立ち尽くして見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 「・・・一歩間違えれば作品そのものが崩壊しかねない。こんな演出(真似)が出来るのは月島さん(あなた)ぐらいですよ」

 

 その気になれば、昨日の時点で“主役”の芝居の精度をもっと上げることは可能だったはずだが、隣に立つ演出家は敢えて“そんな真似”をせずに淡々と演出をつけていった。

 

 「それは褒めているのか?それとも貶しか?」

 

 月島は山吹からの叱責で自信を失いかけ、自分の芝居に対して不安を払しょくできずにいる状態のままの夕野にOKテイクを出した。

 当然本人は月島からのOKサインに対して首を縦に振っていたが、同時に自分の芝居に首を傾げていたのも確かだった。言ってしまえばあの芝居はプロとしては不完全で失格の部類と言えなくもないだろう。

 

 だがそんな不完全な芝居は皮肉にも、美沙子を救いたいという思いに反して助けになれない自分と現実に対する怒りや悲しみでぐちゃぐちゃになった直樹の感情と見事にリンクしていた。今日の“吹っ切れた”夕野の芝居と比較すると、それがより鮮明に浮かび上がる。

 

 「もちろん、前者です」

 

 これらは全て、月島が知らずのうちにたった一人で作り出した必然の演出だ。出演者一人一人のポテンシャルや人間性を的確に把握し、出演者自身の感情すらも演出の一部として取り入れる。そうして偶然の産物のような奇跡を必然的に作り上げていく。

 

 「そうか。良かったよ」

 

 手堅いように見えて時には博打とも言える手段に出ることも厭わない酔狂さを隠し持つ。そんな数字に囚われている“商業主義”とは対極にある思想を反映させながらも仕事が途切れず最前線にいられるのは、この男が常に見返り以上の結果を出し続けてきたからだ。

 

 「問題は明日の撮影ですね・・・幾ら迷いが消えたとは言え、昨日の二の舞になるかもしれませんし・・・」

 「・・・その心配は要らないよ、黛君。早乙女の芝居を盗んだ夕野君なら、もう大丈夫だ。仮に万一のことがあろうと、僕が最後の最後まで操ってみせる」

 

 

 

 そんな月島という酔狂な演出家は、黛からの心配の声に余裕の笑みを浮かべた。

 




いやぁ、創作って難しい。回を重ねるごとにそんな心境が増している今日のこの頃。

自分で言うのもアレですが、この作品は他の作者様の作品に比べて読み続けるのに少し根気がいる部分があると思います。本当にすみません。

それでもこの作品を毎週読んで下さっている読者の皆様には、心の底から感謝しています。

こういうものはとにかく書き続けてみるということに大きな意味があると思っていますので、拙い部分はまだ色々とありますが、これからもよろしくお願いいたします。




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scene.19 集結


7/29追記:今後の展開を配慮しストーリーの一部を変更しました


 8月9日_東京都町田市立南町田中学校_

 

 美沙子の転校が告げられてから3日後、週明けの学校は普段と変わりなく生徒たちが登校している。

 

 「なぁおい、屋上に誰かいなくね?」

 「えっ?いや気のせいでしょ」

 

 そんないつも通りの日常を、美沙子は屋上の柵の外に立って眺めていた。

 

 「おい!そんなところで何やってんだ危ないぞ!」

 

 異変に気付いた学年主任の先生が下から呼びかけ、その叱咤を合図にするように生徒たちは野次馬のように群がり始めるが、美沙子には野次馬の姿も声も何も届いていない。

 

 “・・・ごめんね・・・直樹・・・”

 

 「美沙子っ!!」

 

 直樹の声が耳元に入ると、美沙子は静かに足を一歩踏み出す。

 

 “・・・さよなら・・・”

 

 そして美沙子の身体は、無情にも15メートル下の地面に向かって一気に落ちて行く。

 

 

 

 「カット」

 「・・・私のシーンはこれで終わり?」

 「はい。美沙子のシーンはこれで以上になります」

 

 カットをかけた黛からの言葉に、牧はホッと胸をなでおろすとスタッフに半分抱えられるような状態で柵の内側へ戻る。

 

 「ハァ・・・本気で死ぬかと思った」

 「それは本当にお疲れ様です」

 

 撮影場所は学校の屋上で、美沙子はここから柵の向こう側にあるパラペットの上に立って飛び降りるのだが、流石に万が一のことがあってはならないのでしっかりと命綱をつけた状態で撮影している。

 

 そんな“恐怖の撮影”を終えた牧は腰が抜けたかのようにその場にへたり込む。

 

 「・・・ほんと、こんなところに立てる人の気が知れないわ」

 「こんなところに立てる人は本当に命知らずですよ」

 

 業界内では割と知られている話だが、牧は高所恐怖症である。しかしそんな素振りを微塵も感じさせない芝居のおかげで、美沙子のシーンは予定よりも20分以上早く取り終えることができた。

 

 「さて・・・残すは直樹だけか・・・」

 

 午前9時07分_屋上カット_撮影終了。

 

 

 

 「今日も来たんだ」

 「うん。だって今日で憬の出番は最後だからね」

 

 ラストシーンのカメリハに入る前の隙間時間、俺は今日も見学に来たという環と共に話していた。

 

 「にしてもすげぇよな牧さん。あんなところに立てるなんて」

 

 高さ約15メートルの屋上の端。命綱が付いていているとはいえ、よくあんなところに立っても平然としていられるものだ。俺の言葉に、環も頷く。

 

 「ホントに凄いよ、静流は。高いところが苦手って言ってたのに」

 「マジか」

 

 しかも環曰く、牧は高所恐怖症らしい。

 

 「高いところが駄目なら断りゃいいのに」

 「私も一回だけ静流にそう言ったんだけどね」

 

 『そんな下らない理由で仕事は選びたくないんだよね、私』

 

 「って結構真面目(マジ)なトーンで言い返された」

 「・・・へぇ」

 

 ある意味、いかにもプライドの高そうな牧らしい返答だ。

 

 「やっぱり“プロ”だよなぁ、静流は」

 「・・・だな」

 

 そう言い終えると環は屋上を見上げる。ただでさえあんなところに立つと言うのは身の毛がよだつほどに恐ろしいことだろうが、恐怖症持ちにとっては尚更地獄なことだろう。それでも役を演じる為にここまで体当たりで()り切る牧は、間違いなく“プロ根性”の塊だ。

 

 「それより台本は大丈夫か?」

 「大丈夫。早乙女さんには負けるけどこう見えて台詞覚えは早いほうだから」

 

 そんな誰もが知っているような子役上がりの実力派と同じ部屋で生活しているとなると、同じ役者としてはとても刺激的なことだろう。

 

 「なんかいいな。蓮のように役者のライバルと一緒の部屋で生活するって」

 「私が静流のライバルだなんてまだまだ恐れ多いよ」

 「じゃあ、先輩後輩って感じ?」

 

 すると環は少しだけ間を空けて、

 

 「何だろう・・・先輩後輩のような、女友達のような」

 

 と、曖昧な返事をした。いくら親友と言えど、言いたくないことのひとつやふたつはあるだろう。事実、俺だってそういうところは無きにしも非ずだ。

 

 「悪い。変なこと聞いたな」

 「ううん、全然いいよ。静流といると女優として勉強になることも多いし、そもそも一緒にいて普通に楽しいし」

 「まさに一石二鳥って感じだな」

 「一石二鳥に出来ればいいんだけどねぇ・・・」

 

 そう言うと環はどこか自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

 「蓮なら大丈夫でしょ」

 「・・・そう?」

 

 俺は環の感じている負い目を見逃さなかった。無理はない、比較対象が牧静流となると嫌でも自分の実力というものを良くも悪くも突きつけられるからだ。

 

 「まだまだ伸びしろがあるし」

 「それは静流もでしょ」

 「いや、牧さん以上にあるんだよ蓮には。経験なんて関係ない、俺たちは新人だ。可能性は無限大だよ」

 

 そんな環を、俺は自分なりに励ます。肝心な時にロクな言葉が出てこない俺にしては、今回は悪くないだろう。

 ここからどれくらい伸びていくのかは俺も知らないが、少なくとも牧や早乙女たちに比べて経験の少ない俺たちの方が役者として学べる機会も多い。それは、成長するチャンスがより一層転がっているということになる。

 

 「・・・何か早乙女さんみたいなこと言うね、今日の憬」

 「俺が早乙女さん?」

 

 だが、この返答はさすがに予想していなかった。もしかしたら、早乙女の芝居を盗んだ影響がこんなところにまで現れてしまったのだろうか・・・流石にそれはないとは思うが・・・

 

 俺はひとまず、早乙女の存在を一旦脳内から消した。

 

 「でも憬の言う通り、確かに私たちにはまだまだ伸びしろがあるからね」

 「あぁ・・・当たり前だ」

 

 そんな俺たちに今できるのは、とにかく技術を盗むこと。そして芝居で答え続けること。

 

 「おとといの憬とはまるで別人だね」

 「別人?どういうことだよそれ?」

 「なんか、迷いがなくなった」

 「・・・そっか」

 

 ただ迷いがないだとか言って強がって見せるが、内心ではまだ少し恐怖心に似たものがある。これから使う感情は、これまでに使ったことのないようなシリアスなものだからだ。

 

 だが、時間は待ってはくれない。限られたリミットの中で、とにかく今できる最善を尽くすしかない。

 

 「夕野さん、この後すぐにリハを始めますのでそろそろ校門の前に向かってください」

 

 撮影スタッフの1人がリハの開始を俺に告げる。

 

 「じゃあ、行ってくるわ」

 

 学校の校門に向かおうと足を踏み出そうとした瞬間、環が俺の背中をポンっと軽く叩く。

 

 「私のことは気にしないで。恐れず思い切って()ってこい」

 「おう・・・・・・ありがとう」

 

 そして環からの激励に憬は静かに感謝の言葉を返すと、そのままエキストラ達が既に待機し始めた校門へ歩みを進めた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「今日は夜まで何もないって月島さんから聞いてるけど早乙女さんはリフレッシュしなくていいの?」

 

 美沙子のシーンの撮影が終わり、制服の衣装から私服に着替え終えた牧が現場を訪れた早乙女のもとに向かい揶揄いつつ気遣う。

 

 「どうしても中学生の “直樹”を最後まで見届けたくなっちゃってさ。今日も来ちゃったよ」

 

 牧からの申し訳程度の心配の声に早乙女はいつもの飄々とした態度で返すと、牧は“相変わらずね”と言わんばかりに心の中で溜息を漏らす。

 

 「・・・そんなに憬くんのことが気になるの?」

 「そりゃあ気になるさ。あのような新人なんて10年に1回拝められるか拝められないかくらいだし」

 「へぇ・・・随分と“ライバル視”してるのね、彼のこと」

 「ライバルか・・・なるほど」

 

 そう言うと早乙女は同じく見学に来た環と何かを話している憬に目を向ける。

 

 恐らく数年後には絶対に無視することのできない大きな存在になっていることだろう原石によるオーディションの映像を見た衝撃を、あの日から僕は何度も思い返していた。

 

 自分より下の存在に脅威を感じたのは、初めてだった。

 

 「もちろん憬の芝居は中々に興味深いからね・・・“盗みがい”があるよ」

 

 僕には役者として0から1を生み出せるような才能はない。だが、後輩の為に一肌脱ぐのが道標となる先輩の役目というものだ。

 

 「そうだよね。それが早乙女さんのやり方だもんね」

 

 自分が持ち合わせていない武器(モノ)を、自分にしかない武器(モノ)で補って技術(テクニック)として昇華させる。例え0から1は作れなくとも、そうして1から100のものを1から120ぐらいにすることはできる。

 

 「あぁ、その通りだよ。先輩だろうと新人だろうと、参考になる芝居(モノ)は盗みまくるのがボクだからね」

 

 “憬の芝居(直樹)が良ければ良いほど、僕の演じる主人公(直樹)はさらに良くなる”

 

 「だから憬には実力を思う存分に発揮してもらって、最後にボクがその上を歩いて全てを掻っ攫い、めでたしめでたしってわけさ」

 「仮に“分身”がまたやらかしたら?」

 「その時は有り余る力を使って補えばいいだけのことさ。どちらに転ぼうが、ボクにとっては“美味しいご馳走”なのは変わらないからね」

 

 これが今できる、僕なりの戦い方だ。

 

 「・・・久しぶりに会えたよ・・・面白そうな存在に・・・」

 

 どこか誇らしげな表情で空を見上げている早乙女に、牧は独り言を吐いて笑みを浮かべる。

 

 「それは良かったじゃないか、静流さん」

 

 牧の言った独り言の意味をすぐに理解した早乙女が、クールな笑みで答える。

 

 同期や下に脅威と言えるライバルがいるということ。それは時に自分自身が喰われるかもしれないというリスクを背負うことになるのだが、そんな実力者と同じ舞台で芝居ができるということは、頂上を目指す役者にとっては冥利に尽きることだ。

 

 「もちろん蓮のことだって期待してるけどまだまだ可愛い後輩止まりだし・・・天くんが役者を辞めちゃってから、私ずっと寂しかったからさ・・・」

 

 だからそう言ってボヤく牧の気持ちも、早乙女は分かっている。同世代で唯一、自分に対抗することができた天才子役・天馬心のことを彼女はライバルとして意識し、これからも彼と共に互いに切磋琢磨して子役から俳優へと成長していく、はずだった。

 

 だが肝心のライバルは星アリサの引退とほぼ同時に芸能界を去り、“天馬心”は天知心一に戻った。そして牧の心には唯一のライバルと言える存在が突然いなくなるというやり場のない気持ちだけが残っていた。

 

 「・・・敦士くんでは不満かい?」

 「・・・不満じゃないけど・・・なんか違うんだよねブッキーは。私にとっては友達だけどあくまでライバルじゃないから」

 

 早乙女の問いかけに、牧は悩みながらも苦笑いを浮かべて答える。ライバル不在という環境は、それはそれで安泰なのだが互いを刺激し合える相手がいないというのも、これはまた味気ないものだ。

 

 「そのことって敦士くんは知ってるのかい?」

 「私からは話してないけど、ブッキーのことだから気付いていると思う」

 「じゃあいっそのことカミングアウトでもすればどう?」

 「それは駄目だよ。言ったところで何も解決しないし、絶対にブッキーも傷つくから」

 

 だからといってこのことをそのまま口にできるほど、友人という関係は割り切ることが出来ない。牧にとって山吹はライバルではないが、心を開ける数少ない存在の1人であるからだ。

 

 「・・・おっ、噂をすれば」

 

 遠くに目を向けると、噂の張本人が撮影現場に姿を見せた。

 

 「しかもよりによってもう一人の“大物新人”を引き連れてくるとはねぇ・・・」

 

 ただ、周囲の人間の視線はどういう訳か山吹ではなく、その右斜め後ろを歩く1人の“美少年”に向けられている。

 

 「なんだか面白いことになっていきそうだね、早乙女さん?」

 「・・・だね」

 

 透き通るような白銀の髪とパッチリとした琥珀の眼に、色白で透明感のある肌色に女子顔負けの小顔。そして“絶世の美少年”と称される少女漫画から飛び出してきたかのような爽やかかつ中性的なルックスから醸し出される、王子様のように高貴で唯一無二な存在感。

 

 ただ歩いているだけなのにまるで映画やドラマのワンシーンを観るかのように、スタッフ達の目線のピントが彼のほうに持っていかれ、彼が通り過ぎるとそこにはどよめきに似た声が上がる。しかも斜め前を歩いているのがマネージャーでも無名の役者でもなく、若手イケメン俳優としてある程度名の知れている山吹であるにも関わらずだ。

 

 「稀にいるんだよね。芝居とか関係なしに己の存在だけで全てを蹴散らすようなマジの天才ってさ。俗にいうチートってやつ?

 「早乙女さんがそれ言っちゃう?」

 「ボクは“彼”とは違って天才じゃないからね」

 

 牧からの言葉を早乙女は即座に否定する。勝手に姉から応募される形で何の伝手もないまま美男子コンテストに参加した早乙女と、出来レースと周囲から罵られるリスクを冒してまで事務所が総出で獲得に動いた彼とでは、期待値も潜在能力(ポテンシャル)も全く異なる。

 

 “盗ることを生業にしている僕にとっては憬よりも君のような役者(人間)の方がよっぽど厄介だよ・・・”

 

 その少年の名前は、一色十夜(いっしきとおや)。スターズが誇る、早乙女雅臣の後継者として大抜擢された新たな広告塔(スター)である。

 

 

 

 「おざます」

 

 早乙女たちの近くまで来ると開口一番、山吹がぶっきらぼうに挨拶をする。

 

 「おぉ、敦士くんまで撮影の見学にくるなんて頑張り屋だね」

 「ちげぇよ、俺はただ社長に頼まれてここに来ただけだ」

 

 早乙女の茶化しに山吹はいつになく不機嫌そうな態度で返す。もちろん早乙女は、山吹の機嫌が悪い理由を知っている。

 

 「なぁ静流?ちょっとだけ早乙女借りていいか?」

 「えっ?別にいいけど」

 

 そして目の前にいる牧も、内心ではそれに勘づいている。

 

 「いくら敦士くんのほうが先輩だとは言えこの扱いは雑過ぎないか」

 「いいから来い。アンタと話しておきたいことがあんだよ」

 

 すると山吹は早々に十夜と静流を2人きりにして早乙女と共に彼らと距離を置くようにして離れる。現場に来てからここまで、山吹と十夜は一度も目を合わせていない。

 

 

 

 「・・・どうして敦士くんは十夜のことがそんなに嫌いなんだい?」

 「別に。深い意味はねぇよ」

 

 同じ事務所(スターズ)にいる人間や山吹のことをよく知っている人には周知のことだが、山吹と十夜の仲は良好とは言えない関係である。

 

 「だったらここまで嫌う必要はないじゃん。理由とか背景はどうであれ同じ事務所の戦友同士な訳だからさ、まぁ張り詰めずに仲良くやろうよ」

 「弁えるところは弁えてやるから安心しろ。俺だって伊達にこの世界に10年も居座ってるわけじゃねぇからな」

 「そうだよ敦士くん。どんなに嫌いな相手でも時には協力しなければならないこともあるのが、芸能界(社会)ってやつだからね」

 

 別に嫌う理由にはこれといって深い意味はなく、十夜(アイツ)に向けた個人的な恨み自体もない。ただ・・・

 

 「俺は認めねぇよ・・・・・・あんな役者(ヤツ)・・・」

 

 俺はとにかく、十夜のことが嫌いだ。

 

 「敦士くん」

 

 山吹の心情を察した早乙女が真っ直ぐ前を見据えたまま山吹の肩に手を乗せると、山吹は肩に乗った早乙女の手をやや乱雑に払いのける。行き場のない嫉妬と自己嫌悪の感情が、己の中で停滞する。

 

 「・・・今のその感情・・・・・・絶対に忘れんなよ

 

 それは、早乙女が初めて山吹へぶつけた“本心”の言葉だった。その言葉に山吹は一瞬だけ動揺する。

 

 「そうすれば、はもう誰にも負けない」

 

 目線を合わせることはしないまま、早乙女は山吹に向けて言葉を続ける。

 

 「・・・チッ、これだから主演俳優はいいよな。何言ってもサマになるし」

 

 そして早乙女からの本当の本心に、山吹は称賛と嫌味の込めた本心でもう一度返す。

 

 「でも、ありがとよ」

 

 言い終えると山吹はノールックで早乙女の上腕にグータッチをする。それに対し早乙女も同じように山吹へグータッチを返した。

 

 

 

 「山吹さん。おはようございます」

 

 早乙女と山吹が互いの拳を合わせ終えたタイミングで、これから最後の撮影に臨む憬と話し込んでいた環が早乙女たちの元へ戻って来た。

 

 「環も来てたのか」

 「はい。せっかくの撮休だし憬の出番も今日で最後だから、勉強も込みで来ました」

 「蓮は真面目だなぁ。社長に言わされて嫌々現場に来た隣の誰かさんとは違って」

 「ぶっ飛ばしてやろうかクソノッポ」

 

 スターズ組2名による男子学生のようなやり取りを横目に、環は少しだけ離れた場所から十夜と一緒に撮影を見学している牧の姿を見つける。

 

 「・・・静流の隣にいる人ってもしかして一色十夜ですか?」

 「うん、そうだよ」

 「・・・あの2人って知り合いなんですか?」

 「知り合いも何も、アイツらは“従兄弟(いとこ)”同士だよ。つってもたまにしか会えてないらしいけどな」

 「えっ!?」

 

 デビューした瞬間からたちまちメディアがこぞって十夜のことを取り上げているとはいえ、2か月前に芸能界に入ったばかりの十夜の知名度はまだ大衆に知れ渡っているとは言い難いが、業界内では彼の存在は無視できないほど有名である。

 環も当然ながら十夜の存在自体はとっくに知っていたが、牧から彼のことを何も聞かされていなかった環は山吹からさりげなく告げられた衝撃の事実に驚きを隠せない。

 

 「つーか静流から何も聞かされてねぇのかよ?」

 「はい・・・一色さんのことは何も・・・」

 「・・・マジで自分のことになると何も喋んねぇからな静流は・・・まぁ、いくら近い親戚って言えど3年も会ってなけりゃ疎遠にもなるってか」

 

 溜息を交えながら、山吹がどこか気怠そうに答える。

 

 「そんなに会ってないんですか?」

 「そもそも十夜(アイツ)は中学に上がるまで日本とアメリカを行ったり来たりする生活をしてたからな。それでそんな生活に飽きて日本に留まりだしたら、今度は静流の方がメディアに引っ張りだこになって会いたくても会えねぇってとこよ」

 「・・・ちょっと待って・・・何で日本とアメリカを行ったり来たりする生活をしてたんですか?」

 

 いまいち山吹の言っている意味を理解しきれずにいる環に、早乙女が助け舟を渡す。

 

 「両親がそれぞれ世界的に有名な芸術家と写真家でさ、夫婦揃って日本とNY(ニューヨーク)を拠点に活動しているから家族と共に行動するとなるとどうしてもあのような生活になってしまうんだよ。ちなみに今は都内で演奏家(ヴァイオリニスト)の姉と2人暮らしをしてるらしい」

 「いずれにしろ、俺たちには縁もゆかりもない次元の話だけどな」

 「・・・へぇ・・・それはすごいですね・・・(びっくりするくらい話が入ってこない・・・)」

 「環、無理すんな」

 

 正直言ってあまりに規格外で現実感のない一色ファミリーの話を聞いた環はさらに困惑し、それっぽい雰囲気で誤魔化すことしかできなかった。

 

 「しかし、十夜まで見に来るなんて蓮の幼馴染くんは人気者だね。ボクですら新人の頃はここまで注目されなかったのに」

 

 牧の話をする2人を横目にしながら、早乙女は見学している十夜と月島たちと演出の確認をしている憬の姿を交互に目で追う。

 

 「でもなんで一色さんまで現場(ここ)に?」

 「社長からの指名だ。芝居を勉強するには良い機会だから同行させろってよ」

 

 環からの問いに被せるように山吹が半ば投げやりに答える。山吹の言っている社長とは言うまでもなく、あの星アリサのことだ。

 

 「・・・それにしても中々にえげつない面子がこの現場に集結したものだね」

 

 カメリハ前に位置を確認する憬に視線を向けながら、早乙女が環と山吹へ呟く。ただ幼馴染2人が並んで談笑しているだけなのに、どっちがメインなのかが分からなくなるくらいその出で立ちは様になっている。

 

 「でもこの世界は才能だとか素質が全てじゃない。とにかく、ボクたち努力家は努力家らしく最後までしぶとく食い下がってひたすら盗みまくろうじゃないか。それが彼らのような天才に追いつき追い越すための一番の近道なんだから」

 

 そんな2人を遮る早乙女の言葉を合図にするように、山吹と環は本番前のカメリハに臨む憬に視線を向けた。

 




タイトルの通り、集結しました。第二章もいよいよ、というかようやく終盤に差し掛かって参りました。いやぁ、思った以上に長引いてしまった・・・

気がつけばあと2週間足らずで、2021年も終わってしまいます。早い・・・早すぎる・・・

ちなみにこのペースで順調に行くと来週が年内最後の投稿ということになります。

ということで来週は勝手ながら2本立てで投稿する予定です。多分。




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scene.20 親友


映画館
百鬼夜行は
ヌーの群れ

7/29追記:今後の展開を配慮しストーリーの一部を変更しました


 「3年ぶりくらいだね、“十夜ちゃん”」

 「“ちゃん”づけは止めろよ “マキリン”。女の子じゃないんだから」

 

 環たちが撮影に臨む憬を見届けているのと時を同じくして、牧は従兄弟(いとこ)であり物心がついた頃からの付き合いでもある十夜と3年ぶりの再会を果たしていた。

 

 「だって私の知ってる十夜ちゃんは私と同じくらいの背丈で天使みたいに可愛かったからさ」

 「どんだけ前の話だよそれ」

 「それがちょっと会わなくなったら別人みたいに大きくなって・・・さすがの私でもすぐには分からなかったよ」

 「しばらくマキリンと会わないうちに20センチくらい背が伸びたからね。成長期ってやつ?」

 

 同じくらいの目線で話していたはずの相手も、時が経てば互いに顔を動かさなければ目線が合わないくらいに身長差は広がる。だが互いの距離感というものは月日が経とうと疎遠になろうとそう容易く変わるものではない。

 

 「良いなぁ~私なんか中学に入ってまだ5センチしか伸びてないのに」

 「そのうちマキリンも伸びるよ。オレみたいに」

 「ごめんそこまで大きくはなりたくないわ」

 「えぇいいじゃんモデルみたいでさ」

 「これから伸びるにしても160ちょっとで止まってくれるのが理想ね。あまり背が伸びすぎると役柄も制約されていくだろうし・・・それよりもこのまま伸びなかった場合が一番最悪だよ」

 「ごめん、その辺は分かんないわオレ」

 「別に十夜ちゃんは気にしなくて良いよ。これは私の身勝手な願望だから」

 

 そんな牧にとっては十夜もまた、心を開いて何でも話せる数少ない存在の1人である。

 

 「でも良かったよ、何も変わってなくて。十夜ちゃんが芸能界に入ったって聞いた時は私の知ってる十夜ちゃんにはもう会えないのかなって思っちゃったくらいだったから」

 「どういうことだよ?」

 「見た目は随分と大人びたけど話してみたら前会った時と何ら変わってないし」

 「まあね。人なんて生き物はそう簡単に変われるものじゃないからね」

 

 そうして2人は3年ぶりの再会を味わうかのように互いを見つめ合って笑い合う。その光景に気付いた一部のスタッフが思わず見入ってしまうほど、幼馴染2人のツーショットは絵になっている。

 

 「・・・でも十夜ちゃんがまさか役者になるなんて、どういう風の吹き回し?」

 「可笑しいか?」

 「うん。だって“芸能界は嫌”じゃなかったの?」

 

 ある程度話が弾んできたタイミングを計って、牧が十夜にどうしても聞いておきたかった核心に迫る。

 

 「・・・信頼してる幼馴染(ともだち)から役者に向いていると言われたから仕方なくだよ。大した理由じゃない」

 

 憬たちの方へ視線を向けたままの牧に、十夜は当たり障りのない理由で言葉を返す。

 

 “・・・嘘ばっかり・・・”

 「・・・へぇ・・・でも随分と楽しそうじゃない?今の十夜ちゃん」

 

 だがそうやって仕方なく芸能界に入ったという割には、ここにいる十夜の眼は生き生きとしている。もちろん“それ”を、牧は見逃さなかった。

 

 「ところでマキリンは“技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいる”っていう話は信じる?」

 

 牧からの問いかけに十夜は答えになってないような逆質問で返してくるが、小さい頃から時折奇矯(エキセントリック)な行動や言動をするところがあるのを知っている牧は、そんなことでは驚かない。

 

 「・・・信じるも何も、そういう役者は十夜ちゃんのすぐ近くにいるでしょ?」

 

 そう言い終えた牧は再び視線を十夜の方に戻すが、当の本人は100人程のエキストラと共に本番前のカメリハに臨む憬の方へ視線を向けている。

 

 「・・・さすが“絶世の美少年”・・・お目が高いこと」

 

 牧からの皮肉めいた誉め言葉などどこ吹く風のように、十夜はノーリアクションで憬の姿を凝視し続ける。

 

 “・・・・・・そうか”

 

 

 

 “『明日、あなたにはあるドラマの撮影現場に行ってもらうわ。是非この目で見てもらいたい役者が1人いるから』”

 

 

 

 “こいつか・・・・・・”

 

 視線の先で月島たちと話し込んでいる憬の横顔を見て何かを確信した十夜は、憬を凝視したまま静かにほくそ笑んだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「この辺りで美沙子の身体が地面に落ちるから美沙子が飛び降りたところから一気にここまで美沙子を目で追うように全力で走るように」

 「はい」

 

 リハの開始直前、憬は月島の指示で最終的な位置の確認をしていた。

 

 第10話過去パートのラストシーン。屋上の上に立つ美沙子の姿を目にして直樹は名前を叫ぶが、美沙子はそのまま屋上から飛び降りてしまう。直樹は落ちていく美沙子に向かって必死に走っていくが、その想いは虚しく美沙子の身体は地面に叩きつけられ直樹は幼馴染の凄惨な死を遂げる。

 

 「それで目の前で美沙子の身体が地面に叩きつけられて、直樹はその場で立ち止まって茫然と見つめる」

 

 そして変わり果てた美沙子の姿を見た直樹はその場で放心状態になって茫然と事切れた美沙子の前に立ち尽くす、という展開だ。ちなみに美沙子のところに全力で走る場面からの台詞は一切ない。

 

 「カメラはこっちで合わせるからこの位置から向こう側ならどこで止まっても構わないよ。ただし美沙子が落ちる位置をしっかりと考えておくように」

 「分かりました」

 

 月島に余裕そうな表情で二つ返事に了承しながらも、内心はそこまで穏やかとは言えない状況だ。

 

 これから撮影を行うシーンは、今までの中で最も難しいと言えるシーンと言えるだろう。直樹の表情や仕草1つで、美沙子の変わり果てた姿を1から100まで全て表現しなければならないからだ。

 

 直樹がどれだけ美沙子のことを大切に想っていたのか。直樹が幼馴染の死を完全に受け入れるまでには10年を費やすことになることから、直樹の悲しみは想像を絶するものなのだろう。やがてその感情はやり場のない怒りへと変換されここから10年近くもの間、直樹はあらゆる非行や犯罪に手を染め自堕落な人生を歩むことになる。

 

 “・・・結局、美沙子はこのまま死ぬんだよなぁ・・・”

 

 当たり前だ。台本(シナリオ)に書かれている現実を変えることが出来るのはその中にある世界を構築している監督や演出家だけだ。そしてカメラや観客の前に立った役者がやるべきことはたった1つ。与えられた役として芝居で目の前でその生涯を全うし、その期待に応えることだ。

 

 

 

 「はいカット。ではこちらで最終確認を行ったのち、15分後に本番の撮影に移ります」

 

 

 

 「・・・ふぅ・・・」

 

 カメリハをやり終え、俺は思わずひと息をつく。俺には自分が大切にしていた誰か、あるいは大切にされていた誰かが死ぬという経験をしたことは今まで一度もない。

 そんな感じでかつてないほどのシリアスな直樹の感情と普段の自分の感情がジェットコースターのように上下することは、芝居とは言え思った以上にキツいものがある。

 

 ひとまず本番に向けて感情を全てリセットするため、俺は天を仰ぐようにして空を見上げる。昨日一昨日と満天の如く青天井だった空は、どんよりと曇っている。

 

 まるでこの後の“2人”を暗示しているかのように・・・

 

 「何1人でポツンと黄昏てんだよ」

 

 撮影エリアの端で天を仰ぐように曇り空を見上げていると誰かから声をかけられ、俺は声のする方へと顔を向ける。

 

 「よぉ、おとといぶり」

 

 目線の先にいたのは初日の撮影でワンパンチを見舞ってしまった伊藤役の新井だった。ちなみに今日はエキストラとしてこの撮影に参加している。

 

 「・・・えっと、確か名前は・・・伊藤、でしたっけ?」

 「それは俺の役名な」

 「あぁすいません」

 

 だが人の名前を覚えるのがあまり得意ではない俺は、新井のことを素で役名である伊藤として覚えてしまっていた。殴って怪我をさせてしまったにも拘らず、さすがにこれは最低だ。

 

 「まぁあんな状況じゃ伊藤って覚えられちゃっても仕方ないわな」

 「いやほんとに申し訳ないです」

 「でも俺としてはある意味嬉しい限りだぜ。こうやって“主役様”の脳裏にちゃんと俺の姿が残ってたってことだからな」

 

 そう言うと新井は名前を“ある意味最悪”な形で間違えて落ち込みかけていた俺を満面の笑みで励ます。

 

 「俺は新井遊大(あらいゆうだい)だ。よろしく」

 「・・・夕野憬です。よろしくお願いします」

 

 まるでどっかの誰かのように初対面から馴れ馴れしく接する新井とやや緊張気味の俺の2人は自己紹介を終え、15分の休憩時間(インターバル)を雑談で乗り切る。

 

 「えっ!?夕野っち俺とタメなん!?」

 「はい、俺も中2です。ていうか夕野っちって・・・」

 「なんだよせっかくタメなんだからタメ口で行こうぜ夕野っち!」

 「あぁ・・・そうだよね」

 

 ただし約一名が交友関係激狭な人見知りのせいで、ほぼ新井に主導権をリードされる形でインターバルは始まった。

 

 「新井くんはどれくらい役者をやってんの?」

 「俺か?まぁ5,6年ってとこかな・・・あぁそうだ、自慢じゃないけど3月まで“ユウダイ”って名前で “テレビ戦士”やってた」

 「へぇ・・・そうなんだ」

 「あれ、ご存じない感じ?」

 「ごめん。小学校に上がった時ぐらいからMHKは大河ドラマか朝ドラしか観てないんだよ俺」

 「えっ・・・マジで?」

 「うん。マジ」

 

 MHKで夕方くらいから放送中のテレビ戦士が出てくる番組自体は知っているが、そんな“子供向け”の番組など最大級にませていた頃の俺が観るはずもなかった。

 

 もちろん驚きを隠せない新井がおかしいわけではない。きっとこれは俺がズレているだけだ。

 

 「小1からそんなのを観るなんて夕野っち・・・・・・良いセンスしてんじゃねぇか」

 「えっ?」

 

 そう言うと新井はおもむろに俺の肩を拳で軽くつつく。正直言ってどこが良いセンスなのか俺にはさっぱりわからないが、リアクションを見る限り感心してくれているようだ。

 

 「俺も小4あたりから勉強で大河とか朝ドラも観るようになったんだけどよ、やっぱ民放のドラマとはちげぇんだよね。何かこう上手く説明出来ねぇけどさ、出てる役者のレベルが違うみたいな?」

 「大河とか朝ドラは民放に比べて主演もそうだけど助演から端役まで芝居が安定していることが多いからね。出演している子役だってみんな大体上手いし出られるだけでもその人にとっては大きなステータスになると思う。ブランド力だったら月9も中々だけど大河朝ドラとなるとレベルも違うだろうし」

 「それだよそれ!それが言いたかったんだよ俺!」

 「大作映画の主演を張るような俳優・女優が何十人も出演するし、出演したことで俳優としてブレイクを果たした役者も数知れずな上に当然掛けられている予算も段違い。それに大河の主演や朝ドラのヒロインを飾ればそれだけで各局がその話題をこぞって取り上げる。あんなキラーコンテンツは世界から見ても中々ないと思うよ」

 「・・・ていうか夕野っち・・・ドラマの話になるとすげぇ饒舌じゃん・・・」

 「あ」

 

 新井から指摘されて俺は初めて空気も読まずに知識をベラベラと喋り続けていたことに気が付いた。ドラマや映画、そして役者の話題になるとついつい止まらなくなってしまう厄介な癖。

 

 「ごめん・・・うるさかっただろ・・・?俺ダメなんだよ。この手の話になるとつい・・・」

 

 (コイツ)のせいで俺は、転校してきた環とクラスメイトとして出会うまで周囲から宇宙人のように扱われていた。直そうと思っても幼少期から身に沁み込んでしまったものはそう簡単には直せない。

 

 流石にこれは顔面パンチを笑って許してくれた新井もドン引きするだろう。

 

 「・・・・・・ブッ」

 

 だが俺の予想に反して新井は堰を切ったようにその場で腹を抱えて大笑いしだした。

 

 「ハハハハッ!・・・・・・っほんっと最高だわ夕野っちは!」

 「・・・馬鹿にしてんの?」

 

 何となく馬鹿にされている感じがして少しだけ苛立ちながら言葉を返すが、新井に悪意がないのは何となく分かっている。この感じ、やはり初めて会った時のどっかの誰かに似ている。

 というより、もしかしたら俺はそういうタイプの人間に好かれる傾向があるのかもしれない、と勝手に解釈する。

 

 「いや・・・そう言う意味じゃなくてよ、夕野っちみたいな“ガチな奴”と話していると楽しくてさ、マジで」

 「ガチな奴?」

 

 そんな新井は俺のことを“ガチな奴”と言ってくれた。意味はよく分からないが間違いなくこれは純粋な誉め言葉だろうというのは新井の表情を見れば分かる。そうして話していくうちに、心の中にあった警戒心というものが徐々に解かれ始めていった。

 

 「俺の周りって軟派な奴らばっかだからさ、一緒にいてもなんか刺激がないんだよね」

 「・・・そうなんだ」

 

 そしてここから、俺は新井の役者としての一面を垣間見ることになる。

 

 「もちろん良い奴らだし、別にそいつらが悪いわけでもねぇ。でも俺ら子役出身からしてみれば天馬心と牧静流の存在があまりにも大きすぎて、みんなあの2人には勝てねぇと半ば諦めムードってわけさ」

 「天才子役と言えばあの2人だったからね」

 

 天馬心と牧静流。この2人が子役として如何に飛び抜けていたか、彼らの活躍を当時ら目撃していた人たちにとっては説明不要のことだ。

 

 そしてそのうちの1人は、子役上がりの演技派として今なお最前線で活躍している。

 

 「つっても少しはハングリー精神を持てよなって話よ。俺だっていつまでも天馬や牧の背中を追うばかりじゃなくて隣に立てるような役者になりてぇし」

 

 最初は馴れ馴れしくてふざけているように思えたが、新井も新井なりに役者としての確たる信念を持っている。少なくともそうでなければきっとMHKから“テレビ戦士”に選ばれることはなかっただろう。

 

 「しかし、なんで辞めちまったんだろうな天馬心は・・・俺にはさっぱりだ」

 

 そう言った新井の表情は、どこか寂し気なものだった。

 

 もちろん一度だけしか会っていない天知の真相など、俺なんかが知る由は尚更ない。だが、目標にしていた憧れの存在が突然目の前から消える。その寂しさだけは星アリサの引退を目撃した俺でも何となく分かる。

 

 「・・・天馬心がいなくなって、新井くんは寂しい?」

 「いや、全然」

 

 だが俺の心配なんか無用だと言わんばかりに、新井は首を横に振る。

 

 「だって今は夕野っちがいるからよ」

 「・・・俺が?」

 

 そして困惑している俺をよそに、新井は俺の肩に手をかける。

 

 「夕野っちは俺にとって“ライバル”だからな」

 「ライバルって・・・それは大袈裟じゃね?」

 

 まともに話してものの数分であだ名をつけられ、ライバルとして勝手に認められる。まだこの世界に完全に染まり切っていない俺ははっきり言って新井のペースについていくので手一杯だ。

 

 「いや、役者ってのは一度でもなっちまえばみんなライバルなんだよ。なんせ俺たちは共に拳を交えたしな!見事に一発KOで俺が負けたけど」

 「それはごめんて」

 「だから気にすんなよおとといのことは。マジで大したことなかったから」

 

 すると新井は俺が一昨日付けた傷跡を見せつける。まだ少し荒れてはいるが、傷口は完全に塞がっている。確かにこの程度なら、引きで撮れば誰一人気付かないことだろう。

 

 「それに俺は、お前のような“持ってる(ガチな)奴”と一緒に何度でも芝居をやりてぇし」

 

 そして言い終えると新井は俺に手を差し出して、握手を求める。

 

 「てことで今日から俺と夕野っちは“戦友(ライバル)”だ。改めてよろしくな!」

 「・・・おう。よろしく」

 

 真っ直ぐな目で見つめる新井の握手に俺は応じると、新井は俺の手を握力がダイレクトに伝わるくらいに力強くしっかりと握る。少しばかり痛みが伴うが、新井の芝居に対する情熱がひしひしと伝わってくる。そんな握手だった。

 

 「確認終わりました!カメラ、音声、照明、共に準備OKです!」

 

 少し離れたところから黛が最終調整の完了を現場のスタッフやエキストラに伝える。インターバル終了の合図だ。

 

 「さて、俺たちも位置に着くか」

 「そうだな」

 

 気が付くと時間はあっという間に過ぎ去っていた。ある意味最悪な第一印象を与えてしまったであろう新井との雑談は最初こそどうなることかと思ったが、終わってみれば何だかんだ意気投合し、良い話も聞けた。

 

 「・・・1人で寂しく空を眺めるよりもよ、こうやって下らない話をしてるほうが気分は晴れるだろ?」

 「・・・言われてみれば」

 

 撮影の開始場所へと戻る途中で、隣を歩く新井が俺に話しかける。言われてみれば確かに、これまであった重荷のような感情がスッキリとリセットされていた。

 

 「ありがとう。おかげで気が一気に楽になった感じがするよ」

 「あんまり1人で気負いして何でも抱え込むなよ夕野っち。所詮役者なんてカチンコがかかってない今なんかただの一般人と変わんねぇんだから」

 

 “役者というのはカチンコの合図で役に入り、カチンコの合図で役から抜け出す”

 

 昨日の撮影で、言葉は違えど牧から似たようなことを言われた。同じような答えなのに随分とシンプルな響きに感じる。俺のことを大袈裟だと言った牧の言う通り、役者という生き物は自分の思っている以上にシンプルなものなのかもしれない。

 

 「俺にはこの程度のアドバイスしかできねぇけど、まぁあれだ。カメラが回ってない時ぐらいは肩の力抜いとけってことだ」

 「・・・いや、凄く参考になったよ。ほんとにありがとう」

 「礼はいらねぇよ」

 

 アドバイスへの感謝を伝える俺の背中を一発叩くと、新井は「頑張れよ!人をまたぶん殴らない程度にな!」と半ば弄りつつも笑顔で俺を激励して駆け足で自分の定位置に向かって行く。

 余計なことを言いやがってと思う反面、そんな新井からの激励のおかげで心はかなり楽になった。

 

 

 

  “・・・蓮?”

 

 新井に続いて俺も自分の定位置となる校門前へと歩みを一気に進めようとしたその時、早乙女たちと撮影を見学に来た環と不意に目が合った。その瞬間、まるで時間がスローモーションになるような感覚に襲われる。

 

 “・・・もしも親友がいなくなったら・・・”

 

 もしも環と出会わなければ、俺は何を考えているか分からない変人のまま相変わらず1人ぼっちで一日を過ごしていただろうし、こんな自分を受け入れてくれる芸能界(世界)があるということにも気づけなかった。

 

 そんな大切な存在(親友)が突然この世界からいなくなるということは、死にたくなるくらい受け入れ難いことだ。

 

 “役者だったらキッチリ決めてこい”

 

 環が俺の目を真っ直ぐ見据えたまま、小さく頷く。本当にそう思っているかは分からないがそのような言葉が込められたような視線に、俺も同じように小さく頷いて答える。

 

 “ありがとう、蓮”

 

 感情ひとつで迷っていては何も始まらない。この現場に立った以上は、何が何でも最後まで直樹として芝居を全うする。

 

 “今度こそ最後まで()り切る”

 

 親友とのアイコンタクトは時間にして僅か1秒程度だったが、俺にとってはそれだけの時間があれば十分だった。

 

 “俺は・・・役者だ”

 

 

 

 のおかげで、さっきまで心の奥にあった迷いに似た感情は今度こそ完全に消え去った。

 




牧のあだ名をマキリンにするかマッキーにするかで3日ほど本気で悩みました。マジです。

ちなみに今日は前回予告した通り2本立てで行く予定ですが、実を言うとscene21はまだ出来上がっておりません。進行状況としては現時点で大体7割ほどが書けていると言える状況ですので、更新まで今しばらくお待ちください。

何とか今日中には遅くも上げられるように領域展開を駆使してでも急ピッチで執筆していきます。万が一上げられなかったら、その時は本当にごめんなさい。

そしてやろうと思ってすっかり忘れていました。ここまでに登場した主な登場人物の紹介です。少々長くなりますが以下の通りです。今後も必要に応じて公開していきたいと思います。

ではまた後ほど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※プロフィール等はscene20(時系列:1999年)時点のものになります。
※今後のストーリー展開に影響を及ぼすことを避けるため、情報は最低限にしています。


・夕野憬(せきのさとる)
職業:俳優(現:小説家)
生年月日:1985年6月30日生まれ
血液型:A型
身長:170cm(14歳) → 179cm(現在)


・環蓮(たまきれん)
職業:女優
生年月日:1985年9月16日生まれ
血液型:O型
身長:162cm


・牧静流(まきしずる)
職業:女優
生年月日:1985年1月1日生まれ
血液型:B型
身長:153cm


・早乙女雅臣(さおとめまさおみ)
職業:俳優
生年月日:1974年12月9日生まれ
血液型:AB型
身長:183cm


・山吹敦士(やまぶきあつし)
職業:俳優
生年月日:1982年8月11日生まれ
血液型:A型
身長:171cm


・水沢令香(みずさわれいか)
職業:女優
生年月日:1975年8月3日生まれ
血液型:O型
身長:165cm


・月島章人(つきしまあきと)
職業:脚本家・演出家
生年月日:1964年3月28日生まれ
血液型:A型
身長:173cm


・一色十夜(いっしきとおや)
職業:俳優
生年月日:1983年4月2日生まれ
血液型:AB型
身長:169cm


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scene.21 ありがとう


何とか間に合いました。

7/29追記:今後の展開を配慮しストーリーの一部を変更しました


 月曜日、週明けの学校は普段と変わりなく生徒たちが登校している。ただ一つだけいつもと違うのは、ついこの間まで並んで歩いていた幼馴染がいないことだ。

 

 でも、美沙子のことを考えたらこれで良かったのかもしれない。ここに留まってクラスの連中から苦しめられ続けるくらいなら、全く違うところに行って新しいダチを作るほうがよっぽどマシだ。幼馴染として、親友として、これ以上美沙子には苦しい思いをして欲しくない。

 あの事件が起きる前のようにもう一度心の底から笑えるようになってくれたら、それ以外は何もいらない。

 

 “あたし・・・直樹と親友になれて本当に良かった!”

 

 結局俺は美沙子のことを何一つ助けられなかった。でもそんな俺に“ありがとう”を伝えるために、本当に決死の覚悟で学校に来た。

 

 それに比べて俺は、教室から立ち去る美沙子をただ黙って見送っていただけだった。

 

 本当にこのままでいいのか・・・?

 

 “何やってんだよ・・・俺・・・!”

 

 校門を通り抜けた俺は校舎とは反対側へ引き返し、美沙子の元へ一気に走り出そうとする。

 

 「おい!そんなところで何やってんだ危ないぞ!」

 

 突然聞こえた学年主任の声に俺は思わず振り向くと、校舎の屋上に1人の女子がフェンスの外側に立っていた。

 

 “・・・美沙子・・・!?”

 

 屋上に立っている女子が誰なのか、俺は見た瞬間にすぐわかった。

 

 「美沙子っ!」

 

 名前を叫ぶのとほぼ同じようなタイミングで、美沙子の身体は屋上から15メートル下の地面へと落下し始める。

 

 「美沙子っ!!!」

 

 俺は我を忘れるように、屋上を見上げる野次馬を掻い潜るようにして彼女の元へ全力で走る。何度か転びそうになるが、ひたすら俺は足を前に進める。

 

 “・・・今までほんとにありがと・・・じゃあね・・・”

 

 やっぱりあの時、俺は無理にでも美沙子の手を掴んで止めるべきだった。どんなに嫌がられようとも美沙子の話をもっと聞いておくべきだった。

 

 “頼む・・・間に合え!!!”

 

 俺が下敷きになってそのままくたばってもいい。美沙子さえ無事であればそれでいい。何が何でも、今度こそは美沙子を助ける。

 

 “間に合ってくれ!!!”

 

 野次馬の群れを抜けて美沙子の姿が鮮明に俺の目に映った、その瞬間。

 

 目の前で美沙子の身体は激しく頭から地面に叩きつけられ、ほんの僅かバウンドするとそのままうつ伏せに落ちた。そしてものの数秒で、美沙子の周りに血の海が広がり始める。

 

 「・・・・・・うっ・・・・・・」

 

 そのあまりの惨状に、胃酸が喉元にまで押し寄せる。もはやそこに横たわっているのは美沙子ではなく、美沙子の形をした何かのようだった。

 

 「下がれ!これ以上は見るな!!」

 

 学年主任が美沙子を茫然と見つめる俺にそう叫んで何人かを引き連れ美沙子の元へと駆け寄っていく。

 

 「・・・・・・何だよ・・・・・・これ・・・」

 

 全身の力が一気に抜けるように俺はその場で膝をつくが、その感覚は全くなく周囲のざわめきも全く耳に入らない。

 

 全部俺のせいだ・・・・・・俺があそこで止めなかったから・・・・・・

 

 「・・・・・・ァァァアアアアッッ!!!!!

 

 直樹は悲痛な叫び声を上げながら、何度も自分の手を地面に叩きつけた。

 

 

 

 「カット!そのままチェック入ります!」

 

 

 

 遠くの方から、誰かの声が聞こえた。実際には10数メートルぐらいの距離しか離れていないのだが、その声が果てしなく遠くから聞こえてくるような感覚が俺を襲う。

 

 “・・・夢じゃないよな・・・?”

 

 だが視界の先に広がっているはずの景色に今一つ現実感を感じないのは、果たして俺だけなのだろうか。俺の視線の先には美沙子が横たわっているはずなのに、目の前で血を流して事切れていたはずの美沙子の姿も、血の海も跡形もなく消えている。

 

 “・・・美沙子・・・”

 

 俺は忽然と姿を消した美沙子の姿を探すために立ち上がろうとするも、思うように身体が動かずその場に仰向けで倒れ込む。手元は小刻みに震え、心臓はまるで100メートルを走り切った直後のように高鳴り、額からは冷や汗が滲み出ている。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 仰向けに倒れた俺のことを心配したスタッフ(謎の男)が駆け寄ってきた。当然この男はHOME(ドラマ)の世界には存在しない。

 

 “そうだ・・・俺は直樹を演じていたんだ・・・”

 

 「・・・大丈夫です。ちょっと疲れただけなんで」

 

 視界が次第に“10年前”の景色から“現実”へとすり替わっていき、ここで俺はようやく撮影が終わったということを理解した。

 

 「大丈夫か?夕野っち?」

 

 駆け寄ってきたスタッフを気遣いながら呼吸を整えてゆっくりと起き上がると、撮影にエキストラとして参加していた新井が俺に近づいてくる。気が付くと現実と夢の中が混ざり合ったかのようなぼやけた感覚も、完全に消え失せていた。

 

 「・・・・・・俺はちゃんと演じ切れてたか?」

 

 開口一番、俺は新井に問いかける。

 

 “私のことは気にしないで。恐れず思い切って()ってこい”

 

 その言葉を信じて恐れずに思い切って演じてみたが、蓮から背中を押されてから先の記憶(こと)は、はっきり言って皆無に等しいくらいに覚えていない。完全に我を忘れ、俺は直樹()に没入していたということだろうか。

 

 「安心しろよ。夕野っちは誰も殴ってねぇ」

 「そうじゃなくて、俺は最後まで直樹を演じ切れてたかって聞いてんだよ」

 「・・・そんなの言うまでもねぇよ・・・最後までちゃんと直樹だったぜ」

 「・・・ほんとに?」

 「ホントに決まってんだろ!冗談抜きでアカデミー賞行けんじゃね?ってぐらい迫真の演技だったぜ!」

 「それは大袈裟だって・・・(あと声でけぇよ・・・)」

 

 演じている時の記憶は殆どないが、新井の大袈裟なリアクションや周りのエキストラとスタッフの表情を見る限り、どうやら俺はちゃんと演じ切れていたらしい。

 

 「立てるか?」

 

 地べたに座り込む制服姿の俺に同じ制服を着た新井が手を差し伸べる。俺はその手を掴もうと地面から右手を離すと、痺れるような痛みがした。

 

 「オイ?手ぇ大丈夫か?」

 「えっ?・・・うわすげぇ赤くなってる」

 

 痛む拳を見ると、まるで固い何かに思いっきり手を打ち付けた後のように俺の拳は赤くなっていた。

 

 「あれだけの力で何度もコンクリートの地面を叩いたら、そりゃあ手も赤くなるさ。血が出なかったのが奇跡だよ」

 

 新井の背後からヌクっと視界に入るように、月島が俺と新井の前に現れた。

 

 「夕野君は激情に駆られる芝居になると我を忘れる傾向がある。これから俳優を続けるにあたり、先ずはそこを早急に直すことを肝に銘じておくように」

 「・・・はい」

 

 話しかけるや月島は運動部の顧問のような口ぶりで俺を諭す。演じている時の記憶がないということは、役に入り込むあまり我を忘れていたという何よりの証拠だ。反論の余地は全くない。

 

 「でも君が掲げていた最後まで演じ切るという目標は無事に達成出来ていたよ。新人であることを差し引いても、素晴らしい演技だった。お疲れ様」

 

 そう言うと月島は俺に向けて拍手を送ると、それにつられるようにして周りのスタッフやエキストラの人たちも一斉に応じる。もちろんこれは気持ち程度のようなものではなく本当に心からの拍手だった。

 

 「・・・蓮・・・みんな・・・」

 

 そしてその中に紛れるようにして蓮、早乙女、山吹、どういう訳かその3人からは少し離れた場所から牧も俺に向けて拍手を送っていた。

 

 “取りあえず “選ばれし者”同士、今日からよろしく”

 

 その光景に、今まで生きてきた14年間よりも密度の濃い2か月間の記憶が一気にフラッシュバックする。

 

 “現場に入れば新人だろうとベテランだろうと皆同じ“役者”なんだから“

 

 “終いまで演り切る覚悟がねぇなら、端から役者なんて名乗ってんじゃねぇよ”

 

 “肝心なのは利用することであって真似はしないことだ”

 

“ その心意気を待っていたんだよ、“憬””

 

 この気持ちをどうやって言葉にしていいのか、全く思いつかない。ただの感謝では言い表せない、今までに感じたことのない高揚感に似た興奮と緊張。

 

 “君はこうして目の前に転がっていたチャンスを自分の手で掴み取った。その積み重ねが、君の中で眠っている才能を呼び覚まし、路上に転がる原石を唯一無二の輝きを放つ高価な宝石に変えてくれる”

 

 “お前はもう事務所(ウチ)の“俳優”だ。これからは自分の行動に責任を持て”

 

 ただこの言葉を一言だけで表すとしたら、こんな自分を温かい拍手で心の底から受け入れてくれる素晴らしい世界に出会えたことへの喜びと、

 

 “ところで憬はさ、俳優とか目指さないの?”

 

 そのきっかけに踏み出す勇気を与えてくれた親友()への感謝の言葉だ。

 

 「・・・ありがとう

 

 憬はゆっくりと立ち上がると、静かに感謝の言葉を呟いた。

 

 

 午前11時39分_過去パート・ラストシーン_撮影終了。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「はぁ・・・」

 

 クランクアップの花束贈呈とエキストラとスタッフを交えた写真撮影を終えた憬は、右手に花束を持ち溜息を吐きながら牧と共に環、山吹の2人が待つ昇降口に向かっていた。

 

 「・・・まぁ憬くん。こんな日もあるさ」

 

 そして合流するや否や牧が憬の肩をポンと叩いて励ますと、憬は恥ずかしそうに下を向く。

 

 「つーか役から抜けたらマジでどこにでもいるガキだよなお前って」

 

 そんな憬の様子を見た山吹が野次を飛ばし、環はそれを微笑ましく見つめる。

 

 “・・・あぁ・・・一刻も早くこの場から立ち去りたい・・・”

 

 

 

 遡ること10分前_

 

 「本日の撮影を持って夕野憬さん。これにてクランクアップです。お疲れさまでした」

 

 撮影を全て終えた後、拍手をするスタッフたちの奥から黛が花束を持って現れ、俺に花束を渡しに来た。

 

 「あの・・・この花は?」

 「ドラマや映画でクランクアップした役者さんにはこうやって花束のように贈り物を渡す。この業界の習わしみたいなものだよ。3日間という短い間だったけど、夕野君は全身全霊で東間直樹を演じてくれたからね。先ずは、お疲れ様」

 

 映画やドラマで活躍している俳優には詳しくとも芸能界や撮影現場のイロハを知らない俺に、黛の隣に立っていた月島が感謝と共に現場のしきたりを教えると、再び周りが俺に向けて盛大な拍手を送る。ここまでの流れは完璧だった。

 

 問題はここからだ。

 

 「じゃあせっかくだから、なにか一言」

 

 唐突に月島から言葉を振られ、俺は撮影を終えて疲弊している脳みそをフルに回転させてどうにか言葉を紡いだ。

 

 「えーっと・・・なんか・・・他の誰かを演じるって・・・やっぱり最高ですね」

 

 俺が一言を喋った瞬間、エキストラを含め100人以上の人間がいる撮影現場から全ての音が消えた。そう、俺は“盛大にスベった”のだ。

 恐らく俺の言葉にどうリアクションをしたらいいのか分からなかったのだろう。せっかく良い感じのムードだったのに全部ぶち壊しだ。本当に俺という奴は、肝心な時に限ってロクな言葉が出やしない。

 

 「こういう時に良い感じの一言で締めくくることが出来たら、一人前なんだけどな」

 

 幸いにもこの直後に月島がファインプレーとなる合いの手を入れてくれたおかげでオチが付いてどうにか場は収まったが、本当にあの“数秒間”は今まで生きてきた中で最大級の地獄だった。

 

 “月島さん。本当にありがとうございます”

 

 ちなみに早乙女は花束贈呈と集合写真を撮り終えた直後にエキストラに見つかって揉みくちゃにされた挙句、今日の夜に行われる撮影に備えて早く撤収したい月島から半ば強制退場させられる形で逃げるように一足早く現場を後にした。

 

 

 

 「もっとシンプルに“役者になって良かった”、みたいな感じで簡単に締めれば良かったのに」

 「あのなぁ、いきなり“何か言え”って振られてそんな言葉がパっと出るわけねぇだろ。ましてやこういうの初めてだし」

 

 蓮からごもっともな意見を言われ、俺はどうにか苦し紛れの言い訳で言い返す。あれを一言で表現するとしたら、間違いなく“黒歴史”と言ったところだろう。

 

 「憬くんって変にカッコつけようとするところあるよね?」

 「は?何でだよ?」

 「うん、私もすごいわかる」

 「オイ蓮お前もか」

 「ていうか憬くんぐらいの年代の男の子って何でみんなそうやって大人ぶってカッコつけるの?」

 「みんながそういうわけじゃないし少なくとも俺は違うわ」

 「“俺は違う”って自分から言っちゃう時点でね」

 「そういうところだよ、憬」

 「マジお前ら」

 

 そんなことなどお構いなしに、女子2人組は俺のメンタルを容赦なく吸い取っていく。だがその種を蒔いてしまったのは自分自身だから結局は言い返す術もないという最悪な悪循環で、俺の心は色んな意味でボロボロだ。もちろん、全部俺が悪い。

 

 せめてこの地獄のような時間が早く過ぎ去って欲しいと心の中で唱えると、思いが通じたのかは分からないが“救世主”が現れた。

 

 「俺は夕野の言ってることは間違ってないと思うぜ。みんな違ってみんないいって聞くしよ」

 「山吹さん・・・」

 

 俺はそんな“救世主”に精一杯の尊敬の眼差しを送る。

 

 「別にお前のことを庇った訳じゃねぇし、思ったことを言っただけだ。つーかそんな目で俺を見んじゃねぇよ気持ち悪ぃ」

 

 結果は軽くあしらわれ気持ち悪がられたが、2対1の構図という地獄から解放されたような気がして、思わず嬉しさを覚えた。

 

 ただ勘違いしないで欲しいが気持ち悪がられたことに嬉しさを感じている訳ではないし、そもそも俺はそんな奴ではない。

 

 「ブッキーって急に真面目になるよね~」

 「別に真面目じゃねぇよ」

 「もういっそのことそのヤンキー口調のキャラ封印したら?」

 「は?キャラじゃなくてこれが本当俺だし馬鹿じゃねぇのお前?」

 「良かったね憬くん、仲間が出来て」

 「誰が中2だマセガキゴルァ!」

 

 そして“子役上がり組”は俺ら“幼馴染組”を尻目に取っ組み合いを始める。こうして仲の良い役者仲間と無邪気にやり合う姿をみると、“女優を続ける為なら“鬼”になっても構わない”とまで言っていた牧も年相応の女子なんだなと感じる。

 

 「取り込み中すいませんがそろそろ撤収したいので解散してください!」

 

 すると遠くの方から黛が強く俺たちに話しかけてきて、2人の取っ組み合いは中断となった。

 

 「・・・黛さんも大変ね。あんな“変わり者”の下についちゃったばかりに」

 

 黛に聞こえないくらいの声で牧が山吹に呟く。“変わり者”といった人が誰なのかは、言われなくても明白だ。

 

 「でも、なんだかんだで上手く噛み合ってるよねあの2人は」

 「まぁ、性格も価値観も全然違う連中に限って馬が合うって話はよく聞くしな」

 「おっ、偶には良い感じのこと言うじゃんブッキー」

 「あ?もう一回やるかお前?」

 「まぁ2人とも落ち着いて」

 

 そうこうしているうちに第二ラウンドが始まりかけようとしたが、蓮が間に入って止めに入り事なきを得る。

 

 「それより憬くん、そろそろ着替えないとヤバいんじゃない?」

 「あ・・・確かに」

 

 牧から指摘され、俺はまだドラマの衣装の制服を着たままだったことに気が付いた。HOME(ドラマ)の撮影自体は今日の夜にも控えているとなると、さっさと着替えてこっちも撤収しなければ迷惑がかかることだろう。

 

 「じゃあ蓮、“私は”先にマネージャーの(ところ)に行ってるからロケバスのところまで憬くんと一緒に行ってあげて」

 「えっ?うん。別にいいけど」

 「じゃあ憬くん、またどこかの現場で会えたらその時はまたよろしくね。みんなお疲れ様」

 

 すると今度はいきなり俺と一緒についていくように牧が蓮を促し、そのまま俺に向かってウインクをして立ち去っていった。このあまりの急展開に、俺は“何か仕組まれているんじゃないか?”という少しの違和感を思わず覚える。

 

 「・・・とりあえず俺も現場(ここ)を出るわ」

 「えっ?山吹さんもですか?」

 「おう。なんせ俺も俺で夜から撮影が控えてるからな」

 「・・・そうですか」

 

 そしてこの違和感が本物であることを続けて現場から立ち去ろうとする山吹の反応を見て察した俺は、隣にいる蓮のほうに一瞬だけ目線を向ける。

 

 “ああ・・・これは確定だ・・・”

 

 状況を察した俺と全く同じような表情をしているであろう蓮の横顔を見て、俺は確信した。

 

 「つーことでおつかれ」

 

 だがそれに気づいたところで、大体のことを察してしまった俺には山吹を止めることなど出来ない。

 

 「なぁ夕野」

 

 その山吹は背中を向けたまま去り際に一言、

 

 「このまま役者を続けるなら、何があっても“仲間”のことは大事にしてやれよ」

 

 と言ってマネージャーの車やロケバスなどが待機している裏側の駐車場へと先に歩いて行く。今の状況は一旦置いておいて、直接的な言葉ではないにしろ山吹から正式に“お前は役者だ”と認められた瞬間だった。

 

 「ありがとうございます!山吹さん!」

 

 俺は声を張り上げて山吹に自分のことを認めてくれた感謝を伝えると、山吹は歩きながら無言で右手を挙げてそれに答え、裏側へと続く死角に消えていった。

 

 

 

 「・・・完全に“はめられた”ね、私たち」

 「・・・だな」

 

 そして昇降口の前に残ったのは、とうとう俺と蓮だけになった。周りを一瞬見回すと、撮影現場の撤収作業もほぼほぼ終わっているようだ。

 

 「別にここまで気を遣ってくれなくてもいいのに」

 「あぁ、蓮の言う通りだ」

 

 溜息交じりに呟く蓮に俺は賛同するしかない。せっかく“2人きり”水入らずのシチュエーションを設けてくれた牧と山吹には申し訳ないが、こんな風に“演出”されると例え相手が蓮であろうと逆に気まずくなってしまう。

 

 「・・・取りあえず俺たちもいくか」

 「そうだね」

 

 こうして憬と環は着替えの置かれているロケバスまで無言のまま早めの足取りで歩いて行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「本当に良かったのですか?このまま戻ってしまって?」

 「あぁ、これでいいんだよ」

 

 お目当てとなる役者の芝居を観終えた十夜は、撮影が終わると早々にどさくさに紛れるようにして駐車場に止まっているマネージャーが待機する車の後部座席に戻り、シートを倒してくつろいでいた。

 

 「せっかく素晴らしいものを観たと言うなら、せめて挨拶ぐらいはしても良かったのでは?」

 「オレも最初はそうしようと思っていたよ・・・でも、サトルの演技を見ているうちに気が変わった」

 「・・・・・・それはどういう意味なのですか?」

 

 運転席に座るマネージャーの杉田からその意図を聞かれた十夜は、何かを考え込むようにだんまりを決め込む。

 

 

 

 幼馴染の“代役”として諦め半分な気持ちで臨んだオーディションは、事務所の社長が母親の知り合いで俺とも顔見知りという全てが綿密に計画された出来レース。勝ったところで、嬉しさは全くない。

 

 当然ながらそんな俺は芝居なんてこれっぽっちも興味などないばかりか、寧ろ芸能界のことは世界で一番と言っていいくらい嫌っていた。

 

 「明日、あなたにはあるドラマの撮影現場に行ってもらうわ。是非この目で見てもらいたい役者が1人いるから」

 

 昨日の朝、俺は社長である星アリサから社長室に1人呼び出された。

 

 「月末から撮影が始まるドラマに向けてお芝居の参考にしろってこと?」

 「別に“あの子”の芝居を参考にする必要はないし、真似る必要もないわ」

 「じゃあ何でオレをココに呼び出した?」

 

 意味が分からなかった。技術(モノ)を盗めと人に押し付けておいて、その必要がない役者の芝居を見てこいと言われる。3年前に“あの人たち”と共に訪れた劇場の楽屋で会った時とは随分と雰囲気が変わってしまった彼女を見て、この時ばかりは気が済んだら事務所(こんなところ)から出てってやろうと本気で思っていた。

 

 「世の中には、技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいるのよ」

 「・・・は?」

 「だから今回の現場を通じて覚えておきなさい。あなたが“幸せ”になるために」

 

 アリサの言っている幸せの意味は今一つピンと来なかったが、只者ではないなという予感はした。

 

 「・・・じゃあせめてさ、名前だけでも教えてくれない?」

 「名前を知ってどうするの?」

 「いいじゃん名前くらい教えてくれたって。事前情報は多い方がいいでしょ?」

 

 俺がそう言うと、アリサは観念したかのようにバツの悪そうな顔をして答えた。

 

 「・・・夕野憬よ・・・」

 「・・・セキノ・・・サトル・・・」

 

 

 

 「ところで杉田はショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?」

 「えっ?いや何でまた急に?」

 「良いから答えろどっちだ?」

 「えぇ・・・・・・まぁ、私は端から順に食べ進んでいって辿り着いたらそのまま食べる派、ですかね?」

 

 十夜からのあまりの急な無茶ぶりに、杉田は困惑して若干しどろもどろになりつつも答える。

 

 「ふ~ん、なるほどね」

 「これを聞いて何になるって言うんですか十夜さん?」

 「いや、杉田はそうやってショートケーキの苺を食べるんだなって。そんだけの話」

 「・・・あまり大の大人を揶揄うのは止めてくれませんか?」

 

 “敦士さんがあそこまで機嫌を悪くする理由が、少しずつ分かってきた気がする”

 

 と杉田は十夜の理不尽な振る舞いを内心で毒吐く。

 

 「酷いな杉田は、オレはただショートケーキの苺をどこから食べるのかを聞いているだけなのに」

 「それはもう分かりましたから!」

 「マネージャーをイジメてんじゃねぇよ新米坊主

 

 現場から戻って来た山吹が鬼の形相で助太刀に入り、杉田は山吹をなだめつつも内心でホッと胸をなでおろす。

 

 「うわすげぇブチ切れてるじゃんあっくん」

 「当たりめぇだろロクに挨拶もせずに勝手に戻りやがって・・・ナメ腐るにも程があんだろクソボケが」

 

 不平不満を漏らすと山吹はなるべく十夜が視界に入らないように助手席へと座る。

 

 「あぁそうだあっくん、1つだけ聞きたいことがあるんだけど?」

 「ア?それ自分の立場分かって言ってんのか?だったら相当ヤベェぞお前の頭」

 「まだ何も言ってないんですけどオレ」

 

 2話前でも書いた通り、この2人の関係は良好とは言えない。いや、強いて言うならすこぶる悪い。

 

 「まぁいいや、ところであっくんはショートケーキの上に乗っている苺はどのタイミングで食べる派?」

 「ハ?そんなんどうでもいいだろうが勝手に自問自答しとけやボケェ!」

 「そんなにキレなくても良くない?」

 「俺は今真後ろに座ってるどっかの馬鹿のせいで最高に気分が悪ぃんだよ!これ以上ほざいたら埋めるぞマジで!」

 「・・・ハァ・・・おっかない・・・」

 

 流石に本気でキレている状態の山吹の様子を見て観念したのか、十夜は修羅場と化し始めた“ショートケーキ論争”に終止符を打つ。

 

 「ちなみにオレは・・・・・・一番最後に食べる派だよ

 

 感情に任せて怒りをぶつける山吹を物ともせず、十夜は驚くくらい冷静に言葉を放つ。声を荒げるどころか語気も強めず静かに言葉を発しただけなのに、十夜の言葉は山吹の怒号を一瞬で消し去るように車内の空気を支配する。

 

 “これ”が、一色十夜の持つ素質の恐ろしさにして、最大の武器である。

 

 「チッ、お前のクソどうでもいい拘りなど知るか。杉田、出してくれ」

 「かしこまりました」

 

 重苦しい空気を充満させたまま、山吹と十夜が乗る車は次の撮影現場へと向かった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「静流さんは行かなくて良いんですか?あの2人のところに?」

 「いいの。幼馴染がせっかく2人きりになれたところを邪魔するのは私の美学に反するし、そもそもこれは“作戦”だから」

 「言われてみればそうでしたね」

 

 一方その頃、牧は担当マネージャーの中村と共に車の中で待機しながらロケバスの中で着替えている憬を待つ環を観察していた。

 

 「しかし、随分と面白いことになってきましたよね」

 「何が?」

 「一色十夜さんですよ。まさか、彼が俳優としてデビューする日が来るとは。正直言って僕は驚きです」

 「うん。私もほんのちょっとだけ驚いてる」

 

 元々、十夜の持つ“絶世の美少年”と称されるルックスの良さは“一色ファミリー”の知名度も相まってスターズが俳優発掘オーディションを開催するずっと前から業界内では知られていた。そしていくつもの大手芸能事務所がこぞって彼をスカウトしようと躍起になっていたものの、当の本人は“大それた地位や名誉”には全く興味がなくそれらの誘惑を悉く断っていた。

 

 そのような彼が突如として重い口を開いて最も軽蔑していたであろう芸能界に自ら足を踏み入れた。この出来事は芸能界全体に歓喜と同時に激震を走らせた。

 

 「でも私が驚いているのはどちらかというと憬くんのほうだよ。下手したら十夜ちゃん以上に、あの子は脅威になるだろうから」

 

 そしてもう一人、そんな彼とは全く正反対のベクトルを持つ少年がこれまた彗星の如く現れ、月9ドラマの撮影現場にただならぬ衝撃を与えた。

 

 「確かに、あの少年の芝居は衝撃的でしたね」

 「うん・・・あれは“マジでヤバい”」

 

 もちろんマネージャーとして共に現場に同行している中村も、憬の役者としての素質の高さをよく知っている。

 

 「・・・これで厄介な敵が2人も増えちゃったよ・・・どうする中村さん?」

 

 車のバックミラーに顔を覗かせながら、牧は怪しげに目を見開いてバックミラー越しに中村へ視線を合わせ問い詰める。

 

 「でも良かったじゃないですか。切磋琢磨できる“(ライバル)”が増えて」

 

 だが彼女の扱いにある程度長けている中村は一切動じず、バックミラーに映る牧に視線を送り毅然とした態度で言い返す。

 

 「もう・・・中村さんは喰えないからつまんないなぁ」

 「4年もお供していれば、多少なりとも慣れるものです」

 

 そう言って余裕の表情を見せる中村を横目に、牧は再びロケバスの外で憬を待つ環に視線を移す。

 

 「・・・ホント・・・“あなた”が男の子で良かったよ・・・」

 

 牧が独り言を呟くのとほぼ同じタイミングで、私服に着替えた憬がロケバスの中から出て環と合流した。

 

 

 

 「悪い、待たせた」

 「いいよ全然」

 

 直樹の衣装から私服に着替え、俺はロケバスから降りてバスのドア近くで待つ蓮の隣へと向かう。

 

 「改めてお疲れさま、憬」

 「おう、お疲れ」

 

 これで俺の出番は全て終わった。後は9月中に予定されているオンエアを待つのみだ。

 

 「・・・ふと思ったんだけどさ、テレビに自分の姿が映るってどんな感じなんだろうな?」

 

 2か月前に撮ったCMの時はあくまで後ろ姿だけだったから、こうやって全身がガッツリと画面に映り込むという経験は生まれて初めてのことだ。

 

 「じゃあ憬はモニターに映った自分の姿を見てどう思った?」

 「俺か?・・・どうだろう?」

 

 蓮から逆質問を受けて、俺はモニターで自分の演じているシーンをチェックした時の記憶を思い起こす。カットがかかったばかりの時は撮影中の記憶が殆ど飛んでいた状態だったが、時間が経つにつれて徐々にその時の記憶が戻り始めてきている。

 

 

 

 “『美沙子っ!!!』”

 

 幼馴染の名前を叫びながら、全力疾走で生徒たちの人混みの中を走り抜ける直樹。もちろんこんな大声を出したことは、今までの人生で一度たりともないだろう。

 

 “『・・・・・・何だよ・・・・・・これ・・・』”

 

 目の前で美沙子が地面に叩きつけられたその瞬間、直樹の表情は一気に青ざめてハイライトの消えた目でその場にしばらく立ち尽くすと、そのまま力尽きるかのように地面に膝をつく。

 

  “『・・・・・・ァァァアアアアッッ!!!!!』”

 

 そしてモニターの中にいる直樹はまるで理性が壊れたかのように悲痛の二文字では言い表せないほどの叫び声を上げながら、激しく自分の拳を何度も地面に叩きつける。

 

 

 

 「よく分かんねぇけど・・・なんか恥ずかしかった気がするわ」

 

 どうやってこの心境を説明すればいいのか、形容できるような言葉は思いつかない。ただ、モニターの中に映る直樹の姿が、想像していた直樹とは少し違っていて何だか物凄く恥ずかしく思えたことだけは覚えている。

 

 「自分で自分の姿を見て違和感を感じるのは当たり前のことだよ。私も自分の演技を見直したら想像してたのと全然違うってことが割とあるし、 “あぁ、私って周りからこんな風に見られているんだ”ってことに気付いてさ、見てると段々恥ずかしくなってくるんだよね」

 

 そんな俺の見解を解くように、蓮は何か思うところがあるような表情で俺を見つめる。

 

 “ほんと・・・私ってあんな下手くそだったんだね”

 

 もしかすると、蓮が『1999』の時にあそこまで自暴自棄になっていたのはそういうことだったのだろうか。どんなに自分の姿や形を自身で俯瞰しようとも、実際の第三者から視られる自分との差異というものは多少なりとも起こるものだ。

 少なくとも俺たちとは違って感情を持たない第三者(カメラ)はトリックも含めてその先に映る標的の真実しか映すことが出来ない。そんな“真実の眼”は時として役者に対して残酷な現実を突きつけてしまうこともある、ということなのか。

 

 “やっと“あの時”の蓮の気持ちが、全部分かった気がする“

 「やっと“あの時”の蓮の気持ちが、全部分かった気がする」

 

 心の内に留めておくはずが、そのまま言葉になって口から溢れ出た。

 

 「でも、憬は私と違って最初から普通に上手いじゃん」

 

 身から出た心の声を、蓮は笑みを浮かべながら自虐的に返す。

 

 「いや、全然駄目だよ俺なんて。今日みたいな迫真の演技ってやつをしたら役に入り過ぎて記憶が飛ぶくらいだし」

 

 俺はたまらず自虐的に言い返す。我を忘れてしまうということはまだ完璧に自分を俯瞰(コントロール)しきれていないということ。月島が言っていたようになるべく早くどうにかしてこれを解決しなければ、また一昨日の二の舞になりかねないかもしれない。

 

 「それに俺だってモニターに映った“直樹”の姿を見て恥ずかしいって思った。だから俺は下手くそなんだよ」

 

 そしてモニターに映る自分の姿に恥ずかしさを覚えているということは、まだ自分の芝居に確たる自信を持てずにいるということだ。第三者(カメラ)(レンズ)に映る本来の自分が、それを教えてくれる。

 

 「だからさ、これからも一緒に役者として頑張って行こうぜ。恥ずかしがらずに堂々と自分の姿を見れるようになるために」

 

 これは必ずしも正しいとは限らない。でもこれが、このドラマを通じて俺の気付いた役者としての教訓だ。

 

 「・・・・・・こういうどうでもいい時はバチっと決められるのに、なんでいざって時にあんなにグダグダになるんかな~憬は」

 

 だがそんな良い感じに仕上がって来た雰囲気を、隣の“幼馴染”は容赦なくぶち壊す。

 

 「クランクアップのことを掘り返すんじゃねぇ」

 「あと“後輩”のくせに生意気」

 「はぁ?いや・・・まぁ、そう聞こえてたんなら、すまん」

 

 馬鹿にしたように笑いながら “後輩呼ばわり”する蓮にたまらず言い返そうとしたが、考えてみれば俺はもう芸能界の中では“女優・環蓮”の後輩というわけだ。取りあえず、“先輩”から生意気だと言われた以上は、腑に落ちなくても一旦は謝っておくしかない。

 

 「もう、そんなんじゃナメられるよみんなから」

 「うるせーよ“後輩”を弄びやがって」

 「でも恥ずかしがらずに自分を見れるように頑張れか・・・・・・だいぶ役者らしくなったんじゃない?憬?」

 「当たり前だろ。俺はもう役者なんだからよ」

 「フフッ、確かに」

 

 だがこうして俺と一緒にいる時の蓮は生意気だがどこか憎めない、俺のよく知っているたった一人しかいない“ただの親友”だ。

 

 「・・・だったら憬・・・私と勝負しない?」

 「勝負?」

 

 すると隣に立っていた蓮は目の前に回り込み、手を後ろに組んだポーズをとって俺と向かい合う。

 

 「そう。私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ」

 

 向かい合うように俺の前に立った蓮はそう言うと、初めて会った時に見せた笑顔と同じ顔で俺の目を真っ直ぐ見つめる。

 

 「・・・おう。望むところだ」

 

 言い終えると数秒間の沈黙を挟んで、俺と蓮はまたあの時と同じように互いに笑い合った。そんな気の合う親友同士である俺たちの関係は、役者になってからも変わることはないだろう。

 

 

 

 「あのぉ良い感じに盛り上がってるところ悪いんだけど、学校側の都合でそろそろ出なきゃ行けないんだわ」

 「えっ?」

 「いやホント悪いね。でもこればっかりは決まりだから」

 「あぁはい、すぐ乗ります、すいません」

 

 俺を最寄り駅まで乗せていくロケバスの運転手のおっさんが、申し訳なさそうに運転席から俺たちに声をかけて来た。確かにこの場所はあくまで今日の撮影の為だけに貸切っていて、夜からは都内で再び撮影を行うという。そう考えると貸し切る時間も尚更限られているというわけだ。

 

 「そういうことらしいから蓮、とりあえず俺はもう帰るわ」

 「そうだね。周りに迷惑をかけるような役者は大成しないって早乙女さんも言ってたし、今日はこれで撤収だね」

 

 ということで牧と山吹(ほぼ巻き込まれ)が演出した水入らずの時間は、これにて終了した。

 それにしても“周りに迷惑をかけるような役者は大成しない”というのは“どの口が言う?”と思わず問いたくなるが、ある意味早乙女らしい言葉だ。

 

 「じゃあお疲れ。また憬とどこかの現場で一緒になるのを楽しみにしてるよ」

 「あぁ、俺も蓮に会うのを楽しみにしてる」

 「それともしお互いにスケジュールが空いたりしたら、また渋谷に行って映画でも観ない?」

 「映画か・・・良いね」

 「あとついでにさ、憬の家の電話番号教えてくれない?」

 

 帰り際、俺は蓮から今住んでいるマンションの電話番号を教えてもらった。これで俺は、一応いつでも蓮と連絡が取れる状態になった。住んでいる場所はどちらも変わらないので物理的な距離はそのままだが、声が聴けるのと聴けないとでは大きく変わってくるだろう。

 

 「じゃあ、今度こそ本当にお疲れ。なるべく身体は壊さないようにしろよな」

 「何だよそれ、君はオカンか」

 「ちげぇよ俺はただ心配してるだけだっつの」

 「あ~もうほんと憬は面白いよな~」

 「もう面白いってことでいいからここ出るぞ。迷惑かけてんだから俺たち」

 

 本音を言うともっとこんな感じでふざけ合うような時間が続いていけばと思うが、流石にそろそろ出ないと関係者に怒られることになるだろう。

 

 もちろんそうなった場合は、海堂からのきついお仕置きが待っているに違いない。

 

 当然そんな“最悪な事態”だけは何が何でも避けたい俺は、投げやりに「じゃあな」と言いながらロケバスの車内に足を踏み入れる。

 

 「憬っ!」

 

 だがロケバスの入口にある段差を乗り越えたところで、そんな事情など全く知らない蓮が再び俺を呼び止めた。

 

 「・・・役者になってくれて・・・・・・ありがとう

 

 

 

 “あの時、俺を呼び止めたが見せた表情は、これまで一度も見たことがないくらい心の底から喜んでいるように感じたことを、今でも俺は鮮明に覚えている”

 

 

 

 「あぁ・・・・・・蓮も女優を続けてくれて・・・・・・ありがとう

 

 憬のありがとうの言葉を合図にするようにロケバスのドアが閉まり、憬を乗せたロケバスはそのまま最寄り駅へと走り去っていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ごめん遅くなった」

 「ううん、全然大丈夫だよ」

 

 親友としばし2人きりの時間を過ごした環は憬を乗せたロケバスを見送り、牧の待つ車の後部座席に戻ってきた。

 

 「どう?言いたいことはちゃんと言えた?出していいよ中村さん

 

 牧からの小さな合図で、中村はギアをドライブに入れて車を走らせる。

 

 「うん。ちょっとだけ強引になっちゃったけど、ちゃんと言えた」

 

 牧の言葉に、環は満足げな笑みを浮かべて答える。

 

 「そう。それで憬くんはなんて言ってたの?」

 「えっとね・・・・・・やっぱり秘密ってことで」

 

 牧からやり取りのことを聞かれて流れのまま答えようとしたが、憬からの言葉を口に出す寸でのところで、環はそれを止めた。

 

 「えぇいいじゃん教えてくれたって~私と中村さんだけの秘密にするからさぁ。ね?中村さん?」

 「勝手に僕を巻き込まないで下さい静流さん」

 

 “可愛い後輩”を揶揄う牧と、その飛び火をクールに受け流すマネージャーの中村(2人の世話係)。この3人が1つのところに集まると、大体こんな感じのやりとりが展開されていく。

 

 「やっぱりこういうのはさ、“心の中”に留めておいたほうがいいかなって思うから」

 

 ただ1つだけ違うのは、後輩が先輩のいうことに流されなくなったということだ。

 

 「・・・そっか」

 

 そんな最初に会った頃より“少しだけ強くなった”環を見て、牧は静かに微笑む。

 

 隣に立てるようになるにはまだ時間がかかりそうだが、着実に本来の奥底にある自分を出せるようになってきている。

 

 “・・・良い傾向だ・・・”

 

 「どうやら、“作戦”は無事に成功したようですね」

 「あら?中村さんからそういう話を切り出すなんて意外ね」

 「別に普通のことですよ」

 

 後部座席に座る2人の様子をバックミラーで一瞥し、中村は“作戦”の話題を切り出す。もちろんこの作戦のことは、最寄りのインターチェンジに向かう車の中にいるこの3人しか知らない。

 

 「2人ともごめん。憬とどうしても2人だけで話したいことがあるってだけでこんな風に巻き込んじゃって」

 

 昨日の夜の食卓の中、たった5分で思いついた作戦。その発案者は、環。

 

 「全然いいよ。友達と水入らずで過ごす時間はとっても大事だからね」

 

 そして作戦の演出を“手掛けた”のは、牧。補足すると中村はただ巻き込まれただけである。

 

 「けど山吹さんまで撮影を見に来るとは思わなかったよ」

 「私は何となく予想はしてたけどね」

 「ほんと・・・山吹さんが話の分かる人で良かった」

 

 山吹は当然この作戦のことを知る由もなかったが、憬と牧が集合写真を撮り終えた後に環がこっそり作戦のことを打ち明けたことでどうにか事なきを得た。

 

 「ああ見えて超が付くぐらい優しいからねブッキーは」

 

 ちなみに環からのお願いに山吹は、「チッ、めんどくせぇな」と言いつつ2つ返事で了承した。

 

 「・・・ただ流石の私でも、十夜ちゃんが現場に来ることまでは予想できなかったけどね」

 「うん。でも私にとっては静流と一色さんがいとこだったことの方がもっと予想外だったよ」

 「私と十夜ちゃんがはとこ?誰から聞いたのそれ?」

 「山吹さん」

 

 環に大まかな事の真実を教えた人物を知った牧は「ほんとブッキーは・・・」と小さく呟きながら呆れて笑うように溜息を溢す。

 

 「別にはとこだからって頻繁に会ってるわけじゃないよ。物心がついた時から仲良くはしてるけどその頃からお互い都合が中々合わなくて年に1,2回ぐらいしか会えてなかったし、今日に至っては3年ぶりだからね・・・・・・ってその辺の話も聞かされてるよね?」

 「年に1,2回ぐらいしか会えてなかったのは初耳だけど、それ以外は聞いてる」

 

 十夜の話を山吹と早乙女から既に聞いている環は当然質問するようなことはせず、先輩の話の聞き役にあくまで徹し続ける。

 

 「それで3年ぶりに十夜ちゃんと会ったらさ・・・別人みたいにカッコよくなっててちょっとだけびっくりしちゃった。3年前に会った時は私と同じくらいの背丈で天使みたいだったから」

 「えっ?あの“絶世の美少年”って言われてる一色さんが?」

 「そう。お世辞抜きで本当に可愛かったんだよ、十夜ちゃんは。5歳くらいまでは本気で女の子かと思ってたくらいだし」

 「へぇ・・・全く想像できない」

 

 順当に行けば憬が座るはずだった席を取られ、環や憬にとってはある意味で因縁の相手のような存在でもある十夜だが、流石に彼の幼少期を知る由はなく驚きを隠せずにいる環の表情を牧は微笑ましそうに見つめる。

 

 “そう言えば、聞きたいことがあるんだった”

 

 「・・・ていうか何で一色さんのことずっと私に黙ってたの?」

 

 いくら会う機会が少ないにしろ、疎遠になっていたにしろ、全く話題にすらしなかったのは私なりに違和感を感じていた。というか、そもそも静流が自分の話をしているところを、思い返すと私はほとんど見ていない。

 

 強いて言うなら、麻友の役作りで私が追い詰められていた時に話していた“普通の世界を知らない”と打ち明けたあの時ぐらいか。

 

 「えっ?だって私にそのことを聞いてくれなかったじゃん?」

 「・・・・・・え?」

 「家族の話とかさ」

 

 だがそんな静流から帰ってきた理由(言葉)は、あまりに予想の斜め上を行くものだった。

 

 「・・・じゃあ・・・私が色々と静流に聞きたいことを聞いてきたら、答えてくれる?」

 

 もちろん、この後に発した一言も。

 

 「そんなの当たり前じゃん。だって私たちはもう“友達”なんだから」

 「・・・友達・・・」

 

 私はてっきり、静流は “可愛い後輩”のように私と接していると思っていた。悩んでいる時は女優としてのアドバイスをくれたり、撮影に行くときは出掛ける前に必ずハグをしてくれたりと確かに仲はすごく良かったけど、あくまでそれは先輩後輩の関係の中の話だと勝手に思い込んでいた。

 

 だから目標となる先輩から対等な“友達”だと打ち明けられたことは嬉しい。

 

 「あれ?蓮どうしたの?そんなかしこまったような顔して?」

 

 だがそれと同時に何とも説明のつかない悔しさのようなものが再び込み上げる。それは憬の芝居を初めて見た時に感じた、あの感触と同じだ。

 

 「ねぇ・・・?私たちってまだ“友達”だよね?」

 「・・・うん。私たちは“まだ友達”だよ。だから心配しないで」

 

 そう言って私に裏のない満面の笑みで答える静流の表情を見て、私は確信した。

 

 “私は静流から、女優として見られていない”

 

 

 

 今まで私は、ずっと逃げ続けていた。弱かったかつての自分と決別すると心に誓いながら、過去に囚われていた。そして心の奥で新たに生まれた嫉妬という感情のせいで、憬と気の合う親友同士でいたいという想いを裏切り全てが壊れてしまうとさえ思っていた。

 

 “芸歴なんて関係ねぇ、まだまだ俺たちは新人だ。可能性は無限大だよ”

 

 そんな私に少しだけはにかみながらも誇らしげに話して、その言葉通りの芝居で撮影現場にいた全ての人たちを釘付けにした憬は、過去に囚われることなくどんどん前に進んでいる。そんな親友の姿を私は、これからも黙って見届けるつもりなのか・・・・・・いや、そんなことをしている場合じゃない。

 

 女優として“ど真ん中”に立つためにはこの感情()としっかり向き合い、いずれは越えなければいけない。私にとって一番の親友がそれを芝居で教えてくれた。

 

 “どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ”

 

 だから、過去に囚われ未来を恐れ続けることはもう止めることにした。まだまだ勉強不足なところもあるけれど、私は女優であり役者だ。どんな困難や挫折がこれから待っていようと、その心意気だけは死んでも手放すものか。

 

 “蓮も女優を続けてくれて・・・・・・ありがとう

 

 親友(ライバル)と交わした勝負(約束)のために・・・

 

 

 

 「・・・・・・静流」

 「ん?」

 

 一度だけ深く息を吸い込むように呼吸を整えると、環は意を決したように口を開く。

 

 「私はもう・・・・・・逃げないよ

 

 それは環が役者として、そして親友としてこれから憬とこの世界で共に歩んでいくために“心の内側”と向き合うことを誓った決意の言葉だった。

 

 「ふ~ん。蓮はそれで大丈夫なの?」

 

 決意の意味を瞬時に理解した牧がほんの少しだけ心配げに気遣う素振りを見せるが、環は自信に満ちた表情で再び言葉を返す。

 

 「うん。あんな芝居を魅せつけられて黙ってるようじゃ、私は一生女優なんて名乗れないから」

 

 今までで一番自信に満ち溢れた後輩の表情を一瞥すると、牧は静かにほくそ笑んでわざとらしく呟いた。

 

 「・・・これでまた1人増えちゃったな・・・」

 「えっ?また1人ってどういうこと?」

 「別に?ただの独り言だよ」

 「いや絶対なんか隠してるでしょ静流?」

 「ホントに隠してないって」

 「“友達”だったら聞きたいことがあったらなんでも答えてあげるって言ってなかったっけ?」

 「ごめん、やっぱり乙女心に準じてケースバイケースで」

 「言ったそばから約束をとっかえひっかえする人に乙女心はないと思います」

 「じゃあ蓮が憬くんから言われた言葉を教えてくれたら答えてあげる」

 「嫌だ」

 「じゃあ教えない」

 「教えて。これは“友達”としての約束なんだから」

 「だったら蓮も教えてよ、憬くんから言われた言葉」

 「だからそれは秘密って言ってんじゃん!」

 「言っとくけど今の蓮って人として相当身勝手で理不尽だよ?」

 「静流には言われたくないね」

 

 “・・・はぁ・・・世話の焼ける”姉妹“だ・・・”

 

 

 

 そして中村は後部座席に座る2人の他愛のない口喧嘩にやれやれという表情を浮かべながら、都心にある事務所へと車を走らせて行った。

 




月9編。ついに完結!次週・・・波乱の新章突入!?



的なことを一度はやってみたかった。



どうせならキリの良いところで2021年を締めくくりたい。そんなしょうもない理由でどうにか2章を年内に終わらせることが出来ました。終盤でやや駆け足になった感は否めませんが、やっと終わりました。

つーか長くねぇか今回?文字数だけなら短編1本分と引けを取らないくらいボリュームあるぞオイ・・・・・・まぁ年末年始の暇つぶしってことでお許しください。

ということで2章は今日をもって完結し、次回から新章に突入します。波乱が起きるか起きないかは作者の気分次第ですが・・・

ただその前に、2.5章としてエピローグ兼プロローグ的な話を2話ほど(の予定)お届けしたいと思います・・・・・・詐欺ではありません・・・一応新章突入です・・・はい・・・

では皆さん、よいお年を。



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キャラ紹介 1

オリキャラが多くて誰が誰だか分からなくなるというご意見を頂きましたので、急遽キャラ紹介を追加しました。

※キャラクターのイメージをあまり固めたくない方は、飛ばして頂いて構いません。

7/29追記:今後の展開を配慮し設定の一部を変更しました




【主人公】

 

・夕野憬(せきのさとる)

職業:俳優(現:小説家)

生年月日:1985年6月30日生まれ

血液型:A型

身長:170cm(14歳) → 179cm(現在)

 

本作の主人公。10年に1人と称される天才的な演技力を持っている。現在は何らかの事情があり俳優を引退し、小説家として活動している

 

 

【chapter 2までの主な登場人物】

 

 

・環蓮(たまきれん)

職業:女優

生年月日:1985年9月16日生まれ

血液型:O型

身長:162cm

 

憬の幼馴染であり、憬が芸能界に足を踏み入れるきっかけになった一番の親友。原作では大河ドラマ編にて登場している。

 

 

・牧静流(まきしずる)

職業:女優

生年月日:1985年1月1日生まれ

血液型:B型

身長:153cm

 

環と同じマンションの部屋で同居している子役上がりの実力派人気女優。同居人の環とは同じ事務所の先輩後輩及び友達の間柄。同じく俳優の一色十夜とは従兄弟の関係。

 

 

・早乙女雅臣(さおとめまさおみ)

職業:俳優

生年月日:1974年12月9日生まれ

血液型:AB型

身長:183cm

 

憬が初めて出演した月9ドラマ『HOME -ボクラのいえ-』で主人公を演じるカリスマイケメン俳優。日本で最も“視聴率”を稼ぐ主演俳優の異名を持つ。

 

・山吹敦士(やまぶきあつし)

職業:俳優

生年月日:1982年8月11日生まれ

血液型:A型

身長:171cm

 

スターズに所属する若手イケメン俳優。「つーか」や「~ねぇよ」などぶっきらぼうかつくだけた口調が特徴。ブッキーの愛称で呼ばれている。

 

 

・水沢令香(みずさわれいか)

職業:女優

生年月日:1975年8月3日生まれ

血液型:O型

身長:165cm

 

憬と同じ芸能事務所に所属する人気女優で朝ドラのヒロインに抜擢されたこともある実力派。姉御肌な性格で山吹からは「姐さん」と呼ばれている。『HOME -ボクラのいえ-』ではヒロインを演じる。

 

 

・月島章人(つきしまあきと)

職業:脚本家・演出家

生年月日:1964年3月28日生まれ

血液型:A型

身長:173cm

 

スターズに所属する月9ドラマ『HOME -ボクラのいえ-』の脚本と演出を手掛けるドラマ演出家(本職は脚本家)。

 

 

・海堂正三(かいどうしょうぞう)

職業:芸能事務所カイ・プロダクション社長

生年月日:1941年1月20日生まれ

血液型:B型

身長:170cm

 

憬が所属する芸能事務所、カイ・プロダクションの社長。いつもサングラスをかけておりその風貌は社長というより親方。

 

・一色十夜(いっしきとおや)

職業:俳優

生年月日:1983年4月2日生まれ

血液型:AB型

身長:169cm

 

スターズが発掘した早乙女雅臣に続く新たな広告塔。“絶世の美少年”と称されるほどの端麗な容姿を持つ。一家揃って世界的な有名人で女優の牧静流とは従兄弟の関係。

 




ざっとこんな感じです。ちなみに身長などは憬が芸能界に入った1999年当時のデータという設定です。

これから新キャラが登場する際には、状況に応じて順々に紹介していきたいと思います。


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chapter 2.5.硝子の仮面
scene.22 操り人形 / 楽しみを希う心



正月早々、見事に爆死。でも、後悔は一切無死(ナシ)・・・・・・

新年、明けましておめでとうございます。今年も何卒、よろしくお願いいたします。

2/8追記:内容を一部変更しました




 月9ドラマ『HOME -ボクラのいえ-』第10話過去パートの撮影から20日後の朝_

 

 「寂しくなるわね。十夜がこの部屋から出ていくなんて」

 「せっかく仙台から帰ってきたばかりなのに、ごめんな姉さん」

 

 自分の荷物をまとめて部屋を出る最後の準備をしている十夜を、姉の一色小夜子(いっしきさよこ)は物思いに耽るように見つめている。

 

 明後日からはデビュー作にして初主演となる連続ドラマの撮影がいよいよ始まり、ますますメディアへの露出も増えてスケジュールも過密になっていくことを約束されている十夜は、約3年ほど続いた姉との1LDK+防音室での2人暮らしを終え、今日から事務所(スターズ)が手配した新宿の1LDKでの1人暮らしが始まる。

 

 「それにしても十夜が1人暮らしか~」

 「もしかして心配してくれてんの?」

 「だってこれからは身の回りのことを全部1人でやんないとだから、私がコンサートで居ない時に家事を全部やってくれた十夜でも心配だよ」

 「大丈夫だって俺は全部できるから」

 「でも俳優の仕事となると生活も不規則になるだろうし」

 

 姉の小夜子は自由奔放で我が道を行くような両親(おや)の元で育ったとは思えないくらい、“ちゃんとしている”。少し過保護で心配性なところもあるが、共に“あの人たち”に振り回されつつ育てられた俺にとって、姉は一番の良き理解者だ。

 

 ただしそんな姉も“一色家”の例に漏れず、経歴が案の定ぶっ飛んでいる。

 

 

 

 一色小夜子(いっしきさよこ)。4歳から興味本位で触れたヴァイオリンを習い始めると早くも才能を開花させ、11歳の時に若手の登竜門と言われている全国レベルの音楽コンクールのヴァイオリン部門で1位を取り、それからは国際大会でもその才能と実力を遺憾なく発揮して無双しまくり、高校を卒業するまでにハノーファーやらパガニーニなどといった主要な国際コンクールで1位を総なめにして、小夜子は一躍時の人となった。その後はドイツに留学しヨーロッパ最高峰と謳われている音大に席を置きながらヨーロッパを中心に演奏家(ヴァイオリニスト)として1年の半分を公演に費やすような日々を送り、コンサートで世界中を巡っていた。

 

 そして席を置いていた音大を卒業すると同時に日本に帰国し、それからは活動の拠点を日本に移している。

 

 

 

 とまぁ、姉の経歴をざっくり説明するとこんな感じだ。ぶっちゃけ俺にはその凄さ自体はあまり理解できないが、世界が認めるヴァイオリンの腕前は姉の奏でる音色を知っている俺なら分かる。

 

 「心配は無用だよ姉さん。こう見えて俺って超がつくほどタフだから」

 

 そんな心配性の姉を気遣い、十夜は右手の拳を心臓の辺りに当てながら余裕の表情を浮かべて笑う。

 

 「そう?でもせめてバランスの摂れた食事だけは心掛けてよね?どんな仕事でも一番大事なのは健康であることだから」

 「言われなくてもそれは分かっているよ姉さん。ていうか食事にだけは煩かったあの人たちのおかげで、俺は一日三食と野菜を摂らないと気が済まない身体になってるから」

 「言われてみれば・・・一家揃って健康オタクだったね」

 「あの人たちがそうさせたんだろ。俺たちを」

 「フフッ・・・こういう所だけは親子だよね?私たち」

 「・・・あぁ・・・ほんとにな」

 

 相も変わらず今この瞬間も日本(ここ)ではないどこかで自己表現に没頭し続けているであろう両親のことを思い浮かべながら2人は呆れ半分、愛情半分の感情で静かに笑う。

 

 ちなみにこの姉弟。瞳の色と2人揃って超がつくほど美形であることを除けば、外見も性格も全く似ていない。

 

 「よし、全部終わった」

 

 そうこうしているうちに十夜の荷造りは全て終わった。ちなみに手で持てない荷物や必要な家具などは既に新宿の新居に運ばれ、事務所が用意したスタッフによって事前に指示した定位置に置かれいる。

 

 「・・・ねぇ十夜・・・」

 「ん?どうした?姉さん?」

 

 荷造りを終え深々と帽子(キャップ)を被り部屋から出る準備を済ませた十夜に、小夜子は神妙そうな表情を浮かべて話を切り出す。

 

 

 

 と、ここで一旦補足として余談を挟むが8月9日の撮影以降、十夜はCM撮影や雑誌の取材などで忙しく、小夜子もコンサートの関係で長野と仙台に向かっていたため、この2人が面と向かってまともに会話をするのはこの20日間のうち、今日を含めて2日だけである。

 

 

 

 「・・・芸能界は・・・楽しい?」

 

 相変わらずどこか心配そうに問いかける小夜子に、十夜は数秒だけ考え込むように目線を天井へ向け、静かに口を開く。

 

 「最初はクソくらえと思ってたよ・・・オーディションとは名ばかりの出来レースで“予定通り”に勝ち上がったところで嬉しさとかは1ミリもないし、記者会見の時に言ったコメントだって9割は嘘だし、気が済んだら直ぐにでもこんな世界からは去ってやろうと本気で考えたくらいだ」

 

 まるで舞台役者が壇上で独白を語るかのように淡々と自分の本音をぶちまける十夜を、小夜子は無言で見つめ続ける。

 

 

 

 物心がついた頃から“芸能人”と呼ばれる人たちと何度も会っていた俺は、普段の彼らとスクリーンや壇上で誰かを演じている時の彼らとの落差(ギャップ)に恐怖に似た違和感を覚え、次第に役者(彼ら)のことが人としての自我を奪われた“操り人形”のように見えてしまっていた。

 

 やがて時が経つにつれて両親がともに世界的な有名人という異端な家庭環境を肌で分かり始めるようになり、メディアに“がんじがらめ”にされて徐々に遠い存在になっていく幼馴染(ともだち)を見てその思いは強くなっていき、気が付くと俺は芸能界という世界そのものを嫌うようになった。

 

 そんな俺にも、操り人形ではなく“人間”として憧れに近い感情を持っていた役者が“2人(ふたり)”だけいた。

 

 でもそのふたりの雄姿はもう、今では二度と見ることができない。

 

 

 

 “役者という生き物は所詮・・・自我を奪われた操り人形でしかない。糸が切れてしまえば、微動だにも動けないただのガラクタ・・・”

 

 

 

 「でもこの間見学で行ったドラマの撮影を見て・・・少し気が変わったんだ」

 

 だが、あの日の撮影で役者としてカメラの前に立っていた1人の少年は“操り人形”なんかではなかった。

 

 “糸”なんて存在しない、人として確たる “自我”を持つれっきとした“人間”がそこにはいた。

 

 “美沙子っ!!!”

 

 周囲からの視線や声を気にしない他人の感情が剥き出しになった演技に衝撃を覚えるのと同時に、俺も確たる自我を持つたった一人の人間になりたいと心から思った。

 

 「理由が出来たんだよ・・・芸能界(この世界)で生きるための・・・」

 

 落差(ギャップ)を超越した芝居をする“ふたり”と同じような演技をしていた、あいつ()のように・・・

 

 「だから・・・芸能界は楽しいよ・・・めちゃくちゃ」

 

 言い終えると十夜は、小夜子に向けて雲一つない青空のように晴れやかな笑みを浮かべる。

 

 「・・・ここまで幸せそうな顔をしている十夜・・・久しぶりに見た気がするよ・・・」

 「そう?」

 

 

 

 “『お前らのせいで俺は・・・』”

 

 

 

 「・・・・・・十夜・・・私は十夜に」

 「それ以上は言うな。言ったら姉さんだろうとマジで怒るから」

 

 小夜子が言おうとした言葉の意味を瞬時に理解した十夜は、両親に代わって“懺悔”をしようとした小夜子の口を人差し指で優しく押し当てて言葉を塞ぐ。

 

 「・・・姉さんも、あの人たちも・・・誰も悪くない・・・」

 「・・・・・・ありがとう」

 

 十夜は押し当てた人差し指を離すと、少し罪悪感を滲ませるような晴れない表情の小夜子の身体を優しく包み込むようにハグする。

 

 「もう大丈夫。“それぐらい”の覚悟は出来てる」

 

 ここ2,3ヶ月は互いに忙しくその回数はめっきり減っていたが、家を出る前には必ず行っていた2人の日課。

 

 「十夜・・・どんなにあなたが有名人になっても、十夜はずっと私のかけがえのない家族()のままだから・・・」

 

 もちろんこれは両親から教わった独特な躾なのだが、ここにある愛情は紛れもなく本物だ。

 

 「・・・うん。それは俺だって同じだよ。本当にありがとう、姉さん」

 

 “この家族”の元に生まれてしまった瞬間から、運命というものは決まっていたのかもしれない。どうあがいても背後について回る、“一色家”という看板(ブランド)

 

 きっと芸能界の大人たちや赤の他人たちは、何が何でも俺のことをそうやって一色家(家族)と結び付けて消費し続けようとすることだろう。

 

 だが、それがどうした。親がどうだとか、家族がどうだとか、そんな下らない肩書きや先の知れた未来は、俺の手で全て塗り替えてやる。そう心に誓った。

 

 “俺は、俺だ”

 

 「・・・では・・・行ってきます」

 

 小夜子にこの部屋を出る前の最後の挨拶を済ませると、十夜はゆっくりと小夜子の身体から手を離し、床に置いていたボストンバッグを肩に担いでリビングを後にしようとする。

 

 「待って」

 

 部屋から出ようと背を向けた十夜を小夜子は呼び止める。

 

 「・・・十夜がここを出る前に、どうしても伝えておきたいことがあるの」

 「伝えておきたいこと?」

 「十夜・・・どうか冷静になって、聞いて欲しい」

 「・・・うん。分かったから話してくれよ、姉さん」

 

 妙に神妙そうな口ぶりとその表情に、十夜は戸惑いつつも言いたいことを言うように小夜子を促す。

 

 「十夜はさ・・・城原千里(きはらせんり)って人、知っているよね?」

 「・・・あぁ、確か正月の“名もなき音楽会”で姉さんとセッションしてた作曲家のピアニストだっけ?」

 

 城原千里(きはらせんり)。映画音楽を中心に数々の賞を受賞している作曲家で、音楽に詳しい人の間ではその名を知らない人はいないほど有名な人物である。俺の記憶が正しければ、星アリサのことを知るきっかけになった映画の劇半を手掛けていたのもこの人だった。

 

 “いや・・・まさかな・・・”

 

 「向こうにいるお父さんとお母さんには既に報告しているけどさ・・・」

 

 でもこういう時に限って、“胸騒ぎ”というものは的中するものだ。だから姉が呼吸を整えるように口から出した言葉を一度溜め込んだ瞬間、俺は何かを察した。

 

 「私・・・・・・千里さんと結婚することになった」

 「・・・・・・マジでか」

 

 俺にとって姉は一番の良き理解者なのだが、そんな人でも時にはこのように自分の理解を超えてくることだって一度や二度ぐらいはある。

 

 そしてこの日から数週間後、一色家の家系図にまた1人“有名人”が加わったことは言うまでもない。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日、霧生学園高等学校_第二音楽室_

 

 「君が音楽室(こんなところ)に呼び出すなんて洒落た真似をするとは思わなかったよ、山吹」

 「ここしか空いてなかったってだけだ。それにお前、ぜってぇ自分の部屋に人なんか入れねぇだろ?少なくともこの話は教室ん中で話すような内容じゃねぇからな」

 

 2学期の始業式を終えた山吹は放課後にレッスンの名目で芸能コース専用の校舎内にある第二音楽室を貸し切り、同じクラスの天知を呼び出していた。

 

 「心一・・・今日俺がこんなところを貸し切ってまでお前をここに呼んだ理由はただ1つだ」

 

 山吹が天知を呼び出した理由。それは8月8日に新宿の映画館で行われた映画の舞台挨拶に遡る。

 

 

 

 「アリサさん。十夜(コイツ)を現場に連れて行く代わりに・・・1つだけ俺に教えて欲しいことがあります・・・」

 「・・・良いわよ。言いなさい敦士」

 

 優し気な口調ながらも目の笑っていないアリサに臆することなく、山吹は条件をぶつけた。

 

 「何で・・・アリサさんは十夜(コイツ)にここまで拘るんですか・・・?」

 

 この後、アリサの口から告げられた真実は山吹の想像を遥かに超える“ショッキング”なものだった。

 

 

 

 「まさかお前が絡んでいたとはな・・・・・・心一

 

 アリサが早乙女雅臣の後継者として最初に選んだ看板(スター)は、なんと天知だった。芸能界という舞台を降りた彼を自らの手で“天才子役・天馬心”としてではなく、“俳優・天知心一”として全てをリセットさせた上で復活させる手筈だったが、芸能界にはもう未練のない彼がそんなシナリオに首を縦に振るはずはなかった。

 

 そして天知が代わりに“逸材”として連れて来たのが、十夜だった。そこからのアリサ、もとい事務所(スターズ)の行動に迷いはなかった。まず“一色十夜”という少年の人生にドラマ性を加えるため、彼と同じように役者(スター)になることを夢見る“原石(引き立て役)”を新人発掘オーディションとしてかき集めた。

 

 最終的にこのオーディションには2万人の原石が集まり、その頂点に立った十夜は傍から見れば数多の夢追い人の中の頂点に立ったのみならず、スターズがどのような条件の人材であろうと平等に審査をしてスターを発掘しているという宣伝にもなり、それは結果として双方に大きな利益をもたらすことになった。

 

 またこれは補足だが、十夜と共にオーディションを勝ち抜いた永瀬あずさは“本当の意味”で勝ち上がってデビューを果たしている。

 

 「・・・って聞いてんのかオイ?」

 「うん。君の話はずっと聞いているよ」

 「だったら今すぐピアノを弾くのやめろ。人が真剣に話してんだぞ」

 「真剣というものは人それぞれだよ山吹。現に僕はこうして両手と右足で旋律を奏でながら、ちゃんと君の声に耳を傾けているじゃないか」

 「てめぇいつか殺すからな」

 

 アリサから明かされた真実を山吹が真剣な表情で話しているのを、天知は音楽室のピアノを優雅な手つきで弾いて旋律を奏でながら“真剣”に聞いている。

 

 だが彼の“真剣”さというものを本当に理解している人間は、本当にごく一部にしかいない。

 

 「つーかさっきからなんの曲弾いてんだよ?」

 「ケルンコンサート」

 「知らねぇよどうせ弾くならもっとメジャーなやつやれよ、戦メリとか」

 「全く、知らない曲の良さを知ろうともしないくせに僕を音楽室(こんなところ)に呼び出すとは。本当に君はナンセンスの塊だね」

 「音楽のことはよく分かんねぇけどお前に友達がいねぇ理由はよく分かるわ」

 「それは心外だな。僕にも心の底から信頼している友人はいるよ」

 「あぁ確かに性悪野郎のお前にも友達はいたな、十夜(ひとり)だけ」

 

 “外野”からの野次に答えながらも、ケルンコンサートを優雅に奏でる両手とペダルを踏む右足は止まらない。

 

 「んなことより今日はそんなお前の唯一の“友達”の話だ」

 「・・・山吹のことだからそんなことだろうと思っていたよ」

 「否定しねぇのかよ」

 

 脱線しかけた話を再び戻した山吹に、天知はピアノを弾きながら答え続ける。

 

 「何でこの僕が一色をアリサさんに推薦したか・・・?それが聞きたいんだろ?」

 「あぁ・・・先ずはそこからだ」

 

 すると天知は10秒ほど旋律を奏でながら沈黙を貫き、静かに答える。

 

 「一色にはスターダムを駆け上がれる素質がある。それだけのことだよ。僕と同じように彼と何度も遊んだことのある君なら、その意味がわかるだろ?」

 

 正直、この答えが返ってくることは予測出来ていた。確かに十夜は、夕野とは違った意味で元から持ち合わせた素材がとんでもなく飛び抜けている。己の持つ存在感だけで全てを圧倒するような本当の意味での“天与”ってやつだ。

 

 だが本題はそこではない。

 

 「だとしたら心一も知ってるだろ・・・アイツが芸能界を嫌ってたことをよ?」

 「うん。知ってるよ」

 

 “『オレにはお芝居をしている人たちの姿が、操り人形に見えてしまうんだよ』”

 

 「俺たちに面と向かってそう言ってた奴が、有名人になることを誰よりも嫌って役者そのものを侮辱してたような奴が・・・何で“ここ”にいんだよ?」

 

 有名人の親を持つような“二世”が芸能界でどのような扱いを受けるのかというのは、俺でも分かっている。

 

 俺たち役者のことを“操り人形”だと言ったことや十夜の自己中でエキセントリックな振る舞いにはガキの時から腹が立っていたが、アイツが有名人の両親と比較されることに苦しんでいることを知っていた俺は“腐れ縁の理解者”として悩み相談的なことにも乗ることもあった。

 

 別に嫌っている理由にはこれといって深い意味はなく、十夜に向けた個人的な恨み自体もない。

 

 ただ・・・俺たち(役者)を“操り人形”の4文字で片づけた奴がノコノコと芸能界(この世界)の扉を開き、そんな奴の何十倍と努力してきた奴らの出番を奪っていくことが、俺は気に食わない。

 

 そんな奴が仲の良い幼馴染(ダチ)の言葉一つで、芸能界(ここ)に足を踏み入れるとは到底思えない。

 

 「・・・なんか隠してんだろ・・・心一?

 

 山吹からの問いに、天知はケルンコンサートを奏でたまま静かに語り始める。

 

 「山吹・・・人の気持ちというものは、恐いくらいにいとも容易く移り変わっていくものだよ」

 「は?お前何言って」

 「誰がピアノを弾いてるかと思ったらやっぱり心ちゃんだった。あっくんもお疲れ」

 「・・・はて、噂をすればなんとやら」

 

 山吹の言葉を遮るかのように2人だけの音楽室に噂の張本人が姿を見せ、2人のもとに近づく。

 

 「あぁ悪い、俺この後撮影があるんだったわ」

 

 だがその寸前に山吹は十夜と入れ替わるように音楽室を後にしようとする。

 

 「あれ?あっくん今日は撮休じゃなかったっけ?」

 

 すれ違いざまに、十夜は山吹に声をかける。

 

 「うるせーよスケジュールが急遽変更になったんだよバァカ」

 「・・・あっそ」

 

 もちろんこれは嘘である。そして山吹の嘘に十夜も一瞬で気付き、2人は目で火花を散らすように互いを見合う。

 

 「つーか関係ない仕事の話に首突っ込もうとすんなやボケが」

 「そこまで怒る必要はなくない?ていうか何で嘘つくんだよ?」

 「とにかくお前なんかに構ってる暇はねぇんだよ」

 

 山吹は十夜にメンチを切ったまま振り切るように音楽室の出口へと向かうが、数歩ほど歩いたところでピアノを弾く天知に目を向ける。

 

 「心一・・・お前が何を考えてるかは知らねぇけどよ・・・・・・これ以上余計な真似したらぶっ殺すからな

 

 自分へと向けられた言葉を軽くいなすようにピアノを弾き続ける天知を睨むような視線で一瞥し、山吹はそのまま音楽室から出て行った。

 

 「・・・なんであっくんはこのところずっと不機嫌なんだ?」

 「妬いているんだよ。君のような特別な才能を持った天才が現れてね」

 「何それ?嫌味か?」

 「いや、きっとあれは彼なりの君への称賛だよ」

 「称賛にしては随分と乱雑過ぎないか?」

 「山吹は“不器用”だからね」

 

 天知に言葉をかけながら十夜はピアノに近づき、そのままよりかかるようにして天知のすぐ近くに立つ。その出で立ちはまるで、雑誌の表紙のようだ。

 

 「ケルンコンサートじゃん」

 「序盤を弾いてないのによく分かったな」

 「母さんが好んでこの曲をよく聞いてたからね。おかげでこの耳がキースの旋律を覚えちゃったよ」

 

 ピアノにもたれかかったまま、十夜は天知に向けて耳の穴に銃を突きつけるジェスチャーをする。

 

 「けどオレこの曲そんなに好きじゃないんだよね」

 「何故だい一色?これは音楽史に残るほどの名盤とされている傑作だというのに」

 「もちろんケルンコンサート自体はオレも好きだよ。でも、この曲にはあまり良い思い出が無くてね」

 「・・・そうか。だったら違う曲にするか?」

 「うん。そうしてくれると助かる」

 

 十夜の一言を合図に天知はケルンコンサートを奏でていた両手をパタッと止め、音楽室全体に沈黙が走る。

 

 「じゃあ何がいい?」

 「そうだね・・・」

 

 十夜は少しだけ考え込むようにして音楽室の天井を数秒ほど見上げて、

 

 「楽しみを(こいねが)う心

 

 と天知に“注文”を入れた。

 

 「牧が一番好きな映画の曲じゃないか。何故これを?」

 「この間の撮影現場で久しぶりにマキリンと会ったんだよ。だからふと聞きたくなった」

 「理由になっているようでなってないような気もするが、分かったよ」

 

 一色はこうして周りの人間の理解を超えてくるような奇矯な一面を偶に覗かせてくる。だが牧と同じように彼の人間性をある程度理解している天知にとっては、これぐらいのことはもうすっかり慣れている。

 

 「その代わり君からのリクエストを弾く前に1つ聞きたい」

 「うん、いいよ」

 「・・・噂の大物新人はどうだった?」

 

 椅子に座ったまま獲物をじっくりと吟味する野生動物のような目つきを天知が向けると、十夜はそれを嘲笑うようにフッと微笑む。

 

 「・・・思った以上だったよ。サトルの芝居は」

 

 あの時の光景を徐々に頭の中で張り巡らせていくのと同時に、十夜の微笑みは次第に純粋な喜びへとフェードしていく。

 

 「サトルのような人間がいるなら・・・芸能界で役者になるのも悪くない」

 

 “今のところは計画通りと言ったところか・・・”

 

 「それは嬉しいね」

 「ただし、オレは心ちゃんのように“操り人形”のまま終わるつもりはないよ」

 

 “思い通りだ”と言いたげにニヒルに笑う天知に、十夜は満面の笑みを浮かべながら宣戦布告とも言える決意を伝える。

 

 「あぁ、是非ともそうしてくれ・・・くれぐれも僕の二の舞にならないように」

 

 もちろん自分に向けて放った“決意”の意味を瞬時に理解した天知は、自分なりのエールを十夜に送る。

 

 「ところで彼とは現場(あそこ)で話はしたのかい?」

 「いや、話すどころか顔すら合わせてない」

 「随分と勿体ないことをしたな一色。とんでもない逸材と会えたというのに」

 

 天知はなぜ憬と直接顔を合わせなかったのかを察していながらも、敢えて十夜に勘ぐりを入れる。

 

 「・・・心ちゃんならもうとっくに分かってるだろ?」

 

 幼い頃から家族ぐるみで親交があり、学年は違えど幼稚園から今に至るまでずっと同じ学校で過ごしてきた幼馴染のことを、自分で言うのも難であるが一色の家族の次ぐらいには理解しているつもりだ。

 

 「オレがショートケーキの上に乗った苺をどのタイミングで食べる奴か」

 「“一番最後”だろ?」

 

 だから一色が偶にやる一見なんの関連性もないような話題の意味を読み解くのは、小学校で教わる算数を解くのと同じくらいには容易いものだ。

 

 「ご名答」

 

 被せるような速さで正解を導き出した幼馴染(ともだち)を、掌で小さく拍手をしながら十夜は称える。

 

 「要はそういうことだよ。心ちゃん

 「・・・なるほど・・・実に君らしい結論だ

 

 周りの全てを“蹴散らしていく”十夜の一言に臆せず、同じくらいの覇気を込めて天知も言葉を返す。その光景を目の当たりにして、十夜は思わず少しだけ寂しそうに天知へ笑いかける。

 

 「・・・オレからしてみれば、心ちゃんの方がよっぽど勿体ないことをしたと思うよ。せっかくあと一歩のところで操り人形から“人間”になれたはずなのに・・・」

 「・・・一色・・・人の気持ちというものは・・・恐いくらいにいとも容易く移り変わっていくものさ」

 

 天知は一切の感情が消え去ったようなハイライトのない翡翠色の瞳で十夜を見つめ返し、天を仰ぐように目を瞑りながら顔を真上に上げて深呼吸をする。

 

 

 

 “僕が道半ばで役者を辞めることは・・・・・・“あいつ”の息子としてこの世界に生を受けてしまった時点で決まっていた

 

 

 

 伴奏前の最後の言葉を呟き天知は目を瞑ったままそっと触れるように鍵盤に指を置くと、最初の一音に合わせるように顔を下げて“楽しみを希う心(リクエスト)”を静かに弾き始める。

 

 それから曲が終わるまでの間、音楽室には切なくも儚げなピアノの旋律だけが響き渡った。

 




ちょくちょく名前は上がっていたけど何だかんだで約20話ぶりに登場の天知くん。

それと分かりづらいですが、今回は1話2本立てになっています。

ちなみに今回から章のサブタイが“?”表記になりました。
というのも2章ではタイトルを予め決めてしまった影響でストーリー自体が制約だらけでがんじがらめな状態になり、執筆をする上で困難を極めた為です。
ということで以降は現在進行している章が終わり次第サブタイが明かされるというスタイルに変更しましたので、ご了承ください。









2022年。今年もランキング1位なんか一切目指さず、我流でがんばります。


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scene.23 硝子の仮面


美しく咲き誇る生花の命は、永遠ではない


 9月某日_成城(S)メディア(M)スタジオ(S)_

 

 「東間直樹役、早乙女雅臣さん。これにてクランクアップです」

 

 月島の掛け声と共に花束を手元に抱えた黛が、“アサガヤ”と縦に書かれた直樹の衣装を着てセットの中に立つ早乙女の元に向かう。

 

 「色々とふざけんなと思うことはあるけど、このドラマを無事に最後まで撮り終えることが出来たのは君の力があってこそだったよ。本当にありがとう」

 「あの?最初の一言って要りますか?」

 「いるさ。大体君はこれまで僕に何度迷惑をかけたことか」

 「迷惑って・・・ボクはただ“鍛錬”を重ねていただけですけど?」

 「特に過去パートの撮影に至っては邪魔しかしてなかったじゃないか」

 「ホント酷いですよ月島さんは~」

 

 互いに穏やかな口喧嘩を交わしつつも早乙女がその花束を受け取ると、周りの一同は一斉に拍手を送る。もちろんここには共に花束を抱えた環、山吹、水沢たちレギュラーキャストも全員集合している。

 

 あの撮影から1ヶ月、憬の芝居を盗んだ早乙女の演じる直樹は自他共に確かな手ごたえを感じるほどの完成度を誇り、早乙女自身もまたこのドラマの成功以上に役者として必要な新たな財産を手に入れた。

 

 「あんまり美和ちゃんに迷惑をかけないでくれる雅臣?

 

 周りに聞こえないくらいの小声で水沢が花束を受け取り数歩下がって来た早乙女に話しかける。

 

 「えっ?何でボクが責められないといけないんだ?そもそもボクは何も

 「言っておくけどここまで大目に見てくれるのは月島さんくらいだからね?

 「・・・へいへい

 

 水沢からの忠告に早乙女は渋々了承すると黛の方に視線を送る。すると黛は腕組みをしながら口元を閉じたまま口角を上げて早乙女に向けて笑みを浮かべる。

 

 “あなた達には弁えるという概念がないんですか?”

 

 黛がこの仕草をしている時は明らかに怒っている時だということを僕はとっくに知っている。まぁ、花束を持たされた状態であんな不毛なやり取りを隣でさせられたら多少なりとも不機嫌にはなるか。

 

 “ごめん。無いわ”

 

 黛に向けて早乙女はアイコンタクトで自分の意思を伝える。

 

 “そういうことだろうと思いました”

 

 いつか彼女が独り立ちして演出をするようになっても、僕が呼ばれることは恐らくなさそうだ。

 

 無論、色んな意味で。

 

 「・・・えーっ・・・改めまして、『HOME -ボクラのいえ-』で主演の東間直樹を演じさせて頂きました、早乙女雅臣です」

 

 黛から受け取った花束を手に抱えたまま、早乙女は無理やり現場の空気を取り仕切るように最後の挨拶を行う。

 

 「このドラマのオファーを頂いた時は正直、唯一“シナリオ”だけは手堅くまとめてくるあの月島さんが演出のみならず、とうとうシナリオまで冒険してきたかとヒヤヒヤしたものです」

 

 撮影現場では定番となっているそこそこ際どい“軽めな”ジョークを交えながらも、早乙女の“つかみ”で現場にはひと笑いが起こる。もちろん言われた張本人は苦笑いであるが。

 

 「おまけに撮影期間中にいきなり訳の分からない素人を中学時代の直樹として起用したりと、今回はいつにも増してぶっ飛ばしておられていた月島さんの誠意にお答えする形で、ボクも今まで以上に今日まで全力でぶっ飛ばして参りました」

 「おい、冗談が過ぎるぞ早乙女」

 

 さすがに痺れを切らしたのか、月島がツッコミをいれる。

 

 「安心してください。今までのことはすべてジョークです。では、本題に戻りましょう」

 「雅臣。私この後CMの撮影があるからマジで“巻き”で終わらせて」

 「えっ?何で?」

 「大体いつもクランクアップの一言が長いんだよ。校長先生のスピーチかてめぇは」

 「仕方ないでしょ感謝を伝えるにはある程度の言葉は必要なんだから。あと姐さん、元ヤンが出てるって

 

 早乙女という男は毎回、出演した作品のクランクアップの度に一言というにはあまりにも長すぎる最後の挨拶を述べる。もはや恒例行事と化している小ネタや際どいジョークを交えたこの挨拶は、一部からは“演説(スピーチ)”と言われている。

 

 「まぁ良いじゃないか水沢、この面子が揃うのは今回がひとまず最後になる訳だし」

 「そうやって甘やかすから図に乗るんですよ尾方さん」

 

 当然仲間内には肯定派の人間もいれば否定的な人間もいて、“スピーチ”に対する反応は賛否両論で別れている。

 

 「まるで子供(ガキ)だな。夕野の方がまだ大人だぜ」

 「さすがに言い過ぎだよ敦士くん」

 「ごめんなさい。これだけは山吹さんに賛成です」

 「オイオイ蓮まで・・・」

 

 大の大人が大の大人に世話の焼ける子供を見るような扱いをされている光景を山吹がボヤき、環もそれに同意する。

 

 「・・・分かりました。今日はなるべく巻きます」

 

 流石に環からも子供呼ばわりされたことが少しショックだったのか早乙女は珍しく巻きで済ませると宣言する。

 

 「でもその代わり・・・どうしても伝えたいことがあるので、それだけは言わせてください」

 

 すると一気にその表情がおちゃらけた普段の雰囲気から、本来の彼を象徴するような真面目な青年の顔つきに変わる。

 

 「・・・ずっとそのままでいればいいのに・・・

 「“このまま”だととっつきにくいでしょみんなが

 

 右斜め後ろに立つ水沢が小声で呟くと、早乙女はそれに少しばかり笑いながら小声で答える。

 

 “ザ・スター”という見た目に反してお調子者でノリが良く、常に自然体で親しみやすさのある人柄で知られている早乙女だが、それはあくまで自身が栄光の裏で重ねてきた血の滲むほどの努力を評価されることを誰よりも嫌う彼が持つ、ほんの一面に過ぎない。

 

 「先ほど話したちょっとしたジョークの中で、実は一言だけ僕は本当の思いを喋りました・・・それはこのドラマで僕は今まで以上に、今日の最終回に至るまで全力でぶっ飛ばしたということです。この思いだけはまごうことなく本物です」

 

 もちろん早乙女と付き合いの長い人間の多くはその事実を知っていて、月島や水沢もその一人である。

 

 「これまで7年間、この世界で俳優というお仕事を続けて、紆余曲折ありましたが色んな経験をさせて頂いた積み重ねのおかげで、今もこうして主演としてここに立っていられていると勝手に僕は思っています。もちろんHOMEに関しても共演者や月島さんを筆頭としたスタッフの皆様の協力無くして、僕はこの東間直樹と言う役を最後まで演じ切ることはできませんでした」

 

 だがこれまでと違うのは、“あの早乙女”が十八番としている小ネタや際どいジョークを連発で仕込むことなく、冒頭以降はここまでおふざけ一切なしでスピーチを続けていることだ。

 

 そんなちょっとした違和感が、少しずつ撮影現場全体に浸透していく。

 

 「つまり何が言いたいかと言うと・・・僕は直樹という役を俳優になってからの7年間の集大成として・・・演じさせて頂いたということです」

 

 “まさかアレをここで言うつもりか・・・!?”

 

 早乙女の“魂胆”に気が付いた山吹が話しかけようとするも、全てを察した月島が山吹へ“言わせてやれ”とジェスチャーを送る。

 

 「・・・俺は知らねぇぞ・・・

 

 周りに聞こえないくらいの声で、山吹は早乙女に最後の警告を送る。その言葉が耳に入ったのかは定かではないが、早乙女は咳払いを1つすると覚悟を決めるように深く息を吸って伝えたいことを打ち明ける。

 

 「ここにいる皆さんにだけは・・・先に伝えておきます・・・・・・」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 数日後_芸能事務所・スターズ_

 

 「本当に良いのね?雅臣?」

 「はい。後悔など全くないですよ、アリサさん」

 

 昼下がり、社長室の応接間。ここでは代表取締役の星アリサと所属俳優の早乙女雅臣がテーブル越しにソファーに座り1対1になって話し合いをしている。

 

 そしてテーブルの上には、“辞表”と書かれた白い封筒が置かれている。

 

 「芸能事務所を離れて独立するということは、自ら先の見えないトンネルに足を踏み入れるようなものよ・・・覚悟は出来ているんでしょうね?」

 「何を言っているんですか。そもそもボクとの契約はあくまでこの事務所が軌道に乗る間までの約束ですよ」

 「えぇ、知っているわ」

 「それにボク自身、25になるまでに事務所云々関係なく独立することはスターズ(ここ)に入る前から決めていましたから」

 

 少しばかり寂しそうな表情を浮かべるアリサに、早乙女は“心配するな”と言わんばかりの笑みでそれに答える。

 

 「・・・今のスターズには夏歩や敦士、そして十夜を始めとした広告塔を含めて14人の“スター”がいます。もうこの場所はボクのような“中途半端”な存在が居座らなくとも、十二分にやっていけるということはアリサさんが一番よく分かっているはずです」

 

 まだ正式には公表されていないが、早乙女は今月いっぱいでスターズを退所し、10月以降はフリーとして俳優活動を続けることになっている。ちなみにこのことは先日に撮影を終えたばかりのHOME(ドラマ)の一部の出演者やスタッフにのみ知らされた。

 

 当然ながらそれはアリサや月島に許可を得た上で、翌日に予定されている正式発表を兼ねた記者会見が終わるまで一切口外しないという条件のもと早乙女が自ら現場でカミングアウトしている。

 

 「ここを出て行った後はどうするつもり?」

 「取りあえずこれを機会にアメリカにでも飛んで“本場の演劇”っていうのを一から学び、向こうで何かしらの“爪痕”を残せたらなって思っています。それまでは日本に帰るつもりもありません」

 

 設立当初から所属タレントが倍以上に増えたスターズは、今や大手芸能事務所と言っても差し支えない程の影響力を持つようになった。そのような影響力の強い楽園から出て行った者に待ち受けるのは、“暗黙の了解”と言う名の見せしめ(代償)である。

 

 主演俳優として確たる影響力を持っている早乙女ですらそれは例外でなく、彼も独立という夢をかなえたのと引き換えに“それ相応”の代償を背負うことを余儀なくされている。

 

 「爪痕ね・・・具体的にあなたはアメリカで何を残そうと考えているの?」

 「そうですね・・・目標を言うならブロードウェイの舞台に最低でも準主役として立って、世界中を驚かせてやりたいですね」

 「向こうに伝手は?」

 「ある訳ないじゃないですか。ボクなんかに」

 

 そんな早乙女が選んだ道は、恐らく考えうる限りで最も過酷と言えるであろう選択だった。応接間のソファーでファッション誌の表紙のような姿勢(ポージング)でだらっとくつろぎ“自分のこれから”を誇らしげに語る早乙女に、腰を背もたれにつけきちっとした姿勢でソファーに座るアリサは色んな思いの籠った溜息を吐くと、静かに忠告を告げる。

 

 「・・・言っておくけど海の向こう側の世界は芸能界(ここ)で生き残る以上に厳しいわよ。文化はもちろん、日常生活の所作の1つを取っても日本とは全てが違う。当然それは俳優の世界でも同じことだわ。あそこは “並みの天才”程度じゃすぐに潰される、本当の実力者しか生き残ることが出来ない鬼の巣窟のようなところよ。ましてやブロードウェイなんて日系アメリカ人はともかく、日本生まれ日本育ちの俳優が舞台に立ったことなんて歴史上一度たりともない・・・そんなところに舞台経験のないあなたは刀も持たずに丸腰で飛び込もうとしているのよ。はっきり言って私には雅臣のやろうとしていることが無謀としか思えないわ」

 

 日本人俳優のブロードウェイ進出。これまで日本人俳優がハリウッド映画に出演したことは何度かあったが、ブロードウェイに日本人の俳優が出演したという前例はない。

 

 「・・・無謀ですか・・・」

 

 それどころかブラウン管(テレビドラマ)スクリーン(映画)を戦場としていた早乙女は役者として舞台の上に立った経験は一度もなく、彼の実力を持ってしてもそれはあまりに無謀とも言える挑戦である。

 

 「もちろんアメリカで活動することの大変さは十分に承知しています。この国では知らない人はいないであろうボクですら、向こうからしてみれば“言語やしきたりの通じない極東の島国から来た異邦人(イエローモンキー)”に過ぎないでしょうから」

 

 一呼吸を置くと早乙女はだらっとした姿勢を正し、少しばかり前かがみのような姿勢でアリサの眼を真っ直ぐに見つめる。しかしながらこの男はどんな姿勢で座ろうとも、雑誌の表紙のように様になってしまう。そんな様子の“弟分”を、アリサは何とも言えないような表情で眺める。

 

 「・・・それでも、一度だけでも“世界”というものを見て自分の実力を確かめてみたいんです。役者として更なる一歩を踏み出すために」

 

 日系ですらない、英語もロクに喋れないであろう島国の異邦人には端役はおろか、相手にすらもしてくれないかもしれない。そんな普通に生活をするにも一苦労することは避けられないであろう世界に無謀と言われようと飛び込んでいく理由はたった1つだ。

 

 「・・・ひとまずあなたの心構えはよく分かったわ。でも敢えて言わせてもらうけど、私はあなたがこれまで築いてきた栄光(モノ)を全て捨ててまで、“異国”に拘る理由が理解できない」

 

 恐らく何を言ったところで目の前にいるこの男は、“愚かな選択”へと一直線に進んでいくことだろう。私を捉えて離さない何一つ“濁りのない”野心に満ちたその眼が、全てを物語っている。

 

 それらを全て理解した上で、アリサは早乙女に問いかける。

 

 「・・・日本じゃ駄目なの?・・・雅臣?

 

 早乙女を真っ直ぐに見つめるエメラルドグリーンの瞳がほんの僅かだけ揺ぐと、アリサを囲っていた冷淡な空気が一瞬で消え去った。

 

 「・・・どうやら芝居ではないようですね・・・」

 

 今、僕の前にいるのは芸能事務所の社長という仮面を被っているここ最近の彼女ではなく、僕がよく知っている本来の彼女だ。愚直なまでに真っすぐで、人の痛みに誰よりも敏感で、ただただひたむきに芝居を愛していた・・・女優だった頃の星アリサ。

 

 「答えて

 

 “もう一度あなたと一緒に芝居をしたい”なんて、女優を辞めてしまった理由を知っている僕からは口が裂けても言えない。それでも僕は、女優として己の身体1つで観客全員を虜にしていたあなたの幻影を、これからも追い続けることだろう。

 

 「はい。駄目です」

 

 今の僕と全く同じ“幸せ”を追い求めていた、かつてのあなたのことを・・・

 

 「が役者として“幸せ”になるためには・・・往生際悪く“こんなところ”に留まったままでは駄目なんです」

 

 そう言い終えると早乙女は前かがみの姿勢はそのままに、アリサへ向ける視線を更に強めていく。

 

 「ところでアリサさんは・・・5年前に撮影した“あの映画”のことは、覚えていますか?」

 

 そんな早乙女にアリサは姿勢を全く崩すことなく、再び“スターズの社長”として彼の言葉に淡々とした口調で答える。

 

 「えぇ、覚えているわ。織戸先生の『ふたつ』・・・雅臣と共演したのは、あの時が最初だったわね」

 

 今から6年前に初主演のドラマで才能の片鱗を開花させた早乙女は、星アリサ主演の映画『ふたつ』のオーディションでアリサ演じる主人公の相手役を射止め、この映画で2度目の日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞したアリサと共に自身も日本アカデミー賞・新人賞及び優秀助演男優賞やブルーリボン賞・新人賞を始めとした数々の賞に輝き、単なる“アイドル俳優”から大衆を魅了するスター性と確かな演技力を併せ持つ“実力派”として世間からも業界内からも認められるようになった。

 

 「では・・・撮影に入る前、お互いに5日間ほどスケジュールを空けて京都の古民家を借り2人きりで役作りをしたことも、覚えてますよね?」

 「当たり前でしょ。忘れようにも忘れられないわよ・・・あの5日間は」

 

 

 

 “織戸イズム”と称される独特かつ強烈な作家性で日本の映画界に衝撃を与え続けてきたヌーヴェルヴァーグ世代の鬼才・織戸幸比古(おりどゆきひこ)が10年もの構想を経て製作した大作映画であると共に、国民的人気女優と新進気鋭の若手イケメン俳優二人による体当たりの演技や舞台俳優、そしてシンガーソングライターとしてカリスマ的な支持を集める乾由高(いぬいゆたか)がこの映画のために書き下ろした主題歌などが大きな話題を呼んだ映画、『ふたつ』。

 

 その撮影に入る1週間ほど前、早乙女とアリサは映画の舞台となる京都で古民家を借り、そこで5日間に渡って役作りを兼ねた同居生活をしていた。映画の中の登場人物と同じように同じ食卓で同じご飯を食べて、隣同士で布団を並べて眠りにつく生活。

 

 この5日間、居間でちゃぶ台越しに2人きりで台本を読みながら真面目に意見を言い合うような日もあれば、役や仕事のことは全て忘れて観光(リフレッシュ)に費やす日もあったが、それらは結果的に2人の中に自然な距離感をもたらし、起用した演者を表向きには滅多に褒めないことで知られていた監督の織戸からも“『女と男がそこにいた』”と堂々と太鼓判を押すほどの自他共に認める会心の演技に繋がった。

 

 そして2人で過ごしたこの5日間を通じて同じ事務所の“先輩と後輩”は、栄光を手にしてもなお役者としての幸せを追い求め続けることを誓う“姉弟”となった。

 

 

 

 「確か4日目の夜のことだったと思います・・・隣の布団で横になったアリサさんは“ある言葉”を僕にかけてくれましたよね?」

 

 目の前に座るアリサのことなどお構いなしのように、早乙女は話を続けようとする。

 

 

 

 “『カットがかかるまでの、幕が降りるまでのその僅かな時間だけ、他人の人生を生きる。時に国境も時代も世界すらも超えた別人を体験する・・・そういう常軌を逸した喜びに魅せられた人間が役者だと、私は思う』”

 

 

 

 「・・・だったかしら?」

 「流石です。一字一句狂いもないですよ、アリサさん」

 

 話を続けようとした早乙女を遮るように、アリサは “ある言葉”をあの時と同じような静かなトーンで口にした。

 

 「あの夜にアリサさんから言われた言葉を忘れたことは、一日足りともありません」

 

 それは、 “「役者って何ですか?」”と隣の布団で自分と同じように横になって天井を眺めていた“弟分”から聞かれた正解のない質問に対する1つの答えだった。

 

 「・・・そう・・・」

 

 すると役作りの思い出を意気揚々と語る早乙女を見つめる眼が、一気に豹変し始める。

 

 「もしも雅臣(あなた)がこの言葉を今でも糧にしているとしたら、さぞ失望していることでしょうね・・・・・・そんな常軌を逸した喜びによって壊れてしまった・・・この私を見て

 

 そして不気味なまでに意味深な笑みを浮かべ膝元においた拳を強く握りしめながら、皮肉とも自虐とも取れる言葉を早乙女にぶつける。

 

 「・・・アリサさん・・・?」

 

 

 

 今考えると“あの頃”から、女優・星アリサはもう既に壊れ始めていたのかもしれない。ただ、彼女の背中を必死で追いかけていた僕にはそんな栄光に隠された裏側など知る由もなく、僕が彼女の真相を知った時にはもう“手遅れ”だった。

 

 もしもそうなる前に誰かが彼女の異変に気付いたとしても、あの頃の彼女を止めることは果たして出来たのだろうか・・・

 

 

 

 「・・・アリサさん・・・大丈夫ですか?」

 「・・・!?」

 

 “異変”にいち早く気づいた早乙女がソファーから立ち上がりアリサの方へ歩み寄り肩に手をかけると、底知れぬ憎悪で濁り始めていた彼女の眼がパっと開き光が再び宿る。そして全身の力が抜けてうなだれていくようにしてソファーの背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。

 

 「・・・最悪・・・」

 

 早乙女の本気で心配している一声で我に返ったアリサは、声にならないくらいのか細い声で力なく呟く。

 

 「大丈夫ですか?アリサさん?」

 「・・・えぇ・・・もう大丈夫よ」

 

 胸元に手を当て、少しばかり乱れ始めていた呼吸を整え、アリサは再び姿勢を正す。

 

 「こんな無様な姿・・・・・・あなたには見せたくなかったわ」

 

 同じ役者として僕とアリサが同じ現場(作品)仕事(共演)をしたのはあの映画を含めて2作品だけだったが、一日の撮影が終わった直後の彼女は恐いくらいに神経質で近寄りがたい雰囲気を纏っていたことを僕ははっきりと覚えている。

 

 まるで芸能事務所の社長という仮面を被り、今日までの僕のような“大衆を魅了する俳優(スター)”を次々と育てようとしている、今の彼女のように。

 

 「・・・僕が言えるような義理はないですが、偶にはこうして仮面を外して思い切り自分に甘えてみるのも良いんじゃないですか?」

 

 だからふと、彼女の顔を覆う“硝子の仮面”が割れて本来のよく知る素顔が見え隠れする瞬間を見ると、僕は思わず安心する。

 

 「アリサさんは無様なんかじゃないです。そういう繊細で不器用なところも含めて、僕は初めて会った時からあなたのことをずっと尊敬しています。もちろん、これからも」

 

 この人の“心”はまだ死んでなんかいない。幸せの方向性が変わっただけで、星アリサという人間は何一つ変わっていない。これが何よりの証拠だ。

 

 「・・・そう・・・ありがとう・・・」

 

 ソファーの端に寄りかかりながら気丈に振舞う早乙女の顔を見ることなく、アリサはテーブルに置かれた辞表と書かれた白い封筒に視線を向けたまま力なく言葉を投げかける。

 

 「では、あまりこんなところで長居するのも迷惑でしょうから僕はこれにて失礼します」

 

 1人になりたいであろうアリサのことを気遣い、早乙女はそのまま足早に社長室を後にしようとする。

 

 「待って」

 

 早乙女を呼び止めたアリサは静かにソファーから立ち上がると、そのまま早乙女に向かって軽く頭を下げる。

 

 「・・・私はあなたに・・・恩を仇で返すような真似をしてしまった・・・・・・本当にごめんなさい・・・」

 

 説明足らずな懺悔の言葉に隠された意味を瞬時に理解した早乙女は、「顔を上げて下さい」とアリサを促す。

 

 「・・・確かに僕がこの事務所に存在している意義というものは大きく変わってしまったと思います。でも、そんなことは全く関係ないですよ」

 

 同じ役者同士の二人三脚でアリサと共に海堂の元から独立し、彼女と共に自分のための芝居(幸せ)を追求していく人間(役者)を集めて、己の芝居1つで日本はおろか世界をも魅了するような役者集団(プロダクション)にする。

 

 「仮にアリサさんがあのまま女優を続けていたとしても、今のように表舞台を降りていたとしても、あなたについていこうと誓った僕の気持ちは全く同じですし、この気持ちが揺らいだことは一度たりともありません」

 

 そんな大それた芝居愛に溢れる1人の名女優の夢物語は、皮肉なことに彼女が最も愛してやまなかった芝居(存在)によって幕が上がることなく終わってしまった。

 

 「だから・・・僕なんかに頭を下げないでください」

 

 こうして共に同じ幸せを追い求めていたはずの“姉弟”は、互いに真逆の幸せを追い求める“社長と所属タレント”になった。

 

 「・・・とにかく、私のほうからも打てる手は打っておくわ。あなたが今後も芸能界で不自由なく活動出来るように」

 「その必要もないですよ」

 「私はまだあなたに何一つ借りを返せていない」

 

 “でもそうやって全てを割り切ってしまえるほど、あなたは強い人間(ひと)じゃない”

 

 「お願い。私に借りを返させて

 

 それは僕だって同じだ。もう女優には戻らないと心に誓ったはずの彼女の気持ちを心の底から理解していながら、未だに女優として舞台に立っている姿を追い求めてしまう。彼女が舞台から降りた理由を知っていながら同じ舞台、同じフレームでもう一度だけ同じ役者同士で芝居がしたいと思ってしまう。

 

 “やはりあなたは舞台裏にいるより、スクリーンや壇上のど真ん中に立っている方が似合ってる

 

 「・・・アリサさんに借りを貸した覚えなんて何一つないですよ。“あの映画”の現場であなたの芝居に初めて触れて、今日までこうしてあなたの元で役者として在り続けられた。僕にとってはこれ以上の財産はないです」

 「・・・雅臣・・・」

 

 

 

 だから僕は、誰よりも尊敬している女優(あなた)の顔を覆う“硝子の仮面”を割るために、“父親(月島)”のドラマで手に入れた“自信”を“確信”へと変えてくれた“母親(あなた)”のために、かつてあなたの隣に立っていた“役者(あの人)”のように0から1を生み出せる役者になるために・・・どれだけ時間がかかろうが本当に描きたかった夢物語の幕を上げてみせると誓った。

 

 

 

 「何年先になるかは分かりませんが、必ず今より強くなって日本に戻ってきます・・・“6年間”、お世話になりました」

 

 そう言うと早乙女は弟分として背中を追い続けた“姉貴分”へ全ての思いを込めて、深々と頭を下げる。

 

 「・・・まだあなたには明日の記者会見が控えているというのに、これじゃあ別れの挨拶みたいね」

 

 頭を下げた早乙女に、アリサは少しばかり冷めた口調で言い放つ。

 

 「アハハ、バレました?」

 「ばれるも何も、スケジュールを組んだのは私よ。忘れるわけないじゃない」

 

 そう、何も早乙女とアリサがこうして面と向かって話す機会は今日が最後と言うわけではない。実際にはこれからも翌日に開く記者会見をはじめ退所に伴う諸々の手続きで何度か事務所に顔を出すことになっている。

 

 「すいません、何となくそんな感じの雰囲気でしたので」

 「全く、根は真面目なのにそうやってお調子者を演じる悪い癖は最後まで治らなかったわね」

 「はい、これが“ボク”ですから」

 

 呆れたような表情でやれやれと溜息を吐く普段通りのアリサを、早乙女はクールな笑みで見つめ返すと、

 

 「ではまた明日、会場でお会いしましょう」

 

 と言って早乙女は颯爽とした出で立ちで社長室を後にする。

 

 「雅臣」

 

 扉の取っ手に手をかけるのと同時のタイミングでアリサが呼び止め、早乙女もその声に反応するようにその場で静止した。

 

 「・・・あなたは・・・ “死なないで”・・・」

 

 静かで重い、祈りにも似た声が空間を支配し、数秒間の沈黙が2人きりの社長室を包み込む。

 

 「・・・僕なんかよりも、今は自分の心配をされた方が良いんじゃないですか?」

 

 扉の前に立ったまま振り向いた早乙女が、重苦しくなった空気をじんわりと和らげるように沈黙を破り優しく微笑むと、この前会った時と比べて明らかに膨らみ始めているアリサのお腹()へ視線を向ける。

 

 「“お腹”、順調に大きくなられているようなので」

 「・・・大きなお世話よ」

 「それじゃあ、くれぐれも体にはお気をつけて」

 

 ビジネスライクな捨て台詞を投げかけアリサに軽くウィンクをすると、早乙女は返答を待たずに今度こそ社長室の扉を開け、部屋を後にした。

 

 「・・・・・・バカじゃないの・・・・・・」

 

 

 

 美しく咲き誇る生花の命は、永遠ではない。それは私が一番よく知っている。

 




ガ●スの仮面ではありません。“硝子”の仮面です。はい。

タイトルは思いっきりオマージュというかほぼそのまんまみたいな感じなのに、内容はそこそこシリアスという・・・・・・何か、切ないですね。自分で言うのもあれですけど。

ちょっとしんみりしてしまいましたが2.5章はこれにて終幕し、次回からは波乱?の新章に突入します。

どうなっていくかは全く持ってノープランですが、1つだけ確かなことはここ2週に渡って出番のなかった主人公が登場することです・・・・・・ってそういうことじゃねぇよ。




PS.ちなみに今回、ある台詞が透明文字になってます。


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chapter 3.親子
scene.24 高円寺ラプソディー



グッバイ、親知らず




 2018年_8月7日_新宿

 

 「はい。インタビューはこれで以上になります。お疲れさまでした」

 

 16時15分、超高層ビル群の一角にそびえ立つ高級ホテルのスイートルームで行われた『hole』の独占インタビューは終わった。何だかんだでインタビュー自体は合計で1時間半ほどの時間を費やしたが、この中で実際の放送(オンエア)で使われるのはコーナーの尺を考えてせいぜい6,7分と言ったところである。

 

 「本当に今日はありがとうございました」

 

 適当に挨拶を済ませて執筆前の気晴らしに映画の1本でも鑑賞して家路につこうとインタビュー用に用意された英国調の椅子から立ち上がろうとした時、隣の椅子に座っていたリポーターの秋本瑠加(あきもとるか)に話しかけられた俺は席を立つタイミングを逃す。

 

 「いや、こちらこそありがとうございます」

 

 インタビューの為にガッツリ新作を予習してきた秋本から新作や過去作を含め根掘り葉掘り掘り下げられ、インタビューは予定時間ギリギリまで長引いた。

 

 「どうですか?久しぶりにこうやってカメラを向けられる感じは?」

 

 俳優として活動していた時期とそれに関連するような質問はNGにしていたが、ADがカメラを三脚から外すところを見計らってあざとそうに“タブー”な質問を振ってきた。

 そして秋本の一言を合図にするかのように、「回せ」というディレクターの声が微かに耳に届く。恐らくコーナーの最後あたりで使われるだろうが、別に俺にとってはどうでもいいことだ。

 

 「別に普通ですね」

 

 “使いたければ使ってみろ。どう転ぼうが、“あいつ”ならどうにかしてくれるだろう・・・”

 

 「10年ぶりぐらいにこうやって自分の姿がオンエアされることに緊張とかは感じませんでしたか?」

 「緊張は無いです。役者だった頃に十分経験しているので」

 「でも、小説家に転身してから10年の間は一度もテレビに出ませんでしたよね?」

 「それは単純に出る必要がなかっただけです。小説家なんてメディアになんか出なくとも、自分の本さえ売れれば食っていける生き物ですから」

 「じゃあ何故、今になってこうしてテレビに出ようと思ったんですか?」

 

 それにしても秋本(こいつ)は、軽薄で淡々と仕事をこなしていそうな見た目に反して意外とがっついてくる。いや、人を見た目で判断してしまうのは良くないことだが。

 

 「別に深い意味はないですよ。ただ敢えて理由を言うなら、“俺は絶対にテレビなんかで評価されたくない”って豪語していたロックバンドが年月を経て角が取れて人間的にも丸くなって、ある日の全国ネットの音楽番組にしれっと出演していたぐらいの浅はかな理由です」

 「なるほど・・・何か一周回って深いですね」

 

 少しだけ困惑気味で思いついた割には悪くない返しだろうが無論、そんな浅はかな理由で俺がこうしてメディアの取材を引き受ける訳がないし、そもそも最初からあんたのような“部外者”に話すことなど何一つない。

 

 「じゃあこの調子でいつかはドラマや映画にも」

 

 “この調子・・・か・・・”

 

 「秋本さん・・・人が生きる上での一番の幸せは何だと思う?」

 「・・・えっ?」

 

 秋本の何気ない一言でとうとう限界を迎えた憬は、無理やり質問を遮るように逆質問をして席を立ちスイートルームの出口に歩みを進める。案の定、現場の空気は一気にピリつき始めた。

 

 「幸せですか・・・?私は、自分が主役(メイン)になって何かを成し遂げることだと思っています」

 

 振り向くと場の空気を戻そうとまるで営業スマイルのような笑顔を無理に作って答える秋本が目に映った。意外と真摯に調べ上げてきたものだと思っていたが、結局は小手先(ビジネス)の中での話だった。

 

 とはいえこの世の中に文字として書かれている情報だけでは、人の心を読むことなんて絶対的に不可能な話であるのだが。

 

 「良いことを言っているつもりだろうけど、それはあくまで個人としての幸せに過ぎない。秋本さん・・・本当の幸せっていうのは・・・・・・“何も知らない”ことだよ

 

 秋本の幸せに対して自分自身にも言い聞かせるように幸せの意味を投げかける。

 

 「あの、それってどういう意味なんですか?」

 「そんなもの、俺のことを徹底的に“調べ上げてきたはず”のあんたならとっくに分かっているはずだ・・・だからそんな“初歩的”な質問なんてする必要はないし、俺がそれに答える必要もない。違うか?」

 「・・・えっ?」

 「違うのか?

 

 怒りを露にするわけでもなく、感情に蓋をしたまま憬は相手の心臓へナイフを深々と突き刺すかのように秋本を無表情のまま凝視する。

 

 「・・・いや・・・その・・・」

 

 憬から放たれる氷のように冷たい “視線”を目の当たりにした秋本は動揺のあまり頭が真っ白になり、言葉を紡ごうにも溢れ出るのは額から出る冷や汗だけだ。

 

 「ごめん。やっぱり秋本さんには難しすぎたね」

 

 そんな様子の秋本を見ながら憬は急に優しげに微笑み軽い口調で話しかけるが、彼女にはその微笑みが直前までの無表情と相まって尚更不気味に見えていた。

 

 「いや違っ」

 「今日はありがとう。お疲れ様」

 

 底知れぬ恐怖に似た感覚を振り払い何とか反論しようとした秋本の言葉を無理やり遮ると、憬は周りのスタッフに挨拶もせず収録が行われているホテルのスイートルームを出てそのままホテルを後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 小説家・夕野憬の最新作『hole』が発売された翌日の夜9時過ぎ、“一仕事”を終えた黒山は高円寺の商店街を1人で歩いていた。

 

 「すっかり大河ドラマの主演を張れるような女優になったってのに、相変わらずこんなシケたところで飲み食いしやがって」

 

 周りに聞こえないくらいの声で、黒山は待ち合わせの相手に向けた悪態をつく。その相手となる“女優”は、もう既に待ち合わせ場所となる行きつけの店の中にいるらしい。

 

 ちなみにこの時点で、黒山は約束の時間から既に25分も遅刻している。

 

 “アイツのことだ。どうせ今頃、そこら辺にいる一般人(バカ共)を巻き込んでどんちゃん騒ぎでもしてる頃だろう・・・”

 

 心の中で独白を吐きながら、黒山は特に急ぐこともなく半端に下町風情の残る商店街の外れにあるバーへと歩みを進めて行った。

 

 

 

 「オイオイ嘘だろこれで6人目だぞ」

 「マジでどうなってんのこの勝率!?」

 

 一方その頃、黒山が向かっている先のバーの店内は異様なまでの熱気で溢れかえっていた。アメリカンテイストの店内に鎮座するテーブル席のスペースを、パンツ一丁になった男たちがスマホや小型カメラを片手にバカ騒ぎをしながら占領している。

 

 「だ~から言ってんじゃん。私じゃんけんに負けたことないって」

 

 彼らの視線の先にはこれまたパンツ一丁になり片膝をつく1人の男と、指を鳴らすような仕草をしながらその男を見下ろすスラっとした体格の女。

 

 「さては何か仕込んでやがるな?そうじゃなけりゃここまで全勝無敗はあり得ねぇ」

 

 白のフレンチスリーブのパーカーと黒のスウェットパンツというシンプルなファッションながら、周りを囲む半裸の男たちが全く気にならなくなるほどのオーラが女からは放たれている。

 

 「じゃあこのままもう一回やってみる?その代わりこれで負けたらマジのマジで全裸になってもらうけど、イイ?」

 「っしゃあ!望むところだァ!おせちピッチャーの底力見せてやんよォ!!」

 「行けぇマコト!」

 「Foo!!」

 

 その女に向けて、東京を拠点に活動をする新進気鋭の6人組ユーチューバーグループ『おせちピッチャー』のリーダーであるマコトという男が宣戦布告の雄叫びを上げると、野次馬と化した5人の仲間たちもそれに続いて野太い声援を2人で送る。

 

 「今をときめく人気ユーチューバーの全裸かぁ・・・外野の5人はクソほどどうでもいいけど・・・君は少しばかり骨がありそうだから1ミリぐらいなら期待していいかも」

 「えぇっマジで!?滅茶苦茶嬉しいっス!・・・じゃあ、もしこれで俺がじゃんけんに勝ったら・・・またコラボしてもらってイイっスか!?」

 「もちろんいいよ。ただし負けたらカメラの前で裸踊りね」

 「ハイもう全然いいっスよ!」

 

 店である男を待っていたところに偶然居合わせた登録者数123万人の人気ユーチューバー軍団の熱気など全くもろともせず、ほろ酔いの女は奔放な態度を崩さない。

 

 「さてお遊びはここまでだ・・・このマコト・・・再来年の大河ドラマの主演にして日本を代表する大女優、環蓮さんにじゃんけんで勝つという世紀の瞬間を、視聴者の皆さんにお届けして参りやしょう」

 

 その女の名前は、環蓮(たまきれん)。つい先日、再来年に放送される大河ドラマ『キネマのうた』の主演になることが発表された、芸能人好感度ランキング例年1位の言わずと知れた日本を代表する国民的人気(トップ)女優である。

 

 「最初はグー!」「最初はグー」

 「じゃんけんっ!」「じゃんけん」

 

 

 

 「よォ、3年振りだな

 

 行きつけのバーで開催されていた野球拳大会、もとい人気ユーチューバーによる企画の撮影現場に待ち合わせの時刻から30分遅れで黒山が着くと、佳境に差し掛かっていた野球拳は中断となった。

 

 「遅いよ墨字君、何分待たせんの?」

 「悪い、少しばかり取り込んでてな・・・ってお前こそ何してんだよ?」

 「野球拳。墨字君もやる?」

 「やらねぇよ、てかお前以外全員パンイチじゃねぇか」

 

 突如店に入って来た顎に無精ひげを生やした男を知らない『おせちピッチャー』のメンバーは、全員揃って“あんた誰?”と言わんばかりの視線を黒山へ送る。

 

 「ちょっと環さん?誰スかこのヒゲ男?」

 「あぁ、このオジサンは私の“昔の男”だよ」

 「誤解を招く言い方をすんじゃねぇ!」

 

 環のわざとらしい紹介に、黒山のツッコミが冴えわたる。

 

 「えっマジで!?てことは環さんの元カレっスか?!」

 「違げぇよ!(コイツ)とは二十歳(はたち)ん時に俺が撮った自主制に演者で使ってからのただの知り合いってだけだ」

 「演者・・・ってことはこのオッサン映画監督なんスか!?」

 「そーだよ、このオジサンは黒山墨字っていうカンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの世界三大映画祭で賞を獲ってる凄い人なんだよ」

 「俺の経歴を安売りすんな環」

 「マジスか!?いやめっちゃくちゃ凄いじゃないスか!?」

 「オッサン半端ないって!」

 「もしよろしければ次の映画で俺たちを使ってくれませんか!?100万出すんで!」

 「ヨッ!世界のクロヤマ!!」

 「オイ環、コイツら全員殺していい?

 

 黒山墨字。世界三大映画祭で入賞した経歴を持つ世界的に非常に高い評価を得ている映画監督なのだが、一般的な知名度で言うと黒山の前にいるおせちピッチャーの方がまだ知られている程度である。

 

 「ていうかお前ら誰だよ?」

 

 パンツ一丁の6人衆という異様な光景のせいで思考回路が渋滞気味ですっかり忘れていたが、俺はコイツらのことを全く知らない。身なりからして俳優仲間や芸人の可能性はゼロと言っていいだろう。

 

 ただ一つだけ気になるのは、小型の固定カメラが俺たちのいる方角に向けられているということだ。

 

 「俺たちはおせちピッチャーという名前でユーチューバーやってます。ちなみに俺はグループでリーダーをやってるマコトっス」

 

 “あぁ・・・俺の一番嫌いな人種(奴ら)だ・・・”

 

 この後リーダーに続いておせちピッチャーというヘンテコな名前の “猿軍団”が1人ずつ自己紹介してきたが、マコトというリーダー以外の名前は秒で頭から消え去った。

 

 「ユーチューバーだか猿軍団かは知らねぇが・・・お前ら肖像権ってやつは知ってるか?

 

 自己紹介を終えると、固定カメラの存在が気掛かりだった黒山が早速凄みを効かせるようにおせちピッチャーの面々へとメンチを切り、6人衆はその圧で思わず慄く。

 

 「あぁそれなら大丈夫だよ墨字君。もう事務所に許可取ってあるから」

 

 それを瞬時に察した環が、つかさず黒山のフォローに回る。

 

 「あ?マジで言ってんの?」

 「うん。脱がなきゃオーケーだって社長(ボス)も言ってたし」

 「じゃあ思いっきりアウトじゃねぇか」

 「でも私は脱いでないからセーフでしょ?」

 「そういう問題じゃねぇだろ」

 「もうそんな細かいことはどうだっていいじゃん墨字君?」

 「ホントお前は奔放なのかただの馬鹿なのか分からねぇな」

 「すげぇ~映画監督と人気女優の夫婦漫才だ」

 「オイ撮るな殺すぞ

 

 世界三大映画祭で賞を獲った映画監督と大河の主演が決まったトップ女優による貴重すぎる“夫婦漫才”に野次と化した6人衆は思わずざわつくが、

 

 「てことでとりあえず用のある“お客さん”が来ちゃったから今日はもうお開きで」

 

 環は黒山との約束のため6人衆との野球拳を無理やり終わらせる。

 

 「えぇ~まだ環さんとの野球拳も締めの画も撮り終わってないっスよ!」

 

 だが人気ユーチューバーとしてのプライドが働いたのか、リーダーのマコトが環にしつこく食い下がろうとする。

 

 「ごめん、どうしてもこのオジサンと話したいことがあるからさ、適当に店の外にでも行って勝手に締めといて」

 「で?その間に環さんはクロヤマさんとよりを戻すんスか?」

 「環、やっぱコイツら全員殺しとくわ

 

 結局おせちピッチャーを交えた野球拳という名の動画撮影はこのままお開きとなり、6人衆は黒山から恫喝まがいの説得を受けてたまらずそそくさと撤収し、肝心の動画の方も後日、再度事務所からチェックが入った挙句にNGを食らってしまいお蔵入りとなってしまった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「さて、“邪魔者”が帰って“主役”も登場したことだし二次会を始めますか。店は同じだし面子も総とっかえだけど」

 「主役とか二次会とか知らねぇよ」

 「あと今日は全部墨字君の奢りね」

 「は?何でだよ?お前の方がよっぽど稼いでんだろうが」

 「30分も“女”を待たせたクズ野郎はどこのどいつ?」

 「あ?女なんていたかここに?」

 「殺されたいのかな墨字君?

 

 撮影終了後から10分、黒山と環はテーブル席からカウンター席に隣同士で座る。2人の手元にはそれぞれが注文したカクテルが置かれている。

 

 「では・・・墨字君との3年ぶりの再会とあさっての誕生日を祝して・・・」

 「・・・チッ」

 

 ほろ酔いのまま少しばかり妖艶そうに笑う美女に向けた諦めの感情が入り交じる舌打ちを合図に、黒山と環はグラスを当て2人きりの“二次会”は始まった。

 

 

 

 「・・・んで?結局さっきのチンパンジーもどきの連中は何だったんだ?」

 

 二次会は開始早々、遅刻をした黒山の愚痴から始まった。

 

 「おせちピッチャー。なんか中高生から凄い人気があるユーチューバーらしいよ」

 「今のご時世だとあんなのでも人気になれんのか。所詮は誰かがやってるようなネタを面白おかしくパクって運よく飯が食えてる程度のガキにしか見えねぇけど」

 「アレ?もしかして妬いちゃってる?」

 「ア?なわけねぇだろ」

 

 ユーチューバーというものに決して偏見を持っている訳ではないが、カメラさえ持てば誰でもクリエイターになれてしまうようなご時世と、登録者や再生回数を優先するあまり似たような連中が次々と量産されていく風潮は、はっきり言って反吐が出るほど嫌いだ。

 

 だから俺は、そのような覚悟のない奴らのことをどうも好意的に見ることが出来ない。

 

 「しかも登録者数聞いたら123万人いるってさ。私も内心驚いちゃったよ」

 「そんなにいんのかよ?あんな奴らにか?」

 「あの子たちをバカにするつもりじゃないけど、ああいうやつが流行るような最近のトレンドは私には分かんないよ」

 「自主制を撮った時はまだ高3のガキだったお前もじきに33だからな。年を食えば流行りに疎くなるのも無理はねぇよ」

 「ずっと流行りとは無縁のヤミ監督には言われたくないな~」

 「誰がヤミ監督だやんのか?」

 

 あいつらがどういう動画を撮って発信しているのかはあの雰囲気だけで大抵は察することが出来る。身体を張るなり無茶苦茶な企画ものばかりをやっているのだろうが、少なくとも俺がこれまで撮ってきたものとは比較にすらならないくらい生温い。

 

 それでも120万もの人を集めるということは、それなりの需要とそれに答えられるだけの技量はあるということだ。ただただ人気者の二番煎じをやっている程度じゃ、あれだけのフォロワーは集めることはできないからだ。

 

 「でもリーダーのマコトって奴か・・・アイツだけは少しだけ覚悟が据わっていたな」

 

 恐らくそれは、マコトという奴の存在が何より大きいことだろう。

 

 人を食って掛かるようなナメ腐った態度こそ変わらなかったが、俺が映画監督だと知った瞬間に俺のことを見つめる眼が明らかに“変わっていた”。

 

 「さすが墨字君。世界三大映画祭の“三冠王”は伊達じゃないね」

 「野球みたいな例え方すんじゃねぇよ」

 「じゃあ千里眼?」

 「俺はエスパーか」

 

 これでも俺は、18の時から今日まで映像一筋で何とか飯を食ってきた身だ。ホンモノと言われる先人たちと時には商売敵も同然にしのぎを削って来た俺は、そんな連中が秘めている眼というものを知っている。

 

 それがなぜあんな没個性的な真似事をやっているのかまでは俺には分からない。何らかのきっかけで挫折して諦めたのか、あるいはまた別の理由なのか。

 

 「まぁいずれにせよ、俺には関係ねぇ話だけどな」

 

 捨て台詞のように言葉を吐き、黒山は手元に置いたアイスブレーカーを口へ運ぼうとする。

 

 「そんな“千里眼”を持っている墨字君が女子高生を連れ回して何か良からぬことを企んでるっていう噂を耳にしたんだけど、そこんとこどうなの?」

 「・・・!?」

 

 環からいきなり核心を突くようなことを言われ口元にグラスがついた瞬間、黒山の手が思わず止まる。

 

 「・・・まさかこの話をするためだけにわざわざ俺を呼び出したのか?」

 「言っておくけど墨字君が思っている以上にその話はもう巷じゃ広まってるからね?」

 

 そう言いながら環は隣の席でグラスを手にしたまま静止している黒山の肩に手をかけ、

 

 「隠し事はなしだよ、“監督”さん

 

 と、耳元で囁く。

 

 「・・・それをお前に話して何になるってんだ?」

 「知りたいんだよ。墨字君が惚れた新しい女優(オンナ)をさ」

 「てめぇには関係のない話だ」

 

 話を無理やり遮るように黒山は手に持ったアイスブレーカーを一気に飲み干すと環の手を振り払い、財布から一万円札を2枚出してやや乱雑にテーブルに置く。

 

 「釣りは要らねぇ。悪いが俺はもう帰るぞ」

 

 そして黒山はそのまま席を立ち、一直線にバーの出口へと歩みを進める。

 

 「墨字君のことは天知君から全部聞いてるよ

 

 語気を強めた環の言葉が耳に入り、何かを察した黒山は歩みを止めて振り返る。

 

 「“私にだけ”秘密にするって・・・ズルくない?

 

 程よく酔いの回った顔で口角を上げて環は微笑むが、黒山を見据えるその目は全く笑っていない。

 

 “・・・こりゃあ、ハッタリじゃなさそうだな・・・”

 

 「・・・大した話じゃねぇよ。ただの映画監督が役者を育ててる。それだけのことだ」

 

 取りあえず環には差し支えない範囲で本当のことを話した方がいいと直感した黒山は、渋々と重い口を開く。

 

 「・・・その割にはたった1人のためだけによく分からない芸能事務所みたいなものまで立ち上げちゃってさ・・・天知君の話を聞く限り墨字君は相当その女の子に惚れてるみたいじゃん?」

 「惚れてねぇ役者の“演出”なんて俺はしねぇからな」

 

 先ほどとは打って変わって開き直った態度で答える黒山に、環は更なる揺さぶりをかける。

 

 「ふ~ん・・・じゃあ墨字君と初めて会った時のと今の墨字君の“お気に入り”・・・どっちの方が女優(役者)として勝ってる?」

 「そんなの決められるわけねぇだろ」

 「嘘はダメだよ墨字君。だってあの時の私なんて君の理想には遠く及ばなかったんだから」

 「いい歳こいて子供(ガキ)じみた嫉妬をすんのは見苦しいぞ、環」

 「それは墨字君だって同じじゃない?あんな訳の分からないユーチューバー如きにあそこまで熱くなっちゃってさ」

 「あのな環」

 「ちゃんと答えるまで今日は絶対に帰さないよ、墨字君

 

 言い返す隙も与えないように、環は間を空けずに笑みを浮かべながら俺を煽り立てる。

 

 最終手段として一瞬の隙をついて逃走を図ったとしてもカリの師範資格を持ち、刑事ドラマでは息も切らさず華麗なアクションをこなすようなコイツの身体能力を考えれば俺が捕まるのは時間の問題だろう。

 

 「・・・ったく、お前って奴は会うたびに可愛げが無くなっていくな」

 「そういう墨字君も、会うたびに“師匠”っぽくなってきてる。良くも悪くもね」

 「 “あの人”は師匠なんかじゃねぇよ」

 

 “あの人”の下についてひたすらカメラを回していた頃は1人の女の美しさを描くだけで精一杯だったが、気力と体力だけは有り余っていた。だが、流石に30半ばになった今は以前より身体が少しばかり動かなくなり始めている。よほど普段の生活に気を遣わない限り、人間というものは30を過ぎた辺りから少なからず衰えは進行していくものだ。特に俺のように不摂生を体現するような生活をしていれば、それは尚更だ。

 

 だがそんな寿命と引き換えに俺は、ようやく本当の意味で撮らなければいけない映画が見えるようになった。

 

 「・・・今日、同じようなことをあの“ジジイ”からも言われたよ」

 

 油断からなのか、ここで黒山は重大な“ヒント”をつい口走ってしまったことに気付いたが、それが言葉となって口から出てしまった以上、時すでに遅しだ。

 

 「・・・あぁ・・・巌先生のことか」

 

 案の定、環は“ジジイ”という何のヒントにもならない三文字だけで誰なのかを直ぐに言い当てる。そんなことは黒山のことをよく知っている彼女からすれば朝飯前のことだ。

 

 「じゃあ “お気に入りちゃん”の次なるステージは巌先生の舞台ってワケか・・・相変わらず墨字君の考えることは単純明快だよな~」

 「・・・チッ、これだから勘の鋭い女は嫌いなんだよ」

 「これでも私は墨字君のお気に入り“だった”からね」

 

 黒山からの返答に、環は皮肉とも嫌味とも受け取れるような言葉で仕返しをすると目の前でポケットに手を突っ込んで立つ黒山の両肩に正面から手を乗せて顔を近づける。

 

 「・・・そんなに“面白い”の?・・・彼女?」

 

 狡猾な笑みを浮かべ挑発するかのような表情で問い詰める環を見て何かを思いついた黒山は、全く同じような表情でやり返す。

 

 「あぁ・・・ “面白い”さ・・・少なくともお前の大親友だった“アイツ”と同じくらいにはな・・・」

 

 “アイツ”という言葉を耳にした瞬間、環の目がほんの一瞬だけ動揺に支配されたかのように大きく見開いたのを見て、黒山は静かにほくそ笑む。

 

 「・・・へぇー・・・」

 

 すると環からそれまでの笑みが消え失せ、店内を覆う空気が一気にズシリと重くなり始める。

 

 「それとアイツ、また本出したらしいぜ。何なら今日遅刻した詫びとしてお前に買ってやるか?」

 「いらない。そもそも私は小説なんて読まないからね」

 「そうだったな」

 

 まるでさっきまでの自分の顔を生き映すかのような表情で嘲笑う黒山を睨みながら、環はゆっくりと黒山の肩にかけた両手を下ろす。

 

 「これで満足か?・・・環?」

 「・・・ありがとう。おおよそのことは分かった」

 

 そして黒山に鋭い視線を横目で送るようにして、環は再びカウンター席に再び戻る。

 

 「・・・帰りたいなら帰っていいよ。墨字

 

 目線を合わせることもなく片手で中途半端に残ったジンフィズの入るグラスを軽く回しカウンターの奥に顔を向けたまま、環はすっかり酔いが抜けきったような冷めた口調で黒山に “『出ていけ』”と強く促す。

 

 「あぁ、是非ともそうさせてもらうぜ。生憎こっちも暇じゃないんでな」

 

 黒山もまた、そっぽを向く環には目もくれずにそのまま店の出口へと歩みを進める。

 

 「なぁ環」

 「・・・何?」

 

 出口の方に視線を向け、黒山は去り際にわざとらしく環へ声をかける。

 

 「主演・・・・・・おめでとう」

 「・・・・・・」

 

 カウンターに座ったまま無言を貫く環を尻目に黒山はそのまま店の外へと出て行くと、店内の客はとうとう彼女1人だけになった。

 

 「・・・ほんと・・・大っ嫌い・・・」

 

 そうして“昔の男”への悪態と共に力のない溜息を吐くと、環は片手にグラスを持ったままカウンターに突っ伏すようにしてうなだれた。

 

~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 「大丈夫か環ちゃん?」

 「・・・これが大丈夫に見えると思う?」

 

 うなだれている環の様子を心配したマスターが厨房の裏から出てきて、彼女を慰める。

 

 「こういう時はとりあえず飲むに限るよ。一杯だけタダにしてやるから、どう?」

 

 ニルヴァーナのTシャツを着こなすアラフィフのマスターと再来年の大河ドラマ主演が決まっている国民的人気女優の付き合いは、もう10年になる。

 

 「じゃあついでに私の“三次会”にも付き合ってくれる?」

 「あぁ、もちろんだ」

 

 そんな店のオーナーであるマスターのどこか軽いノリに、環の表情も次第に晴れていく。

 

 環にとってこの店は単なる行きつけの店ではなく、本気で芝居のことが嫌いになっていたかつての自分を救った、心の拠り所でもある。

 

 「じゃあおまかせで強いの一杯頼むわ」

 「はいよ」

 

 

 

 こうして貸し切った店でのマスターとの2人きりの三次会は、日付が回るまで続いたという。

 




親知らずの抜歯あるある・・・・・・麻酔を打つ直前が一番緊張する

本編と全く関係ありませんが、先日親知らずを抜きました。本当はあと5年は騙し騙しでしのぐ予定でいましたが、親知らずに加え隣に生えている歯が虫歯になり始めているということで、手遅れになる前に抜きました。23年間生きてきて虫歯になったことが一度もなかった僕にとっては、歯を砕いて抜くというのを想像するだけで吐き気がするほどの一大事でしたが、何とか正常な精神を保って生還することができました。

ひとまずこれで厄年の厄払いはできたと思います。表面麻酔・・・あれは本当に神です。

ということで厄介な親知らずとさよなら出来たので本日から心機一転、新章スタートです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・環蓮(たまきれん)
職業:女優
生年月日:1985年9月16日
血液型:O型
身長:162cm(中2)→ 171cm(現在)

芸能人好感度例年1位の言わずと知れた日本のトップ女優。一般人とよく飲んでいる姿がよくSNSで上がり、行きつけの店に行けば割と簡単に会える。じゃんけんがめっちゃ強い。



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scene.25 タイミング


5/15 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


 「こいつは思った以上だな」

 

 新宿の繁華街にある映画館の客席で、本郷は知り合いの監督仲間が手掛けた映画を鑑賞していた。

 

 「これがまだ15だなんて、将来が楽しみで仕方がない」

 「撮影したのはコイツが14の時だけどな」

 「別に14も15も変わらないでしょ。本当にドクさんは細けぇよな~」

 

 そして本郷の隣には“ドクさん”という、この映画を撮った張本人が座っている。エンドロールが流れ終わり、まばらになった客席で2人の映像作家は余韻に耽りながら、出演した少年の芝居を回想する。

 

 「しかし・・・あのCMの時から随分と成長してきたな」

 「なら次の映画で使うか?どうせお前、ずっとコイツのことを狙ってんだろ?」

 「そりゃあ狙うでしょ。最高の役者を使って最高の大作映画を撮ることが、俺の目標であってポリシーだから」

 

 アイボリーの照明に照らされたスクリーンに目を向けクールに問う隣の映画監督に、本郷はギラついた笑みを浮かべて言葉を返す。

 

 今から約1年前、海堂のおやっさんと上地が突然連れて来た演技経験の全くない中2の少年が魅せた衝撃の芝居。あれから1年、ちょっと見ないうちに随分とこの少年は役者らしくなったものだ。

 

 その気になれば今すぐにでも手に入れてフィルムに収めたい、1人の才能。だがそんな才能を使って最高の大作を撮るとなると、話は変わってくる。

 

 「でも“大作”を撮るには、俺もこいつもまだい」

 

 目の前のスクリーンに映る果実を摘むにはまだ早い。青い果実をかじったところで、滲み出てくるものは深みも何にもないただの苦味だけだ。

 

 加えて俺にはまだ、それを撮る為の力が足りない。もちろん、少年もだ。

 

 「ってわけで俺はもう少しくなるまで待つことにするよ、ドクさん」

 

 石の上にも三年ということわざのように、“最高の役者を使って最高の映画を撮る”ためには辛抱強く“最高の瞬間(タイミング)”を待つことも大切だ。下らない欲望に負けて青い果実に手を出したら最後、これまでの頑張りは全て無に帰す。

 

 「なぁ本郷。熟すタイミングを待つのはいいが、そのきっかけは自分自身で作っていかないと獲物は逃げていくぜ」

 

 目をギラつかせながらどこか余裕の笑みを浮かべる本郷を横目に見ながら、隣の男は生意気な後輩に忠告をする。

 

 「言われなくても分かってるよ・・・獲物を撮り逃しちまうのはもう二度と御免だからな。そのためだったら俺は何でもするさ・・・」

 

 そんな先輩に対してあんたの忠告など知らんがなと言わんばかりに、本郷は不敵に笑いながらギラついた目で隣の男を横目で凝視する。

 

 「・・・本郷、この後空いてるか?」

 「暇じゃないって言いたいところだけど、残念ながら今日は空いてる」

 「こんなところで無駄話をするのは映画に対する冒涜だ。この続きは飲みながらでも話そう」

 「えっマジで?今晩の飯奢ってくれんの??ドケチなドクさんが珍しい」

 「ぶっ飛ばすぞクソガキ

 

 誰もいなくなったスクリーンの客席から立ち上がった2人の映像作家は映画館を後にし、歌舞伎町の飲み屋街の方角へと歩みを進めて行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「君の“新作”、売り上げが絶好調なようで私は自分のことのように嬉しいですよ」

 「そりゃあ、あんな“売名行為”をすれば是が非でも あんたの“金”になるだろうからな」

 

 “僚友”が成し遂げた手柄を皮肉を交えながら祝福する芸能プロデューサーの言葉に、後部座席の隣に座る小説家は同じく皮肉を交えて彼の言葉に答える。

 

 「トレンド1位&増刷おめでとうございます、 “夕野先生”」

 「その呼び方やめろ、天知さん」

 

 8月15日。憬は天知の用意した黒のセダン(アウディ)に乗り、“もう一つの映画”に向けた会議をするため虎ノ門にオフィスを構える広告代理店へ天知と共に向かっていた。

 

 「そんな先生がこの間の収録終わりにリポーターからの質問攻めに遭い堪忍袋の緒が切れ挨拶もせず帰るとは・・・全く君といい黒山といい芸術家(アーティスト)の連中は予測不能で何をしでかすか分からない」

 

 ブランチのブックコーナーで10年ぶりのテレビ出演を果たした俺の話題はたちまちSNSを通じて拡散していき、オンエア直後にトレンドで1位を獲得するほどの注目を集め、それらを含む世間からの反響がそのまま比例するかのように新作『hole』は増刷に次ぐ増刷で、月末までには10万部に達するほどのセールスを叩き出すペースで売れている。らしい。

 

 「あの場面。結局削ってもらったのか?」

 「当たり前だろ?もしも“あの場面”が間違って放送されようものなら、今頃君は炎上の嵐だ」

 

 ちなみあの場面とはインタビュー終了後の俺と秋本のやり取りのことだが、その一部始終が実際にオンエアされることはなかった。

 

 「君のために言っておくが秋本さん、あの後ショックのあまり小一時間ほど号泣したらしい」

 「・・・そうか」

 

 天知曰く、去り際に俺がみせたという氷のように冷たい笑みに秋本はなすすべもなく立ち尽くし、やがて俺がスイートルームから出て行きその姿が見えなくなった瞬間、堰を切ったかのように彼女の目から涙が溢れ出したという。

 

 「でもご安心を。“火消し”はもう済ましてあるから、君が咎められることはない」

 

 当然このような不測の事態に備え、天知は既に打つ手は打っていることを俺は知っている。先ず俺が出演したあの番組の総合プロデューサーと秋本が所属する芸能事務所の社長はいずれも、天知の息が少なからずかかっている人間だ。つまり“鶴の一声”さえかかれば、余程のことがない限り天知の意見が通るという状態らしい。

 

 「あんたみたいな奴に借りが出来ちまったのは気に食わないけど礼を言うよ。天知さん」

 「いえいえ、今回の件に関してはお互いイーブンってことで構いませんよ。ただし、君には向こう3年は私の“歯車”として動いてもらうことになりますが・・・」

 「・・・全く、相変わらず抜かりないな・・・」

 

 重要な“歯車”から些細な“部品”に至るまで徹底的に抜かりなく配置してそれらを全て的確に手玉に取る策士ぶりもさることながら、この男の恐るべきところはそれらの計画に裏打ちされた把握しきれない程の人脈の広さだ。

 

 「さすが、“裏で芸能界を牛耳っている”と噂されるだけあるよ」

 

 あくまで噂話になるが、その人脈はマスコミを含む芸能関係全般は勿論のこと、ハリウッドを始めとした複数の大手配給会社や制作プロダクションとの強力なコネクションに加え、挙句の果てにはMHKを含むキー局の上層部にはいずれも天知の “息がかかった”人間が複数人いるという現実味の欠ける訳の分からない噂まで聞く。

 

 そうした根も葉もない噂が独り歩きし、いつしか天知は一部の人間から“裏で芸能界を牛耳っている”という噂話や、目的の為なら手段を選ばないやり方から “悪魔”と言われるようになった。

 

 「あんな与太話を君はまだ信じているのかい?」

 「そんなわけないだろ」

 

 もちろんこれらは “根も葉もない噂”にすぎず誇張されているのは言うまでもないが、少なくとも今の芸能界において隣に座るこの悪魔()の影響力は超が付くほど絶大であるということだけは紛れもない事実だ。

 

 「・・・もしも“芸能界を牛耳っている”というふざけた風の噂が本当だとしたら、私たちはこんな苦労をしないだろうさ」

 「あぁ・・・そうだな」

 「だが今回は君が重い腰と口を上げてくれたおかげで、幾分かは事が楽に進みそうだよ」

 「そうか。そいつは何よりだ」

 

 芸能プロデューサー・天知心一。中2の春休みに渋谷で偶然遭遇してから紆余曲折を経て20年が経とうとする今でも、俺は本当の彼のことをまだ知らない。

 

 「・・・君には感謝していますよ・・・私の歯車になってくれて」

 「・・・言っておくが・・・事が済んだらあんたのことは存分に利用させてもらうぞ」

 

 笑みを浮かべ隣同士で顔を合わせるも、その眼からは互いの野心が殺気となって火花を散らす。2人はあくまで“あの映画”の為にこうして手を組んではいるが、そこに仲間意識というものは存在しない。

 

 「しかし、何だかんだ手堅いと思っていた夕野が“同業者”の女の子を泣かせるとは思わなかった・・・こればかりは想定より甘く見ていた私の不届きでしたよ」

 

 そして互いに視線を再び前に戻すと、天知は再び収録の話に話題を戻す。

 

 「“火消し”が済んで一件落着したんじゃなかったのか?」

 「もちろんこの件はとっくに解決しているよ。でも君のおかげで秋本さんの事務所からは大目玉を食らいましたけどね」

 

 いくら息がかかっているとはいえ、苦情を言われるのは当然の話だ。所属するタレントが泣かされたと聞いて、それを黙って見過ごすような“親”がどこにいるというのだろうか。

 

 「そうか、悪かったな」

 「全く反省していない癖によく言うよ」

 

 そんな事態になった場合の後始末の大変さを知っている憬は気持ち程度に謝るが、一切の敬意がない謝罪に天知は一瞬で気付いて呆れ返るように言葉を返す。

 

 「・・・でも、彼女が泣いたと聞いて俺は少しだけ安心している」

 「それは一体どういう意味かい?」

 

 憬からの意味ありげな呟きに、天知は半ば呆れ気味に問いかける。

 

 「・・・“泣く”ということは、それだけ自分の実力を理解しているという表れのようなものだ。これから先の未来でどちらの選択を選んでも、その意識さえあれば彼女が道を踏み間違えることはないだろう・・・逆に最悪なのは己の未熟さを認めることが出来ずに傷つくのを過度に恐れ、他者へと責任を押し付けるようなどうしようもない奴さ。そんな弱虫にすらなれない傲慢な人間の末路は、本当に悲惨なものだよ。だから天知さんから彼女が前者だったということを聞いて・・・俺は安心しているんだ」

 

 彼女の涙は俺が言い放ったであろうあまりに初歩的で酷な逆質問によるものか、はたまたそんな“初歩的”なことに答えられなかった自分に対する自責なのか。それは本人にしか分からないが、これだけは確かだ。

 

 「・・・話は変わるが、夕野は夜凪景(よなぎけい)という女優を知っているかい?」

 

 まるで台本に書かれた台詞をそのまま独白で喋るかのような口調で持論を展開した憬に、天知は前を向いたままニヒルな笑みを浮かべて憬に夜凪景の話題を振る。

 

 「よなぎけい・・・?誰だそいつは?」

 「とぼけるな。既に黒山と接触している夕野なら分かっているはずだ」

 

 天知が唐突に夜凪の話題を振ってきた。この男のことだから、彼女に目を付けるのも時間の問題だとは思っていたが、まさかここまで早く嗅ぎつけるとは。あの黒山が自ら天知のような奴にリークすることは人間性からしてまずあり得ないが、少なくともこの男は既に夜凪のことを把握している。

 

 「・・・・・・流石、“悪魔”と言われているだけあるな」

 

 それを確信した憬は、無駄に抗わず白状するように嫌味をぶつけた。

 

 「悪魔とは随分と物騒な呼び名じゃないか、夕野」

 「“自覚”している癖によく言うわ」

 

 それよりも気になるのは、天知がどのタイミングで夜凪のことを知ったかだ。彼女はついこの間まで、スターズの面々たちと共に八重山諸島で缶詰めにされた状態でデスアイランドの撮影に挑んでいた。撮影が行われていた時点でスターズの“リポーター要員”のおかげでロケ地は白日の下に晒された状況だったとはいえ、撮影自体は厳戒態勢で行われていたということは容易に想像が出来る。

 

 現に、夜凪の存在はまだ世間はもちろん業界内でも殆ど無名に等しい状態だろう。ましてやスターズ絡みとなると、その辺りの対策も抜かりないはずだ。

 

 「・・・どうやって夜凪(彼女)のことを知った?」

 

 だがそこは何が起こるか分からないのが、芸能界という世界だ。夜凪がスターズに落とされた代わりに“別の男”に拾われていったように、俺もスターズから振るい落とされた直後に“別の男”から拾われ、役者になった。

 

 そんな漫画じみた展開が時に連続して巻き起こるのが、芸能界(あの世界)だ。

 

 「残念ながら芸能人ではなくなってしまった夕野には詳しくは言えないね」

 

 だからこうやって話を切り出し始めた天知の言う言葉は、手に取るように分かった。

 

 「ただ、特別に物好きな君の為に簡潔に話すと」

 「こういうありえないことが常日頃で巻き起こっているのが“芸能界(この世界)”だ」

 

 天知の言葉を先読みした憬が言葉を被せる。19年前、天知と同じプロデューサーの男から言われた、“魔法の言葉”。

 

 「・・・って、あんたの親父ならそう言うだろうな」

 

 その瞬間、切れ長の三白眼から一筋の血筋が翡翠色の瞳へ突き刺さるように宿る。

 

 「・・・言っておくが夕野、こう見えて私は喧嘩という非生産的なやり口は大嫌いなんだ

 

 不敵な笑みを浮かべ冷静さこそ保っているが、憬からの“仕返し”を受けた天知の眼は心の奥底で眠る感情を如実に表している。

 

 「あぁ・・・俺も喧嘩は大嫌いだ

 

 それを自らの眼で確認した憬は、心の中で静かにほくそ笑む。

 

 「まぁ、仮に私が君からの喧嘩を買って負けたとしてもありったけの賠償金を絞り取るけどね」

 「・・・そうかよ。じゃあ今回は止めておくわ」

 

 勝てば賠償金をぼられ負ければ奴隷 VS勝てば官軍負ければ賠償金GET。対戦相手は目的の為なら手段を一切選ばない。買えば買ったで読者からすればシナリオ的には盛り上がっておいしくなりそうだが、こんな先の知れた八百長試合を買って出るほど、俺は馬鹿ではない。

 

 「君が話の通じる人間で本当に助かったよ」

 

 そう言うと天知は怒りの感情の抜けた笑みで再度煽り返し、憬はそれを無言で一旦受け流して核心に迫る。

 

 「何手先まで読んでいるかは置いといて・・・夜凪を使って何をするつもりだ?」

 「それはもちろん・・・手始めとして夜凪さんには“良い話”を持ち込もうと思っているところですよ」

 「だと思ったよ」

 

 全く悪びれる素振りも見せることなく、天知は平然と夜凪を“見世物(ビジネス)”として手中に収めようとしていることをカミングアウトする。どうせこの悪魔が彼女を利用してロクでもないことを企んでいることは明白だ。

 

 「ただし、そのタイミングはもう少しだけ後にしようと考えていますが」

 「へぇ、意外だな。いつもは先手必勝の天知さんがみみっちくタイミングを待つとは」

 「どんなに輝かしい素質を持った原石と言えど、正しく光り輝かせるには正しいタイミングで磨かなければ“見世物”として破綻してしまうからね」

 

 とは言えこの“悪徳プロデューサー”の力があるかないかで、例の大作映画の完成までには最低でも5年の差が生まれることは紛れもない事実であろう。

 

 “お前もこれから地獄への道連れになるんだからな”

 

 しかし“地獄への道連れ”とは、黒山(あいつ)の割に上手いことを言ったものだ。

 

 「で?勝算はあるのか天知さん?」

 「勝算ね・・・・・・」

 

 すると天知は一呼吸を挟んで、俺の耳元でとある情報を呟く。

 

 「・・・墨字が巌先生の舞台に夜凪を売り込んだ?それは本当か?」

 「君を迎えに来る途中でご本人から電話があってね、『お前の狙ってた案件、代わりに俺がお膳立てして引き受けてやったぜ』ってご丁寧に報告してくれましたよ」

 「そうか・・・ドンマイ」

 

 俺が申し訳程度に励ましの言葉を送ると、それを天知は冷酷なまでに無感情な視線で一瞥する。恐らくこれを察するに、ビジネスチャンスとして虎視眈々と狙っていた獲物をまんまと横取りされたといったところだろうか。それはやられた側からしてみれば面白いわけがない。

 

 もちろん俺は、黒山(あいつ)が天知と比べても負けず劣らずの策士であることを知っている。

 

 「でも黒山のおかげで助かりましたよ。巌裕次郎(いわおゆうじろう)の舞台に出るとなれば、夜凪景の名が大いに知れ渡る起爆剤になり得るでしょうから」

 

 そして天知もまた、 そんな“天敵”を黙って見過ごすような平和主義者ではない。

 

 「巌先生の舞台・・・確かに口説くには最高のタイミングになるってところか」

 「順調にことが進めばそうなりますね。彼女は必ず惚れさせます」

 「今回ばかりは墨字に感謝だな、天知さん」

 「えぇ。世知辛い世の中を生き抜く為には“ギブアンドテイク”、“施されたら施し返す”・・・偶には私も黒山に感謝しなければなりませんね」

 「凄いな天知さん。説得力がまるで皆無だ」

 

 ただ今回ばかりは“一枚先”までを見越した天知の戦略勝ちと言ったところだろうか。夜凪が舞台で成功を収めれば最高の見世物として利用でき、失敗しても大損するのは劇団と大黒天だけであって自身にとってはどっちに転んでも一応金にはなるからだ。

 

 「それに今回の舞台は巌裕次郎にとって最後の公演になる。ビジネスとしてこれ以上の機会は早々ないよ」

 「最後?」

 

 だがこの舞台が巌裕次郎にとって最後の公演になるという情報は、俺も驚きを隠せなかった。

 

 「9月末に銀河劇場で打つ予定の公演を最後に、巌裕次郎は己の全てを劇団天球の未来に託すつもりでいるらしい。 “世界のイワオ”も、歳には勝てなかったみたいですよ」

 

 

 

 巌裕次郎(いわおゆうじろう)。舞台演出家として数多くの名俳優・名女優を育て上げ、半世紀にも渡って日本の演劇界をリードし続けてきた “演劇界の重鎮”である。演出を手掛けるジャンルは古典・近代劇からアングラ発祥の現代劇まで多岐に渡り、舞台演出家の第一人者として日本国内に留まらず海外からも評価されている。

 

 別名、“世界のイワオ”。また同業者や彼の元で育った役者などからは“巌先生”として親しまれている。

 

 そんな巌裕次郎も御年78歳。人によってはまだまだやれないことはない年齢ではあるが、演劇に全てを捧げ、恐らく常人の倍以上のペースで生き急いでいたであろう彼の人生を考えると、身を引くというのは致し方ないのかもしれない。

 

 というよりも、23で役者を辞めてしまったこの俺が巌裕次郎の引き際をどうこう言う権利なんて、果たしてあるのだろうか・・・

 

 

 

 「もしその話が本当だとしたら、巌先生の舞台も今度こそ見納めになるわけか・・・」

 

 ちなみに憬は、巌裕次郎の舞台に立ったことは今まで一度もない。

 

 「・・・一度だけでいいから観てみたかったよ。“巌先生”の舞台に主役として立つ君の姿を・・・」

 

 そんな憬が巌の舞台に立つ姿を想像しながら、天知は少し寂しそうな笑みを浮かべる。

 

 「・・・仕方のないことさ。“タイミング”が合わなかった」

 

 

 

 タイミングが合わなかった。言ってしまえばそういうことだ。

 

 女優・星アリサにとって最後の作品となった“あの舞台”を上演して以降、巌裕次郎はしばらくの間表舞台から姿を消し、数年の年月が経った頃に劇団天球を旗揚げする。

 

 それ以降、今まで築いてきたものを全て捨てるように同劇団の発展に専心するようになると、彼の作品に対する評価や業界内の風向きが変わり始め、巌裕次郎という演出家はすっかり“過去の人”として世間からも業界からも埋もれることになる。

 

 俺が役者として活動していた期間は、まさに彼が“周囲との関わりを絶っていた”時期だった。やがて劇団天球が軌道に乗り始めて今のような地位を確立した頃には、俺はもう役者ではなくなっていた。

 

 

 

 “『お前にはあと10年早く生まれてきて欲しかった』”

 

 

 

 「そんな君の末路を見て私は大いに勉強させてもらったよ・・・物事(アクション)を起こす上で大事なことは、1に心で2に利益とタイミングであるとね」

 

 憬のタイミングという言葉を耳にし、天知はニヒルに笑いながら憬に語りかける。

 

 「利益とタイミングは理解できるとして、まさか天知さんの口から“心が1番大事”っていう言葉が出てくるとは思わなかったわ」

 

 すると天知は脳幹を人差し指で指す。

 

 「私は何より人の心が最も大切だと考えています」

 

 人の心が分かると言いながら脳幹を指す理由はキャラ設定のようなものなのか何なのかはずっと謎だが、何となくその仕草は分厚いベールに包まれている天知心一という人間が自身の本性を垣間見せる貴重な瞬間のようだと俺は勝手に感じている。

 

 「ビジネスとはつまるところ人の心の売買だからね」

 「ずっと思ってるけど心と言って脳幹を指すのは意味あるのか?」

 「心が動かなければ金もタイミングも動かない。人の心無くしてビジネスは成立しない」

 「聞く耳持たずか」

 

 だが当の本人はその真実を意地でも一字一句言葉にすることはない。そういうところも含めて、何とも天知らしい。

 

 「・・・それにしても今日は随分と天気が良いと思わないか?」

 

 隣に座る天知の言葉で、憬は窓の外に視線を送る。ついさっきまで頭上の空をシャットアウトしていたはずの首都高の高架は消え失せ、ビルが立ち並ぶオフィス街の隙間から昼過ぎの眩い光が不規則なリズムで車内を時折照らす。

 

 「あぁ・・・そうだな」

 

 数日前まで猛威を振るっていた台風が過ぎ去った影響もあるのだろうか、確かに天知の言う通り空は清々しいくらいに晴れ渡っている。

 

 「まるで君と初めて会った時と同じ空だ」

 

 中2の春休みの渋谷。確かにあの日は今日と同じように雲一つない晴天だったような気がしなくもないが、はっきり言ってあの日の空はあんまり覚えていない。

 

 「よく覚えているな。俺はそんなこととっくに忘れたよ」

 

 そんな少しの虚しさを含ませた憬の言葉を横目で聞き入れると、天知は本当の思いを打ち明ける。

 

 「・・・あの日、君のことを見つけた私の目に狂いはなかったよ・・・

 「フッ・・・・・・冗談じゃねぇよ

 

 その思いを鼻で笑いながら、憬は前を向いたまま捨て台詞のような言葉を吐く。

 

 

 

 あの日、天知が渋谷にいなければ・・・あるいは俺たちが渋谷に行かなければ・・・スカウトに来たのが天知ではなく別の人間だったら・・・運命は変わっていたのだろうか・・・?

 

 いや、今更それを考えたところで無駄な話だ。どうあがこうと過去という運命を変えることは不可能だからだ。

 

 こうなることは、最初から決まっていた。

 

 

 

 「この辺りでよろしいでしょうか天知様?」

 「ここで良い、止めてくれ」

 

 天知からの合図で運転手はハザードを焚いて路肩に停める。ベイエリアの自宅から15分。憬と天知を乗せたアウディは製作委員会の面々との会議場所となる広告代理店の入るオフィスビルの前に着いた。

 

 「さて行きますか。“映画界の異端児”がたった一つの大作映画のために私たちへ課した宿題を終わらせるために」

 「おう」

 

 

 

 2人は左右別々のドアからそれぞれ降り、一定の距離感を保ちながら広告代理店の入る地上10階地下1階建てのオフィスビルの正面玄関の扉を潜っていった。

 




原作を読んでいた時からずうっと気になっていたことがあるんですよ。













天知Pって夏でもあの服装なんでしょうかねぇ?


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scene.26 有名人


やっぱり天知Pは、黒スーツがよく似合う


 「オイ聞いたか!?この“大中(ダイチュウ)”でついこの間月9に出たヤツがいるらしいぜ!」

 「マジ?つってもどうせ通行人Aみたいなもんだろ」

 「それがよォ、中学時代の主人公で出たらしいぜ!俺は見てねぇけどな」

 「いやいやいやそれはあり得ないって!だってあのドラマの主演は早乙女だぜ!?」

 「私知ってるよ。昨日そのドラマ見てたから」

 「うっそマジで!?えっ?誰!?」

 「2組の夕野君。クレジットに同姓同名の名前が載ってたから絶対そうだよ」

 

 第10話の放送翌日、“大中(ダイチュウ)”こと憬の通う大倉中学校では昨日放送された月9にこの学校の生徒が出演したという噂が広がっていた。

 

 「ていうかセキノって誰?」

 「アイツだよ。2組にいるなんかよく分かんねぇやつ」

 

 だがドラマに出たことや芸能事務所に入ったことを周りに秘密にしていたことや、クラスの全員から好かれていた環とは違い、クラスの中ではどちらかというと “目立たない”側にいた憬の噂は信憑性のないどこか疑心暗鬼な目で見られていた。

 

 補足をするとドラマより前に撮影したCMも1か月前から放送されているが、後ろ姿しか映っていないということもあってこの学校にいる生徒は誰一人知らない。

 

 

 

 「なぁ夕野が月9に出てたの見たか?」

 「どうせモブだろ?」

 「それが割とガッツリ出番があってさ、もうはぁ!?ってなったわ」

 

 当然それは、憬のクラスである2年2組も例外ではなかった。

 

 「マジ?だってチョット顔が良いのと“環のツレ”ってだけでなぜか周りから一目置かれちゃってるオタクっぽくて絡みづらいあの夕野だぜ?」

 「でもその癖この間の期末テスト、アイツ学年5位だったしおまけに帰宅部の分際で運動神経も滅茶苦茶良いし。やたら無駄にスペック高けぇんだよな夕野って」

 「ほんと謎だよなあいつは」

 「お、噂をすれば来たぞ」

 

 扉をくぐり2組の教室へ入った瞬間、陰口のようなテンションで俺の噂をするクラスメイトの声が耳に入ってくる。

 

 「やっぱ俺は信じらんねぇな。そんな夕野が月9に出てたなんて」

 

 HOME第10話の放送翌日、俺の周りを取り巻く環境は少しばかり変わった。もちろんそれは同じく“芸能人”である蓮とは少しかけ離れたものになったが、別にクラスの“人気者”という訳じゃなかった俺からしてみれば、これは想定していた範囲内のことだ。

 

 「なぁ、夕野って本当に昨日の月9に出たんか?」

 「出たよ、数分だけだけど」

 

 席について少しすると、クラスメイトの戸塚と鶴見が疑ってかかるように俺に話しかけてきた。

 

 「環には会えた?」

 「会えた」

 「んでどうだった?」

 「別にいつも通りだったよ。環は環のままだった」

 

 この2人は有島ほど話すことは少ないが、クラスの中では有島と共に仲良くやっている連中だ。

 

 「いいなぁ~、っていうかお前もう芸能人じゃね?」

 「まぁ一応ね、事務所入ったし」

 「うぉーカッケェ!」

 「てか芸能事務所ってどうやって入んの?」

 

 そのうちの1人の戸塚が、結構核心に迫るような疑問をぶつけてきた。

 

 「あーあれか・・・」

 

 言葉にしようとしたが、あれはどうやって説明すればいいのだろうか?少なくとも、そのまま説明していいような内容ではないのは確かだ。

 

 「詳しくは言えないけど、街歩いてたらいきなりスカウトされた」

 

 とりあえず“一般人向け”に話せる範囲は、こんな感じといったところか。

 

 「えっ?何それ怖くね?」

 「“スカウトマン”は神出鬼没だからね。俺もびっくりした」

 「いやそれスカウトってよりほぼ誘拐じゃね?」

 「まぁ・・・ある意味な」

 「うわ怖えぇ~!」

 

 ある意味ほぼ正解となる答えを鶴見から言い当てられ、内心で一瞬動揺が走る。

 

 “ていうかこんなに密集してたっけこのクラス?”

 

 そして周囲を見渡すと、気が付けば俺の席の周りには人だかりが出来ていた。

 

 どうやら俺にかけられていた疑心が確信へと変わっていったようだ。

 

 「ねぇ昨日の月9観たんだけどあれ絶対夕野君だよね?」

 「リアタイで観たけどすげぇカッコよかったぞオイ!」

 「お、おう、ありがとう」

 

 月9に出演するということがどれだけ大事(おおごと)なのか。それは蓮の前例で既に証明済みだ。流石にあいつにはまだまだ敵わないだろうが2年2組出席番号23番の環蓮(生徒)がいない今、俺はこの学校の中では唯一の“芸能人”というわけだ。

 

 「ヨッ、芸能人!」

 

 普段はあまり話さないような連中が、塊のようになって俺のところに話しかけてくる。別に悪気はないのだろうが、どう対処すればいいのかイマイチ分からずストレスが溜まっていく。

 

 「オイ夕野、せっかくだからアレやってよ」

 「・・・アレって何?」

 「美沙子!ってやつ」

 

 すると俺が教室に入ってきた時に陰口のように俺の噂を離していた日吉が俺に即興で芝居をするように催促してきた。

 

 「嫌だよ」

 

 別に悪い奴ではない。だがこいつとは見事なまでに馬が合わないから、出来ることならあまり関わりたくはないというのが俺の本音だ。

 

 「だってご本人が目の前にいるんだぜ!そりゃ観たくなるでしょ?」

 「そんなの知らねぇし、やらねぇよ」

 「頼む!一回でいいからさ!」

 

 “俺はお前のそういうところが嫌いなんだよ・・・”

 

 「おいみんな注目だ!今から“俳優・夕野憬”の一人舞台が始まるぞ!!」

 

 俺に対して環の連れその1のように思っているであろう奴が、ここぞとばかりに俺のことを棚に上げる。まるで見世物にされているような気がして、次第に腹が立ってきた。

 

 「・・・オイ」

 

 “俺が演技以外で他人に手を出したのは、この時が最初で最後だ。気が付くと俺は、“余計な発破”をかけた日吉の胸ぐらを力任せに掴んでいた・・・“

 

 というイメージを頭の中で膨らませ、俺は日吉へ殺気を送る。

 

 「いい加減にしろよ・・・・・・俺は “見世物”じゃねぇんだよ・・・」

 

 “お前はもう事務所(ウチ)の“俳優”だ。これからは自分の行動に責任を持て“

 

 本音を言うとあと一歩のところで俺は本当に日吉の胸ぐらを掴んでいるところだった。だが海堂から言われた“あの言葉”のおかげで、どうにか踏み留まることができた。これは有名人になればきっと誰もが通っていく道だ。こんなことで自分を制御出来なくなるようじゃ、役者として“蓮の隣”には立てない。

 

 「おいおい、そんなキレることはねぇだろ・・・」

 

 目の前にいる日吉は何とか強がりながらも明らかにビビっている。そこら辺のチンピラ程度は容易に振り払える程度の殺気一つで、俺にたかっている奴らは一瞬で黙り込んだ。もちろんこれは、芝居なんかではない。

 

 「うぃーす」

 

 そんなタイミングに大量の水を差すかのように、前の席に座る“あいつ”が空気も読まずに割って入って来た。

 

 「よぉ夕野、昨日のドラマ観たぜ!すげぇ演技だったなアレ!まるで別人みたいだったぜマジで!ていうかマジで別人じゃね?ってんなわけねぇかアレは夕野だもんな!」

 

 俺たちが今置かれている状況などどこ吹く風で、有島は第10話の俺の芝居をハイテンションで褒め称えながら俺の肩に手をかけてくる。

 

 「・・・・・・ってアレ?何かスゲー空気重くね?」

 

 そのおかげで映画やドラマのワンシーンだったら見せ場の1つになり得るだろう場面も、これで一気に台無しだ。まぁ、喧嘩をするのは嫌いだからこれはこれでいいのだが。

 

 「有島・・・お前は空気を読むっていう言葉を知らねぇのか?」

 

 有島のせいでカオスな状態になったクラス(2組)の空気に業を煮やした戸塚が溜まらずツッコミを入れる。

 

 「空気を読むって言葉の意味くらい俺も知ってるぜ。けど、こんな重っ苦しい空気を読みたい奴なんて、誰もいねぇだろ?」

 

 すると有島はすまし顔のような笑みで想定の斜め上を行く返答をして、場の空気はとうとう収集がつかなくなっていく。本当に有島という奴は色んな意味でこのクラスを掻き回す“ムードクラッシャー”にして、たった一言でその場の空気を変えてしまうクラスの“ムードメーカー”だ。

 

 「はいじゃあみんな席ついてー」

 

 チャイムとほぼ同時に担任の浅井が教室に入ったことにより、2年2組で巻き起こった “騒動”はひとまず収束し、あの後に日吉とも形だけとは言え和解した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「夕野君?サインしてくれない?」

 

 「おっ、“早乙女ジュニア”じゃん」

 

 帰りの挨拶が終わり教室を出ると、これまで一度も話したことはおろか顔すらも知らなかった違うクラスの女子や、学校生活で二度と関わることがなかったであろう3年生の先輩グループにも声をかけられ絡まれる。

 

 当然これらの“雑音”は基本的には無視をするに限る。変に反応してサインをしたり無茶ぶりに答えたりなんてしたら、俺は“道化(ピエロ)”も同然だ。

 

 「オイ何だよシカトかよ冷てぇな」

 「ハハハ」

 

 スルーで通り過ぎる俺を先輩グループは揶揄いながら笑うが、俺にとってはどうでもいいことだ。別に俺は有名人になりたいが為に芸能界に入って役者になったわけではないからだ。

 

 だが俺の本当の思いなど全く知らない周囲の連中は、つい昨日までは全く見向きもしなかったのにこぞって俺のことを有名人のような目で見るようになった。もちろんそんなことは、俺にとっては大したことではない。

 

 「一緒に帰ろうぜ、夕野」

 

 昇降口で上履きからスニーカーに履き替え、屋外に出ようとしたところを有島が呼び止める。

 

 「・・・別にいいけどお前の家逆方向じゃね?」

 「夕野から借りてたエピソード4のビデオを返すついでに“エピソード5”を借りようと思ってよ」

 「また“星間戦争”借りんのかよ」

 「そりゃあ4を観終わったら5を観たくなるっしょ普通?」

 「それぐらい買えよ自分で」

 「ついこの間GALF(ガルフ)の新作を買ったせいで金欠なんだよ俺。何なら1週間プレステ貸してやるからさ」

 「そもそもゲームやらねぇからいいよそういうのは」

 

 だが有島は “有名人”になった俺に、いつも通りのテンションで話しかけてくる。何を考えているのかよく分からない“天才と馬鹿は紙一重を地で行くような奴”だが、こいつとは初対面の時から妙に馬が合う。

 

 「今時ゲームどころかゲーム機すら持ってないのは夕野ぐらいだぜ?」

 「いや探せば何人かいるだろ」

 

 どんなに芸能人になって周りから遠い存在になって行こうとしても、相も変わらず1人の“ダチ”として近い距離のまま接する。

 

 「つーことでエピソード5、お借りしやす」

 「金曜までに返せよ、有島」

 

 有島からすれば別に大したことではないだろうが、俺にとってはこいつの“優しさ”が何気ない救いになっている。そんななりふり構わない有島の人間性を、俺は1人の“ダチ”として心の底から信頼している。

 

 

 

 「ところで環は元気にやってるか?」

 「元気にやってるって、親みたいなこと言うなお前」

 

 こうしてこの2,3か月は1人きりで歩いていた帰り道に、うるさいクラスメイトが加わった。

 

 「相変わらず元気だったよ。あと、ちょっとだけ頼もしくなってた」

 「頼もしいのは割と元からじゃね?」

 「いや、女優としてだよ」

 

 春休みに渋谷へ映画を観に行った時の強がりなだけの弱虫はもういなかった。

 

 「俺も負けてられないな・・・」

 

 女優には向いていないと自分で自分を責めていたあの時を乗り越えた環のことを思い返しながら、憬は独り言を呟く。

 

 「へぇ~、何か俺にはそういうのよく分かんねぇけどイイ感じじゃん。ライバルみたいでさ」

 「ライバルか・・・良いねそれ」

 

 その独り言に反応した有島からの言葉に、憬は笑みを浮かべながら言葉を返す。

 

 

 

 “私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ”

 

 “・・・役者になってくれて・・・・・・ありがとう”

 

 同じ役者、同じ芸能人。そして同じような有名人になろうとも俺たちの関係は変わることはない。ドラマの撮影終わりに蓮と交わした“宣戦布告”と、渋谷で交わした“約束”を果たした親友への感謝がそれを教えてくれた。

 

 

 

 「そういや夕野ってさ、終業式ん時に芸能界はここにいるみんなとは生きている世界が違い過ぎるって言ってたよな?」

 

 俺の左隣を歩く有島が、急に物思いに沈むように呟く。

 

 「あー・・・言ったっけそんなこと?」

 「とぼけんなよ。この俺の記憶力を侮ったら痛い目見るぜ」

 「痛い目ってなんだよそれ・・・」

 

 確かにそんなことを有島に向けて言ったことはハッキリ覚えている。もちろん有島の記憶力が高いということも俺は知っている。

 

 「・・・ごめん。確かに言ってたわ」

 

 あの時はまだ実質CM1本しか仕事をしておらず、それ以外はレッスンの日々だったから芸能界という世界に生きているという実感は殆どなかったが、あのHOME(ドラマ)を通じて芸能界(せかい)の片鱗に初めて触れ、今日のような見知らぬ人から次々と声を掛けられるという経験をして、本当の意味で世界の違いというものをほんの少しだけだが理解出来るようになった。

 

 蓮が徐々に周りから遠い存在になっていったように、俺もやがて同じようになっていく。

 

 「悪いがあの言葉、俺は絶対に嘘だと思うぜ」

 「嘘?どういうことだよ有島?」

 

 そんな俺からの疑心に、有島は堂々とした口調で俺に自論をぶつける。

 

 「“芸能人”だとか“有名人”だとか、周りの奴らが必要のねぇ余計な壁を作って変に距離をとっちまうせいで世界がおかしくなるんだよ。もちろんただ揶揄うためだけに近づいて来るような奴は論外だとして、夕野は芸能人になってから俺との関係は変わったか?」

 

 俺と同じく芸能人になった環はともかく、有島との関係は確かに俺が芸能界に入って月9に出てからも距離感は変わらず、ずっとダチのままだ。

 

 「多分変わってない」

 「だろ?」

 

 そう言い終え、有島は口角を上げて俺に向けて無駄に白い歯を見せつける。

 

 「ぶっちゃけ俺は芸能界のことなんてさっぱり分かんねぇし、きっとそっちの世界じゃ朝起きて飯食って学校にいくような俺らとは一日が違うかもしれねえ。でも俺はそんな世界にいる奴とこうやって話してるわけよ。それってつまり、お前や環がいる芸能界も俺のいるフツーの世界も全く一緒ってことじゃねぇの?」

 

 蓮が徐々に周りから遠い存在になっていったのは、周りが勝手に月9の主要キャストに選ばれたからと勝手に盛り上がり、勝手に“人気者”として祭り上げていったからだ。その結果、クラスの連中との距離は必然的に出来上がってしまった。

 

 それでも俺と有島は“有名人”と“一般人”ではなく、それぞれ“親友”、“ダチ”として蓮のことを思い続けていた。だから俺たちの距離感は、ずっと変わらないままでいられている。

 

 生きている世界が違い過ぎるのは自分たちが勝手に壁を作って分別しているだけで、本当はそこに違いなんて全くないということ。真横にいるダチに指摘されて、初めてそれに気が付いた。

 

 「有島ってさ・・・良いこと言うよな」

 「やっと分かったかお前!」

 

 白い歯を見せるように笑いながら、有島は俺の肩を叩く。本当に俺の身の回りは、食えない奴らばかりだ。

 

 「俺は待ってるぜ。いつか夕野と環が同じドラマとか映画に主役とヒロインで出るのをよ」

 

 芸能界も、学校生活も。

 

 「もちろん、1人のダチとして」

 「・・・おう・・・待ってろ」

 

 HOME第10話の放送翌日、俺の周りを取り巻く環境は大きく変わった。月9ドラマにたった“数分間”出演しただけなのに、俺は一夜にして学校中の“有名人”になった。だが有名人になれたおかげで、“ダチ”の大切さを改めて思い知った。

 

 ちなみにダチの有島がエピソード5のビデオを返しに来た金曜日、あの早乙女雅臣が突如記者会見を開きスターズ退所&渡米を発表してお茶の間をざわつかせると、俺が月9に出演したという話題は一瞬にして掻っ攫われていき、ちょうど一週間後には俺の“学校生活”は再び平穏なものに戻った。

 

 もちろんこれは、あくまで“学校生活”に限った話である。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 9月某日_高輪

 

 「以上が今回オーディションを行う“ユウト”役の応募者一覧になりますがいかがですか?」

 

 高輪の住宅街に鎮座する4階建てのマンション。その1階と2階の半分を占領するような形で、テレビドラマや映画などを手掛けている制作プロダクション『フォルティシモ』はオフィスを構えている。

 

 「思いの外集まったことはともかく、肝心なのは彼らと作品の世界観との相性がどれだけ良いかってところだ」

 

 その2階にある会議室のスペースでは、映画監督の國近独(くにちかどく)がプロデューサーやキャスティングディレクターを始めとした主要スタッフ達と共に、来年に公開が予定されている映画に向けたオーディションを兼ねたキャスティング会議を行っていた。

 

 

 「万が一この中で満足のいく役者がいなかった場合、どのようにしようと國近さんは考えていますか?」

 

 この映画のプロデューサーでありフォルティシモの代表取締役でもある坂野信仁(ばんののぶひと)が、監督の國近へ向けて少し神妙そうにプレッシャーをかけるように問いかける。

 

 「そうなった場合はもちろん仕切り直しさ。どんなにシナリオが良くても演者がそれに追いつけないとなったらどう足掻いても駄作へまっしぐらだ」

 

 そんな制作協力元のプロデューサーの圧など物ともせず、國近は憮然とした態度で言葉を返す。

 

 「悔しいが幾ら俺たち演出家(作り手)脚本(シナリオ)や撮影で頑張ったところで、作品の出来不出来はキャスティングで大方決まってしまうからな。その作り手がヘボな場合は論外だけど」

 「ならやはり私が何度も忠告していたように無名の子や新人に拘らずある程度キャリアのある15歳前後の子でも良かったのでは?今からならまだどうにか間に合わせることができます」

 「俺たちのような連中とスポンサーの板挟みを強いられる坂野さんの気持ちは、俺だって分からない訳じゃねぇ・・・でもアンタの言うような“型にはまりきってる”奴じゃ、この役はダメなんだよ」

 「しかし、最悪の事態になった場合11月からの撮影にはとてもじゃないが間に合いませんよ」

 「だったら妥協してコイツが凡退な作品で終わってもいいっていうのか?」

  

 このようにして夕方から始まったキャスティング会議は監督とプロデューサーが1対1で対立してしまうという展開が続き、難航を極めていた。

 

 「あの・・・」

 「ん?何だ山下?」

 

 そんな中、キャスティングディレクターの山下が喧嘩寸前の口論を交わす2人に水を差すように声をかける。

 

 「実はこの中で1人、個人的に思わず目に留まった子が1人いるんです」

 

 そう言うと山下は何十とあるプロフィールの中から1人の少年のものを國近に差し出す。

 

 「・・・見たことねぇな。誰だコイツは?」

 「夕野憬、14歳。つい3か月前にカイ・プロダクションからスカウトされて同事務所からデビューしたばかりの新人です」

 「カイ・プロダクション・・・“おやっさん”の事務所か・・・」

 

 おもむろに國近は、オファーを受けた際に菅生が作成した憬のプロフィールに目を配る。

 

 CMとドラマがそれぞれ一本と至ってシンプルかつ短い経歴は、他にオファーをかけた応募者の中でも際立っている。ここまでくれば初めてオーディションに挑むド新人と何ら変わらない。

 

 「ちなみに彼は出演したドラマの『HOME -ボクラのいえ-』では演出を務めている月島章人氏から直々にオファーを貰い、早乙女雅臣さんの演じる主人公の東間直樹の少年時代の役に抜擢されています」

 「ほぉ~、ド新人の割にはやるじゃねぇか」

 「彼のマネージャーである菅生という方が仰っていたので、情報に間違いはないでしょう」

 「だろうな・・・そもそもあの人は経歴を詐称する姑息な奴を雇うような人じゃねぇから」

 

 山下の説明に耳を傾け相槌を打って言葉を返しつつ、國近は憬のイメージを脳内で具現化する。

 

 身長は170cm。中2にしてはやや背丈はあるが主演の背丈も180cmほどあるから、平均身長は少しばかり上がるがひとまず絵面は及第点ってとこか。宣材写真を見る限り顔立ちは整っているが垢ぬけたような華やかさは“まだ”備わっていない。ということで見た目はひとまず合格。問題はこの夕野憬という少年がどれ程のポテンシャルを持っているかだ。あの海堂(おやっさん)が直々にスカウトして、いきなりオーディション無しで月9ドラマで主人公の少年期にヘッドハンティングされた。

 

 まるで売れない少年漫画のプロローグみたいな話だ。だが一見何の変哲もなさそうなこの宣材写真を見た瞬間、得体の知れない“衝撃”が俺の心の中を駆け巡った。

 

 「そう言えば今日は『HOME -ボクラのいえ-』の放送日ですね。運が良ければ彼の姿がテレビに映るかもしれませんよ?國近さん」

 

 プロデューサーの坂野が誘導尋問をするかのように揺さぶりをかける。

 

 「オイオイ初っ端から躓きたくないからって誘導尋問は勘弁してくれよ、坂野さん」

 

 

 

 過度な期待は禁物だが、コイツは只者ではないだろう。そんな予感がした。

 




過去と現在を行き来するのはその都度頭の中にあるスイッチを切り替えないといけないので思った以上に労力を伴います。

例えるなら銀河鉄道と羅刹女を行ったり来たりするような、そんな感覚なのでしょうか・・・ごめんなさい多分違いますね。









さて、気分転換に話題沸騰中の“あの映画”でも観に行きますか。


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scene.27 拘り


2期製作&来年放送おめ

5/15 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


 2018年_8月8日_日本橋

 

 「本当はもう少し違う形で会いたかったが、アイツのシナリオで映像を撮れることは俺としても光栄な話だ。お前の推薦している“主演女優”も申し分ない」

 「そうですか。“型にはまった”役者が大嫌いなあなたのことですから、この私としても門前払いすら覚悟しましたが、安心しました」

 「馬鹿か、あれはまだ俺がかった頃の話だ。それどころか近頃は寧ろ、そういう“型にはまった奴”を“ぐちゃぐちゃ”にしてやりたいっていう衝動の方が強くなっているくらいだしな」

 「あんまり変わっていないような気がするのは私だけでしょうか?」

 

 憬の小説が発売された日の夜、天知は出版社から特別に貰い受けた初版の『hole』を片手に、日本橋にある海鮮料理店の個室で1人の映画監督と『hole』の映画化に向けた話し合いをしていた。

 

 「とはいえ、俺のところに“ソイツ”を託すということは・・・どういう事を意味するのかは分かっているよな、天知?」

 「もちろんですよ。私は最初からそのつもりで“彼女”をあなたに紹介しているのですから」

 

 半ば脅しをかけるように凄みを効かせる監督の男に一切怯むことなく、天知はいつもの“笑み”を浮かべたまま言葉を返す。

 

 「ただそれも、“お宅の事務所”が許してくれるかどうかの話だけどな」

 「心配は要りませんよ。あなたの言っていた通りにこの映画の公開時期は2年後となると、その頃には“天使”としての需要は廃れ始め、路線変更を余儀なくされる。当然、星アリサはその部分も含めて彼女の将来を徹底的に考えておられる」

 

 そう言いながら天知は1つのA4サイズの資料を監督の男に手渡す。

 

 「・・・何だこれは?」

 「その“お宅の事務所”から特別に許可を得て調達してきたものです。もちろん門外不出ですが・・・恐らくこれを見れば彼女に対する見方も変わると思います」

 

 天知の言葉を合図に、監督の男はその資料に目を通す。

 

 「・・・人殺しの女子高生か・・・よくこんなオファーを引き受けたものだな・・・」

 

 資料の内容は、来年のGW(ゴールデンウィーク)に公開されることが予定されている映画にまつわるものだ。人を殺したことをひた隠しいつも通りの日常を送ろうとする女子高生の葛藤と苦しみを生々しく描く、宮武(みやたけ)マヲ原作のベストセラー小説『造花は笑う』の実写映画化。

 

 無論、主人公となる女子高生の役を演じるのは百城千世子である。

 

 「彼女は今まさに、“スターズの天使”としての偶像からの脱却を模索し始め、星アリサも影ながらそのことに理解を示している。さすがにスターズが水面下で企んでいる計画の全容は教えてもらえませんでしたが、この資料だけでもスターズが“天使”としての需要が終わった後のことを考えているという証明にはなります」

 

 真剣な表情で資料を読み漁り続けている監督に、天知は笑みを浮かべ核心的な一言を語りかける。

 

 「・・・國近さん。あなたは選ばれたんですよ・・・“百城千世子改造計画”の最終段階に・・・」

 「改造計画・・・ってオイ、それじゃあただのSFじゃねぇか」

 「あくまで例えの表現ですよ」

 「俺に言わせりゃその例えはセンスがねぇよ」

 

 天知からの言葉に、映画監督の國近は怪訝な表情を浮かべ静かに言い返す。

 

 「人殺しの女子高生。今の彼女にとっては想像すらつかない挑戦的な役柄であることは間違いないでしょうが、これだけではまだ足りません・・・“スターズの天使”を “女優”として完全に羽化させるには、國近さん・・・あなたの映画が必要なのです

 

 そして國近からの疑心交じりの返しに、天知は再び不敵な笑みを浮かべた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 早乙女雅臣が記者会見でスターズ退所と渡米を発表してからちょうど一週間後の金曜日、憬は新宿西口の繁華街の外れにあるレンタルスタジオへと向かっていた。

 

 “『2F 映画「ロストチャイルド」オーディション会場』”

 

 「・・・ここか」

 

 オーディション会場となるレンタルスタジオの入る雑居ビルの正面玄関の前に置かれた看板を見て、憬はその場で深く深呼吸をする。

 

 「本当に“こんなところ”でやるのか・・・」

 

 菅生から渡された地図を頼りに西口のロータリーから一直線に大通りを北の方角に歩いて10分。比較的新しめなこの雑居ビルの2階に今回のオーディション会場はあると言うが、前回とは会場のキャパシティが見るからに違い過ぎて俺は戸惑いを隠せない。

 

 “『2F 映画「ロストチャイルド」オーディション会場』”

 

 俺は念のためにもう一度正面玄関に置かれた看板に目をやるが、やはりこの場所で間違いないようだ。

 

 「まぁ、当たり前か」

 

 そんなオーディションのオファーが届いたのは、俺が直樹として出演した第10話がオンエアされた翌日、すなわち俺が校内で“有名人”になったあの日のことだった。

 

 

 

 『菅生です。おはようございます。オーディションに関するお知らせがございますので明日、本社まで来てください』

 「オーディション?」

 

 星間戦争エピソード5のビデオを受け取った有島が俺の住む部屋から出て行った直後にかかって来た、菅生からの電話。それは“次の仕事”に繋がるオーディションの話だった。

 

 『では明日の朝14時に渋谷駅の東横線改札にてお待ちしています。詳細については明日本社にて改めてお話致します』

 

 

 

 そのまた翌日、俺は給食を食べ終えると同時に学校を早退して最寄り駅の東横線へと直行し、渋谷駅の東急東横線の改札で菅生と合流。ロータリーで待機していた事務所の車に乗り込みそのままカイプロへと向かった。

 

 そして事務所に着くなり事務所内の小会議室のような部屋に通された後に海堂と合流し、俺は菅生と共に社長室へと向かった。

 

 

 

 「単刀直入に言うと、お前の素質をどうしても見てみたいという男が1人現れた」

 「それってつまり、“オファー”ってやつですか?」

 「そういうことだ。ただし菅生からの連絡があった通り、オーディション込みのオファーになるがな」

 

 応接間のテーブル越しに目の前で海堂はシリアスそうな口調でオーディションの話を始める。

 

 「菅生、説明を頼む」

 「はい」

 

 海堂からの指示で、菅生は憬にオーディションのオファーを持ち込んだ1人の監督の概要を説明する。

 

 

 

 國近独(くにちかどく)。ドキュメンタリーディレクターから監督になったという経歴を持ち、これまで映画監督として手掛けた長編作品は僅か2作品であるが、そのうちの2作目となった作品でカンヌ国際映画祭での審査員賞を始め国内外で数々の賞を受賞し、アカデミー賞では作品賞こそ逃すものの、主演を務めた女優がアカデミー賞で新人女優賞を受賞するなど業界内で一躍脚光を浴びた。

 

 國近の手掛ける作品はドキュメンタリーディレクター出身ならではのリアリティーが全面に押し出された斬新かつ革新的な演出が特徴で、特に演技面に関しては“型にはまらない”自然体の芝居をモットーとしておりその場に応じて脚本や演出を変える、演者が台詞を噛んでしまった場面をそのままシーンとして使うなど作品における“リアル”さの部分に対して非常に強い拘りを持っているという。

 

 彼の名前はどちらかというと批評面で取り上げられることが多く、監督としては俗に言う“鬼才”の部類であり一般的な知名度という点ではみんなが知っていると言えるほどではないが、映画通の中では知らない人はいないほど名前は知られており、今や彼は34歳の若さにして業界内では日本映画界の未来を担うホープの1人として期待されている。

 

 そんな監督が手掛ける3作目の長編映画のオーディションのオファーを、俺は直々に貰った。しかも、書類審査と一次審査をパスしていきなり最終審査からという“オマケ”付きだ。

 

 

 

 「よく知らねぇって顔してるな、夕野」

 「えっ?」

 

 菅生の説明に相槌を打つ俺に向けて、海堂が突然ピシャリとした口調で言い放つ。

 

 「本当のことを言ってみろ。怒らねぇから」

 

 怒らねぇと言われても、オールバックのグラサンに貫録ありまくりのバリトンボイスでは説得力などは皆無だ。

 

 「本当に怒らないですか?」

 「当たり前だろ。俺は嘘を吐くような奴が反吐が出るほど嫌いだからな」

 

 嘘吐きが嫌いなのはともかく白状しないとマジで怒られる気がした俺は、素直に白状した。

 

 「・・・これまで俺は映画の内容と演者にばかり注目していて、カメラがどうだとか演出には全く見向きもしてませんでした」

 

 確かに俺はこれまでに母親と共に何度か映画を観に行ったことがあるが、それはあくまで星アリサを観たいが為だった。事実、星アリサが引退してから映画館に足を運んだのは、『1999』の時だけだ。

 

 「だから、それぞれの監督の違いというのが、俺にはまだよくわからないです」

 

 もちろん母親がコレクションとして置いている映画のビデオやドラマを普段から見ていたおかげで、知識自体はそこら辺の連中よりは幾分か持ち合わせているつもりだ。だが俺はその映画の監督が一体誰なのか、撮影や演出をする上でどこに拘りを持っているのかといったところには、全く持って関心がなかった。

 

 「・・・そうか」

 

 海堂は俺に視線を向けたままそう言うと、サングラス越しに物思いに沈み始める。

 

 “・・・ヤバいな・・・完全に怒らせたか?”

 

 隣に座る菅生に聞こうにも、海堂から滲み出る重苦しい空気のせいで言葉が出ない。よくよく考えてみれば、オーディションをしてくれる監督に向けて“「あなたの作品はよく分かりません」”なんて言おうものなら、一発退場(レッドカード)もいいところだろう。

 

 “あぁ・・・これは今度こそ蹴り飛ばされる・・・”

 

 脳内で蘇る、上地へ放った渾身の一撃。

 

 「ちょっと待ってろ」

 

 沈黙を始めてから約10秒、海堂が重い口を開くと突如更に奥の方にある部屋へと入って行き、30秒ほどすると片手に無地の白い手持ち袋を持って部屋から戻って来た。

 

 「お前への“プレゼント”だ。この前のドラマの件で少なからず迷惑をかけただろうからな」

 

 そう言うと海堂は俺に“プレゼント”の入っている手持ち袋を渡す。

 

 サングラスをかけているため海堂の目はよく見えないが、どうやら最悪の事態は回避できたらしい。

 

 「中を見てもいいですか?」

 

 そして俺は海堂に許可を得て袋の中身を確認する。

 

 「・・・これは?」

 「宿題(プレゼント)だ。次の仕事に繋がるであろうな」

 

 袋の中に入っていたのは、一本のある映画のビデオだった。 

 

 「夕野。最終審査は来週の金曜に行われる。お前に課されたタイムリミットは10日だ。それまでにお前なりに出来得る限り“映画”というものに触れ、“映画監督”とはどういうものであるのかを自分の中に叩き込んでおけ・・・」

 

 

 

 「・・・行くか」

 

 オーディションの看板に目をやり呼吸を整え、憬は2階にあるスタジオへと歩みを進めていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「こういう場に足を踏み入れるのは何年ぶりかい?」

 「何年も何も、役者だった頃も含めて一度もないわ」

 「あはは、言われてみればそうでしたね」

 「全部知ってる癖にぬかしやがって」

 

 虎ノ門の一角にそびえ立つ地上10階地下1階建てのオフィスビル。このビルの9階と10階に、天知がプロデュース業の一環として経営している広告代理店『天空』はオフィスを構えている。

 

 「まさか天知さんがプロデュース業の傍らでこんな会社を立ち上げていたとは」

 「どんな芸術作品も“スポンサー”がいなければ“金”にはならないからね」

 「言われてみれば、ある意味あんた自体が“歩く広告”みたいなものだからな」

 「それはどうも」

 「褒めてはいないけどな」

 

 その10階にある程よく冷房の効いた会議室で憬と天知は間に1つ席を空けた隣同士で座り、企画書を長机に置いてある男を含む複数人の面々が扉を開けに来るのを待っていた。

 

 「・・・しかし今回のキャスティング、よくあの“ドクさん”が飲んでくれたな・・・」

 「監督がOKを出しただけでまだ確定ではないけどね」

 「あぁ、分かってる」

 

 この後に行われる製作委員会を交えた会議を前に現時点で決定していることは、映画『hole』の脚本は原作者でもある憬が自ら担当することになり、憬は監督と共に映画のシナリオに関して絶対的な権限を持っているということと、キャスティングの権限は監督と天知が握っているという2点だ。

 

 もちろんこれらは全て、例の大作映画に向けて憬と天知で考え抜いた物事が有利に進むための配置である。

 

 「一昔前だったらまずあり得なかっただろう」

 

 そして今回の映画で天知が主演(ヒロイン)の候補として名前を挙げて来たのは、あの“スターズの天使”だった。

 

 「あり得ないどころか、『“型にはまった”奴を“ぐちゃぐちゃ”にしてやりたい』と言って快く承諾してくれましたよ」

 「フッ、相変わらず言ってることがえげつないな」

 

 “スターズの天使”と称され、もはや“百城千世子”という存在そのものが1つのブランドと化している彼女の芝居は、良い意味ではその場の観客を虜にし、悪い意味ではあまりに綺麗すぎて感情移入が出来ず、余韻が残らない。当然それらを全てひっくるめて“百城千世子”という唯一無二の存在は成立しているのだが。

 

 そんな偶像という名の“虚像”によって塗り固められた“型にはまった”芝居を何よりも嫌うのが、國近独という映画監督である。

 

 「でも本当に承諾したのかドクさんは?まさかここまで来てドタキャンはないだろうな?」

 「大丈夫だ問題はない」

 「ほんとかよ」

 

 はっきり言って、そんな2人の“相性”は最悪の部類と言っていいだろう。だから俺は天知の言う快く承諾したという言葉が妙に引っかかった。

 

 「ただ当然あの人に“百城千世子をあなたの映画で是非とも使ってみるのはいかがでしょうか”と普通に言ったところで意見が通らないのはとっくに分かり切っていましたから、私なりに“お膳立て”の限りを尽くしました」

 

 そう言うと天知は気疲れしたことをアピールするかのようにわざとらしい溜息を吐くと、ある資料を俺に見せつける。

 

 「これは?」

 「この日の為に私がアリサさんの元から調達したサプライズです。ただしこれのせいで1ヶ月分の移動費が一瞬にして塵になりましたけどね」

 

 しかもその資料は1冊だけでなく、この後の会議に参加する面々と同程度の量があるということはケースの中に身を隠すように置かれた段を見ると明らかだった。

 

 「あの“スターズ”からこんだけ調達すれば金は取られるか」

 「どっかの黒山(誰か)さんはこの私のことを“守銭奴”と蔑んでいるが、私からしてみれば星アリサ(あの人)の方が余程の守銭奴だよ」

 「取りあえずあんたがそれを言う資格はないと思うぞ」

 

 馬鹿みたいなやり取りをしつつ、恐らく本当に結構な額を支払った末に入手したであろう天知の用意した“極秘資料”に俺は目を通す。

 

 「『造花は笑う』・・・宮武先生の小説の実写化か。これがどうかしたのか?」

 「キャスティングを見てみろ」

 

 天知の言うがままに、俺は資料に書かれたキャスティングに目をやる。

 

 「・・・まさか百城千世子がこんな役を演じるとは・・・」

 

 原作小説の内容を既に知っている俺にとって、この配役は中々に衝撃的なものだった。人を殺したことを隠して友人と変わらぬ日常を送る女子高生。こんな複雑かつ生々しい心情を抱え込んだ役柄(キャラクター)を、果たして彼女はどのように演じ切るつもりなのだろうか。

 

 “アイツがあのまま“ただの天使”として消費されることは間違ってんだよ“

 

 資料を読んで俺が感じたことは、彼女が“スターズの天使”としての“消費期限”を迎えた後の道を模索しているということだ。

 

 「・・・俺たちはまだ、綺麗に彩られた “天使”の表面しか知らないのだろうな」

 

 資料に目を向けたまま思い耽るように呟く憬を横目に、天知は笑う。

 

 「天使と悪魔は呼び名が違うだけという話があるくらいだからね・・・そして稀に、その領域すら軽々しく超えていくような“怪物(人間)”もいることは君なら知っているはずだ・・・」

 「・・・あぁ。確かにいるさ・・・今も昔も変わらず・・・」

 

 1つだけ席を間に挟んで隣同士で目を合わせることなく言葉を交わす2人の元に、複数人の群れの足音が微かに聞こえ始めた。

 

 

 

 「すいません。お待たせしまして」

 「いえ、お時間を頂きありがとうございます」

 「お会いできて光栄です。夕野先生」

 「どうも」

 

 開始時刻の約10分前、出版社や商社、映画会社の面々で構成されたスポンサーとなる製作委員会の面々が到着し、各々の席に座る。

 

 「そう言えば國近監督の姿がまだありませんね」

 

 しかしこの映画を撮る張本人の姿はまだ一向に現れない。そんな状況に会議室は少しずつざわめきに包まれ始めていく。

 

 それは打ち合わせの始まる1分前になっても、この状況は全く変わることはない。

 

 「あの?國近監督はまだいらっしゃらないんですか?」

 

 やがて國近のことをよく知らない商社の男がこの状況にしびれを切らして、天知に問いかける。

 

 「ご安心下さい。監督は必ず、“定時”でここへやってきます」

 

 そう言って天知はいつもの不敵な笑みで商社の代表に“真相”を教えるが、当然それは國近のことをよく知っている人間にしか伝わらない内輪話のようなもので、会議室は相変わらずざわめきだしている。

 

 だが彼のことをよく知っている人間からしてみれば、少なくともこれは挨拶と同程度の常識と化している“拘り”だ。

 

 ちなみに國近と天知が共に同じ現場で仕事をするのはこれが初めてあるが、そのことに関しては既に予習済みである。

 

 「本当に変わらないな、今も昔もドクさんは・・・」

 

 そんな男の独特な人間性を懐かしむかのように憬が小さく呟くと、その言葉を合図にするかのように再び閉ざされていた会議室の扉から“最後の1人”が姿を見せる。

 

 「お久しぶりですね。ドクさん」

 

 会議室の扉を開けた少し小柄な男に憬は軽く笑みを浮かべて近づくと、2人はその場で握手をする。

 

 「まさかこんな形で夕野と再会することになるとはなぁ、驚いたぜ」

 「俺の方こそ驚きましたよ。まさか『hole』のオファーを引き受けて頂けるとは思わなかったので」

 「恩を引き受けるのは俺の性に合わねぇが、お前には世話になったこともあるしな」

 

 そして男は全く悪びれる素振りすら見せず、会議室に入りざまに憬と握手がてら挨拶を交わし天知に無言で軽く会釈をすると、その男は憬と天知が空けていた間の椅子に何食わぬ顔で座る。

 

 

 

 國近独。彼は現場に必ず“定時”ぴったりに姿を現す。例えどんなに撮影や映画製作が難航していたとしても、その“拘り”を崩すことはない。そんな私生活のほんの些細な1ページすら“我流(マイペース)”に拘る彼の生き様がそのまま反映されたかのような作品の数々は、1人のドキュメンタリーディレクターが世界的に活躍する日本の映画監督にのし上がるサクセスストーリーとして、今日も映画史に残り続けている。

 

 そんなドキュメンタリー出身の“鬼才映画監督”と初めて会ったのは、19年前のオーディションのことだ。

 

 

 

 「さて、これは良い話です」

 

 オフィスビル10階の会議室に “役者”が一堂に揃うと、天知の常套句を合図に製作委員会を交えた会議は始まった。

 




夜&百「大好きな人へ」

夜&百「ちょっと不器用な私だけど」

夜「いっぱいいっぱいあなたを想って」

百「いっぱいいっぱい心を込めて」

夜&百「バレンタインチョコ、作りました」





さあ、あなたはどっちを受け取る?


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scene.28 最終審査


先日、週刊少年ジャンプにてあかね噺という新連載の落語漫画がスタートした訳ですが・・・・・・多分、ていうか絶対アクタージュを読んでいた読者は間違いなくハマるやつだと思います。

ちなみに僕は、表紙を見た瞬間に惚れました。


 『オイ、元気か』

 「・・・先生?」

 『何でそんなに疑心暗鬼なんだお前?』

 「いや・・・そうじゃなくて、急すぎて理解が追い付かないっていうか・・・それよりかけてくる時は名前を言ってくれないと分からないですよ」

 『稽古に休日と色々世話をしたお前なら分かると思ったんだがな』

 「逆に俺は一周回ってオレオレ詐欺かと思いましたよ」

 

 夜の10時。16の時からずっと住処にしている野方の1Kに置いてある電話機から、つい“この間”まで嫌というほど聞き馴染んでいた声が耳に入った。

 

 『久しぶりだな、剣』

 「お久しぶりですね、巌先生」

 

 1年半ぶりに電話越しで聴く、恩師の声。この人の背中を追い続けて芝居を重ねた4年間はあんなにあっという間だったというのに、“あの日”から今日までの1年半の方が俺にはよっぽど長く感じる。

 

 『國近から聞いたぞ。主演、決まったそうじゃねぇか』

 「はい。まさかこんな“不機嫌顔”の俺が映像で主演という大役を頂けるとは思いませんでした」

 

 あれから俺は自分の役者人生をさらに高みに上げるため、周囲の反対を押し切って本業(ホーム)としている舞台と並行して映像の芝居に挑戦した。だが現実はそう甘くはなく、最初は舞台と映像での芝居の違いによる戸惑いが演技にも出てしまいオーディションには何度も落ち、与えられるような役は何の印象にも残らない端役ばかりだった。

 

 おまけに俺は役者として背丈こそ恵まれているが、元来のコンプレックスでもある強面で華のない“不機嫌”な顔のせいで思うようなオファーすら来ず『お前は映像に向いていない』、『舞台(こっち)に帰ってこいよ』と先輩や同世代の役者仲間から言われたこともあった。

 

 『馬鹿野郎。役者ってのは“顔”じゃねぇ。“臭うか臭わねぇか”だろうが』

 「ハハッ、そうでしたね」

 

 それでもかつてのどうしようもない“ろくでなし”だった俺を舞台の上に役者として立たせてくれた巌先生の元で芝居を積み重ねた日々を信じ、辛抱強く自分の足でもがき続けて1年半。ついにチャンスを掴み取った。

 

 『笑い事じゃねぇぞ剣。忘れたなどとほざいたら潰すからな』

 「忘れるわけないじゃないですか。あれだけ口うるさく言われたら」

 

 カンヌで賞を獲った実績のある監督が手掛ける長編映画。そんな映画の主演に俺は選ばれた。厳密にいえば監督と先生は年の離れた“腐れ縁”だと聞くが、オーディションは一切の忖度なしで行われたから、結果的に俺は実力で主演を勝ち取ったということになる。巌先生の舞台ではありがたいことに主役として立たせてもらったことがあるが、映像作品においては初めての大役にして初めての主演だ。

 

 既にオファーの来ていた12月の舞台を蹴ってまで出ることを決めたこの映画での経験は、今後の役者人生に大いに生きてくると信じている。

 

 『・・・ったく、暫く会わないうちに随分図太くなりやがって』

 

 そんな俺が役者として誰かの背中に背負わされるだけでなく自らの足で歩けるようになったのは、巌先生の演技指導があったからだ。

 

 「当たり前ですよ。先生から竹刀で背中を突かれ、身体めがけて灰皿やパイプ椅子を投げられ続けた日々に比べれば、1年半の下積みなんて掠り傷みたいなものです」

 『阿呆(あほ)か、椅子は投げてねぇよ』

 

 

 

 “『舞台の上で死ねる覚悟のない奴は、今すぐ俺の前から消え失せろ・・・』”

 

 巌先生の演技指導は、スパルタという言葉すら生温く思えてしまうほど凄まじく厳しいものだった。芝居に納得できないところがあれば口や手よりも先に何かしらの物が飛んでくることはよくある話で、人格を否定するような暴言まがいのダメ出しも演者に対して平然と言い放つこともあった。それはどんな大物であろうと変わらず、特に周りと比べて年が若く経験も浅かった俺はあまりの指導の厳しさに“「役者を辞めたい」”と本気で思う瞬間もあった。

 

 “『俺が演出家で、お前が役者だからだ』”

 

 それでもこの人に這いつくばってでもついていこうと思ったのは、演者に対して鬼のように厳しかったように、それ以上に自分に対しても鬼のように厳しい姿勢で芝居に取り組み、演者の1人1人を区別せず本当に対等に立って親身に接する、他の誰よりも演劇を愛する心優しい人(ろくでなし)だと気付いたからだ。

 

 もしもこのまま映像で成功を収めるようなことがあるとしても、俺の役者としてのルーツは巌裕次郎が生きとし生ける“舞台”であり、俺の人生を変えてくれた“演劇”で在り続けるだろう。

 

 

 

 『この俺に向かって恨み言とは良い度胸じゃねぇかてめぇ』

 

 相変わらず、凄みを効かせた時の声色は電話越しでも思わずゾクっとする。

 

 「はい。おかげで先生にはほぼ“憎しみ”しか残ってませんから」

 

 そんな恩師に向かって、俺は敢えて憎まれ口を返す。もちろんこれは反語だ。ちょっと凄まれただけで委縮するような“無味無臭”な人間は役者として認めてもらえないことぐらい、俺でも分かる。

 

 『ケッ、この戯け者(たわけもん)が』

 

 俺の意思がどこまで伝わったかは定かではないが、電話越しに伝わるその声色は心なしか今までで一番優しく思えた。確かなことは、巌先生の機嫌がすこぶる良いということだ。

 

 『・・・そう言やお前、もう二十歳(ハタチ)だよな?』

 「はい、2月でとっくに20になりました」

 『ちょうど主演も決まったことだ。剣、近いうちに俺と飲まねぇか?』

 「・・・酒ですか・・・」

 

 急に話題をそらしてきたかと思ったら、飲みの誘いをしてきた。それもそうか。我が子のように“可愛がっていた”世話の焼ける“バカ息子”がやっと自分の手で主演の役を掴んだ。自分の子供が成し遂げた偉業を祝ってあげたい。子を持つ親としてはきっとこれ以上ない幸福なのだろうか。

 

 「先生と飲みたいのは山々ですが・・・今回は遠慮しときます」

 

 いや、流石にそれは身の程知らずな思い込みだ。俺はまだまだ、恩師に対して何一つ“親孝行”らしい親孝行が出来ていない。それが出来るようになるまでは、俺はまだ・・・・・・

 

 『なんだお前、俺とはもう付き合えねぇってか?』

 「いや、そういうことじゃないです」

 

 それにしても暫く声を聞かなくなるうちに、竹刀を持った“鬼軍曹”はすっかり一升瓶の似合いそうな“頑固親父”みたいになったものだ。

 

 「またいつか先生の舞台に出させて頂いた時の楽しみとして、今はとっておきます」

 

 あの日から約1年半、巌先生は一度も公演を打っていない。きっと演劇に対する情熱は失っているはずはないし、そんなことは絶対にあり得ない。でも、今この瞬間に先生と会ってしまうと“演劇”が終わってしまう。そんな予感がした。

 

 「俺はいつでも待ってますよ。巌先生」

 

 “だからすみません。今はまだ先生とは杯を酌み交わせないです”

 

 

 

 「・・・2年遅せぇんだよ。ボンクラが

 

 “愛弟子”である渡戸剣(とべけん)からの言葉(エール)に、“師匠”であり舞台演出家の巌裕次郎は喜びと少しの寂しさが入れ交じった檄を飛ばした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 新宿駅西口から北の方角へ歩いて10分ほどの所にあるオフィスビル2階のレンタルスタジオ内にある控え室。

 

 ここでは映画『ロストチャイルド』の最終審査に選ばれた8人が、この後に隣室で行われる最後のオーディションに向けて各々心の準備をしていた。

 

 当然この8人の中には、憬の姿もある。

 

 

 

 『ロストチャイルド』のオファーを受けたあの日の夜、俺は海堂から宿題としてプレゼントされた國近監督の映画、『ノーマルライフ』を鑑賞した。

 

 映画が公開される約10年前に実際に起きた事件をモデルに、両親からの虐待に耐えかねて家を飛び出した12歳の少女と、ある町で殺人を犯して逃亡中だった青年による2人の約1年にも渡る逃亡生活を描いた映画で、この作品で國近はカンヌを始め数々の賞を受賞するなど、彼にとってこの作品は大きな出世作となった。

 

 “不思議な映画だった”

 

 映画の中で男と少女の2人による生活は物語後半に待ち構える逃避行の末、男が警察に捕まる形で終わりを迎えるが、男はナイフをかざして少女を人質にするなどの“ドラマチック”な抵抗なんてものを一切見せることなく、両手を挙げて少女を解放してあっさりと捕まる。まるでその一連の光景は映画のワンシーンというよりは、ただ警察官が逃亡犯を連行する様子を生々しく映すドキュメンタリーの一部始終を目撃しているようだった。

 

 “不思議な体験だった”

 

 それだけでなく男と少女の2人のやり取りも恐ろしいくらいに“リアル”で、その光景は映画を観ているというより2人の日常をただ映しているドキュメンタリーフィルムのようで、最初は恐ろしいくらいに退屈な映画のように感じていた。

 

 “気が付いたら、引き込まれていた”

 

 アクション映画のようなスピード感もなければ、SF映画のような迫力に満ち溢れた演出もなく、劇半の音楽も本当にここぞという時だけで最小限のシンプルさ。だが目の前で展開されていくドキュメンタリーフィルムが進むにつれてじわりじわりと物語の世界に引き込まれていき、気が付くと“映画を鑑賞している”という感覚が消え失せ、俺は目の前に映る世界に“没入”していた。

 

 「これ・・・牧さんだったんか」

 

 そしてこの映画で殺人犯の男に誘拐され監禁生活を送ることになる主人公の少女“ミライ”の役を演じているのが牧静流だということに気付いたのは、この映画のエンドロールが流れた時だった。ちなみに牧はこの映画で日本アカデミー賞新人女優賞を受賞している。

 

 “出来得る限り“映画”というものに触れ、“映画監督”とはどういうものであるのかを自分の中に叩き込んでおけ“

 

 それから俺は、オーディションの当日までに家にある映画のビデオを片っ端から鑑賞し、誰が演じているかとか、この人の演じ方がどうだとかを一切考えず、“無心”になっていくつもの映画というものを観続け、今日のオーディションに至ったと言うわけだ。

 

 

 

 “って、これだけで本当に大丈夫か・・・”

 

 というより、それぐらいの対策しか出来なかった。理由はただ一つ、あらすじを含め映画の情報が一切分からないからだ。

 

 映画『ロストチャイルド』。仮に『ノーマルライフ』と同じ理屈で考えるとしたら、今回もストーリーは恐らく社会派のドキュメンタリーということだろうか。それにしてもここまで一切ストーリーの内容などを明かされないままオーディションに挑まされるとは思わなかった。

 

 “海堂さんにもっと聞いとけばよかった・・・”

 

 もしかしたらそういう監督も居るのかもしれないが、ここまで何も聞かされない状況でいきなり最終選考にぶち込まれるという状況は、CMとドラマを一本ずつしかやっていない新人からしてみればまあまあ不安なものだ。

 

 ていうか、まともなオーディションを受けたのは今のところスターズの新人発掘オーディションだけのような気がするが、それを考えるのはひとまず今は止めておこう。

 

 「・・・・・・」

 

 けれど本当に周りの最終選考に選ばれた応募者も何も知らされていないのだろうか、それも気になるが控え室の空気が重く声を掛けるにかけられない。

 

 前のオーディションの時も確かこんな感じだった。本番前ならではの、ピリピリとした説明のしようがない独特な緊張感。そんな今日のオーディションで1つだけ決めていることは、“嘘をつかない”ということだ。

 

 

 

 「おはよう」

 

 緊張感溢れる控え室に、集合時間となる“13時00分00秒”ジャストのタイミングで『ロストチャイルド』の監督である國近が気怠げに挨拶をしながらドアを開け、現れる。

 

 「おはようございます」

 

 國近からの挨拶に俺を含めた8人は一斉に「おはようございます」と元気よく応えると、控え室の緊張感は最高潮に達する。

 

 ちなみにこの業界では、朝昼晩問わず挨拶は「おはようございます」と言うのが常識となっている。

 

 その理由は諸説あるが、由来は歌舞伎の世界で裏方が出番前に練習のために早く楽屋入りしている役者さんに「お早いお着き、ご苦労さまです」という相手をねぎらう言葉をかけていたことがルーツとされ、それが省かれ“「おはようございます」”となりやがてそれがしきたりとなって芸能界全体に広がったというのが、理由の一つと言われている。

 

 と、海堂から教わってから早3か月。やっと俺の身体にもそういった芸能界のルールというものが染み渡り始めた。

 

 「俺はこんなところでおべんちゃらなんてするつもりはねぇから、さっそくオーディション始めるぞ」

 

 そんな自分が芸能人であることに対するちょっと慣れてきたことによる優越感に似た感覚は、オーディションに初めて参加する俺に何一つ説明しないどころか名乗りすらしないオーディションを始めた國近によって一瞬で潰される。

 

 やはりまだ、俺にとってこの世界は想定外のことが起こることが多い。

 

 「じゃあ1番の奴、俺についてこい」

 

 そして國近は間髪を入れず、エントリーナンバー1番を呼び出す。

 

 「はい」

 

 エントリーナンバー1番、つまり俺だ。

 

 「じゃあ残りは俺がこの部屋に戻って来るまでこの部屋を出るなよ」

 

 しかも、オーディションはまさかの1対1で行われるらしい。普通、こういうオーディションというものはスターズの時のように複数人で一斉に行うようなものだと思っていた俺にとっては、またしても想定外。

 

 “普通オーディションって1人ずつじゃなくてまとめてやるよな・・・”

 

 「あ」

 「あの・・・普通こういうオーディションって1人ずつじゃなくてまとめてやるんじゃ」

 

 心の中で思った疑問を國近に言おうとした瞬間、席に座る別の応募者の少年が全く同じような疑問を國近に投げかける。どうやらこの状況を不思議に思っていたのは俺だけではなかったらしいと、少しの安堵感。

 

 だが、そんな安堵感は少年に向けて振り向いた國近によってまたしても潰される。

 

 「何だ?俺のやり方に文句でもあるのか?」

 

 振り向いた國近がその少年に見せた感情は決して威圧するような表情ではなく、『俺のどこがおかしいのか?』という純粋な疑問だったが、無垢なまでに間の抜けたようなその言い方に恐ろしいくらいの不気味さを覚えた。

 

 「・・・いえ、何でもありません」

 

 少年は國近に委縮してしまったのか、どこか自信なさげに降参の言葉をかけると國近は無言で俺に隣のスタジオルームに移るように催促すし、俺は國近の後に付いていく。

 

 「・・・つまんねぇな

 

 控え室を出る間際、國近がボソッと呟いた。恐らくこの言葉は、質問をしてきた少年や椅子に座り出番を待つ他の応募者の耳元には届いていないだろうが、すぐ真後ろにいた俺にははっきりと聴こえた。

 

 それが挽回の余地もない完全な拒絶であることを意味していることは、彼の呟いた口調からして明らかだった。

 

 俺の目の前を歩くほんのわずかに小さな背中が、“魔王”のように“大きく”感じた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 “俺はまた・・・とんでもないところに連れてこられたな・・・”

 

 心の中で渦巻く不安を抱えつつ平常心を保ち國近の後ろにピタリとついていくように控え室から10歩ほど歩くと、オーディションが行われるであろうスタジオルームの扉の前に着いた。

 

 「実は、お前に会わせたい奴が1人いるんだよ」

 

 そのスタジオルームに入ろうとしたタイミングで、國近が俺に声をかける。

 

 「会わせたい人、ですか?」

 「そうだ」

 

 映画の内容も含めて詳細などは一切教えられていない、たった1人きりで挑む最終オーディション。そして扉の先に待っている“誰か”。

 

 追い付かない思考をよそに國近は目の前のドアを2回ほどノックし、そのままドアを開ける。

 

 「失礼します・・・」

 

 取りあえず気持ち程度にかしこまりながら1対1でオーディションをやるには有り余るぐらい広めのスタジオに入ると、1人の男が俺と國近を待つかのようにパイプ椅子に座っていた。

 

 「どうも」

 

 そう言うと男は椅子から立ち上がり、仏頂面のような表情で俺に向かって会釈をする。

 

 「先に説明しておくが、コイツが今回の映画で俺が主演に選んだ渡戸(とべ)だ」

 

 國近はそう言って渡戸という男の肩を一回だけ軽く叩くと、隣に置かれたパイプ椅子に座る。

 

 「渡戸剣(とべけん)です。今日はよろしく」

 「夕野憬です。よろしくお願いします」

 

 パッと見た感じだと顔立ちや背丈は恵まれているが早乙女や山吹のように華がある感じではなく、どちらかと言うと不良映画やアンダーグラウンド系に出てきそうな半グレを演じさせても違和感のない出で立ちだ。

 

 自分で言うのもアレだが、現時点では渡戸からはあまり主演を張るような雰囲気は感じられない。もちろんそれは悪い意味ではないのだが、逆に言うとそういう強面で“華のない”ところを買われたということだろうか。

 

 「俺が怖いか?」

 「えっ?」

 

 そういった考え事をしていたのがバレたのだろうか、渡戸は俺の心を見透かすように仏頂面のままやや低めの声で問いかける。もちろんよく見ると普通に話しかけているだけなのは分かるが、元が強面の為か、終始機嫌が悪いように見えてしまう。

 

 「・・・怖いっちゃ怖いかもしれないですね。もちろん悪い意味ではないですけど」

 

 渡戸からの言葉に悩みに悩んだ末、俺は少しばかり申し訳なさげに本音を溢す。とにかくここでは、絶対に嘘はつかないと決めている。

 

 「オイ渡戸、コイツお前のことが怖いってよ、どうする?」

 

 渡戸の隣で足を組みパイプ椅子に座る國近が向かいに立つ俺に指をさしながら渡戸に茶々を入れる。

 

 「どうにもできないですよ。俺は元から“不機嫌顔”なんで」

 

 そんな監督の揶揄いを主演の渡戸は仏頂面のままローテンションで右から左へ受け流す。別に渡戸は決して不機嫌になっている訳ではなくこれが平常運転なのだろうが、それが分かっていてもこうやって対面しているだけで何とも言えない緊張感が襲ってくる。

 

 “ブッキー”と初めて会った時のナイフのような尖った威圧ともまた違う、ジワリと身体に染み込んでいくような独特な空気。1つだけ確かなことは、ドラマの現場で会ったような役者とは一線を画した風格(オーラ)を持っているということだろうか。

 

 「悪いな、コイツは別に怒ってるわけじゃないんだ。ただ元の顔が機嫌悪そうなだけでよ」

 「はい、もちろんそれは分かってます」

 「それより座らないのお前ら?」

 「あ、はい」

 

 軽い口調で座るように國近から言われて、俺はずっと座らずに立っていたことに気が付いた。そしてどういう訳か、渡戸もずっと立ったままだった。

 

 「さて、先ずは何から話そうか・・・」

 

 俺と渡戸が座ったことを確認すると、國近はその流れのままに仕切り始める。どうやらこれはオーディションを始めるという合図のようだが、この時点ではとてもじゃないがオーディションが行われているとは思えないほどラフな空気がスタジオルームに流れている。

 

 「・・・夕野だっけ?取りあえずお前どこ中?」

 「へっ?」

 

 唐突に國近が発した、オーディションの質疑応答とは到底思えないような突飛な質問。まさかの“ヤンキー形式”の質問に出鼻をくじかれたような形になってしまった俺は、何も対応することが出来ず素っ頓狂な返事をしてしまった。

 

 「聞こえなかったか?どこ中だ?」

 「・・・横浜市立大倉中学校です」

 

 正直、これが果たして正解なのかは分からない。というより、どこ中と聞かれたらそう答える以外方法がない。

 

 “ていうか、そもそもこれはオーディションなのだろうか?”

 

 「“大中(オーチュウ)”って・・・渡戸と一緒じゃねぇか」

 「そうですね。俺の代では少なくとも “大中(ダイチュウ)”と呼んでましたけど」

 「へぇー、渡戸の世代だとそう呼んでんのか」

 「逆にその呼び名以外知らないです」

 

 そんな俺の疑問をよそに、対面で座る2人は俺が“大中(ダイチュウ)”出身だという話題で少しばかり盛り上がる。

 

 「“大中(ダイチュウ)”だよな?」

 「あぁ、はい、俺の学年でも呼び名は“大中(ダイチュウ)”ですね」

 

 危うく置いていかれそうになったが、渡戸がパスを渡してくれたおかげで何とか俺も“大中”トークに加わることができた。

 

 “もう一度言うが、果たしてこれは本当にオーディションなのだろうか”

 

 「でも渡戸さんも國近さんも“大中(ダイチュウ)”なんて凄い偶然ですね」

 「あぁ言っておくが俺はちげぇよ?」

 「えっ?」

 「ていうかドクさんはそもそも横浜出身ですらないでしょ」

 「おう、俺は練馬生まれ練馬育ちだからな」

 「・・・なんで嘘をついたんですか?」

 「どうせ夕野(お前)、緊張してんだろ?だからこうやって俺が冗談(ジョーク)を飛ばして和ましてやってんだよ」

 「ジョークの境界線(ライン)がよく分からないのは俺だけですか・・・?」

 

 ちなみに國近は“大中”出身でもなければ横浜に縁もゆかりもない、都民歴34年である。

 

 「ところで夕野は渡戸(コイツ)のことは知ってたか?」

 「いえ、今日初めて知りました」

 「ホントかよ、だって渡戸剣だぜ?言っとくけど演劇界じゃ割と有名だから母校じゃスター並みに大人気でもおかしくないと思うけど」

 「いや、渡戸さんには悪いんですけど全然話題になったことがありません」

 「だってよ渡戸。お前もまだまだだな」

 「色々と恥ずかしいんでその辺にしてくれませんかドクさん」

 

 おだてるように國近は渡戸のことを持ち上げるが、少なくとも俺はこの男のことをこの目で見たことは一度たりともないし、本人から直接名乗られるまで名前すら知らなかった。

 

 「じゃあ夕野、巌裕次郎っていう“臭い好きの演出家(おじさん)”は知ってるか?」

 「・・・臭い好きなのは知りませんけど・・・名前だけは知ってます」

 

 巌裕次郎。確か世界的に有名な舞台演出家としてテレビで何度か名前を聞いたことがあったが、最近はめっきり名前すら聞かなくなった。

 

 はっきり言って巌裕次郎のことは、舞台をたった一度しか観ていない俺にとっては名前だけ知っている程度だ。

 

 “ていうか、臭い好きってなんだよ・・・”

 

 「・・・本当にそんな程度しか知らないのかお前?芸能人の癖に?」

 

 そんな俺に國近は、まるで未確認生命体を観察するかのような視線を向けながら問い詰めてくる。その一点の曇りもない無垢な視線が、金縛りのように俺の身体をパイプ椅子に縛りつける。

 

 「そう言われても・・・本当にその程度しか知らないんで」

 「・・・ま、ついこの間まで一般人(パンピー)だったんじゃ、無理ないわな。最近じゃ名前もあまり聞かなくなったしあのおっさん」

 

 “あの巌裕次郎”のことを名前しか知らない俺に、國近は渡戸の解説を分かりやすくかみ砕いて俺に説明をする。

 

 

 

 渡戸剣(とべけん)。15歳の時に巌裕次郎の舞台でオーディションを勝ち抜き乾由高とのW主演という形で鮮烈なデビューを果たすと、以後も巌演出の常連として彼の作品に多数出演した経歴を持つ実力派の若手舞台俳優。

 

 巌裕次郎の厳しい指導の下で鍛え上げられた演技力とその実力は本物であり、演劇界では“巌裕次郎の愛弟子”として知られている。

 

 そして今回、渡戸は“役者として更なる高み”を目指すため、未経験だった映像芝居への挑戦を決意したのだという。

 

 國近の話を聞く限り、渡戸は舞台役者として相当の実力者であることが伺い知れる。

 

 

 

 「何かすいません・・・渡戸さんのことを何も知らなくて」

 

 知らなかったことが事実とはいえ、あまりにも舞台に対して無知だった自分を本気で恥じると同時に、申し訳ないという気持ちが身体に広がっていく。

 

 「いや、謝る必要も気にする必要もないよ。いくら舞台で主演を張ったところで映画やテレビに出ないと中々“有名”にはなれないから、知らないのは仕方ないことだし」

 

 そんな俺を気遣うように渡戸は優しく語りかける。表情は相変わらず不機嫌そうに見えるが、見た目に反して誠実な語り口から彼の真面目な人柄が滲み出ていることに気付き、俺は少しだけ安心する。

 

 「確かこの映画がダメだったら牧静流の舞台に出るつもりだったんだろ?」

 「駄目もなにもオーディションを受けると決めた時点でそれは断ってますよ」

 

 “そう言えば牧さん・・・12月に舞台をやるって聞いてたな・・・”

 

 「牧さん・・・」

 「おっ、牧静流はさすがに知ってるのか?」

 

 “牧静流”という単語に反応した俺の何気ない独り言を、國近は逃さずに拾う。

 

 「知っているというか、先月の撮影現場で牧さんにはお世話になりましたから」

 「おうそうか、言われてみれば早乙女雅臣主演のドラマに出演したってプロフィールにも書いてあったしな」

 「はい。恐縮ながら牧さんの演じる美沙子の相手役を演じさせてもらいました」

 「東間直樹の中学時代だろ?実は俺もリアルタイムで10話のオンエアを観ていてな」

 「えっ!?・・・そうなんですか?」

 

 まさかあのドラマを実際に観ていたとは思わず、再び素っ頓狂な驚きの声が出た。それと同時に、あの演技がどう見られていたのか?ボロクソに言われるのではないか?という不安が押し寄せる。

 

 「実に面白いものを見させてもらった・・・特に同級生を殴るシーンとラストの咆哮・・・あれは“芝居”というより完全な憑依だ。いや、寧ろ全く違う人格に身体が乗っ取られているといったところかありゃあ・・・思わず観ていてハラハラしたよ・・・」

 

 そんな不安とは裏腹に國近は俺の芝居を褒め称える、ように聞こえなくもないようなそうでもないような何とも反応に困る評価をしてきた。

 

 「・・・ありがとうございます」

 

 予想の斜め上をいく監督からの評価を俺はひとまず受け止めると、國近はニヤリと笑いながら俺の目を凝視するように見つめる。

 

 「ところで“アレ”ってどうやんの?」

 

 ようやくやってきた、オーディションらしい質問。だが、“アレ”を説明するとなると、少しばかり時間がかかってしまう。だがそれ以外に方法は思いつかない。

 

 「少し長くなりますが、いいですか?」

 「あぁ構わん。言ってくれ」

 

 悩んだ末、俺は海堂にメソッド演技を習得したいきさつを説明した時と同じように幼少期の経験と初めてのドラマで得た技術(テクニック)や早乙女たちとの出会いの話を踏まえて話し、國近と渡戸もそんな俺のいきさつを最後まで黙って頷きながら聞いてくれた。

 

 

 

 「・・・なるほど」

 

 いきさつを話し終えると、國近はたった一言だけ静かにそう呟いた。これが肯定なのか否定なのかは分からないが、どういう訳か少しだけだが手ごたえは感じ始めていた。

 

 “本番はきっとこれからだ”

 

 「よし、じゃあエチュードでもやるとするか」

 

 直前に浮かび上がった予感が的中するかのように國近はいきさつを掘り下げるようなことはせず、國近の合図で最終審査となるオーディションはいよいよ“実技”へと移った。

 

 「はい」

 

 

 

 ここまで来てこの映画の全容は、『ロストチャイルド』というタイトルを除けば全く見当がついていない。

 




まさかこのキャラクターを取り扱う時が来るとは・・・僕自身も書き始めた頃は想像すらしていませんでした。

原作では山ちゃんと共に解説役みたいな感じで決して出番は多くなくこれといった見せ場もないのに(クッソ失礼)何故か目に留まってしまう、そんな独特な存在感を放っていた人気投票13位でお馴染みの“ベッケン”さんです。

・・・恐らく彼のことをベッケンと呼んでいるのは地球上で僕1人だけだと思います。

ちなみに原作だと生粋の舞台俳優みたいなキャラになっていましたが、本作では思いっきり独自解釈が入ってます。まぁ、タグ付けてるし本人も独白で「俺のルーツはあくまで舞台であり演劇だ」的なことを言っているので大目に見てくれると幸いです・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・國近独(くにちかどく)
職業:映画監督
生年月日:1965年5月24日生まれ
血液型:B型
身長:167cm

・渡戸剣(とべけん)
職業:舞台俳優・映画俳優
生年月日:1979年2月2日生まれ
血液型:A型
身長:180cm



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scene.29 睡眠 / 煙草

※ストーリーの都合により、一部で地震関係の表現があります。


 「よし、じゃあエチュードでもやるとするか」

 

 國近の合図で、最終審査となるオーディションはいよいよ“実技”へと移った。

 

 「ちょうど椅子があるから椅子(コイツ)を使って何かやろうと思うんだがいいか?」

 「はい」

 

  足を組んで椅子に座ったまま國近はとって付けたような理由で、椅子を使ってエチュードを行うと言い出す。ここに来てようやく気が付いたが映画『ロストチャイルド』の台本らしきものは、ここにはない。

 

 「さて・・・・・・エチュードの内容はどうするか?」

 

 俺の座るパイプ椅子に目線を向けながら、國近は少しばかり考え込む。

 

 ここで俺は、このオーディションでは映画の内容は一切明かされないということを完全に理解した。もちろんオーディション自体が相性を確かめるお見合いに近いものだと聞くから、そもそもオーディションに“予習復習”は意味をなさないも同然なのだろう。

 

 「・・・震度1の地震が来た時の演技をやってもらおうか」

 

 数秒ほど考え込んだ末、國近が課したエチュードの演目は“震度1の地震が来た時の演技”というピンポイントにもほどがある設定だった。

 

 「震度1・・・ですか?」

 

 震度1という気付く人もいれば気付かない人もいそうな何とも中途半端な揺れを表現しろというどう考えても突飛な演目に、俺は思わず動揺が表に出る。

 

 國近からしてみれば『ロストチャイルド』のオファーを受けた理由はどうでもよく、四の五の言わず実力を確かめたいというだろうか。

 

 「震度1は震度1だろうが。それ以上も以下もねぇよ。渡戸、相手役をやってくれ」

 「はい」

 

 そんな俺の動揺などお構いなく國近は“出来て当たり前だろ?”とも言いたげに疑問の言葉を突っぱねると、返答も待たずに渡戸に相手役をするように指示をして國近は立ち上がり自分の座っていたパイプ椅子を俺の正面に移し、その椅子に渡戸は座る。

 

 「地震のタイミングは夕野に任せる」

 

 

 

 “『・・・揺れてる』”

 

 幸か不幸か、俺は震度1の地震を体験したことがある。正月のこと、母親と共にリビングでテレビで正月特番を観ながら夕食を食べていた時、ふと母親が“『揺れてる』”と唐突に呟いた。

 

 “『いや気のせいだろ』”

 

 しかしその揺れに気付かなかった俺は母親の言葉を受け流したがその数分後、テレビから独特なアラームがなると共に地震が起きたことを伝える“ニュース速報”のテロップが現れ、横浜市で震度1という情報が流れた。

 

 “『おいマジかよ』”

 “『だから言ったじゃん』”

 

 一体なぜ、こんな本当に些細な日常の一コマを思い出せたのかは分からない。現についさっきまで俺はこの日のことなどとっくに忘れていたが、思い出してあの日のことを振り返ってみると不思議な感覚だった。

 

 揺れを一切感じなかったのに地面が揺れていたという体験は、生まれて初めてだった。

 

 

 

 “これの逆をやればいいのか・・・でも、どうすればいいのだろうか・・・いや、思い出せ・・・あの時の”感覚“を・・・”

 

 

 

 

 “さて・・・お手並み拝見だ・・・”

 

 

 

 

 「・・・お前たちは兄弟で、リビングのテーブルに座りながらテレビを観ている・・・」

 

 憬と渡戸が既定の位置についたことを確認すると、國近は前触れもなくいきなり独白を始める。その言葉を合図に、2人は誰もいないスタジオの壁の方向に目線を向ける。

 

 “・・・もう“入り”始めているな・・・“

 

 エチュードの設定を言うや否や、夕野(コイツ)は瞬時に自分の“置かれている”環境を把握し、渡戸と同等のスピードでリビングに意識を落とし込んだ。やはり、コイツは役にどっぷりと入り込む人種(タイプ)か。

 

 「うわ危なっ、あと1歩遅れてたらアウトだな今の」

 

 視線の先にあるであろうテレビを観ながら、渡戸が先制を仕掛ける。ちなみに渡戸は今、スポーツ番付という特番を観ているという設定でエチュードを進めている。

 

 「次は室戸(むろと)かぁ、コイツマジで強ぇんだよなー」

 

 それをすぐに察したのか、夕野は番付で無双している室戸という陸上選手の名前を挙げ渡戸のアドリブにも瞬時に対応したばかりか、先に観ている番組に映っているであろう人物の名前を入れることで、同時に会話の主導権をも握ってきた。

 

 「強すぎるから何か嫌いなんだよね俺」

 

 ここまでの控えめで真面目な振る舞いからは想像がつかないほど、役者としての勘は鋭く肝も据わっている。ドラマのオンエアを観た時からコイツは只者ではないという確信はあったが、まさかここまでとは。

 

 だがそれ以上に、声のトーンや喋り方、仕草の一つ一つが恐ろしいくらいにリアルだ。

 

 “というか、本当にリアルだ”

 

 「あぁ、確か去年の王座決定戦もぶっちぎりだったしな」

 

 無論、当たり前だが相手の渡戸も一切負けずに夕野と張り合う。巌裕次郎の元で鍛え上げられた表現力に加え、ここにきて映像芝居に求められる繊細さもすっかり板に付き始めている。

 

 「兄ちゃんはどっちが勝つと思う?」

 「どうせ今年も室戸だろ」

 

 2人は互いにテレビに視線を向けたまま何もない空間に“片手”を置き、気怠く“口だけ”で会話をし続ける。

 

 “さて・・・どこで仕掛ける・・・?”

 

 震度1の地震。こんなマニアックすぎるシチュエーションを取り入れるのは、舞台を含めて普通はあり得ない。だがこのような状況は現実(リアル)では幾らでも起こり得る。

 そんな普段なら演じる必要のないようなリアルを敢えて演じさせることによって、1人1人が隠し持っている“化けの皮”の内側が見れるものだ。

 

「・・・・・・?」

 

 テレビに目をやる夕野が、突如何の前触れもなく一瞬だけ天井の方に目線を向ける。

 

 「・・・揺れてる」

 

 そして一言だけ夕野がそう呟いた瞬間、俺たちのいるスタジオルームが本当に揺れ始めた・・・・・・かのように感じた。

 

 震度1に気が付いた時の仕草があまりに“リアル”すぎて、思わず俺は本当に地震が起きたのだと錯覚した。

 

 

 

 “やはり・・・俺の予想通りだ・・・”

 

 

 

 「OK、もう十分だ」

 

 國近からの一声で、震度1の揺れは瞬時に収まり一気に現実に引き戻される。

 

 “・・・もしかしてミスったか・・・?”

 

 “あと1歩遅れていたらアウト”という渡戸の言葉を連想し、あの時に観ていた正月特番を俺たちは観ていると仮定して先手を打った。改めて冷静になってみると本当に一か八かを左右する選択だったが、瞬時に俺の観ている番組を把握した渡戸のおかげで関門は突破できた。

 

 じゃあ問題はやはり“気付き”なのだろうか。いや、一応自分なりに揺れをリアルに表現できたつもりだが、流石に目は誤魔化せないというやつか。

 

 何の前触れもなく突然終了を告げられたエチュードを前に、俺の頭の中には疑心暗鬼の心情が渦巻き始めていた。

 

 「渡戸。夕野(コイツ)の芝居を視て気付いたことはあるか?」

 

 國近はポーカーフェイスを崩すことなく、エチュードの相手役を務めた渡戸に感想を述べさせると、渡戸は「そうですね・・・」と前置きをして頭の中で言葉を紡ぐかのように考え込むような仕草をする。

 

 考え込むように沈黙をしていた時間はざっと3,4秒程度だっただろうが、その間の沈黙が恐ろしく長く感じた。

 

 「リアルでしたね。思わず俺も本当に地震が起きたのかと錯覚してしまうくらいに」

 

 数秒の沈黙の末、今までのタメが嘘のような淡々とした口調で俺を真っ直ぐ見ながら渡戸は感想を述べる。どうやら芝居自体は問題なかったようだ。

 

 「・・・そうですか、ありが」

 「ただ芝居が繊細すぎて、“演技”の一線を越えているなと感じました」

 

 だが渡戸は、ありがとうございますという言葉を遮るように芝居の総括を始め、『“演技”の一線を越えてしまっている』と評した。

 

 「・・・一線を越えている・・・どういうことですか?」

 

 渡戸の言うフィクションの一線を越えているという意味を今一つ理解出来ずにいる俺に、全てを理解した國近が言い放った。

 

 「分かりやすく言うと、夕野の芝居は“リアル”すぎて演技じゃなくなってんだよ」

 「・・・演技じゃない・・・?」

 

 俺の芝居は演技じゃない。一体どういう事なのだろうか。いくら理由を考えても原因が分からず、頭の中が少しずつ混乱していく。

 

 「・・・感情を表に出すのではなく、感情にそのまま入り込んで憑依する・・・今まで同じ舞台に立って芝居をした先輩方で同じようなタイプの人が何人かいたから、俺には夕野君の芝居がどういうものなのかは大体分かる」

 

 その俺を一点で見ながら独り言のように語りかける渡戸の言葉が、混乱していた頭の中をギュッと正すように脳裏に突き刺さる。確かに俺は、役の感情に入り込むことによって今の芝居を身に着けていた。

 

 「夕野、レム睡眠とノンレム睡眠の意味は分かるか?」

 

 渡戸の隣に座る國近が組んでいた足を正して静かに問いかける。

 

 「・・・確か、浅い眠りと深い眠り、でしたっけ?」

 「あぁ、分かってんなら話は早い」

 

 レム睡眠、ノンレム睡眠。数日ほど前、偶然食卓で目にしていたテレビ番組で睡眠のことを取り上げていたことを目にしていた俺はたまたまその意味を知っていた。

 

 「でも睡眠と芝居って関係あるんですか?」

 

 だが睡眠と芝居が、一体どのように関係しているのだろうか。そこまでは理解できなかった。

 

 「普通人間ってのは眠っている間この2つを何度か交互に繰り返すことによって睡眠を摂る生き物だ。それは芝居でも同じようなことで、稀に例外はいるが基本役者って生き物は使いたい感情をノンレムに掘り下げると同時に、その掘り下げた感情を表現するためにレムのところまで出そうとする。そして表に出た感情が表現力となって演技として観客や視聴者に伝わんのさ。睡眠に例えるとこれが“夢を見ている”って状態なわけだ」

 

 芝居の本質を睡眠に例えて説明する國近の話は分かりやすいというより独特で見地の浅かった俺には少しだけ難解に聞こえたが、睡眠を通じて伝えたいことはある程度は直ぐに掴めた。

 

 「・・・てことは、俺は常に“爆睡”している状態ってことですか?」

 「端的に表すとしたらそういうことだな」

 

 爆睡。それは少しのことでは目が覚めない深い眠りに入っているという状況だ。例えばものすごく疲れた日の夜に眠りにつくと、目を閉じた次の瞬間には次の日の朝になっているという、“あの感覚”だ。分かりやすく言うと、夢を一切見ていないということだ。

 

 ちなみに俺もドラマの撮影が終わった日の夜に、それを経験しているから知っている。

 

 「正確には役の感情に入り込んだはいいが、それを表現力として昇華するところをすっ飛ばして演じている状況だ。だから”HOME”のように感情がダイレクトに表に出る“迫真の演技”をやらせればピカイチだが、逆にそれ以外はまるで伝わらない」

 「・・・伝わらない、ですか?」

 

 國近から言われたこの言葉に、俺は思わず耳を疑う。少なくとも相手役をしていた渡戸にはしっかりと伝わっている手応えを感じていたから、余計にそう感じた。

 

 もちろんそれは、思い上がりもいいところだということを数秒後には思い知ることになるのだが。

 

 「確かに俺たちのように免疫のある目の肥えた連中には、お前の芝居は伝わる。百歩譲って玄人好みってところだが、残念ながら世の中にいる大半の観客の目は所詮“節穴”みたいなもんだ・・・そんな連中からしてみれば、はっきり言ってお前の芝居は “棒演技”のように見えてんだよ」

 「棒ですか・・・」

 

 國近から下された芝居の評価は、“棒”だった。まだこの世界のことは分からないことだらけな俺でも“棒演技”の意味はとっくに分かっていたが、流石にショックは隠せない。

 

 「ある意味、震度1の地震みたいな芝居だな。掘り下げただけの芝居は伝わる人にしか伝わらないし、そんな些細な揺れじゃ眠った人は起こせない」

 「おぉ、珍しく口を挟んだと思ったら中々秀逸なこと言うじゃねぇか渡戸」

 「珍しいは余計ですよ」

 

 新人俳優と監督のやり取りを“不機嫌(クールな)”顔で黙って見届けていた渡戸がフォローするかのように口を挟み、それに監督の國近が感心して乗っかると、スタジオルームの空気は一瞬だけ再びフラットに戻り始める。

 

 「1つだけ教えてやるとしたら、あくまでお前の場合は棒ではなく“意図に反した形で伝わってしまう”ってことだ」

 

 そして俺をフォローするかのように、國近が言葉を付け加える。

 

 「・・・別に演技力や表現力が全くないって訳じゃない。ただその芝居は“揺れ”を“正しく”感じた人にしか正確には伝わらない。だからいざスクリーンに映し出された時、異質なお前の演技は“違和感”となって現れる。俺が撮りたいのは “自然(リアル)演技(フィクション)”というやつであって“ただの現実(ノンフィクション)”じゃねぇからな」

 

 続けて國近の言った言葉で、オーディションの対策として鑑賞した『ノーマルライフ』の記憶がフラッシュバックする。牧を始め、映画に登場した役者の演技は恐ろしくリアルだったが、それと同時に演技に対する違和感というものは全く感じなかった。

 

 鑑賞した時は気付けなかったが、今になって思い返すと出演していた演者たちはちゃんと“芝居”をしていた。それはあくまで“芝居”をするというくくりの中で“自然な演技”をしていたということだ。

 

 どおりで最後まで観ても“映画としての違和感”を1秒たりとも感じなかったわけだ。

 

 「てことなんだが、そんな夕野にとって足枷になっている “震度1(ノンレム)の芝居”をお茶の間の節穴にも伝えられるようにするにはどうしたらいいと考えている?」

 

 映画を鑑賞した時は気付けなかったが、今になって思い返すと出演していた演者たちはちゃんと“芝居”をしていた。それはあくまで“芝居”をするというくくりの中で“自然な演技”をしていたということだ。

 

 そして俺は、あの日のモニターに映っていた直樹の姿に覚えた違和感の正体にようやく本当の意味で気が付き始めた。あの時に感じた、理想(自分)現実(自分)の差異。

 

 「自分で自分の演技を振り返った時、全く恥ずかしさや違和感を感じないような思い通りの芝居をする」

 「そのためにお前はどうする?」

 

 考える隙も与えず間髪入れずに國近は言葉を続けるが、今までの経験や言葉を思い出して俺も臆せずに堂々と返す。

 

 「他を圧倒するだけでなく、自分の感情をコントロールしてそれをしっかりと周りに伝わるように意識して芝居が出来るようになることが、俺の課題です」

 

 言葉や意味では分かっている。俺はまだ、それらの目標を達成できているとは言えない状況だというのも分かっている。

 

 “もちろん今の芝居が通用するのも、HOME(あのドラマ)までだということも”

 

 「・・・こうやって言葉にすることは簡単だが、これらを実践することは生半可な決意じゃ絶対に不可能だ・・・」

 

 答えを一通り聞き終えた國近はスッと椅子から立ち上がると、対面で椅子に座る俺の目の前でしゃがみ込み顔を近づける。

 

 「夕野・・・この映画を引き受けたが最後、お前はもう二度と“引き下がれない”ぞ・・・それでも引き受ける覚悟はあるか・・・?」

 

 真っ直ぐに狂いなく捉えるその目は、紛れもなく“本気の眼”だった。今まで感じたことのない、“死”すら感じるほどの恐怖にも似た感覚が一気に襲い掛かる。だが、こんなところで怖気づいていたら芸能界じゃ通用しない。

 

 “私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ”

 

 せめて蓮との約束を果たすまでは、俺は死に物狂いな思いをしてでも踏みとどまらなければならない。

 

 “俺は・・・”

 

 「・・・もちろんあります・・・・・・俺は役者だから・・・」

 

 國近からの覚悟に臆することなく、憬は真っ直ぐに役者としての覚悟をぶつけた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「お、揺れているな」

 「揺れてますね」

 

 製作委員会との会議を終えた憬と天知は監督の國近を始めとした他の面々が帰った後、会議室と同じ10階にある喫煙室にいた。

 

 「これは震度1ってところだな・・・」

 

 その2人の元に震度1の地震が襲い掛かって来る。正直言って襲い掛かるという表現は大袈裟なぐらいだが、10階にいる2人はその揺れに直ぐに気が付いた。

 

 「よく分かるな夕野。本当にそれが当たっているのかは置いておくが」

 「冗談だよ。何となくだ」

 

 左隣で嗜好品(セッター)を吸いながらクールに笑いジョークを嘯く憬を天知は正面を向いたまま半笑いで受け止めながら、スーツのポケットから嗜好品(ザ・ピース)のケースを取り出す。

 

 「・・・意外だな。天知さんも煙草吸うのか?(何気に一箱1000円するぞそれ)

 

 ちなみに憬と共に喫煙室にいる天知もまた喫煙者であるが、天知が煙草を吸っているところを見たことがない憬にとってはそこそこ衝撃的な光景だった。

 

 「吸うとは言っても一日一本、オフィス(ここ)の喫煙ルームでしか吸わないと決めていますが」

 「どおりで知らなかったわけだ」

 「恐らく私が煙草を吸っているのはここの人間しか知らないだろうね」

 

 だが幾ら煙草を吸っているとはいえ、そんな“限定的”な嗜み方をしていればここの社員を除けば殆ど知らないのも合点がいく。

 

 「夕野」

 

 その天知は憬の名前を呼ぶと、天知は煙草を親指と人差し指と中指で挟み憬の口元の方へ煙草の先端を向ける。

 

 「・・・へいへい」

 

 それを見た憬は溜息交じりに煙を吐くと、人差し指と中指の間に煙草を深く挟んだまま、右隣の天知の煙草に火を移す。

 

 「どうも」

 

 天知は最低限のお礼を済ませると、憬と同じように背中で壁にもたれかかるような姿勢で至福の一服を始める。

 

 「・・・君はそうやって煙草を持つんだね・・・」

 「・・・は?」

 

 一息(タール)を静かに吹いた天知が、急に意味深な薄笑いを浮かべながら俺に聞く。

 

 「煙草の持ち方なんて人それぞれだろ・・・」

 

 何故急に天知がこんなことを聞いてきたのかさっぱり分からない俺は、思わず曖昧な答えで返す。

 

 「・・・それもそうですね。君のように人差し指と中指を使って一服する人もいれば、私のように三本の指で煙草を持つ人もいる・・・すいませんが今の質問はひとまず忘れて下さい。私としたことが無粋なことを聞きました」

 「忘れて下さいっておい」

 「全ては私の“くだらない独り言”なので。あーやはりストレスが溜まってしまうと独り言が止まらない止まらない」

 「あんたほんとに “天馬心”か?」

 

 元・天才子役の面影が一切感じられない大根芝居で言葉を遮りやたらと質問の無意味さを主張する天知に、俺は言い返す気力もツッコむ気力も失せてしまった。

 

 第一、大の大人が煙草の持ち方一つで喧嘩をするなんて餓鬼臭くて馬鹿馬鹿しい話だ。

 

 「とにかく俺は、この持ち方が落ち着くんだよ」

 

 そう捨て台詞を放った俺に、天知は再び不敵で意味深な笑みを俺に見せる。

 

 「私はこの持ち方が一番落ち着くんですよ。特に深い意味はないけどね」

 「・・・そうかよ」

 

 そして煙草トークを終わりにした2人は黙々と一服を嗜み、喫煙室にはしばらく換気扇の微かなノイズだけが残り、副流煙が吸い込まれていくように舞う。

 

 

 

 「・・・君は“尋也(ひろや)”のキャスティングについてはどう思っている?」

 「今の言葉も大根役者の独り言か?」

 「いや、今度は本気だ」

 

 互いの煙草が半分ほどにまで減ったところで、天知は憬に『hole』の会議で上がったキャスティングの話を掘り下げる。ちなみに天知が口にした尋也とは、原作の『hole』に登場する主人公(ヒロイン)である(はる)の相手役となるもう一人の主人公である。

 

 「・・・どうって言われてもな・・・」

 

 天知からの話に、憬はイマイチしっくりこないような顔をしてボソッと呟く。

 

 

 

 「俺としては尋也を単なる“百城千世子(ヒロイン)”の引き立て役で終わらせたくねぇんだ。それじゃあこれまで飽きるほど量産されまくった“スターズの天使を使えばどうにかなる的な安易な発想で生み出された娯楽品(ガラクタ)”と何ら変わらないからな」

 

 昔から健在である國近からの忖度無しの一言に、何人かのスポンサーとなる企業の代表がざわつく。

 

 「誰か20前後で俺の要望に添えられるような骨のある若手はいねぇのか?」

 

 國近が尋也という役に求めている人材は百城千世子の引き立て役ではなく、あくまで彼女と最低でも対等な存在感と実力を兼ね備えている役者だった。

 

 「しかしですね國近監督。仮に華役に“百城千世子”を起用するとしても、主演女優として絶対的な“支持”を持っている彼女の存在を喰いかねない“怪物”のような役者を持ち込むことは世の中(大衆)が求めているニーズからはズレていますし、あのスターズがそれを許してくれるとは思えませんよ」

 

 だが國近が求めている役者や俺たちの求めている役柄というものは、百城千世子と共に映画を作り上げていくことになるかもしれないスポンサーにとってはあまりに求められているものから逸脱した条件であった。

 

 「まずヒロインを百城千世子にする必要は本当にあるんですか?設定を見る限り、少なくとも華というヒロインはこれまで彼女が演じてきた役柄とは色んな意味で正反対ですよ。このような役柄を演じるにはいくらスターズの天使とはいえリスクが」

 「それはあくまで“今”の話だろうが。俺たちは“2年後”の話をしてんだよ」

 

 このような形で保守派(スポンサー)といきなり対立するような恰好になってしまった会議は、平和とは言い難いものになっていた。

 

 「・・・國近監督の言う通り、私たちは“スターズの天使”として今をときめく彼女ではなく、“天使”としての“消費期限”を使い果たした2年後に投資をすることを考えなければなりません。需要というものを十二分に理解しているであろう皆様には言わずとも分かると思いますが、百城千世子はあくまで1人の女優であり1人の人間に過ぎません。本物の天使とは違い年月が経てば老いていき、その都度求められる需要というものも常に変化していきます。特に彼女のような常にスポットライトを浴び続けている偶像というものは、需要が移り変わっていく速度も段違いに速い・・・」

 

 そんな緊迫した状況を嘲笑うように、天知は啖呵を切るかの如く有無も言わせず國近のフォローをしつつ場を仕切りながら“例の資料”を製作委員会(スポンサー)の面々に配る。

 

 「変わることを恐れたままでは、2年後に墓穴を掘るのはスポンサー(あなたたち)ですよ」

 

 天知の言葉を合図にスポンサーの面々が配られた資料に目を通すと、次第に会議室はどよめきに包まれていく。

 

 「天知さん・・・これって私たちに見せて本当に大丈夫なものなんですか・・・?」

 

 スポンサーの1つである商社の代表が恐る恐る質問をすると、天知は“待ってました”と言わんばかりにほくそ笑む。

 

 「既に事務所から直々に許可は得ていますので心配は無用です。ただし、絶対に門外不出という条件を厳守すればの話ですが」

 「ハッ、流石手段を選ばない敏腕プロデューサーはスケールがちげぇな」

 

 星アリサから直接許可を得たことを打ち明ける天知に、國近は相変わらずの“マイペース”を貫き皮肉を込めたジョークで合いの手を入れるが、返って空気は何とも言えない感じになってしまい、巻き添えを食らった天知はほんの一瞬だけ“戦犯”を睨むように一瞥する。

 

 「・・・皆さん、この資料に目を通した上でもう一度よく考えてみてください。これは本当に“良い話”です」

 

 天知は百城千世子の“次の映画”が書かれた資料を真剣と不安が交差するような表情で読み漁る面々に言い聞かせるように、お決まりの常套句を駆使しながらプレゼンを続ける。

 

 「・・・夕野先生に聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 「はい、何でしょう?」

 

 その直後、小説版の『hole』を出した出版社の代表である野島が質問をぶつける。

 

 「そもそも先生は華役に百城千世子を起用したいという國近監督の意向について、どうお思いですか?」

 

 野島からの質問に、憬は期待に胸を膨らませるかのような表情で答えた。

 

 「・・・もちろん俺は喜んで首を縦に振りますよ。若手トップ女優として大衆を魅了し続ける“スターズの天使”が、その殻を破って演技派女優としてより多くの大衆を振り向かせる・・・『hole』という作品がそんな“新生・百城千世子”の踏み台になれると言うのであれば、作家人生としてこれほど光栄なことはありませんので・・・」

 

 

 

 こうして俺たちは何やかんやで最悪の事態はひとまず避けることができ、百城千世子についてはどうにか9月いっぱいまでの猶予を与えられたというわけだ。企画の立ち上がりで撮影開始までは早くて来年の4月以降ということも結果的に幸いした。

 

 「いないんだよな・・・俺の知ってる若手の中には」

 

 ただ問題なのは、尋也を演じることのできる俳優が思い浮かばないということだ。引き立て役ならともかく、あの“百城千世子”と対等に渡り合えるような若手俳優は、俺の頭の中にはいない。

 

 「ドクさんと近々もう一度話し合って、オーディションでもやってもらうように仕向けるか・・・」

 

 探しても見つからないなら、発掘をすればいい。だが、それで理想となる若手が見つかるという保証もない。

 

 「・・・それはあくまで君が知らないだけであって、視野を広げれば必ずいるものさ・・・」

 

 そんな俺をまるで嘲笑うように、隣で壁にもたれかかる天知が一枚のチケットを取り出して俺に手渡す。

 

 「何だこれは?」

 「今週末に千秋楽を迎える舞台のチケットです。本当は人にプレゼントする予定はありませんでしたが、演劇には少しばかり疎い君にはちょうどいい機会だと思いましてね」

 「・・・そのマタギ・・・明神阿良也(みょうじんあらや)・・・確か舞台役者だよなこの人・・・」

 

 

 

 明神阿良也(みょうじんあらや)。実力派若手俳優として真っ先に名が上がる劇団天球所属の舞台俳優で“憑依型カメレオン俳優”、または“演劇界の怪物”の異名を持つ。彼が出演する舞台はチケットが発売されるや否や毎回のように即日完売するなど役者個人としての人気も非常に根強い。

 

 

 

 「まさか明神阿良也のことをあろうことか名前程度にしか認識していなかったとは・・・本当に君はこの10年もの間演劇から離れていたということを痛感させられますよ」

 「仕方ないだろ。俺はもう役者じゃなくてただの小説家なんだから」

 

 だが彼の舞台はおろか役者を辞めてからの10年間、一度も劇場に足を運んだことすらない俺にとってはミーハー以下の知識量しか頭の中にはない。

 

 「言っておくがそのチケットは初日から千秋楽にかけて全て即日完売した代物だよ」

 

 天知曰く、手渡された明神阿良也主演の舞台『そのマタギ』のチケットは上演される丸の内にある3000人超のキャパシティ7ステージ分がたった一日で売り切れたという。

 

 「メディアに全く出る気のない文字通りの舞台役者(筋金入り)の芝居を観るためだけに3000人超の座席が一日で全て完売するとは、私からしてみれば異常ですよ」

 

 明神阿良也。ミーハー以下の知識しかない俺にとっては未知数な存在だが、天知の言っていることが全て真実であるとすれば、とんでもない逸材だということは間違いないだろう。

 

 だから俺は、何となく返ってくる答えが分かっていながらも敢えて聞いた。

 

 「・・・なぜ明神阿良也の名前を出さなかった?」

 

 チケットを左手に持ち右手で最後の一服をしながらに揺さぶりをかける憬に、天知は憬と同じように最後の一服を味わうように嗜むと、いつものニヒルな笑みで答える。

 

 「・・・ 全ては“タイミング”です」

 「・・・やはりか」

 

 

 

 ニヒルに笑うプロデューサーの隣で、小説家の男はゆっくりと煙草の火を消した。

 




読者の中にはもしかしたら既に察している人もいるかと思いますが、そうです・・・前半の下り・・・・・・思いっきり原作オマージュです。本当にごめんなさい。

「流石にまんますぎないか?」と頭の中にいる“分身”からご指摘を喰らいましたが、結局これより良いシナリオを書くことができなかった自分を、どうかお許しください。

厳密に打ち明けるとひょっこりレベルの原作ネタは割と高確率でどこかしらにぶっこんでいるわけなのですが・・・

もしかしたらこの先も今回のような‟がっつりはん”が数回ほどあるかもですが、その時が来たら「あ、こいつやったな」とでも思っておいてください。




PS.やはり土台のない過去よりも、原作の土台がある現在の方がまだ書きやすいです。


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scene.30 天使


5/15 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


 「それではパターンA本番行きます。本番ヨーイ、ハイ!」

 

 アシスタントのカチンコを合図に、グリーンバックを背に大手ファストファッションブランドの衣服を着こなす1人の少女がスタジオ内に流れるBGMに合わせるようにポージングを決める。

 

 「ハイOKです!」

 

 その少女は目の前に構えられたカメラに映る自分の姿を瞬時に理解し、ディレクターの理想を一発で上回って見せる。カメラを回せば、ファストファッションで構築された衣装も彼女にかかれば宝石のように美しく輝きを放つ。

 

 「どうですか?今回もちゃんとイメージ通りに撮れてます?」

 「はい、もちろん今回もイメージ以上の出来栄えです」

 

 自分を目に焼き付ける大衆の為に自身を商品として完全に割り切り、徹底的に自己を排除して客観的な美しさを求め続けた1人の少女は、大手芸能事務所の広告塔として今日も芸能界(この世界)を“天使”として生き続けている。

 

 「それは良かったです」

 

 そんな彼女の“天使”として大衆を虜にし続ける華々しい活躍の裏に隠された10年間にも及ぶ血の滲むほどの努力の日々を知る者は、殆どいない。

 

 「では続いてパターンBの撮影入ります!」

 

 東京・青山にある撮影スタジオで行われていた “スターズの天使”こと百城千世子が出演する大手ファストファッションブランドのCM撮影は、予定より1時間以上早く終了した。無論これは彼女が手を抜いたわけではなく、大真面目に“本気”を出しただけの話である。

 

 

 

 「おっきたきた!」

 「すごい本物じゃん!?」

 「千世子ちゃんカワイイよ!!」

 「こっち向いて!」

 

 14時30分。盆過ぎの酷暑をもろともせず野次馬と化して出迎えるファンに軽く手を振りながら受け流し、秋物の撮影を終えた千世子はマネージャーを従えスタジオの正面玄関から颯爽とした足取りでスタジオの敷地内にある3台分ほどの広さの駐車場に駐車している黒のワンボックス(アルファード)へ真っ直ぐ歩みを進める。

 

 ここは大通りから1本入った裏通りに位置しているとはいえ青山のど真ん中。おまけに“おっかけ”にとってこのスタジオは多数の芸能人がCMや雑誌の撮影を行っている“名所”の1つであるため、情報を聞きつけた野次馬が出待ちのように待機する状態になることは決して珍しいことではない。

 

 「待ってアレマネージャーの眞壁(まかべ)さんじゃない?」

 「えッ嘘!?スゲェ超ラッキーじゃん今日!」

 

 正面玄関を出た直後に黒子のように後ろについていた“眞壁さん”というマネージャーが千世子の姿を塞ぐように早歩きで前に出てアルファードのスライドドアを開けると、ごく一部のファンがマネージャーにも注目する。

 

 「ごめんね “マクベス”。ああいうファンの言うことは気にしなくていいから」

 「“眞壁”です。私のことはお気に召さらず」

 

 後部座席に乗り込みがてら“天使のような”笑みを浮かべた千世子が気遣うと、“マクベス”こと千世子の専属マネージャーの眞壁隆之介(まかべりゅうのすけ)は学生と見紛うような童顔に似合わぬ丁寧な口調で気丈に言葉を返す。

 

 そんな眞壁は164cmの比較的小柄な身長と小顔で童顔な出で立ちから学生だと周囲から間違えられた経験が何度かあるが、来月で27歳になるれっきとした大人である。

 

 「それよりホントにマネージャーなのこの人?どっからどう見ても高校生にしか見えないんだけど?」

 

 “スターズの天使”を守るバリケードのようにスモークガラスの入ったスライドドアが閉まるのを確認すると、眞壁は野次馬には一切目もくれずに運転席のドアへと回り込む。

 

 「知らないの?マネージャーの眞壁さん。普段は送り迎えぐらいしか現場に来ないから顔が見れないけど、偶に黒子のように千世子ちゃんと現場に同行することがあるからこの2人が同時に見れる今日みたいな日はマジで貴重(レア)!」

 「ホントに?ていうかよく見たら普通にイケメンじゃない?」

 「そうそれ!私も最初見たとき普通にスターズの俳優さんかと思ったくらいだし」

 「あ~なんか分かる」

 

 ちなみにマネージャーの眞壁の存在は、ある雑誌で“百城千世子の活躍を影で支える第3の立役者”として取り上げられたことがきっかけで一部のファンの間で知られるようになり、現在に至る。

 

 そして彼の存在を知るコアな千世子ファンからは非公認ながらイケメンと認定されているが、そんな連中の言葉は眞壁の耳には全く届いてなどいない。

 

 「直ぐに出して、結構時間ギリギリだから」

 「御意」

 

 運転席に乗り込みエンジンスイッチを入れバックミラー越しに後部座席の視線を合わせ、いつものように律義な口調で挨拶する眞壁に千世子はあだ名呼びをしながら車を出すように急かすと、2人の乗るアルファードは野次馬を背後に追いやりながらスタジオからベイエリアにそびえ立つある男が住む高層マンションへと向かう。

 

 「はぁ・・・ねぇマクベス?なんか今日暑くない?」

 

 AUTO(オート)モードで全開になった冷気が流れ始める車内で、千世子は両手で風を扇ぐような仕草をしながら溜息交じりに運転席でハンドルを握る眞壁に話しかける。

 

 「そうですね。空は曇っていますが今日の東京は猛暑だそうです。というより、今年は記録的どころじゃないくらい暑いですからね」

 「うん。温暖化と高気圧のダブルパンチじゃ地球が暑くなるのは当然だし。今日は曇りだけど」

 「曇りでも晴れでも今年の暑さは異常ですよ」

 「逆にデスアイランドの時の方が今日よりまだ涼しかった気がする」

 「特に今年の7月と8月前半は東京(こっち)の方が色々と危なかった訳ですから、結果的に千世子さんは命拾いしましたね」

 「うん。そのかわり台風直撃(しわよせ)食らって危うく一回死にかけたけどね」

 

 野次馬の姿が見えなくなり、冷気が効き始めた車内で千世子と眞壁は気象の話で少しばかり盛り上がる。

 

 「でも“あの人たち”もあの人たちでよくあんな酷暑の中で元気よく立っていられるよね」

 「そうですね。私だったら絶対に無理です」

 「見ていて思わず尊敬しそうになっちゃったよ」

 「尊敬はしない方が良いと思いますよ千世子さん」

 

 当然そんな2人にとっては、野次馬のように群がる大衆のリアクションにはすっかり慣れっこである。

 

 「・・・夜凪さんと観に行く予定だった舞台、本当に行かなくて良かったのですか?」

 「うん。夜凪さんには悪いけど、どうしても國近さんにGOサインを出す前に“あの人”に会っておきたいから」

 

 話がひと段落したところで、後部座席に座る千世子に眞壁が名残惜しそうに言葉をかける。本来の予定であれば千世子はこのままデスアイランドで共演した夜凪の待つ劇場に直行し、16時から開演する明神阿良也主演の舞台『そのマタギ』の千秋楽を2人で観劇する約束をしていたが、千世子は友人との約束を蹴ってまである男と会うことを決めていた。

 

 「本当に1人で行かれるのですか?」

 「うん。どうせ会うなら1対1で話してみたいし。あぁ、別にマクベスのことを信用していないわけじゃないよ?あなたのことはアキラちゃんやアリサさんと同じくらいには信用してるから」

 「・・・そこまで私は大層な人間ではないですよ」

 

 それも、たった一人で。

 

 

 

 『ゴメンねアキラ君。昨日言ってた夜凪さんと観に行く舞台なんだけど仕事がギリギリになって入って行けなくなっちゃったから代わりに行ってくれない?』

 『えっ?あぁ、僕は別に構わないよ』

 『ほんとにありがとう。それから夜凪さんに会ったら“ごめんなさい”って伝えてくれたら助かる』

 『そうか。せっかく夜凪君と一緒に舞台を観れるはずだったのに、残念だね』

 『ううん、大丈夫。“こういうこと”はもうすっかり慣れっこだから』

 

 

 

 ちなみに補足だが、夜凪の元には千世子と同じくスターズに所属する人気若手イケメン俳優で幼馴染でもある星アキラが“ピンチヒッター”として向かっているところだ。

 

 「・・・もしかして夕野先生次第で『hole』のオファーを引き受けるかどうかを決めるおつもりですか?」

 

 だが5年以上に渡って千世子の専属マネージャーを務めてきた眞壁には、彼女の思考はある程度なら読むことが出来る。

 

 「・・・ならどうする?」

 

 正解を言い当てた眞壁に、千世子ははぐらかすように揺さぶりをかける。

 

 「何もしませんよ。どう転ぼうが私の“仕事”は千世子さんを支えることだけですから」

 

 相変わらずの無表情な面構えで淡々と答える眞壁に、千世子は“フフッ”と笑いかけると斜め前の運転席でハンドルを握る眞壁の左肩に手を置く。

 

 「・・・昨日の夜に國近さんの『ロストチャイルド』を家で観たんだけどさ・・・すごいものを見つけちゃった」

 

 青山通りと交差する信号に差し掛かった辺りで、千世子はいかにも“面白いもの”を見つけたと言いたげに運転席の眞壁に昨日鑑賞した映画の話を持ち掛ける。

 

 「それは原作者である夕野先生のお芝居のことでしょうか?」

 

 『ロストチャイルド』に『hole』の原作者である憬が役者として出演していることや彼の経歴を熟知している眞壁はさも正解を言い当てるように返すが、

 

 「うん、正解・・・・・・って言いたいところだけど、それだけじゃないんだよね・・・」

 

 眞壁の言葉に対して千世子はわざとらしく揺さぶりをかける。

 

 「・・・どういう意味ですか?」

 「どうって・・・マクベスならとっくに気付いてるでしょ?」

 

 千世子からの一言に眞壁の目が一瞬だけ揺らぐと同時に目の前の信号機が青く光り、眞壁の運転するアルファードは青山通りとの交差点を左へ曲がり打ち合わせの目的地となる憬の住処であるマンションへと進路をとる。

 

 「原作の小説は明日、事務所に届くそうです」

 「そう・・・ありがと」

 

 揺さぶりに動じない素振りで話を逸らした眞壁に、千世子は不敵にほくそ笑んだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 午後3時の少し前。マンションのフロントから出てこの後に丸の内で行われる公演の千秋楽に行かなければならないであろう時間に、憬はフロントにあるソファーでくつろぎながら中庭の庭園を眺め来客を待っていた。

 

 

 

 『どうしても今日、君に会いたいと言っている人がいるから“部屋”に招待して欲しい』

 

 それは突然の電話だった。午前9時過ぎ。日課としている朝のランニングを終えて軽い朝食を摂り、執筆を始めようとしたタイミングで掛かってきた、天知からの電話。

 

 「・・・誰からだ?」

 

 シナリオを白紙に戻すと黒山に告げてから約1ヶ月半。あの映画の題材となるストーリーはプロットの完成すら見えてこない。元々頭の中で物語を作り上げて具現化するのには時間がかかる方だという自覚はあるが、ここまで先が見えないという経験(スランプ)は久しぶりだ。

 

 おまけに名もなき新作の執筆と並行して『hole』の脚本を書かなければならないという状況。『hole』に関しては元のストーリーはとっくに完成しているのは言うまでもないためゼロから執筆するよりは比較的容易ではあるが、今後のキャスティング次第では多少のシナリオ変更も考えなければならない。

 

 だがこれらのことは全て自らが望んで引き受けたことだから踏ん切り自体はとっくについている。

 

 『それは私の口からは言えないね』

 「だとしたら悪いが夕野先生は別件で忙しいと伝えておいてくれ」

 

 とは言えプロットを考えては捨て、考えては捨てを繰り返す終わりどころか始まりも見えてこない作業をし続ける日常。運良く今日は“昔の夢”を見ずに済んだが、このところは“夢”に魘され頭痛に襲われる頻度が増え、心なしか嗜好品に頼る回数も増えていた。

 

 『普段あまり感情を表に出さない君にしては珍しく苛立っているな』

 「当たり前だろ。こんな状況でどっかの誰かも分からねぇ相手をするために時間を割けと言われて、ハイ分かりましたと納得する奴がどこにいる?」

 

 こんな上記のような状況で“物語のヒントになり得るであろう”舞台を諦め“、“得体の知れない謎の来客”の接待をしろとあの“悪魔”から言われたら、多少なりとも気は立ってしまうものだ。

 

 『・・・じゃあもし君がこの話を断ったことによって『hole(映画)』の話がなかったことになるとしても断るかい?』

 

 そんな俺の事情をある程度知っていながら、天知はなおも優しい口調で問いかける。

 

 「なかったことってどういうことだ天知さん?」

 『そのままの意味だよ。もう一度聞く、この話を聞いても君は断るのかい?』

 

 もちろん俺が来るか来ないかで『hole』の企画が破綻することはあり得ない。

 

 「・・・天知さんがこんなあからさまな嘘吐くなんて、らしくないな」

 

 だがあまりに出来過ぎた天知の半ば脅しに近い感情の入った嘘を聞き、俺は天知の言っている相手が誰であるかを直感した。

 

 「よし分かった。ならこうしよう・・・俺に会いたいと言っている客が“百城千世子”であるならば、快く引き受ける」

 

 恐らく来客の正体は百城千世子で間違いないだろう。

 

 『・・・ご協力に感謝します、夕野先生』

 

 そして天知も端から俺に対して隠すつもりは全くなかったようで、来客の正体をあっさりと打ち明けた。電話の向こうであのニヒルな笑みを浮かべているのが容易に想像できる。

 

 「どういうつもりだ?天知さん?」

 『そんなことは本人に直接聞いてみないと分からないさ。あくまで私は彼女から君へ伝言を頼まれただけなので』

 

 俺からの問いかけに、天知はいかにも“あの笑み”を浮かべているのが容易に想像のつく口調で答えた。

 

 『ただ、君にとってはこの後に観る予定だった舞台と同等かそれ以上の“ヒント”を得られることだろう。それだけは私が保証するよ・・・』

 

 

 

 結局天知から手渡された明神阿良也主演の舞台のチケットは僅かな希少価値が付く程度の紙切れと化し、俺は15分ほど前からこうしてフロントの片隅でソファーに座り中庭を眺め百城千世子が来るのを待ちながら気分転換をしている。無論、電話の後は予定にはなかったリビングの大掃除をやる羽目になったせいで、今日も今日とて手応えのあるシナリオは浮かんでいない。

 

 “・・・一体何を考えている・・・百城千世子・・・”

 

 俺はまだ、繁華街の看板やスクリーンやリビングの55型に映る煌びやかな“天使”としての彼女しか知らない。だが当然俺は 、“俳優は大衆の為に在れ”という事務所の意向を1から100まで全てを飲み込んだ“究極生命体”のような彼女の姿が本当の姿であるとは全く思っていない。

 

 果たして百城千世子は、小説家の俺に興味を持ったのだろうか。それとも昔を含めた俺自身のことなのだろうか。

 

 “私たちは“スターズの天使”として今をときめく彼女ではなく、“天使”としての“消費期限”を使い果たした2年後に投資をすることを考えなければなりません”

 

 いや、間違いなく百城は後者だろう。彼女だって1人の人間に過ぎない。だから時間が経てば老いていき、彼女が老いれば需要も変化していくということを百城千世子は他の誰よりも理解している。

 

 ただ事務所の指示に従い続けることに慣れて、自分自身に課せられている需要という名の “消費期限”を理解することを忘れたような奴が、10年も生き残れるほど芸能界(あの世界)は甘くはない。

 

 “・・・会ってみたら思いの外 “ちゃんと人間”なのかもしれないな・・・スターズの天使も・・・”

 

 「・・・って当たり前じゃねぇか」

 

 当たり前なことを心の中で呟きながらそんな自分にツッコミを入れ、左手首にはめたスマートウォッチで時間を確認すると1.78インチのディスプレイに表示された時刻は14:55を指していた。

 

 “そろそろ行くか”

 

 天知から15時頃にそっちへ着くということを電話で知らされていた俺は歩き慣れた高級ホテルのようなエントランスホールを通り抜け、透明なセキュリティーで覆われている二重の扉を通り抜け、エントランスの外に出る。

 

「・・・暑っ・・・」

 

 よく冷房の効いたエントランスから外に出た瞬間、猛暑に迫る猛烈な熱気に襲われ思わず声が漏れる。暑さは全く変わらないのに青空ひとつ見えない曇天の空は、俺の心を生き写しているのではないだろうかとすら感じてしまう。

 

 「そろそろ来てもいい頃だよな・・・」

 

 ちなみに天知からは電話で“『夕野の住むタワーの場所は知らせてあるから君はエントランスの近くで待っていればいい』”と事前に知らされていたとはいえ、15時になろうとしても百城が来る気配は全くない。

 

 “・・・マジでいないな・・・”

 

 試しに周囲を見渡しながら中庭まで足を進めるが百城の姿は何処にもなく、当然気配も感じない。

 

 “・・・本当にこの場所分かっているんだろうな・・・?”

 

 この世界に生きている人間は誰しもが何かしらの弱点を抱えているものだ。どんなに世界で活躍するアスリートやノーベル賞を受賞するような科学者であっても、必ず得手不得手というものはある。

 

 完璧な人間なんて誰一人いないように、大衆を魅了する完全無欠の主演女優である百城千世子が実は重度の方向音痴であったとしても、それはそれで不思議なことではない。当たり前のことだが、彼女はあくまで広いくくりでは俺と同じただの人間なのだから。

 

 “まさかドタキャンはないだろうな・・・”

 

 再びスマートウォッチで時刻を確認すると、時刻はジャスト15:00を指す。約束の時間になったが、依然気配は一切なし。もしかしてどこかで入れ違えたのだろうか?と感じた俺は、中庭から引き返して再びエントランスに戻ろうと振り返る。

 

 「こんなところで何を黄昏てるんですか?」

 

 エントランスに戻って様子を見ようと振り返ったその瞬間、目の前には白のワンピースに黒い無地のキャップ、そしてコパーの入ったラウンドのサングラスをかけた1人の少女が立っていた。

 

 「15時00分。約束通り、時間は守りましたよ」

 

 キャップを被っていてもはっきりとわかる、白銀のように輝く少し癖のあるふわっとしたショートヘアの髪に透明感のある色白の肌。

 変装用のサングラス越しでも分かる、天真爛漫だがどこかミステリアスな雰囲気を纏うぱっちりとした瞳に、可愛らしさと美しさが絶妙なバランスで合わさった可憐な容姿。そして聴き覚えのある“天使”という言葉がよく似合う綺麗に透き通った声色。

 

「・・・百城千世子・・・」

 

 振り返ると、“大衆”がよく知っている“百城千世子(天使)”がそこにいた。目視で認識するまで気配はおろか、足音の1つすら聴こえなかった。だが彼女の姿をこの目で認識した次の瞬間、地上を覆い隠す曇天の空もうだるような酷暑もどこかへ消え去るように、俺の視線は1人の天使に吸い寄せられるように動かなくなる。

 

 まるで本当に空の上から降りてきた“天使”を目撃しているかのような錯覚に襲われる。

 

 「・・・本当に“天使”のまんまだな」

 「フフッ、そう言ってもらえて光栄です」

 

 俺の目を見て無邪気そうに笑みを浮かべるその姿は、スクリーンやリビングの55型に映っていた“天使”そのものだ。

 

 「俳優は大衆の為に在れ・・・だったか・・・」

 

 より多くの大衆を魅了する者が正義で、より多くの数字を取れる者が主役の座を勝ち取る。例え事務所のゴリ押しだと揶揄されようとも、スターは作り上げるものである。全ては役者の“幸せ”のために。

 

 百城千世子という女優は、まさにスターズの掲げている“幸せの象徴”である。もちろんこうして“外側の人間”が目の前に立っている今この瞬間においても、彼女はその“象徴”を崩そうともしない。

 

 「何であんたは外に出ても、そうやってずっと“天使”を演じ続けている?

 

 目の前で可憐に微笑む天使の姿が、本来の“百城千世子”ではないということは数秒と足らずに感じ取れた。足を一歩でも踏み出せば身体に手が届きそうな距離で対峙していながら、彼女の姿が全く“視えない”のだ。

 

 俺が役者だった頃に、今の彼女とよく似た役者がいたからよく分かる。

 

 

 

 “あまりに“綺麗すぎる”彼女の容姿を見れば見るほど、 “あいつ”の顔が思い起こされる”

 

 

 

 「・・・さすが、“実力派の俳優さん”なだけあって物分かりが早いですね」

 

 すぐさま自分の顔に張り付けた“仮面”を見透かした俺に、百城はクスっと笑いながら変装(カモフラージュ)を解いて正体を露にする。

 

 「っおい・・・!」

 

 マンションの共用施設内である中庭にいるとはいえ、いきなり一般人も普通に出入りする空間でカモフラージュを解いた彼女に思わず動揺を隠せず絞り出すような声で驚く。

 

 「私が周りから“美少女”とか“天使”のように見えていることは私が一番よく知ってます」

 

 ここの住人ではない“百城千世子”が突然現れたとあって、下手をすれば観衆に囲まれて後々ネットで上げられ“えらい”ことになる最悪のパターンが脳裏によぎったが、幸いにも天候と中途半端な時間帯のおかげか周囲に人影はほぼおらず、少しばかりの安堵が心を撫ぜる。

 

 「でも、私は自分のことを“天使”だなんて全く思っていない

 

 とはいえ一歩間違えば何を考えているのか分からない不特定多数の野次馬によってプライベートをバラされるかもしれないという、そんな状況に置かれても全く臆することなく彼女は余裕の表情で周囲を一瞥すると、再び変装用のキャップとサングラスをかける。

 

 その瞬間、ほんの僅かではあるが“天使”の心の底で眠っている“悪魔”を垣間見たような気がした。

 

 「って、勘の鋭い夕野さんならこんなこと言われなくても分かってますよね?」

 

 だが百城が本性(それ)を見せたのは一瞬で、確証を得られる前にすぐさま表に出てきた悪魔は心の奥底に引っ込んでいき、いつものよく知る“天使の顔”が再び浮かび上がる。

 

 「・・・話すことはまだ山ほどあるだろうから、一先ず続きは部屋で聞こう。こんなところで立ち話をして下手に周りから騒がれてマスコミ(変な奴ら)に嗅ぎつけられたら俺らの立場がないからな。それとシンプルに暑いし」

 「アレ?もしかして夕野さんって世間体を気にするタイプですか?ちょっと意外

 

 “やはり彼女を見れば見るほど・・・何故かあいつの姿が脳裏にちらつく・・・”

 

 「・・・あまり目上(大人)をおちょくる態度を取っていると干されるぞ、百城さん」

 

 

 

 スターズの天使、女優・百城千世子。彼女は天使の皮を被ったただの人間、なんて生易しい役者(いきもの)ではなさそうだ。

 

 




お待たせしました・・・お待たせしすぎたかもしれません。

scene30(キャラ紹介も含めて34話)にして・・・・・・ついにチヨコエルの登場です。

いやぁ、マジでお待たせしすぎてしまいました。としか言いようがないですね。ホンマにどんだけ待たせんねんと。

ただ実際は他の誰よりも出したくて出したくてウズウズしていたのは作者本人であった・・・ってことでいざ本編に出してみたところ・・・まぁ書いててカロリーの消費が半端じゃないんスわ。

それだけ真剣に愛をもって向き合わないと、百城千世子という“天使”は書けないってことですよね・・・はい。







愛と平和しか勝たん


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scene.31 ブラック&フラペチーノ

誰かに向けて言うわけではありませんが、すいませんでした。


 「お邪魔しまーす」

 

 約束の時間である15時ジャストに中庭で合流した百城を、俺は22階にある2LDK(自宅)に案内する。本音を言うと近場のカフェ辺りで話を聞きたかったが、不特定多数から注目され最悪の場合“写真を撮られる”というリスクを考慮した結果こうなった。

 

 幸か不幸か俺の住んでいるマンションは芸能人を含め各界の有名人と呼ばれる人たちが少なからず住処にしている“巣窟”のような場所のため、そこら辺の高級物件よりも徹底的に対策が練られているという点も結果の1つだ。

 

 「さすが人気小説家さん。良いところに住んでいますねー。それに掃除もよく行き届いているみたいで、感心しちゃいますよ」

 「そりゃどうも」

 

 玄関で靴をきちっと揃え来客用リビングに足を踏み入れた百城は、ショールーム並みに綺麗にしたリビングを見渡して天真爛漫なままに褒め称える。

 

 「他の部屋も見ていいですか?」

 

 生意気でませた言動はあまり好みではないが、玄関に入る時に「お邪魔します」と挨拶して靴をきっちりと揃え、不用意に他の部屋を覗こうとはしない辺り、どっかの黒山(誰か)とは違い礼儀作法は弁えている。きっと星アリサ(あの人)から口うるさく言われて矯正されているのだろう。

 

 まぁ、これくらいは常識的に考えると誰でも出来て当然の範囲ではあるのだが。

 

 「浴室なら見てもいいぞ」

 「それよりあっちの部屋は見せてくれないんですか?」

 

 仕方なくバスルームを案内しようとする俺に、百城はリビングの奥にある二つのドアの方に顔を向ける。

 

 「悪いが向こうの部屋は駄目だ」

 

 ちなみに俺は書斎と寝室には人を入れないということを決めている。特に書斎に至っては絶対だ。

 

 「えっ?もしかして何か“やましいもの”でも隠しているの?」

 

 そんなことなどつゆ知らずの百城は天使と悪魔が同居した笑みを浮かべ平然と問い詰めてくるが、この程度の子供騙し(騙し)では俺は揺るがない。

 

 「それは百城さんのご想像に任せるよ。生憎俺はリビング以外に他人が足を踏み入れることを許さない主義なんでな」

 「もー、そんな塩対応じゃ女の人からモテないですよ?夕野さん?」

 「モテなくて結構」

 

 天使のような笑顔を浮かべながら、百城は小悪魔のような台詞を吐く。確かに天使と悪魔は紙一重という言葉は、あながち間違ってはいないのだろう。

 

 「・・・まぁいいや。夕野さんがどういう人なのかっていうのは分かってきたし」

 「どういうことだ?」

 

 少しばかりリビングを見渡すと、天使のような笑みを浮かべたまま振り返った百城が尚も問い詰めるが、この後に彼女は意外な一言を俺にぶつける。

 

 「夕野さんって、普段あんまり掃除しない人でしょ?」

 「・・・何故そう言い切れる?」

 

 確かに俺は今日のように来客が来るとき以外は週1回程度しか掃除はしないし、そもそも普段は“ここまで”綺麗にはしない。

 

 「だってここのリビングだけ不自然なくらいに綺麗すぎるんだもん。いかにもお客さんが来るから大掃除をしたって感じで」

 

 理由はただ一つ、掃除はめんどくさいからだ。そんな思いをしたくなければ毎日やれと言われてしまえばそれまでだが、掃除だけは毎日やる程の気力が起きない。

 

 これでも人並みには綺麗にしているつもりだが、軽く見渡しただけで百城は掃除が完全に行き届いていないことを見抜いた。

 

 「・・・随分と勘が鋭いんだな。あとそれは思っていても口にしないほうがいいと思うぞ」

 

 “それにしても、この勘の鋭さは何だ?”

 

 あるいはこの異常なまでの勘の鋭さこそが、彼女が主演女優として作品に華を添え大衆を魅了し続けていられる為の原動力になっているのだろうか。少なくとも“勘が鋭い”という利点は、役者にとっては大いなる武器でもあるからだ。

 

 だが相変わらずこんなに近くにいるというのに、俺には依然として百城の本性が見えないままだ。現に今リビングにいるのは近いけど果てしなく遠い、届きそうで届かない“偶像”そのものだ。

 

 「別に勘なんて使ってないよ、ただリビングの清潔感が私の部屋の感じと凄く似てるってだけだから」

 

 初めて目の前で目にしている天使に対して疑心が拭えずにいる俺に、千世子は小生意気に白く綺麗に整った歯を見せながら笑う。恐らくこの笑みもあくまで“天使”の感情であって、彼女ではない。

 

 「似てる?どういう意味だ?」

 

 だが疑問をぶつけた瞬間、俺を見つめる百城の笑みがほんの僅かながら変わった。

 

 「私も“夕野さん”と同じで家にいるとついつい掃除をサボっちゃうところがあるから、パッと見ただけで分かっちゃうんだよね」

 

 果たして今の言葉が百城の本心なのかは断言できないが、それまで全く視えなかったはずの言葉に乗せられた“感情”というものが、ほんの少しだけ視えた。

 

 “憶測だが、彼女は俺に対する“警戒心”を解き始めている“

 

 「意外だな・・・てっきり俺は家に帰っても“完璧主義者(天使)”かと思ってたよ」

 

 そう心の中で予測した俺は、わざとらしいリアクションで百城の言葉に答える。

 

 「フッ」

 

 すると百城は視線を斜め下にそらして右手で口元を隠す仕草をしながらクスっと笑う。

 

 「何がおかしい?」

 

 馬鹿にされる前提で言ったとはいえ本当の意味で心の底から馬鹿にして笑っているのがすぐに分かったから少しだけ腹が立ったが、それと引き換えに同時に百城の “本性”が徐々に見え始めてきた。

 

 「いや・・・自分の(うち)にいる時もずっと“天使”のままだったら心が疲れ切って死んじゃうよ。一応こうやって外にいる時はイメージを崩さないように心掛けてるけど、私だって例えば外だと牛丼はちまちま食べてるけどおうちの中じゃかきこんで食べるし、掃除だって時間とか気持ちに余裕がある時以外は“ルンバ”とかに任せちゃってるからね。あぁもちろん、体型とかスキンケアには気を遣っているけど」

 

 馬鹿にしたように笑いつつ、プライベートの暮らしぶりを俺にカミングアウトする。話を聞く限り、芸能人としてのプロ意識の高さが反映されているところもあれば、そうでないところもあるようだ。

 

 いや、裏を返せばそれだけオンとオフを切り替えられているということだろうか。

 

 「・・・ってところかな?夕野さん?」

 

 比喩表現として牛丼という彼女のイメージからはかなりかけ離れた食べ物をチョイスしたことはさておき、少しずつではあるが百城千世子の人物像は見え始めて来た。

 

 “せっかく時間を割いた・・・1つでも多くのヒントを手に入れる”

 

 「・・・役者というのはオンオフを切り替えられないと遅かれ早かれ精神に異常をきたし、やがて“破綻”する・・・だから“天使”が牛丼を食おうが家の掃除をロボット掃除機に任せようが何も不思議なことではない・・・あんたのおかげで思い出したよ。所詮役者なんて生き物はカメラの前や舞台の上から離れればただの一般人(人間)と何ら変わらないってことに」

 

 分厚い天使のベールを少しづつ解き始めた千世子の目を真っ直ぐに見つめ、憬は本性を剥き出しにするかのような表情と口ぶりで心の声をそのまま千世子に伝える。

 

 「・・・やっぱり面白い人だなぁ・・・夕野さん」

 

 その言葉に千世子は目の前に立つ憬を真っ直ぐに見つめ、感情を生き写しながら答えた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「それより座らないのか?」

 「えっ?いいの?」

 「当たり前だろ。来客を招き入れておいて最後まで席に座らせない(あるじ)がどこにいる?」

 「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 部屋に入ってから数分、千世子は憬から半ば諭される恰好でようやく来客用のソファーにきちっとした姿勢で座る。その上品な佇まいはソファーの上の壁に飾られた絵画と合わさって、それまでの天真爛漫な普段の雰囲気からはかけ離れた独特な空気感を醸し出している。

 

 「何が飲みたい?紅茶だったらすぐに出せるぞ」

 

 キッチンに向かった憬は湯を沸かし始めながら千世子へ注文を問う。

 

 「そうだなー・・・・・・せっかくだから夕野さんの“おススメ”で」

 「おススメって・・・そんなもんあるわけないだろ」

 「じゃあ、一番自信のあるもので」

 

 千世子が数秒ほど考えるような仕草をした末に出した注文に、憬は思わず困惑する。

 

 “・・・思った以上にめんどくさいガキだな・・・”

 

 そんな憬には自慢げに言える程ではないが、以前あるお客に出して絶賛された拘りの自信作が1つだけある。

 

 「・・・アイスコーヒーでいいか?」

 

 少しばかり悩んだ末、あまりお勧めは出来ないと言いたげに憬は自慢のコーヒーを勧めると、千世子は即答で「うん、いいよ」と答えた。

 

 「その代わりこれから俺が作るのはブラックだぞ。それでもいいのか?」

 「全然OKだよ」

 「ホントか?炒ってる途中で 『やっぱり“コーヒーフラペチーノ”が良い』なんて言っても受け付けないからな」

 「もしかして私がブラックの飲めない“お子様”だと思ってる?」

 

 天使を彷彿とさせる声色をそのままに、千世子は棘のある口調で問い詰めるように憬に言葉をかける。

 

 「思っていたらどうするつもりだ?」

 

 “まぁ、実を言うとブラックを飲んだことは一回もないんだけどね・・・”

 

 「夕野さんが私のことをどう思っていようが構わないよ・・・法律上だと私はまだ未成年の“お子様”だから」

 

 千世子からの曖昧かつ複雑怪奇な答えに憬はバツの悪そうな顔をすると、

 

 「・・・別に俺はあんたのことをお子様だとは一言も言ってないし思ってもいない。ただ単に俺の身体が甘いものを受け付けないからそんなものを頼まれたところで出せないってだけの話だ」

 

 と長めの捨て台詞を吐いてそのまま自前の器具を取り出して黒山から絶賛されたブラックコーヒーを淹れ始める。

 

 「甘いものが食べられない人って本当にいるんだね」

 「あぁ、地球上を探せば幾らでもいるさ」

 

 “そりゃあ地球の規模で探せばいるに決まってるでしょ”

 

 「そっか。でもなんか可哀想」

 「・・・・・・」

 

 私の言葉が少々気に障ったのか、夕野さんは投げやりに答えたのを最後に私の言葉など全く聞こえないかの如く会話のキャッチボールを無視してブラックコーヒー作りに集中し始める。

 

 リビングはショールームのように清潔だけど、玄関周りや廊下は“並み程度”なところから特別に綺麗好きという訳ではなさそうだ。きっと気が向いた時や誰かが部屋に上がって来る時ぐらいしかちゃんと掃除をしない人なんだろう。私も掃除や片付けが得意な方じゃないからリビングに入った瞬間にそれは分かった。

 

 一方で清潔にされたインテリアは全体的に白と黒のモノトーンを基調にシンプルかつモダンな雰囲気で、全体的に無機質だがバランス良く洗練されている。私的にはあまり落ち着ける感じの部屋じゃないけれど、特に不快感はない。

 

 「ねぇ?」

 

 ただ一点だけ目につくところがあるとすれば、ソファーの上に飾られた一枚の絵画だ。

 

 「この絵はなに?」

 

 私の頭上で鎮座する、全てを跡形もなく飲み込むような恐怖に満ちた禍々しい炎で埋め尽くされた一枚の絵画。無機質なモノトーンで全体的に統一されているインテリアと相まって異彩を放っている。

 

 「3年くらい前に知り合いの小説家から貰った絵だ」

 

 私の言葉に、夕野さんは淡々とした口調で答えた。知り合いから貰ったという名前の知らない画家の描いた炎。

 

 「・・・この絵をわざわざリビングの一番目立つところに飾っているのは何か理由(わけ)はあるの?」

 

 単に置き場所が無かったから仕方なくここに飾った、という訳ではなさそうだ。

 

 「逆に聞くけど百城さんはこの絵を見てどう思った?」

 

 姿勢を正し目線をキッチンのほうに向けたまま、千世子は頭上の絵画がこの部屋に飾られている理由を憬に問うが、返って来たのは逆質問だった。

 

 「正直に答えて欲しい」

 

 “この絵はなぜ綺麗なのか・・・”

 

 千世子は頭をフルに回転させて考える。

 

 モノトーンの空間のど真ん中に鎮座するように、1つの禍々しい炎が何色とも似つかない残虐かつ危険な香りを充満させている。その炎は部屋中に今にも燃え移りそうで、想像するだけで得体の知れない恐怖感が襲い掛かってきそうだ。

 

 もしも炎がこの部屋全体を灼熱の海に染め上げた時には、自分たちを含めて洗練されたインテリアも聖域である書斎も跡形もなく塵になって消える。文字通りただただ炎に飲み込まれていくだけだ。

 

 

 

 “綺麗さっぱり・・・”

 

 

 

 「・・・この部屋一体に真上の炎が燃え広がったら、それはそれで“綺麗”かも」

 

 逆質問から約2秒、千世子は絵画の解釈に辿り着く。果たしてこれがこんなところに絵画が飾られている理由としてなのかという保証は本人にもない。

 

 「綺麗か・・・これじゃあせっかくの落ち着いたインテリアが台無しになるとは思わないのか?」

 

 千世子が導き出した1つの答えに、憬は尚も疑問をぶつける。

 

 台無し。確かにこれだと統一性のあるインテリアは一気に台無しになるのかもしれない。

 

 「でも意図的にここに飾ってあるってことは、夕野さんにとっては“これが綺麗”ってことでしょ?」

 

 インテリアにはその人に隠された人間性を垣間見させてくれる鏡のようなところがある。と、映画の宣伝を兼ねて出演したある番組で専門家の人が言っていた。

 その理論で行くと禍々しい炎の絵画をよりによって最も対照的な空間に堂々と飾る二面性が、“夕野憬”という人間を如実に表しているということになる。

 

 「・・・あぁ。俺にとってはな」

 

 だけどあの映画に映っていた夕野さんと、目の前のキッチンでコーヒーを淹れている夕野さんは 、“全くの別人”だ。

 

 “・・・夜凪さんみたいな人を想像していたんだけど・・・全然違ったな・・・”

 

 少なくとも、あの映画の夕野さんの横顔には裏表なんて一切なかった。常に自分がどう視られているのかを頭に入れながら “仮面”を被り“天使(主演)”を演じる私とは真逆の芝居をしているのに、夜凪さんとは違って実際に会って見たらカメラの中にいたはずの夕野さんの本性(姿)はまるで視えてこない。

 

 

 

 “・・・これぞ百聞は一見にしかずか・・・合ってるかわからないけど・・・”

 

 

 

 「・・・ふ~ん」

 

 憬に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で相槌を打つと、千世子はソファーから立ち上がりキッチンのカウンターへ向かい、カウンター越しに憬の淹れているブラックコーヒーを眺める。

 

 「夕野さんはハンドドリップでコーヒーを淹れるんですね」

 

 フィルターに挽いて粉状になったコーヒーを入れて蒸らしの工程に入った憬に、千世子が話しかける。

 

 「わざわざ手間のかかるやり方で淹れているのにはこだわりがあるの?」

 「特に拘りはないよ。ただインスタントに満足できなくなったってだけで」

 「インスタントじゃ嫌だって言ってる時点で十分こだわってると私は思うけど?」

 「こんなのは拘りのうちに入らない。俺からしてみればこの程度の工程は普段の自炊と何ら変わらん。料理っていうのは自分の手を使って作るからこそよりおいしくなるからな」

 「おぉ~名言頂きました」

 「あまり大人を揶揄うな」

 

 カウンターに両手を置いて寄りかかるような姿勢で話しかけてくる千世子の相手をしながらも、憬は慣れた手つきで小さな「の」の字を描くようにポットでお湯を注ぎコーヒーを抽出する。

 

 「ところで百城さんは普段料理するのか?」

 「う~ん、することもあるにはあるけど包丁とか怪我するようなモノはなるべく使わないようにしてるよ」

 「刃物が怖いのか?」

 「いや、そういうの自体は全然大丈夫だしどうしても使わないとって時は普通に使ってるよ。でも万が一それで指を切ったりなんかしたらスポンサーにも迷惑がかかるから、余計に気は遣うことになるけど」

 「指先の一本ぐらい最悪このご時世なら編集でどうにかなるだろ?20年前じゃあるまいし」

 「私は常に“百城千世子”でなくちゃいけないから、かすり傷すらも負うことは許されないんだよ」

 

 直接的な言葉にはしなかったが、“百城千世子でなければならない”と畳み掛けるように言う彼女に、並々ならぬ“美学と覚悟”を見た。

 

 考えても見れば、百城は今や事務所(スターズ)になくてはならない広告塔だ。街を歩けば必ずと言っていいほど彼女の顔が入った広告が目に留まり、テレビをつければ1日1回以上は必ず彼女の出演しているCMが流れている。

 

 言い換えればそれだけ女優・百城千世子の価値はスポンサーにとっては魅力的で、それに比例して影響力も膨大なのだろう。

 

 「・・・そうか。人気女優は大変だな」

 

 故に少しの怪我が何千万、不祥事やらの大騒動を巻き起こした暁には低く見積もったとしても数億円レベルの損害がついて回るというリスクを背負うことになる。

 

 「うん、人気者は大変だよ。どこに行ってもスポンサーがついて回ってくるし、分刻みのスケジュールなんてザラにあるし、忙しすぎて偶には1日中家でゴロゴロしたり、友達と時間を忘れるくらいまで遊びたいなってふと思いながら眠りにつくこともあるし」

 

 そんなリスクを17歳という若さで背負い続けている彼女は、やや自嘲気味に笑いながらもどこか余裕そうな口ぶりで答える。

 

 「夕野さんも俳優だった頃はそうだったでしょ?」

 

 そんな俺にも、かつては今の百城千世子と同じように分刻みでスケジュールをこなしていた時期が確かにあった。

 

 「・・・一番忙しいかった時はそうだったかもしれないな。でも、今のあんたと同じように“余裕”だったよ」

 

 故に身体に降りかかるストレスは凄まじいものだったが、芝居がそれらを全て忘れさせてくれたおかげで精神力だけは普通に保てるぐらいの余裕があった。職種に限らず、人はある一定の限界値を超えて忙しくなると疲れという感覚を通り越し、不思議なことに精神()は普段以上に元気になるものだ。

 

 そして人は極限の状態になればなるほど、驚異的なパフォーマンスを発揮出来るようになる。特にアスリートや芸術家(アーティスト)として生計を立てる人間はその最たるものなのかもしれないと、今になってみれば思う。

 

 

 

 “無論それは、身体と心が限界を“超え過ぎなければ”の話であるが”

 

 

 

 カウンター越しに会話をしているうちにコーヒーを淹れ終わり、憬はドリッパーを外してサーバーに氷を入れてかき混ぜながらコーヒーを冷やし、それをグラスに注ぐ。

 

 「少しばかり待たせたか?」

 「ううん」

 

 ガラス製のセンターテーブルにブラックのアイスコーヒーを入れたグラスを置き、2人はテーブル挟んで互いのソファーに座る。

 

 「俺は何も混ぜないで飲んでいるけど百城さんはどうする?ミルクなら用意できるけど?」

 「私もこのままで大丈夫だよ」

 

 こうして少しばかりの手間をかけて淹れられたブラックコーヒーは、確かにパッと見ただけで普通のインスタントコーヒーとは色合いが明らかに違い、味の質も1ランク上だというのが分かる。

 

 「そうか。万一口に合わなかったらミルクを足してもいいぞ」

 

 砂糖もなければミルクもない、正真正銘のブラックコーヒー。見るからに“お子様”はお断りの渋く上品な香りが鼻にかかる。

 

 「いや、このままありがたくいただきます」

 

 断りを入れて生まれて初めてのブラックコーヒーを口へと運ぶ。明らかに口当たりの強そうな見た目に反してソフトな苦味が口の中に広がり、それに続いてコーヒー本来の深みとも言える独特で強烈な苦味が混ざり合い、双方が絶妙なバランスとなって身体の中へと流れ込んでいく。

 

 “やっぱり私は、フラペチーノの方が好きかな”

 「うん。ちょっと苦いけど美味しい」

 

 氷で冷やしていたことによって若干癖が抜けていたこともあったのか、初めてのブラックコーヒーは“想像していたよりは”すんなりと口の中に溶け込んだ。きっと好きな人にはとことんハマるような味なのだろう。

 

 今の私にはイマイチしっくりこないけど。

 

 「・・・美味しいか。こういうことを言うのは悪いけど俺にはあまりそう見えないが・・・美味しく感じられているならそれでいいよ」

 

 そんな私の思考を感じ取ったかは分からないが、どういう訳か夕野さんは美味しいと答えた私を疑っているように言葉を紡いでくる。

 

 「そんなに私が不味そうに飲んでいるように見える?」

 

 そう言い終えて私は夕野さんのコーヒーを再び口へと運ぶ。もちろん全然飲める範囲だけれど、これが美味しいのかと聞かれたら答えには困るぐらいには苦くて、はっきり言って私の口には合っていない。

 

 でもその感情に“仮面”を被せて、私は夕野さんに目を向ける。

 

 「・・・飲めないことはないけれど口には合わないって顔をしているな」

 「えっ?何でそう思うの?」

 

 だが夕野さんは私の仮面を数秒と足らずに暴いてしまった。もちろん相手はかつて実力派として一世を風靡した役者であることは想定済みで、私を本気で探ろうとしている相手に応えるように平然を装いながら私は“天使”を演じ続ける。

 

 「“”を見れば分かる・・・どんなに表情筋で感情を作り上げても、眼だけは嘘をつけないからな・・・」

 

 その瞬間、コーヒーを口に流し込みながら私の眼を真っ直ぐ見据えるハイライトの入った紅の瞳が、別の人格に入れ替わるかのように一瞬だけ揺れ動いた。

 

 「・・・笑うべきときに笑い、涙を流すべきときに涙を流す。それを即座に具現化させて巧く立ち回る・・・中にはそんな芝居を役の感情を一切掘り下げない上っ面の芝居だと言う連中も一定数はいるが、それを高次元で実現させる百城さんの技術(テクニック)は役者として尊敬に値するよ。それに役の感情を掘り下げる反面、当事者の精神(メンタル)に直結するリスクを併せ持つメソッド演技よりも汎用性は高く、演出側からしてみれば最低限の指示だけでそれなりのものが再現できるわけだから需要も高いだろうし、そういう器用な賢さも役者にとっては重要な武器だ・・・けれど俺にはあんたの姿があまりに綺麗すぎて、近くにいても何も視えなかった・・・」

 

 さっきまでのどこか無愛想な感じは何処へやら、相槌を打つ暇すらないほど夕野さんの口は饒舌になる。

 

 それと同時に、ここまで全く視えてこなかった夕野さんの人物像が少しずつ見えてきた。

 

 「これでようやく分かったよ・・・・・・なぜ百城千世子の姿が“全く視えなかった”のか・・・」

 

 “何であんたは外に出ても、そうやってずっと“天使”を演じ続けている?”

 

 「・・・それはどういうことかしら?夕野さん?」

 

 分かっている。私は女優時代のアリサさんや小説家になる前の夕野さんのような“ホンモノ”じゃないということ。私と入れ替わるように事務所(スターズ)から去った“あの人”を目指すように育てられた、模造品(レプリカント)であること。

 

 「あんたの眼だよ。どんなに計算して表情を作ったところで所詮は計算に過ぎず、そこに“本当の感情”は存在しない。だからカメラが回って涙を流そうが真実しか表現できないその眼に映されているのは“空虚な感情”・・・どおりで姿が“視えなかった”わけだ。そもそも本来人間が持ち合わせているはずの感情がそこに存在しない以上、どんなに探っても “本当の顔”は永遠に分からないままだからな・・・スクリーンに映るあんたのように」

 

 分かっている。今の私に残されている天使(女優)としての寿命が、永遠ではないということ。

 

「そんな素顔を排して己の感情を捨てた“偽りの芝居”を極め続けた果てが、 “スターズの天使”として大衆から愛され続けている今の百城千世子(あんた)ってところか・・・」

 

 そして気付いてしまった。どんなに足掻いても私は“彼ら”のような役者(ホンモノ)にはなれないということ。

 

 「・・・いやすまん・・・あんたの努力を“偽りの芝居”で片づけるのはさすがに言い過ぎたな」

 

 

 

 全てはスクリーンの向こうの憧れだった人が“『役者に向いてる』”と言ってくれたあの日から始まった。

 

 寝ることも忘れるほど没頭して作り上げ続けたこの仮面の強度が上がれば上がる程、結果は数字として表れ、他人の目に怯え生きづらさを感じていた世界の景色がガラリと変わっていった。

 

 私のような人より少し器用なだけの普通の女の子でも、努力を続ければ主演になれるということを思い知り、それを結果で証明し続けた。

 

 

 

 “女優は天職だと思った

 

 

 

 「ううん。夕野さんの言っていることは正しいよ。少なくともあなたの中にある役者像が“ホンモノ”の芝居をする人たちだとしたら、私のお芝居は紛れもなく“ニセモノ”だからね」

 

 

 

 “・・・ありがとう・・・”

 

 そうして出来上がった仮面ごと私のことを好きになってくれた“友人”を通して初めて見た、モニター越しに映る仮面を外した自分の横顔。今までカメラに映っていた“百城千世子”とは到底思えない、ぐしゃぐしゃで不細工な素顔。

 

 でも案外、仮面が剥がれ落ちた私の横顔も綺麗だった。

 

 「だけどさ、“ホンモノ”のほうが“ニセモノ”より優れていると誰が決めつけられるの?」

 

 

 

 “『私はもっともっとずっと!お芝居を続ける!!』”

 

 

 

 「・・・そうだな・・・百城さんの言う通りだ。そんなものは誰も決めることが出来ないし、決められる権利もない・・・だから天使としての地位と名誉を手に入れてもなお、あんたは化け続ける選択肢を選んだ・・・・・・本当の百城千世子(あんた)は “天使”なんかじゃなくて1人の “女優”だからな・・・」

 

 

 

 “私の芝居はもっと上手くなる・・・夜凪さんの芝居を盗んだから”

 

 

 

 「それじゃあ・・・・・・あなたはどのように私を化けさせてくれるの?

 

 

 

 千世子はゆっくりと仮面を外すように、天使のベールに包まれていた素顔を曝け出した。

 




どれだけたくさんの過ちと後悔を、この先僕は繰り返していくのだろう・・・・・・

どうも、戦争とウイルスとヒステリックにキレる人が嫌いなダメ人間です。

このところは大人数がいるという空気感をどうやって文字だけで表現すればいいのか悩みに悩みまくってます。

ということで、今日はこれ以上書くことが思いつかないのでこれで失礼します。
















あの稲葉さんが声優デビューってマ?


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scene.32 素顔

 「お疲れ様です。千世子さん」

 「おつかれ。待った?」

 「いえ、全然」

 

 午後6時をほんの少し回った頃、黒キャップとサングラスで申し訳程度の“変装”をした千世子がマンションの前で待機しているアルファードの後部座席に乗りシートベルトを締めたことを確認すると、運転席に座る眞壁はギアをドライブに入れてアルファードを走らせる。

 

 「どうでしたか?手応えのほうは?」

 

 アルファードを走らせて開口一番、眞壁は千世子に2人きりの打ち合わせの成果を聞き出す。

 

 「・・・ちょっとだけ苦かった」

 

 眞壁からの言葉に、千世子はサングラスを外しスモークガラス越しに窓の外を眺めながらボソッと呟く。

 

 「その割には満足げな顔をしていますね」

 「うん・・・やっぱり原作を読む前に会っておいて正解だったよ」

 

 千世子さんは夕野憬の執筆した『hole(小説)』ではなく、“俳優・夕野憬”の作品を観て彼に会いに行った。なぜ小説に目を通さなかったのか、その真意は僕ですら分からない。

 

 「・・・夕野先生の小説を読まなかったのは、何か理由があるのですか?」

 

 理由を聞くが、千世子さんはそれっきりラッシュで混み始めた都心の景色に顔を向けて黙り込んでしまった。どうやら僕のようなマネージャー如きに打ち明けるつもりはないらしい。

 

 “相変わらず・・・ただそこに座っているだけで”天使(サマ)“になる・・・”

 

 日没を迎えた曇り空と共に僅かに暗くなり始めた車内を反射(うつ)すバックミラーが、法定速度で流れる景色を思いに耽り眺める天使の横顔を薄っすらと映し出す。

 

 “『百城千世子です。アリサさんからあなたのことはとっくに聞いてるよ。今日からよろしくね、“マクベス”』”

 

 前任から子役上がりの少女を引き継いで早5年。あの日から僕は彼女が“天使(女優)”として羽ばたいていける為の道をアリサさんと共に影ながら作り続けてきた。

 

 「・・・・・・」

 

 5年も千世子さんの専属マネージャーをしているというのに、彼女の考えていることは未だに読めないことが多い。それでもこれまでの5年の間でアリサさん以上に“天使”の努力と進化を

間近(かげ)で見届け支えてきた僕には、“この状態”になった彼女が何を考えているのかだけはすぐに予想できる。

 

 「・・・・・・何を“()んだ”のですか?」

 

 流れるビル街を眺め堅く無言を貫く千世子さんに、僕は食べて来たであろう(他人)の味を問うと琥珀色の眼がバックミラーを捉える。

 

 「・・・・・・ブラックコーヒーだよ・・・・・・」

 

 彼女は流し目で静かに笑みを浮かべ、普段よりも1トーンほど低い声でそう答えた。

 

 青空のように輝く“偶像”とその裏に隠された“素顔”の差異は、彼女が女優としての経験を重ねるごとに大きくなりつつある。

 

 特にデスアイランドの撮影以降は、その傾向が顕著になっている。

 

 「・・・それは“良かった”ですね・・・」

 

 恐らく原因となっているのは、これまでの経験から察するに夜凪景(彼女)に関連することだろう。夜凪景と初めて対面した顔合わせ以降、ふと仮面を外して素顔を見せる回数が明らかに増えた。

 

 “事務所(スターズ)が捨てた脅威(おないどし)新人(怪物)”によって、胎の中でずっと閉ざされていた悪魔の封印を解いてしまったかのように。

 

 「・・・ねぇマクベス?」

 「眞壁です。何でしょう?」

 

 赤信号の列で車が止まるのを合図に、千世子さんはバックミラーを真っ直ぐに見つめながら僕をあだ名で呼ぶ。

 

 「私って・・・“ニセモノ”?」

 

 そして返って来たのは、実に答えに困る質問だった。そんなもの、僕のようなただのマネージャーに聞いたところで何になると言うのか。やはり千世子さんの心の中は、5年経ってもまだ分からないことだらけだ。

 

 「ねぇ・・・早く答えてよ・・・マクベス」

 

 一言ずつ区切りながら、圧をかけるように彼女は僕を諭す。

 

 “『久しぶりに新しい“友達”が出来たんだよ。ほんのちょっとだけ“恐い”ところがあるけど、すごく“面白い”友達でさ』“

 

 今まで彼女は、夜凪景のような女優と同じカメラに収まる経験をしてこなかった。周りを取り囲むのは、中心で燦々と輝く天使を引き立てる助演(二番手)と、その下に広がる群衆(ピラミッド)

 

 

 

 “全ては子供たちの幸せを願いそれに反する“怪物”を良しとしなかったアリサさんの意向だった“

 

 

 

 そのような事務所の方針の下で手塩に掛けて育てられ、幸せになるために細部に至るまで徹底的に作り込んだ星アリサの送る最高傑作こそ、後部座席に座っている百城千世子(彼女)だ。

 

 「私が言える立場ではないことは承知の上ですが、“百城千世子”はこの世界であなた1人しかいませんので、私は誰が何を言おうと」

 「そうじゃなくてさ。私は女優なの?・・・それとも・・・」

 

 でも彼女は今、もう一人の“親”であるアリサさんが最も恐れている女優(怪物)に向けて、本気で“興味”を示している。

 

 「・・・どうしてそれを私に聞くのですか?」

 「・・・・・・・」

 

 再び千世子さんの声が聞こえなくなったことに気付き、再び信号で車の流れが止まったタイミングを見計らいバックミラーを確認すると、天使は眠りについていた。

 この車の乗り心地が気に入っているのだろうか、毎回のように後部座席に座る彼女は何の前触れもなくいきなりこうして“シャットダウン”する。

 

 “・・・人に聞くだけ聞いておいて勝手に寝やがって・・・”

 

 急に居眠りを決め込んだ千世子さんをバックミラーで確認しながら、心の中で尊敬と信頼故の嫌味をぶつける。もちろんそれを直接口にして言うことなど、僕にはできない。

 

 “・・・ホンモノか・・・ニセモノか・・・”

 

 自分を通じて(他人)を探求する“単純作業”が“不知の知”を知るための“喜び”に変わり、大衆を知り尽くした“最高傑作(プロフェッショナル)”が単なる“芸術家(アーティスト)”の本質に目覚めた時、彼女を止めることの出来る者は誰一人としていなくなるだろう。

 

 もちろん。星アリサ(あの人)でさえも・・・・・・

 

 

 

 “なぁリク・・・ハリウッド(そっち)の世界も良いけどさ・・・・・・16でお前が見限ったこの芸能界(くに)だって・・・・・・案外捨てたもんじゃないぞ・・・”

 

 

 

 後部座席で寝息も立てずに静かに眠る千世子の姿を一瞥すると、眞壁は千世子の住むマンションの方角へアルファードを走らせて行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『この絵を君にあげようと思う』

 

 3年と少し前くらいだろうか、俺は知り合いの小説家から界隈では名の知られている若手の画家が描いたという1枚の絵画を貰い受けた。

 

 「・・・凄い炎だな、こりゃあ」

 

 目の前に存在するありとあらゆるものを一瞬にして飲み込んでしまうような禍々しさを持った炎は、恐ろしく思えたがそれ以上に“綺麗”に感じた。

 

 『人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“”というものは美しいと思わないか?』

 

 モノトーンのインテリアを派手に飾る画家の絵画()を眺める俺に、小説家の男はそう語りかけた。

 

 「言葉では説明できないけど・・・確かに綺麗だな・・・」

 

 恐ろしくも“綺麗”に感じる独特な炎。ここまでの感情が詰め込まれた炎というものを体験したのは、生まれて初めてだった。

 

 『・・・そろそろ書いてもいいんじゃないかい?例えばこの“”を利用した新たな物語をさ?』

 

 男の言葉に鼓舞されるかのように、新しい物語が頭の中で産声を上げながら俺に“書け”と激しく語りかける。

 

 「・・・あぁ、そうだな。おかげで久しぶりに新しい物語が書けそうな気がする。礼を言うよ・・・」

 

 

 

 

 「ッ!・・・・・・」

 

 午前9時。書斎のデスクで突っ伏しながら眠りにつく憬は “4時間半のうたた寝”から目覚めた。

 

 ‟・・・今の・・・・・・まさか・・・”

 

 初めて夢の中に出てきた。“あの男”の影。ただし彼の出てきた夢は普通の悪夢を見る以上に体力を消耗するらしく、俺の身体はまるでランニングを終えた後のように火照り、呼吸も少し乱れている。

 

 「痛てぇ・・・クソが・・・」

 

 おまけに悪夢を見た後に必ず襲ってくる頭痛のコンボで何かを思い切りブン投げたくなる衝動に駆られそうになるがどうにか理性でそれを抑え、俺はたった今見た夢を通じてあの男のことを思い起こしてみる。

 

 “・・・やっぱり駄目だ・・・全然思い出せねぇ・・・”

 

 リビングに飾ってある絵画を受け取ったあの日を最後に、小説家の男は俺の前から姿を消した。あの日を境に、俺はリビングに飾ってある絵画を描いた画家の名前と小説家の男のことをすっかり思い出せなくなってしまった。たった今まで夢の中であの男がすぐ隣にいたにも関わらず、顔も名前も声も出てこない。

 

 “・・・やっと少し落ち着いてきたか・・・”

 

 そして男から絵画を受け取った代償なのだろうか、あの日を境にそれ以前の出来事を夢で見ると必ず原因不明の頭痛が襲ってくるようになり、それは3年が経った今でも“呪い”のように残り続けている。

 

 “・・・って、何だったんださっきの夢は?”

 

 そうやって自分なりの推理を頭の中で巡らせた次の瞬間には、俺はついさっきまで見ていた夢を忘れていた。

 

 “・・・それより何で俺はこんなところで寝ているんだ・・・?”

 

 少しずつ意識がはっきりし始め、俺は自分が寝室のベッドではなくデスクの椅子の上に座っているということに気が付いた。

 

 「・・・まさか?」

 

 スリープ状態になっているデスクトップが目に入った俺は、咄嗟にデスクの上に置かれたスマートフォンを確認する。

 

 「・・・やっちまった・・・」

 

 ロック画面の時刻が9:02を正確無比に突き付けると、俺は百城を帰した後にこの書斎で我を忘れて飯も食わずにシナリオを打ち(書き)続けていたことを思い出す。

 

 だが、我を忘れていたとはいえ“あの頃”と比べて体力も気力も落ちている俺は夜明け前ほどの時間に限界を迎え、1時間程度の仮眠を摂るつもりが、4時間以上も寝てしまったことにたった今気が付いた。

 

 “・・・やる気が出ねぇ・・・”

 

 遅くも朝は6時起床を心掛けている俺にとって、9時に起きるということは大寝坊に相当する一大事だ。そしてただでさえルーティンが乱された上に頭痛が襲ってくると、こんな風にやる気のスイッチすら入らなくなってしまう。

 

 

                       天知心一

                        携帯電話

 

 

 

 「!?」

 

 手にしていたスマートフォンから突然着信音が鳴り響き思わず身体がビクりと反応すると、大の大人が本気でビビってしまったというほんの少しの羞恥心がこみ上げる。

 

 ロック画面に表示された連絡先には、“天知心一”の文字。

 

 「・・・ハイ夕野」

 『お早う。早起きの君にしては随分と遅い目覚めのようですね。さては寝坊でもしたのかい?』

 「・・・なぜ分かる?」

 『声のトーンがいつもより僅かに低く、呂律も若干甘い』

 「何だよ呂律が甘いって」

 『おまけに寝起きの君は基本的に機嫌が悪いから分かりやすいよ』

 「OK分かった、次会う時に顔面をぶっ飛ばす」

 

 ただでさえ朝起きて一発目から悪徳プロデューサーの声を聞く羽目になるのは、もはや(タチ)の悪い寝起きドッキリ以上の“拷問”だ。

 

 『よし、イイ感じに目が覚めて来たみたいだね』

 「来世まで祟ってやるからな」

 

 だが悔しいことにそれまで気だるけな状態だった脳細胞は幾分か活性化されたらしく、通常の状態に戻っていた。

 

 「それで何だ今日の要件は?また客の接待か?」

 『安心しろ接待ではない。だが今日は今日で夕野に2つほど“業務連絡”があってね』

 「業務連絡?」

 『“良い話”と“悪い話”の二つがあるのだが、君はどっちから先に聞きたい?』

 

 相変わらず声を聞くだけであの“ニヒルな笑み”が脳内をちらついて癪に障る感覚が付いて回る。しかしこうしてわざわざ電話で連絡を入れてきたということは、昨日に引き続き何かしらの進展があるに違いがない。

 

 「・・・良い話から頼む」

 

 少しだけ迷った末に、俺は先ず相手のお得意であろう“良い話”から聞くことにした。

 

 『(ヒロイン)のキャスティングの件だが・・・正式に百城さんを起用する形で事務所の了承も得られましたよ。それに伴い近日中に会議を行い、情報公開のタイミングを見計らうつもりです』

 「そうか。それはめでたいな」

 

 クールな口ぶりこそいつも通りだが、心の底からほくそ笑んでいることがひしひしとスマートフォンから聞こえてくる。

 

 『・・・計画通りに物事が進んでいると言うのに随分と素っ気ない反応じゃないか。どうした?まさかまだ眠気眼が覚めないのか?』

 

 だが確信に近いものを既に持っていた俺にとっては、喜びの感情よりも“やはりな”という感想が勝った。

 

 「そうじゃない・・・ただ、百城と直接会って話した段階で俺には“手応え”はあった」

 

 無論、ひとまず超えるべき壁の1つを超えられたことの喜びもあるにはある。

 

 『ほう。そこまで言うなら聞かせてくれないか?君の“成果”を・・・』

 

 

 

 「それじゃあ・・・・・・あなたはどのように私を化けさせてくれるの?

 

 ゆっくりと仮面を外すように、百城は天使のベールに包まれていた素顔を曝け出す。というより、思い返すと完璧に制御(コントロール)されていたはずの“感情”が綻んだという表現の方が正しいのかもしれない。

 

 「・・・こんな“怖い顔”も出来るんだな。あんた」

 

 どちらにしろあれは、心の底で静かに眠っていた悪魔が禍々しい炎と共に本性(素顔)を剥き出しにした瞬間だった。

 

 「うん。だって私は“天使”じゃなくて“女優”だから。身の回りにあるものは全部、私にとっては“()べ物”なの」

 

 そう言い切った琥珀色の瞳には“空虚な感情(天使)”の面影など一切なく、瞳の奥には視えるはずのない一筋の炎が静かに燃え上がっていた。

 

 無論、実際に燃え上がっていたのはあり得ない話だが、本当に一瞬だけそう感じるほどの“感情(それ)”だった。

 

 「・・・俺が“喰べ物”か・・・」

 

 彼女は知っている。自分に残された女優としての消費期限がそう長くは残されていないということ。

 

 自分が“ホンモノ”ではなく、“ニセモノ”であること。

 

 「自分がホンモノなのかニセモノなのかはどうであれ・・・自らが“女優”であるという“自覚”があれば、他人からのアドバイスが無くたっていくらでも化けられる・・・」

 

 だが自分が“ニセモノ”であるという“自覚”は、紛れもない“ホンモノ”の感情()だ。そんな“ホンモノ”の感情を1つでも持っていれば、役者(ひと)という生き物は生きていける。

 

 「“感情”なくして・・・役者(ひと)は生きていけないからな・・・」

 

 俺は確信した。百城千世子は紛れのない“ホンモノ”であり、正直な感情を持つ根っからの“芸術家(アーティスト)”であり、心の底から他人を演じる常軌を逸した喜びに魅せられている “ただの女優(少女)”であると。

 

 「・・・ありがとう。じゃあ夕野さんが丹精込めて淹れてくれたこの “ブラックコーヒー”と一緒に、夕野さん(あなた)の感情もいつかのために “盗んで”おくよ・・・」

 

 

 

 「ってところだ」

 『全く女優とはいえ大の大人が現役の高校生を相手に本気で“口説き”にかかるとは、本当に“君たち”は大人げないな』

 「それを言うなら同じ “口説き”で夜凪景を狙っている奴に言われる筋合いはないぞ」

 『私はあくまで“営業”です』

 「何が営業だよ見世物(モノ)好きの“守銭奴”が」

 

 昨日ここのリビングで起こった一連の出来事は、天知によって“口説き”の一言で片づけられた。

 

 ちなみに天知の言った“君たち”というのが俺と黒山のことを指しているということには一瞬で気が付いたが、黒山(あいつ)の名誉のために心の中で留めた。

 

 『だが君が彼女の本性を暴いて口説き落としてくれたおかげでこちらも大いに助かりましたよ。お礼に万年筆の1本でも送ろうと思っているがどうだい?』

 「だから口説きじゃないっつってるでしょ・・・あと俺は“打ち込んで書く”派だから生憎貰ったところで有効活用は期待できないぞ」

 『ははっ、でもふと何かをメモに残しておきたい時ぐらいには役に立つだろうし、有難く受け取ってくれよ』

 

 普通に考えて“スターズの天使”の素顔を暴いて“口説き落とした”対価が万年筆1本というのは明らかに不釣り合いだが、天知(こいつ)の用意する対価(ボーナス)には端から期待などしていなかったため、“やんわり”と断った。

 

 

 

 そして数日後、俺の元に自分宛の封筒と共に“天馬心”のサイン付きで万年筆が届いたということは言うまでもない。

 

 

 

 「しかしアリサさんは何を考えているんだ?ドクさんに加えてあんたみたいな奴が絡んでいる案件にこうも易々とGOサインを出すとは俺は思えないんだが・・・まさか心変わりでもしたのか?」

 

 “俳優は大衆の為に在れ。映画も芸能も芸術ではなくあくまで商業(ビジネス)。芝居だけが上手いような役者は必要とされない”

 

 かつて憧れ芝居に目覚めるきっかけにもなった“天才女優”は、“あの舞台”を最後に単なる大手芸能事務所の“敏腕女社長”になった。

 

 『残念ながら彼女はまだ商業(ビジネス)に翻弄される “守銭奴(あきんど)”のままさ。國近独という映画監督は間違いなく“君たち”と同じく芸術家(アーティスト)の部類だが、彼の映画は興行収入は別として確実に“”にはなる』

 

 彼女とその周りの大人たちは都心の土地に新たな“事務所(いえ)”を建て“幸せ”にするための子どもを迎え入れ、そんな過程で生まれ続けた大人たちの“子孫”が増えれば増えるほど画一的な役者(にんげん)は必然的に増え続け、いつの間にか“それ”が芸能界の常識(スタンダード)となった。

 

 『それに加えて脚本が原作者でもある“小説家・夕野憬”と来たら、“見世物”としての価値は倍増どころの話ではないよ』

 「さり気なく “俺たち”を見世物呼ばわりするな」

 

 そして常識が敷いた“レール”に反旗を突きつけた者の行く末は、芸能界の洗礼という名の暗黙の了解(代償)

 

 「・・・まぁ、何となくそんなことだろうとは思ったよ」

 

 星アリサが変わっていったように、映画界も芸能界もその風向きはこの20年で大きく変わっていった。もちろんそれが時代の求めた“正解”であるとしたら、俺たちは間違いなく“悪人側”なのだろう。

 

 「ただ・・・“百城千世子”さえ使えばヒットを飛ばせる映画監督(作り手)が数多といるにも関わらず、その中から“ドクさん”のような“本物”を選んでくれたことには、意味があるのかもな・・・」

 

 だが“この映画(hole)”は安定した“量産型”ばかりを生み出し続けるようになった“芸能界”が、興行収入が第一主義の映画(ありきたり)がトレンドである昨今の映画界の風向きが変わり、かつての“本当の意味で“芸”が正当に評価されていた時代の復活”への“きっかけ”に繋がることになるのかもしれない。

 

 というより、きっかけに繋がる“きっかけ”にならなければ“映画(俺たち)の成功”はあり得ない。

 

 『確かに君の言う通りかもしれないね。実際のところはまだ何とも言えませんが』

 

 

 

 “てことで頼んだぞ。夕野

 

 

 

 そのために先ずは、“天使”を目覚めさせなければならない。ただ単に演技派女優として開花させるだけでなく、あの夜凪景(怪物)と経験値のみならず己の芝居でも互角以上に渡り合えるようにすることが、黒山(あいつ)からの“至上命令”だ。

 

 「でも・・・“こっち”にはもう一人いる」

 

 そして百城(助演)の芝居が進化すればするほど、夜凪(主演)の芝居も進化する。その為にはピースの1つも落とせない。

 

 

 

 『その“もう一人”について、悪い話がある』

 「・・・悪い話だと?」

 『言っただろ。今日は“良い話”と“悪い話”があると・・・』

 

 だが確かな自信を持った憬の覚悟を打ち砕くかのように、天知は相手の理解が追いついていないことにはお構いなく間髪を入れずに“悪い話”を話し始める。

 

 『・・・先ず“前振り”として君に説明すると、本来であれば君も観に行く予定だった明神阿良也の舞台に、どうやら夜凪さんはスターズの星アキラと一緒に向かったらしい』

 「アリサさんの息子か・・・それよりなぜ星アキラが夜凪(彼女)と舞台を観ていた?」

 『百城さんのマネージャー曰く、本来であれば観劇に行くのは彼女の予定だったが、彼女本人が急遽“君と会ってみたい”ということで“友人”との約束をドタキャンして“代打”で星アキラを向こうに行かせたらしい』

 「・・・なるほどな・・・それよりあの2人はもうそんな“仲”なのか?」

 『それは私に聞かれても分からないさ。ただデスアイランドの撮影を通じて何らかの理由で互いに“意気投合”でもしたんじゃないのか?いずれにしろあの2人が互いを“意識し合う”関係になりつつあるのは“私たち”としても良いことだ』

 「・・・それは言えるな」

 

 黒山との約束から2か月。どうやら事態は俺の知らないところで“順調”に進んでいるらしい。

 

 これが、“現場”との関わりが“彼ら”に比べて少ない原作者・脚本家の“宿命”なのだろうか。こういった“水面下”の話をまざまざと聞かされると疎外感に思わず駆られそうになる。

 

 “俺がいなければ、“ふたつの映画”は生まれていないようなものだというのに”

 

 

 

 “『お前の脚本(シナリオ)じゃなきゃ駄目なんだ』”

 

 

 

 それでも俺の中にある“呪い”が解けるのであれば、甘んじてその宿命を受け入れよう。

 

 「・・・で?“悪い話”というのは何だ?」

 

 だが現実というものは、そう一筋縄では行かないものだ。

 

 『簡潔に纏めると、早ければ明日の朝にも星アキラと夜凪景の熱愛報道の記事やニュースが世に出回ることになるだろう』

 「・・・・・・おい・・・今何て言った?」

 

 理解が全く追い付かない俺に、天知は注意深く再度説明する。

 

 『星アキラと夜凪景の熱愛報道の記事が、明日の朝には世に出回る

 

 天知曰く、千秋楽の後に行われた明神阿良也の舞台挨拶に殺到した記者たち(マスコミ)の1人が偶然インタビューの場に居合わせた “2人”を発見し、それからは制御不能のインタビュー合戦になったという。

 恐らくその実態は、“明神阿良也のサインをねだった夜凪のために星アキラが伝手を使って彼のところに連れて行った”・・・といったところだろうかは俺には分からない。

 

 “・・・何やってんだよあのバカ息子”

 

 「・・・何やってんだよあのバカ息子」

 『心の声が丸聞こえですよ先生』

 

 芸能人としてはあまりに軽率すぎる行動に、思わず心の声が漏れ出した。影響力のあるイケメンが女を連れてマスコミの前に現れれば、このようなのっぴきならない事態に発展することは容易に予想が出来たはずだ。

 

 ちなみに星アキラのことを思わず“バカ息子”と呼んでしまったが、俺は今のところ星アキラと実際に会って話をしたことは一度もない。

 

 「けど、天知さんの元へその情報が既にリークされているということは・・・何かしらの策はあるというところか」

 『ご名答』

 

 ただ不幸中の幸いなのは、事態が手遅れになる前に天知(悪魔)の元へ“爆弾”が送り込まれたということだろう。

 

 『無論、少しばかり利益を度外視した実力行使に出ればどうにか“なかったこと”にすること自体は可能ですが・・・今回は敢えてマスコミ(彼ら)を“野放し”にします』

 「・・・それもれっきとした“策”ってことでいいんだな天知さん?」

 『えぇ・・・ある意味、これほど夜凪さん(彼女)の檜舞台を盛り上げるのに適した “食材(ネタ)”はないですから』

 

 人気イケメン俳優と謎の新人女優による熱愛報道(スキャンダル)。まだロクにスポンサーも付いていない夜凪ならまだしも、“ニチアサの顔”で事務所(スターズ)では百城千世子に次ぐと言っていいほどの人気を得ている星アキラの場合、スキャンダルによる損失というものは計り知れないだろう。

 

 「しかし、これではスターズにとって大打撃だな」

 『はい。でも私たちにとっては寧ろ好都合ですよ・・・スキャンダルによって発生するスポンサーからの“多額の請求”を回避するためには、“アキラ君と夜凪さん”の2人があの場所にいた“必然性”を作る必要がある・・・何を隠そう彼は同じ“遺伝子”を持つ貴重な財産だ・・・・・・この期に及んであの星アリサが無策でやり過ごすはずはない・・・』

 

 そして天知が繰り出した“”というのは、清々しいまでの他力本願だった。

 

 「・・・結局俺たちは何もせずに高みの見物ってわけか」

 

 だが天知の“先を見通す力”がどれだけ優れているのかを知っている俺にとっては、全くと言っていいほど不安というものは感じない。

 

 『・・・もしも仮に私が星アリサだとしたら・・・“アキラ”を巌裕次郎の舞台に出演させるように仕向けるだろうね・・・』

 

 

 

 

 

 

 天知との電話を終えると、俺はスリープ状態になったデスクトップを立ち上げ、百城を帰した後に“箇条書き”したプロットに再び目を通す。

 

 「ひどいシナリオだな・・・」

 

 思わず声が溢れる。我を忘れてハイになった状態で考えたせいだろうか、我ながら酷く醜い“怪物”が出来てしまった。

 

 “でも、やっと先が見え始めた”

 

 それと同時に、ここ1ヶ月半の間に書いては消した数多のシナリオのどれよりも良いものが出来ていた。

 

 “夕野さんが丹精込めて淹れてくれたこの “ブラックコーヒー”と一緒に、夕野さん(あなた)の感情もいつかのために “盗んで”おくよ・・・”

 

 ハイになって書いたシナリオを冷静になって読み直す片隅で、もう一度だけ百城が盗んだ“感情”を俺は思い起こす。

 

 

 

 “だって私は“天使”じゃなくて“女優”だから。身の回りにあるものは全部、私にとっては“()べ物”なの“

 

 

 

 「痛っ・・・まだ収まってなかったか・・・」

 

 忘れかけていた頭痛が再び襲い掛かり、溜まらず憬は添削を中断して頭痛薬(タブレット)の入った箱を取りに寝室へと向かった。

 




どなたか画力に自信のある方で、チヨコエルがマクベスに“ブラックコーヒーだよ”と決め顔で答えるシーンの挿絵を我こそは描けますという方がいらっしゃいましたら、是非とも提供して頂けると非常に嬉しいです・・・はい。

ということで物語は次回から再び過去に戻ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・天知心一(あまちしんいち)
職業:芸能プロデューサー(元子役)
生年月日:1982年11月11日生まれ
血液型:A型
身長:187cm(高2:184cm)

・眞壁隆之介(まかべりゅうのすけ)
職業:マネージャー
生年月日:1991年9月30日生まれ
血液型:AB型
身長:164cm


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scene.33  前日 / 2人の大物


2日遅れですが・・・・・・ハッピーバースデー。Ms.チヨコエル




『えっ!?國近監督の映画に出るの!?』

 

 夜の10時半。風呂と夕飯を済ませて自由時間を過ごしていた憬は部屋の子機で環と電話をしていた。

 

 「どういう映画だとかどういう役なのかはまだ言えないけど、まぁ割とメインの役」

 

 撮影現場で電話番号を交換して以降、俺と蓮は月に1,2回ほどこうして電話越しに互いの近況を話している。蓮のことはつい先月まで毎週月曜にブラウン管を通じて欠かさず観ていたが、電話越しとはいえこうやって直接声を聞くのは全くの別物だ。

 

 『それはやばいわ・・・っていうか國近監督の映画に出れるって冗談抜きで凄いじゃん』

 「あぁ・・・ほんとにな・・・」

 

 ちなみにこの間の『ロストチャイルド』のオーディションは無事に突破し、明日の10時から都内の会議室で初顔合わせが行われ、映画の台本は顔合わせの時に初めて配られることになっている。

 

 この時点で俺が知っているのは、映画のタイトルと“ユウト”という自分の役柄の大まかな設定だけだ。

 

 「まだ台本は届いてないけど明日から顔合わせで、来月から撮影だよ」

 『ねぇ?オーディションに受かってちょっと気が抜けてるかもだけど口は滑らせないようにね?』

 「は?当たり前だろ俺はもう“芸能人”で“役者”なんだからよ」

 

 それにしてもこうして蓮と話していると、ついつい気が抜けて余計なことを口にしてしまいがちになる。現に俺はこうして誤魔化しては見たが、蓮からの“注意”がなければ危なかったかもしれない。

 

 『でも本当は私が注意しなかったら絶対言ってたよね?』

 「いやいや大丈夫だって」

 『“先輩”には全部お見通しだからね、君の思ったことは』

 

 そして案の定、芸歴だけ1年先輩の同学年は心の内を言い当てる。トーンからして、これはガチだ。

 

 「・・・あざす」

 『えっ?何?』

 「あざます」

 『いや?さっきから何言ってんの全然聞こえないんだけど?もしかしてナメてる?』

 「(職権乱用しやがってコイツ)・・・注意して頂きありがとうございました・・・」

 『よろしい』

 「これで満足か?」

 『うん』

 「うんじゃねーよ」

 

 良くも悪くも生意気なのは相変わらずだが、ひとまず口ぶりとテンションがいつも通りで向こうも向こうで順調なようだ。

 

 環が変わらず元気で芸能活動も順調そうなことを確信した憬は、話題を再び映画の話に戻す。

 

 「・・・オーディションのオファーが来た日にさ、海堂さんから國近さんの『ノーマルライフ』って映画のビデオをプレゼントされたんだよね」

 『あぁそれ静流が出てるやつ』

 「何だ牧さんが出てるの知ってんのか?」

 『当たり前じゃん。静流と2人暮らししてるからそれぐらいのことは知ってるよ』

 「そうだった、蓮と牧さんは一緒に生活しているんだった」

 

 蓮に言われて思い出したが、この2人は同じ部屋で生活を送っている。

 

 「牧さんも変わらず元気?」

 『うん。相変わらず仕事が色々あって忙しいしおまけに12月に舞台もあるからここのところは夜ぐらいしか一緒にいないけど、いつも通り私たちは元気だよ』

 「そっか、よかった」

 『いい加減人の心配するより自分の心配したら?あの國近監督の映画だし』

 「さっきからお前はオカンか?」

 『違うよ行き当たりばったりでバカな君のことを心配してるだけだよ』

 「バカは余計だ」

 

 まるで撮影現場で繰り広げられたやり取りをそっくり逆にした会話が、2人の間で展開される。

 

 『・・・でも強いて言うなら、稽古に入ってから私に凄く甘えるようになったかな?』

 「甘える?何で?」

 『なんか“私が近くにいると心が落ち着く”って言って、凄い甘えてくる。あぁ、別に変な意味じゃないよ?』

 「変って何が?」

 『えっ・・・・・・いや分かってないならいいや』

 「・・・あぁそう」

 

 “友達”に甘えることのどこが変なのかはさておき、蓮曰く牧は今12月に控える舞台に向けた稽古漬けの日々を送っているという。話を聞く限り初出演にして初主演の舞台なだけあって、今まで以上に気合いを入れて臨んでいるようだ。

 

 「・・・何かよく分かんねぇけど、きっと蓮に甘えたくなるくらい頑張ってるってことじゃねぇの?」

 

 現場で見た仕事ぶりや、同い年にして“女優を続ける為なら“鬼”になっても構わない”と言い切るプロ意識からして、きっと少なからず“疲れ”が出ているのだろうか。

 

 まだ役者としての経験と見地が数センチぐらいの俺も直樹を通じて“未経験の感情”を体験したから、その直後に襲ってくる何とも言えない疲労感だけは知っている。

 

 「多分牧さんって役の感情にがっつり入り込むような芝居をするから、きっとその反動だと思う。俺が言うのもアレだけど」

 

 だから自分自身が“素”でいられる大事な存在を前にしたら、ついつい肩の力が余分に抜けてしまうのだろう。

 

 『ホントだよまた良い役貰えたからって偉そうに』

 「偉そうにはしてねぇっつの」

 

 そして役者という職業には、土日休みのような決まった休日は存在しない。現に俺は寝て起きた後、『ロストチャイルド』の顔合わせで新宿に行かなければならない。だからこうして“同じ世界にいる”気の合う親友と他愛のない話ができるというのは、実は貴重な一日なのかもしれない。

 

 『ついでに静流にも直接言っとく?』

 「いいよ何か恥いし」

 

 高望みなのだろうが、もし俺が“この映画”で何かしらの賞なんかを獲って一気にブレイクなんてことになったら、こんな時間はどんどん減っていくのだろうか。でもそれは、蓮だって同じことだ。定期的に電話をかけてくるほど、相手も暇な訳じゃない。

 

 『じゃあそろそろ切るね。明日10時から本読みがあるわけだしさ?』

 「・・・うん。確かにあんまり遅くなって明日に響くのはな」

 『そうだね。じゃあそっちの撮影がひと段落でもしてお互いまとまった休みが取れたらまた一緒に映画行こう』

 「おう」

 

 そんな少しの寂しさが一気に込み上げ始めた俺は、ここぞとばかりに“あの事”を話した。

 

 「なぁ蓮」

 『ん?何?』

 「・・・HOMEのことなんだけどさ」

 『えっ?HOMEがどうかした?』

 

 今までずっと言おうと思っていながらなぜか恥ずかしくなってしまい今日まで言えずじまいだった、“8話(ドラマ)”の感想。

 

 「麻友の芝居、凄く良かったよ」

 『・・・あぁ、あれね。うん・・・私なりに結構頑張ったからね。ありがとう』

 

 突然ドラマのことを褒められたのか、珍しく蓮の言葉がたどたどしくなる。電話越しに聞いているだけで心底喜んでいそうだ。

 

 「特に“8話”が凄くよかった・・・」

 

 

 

 小学校の卒業式の日に自分を捨てて何処かへ逃げたはずの母親が突然施設にいた麻友たちの前に現れ、深々と頭を下げて自分を捨てたことを詫びる。

 

 “「出てって!どっかに消えて!!・・・もう・・・顔も見たくないっ・・・!!」”

 

 だが自分を捨てた癖に都合よくよりを戻そうと言って来た母親を許せるはずもなく、麻友は感情を爆発させる。すると偶然その場に居合わせていた6歳の謙太郎(けんたろう)が号泣してしまい、弟のように可愛がっていた謙太郎を恐がらせてしまった罪悪感と明るいムードメーカーを演じ続けた自分の虚しさからのショックで部屋へと引きこもってしまう。

 

 “「・・・こんなクズが言ってもなんも響かねぇかもしれねぇけどよ・・・たまにはオレたちにもあんな風に思いっきりぶつかって良いんじゃねぇの・・・?オレは・・・なんつーか・・・・・・やっとオマエの”本体“を見れた気がして・・・ってさっきから何言ってんだオレ・・・悪ィ、やっぱ今のナシ、忘れろ」”

 

 直樹や美優紀たちからの励ましも虚しくすっかり自分の部屋に閉じこもってしまった麻友に、同じような境遇で育ち彼女のことを密かに想っている侑汰が不器用ながらも諦めずに部屋のドア越しに声をかけ続ける。

 

 “「・・・私ってさ、人を愛せないんだよね・・・」”

 

 そして侑汰の不器用な優しさに少しずつ心を開き始めていた麻友は、ついにこれまでずっと1人で抱え込んでいた心の内を打ち明ける。

 

 

 

 「あの台詞のところ、顔が視えないのに感情が凄く伝わってきた」

 

 月島による演出の妙があったとはいえ、あの場面を見たときに本気で鳥肌が立ったことを覚えている。

 

 きっとこれが國近の言う、“節穴にも伝わる芝居”というものだろうと今にしてみれば思う。そんな芝居を習得している蓮は、俺の想像していた以上に前を進んでいる。

 

 

 “正直ちょっとナメてた”

 「正直ちょっとナメてた」

 

 そんな心の内が、思いっきり声に出ていた。

 

 『・・・へぇ~、やっぱりナメてたんだ私のこと』

 「いや、違う、これは良い意味で」

 『いいよいいよ、もう私はなりふり構わず君のことを置いてどんどん先に進んでいくから』

 「マジでごめんて」

 

 もう何回目だろうか。気を抜いてしまうとついつい余計なことを口走ってしまう悪い癖。麻友ではないが、いっそのことこのまま部屋に引きこもりたい気分だ。

 

 『ま、せいぜい私にナメてかかったことを後悔しないように頑張れよ、じゃ』

 「おいちょっ・・・・・・はぁ・・・めんどくせぇ」

 

 結局弁明の余地が与えられる前に、蓮との月1,2回の通話は終わってしまった。あいつの性格上、本気で怒っているわけではなさそうなのが唯一の救いか。

 

 「・・・あと “やっぱり”って何だよ・・・」

 

 でもある意味、芸能界じゃ俺と蓮は同業者にしてライバルの関係だから多少の緊張感はあった方が良いのだろうか・・・

 

 “・・・こうやって言葉にすることは簡単だが、これらを実践することは生半可な決意じゃ絶対に不可能だ・・・”

 

 脳裏にふと國近の言葉が浮かぶ。

 

 

 

 “憬・・・私と勝負しない?

 

 

 

 すると何故か、絶対に“期待を超えてやる”という野心とも対抗心とも似つかない何かが心の中で燃え始めた。

 

 「・・・『ノーマルライフ』の感想言いそびれた」

 

 心の中で何かが灯ったのと同時に、言い忘れたもう一つのことを憬は思い出した。

 

 

 

 

 

 

 「だ~れと電話してたの蓮?」

 

 憬との電話を切ったとほぼ同時にバスルームでシャワーを浴びていたはずの静流が後ろから抱き着き、背中に重力と温もりがかかる。

 

 「急に抱きついて来ないで静流」

 「も~怒んないでよレンレン」

 「別に怒ってないし、ていうかレンレンって何?」

 

 “きっと蓮に甘えたくなるくらい頑張ってるってことじゃねぇの?”

 

 ここ1ヶ月ほど静流は12月に“聖夜(クリスマス)の特別篇”として放送予定のオムニバステレビドラマの撮影やその他諸々に加えて、同じく12月に控える初舞台の稽古期間に入ったことで殆ど休みを取っていない。今日も今日とて稽古終わりで、やや疲れ気味なのを肌で感じる。憬の言う通り、確かに静流はそれぐらい頑張っている。

 

 「それよりさっきの電話は誰?」

 

 ちなみに明日もまた、稽古があるという。

 

 「彼氏?それとも憬くん?」

 

 背中に抱き着くような体勢のまま静流が甘えるような声で私の耳元で囁く。初舞台の稽古に入ってからというもの、静流はいつもに増して私に甘えるような態度を取るようになった。

 

 「憬に決まってんじゃん」

 

 まぁ、静流の独特な距離の取り方(コミュニケーション)自体にはすっかり慣れているからどうってことはないのが本音だ。

 

 「ていうかガッツリ聞いてたでしょ?憬との電話?」

 「うん。見ていて微笑ましかったからつい」

 「・・・ったく」

 

 もちろん静流が電話でのやり取りを盗み聞きしていたことも、私の中では想定内。

 

 「・・・憬から言われたよ。“正直ナメてた”って」

 「ナメてたって蓮のこと?」

 「うん」

 

 “『正直ちょっとナメてた』”

 

 言われた瞬間は意味が分からずに本気でイラっときたが、それが私に向けた称賛の裏返しだということにはすぐに気が付いた。

 

 「・・・へぇ~・・・良かったじゃん。“そういう風”に想ってくれて」

 「・・・うん。そうだね」

 

 静流の言う通り、憬が私のことを“親友”ではなく“女優”としてちゃんと思ってくれたことが素直に嬉しく思えた。

 

 

 

 “何だかそれが、純粋に憬との距離が近づいたような気がして嬉しかった

 

 

 

 「こりゃあ私もウカウカしてられないな」

 

 どこか勝ち誇ったような表情を浮かべる環を見て、牧は視線の死角でほくそ笑む。

 

 「・・・ねぇ?寝る前に第二幕の “本読み(自習)”やりたいんだけど相手役で付き合ってもらってもいい?」

 「うん。いいよ」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日_新宿_

 

 土曜日。憬は最寄り駅でマネージャーの菅生と合流し、映画『ロストチャイルド』の初顔合わせが行われる貸し会議室の入るビルへと向かっていた。

 

 「あれ?ここって前来たところとほとんど一緒じゃ?」

 「そうですね。全くの偶然とはいえ真向いだと知った時は私も少々驚きました」

 

 ちなみにビルの場所はオーディションの行われたレンタルスタジオの真向かいにそびえ立つビルの中だという。

 

 

 

 「あ、渡戸さん、お疲れ様です」

 

 9時45分。菅生と共にエレベーターで顔合わせが行われる3階のフロアに出ると、その斜め右前にある自動販売機に白いラインの入った黒ジャージ姿の渡戸が立っていた。

 

 「お疲れ様です」

 

 そして俺と菅生の二人の姿を確認するや、渡戸は軽く会釈しながら被っていた白のキャップを取り礼儀正しく挨拶を返す。

 

 「先日はありがとうございました。どうやら監督の國近さんと共に夕野を審査して頂いたとのことで」

 「いえいえ、俺はただ相手役を引き受けただけで、オーディションでは特に審査するような大したことはしていないですよ」

 

 茶髪パーマのマネージャーと見た目がほぼヤンキーな主演が礼儀正しい口調で挨拶代わりの話を始める。それにしてもこの2人は、外見と中身の落差がすごい。

 

 「あの、渡戸さん」

 「ん?」

 

 “俺が怖いか?”

 

 そしてオーディション以来初めて渡戸の顔を見た俺は、真っ先に“あの事”を思い出した。

 

 「・・・オーディションの時、渡戸さんのことを “怖い”と言ってしまってすいませんでした」

 

 オーディションに挑んだ時にとにかく絶対に嘘はつかないことを決めていたとはいえ、流石に失礼なことを言ったと感じた俺は、思うがままに渡戸に詫びを入れた。

 

 「本当にそんなことを言ったのですか夕野さん?

 

 その謝罪に反応したのか、普段は大人しそうな菅生が斜め後ろから圧をかけて来た。

 

 心なしか、とても怒っているように感じる。

 

 「いや、違うんすよ菅生さん。これはオーディションで絶対に嘘は吐かないって決めていたからってだけであって、悪意はマジでないです」

 

 目線を渡戸に向けたまま俺は弁明をするも、斜め後ろから放たれている見えない“波動”が凄すぎて振り向きたくとも振り向けない。

 

 1つだけ分かったことは、本気で怒らせたら実は海堂より菅生の方が怖いのかもしれないということだろうか。

 

 「俺は全然気にしてないですよ。逆にああいう感じで変に媚びを売らずに正直に言ってくれてやりやすかったです」

 

 菅生に気圧されかけている俺と、そんな俺のフォローに回る菅生をまとめて庇った渡戸は俺の前に歩み寄り、

 

 「役者は飾らないありのままの自分でどれだけ役を引き出せるかが大事だからな」

 

 と言って肩を一回だけ軽く叩いた。

 

 「はい。ありがとうございます」

 

 こうして渡戸のフォローもあってひとまず事態は丸く収まり、俺は渡戸の後についていくように顔合わせの行われる会議室へと入った。

 

 

 

 そして9時55分。3階にある会議室にはエキストラを除く『ロストチャイルド』の出演者とスタッフ陣が一堂に会していた。

 

 役者とスタッフ共々、今日が初めての顔合わせなだけあって会議室の雰囲気は少々重めな雰囲気と緊張感に包まれている。

 

 “うわぁ・・・ほとんど知らねぇ・・・”

 

 おまけに多分この業界の中では名の知られている人たちなのだろうが、月9の時とは違い普段からテレビなどで見かけるような俺の知っている役者(ひと)は少なく、そのせいか余計に緊張する。

 

 “・・・あれ・・・この人はどこかで・・・”

 

 そんなまだまだ無名な俺が唯一認識できたのは、俺の座る列の左端で小説を読み耽りながら座る“大物女優”だった。眼鏡をかけていて雰囲気は少し違っていたが、彼女は間違いなくどこかで観た記憶があった。

 

 “・・・思い出した。“アキコ先生”か”

 

 4年くらい前に観ていた小学校を舞台にしたドラマを最後にすっかり見なくなってしまったが、彼女は間違いなくあの“アキコ先生”だった。

 

 

 

 入江(いりえ)ミチル。10代の時から映画女優として活躍しこれまでに数多くの名作と評される作品で主演を張り、20歳の時に日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞するなど同世代の天才女優でありライバルだった星アリサと共に芸能界で一時代を築き、80年代からの邦画界を牽引してきた実力派女優の1人である。

 

 90年代に入るとテレビドラマにも出演するようになり新たな境地を開きつつ主戦場の映画でも変わらずに第一線で活躍していたが、4年前に直木賞作家との結婚を発表すると同時に休養を宣言して以降は表舞台から遠ざかっていた。

 

 そして今年の4月、彼女は芸能活動の再開を発表した。

 

 

 

 リアルタイムで入江ミチルの姿を見たのは4年くらい前に観たドラマぐらいで俺にとっては“過去の人”のイメージだったが、母親のコレクションには彼女が出演している作品が幾つかあって、その中のどれかは忘れたが彼女の出演していた映画は観た記憶がある。

 

 一見すると良くも悪くも普遍的で印象に残るような派手さはないが、彼女の芝居は素朴ながら何気なく観ているうちに段々と引き込まれる説明し難い存在感と説得力を感じたことを覚えている。例えるなら感情や五感をダイレクトに揺さぶる星アリサとは対照的で、“噛めば噛むほど味が出る”ような芝居だった。

 

 “アキコ先生”の冷淡かつ特徴的な役柄(キャラクター)しか知らなかった俺にとっては、そんな彼女の素朴で普遍的な芝居は逆に新鮮に見えた。

 

 

 

 “・・・この感覚はなんだ・・・”

 

 それにしても彼女から放たれる独特でどこか近寄り難そうなオーラは流石は大物女優といったところで、席についた時には気付けなかったがいざ端の席に座る女の人が入江ミチルだと分かってからは、ついつい意識が持っていかれそうになって仕方がない。ただ席に座って小説を読んでいるだけなのに、映画の1シーンを観ているかのような感覚に陥る。

 

 というか大物過ぎて、俺には物凄く場違いにすら思えてしまう。

 

 「・・・!」

 

 何気なく憬がミチルに目を向けていると、小説を読んでいた彼女が眼鏡越しに目線を向けたことで大物女優と不意に目が合う形になった憬は、思わず座ったままミチルに無言で会釈する。

 

 “・・・えっ?”

 

 だがミチルは憬に会釈を返すこともなくスッと目線を本に戻すと、再び自分の世界に浸るように小説の続きを読み始める。

 

 “・・・マジか・・・入江ミチルってこんな感じの人なのか・・・”

 

 彼女の映画を観た時とはまた違ったベクトルの衝撃(ショック)が、憬を襲う。

 

 「・・・あの、入江ミチルさんって結構気難しい感じなんですか?

 

 あの一瞬でミチルが物凄く気難しい人だと直感した憬は、彼女に気を遣うように隣に座る渡戸に小声でミチルのことについて聞き出す。

 

 「・・・悪い。正直俺も入江さんと共演するのは初めてだから分からん

 「・・・了解です・・・

 

 渡戸から“有力な情報”を得た憬は、気を紛らわすように周囲を見渡す。よく考えてみれば本来の主戦場はそれぞれ違うわけだから無理はない。

 

 「・・・って國近さんは?」

 「あぁ、ドクさんはまだ来てないよ」

 

 そして気を紛らわしながら周囲を見渡すと、憬は顔合わせの時間の5分前になっても監督である國近が来ていないことに気付いた。

 

 「・・・何かあったんですかね?」

 

 案の定國近の“拘り”をまだ知らない憬が、しびれを切らすように小声で左隣に座る渡戸に聞く。

 

 「この前のオーディションの時、13時ジャストにドクさんが来なかったか?」

 

 渡戸からの言葉で、憬はオーディションの時の光景を思い起こす。

 

 「・・・はっきりとは覚えてないんすけど、かなりギリギリだったと思います」

 

 振り返ってみると、確かに國近はオーディションの集合時間と同時ぐらいのタイミングでドアを開けてきたような記憶がある。ただ、いちいちそんなことを最初から意識しているはずもなく、この後に最終審査があったことも相まってその程度しか覚えていない。

 

 「俺もこの映画で初めてドクさんに会って知ったけど、基本あの人は集合時間ピッタリに現場に来るんだよ。どんな時でも」

 「えっ?何でですか?」

 「流石にそれは俺も分からねぇ。でも、多分あれもドクさんなりの“拘り”なんだと思うわ」

 「・・・こだわり?」

 

 ジャストの時間に現場につくことが果たして拘りと言えるのかは分からない。でも『ノーマルライフ』を思い返すと、國近独という監督の映画に対する“拘り”はしっかりと伝わっていた。

 

 きっと映画と同じように、普段の生活においても絶対に譲れない自分のルールというものがあるのだろう。

 

 「やぁ剣君久しぶりやなぁ!」

 

 すると後ろの方から誰かが関西弁で元気よく話しかけてきた。

 

 「誠剛(せいごう)さん、ご無沙汰です」

 「アレ?もしかしてまた背ぇ伸びた?」

 「多分気のせいですよ。感覚的には17あたりから成長してないですし」

 「なんや剣君は成長しとらんのか~」

 「そういう誠剛さんこそ、また伸びたんじゃないですか?」

 「ワイか?言うまでもなくワイは常に伸びとるがな。“俳優”として」

 「あーなるほど、そういう意味でしたか」

 「ったく、剣君もまだまだやね」

 

 席から立ち上がって挨拶する渡戸と軽口を交わしながら握手をする渋めで長身な関西弁を喋るもう1人の“大物”の姿は、確実にテレビで何度も観た記憶がある。

 

 

 

 紅林誠剛(くればやしせいごう)。映画や舞台を中心に幅広い演技力を武器に活躍する個性派俳優で、映画と演劇でこれまでに数々の賞を獲った実績を持つ実力派としても知られる。

 

 一方でドラマを含むテレビ関連への出演にはやや消極的で、テレビにおいては数年前までは散発的な活動に留まっていた。しかし、一昨年から去年にかけてMHKの朝ドラと大河ドラマにおいて重要な役どころを立て続けに演じたことでお茶の間の知名度が上がり脇役(バイプレーヤー)として地位を確立して以降は、テレビドラマやCMにも精力的に出演するようになるなど活動の場を広げている。

 

 ちなみに監督の國近とは短編映画に主演で関わって以降親交が続いており、渡戸とは巌裕次郎の舞台で共に共演した経験もある。

 

 

 

 「ほんで隣におる彼は?」

 

 目の前に大河俳優がいるという光景に油断していると、紅林が俺の方に視線を向けて話しかけてきた。HOME(ドラマ)の時にこういう光景が当たり前だと分かっていたつもりでも、いざブラウン管で見たことのある顔を間近にすると思わず圧倒される。

 

 「“ユウト”役をやらせて頂くことになった夕野憬です。よろしくお願いします」

 「せきのさとる・・・・・・ええ名前やな」

 「・・・そうですか?」

 「ちなみにワイのことは知っとるか?」

 「あ、はい。『うつけもの』の池田恒興を演じていましたよね?」

 「おぉ『うつけもの』観てくれたんか?それは嬉しいなぁ」

 

 圧倒されるがままに挨拶をしてしまったばかりに自分でも驚くぐらいしどろもどろになってしまったが、そんな俺を紅林はクールに笑って受け止めてくれた。

 

 ちなみに『うつけもの』とは去年MHKで放送された安土桃山時代を舞台にした織田信長の半生を描いた大河ドラマで、紅林は主人公である信長の側近である池田恒興を演じ注目を集めた。

 

 「・・・ってそういや名前も聞かんし初めて見る顔やけどさては新人か?」

 「はい。実は役者になってまだ3,4ヶ月ってところです」

 「ほぉ~、それは中々大変やな」

 

 そして渋めで硬派な出で立ちとは対照的な紅林の明るい人柄もあってか、それまで緊張感に包まれていた会議室の空気が次第に穏やかになっていく。まるで彼を例えるとしたら、早乙女のようなムードメーカーだ。

 

 「はい、大変っちゃ大変ですけど、なるべく國近さんの“拘り”に応えられるよう、頑張ります」

 「・・・・・・憬君。これから“為になる”ことをひとつだけ教えたる」

 

 俺はやや緊張しつつもどうにか無礼のないように挨拶すると、紅林はいきなりニヒルに笑うと俺の耳元に顔を近づける。

 

 「・・・何ですか?」

 

 いきなり耳元に顔を近づけたことに理解が追い付けずにいる俺に、紅林は囁く。

 

 「“ドクちゃん”の前ではあんまり“國近さん”呼びで言わん方がええで」

 「・・・えっ?」

 

 そう言うと紅林は左から押し寄せている入江のオーラをシャットアウトするように俺の左隣にある椅子に座った。

 

 「一応言うとくとワイは初めてドクちゃんと面と向かって“國近”って呼んだら、“ドクと呼べ”ってマジなトーンで言われたわ」

 

 言われてみれば、渡戸もオーディションの時から國近のことを終始“ドクさん”と呼んでいた。

 

 「・・・それもひょっとして國近さ、“ドクさん”の拘りってやつですか?」

 「別に今は國近さんでもええで」

 

 國近(ドクさん)という映画監督がどれほど“拘り”の強い人なのかは予想できないが、両隣で展開する会話で徐々に“ドクさん”がどんな監督なのかが少しずつ見え始めてきた。

 

 「拘りかどうか詳しくは知らんが、ドクちゃんは堅苦しくされるのがホンマに嫌いな奴やからな。そのくせどういうわけか当の本人は苗字呼びやし自分より下の人間には敬語を徹底しとるけどな」

 「そう言いながらキャスティングの件でプロデューサーと相当揉めたと俺は本人から聞いていますが?」

 「良くも悪くも何を考えとるのかわかれへん自己中でエキセントリックな奴やからなドクちゃんは。おかげで業界じゃすっかり“態度のデカい生意気な若手”で通っとるけど、ワイからしてみれば演出家はそこそこ自己中で生意気でエキセントリックなくらいが丁度ええ・・・・・・ま、呼び名を強制してるって話は嘘やけどな」

 「・・・えっ?」

 

 ただ、“ドクさん呼び”は紅林のジョークだったらしい。

 

 「すまん。ちょいと憬君のことを試した」

 「試したって、一体?」

 「こういうノリに慣れてない新人ですのでお手柔らかにお願いします誠剛さん」

 

 “そういう渡戸さんこそ普通に悪ノリにノってんじゃねぇか”

 

 と心の中で呟いた俺は、徐に入江の方へ目線を向ける。

 

 “・・・本当に本から目を離さないな入江さん・・・”

 

 一方入江(彼女)入江(彼女)で、周囲のことなどお構いなしに小説を手に微動だにもせず自分の世界に浸り続けている。この独特でカオスな状況にまだ平然を保つのでやっとな俺は、やっぱりまだまだだなと痛感する。

 

 「あれ?よく見たらミチルちゃんもおるやないか」

 

 そして俺の視線でその存在に気が付いたのかあるいはわざとか、紅林は小説を読み耽る入江に空気を読まず「よぉ久しぶり」と手を振り元気よく声をかけるが、当の本人は目線すら動かさず“シカト”でやり過ごす。

 

 「ハハッ、ほんまにミチルちゃんは昔から相変わらずやな」

 

 そんな彼女に紅林は微笑ましそうに独り言を呟き、再び身体を前に向ける。やはり、入江ミチルは思っている以上に気難しそうだ。

 

 「はぁ・・・さて、あと1分か」

 

 そんなこんなで気が付くと開始時刻の1分前。周りを見渡すと俺のように監督が現れないことを心配する人もいれば、渡戸や紅林のように何食わぬ顔で待っている人もいる。日常茶飯事なのか、少なくともスタッフ陣は1分を切っても姿を見せない監督に対して心配する素振りすら見せない。

 

 「あのー・・・本当に間に合うんですか?“ドクさん”は?」

 

 “本当にピッタリに来る人なんだな”と内心で思いつつ、それでも國近が現れる気配すらなく心配になった憬は、しびれを切らすように紅林に聞く。

 

 「いらん心配はせんでええ・・・ドクちゃんは必ず“定時”にやって来る」

 

 そんな憬に紅林はクールに笑みを浮かべながら優しく気遣うと同時のタイミングで、1人の男が会議室に入る。

 

 「な?ワイの言うた通りやろ?」

 

 自分の“拘り”をよく知らない一部の出演者の心配をよそに、『ロストチャイルド』の監督である國近は何食わぬ顔で1番前で反対側に向けられた主要スタッフ陣の真ん中に空けられた椅子に歩みを進め、何事もないように座る。

 

 「監督の國近です。この度は各々お忙しい中こんな“時化(しけ)”た会議室にお集まり頂きありがとうございます」

 

 

 

 國近(ドクさん)が席に座り第一声を発したその瞬間、ちょうど真上の壁に飾られた時計の分針が10時ジャストを指した。

 




毎話ごとに上手く話をまとめられる作者先生の方々が純粋に凄いなと、添削を重ねる中でふと思いました・・・・・・はい。

ちなみに分かりづらいですが今回は2本立てになっています。




それと急に話が変わりますけど1999年ってどれくらい携帯電話が普及していたんでしょうかね?(※展開の補足すると環は携帯から電話をかけている一方で、憬は携帯を持ってません。)



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scene.34 共演者

 映画、『ロストチャイルド』。前作『ノーマルライフ』でカンヌを始め数々の映画賞を受賞した映画監督・國近独が送る“家族”をテーマにした新作長編ドキュメンタリー映画である。

 

 

 

 物語の主人公であり大学で心理学を学ぶショウタ(宮入尚太(みやいりしょうた))とその弟のユウト(宮入有人(みやいりゆうと))は、それぞれ横浜にある大学と中学校に通う19歳(大学1年)と13歳(中2)の兄弟で、2人は学校でも家でも比較的充実したごく普通の日常を送っていた。

 

 だがショウタとユウト、そして2人が“兄弟”として生活を送っている宮入家にはある特殊な事情があった。

 

 ある日の深夜、兄のショウタは寝室で眠っているユウトをよそに父親の毅(宮入毅(みやいりつよし))と恵里(宮入恵里(みやいりえり))と共に食卓であることについて話す。それは自分たちが里親を経て養子縁組になった“血の繋がっていない家族”であることと、ショウタとユウトは元々別の親の元で生まれた血の繋がっていない兄弟であることの二つの事実を、ユウトに打ち明けるかどうかだった。

 

 4歳で両親から捨てられてから8歳で宮入家に引き取られるまでを児童養護施設で過ごした経験のあるショウタは、元から自分の置かれている状況が普通ではないということを子供心ながらに理解していた。

 

 一方、何らかの事情で物心がつく前の1歳の時にショウタが過ごしていた施設に預けられたユウトにとっては施設での生活や “兄”のように可愛がってくれたショウタ、そして養子縁組である宮入家での日常が当たり前であり、これが本当の家族であることを全く疑わすに信じ続けて生きてきた。

 

 そうした経緯からこれまで、本当のことを話したら計り知れないショックを受けるだろうと隠してきたが、3人は夜通しの話し合いの末、10日後に迫ったユウトの14歳の誕生日の時にそのことを本人に伝えることを決める。

 

 だがユウトの誕生日を2日後に控えたある日、授業を終えて同じく心理学を専攻するサークル仲間と共に所属している演劇サークルに向かう途中、ショウタの元に母親の恵里から“ユウト”がパニックを起こして倒れたという電話が来る。

 

 連絡を受けたショウタはいち早く部活動を休み家に戻ったユウトの元に向かうが、家に着くとユウトは既に落ち着きを取り戻していた。

 

 学校で倒れたというユウトの話を恵里から聞くと、放課後の時間に同じクラスのクラスメイトと取っ組み合いの喧嘩をして、その拍子に相手から首を絞められた時に恵里ではない別の女の人から首を絞められた記憶が突如フラッシュバックしたことでユウトはパニックを起こし、倒れたという。

 

 その記憶は、施設に預けられる前日に心中を図ろうとした実の母親から首を絞められた時の出来事だった。

 

 「なぁ?おれの本当の母ちゃんってどこにいんの?」

 

 施設に預けられる前の記憶が蘇ったユウトだったが、これまでずっと本当の家族だと信じてきた宮入家の人間が赤の他人だったことを知りショックを受けていた。そんな様子のユウトに母親の恵里は「あなたが見たのは全部悪い夢だ」と嘘でこの場を突き通そうとするが、「ヘタクソな嘘ついてんじゃねぇ」とユウトは激昂する。

 

 そしてそれを見たショウタは「これ以上嘘を重ねてもユウトが不幸になるだけだ」と恵里の制止を振り切ってユウトに“真実”を伝えると、ユウトはこの間の家族会議を盗み聞きしていたことを打ち明ける。

 

 しばらくすると父親の毅も仕事から帰宅し、3人から事の顛末を聞かされた末に今まで黙っていたことを毅はユウトに詫びながら話したことでユウトも渋々受け入れたことで、何とかこの一件はひと段落した。

 

 翌日、ユウトはショウタたちの心配をよそに通っている中学に登校するために家を出るが、しばらくして学校から「宮入君が学校に来ていない」という電話がかかる。偶然その日は午前の授業がなかったため家にいたショウタは何かに感づき、ユウトの部屋に入ると『母ちゃんを見つけてきます。探さないでください』と書かれた紙が勉強机に置かれていた・・・

 

 

 

 「全部知ってるよ。おれ」

 「じゃあ何で俺たちに何も言わなかった?何でそうやって全部1人で抱え込もうとするんだ?」

 「言って何がどうなるんだよ?」

 「ごめんなさい、一旦ストップで

 

 午後4時過ぎ、会議室では憬を始めとしたキャスト陣は監督の國近やこの映画の脚本を手掛けた安食泰徳(あんじきやすのり)らスタッフ陣と共に、台本を読み聞かせながら演出の意図を演者に伝える“本読み”という映画の撮影開始前に行われる演出付けを行っていた。

 

 「・・・やっぱりまだショウタとの距離を感じるんだよな~ユウトくん。どうした?具合でも悪いのか?」

 「いや大丈夫です、すいません」

 

 そして憬は今、この映画の監督である國近からダメ出しを食らっている最中だ。

 

 「そもそもユウトは宮入家のことをどう思っている?」

 「・・・ユウトは本当に14年もの間、宮入家の人間を本物の家族だとずっと信じて生きていたけど、周りの人間は本当の家族じゃなかったという現実は、物心つく前から施設に預けられ、本当の親や家族の存在を知らないユウトにとっては受け入れられないことだと思います。だからユウトは今までの14年を全部否定されて裏切られたような気分になって」

 「それを手前で分かりきっていて何故出来ない?

 

 本読みが始まってから一向に宮入家との距離が“近づく”気配の見られない憬の言い分を遮り、國近は間髪を入れずわざとプレッシャーをかけ続けるような口ぶりで揺さぶる。

 

 「・・・取りあえず俺としても役の理解を深めるはずの台本が今日まで遅れてしまったことは本当に悪いと思ってる。改めてそこは申し訳ない」

 「謝るなよ安食、お前の遅筆癖なんて誰も責めてねぇから」

 「いやアンタが台本を送る度に色々注文(いちゃもん)つけるからギリギリになったんでしょうが」

 

 さすがに監督から何度も止められてガミガミ言われている新人が可哀想に思えてきた安食が、さり気なくフォローする。

 

 ちなみに脚本を書いた安食は前作の『ノーマルライフ』でも脚本を書いていて國近とは2度目のタッグとなる。余談だが撮影監督を始め主要スタッフの多くも前作と同じ布陣である。

 

 “・・・何でこうも上手く行かないのか・・・”

 

 ユウトの感情は分かっている。ちゃんと“台本”にあるように演じることは出来ている。でも手ごたえがまるで感じられない。

 

 このままじゃユウトという役を掴める気がしない。

 

 「・・・まぁ、たった1日で役を掴み切れる役者なんて絶対ありえへんからな」

 

 1人で思い悩む憬の心情を察した毅を演じる紅林がすかさずフォローに回る。

 

 「当たり前だ。そもそも数日程度で役を掴んだ気でいるような役者(バカ)は俺からしてみたら役者を名乗る資格のない“三下”同然だ。現に俺も含めてまだ誰一人として把握しきれてないからな」

 

 紅林のフォローを付け足すように放つ言葉に出演する役者陣は心の中で頷いたのを確認すると、國近は憬に目線を向けつつ余分なストレスを吐き出すために溜息を一回吐く。

 

 「・・・例えば仮の話だが・・・夕野自身が自分の親からあなたとは血が繋がっていないと言われたらどう思うか、考えたことはあるか?」

 「いや、ないです」

 「だろうな」

 

 役を掴めずにいる憬に、國近は問いかける。当然そんなことなど考えたことすらなかった憬は即座に否定する。

 

 「じゃあもしも親から本当に血が繋がっていなかったことを打ち明けられたら、夕野(お前)はどう思う?」

 

 自らの弱点の正体を把握できずにいる憬に、國近は敢えてプレッシャーをかけ続けながらも助言を与え、それを受け取った憬は母親の姿を思い起こす。

 

 

 

 俺はユウトやショウタ程ではないが、“一般的な普通”とは少しだけ違う家庭環境で育ってきた。本来だったら当たり前に存在しているはずの父親の姿は全くと言っていいほど記憶には残っておらず、色々な事情もあって祖父母にあたる人にも今まで一度も会えていない。

 

 俺にとっては母親が、唯一無二の家族だ。関係は良好だが特別に仲が良いというわけではなく、普通に言い争いもするしうざったくて仕方ないと感じる日もある。それでも俺の記憶の中に存在する家族は、母親だけだ。

 

 「・・・心の底からは受け入れられないと思います。血が繋がっていないとはいえ、自分にとっては本当の家族なんで」

 

 そんな母親から“実はあなたと私は血が繋がっていない”と言われたら・・・・・・今まで考えたことすらなかったが、いざ直面したらきっと心の底から真実を受け入れることは出来ないだろう。

 

 

 

 “だが、それは俺やユウトに限った話ではない”

 

 

 

 「・・・けど、それは誰だって同じことじゃないですか?」

 

 無意識に答えに繋がる言葉を漏らした憬に、國近は真っ直ぐ目を合わせながら呟く。

 

 「あぁそうだ。そう思うのは誰でも当たり前のことだ」

 「えっ・・・・・・すいません何を言っているんですか?」

 

 言っていることの意図にピンと来ずに聞き返す憬に、國近は監督席に座ったまま憬を凝視しながら静かに訴えかけるように言葉を付け足す。

 

 「俺が言いてぇのは“台本”と睨めっこをする前に、先ずは周りの人間を“視ろ”ってことだ」

 

 その言葉に、憬の心の中にハッとするような衝撃が走る。

 

 「ユウトが今何を思い、何がユウトをそこまで悩ませる?そしてユウトはショウタを含む宮入家の人間、そして母親のことをどう思っていているのか・・・人っていう生き物が“他人の感情”と“全く同じ感情”を持っていることに手前で気付いているはずのお前が、そんな基本を忘れて何を馬鹿みてぇに“台本”に縛られている?」

 

 所々に刺々しさはあるが、それは紛れもない正論だった。

 

 少しでも早く役を理解しようと目に見えている “資料”ばかりを意識していたあまり、俺は根本的なことを忘れかけていた。俺がブラウン管やスクリーンに映る役者を通じて同じ感情を自分自身も持っていることに気付いた。

 

 “「良いご身分だよ・・・クズ野郎・・・」”

 

 そして早乙女を通じて、自分の感情は自分だけのものじゃないということを思い知った。

 

 共演者(あいて)のことを何も理解していない状況で、ユウトの感情を理解しようなんてあまりに無謀で無責任な話だ。

 

 

 

 “今はまだ、台詞を暗記する暇じゃねぇだろ”

 

 

 

 「夕野・・・・・・大事なのはより役に近づけた状態で演じるために“体験”を積むことだ。撮影まではまだ時間はある。だから先ずは自分なりに距離を近づけられる為の努力をして、それを俺たちに証明しろ。分かったな?」

 「はい」

 

 こうして最初の本読みは、反省とフィードバックの繰り返しで幕を閉じた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「何か飲むか?夕野?」

 「えっ?いや、俺は別に大丈夫です」

 「遠慮するなよ。取りあえず先輩からの“奢り”は迷わず受け取っとけ」

 「・・・はい。じゃあお願いします」

 

 本読みが終わり、渡戸と憬は1階のフロアの自販機の前に立っていた。

 

 「何が飲みたい?」

 「・・・・・・じゃあこれで」

 

 飲み物を奢るという渡戸に憬は数秒ほど迷った末、ブラックの缶コーヒーを選ぶ。

 

 「ほんとにこれでいいのか?サイダーとかあるけど?」

 「いや、これがいいです」

 

 思ってもみなかったチョイスに渡戸は戸惑いつつもこれがいいと言う憬に缶コーヒーを奢り、自分はペットボトルのレモンティーを買った。

 

 「夕野はこれまでコーヒー飲んだことあんの?」

 「ないです。ていうかコーヒー自体これが初めてです」

 「・・・言っとくけどそれ、すっげぇ苦いと思うぞ?」

 

 人生で初めてのコーヒーでいきなりブラックに挑戦しようとしている憬に渡戸は念を入れて忠告するが、憬にはわざわざコーヒーをチョイスしたちゃんとした理由があった。

 

 「台本の中で、自分の記憶を頼りに実の母親のリョウコを探すために家出をして街をふらついていたユウトがなけなしのお金で自販機の缶コーヒーを買ってそれを飲んで、苦すぎて思わず吐き捨てるシーンがあるじゃないですか?」

 「・・・あぁ、あるな」

 「だからこうやってユウトが飲んでいたコーヒーと同じものを口にして“初めて飲んだ時の味”を覚えれば、ちょっとでもユウトのことをより深く分かるようになるんじゃないかって思ったんです」

 

 “大事なのはより役に近づけた状態で演じるために“体験”を積むことだ“

 

 ユウトの役が今一つ掴めずにいるのは俺自身が共演者(あいて)のことを知らないこともそうだが、それ以上にユウトと同じような“体験”をしてこなかったからだ。奇しくも今回もまた演じる役は俺と同い年の役だが、ドラマの時と異なるのはベースとなる“手本”が存在しないということ。

 

 手本がないから、体験がないから言葉で分かっていてもどうしてもどこかチグハグになってしまう。

 

 ならば自分自身が“ユウト”と全く同じ体験を少しでもすれば近づける。という、役者としての経験がまだまだ浅い新人なりの努力。

 

 「・・・お前はほんとに立派だな」

 

 そうした自分なりの努力を少しの自信を交えて打ち明ける憬を、渡戸は感心したような口ぶりで褒めながらレモンティーを口へ運ぶ。

 

 「全然そんなことないっすよ。本読みはダメ出しの連続だし、國近さんからの指示にもちっとも応えられていないし・・・ホントにダメダメですよ俺は」

 「まだ初日だ。そう考えると十分に上出来だと俺は思うよ」

 

 励ましに一通りの自虐で返した憬は、缶コーヒーのフタを開ける。

 

 その強がりな振る舞いに、渡戸は一瞬だけ“ユウト”の面影を見た。

 

 「夕野ってさ、14だっけ?」

 「えっ?はい、14です」

 「・・・てことは“ユウト”と同い年か」

 「そうですね。俺にとっては月9に続いて2連続だけど」

 

 そう言いながら憬は、人生初の缶コーヒーを台本と同じように勢いよく口へと流し込む。

 

 “14か・・・何してたかなあの時・・・”

 

 

 

 少なくとも14の俺は、今みたいに芝居で飯を食っている自分の姿なんて夢でも想像していなかった。それどころか・・・・・・

 

 

 

 「・・・俺はお前が羨ましいよ。俺が14の時なんて」

 「うっわ苦っ!

 

 口にコーヒーを流し込んだ直後、強烈な苦味と渋みが口の中に一気に広がり思わず声が出て、俺はその場で悶絶しかける。

 

 「おい大丈夫か??」

 「はい大丈夫です・・・全然余裕っすこんなの」

 「あんまりそうは見えないけどな」

 

 苦味が広がった瞬間、本気で台本に書いてあるように吐き捨てようと俺の反射神経は動き出したが、流石にそれは後々に怒られると直感した理性によって現実に引き戻され、どうにか胃袋に流し込んだ。

 

 「だから聞いたろこれでほんとにいいかって、やっぱサイダーとか買うか?」

 「いやホントに大丈夫なんで(ていうかなんでサイダー?)」

 

 初めて口にした、ブラックコーヒー。その一口目は思わず吐き捨てたくなるほど苦い味だった。果たしてこんな苦味のオンパレードのような飲み物を好んで飲めるようになる日は、本当に訪れるのだろうか。

 

 俺には想像すら出来ない。

 

 「でもこんな感じか・・・コーヒーの味って・・・」

 

 だがこれで、“ユウト”の感じたコーヒーの味というものを身をもって体験することが出来た。ほんの僅かかもしれないが、これでユウトの感情(こと)をまた一つ理解することができた。

 

 「・・・俺の“恩師”が読み合わせで言ってた言葉を思い出したよ・・・“この世に理解の及ばねぇ人間なんて存在しない。そして理解できるのなら必ず演じられる”、って言ってたことをさ」

 

 同じコーヒーの苦味を覚え少しだけ満足げになっている俺に、渡戸は昔を懐かしむように恩師から言われた言葉を呟く。

 

 その渡戸の言った“恩師”というのが誰なのかは、数秒ほどで予想が付いた。

 

 「その“恩師”って・・・ひょっとして“イワオ”さんって人ですか?」

 「そうだよ」

 

 そう答えると、渡戸は続けてこんなことを俺に言い出した。

 

 「多分、巌先生(あの人)会ってなかったら俺は役者なんてやらずにどこかで細々としていたんだろうな」

 

 舞台をたった一度、しかも星アリサ目当てでしか観たことのない俺にとって巌裕次郎という舞台演出家は名前ぐらいしか知らないあまりに遠い存在だから、1人の青年の人生を変えたほどの偉大さをもつ彼のことを、俺は知る由もない。

 

 「・・・正直俺は巌さんという人がどういう人かは全然知らないけど、なんか偉大な恩人みたいな人なんですね」

 

 だが巌裕次郎という演出家がいなければ渡戸剣は役者になっていなかったという話を聞いて、1人の男の人生を変えた“偉大な恩人”というイメージが俺の頭の中で膨らみ始めた。

 

 「いいや、あの人は全然偉大じゃないし褒められるような人間なんかじゃないよ」

 

 自分勝手なイメージを膨らませる俺を一瞬で目覚めさせるように、渡戸はレモンティーの入ったペットボトルを片手に静かに笑みを浮かべながら恩師の話を続ける。

 

 「キレたら竹刀で背中を叩くわ灰皿は投げるわ、ダメ出しついでに “役者なんか止めちまえ”みたいに平然と暴言も吐き散らすわ・・・俺だってそういうのを何度も食らってるからな・・・」

 

 レモンティーを口に運びながら変わらず昔を懐かしむ渡戸の表情を見て、今のエピソードが紛れもない事実だということを俺は察した。臭い好きで気に食わないことがあれば平然と暴言をまき散らす・・・俺の中の巌裕次郎のイメージが余計に訳の分からない状態になった。

 

 「・・・マジすか・・・」

 

 だが不思議と渡戸のその表情には、恩師である巌裕次郎に対する嫌悪という感情は全く感じられなかった。

 

 「・・・でも、何で渡戸さんはそんな巌さんのところで芝居を続けたんですか?」

 

 きっと必ず何かの理由があると頭の中で予想しながらも、敢えて憬は巌の元で芝居を続けた理由を渡戸に聞く。

 

 「さぁ・・・何でだろうな・・・」

 

 憬の言葉に渡戸は考え込むようにして目線を天井に上げる。

 

 「言葉にするのは難しいけど・・・・・・1つだけ言えるのは今の俺がいるのは間違いなく巌先生(あの人)のおかげだ」

 

 そして恩師の背中を追い続けた理由を、一言だけ憬に話した。

 

 「・・・本当に恩人なんですね」

 「・・・あぁ、俺なんかが言うのはおこがましいけどな」

 

 これ以上詳しい理由を聞くことはできなかったが、その一言の中に恩師と共に歩んだ日々がしっかりと含まれていたことは伝わった。

 

 「それよりコーヒーは大丈夫か?」

 

 すると渡戸は話題を憬が手に持っているコーヒーに切り替える。

 

 「あぁ、はい。最初は物凄く苦かったけど、なんか慣れてきました」

 

 気が付くと缶の中に入ったブラックコーヒーは半分程度にまで減っていた。最初の一口を口に入れた時はとても飲めたものじゃなかったが、単純にコーヒーの苦味に慣れたのかあるいは苦すぎて舌が麻痺しているのか、今は普通に飲めている。

 

 もちろん苦いのは変わらないが。

 

 「そうじゃなくて、もしコーヒーの味に慣れちまったら逆に初めて飲む“ユウト”のリアクションが取りづらくならないか?」

 

 だが渡戸の“大丈夫か”という意味はどうやら少し違っていたみたいで、飲めるかどうかではなく味に慣れたことで初めて飲んだ時の味を“忘れる”んじゃないかという心配だった。

 

 “・・・一回やってみるか・・・”

 

 そんな渡戸からの言葉で、俺は試しに“初めてコーヒーを口にした”ときの感情を再現してみることを思いつく。

 

 ただ1つだけ問題があるとすれば、“ユウト”だったらどうするかだ。

 

 「・・・大丈夫っすよ。俺はもう“”を覚えてたから」

 

 言い終えると憬は、口の中に残った苦味を頭の中でリセットさせて、半分残ったコーヒーを口へ運ぶ。

 

 「うっ!?」

 

 口の中にコーヒーが入った瞬間、憬はその苦さのあまり思わず再びむせ返りそうになるのをグッとこらえながら、

 

 「あぁ苦っが!」

 

 と、先ほどと同じように悶絶しかける。

 

 まるでさっきの感情をそのまま再現するかのようなリアクションに見えるが、苦味が襲ってきた時の身体の反応やちょっとした仕草は、本当に“初めてコーヒーを口にしたら思った以上に苦かった”時の反応(それ)だ。どんなに芝居で表現力を磨こうとしても、身体の反射までをも再現することができる役者は本当に選りすぐりの中でも数えられるくらいしかいない。

 

 “末恐ろしい奴だ”

 

 恐らく夕野は、その力を駆使して頭の中でまだ自分は“コーヒーを飲んだことが一度もない”と本気で信じ込み、それをしっかりと再現してみせた。まだ役者を始めて3,4ヶ月という段階で。

 

 「どうですか?」

 

 少しだけ謙遜したような態度で夕野は俺に“出来栄え”を聞いてきた。もちろん“再現”という点では今のリアクションは完璧だった。

 

 問題なのは果たしてそれが“ユウト”のリアクションなのかどうかだ。

 

 「完璧だ」

 

 重要なのはそのことに本人が気づいているのか、そうではないのか。オーディションの時に間近で見た震度1の演技の時もドクさんから見せてもらった月9ドラマの演技も、どこか妙な違和感を俺は感じていたが、今の芝居を見て俺の仮説は確信に変わった。

 

 「・・・それはただ“初めて飲んだコーヒーの味”ってことですよね?」

 「・・・そうだな」

 

 そしてそのことに、本人も気づき始めている。

 

 「ユウトだったらどういう反応をするのか・・・コーヒーの感覚を掴んだところで、俺はまだ根本的な何かを掴めてないっていうのが、よく分かりました」

 「・・・そうか・・・じゃあ俺たちが “ショウタとユウトになる”ためにはどうしたらいい?」

 

 役を掴み切れずにいる原因を把握した渡戸が、憬へ答えに繋がるヒントを問いかける。

 

 「・・・役を知る前に先ずは渡戸さんや共演者のことをもっと深く知る必要があるんじゃないかって、俺はそう思ってます」

 

 問いに答えた憬は、当然のように渡戸の把握していた役に近づくための答えに一発で辿り着いた。

 

 「分かってるなら話は早いな」

 

 台本を読み込み与えられた役の背景(バックボーン)を掘り下げていく以前に、俺たちは互いのことを知らなさすぎる。

 

 役を知るには、先ずは相手のことを知ること。そうすることで共演者同士の関係性が縮まり、芝居をする上で重要な“自然な距離感”が生まれる。

 

 

 

 

 “(たにん)は喰える。(たにん)との壁を作っているのは常に自分自身。そして(たにん)は必ず自分の中に存在する

 

 

 ”・・・まさか舞台以外でも、巌先生の教えが役に立つ時が来るとは・・・”

 

 

 

 

 「夕野、明日のスケジュールは空いてるか?」

 

 渡戸の問いにスケジュールが空いているか、憬は念のためスケジュール帳を開いて確認する。

 

 「はい、今のところ予定は入ってないです」

 

 それを聞いた渡戸は残りのレモンティーを一気に飲み干し、憬に1つの提案をする。

 

 「明日、俺たち2人だけでそれぞれの“思い出”の場所に行くぞ」

 「・・・・・・えっ?」

 

 強面で真面目な渡戸が口にした予想の斜め上を行く提案に、理解が追い付いていない憬は拍子抜けした反応で聞き返した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「よぉ“エイイチ”!お疲れさん!わいや、誠剛や!」

 

 新宿区内の駐車場に駐めた黒色のワゴン(ボルボ)の車内で、本読みを終え愛車に戻った紅林は携帯電話を片手に20年来の付き合いである“エイイチ”という人物にハイテンションで電話をしていた。

 

 「いやぁ忙しいなんて言わんとチョットだけわいの話を聞いてくれへんか?どうしてもエイイチに言うときたいとっておきの“ネタ”があるんや」

 

 だが相手のエイイチは都合が悪いのか、いきなり電話をかけてきた紅林を軽くあしらおうとしている。

 

 『・・・手短に頼むよ』

 「おぉそれは嬉しいなぁ!ありがとうなエイイチ!」

 『声が大きすぎるよ紅林』

 「あぁ悪いな、ワイとしたことが上がり過ぎてしもた」

 『全く、昼間から酒でも飲んだのかい君は?』

 「読み合わせ終わりでバリバリにシラフや」

 『・・・やれやれ』

 

 それでも旧知の仲のよしみなのか、エイイチは紅林の勢いに折れるかのようにとっておきの“ネタ”を手短に纏めて話すように求め、友人からの突然の電話を許す。

 

 「言うとくがこう見えてワイも回りくどくおべんちゃらを垂れるのは嫌いなクチやから、お望み通り手短に話すわ。実はな・・・・・・」

 

 

 

 「・・・なるほどね」

 『ま、これはあくまでワイが勝手に思うてるってだけやから真に受けるかどうかはエイイチ次第やけど・・・どや?ワイの言うてた通りとっておきやろ?』

 「・・・話はそれだけかい?」

 『なんや?まだ話の“ネタ”が欲しいんか??も~う欲しがりやなぁエイイチは~、そんなんやったら遠慮せんで最初から言えばええっちゅうのに!あぁそうや、ところでそっちの舞台』

 

 20年来の友人からとっておきの“ネタ”を聞き出すと、自らが演出を務める舞台の稽古を終えた舞台演出家のタツミエイイチはまくし立てる紅林の返答を待たずに電話を切り、その場で通りすがりのタクシーを拾う。

 

 「どちらまで?」

 

 

 

 そしてエイイチを乗せたタクシーは稽古場の通りから走り去って行った。

 




 
カメラの中と外の世界の分別がつかず、平気で人としての道を履き違える人でなしというのは、まだまだこの世界には山ほどいるのかもしれない。

とにかくそういう人たちが少しでも減って、作品に関わる全ての人たちが安心して自分の仕事に臨んで行けるようなクリーンな世界に変わっていってくれたらなと、そう思います。








失礼しました。


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scene.35 休日①


もっとガンガン、アクタージュを投稿しようぜ☆

5/15 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


 2018年8月下旬_午前6時15分_芝浦_

 

 雨上がりの早朝の空の下、住処としているマンションを含む4棟のマンション群を中心に構成された人工島(アイランド)の外側をぐるりと取り囲むような形で周囲の運河に沿って造られた1周1.4kmの遊歩道を、憬はランニングウェアを着て深々と帽子(キャップ)を被り1kmをだいたい5分半のペースで走っていた。

 

 

 

 小説家・夕野憬の朝は早い。朝は遅くとも6時には起床し、ランニングウェアに着替えて軽いストレッチを行ったのちに外に出て、1.4kmの遊歩道を4周するのが朝の日課となっている。

 

 悪天候や体調次第などで走らない日もあるが、その日に打ち合わせなどの仕事があろうが何も予定がなかろうが6時までに起きて走るというルーティンを、可能な限り憬は貫いている。

 

 そして今日は出版や映画関連といった仕事の入っていない“完全な休日”であるが、憬には個人的な予定があった。

 

 

 

 “『お疲れ様です。阿笠です。』”

 

 というお決まりの挨拶から始まるトークがアプリに久々に来たのは、天知から“星アキラと夜凪景の熱愛報道(スキャンダル)”の件を報告された日の夜のことだった。

 

 ちなみにトークの件に戻る前に例のスキャンダルの件を補足すると、星アキラと夜凪の一件はさすがに当事者のスターズが黙って見過ごすはずはなく、翌日には“若手イケメン俳優と新人女優のスキャンダル”は“今秋公開予定の舞台の宣伝”にすり替わっていた。

 

 この清々しいまでの転換と有無を言わせぬ所属タレントへのフォローぶりは、流石は大手芸能事務所と言ったところだろうか。

 

 さて、話を戻そう。こうして俺の元に2ヶ月半ぶりに寧々からのトークが来たわけだが、肝心のトークの内容は“仕事”の内容ではなかった。

 

 “『突然のご連絡で申し訳ございませんが、もし下記の日程でお時間が取れるようでしたら、私と一緒に映画鑑賞をして頂けたりすることは可能でしょうか?』”

 

 「・・・は?」

 

 ご丁寧に日程と集合場所の地図を記した寧々から送られてきたビジネスメールかとツッコミたくなるような“映画鑑賞”のお誘いに、内容を理解した瞬間に思わず声が出た。

 

 相変わらず彼女は、真面目過ぎるが故にどこかがズレている。

 

 

 

 “・・・ちょうど何の予定も入ってないわ・・・”

 

 

 

 そんなちょうど何も予定が入っていない完全な休日(オフ)である今日は、初めてとなる寧々との映画鑑賞だ。というか、そもそも仕事以外のプライベートで彼女と会うこと自体が初めてだ。

 

 “・・・OKを出してはみたけど暇なわけじゃないんだよな・・・”

 

 こっちはこっちで『hole』の映画化に向けた脚本と共に極秘で執筆を進めていて、向こうは向こうでまた別の作家の編集担当となったため『hole』の執筆が終わったここ2か月ほどはすっかり彼女とは疎遠になっていた。百城千世子に“感情(何か)”を盗まれて以降、大スランプはどうにか脱した感覚はあるが、厳密に言うと俺の仕事は全く終わっていない。

 

 そもそも創作家(クリエイター)は、自らがリタイアを申し込まない限り“創作”という名の終わりのない“呪縛”が墓場まで付いて回る、言わば鮫のような生活を少なからず強いられるのだ。

 

 “まぁ・・・時には“海流”に身を任せるのも大事か”

 

 とはいえ朝のランニングを除いて丸一日ずっと部屋に籠ってあらすじを練っているばかりではアイデアが枯渇していく一方だ。それに寧々には『hole』の執筆で色々と助けてもらった借りがあるため、借りを返すという意味で今回は彼女の誘いに乗ることにした。

 

 

 

 「・・・ハァ・・・」

 

 ルーティンとしている4周のランニングを終え、憬は息を整えながら左手にはめたスマートウォッチでタイムを確認する。

 

 “29:25.88

 

 “・・・意外と速く走れたな・・・”

 

 普段から特に速く走ろうという気持ちは全くないが、久々に29分台の前半が出た。まぁ、今はそんなことはどうでもいいが。

 

 「さて・・・戻るか・・・」

 

 そしてタイムをリセットするとすぐさま、息を整えた憬はランニング終わりのシャワーを浴びるために22階の部屋へ直帰した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 1999年10月上旬_午前9時40分_横浜_

 

 日曜日。初顔合わせと本読みの翌日。憬は渡戸との約束のため、集合場所となるすっかり通い慣れた映画館を目指して西口五番街を歩いていた。

 

 

 

 「明日、俺たち2人だけでそれぞれの“思い出”の場所に行くぞ」

 「・・・・・・えっ?」

 

 強面ながらも真面目かつまともで理論派のような雰囲気の塊である渡戸がこのような直接的な役作りを提案してくるとは思わず、俺は一瞬だけ言葉を失いかけた。

 

 「・・・どういうことですか?」

 「要は互いのことを知りながら役と自分との共通点を見つけるんだよ。俺たちの“地元”で」

 「・・・あぁ、そういや渡戸さんも出身は横浜でしたね・・・」

 

 俺は渡戸のことをまだ殆ど知らない。相手のことを理解するには、相手役を演じる役者がどのような背景(バックボーン)を抱えて演じているのかを考える以前に、先ずはその役者自身のことを理解する。

 

 その工程があるかないかでは、役へ対する理解度は大きく変わってくる。

 

 “やはりお互い、まだまだ知らなさすぎる”

 

 「集合場所はどうする?“”が決めていいよ」

 「場所ですか・・・っていうかいま“憬”って」

 「上の名前だと堅苦しいだろうからさ。俺のこともこれからは下の名前で呼んでいいよ」

 「じゃあ・・・剣さんでいいですか?」

 「何で疑問形なんだよ?下の名前で呼んでいいって俺が言っているんだから聞く必要ないだろ?」

 「あぁ、そうっすね」

 

 恐る恐る下の名前を言う俺に、渡戸は不機嫌そうな顔で当然な返しをする。何度も言うがそういう風に映ってしまうだけであって、決して彼は不機嫌な訳ではない。

 

 「で?どこ集合にする?」

 

 そしてどこを集合場所にするかと考えた末、俺はかつて映画を観に行く時には必ずここだと決めていた “あの場所”にすることに決めた。

 

 「・・・“ムービータウン”でいいですか?」

 「・・・あぁ、西口にある映画館か」

 

 もしも知らなかったらどうしようというほんの少しの不安は、静かに頷く渡戸と共に消え去った。

 

 「そこが憬にとっての思い出の場所ってことか?」

 「・・・一応そうですね」

 

 

 

 横浜駅の西口から五番街を通り抜け、歩道橋のような橋を渡った先に鎮座している青いビル。地元民なら行ったことがなくとも多くがその存在を知っているであろう映画館。

 

 そして俺にとっての思い出の場所でもある映画館。“ムービータウン”。

 

 最初にここへ来たのはまだ幼稚園に通っていた頃のことだ。母親に連れられ初めて観た“ご都合主義”のアニメ映画。あの日のことは10年近くが経った今でも、酷く退屈な思い出として薄っすらながらも確かな形で残り続けている。

 

 そして7歳の時にブラウン管越しに目撃して衝撃を覚えた1人の天才女優の立ち姿。“もう一度彼女の姿を観たい”と時には我儘を言い、その我儘に嫌な顔を一切見せずに母親はあのアニメ映画を鑑賞した場所に連れて行き、それからは映画を鑑賞する時は必ず“この場所”で観るようになった。

 

 それは目当ての映画を観に行くための小遣いを貰って1人で行くようになってからも変わらなかったが、役者になった原点と言っても過言ではない“女優・星アリサ”の引退をきっかけにすっかりご無沙汰になっていた。

 

 “ほんとに久々だな・・・”

 

 “西口側”からだと歩道橋に見えてしまって仕方がない青色の連絡橋の階段を上ると、川の向こう岸の出入り口がブラックホールみたいにこれから目当ての映画を観る観客を吸い込んでいくかのように出迎え、その少し上で“俺が主役だ”と言わんばかりに堂々と飾られた公開中の映画のポスターが佇んでいる。

 

 初めてこの“入り口”を見た時は、こんな何の変哲もないただの出入り口が物凄く恐ろしいように見えたものだ。それが退屈だった思い出がいつまで経っても残り続けている大きな理由だ。

 

 やがてそれは恐怖からスクリーンへの期待に変わり、そして今は何の変哲もない“平凡”になった。

 

 

 

 「お疲れ様です剣さん」

 

 10時ジャスト。まるで時間厳守な國近を再現したかのようなタイミングで昨日も被っていた白のキャップを被り、無地の黒いパーカーにジーンズというシンプルな恰好をした渡戸がいつもより人通りの多い連絡橋からやって来た。

 

 「お疲れ。悪いな待たせて」

 「いえ、全然大丈夫です」

 

 恐らく傍から見れば、仲の良い先輩後輩がただ休日を満喫しているだけのように見えるだろう。

 

 “・・・俺たちって役作りするためにここにいるんだよな・・・?”

 

 ぶっちゃけ俺も、意識しなければ役作りをしているという感覚が消え失せてしまうくらいにはこの状況を把握しきれていない。

 

 「じゃあ早速観るか。今日は見るからに混んでるし」

 「そうですね」

 

 こうして俺たちは休日で混み合うムービータウンの中へ入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「まさか男2人で恋愛映画を観る羽目になるとはな」

 「日曜の映画館は特に混みますからね。仕方ないっすよ」

 

 12時30分を過ぎた頃、映画を観終えた憬と渡戸はムービータウンを後にし、西口に向かって連絡橋をゆっくりとしたペースで歩いていた。

 

 ちなみに今日は日曜日なだけあってロビーは子連れや学生などで混みあっていて、結局2人はちょうど隣同士の席が空いていた目当てでも何でもないアメリカの青春恋愛映画を鑑賞した。

 

 

 

 「さっきの映画・・・俺は観ていて疲れたな」

 

 隣を歩く渡戸がたまたま席に空きがあって観ることが出来た先ほどの映画の感想を独り言で愚痴るように一言呟く。

 

 「そうですか?」

 

 愚痴を溢した渡戸にその理由を聞くと、

 

 「逆に憬はどう思った?」

 

 と逆質問された。

 

 「・・・まぁ・・・通して観るとフツーですかね・・・」

 

 これが観たいからではなく、ただ単に隣同士の席がちょうど空いていたという理由だけで選んだアメリカの恋愛映画。

 

 

 

 映画のあらすじを要約すると、主人公であるミシェルと夢の中で会って恋をしていた男と同姓同名で顔も瓜二つな同い年の青年・カイル、そして高校から関係を築いていたボーイフレンド・ライアンとの三角関係をテーマに描いた青春恋愛映画。

 

 正直なところ、男が2人きりでチケットを買って観に行くような映画ではなかった。客席に座る観客も大半が女の人やカップルばかりで、ついでに思い返すとロビーに立っていた女の店員も心なしか“本当にこれでいいんですか?”と言いたげな表情(スマイル)をしていたような気がしなくもない。

 

 「ストーリーとか役者の芝居自体はそこまで悪いという感じはしませんでしたね。ただ、全米が感動した的なキャッチフレーズの割にはありきたりなストーリーですけど」

 

 映画を観た“正直な感想”を、隣を歩く渡戸に伝える。先に公開された本国で話題になったからと言って日本の配給先が付けたであろう大袈裟なキャッチフレーズは蛇足のようにしか感じられなかったが、映画自体はポスターに書かれていたように本国のアメリカでは一定の評価を得ているだけあって、ありきたりだが決して悪いという感じはしなかった。

 

 「・・・ただ1コだけ引っかかるのは、何でミシェルはせっかく“記憶を取り戻したのに”カイルじゃなくてライアンを選んだのか・・・それが監督の意図している展開なのかは分からないけど、どうしてもそこだけは引っかかりました・・・」

 

 紆余曲折あり、ミシェルは幼かった頃に体験したある“事故”の記憶を思い出し、カイルが自分にとって命の恩人であったことを知るのだが、それでも彼女は最終的に高校からのボーイフレンドであるライアンを選ぶ。

 

 無論、ストーリーの流れを考えれば決して不自然なわけじゃない。でもミシェルの感情になってカイルとライアンのことを考えた時、俺の感情は“カイル”を選んだが、ミシェルはライアンを選んだ。

 

 “ただそれだけのことだった”

 

 でもたったそれだけの1ピースのズレのせいで、俺は一気にミシェルの感情が分からなくなってしまった。

 

 「俺がオーディションでドクさんと初めて会って話をした時、『映画は案外、“役が役らしからぬ”動きをする作品が多い』ってドクさんが言っていた」

 

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、渡戸はまるでその気持ちを代弁するかのように言葉を紡ぐ。

 

 「そう考えると映画の良し悪しなんて、所詮は手前の好みで“相性”の良し悪しに過ぎないんじゃないのかな?って俺は思う」

 

 ミシェルの感情が突然分からなくなってしまったのは、あくまで俺と主人公が性格的にあまりに違い過ぎて“相性が最悪”だったが故のこと、なのかは分からないが“映画の良し悪しは相性の良し悪し”だという渡戸の言葉に、絶対的な説得力を感じた。

 

 「じゃあ剣さんにとっては相性が悪かったってことですか?」

 「・・・俺にとっては最悪だったよ。座って観てるだけなのに稽古より疲れた」

 「そんなに悪かったんですか」

 

 もちろん舞台より疲れたという言葉がジョークなのは、静かに笑いながら嘯く渡戸の表情を見た瞬間に分かったが、渡戸にとってはついそう言いたくなってしまうほど“相性が悪かった”のだろう。

 

 「剣さんも主人公に違和感を覚えたんですか?」

 「いや、そんなもんじゃないよ」

 

 その理由は次の一言で明らかになった。

 

 「そもそも俺はああいうロマンチックな恋愛映画が好きじゃないからな」

 

 甲乙はともかく、俺も恋愛映画はそんなに好きじゃない。渡戸ほどじゃないと思うが、あのようなありきたりでロマンチックなストーリーの映画は好んで観たいと思ったことは殆どなかった。

 

 そんな潜在意識が物心がついた頃から備わっていたから、7歳の時に観たテレビのロードショーで放送された映画『向日葵の揺れる丘』のストーリーが殆ど記憶に残らなかったのだろう。

 

 「さっきのやつがそうだけど、現実味のない甘ったるいストーリの映画とかドラマを観てるといつも途中から感情移入が出来なくなって疲れるんだよ。だって現実じゃあんなロマンチックなことなんて起きるわけがないからな。あとご都合主義なヒーローものとかも小さい時はよく観てたけど、“現実じゃそうはならない”ってことに気づいたあたりから急に観るのが億劫になって、10歳で観るのやめちまったし」

 

 もちろん正義は必ず勝つ的なご都合主義は、尚更嫌いだ。

 

 「憬は?」

 「俺は最初からそういうご都合主義のやつが嫌いだったんで、途中から観るのが嫌になるっていうのは分かんないです」

 「・・・そうか。憬は最初からそういうヒーローものが嫌だったのか」

 「嫌っていうか、正義が勝って悪が負けるみたいな“ノリ”が俺には生まれついてからよく分かんなくて・・・剣さんの言う通り現実だと必ずどっちかだけが勝つっていうストーリーはあり得ないから・・・観ていても主人公に全く感情移入出来ないから退屈でした」

 

 最初からご都合主義が受け入れられなかった俺にとって、途中から嫌になる気持ちはあんまり理解できない。だけど、渡戸の言う“観ていて疲れる”という感覚は俺もよく分かる。

 そして同時に、『ノーマルライフ』という映画を観ていて思わず引き込まれた“もう一つの理由”も分かってきた。

 

 「だから“ノーマルライフ”を観ていて引き込まれたのも、きっとそういうことなんじゃないかって思うんすよ」

 

 観る人によっては始まりから終わりまでずっと退屈に思えるであろう映画であるはずなのに、気が付いたら俺は画面の向こうに没入していたのは、牧の演じる主人公とその主人公を誘拐して共に監禁&逃亡生活を送る殺人犯の男の2人の気持ちが、俺には物凄く身近に感じたからだ。

 

 難しく考える必要はなんてない。映画の良し悪しは人それぞれ。オーディションと同様、大事なのは自分とその映画の相性があっているかどうかだ。

 

 「相性が良かった

 

 渡戸に向けて言う訳でもなく、憬は前に視線を向けたままそう呟いた。

 

 

 

 「・・・そういや憬は普段から映画は観るのか?」

 

 連絡橋の階段を降りながら、渡戸は映画に対する自分なりの答えを呟いた憬に問いかける。

 

 「観ることは観ますけど、基本的に家にあるビデオで済ますことが多いですね」

 「そうか、憬は家で鑑賞する派か」

 「いや、別にそういう訳じゃないんすけど・・・」

 

 確かにここ暫くはすっかり家で鑑賞することが日課になっているが、決して俺は家で観る派ではないと自分では思っている。

 

 というより、映画館に足を運ばなくなったことには“理由”がある。

 

 「俺がこうやってわざわざ映画館に行って観ていたのはあくまで星アリサ目当てだったんで」

 

 星アリサが記者会見で“『女優を引退します』”と言ったあの日から、俺は映画館に自らの足で運ぶことはなくなった。今まで彼女が出演する映画が公開される度に小遣いを注ぎ込んで通うこともなくなっていた。

 

 「ホント馬鹿みたいな話ですよ・・・星アリサのいない映画は映画館で観る価値なんてないって本気(マジ)で思ってましたから」

 

 あの日から蓮にじゃんけんで負けて渋谷に連れていかれるまでの1年近くの間、俺は一度も映画館に足すら運ぶことはなかった。

 

 「・・・じゃあ憬の原点はアリサさんってことか・・・」

 

 記憶を振り返るように明かした理由に、隣を歩く渡戸は何かに納得したような口ぶりで呟く。

 

 “・・・俺の原点は星アリサ・・・”

 

 ふと目を向けると俺は連絡橋を渡り切っていて、西口の繁華街が目の前に広がっていた。

 

 「・・・原点っていうか・・・多分、星アリサの芝居を観てなかったら役者になろうとは思わなかったんじゃないかなって思います・・・」

 

 物思いに耽ながら、憬は静かに呟く。

 

 

 

 “憬はさ、俳優とか目指さないの?

 

 

 

 役者になるということを本気で思い始めたきっかけは蓮から言われた言葉だったが、渡戸の言う通りそもそも星アリサという存在に出会わなければ俺は役者という存在自体に興味を示すことはなかったのかもしれない。

 

 「・・・だから何で星アリサが女優を辞めたのか・・・俺には全然分からないんですよね・・・」

 

 そして月9(ドラマ)を通じて“他の誰かを演じること”の自由と素晴らしさを知ってから、俺は星アリサが女優を引退した理由というものが余計に分からなくなってしまった。

 

 “なぜ・・・星アリサは自由を捨ててしまったのか・・・”

 

 「・・・別に無理して“わかろうとする必要はない”って俺だったら思うけどね」

 

 “まだ狭い視野”の中で星アリサが女優として生きる道を捨てた理由を考えながら隣を歩く憬に、渡戸は前を向いたまま自分の見解を言う。

 

 「そんなもん、人それぞれだしよ

 

 

 

 “星アリサ(彼女)が女優を辞めた本当の理由を知っている今なら、渡戸の呟いたこの言葉の真意がはっきりと分かるが、まだ何も知らなかったあの頃の俺にはその意味に気付く余地は全くなく、素直に先輩からのアドバイスとして受け取る以外の方法はなかった

 

 

 

 「じゃあそろそろ飯でも食うか、いい感じの時間になってきたし」

 「えっ?・・・あぁ言われてみればたしかに」

 

 急に思い立ったかのごとく話題を変えた渡戸の言葉で、俺は腕時計で時間をチェックする。

 

 12:45。確かに昼を食べるにはちょうどいい時間帯だ。

 

 「取りあえず何食べる?」

 「・・・剣さんに任せます」

 

 渡戸から食べたいものを聞かれた俺は数秒考えた末、先輩に委ねることにした。

 

 「じゃあラーメンでいいか?」

 「えっ、はい」

 

 すると間髪入れずに渡戸が昼飯を決め、その勢いに押される形で俺が咄嗟にOKを出したことで、昼飯はラーメンで決定した。

 

 傍から見たらどこからどう見ても休日(オフ)を満喫しているようにしか見えないが、こうして共演者同士で映画を観たりしながら互いに理解を深めていくこともまた役作りにおける重要な過程だと、共演者のことを知る必要性に気が付いた今なら思う。

 

 “今のところ役作りらしいことは殆ど出来ていない気がしなくもないが・・・”

 

 少しでも役作りらしいことをしたいと思った俺は、話の続きを持ちかける。

 

 「・・・そう言えば剣さんは映画」

 「ちょっと離して下さい!

 

 渡戸に普段は映画を観るのかを聞こうとした瞬間、前の方で女の人の叫び声が聞こえ反射的に俺は視線を前に向ける。

 

 “うわっ、ひったくりじゃねぇか・・・”

 

 目測50メートルくらいのところで少しだけ小柄な男が女の人のバッグを無理やり奪い取ろうとしていたところだった。予測不能な白昼堂々のひったくりに周囲の通行人は慄いてばかりで誰も助けようとしない。

 

 “・・・どうする・・・助けに行くか?・・・いや、万が一それで怪我でもして撮影開始(クランクイン)までに治らなかったら・・・”

 

 どうにかして助けなければという正義感と同時に、余計な怪我を負って迷惑を掛けてしまうのではないかという心配が頭の中を駆け巡る。

 

 

 

 “自分の行動に責任を持て

 

 

 

 「憬・・・走れるか?

 

 渡戸から再び話しかけられた瞬間、男はバッグを奪い取ってそのまま走って逃げ去ろうとするところだった。

 

 「えっ?・・・はい、普通に走れます」

 「じゃあ俺はあの男からバッグを奪い返すから、憬はバッグをあそこの女の人に返してくれ」

 「はい・・・・・・えっ?」

 

 唐突かつ矢継ぎ早に言われた“先輩からの命令”に理解が追い付かず俺はもう一度聞き返そうとしたが、そう思った時には渡戸はひったくり犯の男をアスリート顔負けの全速力で追い始めていた。

 

 「剣さん!?」

 

 

 

 憬が名前を叫んで後を追い始めた時には、路地の死角へ逃げていったひったくり犯の男を追う渡戸は男が曲がっていった20メートル先の十字路に差し掛かっていた。

 




前書きで調子こいたことを書きましたが、実際は色々と行き詰まってます。

何不自由なく普通に生きることが、どれだけ難しいことか。なんで周りが普通に出来ているようなことができないのか。

時々、社会で生きていくということがとてつもなく恐ろしく感じてしまう夜が来る。

それでも明日の朝までには、スイッチを切り替えなければならない時もある。

その繰り返しで1人前になれるとしたら・・・・・・いつになったら周りと同じように普通になれるのか?

そもそも普通ってなんだ?なにが普通なんだ?

分からない。そんなもの分かりっこない。分かりたくもない。

じゃあどうする?・・・・・・いっそのこともがくだけもがいてみるか?

そう思いつつも、特に何もアクションを起こさない。今日のこの頃。






PS.ムービータウンの元ネタをググらずにわかった人は立派な地元民です。


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scene.36 休日②

『渋谷、渋谷、ご乗車ありがとうございます』

 

 10時18分。渋谷駅1番ホームに着いた外回りから車内に乗っていた乗客が人混みとなってホームになだれ込む。今日は土曜日とあってか、平日の同じ時間帯と比べても乗り降りする人の数は多い。

 

 その人混みに紛れ込むように、憬は待ち合わせ場所であるハチ公前へ足早に歩みを進めるが、周囲の雑踏は誰一人としてこの男が“夕野憬”であることに気付く素振りすら見せない。

 

 ちなみに憬はスクエアの黒縁メガネをかけていること以外は変装という変装をしていない。

 

 “・・・ブランチ(この間)のことがあるからどうなるかと思ったが、心配は稀有だったな・・・”

 

 変に周囲の視線を気にして“武装”するからかえって怪しまれるのであって、こうして黒のサマーニット(地味な服装)に最低限のアクセントだけでも堂々としていれば案外周りは気が付かないものだ。

 

 「ねぇ?あの人どこかで見たことない?」

 「えっ?いやさすがに違うでしょ?」

 

 だがそれでもこんな感じで稀にすれ違いざま通りすがりから怪しまれることも無きにしも非ずなのだが、こればかりはいちいち気にしていてもどうしようもない。

 

 

 

 「お久しぶりです。先生」

 

 そんなこんなで改札を抜けてハチ公前に向かうと、いつもより少しだけ洒落た服装をした寧々が俺の姿を確認するや否や深々と頭を下げて出迎えた。

 

 「ひょっとして待たせたか?」

 「いえ、5分くらいは全然大丈夫です」

 「結局待たせてるじゃねぇか」

 

 本来の集合時間は10時30分なのだが、寧々が常に15分前行動を心掛ける人間であることを見越していた俺は何とか15分前に間に合う電車に乗って渋谷に向かっていたのだが、少々ダイヤが乱れていたのか結局予定より“5分オーバー”で俺は待ち合わせ場所に着いたわけだ。

 

 「じゃあ早速行くか、そこまで時間に余裕があるわけじゃないし」

 「そうですね」

 

 軽く挨拶がてら二言三言ほど会話をして、俺たちはハチ公前から交差点(スクランブル)の向こう側へ渡って少し歩いたところにある映画館へ手を繋がず隣同士になって歩みを進める。

 

 

 

 「・・・ところで宮武先生とは上手くやれてるか?」

 

 ちなみに寧々は今、宮武マヲが執筆している上下巻で構成される新作の編集担当として忙しい日々を送っている。

 

 「はい。おかげさまで仕事自体は順調なんですけど・・・本音を言うと違う意味でちょっとだけ参っていまして」

 「違う意味?」

 「・・・実は宮武先生、とにかく時間にルーズで・・・例えば先週の“最終稿”に向けた打ち合わせの時には2時間も遅刻しましたから」

 「・・・2時間か。芸能界じゃ大御所じゃない限り“誠意を込めて謝罪しないと”一発でアウトだな」

 

 だが話を聞く限り宮武の“遅刻癖”に幾度となく悩まされ、少々参っているようだ。

 

 「おまけにあれだけの“大遅刻”したにも関わらず全然悪びれる様子もありませんでしたし、そのおかげで私が身代わりのように頭を下げる羽目になりました・・・」

 

 俺の隣を歩く寧々が、内側に溜まった感情を露にして宮武の愚痴を溢す。傍から見ればただ気の合う上司によくある愚痴を溢しているだけだが、普段は滅多に表立った感情を出さない彼女がここまで感情的になるのは珍しいことだ。

 

 「それは気の毒だな・・・とはいえ宮武先生(あの人)は当日に突然グアムに飛んで授賞式を“すっぽかした”くらいだからな。哀しいけどそれがあの人にとっては平常運転なんだろう」

 

 無論、直木賞の授賞式の当日に誰にも告げずグアムに飛び立ち “バカンス”ですっぽかすという“一大事件”をリアルタイムで目撃していた俺にとっては、そこまで驚くような話ではない。

 

 「そういう先生も処女作の時に芥川賞をすっぽかしたことがあるじゃないですか?」

 「あれは元から出ないつもりでいたからすっぽかしじゃないよ」

 

 そんな俺も宮武が直木賞をすっぽかした5年後に芥川賞の授賞式を“一身上の都合”でA4の紙一枚(声明文)を置き土産に欠席して軽く世間を賑わしてしまった為、立場上あまり彼女のことを強くは言えない。

 

 「・・・強いて救いなのは速筆でアイデアも次々と出てくるおかげで締め切りにはある程度余裕で間に合うところですかね。宮武先生が予定通りに締め切りに間に合ったおかげで、こうして私は休日を取れているわけですから」

 「良かったじゃん」

 「しかも第一稿の段階で既に直しが要らないくらいまで完成されていて、更にはこちらの添削やアイデアも柔軟にプロットやストーリーへ取り入れて頂いたり、小説家として純粋に凄い方ですし、宮武先生の仕事ぶりはとても尊敬しています」

 「良いことだらけじゃん」

 「でも小説(それ)以外が何というか・・・遅刻癖もそうですけど控え目に言って“今ここに生きる”の権化みたいな方なんですよ。重要なストーリー展開の話し合いの時でもすぐに話が脱線して小一時間も全く関係のない話を喋り通したり、1ヶ月ほど前にシナリオハンティングで宮武先生と同行した時は取材なんかそっちのけで昼間から中心街の居酒屋に立ち寄ってお酒を飲んだりお土産を爆買いしたりしてシナハンのことなど完全に頭からすっぽ抜けていて・・・あと、“熱海に行ってるから今日の打ち合わせはナシ”と何の相談も連絡もなく勝手に日帰り旅行へ行かれたこともありました」

 

 ともかく寧々のように生真面目で面倒なことも全て1人で抱え込むような人間が、文章力にステータスを全振りした常識など通用しない生き様そのものが芸術家(アーティスト)な人間と二人三脚で一つの作品を創作するとなると、降りかかるストレスはさぞ多大なものだろう。

 

 「・・・なるほどな。でも人によって作品の“創り方”っていうのは様々なのも事実だ。きっと宮武先生は自分なりにちゃんと“物語”を視ているんだと思う。相当癖は強いけどな」

 

 とはいえ、芸術家(アーティスト)として大成する人たちは多かれ少なかれ常識から逸脱した感性を持っているからこそ、芸術家(アーティスト)として居続けられる。

 

 「私もそのことは承知しています・・・だから出来上がった原稿は本当に完成度が高くて・・・・・・こんなことを言うのは失礼極まりないですけど、注意を言うに言えないんですよ・・・」

 

 しかし普段人の悪口をあまり言わないような寧々がここまで愚痴を溢すとは、これは中々に溜まっている何よりの証拠だ。

 

 「・・・休日はいつまでだ?」

 「丸一日がっつり休めるのは今日だけです。来週中には下巻のプロットに取り掛かるそうなので、明日にはこちらも下準備に取り掛かります」

 

 “そりゃあ・・・せっかく取れた貴重な休日くらいは思い切って現実を忘れたくなるわけだ”

 

 「とにかく今日は仕事のことは全て忘れて、映画三昧と行こう」

 「はい」

 

 気が付くと最初の目的地となる映画館は、すぐ目の前まで来ていた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「あ~、やっと食えるわこれで」

 「そうっすね」

 

 午後2時近くの昼食の時間にしては遅めの中途半端な時間に、憬と渡戸は西口にあるラーメン店に入り、ちょうど空いていたテーブル席に対になって座る。

 

 「にしてもマジで腹減ったわ~」

 「あれだけ全力で走ってひったくりを捕まえたら腹も減りますよ」

 

 

 

 遡ること1時間前_

 

 「・・・剣さん!?」

 

 憬が名前を叫んで後を追い始めた時には、路地の死角へ逃げていったひったくり犯の男を追う渡戸は男が曲がっていった20メートル先の十字路に差し掛かっていた。

 

 “っていうか剣さん速っ!?”

 

 50M:7.1秒という帰宅部にしては俊足の持ち主である憬を持ってしても、ひったくり犯を追う渡戸の背中はどんどんと離れていく。

 

 “こんなん無理だって・・・”

 

 どんなに自分の中の全力を出そうとも、“これは無理だ”というリミッターが瞬時に頭の中に鳴り響くような感覚。

 

 そのあまりの足の速さに、俺は走り出して5秒ほどで渡戸とひったくり犯の後を追うのを諦めかけた。

 

 「剣さん!!」

 

 それでも自分の中にある正義感を無理やり働かせて何とか追い付こうと全速力で十字路を左へ曲がると、渡戸は既に同じく全速力で走っていたひったくり犯の男に追いつきかけていた。

 

 「は、離しやがれクソ野郎が!」

 

 と思った次に瞬間には、渡戸はひったくり犯の男を取り押さえていた。

 

そのカバンを今すぐ返せよ。じゃないとマジで警察呼ぶけどいいか?

 

 追ってきて自分を捕らえた相手を振りほどいて再度逃げようとする男を冷静に隙も与えず動けないように渡戸は押さえつけている。

 

 闇雲に身体を無理やり揺すりながら暴れる少し小柄な男と、その男を涼しい顔と密着24時で犯人を取り押さえていた本職の人(警察官)も顔負けの慣れた動きで見事に押さえつけるやや大柄な渡戸とでは、体格も相まって優位に立っているのがどっちなのかは説明する必要もないだろう。

 

 “足が速くて喧嘩も強い・・・・・・マジかよ”

 

 この光景を走りながら目に焼き付けた憬は、渡戸剣という男を絶対に敵に回してはいけないということを肝に銘じた。

 

 「憬、これさっきの女の人に返してきて」

 

 自分の元に追いついた憬を目視で確認すると、渡戸はいとも簡単にバッグを男から取り返して気の合うクラスメイトにペンや消しゴムを投げ渡す感覚で女の人のバッグを憬に投げ渡す。

 

 「それより剣さんは!?」

 「俺は大丈夫だから、憬は早く女の人のところに行ってくれ」

 「でも!」

 「行ってくれ

 

 男に何か怪我を負わされたらという心配を“これぐらい余裕だ”と平然とした顔でバッグを女の人の元に返すように目でジェスチャーをして諭す渡戸に、憬は黙って頷くとそのまま逆方向に走って無事にひったくられたバッグを女の人の元へと返し、ひったくり犯の男も渡戸のあまりの強さに降参したのか大人しくなり、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

 

 「注文は?」

 「並みの麺固め味濃いめ油少なめで、憬は?」

 「俺はー・・・じゃあ同じで」

 「かしこまりました・・・並み固め濃いめ少なめ2丁!

 

 2人でひったくり犯から盗られたバッグを取り返すという一仕事を終えた後に昼飯を食べるために入った店は、豚骨醤油ラーメンが売りのラーメン店だった。

 

 「・・・あの“中学生”大丈夫かなぁ」

 

 店員がカウンターの奥に入っていくのを確認した渡戸はおもむろに呟くと、店員が持ってきたお冷を一口だけ口に入れる。

 

 

 

 十字路のところで茫然として立っていた女の人の元にバッグ返し再び渡戸のところへ急いで戻るとひったくり犯の男、もといひったくりをした俺とほぼ同い年ぐらいの少年は力なく地面に座り込んでいた。

 

 「・・・学校に行っても俺はいつもクラスの奴らにイジメられるばかりだから・・・何かデカいことをやって見返したかっただけなんだ・・・」

 

 その少年は切羽詰まっているように見えた。俺も蓮と会うまでは、虐めまでは行かないがクラスメイトからは“宇宙人(腫れ物)”のように扱われていたことがあったから、ひったくりに走った意味は理解できないが俺にはとても他人事とは思えなかった。

 

 「他人(ひと)を平気で虐めるような奴なんか、見返そうなんて思う必要はないよ」

 

 渡戸もまた何か思うところがあったのか、その少年を責め立てることはせずに慰めるようにしゃがみ込んで少年の肩に手をかけ優しく語りかける。

 

 「先生には相談したか?」

 「そんなん言えるわけねぇだろ・・・・・・先生にチクったりしたら・・・逆にナメられる」

 

 “あぁ・・・それはすげぇ分かるわ”

 

 小4の辺りからか、クラスや周りでは先生にチクるのは恥だという“謎の風潮”が広がり始めた。

 

 ちょうどその頃、同じクラスに本当に些細なことで担任の先生にチクるクラスメイトがいたが、そいつは“チクリマン”というあだ名を影でつけられていた。いちいちチクるという厄介さと明るい性格が幸いしてか虐めのターゲットにはならかったが、俺と同様にクラスでは浮いた存在だったのを薄っすらと覚えている。

 

 “ていうか俺、さっきからほぼ蚊帳の外だな・・・”

 

 「恥ずかしいか・・・それは先生とか親に泣きつくのは“ダサい”からか?」

 「・・・当たり前だろ。そんなことしてみろ?100パーますますイジメられる」

 「・・・まぁ気持ちは俺も分かるけどな」

 

 そんな蚊帳の外の俺を尻目に、渡戸はひったくりの少年を優しく慰め続ける。

 

 「そうだよ、だから」

 「でもだからって虐める奴らと同じように無関係の他人(ひと)を巻き込んで暴力で見返しても、一番苦しい思いをするのはお前自身なんだよ

 

 そして優しさはそのままに渡戸は少年を叱り、ピシャリと言葉をぶつける。

 

 「なんでここまで自分のことを苦しめた奴らと同じことをやる必要があるんだ?

 

 よく考えてみれば当たり前の言葉でただ叱っているだけだったが、その一言に恐ろしいくらいの説得力を感じた。

 

 「いや・・・その・・・」

 

 それを物語るかのように、ひったくりの少年の眼差しは次第に渡戸の一言一言に向けられ始める。

 

 「・・・俺が間違ってました・・・すいません・・・」

 

 やがて渡戸の言葉に、少年は頭を下げて本気で謝った。

 

 「・・・そうやって自分のしたことを後悔できるってことはそれだけ自分とちゃんと向き合えてるっていう証明だよ・・・逆にそういう人を平気で笑ったり平気で虐めるような奴は、自分と向き合う度胸すらない弱虫だ。気に食わない奴に立ち向かいたいなら1人で立ち向かえばいい話だけど、それが出来る根性がないから人を虐める奴は仲間で寄ってたかるんだよ・・・・・・だからお前はお前を虐める連中よりずっと強い・・・・・・取りあえず次だな。今ならまだ全然やり直せる・・・」

 

 

 

 「なんか・・・ほぼほぼ蚊帳の外で何も出来なくて、すいませんでした」

 

 あれから渡戸は警察に連れて行くことはなく2,30分の説得の末にその少年を解放した。またカバンをひったくられた女の人も中身が何も盗まれていなかったことに加えて急用があったらしく、少年が警察の世話になることはなかった。

 

 「いや、憬が集合場所を横浜の“西口”にしなかったらあの男の子は取り返しのつかないことをしていたよ。だからこれは憬のおかげだ。本当にありがとう」

 

 そして終始俺は傍観者みたいな形で何も出来ずじまいになってしまったが、渡戸はそんな俺を優しくフォローする。

 

 「・・・あぁ、はい」

 

 ただ正直、ここまで来ると理由になってないような気がしなくもないのが本音だ。

 

 だが憬にはそれ以上に気になることがあった。

 

 「・・・でも何で剣さんはあのひったくりを逃がしたんですか?」

 

 色んな事情があるとはいえ、やったことは100%犯罪だ。それでも渡戸は少年を逃した。同情はともかく、またやるかもしれないこともあるから警察に言った方が良かったんじゃないかと俺は思った。

 

 「・・・なんでだろうな・・・・・・ちゃんと反省はしてたからか?」

 「何で疑問形なんですか?」

 

 俺の言葉に、渡戸はどこかわざとらしく考え込む仕草をしながらあやふやに答えを濁らす。やっぱり少年に対して何か思うところがあったということだろうか。

 

 「・・・まぁあれだ。暴力とか人を陥れるようなことに手を出す人間には、必ずそこに至るまでの“きっかけ”があるんだよ」

 

 そして10秒ほど沈黙した末に、渡戸は唐突に“人生論”的な話をぶつけてきた。

 

 「・・・どういうことですか?」

 

 当然俺は理解が追い付かない。だがそんなことはお構いなしに渡戸は水の入ったコップを片手に持ちながら話を続ける。

 

 「例えばさっきの中学生だって、何の理由もなくひったくりなんて真似するわけがないだろ?」

 「俺からしてみればそもそも何でひったくりをしようと思ったのかは謎ですけどね」

 「それは俺も同じだ」

 

 そして俺は俺で、先ほどの全力疾走と同じくどうにか渡戸のペースについていく。

 

 「極端な話だけど、もしクラスで自分が虐められているからデカいことをして見返すためにひったくりをしたって言うなら、クラスでそいつを虐める人がいなかったら、あるいはそうなる前に止められる友達が1人でもいたら、こんなことにはならなかった・・・ってことになるわけだ」

 

 “いじめはなぜ起こるのか?そしていじめを起こさないためにはどうすればいいのか?”

 

 確か2,3週間くらい前に道徳で似たような内容の授業を受けたことをうっすらと覚えている。

 

 「・・・なんか道徳みたいっすね」

 「・・・そうか?まぁいいや」

 「(いやいいんかい)」

 

 そんなことをふと思い出した俺は渡戸にちょっとした小ネタを返すが、まぁいいやの一言で終わらされてしまい、心の中で芸人風にツッコむ。

 

 「と言ってもそんなに単純じゃないのが“人間関係”ってやつなんだよな。それはクラスメイトであっても仲の良い友達同士であっても家族であっても、全部に当てはまる」

 「・・・はぁ」

 

 もちろん渡戸の言っていることが必ずしも正解だとは限らないのだろうが、少なくとも渡戸の言葉は道徳の授業で担任が言っていた言葉以上に、心に深く残る感触がある。

 

 「別に俺の言ってることを全部信じる必要はないよ。これはあくまで俺がそう思ってるだけのことだから」

 

 そんな先輩からの言葉をさも信じ切って聞く耳を立て続ける憬に、渡戸は溜まらず忠告する。

 

 「もちろん分かってます」

 

 無論、憬もそれが全て真実だとは思っていない。

 

 「・・・ちなみに憬には仲の良い友達はいるか?」

 

 憬の表情を確認すると、渡戸は再び話の続きを始める。

 

 「はい・・・多くはないっすけどいます」

 

 元来の性格や人間性が災いしてか俺は友達と言える存在は少ないが、そうだと胸を張って言える存在は“2人”だけだが確実にいる。

 

 「いきなりこんなことを聞くのは難だけどその友達と喧嘩をしたことはあるか?」

 「喧嘩ですか・・・」

 

 俺は記憶を掘り起こす。有島と喧嘩をしたことはまだない、となると蓮か・・・

 

 「・・・喧嘩かどうかは微妙っすけど、本気で怒らせたことは一回だけあります」

 

 

 〝そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・何も分かってない癖に知ったような口聞きやがって・・・

 

 

 

 蓮の出演した映画を観るために2人で渋谷へ行った時、俺は蓮がどのような思いをして自分の出ている映画を観ていたのか全く気付くことが出来ずに心無い気遣いをして余計に傷つけてしまった。

 

 「それから友達とはどうなった?」

 

 蓮が本気で俺に怒ったのはあの時だけだったが、あの日の諍いがきっかけで止まっていた“時計”が再び動き出し、今に繋がった。

 

 「7月に東京に転校してからはあまり会えてないけど、今も変わらず友達ですよ。月2回くらい連絡もし合っているんで」

 「へぇ~、結構仲良いじゃん」

 「いやぁ、普通っすよ普通」

 

 俺たちは芸能人とその友達からお互いに芸能人同士になったが、関係性は全くもって変化なしだ。

 

 「でもそうやってずっと“普通な関係”でいられるのは、実は凄いことだったりするんだよ。友達だとか家族だとか、そういう人間関係はたった一度の些細なミスで全部が崩れることもあるからな」

 

 そんな俺たちにとっての当たり前な関係を、渡戸は少し大げさに話す。

 

 「仮にこの世界で生きている人たちが憬と友達のように“普通の関係”でいられ続けたら人間関係のいざこざは起きない。極端な話だと犯罪だとか戦争だってきっとそうだ。そして俺たちの役柄にあるような虐待や捨て子も生まれない・・・でも現実はいつまでたってもそうはならない。どうしてか分かるか?」

 

 友人関係の話から随分と飛躍したが、俺は渡戸の言っていることの真意を考えるが、

 

 「・・・ちょっと俺には分からないです・・・」

 

 10秒経ってもその答えは出てこなかった。

 

 「だろうな。そんなの俺でも分からないし」

 「・・・えっ・・・剣さんも知らないんですか?」

 

 そして渡戸も、その答えを知らなかった。

 

 「俺どころか本当の答えは総理大臣でも分からないんじゃないか?もし知ってるやつがいたら逆に教えて欲しいくらいだよ。それで“普通を保てる”方法をテレビか何かで発表でもすれば、俺たち人間はこんな苦労はしないだろうしさ」

 

 考えてみれば当然のことだ。道徳の教科書やニュースでどこかの評論家が言っていることが全て正しいとは限らないことぐらい、中学生の俺だって分かる。

 

 「・・・ほんとそうですよね」

 

 正解のない答えを前に、思わず言葉が出てこなくなる。そして何とも言えない沈黙。さて、次は何を聞こうと頭の中で質問を考える。今のところ、渡戸からのアクションに俺が答えるという一方的な展開が続いている。このままじゃ“互いのことを知りながら役と自分との共通点を見つける”という目的を果たせないまま終わってしまい、時間を割いてくれた渡戸に対しても失礼だ。

 

 「・・・そう言えば」

 「ハイお待たせしましたラーメン並み固め濃いめ少なめになります!

 

 憬が質問しようとしたタイミングで2人の間の空気を切れ味鋭い刀で一刀両断するかのように店員がハイテンションな掛け声と共にテーブルに2人分のラーメンを置き、空気は一旦リセットされた。

 

 「・・・ごめん何か言ったか?」

 

 そして店員がカウンターの奥へと再び入って行くのを見計らい、渡戸が沈黙を破りリセットされた空気を元に戻す

 

 「・・・そう言えば剣さんの思い出の“場所”ってどこですか?」

 「・・・・・・あぁ、憬にはまだ言ってなかったな」

 

 そう言いながら渡戸は割り箸とレンゲで麺をほぐしながら憬へ呟くように言うと、

 

 「俺が中学の時まで住んでいただよ」

 

 と意味あり気に一言だけ説明してラーメンを黙々と口へ運んだ。

 




これは補足ですが、ベッケン(渡戸)さんの足の速さは某ハンター並みです。

そしてキャラ紹介を含めると実に32話ぶりに寧々が登場です。お前誰やねん?と思っている方がいましたら、scene6.5の幕間を参照して頂けると幸いです・・・・・・はい。

※追記:今後の展開を考慮してR15タグを追加しましたが、あくまで念のための措置ですのであまり気にしないで下さい。








インビジブルとエスニックしゃぶしゃぶのギャップが激しい高橋さん。


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scene.37 過去

 「やっぱり良いですね映画館は。ロビーの空気感だけでどんな憂鬱も直ぐに吹き飛ばしてくれますから」

 「随分と気分が良いな阿笠さん」

 

 交差点(スクランブル)から歩いて約5分。映画館のロビーに着いた寧々は、真面目で落ち着いた口調や身振り手振りはそのままに分かりやすく舞い上がっていた。彼女を見ていると、どんな仕事であろうと息抜きは重要だということをつくづくと思う。

 

 「でも意外だな。阿笠さんがアクション映画を観るなんて」

 

 そんな彼女が鑑賞のために予約していた映画は、ハリウッドはおろか世界を代表する映画俳優の1人であるレオン・フラナガン主演のハリウッド映画『諜報員(エージェント)』シリーズの第5弾。普段の言動や雰囲気からして俺はてっきりヒューマンドラマか玄人好みの邦画を好んでいそうだと勝手に思っていたため、このチョイスは意外だった。

 

 

 

 そして俺はこの後、この映画を観たことを“個人的に”少し後悔することになる。

 

 

 

 「アクション映画が好きというよりは、レオン・フラナガンの雄姿見たさで選びました」

 「そうか、阿笠さんも俺と同じでストーリーよりも演者や演出に目を向けるクチか?」

 「いえいえそんな、私はただ単に“レオン様”を推しているだけの“ミーハー”ですので」

 

 ともかく謙遜しながらも嬉しそうに推しをカミングアウトする寧々を観て、彼女がこの映画をチョイスした理由に合点はいった。

 

 「思い出した、確か王賀美陸(おうがみりく)とレオン・フラナガンの“死闘(アクション)”で話題になっているやつか?」

 「えっ?ひょっとして今気が付いたんですか?映画好きの夕野先生が珍しいですね?」

 「生憎俺はこういう類の映画にはちょっと疎くてね。(さり気なく馬鹿にされた?)」

 「確かに、あまり先生の口からこういう類の映画の話は聞きませんでしたからね」

 

 『諜報員(エージェント)/ブラックアウト』。レオン・フラナガン演じるCIAの諜報員:アッシュ・フェリックスが主人公の人気スパイアクション映画(シリーズ)の第5弾にして最新作である本作は、公開から1ヶ月以上が経過した今でも客足が途絶えることはなく日本だけでも既に興行収入50億円突破が確定しており、国内におけるシリーズ最高記録である前作の54億円を超えるのは時間の問題とメディアでも取り上げられるほどの話題作である。

 

 なぜ本作がここまで日本で話題を独占しているのか、その理由は実に単純な話だ。

 

 「“レオン様”と“リッキー”をまさか同じスクリーンで観れる日が来るなんて、本当に夢のようですね先生」

 

 

 

 極東の島国からたった1人で世界へ飛び立った孤高のハリウッドスター・王賀美陸(おうがみりく)

 

 15歳の時に星アリサに才能を見出されスターズから俳優デビューを果たすと一気に頭角を現し、初主演作でいきなり日本アカデミー賞新人俳優賞&最優秀主演男優賞のダブル受賞を始め数々の賞を総なめにして瞬く間に一世を風靡。同年には別の主演作でカンヌ国際映画祭男優賞をカンヌ史上最年少で受賞する快挙を成し遂げ、“リッキー旋風”を巻き起こした。

 だがそれから程なくして所属先のスターズと喧嘩別れをした挙句に移籍交渉先だった別の芸能事務所の社長を殴るなどの問題行動で世間をざわつかせ、16歳で日本の芸能界に見切りをつけてハリウッドへ単身渡米した“唯一無二の主演俳優(スーパースター)”。

 

 「王賀美陸・・・俺からしてみても本当に規格外な役者だったよ」

 

 以降は様々なハリウッド映画で脇役と端役を転々と演じるような下積みの日々が暫く続くことになるが、持ち前の天性のカリスマ性による根強い人気が後押しし、日本のメディアでは一切取り上げられなくなっていた時期でも国内では一定数の支持を得ていた。

 

 「“先生”がそれだけおっしゃるということは、それだけ王賀美さんは人気だけではなく役者としても凄かったということですか?」

 

 それから数年が経ち、ハリウッドにおいて脇役(バイプレーヤー)の地位を確立するようになりスクリーンでの出番が増えると、それに比例するかのように日本国内でも彼の人気が再燃し始め、その根強い人気ぶりに昨今ではいよいよメディアも無視出来なくなりつつある。

 

 「・・・彼の場合は演技力があるとか云々じゃないからな。“何を演じても王賀美陸”だと皮肉交じりに論ずる輩もいるけど、“何を演じても同じ”だからこそ彼の芝居は成立し、無論それを“芝居”として十二分に補えるだけの実力と説得力も兼ね備えているから、王賀美陸は“唯一無二”で在り続けられた。本来はこんな言葉を軽々しくは使いたくないけど、あの芝居を一言で表現するなら “キリスト”だよ・・・ある意味、彼のような役者は日本の芸能界よりもハリウッドのほうが向いてる」

 

 そんな日本を代表するハリウッドスターが、ハリウッドの中でも“絶対的な存在(スター)”として君臨するレオン・フラナガンと同じ映画(スクリーン)で“主人公VS敵対組織の刺客(キーマン)”として共演を果たすとなれば全国の“リッキーマニア”が熱狂しないわけがないだろう。

 

 とはいえ、あの“王賀美陸(リッキー)”でさえもここまで辿り着くのに10年近くの歳月が掛かったことを踏まえると、いかにハリウッドの世界が選ばれし天才たちの“巣窟”であるかが身に染みて分かる。

 

 

 

 “まぁ、にはもう関係のない話だが”

 

 

 

 「一時期、先生と王賀美さんが色んなところで比較されていたことが懐かしいです」

 

 事前に予約していたチケットをフロアで受け取り、ここの中でも最もキャパが大きいスクリーン3へ向かう途中で、隣を歩く寧々が懐かしむように俺が役者だった頃の話を始める。

 

 「そういえば阿笠さんはちょうど中学生だった頃か?」

 「中学2年生から3年生の時ですね」

 「てことはドンピシャだな」

 

 あんまり覚えていないが、当時の俺は王賀美と共に“これからの日本の映画界を牽引していく俳優はどっちか?”といったニュアンスだったかは曖昧だが、俺の知らないところで色んな媒体を通じて彼と比較されていたことは何となく記憶にある。

 

 もちろんその結末は、言うまでもない。

 

 「でも先生と王賀美さんって、結局一度も共演していないんですよね?」

 「・・・よく知ってるなそんなこと」

 「知っているも何も、私はリアルタイムで2人を見てましたから」

 「言われてみれば」

 

 寧々の言う通り、俺と王賀美はとうとう一度も共演することのないまま2人揃って“日本の芸能界”を去った。

 

 なぜ共演しなかったのか、その理由はこの一言に尽きる。

 

 「まぁ色々あるんだよ・・・芸能界ってのはさ」

 

 とにかく寧々のような一般人にこの俺が説明できるのは、“色々ある”ということぐらいだ。

 

 「えぇ・・・それは私も分かっています」

 

 込められるだけの意味を込めた“色々”を伝えた憬に、寧々はあたかも全てを知っているかのような表情で答える。

 

 「あぁ・・・美々さんか

 

 一瞬だけ寧々が“分かっています”と言った意味に心の中で憬は首を傾げたが、彼女の妹が女優の阿笠みみであることを直ぐに思い出し、意味を理解した。

 

 “やっぱり心配だよな。“一番近い身内”が芸能界(あの世界)にいるっていうのは・・・“

 

 ただでさえ仕事で過酷な思いをしている寧々のために直接言葉として伝えて慰めたい衝動をグっと堪え、俺は心の中で彼女に向けて声をかける。

 

 

 

 ““寧々”さんは彼女にとっての“帰る場所”として支えてあげて欲しい

 

 

 

 「大丈夫ですよ。私は美々のことを、誰よりも信じていますから

 

 俺の心配は杞憂な世話だったのだろうか。エレベーターホールの列に並び隣に立つ寧々は自信に満ちた表情でそう答えた。

 

 「阿笠さんは本当に強いな

 「えっ?何か言いました?」

 「あぁいや、ちゃんと“帰る場所”として支えてくれているんだなってさ」

 「当たり前ですよ。これは姉として当然の役目ですので」

 

 寧々に憬が温かく見守るように目線を送った瞬間、スクリーンへ向かうエレベーターの扉が開いた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 14時35分。少し遅めの昼飯(ラーメン)を食べ終えた憬と渡戸は、駅の方角へ向かい歩みを進めていた。

 

 もちろん、渡戸にとっての思い出の“場所”へと向かうために。

 

 「お疲れ様です、渡戸です」

 

 駅へ向かう中、隣を歩く渡戸がいきなりポケットから真新しい折り畳み式の携帯電話を取り出して誰かに電話をし始める。

 

 「ちょっとバタバタして予定より少し遅れるかもしれませんが大丈夫ですか?・・・はい・・・ありがとうございます・・・・・・はい・・・いえとんでもないです・・・はい・・・ではあと30分後ぐらいにはそっちに着くと思いますんで、よろしくお願いします。失礼します・・・」

 「・・・・・・あのー、誰に電話してたんですか」

 

 随分とかしこまったような口調で電話に出ていた渡戸。一体誰に電話をしていたのだろうか。家族か?いや、この感じからしてそれはあり得ない。

 

 「一時期俺の面倒を見てくれていた人だ。今でもこうして偶にこっちに帰った時には必ず挨拶してる」

 「・・・もしかしてこれから行く場所がその家ですか?」

 

 多分違うだろうなと半信半疑で予想しながら、俺は渡戸に聞く。

 

 「違うっちゃ違うけど・・・ある意味俺にとっては今から行く場所も家っちゃ家かな?」

 「・・・・・・どういうことですか?」

 

 聞いてみた結果ますます渡戸の思い出の場所が分からなくなったのと同時に、西口の駅ビルが目の前の視界に飛び込んで来た。

 

 「・・・それは行けば分かるよ」

 

 

 

 

 

 

 「・・・あの・・・もしかしてここですか?」

 

 ここは、俺の住むマンションの最寄り駅からマンションの方角とは逆の方向に10分ほど歩いた場所だ。

 

 「どこからどう見ても何かの施設にしか見えないんですけど」

 

 敷地内の前には学校の校門のような門が構えていて、その奥にそびえ立つのは校舎と集合住宅を足して割ったような外見の3階建ての建物。1つだけ言えるのは、この施設が何なのかを俺は既に知っているということ。

 

 「当たり前だ。ここは児童養護施設っていうところだからな。ほら、憬がこのあいだ出てたドラマの舞台も確かそうだったろ?こんな立派な建物じゃなかっただろうけど」

 「・・・そうですね。ていうか家が近いんで何ならずっと前から知ってます」

 「あぁ、そういや憬は大中(ダイチュウ)に通っているんだっけ?じゃあ見覚えがあるわけか」

 

 俺の通っている大中(ダイチュウ)の学区内にある児童養護施設、友生(ゆうせい)学園。

 

 “・・・まさか・・・”

 

 「・・・もしかして剣さんの家族って・・・・・・すいません何でもないです」

 

 嫌な予感が口からこぼれかけたが、それを決めつけることが何を意味するかを察した俺は、間一髪のところで自重する。

 

 「・・・まぁ、世の中の家族がみんな1つ屋根の下で普通に仲睦まじく過ごしてるとは限らないからな」

 

 憬の独り言に、渡戸は意味深な言葉で答える。

 

 

 

 “俺は今・・・とんでもない局面に立っているのかもしれない・・・”

 

 

 

  “ショウタ”の抱えている過去は、考えうる限り相当 “ワケあり”なようだ。そう思い始めた瞬間、これ以上こうやって人の過去を詮索するのは止めたほうが良いんじゃないのか?そもそも俺のやっていることは人としてどうなんだ?という良心が邪念(リミッター)となって俺の心に立ちはだかる。

 

 ともかく、これは共演者を知るとかそういう範囲の話じゃないのは明らかだ。

 

 「・・・あの」

 「謝るな

 

 明らかに“何かありそう”な過去につけ込むような形になってしまった憬は居たたまれなくなり謝ろうとするが、渡戸はその言葉を遮る。

 

 「とにかく気にすんな。今の俺にとってはもう全て“過去”のことだ。(自分)の気持ちを理解したいから共演者(あいて)の過去に踏み込むのは、役者として間違ったことじゃない」

 

 俺の抱える罪悪感に近い迷いに感づき、渡戸は気丈に振舞い続ける。

 

 「・・・ありがとうございます」

 

 ひとまず俺は、覚悟を持ってここに来たであろう渡戸のために罪悪感を無理やり封じ込めた。

 

 「・・・じゃあ入るぞ。“施設長”をこれ以上待たせるわけにはいかない」

 「・・・はい」

 

 渡戸の言葉を合図に、2人は施設の門を通過して敷地内に入った。

 

 

 

 

 

 

 「すいません。お待たせしました」

 

 施設の入り口付近に手を後ろで組むような姿勢で立っている施設長である壮年の男と目線が合った瞬間、憬と渡戸はその男に礼を言いながら頭を下げる。

 

 「いえいえ、そんなかしこまらなくても大丈夫ですよ」

 

 その2人を見た友生学園の施設長の村澤(むらさわ)は、予定より少し遅れて到着した憬と渡戸を優しく迎い入れる。

 

 「友生学園の村澤と言います。それで剣くんの隣にいる君が確か・・・えーっと」

 

 そして村澤は渡戸の隣にいる憬の名前を言おうとするが、口から出る寸前でド忘れする。

 

 「夕野憬です」

 「・・・あぁそうだ、セキノ君でしたね。名前が出てこなくて申し訳ない」

 「いえ、こっちこそ急に来てしまってすいません」

 

 自ら名乗り出たことで忘れかけていた俺の名前を思い出した村澤が優しそうな笑みを浮かべたまま申し訳なさそうに謝り、俺も謙遜して急に施設を訪れたことを謝る。

 

 「いえいえ、私の方こそせっかくの休みを潰してしまう形にしてしまって申し訳ない」

 

 しかしながら話し方や優しい目つきからして、この人は本当に心の底から優しい人なんだろうなという空気がひしひしと伝わってくる。

 

 「ここへ来たばかりの頃は引っ込み思案でいつも1人だった剣くんが“後輩”を連れて一緒に役作りをするようになるとは・・・本当に立派になりましたね剣くん」

 「憬の前であんまり大層なことを言わないで下さいよ村澤さん」

 

 そんな優しさオーラを全開にしたまま村澤は渡戸のことを大袈裟に褒め称えるが、同時にあることが引っかかった。

 

 「あのー、村澤さんは何で俺らが今日“役作り”をしていることを知ってるんですか?」

 

 この状況を“何も知らない”俺は思ったことをそのまま聞く。

 

 「そりゃあ今日のことは剣くんから事前に聞いていますからね・・・・・・ってあれ?もしかして剣くんから何も聞いてない?」

 「はい。何も聞いてないです」

 

 当然そんなことを、当の本人からは一言も聞かされていない。

 

 「すいません。余計な先入観を与えないようにするために、憬にはここに来ることを黙っていました」

 「あ~いやいや、私は別に夕野君が特に悪い思いをしていなければいいんだけどね」

 

 村澤が何かを言いかけようとする前に、渡戸が黙っていた理由を白状して「すいませんでした」と頭を下げ、それを村澤が責めることなく宥める。

 

 「憬も悪かったな」

 「いえ、俺は大丈夫です」

 

 続いて渡戸はここに来ることをずっと黙っていたことを詫びるが、悪いことをされたという気分は全くなかった。確かに渡戸の言う通り、共演者(あいて)を知るための役作りにおいて余計な先入観を与えてしまうとそのイメージに引っ張られてしまうこともあるのかもしれない。

 

 これに関しては、ラーメンを食べていた段階で何となく頭の片隅で予想はしていた。

 

 「ということはこれから向かう予定の場所も聞かされてないってことですね?」

 「それは聞いてます。剣さんの実家ですよね?」

 

 そんな様子の憬に、村澤はやれやれとした笑みを浮かべる。

 

 「・・・ひとまずここから車で20分くらいのところだけど・・・詳しいことは実際に向こうに行ってから説明したほうが良さそうですね。それでいいかい剣くん?」

 「はい、ありがとうございます」

 「本当にごめんなさいね夕野君。色々と振り回してしまって」

 「あぁいえ、ホントに俺は大丈夫なんで」

 

 そして憬と渡戸は村澤の(セダン)に乗り、かつて渡戸が住んでいた実家へと向かった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「さて、もうそろそろ着きますよ」

 

 渡戸が一時期過ごしていたという施設から更に先の方へ進み20分強、村澤の運転するセダンは近郊の駅前から程近いところにあるコインパーキングに着いた。

 

 そしてパーキングに駐めたセダンを降りて、渡戸を先頭に3人は思い出の場所である実家へと歩みを進める。

 

 

 

 「・・・剣くんは今回のことで一度役作りを兼ねて私のところに訪れていてね、流石に預かっている子どもたちには事情もあって直接は会わせられないけど、こっちもこっちで昔のよしみがあるから話せる範囲で色んな話を私が渡戸君に聞かせているんだよ。せっかく自分の手で掴んだ夢だから、私としても出来る限り彼の夢を応援したくてね」

 「へぇ~、そうなんですね」

 

 渡戸の実家へと向かう道中、村澤は俺に渡戸がかつて世話になった施設に役作りのために訪れていることを話してくれた。渡戸の演じる“ショウタ”という役は、児童福祉司を志す大学生。確かに役への理解度を深めるにはとっておきの場所だ。

 

 「・・・・・・」

 

 “・・・さっきから全然喋らないな剣さん・・・”

 

 そしてショウタを演じる張本人は、遅くも早くもないペースで先頭をただひたすら黙って実家の方向へと歩みを進める。

 

 “今の俺にとってはもう全て“過去”のことだ”

 

 と言いながらも、きっとまだどこかにやりきれないところがあるのだろうか。家族が母親しかいない俺も傍から見れば特殊な家族なのだろうが、寧ろその環境が俺にとっての日常そのものだからか、その環境が不幸だと思ったことは一度もない。

 

 だから渡戸の抱えているものが何なのかを掴めず、中々話しかける言葉が思い浮かばない。

 

 そもそもこういう相手の家族の話を、どうやって聞けばいいのか分からない。

 

 「・・・剣さんは実家に戻るのはいつぶりですか?」

 

 悩みに悩んで、取りあえず当たり障りのなさそうな範囲の無難な質問で話かける。

 

 「1年ぶりくらいかな」

 

 すると前を歩く渡戸は案外すんなりとした感じで答えてくれた。

 

 「じゃあ正月とかまとまった休みがとれた時とかに」

 「いや、俺が実家を出てからここに来たのは1年前の時だけだ」

 

 実はわざと大袈裟に言って俺の反応を確かめているのでは?と一瞬だけ本気で思いかけたが、それが如何に馬鹿げていたのかは直ぐに思い知らされることになる。

 

 

 

 「・・・ここが俺の住んでいた“実家”だ」

 「あぁここ・・・・・・ってどっからどう見ても空き地なんですけど?」

 

 渡戸が実家だと言った場所は家どころか建物すら立っておらず、土台も何一つ残っていない雑草が茂る殺風景の空間が住宅街の一角に広がっていた。

 

 「実家は去年の火事で跡形もなくなったからな」

 「・・・・・・えっ」

 

 あまりの衝撃に、俺は言葉を失った。

 

 かつて2階建ての一軒家が立っていた場所は更地として物の見事に開けており、そこに家があったという痕跡は四角に広がる雑草交じりの空間だけだ。どんな思い出だろうと、自分にとって思い入れのある場所が跡形もなくなってしまうという切なさは、祖父母と父親を知らない俺でも想像がつく。

 

 「・・・家族は無事だったんですか?」

 「その頃には剣くんのご両親はとっくに家を出ていましたから、火事には遭っていないです」

 「付け足すとその前に俺はこの家を出ているけどな」

 

 渡戸の言葉に続くようにこの家が跡形も無くなってしまった理由をかいつまんで教えてくれた村澤曰く、渡戸の父親がこの家を売りに出してどこかへ“消えた”後に別の住人が3年ほどここで生活し、やがて再び空き物件になり売りに出されていた矢先に、愉快犯の少年による放火で全焼したという。

 

 「・・・じゃあ家族は?」

 「さぁな・・・15の時に親父と面会したのを最後に一度も会ってないし、今はどこで何をしているのか、生きているのかすら分からねぇ」

 

 ちなみに両親は今だに行方不明である。

 

 

 

 “もしも唯一の家族すら突然姿を消してしまったら・・・”

 

 

 

 不意に母親が突然と俺の前から姿を消した時の想像が浮かび出す。何故こんなタイミングでこんな想像をしたのかは自分でも分からないし、別に嫌いではないがウザったく思う時はとことんウザったく思えてしまうくらいには平凡な親子関係。でもそんな平凡な日常すらも、ここにはもう残されていない。

 

 「・・・本当に何にもないんですね・・・」

 「当たり前だろ。ここはもう更地なんだからよ」

 「あぁ・・・そうっすね」

 

 どうしようもない想像をしていたら思わず言葉が漏れ、隣でかつて実家があった空間を眺める渡戸にツッコまれた。そりゃそうだ。ここはもう更地だから何にもないのは当たり前だ。

 

 “俺は何を言っているんだ”

 

 と自分に問いかけつつも、目の前に広がるあまりに寂しすぎる“殺風景”を目にしてしまえばどうしても同情してしまう。

 

 「・・・でも俺には“視えちまう”んだよ。ここで過ごしていた景色が」

 

 そんな同情する俺をよそに、渡戸は痕跡が跡形も無くなった更地(実家)の空間を、頭の中で一つ一つ記憶を辿って確かめるように歩く。

 

 「・・・このあたりに階段があって、階段を上がって右に曲がったところに俺と兄ちゃんの部屋があった・・・それでこっちが食卓(キッチン)でその奥に親父の部屋があったっけ・・・・・・何でこんなことをいつまで経っても覚えているんだろうな俺は・・・」

 

 独り言を呟きながら、渡戸は何もない空間を歩き回る。

 

 何度眺めても住宅に囲まれた殺風景の空間しか映らない俺にはそんなことなど全く分からない。でも、きっと渡戸にはかつてここにあった“決して思い出したくないであろう”光景が鮮明に映っている。

 

 「・・・何で剣さんは・・・ここまで協力してくれるんですか?」

 

 心の中で渡戸の言葉を信じると決めたにも関わらず、人の過去に踏み入るという罪悪感が再び大きくなり始め、どうしてここまでして全てを教えてくれるのか俺は分からなくなり始めた。

 

 「協力も何も、“兄弟で家族”だったら互いのことを共有するくらい当然のことだろ・・・違うか?」

 

 だが渡戸は俺の中にある迷いを断ち切るかのように、かつて自分の部屋があった場所を見下ろしたまま俺に向けて言葉を投げかける。

 

 「これで俺たち2人が“ショウタとユウト”になれるなら、恐れるものは何もない・・・・・・って俺は思うけどね」

 

 

 

 “じゃあ俺たちが “ショウタとユウトになる”ためにはどうしたらいいと思う?

 

 

 

 

 そうだ。俺は一体何のためにここにいる? “剣さん”が役の為にこうして心を開いて全てを託そうとしているのに、何を俺は弱気になっている?

 

 “この映画を引き受けたが最後、お前はもう二度と“引き下がれない”ぞ・・・それでも引き受ける覚悟はあるか・・・?

 

 ここまで来て目の前の現実から逃げてしまったら、それこそ剣さんや“ドクさん”たちに泥を塗ることになる。

 

 

 

 “覚悟には覚悟で応えるのが・・・・・・役者(おれたち)の術だ

 

 

 

 「・・・聞きたいか?俺が役者になる前の話?」

 「・・・・・・お願いします」

 

 覚悟を決めた憬は、渡戸の目を真っ直ぐ見つめながら静かに頷いた。

 




今年のGWはシフトと執筆で無事終了する模様

※カンヌ国際映画祭の開催時期を改めて考慮したところ、王賀美陸の経歴にかなり無理があったことが判明したため、内容を一部変更しました(5/12:追記)


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scene.38 渡戸剣

 渡戸家の家族は、大手企業に勤める父親と近所付き合いの良い教育熱心な母親に、勉強もスポーツも万能な兄とその弟の俺の4人。

 

 そんな渡戸家は、傍から見ればどこにでもいそうな普通の家族だった。

 

 

 

 もちろんそれは、傍から見ればの話しだ。

 

 

 

 「あなたには人が大切にしているものを壊した“痛み”を思い知る必要があるわ

 

 物心がついた時から、俺は主に母親から酷い“(暴力)”を受けていた。

 

 記憶の中で一番古いのは、母親が大事に使っていた皿を誤って割ってしまった時に母親から皿の破片で頬と右の掌を切り付けられた日のことだ。あの日の出来事は今でもたまに夢で見ることがあり、目覚めた直後は頗る気分が悪くなる。

 

 そして仕事で家を留守にしがちだった父親は終始見て見ぬふりで、時には母親と共に俺に躾という名の暴力を振るっていた。

 

 自分の欲しいものなどは買ってもらえるはずはなく、両親(アイツら)から誕生日を祝われたことすら一度もなかった。そしてどうしても我慢できずに我儘を言うと、身体に痣が出来るまで殴られ、蹴られ続けた。

 

 そして痣が出来ると、

 

 「先生たちに聞かれたら、階段から落ちてケガをしたと言いなさい

 

 といった具合に脅された。本当にあの空間は俺にとって“生き地獄”そのものだったが、まだ小さかった俺にはそれが “虐待”だということに気付けるはずもなかった。“俺が悪いことをするから怒られ、俺が悪いことをしたらぶたれる”というのが、当たり前だと思っていた。

 

 

 

 “・・・父ちゃんも母ちゃんも・・・俺のことなんて何とも思っていないんだ・・・

 

 

 

 10歳を過ぎた頃になると自分の置かれている環境がおかしいことにようやく気付き始めた。数少ない娯楽として許されていた戦隊ヒーローものの世界では正義のヒーローが毎回のように悪を成敗していたが、現実ではいつになっても“悪”は成敗されなかった。当たり前の話だった。

 

 “ヒーローは良いよな・・・最後には絶対に怪人が“負けてくれる”から・・・

 

 だが勉強もスポーツも特にこれといって得意ではなかった俺は両親(アイツら)に立ち向かう勇気はなく、“親の期待に全く応えられないバカでろくでなしな俺が全部悪い”と無理やり受け入れてやり過ごすことで精一杯だった。

 

 「なぁ剣、今からコウスケとサッカーしに行くんだけどお前も行くか?

 

 そんな俺にとって唯一の心の支えになっていたのは、2つ上の兄である(じょう)だった。俺とは対照的に学校では勉強もスポーツも出来るクラスの人気者だったが、そんな兄もまた俺ほどではなかったが両親(アイツら)から厳しい躾けを受けていた。

 

 だが兄は両親(アイツら)とは違い俺や周りに八つ当たりするようなことは全くなく、その憎しみを他の人にぶつけるようなこともしなかった。

 

 「悪い。流石にケーキだとバレるからこれだけになっちゃうけどおめでとう、剣

 

 そればかりか誕生日の次の日、毎年のように祝って貰えなかった俺に駄菓子のチョコレートをこっそりと学校で一箱プレゼントしてくれたこともあった。

 

 「こんなのしか用意出来なくて、ほんとにごめんな

 

 プレゼントを受け取った俺に兄は本気で謝ってきたが、俺にとっては兄がなけなしの小遣いを使って両親(アイツら)の目を盗んでまで買ってきてくれたささやかなプレゼントが、何よりも嬉しかった。

 

 理不尽な言いがかりと暴力を受け続ける日々は、時にふと本気で思い詰めてしまうほど辛かったが、誰よりも優しく誰よりも強い兄がいたおかげで俺は腐らずに何とか耐えることが出来た。

 

 俺にとって兄は、本当の意味で正義のヒーローのような存在だった。

 

 

 

 「誠に残念ですが・・・

 

 

 

 だが中1の冬、兄は警報機の鳴る踏切で転んだ拍子に足を挫いて動けずにいた5歳の子供を庇い、急行に撥ねられた。県内では一番と言われている名門校への推薦に合格した矢先のことだった。

 

 こうして誰よりも尊敬していた“ヒーロー”は、最期まで“誰よりも優しく誰よりも強い兄”のまま俺の前から姿を消した。

 

 「まさか丈が死ぬなんて・・・

 

 いくら躾という理不尽な暴力を振るうことがあったとはいえ、自分の子供が命を落としたことには流石に両親(アイツら)も心を痛めたらしく、特に母親は葬式が終わってからの数日間は食べ物が喉を通らなくなるほど酷く憔悴していた。

 

 手を上げることはあったが、それでも親としての愛情は一応持ってはいたんだなとこの時の俺は思っていた。

 

 もしこれをきっかけに変わってくれたら、この2人のことを家族として許してもいい。もう一度家族として一からやり直したい。

 

 そう思い、願うようになり始めた。

 

 「丈が死んだのは、アンタが出来損ないだったせいだ

 

 些細な意見の食い違いから、微かな希望は無情にも音を立てて打ち砕かれた。葬式から1週間が経ち “正気を取り戻した”母親からは堰を切って罵詈雑言を浴びせ理不尽に俺の身体を何度も叩き、その様子を父親は煙草を吸い新聞を読みながら知らん顔で傍観していた。

 

 

 

 “結局、両親(アイツら)は何も変わってなどいなかった

 

 

 

 「アンタが死んでくれた方がまだマシだった

 

 俺のことをずっと邪魔者としか思っていないことはずっと分かっていた。それでも居なくなった兄のために、動かなくなるまで殴りたいという衝動を必死に抑え込んできた。

 

 それでも母親の言った“あの言葉”で、俺はとうとう限界を迎えた。

 

 「本当にガッカリだわ。これで私たちは“落ちこぼれ”よ・・・

 

 あの一言が何を意味していたのか、そして母親がなぜあんなに憔悴していたのか、一瞬で全てがわかった。

 

 「・・・・・・ざけんなよ

 

 両親(アイツら)には兄に対する愛情なんか微塵もなかった。アイツらにとって兄の丈は自慢の長男ではなく、自分たちの世間体を少しでも良くするためだけの道具に過ぎなかった。

 

 “・・・何のために兄ちゃんはオマエらの為に必死で頑張ってきたと思ってんだ・・・

 

 母親は自分の息子を不慮の事故で唐突に失って憔悴していたのではなく、自分を良く魅せるための道具が使い物にならなくなったことを嘆いていただけだった。

 

 

 

 「・・・返せよ・・・・・・俺たちの人生・・・

 

 

 

 気が付くと俺は母親のことを今まで溜め込んでいた怒りと恨みを一気にぶつけながら力任せに殴りつけていた。そしてそのまま拳を握りながら制止に入ってきた父親も返り討ちにしてやった。

 5科目は相変わらず平凡なままだったが、兄の影響で始めたサッカーのおかげで体格が幾分か良くなり運動神経もクラスで上位に入るくらいには良くなっていた俺にとって、大したフィジカルのない中年2人を相手にするのは案外容易かった。

 

 「・・・なんだよ・・・もう終わりか?

 

 そしてふと我に返ると、今まで散々俺に威張り散らしていた両親(アイツら)は傷だらけになった身体でその場に蹲っていた。

 

 「自分の生みの親に・・・よくこんなひどいことが出来るわね

 

 それでも口だけは相変わらず達者な母親に、怒りの収まらない俺は目障りで仕方のないであろう顔を思い切り近づけ、

 

 「オマエには人が大切にしているものを壊した“痛み”を思い知る必要があるんだよ

 

 と小さかった頃に俺に向けて放った言葉を10年越しにぶつけてやった。一瞬だけスーっと気持ちが晴れるような感覚を覚えたが、それはすぐにアイツらと全く同じ“手口”を使ってしまったことへの激しい後悔に変わった。

 

 「明日の朝までに荷物をまとめて出て行きなさい・・・・・・あなたはもう・・・赤の他人よ・・・

 「・・・あぁ分かった・・・こんな“生き地獄”喜んで出てってやるよ

 

 どうにか怒りの力を借りて無理やり強がって見せたが、心は後悔で押し潰されていた。

 

 

 

 “最悪だ・・・・・・俺

 

 「こんな家族・・・・・・消えて無くなればいい

 

 

 

 こうして俺は家を追い出され、兄の四十九日を待たずして児童養護施設の友生学園へ入所した。

 

 以降この家には、両親(アイツら)が2人ともこの家から出て行き火事で燃やされ変わり果てた姿になる日まで来ることすらなかった。

 

 

 

 

 

 

 「・・・大丈夫か、憬?」

 「・・・俺は大丈夫ですけど・・・・・・剣さんこそ大丈夫ですか・・・」

 

 想像していた以上に壮絶な渡戸の過去を聞かされた憬は、衝撃のあまり返す言葉が見つからなくなるほど動揺を隠せずにいた。

 

 「俺の心配なんかすんなよ。まぁ100パー余裕ってほどじゃないけど、こうやって普通に人に話せるくらいには“受け入れられる”ようになったからな」

 「・・・・・・本当に強いですね・・・俺だったら耐えられる気がしないです・・・」

 

 “俺だったらもう耐えられない”の一言すら安易に思えてしまうほどの“過去”に、思わず言葉が詰まりかける。“人の不幸は蜜の味”ということわざがあるが、そんなものは絶対に嘘だと心の底から思った。

 

 「いや、俺も限界だったよ。だから両親と全く同じ手段をつかっちまった。暴力なんかじゃ物事なんて何一つ解決出来ないってのに」

 

 

 

 今なら分かる。自分の人生を両親や他人への憎しみのために使ってしまうことがどれだけ無駄なことなのかを。だがあの時の俺には、そんな余裕など全くなかった。

 

 

 

 「生まれながらに意図して“悪魔”になろうって人間は誰もいないだろうよ・・・でも無垢な子供は両親っていう目に見える環境に良くも悪くも染まっちまう。そう言う意味じゃ“向こう”も“向こう”で被害者なんだよな・・・分かってんだけどなぁ・・・」

 

 跡形も無くなった空間に残る確かな記憶を前に、渡戸は複雑な感情を抱いたまま独白を吐きながら感傷に浸り、独り言を言い終えると渡戸は顔を下に向けて雑草交じりの地面を見つめたまましばらく黙り込む。

 

 「・・・それから剣くんは、私のところに来たんですよ」

 

 すると沈黙を破る形で、少しだけ距離を置いて思い出の場所に訪れた2人を見つめていた村澤が口を開き、ここから先の話をしていいか渡戸に了承をする。

 

 「いいかい剣くん?」

 「いや・・・ここから先も俺から話させてください」

 

 その了承を渡戸は断り再び自分の過去の続きを話し始めると、

 

 「それとすいません。ほんの少しの間でいいんで憬と2人だけにしてくれませんか?」

 

 そう言って渡戸は村澤を遠ざけようとする。

 

 「分かりました。元々役作りには介入しないという約束ですからね」

 「本当に感謝します。村澤さん」

 

 そして村澤は更地と路地の境界線のところまで離れ、引き続き2人を遠巻きに見守り続けた。

 

 

 

 

 

 

 「渡戸剣です。よろしくお願いします」

 

 俺が大倉中学校に転校したのは、施設に入所してからの話だ。学区内であった上、俺のような事情を抱えた生徒に対しても積極的かつ良心的に受け入れていると聞いたことが大きな理由だった。

 

 「えっ?渡戸ってサッカーやってたの??

 

 同じクラスの連中の中には俺のことを好奇の目で見る奴もいたが、ムードメーカーでサッカー部に入っているクラスメイトが親しく接してくれたことで、俺はすぐにクラスに馴染むことが出来た。

 

 「だったらサッカーやろうぜ!

 

 そしてサッカー部のクラスメイトに半ば強引に勧誘される形で、俺は再びサッカーを始めた。

 

 最初は2か月のブランクのせいでイマイチ調子が上がらなかったがそれもすぐになくなり、夏の地区大会で俺はベンチ入りすることができた。肝心の大会は2回戦で強豪と当たって敗れてしまい、俺自身も試合に出れたのは2回戦の後半10分くらいでこれといったアシストも出来ずに終わってしまったが、仲間と一帯になって1つの目標に立ち向かうという経験とメンバーの温かさに触れ、久しぶりに俺の心に光が射し始めた。

 

 今までの10何年を取り戻すことはできないが、この場所で腐らずに頑張って行くことが助けることの出来なかった兄に対してのせめてもの恩返しになる。そう思い始めた。

 

 だがそんな順調に思えた大中(ダイチュウ)の日常は、長くは続かなかった。

 

 「・・・何するんですか・・・」

 

 大会が終わり最初の登校日、俺はあの大会でレギュラーになれずに引退した3年の先輩2人に、階段から突き落とされた。幸い怪我自体は受け身を取ったおかげで掠り傷と軽い打撲で済んだ。

 

 「お前、マジで生意気だし邪魔」

 「良い気になってんじゃねぇぞクソガキ」

 

 痛む身体を庇いながら立ち上がり、踊り場まで降りて来た先輩2人に突き落とした理由を問い詰めると、

 

 “俺のような途中からノコノコと入った施設出身の奴にレギュラーを奪われて最後の試合に出られなかった

 

 ことの腹いせだと打ち明けられた。

 

 「施設出身は黙ってボール拾いしてろや!

 「何でお前みたいな施設育ちにレギュラーを取られなきゃならねぇんだよカス

 

 2人は何度も俺を壁へと追いやりながら尚も罵声を浴びせる。

 

 

 

 “・・・施設は関係ねぇだろが・・・

 

 「施設は関係ねぇだろが

 

 

 

 感情が昂った俺は踊り場で先輩2人と殴り合いの喧嘩をして生徒指導を食らい、サッカー部の同期たちからは引き留められたが、俺はそのままサッカー部を辞めた。俺はまた、暴力という最悪な手段を使ってしまった。

 

 「おい、アイツじゃね?こないだ学校で暴れたっていう施設出身のやつ?」

 「しかも先輩に逆上して部活辞めたらしいぜ」

 「マジ?ったく施設暮らしで暴力とか救いようがねぇじゃん」

 

 その代償はあまりにも大きく、俺はたった一日で“施設育ちの問題児”として学校中に名前が知れ渡ってしまい、昨日まで普通に話していたはずのクラスメイトからも面倒なことに巻き込まれたくないという理由で徐々に距離を置かれ、俺は完全に孤立した。

 

 「学校生活は辛いか?渡戸君?」

 「・・・そうかもしれないですね・・・」

 

 そして1学期が終わるのと同時に学校にも行かなくなった俺は、施設内の自分の部屋に引き篭もるようになった。

 

 もしもあの時、先輩に歯向かわずに俺を受け入れてくれていた仲間や顧問に相談していたらどうだったのか。少なくとも殴る以外の方法はいくらでもあったはずだ。

 

 でも結局、俺を受け入れてくれた連中も表に出さないだけで心の内ではそう思っているんだろうと思い始めると、唯一独りになった俺を気にかけてくれた同じサッカー部のクラスメイトの “救いの言葉”すらも、何もかもが信じられなくなってしまった。

 

 「もう・・・ほっといてくれ・・・」

 

 周囲の優しさに目を背けた俺は、たった2人の先輩に言われた罵詈雑言が全てだと本気で思い込んでしまい、またしても自らの手で自らの居場所を失くしてしまった。

 

 

 

 “誰を信じたらいいか、分からなくなった

 

 

 

 あの時の俺は、完全に心を閉ざしていた。

 

 

 

 「行きたくないのを我慢してまで学校に行く必要はないですよ。人生は学校や社会が全てじゃないからね

 

 

 

 そんな俺のことを、個別職員として担当していた村澤さんは全て肯定してくれた。最初は彼の言っている言葉がすべて綺麗ごとに聞こえてしまい、きつく当たってしまったこともあった。

 

 「剣くんにとってこの部屋が一番落ち着く場所なら、私はそれでいいと思う

 

 それでも村澤さんは行事はおろか施設の誰とも関わろうとさえせず、食事と風呂の時以外は自分の部屋に引き篭もり続ける俺のことを全部受け入れてくれた。こんな俺のことを受け止めてくれるのは、死んだ兄だけだと思っていた。

 

 「・・・剣くんの人生は、剣くんにしか決められないから・・・」

 

 

 

 “そんな彼の姿が、次第に誰よりも強く誰よりも優しい兄と重なって見えた

 

 

 

 それから1年の紆余曲折を経て村澤さんの優しさに気付き徐々に心を開けるようになった俺は、同じく虐待が原因で入所し不登校だった1つ下の友人の部屋仲間と一緒に他の職員から独学で勉強を教わったり、休日には小学校に通う下の子供たちと施設のグラウンドに出て、サッカーを教えたりしたこともあった。

 

 一方の学業は、結局のところ大中はあれから一度も登校することなく卒業してしまったが、独学で猛勉強した末に施設から電車と歩きで30分ほどの所にある高校に進学し、施設を出た後の自己資金を稼ぐためにバイトを始めたりと、自分なりに外との繋がりも増やしていった。

 

 「剣兄ぃちゃんゲームやろう!」

 「・・・しょうがねぇな15分だけだぞ」

 

 気が付くと俺は、施設で生活している下の子供たちから兄のように慕われる存在になっていた。

 

 「もう一回!もう一回だけ!」

 「ダメだ。15分の約束だったろ?」

 

 だが実際に自分が兄と同じように周りから頼りにされる存在になったことで、どんなに頑張っても尊敬している存在()から俺はかけ離れていることを思い知ることになった。

 

 “・・・こんな時、兄ちゃんだったらどうするんだろう・・・

 

 頼りにされれば頼りにされるほど、兄のように器用に振舞えず相手がパニックを起こしても常套句で宥めることしか出来ない自分の不甲斐なさに気付かされ、いつしか自分が近づくために背中を追っていた兄の存在が重荷のように俺の背中にのしかかるようになってしまった。

 

 “本当に俺は、このままでいいのだろうか

 

 施設と高校、バイト先を往復する一日を繰り返していく度に、その思いは強くなっていった。

 

 俺はまだ、生き地獄(あの家)で過ごしていた時間を過去に出来ていなかった。いつまでもあの時の“光”に依存していた。

 

 

 

 「お父さんが、剣くんとどうしても話をしたいと言っています

 

 

 

 そして通っていた高校が夏休みを迎えた7月の終わり、父親が俺と面会したいと施設を尋ねて来た。

 

 「正直、私としてはお父さんを剣くんに会わせることはあまりお勧め出来ない」

 

 村澤さんからの話を聞いた限り、面会に来た父親の態度からは心からの反省の色が見えなかったという。現状の全てを受け入れ肯定してくれた彼が珍しく、首を縦に振ることを渋ったことが印象的だった。

 

 「ただし、最終的にお父さんと顔を合わせるのか、拒否するかは剣くんに任せます」

 

 何となく面会を果たしたところでロクな結末にならないだろうなという予感は最初からあった。内心では怖くて仕方がなかった。それでもここで父親と決着をつけなければ、俺は前に進めない。

 

 きっとこの時、村澤さんは全てを理解していた。理解をしていた上で、俺を1人の大人として成長させるために選択肢を与えてくれた。

 

 「・・・面会させてください。1対1で

 

 10分ほど悩んだ末、俺は父親と直接会うことを心に決めた。

 

 

 

 「・・・久しぶりだな・・・剣・・・」

 

 3日後、俺は村澤さんとの約束通り施設内の面会室で父親と2年半越しの“決着”、もとい再会を“水入らず”で果たした。

 

 「・・・おう・・・」

 

 久しぶりに俺の前に姿を見せた父親は随分とやつれていて、家庭を顧ず仕事一筋だったあの頃の威厳は見る影も無くなっていた。今まで母親の暴力から一度も守ってくれなかったばかりか共に鉄拳制裁を振るっていたこの男には1ミリも同情の余地はなかったが、ロクな手入れもせずシワだらけになったスーツ姿のサマは、見ていてあまりにも哀れだった。

 

 「・・・しばらく見ないうちに、大きくなったな・・・」

 

 「・・・そうだな・・・」

 

 2年半の時を経て、俺と同じくらいの背丈があったはずの父親は、俺より幾分か小さくなっていた。

 

 「・・・早く言えよ。話したいことがあるんだろ?」

 

 顔を見るだけで、あの頃の記憶が何度もフラッシュバックして1秒でも早くこの部屋から出たくなる衝動に駆られたがどうにかそれを心の中で抑えきり、俺は父親に会いに来た理由を問いかけた。

 

 「・・・実はな・・・」

 

 すると父親は、俺が施設に入所してからの2年半の出来事を話し始めた。どうやら俺が施設に入った後、母親とは喧嘩が絶えなくなって関係は急激に悪化していき、1年前に母親は家を出て行った。おまけに自分も不況によるリストラの煽りで会社をクビになり、挙句には兄弟や親戚含め全員から厄介者扱いを食らってどこも頼るところがなく孤立してしまい食事もまともに買えないほど経済的に困窮しているという。

 

 「・・・こんなことになったのは俺がお前に何もしてやれなかったからだ・・・・・・本当にすまない・・・」

 

 一通りの“不幸自慢”を言い終えた父親は、椅子に座ったまま俺に深く頭を下げて謝った。

 

 そんな自業自得なことを自慢されたところで、そんな謝罪(もの)を受け入れたところで、俺たち兄弟(ふたり)が失った時間を取り戻すことは出来ない。

 

 「・・・・・・今更おせぇよ

 

 本当に心の底から反省して謝っていたかどうかは関係なく、頭を下げた父親を見た俺は怒りを通り越して呆れ果ててしまった。そもそもあれだけのことをしておいて堂々と許しを請うために会いに来た時点で、先は知れていた。

 

 例え会いに来たのが母親であったとしても、同じだっただろう。

 

 「・・・じゃあな・・・」

 

 あれから二の句が全く出てこなかった俺は、一言だけそう告げて面会室を出ようとした。

 

 「待ってくれ

 

 面会室の扉に手をかけた瞬間、席を立った父親が俺を呼び止め、俺は思わずそこで立ち止まった。今すぐこの父親()のいる空間から離れたい。声すらも聞きたくない。心の底からそう思っていながらも、俺は父親の言葉に反応した。

 

 

 

 どうしてあそこで立ち止まったのか自分でも未だにはっきりと分からないが、部屋を出ようとした瞬間に何かが心に引っかかる感覚に襲われたことは今でも覚えている。

 

 

 

 「・・・剣は・・・ここにいて幸せか?

 

 覇気も抑揚もない消え入りそうな声で、視線の後ろにいる父親は俺にそう聞いてきた。

 

 ここにいて幸せなのか。確かにここにいれば暴力を振るわれることも罵詈雑言で責められることもなく、こんな俺のことを慕ってくれる後輩や親としての愛情を持って接してくれる優しくて強い人たちもいる。

 

 だからここの生活に、何1つの不満もない。でも果たしてこれが、本当に俺が望んでいることなのだろうか。

 

 

 

 “本当に俺は、このままでいいのだろうか

 

 

 

 「・・・分からない・・・・・・でもあんな“生き地獄”よりはよっぽどマシだよ・・・

 

 「・・・・・・そうか・・・・・・良かったな・・・・・・

 

 父親からの言葉を耳に入れ、俺は振り返ることなく扉を開けて面会室の外に出た。

 

 その瞬間、心に引っかかっていた何かが完全に消え去り、今まで感じたことがないくらいに気分が晴れやかになった。

 

 

 

 “これが、俺が家族と交わした最後の会話だった

 

 

 

 それから程なくして父親は実家を売りに出してどこかへと“蒸発”し、文字通り俺の家族は完全に崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 「今日は快晴ですね、剣くん」

 「そうですね」

 

 父親との再会を終え、気分転換に村澤さんと共に施設のグラウンドに出ると、雲一つない青空が俺を出迎えるように広がっていた。

 

 「・・・こんなにまじまじと空を見上げるのは久々です・・・」

 

 俺のことを暴力ではなく優しさで受け入れてくれた村澤さんがいなければ、俺は自分の足で立つことは出来なかった。

 

 自分の力で一歩を踏み出すことも出来なかった。

 

 「・・・村澤さん・・・」

 

 そして快晴の空をふと見上げた時、1つの思いが一気に込み上げた。

 

 

 

 俺はずっと、あの両親に生き地獄(あの家)の中で育てられてきたという過去に囚われ続けていた。“自分の好きなように生きていい”と教えてくれた恩人の優しさに触れながらも、兄に対して何も恩返しが出来なかったことへの負い目で、本当の自分をずっと押し殺してきた。

 

 でも、もう過去を必要以上に背負う必要はない。俺の人生は俺だけのものだ。

 

 

 

 「俺・・・・・・これからは自由に生きたいです・・・

 

 

 

 こうして俺は、今までずっと自分を押さえつけていた渡戸家の“呪縛”から解放された。




冗談抜きで、ReLIFEしたい


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scene.39 兄弟


ハッピーバースデー、景ちゃん。


 「・・・ってところかな。役者になる前の思い出は」

 

 自分の過去を平然とした口調で一通り話し終えた渡戸は、その場で深呼吸をするように地面に目を向け一息を入れると、いきなり憬の方に顔を向けて唐突に問いかける。

 

 「俺の過去を一通り聞いて、憬はどう思った?」

 「・・・いや、どうって・・・」

 

 渡戸からの質問に、憬は斜め上を見上げながら思い悩む。

 

 「・・・剣さんは本当に強い人だな、って思いました」

 

 考えに考え、自分の見解を答える。両親からの虐待、転校先での差別、そして父親との決着を経て手に入れた自由。

 

 「あぁそう」

 

 もちろんここに至るまでは俺たちを見守るように数歩下がったところに立っている村澤(あの人)のおかげでもあるが、何よりこれだけのドラマよりドラマなほど壮絶な経験をしながら腐らずにここまで立ち直れた渡戸の精神力(メンタル)は、尋常なものではない。

 

 「・・・多分違いますね・・・」

 

 だが俺の答えは、自分でもビックリするぐらい“手応え”がなかった。目の前で黄昏ながら突っ立ったまま雑草を見つめる渡戸の素っ気ない反応が全てを物語っていた。

 

 「・・・もっとシンプルに考えてみろよ」

 

 こんな感じに無駄に考え込み過ぎて悪循環に陥り始めた憬に、渡戸は敢えて目を合わせずに明後日の方角に目を向けながら助言を送る。

 

 「そもそも俺たちは何しにここに来た?

 

 渡戸からの助言で、憬は過去から一旦離れて考えを原点に戻す。

 

 

 

 “互いのことを知りながら役と自分との共通点を見つけるんだよ

 

 

 

 渡戸の過去があまりに壮絶で忘れがちになりそうだが、俺たちは互いに役に近づくために互いの思い出の場所を巡っている。だとしたら考えるべきなのは、渡戸とショウタの共通点。

 

 “『何があっても俺たちは家族だ。そうだろ?』”

 

 渡戸の生い立ちは複雑な環境で育ったことこそ共通しているが、勉強が出来て友達も普通にいて物語の後半で恵里すらも知らされていなかったユウトと毅の秘密が明かされて宮入家に亀裂が入っても、“『何があっても俺たちは家族だ』”と家族を想い鼓舞していくショウタと、一見すると対照的だ。

 

 “ショウタはどちらかというと、剣さんというよりお兄さんに近い”

 

 勉強もスポーツも万能で周りをまとめ上げるリーダー的存在な兄と、その兄の背中を追いかけ失敗と後悔を繰り返しながらも1人の人間として成長する不器用な弟。渡戸の生い立ちやこれまでの様子を見るに、彼はショウタというよりどちらかというとユウトに近いタイプだ。

 

 “剣さんが殴ったことを後悔したり、壮絶な過去を乗り越えられたのは、お兄さんと同じように “自分のために生きたい気持ち(感情)が心の中にあったから”

 

 でもそれはあくまで器用不器用な話であって、根本にあるものは同じ優しさだった。兄と同じように、自分の人生を他人への憎しみのために使いたくないという共通意識があったからこそ、弟は“過ち”を二度起こしながらもそこで自暴自棄にならずに踏み止まった。

 

 そして弟は兄と同じく自分の為に生きることを決めて、兄と同じく“優しく強い”1人の男になった。

 

 

 

 「お兄さんがどんな人かは俺には分からないけど・・・剣さんの話を聞いて、今の剣さんはお兄さんと同じ “優しく強い人”だって俺は思いました」

 「・・・俺が兄ちゃんのように“優しく強い”?・・・例えば?」

 

 自分なりにシンプルにまとめた答えを、渡戸は更に掘り下げる。

 

 「例えば・・・」

 

 再び思考を巡らせると、唐突にさっきのひったくりの少年が頭に浮かんだ。自分をイジメる奴を見返すために“デカいこと”をやろうとして渡戸に捕まった、あの少年。

 

 「・・・映画を観終えた時にひったくりを捕まえた時・・・とか」

 「うん。それで?」

 「剣さんが必死で追いかけて捕まえた後、そのひったくりを説得したじゃないですか?」

 「あぁ、したな」

 

 ひったくりの少年を捕まえた後、渡戸は彼を警察に通報するどころか説得した末に見逃した。ここに来るまではどうして渡戸は彼を逃がしたのか俺は分からなかった。

 

 「あの時に剣さんが敢えて見逃したのは、きっとお兄さんと同じ“経験”をずっと重ねてきたからだと思います」

 

 “自分のしたことを後悔できるってことはそれだけ自分とちゃんと向き合えてるっていう証明だよ

 

 “お前はお前を虐める連中よりずっと強い

 

 「そうじゃないと、剣さんの言葉にあのひったくりは耳を傾けなかった」

 

 ここに来て、渡戸の抱えている過去を通じて、その真意が分かり始めた。

 

 

 

 “暴力とか人を陥れるようなことに手を出す人間には、必ずそこに至るまでの“きっかけ”があるんだよ

 

 

 

 どんな凶悪な犯罪者だろうと生まれてきた時はみんながみんな純粋無垢な子どもだったように、生まれついた悪人なんてこの世界にはいない。あの少年だってひったくりになりたくてなったわけじゃない。

 

 大切なことは、後戻りが出来なくなる前に周りの誰かが手を差し伸べるということ。兄弟(ふたり)は同じ“苦しみ”を共有して他人(ひと)の“痛み”というものを知り、互いを支え続けた。

 

 「だから、剣さんはお兄さんと同じ “優しく強い人”です」

 

 

 

 だから、兄弟はこうして“1つ”になれた。

 

 

 

 「・・・俺さ、自分の役が決まった時からずっとショウタの考えていることが分からなくて悩んでいたんだ・・・・・・俺はショウタ(兄ちゃん)とは真逆の人間だし・・・他人の感情に入り込む才能もないから、ずっと掴めないままだった・・・でもこうやって他人に自分の過去を話して、“弟”から自分がどう視られているかを言われて、少しだけ近づくことができた・・・・・・感謝するよ。憬」

 

  “優しく強い”に対する答えに渡戸は耽るように言葉を紡ぎ、自分でも分からずにいた答えを教えてくれた俺に向けて満足そうな笑みを浮かべて感謝を伝えた。

 

 “・・・兄ちゃん・・・”

 

 その今までで一番柔らかく優しさに満ちた渡戸の表情(笑み)を視た瞬間、台本の中にいる“ショウタ”の姿が頭の中でリンクした。

 

 「・・・あの・・・」

 

 “・・・じゃあ俺は?ユウトに近づけたのか・・・?”

 

 「・・・実は俺・・・父親の記憶がないんですよ・・・」

 「・・・・・・その話、聞かせてくれないか?」

 

 俺とユウトの共通点。それは互いに親の記憶がないということ。物語の展開上、ユウトは母親から首を絞められたことを思い出す。だがそんな記憶すら俺には残っておらず、父親と過ごしていた記憶はモザイクがかかっているように曖昧で、時間が経つにつれて思い出せなくなってきている。

 

 ドラマの撮影の時は、()るべき感情の“お手本”が目の前にいたから主人公の感情を通じて美沙子を失った時の直樹の感情を理解することができたが、今回は訳が違う。

 

 似たようなシーンを演じる役者の感情を盗んでも何も思い浮かばない。手本もなければ経験のしようもない完全なる未体験かつ理解不能な状況。

 

 「考えれば考えるほどユウトと俺の共通点が少ないことに気が付いたんです」

 

 似たような経験をしていながらも、全く異なる生い立ちを歩んできた。ある時、俺は母親に“父親がいない理由”を母親に聞いたことがあった。それも一度ではなく何度かだ。

 

 

 

 “父親は最初からいない

 

 

 

 帰って来た答えはいつもそれだった。そして家族が母親しかいない状況に不幸を感じていなかった俺は、当たり前のこととしてそれを受け入れてしまった。

 

 「だから、ユウトのように離れ離れになった親のことを思い出す“トリガー”が、俺には残さていないんです」

 

 だから俺には、首を絞められた先のユウトの感情()が分からない。だったらどうする?

 

 

 

 “いっそユウトと同じように誰かから首を絞められたら思い出せるんかな

 

 

 

 

 「・・・いっそユウトと同じように誰かから首を絞められたら思い出せるんかな・・・・・・いや、何でもないです」

 

 心から漏れ出した独り言を、俺はすぐになかったことにする。当たり前だ。そんなことで感情を思い出せたら俺たちはこんなに

 

 「じゃあやってみるか?

 「・・・・・・えっ?」

 

 突如として放たれた渡戸からの言葉に、俺は完全に頭が真っ白になった。

 

 「悪く思わないでくれ」

 

 そんな言葉が目の前から聞こえた時には、渡戸の両手が俺の首元に強く当たっていた。

 

 「!!?」

 

 首元に渡戸の両手がかかったことを認識すると同時に、凄まじい重力が喉元にかかり息を吐くことすら出来なくなる。

 

 “ヤバイ”

 

 これが“死への恐怖”なのか分からないが、一瞬で本能的に“ヤバイ”と判断した俺の身体は自分でも驚くほどの力で渡戸の両手を振り払おうとするが、首元を締め付ける両手は岩のように動かない。

 

 “俺・・・死ぬのか・・・?”

 

 「・・・・・・ッエホッ!ゴホッ!」

 

 そう思い込んだ次の瞬間、岩のように重い重力に押し付けられていた喉元は解放され、俺は溜まっていた空気を一気に吐き出すがその量が多すぎて思わずむせ返る。

 

 「どうだ?何か思い出せたか?」

 

 そんな“死にかけ”の俺に、渡戸は能天気な言葉を投げかける。

 

 「・・・思い出すどころか危うく死ぬとこでしたよ・・・」

 

 当たり前だが、こんなことで父親の記憶が蘇ることはなかった。

 

 「だろうな。こんなことで思い出せたら俺たち役者はこんなに苦労しないだろうよ」

 「っていうかひどくないすか・・・いくら役作りっつっても少しは手加減とかしないんすか・・・・・・マジで殺されるかと思ったわ」

 「あぁ、それは本当に悪かった」

 

 役作りとはいえ人の首を絞めてもどこ吹く風な様子の渡戸に、思わず言葉遣いが荒くなる。1つだけ言えるのは、渡戸は本気で俺の首を絞めてきたことだ。

 

 「・・・言っとくけど本当に死を覚悟しましたからね、俺」

 

 動悸で跳ね上がる心拍数を何とか呼吸で抑えながら、俺は言葉を返す。

 

 時間にして2秒ほどだったが、その2秒間が恐ろしいくらいに長く感じ、あの瞬間だけ俺は本気で“自分の死”を錯覚した。

 

 「本気で首を絞められたくらいじゃ他人の記憶なんて思い出すことは出来ない・・・でも、これで首を絞められた時の“トラウマ”は憬の心の中に植え付けられたはずだよ」

 「・・・トラウマ・・・」

 

 そしてあの瞬間は、直後に発した渡戸の言葉通り俺の中に“トラウマ”として植え付けられた。

 

 「ユウトがリョウコのことを思い出したトリガーは、首を絞められたトラウマだからな」

 

 ユウトが何故クラスメイトに首を思い切り絞められた瞬間にフラッシュバックを起こしたのか、それはリョウコに首を絞められたという記憶がトラウマとして潜在意識に残り続けていたからだった。一旦は防衛本能によりその記憶は奥深くに封印されていたが、類似した状況に出くわした時にその封印が解かれて、ユウトは再びあの日の記憶を思い出した。

 

 「憬・・・お前は他人()と全く同じ“経験”をしなければ(他人)の感情が分からないと思っているだろうけど・・・そんなものは今のように“体験”して“感覚を掴め”さえすれば大丈夫だ」

 

 他人から本気で首を絞められたことで“トラウマ”を手に入れた俺を渡戸は鼓舞してみせるが、依然として疑念は消えない。例えばそう、昨日飲んだ缶コーヒーだ。

 

 「でもそれだと、昨日のコーヒーと同じようにまだ」

 「そこから先は演出家がどうにでもしてくれるさ」

 

 “ユウトが飲んだ”コーヒーの味がまだ掴めない俺の主張を、渡戸は遮りなおも話を続ける。

 

 「もし役作りだけで他人の全てが喰えるとしたら、演出家なんていなくても作品が作れちまうからな」

 

 “「・・・私ってさ、人を愛せないんだよね・・・」”

 

 『1999』の時には決して上手いとは思えなかった蓮の芝居は、『HOME』を通じて見違えるほど上手くなった。

 

 “「あぁ・・・結局ここまで来るのに10年もかかっちまった」”

 

 演出家要らずの実力を持つ早乙女(カリスマ)も、月島と会うまでは“顔だけが取り柄”だと叩かれていた過去があった。

 

 「・・・でも俺たち役者はそんなに器用で賢い生き物じゃない。他人の感情を喰ったとしてもそれを感情として化けさせるには自分1人の力じゃ絶対に無理だ。そんな不器用な役者(俺たち)1人の(たにん)に導くのが、演出家(カントク)だ」

 

 

 

 “「美沙子っ!!!」”

 

 そして俺も、果たして2人のように化けることが出来たのかは分からないが、月島(演出家)が正しい方角へと導いてくれたおかげで、俺は最後まで直樹を演じ切ることができた。

 

 

 

 「難しく考えんなよ。出来もしないことを無理に間に合わせようとすんなよ。そんなもの、撮影を通じてドクさんたちと一緒に作っていけばいい話だ。せっかく “自由”を手に入れたんなら、もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ

 

 悩める後輩を鼓舞し終えた渡戸は、被っていたキャップを憬の頭に被せ、キャップ越しに頭を一回ポンと叩く。

 

 “台本と睨めっこをする前に、先ずは周りの人間を視ろ

 

 渡戸からの助言で、本読みで國近の言っていた言葉に隠された“もう一つの意味”が分かった。

 

 台本というのは自分自身のことで、自分で自分の足りないところを見つめ返すよりも、とにかく周りを見渡して役者以前に1人の人間としての見地を増やせということ。

 

 感情を理解するという技術的な部分は当然のことだが、複数人が1つのスクリーンに集結する作品は周りと協力し合いながら作って行かなければならない。演じているのは自分1人じゃない。役者(ひと)の数だけ()り方があって、その一つ一つが“これから”に繋がるヒントになる。故にこの世界には正解や取扱説明書は存在しない。

 

 だからこそ・・・

 

 

 

 “『役者になったからには、とことん自由にいこうじゃないか』”

 

 

 

 「そうですね・・・役者になったからには、とことん自由に()って行かないとですね」

 「・・・あぁ。それが俺たち役者の特権だからな・・・一緒にドクさん(カントク)を驚かせてやろう」

 

 キャップの下で覚悟を決めた表情を浮かべた憬に、渡戸が右手を差し出す。

 

 「もちろん芝居で」

 

 言葉を一言だけ付け足し、憬も同じように右手を渡戸に差し出して、2人は握手を交わす。

 

 

 

 「もう大丈夫かい?」

 

 役作りをしている2人を少し離れて見守っていた村澤が歩み寄り、声をかける。

 

 「はい。取りあえず今日やれることはこれで全部やりました」

 

 声をかけてきた村澤に、渡戸は憬の頭に被せたキャップを取り自分の頭に再び被せながら答える。

 

 そんな村澤を見て、憬はあることを思い出した。

 

 「・・・そう言えば村澤さんはなんで剣さんが俺の首を掴んだ時に俺たちを止めなかったんですか?」

 

 憬の言葉通り、村澤は渡戸が本気で首を絞めた時も更地の境界線でずっと見守っていた。

 

 「昨日の夜に剣くんから今日のことは全部聞いていてね、夕野君が役作りで悩んでいることやここに来て夕野君の首を絞めることも既に知ってます」

 「・・・よくOKを出してくれましたね。マジで俺が殺されたらどうする気だったんですか?」

 

 だがそれは、事前に昨日の夜に村澤の携帯電話にかかってきた渡戸からの電話で事情の全てを把握していた。

 

 「ただ流石に最初は耳を疑いましたよ。あくまで今回は“役作り”の一環だという“てい”で引き受けただけだからそこはよろしくお願いしますね、剣くん?」

 「もちろんです。こういうことは本当の最終手段なんで」

 

 とはいうものの、渡戸の“首絞め予告”は役作りで本気ではやらないことをこと細かく本人から聞き出した上で、村澤は了承している。

 

 「ただ・・・私は俳優さんが“1番自由な生き方を選んだ人たち”であること以外は全然分かりませんが、今のお2人を見ていると、本当に生き生きと俳優を楽しんでいるというのがこっちにも伝わってきます」

 

 そんな役作りの協力者でもある村澤の言葉に、“兄弟”は2人揃って何とも言えない表情で互いに明後日の方角を向く。

 

 

 

 “まるで2人とも本当の兄弟みたいだ

 

 

 

 「2人とも俳優はやっていて楽しいですか?」

 

 心の中で独り言を呟いた村澤が、2人に素朴かつ核心をつく質問を投げかける。

 

 

 

 「楽しいです」「楽しいです

 

 数秒の沈黙を経て、隣同士で立つ2人が全く同じ答えを全く同じタイミングで村澤に答えた。

 

 「あっ・・・」

 「・・・・・・」

 「ははっ、それはまたなによりですね」

 

 そして互いに言葉がハモり恥ずかしそうに全く同じタイミングでそれぞれ反対側に目線を反らす2人に、村澤が微笑ましく声をかける。

 

 「・・・私から見たら兄弟にしか見えないですよ。君たち

 「いや、今のはちょうどタイミングが重なっただけなんで。なぁ憬?」

 「えっ・・・あぁそうです、学校とかでたまにある“アレ”が起きただけですよね剣さん?」

 「アレって何?」

 「いやだから、アレはアレっすよ」

 

 村澤から言われた最上級の“誉め言葉”に、憬と渡戸は最大級の照れ隠しで心の声を誤魔化した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「改めて聞くけど俳優の仕事は順調かい?」

 

 思い出の場所である実家の跡地を訪れた後、渡戸は先に憬を帰して村澤と2人で施設内の一室でテーブルを隔てて話をしていた。

 

 渡戸は舞台役者として都内に引っ越し芝居漬けの日々を送るようになってからも、年に1度は必ず施設を訪れ、こうして村澤と1対1で近況報告や他愛もない話をかつて父親との最後の再会を果たした“この部屋”でしている。

 

 「それはもう、“さっきの通り”ですよ」

 「さっきの通りってどういうことだい?」

 「そのままの意味です」

 

 村澤の問いかけに渡戸が抽象的な表現で答えると、その意味を瞬時に理解した村澤は微笑ましい表情で笑いながらそれに答える。

 

 一時ではあるが、一切の愛情を注がなかった肉親の代わりに個別対応職員として親同然に面倒を見ていた村澤にとって、渡戸の心情を読み取るのは容易いことだ。

 

 「・・・でも剣くんがまさかあんな大胆なことをするとは私も思わなかったよ」

 「あはは・・・そのことに関しては心配をかけました」

 「ほんとに電話で“夕野くんの首を絞める”と剣くんが言った時は一瞬本気で焦りましたから」

 「そう言いながら本当は最初から分かっていたんじゃないですか?」

 

 もちろん今回の役作りで事前に施設を訪れ自分の所へ挨拶に来ていた渡戸の言葉が本気ではないことを一瞬で察した村澤は、敢えて渡戸に再度忠告を送る。

 

 「それはそうだけど・・・さっきも言ったけどこういうことはあんまりやらないように頼むね?」

 「当然ですよ。俺は巌先生(あの人)とは違うので」

 

 その忠告に、渡戸は“冗談”を交えて答え、

 

 「・・・そうだね。剣くんは剣くんですからね」

 

 その答えの意味を分かっている上で、村澤が渡戸に“自分らしく頑張れ”の意味を込めた言葉を送る。

 

 

 

 

 

 

 渡戸家の“呪縛”から解放されたあの快晴の日から1週間後、俺は村澤さんと共に、村澤さんの知り合いが音響として携わっている舞台を観るために下北沢の劇場を訪れていた。

 

 村澤さん曰く、ここで“お芝居”をしている人たちは地球上で一番“自由”な生き方を選んだ人たちだということだった。

 

 「お前・・・・・・やけに“臭う”な・・・

 

 そんな人生初めての劇場の中、公演開始の5分前に用を済ませ再び自分の客席に戻ろうとトイレを出たところで、黒いハットを被った無精ひげの中年男がすれ違いざまに俺に向けてそう言った。

 

 「・・・えっ?・・・俺ってそんなに臭ってます?」

 

 その男の言葉の意味が分からず俺は咄嗟に自分の両腕の臭いを嗅いでみるが、そんな様子の俺に男は、

 

 「俺が言っているのは“感情”の話だ」

 

 と少しだけ呆れ気味に話した。

 

 「感情・・・・・・ですか?」

 「あぁそうだ。感情っていうものは臭うもんだからよ。子を抱く母親からは花のような匂いがするように、今にも死のうとしている奴からは腐った臭いがするもんさ」

 

 目の前にいる男の言っている感情の意図が今一つ理解出来ない俺に、男は“感情”とは何かをぶつけて来た。もちろんこの時の俺は演劇の“え”の字も知らないばかりか、舞台すら何なのか全く分かっていなかった。

 

 「・・・じゃあ俺の(にお)は?」

 

 何が何なのかよく分からないまま自分の“感情(臭い)”を聞いた俺に、男はこう答えた。

 

 「その答えを知りたければワークショップに来い。チラシはパンフレットの中に挟んである」

 

 そう言うと男は止めていた足を再び動かし、シアターとは真逆の方向へ歩き出した。

 

 「・・・あの・・・!」

 

 今まで感じたことのなかった説明のつかない只ならぬ雰囲気に、気が付くと俺はその男を呼び止めていた。

 

 「・・・・・・名前は?」

 

 「・・・俺はついこのあいだ家族に逃げられたばかりのしがない“ろくでなし”だ・・・・・・お前の中に“自由”になる覚悟があるなら・・・いつでも相手してやる

 

 名前を聞くと男は振り向くことなくそれだけ告げて、そのまま劇場を後にした。

 

 

 

 これが、巌先生との出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 「しかし運命は分からないものですね。まさかあの日に舞台を観に行ったことがきっかけで剣くんがこうして俳優になるとは・・・」

 

 2人は気が付くと運命を大きく変えることになった一日の話に花を咲かせていた。

 

 「はい。もしあの日にあの場所で演劇を観ていなかったら・・・俺はここまで“自由”になれていなかったと思います」

 

 あの日から3日後、履歴書も参加費も不要のワークショップに向かった渡戸はその場でオーディションに参加させられ、いきなりW主演のうちの1人に抜擢されることになるのだが、そのことに誰よりも驚いていたのは無論、本人だったことは言うまでもない。

 

 「“巌先生”に感謝ですね」

 

 あれから5年の月日が経ち、自らの足で自由を手に入れた15歳の少年は更なる自由を求め“イマ”という時間をあるがままに生きる役者(おとな)になった。巌裕次郎という演出家に出会ったおかげで、自分を犠牲にするように生きてきた1人の男は“自由に生きる”素晴らしさを知った。

 

 「そうですね・・・確かに巌先生(あの人)がいたからこそ、今の俺はいます。でも・・・あの日の俺が自分の足でワークショップに行けるようになれたのは、この俺に“きっかけ”を与えてくれた村澤さんのおかげです」

 

 だがそこに至るまでの運命の歯車に乗ることが出来たのは、紛れもなく村澤の存在無くしてあり得ないことだった。

 

 「・・・村澤さんがいなければ俺はここまで“自由”になれませんでした・・・・・・・本当にありがとうございました・・・

 

 渡戸は被っていたキャップを取って椅子から立ち上がり、村澤に今までの思いの籠った感謝を述べて深く一礼する。

 

 「・・・私は何もしていないですよ・・・剣くんは自分の力で立ち上がり、自分の力でここまで歩いてきた・・・それが全てです・・・・・・私はただ・・・そんな剣くんのことを見守っていただけですから

 

 

 

 一人前の役者(おとな)として強くなったかつての“子ども”からの感謝に、村澤はあの時と同じ優しさで答えた。




前書きで誕生日を祝っておきながら、祝われた張本人の出番は一行もないという・・・・・・はい。


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scene.40 写真


本編に登場するスタバは我々のよく知っている“スタバ”とは無関係です。





 「今思い出しましたが、仕事以外でスタバに入るのは初めてです」

 「そうなんだ」

 「私がスタバに来るのは基本的にテイクアウトか資料を作りがてらの時ぐらいですので」

 

 午後2時過ぎ。映画館でレオン・フラナガン主演のハリウッド映画『諜報員(エージェント)/ブラックアウト』の鑑賞を終えた憬と寧々は、センター街の入り口にそびえ立つ複合ビル(ランドマーク)の2階にあるコーヒーチェーンで交差点(スクランブル)の人混みを眺めながら注文したドリンクを飲み、次の映画の上映までの時間を潰していた。

 

 無論、映画は“字幕”版の方で鑑賞した。

 

 「でも夕野先生は本当にこういうチェーン店で良かったのですか?」

 「ん?どういうことだ?」

 

 ちなみにこの2人がこうして外食をするのも、今日が初めてのことだ。

 

 「先生ほどコーヒーに拘りを持っている方でしたら、きっとここよりも美味しい店を知っていると思いましたので・・・あぁもちろん私は好きで通っているので、すみません」

 「大丈夫だよ謝らなくて。あと俺は言うほどコーヒーに拘りは持ってないから」

 

 自分の中で奢って頂いている分際で失礼なことを言ってしまったと頭の中で即座に反省する寧々を、憬は優しく慰める。

 

 「・・・そもそも不味い店ならどんな好立地でもとっくに潰れているさ」

 

 コーヒーの香りが立つ昔ながらの喫茶店の方が好きだという意見は分かる。だが店で出している商品の美味の甲乙に、チェーン店も個人経営の店も関係ない。それは人それぞれの好みの問題であって、どちらが劣っているかということを決めつける権利は専門家でもない第三者には存在しない。

 

 「チェーンの店でも美味い(ところ)は美味いのだ・・・」

 

 交差点を眺め独り言を呟きながら、憬は自らが注文したドリップコーヒーを口へ運ぶ。

 

 「なるほど・・・勉強になります」

 「別に今のは参考にしなくていいんだけどね」

 

 そして憬の言葉に感心した寧々も、同じように交差点の方角を眺めながら自ら注文したコーヒーフラペチーノを口へと運ぶ。

 

 「・・・あの・・・今日は夕野先生とこうして休日を過ごせて本当に良かったって思います」

 

 互いに思いに耽り暫しの沈黙が流れたのち、右隣の席に座る寧々が言葉を紡ぐように口を開く。

 

 「そうか・・・・・・ちょっと大袈裟な気もするけどそれは良かった」

 「大袈裟なんかじゃないです」

 

 これからもう一本映画を観るというのにまるで帰り際のような台詞を放った寧々に内心で意表を突かれつつ俺は謙遜しながら感謝を告げると、彼女は真っ直ぐな眼を向け即座に正直な気持ちを言葉にして伝える。

 

 「久しぶりに気分転換が出来たというのもそうですけど、何より小説以外の先生の一面を見れたような気がして、色々と新鮮な気分です」

 「・・・確かに阿笠さんとは仕事以外でこうやって一緒に会うってこと自体なかったからな」

 

 俺はプライベートも含めて仕事以外で寧々と会ったことは一度もない。元々俺自身、創作の気分転換でこうして街に出て映画を鑑賞したりすることもあるが、無論その場合は誰も誘わずに1人で気の思うままに映画館をはしごするような一日を過ごしている。

 

 「基本的にプライベートは1人で過ごしているからな、俺」

 

 まぁ本音を言ってしまうと、一緒にプライベートを楽しみたいような人間が周りには誰一人いないというところが真実だ。

 

 「確かに先生は普段から基本的に“お一人”のイメージが強いですからね」

 「・・・今のは“良い意味”として捉えていいんだな?」

 

 それにしても、寧々と仕事以外の会話をしていると色んな意味で油断ならない。

 

 「良いも何も、私は先生のことを悪く思ったことはありませんが?」

 

 俺からの言葉に、寧々は何一つ曇りのない真っ直ぐな瞳で再び答える。

 

 「あぁそう・・・なら良いんだけど」

 

 彼女の言葉は何一つ悪気のない純粋で正直な気持ちなのは分かっているが、あまりにもそれが愚直過ぎて時折面を食らってしまう。

 

 「こう見えて私も、1人の時間を大切にしたい“クチ”ですから」

 

 そんな悪気のない正直者である寧々はある意味、天知や百城以上に(タチ)が悪いのかもしれない。

 

 「・・・まぁ1人になる時間は何より大事だからな・・・」

 

 人は1人では生きていけないという言葉をどこかで聞いたことがあるが、どんなに気の合う誰かといることが楽しくとも、隣に誰かがいるという状況が1分1秒とずっと続いていけば大なり小なり心と身体が疲弊していくものだ。

 

 だから時には、周囲の情報や雑踏を全てシャットアウトすることも必要なことだ。そうして1人になる時間を設けて “リセット”することで、人は自分自身を保てる。

 そして自分自身を保つということは、この世界を“普通に生きていく”ことにおいて最も重要なことだ・・・と今の俺は思っている。

 

 「?」

 

 再び外の景色に目をむけた瞬間、寧々のほうから着信音のような音が流れた。

 

 「うわ宮武先生からだ」

 

 すると寧々はやや面倒そうな表情をしながら2コールが終わると同時に宮武からの電話に出る。

 

 「はいお疲れ様です、阿笠です」

 

 宮武からの電話に出た瞬間、寧々はカメラが回ると同時に役に入り込む役者のように一瞬で愛想笑いを浮かべ応対する。

 

 だが彼女が連絡先を確認して電話に出るまでの一瞬だけ、今まで俺に見せたことのないような“無防備”な感情が垣間見えた。

 

 「はい・・・・・・明後日の打ち合わせは14時から真蝶社であっていますよ・・・・・・はい・・・いえいえ・・・ではまた月曜の14時に、はいお疲れ様でした、失礼します・・・・・・はぁ~・・・」

 

 宮武との30秒程度のやり取りを終えると、寧々は電池が切れたかのように力なく溜息を吐きながらテーブルに突っ伏す。

 

 「・・・仕事の電話か?」

 「・・・はい・・・月曜日の打ち合わせ日程の確認の電話でした・・・・・・取りあえず急な仕事の依頼じゃなくてひとまずは良かったです・・・完全に今日は休日(オフ)のつもりでパソコンも持たずに来ましたので」

 

 分かりやすくうなだれるように突っ伏した寧々に気を遣いながら言葉をかけると、彼女は安堵の表情で宮武からの電話の内容を話す。

 

 「・・・そりゃあ今日は貴重な休日だしな・・・」

 

 相変わらず、寧々は自分の中にある正直な気持ちを言葉にして俺に伝えてくる。だがここまで何も着飾らない “無防備な感情”を視たのは、初めてのことだ。

 

 「・・・宮武先生(向こう)のほうからこの時間がいいって言ったからアポを取ったのに・・・それぐらい自分で覚えておいてくださいって話ですよ・・・・・・」

 

 そんな彼女に、まるで無粋な心が浄化されていくような不思議な感覚を覚えた俺は、この感情をヒントとして収めようと隣で突っ伏すように座り外を眺める寧々にバレないように自分のスマートフォンを取り出してサイレントモードに切り替え、カメラを立ち上げピントを合わせる。

 

 「・・・・・・?」

 

 アプリのシャッターを切った瞬間、レンズの先で外を眺めていた寧々の視線が不意にこちら側を向いた。

 

 「・・・何撮っているんですか?先生?」

 

 いつもなら曇りのない純粋な瞳で俺のことを視てくる彼女が、珍しく疑心の眼でこの俺を見つめる。

 

 「・・・珍しいなって、思ってさ」

 「珍しい・・・何がですか?」

 

 無論、彼女のような正直者に小細工は通用しないことを分かり切っている俺は、素直に感じたことを寧々に打ち明ける。

 

 「・・・阿笠さんがここまで俺に心を開いた“顔”をしたのを今まで見たことがなくてさ・・・・・・何というか・・・すごく “無防備な感情(かお)”をしていた・・・」

 

 俺が今までで一番の馬鹿正直な気持ちを伝えると、寧々はフリーズしたように静止したまま俺の目を数秒ほど見つめ、そのままいかにも頭上に(はてな)マークが付いているかのように首を傾げる。

 

 どうやらというよりやはりか、俺の言葉は寧々にはイマイチ伝わらなかったようだ。

 

 「・・・・・・ごめんなさい。先生の言葉があまりに“文学的すぎて”私には理解が追い付きませんでした」

 

 そう言い終えると寧々は、姿勢を正して再び視線を外の雑踏へと移す。

 

 自分で言っておきながら“俺は何を言っているんだ”という感情が脳内に入り込んで来た俺は、一旦余分な感情をリセットするため交差点を歩く人の群れに目を向ける。

 

 「・・・別に今のは」

 「変な意味で言ったわけじゃないことだけは分かっています。先生は自分に“正直な人”なのは私も知っているつもりですから」

 

 “今のは変な意味じゃない”と言いかけた俺の言葉を遮り、寧々はあたかも全部お見通しだと言わんばかりに視線を外に向けたまま気持ちを代弁する。

 

 “・・・正直者のあんたがそれを言うか・・・”

 

 俺以上の正直者から正直だと言われる筋合いがあるのかは微妙なところだ。

 

 「・・・あぁ・・・それが伝わったんならいいよ」

 

 だが、何1つの嘘がない寧々の正論を前に、俺はそれを甘んじて受け入れる。

 

 「“無防備な顔”の意味はよく分かりませんでしたが・・・・・・先生からそういうふうに言って頂けて・・・何だかここまで頑張ってきて良かったなって、思いました」

 

 そして正直者の寧々は素直な気持ちを打ち明けると、徐に繁華街の隙間から覗く薄曇りの空を見上げる。

 

 「そうか・・・・・・でも無茶はするなよ」

 

 当たり障りのない励ましを送り、隣に座る寧々と同じように薄曇りの空を見上げながらドリップコーヒーを口へ運ぶと、熱を帯びていたはずのコーヒーが少しだけ温くなっていた。

 

 

 

 「さて、そろそろ行くとするか」

 

 白昼の繁華街を眺めるようにティータイムを送ること約30分。俺たちは席を立ちドリンクを片付けレンタルショップとの境界線となる出入口へ歩みを進める。

 

 「・・・ついに、夕野先生の鑑賞する映画が見れるのですね」

 

 後ろを歩く寧々が、少しだけ緊張したような様子で俺に話しかける。

 

 「何で緊張してるんだよ?もしかして俺の観ている映画がつまらなかったらどうしようとか思ってる?」

 「いえ!そんなことは全く・・・」

 

 この反応から察するに、どうやら俺の勘ぐりは図星のようだ。気を遣って使い慣れない嘘を吐こうとしてもついつい元来の正直さが滲み出てしまうあたりが、何とも彼女らしい。

 

 「・・・取りあえず好みに合わなかったら合わなかったで、“新たに俺の一面を見ることが出来た”ってことにしておけば良いと思うよ。映画や小説の好みなんて人それぞれだからな」

 

 左斜め後ろの彼女に咄嗟に思いついたその場しのぎの言葉をかけるが、俺は自分の選択した映画に後悔していた。

 

 “ハリウッドのアクション映画からの日本のノワール映画か・・・・・・”

 

 もちろん彼女がまさかアクション映画である『諜報員(エージェント)』シリーズを観るとは全く予想していなかった俺は、その時の気分で本当に観たかった映画のチケットを2枚予約していた。

 

 

 

 『微笑の阿修羅-FINAL-』。今から8年ほど前に公開されR15+指定ながら興行収入15億のヒットを飛ばし反響を呼んだ、指定暴力団『百舌組』の構成員にして“微笑の阿修羅”の異名で恐れられるヒットマン・神田威(かんだたけし)を主人公に裏社会で蔓延る抗争や人間模様を描く任侠映画『微笑の阿修羅』シリーズの3作目にして完結編である。

 

 5年前に公開された第2作の続きを描く本作では前作の5年後を舞台に、幹部からこれまでの成果を評価され直系の三次団体にあたる組を任されていた神田が、クーデターによる混乱の末4代目組長・横澤信弌郎(よこさわしんいちろう)が凶弾に倒れた『百舌組』の危機を救うため、クーデターの元凶であり『百舌組』の崩壊を目論む指定暴力団『天城會』との全面抗争に身を投じる・・・というストーリー。

 

 ちなみにこの映画(シリーズ)で“微笑の阿修羅”こと神田威を演じているのが任侠映画御用達のヒール俳優でお馴染みの白石宗(しらいしそう)であることは、もはや説明する必要はないだろう。

 

 元々彼は素の性格に近しい “善人役”ばかりをあてがわれ役の幅が狭いという不等な評価を長らく受けていたが、8年前に公開された第一作で魅せた “優しい笑みで強敵を相手に容赦なく追い詰めていく異質な恐ろしさ”を見事なまでに体現した狂気的な演技で大きな話題を呼ぶと共に “良い人しかできない”というイメージを根底から覆すことに成功し、本人のキャリアにおいても大きな転機となった。

 

 

 

 もちろん“良い人ばかり”を演じていた頃の彼を知っている俺にとっても、初めて観た時の衝撃は中々のものだったが、今はどうでもいい。

 

 “俺としたことが・・・思いっきり選択を誤った・・・”

 

 ただでさえ大迫力な“レオン様とリッキーの死闘(アクション)”を観た後に、“白石宗の狂気”を観る羽目になるとは。しかもどちらも上映時間150分の大作である。

 

 俺からしてみれば、焼肉と大盛りのラーメンと寿司を一遍に食べて空腹を満たすような感覚に近い。一つ一つの味は抜群に美味いだろうが、欲張って一気に腹へ流し込めば確実に胃もたれするだろう。

 

 少なくとも俺にとって映画を鑑賞するということはそういうことだ。同じようなジャンルや同じようにエネルギーを消費する映画を立て続けに観ると、少なからず五感は疲弊する。だから俺は一日に多くて2つ、そしてジャンルを切り替えることを心掛けている。

 

 「そうですよね・・・分かりました。これから先生がどんな映画を観ようとも、私は最後まで飽きずに見届けます」

 「言っとくけどそもそも映画は無理して観るようなものじゃないからな」

 

 そんなことなどつゆ知らずの寧々は、斜め前を歩く俺に向かって決意を固める。

 

 「・・・まぁそんなに覚悟を決めたんなら楽しみにしとけ・・・多分びっくりするから」

 

 彼女の顔を横目で見て覚悟を決めたことを察した俺は、再び視線を前へと戻す。

 

 “・・・ん?”

 

 視線を再び前に戻したその瞬間、明らかに見覚えのある少女がエスカレーターから俺たちの方へと向かって歩いていた。

 

 “・・・何で百城(こいつ)がこんなところに・・・”

 

 帽子に伊達眼鏡にマスクと見事なまでの“変装コーデ”で武装していたが、その少女が百城であることは一瞬で分かった。そして向こうもそれに気付いたのか、俺が百城を認識したのと同時に彼女の視線が俺の目を捉える。

 

 “「(白昼堂々ロクに変装もせずほっつき歩くなんて、夕野さんは大胆だね)」”

 

 と心の中で言ったかどうかは確証が持てないが、目が合った瞬間に百城は俺に向かってそう言いたげにウインクをしてきた。

 

 “「(同じように渋谷(こんなところ)にノコノコとやってきたやつがそれを言うな)」”

 

 そのウインクに、俺は目で言葉を返す。

 

 “・・・?”

 

 更によく見ると、百城は誰かと手を繋いでいる。女友達だろうか?

 

 “『造花は笑う』の撮影開始(クランクイン)までもう時間がないだろうに、渋谷(こんなところ)で女友達と何を呑気に遊んでいやがる・・・”

 

 と心の中で呆れた矢先、俺は百城の隣で手を繋いで歩く女友達の正体に気が付いた。

 

 “・・・彼女どこかで・・・”

 

 

 

 “『カァァァット!!達人かお前は!!「初めて1人でキッチンに立った少女の役」だぞ!?真剣にやれよ!!』”

 “『真剣よ!!味見してみる!?』”

 “『「真剣に作れ」じゃねえ!「真剣に演じろ」ボケ!』”

 

 

 

 思い出した。33歳の誕生日、黒山がプレゼントとして持ってきた“生まれて初めてキッチンに立った少女”のメイキング映像。あの時、画面(ディスプレイ)の中に映っていた彼女の魅せた横顔は、未だに強烈なインパクトとして頭の中に残り続けている。

 

 “夜凪景・・・・・・そんな彼女が何故ここに?”

 

 「ねぇ千世子ちゃん、じゃなかったカレン?ここが噂の・・・何だっけ?

 「“スタバ”だよ。もうほんとケイコって何も知らないのね

 

 “片方”はともかく一応芸能人としての自覚はあるのか、2人が“偽名”を使って互いの名前を読んでいるのが微かに耳に届く。

 

 

 

 “『いずれにしろあの2人が互いを“意識し合う”関係になりつつあるのは“私たち”としても良いことだ』”

 

 

 

 “なるほど・・・・・・そういうことか・・・”

 

 気が付くと俺はその場で立ち止まり、夜凪の姿を目で追っていた。

 

 黙っていれば容姿端麗な美人そのものなのに、一言でも喋り始めたら独特な彼女の“世界観”に周りは振り回され、そしてひとたび芝居に入れば超人的なメソッドを武器にその場の空気を一瞬で掌握する、規格外の役者(怪物)。そんな彼女のバックボーンを支えているのは、どこにでもいる1人の少女の人格を形成したであろう、ありとあらゆる感情の記憶。

 

 

 

 “だが・・・夜凪(彼女)からは何も視えない

 

 

 

 あのCMを観ただけで、夜凪景の全てが分かったはずだった。それぐらい愚直で真っ直ぐな感情だった。だが彼女のことを視ようとする度に、いきなり靄がかかって何も分からなくなってしまう。

 

 現にこうしてすぐ近くにいても、夜凪(彼女)からは何も視えてこない。

 

 

 

 “この感覚の正体は一体何なんだ・・・?

 

 

 

 「・・・せい・・・夕野先生?」

 「・・・・・・おぉどうした?」

 

 さっきまで後ろにいたはずの寧々が目の前で俺の名前を呼び、6月30日に遡っていた意識がふと我に返る。傍から見れば、今の俺は人前で我を忘れて堂々と女子高生をガン見していたことになる。

 

 無論、断じてそんなことは神に誓ってあり得ないが、我ながら最高に気色が悪い。

 

 「どうしたも何も急に立ち止まって入り口の方をずっと見ていらしたので、何か店内に忘れ物でも?」

 

 ただ不幸中の幸いなのは、寧々も含め誰一人そのことに気付いていないということだろうか。そしてさり気なく再び視線を店内に向けるが、2人の姿はとっくに奥の死角に消えていた。

 

 「・・・いや、何でもない。行こう」

 「あ、はい」

 

 ひとまず俺たちは次の映画を観るため、ランドマークを後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『この後は、ブロードキャスト7DAYS(セブンデイズ)。1週間のニュースを、まるごと総まとめ』

 

 夜の10時前。自室のリビングで55型テレビをラジオ代わりにして少し遅めの夕食をテーブルに並べる。

 

 「・・・はぁ・・・」

 

 特に意味のない溜息を吐き、冷蔵庫から缶ビールを取り出し白飯の乗った茶碗の隣に置く。

 

 テーブルの上には豚肉の生姜焼きにカットされたキャベツとミニトマトを適当に添えただけの手抜き飯。元々自炊はするが味や食材には特に拘っていないアラサーの独身男の料理なんて、ざっとこんなものだろう。

 

 「・・・いただきます・・・」

 

 唯一決めていることと言えば、食べる前に食材となった“命”にこうして感謝を述べることぐらいだ。

 

 カチャッ__

 

 命への感謝を述べ、さっそく良い具合に冷えたビールの蓋を開けて流し込むと、特有の苦味とも似つかない味わいが口に広がり、その余韻がスッと消える寸前のタイミングを図って生姜焼きを口へ運び、間髪を入れずに白飯も食らう。

 

 「・・・うん。うまい」

 

 適当に作った自前の料理は特別に美味いわけではないが、こういうそこそこな出来栄えの料理をビールをお供に食べると、普段より2割増しほど美味く感じるのだ。

 

 “・・・取りあえず何事もなく終わって良かったな・・・”

 

 そして不意に俺は、『微笑の阿修羅』のことを再び思い返す。

 

 

 

 “「今までこういう類の映画はグロデスクで残酷なだけかと思っていましたが、何と言うか・・・この映画で任侠映画に対する見方が大きく変わりました。本当に勉強になりました」”

 

 

 

 何が勉強になったのかはともかく、寧々はエンドロールが終わりスクリーンに照明が灯るまで物語から目を離すことなく、最後まで阿修羅の生き様を見届けた。おまけに駅までの帰り際に“「DVDを買って残りの2作品も観ようと思っています」”と言っていたあたり、どうやら思った以上に気に入ってくれたようだ。

 

 「その代わり自分の見地を広げるために映画を観るなら、1つのジャンルに拘らず色んな作品(ジャンル)を観とけよ」

 

 ただこれがきっかけで寧々がノワール映画やVシネマに目覚め過ぎて知識が偏らないように、俺は一応の警告を付け足した。良くも悪くも真面目で従順な彼女のことだから、恐らく真に受けてくれていることだろう。

 

 俺にとって映画鑑賞とは、趣味であり“研究”の意味も兼ねているからだ。

 

 

 

 『こんばんは、夜10時になりました。ブロードキャスト7DAYS(セブンデイズ)、本日も最後までお付き合いください』

 

 映画鑑賞を思い返しながら、俺は土曜夜10時のニュース番組に半ば視線を向けつつ夕飯を口へ運び続けていたが、次にメインキャスターの放った言葉で俺は思わずその手を止めた。

 

 『さて江連さん?今日の午後にとある大物若手女優の方が渋谷に出没してちょっとした騒ぎになったことはご存じでしょうか?』

 『そりゃあもちろん知ってますよ~、でもすぐ言っちゃったらつまんないからパスで』

 『あの江連さん、別にクイズ番組をやっている訳ではないので答えを言って頂いても大丈夫ですよ』

 『逆に斎川さんはどうです?分かります?』

 『えぇ~大物若手女優、ですよね・・・え~誰ですかね?まず若手ってだけで相当数いますからねぇ~』

 

 番組のメインキャスター2人を中心にコメンテーターをも巻き込んだ茶番が展開される中、俺はその大物若手女優が誰なのかが直ぐに分かった。

 

 『大物若手女優という表現はちょっと正しくなかったかもしれないですね・・・ヒントは、“天使”です』

 『それモロ答えじゃないですか東さん』

 

 「?」

 

 メインキャスターの1人がほぼ答え同然のヒントを言うのと同時のタイミングで、テーブルの端に置いていたスマートフォンが鳴った。

 

 

 

 “百城千世子

 “おつかれさまです”

 

 “百城千世子が「夜凪さん」アルバムを作成しました”

 

 

 

 「・・・あいつ・・・」

 

 ホーム画面に表示されたアプリのトークメッセージに、思わず溜息交じりの声が漏れる。

 

 “・・・こんな時に何やってんだよ・・・”

 

 心の中で毒を吐き、このリビングで1対1の話し合いをした時に交換して一言だけ挨拶を交わして以降ご無沙汰になっていた百城のトークを開き、彼女の送ったアルバムを開ける。

 

 “・・・夜凪景・・・”

 

 そのアルバムの中に写っているのは、センター街で口にクリームが付いたままクレープを食べ歩く夜凪、カラオケルームで何かを歌っている夜凪、百城と一緒に仮装して慣れないピースをプリクラのカメラに向ける夜凪、ゲームセンターで真剣な横顔でUFOキャッチャーをプレイしている夜凪・・・・・・etc.

 

 「ただの休日じゃねぇか」

 

 百城が送って来たアルバムに入っていた数十枚の写真の正体は、普通に休日を満喫する17歳の少女を時系列に写した“プライベート”だった。

 

 正直言って夜凪にだけ送ればいいような “内輪ネタ”を俺に送られたところで、どうしろと言うのだろうか。

 

  “ん?・・・この写真は何だ・・・?”

 

 そんなアルバムの一枚目の写真に、俺は思わず再度目を止める。その写真が視界に入った瞬間、百城がなぜ俺にわざわざこんな“意味のなさそうな”アルバムを送り付けたのか、その意図が分かり始めた。

 

 

 

 

百城千世子

 LIMEオーディオ

 

 

 

 「・・・何だよ」

 

 思考回路を一時的にシャットアウトするような形で、そのアルバムの送り主から通話が掛かる。全く、さっきからタイミングのいい奴だ。

 

 「ハイ夕野です」

 『お疲れ様です、先生』

 「気安く先生と呼ぶな」

 

 開始一秒、無駄に澄み渡った綺麗な声色が受話口(スピーカー)を通じて鼓膜に纏わりついてくる。メッセージではなく敢えて通話で掛けてきたのは、言い逃れできないようにするためだろうか。

 

 「それよりちょうど今ニュースでやってるけど渋谷で変な騒ぎを起こしたらしいじゃないか?」

 

 ちょうどその時ニュースでは、渋谷で起こった騒ぎのトピックを解説していた。

 

 『えっ?あ~あれね』

 「あれねじゃないだろ余計な真似しやがって」

 

 メインキャスターの解説曰く、俺と寧々がコーヒーを飲んだあの2階の店で百城が突然変装を解いてセンター街を歩く人混みに手を振り、その画像や動画がSNSを通じて拡散されて行き、瞬く間にトレンドを独占したという。当然俺は寧々と共に映画を観ていたこともあり、今この瞬間までそのニュースを知らなかった。

 

 『随分と心配してくれるんだね夕野さん?』

 「当たり前だ。このタイミングで仮に問題を起こされたら“こっちの仕事”に悪影響が出るだろうからな」

 

 しかし当の本人はというと、全くの他人事のように受け流すばかりだ。今日のような騒ぎは一回ならまだしも、何度もああいう不必要な騒ぎを起こされたら溜まったものではない。

 

 “俺たちの映画”が絡んでいる現状を踏まえれば、尚更だ。

 

 『・・・うん。まぁあれは私もちょっとやり過ぎちゃったって思ってるよ』

 「ちょっとどころの話じゃないと思うぞ」

 

 スピーカーの向こうで百城は一応の反省を述べるが、そこに後悔という感情はない。

 

 『でもこうでもしないと“夜凪さん(ともだち)”がいつまでもグズグズしたままだったからさ・・・もちろん私だってただ遊ぶために渋谷に行ったわけじゃないし』

 

 反省を述べたのち、百城は渋谷に来た本当の理由を明かし始める。無論、彼女が只々一緒に休日を満喫するためだけに夜凪を誘うわけがないことは、すれ違ったあの段階で予想はしていた。

 

 「・・・役作りか・・・人を殺したことをひた隠して友人と遊ぶ女子高生を演じるための・・・」

 

 少し考えてみればそう難しいことではない。“普通”を装う感情を知るには、“役作り”をしていることを隠して“友達”と普通に遊べばいいだけの話だ。

 

 『・・・あぁ・・・確か天知さんから“造花は笑う(あの映画)”の話を聞かされてるんだっけ・・・そりゃあ分かって当然だよね』

 「何だ知ってるのか?」

 『ご本人からついでで教えてもらった』

 「・・・なるほどな」

 

 ちなみに『造花は笑う』の件を俺が把握していることも百城には筒抜け、もとい天知から事情を一通り聞かされているらしい。いかにも用意周到で抜け目もない天知(あいつ)らしいやり方だ。

 

 『・・・それよりアルバムの中身はちゃんと見てくれた?』 

 「アルバム?・・・送ってきたやつのことか?」

 

 すると今度は送られてきたアルバムの話に半ば強引に移される。百城の口調からして、こっちが“本題”なのだろう。

 

 「・・・わざわざ何の関係もないはずの俺に“友達”の写真を送り付けたってことは、何か意味があるってことだな?」

 

 百城と通話しながら右上のアイコンを押してトーク画面に戻り、アルバムを開いて写真の中の夜凪を再び視る。

 

 『うん。そうなるね。何でだと思う?』

 

 人の神経を逆撫でするかのようなわざとらしい口調で、百城が逆質問を仕掛ける。これが“わざと”なのは分かっているが、分かっていてもイラっとくる。

 

 「・・・さぁな、俺にはさっぱりだ」

 

 恐らく百城はすれ違った時、俺が夜凪の感情を視ていたことに気付いている。一見何の意味も持たないような夜凪のプライベートを写した写真を俺に送り付けたということが、揺るぎない証拠だ。

 

 『・・・ホントは全部分かってる癖に・・・夕野さんは大人げないなぁ』

 

 

 

 “・・・人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“炎”というものは美しいと思わないか?・・・

 

 

 

 記憶の中からすっかり剥がれ落ちてしまった小説家の男が言っていた、俺の記憶の中に残り続けている唯一の言葉と、謎の絵画が意味する“感情”。その意味にものの数秒で辿り着いた百城の勘の鋭さを考慮すれば、決してあり得ない話ではない。

 

 「・・・何であんたら女優って生き物は喰えない連中ばっかなんだか」

 『フフッ』

 

 俺の放った皮肉に、スピーカーの先から挑発するような小悪魔的な笑みが返って来る。

 

 『これでも一応、コーヒーを頂いた時の恩返しのつもりだったんだけどなぁ・・・やっぱりこれだけじゃ先生は満足できないかぁ~』

 「・・・恩返しか・・・・・・じゃあせっかくだから、俺の方からも1つだけ“ためになる話”を聞かせてやる・・・」

 『・・・うん。聞かせて』

 

 役者として生きるという“宿命”を課せられた人間は、誰も彼もが多少なりとも“狂っている”。自ら進んで別人を演じるということは、そういうことだ。

 

 「・・・1つの物語を作り上げていくピースは、ふとした日常に転がっている。ヒントになるものはどんな些細なものでも利用する。それが例え他人の人生であっても・・・

 『・・・・・・何の話?』

 

 

 

 “百城を視ていると・・・・・・やはり“あいつ”の姿が脳裏にちらつく・・・”

 

 

 

 「・・・・・・俺たち“芸術家(アーティスト)”の生き様の話だよ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 『・・・・・・あんたもそうだろ?・・・百城?

 「・・・・・・さあ?・・・どうでしょう?

 

 

 

 自身が小説家で在るための“座右の銘”を用いて夜凪の感情を視たことを打ち明けた憬に、千世子は昨日の深夜にこっそり撮った布団でぐっすりと眠る夜凪の寝顔眺めながら不敵な笑みを浮かべた。

 




「上手く行かないもんやな、人生。」

そう嘆いてみても、社会という世界を前にすれば全てが言い訳になってしまう。

2年目を迎えてから、溜息の数は倍以上に増えた。2年目を迎えてから、俺は社会に適合できない側の人間じゃないのか?と自問自答する回数も増えた。

2年目を迎えても、イレギュラーな事態には全く対応できない。社会人として生き続けていく不安というものは、減らないどころか日に日に大きくなっていく。

それでも生きるためには社会で働き続けなければならないし、衣食住の揃った生活を続けるためには嫌でも気持ちは切り替えなければならない。

だったらこんなの書いてないで本業にもっと力を入れろと言われても仕方ないかもしれない。そもそもこれは単なる甘えなのかもしれない。実際にそれを言われたら何も言い返せない。でも書かなかったら自分を出せる場所もない。

この状態が続くことは決して身体にも心にも良くないことは分かっているけれど、これが今の現状。それでも自分を出せる場所があるおかげでどうにか俺は自分を保てていることだけは確かだ。

そもそもこうして自分の書いたものを表現できる時間を何とか確保できている時点で、俺は本当に恵まれているのかもしれない。

ということで、今日はこの場を借りておもくそに愚痴を吐いてしまい本当にすみませんでした。

それと引き続き超個人的な見解ですが、仕事が楽しかろうが辛かろうが、とにかく何でも良いので自分という存在を自分勝手に発揮できるもう一つの居場所を作ってみてください。お金にならなくても、誰かのためになるようなことじゃないとしても、そういう居場所を作って発散することは生きていく上で絶対に必要なことだと思います。













新社会人のみんな、“自分のペース”で生きろ。


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scene.41 それぞれの夜

 その人は、撮影スタッフの人たちが忙しそうに動き回るセットのど真ん中で、どこかを見るわけでもなく、無機質な病室のセットの天井をただ見上げていた。

 

 何を思ってこんなことをしていたのかは全く分からなかったが、無心になって真っ白な天井を見上げるその人の横顔は、子供心ながら今まで見たことがないくらいに純粋で綺麗だった。

 

 “「それではテスト入ります!」”

 

 助監督の合図がかかると、その人は目を閉じて下を向き立ったまま眠っているかのような姿勢で数秒ほど静止して、ゆっくりと目を開けた。

 

 “その瞬間、撮影現場全体の空気が一気に変わった

 

 ほんの数秒ほど前まで透き通るようなハイライトのかかっていた(あか)い瞳は一瞬で光を失い濁りきり、纏う空気から“正気”の二文字が消え失せた。生まれて初めて目撃した、1人の人間が別人に切り替わる瞬間。人知を超えた領域に立つ、“本当の役者”。

 

 “・・・これが役者・・・”

 

 カメラが構えた先にある、女性の顔のデッサンが描かれたスケッチが置かれたベッドテーブルのついた病室のベッドにその人が座ろうと振り返った間際、不意に私と目が合った。

 

 “「・・・!!」”

 

 病室のドアの先、スタッフや機材を挟んだ向こう側にいるはずなのに、まるで鼻先まで顔を近づけられたかのような錯覚に襲われ、私はその場で尻餅をついた。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 主人公と生き別れた年の離れた妹役で出ている私を、勉強がてら撮影の見学に連れて行ってくれた助演の共演者から差し伸べられた手を掴み、立ち上がったところで隣に立つ共演者の人は私にこう言った。

 

 「・・・もし阿笠さんがこのまま女優さんになりたいと本気で思っているなら、この世界には“こういう”役者もいることを覚えておいてください」

 

 

 

 “本当の役者”というものをこの目で見たあの日が、今の私にとっての原点(ルーツ)になった。

 

 

 

 

 

 

 「ただいま」

 

 夜の10時前。下北沢の外れにある2DKに、徒歩圏内で行われていた深夜ドラマの撮影(ロケ)を終えた美々が帰宅した。

 

 「おかえり、シチューもうすぐできるから」

 

 美々が洗面台で手洗いを済ませリビングに向かうと、姉の寧々が夕飯のシチューとサラダを食卓に並べながら、撮影で少し疲れた様子の美々に気丈に声をかける。

 

 この2DKの部屋で、寧々と美々の姉妹は2人暮らしをしている。

 

 「・・・ていうかお姉ちゃんまだ食べてなかったの?」

 

 床座の食卓に置かれた二人分の夕食が視界に入った美々が、どこか心配そうに寧々に声をかける。

 

 「うん。だってこのところはお互い仕事で時間が合わなくて一緒に夕飯を食べれてなかったからさ。やっぱり料理は1人で食べるより誰かと食べる方が美味しいし」

 

 心配する美々に笑顔で答えながら、寧々は2人分のスプーンとフォークの入ったコップを食卓に置く。

 

 「・・・そっか。ありがと」

 

 

 

 小さい頃から本を読むのが大好きで、性格も明るく何でも器用にこなす姉の寧々に対して、妹の美々は何に対しても無頓着で習い事も長続きせず、手先が不器用で家族以外の人前では殆ど言葉が出なくなるような人見知りの激しい引っ込み思案の子供だった。

 

 そんな引っ込み思案な性格を克服することと自分に自信をつけるために、両親と寧々の勧めで美々は6歳の時に児童劇団に入団した。一家にとって入所金に加え月3万円のレッスン料は決して安くはなかったが、劇団での稽古などを通じて美々は少しずつ人見知りを克服していった。

 

 転機となったのは美々が8歳の時、ある映画のオーディションで主人公と生き別れた年の離れた妹の役を勝ち取った時のこと。出番自体は終盤だけで少なかったが、この映画の撮影で主人公を演じた役者の芝居を間近で観たことがきっかけで美々は自らの意思で女優になることを決意して、芸名を本名から“阿笠みみ”に変えて今に至る。

 

 ちなみに名前をひらがなにした理由は、“先ずは名前を覚えてほしい”からである。

 

 

 

 「何かごめんね、私が不器用で頼りないばっかりにお姉ちゃんに無理させちゃって・・・せっかくの休みなのに」

 

 名前を“阿笠みみ”に変えてから10年が経ち、美々は繊細かつ没入度の深い演技を武器に今年のブルーリボン賞で助演女優賞を受賞するなど、芸能界では“ブレイクが期待される若手演技派女優”として注目されるまでになったが、彼女も家に帰れば包丁をまともに扱えず卵を割るのも一苦労する不器用な妹だ。

 

 「全然無理なんかしてないよ。こういうのは好きでやってるから」

 「うん。それは知ってるけど」

 「それに美々だって自分の部屋の掃除とかゴミ出しはちゃんと出来るようになったし。この前なんか洗濯もやってくれてたじゃん。洗剤の量を間違えて大変なことになったけど」

 「あれはほんとにごめん」

 

 料理はできない、良かれと思ってオフの日に挑戦した洗濯でも洗剤の量を間違えて泡だらけにしたりと、芝居以外のこととなるととことん不器用で頼りない美々のことが、寧々にとっては妹として愛おしくて仕方がないのだ。

 

 

 

 と、ここで一旦補足として余談を挟むが、美々は“役に入った状態”であれば演じる役柄によるものの家事全般はそれなりにこなすことができる。

 

 

 

 「とにかく美々には“美々にしかできない”ことがあるからさ。家族といる時くらい何も気にせずありのままでいていいんだよ。私は楽しそうにお芝居をしている美々がいるだけで十分幸せだから」

 

 美々もまた、仕事が忙しい中でも辛い顔ひとつ見せずに不器用な自分に代わって家事をこなす寧々に負い目を感じていていながらも、いざ自分の住む部屋に帰って毎回“おかえり”と言ってくれる寧々を前にすると、“自分の居場所”に帰れた気がしてつい甘えてしまう。

 

 「じゃ、冷めないうちに食べようか」

 「そうだね・・・いただきます」

 

 そんな正反対で似た者同士な2人は食卓に並んだ夕飯を口に運び、久しぶりの2人揃っての夕食を食べ始める。

 

 

 

 

 

 

 「美々?ドラマの撮影はどう?」

 「えっ?・・・まぁ、撮影自体は順調かな」

 

 寧々の手料理を口へ運びながら、美々は少しばかり悩まし気に答える。

 

 美々は今、東京テレビジョンで来月から深夜0時のドラマ枠で放送される予定の深夜ドラマの撮影に臨んでおり、つい先ほど第1話の撮影が終わったところだ。

 

 「・・・でも自分の芝居には全然手ごたえがないんだよ」

 

 美々の演じる役柄は主人公の相手役である小演劇の劇団を主宰する青年の隣の部屋に住む女子大生で、劇団の常連客でその青年に密かに好意を抱いているという役。物語の本筋に直接的に絡むことはない助演の役だが、ドラマではほぼ全話に渡って何かしらの出番があるような所謂“準レギュラー”のような立ち位置の役である。

 

 「和泉(いずみ)監督や真太郎(しんたろう)さんは“良かった”って私の芝居を褒めてくれたけど、自分の中じゃまだ全然でさ」

 

 だが美々は自分の芝居には全くもって納得していなかった。

 

 「・・・こんなんだから民放ドラマの仕事はやりたくないんだよね」

 

 そもそも私は、テレビの仕事が好きじゃない。特に民放のドラマは1シーンに当てられる撮影時間が映画の半分ほどで稽古をする時間なんてほとんどなく、純粋に芝居の喜びを味わう余韻もない。

 

 それでもマネージャーや事務所からの勧めで“経験を積む”ためにこのような民放ドラマの仕事を、脇役や端役でこれまでに何回も引き受けて来た。きっと食わず嫌いなだけでそのうち好きになれるだろうと思っていたが、時間(スケジュール)の流れが早すぎて芝居に拘るには時間が足りず、結局私にとってテレビの仕事は全力を出し切れない“悶々”とした時間として胸に刻まれた。

 

 「・・・やっぱりいちいち急かされるような現場は嫌だよね・・・」

 

 ちなみに私が何度も稽古を重ねながらゆっくりと着実に役を落とし込むような役作りをすることを本来は好んでいることを、寧々は知っている。

 

 「うん。嫌だよ。時間に押されて満足に全力を出し切れないのにOKを出される自分が雑魚みたいに思えてくるから・・・・・・ホントに嫌になる」

 

 だから私は思っていることをオブラートにせずそのまま伝える。決して自分のことを過信しているわけじゃないが、限られた時間で合格点以上を出せるだけの自負はあるから、ドラマの撮影自体は映画の撮影と同様にどれも順調にこなすことは出来ている。

 

 「・・・それでもドラマの仕事はこれからも引き受けるべきかな・・・お姉ちゃんはどう思う?」

 

 

 

 “それで周囲から合格点を貰えたとしても、自分の中の芝居を全部出し切れなければ無意味だ

 

 でもそんなもの、口にしたところで実力を出し切れない自分への単なる言い訳だ。

 

 

 

 「・・・・・・何で私はこんなことをお姉ちゃんに聞いてるんだろ」

 

 無意識のうちにまたしても寧々を頼ってしまった情けない自分を、脳内で即座に呪う。

 

 「・・・私は美々の好きなようにやればいいと思うよ。無理にドラマの仕事をしなくても、映画とか舞台だってあるし。思い切って事務所に直談判してみたら?」

 「直談判って・・・上手くいけばいいけど実際はそんな簡単な話じゃないのはお姉ちゃんだって知ってるでしょ?」

 

 もちろん自分の意思をはっきりと事務所の人間に伝えることは簡単だ。でもそれを二つ返事で了承してくれるほど、芸能事務所は甘くない。スポンサーを含めありとあらゆる大人達がそこに絡んでいる以上、“はいわかりました”で意見がすぐに通ることは少ないからだ。

 

 “『先ずは女優としての“実績(キャリア)”を着実に築いてください。本当に()りたいことをやるべきなのは、それからです』”

 

 現に事務所の社長からは何度も、こういう感じに釘を刺されている。

 

 「やっぱりいきなり“ドラマに出たくない”って言うはハードルが高い?」

 「当たり前じゃん。“あの人”からしてみればまだまだ私は発展途上だろうしさ」

 

 社長が私の将来のことをしっかりと考えてくれていることは分かっている。ブルーリボン賞で助演女優賞を受賞した時は心の底から私のことを祝福してくれた恩人でもあるから、人として純粋に尊敬もしている。

 

 ブルーリボン賞やアカデミー賞で賞を獲ることがどれほどキャリアにおいて価値があることなのかも、痛いほど分かっている。

 

 でもそれ以上に、私はただひたすらに自分の芝居を思う存分追求したい。ただそれだけの理由で、私は女優という仕事を腐らずに続けている。

 

 

 

 “私が目標にしている、“あの2人”に近づけるように ”

 

 

 

 「・・・じゃあ大河ドラマとかは?」

 

 どうやって自分の示したい方向性を直談判しようか考えていた私に、寧々が1つの提案をする。

 

 「大河ドラマ・・・・・・“キネマのうた”・・・」

 

 寧々の口から“大河ドラマ”という単語が出てきた瞬間、心の底からなるほどと思った。大河は民放のドラマとは違い稽古も入念で作品自体がどれも面白く、大作映画やゴールデンタイム枠のドラマで主演を張るような俳優が何十人も一堂に会する規格外のドラマ。

 

 単純に役者として芝居の見地を大きく広げられるばかりか、大河に出演するということは俳優にとって何より大きな“実績(キャリア)”になる。まさに一石二鳥だ。

 

 「・・・取りあえず今度マネージャーに相談してみる」

 

 しかも大河と言えば、つい先月に再来年に放送される『キネマのうた』で環蓮さんの主演が決まったばかり。女優が大河ドラマの主演を飾るのは8年ぶりになる。更に戦後までをも描く大河ドラマとなると、30年以上前まで遡ることになる。

 

 こんなに挑戦的かつ魅力的な作品に出られるチャンスは、そう巡ってこない。

 

 「・・・でも・・・何か悔しい・・・」

 「悔しいって?」

 「・・・何で前から知ってたのに、お姉ちゃんから言われるまで頭の中から出てこなかったんだろうって・・・」

 

 前々から知っていたのに、どうして頭の中から出てこなかったのか。そんな自分に少しだけ悔しさが滲む。そして食卓に流れる、何とも言えない少しの沈黙。

 

 「・・・あぁごめん。せっかく私にアドバイスしてくれたのに、悔しいって言うのはおかしいよね?」

 

 数秒後、何とも言えない沈黙に耐え切れず、また寧々に余計な気を遣わせてしまった自分を再度呪う。

 

 「・・・フフッ」

 「・・・何?」

 「美々って本当に正直だよね。思いっきり“お姉ちゃんに先に言われて悔しい”っていうのが顔に出てた」

 

 そんな私に寧々は気を遣うことなく“素のまま”で微笑みかけると、逃げ場のない図星をダイレクトに突いてきた。

 

 「なっ・・・それを言うならお姉ちゃんだって似たようなもんでしょ」

 

 図星を突かれた私は、思わず少し感情的になる。本当に、私は小さい時からずっと“お姉ちゃん”には敵わない。

 

 「ていうか、お姉ちゃんにだけは“正直”って言われたくないね。そこだけはホントにムカつく」

 

 どんなに私が悪態をついても、寧々はそれを肯定も否定もせずに優しい笑みで全部受け止めてくれる。そこに何1つの“嘘がない”のが、尚更タチが悪い。故に私は、その優しさに甘えてしまう。このままじゃ駄目だと思っていても、何度もそれを繰り返してしまう。

 

 「・・・確かに大河ドラマのことが先に思い浮かんだのは私かもしれないけど、大河ドラマのオーディションを受けたいって事務所の人に言うかどうかは、最終的には美々が決めることだからね。もしそれで『キネマのうた』で役を貰えたとしたら、それは100パーセント美々の実力と手柄だよ。私は何もしていないし、ね?」

 

 私の愚痴を一通り聞いた寧々は、愚痴が終わると半ば茶化すように私に笑いかける。

 

 「・・・はぁ・・・先に思いついたら完璧だったのにな」

 

 それにつられるように、悪態をつき終えると同時に私も思わず笑ってしまった。私にとって寧々といる時間は、本当にありのままの自分でいられるかけがえのない瞬間(もの)だ。

 

 「ねぇ・・・」

 

 

 

 “そう言えば夕野さんとはあれから会ってたりする?

 

 

 

 「私、絶対『キネマのうた』に出るから

 

 そんな寧々に、私は初めてをついてしまった。どうして咄嗟に嘘をついてしまったのか、自分でも分からない。

 

 「・・・うん。私も美々のために微力だけど全力で応援する」

 

 でも嘘をついたこと以上に、怖いくらいに初めての嘘がスムーズに口から出てきた自分自身に驚いた。そして肝心な時に限って鈍感な寧々は、私のついた“初めての嘘”に全く気付かない。

 

 「・・・ありがとう」

 

 結局この日の夜は罪悪感とも似つかない初めての感情に魘され、撮影で疲れていたはずなのにあまり眠れなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 0時を少し回った頃、シャワーを済ませた憬は書斎でシナリオを添削していた。

 

 

 

 仮タイトル:『二人芝居(ふたりしばい)

 

 可愛さと美しさが合わさった美貌と圧倒的な演技力で18歳ながら国民的な人気を得て、子役時代から常に第一線で活躍する人気女優、桜庭美耶(さくらばみや)。3歳から両親に勧められる形で芸能界に入った美耶は、自分のことを応援してくれる家族や周囲からの期待に応えたい一心で、必死にレッスンを学び着実に演技力を付けていった。そしてその才能は8歳の時に出演した朝ドラで一気に開花し、美耶は一躍人気子役として大ブレイクした。仕事も一気に増えてテレビやスクリーンでしか見たことのなかったスターに会える機会も増え、全てが順調に進んでいるはずだった。しかしその裏で仕事により発生する莫大な印税、そして自営業として生計を立てていた父親の会社が軌道に乗り始めると、家族の歯車が徐々に狂い始めていく。

 

 子役としてデビューした当初は純粋に美耶のことを応援していた両親だが、子役としてブレイクし仕事や出演作品などで莫大な印税が入ってくると、両親は次第に自分のことを「金儲けの道具」のように扱い始めたため、両親との心の距離は徐々に離れていった。また女優としての仕事の関係で学校を欠席することも多く、美耶の人気が高まるにつれ普通の友達として接していたクラスメイト達との関係にも、いつしか芸能人とその他のような壁が出来てしまい、気が付くと美耶は1人になっていた。

 

 そのような経緯があり、高校ぐらいは普通に過ごしたいと感じるようになった美耶は、中学3年に上がった時に「一旦女優をやめて学業に専念したい」と思い切って両親に相談したが猛反対され、言い争いの末に堪忍袋の緒が切れた美耶は「どうせ私は金儲けの道具なんでしょ?」と激昂する。

 

 そしてそれを聞いた母親は「女優じゃなくなったあなたに、何の価値があるの?」と冷徹に自分の行いを正当化し、父親も「勘違いしないで欲しい。僕たちは女優を頑張っている美耶のことを素直に応援しているだけなんだ」とありきたりな言葉で終始誤魔化され全く取り合って貰えなかった。この出来事がきっかけで美耶は両親に対して完全に心を閉ざしてしまい、心の中に両親への“殺意”が芽生えるようになる。

 

 それから1年後、美耶は芸能コースのある高校に進学して“殺意”の根源だった両親の元を離れ1人暮らしを始めると、“殺意()の感情”から逃れるように女優としての活動により一層没頭していく。だがそれでも自分の部屋に戻れば両親の姿がちらつき、感情に押しつぶされて涙が止まらなくなってしまう。

 

 今こうして涙を流しているこの瞬間にも、努力の結晶の一部は金となりあの2人の懐へ入っていく。だからといって金で全てが解決したところで、この傷が癒えることは全くないだろう。

 

 “両親のことを殺してやりたいほど恨んでいる自分と、子役として売れていく前の優しく温かかった頃の普通の家族に戻ることを願っている自分がいて、どうしていいかわからない

 

 自分を“金儲けの道具”のように扱い続ける両親への明確な殺意がありながら、そんな両親のことを恨んでも恨み切れずにいる自分自身に対する、どうすることもできない苛立ち。それは女優として寝る暇すらないほど忙しくなっても消えないばかりか、日を追うごとに美耶の心を蝕んでいった。

 

 そんな美耶にとって、苦しみを忘れされてくれる“芝居”が自分の身体と心を繋ぎとめてくれる唯一の“命綱”だった。

 

 こうして美耶は誰もが羨む栄光の裏で、人知れず終わりの見えない“苦痛”に苛まれながら人気女優として表舞台に立ち、疲弊しきった心を芝居で騙し続ける日々を送り続けていた。

 

 「桜庭美耶です。よろしくお願いします」

 

 ある日、美耶は若手ながら“鬼才”として国内外から高く評価されている劇作家の星名陸生(ほしなりくお)が演出を手掛ける2人芝居の舞台『()す』で、星名自らの指名(オファー)で初舞台にして主演の1人に抜擢される。

 

 「八岐灯夏(やぎとうか)・・・よろしく」

 

 そしてもう一人の主演で美耶の相手役となるのは、メソッド演技を武器にした役の人格がそのまま乗り移ったかのような没入度の深い芝居と、“孤高の天才”と称される独自のカリスマ性で数多くの賞を総なめにしてきた同い年の舞台女優、八岐灯夏(やぎとうか)。彼女もまた、美耶と同様に人知れず心に深い傷を抱えながら芝居に明け暮れる日々を送っていた。

 

 

 

 傷だらけの心で芝居をする2人の女優は、二人芝居の役作りや稽古を通じて互いの傷に触れ、惹かれ合っていく・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・駄目だ・・・続きが書けない・・・」

 

 百城と会った日の夜にハイになって書いたシナリオはとても人様には見せられない“怪物”だったが、添削を重ねてどうにかある程度はまともなシナリオになった。

 

 だが依然として、この物語の行く末が一向に思いつかない。八岐灯夏との愛にも似た共依存を通じて描く、“桜庭美耶(1人の女)物語(生き様)”。

 

 「・・・はぁー・・・」

 

 少しでも油断をすると、溜息という名の苛立ちが溢れ出す。手応え自体はある。だがこの物語の着地点が一向に見える気配がないという、もどかしさ。

 

 もしかするとこれは、作家人生で最大級のピンチなのかもしれない。あるいは考えたくはないが、単純に才能と実力が枯渇し始めているのだろうか。

 

 汚い話、別に書かなくても節約をすれば十二分に死ぬまで衣食住には困らないぐらいには余裕はある。だが、そうやって惰性だけで己の生涯を閉じるということほど惨めで哀れなものはない。

 

 “・・・こんなに苦労してたか?・・・俺?”

 

 元々俺は物語をこうして具現化するまでは時間がかかる方だが、ひとたび“手応え”が掴めればそこからは比較的順調なペースで結末まで書くことが出来た。それは『hole』までの作品でも同じことだった。だが今回ばかりは、そう上手くは行かないみたいだ。

 

 “・・・それもこれも、夜凪(彼女)のことが何も視えないせいなのだろうか・・・”

 

 俺は執筆を中断して、スマートフォンを立ち上げアルバムに保存した夜凪のある写真に目を向ける。恩返しとして物語の“材料(ネタ)”を送ったつもりであろう百城の作成したアルバムの一枚目にあった、自分の布団でぐっすりと眠る夜凪の寝顔。ちゃっかり夜凪の家に百城が泊まっていたという事実は一旦置いておくとして、この写真だけは何故か他とは違う“異質”さを感じていた。

 

 一見すると、それは他の写真と同じように夜凪の日常(プライベート)を撮った1枚に過ぎない。だがこの寝顔を見ていると、説明のつかないもどかしい感覚に苛まれそうになる。

 

 “・・・もしや・・・”

 

 ふと寧々のことが頭によぎった俺は、スタバで撮った彼女の“無防備な感情”を捉えた写真を見る。

 

 “・・・誰の感情(こと)も意識していない、無防備な感情(かお)・・・

 

 俺は初めて、本当の意味で夜凪の感情を視た。それと同時に、真剣に作るという意味を馬鹿正直に解釈し、慣れた手つき具材を調理する彼女を思い浮かべた時に降りかかった靄の正体も少しではあるが分かり始めた。

 

 “・・・彼女は“誰か”のために自分の感情を使って生きてきた・・・となると靄はその正体なのか・・・”

 

 だが無防備な感情で眠りに就いている夜凪を視ても、そこから先にはやはり靄がかかって辿り着けない。そして靄の先が視えてこなければ、本当に描くべき物語は生まれない。

 

 この時点で推測できるのは、“誰か”というのが夜凪の生い立ちに関連しているということだろう。

 

 “・・・墨字なら何か知っているだろうか?”

 

 頭の中で黒山の姿が浮かんだ矢先、まさに狙って図ったタイミングでその黒山からトークが来た。先ほどの百城といい、こうやって絶妙なタイミングで立て続けにメッセージを送り付けられると、こいつらは俺のことを監視でもしているんじゃないのかという要らぬ疑念が頭の中を一瞬だけよぎる。

 

 “『近いうちにどこかで飲めるか?』”

 

 「・・・どいつもこいつも」

 

 少しばかり警戒しながら確認した黒山からのトークの内容は、飲みの誘いだった。

 

 「・・・ちょうどいいか」

 

 これを見た憬は飲みの誘いに乗るついでに、序盤の展開と登場人物の生い立ちがどうにか形になった状態の第一稿(プロット)を黒山に送った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 深夜2時。『造花は笑う』の台本や自ら作成した“資料”が乱雑にばら撒かれた寝室のベッドの上で薄暗い照明に照らされながら、千世子はスマートフォンに保存した夜凪の写真を眺めていた。

 

 

 

 “「私が千世子ちゃんに・・・ううん・・・カムパネルラになれるとは思えない・・・・・・」”

 

 

 

 「ちょっと“アドバイス”が過ぎたかな・・・・・・」

 

 自分自身がとっくに“カムパネルラである”ことに気付くことが出来ずに1人で勝手に壁を作って落ち込んでいた夜凪のことを思い浮かべながら、千世子は自虐的に言葉を吐き出す。

 

 

 

 “「・・・うん」”

 

 

 

 悩みの種を私が身をもって振り払ってあげた後に見せた、夜凪さんの表情。ほんの数秒前までは本気で降板すら考えるほどひどく落ち込み切羽詰まっていたスカーレット色の瞳に、一筋の光が射した。

 

 目の前に立ちはだかる到底越えることのできない壁を乗り越える瞬間。私はまた、夜凪さんを成長させてしまったかもしれない。遅かれ早かれ、その“ツケを払う”瞬間もいつかは来てしまうかもしれない。

 

 “もっと早く、夜凪さん(あなた)のような存在(ひと)に会っていたら私は・・・”

 

 “嫉妬してるの?

 

 頭の中にいる“もう一人の自分”が、ベッドの上で膝を抱えた体勢で夜凪さんの写真を視ている私の肩に手をかけ、話しかける。

 

 “まだわからない”

 

 そんな自分に、私は一言だけ答える。私にとって夜凪さんは、一体何なのだろう。

 

 「でも“こんなところ”で燻ったままじゃ・・・私は夜凪さん(あなた)を許せない・・・」

 

 プリクラで撮った写真に写る、不器用な微笑み。私にとってはとっくの昔に捨ててしまった、純粋な感情。

 

 

 

 “「行って」”

 

 

 

 芝居は仮面(ウソ)の積み重ねだとずっと信じ続けながら生きてきた私に、“嘘を吐かなくとも芝居は出来る”ということを教えてくれた。これほど“たにん”を喰いたいと思ったことは、今まで一度もなかった。

 

 

 

 “そうか・・・・・・私は夜凪さんのことが・・・・・・

 

 

 

 「・・・だったらもっと夜凪さん(あなた)のことを好きにさせてくれよ・・・・・・カムパネルラ・・・

 

 千世子は昨日の深夜に撮った布団でぐっすりと眠る夜凪の寝顔に言葉をかけ、スマホの画面を閉じてぼんやりと目を開けたまま仰向けになる。

 

 

 

 “『・・・1つの物語を作り上げていくピースは、ふとした日常に転がっている。ヒントになるものはどんな些細なものでも利用する。それが例え他人の人生であっても・・・』”

 

 

 

 そして夜凪さんを利用しようとしている人は、何も私だけじゃない。スタバの前ですれ違った時、夕野さんはずっと夜凪さんのことを視ていた。たまにいるいい年をした大人のどうしようもない下心ではなく、“内面(そのもの)”を視ようとする芸術家(アーティスト)ならではの千里眼。

 

 

 

 “「“眼”を見れば分かる・・・どんなに表情筋で感情を作り上げても、眼だけは嘘をつけないからな・・・」”

 

 

 

 あの時もそうだ。夕野さんは常に私の“内面”に目を向け続けていた。私の感情(仮面)に綻びが生じるその瞬間を後手に回り虎視眈々と狙い続けながら、入り込む隙間を伺っていた。そして突如姿を現した心の内側から抉り取るような底知れぬ“狂気”に、思わず私は心を許してしまった。

 

 “・・・怖いな・・・”

 

 そうやって夕野憬という小説家は、“たにん”の心を利用し続けてきた。こうして人の心を掴んできた夕野憬の小説は、元来の知名度で得られる売り上げ以上に評価もすこぶる高いのだろう。

 

 “でも・・・いつから?”

 

 ただ引っかかるのは、『ロストチャイルド』の夕野さんには“狂気”が感じられなかったこと。きっとその違いが、今の夕野さんが別人のように感じてしまった原因。というより、あれは本当に“全くの別人”のようだった。ならばいつから、夕野さんは“あの狂気”を手に入れたのか・・・

 

 “・・・その答えは10年前か・・・あるいは・・・”

 

 夕野さんが芝居をやめたのは今から10年前のこと。あの人の身に何があったのか、まだ幼かった私はもちろん知らない。“心を壊してしまった”という人伝の噂があるアリサさんとも違い、何の噂も聞いたことすらない。一応ネットには何の確証もない考察が入り乱れているけれど、そんなものは何の参考にもならない。

 

 “1つだけ分かっていることは・・・”

 

 “いやいや、いま夕野さんのことを利用するのは違うでしょ?

 

 頭の中にいる“もう一人の私”が、脱線し始めた思考回路にカウンターパンチを入れる。

 

 “・・・それもそうね”

 

 とりあえず華を演じる上で必要なものは夕野さんと直接会ったことで半分は喰えた。でもいま利用するべき感情は、これじゃない。ここから先の“もう半分”を詮索するのは、“利用する(喰う)”べき時まで“温存”しておこう。

 

 

 

 今の私は、“人を殺したことを隠して友達と遊ぶ女子高生”なんだから・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 “「とてもすごい役者さんがいて・・・本当にすごくて・・・あんなの真似できなくて・・・・・・」”

 

 

 

 「・・・それより誰だろう・・・・・・夜凪さんの言ってたすごい役者さん・・・・・・」

 

 薄暗く照らされた天井は次第にぼやけていき、千世子の意識は深層心理の世界へと落ちた。

 




メンタルリセット。どうにかマイナス思考から脱出できました。(※本日更新した話は3週間ほど前の段階で原型は完成しているのでどっちにしろ予定通りです)

不安は相も変わらず多いけど、とりあえず生きるしかないよな。

それにしても、まだ話の途中だというのに次の話を書きたくなってしまうこの感覚はどうにかならないだろうか・・・・・・と言いつつも、いざ次の章を書き始めたらどうせまた今みたいに衝動と戦いながら書いているんだろうな・・・・・・はい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・阿笠寧々(あがさねね)
職業:編集者
生年月日:1993年5月1日生まれ
血液型:A型
身長:160cm

・阿笠みみ(本名:美々)
職業:女優
生年月日:1999年8月7日生まれ
血液型:A型
身長:163cm


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scene.41.5《幕間》 昼休憩

 10月の終わり、映画『ロストチャイルド』の撮影は川崎市の近郊にある児童館で撮影初日を迎えた。施設で兄弟のように仲良く暮らしていたショウタとユウトが、施設を訪れた毅と恵里の2人と初めて対面し、里親として引き取られるシーンの撮影である。

 

 

 

 「尚太くん、有人くん、今日から僕と隣にいる恵里が、お父さんとお母さんだ」

 

 施設の正面玄関で、毅と恵里はショウタとユウトに優しく微笑み挨拶する。共に両親に捨てられこの施設に預けられた2人は、今日から宮入家の家族になる。

 

 「ショウタです。よろしくおねがいします」

 

 これから自分の両親になる2人に、ショウタは一字一句をしっかりと発音するようにお辞儀をしながら礼儀正しく挨拶する。

 

 「あははっ、尚太くんは礼儀正しいわね」

 

 礼儀正しくお辞儀まで完璧に使いこなすショウタに恵里は感心して、ショウタの頭を撫でる。

 

 「ユウトもほら、あいさつ」

 

 一方ショウタの隣にいるユウトは毅と恵里のことが恐いのか、ショウタの背中の後ろで身を隠すようにして動かない。

 

 「ほらユウト、おまえもおとうさんとおかあさんにあいさつしろよ」

 「・・・やだ」

 「ダイジョブだよこわくないから」

 

 そんな“宮入家”を恐がるユウトを、ショウタは“兄”らしく宥めて手を繋ぎながらユウトを前に出す。

 

 「・・・ユウト・・・よろしく、おねがいします・・・」

 

 怖がりながらもユウトはショウタと同じように、小さな声でたどたどしく毅と恵里にしっかりと挨拶をする。そんなユウトのことを恵里は優しく抱きしめて頭を撫でる。

 

 「・・・よくできました・・・」

 

 

 

 「カット!ちょいと押しちゃったけど今から昼休にします」

 

 13時30分。監督の國近からの合図でスケジュールから約1時間遅れで兄弟と宮入家の出会いのシーンを撮り終えた一同は、50分の昼休憩に入った。

 

 

 

 

 

 

 「大丈夫か?“前”とは打って変わって初っ端からスケジュール押し始めてるけど?」

 

 昼休憩。自らが撮影したシーンのチェックを終えて児童館の建物の裏側で一服していた撮影監督の黒山寿一(くろやまじゅいち)が、同じく一服をするために裏側に来た國近に話しかける。

 

 「4歳児がふとしたことでグズるのはよくある話だ。別にそれでいいものを最終的に撮れるならどれだけ押そうが俺は平気だよ。そういう寿一さんこそ、言うことを中々聞いてくれない“弟”に内心イラっと来てんじゃないの?」

 「馬鹿言うな、そんなもんを気にしてたら“カメラマン”は務まらんよ」

 

 隣で自分の煙草を取り出す自分より一回り年下の映画監督からの軽口を、寿一は煙草を片手にすかし顔ですんなりと受け止める。この2人のタッグは、前作の『ノーマルライフ』に続いて二度目であり、例え相手が自分より目上であろうと一切物怖じしない國近のハングリーな姿勢を寿一は気に入っている。

 

 

 

 黒山寿一(くろやまじゅいち)。フリーランスで活動する映像カメラマンであり、撮影監督としてこれまでに数多くの大作映画に携わり、アカデミー賞において最優秀撮影賞を受賞するなど確たる実績と実力を持つカメラマン歴25年のベテランである。彼の元には著名な映画監督たちから絶えずカメラマンとしてのオファーが舞い込むことから業界内では“日本一忙しい撮影監督”と呼ばれている。

 

 余談だが星アリサと早乙女雅臣が共演し話題を呼んだ織戸幸比古の大作映画『ふたつ』の撮影監督を務めたのも寿一であり、彼はこの映画で最優秀撮影賞を受賞している。

 

 

 

 「・・・子役2人に思い切って演技経験ゼロの子供(ガキ)を使うのはリスクが高いと思っていたが、こうしてみると逆にハマるもんだな」

 

 國近は今回の撮影において、幼少期のショウタとユウトの役に雰囲気だけは似ている芝居経験のない完全な素人を起用した。しかも2人は、奇しくも本当の兄弟だった。

 

 「だろ?これこそ“型にハマった”子役には到底できない芸当ってやつさ」

 「確かに。あの“芝居の概念がない”リアルさは劇団の子役じゃ演じるのは無理だろうな」

 

 当然、兄弟は芝居が何たるかはおろかここにいる人たちが何なのかすら理解していない。そのため國近は初めて宮入家と会うシチュエーションをやりやすくするために他のキャスト陣とは別のスケジュールで読み合わせを行い、また役柄についても実際の兄弟として敢えて自然体のままで“芝居をせずに芝居をする”指導を読み合わせと共に行った。

 

 “芝居をする上で必要な型”を身につけてしまった役者には出来ない、素人だからこそ繰り出せる独特の空気。結果としてそれは良い意味で演技感のないリアリティーに繋がり、物語の説得力を引き上げている。

 

 「ただおかげで午後の撮影はほぼノーミスで撮り切らないと今日中に終わらなくなりそうだけどな」

 

 とはいえいざ撮影となったところで弟のほうが見ず知らずの大人たちに囲まれるという“未知の状況”に驚いてしまったのか何度もグズってしまい、午前中の撮影は1時間ほど押してしまった。これもまた、完全な素人を起用したが故の出来事(アクシデント)だ。

 

 「それは寿一さんの顔が怖すぎるからだよ」

 

 隣で煙草に火をつけ一服を始めた國近が、皮肉を皮肉で返す。

 

 「何でもかんでもぶっつけ本番でやろうとするからこうなるんだろうが」

 

 

 

 “「このひげのひとこわいよぉリュウにぃちゃん!」”

 

 

 

 「それに言われたところでどうにもならねぇよ。カメラを構えてる時の俺はいつもこうだからな」

 「何だ寿一さん自覚あんのか」

 

 無精ひげと肩まで無造作に伸びたロン毛の180近い背丈の男にカメラ越しに“眼光”を向けられたら、特に“そういう”風貌に耐性のない子供(ガキ)はビビっても無理はないかもしれない。だがせがれが5歳くらいまでまるで俺に懐かなかった経験のある身からしてみれば、特に何とも思わない。

 

 「自覚はあるけど“これ”ばっかりはどうにもできねぇ」

 

 仕事をしている時の顔や雰囲気が怖いと言われたことは今日に限った話じゃない。時には演者から影で“撮っているときの圧が凄い”と言われたこともある。

 

 そういう連中に対して言いたいことは、そんなどうでもいいことを気にする暇があるなら自分に課された芝居(仕事)に集中しろといったところだ。真剣に自分の映す画と向き合っていれば、当然顔や纏う空気は幾分かピりつくだろう。そんなもの、誰だってそうだ。何ら怖がるような話じゃない。

 

 「“俺たち”はただカメラを回すために現場(ここ)にいるわけじゃねぇしな」

 「うん、知ってる」

 

 

 

 ただカメラを回して対象になる人物を撮ることは “休日のお父さん”やそこら辺の中学生でも容易いことだ。だが“カメラマン”は画を撮ることは当たり前のこと、その中でポジション・アングル・構図・カット割りと言ったカメラワークに加え、照明や画の色彩に至る美術的な部分の細部に至るまでを把握し、各スタッフと臨機応変に協力しながら監督が求めている“最良の画”を撮らなければならない。機材やフィルム、レンズ1つでも“画”というものが大きく変わる。

 

 無論、そういった “カメラマン”としての仕事を任されるようになるまでの“過酷な道”の先にある“奥深さ”に辿り着ける人間(やつ)は本当に少ない。何の根拠もない“夢や希望”を大袈裟に語っては道の途中で挫折した仲間や後輩を、これまで数えきれないほど見てきた。

 

 そして過酷な道の中にある“奥深さ”に辿り着いた者に待ち受けるのは、無数の屍を越えた先にある“孤独”だ。大切なのは“夢を見る”ことよりも、行く末に待つ“孤独ごと”己が捉える“景色”を愛せる覚悟があるかどうかだ。

 

 

 

 「・・・なぁ寿一さん?」

 「何だ?」

 

 隣で同じような姿勢で煙草を吸う國近が、煙草を半分ほど吸い終えた寿一に視線を昼下がりの空に向けたまま話しかける。

 

 「寿一さんは20年後になっても映像作家(おれたち)は“映像作家(おれたち)”のままでいられると思うか?」

 「・・・急にどうした?」

 

 いつになく真剣な表情で語り始めた國近に、思わず煙草を持つ手が止まる。

 

 「例えば日本じゃまだだけど、アメリカじゃカメラをロクに使ったことすらないような一般人が撮影したビデオをウェブを通して販売代行してくれるビジネスがあるらしい」

 「・・・ほぉ~、そいつはまた“ある意味”面白そうなビジネスだな」

 

 國近の言う日本にはまだない映像ビジネスに、寿一は肯定とも否定とも取れる意味合いを込めた皮肉で返す。

 

 「あぁ。ただ自分の撮った映像を自分のパソコンで再生するメディアプレーヤー自体は既にあるから、そいつが日本に上陸したところで俺にとっては別に驚きはないさ」

 

 もちろんそういった映像技術が発展して全世界に普及していくことは、コンテンツの多様化や役者ありきな話題性重視の作品が増えたことで停滞しつつある“邦画界”において重要な“カンフル剤”になるのかもしれない・・・

 

 「・・・ただ問題なのは、それらの技術が“万人に普及”した後だ」

 

 

 

 90年代に入り、インターネットは急速に一般のユーザーにも普及していった。電子メールでのやりとりはとっくの常識で、今では大物ミュージシャンによるインターネットを介した生配信ライブが世界のどこかで度々行われるようになり、その気になれば素人が家電量販店で売られているようなビデオカメラで撮影した映像を自らのパソコンで編集して自分だけのオリジナルムービーを比較的容易に作れるような時代になった。

 

 恐らくこのペースだと遅くて10年以内には必ず万人がインターネットを通じて“自ら撮影した映像”をいつでも容易く全世界へ発信できる時代に突入し、“一般常識”になるだろう。やがてそれらが流行り出せばその媒体をビジネスとして活用する人間も現れ始め、映像作品を撮ることで生計を立てている映像作家(おれたち)に代わって“映像を発信して生計を立てる”手段が確立されると、それに続けと“先駆者の二番煎じ”が次々とその船に乗り込み、流行(ブーム)が巻き起こる。

 

 そしてインターネットを介した映像の発信が“当たり前”になった時、万人は気付くのだ。わざわざ巨額の製作費や人員を使わずとも、治外法権同然の過酷な環境にその身を委ねなくとも、カメラ1つさえあれば技術や知識がなくとも“映像作家(クリエイター)”になれてしまうということに・・・

 

 

 

 「・・・つっても、あくまでコイツは俺の後輩が酒の席で立てていた仮説だけどね」

 「それまでに果たして俺は生きていられるか」

 「寿一さんいくつだっけ?」

 「四十五(しじゅうご)

 「全然余裕じゃねぇかよ、日本人の平均寿命の長さなめんな」

 「俺たちが本当に80歳まで生きられると思うか?」

 

 そんな國近の後輩が立てたという仮説に、寿一は笑い話とも本気ともとれる自虐を返す。

 

 「・・・そんなん知るか」

 

 こういう類の仕事をしているとどうしても生活は不規則になるものだ。1年を通じてみても徹夜をしない夜の方が圧倒的に少なく、丼ものとカフェインで三日三晩を寝ずに乗り切るなんてこともザラだ。こんな生活を続けていては、平均寿命が来る前にくたばるのはほぼ確実だろう。

 

 「まぁ、少なくとも俺はそこまで長生きするつもりは全くないけどね」

 「同感だ」

 

 自分たちの寿命の話に区切りをつけた2人は、ほぼ同時のタイミングでそれぞれが手に持った煙草を吸う。

 

 「で?寿一さんは20年後についてどう思う?」

 「あ?・・・あぁ終わってなかったんかその話」

 

 そしていつの間にか一服を吸い終えた寿一がポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消して灰皿の中に煙草をしまいながら答える。

 

 「・・・別に20年経とうが俺たちがくたばろうが、今と変わらず“映画を撮りたい”と腹を括った“馬鹿”が勝手に撮り続けてくれるだろうさ。 お前さんの“後輩”が『新時代の鬼才』とどっかの専門誌でもてはやされていたように、“映像作家(作り手)の遺伝子”だけは着実に引き継がれていくからな・・・」

 「・・・あのバカはそんな大層なヤツじゃないよ・・・」

 「(・・・って言いながら滅茶苦茶意識してんのが丸わかりなんだよ・・・)」

 

 寿一の言葉で4つ年下の生意気な同業者(後輩)のことを頭の中で思い浮かべながら、國近はタールを深く吸い込み副流煙を空に向かって一気に吐き出すと、それを横目に寿一は心の中でほくそ笑む。

 

 「・・・とにかく映画が時代遅れの産物と言われる時代が来ようが、どうせ“俺たち”は杖なしじゃまともに歩くこともできない老いぼれたジジイになっても相変わらずカメラ片手にバカやってるだろうよ」

 「・・・あぁ・・・ちげぇねぇ」

 

 空へと消えて行く自らの吐き出した副流煙を目で追いながら、自らの覚悟を語る。

 

 映像作家(おれたち)のやっていることは“非効率で時代遅れだ”と蔑まれる時代が来ようとも、俺は俺のやり方でこれからも変わらず愚直に撮りたい映画を撮り続ける。

 

 

 

 “それこそが映画監督が映画監督で在り続けるための流儀だ

 

 

 

 「・・・そういや遺伝子といえば“ジュニア”は最近どうだ?元気してるか?」

 

 再び煙草を咥えがてらに國近は、先ほどの “仕返し”の言葉をかける。

 

 「さぁな」

 

 國近からの“仕返し”に、寿一は視線を合わさず素っ気なく返す。

 

 「さぁなって・・・小坊の頃は撮影現場に見学に来るぐらいカメラとか機材に興味津々だったって前の現場ん時に言ってなかったっけ?」

 「昔はな。でも小6に入ったあたりで反抗期になって、それからはさっぱりだ」

 「・・・反抗期か・・・」

 

 素っ気なく淡白な寿一の口ぶりに、國近は再びわざとらしく煙を吐いて半ば挑発するような口調で呟く。

 

 「・・・勿体ないねぇ~・・・せっかくの“遺伝子”なのに」

 

 そんな國近の言葉に、寿一はカメラを構えた時のような鋭い視線を一瞬送る。視線を送られた國近は、当然そんなことでは動じない。

 

 「せがれがこの先どうしようと俺は構わん。犯罪に手を染めるようなことさえしなければ、手前の生きたいように生きてくれればそれでいい」

 「・・・もしもジュニアが急に“映画監督”になりたいなんて言ったらどうするつもりだ?」

 

 なおも食い下がる國近に、一瞬だけ寿一は考え込む。

 

 

 

 “「俺は親父の敷いたレールなんかぜってぇ乗らねぇからな」”

 

 

 

 「・・・・・・そん時はそん時さ。無論、手助けは一切しねぇけどな」

 

 食い下がる國近へぶっきらぼうに捨て台詞を吐き終えると、寿一は“「そろそろ戻るぞ」”と言いたげに玄関の方向へ歩みを進める。

 

 「(・・・本当は親バカの癖に頑固親父を気取りやがって・・・)」

 

 午後の撮影に向けたセッティングに戻る寿一の背中を國近は微笑ましそうに目で追いながら最後の一服を味わい、少し遅れてその場を離れた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 “ん?これは一体どういうことだ?”

 

 玄関に戻ると、幼少期のショウタとユウトを演じる隆之介と真太郎からなる眞壁兄弟が恵里を演じる杜谷久美子(もりやくみこ)にすぐ後ろで見守られながら寿一を出迎える。

 

 「これはどうした?2人とも?」

 

 いかにも何かを言いたげに俺を見上げる兄弟に、その場にしゃがみ込んで俺は視線を合わせる。

 

 「ほら、シン。ジュイチおじさんに言いたいことがあるんだろ?」

 

 隣に立つ兄の隆之介が、弟の真太郎の背中を一回ドンと叩いて気合を入れる。もちろん2人は本物の兄弟で國近が“演じさせず”普段の関係のまま“芝居をつけた”ことも相まって、その姿は“ショウタとユウト”そのものだ。

 

 もちろん國近が行った素人を素人のまま役者として昇華させる“演出付け”がどれほど難しいことかは、25年もカメラを持ち続けていれば“専門外”の俺でも手に取るように分かる。

 

 

 

 “いかにして演出1つで演者を自分の色に染めることが出来るか。そして自分の演出をいかにして唯一無二の映像として落とし込むか

 

 

 

 俺は思う。映画監督という生き物は、映画屋である以前に演出家でなければならない。演出家がいなければ、その他の“裏方”はどんなに頑張っても正解には辿りつけないからだ。無論そのことに演者、そして映画に携わる全ての人間が理解を示さなければ良い作品は作れない。

 

 そんな根本的なところを理解している若手の連中は、悲しいことに年々数を減らしてきている。

 

 それと同時に、スポンサー(周りの目)を過剰に気にするような作品が増えつつある現状を憂いでいる連中も、少なからずいる。

 

 

 

 さて國近(やつ)は、ここにいる本物の兄弟をどうやって“血の繋がっていない兄弟”に昇華させていくのか・・・

 

 

 

 「・・・・・・」

 

 一方の弟は、兄に気合を入れられてもムスッとした表情で俺を凝視したまま黙りこくっているままだ。俺を睨むこの感情は何なのか?ひげのおっさんが怖すぎるとでも言いたいのか・・・

 

 “相変わらず・・・この年代の子供(ガキ)の考えていることは理解できん・・・”

 

 「・・・怖がらずに言ってみな?絶対に怒らないから」

 

 頭の中で思い浮かんだ最大限に優しい言葉を真太郎にかけるも、当の本人は口をもごもごと動かすだけで中々言葉を発さない。

 

 “どうしたらいいんだよ・・・これ”

 

 「も~う顔が怖いままやで寿一サン」

 

 するとやや後ろの方でいつの間にか家庭用のビデオカメラを回していた紅林が野次を飛ばす。周囲に機材や動き回るスタッフがいなければ、これは最早ただのホームビデオだ。

 

 

 

 “・・・ホームビデオ・・・”

 

 

 

 10年のアシスタント生活を経て撮影監督として独り立ちをして今以上に現場を右往左往していた頃、かつての同僚だった妻との間に生まれたせがれは5歳になっていたが、仕事が不規則で忙しいせいであまり会えていなかったこともあってか、俺には一度も懐かないままだった。

 

 そんな仕事明けの休日、徹夜明けの身体を無理やり起こして月収のほぼ全てを注ぎ込み購入した当時最新鋭のカムコーダーで、近所の公園で通っている幼稚園で仲良くなった“悪友たち”と一緒に鬼ごっこをするせがれの様子を俺は撮影していた。

 

 「父ちゃんなにもってんだよ?」

 

 すると不意にせがれがレンズ越しに興味津々な視線を向けてきた。普段は滅多に懐かなかったせがれが自分から声をかけて来たのは、記憶が正しければあの日が初めてだった。

 

 「・・・コイツは“ビデオカメラ”って言ってな・・・・・・簡単に言うと俺たちが今こうして見ている景色を、そのままこの小さな“塊”に記憶すんだよ」

 「・・・・・・なにそれ?いみわかんね」

 「例えば」

 「ハイおまえオニ!」

 「おいまてよアツシ!いまのはズルだろ!」

 

 生まれて初めてのビデオカメラはそっちのけでせがれは夕暮れまで悪友と共に公園で暴れまくったが、帰った後にカムコーダーに録画した映像を見せた瞬間に掌を返すようにカメラというものに興味を示した。

 

 

 

 “「父ちゃん、これ、おれもつかいたい」”

 

 

 

 そして生まれて初めてカメラに触れたあの日、せがれは初めて俺に笑顔を向けた。

 

 

 

 「・・・ごめん、なさい・・・

 「・・・・・・ん?」

 

 ふと我に返ると、目の前にいる弟の真太郎が勇気を振り絞って何かを言っていた。俺としたことが、不意に懐かしい記憶を思い起こしていたせいで曖昧な反応になる。

 

 「・・・こわいとかいっちゃって、ごめんなさい・・・

 

 少しばかり強張ってこそいるが、真太郎は俺の目をしっかりと見据えて自分の意思をきちんと伝える。

 

 「・・・勇気を持ってよく言えたな・・・偉いぞ・・・」

 

 4歳児の真っ直ぐな意思に、気が付くと俺は真太郎の頭を撫でて労っていた。そしてふと視線を隣に向けると、兄の隆之介が“おれのおかげだぞ”と言いたげに腕を組みながらどや顔で俺を見る。

 

 「隆之介くんもありがとな。お兄ちゃんとして引っ張ってくれて」

 

 基本的には自分の子であろうが子供(ガキ)の相手をするのは苦手なはずが、屈託のない純粋な瞳で見られると面白いように無粋な感情(モノ)が吹き飛んでいく。どんなに手が掛かろうと、純粋無垢な感情を前にしたら全部がどうでも良くなる。

 

 

 

 “って、俺はこんなところで仕事をほったらかして何をやっているんだ”

 

 

 

 「・・・見かけによらず寿一さんは子煩悩だよなあ」

 

 兄弟に向けていた視線を正して撮影準備に取り掛かろうと立ち上がったところで、後ろから生意気な映画監督の声が耳に入った。

 

 「・・・いつから見ていた?」

 「真太郎くんの頭を撫でた辺りから」

 「・・・・・・はぁ」

 

 水を差すように遅れて戻って来た國近に寿一は溜息をひとつ溢すと、

 

 「俺はただ午後の撮影に向けて演者を宥めていただけだ。これ以上グズられたら今日の撮影は終わりそうにないからな」

 

 再びいつもの仏頂面でぶっきらぼうに答え、「じゃ、午後も頼むぞ」とそのまま奥に向かい撮影準備を始めた。

 

 「ねぇかんとくのおじちゃん?」

 「ん?どうしたのかな真太郎?(俺もついにオジサンか・・・)」

 「ぼく、ちゃんといえたよ。“こわいっていっちゃってごめんなさい”って」

 「うぉ~凄いな真太郎~」

 

 寿一に自分の意思を伝えたことを報告してきた真太郎の両頬を、國近は両手で挟んで手荒く褒め称える。まだ世の中が何なのかを何も知らなそうな“純粋無垢さ”は、幼少期のユウトのイメージと本当にリンクしている。

 

 「コイツ、褒めるとすぐ調子にのるからほどほどにいたほうがいいですよドクおじさん」

 「おぉそうか?そんなことないよな~真太郎?」

 「そうだよ。ひどいよリュウにいちゃん」

 

 褒めちぎられる真太郎(ユウト)の隣に立つ隆之介(ショウタ)が、分かりやすく嫉妬の感情を表に出す。

 

 「でも真太郎が寿一おじさんに自分の気持ちを伝えられたのは、紛れもなく隆之介のおかげだよ。今のところNGもゼロだし。お前は役者として最高(ベリーグッド)だ」

 「・・・ありがとうございます」

 

 あんだけ“俺も褒めろ”と嫉妬をむき出しにしておいて、いざ自分が褒めちぎられたら照れて謙遜してしまうませた一面もあるところも含めて、隆之介とショウタは人間的にもそっくりだ。

 

 「・・・そうだ、真太郎にこれから午後の撮影を始める前に1つだけお願いして欲しいことがあるんだ」

 

 そんな自らがオーディションで発掘した眞壁兄弟をみた國近は、弟の真太郎にゆびきりを求める。

 

 「・・・ゆびきりげんまん?」

 「そう。これからは監督の“おにいさん”が泣けって言うまで絶対に泣かないこと。約束できるか?」

 「うん!やくそくするよかんとくのおじちゃん!」

 「・・・言ったな?嘘ついたら“はりせんぼん”だかんな?(やっぱり駄目だったか・・・)」

 

 念を入れる意味合いも込めてわざと威圧的にギリ子供が怖がらない程度の脅しをかけると、真太郎は透き通る眼で真っ直ぐに俺の視線を見つめてながら俺の差し出した右手の小指に小さな小指をかける。

 

 「うん!ぜったいやくそくする!

 

 確かにこれだけ純粋な感情でまじまじと見られたら、あの寿一さんもついつい気を許してしまうわけだ。

 

 「ゆびきりげんまん」「ゆびきりげんまん」

 「うそついたらはりせんぼんの~ます」「うそついたらはりせんぼんの~ます!」

 

 そして時が経つにつれて、こうした純粋無垢な感情は世の中に存在するありとあらゆる“縮図”に染まっていく。そうしなければ社会という世界では生きていくことができないという現実に、この兄弟もいつかはぶち当たるだろう。

 

 

 

 純粋に生き続けるには、この世界はあまりにも過酷すぎる。

 

 

 

 「ゆびきった」「ゆびきった!

 

 

 

 “それでも、例えどんな理不尽がその小さな身体に襲い掛かろうとも・・・最後まで自分を信じて突き進んで行けよ・・・

 

 

 

 それぞれの胸中を秘めながら、2人は男同士の約束を交わした。

 

 ~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 「・・・さっきの黒山さんの顔。本当に子煩悩な“パパ”そのものでしたよ」

 

 真太郎とのゆびきりを終えた國近に、兄弟のことを本当の母親のようにすぐ後ろで見守っていた杜谷が微笑ましく話しかける。現場には今、とても撮影とは思えないくらいアットホームな空気が流れている。

 

 「えっマジで?うわー見たかったそれ~、ていうか誰か撮ってない?」

 「撮れてる紅林さん?」

 「おう、わいがバッチリ撮っておいた」

 「ナイス誠剛さん、今日の撮影終わったら俺にも見せてよ」

 「ええよドクちゃん」

 

 そして撮影監督の滅多に見せない“裏の顔”の話題で大の大人2人は盛り上がる。このように状況に応じて緊張と緩和を使い分けて緊迫し過ぎないように現場の士気のバランスを整えていくのも、映画監督の仕事の1つだ。

 

 “うわー黒山さん、すごいこっちに聞き耳立ててる・・・”

 

 ちなみにこの時、そんな2人に奥の方からホワイトバランスの調整をしがてらの冷たい視線が向けられていたことは杜谷しか知らない。

 




久しぶりのこぼれ噺、じゃなかったこぼれ話。

今日の幕間を要約すると、映画監督と撮影監督の“昼休憩”の一コマをただ描いたってだけの話です。

ということで3章は次回から後半戦に突入です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・黒山寿一(くろやまじゅいち)
職業:撮影監督
生年月日:1954年1月8日生まれ
血液型:B型
身長:178cm





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scene.42 夢

 『・・・・・・憬・・・・・・    許してくれ・・・・・・

 

 

 

 「ッ!」

 

 形容しがたい苦しみと共に、奈落の底からロケットに押し出されるような勢いで悪い夢から覚めた。

 

 「・・・ハァ・・・ハァ・・・」

 

 起きたら何故か首元が締め付けられた後のように苦しく、何度が荒い呼吸を繰り返すうちにその感触が“幻”だと理解すると、その感触は一瞬で何処かに消えた。

 

 「・・・・・・何だよ夢かよ・・・・・・良かったけど」

 

 続けて薄暗い部屋の中、ベッドの上で身体のあちこちに手を当てながら“生存確認”をする。どうやらさっきの光景は夢で間違いないようだ。

 

 「・・・・・・朝っぱらから焦らせんなよマジで・・・・・・」

 

 自分の生存が間違いないものだと確信したら、思わず安堵の言葉が漏れる。それぐらい恐ろしい夢だった。

 

 

 

 気が付くと見たこともないような部屋に俺は寝転がっていて、目の前には顔すら知らない見知らぬ男がいた。どんな顔をしていたのかはよく見えなかったが、その男は俺の前に顔を近づけて『許してくれ』と静かに語りかけた。

 

 そして次の瞬間、首元をとてつもない力で押さえつけられるかのような感覚が襲い掛かると同時に、俺は夢から覚めた。

 

 

 

 ピピピッ__

 

 「!?」

 

 意識が完全に“現実の世界”に引き戻された瞬間、目覚ましのアラームが5時30分を告げる。

 

 「・・・さっきから心臓に悪いわ・・・」

 

 そして鮮明に記憶の中に刻まれていた夢の内容は、アラームによって曖昧に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 午前6時、一足早く朝飯を食べる憬とテーブルを挟んだ反対側の椅子に座り歯を磨きながら朝の情報番組に目を向ける母親と2人の食卓。

 

 「前からずっと思ってんだけどさ?アレ邪魔じゃね?」

 

 そして情報番組が流れるブラウン管の上には、早乙女のサインが書かれた色紙が鎮座している。

 

 「だってテレビの上以外で早乙女さんを置ける場所なんてないじゃない?」

 「せめて自分の部屋に飾れよ。それとこれは“早乙女さん”じゃなくて“早乙女さんのサイン”だからな・・・」

 

 

 

 ドラマの撮影で早乙女が俺の住む301号室に来た時、母親はちゃっかり早乙女からサイン色紙を貰い、それ以来早乙女の書いたサイン色紙がブラウン管の上にずっと置かれている。

 

 最初は気になるがわざわざ言うほどのことではなく、日が経つにつれて慣れて気にならなくなるだろうと思っていたが、

 

 “「すげぇ!早乙女雅臣のサインじゃん!」”

 

 と、『星間戦争エピソード5』のビデオを借りに来た有島に弄られたことで一旦目立たないところに色紙を移したが、

 

 “「・・・何で戻した?」”

 “「えっ?だって早乙女さんをあんなところに置いたら失礼でしょ?」”

 

 という理由で再び戻され今日に至るが、やはり存在感が強すぎてついつい目がいってしまう。

 

 サイン色紙1つでも、早乙女の存在感は強いということだろうか。

 

 

 

 「それに憬はHOMEの撮影で色々と早乙女さんの世話になったでしょ?初心忘れるべからずだよ」

 「それっぽい理由でねじ伏せようとすんな。こっちは目に入ってしょうがねぇんだよ」

 

 初心忘れるべからずという“それっぽい理由”で無理やり正当化しようとする母親に、俺は溜まらず冷たく言い返す。

 

 「・・・いつになく気が立ってるわね?」

 「あ?どこが?」

 

 いつもより“少し”気が立っている俺の様子を察した母親が、気を遣ってわざと揶揄うような態度を示す。

 

 「だって憬、今日からクランクインでしょ?そりゃあ無理ないか」

 

 

 

 『ロストチャイルド』の撮影は今日から約1ヶ月をかけて行われる。ロケは一部を除いてほぼ全編に渡って物語の舞台でもある横浜市内かその近辺で行われるため泊まり込みはないが、今日は6時30分には家を出なければならず、撮影日の朝は基本的にいつも以上に早い。

 

 これは余談だが、憬は学校側からの“週3日以上は学校に登校して授業を受ける”という条件付きで芸能活動を許されているため、『ロストチャイルド』の撮影における憬のスケジュールはそれに準じたものになっている。

 

 

 

 「・・・別にいつも通りだろ」

 

 確かに今日から撮影が始まり俺はユウトを演じる上で“一抹の不安”がまだ残っているが、朝から気が立っている理由はこれに加えて今朝魘された悪い夢の“ダブルコンボ”が原因だろう。目が覚めてから30分が経過し、目覚ましが鳴るまでは鮮明に覚えていたはずの夢の内容は、“謎の男に首を絞められた”こと以外何も思い出せない。

 

 ただ、今まで見た夢の中で一番恐ろしい夢だった。認めたくはないけれど母親の言う通り、撮影が今日から始まるということで無意識に気が立っているのかもしれない。

 

 「・・・そう、ならいいんだけどね~」

 

 歯を磨きながら情報番組を観ていた母親は他人事のような台詞を吐き、席を立って洗面台へ向かう。

 

 「・・・何なんだよさっきから・・・」

 

 洗面台へ向かった母親にギリ聞こえないくらいの声量で陰口を呟くと、目を向けた先のブラウン管では最近話題になっている探偵ものの学園ドラマの番宣CMが流れていた。

 

 『この事件の謎は、僕が必ず暴きます

 

 アップショットで被写体を映すカメラを前に、主人公がシリアスな顔で決め台詞を言い終えるのと同時に、ドラマのタイトルがでかでかとブラウン管にカットインして次のCMに移ると、ドラマの主人公と“同一人物”が出演しているチョコレートのCMが流れた。

 

 “すげぇ人気だな・・・一色十夜(この人)

 

 このドラマで主人公の高校生探偵を演じているのは、あの一色十夜だ。もちろん次のCMのイメージキャラクターも、言うまでもない。あのデビュー会見以降CMで度々見かけ、ドラマの番宣ではバラエティ番組や情報番組に次々と出演し、来年の春には初主演の映画の公開も控えているなど、一色十夜は着実に芸能界のスターダムを上がり始めている。

 

 “・・・ゆくゆく俺はこの人と“戦う”ことになるのか・・・・・・ってほんとかよ?”

 

 幸か不幸か俺はこの一色十夜(イケメン)と同年代&同世代の俳優として芸能界に足を踏み入れてしまった・・・と言っても、このイケメンと同じカメラに収まるようになれるのはいつになるのかは全く分からないし、今一つ現実味も湧いてこない。

 

 「いずれは憬も“こう”なるといいね」

 

 そんな心境を知ってか知らずか、チョコレートのCMが終わったタイミングで母親がわざとらしく俺を持ち上げた言葉を送ってきた。

 

 「いや、飛躍しすぎだろ」

 「でも分かんないじゃん?今回の映画でもしかしたらブルーリボン賞とかアカデミー賞を獲ったりしたらさ」

 「あのな母ちゃん、ああいうのは獲りたくても獲れるようなやつじゃなくてな」

 「そんなの私でも知ってるよ。でも本気で芝居を頑張れば分かんないじゃん?」

 「・・・・・・そりゃあそうかもだけどよ」

 

 母親の言うように、良い芝居が出来たらその分だけ賞を貰える可能性は高くはなるだろう。これらの賞を獲るということがいかに俳優にとって名誉なことなのかは、俺はおろか素人でも分かるようなことだ。

 

 「ていうか、別に俺は賞を獲るために“芝居”をやってるわけじゃねぇからな?」

 

 もちろんそんな名誉ある賞を貰えたら素直に嬉しいだろう。でも、俺はそんな理由で役者になったわけじゃない。

 

 「・・・じゃあ、何のため?」

 

 母親が俺に疑問をぶつける。何のために俺は芝居をやっているのか。

 

 

 

 “せっかく “自由”を手に入れたんなら、もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ

 

 

 

 「・・・芝居をしている“瞬間()”を楽しむため・・・的な?」

 

 今の俺が何のために芝居をやっているのか、その答え自体はすぐに出てきたが、いざ言葉にしてみると言い終えた瞬間に血の気が引くほどの恥ずかしさが襲い掛かる。こんなことになるなら、まだ「そんなの知らない」と適当にはぐらかしたほうがまだマシだった。

 

 撮影初日から、幸先が悪い。

 

 「今を楽しむ、か」

 「・・・ったくこんなこと言うんじゃなかったわ」

 

 自分の放った言葉の恥ずかしさにヤケになった憬は、朝飯の残りを一気に口にかきこんだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 11月初旬、ショウタとユウトを演じる渡戸剣と夕野憬が現場入りし、映画『ロストチャイルド』の撮影が本格的に始動した。

 

 

 

 「おはようユウト」

 

 朝の7時。寝室から降りて来た眠気眼のユウトに朝食を作る恵里が声をかける。

 

 「・・・はよう」

 

 眠気眼のユウトは、あくびをしながら曖昧に返事をする。

 

 「・・・随分と眠たそうじゃないかユウト?何かあったか?」

 「・・・いや・・・何でもないよ」

 

 食卓のテーブルの向かい側で新聞を読むスーツ姿の毅が、いつになく眠そうなユウトに少しだけ心配そうに声をかけると、ユウトは再びあくびをしながら途切れ途切れに答える。

 

 「眠れない夜ぐらい誰だってたまにはあるでしょ?お父さんは心配性ね」

 

 相変わらずどこか心配そうにユウトの顔を見る毅に、キッチンで朝食を作る恵里は冗談半分に笑いかける。

 

 「まあ~そっか。ハハッ、俺の考えすぎか」

 

 恵里から心配性なところを指摘された毅は自嘲気味におどけて見せると、そのまま手に持っていた新聞に再び目を通す。

 

 「・・・実はさ、なんかすごく恐い夢を見たんだよね・・・」

 

 すると少しずつ目が覚めてきたユウトが、得体の知れない悪夢を見たことを打ち明ける。

 

 「・・・夢?」

 「・・・うん。どんな夢だったかは全然思い出せないけど」

 

 とてつもなく恐ろしい夢を見て、思わず飛び起きてしまった。その瞬間にどういう夢を見ていたのかは忘れてしまった。ただ唯一、首のあたりが締め付けられるような気持ち悪い感触が残り、その気味の悪さであまり眠れなかった。

 

 「別に全然、大したことじゃないから大丈夫だよ。眠気も覚めてきたし」

 

 自らが見た悪夢の話を打ち明けると、ユウトはテレビの方へと目を向ける。

 

 

 

 ちなみにユウトが毅に眠れなかった理由を聞くシーンでユウトが眠れなかった理由を答える場面のユウトの台詞は、國近がリハーサルの際に急遽アドリブに変更している。

 

 

 

 “『今日、物凄く恐い夢を見たんですよ。どんな夢だったかはここに来る間にほとんど忘れたんですけど』”

 

 

 

 リハーサル前に憬が渡戸に溢していた言葉を偶然盗み聞きしたことをきっかけにアドリブに変更した張本人である國近は、モニター越しに憬のアドリブを“監督の目線”で視ていた。

 

 「(・・・流石だな・・・2度目読み合わせの段階から“周囲との距離感”を掴んでいた感触はあったが、リハーサルからの本番。ここに来て更に化けて来たか)」

 

 2度目の読み合わせを境に、憬の芝居は一変した。渡戸と2人だけで行ったという役作りを通じて疑似的な“トラウマ”を自分の中で作り、それを“ユウトのトラウマ”として落とし込んだことでユウトを演じる上で必要な感情を手に入れるのと同時に、“自分がちゃんとしなければ”という余計な焦りも消え失せ、1度目の時とは見違えるほど自然な距離感を出せるようになった。

 

 「なかなかやるやないか・・・憬君」

 

 そんな新人俳優の変わりように、紅林を始め“約1名”を除いてキャスト陣はみな感心の声を上げるほどだった。

 

 “でも、コイツはまだ化けれる

 

 監督として、読み合わせを終えた時点でまだ憬が自分の芝居の出来栄えに心から納得していないことを見抜いていた國近は、予め企んでいた計画を実行に移した。

 

 

 

 「えっ?アドリブですか?」

 「そうだ。何であまり眠れなかったのか、自分がユウトになったつもりで考えてやってみろ」

 

 本来の台本には何の関連性もない全く別の内容()を書いているが、これは最初から“ボツ”にする前提のダミーであり、脚本の安食もそのことを把握した上で協力している。

 

 「いきなりアドリブをやらせるのはちょっとキツくないですか?」

 

 案の定、恵里を演じる杜谷からは半笑いで苦言を言われたが、

 

 「大丈夫です。やらせてください」

 

 当の本人は自信満々にそう答えた。直感というものを当てにしすぎることはあまり良いことではないが夕野の“純粋な眼”を視た瞬間に、“これは行ける”という確信が頭をよぎった。

 

 

 

 「・・・飛び起きた瞬間に忘れたんだけど・・・何かこう、首を絞められた、みたいな?」

 

 そして迎えたリハーサル。確かな自信を持っていた夕野が考えていたアドリブは、まさに“予想通り”かつ最も確実なものだった。

 

 「なぜ“首を絞められた夢”を見たっていう設定(こと)にした?」

 

 果たしてそれがマグレなのか確信なのかを確かめるために、アドリブの真意を俺は問いかけた。

 

 「・・・母親のリョウコに首を絞められたという記憶がトラウマとして潜在意識に残り続けていたから、ユウトはクラスメイトに首を絞められた時にそれを思い出した。でもその本当のトリガーは夢だと思うんです」

 「夢か?」

 「はい。前にも話しましたが、剣さんとの役作りで実際に同じようにシーンの再現をやってみても俺は昔の記憶を思い出せなかったように、ユウトもクラスメイトから首を絞められるまでリョウコの記憶を“完全に忘れていた”から、いきなり首を絞められたぐらいではフラッシュバックは起きないと思います」

 「・・・それは単にお前の“私情”じゃないのか?」

 

 本番を前にユウトという役への理解度を確かめるために俺はなおも揺さぶりをかけるが、夕野はそれに全く臆することなく答える。

 

 「いや、ユウトだったら絶対そうなると思うので

 

 

 

 「あれ?兄ちゃんは?」

 

 自分の部屋から出てこないショウタのことを、ユウトは食卓に朝食を並べる恵里に聞く。

 

 「・・・そう言えば起きてこないわね?確か今日は1限目から授業があるのに」

 

 そう言うと恵里は毅とちょうど真向いの椅子に座る。ちょうどその頃、今日の授業で提出する予定のレポートを徹夜で仕上げたショウタは、レポートを作成した自分の机に突っ伏すように眠っていた。

 

 「ちょっと起こしてくるわ」

 「いや、俺が起こしてくる」

 

 目覚ましをかけ忘れて寝ているショウタを起こそうと2階の部屋へ向かおうとした恵里をユウトは気遣う。

 

 「おぉ気が利くね~」

 「・・・おう」

 

 自分から進んでショウタを起こしに行こうとする気遣いを褒める恵里に照れ隠しでぶっきらぼうに相槌を返しショウタの部屋へと向かうユウトを、毅と恵里は微笑ましそうに見つめる。

 

 一方の寝室ではレポートを書き終えたショウタが机に突っ伏したまま眠りに就いている。

 

 「兄ちゃん起きろよ。7時だぜ」

 

 ショウタの部屋に入ったユウトが机に突っ伏し爆睡するショウタの肩を揺さぶり起こそうとする。

 

 「・・・ん~・・・」

 「起きろって、今日は1限から授業あるんだろ?」

 

 中々目を覚まさないショウタを、ユウトは声をかけながら更に揺さぶる。

 

 「・・・るさいないま何時だよ・・・?」

 「7時だっつってんじゃん」

 「・・・・・・7時・・・・・・マジで?」

 

 夢うつつのまま時間を聞いて帰って来た答えに10秒ほどフリーズして、ショウタはユウトに聞き返す。

 

 「うん、マジ」

 

 ユウトの言葉で、眠気が一気に吹き飛んだショウタは飛び起きる。

 

 

 

 「カット」

 

 13時25分。國近からの合図で、午前中の撮影はほぼ予定通りに終了した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「それにしてもよくあの土壇場でアドリブが思いついたわね?」

 「いやぁ、たまたまですよ」

 

 午前中の撮影が終わった昼休憩、憬たちキャスト陣は撮影現場のハウススタジオの片隅で紅林の用意した差し入れを片手に談笑していた。現場には撮影時の緊張感とは打って変わってアットホームな雰囲気が流れている。

 

 「でも偶々だとしてもいきなりドクさんからアドリブで行けって言われた一発目からあれだけ辻褄の合うアドリブを突発的に出せたのは凄いことだわ」

 

 一服をするために一旦その場を離れた紅林に代わるように、恵里を演じる杜谷がアドリブ込みの撮影を終えた憬に気さくに話しかけている。

 

 

 

 杜谷久美子(もりやくみこ)。19歳の時に劇団に入団したことをきっかけに芝居を始め、以降は劇団の看板女優として舞台を中心に活躍する傍ら、アニメ作品や洋画の吹き替えで主役級のキャラクターや主演女優の声を担当するなど声優業もこなしていた。そして5年ほど前に看板女優として所属していた劇団が解散して以降は映画やドラマにも進出し、バイプレーヤーとして数々のヒット作に出演するなどジャンルを問わずマルチに活躍する芸歴20年の実力派女優である。

 

 

 

 「あぁ・・・そうすか」

 「褒められているんだからもっと堂々としろよ」

 

 相変わらず杜谷に謙遜気味な憬に隣に立つ渡戸は“もっと自信を持て”と言わんばかりに背中を叩く。

 

 「そもそもまだ片手で数えるぐらいしか場数を踏んでいない新人じゃ普通はテンパって終わるところだよ。若い時の私だったら絶対無理だったと思うわ」

 

 ちなみに杜谷は憬が幼稚園の時に観た“ご都合主義のアニメ映画”で主人公のヒーローの声をあてていたのだが、当の本人はヒーローの“中の人”が目の前にいることに全く気づいていない。

 

 「・・・でも本当にたまたまなんですよ。ちょうど今日の朝、すごく恐い夢を見ていて“もしかしたら”って思っていただけなんで・・・」

 

 

 

 “果たしてユウトはあのきっかけ1つで全てを思い出せたのだろうか・・・”

 

 渡戸から“トラウマ”を植え付けられてからも、フラッシュバックの感覚が今一つ感情としてリンクしないチグハグな感触が残り続けていた。2度目の読み合わせや撮影に向けた自主練を経て、宮入家との距離感やユウト自身の感情には確実に近づいているという手ごたえはあったが、自分の中では納得できていなかった。

 

 物語の展開上、ユウトがクラスメイトから首を絞められたことだけがリョウコの記憶のトリガーだったとは思えなかったからだ。

 

 “・・・まだ俺はユウトにはなれていない・・・”

 

 そんな“一抹の不安”を抱えながら迎えた本番当日の夜明け。夢の内容自体はほとんど思い出せなくなってしまったが、今まで見た中で最も恐ろしい夢だったことだけは頭に残り続けていた。

 

 

 

 「多分、夢を見ていなかったら俺はドクさんのアドリブに応えられませんでした」

 

 

 

 現場(ここ)に向かう道中で、俺はふと思った。この“悪夢”をどうにかしてユウトの感情として落とし込むことは出来ないのか。悪夢を見たというトリガーがあれば、この後に起こるフラッシュバックにも違和感なく繋がる。

 

 問題はそれを監督の國近にどう伝えるかだった。そもそも台本を含め『ロストチャイルド』のストーリーに、ユウトがリョウコに首を絞められる夢を見たという事実は存在しない。つまりこれは、新人がいきなりあらすじに盾突くことを意味していた。

 

 いくら役者は自由であることがなんぼとはいえ、さすがにそれは恐れ多いにもほどがあった。

 

 「えっ?アドリブですか?」

 「そうだ。何であまり眠れなかったのか、自分がユウトになったつもりで考えてやってみろ」

 

 そんな俺の願いが通じたのか、國近が自らあらすじを潰してアドリブを要求してきた。本当にリハーサルの直前だったために戸惑い迷う暇もなく俺は一か八かの賭けを実行したら、偶然(まぐれ)とはいえそれが良い具合に噛み合った。

 

 

 

 “アドリブを終えた瞬間、俺の見た夢とユウトの見た夢が“重なる”感覚を覚えた

 

 

 

 「・・・憬くんは夢を見たおかげでユウトに近づけたって思ってるかもしれないけど、そもそも“ユウト”のことをもっと知りたい、もっと“ユウト”に近づきたいっていう思いがずっと心の中にあったから、憬くんは“ユウト”と同じように夢を見たんだよ」

 

 全ては偶然の産物(たまたま)だと自嘲気味に言う憬に、杜谷はこれまでの努力を労う言葉をかける。

 

 「だから今日のアドリブは全部憬くんの実力のうち。剣くんもそう思うでしょ?」

 「そうですね。舞台だろうと映画だろうと、稽古やリハは関係なく最終的には“本番が全て”の世界なんで極論だとやったもん勝ちですからね」

 「やったもん勝ち・・・」

 「そもそもアドリブ1つでドクちゃんにあそこまで言わせた時点で今日は憬君の大金星や」

 

 そしていつの間にか一服を終えて戻って盗み聞きを立てていた紅林が、“宮入家”の会話に加わる。

 

 「現に憬君、自分で考えたアドリブに確かな手応えを感じとるやろ?」

 

 

 

 “「与えられた役を演じる中で自らの経験を“役者の人生”に落とし込める役者は非常に少ないもんさ・・・・・・自らの意思でユウトの感情を正当化した以上、最後までソイツを飼い慣らせ」”

 

 

 

 リハーサルと最後の演技指導を終えた國近は本番前に俺にこう言った。それが紛れもない“お褒めの言葉”であることはすぐに分かった。

 

 「・・・はい。確かにあの夢を“ユウト”の感情に落とし込んでみたら、距離感は更に近くなった手応えはあります」

 

 紅林の言う通り、フラッシュバックのトリガーに“潜在意識(ゆめ)”が加わったことで俺はまた一つユウトに近づけたのかもしれない。だがそれと同時に、1つだけ引っかかっていることがまだあった。

 

 「でも、母親のリョウコと“対面”するには・・・もっと俺がユウトに近づかなければ駄目だと思うんです」

 

 2度目の読み合わせの時、宮入家の人間からは “「見違るほど良くなった」”と認められたが、リョウコを演じこの映画における“トメ”でもある入江ミチル(母親)は一度も首を縦に振らず目線すら合わしてもらえなかった。

 

 「・・・入江さんにとっては俺の演じているユウトはまだ、“リョウコの子供”じゃないと思うから」

 

 自分の中にいる“ユウト”が “実の母親”に認められていない現状が、俺の置かれている現実だ。

 

 「・・・ワイはそこまで気にすることはないと思うけどね。別にミチルちゃんがどう思うが、今“ここ”で芝居の権限を持っとるのはドクちゃんやし。憬君のことを観てくれる人間も1人やないし」

 

 確かに掴んだ手応えとまだ自分のことを眼中に視ていないミチルとの間で葛藤する憬に、紅林は優しくアドバイスをする。

 

 「・・・もっとシンプルになって自分の中でベストを出せばいいってことは、自分では分かってはいるんです」

 

 

 

  “もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ

 

 

 

 渡戸の言っていたアドバイスの通りに“今”を精一杯演じようにも、どうしても“リョウコ”のことが気掛かりになる。現に俺の中には、“まだまだ近づける”という強い思いがある。

 

 「ただ・・・俺はどうしても“ユウト”としてリョウコから“認められたい”んです」

 

 強い思いが言葉となって無意識に溢れ出ていた。入江ミチルに認めてもらいたい。そんな理由で俺はユウトという役を演じているつもりは全くなかったはずなのに、それが言葉となって溢れ出た。

 

 その言葉に、渡戸たちは一瞬だけ沈黙する。

 

 「・・・いや、今のはその、認められたいっていうか、そう、“シンプル”にもっとユウトを上手く演じたいな〜みたいな、それぐらいの意気込み的なやつです」

 

 自分で自分の放った言葉に驚き、しどろもどろになりながらも修正する。

 

 「・・・憬くんってさ、意外とハングリー精神高いよね?」

 「・・・えっ?」

 「もちろん良い意味で」

 

 そんなしどろもどろになった俺に、杜谷は微笑ましく笑いかける。

 

 「ハングリー精神を持つことは役者にとって重要なことや。剣君だって一見大人しそうにしか見えへんけどやる時はホンマにやるからな」

 「あんまり誤解を招く言い方するのはやめてくれますか誠剛さん?」

 「嘘つけ役作りとは言うて憬君の首絞めるとかもろ巌先生の影響丸出しやんけ」

 「あれは憬が役作りで悩んでいたからその手助けでやっただけですし、本気も出してません」

 「(いや、どう考えてもあれは本気だった気が・・・)」

 

 そして紅林の主語を省いたような例えに渡戸は困り顔でツッコみ、真面目な様子の渡戸を紅林は弄りつつも可愛がる。

 

 素の紅林は気さくな関西弁のおじさんそのものだが、カメラが回ると一気に全身を纏う空気が“毅”になる。とにかくこの人は普段と誰かを演じている時のギャップの差が本当に激しい。

 

 「まぁとにかく、そうやって上へ上へと高みを目指す姿勢を持つことはええことや。演出家然り、役者も“お利口さん”より“我が強く生意気”なくらいがちょうどええ」

 

 すると紅林は不意に俺の目を見ながら一回だけ肩を叩くと、

 

 「周りの連中から“なんやコイツ?”と思われてからが本番やからなこの世界は・・・」

 

 すれ違いざまにそう言って國近たちのいるスタッフ陣の方へと歩いて行った。

 

 「そろそろ昼休も終わりですね」

 

 渡戸の言葉でスタッフ陣の方へ振り向くと、國近と撮影監督の黒山が中心となって午後の撮影に向けた準備が進められていた。

 

 

 

 “芸能界はね・・・嫌われてなんぼの世界なんだよ。女優だろうと男優だろうとね

 

 

 

 牧から言われた言葉が、ふと頭の中を駆け巡る。

 

 嫌われることが役者にとっていいことなのかはまだ分からない。でも“期待を超える”ということは、認められると同時に“何だこいつは”と敵視されることにもなる。

 

 それでも俺は、そいつらの期待を“超えたい”という根底の思いがある。だからリョウコからユウトとして見られていないこの現状が、俺にはもどかしく感じる。

 

 “『・・・・・・おやすみ・・・・・・』”

 

 感情の抜け切った目で涙を流すリョウコから首を絞められ、殺されかけた。その記憶を思い出してもなお、ユウトはリョウコの元へと1人で向かった。一体何のために・・・

 

 

 

 “『やめろリョウコ・・・!!』”

 

 

 

 “そうか・・・・・・ユウトは悔しかったのか・・・

 

 

 

 「とにかく、自分なりにユウトを一生懸命に演じ切ればきっと伝わるさ」

 

 その場に立ったまま食卓で一足早く準備に取り掛かるスタッフ陣を見つめる憬の肩に、渡戸は手を当てエールを送る。

 

 「・・・はい」

 

 紅林からのアドバイスをきっかけに何かを “掴んだ”憬は、確かな“自信”を胸に秘めて静かに頷いた。




夏が始まってしまった・・・気が付くと来月で投稿開始から丸1年・・・・・・1年ってこんなに短かったっけ?

それはそうと、夕野親子の関係を未だに上手く書けない。仲は良いけどルイレイや夜凪ママのように睦まじいわけではなく、かといって星親子のように一定の距離感があるほど離れているわけでもない。何とも言えない独特の距離感。

一応脳内でIWGPの真島親子を思い浮かべながら書いているんですけど、文字にしてみたらこれがまぁ難しい。

きっとそれぐらい家族の関係って言うのは複雑で難しいものなんしょうかね・・・・・・知らんけど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・紅林誠剛(くればやしせいごう)
職業:俳優
生年月日:1959年7月27日生まれ
血液型:B型
身長:182cm

・杜谷久美子(もりやくみこ)
職業:女優・声優
生年月日:1960年10月31日生まれ
血液型:O型
身長:161cm


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scene.43 嵐の前


ルリドラゴン・・・・・・よき


 夜明けの薄暗い空。降りしきる雨の中、毅は駆け足で傘もささずにマンションの外に出る。その背中には、レインコートを羽織る1歳の男の子がおんぶされながら眠りに就いている。

 

 雨が降り注ぐ夜明けの空の下、毅は誰かから逃れるように駆け足で通りへと足を進める。

 

 「・・・本当にごめんな・・・でもこうするしかないんだ・・・」

 

 背中で眠る自分の子供に懺悔の言葉を吐きながら、毅は偶然通りがかったタクシーに手を挙げる。

 

 雨の降る中で傘もささずに手を挙げる毅の姿を確認したのか、タクシーが毅の元に止まる。

 

 「・・・どちらまで?」

 

 ずぶ濡れの状態で1歳の男児を背中に抱えた男に、タクシーの運転手はやや警戒しながらも行き先を聞く。

 

 「どこでもいいので“施設”まで行ってください」

 「施設って・・・」

 「とにかく出してください!」

 「・・・分かりました・・・!」

 

 切羽詰まった表情のまま毅は1歳の赤ん坊を背中から座席の方に下ろしながらタクシーの運転手に“施設”まで向かうように急かす。その異様な毅の様子に押されるように、運転手はタクシーのドアを閉め、タクシーはある場所へと向かって行く・・・・・・

 

 

 

 午前7時40分。雨が“一滴も振っていない”曇り空の下、演出付け込みのリハーサルを含めて午前5時前から行われていた過去パートのワンシーンの撮影はどうにか國近の予定していた時間ギリギリで終わった。

 

 

 

 

 

 

 「リアリティーに拘るドクちゃんが“雨降らし”なんて効率のええやり方をするとは、時代は変わったな」

 

 早朝の撮影を終え、スタッフ陣と共に行っていた撤収作業を終え一呼吸を置いていた國近に、毅の衣装から私服に着替え終えた紅林が気さくに声をかける。

 

 「前の映画(ヤツ)でマジの“雨天決行”をしたらエライことになったからな・・・」

 

 ちなみにこのシーンの撮影は“雨降らし”という撮影方法で行われた。理由はただ1つ、最も効率的な方法で“雨を降らせる”ことが出来るからだ。

 

 ついでに補足すると、先ほど紅林が背負っていた1歳の赤ん坊も精巧に作られた“フェイク”である。流石に本物の1歳児を雨でびしょ濡れにしても構わないという親が誰一人としていなかったということは、言うまでもない。

 

 「いくらリアルを追求するとはいえ、自重するところは自重すべきだってあの時に学んだよ」

 

 

 

 『ノーマルライフ』の撮影時、主人公のミライと誘拐犯の男が監禁先のアパートを特定した警察から逃れるために人里離れた森林の中にある空き家の古民家まで逃避行する場面で、雨が降りしきる森林を2人で古民家を目指して歩みを進めるというシーンがあり、國近は“雨”に拘るあまり天気予報から逆算してわざと雨の強く降る日に撮影を強行するという手段に出た。天気予報が的中したことにより撮影自体は一日で終わり、当然雨が降ることを前提にしていた撮影のため万全な雨対策を施しての撮影だったが、降りしきる本物の雨の中での撮影は過酷を極めた。

 

 “「こんな非効率で危険な撮影はもう懲り懲りだ」”

 

 その過酷さは撮影を終えた後、撮影監督として既に経験豊富だった寿一も思わずそうボヤくほどだったという。

 

 

 

 「当たり前や。あの時に主演の身になにかあったら、ワイらは事務所からとっくに訴えられてただろうからな」

 「アレ?誠剛さんその映画出てなくね?」

 「あ、バレた?」

 「普通にバレるわ」

 

 撤収作業の終わった撮影現場を『ノーマルライフ』の撮影(ロケ)に思いを耽させながら眺める國近に、『ノーマルライフ』には一切関わっていなかった紅林が小ボケをかまし、それに國近が気怠そうにツッコむ。

 

 「しかしながら今にして思えばあんな大手芸能事務所がよく承諾してくれたもんやな」

 「・・・あぁ、しかも児童劇団から今の事務所(ホリエプロ)に入って最初の仕事があれだからな。ついでに言っとくと、あれは牧静流本人からの逆オファーだったんだぜ?」

 「ホンマか?それ?」

 

 そんな牧がオファーを引き受けた経緯を当然ながら知らない紅林に、國近がその経緯を説明する。

 

 

 

 『ノーマルライフ』が企画された時点での國近は29歳の時に公開された長編デビュー作が一部の業界人の目に止まってはいたが、國近自身は依然として業界内ではドキュメンタリーディレクターという立ち位置で見られており、それは芸能事務所の関係者からも同じだった。

 

 “あの牧静流が?・・・冗談だろ?”

 

 このような背景もあり、当時“天才子役”として飛ぶ鳥を落とす勢いがあり大手芸能事務所(ホリエプロ)へ移籍し更なる飛躍が期待されていた牧静流から、事務所を通じて“是非ともあなたの作品に出させて欲しい”というオファーが直々に来たことに國近自身も驚きを隠せなかった。

 

 “確かに牧静流(コイツ)は同世代の天馬心と共に、従来の子役上がりとは一線を画す芝居とセンスを持っている・・・”

 

 子役としてメディアに出るようになった頃から、牧の演技力は他のどの子役と比べても群を抜いていた。その演技力を武器に彼女は、同時期に活躍していた同じく子役上がりの元俳優・天馬心と共に日本の芸能界における“子役”の敷居を一気に押し上げた。

 

 “・・・だが・・・牧静流(コイツ)の芝居は“出来すぎ”ている・・・”

 

 誰が発端かは知らないが、牧はメディアから“第二の星アリサ”と呼ばれるようになっていた。だが、星アリサと牧静流の芝居の本質は全くもって“正反対”であるのは会う前から知っていた。

 

 これを例えると、星アリサが生粋の天才であるとするなら、牧静流は“作られた”天才ということだ。正直、俺はそういう“型にはまりきった”役者が今でも一番嫌いだ。

 

 「最初に言っておくけど、俺はあんたを子供扱いなんてしねぇからな。俺の映画に出たことでその順風満帆なキャリアが汚されようが、責任は取れないぞ?」

 

 オファーの件で事務所に出向いた時、俺は隣にマネージャーがいようが関係なく牧に敢えてきつい言葉をぶつけた。無論これは、彼女の“役者としての覚悟”がどれほどのものなのかを確かめるためだった。

 

 「・・・何黙って俺の目をずっと見てんだよ?黙ってたら何も分からねぇだろ?」

 

 そういった具合で脅しをかけると、牧は黙ったまま俺の視線を1ミリも逃さないほど凝視してきた。その視線に、俺は久しぶりに心の底から恐怖にも似た感覚を覚えた。

 

 「・・・周りの大人たちは私のことを“天才”だとか“将来は大物女優”だとか言って勝手に褒めてくれるけど、私のことを包み隠さずに“視てくれた”のは國近さんが初めてだよ」

 

 そして俺を凝視したまま、牧は11歳の少女とは思えないほどの大人びた台詞を吐きながら自分の思いを訴えかけて来た。

 

 

 

 “「・・・もういい加減、“天才子役(作りもの)”は卒業したいの・・・」”

 

 

 

 俺の眼を凝視して牧が放ったこの一言は、紛れもなく“ホンモノ”の役者が心の内に秘めている“感情”だった。

 

 

 

 「いやそれドクちゃんが逆に惚れただけやないかい」

 

 國近からの話を一通りほど聞いた紅林は揶揄い半分にツッコみを入れる。

 

 「惚れたわけじゃねぇ・・・ただ(アイツ)がまだまだ“未完成”な役者(ヤツ)だったことを再確認できたってだけの話さ」

 

 紅林からのツッコミに、國近は冷静に言葉を返す。

 

 結局あの時に牧の覚悟を確かめて主演としての起用に踏み切った國近の選択は功を奏した形となり、國近は『ノーマルライフ』で映画監督としての地位を確立した。

 

 「でも我ながら大正解だったよ。牧静流を起用したのは」

 「・・・さよか」

 

 自分の采配を控えめに自画自賛する國近を見て、紅林はほくそ笑みながら呟くように言葉をかける。

 

 「・・・それやったら憬君も無事にそうなってくれるとええよなドクちゃん?

 「・・・どういう意味だ?」

 

 その如何にも意味ありげな言い方に、國近は疑念を向ける。

 

 「ってアレ?随分おとろしい顔しとるやないか?」

 「そりゃあこんな風に“如何にも”って雰囲気出されたら疑ってかかるのが人間の(さが)だからな」

 「あぁいやいや今のは全部ワイの小芝居やから気にせんといて!」

 「こんな下らないことに自分の演技力を使わないでくれるかな誠剛さん?」

 「も~さっきからノリ悪いなドクちゃんは」

 

 その場しのぎの小ボケをかまして誤魔化したが紅林もまた、俺と同様に撮影を通じて夕野に起こっている“変化”に気が付いている。いや、恐らくそのことは共演者はおろか黒山を始め現場にいる殆どの人間が何かしら勘づいているだろう。

 

 「・・・大した話やない。ワイはただ、日に日に憬君の芝居の精度が上がっとるなと思っていてね・・・」

 「・・・そうだな」

 

 ロストチャイルド(この映画)で夕野がクランクインしてから1週間。夕野の芝居は、日を追うごとにその精度と没入が増してきている。この1ヶ月強で、共演者との距離感を意識した芝居を自分の中に取り入れたことで“あのドラマ”の時と比べ物にならないほど“演じる”のが上手くなり、安定感も出始めた。

 

 「恐ろしい子や・・・あれは芝居を始めてたった数ヶ月程度の人間が()れるような芸当やないで。ある意味剣君(主演)よりも“主演”やぞありゃ」

 「・・・稀にいるんだよなぁ、作り手の予想を軽々と超えていくような役者(ガキ)

 「ほんまは全部予想しとった癖によぉ言うわ」

 

 とはいえ元から持ち合わせている素質の高さはオーディションの時点で既に分かり切っていたこともあり、本音を言うと現時点では俺の中で想定の範囲内に収まっている。

 

 「・・・今のところはな」

 

 それはあくまで“現時点”での話だ。夕野は今、明日に撮影をするフラッシュバックの場面、もとい母親のリョウコを照準にしてユウトの感情に入り込んでいる。その後に実の母親であるリョウコを探しに行くためには、確かに必要な感情である。

 

 「でも・・・明日以降は何とも言えねぇ」

 

 生まれたばかりの赤ん坊が“たった1,2年”で大人の何倍ものスピードで急成長していくように、伸びしろしかないガキは時として想定以上の成長を見せつけてくることもある。

 

 役者は常に未完成であり発展途上であるからこそ化け続けることができ、俺たちは映画を撮る甲斐というものを肌で感じることができるものだ。

 

 

 

 “その為だったら、“既存のものを壊す”ぐらいの覚悟がなければだめだ

 

 

 

 「・・・・・・ひとまず今回ばかりは“ミチルちゃん”に感謝やな」

 

 明日以降は予想できないと一見不吉そうな言葉を呟きながら意味深な笑みを浮かべる國近に、紅林が同じような笑みを浮かべ言葉をかける。

 

 

 

 “『なるべく夕野君()とは距離を置きたいんです。出来れば一切コンタクトも取りたくないくらいに・・・』”

 

 

 

 「・・・そうだな。正直なところ悔しいが、夕野(アイツ)がこの短期間であそこまで化けることができたのは紛れもなく入江さんの力が大きいだろうよ」

 

 顔合わせの前日にミチルから彼女の行きつけのギリシャ料理店に呼び出された時にお願いされた言葉を、國近は思い出す。憬にはまだ知らされていないがミチルが憬のことを露骨に避けていたのは、全て自身(リョウコ)の役作りのためだった。

 

 「とは言うてもミチルちゃんはまだ憬君のことを認めてへん感じやけどな」

 「あぁ・・・それは俺が誰よりも知ってる」

 

 もちろんこれらの話を、憬本人に打ち明けるつもりは2人にはない。

 

 「念のためだが、夕野には最後まで黙っていてほしい」

 「おう、心配すな」

 

 隣で念を入れる國近に紅林は肩を一回軽く叩いてそれに答えると、そのまま「ほなおつかれさん!」と元気よく挨拶の言葉をかけて現場を後にしようとする。

 

 「そうやドクちゃん!」

 

 そして数歩ほど歩いたところで、紅林は何かを思い出したかのように國近の方に振り返り名前を呼ぶ。

 

 「・・・明日の撮影・・・・・・うまくいくとええな・・・

 「・・・・・・そうだな・・・わざわざ気にかけてくれてありがとよ、誠剛さん」

 

 直後に発せられた紅林からの言葉に國近は一瞬だけ“不穏”な予感を感じ取ったが、すぐにその激励を素直に受け入れた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日_神奈川県横須賀市_旧野比高校_

 

 「・・・やめろ・・・やめろ・・・!」

 

 クラス内で起きた些細な喧嘩の最中、相手に首を絞められた直後にユウトは突如呼吸を乱し、緊迫した様子で “何かに”怯えるような目線を周囲に向ける。

 

 「・・・なんで・・・どうして・・・?!」

 「・・・お、おい?どうした宮入?」

 

 その尋常ではない怯えに、野次馬の生徒たちはおろかユウトの首を絞めたクラスメイトのケンジすらも困惑を隠せない。

 

 「・・・・・・母ちゃん・・・・・・」

 

 そしてユウトは力なくそう呟くと、その場で気を失った。

 

 

 

 「ハイOK・・・よし、じゃあだいたい今のような感じのままプラス“2割増し”でもう一度リハ通すぞ」

 

 ユウトが気を失うと同時のタイミングで國近がリハーサルを止める。

 

 「・・・・・・了解です」

 

 そして外野から聞こえてきた監督の言葉が耳に入り憬はムクっと起き上がると、その数分後に國近からの助言を元に先ほどよりも“2割増し”でユウトの感情に入った状態で同じシーンのカメリハをこなす。

 

 こうして横須賀市にあるハウススタジオとして改装された旧野比高校の校舎内で行われている『ロストチャイルド』の撮影は、何のトラブルもなく今日も順調に進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 「・・・久々に見たぜ・・・あの“若さ”であそこまでメソッドをものにしている役者っていうのは・・・」

 

 スタッフに指示を出しながらこの後の本番に向けて共に最終調整を行っていた寿一に、國近は呟くように話しかける。無論、國近の言う“若さ”というのは年齢という訳ではなく、“芸歴”のことである。

 

 「今は取り込み中だ、悪いがそういう話をしたければ撮影が終わった後にしてくれ」

 

 いきなり私語を挟んで来た國近に、一回り年上の寿一は苦言を呈す。

 

 「・・・いや、どうしても本番の前にちょっとだけ寿一さんの感じてることを確認しておきたい・・・って思ってね」

 

 そう小声で寿一に言うと、國近は一旦窓の外から教室を照らす照明のコントラストを僅かに下げるよう指示を出す。

 

 「・・・夕野のことか?」

 「あぁ。寿一さんは勘が鋭くて助かるよ・・・」

 

 

 

 「大丈夫か?夕野?」

 

 スムーズにユウトの演技をしてもらうために本番の5割、7割の力を入れた状態で段階的に感情移入させながらのカメリハを行う直前、俺はまだ“オフ”の状態だった夕野に話しかけた。

 

 「大丈夫です、余裕です」

 

 俺からの言葉に、夕野は自信満々な表情でクールに答えた。

 

 「・・・随分自信があるみたいだな・・・」

 「・・・自信っていうか、今ユウトを演じられるのは俺だけですから」

 

 初日の撮影以降、夕野(コイツ)の役の理解度からくる“根拠のない自信”というものは膨れ上がり続けていて、初めて顔を合わせた時の“シャイな中坊”の面影はほぼ無くなってきている。夕野の変わりように何がコイツをそうまでさせるのか、その根底にあるものは明らかだ。

 

 「ならとにかく好きなように()れよ。“本気(マジ)”でぶっ倒れるなんて真似されたら俺は御免だけど」

 「・・・はい」

 

 返事を終えると、夕野はゆっくりとユウトの人格に乗り移るかのように心の中のスイッチを“オン”にしてカメリハに臨んでいった。

 

 

 

 「・・・本番前に不吉なことはなるべく言いたくないが・・・・・・今の状態が続くのは“危険”だな・・・」

 

 カメラ割りの最終チェックを終えた寿一が、國近へ静かに忠告をする。

 

 「そうか・・・・・・やっぱり寿一さんもそう思っているか・・・」

 

 だが寿一からの忠告に國近は半笑いで答えると、

 

 「・・・恐いよなぁ、たった一人の“母親(オンナ)”のためにここまで本気になれるなんてよぉ、ほんとガキの成長には驚かされてばかりだぜ」

 

 とまるで他人事のような一言を寿一に返す。

 

 そんな様子の國近を見て企みを察した寿一は、全てを悟った上で敢えて目の前にいる國近に真っ直ぐに視線をぶつけて再度忠告をする。

 

 「・・・“監督”・・・どういう事情があるかは知らんが・・・これ以上夕野(あいつ)を“追い込ませて”いたら近いうちに“限界”が来る

 

 “今の状態”になっている夕野の心の中にある自信は“ホンモノ”なのか“ハッタリ”なのか、それはレンズ越しでも十分に伝わってくる。こうやって25年もカメラを回していれば、嫌でも被写体の動きに加えて“感情”をも読めてしまうのだ。

 

 その自信が紛れもない“ホンモノ”であればあるほど、何かの拍子にへし折れるリスクも高まる。

 

 「・・・下手したら全てを撮り終えるまで耐えられる保証もできないぞ

 

 夕野の芝居に入った時の集中力の高さは“異常”なほどに高く、もちろんそういう類の役者をこれまでに何人もレンズに収めてきたが、“この若さ”でここまでのメソッドを持ち合わせた役者を相手にするのは初めてのことだ。

 

 故に、“今の状態”になっている夕野は諸刃の剣も同然であまりに油断ならない。

 

 「・・・それぐらいの覚悟は俺も夕野(アイツ)もとっくに持っているさ・・・」

 

 しばらくの沈黙ののち、國近は寿一の目を真っ直ぐに捉えて覚悟を述べる。

 

 「だから俺はユウトの役に夕野を抜擢した

 

 追い打ちを叩かれる前に自らが叩き込むように、國近は眼をギラつかせながら言い放つ。

 

 この眼を見た瞬間、寿一はこの男は何があろうと憬を“好きに()らせる”ことを止めるつもりはないと言うことを察した。

 

 「そうだったな・・・・・・お前さんは“そっち側”の監督(人間)だからな・・・」

 

 

 

 “『映画監督っていう生き物は大きく分けてふたつの人種に分けられる。ひとつはありふれたものしか撮らないが人の道を重んじて人を大切にする生き方を選んだ映画監督(やつ)。そしてもうひとつは・・・誰も見たことのないものを撮るがそのためだったら人の道を外れることを厭わない生き方を選んだ映画監督(やつ)だ・・・』”

 

 

 

 撮影監督として独り立ちして間もない頃、1つの映画を通じて製作を共にしたある映画監督が言っていた言葉を寿一は思い出していた。

 

 どちらが正しくてどちらが間違っているという答えはない。映画監督、ないし演出家が作品を創作する過程で演者の心を壊してしまうことは“御法度”だ。

 

 だが演者のまだ知らない新たな顔を撮るためには、時として人の道を外れる勇気と覚悟を演出家は肝に銘じなければならない。

 

 少なくとも國近独という映画監督は、紛れもなく後者の生き方を選んだ映画監督(やつ)だ。

 

 

 

 「全く・・・映画監督っていう生き物はつくづく呪われているな

 「あぁ・・・・・・おかげさまで常に“死と隣り合わせ”で嫌になるよ」

 

 互いの捨て台詞を合図にするように國近は待機室となる教室へ一旦戻っていった憬や生徒役の役者を呼ぶよう手隙のスタッフを促し、寿一はカメラの最終調整を済ませた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 一方ほぼ同時刻、撮影が行われる教室の隣に用意された待機室の教室内で憬を始めとした生徒役のキャスト陣が本番を前に最後の休憩をしていた。

 

 “・・・リハーサルでアレとかヤバすぎるだろ・・・”

 

 だが本番を待つキャスト陣の視線はある1人の男に向けられ、教室には嵐の前の静けさのような独特な空気が流れていた。

 

 “・・・こういうやつが大物(スター)になるんだろうな・・・”

 

 窓際の席に座り無言でボーっと空を眺める憬に、周囲の視線が集中する。まだまだ無名で名の知られていない新人が見せつけた芝居は5割7割でも衝撃を与えるには十分なものであり、様々な感情が入れ交じった幾つもの視線が憬には向けられている。

 

 “・・・・・・”

 

 だが当の本人はそんなことなどつゆ知らずで、無心になったまま窓の外に広がる曇り空に目をやり続ける。

 

 「夕野・・・だっけ?」

 

 そんな中、1人の生徒役が空を見つめる憬に声をかける。

 

 「・・・・・・そうですけど?」

 

 本番を前に一旦ユウトの感情を排除して何も考えずに空を眺めていたところに、喧嘩の末に首を絞めたことでユウトがフラッシュバックを起こすきっかけとなる生徒・早瀬賢史(はやせけんじ)(ケンジ)役の狩生尋(かりうひろ)にいきなり声をかけられ、憬は一瞬だけ状況が掴めず反応が遅れる。

 

 「1つだけ聞きたいことがあんだけど?いいかな?」

 

 撮影以外で面と向かって話したのは最初の読み合わせの時に一言だけ挨拶したくらいだが、年齢も近く芸歴もエキストラや幼少期の“ショウタとユウト”を除くと出演者の中では憬と共に芸歴1年足らずの狩生のことは、人の名前を覚えるのが苦手な憬でも名前と顔は把握していた。

 

 「・・・今の夕野は“ユウト”か?それとも“お前自身”か?」

 「・・・今は“自分”です。“ユウト”の感情は外してます」

 

 開口一番、あまりに抽象的で直接的なことを聞かれてまたしても憬の反応が鈍る。この返答が正解なのかは分からないが、今ここにいる自分は紛れもなく“俺自身”であることを憬は狩生に伝える。

 

 「そっか・・・悪い、せっかく集中してたところを邪魔したな」

 「・・・狩生さん」

 

 憬からの返答を聞くと、狩生はいきなり話しかけたことを詫びて自分の座っていた席に戻ろうとするが、今度は憬が狩生を呼び止めて最後の確認をする。

 

 「ん?」

 「・・・俺はちゃんとユウトになれてますか?」

 

 ケンジという役はこの後の喧嘩とその後の家出をきっかけにユウトの置かれている事情を知り、物語の終盤には良き理解者となる『ロストチャイルド』の物語上ではある意味キーマンとなるような役柄だ。

 

 「・・・なんで俺に聞く?そんなの監督に聞けば済む話だと思うけど?」

 

 役に入り込めているということは、相対する共演者にも己の演じる感情がしっかりと伝わっているということ。つまりそれを確かめるには、監督よりも近くで対峙する共演者に直接聞くのが手っ取り早い。

 

 「いや・・・ケンジを演じているのは狩生さんだから、“ケンジの感情に入り込んでいる時に俺はユウトに見えているか”っていうのは狩生さんにしか分からないはずなんで」

 

 何の悪意もなく、ただ自分が“ユウト”をちゃんと演じられているかを確認した憬を見つめる狩生の眼に、一瞬だけ野心に似た感情が宿る。

 

 “・・・自分が出来るなら周りも出来て当然ってか・・・・・・“Exciting(おもしれぇ)”・・・”

 

 「・・・出来てんじゃね?少なくとも“ユウト”になってる時の夕野はシバきたくなるくらいムカつくし」

 「・・・そっか・・・ありがとうございます」

 

 衣装の制服のポケットに手を突っ込んだ姿勢でややぶっきらぼうにそう答えると、憬はそれに真っ直ぐな目を向け感謝を込める。

 

 「じゃあよろしくな・・・・・・俺もガチでやるから

 

 

 

 最後に捨て台詞の激励を言うと狩生は今度こそ自分の座っていた席へと戻る。その瞬間、待機室の教室全体の空気がほんの一瞬だけピリついた。




週刊少年ジャンプで新連載をやらせてもらってます、龍と人間のハーフ、その名も、ルリで~す!

朝起きたら、頭にツノ2本、ルリで~す!

クシャミしたら、口から火出た、ルリで~す!













失礼しました。


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scene.44 フラッシュバック

 「オイ宮入」

 

 授業終わりの放課後、スクールバッグを肩に背負って部活へと向かおうとするユウトを、ケンジが呼び止める。

 

 「・・・何?」

 

 だがどういうわけかケンジはユウトに対して怒っているようだった。それを直ぐに感じ取りながらも身に覚えが全くないユウトは喧嘩腰に絡んできたケンジに、やや苛ついた態度で振り返る。

 

 「お前だろ俺に万引きをしたって擦り付けたの?」

 「は?何で俺が早瀬を?」

 

 数日前、ケンジはコンビニで“万引き”したことを誰かにチクられ生徒指導を食らっていたが当の本人は万引きなどしておらず、結局はただの人違いだった。

 

 だが今度は、ケンジが万引きしたという噂を流したのがユウトだという噂が学校で広まっていた。

 

 「だってお前がその万引きの話を福田にチクったんだろ?」

 「あぁ万引きのことを話したのは俺だよ、でも誰がやったとかまでは俺は言ってねぇしそもそも知らねぇよ」

 

 ちょうど部活を終えた帰り道、ユウトは部活仲間と共に下校路についていた時に、偶然にも万引きが起きた時間に下校路の途中にあるコンビニに差し掛かり、ユウトは仲間と共にコンビニから駆け足で逃げる男の姿を見ていた。だが暗くなっていた上に距離もあったため顔までは分からなかった。

 

 「とぼけてんじゃねぇよクズ」

 

 だがケンジはユウトの話に全く耳を傾けず、罪を擦り付けられクラスメイトから白い目で見られたことへの怒りをぶつけ続ける。

 

 

 

 「(よし・・・この調子だ・・・)」

 

 1カメを持つ寿一は、目線をカメラ越しに演者に向けつつ冷静沈着にカメラを回していた。ユウトとケンジの喧嘩が始まり、取っ組み合いになった末にケンジが首を絞めたことでユウトがフラッシュバックを起こすまでの一連の流れはワンカットで撮影されるため、演者もスタッフも撮影中の緊張感は半端なものではない。

 

 「は?そんなに俺の言ってることがそんなに信用できねぇの?」

 

 お互いの一歩も引かない態度に段々と苛立っていきヒートアップするユウトを演じる憬とケンジを演じる狩生の感情を読み取り、寿一は次の“動き”を予測しながら眼光を尖らせて引き続きカメラを回す。

 

 「・・・てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!

 

 そしてついに堪忍袋の緒が切れたケンジが、ユウトの胸ぐらを力任せに掴む。その衝撃にユウトは一瞬だけバランスを崩しかけるがすぐさま持ちこたえる。

 

 「(オイオイ、随分と気合が入ってんじゃねぇか)」

 

 その光景は、まるで芝居というよりは本気でクラスメイトの2人が喧嘩をしているようだ。

 

 「(・・・ったくこれだから血の気の多いガキは油断ならねぇ・・・)」

 

 2人の喧嘩をカメラで捉えている寿一は、本番に入り今までで一番演技に力の入っている2人を冷静に分析しながら動きを追い続ける。

 

 「(・・・“引き立て役”の癖にこのまま終わりたくねぇってか・・・)」

 

 一方國近は、カメラの先で取っ組み合いの喧嘩を始める2人を台本を片手に眺めながらほくそ笑んでいた。

 

 

 

 「スターズを蹴った?」

 「ハイ。今の事務所からスカウトを貰ったのと同じ日にスターズからもスカウトされたんですけど、フツーに断っちゃいました」

 

 ユウト役のオーディションの時、夕野とはまた違った意味で印象に残った奴がもう一人いた。

 

 「断ったってお前・・・別に華野(かの)さんとこも悪くはないだろうけど何でわざわざ二択の中で“そっち”を選んだんだ?」

 「いやだって、事務所の人に“16になったらバイクを買っていいか”って聞いたらスターズは“NO”、オフィス華野は“YES”。もう即決でしたよ」

 「・・・そんな理由で事務所を選んだのか、お前?」

 「そうです。別に事務所に入る理由なんて何だっていいじゃないですか?」

 

 芸能界(この世界)に入ったきっかけは“学校がつまらないから”という芸能界を志すにはあまりにも安直な動機で、バイクを所持していいかで事務所を決めてしまうような身勝手さに、目上だろうがお構いなしに食って掛かる太々しさを隠そうともしない。

 

 「・・・それより早くエチュードでもやりましょうよ。せっかく芝居しに来たんだから

 「オイいきなり英語で話進めんじゃねぇよナメてんのか帰国子女コラァ?

 「これはスイマセン、9歳までLAで生活してたもんでそのクセがつい」

 

 おまけに履歴書に書いてあった6年間の海外生活を経て手に入れたであろうアメリカ仕込みの流暢な英語で嘲笑うようにさっさとオーディションを始めようと俺を急かしてくる始末。少なくともこの“ネイティブ顔負け”のスムーズな発音からして、経歴はガチだ。

 

 「・・・チッ、わざとなのが見え見えなんだよ」

 

 そんなクソほど生意気な態度の奥底にある我の強さに、自分という確たる“芯”を見た。

 

 “・・・まだ主演で使うには至らないが・・・・・・野放しにするのももったいない・・・”

 

 「・・・ひとつ言っておくが、お前はこれからビッグになるかクソガキで終わるかのどっちかだな

 

 狩生尋(かりうひろ)、15歳。コイツもまた、夕野と同様に“大器になる”素質を持っている。

 

 元々ケンジの出番は今撮影している喧嘩のシーンだけの予定だったが、端役では収まらない狩生の素質を見て、急遽ケンジの出番を増やした。無論それを含めて色々な要因があったおかげで台本の完成が顔合わせ当日まで遅れたのは言うまでもない。

 

 

 

 “・・・これだから未完成の役者(ガキ)は演出し甲斐がある・・・”

 

 本番に入って一気に芝居のギアを上げるように、本当の喧嘩さながらの演技をする憬と狩生を國近は食い入るように見つめる。

 

 “しかし、狩生(コイツ)がここまで()るやつだったとは・・・”

 

 だがこの時、國近の脳内にはたった1つの誤算が生まれていた。本番に入りユウトへの感情移入を急激に上げてきた憬はともかく、本番になって狩生の芝居が國近の想定を上回って来たのだ。

 

 “どおりでこんな性格でも華野さんがコイツを薦めてきたわけだ”

 

 事務所のオーディションに通ったこともあり基礎的な技術は身に付けていた狩生だったが、今までは憬の新人離れした芝居に反して読み合わせやリハの時点での芝居自体は特筆するほどのものではなく、國近自身も出番を増やしたことは早とちりだったかもしれないと内心では思っていた。

 

 “・・・お前も案外良い芝居(モノ)をもってんじゃねぇか・・・”

 

 だが本番に入った瞬間、狩生はリミッターを外し隠し持っていた力を一気に発散するような熱量で芝居を始めた。とはいえそれは憬のように役に入り込むというよりは、自身の感情を介して“ゾーン”に入っている状態と言えるものだが、それがケンジの感情とうまい具合にリンクし、フィクションとは思えないほどのリアリティーあるシーンが展開されている。

 

 これは國近にとっては想定外であると同時に、“嬉しい誤算”でもあった。

 

 “・・・ただあまり力を入れ過ぎて飲み込まれないでくれよ・・・”

 

 狩生は今、引き立て役(ケンジ)として主人公(ユウト)に正面からぶつかり、対等に渡り合っている。そして引き立て役の芝居が際立てば際立つほど、主人公の存在は大きくなる。

 

 だからといって不安材料がなくなったわけではない。今カメラの前で喧嘩を繰り広げている2人は所詮、互いにそれぞれ芸歴1年目の青二才。役者としての実力や素質はともかく経験値はどちらも限りなく浅く、力加減も完全には制御しきれていない。

 

 

 

 “・・・嫌な予感がする・・・

 

 

 

 「てめぇマジで殺してやる・・・!」

 「あぁやってみろよ!」

 

 そして2人は机を押し倒しながらも互いが互いの胸ぐらを掴み合い、ついにユウトは教室のロッカーに背中から寄りかかるような形になる。いよいよここからケンジがユウトの首を強く締めて、ユウトは母親のリョウコから無理心中で首を絞められた過去を思い出す。

 

 「お前のせいで・・・!

 

 ロッカーに寄りかかった体勢になったユウトの首を、ケンジは思い切り力を込めて締める。

 

 「やめろケンジ!」

 

 すると野次馬のように見ているだけだった周囲の取り巻きもさすがに危険を感じてユウトとケンジの喧嘩の仲裁に入る。

 

 「・・・!?」

 

 仲裁に入った生徒がユウトとケンジを引き離した直後、ユウトの顔が突如として青ざめ次第に呼吸も荒くなり、“何かに”怯えるような目線を周囲に向ける。

 

 「・・・やめろ・・・やめろ・・・!」

 

 一見するとこれは台本に書かれていたシナリオ通りで、取り巻きの生徒を演じている役者陣もここまで順調に撮影が進んでいることを疑いもしない。

 

 「(・・・いま一瞬・・・夕野(こいつ)の芝居が解けた・・・?)」

 

 だがカメラを回す寿一とモニターと演者を交互に確認しながら指揮を執っている國近の2人だけは、憬に起きたある“異変”に気が付いていた。

 

 「(何とか持ち直したか・・・でもまずいな・・・)」

 

 それは素人の目線からしてみれば全く気付ける隙もないほどに細かな違いだったが、狩生から首を絞められたその瞬間、本当に0コンマほどの一瞬だったが夕野の芝居が解けた。モニターと演者を交互に見ていた俺がそれに気付けたということは、間違いなく寿一さんもそれに気が付いている。

 

 まさかとは思うが、今までで一番の熱演をする狩生に触発される形で必要以上に役に入り込んでしまったのだろうか。

 

「・・・なんで・・・どうして・・・?!」

 

 夕野はユウトの感情に乗り切りフラッシュバックに怯え続ける。だが首を絞められたのを境目にしてその感情にはどういうわけか、“リョウコ”以外の誰かがいるような背景が浮かび始めた。

 

 「・・・お、おい?どうした宮入?」

 

 一方で、夕野の身に起きていることなど全く気付く様子のない狩生はケンジとして芝居をそのまま続ける。無論、“この程度”の感情は素人はおろか映画鑑賞を生業にしているマニアですら気付けることは容易ではないだろう。

 

 だが俺にとっては、そんな1ミリにも満たないような“感情の綻び(ズレ)”が気に障って仕方がない。

 

 

 

 「・・・・・・母ちゃん・・・・・・」

 

 得体の知れない何かに怯えながら額から汗を流して明後日の方角に視線を定めたユウトは力なくそう呟くと、そのまま意識を失う・・・

 

 「カットだ」

 

 憬がユウトの台詞を呟いた直後、國近は突如として撮影を止めた。後はフラッシュバックのショックでその場に倒れたユウトに、ケンジが肩を揺さぶりながらユウトの名前を何度も呼ぶシーンを残すのみでワンカットの撮影が終わるというタイミングだった。

 

 「・・・何で止めたんですか?」

 

 今のどこがNGだったのかを理解出来ずにいる狩生が憬を除くその他の役者陣の気持ちを代弁するが、憬はその場に座り込んで“自分でも何が起きたのか分からない”といった表情をしたまま、カットをかけて駆け寄ってきた國近の方に視線を向けている。

 

 「・・・夕野?」

 

 そして憬の只事ではないような表情が視界に入った狩生も、少しずつではあるが“何かが起こった”ことを察し始める。

 

 「夕野・・・正直に答えろ・・・・・・今お前が頭の中に思い浮かべたのは、本当に“母親(リョウコ)”か・・・?」

 

 何が起こったのか全く把握出来ておらず混乱する撮影現場の空気をよそに半分放心状態となった憬の前に駆け寄った國近は、憬の肩に手を置きながら“何かに怯え続ける”視線を凝視しながら問いかけた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『・・・憬・・・』

 

 2歳の時に母親と共に横浜へ引っ越す前、俺は都内にある1DKの古びたアパートの一室で過ごしていた。

 

 『・・・君は相変わらずかわいいな・・・』

 

 窓の向こう側から微かに雨の音が聴こえる夜明け、不意に話しかけられたことで目覚め始めた俺の頭を父親が撫でる。夢うつつで意識は曖昧だったが、俺の頭を撫でながら優しく語りかけているのが父親だということはすぐに分かった。

 

 『・・・でも・・・・・・僕はもう駄目なんだ・・・

 

 次の瞬間、一瞬の閃光と共に落雷の轟音がまだ薄暗い部屋全体に響き渡り、心臓に鉛玉をぶち込まれたかのような衝撃が走り俺の意識は一気に覚醒した。

 

 “・・・えっ?・・・”

 

 気が付くと、父親は“死んだ魚”の目で見つめながら馬乗りになり両手を俺の首元に優しくかけていた。当然俺は、今ここで何が起こっているかなど全く把握していない。

 

 『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・

 

 そして何も把握できずにいる俺に父親は感情の抜け切った表情で一言だけそう言った直後、首にかかる圧力が一気に強まり、俺は息を吸うことも吐くことも出来なくなった。

 

 あまりに突然の出来事に、声を発することも暴れることもどうすることも出来ずに訳が分からないまま俺の意識が再び遠のき始めた。

 

 “・・・父ちゃん・・・・・・泣いてる・・・?”

 

 その時、左の頬に一粒の温かい何かが落ちた。薄れゆく意識の中で視線を父親の方へ動かすと、父親は一筋の涙を溢しながら俺の目を凝視していた。

 

 『・・・・・・何やってるの!?

 

 どれくらいの時間が経ったあたりか、右隣から母親の叫ぶ声が聞こえた。そしてその声に妙な安心感を覚えた俺の意識はここで途絶えた・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・ッアァッ!!・・・ハァ、ハァ・・・ハァ・・・」

 

 午前5時30分。憬は幼いときの悪夢に魘されながら飛び起きた。

 

 ピッピッピッピッ_

 

 「・・・・・・ッ!」

 

 飛び起きたと同時に午前5時30分を知らせるスマートフォンのアラームが鳴り響き、憬は反射的にそのスマートフォンを右手で乱雑に拾い上げ壁に投げつけようとする。

 

 “・・・・・・何やってんだ・・・・・・俺・・・・・・”

 

 アラームが鳴りっぱなしのスマートフォンを壁に投げつけようとする寸でのところで正気に戻った憬は、アラームを止めて乱れた呼吸を整える。

 

 

 

 それは、考えうる限り最悪な“悪夢”だった。

 

 

 

 

 “・・・・・・まさか父親(あいつ)の記憶が夢の中に出てくるとは・・・・・・”

 

 俺が役者を辞め、小説家として生きていくことを決めた“あの日”に“心の奥底”へ葬り去ったはずだった、父親の記憶。俺の頭の中に残っている記憶の中で最も古い記憶であり、俺の頭の中に唯一残り続けている父親との記憶。

 

 何故あの時父親は泣いていたのか、それは未だに分からない。結局あの日から30年以上の時が流れたが父親とはあの日以来会ってすらおらず、どこで何をしているのかすらも分かっていない。

 

 「・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

 それにしても、何故今更になってこんな“大昔の過去(トラウマ)”が夢になって出て来たのだろうか。はっきり言ってあの日の記憶は、思い出そうと考えることすら苦痛だ。

 

 “・・・気分が悪い・・・”

 

 最悪な悪夢に魘され頗る気分の居心地が悪くなり、ひとまず一服をしようと嗜好品を置いているリビングへと歩みを進めようとしたその時だった。

 

 “・・・・・・痛くない・・・・・・”

 

 どういう訳か、それまでこういった“悪夢”を見た後に必ず襲ってくるはずの頭痛が全く襲ってこないことに気が付いた。小説家の男が俺の前から姿を消したあの日を境に、それ以前の過去を見ると必ず頭痛が襲って来たが、今回はその頭痛が全く襲ってこない。

 

 

 

 “『人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“炎”というものは美しいと思わないか?』”

 

 

 

 ふと何らかの“因果関係”があるのではないかと疑った俺はリビングの絵画の前に向かい、小説家の男が言っていた言葉を思い出す。

 

 “・・・やっぱり駄目だ・・・”

 

 だが相変わらず、あの言葉以外の記憶は蘇る気配すらない。悪夢と頭痛の関連性は何なのだろうか。そんなもの病院へ行ったところでただの偏頭痛で済まされ、現に頭痛薬(タブレット)さえ飲んでしまえばすっかり落ち着いてしまう程度のものだ。だとしたらやはり今までの悪夢は全て “頭痛”が起こるタイミングを教えてくれるための身体のサインのようなものだったのか。でも仮にそうであるとしたら、先ほど見た“悪夢”で頭痛が起こらないのはおかしいのではないか・・・だとしたら今のはいったい・・・・・・

 

 “・・・・・・って、さっきから俺は何をやっているんだ・・・・・・”

 

 再び俺は冷静になる。たかが悪夢の1つで、何をここまで考え込んでいるのか。この1年の間で久しぶりに精神的にも忙しくなり、思考回路が偏り始めているのかもしれない。

 

 “そもそも今はこんなことをしている場合ではない”

 

 「・・・吸うか・・・」

 

 変な方向へ暴走し始めた思考回路を一旦リセットするために、憬は嗜好品(セッター)とライターを手に取り黎明の空に照らされた都心が眼前に広がる22階のバルコニーへと出た。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「夕野・・・正直に答えろ・・・・・・今お前が頭の中に思い浮かべたのは、本当に“母親(リョウコ)”か・・・?」

 

 俺の右肩に優しく掌を置き、真っ直ぐ俺の目を凝視しながら言葉をかける國近の姿を認識して、ようやく俺は我に返った。

 

 「・・・いや・・・・・・違います・・・」

 

 『HOME』の撮影で役に入り込み過ぎて我を忘れ共演者を本当に殴ってしまった時の感覚とも違う、説明のつかない未体験の感情。今この段階で把握出来ているのは、ケンジを演じる狩生の芝居がリハーサルとはまるで段違いの熱量で、自分の想定していた以上に俺も狩生(ケンジ)に対して本気で怒りを感じながらユウトを演じていたということ。

 

 そしてケンジ(狩生)から首を絞められた瞬間、撮影初日の朝に見た悪夢と全く同じ光景がユウトと同じように“フラッシュバック”したということ。

 

 「・・・じゃあ・・・一体誰を思い浮かべた・・・?」

 

 

 

 “『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・』”

 

 

 

 「・・・多分・・・・・・“父親”・・・だった人だと思います」

 

 身に覚えのないはずの記憶が物凄いスピードで頭の中を駆け巡り、気が付くとユウトに入り込んでいたはずの感情が滅茶苦茶にかき乱されていた。

 

 「・・・父親だった・・・どういうことだそれは?」

 「・・・・・・俺もよく分からないです」

 

 どんなに“これはただの悪い夢だ”と自分に言い聞かせようとしても、一度“思い出してしまった記憶”は一向に頭から離れない。名前はおろか顔も知らなかったはずの“父親”に声をかけられ目が覚めて、何が何なのか分からぬまま首を絞められた2歳の記憶。

 

 「よく分からない・・・ひょっとして親父のことを覚えてないのか?」

 「オイそれ今じゃないと駄目か?」

 

 撮影そっちのけで憬の父親のことを聞き出す國近にしびれを切らした寿一が顔を下に向けながらわざとらしく不満を漏らす。

 

 「あぁ駄目だ。今の状態じゃ撮影自体も無理だからな

 

 寿一が漏らした不満を、國近は憬に視線を向けたまま即答で返す。

 

 「つってもこのシーンをまともに撮れる余裕があるのは今日ぐらいだぜ監督?」

 「最悪次ん時についでで撮れるでしょ?」

 「・・・その気になれば撮れなくはないがスケジュールがかなりキツくなるぞ」

 

 もちろん國近と同様、憬の“今の状態”がとても役を演じられるような状況ではないことを肌で感じ取っていた寿一は無暗に反論せず、國近と共にその場で打開策を考え始める。

 

 

 

 “このままじゃ駄目だ・・・俺は役者だ・・・役者だったらこの感情をも芝居に利用しろ・・・そのために俺は・・・・・・”

 

 

 

 「・・・すいません・・・!」

 

 無理やり覚悟を決めた憬は、その場で立ち上がり國近に向けて一礼をする。

 

 「次は最後までちゃんとユウトになりますので・・・どうかもう一度チャンスを下さい・・・」

 

 だがどんなに覚悟を決めようとも、どんなに感情を切り替えようとも、2歳の記憶が頭の中から一向に離れない。

 

 

 

 “頼む・・・・・・離れてくれ・・・・・・離れろ・・・!

 

 

 

 そう強く思えば思うほど、その記憶もより一層力を増して頭の中を駆け巡り邪魔をしてくる悪循環に苛まれる。

 

 「・・・夕野・・・今日はもう撮影終了(おわり)だ・・・」

 

 そんな俺の迷いが見抜かれてしまったのか、國近は授業中に体調を崩した生徒に早退を促す担任の如く身を案じるような視線を送りながら冷静な口調でそう告げる。

 

 「でもそれだと撮影が」

 「それなら4日後ここでまた撮る時にぶっつけでやればどうにかなるでしょ?ねぇ寿一さん?」

 「監督がそんな他人(ひと)任せなこと俺に聞くんじゃねぇ」

 

 だがあくまでもほんの脅しのつもりで言っているのだろうと感じた俺は“それだと撮影が出来ない”と返そうとしたが、それを遮り國近は撮影監督の黒山と撮影スケジュールの相談を始める。

 

 そんな國近を見て、俺は“『今日はもうおわりだ』”という言葉が本気であることを察した。

 

 「・・・どうしても駄目ですか?」

 

 頭の中を駆け巡り、心を搔き乱し続ける“記憶”を押し退けつつ、國近に“まだやれます”という意思を伝える。

 

 「駄目なものは駄目だ

 

 それも虚しく、國近は目を凝視しながら即答でピシャリと言い放つ。

 

 「ぶっちゃけ言うといま起きた“芝居の綻び”に素人が気付くことは殆どないだろうよ・・・でもその綻びっていうのを暴いちまう人間ってのは、世の中には案外うじゃうじゃいやがるもんさ・・・・・・嫌な話だろ?要するに分かる奴には分かっちまうってことよ。そしてその綻びは例え1ミリに満たなくとも、たったそれだけの感情の綻び(ズレ)物語(シナリオ)は容易く破綻しちまう・・・だから観客にとっては1ミリにも満たないようなお前の“芝居の綻び”が、俺は許せねぇんだよ。個人としてじゃなく、映画監督としてな」

 

 捲し立てるわけではないが、心の奥に叩きつけるように言い聞かせる國近の持つ映画監督としての美学と正論を前に、俺は何一つ返す言葉が出てこない。

 

 「現に今もこうして、お前の頭ん中には母親(リョウコ)ではなく父親の記憶がぐるぐると駆け巡っているはずだろ?悪いがこういう仕事(こと)を四六時中してると100パーまではいかないが演者が今考えていることがおおよそ予想出来ちまうんだよ・・・」

 「いや・・・ちゃんとカメラが回ったら切り替えますので」

 「だから今の状態のお前じゃユウトはおろか誰も演じられねぇんだよ何度も言わせんな!

 

 それでもどうにか撮影を続けたい意思を伝えようとするが“こんな状態”じゃ満足にユウトを演じられないことを自分以上に理解していた國近の前では全く通用せず、“わからず屋”は案の定監督から叱咤を食らう。

 

 「冷静になってよく考えろ・・・・・・飼い慣らせていない“不完全な感情”のまま役を演じて誰よりも後悔するのは夕野、お前自身だ

 

 そんなことは俺でも分かっている。自分自身の過去を“過去”に出来ていない時点で、今の俺はユウトを演じることは出来ない。でも今の俺には、どうやってそれを“ただの過去”として芝居に利用すればいいのか分からない。

 

 本当に心の底から、目の前と頭の中で起こっている出来事が全て夢であってほしいと思った。

 

 「てことで今日の撮影はこれにて終いだ。このシーンは4日後に改めて撮影する。ハイみんな撤収」

 

 

 

 こうして学校のシーンの撮影は、憬の身に起こった予期せぬフラッシュバックにより國近の判断で4日後にまとめて撮影することとなった。

 




※補足です。本編にてユウトを主人公に見立てている部分がありますが、あくまでこれはユウトとケンジの喧嘩のシーンでの立ち位置の関係でそうなっているだけですので、以後お見知りおきを。












暑すぎて逆に冬眠したい。


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scene.45 記憶


データ的には50話目ですが、キャラ紹介を含めた数となるので本当の意味での50話目は次回になります。


 「さて、気を取り直し改めて聞こう。さっきお前が言っていた“父親だった人”っていうのはどういう意味だ?」

 

 スタッフに撤収の指示をかけ撮影を4日後に延期した直後、國近は憬を誰もいない教室に呼び出して面談のように椅子と机を並べて1対1の対面で座り、憬が思い出したという“父親”のことを話し合っていた。

 

 「・・・俺が2歳になって横浜へ引っ越した時に離れ離れになった、父親です」

 

 今まで、頭の中からごっそりと抜け落ちていたはずの父親との記憶。身に覚えのない記憶が頭の中を駆け巡った瞬間、何が起きたのかさっぱり分からなかった。だが冷静になって思い返すと、確かにあの時に首を絞められたという感覚が残っていた。

 

 相変わらず父親の顔は思い出せないが、それまでモザイクがかかっていた光景が鮮明に視えるようになった。

 

 「“あの瞬間”まで父親のことは何にも覚えていなかったのか?」

 「・・・・・・はい」

 

 はっきりと分かるのは、これは間違いなく“本物の記憶”だということ。

 

 「・・・フラッシュバックか・・・」

 

 狩生から首を絞められた瞬間に父親との記憶を思い出したことを憬から聞き出した國近は、“なるほどな”と言いたげに呟く。

 

 「・・・・・・」

 

 そして呟いた國近に目を向けたまま、憬は無言で一回頷く。

 

 「・・・ちなみにフラッシュバックが起きた“原因”は自分で理解できてるか?」

 

 

 

 “「・・・てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!」”

 

 本番、少しでもミスをすれば最初からやり直しというワンカットの撮影で、狩生は一気に芝居のギアを上げてケンジを演じていた。掌で机を思い切り叩き、本気で俺の胸ぐらを掴んできた。

 

 “「聞けっつってんだよ!」”

 

 不思議とそれに驚きは感じなかった。寧ろあそこまで振り切って()ってくれたおかげで感情にも乗りやすく、間違いなくこれまでで一番ユウトを演じ切れているという感触を演じながらも感じていた。

 

 “「てめぇマジで殺してやる・・・!」”

 “「あぁやってみろよ!」”

 

 そして机を押し倒しながらも互いが互いの胸ぐらを掴み合い、互いに弾き飛ばして俺が教室のロッカーに背中から寄りかかるような形でぶつかった。それを見た狩生が俺を目掛けて近づき、その勢いのまま俺の首を強く締めた。

 

 “「お前のせいで・・・」”

 

 狩生が俺の首を絞めた時の力は、手加減無しの本気のものだった。正確には窒息するほど本気で首を絞めたわけではなかったが、そう錯覚してしまうほどの強い感情が溢れ出ていた。そしてユウトはケンジに首を絞められたことで母親(リョウコ)の記憶がフラッシュバックするはずだった。

 

 

 

 “『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・

 

 

 

 だがあの時、頭の中に浮かんできたのはユウトの記憶ではなく“俺自身”の記憶だった。奇しくもそれを思い出したのは、ユウトと全く同じ理由だった。

 

 狩生が悪いわけじゃない。もちろん誰も悪くない。ただ偶然にもあのタイミングでユウトと全く同じフラッシュバック(出来事)が自分の身に起こっただけのことだ。

 

 ずっと心の奥底に眠り続けていた12年前の記憶(トラウマ)がある日突然悪夢となって出てきて、そしてクラスメイトに首を絞められたことで記憶(それ)が完全に蘇った。

 

 

 

 「・・・そうか・・・・・・じゃあ父親の記憶もそれだけってことか?」

 「はい・・・・・・俺の中にある父親の記憶はこれだけなんですよね・・・」

 

 フラッシュバックが起きた経緯はほぼ予想通りだった。やはり狩生の予想外の熱演で今まで以上にユウトの感情に入り込んだ結果、夕野(コイツ)の深層心理の奥で眠っていた記憶を図らずとも呼び起こしてしまったということだ。こんなシナリオはフィクションでも早々起こり得ないことだろうが、そんな事態が今まさに夕野の身に起きているということだ。

 

 「・・・・・・こんなことって本当にあるんだなぁ・・・・・・」

 

 憬の置かれている状態を完全に把握した國近は誰に向けて言う訳でもない独り言をわざとらしく呟くと、そのまま明後日の方角に視線を向けながら考え込む。

 

 「夕野は自分なりに打開策は考えてんのか?」

 

 そして数秒の間を空けて國近は憬に問いかける。

 

 「・・・とにかく・・・俺の中にあるこの記憶を“過去(ユウト)”のものにして、芝居として利用する・・・それしかないと思います」

 

 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、國近の問いに憬は自分なりの見解で答える。

 

 はっきり言ってこの状態から抜け出す決定的な方法は、これしか思い浮かばなかった。とはいうものの、そこに至る方法は思い浮かばないままだ。

 

 「そうやって言葉にして俺に伝えてくれてるけどさ、今のお前にそれが出来んのか?」

 

 案の定、國近はそれを瞬時に察して間髪入れずに更なる追い打ちをかける。

 

 「・・・・・・分かりません」

 「だよな?もし出来てたらとっくに俺はOK出してるし」

 

 

 

 “こうやって言葉にすることは簡単だが、これらを実践することは生半可な決意じゃ絶対に不可能だ

 

 

 

 今になって、オーディションの時に國近が言っていたあの言葉が深く胸に突き刺さり、高い壁として目の前に立ち塞がる。確かに俺が言葉として出した方法を今すぐにでも実践できていれば、今日の撮影は延期になどならなかった。

 

 「・・・俺はお前に言ったはずだぜ?“台本”と睨めっこをする前に、先ずは周りの人間を“視ろ”ってな」

 

 俺はユウトの過去を“完全に理解”したところで母親(リョウコ)に子供として見てもらえず捨てられた悔しさに依存してしまい、自分でも知らないうちに掘り下げが偏ってしまっていた。

 

 「役作りっていうのは本番が始まるまでが大事だとお前は思い込んでいるだろうが、その本番でトチっちまったら何の意味もねぇだろが」

 

 腕を組みながら“役者としての視野の狭さ”を静かに咎め続ける國近に、俺が言葉を返す資格はない。

 

 「・・・好きに演じることとただ独りよがりになることを履き違えるな・・・夕野・・・

 

 それでも本番が始まってしまった以上、役者は何があろうとも最後まで演じ切らなければならない。時間も限られている以上、いつまでもウジウジと悩んでいる暇もない。

 

 

 

 “監督の“想い”に答えられない役者は、失格だ

 

 

 

 「・・・・・・はい

 

 國近からの叱りを込めたアドバイスを受けてようやく“父親の記憶”を頭の片隅へ追いやることの出来た憬は、國近の目を真っ直ぐ見つめて自分の意思を伝える。

 

 “よし・・・やっと落ち着いてきたか・・・”

 

 「・・・夕野、明日は空いているよな?」

 「えっ?あぁ、はい」

 

 憬がフラッシュバックを起こした状態からひとまず抜け出したことを確認した國近が、憬に一枚のA4用紙の資料を渡す。

 

 「明日の9時半にここへ来い」

 「・・・ここって」

 「決まってるだろ?このマンションで明日の10時から撮影すんだよ」

 

 そう言って國近から差し出されたA4の紙には、明日に撮影が行われるロケ地として貸し出されている世田谷区内にあるマンションの一室の外観や、所在地の書かれた地図などが記載された白黒の概要が書かれていた。

 

 「・・・入江さん・・・」

 

 このマンションを使ってどのシーンを撮影するのか、それは台本を読み込んでいた憬にはすぐ分かることだった。

 

 「そう、ユウトにとってトラウマの根源になっている“過去”だ」

 

 資料に書かれているマンションで明日、ユウトが思い出した過去のシーンが撮影される。なぜ國近が俺にこんなことを言って来たのかは、もう明白だ。

 

 「・・・夕野、お前にとってこれは大きなチャンスだ。今のお前の中にある“父親の記憶”を芝居に生かすのか、それともその記憶にお前自身が殺されるのかはここからの4日間にかかってる・・・役者を名乗る以上、お前は覚悟(それ)を常に“俺たち”へ証明し続けなければならない・・・・・・役者になるということはそういうことだ・・・分かったな?

 

 ゆっくりと、そして確実に心へ言葉を突き刺すように國近は憬に覚悟を求める。

 

 「・・・分かってます・・・俺は役者だから

 

 そして國近から課された“一人前の役者”になるための新たな課題に、憬は覚悟を示して答えた。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・帰らないのか?お前さん?」

 

 カメラや照明の機材を外して撤収作業をひと段落済ませ自らのカメラを外で待機する機材車へ運ぼうと教室を出た寿一は、衣装の制服から私服に着替え2つ隣の教室の壁に聞き耳を立てるようにして寄りかかっていた狩生に話しかける。

 

 「いや、もう帰りますよ。お疲れした」

 

 すると狩生はそのまま音を立てずにスッと姿勢を正して寿一の方に歩みを進めながら素っ気なく返事をし、そのまま教室の前から立ち去るように寿一の横を通り過ぎる。

 

 「・・・良いのか?夕野に何も言わなくて?」

 

 如何にも憬に対して何か言いたいことを言うために憬と國近が入った教室に聞き耳を立てていたであろう狩生に寿一は意図を確認すると、狩生はクールな表情のまま素っ気なく答える。

 

 「別に言いたいことがあるから盗み聞きしてたわけじゃないですよ・・・でも、中にいる2人の会話を聞いて“なるほどな”って思いました」

 「“なるほどな”ってのはどういう意味だ?」

 

 そんな太々しさを全く隠そうともしない振る舞いに心の中で“あいつに似た生意気な野郎だ”と毒を吐きながら、寿一は狩生に問う。

 

 「・・・・・・夕野(カレ)の芝居を目の当たりにした時は“マジかー”って勝手に思ってましたけど、中身は “案外フツー”の奴だってのが分かったんで。そんだけのことです」

 「・・・・・・は?」

 

 狩生の口から出たあまりに抽象的かつ独特な例えに、寿一は思わず反応が鈍る。

 

 「じゃあ今度こそ、お疲れした」

 

 そう言うと狩生は軽く会釈をして、そのまま振り返ることなく両手をポケットの中に突っ込み昇降口へと歩みを進める。

 

 

 

 態度がやけにデカい上に礼儀はなっておらず、その割には読み合わせやリハの時の芝居は平凡だったが、いざ本番になった瞬間に一気に化けの皮を剥いできやがった。

 

 そんな力を秘めているなら最初から出せよというのが俺個人の見解だ。そして夕野が本当のフラッシュバックを引き起こしてしまった大きな要因の一つだというのに、当の本人に悪びれている様子など全くない。

 

 こういう類の人間は、良くも悪くも現場の空気を変えてしまうリスクがある。今日の本番を迎えるまで、なぜこんな奴を國近が起用したのか俺には全く理解できなかった。

 

 

 

 “だがそんな前評判を見事に帳消しにしてしまうほど、本番で魅せた狩生の芝居は“完璧”だった

 

 

 

 「・・・恐れ知らずの天才なのか単なる馬鹿なのか分かんねぇよ・・・」

 

 階段の踊り場に消えた太々しい15歳の背中に聞こえないくらいの声で悪態をつくと、後ろの方で教室の扉が開く音が寿一の耳に入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「母ちゃん、明日急遽撮影に行くことになったわ」

 「あぁそう、がんばって」

 

 撮影を終えて家に帰ったあとの夕飯の並んだ食卓で、憬は明日に世田谷で行われる撮影に同行することを母親に伝える。

 

 「・・・そっけな」

 

 だが返って来た反応が思った以上に薄く、憬は軽く不満を溢す。

 

 「なぁ?せめて何かしら驚くとかそういうリアクションはしねぇのかよ?」

 「えっ?いやだってあからさまに“そ~なの~?”みたいにリアクションしたらそれはそれで図々しいでしょ?」

 「あぁ、それはそれでうぜぇ」

 「もしかしてそう言って欲しかった?」

 「んなわけねぇよ」

 

 

 

 “『・・・・・・何やってるの!?』”

 

 

 

 過去を思い出したからと言って、心が抉られるような精神的な辛さはない。だがどうにか平然を装っても、頭の中であの日の記憶がちらついて離れない感覚が残る。そして肝心の記憶は、父親から首を絞められていた時に右隣から母親の叫ぶ声が聞こえたところでプツンと途切れている。

 

 「それで今日の撮影はどうだった?」

 「・・・まあまあだな」

 

 果たして目の前の母親は、父親が俺の首を絞めた“あの日”のことをどう思っているのだろうか。父親はどうして、あんなことをしたのだろうか。そもそも何で母親はあんなやつと家族を築こうとしたのだろうか。

 

 「まあまあって、それじゃあ良いのか悪いのか分かんないでしょ」

 「別に悪くはねぇよめんどくせぇなぁ」

 

 だがその張本人はそんな過去があったと言う素振りを一切表に出さないおかげで、自分で考えただけではさっぱり分からない。かつて夢見ていた女優を諦めたことに負い目を感じているんじゃないかということを除けば、これといって詮索できそうなものはない。

 

 

 

 “今の俺にとってはもう全て“過去”のことだ

 

 

 

 もしかしたら渡戸と同じように、母親にとって父親と過ごしていた日々はとっくに過去のものなのかもしれない。その証拠に母親が仕事の関係で留守にしていた休みの日に好奇心からこの部屋に眠る昔のアルバムを拝借したことがあったが、ここに引っ越す以前に残された思い出というものは何処にも見当たらなかった。

 

 

 

 “父親は最初からいない

 

 

 

 いつもの飄々とした顔のまま母親が言っていた言葉通り、父親がいたという物的な証拠は何一つ残されていない。

 

 「そう。でも良くはなかったと・・・」

 「・・・ていうか母ちゃんは関係ねぇだろ」

 

 それにしても、この母親にどのタイミングでどのような切り口を使って“父親”のことを聞き出すか。いつも通りにただ聞いたぐらいじゃ、いつも通りの“パターン”で終わることは確実だ。

 

 「あとさ、さっきからずっと考え事してるでしょ?」

 「・・・は?」

 

 何の突拍子もなく不意打ちで発せられた母親からの言葉に、俺は完全に面を食らう格好になる。

 

 「何でだよ?」

 「だってさっきから何となくうわの空な感じがするし」

 

 顔や態度にはなるべく出さないように意識はしていたつもりだったが、まさかそんな風に見えていたとは。それにしてもこの母親(ひと)は、時々とんでもない洞察力を発揮してくるから油断ならない。

 

 「・・・気のせいだろ」

 「・・・本当は撮影で“何か”あったんじゃないの?」

 

 浮かない顔をする子供に何があったかを問いただすような態度ではなく、いつものどこか掴みどころのないような軽いノリに近い感覚で母親は追い打ちをかけ続ける。

 

 いや、もしかしたらこれは父親(あの男)のことを聞き出す“絶好のチャンス”なのかもしれない・・・

 

 「いや、それはマジで母ちゃんの気のせいだから」

 

 この瞬間、“俺は何をやっているんだ”・・・と心の中で本気で自分を呪った。

 

 「そう。憬がそこまで言うなら、きっとそうね」

 

 せっかく父親のことを聞き出せるチャンスだったはずが、それを自らの手でフイにしてしまった。何を土壇場になって俺は臆病で中途半端な見栄を張ってしまったのだろう。どうせ聞いたところで“あの言葉”が帰ってくるだろうと思い込んでしまったのか、あるいは真実を知るのが怖いのか?

 

 “過去(これ)”を乗り越えるためには、父親がどういう人でどうして離れ離れにならなければいけなかったのかを母親(この人)から聞き出さなければならないというのに・・・

 

 “・・・こうなったら無理やり聞くしかないか・・・”

 

 「・・・なぁ」

 「うわパジェロ当てたよこの人」

 

 聞き出そうと覚悟を決めた矢先、母親がその覚悟を遮るようにテレビに映った光景をそのまま呟く。

 

 「もしかしてダーツでパジェロ当てた人って初めてじゃない?」

 「・・・知らねぇ」

 

 何気なくバラエティー番組を映し出していたテレビに目を向けると、去年あたりからバラエティー番組を中心に度々見かけるようになったマルチタレントがこの番組の目玉企画でもある“ダーツ”で見事にパジェロを射止めていた。

 

 「でもあれって本当にタダでプレゼントされるのかな?」

 「それでタレントから金取ったら詐欺でとっくに訴えられてんだろ」

 「まぁそうよねー」

 

 パジェロを射止めたタレントはブラウン管の中でクリスマスプレゼントに死ぬほど欲しがっていたゲームを貰った子供の如く喜びを爆発させていて、それを少し冷めたようなテンションで夕飯を口へ運びながら眺める。

 

 ちなみに俺も母親も好んで観ている番組は専らドラマかロードショーと次点にニュースで、バラエティーには殆ど関心はない。自分で言うのは恥ずかしいことだが、こういうところだけはちゃんと“親子”だなと俺は思っている。

 

 「・・・で、何だっけ?」

 「・・・いや、別に」

 

 そして案の定、俺は無意識のうちにまたしてもチャンスを逃す。

 

 結局この日、母親から“存在しない父親”のことを聞き出すことは出来なかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 憬が母親と食卓で夕飯を食べていた頃、カイ・プロダクションの社長室では海堂と菅生が1対1で話をしていた。

 

 「・・・・・・それは本当か?」

 「はい。國近監督及び夕野本人からも確認はとっておりますので間違いないでしょう」

 

 菅生からの伝手で告げられた『ロストチャイルド』の撮影現場で憬の身に起こった一部始終を、海堂は自分のデスクに座りながらサングラス越しに冷徹ながらも様々な感情を込めた視線を菅生へ向けて受け止める。

 

 「・・・メソッド演技というのは時として予期せぬ“精神的反動”を伴うものだからな・・・・・・1つだけ確かなことは、夕野には今まさにそれが起こっているということだ・・・アリサ然り・・・由高然り・・・あとは何人いたか・・・・・・“壁”にぶち当たる日は誰にだって起こり得る」 

 

 遅かろうが早かろうが、メソッドを用いて自身の演じる役の感情を掘り下げる役者にとっては誰もが必ず通るであろう、心の奥底で眠っていた感情の暴走。当然このような感情に時に苛まれながらも闘い続けた役者を海堂という男はこれまでに何人もこの目で見届け、俳優として着実に育て上げてきたことは菅生も十分に理解していた。

 

 だが、憬の身に今回起こったフラッシュバックの件ばかりは、どうしても気掛かりだった。

 

 「しかし問題なのは」

 「夕野が14歳という若さでメソッドを身に着けてしまい、そして “”にぶち当たってしまった・・・・・・そういうことだろう?

 「・・・そうです」

 

 菅生の反論をすぐさま予測し、被せるように海堂は冷徹な表情のまま低めの声で淡々としつつも重苦しい口調で答える。

 

 「・・・お前が夕野のことを心配する気持ちは痛いほど分かる。それは俺も同じだ

 

 

 

 “『私は私のやり方で、これから生まれてくる役者(子ども)たちを幸せにするわ。これ以上・・・私のような“不幸な役者”を生ませないために・・・』”

 

 

 

 「だがどんなに優れた精神力を持っていようと、どんな強運を持っていようと、所詮“運命の悪戯”に俺たちが逆らえる術はない・・・そういう意味では夕野はまだ“恵まれている”・・・なぜか分かるか?」

 

 

 

 態度にこそ示さないが、恐らく夕野を事務所(うち)で預けることになった時、海堂さん(この人)は並々ならぬ覚悟を持って彼を迎え入れたのだろう。芝居によって心を壊してしまった役者(ひと)の気持ちを事務所(ここ)にいる誰よりも理解していながら、僅か14歳にして独学でメソッド演技を身に着けたという“爆弾”を抱えた彼を芸能界(この世界)に引き入れた。

 

 正直言ってこの選択が果たして正解か不正解かは全く想像がつかない。それでもこの人の背負った覚悟とその決断は、自らも心して見習うべきだ。そうしてこの人は数多の修羅場を乗り越え、“この場所”にいるのだから。

 

 「・・・“若い”からですか?」

 「あぁそうだ」

 

 菅生からの解答に海堂は一度だけ軽く頷くと、菅生もそれに会釈で返す。

 

 「・・・夕野はまだ14だ。俳優である以前に人間としてまだ幾らでも伸びしろが残されている。そして“最悪の想定”が起こったとしても、あれだけ若ければまだ人生をやり直すことは出来る・・・」

 「・・・では、社長は今回の件で夕野が壊れることは厭わないと?

 

 かつて未来を託していた“”が壊れていった過去を抱えているとは思えない海堂の言葉に、菅生は控え目ながらも静かに問いかける。

 

 もちろんこれは、この人が誰よりも“”を芝居から守れなかったことを悔いていることを理解した上でだ。

 

 「結論を早まるな、菅生

 

 だがこの人は、そんな素振りを周囲の人間に見せることは一度たりともない。そもそも冷静に考えれば私情ばかりに翻弄されて右往左往するような人間に、芸能事務所の社長など務まるわけがないからだ。

 

 「・・・無論、俺は夕野が壊れることなんざ望んじゃいねぇさ・・・・・・ただ・・・それで“親”から手前(てめぇ)の幸せまで勝手に決められちまったら・・・・・・“俳優()”は何のために芝居をするというんだ?

 

 そんな“古き良き厳格な父親像”がそのまま反映されたような男が発した“手前”の対象が、自分とは正反対の“家族”を築こうとしているかつての“”のことを指していることは明らかだった。

 

 「・・・お言葉ですが・・・アリサ氏もアリサ氏なりに“俳優()”のことは十分に考えておられると私は思っております」

 

 芸能事務所の代表に圧し掛かっている一言では言い表せないあらゆる事情を承知の上で、私はアリサ氏を擁護する。

 

 「・・・あぁ。菅生の言う通り、アリサはしっかりと“俳優()”のことを考えているさ・・・だから夕野の将来を案じてオーディションから落とした。夕野(アイツ)の人生を守るためにな・・・」

 

 当然この人はアリサ氏に経営者ないしプロデューサーとしての才覚もあったことを見抜いていたこともあり、女優時代の彼女が水面下で独立に向けて動いていた際にも複数年の資本提携に加え事務所の立ち上げに伴う資金を折半すると持ち掛けるほど(最終的に両者合意の上で複数年の資本提携のみに落ち着いた)協力的だったという話は、事務所(ここ)の人間や近しい関係者の間ではかなり有名な話だ。

 

 結局それはアリサ氏の“心境の変化”によって望んだものではなくなってしまったが、この人は彼女の“経営方針”自体には一定の理解を示している。そもそも芸能事務所にはそれぞれの(ルール)があり、方針もそれぞれで異なる。だからこそここでは通用する“常識”が向こうではまるで通用しないのはよくある話だ。

 

 「アリサは間違ったことなんて何一つしちゃいねぇ・・・あれが人として当たり前で普通なんだ。寧ろそういうリスクを抱えた人間の一部始終を知っていながら芸能界(こんな世界)に招き入れるような奴らの方が、人として “おかしい”んだ・・・・・・それでも俺は・・・“芝居の喜びを垣間見た人間”の幸せを尊重することをこれからもやめるつもりはない

 

 人の求める幸せというのは人それぞれであるように、それを決める権利は当人しか持ち合わせていない。だからこそ、権力をもった“親たち”は“子供たち”のために今日もそれぞれの戦い方で事務所(家族)を守っている。

 

 「少なくとも夕野は “芝居の喜び”を覚えちまった・・・・・・そのことは菅生も気づいているだろう?

 「・・・はい

 

 

 

 “スターズの方針が“俳優は大衆の為に在れ”であるとするならば、カイ・プロダクションの方針が“確たる信念を持つ1人の俳優で在れ”であるように・・・

 

 

 

 「そうなった以上、何が何でも夕野憬という少年をただの(にんげん)から一人の俳優(にんげん)に導かなければならねぇんだ。それが俺たちの“方針(やり方)”だからな・・・

 「・・・心得ております。社長

 

 これまで早乙女や水沢といった広告塔の活躍を影ながら支え続けて来た菅生は海堂からマネージャー(部下)として絶大な信頼を得られており、菅生自身もまた、海堂の示す“俳優の育て方”に感銘を受けて彼の背中を追っていくことを心に決めている。

 

 そしていずれは自らも“家族を率いる親”として事務所(いえ)を持つという野望も、密かに抱いている。

 

 「では・・・その夕野が“芝居の喜び”を覚えたということを踏まえた上で社長にお聞きしたいことがございます」

 

 そんな事務所の(ルール)に忠実に従いつつも、海堂の元に集う俳優たちと同じように確たる信念を持つ菅生は、腹を括る思いで目の前のデスクに座る海堂に問いただす。

 

 「・・・つかぬ事をお聞きしますが、社長は夕野が2歳の時に父親と生き別れたことに関して、予めご存じでしたか?

 「・・・尋問か?」

 「いえ、これはあくまでも事実確認です。マネジメントを任せて頂いている以上、少しでも多くの情報を共有すべきであると思っておりますので

 

 わざと反応を試すような鋭い視線にも全く臆することなくいつもの調子で主張を続ける菅生に、海堂は静かに溜息を深く吐き終えると再度鋭い視線を向けて真実を伝えた。

 

 

 

 「・・・そんなもの・・・・・・少しばかり調べればすぐに分かることだ・・・

 




色んな意見はあるかもですが、これが自分なりのアクタージュです。


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scene.46 自信





 翌日_午前9時30分_東京都世田谷区玉川_

 

 「おはようございます」

 

 翌日、憬は國近との約束通り撮影が行われる世田谷区の玉川にある7階建てマンションに来ていた。

 

 ちなみに余談であるがこのマンションは1人の“映画通のオーナー”が一棟をまるごと所有している関係で、撮影に関する手続きが比較的容易で、尚且つオーナーの計らいで各階のうちの1部屋はどれも全て撮影のために空けられていることもあり、その特殊な利便性から業界内では割と存在が知られている有名なロケ地の1つでもある。

 

 「よう、あれから何か進展はあったか?」

 

 ベランダに暗幕が張られ夜のように暗くなったマンションの部屋で各々の撮影準備を進めているスタッフ陣に挨拶をすると、場を仕切っていた國近が開口一番に今の状況を聞く。

 

 「いや・・・全く駄目でした」

 

 結局のところ昨日は母親から父親のことを聞き出すことが出来ず、今のところ何の収穫もなく現状としては全く進展していない状況だ。当然このことは一切包み隠さずオブラートにもせず國近に伝える。

 

 「・・・まぁそうだろうと思ったよ。そもそもソレはお前にとって一日かそこらで解決する問題じゃないだろうしな」

 

 ただそんなことは國近からしてみれば予想通りの話だったらしく、平然としたリアクションで反応を返された。当たり前だ、2歳の時に自分を殺そうとしたかつての父親だった人の話なんて、1日程度で解決できるなんて俺も全く思っていない。

 

 

 

 “父親は最初からいない

 

 

 

 それよりもどうやって母親からその話を聞き出せばいいのだろうか。今までのことを踏まえれば、仮に昨日の時点でタイミングを計って聞いたとしても聞き出せていたとは限らない。

 

 だとしても、聞き出さなければ何も分からないまま終わってしまう。

 

 「おぉほんまに来たのか憬君」

 

 そんな思いを頭の中で巡らせていると背後のほうから聞き覚えのある関西弁が聴こえ、思わず振り向くと紅林が陽気な笑みを浮かべて軽く俺のほうへ手を振りながら歩いていた。

 

 「おはようさん」

 「おはようございます紅林さ・・・って何で剣さんまでいるんですか?」

 

 そしてその隣には来る予定のなかったはずの渡戸の姿もあった。元々今日の撮影では出番のない恵里役の杜谷と同様にショウタの撮影もないはずなのに、一体なぜ?

 

 「俺が呼び出したんだよ」

 

 渡戸が現場に来たことに疑問を抱いた俺の気持ちを代弁するかのように、國近がいきさつを話し始める。

 

 「幾ら巌さんのトコで場数を踏んでいるとは言え、映像芝居の経験はまだまだ“浅瀬”だからな。取りあえず今のうちに色々と勉強しとけってことよ」

 「ありがとうございます。ドクさん」

 

 所々に“言葉の棘”を感じるような言い分だが、渡戸は監督からの言葉を文句の1つも言わずに受け入れる。きっと裏を返せば、それだけ期待しているということだろうか。

 

 だとしたら俺は尚更、その期待に応えなければならない。そのためには何としても“ここ”で、自分の過去とユウトの過去を繋ぎ止める“何か”を掴まなければならない。

 

 「一応ドクちゃんから一通り事情は聞いとるけど、何か“エライ”ことになっとるらしいなぁ憬君?」

 

 “エライ”という意味はすぐにはピンと来なかったが、紅林が昨日フラッシュバックを起こした俺に気にかけているということだけは一瞬で分かった。そして隣に立つ渡戸もそのことを察しているようで、どうやら紅林も含め事情は知らされているらしい。

 

 「そうですね・・・役に入ったことで忘れてた記憶を思い出すなんて経験は初めてなんで」

 「いや、そんなんワイもないで」

 「当たり前です。そもそもそういう経験があるほうが珍しいかと」

 

 フラッシュバックの話にツッコむように言葉を返す紅林を、渡戸が二重でツッコむ。よくよく考えてみれば、こんな突飛な展開はドラマどころか漫画ですら容易く巡り会わないだろう。

 

 “当事者”でもある俺からしても、この状況を完全に把握しきれていないからだ。

 

 「ん~・・・どうも信じられへんな~、結局は憬君の気のせいだったとかとちゃうん?」

 

 やはり俺の身に起きた話に信憑性が感じられないせいもあってか、紅林は俺に顔を近づけるとわざとらしい態度で揺さぶりをかける。

 

 「信じられないかもしれないんですけど・・・ケンジから首を絞められたあの瞬間、本当に思い出したんですよ」

 「役作りで“思い出の場所”に行った時に父親の記憶がないって言ってたからな」

 

 そんな誰が聞いても信じてくれないような話をする俺を、唯一國近よりも先に知っていた渡戸が助け舟を渡すようフォローを入れてくれた。

 

 「・・・・・・確かに“事実は小説よりも奇なり”って言葉があるぐらいやからな・・・・・・ま、取りあえず今日はお2人とも“見学がてら”でええから気軽に諸先輩のお芝居っていうやつを見とくとええ。ほな、ワイは一旦外の空気吸ってくるわ」

 

 すると紅林は“事実は小説よりも奇なり”という言葉でフラッシュバックの話を済ませ俺と渡戸の肩をそれぞれ軽く叩いて気さくに振舞うと、そのまま撮影の行われる204号室を後にする。

 

 何となく“ホンマか?”といったニュアンスでしつこく“試される”ことを予測していたから、リハの直前とはいえあまりにあっさりとその場を後にした紅林に俺はほんの一瞬だけ少しの違和感を覚えた。

 

 

 

 「・・・・・・改めて見るとすごい光景だな、これ」

 

 そして渡戸と共に紅林を部屋の玄関前で見送った憬は、再び撮影準備が進められている204号室の部屋の中に視線を向ける。

 

 「・・・あぁ、言われてみると確かにな」

 

 部屋を見つめる憬がふと溢した独り言に、渡戸が反応する。

 

 「今までずっと演じることばかりであまり意識していませんでしたが・・・スタッフの人たちがこうして準備をしてくれているからこそ、俺たちは自由に演じられているんですね・・・」

 

 何の変哲もないマンションの一室に所狭しとカメラや照明機材が設置され、監督と撮影監督の指示のもと狭い空間の中でリハーサルと本番に向けた準備をスタッフ陣は総出で進めている。

 

 「こうやって1人1人を見てると地味だろ?スタッフのやってる一つ一つのことってさ?」

 

 再び隣に立つ渡戸が、再び俺に話しかける。

 

 「でも“この人たち”がいないと、役者(おれたち)は何もすることが出来ない。それは映像だけじゃなくて舞台もそうだ・・・・・・裏方が演者をこうやって影で支えてくれているおかげで、俺たちは好き勝手に()れるんだよ」

 

 もちろんスタッフの存在が必要不可欠なのは最初から知っていたが、こうやって役が完全に解けた状態で彼らを視たのは初めてだった。

 

 完全に俯瞰した状態でスタッフの作業風景を視ると、ここにいる人たちは本当に凄いことをやっているということが肌で分かる。傍から見るとまるで地味な光景だが、こうした作業を経て、スクリーンに映る華やかなワンシーンが出来上がる。

 

 彼らがいなければ作品は作れない。そして作品が作れなければ、役者(おれたち)は表現を発信することができない。

 

 

 

 “・・・本当に俺というやつは・・・視野が狭い・・・”

 

 

 

 「少なくとも今の憬は、そのことにもう気が付いてるだろ?」

 「・・・はい・・・たった今ですけど」

 

 そんな心の中を埋め尽くそうとしていたネガティブな感情を、渡戸の一言が吹き飛ばす。

 

 「それでいいんだよ。このことに気付けただけでも大きな成長だ」

 「・・・ありがとうございます」

 

 とにかく今は気持ちを切り替え、余計な不安(こと)は考えずにHOMEの時のように役者として盗めるものを盗むことに集中しよう。フラッシュバックや成長出来ていない自分に対する自己嫌悪を排除して、“役者としてユウトを演じ切る”ために今日の現場を見届けよう。

 

 

 

 そう心に誓った矢先だった。

 

 

 

 「随分と勉強熱心なご様子ですね

 

 急に背後から優しく包み込むような温かさと底知れぬ闇を抱えた怪しさが同居したような独特な透明感のある声が聴こえ、思わず振り向く。

 

 「・・・・・・入江ミチル・・・・・・」

 

 ただ目の前に黒いコートを羽織った深緑色の髪に中背の女の人が立っているだけなのに、目が合った瞬間に全身が飲み込まれていきそうな恐怖にも似た感覚が襲い掛かる。

 

 「どうされました?肩の力がかなり入られているようですが?」

 

 それはいま視線の先にいるのが、あの“星アリサ”と共に一時代を築いたという大物女優だからなのだろう。

 

 “・・・凄まじいオーラだ・・・”

 

 もちろんそういった風格(オーラ)を併せ持つ役者(ひと)には一応“免疫”はあるのだが、入江ミチル(この人)の“風格”は、そういうベクトルの話ではない。読み合わせで視線こそ合わせてもらえなかったが何度かこの目で彼女の姿を見てきたはずなのに、いざ話しかけられたら何も出来なくなってしまう。

 

 「これはこれは、来るなら一言こっちに伝えてくれないと困るよ入江さん」

 

 やがて彼女の存在に気が付いた國近を始めとしたスタッフ陣は一斉に1つの方角に顔を向けて挨拶をする。

 

 「すいません。一度だけこの方の“素の反応”を見ておきたくて」

 

 挨拶がてら監督として注意をした國近に、ミチルは蘇芳色(すおういろ)の瞳を憬に視線を向けながら答える。自身に向けられた限りなく無感情な蘇芳色の瞳に、憬は再び身体を強張らせる。

 

 「そう言えば、あなたのお名前は何でしたっけ?」

 

 淡々としていながらもどこか優し気な口調とそれと相反する一切の感情が抜けた氷のような表情で名前を聞かれ、憬はその場で一度深呼吸をする。

 

 それにしても入江(この人)は、ただでさえ表情が全く視えない上に、背後から纏う雰囲気が独特でどこか不気味で、怖い。

 

 「夕野憬です・・・ユウトを演じ切るために、ここへ来ました

 

 真っ白になりかけていた頭を瞬時にフル回転させてパッと出てきた言葉を、そのまま口から出した。即興で考えた割には、悪くないだろう。

 

 

 

 “ユウトを演じ切るためにここに来た。今の俺にはそれ以上も以下もない

 

 

 

 「・・・演じ切る・・・ですか・・・」

 

 すると憬の表情を見つめる蘇芳色の瞳が、一瞬だけ不気味に光る。

 

 「今のあなたに・・・・・・それが出来ますか?

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「やあ、ミチルちゃん」

 

 10時からの撮影を前に外の空気を吸って気分転換、もとい一服をしようとマンションのエントランスを正面玄関の方向へ歩みを進めていた紅林は、撮影用の化粧を済ませ衣装の上に黒いコートを羽織った姿でスタッフに案内されるように204号室へと向かっていたミチルと鉢合わせがてら軽く挨拶をする。

 

 「・・・・・・」

 

 いつもの調子で声をかけてきた紅林に、ミチルは無表情のまますれ違いざまに軽い会釈を返してそのまま歩みを止めずにエレベーターホールに向かおうとするが、直行しようとするミチルに紅林はふと声をかける。

 

 「・・・憬君の(こと)はドクちゃんから聞いとるか?

 

 すると声をかけられたミチルは、その場で立ち止まる。

 

 「・・・えぇ、既に聞いています」

 「・・・やったら話は早いな・・・」

 

 表情を変えずに自分のほうへ一切振り向くことなく静かに呟くように答えたミチルを見て、紅林も同じように正面玄関に視線を向けたまま話を続ける。

 

 「ミチルちゃんはどう思うとる・・・?憬君の今の“状態”について?」

 

 心の中でほくそ笑みながら問いかける紅林に、ミチルは音を立てずに一呼吸して答えた。

 

 「・・・そんなもの・・・・・・実際に確かめてみないと何も分からないですよ・・・

 

 

 

 “・・・思うてた以上に興味津々やな・・・・・・ええ傾向や・・・

 

 

 

 「・・・せやなぁ・・・

 

 

 

 

 

 

 「今のあなたに・・・・・・それが出来ますか?

 

 俺の目を真っ直ぐに見つめる蘇芳色の瞳が、氷の如く変化のない表情はそのままに一瞬だけ不気味に光った・・・ような気がした。

 

 「・・・どういうことですか?」

 「それはあなたが一番よく分かっているはずです」

 

 それにしてもこの人は、あたかも“全て知っている”かのような口ぶりで話しかけてくる。さては紅林と同様に國近から事情は聞いているのだろうか。

 

 「憬がフラッシュバックを起こしたことですか?」

 「渡戸君には聞いていません」

 「はい、すいません(俺の名前は一応覚えてくれているのか・・・)」

 

 撮影中にフラッシュバックを起こしたことで追及されている憬に代わって渡戸が質問に答えるが、ミチルはそれを食い気味に突き放す。

 

 それを見た憬は、ミチルが既に例の事情を知っているということを確信した。

 

 「・・・確かに俺は、昨日の撮影でフラッシュバックを起こして撮影を中断させて」

 「過去のトラウマを思い出したという過程はどうでもいいです。わたしはただ、今のあなたが最後まで演じ切れるかどうかを聞いています

 

 主張を力技で無理やりねじ伏せるように、入江は俺の言葉を遮る。決して強い口調で言ったわけではないはずなのに、彼女の声は俺の主張をたった一声でかき消した。過去の記憶が蘇ったおかげで早くも役者として“窮地”に立たされている俺の主張(こと)を“どうでもいい”の一言で片づけられてしまったにも関わらず、彼女を前にすると次の言葉が出てこない。

 

 それはまさに、舞台で星アリサの姿と第一声を初めて生で聴いた時の感覚に通ずるものだ。ただ目の前にいるだけなのに、次の瞬間にはその世界観に吸い込まれて“なすがまま”になってしまう。

 

 「・・・・・・はい

 

 だがそれは、役者を志す前の中途半端だった頃の自分の話だ。

 

 「最後まで演じ切れる自信があるから・・・・・・俺はここにいます

 

 誰が何と言おうと、今の俺は役者としてここに立っている。何が何でもこの“過去”を乗り越えると心に決めたからここにいる。相手が大物女優だからどうした?たかが大物女優の風格(オーラ)にビビってばかりでは何も始まらない。

 

 

 

 “カメラが回れば俺はユウトで、あなたは母親(リョウコ)

 

 

 

 「・・・その自信が・・・・・・“過信”でなければいいんですけどね・・・・・・

 

 真っ直ぐに視線を向けて決意をぶつける憬に、ミチルは限りなく無に近い表情を浮かべたまま挑発じみた言葉を送る。

 

 無論、彼女の言動には何1つの“悪意”もない。

 

 「(いくら何でもそんな言い方はないだろ・・・憬がどんな思いをしてここに来ていると思っているんだ入江さん(この人)は)」

 「(待て、今は口を挟むな。せっかく夕野(コイツ)が自ら心を決めてんだ・・・)」

 「(・・・わかりました)」

 

 そんな入江ミチルの人間性をまだよく知らない渡戸はいたたまれなくなり思わず言い返そうとするが、彼女の人間性をある程度理解している國近がアイコンタクトで熱くなりかけた渡戸の気持ちを鎮める。

 

  「・・・・・・覚悟はできてます・・・・・・

 

 

 

 ミチルの悪意のない言葉に、憬は真っ向から挑むように自分なりの覚悟をぶつけた。

 

 

 午前10時_『ロストチャイルド』回想シーン_撮影開始_

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ねぇ?今日は早く帰れるんじゃなかったの?」

 「取引先との会議が長引いたんだよいちいち文句を言うな」

 「・・・・・・文句を言いたいのは私のほうだわ

 「なんか言ったか?」

 「・・・別に」

 

 毅は恵里と出会う前、涼子という女性と結婚生活を送っていた。28歳にして大手商社で係長として働く傍ら、家に帰ると大学時代から付き合っていたパートナーがいるという、傍から見れば羨むほどに恵まれた私生活。

 

 「あと明後日の休みだけど、上司のゴルフに同行することになった」

 「・・・何それ?聞いてないんだけど?」

 「あぁ、こっちも急に決まったことだからな」

 

 だが結婚してから3年が経ち、毅と涼子の関係はすっかり冷え切っていた。

 

 「何であなたはいつもそうやって勝手にどんどん決めてくの?」

 「仕方ないだろ?これもれっきとした仕事なんだから、このご時世ゴミみたいに新人がどんどん入って来るから少しでも油断すればすぐに窓際に追いやられる」

 「・・・そんなに仕事が大事なの?」

 「当たり前だ。これも家族を養っていくためだ・・・」

 

 学生時代や結婚した当初は仲陸まじく2人は暮らしていたが、毅の仕事が多忙になりやがて仕事に追われるようになった毅自身が一切家庭を顧みなくなっていったことで、次第にすれ違いが生じていた。

 

 「・・・少しは私と有人のことを考えたりできないの?あなたって人は」

 「考えてるだろ。こうやって朝早くから夜遅くまで働いて稼いだお金で」

 「どこがよ!!?

 

 毅のあまりに身勝手な言い分に我慢の限界を迎えたリョウコはたまらず声を荒げるも、すぐに部屋の片隅に置かれたベビーベッドに目をやる。そこにはぐっすりと眠りに就いていたはずのユウトが目を見開くように言い争いをする2人を見つめ、そのまま泣き出した。

 

 「あ~ごめんね~有人~もう大丈夫だからね~」

 

 リョウコはベビーベッドに向かい泣き出した有人を抱っこしながら笑いかけてあやすも、ユウトの顔を見つめる笑顔は虚ろだ。

 

 「そんな顔であやすなよ。有人が怖がるだろうが」

 

 それを見た毅が笑顔を浮かべてリョウコの腕に抱かれたユウトに近づこうとすると、リョウコは毅の目をキッと睨み後ずさる。

 

 「・・・・・・触らないで

 

 

 

 

 

 

 「カット。じゃあチェックが終わり次第、次のシーンのテスト行きます」

 

 國近からのカットが掛かり、救いのない夫婦喧嘩で殺伐とした撮影現場の空気が一旦リセットされる。

 

 「いやぁ~やっぱりさすがやなミチルちゃんは!ほんまに女を怒らせたときの恐怖が凝縮されとって五臓六腑に染み渡るわ!」

 

 カットが掛かった直後に役から抜けた紅林がいつもの調子でミチルの芝居をやや大げさな関西弁で彼なりに褒めちぎり、ミチルはそれを無表情で受け流す。

 

 “・・・何度見ても紅林さん(この人)の芝居は凄いな・・・”

 

 普段は気さくで明るい関西弁のおじさんなのに、カメラが回ってカチンコが打たれた瞬間に人格が一気に“昔の毅”に変わって纏う空気が一瞬でシリアスになる。

 

 “『当たり前だ。これも家族を養っていくためだ・・・』”

 

 もちろん役を演じている時の紅林は言葉のイントネーションや声色、立ち振る舞いの1つをとってもまるで別人になり“関西弁のおじさん”は跡形もなくパッと何処かへいなくなる。

 

 「でも何か染み渡り過ぎて胃がおかしなってきたわ~どないしたらええかなぁミチルちゃん?」

 「知りません」

 「も~そんな怒らんといてやミチルちゃん」

 

 だがひとたびカメラが止まれば、一瞬で大阪の下町が似合いそうなオヤジに戻る。その落差があまりにも激しすぎて、どっちが“本物”なのかが偶に分からなくなってしまう。

 

 

 

 “『今のあなたに・・・・・・それが出来ますか?』”

 

 

 

 そして入江ミチルの芝居は、直接この目で見たら想像以上のものだった。

 

 “『どこがよ!!?』”

 

 カチンコの合図と共に感情に蓋をするように表情を覆っていた氷が溶けていき、殆ど微動だにしなかった表情に感情()が宿る。

 

  “『・・・・・・触らないで』”

 

 家庭を全く顧みなかったこの頃の毅に行き場のない怒りをぶつける彼女の芝居は、星アリサのように五感を刺激して感情に訴えかけてくるような派手さはないが、役を演じる時の“感情の起伏”があまりにも自然すぎて芝居をしているというより、この人は本当に毅に怒りをぶつけているのではないか?という錯覚と臨場感に何度も襲われ、現場に流れる緊迫も一気に最高潮に達する。

 

 このあまりに自然な感情の起伏が、画面越しに感じた“普遍的で素朴ながらも引き込まれていく”彼女ならではの芝居に繋がっていたことをこの目で確かめ初めて気付かされた。

 

 恐らくこれが、國近の求めている“リアル”の真髄にあたる芝居なのだろうか。

 

 “「あ~ごめんね~有人~もう大丈夫だからね~」”

 

 さらに見ていて驚いたのは、リョウコを演じる入江がまだ赤ん坊だった頃のユウトを感情の抜けた笑顔であやしている場面だ。

 

 

 

 「すいません國近さん、もう少しカメラの位置を下げて頂くことは可能でしょうか?その方が違和感のない動きが出来そうなので」

 「出来なくはないけどアングル的には今の位置がベストだ」

 「そうですか、ならわたしの方でどうにか合わせるしかないということですね?」

 「あぁ、可能な限りそうしてくれると助かる」

 「分かりました。ではこのままでやってみます」

 「了解」

 「おぉ~やる気満々やねぇミチルちゃん」

 「わたしはただ意見を言っているだけです。誤解しないでください」

 

 入江が紅林にだけ輪をかけて対応がドライなのはともかく、この場面で赤ん坊のユウトの“身代わり”となっていたのは、何と撮影監督の黒山が構える一台のカメラだった。このカメラは毅とリョウコの2人を中心に映したかと思ったら、ある場面ではベビーベッドの柵越しに2人を映し、そしてリョウコから抱かれる場面ではアングルが“母親に抱かれている赤ん坊”の視点となってリョウコの顔を捉える。

 

 これが最終的に國近の手によってどのように仕上がるかは分からないが、確かなのはカメラのアングルを駆使して“ユウト”の視点を再現しているということだ。

 

 

 

 でもそれ以上に、カメラに視線を向けて感情の抜けた笑顔であやす入江の芝居に俺はただひたすらに引き込まれていた。視線の先にあるのはユウトではなく黒山のカメラのはずなのに、気が付くとそれが本物の1歳の赤ん坊のように見えてしまう不思議な感覚。

 

 “『・・・煩いな・・・』”

 

 小休憩を挟んで撮影は続き、やがて育児への疲れに加えて毅との関係が火種となって行き場のない思いを溜め込みすぎたリョウコは精神的に追い詰められていき、ついにあやしても泣き止まないユウトの顔面を思い切り引っ叩く。

 

 

 

 “・・・ッ!?

 

 

 

 その瞬間、まるで本当に頬を叩かれたような錯覚が俺の身に襲い掛かった。

 

 

 

 “・・・前の家を出るほんの少し前くらいに、父親から一回だけ左の頬を思いっきりぶたれたことがあった・・・・・・それからだろうか・・・・・・俺は家族を含めて人の前では泣かなくなり、感情を表に出すことも極端に減って、ひたすらに自分の世界に没頭していくようになった・・・

 

 

 

 ってあれ?何で俺はこんなことを今になって思い出したんだろう?

 

 不意に頭の中に浮かんだ、父親との新たな記憶。俺はもしかしたらこんな風に、父親から虐待を受けていたのだろうか。

 

 “最後まで演じ切れる自信があるから・・・・・・俺はここにいます

 

 駄目だ駄目だ駄目だ。何を俺はこんなところであんな過去を思い起こしているんだ。俺は今、この2人の芝居を通じてユウトの感情を理解しつつも俺自身の過去をも武器にして、この困難を乗り越えなければならない。

 

 “過去は過去だ・・・・・・今は目の前のことに集中しろ・・・

 

 そう心に言い聞かせながら、尚も続いていくユウトの過去に憬は入り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ある日の夜遅く、リョウコは暗闇の中でふと隣で眠るユウトの寝顔を優しく撫でる。

 

 「・・・・・・有人・・・・・・」

 

 ユウトの名前を言いながら、リョウコは感情の抜け切った顔を浮かべ寝顔を撫でていた両手を首元にやる。

 

 「・・・この子さえいなければ・・・・・・私は・・・」

 

 目の前で眠るユウトに力なく呟くリョウコの目から一粒の涙がゆっくりと頬を伝い、ユウトの額に落ちる。涙の水滴が頬に触れた瞬間、ユウトが夢から覚め、リョウコと目が合う。

 

 「・・・・・・おやすみ・・・・・・

 

 殺そうとしている自分を純粋無垢な瞳で見つめるユウトにリョウコは感情の抜けた目から涙を流して呟くと、ユウトの首元に当てていた両手に思い切り力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 『・・・憬・・・』

 

 2歳の時に母親と共に横浜へ引っ越す前、俺は都内にある1DKの古びたアパートの一室で過ごしていた。

 

 『・・・君は本当にかわいいな・・・』

 

 窓の向こう側から微かに雨の音が聴こえる夜明け、不意に話しかけられたことで目覚め始めた俺の頭を父親が撫でる。夢うつつで意識は曖昧だったが、俺の頭を撫でながら優しく語りかけているのが父親だということはすぐに分かった。

 

 『・・・でも・・・・・・僕はもう駄目なんだ・・・

 

 次の瞬間、一瞬の閃光と共に落雷の轟音がまだ薄暗い部屋全体に響き渡り、心臓に鉛玉をぶち込まれたかのような衝撃が走り俺の意識は一気に覚醒した。

 

 “・・・えっ?・・・”

 

 気が付くと、父親は“死んだ魚”の目で見つめながら馬乗りになり両手を俺の首元に優しくかけていた。当然俺は、今ここで何が起こっているかなど全く把握していない。

 

 『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・

 

 そして何も把握できずにいる俺に父親は感情の抜け切った表情で一言だけそう言った直後、首にかかる圧力が一気に強まり、俺は息を吸うことも吐くことも出来なくなった。

 

 あまりに突然の出来事に、俺は声を発することも暴れることもどうすることも出来ずに訳が分からないまま意識が再び遠のき始めた。

 

 “・・・父ちゃん・・・・・・泣いてる・・・?”

 

 その時、左の頬に一粒の温かい何かが落ちた。薄れゆく意識の中で視線を父親の方へ動かすと、父親は一筋の涙を溢しながら俺の目を凝視していた。

 

 『・・・・・・何やってるの!?

 

 どれくらいの時間が経ったあたりか、右隣から母親が叫ぶ声が聞こえた。そしてその声に妙な安心感を覚えた俺の意識はここで途絶えた・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・憬・・・オイ憬?

 「・・・・・・!?

 

 隣で一緒に撮影を見学していた渡戸に不意に話しかけられ、憬は思わず驚いたような表情を見せる。

 

 「・・・大丈夫か?」

 「・・・・・・はい」

 

 渡戸から声をかけられてふと目の前に視線を送ると、ユウトと毅の回想シーンの撮影は既に終わっていた。2人の芝居を通じてユウトの感情を理解しようと、俺はいつものように毅とリョウコの2人を俺は眺めていたはずだった。

 

 

 

 “『・・・有人・・・』”

 “『・・・憬・・・』”

 

 

 

 だがリョウコがユウトの首に手をやりながら力なく呟き一粒の涙を流した辺りから、目の前に広がる光景が突如として現実から“過去の光景”に移り変わっていた。リョウコの涙を流せばあの日の父親の顔と言葉が思い浮かび、リョウコが首を絞めたらあの日の首の感触がそっくりそのまま襲い掛いかかり、息が一瞬だけ出来なくなる。

 

 

 

 “『・・・・・・何やってるの!?』”

 

 

 

 本来であればここで毅が「やめろリョウコ!」と叫び寸でのところでリョウコとユウトを引き離す場面が展開されているはずだが、何故か視界の先には俺を殺そうとした父親に気がつき同じように引き離す母親の姿が視えた。

 

 「大丈夫・・・・・・じゃなさそうだな」

 

 隣に立つ渡戸に話しかけられてようやく“現実に引き戻された”俺は、自分が完全に“過去の記憶に囚われていた”ということを理解した。

 

 

 

 シーンを撮り終えた後に待ち受けていたのは、想像以上に厳しい現実という壁だった。

 

 

 

 「・・・夕野君・・・」

 

 リョウコの感情から抜け出したミチルの視線が、現実に引き戻された憬の心を突き刺す。

 

 「どうやら・・・・・・あなたの自信は“過信”だったようですね・・・・・・

 








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scene.47 過信


田中脊髄剣とは初っ端から恐れ入りました。


 同日_午後1時_東京都新宿区_

 

 「Hey(やあ)

 

 新宿・歌舞伎町の一角にあるバッティングセンターの入り口付近で待つ、黒のニットキャップを被り “世間のイメージとはかけ離れた”グランジファッション(変装コーデ)に身を包む1人の少年に、一切の変装をせず有名ブランドのジャージ(普段着)を身に纏った同学年の少年が使い慣れた流暢な英語で死角から話しかける。

 

 「お前はショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?

 「そんなもの決まっているさ・・・・・・一番最後だよ

 「・・・Me too(俺もだ)・・・

 

 6年間の海外生活で身に着けた流暢な英語で話しかけて来た狩生に、同じく海外生活を経験している十夜も流暢な英語で返すと、そのまま握手からのハグ(あいさつ)をする。

 

 「すっげぇ久しぶりじゃんトーヤ!

 「あぁ、オレが日本(ここ)に帰ってきて以来だねヒロ

 

 この2人がこうしてお互いに面と向かって会うのは、十夜が中学に上がるタイミングで日本に帰国して以来、およそ3年ぶりのことだ。

 

 「ていうかしばらく会わないうちにめっちゃデカくなったよなお前?

 「中学で20センチ伸びたからね。成長期ってやつ?

 「ま、俺の方がまだまだ上だけどな

 「別に身長で張り合うつもりはオレにはないよ。あとそういえばヒロって学校どこ通ってんの?

 「桜羽(おうわ)。トーヤは確か霧生だっけ?

 「そう。ていうか桜羽とか滅茶苦茶良いとこ通ってんじゃん。偏差値70以上あるよあそこ?

 「お前んとこもちゃんとしたガチの進学校じゃねぇかよ、てかぶっちゃけトーヤの場合じゃ別に関係なくね?

 「それはお互い様だろ

 「確かに

 「ていうかシンプルに最近どう?元気してる?

 「おう、見ての通り超絶元気だぜ。そういうトーヤこそ最近めっちゃテレビ出てるけどちゃんと飯食ってんのか?

 「当然さ。これでも一日三食、ちゃんと時間を作って食べてるよ

 「そりゃあ最高だな!

 「その代償に睡眠時間はきっちり3時間分削られてるけどね

 「だったら飯を食べながら夢を見ればいいさ

 「ったく無茶言うなよ・・・ていうか何でさっきからずっと英語で話してんのオレたち?」

 「ハハッ、マジでそれ」

 

 こうして3年ぶりに顔を合わせた小学校時代からの友人同士は、互いに海外生活で身に着けた英語を交えた他愛もない会話をしながらゲームコーナーの先にあるバッティングセンターの受付へ歩いて行った。

 

 

 

 「にしても最近ドラマ出たり色々忙しいっぽいけど大丈夫なん?こんなとこで俺と一緒にオフなんか満喫して?」

 「大丈夫どころかこうやって定期的に発散しとかないと逆に疲れが溜まっててんてこ舞いだよ」

 「ハッ、さすが “大物”になるとラクじゃないわな」

 「“大物”はやめてくれ」

 

 バッティングセンターのバッターボックスに立つ十夜に、ネットの後ろのベンチに座る狩生がネット越しに揶揄いと心配が半々の言葉をかける。

 

 「でもさ、トーヤって主演だろ?台詞の量とかヤバくね?」

 「大丈夫、オレはヒロと同じで生まれついての天才だから台本はト書きまで全部入ってるよ」

 「カッケ~!もし俺がそこら辺の女子だったら今ので完全に落ちてるね」

 「そりゃどーも」

 

 小学4年の時のクラスメイトからの揶揄いを軽くいなしながら、十夜は時速130キロの球に対してプロ野球選手顔負けのフォームでバッドをフルスイングするが、バッターボックスには乾いた金属音ではなく鈍い風切り音だけが響く。

 

 「ナイスゴロ!」

 

 風切り音、風切り音、バッドに球が当たったと思ったら打ち損じ、また風切り音。結局15球を消費してまともに当たったのは3球ぐらいで、そのどれもピッチャーゴロかショートゴロが関の山。

 

 「・・・ったく、ホントお前ってサッカーとか他のスポーツ(やつ)はデキるくせに野球だけはからっきしダメだよな」

 「だって野球は球が無駄に硬くて無駄に速いから嫌なんだよ。そもそも球が飛んできた時は毎回目を瞑ってるし」

 「どおりで空振り連発するわけだわ」

 

 十夜と同じクラスだった小4の時、クラスマッチの野球で対戦相手のクラスのピッチャーが鼻先数センチのところに球を投げてきたことでブチ切れた十夜がバットを投げ捨てそのピッチャーと乱闘騒ぎを起こしたクラスマッチの日のことを思い出しながら、狩生はバッターボックスから戻り隣に座る十夜に声をかける。

 

 無論、この出来事がきっかけで十夜が野球のことを極度に毛嫌いするようになってしまったことは言うまでもない。

 

 「そんなに野球が嫌いなくせに何でこんなところで俺と会おうって言った?」

 「・・・うーん・・・なんていうか・・・久しぶりにヒロと一緒にこうやって遊べるならヒロの好きな野球ができる場所がいいかなって思ってさ

 

 そんな自分が最も毛嫌いしている野球をわざわざやろうと俺にメールをよこしてきた時は何を考えているのか分からなくて軽く困惑したが、バッティングを終えた十夜が俺に見せた顔は親友と久々に会えたことへの純粋無垢な“喜び”だった。

 

 「それに、ヒロが近くにいる今なら大嫌いな野球もまた好きになれそうな気がするし

 「・・・そっか」

 

 こんな感じで偶に何を考えているのか全く分からなくなるところも含めて、同じクラスだった小4の時から十夜は何も変わってない。

 

 

 

 “・・・やっぱりお前は“可愛い”な・・・

 

 

 

 「次、ヒロの番」

 「おう、じゃあ次は俺がスラッガーの手本ってやつをお前に見せてやるよ」

 「って言いながら草野球しかやったことないの知ってるよオレ」

 「そんなん関係ねーよ」

 

 十夜からの揶揄いに、狩生は余裕の笑みを浮かべながら受け流す。

 

 「まぁ見とけ・・・これが草野球と助っ人で鍛えた底力さ」

 

 そう言って狩生は自身が尊敬してやまないプロ野球選手のルーティンを“完全再現”すると、時速130キロで向かって来た球に向けてバッドをフルスイングした。

 

 

 

 

 

 

 “「My name is HIRO・・・俺は狩生尋(かりうひろ)だ。今日からよろしく」”

 

 日本とニューヨークを数年おきに行き来するような生活を送る帰国子女(十夜)と父親の仕事の関係で3歳から9歳までをロサンゼルスで過ごした帰国子女(狩生)がクラスメイトとして出会ったのは、小学4年生の時のことだ。

 

 “「ヘイ、名前何て言うの?」”

 

 転校初日の休み時間、出席番号順に並べられた中で空けられていた自分の席の隣に座る白銀の髪をした小柄なショートボブの“男の子”に狩生は声をかけた。

 

 “「・・・十夜(とおや)・・・一色十夜(いっしきとおや)

 “「トオヤ・・・・・・へぇ~、すっげぇカワイイ顔してんのに名前は随分と男っぽいんだな」”

 

 ただしそれは、隣の席に座っていた十夜のことを女の子だと勘違いした挙句パッと見で一目惚れした狩生が半分本気で口説きにかかって来るという、色んな意味で最悪な出会いだった。

 

 “「・・・・・・悪かったね、オレが女の子にしか見えなくて」”

 “「・・・・・・Unbelievable(マジかよ)(あと英語めっちゃうま・・・)」”

 

 しかし出会いこそ最悪であったが、互いに帰国子女であることや特殊な環境で生活を送っていたこともあって2人はクラスメイトとしてすぐに意気投合し、あっという間に分け隔てなく接する親友同士の関係になった。

 

 それから結局のところ十夜が5年に上がるタイミングで再びアメリカへ行ってしまったため2人がクラスメイトだったのはこの1年間だけだったが、それからもこの2人は文通や電子メールを通じてやり取りを続けていた。

 

 そして中学に上がったタイミングで十夜が再度帰国したことで一度だけ再会してからは互いに都合が合わなくなりメールを送る頻度も減り始めて長らく疎遠になっていたが、

 

 “『ねぇ?ちょうど丸一日休みが取れたから久しぶりに会わない?』”

 

 という十夜からの気まぐれなメールが狩生の元に届き、今日に至る。

 

 

 

 ここで一旦補足として余談を挟むが、狩生の眼には‟とある理由”で十夜の姿が現実と比べて3割増しに補正された状態で映っている。

 

 

 

 

 

 

 

 『バッター打ちました!これは良い当たりだ!打球がグングンと伸びて!これは場外ホームランだ!』

 

 最後の15球目、狩生の打ち返した一球は放物線を描きながら真っ直ぐに吸い込まれていくように最も難易度の高い場外ホームランの的に当たり、バックに置かれたスピーカーから場外ホームランを告げるステレオタイプの実況が流れた。

 

 「素晴らしいバッティングだったよ、ヒロ

 「あ~あ、ホントは一発目からホームランぶちかましまくる予定だったのにな

 「でも良かったじゃん。これで場外ホームラン賞(1000円)貰えるぞ?

 「1000円か~、何だかんだで使い道に困るんだよなこーいう中途半端な額って

 「だったら貯金でもしろよ。バイクの為に

 「もうとっくに貯めてるわ

 

 バッターボックスから戻りベンチに座る狩生に、先ほど挨拶代わりに英語で絡んで来たお返しとばかりに十夜が流暢な英語でバッティングを褒めると、狩生はそれに英語で返す。

 

 「・・・そういえばそっちの仕事はどう?何か國近監督の作品に出ることが決まったみたいじゃん?」

 

 そんな2人にしかできないやり取りを済ませた十夜は、狩生に聞きたかった“本題”をぶつける。

 

 「あ?あぁこないだのメールでついでに伝えたやつか。“惜しくも”脇役になっちゃったけど、一応な」

 

 その問いかけに、狩生は自分が“惜しくもユウトの役を取り損ねた”ことをわざとらしく強調しながら右手でグッドサインを作りながら答える。

 

 「そっか、ドンマイ」

 「たまに超が付くほどドライになるところも変わらねぇな」

 

 元々勉強もスポーツもどんなことでも一切努力せずに何となくの感覚でこなしてきた狩生の“生粋の天才ぶり”を熟知している十夜は、特に労うこともなくバッターボックスに視線を向けたまま淡々と言葉を返す。

 

 「で?ヒロがやりたかった役を勝ち取ったのは誰?」

 「・・・何でそんなことをトーヤに言わなきゃいけねぇんだ?」

 

 そのまま淡々とした空気が2人の間に流れる中、十夜がふと隣に崩れた姿勢で座る狩生に琥珀色の視線を向ける。

 

 「だって何をやっても一番だったヒロを負かした奴がどんな奴なのか・・・・・・同じ役者としてつい気になっちゃってさ?

 

 琥珀色の視線を向けると共に十夜が狩生にそう言い放った瞬間、2人の座るベンチに纏う空気が“一色(いっしょく)の覇気”に包まれる。

 

 「・・・・・・まぁ今日はここ何ヶ月かで一番楽しい日だから、“スペシャルサンクス”として教えてやるよ」

 

 その覇気に一瞬だけ押されかけた狩生は、天知や山吹のように張り合わずすんなりと折れる。

 

 「マジで?」

 「ただし、野球(ここ)はお前の奢りな?」

 「・・・はぁ・・・仕方ない」

 

 ただし、ただ言いなりにはならずにちゃんと“交換条件”を出して何だかんだでイーブンに持ち込んでくるような一筋縄では喰えない人間性に、十夜も無暗に争わずにその条件を飲む。

 

 「つっても何て言えばいいんだアレは・・・・・・トーヤはメソッド演技ってやつは分かるか?」

 「そんなのスターズじゃ“小1の算数”レベルで真っ先に教わってるよ」

 「じゃあ話は早いな。ようは簡単に言ったら俺の“やるはずだった”役を勝ち取ったのは、そういう演技をするヤツだったってことよ」

 「(清々しいくらいの自己肯定だな・・・)・・・へぇ~、面白そうじゃん」

 

 自信満々に答える狩生の“ある言葉”を耳にして、十夜は役を勝ち取った役者が誰なのかを予測しながら再び狩生の言葉に耳を傾ける。

 

 「最初はすげぇ面白そうって思ったし、実際に読み合わせのとこから何というか“ヤベェ”って感じがぷんぷんしてた」

 「うん。それで?」

 

 狩生の抽象的かつ独特な表現の意味を瞬時に理解した十夜は、そのまま何食わぬ顔で話の続きを聞き出す。

 

 「でも俺がちょっと本気を出して勝負をかけたら、何だかよく知らねぇけど結局そのまま撮影を続けられないくらいメンタルがやられたぽくってさ。おかげで明々後日に撮影自体も延期になったわ」

 「まず芝居は勝負じゃないし何をどうしたらそうなるんだよ?」

 「別に俺だってただ真剣に()っただけだし芝居が勝負じゃねぇことぐらい分かってるさ。でもあの後に監督の國近って人と2人きりで話してたのを盗み聞きしてよ・・・なんつーか、案外フツーのヤツなんだなって・・・」

 「・・・普通か・・・」

 

 

 

 “『えーっと・・・なんか・・・他の誰かを演じるって・・・やっぱり最高ですね』”

 

 

 

 そう。“あのドラマ”の撮影現場で見た俺の知っている“奴”は、“あの芝居”からは全く想像もつかないほどごく普通の男の子だった。

 

 「・・・それは期待外れって意味ってことでOK?ヒロ?」

 

 だから、尋の口から“メソッド演技”という単語が出てきた時点で何となくそんな“予感”はしていた。

 

 「ん~、期待外れって訳じゃねぇけど・・・・・・何か思ってたのと違って拍子抜けした、的な?」

 「・・・ふ~ん。なるほど」

 

 そしてこういう時に頭の中に浮かんでくる予感というものは、大体当たっていることが多かったりする。

 

 “小夜子(姉さん)の結婚の時も然り・・・俺の予感はよく当たる・・・”

 

 「・・・それじゃあ、その人の名前は何て言うの?」

 「いや、多分言ったところで分かんねぇよ」

 「それでもいいから教えてよ」

 

 頭の中に浮かんできた予感を頼りに、俺は捻り(カーブ)を加えずに尋に向けて聞きたい言葉(こと)をストレートでぶつける。

 

 「確か・・・・・・“夕野”、だった気がするわ。下の名前は覚えてねぇけど」

 

 

 

 “・・・やっぱり・・・

 

 

 

 「へぇ~、誰?」

 「だから名前言ったところで分かんねぇだろ?」

 「うん。わからん」

 「んだよだったら何で聞いたし意味分かんねぇマジで」

 「それはごめん・・・じゃあ今度は、オレからもお返しで同じ“役者”として大切なことをヒロにも1コだけしてあげるよ」

 「急に話を進めてきたなオイ」

 

 有益な情報を得ることの出来た十夜は、再び視線を隣に向けて話を半ば遮るように狩生に同じ役者としてのアドバイスを送る。

 

 「・・・・・・今の自分を“過信”するな。多分相手はヒロが思っている以上に強いから・・・・・・

 「・・・いきなりすげぇガチなこと言うじゃん・・・」

 「だってアドバイスをするならガチでやったほうがヒロの為になると思うからさ」

 

 突如として始まった本気のアドバイスに狩生は思わず面を食らうが、そのアドバイスに“何らかの違和感”を覚え、すぐさま核心に迫る。

 

 「・・・・・・なぁトーヤ?まさかとは思うけど本当は夕野ってヤツのこと知ってんじゃねぇの?

 

 

 

 “・・・さすが鋭いな・・・

 

 

 

 それは十夜にとっては案の定図星を突く質問だったが、当の本人はそんな感情を1ミリも表に出さずにけろっとしたまま純粋そうな笑みを浮かべて答えた。

 

 「・・・・・・って、“心ちゃん”や“マキリン”だったら言うと思うんだけどヒロはどう思う?」

 「なんだよややこしいな!(まぁお前のそういう何考えてるか分かんねぇとこ嫌いじゃないけどな俺)」

 「ごめんごめん・・・でも“過信”するなって言うのは本当だよ。芸能界はちょっとでも気を抜いてたらすぐに置いてかれるような“危ない世界”だからね」

 

 そしてやたらと勘だけは鋭いが無暗に深追いはしない基本は大雑把な性格の狩生は、十夜の思惑通りに本心から意図せず自ら遠ざかる。

 

 「さて、オレの身元がバレる前にさっさと次の場所にでもずらかりますか」

 「あぁ、それもそうだな。で?次はどうする?」

 「そうだなー・・・オレ的にはカラオケかボウリングにしよーって思ってるんだけど?」

 「・・・・・・じゃあ次はトーヤの“好きなほう”でいいぜ」

 「・・・・・・It's so cool(いいねぇ)

 

 こうして2人の新人俳優のお忍び(休日)は日が暮れるまで続いていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「どうやら・・・・・・あなたの自信は“過信”だったようですね・・・・・・

 

 リョウコの感情から抜け出した入江の視線が、現実に引き戻された俺の心に突き刺さる。

 

 「・・・自覚はとっくにあるようなのが救いですが、あなたは途中から撮影のことなどうわの空でリョウコ(わたし)ではない誰かの感情(こと)で頭がいっぱいでしたよね?」

 「・・・・・・はい」

 

 自分の身に起きた出来事を丁寧になぞるように当ててきた入江に、言い返せる権利は俺には全くない。もちろん彼女の言葉に対して心の中で何かを思う者は何人かいるが、その言葉に意を唱える者は渡戸や國近を含め誰一人として現れない。

 

 彼女の言っていることは、全てが紛れもない事実だからだ。

 

 「・・・もう一度夕野君に聞きます・・・・・・今のあなたに・・・・・・ユウトを演じ切ることは出来ますか?

 

 そして入江は間髪を入れずに俺の目の前へ静かに歩み寄りながら、シリアスな映画のワンシーンの雰囲気を醸し出すように撮影が始まる前に投げかけた言葉と同じ意味を持つ質問を再び投げかける。

 

 「それは・・・・・・」

 

 どうにか言葉を繋ごうと頭の中で単語を巡らせるが、巡れば巡るほど頭の中が真っ白になっていき、一向に言葉が出てこない。

 

 本番が始まる前の俺だったら、仮に覚悟(それ)が過信のハッタリであったとしても“出来ます”とすぐに答えられた。だが、それが本当に“過信のハッタリだった”ことを自覚してしまった今の俺には、そんな“ハッタリの覚悟”をかます余裕すらない。

 

 「・・・・・・どうして黙っているのですか?

 

 分かっている。入江(この人)は決して“悪意”を込めて意地悪まがいな言葉を俺に向けているわけじゃない。ただ俺自身が“どう思っているのかを知りたい”という純粋な疑問を投げかけているだけだ。

 

 故に言葉を間違えればもう挽回のしようがなく、次の言葉が全く出てこない。

 

 それでもこの壁を乗り越えなければ、俺はここから一歩も進むことが出来ない。

 

 

 

 “・・・何でもいい・・・出てこい・・・!

 

 

 

 「その辺にしとき、ミチルちゃん

 

 その時、ミチルの斜め後ろに立ち憬のことを無言で見守っていた紅林が優しく宥めるような口調で現場に流れていた沈黙を破る。

 

 「・・・・・・それもそうですね」

 

 紅林からの言葉に、ミチルは呼吸を一度整えて思わず熱くなり始めていた意識を冷ます。

 

 「・・・わたしとしたことが少々行き過ぎた事を聞いてしまいました。すいません」

 「あぁ、いえ・・・その、悪いのは俺なので」

 

 淡々としながらも優し気な口調と感情の視えない “氷の表情”はそのままに頭を下げて無礼を謝るミチルに、憬は動揺を隠せずしどろもどろになりながらもどうにかフォローする。

 

 “本当にこの人は、今ここで何を考え何を思って言葉を発しているのか、全く読めない・・・”

 

 得体の知れない彼女の感情が、恐怖に似た独特で不気味な空気として襲い掛かる。

 

 「・・・・・・わたしも初めて映画で主演に抜擢された15歳の時は、今のあなたのように右も左も分からず、与えられた役を最後まで演じ切れる“自信”や“覚悟”なんて全くありませんでした」

 

 そんな入江が顔を上げて15歳の頃の自分と今の俺を重ね合わせた瞬間、蘇芳色の瞳の奥で微かに彼女を覆う“氷の中にある”感情が視えた。ような気がした。

 

 

 

 確かなことは、背後を纏っていた得体の知れない空気が少しだけ穏やかになったということだ。

 

 

 

 「だから今日ここであなたが“過信”に苛まれて過去を乗り越えられなかったことは・・・わたしにとっては何ら不思議なことではありません・・・・・・他人を最後まで演じ切るという“自信と覚悟”は、何年、何十年と時間をかけてゆっくりと“自我”の中に構築されていくものですから・・・それをたった数日やひと月で克服することなど無茶な話です・・・」

 

 ゆっくりと言葉を紡いで一つ一つの一言を丁寧に呟くような口ぶりで、ミチルは憬へ向けて言葉を発する。部分的に言葉に棘があるところもあるが、それが憬に向けられた何の紛れもない役者としての助言だというのは誰が見ても明らかだ。

 

 「・・・・・・入江さんは“自信と覚悟”を手に入れるまで、どれくらいかかりましたか・・・・・・?」

 

 そのことを現場(ここ)にいる誰よりも理解している憬は、少しばかり緊張で躊躇いながらもミチルに向けて思い切ったことを聞く。

 

 「・・・・・・それはあなたが俳優として最後まで演じ切る“自信と覚悟”を手に入れた時に初めて分かります」

 

 だがミチルとてそう簡単に教えてくれるはずもなく、ミチルは解け始めていた感情に自ら再び蓋をすると、そのまま憬の横をすれ違い2歩ほど進んだところで立ち止まる。

 

 「・・・どうしてもそれを知りたいというのであれば・・・先ずはあなたの中にある“誰かとの記憶”を、次に“リョウコ(わたし)”と会う時までに “過去”のものにしてください」

 

 そしてミチルは自分のほうへ振り返った憬には全く目もくれず、玄関先に目線と身体を向けたまま憬へ忠告する。

 

 「もしそれが出来なければ・・・・・・今すぐ俳優をやめなさい・・・・・・過去と現実の区別がつかないような役者(にんげん)に・・・未来なんてありません・・・・・・

 

 背後にいる憬へ静かにそう語りかけると、ミチルはそのまま204号室を後にした。

 

 

 

 午後6時26分_『ロストチャイルド』回想シーン_撮影終了_

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「とりあえず迎えがまだ来てないみたいだから何か飲むか?」

 「・・・はい。ありがとうございます」

 

 ミチルと紅林が撮影現場のマンションを後にした頃、丸一日続いた撮影の見学を終えた憬と渡戸は撮影が予定より30分ほど早く終わったことで憬の迎えの車がまだこないこともあり、読み合わせ初日の時と同じようにマンションの外に設置されている自動販売機でそれぞれの飲み物を選んでいた。

 

 「前のときもそうだったけどほんとにブラックコーヒー(これ)でいいのか?」

 「はい。何となく今はこれを飲みたい気分なんで」

 

 そしてあの日と全く同じ缶コーヒーを奢ってもらい、それを口へと運ぶ。

 

 「・・・・・・苦っ」

 「だろうな」

 

 口に入れた瞬間に全身へと染み渡る、一切の“甘さ”のない苦味。美味しさなど感じる余裕は全くないほど苦いはずなのに、今は不思議と俺の身体はその苦みを拒絶しなくなっていた。

 

 「でも・・・前に飲んだ時よりおいしくなってる気がする」

 

 それどころか、この“苦み”が身体の中に染み渡ったことでほんの少しだけ心がラクになったかのような感覚すらある。

 

 「・・・・・・コーヒーの香りにはα波っていうのがたくさん含まれてて、それが成分で入ってるコーヒーには脳と体を休めてリラックスさせて、ストレスを落ち着かせたり脳を活性化させる効果があるらしい」

 「・・・随分詳しいんですね」

 「巌先生が以前稽古終わりに教えてくれたことだけど、そもそも俺はコーヒーとか苦いものが全般的に受け付けなくてさ・・・結局ほぼ無意味だったよ」

 「剣さんって苦いもの全然ダメだったんすね?ちょっと意外

 「うん。実際に周りからも言われたりもするよ。“この顔でコーヒー飲めへんのかい!?”とか」

 「言ってる人が滅茶苦茶ピンポイントな気がするのは気のせいでしょうか?」

 

 渡戸がコーヒーを全く飲めないという意外な事実が判明したのはともかく、どうやら妙にコーヒーの苦味が心地よく感じたのは俺の身体がコーヒーに慣れたというわけではなかったようだ。

 

 

 

 “『今のあなたに・・・・・・ユウトを演じ切ることは出来ますか?』”

 

 

 

 「・・・結局、俺は入江さんに何も言い返せませんでした」

 

 コーヒーの不思議が判明したと同時に、“ユウトを演じ切れる”と確かな自信を持って言うことができない自分に対する悔しさと焦りが再度込み上げ、それを鎮める意味合いを込めて俺はコーヒーをまた口へと運ぶ。

 

 「ていうか、そもそも“過去”ってどうやったら乗り越えられるんすか?仮に母ちゃんから“あの日に何があったか”を聞き出せたとして、それで乗り越えられるようなものなんですか?・・・もう考えれば考えるほどわけが分からなくなりますよマジで・・・」

 

 するとそれが苛立ちとなって一気に口から愚痴が滝のように溢れ出す。母親から“父親”のことを聞き出さなければ全ては始まらないだろうが、考えてもみれば真実を知ったところで俺がこの“過去”を超えられるという保証はない。かと言って、これ以外の方法は全くもって思いつかない。

 

 そして次に会う時までに“リョウコ”を“母親”として認識することが出来なかったら俺は・・・・・・

 

 「・・・あぁすいません。別に誰が悪いとかそういうことじゃなくて」

 「気にすんな。感情を吐き出したいときは思いっきり吐き出せ。それも役者を続けていくための処世術(コツ)だ」

 

 ふと我に返ってどうにか弁解しようとする俺を宥め、隣に立つ渡戸はホットココアの缶を開けて、口へと運ぶ。

 

 そんなクールで“不機嫌顔”の男がホットココアを飲む光景の何とも言えないギャップからくるシュールさに、不意にも少しだけ気は紛れ再び心がラクになった。

 

 「・・・それに、過去の乗り越え方なんて俺だって未だに知らない。多分この先どれだけ役者を続けたとして、正しい答えだとかやり方は永遠に分からないと思う」

 

 ホットココアを一口飲んだ渡戸は、目の前に広がる2車線の通りに目を向けたまま自分なりの答えを出す。

 

 「でも、それじゃあ剣さんはどうやって?」

 「気が付いたら乗り越えられた。いや、完全にはまだ乗り越えられていないから“過去を過去”として見れるようになったってのが正しいか・・・・・・もちろんそこに至るまでには色んな人との出会いとかそれなりにきっかけはあったけど、自分の力でそうなれたって思ったことは一回もないな・・・本当に気が付いたら“ここまで”来てた」

 「・・・はぁ」

 

 そして俺の口から出てきた疑問にその答えを被せるが、正直これは求めていた答えからは少しだけずれたものだ。“過去”と“現実”の区別がちゃんと出来ている渡戸でさえ方法を知らないとなると、いよいよやり方が分からなってくる。

 

 「ようは過去なんて“その程度”のものなんだよ」

 

 だがそんなマイナス思考(こと)は考えるだけ無駄だということを、クールに笑いかける渡戸の言葉で思い知らされた。

 

 「過去を乗り越えるやり方なんて誰も知らないし、無理してやり方を知る必要もない。でも越えられない“過去”なんて存在しない。だから俺たちは今“ここ”にいるんじゃないのか?」

 

 

 

 “『難しく考えんなよ。出来もしないことを無理に間に合わせようとすんなよ。そんなもの、撮影を通じてドクさんたちと一緒に作っていけばいい話だ。せっかく “自由”を手に入れたんなら、もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ』”

 

 

 

 「いい加減もっと“シンプル”になろうぜ、憬

 「・・・・・・ありがとうございます」

 

 背中を優しく叩きながら言った渡戸の言葉で、ようやく“シンプル”になるということの本当の意味が分かり始めた。

 

 「・・・って言っても、そう簡単な話じゃなさそうだな・・・」

 「そうですね・・・・・・次に“リョウコ”と“会う”ときまでに克服しないと、即引退ですからね」

 「引退って何も入江さんはそこまで・・・まぁ、さすがにあれは脅しで言ってたと俺は信じたいけどな」

 「でも・・・“あのシーン”は今の状態じゃ演じ切ることは無理なのは俺も分かってます」

 

 過去というものは乗り越えようと思って乗り越えられるものじゃない。でもそれでアクションを起こさず1人で抱え込んだままでいても、何も始まらない。

 

 当たって砕けることを、恐れるな・・・

 

 「とりあえず思い切って過去と向き合えるために今やれることは全部やります・・・・・・何が何でも、俺はこれから先もずっと役者を続けていきたいんで

 

 

 

 “『・・・役者になってくれて・・・・・・ありがとう』”

 

 

 

 「どうしようもなくなったら、いつでも“俺たち”を頼れよ」

 

 “ハッタリ”ではない本当の“覚悟”を持って決意を伝えた憬の背中を、渡戸がもう一度優しく叩く。

 

 「やっぱり見ず知らずの監督よりも“ワケあり”の過去を持つ同士の言葉のほうが心に響くか?」

 

 そんな2人の“兄弟”に、撤収作業を済ませ死角から様子を見ていた國近が話しかける。

 

 「いえ、別にそういうわけじゃ」

 「それだけ“ショウタとユウト”の距離が縮まってきたってことだ。自信を持てよ、夕野」

 「・・・はい」

 

 國近からの激励に、憬は真っ直ぐな視線を向けながら返事をすると雲に覆われ星一つ見えない夜空を見上げる。その視線に込められた覚悟の度合いは、ミチルに向けていたつよがりの比ではないほどに“覚悟”が備わっている。

 

 「どうする夕野?時間は刻一刻と迫ってるぞ?」

 

 國近は缶コーヒーを片手に暗くなった空を見上げる憬に言葉をかける。

 

 「・・・・・・先ずは今日、帰ったら母親に“あの日のこと”を聞き出します」

 「もし今日がダメだったら?」

 「口を開いてくれるまで聞き続けます。“唯一の家族”として・・・」

 「・・・・・・そうか」

 

 

 

 夜空を見上げたまま確たる決意を声に出して自分自身に言い聞かせる憬に渡戸と國近はほとんど同じタイミングで静かに頷くと、図ったようなタイミングで憬を最寄り駅まで乗せる菅生の車が現場のマンションに到着した。




気がついたら初投稿から1年が経ちました。もう1年ですよ。早ぇっすわマジで。

てことでこれからもマイペース&マイスタイルで突っ走っていきたいと思います。




最後についでですが1周年&50話突破を祝して、一応アンケートです。(もしかしたらアンケートの結果次第でここから先の展開に影響があったり特に何もなかったりするかもしれません。)


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scene.48 高円寺ラプソディー Ⅱ


1人だけで寂しく切り盛りするのも悪くはないけれど、やっぱりみんなでワイワイ投稿し合うほうが100倍楽しい


 2018年3月下旬_東京都杉並区高円寺_

 

 高円寺の環状七号線沿いに建てられた劇場で、巌裕次郎が主宰を務める劇団天球はこの日も稽古を行っていた。

 

 「何の前触れもなくいきなり目の前に現れやがって。ハイエナか黒山?」

 「あ?誰がハイエナだ?ただのキャスティング目的の見学だ。真っ当でしょうが」

 

 そしてこの日、各自で自主練を始めている団員たちを音響調整卓や照明機材などが鎮座する2階から静かに眺める巌の隣には“招かねざる客(黒山墨字)”も来ていて、共に団員たちの自主的な稽古風景を観察していた。

 

 「お前がこんなところに顔を出す理由は大体察しはつく・・・だが、そう簡単にここの連中は渡せねぇよ」

 「そんなの百の承知ですよ・・・つっても、やっぱり俺の映画と舞台役者は相性が悪い。邪魔しましたね」

 

 だが墨字はほんの10分ほど稽古の様子を観察しただけで、そそくさと劇場を後にしようとする。

 

 「何だもう帰るのか?」

 

 舞台役者というものは1つの舞台を通じて、己の感情をダイレクトかつ的確に壇上から客席に座る観客へと伝えることで観客と役の境目をなくし“物語を共有”する。そうすることによって観客は壇上に立つ役者の感情に移入し、作品の世界へと没頭していく。

 

 一方で映画はカメラが役者に直接寄り添ってくれることで、役の内面だけに集中していてもかえってそれが武器になる。逆に言えば舞台のように“1対1000”で観客へ感情を伝えようとすると“1対1”を求められる映像では放たれる感情のバランスが許容範囲を超えてチグハグになり、悪い意味で世界観(レンズ)から浮いてしまう。無論、その逆も然りだ。

 

 「あぁ・・・“もしかしたら”と可能性を探ってみたけど、どうやら今回は俺とおたくの連中との縁はなかったみたいだ」

 

 確かに“観客への意識”は映画だろうが舞台だろうが役者においては絶対に必要な能力ではあるが、やはり彼らの求める芝居というものは“俺の撮りたい映画”と相性が悪い。

 

 

 

 “もしかしたら女優時代の星アリサに限りなく近い原石が1人はいることを期待してここへ来たが・・・・・・どうやらそれは単なる俺の高望みだったようだ・・・

 

 

 

 「いつまで星アリサの幻影を追っている?

 

 そんな俺の心情を汲み取ったのだろうか、巌さんは劇場を後にしようとした俺をピシャリとした口調で呼び止めた。

 

 「・・・悪いか?」

 「別に悪いとは言ってねぇだろが・・・・・・だが、そいつはあまりに無謀な話だ」

 

 無謀な話。巌さんのその言葉に異論は全くない。星アリサのような歴史に名を残すほどの才能なんて一生に一度出会えるかどうかだ。

 

 「まるで透明な水のように何色にも染まってしまう・・・放っておいたら2度と戻らないほど黒く濁ってしまう・・・」

 

 それでもかつて、俺の知り合いで1人だけ “その領域”に辿り着いた役者(おとこ)がいたが、“その領域”に足を踏み入れた瞬間にアイツもまた役者をやめてしまった。

 

 あれから10年、歴史に名を残すほどの才能を持つ“新星”は未だに現れていない。

 

 「・・・もう出て来ねぇよ。ああいう役者は

 

 もう出てこない。巌さんは自らが手塩にかけて育て上げている教え子たちを複雑な感情で見下ろしながら静かに“つよがり”の台詞を吐いた。誰よりも星アリサの才能に惚れ込み、誰よりもその才能を壊してしまったことを悔やんでいるこの男が、そう易々と諦めに似た弱音を吐くとは思えない。

 

 何だかんだで子供(ガキ)の頃から親父に連れられるように“この人”の舞台を観て、“あの人”の下で助監督をしていた時からずっと面識がある“このジジイ”の考えていることは、どんな被写体よりも容易く読み取れる。

 

 

 

 “幻影を追ってんのはお互いさまじゃねぇかよ・・・クソジジイ・・・

 

 

 

 「・・・見つけたらあんたに紹介してやってもいいぜ

 

 巌の心情を察した墨字は、わざとらしく不敵に笑いながら去り際の捨て台詞をぶつける。

 

 「興味ねーよ・・・今の俺にはあいつらがいる」

 「・・・・・・そうだったな」

 

 墨字に心の内を勘づかれたことに気が付いた巌は年甲斐もなく再び“つよがり”の言葉を向け、全てを理解している墨字はそれをすんなりと受け入れ今度こそ立ち去ろうと裏口の通路へと歩みを進めた。

 

 「・・・黒山・・・・・・俺は今年の秋にやる舞台で・・・演出家をやめる

 「・・・!?」

 

 団員にバレないように裏口へ歩みを進めようとした墨字を巌は呼び止める。そして巌から放たれた言葉に、墨字は思わず足を止めて振り返る。

 

 「・・・ってオイオイ、ちょっと待ってくれその冗談は星アリサの引退よりもキツいぜ巌さん?まだ10年はやれるでしょうが」

 「いや、俺は至って本気だ

 

 あまりに突然のカミングアウトに墨字は一瞬の動揺を隠しながら冗談交じりに茶化すが、そんな墨字に巌は淡々とした口調でそれが紛れもなく本当のことであることを告げる。

 

 「・・・本当は“罪滅ぼし”が終わるまでは“この場所”に居座り続けたかったがな・・・」

 「・・・・・・何があった?

 

 

 

 “『俺は芝居で役者としての人生が必要な奴らを救いたい・・・・・・その為ならどれだけ周りに馬鹿にされようが代償でこの手足が千切れようが最期の一瞬まで奴らの“生き様”を見届けなければならない・・・・・・それが“演出家”ってやつだ』”

 

 

 

 そうまで豪語していたこの演出家(巌さん)が、自らの意思で舞台から離れなければならない理由は何なのか。少なくとも“良い話”ではなさそうなのは覚悟を決めた表情を見れば明らかだった。

 

 「・・・誰にも言うんじゃねぇぞ・・・・・・“墨字”・・・

 

 俺はこの日、巌さんから“舞台を降りなければならない”理由を打ち明けられた。

 

 

 

 スターズのオーディションで夜凪と出会ったのは、その一月後だった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2018年9月1日_午後8時_高円寺_

 

 「この店、だったよな?」

 

 夜の8時。低気圧が停滞したせいで昨日の朝方から振り続く雨の中、憬は傘をさし1週間ほど前にトークで交わした墨字からの飲みの誘いで高円寺の商店街にある大衆居酒屋についた。

 

 「・・・案外忘れてるもんだな」

 

 そこそこに年季の入った雑居ビルの一階に鎮座する、オープンテラス付きの居酒屋。黒山曰く、“『お前が役者だった頃は何度もここで俺と酒を飲んでいた』”らしいが、俺の記憶の中にある居酒屋は、もう少しこじんまりとしていた気がする。

 

 単純に俺の記憶違いか、あるいは大胆に改装でもしたのか。いずれにしろ黒山と最後に酒と飯を食らったのはもう10年も前のことになるから、多少なりとも変化があっても仕方のないことなのかもしれない。

 

 「よぉ、おせぇぞ小説家

 

 そうこうしているとオープンテラスの奥にある店の入り口から、見覚えのある顎に無精ひげを生やした男が俺に声をかけてきた。

 

 「悪い。もうちょっとこじんまりした感じだった気がして疑心暗鬼になってた」

 「どこの店だよそれ?・・・まぁいいか、こうやってお前と外で酒を飲むのも10年ぶりぐらいだから勘違いの1つは起きるか」

 「あぁ・・・多分そうだな」

 

 とにかく俺と黒山の記憶の中にある景色は少し違っているが、どうやら場所はここで合っていたようだ。

 

 「さて役者が揃ったところで飲みますか」

 「互いの近況でも話しながらな」

 

 入り口の前で軽く挨拶を交わすと、憬と墨字は居酒屋の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 「じゃあ、乾杯」

 「乾杯」

 

 2階へ上がった先にある個室の一部屋で、憬と墨字は10年以上ぶりに酒の席で乾杯を交わす。

 

 「美味いわやっぱ」

 

 ガラスのコップに注がれたビールを一気に流し込んだ黒山が、コップを置きがてらに独り言を漏らす。

 

 「何かさ、誰かと一緒に飲む酒っていつもより美味く感じないか?」

 「本気で言ってんのかそれ?」

 「本気だわ」

 

 実際には店側の徹底した品質管理の下で提供されていることもあって同じブランドでも普段から家で飲むような酒より美味いのは当然のことだが、こうして互いに知れた間柄と交わす酒と料理は思った以上に五感に染み渡る。

 

 案外こういう息抜きも、偶には悪くないのかもしれない。

 

 「でもホントに久々だぜ夕野とこうやって飲むの、いつ以来だっけ?」

 「アレだよ、墨字が“カメラ1つで旅に出る”とか言ってたとき」

 「・・・そんなこと言ってたっけお前に?」

 「覚えてないのか?」

 「もう10年も前のことだ。曖昧になって当然だ」

 「嘘だろ」

 「お前もお前で店のこと覚えてなかったじゃねぇかよ」

 「・・・じゃあとりあえずこれで“あいこ”だな」

 「勝手に畳めんな」

 

 

 

 そんなこんなで2人の酒の席はアルコールとアテとつまみをお供に大した中身のない他愛もない話がしばらく続いて約30分_

 

 

 

 「そう言えばプロットの感想をまだ墨字から聞いてなかったな」

 「・・・あぁ、アレか」

 

 何気ない談笑をしながらタイミングを伺っていた憬が本題を切り出す。

 

 

 

 “『どうせなら直接会った時に感想を言いたい』”

 

 

 

 百城から送られた無防備な感情で眠る夜凪の写真を視たあの日の夜に、黒山からの飲みの誘いに乗るついでで送った第一稿(プロット)。正直言ってあの時はアルコールが完全に抜け切れていなかったこともあってか何の躊躇もなく“ノリ”に近い形で思わず送ってしまったが、それに対する最終的な返事が“あれ”だった。

 

 「本当は完璧な状態に仕上がるまで温存するつもりだったけど、ひとまず現段階での墨字の意見を一度聞いておきたいと思ってね」

 

 あの黒山がこんな回りくどい真似をしてきたのは意外だったが、ともあれようやくプロットの改善点やヒントがこうして得られるわけだ。

 

 

 

 “『真剣よ!!味見してみる!?』”

 “『ねぇ千世子ちゃん、じゃなかったカレン?ここが噂の・・・何だっけ?』”

 

 

 

 そして、夜凪の前に立ち塞がる靄が誰なのかも分かるかもしれない。

 

 「・・・・・・良いんじゃねぇの?」

 「・・・・・・えっ?」

 

 そんな自分勝手な思惑と期待に反して返って来たのは、予想からは少し逸れた返答だった。

 

 「二人芝居・・・将来有望な2人の女優を使うにはもってこいの題材だ。あの百城が舞台に立ったらどうなるかは夜凪以上に未知数なところだが、そんな百城に敢えて真逆であろう内面的な芝居をさせる・・・・・・俺は良いと思うぜ、そういうの」

 「・・・・・・マジで言ってるのか?」

 「マジじゃなかったらこないだメールを送った意味がねぇだろが」

 「・・・そうか」

 

 あまりの呆気なさで逆に疑ってかかる俺に、黒山は真っ直ぐ視線を向けて“マジだ”ということを訴える。他人(ひと)が撮った映画はおろか、自らが描くシナリオにすら一切の妥協をしない黒山のことだからまだまだ不完全なこのシナリオは当然“こんなものじゃ駄目だ”とこき下ろしてくるものだと思っていたから、良くも悪くも裏切られた気分だ。

 

 「・・・何だ?不満か?」

 「いや・・・不満も何も・・・・・・このシナリオはまだ“未完成”で終わりも見えてないものだ」

 「そんなもの見れば分かる」

 

 そもそもこのシナリオが最終的に何処へ向かい、何処へと着地するのかも決まっていない。そんな未完成な代物を突きつけられても、なぜこの男は文句の1つも言わないのか。

 

 「・・・もう一度聞く・・・・・・墨字はこれを本当に“良いシナリオ”だと思って言ってるのか?」

 「当たり前だろ。こう見えて俺は嘘吐くやつが大嫌いなクチだからな」

 「それは昔から知ってるよ」

 

 やはり、返って来た答えは“マジ”だった。

 

 「・・・ありがとう。散々にこき下ろされるかと思ってたけど、そんなに気に入ってくれているんなら良かったよ」

 「何言ってんだよ、俺の映画にはお前の脚本(シナリオ)が必要だからな。お前が好きなように手前の物語(生き様)を書いてくれたら、それを俺は映画として昇華させるまでだ」

 

 

 

 “『お前の脚本(シナリオ)じゃなきゃ駄目なんだ』”

 

 

 

 黒山の構想する“大作映画の始まり”となったあの言葉の意図が、ここに来て再び分からなくなり始めた。

 

 

 

 “『真剣よ!!味見してみる!?』”

 

 

 

 “・・・夜凪景・・・・・・彼女の感情が・・・・・・俺の心を搔きむしる・・・

 

 

 

 「・・・ならこのままシナリオの続きを書くにあたって、墨字に聞いておきたいことがある」

 

 墨字からの本心を聞いた憬はコップの中に残っていたビールを飲み干し、一番の本題をぶつける。

 

 「・・・シチューのCMを撮影していたとき、夜凪は誰のことを思い浮かべながら“カレーライス”を作っていた?

 

 カメラの先にいたのは、“仕事から帰ってくる父親のために生まれて初めてキッチンに立ちシチューを作る少女”を演じる1人の少女。厳密に言うと彼女はあの時、父親のためではなくそれに代わる誰かのために“生まれて初めてカレーライス”を作っていた。

 

 「・・・なんでそんなことを俺に聞く?」

 

 それが夜凪なりのメソッド演技だということはすぐに分かった。それが夜凪景という少女の人生であることも分かった。全てを分かっていたつもりだった。

 

 

 

 “・・・そんな夜凪景(彼女)の“無防備な感情(寝顔)”を視るまでは・・・

 

 

 

 「・・・夜凪景の背後にあるバックボーンを知りたい・・・・・・夜凪(彼女)はあの時、誰のことを思い、誰のために“カレーライス”を作っていた?・・・この先の脚本(シナリオ)を書くためにどうしてもそれを知る必要が俺にはある

 

 生気に満ちた(ギラついた)目で静かに言葉を紡ぎながら語る憬の表情を吟味するように見つめると、墨字は頭の中で考えていた1つの言葉で憬に問いかける。

 

 「だったら直接聞くか?」

 「直接・・・・・・」

 

 墨字からの一言に、憬は思わずそのまま考え込む。

 

 

 

 “『夕野、最後に1つ頼みがある・・・・・・脚本(シナリオ)ができるまでは夜凪とは会わないで欲しい・・・これだけは絶対に守ってくれ・・・』”

“『・・・それは何か重大な理由があるから俺にそう言っているのか・・・?』”

 “『・・・・・・そうじゃなかったらわざわざお前には言わねぇよ・・・・・・』”

 

 

 

 「いや、確か墨字、CM(メイキング)を見せた日の帰り際に“脚本(シナリオ)が出来上がるまでは夜凪には会うな”って言ってなかったか?」

 「あ?・・・あぁ、言われてみれば言ってたなそんなこと」

 「俺に向かって結構ガチな感じで言っていた癖にあんたはそれを忘れるのか?」

 「わるいわるい」

 「これで俺の2勝だ、ざまぁみろ墨字」

 「さっきのやつまだ引っ張ってたのかよ(・・・そういやコイツ酒が回ると精神年齢が下がるってのを忘れてたわ)」

 

 右手でピースサインを作りながら2勝したことを嘯く酔いが回り始めた憬を、墨字は何とも言えない感情を抱きながら見つめる。

 

 「・・・俺が夕野にそう言ったことはともかく、とりあえず酔いが完全に回る前に言っておくほうが良さそうだな」

 「何だよ墨字ぃ?もったいぶらないでさっさと教えろよ墨字ぃ」

 「(こりゃあマジで早く言わないと“二度手間”になりそうだ・・・)・・・ホントお前は酒が回るとめんどくさくなるよな」

 「何が?」

 「何でもねぇ独り言だ」

 

 ついに普段の冷静かつクールな口調が崩れ始めた憬に、墨字は夜凪の抱えている事情を話し始める。

 

 「・・・・・・夜凪(あいつ)には母親と双子の弟妹(きょうだい)がいるんだが、数年前に母親を亡くしてからはその母親に代わって弟妹の面倒をあいつはたった一人でずっと見続けて来た・・・・・・

 

 

 

 “それまでずっと料理を作ってくれてた人が突然いなくなって、弟妹が毎日泣いてて、私は2人に笑って欲しくてお母さんがよく作ってくれたカレーを作ろうと思って・・・包丁なんて初めて持ったから、2人とも心配そうに私を見ていて・・・・・・とても痛かったけど2人が泣くといけないから、笑ってごまかしたの・・・・・・

 

 

 

 「・・・・・・で、結局そん時に指を切ってまで苦労して作ったカレーは見事に焦げちまったってワケさ」

 「・・・・・・そうか・・・・・・夜凪が今まで生きるために使ってきた感情は・・・・・・弟妹(きょうだい)を幸せにするためにあったのか・・・

 

 回り始めていた酔いから一気に覚めるかのように、憬は目を見開き余分な興奮(呼吸)を整えながら静かに言葉を紡ぐ。

 

 「・・・ありがとう墨字・・・・・・感謝する・・・

 「・・・・・・どうやらシナリオへのヒントは見つかったみたいだな

 

 シナリオの続きへと繋がるであろうピースを手に入れて軽くハイになりかけている憬に何とも言えない感情のこもった微笑みを墨字は向けると、ポケットから1枚のチケットを憬へと手渡す。

 

 「・・・これは何だ?何かのチケットか?」

 「今月末に上演する舞台のチケットだ。ここに夜凪も出演する」

 「・・・あぁ、銀河鉄道か」

 

 今月末に銀河劇場で上演が予定されている巌裕次郎演出の最後の舞台『銀河鉄道の夜』。この舞台で夜凪は劇団天球でもない“無名の新人”ながらカムパネルラという大役に抜擢され、早くも一部の界隈では“カムパネルラ役の女優は何者なのか”と話題になっている。

 

 無論これらは全て、墨字による策略であることは言うまでもない。夜凪が女優として誰にも負けないくらいの“強い心(プライド)”を手に入れるには、巌裕次郎の舞台が必要不可欠だからだ。

 

 「でもいいのか?墨字曰く俺は夜凪(彼女)とは会っちゃいけないんだろ?」

 「別に夜凪の顔すら視界に入れるなとは言ってねぇよ・・・ついでにもう一枚あるけどそいつを使って適当に “女”の1人でも誘って気軽に観るのもアリだぜ?久しぶりの舞台」

 「いや、元々こういうのは基本1人で鑑賞する派だから1枚あれば十分だ。それにそんなことして“どっかの誰か”のように熱愛スキャンダルになるのだけは御免だよ」

 「ハハッ、確かに」

 

 憬の言う“どっかの誰か”が誰のことを指しているのかを、墨字も当然ながら瞬時に理解して2人は真剣な話題から再び談笑に入ろうというタイミングで、憬は脳裏にふと浮かんだ疑問をぶつける。

 

 「・・・・・・そういや父親は何処にいるんだ?」

 「父親?どういうことだ?」

 「夜凪の父親だよ

 

 

 

 “『・・・俺が初めて父親に料理を作ったことを思い出せと言ったら、『父親に料理を作ったことがなかったから“戻るべき過去”がない』と言ってきた・・・』”

 

 

 

 「・・・・・・危うく一番重要なヒントを貰い損ねるところだったよ。父親は今どうしてる?約束を守る代わりにこれだけは教えて欲しい

 

 “小説家として”1つでも多くの“ヒント”を得るために紅い瞳をギラつかせながら父親の存在を問う憬の感情を視た墨字は、“心を決めて”父親の存在(こと)を憬に打ち明ける。

 

 「・・・あいつの親父は家を捨ててどこかへ消えてるよ。つっても仕送りだけは送ってるらしいが、当の夜凪は“あいつのお金は使いたくない”っつって1円足りとも親父の金に手を出してない状態だ・・・」

 「・・・なるほど・・・随分冷え切っているんだな」

 「まぁ詳しい事情は俺も知らねぇが、夜凪が親父に対して尋常じゃないくらいの恨みを持っているのは確かだな」

 「・・・・・・その尋常じゃない恨みが死んだ母親や残された弟妹への“愛情”として変換され、自身が女優として必要な“感情”を手に入れる伏線になった・・・・・・ってところか」

 「そいつが正解か不正解かはともかく、シナリオとしては悪くない線だ」

 「ったく、素直に褒めてんのか見下してんのか相変わらず分からないな墨字は」

 「・・・悪かったな」

 

 

 

 “『・・・お前ら3人暮らし?』”

 “『うん。おかーさんは昔死んでー、おとーさんはどっかにいてお金振り込んでくれるんだって・・・でも、おとーさんのお金はイヤだから使わないんだって』”

 

 

 

 “・・・夜凪には遅かれ早かれ、“父親への憎悪”という“感情”と向き合わなければならない時がくる。そして 夜凪が“父親への感情”を受け入れられなければ、俺の映画に必要なシナリオには辿り着けない・・・

 

 

 

 「それでさ・・・・・・夜凪の父親がどんな人間なのかは分かるか?

 

 引き続き夜凪の父親のことを掘り下げようとする憬に、墨字はぶっきらぼうに言葉をぶつける。

 

 「・・・だから詳しい話は知らねぇって言ってんだろ」

 「・・・・・・

 

 その瞬間、2人の間に10秒ほどの不自然な沈黙が流れ、憬は墨字の視線を疑うかのように凝視する。

 

 「・・・・・・何だよ夕野?」

 「・・・どうやら墨字の言ってることは本当みたいだ」

 「・・・当たり前だろ・・・ビックリするわ・・・」

 「悪い、“小さい時”からの癖でつい」

 「・・・・・・はぁ、お前ってやつは“酒”と“スイッチ”が入ると5割増しでめんどくせぇな」

 「墨字はいつもめんどくさかったけどな」

 「ぶち殺されたいんかてめぇ?」

 

 10秒ほどの凝視の末、詮索を終わらせた憬に墨字は思わず安堵の溜息を溢した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「じゃあな、また何か良いシナリオが思いつくか思い詰めるかしたら俺を呼べよ」

 「思い詰めるって極端だなオイ・・・でもひとまず銀河鉄道の夜(今回の舞台)はありがたくシナリオの参考にさせてもらうよ」

 

 酒の席を終えた帰り際に挨拶代わりの会話を交わすと憬は待機していたタクシーに乗り込み、タクシーはそのまま憬の住むマンションの方角へと走り去って行く。

 

 「・・・・・・」

 

 その始終を墨字は、雨の上がった駅前の歩道で傘を片手にただ無言で見つめていた。

 

 

 

 “『・・・その尋常じゃない恨みが死んだ母親や残された弟妹への“愛情”として変換され、自身が女優として必要な“感情”を手に入れる伏線になった・・・・・・ってところか』“

 

 

 

 「・・・まさかな」

 

 すっかり見えなくなってしまったタクシーの走り去った方角へ無意識の独り言を呟くと、墨字はそのまま事務所兼住処にしているスタジオ大黒天へ歩みを進める。

 

 

 

 「暗い夜道を1人で歩くのは危険ですよ、ミスター黒山

 

 

 

 事務所の方向へ足を踏み出した次の瞬間、聞き覚えのある無駄に甘い小生意気な声が真後ろから聞こえ、墨字は思わず立ち止まる。

 

 「・・・・・・何の用だ?天知?」

 「いや~“偶然”ここを通りがかったら“どこぞの映画監督”が夜の街で1人黄昏ているのがこの眼に入りましてつい・・・・・・何なら乗っていくかい?もちろんタダでは乗せませんが」

 「それならそこら辺の酔っ払いでも適当に捕まえておけ、そのほうがよっぽどぼったくれるだろうしな」

 

 神出鬼没に背後から現れ不敵に話しかける天知には目もくれず、墨字は正反対の方角に視線と身体を向けたまま悪態をついてそのまま歩みを進めるが、そんな墨字を天知は再び呼び止める。

 

 「・・・“父親”のことは話したかい?

 

 “不敵な笑み”を外して真面目な表情で話しかけた天知に、墨字は再び立ち止まるとその場で振り返る。

 

 

 

 “『それでさ・・・・・・夜凪の父親がどんな人間なのかは分かるか?』”

 

 

 

 「・・・いま話したところで俺たちには何の“メリット”もねぇだろが・・・

 「・・・・・・やはり君は“タイミングを待つ”選択をしましたか・・・・・・無論、私も同じですけどね」

 「てめぇの選択は聞いてねぇよ、とっとと帰れハイエナが」

 

 墨字からの返答に天知はいつもの“笑み”を浮かべると、「今日は失礼しました」と言って真横の路上に待機していた黒のアウディの後部座席のドアに手をかける。

 

 「天知

 

 後部座席のドアを開けた天知に墨字は意を決したように声をかける。

 

 「・・・俺はあくまで映画監督だ。だからもう余計な詮索はしないことを約束する・・・・・・そのかわりこれ以上“人の頭”ん中を(いじく)るような真似したら

 「全ては“彼の状態”次第だよ黒山。もし仮に今この瞬間“全てを思い出され”てみろ・・・・・・それこそ“僕ら”は夜凪さんもろとも共倒れになって、君の“大作映画”はご破算だ

 

 意を決して声をかけた墨字の言葉を遮り、天知も心の内に秘めている覚悟をぶつけながら反論する。

 

 「・・・・・・分かってんのか天知?・・・お前が今やってることは

 「心配するな黒山・・・・・・いざという時は私が全ての代償を背負う覚悟はできている・・・

 

 天知からの只ならぬ覚悟を目の当たりにした墨字は、もう引き返すことが出来なくなったことを改めて悟った。

 

 「・・・チッ・・・意地でも聞かねぇってか・・・

 

 

 

 天知は俺と同い年(タメ)ながらも既に芸能界において敏腕の芸能プロデューサーとしての地位を欲しいままにし、腹立たしくて仕方がないが実際にプロデューサーとしての腕は超が付くほど優秀ということは認めざるを得ない。

 

 無論、俺が構想している“大作映画”を実現させるには天知(コイツ)がいるかいないかで5年以上の差は出ることだろう。

 

 だが天知という男は、利益と目的を達成するためなら“本当の意味”で手段を選ばない悪名高き守銭奴(プロデューサー)にして、“この手の人間”においては稀に見る正直者だ。

 

 

 

 「・・・・・・私は私のやり方で必ず夜凪さんを芸能界の頂点に導く・・・・・・どんな手を使ってでもだ

 

 

 

 だからこそ俺は天知(コイツ)の企みを利用しつつ、何としてでも夜凪を守らなければならない。

 

 

 

 “せめて撮りたいと思い続けていた映画が完成し、夜凪が名実ともに歴史に名を残す女優として開花する、その時までは・・・・・・

 

 

 

 「・・・・・・間違って潰したりしたら本気で殺すからな

 「・・・御意・・・またどこかで会おう

 

 墨字からの並々ならぬ殺気に天知は心の中でほくそ笑みながら二つ返事で承諾すると、そのまま墨字には目もくれずアウディに乗り込み、天知を乗せたアウディは先ほど憬を乗せたタクシーが走り去っていった方角へと進路を進めていく。

 

 「・・・・・・あーメンドクセェ・・・・・・」

 

 それを見送った墨字は色んな感情が入り混じった苛立ちを吐き出すと、そのままスタジオ大黒天まで歩いて帰った。




近いうちにこれと並行して新連載でも書き始めよーかな・・・・・・でもこれ以上忙しくなるのも面倒だからやっぱりやめよーかな・・・・・・













PS.実は名前を中井悠からナカイユウに改名(というかカタカナになっただけ)しました。てことで改めてよろしくお願いします。


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scene.49 家族


いせおじ延期か・・・・・・おのれコロナ


 「ドクさん?」

 

 菅生の車に乗り込み現場を後にした憬を見送った渡戸は、隣で同じく見送る國近に声をかける。

 

 「・・・俺を今日ここへ呼び出したのは“そういう理由”ですか?」

 

 

 

 

 

 

 「あのままじゃ夕野はどこかで壊れる。ごく普通の“精神状態(感覚)”を持つどこにでもいるような奴がメソッド演技を手に入れている状況ほど危なっかしいものはないからな」

 

 あの日のオーディション終わりに、ドクさんは俺に夕野を起用することを前提にした上でこう言った。オーディションの時には芝居の深度が異様に深いくらいにしか感じなかったが、“危なっかしい”と言っていたドクさんの言葉の意味が、この時ようやく分かった。

 

 「じゃあなぜドクさんはそれでも夕野君を選んだのですか?」

 

 それでもドクさんは、数ある中からユウトの役に夕野を選んだ。

 

 

 

 “「・・・・・・力を貸してほしいと頼まれたんだ。海堂さん(おやっさん)から“夕野(アイツ)の心”を“普通の(にんげん)”から“一人の俳優(にんげん)”にするためってよ」”

 

 

 

 

 

 

 「まぁ、7割ぐらいはそうだな」

 

 “そういう理由”が何なのかを直ぐに理解した國近は全く悪びれるような素振りも見せず、隣に立つ渡戸の言葉に答える。

 

 「嫌いになったか?監督(ひと)として?」

 「・・・いえ」

 

 ドクさんがどれだけ夕野が内に秘めている役者としての才能に惚れ込んでいるのかはオーディションの時点で既に知っている。この映画を通じてドクさんは、夕野自身の将来へ投資をするつもりだということも含めてだ。

 

 「俺もそれを承知の上でロストチャイルド(この映画)のオファーを引き受けたわけですから、それについての不満は全くないです」

 「・・・そうか」

 

 この映画における俺の立ち位置は、自分よりも役者としてより良い素質を持つ“1人の新人”が役者として、もとい1人の人間としてこれから成長するために当てられた駒のようなものだ。分かっている。俺は常にスポットライトが当たるような主演より、メインを際立たせるためにその隣で舞台を盛り上げる助演のほうがお似合いだということ。

 

 たった1人で作品を引っ張っていけるような主演俳優として必要な個性や存在感は持ち合わせていないということ。

 

 

 

 “でも・・・・・・

 

 

 

 「でも・・・・・・この映画の主演は俺です。たった1人の新人のために、引き下がるつもりはありません

 

 

 

  “・・・そりゃあそうだよな・・・・・・“巌さんの弟子”が“パッと出の新人(ルーキー)”にやられっぱなしで終わる訳にはいかねぇわな・・・”

 

 

 

 「当たり前だろ。主演(ショウタ)準主演(ユウト)に喰われっぱなしで終わんのは、俺が一番許せねぇ

 

 前に広がる片側一車線の通りを見据えたまま心の内に秘めていた思いを言葉として吐き出した渡戸を横目で見て、國近はわざとらしくムスっとした表情を浮かべて言葉を投げかける。

 

 「・・・それを聞いて安心しましたよ。ドクさん」

 

 そして全ての事情を理解した渡戸が余裕の表情を浮かべながら言葉を返すと、國近は心の中でほくそ笑む。

 

 「・・・渡戸が大口を叩くの、初めて見たわ」

 「俺はただ正直に自分の気持ちを言ってるだけですよ・・・・・・少なくとも巌先生と出会ってからは自分に嘘を吐いたことなんて一度もないです」

 

 

 

 “・・・なぁ、巌のおっさん・・・・・・いい加減俺もアンタの舞台を久々に観たくなっちまったよ・・・・・・すっかり一人前の大人になった“次男坊”と・・・“由高兄(ゆたかに)ぃ”にどこか似ている危なっかしい“末っ子”が俺の前に現れたおかげで・・・

 

 

 

 

 「・・・・・・風が冷たくなってきたな」

 

 その時、西の方角から冷たい風が2人に降りかかった。間違いなくこれは、この後の天気が悪い方向へ変化するという合図だ。

 

 「・・・これは確実に荒れ模様になりますね」

 「だな。本降りになる前にさっさと俺たちもずらかるぞ」

 

 西から迫りくる雨の気配を察知した2人は撤収終わりの立ち話を終え、現場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・雨?」

 

 撮影現場であるマンションの最寄り駅まで残り数百メートルのところで窓の外で雨が降り始め、現場からここまで沈黙が流れていた車内に静かな雨音が流れるのを合図に憬が沈黙を破る。

 

 「天気予報では関東は18時以降に雨が降ると言っていましたので、ほぼ予報通りの天候ですね」

 

 後部座席で呟いた憬の独り言に、運転席でハンドルを握る菅生が反応する。

 

 「・・・・・・マジか」

 

 運転する菅生が放った一言で、俺は傘を持って来ていないことに気が付いた。確か、朝に天気予報を一応は確認していたにも関わらずだ。

 

 「傘、忘れたのですか?」

 「・・・はい」

 

 ここからどうやってできる限り濡れずに帰るかを頭の中で考えるうちに、いよいよ外は本降りになった。

 

 “・・・何でこんな時に限って傘がないんだ・・・”

 

 これから帰って母親に“父親のこと”を聞こうと決意した俺に試練を与えるかように、雨は強くなり雫で窓の先に映る駅前の景色がぼやけ始める。

 

 こういう時にこんな風に不運が起こると、幸先がより一層不安になる。

 

 「私の傘でよろしければ、お貸ししますよ」

 「・・・えっ?」

 

 帰りが不安な俺を見かねたのか、菅生は駅前ロータリー手前の赤信号で車の流れが止まるのと同時に、運転席の隙間から折りたたみ傘を取り出して俺に手渡した。

 

 「いいんですか?」

 「雨に濡れて風邪をひかれたことで万が一3日後に控える撮影を休む羽目になってしまうとなれば、各方面に迷惑をかけることになりますからね

 

 淡々とした律義な口調はそのままに凄まじいほどの圧が後部座席の俺へと押しかかる。せっかくあれだけ覚悟を決めたというのに濡れて帰って風邪をひいて撮影までに治りませんでしたという話になったら、とうとうみんなに合わせる顔がない。

 

 「・・・うす」

 

 当然そんな俺は、申し訳なさそうに相槌を打つので精一杯だ。1つのことに気をかけすぎるあまり他のことが雑になる悪い癖。

 

 「・・・・・・夕野君」

 

 すると運転席でハンドルを握る菅生が少しだけ落ち込み気味な俺に突然語りかける。

 

 「・・・家族たるもの・・・少なくとも1度や2度は本気でぶつかり合うようなものですから・・・・・・そうしてお互いが本音でぶつかり合って、家族というものはひとつになっていくのです・・・

 

 信号が青になり車が駅前ロータリーへ進み始めるのと同時に、菅生が突如今までにないくらいに優し気な口調で前に視線を向けたまま俺に話しかけてきた。

 

 「・・・・・・夕野君(きみ)ならきっと大丈夫ですよ・・・・・・

 

 

 

 毅がそれまでずっと隠していたユウトとの血縁関係を打ち明けたことをきっかけに、4人は初めて本当の意味で4人それぞれの本音でぶつかり合い、本当の意味で“宮入家”というたったひとつの家族になっていく。

 

 そしてショウタの決意に押され“宮入有人(みやいりゆうと)”としてこれからも生きていくということを心に決めたユウトは、ついに実の母親であるリョウコとの対面を果たす・・・

 

 

 

 「と、ついこの間まで縁もゆかりもなかった赤の他人から言われても説得力はないでしょうけどね」

 

 相変わらず律義で淡々とした事務的な口調はそのままだったが、斜め前に座る菅生の目元は緩んでいた。菅生が俺に初めて見せた、彼なりの優しさだった。

 

 

 

 “・・・菅生さんって・・・“こういうこと”も言うんだ・・・

 「・・・・・・菅生さんって・・・“こういうこと”も言うんですね・・・・・・」

 

 

 

 普段のイメージとの違いに驚きを隠せず、心の声がもろに口から出ていた。

 

 「いけませんか?」

 「いや・・・何か菅生さんからこういう感じで話しかけられたのが初めてで、ちょっと驚いただけです」

 

 所詮は赤の他人に過ぎないマネージャーの励ましの言葉が、俺の背中を強く押した。

 

 「でも・・・・・・菅生さんのおかげで気合いが入りました

 

 そもそも、今まで俺は母親に真正面から本音でぶつかり話したことがあったのだろうか?もちろん言い争ってはいるのはいつものことだが、果たしてそれは互いに本音でぶつかっていると言えるのだろうか?

 

 

 

 “『・・・何があっても・・・俺たちは家族だ・・・』”

 

 

 

 劇中でショウタが家族に向けて言う台詞が、菅生の言葉と共に深く胸に突き刺さる。この台詞は今、他でもなく俺たち“夕野家(かぞく)”に突き付けられている。ひょっとしたら俺たちの中にある“時計”は12年前のあの日から進んでいるように見えて、あの日のまま止まっているのかもしれない。

 

 そろそろ“俺たち”も何かを失った12年前の過去から抜け出して、ひとつの家族として次の階段へと登っていかなければいけない。

 

 

 

 “迷っている時間は、ない

 

 

 

 「・・・他人(ひと)の家族に関する問題ですのでここから先のことはどうしても夕野君次第になってしまいますし、無責任なように聞こえてしまうかもしれませんが・・・・・・私は夕野君が“家族との過去”を乗り越えられることを心から祈っています・・・

 

 「・・・・・・ありがとうございます

 

 菅生からの静かな激励を心で受け取り、憬は折りたたみ傘を片手に雨で濡れた歩道に足を踏み入れ、堂々とした足取りで改札の方へと歩いて行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「大丈夫だった憬?傘忘れてたっぽかったけど?」

 「あぁそれならマネージャーから折りたたみを借りたから平気だよ」

 「借りたって」

 「大丈夫だって次の撮影の時にちゃんと返すから」

 

 家に帰ると、天気予報を見ていたにも関わらず傘を忘れて危うく濡れて帰るところだった俺を母親が珍しく心配そうに出迎えた。まぁ実際のところ、折りたたみ傘じゃ全てをしのぎ切ることは出来ず少しだけ服は湿ってしまったが・・・

 

 「夕飯はもう出来てるから適当に食べてね」

 「おう」

 

 少しだけ湿った上着のパーカーを脱いで手と顔を洗い食卓へと戻り、いつもより少しだけ遅めの夕飯を食べる。

 

 「・・・何でここにいんの?」

 

 そして夕飯を食べ終えた母親は用もないはずなのに俺の向かいの椅子に座りながらテレビを眺める。

 

 「目当てのドラマ」

 「・・・あぁ・・・一色(あれ)か・・・」

 

 母親の言葉で思わずテレビに目線を向けると、毎週日曜の夜9時に放送されている“例の探偵ものの学園ドラマ”がちょうど始まるところだった。言われてみれば今日は日曜日。土日休みなど関係ない生活を送っていると、曜日感覚がついついズレてしまうのはよくある話・・・なのかもしれない。

 

 「ホントこの人のこと好きだよな母ちゃん」

 「そりゃあね、カッコいいし演技も初めてにしちゃ全然イケてるしよく見ると顔が小さくてカワイイところもあるし」

 「結局顔じゃねぇかよミーハーが」

 

 そこそこいい歳の癖にブラウン管に映る主演に釘付けな母親を、やや冷めた視線で見つめながら母親の作った手料理を口へと運ぶ、いつもと変わらない日常。

 

 “・・・どのタイミングで言うか・・・”

 

 目の前に見えている光景の全てはいつも通りの日常のはずなのに、何だか妙に胸の辺りが均等なリズムで何かに押し付けられるような感覚が襲い掛かる。

 

 「いや、そんな死に方するわけねぇだろ」

 「ちょっと黙って今すごくいいとこだから」

 「・・・へいへい」

 

 もちろんそれを先に感づかれてしまったら面倒だからあくまで俺も平然を装い“いつものように”ブラウン管に映るシナリオに軽く野次を飛ばす。普段なら呼吸をするのと同じくらいにはこういう言葉は容易く出てくるはずが、今日は幾分か調子が悪い。

 

 

 

 それもこれも、この後に俺は何としても父親のことを母親(この人)から聞き出さなければいけないという何とも説明できない緊張感とも恐怖とも似た感覚のせいだろう。あれだけ聞き出そうと何度も決意を固めておきながら、いざその場面に直面したら得体の知れない感覚で身体が強張る。

 

 このドラマが終わって欲しいという気持ちと、1秒でもこのドラマが続いて欲しい気持ちが何度も心の中で交差する。ここに来てなにを俺は、こんなにもビビっているのか。

 

 いつも通り、いつもの調子で、ただただ聞けばいいだけ。もしそれでいつもの“返事”が帰って来たら、“父親の記憶(こと)を思い出した”ことを母親に打ち明けるだけ。たったそれだけのことだ。

 

 

 

 “・・・大丈夫だ・・・俺たちは14年も同じ家族として生きてきた・・・・・・たかが過去を思い出したことを打ち明けるだけだ・・・

 

 

 

 そうこうしていると、いつの間にかドラマはエンディングを迎えていた。実際にはドラマが始まってから1時間ほどが経過しているが、その体感時間は約1分ほどだった。

 

 

 

 “『・・・・・・過去と現実の区別がつかないような役者(にんげん)に・・・未来なんてありません・・・・・・』”

 

 

 

 ついに言うべきタイミングが訪れたことで高まり始めた心臓の鼓動を、入江から言われた言葉で幾分か落ち着かせる。心なしか外からごく微かに聞こえる雨音が、さっきより強くなった気がする。そんな全く因果関係もないただの自然現象すら、この後に起こる“ドラマの演出”のように思えてしまって仕方がない。

 

 “駄目だ駄目だ”

 

 思わず良からぬ方向へ脱線し始めた思考をどうにか正す。

 

 「風呂、先入る?」

 「えっ?いやどっちでもいい」

 「あっそ、じゃあ私から先に入るね」

 

 風呂に入る順番を確認した母親はリビングの椅子から立ち上がり、バスルームのある洗面台の方へ向かおうとする。

 

 

 

 “・・・今しかない・・・

 

 

 

 「・・・母ちゃん・・・」

 「・・・ん?」

 

 そして椅子から立ち上がった母親を、俺は呼び止める。

 

 「母ちゃん・・・・・・俺さ・・・思い出したんだ」

 「・・・思い出したって何が?」

 

 どうして俺は土壇場で“いつものくだり”をすっ飛ばしていきなり記憶を思い出したことを母親に打ち明けたのか・・・少なくとも緊張のあまりすっ飛ばしてしまったわけではない。

 

 ただどうせ思ったことを伝えるのなら、今までのやり方じゃ駄目だと直感的に思い始めたら、気が付くと最初の手順を飛ばしていた。

 

 

 

 「・・・・・・俺が父親から首を絞められたときのこと・・・・・・

 

 

 

 俺が母親に向けて真っ直ぐに何の見栄もないバカ正直な自分の本心をぶつけた瞬間、窓の外で落雷の不気味な轟音が鈍くと同時に、母親の目線が一瞬だけ落雷ではない別の動揺で泳いだことを俺は見逃さなかった。

 

 そして轟音が鳴りを潜めると、リビングに流れる空気が一気に重くなった。

 

 「雷鳴ってる・・・こりゃあ夜中は酷くなるね」

 

 案の定、目の前の母親はわざとらしく本題を逸らして作り笑いを浮かべながらそそくさとリビングを後にしようとする。

 

 「待てよ

 

 相変わらず父親の話題になると露骨に避けようとする母親に、俺はありったけの感情を込めて静かに呼び止める。

 

 「・・・まだ話は終わってねぇ

 

 いつもならここまで強い感情で呼び止めることはしなかっただろうが、今回ばかりはそうはいかない。

 

 「・・・・・・憬には何回も言ってるじゃない?お父さんなんて最初からいないって・・・きっと悪い夢でも見たのよ」

 

 それでも母親は飄々とした態度で言い返す。ただそこにいつものような余裕さはなく、どうにかして逃れようとしているのは明らかだ。この瞬間に俺は、フラッシュバックの光景に嘘はなかったという確証を得た。

 

 「じゃああの時・・・父親から首絞められて死ぬところだった俺を母ちゃんが守ってくれたことも全部悪い夢ってことか?」

 

 確かにあの日のことを思い出すと辛いところはあるかもしれない。でもこれ以上、ずっと逃げていてばかりでは俺たちは前には進めない。

 

 「・・・憬?」

 

 それに、あの時に右隣で寝ていた母ちゃんが首を絞める父親に気が付き止めてくれなければ、仮に止めるのが1分遅れていたら、今ここに俺はいないのかもしれない。

 

 「あの日のことまでただの悪い夢にされたら・・・・・・俺は何のために母ちゃんから助けられたんだ?

 

 何を言おうかと考える前に、心の奥に眠っていた想いが言葉となって次々と出てきて、ついこの間まで思いもしていなかった感情が一気に溢れ出す。

 

 「ぶっちゃけ父親のことは思い出したばっかでまだまだ曖昧なとこはある・・・・・・でもな、俺は母ちゃんが今日みたいに雨が降っていた日の夜に必死になって俺を庇って命を救ってくれたことはハッキリと覚えてる・・・そのほんの少し前に、親父から左の頬を思い切りぶたれたことも・・・

 

 気が付くと“ユウトを最後まで演じ切る”という野望に近い自己的な感情は何処かへと消えていて、純粋に家族として“この過去”と向き合い、母ちゃんと共に1つの家族として乗り越えて行きたいという想いで心は埋め尽くされていた。

 

 「・・・撮影で相当疲れが溜まってるみたいね・・・・・・今日は先に風呂にでも入って早く寝な、明日は普通に学校がある訳だしさ。さ、早く」

 

 だが母ちゃんは、飄々と作り笑いを浮かべて俺の肩を一回叩き、早く風呂に入るように急かす。そんな母ちゃんに、俺の感情は限界を超えた。

 

 「・・・・・・いい加減にしろよ

 「・・・ちょっとさっきから変だよ憬?」

 

 俺からの感情に一瞬だけ目に見えて動揺しつつもいつものように振る舞おうとする母ちゃんだが、さすがに無視できなくなったのかようやく俺の感情(ことば)に反応する。

 

 「変なのはそっちだろが・・・

 「・・・・・・え?」

 

 母ちゃんがいつになっても過去と向き合おうとしないことを怒っているわけでも、次の撮影までに過去を過去として向き合えるようにならなければいけない自分自身への焦りでもない。

 

 「・・・俺に父親とのことをなるべく思い出させたくないから気を遣ってんのかは知らねぇけど・・・そういう感じで子供扱いされんのはマジでムカつくから。てか母ちゃんも母ちゃんでいつまでそうやって“昔の男”のことを引きずってんだよ・・・?もう俺らには関係ないんだったらそうやって俺に隠すことも1人で抱え込むことも必要ねぇじゃん・・・違うか?

 

 ただ、“こんな表情(かお)”をするようになるまで誰にも心を開かずにたった一人で過去を抱え続けていたことを知ってしまった瞬間、自分が“家族”として見られていないような気がして、悲しくなった。

 

 「・・・家族だろ?俺たち

 「・・・・・・」

 「・・・・・・何で黙ってんだよ?

 

 

 “・・・こんなに近くに、家族(おれ)がいるのに・・・

 

 

 

 「・・・・・・いつまで逃げてんだよ!!

 

パチン_

 

 知らずのうちに溜まりに溜まっていた12年分の感情が爆発した瞬間、左の頬に12年前と“全く”同じような衝撃が走り、口の中で微かに鉄のような味が染み渡る。

 

 「・・・・・・母ちゃん・・・・・・」

 

 あの時と同じでかなりの衝撃だったにも関わらず、不思議と頬をぶたれた痛みはない。ふと目の前にいる母ちゃんに再び目を向けると、母ちゃんは俺の顔と自分の掌を一度ずつ交互に見ながら“後悔の感情”を浮かべて俺の眼を見ていた。

 

 「・・・・・・ごめん・・・痛かった?」

 「・・・・・・いや、全然」

 

 そして目の前の母ちゃんは再び俺に向けて“余計な心配をさせまい”といつもの笑みを無理やり浮かべてみせる。そんな母ちゃんの感情を視た俺は、頑なに“家族”を頼らずに全てを1人で抱え込もうとする母ちゃんへのやるせない想いと、その苦しみの正体を理解しようとせずにただ自己中に“忘れ去りたい過去”をこじ開けようとした自分自身の無謀さにいたたまれなくなってしまった。

 

 

 

 “『・・・家族たるもの・・・少なくとも1度や2度は本気でぶつかり合うようなものですから・・・・・・そうしてお互いが本音でぶつかり合って、家族というものはひとつになっていくのです・・・

 

 

 

 菅生はそう俺に家族としての喧嘩の仕方や過去への向き合い方を教えてくれたが、俺たち家族の間で知らず知らずのうちに生まれてしまった12年間の“空白”は、思っていた以上に深かったみたいだ。

 

 過去と向き合いたい感情と、過去を忘れたい感情がぶつかり合って生まれたものは、どうすることもできない沈黙だった。

 

 

 

 “・・・だいたい家族って・・・・・・何なんだよ・・・

 

 

 

 「・・・・・・風呂・・・入るわ・・・・・・」

 

 俺はそのまま振り返ることなく寝間着のジャージを取るために自分の部屋へと戻り、部屋のドアを閉める。

 

 「・・・・・・はぁ・・・・・・痛ってぇ・・・・・・」

 

 部屋のドアを閉めた瞬間、行き場のない激しい後悔と左頬の鈍い痛みが同時に襲い掛かり、それらが溜息と共に言葉となって溢れ出る。

 

 

 

 「・・・・・・何やってんだ・・・・・・俺

 

 

 

 結局この日も、俺は母親から“かつて存在していた父親(家族)”のことを聞き出すことはできなかった。

 




人生は基本、空回りの連続だ。でも、動き出さなければ幸せの一つすら回ってこない。だから人は今日も前を向いて歩き続ける。

それが“生きる”ということだと思う。












てかここんところ圧倒的にヒロイン的な何かが不足してね?


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scene.50 勉強会


チェンソーマンのキャスティング・・・・・・原作同様攻めまくって勝負しまくった配役でしたね。

なんというかもう、期待しかない。


 「じゃあ、行ってくるわ」

 「鍵は持った?」

 「大丈夫」

 「そっか・・・あと今日、帰りに3日分の食材買ってくるから少し遅くなるから」

 「・・・おう」

 

 どことなくぎこちない感じに言葉を交わして、憬は玄関を出る。結局あれから一夜明けて、母親とは必要最低限の会話しかしていない。

 

 

 

 “・・・・・・いつまで逃げてんだよ!!

 

 

 

 「・・・なにをどうしたら正解だったんだよ・・・」

 

 今日は思い切って気分を切り替えようとしても昨日の後悔は消えることはなく、溜息と共に憤りの言葉が出る。

 

 少なくとも俺のやり方は間違いだった。でも今のままでは俺は、“父親との過去”と向き合うことはできない。だがその選択をするには何としても母ちゃんを説得しなければならない。

 

 “・・・できるわけがない・・・”

 

 俺の頬を思い切り叩いたときの母ちゃんの顔は、玄関を出て通学路に出ても鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。“あんな表情”を見てしまってもなお“追い詰める”ような真似ができるほど、俺は強くない。

 

 そもそも、12年分の空白をたった4日でどうやって埋めようと言うのだろうか。

 

 

 

 “『・・・今のお前の中にある“父親の記憶”を芝居に生かすのか、それともその記憶にお前自身が殺されるのかはここからの4日間にかかってる・・・』”

 

 

 

 「・・・4日じゃ絶対無理だっつのこれ・・・」

 

 行き場のない気持ちを2日前の國近にぶつけ、憬は雨上がりの通学路をやや早歩き気味で歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 「何か今日いつもより機嫌悪くね?夕野?」

 「・・・そう?」

 

 授業が終わり、教室を出ようとしたところで隣を歩く有島が声をかける。ちなみに今日も今日とて有島は俺の家にあるコレクションを借りにくるために、これから俺の家へと向かう予定だ。

 

 「・・・さては誰かと喧嘩でもしたか?」

 「は?何で?」

 「なんかそーいう顔してるからよ」

 「・・・なんだそれ?」

 

 “いつものダチ”からの揺さぶりを軽くいなしながら、俺は帰り支度を始める。

 

 「・・・俺が当ててやろうか?」

 「当てれるもんなら当ててみろ」

 

 だが有島は俺の肩に手をやりながらなおも揺さぶりをかけてくる。もちろんこれぐらいでは簡単に引き下がらないのが有島というやつだということを俺は知り尽くしているから、俺は全く動じない。

 

 「・・・う~ん・・・」

 

 相変わらずの寝癖交じりの癖っ毛を指先でいじくりながら有島は俺の顔を凝視しながら真剣に考え込む。

 

 いつもなら何を考えているかが時々分からなくなり少しだけめんどくさく思ってしまうクラスメイト(ダチ)だが、『ロストチャイルド』の読み合わせや撮影で度々学校を休んで現場に向かうようになってからは、こうして気の合う友達と学校で何気なく話すこの時間がどういうわけか心地よく感じるようになった。

 

 それと同時に、図らずも周りの連中が過ごしている“普通の世界”から遠ざかり始めている感覚も少しずつ感じるようになったが、有島のように変わらず“ダチ”として接してくれる存在が隣にいると俺たちは“同じ世界”で繋がっているということを再認識できる。

 

 

 

 “『・・・役者になってくれて・・・・・・ありがとう』”

 

 

 

 もちろん“普通じゃない世界”に飛び込み、そこで生きていく覚悟もとっくに俺は持っている。

 

 「あぁ分かった。お母さんと喧嘩しただろ?」

 「・・・・・・なんでそう思う?(チッ、地味に当たってやがる・・・)」

 

 そうやってどうしようもない個人的な感傷に数秒ほど浸っていたら、俺の顔を凝視していた有島がダチの機嫌が優れない理由を自信満々な感じに答える。悔しいが、ほとんど正解だ。

 

 「顔にそう書いてあった」

 

 そして子役上がりの誰かさんと同じような原理で、有島はその理由を答える。

 

 「・・・有島はエスパーか?」

 「嘘だよ適当に勘で言っただけだし」

 「勘かよ」

 

 勘だとは言っても、有島(こいつ)の場合はそれが当たってしまっているのが何ともタチが悪い。

 

 「てゆーか喧嘩したことは否定しねぇのかよ?」

 

 当然、当の本人にはその自覚が全くと言っていいほどないというところは尚更タチが悪い。

 

 「・・・まぁ、ほぼ事実だし」

 

 かと言って俺もなるべく隠していた事実を当てられたことに否定はしない。

 

 「ったく、ホント夕野は嘘をつけないよな」

 「“つけない”んじゃなくて“つかない”んだよ」

 「んだよそれ意味わかんねー」

 

 たださすがに、喧嘩の理由が12年前に俺のことを殺そうとした父親のことだとまでは言えない。

 

 「・・・なあ?今日って夕野のお母さんの帰りは遅い感じ?」

 「・・・確か帰りに食材買うとか言ってたから7時過ぎになると思う・・・ってか何でそんなことをお前に言わなきゃいけないんだよ?」

 

 どうせ喧嘩した俺を気遣って部屋でまた気晴らしの映画鑑賞でもやるつもりなのだろうか。有島(こいつ)に家の事情を話さなきゃいけない理由はないが、どっちにしろ今日は帰ったらコレクションを鑑賞して気分をリセットさせる予定だった俺はその話に乗っかる。

 

 何となく今日は、ここ2日間の気疲れの反動でなるべく撮影(ロストチャイルド)のことは考えたくなかったからだ。

 

 「夕野んとこのビデオを借りに行くついでっつーのもアレだけど、今日お前ん()で勉強会的なやつやらね?」

 「・・・は?何で?」

 「いや~なんかさ、一回だけやってみてぇんだよね。気の合うヤツと一緒にゲームとかじゃなくて一緒に宿題をやるみたいな“優等生”っぽいやつ?」

 

 何を言い出すかと思ったら、俺の部屋で一緒に宿題をやりたいと言ってきた。

 

 「・・・有島がまともに勉強してるとこ見たことないんだけど」

 

 ちなみに俺は、有島(こいつ)がまともに授業を受けているところを見たことがない。毎回出される宿題こそ一応ちゃんと提出はしているみたいだが、基本的には授業中は堂々と居眠りをかますか真面目にノートを書いているかと思えばゲームや漫画のキャラクターの落書きを書いていたりするような奴だ。

 

 にも関わらず5科目のテストでは95点を下回ったことは一度もなく、クラスはおろか学年全体でもトップ10に入るほど頭がいいから世の中は何が起こるか分からない。

 

 「まぁあれよ、親子喧嘩の気晴らしってことで、悪くはねぇだろ?」

 「気晴らしだったら映画のほうが良くね?」

 「つってもたまには違うこともしたくね?」

 

 ただ、有島(こいつ)と一緒にくだらない話をしている時間は正直嫌いじゃない。

 

 「・・・分かったよ。どうせ“鑑賞会”になるだろうけど」

 「ならねぇよ心配すんな」

 

 こうして特にこれといった意味も中身もないやり取りをしながら、2人は帰り支度を済ませて教室を出ていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「夕野ん()に入んの久々だな~」

 「星間戦争のビデオを返してぶりだっけ?」

 「そう、お前が忙しくなりだしたから何だかんだ1ヶ月ぶりぐらいになるわ」

 「そんな経つんか、じゃあマジで久々じゃん」

 

 301号室のドアの前で他愛もない話を繰り広げながら、俺は鍵を開けて有島を約1ヶ月ぶりに部屋の中に入れる。

 

 「なんか・・・全然変わってねぇな」

 「当たり前だろリフォームも大掃除もしてねぇんだから」

 

 1か月前と全く変わり映えのしていないリビングを見渡しながら、有島は当たり前のことを言い放つ。特に理由もなく部屋の中が激変していたら、それはそれで怖い。

 

 「早乙女雅臣のサインも変わってねぇし」

 

 もちろんあれから、早乙女のサイン色紙の位置も変わっていない。最初はすぐ下のブラウン管を見るにも視界に入って仕方がなかったが、季節が変わったらそれにもすっかり慣れてしまった。

 

 「・・・夕野・・・俺はこの部屋を見て心の底から安心したぜ」

 

 するとリビングとその周りを一通り見渡し終えた有島が、いかにも漫画チックな決め台詞を言うかのような口調で俺に言葉をかけてきた。

 

 「・・・安心って、何が?」

 

 当然こいつの言う“安心”の意味が今一つ理解できない俺は溜まらず問いかける。

 

 「普段は余程のことがなけりゃ基本的にポーカーフェイスなお前の顔が“あんなに不機嫌そう”に見えたのは初めてだったから、絶対ド派手に喧嘩でもしたんだろーなって思ってたけど、大したことなさそうでよかったわ」

 「・・・どんな喧嘩を想像してたんだよ?(大したことないって言われたら微妙だけど・・・)」

 「アンパーンチ、的な?」

 「だからそんな派手な喧嘩じゃねぇよ(惜しいところは突いてるけど・・・)」

 

 あれは“必殺のパンチ”を食らったというよりは、12年越しに “二度もぶたれた”という方が正しいだろう。ただ、それを話してしまうと12年前の出来事も言及されるかも知れないから、俺は適当にはぐらかす。

 

 「ちょっと言い合いになっただけだよ」

  

 言い合いというよりは互いにほぼ一方的だったが、別に言い争いをしたことに嘘はない。

 

 「・・・そっか。まぁ俺も人の家族のことを色々言ったりすんのはそんなに好きじゃねぇし、てかまず俺は夕野の家族でもねぇし。とりまこの話はここで終わりっつーことで」

 「勝手に仕切るな」

 

 ともかく有島が勝手に詮索を止めてくれたおかげで、ひとまず“門外不出”という訳じゃないけど今は黙っておきたい夕野家の過去(ひみつ)はどうにか守られる形になった。

 

 「さてやろうぜ夕野。先ずは数学から片付ける感じでいいか?」

 「ぶっちゃけ俺はどれでもいいから数学でいいよ」

 

 そうして俺たち2人はリビングにノートと教科書、ドリルを広げて勉強会を始めた。

 

 

 

 

 

 

 10分後_

 

 「なぁ夕野・・・・・・ウルトラスーパーめちゃくちゃだるいんだけど」

 「だから言わんこっちゃない」

 

 勉強会を始めて10分、言い出しっぺである約1名が予想通りに早くも脱落した。

 

 「てかなんで学校で教わる学業のことを “勉強”って言うんだよ。普通は勉学だろが」

 「文句言う元気があるならさっさと続きやれよ。言っとくけど俺はもう数学はとっくに終わってるからな」

 「そもそも勉強って言葉は学業だけじゃなくてよ、なんかこうもっと広く社会を生き抜くために実用的な知識や技能を身に着けるためにあって、学校で教わる“学問”を勉める場合は勉学なんだよ(※個人的な意見です)・・・・・・いや待てよ、どっちにしろ社会で生き抜くための能力を得るには学問も必要不可欠か・・・じゃあそういう意味じゃ“勉強”も正しいってことか・・・・・・あ~もうメンドクセェしやってらんねー」

 「どっちでもいいわ」

 

 1人で“勉強”という行為の矛盾点を突いたかと思えば学問を勉める“勉学”も結局は“勉強”に繋がっているという難解なのか馬鹿なのか判断に困る議論を勝手に展開して勝手に撃沈する有島を、俺は微笑ましさと冷たさが半分ずつの感情で見守る。

 

 改めて言うがこう見えて有島はクラスはおろか学年全体でもトップ10に入るほど頭が良く、テストでも95点以下を取ったことがないガチの天才だ。

 

 「そうやって愚痴を言いまくる労力を何で普段の授業で使えないんだか」

 「だって勉強嫌いだし」

 

 だがそんな有島の振る舞いや言動は、世間一般の“優等生”からは少なくともかなりかけ離れている。稀に黒板を見たり先生の話を聞いたりしただけで内容を全て暗記してしまうような本当の天才がいたりするが、有島(こいつ)の場合はそれとも違う。

 

 「だいたい勉めることを強いるから、嫌いになっちまうやつはとことん嫌いになっちまうんだよ。好きでもないことを無理やり強いられるんだぜ?そんなの夕野だって嫌だろ?」

 「そりゃあ、嫌に決まってるけど」

 「だから俺はこーやってやる気がない時はとことんサボるんさ・・・そん代わり心の中にある“やる気スイッチ”が入った瞬間に、一気に全部片づけるってワケ」

 「・・・“やる気スイッチ”が入った時の有島を見たことがないんだけど?」

 「当たり前だろ、ソイツは1人ん時しか“発動しない”特殊なスイッチだからな」

 「それでよくテストであんな点数出せるなお前」

 

 ただ1つだけ知っているのは、素振りを全く見せないだけで有島(こいつ)有島(こいつ)なりに努力はしているということ。

 

 まぁ、最初に会った時から思い続けている“天才と馬鹿は紙一重を地で行くような奴”だということは違いない。

 

 「・・・よし夕野、今から映画を観よう!」

 「勉強会は?」

 「終了」

 「・・・どうせこうなると最初から思ってたよ」

 

 

 そんなこんなで開始から15分、勉強会はお開きとなり結局いつもの鑑賞会がスタートした。

 

 

 

 

 

 

 1時間30分後_

 

 「何か外が暗くなってきたな」

 「だってもうすぐ夜の6時だからな」

 「えっ・・・うわもうこんな時間かよ」

 

 “勉強会みたいな何か”を止めてハリウッドの冒険活劇を観ていると、気が付けばリビングの時計は夕方の5時50分あたりを指していた。

 

 「・・・なんで授業の1時間はあんなになげぇのに映画の1時間はこんなに短ぇんだよ?」

 「確かに」

 「俺たちが映画を観てるときだけマジでバグってんじゃねぇの時間の流れ?」

 「それはないな」

 

 時間の流れが早くなってるなんてSF的なことは絶対にあり得ないが、有島の言うように好きな映画やドラマを観ているときの1時間は、学校の授業の1時間よりも圧倒的に時間が経つのが早く感じる。

 

 「とりあえずまだ4,50分はあるから今日はここまでだな」

 

 だからと言ってこれを全部観るとなるとかなり遅い時間になるのは確実だから、リモコンを手に取りビデオを止める。正直この作品の一番の見せ場は最後の30分なのだが、それを観てしまうと母ちゃんと鉢合わせする可能性が出てくるからだ。

 

 「オイちょっ・・勝手に止めんなよここからが“真骨頂”だろが」

 「もうすぐ6時だ、ていうか元々これを借りにくるために俺のとこに来たんだから続きはそっちで観れるだろ?」

 

 最後の30分を前に寸止めされてたまらず文句を言う有島を尻目に、俺はデッキからビデオを取り出してそれを手渡す。

 

 「続きは勝手にそっちで観とけよ」

 「いや今の俺は完全にジョセフ・ガーディアン(※映画内に登場する主人公の役名)の気分だからこんなところで冒険を止めるっていう選択肢はないぜ」

 「だったらこれ以上踏み込んだら尚更危険だ」

 「なぁ?俺たちって“ダチ”だろ?良いじゃねぇかよ今日ぐらい?」

 「それ言ったらおしまいだろ有島・・・」

 

 しかしどうしても続きをすぐに観たい有島はあろうことか友達に使ってはいけない禁句の1つである“だって俺たち友達じゃないか”という“魔法の言葉”を本気のトーンで言ってくるという暴挙に出るが、そんなものに俺は動じない。

 

 「・・・って嘘に決まってんだろ夕野、さすがに遅くなりすぎるとコッチもコッチで色々メンドーだしな」

 「どっからどう見てもガチにしか見えなかったけどな」

 

 そんな俺を見て諦めたのか、有島は俺の肩を一回だけ叩くと「じゃあ俺はそろそろ帰るわ」と言ってそのまま玄関の方向へ歩き始め、ひとまずこれで鑑賞会もお開きになろうとしていた。

 

 「・・・・・・そういや夕野ってさ、環とは最近会ってんの?

 

 玄関の方向へ一歩ほど進んだところで、有島は振り返りざまに俺にそう言った。

 

 「まぁ会えてはいないけど月1くらいで電話はしてるわ・・・」

 

 そこで俺は何を思ったのか、今でも環と電話で話していることを反射的に思わず正直に話してしまった。

 

 「・・・てことはさ?環の連絡先も知ってんの?」

 

 自分で蒔いた種とはいえ、こうなってはごまかしようがない。

 

 「・・・まぁな」

 

 そして諦め半分の相槌に、有島は分かりやすくニヤつく。これは完全に“電話をする流れ”だ。

 

 「よし夕野、今から環に電話をしよう

 

 “あぁ・・・やっぱり”

 

 「・・・何で?」

 「良いじゃんせっかく俺ら2人いるわけだし。俺もちょうど今なにしてんかな~って思ってたとこだし」

 「・・・ホントかよ?」

 

 別に有島のいる前で蓮に電話をかけること自体に抵抗感は全くない。

 

 「仕事中だったらどうすんだよ?まず電話に出ない可能性もあるぞ?」

 「あぁ~言われてみれば環も芸能人だしなぁ・・・っつっても一回ぐらいなら良くね?出なかったら出なかったでドンマイってことで」

 「いっとくけど蓮から後で色々言われんのは俺だけどな?」

 「大丈夫っしょ、だって俺らってクラスメイトで“友達(ダチ)”やん?」

 「・・・そういう問題じゃねぇっつの」

 

 ただ、普通に蓮へ電話をかける、ただそれだけのことなのに妙な葛藤が走り今一つ気が進まない。せめて1時間だけでも、時間が止まってくれたらなという不意な願いが脳内に流れる。

 

 

 

 “・・・この時間が終わったとして・・・俺は母ちゃんに何を話せばいいんだ・・・?

 

 

 

 「・・・でもちょうどいいんじゃねぇの?いっそのことここで吐き出せるもの全部吐き出しちまえば?」

 

 すると電話をかけることを躊躇う俺に、有島は急に真面目な顔をしながらまるで背中を押すかのような口調で声をかける。

 

 「・・・吐き出すって何をだよ?」

 「決まってんだろ。お前とお前のお母さんとのことだよ

 

 その言葉に、“お前に何が分かる”という気持ちと“気にかけてくれたことへの感謝”の気持ちが半々になって心の中を駆け巡る。

 

 「・・・何があったかは聞かねぇから安心しろよ。だって俺は何の関係もない他人からな・・・でもよ、いつまでもそうやって溜め込んでたって良いことは何もないぜ?・・・俺ははっきり言って芸能界のことなんて全然分かんねぇけど、お前や環みたくカメラの前に立ってキャラクターになりきるようなことをやるんなら、それは尚更じゃね?だったら思ってること全部吐き出して行こうぜ!

 

 

 

 “『感情を吐き出したいときは思いっきり吐き出せ。それも役者を続けていくための処世術(コツ)』”

 

 

 

 言い終えると有島は俺の背中を一回だけ叩いた。ほんの少しだけ痛かったが、不快さは全くなかった。

 

 「それともなんだ?俺みたいな何も知らない奴に言われても説得力ゼロじゃねぇかオイ、ってか?」

 「まだ何も言ってねぇだろ・・・」

 

 本当に有島というやつは、純粋に俺のことを大切な友達(ダチ)として受け入れてくれている。

 

 「でも・・・気遣いありがとな、有島」

 「礼はいらねぇ」

 

 だから蓮の時と同じように、有島の何気ない言葉に“安心”を覚えてつい頼ってしまう“弱い自分”がいる。

 

 

 

 “その度に、せめて俺にも蓮と有島(ふたり)のような“強い心”があればと、ふと思ってしまう

 

 

 

 「言っとくけど出たとしてもちょっとだけだぞ?」

 「分かってるってパッと話してパッと帰るから」

 「・・・パッとってどれくらい?」

 「どれくらいって・・・・・・じゃあ3分、マジで3分以内で帰るから」

 「3分?あぁ分かった」

 

 周りに比べて弱い自分への自己嫌悪を心の奥へとしまい込み、憬は有島の声に耳を傾けながらリビングの固定電話から環の連絡先に繋がる番号を打ち始めた。

 

 「・・・ていうか夕野、さっき環のことさり気なく下の名前で呼んでなかったか?」

 「えっ?」

 

 有島からの一言で、環の電話番号を打つ右手が思わず一瞬止まる。

 

 「いや、別に仲の良い奴を下の名前で呼ぶのは普通じゃね?」

 「じゃあ何で俺は未だに苗字なん?つってる俺も苗字呼びだけどな」

 「・・・あぁ、言われてみたら確かにな」

 

 そういえば何で俺は蓮に対しては名前呼びで、有島は苗字呼びなのかをまだ話していなかったことをこの瞬間にふと思い出した。

 

 というより、俺の中ではそれが当たり前すぎて話すほどのことじゃないとずっと思っていた。

 

 「だってまだ下の名前で呼んでいいって有島から一言も言われてないし」

 「・・・てことは俺が龍太って呼んでいいって言ったら夕野もそうするのか?」

 「おう」

 「・・・じゃあ、今日から俺のことは下の名前で呼んでいいぞ」

 「分かったよ。龍太」

 「・・・・・・おう」

 

 自分の思っていたものとは違った憬からの言葉に、有島は如何にもリアクションに困った何とも言えない表情で明後日の方角に目線を向けて沈黙する。

 

 「・・・・・・なんでそんな困った顔すんだよ?何か変なこと言ったか俺?」

 

 当然どうして有島がそんな顔をするのかを理解出来ていない憬は、そのまま思ったことを続けて口にすると、その様子を見た有島は憬が環に対して“そういう気が一切ない”ということを察した。

 

 「・・・なんつーかさ・・・・・・やっぱ夕野っておもしれーわ

 

 “リアクションに困った”ような表情はそのままで中途半端に芝居がかった口調で有島は俺の疑問に答える。何を考えているのか分からないが、少なくとも有島の言う“おもしれーわ”にはどこか残念がっているかのような感情が垣間見える。

 

 どうしてそんな顔をするのかは、全く分からないが。

 

 「・・・・・・急に何なんだよわけ分かんねぇ」

 

 とりあえず訳の分からないリアクションをした有島に向けて文句をぶつけつつ、俺は蓮の携帯電話に繋がる番号を入力してついに電話をかける。

 

 プルルルル_

 

 右耳に当てた受話器から、一定のリズムで呼び出し音が鳴りだす。何気にこっちから蓮へと電話をするのは初めてのことだ。

 

 プルルルル_プルルルル_

 

 呼び出し音は3コール目に突入するが、蓮はまだ出ない。

 

 プルルルル_プルルルル_

 

 5コール目。未だ出る気配なし。

 

 「中々出ねぇな」

 「・・・もしかしたら仕事かもな」

 

 まだまだブレイクしたとは言い切れないが、蓮はれっきとした女優であって芸能人だ。女優業とは別で雑誌のモデルもやっていると聞いているから向こうも向こうで忙しいのは知っている。だから中々電話に出ないことに特に驚きはない。

 

 プルルルル_プルルルル_プルルルル_

 

 「はぁ~、こりゃあ出ないパターンだな」

 

 そうこうしていたら呼び出しは8コール。斜め後ろで腕を組む有島は、ついに諦めの言葉を発する。

 

 「せっかく環と話せると思ったのに、なんかただ・・・」

 

 プルッ

 

 9コール目に突入したその時、均等なリズムを奏でていた呼び出し音が前触れもなく途切れた。

 

 「あ、出た」

 「マジで?」

 

 ふっと出た俺の独り言に、斜め後ろに立っていた有島がスッと隣に近づく。

 

 『はい、どちらさまですか?』

 

 だが受話器のスピーカーから聞こえてきたのは、蓮ではない別の女の人の声だった。

 

 「あ、えっと・・・環蓮の携帯電話でいいでしょうか?」

 

 蓮の携帯電話の番号にかけたはずが全く違う女の人の声が耳に飛び込み思わず混乱しかけるが、この女の人の声には何となく聴き覚えがあった。

 

 『いえ、違いますけど』

 

 “・・・まさか・・・”

 

 そう思った俺はすぐさま電話機の液晶に目を向けると、そこには蓮の携帯電話の番号ではなく、蓮と牧が共に同居生活をしている部屋の電話番号が表示されていた。

 

 どうやら俺は、間違えて固定電話のほうにかけてしまったようだ。もちろん電話に出ている女の人は、もう間違いない。

 

 「もしかして・・・・・・牧さん?」

 『ふふっ、そーだよ憬くん』

 

 念のために相手を確認すると、案の定からかい半分の小悪魔的な笑みが受話器の奥から耳へと入ってきた。

 




今からちょうど2年ほど前、のちにこれの原型となる別の物語を書き溜めていたことがあったが、結局それは作品として形になる前に幻となってしまった。

無理はない。就活真っ只中という状況の中でアクタージュの連載が終わってしまったやり場のない初期衝動だけで筆を進めてしまったから、すぐに息切れしてぶっ倒れてしまうのは当然だった。

結局その物語は日の目を見ることもなく、今日もノートPCのゴミ箱で静かに眠っている。

だが物語は約1年の月日を経て、“デッドストック”から“プロトタイプ”になった。

人前に出すことすら出来なかった黒き歴史。でもあれがなかったら、そもそもこの物語は生まれなかった。

“プロトタイプの主人公”がいなければ、scene10から先へは絶対に進めなかった。

そう考えると、2年前の挫折も決して無駄じゃなかった・・・と、言えたらいいな。







すいませんただの独り言です。


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scene.51 電話


前回のあらすじ。勉強会からの鑑賞会からの間違い電話←今ココ。以上。




 『最近どう?元気?』

 「うん、元気元気」

 『その割には随分と緊張してる感じがするんだけど?』

 「そうかな?俺は至って普通だけど?」

 『いま絶対カッコつけたでしょ憬くん?』

 「えっ?いや全然普通でしょ何言ってんだよ?」

 『ははっ、蓮の言う通り憬くんは弄りがいがあるわ~』

 「なっ・・・あのアマなんか知らんけど余計なこと吹き込みやがって

 『憬くんが“アマ”呼ばわりしたことあとで言っとくね』

 「それはマジでやめろ

 

 間違えてかけてしまった電話番号の先から流れる、もう一人の同居人の声。相変わらず向こうは向こうで、目に見えている感情が何を考えているのかまるで分からない。

 

 「・・・オイ、さっきから誰と話してんだよ夕野?

 「ちょっ、邪魔すんな話してんだから

 「ていうかおもくそ女子の声が聞こえた気がしたんだけど?てか絶対女子だろ相手

 「マジで黙れ

 

 案の定、蓮ではない誰かと話していることを秒で察した有島が受話器の反対側から妨害してくるのをいなしながら、俺は牧との電話を続ける。

 

 『誰か隣にいるの?』

 「いや誰も?ちょっと手が滑っただけだよ」

 「ホント嘘つくの下手だな~お前

 

 別に隣にいても困ることはないが、俺は珍しく咄嗟に嘘をついた。しかも我ながらかなりベタなやつだ。

 

 『まぁいいや・・・あ、そうだそうだ、蓮から國近さんの映画に出るって聞いてるんだけど?』

 「えっ?あぁあれは」

 「どーも、何かよく分からないけど夕野君がいつも世話になってます」

 

 そしてとうとう騙し騙しの防御も虚しく、一瞬の隙を突かれて受話器を有島に強奪された。

 

 『・・・ごめん、誰?』

 「あぁこれは失敬、俺は夕野君と“友達(ダチ)の契り”を交わした中学2年生、有島龍太です」

 「“友達(ダチ)の契り”って何だよ?っていうか話し相手が誰なのか分かってんのか?」

 

 電話に出ている相手が“牧静流”であることに全く気付いていない有島は、どこで覚えどこで学んだかも分からない紳士的な口調と“友達(ダチ)の契り”というこれまた訳の分からない謎のワードを使ってクールに自己紹介をする。

 

 『有島龍太くんね・・・うん、名前は覚えた』

 「ありがとうございます。ところであなたのお名前は?」

 「(さっきからどこで覚えて来たんだそんな言葉遣い・・・)」

 

 “でも・・・どういうわけか妙にサマになってやがる・・・”

 

 口に出すと図に乗りそうなので黙っておくが、ひょっとしたら有島(こいつ)には役者の才能があるのかもしれない。そう思わせてしまうぐらい、普段は全く使わない紳士的な口調が何となく噛み合っている。

 

 “いや、それは考えすぎか”

 

 これくらいのことで役者になれるなら、役者を目指す奴らがもっと周りにいてもおかしくないだろう。どんな人間だろうと、人前では無意識に自分を良く魅せようとしてしまうものだとどこかのテレビでどこかの専門家が言っていた気がするが、それと同じようなものかもしれない。

 

 『私は牧静流。さすがにご存知かと思うけど女優やってます』

 「へぇ〜まきし・・・・・・は?

 

 その証拠かは分からないが話し相手が“あの牧静流”だと知った瞬間、有島は驚きすぎて硬直状態になった。当たり前だ。何にも知らずに電話に出てみたら相手が“牧静流”だったなんてことが起これば、そりゃあ普通はこうなる。

 

 正直、俺ですら初対面の瞬間は現実感の無さと驚きのあまり記憶が曖昧だ。

 

 「えっ・・・ホントにマジのガチで牧静流?」

 『うん。ホントにマジのガチで牧静流だよ』

 「・・・・・・うわぁぁぁぁ・・・マジかぁぁぁぁ・・・・・・」

 「(なんちゅうリアクションしてんだよ)」

 

 そして相手が牧であることが証明された瞬間、有島は受話器を持ったまま声にならない声を上げて狼狽えながらその場を右往左往する。普段は常に余裕ぶっていて取り乱しているところを見たことがない俺にとって、こんなに動揺している有島を見るのは少しだけ驚きだった。

 

 「・・・ヤベェよオイ、(ナマ)の牧静流だよオイ、どーする夕野?コレマジで今年で地球滅ぶんじゃね?」

 「何で牧さんと電話しただけで“大予言”が当たんなきゃならないんだよ」

 

 受話器を耳から外し、興奮気味に有島は俺に語りかける。有島(コイツ)が“牧静流”のファンだということは、激しく動揺する様を見てすぐに分かった。

 

 「・・・ていうか龍太って、牧さんのファン?」

 「・・・実はな・・・驚いただろ?」

 

 数秒ほど狼狽えた末、有島は覚悟を決めたかのようにドヤ顔で決め台詞的な言葉を吐いて一度だけ深呼吸をすると、再び受話器を耳に当てる。

 

 「んんっ・・・牧静流さん・・・俺・・・・・・子役の時からずっとファンです」

 『えっ?ホント?それはうれしいなぁ~』

 「オイヤベェよ、牧静流が俺のこと

 「図に乗るな龍太(さっきからお前は乙女か・・・)」

 

 知らなかった。まさか有島が牧のファンだったなんて。まぁだからと言って、俺にとってはそれ以上もそれ以下もない話だということは変わらない。

 

 

 

 “『人っていうのはよ、フカンなんてしなくても生きていけるんだぜ』”

 

 

 

 ただ意外だったのは、そんな風に飾り気なくありのままの自分を豪語していた有島が、牧に対してはこれでもかとあからさまに“自分を演じ”ながら話をしていることだった。

 

 “なにが俯瞰なんてなくても生きていけるだよ・・・言っとくけど今のお前、思いっきり“俯瞰”使ってるからな”

 

 友達(ダチ)だって言ってる癖に、俺らは互いのことをまだまだ知らずにいるばかりだ。

 

 

 

 “・・・それは多分蓮のこともそうだし・・・何より母ちゃんとのこともだ・・・

 

 

 

 『ところで有島くんは憬くんと何してたの?』

 「あぁ、俺は夕野君とちょっと“勉強会”を」

 『へぇ~、偉いじゃん』

 「いやぁそれほどでもないっすよいつものことなんで」

 「牧さん、コイツの言ってることは全部嘘だから聞かなくていいよ」

 

 ちょっとだけ我を忘れて油断しているといよいよ有島が本格的に図に乗り始めていたため、俺は受話器を強奪して牧に話しかける。

 

 「ちょっ、オイまだ話の途中だろうが!」

 「牧さんに余計な嘘を叩き込んでんじゃ」

 

 そして俺が文句を言いかけた隙をついて、有島が再び受話器を奪う。

 

 “・・・もう今日はいいや・・・”

 

 これで心の中で何かが折れた俺は、受話器を奪うことを諦め牧からの電話で有頂天になっている有島を“温かい目”で見守りつつ、2人のやり取りを傍観することにした。

 

 「そうだ、ところで静流さんは今日仕事すか?」

 『ううん、今日は一日中オフだから久しぶりにフルで学校の授業受けて来た』

 「マジすか?静流さんって学校行くんすね?」

 『当たり前だよだってまだ中学生だし私』

 「あーはは言われてみればそれもそうっすよね、で?学校はどーでした?」

 『う~ん・・・やっぱり学校は“チョットだけ”退屈だったかな。なんかお芝居をしている時みたいに“身体が燃えてる”感じがしなくてさ』

 「“身体が燃える”・・・・・・何かいいっすねそれ」

 

 “いや・・・・・・こいつコミュニケーション能力高すぎないか?”

 

 元々有島(こいつ)はクラスのムードメーカー的存在なだけあって社交性が高いことはとっくに知っていたが、相手が初対面かつあの“牧静流”だというのにいきなりこんなにもフランクに人気女優と話せるほどの奴だとは思わなかった。もう最初のしどろもどろ感は皆無だ。

 

 相手のことを考えると、芸能人に全く耐性のない連中は大抵、終始緊張気味のまま空回りして結局大した話題も出来ずに終わるのがオチのはずだ。いや、そう決めつけてしまう俺の思考もそれはそれで問題か・・・いやでも相手を考えたら・・・

 

 “・・・まあ・・・有島(こいつ)ならあり得なくはないか・・・”

 

 と、何秒かの時間の間で考え辿り着いた結論は、“有島ならあり得る”だ。そもそも有島という奴に、一般常識が通用しないのは初対面の時から知ってはいたからだ。

 

 『全然大した意味じゃないんだけどね。なんかこう、“不完全燃焼”、みたいな』

 「やっぱり女優は芝居をしてナンボっすよね?」

 『まぁ、四六時中お芝居のことを考えてるわけじゃないんだけどね』

 

 にしても何で有島(こいつ)は、相手が大物の芸能人であろうとこんなに自然に打ち解け合える・・・?

 

 

 

 “『ぶっちゃけ俺は芸能界のことなんてさっぱり分かんねぇし、きっとそっちの世界じゃ朝起きて飯食って学校にいくような俺らとは一日が違うかもしれねえ。でも俺はそんな世界にいる奴とこうやって話してるわけよ。それってつまり、お前や環がいる芸能界も俺のいるフツーの世界も全く一緒ってことじゃねぇの?』”

 

 

 

 “・・・そっか・・・そういうことか・・・

 

 俺は“俯瞰が無くても生きていける”有島でも“自分を演じている”という考えを撤回した。有島(こいつ)はあくまで、自分に対してとことん正直なだけだ。

 

 “やっぱり、俺はまだこいつには敵わないな・・・”

 

 はっきり言おう。俺はそんな有島のことが本当に羨ましい。きっとこんな感じで何にも恐れずに自分を貫き通せる奴が、この世界を上手く生き残っていくのだろう。

 

 せめて有島のようなポジティブ思考を最初から俺も持ち合わせていたら、母ちゃんとの諍いも父親との過去もとっくに乗り越えられていたのかもしれない。

 

 

 

 “役者になる、ずっと前に

 

 

 

 「・・・ってあれ?そういや何で環んちの電話に繋がってるはずなのに静流さんが出てるんすか?」

 

 再び我に戻ると、有島がごもっともな質問を牧にぶつけていた。言われてみれば、まだ有島にあの2人が同居していることを言っていなかった。

 

 『・・・言っとくけどこれは“私たち”だけの秘密ね?』

 「えっ秘密っすか?うはマジか」

 『いや、公にバラされたら多分色々面倒になるから、そこはマジでよろしく

 「あ、はいスイマセン」

 

 いつもの調子で話しかけたらガチなトーンで諭されたのか、有島は一瞬だけ素に戻って平謝りをする。

 

 『あ、ちょうど帰って来た』

 「えっ?」 「えっ?」

 

 次の瞬間、受話器の奥から聞こえた牧の言葉に反応した憬と有島(ふたり)のリアクションが見事にシンクロした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ただいま静流」

 「おかえり蓮。随分と遅かったね」

 「うん、さっきまで伊織(いおり)たちとマックで勉強したりゲーセンとか行ったりしてたから」

 「いいなぁ~青春してて」

 「静流もたまには同じクラスの友達とかと一緒に遊んだりすればいいのに、堂々としてれば案外バレないもんだよ?」

 「それはダメだよ。だって私は“超有名人”だから蓮みたいに制服着たまま下手に出歩いたら人だかりが出来ちゃうし(そもそも学校で一緒に遊ぶような友達なんて私にはいないし)」

 「・・・あ~なるほど。何となく静流の言いたいことは分かるわ(なんだろ、いま静流からすっごいさり気なく見下されたような気がする)」

 

 午後6時の2分前、仲の良いクラスメイト数人と放課後をひと時を楽しんだ環が牧と共に暮らすマンションの部屋に帰ってきた。

 

 「それより今ちょうどさ、どうしても蓮と話したいって人から電話が来てるんだよね」

 「えっ?誰?」

 「・・・誰だと思う?」

 「・・・ごめん一回手だけ洗ってからでいい?」

 

 牧からの揺さぶりを手を洗いに行くことを口実に一旦回避し、洗面台に向かい手と顔を洗ってリビングに戻る。

 

 「・・・どうせ憬でしょ?」

 

 リビングに戻りがてら環はさも当然のように電話してきた相手が誰なのかを予測しながら、牧から固定電話の受話器を受け取る。

 

 「じゃあ私バスルーム掃除してくる」

 「えっ?あぁうん、ありがと」

 

 そして受話器を環に渡しがてらに牧が“当番制”になっていた風呂場(バスルーム)の掃除に向かうと、リビングにいるのは環だけになった。

 

 「・・・もしもし憬?」

 

 

 

 

 

 

 『・・・もしもし憬?』

 

 牧の口から同居している事実が有島に打ち明けられてから10秒ほどの間が経ち、受話器からもう一人の同居人の声が流れ出した。

 

 「よぉ、久しぶりだな環」

 『・・・・・・その声は龍太?』

 「そーだよ龍太だよ」

 『・・・あぁ・・・超久しぶり・・・』

 「・・・あれ?反応薄くね?もしかして俺のことはあんま覚えてない感じ?」

 『ごめん、そういうことじゃないんだけどさ・・・』

 

 元気よく話しかけた有島に対して、蓮の反応はどこか冷めている。きっとあの牧のことだから、“蓮に会いたいって人がいる”っていう程度の大雑把な説明しかしてないのだろう。

 

 『・・・なんで龍太がここの電話番号知ってんの?

 

 受話器から微かに聞こえる言葉の限り、蓮は本当に何も知らないようだ。いきなり自分の部屋の電話番号なんて教えたはずのない相手から電話がかかって来たら、例え知り合いだろうと嬉しさよりも困惑が勝つに決まっている。

 

 「実は夕野んちの電話からかけてんだよ。ちょうど俺らイツメンで夕野のとこで“勉強会”をやっててさ」

 「“鑑賞会”の間違いだろが」

 『・・・何だそんなことか』

 

 とりあえずこの何とも言えない混乱は有島の説明によってあっさり解決した。

 

 「まぁ、元は夕野が掛ける番号を間違えたっぽいけどな」

 「オイそれは言うな龍太」

 『アハハッ、絶対そうだと思った』

 

 ついでに蓮からは思い切り馬鹿にされた。

 

 「ていうか環お前スゲェな!牧静流と同居してるなんてよ!」

 『同居っていうか、一応静流は事務所の先輩だし』

 「マジか・・・ヤベェな芸能界」

 『うん、ヤバいよほんと』

 「え?じゃあ飯とかも一緒に作ったりしてんの?」

 『さすがに夕飯とかはマネージャーに作ってもらってるけど、掃除とか洗濯は当番制で静流とマネージャーの3人でそれぞれやってるよ』

 「・・・うわエラッ」

 

 俺はもう既にこの辺の事情はとっくに知っているから全く驚きはないが、ただでさえ牧と同居している上に事務所まで同じで牧と一緒に部屋の掃除や洗濯までやっているという事実は、何も知らない有島からしてみればかなりの衝撃だったことだろう。

 

 まぁ俺も初めてそのことを聞いた時は、同じくらいには驚いたが。

 

 

 

 「じゃあそろそろ憬に変わるか?」

 『えっ?もういいの龍太?』

 

 そんなこんなで体感的に2,3分ほど話した後、有島は俺に変わるように促す。別に早く帰ってくれることに越したことはないが、話好きの有島にしては珍しくすんなりと会話を終わらせたことに俺は少しの違和感を覚える。

 

 「この後に塾あるからそろそろ行かないと間に合わねぇし」

 

 それは次の一言で確信に変わった。

 

 『えっ?龍太って塾なんか通ってたっけ?』

 「通い始めたんだよ。これでも俺、進学校目指してるし」

 『へぇ~意外』

 

 意外どころか、真っ赤な嘘である。仮に有島(こいつ)が塾に通い始めるにしても、その可能性はノストラダムスの大予言が当たるのと同じくらいには低いだろう。

 

 「じゃあ今度またここに来た時に気が向いたら夕野に頼んで電話するわ!またな!」

 「勝手に俺を巻き込むな」

 

 無理やり連との電話を終わらせた有島が、俺に受話器を渡す。

 

 「つーことで環と“2人きり”の時間、せいぜい楽しめよ」

 

 そして渾身のドヤ顔でどこか意味深な決め台詞を吐きながら俺の肩を2回叩き、そのまま振り向くことなく逃げるように301号室を後にした。

 

 「・・・“2人きり”って何だよ・・・」

 

 にしても“2人きり”とはどういうことだろうか・・・

 

 

 

 “『ちょうどいいんじゃねぇの?いっそのことここで吐き出せるもの全部吐き出しちまえば?』”

 

 

 

 もしかしたら、そういうことなのか。だとしたら有島も随分と粋なことをしてくれるものだ。

 

 

 

 “・・・といっても、マジで何を話そう・・・

 

 

 

 『・・・・・・憬?聞こえてる?』

 「・・・あぁ悪い、大丈夫、聞こえてる」

 

 受話器から蓮の呼ぶ声が聞こえ我に返り、少しだけ慌て気味に言葉を返す。

 

 『珍しいじゃん、憬から電話よこすなんてさ。間違えで家電(こっち)にかけちゃったらしいけど』

 「間違えたことはいいってもう」

 『でさ、何かあったの?

 

 話を始めて僅か10秒足らずで、いきなり蓮は俺が電話をした理由(わけ)にふれようと揺さぶりをかける。当然俺は平然を装っているつもりだが、蓮からしてみればいつもと微妙に違って聞こえているというのか。

 

 「何かって、すげぇ急だな」

 『だって憬が私に話しかけてくるときって大抵何かしらあるときだからさ?』

 「そうとは限らねぇだろ」

 『・・・じゃあ当ててやろうか?君が私に電話をしてきた理由』

 

 

 

 “『・・・俺が当ててやろうか?』”

 

 

 

 「当てれるもんなら当ててみろ

 

 奇しくも授業終わりに有島が俺に向けて言った言葉と全く同じ言葉(こと)を蓮から言われた俺は、気が付くと有島に向けて言い放った返しと全く同じ返しを蓮へとぶつけていた。

 

 『・・・・・・どうせ芝居のことでまた悩んでるでしょ?』

 「・・・・・・あぁ・・・ほぼ合ってる・・・」

 

 そして見事に2問続けて正解を出されてしまった。どうして俺の周りにいる連中というのは、どいつもこいつもやたらと勘が鋭いのか。いや、逆に言うとそれだけ俺のことを分かっているということだろうか。

 

 ありがた迷惑なような、ほんの少しだけ嬉しいような。

 

 『だいたいさあ、憬が考えてることなんてお芝居か映画かドラマのことぐらいでしょ?単細胞か君は?』

 「誰が単細胞だよ普通にそれ以外のことも考えてるわ」

 『じゃあ“芝居バカ”?それとも“芝居オタク”?』

 「馬鹿にしに来たんなら切るぞマジで」

 『えっ?別に私は馬鹿にしたつもりで言ってないんだけど?』

 「そんなテンションで言われても説得力がねぇよ」

 『うわ酷っ、それが人に悩みを聞く態度ですか?』

 「さっきから面白おかしく弄り倒してるだけじゃねぇか、いい加減にしないとマジで切るからな」

 

 からの同い年の後輩をこれでもかと嘲笑い弄り倒す、同い年の先輩女優の図。

 

 『・・・憬ってホント最低だね、せっかく人が悩める後輩の話を聞こうとしてるってのに

 

 そうこうして弄りを適当にいなしていたら、蓮は今まで聞いたことないゾッとするような冷めた口調で俺を非難する。

 

 「・・・一応聞くけど・・・芝居だよな?」

 『これが芝居に見える?

 

 “さすがに蓮のことだろう”と高を括った俺はいつもの調子で芝居なのかどうかを確かめるが、蓮は冷めた口調はそのままで更に俺を追い詰める。

 

 

 

 “『そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・』”

 

 

 

 春に蓮と映画を観に行った帰り道の記憶が頭を流れる。それを脳内で視た俺は、蓮の感情が“ガチ”だと言うことを理解した。

 

 「・・・・・・ごめん・・・蓮のこと何にも分かってやれなくて・・・

 

 

 

 一緒に役者として勝負する約束までした親友の気持ちすら理解出来ない俺に、家族のことなんか・・・

 

 

 

 『・・・・・・ブッ』

 「・・・?」

 

 その時、受話器の向こうから女子らしさの欠片もないゲラゲラした豪快な笑い声が響く。

 

 『・・・あ~あ、もうあと20秒ぐらい黙っててやろうって思ったけど・・・やっぱりダメだわおもしろ過ぎて』

 「完全に騙されたよチクショウ」

 

 どうやらさっきの“怒り”はとんだ茶番だったようだ。

 

 『ハハハッ、ヤバい待って・・・笑い過ぎて片腹痛い』

 「そんな笑うことか?」

 『だって落ち込み方が“本気すぎて”さあ・・・もう逆に可哀想になってきたわ』

 「言っとくけど本当に覚悟したからな俺」

 『うん知ってる』

 「ホントにやめてくれよこういうの今ので寿命が5年は縮んだわ絶対」

 『私は今のやつで腹筋が死んだよ』

 「知らねぇよ人の不幸を嘲笑いやがって」

 

 そして不覚にも俺は、蓮の“小芝居”に完全に騙された。同じ小芝居でも、スターズのオーディションに落ちた俺を励ますためにやった時の小芝居に比べると、やっぱり蓮の芝居は本当に上手くなっている。

 

 「・・・ていうかさ・・・本当に芝居上手くなったよな、お前?

 

 そんな一瞬だけ表に出てきた本心が、そのまま言葉になって口から溢れた。

 

 “・・・マジで何言ってんだ、俺・・・”

 

 次の瞬間には“何を俺はこんなどうでもいいところで感心しているんだ”という少しの羞恥心にすり替わっていた。でも、本当に上手くなっていた。

 

 『・・・・・・“勝負”をしかけた言い出しっぺがいきなり君のようなド新人にボロ負けでもしてるようじゃ女優は名乗れないからね』

 

 俺からの本心に、蓮は妙に喧嘩腰のような口ぶりで言葉を返してきた。

 

 

 

 “『私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ』”

 

 

 

 「・・・そうだな。蓮と約束したからな・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか勝負しようってさ」

 

 一瞬だけ蓮がそういう態度をとったことに俺は戸惑ったが、理由はすぐに理解出来た。

 

 『・・・何だよ分かってんじゃん』

 「そりゃあそうだよ。“親友”だからな、俺たち」

 

 俺が思っていた以上に、蓮は“あの日の約束”を大切にしているみたいだ。それは今日の“小芝居”だけでも十分に伝わった。

 

 

 

 本当に蓮が女優(やくしゃ)でいてくれて、そして俺の親友でいてくれて、只々良かったと心から思う。

 

 

 

 『・・・・・・じゃあ同じ役者の先輩として、いや、1人の親友として確認しておきたいことがあります

 「(・・・何だよ急に敬語使ってかしこまって)・・・はい、なんでしょう?」

 

 現実へと引き戻すかの如く突然かしこまった口調で話しかけてきた蓮に、渋々俺も敬語で返す。

 

 『“HOME(ドラマ)”の現場で言ってなかったっけ?経験なんて関係ない、俺たちは新人だ。可能性は無限大だよ・・・って?

 

 蓮に言われて、俺はドラマのリハが始まる直前にそんな感じの言葉を蓮に向けて言ったことを思い出した。

 

 「・・・・・・・・・・・・あぁ・・・そんなこと言ってたわー俺」

 

 ただし蓮に言われるまで頭の中からすっかり消えていたこともあって、意図せず反応が遅れた。

 

 『絶対覚えてないでしょ?』

 「いや、たった今ちょうど思い出した」

 『結局忘れてんじゃねぇかよ』

 

 そしてそのことを当たり前のように蓮からツッコまれた。これに関しては、言い返す術はない。

 

 

 

 “『“早乙女さんとか周りがどうだとか関係ねぇ”って言ったのはどこのどいつ?』”

 

 

 

 不意にドラマの顔合わせの帰りに蓮から言われた言葉が頭の中を駆け巡る。本当に俺という奴は、人から言われた言葉はどうでもいいことまで結構覚えている癖に、自分が誰かに言った言葉は片っ端から忘れてしまう。

 

 『全く・・・言い出しっぺがそれを忘れちゃおしまいだよ。憬

 「・・・ごもっともです

 

 同い年の1年先輩の女優からのお叱りを真に受けて自分でもびっくりするぐらいの本気のトーンで返すと、受話器の向こうから“ただのクラスメイト(親友)”だった時から変わらない笑い声が再び聞こえてきた。

 

 「やっぱさっきから俺を馬鹿にしてんだろお前?」

 『ハハッ、いやだって、さっきからこっちは冗談半分で言ってんのに全部真に受けてめちゃくちゃ落ち込むからさ・・・もうずっとそれが可笑しくて・・・』

 「そんな可笑しいか?」

 『今のやつ真似してやるよ・・・・・・“ごもっともです”・・・ハハハハ

 「オイなに笑ってんだよ?」

 『オイなに笑ってんだよ?』

 「真似すんじゃねぇよ」

 『真似すんじゃねぇよ』

 「・・・本気で切るぞ

 『・・・本気で切るぞ

 

 そこら辺の馬鹿な男子小中学生と同レベルなモノマネの下りをしたのち、気が付くと俺たちは“あの時”と同じようにまた笑い合っていた。

 

 『ていうか憬のマネ上手くない私?お世辞抜きに割と特徴掴んでると思うんだけど?』

 「俺は絶対に認めないからな」

 『後で静流にも見せようかな?』

 「次に会うことがあった時に100パー馬鹿にされるからやめろ」

 

 そして気が付くと、俺の家族の過去だとかユウトを最後まで演じるために課せられている課題のことなどすっかり忘れ、蓮との会話をただひたすら楽しんでいた。

 

 『・・・てことだよ、憬

 「てこと・・・・・・って何が?」

 

 

 

 その瞬間だけは完全に、“過去”のことを忘れていた。

 

 

 

 『芝居のことで悩んでいるか他のことで悩んでるのか知らないけど、途中から自分が悩んでたことなんか忘れてたでしょ?』

 「・・・・・・確かに」

 『それで忘れられるくらいの悩みだったら、その悩みを忘れるくらい芝居に集中すればいいだけのことだよ・・・・・・まぁ別に?これはただの“生意気な先輩”が自分なりに考えて出したアドバイスだから、参考にするかは君に任せるけど?』

 

 母ちゃんとのことや家族のことはとても安易に言えるような事情じゃないから、きっと真実(それ)を知らない蓮にとってはドラマの時のように“また監督や共演者にこっぴどく叱られた”程度にしか思われていないかもしれない。

 

 でも有島と何の意味もなく映画を鑑賞したり、蓮とただただこうして話しているだけで心の中が大分ラクになった感覚がある。

 

 そして俺は“過去”のことなど、一切考えてすらいなかった。

 

 『・・・とにかくつまんないことで悩んでないでさ、役者だったら余計なことは考えずただひたすら“芝居バカ”になってバカ正直な気持ちで演じてみたら?・・・“過去”なんかに囚われないでただひたすらがむしゃらになって前に前に突き進む・・・・・・それが憬の芝居じゃん?・・・多分だけど』

 

 

 

 “『ようは過去なんて“その程度”のものなんだよ』”

 

 

 

 俺はずっと勘違いをしていた。過去は真正面から立ち向かって乗り越えるからこそ向き合えるとずっと思いこんでいた。

 

 

 

 “『・・・・・・憬には何回も言ってるじゃない。父親なんて最初からいないって』”

 

 

 

 母ちゃんはただ逃げているわけじゃなく、きっと自分なりの方法で過去と向き合い続けている。全てはたった1人の家族である俺に不安な思いをさせないために、自分で過去の全てを受け入れて過去を自分だけのものにした。過去への向き合い方なんていくらでもあった。

 

 

 

 過去に囚われていたのは母ちゃんというより、寧ろ俺自身のほうだった。

 

 

 

 「・・・・・・蓮

 『おぉどうしたどうした?いかにもこれから凄いことを言いそうなオーラなんか出しちゃって?』

 「別に凄いとかそういうことじゃねぇよ」

 

 

 

 過去というものは立ち向かって乗り越えるものじゃなくて・・・・・・思い出したり忘れたりしながら未来(まえ)へと進むためにあるものだ・・・・・・

 

 

 

 「・・・ただ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 『・・・ただ・・・・・・今日は蓮の声を聞けて本当に良かった・・・・・・ありがとう・・・

 「・・・・・・・・・さっきから君は二枚目気取りか」

 『気取ってねぇわ』

 

 現場では体験することのできない何気ない普通の日常を通じて、自分の過去と向き合うための糸口を掴んだ憬からの素直な気持ちに、環は一瞬の胸の高鳴りを抑え込みながらいつもの調子で言葉を返した。

 

 ~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 「(・・・ほんと仲が良いこと・・・)」

 

 ちなみにこの時、憬と蓮(ふたり)一部始終(でんわ)をバスルームの掃除に行くフリをして牧が死角からこっそりと盗み聞きしていたことは、言うまでもない。

 

 

 

 “・・・やっぱり私は、“蓮と憬くん(あなたたち)”のような役者が羨ましくて仕方がない・・・

 

 

 

 私はみんなが知っている“普通”を知らない。なぜなら私は生まれた時から、“女優”になるためだけにずっと育てられてきたから。 “女優になりたい”とか、 “女優になりなさい”とか、そういうことじゃない。気が付くと私は、 “女優”になっていた

 

 いや、生まれる前から私は、“女優”になる“運命(こと)”が決まっていた。

 

 

 

 “『静流・・・役者は自分に嘘をついてしまったら、その瞬間に終わりなのよ・・・』”

 

 

 

 だから“普通の世界”を知らない私は、どんなに足掻いても“彼ら”のようにはなれない。

 

 

 

 でも、“それ”でいい。“それ”に想い焦がれ“それ”に抗い続けることが、私にとって牧静流(女優)で在り続けるための原動力(血液)になるのだから・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・全部あなたのせいだよ・・・・・・“真波さん(おばあちゃん)”・・・

 

 声にならないほどの小さな声で複雑怪奇な心情が渦巻いた感情を吐き出すと、牧はそのままバスルームへ静かに歩いて行った。




※作中に登場するマックは我々のよく知っている“マック”とは無関係です。

ということで次回から一旦物語は現在(2018年)に戻ります。 












黒山監督ハピバ


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scene.52 阿佐ヶ谷レイン_面影


いせおじ・・・・・・復活


 東京。阿佐ヶ谷。

 

 新宿駅から各駅停車で10分少々の場所にあるこの街に広がっているのは、下町風情が残る商店街に、裏道に入れば所狭しと軒を連ねるアパートと一軒家という、山手線の外側に行けばどこにでもあるような東京の風景。

 

 

 

 こんな感じの雨降るありふれた街の片隅で、華と尋也が出会うことでhole(物語)は動き始める。

 

 

 

 「・・・3年ぶりぐらいか・・・ここに来るのは・・・」

 

 朝方からの雨が降る阿佐ヶ谷駅南口の光景を、憬は傘を差し駅前のロータリーから眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 遡ること約5時間前_

 

 「・・・・・・雨?」

 

 30年以上も前に姿を消した父親の“記憶(悪夢)”を見てしまったせいで一時的に歪められた思考回路を正そうとバルコニーの外に出て一服を始めたその瞬間、湿っ気の強い空気と共にペトリコールに似た匂いが微かに鼻についた。

 

 “・・・こんな時に・・・”

 

 それから10秒ほどで灰色の空から落ちてきた水滴が地上をはじく音が聴こえ始め、それは1分もしないうちに雨音に変わりすぐ先に見えるはずの都心のビル群(コンクリートジャングル)も靄がかかったかのように姿かたちが曖昧になっていく。

 

 「・・・こりゃあ今日は本降りだな・・・」

 

 雨による湿気で湿り始めた煙草を口に咥えたまま、憬は雨の降り出した都心に視線を送ったまま独り言を呟く。

 

 ただでさえ今までで一番“最悪な悪夢”を見たというのに、神様はほんの5分にも満たない“心の至福”すらも奪おうというのか。

 

 “・・・とにかく今は、憂鬱な悪夢をどこかへ吹き飛ばそうと思っていたのに・・・

 

 悪夢を見た後の憂鬱な気分を完全に消化できないいまま湿った煙草の火を消してリビングへと戻り、何の意味もなく絵画が真上に鎮座するソファーに座り、黒山に送った第一稿(プロット)のことを思い起こす。

 

 

 

 “『どうせなら直接会った時に感想を言いたい』”

 

 

 

 黒山が何を考え何を企んでいるのかは知らないが、恐らくこのような重要な話はメールや電話ではなく直接話したい程度のことだろうか。

 

 

 

 

 “『墨字はさ、これからどうすんの?』”

 “『旅に出る。カメラ1つで』”

 

 

 

 そうであるとしか現時点では言いようがない。

 

 だがいずれにしろ、その答えは翌日の酒の席まで平行線という状況だ。再来週からは制作会議を経て『hole』の映画化に向けた製作が本格的に始動するというタイミングながら、一方の“『二人芝居』”は道半ばで止まったままだ。

 

 

 

 この日、俺はもう二度と“ダブルブッキング”で仕事は引き受けないということを心に誓った。

 

 

 

 「・・・明後日までずっと雨か・・・」

 

 あれから3時間と少々シナリオと睨めっこをするも一向に続きが思いつかずただ時間を消費するのみに終わり、徐にスマートフォンをつけ天気予報をみれば、不安定な空模様は早くても明後日までは続くときた。もしこの予報が本当であるならば朝のランニング(ルーティン)すらもままならない。

 

 俺にとってルーティンを削がれるということは、一日の活動意欲にもモロに影響を及ぼす。もっと違う家の中でもできるようなルーティンでも考えろと言われたところで、役者だった頃から変わらず続けていて“人生の一部”と化しているルーティンを今更変えることなど、俺にはできない。

 

 “今日はhole(もう片方)に専念するか”

 

 3時間が経過しても“デッドストック(ゴミくず)”しか生まれないくらいなら、今日はもうやらない方が良い。『hole』も原型は既に出来上がっているとはいえ、ロケハンやオーディションなどの製作の過程でその都度細かなシナリオを変えていく必要もあるだろう。

 

 

 

 どちらかのために片方を蔑ろにすることなど、全くの論外だ。

 

 

 

 「さて・・・・・・どうするか・・・」

 

 憬はその場で1分ほど考え込んだ。そしてふとソファーから立ち上がり窓の外に広がる雨空と水滴の靄がかかった都心を眺めると、“ある場所”へと向かうことを決めた。

 

 

 

 「・・・・・・阿佐ヶ谷にでも行くか

 

 

 

 

 

 

 「・・・3年ぶりぐらいか・・・ここに来るのは・・・」

 

 そして俺は今、阿佐ヶ谷駅の南口にいる。ちなみに阿佐ヶ谷(この街)は高校時代に俺の住んでいた芸能コースの寮の最寄り駅がちょうど阿佐ヶ谷(ここ)にあったことから、仕事のない日は同じ寮に住んでいた気の合う俳優仲間と一緒に駅の周りや南口のアーケードを特に目的も決めず駄弁りながら歩き回りオフを満喫していた記憶が今でも薄っすらと残っていて、ここ数年は用が無かったので行けてなかったが、個人的に阿佐ヶ谷は何気に思い入れがあり今でも土地勘は残っている。

 

 “・・・確か寮があるのは馬橋公園の辺りだったか・・・今もあるんかな・・・”

 

 とはいえ最寄り駅の阿佐ヶ谷までは歩きだと10分以上はかかるような場所にその寮はある。立地的にはあまり恵まれた場所とは言えなかったが、芸能コース専用なだけあってセキュリティーは当時としてはかなりしっかりしていた記憶もある。

 

 “おっと危ない、今日はそれが目的じゃない”

 

 かつて住んでいた街を懐かしむ感情を、俺は降りしきる雨と共に地面に落とした。今日ここへ来た目的は、昔を懐かしむためではないからだ。

 

 

 

 「・・・とりあえず昼まで“ロケハン”がてらこの辺で時間を潰すか」

 

 ひとまず俺は、南口から青梅街道までの約700メートルを南北に貫くアーケード商店街(パールセンター)に歩みを進めた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺が今日、阿佐ヶ谷に来た本来の目的は『hole』のロケハンをする為だ。その理由は『hole』の作中で尋也のバイト先である喫茶店と、華と尋也が出会う公園のモデルになった場所がどちらも阿佐ヶ谷にあるからだ。そして今日の天候は雨。シチュエーションも含めて、ロケハンを行うには完璧な環境だ。

 

 先ずは目当ての1つとしている“喫茶店”に行く前に、阿佐ヶ谷に住んでいた頃に何度か歩いたアーケードをあの時と同じようにどこの店に入るでもなく、ただ歩く。

 

 “・・・何にも変わってないな・・・”

 

 平日昼前の時間帯もあって人通りはいつもと比べると若干少なめな気もするが、新旧様々なジャンルの店が所狭しとアーケードの中で軒を連ねている光景は、あの頃と全く変わっていない。

 

 俺にとっては特に行きつけの店だとかそういうのは一切ないからどこにどんな店があるかなどは気にも留めてなかったが、やはりここに来ると“役者だった頃”の記憶がふと蘇ってくる。

 

 「・・・アサガヤ・・・?」

 

 アーケードの中程まで進んだところで、ふと縦文字で“アサガヤ”とだけプリントされた白いTシャツが店頭に置かれているのが目に留まった。店の様子を見る限り一見するとただのどこにでもある商店街の衣料品店だ。

 

 “・・・そう言えば同じTシャツを・・・誰かが何かのドラマで着てたよな・・・?”

 

 思い出した。HOMEで主演の早乙女雅臣が劇中でこれと全く同じTシャツを着用していて、確かドラマの放送終了後に一時的にファンの間で飛ぶように売れたことをいつかのワイドショーが言っていた気がする。いま視線の先にある“アサガヤTシャツ”が本物か偽物(パチモン)かはともかく、そんな代物がこんなところに売られていたとは・・・

 

 「・・・安っ」

 

 割引なしの税抜き498円の値札を見て、思わず声が漏れる。徐に生地を確かめるためにTシャツを掴み取ってみると明らかに通気性が良く、品質自体は値段を考えればかなり高い。胴体部分にデカデカと縦に書かれた“アサガヤ”の四文字さえ気にしなければ、これは普通に“買い”だ。

 

 「それねぇ、意外と売れてるんですよぉ~。びっくりでしょ?」

 

 “アサガヤTシャツ”をじろじろと眺めていた俺に、店を切り盛りしているであろう5,60代ぐらいの女性が気さくな口調で話しかけてきた。別にこのTシャツを買う気は1ミリもないので、少しだけ恥ずかしい気分だ。

 

 「へぇ~そうなんですか」

 

 店主と思われる女性の言葉で、俺はもう一度Tシャツの全体像を見る。相当好みは分かれそうだが、デザイン自体は悪くはない。

 

 残念ながら俺の好みとはとても合いそうにないが・・・

 

 「他にもねぇ、色々あるんですよ~」

 

 すると店主は俺を店の中に案内して、いくつかのTシャツを俺に勧めて来た。確認できたものは“無地Tシャツ”に“TASMANIAN DEVIL(タスマニアンデビル)”、舌を出したカエルのイラストのものやキーゼルバッハ部位なる“超個性派”まであった。

 

 「あなたのような“ハンサム”なお兄さんがこういう服を着るっていうのもかえっていいかもしれないわね」

 「あぁ・・・そうですか。あと“ハンサム”は言い過ぎです」

 「こういうのを巷ではギャップ映え、いやギャップタグ、えーっと何だったっけな?何かそんな感じの若者言葉ってあったわよね?」

 「“ギャップ萌え”、だと思います」

 「あぁそうそれ、ありがとうねお兄さん」

 「いえ、全然(何だろう、全部が絶妙に惜しいところを突いてる気がする)」

 

 どうやら俺は、店主から“そっち系”のセンスがある人だと思われてしまったらしい。

 

 無論この店自体は至って普通の商店街にありがちな衣料品店で、こういったイロモノはあくまで一部のみである。きっと“個性派Tシャツシリーズ”は、“個性派店主”のちょっとした趣味のようなものなのだろう。

 

 「あともう一つ、これからの季節にオススメですよ~」

 

 そして間髪を入れずに店主は、“KOMODO DRAGON(コモドドラゴン)”という上下の横文字の間に可愛くデフォルトされた“コモドドラゴン”の顔がプリントされたニットを俺に勧めてきた。確かにこれからの季節においては、ニットはお勧めなのかもしれない。

 

 「もちろん全て、XLまでちゃんとありますよ」

 

 無論、俺はこの代物たちを買う気は全くない。だが店頭に堂々と商品として並べられているということは、ニッチではあるが一定の需要はあるということだろうか。

 

 「・・・どういう人が買っているんですか?」

 

 俺は失礼を承知で店主に聞いた。

 

 「そうねぇ~、やっぱりどちらかというと“物好きさん”が多いかしらね?」

 「あぁそうですか~(やっぱり)」

 「でも中にはこれが好きだって言って全種類を買った高校生の女の子もいたわね」

 「・・・高校生ですか?(女子高生でこれらを全部買うとは随分と攻めた奴だな・・・)」

 

 見るからにニッチな物好きが好んで買いそうな雰囲気はあったが、まさか女子高生でこの“シリーズ”を全部買う強者(つわもの)がいたとは。確かに値段は安いし品質も高いから“個性の強い”プリントデザインさえ気にしなければ普通に“買う価値”自体はある。

 

 まぁ家の中で部屋着として着る分には、中々に快適で寧ろベストなのかもしれない。

 

 「そう。最近は来てないけどこの辺りに住んでる子で1人ね」

 「・・・なるほど」

 

 しかもその女子高生は“ご近所さん”と来た。“地球は狭い”という言葉をどこかで何度か聞いたように、もしかしたら世間というものは自分たちが思っている以上に狭いものなのかもしれない。

 

 「しかもね・・・」

 

 すると店主は店内の客が俺しかいないことを見計らい、不意に耳打ちをしてきた。

 

 「まるで女優さんみたいに容姿が整ってて、スタイルもモデルさんのようにスラっとした“べっぴんさん”なのよ

 「・・・小声で話す意味はあるんですか?」

 

 正直、これらの服を買った高校生が美人であるかはどうでもいい。しかしずっと素通りしていただけのアーケードの中に、こんな“個性的”な店があったなんて今まで全く気が付かなかった。

 

 「あんな可愛い子が好き好んでこういうのを買うってこと自体が珍しくて、私も思わず最初に“これください”って私に言ってきたときには“ほんとにこれでいいの?”って聞いちゃったよ」

 「あ~はは、そうなんですね(一応変わってるっていう自覚はあるのか・・・)」

 

 決して広いわけではない店内にはオーソドックスな洒落た服からこういった個性派までが無秩序に鎮座し、店に入ればフランクで個性派な女性店主(おばさん)がお出迎えする。世の中の流行りに乗っている感じではなさそうだが、いかにも地元住民から長く愛されていそうな店だ。

 

 その気になれば、この店のエピソードだけで短編の1つくらいは書けそうな気がしなくもない。

 

 

 

 “・・・いっそのことシナリオの一部にこの店のエピソードの1つでも取り入れてみるか・・・?

 

 

 

 なんて呑気なことを、気が付くと俺は考え始めていた。

 

 「その時になんか“面影”があるな~って感じてさ、名前も聞いちゃったのよ」

 「へぇ~」

 「そしたらちょっと前までうちの店によく来てくれた夜凪さんの娘さんの景ちゃんだったのよ~、ついこの間まではこんなに小っちゃくて可愛かったのにあんな“べっぴんさん”になっちゃって、私も年甲斐もなく盛り上がって色々と話したわ・・・って、こういう世間話を言われてもお兄さん困るわよね?」

 「・・・・・・夜凪

 

 店主の言った女子高生の名前が耳に入り、俺は一気に現実へと引き戻された。恐らくこれらの服を買ったのは間違いなく“”だ。そして景は小さい頃はこの店に母親と一緒によく服を買いに訪れていた。

 

 

 

 “じゃああの靄の正体は夜凪景の母親ということか?

 

 

 

 「・・・もしかしてお知り合いの方で?」

 

 感情(それ)が思いっきり顔に出ていたのだろうか、店主が俺にそう声をかけた。

 

 「いや・・・」

 

 ここで俺は反射的に“夜凪とは会ってすらいない”ことを正直に話そうとして踏み止まった。

 

 

 

 “『真剣よ!!味見してみる!?』”

 “『ねぇ千世子ちゃん、じゃなかったカレン?ここが噂の・・・何だっけ?』”

 

 

 

 「・・・・・・実は僕・・・夜凪景さんの“親戚”でして・・・」

 「・・・あらまっ」

 

 俺は咄嗟に“夜凪景の親戚”であるという設定の芝居で嘘をついた。すると案の定、ものの見事に嘘を真に受けた店主は右の掌で口元を抑えて驚いた様子(リアクション)を見せる。

 

 「・・・ただ本当に小さい時にしか会ってなかったので全然近況とかも知らないのですが、この辺りに住んでいると聞いてちょっと驚きました」

 

 さすがに最初からどの辺りに住んでいるかを聞くと怪しまれるので、当たり障りのない範囲で誤魔化す。あんまり表立つような真似はしたくはなかったが、目の前にいる店主が夜凪のことを知っていることが分かった以上、情報を聞く以外の選択肢はない。

 

 

 

 “・・・全ては夜凪(彼女)の感情に覆い被さる靄の正体を突き止めるためだ・・・

 

 

 

 「景ちゃんとはどういう関係で?」

 「あぁ・・・え~っと、簡単に言うと“三従兄弟(みいとこ)”なんで親戚といっても滅茶苦茶遠いです」

 

 我ながらよく咄嗟にこの設定が出たなと脳内で感心しつつ、第一関門をくりぬけた。

 

 「・・・あらそう~・・・でも親戚なだけあって少しだけ面影があるような気がするわ・・・あぁいらっしゃい」

 「・・・そう、ですかね?(思いっきり赤の他人なんだけどな・・・)」

 

 俺の顔をまじまじと見ながら私情を交えてそう言うと、店主は店に入った別の客に声をかける。

 

 「・・・元気そうでしたか?景ちゃんは?」

 

 どうやら店主曰く、俺は夜凪と親戚なだけあって少し似ているらしい。無論、俺と夜凪は血の繋がりはおろか親戚ですらないため、顔が少し似ていることはともかくそれは全くの見当違いだ。

 

 しかし、偶然立ち寄った店の常連がまさか夜凪だったとは。これは思わぬ収穫だ。

 

 「えぇ、変わらずお元気ですよ。3,4年くらい前にお母さんが亡くなられてからはお母さんに変わって女手一つで下の弟さんと妹さんの面倒を見ているらしくて、もう本当にお母さん似の健気で優しい美人さんになりました」

 「・・・・・・そうですか」

 

 更に夜凪の母親が既に亡くなっていて、今では夜凪が死んだ母親に代わって長女として弟妹(きょうだい)の面倒を見ているという割と衝撃的な事実を店主はさり気なく俺に打ち明けてくれた。

 

 

 

 “・・・もしや、夜凪はあの時弟妹のことを思って・・・

 

 

 

 それと同時に、あの靄の正体が少しだけ鮮明に視え始めた感覚が走った。

 

 「あの・・・・・・なんで僕なんかにここまで教えてくれるんですか?」

 

 もちろんこうして思わぬ有益な情報が手に入ったことは嬉しい誤算だが、親戚と嘘をついていながらもここまで赤の他人である俺に詳しく話されると、逆に不安になる。

 

 「・・・・・・上手く言葉にはできないけど、何となくお兄さんには“景ちゃん”の面影があるのよ。例えば目とか鼻のあたりとか」

 「・・・そんなに、似てますか?」

 「私はそう思うわ。やっぱり親戚だからかしらね?」

 「・・・・・・はぁ」

 

 “俺が夜凪の親戚”なのを良いことに思った以上に心を開いて話しかけてくる店主に、思わず押され気味になる。やはり親戚という設定は少しばかりやり過ぎたかもしれない。

 

 にしても、そんなに俺と夜凪の顔は似ているのだろうか。

 

 「あの、お手洗いはどちらにありますか?」

 「あぁトイレですか、トイレはそこを突きあたったところですよ」

 「はい、ありがとうございます」

 

 店主に断りを入れ、俺は店のトイレへと入る。それなりに年季は入っていそうな雰囲気だが、清掃はキチンと行き届いていて中身は清潔そのものだ。きっとちゃんとやるべきところは徹底してやっているのが、この店が長く続いている理由なのだろう。実際そうなのかは知らないし、正直どうでもいいことだが。

 

 もちろん俺はここで用は足さず、洗面器の上に設置された鏡に映る自分の顔とスマートフォンの中にある百城から送られてきた夜凪の写真を見比べる。

 

 「・・・・・・似てな・・・くはないか・・・?」

 

 店主の言っていた通り、確かに目元や鼻のラインは自分で言うのもアレだが似ていると言われれば似ているのかもしれない。

 

 “・・・・・・でも言うほどか?”

 

 でもこの程度の“そっくりさん”なんて探せば幾らかはいるだろう、程度にしかやっぱり似ていない。

 

 “そりゃあ、所詮は他人だからな”

 

 結局俺はトイレで1分ほど時間を無駄に消費して、手だけを洗いすぐさま店内に戻った。

 

 

 

 「先ほどはごめんなさいね、色々と話しかけてしまって」

 「いえいえ、とんでもないです」

 

 店内に戻ると、カウンターに戻った店主が少しばかり申し訳なさそうな口調で俺に一言だけ声をかける。店の中を見渡す限り、俺が店主と話している間に入ったもう一人の客は既にこの店を後にしたようだ。

 

 “・・・仕方ない・・・買っておくか・・・”

 

 正直言って自分の好みからは逸れているが、夜凪がこの近辺に住んでいることや家族の話も聞くことが出来た個人的なお礼として、俺は“アサガヤTシャツ”のLサイズを買うことにした。

 

 「・・・本当にこれでいいの?」

 「はい」

 

 そもそも俺の好みに合わないというだけで別にデザインは悪くはなく、実用性は高そうだから買う価値は十分ある。

 

 着るかどうかは別の話だが。

 

 「ちなみに景ちゃんのところへ挨拶に行くなら、北口のほうにある中央公園と馬橋公園のちょうど真ん中ぐらいのところに家があるから」

 「・・・あぁ、そうなんですね」

 

 そして店主曰く、夜凪の家は阿佐ヶ谷の北口側にあるらしい。一時期住んでいたことも幸いしてか、それがどの辺りのことを指しているのかは割とすぐに分かった。

 

 「景ちゃん本人がそう言ってたから、間違いないわ」

 

 俺はここでまた一つ、重要な情報を手に入れた。しかしながら、幾ら相手が“常連さんの親戚”と思い込んでいるとはいえ、ここまで“見ず知らずの赤の他人”に他の家族のことを話してしまうこの店主に危機管理能力の概念はあるのだろうか。

 

 “このままだとあなた、間違いなく詐欺に遭いますよ”

 

 と、思わず注意しそうになってしまうくらいには心配だ。

 

 「はい、ありがとうございました」

 

 千円札を差し出してお釣りと袋に入った“アサガヤTシャツ”を受け取り、俺はすぐさま“夜凪家”のほうへと向かう。

 

 本当は別の目的(ロケハン)でこの街に来たのだが、今は後回しにしたほうが良さそうだ・・・

 

 

 

 “・・・3,4年くらい前にお母さんが亡くなられてからはお母さんに変わって女手一つで下の弟さんと妹さんの面倒を見ているらしくて・・・

 

 

 

 店を後にしようと出口の方角へ振り向いた瞬間、1つだけ大事なことを聞き逃したことに気が付き、俺は咄嗟に店主へ声をかけた。

 

 「・・・そう言えば景ちゃんのお父さんは今、どうされているかは知ってますか?」

 「・・・どうして?」

 

 さすがにこの質問はまずかったか。ここまで危機感ゼロだった店主が、初めて俺に疑心の視線を向けた。

 

 「・・・いや・・・なんか風の噂だと結構家を留守にしていることが多いとか・・・そういう噂話もあってとにかく個人的に景ちゃんが心配で・・・(さっきから俺はいったい何を言っているんだ・・・)」

 

 とりあえず夜凪が“女手一つで弟妹の面倒を見ている”というワードと“何故か話題に一切上がらない父親”の存在だけを頼りに、即席(アドリブ)で父親の人物像をでっち上げた。外れたとしても、あくまで噂で乗り切ればどうにかなるだろう。

 

 

 

 “とは言うものの、やはり外れる予感しかしない

 

 

 

 「・・・そうなのね・・・・・・実は私も景ちゃんのお父さんの話は全然聞かないから、そこだけはよく分からないのよ・・・この店に来るのも景ちゃんとお母さんだけで、お父さんは一度も顔をみせたこともないし・・・」

 「・・・そうなんですね」

 

 どうやら俺がでっち上げた人物像は、幸いにもあながち間違いではなかったようだ。

 

 考えてみれば当たり前だ。まずあれぐらいの年頃の少女に弟妹の世話を押し付ける親なんて、やむを得ないよほどの事情がない限り変な噂が立つのは避けられないだろう。

 

 「すいません、変なことを聞きました。失礼します」

 

 とにかくこれ以上聞き込んでも無駄足になるのは目に見えているため、俺は今度こそ店主の言っていた場所へ向かおうと再び出口へ歩みを進める。

 

 「景ちゃん・・・きっと喜ぶと思うわ。お兄さんが来たら

 

 そんな俺の背中に、店主の嬉しそうな声が刺さった。

 

 「・・・・・・はい。喜んでくれるといいですね

 

 

 

 その言葉にどういうわけか、俺はほんの一瞬だけ“罪悪感”に似た感情を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 店を出た憬は、来た道を戻るように阿佐ヶ谷駅の北口を目指してアーケードを歩く。

 

 

 

 “『・・・・・・上手く言葉にはできないけど、何となくお兄さんには“景ちゃん”の面影があるのよ。例えば目とか鼻のあたりとか』”

 

 

 

 “・・・普通に最後まで騙せてたな、俺・・・”

 

 俺は咄嗟に、他人の前でひと芝居を打った。もちろんそこにカメラもなければ客席もない。いや、厳密には芝居というよりは“親戚”を偽って人を騙しただけの詐欺まがいの行為だから、褒めたようなものではない。

 

 

 

 “『やっぱり親戚だからかしらね?』”

 

 

 

 でも店主が俺に向けたあの眼は、明らかに俺のことを“景ちゃん”の親戚だと信じ切っていた眼だった。血が繋がっていないどころか親戚ですらない赤の他人だというのに、何の疑いもなく普通に俺のことを親戚だと信じていた。

 

 

 

 “・・・もしかしたら俺って・・・意外とまだまだやって行けんのかな・・・

 

 

 

 「・・・!?」

 

 無意識に役者として芝居をする今の自分の姿を想像してしまい、そんな自分に思わず驚く。何でこんなことを不意に思ってしまったのか、自分でも分からない。もしもさっきの店主のことを思い浮かべて舞い上がってしまっただけだとしたら、あまりに滑稽な話だ。

 

 

 

・・・俺は何を考えているんだ・・・・・・もう芝居なんかやらないと心に誓ったはずなのに・・・

 

 

 

 心の中に突如として芽生えた“邪念”を捨て去ると目の前には南口の駅前と中央線の高架が広がり、本降りだったはずの雨も幾分か小降りになっていた。




※拙作はほんの暫しの間ですが、休載(サマーブレイク)とさせていただきます。


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scene.53 阿佐ヶ谷レイン_逢


本当は20時にスピンオフと同時公開する予定でしたが、チンタラ添削してたらギリギリになりました。ほぼ月曜みたいな時間帯ですが、お許しを。


※9/5追記:突然ですが、活動報告にて今後の方向性についてお伝えしたいことを書きましたので、よろしければご覧ください。

※9/30追記:今後の展開を考慮して誠に勝手ながら一部の内容を変更しました。


 午前11時過ぎ。アーケードの真ん中辺りにある店で夜凪景にまつわる有力な手掛かりを手に入れた憬はそのお礼として買った“アサガヤTシャツ”の入った袋を左手に持ちながら、右手の傘で小振りになった雨を凌ぎ阿佐ヶ谷中央公園へと先ずは歩みを進めていた。

 

 

 

 “『3,4年くらい前にお母さんが亡くなられてからはお母さんに変わって女手一つで下の弟さんと妹さんの面倒を見ているらしくて、もう本当にお母さん似の健気で優しい美人さんになりました』”

 

 

 

 もしかしたらCMの(あの)時、夜凪は弟妹のために“笑って”いたのだろうか。きっとあんな感じで自分の子供に笑いかけれる母親だったとしたら、その死は残された子供にとっては計り知れないくらい悲しい出来事だろう。夜凪景(彼女)も、下の弟妹もきっと悲しみに泣き暮れたことだろう。

 

 そんな泣きじゃくる弟妹を笑顔にしたくて、母親がよく作ってくれたカレーを作ろうとした日のことを、彼女なりに思い出して演じていたのだろう。

 

 きっとあのメソッド演技のバックボーンには“家族の存在”がいる。そして夜凪にとっては家族こそが“芝居の原点”と言える。

 

 

 

 “・・・って、全てを決めつけるにはまだ早いか・・・

 

 

 

 そうやって色々と頭の中で考察を練っているうちに、最初の目的地として目指していた中央公園に着いた。高校時代に住んでいた寮が阿佐ヶ谷にあったこともあり、この辺りの地理はマップを見なくとも大まかには覚えている。

 

 “といっても、どこにあるんだ?”

 

 店主の言っていた“中央公園と馬橋公園の真ん中あたり”というかなり抽象的な説明だけでは、正直分からない。さすがにまだ残っている土地勘だけでは限界を感じたスマートフォンでマップを開いて地図を確認すると、一応周れないことはないくらいの範囲ではあるが、全部を周るとなれば低く見積もっても軽く1時間コースだろう。

 

 “・・・そういや黒山のスタジオ大黒天(事務所)って、確かこの辺りにあったよな・・・”

 

 ふとそんなことが頭の中によぎった俺は、雨に濡れる公園の中でスタジオ大黒天をマップ上で検索する。

 

 「めっちゃ近所じゃん・・・」

 

 まさかの中央公園から徒歩3分という表示に、思わず独り言が漏れた。そして次の瞬間、“雨の降りしきる白昼の公園の中でアラサーの男がこんなところで何をやっているんだ”という羞恥心に似た感覚が襲って来た。

 

 “・・・行こう”

 

 我に返った憬は、ひとまず中央公園を後にした。

 

 

 

 

 

 

 “・・・とりあえず今のところはなしか・・・”

 

 先ずは中央公園から馬橋公園にかけての最短ルートを歩いてみたが、夜凪という表札の家は一軒もなく、雨という天候と昼前という時間帯が災いしてか誰ともすれ違わなかった。

 

 “・・・黒山にでも聞いてみるか・・・?”

 

 ひとまず馬橋公園に着いた俺は、恐らく夜凪の連絡先や住所を知っているであろう“彼女の雇い主でもある”黒山に連絡をかけようとした。

 

 “・・・聞くほどのことじゃないな・・・”

 

 だが寸でのところで、こんなことで電話やメールをするのも馬鹿馬鹿しいと感じ開いていたトークアプリを閉じてスマートフォンをスリープにする。そして俺は馬橋公園での“ロケハン”を後回しにして、夜凪家を探しに再び雨が降りしきる阿佐ヶ谷の住宅街を歩く。

 

 現時点での唯一の手掛かりは、店主の言っていた抽象的な場所だけだ。ここまで歩いてみた限り、常連ではあるが“ご近所さん”というわけでもないから、ざっくりしているのは当然のことなのかもしれない。

 

 “・・・おいおい・・・”

 

 住宅街の路地を再び歩き周り始めて5分。ここに来て阿佐ヶ谷に着いてからはパラつく程度だったはずの雨脚が、再び強くなり始めた。

 

 “一旦あの喫茶店に行って雨が弱くなるのを待つか・・・その間に黒山から返信が来れば後はそこに向かうだけだしな・・・”

 

 別に急ぎというわけではない。そもそも最初は別の用事のために阿佐ヶ谷(ここ)へ来たようなものだ。本来であれば一軒ごとの表札を目で追いながら住宅街を彷徨っているこの状況は、全くの予定外のことだ。

 

 “ていうか俺、傍から見たら絶対怪しいよな”

 

 少なくとも、現時点でいま俺がやっていることはほぼ“不審者”そのものだ。という考えが頭の中をよぎる。

 

 “これは一旦・・・本気で頭を冷やさないと駄目かもしれないな”

 

 目の前に“ヒント”が転がっていると、つい我を忘れて入り込み過ぎてしまう幼少期からの悪い癖。この悪い癖に俺は生かされ、そして殺され、また生かされ、その繰り返し。

 

 

 

 “・・・その苦しみから解放されたくて芸能界(あの世界)から離れたというのに、結局現実は大して変わっていない・・・

 

 

 

 振り返ってみると俺の人生はずっと“それ”に翻弄され続けていた。そしてこれからもその根底は変わらず、俺を苦しめ続けることだろう。

 

 “・・・って何で俺はいきなり “役者だった(あの頃)”頃と今を比べているんだ・・・”

 

 雨が強くなるのと比例して、自分でも制御しきれないような予期せぬ感情に気が付くと俺は何の前触れもなくいきなり浸っていた。

 

 あぁ駄目だ。やっぱり今日はこんなところに来るべきではなかった。雨が降っているから物語の中にいる華と尋也が見た景色を確かめようとここに来てみたが、こんな過去(思い)に苛まれるくらいなら来るべきではなかった。

 

 

 

 “『景ちゃん、きっと喜ぶと思うわ。お兄さんが来たら』”

 

 

 

 そう言って励ましてくれた店主には申し訳ないが、俺はもう二度とこの街に足を踏み入れることは・・・

 

 

 

 

 

 

 「何か探しているのか?

 

 ふと後ろから少し低めな男の声が聞こえ、俺はその声のする方へと振り向く。

 

 「・・・えっ?」

 

 正直、今の状況を把握することが出来ず反応が少しばかり遅れた。ていうか、何で俺はこんな雨降る住宅街の路地を傘と何かの商品が入った袋を持って歩いているんだ?

 

 「道にでも迷ったのかい?お前さん?」

 

 振り向いた先にいた長袖のランニングウェアを着た俺とほぼ同じくらいの背丈の初老の男の言葉で、俺はようやく状況を把握した。

 

 「・・・実は、夜凪さんのお宅に少しだけ御用がありまして、この辺りに住んでいるとは聞いているのですがどこなのか分からなくて」

 

 そうだ、俺はアーケードの衣料品店の店主から夜凪がこの辺りに住んでいるということを聞かされ、彼女の家を探していたところだった。

 

 「そうか。いやぁ何か随分と道に迷っているように見えたからつい声をかけてしまったよ」

 「・・・そうですか。何かすいません」

 

 しかも俺はどうやら傍から見れば完全に“道に迷っている”人のように映ってしまったらしい。もちろんそんな自覚はないが、どういう訳か馬橋公園からここで爺さんから話しかけられるまでの記憶が曖昧だ。

 

 

 

 “もしや俺としたことが、“完全に我を忘れていた”ということか・・・?

 

 

 

 「いやいいんだ。ただお前さんの返答次第じゃこのまま警察に相談しようかと思ってたけどな」

 「それは勘弁してください(マジで危なかったな俺)」

 「冗談だよ、ホラ笑え」

 「いや、今のは冗談でも笑えないです」

 

 とりあえず目の前の男が中々に癖が強そうなのは置いておいて、最悪な事態は避けることができたようだ。

 

 「でもこんな雨の中出歩いて大丈夫ですか?」

 「それはお前さんもだろ?」

 「・・・確かにそうですね」

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら言葉を返すと、自分でも“どの口が言っているんだ”と言いたくなるような言葉が漏れて、初老の男は少しばかり心配気味に“当たり前のこと”を俺に返してきた。そりゃあそうだ、こんな雨の中たった一人で見ず知らずの住宅街を彷徨いながら歩く奴が、何を言っているんだ。

 

 「・・・え~っと・・・すまん何だっけ?」

 「あぁ、実は夜凪さんのお宅に少しだけ御用があるのですが場所が分からなくて・・・」

 「いやすまん。生憎俺は阿佐ヶ谷(ここ)の人間じゃねぇからこの辺りのことはよく分からん」

 「そうですか・・・すいませんありがとうございます」

 「わるいな。力になれずに」

 「いえ、とんでもないです」

 

 そして有益な情報も、得られることはなかった。

 

 「気ぃ付けろよお前さん」

 

 ランニングウェアを着こなした初老の男は俺に一言そう言うと、そのままきちっとした足取りで目の前に広がる狭い十字路を真っ直ぐに歩いて行った。

 

 “・・・にしてもいまの人どこかで・・・”

 

 そんな男に俺はどういう訳か既視感を覚えたが、すぐに勘違いだと判断して俺は目の前の十字路を左へと曲がった。

 

 しかし、この近辺に住んでいない人が、こんなところを果たして歩くのだろうか。

 

 傘以外は何も持っていなかったあたり、少しだけ長めのジョギングでもしていた途中だったのだろうか。

 

 “・・・って、俺もか”

 

 考えてみれば、さっきの人からしてみれば俺も似たようなものだ。こんな下らない議論にすらならない日常の一コマなど、考えるだけ無駄だ。

 

 

 

 “・・・ん?

 

 

 

 と、頭の中で特にオチのないどうしようもないことを考えていたら、不意に自分から見て斜め左側にあった一軒家が目に入った。

 

 “随分とボロい家だな・・・人住んでんのか?”

 

 新しくはないが比較的に綺麗な白い壁の家に挟まれるように鎮座する、推定築50年以上は経っているであろう2階建ての木造建築の一軒家。家の周りの整理はお世辞にも手入れが行き届いているとはいえず、1階の玄関口から下屋根にかけて無造作に雑草が生い茂っていて周辺のきちんと整理された家も相まって異彩を放っている。

 

 正直、首都直下の大きな地震が来たら耐えられる保証がなさそうなのは外見を見ただけで明らかだ。

 

 “・・・空き家、じゃなさそうだな・・・”

 

 売り物件の看板もなく、玄関先のポストにはチラシのようなものも入っていることから、恐らくここでは人がまだ生活している。

 

 “まさかな”

 

 俺はそのまま流れ作業の如く、引き戸の玄関先に掲げられている表札に目を通す。

 

 “・・・嘘だろ・・・”

 

 俺は自分の目を疑い、もう一度その表札に目を通した。

 

 

 

 “・・・夜凪・・・

 

 

 

 どうやらここが、夜凪景(彼女)とその弟妹が三人で暮らしている家のようだ。まさかここまであっけない感じで目当ての場所に辿り着けるとは思ってもみなかった。

 

 全く、今日は運がいいのか悪いのかが分からない。

 

 “さてと、着いたはいいけどここからどうする?”

 

 そして夜凪家に辿り着いたはいいが、よくよく考えてみればそれが何になると言うのだろうか。彼女の家が分かった。それで彼女の感情にかかった靄が晴れるなら、とっくに続きは思いついているはずだ。

 

 だがどうだ、家に着いたところで何が分かった?その答えは何も分からないままだ。

 

 

 

 “・・・やはり靄を払うには・・・直接会えってことか・・・

 

 

 

 直接会うにしても、どうやって会えばいいのだろうか。そもそも墨字は何らかのコネを使いスターズのオーディションに“忍び込んで”夜凪を自分も元に呼び込んでいる。だが今の俺にはそんな力はない。

 

 “いっそここで“待ち伏せ”るか?”

 

 いやそれは一番駄目だ。仮にここで待ち伏せて話を聞くとしたら、それこそ変質者として捕らえられて今度こそ社会的に抹殺されるだろう。相手が学生であることを考えれば尚更だ。

 

 “・・・仕方ない・・・黒山(あいつ)に直接“会わせてくれないか”と言うか・・・”

 

 本当は明日に控える酒の席で直接言おうと思っていたが、いずれ言うならいま言っても一緒だろう。

 

 雨の降る中、俺は他人(ひと)の家の玄関前でスマートフォンを開き、黒山の連絡先に電話をかけようとした。

 

 “・・・ていうか、何で俺は中に誰も人が居ないと決めつけているんだ・・・?”

 

 俺は再び寸でのところで黒山へ連絡するのを止め、スマートフォンをスリープにする。無論、弟妹は時間帯を考えると学校に行っていて、夜凪も学校かあるいは稽古にでも行っていることだろう。

 

 

 

 “『実は私も景ちゃんのお父さんの話は全然聞かないから、そこだけはよく分からないのよ・・・この店に来るのも景ちゃんとお母さんだけで、お父さんは一度も顔をみせたこともないし』”

 

 “『3,4年くらい前にお母さんが亡くなられてからはお母さんに変わって女手一つで下の弟さんと妹さんの面倒を見ているらしくて』”

 

 

 

 問題は父親だ。店主はそう言っていたが、何も全く帰って来ていないとは限らない。

 

 弟妹の世話を長女に任せているような父親が、ある日突然なんの前触れもなくいきなり子供たちの前に現れるなんて話は、小説やドラマ(フィクション)の中だけじゃなく現実でも起こり得る話だ。

 

 

 

 “二度あることは三度ある・・・か・・・

 

 

 

 そんな感じでやや楽観的に、俺は玄関の引き戸に“手をかけた”。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・えして・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「!!?

 

 次の瞬間、脳内にナイフを直接ぶっ刺されたような今まで感じたことのない強烈な痛みが頭に襲い掛かる。俺は咄嗟に傘と袋を手放して家の引き戸に寄りかかり呼吸を整えようとするがあまりの痛さに呼吸をすることもままならず、寄りかかろうと意識を身体を動かし始めた時には既に、俺の身体は地球の引力に吸い寄せられるかのように地面へと叩きつけられていた。

 

 “・・・身体が動かねぇ・・・

 

 激しい痛みの中で倒れたことを理解した俺は全身の力を使って立ち上がろうとするが、地面に倒れたこの身体は鉛と化して微動だにせず、力という力が全く入らないばかりか意識すら曖昧になり始めた。

 

 

 

 “それにしてもさっきの“光景”は・・・一体なんだ・・・?

 

 

 

 

 

 

 気が付くと俺は、目の前の引き戸を開けて中に入っていた。さっきまでの頭痛は嘘のように引いていた。

 

 

 

 俺は迷うことなく2階にある寝室へと歩みを進めた。一度も入ったことすらないはずなのに、なぜかこの家の間取りを怖いくらいに覚えていた。

 

 

 

 いや、違う・・・俺は・・・・・・俺は・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・返して・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「ッ!!ァァァァッ!!

 

 再び激しい頭痛が襲い掛かり、現実に引き戻される。たった今まで見ていた景色を思い起こそうにも、あまりの痛みでそれどころではない。もういっそのことこのまま“ラク”になりたい。そう思ってしまうほどの激しい痛みで身動きは一切取れず、おまけに呼吸をするのもしんどくなってきた。

 

 

 

 “・・・知らない・・・こんな“記憶”・・・・・・俺は知らない・・・

 

 

 

 

 

 

 2階の寝室に入ると、そこには(あい)の遺骨を前に茫然としたまま力なく座り込んでいる景がいた。

 

 

 

 違う・・・・・・これは違う・・・これは違うこれは違うこれは違うこれは違うこれは違う

 

 

 

 「お母さんを返してッ!!!

 

 

 

 

 

 

 やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・憬さん?

 

 「・・・・・・!?

 

 耐え難い頭痛の中で聞き覚えのある声が耳に入り、は現実に引き戻された。

 

 「・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・」

 

 乱れていた呼吸を整えながら、俺は手足に少しずつ力をいれながら慎重に起き上がる。さっきまでの頭痛は、嘘のように引いていた。

 

 「憬さん・・・・・・大丈夫ですか・・・?

 

 ゆっくりと立ち上がり声のするほうへ意識を向けると、そこには4年前に死んだはずの(あい)がいた。

 

 「・・・逢・・・・・・生きていたのか・・・

 

 雨に濡れたの身体を、は優しく包み込むように抱きしめる。

 

 「・・・会いたかった・・・・・・憬さん・・・

 「・・・・・・あぁ・・・僕もだ

 

 久しぶりに感じるのぬくもりに安心したのか、猛烈な眠気が突如としてを襲う。

 

 

 

 

 

 

 「・・・ごめん・・・僕もう疲れたから、ちょっとこのまま横にさせてもらうよ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピッピッピッ_

 

 「・・・・・・ん~・・・・・」

 

 午前5時30分(起床時間)を告げるスマートフォンのアラームが深層心理に入り込み、ゆっくりと身体を起こしながらスマートフォンのアラームを止める。久しぶりに旧友と酒を飲んでリフレッシュできたからだろうか、今日はいつもに増して疲れが取れたような感覚がある。

 

 映画鑑賞でも何でも一人で楽しめればそれでいいと言う意識は覆らないが、偶にはこういうのも悪くはないのだろう。

 

 “それにしても、何だか今日は随分とな夢を見た気がする”

 

 「・・・・・・何だったんだ?・・・今の・・・」

 

 夢から覚めて数十秒、意識が現実へと完全に引き戻された瞬間、俺はたった今まで見ていた夢が何だったのかを思い出そうとしたが、全く思い出せない。

 

 それが過去の夢だったのか、あるいは違う何かだったのかすらも全く思い出せないが、どういう訳か既視感だけはあった・・・・・・ような気がしなくもない。

 

 “・・・・・・痛くはない・・・・・・”

 

 1つだけ確かなのは一昨日に見た父親(あいつ)の夢と同じく頭痛は襲ってこなかったということ。

 

 “・・・もしかして今までの痛みも単なる偶然だったのだろうか・・・”

 

 そう思い込んだ俺は、一昨日に過去の夢を見た朝と同じようにリビングに飾られた絵画の前で小説家の男のことを思い浮かべようとするが、やはり出てこない。

 

 “・・・いっそ思い出せないならこのままにしておくか・・・”

 

 そもそもの話、夢にも一度しか出てきておらず、“あの言葉”以外に思い出せる気配のない小説家の男を必死に思い出そうとしていること自体が時間の無駄なのかもしれない。

 

 “・・・雨か・・・”

 

 そして取りあえずいつものルーティンを済ませようとバルコニーの外を眺めるが、生憎なことに今日もまた本格的な雨ときた。どんよりとしたダークグレーに染まる空を見る限り、天気予報を見なくとも今日は一日中太陽が姿をちらつかせることはないのが見て取れる。

 

 “これで3日連続だ”

 

 これはもしかすると、こんなくだらないことで悩んでいないでさっさと映画に向けたシナリオを書けという神様からのお告げのようなものかもしれない。それにもしもこれで原因不明の頭痛から解放されたと考えれば、悲観することなんて何一つない。

 

 とりあえず俺は気分を一旦リセットさせるためにバスルームの扉の向かいにある洗面所で顔を洗い、再び昨日のことを思い起こす。

 

 

 

 “それまでずっと料理を作ってくれてた人が突然いなくなって、弟妹が毎日泣いてて、私は2人に笑って欲しくてお母さんがよく作ってくれたカレーを作ろうと思って・・・包丁なんて初めて持ったから、2人とも心配そうに私を見ていて・・・・・・とても痛かったけど2人が泣くといけないから、笑ってごまかしたの・・・・・・

 

 

 

 黒山から夜凪の抱えている事情を聞いた瞬間、あの日の撮影で彼女が抱えていた感情の正体がようやくハッキリと視えた。夜凪家の弟妹にとって彼女は、“たった一人の姉でありもう一人の母親”でもあるのだ。

 

 そして残った父親は家を捨てて何処かで行方をくらましていながらも、実の子供に対する最低限の愛情を送り続けている。無論たったそれだけの罪滅ぼしぐらいじゃ、親子の間にできた溝など埋められるはずはない。

 

 “・・・家族か・・・”

 

 それでも、どんな形であれど“家族”が存在するということだけでも十分幸せなのかもしれない。

 

 

 

 “でも・・・そんな夜凪(彼女)でも弟妹のことを疎ましく思ったことが、一度くらいはあるのではないか?

 

 

 

 冷静になって考えてみれば、彼女はまだ17歳の女子高生に過ぎない。10代の青春真っ只中で部活や恋もしたいであろう年頃のはずなのに、残された弟妹(きょうだい)のせいで大人になることを強いられているようにも見えてしまう。

 

 

 

 “『どうして私だけ?』と思いながら眠りに就いた夜だって、何度かあってもおかしくはないはずだ・・・

 

 

 

 それでも夜凪は弟妹のことを邪険にはしなかった。そうしなければカレーを焦がした時に魅せた“あの微笑み”はできない。彼女を救ったのは芝居であると共に、かけがえのない弟妹(かぞく)の存在も大きいことだろう・・・

 

 

 

 “・・・この関係性をもっと深くまで掘り下げていけば・・・

 

 

 

 この瞬間、八岐灯夏の背景(バックボーン)と心に抱える闇の原形が出来上がった。さて、ここからこいつをどうやってシナリオに落とし込んでいくか・・・・・・

 

 “・・・チケット・・・”

 

 ふと俺は、黒山から銀河鉄道の夜(舞台)の初日分のチケットを貰い受けていたことを思い出した。

 

 

 

 “『夜凪はあのCMの時からは比べ物にならないくらい成長している。しかもその過程で手前の中に知らない自分がいるということに気付いちまったからな。メソッド以外の武器を手に入れんとする今のアイツは、誰が立ちはだかろうともう止まらねぇよ』”

 

 

 

 夜凪の芝居は今この瞬間にも確実に進化し続けている。恐らく・・・いや、間違いなく今の彼女とシチューを焦がした彼女は全くの別人に思えてしまう程に変貌を遂げていることだろう。そしてそれは舞台の本番を迎える頃には、更なる進化を遂げているはずだ。

 

 “やはりシナリオを本格的に煮詰めていくのは、夜凪のカムパネルラを観てからの方がよさそうだ・・・”

 

 何故なら俺は、まだ母親を亡くして毎日のように泣いていた弟妹のためにカレーを作る夜凪の感情しか知らない。デスアイランドや巌裕次郎の舞台を体験した彼女の感情を、まだ知らないからだ。

 

 それに、『hole』の脚本も残っている。原型が既に出来上がっているとはいえ、来週行われる製作会議に加え今後行うことになるであろうロケハンやオーディション次第でその都度細かなシナリオを変えていく必要もあるだろう。

 

 どちらかのために片方を蔑ろにすることなど、全くの論外だ。

 

 

 

 「さて・・・・・・どうするか・・・」

 

 1分ほど考え込んだ末、3日目の雨空を窓越しに眺めた憬は実際に『hole』の舞台にもなっている“ある場所”に向かうことを決めた。

 

 「・・・・・・阿佐ヶ谷にでも行くか」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 東京。阿佐ヶ谷。

 

 新宿駅から各駅停車で10分少々の場所にあるこの街に広がっているのは、下町風情が残る商店街に、裏道に入れば所狭しと軒を連ねるアパートと一軒家という、山手線の外側に行けばどこにでもあるような東京の風景。

 

 

 

 こんな感じの雨降るありふれた街の片隅で、華と尋也が出会うことでhole(物語)は動き始める。

 

 

 

 2018年9月2日_午前11時05分_阿佐ヶ谷_

 

「・・・半年ぶりぐらいか・・・ここに来るのは・・・」

 

 朝方からの雨が降る阿佐ヶ谷駅南口の光景を、憬は傘を差し駅前のロータリーから眺めていた。

 

 ちなみに阿佐ヶ谷(この街)は高校時代に俺の住んでいた芸能コースの寮の最寄り駅がちょうど阿佐ヶ谷(ここ)にあったことから、仕事のない日は同じ寮に住んでいた気の合う俳優仲間と一緒に駅の周りや南口のアーケードを特に目的も決めず駄弁りながら歩き回りオフを満喫していた記憶が今でも薄っすらと残っていて、アーケードのある南口に関しては数年は用が無かったので行けてなかったが、個人的に阿佐ヶ谷は何気に思い入れがあり土地勘は十分に残っている。

 

 “・・・確か寮があるのは馬橋公園の辺りだったか・・・今もあるんかな・・・”

 

 とはいえ最寄り駅の阿佐ヶ谷までは歩きだと10分以上は場所にその寮はある。立地的にはあまり恵まれた場所とは言えなかったが、芸能コース専用なだけあってセキュリティーは当時としてはかなりしっかりしていた記憶もある。

 

 “おっと危ない、今日はそれが目的じゃない”

 

 かつて住んでいた街を懐かしむ感情を、俺は降りしきる雨と共に地面に落とした。今日ここへ来た目的は、昔を懐かしむためではないからだ。

 

 

 

 「・・・とりあえず昼まで“ロケハン”がてらこの辺で時間を潰すか」

 

 憬は、南口から青梅街道までの約700メートルを南北に貫くアーケード商店街(パールセンター)に歩みを進めた。




前回サマーブレイクって言っときながら隔週休載は予告なしに何度かこれまでもやってたわ・・・・・・はい。

まぁ、スピンオフを更新していたので休載したって感覚は全くないんですけどね・・・・・・むしろ忙しかった。

ちなみに来週も休載します。実質サマーブレイク後半戦です。すみません。






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scene.54 答え


年を越す前にchapter3を終わらせるのが今の目標


 午前5時30分_中目黒_狩生家・寝室_

 

 ピッピッピピー_ピピピピピピー_ピピピピピピピッピピピピッピッ_ピッピッピピー_ピピピピピピー_ピピピピピピピッ

 

 「・・・ん~だよ朝一発目からうっせぇなぁ誰だおい?」

 『Good morning HIRO(おはようヒロ)。どっかの誰かに頼まれた“約束のモーニングコール”だよ』

 「・・・その声はトーヤか・・・そういやんなこと頼んだっけなお前に?」

 『自分から頼んでおいて忘れるなんて、ヒドいやつだなお前は』

 

 午前5時30分。ユーロビートの着信音と共に目を覚ました狩生が、自室の部屋の枕元に置いていた携帯電話から流れる十夜からのモーニングコールに出る。

 

 「・・・ていうかトーヤはいまどこで何してんの?」

 『ロケ車で現場に移動なう』

 「何時起きだよ?」

 『4時』

 「うわ早っ」

 『なんてったってオレは“人気者”だからね』

 「はぁ~、人気者は朝っぱらから大変だな」

 

 撮影現場へ向かうロケ車の車内からかけてきた十夜の声に狩生は気怠く答えながらベッドから起き上がり1階へと降りて、キッチンの冷蔵庫に保管されているゼリー飲料(朝食)を取り出して口に運ぶ。

 

 『大変なのはヒロも同じだろ?』

 「あ?何が?」

 『撮影。今日で一編に全部撮るんだろ?学校のシーン?』

 「・・・・・・何だそんなことか」

 

 “事務所(スターズ)の広告塔”として分刻みのスケジュールを連日こなし続けている十夜ほどではないが、今日の狩生のスケジュールも中々に“ハード”だ。

 

 『・・・この後の現場はNGひとつ食らうことも許されないぐらい“タイト”だって言ってたのに、随分な余裕だな』

 「わざわざ俺のことを心配してくれんのか?そいつはありがてぇ」

 『心配というよりは“油断するな”ってことをオレは言いたいんだけどね?』

 

 なぜならば本来は2日間に分けて撮り終える予定だった学校でのシーンを、“急遽1日”で撮り終えなければならなくなってしまったからだ。厳密に言えばNGをひとつも出せないほど時間に余裕がないわけではないが、外野からそう言われてしまっても仕方がないくらいには今日のスケジュールはカツカツだ。

 

 「とりあえず“俺の”心配は要らねぇよ。この前と変わらず“本気”で()り切るだけだしな」

 

 もちろん狩生は自分がスケジュールを乱すハンディキャップになるなど全く思ってなどいない。

 

 「・・・ただ、“ヤツ”がまた“クソ雑魚メンタル”を発症しちまったら・・・って確率もゼロじゃねぇってところが“唯一の心配”、的な?」

 

 だが、不安材料が全くないと言われたらそれは嘘になるどころか、逆に“大アリ”だ。

 

 『なんだよ“クソ雑魚メンタル”って?』

 「たったいま俺が即興で名付けた。悪くないだろトーヤ?」

 

 4日前の撮影、俺はリハよりも腕に力を加えて夕野(ヤツ)の首を掴み力を込めた。当然、本当に殺しにかかるような力じゃなく、実際にはせいぜい5割ぐらいだったと思う。これでも俺は、ちゃんと力加減だとかそういうところは超が付くほど冷静になって役を演じることを心掛けているから、俺が力を掛け過ぎたということは神に誓ってもあり得ない。

 

 しかし予期せぬことに、ヤツは俺が首を絞めたことによって記憶からごっそりと抜け落ちていた“父親”という人の記憶を不意に思い出してしまった。

 

 『・・・“クソ雑魚メンタル”ねぇ・・・・・・良いんじゃない?』

 「本気で思ってんのかソレ?」

 『さあ?どっちでしょう?』

 「・・・・・・本気」

 

 所謂、フラッシュバックというやつだ。あの時の怯えようからして、どうやらヤツはガチで“思い出して”しまったらしい。

 

 『ん~・・・・・・15点』

 「何点中?」

 『100点中』

 「ふざけろ」

 

 

 

 実際、読み合わせの段階から“只者じゃない(ヤバい)”ヤツなのは分かっていた。もちろんその“ヤバさ”はリハになって更に比べられないくらい上がっていた。

 

 “・・・このままじゃ喰われる・・・”

 

 自信のあった役を奪われたちょっとした悔しさもあったから、俺は思い切って本気でケンジを演じた。でもあくまでそれは“作品のため”だった。そうでもしなければ監督も納得などしてくれないだろうからだ。だから“本気”で演じた。

 

 それだけのことなのに、ヤツは勝手に崩れやがった。せっかく久しぶりに“おもしろい”ヤツが現れたと思ったら、これだ。それはまるで9回裏ツーアウト満塁、ただし1点でも獲れば逆転サヨナラというヒーローになれる絶好のチャンスというところでバッターボックスに立された挙句、まさかの初球で“サヨナラデッドボール”によって勝負が決まってしまったかのような呆気なさ。

 

 あれだけ人様を期待させておいて、中身はただの“クソ雑魚メンタル”のクラスに必ず2人くらいはいる根暗タイプの中2だった。なんてオチだけは御免だ。

 

 

 

 “・・・あんな根暗そうな“クソ雑魚メンタル”が4日でどうにか出来んのか・・・?

 

 

 

 「・・・つーかあんな根暗の“クソ雑魚メンタル”を4日でどうにか出来んのかよ・・・もし出来たら少年マンガだぜマジで?」

 

 自分の中の思いを、狩生はそのまま言葉にして吐き出す。

 

 

 

 “・・・むしろ“ガラスのように脆い”からこそ・・・それが“出来ちゃう”んだよ・・・

 

 

 

 それを聞いた十夜は、電波の向こう側で微笑ましく笑みをこぼす。

 

 『・・・・・・ヒロ?オレがおととい言った“アドバイス”は覚えてる?

 「おととい?・・・あー・・・」

 

 

 

 “『・・・・・・今の自分を“過信”するな。多分相手はヒロが思っている以上に強いから・・・・・・』”

 

 

 

 「・・・だな?

 『危うく忘れかけてたっぽく聞こえたけど、ちゃんと覚えていそうでひとまず良かった』

 「フッ、忘れるわけねぇだろ・・・俺を誰だと思ってやがる?」

 

 十夜からの微笑みを、狩生は鼻で笑うかのごとく余裕の態度で返す。

 

 『じゃあせいぜい“自分らしく”演じてこいよ。応援してるから』

 「おう、わざわざ声援ありがとなトーヤ」

 『Good luck(幸運を)

 「Same to you(お前もな)

 

 そして最後はこの2人にしかできないアメリカ仕込みの挨拶で電話を終わらせた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 学校シーン撮影最終日_午前9時_旧野比高校_

 

 「おはようございます」

 「おう、お早う」

 

 小雨が降りしきる不安定な天候の中、今日の撮影における一番の“要”となる憬が撮影現場の廃校に到着した。

 

 「・・・・・・どうやら“自分なり”の答えは見つかったみたいだな。今日の撮影を無事に乗り切れるかは別として」

 

 撮影の準備を指揮する自分の元に挨拶しに来た憬の表情を視た國近は、すぐさま憬が自分の過去に対する1つの“結論(答え)”に辿り着いたことを見抜く。

 

 「えっ?そう見えますか?」

 「あぁ、なんせ俺は1ミリにも満たないような役者の“芝居の綻び”に気付くことのできる“映画監督”だからな」

 「・・・はぁ」

 

 やや自負的に自分のことをわざとらしく棚に上げるように“答えを見つけてきた”ことを当てた國近に憬は思わず面を食らいやや困惑するも、3日前に撮影の見学に来た時の“迷い”はすっかり消えていた。

 

 「・・・じゃあ早速聞かせてくれないか・・・?その“答え”をよ・・・」

 

 準備を進める傍らで國近は憬と共に一旦廊下へと出て、辿り着いた“答え”を聞き出した。

 

 

 

 

 

 

 2日前_

 

 「ただいま」

 

 夜7時を数分ほど回った頃、ほぼ予想通りの時間で母ちゃんは301号室に帰宅すると、“ただいま”と一言だけ声をかけてそのままキッチンの冷蔵庫に直行して仕事終わりに買い貯めた食材などを入れる。

 

 

 

 “『・・・・・・いつまで逃げてんだよ!!』”

 

 

 

 昨日の今日ということもあって、俺たちの間を覆う空気はまだどことなく重い。

 

 でももう、俺の迷いは消えていた。もちろんそれは昨日のような無鉄砲な主張なんかじゃなく、“過去との向き合い方”を自分なりに知った“本当の思い”だ。

 

 「母ちゃん・・・」

 

 俺は覚悟を決めて、食材を冷蔵庫に入れる母ちゃんの背中に話しかけた。

 

 

 

 「・・・・・・俺さ・・・・・・やっぱり“過去”のことなんて考えんのやめることにしたわ

 

 これが、丸一日経った末に辿り着いた自分の“過去”に対する自分の“答え”だった。

 

 「・・・きのう母ちゃんから頬をビンタされて、それでどうしたらいいんだって一晩中考えてもまとまらなくて、そんで学校が終わった後に有島とただの“ダチ”としての時間を過ごして、それで最後は蓮との電話でいま悩んでいることをすっかり忘れるくらい下らない話をして盛り上がって・・・・・・ぁぁ駄目だ全然言葉がまとまんねぇ~・・・これじゃあ何が言いたいのか分かんねぇじゃねぇか」

 

 いざその答えを言葉にして母ちゃんに伝えようとしたらまるで絵日記のようになってしまった自分に思わず自分でツッコむ。何で過去のことを考えないようにしたか、それを説明しようとした結果がコレだ。

 

 「・・・あぁマジで何て言えばいいんだ・・・」

 

 こんな感じでここぞという時にグダグダになるのも俺の悪いところだが、この時だけはどんなにグダグダになろうとも全部包み隠さず母ちゃんに伝えようと思っていた。

 

 「・・・・・・いま撮影してる映画で俺が演じてる役がさ、1歳の時に実の母親から首を絞められた挙句に実の父親から施設に預けられた過去がある役でさ、しかも当の本人はそのことを完全に忘れてんだよね。そして忘れたまま中学生になって普通にクラスに友達もいて部活もしていて、本当に中学生をしてたけどちょっとした喧嘩で同じクラスの奴に首を絞められた瞬間に“母親から首を絞められた”ことがフラッシュバックして・・・・・・俺もその瞬間(とき)に“父親”のことを全く同じように“思い出した”・・・」

 

 悩んだ末に、俺はフラッシュバックを引き起こしたことと、そこから答えに辿り着くまでに至る顛末の全て母ちゃんに打ち明けた。もう過去がどうだとか、そんなことは関係なかった。

 

「・・・ぶっちゃけ、何が起きたのか全く分かんなくなってパニックになったよ・・・何度も忘れようとしても頭の中からそれが離れなかったから・・・・・・紛れもなく“本当の記憶”を思い出したって気が付いた・・・・・・それから俺なりにどうしたらこの“記憶”と向き合えられるんだろうって必死になって考えたけど、全然分かんなくなって母ちゃんにもキツく当たっちまった・・・気持ちとかそういうのを何も考える余裕がなかった・・・・・・昨日のことは本当にごめんな・・・」

 

 いかにもグダグダで人生史上1位2位を争うほど最悪なレベルで纏まりの悪い俺の話を、母ちゃんはただ黙って背中を向けながら聞いていた。

 

「・・・それでさっき話した有島だとか蓮の話に繋がるわけなんだけどさ・・・・・・俺・・・ここんところずっと過去に囚われ過ぎて“”が恵まれていることに気付いていなかった・・・・・・俺のことを“芸能人”だなんて1ミリも思わず今でもクラスで会うたびにただの“ダチ”のまま接してくれる有島とか、何だかんだ俺のことをずっと役者としてだけじゃなくて親友としても応援してくれてる蓮だったり・・・それから俺に“役者としてのあり方”を色々と教えてくれた共演者の剣さんや監督のドクさんだったり・・・・・・本当に俺は恵まれてるなって、過去を思い出したことで色々と気付かされた

 

 口を挟むことも自分の言葉で言い返すこともせず、ただただ黙って俺の話をずっと聞いていた。

 

 「・・・それで思ったんだ・・・“過去”がどうだとか、俺の父親はどこのどいつだとか、そんなことを考えるよりも“仲間に囲まれて充実してる今をとことん楽しんでやろう”って・・・・・・だからもう、“過去”のことを考えるのはやめようと思う・・・

 

 

 

 “『“過去”なんかに囚われないでただひたすらがむしゃらになって前に前に突き進む・・・・・・それが憬の芝居じゃん?』”

 

 

 

 こうして俺は、“過去のことは考えない”という本末転倒な答えに辿り着いた。でもこれは決して過去から目を背いて逃げるためじゃない。

 

 自分自身、そして家族が未來(まえ)へと進むためにはこの方法が一番だと思った。

 

 「・・・でも、あの日に母ちゃんが俺のことを助けてくれなかったら今の俺はいないし、母ちゃんがいたから映画もドラマも演じることも好きになった・・・・・・そのことだけは頭の片隅でも良いから残しておいてほしい・・・・・・

 

 最後は直接言うのが急に恥ずかしくなり遠回しで母ちゃんに感謝を告げたが、逆に自分でも何を言っているんだと思ってしまうレベルで恥ずかしくなってしまった。

 

 「・・・・・・素直にありがとうって言えばいいのに

 

 すると母ちゃんは冷蔵庫を閉めて振り返りざまそう言うと、俺に向けて笑った。

 

 「・・・って、憬の気持ちを何でも分かってたつもりだった私がそれを言う資格もない、か」

 

 その笑みが果たして本心からなのかはたまた気を遣っているのかは関係なく、それまで俺と母ちゃんを覆っていた重い空気が次第に晴れていく確かな感覚があって、俺は説明のつかない“安心感”に駆られた。

 

 「・・・いや、分かってないのは俺のほうだったよ。人の気持ちを何も考えずに自己中に突っ走って・・・・・・そりゃあビンタされても仕方ねぇわ」

 「痛かったでしょ?正直?」

 「・・・ほんのちょっとな」

 「そりゃああれだけ強く引っ叩いたら痛いに決まっているわよ」

 「何だよ自覚あったんかい」

 

 もちろんそれを“態度に示す”のもどこか恥ずかしかったから、俺は自虐を交えつつ誤魔化した。まだほんの少しぎこちなさはあるが、1日ぶりに戻って来た“いつもの日常”。

 

 「・・・まぁそういうことだから、今回のことはこれで“おしまい”ってことでいいか?母ちゃん?」

 

 とりあえず、母ちゃんとの“過去”を巡る喧嘩はやや呆気ない形で幕切れになった。まぁ、ドキュメンタリー番組や映画の中で描かれるドラマチックな展開なんて現実じゃ滅多に起こりはしないから、所詮はドラマじゃない現実なんてそんなもんなのだろう。

 

 とうとう一番肝心の過去のことは聞けずに終わってしまったが、ひとまず良かった。

 

 「・・・実は私もさ、昨日の夜に憬が寝た後に1人で考えてたわけよ・・・・・・“過去”のことを憬に話そうか話さないか・・・

 

 と、すっかり油断していたところで、母ちゃんがいつもの飄々としたテンションで話の続きを始めた。

 

 「それでね・・・今日の夜に帰った後、憬に思い切って話そうってさ。だって憬もまだ子供とはいえもう14だし、一応芸能界に入ってる身だからこれからのことを冷静に考えてみれば少しは話しておいたほうがいいかなって思ったわけ。本当はあんなこと思い出されたらきっと辛いだろうしそんな思いを憬にはして欲しくなかったからずっと言わなかったけど、思い出しちゃったらそんなこと関係ないしね?」

 「昨日あんだけ図星突かれて取り乱してたクセに」

 

 正直このまま終わっても別に良かったのだが、本人に話す意思があったというなら聞いておいて少なくとも損はないと俺は即座に思った。

 

 「それは憬もそうだったでしょ?」

 「そりゃあ・・・あんな過去をいきなり思い出したら誰だって取り乱すに決まってんだろ」

 

 “過去を考えない”ということは“過去を知った”としても普通にできるし、“考えない過去”があるからこそ引き出しも増える。これは普通に一石二鳥だ。

 

 そもそもユウトは首を絞められた瞬間とケンジと仲直りする場面では“記憶の精度”が異なる。それはケンジとの仲直りは、家出してショウタに見つけられて宮入家に戻りそこで毅から真実を聞かされた後の出来事だからだ。

 

 

 

 ・・・てことはどっちにしろ、母ちゃんから過去のことを聞き出さないと駄目じゃね・・・?

 

 

 

 「母ちゃん・・・やっぱり“その話”、俺に教えてくれない?」

 「・・・自分で“おしまい”って言ったくせに?」

 

 いつの間にか“過去の詮索”の目的が“役作りから仲直り”に無意識のうちに切り替わっていたことに気がつき、自分ながらに酷く恥ずかしい気分だったが俺は恥じらいというちんけなプライドを捨てて母ちゃんに頼み込んだ。

 

 「・・・・・・“役作り”でどうしても“必要”なんだよ・・・・・・

 

 本当にいま思えば、なんで“この一言”が最初に出てこなかったんだとつくづく思う。

 

 「・・・・・・最初からそう言ってくれたら全然協力したのに」

 「ホントかよ?」

 「ホントよ。これでも憬のことは応援してるからね、私」

 「・・・それは、どうも」

 

 呆れ半分、からかい半分で笑いかける母ちゃんからの言葉で、俺は“昨日までのやり方”がいかに間違っていたのかを思い知った。

 

 

 

 “あれ・・・・・・何で俺はこんな時に芝居のことを考えてんだ・・・?

 

 

 

 同時に俺は気が付いた。母ちゃんに自分なりの答えを打ち明けたことで頭の中の思考回路が“普段の状態”に戻っているということに。そして、母ちゃんが過去を明かそうとしている覚悟すらも芝居の糧として“利用”しようとしている自分自身に。

 

 “・・・でもなんか・・・今の俺ってすごく役者っぽくね・・・?

 

 だが不思議と罪悪感は全く感じなかった。そのかわり、“ようやく俺も役者っぽくなってきたな”という高揚感に似た何かが一瞬だけ頭をよぎった。

 

 「・・・・・・最初に言っておくけど、この過去(こと)は私たち2人だけじゃどうにもならないようなことだから・・・全部は話せないけど、それでもいい?

 「・・・・・・あぁ、分かった

 

 そして深く呼吸をして心を決めた母ちゃんは俺に、ようやく“過去”のことを打ち明けてくれた。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・なるほどな。で、“”はあるのか?」

 

 憬からの答えを聞いた國近は、色んな感情が半々に入り交じった反応を見せる。

 

 「はい。とりあえず今はまだ、この“過去”は温存しときます」

 

 そんな國近に、憬は迷いのない感情で堂々と答える。

 

 「“まだ”ってのはどういう意味だ?」

 

 國近は憬の言う“まだ”という部分を掘り下げるが、憬にとっては既に想定していたことだった。

 

 「・・・あの後に1人でユウトのことを考えていて気が付いたんですよ・・・首を絞められた時のユウトも、その後にリョウコを探しに家出するときのユウトも、まだ母親(リョウコ)のことなんてほんの少ししか知らない・・・そもそも毅から過去を明かされる前に過去を全部知ってしまったらそれはもうユウトじゃない・・・・・・だから俺は、“過去を曖昧”にしたままでユウトを演じようと決めました

 

 母ちゃんの口から過去のことを明かされた後、俺はその“過去”をどのようにして芝居に昇華させるかを“感情的”ではなく、“理論的”に考えた。そして辿り着いた答えは、自分の中でその過去を“曖昧”にするということ。

 

 「“曖昧”にするって・・・それこそどうすんだよ?」

 

 過去を“曖昧”にする方法。はっきり言ってそのやり方は0コンマも気を抜くことすら許されないほど繊細に気を使わなければいけないようなやり方だ。これが正しいかなんて保証はないし、人に教えても納得してもらえるとも限らない。

 

 でもこれが、今の俺がユウトを演じ切るための“最善(答え)”だ。

 

 「・・・それは」

 「オハヨーゴザイマス

 

 目の前の國近にその“策”を打ち明けよと口を開いた瞬間、横の方からワザとらしさ全開の“おはようございます”の声が聞こえ、話が中断された。

 

 「オイ、挨拶は“おはようございます”だろが。ふざけないでちゃんと言えって学校で習わなかったか?」

 「スイマセン。自分、あいさつは“LA”でしか習ってこなかったもんで」

 「LAでもそんな挨拶するわけねぇだろ」

 

 声のする方へ視線を向けると、そこには有名ブランドのジャージ姿を着た“ケンジ”がいた。

 

 「言っとくけどそのネタ1ミリも面白くねぇからな?」

 「そんなに怒んないでくださいよカントク。これはジョークっすよジョーク」

 「こないだの撮影でちょっと“良い芝居”したからって図に乗るんじゃねぇぞ、狩生」

 

 

 

 “『狩生尋です。とりあえず俺なりにケンジを演じていくんで、よろしくお願いします』”

 

 

 

 最初の顔合わせや読み合わせの時は至って普通で、芝居も俺からしてみればよくも悪くも普通で、やや自信過剰で尖った自己紹介を除けば特にこれといった印象は全く残っていなかった。そして当日のリハーサルでも、芝居は相変わらず“普通なまま”だった。

 

 

 

 “『じゃあよろしくな・・・・・・俺もガチでやるから』”

 

 

 

 だが本番に入ったその瞬間、狩生は一気に自分の中にあるギアを上げて“本気”で演じてきた。それに触発される恰好になった俺も今までで“一番本気”になってそれに挑み、結果的にユウトと同様のフラッシュバックを起こしてしまった。

 

 

 

 「あ、セキノもいんじゃん。おはよ」

 「・・・おはようございます」

 

 4日前のことをふと思い浮かべていると、ある意味で“因縁の相手”でもある狩生がいきなり馴れ馴れしい態度で俺に声をかけてきた。

 

 「この間は大丈夫だったか?メンタルがクラッシュしてたっぽかったけど?」

 「メンタルがクラッシュ・・・・・・あぁ、フラッシュバックのこと?」

 「そう」

 

 いきなり独特な表現が炸裂して思わず反応が遅れたが、すぐに4日前のフラッシュバックのことを聞いていることを理解した。

 

 「で?メンタルはもう大丈夫か?」

 「はい・・・この4日間の間で俺なりに“答え”を見つけることは出来たので、後はそれを実践するだけです」

 「へぇ~・・・カッコイイじゃん」

 「あぁ・・・そうっすか」

 

 4日前とは打って変わり馴れ馴れしい態度で俺に声をかけてきた狩生は、メンタルを元に戻せた俺を称えるような言葉をかけ、俺の肩に手をかける。明るそうながらもどこか近寄りがたさもある掴みどころのない雰囲気は、正直言って全く慣れない。

 

 「じゃあ今日もガチで行くから。よろしくな

 

 そして狩生はそのまま振り返ることなく着替え場所となる控え室の教室へと歩いて行った。

 

 「・・・・・・ったく、狩生(アイツ)狩生(アイツ)でめんどくせえな」

 

 その後ろ姿に、國近は色んな感情の入れ交じった独り言を呟く。

 

 「・・・やっぱり変わった人が多いですね・・・・・・芸能界(この世界)

 

 それに続いて憬も、頭の中でふと浮かんだ思いをそのまま独り言にして呟いた。

 

 「・・・当たり前だ。言い方は悪いが芝居を生業にする生き方を選んで成功を掴む人間の大半は、一般常識なんて全く通用しねぇ奴らばかりだからな」

 

 かつて街でばったり遭遇した“天馬心”も言っていた。“芸能界は変わり者の巣窟”だと。少しだけ考えてみれば誰だって分かることだ。“他の誰かになりきる”ことでお金を稼ぐなんて、一般社会で働くサラリーマンの人たちからしてみれば異常でしかないだろう。

 

 そういう常軌を逸したような喜びを心の底から好きになれないと、芸能界(この世界)じゃ生き残ることはできないのかもしれない。

 

 「・・・・・・みんなと比べて、俺は“変わって”いますか?」

 

 そして俺はいま、“他人を演じる”という喜びに一歩ずつ足を踏み入れて、この後に待ち受ける“高い関門”に挑もうとしている。

 

 でもそこに、4日前と同じ“恐怖”や“不安”は全くない。

 

 「・・・こういうことは安易には言いたくねぇけど・・・・・・いまの夕野は周りと同じくらい“変わって”いるよ」

 「・・・・・・そうですか」

 

 不安要素を取り払った憬の覚悟に、國近は心の中でほくそ笑みながら彼なりの“激励の言葉”を送り、憬はその“激励”を自信に満ちた表情で静かに受け取る。

 

 「・・・夕野・・・今から20分後にこの教室に集合したのち、カメリハを始めて午前はそのまま通す。制服(衣装)に着替えてこい」

 

 それを見た國近は一旦撮影に向けた準備が行われている教室と左手にはめたデジタル式の腕時計を目で確認し、憬に撮影開始前の“最後の言葉”をかけるとそのまま教室の中に入って再びスタッフ陣の指揮を執り始める。

 

 「・・・・・・“策”、聞かなくていいんですか?

 

 俺のことなど目もくれずに現場の指揮を再びやり始めた國近に、俺は中断していた質問の続きを聞こうと声をかけた。

 

 「・・・・・・あぁ、聞こうかと思ったけどやっぱりやめたわ。お前には従順に俺の言うことを聞いてくれる“優等生”よりも、隠し持った刃で俺に立ち向かってくるような“クソガキ”でいて欲しいからな・・・・・・だからお前が必死こいてこの4日間で考えた“策”ってヤツで演じ切れるっていうなら、それで演じ切ってここにいる連中全員に“見せつけて”やれ・・・

 

 そして返って来た言葉は、今までのような““台本”と睨めっこをする前に、先ずは周りの人間を“視ろ””という言葉とは対照的なメッセージだった。どうしてこのタイミングでそんなことを國近が言ったのか、すぐには意図が分からなかった。

 

 

 

 “『・・・つまんねぇな』”

 

 

 

 だが次の瞬間に最終選考のオーディションで自分のやり方に異を唱えながらも國近からの圧に負けてしまい“降参の言葉”を言ってしまい見限られた少年のことが頭に浮かんだ瞬間、“その意図”が分かった。

 

 「・・・分かりました・・・

 

 役者は共演者やスタッフなど周りの助け舟がなければ“本番”まで辿り着けないが、いざ始まった“本番”では誰も頼ることが出来ないし、頼ってはいけない。

 

 

 

 結局最後まで頼れるのは、自分自身だけだ。

 

 

 

 「・・・見ていてください・・・

 

 憬からの宣戦布告とも取れる覚悟の言葉に、國近は背中を向けたままゆっくりと頷いた。

 




狩生の携帯電話の着信音が何の曲なのか、狩生が挨拶で言っていた「オハヨーゴザイマス」の元ネタをググらずに分かった人は、恐らくその多くが90年代後半に青春を謳歌なさった方たちだと思います(いや偏見がすげぇ)。

ちなみに作者は1998年生まれの厄年ですが、ジャンプ黄金期や“赤い髪のエイリアン”が地上にいた時代をリアルタイムで体験している世代の人たちが、超が付くぐらい羨ましいです。


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scene.55 策


“らしさ全開”の、素晴らしい最終回だった


 本番前_男子更衣室_

 

 「セキノ・・・さっきカントクと何話してた?」

 

 衣装の制服に着替えようと3月まで男子更衣室として使われていた“衣装部屋”に入ると、更衣室の中で衣装の制服に着替え終えた狩生が俺を待ち伏せていた。周りにはエキストラも含めて狩生以外は誰もいなかった。

 

 「・・・何って」

 「何か企んでるっぽいじゃん?ついでで良いから俺にもその“作戦”的なやつ教えてくれよ?」

 

 言葉を返す隙を与えず、畳みかけるように狩生は國近に言いかけようとした俺の“”のことを聞いてきた。

 

 「・・・もしかして聞こえてました?」

 「おう。こう見えて俺は“地獄耳”だからな」

 

 俺からの問いかけに、狩生は左手の人差し指で自分の左耳を2回タッチしながらドヤ顔で答えた。

 

 「こう見えての基準が分からないんだけど・・・」

 

 4日前とは打って変わった馴れ馴れしい態度に戸惑いつつも、聞かれてしまった以上は仕方ないと心を決めた俺はその“”を打ち明けたることにした。

 

 「_それで、ここの台詞を言いかけたところで俺が狩生さんを押し倒しますから、狩生さんは適当なタイミングでその後に俺を床へ目掛けて押し倒し返してください」

 「適当って言われてもわかんねぇからもうちょい具体的に教えてくんない?こう見えて俺って頭でちゃんとプランを考えてから動くタイプだからさ」

 「・・・そうですか(今のところどう見てもそうは見えないけど・・・)」

 

 それを教える中で狩生が意外と“冷静”に状況を考えて芝居をするタイプの役者だったことが判明したことは置いといて、こうして俺たちはユウトとケンジが喧嘩をする際の“段取り”を互いに共有した。

 

 

 

 “『聞こうかと思ったけどやっぱりやめたわ。お前には従順に俺の言うことを聞いてくれる“優等生”よりも、隠し持った刃で俺に立ち向かってくるような“クソガキ”でいて欲しいからな・・・・・・だからお前が必死こいてこの4日間で考えた“策”ってヤツで演じ切れるっていうなら、それで演じ切ってここにいる連中全員に“見せつけて”やれ・・・』”

 

 

 

 それとついでで、このことは“俺たち2人”だけの秘密にしてほしいということも伝えた。

 

 「・・・・・・共演者(エキストラ)には言わなくていいのか?」

 

 俺が考え抜いた“策”を聞いた狩生は、どこか余裕そうな顔を浮かべながら核心を突いた。

 

 「・・・誰にも言わないほうがより“リアル”なリアクションが取れそうな気がするので・・・といっても、半分ぐらい賭けみたいなもんですけど」

 

 正直言って核心となるその部分は半ばギャンブルに近い運任せのようなところがある。それでもこんなハイリスクな手段に挑んだ理由(わけ)は、下手に共演者全員にそれをバラしてしまったら、それこそ國近の撮りたい“リアル”な芝居が出来なくなってしまう気がしたからだ。

 

 周りの共演者が全員“全く同じレベル”ではないことは分かり切っているから、そんなことをしたらせっかく自分が上手く演じ切れても周りが良い芝居をしようとして逆に“へたる”可能性も考えられる。

 

 「じゃあ何で俺にはこと細かく教えてくれる?」

 

 ちなみに共演者の1人でもある狩生には撮影で俺が何をするかを全部教えた。その理由はたった1つだ。

 

 

 

 「・・・・・・今日ここにいる共演者(やくしゃ)の中で、唯一“信頼しきれる”からです

 

 

 

 

 

 

 「オイ宮入」

 

 授業終わりの放課後、スクールバッグを肩に背負って部活へと向かおうとするユウトを、ケンジが呼び止める。

 

 「・・・何?」

 

 だがどういうわけかケンジはユウトに対して怒っているようだった。それを直ぐに感じ取りながらも身に覚えが全くないユウトは喧嘩腰に絡んできたケンジに、やや苛ついた態度で振り返る。

 

 「お前だろ俺に万引きを擦り付けたの?」

 「は?何で俺が早瀬を?」

 

 数日前、ケンジはコンビニで“万引き”したことを誰かにチクられ生徒指導を食らっていたが当の本人は万引きなどしておらず、結局はただの人違いだった。

 

 だが今度は、ケンジが万引きしたという噂を流したのがユウトだという噂が学校で広まっていた。

 

 「だってお前がその万引きの話を福田にチクったんだろ?」

 「あぁ万引きのことを話したのは俺だよ、でも誰がやったとかまでは俺は言ってねぇしそもそも知らねぇよ」

 

 ちょうど部活を終えた帰り道、ユウトは部活仲間と共に下校路についていた時に、偶然にも万引きが起きた時間に下校路の途中にあるコンビニに差し掛かり、ユウトは仲間と共にコンビニから駆け足で逃げる男の姿を見ていた。だが暗くなっていた上に距離もあったため顔までは分からなかった。

 

 「とぼけてんじゃねぇよクズ

 

 だがケンジはユウトの話に全く耳を傾けず、罪を擦り付けられクラスメイトから白い目で見られたことへの怒りをぶつけ続ける。

 

 

 

 1つのミスも許されないワンカットの撮影に加えて、午後の撮影スケジュールを考えれば1回で成功させなければいけないという状況を恐れることなく、狩生は4日前の撮影と同様、本番に入った瞬間リミッターを一気に外してケンジとしてユウトとなった俺に怒りをぶつける。

 

 「は?そんなに俺の言ってることが信用できねぇの?

 

 そんな狩生に、俺も本気の芝居で怒りに応える。自ら蒔いた形になった種で生み出されたチャンスで“過去を超える”ことができたことを証明するには、是が非でもこの1回で成功させなければここにいる全員、そして國近も納得してはくれない。

 

 「お前が万引きのことを話さなけりゃこんなことにならなかったんだよ・・・それぐらい分かんだろ?

 「そんなこと知らねぇよ

 「・・・てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!

 

 ついに堪忍袋の緒が切れたケンジが、俺の胸ぐらを力任せに掴む。その衝撃で俺は一瞬だけバランスを崩しかけるがすぐさま持ちこたえる。一瞬でも気を抜いてしまったら、本当に“怒りをぶつけてしまいそう”な感覚が俺に襲い掛かるが、俺はそれを“俯瞰”を駆使しながら心の奥底に払い除ける。

 

 “・・・耐えろ・・・怒りに身を任せながら・・・常にカメラがどこにあるかを意識しろ・・・

 

 「何なんだよ早瀬っ!

 

 ケンジの胸ぐらを掴み返し、俺はカメラを意識しながら“ユウト(自分)を俯瞰”する。

 

 

 

 “『もっと“シンプル”になろうぜ、憬』”

 “『“過去”なんかに囚われないでただひたすらがむしゃらになって前に前に突き進む・・・・・・それが憬の芝居じゃん?』”

 “『・・・・・・最初に言っておくけど、この過去(こと)は私たち2人だけじゃどうにもならないようなことだから・・・全部は話せないけど、それでもいい?』”

 

 

 

 これまでの撮影での経験値と、“過去”を乗り越えられなかった昨日までの自分に向けられた助言と母親から打ち明けられた過去(しんじつ)を経て、最終的に辿り着いた一発勝負の危険な代物。

 

 

 

 でもこれは、俺がユウトを演じ切るためにどうしても必要となる“策”だ。

 

 

 

 「てめぇマジで殺しっ・・・!

 

 

 

 ここから2人は机を押し倒しながらも互いが互いの胸ぐらを掴み合い、ユウトは教室のロッカーに背中から寄りかかるような形になる・・・と誰もが思った矢先、あろうことかユウトを演じる憬は一瞬の隙を突いて狩生を机の上に押し倒し、その体勢のまま狩生の首を絞め始める体勢に入る。

 

 「(あぶねぇ真似しやがって・・・“想定線(イマジナリーライン)”を超えたらどう“けじめ”つけるつもりだよ・・・)」

 「(・・・夕野(コイツ)・・・よりによってこんな土壇場にアドリブをぶち込んで来やがったか・・・・・・)」

 

 幸いにも押し倒した位置がちょうどイマジナリーラインに沿った形となったため撮影はそのまま続く。無論それが完全なアドリブであることは、國近と寿一も含め周りはすぐに理解した。

 

 「(・・・いや待て・・・夕野(こいつ)、全部“想定”している・・・?)」

 「(ハハッ、何もここまで“()”とは一言も言ってねぇよ・・・)」

 

 そして憬の姿を狩生の次に近くで視ている2人は、憬のアドリブが“考え抜かれた”ものだということも理解した。

 

 「(・・・・・・Crazy guy(イカレ野郎が)・・・・・・)」

 

 当然ケンジとして対峙している狩生は監督と撮影監督(カメラマン)以上に、それを肌で感じていた。

 

 

 

 “「てめぇマジで殺してやる・・・!」”

 “「あぁやってみろよ!」”

 

 という台詞に突入して胸ぐらを掴み合いロッカーの方に身体が向かうという本来の流れを夕野はぶった切るように一瞬の隙を突いて俺の足を引っかけて、俺はすぐ後ろにあった机の上に押し倒される形になった。

 

 そして間髪を入れずに俺はいま、“ユウト”から首を絞められている状態だ。

 

 

 

 “『・・・・・・今の自分を“過信”するな。多分相手はヒロが思っている以上に強いから・・・・・・』”

 

 

 

 十夜の言っていたアドバイスの通り、相手(夕野)はかなりの強敵だった。4日前の“フラッシュバック”のトラウマを感じさせないこの気迫。そして一見無謀に思えるこのアドリブも、実際にはカメラの位置や周囲の状況、そしてこの後の展開までを全て“想定”し細部にまで考え込まれた、コイツなりの予定調和()

 

 “『・・・誰にも言わないほうがより“リアル”なリアクションが取れそうな気がするので・・・』”

 

 そして夕野の言っていた思惑の通り、周りの取り巻きも“何が起きているか分からない”感情と“それでも芝居を続けなければならない”感情で板挟みされた状況になり、偶然とはいえ結果的に現場の空気は“リアルそのもの”になった。

 

 

 

 “礼を言うぜ・・・・・・トーヤ・・・

 

 

 

 俺は夕野(コイツ)のことを完全にナメていた。もうここに、4日前の“クソ雑魚メンタル”は存在しない。十夜からの助言(アドバイス)が無かったら、今日の俺は間違いなく完全に“負かされていた”。

 

 

 

 “『ここの台詞を言いかけたところで俺が狩生さんを押し倒しますから、狩生さんは適当なタイミングでその後に俺を床へ目掛けて押し倒し返してください・・・』”

 

 

 

 恐らく夕野の考えだと、この後ここから俺が何らかの形でユウトを床に押し倒して馬乗りにでもなって、“リョウコから首を絞められた時と全く同じ状況”を作り上げるつもりだろう。俺も役者だ。作品のために自分の芝居(ベスト)を尽くすことに変わりはない。

 

 後は、仕掛けるタイミング。

 

 

 

 “・・・そういや・・・・・・“あの言葉の答え”をまだ聞いてなかったな・・・

 

 

 

 「お前・・・・・・

 

 俺の首を絞めつける夕野の両手が、一瞬だけ震えた。俺はそのタイミングを見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 頬に落ちた水滴のようなもので、俺は目を覚ました。目を覚ますと俺の身体の上で母ちゃんが俺の首に優しく手を掛けながら泣いていた。暗くて顔は全く見えなかったけど、頬に落ちた水滴を肌に感じて、母ちゃんが泣いていることに俺はすぐに気が付いた。でも、どうして母ちゃんが泣いているのか。何で俺の首に手を掛けていたのか。まだ1歳にもなっていない俺がその理由に気付けるはずもなかった。

 

 “「・・・・・・おやすみ・・・・・・」”

 

 俺の首に両手をかけていた母ちゃんは、泣きながら俺に優し気な声でそう言った。その“おやすみ”のたった一言が、とても恐ろしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 「お前・・・・・・

 

 ケンジの首を絞めた瞬間、“今まで見たこともない光景”が頭の中を駆け巡り、目の前がほんの一瞬だけ“真っ暗”になった。

 

 「・・・ざっけんな!!

 

 ほんの一瞬だけ“真っ暗”な光景が流れてハッとそれが覚めると、ケンジを押し倒して首を絞めていたはずの俺が、逆に押し倒し返されていてケンジから馬乗りの体勢で首を絞められていた。

 

 「・・・・・・っ!!

 

 両手で圧迫されているせいで声も息もできないが、俺はまた精一杯の力でケンジの両手を無理やり突き放そうとした。

 

 

 

 

 

 

 “「・・・・・・おやすみ・・・・・・」”

 

 その一言が耳に入った瞬間、優しく首に掛かっていた両手が一気に強く俺の首元に圧し掛かった。何が起こったのか、全くわからなかった。何が起こったのか理解できないうちに、“感じたことのない”苦しみと恐怖が俺を襲った。その感情の正体は何なのか。あの瞬間は分からなかった。

 

 

 

 

 “・・・死にたくない・・・

 

 

 

 

 そうだ。あの時俺は、間違いなくこう思っていた。

 

 

 

 

 

 「・・・やめろ・・・やめろ・・・!

 

 尋常じゃないほどの苦しみに、目の前に広がる景色が霞み出す。俺の首を絞めていたケンジはもう同じクラスの誰かに押さえられている。薄っすらとだけどそれが見えた。もう俺は首を絞められていない。でも、呼吸は苦しくなるばかり。

 

 

 

 

 

 

 初めて襲い掛かって来た“得体の知れない”苦しみと恐怖で俺は隣で眠っているはずの父ちゃんに助けを求めようとしたが、身体が押さえつけられていて全く身動きが取れず、意識も遠のき始めていた。

 

 どうして母ちゃんは俺の首を絞めて殺そうとしているのか。何で母ちゃんは俺を殺そうとしているのに涙を流しているのか。そんなことなど分かりっこない。首元にかかる握力と全身に圧し掛かる圧力が強くなれば強くなるほど、頬に落ちる涙も大きくなる。

 

 その時、真っ暗闇の向こうから眩いほどの光が部屋を一瞬だけ照らした。

 

 “・・・なんで・・・

 

 一瞬だけ光る稲光で、俺を殺そうとしている母ちゃんの泣き顔が鮮明に映る。何をどうしたら、こんなにも“疲れ切った”顔になってしまうのか。何で母ちゃんはここまで苦しんでいるのか。誰が母ちゃんをここまで追い詰めたのか。

 

 

 

 “いや、理由なんてどうだっていい。母ちゃんには、そんな顔はして欲しくない

 

 

 

 俺は疲れ切った顔で泣きながら俺の首を絞めつける母ちゃんへと手を伸ばす。俺が母ちゃんの涙を拭いてあげれば、“苦しみ”から解放される。そんな気がした。

 

 

 

 「・・・・・・母ちゃん・・・・・・

 

 得体の知れない“記憶”に怯えながら額から汗を流して明後日の方角に視線を定めたユウトは力なくそう呟くと、そのまま意識を失った。

 

 「・・・オイ宮入・・・・・・宮入!?

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・カット!

 

 遠くのほうから國近の威勢のいい掛け声が聞こえた。その“カット”の掛け声を合図にして、俺は仰向けに倒れたまま呼吸を整えながら今自分が置かれている状況を俯瞰しながら整理する。

 

 俺が狩生を押し倒した方向、その時のカメラの位置、更にその後に狩生が俺を押し倒した際に俺が倒れた方向、そして押し倒された俺と首を絞める狩生を映し出すカメラの位置・・・・・・・

 

 

 

 “大丈夫だ。全部しっかりと頭の中に残ってる

 

 

 

 「・・・・・・どうでした?監督?」

 

 呼吸を整えゆっくりと起き上がった憬は、4日前とは打って変わった何食わぬ顔で國近に出来栄えを聞く。

 

 「・・・どうも何も無茶苦茶だろ。こんな一回の些細なミスすら許されないワンカットの撮影であんな危なっかしいアドリブなんかぶっ込んで来やがって・・・」

 

 何食わぬ平然とした表情で聞いてきた憬に國近は嫌味たらしく“後がないことを分かっていながら”アドリブを入れてきた憬を“無茶苦茶”だと言って非難するが、そんなエキセントリックな準主演を見つめる眼は、ほくそ笑んでいた。

 

 「ただ・・・・・・おかげで“良い画”が撮れた

 

 

 

 午前11時50分。ユウトがフラッシュバックを起こす場面の撮影は憬による想定外のアドリブこそあったものの、無事に一発で成功した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ナイスファイト、寿一さん」

 

 午前のワンカット撮影が終わり、昼休憩を返上して午後からの撮影に向けた準備を指揮する寿一に、一服から戻って来た國近が差し入れの缶コーヒーを片手に労いの言葉をかける。

 

 「カフェインか・・・寝不足の人間には“最高の調味料”だな」

 「あぁ、ちげぇねぇ」

 

 カメラのモニターに視線を向けたまま、寿一は國近が持ってきた缶コーヒーを片手で受け取り、そのままフタを開けて半分ほど飲み干す。

 

 「・・・ホント・・・これだから“未完成の役者(ガキ)”は撮りがいがある・・・」

 

 缶コーヒーを空いた机の上に置いてカメラの調整をする寿一の後ろで、缶コーヒーを一口だけ口へと運んだ國近がボソッと独り言を呟くように誰に向けるでもなく言葉を発する。

 

 「・・・どういう意味だ?」

 

 

 

 “リョウコ”との記憶を思い出すために、わざわざ1歳のときの記憶と“全く同じ体勢”になるように仕向け、ユウトがフラッシュバックを“起こしやすい”状況を意図的に作り上げた。ストーリーの辻褄を合わせるのはもちろん、教室に配置された机の位置や寿一さんのカメラの角度も全て想定した上でだ。“ユウトの過去”を曖昧にするのと引き換えにそうやって夕野は“ユウト”の感情に“完全移入”できる状況を客観的な視点で自ら演出し、“自分の過去”を遥か彼方へと追いやった。

 

 元々ここに至るまでの撮影を通じて“カメラに映る自分自身を俯瞰する技術(テクニック)は感覚的に研ぎ澄まされ始めていたが、この4日間でようやくその技術が手前の感情に追いつき、になった。

 

 それと恐らく俺たちの知らないところで夕野と口裏合わせでもしたのかは知らないが、一発撮りの成功は夕野のアドリブに難なく順応できた狩生の力も無論大きい。

 

 「・・・思ってた以上の“収穫”が得られたって意味(こと)よ。寿一さん

 

 俺に一切相談もせずに夕野が精巧に作り上げたアドリブは、本来であれば演者の芝居や動きを手中に収めて演出として昇華させる演出家(おれたち)に対して“俺の考えた展開の方が正しい”と喧嘩を売っているも同然の行為だ。この世界じゃそんなことをする“大人の事情を知らない生意気な奴ら”を嫌う連中のほうが実際のところは多い。

 

 だが時としてその“生意気な純粋”さが、演出家の理想を上回る究極の“展開(シナリオ)”を生み出すこともある。そういう一線を画す“才覚”は誰しもが生まれたときから持ち合わせているはずなのに、それに気付けるような奴は全人類の数パーセントにも満たない。そして自分の“才覚”に気が付いても、それを“武器”として使うことのできる奴らはさらに少なくなる。

 

 「・・・つっても、狩生がアドリブに対応できなかったら“終わってた”のは言うまでもないだろうけどな?」

 「だろうな・・・でも相手が狩生だったからこそ、夕野は最後まで“ケンジ”を信頼しきって()れたってところだな」

 

 

 

 “そういう奴ら”を演者で使う演出家がやってはいけないのは、自分の価値観に囚われ過ぎて“それ”を演者(奴ら)に押し付けて芽生え始めようとしている“才覚”を根こそぎ取ってしまうことだ。

 

 

 

 「・・・本当に良かったのか?

 

 色んな意味が含まれた寿一さんの一言が、俺の耳に入る。“せっかく安食と共に考えていたシナリオを新人役者が考えた土壇場のアドリブで潰された格好になってしまって、悔しくないのか・・・?”、と。

 

 「・・・良いか悪いかは監督()が決めることだ

 

 

 

 無論、その答えなど考えるまでもなく決まっている。

 

 

 

 「たとえ誤算だとしても、そいつで思い浮かべた理想を超える画が撮れるのなら・・・これほど監督冥利に尽きることはない・・・・・・監督の理想を超えなければ、誰も見たことのない映像(もの)なんて撮れはしないからな・・・

 「・・・・・・午後の撮影でも同じようなことされたら、俺はさすがに勘弁だぞ?

 

 午前の撮影を終えて“山場を越えた”かのように嘯く國近に、寿一は“気を抜くな”という意味を込めた皮肉を返す。

 

 「・・・その保証だけはできねぇな寿一さん。けど、“責任はちゃんと果たす”さ・・・

 

 その皮肉の意味を一瞬で理解した國近は、余裕の表情で言葉を返した。

 

 

 

 

 

 

 「セキノ?ちょっといいか?」

 「えっ?あ、はい大丈夫です」

 

 一方その頃、午前の撮影を終えて休憩時間に入っていた憬は、狩生に連れられる形で雨上がりの中庭で午後の撮影までの時間を潰していた。

 

 「で?何で中庭なんですか?」

 

 当然憬は、どうして中庭に連れてこられたのかを理解していなかった。

 

 「え?悪いか?」

 「いや、そういう訳じゃ」

 「なんか知らんけど急にセキノと腹割って話したくなっちまったからさぁ、だって控え室は他の共演者とかいんじゃん?」

 「はぁ・・・・・・なるほど」

 「あれ?意外と理解が早いなお前」

 「理解したとは一言も言ってないですよ」

 

 とりあえず無事に午前中のワンカットの撮影を一発で成功させた後、昼食のロケ弁を食べ終えた俺は狩生からいきなり呼び出されてこうして中庭にいる。狩生が何で中庭をチョイスしたのか、全くは分からない。

 

 「にしても、この前の春までフツーに俺たちのような格好した連中がここに来て勉強とか部活してたって考えたら、なんかノスタルジックじゃね?」

 「ノスタルジック・・・」

 

 中庭のど真ん中に鎮座する水の出なくなった噴水の前に立つ俺に、隣に並んで立つ狩生は“抽象的”で独特な言葉を俺に投げる。心なしか読み合わせ、4日前の撮影、今日の撮影開始前、そして昼休憩と順序を立てているかのように俺との距離を縮めてきているような感じがする。

 

 狩生(この人)はこんな感じで人との距離を縮めてくるタイプ、なのだろか?

 

 「・・・って言ってもわかんねぇか」

 「・・・ちょっと何言ってるかわかんなかったですね・・・正直」

 

 この有島や牧とも異なる気さくに見えて何とも考えが読めず掴みどころのない感じのタイプの人は初めてだから、中々戸惑いが消えない。

 

 「とりあえず・・・腹を割って話しましょう」

 

 そんなことを思いながらこっちから話す話題を考えていたら、あまりに直球ストレートな言葉が口からこぼれ、少しの恥ずかしさが込み上げる。

 

 「・・・だな」

 

 何か言われるかと一瞬だけ覚悟したが、狩生は俺の言葉をすんなりと受け入れた。

 

 「・・・それで話は何ですか?」

 

 どうして中庭をチョイスしたかはよく分からないままだが、狩生が何のことを話したいのかは割とすぐに察することが出来た。

 

 「聞こうとして聞きそびれてたけど、セキノが本番前に俺に言った“今日ここにいる役者の中で唯一信頼しきれる”って言葉の意味を教えてほしい」

 

 

 

 “今日ここにいる共演者(やくしゃ)の中で、唯一“信頼しきれる”からです

 

 

 

 「・・・あれは“そのまんま”の意味です」

 「“そのまんま”って何?もっと具体的に言ってくんない?」

 「具体的ですか・・・(どの口が言ってんだ・・・)」

 

 “メンタルクラッシュ”といい“ノスタルジック”といい、自分は抽象的な表現ばかり使う癖にどの口がと心の中で思いつつ、俺は撮影が上手くいったという感謝も含めてその意味を伝える。

 

 「本当にそのままの意味ですよ・・・・・・共演者(あいて)が狩生さんのように“芝居が上手い”人だったから、俺は相手を信じきって自分の芝居を好き勝手に()れることができました・・・」

 

 狩生の“芝居が上手い”ということは、4日前の時から俺は感じていた。本番になった瞬間にリミッターが一気に外れたかのように強い“感情”をぶつけてきた狩生の芝居(それ)は、“悪ふざけ”ではなくちゃんとケンジの感情を理解していたものだったからこそ、対峙していた時に“違和感”を全く感じなかった。

 

 だから俺は思わず“フラッシュバックを引き起こしてしまう”くらい、ユウトの感情に移入してしまった。

 

 「・・・“芝居が上手い”か・・・・・・てことはあのフラッシュバックは俺のせいか

 

 4日前のフラッシュバックを思い返したように狩生が、雨が上がったばかりの曇り空を見上げたまま聞いてきた。それと同時に狩生の芝居の上手さが、俺の一言で“フラッシュバック”のことを連想した“勘の鋭さ”にあることを俺は理解した。

 

 「・・・結果的には、そうなってしまいますね・・・」

 

 結果論だけで言うと、俺は狩生の演じるケンジの感情に呑まれる恰好になって“フラッシュバック”を起こしてしまった訳だから、その原因(トリガー)はある意味では狩生ということになる。

 

 「・・・あぁあの、もちろん狩生さんは何も悪くないですよ?」

 

 もちろん狩生は何一つ悪くないし、寧ろあそこまでケンジを本気で()ってくれたことは本気で感謝している。

 

 「気にすんな。そもそも俺は悪いことしたなんて1ミリも思ってねぇし」

 「マジですか」

 

 “気にすんな”と何食わぬ顔で嘯く狩生の横顔を見て俺の心配が杞憂に終わったことはともかく、感謝の気持ちは心の底から本物だ。

 

 「でも俺は、逆に今回の撮影で“フラッシュバック”が起きて良かったなって思ってます・・・そうじゃなかったらきっと、4日前に國近さんからOKが出ていて今日の撮影も予定通りにできていたとしても、今日のような“ベストな芝居”はできなかったです」

 

 だから俺は狩生を見て思い浮かんだことをそのまま言葉にする。フラッシュバックがもしも起きなければ、“あんな辛い”思いはせずに済んだのかもしれない。でもその“辛さ”は、これからも役者として生きていく上では絶対に必要になってくる。

 

 そしてその辛さに気付けたからこそ、俺は“過去”と向き合い“過去(それ)”を芝居の糧として利用する自分なりの正しい戦い方が視え始め、改めて周りの人たちの存在の大切さに気付かされた。

 

 「だから狩生さんがケンジで本当に良かったと俺は思っています・・・・・・ありがとうございました

 

 何を考えているか分からないところはお互い様だけど、改めてそれに気付けたのはこの現場で“同じ芸歴の役者”に出会えたからだ。

 

 4日前までは自分のことで手一杯だったけれど、だからこそ出来ることならもっと早く、狩生と積極的に色んなことを話しておけば良かった。かもしれない。

 

 「・・・・・・なんか映画のクライマックスみたいな台詞(こと)言ってるけど、撮影はまだ午後(これから)も続くぜ?」

 「・・・そうでしたね」

 

 知らないうちに自分に酔いかけていた俺を横目で見ながら、狩生が正論で正す。それもそうだ。今日の撮影も、『ロストチャイルド』の撮影もまだ終わらない。母親(リョウコ)と“対面”する日も、着々と迫っている。寧ろ本当の勝負はこれからだ。

 

 「だけどせっかくだから俺もそれっぽいヤツを、一言だけ言っとくわ」

 

 俺をあと一歩のところで“正気”に戻した狩生は、徐に一呼吸を置くと視線を目の前にある噴水に向けて感謝の言葉を送ってきた。

 

 「・・・俺のほうこそセキノみたいなヤツとこうやって芝居ができて、マジで楽しい。サンキューな

 

 そして感謝を言い終えると、狩生は俺の肩に“午後も頑張れよ”という意味を持つ軽めのパンチを俺に入れた。

 

 「・・・ありがとうございます」

 「それと俺とセキノは芸歴が一緒らしいから、全然タメ口で話してくれてもいいぜ?」

 「えっ・・・あぁ、うん。分かった」

 「警戒すんなよ」

 

 ついでにこれからはタメ口で話しかけてもいいという“許可”も貰った。

 

 そんな狩生と俺は年齢的にいうと2学年分離れているが、芸歴はどちらも今年が1年目。つまりそういう意味では狩生(この人)は俺にとって直接的な“ライバル”になる。まだブラウン管越しでしか顔を見たことがない一色十夜も含めて、俺のライバルとなる人は沢山いるのだろう。

 

 ライバルが多いということは、それだけオーディションや芝居を通じて色んな“”が待っているのかもしれない。

 

 

 

 “それでもやっぱり、周りに競い合うライバルがいるほうが“燃える”な・・・

 

 

 

 「つーことで改めてよろしくな。“ライバル2号”」

 

 “あれ?いま俺、何を考えていた?”

 

 「・・・・・・あぁ、よろしく」

 「どうした?“2号”じゃ不満か?」

 「いや、全然不満じゃ・・・」

 

 不意に心の中に湧いてきた“心が燃える”感覚に動揺しかけて、思わず反応が鈍る。

 

 “ていうか今・・・”

 

 「ていうかいま、“2号”って」

 「・・・雨じゃね?」

 

 狩生の言った“ライバル2号”の意味を聞こうとした矢先、掌に一滴の水滴が落ちた。

 

 「ホントだ」

 

 一旦止んでいたはずの雨がポツリと降り始めようとしていた。

 

 「戻るぜセキノ、これで濡れたらカントクにぶっ殺される」

 「言われなくても」

 

 

 

 “ライバル2号”のことを聞きたいところだが、先ずはこの後の撮影に備えて衣装の制服を濡らさないことが最優先の俺たちは、ダッシュで中庭から撮影が行われている旧北校舎の建物の中に避難した。

 




連続夜勤の疲労とリコリコの最終回が気になり過ぎたせいで、この1週間はあまり筆が進みませんでした。まぁ、遅筆がデフォの作者にとってはそんなに関係のないことですが・・・・・・はい。

シリアスな世界観のアニメやドラマを観ると続きが気になって仕方が無くなってしまうのでいつもだったらリアタイで観るのを避けていましたが、いせおじが延期になったことで魔がさしてしまったのが運の尽きでした。後悔はしていません。

ちなみに作者のイメージしているチヨコエルのCVが奇しくも若山さんだったこともあり、個人的に12話は色んな意味でかなり感情が揺さぶられました。

もし12話の狂いに狂った感じで羅刹女なんてやられたらもう・・・・・・ヤバいっす。

さてと、最終回も見届けたことですのでここから回復運転で遅れを取り戻しますか。


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scene.56 出会い






 「・・・・・・最初に言っておくけど、この過去(こと)は私たち2人だけじゃどうにもならないようなことだから・・・全部は話せないけど、それでもいい?

 「・・・・・・あぁ、分かった

 

 

 

 

 

 

 「あっぶね~、あと2,3秒遅かったら俺たちずぶ濡れだったな」

 「・・・ほんとにギリギリ間に合った」

 

 撮影が行われている校舎の中に入った瞬間、空が一気に暗くなってポツポツと降り始めていた雨が一気に強まり、あっという間に土砂降りになった。

 

 「すげー雨だな。これ撮影大丈夫か?」

 

 1階の廊下から窓の外で滝のように降る雨を見て、狩生が独り言のように呟く。その言葉に釣られるように、俺も窓の外に視線を向ける。

 

 「多分通り雨だよ、これ」

 

 西の方角の空を見ると、俺たちの上空にいる雲の先は白くなっていて、所々に青空もちらついているのが見えた。

 

 「ホントにそうっぽいな。でもよく分かったな」

 「いつかの理科の授業で“天気は西から東へ流れる”っていうのを教わったことがあるからさ」

 

 授業で教わった知識を基にした俺たちの予想通り雨は2,3分ほどで再び弱まりだした。きっと今ごろ俺たち以外の演者や國近を始めとしたスタッフもひとまず安堵していることだろう。

 

 「そういえばだけど、狩生さんがさっき言ってた“ライバル2号”の意味って何?」

 

 窓の外で地上に降り注いでいた雨が小降りになったのを目で確かめて、俺は聞きそびれていたことを狩生に聞く。

 

 「・・・・・・“そのまんま”の意味だよ」

 「・・・そのまんま・・・もしかしてさっきの“仕返し”?」

 

 すると俺からの問いかけに、狩生はお返しとばかりに中庭で俺が言った言葉と全く同じ言葉を返してきた。

 

 「“仕返し”ってお前・・・物騒な言い方だなオイ」

 「ごめん、言葉間違えた」

 「ほとんど合ってるけどな」

 「合ってんのかい」

 

 案の定それは俺の予想していた通り、“仕返し”を意味していた。

 

 「・・・要は俺ん中じゃセキノが2番目になるってことよ。ライバルとして」

 「・・・それは役者ってこと?」

 「まぁ役者っていうのも間違いじゃねぇけど、俺の場合は何ていうか“シンプルにおもしれーヤツ”って意味な。もっとシンプルに言うとExciting・・・的な感じ」

 「・・・エキサ・・・」

 

 そして狩生は独特な例えで2号の意味を俺に説明する。分かりづらいが何となく言いたいことはわかったけれど、それ以上に気になるところがあった。

 

 「・・・狩生さんって、英語上手いな」

 

 さり気なく狩生が最後に言った英語が、まるで外国人とほとんど変わらないくらいにその発音が流暢だったからだ。

 

 「そりゃあよ、自分で言うのもアレだけど俺って“帰国子女”だし」

 「マジで?」

 「おう。親父の仕事の都合で3歳から9歳までLA(ロサンゼルス)で生活してたからな」

 「・・・それはすげぇ」

 

 帰国子女という言葉を聞いて、俺は納得した。そういえば今日の撮影が始まる前に國近に“あいさつは“LA”でしか習ってこなかった”と窘められていたことを思い出した。その時はこの後の撮影に向けて気分を高めていたタイミングだったから気付けなかったが。

 

 「いや、6年も海外で向こうの連中とつるんでたら嫌でも英語は覚えるよ。てか覚えないと生きてけねぇし」

 「言われてみれば確かに」

 

 てことはこの独特な狩生のノリも、LA(ロサンゼルス)仕込みなんだろうか・・・・・・いや、それはないな。

 

 「で、小4のときに日本(こっち)に戻って来たときに意気投合したクラスメイトが、俺の“ライバル1号”さ」

 「・・・じゃあ狩生さんの“ライバル1号”は同級生の役者ってこと?(話続いてたんか・・・)」

 

 さり気なく話が連続していたことは置いておいて、やはり2号がいるなら1号も別でいるらしい。ロサンゼルスから帰ってきた転校先のクラスで出会った、“ライバル1号”。

 

 

 

 “『“夕野憬”。珍しい名前だね。私もちょっと変わった名前だから、仲間が出来たみたいで嬉しい』”

 

 

 

 “・・・蓮みたいなやつだな・・・

 「・・・蓮みたいなやつだな

 

 そんな顔も名前すら知らない“ライバル1号”を思い浮かべ、何となく転校してきた蓮と初めて会った時のことを思い出した俺は、無意識に心の中の声を呟いていた。

 

 「レン?」

 「・・・えっ?」

 

 しかも、思い切り聞かれていた。

 

 「ひょっとしてセキノにも同じような存在(ヤツ)でもいんの?」

 「・・・まぁね」

 「レンって聞こえたんだけど、そいつって男?女?」

 

 更に名前まで聞かれてしまった。

 

 「女子だよ」

 

 どうしようかほんの一瞬だけ考えたが、俺は素直に女子だと打ち明けた。

 

 「マジで?」

 「うん。あとなんで驚くんだよ?」

 

 狩生にとっては意外だったのだろうか、蓮が女子だと打ち明けると分かりやすくリアクションをとった。

 

 「えっ?そのレンって彼女は可愛い?」

 

 そして何とも反応に困るリアクションが返って来た。

 

 “『・・・憬・・・』”

 

 可愛い?確かに蓮が可愛いかと言われたら俺はそう思う。でもそれ以上に蓮には“華”があった。だから俺は蓮にスカウトキャラバンを受けることを薦めたのは、もう2年以上も前のことだ。

 

 「・・・可愛いってより、があるって感じかな」

 「華か・・・・・・じゃあ絶対可愛いじゃんそれ」

 

 とりあえず今言えるのは、ストレートに蓮のことを狩生に伝えたのは間違いだったかもしれないということだ。こういう場合は何か“掘り下げられそう”なネタが目の前にあれば容赦なく質問攻めしてくるようなパターンだ。帰国子女なのは置いといて、この手の人種(タイプ)は俺の学校にも普通にいる。 どうせ“彼女?”だとか“付き合ってんの?”とでも聞いてくるんだろう。

 

 “・・・って、そう考えてる俺の方がヤバイな・・・”

 

 冷静に考えてみれば、無意識にそうやって偏見で決めつけてしまう自分の思考回路のほうがおかしいことに客観的に気づき、俺は一旦頭の中をリセットする。

 

 「・・・ちなみに俺の“ライバル1号”は男だよ」

 「・・・狩生さんのライバルは男友達なんだ(まさかのスルーしたよこの人・・・)」

 

 だが俺の予測に反して狩生は蓮の話題をあっさりとスルーしてしまった。何だかこれはこれで、もう少し聞いて欲しいようなもどかしい気分に襲われる。

 

 相変わらず、狩生(この人)がどういう人なのかが中々視えてこない。

 

 「しかも超有名人だぜ?」

 「超って・・・マジで言ってんの?」

 

 そんな中で得た手掛かりは、“ライバル1号”が有名人だと言うこと。

 

 「(おお)マジだよ。テレビにも出まくってる」

 

 “・・・それを言うなら蓮だって・・・”

 

 「・・・・・・えっ?誰?」

 

 俺はふと蓮も女優としてドラマに出たことがあると狩生に打ち明けようとしたが、寸でのところでやめることにした。相手から“超有名人”だと言われて蓮のことを引き出しで言うなんて真似は、棚に上げているみたいで嫌だったからだ。

 

 

 

 “『変装しなければまともに街すら歩けない。こんなことになるくらいだったら芸能人(スター)になんてなるんじゃなかったよ』”

 

 

 

 街で偶然出くわした天馬心が言っていたように、有名人になったからといってそれで幸せになれるとは限らない。全部じゃないけれど、親友と離れ離れになったときの感情を体験している俺はそのことを知っている。

 

 

 

 “そもそも俺は有名になりたいとか名声だとか以前に、ただ芝居をしたくてここにいる

 

 

 

 「・・・聞いて驚くなよ・・・

 

 いかにも何か凄いことを言いそうな雰囲気を醸し出しながら、狩生は俺の正面に立って言葉を溜め込め、口を開こうとした瞬間、

 

 「探しましたよ夕野さん!狩生さん!もうすぐ午後の撮影始めますよ!

 

 廊下の向こうから1人のスタッフが走りながら大声で俺たちのことを呼んできた。どうやら話しているうちに“いい時間”になってしまったらしい。

 

 「嘘?マジで?どうするセキノ?」

 「とりあえずダッシュで現場に戻りましょう。國近さんの機嫌が悪くなる前に」

 

 こうして俺たちは駆け足でやって来たスタッフに促されるように、3階にある撮影場所の教室へと走る。

 

 “・・・止んだか・・・”

 

 階段へと続く廊下を狩生と共に走りながらふと窓の外に顔を向けると、さっきまで降っていたはずの雨は完全に止んでいた。どうやらさっきの雨は本当に通り雨だったらしい。

 

 

 

 “・・・雨・・・

 

 

 

 そう。父親から首を絞められた時も、その記憶がフラッシュバックした時も、2日前(おととい)に母ちゃんの口から直接過去のことを打ち明けられた時も、が降っていた。

 

 

 

 「セキノ?階段はこっちだぞ?

 「

 

 隣から聞こえてきた狩生の声で我に返ると、登っていくべき階段を俺は通り過ぎていた。

 

 「あぁごめん。ありがとう」

 「ひょっとしてセキノって方向音痴?」

 「いや、全然」

 「ホントかよ?」

 

 雨が降っていた外の景色に目を向けるうちに、俺は走りながら思わず一昨日のことを思い浮かべていた。もちろんこれは、これから終わりにかけてユウトを演じ切るためには必要な感情だ。

 

 「まぁいいや、急ぐぞ」

 「おう」

 

 その感情を一旦心の奥にしまい込み、憬は狩生の後を追うようにして撮影の行われる教室の階に続く階段を上がって行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・・・・最初に言っておくけど、この過去(こと)は私たち2人だけじゃどうにもならないようなことだから・・・全部は話せないけど、それでもいい?

 「・・・・・・あぁ、分かった

 

 深く呼吸をして心を決めた母ちゃんは俺に、ようやく“過去”のことを打ち明けてくれた。

 

 「・・・憬には高校3年の時に女優になる夢を諦めたって言ったけどさ・・・」

 

 まず最初に母ちゃんから明かされたのは、高校3年の時にある映画のオーディションで1人の少女の演技を目の当たりにして女優になるという夢を諦めたという話が、嘘だったということ。

 

 正確に言えば母ちゃんはあのオーディションをきっかけに一度は夢を諦め、駄目だった場合に備えて元々志望していた東京にある“名門”として有名な大学に進学した。もちろんその大学の名前は正月の駅伝などで時折聞く名前だから俺も知っていたが、母ちゃん曰くその大学には数多くの俳優や舞台演出家を輩出している通称、“演研(えんけん)”と呼ばれる名門の演劇サークルがあるという。

 

 その大学でたまたま同じ高校の演劇部で互いに馬が合い親しくしてくれていた1つ上の先輩とばったり再会した母ちゃんは、先輩から演研に入って欲しいと勧められるが、

 

 「無理やり誘われたんだけど、あの頃の私はもう演劇の“え”の字も聞きたくないくらいだったから、最初は何かと理由をつけて断ってたんだよね」

 

 といった具合に最初は全く乗り気じゃなかった。

 

 「じゃあ何で入ったんだよ?嫌なのに?」

 「・・・まぁ結果論で言うと、先輩の言葉に“騙された”・・・みたいな感じかな」

 「騙された?」

 「そう、ある意味ね」

 

 

 

 “『勿体ないよ。江利(えり)ほどあんなにお芝居を心から楽しめるような人がたった一度のオーディションに落ちたぐらいで諦めちゃうなんて・・・・・・騙されたと思って1年だけさ?お願い!』”

 

 

 

 という仲の良かった1学年上の先輩から言われた“1年だけ”という悪魔の説得に根負けする形で、母ちゃんは演研に入ることとなる。

 

 “『・・・1年だけですよ・・・?』”

 

 当然このときの母ちゃんは、本気で“1年だけ”のつもりで入ったらしい。

 

 「それで入って早速、新入生同士だけで演じる新人公演の稽古に入ったわけなんだけど_」

 

 そんなこんなで演研に入ることになった母ちゃんは、入部初日でいきなり新人公演に向けた稽古に同期の新入生と共に取り掛かることとなった。その内容は新入生がいくつかのグループに分かれて、それぞれ30分から40分ほどの劇を先輩からの演出と指導の下、5日間で完璧に仕上げていくというものだ。

 

 しかもその新人公演は演研の団員全員を始め、同演研の出身で実際に演劇界で活躍している俳優や演出家たちも視察にくるなど非公開ながらかなり本格的なもので、高校演劇の全国大会で賞を獲った母ちゃんですら、その5日間の緊張は半端なものではなかった。

 

 「本当にあの5日間はキツくてさあ、ハッキリ言って全然楽しくも何ともなかったわ。多分寝てすらいなかったんじゃないかなあの時」

 「いや5日間ぶっ通しで起きてたら普通死ぬぞ?」

 「死なないんだなこれが」

 「だろうな(そりゃ死んでたら俺生まれてねぇし・・・)」

 

 当然そんな環境なものだから先輩からの演技指導は熱が入ったものとなり、あまりの過酷さに新人公演の本番を待たずに辞めてしまった新入生もいたほどだったという。もちろん母ちゃんはその5日間を無事に乗り切るわけだが、母ちゃん曰く公演までの5日間は寝た記憶すらないという。

 

 あっけらかんとした口調で話している割に、その内容はかなり壮絶そうなのは容易に想像ができた。

 

 「今まで顧問の先生だとか先輩から教わってきた芝居(こと)が全部否定されてさ、最初の1日目はほとんど泣いてた気がするわ・・・でも次の日になったらそれが“今に見てろ”って感じで怒りに変わってて・・・・・・逆に“燃えた”んだよね」

 

 自分の芝居を否定された“悲しみ”が認められない“悔しさ”と見返してやりたい“怒り”に変わって、母ちゃんは寝る間も惜しんで自分なりの新たな芝居と向き合い続けて、新人公演の本番を迎えた。

 

 「本番はどうだった?」

 「・・・もちろん大成功。というより、成功する気しかしなかったわ」

 「すげぇ自信だな」

 「当たり前だよ。本当に“死ぬ気”で頑張ったんだから」

 

 そして肝心の本番は見事に会心の出来だったようで劇が終わりお辞儀をした瞬間、新人公演が行われたアトリエに集った団員と演研出身の先輩たちの全員が他のグループとは“次元が違う”、割れんばかりの拍手喝采で出迎えてくれた。当然、今でもたまに“小芝居”を仕掛けてくる母ちゃんの演技力を知っている俺にとっては特に驚きはない。そりゃあ全国大会の賞を獲ったくらいだから、根本的に芝居勘が周りより優れているのは頷ける。

 

 「最高じゃん。それ」

 「もちろん最高の気分だったよ」

 

 ともあれこうして自分の芝居で拍手喝采に包まれる景色を再び味わった母ちゃんは、一度は諦めていた夢にもう一度挑戦しようと心から決意した・・・・・・

 

 「この後にやっぱり演劇辞めますって言ってみんなを驚かせるには最高の前フリになったからね」

 「マジでか」

 

 はずはなく、母ちゃんの心は5日間の地獄から解放されて完全に清々していて、すっかり演研を辞める気でいた。

 

 「でも言えなかったんだよね・・・・・・結局

 

 

 

 “『“良い芝居”をするじゃないか・・・君』”

 

 

 

 そんな拍手喝采の大成功で締めた新人公演の終わり際、劇場となったアトリエで母ちゃんは1人の青年に声をかけられた。

 

 「いきなり“良い芝居をするじゃないか”って新入生の私を口説きにきてさ・・・もう話しかけられたときは鬱陶しくて仕方なかったよ。こっちはこのまま辞めるつもりでいたのに_」

 

 地獄のような稽古を乗り切り拍手喝采ですっかり完全燃焼していた母ちゃんに話しかけて来た1人の青年。当然ながら辞める気しかなかった母ちゃんは“面倒くさい男”に絡まれたとしか思っておらず、素っ気ない反応でやり過ごそうとした。

 

 “『相手が誰であろうと物怖じしない我の強さ、僕は嫌いじゃない』”

 

 しかしその青年は母ちゃんの素っ気ない態度に諦めるどころか、グイグイとその距離を縮めてきた。

 

 「ホントあの瞬間は本気で“襲われる”かと思ったよ。演劇を辞めたいのに無理やり連れ戻されるどころか、あんな訳の分からん男に初めてを奪わ」

 「母ちゃん、その話はいいから続きを教えてくれ」

 

 ついでにその青年の話をしていた母ちゃんの話が“変な方向”へと脱線しかけたので、俺は無理やり話を止めて“軌道修正”した。

 

 「えっ?もしかして憬って“そういう感じ”のノリ全くダメなの?ホントにガキんちょねあんた?」

 

 どうでもいいことだが14年も生きてきて俺は、“そういう類”の話に抵抗がないという母ちゃんの新たな一面を垣間見てしまった。別に悲観的な意味じゃないけれど、俺は何とも言えないショックを受けた。

 

 「いやダメって訳じゃねぇしガキでもねぇから・・・てか今はそのことはどうでもいいんだよ」

 

 

 だがそんなしょうもない衝撃も、この後に母ちゃんが言い放った一言で全部吹き飛んでしまったのだが。

 

 「どうでも良くないわよ。だってその男の人が最終的に(あんた)の“お父さん”になるんだから

 「あーはいは・・・・・・えっ?

 

 なんと母ちゃんに話しかけて来た謎の青年こそ、俺の父親にあたる人だという。

 

 「・・・・・・とりあえず話を戻してくれ」

 「あれ?動揺してる?」

 「してねぇわメンドクセェ」

 

 母ちゃんが言いかけていた例え話があながち間違っていなかったことが分かってしまいあまりに衝撃的すぎて動揺したが、俺はそのまま話を戻すように促した。

 

 「・・・まあ色々と嫌なこと考えてどうやってその男から逃れようかってことで頭がいっぱいになって周りのみんなに助けを求めようとしたわけ・・・そしたらさ_」

 

 いきなり初対面の訳の分からない男に口説かれで周りに助けを求めた母ちゃんだったが、その思惑に反して周囲のみんなはまるで“有名芸能人を偶然見つけた野次馬”のように一定の距離を取って見守るだけだった。そして偶々、自分を演研に誘った先輩と目が合ったが、先輩は母ちゃんを見るや否や“この人に付いていけ”と言わんばかりに身振り手振りでジェスチャーをしてきたという。

 

 それを見た母ちゃんは、目の前で自分のことを口説く男が“只者じゃない”ことを察した。らしい。

 

 

 

 “『君の芝居が必要なんだ・・・・・・だから“僕の劇団”に入ってくれないか?』”

 

 

 

 「・・・それって実質プロポーズじゃね?」

 「そうね。ま、映画とか舞台のオーディションも要は演出家から気に入られた(モン)勝ちだから、ある意味オーディションはプロポーズだよ」

 「何となく母ちゃんが言いたいことは分かったわ」

 

 そんな感じである意味“プロポーズ”とも捉えられかねない言葉で母ちゃんをスカウトしたのは演研を母体として存在する小劇団(アンサンブル)のうちの1つであり、その中でも新進気鋭な結成2年目の劇団を主宰していた大学4年生の舞台演出家の青年だった。ちなみにその青年は強者や曲者揃いの演研の中でも一線を画す唯一無二なカリスマ性を持っていて、先輩後輩関係なく周囲から特に“一目置かれた”存在だったという。

 

 そんな“絶対的な存在(カリスマ)”であった彼から入団5日目の新入りがいきなりスカウトされたわけだから、演研中にただならぬ衝撃が走った。らしい。

 

 「・・・けどすぐには決められなくて、その場では保留にしてもらったわ」

 

 だが母ちゃんはその青年からのスカウトを “保留”にした。せっかく演劇をきっぱり辞めようと思っていたはずの心が揺れ、どうしたらいいのか分からなくなった末の“保留”だった。案の定、周りの団員たちからはせっかくのチャンスをフイにしたことによるどよめきが巻き起こった。

 

 “『騒ぐなら今すぐ出て行ってくれないか。僕は彼女と話をしているんだ』”

 

 どよめきを一身に受ける形となった母ちゃんに、後に俺の父親となる青年は鶴の一声で半ば野次馬となりかけていた団員たちに向け静かに怒り、混乱を一瞬で鎮めた。

 

 

 

 “『期限は決めない。でもその代わり、もし君の心に“芝居を()りたいと願う瞬間”が訪れたら、迷わず僕のところに来てほしい・・・・・・君は君にしか出せない“芝居”を持っているから・・・』”

 

 

 

 周りを一声で鎮めた後、青年は母ちゃんに芝居がかった捨て台詞のような激励の言葉を送ると、そのまま颯爽と劇場のアトリエを後にしたという。

 

 

 

 これが、母ちゃんと父親の最初の出会いだった。

 

 

 

 「すげぇロマンチックな人だな」

 「ロマンチストっていうより、超が付くほどの個性の塊みたいな人だったわ」

 

 この時点で思ったことは、俺の父親は相当なロマンチストだったようだということ。でもフラッシュバックした光景に浮かんだ父親の姿は、少なくとも“ロマンチックでカリスマ性のある演出家”の面影は全く感じられなかった。

 

 「・・・でも初めて話しかけられた時から、本当に心の底から“演劇のために生きている”人なんだなっていうのは伝わってきた。そんな人から“君が必要だ”って言われたから、この人だったら騙されても後悔しないだろうなって感じてついていこうって思ったのよ」

 

 そしてこの捨て台詞の言葉を通じて“この人はちゃんと私のことを視てくれている”と直感した母ちゃんは翌日、青年が主宰する小劇団の門を叩き、女優としての夢を再スタートさせた。

 

 「今思えばあの頃が私の人生のピークだったかな・・・」

 「いやまだ人生終わってねぇからわかんねぇだろ」

 「おっ、たまには嬉しいこと言ってくれるじゃん憬」

 「・・・そういう意味で言ったわけじゃねぇよ」

 

 それから母ちゃんは学業と喫茶店のアルバイトをこなしつつ主宰の青年の劇団が本拠地としているテント小屋で稽古と公演を重ねる日々を送りながら芝居に磨きをかけ、かつて先輩と約束をしていた1年が経った頃には劇団の看板俳優の1人になっていた。

 

 そして母ちゃんが看板女優として再び舞台に上がるようになった頃から、その劇団は本拠地のテント小屋を飛び出して外部の劇場で公演を打つようになった。元から演劇通の人たちからは知る人ぞ知る程度には知られていたこともあってか、都内の劇場で上演を行うたびにチケットも飛ぶように売れていき次第に演劇界からも注目されるようになり、更に1年が経った時には劇団は当時ムーブメントを巻き起こしていた小劇場演劇において“中心的存在”として数えられるほどになっていた。

 

 「母ちゃんが看板女優・・・・・・1ミリも想像できねぇな」

 「うわっヒドいこと言うねぇ~、これでも演劇雑誌に載せてもらったことがあるんだからね」

 「その雑誌はあんの?」

 「そんなものとっくの昔に捨てたわよ」

 

 もちろん母ちゃんは劇団の看板女優だったこともあって、雑誌にも載ったことがあったというが、残念ながらその雑誌は横浜(こっち)に引っ越した時に捨ててしまったらしい。ちなみに俺の頭の中では、母ちゃんが劇団の看板女優をしているイメージは残念ながら全く浮かばなかった。

 

 「でも外で公演を打って劇団の名前が有名になってきた時に、私が演劇をしていることが両親にバレちゃってね・・・」

 

 ともあれこうして順調に劇団の看板女優として舞台に立ち続けていた母ちゃんだったが、大学3年の冬に自分が一度は辞めたはずの演劇を続けていることが両親に知られてしまった。母ちゃん曰く、元々“演劇は高校までで、そこからは1人の大人としてちゃんとした大学を出てちゃんとした会社に入りなさい”と厳格だった両親から口うるさく言われていて、高校3年の時に受けたオーディションも両親には内緒で受けていた。

 

 当然ながら演劇という“将来が保証されない道楽”を続けているとは知らず大学で将来のための勉学に励んでいると思っていた両親は激怒し、母ちゃんに“援助を続ける代わりに今すぐ劇団を辞めるか、劇団を続ける代わりに縁を切るか”という究極の二択を押し付けた。

 

 「・・・ひでぇ話だな・・・役者を続けるなら縁を切るなんてよ・・・」

 「私も最初はちゃんと話したらきっと分かってくれると思ってさ、それで私が演者で出演してた舞台のチケットを持って正月に実家に日帰りで帰ったわけ・・・」

 「・・・それで?話し合いはどうだった?」

 

 今の俺たちを考えれば何となく予想はついたが、念のため俺は聞いてみた。

 

 「・・・持ってきたチケットを見せるや否や父さんが中身も見ずに破り捨てて、それで私も堪忍袋の緒が切れて恨み言の限りを尽くしてそのまま実家を出たわ。滞在時間はざっと30分ってとこね・・・もちろんそれからは一度も実家には帰ってないし、連絡すら取っていないわ

 

 すると母ちゃんは俺の祖父母にあたる両親と絶縁するまでの顛末を自慢げに話してくれた。時折笑みすら浮かべて明るく話していたが、掘り下げたらかなり壮絶そうなのは明らかだった。

 

 「・・・だから俺には爺ちゃんと婆ちゃんがいなかったんだな」

 「そゆこと」

 「じゃあ俺の“父ちゃん”だったその人も似たような感じ?」

 「そうね。あの人も演劇で食っていくために家族との縁を切ったって言ってたし」

 

 とりあえずこれで、夕野家に祖父母がいない理由が分かった。それと同時に、これだけの過去を背負っていることをこれまでずっとおくびにも出さずに俺の面倒を見てきた母ちゃんの強さを思い知った。

 

 「・・・なあ?母ちゃん?」

 「ん?」

 

 そんな母ちゃん“過去”を知ったからこそ、俺は話を一度中断させて“俺が役者になることに反対しない理由”を聞くことにした。

 

 「何で母ちゃんは俺が“役者”になることを止めなかったんだ?」

 「えっ?反対して欲しかったの?」

 「そういうことじゃなくて・・・・・・あれだ、嫌だとか心配だとか本当に思わなかったのか?」

 

 スターズのオーディションの時も、突然プロデューサーを名乗る大男にCMの現場に連れていかれる形で勝手に“芸能界デビュー”した時も、母ちゃんは反対や心配をする素振りすら全く見せず、二つ返事で受け入れてくれた。

 

 「私の言うことがそんなに信じられない?」

 「だからそういう意味で言ってねぇっつの」

 

 俺は別に母ちゃんのことを信用していないわけじゃない。

 

 「俺はただ知りたいだけだよ・・・単純に母ちゃんが何を考えてんのか

 

 ただ、この後に待ち受ける父親との出来事を経ても俺のことをここまで信じてくれている。その理由を知りたかった。

 

 「・・・そうねぇ・・・」

 

 俺からの言葉に、母ちゃんは少しばかり考え込むと俺の目を真っ直ぐ見つめながら本当の理由を初めて教えてくれた。

 

 

 

 「・・・憬には私とかお父さん(あのひと)みたいに“辛い”思いはして欲しくない・・・だから憬がどんな選択をしたとしても、私は“家族”として憬が自分で選んだ道をとにかく信じて支えようって、(あなた)と“ふたりだけ”になったときから決めていた・・・・・・それだけかな・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・セキノ?大丈夫か?

 

 カメリハ開始5分前。隣から聞こえてきた狩生の声で、俺は意識を再び2日前から“”に戻す。

 

 「大丈夫だよ。これからユウトの感情に入っていくために“過去のこと”を思い出していただけだから」

 「俺はほんのちょっとだけ心配しちまったぜ。ずっと一点を見たままだからまた“フラッシュバック”を起こしちまったかと思ってよ?」

 

 ほんの数秒前まで“感情(いしき)”は完全に2日前にあったが、隣に立つ狩生の声で瞬時に戻ることができた。別に話しかけてくるのは誰でも良かったけれど、これでこの後の撮影はもう大丈夫だ。

 

 

 

 “・・・ありがとう・・・・・・母ちゃん・・・

 

 

 

 「・・・心配はいらないよ。ちゃんと“俯瞰”できてるから

 「・・・・・・Awesome(すげぇな)

 

 

 

 自らの冗談半分の問いかけに“ユウト”の感情に入り込んだまま答えた憬を見て、狩生は“ライバル2号”に出会えたことへの歓喜の独り言を呟いた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_午後8時35分_新宿_

 

 「十夜さん。到着しました」

 

 夜の8時35分。自らが主演を務める日曜ドラマ『学園探偵・ケイト』の撮影(ロケ)を終えた十夜を乗せた車が、新宿にある十夜の自宅マンションの前に着いた。

 

 「zzz・・・」

 「・・・・・・十夜さん?」

 

 マンションの前に車を停め、運転席に座るマネージャーの藤井(ふじい)は後部座席の十夜に声をかけるが、当の本人は足を組んだ姿勢のままアイマスクを付け爆睡していて起きる気配もない。

 

 「・・・十夜さん。起きてください

 

 そんな全く呼びかけに応じずに爆睡を続ける十夜にしびれを切らした藤井は、少し語気を強めながら十夜の名前を呼んだ。。

 

 「z・・・・・・ん、なにどした?」

 

 3回目の呼びかけで十夜はようやく起き上がり、気怠そうにアイマスクを外す。

 

 「十夜さん。マンションに到着しました」

 「・・・えっマジ?もう着いたの?全然寝てないんだけど」

 

 ドラマの撮影が終わって藤井の車に乗り込み、アイマスクで視界を遮りちょっと目を閉じていたらあっという間に藤井から声をかけられ、アイマスクを外して窓の向こうを眺めると、すっかり見慣れ始めた俺の住処が左隣にあった。

 

 「撮影現場からここまで約2時間、気持ち良さそうにずっと爆睡されてましたよ」

 「嘘でしょ?だってまだ“瞬き”しかしてないよオレ?」

 

 体感時間、マジの数秒。それぐらいの速さで俺は2時間の道のりを瞬間移動した。はっきり言ってそんな感覚だ。

 

 「・・・ほんとだ。ちゃんと2時間経ってる」

 

 すぐさま左腕にはめているデジタル式の限定品(腕時計)に表示された時刻をチェックすると、時計の時刻は20:35 40を指していた。文字通り俺は、夢すら見ることなく爆睡していた。

 

 「いつもに増してお疲れのようですね?」

 「そんなの4時起きだから疲れるのは当たり前じゃん。オレだってれっきとした人間だぜ?」

 

 考えてみれば当たり前だ。『学園探偵』の撮影が始まってからはスケジュールの過密さに拍車がかかって、ここ2,3ヶ月で丸一日オフを満喫できたのは尋と遊んだ3日前だけだ。今日も今日とて朝の4時に起きて10分ほどのシーンを撮るために房総半島まで行き、悪天候のせいで最大2時間半まで押した撮影をどうにかタイムリミットの日没ギリギリまでで終わらせてきた。

 

 「とにかく今日は部屋に帰ったら早めに寝ることをお勧めします」

 「あぁ・・・さすがに今日はそうさせてもらうわ。明日も緑山で撮影だからな」

 

 冗談抜きで今日は、久しぶりに7,8時間は寝たい気分だ。でも明日は6時に迎えが来るから、7時間以上の睡眠を確保するとなると自由時間は取れそうにない。

 

 “・・・仕方ない、毎度おなじみの移動時間で残りを確保するパターンで行くか・・・”

 

 「じゃあおつかれ」

 

 頭の中で朝6時までのスケジュールを立てた十夜は、そのまま車を降りて一直線に自宅マンションのエントランスへと向かう。

 

 ピーーピーーピーーピピピピーーー

 

 するとエントランスが目と鼻の先まで来たところでポケットに入れていた携帯電話から弦楽セレナードの着信音が鳴り、十夜は携帯を取り出し連絡先を瞬時に目視して電話に出る。

 

 ピーピーピッ

 

 「Hey、おつかれ」

 

 無論、電話の相手は今朝方に十夜が撮影現場へ移動中の車内からモーニングコールを送った狩生だ。

 

 「へぇ~良かったじゃん、1日で撮り終えて」

 『そっちはどうだ?』

 「あぁオレ?オレは“雨にも負けず風にも負けず”だよ」

 『どういう意味だよそれ』

 「ヒロだったらそれぐらい少し考えれば分かるだろ?」

 『・・・・・・天気が悪かったけど無事に今日撮れる分は撮り終えた、的な?』

 「まぁそんなところさ。それにしてもよく分かったな、天気のこと?」

 『こっちもこっちで今日は天気があまり良くなかったからな。ま、屋内だったから雨風は全然関係なかったけど』

 「やっぱ建物の中は天気に左右されないからいいよなぁ」

 

 エントランスを通り、ロビーの一角にあるソファーに座った十夜は小学校時代からの友人との“仕事終わり”の電話に花を咲かせる。

 

 「・・・ていうかさ、さっきから随分と機嫌がいいよな、ヒロ?」

 『えっ、そうか?』

 

 電話に出てからの第一声で、尋の機嫌が“すこぶる良い”ことに俺は一瞬で気が付いた。

 

 「・・・もしかして今日の撮影で何か良いことでもあった?

 

 “もしや”と思った俺はつかさず話題を絞り、尋の反応を探る。少なくともここまで話してきた限り、尋が憬のことを“完膚なきまでに負かした”ということはなさそうだ。

 

 

 

 “少なくとも今の(あいつ)には、(あれ)に勝てるだけの力はまだ持っていないだろうから

 

 

 

 『・・・・・・聞きたいか?

 「うん、聞かせてくれ

 

 耳元に当てたスピーカーから聞こえてきた心の興奮を理性で抑えていることがすぐに分かる思わせぶりな尋の口調で、俺は大体のことを把握した。

 

 『・・・久しぶりに“おもしろいヤツ”に出会えたわ・・・・・・“トーヤの次”ぐらいにな・・・

 

 どうやら憬は、“クソ雑魚メンタル”の状態からちゃんと脱してくれたみたいだ。4日前がどうだったかは知らないが、尋のリアクションの差からして“漫画みたい”なことが本当に起こったことは想像できた。

 

 「・・・・・・そっか」

 

 初めて(あいつ)の芝居を見たときの衝撃は1日たりとも忘れたことはない。

 

 

 

 “『世の中には、技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいるのよ』”

 

 

 

 そういう類の役者のことを、ほんの2年前まで同じ類の女優(やくしゃ)だったアリサはそう言っていた。自分の感情や立ち位置を完璧に俯瞰する技術(テクニック)や必死の努力で手に入れた“メソッド演技”を持ってしても辿り着けない“領域”。

 

 そんな領域を持つ“人間”が魅せた“糸のない芝居”をこの眼で視たことで、常に背中に付いて回る“一色家”という看板(ブランド)で腐りかけていた俺の心に消えることのないが灯された。そして俺の心は相手の“自我”が強くなればなるほど、“自分も人間でありたい”とかき乱され、より確たる“自我”となって俺をどこまでも突き動かしてくれる。

 

 やっぱり“脅威(ライバル)”として立ちはだかるような奴は、“味わい尽くしても尽くし切れないくらいじゃなければつまらない”と思ってしまうのが、“環境に恵まれすぎてしまった人間”の(さが)だ。

 

 

 

 “・・・だから俺と“出会う”瞬間(とき)まで、(おまえ)は絶対に腐るなよ・・・・・・俺はショートケーキの上に乗っている苺を、一番最後に食べるって決めているから・・・

 

 

 

 「・・・それは良かったよ。ヒロに新しい友達ができて

 『友達が少ねぇみたいな言い方すんな』

 

 身体の中で渦巻いた“歓喜”に似た感情を心に留めながら、十夜は普段と変わらぬテンションを貫いたままロビーで狩生との電話越しの会話を10分ほど交わし、自分の部屋へと戻った。

 




【おまけの後日談】

 ちなみにこの日の『ロストチャイルド』の撮影を順調に終わらせた憬だったが、肝心の“ライバル1号”の正体についてはユウトを演じることで夢中になり、無事聞き忘れた模様。


~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・狩生尋(かりうひろ)
職業:俳優
生年月日:1984年1月5日生まれ
血液型:AB型
身長:175cm


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scene.57 聖地巡礼

呪術廻戦の来栖華(クルスエル)ってさ・・・・・・どう見てもチヨコエルが友情出演で演じているようしか思えないんだよね(※あくまで作者の頭が末期なだけです)

12/4追記:一部内容を変更しました


 2018年9月2日_午前11時10分_阿佐ヶ谷_

 

 俺が今日、阿佐ヶ谷に来た目的は『hole』のロケハンをする為だ。その理由は『hole』の作中で尋也のバイト先である喫茶店と、華と尋也が出会う公園のモデルになった場所がどちらも阿佐ヶ谷にあるからだ。そして今日の天候は雨。本当はもっと土砂降りの雨が降るシチュエーションなのだが、ロケハンを行うには十分な天候だ。

 

 こうして先ずは目当ての1つとしている“喫茶店”に行く前に、“ランチタイム”までの時間つぶしとして阿佐ヶ谷に住んでいた頃に何度か歩いたアーケードを人の流れに乗りながら、ただ歩く。

 

 “・・・何にも変わってないな・・・”

 

 今日は日曜日ということもあって想像していたよりも人通りが多いが、新旧様々なジャンルの店が所狭しとアーケードの中で軒を連ねている光景は、あの頃と全く変わっていない。

 

 “・・・そういえば“あの店”ってまだやっているのか・・・?”

 

 基本的に俺はここのアーケードの中に行きつけの店だとかそういうのは一切ないが、ひとつだけ昔から何となく知っている店がこのアーケードの中にある。

 

 その店というのはなんてことのない、アーケードの中程に店を構えるどこにでもありそうな商店街の衣料品店だ。ただ唯一の特徴とすれば、この店にはある“ドラマ”がきっかけで阿佐ヶ谷の“名物”として一時期ファンの間で飛ぶように売れていた“Tシャツ”が売られていたことぐらいだ。

 

 でもそれはあくまで20年近くも前の話で、今ではその“Tシャツ”がお茶の間の話題になることは全くないし、俺が阿佐ヶ谷(ここ)に住んでいた高校時代にはもうブームも過ぎ去ってマニアぐらいしか買わなそうな代物となっていた。

 

 “やってはいる、みたいだな・・・”

 

 アーケードを歩いておよそ5分。俺はその店の前に着いたが、肝心の店の入り口の前には“定休日”と書かれた看板が置かれていた。店がここにあることは知っていたが、定休日が日曜だったことはさすがに知らなかった。

 

 それにしてもこういった商店街の店において最も客が入るであろう日曜日を定休日にするとは・・・確かに普通の世間じゃ今日は休日なのだが。

 

 “まだ売っていたのか・・・”

 

 照明が全て落とされ暗くなっている店の中に目を向けると、店内の売り場の中にオーソドックスな洒落た衣服に混じるように置かれた縦文字で“アサガヤ”とだけプリントされた白いTシャツが視界に入った。

 

 “日本で最も“視聴率”を稼ぐ主演俳優(スター)”として飛ぶ鳥を落とす勢いで一世を風靡していたイケメン俳優・早乙女雅臣も、今やすっかり主戦場のドラマと映画のみならず舞台でも活躍する“ベテランの二枚目俳優(イケオジ)”になったというのに、その早乙女がドラマの劇中で着ていたTシャツは20年近くの時が経っても変わらない姿で店に並んでいる。

 

 

 

 “早乙女さんか・・・もう10年以上も会ってないな・・・・・・確かおとといくらいに子供が生まれたとかニュースで言ってたな・・・

 

 

 

 俺は不意に、その早乙女と5年ほど前にパートナーとなった女優の堀宮杏子(ほりみやきょうこ)が第1子を妊娠したというニュースがおとといSNSやお茶の間に駆け巡ったことを思い出した。

 

 “そういや堀宮もいたな・・・懐かしい・・・

 

 堀宮とはかつて同じ事務所に所属していた時期があり、何かと現場が同じになることも多かった。元子役だったこともあり芸歴的には10年近い先輩だったが逆に年齢は一学年差で高校が同じだったこともあり、すぐに気の合う先輩後輩として打ち解け合った。ただお互いが多忙になり俺が高校を卒業した頃には現場以外では滅多に会わなくなり、俺が芸能界(あの世界)を去ってからは一度も会っておらず連絡先も互いに知らない。

 

 “・・・何だかんだ“全員(みんな)”、今も第一線で生き残っているしな・・・

 

 だがそれは、これまで俺が役者として出会った“全ての人たち”とも同じことだ。

 

 

 

 “・・・・・・生き残れなかったのは俺だけか・・・・・・

 

 

 

 いけない。気が付くと俺は“離れる”と決めたはずの世界を懐かしんでいた。自分が蒔いた種で全てを“終わらせてしまった”も同然なこの俺に、あの“日々”を懐かしむ資格などあるのだろうか。

 

 

 

 “いや・・・ないな

 

 

 

 不意に心の中で芽生えた“邪念”を溜息で捨て去り、俺は定休日の衣料品店を背に来た道を戻ろうとした。

 

 「これはこれは“先生”じゃないですか

 「!?

 

 すると背後から聞き覚えのある見た目を裏切らないやや低めな甘い声が聞こえ振り返ってみると、ビジネスバッグを片手に持つスーツ姿の天知がいた。この男もまた、俺と同じく“生き残れなかった”側の人間だ。とはいえ世間からそう認知されていた時代はもうとっくに過ぎ去っているのだが。

 

 「・・・天知さん・・・何で?」

 「休暇で“偶然”ここを歩いていたら定休日の店の中をジロジロと眺め続けている“変質者”を見かけて誰かと思ってみれば・・・良く知る顔がそこにいたのでつい話しかけてしまったわけです」

 「誰が“変質者”だよストーカーみたいにいきなり現れやがって」

 「ストーカーだとは失礼だな。私は“本当に偶然”休暇でここを歩いていただけだというのに」

 「・・・果たしてどこまでが“偶然”なのだか」

 

 日曜日のお昼前にビジネスバッグとスーツ姿で商店街を“休暇”でほっつき歩く男は日本中を本気で探せばいなくはないだろうが、少なくとも天知(この男)に限って言えばそれは到底信じられない。

 

 とはいえ照明の消えた店内に並ぶ“アサガヤTシャツ”をまじまじと見ていたところを思い切り目撃されてしまったのは、我ながら不覚だった。

 

 「しかし、せっかく雨の中ここまで来たにも関わらず閉店だとはとんだ災難でしたね」

 「別に災難でも何でもない。ただ久しぶりに訪ねてみたらちょうど定休日だっただけの話だ」

 

 とにかくさっさと次の場所へと行きたい俺は不機嫌を装って、というより不機嫌さを包み隠さずさらけ出して天知を撒こうとした。

 

 「仕方ない。そんな“困ったちゃん”の君に私からひとつお土産を差し上げよう」

 「誰が“困ったちゃん”だ」

 

 だがそんな俺を引き留めるかの如く、相変わらずのスーツ姿の天知はビジネスバッグを掲げながら立ち塞がると徐にビジネスバッグの中身を取り出す。

 

 「チャララッチャラ~、アサガヤTシャツ~

 「オイ天知P、仕事に追われ過ぎてキャラが崩壊してるぞ?

 

 そして明らかにどこかで見たことのある猫型ロボット風にビジネスバッグの中から、袋に包まれ綺麗に折りたたまれた“アサガヤTシャツ”を俺に差し出した。

 

 「Lサイズだから比較的背丈のある夕野のでも十分に着れるだろう。有難く受け取ってくれ」

 「いや、受け取ったところでどうせ着ないからな俺は」

 

 アサガヤTシャツ。照明の消えた店内に置かれていたものを見た限り一見奇抜そうに見えるが、デザイン自体は別に悪くはないのだが、俺の好みからは圧倒的にズレている。

 

 でもそれ以上に、気掛かりな点は色々ある。

 

 「その前に、なぜ天知さんがそのTシャツを持っている?」

 「・・・いけないかい?」

 

 核心を突く俺からの疑問に、天知は意味あり気な表情を全く崩すことなく答えた。

 

 「特に大した理由はない。“長年の友人”にちょっとした“プレゼント”を渡すために休暇がてら阿佐ヶ谷(ここ)に来たら君を見つけて、急に気が変わったってだけさ」

 「・・・絶対嘘だろ?

 

 俺は知っている。普段の天知は絶対に自分から“嘘だけは”つかない男であることを。無論、天知の言う“長年の友人”が誰であるのかも一瞬で分かった。

 

 「はい、です」

 「だろうな」

 

 下手すぎる嘘を瞬時に見抜いた俺に、天知は笑いかけながら左手に書かれた“ドッキリ大成功”の文字を見せびらかす。

 

 「だが、これを次の制作会議までに君に渡そうと思っていたことは本当だ。着るか着ないかは好きにしていいが受け取ってくれ」

 「は?何のために?」

 「実はこれを華と尋也がお揃いで着る部屋着として使ってみたらどうかと君に提案しようと思っていたところだった。ここで会えたことで結果的に君の部屋に向かう手間も省けたわけだけどね」

 「・・・めんどくせぇな」

 

 虎ノ門にあるオフィスからだったら阿佐ヶ谷(ここ)よりも芝浦のほうがまだ近いだろうと心の中でツッコみつつも、こんなふざけた茶番に付き合うつもりは端からない俺はひとまず欲しくもない“アサガヤTシャツ”を受け取った。

 

 「というかまず、天知さんは何の目的で阿佐ヶ谷(こんなところ)に休暇で来た?」

 

 そしてこのまま店の前から立ち去って今度こそ撒こうと考えていたが、その前に休暇で阿佐ヶ谷に来た理由を俺は尋ねると、天知はまたしても意味深そうな空気を出しながら不敵に笑いかける。

 

 「そうですね・・・・・・少しばかり“捻った”言い方をすると“聖地巡礼”でこの街を歩いていたところですかね」

 「・・・“聖地巡礼”・・・」

 

 あの天知から出てきた“聖地巡礼”というあまりに予想外の単語に、思わず思考が一瞬だけショートする。

 

 「・・・もしかして天知さん、意外とアニメとか好んでいたりするのか?」

 

 

 

 聖地巡礼。本来の意味では宗教において重要な意味を持つ“聖地”に信者が赴く行為、すなわちその聖地に巡礼することを指しているが、2000年代に入って以降はアニメやドラマ、映画や漫画に小説の舞台になった土地や建物、それらの作品に登場する人物の出身地といった場所に思い入れのあるファンやマニアが“聖地”と称して訪れることをそう呼ぶようにもなった。(※諸説あり)

 

 別に聖地巡礼は1つのジャンルに限った話ではなく偏見するつもりもないが、俺の中にある“聖地巡礼”のイメージで真っ先に思い浮かぶのは“アニメ”だ。

 

 ちなみに俺はアニメ自体を全く観ないどころか聖地巡礼すらしたことのない人間なのだが、ちょくちょくラジオ代わりにしているニュースでそういった話題が上がっていたおかげで、アニメを全く観ない人間であるにも関わらず俺の中で“聖地巡礼=アニメ”という固定概念が無意識のうちに根付いてしまっただけの話だ。

 

 さて、話を戻そう。

 

 

 

 「・・・もしかして天知さん、意外とアニメとか好んでいたりするのか?」

 

 そんな固定概念が頭の中にあった俺は、アニメの“”の字も感じられない天知に一応聞いてみた。

 

 「いや、私が好んで読んでいる“小説”の“聖地巡礼”だよ」

 「あぁ、少なくともアニメではないなとは思っていたよ」

 

 やはり、“アニメ”ではなかった。ただアニメに限らず実写作品や漫画、小説に至るまで物語の舞台にファンが足を運んで赴くことは全て“聖地巡礼”になるわけだがら、間違いではない。

 

 今回のことを踏まえて、これからは“聖地巡礼”に対する考えを少しだけ改め直そうと思った。

 

 「てことで俺はこの後ちょっとした用事があるから失礼するよ」

 

 とりあえず用件が済んだ俺は、聖地巡礼という名の休暇で阿佐ヶ谷(この街)に来た天知を撒くようにやや早足で来た道を戻る。幸か不幸かここで予期せぬ足止めを食らったおかげで、ちょうどいい時間になったからだ。

 

 「・・・・・・なぜついてくる?

 

 北口の方向へと歩き始めて10秒、早歩きの俺の後ろをピタリとつくような背後からの確かな気配を感じながら、振り返ることなく言葉をぶつける。

 

 無論、こんな曇天の休日に下町の商店街をほっつき歩く小説家の後ろをついてくる人間なんて、ただ一人しかいない。

 

 「・・・さっきから言っているじゃないか・・・・・・“聖地巡礼”だって

 

 背後から聞こえたプロデューサー(悪魔)の囁きと不敵な笑みの“予感”で、俺は全てを理解した。

 

 「“ロケハン”の間違いだろ?」

 

 こうして俺は、急に湧いて出てきたスーツ姿の芸能プロデューサーを引き連れる形で聖地巡礼、もといロケハンとして最初の目的地へと向かった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「君とこうして街の中を歩いていると、19年前に渋谷のセンター街を全力で駆け抜けた日のことを思い出すよ」

 

 南口のアーケードを抜けたところで灰色の曇り空を見上げながら、隣を歩く天知が昔を懐かしむような口調で言葉をかける。さっきまで降っていたはずの雨は、すっかり止んでいた。

 

 「・・・あぁ、あったなそんなこと」

 「まさか覚えていないというのかい?この前も話したというのに」

 「いや、その逆だ」

 

 中2の春休み。俺が“役者になる”と決意した“あの日”のことは今でも天気を除いて鮮明に覚えている。

 

 「・・・忘れたくても忘れられない・・・」

 

 もちろん、忘れられるわけがない。

 

 「・・・君の“親友”・・・・・・ついに大河で主演を張るらしいですよ・・・

 「・・・知ってる

 

 すると昔を懐かしむ口調はそのままに、天知はわざとらしく“親友”の話を俺に振ってきた。

 

 「あのとき夕野と一緒に自分が出演した映画を観に来ていた悩める少女も今や大河女優・・・・・・時代は変わりましたね・・・

 「・・・そうだな」

 

 環が再来年にスタートする大河ドラマ『キネマのうた』で主演に抜擢されたというニュースを耳にしたのは、『hole』が世の中に出回った次の日のことだった。時に理不尽な芸能界(あの世界)の縮図に揉まれ壁にぶち当たりながらも、持ち前の負けん気でしぶとく生存競争にしがみついていた“頑張り屋な親友”も今じゃトップ女優の代名詞として数えられるほどの“国民的な存在”になった。誰だって20年の月日が経てば幾らでも変わることができる。

 

 それらを踏まえても大河ドラマの主演に抜擢されるということは芝居を生業にしている役者にとっては格別な“勲章”であり、その“価値”が何を意味するのかは俺も痛いほど知っている。

 

 でもだからと言って“おめでとう”の一言やプレゼントのような何かを渡す手段など俺にはなく、特に嬉しさもなかった。

 

 

 

 (あいつ)と俺は既に真逆の人生を歩んでいて、互いに手なんて何十年かかっても届かないところまで遠くに行ってしまったようなものだから、それを偶然耳にしても“あー、すげぇな”ぐらいにしか感じなかった。

 

 

 

 「あ~スミマセン。君にとって彼女の話題は“禁句”でしたね?」

 

 ちょっとした感傷のようなものに浸りながら相槌を返した俺の神経を、天知は容赦なく逆撫でしようと仕掛ける。

 

 「・・・・・・“禁句”だとは一言も言ってねぇでしょ

 

 別に“俺たち”は天知の言うように互いのことを“禁句”にしなければいけないような関係ではないし、向こうはどう思っているか分からないが俺は環のことを人として嫌いになったわけではない。

 

 ただ単純に、互いの“関係が終わった”だけの話だ。

 

 「・・・ならば少しは喜ばしいと思わないのか?」

 「着いたぞ。ここだ

 

 高架橋を潜り抜けて北口に出た先にある下町風情溢れる通りを道なりに歩いて数分、俺たちは『hole』で尋也がアルバイトとして働く喫茶店のモデルになった店の前に着いた。左腕のスマートウォッチのディスプレイはちょうどランチタイムが始まる11:30を指したところだった。

 

 「・・・やれやれ」

 

 天知からの言葉を半ば強引に遮り、俺は“アグリス”の店内へと入った。

 

 

 

 

 

 

 阿佐ヶ谷駅の北口からほど近い場所に位置する喫茶店・アグリス。ここを始めて訪れたのは、『hole』を執筆し始めた頃にモデルとして作中に登場させる店を探していた時のことだ。赤紫色のオーニングの端に白文字で小さく書かれた店名。外観もオーニングの色彩に合わせた感じで地味ながらも全体的に小洒落た雰囲気を纏っていて、店頭には黒板で作られた手製のメニュー表が置かれていて、そこにランチメニューが記載されている。

 

 そして店内のインテリアはアイボリーの壁と木目のテーブルとカウンターで明るいながら落ち着いている。正直外観だけならここと似通ったような店は幾らかあるだろうが、この“絶妙”にどこにでもありそうな雰囲気が俺の中にあった想像と見事にマッチしていたことが、この店をモデルにしようとした決め手の一つだ。

 

 ついでに補足しておくが、『hole』の作中に登場する喫茶店のモデルを“この店”にするにあたって店主にはちゃんと“許可”を得ている。

 

 

 

 「いらっしゃいませ・・・」

 

 店に入るや、俺のことを認識した瞬間にこの店のマスターでもある50代の男性店主が俺に向けて軽く会釈をする。

 

 「(・・・どうも)」

 

 そして俺も店主の会釈に、同じように会釈を返して4,5組の客を通り抜けて一番奥のテーブル席に座る。

 

 「あの店主は知り合いかい?」

 「知り合いってほどじゃない。俺が一時期の“常連客”だったってだけの話だ」

 

 この店にはholeを執筆していた時期にどうしようもなく詰まった時に決まって訪れてはコーヒーとランチをご馳走していたことがある。もちろん“この店をモデルとして使っていい”と言ってくれたことへの恩もあったが、この店に来て店主のコーヒーを飲むたびに物語の続きが面白いように浮かんできた。その経験もまた、holeのストーリーに色濃く反映されていることは言うまでもない。

 

 「今でもこの店には来るのかい?」

 「いや、holeを書き終えてからは今日までご無沙汰だよ。まず行きつけとして通うには遠いからな」

 

 ただholeを書き終えてからはすっかりこの店にも来る機会がなくなっていた。理由は俺の住むマンションから遠いことに加え、黒山から託された新作のシナリオはここのコーヒーと“決まって頼んでいたメニュー”をもってしても全く思い浮かばなかったからだ。

 

 今まで来なくて申し訳ないという気持ちではないが、やはり久しぶりに訪れるならこんな訳の分からない“珍客”を引き連れるような真似はせず、俺一人で来るべきだったのかもしれない。

 

 「私はこの店に入るのは初めてだが、なるほど。小説に書いてあった通り、街中を探せば幾らかは同じような雰囲気の店はありそうな雰囲気だな」

 

 一方でテーブルを挟み向かい合った先に座る天知は、そんな俺の心の中など知らずに足を組んだ姿勢のまま目線だけを動かしつつメモ帳に店内のイメージ図を書き、“聖地巡礼”という名のロケハンのようなことを勝手に始めている。

 

 「そりゃあ俺は敢えてそういう店を“モデル”にしたからな・・・っていうか本当に原作読んだのか?」

 「これでも作品において全責任を負う立場ですから、そこはご心配なく」

 「・・・さすが抜かりないな」

 

 そもそも俺一人でしか来たことのないこの店に自分以外の誰かを連れてきたのは、今日が初めてのことだ。その一人目がよりによって天知(こいつ)になるとは思ってもみなかった。本当は一緒に映画を観に行ったときに寧々にこの店を紹介しようと考えたこともあったが、“時間と距離”の都合で無くなった。だが仮にこうなることを知っていたら・・・いや、そんな理由で白石の任侠映画をパスするのはいくらなんでもナンセンスだ。

 

 でも、もし互いに時間に余裕が出来たら今度こそ寧々にこの店を教えるか・・・

 

 

 

 “いや、何のために?

 

 

 

 「お久しぶりです。夕野さん」

 

 図ったかのような絶妙なタイミングでお冷を持って現れた店主に声をかけられ、俺は我に返る。

 

 「すみません。最近は色々と忙しく顔を出せなくて」

 「いいんですよ全然。締め切りのあるお仕事となると忙しくなるのは必然でしょうから」

 

 何だかんだ半年ほどご無沙汰になっていたとはいえ、holeを執筆していた時に片道1時間をかけて度々“ヒントを得る”ために通っていたこともあり、俺は店主からちょっとした常連客の1人として数えられている。

 

 「本日はこれまでのようにお一人じゃないんですね?」

 

 そんな俺との久しぶりの会話をそこそこに、店主は早速テーブル越しに向かい合って座る天知に目を向ける。

 

 「お知り合いの方ですか?」

 「あぁ、この人は」

 「どうも、私は夕野君の“友人”です」

 

 すると天知は俺の言葉を遮り姿勢を正すと、“営業スマイル”を浮かべながら胸に手を当て“俺の友人”だと言い張りながら挨拶をする。

 

 「(友人じゃねぇっつの・・・)・・・まぁ、そんな感じです」

 

 心の底から全否定したかったが、余計に面倒なことになりそうなのでひとまず俺はスルーした。

 

 「ところでご友人の方は“お仕事”で?」

 

 スルーする間もなく、店主はスーツ姿の天知をみて声をかける。表情や口調からして、店主が明らかに仕事の合間で来ていると思い込んでいることは一瞬で分かった。

 

 「いえ、“休暇”です」

 

 当然ながらあくまで“休暇”としてここに来ている天知は至極真っ当な言葉を返す。しかし片や私服でもう一方がスーツ姿にビジネスバッグと、絵面的に説得力は皆無だ。

 

 「休暇・・・ですか?」

 「彼は普段からこういう格好で出歩くような“ちょっと変わった奴”なんで、あんまり気にしないでください」

 

 とりあえず店主が本気で対応に困り始めたのを見てつかさずフォローし、どうにか混乱はひと段した。

 

 「(・・・君に“変わった奴”だと呼ばれる筋合いはないけどね・・・)」

 

 同時にテーブルを挟んだ先から殺気を含んだ笑みを向けられたが、気にしない。

 

 「では、何に致しますか?」

 「“いつもの”で」

 

 ひとまず余計な会話を終わらせる選択をした店主は俺たちにメニューを聞いてきた。無論俺はメニュー表などを一切見ずに注文した。

 

 「かしこまりました」

 

 ほぼ半年ぶりの注文だったこともあり伝わるかどうか内心不安だったが、店主は一瞬で“いつもの”メニューを思い出して頷いてくれた。

 

 「ご友人様は?」

 「では、せっかくですので同じメニューでお願いします」

 「かしこまりました」

 

 そして天知もメニュー表に一切目を通すことなく俺と全く同じメニューを店主に注文し、注文を受け取った店主はそのまま俺たちに一礼して厨房へと戻って行った。

 

 「・・・・・・19年前に初めて会ったときはラテの1つを頼むだけで四苦八苦だったはずの君が、喫茶店のマスターに“いつもの”と注文する姿を見る日が来るとは・・・もしかしたら私たちは互いに思っている以上に歳を取ってしまったのかもしれませんね・・・

 

 店主が厨房のほうへと入ったのを目視した天知が、今日で二度目の“過去の話”を俺に持ち掛ける。

 

 「さっきからむやみやたらに19年前の過去(こと)を俺に振っているけど絶対わざとだろ?」

 「“わざと”だなんてとんでもない。偶然にも連想させるような場面が立て続けに起こっているだけのことさ」

 「・・・じゃあいちいちそれに反応するなよ」

 

 あの日、俺は天知と環の3人で“天馬心”に寄って(たか)り始めた野次馬を全力疾走で彼方に撒いて、当時オープンしたばかりのコーヒーチェーンへと逃げ込んだ。そのチェーン店は今や全国区に広がり日本人にとっても身近な存在となったが、あの時は初めて見る独特な注文方法に終始戸惑っていた記憶が確かにある。

 

 もしもあの日の俺が今の“俺たち”の姿を見たら、役者になることを諦めてくれるのだろうか?そうなったら“俺たち”は今でも変わらずにいられたのだろうか・・・?

 

 

 

 “そんなタラレバ・・・・・・考えるだけ時間の無駄だ・・・

 

 

 「・・・・・・言っておくが今日は感傷に浸るためにここに来たわけじゃないからな?

 「はいはい、分かっていますよ」

 「・・・やはりアーケードのところであんたのことは撒いておくべきだった」

 

 天知の言葉で何度も感傷に浸りかける心を誤魔化しながら、俺はこの店に訪れるたびに注文していた“いつもの”メニューが来るのを待った。




どなたか我こそはという方がいましたら、是非とも呪術×チヨコエルのクロスオーバーを書いてクレメンス。(なお作者も一度だけ挑戦してみたことがあるものの、1話と持たずに挫折した模様)

ついでにぶっちゃけると作中に登場する小説『hole』に登場する華の名前のモデルは、言うまでもなくクルスエルです。あくまで名前だけです。はい。

ちなみに読みは華(はる)になります。“はな”ではありません。






ということで今日は、3年ぶりに聖地“鈴鹿”に帰ってきた最速の頂上決戦、日本グランプリをリアタイで見届けたいと思います。

がんばれ、つのっち


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scene.58 三回忌

 1999年11月13日_府中霊園_

 

 ちょうど2年前に33歳の若さで不慮の死を遂げた1人の男の三回忌となるこの日、府中霊園にあるその男のお墓には全国からファンの人たちが彼を偲ぶために献花に訪れていた。

 

 

 

 『続いてのニュースです。一昨年の11月13日に33歳の若さで急死したミュージシャンで俳優の乾由高(いぬいゆたか)さんの三回忌となる今日、乾さんの眠る府中霊園には全国から多くのファンの人々が献花に訪れました』

 

 『府中霊園に来ています。普段であれば敷地内の遊歩道を歩く人の数はまばらなのですが、乾由高さんの三回忌にあたる今日は土曜日ということもあって彼を偲んで全国から若者を中心としたファンの人々が次々と献花に訪れており、あいにくの空模様であるにも関わらずまるで行楽シーズンのような人通りを成しています。“表現者”として絶大な支持と影響力を博していたカリスマの早すぎる死から2年、彼の存在は未だに根強く多くの若者たちの心を突き動かしています』

 

 『由高さんの生まれたこの街に来ると・・・今でもどこかで由高さんが私たちのことを見てくれている気がする・・・・・・きっとそう』

 『“Warriors(ウォリアーズ)”時代も含めて、由高はずっと唯一無二・・・・・・だから、ファンが居続ける限り・・・彼は死にません』

 『もうここにはいないのかもしれないけれど・・・彼が生きていた証は時代となって永遠に残ります・・・・・・だからこれからもずっと、どんな形であろうと私は死ぬまで彼のことを変わらず応援し続けます』

 『乾由高の音楽と芝居、何より“表現者”としての生き様は、何の取り柄もなかったいじめられっ子の僕に生きる希望と、自分を信じて最後まで困難に立ち向かう勇気を与えてくれました・・・・・・本当に彼は、僕の人生を変えてくれた偉大な存在です。勿論、これからも』

 

 

 

 マスコミと民放各局はこぞって乾由高の三回忌に関連した内容を取り上げ、この日のワイドショーは彼の話題で視聴率を取り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 「なあ?最近妙にバラエティー番組多くね?」

 

 夜の10時過ぎ。朝8時から丸々12時間の撮影を終えて家に帰って来た憬は、 “遅めの夕飯”を食べながら独り言を呟く。

 

 「えっ?そう?」

 

 その独り言に、台所に立つ江利が食器を洗いながら言葉を返す。無論、夕野家のテレビに映っている番組は“ホット”な話題を取り上げている土曜夜10時のワイドショーではなく、裏番組のトークバラエティーだ。

 

 「普段はちっとも興味ねぇくせに」

 

 このところ、というか『ロストチャイルド』の撮影期間に入ってからというもの、夕野家のブラウン管に映し出される映像の比率はバラエティー番組が増えている。まぁ、特にこの時間帯は俺的にこれといって目当ての番組はないから別にいいのだが。

 

 「たまには良いじゃない。丸一日ニュースも映画も見ない日があってもさ?」

 

 ちなみに普段は俺と同じくバラエティー番組なんて滅多に観ないかチャンネルを合わせてもただラジオのように無表情で聞き流すような母ちゃんだが、年に1度くらいのペースで急に大して好きでもないバラエティー番組ばかりを観るような日が続くことがこれまでにも何度かあった。

 

 深い理由は分からないが、母ちゃん曰く“たまにはこういう日があったほうがいい”ということらしい。

 

 「それにさ、案外こういう全く興味のない番組だとか本を読んでみたら、案外それが役作りに繋がったりするかもよ?」

 「別に興味のないやつを観たり聞いたりしたって・・・」

 

 食器を洗いながら俺に話しかけてくる母ちゃんの言葉が耳に入り、俺は“興味のないものに時間を使うのは無駄だ”と言いかけて、ふと言葉が止まった。

 

 「・・・興味のないやつか・・・」

 

 『ロストチャイルド』の撮影も気が付けば後半に差し掛かり、来週末にはついに入江が演じるリョウコとの撮影シーンを撮ることになっている。それが終わればストーリーは渡戸の演じる主人公のショウタが中心の話に戻っていくため、週末に撮る予定のシーンが俺の演じるユウトにとっては事実上“最後の見せ場”となる。

 

 撮影が始まってからというもの、俺はどうにかこここまでユウトを演じ切ることが出来ている。でもそれはドラマや映画を参考にしたわけではなく、全てユウトに近づくために紆余曲折の“実体験”を得てきたからこそだ。

 

 “・・・確かに・・・ドラマや映画を観ているだけじゃ分からないな・・・

 

 俺と渡戸が2人だけで実際にそれぞれの思い出の場所を訪れて“共演者(きょうだい)”としての距離を縮めていったように、スクリーンに映る役者を見ただけじゃ分からない“発見”は至るところに転がっている・・・のかもしれない。

 

 「・・・ありがとな母ちゃん・・・参考になったわ

 

 「・・・・・・大袈裟だな~

 「何か言ったか?」

 「えっ?いやぁ、役者頑張ってるな~ってさ」

 「当たり前じゃん」

 

 冗談半分の気持ちで言ったアドバイスを真に受けた憬に、江利は少しばかり戸惑いを見せつつも笑顔でエールを送った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 時間を少し遡り、同日の午後3時。スターズの社長室ではアリサがデスクの上にある無数の資料に目を通していた。

 

 “・・・そろそろ路線変更を視野に入れたほうが良さそうね・・・”

 

 世間が休日であるにも関わらず、“安定期”に入った身体を労わるように自身のオフィスチェアに座り、いつもと変わらぬ様子でアリサは自分の仕事をこなす。今日もつい10分ほど前まで、所属俳優でもある山吹の出演する予定のドラマに向けた打ち合わせに参加していた。

 

 自分が気を休めば会社も停滞してしまうように、芸能事務所の社長という仕事は超が付くほどハードである。

 

 プルルルル_プルルルル_

 

 デスクに置かれている電話が鳴り、アリサは資料に目を通したまま2コール目で電話に出る。

 

 「はい」

 『安堂(あんどう)です。“ご友人”の入江ミチル様がお見えになられました』

 「通してちょうだい。それと、あなたに言った“友人”というのはあくまで例え話だから真に受けなくていいわよ」

 『かしこまりました』

 

 秘書の安堂(あんどう)からの“友人”であるミチルが来たという伝言に、アリサは資料に目を向けたままこの部屋に通すよう促して電話を切った。

 

 

 

 “・・・2年ぶりになるわね・・・あなたと話すのは・・・

 

 

 

 今からちょうど20年前、当時勢いに乗り始めていた芸能事務所が次世代のスターを発掘するために“ある映画”に出演するヒロインを決めるオーディションを企画した。そしてヒロイン役を決めるオーディションの最終選考に残ったのは、共に同学年(15歳)ながらも性格も生き方も対照的な2人の少女だった。

 

 1人は地元の劇団と演劇部を掛け持ちしながら何度もヒロインとして舞台に上がった経歴を持ち、この映画のオーディションの度に故郷である広島と東京にある会場を行き来しながらも最終選考までのし上がった、女優を夢見る活発で自尊心(プライド)の高い演劇少女

 

 もう一人は趣味である読書をするため学校帰りに図書館へ向かって歩いていたところをスカウトされ、“何となく”の気持ちでオーディションを受けてそのまま最終選考まで勝ち残った、東京生まれ東京育ちで芝居経験皆無の寡黙な文学少女

 

 そんな最終選考に残った2人の少女こそ、1980年代からの邦画界を牽引し、10年以上に渡り“天才女優”として芸能界で共に名を馳せることとなる“星アリサと入江ミチル”であることは、今では有名な話。

 

 

 

 「失礼します・・・」

 

 電話から約2分、ノックと共にアリサにとって20年来の“友人”であり“女優同士(ライバル)”でもあった1人の女優が、社長室の扉を開けて中へと入る。

 

 この2人が面と向かって直接会うのは、およそ2年ぶりとなる。

 

 「・・・お久しぶりですね・・・“星さん”・・・

 「・・・相変わらず、私のことを“苗字”で呼ぶのはあなたぐらいしかいないわ。ミチル

 

 開口一番、ミチルは穏やかで優しげな声色と氷のように微動だにしない表情で彼女しか使わない“呼び名”でアリサに話しかける。そんなミチルにアリサはほんの僅かに笑みを浮かべながら言葉を返すが、オフィスチェアに座ったまま2年ぶりに会う“友人”を見つめる翠玉色(エメラルドグリーン)の瞳は全く笑っていない。

 

 「まさかあなたとの再会がこんな場所になってしまうなんてね・・・これだけは先に謝っておくわ」

 「謝らなくて結構です。あなたが社長業で非常にお忙しいことは既に聞いておりますので」

 

 来客として訪ねてきた自分を見つめる冷たい瞳を、ミチルもまた感情が抜け切った蘇芳色の瞳で真っ直ぐに見つめる。互いに表側に憎悪の感情が全く出ていないにも関わらず、この2人が同じ空間に立つだけで周囲の空気が映画や舞台でのシリアスなワンシーンを彷彿とさせる独特な重苦しさで覆われていく。

 

 「とりあえず来客を立たせ続けるわけにはいかないから、そこのソファーにでも座ってちょうだい。続きはお茶でも飲みながら話しましょう」

 「・・・わかりました。ではお言葉に甘えて」

 

 こうして2年ぶりに再会したかつての“ライバル”同士は何とも言えないギスギスした微妙な距離感を保ったまま互いに表情だけを和らげ、ミチルはアリサの座るデスクの前にある応接間のソファーに座った。

 

 「手伝いますか?」

 「(あるじ)が来客におもてなしをするのは当然の義務よ。だから大丈夫」

 「・・・そうですか」

 

 そしてアリサは応接間のソファーに座ったミチルに自らお茶を淹れる。その様子を見つめるミチルは、よく見ると“身籠っている”ことが一目でわかる程度に膨らんだお腹に視線を向ける。

 

 「・・・その身体でよく事務所に来て普通に仕事ができますね?」

 「こうでもしないと事務所(会社)は回らないのよ、大手も弱小も関係なくね。あなたも会社を持ってみればきっと分かるわ」

 「無茶をしたらお腹の中にいるお子さんの健康にも悪影響が出るかもしれないというのに」

 「これでも妊娠が分かってからは出来る範囲でセーブしているわ。もちろん身体の状態を考えていずれは休みを取らせてもらうつもりよ」

 

 限りなく無に近い表情を変えぬまま心配事を呟き続けるミチルに、アリサは表情を崩さずに淡々と言葉を返しながら淹れた紅茶の入ったティーカップをミチルの前に置く。

 

 「・・・紅茶、ですか」

 「そうよ」

 

 子を身籠っている身体であるにも関わらずカフェインの含まれた紅茶を目の前に置いたアリサに、ほんの少しだけ“嫌な予感”を感じたミチルは“念のため”に聞いた。

 

 「妊娠中のカフェイン摂取は控えたほうがいいのでは?」

 「心配しないで。私は飲まないから」

 

 だがミチルからの“念のため”の心配事にアリサは表情を変えることなく飲まないことを告げると、自分の分は置かずにそのままガラステーブルを挟んだ反対側のソファーに座る。

 

 「それを聞いて安心しましたよ・・・」

 

 ソファーに座ったアリサを無言で見つめながら、ミチルは安堵の言葉をかけつつもその感情を表に一切出すことなくアリサの淹れた紅茶を一口だけ口に運ぶと、手持ちで持っていた紙袋の中から、丁寧に包装された差し入れを差し出す。

 

 「これは?」

 「たんぽぽ茶です。つまらないものですが今日のお礼として」

 

 だが、ミチルがバッグから出した差し入れのたんぽぽ茶のパックを見たアリサは、少しばかり怪訝な顔をする。

 

 「どうしました?」

 「珍しく気遣ってくれたところ悪いけど、あまりたんぽぽを使った飲み物は好きじゃないのよね、私」

 「そうなんですね」

 「試しに一回だけ飲んでみたけれど、“土っぽい”味が私には合わなかったみたい」

 「・・・なるほど」

 

 

 

 と、ここで一旦補足を挟むが、たんぽぽ茶はカフェインを一切含んでいないにも関わらず“コーヒーに近い”味わいが窘めることができ、実際のところその味は“コーヒーと麦茶の中間”とも言われている。変な誤解を招かないために言うが、アリサの口に合わなかったというだけで、断じて不味い代物ではない。

 

 

 

 「でしたら事務所(スターズ)俳優()たちや社員に代わりとして振る舞って頂けたら、幸いです」

 「・・・そういう問題じゃないけれど・・・ありがたく頂くわ」

 「・・・ありがとうございます」

 

 アリサが差し入れのたんぽぽ茶を飲めないことを知ったミチルは、表情はそのままに口調を穏やかに和らげながらその差し入れを“事務所(スターズ)の人たち宛て”として差し出し、アリサは少しだけ戸惑いながらもそれを受け取る。

 

 「さっきから悪いわね・・・気を遣わせて」

 「いえいえ、これらも全て星さんのためを思ってのことですので」

 

 互いに距離感がありぎこちなさがありながらも、差し入れのたんぽぽ茶をきっかけに社長室の空気は少しずつだが穏やかになり始めていた。

 

 「ところで久しぶりの“現場”は楽めているかしら?」

 「そうですね。まだ“本格的な復帰”というわけではありませんので何とも言えないですが、悪くはないですね」

 

 テーブルを挟んだ向かいに座るミチルに、アリサは彼女の復帰作となる映画の話題を持ち掛ける。

 

 「確か紅林くんや久美子もその映画に演者として選ばれていると噂で聞いているけど、2人は変わらず元気にやっているの?」

 「紅林さんは以前と変わらずですよ。杜谷さんは・・・直接的に共演するシーンがないのでよく分かりませんが、彼女もお変わりないですね」

 「それにしても意外ね。巨匠と呼ばれている名だたる“先生方”の作品に何度も主演として出ていたようなあなたが・・・“鬼才”と呼ばれている若手の映画監督からのオファーを引き受けるなんて」

 「たまにはこういう仕事を引き受けることも悪くはないと思っただけです」

 「その割には随分と挑戦的じゃない?」

 「普通のことですよ。元からわたしは仕事を選ばない口ですので」

 「・・・あらそう」

 「はい・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 

 テーブルを境目にそびえる“見えない壁”をこじ開けるように、どうにかアリサは質問攻めをして会話を繋げようとするが、相変わらず表情も感情も微動だにさせず淡々と話すミチルとの会話は長続きせず、せっかく穏やかになりかけていた2人の間に流れる空気が、気まずい沈黙と共に不穏へと変わる。

 

 「・・・はぁ・・・全く、ミチル(あなた)の表情が変わらないせいで他愛もない話すらちっとも盛り上がらないところも、昔から変わらないわね・・・

 

 沈黙から10秒。初めて会った時から“芝居をしているとき”以外では全くと言っていいほど感情が動かないミチルに、しびれを切らしたアリサは溜息交じりに皮肉とも取れるような言葉を返して沈黙を破る。

 

 「・・・逆に今の星さん(あなた)は、女優を引退されたことで随分と変わってしまったようにわたしには見えます・・・

 

 その言葉に対するミチルの何気ない一言をきっかけにして、再び不穏になり始めていた2人の間に流れる空気が一気に重くなり始めた。

 

 「あらそうかしら・・・?私はいつでも自分の気持ちに正直なままで過ごしているつもりだけれど?」

 「今の自分が置かれている“現状”がですか?」

 「そうよ」

 「芸能事務所の社長として膨大な数の資料に目を通して、表舞台に立つ演者のために西へ東へ奔走するような今の生き方は、誰よりも“お芝居を愛していた”あなたにとって本当に幸せなんですか?」

 

 共に価値観や生き方が正反対で、共に超が付くほど我が強い2人の“女優同士(ライバル)”。そんな2人による2年ぶりの会話は沈黙を経て“本当の意味”での盛り上がりを見せ、いよいよ紛糾し始める。

 

 「私は自分のような“不幸な役者”をこれ以上増やしたくはない、これから生まれてくる子供たちが芝居によって“不幸”になって欲しくない。事務所(スターズ)を立ち上げたのもそのため・・・これは全て私が心の底から“望んでいる”ことよ。ミチルが何を言おうと、それは揺るがないわ

 「果たして人として“不幸”にならないことが、役者にとって“本当の幸せ”なのでしょうか?」

 「それで心を壊してしまったら元も子もないじゃない

 「でも芝居で心を壊すような役者なんて、誰もがあなたの遠ざけようとしている“不幸”と向き合わなかった役者(ひと)ばかりじゃないですか?

 「芝居で心を壊した人間の前でよくそんなことが言えるわね

 

 互いに限りなく無表情に近い感情で冷淡に言葉を交わしながら、互いが互いの“思い”を抱えて一歩間違えれば殴り合いの喧嘩になりかねない空気の中、2人は一触即発の言い争いを続ける。

 

 こうなるともう、歯止めが利かない。

 

 「さすがに“悪趣味”がすぎるんじゃないかしら・・・・・・ミチル

 「・・・“悪趣味”だなんてとんでもない・・・・・・先ほどからわたしはただ、思っていることを“そのまま”口にしているだけです

 「・・・・・・その言葉に“悪気が全くない”ところが・・・あなたの一番(たち)が悪いところね・・・

 

 無論これは今に始まったことではなく、2人の仲が良いのか悪いのか分からない関係性は初対面の頃から何も変わっていない。

 

 「・・・きっとあなたのような役者(ひと)が・・・・・・“有望な俳優”の未来を壊すのでしょうね・・・

 

 

 

 ただ初対面から20年の月日が経ち、2人の関係性は“女優同士(ライバル)”から“敵”に変わった。

 

 

 

 「・・・随分と酷いことを言うようになりましたね・・・・・・星さん

 「あなたにだけは言われたくないわ

 

 明確な悪意を持ったアリサの一言で“すっかり変わってしまった友人”を見つめるミチルの瞳が、ほんの一瞬だけ意味深に震える。

 

 「それに・・・私はミチルのためだけに女優として生きていたわけじゃないわ。だから私がこの先どうなろうと、あなたがそれをとやかく言う権利はないのよ。お分かり?

 

 一瞬だけ表に出たミチルの感情を“動揺”と感じ取ったアリサは追い打ちとばかりに突き放すような言葉を投げかけるが、ここで2年ぶりに会う手筈を整えた時点で覚悟を決めていたミチルは全く動じない。

 

 「その程度のことは言われなくても承知していますよ。ただ・・・今のあなたはあなたの言う“有望な俳優”の未来を利用して、“受け入れるべき現実”から逃げているようにしか見えません

 「・・・ミチルにしては面白いことを言うじゃない

 

 そしてかつての友人から放たれた正直な“本音”に“仮面”で覆い隠していたはずの感情が外れたその瞬間を、ミチルは見逃さなかった。

 

 「あなたはお芝居によって心を壊してしまった自分のような思いをさせない為と思っているのでしょうけれど・・・・・・そのやり方では却って“俳優の未来”を奪ってしまうかもしれませんよ?

 「わざわざ事務所(ウチ)の理念に文句を言うためだけに来たと言うなら帰ってくれる?

 「文句ではなく忠告です。自分の求める幸せを他人に押し付けるような真似をするのは人として最低だと星さんも思いませんか?

 「そうやって演出家(おとな)に好き勝手やらせた挙句“不幸”になった役者(ひと)たちが何人もいるということをあなたは知っている癖に、よくそんな世迷言が言えるわね

 「その“世迷言”と同じような言葉を、2年前までのあなたは口にして

 「“アナタ”なんかに私の何が分かると言うのよ?

 

 ミチルからの“悪意のない悪意”に、アリサは言葉を遮り普段よりも1テンポほど早い口調で内に秘めていた心情を溢した。

 

 「・・・やっと出てきましたね・・・・・・本当の“星アリサ(あなた)”が

 

 冷静さを保ちながらも口調や声のトーンが“”のように戻ったアリサの言葉を遮ったミチルは、内に秘めた感情を覆い隠す“”をゆっくりと溶かしていくように表情を緩ませて、静かに微笑む。

 

 「・・・・・・なるほどね・・・・・・これで“満足”かしら?

 

 “術中にはまってしまった”ことを理解したアリサは、“何も変わらない友人”に対する憤りの感情を溜息を交えながら皮肉で返す。

 

 「すいません。“芸能事務所の社長という仮面”を被ることを強いられている星さんが“あまりにも可哀想”で・・・・・・だからあなたにはせめてわたしといる時だけでも“素の顔”でいて欲しくて・・・これは私からの純粋な気持ちです

 「あなたの言葉に“悪意”がないことぐらい・・・初めて会った時から知っているわよ

 

 そんな自分を穏やかな笑みで見つめる“何一つ偽りも悪意もない”純粋な感情から発せられたミチルの言葉が意味するものを、アリサは一瞬で理解した。

 

 「・・・・・・本当に“狂っている”わね・・・ミチル・・・

 「・・・“狂っている”のはお互い様じゃないですか・・・・・・星さん

 

 

 

 最終オーディションの席で出会ったミチルは、暇さえあれば小説を読み漁っているような無口な女の子で、まるで“疑う”ことを知らない“純粋すぎる”心の持ち主だった。だから彼女は私よりも早いスピードで芝居というものを“自分の身体”に吸収していった。

 

 “『栄えある最優秀主演女優賞は・・・・・・・・・『化身(ばけもの)』、入江ミチルさん』”

 

 そして女優として芸能界の頂点まで駆け上がる途中で何一つ疑わずに身の回りの感情(モノ)を“全てを喰べ尽くした”彼女は、寡黙かつ愚直な性格はそのままに“狂って”いった。

 

 

 

 「・・・少なくとも女優だった頃は、私もそうだったわ

 

 

 

 もちろん同じ“表舞台”に立っていた“女優の私”も、確かに“狂って”いた。だから私は心を壊してしまった。結局私はミチルや“おねえさん”のように、“その先”にある“場所”に辿り着くことが出来なかった。

 

 

 

 「でも・・・“あなたたち”ほどじゃない・・・

 「そうでしょうね・・・・・・だからあなたは“終わって”しまった・・・

 

 

 

 不思議なものね。2年前に会った時まではミチル(あなた)のことが辛うじてちゃんと“友人”として視えていたはずなのに、いま目の前にいるあなたは・・・ミチルと同じ姿形をした“悪魔”にしか視えない・・・

 

 あなたは20年前のオーディションで初めて会った時から、何一つ“変わっていない”はずなのに・・・・・・

 

 

 

 “・・・やはりあなたとは・・・・・・“2年前”に全てを終わらせておくべきだった・・・

 

 

 

 「・・・さて、こんな淀んだ空気がいつまでも続いたらお腹の中にいるお子さんが可哀想ですから、そろそろ互いに近況報告の続きでも話しましょう」

 「誰のせいでこんなことになったと思っているの?

 

 何の悪気もなく会話の流れをぶった切るように会うための口実となる“本題”をミチルが切り出すと、アリサは感情に蓋をすることなく堂々と憎悪の感情をミチルにぶつける。

 

 「悪いけど、今すぐここから出て行って・・・・・・どうやら今日は虫の居所が“すこぶる悪い”みたいだから・・・

 

 応接間のソファーにくつろぎながら紅茶を口へと運ぶミチルに向けた感情は、芸能事務所(スターズ)の社長ではなく“星アリサ”そのものだった。

 

 「・・・そうですか・・・今日は星さんとお話ししたいことが“山ほど”あったのですが・・・・・・“お子さん”がいるとなると仕方がないですね

 「・・・・・・

 

 そんな“友人”の感情を受け取ったミチルは、再び感情に蓋をするとティーカップに半分ほど残っている紅茶をそのまま残してゆっくりと立ち上がり、“失礼しました”と軽く会釈をしてゆったりとした足取りで真っ直ぐ社長室の出口へと向かう。

 

 「・・・・・そういえば・・・・・・

 

 そして扉の取っ手に手をかけたところでふと立ち止まり、振り返ることなくミチルはソファーに座り込んだままのアリサへ言葉を投げかける。

 

 「・・・“乾君”の命日・・・・・・今日でしたね・・・

 「・・・・・・・・・そうね

 

 5秒ほどの沈黙の末に自分のもとへと返ってきた背後からの声を合図に、ミチルは扉を開けそのまま社長室を後にした。

 

 「・・・・・・酷い(ザマ)・・・・・・」

 

 扉が閉まり、自分1人以外に誰もいなくなったことで社長室は一気に静まり返った社長室で、ソファーに座ったままアリサは感情が昂ってしまった自分を溜息ついでに恥じる言葉を漏らして、気持ちを落ち着かせる。

 

 

 

 “『手前が求める幸せを他人に押し付けるような人間だけは、俺はどうしてもいけ好かねぇ』”

 

 

 

 映画デビューがかかった最終審査でミチルに敗れたとき、オーディション会場だったビルの通路の隅で人目を避けながら悔しさ()を流していた私を拾ってくれた恩師が口にしていた言葉。

 

 当然、恩師の言っていた言葉も“正解の1つ”ということは否定しない。そもそも芸能界(この世界)には役者の在り方において明確な“正解/不正解”なんて存在しない。そんなことは分かっている。

 

 だとしても、自分や“他人(ひと)”の人生を壊してでもその傲慢さを貫くことは・・・“人”として最も愚かな行為(こと)

 

 

 

 “心を壊さなければ“役者”になれない・・・・・・そんな“残酷”な世界はもう・・・二度と見たくない・・・

 

 

 

 「・・・(あきら)・・・・・・あなただけは死んでも“不幸”にはさせないから・・・

 

 膨らんだお腹に優しく手を当てて胎の中で眠る我が子に静かに言葉をかけると、アリサはゆっくりとソファーから立ち上がり、複雑怪奇に身体中を駆け巡る纏まりのない感情をリセットさせて自分のデスクへと戻った。




※実際に『化身(読み:けしん)』というタイトルの映画が実在しますが、劇中に登場する『化身(読み:ばけもの)』とは一切関係ございません。


そしてさり気なくですが、あのキャラクターの本名が明らかになりました・・・・・・ちなみに読みは違えど“慧”という名前の有名人は意外にも多かったりする・・・・・・








知らんけど


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scene.59 いつもの/絶不調

この間の“今後について”の続報を、活動報告にて上げました。

“新作”を楽しみにしていた方がいらっしゃいましたら、すみませんでした。

※2023/10/5追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


  2018年9月2日_午前11時47分_喫茶店・アグリス_

 

 「お待たせしました。カツサンドです」

 

 お冷が運ばれてから10分弱、俺たちの座る席に店主がドリップコーヒーと共に“いつものメニュー”を置いてきた。

 

 「“いつもの”と聞いて何が出てくるかと思ったら、意外と普通のメニューを頼むんですね?」

 

 開店時間の11時30分から14時までのランチ限定で出されているカツサンド。実際にどこかの番組で紹介されたこともある、当店における人気メニューのひとつだ。

 

 「君のことだからてっきり“かつ丼”のような変わり種を選ぶかと思っていたよ」

 「悪かったなご期待に添えなくて」

 

 そんな奇をてらわない“定番(いつも)のメニュー”を頼んだ俺に、全く同じメニューを頼んだ天知が“今日の丼もの”と書かれたシンプルなメニュー表に目線を向けながらほんの少しだけ残念がるようなニュアンスの言葉をかける。

 

 「そこのメニュー表に書かれてる“和食セット(変わり種)”は日替わりだからな」

 「だったらその曜日を狙って行けば良いじゃないか?わざわざ小説の中に登場する喫茶店のモデルにするぐらい愛着があるのなら」

 「そこまでの愛着はこの店にはないよ」

 

 天知の言っている通り、この店には日替わりランチとしてカツサンドに使われているものと同じ三元豚を使ったかつ丼をはじめ、手打ちうどんの和食セットなどのいわゆる“和食モノ”がある。

 

 これは余談だが、当然この辺りのところも『hole』の中では忠実に書かれている。

 

 「全く・・・食わず嫌いは良くないぞ夕野?」

 「もちろんほぼ一通りをちゃんと食べた上だ」

 「味はどうだった?」

 「普通に美味かったに決まってる」

 「その割には顔が浮かばないな」

 

 いかにも“喫茶店”という雰囲気のインテリアとはあまりに不釣り合いな和食セットだが、いずれも味はそれが好きでこの店に足繁く通っている常連客もいるというのも頷けるぐらいには美味いと思った。

 

 「美味かったけど・・・正直“それだけ”だった」

 「で、最終的に君が辿り着いたのがこの“カツサンドとブラックコーヒー”だったと」

 「勝手に詮索されるのは好きじゃないが、大方はそうだな」

 

 だが『hole』を執筆しがてらアイデアを得るためによく1人で通っていたこの店で最終的に落ち着いた “いつもの”メニューは、恐らく10人中5人くらいは選ぶであろう定番の組み合わせだった。

 

 とはいうものの、俺の中では“和食”という時点で“いつもの”に昇格する可能性はゼロに等しかったのが正直なところだ。

 

 「そもそもコーヒーと一緒に食べるなら“かつ丼”や“うどん”にするか、それともこういう“ランチ”にするかってところだろ?」

 「人によるが君の言いたいことは分かるよ」

 

 無論これは人によりけりだが、俺にとっては“和食×コーヒー”という組み合わせは邪道だ。実際にかつ丼と一緒にコーヒーを飲んでみたこともあったが、やはり定番との相性までには至らなかったのが、俺の見解だ。

 

 「さて、いい加減長話はこれぐらいにして腹に入れるか」

 

 ともあれ早く食べなければ店主がせっかく作ってくれたカツサンドの衣がへたり、拘りのドリップコーヒーも冷めてしまうため、話を一旦終わらせて半年ぶりのランチを口へと運ぶ。

 

 “・・・やっぱりこれなんだよなぁ・・・”

 

 豪快にがっつくように、分厚く食べ応えのある三元豚のカツと東京西部で獲れた新鮮なキャベツによる絶妙なバランスと食感を楽しみながら、口の中に飲み込んだ後に残る“余韻”があるうちにセットで必ず付いてくるほろ苦く深みがありながらもスッと身体に染み渡る絶妙な口当たりのよさが特徴である店主自慢のドリップコーヒーを胃袋に流し込む。“ありきたり”だと言われようが、俺の中ではこのコーヒーと最も相性のいい“サイドメニュー”はこのカツサンドだ。

 

 「確かにこの組み合わせは王道なだけあって外れないな」

 「そうだろ?」

 

 向かい合った先に座る天知も、クールな表情を変えずにコーヒーとの相性を絶賛しながら俺と同じようにカツサンドをがっつく。

 

 「・・・なんか意外だな。天知さんがそうやって食べるなんて」

 「こういうものはちまちまと口に運ぶよりもかぶりつくようにして味わうのが正解ですから」

 

 その見た目と振る舞いからして、こういうカツサンドですらナイフとフォークを使ってちまちまと上品に平らげるような雰囲気(イメージ)を俺は感じていたから、普通にどこにでもいる成人男性と同じようになるべく口元にソースが付かないように気を付けながらもカツサンドをがっつく天知の姿が、少しだけ意外に感じた。

 

 「逆に俺は是が非でも口元を汚さないようにナイフとフォークを使ってちまちまと食べると思っていたけどな」

 「人を見た目で判断するのは良くないことですよ夕野先生?」

 

 ただ今回ばかりはさすがに、“人を見た目で判断するな”という天知の意見が正しい。

 

 「人をお金で判断するのはもっと良くないぞ天知さん。あと気安く先生と呼ぶな」

 

 それを堂々と俺に言える筋合いが天知にあるかどうかは微妙だが。

 

 「それとこのコーヒー・・・・・・どことなくいつかの君が私に振る舞ってくれたブラックコーヒーを思い出すよ・・・

 

 そんな俺に“いつもの笑み”で正論をぶつけながらコーヒーを再び口に運んだ天知は、“あること”に気が付いた。

 

 「もしかして君の淹れているコーヒーもこの喫茶店が“モデル”なのかい・・・?」

 「・・・・・・流石だな

 「私はも分かるからね」

 「自慢は他所でやれ」

 

 ちなみに俺が偶に訪れる来客に振る舞っているブラックコーヒーは、この店のドリップコーヒーを参考に『hole』の執筆中に独学で作り上げたものだ。さすがに企業秘密の“本家大元”にはまだ及ばないが、実際に飲んだことのある来客からの評価は上々。だからと言って特に意味はないのだが。

 

 「・・・久しぶりに食ったけど美味いわやっぱり」

 

 そうこうしているうちに、俺たちは人気メニューのカツサンドを食べ終えた。本当にあっという間だったが、おかげで待ち時間まで心にへばりついていた“負の感情”もすっかり和らいでいた。“空腹は最高の調味料”という言葉をどこかで聞いたことがあるが、空腹であるかどうかはともかく、そういった“ネガティブな感情”と“美味しい食べ物”の組み合わせに人類は勝てないことは、子供の頃から知っている。

 

 「これを機にまた常連として通い始めてみるのはどうだ?」

 

 半年ぶりに口にした“いつもの”メニューに舌鼓を打ちメインにして締めのデザート代わりも兼ねている残りのコーヒーを嗜む俺に、同じくカツサンドを食べ終えて最後のコーヒーを嗜む天知が珍しく優しげな表情(かお)をして俺に言葉をかける。

 

 「・・・もう少し近ければな」

 「“”は使っても有り余るくらいあるじゃないか」

 「金は関係ないだろ」

 

 そして優しげな笑みを浮かべたまま、さり気なく痛いところを容赦なく突く。

 

 「だったらこの辺りにでも引っ越すか?」

 

 言うまでもないが、ひとつの店に片道一時間もかけて毎日のように通うほど、俺は食に対して貪欲ではない。ただ、仮にもしもこの店が自分の住処から歩いて10分ほどの場所にあったとしたら、話は変わっていたかもしれない。

 

 「わざわざ引っ越すほどじゃない」

 

 と、一瞬だけそう思ったが、やはりこういう店は“偶に”入っていつも食べていたメニューを楽しむのが“最高”という結論へすぐに辿り着いた。

 

 「・・・とにかくこういう店は、偶に気が向いた時にふらっと尋ねるくらいなのが、ちょうどメニューが一番美味しく感じる最高の“バランス”だろうからな」

 「・・・なるほどね・・・

 

 そんなどうしようもない超個人的な結論に辿り着いた俺に意味深そうな何とも言えない視線を向けると、天知は不敵に微笑みだした。

 

 「・・・なぜ笑う?」

 

 この表情(かお)が何を意味するのかは、もう分かり切っている。

 

 「いや、大した意味じゃない・・・・・・ただ・・・こうやって君が喫茶店のテーブルに座っている光景が妙に“懐かしい”と思っただけのことさ・・・

 「・・・・・・マジで何の話だ?」

 

 目の前から襲い掛かる悪魔の如く不気味な感情を、ドリップコーヒーを胃に流し込んで一旦遮断する。

 

 何が言いたいのか本当に分からないはずなのに、“嫌な予感”だけは強く感じた。

 

 「・・・18年前の映画だったか・・・・・・喫茶店の席で君がスクリーンの中で生き別れた“母親”とこんな感じで話していたのは・・・

 「・・・“ロストチャイルド”・・・・・・あんたも観てたのか?

 

 『ロストチャイルド』。今から18年前の秋に公開された映画の中で、俺は1歳のときに家族に捨てられ施設で育った中学2年生の少年の役を演じていた。今振り返ると、あの映画で得た経験は俺にとって人生における大きな“転機”になったと言ってもいいだろう。

 

 無論それは、“良くも悪くも”という意味だ。

 

 「えぇ・・・“牧と山吹”の3人で“仲良く”観させてもらいましたよ

 

 

 

 “『えっ・・・何で・・・』”

 

 

 

 「・・・そういや俺が『ロストチャイルド』を観にわざわざ渋谷まで行った時、“あんたら”と出くわしたことがあったな・・・」

 

 天知の言葉で、『ロストチャイルド』を観るために渋谷の映画館に入ったらちょうどそれを観終えたばかりの“同期3人組”と受付のロビーでバッタリ会ったことを俺は思い出した。

 

 そこでどんな話をしたのかはあまり覚えていないが、普段から仲の良い牧と山吹に当時ただの高校生になっていた天知がすんなりと“友人”として溶け込んでいた光景がどこか新鮮で、個人的に中々の衝撃を感じたことだけは覚えている。

 

 

 

 “・・・って、何で俺は昔を懐かしんでいるんだ・・・

 

 

 

 「自分で感傷には浸らないと言っていた癖に・・・

 

 そんな俺を見て、天知はいつもの笑みで容赦なく図星を突く。

 

 「・・・こういうところは1人で訪れるに限ると天知さんのおかげで改めて痛感したよ・・・・・・向かいに“良く知る顔”が座っていると、調子が狂う・・・

 

 当然こればっかりは、適当な言葉で誤魔化す以外方法はない。

 

 「君は黒山と違って素直だから話していて楽しいよ」

 「俺は1ミリも楽しくないけどな・・・」

 

 個人的な“ロケハン”のつもりで半年ぶりにこの店を訪れたはずが、気が付いたら腐れ縁の芸能プロデューサーと“昔のこと”を懐かしんでいる。

 

 どんなに忘れようと記憶を彼方に遠ざけようとも、“昔の夢”として時折無理やり叩き起こされることもあれば、こうした些細なきっかけでちょっとした“フラッシュバック”が起こりつい思い出してしまう、忘れたくとも忘れられない役者だった頃の記憶

 

 別に思い出すこと自体が辛い訳じゃない。忌まわしいと思ったこともなく、役者になったことそのものを後悔したことは一度もない。それはこの間まで襲い掛かっていた“謎の頭痛”も含めてだ。

 

 ただ、昔の記憶が頭の中で駆け巡ると特に理由もなく“調子”が狂い、“全てを終わらせてしまった”この俺が何食わぬ顔で“終わった過去”を懐かしんでいるという光景が、解せなくなる。

 

 

 

 “何やってんだろうな・・・・・・俺

 「何やってんだろうな・・・・・・俺

 

 気が付いたら心の中に留めておくべきはずの言葉が、声となってそのまま出ていた。

 

 「・・・ほんとにな

 

 案の定、天知に一瞬で察せられた。

 

 「君の昔からブレない行き当たりばったりな生き様は、見ていて面白いよ

 

 しかも、“プロデューサーの仮面”を取った“本来の感情”でだ。

 

 「・・・・・・そんな感情(かお)で俺を視るな

 

 果たしていまこの俺を見つめる天知の“曇りのない笑み”は本当の意味での素の感情なのか、はたまた見世物を揶揄うための計算なのかは確証が持てない。

 

 「それを言うなら“僕”だって、古くからの“友人”である夕野にそんな眼はして欲しくない・・・

 

 ひとつだけ確かなことは、いま目の前にいる天知は“芸能プロデューサー・天知心一”ではなく、“芸能界を離れただの高校生としての生活を謳歌しようとしていた頃の天知心一”と全く同じだということだ。

 

 「・・・天知さんと“友人”になった覚えなんて全くないぞ

 

 その“感情”で視られた瞬間、俺は今日の天知が仕事ではなく本当の意味で“休暇”を満喫しているということを理解した。

 

 「にしても珍しいな・・・天知さんが“仕事の絡みの話”を殆どしないなんて

 

 だからこそ、いまここにいる天知のことがいつも以上に視えない。

 

 「何度も君に言っているだろ・・・・・・“僕”はただ、休暇で来ているだけだ

 

 仕事以外の会話を殆どしたことが無かった俺は試しに“ただの天知心一”に核心を突く言葉を向けるが、返って来たのは予想通りの常套句だった。

 

 「それで次はどこへ行くつもりだい?どうせ“”のことを鬱陶しがっているであろう君は、早く“次の場所”へと行きたがっているだろうからな」

 

 そして間髪を入れずに、天知は俺の心情を端から正確に読み取るかのように“次の場所”へと向かうよう俺を仕向ける。

 

 

 

 “恐らく・・・これから俺がどこに向かうのかも全部気付いているのだろう・・・

 

 

 

 「・・・・・・ここはあんたの“奢り”な」

 「・・・仕方ないな・・・仮に相手が黒山だったら1円だろうと受け入れないけれどね」

 「どんだけ嫌いなんだよ墨字(あいつ)のこと・・・」

 

 もう何を言っても無駄だということを悟った憬は、“全額を奢る”という条件を天知に突き付けて残っていたドリップコーヒーを飲み干し、席を立った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 12時10分。半年ぶりに尋ねたアグリスでランチを堪能した俺たちは会計を済ませ、店の外に出た。今日は一日中雨が降るという天気予報に反して、空は雲にこそ覆われているが1時間ほど前まで上空を漂っていた雨雲は何処かへと過ぎ去り、一昨日から続いた雨によって濡らされたアスファルトの湿気が生暖かい空気となって身体に纏わりつく。

 

 ここ数日はずっと天気が悪かったこともあり暑さは落ち着いてはきているが、それでも都心の気温は30度に迫ろうとする勢いだ。

 

 「・・・車ぐらい用意したほうが良かったんじゃないのか?」

 

 季節が移り変わる9月とはいえまだまだ残暑が色濃く残っているにも関わらず、隣を歩く天知は黒スーツを着たまま涼しい顔で歩みを進めている。冬はともかく、この男は例え猛暑であろうと外に出る時は必ずこのスーツ姿で出歩いている。

 

 というより、半袖や肌が露出するような服を着ている天知を俺は一度たりとも見たことがない。

 

 「君なら分かっていると思うが、僕は“大事な社員”をわざわざ“私用”のためだけに使うような外道ではないよ」

 「ごめん、それはたった今初めて知ったわ」

 

 無論俺は、どうして天知が真夏であろうとこのような“格好”をしているのかを知っている。

 

 「言っておくけどここから10分以上は歩くからな?」

 

 少なくともその理由が“人の心が分かると言いながら脳幹を指す”のと同じような意味を持つ“キャラ設定”ではないことを知っている俺は、念のため隣を歩く天知に確認する。たった1人徒歩で俺のところに来た時点で“対策”はして来ているのは容易に想像できるが、どんなにいけ好かない相手だろうと本人次第じゃどうにもならない弱点(ハンデ)に関しては放っておけないのが俺の性分だ。

 

 「心配せずとも大丈夫。日焼け止めは毎日の日課ですから」

 

 やはり俺の予想していた通りに“対策”をちゃんとしてきたことが分かり心配は杞憂に終わった。プロデューサーとして時に他人(ひと)の感情を逆撫でするようなことを平然とやるような奴だから一度くらいは“痛い目”に合って欲しいという“下衆な”思いが奥底にあったが、それは安堵となって消えていった。

 

 「せめて天知さんのそれが“キャラ設定”だったら良かったのにな」

 「お?もしかしてこの僕のことを気遣ってくれているのか?」

 

 安堵の気持ちを誤魔化したジョークに、“休日モード”の天知はまたしても“曇りのない感情”で俺に問う。

 

 「まぁ・・・“ある意味”、な

 

 そんな普段は滅多に見ることのないであろう“ただの天知”の感情に、俺の調子はずっと狂いっぱなしだ。

 

 

 

 “『いつか、ここにいる4人が同じスクリーンに映る日が来たら・・・・・・』”

 

 

 

 きっとそれは、“芸能プロデューサー”ではない天知と久しぶりに会ったせいで、ずっと俺の頭の奥で“昔の記憶”がループし続けているせいなのだろう。

 

 「天知さん。少しだけペースを早めるぞ」

 「走るのだけは勘弁してくれ」

 「安心しろ、“早歩き”だ」

 

 とにかく1秒でも“本来の目的”のことを考えたい俺は天知を道連れに歩くペースを少しだけ早める。本当は走りたかったが、食後の身体で無理をするのも馬鹿馬鹿しく思えたのでそれはやめた。

 

 「・・・しかし、このあたりを歩くのは本当に久しぶりだよ」

 

 ペースを上げ始めて10数秒、斜め後ろを歩く天知が俺に声をかける。

 

 「あぁ・・・確か天知さんも霧生だったな・・・」

 「生まれた年の関係で直接は会っていないけどね」

 

 すると目の前には、霧生学園の芸能コースの寮へと続く道中のちょうど真ん中あたりに位置する五差路が広がっていた。

 

 この五差路を斜め右の方に曲がるとその先には馬橋公園というそこそこ立派な公園があり、阿佐ヶ谷駅の方角から見て公園の裏側に位置する場所に、俺が高校時代を過ごした芸能コースの寮がある。

 

 「でも結局、この道も数えられるぐらいしか通らなかったな」

 

 ただこの道を通学路として使ったことは一度もなく、強いて言えばオフの日に同じ寮に住んでいた気の合う俳優仲間に連れられる形で駅の周りや南口のアーケードを特に目的も決めず駄弁りながら歩き回ったり、変装して阿佐ヶ谷駅から中央線で繁華街に遊びに行った時に通ったぐらいだ。

 

 「そもそも君の場合は霧生に入ってすぐに“大きな”仕事が舞い込んで一気に忙しくなっていったわけだから、無理はないよ」

 「そうだな。特にメディアに引っ張りだこな“有名人(スター)”となると、尚更な」

 

 斜め後ろを歩く天知が言うように、霧生に入学して早々にある“ドラマ”でメインの役をやるというオファーが来たことでスターダムを一気に駆け上がっていくことになる俺にとって、通学路には特にこれといった懐かしさは感じない。

 

 「それから君が霧生に通っていた時期に普通に寮から路線バスと歩きで通学していたことを知った時は、我ながらに少し驚いたよ」

 「・・・別に普通じゃないかそれ?」

 「考えても見ろ?あの“夕野憬”が普通に公共交通機関を使って登校している光景を?」

 「光景って・・・そんなの知るかよ」

 

 その頃の俺のことを天知はやや大袈裟に振り返るが、当事者であった俺にとってはハッキリ言って気にするまでのことではなかった。

 

 「少なくとも進学コースの生徒たちからして見たら異様な光景として映っていただろうな・・・」

 「・・・全然覚えてないわ」

 

 事務所にも寄り切りなところもあるが、俺以外で俳優として仕事をしていた俳優仲間の連中も普通に歩きだったり公共の交通機関を使っていたわけだから、実際のところは天知が言うほどの騒ぎにはなっていなかった。はずだ。

 

 「・・・言っておくけどあの頃から引退するまでの君は、今の君が思っている以上に“有名人(スター)”だったからな・・・

 

 

 

 “『変装しなければまともに街すら歩けない。こんなことになるくらいだったら有名人(スター)になんてなるんじゃなかったよ』”

 

 

 

 「・・・・・・そうだろうな

 

 天知からかけられた言葉で、俺は初めて渋谷で会った時に天知が言っていた言葉を思い出した。何なら言われなくても俺は覚えていた。

 

 俺自身が自ら、そういう“偶像崇拝”にも似た“俄かな視線”でしか“有名人(おれたち)”を視ていない連中を心のどこかでシャットアウトしていたということ。

 

 「俺は・・・只々普通に“1人の役者”として芝居をし続けたかった・・・・・・のかもしれないな・・・

 

 有名人になり寝る暇すらないほどに忙しいときでも、芝居で他の人格に入り込んでいる瞬間だけは、プライベートの疲れも何もかもを忘れることが出来ていた。それこそが“自分が自分で在り続ける”ための原動力だった。

 

 

 

 故に俺は自分を称賛してくれる周囲の雑踏が増えれば増えるほど、知らず知らずのうちに“大切なもの”を失い続けて・・・・・・役者(ひと)として終わってしまった。

 

 

 

 「随分と歩幅が落ち着いてきましたね?

 「

 

 斜め後ろを歩く天知から声をかけられ、俺は我に返った。我に返ると早歩きだったはずの歩幅はすっかり元に戻っていた。

 

 “・・・もしかしたら今日はここ1年で一番調子が悪いかもしれないな・・・

 「・・・もしかしたら今日はここ1年で一番調子が悪いかもしれないな・・・

 

 溜息だけ溢すつもりが、心の声が思い切り声となって溜息と共に溢れ出た。本当に今日は、年に1回あるかないかぐらいの頻度で起こる“絶不調な日”のようだ。

 

 「それはご愁傷様です」

 「・・・やかましいわ」

 

 せっかく“”が降っているからと気分転換も兼ねた個人的なロケハンとして舞台となる阿佐ヶ谷まで来たというのに肝心の雨は止んでしまった挙句、こんな時に“最も遭遇したくなかった奴”を引き連れる羽目になるとは。

 

 「でも安心しろよ夕野。“目的地”はもう目と鼻の先だ」

 「言われなくても分かってる」

 

 左側に教会の建物があることを確認しながら、俺は天知へ雑に言葉を返す。そして視線を前に向けると住宅街の先にある森林が見え始める。

 

 「馬橋公園・・・夕野はここに来るのはいつぶりだ?」

 「さっきの店と同じだ」

 「そうかい。ちなみに僕は高校を卒業して以来だよ」

 「誰もあんたのことは聞いてない」

 

 

 

 ともあれ俺は、“招かねざる珍客”を引き連れつつも今回のロケハンにおける“本命”の目的地である馬橋公園にようやく着いた。




みんなから好かれるような作品を書くということは、本当に本当に難しい・・・・・・

ということで次回から3章はいよいよ、というかようやく終盤に入ります。そして恐らくあと5,6話ぐらいでこの物語における“最初の区切り”でもある3章は終わる・・・・・・終わる詐欺にならないように決着をつけるつもりでここから頑張ります。

ただでさえ“やるやる詐欺”(※活動報告参照)をやらかしてしまった以上、今回ばかりは絶対です。

それでも万が一詐欺ってしまったら・・・・・・シンプルにごめんなさい。


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scene.60 親子①

 1999年11月19日_午後8時30分_三宿_

 

 「よお、お疲れさんクミちゃん」

 「悪いわね紅林さん。撮影を終えてお疲れのときに呼び出す形になってしまって」

 「ええよ別に、そんなんクミちゃんも同じことやし。それにどのみち明日は撮休でワイら“親組”は何もないからな。“お悩み相談”なら24時間いつでもワイに聞いてくれてええで?」

 「誰も“お悩み相談”だとは一言も言ってないでしょ」

 

 11月19日、夜。それぞれ『ロストチャイルド』とは別件の仕事を終えた紅林と杜谷の2人は、互いにとって近所となる三宿にあるバーにやって来ていた。

 

 「だってクミちゃんは普段は男とこんなサシで飲むような真似をするような子やないから珍しいなって、つい思うてさ」

 「確かに自分からはあまりないかもしれないわね」

 

 舞台や映画で何度か共演した経験があり、年齢も近く舞台出身でそれぞれ同じ年にそれぞれがかつて所属していた劇団で舞台役者として役者の道に進んだ芸歴20年の“気の合う友人”同士は各々で自分のカクテルと軽食を頼み、“近すぎない”距離感を保ったまま他愛もない話で先ずはそれなりに盛り上がる。

 

 「大丈夫かクミちゃん?声の仕事のほうも変わらずまだやってるっちゅうのに強い酒なんか飲んで?せっかくの美声やのに」

 「酒なしじゃやってけるわけないでしょ、役者なんて」

 「まぁせやけど」

 「大丈夫よ。自分で限度は分かってるから」

 「クミちゃんは見かけによらず酒豪やからな」

 「紅林さんは酒を飲むと優しくなるわね」

 「・・・それひょっとしてワイのこと褒めとるのか?」

 「当たり前じゃない。私は人が嫌がるような言葉は絶対に言わないから」

 「ほんまか?そらうれしいなぁ」

 

 そしてお互いの身体に良い具合に酒が回り始めたところで、紅林が本題を切り出した。

 

 「・・・ほんで・・・どうしてもワイに話しておきたい“”っていうのは何や?」

 「えっ?・・・あぁ、そうだ」

 「クミちゃんいま完全に忘れとったやろ?」

 「ゴメンがっつり抜けていたわ言われるまで」

 「ワイまで忘れとったら危うく本末転倒やったぞ」

 

 友人からの言葉でこの店に呼び出した本来の理由を思い出した杜谷を、紅林が関西弁で優しく冷静にツッコむ。普段(シラフ)のときは持ち前の明るさと気さくな面倒見の良い性格で現場に流れる緊張感を良い意味で緩和する“二枚目半のオヤジ”としてやや大袈裟に振る舞っているが、酒が入るともう一つの一面でもある人思いで落ち着いた性格が表に出てくる。そういった彼の真の人間性こそ、紅林誠剛という男が同業者や演出家から好かれ慕われ続けている理由の1つだ。

 

 「まああれや・・・役者を20年もやっていれば酸いも甘いも色んなことが身に降りかかるもんやからな・・・困ったときはワイに全部聞いてくれ」

 「もう、大袈裟なんだから・・・」

 

 そんな紅林を微笑ましそうに一瞥した杜谷は、半分ほどグラスに残っているカクテルを一口だけ口の中で回して飲み込んだのを合図に、“本題”を話し始める。

 

 「・・・紅林さんはさ・・・夕野江利(せきのえり)っていう人は知ってるわよね?

 「・・・・・・あぁ・・・・・・“エリちゃん”か・・・

 

 杜谷の言った“夕野江利”という名前を聞いた紅林は、ふと天井を見上げながら昔を懐かしむかのように江利の名前を呟いた。

 

 「ほんまに久しぶりに聞ぃたわ・・・エリちゃんの名前・・・・・・何してんやろエリちゃん・・・

 

 

 

 江利の名前を聞ぃたのは、何年ぶりやろか・・・ある日突然、エイイチに導かれるようにして“第三回廊”のテントにやってきた高校演劇上がりの女の子。噂じゃ新人公演で1人だけ並外れた演技を披露したっちゅうからどれほどの“モノ”を持っとるのか確かめるためにエチュードをやらせてみたら、流石はエイイチが一目惚れするだけの素質の持ち主やった・・・・・・

 

 

 「で?エリちゃんがどないしたんや?」

 

 懐かしい名前を聞いて軽く感傷に浸りながら紅林は問いかける。

 

 「いや、先週くらいに自分の部屋の中を整理してたら結構昔の演劇雑誌が眠っていたのを見つけたわけよ。それでうわぁ懐かしいな~って思いながら何となくページをめくっていたら紅林さんが所属してた“第三回廊”の特集が書かれてて、そこに夕野江利の名前と写真が載ってたってわけ」

 「エリちゃんがいたっちゅうことは82,3年あたりか?」

 「そこまで詳しいことは覚えてないけど、紅林さんもまだいた頃の記事だったからきっとそうだわ」

 「なるほどな・・・あの頃はちょうど“第三回廊(ウチら)”を含めた“第三世代”が一番勢いに乗っとった時期やしな」

 

 第三世代。舞台演劇において1970年代の後半から本格的に活動を始めた世代で、演劇界の重鎮・巌裕次郎を筆頭とする第一世代の思想性や実践性、由良木史也(ゆらきふみや)といった演劇にエンターテイメントの要素を取り入れ思想性の強かったそれまでの小劇場演劇に新しい形を提示した第二世代とも似つかない、言葉遊びやメタシアターなどを駆使した独自の技巧やコンセプトを演劇に取り入れた1980年代における小演劇ブームの火付け役として台頭した劇作家並びに演出家を指す。

 

 中でも舞台演出家として今でも活躍するタツミエイイチによって1979年に旗上げされた第三回廊は、“第三世代における中心的存在”の1つとして数えられ人気を博した。

 

 ちなみに紅林は同劇団出身の俳優にして旗上げメンバーの1人でもある。

 

 「・・・劇団(いえ)は違えど同じく舞台をやっとったクミちゃんなら知っとると思うけど、エリちゃんは第三回廊には欠かせへん看板女優やったしな」

 

 そんな第三回廊で江利がかつて看板女優として活躍していたことを知っている人間は、今では同業の役者の中でも限られた範囲にしかいない。

 

 「そうね・・・私も野瀬(のぜ)先生から“最近のお前は弛んでいるから“この舞台(コレ)”を観て気を引き締めてこい”って言われて渡されたチケットが第三回廊の“ダスト”っていう舞台のチケットで、その時の主演(ヒロイン)が彼女だったわ」

 「へぇ~クミちゃんダスト(アレ)観てくれたんか」

 「観たというよりは“観させられた”感じなんだけどね・・・・・・でも・・・あの舞台で江利さんの芝居を初めて直接見たおかげで“もう一度気を引き締めよう”って思ったわ」

 

 紅林の言葉に乗せられる恰好で、杜谷もかつて所属していた劇団の主宰であり師匠にあたる人から渡されたチケットを片手に観に行った舞台の記憶を懐かしむ。

 

 「・・・あの人の芝居を観ていなかったら、多分いまの私はいないわ・・・

 

 

 

 彼女の芝居を例えるなら何と言えばいいのだろうか。400席ほどの客席と、第三回廊の創り上げた世界観が展開される壇上の間にある現実と非現実の境目が、彼女の芝居によって次第になくなっていった。彼女が役になりきって言葉を発するたびに、“芝居が上手い”の一言では言い表せない真っ直ぐな感情が私の身体に伝わってきた。

 

 ひとつだけ分かったことは、彼女の芝居(それ)は技術と場数を踏んだことで身に付けられる“演技力”ではなく、“本能()”そのものだったこと。あんな芝居を目の当たりにしたのは、生まれて初めてだった。

 

 そして彼女の芝居を観終えた私の心に残ったものは・・・いつの間にか野瀬先生の下で稽古や公演を打っている日々が“世界の全て”だと思い込んでしまっていた自分に対する苛立ちと、まだ自分は“何度でも変われる”という“根拠のない確信”に気付けたことへの喜びだった。

 

 多分、彼女の芝居を観ていなかったら・・・私は“あの2人”と同じ舞台に立てなかった・・・・・・

 

 

 

 「さよか・・・じゃあクミちゃんはエリちゃんによって“救われた”っちゅうことか」

 

 程よく酔いが回り始めた顔で劇団時代の記憶に思い馳せる杜谷に、紅林は穏やかな目で見つめながら優しく“今の場所”に辿り着くまでに人知れず重ねてきたであろう苦労を労う。

 

 「“救われた”ってそんな・・・・・・あぁでも・・・江利さんの芝居を観たおかげで今の私がいるって考えたら・・・そうなるわね」

 

 紅林からの遠回しな労いの言葉に杜谷は少しはにかみながらも言葉を返すと、そのままグラスに残っていたカクテルを飲み干す。

 

 「ほんまに大丈夫かクミちゃん?今日はもうやめといたほうがええで」

 「大丈夫。今日はこれぐらいにするから」

 

 自分よりも倍近いペースでカクテルを口に運んでいた杜谷を紅林は気遣うが、当の本人は“限度は分かってる”と言いたげにドヤ顔を浮かべて最後の一杯を飲み干した。

 

 「・・・・・・夕野くんってさ・・・ひょっとして江利さんの子供だったりするのかしら?

 

 杜谷はカクテルを飲み干すと同時に、いきなり話の本筋から話し始める。

 

 「急に話が飛躍したな」

 「だってそれが聞きたかったんじゃないの?」

 「まぁ・・・それもそうやな(やっぱ酒回っとるんちゃうクミちゃん?)」

 

 その様子に少しばかり戸惑いつつも、紅林は心の中で密かにツッコみながらも飛躍した話を進める。

 

 「最初は“夕野”って苗字を聞いて“あれ?どこかで聞いたことあるような”っていう感じで全然分からなかったけれど」

 「エリちゃんの名前覚えてへんかったんかい」

 「だってもう14,5年も前の話でしょ江利さんが突然表舞台から姿を消したのって?しかも実際に会ってすらいない人の名前なんてそんなのすぐに出るわけないわよ」

 「エリちゃんのおかげで今の自分がおるって言うてたときの“ええ感じの空気”をまずは返してくれ」

 

 こうして夫婦漫才のようなやり取りが展開されつつ、話は続く。

 

 「だけど、ユウト()の感情に直接入り込むように演じる夕野くんを見てもしかしたらって思ったのよ・・・何となく夕野くんの芝居が、あの日の舞台で観た江利さんの芝居と重なるところがあってもしかしたらと思ったら」

 「部屋の中を整理しとったら第三回廊の記事が載っとる雑誌が出てきて、その中にエリちゃんの写真があって確信したと」

 「そう思っていたけど・・・江利さんの写真を見た瞬間に分からなくなったのよね」

 

 確信に迫ったと言いたげな紅林の言葉に、杜谷は首を傾げる仕草を見せた。

 

 「何というか・・・親子って考えたら全然似てなかったんだよね。夕野くんと」

 

 こんなことを話したところで、何にもならないことは分かっている。仕事が休みの日に気分転換で掃除をしていたら戸棚の奥で眠っていた昔の演劇雑誌が偶々10何年ぶりかぐらいに私の前に出てきて、そこに忘れかけていた1人の舞台女優の名前と写真が偶然載っていたというだけの話。なんでこんなものをずっと捨てずに残していたのかは、ほとんど覚えていない。

 

 「せやったとしても偶におるやん、そういう隔世遺伝的な親子は。その証拠にワイのおふくろと8年前に死んだ母方の(ばっ)ちゃんは他人かって思うくらい全然似てへんかったし・・・考えすぎちゃう?」

 

 これで夕野くんと江利さんに何かしらの面影があったならばともかく、雑誌に載っていた21,2歳の彼女の顔は夕野くんとは全然似ていなかった。

 

 「もしかしたら私の考えすぎなのかもしれないけど・・・本当に夕野くんの面影がなかったのよ・・・・・・そうだ、何なら帰りに紅林さんに渡す?どっちもここから徒歩圏内なわけだし私たち」

 「ううん。ワイはエリちゃんの顔はごっつ覚えとるからいらん」

 「どこから湧いてくるのよその自信?」

 

 江利さんの顔を今でもはっきりと覚えている紅林さんは隔世遺伝と言い張るが、それにしても面影が無さすぎた。単純に顔をはっきりと覚えていなかったこともあったけれど、そのせいで芝居をしていない初対面の憬くんを見たときは、そんなこと思いもしなかった。

 

 「・・・まぁそんなこんなで、夕野くんと江利さんのことについて同じ第三回廊のメンバーだった紅林さんなら知っているかなと思って、ちょっと聞いてみたってわけ」

 

 これが単なる隔世遺伝というだけなら、“あんな過去”がなかったら、そこまで大きな問題にはならないかもしれない。けれどもし仮に夕野くんの抱えている “誰にも言えないような何らかの事情”に、“悪い大人達”が目をつけてしまったら・・・夕野くんと江利さんを結び付けてしまった瞬間から、私は一気に不安になってしまった。

 

 「でもそんなことを聞いたところで・・・紅林さんも困るわよね・・・」

 「・・・う~ん、正直に言うとワイはエリちゃんが辞める前に第三回廊を抜けてる身分やから、その辺のことは良ぉ分かれへんねん。すまんな、クミちゃん」

 「ううん、私の方こそごめん。わざわざこんなしょうもないことを聞くために呼び出す形になっちゃって・・・」

 

 “自分の命に代えても守るべき存在”を抱えている人を演じていると、私はいつも“役”の感情につい引っ張られてしまう・・・こればっかりは、いつまで経っても治らない。

 

 「あ~、なんか一段と調子悪いな~今日は。やっぱりあと一杯だけ飲むか」

 

 

 

 “・・・さっきから何をやっているんだろう・・・・・・私・・・

 

 

 

 「・・・・・・憬君が心配か?

 

 江利の話を始めた段階から憬の心配をする杜谷の心情を察していた紅林は、無理やり笑いながらわざとらしく気持ちを誤魔化す彼女の核心についに踏み込む。

 

 「・・・・・・勘の鋭い紅林さんには最初から全部“お見通し”か

 「おう。ワイの勘の鋭さは“折り紙付き”やからな」

 

 何度かの共演経験を重ねながら10年に渡って“友人”として関係を築いてきた紅林にとって、杜谷の役者としての強みでもあり弱みでもある“感受性の高さ”からくる神経質な心を読み解くのは比較的容易いことだ。

 

 無論、そのことは同じく付き合いの長い杜谷にとっても承知のことである。

 

 「・・・もちろん心配になるわよ・・・だって夕野くん、撮影で一回“フラッシュバック”を起こしたくらいだし・・・」

 

 

 

 “『俺が2歳の時まで一緒に暮らしていた父親の記憶(こと)です』”

 

 

 

 本音を言ってしまうと憬くんと江利さんが果たして親子なのかということや、親子の割に顔が似ていないことよりも、私は単純に夕野くんのことが心配になってしまった。

 

 夕野くんが抱えているであろう“家族の事情”に踏み込むことなんて、現実では赤の他人同士の私たちには出来はしない。だけれどそれが彼の将来を“左右”するかもしれないと考えると、どうしても“何かできないか”と考えてしまう。もちろんそれは夕野くんに限った話なんかではなく、同じく複雑な過去を経ているという渡戸くんも同じこと。

 

 「もしも夕野くんのフラッシュバックした過去がきっかけで“厄介”なことがあったりしたらって思ったらさ・・・」

 

 本読みの時点では他の誰よりも理解が浅くてぎこちなかったが、撮影に向けた読み合わせをするたびに見違えるように上達していき、本番の撮影が始まったときにはすっかり“ユウト”そのものになっていた。そして“役に入り過ぎた”が故に引き起こした自分のトラウマさえもあっという間に芝居として吸収して、役の感情に没入しながら自分を俯瞰する術も身に付け始めた。1,2ヶ月という短期間でここまで“自分の芝居”をモノにした役者を目の当たりにしたのは、彼も含めて20年芝居をやってきた中で“2度”だけだ。

 

 だからこそ夕野くんのような“自分の芝居”を持った役者(ひと)が、誰であろうと情け容赦のない “メディアの世界”に飛び込んでいくことが果たして本当の幸せなのか・・・そんなことを考えてしまう。

 

 「・・・ほんまに優しいな・・・クミちゃんは

 「優しいとかそういうことじゃないのよ・・・・・・ただ・・・夕野くんが“本当に生きていくべき”場所は・・・本当に“ここ”なのかって、ふと思っただけ・・・

 

 

 

 “・・・とにかく・・・“アリサ(彼女)”のような運命が夕野くんに降りかかることは・・・・・・絶対にあってはならない・・・

 

 

 

 「・・・・・・人の幸せなんて、そないなもん誰にも決められへん・・・・・・もちろん家族でさえもや・・・

 

 紅林は分かっていた。杜谷がいま、『ロストチャイルド』の撮影を通じて驚異的な成長を見せている憬が、周りの大人達からその“過去”をいいように利用され、それがきっかけで星アリサと同じような運命を辿ってしまうかもしれないということを。

 

 感受性が高く神経質な一面のある杜谷は、互いに舞台での共演経験があり公私共に仲良くしていた“2人の友人”のもとに訪れた悲劇を目の当たりにしたことで、一時は本気で“引退”を考えるほど心を痛めてしまったことがあった。

 

 「やけどそうやって全部を理屈で割り切れるほど・・・・・・ワイら人間は利口な生き物やない・・・

 

 そんな“2人の友人”の顛末で悲しみのどん底にいた杜谷を救ったのが、彼女と同じく舞台出身として切磋琢磨しながらいくつもの修羅場を乗り越えて来た紅林だった。

 

 「・・・ほなどないするかってなったときの答えは

 「誰にもわからない・・・・・だから私たち“大人”がこれから生まれてくる“子供たち”のために正しい道”を造り、その道を“子供たち”が踏み外さないように支えていくしかない・・・

 「・・・・・・せやな

 

 憬の身を我が子のように案じる杜谷が励ましの言葉を遮って独白を言うかのようにひとつの“答え”を声に出したのを見て、紅林は“複雑な心境”に襲われながらもそれをひた隠して安堵の表情を浮かべる。

 

 「・・・ワイもワイのやり方でこれからも戦うつもりやから・・・いまは共に見守ろう・・・

 「・・・大事なのは夕野くんの家族のこと以上に、彼自身が役者としてどうしていきたいかだからね

 

 

 

 “・・・すまんな・・・・・・クミちゃん・・・

 

 

 

 「明日の撮影・・・・・・何なら見届けにいくか?クミちゃんも明日はオフやし」

 「・・・そうね・・・・・・いや・・・やっぱり私は、夕野くんと渡戸くんを信じることにするわ・・・

 「・・・さよか・・・・・・ならワイもクミちゃんと同じく憬君と剣君を信じるわ

 

 そして紅林は、少しばかり悩んだ末に“フラッシュバック”を乗り越えて純粋に“”を楽しんでいる憬のことを信じきる選択を選んだ杜谷を見つめて静かに笑いかけた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_午後8時35分_

 

 「・・・オムライスとか久々だな」

 

 『ロストチャイルド』の台本とノートを読みながら明日に控える撮影に向けた役作りをしていた憬は、江利に呼ばれてリビングに向かうと食卓に並んだオムライスを見て思わず独り言を漏らした。

 

 「そうね・・・前に作ったのは憬が12歳の誕生日を迎えたとき以来だから、2年半ぶりね」

 「もうそんな経つのな」

 「そう。すごい久しぶりでしょ?」

 

 母ちゃん曰く、夕野家では俺の12歳の誕生日以来に食卓に登場したというオムライス。

 

 「・・・つっても、何で今日?」

 

 別に今日は何かの記念日でも特別な日でも何でもない。恐らく考えられるのは、偶にある母ちゃんの“気まぐれ”だろう。

 

 「特に理由はないよ。私の気まぐれってだけで」

 「・・・なんだそれ」

 

 案の定、ほぼ予想通りの返答に俺は申し訳程度の相槌を返して食卓の席に座る。

 

 ただ、明日にはいよいよ入江ミチル演じる“リョウコ”との撮影が控えているという“重要な局面”が待っていることもあり、このオムライスは図らずも“勝負飯と同じ意味”を持ってしまった。

 

 ただ、明日の撮影は“今までで一番の難所”ではあるから嬉しいことは嬉しかった。

 

 「まぁさ、憧れていた人が“事実婚”しちゃったこととかマネージャーからボロクソ言われたは一旦忘れて、明日の撮影に向けて気分を切り替えていこうよ」

 

 そしてまさかあの“入江ミチル”と共演するなんてことを知らない母ちゃんは、得意げな顔で4日前にお茶の間の話題を独占した“一大ニュース”の話題で俺を弄る。

 

 「3日前にはもうとっくに切り替えてるわ。どんだけ引きずってんだよそれ」

 

 

 

 

 

 

 時を遡ること4日前の月曜日、俺的に、というか割とお茶の間全体にとっても衝撃的な“一大ニュース”が日本全国を駆け巡った。

 

 

 

 “芸能事務所スターズ社長にして元女優・星アリサが人気脚本家との事実婚&第一子の妊娠を発表した

 

 

 

 あの“引退会見”以来、すっかり表には出なくなってしまった星アリサの久しぶりの話題は、彼女が事実婚と妊娠を発表したというニュース。さすがに今回ばかりはこのところバラエティーばかりを見ていた母ちゃんも、ワイドショーにチャンネルを合わせていた。

 

 もちろん星アリサのニュースは素直に祝福すべき出来事のはずだったが、俺が初めてニュースを聞いたとき、どういう訳か“ショック”の気持ちの方が上回った。

 

 “・・・嘘だろ・・・

 

 無理はない。ただでさえそれが“事実婚”という選択をとったことに加え、相手はなんと脚本家の月島章人。言うまでもなく、俺が月9でお世話になった人だった。

 

 こんなの・・・“おめでとう”よりも“えっ?”という気持ちの方が上回るに決まっている。

 

 “・・・いやいやいやいや・・・

 

 俄かには信じられなかった。確かに月島はスターズと契約している脚本家だったことは知っていたが、はっきり言ってビジネス以外での星アリサとの接点がまるで想像出来なかったからだ。

 

 “『あの2人って・・・一体どんな関係だったんですか?』”

 

 正月にオンエアが予定されているCMへの出演オファーの関係で事務所に顔を出した翌日の帰り際、俺は菅生に星アリサと月島の話題を思い切って聞いてみた。

 

 “『詳しく話してしまうと色々と面倒なので“限られた範囲”しか教えられませんが、業界のあいだではとっくに知られていた話でしたよ』”

 

 すると菅生は“絶対に外には漏らすな”と言いたげな表情を浮かべながら、小声で俺に“限られた範囲”でその真相を話してくれた。

 

 “『・・・なるほど・・・』”

 

 菅生から語られた真相は、結局のところワイドショーで語られたエピソードと大差ないものだった。元々2人は高校時代にクラスメイトになった頃から互いに顔を知っていたらしく、3年ほど前に脚本・演出と演者として同じ現場で再会してから一気に関係が近づき、そのまま交際に発展したという。

 

 そして事実婚を選んだ理由に関しても同様で、“『お互いに何度も真剣に話し合いを重ねた結果、“結婚”という形に囚われない“自分たちの形”で今後とも公私を共にするパートナーとして新しく生まれてくる命を支えていきたい』”という内容の声明文そのままだった。

 

 ちなみに事実婚をするにあたり星アリサのお腹に宿る第一子の親権は母親である星アリサの元へ行き、一方の月島は同日をもってスターズを退社して一部資本提携という形で映像制作に特化した新たな会社を立ち上げ独立するという。

 

 当然この辺りの話も、ワイドショーでとっくに知らされていた。

 

 “『・・・あの・・・マジで誰にも言わないんでもう少し詳しい話とかってできないですか?』”

 

 ほとんど同じような話をされる形になった俺はつい魔が差して、軽い気持ちで菅生に自分のしょうもない“好奇心”をぶつけた。

 

 “『・・・・・・夕野君は自分の私生活や誰にも言えないような“秘密”が全国ネットで晒されても平気ですか?』”

 “『・・・それは・・・』”

 

 軽い気持ちで好奇心をぶつけた俺に、菅生からの冷たい視線と圧力が突き刺さった。考えるまでもなく、菅生は事の重大さに気付いていない俺の無意識な“無神経”さを指摘していた。

 

 “『嫌に決まってるじゃないですか・・・そんなの・・・』”

 

 冷静に考えるまでもなく、俺はもう芸能人。広い括りで言えば星アリサと同様に自分自身の行動の1つ1つが注目されるような立場だ。もしも今の星アリサの立場が自分だとしたら・・・

 

 “『今の君はそれと同じことをしようとしているんですよ。夕野君』”

 

 きっと彼女も相当悩みに悩みぬいた末に、決断したに違いない。もちろんあの“引退宣言”は、絶対にそれ以上だ。

 

 いまの状況を客観視した俺は、瞬時に自分の無神経さを恥じた。

 

 “『・・・・・・芸能界は一般社会じゃないんです・・・そのことだけは肝に銘じておいてください・・・・・・』”

 

 結局のところ、俺は自分1人の力ではどうすることもできない“大人の事情”によって、自分の芸能人としての自覚の無さを指摘されて終わり、休む暇なく『ロストチャイルド』の撮影と学校で授業を受ける日が交互に続き、今日に至る。

 

 

 

 “『ねぇ?夕野君って芸能人でしょ?なんか星アリサの話とか知らない?』”

 

 

 

 俺的には特に言うほどのことじゃないがついでに言っておくと学校でも星アリサの事実婚&第一子妊娠のニュースは話題になり、かつての彼女と同じ“芸能人”の俺は、こんな感じで普段は滅多に話さないクラスメイトから何度か質問攻めにあった。

 

 “『全然聞かないな』”

 

 とりあえずこの手の質問は全て“全然聞かないor全く知らされてない”の一点張りで乗り切った。

 

 “『そんなことって本当にあんの?』”

 

 それでもしつこく聞いてきた奴には、“大人の事情でバラしたら社会的に殺される”とちょっとだけ誇張して軽く戦慄させた。こうした徹底的な“スルー作戦”によって、どうにか俺は質問攻めの“魔の手”から逃れることができた。

 

 “『まぁ色々あるのが“芸能界”ってやつだよな。知らんけど』”

 

 ちなみに学校の中で一番の理解者(ダチ)である有島は相変わらずの“謎の余裕”っぷりで俺のことを気に掛けてくれた。

 

 

 

 

 

 

 「・・・つっても、何だろうなー」

 「ん?どうした?」

 「芸能界って・・・・・・すげぇ大変なんだな」

 

 そしていま、改めて思う。俺は“とんでもない”世界に飛び込んでしまったということ。

 

 「・・・どこも大変だよ・・・社会って言うのはさ・・・・・・芸能界だろうと普通のサラリーマンだろうと関係なく・・・

 

 特に深い意味はなく思ったことを独り言で呟いた俺に、母ちゃんは自分の椅子に座りがてら答える。“演劇の世界”と“普通の世界”の両方を知っている人の言葉は、やはり説得力が違う。

 

 「・・・俺も母ちゃんを見てるとそう思うわ」

 「ほんとにそう思ってる?」

 「だってよ・・・土日でも普通に働いてる日もあるし」

 

 芸能界に限らず、きっと“普通の世界で普通に生きる”ということも、同じくらいに大変なことなんだろうと今までの母ちゃんを見ていれば“社会経験”がまだないに等しい俺でも理解できる。

 

 「・・・憬も大人になって色んなことを“知る”ようになったら・・・きっと“それだけ”じゃないってことに、気づくときが必ず来るよ・・・

 

 

 

 “『・・・今はまだ受け入れる必要も知る必要もないけど、憬くんもそのうち分かると思うよ。それまで役者を続けていればの話だけど・・・』”

 

 

 

 「・・・だろうな

 

 まだ本当の“大変さ”を知らない俺に“大人”としてアドバイスを送った母ちゃんと、自分自身が十字架として背負っている“覚悟”の意味を聞いた俺に“先輩”としてアドバイスを送った牧の姿が一瞬だけ重なった。

 

 「だろうなって・・・本当に分かってる?」

 

 俺のちょうど向かい側に座る母ちゃんが、“知ったかぶりやがって”と嘲笑うかの如く俺を揶揄う。もちろん俺は、牧が言っていた“女優を続ける為なら“”になっても構わない”という言葉に隠された本当の意味なんて、まだ全然分からない。

 

 「・・・そんなのはまだ分かんねぇけど・・・・・・この世界で生きるためには“覚悟”が必要だってことだけは、 “みんな”が教えてくれたおかげで俺も分かってるつもりだよ

 

 まだ“自覚が足りない”とか、言われることを言われてしまったら“はいすいません”の一言しか返せない立場なのかもしれないが、俺は芸能界という“とんでもない世界”で、俺なりに頑張っている。それだけは確かだ。

 

 

 

 “『・・・どうしてもそれを知りたいというのであれば・・・先ずはあなたの中にある“誰かとの記憶”を、次に“リョウコ(わたし)”と会う時までに “過去”のものにしてください』”

 

 

 

 その“覚悟”を何としてでも、俺は“明日の撮影”で証明しなければならない。

 

 

 

 「・・・・・・私から見たら、憬は憬が思っている以上に頑張ってるよ

 

 女手一つで“唯一の家族”である憬をずっと自分を支えてきた母親の江利は、一人息子の“確かな覚悟”を優しく労った。

 

 「は?・・・何だよいきなり?」

 「それより早く食べないと冷めちゃうよ、オムライス」

 「・・・おう」

 

 いきなり自分に向けられた母親らしい優し気な感情に戸惑いながらも、憬はまんざらでもない心境で“勝負飯”のオムライスを口へと運んだ。




日によってモチベがジェットコースターのように上がったり下がったりする現象をどうにかしたい。


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scene.61 親子②

赤坂アカ先生・・・・・・7年半の連載お疲れ様でした!


“『・・・第三回廊(この劇団)も旗揚げから早5年・・・僕らは演劇人として“新しい局面”に立つべき時が来た・・・・・・そのための“序章”として、本日をもって“第三回廊”は演研から“完全に独立”する・・・・・・“プロの劇団”として・・・更なる演劇の発展に尽くしていくために・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・憬には私とかお父さん(あの人)みたいに“辛い”思いはして欲しくない・・・だから憬がどんな選択をしたとしても、私は“家族”として憬が自分で選んだ道をとにかく信じて支えようって、(あなた)と“ふたりだけ”になったときから決めていた・・・・・・それだけかな・・・

 「・・・・・・そっか

 

 母ちゃんから初めて “芸能界に入ることを一切反対しなかった理由”を告げられた俺だったが、やはり“12年前の光景”が脳裏でつい引っかかった。

 

 「・・・・・・じゃあ・・・俺が2歳になるまでにその父親と何があった?

 

 俺は、両親と絶縁をしてまで俺の父親にあたる青年と共に突き進んでいった道の先に待ち受けている“12年前の光景”に至るまでの顛末を、母ちゃんに聞いた。

 

 「・・・あぁ・・・別にどうしても言えないことだったらここまででも大丈夫だけどよ。ていうか元から全部は言えねぇ話だろ、それ?」

 

 たださすがに自分の中にある良心が働き、俺は無意識に“保険”をかけた。いくら役作りで必要なことだとはいえ、人のトラウマを掘り下げるような真似をするのは良い気分はしない。

 

 「・・・・・・“役作り”でどうしても“必要”なんじゃないの?

 

 そんな俺の心配を杞憂するかのように、母ちゃんは余裕の表情を浮かべながら揶揄い気味に言葉を返した。

 

 「・・・大丈夫なんだな?

 「そのために私に聞いてるんでしょ?憬?

 

 あまりに呆気らかんとした母ちゃんに溜まらずもう一度だけ気を確かめると、相変わらずの態度で跳ね返された。そのいつも通りの様子を見た俺は、今度こそ話の続きを聞く覚悟を決めた。

 

 「じゃあ、続きを教えてくれ

 

 リビングのテーブル越しに真っ直ぐ視線を向けた俺に、母ちゃんは一呼吸を置いて静かに話の続きを始めた。

 

 「・・・両親と喧嘩別れした3日後かな・・・・・・“あの人”が“演研から離れてプロとして独立する”って言い出したのは・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 11月20日_午前9時10分_横浜市中区・伊勢佐木町_

 

 「憬はこういう喫茶店に入るのは初めてか?」

 

 11月20日、午前9時10分。俺は主人公のショウタと共に自分の実の母親であるリョウコと13年ぶりに再会を果たすシーンの撮影のため、伊勢佐木町の一角にある喫茶店に来ていた。

 

 ちなみに余談だが宮入家がある場所は伊勢佐木町からほど近い野ケ山辺りとなっているが、実際に宮入家として使われている家があるのは伊勢佐木町から少しだけ逸れた南太田という場所である。國近曰く、“これでも一番近い場所を確保できた”という。

 

 無論、これらの矛盾は映画やドラマの撮影(ロケ)では“割とよくある話”なので気にしてはいけない。

 

 「・・・一度だけ行ったことがある気がします」

 

 20分後から始まるリハを前に準備が進む喫茶店の店内を共に下見している渡戸の言葉に、憬は小さい頃の記憶を頼りに5歳くらいの時にこのような喫茶店に江利と行った日のことを思い起こす。

 

 「・・・幼稚園の時に映画を観終えた帰りに母ちゃんと一回だけ行きました」

 

 記憶が正しければ、5歳くらいの時に“ご都合主義のアニメ映画”を観た帰りの途中で、俺はこんな感じの喫茶店に母ちゃんと一緒に行ったことがある。当然“ムービータウン(あの映画館)”があるのは“西口”だから同じ横浜と言えど場所は全然違うのだが、あの時に入った店もこんな感じの雰囲気だった。

 

 「初めて喫茶店に入った瞬間の気持ちは覚えているか?」

 「初めて入ったとき・・・」

 

 実に退屈な“ご都合主義のアニメ映画”を観終えて、その映画館から少しだけ歩いたところの喫茶店に入った。あの時の感覚を頼りにすると恐らく昼食を食べるために入ったのだろう。

 

 「・・・あんまり記憶にはないんですけど・・・ちょっとだけ緊張したことだけは覚えてます」

 

 その店に入った瞬間、ファミリーレストランとは明らかに違う独特でレトロな空間が目の前に広がっていた。“レトロ”という概念なんか存在しない当時5歳くらいのガキだった俺には、その光景に少しだけビビッていたことだけは確かに覚えている。

 

 「って言っても、本当にそれぐらいしか覚えていないんですけどね」

 

 ただ覚えているのはこれぐらいで、あの店に入って何を頼んだのか、母ちゃんとどんな話をしたのか、そもそもあの店は西口のどの辺りにあったのかも含めて全くと言っていいほど記憶がない。もちろん映画を観た後に生まれて初めて喫茶店に行った日のことを母ちゃんから聞き出すことは普通に出来たかもしれないが、俺は“敢えて”それをしなかった。

 

 「俺は初めてだよ。こういう店に入るの」

 

 一方の渡戸は、このような店に入ること自体が初めてらしい。共演者として“過去”を知っている俺からしてみれば“らしいっちゃらしい”けど、それを口にして本人に言う“余計な勇気”は俺にはない。

 

 「・・・今日まで一度もってことですか」

 「そう」

 「下見は?」

 

 ただ役作りのために自身が世話になった近所の“児童養護施設(友生学園)”に出向き“恩師の人”から施設で暮らす子どもたちの現状やエピソードを聞き出したり、独学で心理学について調べてくるなど役に必要な下準備を欠かさずやってから本番に挑む用意周到で真面目なこの人が、まさか“下見”もせずに今日の撮影に挑むとは思えないと直感した俺は試しに聞いた。

 

 「やってない」

 

 すると渡戸は息つく暇もないほどの早さで即答した。ちなみに俺も、今日の撮影に向けた“喫茶店の下見”は一度もやっていない。

 

 理由は“ただ1つ”だ。

 

 「だって“俺たち”、喫茶店なんて生まれてこのかた一度も行ったことがないだろ?」

 

 そしてそれは聞くまでもなく、渡戸も同じことだった。

 

 「・・・憬も忘れてないよな?」

 「もちろんです。これも全部自分をユウトに近づけるためですから」

 

 ショウタもユウトも、“兄弟だけで”リョウコと会うことになって今まで生きてきて初めての喫茶店。説明するまでもなく、“俺たち”は生まれて初めて喫茶店という店に入ることになる。

 

 

 

 “『・・・大事なのはより役に近づけた状態で演じるために“体験”を積むことだ・・・』”

 

 

 

 國近から言われた“体験を積む”ということを律義に守り続けて役と自分の距離を近づけるために同じ“経験”を積むこと。それは読み合わせの初日の帰りに生まれて初めてコーヒーを口にした時から変わらない。

 

 だから今回の撮影で俺は“生まれて初めて喫茶店に入る”という感覚をなるべくリアルに演じられるように、“敢えて”5歳の時の記憶が曖昧なままの状態で今日の撮影に臨んでいる。

 

 「でも剣さんも“こういうこと”をするって、なんか意外ですね」

 「意外でも何でもない」

 

 もちろん俺は渡戸が“全く同じ”理由でショウタの役作りをしていたことを知った上でそう言うと、渡戸はクールな顔で即座に否定した。

 

 「憬と同じで、俺もずっと“ショウタ”に近づくために役作りをしてきた・・・ただそれだけのことだよ

 

 意外でも何でもない。渡戸は渡戸で自分の中にある“()り方”でずっとショウタの役作りを続けていた。ただこの人が“下見”をしないまま撮影に臨むという選択を選んだことが、俺には少しだけ意外に思えた。

 

 「これでまた“兄弟”として近づけたな、俺たち

 「・・・ですね

 

 ともあれこうして、撮影も佳境に入ったというところで俺たちはまた一つ“共演者(きょうだい)”としての距離を近づけさせることができた・・・

 

 「・・・あれ?入江さんは?」

 

 ことはいいが、リハの開始が20分後には迫ろうかという時間だというのに、最も肝心なリョウコ(入江)の姿がまだ現場にない。

 

 

 

 “何より今日の撮影は・・・俺たちにとっても國近にとっても重要だというのに・・・

 

 

 

 「今日の入江さんの入りは11時00分だよ」

 

 まだ現場に現れる気配すらないミチルを心配した憬に、隣に立つ渡戸が彼女の入り時間を教える。

 

 「えっ?」

 

 当然、“何も聞かされていない”憬は初耳だった。

 

 「ドクさんから何も聞かされていないのか?」

 「はい。いま初めて知りました」

 「・・・ほんとあの人は」

 

 そのことを憬が伝えると、渡戸は店の外でカット割りのチェックをしている國近に向けて小声でややわざとらしく愚痴を溢す。

 

 「・・・剣さんは入江さんの入り時間が遅い理由は國近さんから聞いてますか?」

 

 愚痴を溢した渡戸にほんの一瞬だけ違和感のような“何か”を感じ取ったが、とりあえず“いまの状況が飲み込めていない”憬はミチルが遅れる理由を尋ねる。

 

 「正直、俺もまだ入江さんのことはよく分かってないんだけど・・・」

 

 すると渡戸は憬のほうに近づき、“あんまり周りには言うなよ”と小声で注意した上で國近から聞いたその理由を教える。

 

 「・・・國近さん曰く、入江さん(あの人)は自分が出演するシーン以外はとにかく無関心な人らしい・・・

 「・・・と、言うと?」

 

 案の定、俺はその意味を一発では理解出来なかった。

 

 正直、いきなり“無関心な人”だと言われたところで、それが何なのかは分かる訳がない。

 

 「更に分かりやすく言うと、“役者特有のノリ”ってことで覚えておけばいい・・・だってさ」

 「・・・“役者特有のノリ”・・・」

 

 そう言われても、抽象的すぎて俺には分からない。この世界にいる人たちは役者だろうと裏方だろうと癖が強い人が多く、現にいまの俺もそんな“特有のノリ”的なやつに内心翻弄されている。

 

 “・・・まだまだだな、俺

 

 これでも芸能界に入って早くも5ヶ月。来週には『ロストチャイルド』のクランクアップを目前に新しいCMの仕事も待ち構えていて、少しずつでありながらも着実に俺は芸能人として芸能界(この世界)に馴染み始めている・・・と思っていたが、そう感じるようになるのはまだまだ先みたいだ。

 

 「要するに、“マイペース”ってことだよ」

 「“マイペース”・・・ですか?」

 

 相変わらず國近が伝えた言葉の意味を理解できないでいる俺に、渡戸は意図を分かりやすく噛み砕いて教えてくれた。

 

 「ただし“マイペース”とは言っても、決して“のんびり屋”というわけじゃない。例えばドクさんは必ず撮影スタッフの集合時間ピッタリに現場にやって来るだろ?」

 「ですね、確かオーディションや読み合わせの時も“ジャスト”の時間に来てましたからね」

 「そんな感じで人にはそれぞれ“自分のペース”があるんだよ。スポーツ選手が良くやる “試合前のルーティン”も、そのひとつみたいなものさ」

 「・・・そうなんですね」

 「諸説だけどな」

 「諸説ですか」

 

 渡戸の話が諸説なのかはともかく、俺は入江の“無関心”、“役者特有のノリ”の意味にようやく近づくことが出来た。それは俺が役を演じるときに直接その“感情”に入り込んでから芝居をするのと同じように、彼女には彼女のやり方があるということ。

 

 「細かいことはまだ分からないんですけど・・・きっとこれが“入江さんなり”の役者としての“在り方”なんですかね・・・・・・

 「・・・・・・」

 

 意味に近づけたことで気を良くした俺は、ついつい決め台詞のような言葉を得意げに吐いてしまった。ふと隣の渡戸の顔を見ると、何ともリアクションに困るような表情を浮かべながら沈黙していた。

 

 「・・・・・・スイマセン。俺が間違ったことを言ってたとしてもノーリアクションだけはやめてください。やられるとキツいんで」

 

 無論、これは俺が全部悪い。悪いんだけど、やっぱりノーリアクションをやられるのは何気にメンタルにくる。

 

 「悪い・・・なんかいきなり核心を突くようなこと言ってきたから、ビックリした」

 「あぁ・・・いや、スイマセンでした」

 「何で憬が謝るんだよ」

 「俺のせいで変な空気になったんで、謝らせて下さい」

 

 とりあえずこの場の空気は俺が半ば無理やり謝罪したことでどうにか元通りに戻った。しかしながら渡戸(この人)の外見と内面のギャップもまた、改めて客観的に視ると中々に癖がある。

 

 「・・・役者(ひと)の数だけ芝居の数があるように、人の数だけ“生き方”というものがある・・・

 

 そして約10秒の沈黙を挟み、渡戸は窓の外に目を向けたまま独白のように最後のアドバイスを送る。

 

 「みんなそれぞれ、自分のやり方でベストを尽くそうとしている。だから憬も普段通りに()ればいい・・・・・・“入江さん”に認められることも大事かもしれないけれど、一番は憬がどれだけ悔いなくユウトとして“リョウコ”と向き合うことができるかだからな・・・

 

 

 

 “『どうしてもそれを知りたいというのであれば・・・先ずはあなたの中にある“誰かとの記憶”を、次に“リョウコ(わたし)”と会う時までに “過去”のものにしてください

 

 “『もしそれが出来なければ・・・・・・今すぐ俳優をやめなさい・・・・・・過去と現実の区別がつかないような役者(にんげん)に・・・未来なんてありません・・・・・・

 

 

 

 「・・・って、いまの憬だったら言われなくても分かるか

 「・・・はい。分かってます

 

 「集合

 

 憬が己の中にある決意を相槌として渡戸に返したタイミングで、國近が集合をかけた。

 

 こうして『ロストチャイルド』の撮影は、“リョウコ不在”のまま始まった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_午前10時20分_首都高速横羽線下り線_

 

 「そろそろリハが終わり撮影が始まるころでしょうか?(こう)さん?」

 

 『ロストチャイルド』の撮影現場へ向かう道中の(セダン)の後部座席で小説に目を通しながら、ミチルは運転席でハンドルを握るマネージャーであり自身が所属する個人事務所の社長でもあり、腹違いの兄である入江孝(いりえこう)に“敬語”で声をかける。

 

 「撮影開始が9時30分からだと考えれば、我々が到着する11時には店に入る前のシーンがちょうど撮り終わるか否かといったところなのでそうなりますが・・・あくまで憶測ですので何とも言えませんね」

 

 “敬語”で声をかけてきた妹に対して、兄の孝もまた“社長兼マネージャー”として“敬語”で答える。

 

 「國近監督・・・彼は現場の空気感や演者の“状態”を随時考え、それらを元に場に応じて脚本や演出を変えながら映像作品を構築されるような方ですから・・・・・・そのあたりのことを予想するのは余計に難しいでしょうね」

 「そもそも、“ミチルさん”にとってはこの手の若手映画監督との仕事は初めてになりますからね」

 

 相変わらず表情が一切動かないミチルにバックミラー越しで目を向け、すっかり見慣れた日常として平然とした態度を孝は貫く。孝にとっては14年前にミチルの雇い主になる以前から家族()として妹のことを誰よりも気に掛けていて、ミチルの“女優としての生き方”も兄として熟知している。

 

 「えぇ・・・自分より年下の映画監督の方と仕事をするのは今回が初めてです」

 

 ミチルの“女優としての生き方”。それは“外に一歩でも出たらいかなる場合でも“入江ミチル”として振る舞う“ということ。本来の自分自身である“未散(みちる)”に戻るのは、“家族”しかいない空間でだけ。

 

 「今更ながら、随分と思い切った仕事を選びましたね」

 

 無論、今いる場所は彼女にとっては“現場に向かう車の中”という“外の世界”になるため、車の中にいるのが家族だけであったとしても、彼女は“ミチル”として振る舞い続ける。

 

 「・・・同じような言葉を星さんも仰っていましたよ

 「・・・そうですか

 

 家族だけの空間にいる時の“未散(じぶん)”。外の世界にいる時の“ミチル(じぶん)”。そして、役を演じているときの“他人(じぶん)”。

 

 

 

 この“3人の自分”を使い分けることこそが、ミチルにとって“自分がずっと女優(やくしゃ)で生き続けること”が出来た言わば彼女の処世術であることは、ごく少数の限られた人間しか知らない。

 

 

 

 「・・・しかしいつの時代も嫌なものですね・・・・・・役者を“偶像”として縛り付ける芸能事務所(プロダクション)方針(やり方)は・・・

 

 後部座席に座り眼鏡をかけ小説を読み耽るミチルは、活字に目を通したまま自身にとって一番の“商売敵”とも言える存在に対する思いを吐き出す。

 

 「・・・仕方のないことですよ。芸能界において芝居は商業活動の一環で、俳優はあくまで芸能事務所(プロダクション)が利益を出すために最前線に売り出される商品に過ぎないのが“現実”ですからね」

 「その現実に“わたしたち”は時に生かされ、時に殺され、また生かされては殺されて・・・・・・本当は誰もが純粋に生きていきたいと願って芸能界(この世界)の門を叩いていたはずなのに・・・“偶像という時価総額”が純粋で在るべきはずの人のを狂わせてしまう・・・・・・それでも役者として生きて続けていくためには、自らが“偶像”となって“生きる意味”を見出すしかありません・・・

 

 そして無感情で独特の間を空ける語り口で自身の心の内を吐き出すミチルを、孝は静かに見守るように前を見つめ続ける。

 

 「・・・“偶像”になることを受け入れられない役者(にんげん)が永遠に役者になんてなれないのは・・・・・・今に始まったことではありませんから・・・

 

 

 

 女優としてのミチルの半生は、華々しく順風満帆な活躍とは裏腹に波乱万丈である。

 

 15歳のときにいきなり芝居未経験ながら凄まじい倍率のオーディションを勝ち抜き映画のヒロインとして華々しく銀幕(スクリーン)デビューを果たすと、“清純派”として瞬く間に映画女優のスターダムを駆け上がっていき、若手ながらも“主演(ヒロイン)”として申し分ない演技力と偶像(アイドル)的な大衆からの支持を併せ持つ“国民的女優”となって一世を風靡する。

 

 そして20歳の時に映画『化身(ばけもの)』で日本アカデミー賞において歴代最年少で最優秀主演女優賞を受賞すると、その僅か1ヶ月後に所属事務所を退社し兄の孝と共に個人事務所を立ち上げて独立。芸能界と世間をざわつかせた。

 

 以降の数年間は自身が出演する映画を予告するCMを除き、MHKも含めてメディアへの露出を全く行わない徹底ぶりで今まで以上に活動の場を専ら映画のみに絞るようになり、彼女の芸能人としての振る舞いを快く思わない人たちから“若い癖に大物気取りだ”と揶揄されたこともあったが、それでもミチルは自身の信念を曲げることは一切せずそれらの声を“芝居”で跳ね返した。

 

 一方で世間からは“銀幕(スクリーン)でしか会うことのできない映画女優”としてこれまでと変わらずに支持され続け、同じく映画を主軸としながらもミチルとは対照的にドラマにCM、広告と場所を問わず積極的に活躍し彼女に代わって“国民的女優”になりつつあった星アリサ、そして日本一の女優として死してなおも愛され続けている稀代の大女優・薬師寺真波(やくしじまなみ)を母に持つ薬師寺真美(やくしじまみ)と共に“三大女優”として変わらず邦画界を席巻し続けた。

 

 やがて90年代に差し掛かると映画に活動の重きを置きつつメディアへの出演を再開するばかりか、今まで経験したことのなかった民放の連続ドラマにも主要キャストとして出演するなどこれまで以上に活躍の場を広げ始め、映画とドラマを通じてそれまでの“清純派”のイメージを崩す役柄を次々と好演し“演技派女優”としての地位を新たに確立。かつての全盛期を知らない“新しい世代”からも支持を集めた。

 

 こうして女優としての経験を積み重ねた深みのある芝居を武器にした彼女は“本当の意味”で全盛期を迎えたが、その最中に直木賞作家で自身も彼の小説を愛読していると公言していた小説家・西院玄(さいいんはるか)と結婚。無期限の休養を発表する。

 

 当然ながら女優として人気、実力共に最も脂の乗り切った時期で彼女が出した“引退”とも捉えられかねない決断と“物議を醸した結婚”に世論は賛否で溢れかえり、彼女は夫の玄と共に再び“時の人”となった。

 

 

 

 あれから約4年。すっかり世間から“過去の女優(ひと)”として名前を呼ばれるようになった1999年。入江ミチルは女優として再び表舞台に戻り、今に至る。

 

 

 

 「・・・果たして“あの子”は“未完の大器”に値する器なのでしょうか・・・・・・それとも単なる“偶像”で終わってしまう器なのでしょうか・・・

 「・・・“あの子”とは今回の映画で宮入有人(みやいりゆうと)を演じている夕野憬という少年のことですか?」

 

 玄の書いた小説に目を向けたまま独特な語り口で聞いてきたミチルに孝は目線を前に向けたまま聞き返すと、単行本の活字を追っていた視線がバックミラーへと移る。

 

 「彼以外に誰かいますか?“未完成な俳優”は?

 「いえ。“ミチルさん”の仰る通り、私の知る限りでは今回の映画においては“彼1人”でしょう」

 

 背後から気配なく標的の心臓を仕留める暗殺者の弾丸の如く、自身の心へと襲い掛かった後部座席からの限りなく無に近い氷の感情に、孝は平常心を装いながら“社長兼マネージャー”としていつもの口調で答える。

 

 いくら相手が家族として共に過ごしてきた時間のある妹であっても、女優・入江ミチルの精神状態で生きている彼女の相手をすることは、1秒足りとも気を抜く暇がない。ミチルのことを女優として称える人たちがいると同時に、彼女によって結果的に“潰されてしまった”人もいる。

 

 

 

 そんな未散のことを“誰よりも知っている”兄の孝は、最後まで“女優・入江ミチルを肯定する存在”として未散を守り、支え続けている。

 

 

 

 「・・・・・・楽しみですか?夕野憬()のことは?

 「・・・そうですね・・・・・・つい“余計な期待”をしてしまう程度には、“光る”ものは持っているでしょうから・・・

 

 ハンドルを握り前に視線を向けたまま問いかける孝に、ミチルは表情を一切変えることなく憬への“確かな期待”を口にした。

 




これで私は所持金が底をついたので、草を食べて生きていきます。


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scene.62 親子③

どういう理由かは分かりませんが、久しぶりにちょいバズりして日間ランキングに載った模様。

特に上を目指しているわけではないのですが、ランキングに載るとやっぱり嬉しいのが正直な気持ちです・・・・・・はい。

純粋にありがとうございます。


 “『・・・第三回廊(この劇団)も旗揚げから早5年・・・僕らは演劇人として“新しい局面”に立つべき時が来た・・・・・・そのための“序章”として、本日をもって“第三回廊”は演研から“完全に独立”する・・・“プロの劇団”として、更なる演劇の発展に尽くしていくために・・・』”

 

 

 

 母ちゃんが俺の祖父母でもある両親と喧嘩別れした3日後、俺の父親にあたる主宰の青年は劇団の団員たち全員をかつての本拠地であるテント小屋に呼び出し、同劇団の“演研”からの“完全独立”、つまり劇団の“プロ化”による“アマチュアからの脱却”という名の方針転換を打ち出した。

 

 「だけど誰にも相談しないまま勝手に決めちゃったもんだから・・・もう一瞬で修羅場になったわ」

 「それって母ちゃんすら知らなかったのか?」

 「うん。あの人がみんなの前で打ち明けた時に、私も初めて知ったわ・・・」

 

 しかし、近しい関係の同期にすら伝えずに強行した青年のこの決断は団員同士で意見が真っ二つに分かれる結果となり、劇団は青年の掲げた新たな方針に対する賛成派と反対派で二極化する事態に発展することとなる。

 

 「・・・自分たちの舞台を突き詰めて“小演劇”を日本中に広げたいって考えていたあの人からしてみれば、どこか“学生気分”が抜け切れていない“演研の空気”が邪魔で仕方なかったんだと思う_」

 

 それでも青年は団員同士の中で意見が真っ二つに割れていたにも関わらず“完全独立”を強行し、更に誰にも相談せずに“演研”とは縁もゆかりもない役者志望や脚本志望の人をオーディションでスカウトして勝手に劇団に招き入れるなど、青年の振る舞いは次第に独裁的になっていった。

 

 「で、劇団はどうなった?」

 「案の定、1人また1人って感じで演研にいた時からの役者仲間は次々と劇団を辞めて行ったわ」

 

 そんな青年の独裁的な支配に賛成していた団員たちからも愛想を尽かされ次々と辞められていき、気が付けばスタッフも合わせて20人はいたという演研出身の団員は青年と母ちゃんだけとなり、残りの団員は青年が外部から引き連れて来た人達になっていた。

 

 「・・・まぁ、あの人は割と最初の頃から自分たちの創る演劇の発展の為なら手段を選ばないっていうようなところがあったから・・・多分遅かれ早かれこうなっていたとは思うけどね・・・」

 

 こうしてかつて演研の中に存在していた1つの小劇団(アンサンブル)は、先祖の原形がほとんど失われていったことによって皮肉にも“小演劇の風雲児”と呼ばれるほど演劇界で名が知られるようになり、劇団として更なる飛躍を果たすことになる。はずだった。

 

 ちなみに母ちゃんと父親が“一線を越えた関係”になったのは、本人曰くこの頃だという。

 

 「そしてこの年の秋に、あの人が旗上げした劇団は解散したわ

 「・・・えっ?

 

 だがその劇団は、まさに“さあこれから”という時に突如として解散することになる。

 

 「勿体ないな、せっかくこれからだって時に」

 

 どんな形であれ、ひとつの信念によって築き上げてきたものが崩壊せざるを得なくなるということは、想像するだけで儚く思える。多分、父親も相当な覚悟で劇団の解散を決断したんだろうと、真実を知る寸前までの俺は思っていた。

 

 「正確に言えば・・・・・・“劇団を乗っ取られた”って言えばいいのかな・・・

 「・・・・・・は?

 

 だが母ちゃんの口から告げられた真実は、俺の予想を遥かに超えてくるものだった。もちろん女優をやめて一般人になった母ちゃんと、2歳のときに寝ている俺の首を絞めて殺そうとした父親のことを思うと、その“結末”は決して穏やかじゃないということは何となく分かってはいたけれど、さすがに驚きを隠せなかった。

 

 「乗っ取られたって・・・一体・・・」

 「ごめんね・・・この辺りのことはあんまり話せないんだけど_」

 

 最初に全部は話せないと言っていた言葉通り、母ちゃんはここで初めて過去の話を濁らせた。

 

 「元を辿れば、悪いのは“私たち”なんだけどね・・・」

 

 母ちゃんから語られた劇団が乗っ取られるまでの顛末を簡潔にまとめるとこうだ。

 

 

 

 父親による独裁的な振る舞いで演研にいた頃の団員が次々と辞めていくという混乱の中で、俺の母ちゃんと父親が“そういう関係”を持っていたことが発覚してしまい、母ちゃんは父親を“守る”ために全ての責任を背負って劇団を退団し、同時に女優もやめた。

 一方でその父親も自身がスカウトした1人の脚本志望の青年が“クーデター”も同然に劇団の軍資金でもある活動資金を持ち逃げし、父親以外の団員全員を引き連れる形で別の劇団を旗上げしたことにより、父親は文字通り団員と5年半の歳月をかけて築き上げてきた劇団(もの)を一瞬で失う形となった。

 

 全てを失った父親はようやく“自分のしてきたこと”に本当の意味で気が付くのだが、気付くのがあまりにも遅かった。

 

 

 こうして演研出身の1人の青年が立ち上げた小さな小劇団(アンサンブル)は、失意の中で5年と7か月という短い歴史に幕を閉じることとなった。

 

 「ちょうどその頃だったと思うわ・・・私が憬のことを身籠ったのは・・・

 

 そして母ちゃんが舞台から降りて一般人になり、父親が5年半をかけて築き上げてきたものを失った秋、母ちゃんの胎の中に“新しい命”が宿った。

 

 

 

 言うまでもなく、俺だ。

 

 

 

 「なんか・・・すげぇ大変な時期に出来ちまったな」

 「ホントにね」

 「ホントってオイ」

 「嘘に決まってるじゃない、憬は何も悪くないよ」

 「いやどう見ても言い方が明らかに“マジ”だったからさ・・・ったくややこしいんだよ」

 

 そんな“一番大変”なタイミングで胎の中に宿ってしまった俺の自虐に、結構ガチめなトーンで言葉を返してきた母ちゃんに不意に申し訳なさが襲ってきたが、考えても見れば身籠るタイミングなんて運次第だということぐらい、俺だってわかることだ。

 

 「・・・それで・・・父ちゃんはそのまま演劇を諦めたのか?

 

 ただ、気になるのはここからの先の話だ。1人のカリスマが1つの劇団を立ち上げて、僅か5年で演劇界から注目を集めるような台風の目になって、そこから1年足らずで全てを失った先に待ち受ける、“12年前の光景”は何だったのか。

 

 「いや・・・・・・あの人は諦めなかったわ・・・

 

 一呼吸を置いて、母ちゃんは過去の続きを話し始めた。

 

 「あんな形で自分の信じてきた演劇(もの)から裏切られても・・・あの人の演劇に対する一途な想いは揺るがなかった_」

 

 自らが立ち上げた劇団を自らの行いがあったとはいえ乗っ取られる形で奪われてしまった父親だったが、幸か不幸か“舞台演出家”としては変わらず演劇界では評価されていたこともあり、一度は劇団を去って行ったかつての仲間にして旗上げの時から苦楽を共にしていた1人の舞台俳優の伝手もあって“団員を持たない劇団”の主宰として再出発を果たした。

 

 この頃には父親はこれまでの独裁的な振る舞いをしていた自分を見つめ返し、かつて辞めていった仲間たち1人1人の元を訪ねては謝りに回りながらも新たな劇団の旗上げ公演のために奔走する日々を送った。

 

 一方で母ちゃんも、父親が新たに立ち上げた劇団の制作スタッフとして胎の中にいた俺に気を遣いながらも家計を支えるためにバイトを掛け持ちしながら公演を打つために首都圏にある小劇場を片っ端から売り込みで周り、主宰の父親と力を合わせて奔走した。

 

 「もちろん色々と大変だったし、倒れそうになったこともあった・・・だけど私にとっては久しぶりに舞台を打つためにみんなが一生懸命になって1つの目標に向かって自分が出来ることをやってる感じが、何だか純粋にあの人の舞台で芝居をしていたときのような“青春”って感じがして・・・全然苦じゃなかったわ

 

 母ちゃんたちのことを応援してくれる人たちが一定数いた反面、風の噂で劇団が解散に至った経緯を知った人たちから数珠繋ぎで“悪評”を流され、酷いときには“面倒なことに巻き込まれたくない”と劇場からブラックリストの扱いを受けて門前払いをされたこともあったりと、再出発には多くの障害が立ち塞がった。

 

 「・・・それは父ちゃんがいたからってことか?

 「まぁ・・・・・・そうなるね

 

 

 

 “『君の芝居が必要なんだ・・・・・・だから“僕の劇団”に入ってくれないか?』”

 

 

 

 それでもそんな自分を女優として引き込み、“一線を越えてしまう”ほどに心の底から女優(ひと)として惚れこんで、女優ではなくなってしまった“ただの自分”をも受け入れてくれた存在が隣にいる。それだけでどんな困難があろうと乗り越えられると信じていた。

 

 「_で何やかんやあって、何とか憬が生まれる3か月前、どうにか演者とスタッフとお客さんを集めて旗上げ公演を打つことが出来たってわけ」

 

 そしてその言葉通り幾多の困難を乗り越えた母ちゃんと父親は、自分の我儘で振り回されたことで一度は愛想を尽かして見捨てたはずの自分を許してくれたかつての劇団仲間の力を借りながらも、無事に旗上げ公演を成功させた。

 

 

 

 俺が生まれたのは、そんな旗上げ公演の千秋楽からちょうど3か月後のことだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ユウトの母親であるリョウコと会うことになったショウタとユウトは、リョウコが兄弟(ふたり)と会って話すための待ち合わせ場所として伊勢佐木町の喫茶店へ徒歩で向かっていた。

 

 「なぁユウト?」

 「なに?」

 「大丈夫か?」

 「大丈夫って何が?」

 「リョウコさんのこと・・・」

 

 伊勢佐木町へと繋がる橋の上で、左隣を歩くユウトにショウタが話しかける。

 

 「・・・・・・ちょっとだけ恐いかな」

 

 自分の首を絞めて殺そうとした過去(こと)のある母親(リョウコ)と直接会うことになった自分を気に掛けるショウタの声に、ユウトは一瞬だけ下を向き考え込みながら本音を溢す。

 

 「・・・だけど・・・・・・もう大丈夫」

 

 大丈夫だと自分に言い聞かせて再び顔を前に上げたユウトを、ショウタは少しばかり複雑な心境で見つめながら歩みを進める。

 

 「・・・・・・お前はいいよな・・・母親がいて・・・

 

 そして声にならないくらい小さな声で、ショウタはユウトに本音を溢した。

 

 「なんか言った兄ちゃん?」

 「いや・・・なんでもない」

 

 だがユウトはショウタの心の声に気付くことなく、そんなユウトを見てつい本音を口にしてしまった後悔を隠すようにショウタは笑いながら誤魔化す。

 

 「・・・そう」

 

 こうして2人はこれからリョウコに会うという何とも言えない緊張感を抱えながら、無言で橋を渡って二つ目の十字路にある喫茶店へと歩みを進める。

 

 

 

 「カット!・・・Vチェックします

 

 午前10時41分。栄橋で撮影したショウタとユウトがリョウコの待つ喫茶店へと向かうシーンの撮影はほぼ予定通りに終了した。

 

 

 

 

 

 

 前日_

 

 「渡戸、夕野、ちょっといいか?」

 

 撮影を全て終えて帰り支度を始めようとした俺と渡戸を、國近が呼び止めた。

 

 「はい、何ですか?」

 「・・・明日に撮る喫茶店の席でリョウコと再会するシーンについてがある」

 

 突然俺たち2人を呼び止めた國近は、普段の比較的ラフで余裕ぶった口調や振る舞いから離れた真面目な口調でこの後の撮影についての話を始めた。

 

 もちろん國近(この人)が直前になって脚本や演出を変えたり、演者が台詞を噛んだところをそのままシーンとして使うなど“演出面”においてはかなり拘りが強い映画監督だということは事前に聞かされていて、現に俺もこれまでにアドリブを要求された場面は何度もあるし、おまけに1回だけ噛んだ部分は“言い直しの演出”を付け足された上でOKにされている。

 

 そういう人が監督としてメガホンを取っているわけだから、この話が何を意味するのか自体は割と容易に“予測”ができた。

 

 「・・・あのシーン・・・リョウコとの会話は基本的に“3人の自由”にしよう思うんだが、()れるか?」

 「・・・“3人の自由”・・・ですか?」

 

 その國近が俺たちに課したのは、翌日に撮るシーンの台詞を“ショウタとユウトとリョウコ(3人)”に任せるというものだった。何が言いたいのかは何となくは分かったが、どこまでをどのように任せるのかまでの具体的な理解は追い付かなかった。

 

 「“3人の自由”に任せるっていうのは・・・“全てアドリブで()れ”という意味ですか?」

 

 今までになかった國近からの指示を今一つ理解出来ずにいる俺の気持ちを代弁するように、渡戸が國近に問いかける。

 

 「いや、ストーリーの展開において“絶対に必要な台詞”だけは台本通りに喋って、それ以外の部分は全て自由に()るってことだ」

 「・・・決められた台詞同士を繋げるためのアドリブってことですか?」

 「厳密に言えばアドリブで行っても構わないし、元の台本通りに行っても構わない」

 「つまり・・・会話をどう進めていくかは俺たちに全部任せると?」

 「そういうことだ」

 

 演出家(ひと)から演出されるという経験を多くしてきている渡戸が色々と質問してくれたおかげで、俺も國近の意図が分かった。

 

 「ちなみに入江さんには既にこの話は伝えてあるから、撮影の直前にでも軽く話し合ってどこまで自由に()るかを決めておけ」

 

 國近が俺たちに課した演出。それは“物語の中の3人”として対面しろという意味を持つものだった。無論それはただ“演じろ”という単純な話ではなく、リョウコが毅の“子供”に会う場面において俺と渡戸と入江が“3人”として自然に演じるために“どこまでをアドリブで喋るのか”、“どこまでを台本通りに喋るのか”を頭の片隅でその時の空気感で考えながら演じろということだった。

 

 「ショウタとユウトとして“兄弟”になったお前たちなら・・・必ず演じられるはずだ・・・

 

 映像芝居に関してはほぼ新人の渡戸と、芸歴5ヶ月の本当の意味での新人である憬に課した國近からの要望は新人はおろかベテラン俳優でさえ思わず身構えてしまうような高難易度な演出だが、これまでの撮影を通じて2人の成長を見てきた國近は迷わず“賭けに出る”選択を選んだ。

 

 

 

 

 

 当日_

 

 「入江ミチルさん入られます!」

 

 午前11時ジャスト。アシスタントの声が聞こえ、俺は渡戸と共に声のする方角へと顔を向けると黒いコートの下にリョウコの衣装を着こなした出で立ちの入江の姿があった。

 

 「おはようございます」

 

 撮影現場に1人の女の人が現れたその瞬間、空気は一気に変わった。初めて彼女と現場に対面した時にも感じた、“大物女優”ならではの風格。役柄の都合上限りなくノーメイクに近い素顔であるにも関わらず、ただそこにいるだけで周囲の全ての視線が奪われてしまうほどの存在感と美しさにスタッフやエキストラは挨拶を終えるとその“オーラ”をただ一身に浴びながら平常心を保つのに精一杯だ。

 

 「おはようございます。入江さん」「おはようございます」

 

 これでカメラが回り出した瞬間に纏う空気が“入江ミチル”から“リョウコ”になるところが、女優・入江ミチルの最も恐ろしいところだ。

 

 「・・・撮影は“順調”ですか?・・・夕野君?」

 

 優し気な雰囲気がありつつも底知れぬ闇も感じる独特な間合いを取るような口調で、入江はこの前と同じ殆ど微動だにしない氷の表情を浮かべながら俺と渡戸の目の前にきて問いかける。

 

 

 

 “『・・・・・・おやすみ・・・・・・』”

 

 

 

 初めて入江の演じる“リョウコ”の芝居をこの眼で目の当たりにしたとき、俺は自分の過去の感情に飲み込まれてしまい“あなたの自信は過信だった”と言われて何も言い返せなかった。

 

 「・・・“順調”ですよ・・・・・・あれからずっと

 

 でも過去と“向き合い乗り越えて行く”ための()り方を知った今なら、俺は堂々とユウト(役者)としてリョウコ(入江)と“対面”することができる。

 

 

 

 これは仮初なんかじゃなく、正真正銘の“覚悟”だ。

 

 

 

 「・・・・・・そうですか・・・・・・

 

 自分なりの覚悟を向けた夕野を、入江さんは意味深な言葉と共に凝視する。相変わらず何を思っているのか全く読めない瞳から凝視されると恐怖心で心が埋め尽くされそうになるが、隣に立つ夕野はどうにかそれを抑えて自分自身を真っ直ぐに見つめる瞳を凝視し返す。その視線に、この前のときのような“迷い”は一切ない。

 

 “それにしても夕野は・・・この1ヶ月で本当に役者(ひと)として強くなった

 

 「・・・今日の撮影は色々と大変だと思いますが、渡戸君も夕野君も“上手く演じよう”とはせず、“ありのままのショウタとユウト”としてリョウコ(わたし)と対話してください」

 

 夕野からの真っ直ぐな視線を受け取った入江さんは、数秒ほど無言で視合った末に静かな口調で俺たちのことを気遣うような言葉をかける。果たしてこれが純粋に“頑張ってください”という意味で言っているのか、それとももっと深いことを考えながら言っているのか。

 

 助言のひとつを取っても、この人がどんな思惑で俺たち共演者のことを視ているのかが殆ど掴めない。

 

 きっとそれは、隣に立つ夕野も俺と同じようなことを思っている。

 

 「・・・では改めて、本日はよろしくお願いします」

 

 そんな俺たちの思想など知らん顔で、入江さんは早々に挨拶を済ませると撮影に向けた準備を始めようとこの後に撮影が行われる喫茶店の店内へと足を向ける。

 

 「待ってください

 

 入江さんが喫茶店に足を向けた瞬間、夕野が落ち着きながらもピシャリと言い放つような口調で呼び止めた。

 

 「・・・なんでしょうか?

 

 夕野からの声に、入江さんは振り向かずにその場で立ち止まって耳を傾ける。

 

 何となくこの直後に夕野が言おうとしていたことを察していた俺は、敢えて引き留めずこの場を“夕野”に託して一歩引いて見守ることにした。

 

 役者としての“成長”を確かめるために。

 

 

 

 「・・・俺と剣さんはまだ・・・入江さんのことを何も知りません・・・・・・入江さんがどういう思いでリョウコという役を演じているのか、入江さんから視た俺たちはどのように視えているのか・・・・・・撮影が始まる前に、それだけ教えてくれませんか?

 

 

 

 “『・・・きっとこれが“入江さんなり”の役者としての“在り方”なんですかね・・・』”

 

 

 

 「・・・・・・夕野君(あなた)が私のことを知ったとして、果たしてあなた自身はこの後ユウトとしてリョウコと“話せる”のでしょうか?

 

 リョウコを演じている時、一体何を考えながら俺たちのことを視ているのか。その言葉に対する答えがこれだった。

 

 「・・・そうですね・・・・・・考えてみれば“俺たちとリョウコ”はこの喫茶店で“初めて”会うわけだから・・・聞いただけ無駄ですよね・・・

 

 この瞬間、役を演じる上で考えていることは、入江も同じことだということに俺は気付いた。俺はただそれを確かめたいがために彼女にわざと“”を言って答えを吐かせ、次に自分も同じことを思っているということを“正直”に言葉にした。

 

 “子供騙し”にも近い真似をするのはあんまりやりたくなかったが、全ては手探りで何も分からない状態から少しずつリョウコという人間の本質を対面して会話をしていく中で、少しずつ理解していくユウトの感情というものを疑似的に体験するためだ。

 

 「・・・全く知らないのかと思ったら・・・・・・もう既にお気づきのようですね・・・

 

 俺たちを背後に捉えたまま喫茶店のドアの方に視線を向け、入江はこの前と同じような感情の読み取れない口調で答える。

 

 「それと・・・“嘘”をついて相手を欺くような真似は、もう少し“嘘をつくのが”上手くなってからのほうがよろしいかと・・・・・・すぐに分かるような中途半端な嘘では、却ってみなさんから嫌われるかもしれませんので・・・

 

 そして入江は、俺の言った問いかけが“”だということに気が付いていた。どのタイミングで“それ”に気付かれていたのか、そんなものは全く分からない。

 

 「やっぱり夕野君(あなた)は・・・・・・“嘘”をつくのが下手ですね・・・

 

 入江は振り返ることなくそう告げると、撮影が行われる喫茶店の店内へと入って行った。果たして彼女の感情は“”をついたことへの“失望”なのか、あるいは嘘をつけない“正直者”だということに改めて気が付いたことへの“希望”なのか、そんなことは本人にしか分からない。

 

 ただ、この時の彼女は背を向けていてどんな顔をしていたのかは分からなかったはずなのに、どういう訳か俺には普段の氷で覆われているような感情の内側がほんの少しだけ垣間見えていた。ように感じた。

 

 「お前ら

 

 背後の方から俺たちのことを呼ぶ声が聞こえ我に返り店とは反対側の方へと身体を向けると、國近がいかにも“何か言いたげ”な表情で俺たち2人を見ていた。

 

 「・・・“マイペース”でいけよ・・・

 

 そして國近から託された最後のアドバイスに、俺たちは無言で頷いて“意地と覚悟”を示した。




今後は本業の仕事に加え、新たに“書きたいものリスト”が増えた関係で投稿頻度が落ちます。

そのため今までのような“ほぼ週1連載”は難しくなりますが、出来る限りのペースでこれからもこちらの投稿を続けていきますのでよろしくお願いします。









キヨさんが日曜劇場に出るってマ?


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キャラ紹介 2 (※一部ネタバレ有)

ものすっごく中途半端なタイミングですが、キャラ紹介です。

※一部ネタバレがありますのでご注意ください。


【主人公】

 

 

 

・夕野憬(せきのさとる)

 

職業:俳優(現:小説家)

生年月日:1985年6月30日生まれ

血液型:A型

身長:170cm(14歳) → 179cm(現在)

 

本作の主人公。10年に1人と称される天才的な演技力を持っている。現在は何らかの事情があり俳優を引退し、小説家として活動している。物心がついた頃からの母子家庭育ちで、父親のことを覚えていない。

 

 

 

【chapter 3の主な登場人物】

 

 

 

・天知心一(あまちしんいち)

 

職業:芸能プロデューサー(元子役)

生年月日:1982年11月11日生まれ

血液型:A型

身長:187cm(高2:184cm)

 

原作でもお馴染みの金の為なら手段を選ばず、人の感情を逆撫でするような真似も厭わない守銭奴の芸能プロデューサー。天馬心(てんましん)という名前で芸能活動をしていた過去があり、元子役という異色の経歴を持つ。

 

 

 

・渡戸剣(とべけん)

 

職業:俳優

生年月日:1979年2月2日生まれ

血液型:A型

身長:180cm

 

舞台演出家・巌裕次郎の舞台に多数出演した経歴を持つ実力派で、演劇界では“巌裕次郎の愛弟子”として知られているが映像芝居の経験は乏しい。原作ではダブルキャスト編に登場。

 

 

 

・國近独(くにちかどく)

 

職業:映画監督

生年月日:1965年5月24日生まれ

血液型:B型

身長:167cm

 

業界内で日本映画界の未来を担うホープの1人(1999年時点)として期待されている映画監督。ドキュメンタリーディレクター出身で、作品における“リアル”さの部分に対して非常に強い拘りを持っている。

 

 

 

・黒山寿一(くろやまじゅいち)

 

職業:撮影監督

生年月日:1954年1月8日生まれ

血液型:B型

身長:178cm

 

フリーランスで活動する映像カメラマンで、“日本一忙しい撮影監督”と呼ばれているほど業界内で重宝されている。既婚者で一人息子がいる。

 

 

 

・紅林誠剛(くればやしせいごう)

 

職業:俳優

生年月日:1959年7月27日生まれ

血液型:B型

身長:182cm

 

 

映画や舞台を中心に幅広い演技力を武器に活躍する個性派俳優。長身かつ渋めで硬派な出で立ちとは裏腹に人柄は明るく、普段の言葉遣いはコテコテの関西弁。

 

 

 

・杜谷久美子(もりやくみこ)

 

職業:女優

生年月日:1960年10月31日生まれ

血液型:O型

身長:161cm

 

舞台女優からキャリアを始め、その後は吹き替え声優、更にはバイプレーヤーとして映画やドラマにも出演するなどマルチに活躍している実力派女優。

 

 

 

・狩生尋(かりうひろ)

 

職業:俳優

生年月日:1984年1月5日生まれ

血液型:AB型

身長:175cm

 

『ロストチャイルド』で憬が演じる役の同級生の役を演じる芸歴1年目の新人俳優。同じく俳優でスターズに所属する一色十夜とは小4からの親友にしてライバルの関係。帰国子女。

 

 

 

・入江ミチル(いりえみちる)

 

職業:女優

生年月日:1964年3月6日生まれ

血液型:A型

身長:158cm

 

10代の時から映画女優として活躍し、同年代のライバルである星アリサと共に邦画界を引っ張ってきた大物女優。小説家と結婚して一度は芸能界を離れていたが、4年の休養を経て復帰している。『ロストチャイルド』では物語の“キーマン”を演じる。

 

 

 

 

【その他、登場人物(※上3人は2018年の時系列、下4人は1999年の時系列になっています)】

 

 

 

・阿笠寧々(あがさねね)

 

職業:編集者

生年月日:1993年5月1日生まれ

血液型:A型

身長:160cm

 

憬が『hole』を執筆していた際に担当をしていた編集者。現在は憬の担当を離れ別の小説家の新作を担当している。妹で女優の阿笠みみと2人暮らし。

 

 

 

・阿笠みみ(本名:美々 ※読みは同じ)

 

職業:女優

生年月日:1999年8月7日生まれ

血液型:A型

身長:163cm

 

繊細かつ没入度の深い演技を武器に映画を中心に活躍する若手演技派女優。業界内では“ブレイク”を期待されるなど注目されている。姉で編集者の阿笠寧々と2人暮らし。原作では大河ドラマ編に登場。

 

 

 

・眞壁隆之介(まかべりゅうのすけ)

 

職業:マネージャー

生年月日:1991年9月30日生まれ

血液型:AB型

身長:164cm

 

芸能事務所・スターズに所属するマネージャーで同事務所の看板女優である百城千世子の専属マネージャーを務めている。マネジメントを担当している千世子からは親しみを込めて“マクベス”というあだ名で呼ばれている。

 

 

 

・有島龍太(ありしまりゅうた)

学年:中学2年生

生年月日:1985年4月12日生まれ

血液型:O型

身長:161cm

 

憬のクラスメイトで性格は対照的だが憬とは妙に馬が合う。憬や転校したクラスメイトの環のことを一方的に“ダチ”と呼んでいる。憬曰く、“天才と馬鹿は紙一重を地で行くような奴”。

 

 

 

・環蓮(たまきれん)

職業:女優

生年月日:1985年9月16日生まれ

血液型:O型

身長:162cm(14歳) → 171cm(現在)

 

憬の幼馴染であり、憬が芸能界に足を踏み入れるきっかけになった一番の親友。現在は芸能人好感度例年1位の言わずと知れたトップ女優として活躍している。原作では大河ドラマ編に登場。

 

 

 

・牧静流(まきしずる)

職業:女優

生年月日:1985年1月1日生まれ

血液型:B型

身長:153cm

 

環と同じマンションの部屋で同居している子役上がりの実力派人気女優。同居人の環とは同じ事務所の先輩後輩及び友達の間柄。同じく俳優の一色十夜とは従兄妹の関係。スピンオフ『演じざかりのエトセトラ』の主人公。

 

(反転 ネタバレ注意)“実は日本一の女優として知られる大女優・薬師寺真波の孫である

 

 

 

・一色十夜(いっしきとおや)

職業:俳優

生年月日:1983年4月2日生まれ

血液型:AB型

身長:169cm

 

“絶世の美少年”と称されるほどの端麗な容姿を持つスターズの新たな広告塔。一家揃って世界的な有名人で女優の牧静流とは従兄妹の関係。天才的な演技力を持つ憬の存在をライバルとして密かに意識している。




例の如く、オリキャラ祭りです・・・・・・スイマ専属マネージャー。

なおここから先の展開は、作者的にscene62までを全て読んだ上でご覧になることをお勧めします。


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scene.63 親子④ / #000. ひとつの映画

どうして一番しんどいタイミングでアオのハコにハマってしまったのだろう。さらに真逆の意味で追い討ちをかけてきた“ドーハの歓喜”も相まって元来の感受性がぐちゃぐちゃになって疲労がジーマーでバイヤーです。


 「・・・どうも」

 

 待ち合わせていた時間ぴったりに喫茶店に着くと、リョウコは既に店の中にある窓際の席でショウタとユウトを待っていた。

 

 「・・・初めまして・・・俺は宮入尚太(みやいりしょうた)で、こいつが」

 「ユウトです・・・一応」

 「一応って」

 「いやだって・・・前会ったの、1歳のときだし・・・」

 

 初めましてとなるショウタと1歳で生き別れてからの再会となったユウトは、リョウコを前に立ったまま何とも言えない緊張でチグハグな挨拶をする。

 

 「・・・・・・座りませんか?」

 

 そんな2人の様子を、テーブルを挟んだ反対側の席で無言のまま見ていたリョウコは2人に座るように促す。

 

 「・・・あぁ、そうっすね」

 「・・・・・・」

 

 そしてややぎこちない空気感のまま、ショウタとユウトはテーブルを挟んだ反対側の席に座る。

 

 

 

 “この人が・・・・・・俺の母ちゃん・・・?

 

 

 

 目の前に座る母ちゃんの顔を見ても、今一つピンとこない。確かに記憶の中にいる1歳の時に首を絞められたあの光景に映っている母ちゃんと、いま目の前にいる母ちゃんは面影こそはある。だけど、母ちゃんは本当にこんな顔をしていたのか?と、つい思ってしまう自分がいる。

 

 「・・・・・・涼子(リョウコ)です・・・あなたたちが毅さんと元気に暮らしていることは、既に本人から聞いているわ・・・」

 

 軽く愛想笑いをしながら、淡々とした口調でリョウコは2人に話しかける。

 

 「・・・あの・・・」

 

 俺の本当の母ちゃんにあたるリョウコさんの言う毅さんとは、紛れもなく父ちゃんのこと。やっぱり父ちゃんの言っていた通り、一家ごと絶縁したという父ちゃんや俺たちのことは “赤の他人”としてしか見ていない。

 

 特に口にするわけでもないけれど、空気でそれは伝わった。

 

 「・・・・・・」

 

 だから母ちゃんにかけようとする言葉が出てこない。もしかしたら母ちゃんは俺のことも他人としか見ていないのかもしれないと思うと、急に怖くなった。

 

 

 

 俺が1歳の時の話を母ちゃんに話した瞬間、全てが終わってしまうような気がした。

 

 

 

 

 

 

  1985年6月30日。俺は生まれた。

 

 「言っておくけどあなたの(さとる)っていう名前は・・・お父さんが付けたんだよ」

 

 俺の父親が付けたという憬という名前。その意味は憧れを意味する“憧憬(しょうけい)”という言葉から取ったという。

 

 「憧れ・・・・・・っつっても何で憧れ?」

 「・・・・・・忘れた」

 「忘れたって・・・んなことあんのかよ?」

 

 だが肝心の理由は、母ちゃん曰く忘れてしまったという。

 

 「ゴメン、忘れたっていうのは嘘・・・・・・本当は教えてくれなかったんだよね。あの人」

 「教えてくれなかったって・・・」

 「そんなの教えてくれなかったから私が知ってるわけないじゃん」

 「・・・そりゃあ、そうか・・・ていうか何で嘘ついたし?」

 「何かとごっちゃになってた」

 「・・・なんだよそれ」

 

 正確に言うと憬という名前の由来を、父親は母ちゃんにも一切教えてくれなかったらしい。当然教えてくれなかった理由も母ちゃんが知っているはずがない。

 

 「それで憬が生まれて3ヶ月になるかならないかぐらいかな・・・・・・あの人が急に小説を書くと言い出して引きこもり始めたのは_

 

 生まれたばかりの頃は母ちゃんと同じように父親は俺の面倒をよく見ていたというが、俺が生まれて2,3ヶ月ほどたった頃、父親は急に小説を書くと言い出したらしい。母ちゃん曰く、“次の脚本を書く上ではどうしても必要な作業”だったという。

 

 「演研の頃から脚本を書くときは我を忘れるようにシナリオ作りに没頭して、演出も演者に有無を言わせないような人だったから、最初はいつものことだと思ったんだよね_」

 

 ちなみに父親は仲間からの裏切りに遭って劇団を乗っ取られてからそれまでの振る舞いを改めたと言うが、いざ自らの手掛ける舞台が絡むと相変わらず鬼のように厳しく演者や音響・照明に接するところは変わらなかった。

 

 もちろん父親は自分に対しては他人以上に厳しい人だったが、彼の本質を理解していた人間は母ちゃんを含めて特に近しい関係だった数人ぐらいしかいなかったらしい。

 

 「・・・でも普段から書いていた脚本と全く書いたことのなかった小説とでは勝手が違ってたのよね・・・

 

 

 

 一旦ここで諸説として補足を挟むが、脚本を書くと言うことと、小説を書くということはどちらも文章を書いて1つシナリオを築き上げる点では共通していると言えるが、その実態は大きく異なっている。

 

 例を挙げると、ト書きと人物の台詞で構成されていてある程度は書き方が定まっている脚本に対し、小説はさまざまな表現方法があり、同じような世界観、同じようなシナリオであっても作者個人が持つ独自性によって物語の方向性が大きく変わっていく正解のない芸術作品で、物語を創る上での制約なんて“有って無い”ようなものだ。

 

 ましてや今まで小説なんて一度たりとも書いたことのなかった人間が、誰に届けるでもなく自分の脚本を完成させるためだけに1つの小説を書く。それが如何に難しいことのなのかは、全く計り知れない。

 

 

 

 「本当はもっとちゃんとあの人のことを支えてあげれたら未来は変わってたかもしれないけれど・・・・・・あの頃はお互いにギリギリだったわ・・・

 

 ともあれその日から父親は取りつかれたようにノートや用紙にシナリオや文章を書き殴っては捨てるような日々を送るようになり、一向に終わることのない創作という名の苦痛に苛まれるようになり、精神的にも不安定になっていったという。

 

 「・・・止められなかったのか?

 

 そういう危険な状態に陥った父親のことを“止められなかったのか”と聞くのは酷い話だと内心では思いつつ、俺はその答えを聞いた。

 

 「・・・・・・そうね・・・どうにもならなかった・・・

 

 少しだけ考え込んだ末、母ちゃんは頷き、ゆっくりと俺に父親の人物像を言葉で紡いだ。

 

 「・・・出会った時からそうだったけど・・・あの人は1つのことに集中しちゃうともう誰にも止められなかった・・・・・・あの人が独裁者のように当たり散らしたことがあったのも悪気があるとか調子に乗っていたというわけじゃなくて・・・誰よりも劇団で創り上げる1つ1つの舞台を“良くしよう”っていう思いが強すぎただけ・・・・・・本当にあの人は純粋に演劇が好きなだけだったのよ・・・でも自分の熱量と同じぐらいかそれ以上の熱量を周りにも求めてたから、敵も多く作って・・・周りからはカリスマだとか独裁者だとか良くも悪くも大それたこと言われてたけど・・・私にとっては自分の思いを伝えるのが不器用なだけでとにかく一途で純粋な人だった・・・・・・だから止めたくても止められなかった・・・・・・あの人の“創作”を止めるということは・・・私にとってあの人の“人生そのもの”を否定するようなことと同じだったから・・・・・・

 

 父親を止めることが出来なかった理由を言い終えると、母ちゃんは一粒の涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 「ご注文をどうぞ」

 「ナポリタンと、オムライス2つで」

 「はい、かしこまりました」

 

 気まずい沈黙の末に、ひとまず3人はそれぞれリョウコがナポリタン、そしてショウタとユウトがオムライスを注文してメニューを決めた。

 

 「・・・どうかしました?」

 

 聞こうと決めていた言葉をかけようとするが、言葉は一向に出ない。言おうとすればするほど、俺の言葉が何1つ伝わらなかったらという恐怖が襲い掛かる。

 

 “・・・大丈夫・・・

 

 踏み込めずにいるユウトの背中を、ショウタは優しく叩いた。ショウタからの無言のメッセージに、ユウトは再びリョウコの目を見て言いたかったことを伝える。

 

 「・・・・・・あのさ・・・“母ちゃん”に、聞きたいことがあるんだけど・・・

 

 ユウトが勇気を振り絞って“母ちゃん”と呼ぶと、リョウコはユウトの顔に視線を向けたまま無言で静かに頷いた。

 

 それを見たユウトは、今度こそ恐怖を振り切った。

 

 「俺がまだ1歳の時・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 『・・・憬・・・』

 

 

 

 2歳の時に母親と共に横浜へ引っ越す前、俺は都内にある1DKの古びたアパートの一室で過ごしていた。

 

 

 

 『・・・君は相変わらずかわいいな・・・』

 

 

 

 窓の向こう側から微かに雨の音が聴こえる夜明け、不意に話しかけられたことで目覚め始めた俺の頭を父親が撫でる。夢うつつで意識は曖昧だったが、俺の頭を撫でながら優しく語りかけているのが父親だということはすぐに分かった。

 

 

 

 『・・・でも・・・・・・僕はもう駄目なんだ・・・』

 

 

 

 次の瞬間、一瞬の閃光と共に落雷の轟音がまだ薄暗い部屋全体に響き渡り、心臓に鉛玉をぶち込まれたかのような衝撃が走り俺の意識は一気に覚醒した。

 

 

 

 “・・・えっ?・・・

 

 

 

 気が付くと、父親は“死んだ魚”の目で見つめながら馬乗りになり両手を俺の首元に優しくかけていた。当然俺は、今ここで何が起こっているかなど全く把握していない。

 

 

 

 『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・』

 

 

 

 そして何も把握できずにいる俺に父親は感情の抜け切った表情で一言だけそう言った直後、首にかかる圧力が一気に強まり、俺は息を吸うことも吐くことも出来なくなった。

 

 

 

 あまりに突然の出来事に、声を発することも暴れることもどうすることも出来ずに訳が分からないまま俺の意識が再び遠のき始めた。

 

 

 

 “・・・父ちゃん・・・・・・泣いてる・・・?

 

 

 

 その時、左の頬に一粒の温かい何かが落ちた。薄れゆく意識の中で視線を父親の方へ動かすと、父親は一筋の涙を溢しながら俺の目を凝視していた。

 

 

 

 『・・・・・・何やってるの!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・夕野

 「・・・!?

 

 横から聞こえてきた天知の声で、俺はふと我に返る。

 

 「・・・大丈夫か?

 

 普段のような冷酷かつニヒルな振る舞いとは対照的な優し気な声が聞こえ、俺は横にいる天知へと視線を向ける。

 

 「・・・そっか・・・俺・・・・・・ロケハンに来たのか

 

 どれぐらい茫然としていたのだろうかは分からない。気が付くと目の前にあったはずの馬橋公園の入り口は、馬橋公園の中にあるアスレチックに変わっていた。

 

 「それにしても驚きましたよ・・・この公園に入った途端に我を忘れるように一点を見つめながら君は歩き続けていたから」

 「・・・そうか」

 「おや?いつもの君ならすぐに御託を並べて僕の言葉を否定するはずなのに・・・どういう風の吹き回しだ?」

 「別に全部を否定してるわけじゃないだろ・・・それに、恐らく今回ばかりは完全に我を忘れていただろうしな」

 

 隣に立つ天知の言う通り、確かに俺は馬橋公園の入り口を通り抜けたところからどういう訳か“我を失っていた”。

 

 「・・・なんかよく分からないけれど・・・・・・歩いたまま変な夢のようなものを見ていた・・・

 

 原因は恐らく、走馬灯のような無秩序でごちゃ混ぜになった夢のようなとてつもない何かが頭の中でグルグルと回っていたことだ。

 

 「・・・なるほど・・・・・・それはいったいどういうだったかい?」

 

 本当にとてつもなかった。まるで自分も含めた何人もの人生が記憶となって一気に全部襲い掛かってきたような、凄まじい濃度の光景。

 

 「・・・忘れた

 

 ただ思い出そうとしたその瞬間、ついさっきまで意識の中を駆け巡っていた“記憶”はほとんど頭から抜け落ちていた。

 

 「・・・さっきのように昔のことでも思い出していたんじゃないのか?」

 

 ついたった今まで思い出していたであろう光景を天知は予想する。

 

 「・・・・・・そうかもしれないな

 

 昔と言われてみれば、昔の記憶のような気がするがそれ以上は思い出せない。今日は年に1回あるかないかぐらいの頻度で起こる“絶不調な日”だからなのだろうか。

 

 「・・・昔か?

 

 ただ、昔の記憶のような光景に俺は妙な違和感を覚えた。

 

 「本当に今日は調子が悪いみたいだな」

 

 隣で俺を茶化す天知の言葉をよそに、もう一度さっきの光景を思い浮かべようとする。

 

 「・・・ほんとにな

 

 だがその光景は思い浮かべても鮮明に出てこない。何となくで頭の中に残っているのは、カメラを向けられ役を演じている自分と別の誰かと同じ部屋で何かの話をしている自分がごちゃごちゃになって・・・・・・

 

 「けど・・・・・・最後は2歳のときの記憶を見ていた気がする・・・

 

 最後に映っていたのは、俺が2歳のときに父親から首を絞められた記憶。それを見ていたところで隣にいる天知から声をかけられて、俺は我に返った。

 

 「2歳か・・・」

 

 俺の独り言を耳にした天知が、意味あり気に“2歳”という単語を復唱する。

 

 「2歳のとき・・・・・・何かあったのかい?

 「・・・何で今更そんなこと

 

 何かと思ったら、今になって2歳のときの記憶を教えるように言ってきた。

 

 「・・・それを話すことによって、何かを思い出せるかもしれないだろ?

 

 2歳の記憶を天知に言ったところで、何がどうなるのかというのは分からない。

 

 「いやだから・・・・・・

 

 何故だと言いかけたが、天知の眼を見た瞬間に俺は“何か”を感じた。

 

 「どうした?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・すか・・・・・・聞こえますか!?

 

 誰かが俺の名前を呼んでいる。今にも消え入りそうな意識の中、ぼやけ切って殆ど何も見えない視界の先で誰かが呼ぶ声が聞こえる。

 

 「聞こえますか!?

 

 それが誰なのかはほとんど見えない視界と曖昧な意識で判別できないが、少なくともいま話しかけている人は俺の知らない人だということと、少なくとも一人だけではないということは確かだ。

 

 “・・・そうだ・・・はやく続きを・・・

 

 4日後から始まる公演(ロングラン)の場当たりが明日に控えていることを思い出し、テーブルの上に置いてあるはずの台本を取ろうと身体を動かそうとしたら、身体が鉛のように微動だにしないばかりか睡魔とも立ち眩みとも似つかない浮遊感が襲い掛かり、ただでさえぼやけている意識を奪い始めた。

 

 “・・・そういや俺・・・倒れたんだっけ・・・?

 

 ここでようやく思い出した。俺はいつものようにテーブルと椅子以外は何も置いていない“役作り専用”の自室の中で主演舞台に向けた役作りをしていて、いきなりこめかみをナイフでぶっ刺されたかのような強烈な頭痛に襲われて、携帯を置いているリビングまで這いながらどうにか辿り着いて、テーブルの上に置いた携帯を手に取って119を押した瞬間・・・走馬灯と夢を同時に見ているかのような光景を見て・・・・・・知らない誰かから声を掛けられている。

 

 “・・・久しぶりだな・・・この感覚・・・

 

 多分、部屋にいるのは俺が意識を失う寸前で通報したことで駆け付けた救急隊の人たちだと思うが、最早それを確かめる気力も体力も残っていない・・・そういえばこれと似たような感覚は一度だけ体験したことがある。

 

 半年前に撮り終えた来年の2月公開予定の映画で“神経衰弱で自ら命を絶つ小説家”の役を演じる為に子どもの頃に一度だけ“臨死体験”をしたことがあるという共演者から話を聞いて、それを元に人が死ぬときの感覚を自分の中で疑似的に作り上げたときに、ちょうどまさに今のような睡魔と立ち眩みが混ざり合ったような感覚に襲われた。

 

 “でも・・・こんなに冷静じゃなかったよな、俺

 

 ただ決定的な違いは、あの直後に襲い掛かって来た強烈な吐き気と気が狂うほどの恐怖が全く襲ってこないということ。寧ろ今は吐き気を催す恐怖どころか、寝落ちする直前のような心地よさすら感じる。

 

 

 

 “・・・もしかしたらこれが本当の“死”ってやつなのか・・・

 

 

 

 無論、“本当の死”という感覚がどういうものかは知らないが、俺の中にいる本能は冷静沈着に“これが死”だと直感している。もしもそれが本当に“”を意味しているというなら、というものは随分と呆気のないものだ。

 

 

 

 “・・・それにしても随分長い夢だったな・・・・・・いや、あれは夢というより走馬灯か・・・?

 

 

 

 しかし、さっきまで見えていた光景は何だったのだろうか・・・14歳の頃までの記憶が走馬灯のように流れたかと思ったら、どういう訳か幾分か年を取って役者をやめて小説家になった自分が“1本の映画”のために墨字や天知に振り回されながらもシナリオのようなものを書いていた・・・そんなことを何度も何度も繰り返しながら、まるで不寛容(イントレランス)を題材に4つの時代を並列的に描いた“あの映画”とも似たような光景は何の前触れもなく唐突に終わった。

 

 

 

 “あるいは予知夢のようなものなのか・・・?

 

 

 

 あの光景の中で小説家になっていた俺は、何回か会ったことのある十夜の姪っ子にそっくりな白銀の髪をした女優(少女)と会った。長いはずの髪はショートヘアになり、背丈も伸びて若干のあどけなさを残しつつも雰囲気は随分と大人っぽくなっていたが、十夜と瓜二つの可憐でミステリアスな琥珀色の(おもかげ)はそのままで、彼女が誰なのかは目が合った瞬間に分かった。

 

 

 

 “いや・・・・・・ただの夢か・・・?

 

 

 

 ただ小説家になった俺は、目の前にいる彼女が十夜の姪っ子だということを一切覚えていなかった。もちろん彼女も、幼い時にと会っていたことを全く覚えていなかった。そもそも彼女が俺に名乗った名前も、俺の知っているはずの名前ではなかった。

 

 だけど、過去の光景だけは紛れもなく本物だった。

 

 

 

 だったら今まで俺が見ていた光景は何だったんだ?

 

 

 

 “『人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“炎”というものは美しいと思わないか?』”

 

 

 

 あの中にいた“知り合いの小説家”と見知らぬリビングに飾られていた“炎”の意味は?

 

 

 

 “『10年に1人どころか、夜凪(コイツ)には必ず歴史に名を残す役者になれるが眠っている・・・少なくともそんな才能をもった日本人の女優は、夜凪の他に1人しか俺は知らない』”

 

 

 

 あの光景の中で墨字が俺に見せた“映像”に映っていた黒髪の少女は・・・本当にあの“景”なのか・・・?それとも全部ただの夢だったのか・・・?

 

 

 

 

 

 

 “『・・・・・・憬・・・・・・』”

 

 

 

 

 

 

 “・・・はやく・・・・・・行かないと・・・

 

 

 

 次の瞬間、憬の意識は再び暗闇の底へと落ちた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2017年_6月_都内某所・編集スタジオ_

 

 「実はね・・・君の考えている”大作映画”の手助けをしたいと思っている。良い話だろ黒山?

 

 都内にある編集スタジオの喫煙室で墨字と天知は次回作に関する話をしていた。

 

 「手助けか。まさかこの俺のスポンサーにでもなるつもりか?」

 「だったらどうする?」

 「悪い冗談だろ。顔にそう書いてある」

 「酷いな君は。人を見た目だけで判断するなんて」

 「悪いが俺は人の人生を物差しで測る守銭奴の芸能プロデューサーの言うことは信用しないと決めているからな」

 「それより禁煙したんじゃなかったのかい?」

 「ポスプロ終わりで溜まった疲れを吐き出しているだけだ。隣の誰かさんのせいでかえってストレスが溜まっちまいそうだけどな」

 「・・・全く、人がせっかく“良い話”を持ちかけて来たというのに」

 「んなもん誰も求めてねぇよ馬鹿が」

 

 だが自身の映画の編集が終わった直後という最も肉体的にも精神的にも疲れているタイミングで忽然と現れた天知に対してあからさまな不快感を露にする墨字に、天知はプロデューサーとしての仮面を外して真剣な表情で語りかける。

 

 「・・・今や映画というものはスマホ1つさえあれば誰でも出来る・・・君の作った映画のようにね

 「・・・何が言いたい?」

 「昔に比べると誰もが“映像作家(クリエイター)”になれる時代になった。黒山もそう思うだろ?」

 「・・・あぁ、それは言えるな。スマホやそこら辺のデジカメ1つで誰かが流行らせた二番煎じのネタを撮って俺の100倍稼いでるユーチューバーのガキを見ると、クソ真面目に映画を撮っていることが馬鹿らしく思えてくることもあるよ・・・・・・そしてこうした技術の発展は、万人をクリエイターにさせちまった。それが“何を”意味するのかお前ならわかるだろ?」

 「言うまでもないよ」

 

 

 

 ここ20数年でインターネットとビデオカメラの技術は格段に向上し、それに比例するように技術はあっという間に全世界へと普及していき、更にそれらが進化していくにつれてクリエイターの数も増えていった。

 

 技術の進化は芸術の退化であるとは一概には言えないが、“自ら映画監督を名乗る覚悟”がある奴は相対的に減ってしまった。それに加えてコンプライアンスという“見えない強敵”が出現して、やたら人の目を気にするようなつまらない上っ面な作品が世に多く出回るようになり、気が付けばそれが世の中のニーズになろうとしている。

 

 

 

 “・・・『大映像作家時代』が聞いて呆れる・・・

 

 

 

 「・・・だが黒山・・・もしもたった1つの映画で日本の映画界が根底から覆ったらどうする?」

 「馬鹿か?・・・たった1つの映画で世界の全てを変えられたら映像作家(おれたち)はこんなに苦労しないだろうよ」

 「おや?随分とひ弱な作品が増えた映画(この)業界のことを常に嘆いているはずの君がそんなことを言うなんて・・・まさか戦場(シリア)での撮影で君もすっかり感覚が“マトモ”になってしまったのかい?

 「・・・別に感覚が多少“マトモ”になろうが、俺が“可能性”を諦めたとは一言も言ってねぇだろ?

 

 映像技術の進化とコンプライアンスによる映像作家の“陳腐化”を嘆きながらも、まだ確かに残り続けている可能性を捨てずに“鬼才”としてこの業界に居座り続け世界3大映画祭のうちカンヌ・ヴェネツィアで入賞した映画監督である墨字に、天知はある一つの小説を渡す。

 

 「こいつは・・・

 「見ての通り、黒山墨字の“大作映画”に繋がるであろう“良い話”だよ・・・

 

 その小説は巨匠として名の知れた映画監督の手掛ける大作映画からニッチな題材のマイナー映画、更には演劇まで作品を選ばず幅広い役柄と唯一無二の存在感で活躍し、かつて“10年に1人の逸材”と称された演技力で日本の映画界を中心に一世を風靡した演技派俳優・夕野憬が9年前に執筆した処女作にして唯一の作品となっている1冊の小説だった。

 

 「・・・要するに“こいつを映画化してみるのはどうだ”ってことか?

 「その通りだ

 

 天知が持ってきた“良い話”に墨字は煙草をふかしながら疑ってかかるが、その疑問の声を天知は瞬時に真実でかき消す。

 

 「・・・俺のことを地球上で一番嫌っている割には、随分と良心的なことをしてくれんじゃねぇか?

 「全く素直じゃないな黒山は・・・・・・本当は“あの日”からずっとこの小説(はなし)を撮りたいが為に今日まで映画監督を続けて来た癖に・・・

 

 渡された本を見て態度にこそ出さないが心の中で本能をギラつかせた墨字を見つめて、天知は静かにほくそ笑んだ。

 

 「・・・その1作がこの世の全てを覆すかもしれない・・・そしてたった1つの映画で才能が正しく評価される在りし日の映画界を取り戻せるかもしれない・・・・・・最もそれが現実になるのか未遂に終わるのかは、黒山次第だけどね?

 「・・・言っておくが俺の探し求めている女優(やくしゃ)ってのは、“10年に1人”なんてレベルの話じゃないぜ・・・・・・どれだけ時間がかかろうと、“原石(それ)”が見つかるまでは撮るつもりはないからな

 「なるべく早くお願いしますよ。自分で言うのも難ですが、私は気が短いのでね

 「手前(てめえ)のさじ加減なんか知るかよクソノッポが

 

 

 

 こうして墨字が“撮りたい映画”の主演を張れる女優(やくしゃ)を探し求めて“演出家”として参加したスターズのオーディションで景と出会うのは、憬の小説を天知から受け取った日から約10か月後のことだった。




自分では分かっているんですよ。人間関係だとか恋愛的なやつに重きを置いたストーリーにめっぽう弱いということは・・・・・・これでも普段は僕、こういう類の漫画はなるべく読まないように過ごしているんですよ。今回みたいについついキャラクターに感情移入しすぎてしまうことを分かっているから。一度でも入り込んでしまったらもう止まらないから。

だけど年に何度か襲い掛かる悪魔の囁きに負けた結果、これです。って言っても伝わらんがな。

多分ですけど、というか言うまでもなく犯人は僕自身の生まれ持った気質です。例えば感情移入したキャラクターが失恋だとか大切な存在を失ったら、必ずといっていいほど胸が苦しくなって心ここに在らずな状態になります。恐らくNANAあたりをまともに読んだ暁には冗談抜きでメンタルを病む自信しかない。言ってしまえばたかが紙の中で繰り広げられるフィクションに過ぎないというのに、馬鹿みたいな話ですよね・・・・・・あぁ、感受性が普通の人間になりたい。

もちろんそれらの作品に罪はないどころか、人にとっては心を抉るような展開であることを踏まえても、それらは全て読者の心を芯から動かすことのできる素晴らしい作品だということに変わりないと思っています。そして物語を読んでここまで心が一喜一憂できることは、物凄く幸せなことなんだろうと思います。

とりあえず、作者は今日も元気です。ガンバレ、日本代表。届け、ベスト16の先へ。






あ、ちなみに次週でchapter 3は終わりです。多分今日の展開を見た大半の人は???って感じの心境だと思いますが、結論を出すのは来週まで待って頂けると幸いです。


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#001. 6月30日

ブラボー!ブラボー!!ブラボー!!!

5/15追記:今後の展開を考えストーリーを一部変更しました。


 『おはようございます。6月30日月曜日、めざましタイムです。週明けの朝からこのようなショッキングな話題をお送りしなければならないのは心苦しいのですが、大変心配なニュースが入ってきましたのでこちらからお伝えします。本日の午前1時ごろ、俳優の夕野憬さんが東京都・港区にある自宅マンションで倒れているのが発見され病院に搬送されましたが、意識不明の状態が続いているとのことです。救急隊の方と共に立ち会ったマンションの管理会社の関係者によりますと、無言の通報を受けて到着した救急隊が右手に携帯電話を持った状態で倒れている夕野憬さんを発見したことから、夕野憬さん自らが通報したものと見られるとのことです。ただいま夕野憬さんが搬送されている病院の前から中継が繋がっておりますのでお繋ぎしたいと思います、榎本さん_』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2018年_6月30日_東京都港区・青山_

 

 「夕野憬さまのお部屋は601となります」

 「ここにはもう何回か来てるから分かってるけど教えてくれてサンキュー」

 

 6月30日の昼下がり。高級ホテルと見紛うようなロビーの一角にある受付ホールで面会の手続きを済ませて面会者専用のカードを受け取り、憬が眠っている601の病室へと向かう。憬が2年前まで療養していた前の病院からここに来たときは、この場所が“千夜子”の生まれた病院でもあったことから色んな意味で複雑な感情に襲われていたが、こうやってスケジュールを空けて憬の面会に来るたびにその感覚は小さくなって、今ではすっかり慣れた。

 

 『6階です』

 

 6階に到着したことを告げるエレベーターの音声を合図に、俺はフッと軽く息を吐き出してドアが開き切ったのと同時に601の病室がある左の方角に足を進める。

 

 

 

 

 

 

 “夕野憬、くも膜下出血で倒れ意識不明

 

 

 

 10年前の今日、日本中を駆け巡った衝撃的なニュース。奇しくもその日は、憬の23歳の誕生日だった。

 

 俺があの日に憬が倒れたことを知ったのは、朝の7時から現場入りしてMHKのスタジオで撮っていたドラマの撮影が終わり、楽屋で私服に着替え敷地内の駐車場に止めてある愛車に向かおうとしたところで撮影スタッフの話を盗み聞きしてしまった夜の8時頃だった。いま思うと本番を控えている役者陣(俺たち)を気遣うために、スタッフの人たちは徹底してその情報が漏れないようにしてくれていたのかもしれない。

 

 もしも本番中や本番前にそれを知ってしまっても撮影はどうにかこなせていたとは思うが、少なくとも平常心ではいられなかっただろう。

 

 

 

 “『サトルがどうした!?』”

 

 

 

 スタッフの会話からその事実(こと)を聞かされた俺は、そのまま憬が搬送されたという病院へと車を走らせ、数人のマスコミが張り込んでいるのを横目に病院の地下駐車場に車を停め、無我夢中で緊急手術を終えたばかりの憬がいる集中治療室へと走った。

 

 

 

 “『手術は成功しました。現段階では自発呼吸とバイタルサインは安定しています。しかし・・・・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・十夜君じゃん。お疲れ」

 「これは珍しい先客だな」

 

 この前の正月ぶりに尋ねる601の扉を開けると、ベッドの上で生命維持装置に繋がれながら眠る憬の横で、病室に置かれている椅子に座りながら10年間も眠り続けている幼馴染に何かを語りかけていた蓮がいた。

 

 「どうしたよ?何か心変わりでもしたか?」

 「そんなんじゃないよ。今日はたまたま仕事がオフだったからここに来ただけ」

 「オフの日がよりによって今日なのは神様の悪戯か?」

 「毎年6月30日(この日)だけは絶対にスケジュールを空けてる誰かさんには言われたくないな~」

 「同じようにわざわざ今日を狙ってスケジュール空けてた奴がよく言うわ」

 

 ただ一応、蓮が今日スケジュールを空けていたっていう話は3日前にドラマの撮影現場で共演者から聞いていたから、特に驚きはない。

 

 「誰情報それ?」

 「“ホリミィ”。いまドラマで現場一緒だからさ」

 「うわマジか。何で喋っちゃうかなぁ杏子さん・・・まあ悪気はないだろうから許すけど」

 

 ちなみに蓮が憬の眠る病室に来ている姿を見るのは、今日が初めてのことだ。

 

 「てか来るんだったらオレに一言連絡すりゃいいじゃん」

 「やだよ。十夜君と一緒にいるところを“また”パパラッチとかに撮られたらどうすんの?」

 「別にレンはもう何度も撮られまくってるから関係ないだろ?」

 「私は問題ないよ。寧ろヤバイのはそっちでしょ?」

 「オレが現在進行形でやらかしてるみたいな言い方をすんのはやめろ(問題ないって言ってるお前のほうがヤバいと思うけど)」

 「現在進行形でお隣さんに“可愛い天使ちゃん”が住んでるくせに」

 「安心しろ“千夜子”は身内だからノー問題だ」

 「何それ?」

 「そのままの意味だよ」

 

 俺が18の時にドラマの顔合わせで初めて会った頃の“真面目でひたむきな頑張り屋”の面影がまるでなくなりすっかり“大物”になった蓮は、時間差で面会に来た俺のことを普段通りのサバサバした様子で揶揄う。

 

 

 

 “『私はずっとカメラの前で憬が戻って来るのを待つことにするよ・・・・・・』”

 

 

 

 「もう10年経つんだね・・・・・・あれから・・・

 「・・・そうだね

 

 そして寂しそうな眼で感傷に浸りながら、蓮はベッドで眠り続ける憬の寝顔を真っ直ぐに見たまま静かに笑いかける。その横顔からは前に進むことを決めた決意を感じたのと同時に、自分の声が届いていないという現実を空元気でひた隠す“葛藤”を垣間見た。

 

 杏子の言っていた通り、蓮はようやく“芝居をしていた”ときの憬の存在を吹っ切り“病室で眠っている”憬と向き合う覚悟ができた・・・と言っても良いだろう。

 

 

 

 だけど、現実と向き合ったからといってその全てを受け入れられるかどうかは、全く別の話だ。

 

 

 

 「さて、とりあえず私はこれで帰るから後よろしく」

 「よろしくって、もう帰るのかよせっかく友達が揃ったのに?」

 「十夜君に会うつもりは1ミリもなかったからね」

 「うわ酷っ」

 「じゃあそういうことで」

 

 蓮は椅子から立ち上がりがてら俺を再び揶揄うと、ベッドで眠る憬に別れ際の言葉も言わずに601の扉の方へ歩みを進める。

 

 「本当に良いのか?10年ぶりに会ったっていうのにこんなあっさり終わらせて・・・?

 

 斜め後ろの位置に立っていた俺とのすれ違いがてら、蓮に言葉をかける。

 

 「大丈夫だよ・・・憬に伝えたかったことは全部伝えたし・・・・・・あと、この私がしんみりした感じでさよならするのも違うしさ

 

 心配して精一杯に気遣った言葉を嘲笑うかのように、蓮は満足げな顔をして答えた。もちろん感情に半分ぐらいの“つよがり”が入っているのは、俺の“第六感”ですぐに気付いた。

 

 「・・・そっか

 

 そんな彼女を見た俺は何か気の利いた一言を言おうとしたが、出てきたのは“そっか”というどっちつかずな相槌だけだった。

 

 「そっかって・・・何で十夜君がしんみりしてんだよ」

 「痛っ、別にしんみりなんかしてねぇわ(これアザとかできてないよな?)」

 

 中途半端な相槌をした俺の右腕に、まあまあ強めの肩パンの衝撃が襲う。少なくとも刑事ドラマでアクションをこなすためにカリの師範資格を習得したことをきっかけに護身術に目覚めたのとは全く関係のない、悶絶するような痛みとかじゃないけれど、じわじわと芯に響くようなズシリとした“重い”痛み。

 

 「・・・でもありがとう。きっと憬がずっと夢を見続けられているのも、十夜君たちがこうやって会いに来てくれているおかげなんだろうし

 

 憬と向き合え切れずにいた10年分の想いが籠った痛み。寂しさを含んだ笑みでつよがって感謝の言葉をかけた蓮の表情がそれを物語っていた。

 

 「・・・ちゃんと祝ったか?バースデー?

 「・・・うん

 

 

 

 “・・・本当は誰よりもぶん殴ってやりたい相手が、すぐ近くで眠っているのに・・・

 

 

 

 「じゃあ今度こそごゆっくり~」

 

 憬に食らわせたかった本当の想いをある程度手加減して俺にぶつけた蓮は、そのまま右手を軽く挙げながら手を振る仕草をして601を後にした。

 

 「何が“ごゆっくり~”だよ生意気な奴め・・・」

 

 “つよがり”の背中が扉の向こうへ消えたのを目視で確かめ、視線を憬の方へと移してたった今まで蓮が座っていたベッドの横の椅子に座ると、床頭台の上に置かれた籠に入った3個の赤リンゴが視界に入った。

 

 「・・・リンゴ・・・確かウェールズのことわざで“1日1個のリンゴは医者を遠ざける”だったか・・・」

 

 蓮が持ってきたであろうリンゴを意味なく手に取って意味なく独り言を呟き、すぐに元の位置に戻す。

 

 「・・・だったら“何で俺はこんなところに閉じ込められているんだ”って話だよな?サトル?」

 

 生命維持装置に繋がれたまま10年の眠りに就く憬にいつものように話しかける。当然、返って来るのは心臓の鼓動(リズム)を告げる最低限のバイタルサインだけ。

 

 「・・・サトルがこんなところで居眠りしてる間にホリミィは雅臣さんと結婚しちまうし、レンは“視聴率女王”って言われるほど出世したし、あずさの子供(とこ)の“あいりちゃん”なんて子役デビューして今じゃオレとホリミィの娘だからな・・・もちろんドラマの中の話だけど・・・・・・あぁ、ヒロとかあっくんは相変わらず、って知ってるかそんなことは・・・」

 

 どんなに俺が話しかけても、目の前のベッドで気持ちよさそうに眠り続ける身体はピクリと動く気配もない。それは(こいつ)が倒れた10年前の今日から何も変わっていない。

 

 「お前が前会ったときはまだ6歳だった“千夜子”なんて今じゃ高3だぜ・・・・・・と言っても芸能活動が忙しすぎて全然学校には行けてないし、今日から丸々1ヶ月“南の島”で撮影だけどな」

 

 俺がお前のもとに駆け付けたときには“明日死んでもおかしくない”ほど予断を許さない状況だったのに、気が付いたら10年もベッドの上でお前はぐっすり眠り続けている。頬をつねったら今すぐにでも起き上がりそうなほど、心地よさそうな寝顔を浮かべながら。

 

 「にしてもサトルも今日で33か・・・・・・認めたくないけど年取ったよなたち・・・」

 

 お前とこの部屋で2018年(新年)を祝った日、医者は言った。“こんな状態で10年も生き続けられていること自体が奇跡”だと。瞼が開かなくとも、手足が動かなくとも、動かない身体を必死に支えるように脳と心臓だけは10年もの間ずっと動き続けている。それが奇跡以外の何物でもないことは言われなくても分かっている。

 

 「・・・なぁ・・・・・・もうそろそろ起きてもいいんじゃないか?・・・・・・こんだけ休んだことだしさ・・・

 

 “意味のない目覚まし”と化した俺は、届いている確証のない言葉をかけながら憬の頬に手を当て、掌に伝わる体温を感じ取る。身体を繋いでいる生命維持装置がなかったら、本当にただベッドの上で昼寝をしているだけのようだ。

 

 「・・・ったく、いかにも“良い夢見てる”って(ツラ)しやがって・・・

 

 さすがに10年も経てば、お前が置かれている現状は嫌でも受け入れられるようになった。

 

 だけど・・・

 

 「・・・何か言えよ・・・・・・“憬”・・・

 

 

 

 “・・・どんな形だろうと、こうしてお前が生きていることに越したことはないけれど・・・生きているくせにこっちがどんなに声をかけても、何の言葉もアクションも返ってこないのは・・・・・・お前の抱え込んでいる苦しみに比べたら“ちっぽけ”なものかもしれないけどさ・・・・・・これはこれで結構辛いんだぜ・・・

 

 

 

 「・・・なんてな」

 

 しんみりし始めた感情をどこかへ飛ばすかのように、十夜は憬に向けて寂しそうにフッと笑った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ゲッ・・・誰かと思ったら墨字君じゃん」

 「“ゲッ”じゃねぇよ俺を見つけるなり露骨に嫌がりやがってクソ女」

 「世界三大映画祭で三冠獲ったらかつての恩人を“クソ女”呼ばわりですか?随分エラくなったね~墨字君」

 「映画祭を野球みたいに例えてんじゃねぇ」

 

 地下駐車場にハイエースを止めて1階のロビーに繋がる連絡通路へ向かうと、ちょうど入り口のところで俺を視認してあからさまに嫌がる仕草をする環と鉢合わせした。まぁ、空きを探しているところで見覚えのある白の高級SUV(イヴォーク)が止まっているのが見えていたから嫌な予感はしていた。

 

 「それより一色とは一緒じゃねぇのか?」

 「入れ違いで来てるよ。っていうか何で知ってんの?」

 「ちょうど見覚えのあるスポーツカーが目に入ってな・・・てかお前ら揃いも揃ってイイ車乗り回しやがって愛車自慢かコノ野郎」

 

 ついでにちょうど空いていたところに止めると、隣にはこれまた見覚えのあるダークグレーの英国製のクーペ(アストンマーチン)が止まっていた。ただ一色(アイツ)が少なくとも夕野の誕生日には必ずスケジュールを空けていることを知っている俺からしてみれば、予感もクソもない。

 

 「私は普通でしょ?十夜君(アレ)がちょっとおかしいだけで」

 「商用車(ハイエース)乗りの俺からしてみりゃ“どっちもどっち”だわ」

 「そんなに欲しいんなら墨字君も買えばいいじゃん一応社長なんだし?“箔”が付くかもよ?」

 「俺の事務所に外車なんて買う余裕あるわけねぇだろ芸能人(ブルジョア)共が」

 

 それと俺は金だとか名誉には興味はない。ましてや車なんて“今の”で十二分にことが足りているから知り合いの連中が悉く外車を乗り回すようになっても羨ましいとも何とも思わない。

 

 「つーか車の話なんてどうでもいいんだよ」

 

 ていうか、そんな話なんて今はどうでもいい。

 

 「君から話を振ってきたからこうなってんじゃないの?」

 「あぁ?振った覚えなんかねぇぞ俺?」

 「墨字君が“お前ら揃いも揃ってイイ車乗り回しやがって”、って羨ましそうに言うからさあ」

 「お前らのことを羨ましいと思ったなんて1ミリもねぇよ」

 「まぁいいや、ちょうど私帰るところだし。それとこんな空気の悪い場所で“暇人の映画監督”と長話する暇もないから。それじゃ」

 「誰が暇人だブッ飛ばすぞ

 

 普段通りの生意気さで余計な一言を振舞い、環は会話を半ば無理やり終わらせいつもより早い歩幅で自分の車へと足を進める。常に余裕そうに振舞っているこいつの、悩んでいる時に無意識に出てくる早歩きの癖。

 

 「夕野とはちゃんと話せたか?

 

 早歩きで横をすれ違い通り過ぎた環に、俺は正反対の方角を向いたまま声を掛ける。正直俺は、まさか(こいつ)が来ていたとは思わなかった。

 

 

 

 夕野の容態が幾らか安定し始めて集中治療室から個室の病室に移ってすぐの時、病室が目と鼻の先まで来たところで足がすくみ、そのまま逃げるように引き返して病院を後にしていたことを共通の知り合いでもある堀宮から聞いているから、そんな環と鉢合わせした瞬間は内心でそれなり以上に俺は驚いていた。

 

 

 

 「話なんてできるわけないじゃん。相手はいつまで経っても寝てるんだから」

 「・・・流石に誕生日に彼女(ヒロイン)が手を握ってキスでもして奇跡的に目覚めるみたいな展開にはならなかったか」

 「えっ何?墨字君って少女漫画が原作の甘酸っぱい“胸キュン映画”を撮りたがってるの?」

 「なわけねぇだろ俺はああいうご都合主義が嫌いだからよ」

 「ハイこれで墨字君の敵がまた増えました~パチパチパチ~」

 「別に俺は好かれるために映画なんざ撮ってねぇ」

 「そうやっていつまでも子供っぽく偏見なんてかざしているから墨字君は敵を作るんだよ」

 「勝手にほざいてろ」

 

 互いに目を合わさないまま、正反対の方角に視線を向けて俺たちは普段とさほど変わらない会話を続ける。だが後ろから聞こえてくる声のトーンのごくわずかな違いが、葛藤となって鼓膜に響く。

 

 「・・・言っとくけど私の心配ならいらないよ・・・・・・憬に聞こえているかは分かんないけどちゃんと今の気持ちは全部伝えきって、ひとまず気分はスッキリしてるし・・・

 

 

 

 本当にお前ってやつは初めて会ったときから何も変わってない。この先の6階で眠っている夕野(誰か)と同じように・・・・・・

 

 

 

 「・・・そいつは何よりだ

 「偉そうに

 「うるせぇ

 

 互いの憎まれ口を最後の挨拶代わりにして、振り返ることなく正反対の方角へと歩き出す。

 

 「ねぇ

 

 連絡路に繋がる自動ドアが開いた瞬間、背後から俺を呼ぶ声が聞こえ振り返ると環もまた振り返っていた。

 

 「どうしても私じゃダメだったの・・・?墨字君?

 

 相変わらずの余裕そうな表情で浮かべる笑みとは裏腹に全く笑っていない眼を見て、俺は言葉の真意を理解した。

 

 「・・・駄目だ・・・・・・“あの映画”の主演は“優しすぎる”お前には務まるはずもねぇからな

 

 真意を全て理解した上で、俺は敢えて環を突き放して自動ドアの向こう側へと足早に歩みを進めた。

 

 今の(あいつ)が“日本のトップ女優”としてどれだけ見えない努力を重ねてきたのかは、痛いくらいによく知っている。努力の末に手に入れた今のあいつの演技力は、もうとっくに“替えの利かない領域”にまで達していることも知っている。

 

 

 

 ただ単純に環には、“あの役”を演じ切ることはできない。それだけの話だ。

 

 

 

 「・・・・・・そういう“優しさ”が一番ムカつくんだよ

 

 張り付けていた笑みを解いた環は、ドアの向こうへと去って行った墨字へ色んな感情を込めた思いを静かに吐き出した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・“眠り姫”は目覚めたか?

 

 背後から聞き覚えのある声が聞こえ振り返ると、腐れ縁の映画監督がケースを片手に立っていた。

 

 「誰かと思ったらクロか・・・っていうかこれのどこが“眠り姫”だよ?」

 「じゃあリンゴがあるから“白雪姫”か?」

 「その理論だと俺は“王子様”ってことになるぞ?」

 「良いんじゃないか?今は“多様性”が求められる時代だしよ」

 「じゃあ次の映画は“それ”で行くか?」

 「生憎俺には“そういう”趣味はないからパス」

 「“多様性”って言った傍から掌を返すのが何ともクロらしいよ」

 

 短編映画において世界三大映画祭の全てで受賞した経歴を持つ映画監督にして、『スタジオ大黒天』という芸能事務所の経営者でもある黒山墨字。墨字(クロ)の映画には“ギャラ”の折り合いが悪く一度も出たことはないが、憬や蓮を通じて知り合ったこいつとはもう10年以上の腐れ縁(つきあい)になる。

 

 「さっき地下駐ですれ違った環とは一緒じゃないのか?」

 「別々だよ。オレはいつも通りスケジュールの合間に時間を空けて来てみたら、レンが偶然いたってだけだから」

 「正直俺は驚いたぜ。まさか環が自分から夕野(こいつ)に会いに来るなんてな」

 「それはオレも同じだよ」

 

 俺と言葉を交わしながら墨字は窓際のテーブルにある机を持ち出し、俺の左隣に置いて座る。

 

 「籠の中のリンゴはお前のか?」

 「いや、レンが見舞いで持ってきたものだよ。聞きそびれたから憶測だけど」

 「ったく、こんな植物状態の人間がいま目覚めたところで食えるようになる頃にはどうせ腐り切って食えなくなってるっつうのに」

 「夢も希望もないこと言うなよ」

 「そういう一色も見舞いの1つすら持ってきてねぇくせによく言うわ」

 「こう見えてオレは現実主義者(リアリスト)だからね。リンゴ1つで医者を遠ざけられるなんておとぎ話は基本信用していない」

 「お前のほうこそ夢も希望もねぇじゃねぇかよ」

 

 蓮が置いていったであろうリンゴの話をしながら、俺たちは自然な流れでベッドの上で眠る憬の寝顔に視線を向ける。

 

 「・・・ホント、こうやって現実主義者(やろうども)が揃ったらロクな話題にならねぇよな・・・夕野・・・

 

 そして蓮と同じように優しさと寂しさが入れ交じった笑みを浮かべながら、墨字もまた33歳の誕生日(バースデー)を迎えた憬に語りかける。

 

 “10年に1人の逸材”と謳われる俳優界のホープだった演技派俳優(ライバル)と野心に満ち溢れる映画監督志望の助監督の青年。その関係は業界人同士というより、ただの気の合う同士及び飲み仲間だった。

 

 「33歳おめでとう・・・・・・つっても、聞こえてるわけねぇか

 

 もちろんその関係は、“”も変わっていない。

 

 「いや、サトルには多分聞こえてるよ・・・そうじゃなかったら“こんな状態”で10年も生きられないだろうし」

 「“現実主義者(リアリスト)の設定”にしちゃあ言ってることが“夢想主義者(ロマンチスト)”過ぎないか?」

 「って、そんなことを去り際にレンが言ってた」

 「ほぉ、次にどっかで会ったときにそのネタで弄り倒してやるか」

 「ぶっ殺されてもオレは知らないからな?」

 「当然お前も巻き添えな」

 「それは勘弁だ」

 

 ともあれかつての飲み仲間に言いたかった言葉を言えたことを確認した俺は、墨字に会ったときに聞こうと思っていた“あの話”を持ちかけた。

 

 「・・・ところで芸能事務所のほうは順調か?“風の噂”じゃあんまり良い話を聞かないんだけど?」

 「“風の噂”ってどんなだよ?」

 

 ちょうど1年前、映画監督であるはずの墨字が突如として阿佐ヶ谷に立ち上げた芸能事務所・スタジオ大黒天。その事務所は長らくの間“所属タレント不在”の状態が続いて少数規模の映像制作会社と化していた。

 

 「“女子高生を連れ回して何か企んでいる”っていう噂だよ」

 「営業妨害にも程があんだろオイ」

 「嘘だよ」

 「いい加減にしろよ」

 

 だがある日突然、スターズで毎年行われている新人発掘オーディションの最終選考で落とされた1人の女子高生を引き入れて、知り合いの伝手を使ってその少女を撮影現場に連れ回しているという、風の噂

 

 もちろん、10年前の約束をまだ忘れていない“俺たち”にとってそんなものは馬鹿げた風の噂に過ぎない。

 

 「・・・ようやく見つかったんだな・・・・・・“主演の役者”

 

 

 

 “『・・・墨字・・・・・・もし日本(こっち)に戻ってきて大作映画を撮るときが来たらさ・・・』”

 

 

 

 「・・・あぁ・・・専門校で教鞭を執ったり戦場に行って死にかけたり色々と遠回りしてきたけど、これでようやく俺の“撮りたい映画”の主演に相応しい“女優(やくしゃ)の原石”に出会えた・・・

 

 1つの約束から10年が経ち、墨字はようやく撮りたいと“思い続けていた映画”の主人公に相応しい女優(やくしゃ)を見つけた。

 

 「今日はそのことをサトルに言いに来たのか?」

 「あぁ、こいつが夕野に送る俺からの“誕生日(バースデー)プレゼント”だ」

 

 そう言うと墨字は持ってきたケースからファイルを取り出して、その中に入っていた宣材写真付きの資料を憬に見せつけるように取り出した。

 

 「・・・この女の子がクロの探していた“原石”か」

 「あぁそうだ」

 

 俺は墨字が取り出した資料のうちの一枚を貰い、中身を読む。

 

 「・・・夜凪景(よなぎけい)・・・

 

 その女の子の名前は、夜凪景(よなぎけい)。宣材写真の中で来ている制服は通っている学校のものなのだろうか、一見すると制服姿が良く似合う普通の17歳の女の子だ。だが写真越しでも分かる端正な容姿と168cmという高めの身長と頭身は、垢抜けたら相当なものになるはずだ。

 

 「とりあえずここじゃ電子機器は使えねぇから紙の資料だけになっちまうが、一色はこれを見てどう思う?」

 

 そして俺が直感でグっときたところは、彼女の名前纏う雰囲気だ。

 

 「・・・まず“夜凪景”っていう名前が良いな・・・・・・響きが美しいっていうのもあるけれど・・・なんかこう、名前とそれらを裏切らない容姿からして“女優になるために生まれてきた”って感じがする」

 「生まれながらの有名人の一色十夜(お前)がそれを言っても嫌味にしか聞こえねぇぞ」

 「悪かったな嫌味にしか聞こえなくて

 

 芸能界で生きる上では生まれ持った“名前”というものも重要な武器になる。例えばどんなに優れた素質を持っていたとしても名前があまりにもありきたりだった場合、先ずは顔や名前を覚えてもらうことがこれからの活躍に繋がると言われている芸能界においては足枷になってしまうリスクがある。

 

 だから事務所のタレントの売り出し方や本人のプライバシーの観点から“芸名”を使って活躍する芸能人も少なくない。

 

 「それと文句ならオレを産んだ両親に言えよ、クロ」

 「流石に“一色ファミリー”に喧嘩を売る気はねぇよ」

 

 ちなみに俺の場合は生まれた時から家族揃って名が知られていたから芸名もクソもなかった・・・ということは置いておいて、彼女からは顔と名前を見ただけで第六感が“何かとてつもないものを感じる”と俺に訴えかけてきた。

 

 「・・・クロが夜凪景(彼女)を主演にすることにした決め手は何?

 

 まあ、星アリサのような女優を追い求め続けている墨字が自らスカウトしたという時点で、本当に“とんでもない才能”の持ち主なのは間違いないだろう。

 

 「・・・決まってんだろ・・・・・・お前が夕野(こいつ)の芝居を目の当たりにした時に感じた“第六感(直感)”と同じだよ・・・

 

 

 

 “『世の中には、技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいるのよ』

 

 

 

 「・・・って、昔アリサさんはサトルのことをそう言ってたけど・・・彼女はどうだい?

 「そうだな・・・今はまだ発展途上にも程がある危なっかしい小娘ってとこだけど、夜凪は間違いなく“ホンモノ”だよ・・・・・・化ければ女優時代の星アリサすらも凌駕する可能性も秘めてる・・・

 

 ベッドで眠る憬にギラつかせた眼を向けながら、墨字はアリサさんの言葉を引用した俺の問いかけに答えた。

 

 「・・・・・・そいつは楽しみだ

 

 その言葉を聞いた俺の中で、久しぶりにほんの一瞬だけ“黒い感情”が走った。もちろん悪い意味なんかじゃない。目の前にいる憬と同じ役者として同じ場所で対峙していたときに感じていたあの“感覚”に近いものだ。

 

 「後でお前のとこにも送ってやるか?俺の撮ったCMのメイキング?」

 

 不思議なものだ。夜凪景(彼女)のことなんてたったいま知ったばかりだというのに、久しぶりに“こんな感覚”を味わうなんて・・・

 

 「オレはいいよ・・・・・・どうせなら彼女の芝居(はじめて)は同じ空気の中で視てみたいからね

 「おっ、久々にお前の中の血が騒いでやがるな?

 「知ったような口を叩くな。役者をやっていればよくあることさ

 「けど一色ならそう言うと思っていたよ・・・・・・お前が“一番の楽しみは最後までとっておく”奴だっていうのは、ずっと変わってねぇからな・・・

 「・・・そうだな

 

 

 

 それはきっと、写真の中の彼女から“憬の面影”を感じたからに違いない。別に顔が似ているとかじゃないけれど、纏っている雰囲気がどことなく憬とそっくりだった。

 

 

 

 「・・・にしても、今オレたちが見ている“景色”をサトルだけが見れないのは・・・寂しいな・・・

 「・・・あぁ

 

 だからこそ、いま感じた“この感覚”を同じように共有できない憬に俺は歯痒さを覚える。

 

 「・・・サトルにも見せてやりたいな・・・・・・クロの作る“長編映画”・・・

 「・・・それまで夕野(こいつ)の命が持てばいいんだけどな・・・

 

 理由や程度は違えどそれは隣に座る墨字も、10年越しに憬と向き合うことができた蓮も同じことだ。

 

 「・・・夕野・・・聞こえてるかどうかは知らねぇが、お前が言ってた“あの約束”・・・・・・ようやく果たせる目途が立ったぜ・・・

 

 それでも“俺たち”は憬にこうして声を掛け続ける。声なんて届いていなくとも、お前がこうして“覚めない夢”を見ながら生き続けている限り声を掛け続ける。

 

 「・・・だから楽しみにして待ってろ・・・・・・こんなところで居眠りこいてたのを心底後悔させる、すげぇ“映画(やつ)”撮ってくるからよ・・・

 

 

 

 全ては(お前)が始めた10年前の約束を、お前が生きている世界で果たすために・・・・・・

 

 

 

 「撮ってもいないのにそんなにハードル上げちゃって大丈夫か?」

 「良いんだよ。これぐらい言っとかないとどうせ起きねぇだろコイツ?」

 

 2018年6月30日。ずっと平行線を辿っていた“1つの大作映画”へ向けた物語(シナリオ)は10年の遠回りを経て、ようやく動き始めた。

 

 「・・・それは言えてる」

 

 

 

 これは、夜凪景や百城千世子が女優として活躍するよりも、孤高のハリウッドスター・王賀美陸が鮮烈なデビューを果たすよりも前に活躍した1人の天才俳優のお話と、黒山墨字が構想する“大作映画”のシナリオを書くために奔走する1人の小説家の日常と・・・・・・その周りの人間模様を描いたお話。

 

 

 

 

 

 

或る小説家の物語・プロローグ《終》

 




はい。ということで連載開始から1年5ヶ月を経て、ようやくプロローグが終わりました・・・・・・えっ?あっはい、じゃあもう一度だけ言います。

連載開始から1年5ヶ月を経て、ようやくプロローグが終わりました・・・・・・何も間違ったことは言っていません。だって章の一番上に、“プロローグ”って書いてありますから・・・・・・はい。



ということで改めて、chapter3及びプロローグもとい第一部はこれにて完結です。一応補足しておきますがこの物語はまだ終わりません。むしろここからが本当の意味での幕開けです。

ただすぐに第二部&chapter4へ移る前に、chapter3の続き&chapter 4への繋ぎにあたる話をchapter3.5として何話かお届けします。流石にここまで来て入江ミチルとの決着の行方をスルーしてしまうと今までの話は何だったんだということになってしまいますので、最低限のお約束は守ります。

しかし自分で言うのも難ですけどここまでマジで長かった。どのタイミングで目を覚まさせようかとウダウダしていたら、あっという間に1年と5ヶ月もかかってしまいました。いや~マジで超が付くほどしんどかったです正直。けれどもそういうしんどさがあったからこそ、今でもどうにか執筆を続けられているのだと僕は勝手に思ってます。とりあえず物語がひと段落した今日ばかりは嫌なことは全部忘れて幸せスパイラルを浴びるようにキメたいと思います(※お酒の話です)・・・・・・と思ってましたが、森保ジャパンが決勝トーナメントに進出したので幸せスパイラルは悲願のベスト8進出のためにとっておきます。

いやぁ・・・今回も壁を越えることは出来ませんでしたが、それ以上に価値のあるものを日本は掴んだと思います。ということでドイツとスペインに勝つという大きすぎる爪痕を残した日本代表を、今宵は幸せスパイラルで祝したいと思います。

てなわけで或る小説家の物語はchapter3.5を経て、第二部へと進みます。色々なご意見が出てくることもあるかもしれないし特に何もないかもしれませんが、これからもゴン攻めの姿勢は崩さずにマイペース&マイスタイルを貫きながら書いていきますので何卒よろしくお願い申し上げます。


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chapter 3.5.逆の立場
scene.64 久しぶり


クロアチアPK強すぎだろ

※2/14追記:劇中に登場する霧生学園の偏差値を変更しました


 「ごめんね・・・・・・憬・・・

 

 父親との過去を全て話し終えた母ちゃんは、うっすらと目に涙を浮かべながらも優しく笑みを作って俺に向けて短くも重い懺悔の言葉を呟くように言った。

 

 「・・・ありがとう・・・・・・父親のことを教えてくれて

 

 そんな母ちゃんの感情を真正面から受けた俺は、同じく自分の思いを真正面に母ちゃんへと伝えた。

 

 「・・・全部を言うことはできないけれど・・・いま話したことが“私たち”の全てだよ・・・」

 「・・・おう。分かってる」

 

 とにかくこの問題は残った俺たち2人ではどうすることもできない。そんな過去だった。後になってこうすればとかああすればよかったと言っても、離れ離れになってしまった俺たちが“また1つ”になることなんて、もう二度とあり得ないことだ。

 

 「でも、母ちゃんから父親のことを聞けて本当に良かった・・・」

 

 ただ重要なところは“俺自身”の過去のことじゃない。あくまで俺は、ユウトの役作りのために自分の過去を母ちゃんから聞いた。そして俺は自分の過去を知った上で、ユウトを最後まで演じ切るために絶対に必要となる“最大の武器”を手に入れることが出来た。

 

 

 

 “・・・ユウトと俺は全く“別の人間”で、全く“違う人生”を歩んできた・・・・・・だから“俺たち”はただの“赤の他人同士”だってことに“気付けた”から・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2000年_10月_

 

 「よっ」

 「!?」

 

 メイが学校帰りに立ち寄ったコンビニの商品棚に並んでいたギーナを取ろうと手を伸ばすと、隣から不意に声を掛けられびっくりしながらも声のする方へと振り向く。

 

 「なんだリョージかビックリした~」

 

 メイが思わず横を向くと、そこには小学校の時からとずっとクラスが同じの幼馴染であるリョージがいた。

 

 「おっ、ギーナみっけ」

 

 驚くメイを横目に、リョージはメイが取ろうとしていたギーナを取ろうとする。

 

 「ちょっ、これは私のだから」

 

 商品棚に並ぶギーナを手に取ろうとしたリョージの手を払いのけ、メイはギーナを手に取る。

 

 「そういやメイってチョコなんか買ってたっけ普段?」

 「そりゃ買うでしょたまには」

 「甘いものが嫌いなくせにめずらしい」

 「ギーナは甘いだけじゃないから」

 

 幼馴染へ揶揄うように笑いかけるリョージにメイはツンとした態度で商品棚に置かれたギーナを手に取ると、そそくさとレジへ向かおうとする。

 

 「メイ?来週のクリスマス、部活もないしどうせ暇だろ?」

 

 そんなメイにリョージは1つ奥に並んでいた自分の分のギーナを手に取りながらレジに向かって歩こうとしたメイをいつもの調子で呼び止める。メイ、リョージからの言葉に思わず立ち止まる。

 

 「・・・暇だけど、何?」

 「せっかくだから2人でどっか行かない?」

 

 メイ独白“『普段は超がつくほど鈍いくせに・・・なんでこういう時に限って・・・』”

 

 「うん・・・いいよ」

 

 リョージからの“2人でどっか行かない?”という言葉に、メイは必死に照れ隠しをしながら小さく頷いて答えるが、リョージはメイの気持ちに全く気付かない。

 

 「えっ?何でちょっと照れてんの?」

 「何でもない」

 「あとなんか、耳が赤い」

 「外が寒いからだよ」

 

 

 

 「ハイOKです!本日の撮影はこれで以上になります!お疲れ様でした!

 

 

 

 

 

 

 「撮影おっつ~さとる~」

 「あぁお疲れ様です、杏子さん」

 

 東京・青山にある撮影スタジオ。そのスタジオの楽屋でコンビニの店内を再現したセットの中で行われたCMの撮影を終え着替えを済ませた憬を、共演者で12月から始まるギーナチョコレートのクリスマスキャンペーンのCMキャラクターに抜擢されている女優の堀宮杏子(ほりみやきょうこ)がノックもせずに楽屋を訪ねて労う。

 

 「ていうかノックぐらいしてくださいよビックリするから」

 「えぇ~いいじゃん“仲間同士”だし」

 

 人が着替えているかもしれない楽屋をノックもせずにいきなり入ってきて馴れ馴れしく絡んできたこの人の名前は、堀宮杏子(ほりみやきょうこ)。今年の1月に俺の所属しているカイ・プロダクションに移籍してきた1コ上の子役上がりの先輩女優だ。

 

 

 

 “『あたしは堀宮杏子。2年後ぐらいには牧静流を名実共に追い抜いてる予定だけど、基本的にみんなとは仲良くするのがモットーだから気楽な感じでよろしく』”

 

 

 

 子役時代は同世代に牧静流というあまりに強すぎる天才子役がいたため今一つ芽が出なかったが、今年に入ってカイプロに移籍すると大手製薬会社として知られる元井(もとい)製薬の清涼飲料水・シェアウォーターのイメージキャラクターに抜擢されるなどして、早速頭角を現している。

 

 正直言ってお茶の間の知名度だけで言うと、受験を控えていることもあって活動を幾らかセーブしている今の俺よりは全然上なのだが海堂曰く、

 

 “『お前の本格的な出番は来年だ。ただし・・・来年からは一気に忙しくなるから覚悟しとけ』”

 

 らしい。現実感はまだ今一つ湧かないが、来年のために俺はいま役者としての力を溜め込んでいる、というところだ。

 

 「一瞬マジでヤバい人が部屋に入って来たかと思いましたよ」

 「えっ?あたしってさとるからヤバく見えてんの?ショックだわ~」

 「誰も杏子さんだって一言も言ってないですよ」

 

 ちなみに今日はギーナチョコレートのクリスマスキャンペーン用のCM撮影のために青山の撮影スタジオにCMキャラクターの堀宮と、その相手役の俺は来ている。CMの内容はずっと一緒にいる幼馴染のことを密かに想っているメイと、メイからの恋心に全く気付かない幼馴染のリョージの2人によるクリスマス前の甘くもほろ苦い“カカオ84%”な片思いを2パターンに分けて描くという。今日の撮影はその1回目にあたる。

 

 「相変わらずツンツンしてんなさとるは~、まだ明後日が残ってるから仲良く行こうぜ~」

 「普通に仲良く行きますから安心してください。あと、距離が近いです」

 「別に近くたって良くない?だって“幼馴染”なワケだしさあたしたち?」

 

 そんなCMのイメージキャラクターでもある堀宮は、普段通りの振る舞いのまま着替えを終えて楽屋の畳に座る俺の背後から抱き着く。彼女と撮影現場が同じになるのは今回が初めてだが、打ち合わせや野暮用で事務所に顔を出すたびに必ずといっていいほど“ばったり”会ってはダル絡みされていたから、俺にとってこの状況は堀宮と会うときの日常茶飯事となっている。

 

 「あくまで“CMの中”だけの話ですからね?」

 

 もちろん言うまでもなく、堀宮は初対面のときからずっとこんな感じで俺と接している。そんな彼女を一言で例えるなら、蓮をさらにはっちゃけさせたような感じだろうか。とりあえず、俺とは何もかもが正反対な性格の人だ。

 

 「冷たっ」

 「はいこれ、先輩からの奢りとして有難く頂け」

 

 そんな俺とは性格も価値観も真逆な同じ事務所の先輩女優が、俺の頬に何かを当ててわざとらしくかしこまった口調で頼んでもいない“奢り”を渡す。

 

 「・・・今日はシェアウォーターですか」

 

 会う度の恒例となった先輩からの奢り。今日はシェアウォーターだ。

 

 「アレ?駄目だった?」

 

 そして堀宮は今年のシェアウォーターのイメージキャラクターに選ばれているから、何ともシュールな感じが否めない。

 

 「いえ、ひと仕事終えた身体には寧ろちょうどいいので、助かります」

 

 シェアウォーターのイメージキャラクターからシェアウォーターを奢りで貰い、それを口に運ぶという光景。きっと傍から見たらもの凄いことが起こっているのだろうが、紛いなりにも芸能人としての“耐性”がこの1年ですっかり染み付いた俺にとっては逆にこれがいつもの日常になってきていて、今では驚きも感じなくなった。

 

 「それは良かった」

 

 感謝の言葉を添えてシェアウォーターを飲む俺に、堀宮は“後輩を可愛がる”視線と感情で見守りながら言葉をかける。人としては俺とは全く正反対だが、彼女は先輩としてまだ知らないことが多い俺のことをよく気に掛けてくれる。

 

 「にしてもさとるってさ、真面目なフリして割と尖ってるよね?」

 「どこがですか?」

 「ほら、打ち合わせのとき担当の人に結構ガチな感じで詰め寄ったじゃん?」

 「アレは詰め寄ったんじゃなくて俺が思ったことをそのまま口にしただけで」

 「でもあたしがあそこで咄嗟にフォローしてなかったら担当者からブチ切れられてた思うよ?」

 「それについては・・・本当に助かりました」

 

 そして時には先輩らしく俺のことをフォローしてくれることもあったりと、彼女は本当に同じ事務所の女優だとか役者としての先輩だとかいう以前に、人として純粋に良い人だ。

 

 「素直でよろしい。この天才女優・堀宮杏子がさとるを褒めて遣わそう」

 「あの恥ずかしいんで頭を撫でるのはやめてもらっていいですか?(てか天才女優て・・・)」

 「だってさとるって何か雰囲気が“犬っぽい”からついちょっかい出したくなっちゃうんだよね~」

 「“犬っぽい”って何なんすか・・・(あぁもう、(あいつ)のゲス顔がちらつく・・・)」

 

 ただ何かと俺と会うたびにちょっかいを出したりするところは、どことなくうざったいときの(あいつ)の顔がちらついてくるから少しだけいけ好かない。

 

 「あぁそうだ、さとるの出てる映画ってもうすぐだよね?」

 「いや、もう先週からとっくに公開してますよ?ていうかこの前の打ち合わせのときに舞台挨拶のこと杏子さんに話しませんでした?」

 「えっ?そうだっけ?」

 「覚えてないならいいっすよ」

 

 他にもどこか抜けていたり言ってることが“その場のノリ”でコロコロ変わる掴みどころのない謎な部分もあるものの、こんな感じで俺は堀宮と気の合う“先輩と後輩”として長所も短所も受け入れ(時々妥協)しつつすぐに打ち解け合って今に至っている。

 

 ある意味で堀宮は、芸能界の中じゃ蓮の次に仲が良い・・・のかもしれない。

 

 「さとるはもう観たの?って、舞台挨拶に出てたから当たり前か」

 「舞台挨拶に出席しておいて本編観ずに帰る度胸は流石にないです」

 

 隣に座って自分の分のシェアウォーターを二口ほど口に運んだ堀宮が、普段の口調はそのままでシェアウォーターのポスターに写る雲一つすらない青空のようなキラキラした碧眼の視線と感情で声をかける。芸能界(この世界)に入りあっという間に1年と4か月が経って芸能人特有の“オーラ”に対する耐性はついたとはいえ、本気の視線を向けられると気が引き締められる。

 

 「でも改めて明日観ようと思ってます。ちょうど休みだし受験の息抜きにもなるし、何より観客目線でも一度観てみたいと思っているんで」

 「へぇ~エラいじゃん」

 

 心の中で静かに渦巻く動揺を隠しながらいつもの調子で俺は言葉を返す。同じ事務所の人間で、何度も会ってはいるとはいえ相手はシェアウォーターのイメージキャラクター。自分で思うのも恥ずかしいが、こんな感じで視線を向けられるとそれなりの動揺はする。

 

 「ねぇ?誰かと行くの?」

 「・・・なんでそんなことまで杏子さんに言わないといけないんですか?」

 「だって気になるから(誰かと行くことは否定しないんだ・・・)」

 「・・・はぁ」

 

 特に隠すつもりもないが、俺は明日久しぶりに蓮と映画を観に行くことになっている。

 

 「幼馴染の親友です。といっても、転校してからは電話かEメールでしかやり取りしてなかったので、会うのは1年ぶりになります」

 

 連絡は普段からそれなりに取り合っているからそんなに実感はないが、俺と蓮は何だかんだで1年前の月9の撮影現場で“約束”を交わして以来、一度も会えていない。正確に言うとタイミングさえ合えば何度かは会っていたはずだったが、蓮が実家のある横浜に帰っていた年末年始は有島からうつされた季節性の風邪にやられたせいで会えず、その後も絶妙にスケジュールがお互いに合わない日々がずっと続き、気が付けば1年以上が経ったわけだ。

 

 同じ芸能界(せかい)に入ったことで離れ離れになった距離が縮まる・・・なんて甘い話はない。

 

 「その幼馴染ちゃんは“女の子”?」

 「・・・そうですけど、それが何か?(っていうか“ちゃん付け”してる時点で決めつけてんじゃねぇかこの人)」

 「・・・ほぉ~」

 「いや、だから何すか?」

 

 すると幼馴染が女子だということを知った堀宮が、如何にも何か企んでいるような雰囲気を醸し出しながら“謎な”リアクションをしてきた。

 

 「もしかして可愛い?

 

 

 

 “『えっ?そのレンって彼女は可愛い?』”

 

 

 

 「可愛いってより、“”がある感じですね」

 「・・・・・・待ってそれ絶対可愛いパターンじゃん」

 

 そう言えばこんな感じのやり取りをいつか誰かと一度やったことがあったなと思いつつ、俺はあの時と全く同じことを言って、あの時と同じようなことを堀宮から返された。ここから色々と厄介なことを聞かれようと、俺から見た蓮は本当にそういうふうに視えているから、特にどうってことはない。

 

 「・・・じゃあさ・・・いっそのこと付き合っちゃうのはどう?

 「・・・・・・は?」

 

 と、すっかり油断していた俺の心持ちに予想の斜め上を行く“ストレートパンチ(ひとこと)”が襲い掛かり、思わず反応が大きく遅れた。

 

 「って冗談だよ。だってあたしたちは芸能人だからその辺は色々と気を付けなくちゃいけないしさ」

 「・・・冗談にもほどがありますよ(蓮も芸能人だけど・・・)」

 

 結局は彼女なりの冗談だったが、向けられた感情がどこか“不気味”で一瞬だけゾッとした。

 

 「それに、“将来有望”なさとるがこんなところでスキャンダル起こして追い出されちゃったらあたしも悲しいし」

 「サラッと不吉なこと言わないでください」

 「“将来有望”なのは否定しないんだ?」

 「否定しないっていうか、それを否定したら俺たち役者は“負け”じゃないですか?」

 「うぃ~いいこというじゃんさとる~」

 「だから頭を掴まないでください杏子さん」

 

 頭を鷲掴みにして当たり前に思っていることを言った俺をやや大袈裟に堀宮は褒める。とりあえず何度かこういう絡みを受けてきた中で、適当にスルーすることが最適解だということを理解した俺はいつものようにスルーでやり過ごす。

 

 「それと、(あいつ)は“親友”なんで付き合うような関係にはならないですよ」

 

 恋愛はやったことがないから分からないけれど、少なくとも俺は蓮に対して“そういう感情”を持ったことは一度もない。

 

 「・・・じゃあさ、さとるにとって“幼馴染ちゃん”はどういう存在?」

 「どうも何も、何でも話せる“親友”ってだけですよ」

 

 感覚としてはクラスメイトの有島と同じように、男女とか関係なく何でも気兼ねなく話せる“ダチ”という感覚。ただそこに同じ“芸能人”だということと、初めて心の底から分かり合えた“親友”という要素が加わっただけのこと。

 

 「って何でこんなどうでもいいことまで言わなきゃいけないんですか?」

 

 それだけのことなのに何でこんなに掘り下げられなければいけないのか、俺にはイマイチ理解が出来ない。

 

 「どうでも良くなんかないよ。芝居をする上じゃ普段の人間関係も重要になってくるし」

 「まぁ・・・そりゃあ人間関係とかはそうですけど」

 「それに異性とかの壁を超えた“何でも話せる親友”がいるってことはさ・・・・・・どんな理不尽があっても自分を保っていくためのすっごく大事な“財産”になるんだよねって、あたしは思う

 

 しつこく襲い掛かる質問にげんなりし始めていたそんな俺の言葉を遮るように、堀宮がいきなり核心を突くような言葉を投げかけた。

 

 「だから“孤高の人”っぽいさとるに“何でも話せる親友”がいるって知れて、何か自分のことみたいにあたしは嬉しい」

 「何かそれだと俺が“友達少ない”みたいな言い方ですね?(犬の次は孤高かよ・・・)」

 「えっ?多いの?」

 「少ないですよ。正直」

 「だよね?やっぱり初対面のときから何となく“友達少なそう”って思ってたんだよね~あたし」

 「あまり作ろうとは思わないってだけです。あと、いまの言葉は普通に酷いです」

 「そのかわり“友達になった人”のことはとことん大切にするのが、さとるのいいところだってあたしは思ってるよ」

 「今さらフォローしても遅いっすよ」

 

 直後にまあまあ酷いことを言われたことはともかく、堀宮はこんな感じでふと心に突き刺さる格言ような言葉を俺に言ってくる。それに何だかんだでいざという時は“芸能界の先輩”としてきっちりフォローしてくれる頼もしさと優しさもあるから、俺は会うたびにダル絡みしてくる堀宮のことを先輩(ひと)として、そして同じ役者として尊敬している。

 

 「でも待って・・・・・・さとるは幼馴染ちゃんと“2人だけ”で映画を観に行くんだよね?」

 「はい・・・ってさっきから何なんですかほんと・・・」

 

 その堀宮は何か意味深そうに俺と蓮が2人だけで映画を観に行くことを聞くと、シェアウォーターを片手にそのまま立ち上がり、俺の目の前に膝を抱え込みながら座り込む。

 

 「それってさあ・・・・・・もうデートじゃね?

 

 次の瞬間、青空のようにキラキラしていた碧眼(輝き)がほんの一瞬だけ不気味にざわつく感覚を覚えた。

 

 「・・・デート?」

 「うん。デート」

 

 ような気がした。

 

 「なわけないじゃないですか。ただの“映画鑑賞”ですよ、気の合う友達と一緒に行くのと同じ」

 「でも幼馴染ちゃんは“映画館デート”って思ってるかもよ?」

 「神に誓ってないですね。(あいつ)はただの“親友”なんで」

 「本当に“ただの親友”って言い切れる?」

 「言い切れるもなにも事実なんで」

 「・・・あぁそう」

 「そうです」

 

 堀宮からの揺さぶりに憬は平常心を保ったまま平然と答え、そんな憬を見た堀宮もこれ以上の詮索をするのをやめた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日_午前11時55分_渋谷・ハチ公前_

 

 「久しぶり」

 

 改札を抜けて案内板を頼りにダンジョンの如く入り組んだ駅構内から外に出て集合場所のハチ公前に待ち合わせの5分前に辿り着くと、見慣れない少しだけ洒落たよそ行きの服装をした蓮が俺を見つけるなり声をかけてきた。

 

 「少し伸びたよな?背?」

 「まぁね。この1年で5,6センチぐらいは伸びたと思う」

 

 久しぶりあった蓮は、ブーツを履いていることも相まって前の撮影現場であったときより少しだけ背丈が大きくなっていた。

 

 というか蓮がブーツなんて洒落たものを履いているのを見ること自体、俺にとっては初めてだ。

 

 「でも憬も伸びたでしょ?差はちょっとだけ縮まった感じがするけど」

 「こっちは1年で3センチしか伸びてないからな。このペースじゃもうじき蓮に追いつかれるかもしれない」

 「流石に170ぐらいで私は止まるわ。っていうか止まってほしいわ」

 「でも背丈があるのはいいことじゃね?画面映えもするだろうからさ」

 「言っとくけど私は外見で売ってないからね」

 「それは知ってます」

 

 厳密に言えば蓮に比べて俺の成長速度が遅いということになるが、1年と少し前にあったときと比べて、普段は滅多に着ないような少しだけ洒落た服装も相まって3歳分ぐらいは大人びたように見えた。

 

 「じゃあ行くか」

 

 こうして1年と少しぶりに目と目を合わせたやり取りをして、俺と蓮はスクランブル交差点を渡ってセンター街に入り、目当ての映画館へと手を繋がず横に並んで足を進める。

 

 「憬は覚えてる?」

 「何が?」

 「去年の春休みに私が出てた映画を観に初めて渋谷に行ったときのこと」

 「・・・『1999』か」

 

 去年の春休み、無謀ながら蓮にじゃんけんを挑んで負けたことで半ば無理やり連れて行かれる形で渋谷まで行って『1999』を2人きりで鑑賞した日のことは、言われなくてもちゃんと覚えている。

 

 「そこで自分の出てる映画を観て自分の芝居の下手さに絶望して、それで憬から変に気を遣われて私が勝手にムカムカしてたらチンピラみたいな人たちに囲まれてさ」

 「あぁ、あれはマジで怖かった」

 「嘘つけよく分からない“ジキルとハイド”みたいなやつで追い払おうとしてたくせに」

 「喧嘩に巻き込まれたときの最終手段だよあれは」

 「もしかして今も使ってんの?」

 「なわけねぇよ。逆にあんな“黒魔術”みたいなやつを未だに使ってたらそれこそただのヤバい人だしな」

 「ヤバいっていう自覚あったんだ」

 「当たり前じゃん。まぁ、あのときは半分ガチだったけど」

 「半分どころか100パーでしょ?」

 「うるせえ」

 「あ、確かこの辺だったよね?」

 

 この通り、『1999』を観終えた後に俺たちはチンピラに絡まれ、遅れてやってきたヒーローのように颯爽と現れた天馬心に助けられ、群がる野次馬を背に3人でセンター街を走った。

 

 「よく覚えてんな」

 「えっ?憬は覚えてないの?」

 

 右側にあるゲームセンターの辺りを見ながら蓮はその場所を指さすが、はっきり言って俺はそこまで鮮明に覚えていない。

 

 「覚えてないっていうか、蓮を守ろうと必死だったからそれどころじゃなかった」

 

 とにかくあの時は、蓮に傷一つ負わせたくない。親友として絶対に守るという思いだけで動いていたから、周りを意識するなんて全くしていなかった。からの天馬心の登場で、ここから先の記憶はまるでジェットコースターのように駆け巡っている。

 

 「・・・・・・なにそれ?

 

 ほんの少しの何とも言えない間が空いて、蓮が言葉を返した。

 

 

 

 “『うん・・・いいよ』”

 

 

 

 「いや、そのままの意味だよ」

 

 その瞬間、どういう訳か昨日撮ったギーナのCMで堀宮が演じるメイが照れ隠しをしながら小さく頷く姿が脳裏に浮かんだ。

 

 “いや、なぜ?

 

 「話変わるけどさ、高校はどうすんの?」

 「・・・えっ?」

 

 かと思ったら蓮はいきなり何の前触れもなく話題を変えてきて、俺は不意に反応がワンテンポほど遅れる。

 

 「急に変わったな話題」

 「そういえば聞いてなかったなって思ってさ」

 

 “・・・なんかいつも違う・・・?

 

 「・・・とりあえずこれからの活動(こと)を考えて、芸能コースのある霧生学園に行くことに決めたわ。海堂さんからも薦められたし」

 

 と心の中で一瞬だけ思いつつも、俺は素直に志望している高校のことを蓮に打ち明ける。

 

 「霧生とかすごいじゃん。進学校で“ザ・スター”って感じの学校だし」

 「別に大した理由じゃない。勉強に時間をあまり使いたくなかったってだけで」

 「でもあそこって芸能人だろうと関係なく入試みたいなのやらされるらしいよ?」

 「それは許容の範囲内」

 「随分な自信だこと」

 「これでも勉強は出来るほうだからな俺は」

 

 ちなみに霧生学園を選んだ理由は芸能コースがあるばかりでなく、校風も自由かつ学校側の判断によっては“俳優活動に専念”したまま進級・卒業が出来るからだ。もちろん偏差値65と言われる進学校で入学するには芸能コースであろうと面接に加えて一般入試と同レベルの学力テストを受けることになり、それらを総合した成績次第で合格できるというそれなりにハードなものだが、クラスで有島の次ぐらいに勉強は出来ている俺からしてみればどうにかなる範囲内の話だ。

 

 あと、シンプルに俳優活動をしていく上では横浜にある実家から撮影現場や渋谷にある事務所に向かうよりも都心に引っ越した方が明らかに効率がいいという側面もあり、そこも同じぐらいには重要なところだ。

 

 「・・・でもそっか・・・・・・憬“も”霧生なんだ・・・

 

 そして俺が霧生学園を志望していることを打ち明けると、隣を歩く蓮の様子が再び変わり始めた。

 

 「・・・“も”ってどういうことだよ?

 

 普段と比べてどこかよそよそしい蓮の雰囲気に呑まれ、俺までどこかよそよそしくなった。

 

 考えてもみれば今日の蓮はいつもと何かが違う。まず普段着で膝上スカートやブーツのようないかにも女子っぽいものを身に付けている蓮を見ること自体が初めてで、そもそも蓮はこんなよそ行きの格好はめんどくさがっていることを俺は知っている。

 

 

 

 “『幼馴染ちゃんは“映画館デート”って思ってるかもよ?』”

 

 

 

 またしても、不意に堀宮の言っていた言葉がまた脳裏に浮かんだ。

 

 「あのさ・・・・・・実は・・・

 

 きっとそれは、1年と少しぶりに会ってみたら雰囲気が違っていた親友()に驚いているだけなのか。いや、絶対にそうだ。1年も電話とメール越しでしか会ってなかったら雰囲気が多少は変わっていてもちっとも不思議なことじゃない。絶対そうに決まっている。

 

 

 

 “・・・って、さっきから何で俺はこんなにも馬鹿みたいに自分に言い聞かせているんだ・・・?

 

 

 

 「私も志望してるの霧生なんだ。驚いたか憬?」

 

 何がしたいか分からない堂々巡りと化していた思考回路に、俺のよく知っている普段通りの蓮の声が響いた。

 

 「えっ・・・・・・えっ?」

 「なんちゅうリアクションしてんだよ」

 

 状況を理解するのがタイムラグになって遅れたせいで、奇天烈なリアクションをしてしまった。そしていつも通りの感じでツッコまれ、恥ずかしさがどっと込み上げる。

 

 「けど驚いたでしょ?私も霧生に入ろうって思ってることを聞いて」

 「そりゃ驚くって・・・まぁ蓮ぐらいの頭だったら霧生もいけるだろうけど」

 「これでも勉強とスポーツは負けなしだからね」

 「知ってるわそんなこと。あと言い出す前とかすげぇよそよそしい感じだったから、何を言い出すかちょっとだけ恐かった」

 「あははっ、どうだ見たかこの私の“演技力”を」

 「下衆が

 

 そして蓮は自慢げによそよそしくしていたのが芝居だったことを俺に打ち明けた。やっぱりそうだ。(こいつ)はいつも通りの俺を揶揄うことが好きな親友だ。何も変わったことはない。

 

 「・・・言っとくけどあんまりこういう事やってるといざって時に誰からも信じてもらえなくなると思うぞ?」

 「珍しいじゃん。私のことをストレートに心配してくれるなんて」

 「当たり前だろ、蓮は大切な親友なんだからよ」

 「大丈夫だよ。こういうことは憬にしかやんないから」

 「逆に信用失くすわ」

 

 たかが着こなしている服装がかわったぐらいで、俺は何を動揺していたのか。終わってみれば(こいつ)が時折仕掛けてくる茶番にまたしても付き合わされたってだけの話だ。さっきまで勝手に脳内で狼狽えていた自分がマジで馬鹿馬鹿しい。

 

 「あと、こんな洒落た格好した蓮を見るのは初めてだよ。急にオシャレにでも目覚めた?」

 

 ただ馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、俺は蓮に普段は絶対に着ないような服装(ファッション)の話を振った。

 

 「あぁこれね~、ちょっと前に静流とお忍びで原宿に行ったときに買い揃えたやつなんだけど・・・やっぱ多分着るのは今日限りになると思うわ」

 「マジで?これはこれで似合ってると俺は思うけど?」

 「うん、私も店でコーデ決めたときは“すごい似合ってる”って思ってさ、それで今日着てきていざ普通にこうやって憬と歩いてみたら・・・なんか違うなって」

 

 牧と一緒に原宿で買ったというコーデのことを聞いて、返って来た答えはこんな感じだった。このやり取りで、俺は普段より洒落た格好で来たのに深い意味はないことを察した。

 

 「だけど1回きりってのも勿体ないし・・・・・・どうしよっかこれ」

 

 ついでに言っておくと、普通にこういう女子っぽいファッションも全然似合ってはいる。

 

 「とりあえず何かのドラマに出るときの衣装ってことで取っておけばどう?」

 「おっ、憬にしてはマトモなこと思いつくじゃん」

 「“しては”じゃねぇよ人をバカにしやがって」

 

 と同時に、何の意図もなかったことに自分でも理解できない“謎の安心”を覚えた。

 

 「あ、ここだ」

 

 そうこうしているうちに、俺たちは『ロストチャイルド』が上映されている目当ての映画館に着いた。




申し訳程度のクリスマス要素。ちなみに本編の補足でどうして“カカオ84%”なのかというと、ギーナチョコレートのカカオの配合が84%だからです(※原作111話より)。83%でも、85%でもなく、84%なのが“ミソ”なんですよね・・・・・・ここから先の解説はギーナの回し者説が浮上しているYさんにお任せします(※原作111話より)。

でも冷静に考えてみればカカオ84%のチョコレートって、まあまあ苦い気がする(※作者は某白夜叉レベルの甘党です)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・堀宮杏子(ほりみやきょうこ)
職業:女優
生年月日:1984年9月5日生まれ
血液型:B型
身長:159cm


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scene.65 逆の立場

連覇か、悲願か。


 「あれ?蓮の隣にいるのはもしかして憬くん?」

 「えっ・・・何で・・・」

 

 『1999』を観に行った去年の春休みと同じように蓮と2人で全く同じ映画館のロビーに入ったら、いきなり牧と山吹の2人と鉢合わせた。

 

 「えっ?静流ってたしか今日は仕事だったんじゃ?」

 「女優にとっては映画鑑賞も“仕事のうち”だよ」

 「嘘つけや仕事の合間に“どうしても観たい映画がある”っつって無理やり時間割いてたくせに」

 「もーほんと酷いこと言うよねブッキー、蓮も憬くんもそう思わない?」

 「・・・待って、牧さんって“こんな感じ”だったっけ?」

 

 思わぬ形で2人と再会したことはともかく、目の前にいる牧は明らかに俺の知っている“牧静流”のイメージとはかけ離れていたことに先ずは気を取られた。

 

 「“こんな感じ”ってどんな感じ?」

 「牧さんの髪の色、俺の記憶が正しかったら赤だったと思うんだけど」

 

 帽子を被っていたから分かりづらかったが、赤髪だったはずの牧の髪が茶髪になっていたことに気がついたからだ。

 

 「“役作り”だよね?」

 「そうそう。ビックリしたでしょ?」

 

 トレードマークの1つだった赤髪が茶髪になっている理由(わけ)を、蓮が牧に代わって俺に教える。

 

 「言っとくけど“バラしちゃ”ダメだからね?」

 「もちろん分かってます」

 

 当然“役作り”で髪を染めたことは公表してないわけだから、牧は至極真っ当に“誰にも言うな”と笑いながら真面目なトーンで話してきた。電話越しで何度も話はしているとはいえ、髪の色が変わると牧はまるで別人のように見えた。

 

 ただ同時に説明のしようがない違和感も感じた。

 

 「おぉ、誰かと思ったらこれはお久しぶりで」

 

 そして俺が見慣れない牧の茶髪に気を取られていると、背後から忽然と長身の男が現れた。

 

 「天馬心・・・

 「それはかつて僕が使っていた“芸名”だよ、夕野くん」

 

 もちろんその男が“天馬心”こと天知だということは目が合った瞬間に分かったが、天知が牧と山吹(この2人)と一緒にいる光景は中々に新鮮だ。

 

 「おせぇんだよ心一、忘れ物取りいったぐらいで」

 「仕方ないだろちょうど窓口に並んでいたら僕のことをまだ知っている女の子(物好き)2人にサインをせがまれてさ」

 「お前はもう芸能人じゃねぇんだから無視しろやそんな外野どもは、てか芸能人でも無視しろや」

 「とりあえずサインと引き換えに財布の中に入っている有り金を全部僕にくれって言ったら、“頑張ってください”って言って退散してくれたよ」

 「悪ぃ、想像してた10倍はお前のほうが腐ってたわ」

 「そんなことより間に挟まれてしょーもないケンカを聞かされる私の気持ちにもなったら2人とも?ほら、蓮も憬くんも困ってるし」

 「いやいや・・・そんなことないよな、蓮?(俺は普通に困ってるけど・・・)」

 

 忘れ物を取りに行っていく途中で絡んできたファンをゲスいやり方で退散させた天知に、山吹はぶっきらぼうな憎まれ口を叩く。そんな腐れ縁のような2人の間に挟まり“やれやれ”という表情を俺たちに向ける、“茶髪”の牧。

 

 「・・・うそ・・・天知さんってそういう人だったの・・・

 「しっかり大ダメージ喰らってんじゃねぇか」

 

 そして隣にいる俺にギリギリ聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で分かりやすくショックを受けている蓮。そういえばこいつは、小学校の卒業文集に『有名人になって天馬心に会う!』と堂々と書くほどの天馬心のファンだった。そりゃあ尊敬している人がファンから金を集るようなことを平然とするなんて知ったら、流石に蓮でも落ち込むだろう。

 

 「もちろん本当に金は巻き上げたりしないよ。僕はあくまであの子たちに“知らない人に下手に声をかけたらどんな目に遭うか”っていうのを、身を持って教えてあげただけだから」

 「そうですよね?まさか天知さんがああいう“外道”なことなんかしませんよね?」

 「もちろんですとも」

 「・・・それはよかったです」

 

 だが当の本人が本当か嘘かも分からない弁明をしたら、蓮はそれをすぐに信用した。

 

 「・・・もしかして(お前)って心一(コイツ)のファン?」

 「“ファン”でした。もう卒業しましたけど」

 

 そんな蓮を見た俺は“もしかしたらこいつも大概じゃ”と少しだけ心配したが、山吹からの問いかけに堂々とファンを卒業したことを告げ、心配はすぐに稀有に変わった。

 

 「ただ“天馬心”が憧れなのは変わらないんで、ファンは辞めましたが尊敬はしています」

 

 そしてファンを辞めたことを告げられた天知に、蓮は堂々とした態度と真っ直ぐな目つきで自分の思いを伝える。確か去年の春休みに“天馬心”と出くわした時には半分野次馬みたいになっていた蓮も今やすっかり芸能人だ。普段はまず着ることのないような洒落た服装も相まって尚更大人っぽく感じる。

 

 「よかったね、(てん)くん」

 「そうだね。変わらずこうやって人から尊敬されると、芸能界で頑張っていた日々も無駄じゃなかったって思えるから僕も嬉しいよ」

 「環、芸能人だったときの心一(コイツ)を尊敬するのは勝手だけど今のコイツはただのクズだから気を付けろよ?」

 

 蓮の言葉を三者三様で受け取る3人の“元子役組(同期)”。牧と山吹の仲が良いというのは月9の時から何となく知っていたが、そこに天知がすんなりと“友人”として溶け込んでいる光景は何だか新鮮だ。

 

 「偏見の権化みたいなヤツには言われたくないな」

 「チッ、ここが学校の中だったらとっくにお前のこと殴ってるぞ

 

 そして極力オーラを消しているとはいえ俺たちと同年代の代表格の女優とスターズの人気俳優が揃っても全く見劣りしない天知の存在感は、やっぱり一般人の“それ”じゃない。

 

 「つーかそろそろここ出ないとヤバいんじゃねぇの?」

 「あ、そっか」

 「そっかじゃねぇだろこの言い出しっぺが」

 

 山吹が左腕にはめた腕時計で徐に時間を確かめ、牧に早く映画館の外に出るように促す。この様子だと本当に仕事の合間を縫って映画を観に来たみたいだ。

 

 「ごめんねこの後普通に撮影(しごと)入ってるから私たちはこれで帰るね」

 「そっか、お疲れ様です」

 「じゃあまたどこかの現場で」

 「静流(コイツ)が邪魔したな」

 「いえ、全然」

 「さて僕たちも解散しますか」

 「一番関係ねぇ心一(おまえ)が仕切るなや」

 「まぁまぁまぁ」

 

 同期3人組の息の合ったやり取りに気を配りつつ、俺たち2人も3人に挨拶をして窓口に向かう。いがみ合ってはいるけれど、何だかんだで互いのことを理解し合っているライバルのような腐れ縁的なものを感じた。

 

 「夕野」

 「・・・はい」

 

 そしてすれ違いざまで、山吹はいきなり俺だけに聞こえるかどうかぐらいの声量で声をかけた。

 

 「・・・上手くなったな

 

 山吹から言われたこの言葉が『ロストチャイルド』のことだと俺が気付いたのは、家に帰って今日のことをふと思い出したときだった。

 

 「いまブッキー憬くんと何か話してたでしょ?

 「何も話してねぇよ気のせいだろ?

 「もしかして私たちが“観てきた映画”の話でもした?

 「するわけねぇじゃんこれからどうせ“アイツら”も観るわけだし

 「やっぱりなんか話してたよね?

 「だから話してねぇつの

 「本当に何も話していないにしろあまり強く否定すると図星だと捉えられかねないぞ山吹?

 「心一(おまえ)は黙れやボケノッポ

 

 

 

 「さて、私たちも行きますか」

 「・・・おう」

 

 映画館の外へと出て行く同期3人組のやり取りを見送りながら、俺たちはチケットを受け取りに再び窓口へと足を進めた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「思うんだけどさ、牧さんのあの髪型って絶対“役作り”じゃないよな?」

 「何で?疑ってんの?」

 「疑うっていうか俺的には“違和感”しか感じなかったからさ、あの茶髪。蓮は何か知ってる?」

 

 窓口でチケットを受け取り、目当てのシアターのある4階へ繋がるエスカレーターを昇る途中で、俺は蓮にあの“違和感の拭えない髪型”のことを聞いてみた。

 

 「・・・あれは“変装(ウィッグ)”だよ。本人はあんまり周りから直接言って欲しくないから適当な理由でいつも誤魔化すんだけど、お忍びとかで街に出るたびに毎回ああやってウィッグを被ってるんだよ」

 「やっぱりな、何かおかしいと思ったんだよ俺も」 

 「しかもアレ以外にもあと3つバリエーションあるからね。この前原宿に行った時は金髪(ブロンド)だったし」

 「さすが“同居人”なだけあって何でも知ってるな」

 「“同居人”って、それだと私がおまけみたいな言い方じゃない?」

 「ハイ、言葉足らずでスイマセンでした(・・・そういう意図で言ったわけじゃねぇのにめんどくせーな)」

 「今“めんどくせーな”って思いながら謝ったでしょ?」

 「は?何で?」

 「顔にそう書いてあるよ。言っとくけど“先輩の眼”は誤魔化せないからね“ユウト”くん?」

 「その名前で俺を呼ぶな」

 

 真後ろから馬鹿にされたのはともかく、やっぱりあの髪型は“役作り”なんかではなかった。しかも蓮曰く合計で4パターンも用意しているらしい。多分あれは正体がバレないように街を歩く為なのだと思うが、あそこまでする必要はあるのかとも思ってしまう。ただ俺たち2人はまだ牧に比べたら知名度はさっぱりだからどうこう言える立場じゃないけれど、俺は見ていて違和感を感じた。

 

 

 

 “『全く。変装しなければまともに街すら歩けない。こんなことになるくらいだったら芸能人(スター)になんてなるんじゃなかったよ』”

 

 

 

 「・・・やっぱり俺たちも“有名人(スター)”になったらさ、アレぐらいの変装(こと)しないとまともに街歩けなくなるんかな?

 

 天知が言っていた独り言を不意に思い出した俺は、気が付くとその言葉と同義の独り言を無意識に蓮へ呟いていた。自分が“有名”になっていくことが嫌なわけじゃないが、意味もなく言葉にして吐き出したくなって呟いた。

 

 「関係ないよ・・・静流(あっち)静流(あっち)。“私は私”だから

 

 そんな俺の呟きに蓮は今まで見たことがないくらいに真剣な表情を浮かべて、静かに強く自分の思いを呟いた。

 

 

 

 “『やっぱり“プロ”だよなぁ、静流は』”

 

 

 

 確か月9の撮影現場にいたとき、こんな感じの言葉で俺の演じていた役の相手役を演じていた牧のことを蓮は感心していた反面、まだ実力不足だった自分に対して負い目を感じているように見えた。

 

 「憬もそうでしょ?

 

 いま目の前で真剣な眼差しで俺を見上げる蓮に、あの日の“弱さ”は感じられない。同居している相手が相手なだけあってどうしても自分と比べてしまう時間が多いはずだけれど、それらの“しんどさ”も全部糧にして、蓮は先輩女優の牧にライバルとして少しでも追いつこうとしている・・・ことが本当かどうかは分からないが、蓮の隠し持っている女優(やくしゃ)としての“強い意志”は確かに感じ取れた。

 

 「あぁ・・・俺たちは“誰かの真似”をするために生きてるわけじゃないからな・・・

 

 あっちはあっち、自分は自分。言われてみればその通りだ。有名人(スター)になることが芸能界(この世界)のゴールなんかじゃない。変装しなければ街をまともに歩けなくなることがゴールだとしたら、センター街を歩いている人たちはみんな芸能界を目指すだろう。だけど俺たち“役者”は少なくともそんな浅はかな“通過点”のために芝居をしているわけじゃない。

 

 俺としたことが、自分が出演した映画が無事に公開されたぐらいでそんなことを忘れかけるとは・・・やっぱり俺はまだまだ

 

 「憬、まえ」

 「えっ?」

 

 向けられた真剣な眼差しで感傷に浸りかけていた意識に、蓮の言葉が響いて我に返った俺は言葉のままに前に振り返ろうとした。

 

 「うわっ」

 

 その瞬間、エスカレーターのステップと乗降口の境界線に足元をとられた。

 

 “やばい・・・”

 

 均一の速度で動いていた足元が突然止まる恰好になり、段差でつまずくのと同じように身体がエスカレーターの勢いそのままに前へ持っていかれそうになったが、右腕を引っ張られる感覚と共にどうにか俺は体勢を立て直した。

 

 「悪い、助かった」

 

 咄嗟のところで真後ろにいた蓮が腕を掴んでくれたおかげで俺は何事もなく4階に着くことが出来た。いや、たかがエスカレーターで何事もなくというのはおかしいか。

 

 「はぁ、君はエスカレーターもまともに降りられないのかよ?」

 「ちげぇよ、ちょっと油断しただけだ」

 

 あからさまな呆れ顔で、蓮は溜息交じりに容赦のない言葉を浴びせる。ていうか油断してたとはいえ、15にもなってエスカレーターの乗降口であわやコケそうになるとは・・・心底情けないし、恥ずかしい。

 

 「これじゃあ先が思いやられるね、“ユウト”くん?」

 「だからその名前で呼ぶな」

 「あとこんなところでコケられたら一番恥ずかしい思いするのは私だからね?そこんとこは忘れないように」

 「・・・うす(これについては何も言えねぇ・・・)」

 

 コケそうになって羞恥心で満たされた心を呆れ気味に笑う蓮から突かれつつ、俺は蓮を連れて300席程度のシアターに入りチケットに書かれている指定の席へと座る。

 

 「結構入ってるじゃん、人」

 「休日だからな」

 

 今日は世間が休日ということもあってシアターの席に座る観客の数は多い。

 

 “・・・意外と家族連れが多いな・・・”

 

 そして意外なのは、観に来ている観客の所々に家族連れがいるということだ。舞台挨拶のときに國近が、

 

 “『この作品は家族連れの人が観ることで初めて真価が発揮される』”

 

 とインタビュアーに豪語していたが、早速その効果が出始めているということだろうか。そう言いながらも家族向けにしては攻めた“PG-12指定”で作品を仕上げてきたところが何とも“ドクさん”らしい。ちなみに牧が出演した『ノーマルライフ』を含めてこれまで國近が手掛けてきた作品は今のレイティングシステムの基準によると全て“R-15指定”になるらしく、そういう意味では國近の“家族向け”という言葉もあながち間違いじゃないとも言える。

 

 とは言ってもそれは俺の中で“意外に”というだけで、割合で例えると目視で1割程度だ。

 

 「どう?自分の出た映画を“観客目線”で観るのは?まだ始まってないけど」

 

 隣の座席に座る蓮が、アイボリーの照明に照らされたスクリーンに目を向けたままクールな笑みで俺に話しかける。

 

 「そんなの実際に観てみないと何とも言えない」

 

 映画の内容だとか観客のリアクションは舞台挨拶で既に経験しているが、“出演者”として鑑賞した前回と“ただの観客”として鑑賞する今回では、観客の反応がよりダイレクトに伝わってくるという意味合いでも感覚は大きく異なる。

 

 「強がっちゃって、本当は緊張してるでしょ?」

 「・・・まぁな。自分の演技をこんな形で観るのは違う意味で緊張はするよ」

 

 別に強がっているつもりではないけれど、この映画の裏側を知っている人間が自分以外だと誰1人としていない状況で観るのはそれなりに緊張するものだ。

 

 「・・・“逆の立場”になった気分はどう?

 

 照明に照らされるスクリーンに向けられていた視線が俺のほうに向けられる。

 

 「前に私が出てた映画を憬と一緒に観たとき、私はこんな感じの気分で隣の席に座ってたんだよ・・・」

 「・・・知ってる」

 「ホントかよ」

 「嘘ついてどうすんだよ」

 

 去年の春休み、『1999』の上映時間を待つ隣の座席に座る蓮は珍しく気が立っていて緊張していた。理由は違えど、この後スクリーンに映し出される自分の演技を知っていることを踏まえても一番に襲ってくる感情は“自分の雄姿を自慢したい”とかじゃなく、“今の自分は周りからどう視られているんだろう”という漠然とした疑問と不安。

 

 「これでやっとわかったでしょ?あの時の私が感じてた気持ち・・・?

 

 俺はこれから観る映画を経て役者として“一応の自信と覚悟”を身に付けたつもりだ。それでも“観客の視点”に来た途端に思わず緊張するぐらいだから、あの時の自信を失いかけていた蓮に襲い掛かっていた “緊張と不安”は相当なものだったことが今になって身に染みてきた。

 

 「・・・こんな気持ちで蓮は『1999』(自分の演技)を観てたんだな・・・・・・いや、今の俺以上か・・・」

 「うん。少なくとも今の憬の10倍は緊張してた」

 「・・・そっか」

 

 何より自分のことをよく知っている親友(存在)が隣にいると、特に理由もなく余計に緊張する。この調子だと、“自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれる日”が来るのはまだまだ先みたいだ。

 

 って、発展途上の身でありながらそんなことを心の中で思ってしまうこと自体が、思い上がりもいいところだ。

 

 「・・・言っとくけど“ユウトの芝居”がどんなに自分で納得のいくようなものじゃなかったとしても、私は“良かった”としか言わないから」

 「何でだよ?」

 「君にも“逆の立場”を味わってもらいたくてさ」

 「・・・“逆の立場”はもうとっくに味わってるだろが・・・んだよそれ・・・」

 

 蓮が意味深な笑みで意味深そうな言葉を俺に向けたのを合図に、シアター全体を照らしていた照明がゆっくりとフェードアウトしていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「カット!

 

 視界の向こう側から聞こえてきた國近の声で、俺は意識を“ユウト”から現実に引き戻す。その瞬間、3時間分の疲れが一遍に襲い掛かってきてほんの一瞬だけ景色が歪んだ。

 

 “・・・母ちゃん・・・?”

 

 歪んだ意識を呼吸で整えて3時間の撮影を終えても疲れた素振りを一切見せずに窓の外を横目に眺める入江を見ていると、現実に戻ったはずなのに不意に“リョウコ”のように思えてしまう。アドリブで頼んで半分ほど食べたオムライスの味もほとんど分からない。それほど入り込まなければ“このシーン”を演じ切ることは出来なかった。

 

 「・・・どうですか?ちゃんと最後まで演じ切ることは出来ましたか?

 

 外を眺めていた蘇芳色の眼がゆっくりと俺のほうを向いた。相変わらず、素に戻った入江の表情は全くと言っていいほど読み解けない。

 

 「・・・感触はあります・・・

 

 本当に最後まで俺は演じ切れていたのか。それが完全だという保証は『ロストチャイルド』が作品として完成したときに初めて分かるのかもしれない。ただカットがかかって襲い掛かった疲労感は、間違いなく“本物”だった。

 

 「・・・そうですか・・・

 

 確かに感じた手ごたえを伝えた俺からの真っ直ぐな視線に入江は表情を変えることなく答え、隣の席に座るショウタ役の渡戸は静かに見守るように俺と入江を傍観していた。

 

 「我ながら良い画が撮れたんでリョウコと再会するシーンの撮影はこれでOKです

 

 午後4時5分。ショウタとユウトがリョウコと再会するシーンの撮影は國近からの演出の変更があったにも関わらず演者3名が的確に順応したこともあり特に大きな混乱も起きず、ほぼ予定通りに終了した。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・あの!

 

 國近から今日の撮影が全て終わったことを告げられ、スタッフからの拍手がまだ冷めないうちにそのまま席を立ち一礼して着替えのために貸し出された隣の貸事務所へと向かおうとした入江を俺は呼び止めた。

 

 「・・・なんでしょうか?」

 

 呼び止められた入江は、その場に立ち止まって席から立ち上がった俺のほうへとゆっくりと振り向く。もちろん、俺が入江を咄嗟に呼び止めた理由はたった1つだ。

 

 

 

 “『・・・・・・それはあなたが俳優として最後まで演じ切る“自信と覚悟”を手に入れた時に初めて分かります』”

 

 

 

 「・・・教えてください・・・・・・入江さんはどうやって“自信と覚悟”を手に入れることが出来たのですか?

 

 

 

 “『・・・どうしてもそれを知りたいというのであれば・・・先ずはあなたの中にある“誰かとの記憶”を、次に“リョウコ(わたし)”と会う時までに “過去”のものにしてください』”

 

 

 

 「・・・・・・わたしが夕野君(あなた)に教えられるようなことは何もありませんよ

 

 だが“自分の中にある過去”との付き合い方を知り、文字通り“誰かとの記憶”を“過去”のものにして本番に臨みこうやってリョウコと向き合うことのできた俺へ告げられたのは、意外な言葉だった。

 

 「いや・・・でもあのとき」

 「そもそもわたしはあなたに“何かを教える”なんて最初から一言も言っていませんが?」

 

 入江からの一言で俺はリョウコがユウトの首を絞めるシーンを撮影した日に投げかけられた言葉を思い出す。役者としての“自信と覚悟”を知りたければ、先ずは自分の中にある“父親の記憶”を次の撮影までに“過去”のものにしろと。

 

 そして俺は今まで生きてきた中で初めて母ちゃんと心の底から本気でぶつかって、これまでずっと隠されていた自分自身の過去を知って、ユウトと自分は全くの“別物”だということを再認識したことでどうにかフラッシュバックを乗り越えることが出来た。

 

 「それでは逆に聞きます・・・・・・夕野君はユウトとして今日ここでリョウコ(わたし)と会って話をしてみて、本当に役者として“自信と覚悟”を身に付けられたと言い切れますか?

 

 静かに言い放つ入江の一言で、撮影現場の空気が一気に重くなる。あの時と同じ、言葉を1つでも間違えれば全てが終わってしまいそうなほどの緊張感が一点に襲い掛かる。

 

 確かに俺は、『ロストチャイルド』の撮影を通じて“ユウト”を演じるための“自信と覚悟”は身に付けることが出来た。でもそれはあくまでユウトを演じるために必要なだけの武器であって、全く同じ戦い方でこれから先に演じていく別の他人を演じ切れるかと言われたら・・・そんな確証なんて出来るわけがない。

 

 

 

 “『他人を最後まで演じ切るという“自信と覚悟”は、何年、何十年と時間をかけてゆっくりと“自我”の中に構築されていくものですから・・・それをたった数日やひと月で克服することなど無茶な話です・・・』”

 

 

 

 「・・・それはまだ分かりません・・・・・・ただ、俺がいまこうしてユウトを演じられているのはあくまで“ユウト”を演じ切る“自信と覚悟”があるからであって・・・それが役者としての自分自身そのものというわけではないということは、この映画の撮影と役作りを通じて分かるようになりました・・・・・・多分ですけど・・・というか俺の言ってることが正しいとか間違ってるとか関係なく、これから色んな役を演じるたびに自分と他人を照らし合わせて、落とし込んで・・・“役”として昇華していくことを何度も何度も繰り返し続けていった先に自分だけしか知り得ない“答え”があって・・・・・・それが役者にとっての“自信と覚悟”なんだと・・・俺は思いました

 

 入江が言っていた言葉をふと頭に浮かべた瞬間、俺はほぼ無意識に本能のままに自分なりの“答え”をぶつけていた。例えそれが入江にとって望んでいた答えではなかったとしても、俺なりの“自信と覚悟”はこういうものだと最後に伝えておきたかった。

 

 「・・・夕野君がわたしの中にある“自信と覚悟”が分からないのと同じように、わたしはあなたの中にある“自信と覚悟”のことは全く分かりません・・・・・・もちろんそれはあなたや渡戸君に限った話ではなく・・・“芝居を生きる全ての役者(にんげん)たち”に共通するものです・・・

 

 俺なりの“自信と覚悟”に、入江は相変わらずの氷のように微動だにしない感情と優し気で穏やかな声と独白のような語り口で答える。

 

 「だからわたしからは・・・・・・“それ”を知りたければこれからも“芝居”と共に苦しみもがき続けなさいとしか言えません・・・

 

 そして返って来たのは、入江ミチルという人間が女優として生きてきた日々をただひたすらに感じさせる、これから役者をずっと続けていったとしても全ての“真意”を紐解ける保証すらない、1人の人間が背負うにはあまりに重すぎる覚悟だった。

 

 「では、わたしはこれで」

 

 いまの俺には到底抱えることなんてできない“覚悟”を放った入江は、そのまま振り返り今度こそ撮影現場を後にしようとする。

 

 「入江さん・・・・・・本当にありがとうございました

 

 振り返った背中に向かって、俺は心から“役者としての自信と覚悟”を教えてくれた入江に感謝の一礼をした。

 

 「・・・あなたが今の言葉の“真意”に辿り着くまでにはまだ時間がかかると思いますが・・・・・・いつかのために今日のことは胸に秘めておいてください・・・

 

 入江は一瞥することなく、俺と全く同じ方角を向いたまま背中越しに最後の言葉(アドバイス)をかけてそのまま撮影現場の喫茶店から出て行った。表情は全く視えなかったが、その時に入江が俺へと向けた言葉と感情は、今までで一番温かかった。

 

 「・・・・・・ったく、イチイチ怖ぇんだよ入江さんは」

 「入江ミチルごときで怖がってたら大作なんて一生撮れないと思うぞ?」

 「“大御所慣れ”してる寿一さんには演者に気を遣わなきゃいけない“若手”の気持ちは分かんねぇだろうな」

 「言うほど若手かお前?」

 「普通に若手でしょまだ?」

 

 入江が衣装から着替えるために店を出て行ったタイミングを見計らって國近が愚痴を溢し、その愚痴に撮影監督の黒山が“阿吽の呼吸”で反応したことで撮影現場に漂っていた重苦しい独特の緊張感が一気に和らいだ。

 

 「・・・憬・・・本当によく頑張ったな

 

 後ろで傍観しながら見守っていた渡戸が俺の背中を優しく叩いて今日の芝居を称えると、達成感が一気に込み上げてきた。

 

 「・・・ありがとうございます

 

 だがすぐに撮影がまだ終わっていないことを思い出した俺は寸でのところで我に返り、この達成感を心の中で温存して静かに噛みしめた。ここで喜びを爆発させてしまったら、それこそ自分で言った“自信と覚悟”を自分で仇にしてしまうような気がした。

 

 「よし、ひとまずここの撤収作業が終わり次第、明日以降の撮影に向けたミーティングを軽く行う。今日の余韻なんかに浸っている暇はないからな、すぐに切り替えていくぞ

 

 そんな俺たち“兄弟”を見たのかただの気まぐれなのか、感化されるようなタイミングで“まだ喜ぶのは早い”と言わんばかりに一旦現場の空気を緩和させた國近が再びスタッフ全員の気を立たせた。

 

 「はい!

 

 監督からの一言に俺たちは元気のいい返事で答える。撮影はまだ終わっていない。そして『ロストチャイルド』が撮影終了(クランクアップ)したら、役者(おれたち)は他の作品で全く違う他人(誰か)を演じていることだろう。

 

 

 

 “『・・・あなたが今の言葉の“真意”に辿り着くまでにはまだ時間がかかると思いますが・・・・・・いつかのために今日のことは胸に秘めておいてください・・・』”

 

 

 

 “それ”をただひたすら繰り返して、苦しみもがき続けた先に“真意(こたえ)”があるとしたら、役者は自分だけが知っている答えを目指して“自信と覚悟”を武器に突き進み続けて行くだけだ。




※補足ですが、本編で触れたレイティングシステムは2000年当時の基準です。

それと何気に46話ぶりに登場のブッキー・・・・・・いや誰だよって思った方はchapter2 を読み返して頂けると幸いです。

さて、話は変わりますが来週はクリスマスです。皆さんはどう過ごされますか?ちなみに作者は夜勤です。めでたく今年は1DKで寂しくケーキを食べるというクリぼっち満喫パターンは回避出来ました・・・・・・万歳。







はぁ


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scene.66 繋いでみる?

Merry Christmas, Mr. Lawrence


 「なんかドキュメンタリーみたいな映画だったな」

 「うん。実際にああいう家族って現実にいそうだから余計にね」

 

 「そう言えば弟とケンカするところで主演の人明らかに一回噛んでたけどワザとか?」

 「この映画を作った國近独って監督がそもそも“俳優が噛んだところをそのまま使う”ような監督だからね」

 「人様に出すやつでそれやるのはクレイジー過ぎない?」

 「でもそれを演出として成立させちゃうのが國近監督なんだよ」

 「さすが映画博士」

 

 「弟の役やってた人めちゃくちゃ上手くなかった?」

 「それは俺も思ったよ。特にあの母親の記憶思い出すところとか母親と再会するところとか」

 「見た感じまだ中学生っぽかったし全然知らない人だけど引き込まれたわ~あれ」

 

 「思ってたより良かったね。家族向けって割には重かったけど」

 「・・・私は親として色々考えさせられたわ・・・」

 

 

 

 

 

 

 「・・・どうだった?」

 

 上映が終わり、照明が再びシアター全体を薄明るく照らしたのを合図に俺は隣の席で『ロストチャイルド』を観ていた蓮に感想を聞く。

 

 「・・・うん・・・」

 

 だが蓮は何も映らなくなったスクリーンを見つめたまま“うん”と一言だけ静かに相槌を呟くと、どこか“納得のいかない”とでも言いたげな表情を浮かべてそのまま黙り込んだ。一体何が不満だったのかは分からないが、(こいつ)なりに“引っかかった”部分でもあったのだろうか。

 

 ただこんな感じで黙り込まれると、変に緊張する。

 

 「・・・別に気なんて遣わなくたっていいよ・・・どんな酷評だって受け入れる覚悟はできて」

 「そういうのじゃないよ」

 

 緊張を紛らわしながら咄嗟に頭に浮かんだ当たり障りのない言葉で途切れた会話を繋げると、蓮は俺の言葉を遮った。

 

 「・・・『ロストチャイルド(これ)』を観る前に、憬に“ユウトの芝居”がどんなに自分で納得のいくようなものじゃなくても私は“良かった”としか言わないって言ったけどさ・・・・・・普通に上手いじゃん・・・

 

  ユウトの芝居を観て“普通に上手い”と言った蓮の表情は、シアターへと昇るエスカレーターで見せた感情(モノ)と同じだった。

 

 

 

 “・・・“逆の立場”って・・・そういうことか・・・

 

 

 

 「・・・・・・悔しい?

 

 蓮の言っていた“逆の立場”に隠された本当の意味を理解した俺は、『1999』の時とは違い気を遣うことなく自分の思ったことをそのまま右隣に伝える。

 

 「・・・悔しいっていうか・・・・・・なんか自分の知らないところで自分が勝手に不戦敗したみたいな気分・・・

 

 そして俺の方へと返ってきたのは『1999』を観た帰りに下手に気を遣われた怒りとも違う、今まで見たことのない感情だった。怒っているわけじゃないけれど、俺のことをただの“親友”ではなく“ライバル”として見ているかのような、そんな感情。

 

 “・・・芝居ならもっとあからさまだよな・・・

 

 少なくともいま俺に向けられているこの感情は、芝居なんかじゃない。

 

 「・・・だったら“芝居で勝つ”だけだろ・・・・・・蓮に勝った感じはしないけど・・・

 

 確かに俺たちは“親友”であることは変わらないが、同時に今は同じ芸能界(せかい)で戦う“ライバル”であることを忘れてはいけない。ならば俺はこの感情に真っ直ぐぶつかっていくだけだ。

 

 

 

 “『私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ』”

 

 

 

 売られた“喧嘩”は必ず買う。これこそが役者としての礼儀だ。

 

 「・・・憬のくせに生意気」

 

 蓮はそう言うと感情はそのままに何も映らないスクリーンを見たまま左隣の俺に呟き、

 

 「・・・でもおかげで“スイッチ”入った

 

 そして俺のほうへと顔を向け、クールに笑った。

 

 「・・・それは良かった」

 「私がこの程度のことで落ち込むとでも?」

 「全く思ってません」

 

 その少しばかり大人っぽくなった静かな笑みに安堵をして、俺は蓮と共にシアターを後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「お、晴れてる」

 「ホントだ」

 

 『ロストチャイルド』を観終えて映画館を出てみると、渋谷(ここ)に着いたときにはまだ晴れているのか曇っているのか曖昧な感じだったセンター街の隙間から覗く真上の空はすっかり晴れ渡っていた。

 

 「そういえばまだ昼食べてないよな俺たち?」

 「あぁ確かに」

 「どおりで観終わったら腹が減ってるわけだわ」

 「ポップコーンとか買えば良かったじゃん」

 「俺は映画を観るときは絶対に何も口にしない派だからな」

 「初めて聞いたよそれ」

 「えっ、言ってなかったっけ?」

 「マジで初耳」

 

 しかし、思えば午後2時をとっくに過ぎたというのに2人揃ってまだ昼を食べていないから腹も大分減っている。正直『ロストチャイルド』をポップコーンやアメリカンドッグを片手に観ることも考えたが、そもそも俺は映画を観るときは水分すら取らずに見入るタイプだから絶対に無理な話だ。

 

 「そういう蓮も何も食ってないだろ?」

 「うん。ていうか『ロストチャイルド(あの映画)』はポップコーン片手に観るような映画(やつ)じゃないでしょ」

 「言われてみれば確かに」

 

 それ以前に『ロストチャイルド』は、そんな気楽な感じで観るような映画じゃない。

 

 「どうする昼?すげぇ今さらだけど」

 

 ひとまず俺は、左隣を歩く蓮に何を食べるかを聞いてみた。

 

 「もちろん“スタバ”の一択で」

 「・・・スタバ?」

 

 返ってきたのは“スタバ”という、聞き慣れない単語だった。

 

 「スタバ。最近ちょくちょく増えてるみたいだけど知らない?」

 

 

 

 “『はいこれ。事務所(ここ)に来るついでにラテ買って来た』”

 “『・・・どこのやつですかこれ?』”

 “『スタバ。フツーに近くにあるけど知らないの?』”

 

 

 

 「・・・あぁ、言われてみれば名前だけは聞いたことがある気がするわ」

 

 事務所に用事があったときにいつかの堀宮が俺に好みでもないラテのテイクアウトを持ってきたときのことを思い出して、ようやく“スタバ”が何なのかを俺は理解した。

 

 「でもどうしてカフェなんだよ・・・?別に俺は構わないけど」

 

 正直言ってこの空腹を完全に満たせるような気はあんまりしないが、もう時間も時間だからしょうがないと言われればしょうがない。というか冷静に考えてみれば、あの“ラテ”は明らかにカロリーが高いからそこにチーズケーキでも付けたらそれなりに空腹は満たされるかもしれない。

 

 「・・・憬は覚えてる?『1999』を観に行った後に天知さんとどこに行ったか?」

 

 なんて馬鹿みたいに下らないことを頭の中で巡らせていたら、蓮が意味深な視線を俺に向けてきた。

 

 「・・・あぁ」

 

 

 

 群がった野次馬を全速力で撒いて、俺と蓮は天知に連れられるように“新しくできたカフェ”に入って何かを頼んで、そこで天知からスターズの“新人発掘オーディション”のチラシと履歴書を渡されて・・・・・・

 

 

 

 「・・・もしかして根に持ってる?“あの日”のこと?」

 

 “もしかしたら”という予感が頭の中で浮かんだ俺は、思った言葉(こと)をそのままの形で口にする。

 

 「まさか。私って小さいときから大抵のことは一回寝ればどうでも良くなっちゃうから絶対にないよ・・・っていうか“あれぐらい”のことを未だに根に持ってるとかどんだけめんどくさい女なんだよって話」

 「あはは、まあそうだよな」

 「一瞬マジで私のことそう思ったでしょ?

 「ホントに一瞬だけな、冗談抜きで悪かった」

 「ほんとに思ってたのかよ流石にこれは3日ぐらい引きずるわー」

 「いやマジでごめん(3日は絶対嘘だろ)」

 

 そうして“もしや”と思い込んだものは、見事に外れてブーメランとなって自分に返ってくる。偉そうに“親友”だと言い張っているくせに、俺は蓮のことをちっとも分かっていない。思えばここ1年は電話かメールでしかやり取りしてなかったから、互いに分からないことが増えていくのも必然なのかもしれない。

 

 「・・・と言いたいところだけど、本当は今でもちょっとだけ根に持ってるんだけどね

 

 だから俺は、蓮が本当にあの日のことをまだ心の中で根に持っているということに言われるまで気付けなかった。別に、だからといって罪悪感とかは感じないが。

 

 「だってほら、あのときってちょっと険悪な感じだったし・・・もちろん『1999』を観に行かなかったら憬は役者になんてなってなかったかもしれないって考えたら良かったとも言えるかもだけど・・・・・・“いい思い出”か?って言われたら、微妙じゃん

 「・・・まぁな」

 

 蓮は隣ではにかむように俺に話しかける。こんなことを思ってしまったらまた自分のことが偉そうに感じてしまうけど、やっぱり声とメールの文章と写真だけじゃ人の心なんて分かるわけがない。

 

 「・・・だからこれを機会にどうしても“いい思い出”に変えたくてさ・・・・・・優しいでしょ私?

 

 こうやって目を合わせて話していても互いの心なんて全部は分からないし、別に無理に分かろうだなんて思わない。

 

 「自分で自分のことを“優しい”って言う奴はこの世で一番信用できねぇよ」

 「えっ酷っ、人の優しさをそうやって踏みにじるとか鬼畜すぎて引くわ」

 「とにかく俺はそういう奴が嫌いなんだよ」

 「ホント憬ってたまにどうしようもないくらい“人でなし”になるよね?」

 「言っとくけどそこそこ性格捻じ曲がってるからな俺」

 「うわ自覚あったんだ」

 「いざ人から言われるとすげぇ腹立つな」

 「自分で言うから悪いんじゃん」

 

 だから俺たち“親友”は偶に互いに容赦のない憎まれ口を言い合いながら、小6の頃と何ら変わらない空気感で好きな映画から大した中身のないふざけた戯言まで何でも話し合う。

 

 

 

 “『オーディションを受けて、蓮と同じように俺も役者になる』”

 

 

 

 もしもまた“いざ”って時が来たら、いつもより一歩だけ踏み込んで親友()の心を理解しようと努力するけれど。

 

 「ところで仕事は順調?」

 「・・・それおとといの電話でも話したよな?」

 「いいから」

 

 そんな服装以外はいつもと何ら変わらない俺の親友は、唐突におとといの電話で話していたはずの近況を聞いてきた。

 

 「いいも何も前に話したときと一緒だよ・・・今は“ぼちぼち”、来年からは一気に“本気”出す。まぁ結果が返って来るのはすぐとは限らないけど」

 「ほんとに全く同じこと言ったよこの人、何かオーディション受けたとかそういう話もないの?」

 「受験シーズンだから今はなるべくセーブ中」

 「なるほど・・・さすがに“芝居バカ”の憬でも“お受験”には勝てないってことか」

 「勝つも何もねぇだろ。あと“芝居バカ”言うな」

 

 もちろん身の回りの状況なんて、2日ぐらいでコロコロと変わることは滅多にない。

 

 「それに受けるのはあの“霧生”だからな。校則だとかが自由な代わりにレベルは高いから多少は“その辺”を気にしとかないと俺でも厳しいし」

 「・・・芝居のことよりも“勉強”のことを気にしてる憬って、なんか憬じゃないみたいで面白い」

 「ずっと思ってんだけど蓮の俺に対する“面白い”の基準がマジで分からねぇ」

 「聞きたい?」

 「聞いたところで大したことなさそうだからどうでもいい」

 「つまんな」

 「勝手に言ってろ」

 

 芝居が7割、勉強が3割という今の比率。確かに前の現場で会ったときの芝居が9割9分の“芝居バカ”と比べたら、芝居の比率を一時的に7割ぐらいまで落としている今の俺は蓮から見たら幾分か新鮮に見えるのかもしれない。どこが面白いのかは相変わらず分からないが。

 

 「・・・それに“勉強”だって好きでやってるわけじゃねぇし」

 

 そもそも俺は有島ほどじゃないけれど勉強は好きじゃないし、芝居の比率を7割までに落としている今の状況は常に不完全燃焼で生きているような状態と同じだ。そんなこんなで俳優として仕事をするようになったことである種の気分転換になるはずの学校の授業は、却って芝居に集中できないストレスの溜まり場となりつつある。もちろん有島という大の勉強嫌いな“ダチ”のおかげでどうにか爆発せずに発散は出来てはいるが。

 

 

 

 “『言っとくけど高校だけはちゃんと出てよね?』”

 

 

 

 全ては中学3年に進級した日に母ちゃんから言われた“後だしジャンケン”にも程がある一言のせいだ。“高校だけは出ろ”という母ちゃんの気持ちは分かるし、元から俺も言われたら二つ返事で返すぐらいの覚悟はとっくにしていた。

 

 ただ人が芸能界に入って1年近くたったタイミングで思い出したかのように言われると、流石に水を差された気分になって無性に抗いたくなってしまう。これが単なる“反抗期”ってやつだと言われてしまえば、それまでなのだが。

 

 「あぁくそ、“勉強”のこと考え出したらストレスしかねぇわ」

 「やっぱり“芝居バカ”のままじゃん」

 「・・・うっせぇ」

 

 隣を歩く蓮がそんな俺のことをこうやって時々“芝居バカ”と呼んで茶化すが、あながち間違いじゃないのかもしれないと内心ではずっと思っている。

 

 「あれ?否定しない」

 「役者なんて“芝居バカ”にならないとやってけないからな」

 「おぉ~かっけ~」

 

 とにかく『ロストチャイルド』の撮影を乗り切る前までは、芝居をせずに受験に向けた勉強をしている時間が “ストレス”になるとは思ってもみなかった。ただあの時はまだ俺は“自分の過去”と向き合えてなかったから、学校で勉強したり有島と駄弁っては映画(ビデオ)を貸し借りしていた普通の日常を過ごしている時間が何よりの“癒し”だったのかもしれない。

 

 「俺から見れば蓮も十分に“芝居バカ”だよ」

 「・・・憬ほどじゃないよ」

 

 そう考えると日常を何気なく過ごすことに“芝居ができない”という説明のつかないストレスが付きまとい始めた今の自分は、着実に心も身体も芸能界(この世界)の住人になりつつある。ということだろうか。

 

 

 

 “『これからも“芝居”と共に苦しみもがき続けなさい』”

 

 

 

 ふと“あの言葉”を思い出して、センター街を歩く周囲の雑踏に目を向けてみる。ここをいま歩いている人たちの殆どは、俺たちとは違う普通の世界で普通な生活をしている人たちだ。当然その人たちから見てみればまだまだ有名なわけじゃない俺たちのことも同じように視えているのかもしれないが、その人たちに俺たちの気持ちなんて分かるはずがない。

 

 「ねぇ?」

 

 “・・・そういや去年(まえ)に蓮と渋谷(ここ)に来たときは・・・俺も”そっち側“の人間だったな・・・

 

 「ねぇ」

 

 もしかしたらこれが“芝居を続ける苦しみ”なのか・・・?いや、あれはそんな簡単なことじゃ

 

 「ねぇ!

 

 完全に我を忘れて“自分の世界”に入り込んでいた意識に蓮の大声が割り込み、視線は無意識に声のした方へと向く。

 

 「うわビックリした!・・・何だよいきなり」

 「それはこっちの台詞だよ、急にうわの空みたいに明後日のほう向くわ呼びかけても全然リアクションしてくれないわ」

 「マジか、ごめん」

 「言っとくけど私って人から無視されるのは人に嘘つかれる次にムカってなるタイプだから、そこんとこよろしく」

 「・・・うす(何気にそれは初耳だ・・・)」

 

 本気のトーンで説教されたことで、俺はようやく無意識に我を忘れていたことを自覚した。俺としたことが、いま考える必要のないことを考えて“暴走”してしまっていた。気分転換で渋谷(ここ)に来て映画を観に来たつもりが、気が付いたら芝居のことで頭の中が埋め尽くされていた。

 

 「・・・これは勉強の“ストレス”が相当溜まってるみたいだね・・・

 

 蓮はまるで難事件を解く探偵のごとく口元に手を当て考え込むジェスチャーをしながら、思考回路が暴走していた俺を吟味し始める。

 

 「・・・かもしれない」

 

 これが“勉強のストレス”のせいなのかは分からないけれど、我を忘れていたということは自分の中にある感情を抑えきれなかったということと同じ。少なくとも心の中で何かが“溜まっている”のは確かなことだ。

 

 “・・・あんなこと考えたって、キリがないってのに・・・

 

 我に返ったうえで、俺は意識をまた雑踏へと移す。すると俺たちの10メートルほど先を歩く制服姿の高校生ぐらいのカップルが互いの指を絡めるようにして手を繋いで歩く姿がふと視界に入った。

 

 

 

 “『ねぇ?さとるは“恋人繋ぎ”って知ってる?』”

 

 

 

 ああいう手の繋ぎ方を俗に“恋人繋ぎ”という・・・と、CMの打ち合わせの時に堀宮が言っていたことを思い出した。

 

 “・・・そういえば明日撮るギーナのCM(やつ)、メイとあんなふうに手を繋ぐんだっけ・・・

 

 「だったらさ・・・・・・ここからスタバに着くまで私と手でも繋いでみる?

 「えっ?」

 「できれば“恋人繋ぎ”で

 「・・・・・・は?

 

 

 

 “『それってさあ・・・・・・もうデートじゃね?』”

 

 

 

 「いや・・・お前・・・どうした?」

 「“この世の終わり”みたいな顔するのやめろ」

 「待って・・・一旦この状況を整理させて」

 

 何の前触れもなくいきなり言い放たれた突拍子のない一言に、俺の思考回路は“ガチ”で止まった。後で蓮から聞いた話だと、このとき俺は“この世の終わり”のような顔をしていたらしい。いやどんな顔だよ。

 

 「・・・もちろん“本気”じゃないよ・・・ただいつか彼氏とデートするような役を演じる機会があったときに、事前にシミュレーションしといたほうがいいかなって思ってさ。ほら、隣に丁度いい“実験台”もいるし」

 「・・・・・・あぁ・・・そういうことか」

 「ホントに分かってる?」

 「とりあえず状況は察した。人を“実験台”呼ばわりするのはいただけないけど」

 

 そして蓮の言葉を聞いて再び正気になって状況を把握して、どうにか思考回路を立て直すことができた。

 

 「でもあそこまで“マジなリアクション”されるとは思わなかったよ。いつもだったら“どうせ芝居だろ?”って疑ってかかってくるのに」

 「お前は俺を何だと思ってんだ?」

 「芝居バカ、ひねくれオタク、単細胞、根暗」

 「それ以上は悲しくなるからやめろ

 

 蓮の“それ”が芝居だということを疑うことすら今の俺は忘れていた。思えば俺と同じ高校を受験していることを打ち明けられた時も、“よそよそしい”様子の蓮を俺は疑おうともしなかった。

 

 

 

 “『本当に“ただの親友”って言い切れる?』”

 

 

 

 こんな感じで調子が狂いっぱなしなのは、言うまでもなく昨日堀宮(あの人)から変なことを吹き込まれたせいだ。考えても見れば“異性とかの壁を超えて“何でも話せる親友”がいるということは自分を保つ上ですごく大事だ”と豪語した直後に真逆のようなことを言い放つようなその場のノリで主張をコロコロと変える人の言葉なんて、真に受けて右往左往するほうが馬鹿だ。

 

 「・・・で?俺は蓮の“恋人ごっこ”に付き合えばいいってこと?」

 「“ごっこ”じゃない、これは役柄を広げるための“鍛錬”だから」

 「“鍛錬”って・・・いきなりお堅くなったな」

 

 普段通りに余裕そうな表情を浮かべて笑う蓮を見て、出来るだけ感情を無にして堀宮の言っていたことを思い返してみたら急に冷静さが戻り始めた。

 

 「じゃあ分かりましたよ。役者は芝居をしてなんぼだから幾らでも“実験台”としてお付き合いします、先輩」

 「あんなに動揺してたくせによくそんな偉そうなこと言えるよね?」

 「ハイスイマセン(マジでコイツ・・・)」

 

 そうだ、俺たちは役者だ。カメラや観客がいない世界で普通に歩いている瞬間でさえ、自分の芝居において利用できるものはとことん利用する。現に“一般人の皮を被って街を歩いている”この瞬間だって、芝居をすることを禁じられているわけじゃない。

 

 「じゃあ・・・・・・繋いでみる?

 

 それにどっちみち明日のCM撮影で俺は“メイ”から恋人繋ぎをされるわけだから、俺にとっても“事前練習(シミュレーション)”になって一石二鳥だ。

 

 「いつでもいいよ

 

 シミュレーションの合図を送ってから5秒くらいのタイミングで、左隣を歩く蓮の指先と掌の体温が左側の指先と掌にぎこちなく絡む。

 

 「いざやってみると意外と難しいねこれ・・・」

 

 “恋人繋ぎ”をするにあたって自分の中で役でも作っているのだろうか、蓮はワザとらしく照れ隠しを笑いで誤魔化しながらぎこちなく絡んだ右手の指先の隙間を手探りで動かし、それに合わせて俺も左手の指先を手探りで動かす。

 

 「よし、できた」

 

 左隣から聞こえたどこか嬉しそうな声と同時に、指先と掌が隙間なく噛み合った。

 

 「そういや初めてだよな。“芝居”とはいえ蓮とこうやって手を繋ぐのはさ?」

 「・・・うん・・・そうだね・・・っていうか当たり前だよこうやって人と手を繋ぐこと自体が私も初めてだから」

 

 ガッチリと指の隙間の一つ一つを離さない力強さの中に、手首から指の先端までを優しく包み込むような温かさを感じる。こんな感じで人と手を繋ぐことが初めてなのは当たり前だけれど、蓮の体温をここまで直に肌で感じる感覚を味わったことは一度もなかったから、特に理由もなく意識が戸惑いそうになる。

 

 「蓮って意外と温かいんだな、手」

 「そうでしょ?静流とか学校の友達からもよく言われる」

 「自覚あんのかよ」

 「憬は逆に冷たい」

 「えっマジ?」

 「ちなみに手が冷たい人は“人付き合いが苦手で内向的”らしいよ」

 「なっ・・・まぁ、社交的じゃないしな俺」

 「普通に根暗の部類でしょ憬は?」

 「少しはオブラートに包めや“ネアカ野郎”」

 「あぁでも、どっかの国の言い伝えだと手が冷たい人は“心が温かい”んだって」

 「・・・それだと手が温かい人は社交的だけど“心が冷たい”ってことになるぞ?」

 「大丈夫だよ。手が温かい人は“心も温かい”から」

 「・・・何だよその謎の理論」

 

 カメラも回ってなければ観客もいない雑踏の中、俺たちは手を繋ぎカップルを演じて“アドリブ”で台詞を回しながらセンター街をゆっくりとしたペースで歩く。正直互いがほとんど素のままで台詞を繋いでいるこのやりとりが“アドリブ”と言えるかどうかは微妙だが。

 

 「・・・憬は緊張しない?」

 「は?何で?」

 

 ちなみに俺は“メイ”の想いに全く気付かない“リョージ”になったつもりで蓮と手を繋いでいるため、こんなふうに手を繋がれたところで特に何も感じない。

 

 「だってほら?知ってる仲同士とはいえ“異性”と手を繋いでいるわけだからさ私たち?しかも“恋人繋ぎ”で?」

 「言っとくけど今の俺は“小学生のときからずっと同じクラスで一緒にいる幼馴染からの恋心に全く気付かない鈍感野郎”だからな」

 「何そのめんどくさいにも程がある設定?」

 「ちょうど今撮ってるCMで俺が()ってる役がそういう役なんだよ。どこの会社だとかはOA(オンエア)まで言えないけど」

 「いや、もっとシンプルに彼氏の役とかできないの?ほら、もしかしたら次の仕事でクラスのマドンナ的な存在に一目惚れする“初心(うぶ)”の役が来るかもしれないし?」

 「それは実際にそういう役を演じる機会になったときにするわ。とにかくいま演じてる役柄と関係ないことをするのは“俺の役作り”に反することだからよ」

 「・・・あっそ」

 

 という設定で演じているつもりが、油断すると理由もなく変に緊張しそうになる。(こいつ)が“芝居”をしていることは分かりきっているはずなのに。

 

 「分かったよ。なら私はそんな“鈍感野郎”が好きで好きで堪らない幼馴染の設定で行くから・・・ってこれだと鈍感野郎の役作りしてる憬の思う壺じゃん・・・・・・馬鹿か私・・・

 

 

 

 “『手・・・・・・繋いでいい?』”

 

 

 

 「・・・なぁ?逆に蓮はなんでそんなに緊張してんだよさっきから?

 「・・・えっ?

 

 そう思った矢先の蓮の様子から、本日何度目かの“メイ”の姿が頭にちらつく現象が起きた。

 

 「別に緊張なんかしてないよ・・・“芝居”に決まってんじゃん」

 

 あくまで芝居で手を繋いでいるだけのはずなのに、掌と指先を通じて緊張感と鼓動の高鳴りが伝わってくる。“芝居”と言い張る声のトーンも心なしか微妙に普段と違うように感じる。

 

 「・・・そうだよな。芝居だよな」

 「・・・当たり前でしょ」

 

 そして俺の目を見つめる視線も、どことなくぎこちない。意識していなければ、もしかしたら本当に俺のことを“そういう感情”で視ているんじゃないかと錯覚してしまうくらいに。

 

 「・・・・・・俺の負けだよ

 

 やっぱり、俺はまだ親友()のことを全然知らないままだ。今日まで1年と少し、電話とメールでしか話していなかった(こいつ)は、俺の知らない間にこんなにも芝居が上手くなっていた。

 

 「・・・何が?」

 「さっき蓮は俺のユウトを観て“不戦敗した”とか言ってたけど・・・・・・俺からしてみればいまのお前のほうがよっぽど芝居が上手いよ

 「・・・もしかしてこの期に及んでまた気を遣ってくれてる?だったらそういうのは“一番いらない”から」

 「そうじゃねぇ

 「じゃあ何?」

 

 こんなに相手役をしていて冷静さを保つのが精一杯になってしまうほどの芝居は、今の俺には到底できない。“だったら芝居に勝つだけ”だと偉そうに言っておきながら、結局のところ負けているのは相変わらず騙される俺のほうだ。

 

 「いまのお前は芝居しているって意識しないと、本気で“勘違い”しそうになる・・・・・・なんというか、いまの俺にはここまで相手の感情を動かせる芝居はまだできない・・・・・・だから、そんな芝居ができる蓮はお前が思っている以上に女優(やくしゃ)として成長してる・・・って、俺は思う

 

 そしてまた雰囲気に飲まれ、俺は無意識に“らしくない”言葉を蓮に向けていた。にしてもたかが芝居で一瞬だけとはいえ感情が揺れてしまうなんて、全く思いもしなかった。

 

 「・・・・・・本当に“惚れる”なんてやめてよね?」

 「絶対ないから安心しろ」

 「・・・そこまでハッキリ言われると逆になんか腹立つ」

 「何でだよ?たかが芝居で」

 「というか憬が偉そうにしてる時点でムカつく」

 「理不尽すぎるだろオイいつまで続けるつもりだよこの芝居・・・)」

 

 謎に機嫌を損ねた掌が、少しだけ俺の掌を握る力を強くする。どうやら芝居はまだ続いているみたいだ。俺が演じているのは“小学生のときからずっと同じクラスで一緒にいる幼馴染からの恋心に全く気付かない鈍感野郎”で、蓮が演じているのは“そんな鈍感野郎のことが好きで好きで堪らない幼馴染”・・・という設定で、互いが自分を演じる。

 

 「・・・けど何だかんだで、こうやって誰かと芝居をしてる瞬間は楽しいよ・・・カメラなんてどこにもいないけど

 

 左隣の蓮が、少し機嫌を損ねたような態度のまま目線を合わさずに右隣の俺に声を掛ける。幸か不幸かさっきの“ストレス”は嘘みたいにどこかへ吹き飛んでいた。確かにあのままウジウジと不平不満を垂れ流していたらせっかくの休日が去年のようにまた台無しになるところだったかもしれない。

 

 

 

 ただ、ずっとただの親友として接してきた相手から疑似的(しばい)とはいえいきなり他の誰かを演じるでもなくこうやって恋愛的な感情を向けられるのは、何とも言えない“やり辛さ”が拭えず普段の芝居より疲れる。

 

 

 

 「・・・次はちゃんと“カメラの前”でこんなふうに芝居が出来たらいいよね・・・私たち?

 

 センター街の雑踏が映る前方に向けられていた視線が、隣を歩く俺へと向けられる。その表情は1秒前までの不機嫌さが消え失せた、芝居を解いたときと同じ微笑み。

 

 「・・・・・・だな

 

 そんないつもと変わらない蓮の感情に、俺は役を解いてありのままの感情で言葉を返す。

 

 「はいおしまい」

 

 素で返した言葉を合図にした蓮は感情の抜けたような軽々しいノリの口調で“撮影の終わり”を宣言して、繋いでいた掌を俺から離す。

 

 「・・・スタバに着くまで続けるんじゃなかったのか?」

 「なんか慣れないことしたら疲れてきた」

 「言い出しっぺが先に疲れてどうすんだよ?」

 「じゃあ続ける?憬がそんなに()りたいんならもう一回やってもいいけど?」

 「別に続けるとは一言も言ってない」

 

 考えるまでもなく、俺たちの芝居は蓮が俺に笑いかけた時点で終わっていた。そして考えるまでもなく、蓮の芝居に思わず“勘違いしそうになった”時点で俺はまたしても蓮に芝居で負けた。

 

 「俺だってちょっと疲れたし、なんか“蓮が蓮じゃない”みたいな感じがして違和感がすごかったわ」

 「・・・うん・・・私もずっと変な感じだった。楽しかったけど」

 「・・・そっか」

 

 設定こそ即席で作り上げていたとはいえ、演じている登場人物はあくまで誰でもない自分自身。おかげで“勉強のストレス”は吹き飛ばせたが、俺と蓮が自分を保ったまま“そういう関係”になるのは演じていて“やり辛さ”がすごく、無駄に疲れた。

 

 「よし、ここからは“普段通り”で行こう」

 

 左の掌に残っていた微かな温もりの感触が、“普段通りで行こう”という蓮の言葉と10月の終わりらしい涼しさと寒さの中間ぐらいの乾いた空気に流され消えていく。

 

 「おう」

 

 

 

 “『・・・じゃあさ・・・いっそのこと付き合っちゃうのはどう?』”

 

 

 

 久しぶりに蓮と2人で映画を観に行くことになった俺に堀宮は冗談ながらもああやって揺さぶりをかけてきたが、やっぱり俺たちは何でも話せる“親友(いま)”の距離感が一番しっくりくるし、この関係性は互いにこれから役者としてどんな道を歩んでいこうが全く変わることはないと思う。

 

 

 

 “少なくとも俺は、そう信じている

 

 

 

 「そうだ、せっかくだから次はスタバまで全力で走ってみる?前みたいに?」

 「やらねぇよ、恥ずいし疲れたし」

 「ここで“やる”なんて言ったら逆にドン引きだよ」

 「一応俺は“常識人側”の人間だからな」

 「憬が常識人とか説得力ねー」

 「悪かったな説得力無くて」

 「・・・そんなことよりさっきの憬の顔、冗談抜きでヤバかったよ?」

 「ヤバかったって何が?」

 「私が“恋人繋ぎしよう”って言ったときの顔。なんかもう、“この世の終わり”みたいな顔してた」

 「どんな顔だよ」

 「思い出そうとすると絶対ツボるから教えない」

 「別に知りたくねぇ」

 「逆に私が恥ずかしかったわ、共感性羞恥って意味で」

 「なんで俺が悪者みたいになってんだよ?」

 「罰として私のフラペチーノは憬の奢りで」

 「ざけんな誰が奢るか」

 

 それから俺たちは芝居のことを一旦頭から忘れ去り、ただの親友になって駅前の“スタバ”とスクランブルの前にある本屋を巡り、あまり良くない思い出のまま終わっていた渋谷の記憶を塗り替えた。




※例の如く補足ですが、本編に登場する“スタバ”は皆さんご存じの“スタバ”とは一切関係ございません。

ということで2022年はアクタージュらしからぬデート回?で“書き納め”となりますが、chapter3.5はもう少しだけ続きます。

そして求められているであろう需要に一切応えることなくマイペース&マイスタイルを貫き続けた結果がものの見事に“UA”という確かな形で反映されているこの作品をここまで根気強く読んで下さった読者の皆さま、まだちょっとだけ早いですがよいお年を。












ていうか、2022年終わるの早すぎひん?


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scene.67 いけ好かない

ベルトラン賀正


 翌日_東京_阿佐ヶ谷_

 

 アーケードの商店街。メイとリョージ、隣り合って歩く。リョージ、立ち寄ったコンビニで買ったギーナを食べ歩き、右隣のメイはそれを少しだけ呆れた顔で見つめている。

 

 「ほんとリョージってギーナ好きだよね?」

 「だって美味いし」

 「まぁそうだけど」

 「あとギーナの一番のポイントはカカオが84%なところなんだよね。83でも85でもなくて」

 「別に私は聞いてない」

 

 下校路の道中にあるコンビニでギーナを買ったメイとリョージは、少しだけ寄り道をしてアーケードを歩く。

 

 「すげぇ、クリスマスツリーだ」

 

 メイの左隣を歩くリョージ、アーケードを抜けた先に設置されたクリスマスツリーに気付く。

 

 「なんかさ、クリスマスツリーがこんな感じでポンって置かれてるだけでテンション上がんない?」

 「リョージは子どもか」

 

 メイ、アーケードの入り口に設置されたクリスマスツリーを微笑ましく見上げているリョージと手を繋ごうと左手をリョージの右手に向けようとする。

 

 「まだ子どもですけど何か?」

 

 だがギーナをかじりながら揶揄うように無邪気に笑うリョージの横顔を見て、メイは“いま”手を繋ぐことを諦めて右手に持っていたギーナの箱を開ける。

 

 「・・・少しは否定しなさいよ」

 

 メイ、文句で照れ隠しをしながらギーナを一口かじる。リョージ、それを見て微笑ましく笑う。

 

 「で?リョージはどこ行こうと思ってるの?来週のクリスマス?」

 「んー、どうしよう?」

 「もしかして何も考えてなかったの?・・・嘘でしょ」

 「だって急に“そういやメイって暇じゃね?”ってパッと思いついて勢いで言っただけだから、まだ何も考えてない」

 「何よそれ」

 

 メイとリョージ、互いにギーナを食べながら来週のクリスマスの話をしてクリスマスツリーを横目に歩みを進める。

 

 

 

 「ハイOKです!

 

 

 

 

 

 

 「“恋人繋ぎ”。お蔵入りになっちゃったな~」

 「ですね」

 

 阿佐ヶ谷で行われたギーナのCM撮影を終えた俺と堀宮は、マネージャーの菅生の運転する車で事務所へと向かっていた。

 

 「CMで使われる予定の曲だと“さあ手を繋いで僕らの現在(いま)が途切れないように~”って思いっきり歌ってるのにね?」

 「そうですね」

 「とはいってもメインはあくまでギーナチョコレート(商品)だから歌詞を気にしていたらキリがないんだけどね。タイアップの曲も何か月も前にリリースしたものだからCMに向けて作られたわけじゃないし」

 

 本来であれば撮影用に特別に設置されたクリスマスツリーのところでメイとリョージが手を繋ぐシナリオだったが、今朝になってそのシナリオは急遽“手を繋がない”ものへと変更された。理由としてはここで手を繋いでしまうと商品以上に視聴者の注目が“メイとリョージ”に向けられてしまう、ということらしい。

 

 ちなみにギーナの担当者曰く、一昨日に青山のスタジオで撮影したパターン1の様子を見学した上で決めたという。

 

 「それに良かったじゃん。結果的にさとるが最初に言ってた意見が通った形になったし」

 「いやあれは」

 「意見を言うにしても次からはもう少し穏便にお願いしますよ、夕野君」

 「・・・次からはなるべく気を付けます(悪いのは俺だけど寄って集って蒸し返すのはやめろ・・・)」

 

 堀宮が打ち合わせでの担当者との“ひと悶着”を蒸し返し、事情を知る運転席の菅生が追い打ちをかける。

 

 “『何で恋人同士の関係でもないのに“恋人繋ぎ”をしないといけないんですか?ただ2人で並んでギーナを食べるだけじゃ駄目なんですか?』”

 

 確かにあれは、思い返すと独りよがりで喧嘩腰だと誤解されかねない言い方だったと今は反省している。堀宮の言う通り、主役はあくまで“商品”であって“登場人物”ではないから、極端なことを言えば紹介したい人に宣伝したい商品の魅力さえ伝わればそれでいいのがCMの在り方というものだ。

 

 ただそれがCMだとしても、俺は映画やドラマと同じ熱量でやるのは変わらない。

 

 「まぁ将大(まさひろ)さんはこんな感じで厳しく言ってくれるけど、あたしはさとるのそういう真面目で超が付くぐらい自分に正直なところは嫌いじゃないから、いっぱい慰めてあげる」

 「慰めてくれるのはありがたいですが頭は撫でなくても大丈夫です」

 

 後部座席の右側に座る堀宮が、菅生に軽く叱られた俺の頭を左手で撫でながら慰める。結局のところ今日の撮影で彼女と“恋人繋ぎ”をすることはなかった。だからどうしたという話だが。

 

 「あ、そうだ将大さん?この後の打ち合わせの中身ってまだあたしたち聞いてないんだけどなんか知ってる?」

 

 俺の頭を左手で撫で続けながら、堀宮は菅生を下の名前で呼びタメ口でこの後に事務所で行われる打ち合わせの話を聞く。初対面ときからそうだったが、堀宮はカイプロ(身内)の人間に対しては社長の海堂も含めてこんな感じで年齢や身分など関係なくタメ口で接している。ただ流石に自分より芸歴が上の同業者や大御所と呼ばれる芸能人、オファーを持ち込んでくる企業の担当者のような“お客様”といった“敬うべき人間”にはちゃんと敬意を持って接するなど、弁えるべきところはしっかり弁えているが。

 

 「申し訳ないですが海堂からの伝言で“内容についてはまだ何も言うな”と言われていますので」

 

 そんな堀宮とは対照的なかしこまった口調が運転席のルームミラー越しに告げられると、俺の頭を撫でる左手の動きがスッと止まった。

 

 「・・・何も言うなってことはさあ・・・・・・“超ビッグ”な仕事(オファー)ってこと?

 

 そして碧眼を輝かせいつものように優し気な笑みを浮かべながら、どこか不敵かつ狡猾な口調(トーン)でバックミラー越しに堀宮は菅生に問いかける。シェアウォーターの広告に映る無邪気な笑顔から時たま顔を覗かせる、彼女のもう一つの素顔。

 

 

 

 “『2年後ぐらいには牧静流を名実共に追い抜いてる予定だけど、基本的にみんなとは仲良くするのがモットーだから気楽な感じでよろしく』”

 

 

 

 こんな感じで不気味かつどこか怖いオーラを纏う姿を最初に見たのは、彼女がカイプロに入ってきた日のことだ。

 

 “『言っとくけどあたしは本気だからね。牧静流なんてスッと追いついて、グッと一気に突き放してやるから』”

 

 堀宮は16歳ながら今年で芸歴11年目になる子役上がりの女優だが、子役時代は同世代にあの牧がいたこともあってこれといった役柄や仕事に恵まれず、オーディションで何度も一緒になってはその度に負かされてきた経験があってか、彼女は牧のことをかなりライバル視している。

 

 “『堀宮さんは牧さんのことをどう思っているんですか?』”

 

 事務所で初めて会った日のこと、俺は堀宮から勝手に奢られたジュースを飲みながら隣で同じものを飲んでいた彼女に思い切って聞いたことがある。

 

 “『・・・そうだね・・・牧静流(あいつ)はあたしの“居場所”を目の前で何度もすまし顔で奪い去っていった“(かたき)”だから、この地球上にいる誰よりも最高に“いけ好かない”・・・・・・ってあたしが心の中で思ってたらどうする・・・?もしかしていまのであたしのこと嫌いになっちゃった?』”

 

 最後はわざとらしく誤魔化しておどけていたが、青空のように澄んだ碧眼に限りなく憎悪に近い“黒い炎”が宿っている錯覚を覚えるほど、堀宮は晴れ渡る空のようないつもの笑顔はそのままに内に秘めていた感情を露にした。

 

 “『・・・・・・ここまで相手のことを嫌いになれるまで自分と向き合える堀宮さんは、本当に“女優(やくしゃ)”として生きる覚悟がある強い人なんですね』”

 

 と実際に言ったかどうかは定かじゃないが、堀宮曰く俺は牧への感情を打ち明けた彼女に対して感心した様子で言ったらしい。俺的には信じ難いが、言われた本人がそうだと言うならきっと間違いはない。

 

 

 

 “『芸能界はね・・・嫌われてなんぼの世界なんだよ。女優だろうと男優だろうとね』”

 

 

 

 いつかの月9の顔合わせで牧が俺にそう言って自らの覚悟を見せたように、俺たち役者は相手からここまで嫌われ、そしてここまで相手のことが嫌いになってもなお相手を恐れずに自分の武器1つで時に人生すらも賭ける勝負を続けていく。優し気な笑みの裏にあった堀宮の背負う覚悟(モノ)を視て、俺は感化されてあの言葉を彼女に言ったのかもしれない。

 

 少なくともいまの俺には、相手(ライバル)のことを本気で嫌いになれるぐらいの強い覚悟はまだ備わっていないから。

 

 “『・・・もう・・・チョー良いこと言うじゃんさとる!』”

 

 ともあれこの日の会話がきっかけでほぼ一方的ながらも堀宮との距離は近づき、“気の合う先輩と後輩”の関係となって今に至る。

 

 

 

 「・・・何も言うなってことはさあ・・・・・・“超ビッグ”な仕事(オファー)ってこと?

 「・・・・・・生憎ですが、単なるマネージャーに過ぎない私からは何も答えられません

 

 初めて会った日に見せたときと同じような感情を向ける堀宮に、菅生は“またか”と言わんばかりに少しだけ考え込んだ末にいつもの調子で突き放す。

 

 「・・・じゃあ図星ってことでOK(オッケー)

 「でしたらお好きにどうぞ

 「うっわほんっと相変わらずノリ悪いなぁ将大さん、そんな調子じゃ一生彼女なんて出来ないよ?」

 

 そして菅生からの“お好きにどうぞ”というどっちつかずな返しに堀宮は俺の頭を掴んだまま煽り始める。

 

 「そうですね」

 「そうですねって・・・・・・あのさぁ、マネージャーとして仕事ができることは別として“そういうところ”はマジで直したほうがいいよほんとに。さとるもそう思わない?」

 「“ドサマギ”で俺を巻き込まないでください」

 

 だが俺たちの扱いに慣れている菅生から淡々とした態度で一枚上手の対応をされた堀宮は溜息交じりに左隣に座る俺を巻き込んで文句を溢す。どうでもいいけれど、何だかんだで褒めるべきところはきっちり褒めるところが何とも彼女らしい。

 

 「ちぇっ、さとるも将大さんも2人して“真面目ちゃん”かい」

 

 とりあえず“中立”の立場にいる俺は不毛な争いから逃げる選択肢として菅生と同じスルーで場をやり過ごすと、堀宮は俺と菅生へ悪態をつきながらスッと俺の頭から左手を離して右側の車窓に顔を向けた。

 

 「・・・もっと気楽に楽しもうよ・・・・・・バカ真面目に仕事してたってつまんないしさ・・・

 

 右側に流れる車窓に顔を向けたまま分かりやすく拗ねた様子の堀宮が誰に言うでもなくボソッと呟いたのを最後に、車内は今までの賑やかさが嘘だったかのようにカーラジオ(FM)の微弱な音声だけが流れる沈黙に包まれる。

 

 

 

 “『・・・牧静流(あいつ)はあたしの“居場所”を目の前で何度もすまし顔で奪い去っていった“(かたき)”だから、この地球上にいる誰よりも最高に“いけ好かない”・・・』”

 

 

 

 果たして堀宮が呟いた言葉は単純に“ノリが悪い”俺と菅生に向けたものなのか、それとも“自分自身”に言い聞かせたものなのか。流石に俺はそこまで堀宮の考えていることを理解しているわけじゃないから、現時点ではどうすることもできない。

 

 「・・・ふぁ~・・・」

 

 沈黙が30秒ほど続いたあたりで右隣からあくびが聞こえると、堀宮はひと仕事終えた疲れからかそのままうたた寝を始めた。ただ本人からしてみればうたた寝というよりふて寝に近い、のかもしれない。

 

 それよりも今は、海堂から告げられた打ち合わせがどのようなものなのかだ。“来年から一気に忙しくなる”という言葉が関係あるとしたら、堀宮の言っていた通り図星の可能性が高い。それに口は超が付くほど堅いとはいえ、菅生(この人)はどんな些細な嘘も許さないほど嘘をつくことが嫌いなことも確証になる。

 

 「夕野君。事務所に着きましたらすぐに社長室に向かってください」

 

 前方を見てハンドルを握ったまま、菅生は起きている俺に声をかける。

 

 「了解です」

 

 本当は俺もこの後の打ち合わせのことを菅生から聞きたかったが、せっかく気持ちよくうたた寝し始めた堀宮の機嫌を損ねさせるとまた“頭を掴まれそう(厄介なこと)“になりそうだと思い、困ったときの常套句でやり過ごす。

 

 『しかし早いもので10月も明日で終わってしまうわけですが_

 

 徐に視線を右隣に移した瞬間、車が交差点を曲がり切った反動で自分の太腿の上で脱力しきっていた堀宮の左手が後部座席にゆっくりと落ちた。

 

 

 

 “『いやマジかぁ~、完全に手を繋ぐつもりで気持ち作ってきたから割とショックだわ~』”

 

 

 

 撮影の準備中、スタッフや見学しに来た担当者にギリ聞こえない声量で堀宮は俺に笑いながら愚痴ってきたことを思い返す。何食わぬ顔で時にふざけたような態度で平然を装いながらも、本当はどんな仕事だろうと誠心誠意を持って全力を尽くす“”のある真面目な女優(ひと)だということは今回の撮影で一緒に仕事をしただけでも十分に分かった。

 

 『それではR.N(ラジオネーム)“恋するウサギちゃん”からのリクエスト_

 

 だから堀宮もまた俺と同じように、商品が主役のCMであろうと同じ熱量で与えられたキャラクターを作り上げて来たのだろう。CMとはいえ一緒に芝居をしてみたら、明るく可愛らしい雰囲気に反して俺と同じく“入り込んで”芝居をするタイプだということに気付いたからだ。

 

 でも役作りの努力(こと)を周囲に打ち明けるような真似なんて堀宮(この人)は絶対にしないから、勝手な憶測と言われたら憶測で片づけられてしまうが。

 

 “・・・昨日の事前練習(シミュレーション)、無駄になったな・・・

 

 本来だったらさっきのCM撮影で繋ぐはずだった堀宮の左の掌を見つめる。一度も繋がれなかった掌を見ると、勢いに乗せられたとはいえせっかく今日の撮影のために準備したことが無駄になるのは寂しいと、少しだけだが俺も思う。

 

 『頼り無く 二つ並んだ 不揃いの影が 北風に 揺れながら 延びてゆく

 

 そんな俺と隣で眠る堀宮の心情を知ってか知らずか、ロードノイズでかき消されてしまうほど小さな音量で車内に流れるFMから、ついさっきまで阿佐ヶ谷で撮影していた俺たちの出演するCMに起用される予定の曲が流れる。全く、タイミングが良いのか悪いのか。

 

 “すいません菅生さん、ラジオ止めてもらっていいですか?”

 

 狙って図ったようなタイミングで流れてきた“あの曲”にどことない気まずさを感じた俺は咄嗟に菅生へ言葉を掛けようとしたが、事務所に着くまで無音の車内で黙って過ごすのはもっと気まずいと直感して思いとどまる。

 

 『凸凹の まま膨らんだ 君への想いは この胸の ほころびから 顔を出した

 

 そして俺は何とも言えない車の中の沈黙から目を逸らし、自分の左手に視線を移す。

 

 

 

 “『だったらさ・・・・・・ここからスタバに着くまで私と手でも繋いでみる?』”

 

 

 

 つい昨日、“いつか彼氏とデートをするような役を演じることになったときのためのシミュレーション”として左隣を歩く蓮と“恋人繋ぎ”をした左の掌。初めて面と向かって蓮を相手に芝居をしてみたら、(あいつ)の芝居があまりにも上手くて意識が持っていかれそうになったことは、一日経っても衝撃となって心に残っている。

 

 “あれだけ芝居が上手かったら、牧はまだ無理でも堀宮と同じぐらいは業界(神様)から好かれてもいいと俺は思うのにな・・・

 

 『口笛を遠く 永遠に祈る様に遠く 響かせるよ

 

 なんてことを間違って直接口になんてしたら、オーディションは“実力よりも相性”だと分かっていながらストイックに女優としての自分を磨き続けている(あいつ)はきっと怒るだろう。

 

 『言葉より 確かなものにほら 届きそうな気がしてんだ

 

 とにかく芸能界(この世界)は“芝居が一番上手い=主役”になれるとは限らないということは、“ユウト”を演じ終えて以降はこれといって大した役を()れていない現状で嫌でも理解した。もちろん中3に上がってからは受験と両立するために活動を幾らかセーブしていることも踏まえてだ。

 

 『さあ手を繋いで僕らの現在(いま)が 途切れないように

 

 それでも助演や端役で地道に経験を積んでいく“下積み”は、間違いなくこれからの自分に繋がる財産になる。隣でうたた寝している堀宮も、そうやって長い“下積み”とオーディションでライバルから居場所を次々と奪われていった悔しさを乗り越えてチャンスを掴んだはずだ。

 

 『その香り その身体 その全てで僕は生き返る

 

 蓮だって中2のときに出演した『HOME』以降は中々役に恵まれていないが、あの時とは比べ物にならないほど着実に力を付けてきている。

 

 

 

 “『私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ』”

 

 

 

 だから俺は・・・(お前)にとっての親友(ライバル)で居続けるため、まずは役者として“一歩先を歩く”(お前)の隣に立てるようになければならない・・・

 

 

 

 『夢を摘むんで帰る畦道 立ち止まったまま そしてどんな場面も二人なら笑えます ように

 

 FMから流れる曲で無意識に昨日を思い浮かべた憬は、左側の車窓に視線を向けたまま環と“恋人繋ぎ”をした左の掌を軽く握った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「単刀直入に言うと、プライムタイムの連続ドラマに主要(メイン)キャストとして出てみないかというオファーだ」

 

 事務所に着いて一直線に堀宮と共に海堂の待つ最上階(15階)の社長室へと向かって告げられたのは、連続ドラマへの出演オファーだった。しかもそれは、“プライム帯”の連続ドラマだ。

 

 「えっ!?プライム帯のドラマのオファーですか?」「えっ!?プライム帯のドラマのオファー!?」

 「2人揃っていきなりデカい声を出すんじゃねぇ・・・・・・ただし、まだ“企画の段階”だがな」

 

 その今までにない“プライム帯のドラマ”という単語に、俺と堀宮は思わずハモリながら声を上げてしまい海堂から注意を受け、ひとまず俺は我に返って一旦冷静になる。

 

 「それで?オーディションはいつ?」

 

 だが同じソファーの右隣に座る堀宮は溢れ出したテンションを抑えきれずドラマの内容や企画の意図が一体どんな内容のものなのか、そもそもオファーの内容がどういうことかを詮索せずに応接間のテーブルを挟んだ反対側のソファーに座る海堂に堂々とした態度で問う。

 

 「あたしもさとるも準備は万端だから明日からでも大丈夫だよ。ね?さとる?」

 「勝手に俺を巻き添えにしないでください」

 

 それにしても堀宮は、こんな見るからに任侠映画の親方のような風貌の海堂に対してよくここまで物怖じしない態度で接することができるからその点は純粋に凄いと思っている。正直俺は海堂のサングラスから覗く無駄に鋭い眼光とオールバックに無精髭、見るからに高級なグレーのスーツや腕時計を身に付ける“如何にも”な出で立ちは、初めて会った日から1年と4か月以上が経った今でも少しだけ怖く感じる。無論、強面な外見を除けば普通に良い人なのだが。

 

 「いや、今回は是非ともお前たち2人に出て頂きたいとのことだ」

 

 そんな海堂が俺たちに言ったのは、オーディションではなく直々に出演して欲しいというこれ以上ないぐらいに“有難い”オファーだった。

 

 「えっ?じゃあ」

 「早まるな杏子。これはあくまでまだ“企画の段階”でのオファーだ。“万一の可能性”は考慮しておけ」

 

 ただそれはあくまで現時点では企画に過ぎず確定事項ではないため、あたかもオファーが決まったかのようにぬか喜びしそうになっていた堀宮を軽く咎める。

 

 「も~不安を煽り水を差すようなこと言わないでくれます海堂さん?」

 

 だがそのオファーが今までの仕事とはわけが違うということは、まだ企画の中身を聞かされていない時点で俺も十分に感じていた。なにせこれは、“プライム帯”の連続ドラマで主要(メイン)キャストを演じて欲しいというオファーだからだ。

 

 「てゆーかさとるはこの状況でもよく冷静でいられるね?」

 「まだオファーの中身が分からないんで喜んでいいのか何とも言えないですよ」

 「は~相変わらず冷めてんなこの子は~」

 「(“この子”って言ってるけど俺とアンタ1コしか違わないんだけど)別に冷めてはないですよ。寧ろ、こうやって感情を抑えないと落ち着かないくらいです」

 「こうやってって言われても平常運転すぎてあたしはわかんないよ」

 

 隣に座る堀宮は冷静さを保つ俺を“冷めている”と茶化すが、内心では堀宮ばりに感情がハイになっている感覚がある。なにせこれは“プライム帯”の連続ドラマで主要(メイン)キャストを演じて欲しいというオファーだからだ。

 

 「そうだ、何か企画書のようなものは貰ってないの海堂さん?」

 「人をあまり急かすな・・・・・・杏子、憬、先ずは企画書(コイツ)に目を通せ」

 

 と言った具合でどこかお気楽で浮かれたやり取りをしていた俺たち2人に呆れ半分な視線と溜息を送りながら、海堂は堀宮に急かされる恰好でバッグの中から10ページほどの企画書を取り出して俺たちに手渡した。

 

 「・・・ユースフル・・・デイズ・・・」

 「今から俺が話すことは企画書の中身をかいつまんで話す形になるが、来年の夏ドラマとして『ユースフル・デイズ』のドラマ化が水面下で企画されていてな_」

 

 

 

 『ユースフル・デイズ』。日本において“三大出版社”の一角として数えられる大手出版社の週刊漫画雑誌にて1996年2号から1999年52号にかけて連載されていた逢沢夜宵(あいざわやよい)原作の学園漫画で、現在までにシリーズ累計500万部を超えているという人気コミック。その人気コミックを来年の夏期に民放の“火曜10時枠”でドラマ化するというのが俺たちに提示された企画の全容だ。ちなみに登場人物などの設定は放送される2001年に合わせる形にするといい、ドラマ化に向けて更なる細かな設定も原作者と話し合いつつ調整していくという。

 

 そんな『ユースフル・デイズ』の大まかなストーリーとしては東京都立実丘(みおか)学園高等学校2年1組を舞台に4人のクラスメイトの学園生活を軸に、4人の輝かしくもどこか切ない青春を描いた学園漫画となっている。物語の全体的な雰囲気として恋愛や学園漫画的な要素が強いが、物語が進むにつれて登場人物それぞれの過去が明るみになるなどヒューマンドラマの要素も色濃くあるのが特徴。

 

 物語の中心となる登場人物は1年次からのクラスメイトである神波新太(こうなみあらた)千代雅(ちしろみやび)園崎純也(そのざきじゅんや)と、2年進級時に1組に転入してきた半井亜美(なからいあみ)の4人である。

 

 これは余談だが、今回のドラマ化に先駆けたメディア展開として去年(※1999年)の4月から12月にかけて同じ民放テレビ局でアニメ化されているが、憬はアニメ化されていることはおろか『ユースフル・デイズ』という漫画自体を読んだことすらない完全な“初見”である。

 

 

 

 「配役のオファーは杏子が千代雅、憬が園崎純也だ

 

 

 

 そのうち俺と堀宮が演じることになるかもしれない園崎純也と千代雅は、原作では小学校時代からの幼馴染という設定だという。どうでもいいが最初のドラマといいさっきまで撮っていたCMといい、心なしか俺は異性の幼馴染がいる役を当てられることが多い気がする。まぁ、現実でも小6からずっと仲良くしている幼馴染がいるわけだから、ある意味この純也という役は今まで演じてきた役の中では素の自分と共通するところが多いのかもしれない。

 

 

 「他の2人は誰が演じるとかは決まっているんですか?」

 「悪いが配役についてはまだ“機密事項”でな、正式に企画が通り製作発表が行われるまで一切の口外を禁じられている。無論、向こうも同じようにお前たち2人にオファーが行っていることは“機密事項”扱いされているから状況としてイーブンってとこだ」

 

 

 

 ちなみに本作の主人公の1人にあたる神波新太と転校生の半井亜美の配役については現段階では“機密事項”になっている。

 

 

 

 「・・・にしても、オーディションの年齢制限が15歳から18歳って、随分狭くないですか?」

 「そうだな・・・・・・何せこれは、今までのテレビドラマの常識を塗り替える“新時代のドラマ”にするというコンセプトがあるからな・・・

 

 

 

 そしてこのドラマの最大のポイントと言っていいのが、生徒役のキャスト陣の年齢を主要人物からエキストラに至るまで全員15歳から18歳までの実際の高校生にあたる年齢の演者で構成するというものだ。当然、視聴率が物を言うプライム帯のドラマにおいてここまで攻めたキャスティングをするというのは、少なくとも俺は聞いたことがない。

 

 

 

 「・・・“新時代”のドラマ・・・って言っても、杏子さんはともかく本当に俺で大丈夫なんですか?

 「何だ嫌なのか?」

 「いえ、寧ろこのようなチャンスを頂けることは物凄くありがたいです。ただ・・・どうしても“新時代”の意図を知りたくて・・・

 

 

 

 視聴率(数字)を取れる俳優を使うことが第一主義となっているプライム帯のドラマにおいて、配役(キャスティング)はスポンサーなど様々な事情を考慮した上で着実に視聴率を稼げる知名度最優先のキャスティングにするのが通例のはずだが、『ユースフル・デイズ』のキャスティングはそれらの正反対を突くようなものだ。既に売れ始めている堀宮がヒロインを演じるのはまだ分かるが、『ロストチャイルド』(準主演作)がつい先週公開されたばかりのまだ無名な人間をわざわざオーディションもなしに主役級の役にキャスティングするというのは、嬉しい反面その意図を知りたいという思いも強く感じた。

 

 

 

 「・・・すまないが(お前)の聞きたがっている“意図”については現段階ではまだ詳しく話すことは出来ない・・・」

 「・・・そうですか・・・」

 「ただ俺の口から今言えることは・・・・・・お前たちに“向こう20年の俳優界の未来”が託されたということだ_

 

 

 

 その疑問をぶつけて返って来たのは確証を得られるような望んでいた答えとは少し違うものだったが、真っ直ぐに俺たちの眼を捉えるサングラス越しの視線が重大さを物語っていた。企画書に書かれているのはブラウン管に映れば間違いなく視聴者の目に留まる“同じような顔ぶれ”の俳優が顔を揃える良くも悪くも王道でありきたりなドラマなどではなく、 “新世代の俳優”が俳優界の“これから先の20年”を引っ張っていく第一歩となる、文字通りの全く新しい“ドラマ”。

 

 

 

 「_というのが今回のオファーの全容ってところだが・・・・・・お前たちはどうする?

 

 海堂は企画の全容を俺たちに話すと、“さて、お前たちはどうする”と言う言葉と共にサングラス越しに眼光で意思を伝えてくる。

 

 「・・・もちろん俺は引き受けますよ・・・役者なんで・・・

 

 考えるまでもなく、その答えは1つだ。自分を必要としてくれる人たちがいるのであれば、その人の期待に自分だけの持つ芝居で答える。芝居の上手い役者が主人公(トップ)になれるとは限らないのが芸能界(この世界)だとするならば、言うまでもなく“その逆も然り”だ。今の実力がどうだとか、俳優としての価値がどうだとかは関係ない。

 

 大役を託された俺は、この“チャンス”をものにして高みを目指すのみだ。

 

 「・・・杏子はどうだ?

 

 決意をぶつけた俺を一瞥した海堂は、続けて堀宮にオファーへの意思を問う。

 

 “・・・そういえば・・・

 

 海堂の言葉で視線を右隣に向けた瞬間、俺はあれだけテンションを抑えきれずにいた堀宮が企画書を渡されてから一言も言葉を発していないことに気が付いた。

 

 「はい・・・・・・誠心誠意、引き受けさせていただきます

 

 そして海堂に向けて堀宮は、普段の明るくはっちゃけた振る舞いからは全く想像がつかないほどの真摯な眼差しと口調で自分の意思をぶつける。

 

 「・・・・・・その言葉に異論はないな?

 「・・・ありません

 

 

 

 海堂からの鋭い眼光を真正面から火花を散らして対峙するように凝視する堀宮の表情は、今まで見たことがないくらいに大人びて視えたのと同時に、それまでずっと分厚いベールで隠されていた“彼女()内面(人格)”を垣間見てしまった感覚を俺は覚えた。




2023年の一番乗りはもろたで工藤・・・・・・明けましておめでとうございます。世間はめでたく新年を迎えましたが、作中では未だにクリスマスネタを擦り続ける駄作者はこちらです。はい。

ちなみに本編に登場した『ユースフル・デイズ』の内容は今後のストーリー展開次第で添削が加わるかもしれませんが、ご了承ください・・・・・・劇中劇書くの死ぬほどムズイ。

ということで今年はアクタージュSS史上2人目の100話突破の大台を目指し、相も変わらずの“低空飛行”で頑張っていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。










果たしてハーメルン界隈に前書きの元ネタが伝わる人はいるのだろうか?


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scene.68 繋いでいい?

 「芸能人やってると色んな事が起きまくりでてんてこ舞いになることもあるけど、これであたしたちもいよいよ“人気俳優”の仲間入りだねさとる?」

 「そうなるといいですね・・・っていうか、杏子さんはもうとっくに“人気者”じゃないですか?」

 「あたしが“この程度の地位”で満足するとでも?」

 「全く思いません」

 「その通り!何てったってあたしの“標的”はまだまだ先を歩いているからね」

 

 海堂から来年の夏期に民放の“火曜10時枠”で放送することが水面下で計画されている連続ドラマ『ユースフル・デイズ』の出演オファーを承諾した後、俺は堀宮と共に事務所の中にある4名用のミーティングルームで奢られたグレープフルーツジュース(缶ジュース)を飲みながらテーブルを挟む形で椅子に座り、時間を潰していた。

 

 「もう嬉しすぎてこの後の“打ち合わせ”のことを完全に忘れかけてたよあたし」

 「分かりやすく喜びが爆発してましたからね」

 「そんなに爆発してたのあたし?結構抑えてたつもりなのに」

 「そうですね・・・思い切りダダ漏れでしたよ・・・」

 

 ちなみに俺がミーティングルーム(この部屋)で時間を潰している理由は、今から30分後にあるという“別件”までの堀宮の暇つぶしに付き合わされたからだ。もちろん、これに関してあくまで“部外者”の俺は全く関係ないし、何ならもう帰りたい気分だ。

 

 「てゆーかさっきから元気なくないさとる?せっかく海堂さんからあんな“ビッグチャンス”を貰えたっていうのに。今回みたいなのは滅多にないよ?」

 「いや、もちろん俺も今回のオファーは滅茶苦茶嬉しいんですよ」

 「嬉しいんならもっと素直に喜べばどうよ?」

 

 そんな俺の本音など知る由もなくテーブルを挟んで真正面に座り自分が奢ったものと全く同じ缶ジュースを飲む堀宮は、先ほど見せた“第三の顔”がまるで嘘の記憶だったかのように普段通りの“人当たりの良い気さくで明るい先輩”に戻っている。

 

 「ただ・・・」

 「心配ご無用、お悩み相談なら杏子先輩が幾らでも乗ってあげるから、ね?」

 「別に悩みとかじゃないんですけど」

 「じゃあなに?ほら?何でも言ってごらん?さあ遠慮せずに」

 「だから今から言いますから一旦黙ってください

 

 初めて垣間見た一面に未だに戸惑っている俺を雲一つない青空の如く輝く碧眼の瞳と感情が、少し息の混じったややハスキーな声と共にわざとらしく俺の感情を凝視する。

 

 「・・・海堂さんから企画書を渡されたときの横顔をみたら、なんか杏子さんが本当はどういう人なのか分からなくなってしまって」

 「・・・あ~・・・あはははっ、何だそれかぁ~」 

 

 しつこく問いかける堀宮に内心で戸惑っている理由を話すと、彼女は心当たりのある何かを思い出してわざとらしく笑った。

 

 「笑い事じゃないですよ・・・あんな“極限まで自分の感情を押し殺した”表情をする杏子さんを見るのは初めてだから、正直なんか変な気分です」

 

 

 

 “『はい・・・・・・誠心誠意、引き受けさせていただきます』”

 

 

 

 海堂から渡された企画書を見るや否や“別人”が乗り移ったかのような感情を露にした堀宮。どこか不気味な眼をして無邪気そうに笑う表情は一昨日やついさっきも含めて何回かこの眼で確かめているが、あんな横顔(かお)”をした彼女を視たのは初めてだった。

 

 「なんか、杏子さんが急に違う人になったみたいで・・・」

 

 あの横顔を視た瞬間、事務所でバッタリと会うたびにダル絡みしてきた堀宮は果たして本当の堀宮なのか?という漠然とした疑問符が今まで見たことのなかった“彼女の内面”と共に理由のない戸惑いになって、こうして残っている。

 

 「・・・だったらさとるは何だと思ってる?

 

 そして社長室を出てすっかり“元の調子に戻った”ことで再び戸惑う俺に、堀宮はいつもの調子をそのままに逆を突く。

 

 「・・・あり得ないことだと思うんですけど」

 「ん?」

 

 理由を聞こうとして逆に理由を問われた俺は、絶対にあり得ないことだと頭の中で言い聞かせながら浮かんできた言葉をそのままの形で口にする。

 

 「・・・杏子さんは“二重人格”なんですか?

 「うん、そうだけど

 「・・・・・・え?

 

 俺からの問いかけに、堀宮は無邪気な笑みと明るい声で間髪入れずに答える。その表情に偶に見せる不気味さは感じなかったが、その嘘の無さげな笑顔と“本気すぎる”声のトーンで思考回路がショートした俺は何もリアクションが取れなくなった。

 

 「どう?ビックリした?

 

 俺からの“二重人格”という半ば冗談のような答えを、堀宮は如何にも正解であると言いたげにまじまじと見つめたまま天真爛漫に笑う。もしかして彼女は本当に“二重人格”なのか?それともただ単に俺を弄んでいるだけなのか?

 

 「・・・あの・・・・・・本当なんですか?

 

 こうして二つの答えが頭の中で交錯している真っ只中の俺は、結論を出す余裕もなく本能のままに堀宮にあの“横顔”の真意を問う。

 

 「・・・・・・うん・・・・・・

 

 すると堀宮の表情からスッと笑顔が消え失せて、再び“別人”が乗り移ったかのように真面目な顔をして俺の眼を真っ直ぐに見つめながら静かに頷く。

 

 「・・・・・・

 

 その表情(かお)はまさに、海堂の眼光を真正面から受け止めていた横顔と全く同じだった。まさかとは思っていたけど・・・堀宮ってやっぱり・・・

 

 「・・・・・・ていう感じのドッキリをバラエティーとかで芸人さんに仕掛けたらウケるかな?」

 

 といった具合に完全に“二重人格”だと信じかけていた俺に、堀宮は“テッテレ〜”という掛け声と共に着ていた薄手のジャンパーのポケットから自分で書いたであろう“ドッキリ大成功”の七文字が書かれた小さな紙を取り出し広げて見せびらかした。

 

 ガタンッ_

 

 「ちょっとさとる大丈夫!?

 

 次の瞬間、いっぺんに色んな感情が襲い掛かって脳内がキャパオーバーした俺は冗談抜きでコントのように“ズッコケ”てイスから崩れ落ちた。

 

 「はい、大丈夫です。一応とっさで受け身は取ったので全然痛くも痒くもないです」

 「現実で本当にズッコケる人を見たのは生まれて初めてだよ」

 「・・・でしょうね」

 

 幸いにも条件反射的に受け身を取ったから怪我1つ負うことなく済んだのだが、こんなリアクションをした自分自身に若干驚いた。もちろん、堀宮からの“二重人格ドッキリ”の余波には遠く及ばないが。

 

 「・・・それで、結局“二重人格”のことはドッキリなんですか?」

 「だ~からそ~言ってんじゃん、さとるはいちいち冗談を真に受けすぎだよ」

 「冗談だとしても疑いたくなりますよあんな顔見たら。椅子ありがとうございます

 

 自力で立ち上がり半信半疑の感情を言葉に乗せる俺に、堀宮は俺と共に床に倒れたイスを元の状態に戻しながら笑顔で答える。

 

 

 

 “『・・・・・・その言葉に異論はないな?』”

 “『・・・ありません』”

 

 

 

 「だったら・・・さっきの表情(やつ)は何だったんですか?」

 

 本人がどんなに“ドッキリ”だといつもの笑顔で言い張っても、その理由を聞かなければ堀宮の言っていることを信じることができない。それぐらい彼女の横顔は、普段とは大きくかけ離れていた。

 

 「ん~何て言えばいいのかな~」

 

 横顔の答えを聞かれた堀宮はどうやって説明するかを考えながら自分が座っていたイスに戻る。

 

 「例えばだけど・・・さとるは“感情がどうにかなっちゃいそう”になったときは逆に感情を抑えるタイプでしょ?」

 

 テーブルを挟んだ反対側のイスに座り缶ジュースを徐に一口だけ口に運び、ジュースの残る缶を片手に持ったまま再び逆質問をしてきた。

 

 「・・・全部が全部って言い切れるわけじゃないですけど・・・大抵のことは抑えてると思います」

 

 堀宮からの言葉で今まで感情が爆発したことのある記憶を探りながら言葉を紡いで、俺は記憶(それ)を呼び起こした。

 

 「うん。聞かなくてもそれはわかる」

 「だったら何で聞いたんですか?」

 「一応気にはなってたから」

 「・・・はぁ、なるほど(言ってることが滅茶苦茶だよこの人・・・)」

 

 予め覚えているのは、俺には“素の感情”で涙を流した記憶が全くないということ。かつていた“父親”から左の頬を思いっきりぶたれた時でさえ、俺は泣いていたのかまでは覚えていない。

 

 「じゃあさ、本当に“マジのマジで感情が抑えられなくなった”ときはどうする?」

 

 ただ素の感情が思いっきり表に出たことは3回だけある。

 

 

 

 “『オーディションを受けて、蓮と同じように俺も役者になる』”

 

 1度目は蓮の出演していた『1999』を観に行った帰りに蓮と喧嘩した日のこと。

 

 “『今日をもって環さんは大倉中学校を離れ、東京都内の中学校に転校することになった』”

 

 2度目は突然担任から蓮の転校を告げられてHR(ホームルーム)が終わると同時に無我夢中で蓮の実家まで走った日のこと。

 

 “『いつまで逃げてんだよ!!』”

 

 そして3度目は“自分の過去”と向き合うために母ちゃんに初めて心の底から感情をぶつけた日のことだ。

 

 

 

 「・・・普通に表に出しますね。相手によりますけど」

 

 それ以外で感情的になった記憶は、俺の中にはない。

 

 「で?そのあとは?」

 「その後は・・・特に何もないですよ。俺は一度発散したら割りとすぐに冷めるほうなんで」

 

 にしても、さっきから堀宮(この人)は何を聞いているのだろうか。そして俺は何を真面目になって受け答えしているのか。

 

 「・・・あの、いま俺が話していることって杏子さんと関係あります?」

 「そんなの大アリに決まってるよ。だからさとるに聞いてんじゃん」

 

 まるで真意が読めない意図に対する気持ちをそのまま伝えると、堀宮は笑いながらも真剣な眼差しを向けて缶ジュースをまた一口だけ口にして缶を置いて頬杖をつく。

 

 「実はあたしってさ・・・本当に感情がどうにかなっちゃいそうなときはああやって抑えているんだ・・・

 

 そして俺の眼を真っ直ぐ見つめたまま、静かに呟くように自分のことを打ち明け始めた。

 

 「しかもタチが悪いのがさ・・・さとるみたいに熱したらすぐ冷めるとかじゃなくて、一度熱しだしたらもう止まらないんだよね、あたし・・・・・・だからどうしても“ヤバイ”って思ったら、“ヤバイ”ときだけ“あたしじゃない別の自分(あたし)”に変わってもらうんだよ・・・・・・ま、早い話がただ単に“感情を極限まで殺す”っていう自分(あたし)の演技力を無駄遣いした“処世術”なんだけどね・・・

 

 堀宮が“処世術”だと言い張るその方法は、ある意味かつての俺が使っていた“役立たずのメソッド”とどこか似たようなものだった。

 

 「処世術・・・

 「ちなみに海堂さんと将大さんはこのことを知ってるよ」

 「・・・そうなんですね」

 

 海堂や菅生が“処世術”のことを既に知っていたことはともかく、俺も役者になる前は似たようなやり方で“自己防衛”をしていた。言うまでもなく堀宮のそれと比べたら何の役にも立たない演技(やつ)だけど、おかげで俺をいじめていたガキ大将が距離を置くようになったことや渋谷で蓮に絡んできたチンピラを結果的に撃退することができたと考えると、ある意味では役には立っていた。

 

 もちろんそんな“黒魔術”、わざわざ同じ芸能事務所の先輩女優に打ち明けるほどの話なんかじゃない。

 

 「多分。ていうか絶対“処世術(アレ)”を使ってなかったらほんとにヤバかったよさっきのあたし?」

 「・・・夏ドラのオファーですか?」

 「そう・・・もうなんていうか・・・・・・“今までの努力がようやく実を結んだ”っていうのかなあの感じ?・・・ちょっと待ってまだ感情がヤバくなってきたから一旦寝てリセットするね?」

 「えっ?」

 「じゃあ5分経っても起きなかったら起こして」

 「いや杏子さん話がまだ終わってないって・・・・・・」

 

 俺の思っていることなどつゆ知らずな堀宮は再び“感情がヤバくなった”と言い張ると“ドッキリ大成功”と書かれた紙を折り畳んで近くにあるゴミ箱に投げ入れ、唐突にそのまま目の前でテーブルの上に突っ伏す体勢で強引に眠りへと就き始めた。相変わらず、彼女は“自由気儘(じゆうきまま)”をダイレクトに体現している人だ。

 

 「・・・zzz」

 「(・・・本当に寝やがったよこの人・・・)」

 

 右腕を枕代わりにテーブルに突っ伏して眠る堀宮の寝顔を少し覗くように見てみると、彼女は小さく寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。ものの数秒で爆睡できる人間なんて漫画の世界の話だろと心の中でツッコミながらも、ついさっきコントのような“ズッコケ”をした自分を思い出して心の中で軽く“自爆”して再び視線を真正面で眠る堀宮へ移す。

 

 “・・・今までの努力か・・・

 

 

 

 “『言っとくけどあたしは本気だからね。牧静流なんてスッと追いついて、グッと一気に突き放してやるから』”

 

 

 

 “・・・そりゃあ嬉しいよな・・・

 「・・・そりゃあ嬉しいよな・・・杏子さん・・・

 

 心に留めておこうとしたはずの言葉が思いっきり出てしまい、咄嗟に堀宮へ意識を向ける・・・・・・大丈夫だ、全く気付いていない。

 

 “・・・どんな夢見てんだろう・・・

 

 何の感情も飾ることなく“無防備”になって気持ちよさそうに眠る堀宮。見るからに良い夢を見ていそうなのが顔に出ている。ふと思ったが、人の寝顔をこんなにも直接的にまじまじと見るのは初めてだ。

 

 “やっぱり俺なんかと違って“強い人”だよ・・・堀宮(あんた)は・・・

 

 堀宮が一方的にライバル視している牧の活躍は俺が知っている限りで今年だけで10社のCMに出ては3本の映画に主要(メイン)キャストで出演してそのうち2本で主演を張り、来年の3月には新たな主演映画が公開されるなど月9の顔合わせで初めて会ったときから勢いは全く落ちていない。だが当然その裏では、子役だったときの堀宮のように“主演”によって“居場所”を奪われた敗北者(やくしゃ)が数えきれないくらい存在する。それは俺も決して例外なんかじゃなく、先週公開された『ロストチャイルド』でユウトという役に選ばれた俺と引き換えに、何人もの他人が俺によって居場所を奪われた。

 

 “『夕野憬、13歳。横浜市立大倉中学校2年です。よろしくお願いします』”

 

 逆に俺もまた、女優を諦めかけていた蓮の苦しみを理解しようと飛び込んだ芸能事務所(スターズ)の新人発掘オーディションでついに勝負させてもらえることなく“スターズの王子様(一色十夜)”に“敗北”している。オーディションは実力が全てじゃないということや、実は光明に仕組まれた“出来レース”だったなんて噂が一部で流れていたりしているけれど、理由はどうであれ俺が負けたという事実は変わらない。

 

 “『夕野・・・お前の役者としての“素質”、見せてもらうぞ』”

 

 だからこそ俺は今の事務所(カイプロ)に拾われ、“ここ”で俳優になれたからこそ体験できた景色が必ずあるから、憧れだった星アリサから認められなかったことに後悔も悔しさもない。

 

 もちろん女優時代の星アリサのことは今でも憧れていて、星アリサが俺の中にある役者としての“指標”であることに変わりはない。

 

 芸能界で頂点になりたいとか、そんな大層なことはまだ望んだりできるほどの立場にはいないけれど、プライム帯の連続ドラマで主要(メイン)キャストの1人として自分を求めてくれている人がいるという事実は、これまでの芝居で学んだ経験や努力が認められたような気がして純粋に嬉しく思う。

 

 “『おっつかれ~さとる~』”

 

 そしてそれは、10年も牧静流(主演)の影で居場所を奪われ続けていた堀宮にとっては計り知れないものだろう。

 

 

 

 “『・・・夕野君がわたしの中にある“自信と覚悟”が分からないのと同じように、わたしはあなたの中にある“自信と覚悟”のことは全く分かりません・・・』”

 

 

 

 『ロストチャイルド』の撮影現場で入江が俺に言っていた言葉をふと思い出す。その言葉の通り、俺は堀宮や蓮が抱えている“自信と覚悟”の正体なんて知らない。

 

 “『関係ないよ・・・静流(あっち)静流(あっち)。“私は私”だから』”

 

 知らないけれど、2人ともそれぞれ“ゆずれない覚悟(モノ)”を抱えて芸能界(この世界)を生きていることだけは分かっている自信だけはある。

 

 最も今の俺も、2人に比べればか弱いかもしれないが“自分なりの覚悟(モノ)”は秘めているつもりだ。

 

 「・・・“ユースフル・デイズ(夏のドラマ)”・・・・・・正式に決まると良いですね・・・

 

 気が付くと俺は、眠っている堀宮へ無意識に声をかけていた。何で咄嗟にこんな言葉が出てきたのかは、自分でも分からない。

 

 

 

 “『・・・・・・ここまで相手のことを嫌いになれるまで自分と向き合える堀宮さんは、本当に“女優(やくしゃ)”として生きる覚悟がある強い人なんですね』”

 

 

 

 仮に無理やりにでも理由を付けるとしたら、無邪気な笑みの裏にある感情を初めて見たときと同じようなものかもしれない。年齢も学年もたった1つしか違わないのに、芸歴は10年近くも離れている俺と堀宮。シェアウォーターの広告と同じような天真爛漫で青空のように曇りのない無邪気な笑みに隠された女優(やくしゃ)の覚悟は、今の俺じゃ到底敵いはしないだろう。

 

 

 

 “『だったらさ・・・・・・ここからスタバに着くまで私と手でも繋いでみる?』”

 

 

 

 不意に昨日の蓮の姿が頭の中で浮かび上がり、俺は自分の左手を自分の顔に近づけるようにして見つめる。

 

 “『望むところだ』”

 

 と、月9の現場の帰り際に蓮が言い放った“宣戦布告”の約束にこんな感じの言葉で喧嘩を買ってから1年と約3ヶ月。果たして俺はいまの(お前)にどれだけ近づけたのだろう・・・昨日のことを振り返ってみて思うことは、“親友”としては良くも悪くも相変わらずなのはともかく、“役者”としては寧ろ差を付けられてしまったと思っている。

 

 “『“過去”なんかに囚われないでただひたすらがむしゃらになって前に前に突き進む・・・・・・それが憬の芝居じゃん?』”

 

 『ロストチャイルド』の時だって、高い壁の乗り越え方を知っている蓮の言葉がなければ“過去”を乗り越えることは出来なかったかもしれない。

 

 

 

 “『ところで憬はさ、俳優とか目指さないの?』”

 

 

 

 そもそも蓮と出会ってなかったら、多分役者になんてなってなかったかもしれないし、蓮がいなかったら“宇宙人”と呼ばれながら教室の隅で燻っていた日々から抜け出せなかっただろう。そして、こんな自分を温かく迎い入れてくれる“素晴らしい世界”があることにも気づけなかった。思い返すと俺はずっと誰かの背中を追いながら、ずっと誰かに支えられながら何とか自分を保って芝居の世界を生きている。心の中でどれだけ“俺は役者だ”と言い聞かせても、終わってみれば自分1人じゃ自分の過去の1つすら超えられやしない。

 

 

 

 “そんな初めてカメラの前に立ったときから何一つ変わっていないこの俺は、(お前)にはどう視えている?

 

 

 

 「・・・・・・ほんとリョージってギーナ好きだよね?

 「?」

 

 蓮のことで思い耽っていた意識に、堀宮の消え入りそうなほどか細い声が入ってきたような感覚がした。

 

 「・・・杏子さん?」

 「zzz・・・

 

 試しに真正面で眠る堀宮の名前をギリ起きるぐらいの声量で呼んでみたが、当の本人は絶賛爆睡中のままだ。

 

 “寝言か・・・”

 

 ミーティングルームの壁に飾られた壁掛け時計に目をやると、堀宮が寝始めてから大体2分あたりの時間を指していた。確か“5分経っても起きなかったら起こして”と言っていたけれど、この爆睡具合じゃほぼ確実に俺が起こすことになるだろう。

 

 「・・・・・・別に私は聞いてない

 

 と、壁掛け時計に意識を向けていたらまたしても堀宮のか細い寝言が聞こえてきた。

 

 “・・・マジでどんな夢見たんだこの人?”

 

 微かに聞こえた寝言に何となく“聞き覚え”を感じた俺は、堀宮のほうへと意識を傾ける。

 

 「・・・リョージは子どもか・・・

 

 次に放たれた寝言を聞いた瞬間、俺は夢の内容を理解した。今まさに堀宮(メイ)はギーナを片手にリョージと一緒に阿佐ヶ谷のアーケードを歩いている。突っ伏して寝ているその表情は、眠っているにも関わらず本当に“メイ”そのものだ。“感情をリセットするから寝る”と言っておきながら、夢の中で思いっきり“芝居”をしている。

 

 そんな堀宮を視た俺は、“この人は本当に芝居の世界で生きている人なんだ”と感じた。

 

 「zzz・・・・・・ねぇ

 

 すると思い切り自分の寝言を聞かれていることなど全く知らない堀宮は、寝返りを打つかのようにだらしなくテーブルの上で伸びている左腕を動かす。そして左腕は机からずり落ちて宙ぶらりんの状態で静止する。

 

 「手・・・・・・繋いでいい?

 

 直後に “メイ(堀宮)”が“リョージ”に言ったのは、お蔵入りになった本来の“シナリオ”に書かれていた台詞(ことば)だった。

 

 

 

 “『いやマジかぁ~、完全に手を繋ぐつもりで気持ち作ってきたから割とショックだわ~』”

 

 

 

 堀宮は自分の努力を絶対に他人(ひと)には見せない人だから実際にどれくらいの熱量で役を作っているのか俺には全部は分からない。ただこうやって夢の中で()るはずだった“本当のシナリオ”で演じているということは、堀宮にとってはそっちのシナリオでやりたかったのだろうか。“健気なヒロイン”のような可愛い顔をして芝居の系統は俺と同じメソッド演技を武器にした“演技派”だから、そういう不安定な一面も彼女にはあるのかもしれない。

 

 “『それに良かったじゃん。結果的にさとるが最初に言ってた意見が通った形になったし』”

 

 そして同時に、間接的とはいえ“メイ”にとって理想だったシナリオを潰してしまったことへの謎の罪悪感がほんの一瞬だけ俺を襲って消える。

 

 というか、そもそも何で俺はこんなことをいま考えて、訳も分からず罪悪感に襲われているのか。

 

 「・・・zzz・・・・・・zzz・・・

 

 なんてことを頭の中で巡らせていたら、堀宮は左腕をだらしなくぶら下げる体勢のまま寝言の台詞が途切れて再び爆睡状態になった。とりあえずこの体勢だと身体を痛めそうだから起こそうかどうか悩んで時計を見ると、まだ30秒も経っていない。

 

 テーブルに突っ伏して眠る先輩と、それを何とも言えない気分で見ているだけの後輩。こういう何とも言えない気まずさがある時に限って、時間の経過が異様に遅い。

 

 

 

 “『いや、別に、何でもない』”

 

 

 

 目のやり場に困った俺は、一旦海堂から受け取ったドラマの企画書に目を通そうとしたが集中できず、10秒足らずで再び視線を眠る堀宮へと移す。顔は直接見せなかったが“バカ真面目に仕事してたってつまらない”と事務所へ向かう車の中で拗ねていた彼女の姿は、『1999』を観た後に俺から気を遣われて苛立っていた蓮の姿と少しだけ似ているように感じた。

 

 「・・・そんなに繋ぎたかったんですか?手?

 

 夢の中でメイを演じながら眠る堀宮を見て、無意識に俺はまた声をかけていた。

 

 “・・・マジで何言ってんだ俺・・・

 

 自分の中でも全く思いつかなかった想定外の言葉が出て説明のつかない羞恥心が一気に込み上げてきた俺は、音を立てずにゆっくりと自分の座っていたイスから立ち上がってミーティングルームの隅へと忍び足で移ろうとした。

 

 「・・・・・・繋いでいい?

 「!?

 

 立ち上がろうとした瞬間、堀宮は再び寝たまま何かを呟いたから俺は“不意打ち”で少しだけビクついてしまった。

 

 「・・・zzz

 

 まさか今の言葉を聞かれたのかと思ったが、当の本人は相も変わらず小さく寝息を立てて爆睡している。本当に、さっきから堀宮の寝言はややこしいにも程がある。

 

 “・・・繋いでる?

 

 ふと“何か”を感じた俺は堀宮の隣について目を向けると、夢の中で“繋いでいい?”と聞いていた左手の指が微かに動いていた。まるで本当に、手を繋ごうとしているかのように。

 

 

 

 “『じゃあ・・・・・・繋いでみる?』”

 

 

 

 前触れなく昨日の蓮の姿がまた頭の中に浮かんだ俺は、音を立てずに堀宮から見て左隣のイスに座り夢の中で隣を歩く誰かと手を繋ごうともどかしくぶら下がる左の掌に自分の右の掌を近づけた。




なんか2か月ぐらい前に投稿頻度が落ちるとかほざいてましたが、ちゃっかり平常運転の今日この頃・・・と言いつつも、正月休みを良いことに執筆をサボった結果ストックの残高がクリスマスウィークに書き上げた次回分しか出来てないという体たらく・・・・・・はい。

突然話は変わりますがジブリと出会うきっかけになったハウルの動く城も今年で19年前になるんですよね・・・・・・どんだけ時間が経つのが早いんですかマジで。

そして最後に作者からのクソみたいな願望ですが、どなたか我こそはという方がいらっしゃいましたらソフィーの衣装を身に纏ったチヨコエルの絵を描いてくれメンス。


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scene.69 指切りげんまん

先週の水星の魔女・・・・・・あの結末を見せつけられた上で3ヶ月放置とか正気ですか?


 「杏子さん、5分経ちましたよ」

 

 “起きなかったら起こして”と言われていたタイムリミットの5分が経過し、俺は席に座ったままテーブルを挟んだ反対側で突っ伏して眠る堀宮へ声をかける。

 

 「・・・・・・ん~・・・ふぁ~・・・・・・ありがと~さとる~」

 「(これは・・・完全に寝起きだ)」

 

 テーブル越しに時間を告げる声に反応した堀宮は、如何にも“良く寝た”と言わんばかりに天井に向けて両手を広げてあくびを済ませると、寝起き気味の声で俺に感謝の言葉をかけてきた。とりあえずこの5分間、彼女は本当にずっと眠っていたみたいだ。

 

 「・・・なんか5分どころか3時間ぐらい爆睡した気分だわ。えっ?もしかしてほんとに3時間経ってる?」

 「そんなに待てないですよ俺は。そこの時計を見てください、ちゃんと5分しか経ってないんで」

 「ほんとにぃ・・・?あぁ、ほんとに5分しか経ってない」

 

 ダルそうに俺から誘導される恰好で覚め始めた碧眼の目をミーティングルームの壁に掛けられた時計に向ける堀宮の表情は、芸能人の裏側なんて知る由もない大衆がよく知る“普段の表情(かお)”だ。

 

 「なんかごめんね急に寝ちゃったりして、気まずかったでしょ?」

 「いえ、感情をリセットするのも役者として立派な仕事だと俺は思っているんで、全然平気ですよ」

 「じゃああたしが3時間寝るって言ったら?」

 「さすがに限度があります。てか杏子さんこの後普通に打ち合わせあるでしょ?」

 「?・・・あぁうん、知ってる」

 「(絶対忘れてたなこれ・・・)仮に忘れていても俺は責任取れませんよ」

 

 そして全く申し訳ないとは思ってなさそうな素振りでいつもみたいに俺を弄る先輩と、その先輩のダル絡みに仕方なく付き合う後輩という気が付くとすっかり慣れた光景。

 

 「・・・で?あたしたち何の話してたんだっけ?」

 「“処世術”がどうのこうのって話です」

 「処世術?」

 「まさか寝たら感情と一緒に片っ端から忘れるパターンですか?」

 「ううん・・・あぁ~ハイハイなるほど、思い出したからもう大丈夫」

 「本当ですか?」

 「うん、ほんとほんと」

 「(ホントかよ・・・)・・・そうですか」

 

 ともあれ一応感情をリセットして平常運転に戻った堀宮を見て、俺は言葉と態度では呆れつつもようやく心の底から安心できた。

 

 「そんなことよりさ・・・“感情をリセットするのも役者として立派な仕事だと俺は思っている”って、偶にはカッコイイこと言ってくれるじゃんさとる?」

 「思ったことをそのまま口にしただけですよ。大したことは言ってません」

 

 本当は堀宮の“処世術”の話の続きを聞きたいところだったが、そんなことをして感情がぶり返してまた目の前で“リセット”なんてされたらすこぶる気まずくなる予感がしたから、ひとまず俺は堀宮(相手)のペースに乗ることにした。

 

 「も~、せっかく未来のアカデミー賞女優・堀宮杏子が褒めてやってるっていうのにさとるは冷たいな~」

 「アカデミー賞女優って、すごい自信ですね?(・・・確かこの前は天才女優だったっけ?)」

 

 普通に自分の思ったことを伝えただけの俺を、堀宮は相も変わらず少しわざとらしく褒める。それにしても自分のことを天才女優とか未来のアカデミー賞女優だとか、よく恥ずかし気もなくここまで堂々と言えるものだ。

 

 「自信も何も当たり前のことだよ。あたしは誰にも負けないって自信があるからずっと女優やってるし、そう思い続けることが“高望み”だなんて思ったことは一度もないからね」

 

 もちろん自信家な態度の裏側に女優(やくしゃ)としての確たる自信や覚悟があるということは、一切の謙遜をすることなく真っ直ぐに俺の眼を見て本心の詰まっている言葉を返す感情ですぐに分かった。

 

 「さとるだってそうじゃなかった?“将来有望”な自分を否定しちゃったら負けだって、あたしに言ってたじゃん」

 

 

 

 “『憬もそうでしょ?』”

 

 

 

 「・・・そうでしたね」

 

 テーブル越しに向けられた感情に、昨日のエスカレーターで蓮が覗かせた眼差しが“リンク”した。役者として生きている人たちはこの世界で主演俳優からエキストラに至るまで数えるとキリがないほどにごまんといるが、作品においてメインを張れる人間はごく一握りだ。

 

 「それにさ・・・自分が“2番手”だとか“こいつには敵わない”なんていつまでも心の中で思ったままじゃ、いつまで経っても主人公になんてなれないのが“芸能(あたしたち)”の世界じゃない?

 

 そんな弱肉強食の世界で自分だけのできる“”を勝ち取り生き抜いていくためには、常に自分が他の役者(だれ)よりも優れているということを証明しなければならない。

 

 「ですね・・・他人は他人、自分は自分・・・俺たちは“誰かの真似”をしてるわけじゃないですからね

 「おぉ~言うようになったね~芸歴2年目のさとるくん?」

 「芸歴なんて関係ないですよ」

 

 だから自分より前を誰かが歩いていようと、その背中が果てしなく遠くとも、生存するにはその背中を追い続け、立ちはだかる壁をひとつひとつ越えるしかない。

 

 「・・・やっぱりさとるとこうやって話してると楽しいよ」

 「急になんですか?」

 「もしかしたら芸能界でここまで気の合う同業者(ひと)に会えたのはさとるが初めてかも」

 「・・・流石に言い過ぎですよそれは」

 

 いま目の前でテーブルを挟んで楽しく打ち合わせまでの繋ぎとなる自由時間を一緒に満喫している堀宮も例外じゃない。もちろんその逆だって然りだ。

 

 「ほんとは嬉しいくせに?」

 「・・・まぁ、少しだけ」

 「正直でよろしい。では褒美として貴殿の頭を撫でてやろう」

 「・・・言っときますけど“貴殿”の使い方普通に間違ってますからね(何で毎回頭を撫でるんだこの人は・・・)」

 

 そんな“シリアス”なことを脳の片隅で考えているなんて全く知らないであろう堀宮は、イスから立ち上がり正面に座る俺の背後に移動して、例の如く俺の頭を犬に見立てるように撫で始める。本当は恥ずかしさから今すぐにでも手をどけたい気分だが、彼女の“何一つの悪意もない”手を容赦なく払いのけられるほど俺は人として強く出来ていない。

 

 「もちろんわざとだよ」

 

 それでも例え事務所が同じであろうと、どんなに互いの馬が合っていようと、同じカメラの前で対峙すれば役者として喰うか喰われるかを争う強敵へと変わる。目まぐるしく変わる世界の1年分を見てきた俺ですらそれを感じ始めていることだから、主演俳優として活躍し続ける役者(ひと)たちは当然それを知り尽くしていて、今日も何処かで芝居を武器に相手(だれか)と戦っているのだろう。

 

 

 

 特に、同世代の“天才女優”によって何度も“居場所”を奪われてきたという堀宮は・・・

 

 

 「・・・霧生は入れそう?」

 

 なんて下らない憶測をする俺の頭を撫でながら、背後から堀宮は志望校の話題を振る。

 

 「えぇ。これでも仕事がないときはちゃんと勉強に時間を割いているんで、何とか行けると思います」

 「へぇ~調子よさげっぽいじゃん。これで本当に受かったら学校でも“先輩後輩”になれるねあたしたち?」

 

 ちなみに堀宮は霧生学園高等学校の芸能コースに在籍しているためこれでもし俺が霧生に受かった場合、彼女は文字通り学校の先輩になる。言うまでもなく、互いにこの話は既に知っている。

 

 「・・・そういうことになりますね」

 

 こうして頭を撫でられている俺は、堀宮がそこに通っていることを知った上で霧生学園を志望している。もちろんこれは同じ事務所にいる気の合う先輩がいるからとかではなく、あくまで自由な校風と学校側の判断によっては文字通り“俳優活動に専念”したまま進級及び卒業できるという校則に惹かれたからだ。更に海堂曰く、学費の一部は事務所が負担してくれるというオマケ付き。

 

 「あれ?あんまり嬉しくなさそう」

 「そんなことないですよ。ただ学校でもこんな感じで絡まれると恥ずかしいってだけで」

 

 こんな感じで効率を重視している心を知ってか知らずか核心に近い部分をついてきた堀宮に、俺は正直に自分の気持ちを伝える。もちろん堀宮だとか一緒に受けることになっている蓮も含めて馬が合う人が同じ学校にいることは嬉しい反面、傍からこんな姿を見られるのはこれといった理由はないがやっぱり恥ずかしさが勝ってしまう。

 

 「恥ずかしいって、それはちょっとヒドくない?

 

 とりあえずいつもと変わらない調子で本音を伝えたら、思った以上に本気の感情となって返ってきた。無邪気な笑みと声色はそのままだが、背後から伝わる本気の視線と空気の微妙な違いが僅かな重みとなって心を突く。

 

 「言い方が悪かったですね。俺が言いたいのは、いまみたいに頭を撫でるのを人前でやるのはやめて欲しいってことです」

 「えぇ~いいじゃんあたしたち“仲良し”なんだからさぁ、これぐらいのスキンシップする人なんてフツーにどこでもいるでしょ?それに学年も違ければお互いに芸能活動も忙しくなるだろうし、言うほど学校で会う機会は少ないと思うよ?(あたしはほんのちょっと寂しいけど)」

 「そうかもしれないけど俺は恥ずかしいんですよ」

 「何で?どういうふうに?」

 「どうって・・・特にこれといった理由はないですけど」

 「理由がないならよくない?」

 「杏子さんは良くても俺的には良くないんで、そこはすいません」

 「逆にさとるは何で嫌なの?例えば“お子様扱いされてるみたいでヤダー”的な感じ?」

 「(一応そういう自覚はあんのか・・・?)じゃあ・・・そういうことでいいですよ」

 

 言葉足らずだったことに気付いた俺が動揺を隠して平然を装いながら足りない部分を補うと機嫌はすぐに元通りになったが、今度は元通りになったらなったで質問攻めを食らう。こうなったらそれなりにめんどくさいが、ここで折れてしまったらそれこそ“いいように使われるだけの言いなり”と同じだから相手が先輩だろうと自分を貫くべきところは貫き、観念するまでやり過ごす。これもまた、堀宮からの“ダル絡み”を何度も経験して身に着いたほぼ何の役にも立たない知恵のようなものだ。

 

 「・・・“従順そう”に見えて意外と強情なんだよな~さとるって(そういうとこもカワイイけど)」

 

 しょうもない押し問答が幾らか続いたところで観念した堀宮は俺の頭から手を放し、再び自分の座っていたイスに戻るや否やテーブルに突っ伏し向かって正面にいる俺の顔を見つめる。

 

 「“従順そう”って何なんすか・・・」

 

 サラッとした亜麻(あま)色のミディアムヘアに可愛さとクールさが合わさった小さく可憐な顔立ちに、一番のトレードマークでもある青空のように澄んだ碧眼。もうすっかり見慣れてしまったから平然としていられるが、薄手の黒いジャンパーと無地の白Tシャツ、下はジーンズというザ・普段着な服装でただテーブルに突っ伏しながら正面の位置にいる俺に視線を送っているだけなのに、それでもまるで写真集の中にある1枚を見ているように見える鮮やかさは同業者の身からしても中々だと思う。

 

 もちろん堀宮の女優(やくしゃ)としての一番の個性(みりょく)は“ヒロイン”という感じの見た目と“メソッド演技”を武器にした没入度の深い芝居のギャップなのだが、残念ながら彼女の本来の良さは今のところ世間には伝わりきっていない。

 

 “『なぁ夕野。シェアウォーターのCMに出てる堀宮杏子って女優、超カワイイよな』”

 

 ついでに余談として牧のことを子役時代からずっとファンとして追っかけていたという有島は、堀宮の出演しているシェアウォーターのCMをリアルタイムで目の当たりにするや否や一瞬で彼女に揺らぎ始めた。こんなことを言うと色々と面倒な文句を言われそうだから心に留めておくが、所詮は有島(あいつ)とて好きな女優の好みはその都度変わる“ミーハー”だということだ。

 

 ただ、女子としての堀宮の魅力を知っている同じ“男子”としてその気持ちは分からなくはないが。

 

 「わかったわかった・・・じゃああたしがさとるの頭を撫でるのは“2人きり”のときだけってことでどう?“マジのマジのマジ”で約束するから」

 「・・・“マジ”を3回も言う必要なんてあります?」

 「それだけ“本気”って意味だよ。ほら、“本気と書いてマジ”ってどっかの誰かも言ってたみたいにさ?」

 「・・・はぁ」

 

 その堀宮は突っ伏した体勢のまま、写真集の1枚と同じような笑みで“マジのマジのマジ”というややゴリ押した理論で約束をこぎ着ける。

 

 「・・・分かりました。じゃあそれでお願いします」

 

 もちろん堀宮が俺の頭を撫でるのは “純粋”な善意だということはとっくに知っているから恥ずかしいけれどそれを断る理由はないし、”人の善意“を踏みにじるような真似なんてしたくもない。

 

 「サンクスさとる!」

 

 渋々と約束を引き受けた俺に堀宮は起き上がりながら元気よく感謝を告げると、小指を立てたまま俺へと右手を差し伸べる。

 

 「・・・何ですか?」

 「見て分からない?指切りげんまん」

 「いや、普通に見れば分かりますよ」

 

 そして差し出された右手に渋々と同じように小指を立てながら右手を差し伸べると、俺の右手の小指に堀宮の小指が絡む。

 

 「指切りする前に超どうでもいいこと言っていいかな?」

 「はい。別にいいですけど」

 「実はあたし、男子とこうやって指切りするの初めてなんだ・・・・・・どうでもいいでしょ?」

 

 

 

 “『・・・っていうか当たり前だよこうやって人と手を繋ぐこと自体が私も初めてだから』”

 

 

 

 「・・・どうでもいいですね」

 「あれ?何か思ってたリアクションと違う」

 

 指切りの状態のまま打ち明けられたどうでもいいカミングアウトで蓮と“恋人繋ぎ”をした昨日の光景が不意に頭に浮かんで曖昧なリアクションになった俺を、堀宮が軽く意表を突かれたと言いたげな表情で見つめる。

 

 「俺も初めてですよ。女子と指切りするのは・・・

 

 思えば俺もこうやって女子と指切りをするのは初めてだ。役者になる前から接点のあった唯一の“女子”でもある蓮とは何気にこういう形で約束をしたことは一度もない。そもそも小6のときに蓮が転校してくるまで友達と言える存在が1人もいなかった俺にとって、今のところ“指切りげんまん”をしたのは有島と初めて映画(ビデオ)の貸し借りをしたときの一回だけだ。

 

 「・・・じゃあさとるとあたしは“一緒”だ」

 

 そんな俺が“流れ”で同じようにどうでもいいカミングアウトをすると、堀宮は碧眼を輝かせながらクールに笑う。

 

 「“一緒”って、どういうことですか?」

 「“初めて同士”ってことよ。こうやって“異性”と指切りげんまんするのが・・・

 

 少なくともそれは彼女が偶に見せるもう一つの笑顔ではなく、普段通りの偶像と同じ笑顔(かお)だった。

 

 「・・・そういうことですか」

 「てゆーかとりまこの体勢でずっといるの地味にめんどいから早くやろ?」

 「あぁはい」

 

 

 

 ただ、全く同じ笑顔のはずなのに普段と微妙に“何か”が違うような感覚を一瞬だけ覚えたが、この時の俺は“違和感の正体”に気付くことはできなかった。

 

 

 

 「指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます、指切った」

 

 普通に仲の良いクラスメイトと適当な話を駄弁るぐらいのテンションで“ほとんど一方的な約束(指切りげんまん)”をして、右手の小指に絡んだ堀宮の右の小指が離れる。

 

 「どうよ?初めての“指切り”は?」

 「・・・やらされた感がすごいですね」

 「後は?」

 「特にないです」

 

 “異性”との指切りの感想を静かに笑いながら聞いてきた堀宮に、俺は馬鹿正直に本心を伝える。生まれて初めての女子との指切りは、あまりにも“やらされた感”が強くて特にこれといった感情(モノ)は何も生まれず、昨日の“恋人繋ぎ”とは打って変わってあっさりと終わった。

 

 「はぁ~、マジでさとるってあたしに対してドライだよねほんとに。“将大さん”かおまえは?」

 「別に“ドライ”じゃないですよ。自分に正直なだけで(ていうかいま“お前”って・・・)」

 

 こんな具合で“ドライ”な対応で返した俺に、堀宮は明らかにわざとな溜息と共に“お前”呼ばわりして文句を返す。さり気なく“冷徹敏腕マネージャー”の菅生に例えられたり初めて“お前”と呼ばれたりしたが、芸歴2年目で地道に身に着き始めた“スルースキル”でやり過ごす。

 

 「・・・でもさとるのそういうちょっと“冷めてる”ところ、あたしは“らしく”て割と好きだよ

 

 そして一方的にやらされた約束とやや理不尽な文句をスルーでやり過ごす俺に、堀宮はわざとらしくいきなり褒め出すと俺の顔を真っ直ぐな視線で捉えたまま“にっ”と白い歯を出して笑いかけた。

 

 

 

 “・・・・・・いまの顔・・・・・・

 

 

 

 「・・・・・・“らしく”って・・・何なんすか

 

 コンコン_

 

 「失礼します」

 

 俺が良く分からない“心の動揺”を平然で隠しながら堀宮へ言葉を返したタイミングで、俺を含めて2人しかいないミーティングルームにノックと共に20代前半ぐらいの1人の女性が入ってきた。

 

 「おぉ“セーラ”、おつかれちゃん」

 「世良(せら)です。もう間もなく“SONNey”の担当者が事務所(こちら)に来られるとのことです」

 「えっウソ?もうそんな時間?」

 

 堀宮から“セーラ”というあだ名で呼ばれているこの女性は今年の4月から事務所(カイプロ)に入った新人マネージャーの世良(せら)という人で、今は教育係でもある菅生の元でアシスタントとしてマネージャーのノウハウを学んでおり、近いうちに堀宮の専属マネージャーに昇格すると俺は風の噂で聞いている。

 

 補足として俺のマネージャーである菅生曰く、世良は“かなり仕事が出来るほう”らしい。

 

 「ゴメン、この後あたし“SONNEY”の人とCMのことで打ち合わせしなくちゃだからもう出るね」

 「(やっと帰れる)そうですか、お疲れ様です」

 「あれ?なんかちょっと嬉しそう」

 「そんなことないですよ(ヤバい顔に出過ぎたか・・・?)」

 

 打ち合わせの時間が迫りミーティングルームを後にしようとする堀宮に思わず“本音”が顔に出てしまったらしく、案の定笑いながら鋭くツッコまれるという我ながらの不覚。

 

 ちなみに堀宮がこの後に参加する打ち合わせとは、彼女が来年のイメージキャラクターになるということが水面下で決定している世界的な音響機器メーカーで知られる“SONNEY”の音楽プレーヤーのCMに向けたコンセプトを、イメージキャラクターでもある堀宮自身の意見も交えて話し合うとのことらしい。

 

 本当に堀宮は俺と同じ事務所に移籍してからというもの、これまでの下積み(苦労)が嘘のようにとんとん拍子でスターダムを駆け上がり始めている。

 

 

 

 “『お前の本格的な出番は来年だ。ただし・・・来年からは一気に忙しくなるから覚悟しとけ』”

 

 

 

 海堂のあの言葉が本当だとしたら、来年からはいよいよ俺も現実よりも“ カメラや観客”の前にいる時間のほうが圧倒的に増えていくということだろうか。まだ今一つイメージは湧かないけれど、それが役者としての成長に繋がるのであれば多少の“犠牲”を伴うとしても快く引き受けるだけの覚悟は持っているつもりだ。

 

 「じゃあねさとる、また事務所(ここ)かどっかのスタジオで会ったらなんか奢るから」

 「なんで事務所で会う前提なんすか・・・」

 

 マネージャーの世良と一緒に缶ジュースと夏ドラマの企画書を片手にミーティングルームから出て行く堀宮を見送ると、この部屋にいるのは俺一人だけになった。

 

 “・・・帰るか・・・”

 

 いよいよここに留まる理由もなくなった俺は、堀宮から奢りで貰った缶ジュースの残りを一気に飲み干す。

 

 “『・・・・・・ねぇ』”

 

 そして空になった缶ジュースを持つ右手をふと見た瞬間、頭の中に寝言を言いながら爆睡していた堀宮の姿が何故か浮かんだ。

 

 

 

 “『・・・・・・繋いでいい?』”

 

 

 

 夢を見ながら小さく呟いた寝言とリンクして手を繋ごうとするかのように微かに動いた左の掌に、俺は自分の右の掌を近づけ手を繋ごうとした。

 

 “『・・・ん~・・・』”

 

 繋ごうと掌を近づけたところで言葉にならない寝言が聞こえて、俺は我に返った。普通に考えて寝ている人の掌を何の断りもなしに勝手に繋ぐなんて真似は人として気持ちが悪いし、それを差し引いても夢の中で“メイ”を演じきっている堀宮に対してそんなことをするのは“同じ役者としてズルい”と本能的に感じた。

 

 そんなこんなで俺は音を立てないようにそろりと立ち上がって元にいた位置に戻り、海堂から受け取ったドラマの企画書に目を通して2分の残り時間を潰した。

 

 

 

 “・・・なんで手を繋ごうとしたんだろうな・・・俺

 

 あの瞬間、どうして俺は寝言を溢しながら眠っていた堀宮の手を繋ごうとしたのか、考えようとしても分からない。ただ分かっていることがあるとすれば、少なくとも“繋いでいい?”という言葉にただ単純に反応したわけではないということ。

 

 “『じゃあ・・・・・・繋いでみる?』”

 

 手を繋ごうとしたときに俺の頭の中にいたのは“メイ”じゃなくて“”だったということ・・・駄目だ。考えれば考えるほど自分が脳内で思っていたことが分からなくなる。

 

 “だいたい、堀宮ってまあまあ“謎が多い”んだよな・・・”

 

 自分の考えていたことすら分からないならば、他人のことが分からないのは尚更な話だ。このところ事務所の先輩として直接“会っている”回数だけは蓮より多い堀宮においても、例外じゃない。

 

 もちろん同じ事務所の俳優同士として、言ってることがその場のノリでコロコロと変わるようなところがあることや少しだけ抜けている一面があることや俺のことを純粋に後輩として可愛がってくれていること、そして明るくおどけた振る舞いをする裏で女優(ひと)として相当な“覚悟”を心に秘めているということぐらいは分かるようになったつもりだが、

 

 “『・・・牧静流(あいつ)はあたしの“居場所”を目の前で何度もすまし顔で奪い去っていった“(かたき)”だから、この地球上にいる誰よりも最高に“いけ好かない”・・・・・・ってあたしが心の中で思ってたらどうする・・・?』”

 

 “『それってさあ・・・・・・もうデートじゃね?』”

 

 “『・・・何も言うなってことはさあ・・・・・・“超ビッグ”な仕事(オファー)ってこと?』”

 

 偶に見せる無邪気さと不敵さが同居したようなもう一つの素顔(笑み)の真の意味はまだ分からない。

 

 “『はい・・・・・・誠心誠意、引き受けさせていただきます』”

 

 それに海堂から『ユースフル・デイズ』の企画書を渡されたときの“心の内面”が一気に表へと姿を現したような真剣な眼差しと、感情を殺して別の人格になりきるという“処世術”に至っては今日初めて知った。

 

 “『実はあたしもさとると同じでさ・・・本当に感情がどうにかなっちゃいそうになときはああやって抑えているんだ・・・』”

 

 そんな堀宮の持つ肝心の“処世術”は、詳しい内容は聞けずじまいで今日は解散になった。でも、ああいうのは“役者としての在り方”のひとつだと言われたらそれまでのことだから、特別に俺は気に留めてはいない。

 

 結局のところ、俺の中で堀宮は“めんどくさいところもあるけど何だかんだ心の中では尊敬している気の合う先輩”という立ち位置に過ぎないからだ。

 

 “・・・でも・・・

 

 

 

 “『・・・でもさとるのそういうちょっと“冷めてる”ところ、あたしは“らしく”て割と好きだよ』“

 

 

 

 でも、“冷めてるところが“らしく”て割と好きだ”と言って俺に白い歯を見せつけ“にっ”と笑った堀宮の感情(かお)は、シェアウォーターの広告に映る無邪気な笑みやリョージの隣を歩いているときのメイとは比べ物にならないくらい“綺麗”で、相手が女優だとか美人だとかは関係なくただ“純粋”に“可愛い”かった・・・・・・そして“不意打ちの笑顔”を真正面で向けられたときの俺は、思うように言葉が出てこないくらい動揺していた。

 

 どうしてあんなに動揺してしまったのかは、自分でも全然分からないが・・・・・・

 

 

 

 “・・・って、さっきから何を1人で考え込んでんだ俺”

 

 特にこれといった用事も仕事もないのにただ一人ミーティングルームで何の役にも立たない“絵空事”のようなことを考え込んでいる自分に気付き、ふと我に返る。本当に俺は、こんな誰もいないミーティングルームで何を1人で勝手に考え込んで勝手に時間を浪費しているのだろう・・・こういう時ばかりは、家に帰って大人しく“勉強”をした方が良さそうだ。

 

 “・・・そういえば堀宮にまだ“蓮”のこと話してなかった気がするけど・・・別に今はいいか・・・”

 

 堀宮に“幼馴染”の正体をまだ教えていないことを頭の片隅で考えながら、憬はミーティングルームを後にして帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2001年_3月某日_お台場_

 

 「本日はお忙しい所わざわざ“レインボーブリッジの向こう側”までお越し頂いて本当にありがとうございます皆さま」

 

 時は飛んで2001年3月某日。東京のお台場にそびえ立つ民放テレビ局の大会議室でプロデューサーの上地亮(かみじとおる)は、制作に携わる関係者を一同に集めて自らが企画したドラマの制作会議を開き熱弁を振るっていた。

 

 「_ということで以上の4名がこのドラマの主要(メイン)キャストになります。まだ芸歴2年目ながら既に連続ドラマや映画で主演を務めた経験のある神波新太役の“”はともかく、他の3人は三者三様で飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍し始めているとはいえプライム帯のドラマでメインを飾るにはまだ知名度と数字に不安がある点はあるかもしれませんが・・・・・・このドラマが最終回(フィナーレ)を迎えるころには4人とも替えの利かない比類なき俳優(スター)としてこのドラマと共に“名を残している”ことを、わたくしが身を持って“保証”いたします

 

 水面下で実に1年半もの月日をかけて企画されてきたそのドラマは、何度もお蔵入りの危機に陥りかけながらも上地や周囲の協力者たちの手によってようやく日の目を見ることとなった。

 

 「さて皆さん。これから先の“20年”を牽引していく “21世紀の俳優”たちと一緒に・・・・・・“新時代”という歴史を創ってみませんか?

 

 ドラマのタイトルは、『ユースフル・デイズ』。そしてこのドラマの撮影を通じて主要キャスト4人はそれぞれ役者としての“試練”にぶち当たることになるのだが、それはまだ少しだけ先の話。




そういや上地Pを登場させたのってすげー久々な気がする。そして登場させるのが久しぶり過ぎて若干キャラを忘れてる感が否めん・・・・・・相変わらずぶっ飛んだキャラを書くの本当に苦手なんですよね、僕。

というわけで物語の時系列は一旦2018年(現在)に戻ります。ついでに、chapter3.5は次回で終わります。


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scene.70 馬橋公園

 2018年_9月2日_馬橋公園_

 

 「もう大丈夫か?夕野?」

 「あぁ、おかげさまで完全に落ち着いた」

 

 昼下がりの馬橋公園。突如として襲い掛かってきた走馬灯とも似つかない無秩序な記憶と夢が混合したかのような説明も理解もしようがない光景が頭の中で広がった俺は、軽くパニックを起こした状態になり天知に連れられる恰好で赤レンガで建てられたパーゴラのベンチへと向かい、そこで混乱していた思考回路を落ち着かせていた。

 

 「帰りはどうする?車を用意して欲しいなら僕のほうで連絡して出しても構わないけれどね?」

 「いやいい・・・せっかくの“休日”だ、こんな野暮用であんたの部下が呼び出されるのも申し訳ない」

 「お気遣いありがとうございます」

 「あんたには言ってない

 

 無論、頭が混乱しだした辺りからベンチに着くまでの記憶はほとんどなく、感覚的にはほぼ瞬間移動したに等しい状況だ。

 

 「ただ僕としてはそんな状態で君が本当に帰れるのか、少しばかり心配ですよ」

 「珍しいな。天知さんが心配してくれるなんて」

 「またパニックを起こして路上で倒れたりなんて問題を起こされたら、君の作家活動を支援(バックアップ)している“”も“とばっちり”は避けられないからね」

 「こんな“憩いの場”で“守銭奴の戯言”だけは聞きたくなかったな」

 

 ひとまずベンチに座り平常に戻った俺に、1人分のスペースを空けて右隣に座る天知は一旦プロデューサーとしての“仮面”で感情に蓋をして“がめつい”話で軽く煽る。言われなくとも、このタイミングで俺が路上で倒れるなんて真似をしたら回り回って墨字の映画製作にも少なからず影響が出てくるだろうから、ちゃんと自分の状態を理解した上で俺は大丈夫だと言っている。ただ天知がどうなろうと知ったことではないが。

 

 「・・・この公園に入る前、夕野は僕に馬橋公園(ここ)へ来るのはさっき昼食(ランチ)を食べた喫茶店と同じだと言っていたが・・・その時も今みたいな現象に襲われたのかい?

 

 そしてすぐさま“”に戻り、前に馬橋公園(ここ)へ来たときのことを天知は聞いてきた。

 

 「あの時か・・・・・・

 

 馬橋公園。俺は『hole』を全て書き終えたときに喫茶店(アグリス)に寄って“いつものメニュー”を食べた後にここへと立ち寄った。

 

 

 

 土砂降りの馬橋公園の夜。ここで傘もささずにずぶ濡れになって空を見上げる白いワンピースを着た画家の女と、喫茶店のバイト終わりで通りすがったところで偶然その女を見つけた駆け出しの小説家。土砂降りの雨が降る公園で出会うことで、この2人の二十歳(はたち)の歪んだ恋愛が始まる・・・

 

 

 

 「・・・・・・あの話は嘘だ

 

 そんな物語の始まりの舞台となるこの公園に“あの時”立ち寄ったというのは、だ。

 

 「嘘?・・・君が嘘をつくなんて珍しいじゃないか」

 

 嘘を打ち明けた俺に、天知はさっきのお返しとでも言いたげな言葉を返す。

 

 「嘘とは言っても、馬橋公園(ここ)へ向かおうととしていたのは本当だけどな・・・」

 

 この場所に立ち寄ったと言われたら嘘にはなるが、あの日も俺は例の喫茶店であのメニューを食べた後、この場所へと歩みを進めていた。個人的な“ロケハン”で訪れている今日とは理由は少しだけ違っただろうが、あの時の俺もまた『hole』(物語)のことを頭の片隅に浮かべながら“目的地”へと歩みを進めていた。

 

 「それでこの公園の中に足を踏み入れようとしたけど・・・覚えている限りだと入ろうとしたところで俺は引き返した

 「・・・それは何故だい?」

 「・・・それがさ・・・・・・全然覚えてないんだよ、俺

 

 一体なぜ俺はこの場所に足を踏み入れようとしたところで引き返したのか、それは全く覚えていない。もしかしたらさっきのような“現象”が起こっていたかもしれないと言われてみればそうとも考えられるかもしれないが、本当に俺はあの時のことだけはどんなに思い出そうと頭を回転させても思い出せる気配すら感じない。

 

 「・・・もしかしたらついさっきと同じように軽くパニックを起こしそうになって、引き返したのかもしれませんね・・・・・・あくまで僕の憶測ですが

 

 そんなことを頭の中で巡らせていたら、隣から案の定の問いかけが聞こえた。

 

 「・・・そうだと言われたら・・・きっとそうだろうな」

 

 当然そう言われてしまったら、こう答えるしか今の俺にはできない。

 

 「・・・けど・・・思い出せないからと言って考え込むのも疲れたわ

 

 かと言って思い出せる気配すらなさそうな記憶を無理やり掘り起こすのは、かなり疲れる。ただでさえ突然頭を巡った“謎の記憶”で混乱しかけた状態でそんなことをすれば、ついさっきの二の舞になることは避けられないだろう。

 

 

 

 「キャハハハ!

 

 

 

 向かって前方の方からやけに元気のいい笑い声が聞こえて、俺はどこを見るでもなかった視線を声の聞こえた方角へと移す。

 

 “・・・子どもか・・・”

 

 すると視線の先にある広場で、3歳ぐらいの子どもたちが近くで談笑しながらも2人の母親とみられる人から見守られながら遊具で遊んでいる。今は日曜日の昼下がりでちょうど雨も上がったとなれば、子供心はあんなふうに遊びたくなるのだろうか。

 

 

 

 無論、小6まで友達と言える存在が周りにいなかった俺は幼少の頃にあんな感じで誰かと無邪気なままに遊んだことは一度もなく、そのことに寂しさを感じたことだって一度たりともない。

 

 

 

 「・・・子どもという生き物は良いものですね・・・・・・こうして何も考えずただ傍観しているだけで癒される・・・

 

 その光景を暫く無心になって見ていたら、1人分を挟んで右隣に座る天知が目の前に見える広場で無邪気なままにブランコと滑り台を行ったりきたりしながらはしゃぐ子どもたちに視線を送ったまま俺に向けて呟いた。

 

 「・・・天知さんがそんなことを言うとすごく不気味に聞こえるな」

 「偏見が酷いな君は」

 「人の人生を金で図るあんたには言われたくない」

 

 右から聞こえた意味深な呟きを、俺は皮肉で返す。

 

 「少なくとも今こうして遊具で遊んでいる“無邪気な子ども”がここにいる“邪気に塗れた大人の不誠実さ”を目の当たりにしたら・・・さぞ将来に不安を抱くことでしょうね」

 「何一つ上手くないんだよ」

 

 そして返された皮肉を天知はさり気なく“うまいこと”を率いてこれまた皮肉で返す。天知(こいつ)から言われた手前で認めたくはないが、確かにこんな不毛にも程がある大人のやり取りを子どもが見たらまず良い気分はしないだろう。

 

 「ともかく僕たち大人が遠い昔に捨て去った“純粋無垢な感情”を見ていると・・・自分自身のことが随分と“醜く”思えてしまうものです

 「・・・・・・それは言えるな

 

 純粋無垢であるがままで生きる子どもの未来なんて、当事者ですら分からない。そして3歳児の持つ純粋無垢な心はいつしか学校や社会という名の“荒波と縮図”に飲まれていき、その道中にある“反抗期と思春期”を経てありとあらゆる感情を知ってしまうことで自分の中に“醜さ”が芽生え、純粋であるだけでは生きられない身体になってしまう。きっと世界中を探せばそういった縮図に縛られずに生きている人たちに出会えるかもしれないが、悲しいことに世界中の殆どの人間はその縮図の中で何とか自分を保ちながら一日を過ごしている。

 

 言うまでもなく、今こうして無心な素振りをして“純粋無垢な感情”を傍観している俺と天知も、広い括りで見れば縮図という“四角い空”の下で生きている量産型の部類だ。

 

 「生まれたときは皆等しく、愛されたいと泣き笑うだけの赤子だったはずなのに・・・僕たちは何をどう間違ってしまったのか」

 「ほんとにな」

 「おや?愚直さを売りにしていた君もいよいよ“こちら側”につくのかい?」

 「馬鹿か。死んでもあんたみたいな奴と同類にはなりたくないわ一応そういう“自覚”はあったんだな天知さん・・・)」

 

 共に芸能界という異端な世界を経てそれぞれ小説家とプロデューサーになった俺と天知も、生まれた瞬間は全く同じ感情を持つ“子ども”だったはずなのに・・・揃いも揃って随分と醜くなってしまったものだ。

 

 「天知さん・・・・・・人が生きる上での一番の“幸せ”は何だと思う?

 

 隣で座り同じような感情で目の前の広場で遊ぶ子どもたちを見つめる天知に、1ヶ月ぐらい前の取材でブランチのリポーターに言ったのと同じ言葉をぶつける。

 

 「それはもちろん・・・何も知らないことですよね?

 

 俺からの問いに、天知はほとんど間髪を入れないうちに正解となるひとつの答えを告げる。

 

 「あの日の“収録”は責任を持ってこの私が全編に渡ってチェックさせてもらっていますから・・・」

 「・・・知ってる

 

 そもそもあの“収録”が天知の掌の上で動いていたことをとっくに知っている身からすれば、こんな質問は“1+1=”の問題を解くに等しいくらい簡単なことだ。

 

 「30何年か生きてきたなかで、方法は違えど俺たちは喜怒哀楽の中にある無数の感情を手に入れてきた・・・・・・天知さんはどうだったかは知らないけど、俺は“芝居”で得てきたあらゆる感情によって“殺され”ちまった・・・・・・そうして自分が“芝居に殺されて”初めて気付いたのが・・・人が生きる上での一番の“幸せ”は“何も知らない”まま生きるというどうしようもない“机上の空論”ってとこさ・・・

 

 知り合いの中で唯一全く同じ“持論”を持っている隣のプロデューサーに、俺はこの持論に辿り着いた経緯を打ち明けた。特に打ち明けたところで何かが変わるわけではないことは分かりきっているが。

 

 

 

 

 

 

 “『・・・やっぱさとると一緒にいるときが一番楽しいわ、あたし』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・俺はもう行くわ」

 「何だもう帰るのか?」

 「あぁ・・・今日はこれ以上居座っても“収穫”はなさそうだしな」

 

 何分か広場で遊ぶ子どもたちのはしゃぐ様子を何をするでもなく眺めた俺はベンチから立ち上がり、馬橋公園を後にしようと公園の出口へと足を進める。

 

 「・・・このまま帰るくらいなら最後に黒山のいる“事務所”にでも寄ってみるか?ここから歩いてそう遠くないところにあるから気晴らしにでもどうだい?」

 

 出口へと足を進めそそくさと帰ろうとした俺を、天知が呼び止める。実はここから歩いて5分ほどの場所に黒山が1年前に立ち上げた芸能事務所の『スタジオ大黒天』があるのだが、“珍客”のせいで色々と消耗してしまった今はとにかく家に戻って“感情をリセット”したい気分だ。

 

 「行きたければ天知さん1人で勝手に行けばいい。今日はもう“疲れた”からな・・・」

 

 とにかく作家のような自由業をやっていて良かったと思えるのは、こんな感じで自分のペースを保ったまま仕事ができるというところだ。当然その分、サボればサボった分だけのしわ寄せが100%の形で襲ってくるのだが、対価としては雀の涙のように安いものだ。

 

 「それもそうですね・・・・・・これ以上余計な無茶をされてまた何かを起こされたら溜まったものではないので

 「やかましいわ

 

 こうして天知から遠回しに忠告をされた俺は、最初に考えていた予定よりもかなり早い時間帯で阿佐ヶ谷を後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・・・・はぁー」

 

 22階のバルコニー。自炊の買い出しと掃除を終えていつの間にか雲の隙間から西日が覗きだした午後5時過ぎの都心の空と喧騒を眺めながら嗜好品(セッター)の煙を吐き出すと、ふと溜息が漏れた。

 

 “・・・ロクでもない一日だな、今日は”

 

 無理はない。今まで見たこともないようなよく分からない夢から醒めて、“3日目”の雨が降っている空を見てしまったことへの気分転換も兼ねて『hole』のロケハンで阿佐ヶ谷を訪れてみればよりによって“休暇中”の招かねざる客に遭遇し、せっかく辿り着いた一番の“目的地”では頭の中にある回路が暴走したとでも言いたげに“強烈な景色”がフラッシュバックの如く襲い掛かってきたせいでロケハンどころではなくなってしまった。

 

 結局のところ、今日の個人的な“ロケハン”で収穫できたネタは久しぶりに食べた“いつものメニュー”が相も変わらずに美味しかったということぐらいだ。

 

 “・・・何で俺は引き返したんだろうな・・・前に来た時・・・”

 

 一服をしてある程度だけ気分がリラックスできたところで、俺は前に馬橋公園へ向かおうとして入り口で引き返した時のことをもう一度思い出そうとする。

 

 “・・・やっぱり何も思い出せない・・・”

 

 だがやはり、どうして引き返したのかは場所が変わろうが精神が安定しようが全く思い出せる気配すらない。

 

 

 

 “・・・あれ・・・俺は何を見ていたんだ?

 

 

 

 そして次の瞬間には、俺の身に起きた“フラッシュバック”のような景色が何だったのかも忘れていた。思い出そうとしても、朝に見た奇妙な夢と同じように内容は全く思い出せなくなっている。もしかしたらいよいよ俺は33歳にしてボケ始めてきたというか・・・?

 

 “ないな、それは”

 

 いや、夢の内容を思い出せないのは誰だってそうだと自分に言い聞かせ、一口分のタールを吸い込んで空へと吐き出す。ハタチになったばかりの頃は“役に入っているとき以外は絶対に俺は吸わない”と決めていたはずが、今はそんなことなど一切考えずに吸いたい気分になる度にこうやって嗜んでいる。ある意味これは、俺の身体が順調にニコチンによって毒され始めているということだろうか。

 

 無論、そんなことを頭で考えているうちは煙草なんて吸おうとすら思えないようなものなのかもしれないが。

 

 「・・・さすがに減らすか本数・・・」

 

 半分の長さになるまで吸った煙草(セッター)に目をやり、徐に呟く。別に長生きなんてしたいとは思わないが、大作映画のシナリオを考えだした辺りから目に見えて嗜好品に頼る回数が増えている不安定な現状はどうにかしたほうがいいとは薄々思い続けていたところだ。

 

 仮に精神安定剤の如く“こんなもの”に頼り始めている現実がこのところの“不調”に繋がっているとしたら、尚更のことだ。

 

 “・・・今日はこれで終いだな”

 

 そして本日最後の一服を済ませて煙草(セッター)の灯火を消し、リビングに戻りソファーに座り観たい番組があるわけでもないが55型のリモコンを手に取り、電源をつける。特に“テレビっ子”というわけではなく、テレビも好んで観ているわけでもない俺は『二人芝居』(シナリオ)を頭の片隅に置きつつ、ここ2年ほどで急速に勢いをつけ始めているストリーミングサービスで配信されている映画を観ようと専用のボタンに親指を置いた。

 

 『分かってくれ・・・これは(れい)の為なんだ』

 

 躊躇なくそのボタンを押そうとした瞬間、偶然流れていた55型からどこか聞き覚えのある声が耳に入り画面へと意識を移すと、案の定そこには見覚えのある主演(やつ)の顔が映るドラマのCMが流れていた。

 

 “・・・確か”日劇“には初出演だっけか、一色(こいつ)・・・

 

 いま目の前の画面に映っているCMは、“日劇”という日曜夜9時の民放テレビドラマ枠で現在放送中の連続ドラマ『メソッド』の番宣だ。あくまでこのドラマ自体は観ていないので内容は大まかになってしまうが、ストーリーとしては俳優として忙しい日々を送りながらも自分を支えてくれる妻子にも恵まれ公私共に順風満帆そのものだった人気俳優の主人公が、とある映画の撮影で若手女優と“主演と相手役”として役作りと撮影を重ねていく過程で2人がそれぞれ持つ“心の闇”に触れたことで“禁断の恋”が始まっていくというもの。

 

 主人公の人気俳優を演じているのは一色十夜(あいつ)で、主人公と不倫関係になる若手女優を演じているのは堂島光(どうじまひかり)という20代前半の人気女優だ。ちなみに俺は彼女との共演経験はないが、まだ役者としてカメラや観客の前に立っていた頃に人気子役として活躍していたことを俺は覚えている。

 

 『・・・なんで・・・なんで・・・』

 

 自分の部屋の中と思われるベッドの上で1人、膝を抱えて消え入りそうな掠れた声で涙を溜めて受け入れ難い現実を拒絶する若手女優。狙って見るつもりは毛頭なかったが、数秒に過ぎないワンシーンのごく一部が流れただけで芝居の上手さに思わず見入りかける。

 

 “・・・大きくなったな・・・“ヒカリちゃん”・・・”

 

 生憎にもあの頃の俺は主戦場としていた現場が“テレビ以外”だった上に、“ヒカリちゃん”が“堂島光”としてドラマのみならず映画界にも進出し始めて子役から女優へのスターダムを駆け上がったころには俺はもう役者ではなくなっていたこともあり、彼女と共演することは一度もなかった。

 

 “・・・やっぱり若手の成長速度はすごいな・・・”

 

 それにしてもMHKの子供向け番組のメインキャラクターを演じてアイドル的な人気を博していたあの“ヒカリちゃん”が、10年以上の時を経た今ではすっかり20代を代表する演技派女優としてかかせない存在となっているのを見ると、時の流れの早さと残酷さを感じる。

 

 ただ、芝居の世界から離れた今となっては“だからどうした”で済まされてしまう話だが。

 

 『素晴らしい芝居だった。これで司波(しば)ちゃんの最優秀主演男優賞は間違いなしだな』

 『やめてくださいよカントク』

 

 一方で画面の中では晴れてクランクアップを迎えたであろう主人公を映画監督が大袈裟に褒め称え、花束を持つ主人公が何食わぬ顔で謙遜して握手を交わす。

 

 “・・・本当に“画”になるな、一色十夜(あんた)ってやつは・・・

 

 “絶世の美少年”、そして“スターズの王子様”という異名で一世を風靡し名声を欲しいままにしていた10代。“何やかんや”があってスターズを退所して自ら“いばらの道”に突き進むも下積みで着実に役者としての力をつけて再び這い上がった20代。そして生まれ持った“自分の武器”を最大限(フル)に活かしたクールな二枚目や影のあるニヒルな敵役、武器(それ)を逆手に取ったコミカルでアクの強い曲者、果ては狂気に満ちたシリアルキラーやトランスジェンダーに至るまで変幻自在に演じ分ける“カメレオン俳優”として第一線への“完全復活(カムバック)”を遂げた現在

 

 “・・・お互い色々と大変だったよな・・・

 

 役者だった頃の俺と同じくらいかそれ以上に波乱万丈な生き様を経てもなお画面に映るだけで視線が勝手に持っていかれてしまうような存在感と甘いマスクは相変わらずで、そんな生き様が芝居と風格という“背景(バックボーン)”に変換されたことで役者(おとこ)としての“魅力”は寧ろ増しており、“美少年”と呼ばれていた頃と比べても俳優(スター)としての人気が勝るとも劣らないのも頷ける。

 

 少なくとも一色十夜という役者(おとこ)は、“天性”という部分に関しては共演したことのある役者の中でも頭一つ抜きん出ていたと言っても過言ではないぐらい、同じ役者として飛び抜けた存在だった。

 

 

 

 “『サトルはショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?』”

 

 

 

 今にして思えば、よくもまぁあんな王賀美陸と百城千世子の才能と個性を“そのまま足した”ような“怪物”とかつての俺は役者(ライバル)として競い合っていたものだ。そしてただでさえ生まれ持った天性が飛び抜けていたところに下積みで培った“努力”が爆発している現在(いま)の一色は、文句なしで日本の俳優界を背負って立つ存在(ひとり)になっている。

 

 

 

 “『夕野さんは今まさに日本の俳優界を背負って立っているわけですが_』”

 

 

 

 いつかの取材で、どっかのインタビュアーが“あなたは今まさに日本の俳優界を背負って立っているわけですが”と聞いてきたことがあったが、そんなものは今じゃ単なる昔話だ。

 

 それ以前に、少なくとも俺は誰かを超えたいと思って芝居をしても、俳優界を背負って立とうなんて野望を抱いて役者をしていたことは一度たりともなかった。

 

 

 

 ただ純粋に、俺は1秒でも長く芝居(しあわせ)を噛みしめたかっただけだった・・・

 

 

 

 『・・・・・・なにこれ』

 

 そして画面に意識を戻すと、堀宮杏子演じる同じく女優として活躍している主人公の妻が“夫のスキャンダル”を報じるネットニュースをスマートフォンで見て茫然としている場面が映されていた。このドラマ自体は観ていないが、一色と同様に堀宮が出演していること自体は知っている。

 

 “もう17年も前になるのか・・・“あれ”は・・・

 

 一色と堀宮の2人が同じ画面に映ると、どうしても17年前に主要(メイン)キャストとして出演した“あのドラマ”の撮影に臨んでいた頃の記憶がフラッシュバックする。しかも一色と堀宮が演じている芸能人夫婦の娘役として出ているのは、あのドラマで転校生の役を演じていた永瀬(ながせ)あずさの実娘ときたものだから、彼らの活躍をこんな形で目撃するのはただの“視聴者”に成り下がった身分からすれば少しだけ気分は複雑になる。

 

 『答えて・・・ここに書かれてることは、全部本当なの?』

 

 だから俺は、あの頃に役者(ライバル)として競い合っていた“連中”が出ているドラマや映画を冷静に観ることができない。

 

 

 

 “『くれぐれも芝居にだけは溺れないでね・・・・・・憬くん』”

 

 

 

 特に、10年前に死んだ“あいつ”が出ている作品は・・・・・・

 

 

 

 「・・・・・・」

 

 十夜が主演を務めるドラマのCMが終わりバラエティ番組の番宣に画面が切り替わった瞬間、憬はストリーミングサービスのボタンを押した。




プロローグの締めとは思えない味気のない地味な第一部の締め括りとなりましたが、chapter3.5はこれにて終わり、次回から物語は第二部に突入します。

それに伴い拙作は、本日より第二部へ向けた“充電”の関係で1〜2ヶ月ほど休載させて頂きます。遅くも卒業シーズンかチヨコエルの誕生日あたりまでには連載を再開させるつもりでいますので、それまで本編とスピンオフを行き来しておさらいするなどしながらお待ちして頂けると幸いです。

また第二部からはこれまでの日曜のみの投稿から、月金(※週2日投稿ではございません)での投稿に変わります。ただし、肝心の作者が安定の遅筆&書きたいことリストが増える予定のため、ペースはあまり変わらないどころか逆に落ちるかもしれません。ていうか落ちると思います。なるべく頑張りますが、ごめんなさい。

そして最後に、アクタージュSSに求められているであろう需要をことごとく無視して突っ走り続ける自分勝手な物語(スピンオフも含む)をここまで読んで下さった読者の皆さま、本当にご愛読ありがとうございます。こんな変わり種で自分勝手な物語ですが、これからも引き続きよろしくお願いします。


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第二部
#002. 4月1日


お久しブリザード


 2001年_4月1日_東京・渋谷_

 

 この日、“スターズの王子様”の異名を持つ1人の俳優が渋谷の街を“ジャック”した。

 

 

 

 『では早速ですがかつてないほど“一色(いっしょく)に包まれた”渋谷に中継を繋ぎたいと思います。現場の大久保さ~ん』

 『はい!私がいま来ていますのは渋谷のスクランブル交差点前なのですが見てください!なんと!スクランブル交差点から見える全ての広告が今!ひとりの“王子様”によって“一色(いっしょく)”にジャックされています!ご覧の通りスクランブル交差点から見える全ての大型ビジョンで俳優の一色十夜さんが現在出演中の5社のスポンサーのCMが代わる代わるで流れているのを始め、一色十夜さんの広告でスクランブル一帯の看板が埋め尽くされております!更にはあちらご覧いただきたいのですが見えますでしょうか・・・ハイ見えますね!ということで奥のほうに小さく見えます109(マルキュー)には、これまた一色十夜さんがイメージキャラクターを務めてらっしゃるワックスの広告が掲げられているのが確認できます!』

 『いやぁ~これはまたエラいことになってますね~大久保さん?』

 『はい!渋谷の街は今まさに一色十夜ならぬ“十夜一色(とおやいっしょく)”といったところで、ここまで大々的かつ大規模な広告ジャックはもちろん前例がありません!そのあまりの物珍しさに日曜日の真っ昼間という時間帯も相まって渋谷の広告ジャックを聞きつけた人々が一斉に撮影場所を取り合いながらカメラを構えるなど、渋谷のスクランブル交差点やハチ公前はいつも以上に人でごった返しております!』

 『ただでさえ休日の渋谷は人通りが非常に多いのですがこれはもう異様じゃないですか?』

 『そうですねぇ~、少なくとも私はこれまでレポーターを15年ほどやってきたのですが、ここまで人混みの多い渋谷もこれだけ大規模な広告ジャックを目撃したのも初めてです!』

 『一色十夜さんといったら今や“歩く社会現象”と言っても過言ではないほどのカリスマ性と勢いがある“人気俳優(スター)”ですからね。しかも明日に18歳の誕生日を迎えられるとはいえ彼がまだ17歳だって考えると、末恐ろしいですよこれは~』

 『ただパニックとか暴動とか起きなければいいんだけどね?そこだけは心配ですねちょっと』

 『はい、立ち止まってカメラを構えたりしたくなる気持ちは分かりますが、盛り上がるにしてもルールを守るべきところは守ってもらえればといったところですね~、ということで前代未聞となる“渋谷ジャック”が巻き起こるスクランブル交差点前から大久保がお伝えしました!』

 

 

 

 その俳優(おとこ)の名前は、一色十夜(いっしきとおや)。“スターズの王子様”として芸能界で一時代を築いた彼が巻き起こした“4.01渋谷ジャック”は、それから17年が経った現在(いま)(※2018年)でも“伝説”として語り継がれているが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 「えっ?中止?」

 『そうよ。私たちの想定していた以上に人が集まってしまったから、このままあなたが姿を見せようものなら間違いなく怪我人と逮捕者が出るほど渋谷の街は混乱することでしょうしね』

 「ハハッ、オレは新手のテロリストかよ」

 『ある意味、あなたはテロリストより恐ろしいかもしれないわね』

 「それはどーもです」

 『褒めてないわよ

 

 真っ昼間の渋谷がファンと野次馬たちでごった返しているのを他所に、10時から行われていた明後日に撮影するCMのスポンサーとの打ち合わせを終えた十夜は、突然携帯に掛かってきたアリサからの電話に答えながらマネージャーの藤井が運転する車で東京近郊にある“とある場所”へと向かっていた。

 

 『とにかく“野暮用”が済んだら、今日はこのまま“ニチテレ”に15時までに向かうように』

 「ハイハイ直行パターンね・・・でも待って、確か“おしゃれリズム”の収録開始は17時だからそれだとすげぇ時間が有り余りそうだけど大丈夫?」

 

 スポンサーからプレゼントされた最新式の携帯から掛かってきた電話の内容は、この後の15時に109(マルキュー)で行う予定だったゲリライベントが急遽中止になったというものだ。その理由はアリサ曰く単純明快で、渋谷の広告をジャックした“俺の宣伝効果”があまりに凄すぎてご本人が登場しようものなら間違いなく渋谷の街がパニックになって警察沙汰になるらしい。

 

 ていうか、たかが駅前のスクランブルの広告が“俺だけ”になっただけでご本人に会えるわけでもないのに仕事が1つ潰れるほど群がるとか、“お前らは猿か?”ってツッコみたくなってしまうくらい馬鹿げた話だ。

 

 『そこは大丈夫よ。元々ゲリライベントを想定して限界ギリギリまで入り時間を遅らせていたから、私のほうで番組のプロデューサーに頼み込んで調整は済ませたわ』

 「さすが敏腕社長は仕事が早いことで」

 『その前にまず言うことがあるでしょう?』

 「有難うございます。“アリサお母様”」

 『その呼び方はいい加減控えることね、十夜

 

 ということで渋谷の中心で“ファンと野次馬(猿ども)とぶち上がる”おまけの仕事がなくなり、今日の仕事は麹町のニチテレで行われる月末に公開される主演映画の宣伝目的のトークバラエティー番組の収録と、その後に行う同じ映画のインタビューの2本だけになった。普通にスケジュールは入っているから決して暇になったわけじゃないけど、この1年の間でロクに休みを取れてないご身分としては1本分の仕事がなくなっただけで1日分の休みが取れたような気分だ。

 

 『藤井には私から改めて連絡するから、目的地に着いたら十夜のほうで直接伝えてちょうだい』

 「任されよ」

 『とにかく図らずも無理をお願いして迷惑をかけてしまっているから、くれぐれも遅れないように頼むわよ』

 「がってんしょうちのすけ」

 

 アリサからの事務的なやり取りを終えてふと気分をリセットしたくなり右の車窓に視線を向けると、前に住んでいた実家からほど近い場所の飛行場の隣についこの間オープンした巨大なスタジアムが中央分離帯越しにそびえ立っていた。どっかのニュースで言ってたけれど、どうやらここはJリーグのチームのホームスタジアムらしい。

 

 「藤くん、この後のゲリラなくなったから“墓参り”済んだら麹町に直行で」

 「察しております」

 「あと霊園に着いたらアリサさんが電話して欲しいってさ」

 「了解しました」

 

 俺は視線を一旦前に移して、マネージャーの藤井にスケジュールが変わったこととアリサからの伝言を口頭で伝え、中央分離帯の向こう側に見えるスタジアムに視線を再び向ける。

 

 “・・・そういや最近サッカー全然やれてないけどPK決めれるかな・・・”

 

 「しかし、家族の話を滅多にしない十夜さんが“お兄さん”の墓参りに行きたいと言い出すとは・・・」

 

 右側のスタジアムを見てふと麹町で収録するトークバラエティーで1日だけ前倒しの誕生日プレゼントをかけた“PK5本勝負”のことを思い浮かべていた意識に、運転席でハンドルを握る藤井の独り言のような言葉が飛び込んで俺はふと我に返る。

 

 「そんなに珍しいかな?オレがこういうことすんの?」

 「アリサさんも仰ってましたよ。“何か心変わりするようなことでもあったのか”と」

 

 

 

 “・・・ったく、人の家族の心配する暇あるなら自分の家族(ほう)も心配しろよ・・・

 

 

 

 「・・・それ以外には何か言ってた?オレのこと?」

 「いえ、“今のは独り言だから忘れてくれ”と言われただけです」

 「藤くんに言った意味ねぇじゃんアリサさん」

 「言われてみればそうですね。すみません、余計なことを言いました」

 「一周回ってアリサさんへの“煽り”になってるよそれ」

 

 さり気なく社長からの命令を裏切って“煽り”も同然の謝罪をする藤井に言葉を返しながら、心の中で俺と“一色家”との関係を知っているアリサに言い返す。

 

 「・・・やっぱ藤くんは“おもしれぇ”わ」

 「すみません。私には“おもしれぇ”の意味が何一つ思い浮かばないのですが?」

 

 にしても、藤井というマネージャーは“スターズの王子様”とかいうありがた迷惑な異名を持つ事務所の“広告塔”でもある俺や社長のアリサ、そして現場で会う大物や大御所を相手にしても全く物怖じしない。まあ、アリサがつい余計に“ヤンチャ”をしてしまいがちな俺の“ストッパー”として生真面目な先輩マネージャーの杉田*1を差し置いて専属にさせただけあって、マネージャーの類として考えるとかなり癖の強い部類(タイプ)だと俺は勝手に思っている。

 

 「そーいうとこだよ」

 

 ちなみに俺は藤井のただ真面目で仕事ができるだけじゃない癖が強めで“おもしれぇ”ところは人として普通に気に入っているから、藤井のことは親しみを込めて“藤くん”と呼んでいる。皮肉にもそれが社長(アリサ)の思惑通りになってしまっているところは、見なかったことにしておくとして。

 

 「じゃあちょっとだけ寝るから着いたら起こして」

 「このままいけばあと5分ほどで着いてしまいますが?」

 「いいからいいから」

 「・・・承知しました」

 

 そんな藤井に最後の言葉をかけた俺は、仮眠用で持ち歩いている常用のアイマスクで視界を遮断してこの後の墓参りに向けた“瞑想”へと入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 13時10分_府中霊園_

 

 CMの打ち合わせが行われた事務所から車で約50分。ちょうど5年前の今日に“あの人たち”の元を離れてからご無沙汰になっていた兄さんの眠る墓前に、霊園の近くにある花屋で買ったカーネーションを片手に訪れる。もちろん本来の“王子”とはかけ離れたグランジの私服と目元まで深く被ったニット帽で“武装”してきたおかげで、渋谷とは打って変わって何の混乱も起きずにカーネーションを買って霊園に入ることができた。

 

 というより、まずあの“一色十夜”が真っ昼間にお墓参りをしているなんて思ってる連中は余程の物好き以外はいないだろうから、堂々としていれば意外にも普通にバレることなく行動できる。

 

 “こんな遠かったっけここ?”

 

 霊園の中を歩き、兄さんのお墓に辿り着いたところでふとこんなことが頭の中でよぎった。でも思い返せば5年前までは三鷹にあった実家から毎年この日に“あの人たち”に連れられてこの場所に来ていたから、物理的に遠くなってるわけだから当然のことだ。

 

 “・・・まだ来てないな・・・”

 

 兄さんの眠る“一色家之墓”と刻まれたお墓に目を向けると、お供えの花すらなくさっぱりとしている。考えるまでもない話だ。だって“あの人たち”は兄さんが亡くなったという時間、“15時31分”に決まってこの場所を訪れるということを俺は知っているから。

 

 「5年ぶりだな、一夜(かずや)兄さん・・・・・・本当はもっと早くに挨拶しときたかったけど、自分の気持ちを整理してたらあっという間に“5年”も掛かっちゃってさ・・・でも別に兄さんのことを避けてたわけじゃないから、そこは誤解しないでほしい・・・

 

 “あの人たち”から離れてからの5年間ずっと心の奥で“封印していた過去”を呼び覚まして、俺は5年ぶりに兄さんに挨拶をした。

 

 「・・・って何を言っても、“こっちの世界で一度も会ったことがない”オレが来たところで兄さんはあんまり嬉しくはないか・・・

 

 

 

 

 

 

 一色一夜(いっしきかずや)。ちょうど20年前の4月1日(今日)、まだ7歳の“”だった姉さんを置いて“向こうの世界”へと旅立った実の兄。もちろん兄さんが死んだ日にはまだ俺は生まれてなどいなかったから、一夜(この人)のことは写真家の父さんが撮影した遺影となっている実家のグランドピアノを弾く姿と姉さんや“両親(あの人たち)”から聞かされた話でしか知らない。

 

 

 

 “『おかあさん、これ誰?』”

 

 

 

 生前の兄さんは3歳のときに生まれて初めてピアノに触れたことをきっかけに音楽に目覚め、ピアノを弾き始めるとヴァイオリニストとして活躍している姉さんと同じように一気に才能が開花する。そして9歳のときに若手音楽家の登竜門と言われている全日本音楽コンクールのピアノ部門・小学生の部にて史上最年少で金賞を受賞したことで“天才少年”、“小学生ピアニスト”として将来を期待されたが、それから半年後に白血病に侵され、1年近くの闘病の末にちょうど20年前の4月1日に11歳でこの世を去った。

 

 

 

 俺が生まれたのは、それから2年と1日後のことだった。

 

 

 

 “『十夜も弾いてみる?ピアノ?』”

 

 

 

 これは単なる偶然か、はたまた“運命の悪戯”かは分からないけれど、実家のアトリエで作品を創作している合間で母さん(あの人)が弾いていた実家のグランドピアノの音色に物心がつき始めた頃の俺は興味を持ち、兄さんと同じようにピアノに触れて、これまた兄さんと同じように音楽に目覚めた。 

 

 そして俺にとってピアノを弾くことは自分にとって大切な“趣味”の1つになった。当然、あくまで俺の場合は兄さんのような“ガチ”じゃなくてただの趣味だった。そもそも兄さんと姉さんが偶然にも同じ音楽の道に進んでいっただけで音楽一家というわけでもなかったから、本当に色んなことを好きなようにやっていた俺は、家族の“なすがまま”に両親(あの人たち)が創作活動の拠点としている日本とニューヨークを数年おきに行き来する生活を姉さんと共に気ままに続けていた。

 

 ちなみに実家にある推定金額約2000万のグランドピアノは、兄さんが10歳の誕生日を迎えたときにあの人たちが“プレゼント”として買ったものらしい。姉さん曰く、この頃から兄さんは体調を崩すようになり、白血病に侵されていたことが分かったのはグランドピアノをプレゼントされてから僅か1ヶ月後のことだったという。

 

 

 

 “『やっぱり十夜は、一夜の生まれ変わりね』”

 

 

 

 所詮は趣味だとはいえ、幸か不幸か俺はレコードから流れる曲をたった一度だけ聴いただけで旋律の全てを覚えることができる生まれついての“天才”だったようで、それに比例するように死んだ兄さんと同じようにピアノの才能もすぐに開花して、小学校に上がる頃には展覧会の絵(プロムナード)ぐらいの曲ならペダル付きで即興でも弾きこなせるようになっていた。もちろん音楽以外の勉強だとかスポーツも、どんなことも何の苦労もせずに気が付いたら出来るようになっていたから、“普通の生活”はそこそこ楽しかったけど、どこか退屈だった。

 

 だから俺がお気に入りの曲をレコードで聴いてそれを完璧に覚えてピアノで弾くのを本当に嬉しそうに眺めていた母さん(あの人)が俺のことを“一夜の生まれ変わり”だと言って褒めてくれたことがきっかけで、俺の中でピアノは“一番の趣味(生きがい)”になった。そして講師をつけて本格的にピアノを習い始めて1年が経ちコンクールで優勝した兄さんと同学年になった10歳のとき、俺は兄さんが出場したコンクールで銀賞を獲った。

 

 あの頃の俺は誰かと競うとかそういうことを一切考えず、ただただピアノを弾くことを楽しんでいたから、優勝に値する金賞が獲れなかった悔しさは全くなかった。

 

 

 

 “『十夜くんは将来、お兄さんやお姉さんのように音楽の道に進むのかな?』”

 

 

 

 だけれど最初で最後のコンクールが終わった後に待ち受けていたのは、コンクールで賞を獲ったことを恰好のいいネタに仕立て上げ、“一色ファミリーの美少年”として追い始めるようになった“マスコミや業界人(大人たち)”からの視線だった。明らかに周囲のみんなとは“異質”な目を向けられていることを自覚した俺は、自分が“普通”だと信じて疑わなかった環境(せかい)がどれだけ“異常”だったのかを思い知った。

 

 

 

 この頃から、母さん(あの人)が俺を褒めるときによく言っていた“一夜の生まれ変わり”という言葉が自分自身を縛り付ける“呪い”の言葉に聞こえるようになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 「これでもオレさ・・・小っちゃいときは写真の中でピアノを弾いてる兄さんの姿を見て、心の底からカッコイイなって思って憧れてたんだぜ。いつかはオレもあんなふうにピアノを弾けるようになれたらなってさ・・・・・・だからって兄さんのように早死にするのは御免だけど

 

 お墓の花立てにカーネーションを供えながら、俺は5年の間ずっと“封印していた過去”を思い起こしながら目の前に“眠っている”兄さんに語りかける。考えるまでもなく、俺が何を言ったところで言葉は返ってくるはずもない。

 

 「だからひとつだけ教えてくれよ・・・・・・兄さんにとってオレは“あんたの生まれ変わり”なのか?

 

 それでも兄さんの眠るお墓(この場所)に来てしまうと、何かを言いたくて仕方がなくなる。

 

 「・・・・・・何も言ってこないってことは・・・オレはまだまだ“生まれ変わり”のままってことでいいんだな?兄さん?

 

 “あの人たち”から距離を置いたのがちょうど5年前の今日のこと。それから3年が経ち、俺は芸能界を離れた“幼馴染の代役(バーター)”として絶対に入らないと決めていた芸能界に足を踏み入れた。そして “一色家”として一括りにしたがる大人が蔓延っている芸能界という異端な世界で、俺は“華麗なる一族の末っ子”ではなく“一色十夜”として家族の誰もが切り開いて来なかった“俳優(やくしゃ)”という道を歩いている。

 

 こうして自分の道をあるがままに歩き続けて2年弱、この俺を単なる“二世(サラブレッド)”として視る連中は時代遅れの一部の評論家とゴシップとスキャンダルが大好きな“マスコミ(暇人)”ぐらいになった。

 

 

 

 “自分で言うのもアレだけど、“生まれ変わり”にしては上出来だろ?

 

 

 

 「それもそうだよな・・・・・・こんなところで終わるようじゃ、“俺”はあんたの“生まれ変わり”にすらなれてないからな・・・

 

 なんて思い上がるようじゃ、俺はいつまで経っても“二世(サラブレッド)”からは抜け出せない。だから俺は兄さん(あんた)とも姉さんとも違う芝居の世界を“生きがい”にして、明日からも変わらずに歩き続ける。

 

 

 

 “・・・だから天国から指でもくわえて見てろよ兄さん・・・・・・“一色十夜(このオレ)”の活躍を・・・

 

 

 

 ヴゥゥ_ヴゥゥ_

 

 カーネーションを供えて兄さんに限りなく喧嘩を売るに等しい挨拶を済ませたタイミングを図ったかのように、右ポケットに入れていたマナーモードの携帯のバイブレーションが新着メールの着信を知らせる。

 

 “・・・千里(せんり)さん?・・・何でこんな時に・・・”

 

 最新型の折り畳み式の画面を開くと、そこには件名が何も書かれていない千里さんからの新着メールが届いていた。

 

 “・・・まさか・・・

 

 件名のない千里さんからのメールに何やら尋常じゃない“予感”を感じた俺は、急に襲ってきた謎の緊張と共に恐る恐るそのメールを開く。

 

 相変わらず俺の直感は・・・良くも悪くも大抵は“全部”当たるからだ。

 

 

 

 “『_十夜くん。お仕事お疲れ様。城原(きはら)です。無事に千夜子(ちよこ)が生まれました_

 

 

 

 「・・・・・・マジでか

 

 

 

 11歳の天才少年ピアニストが永遠の眠りに就いてからちょうど20年後の4月1日の昼下がりに突然舞い込んできた、新たな生命(いのち)の誕生を告げる文字の知らせ。ふと頭上の空を見上げると、まばらな雲の隙間から覗く太陽の光が、まるで天使が空へと導くかのように俺と目の前で眠る兄さんを照らしていた。

*1
※山吹の専属マネージャー、詳しくはscene21を参照




ということで本日から『或る小説家の物語』、第二部スタートです。よろろすおねがいするます。


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#003. 天使と王子

【人物紹介】

・一色十夜(いっしきとおや)
職業:俳優
生年月日:1983年4月2日生まれ
血液型:AB型
身長:169cm(16歳)→ 171cm(18歳)→ 172cm(現在)



 “・・・なんか・・・身体がやけに重いな・・・”

 

 深層心理(ゆめ)と現実の境界線を行き来する曖昧な意識の中で、俺はベッドから起き上がろうと身体を動かそうとするが、まるで何かに押さえつけられているかのようにこの身体はちっとも動かない。それどころか、瞼を開けて現実に戻ろうとしても肝心の瞼も鉛のように重く、全力で目を開けようとする意識に反して全く言うことを聞いてくれない。

 

 “・・・こんな日に“金縛り”に襲われるなんて・・・今日の運勢は最悪だろうな・・・”

 

 何も焦ることはない。年に2,3回ほどの割合で俺を襲ってくるただの“金縛り”。言葉だけを聞くと怪奇現象(オカルト)のように聞こえるが、こいつは単なる“睡眠麻痺(ナルコレプシー)”の一種だ。とはいえこいつに襲われるということは俺の身体はいま不規則な生活リズムと精神的ストレスで“やられ始めている”ということ。参ったな、今日は“撮休”だからいつもよりスケジュールにゆとりがあるってのに・・・

 

 “考えても見ればここ2,3ヶ月は基本的に“4時起き”が続いてるからな・・・無理はないか・・・”

 

 でも大丈夫。金縛りと言うのは所詮は科学的な現象に過ぎないから、“コツ”さえ掴めば割と簡単に抜け出すことが出来る。その方法は至ってシンプルで、ただ無理に身体を動かそうとせずに深呼吸をすればいいだけだ。こうやって自分の呼吸を意識することによって睡眠状態から徐々に抜け出せて身体が覚醒し、自由に動かせることができる・・・のかは個人の見解だが、俺はそうやって金縛りを解いてきた。

 

 なんてことはない。1年が365日もあるならば、こんな“星占い12位”のような日が月1回ぐらいはあっても不思議じゃない。もちろん、365日を常に星占い1位でハッピーに過ごせたらそれに越したことはないけれど、それはそれでメリハリが無さすぎて味気がない。

 

 やっぱり役者たるもの、多少は日常がギクシャクしているほうが“生きてる”っていう感じがして心地が良い。さて、いつものように呼吸に全神経を集中させて・・・

 

 “・・・あれ?・・・・・・息ができない・・・”

 

 おいおいどうしたFW(フォワード)?ビビッてんのか?いつも金縛りに遭ったときには必ずやっているルーティンじゃないか?何も難しいことはない、ただゆっくりと気分を落ち着かせて深呼吸すればいいんだ。それに今日はイメージキャラクターとして契約している大手証券会社のCMの撮影と、現在放送中&絶賛撮影中の“主演ドラマ”に関連するインタビューだけという“イージー”なスケジュールだから何も焦る必要なんてない。金縛りなんてたかが多くても数分程度のロスタイムにすぎない。だからこれぐらいのこと

 

 “ってマジで息ができねぇ・・・!?

 

 アレ?これマジでヤバいやつじゃないか?だって俺いま普通にベッドの上で金縛りに遭ってるだけで、水中にいるわけでもないし・・・じゃあ何で息が“全くできない”んだ・・・?

 

 “・・・まさかこのまま突然死するのか?・・・俺・・・

 

 そっか、息が出来なくなったってことはもう俺は死ぬってことか。なるほど、稀にニュースとかで聞く“突然死”ってやつは、こんな感じのものなのか。いやでもさ、それが本当だとしたらあまりに呆気ない最期じゃないのかこれ。自分で自分を棚に上げるのは本気で嫌だけど、“芸能人抱かれたい男ランキング5年連続1位”にして同世代の環蓮と並ぶトップ俳優として芸能界に君臨する“一色十夜”の死に様がコレってどうなのよ神様?まぁ俺は優しいから百歩譲ってこのまま死んだとしても受け入れるけど、俺を生き甲斐にしているこの世に取り残されたファンの人たちはどうすんの?本当にこんな死に方をしたら、悲しみに暮れるとかそういうレベルの話じゃなくなってくると思うぜ?と思いつつも、それだけみんなが死んだ俺のことを悲しんでくれたら、不謹慎だけど冥利に尽きるところもあるから、寂しくもあるし嬉しくもあったりする。

 

 

 

 “ちょっと待てよ・・・・・・てことは“千夜子”も置き去りになるわけか・・・

 

 

 

 でも、千夜子と離れ離れになるには、さすがにまだ早いな。だって千夜子、いま女優として凄く頑張ってるし、まだ言葉を喋れるかどうかぐらいの小さかったときから千夜子の成長を視てきたから、せめてあの“天使”がいまの俺と同じくらいの“大人”になるまでは、“女優・百城千世子”の成長を同じ役者として、そして“ただの叔父”として見届けたい。

 

 

 

 “やっぱり俺は・・・・・・こんな中途半端ところで死にたくない

 

 

 

 「・・・・・・そろそろ起きないと死んじゃうよ?王子さま?

 

 急に聞き覚えのある天使の異名を裏切らない甘く透き通った声が意識に届き、俺は声のする方へと思い切り右手を伸ばそうとした。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・ッ!・・・ハァ・・・ハァ・・・」

 

 聞き覚えがあり過ぎる声が聞こえた瞬間、俺の意識は悪夢から覚めたかの如く一瞬で冴えて、止まっていた呼吸も水中から出たときと同じように何の抵抗もなく出来るようになった。どうやら金縛りからは抜けられたみたいだ。本気で焦ったけれど、終わってみればいつもと何ら変わらないことだった。

 

 “・・・ん?”

 

 驚かせやがって・・・と身体を起こそうとしたが、どういう訳か意識ははっきりしても身体はまるで“馬乗り”にされているかのような上からの重みで動けない。

 

 「・・・・・・千夜子・・・何で?

 

 ふと視線と意識を“重み”へと向けると、閉めていたはずのカーテンが開いていて、そこから射し込む光に照らされるように、“祖母”の遺伝子を見事に引き継ぐ煌びやかな白銀の髪とぱっちりした琥珀色の瞳の可憐な“天使”が通っている高校の制服を身に纏い、ベッドで眠る俺の身体に馬乗りになって無駄に綺麗な微笑み(かお)を浮かべながら見下ろしていた。

 

 「やっと起きてくれた。十夜さんが寝坊するなんて珍しいね?」

 「・・・寝坊?」

 

 俺の身体に馬乗りしている“千夜子”を見た瞬間、今までのは“金縛り”じゃなかったことを理解した。それにしても右側から照らす外の世界の光に照らされた千夜子の姿は、当たり前だけど“スターズの天使(百城千世子)”そのものだ。どうして学校の制服を着ているのかは謎だが。

 

 「・・・まず何でお前は俺の身体に馬乗りになってんの?意味が分からないんだけど」

 

 とりあえず今言えることは、大衆(みんな)の知っている百城千世子は男の人の身体に馬乗りになるような真似は絶対にしないということだろう。

 

 「だって“わたし”がどんなに声をかけても身体を揺すっても全然起きてくれなかったからさ。だからこうやって馬乗りになって、鼻を押さえつけてたってわけ。そしたら全然口で呼吸してくれないからこのまま窒息して“死ぬんじゃないか”って一瞬だけ思ったけど、無事に生還できたみたいで何よりだね」

 「冗談抜きで俺が死んだらどうすんだオイ(あと鼻つまむだけなら馬乗りになる必要なくね?)」

 「大丈夫大丈夫、“”は“天使”だから殺したりしないよ?」

 「いやどっからどう見ても“悪魔”だろ

 

 もう説明しなくてもご存じかもしれないが、天使のように綺麗な顔を浮かべながらべッドで眠っていた叔父(おじ)さんを危うく殺しかけた目の前の彼女こそ、表舞台から降りて20年が経った今でもなお伝説的な天才女優として語り継がれている元女優・星アリサが“最高傑作”として送り出す“スターズの天使”にして、Z世代の女優の代表格(アイコン)として大衆を魅了し続ける若手トップ女優・百城千世子(ももしろちよこ)その人である。

 

 「言っとくけど鼻つまんでも起きなかったら“禁じ手”をお見舞いするつもりだったから」

 「“禁じ手”って?」

 「“金的”」

 「天使が“金的”なんて品のないこと言うなよ」

 「だって“いま”は天使じゃないし」

 「さっき自分で自分のこと“天使”って言ってなかったか?」

 

 

 

 本名、城原千夜子(きはらちよこ)。姉でヴァイオリニストの一色小夜子(いっしきさよこ)(現姓:城原(きはら))と義理の兄で作曲家の城原千里(きはらせんり)の娘にして俺の姪であり、“食卓同盟”を結び同じマンションで生活している隣人でもある。

 

 

 

 「もう、寝坊した分際で偉そうに」

 「さっきから寝坊寝坊って、あと何で千夜子は制服着てるんだよ?」

 「何でって、だって今日はわたしの“登校日”だから」

 「・・・・・・あ」

 「やっと分かったかダメ人間

 

 そして起きたら千夜子に馬乗りされていることに加えて3ヶ月ぶりぐらいに見る衣装ではない本物の制服姿のインパクトのせいで頭が混乱していたが、俺はようやく寝る前にアラームをセットするのを忘れていたことと、今日が芸能活動で忙しい千夜子の約3ヶ月ぶりの“登校日”だということを思い出した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2018年9月3日、月曜日。時刻は朝の6時30分。本日の天候は晴れ。

 

 「なにこれ?」

 「見て分からない?スクランブルエッグ」

 「いや見れば分かるけどホントに千夜子が作ったのかこれ?」

 「逆にわたしじゃなかったら心霊か泥棒が作ったってことになっちゃうけど?」

 

 俺の住む2LDKの食卓(ダイニング)に置かれた本日の朝食は、トーストしたパンとマーマレードジャムに、ミニトマトの1つすら添えられていないシンプルな“スクランブルエッグ”のズボラ飯。

 

 「・・・いつもは俺がいないと“ウィーダーゼリー”か“カロリーメート”で朝を済ませてる千夜子にしちゃ頑張ったな」

 

 ちなみにこれでも千夜子が普段作る朝食と比べるとかなり気合が入っているほうだが、俺からしてみれば“リアル10秒メシ”が“ズボラ飯”になっただけだ。ただ見るからに火加減が完璧なスクランブルエッグのおかげで、“天使”の面影はどうにか保たれている。本気を出せばちゃんと美味い料理も普通に作れるぐらいの器用さはあるのに、なんでその労力を“気が向いた”ときにしか使わないのかと俺は叔父としてつい思ってしまう。

 

 ただし、千夜子が偶に気まぐれで作る手料理は使っている食材が“個性派”なせいで逆に“天使の面影”が全くないのだけれど。

 

 「そうでしょ?霧生(本物)の制服着て本物の学校行くの久しぶりだから気合い入れて頑張った」

 「うん、見れば分かるよ」

 「さすがに十夜さんみたいに“モーニング”を作る気にはなれなかったけど」

 

 とまぁ、心の中ではボヤきたくなることこそあるものの、千夜子は本当に女優としてずっと頑張り続けているから、正直なところ千夜子(こいつ)なりにやる気を出して作ってくれただけでも叔父さんは嬉しい。

 

 「そうだ、次から一緒にここで食べる朝ごはんは“交代制”で作るのはどうだ?」

 「そしたらわたしが作るときは食パンとウィーダーとかになるけどいい?」

 「駄目に決まってんだろ。作るなら最低でもこれぐらいの朝食(もの)を作れ」

 「じゃあ十夜さんが寝坊したとき以外は作らない」

 「それって逆に俺が寝坊したら作ってくれるってことか?」

 「別にいいけどその代わり寝坊するたびに容赦なく“蹴り”起こすから」

 「とりあえずどこを“蹴る”つもりなのかは聞かないでおこうホントに“スターズの天使”かこいつ?)」

 

 “百城千世子(天使)”としての仮面を外して俺と家族にしか見せない“城原千世子(ありのまま)”の姿で揶揄いながら甘えてくる千夜子()を相手にしながら、“気合い”を入れて作ったという朝食が並ぶ食卓の席に座る。欲を言えば、せめて今日ぐらいに手の込んだものを俺がいないときにも自分で作って食べてくれたら、叔父さんはもっと嬉しい。無論、強制はできないが。

 

 「美味(うま)(かて)

 「美味(うま)(かて)

 

 そして千夜子がテーブルを挟んだ正面に座ったのを確認し、手を合わせて食事前に必ずやっている“一色家”に伝わる挨拶を唱えて、俺は千夜子の作った朝食を口へ運ぶ。

 

 

 

 そもそもどうして隣の部屋に住む千夜子が俺の部屋に上がってダイニングでこうして一緒に朝食を食べているのか。それは千夜子がいま通っている高校に上がるにあたり隣の部屋で1人暮らしをすることが決まったときに、俺と千夜子の間で取り決めた“食卓同盟”たるものがきっかけだ。

 

 ただ“食卓同盟”と名前だけ聞くと堅苦しいが、これを要約すると俺と千夜子の芸能活動のスケジュールに合わせて互いがそれぞれ朝食か夕食、あるいはそのどちらもを一緒に過ごせる時間と余裕があるときは俺のところで一緒に食卓を囲んでご飯を食べるというもので、今のところ千夜子が高校を卒業する来年の3月までは続くことになっている。言うまでもなく、料理担当はもっぱらこの俺だ。

 

 ちなみにどうして俺の部屋なのかというと、それは千夜子が自分の部屋のキッチンを自分以外の人に使われたくないことに加えて、俺が大の“虫嫌い”だからだ。もちろん千夜子が仕事や撮影で何日、あるいは何週間も部屋を空けるようなことになれば俺が代わりに千夜子の部屋に出入りして餌やりをしているのだが、“ガサゴソ”と不気味な異音を立てる“あの部屋”で夜行性の(けもの)を相手にする時間は未だに慣れず、多少の耐性がついたとはいえ生きた心地は全くしない。

 

 じゃあ隣に住む俺も仕事で餌をやれないときはどうしているのかという話になるが、ご心配なく。2人が各々の芸能活動で帰れないときは千夜子の専属マネージャーの“マクベス”こと眞壁(まかべ)くんが餌を用意して、餌をやる為だけに千夜子の部屋を訪れて俺たちに代わって面倒を見てくれている。もちろん餌はマクベスの自前だから、本人曰くキッチンは一切使ったことがないという。

 

 ついでに言っておくと、千夜子が俺の隣の部屋に住むことになったのは“百城千世子”の生みの親でもあるアリサさんの意向によるものだ。まぁ、普段の千夜子は“努力の鬼”でついつい“自分磨き”にのめり込みすぎて自分の身体が二の次になってしまいがちな危ういところがあるから、規則正しい食生活を心掛けている俺に“世話役”を任せたアリサさんの考えは、結果的に理にかなっていると言わざるを得ない。

 

 過去に“喧嘩別れに近い形でスターズを退所している”俺からしてみれば、身内絡みとはいえ今でも平然とスターズの人間と家族ぐるみのような関係を保っている現状に、時折若干の複雑さを覚えてしまうのだけれど。

 

 

 

 「どう?スクランブルエッグ?」

 「うん、普通に美味しい。甘みと塩味のバランスもちょうどいいし」

 「お気に召してくれて何よりです」

 

 そんなこんなで“スターズの天使(百城千世子)”の名前で若手トップ女優として大衆を魅了している千夜子と時間が取れたときにこうやって食卓を囲んで一緒にご飯を食べる日常は、気が付くともう2年と半年ほど続いている。

 

 「ただ欲を言うとトマトやレタスあたりを添えたら見映えも含めてもっと良くなるだろうな」

 「ほんと十夜さんって色んな野菜(もの)を飾るのが好きだよね」

 「好きというか、やっぱり色鮮やかなほうが食欲とかも湧くしさ。料理ってそういうもんでしょ?」

 「ううん特に」

 「“千夜子のこと”だからそう言うと思ったよ」

 「ていうか別に食べてみて美味かったならそれでいいじゃん」

 「確かにその理論も正しいっちゃ正しいけどさ、料理っていうのはもっとこう奥深くて」

 「話変わるけど十夜さんはアリサさんの手料理とわたしの手料理だったらどっちがいい?」

 「そりゃもちろん考えるまでもなく千夜子だよ(あからさまに“聞きたくねぇ”って顔してるな・・・)」

 「うわ芸能界の“恩人”を差し置いて・・・アリサさんに“十夜さんがアリサさんの手料理は食えたもんじゃない”って言ってたって伝えとこ」

 「それだけはマジでやめろ社会的に殺される

 

 今日の朝はいつもとは違って俺が作る“普通の朝ごはん”ではなくて千夜子が気合いを入れて作ったただの“スクランブルエッグ”とトーストだけれど、味だけはちゃんと美味いから“終わり良ければ総て良し”と言ったところだ。

 

 「・・・でもうるさいくらいにグルメな十夜さんが美味しいって言ってくれると、気合いを入れて作った甲斐があるよ」

 

 もしも一番肝心な味のほうもコケていたとしても、そこに百城千世子が魅せる煌びやかで可憐な“天使の表情(仮面)”よりも一層綺麗で愛おしい“ありのままの千夜子”の何一つ着飾らない笑顔があれば、俺はそれだけで十分すぎるぐらい幸せだ。

 

 「・・・“うるさい”は余計だ」

 「もう、今日の“王子さま”は素直じゃないな~」

 

 こんなふうに互いが“他人を演じる”という異端な世界の孤独を忘れて“普通の人”として食卓を囲んでご飯を食べる瞬間(しあわせ)があるからこそ、俺と千夜子は芝居を心の底から楽しめている。

 

 

 

 “・・・そんなささやかな幸せすらもアリサさんの“思惑”だと知ったら、千夜子は何を思うのだろう・・・

 

 

 

 「ねぇ見て十夜さん」

 「ん?どうした千夜子?」

 

 ふと“アリサさんとの約束”のことを思い浮かべながら朝食を食べ終えると、いつの間にか同じく朝食を食べ終えていた千夜子が椅子に座る俺の隣に立ってこっちを見下ろしていた。

 

 「ちょっとだけいつもと髪型変えてみたんだけどこれならバレないかな?」

 

 隣に立つ千夜子は、いつも学校へ行くときはシンプルな1つ結びでまとめているショートボブの髪をハーフアップにして、テレビや広告でよく見るような“天使の笑み”とは違う“ありのままの笑顔”を俺に向けて浮かべていた。

 

 「とりあえずこれによそ行きのときにかけてる伊達眼鏡をかければ大丈夫なんじゃないか?」

 「ほんとに?」

 「大丈夫じゃなかったらとっくに口出ししてるわ。てか、今までのままでもバレてないのにイメチェンする必要あんのかそれ?」

 「だってショートにしてからずっと学校には1つ結び(あの髪型)で通学してたからそろそろ髪型変えないとバレるかな~って思ってさ」

 「気まぐれかと思ったら意外と真面目だった」

 

 “カモフラージュ”の髪型を変えた理由が普通に真面目だったことはともかく、何気にハーフアップに髪を纏めた千夜子を見るのは初めてだ。

 

 「・・・何かその髪型にするとちょっとだけ大人っぽくなるな」

 「でしょ?これも“千夜子様”の作戦だから」

 「普通そこは“天使様”だろ」

 

 イメージチェンジをした髪型をわざとらしく誇らしげに見せつける千夜子。図に乗りそうだから言葉にも表情にも表さないが何の違和感もなく似合っていて、控えめに言って相変わらず“天使”だということには変わらない。

 

 「だって“天使”のままだとわたしが“百城千世子”だってバレちゃうでしょ?」

 「俺からしてみたらどっちも“千夜子”なのは変わらないけどな」

 

 正直言って、“校則の都合”があるとはいえこれによそ行きの伊達眼鏡をかけただけの変装で今まで誰からも気づかれずに公共交通機関(バス)で通学できていることは、身内の俺でも未だにどこか信じられないところがある。とはいえ、視線誘導などを駆使して意図的に“オーラ”を消すことは俺でも出来るからきっと千夜子も巧くオーラを消しているのだろう。

 

 「そうだよ・・・十夜さんの言う通り、“天使”になって仮面をつけている“百城千世子()”も、“普通の女の子”として十夜さん(あなた)の前に立っている今の“城原千夜子(わたし)”も・・・どっちも“自分(ちよこ)”だから

 「少なくとも明らかに普通じゃない今の“オーラ”を出したら一発でアウトだぞ

 

 なんて勝手に考えている俺を嘲笑うかのように、千夜子はわざと“天使(かめん)の笑み”を浮かべて普段のように揶揄う。

 

 「大丈夫だよ。だってわたしはちゃんと“切り替えて”行動するタイプだから」

 

 こんな感じで千夜子は時々、自分が10年間努力して身に付けた“プロ意識”を俺に見せつけてくる。

 

 「そんなことはとっくに知ってるよ・・・

 

 

 

 

 

 

 去年の春。今日の俺とは逆に一度だけ千夜子が寝坊したとき、モーニングコールに出なかった千夜子を起こすためにスペアのカードキーを使って千夜子(となり)の部屋に入ったことがあった。

 

 “・・・これって・・・

 

 そのときにふと、寝る前に片付け忘れたであろう一冊のノートがリビングのテーブルに置かれているのが目に留まった。

 

 “・・・まだ寝てるよな・・・?

 

 自分が寝坊しているなんてつゆ知らずに千夜子が寝室で静かに寝息を立てていることを確認した俺は、本当は“いけないこと”だと分かっていながらそのノートを開いて中身を確かめた。

 

 “・・・千夜子・・・お前・・・

 

 

 

 テーブルに置かれたノートの中に書かれていたのは、“天使”として大衆を虜にし続けている1人の少女がたった1人で抱え続ける、誰よりも一番近くにいる俺にすら打ち明けなかった血の滲むほどの努力の日々が凝縮された“健気な結晶”だった。

 

 

 

 

 

 

 「・・・何さっきからボーっとしてるの十夜さん?」

 「・・・えっ?いや何でもない」

 「何でもないって言うときは大抵何かしら“言いたいこと”がある証拠だよ?」

 

 おっといけない。俺としたことが“あの日”のことを思い出してうわの空になっていた。

 

 「(ホント無駄に勘が鋭いんだよなぁこいつ・・・)・・・そういやこの髪型の千夜子は初めて見るな~って思ってさ、本当にそれだけ」

 「・・・ふ~ん」

 「・・・何?」

 

 とりあえず適当にそれっぽい言い訳で誤魔化してみたが、千夜子は徐に椅子に座る俺に顔を近づけて美術館に置かれた名画を“吟味”するように凝視する。一歩間違えればキスしそうなほどの至近距離に顔を近づけてきたのはともかく、さすがにこれは“あからさま”が過ぎたか?

 

 「だったら最初からそう言えばいいのに」

 「それより顔を近づけた意味はあるのか?」

 「だって十夜さんもわたしによくやってたじゃん」

 「“昔の話”な」

 

 という心配は杞憂だったようで、千夜子は俺の苦し紛れな“言い訳”を素直に受け入れてそのままやや慌ただしく玄関のほうへと歩みを進める。

 

 「じゃあそろそろこっちは支度しないとだから、もう出るね」

 「おう・・・あぁそうだ千夜子、今日は仕事終わりに食材買って帰るから多分だけどお前のほうが絶対早いと思う」

 「おっけー」

 「順調にいけば6時半ぐらいには帰れると思うけど、もし帰りが7時を過ぎそうになったらLIMEするから余ってる冷蔵庫の食材でも使ってなんか作って先に食べといて」

 「りょーかい」

 

 そんな千夜子の後を追って俺は立ち上がり玄関へと向かい、“夕食”のことを伝える。

 

 「いってきます

 「行ってらっしゃい

 

 そして一色(いっしき)の血が流れる人間の中で誰よりも“努力家”な普通の女の子(千夜子)は、玄関で見送る俺にウインクをして扉の外へと出て行った。

 

 

 

 “『わたしって十夜さんみたいな“天才”なんかじゃなくて周りより少しだけ器用なだけの“普通の女の子”だから、これぐらいのことをしないとわたしはこの世界で“主役”になんてなれないんだよ・・・』”

 

 

 

 「・・・ったく、せめて自分の皿ぐらいは片付けていけよ」

 

 千世子がいなくなったダイニングに戻った十夜は、テーブルの上に置きっぱなしにされた皿に向けて“身内”だからこそ言える悪態をつきながら自分の食器と合わせて片付け、自分の支度を済ませた。




仮タイトル『お隣の天使様は王子を許さない』

全国の千世子推しの読者の皆さま、どうかお許しください。だって原作の裏設定に、こんな感じの“隠しコマンド”があってもおかしくないと作者は思いましたので・・・まあ、既にアキラ君と阿笠みみでさり気なく前科はやってるので・・・・・・はい。

ちなみにキャラクター自体は原作の百城千世子と全くの同一人物ですので、“一部のキャラクター”の独白を除いて名前の表記は全て“千世子”とさせていきます。


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#004. 憧れ

【人物紹介】

・百城千世子(ももしろちよこ)
職業:女優
生年月日:2001年4月1日生まれ
血液型:AB型
身長:157cm

本名:城原千夜子(きはらちよこ)


 中野区の一等地に校舎を構え、全国でも数えるほどしかない芸能コースを設ける“芸能人御用達”の進学校、霧生(きりゅう)学園高等学校。この高校の出身者には数多くの著名な芸能人がおり、大手芸能事務所・スターズの社長であると共に“天才女優”として国民的な人気と支持を集めていた元女優・星アリサの息子にして、ウルトラ仮面で今や“ニチアサの顔”となっているスターズが誇る人気イケメン俳優・星アキラ。“芸能人好感度ランキング例年1位”にして“視聴率女王”の異名をもち、今年は既に4本のドラマで主演を務めることが確定し、再来年の大河ドラマ『キネマのうた』で主演であり“日本一の女優”として語り継がれている薬師寺真波(やくしじまなみ)を演じることが発表されたばかりの国民的トップ女優・環蓮。更には5年連続で“芸能人抱かれたい男ランキング1位”に選ばれるほどの甘いマスクと、ただの二枚目に収まらない幅広い演技力を武器にドラマや映画で活躍する“王子”こと、カメレオン俳優・一色十夜の母校としても有名である。

 

 無論、これらの錚々たる顔ぶれはあくまで“ほんの一例”であり、著名な卒業生の数を上げるとキリがない。

 

 「ねぇ、あれって“なっちゃん”じゃない?」

 「嘘・・・ほんとだ学校来てる」

 

 そして現在、そんな著名人(スター)を多数輩出している霧生学園に通っている在校生の中でも特に名前が知られているのは、共に17歳の2人の少女だ。

 

 「やっぱり生で見ると新名(にいな)さんって“オーラ”があるよね~」

 「だって“なっちゃん”は今年の6月にあった道グループ&坂道グループの合同選抜総選挙で毎年上位7位を独占してた道グループ(ライバル)の“七神(しちかみ)”に割って入る3位を取った“紀伊国坂(きのくにざか)のエース”だからね。シングルのセンターは“不動のセンター”って呼ばれてた1期生の“やまち”の7回に次いで5回も取っていて、歌と踊りは紀伊国坂の中でもダントツで上手いし、かわりにトークはちょっと苦手だけどあの歌ってるときとは正反対な“オドオド”した感じのギャップもまた可愛いし、もうなっちゃんしか勝たんわ」

 「あははっ、ほんとマナって新名さんのこと好きだよね」

 「だってなっちゃんは“推し”だから。ファンが“推し”を応援するのは当然でしょ?」

 「それはもちろん。でも寂しくなるよね~、そんな“紀伊国坂のエース”が来月の後楽園ドームのライブで卒業しちゃうなんてさ」

 「うん・・・元々なっちゃんが女優志望なのはファンの間じゃ割と有名な話だったから“推し”としては本当の夢に向かうなっちゃんのことは応援したいけど・・・紀伊国坂で踊ってる姿を拝められるのもとうとう見納めか・・・・・・卒業公演終わったら絶対“ロスる”自信しかないわアタシ」

 「心中お察しします」

 

 

 

 新名夏(にいななつ)。“日本一のアイドルグループ”として知られる桜田通り48(さくらだどおりフォーティーエイト)と双璧をなすアイドルグループ・紀伊国坂46(きのくにざかフォーティーシックス)の2期生メンバーにしてCMの起用数やファンの数も紀伊国坂の現メンバー内では最多の人気を誇る“紀伊国坂のエース”。ファンやメディアからは“なっちゃん”の愛称で親しまれ、アイドル業界の中でも“実力者揃いのアイドルグループ”として知られている紀伊国坂46の中でも歌唱力とダンスの技術は群を抜いており、一昨年に卒業し“不動のセンター”の異名をとった1期生・東山知花(ひがしやまちか)(愛称:やまち)と共に、“今日(こんにち)の紀伊国坂46の人気と栄光はこの2人を無くして語れない”と業界から語られるほどのグループの功労者でもある。

 

 

 

 “・・・あぁぁやばいやばい久しぶりに登校したらなんか色んなところから視線を感じて緊張する・・・・・・いやいや落ち着け、落ち着くんだ新名夏・・・大丈夫、ここにいる人たちはみんな“無害”・・・これまで何万人もの観客(ファン)を前に何度も歌って踊ってきただろ私・・・!

 

 

 

 ただその反面“緊張しい”なところがあり、バラエティー番組などでは不意に話題を振られると緊張してつい“オドオド”とした態度をとってしまうなどフリートークはやや不得手だが、そういった“ちょっとポンコツ”な素の部分も含めて新名夏という偶像(アイドル)、何よりも彼女自身そのものの魅力であり、“スターズの天使”として大衆から愛され続ける若手トップ女優・百城千世子と同じように彼女もまた“紀伊国坂のエース”、そして“なっちゃん”としてアイドルの境界を飛び越えて大衆から愛されている。

 

 

 

 「・・・ねぇ?あれってカナの“推し”じゃない?」

 「えっ?いやいやただでさえ“なっちゃん”でもお腹がいっぱいなぐらいなのにさすがに・・・・・・ってホントに来てる!?」

 「シッ、声がでかいってカナ」

 「だって“千世子ちゃん”だよ?この間の夏休みに突然渋谷に現れてトゥイッターのトレンドを独占した“天使”が私たちと同じ制服を着て霧生(ここ)に来てるんだよ!?・・・ただでさえテレビに映画に引っ張りだこで全然学校に来てなかったから・・・そりゃ驚くって」

 「それを言うならなっちゃんも一緒でしょ・・・でも意外とプライベートの“天使”って地味なんだね?」

 「騙されないでマナ。あれは大人しめな髪型と眼鏡でオーラを消してるだけだから・・・でも、あんな“絶妙に地味な眼鏡*1をかけてもやっぱり可愛さは隠しきれない千世子ちゃん・・・・・・マジ天使

 「カナってたまに人を褒めてるのかディスってるのかわかんなくなるよね」

 

 

 

 百城千世子。“スターズの天使”として活躍する大手芸能事務所・スターズ所属の若手トップ女優。“天使”と称される唯一無二の可憐で煌びやかな出で立ちとは裏腹に、撮影においては自分のカメラ映りや自分を映すカメラの性能を完璧に把握する驚異的な“俯瞰力”も持ち合わせ、時にはその“俯瞰力の高さ”で共演者のNGすらもフォローしてOKシーンとして成立させてしまうほどの役者としての“立ち回り”の巧さや演技に関する器用さは、関係者や評論家からも非常に高く評価されており、そんな彼女の“プロ意識”の高さと“カリスマ性”を慕う同業者も多い。

 

 また女優としての育ての親でもある星アリサが“必ず大衆の心を虜にする私の最高傑作”と称するように、彼女は自分の“商品価値”を完全に理解し、そして“幼く、無邪気で、悪戯で、それでいて美しくあること”がいかに自分を視る“観客”を“”にするのかを熟知している、大衆から愛されるべくして愛された“天使”である。

 

 

 

 “・・・やっぱり“門”の中に入っちゃうとこれぐらいの“変装”じゃ通用しないかー・・・・・・ま、正門に入るまでは誰にも気づかれなかったから今日も“わたしの勝ち”だけどね

 

 

 

 ただし、そんな1人の“女の子”が“天使”として今の地位と人気を確立するに至るまでには密かに重ね続けた10年にも及ぶ“血が滲むほどの努力”が秘められているということは、ごく限られた人しか知らない。

 

 

 

 「・・・ていうかさ・・・“あの2人”が同じ日に霧生(がっこう)に来たのって、いつぶりだっけ?」

 「アタシの記憶が正しかったら・・・・・・4月の始業式以来?」

 「はぇ~・・・これは隕石が降ってくるやつだわ」

 「“自然災害”が起きて大混乱になるのだけは勘弁だよ」

 

 “紀伊国坂のエース”と、“スターズの天使”。誰もが知る2人の人気者(スター)が約5ヶ月ぶりに揃って学校に登校したこの日、霧生学園は静かな高揚と物珍しさを含んだような独特の緊張感に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 “・・・神様仏様天使様・・・どうか屋上に誰もいませんように・・・”

 

 午前中の授業を終えた昼休み。私は周りの人目を気にしながら階段を上った先にある屋上に繋がる扉をそろりそろりと開ける。この学校は珍しく屋上が解放されているから、こうやって“何食わぬ顔”で階段を上って外に出ても、誰一人すら文句を言わない。多分。

 

 “よし!・・・今日は誰もいない・・・”

 

 閉ざされていた扉を開けて、快晴の青空に照らされた学校の屋上にいるのが“自分だけ”だということを知って、思わず安堵する。これまでコンサートや握手会で何千何万のファンの人たちを相手にしてきたはずなのに、未だに私のことを“野次馬のように視る人たち”から無作為に視線を向けられると変に緊張して無駄に疲れてしまう。

 

 “・・・やっぱり休み時間は1人に限る・・・”

 

 自分でも度々、“こんな人見知りでよく紀伊国坂46の“センター”になれたな”って思う瞬間がある。まさに今だってそうだ。

 

 そもそも私は小さい時からみんなでガヤガヤと遊んだり話したりすることが得意じゃない人見知りで、アイドルや業界の“イロハ”を教えてくれた1期生の先輩方や不器用な私を慕ってくれる3期生と4期生の後輩たち、そして時に競いつつも1分1秒を互いに支え合ってきた同期のメンバーと共に応援してくれる観客(ファン)を前に歌って踊り続けていたら改善できたかと言われても、やっぱり根っこにある“人見知り”なところは全く治らず、今日もこうして昼休みに周囲の雑音を避けて屋上で1人、空を見上げている私。あぁ、来世は陽キャかパリピに生まれ変わりたい・・・

 

 “・・・さて、誰も“見てない”ことですしぼちぼちとやりますか・・・”

 

 そんなときはもちろん、“自主練”をするに限る。ていうか、今日だって“そのため”に屋上(ここ)に来た。

 

 “今の出来(まま)で卒業なんてしたら・・・・・・女優になることを許してくれた“みんな”に顔向けできないし・・・

 

 先週のMステ。“最後のセンター”になった私のために冬木(ふゆき)先生が書いてくれた曲なのに、もしかしたら最後のMステになるかもしれないのに、あんまり上手く踊れなかった。みんなは“ちゃんと上手く踊れてた”、“いつも通り輝いてた”って1ヶ月後には卒業してしまう“裏切り者”同然の私のことを労ってくれたし、傍から見たらきっといつも通りに視えていたのかもしれない。

 

 だけど・・・“いつも通り(あんなザマ)”のままじゃ今まで頑張ってきた“5年間”が全部無駄になる。アイドルを卒業してずっと憧れ続けていた“女優”になれるからと手放しで喜ぶような人は、一生“”なんて掴めやしない。

 

 

 

 生半可な覚悟で・・・私はアイドルを辞めるわけじゃない・・・

 

 

 

 「・・・ワン、トゥ、スリー」

 

 自分以外の誰もいない学校の屋上のど真ん中に立って、私はカウントを合図に先週のMステでうまく踊れなかった曲のサビを歌い踊る。

 

 「君 の 心 に 天 使 が 舞 い 降 り た ら ~

 

 

 

 

 

 

 “私の将来の夢は、女優になることです

 

 小学校の卒業文集に書いた将来の夢。これを読んだクラスメイトたちの反応は“えっ?恥ずかしがり屋な夏ちゃんが?”とか、“いやいやなっちゃんに女優さんは無理でしょ“とか、“新名が女優になってる姿なんて想像つかない”とか、ほとんどがバカにするか懐疑的かのどっちかだった。もちろん“そんなことないよ”と言って反論してくれた友達もいたけれど、私は表立って先頭に立つクラスのリーダーのようなタイプでもなければ、隣のクラスにいたカリスマみたいな“独特の存在感”でクラスのみんなから一目置かれていた“孤高の美少女”でもない、クラスで3番目ぐらいに勉強ができること以外は特にこれと言った取り柄のない地味で目立たないただの人見知り。そんな端役(モブ)みたいな子がいきなり“女優になりたい”なんて言い出したら、そりゃあみんなから“嘘だろ?”って思われても仕方なかったし、自分をバカにする言葉に私は何も言い返せなかった。

 

 そもそもあの頃の私は、テレビの中で華々しく活躍する芸能人に憧れておきながら“どうすれば女優になれるか”なんてちっとも分かっていなかったから、言い返せなかったのは当然のことだった。それでも卒業文集の将来の夢に“女優になりたい”と書いたのは、隣のクラスにいた“孤高の美少女(憧れの人)”に少しでも近づきたいと思ってしまった、あまりに無謀な思い上がりだった。

 

 “『こういうのがあるんだけどナツはどうかな?』”

 

 だけれど幸か不幸か、転機はすぐに訪れた。私が思い上がりで卒業文集に書いた将来の夢を知ったお姉ちゃんが、“ちょうど新メンバーを募集している”というオーディションのサイトを見せてくれた。

 

 

 

 “紀伊国坂46_新メンバー募集開始_未完成なキミは_世界で一番美しい_

 

 

 

 そのオーディションは、私が小学生のときからアイドルグループとして超が付くぐらい人気だった“桜田通り48”を中心とした“道グループ”の“ライバル”となる“坂道グループ”の第一弾として誕生したアイドルグループ、“紀伊国坂46”の2期生を募集するオーディションだった。

 

 “・・・女優じゃないんだ・・・

 

 お姉ちゃんからオーディションのことを聞かされたとき、私はあんまり喜べなかった。自分がなりたいと思っているのは女優なのに、どうして私がアイドルなんかと。確かにアイドルもアイドルで華やかで“いいなぁ”と子供心ながらに思っていたこともあったかもしれないけど、それは私にとっては“本当の夢”じゃなかった。

 

 “『なり方が分からないで悩むくらいだったら試しに受けてみればいいじゃん。多分だけど、これはナツが将来の夢を叶えられるまたとない“絶好のチャンス”だって、私は思ってるから』”

 

 それでも勇気を込めて書いた将来の夢を全部肯定して背中を押してくれたお姉ちゃんの言葉が本当に嬉しくて、私は2期生のオーディションを受けることを決めた。お父さんとお母さんも最初に打ち明けたときは少しだけ心配そうだったけど、お姉ちゃんが説得してくれたおかげで私の夢を応援してくれるようになった。

 

 

 

 “『紀伊国坂46、2期生最終オーディション・・・最後の合格者は・・・・・・エントリーNo.99、新名夏。おめでとう』”

 

 

 

 こうして家族総出で背中を押された私は、凄まじい倍率のオーディションを勝ち抜いて晴れて“最年少メンバー”として紀伊国坂46の2期生の1人に抜擢された。正直、2期生入りが決まった瞬間は自分が選ばれた喜びよりも、圧倒的に“えっ?私?”という驚きが大きかった。だって私は2期生に選ばれた同期の誰よりも踊りがぎこちなくて、誰よりも歌が下手くそで、最初から最後まで緊張しっぱなしで、褒めるべきところなんてほとんどなかったからだ。

 

 強いて褒めるところを上げるとしたら、最終オーディションまでに自分の中でやれることは全部やれたことと、どんなに不安と緊張でボロボロになっても“折れずに最後までやり切る”ことが辛うじて出来たぐらいだった。それが精一杯だった。

 

 女優だってアイドルだって、どちらも“一発勝負”で全てが決まってしまう世界。そんな一発勝負の本番を終始“ボロボロ”のまま終えた自分が選ばれたという現実(こと)が、まるで起きたまま夢を見ているように思えて実感が全く湧かなかった。

 

 

 

 “『キミは誰よりも“未完成”だった。だから僕は新名君(キミ)を選んだ』”

 

 

 

 “選ばれた理由”を分からずに困惑していた私に言ってくれた、プロデューサーの冬木先生からの“静かな激励”。

 

 “未完成だから私を選んだ”という冬木先生の言葉は、文字にすると独特に思えて今一つ伝わりづらくなるけれど、何度も不安と緊張で心が押しつぶされそうになりながらもどうにか自分なりに精一杯の力を出し切って合格(ここ)まで辿り着いた過程を経た私には、冬木先生の激励に隠された“意味”がすぐに分かった。

 

 

 

 “未完成な人は、誰よりも前に進める。未完成な人は、どこまでも高く()べる

 

 

 

 2期生の一員としてメンバー入りした私は、冬木先生の言葉を座右の銘にして周りに追いつこうと必死に頑張った。とにかく私は同期の中では誰よりも“実力”がなかったし、決して物事を器用にこなせるタイプの人間じゃないから、誰よりも足りていない実力をつけるために“技術”を磨き上げる作業(こと)に時間を費やした。レッスンがあるときは誰よりも早く稽古場に向かって誰よりも長く振付の練習や体幹を鍛えるトレーニングをして、ボイストレーニングのときは無理やり講師の先生に頼み込み“休日返上”で付き合ってもらったこともあった。

 

 そしてレッスンが終わったら講師の先生や同期の仲間から撮ってもらった課題曲のダンスをしている動画を視て、時には寝る時間すらも犠牲にして改善点を徹底的に分析してノートに書き留めて、それらを元に自分の踊りを修正していく作業を日々続けた。もちろん学校の勉強も疎かになんてしなかった。アイドルになったからと言ってそれ以外のことを蔑ろにしていたら、こんな“未完成”な私を選んでくれた冬木先生(恩師)や一緒に“目標(センター)”を目指して毎日戦っている同期の戦友(ライバル)、そして隣のクラスにいた“憧れの人”を想い続けてここまで頑張ってきた自分を裏切ってしまうことになるから。

 

 それに、どんな形であれ“自分が1番”だということを証明しなければ“本当の夢”が夢のままで終わってしまう気がしたから、アイドルになったからには実力で“トップ”になってみせるということは、座右の銘を頂いた日からずっと決意していた。

 

 

 

 “『あの、皆さん・・・こんな私ですが、ありがたいことに次のシングルでセンターを務めさせていただくことになりました・・・』”

 

 

 

 幸運なことに、努力はそのまま“数字(かたち)”になって私のところに返って来た。14歳のときに初めて選抜メンバーに選ばれてからはずっと選抜(そこ)に定着し、紀伊国坂46がライバルの桜田通り48に次ぐぐらいファンの数も世間からの注目度も上がっていく勢いに後押しされるかのように、高校1年になった頃には“不動のセンター”と呼ばれていた知花先輩やキャプテンの光希(こうき)先輩をはじめとした1期生の先輩方とセンターの座を対等に争えるまでになり、果てには“次期エース最有力候補”とまで言われるようになった。

 

 もちろんそこまで周囲が“期待”をしてくれる領域まで辿り着けたのは私が誰よりも“努力”したからとかじゃなくて、紀伊国坂46を応援してくれている“ファン”の人たちや一緒に戦うチームの仲間たちの支えがあったからだ。

 

 “努力が報われる”人が本当に数えるほどしかいないこの世界で、出会いに恵まれ、出会いを糧にして自分が“やるべきこと”をただ馬鹿みたいにやり続けた“努力(モノ)”が結果になってちゃんと返って来ているアイドル(いま)の私は、これ以上ないくらいの“幸せ者”だなってつくづくと思っていた。

 

 

 

 “『キャプテン(コウ)とわたしが今日まで歩いてきたみんなの5年間を思う存分引っ張ってきたように、 “なっち”は上に1期生(わたしたち)がいるとか関係なく2期生と3期生、そしてこれから入る4期生のみんなを思う存分引っ張っていってほしい・・・・・・紀伊国坂46の“未来”は・・・・・・“なっち”にかかってるから・・・』”

 

 

 

 そして16歳になったばかりのクリスマス。紀伊国坂46の5周年を締めくくるスーパーアリーナ公演が終わった直後、私はこの日の公演をもってグループを卒業する知花先輩から直々に“エース”を託された。アイドルの道に進んでからずっと1つの目標にしてきた、“不動のセンター”としてステージの先頭に立ってキャプテンの光希先輩と共にチームを引っ張る、強くてかっこよくて優しくて芯のある替えの利かない“1人のアイドル”。

 

 

 

 “・・・“女優”になりたかったはずなのに・・・・・・どうして私は“こんなところ”にいるんだろう・・・

 

 

 

 そんな“不動のセンター”の背中に手が届いた先にあったのは、“センター”しか見ることの出来ない綺麗な“満天の星空”だったけれど、“女優になる”という夢を捨てずに“センター”になってしまった私には、目の前に広がる満員の観客が作り上げた“満天の星空”がひどく眩しく見えてしまって、少しだけ息苦しかった。

 

 だけれど再び迷い始めた私の心と反比例して、名実共に国民的アイドルグループとなった紀伊国坂46の勢いはさらに加速していった。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・・・・はぁ~」

 

 曲の一番の見せ場となるサビを歌い踊り終えて真っ先に口からこぼれたのは、力の抜け切った溜息。振付は完璧。歌声だってほとんどブレていない。表情もちゃんと作れている。“問題”は、ない。

 

 そんなもの、選抜に選ばれ続けている以上は常に出来ていて当然のこと。

 

 1か月後に迫る紀伊国坂46にとって念願となる後楽園ドーム公演にして、“紀伊国坂のエース・新名夏”として最後の晴れ舞台。このまま“終わってしまう”ことは私を支えてくれた“みんな”と、託された“未来”を捨ててでも“女優”になる道を選んだ“自分”が許さない。

 

 

 

 “『冬木先生・・・・・・』”

 

 

 

 でも、強気であろうとする自分と同じくらいのエネルギーを持つ得体の知れない“不安”が、冬木先生に“決意”を伝えた日から常に付きまとっている。“全て”を打ち明けて席を譲ったら幾らか気持ちは楽になると思っていたけど、実際は真逆だった。それだけアイドルとして生きてきた“5年”は大きかった。

 

 “・・・こんな複雑に絡んだ思いを抱えたまま“終わり”に向かうくらいなら・・・やっぱり最初から一筋に女優を目指していれば良かったのかな・・・・・・だって女優はアイドルとは違って“1人(ひとり)”だし、そもそも“卒業”なんて残酷な概念も存在しないし・・・

 

 いやいやいや、弱気になるな新名夏。いま抱えている私の悩みなんて、たった1人しか立てない“センター”の座を目指している戦友(ライバル)心情に比べたら、“不動のセンター”として卒業するまでずっとチームを引っ張っていた知花先輩が抱えていた重圧に比べたら、“キャプテン”として結成からずっとチームを支え続けている光希先輩の抱える責任に比べたら、どうしようもないくらいに“ちっぽけ”なものだ。これぐらいのことでウジウジと悩んでいるようじゃ、“紀伊国坂のエース”の名が廃る。

 

 

 

 こんなことで自分にすら負けているようじゃ、“憧れ”の隣になんて永遠に立てない

 

 

 

 「(・・・よし、次は最初から通しでやって)」

 「今日は良い天気だね新名さん

 「うわ゛ぁ゛っ!す、すみませんっ!勝手に屋上を“占領”してしま・・・って・・・」

 

 弱気になりかけていた心をどうにか鼓舞して“自主練”を再開しようとした背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、おおよそアイドルとは思えない“素っ頓狂”なリアクションで謝り倒しながら振り返ると、目の前には私がアイドルになるずっと前から憧れていた“孤高の美少女(天使)”がいた。

 

 「ふふっ、やっぱり“なっちゃん”は視ていて飽きないからついつい声をかけずにはいられなくなっちゃうよ・・・」

 「・・・・・・城原さん」

*1
原作32話にて、千世子がカムパネルラの役作りで悩む夜凪を連れて渋谷でお忍びデートをしたときに変装用としてかけていた眼鏡




※本編に登場するアイドルグループは、実在するアイドルグループとは一切関係ありません。もちろん“Mステ”も同様です。

ちなみに補足として劇中でなっちゃんが歌っていた楽曲のメロディーは以下の通りです。

(B3) (E4) (F4#) (G4#) (G4#) (G4#) (G4#) (B4) (A4) (G4#) (F4#) (D4#) (E4) (F4#) (E4) (D4#) (D4#E4)




自分で言うのも難ですが、ワンフレーズとはいえメロディーと歌詞が天から降ってくる感覚を初めて体感しました。もし万が一全く同じor瓜二つのメロディーの曲があった場合は、差し替えます。


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#005. 隣のクラスの城原さん(あなた)

【人物紹介】

・新名夏(にいななつ)
職業:アイドル
生年月日:2000年12月24日生まれ
血液型:A型
身長:162cm


 “『ねぇ聞いた?転校してきた3組の城原千夜子って子、あの“百城千世子”らしいよ?』”

 

 私がアイドルになるよりも、女優になりたいと卒業文集に夢を書くよりも前の、小学4年の春。隣のクラスに“城原千夜子”という名前の転校生がやってきた。私が通っていた小学校に転校してきたときには彼女はもう“子役”としてそこそこ注目され始めていたけれど、私にとってはあくまで何かのCMで見たことがあるぐらいの認識だったし、あの頃の私はまだ“女優という職業”には将来の夢にしたいと思うほどの憧れは持っていなかったから、“すごい転校生が来たな~”ぐらいにしか思っていなかった。

 

 “・・・どんな人なんだろう・・・

 

 最初(はじまり)は“どんな人なんだろう”という好奇心だった。始業式が終わった後の休み時間、“野次馬その1”みたいな感覚で私は一目見ようと隣のクラスを覗こうとする興味津々なクラスメイトの群れに紛れながら、初めて城原さんをこの眼で見た。

 

 “・・・綺麗・・・

 

 そこにいたのは、転校生に話しかける同じクラスの子たちの輪がすべてただの“背景”になってしまうほどの存在感(オーラ)を放つ、白銀の髪の綺麗な女の子だった。同じ学年どころか学校中にいるクラスの人気者が一斉に束になっても影すら踏み込めないような、私たちとは違う“別世界”から来た“天使”のような女の子だった。

 

 あの日から、城原さんは私にとっての“憧れ”になって、私にとって女優になることが“”になった。

 

 “『オイ、今度のドラマは百城千世子が主役らしいぞ?』”

 

 やがて城原さんは転校してからすぐに百城千世子(人気子役)として連続ドラマで主演を張るまでになり、学校にいるときの姿よりもテレビに映っている姿を見ることのほうが多くなった。そして学校に登校してきたときも、城原さんはクラスメイトの誰とも遊んだり話したりすることもなく、隣の教室で一人になって本を読んでいた。というより、あまりに人気者になり過ぎた彼女に、クラスメイトのみんなが勝手に距離を置くような感じになっていた。ただ、よくよく考えたら“スターズの人気子役”に怪我をさせようものならどうなるか分からないっていうかなり誇張された噂が学校中に流れていたから、そうなるのも無理なかったかもしれない。

 

 だけど城原さんは勝手に自分と距離を置き始めた周囲のことなどどこ吹く風で、淡々とした様子で一日を過ごしていた。どこを切り取ってもドラマのワンシーンみたいに華やかな彼女に私は話しかけようと無謀にも何度か機会を伺ったこともあったけれど、終わってみれば“その他大勢”と同じく彼女の独特な“オーラ”に気負けして、何もアクションを起こせなかった。その度に私は自分が彼女とは何もかもが“正反対”だということに気付かされた。

 

 “・・・どうせ私なんて・・・

 

 私は変わらず城原さんに憧れ続けていた。“百城千世子”が出演している作品はドラマ、映画を問わず鑑賞して、ドラマや映画の宣伝で出演するバラエティー番組まで欠かさずチェックしていた。そうして人気子役・百城千世子として活躍する城原さん、もとい“女優”への憧れは日増しに強くなっていったけれど・・・自分が城原さんと比べるとあまりにも“違いすぎた”ことが心の中で“リミッター”になって、“(ほんね)と向き合う”勇気を邪魔していた。

 

 

 

 “『このハンカチ、あなたのでしょ?』”

 

 

 

 きっかけは本当に些細なことだった。掃除の時間に何かの拍子で自分のハンカチを落としてしまうという漫画みたいに“ベタ”なうっかりをしたときのこと。

 

 “『・・・そう、ですけど・・・どうして?』”

 “『ちょうどあなたのズボンのポケットからハンカチが落ちるのが見えたから』”

 

 私が廊下のどこかで落としたハンカチを、“隣のクラスの城原さん”が拾って渡してきた。ただそれだけのことだった。

 

 “『次からは落とさないようにね』”

 “『はい・・・・・・ありがとうございます』”

 

 これが、小学生のときに城原さんと交わした唯一の会話だった。でも、私が落としたハンカチを拾って渡してきたときの“どこにでもいる女の子”な感じの微笑んだ表情を視た瞬間は、今でも忘れられない。もの凄く変な例えになるけれど、城原さんもちゃんと“私と同じ女の子”なんだということに気付かされた。まぁ、考えるまでもなく城原さんは生まれたときから私と同じ“女子(にんげん)”だから、当たり前の話だけど。

 

 

 

 “・・・そっか・・・・・・勝手に“テレビに出てる人”だとか、“百城千世子”だからとか言って勝手に距離を置いてただけで・・・・・・城原さんも私と同じ“ただの女の子”なんだ・・・

 

 

 

 そして、絶対に近寄ることすらできないと思っていた憧れの存在が目の前で微笑んだ瞬間から、“今”に繋がる私の無謀な“思い上がり”は始まった。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・城原さん」

 

 声が聞こえ振り返った先にいたのは、手を後ろに組みながら初めて会ったときと同じ表情で私に微笑む、“同じクラス”の城原さん。

 

 「その名前で呼ばれるのはほんとに久しぶりだよ」

 「・・・そうなんですね」

 「だって私のことを“城原さん”って呼んでくれるのは新名さんと学校の先生ぐらいだから」

 「確かに、他のみんなは城原さんのことは“百城千世子”としか呼びませんからね・・・」

 

 ちなみに私は彼女のことを学校では“城原さん”という本名で呼んでいる。多分、というか絶対に彼女のことを未だに本名で呼んでいる芸能人は、この学校はおろか地球上で私だけだと思う。

 

 「・・・あと、お久しぶりです」

 

 ただ私はトップアイドルとして、百城千世子こと城原さんはトップ女優としてそれぞれ多忙で彼女を本名で呼ぶ機会は数か月か半年に1回あるかないかぐらいしかないから、実際に会って話してみると何を話したらいいのか分からなくなる。

 

 「えっ?あぁ、そっか。新名さんと会うのは1学期の始業式以来だからね」

 

 “天使”の二つ名に相応しいキラキラした表情で答える城原さんの言うように、私と城原さんがこうやって面と向かって会うのは5ヶ月前の始業式以来。でもあの日はどちらも仕事(スケジュール)の都合で始業式が終わった後すぐに学校を出なければいけなかったから、まともにちゃんと話した機会まで遡るとなると下手したら1年前とかになってしまう。

 

 「中々会えないからね~“私たち”ってさ?」

 「・・・ですね」

 

 ある意味だと、これは“有名人”の宿命みたいなもの・・・って言いきっちゃうと凄く嫌味っぽいから、決めつけるのはやめよう。

 

 「・・・そういえば髪型変えました?」

 「おっ、よく気づいたね」

 「だって、私の知ってる城原さんはハーフアップじゃなくて後ろ髪を1つ結びにしてたから・・・」

 

 とりあえず気まずくさせてしまうのはいけないと思い、私のせいで止まりそうな会話を“少しだけ髪型を変えた城原さん”の話題でどうにか繋げる。街中に飾られたビジョンや看板越しに街ゆく通行人をクールに微笑みながら見つめる“天使”とは違う、大人しめの髪型とお洒落というより“実用的”という単語が合いそうな地味めな伊達眼鏡をかけた、どこにでもいる“普通の女の子”みたいな雰囲気の学校での城原さん。

 

 「よく覚えてるね・・・学校の中で一番話してる新名さんですらとっくに忘れてると思ってたよ」

 

 けれどもどれだけ天使から離れた“武装”をしても、女優・百城千世子として私以上に大衆を虜にしている彼女しか持ち合わせていない“魅力”を前にすれば、全てが“武器”になってしまう城原さんの美しさ。

 

 言ってしまえば、私もそんな彼女の“(推し)”になってしまった1人だ。

 

 「忘れるわけないじゃないですか・・・・・・だって城原さんは子役として活躍していたときからずっと私にとっての一番の“憧れ”ですから・・・これぐらいの変化は気付けて当然です・・・

 

 私の人生観に現在進行形で影響を与え続ける“憧れ”に久しぶりに会えた純粋な嬉しさか、もしくはアイドルとして“最後の壁”にぶち当たっている自分の前に突如現れた“天使”に助けを求めたくなってしまったのか、どっちでもないのかは分からないけれど、私は無意識に言うつもりのなかった“らしくない言葉”を城原さんにぶつけた。

 

 「・・・・・・あ、あの、これは違うんです!いや、違うんですっていうのも違うんですけど・・・」

 

 最悪だ。なに城原さんに対して偉そうな口を叩いているんだこのバカ。身の程っていうのを弁えろ新名夏・・・あぁもう、なんで私はいつもこう・・・

 

 「・・・大丈夫?新名さん?

 

 自分で蒔いた種で頭がいっぱいになった私に、城原さんはいつもと変わらない調子で声をかける。

 

 「・・・ごめんなさい。つい上から目線みたいな言い方を」

 「何で謝るの?私は新名さんからそう言って貰えて本当に嬉しいのに」

 

 そして快晴の空に照らされ輝く天使みたいにふっと笑うと、後ろで組んでいた右手からそっと購買で買ってきたパンを私に差し出す。

 

 「これって」

 「購買で買ってきた。ほんとは授業が終わって事務所に移動する途中でもう一個食べようかなって思って2個買っちゃったけど、やっぱり新名さんにあげる」

 「えっ・・・本当にいいんですか?あの、自分の分はお支払いしますので」

 「いいよいいよ私が余計に買っちゃったってだけだし」

 

 

 

 と、ここで一旦話を遮って補足を挟むが、千世子と新名が通っている霧生学園には購買と学生食堂がそれぞれあるが、どちらも一箇所にしかないため昼休みの時間になると芸能コースとその他のコースの生徒も関係なくこの場所で昼食などを買って食べている。ちなみに同校は髪型や身だしなみといった面に関してはある程度の自由が許されている反面、芸能コースの生徒との写真撮影及びその様子をSNS等に投稿した場合は“校則違反”として最大で半年間の停学処分(悪質性が高いなど場合によっては一発で退学)となり、これを2度行うと問答無用で“退学処分”になるなどモラルの面に関しては非常に厳しくなっており、握手やサイン目的での接触も校則で禁じられている。

 

 それらが影響してか、芸能コースの生徒が購買や食堂を利用しても混乱が起きることはない。

 

 

 

 「それに、“腹が減っては(いくさ)ができぬ”。だからね?

 「・・・すみません・・・では、お言葉に甘えて」

 

 昼を“ウィーダーゼリー”だけで済ませようとしていたことを見抜いたかのような城原さんの笑みに根負けする形で、私は彼女が購買で余計に買ってきたという霧生学園で1,2を争うくらい人気の“トライアングル”を受け取り、隣り合わせになって3メートルほどの高さのあるフェンスを背にして地べたにしゃがみ込む。

 

 

 

 “『こんなところで何してるの新名さん?』”

 

 

 

 思い返せば、城原さんと学校でまともに会って話す機会(とき)はだいたい決まって屋上か中庭か図書室のいずれかで、どっちも私が先にその場所にいてしばらくしたら城原さんがどこからともなくいきなり現れて、こうやって2人で隣り合わせになって話していた。

 

 「あ、そうだ。昨日Mステ見たよ。録画だけど」

 「えっ、本当ですか?」

 「うん。トークは相変わらず“タジタジ”だったけど、曲に入ったら“いつも通り”の安定感でさすがトップアイドルだな~って思った」

 「あはは・・・・・・大変恐縮です」

 

 そして私は左隣の地べたにしゃがんで嬉しそうに先週のMステのことを話す横顔に憧れ続けて、今日までずっと前に進み続けてきた。

 

 「トークのことはツッコまないんだ?」

 「えっ?まぁ、あれはもう言われちゃっても仕方がないというか・・・城原さんなら分かると思いますけど、私ってあんまり話すのが得意なほうじゃないので」

 「それは“なっちゃん”を見てきた人ならみんな知ってるよ」

 「・・・ひょっとしてディスってますか?」

 「ゴメンゴメン、言い方が良くなかったね。でもそういう新名さんの何一つ飾らない“ありのまま”な可愛さ(魅力)があるから、曲が始まってスイッチが入ったときのカッコよさが際立つし・・・何より新名さんは“いまの自分”に満足しないで自分のことをずっと磨き続けられる誰にも負けない“努力家”だから、5年間で誰よりも歌と踊りが上手になった・・・・・・これでひとまずフォローになったかな?」

 「自分のことは特に“努力家”だとは思ってないんですけど・・・城原さんからそう言ってくれると、嬉しいです」

 「あははっ、新名さんは本当に素直だなぁ~」

 「あの・・・揶揄われるのはそんなに得意じゃないというか」

 「別に揶揄ってなんかないよ。ただ私は真っ直ぐで健気な頑張り屋さんのことを見てるとほっとけなくて、ついつい声をかけたくなっちゃうってだけだから」

 「・・・そうですか」

 

 だけど私は未だに、自分だけを見つめるカメラと一緒に人生の半分以上の時間を過ごしている城原さんの本当の気持ちをほんの少ししか分かってあげられずにいる。

 

 「今日だって“先週のMステ”のパフォーマンスが“良くなかった”から、さっきみたいに自主練してたんでしょ?

 「別に・・・完璧でも自主練くらいはしますよ。それが“アイドル”ですから」

 「(“なっちゃん”は分かりやすいな~、まるでどっかの“夜凪さん”みたいに・・・)・・・ふ~ん」

 

 一方で城原さんは、傍から見たら“いつも通り”で全く問題なかった自分に納得していない私の気持ちを、いとも簡単に読み取ってしまう。あの“3分間”の裏側なんて、視聴者の1人にしか過ぎない彼女が知っているはずもないのに。

 

 「それから1ヶ月後には卒業も控えているし、何より後楽園ドーム公演は紀伊国坂46にとっての“念願”でもあるので、少しでもコンディションは上げていかないと私はみんなに迷惑を」

 「やっぱり新名さん焦ってる」 

 「え?」

 「だって視線が分かりやすく右のほうに向いてたから」

 「・・・嘘」

 「嘘じゃないよ。紀伊国坂のメンバーと一緒にいるときまでは知らないけど、少なくとも私と一緒にいるときに今みたいに心配させまいと“つよがる”ときは、決まって新名さんは視線を少しだけ右に逸らす癖があるのはお見通しだからね?」

 

 私が城原さんのことを視ていた時間は、少なくとも彼女が私のことを視ていた時間よりも明らかに多い。

 

 「さすが・・・トップ女優の勘の鋭さは凄いですね

 「・・・新名さん。言っとくけどこれは私が女優だからあなたのことが分かるとか、そんな難しいものじゃないから

 「・・・じゃあ、なんですか?

 

 だけど、せっかく物理的な距離はここまで近づけたのに、城原さんは私にここまで“近づいている”のに、私だけが彼女に憧れを抱いた日からちっとも“近づけていない”。どんなに私が前に進んだとしてもあくまでそれは“アイドルの世界”の中にすぎない話で、“芝居の世界”をたった1人で突き進む彼女との距離は、何一つ縮まっていない。

 

 隣にいる城原さんから感情(こころ)を読まれると、“あの日”から自分だけが一歩も踏み出せていないような気がして、訳もなく悔しさが募る。

 

 「う~ん・・・何て言えばいいのかな・・・・・・敢えて例えるなら、アイドルじゃないときの新名さんのことを、新名さんの家族と紀伊国坂のメンバーの次くらいには知ってるつもりの“推し歴5年”の自信・・・みたいな?」

 

 

 

 でも、城原さん(あなた)が私を視てきた以上に・・・私はあなたを視てきた。いまの私が張り合えるのはそれぐらいの“たった1つ”だけれど、その“たった1つ”が支えになったおかげで世界は違えど私は“先頭”に立てた。

 

 

 「・・・それを言うなら・・・・・・私は“推し歴8年”です・・・

 

 そんなどうしようもなくくだらない心の内側が、思いもよらない言葉として口から溢れた。とりあえず、いまの私は堂々とした顔と視線で城原さんのことを視ている。

 

 「・・・・・・ん?」

 「えっ?」

 

 案の定、頭の上に(はてな)マークが乗っていても全く違和感がないくらいのキョトンとした顔で城原さんは私を見つめる。うん、きっと私はまた意味の分からない“とんちんかん”なことを喋ったのだろう。でも、それを“自覚”したくなくて分からないフリをして誤魔化す。

 

 多分、“自覚”したらその瞬間に恥ずかしさで“悶絶死”するから。

 

 「・・・ちょっと整理するね・・・え~っと、私が“推し歴5年”で、新名さんが・・・何だっけ?」

 「あ、いや、何でもないです」

 「あ~思い出した“推し歴8年”か~・・・で、それがどうかした?」

 「・・・・・・とりあえず“天使”に生意気な口を叩いた無礼者な私の顔を二回ぶってください

 「さすがにトップアイドルの顔に傷を付けるのは“万死に値する行為(こと)だから無理だよ新名さん」

 「世間は許さなくても私は手放しで許しますのでどうぞお構いなく」

 「うん、どっちにしろ私にはデメリットしかないよねこれ?

 

 はい。トップアイドル新名夏、17歳。完全にやらかしました。憧れのトップ女優に“推し歴”でマウントを取るという“痛さ”に、さっきまでトップアイドルらしくストイックに自主練に励んでいた数分前の威厳は何処(いずこ)。ほんと、こんなに情けない有り様でよく“紀伊国坂のエース”になれたよな、新名夏。ある意味天才だよ、新名夏。

 

 「・・・だけど・・・・・・私に“推し歴”でマウントとったときの新名さん・・・すごく“良い表情(かお)”してた

 

 自分が言い放った一言でものの見事に“自滅”した私の眼前に、しゃがみ込んで感情を凝視する城原さんの“天使”みたいな笑みが飛び込んだ。それにしても城原さんは、たまにこうやって独特な“距離の詰め方”を私にしてくる。

 

 

 

 “『ねぇ?あなたが紀伊国坂46の2期生に最年少で選ばれた噂の新名さん?』”

 

 

 

 「・・・“良い表情(かお)”っていったい」

 

 ただこれも、中学1年からずっとクラスメイト同士の関係を続けていたら城原さんはこういう人だっていうのを心が分かり始めたからか、ちょっとだけ慣れてきた。さらに踏み込んで本音を言ってしまえば“推し”からまじまじと見つめられるのは、全然近づけていないのは変わらないけれど私的には“憧れ”との距離が近づいた気がして嬉しかったりする。

 

 もちろん、それを目の前の本人に伝える勇気も度胸もいまの私にはないけれど。

 

 「なんか・・・私を真っ直ぐに見つめてくる新名さんの眼が“自信”に溢れていて、 “アイドル”っていうより“女優さん”って感じがして凛々しかった

 

 だとしても勇気もなければ度胸もない私が私なりに真っ直ぐ歩いてきた、“隣のクラスの城原さん(あなた)”に近づこうと憧れの世界から“遠ざかってきた”日々だけは、自身を持って誇りたい。

 

 

 

 “・・・“女優さん”なんて大袈裟ですよ・・・

 

 “・・・私は“女優”になるために頑張ってますから・・・

 

 

 

 「まぁ・・・私は“女優”になるために頑張ってますから・・・

 

 城原さんから言葉を向けられた私の心の中で、同時に二つの言葉が浮かんだ。いつもの私だったら数秒ほど悩んだ末に前者の言葉を選んでいたはずなのに、なぜか私は何の迷いもせずに後者の言葉を城原さんにぶつけていた。

 

 「・・・私の“本当の夢”は・・・後楽園ドーム(卒業公演)の先にあるので・・・

 

 たまに私の心を支配する自分らしくない“強気な自分”にほんの少しの恥ずかしさを抱きつつ、普段は心の奥に隠し持ったまま身体の中を堂々巡りしている秘めた想いが静かに爆発する。

 

 「・・・なんだ・・・自分でそれを分かっているなら“焦る”必要なんて全然ないじゃん

 「・・・・・・

 

 周囲の言葉に相変わらず一喜一憂しては振り回される“弱い”私に優しく笑いかけながら、目の前でしゃがみ込んでいた城原さんは私の肩を一回だけ優しく押して徐に立ち上がり、再び私の左隣に戻りフェンスに寄りかかる。そんなただ悩めるクラスメイトのことを慰める何気ない一挙手一投足でさえも、城原さんにかかればドラマのワンシーンのように鮮やかに映える。

 

 「新名さんがトップアイドルになれたのは“女優”になりたいっていう本当の夢があって、それを今日まで捨てずに追い続けているからじゃないの?」

 「・・・もちろん。そのつもりでアイドルを続けてきました」

 「だったら無理して“紀伊国坂のエース”で居続けようなんて思って自分を追い込む必要もないよ・・・推し(ファン)が見たいのは周囲(まわり)の期待に応えようと本当の自分を押し殺して疲弊した心で笑顔を振りまく“センター”なんかじゃなくて、“女優になりたい”っていう夢に一直線に突き進んで行く“ありのままのなっちゃん”だから・・・

 

 そう言って隣でずっとしゃがみ込んでいる私には目もくれずに前を向いたまま“アドバイス”を送った城原さんの表情は見たことないくらい大人びていて、口元は微笑んでいたけれど誰もいない屋上を見つめる眼差しは物凄く真剣で、どこか“意味深”に視えた。

 

 同時に右隣へと向けられたはずのその言葉が、“アドバイス”というよりも自分自身に“言い聞かせている”ように私には聞こえた。

 

 

 

 “・・・じゃあ城原さん(あなた)は・・・・・・本当に“ありのままの自分(こころ)”で百城千世子として“生きて”いるの・・・?

 

 

 

 「・・・やっぱり・・・城原さんは本当に強い人ですね。私なんて未だに自分のことだけで精一杯ですから

 

 城原さんと同じように立ち上がってフェンスに寄りかかり、心の中に浮かんだ“本音”を隠して言葉を紡ぐ。本当は私だって知っているつもりだ。周囲(みんな)から“天使”だとずっと言われ続けている城原さんは、きっとその裏で私とは比べものにならないくらいの“努力”を重ねてきたということ。9歳で初めて憧れを抱いた日から彼女が子役から女優になっていく姿をずっと見届けながら紀伊国坂のセンター(トップアイドル)になった私には、いまの“天使”の姿に隠されている裏側のことを“推し”として普通の人よりは分かっている自信がある。

 

 だからこそ、曲がりなりにも同じように“努力”でいまの居場所まで歩いてきたからこそ、私は城原さんの心を容易く肯定することが出来ない。“それ”を全て肯定してしまうと、自分が“憧れの隣”に立てなくなってしまう気がするから。

 

 「・・・それを言うなら私も同じだよ・・・大衆(みんな)は私のことを“天使”とか“美少女”とか言って好いてくれるけど、本当の私は大衆の求めている“百城千世子(わたし)”を演じるだけで精一杯でさ・・・・・・私って演じ分けるのが苦手なんだよね。“女優”のくせに

 

 今まで見せたことのない、私には全く理解の出来ない“何か”を意識して誰もいない空間を睨むように見つめる琥珀の眼差しと、意味深な天使の微笑み(横顔)。もしもここで私が“それは違うと思います”から始まる優しい言葉を隣にかけたら、どんなに楽になるのだろう。

 

 「城原さんにとってはそうだとしても、百城千世子が演じた役は他の女優さんじゃ絶対に務まらないって・・・私は思います

 「当たり前だよ。私って求められてない“他人”を演じるのは人より少しだけ苦手だけど、“自分”に求められている“分身”を演じることは誰よりも得意って自負してるから・・・それすらも否定しちゃうと・・・・・・いまの百城千世子(わたし)は“死んだ”も同然だから・・・

 

 だけど、女優になるということはずっと憧れ追いかけ続けていた“背中”と戦わなくちゃいけなくなるということ。女優になるということは、“憧れ(推し)”が自分にとって最大の“(ライバル)”になってしまう“未来(せかい)”を受け入れなくちゃいけなくなるということ。

 

 「・・・“そんなことない”って言われても無理ですよね・・・・・・女優だろうとアイドルだろうと、“主役”になれるのは“たった1人”だけですから・・・

 

 

 

 それでも私は“女優(主役)になる”と決めたから・・・・・・城原さん(あなた)の抱えている“努力と苦悩”には寄り添えない・・・

 

 

 

 「・・・こんなに自分に“自信”があるんだったら普段からもっと堂々としてればいいのに」

 

 変に強気になっていた意識に、城原さんの煌びやかな微笑みと視線が左隣から飛び込んで私は一気に我に返る。今まで私に見せたことのなかった城原さんの表情を視ていたら、今まで生きていて感じたことすらなかった“新しい感情”で心の中が埋め尽くされて、また私は“らしくない言葉”を吐いていた。

 

 「え・・・あぁ、いや、これはその・・・俗に言う“個人の見解”ですので、気にしないでください・・・」

 

 我に返り言動に気付いた瞬間、本日で何度目かの羞恥心が込み上げる。

 

 「あらら、また“ポンコツモード”のなっちゃんに戻っちゃった」

 「“ポンコツモード”はちょっと酷いと思います、城原さん(言われてもしょうがないけど・・・)」

 

 ほんと、思い上がりにも程があるぞ新名夏。お前はまだ“女優”ですらないくせに、何を偉そうに城原さんに対して“ライバル”みたいに気取って・・・・・・

 

 「ってゴメン、私ったら新名さんの“自主練”思いっきり邪魔してたね」

 「いえそんな!・・・むしろ今日は城原さんからありがたい“アドバイス”を頂けて本当に良かったというか・・・あと“トライアングル(これ)”、ありがとうございました」

 「だからお礼なんて要らないよ。私が余計に買ってきちゃっただけだし・・・とりあえず私はこれで教室に戻るけど、新名さんはどうする?」

 「私は・・・・・・もう少しここで練習します」

 「そっか。練習するのもいいけど、“トライアングル(お昼)”もちゃんと食べてね?」

 「あ、はい!」

 「あと、くれぐれも自主練に集中し過ぎて午後の授業をすっぽかさないようにね?」

 「それはもちろんですよ・・・ていうか、忘れるわけないじゃないですか」

 「ふっ、もうホントに素直で可愛いな~“なっちゃん”は~」

 「揶揄うくらいなら早く戻ってくれませんか・・・練習、したいんで」

 「あぁうん、そうだったね。ごめんごめん・・・じゃあ今度こそ戻るから、お疲れ様」

 「はい。お疲れ様です」

 

 

 

 “・・・ライバル・・・か・・・

 

 

 

 「・・・新名さん」

 「は、はい。何でしょう?」

 

 “自主練を邪魔してしまった”ことを揶揄いを交えながら軽く謝り教室へと戻る間際、城原さんは背を向けたまま私の名前を呼んだ。

 

 「卒業公演・・・行ける保証は出来ないけど応援はしてるから

 「・・・・・・ありがとうございます

 

 背中越しに伝えられた“エール”に自分なりの感謝を返そうとしたけれど、私の口から“ありがとうございます”の先にある二の句が出てくるのを待たずに、城原さんは歩き出して屋上を後にした。

 

 というよりも、城原さんの背中を見た私は何をどう返したらいいのか分からなくなった。

 

 

 

 “『それすらも否定しちゃうと・・・・・・いまの百城千世子(わたし)は“死んだ”も同然だから』”

 

 

 

 髪型だけじゃない。私の知っている城原さんは、この場所には存在しないはずの“何か”を意識した“意味深な表情(かお)”は浮かべなかった。あんなに“何か”を意識した“炎が宿った眼”なんてしなかった。私以外に誰もいないはずの屋上の一点を見つめていた彼女が視ていたのは・・・・・・“”?

 

 

 

 ““誰”って・・・・・・何勝手に決めつけてるんだ私・・・

 

 

 

 千世子の横顔と背中に今まで感じたことのなかった“何か”を感じてしまった新名は、その気持ちを誤魔化すように自主練の続きを始めた。




世間がどれだけ“よなちよ”を推そうとも、俺は“ちよなつ”を推したい。

ちなみに今回のサブタイは、原作56話のオマージュになっています。多分、分かる人は分かるはずです・・・・・・多分。


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#006. 仕事終わり

日本の野球は世界一ィィ!!


 ―今回のドラマでは“メソッド演技”を武器にする主演俳優・司波京一(しばけいいち)という一色さんとしては今までになかった役柄を演じていらっしゃいますが、演じる上でどのような準備や心掛けをしてきましたか?

 

 『まず司波京一はオレみたいな“役は役、自分は自分”という考えとは対極にいる役そのものに“憑依”する人種の役者ですからね。オレにとって司波京一という役者は演じ方も生き様も何もかもが違う“宇宙人”みたいな存在で理解し難い部分ばかりだったから、まだ1話の脚本が出来てない段階から監督に無理言ってプロットを貰って、“オレならコイツをこう演じるけど、お前は?”っていう感じで撮影開始(クランクイン)にかけてじっくり司波()との“対話”を繰り返しながら役への理解を深めて、オレと司波の間にある壁を取っ払っていった感じですね。もちろん演じているときは“役は司波京一、演じているのは一色十夜”として“役と自分はあくまで割り切る”というのは常に心掛けています

 

 ―一色さんは自分とは全く違うとおっしゃっている司波京一ですが、ここは“似ているな”と感じる自分との共通点はありますか?

 

 『何でしょうね?もう根本的に人間が違うので“これ”といったものは思いつかないですね・・・あぁでも、強いて言えば他人が人知れずに抱えている“痛み”とか“心の闇”に敏感で、そういうのを1人で抱え込んじゃってる人を見つけるとつい助け舟を貸したくなるようなところがある、みたいな?・・・多分ですけど、零みたいな子が現実世界で本当に身の回りにいたらオレでもほっとけないと思います。そういう意味では、オレは司波の抱えている苦悩や葛藤がよく分かるんですよ

 

 ―ドラマ『メソッド』のストーリーもいよいよ終盤に差し掛かったわけですが、撮影期間も含めて約半年に及ぶという役作りを経てここまで演じてきた一色さんにとって“司波京一”はどういう存在ですか?

 

 『一言で表すなら“面白い役者(おとこ)”です。『メソッド』のストーリーが進んで行けば行くほど、司波京一という男は“知らない一面”を魅せてくるから掘り下げれば掘り下げるほど分からなくなっていく。だからこそ、“底知れない何か”を抱えた司波を演じていると心の底から()りがいを感じますね。ああいう人種の役者は良いところも悪いところも含めて全部が“生き様”になるという絶対的な魅力がありますから。ただ、司波については人としては“最悪の部類”だなとオレは思いながら演じていますが(笑)

 

 ―最後に、一色さんは今回の『メソッド』が“日劇初出演”ということなのですが、初めて出演する日劇の率直な感想を教えてください。

 

 『やっぱりキャストのみなさんが豪華で実力者揃いなこともあって純粋に楽しいですね。ただその分、共演者が軒並み芝居の上手い方たちばかりなんで、主人公として一人一人の芝居を受け止めながらもオレはオレで誰よりも攻めた芝居をしなくちゃいけないわけだから、撮影はシンプルに疲れます(笑)。でも、本気で疲れたって堂々とこうして愚痴れるってことは、それだけこのドラマの現場の空気を心から“楽しめている”ことだとオレは確信しています。とにかく1つだけ言えるとしたら・・・オレにとって最初の日劇が『メソッド』で本当に良かったな、ってことです

 

 

 

『メソッド』一色十夜インタビュー・「一言で表すなら“面白い役者(おとこ)”です」より抜粋_

 

 

 

 

 

 

 2018年9月3日_午後5時35分_赤坂_

 

 「お勤めご苦労様です。“王子様(ミスタープリンス)”」

 「?・・・・・・なんだ“(しん)ちゃん”か」

 

 赤坂のスタジオで行われたドラマ関連のインタビューを終えて、徒歩2分ほどの場所にある愛車を止めている地下駐車場へ戻ると、30年来の付き合いになる“幼馴染”の芸能プロデューサーの天知心一(あまちしんいち)が俺の愛車の前で待ち伏せるようにして立っていた。

 

 「ホント、お前って奴は神出鬼没だな」

 「先に言っておきますが、私は仕事の都合で“偶然”この場所に居合わせただけですのでお気に召さらず」

 「心ちゃんの言葉に1ミリも“信憑性”が感じられないのは日ごろの行いか?」

 「一色も酷いことを言うようになったな。かつての君は私のことを尊敬はしていなくとも“信頼”だけはしていたはずなのに」

 「“金に取りつかれた悪魔”にまで墜ちた奴をどう信じろっていうんだ?無茶言うなよ」

 

 移動中の変装としてかけているブルーのサングラス越しに、何を考えているかまるで分からない不敵な笑みと無駄にスタイルの良い出で立ちがこの眼に映る。“心ちゃん”こと天知心一という男の芸能プロデューサーとしての腕は超が付くほど一流で、こいつがプロデューサーとして携わった企画は全て大成功を収めているばかりか、“裏で芸能界を牛耳っている”という噂が流れるほどの人脈を持つ言わば“権化”のような存在だ。もちろん、褒めているつもりなど毛頭ない。

 

 「全く、君は誰のおかげで“崖っぷち”からここまで這い上がれたと思っている?」

 「当然“オレの実力”に決まっているだろ。違うか?」

 「ここ最近の君の様子を見て“スターズの王子様”と呼ばれていた頃と比べてすっかり人間的に丸くなってしまったかと勝手に心配していたが・・・どうやら私の杞憂だったようだな」

 

 俺が自ら芸能界の“崖っぷち”に飛び込んでいった“15年前の諍い”を例に上げて自分の“尊厳さ”を見せつける心一の人間性には、もうすっかり慣れ切ってしまって何の感情も湧いてこない。ただ、俺が俳優(やくしゃ)として“スターズの王子様”と呼ばれていたとき以上とも言える今の地位につけているのは、事務所を辞めた“代償”のせいで自由に動けなかった頃に俺に代わって色々と動いてくれた心一のおかげだから、それについては純粋に感謝している。当然、一番の功労者は与えられたチャンスを全てモノにしてきた俺だけれど。

 

 「要らない心配してくれてサンキュー」

 

 そんなこんなで心一とは“幼馴染同士”から“俳優と芸能プロデューサー”、時と場合によっては“ビジネスパートナー”といった具合でずっと腐れ縁的に関係は続いている。

 

 「で?今回は何の用だ?

 

 だから心一が何の前触れもなくいきなり俺の前に現れるときは、何かしらの“用事”があるということは1秒足らずで理解できる。

 

 「先に言っとくけどこれからオレは姪っ子に食べさせる夕食(ディナー)を買わないといけないから“まき”で頼むぜ?」

 「心配する必要はない、今日は“1枚のチケット”を君に渡すだけだから15秒から30秒もあれば終わる」

 「CM(コマーシャル)の尺で済ませてくれるなんて心ちゃんにしてはかなり良心的じゃないか」

 「私はまだやるべき仕事が残っているからね。残念ながら長話はまたの機会ということで」

 「フッ、そいつは“残念”だ」

 「役者だったらもっと上手く誤魔化して欲しいところだよ」

 「にしてもたかが1枚のチケットを渡す為だけにわざわざ“出待ち”までしてオレに会いに来るなんて、心ちゃんは本当に“ファンの鏡”だな」

 「実につまらないジョークをありがとう一色

 

 1ミリたりとも“思っていない感情”で皮肉を交えて感謝を述べる俺に向けて心底呆れたような溜息を交えて嫌味を吐いた心一は、スーツの内ポケットから1枚のチケットのようなものを取り出して俺に手渡してきた。

 

 「・・・“銀河鉄道の夜”・・・・・・天球(てんきゅう)

 「“演劇界の巨匠”である巌裕次郎に“演劇界のカメレオン”の明神阿良也という“鬼に金棒”な組み合わせに加えて、追加キャストで星アキラも参加・・・今までの劇団天球の舞台とは一味違うことは明らかだ。それに、“日劇”の撮影を終えてひと段落したタイミングには丁度いいかと・・・」

 「・・・何となく予想はつくけどオレのスケジュールは誰から聞いた?」

 「君の良き“ビジネスパートナー”からです」

 「だろうな。チケットの日付を見た瞬間で分かった」

 

 今月末に上演が予定されている演劇界の巨匠・巌裕次郎が率いる劇団天球の舞台、『銀河鉄道の夜』。元となった小説があまりにも有名かつ偉大すぎるが故にこれまでに映画や舞台とあらゆる形であらゆる人たちが“1つの作品”にしてきたが、意外にも彼が“銀河鉄道の夜(この作品)”を手掛けるのは半世紀に及ぶ舞台演出家としてのキャリアの中で初めてのことだ。

 

 「・・・とにかく君が観て絶対に損はしない最高の舞台になるだろうから、くれぐれも捨てずにとっておくことをお勧めするよ。では、私は“野暮用”がありますのでこれで」

 

 その巌裕次郎が手掛ける『銀河鉄道の夜』のチケットを手渡した心一は、舞台の最低限な情報だけを教えて颯爽とした足取りで駐車場の出口へと向かおうとした。

 

 「・・・・・・“心一”

 

 すれ違いざま、俺は心一を本名で呼び止める。普段は幼少期から使っている“あだ名”でこいつのことは呼んでいるが、心一と“どうしても話したい”ことがあるときは本名を使う。そうするとこいつは、俺の言葉に耳を傾けてくれる。それはこいつがかつて“天馬心(てんましん)”という名前で“天才子役”として活躍していたときから存在する、“合言葉”みたいなものだ。

 

 「・・・お前は“カムパネルラ役の彼女”のことはもう知っているか?

 

 合言葉で立ち止まった心一に、俺は頭に浮かんだ“予感”を言葉にしてぶつける。

 

 「・・・えぇ・・・無論、存じ上げています

 「・・・そうか

 「では、お疲れ様でした

 

 そして俺からの問いかけに正直に答えると、心一はそのまま地下駐車場のドアへと歩みを進めて、地上階に繋がる階段を上って行った。こいつは昔から“”だけは吐かない男だということは知っているから、声さえ聴けば返された言葉の信憑性は考えるまでもない。

 

 

 

 “・・・夜凪景・・・

 

 

 

 今月末の舞台、『銀河鉄道の夜』でいきなりカムパネルラという大役を任された謎の新人女優・夜凪景(よなぎけい)。もちろん俺は彼女のことは墨字から教えられているから存在自体は知っている。恐らく今回のキャスティングに関しても、巌さんと付き合いのある墨字が大きく関与していることは容易に想像ができる。さらにそこに加えて星アキラとの熱愛報道(スキャンダル)(※報道の翌日、スターズの手回しで“今秋公開予定の舞台の宣伝”として報道されたことで騒動は一気に収まった)によって世間の注目度が増したことを見計らい、心一も目を付け始めたといったところか。ただ、あいつの場合はその前からずっと夜凪景のことをマークしている可能性も十分にあり得る。

 

 まぁ、どっちも直接聞けば分かることはあるだろが俺はあくまで部外者に過ぎず、こういう類の話に首を突っ込んだところで“良い思い”はしないことは明白だから、余計な詮索はしないと決めている。第一に俺は役者であって、“宣伝される側”の人間として芸能界(この世界)を生きているからだ。

 

 “・・・“予感”がする・・・

 

 しかしながら、こうして何が起きようとも不思議じゃない予測不能な幾つもの思惑が交錯している『銀河鉄道の夜(このチケット)』の中身には、何やら尋常じゃない“予感”を感じる。それはカムパネルラ役の夜凪景(彼女)が墨字曰く“星アリサをも凌駕する”とんでもない素質を秘めた女優だということや、良くも悪くも“綺麗な芝居”しかしてこなかった(あきら)くんをメインではなく未知数な脇役で起用するという巌さんならではの“攻めた”キャスティングだけじゃない、もっと別の“何か”だ。

 

 

 

 “『1つだけ聞きたいんだが・・・・・・お前、“芝居”は好きか?』”

 

 

 

 _ピロンッ♪

 

 

 

 “・・・千夜子か・・・”

 

 1枚のチケットから感じる複雑な思惑に不吉とも似つかない“予感”で埋め尽くされた感情が、LIMEのポップな着信音で一気に現実に引き戻される。

 

 

 

打ち合わせ終わった

これから帰ります”

 

了解。こっちも仕事が終わったので

買い物して帰ります。

遅くなるようならまた連絡する。”

 

 

 

 

 「・・・“り”って何だよ(文脈的には“了解”ってことか?)」

 

 “予感”に苛まれていた感情を千世子への返信と共にリセットして、十夜は愛車のDB9へと足を進めた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ちょうど同じころ、スケジュール調整を兼ねた来夏に撮影を開始する予定の映画への出演オファーの打ち合わせを終えた千世子を後部座席に乗せ、専属マネージャーである眞壁隆之介(まかべりゅうのすけ)の運転するアルファードは打ち合わせが行われたスターズの事務所から千世子の住む西新宿のマンションへと向かっていた。

 

 「どうでしたか?千世子さんから見て監督の國近さんは?」

 

 千世子の自宅マンションへ向かう道中、眞壁は今日の打ち合わせで初めて対面した映画監督の國近独(くにちかどく)の印象を聞き出す。

 

 「うん。今まで会ったことのない人種(タイプ)の映画監督で、“面白い”と思ったよ。これまで私にあそこまで“ズカズカ”した態度で向かってきた監督さんはいなかったから」

 「・・・それは“良い意味”ということでよろしいですか?」

 「じゃなかったらマクベスはどうする?」

 「眞壁です。じゃなかったらそもそも千世子さんはこのオファーを断っていると思います」

 「分かってるならどうして“そんなこと”を私に聞くの?」

 「念のための確認ですよ。何せ制作サイドが千世子さんに提示したオファーは明日から撮影開始(クランクイン)する映画とも違う、これまでにない役柄ですので」

 「ははっ、自分から仕事を取ってきたのに随分と私のことを心配してくれるんだね?」

 

 打ち合わせを通じて初めて対面した國近監督の印象を聞く僕を、霧生学園の制服を着た千世子さんの“天使”の如く視えそうで視えない感情と半ば揶揄うかのような態度で笑う琥珀の眼がバックミラー越しに捉える。

 

 「心配はしていないですよ・・・ただ、最近の千世子さんは今まで以上にお芝居を楽しんでいるように私には視えるので

 

 今まで通りの“スターズの天使”と変わらないように思える、千世子さんからの視線。でも煌びやかに輝いた琥珀の瞳の奥に禍々しく灯る内面の(すがお)は、彼女が『デスアイランド』の撮影を通じて1人の“新人女優(ともだち)”と出会ってから日増しに大きくなっている。

 

 

 

 “『久しぶりに新しい“友達”が出来たんだよ。ほんのちょっとだけ“恐い”ところがあるけど、すごく“面白い”友達でさ』”

 

 

 

 自分とは何もかもが対極な存在を生まれて初めて相手にしたことで生まれた“新しい感情”と、自覚し始めた“天使(じぶん)の寿命”。

 

 「・・・なるべく表に出ないように隠してたけど、マクベスにはバレちゃうか・・・

 

 そんな自分の“女優としての寿命”を自覚して、“天使の殻”を破ろうと模索し始めた千世子さんに思い切って自分なりの答えを伝えると、千世子さんはどこか物憂げな眼で笑みを浮かべながらあっさりと“負け”を認めた。こうして専属マネージャーとして5年に渡って百城千世子の女優としての活躍をアリサさん以上に近くで支え続けていれば分かる、ここ数か月で静かながらも着実に変わり始めた彼女の心境。

 

 「否定しないんですか?」

 「しないよ?だって“本当”のことだから」

 「・・・そうですか」

 

 例えるなら、これはある種の“反抗期”みたいなものだろうとマネージャーの僕は勝手に解釈している。生まれたての可愛い赤ん坊だった子どもが人生経験を重ねて視野が広がり始めることで、それまで何とも思っていなかった大人が決めた社会のルールや慣習に疑問を抱いて現実の自分と理想とのギャップに苦しみ始める・・・それは俳優業においても同じことだ。

 

 

 

 “『悪いなリュウ・・・・・・俺には“日本の芸能界”っていう世界は狭すぎて生きていけなかったみたいだ・・・』”

 

 

 

 「でもさすが・・・マクベスは“元子役”なだけあってそこら辺の人より勘が鋭いよなぁ~」

 

 16のときに単身でハリウッドに飛んだ“リク”のことを不意に思い浮かべていた僕に、右側の車窓に視線を向けたまま千世子さんが個人的に“あんまり触れて欲しくない過去”を交えながら語りかける。

 

 「別に普通ですよ。それと私は確かに“子役”でしたけど、もうそれは“過去”の話です」

 「だけど國近さんはちゃんと覚えていたよ?マクベスのこと?」

 「えぇ・・・まぁ」

 

 

 

 “『あれ?お前もしかして隆之介か?』”

 “『えぇ・・・お久しぶりです』”

 “『やっぱりか?顔見た瞬間になんか妙に面影あるな~って思ったけど、大きくなったよな隆之介』”

 

 

 

 「しかも“主役”の私を差し置いていきなり握手まで求められちゃってさ。ほんと初めてだよ、女優より先にマネージャーに握手をしてきた監督さんなんて」

 「はい・・・國近監督の映画に出演したことのある身分とはいえ、監督が無礼をお掛けました」

 

 今日の打ち合わせでの一幕を、千世子さんはわざとらしく拗ねたリアクションで愚痴る。もちろん当の本人はその程度のことなど全く気にも留めていないことは一瞬で分かったが、念のために謝っておく。

 

 「ま、私はちっとも気にしてないんだけどね」

 「(年上の大人を揶揄いやがって・・・)そうですか、なら良かったです」

 

 打ち合わせを行った小会議室に約束の16時ピッタリに姿を現した國近さんは、会議室に入り僕と目が合うや否や、隣にいた千世子さんを差し置いて“子役だったときに映画に出演したことのある”僕に握手を求めてきた。言うまでもなくマネジメントをしている千世子さんを差し置いて先に監督と握手なんて“始末書レベル”の無礼をする度胸もつもりもないので、咄嗟に千世子さんを紹介して無礼は回避した。

 

 「・・・って口先では私に謝ってるけど、ほんとは嬉しかったでしょ?

 「何がですか?」

 「國近さんがマクベスのことをちゃんと覚えてくれていて・・・

 

 

 

 “・・・そりゃ嬉しいに決まってるだろ・・・あんな“偉大”な人が20年近くの時間が経っても自分の名前と顔を覚えていてくれてたなんて・・・

 

 

 

 「・・・もちろん光栄でしたよ。あの“國近独”から名前を覚えられていたってことは

 

 心の内側に隠していたはずの本音を暴いてきた後部座席からの言葉に、僕はつい本音で答えていた。

 

 「すいません。私のような分際が図に乗りました」

 「今ので図に乗ったなんて言われたら、私たち役者はみんな図に乗ってることになっちゃうよ」

 

 不意に身勝手な本音を溢してしまった僕を、後部座席の右側に座る千世子さんは飄々とした態度で慰める。

 

 全く、才能もなければ壁に立ち向かう度胸もなく、自分が落ちたオーディションに受かり“テレビ戦士”に選ばれて子役としてブレイクした“”の存在や、15で同じ世界に飛び込んで一瞬で追いつき追い抜いていったかつての“親友”の活躍を目の当たりにして挫折したこの僕が、自分の存在をちゃんと覚えていてくれていたぐらいで何を喜んでいるのか。

 

 「けど、あの國近さんからそんなふうに覚えられてたら誰だって気分は舞い上がると思うよ・・・」

 

 ドキュメンタリーディレクター出身ならではの繊細かつ写実的な映像表現と、“型にはまらない自然体の芝居”をモットーにしたリアルな演出方法で“國近作品”とカテゴライズされる数多くの傑作を創り続けている今の日本を代表する映画監督、國近独。“活動弁士”の時代から続く日本の映画界の歴史の中でまだ4人しか成し遂げていない、カンヌ国際映画祭の中でも最高賞として知られる“パルム・ドール”を受賞した日本人映画監督の1人。

 

 そのような日本の映画史に間違いなく残るであろう偉大な映画監督(ひと)が、名前を覚えてくれていた。けれども、“役者”になる覚悟を最後まで持てずに夢を諦めてしまった今の僕には、その喜びを噛みしめる権利はない。

 

 

 

 “『やったな隆之介。NGはゼロだ』”

 

 

 

 「・・・だと、良いんですけどね」

 

 それでも嬉しいものは過去がどうだろうと純粋に嬉しく思ってしまう僕は、随分と幼少の頃の“純粋さ”が失われてしまったのかもしれない・・・なんて色々考えたところで、所詮は“過去”のことだからどうにもならないが。

 

 「やっぱり満更でもないじゃん」

 「“原作”の小説は早ければ明日、千世子さんの元に届く予定です」

 「あ、話題逸らした」

 

 

 

 図星を突いてきた言葉への動揺を隠しながら何食わぬ顔で話題を逸らした眞壁を、千世子はバックミラー越しに微笑むようにじっと見つめた。




スポーツって、やっぱり良いよね。


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#007. ライバル

ありがとう、うーたん


 2018年9月3日_午後6時50分_西新宿_

 

 マンションの1階に付随している24時間営業のスーパーで2,3日は持つぐらいの食材をエコバッグにぶら下げ、フロントで“大使館レベル”と言われるほど厳重なセキュリティシステムを備えるエレベーターのカードキーを受け取り、自分の住む部屋のある34階まで一気に上がる週2日おきで必ずやる仕事終わりの日常(ルーティン)。週刊誌の連中は芸能人がただ普通にスーパーやコンビニで買い物をするだけで大袈裟にネタにしたがるが、どんなにドラマや映画に主演で出まくっている俳優やテレビ番組にCMに引っ張りだこな大人気タレントだって、一般人に混じってスーパーで買い物ぐらいはするものだ。

 

 “一色十夜、“王子様オーラ全開”の買い物姿

 

 もちろん俺も例外ではなく、明らかに見世物として“取って付けた感”しか感じられない見出しと一緒に、スーパーで夕食の食材を買っていたところを撮られたことがある。もちろん言うまでもなくただ普通に買い物をしていただけだから、俺としては全くのノーダメージだ。というか、こんなことをイチイチ気にしているようでは芸能界という異端な世界は生きていけない。注目されるということは“そういうこと”だからだ。

 

  ポーン_

 

 エレベーターが部屋のある34階に着いたことを知らせ扉が開き、俺はエコバックをぶら下げながら絨毯敷きの通路を歩く。

 

 “・・・まるで“主夫”だな・・・”

 

 仕事が終わり、時間的には一足早く部屋に戻っているはずの姪と一緒に食べる夕食の食材を片手に歩く光景は、傍から見たらただの“主夫”みたいだ。まぁ、傍から見なくとも千夜子の食事の面倒を普段から可能な限り見ている俺はきっと主夫みたいなものだろうか。

 

 ちなみに俺のことをよく知らない人たちから見た“一色十夜”の私生活のイメージは、やはり“一色ファミリー”の例に漏れず都心の一等地に豪邸を立てて優雅に暮らしている・・・らしい。これでも家賃100万の部屋を住処にする今の生活は一般的な水準から考えれば十分すぎるぐらいには裕福だろうけど、さすがにあそこまでぶっ飛んだ生活(こと)はしない。俺はあくまで、自分にとってお金を使うべきものだけにお金を使っているだけだからだ。

 

 “愛車の“DB9(マーちゃん)”のせいで全然説得力はないけど・・・”

 

 故にただでさえ年間維持費が“1ヶ月の家賃+生活費”並みにかかる車を普段使いで乗り回しながらこんな“庶民的”な買い物をしているという日常が、人によってはどこかチグハグに見えてしまうのだろう。でもそれが“違和感”でしか捉えられないとしたら、それは“高級車やスーパーカーを乗り回している連中はスーパーで買い物なんかするな”と差別しているようなものだ・・・と、つい俺は思ってしまう。

 

 “それを言うなら慧くんなんて18で免許取っていきなり“パナメーラ”だぜ?19のときに俺が初めて買った406クーペ(クルマ)よりイイやつ乗りやがって・・・流石はお母様が“スターズの社長”なだけあるわ・・・”

 

 なんて芸能人の愛車事情は置いておくとして、ある意味これらは“天使”であることを大衆から求められる千夜子と同じような呪いに近いものだ。もちろんそれは俺や千夜子に限った話ではなく、売れるべくして売れていく大抵の芸能人は大なり小なりあれど誰しもが抱えている、言わば“ブランドイメージ”。日本の芸能界という、ただ芝居が上手いだけじゃ成り立たない商業主義の世界で生き残るためには、自分自身とはかけ離れた“もう一人の自分”とどれだけ上手く向き合いながら“本来の自分”を保つことができるのかも重要になってくる。

 

 

 

 “『あなたがこの役を演じるのはあまりに危険すぎる・・・・・・今回ばかりは諦めなさい』”

 

 

 

 どんなに才能に愛されていたとしても、“それ”を飼い慣らせるだけの心がなければ待ち受けるのは“死”のみだ。そうして芝居に殺され女優(やくしゃ)として生ける心を失った人から言われた警告の言葉に、まだ千夜子が自分にとっての“守るべき存在”になる前の“かった”俺は・・・

 

 

 

 “『うっせぇバーカ』”

 

 

 

 「ただいま」

 

 玄関の扉を開けると、見慣れた女性ものの靴が綺麗に揃えられていて、奥のリビングのほうへ視線を向けると部屋を出るときに消したはずの明かりが付いていた。俺の予想通り、先に着いたのは千夜子だった。

 

 「・・・何やってんの?」

 「明日から撮影が始まる映画の台本をチェックしてるの」

 「見りゃ分かるけど・・・“アティテュード(その体勢)”でやる意味あるのかそれ?」

 

 1階のスーパーで買った食材を冷蔵庫に片付けリビングの右奥にある自作のトレーニングルームに向かうと、部屋着に着替えた千夜子がアティテュードのような体勢を保ちながら3日前に届いた台本の最終稿を読んでいた。

 

 「うん。だって台詞覚えるのと体幹鍛えるのが一石二鳥で出来るから」

 「確かにトレーニングにはなるけどな・・・」

 

 ただこういう光景は今までに何回か見てきているから、特に驚くこともなくツッコむ気力も起きない。

 

 「とりあえず、“役作り”は順調そうで何よりだ」

 

 千夜子がいまアティテュードをしながら読んでいる台本は、来年のGW(ゴールデンウィーク)に上映が予定されている千夜子、もとい百城千世子主演の映画『造花は笑う』の脚本で、千夜子はこの映画で“人を殺したことをひた隠しいつも通りの日常を送ろうとする女子高生”という今までにない難しい役柄を演じることになっている。

 

 「もちろん。だってわたしは“女優”だからね」

 

 叔父のトレーニングルームの中でリラックスした様子で台本をチェックしている千夜子が、体勢と視線はそのままに俺に向けて微笑む。台本に目を通すその横顔からは、とても次の日には“人殺しの女子高生”になっているなんて現実はまるで浮かんでこない。

 

 「・・・そうだ。今日はリビングで映画でも観ながらご飯食べない?」

 

 すると千夜子はふとアティテュードをやめて俺のほうに顔を向け、いつもはダイニングで食べている夕食をリビングで映画を鑑賞しながら食べたいと言ってきた。確かにせっかく2人きりの時間が取れているわけだからパーティーまでとは行かなくとも、リビングのソファーに座って映画でも観ながら少しばかり行儀悪くディナーを楽しむというのも偶には悪くない。

 

 「いいけど、何で?」

 「どうしても観たい映画があるんだよ。十夜さんと一緒に」

 

 それに千夜子が実家を出て隣の部屋で1人暮らしを始めてからはお互いがあまりに忙しく、何だかんだで“食卓同盟”としてダイニングで一緒に朝夕のご飯を食べるぐらいしか時間が作れていないわけだから、こういう時間も余裕があれば必要なことだ。

 

 「でも大丈夫か?明日は朝早いんじゃないの?」

 「それは十夜さんも同じでしょ?」

 

 それと明日はそれぞれ映画とドラマの撮影がある関係でどちらも遅くとも朝の5時半にはマンションを出なければならないから、普通に考えて睡眠時間は少しでも多く取るに越したことはない。もちろんこれだけ朝が早い場合は“2人”での朝食はなしだ。

 

 「わたしたちは日付を回らないと寝付けない“夜行性”だから」

 「眞壁くんの車でいつも仮眠取ってるくせによく言うよ」

 

 とは言っても何だかんだで俺と千夜子は2人揃って普段の平均睡眠時間が“少ない”ことに身体が慣れ切ってしまっているから、早く寝ろと言ったところであまり関係がない。これが仮に“有名人”になってしまったことによる代償だとしたら、俺たちにしてみたら掠り傷にすらならない。

 

 「じゃあ8時過ぎぐらいまでに作るから、もしそこの器具使うなら怪我しないように気を付けろよ?そんなんでどっか痛められて撮影に影響が出たら俺も怒られるだろうし」

 「“り”」

 「だから“り”って何?」

 「それぐらい無駄に察しのいい十夜さんならわかるでしょ?」

 「どうせ“了解”の略とかだろ最近若者のあいだで流行ってる的な?」

 「正解」

 「言っとくけど何でも略したらいいってもんじゃないからなこういうのは」

 「そうやって“若者文化”を理解しようとしないで敬遠してたら置いてかれるよ?“王子様”?」

 「あのな千夜子、“王子”だっていつかは若者文化について行けない“オジサン”になる日が来るんだよ」

 「じゃあこれからの十夜さんは俳優(やくしゃ)としても衰退していくってこと?」

 「・・・相手が身内(おれ)だから容赦がないんだろうけどお前はもう少し“色々”と気を付けた方がいいと思うぞ」

 

 と言った傍から俺の心に掠り傷を負わせてきた千夜子の言葉をいなして、ひとまず俺はトレーニングルームで自由時間を過ごす千夜子をそっちのけにして夕食を作るためキッチンへと戻った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 1時間半後_

 

 「今日は和風だね」

 

 普段とは違うリビングにあるガラス製のテーブルに置かれた今日の夕食を見た千夜子が、絶妙にどっちつかずなテンションで答える。

 

 「もう少し派手なほうがよかったか?」

 「ううん、逆にこれぐらいのほうが撮影前日には丁度いいから助かる」

 「そっか、お気に召してくれたようでよかった」

 

 本日の夕食の献立は青椒肉絲風野菜炒め、昨日から作り置きしていた中華春雨サラダ、ねぎと油揚げの味噌汁、土鍋で炊いた白飯、板わさという大人しめの和テイスト。これらの献立を1人分ずつ分けて作り、隣同士になる配置で献立の乗った皿を置く。

 

 「・・・そういえばこうやって隣り合ってご飯を食べたことって今まであったっけ?」

 「まだ千夜子が小さかった頃はあったけどもう10年以上はないな。少なくとも隣に引っ越して来てからは初めてだし」

 

 いつもならリモコン以外は何も置かれていなくてガランとしているガラス製のテーブルに置かれた夕食を見下ろしながら、千夜子が呟くように聞く。言われてみれば千夜子がスターズに入ってからは今のように隣人になるまで家族の集まりで年に1度会うかどうかぐらいだったから、こういう距離感で同じ夕食を食べるというのは本当に久しぶりのことだ。

 

 “・・・そう考えると感慨深いな・・・

 

 「感慨深いよな・・・なんか

 

 なんて感傷に浸っていたら、心の中の声がそのまま出ていた。

 

 「ははっ、急にどうしたのしんみりしちゃって?」

 

 そんな俺に、まだ子供と大人の狭間な年頃の千夜子は揶揄うように笑う。きっと千夜子にはおおよそ倍の歳を重ねている俺が感じているこの感情はきっと分からないし、まだ分かる必要もないけれど、大人になればなるほどこういう何気ないちょっとしたことにすら感情が動くようになるものだ。

 

 「大人になれば千夜子も分かるよ・・・この感覚

 

 全く、認めたくないものだな。自分がこんなにも大人になってしまったということは・・・

 

 

 

 “・・・憬・・・・・・未だに夢でも見てるお前も、今ごろは俺と同じように夢の中で昔でも懐かしんでるのか・・・?

 

 

 

 「十夜さん?」

 「・・・ん?何か言った?」

 「いつまでボーっと立ってんの早く座れば?」

 「・・・おう」

 

 俺の名前を呼ぶ聞き慣れた天使の声で我に返ると、いつの間にか千夜子はリモコンを片手にソファーに座って5.1chのオーディオと連動する72型のテレビを操作して“ネットフェリックス”を立ち上げていた。俺としたことが、不覚にも我を忘れて10年も眠り続けているあいつのことを未練たらしく思い浮かべていた。少なくともこいつは、歳を取ったとかの話じゃない。

 

 「で?何を観るつもりだ?」

 「うんとね~、隣にいる“誰かさん”がまたしんみりしちゃいそうなやつ」

 「何だよそれ・・・」

 

 左隣に座りながら、千夜子は俺をあざとく揶揄いつつ目当ての映画を検索する。しかしながら俺が“しんみり”するような映画とは、何なのだろうか・・・いや“まさか”な・・・

 

 「・・・あぁ・・・こいつか・・・」

 

 その“まさか”が的中したかは分からないが、千夜子がチョイスした映画は俺にとっては随分と懐かしくもあり、思惑通りまともに直視していたら“しんみり”してしまいそうな作品(モノ)だった。

 

 「『ロストチャイルド』・・・どう?懐かしいでしょ?」

 「懐かしいっていうか・・・“ネトフェリ”にもあったんだなこれ」

 

 

 

 前作にあたる『ノーマルライフ』でカンヌ国際映画祭の審査員賞を始めとした数々の賞を受賞し脚光を浴びた映画監督・國近独が2000年に公開した映画、『ロストチャイルド』。児童養護施設で育てられた2人の血の繋っていない兄弟をメインに“本当の家族とは何か”をテーマにした長編映画で、監督の“ドクさん”はこの映画で日本アカデミー賞優秀作品賞・優秀監督賞を受賞し業界内のみならず一般層にも彼の名が広く知られるようになった。

 

 またこの映画で初めて映画で主演を務めた剣さん、もとい俳優の渡戸剣は日本アカデミー賞・新人賞を始めその年の邦画界における新人賞を総なめにして、それまで演劇界でしか名が知られていなかった彼が映画界でも活躍するきっかけになり、現在まで続く実力派俳優としての根強い人気に繋がった。

 

 そして何を隠そう、この映画で主演の渡戸剣と共に大きく注目されることになる助演を務めた新人俳優こそ、かつて“10年に1人の逸材”と称された演技力で映画界を中心に世の中を席巻し、自らが書き上げた1冊の小説を置き土産に23歳の誕生日にくも膜下出血で倒れ、それから今日に至るまでの10年以上の月日をずっと生死(ゆめ)(なか)で過ごし続けている・・・夕野憬(あいつ)だ。

 

 

 

 「にしても千夜子にしちゃ意外なチョイスだな。ドクさんの映画なんて今まで一度も観ようともしてなかったくせに」

 「今まではね・・・でも、気が変わったの」

 

 『ロストチャイルド』の選択画面に視線を向けたまま、千夜子は答える。もちろん千夜子が滅多に普段は選ばないようなジャンルの映画を観るときは、大抵“何かしら”の理由があるときだ。

 

 「・・・さては今日の“打ち合わせ”でドクさんと会ったな?

 「ピンポン」

 

 頭に浮かんだ予感を右に言うと、間髪入れずに感情の抜けた棒読み気味な“ピンポン”の声が右から聞こえた。やはり、俺の予感は昔からよく当たる。

 

 「内容はまだ言えないけど、ひとまず今日の打ち合わせで“有難い”ことに来年の夏のスケジュールは埋まったから」

 「・・・千夜子がドクさんの映画か・・・」

 「なに?もしかして想像できない?」

 

 ドクさん、もとい映画監督・國近独が演者に求めている演技は“型にはまらない”自然体の芝居。一方で千夜子がこれまでずっと“百城千世子”として作り上げてきた演技は、本性を隠す“仮面”があるからこそ成立する“型にはまった”芝居。もちろん“型にはまっている”ことが俳優(やくしゃ)としての足枷かと言われたらそれは大きな間違いで、寧ろ“型にはまった芝居”は絶対的な個性という替えの利かない唯一無二の武器となる。

 

 「・・・少なくとも“今まで”のお前だとな」

 

 そういう“型にはまった芝居”を極限まで極めたのが、16歳で日本を飛び出しハリウッドに活躍の場を移した王賀美陸のような役者だ。中には彼の芝居を“何を演じても王賀美陸”と言って不当に評価する連中もいるが、“何を演じても同じになる芝居”をちゃんと“芝居として成立させる”彼の芸当は、到底真似しようと思っても出来る芸当ではない。“型にはまらない”芝居で生きる道を突き進んでいたあの頃の憬ですら、王賀美陸という存在を“自分なり”に演じ切ることは出来たかもしれないが、本物を超えることは不可能だっただろう。

 

 「そうだね

 

 そして百城千世子は、そんな王賀美陸に代わる偶像として星アリサが手塩に掛けて育て上げてきた“天使(レプリカ)”。俺も含めて周囲にはこれまで一切そういう素振りは見せて来なかったが、千夜子はとっくにそれに気が付いている。

 

 「今日ね・・・学校に行ったら新名さんも登校しててさ、久しぶりに屋上で話した」

 「なっちゃんか・・・あっちもあっちで卒業公演が控えて忙しいはずなのによく会えたな?」

 「わたしもちょっとだけ驚いたよ。まさか同じ日にいるとは思わなかったから」

 「・・・それで何か話したか?」

 

 王賀美陸(ホンモノ)”とは違って“百城千世子(レプリカ)”には寿命がある。だから千夜子は、“天使”の二つ名を欲しいままにしてもなお“努力という進化”をやめない。

 

 「うん・・・・・・初めて十夜さん以外の人にわたしの“本当の気持ち”を打ち明けた・・・

 

 

 

 “『わたしって十夜さんみたいな“天才”なんかじゃなくて周りより少しだけ器用なだけの“普通の女の子”だから、これぐらいのことをしないとわたしはこの世界で“主役”になんてなれないんだよ・・・』“

 

 

 

 「・・・珍しいな・・・・・・幾ら仲が良いからとはいえお前が“赤の他人”に心を開くなんて、と言いたいところだけど・・・どうせ“役作り”目的でなっちゃんを利用したんだろ?

 「・・・十夜さんは勘が鋭すぎて嫌になるよ」

 「生憎、原作の小説は俺も読んだことがあるからな。屋上で話したって千夜子が言った時点で予想はついていたよ」

 

 『造花は笑う』のストーリーの中で、親を殺した主人公は最終的に校舎の屋上に親友を呼び出してずっと隠していた“真実”を告げて、親友と心中をしようとする。恐らく千夜子は仲の良い親友にずっと隠していた心の内を明かすときの感情が一体どういうものなのか、それを確かめるために数少ない友達の1人でもあるなっちゃんを“踏み台”にしたんだろう。

 

 「・・・これじゃあやってることがまるで悪魔ね、わたし

 「気にするな。自分以外の身の回りモノは全て“喰い物”の役者にとっては当然のことさ

 

 もちろん、千夜子がクラスメイトの友達をそうやって“喰った”ことについては一切怒っていないし、そもそも怒りの感情なんてない。何なら役のために俺を喰いにきたとしても、俺は千夜子のことを“同じ役者”として何の迷いもなく受け入れる。

 

 

 

 ただし・・・“喰う喰われる”が逆になったとしても、その時が来たら“同じ役者”として一切の容赦はしないが。

 

 

 

 「あとさぁ・・・さっきからシンプルにうざいんだけど

 「ごめん。幾らなんでも“利用した”って言い方は良くなかったな」

 「そんなだから30半ばになっても独身なんだよ

 「かもしれないな」

 「もっと“環さん”を見習えダメ人間

 「“レン”は関係なくないか?」

 「“パパラッチ”

 「だからあれは違うって言ってんだろ

 

 という感じで見事に思惑を当てた俺に、千夜子はそっぽを向いて分かりやすく拗ね始めた。言い方をもう少しオブラートにしておけばよかったかもしれないということはともかく、ここまでダメージを食らうとは思わなかった。

 

 「・・・・・・なんちって

 

 なんて思っていたら、千夜子はいきなり隣に座った俺に顔を向けて“してやったり”と言いたげな表情で笑いかける。

 

 「・・・演技力をこんな下らないことで使うなよ」

 「ごめんごめん。でも“うざい”って思ったのは半分本当だから」

 「俺が悪いんだけど一番傷つくなそれ」

 「自業自得のくせに」

 

 こんな感じで千夜子は時々、自分が10年間努力して身に付けた“プロ意識”を俺に見せつけてくる。

 

 「でも・・・“こういう芝居”も出来るようになったんだな・・・千夜子

 

 ただ意外だったことは、千夜子が俺に仕掛けた芝居に“百城千世子”がいなかったということ。本当の感情が分からない仮面をつけた芝居ではなく、素の感情が乗った限りなく“自然体”に近い芝居だということ。

 

 「うん・・・だってこれからも“女優”をやっていくなら、いつまでも“天使”のままじゃいられないしね

 

 今までとはひと味違う芝居に騙された俺に仮面のない“ありのままの素顔”がクールに微笑む。少なくともこういう演技指導は、スターズではまず行うことはない。きっと千夜子は明日から撮影する映画での役作りの過程、あるいはその前の段階で何かしらを“喰った”。恐らくそれは、今まで千夜子が経験したことのなかった何かだ・・・

 

・・・そうだよな・・・・・・いつの時代にも“ライバル”はいるから、立ち止まるわけには行かないわな・・・

 

 

 

 それが何かまでは“第六感”を持ってしても簡単には出てこない。けれど・・・千夜子が感じたであろう“未知の役者(にんげん)”に出会ったときに心の奥底が燃えていくような“感情の昂り”は、俺も知っている。

 

 

 

 「・・・それより食べないの?早くしないとせっかく土鍋で炊いたご飯が冷めちゃうよ?」

 「それもそうだな」

 

 不覚にも目当ての映画が始まる前に再び“しんみり”してしまった俺に、もっともな一言が刺さる。千夜子の言うとおり炊き立てのご飯がある前でこんな時化た話題なんかをしていると、せっかくの夕食も不味くなってしまう。

 

 「美味し糧」

 「美味し糧」

 

 この話の続きは、夕食を食べながら(あいつ)が出ている映画を観がてら千夜子に合わせて“気まま”にでも話すとしよう。




お待たせしました。次回から主人公のターン、もといchapter4がスタートして物語は次なる舞台である2001年に向かいます。


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chapter 4-1.メインキャスト
scene.71 蓮ふたたび


【人物紹介】

・夕野憬(せきのさとる)
職業:俳優
生年月日:1985年6月30日生まれ
血液型:A型
身長:170cm(14歳:中2)→ 174cm(16歳:高1)→ 179cm(現在)



 2001年_4月5日_中野サンライズプラザ_

 

 “・・・本当にこんなところで入学式をやるのか・・・・・・”

 

 2001年4月5日、12時45分。面接と一般入試と同レベルの学力テストと合格通知を経て、晴れて俺は真新しい黒のリュックを背負い、真新しい霧生学園の制服を着て入学式に出るため学校の正門・・・ではなく、中野サンライズプラザという多目的ホールの裏口に来ていた。普通は学校の入学式というのは学校の体育館とかでやるのが当たり前だと思っていたから学校の資料を見たときに一度驚き、そして実際にこうやって自分の目で目の当たりにして俺は二度驚いている。

 

 ちなみになぜ正面ではなく裏口から入ることになったかというと、それは芸能コースの生徒がもれなく全員ジャンルは違えど文字通りの“芸能人”であるため、一般生徒や周囲の混乱を避けるという目的を兼ねている。

 

 “・・・なんかすげぇ高校(ところ)に入っちまったな、俺・・・”

 

 しかしさすがは“芸能人御用達”とも言われている霧生学園。事務所の先輩である堀宮は言わずもがな、5日前のエイプリルフールに渋谷の街を“ジャック”して(※正確に言えばスクランブル交差点周辺の広告を全てジャックした)ワイドショーを賑わせたばかりの“スターズの王子様”、一色十夜もこの学校に生徒として通っているらしい。もちろんこの2人を抜きにしても、全国的に名が知られているアイドルやかつて一世を風靡した元人気子役といった面子が当たり前のように身の回りにいて、中には“名門”と謳われる歌舞伎の家柄出身の人もいたりと、とにかく一般人からしてみればこの芸能コース自体がそもそも“スター集団”みたいなものだ。我ながら、とんでもない高校(ところ)に入ってしまったと今更ながらに思う。

 

 

 

 “『おっ、クラス一緒じゃん』”

 

 

 

 まだ蓮と同じ学校に通って同じクラスで好きな映画の話とかをして盛り上がっていた中1の時は、横浜(じもと)にあるどこかの高校に普通に進学するものだと思っていた。それが中2で“かくかくしかじか”があって芸能界に入ったことで、俺の人生計画は予想の遥か斜め上に向けて一気に動き始めた。

 

 そして俺は今、日本で最も芸能人の在校生と卒業生が多いと噂される霧生学園高等学校・芸能コースの新一年生として、この場所に立っている。もの凄く達観した表現をすると、本当に“人生っていうのは何が起こるか分からない”の一言に尽きる。と、俺は思う。

 

 “よし、行くか”

 

 「・・・ふっ」

 

 裏口の扉の前で緊張を呼吸で吐き出して、扉の横に付けられたオートロックのインターフォンに手を伸ばし、事前に教えられていた暗証番号を打ち込んで裏口の扉を開けて、集合場所となる正面玄関のロビーに向けて連絡通路を進む。

 

 

 

 

 

 

 “『卒業生、起立』”

 

 去年の秋に公開された『ロストチャイルド』が日本アカデミー賞で賞を獲り世間からもそれなり以上の注目をされたことで、俺を取り巻く環境は更に一変した。

 

 “『夕野憬』”

 “『はい』”

 

 結論から言うと、俺はこの映画で特に賞を獲ったわけではない。新人賞の座はショウタ役(主演)の渡戸剣がほぼ総なめにしたが、助演の俺のことを“兄弟”としてワイドショーやエンタメ系の情報番組が主演の渡戸と同じくらいにプッシュして取り上げたことや、12月に相手役として堀宮と共演した“ギーナ”のCMがオンエアされると堀宮が可愛いという多数の声に紛れて“『ロストチャイルド』とのギャップがすごい”だとか、“天才的な演じ分け”などの大袈裟にしか思えない一部の称賛が広がり出したことで俺自身の俳優としての知名度はここ数か月で目に見えて上がり始めた。

 

 その証拠と言ってしまうと嫌味のようになってしまうが現時点で俺は大手企業3社とのCM契約に加えて、正式な発表は来週だが7月から放送が始まる“火10”にメインキャストの1人として出演することが決まっている。

 

 “『見て、本物来た』”

 “『やっぱりオーラあるよなぁ』”

 “『まさか環蓮だけじゃなくて夕野憬まで大中(ダイチュウ)に通ってたなんて』”

 “『ヤバくね?同じクラスに2人も芸能人がいたなんて一生の自慢になるぜコレ』”

 

 ということがあって、『ロストチャイルド』が話題になってギーナのCMが話題になってと段階を踏んでいくように、気が付くと俺は正真正銘の“大倉中学校(ダイチュウ)のスター”として一目置かれるようになった。言うまでもなく、それは中2で月9に1話だけ出演して数日だけ“有名人”になったときとは次元が違うものだった。とは言え、“有名になりすぎた”故にアイツを除いてクラスメイトも含めた周囲が遠巻きになって近寄らなくなったことやタイミングが受験真っ只中だったことから、逆に学校生活はビックリするほど平穏に過ぎた。

 

 “『よぉ夕野?勉強は順調か?』”

 

 もちろんアイツが誰なのかは、説明するまでもない。流れを割いてついでに言っておくと、アイツこと有島は地元の横浜では最難関として知られている偏差値75を誇る名門高校に無事進学した。しかもロクに受験勉強もしなかったばかりか、周りより一足早く霧生に受かった俺のところで受験シーズン真っ只中にも関わらず普通にいつもと同じ感覚で映画のビデオを観に来たりしていたのに一発合格した。進学校と言えどまだ“ザラにある”レベルの霧生を推薦で受けた俺ですら、俳優活動を幾らかセーブして受験勉強に時間を割いていたのに。でも、有島は見えないところでちゃんと“努力”している奴だというのは知っていたから、アイツが合格したとすまし顔で報告してきたときは素直に“おめでとう”と祝う気持ちで心の中は溢れていた。

 

 “『夕野先輩!サインください!』”

 “『夕野くん、一緒に写真撮っていい?』”

 “『夕野さ~ん!こっち向いて~!』”

 

 話を戻して有名人に“なりすぎた”ことで逆に周囲から距離を置かれていた俺だったが、卒業式の日だけはそうはいかなかった。同学年だとかも関係なく、“最後のチャンス”と言わんばかりに卒業式が終わった瞬間に俺のクラスの前に次々と人が殺到して、軽くパニックになった。ただこれも、4月に入った頃には“いい思い出”になっていた。

 

 

 

 “『全く。変装しなければまともに街すら歩けない。こんなことになるくらいだったら芸能人(スター)になんてなるんじゃなかったよ』”

 

 

 

 ちょうど2年前の春休み、渋谷でチンピラにイチャモンをつけられていた俺たちを助けてくれた天馬心の言っていた言葉。あれから1年と約半年後に助演で自分の出た映画を蓮と一緒に鑑賞しに行ったときは、渋谷のセンター街を歩く雑踏は一般人に紛れた2人の芸能人に全く見向きもしなかった。

 

 “『マジでビッグスターだな、お前?』”

 “『ホントな・・・2時間後には事務所に顔出さなきゃいけないのに勘弁してくれって話だよ・・・』”

 

 あの日からまた数か月が経ち、そんなどこか“他人事(ひとごと)”のようにしか思えなかったあの言葉が一気に現実味を帯びて、俺は周囲から注目される存在になった。ついこの間までは“環蓮と仲が良かったよく分からん奴”みたいな立ち位置だったのに、“現金”にも程がある。

 

 “『けど・・・こうやって注目してくれる人たちがいることはさ・・・それだけ俺は役者として応援されてるってことだよな?』”

 “『俺に聞いてどうすんだよ夕野?』”

 “『確かに、言われてみれば』”

 

 だけど日本で“俳優(やくしゃ)”として芸能界を生きていくためには、そうやって自分のことを良くも悪くも注目してくれる人たちの存在も必要だということも何となく分かり始めた。有名人を一目見たいと群がる野次馬も“このタレントを使いたい”とCMなどのオファーを打診する企業の人も、誰をキャスティングするかをオファーやオーディションを経て決めるプロデューサーや映画監督の人も、広い括りで見れば同じく“自分の人間(スター)としての価値”に注目している人たちだからだ。

 

 “『でも俺は夕野がここまで人気者になれたのは必然だと思ってるぜ。だってお前の芝居は・・・こんだけの人の心を動かせる凄いものだってことぐらいは、俺は知ってるからよ・・・』”

 “『有島ってさ・・・やっぱり良いこと言うよな』”

 “『当然だろ?俺にとって夕野は最高の“ダチ”だからな!』”

 “『おう。俺にとっても有島は最高の“ダチ”だよ』”

 “『いやそこは環だろ?』”

 “『何でだよ?そうしたらお前が可哀想だろ?』”

 “『夕野お前・・・・・・最高かよ』”

 

 それに俺の周りには、有島や蓮のように有名になった俺のことを初めて話したときと変わらない下らない話で“ありのまま”に接してくれる“親友”がいる。そんな親友の存在と言葉に、俺はこれまで何度も助けられてきた。もしも親友という存在がいないまま役者になっていたら、母ちゃんと共に過去と向き合い乗り越えることなんて出来なかっただろうから、間違いなくいまの俺はいない。

 

 

 

 “『・・・憬には私とかお父さん(あのひと)みたいに“辛い”思いはして欲しくない・・・だから憬がどんな選択をしたとしても、私は“家族”として憬が自分で選んだ道をとにかく応援しようって、(あなた)と“ふたりだけ”になったときから決めていた・・・』”

 

 

 

 そして何より、あんなに“辛い過去”を抱えながらも芸能界という異端の世界で生きていくことを決めた俺を反対するどころか力強く背中を押してくれた母ちゃんには、今さらながら本当に感謝している。俺はこの母親に育てられ、この母親がいたからこそ役者と芝居に興味を持ち、親友と呼べる存在に出会えたことで“自分が自分でいられる幸せな世界”を知ることができたから。

 

 “『憬・・・301号室(この部屋)が“恋しく”なったらいつでも大歓迎だから』”

 “『そもそも耐えられなくなるようだったらここから通えるところにしてるわ、ってか“恋しく”とか変な例えすんのやめろ』”

 “『そうやって強がってる子に限って2,3週間もしたらホームシックになって泣きながら実家に電話してくるようなものよ』”

 “『偏見が酷すぎるだろオイ』”

 “『何なら一日一回電話とかメールとかする?それならさすがに憬でも大丈夫だと思うから』”

 “『唐突に俺はマザコンか』”

 

 だけど俺がすっかり当たり前の日常になっていた301号室を出る日になっても、母ちゃんは相変わらず“母ちゃん”だった。15で親元を離れて寮生活を始めるこの俺を心配する素振りなど全く見せず、そればかりかもうすぐ40になるというのに年齢に合わない“友達”のような感覚で容赦なく揶揄いながら301から出て行く俺を見送った。こんな感じの飄々とした振る舞いのおかげで、結局俺は母ちゃんに直接“ありがとう”の気持ちは伝えないまま住み慣れた部屋を出た。

 

 というか、そんな簡単なことはいちいち言わなくても伝わっているということは気丈に振る舞う母ちゃんの笑顔を視た瞬間から分かっていたし、そういう水臭いことは互いに好きじゃないことだってとっくに知っていたから、最初から言葉にする必要なんてなかった。

 

 

 

 “『・・・行ってきます』”

 

 

 

 

 

 

 「おっ、“有名人”の夕野憬じゃん。おはよー」

 

 連絡通路を進んでロビーに辿り着いて受付でパンフレットと指定された席が書かれた用紙を受け取りホールの入り口へ向かおうとすると、他のコースの新入生と共にロビーで入学式の時間を待つ芸能コースの新入生の集団の中から霧生の制服を着た蓮が俺の姿を見つけるや早速、俺のことを“有名人”だと半ば煽り揶揄うような態度でクールに笑いながらやってきた。

 

 「“有名人”って・・・それを言うなら(おまえ)だってそうだろ?」

 

 中2の夏に都内(こっち)の学校に転校して以来、久しぶりに“同じ制服”を着ることになった俺と蓮。転校することになったと知ったときは“もう二度と会えないんじゃないか”という予感さえよぎったが、まさか同じ学校で再び同級生になるなんてあのときには夢にも思わなかった。ちなみに霧生学園の芸能コースは原則として1学年1クラスしかないから、俺たちは小6と中学に続いて三度(みたび)クラスメイトとなる。

 

 「うん、おかげさまで私も“そこそこ”有名になり始めてるから」

 「6月の映画でまあまあ出番のありそうな役を()ってる奴のどこが“そこそこ”なんだよ?」

 

 そんな蓮はあれから季節が七度変わり芸能人として忙しくなり始めた俺に負けじと、6月に公開予定の“バトルロワイアル”系の映画で事実上サブヒロインにあたる役を演じ、テレビのCMでも偶に見かけるようになるなどこいつの芸能活動も今年に入って上り調子だ。ちなみに1ヶ月前の電話で本人から既に聞いているがその映画の撮影は8月から9月にかけて行われたというから、つまりは受験真っ只中のタイミングでこいつは撮影に臨んでいたということになる。ただ、こいつの学力は少なくとも俺(クラスの中で大体3,4番目ぐらい)と有島(ダントツ1位)の中間ぐらいはあるから特に心配はしていなかったが。

 

 「言ってもストーリーの立ち位置じゃ3番手ぐらいのキャラだからね。“メイン”じゃないし私のキャラって原作だと中盤ぐらいで死んじゃうし」

 「おいドサマギでネタバレしてんじゃねぇよ楽しみがなくなっちまうだろが

 「あくまで原作の話だよ。言っとくけど映画の内容は世界観と人物設定以外は結構色々と脚色されてるから」

 「そういう問題かこれ?」

 「問題以前に憬のことだから“自分が出る作品”以外の原作はどうせロクに読まないでしょ?」

 「“ことだから”は余計だ」

 「読まないこと否定しないんだ?」

 「自分に嘘はつかないってだけだ」

 「ははっ、もうほんっと憬は高校に上がっても変わんないよな~良くも悪くも」

 「お前が言うなクソドSが」

 

 でもこうやって面と向かって互いに口を開けば、小6のときと全く変わらない距離と空気で大した中身のない戯言と憎まれ口で俺たちはふざけ合う。良くも悪くも蓮は俺に対して本当に容赦がないから割と本気で“ムッ”と来ることもあるけれど、そういうところも含めてこいつと一緒にいるのは何だかんだで波長が合って楽しいから、つい俺はこいつの揶揄いを大目に見てしまう。

 

 「・・・ていうか蓮、サブヒロインの役を貰えたとかすげぇじゃん」

 「でしょ?何だかんだでちゃんとストーリーに絡んでくる役を演じられるのは憬と出た月9以来だから、()ってて久しぶりに楽しかったよ」

 「そっか・・・それは良かった」

 

 何より蓮は、本当に女優(やくしゃ)として演技をすることを心から楽しんでいる。助演ながらも久しぶりに手応えのある役を勝ち取ったことを素直に褒めた俺に、“()り切った”というのがモロに伝わる笑みで答えるこいつの表情を視ればそれはすぐにわかる。やっぱり親友の立場として、蓮にはこれからもこうして飾らず“ありのまま”でいて欲しいのが願いだ。

 

 ついでにこれは余談になるが、蓮がサブヒロインを演じた映画でヒロインを演じているのは俺にとっては事務所の先輩でもある堀宮だ。

 

 「ま、國近監督の映画で準主役(2番目)の役を()った人に褒められても嫌味にしか聞こえないからあんまり嬉しくないけどね」

 「人がせっかく讃えてやったのになんだその態度は」

 「その前に誰のおかげで最後まで演じ切れたと思ってるんですかね後輩くん?」

 「チッ、すげぇとか言うんじゃなかったわ」

 

 にしても蓮のやつはこうやって会うたびに垢抜けていって段々と“芸能人”っぽくなっているように感じる。きっとそれは転校してから偶にしか会っていなかったせいだろうか、あるいは単純に纏う雰囲気に芸能人としての“オーラ”が出てきたからか・・・よくよく考えてみれば170くらいはある身長にスレンダーな体型と、何気に蓮は芸能人として普通に“良い素材”を持っているから、テレビなどで偶に見かけるような顔が何人もいるような空間にいてもひときわ“”があるように俺には視える・・・相変わらず揶揄い好きで生意気なところは全くと言っていいほどブレないが。

 

 「・・・やっぱり憬と話してるとそれだけで楽しいわ。愉快だし」

 「いい感じのことを言えば何でも解決するとは思うなよ」

 

 ただそんなことは、俺にとっては特に重要なことじゃない。何より大切なのは互いに有名になって、周りを取り巻く環境が本格的に“芸能人”らしくなってきてもこうやってしょうもない話ができる“親友”という唯一無二の関係でいられるこの瞬間が、これからも続いていけるのかということ。

 

 

 

 “『・・・次はちゃんと“カメラの前”でこんなふうに芝居が出来たらいいよね・・・私たち?』”

 

 

 

 「・・・なぁ、蓮?

 「ん?」

 

 だから俺は目の前にいる(こいつ)の隣に親友で居続けるために、“役者(ライバル)”として隣に立ち続けられるようにならなければ駄目だ。それは例え同じくらいの有名人になれたとしても、隣で芝居をして互角に戦えるようにならなければ意味がない。

 

 

 

 だから・・・ここからの3年間は役者として蓮の隣に一気に近づける最後のチャンスだと思っている。

 

 

 

 「・・・お前ってさ

 「あ、いたいた!ごめん“タマ”遅れた~」

 

 頭の中に浮かんだ言葉を蓮に伝えようと口を開いたタイミングで突如後ろのほうから蓮と思われる名前を呼ぶ女子の声が聞こえ、右側から微かに風のような気配を感じたかと思ったら俺たちと同じ制服を着た少し小柄な女子が駆け足のまま目の前の蓮に抱きついた。

 

 「よかった~ギリギリ間に合った~」

 「もー、だから言わんこっちゃなかったのに」

 「シンプルに反対側の出口に降りたせいで軽く迷子になりかけた」

 「伊織(いおり)は先ず駅の案内板を見ろ」

 「だってここはミュージカルの仕事で来たことがあったから“大丈夫、行ける”って思ったんだよ」

 「方向音痴の“大丈夫”ほど信用できないものはないっつの」

 

 背後から突然と現れ、自分のことを独特なあだ名で呼ぶ遅れてやってきた女友達と思われる女子に蓮は“やれやれ”と言わんばかりの表情でクールにツッコむ。とりあえずこの2人が友達だというのはものの数秒のやり取りで感じ取れた。多分彼女は、転校先で蓮と仲良くなった友達の1人だろう。そして他のコースと少し距離を置いてたむろする芸能コースの集団に“臆する”ことなく近づいて来たということは、見慣れない顔だけど彼女もまた“芸能人”だということ。

 

 “あと・・・なんかすげぇ気まずいんだけど俺・・・”

 

 「(・・・多分これって邪魔なやつだな、俺)」

 「ところでタマと仲良く話してたぽかったあなたは誰?

 「えっ?(“タマ”って蓮のことだよな・・・?)」

 

 という感じでいきなり目の前で始まった女子同士のやり取りに何とも言えない気まずさを感じてさり気なくフェードアウトしようとした俺を、蓮の隣に立つ女友達からの疑心の視線がいきなり捉える。

 

 「あぁそうそう、この人が横浜の学校に通ってたときにクラスメイトだった“愉快な友達”」

 「“愉快な友達”ってどういう意味だ

 

 そしてたった今まで友達と話していた同業者の幼馴染を、蓮は悪い意味で誇張しまくって女友達に紹介する。というか百歩譲って“芝居バカ”は認めるとして、“愉快な友達”はさすがに一言は言いたくなる。

 

 「・・・もしかしてこの人がタマの言ってた“愉快な友達”の夕野憬さん?」

 「そう、彼が噂の“愉快な友達”の夕野憬さんだよ」

 「“愉快な友達”じゃない・・・ていうか知ってたんですね俺のこと」

 「うん。タマと一緒に『ロストチャイルド』を観たから」

 「あぁ、アレ観てくれたんすね」

 

 蓮の女友達が既に俺のことを知っていたことはともかく、今は彼女の中に植え付けられた俺のイメージが“愉快な友達”という奇々怪々じみた変人でないことをただ祈りたい。

 

 「普段はわたしってああいうタイプの映画ってあんまり観ないんだけど、出ている演者さんの演技がみんな上手くて最後まで見入っちゃったよ」

 「ありがとうございます」

 「特に夕野さんの演技は同い年とは思えないくらい凄くて、観ていて思わず嫉妬しちゃった」

 「あはは、嫉妬は大袈裟だよ・・・(可愛い声に反して言ってることが怖えぇなこの子)」

 

 蓮と一緒に観たという『ロストチャイルド』の感想を、女友達の彼女はキラキラした瞳と少し鼻にかかる可愛らしい声で真っ直ぐ俺を見つめながら“嫉妬した”と馬鹿正直に伝えてきた。ひとまずこれでただの“愉快な友達”だと思い込んでいる節はほぼ消えたが、同時に可愛い声に反した正直な感情に得体の知れない“”のようなものを感じた。

 

 「そこ、煽てられたからって図に乗らない」

 「別に乗ってねぇだろ」

 「あと伊織、名前教えなくて大丈夫?多分相手が誰だか全く理解してないよ(コイツ)?」

 「・・・確かに。なにやってんだわたし」

 

 そんな女友達がまだ俺に自己紹介をしていないことに気付いた蓮がそれを指摘すると、彼女は“すっかり忘れてた”と言わんばかりの表情を浮かべて両手で自分の頬を軽く叩いて自分に喝を入れた。そして同時に俺は確信した。彼女は“”があるとかそういうのではなくて、ただ単に“天然”だということを。

 

 「じゃあ気を取り直して・・・わたしは初音伊織(はつねいおり)っていいます。“タマ”とは中学2年の2学期からずっとクラスメイトで、仲良くやってます」

 

 改めてかしこまりながら、蓮の女友達は自己紹介をして礼をする。

 

 「・・・もう蓮から名前は聞いてると思うけど、俺は夕野憬です。そこにいる蓮とは小6から中2の1学期まで同じクラスで、蓮と同じく役者やってます」

 「うん、夕野さんの名前はちょくちょくテレビでも聞くようになってきたからね。さすがは“有名人”」

 「いやいや、まだ俺なんて全然だよ」

 「それを言うならわたしなんて“声優”って時点で尚更だよ」

 

 彼女の名前は初音伊織(はつねいおり)。中2の2学期からのクラスメイトということで“女友達”という予想は当たったみたいだ。と言っても、予想するまでもなく2人の距離感を見るからに仲の良い友達というのは明らかだ。

 

 「声優・・・」

 

 そして彼女は声優をやっているというが、そもそもアニメは全くと言っていいほど観ない上に洋画は基本的に字幕で観ている身分の俺は、失礼ながら彼女のことは全く存じ上げていなかった。

 

 「えっまさか憬って役者の分際で“声優”すら知らないの?」

 「それぐらい分かるわ、アニメのキャラクターだとか洋画の吹き替えで海外の俳優に声を当ててる人のことだろ?」

 「う~ん、ちょっとざっくりしてる感は否めないけど一応正解」

 「あぁ、良かった」

 「普段は“声優”のことを1ミリも知ろうともしない分際で伊織に偉そうに」

 「(おまえ)は俺の第一印象をどれだけ下げれば気が済むんだコラ?

 

 俺が声優に纏わる知識に乏しいところを利用して、蓮が容赦なくキラーパスで印象を落としにかかる。正直言って声優に関してはアニメをほとんど観ずに育ったせいで本当にニワカ以下の知識しかないから、もの凄く浅い範囲でしか言葉で説明できない。

 

 「言っとくけど伊織、今MHKで夕方に放送してるアニメで“ヒロイン”の声やってるから」

 「・・・ヒロイン?凄いじゃん(凄いのは分かるけどどう凄いのかが伝わらない・・・)」

 

 だからアニメでヒロインの役をやっているということが“どれだけ凄い”ことなのか、俺には今一つ想像ができない。

 

 「毎週火曜の夕方6時にBS2でやるから良かったら観てね。スケジュール的にキツそうだったらどっちでもいいけど」

 「来週火曜か・・・今のところスケジュールは空いてるから観てみるよ。楽しみにしてる」

 「ほんとに?ありがと夕野さん」

 

 故にそんな俺に向かって“純粋な感情”で優しく微笑みながら自分がヒロインで出ているアニメのことを俺に話す初音の笑顔を視ていると、自分自身の無知さに少しだけ罪悪感を感じる。

 

 “・・・これを機にアニメとか吹き替えも観るようにするか・・・・・・きっとこういうのも芝居をすることにおいて何かの役に立ちそうだし・・・

 

 「騙されないで伊織。(コイツ)ヒロインを演じててすごいとか言って煽ててるけどアニメを一度も見てこなかったせいで何が凄いのか1ミリも理解してないから」

 「おいマジでてめぇ」

 「ううん、わたしは全然平気だよ~“声優”って職業はやっぱり俳優に比べるとまだまだマイナーだし、こういうのは“慣れっこ”だから」

 「いやあの、俺は本当にそういうつもりじゃ」

 「大丈夫大丈夫、タマなんて最初は声優のことを“スーパーで働いてる人”だって本気で信じてたくらいだから」

 「ちょっと伊織!?

 

 そして幸か不幸か、ニワカ以下の俺よりも遥か上を行くレベルの馬鹿(やつ)がすぐ近くにいた。

 

 「あ、ごめん。今の言わないほうが良かった?」

 「うん。普通に言わないほうが良かったかな・・・悪いのは私だけど」

 

 さすがにこればっかりは蓮があまりにも酷すぎて、例え親友だろうと何の擁護もできない。

 

 「蓮。お前よくそれで人に向かって偉そうな口叩けたな

 

 ていうか声優と“そっちのセイユウ”の違いが分からないとか、こんなやつとよく友達になろうと思ったよな初音さん・・・・・・って、そいつの親友でもある俺が言ったところで、説得力は皆無だけれど。

 

 「・・・ま、まぁ、あれは中2のバカだったときの私で、今はもう全然違うから」

 「今さら挽回したって見苦しさしかねぇぞ本当に役者かこいつ・・・?)」

 「・・・うっさいな“ひねくれ仮面”」

 「あ、“新ネタ”増えた」

 

 初音の純粋な“天然”さが流れ弾になって被弾して、珍しく弱った蓮を普段の仕返しとばかりに軽く弄る。そういやこいつもこいつで、一切アニメの話題をしてこなかったのは、そういう事だったのだろうか。

 

 「これ以上私を辱めたら憬の恥ずかしいエピソードを学校中にバラシてやるからな?

 「自業自得のくせによく言うわ

 「だいたい憬が食わず嫌いでアニメとか全然観ないからいけないんだよ

 「それは関係ないってかお互い様だろ?

 

 

 

 だからこそ普段から実写の映画やドラマしか観てこなかった俺たちは互いに波長が合って、互いに役者になれた・・・のかもしれない。

 

 

 

 「やっぱり、タマと夕野さんって本当に仲が良いんだね

 

 そんな俺と蓮のやり取りを傍観者になって見ていた初音が、俺たち2人に向けて微笑ましく笑う。

 

 「・・・・・・

 

 すると蓮はどういう訳か、どこか気まずそうに俺から視線を逸らして黙り込んだ。

 

 

 

 “『ねぇ、環さんって夕野くんと仲良いよね?』”

 “『うん、だってアイツは私の“親友”だから』”

 

 

 

 “・・・蓮?

 

 『まもなく開式のお時間となりますので、各コースの新入生並びに参列される保護者の皆さまは指定された席にお座りくださいますよう、お願いいたします

 

 蓮のどこかぎこちないリアクションに俺は僅かな“違和感”を覚えたが、理由を聞こうとしたタイミングでちょうど集合を告げるアナウンスが流れたせいで聞きそびれてしまった。




※本編で軽く触れた声優の事情についてはあくまでストーリーの中での話であり、実際の2001年当時の事情についても諸説があります。

ちなみに話は変わりますが、ひょんなことから“女の子の食卓”という漫画を見つけたのですが、1巻の表紙に描かれている女の子にどことなく“千世子っぽさ”を感じたのは僕だけでしょうか?(気になる人はググってみてください)


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scene.72 メインキャスト①

【人物紹介】

・環蓮(たまきれん)
職業:女優
生年月日:1985年9月16日生まれ
血液型:O型
身長:162cm(中2)→ 169.5cm(高1)→ 171cm(現在)



 4月5日_中野サンライズプラザ8F_第3研修室_

 

 大ホールでの入学式を終えた霧生学園芸能コースの新入生47名は、8階にある第3研修室に移動してホームルームを受けることになっている。

 

 「ねぇタマ?夕野さんは?」

 

 だがいるべきはずの研修室に、入学式に出席していたはずの憬の姿はない。

 

 「憬はこの後“どうしても外せない用事”があるみたいだから入学式だけ出てそのまま早退したよ」

 

 ホームルームの開始前、それに気づいた初音が出席番号の関係でちょうど隣の席に座っていた環に声をかける。

 

 「外せないってどんなの?打ち合わせみたいな?」

 「うん。打ち合わせがあるとは言ってた」

 「・・・へぇ~」

 

 

 

 “『えっ?憬もう帰るの?』”

 

 入学式が終わってホールの外に出ようとしたところでみんなとは違い裏口の方へと歩いて行く憬がちょうど見えて、私は呼び止めて理由を聞いた。

 

 “『あぁ悪い、この後どうしても外せない用事があるからもうここを出ないと駄目でさ』”

 “『・・・外せない用事・・・・・・何かの打ち合わせとか?』”

 “『・・・まぁそんなところだけどよく当てれたな』”

 “『“女優の勘”、みたいなものだよ。鋭いでしょ私?』”

 “『勘って・・・そういや牧さんからも同じようなこと言われた気がするわ俺』”

 “『そんなことより早く行ったほうがいいんじゃないの油売ってないで』”

 “『自分から呼び止めておいてその態度かよ・・・』”

 

 

 

 「入学式早々から早退ね~・・・ひょっとして夕野さんって意外と“ワル”だったりする?」

 「いや今のどこに“ワル”の要素あった?」

 「だってドラマとか学園モノの漫画でたまにいるじゃん?入学初日から学校サボるような不良生徒とか」

 

 そのときのことを話すと、伊織は想像の斜め上を突いた疑問を私にぶつけてきた。

 

 「確かにそういうのはたまにいそうだけど・・・残念ながら憬は不良とは無縁の“真面目ちゃん”だから」

 「うん、さっき話した感じからしてそんな気がしてた」

 「じゃあ何で聞いたし」

 「ホントかどうか気になって」

 

 ただこういうところは私が芸能活動の都合で東京(こっち)に来てからずっとクラスメイト同士ってこともあってだいぶ慣れてきたし、そもそも伊織の普段は少し抜けているけれどたまにぶっ飛んだことを言ってくるようなところは“親友”として私的には気に入っていたりする。

 

 

 

 “『オーディションを受けて、蓮と同じように俺も役者になる』”

 

 

 

 「気になるも何も見れば分かるでしょ?アイツのどこに不良の要素があるのさ?」

 「でも漫画とかで普段はメガネ掛けた大人しいガリ勉キャラなのにめっちゃ喧嘩が強いみたいなパターンもたまにいるじゃん?」

 「とりあえず伊織は漫画から一旦離れよっか

 

 

 

 きっとこんなふうに私の身の回りにいる友達に“曲者”が増えていったのは、もしかしなくても(アイツ)のせいだ。だって私にとって心を開ける“友達”になれるかどうかの基準は、いつだって最初に“親友”になれた憬だからだ。

 

 “『悔しい?』”

 

 そんな憬と受験の息抜きも兼ねて渋谷の映画館で『ロストチャイルド』を観に行ったとき、映画を観終えた私に向けられた言葉は忘れられない。スクリーンの中でユウトという少年を演じていた憬の芝居は、スクリーンの席に座って黙って観ただけで今の私より断然上手いのは手に取るようにわかった。同時にこれが主演の隣に立てる才能だっていうのも分からされて、同じぐらいの土俵かあるいは一歩差で私の後ろにいたと思っていたライバルに“いきなり二歩先を行かれた”気がして、自分が惨めに感じて無性に悔しくなった。

 

 “『だったら“芝居で勝つ”だけだろ・・・・・・蓮に勝った感じはしないけど』”

 

 でも憬は、惨めに負け惜しみをぶつけた私を見ても自分が勝っているなんて1ミリも思っていなかった。あの日の会話で偶然にも同じ高校を目指していたことを知って、私のことを親友としてだけじゃなく女優としても見てくれていることも知れて嬉しかった反面、その言葉を聞いた私は、暫く会わないうちに役者としても“親友”としても距離が広がってしまっていることを思い知った。

 

 それで負けず嫌いが斜め上に発動した私は、映画館からスタバに向かう途中で隣を歩く憬にやるつもりのなかった“らしくない”ことをしてしまった。

 

 

 

 「・・・でもなんだか羨ましいよね。夕野さんみたいに早退するのって」

 「何が?」

 「だって“仕事があるから”って理由で早退だとか学校休んだりするのってさ、なんか人気者みたいでシンプルに憧れない?」

 

 外せない用事があるからと入学式が終わってすぐに早退した憬のことを、“シンプルに憧れる”と伊織はどこか儚げに笑いながら言う。

 

 「あ~、言われれば私も分かるかもそれ」

 「タマはもう十分人気者じゃん。6月の映画でサブヒロインやるわけだし」

 「それ言うなら伊織は現在進行形でヒロインやってるでしょ」

 「一応タマよりは長い間お芝居やってるからね」

 「急に先輩らしいこと言ってきたな」

 

 そう言って憬を羨ましがっている伊織も、MHK衛星で毎週火曜の夕方6時に放送されているアニメでヒロインの声を()っている。

 

 「これでもわたし、声優歴はまだ3年目だけど芸歴だけなら10年目だから。遅咲きの底力を舐めないで頂きたい」

 「いやナメてないです“伊織先輩”」

 

 正直言って声優という仕事の現場のことは畑が全く違うからよく分からないけれど、声優になる前は子役をしていてミュージカルで主人公の幼少期や物語のキーマンを演じたり、端役ながら見せ場のある役で大河ドラマにも出たことがあったりと伊織には声優以前に女優としての実力も実績も十分にあることは私も知っている。

 

 「けどさぁ、ヒロインになれたからって収録が毎回放課後からだから結局学校休めないんだよね~」

 「別に仕事で学校を休むこと(イコール)人気者ってわけじゃないでしょ。事務所と相談して学校が休みの日にまとめてスケジュールを入れるなんてこともやろうと思えばできるし」

 「うん、知ってる」

 

 ただ静流のように“先輩”という雰囲気が全くしない振る舞いのせいで伝わりづらいけれど、私にとって伊織は役者としては“先輩”だしヒロインの役を勝ち取れるだけの実力も価値もある。だから4年目の私がまだ“3番手の価値”しかないことは、致し方ないことかもしれない。

 

 だって私は・・・

 

 

 

 “_『ユースフル・デイズ』半井亜美役オーディション・最終選考_

 

 

 

 

 

 

                        _不合格とさせていただきます。_

 

 

 

 「・・・私だって憬が羨ましい

 

 ヒロインと準主役を射止めた2人の親友と自分を比べて少しだけネガティブになった心が、言うつもりのなかった独り言を呟かせた。

 

 「どうして?夕野さんが自分より人気者だから?

 「・・・ううん。そうじゃない

 

 相変わらずの裏表のなさそうな表情(かお)で見つめる伊織に、私は少しだけ強がって笑みを作る。

 

 「伊織と一緒だよ。自分より先に誰かが走っているなら、その人に追いついて追い越したくなるのが“私”だからさ・・・

 

 せっかく掴みかけたチャンスは、またしても私の掌からこぼれ落ちた。悔しいけれど、いまの私には“主人公とその隣(メインキャスト)”になれる実力と運はない。悔しいけれど、私には憬のように一回で“感情を盗める”ような才能もない。きっと憬だって誰にも負けないくらい努力しているけれど、それは私だって同じだ。

 

 

 

 “『・・・なんで母ちゃんは・・・・・・俺を殺そうとしたの?』”

 

 

 

 でもどんなに努力したって、“天性の才能”っていうものは時に努力を嘲笑うかのように軽々と飛び越えて行って、“大丈夫だ”と自分に言い聞かせていた強がりをただの“弱虫”にしてしまう。

 

 

 

 “『私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ』”

 

 

 

 それでも自分が負け続ける現実を受け入れたくないから、(ライバル)にこれ以上置いていかれたくないから・・・できることならこれからもずっと、2人してしわしわになったおじいちゃんとおばあちゃんになっても役者でいたいから・・・逃げないと決めた。

 

 

 

 “『・・・・・・』”

 

 なのに・・・どうして私はまた・・・

 

 

 

 「・・・タマなら大丈夫だよ。だってタマにはもう主人公(ヒロイン)になれる力はとっくにあるんだから

 

 私のどうしようもない強がりなプライドに、聞き慣れた可愛らしい声と芯を突く言葉が心に伝わる。ほんと、“持つべきものは友”とはよく言うけれど、こういうときにいつも何気ない一言でクラっときてしまう流されやすい自分は相変わらず嫌いだ。

 

 「・・・伊織ってさ、たまに凄く“先輩”らしくなるよね?」

 「えっホントに?じゃあ一生に一度のお願いでもっかい言ってくれる?」

 「こーいうところがなかったら普通に先輩として尊敬できるのになー」

 「も~せっかくイイ感じのアドバイスしたのに冷たいこと言う」

 

 

 

 “『今日は蓮の声を聞けて本当に良かった・・・・・・ありがとう・・・』”

 

 

 

 「けど・・・おかげで“スイッチ”は入ったみたい・・・ありがとう

 

 

 

 だから私は他人の言葉に流され続ける弱い自分と決別して、何としてもライバル(みんな)に勝って物語の主人公(ヒロイン)にならなくちゃいけない。そうしないと“みんな”からどんどんと置いていかれて、女優のまま生きることが許されなくなってしまいそうだから。

 

 

 

 「・・・どういたしまして

 

 1年の芸能コースを担当する教師が研修室に入りホームルームまでの待機時間が終わる数秒前、隣の席に座る悩める親友からの不器用な感謝に、初音は“先輩”として優しく感謝を返した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_成城メディアスタジオ_

 

 4月5日。本当だったら入学式を終えてその後にホームルームをやって、そのまま今日から卒業までお世話になる芸能コースの寮に向かう予定だったはずが、どういうわけか俺は成城にあるテレビスタジオに来ていた。その理由はただ一つ、7月から火10で放送される予定のドラマ『ユースフル・デイズ』のメインキャスト4人の初めての顔合わせと、来週火曜からの情報解禁に向けて宣伝用として4人が揃ったティザーを撮影するためだ。

 

 “まさか入学式と丸被りになるなんてな・・・”

 

 ちなみに俺も含めたメインキャスト4人は当初のスケジュールだと一昨日には全部終わらせていたはずが、当日の朝になってそのうちの1人に“代役”で急遽仕事が入ったことで今日に変更された。もちろん、あのようなスケジュールの急な変更は芸能界(この世界)じゃ決して珍しいことではないというから、よほどの許容範囲(キャパシティ)を超えてこない限りは大人しく妥協して受け入れるしかない。これもまた、芸能界を生き抜くための術の1つだ。

 

 ただ・・・

 

 “今更だけど、初めましての顔合わせで制服ってどうなのよって話じゃね?”

 

 まさか霧生の制服を着たまま“こんなところ”に向かう羽目になるとは思わなかった。他の2人は今日が初めましてだから分からないけれど・・・堀宮は絶対に何かしら言ってくることは容易に想像ができる・・・と、頭の中で雑念をまき散らしながら15分後からメインキャスト4人の初顔合わせが行われる2階の会議室Bへと足を進める。

 

 “そういえば最初に出たドラマの顔合わせも、“ここ”だったよな・・・”

 

 初めての顔合わせ。本当に右も左も何もかもが分からなかった中2のとき、牧に連れられてこの通路を歩いた日がもう既になんだか懐かしい。あの頃の俺は周りを取り巻く有名人と目が合うたびにドギマギするような“赤ちゃん”だったが、今じゃこうやって“メインキャスト”の看板と共に堂々と1人で歩けるようになった。

 

 

 

 “『・・・やっぱり憬と話してるとそれだけで楽しいわ。愉快だし』”

 

 

 

 ここまでの場所に辿り着けたのは、同じ世界で同じ夢を生きる親友()の存在を無くして語ることはできない。相も変わらず売られた喧嘩を買ったのに未だに蓮の背中を追い続けている現状は変わらないけれど、自分の目の前にライバルが走っていればそれだけで深い理由なんてなくても頑張れることが出来て、互いが切磋琢磨をして自分の芝居を高められる。それを繰り返してみんながみんな巡ってきたチャンスを掴んでいったように、俺もチャンスを掴んでメインの1人を張ることを任された。

 

 そうして親友だけでなく“役者”としても近づいたつもりだったのに、蓮のことを理解出来なくなる瞬間は減るどころかここに来て増え始めている。

 

 

 

 “『お前ってさ、俺のことどう思ってる?』”

 

 

 

 入学式が始まる前にロビーで会ったときに聞こうとしてすっかり聞きそびれてしまった答え。俺のことを相も変わらず“親友”だと思っているのか、それとも“役者(ライバル)”だと意識しているのか、あるいは・・・

 

 “・・・いや・・・“あるいは”、はないな・・・

 

 いや、多分あいつに限ってそれはないだろう。そもそも蓮は、俺みたいに芝居の感情を日常にまで持ち込まないと役を作れないような不器用なやつじゃない。

 

 “『本当に“惚れる”なんてやめてよね?』”

 

 ただ、『ロストチャイルド』を観た後に“シミュレーション”と称して恋人繋ぎをしてガチな芝居を仕掛けて来たときは本気で焦った。もちろん即興劇(エチュード)をしていたという意識が根底にあったから抜け出せたけど、あれを見せつけられたことで近づいていたと思っていた蓮との差は逆に広がっていたということを思い知った。

 

 “『・・・・・・』”

 

 それにしても、どうして蓮はあんなに気まずそうにしながらよそよそしく俺から視線を逸らしたのだろう。まぁ確かに、傍から“仲が良いね”と言われたら本当のはずなのに訳もなく少しだけ恥ずかしくなる感覚は俺だってわかる。だけど、俺の知っている蓮はそうやって本当の自分を隠すようなことはしない。

 

 少なくとも、俺が役者になる前は・・・

 

 

 

 “『ねぇ、環さんって夕野くんと仲良いよね?』”

 “『うん、だってアイツは私の“親友”だから』”

 

 

 

 “・・・って、こんなときに俺は何で蓮のことを考えてんだ?

 

 2階に上がり、顔合わせを行う会議室の扉が見えたところでハッと我に返る。本当に俺は、何を馬鹿みたいに蓮のことを考えていたのか。

 

 “『えっ?憬もう帰るの?』”

 

 あの後、入学式が終わって一足先にホールを後にしようとした俺に話しかけてきたときの蓮は、本当にいつも通りのただの親友だった。冷静に考えてみれば、あれはきっと初音から“仲が良いね”と言われて何となく恥ずかしくなってしまっただけ。あんまり意識はしたことないが、蓮は女優以前にれっきとした女子だ。だとしたらどうってことはない。あのリアクションは“思春期”的なやつだろう。

 

 “参ったな・・・こんなことを無意識に考えるようになったのは“役作り(純也)”の影響か?”

 

 ひとまず斜め上の方角へ傾いていた思考を半ば無理やり一旦リセットして、俺はメインキャスト4人の顔合わせが行われる会議室Bの中へと入った。

 

 

 

 「噂をしてたらほんとに来たよ」

 「・・・何の噂ですが杏子さん?」

 「だって今日って霧生は入学式なわけじゃん?だからスケジュールを逆算したら絶対に制服で来るだろーなって、“あずさ”と話してた」

 「どんだけしょうもないことを話してたんすか・・・」

 

 月9の顔合わせをした会議室Aに比べて少人数で事足りる会議室Bに入ると、既に先着して用意された席に座っていた千代雅(ちしろみやび)役の堀宮が制服のまま顔合わせに現れた俺の話題に早速触れる。言うまでもなく、この辺りのことは予測していたからどうってことはない。

 

 「ちょっと杏子、あんまり揶揄うのは」

 「あぁゴメンゴメン。そうだそうだ、あずさはさとるとは初対面だったか」

 

 そして堀宮の隣には、少し紫がかった髪をした“和風美人”っぽさのある清楚な雰囲気の凛とした顔立ちの1歳年上の女子が座っていた。もちろん彼女のことは、同じ芸能界(せかい)を生きる人間として既に知っている。

 

 「初めまして・・・私はスターズ所属の永瀬(ながせ)あずさと言います。お互いに今回が初めてになりますが、一緒に頑張りましょう」

 

 堀宮の隣に座っていた彼女は、椅子から立ち上がり清楚な雰囲気そのままに礼儀正しく深々と礼をしながら少しばかり緊張気味に挨拶する。

 

 「カイ・プロダクション所属の夕野憬です。こちらこそよろしくお願いします」

 

 

 

 永瀬(ながせ)あずさ。スターズが今現在プッシュしている若手女優で、2年前に行われたスターズの新人発掘オーディション(※ちなみに俺は3次審査で落ちた)で“スターズの王子様”として知られる一色十夜と共にグランプリを獲得し、女優としてデビューした所謂同世代だ。ただデビューしてすぐに事務所の広告塔として一気にスターダムを駆け上がっていった一色とは対照的に、永瀬の名前が世の中に広く知られ始めるようになったのは去年の後半辺りからだ。その理由としてはちょうどタイミングが受験と重なったことなどを考慮して最初の1年間は女優及び芸能人としての育成に当てていたため、本格的に芸能活動を始めたのが去年からになった・・・と“風の噂”で俺は聞いている。

 

 ただ、表舞台に出始めてからの活躍はさすが新人発掘オーディションでグランプリを獲っただけあって目覚ましい。去年の後期に放送されたMHKの朝ドラに物語後半からの登場とはいえ重要な役どころを演じて注目を集め、今年は隣にいる堀宮から引き継ぐ形でイメージキャラクターに抜擢されたシェアウォーターを始め既に4社の大手企業のCMに出演し、7月には初主演の映画が公開されるなど女優活動は順風満帆だ。

 

 もちろん彼女こそ、今回の『ユースフル・デイズ』で4人の主要人物の1人である半井亜美(なからいあみ)役に抜擢されたメインキャストだ。

 

 

 

 「2人とも肩に力入れ過ぎだよ、これから“クラスメイト”になるんだからもっとラフに行こ?」

 「・・・そう、ですね。ちょっとかしこまり過ぎてしまいましたね」

 「うん、俺も雰囲気に飲まれてつい」

 「さっきから冴えない男女のお見合いか

 

 大真面目に自己紹介を終えた俺と永瀬によってすっかり堅苦しくなった空気を、4人のキャストの中では最も芸歴が長い堀宮が先輩らしくツッコミを入れつつ和らげる。今になって気付いたが、よくよく考えてみれば新旧のシェアウォーターのイメージキャラクターが2人して揃っているこの光景は、何気に凄いのかもしれない。

 

 「ちなみにあずさとあたしは幼稚園から中学までずっと同じだった幼馴染だから、そこんとこもよろしくね」

 「幼稚園から・・・それはすごいな」

 

 そしてどこか緊張が隠せない幼馴染を椅子に座ったままパーカーのポケットに手を突っ込み微笑む堀宮と、少しだけ恥ずかしそうにしつつも満更でもない絶妙な表情で俯く永瀬。それにしても幼稚園からの幼馴染とこうやって同じ女優としてずっと隣にいる関係を見るのは、何だか運命的な何かを見せつけられているかのような不思議な感覚になる。

 

 「そうでしょ?さすがに高校は別々になっちゃったけどね」

 

 そう思っている俺も他人のことは言えない立場にいるから、当然それは口にはしない。

 

 「・・・そう言えば、演出の黛さんとプロデューサーの上地さんはいつになったら来るんでしょうか?」

 

 俯きながら照れを隠す永瀬の言葉で、俺はこの会議室に今日の初顔合わせとティザー撮影を仕切る演出とプロデューサーの姿がないことに今更ながら気が付いた。

 

 「確かに、いない」

 「さとる今気づいたの?」

 「はい、ちょっと演じる役について考え事しながらここに入ったので気づきませんでした」

 

 俺としたことが、これは少しだけ不覚だ。何だか今日は、ちょっとだけ調子が悪いみたいだ。

 

 「あははっ、さとるってマジで変なところで抜けてるよね?」

 「笑うことじゃないですよ杏子さん」

 「いやいやいや、考え事してても入った瞬間に分かるでしょ普通?」

 「そうやって全部決めつけるのは良くないですよ」

 「決めつけるも何もほんとじゃん」

 「はぁ、こういうところがなかったら先輩として普通に尊敬できるのにな」

 「うっわ出たよ“ドライモンスター”」

 「“ドライモンスター”って何なんすか?」

 「略して“ドラいもん”」

 「略すどころかただのタチの悪い“パチモン”になってんじゃないすか」

 「うわ~ん、助けてドラいも~ん

 「“ヒミツ道具”でぶっ飛ばされたいのかアンタ?

 「・・・ふふっ」

 

 そんないつもより調子が悪い後輩を揶揄う堀宮と図星を突かれてバツの悪い感情で言い返す俺のやり取りを見ていた永瀬から、ようやく笑みがこぼれた。

 

 

 

 “『とにかくこれからは、スターズの名に恥じないような、1人前の女優になるために、日々努力したいと思っています』”

 

 

 

 俺が初めて永瀬の姿をこの目で見ることになった、ブラウン管越しに視たオーディションの合格者のデビュー会見のダイジェストの記憶がふと蘇る。つい昨日まで普通の高校生だったとは思えないほど堂々としていた一色に対して、緊張で言葉が所々で途切れながらも初々しくも健気に女優になる決意をカメラと報道陣を前に話していた永瀬。

 

 「あ、夕野さんすみません。つい・・・」

 

 “()”が付くほど真面目そうな永瀬は、意図せず笑ってしまったことを本当に申し訳なさそうにして謝る。ほんの少し言葉を交わしただけでも分かる、彼女の不器用で融通が利かない“正直”さ。

 

 「あぁいえ、俺は全然大丈夫です」

 

 どちらかというと俺も器用になんでもこなせるような人間じゃないから、いざという時に限って気の利いた言葉が思いつかない。

 

 「とりあえず・・・俺のことは下の名前で呼んでくれていいんで、何なら芸歴も同じだからタメ口で話す、っていうのはどうですか?」

 

 悩みながら紡いだ挙句、自分でも“何様だ?”と突っ込みたくなる言葉が口から出た。しかもタメ口でいいからと言っておきながら、当の本人は思いっきり敬語で話しているというチグハグさ。そしていつもならこういうときに助け舟を渡してくるはずの堀宮は、椅子に座ったままぎこちない後輩2人を優しく見守っているだけだ。

 

 「まぁ無理にとは言わないし・・・自分からタメ口でいいっておいてずっと敬語だし何言ってんだこいつ?みたいな感じになってるけど」

 「ほんとだよ」

 「分かってるから杏子さんは一旦黙っててください」

 

 16年弱生きてきてたったいま分かった。どうやら俺は、自分と似たような人種(タイプ)と話すのが苦手なようだ。思い返せば俺がこれまでの人生で出会ってきたのは揃って自分とは大きく異なる感覚を持った人たちばかりで、そういう人たちの背中ばかりを追い続けていたから良くも悪くも“引っ張ってもらえる”環境に身も心も慣れてしまい、いつの間にかそれが当たり前になっていた。

 

 でもそんな下らない苦手意識は、これからも役者を続けていくためには取っ払っていかなければならない。もちろんそれは自分の為だけじゃなく、みんながみんな自分の芝居を楽しんでいくためだ。

 

 「とにかく・・・俺は永瀬さんと“クラスメイト”になりたいから・・・・・・今日からよろしく

 

 何とか絞り出したそれっぽい言葉と一緒に、俺は永瀬に共演者(なかま)として握手を求めた。

 

 「はい・・・よろしくお願いします。憬さん

 

 俺が差し出した右手に、3秒ほどの間を空けて永瀬は真っ直ぐな視線で意思を伝えて自分の右手を差し出して、俺たちは握手を交わした。たかが初めましての自己紹介の流れで握手をしただけなのに、謎にドラマのクライマックスを観たときのような感覚が俺を襲う。

 

 「・・・良い奴でしょ?さとるって

 

 共演者として俺と握手を交わした永瀬に、ついさっきまで人のことを“ドラいもん”呼ばわりしていたことなんてなかったかのように“手のひらを返して”堀宮が優しく声をかける。相変わらず、この人はその場のノリで主張をコロコロ変えてくるから油断ならない。

 

 「・・・えぇ、多分」

 「だってよさとる?」

 「いや俺に聞かれても(あと多分て・・・)」

 

 そして幼馴染の堀宮にはにかみながら永瀬は正直に気持ちを伝える。まだ決めつけるには早いけれど、ここで下手に気を遣うようなことをせずに“多分”と素直に答えるところが、いかにも“彼女らしく”感じた。

 

 「親睦は深められたかい?高校生諸君?

 

 背後のほうで少し低めな男の人の声が聞こえ永瀬と握手したまま声のするほうへと振り返ると、この俺を芸能界に招き入れた張本人である大男のプロデューサーと今回のドラマで演出を手掛ける(まゆずみ)がいた。

 

 「おっ、いいねぇ~こうやって握手をして共演者同士で結束を深める。いかにも高校生らしいじゃないか」

 「これは高校生らしいって言えるんですか?(ていうか“らしい”って何・・・)」

 

 意気揚々とした感じで指パッチンをしながら俺と永瀬に笑いかけるプロデューサーの上地を前に、俺たちはサッと手を放す。誘拐まがいに現場に連れて行かれたあの日からもう既に何度か現場で会っているが、俺はこのプロデューサーの年齢不詳で落ち着きがないのかあるのか分からない飄々とした振る舞いには未だに慣れず、はっきり言ってしまえば苦手だ。役者を続けるなら取っ払うべきものは苦手意識だが、未だに苺嫌いを克服できないのと同じように本当に駄目なものはどうしても駄目みたいだ。

 

 「それにしても夕野くんは制服を着ていると本当に園崎純也(そのざきじゅんや)をそのまま実写にした感じだねぇ。うん、やっぱり僕たちの目は正しかった」

 「それは褒めていると取っていいんですか?」

 「もちろんだとも。ねぇ黛ちゃん?

 「そうですね

 「(・・・大丈夫かこの2人?)」

 

 霧生の制服を着た俺を見て茶化すような態度で褒めちぎる上地と、隣のプロデューサーの主張に如何にもな営業スマイルで答える演出の黛。握手をして結束を深めた俺たちとは対照的に、それぞれで我が強い2人からはプロデューサーと演出の見えない火花を感じる。ちなみに黛は俺が初めて出演した月9のときの演出補佐で会ったのはそれっきりだったが、あの頃から我が強そうな人だなとは思っていた。果たして、来月から始まる撮影はどうなることやら。

 

 “あれ・・・確か今日はもう一人・・・”

 

 「あれ上地さん?“王子様”はまだ来ないの?」

 

 心の中で浮かんだ言葉を代わりに言うかのように、堀宮が上地にメインキャストの4人のうちの1人である一色がまだ来ていないことを問う。

 

 「そうそう彼のことだけどさっき僕のところに連絡が入ってね、午前からの撮影が機材トラブルで長引いてしまったせいで遅刻するってさ」

 

 どうやら上地曰く、一色は機材トラブルがあって遅刻するらしい。元を辿れば顔合わせとティザーの撮影が今日にずれ込んだのは、このドラマで神波新太(こうなみあらた)を演じる一色に代役の仕事が舞い込んでしまったためだ。もちろんどちらも原因は不可抗力のアクシデントだから彼のことは責められないと言われたらそれまでだけれど、こうやって二度も振り回されると個人的に良い気はしない。

 

 「マジで~?まぁでも、今日集まるメンツの中じゃ一番忙しいからなぁあの人」

 「一応私の携帯には“なるはやでそっち行くからよろ”ってメールが来てました」

 「待ってあずさって一色先輩のメアド持ってんの?」

 「十夜さんは同じ事務所だから」

 「言われてみればそうじゃん・・・」

 「あの、もしかして杏子さんって一色十夜さんと何か関係が?(ていうか“先輩”って・・・)」

 「同じ学校の先輩。って言っても年中ほぼスケジュール埋まってるっぽくて学校にはほとんど来てないけどね」

 「そうなんですね(そういや霧生に通ってるのは有名な話だったな)」

 「冗談かもしれませんが、ついこのあいだ事務所でバッタリ会ったときに“オレ多分、もう卒業式以外出れないと思うわ”と言ってました」

 「さすがにそれは冗談が過ぎマクリマクリスティーだけどマジな可能性もなくはなさそうなのが何とも」

 「毎日のようにテレビで見ますからね一色十夜さんって」

 「ただぶっちゃけ芸歴はあたしのほうが先輩だからその辺がちょっと複雑なんだよねー・・・・・・はぁぁ、こっちは10年かけてここまで這い上がってきたってのにドチクショウ

 「最後のほうで思いっきり私情が溢れてますよ杏子さん」

 「知るかボケー、てゆーかよくよく考えたらさとるも後輩じゃね?」

 「でしたね」

 「気付くの遅くない?」

 「遅いも何も今日入学したばっかなんでまだ分かんないっすよ正直」

 「・・・来たかも」

 

 なんて感じで堀宮からいつもの如く弄られつつメインキャスト3人で何気ない会話をしていたら、会議室の外の空気がガラッとピりつく気配がした。

 

 「どんな手品を使ったのかは知らないけど、思ったより早く終わったみたいだね

 

 資料を片手にテーブルを挟んだ反対側へと歩きながら上地が独白のように呟くと、会議室の扉が音も立たずに開いた。

 

 「ギリギリセーフ・・・と言ったところだね。十夜くん?

 「おかげさまで

 

 上地に挨拶がてら被っていた帽子(キャップ)を取ると露になる、ブラウン管や街のビジョンで何度もこの目に映った、白銀の髪と琥珀色の瞳をした王子様。もうすっかり見慣れていたはずだったのに、こうして実物に遭遇すると彼から発せられるオーラに思わず視線(いしき)を持っていかれる。大物俳優や大御所から放たれる荘厳さとは違う、“主演俳優”しか持ち合わせない有無を言わせぬ唯一無二の存在感だけど、同じような存在感を放っていた早乙女とも違う・・・1人だけ異なる次元にいるかのような輝き。

 

 「しかし機材トラブルがあったというのに、よく間に合ったよね?」

 「だって今日はずっと“会いたかった人”に会える最高の日だからさ。そんな日に遅刻することはみんなに失礼だし・・・何よりオレがオレを許せない・・・

 

 そうして一番最後に現れたメインキャストに気を取られていたら不意に目が合い、呆気に取られていた次の瞬間・・・

 

 “・・・!?

 

 “スターズの王子様”は俺の両肩に手を掛け、一歩でも間違えればキスをしてしまいそうなほどの至近距離に顔を近づけていた。

 

 

 

 「サトルはショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?

 

 これが、一色十夜とのファーストコンタクトだった。




85話目(キャラ紹介含む)にしてようやく、憬と十夜が相対しました。そしてもう一人の新人発掘オーディション合格者、永瀬あずさも85話目にしてついに本格的に登場です。ちなみに彼女が前に登場したのが9話なので、実に76話ぶりの登場になります。

というわけでほぼほぼ自己紹介だけで丸々2話を使ってしまうという安定のテンポの悪さ・・・これは草すら生えませんね・・・・・・もう少しテンポよく進めていけるよう努力します。







江戸前エルフおもしろ


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scene.73 メインキャスト②

【人物紹介】

・永瀬あずさ(ながせあずさ)
職業:女優
生年月日:1984年4月29日生まれ
血液型:A型
身長:164cm


 「サトルはショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?

 

 仮に誰かが後ろからちょっかいを出した弾みで少しでも間違って足がもつれるようなことがあろうものなら、ほぼ間違いなくキスをしてしまいそうなほどの距離感で俺を凝視する“スターズの王子様”。

 

 「・・・・・・ちょっと何言ってるか分からない」

 「何で何言ってるか分からない?」

 

 あまりにも予想外すぎた不意打ちのせいで聞き逃した俺を、一色は間髪入れずに畳みかける。とりあえず、俳優(スター)として“歩く社会現象”と言われるほどの影響力を持つあの一色十夜から初対面からいきなり至近距離で迫られて“脅されている”に近しい状況に置かれると、シンプルにビビる。

 

 言うまでもないことだが、恐ろしいことに一色は学年こそ俺の2コ上だが芸歴的には同期の直接的な“ライバル”ということになる。

 

 「ねぇ、あずさは一色先輩からショートケーキのこと聞かれた?

 「うん。私のときは普通にさり気なくだったけど、ショートケーキのことは初対面で聞かれた

 「ちなみにあずさはどのタイミングで食べる派?

 「・・・私は一番最初かな

 

 もちろん、俺の背後でギリギリ聞こえるか聞こえないかぐらいの声量の囁き声で堀宮とショートケーキの苺の話をしている永瀬も“同期”の1人で、今や同世代の若手女優の中では牧や堀宮に続いて名前が上がるようになったほどの人気者(スター)だ。

 

 「いやだって・・・急にこんなふうに顔を近づけられたら、ビビって聞き逃すでしょ普通」

 「じゃあもう“二言”はないよな?」

 「だから“じゃあ”って」

 「もう一度聞くけど、サトルはショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?

 「人の話聞いてる?」

 「人の話を聞いてるからオレは同じことをサトルに二度も聞いてんじゃん

 「(駄目だこの“王子”会話が全然噛み合わねぇ・・・)」

 

 そしてこの王子と来たら、芸能人としての雰囲気だけでなく言動や振る舞いまでも“異次元”ときた。芸能界という環境で約2年を過ごしてきたからどうにか冷静に対峙出来ているが、 “月9”のときの俺だったら間違いなくオーラと変人めいた振る舞いにただ圧倒されてしどろもどろになっているだろう。

 

 「・・・そもそも俺は苺が嫌いだから、ショートケーキも食わないよ・・・

 

 とにかく“ショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べるか?”という質問に答えなければ先に進めないことが分かったから、半ば諦めの境地になって正直に答える。

 

 「・・・・・・食わない?ショートケーキを?

 

 すると俺の目を捉える琥珀の視線がほんの一瞬だけ天井を見上げ、スッと元に戻ると“嘘だろ?”とでも言いたげな表情をわざとらしく浮かべながら倒置法で俺を問い詰める。

 

 「うん」

 「マジで言ってんの?」

 「マジ」

 「苺が食えないならケーキのとこだけ食べるとかもしないの?」

 「やったことないけど、ケーキの部分だけなら多分いけると思う」

 「じゃあ給食でたまに出てくるデザートの苺はどうしてた?」

 「普通に残してた」

 「勿体ないとか思わない?」

 「考えたこともない」

 

 言っておくが俺は苺が嫌いだ。どうして嫌いになったのかはっきりとは覚えていないけれど、ギリギリで物心が付いたあたりの頃に初めて口にしたときから身体が苺を受け付けてくれなかった。

 

 「苺のどこか嫌い?」

 「嫌いっていうか・・・身体が受け付けない、みたいな」

 

 苺より酸っぱいレモンは普通に口に出来るし、同じクラスにもう一人いた苺嫌いの奴のように見た目が嫌というわけじゃない。ただ、間違って苺が口の中に入ったりすれば身体が受け付けないレベルで苺の味を拒絶する。それだけのことだ。

 

 「・・・そんなに苺が嫌いなのか?サトルは?

 「嫌いだよ。俺にとって苺は“劇物”を口に入れるに等しいから

 

 

 

 “ていうか・・・さっきから俺はいったい何を試されているんだ・・・?

 

 

 

 「なるほどな・・・・・・やっぱりサトルは、オレの“想像通り”だ

 「・・・いや、何が?」

 

 唐突に始まった“苺談義”的なものは、何が何だか分からないうちに向こう側が勝手に解決してくれたらしく、ようやく一色は両肩に掛けていた手を離して浮遊するかのような軽やかな足取りで2歩ほど下がった。

 

 にしてもこの何を考えているのか、目の前で凝視されているのにこっち側からは本当の感情が全く読めない奇妙なこの感覚はどこかで・・・

 

 

 

 “『そっか・・・憬くんは“正直”なんだね』”

 

 

 

 「アレ?ひょっとしてサトルって霧生?」

 「えっ、あぁうん今日から・・・って何でこのタイミング?」

 「ちょうど霧生の制服着てんのに気付いたから」

 「あぁ・・・そう(にしても今?)」

 

 なんて生まれて初めての顔合わせのときのデジャブを感じたところで、一色は俺が霧生の制服を着ていることに気付いた。一瞬の驚きの表情を見た瞬間に、これはわざとではなくガチだというのは分かった。

 

 「じゃあ、4人揃ったところで始めますか」

 

 そして俺たちメインキャストの頃合いを図った上地の一言を合図に、メインキャスト4人の最初の顔合わせが始まった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「では、改めて説明させて頂きます。今回のドラマ『ユースフル・デイズ』は今年の7月からテレビフジの“火曜夜10時枠”にて放送される連続ドラマになります。そして今日ここに集められた4名の皆様はそれぞれ神波新太(こうなみあらた)役に一色十夜さん、園崎純也(そのざきじゅんや)役に夕野憬さん、千代雅(ちしろみやび)役に堀宮杏子さん、半井亜美(なからいあみ)役に永瀬あずささん、という具合で本作における主人公(メイン)となる4名を演じていただきます_」

 

 会議室Bでプロデューサーの上地と演出の黛、メインキャストの4名が机を介して対面する形で、この後のティザー撮影を前にした最初の顔合わせは淡々と進んでいった。改めて説明された内容の多くは事前に海堂から聞かされていたことから補足を兼ねたもので、どちらかというとオファーに関する意思確認を問うような感じで他の3人と共にドラマの企画や資料内容を再確認していった。

 

 「_ちなみに撮影開始(クランクイン)は現時点で決まっている皆様のスケジュールを考慮した上で5月19日を予定していますが、ここまでで何か質問は?」

 「あの」 「すいません」

 

 ひとまず淡々とした口調で続く黛からの説明がある程度のところまで進んでひと段落し、資料を見ながら受ける中でどうしても引っかかった部分があった俺は思わず声をかけたが、ほぼ同じタイミングで堀宮も声をかけたことで、不意に見合う恰好になる。

 

 「俺は後からでいいんで先にどうぞ」

 「ううんさとるが代わりに言っていいよ、多分だけど質問したいことは同じだと思うから」

 「だったら尚更、ここは先輩の杏子さんが」

 「あたしのほうが僅差で遅かったし、全然いいよ」

 「・・・じゃあ、俺が言います」

 

 幾ら相手が同じ事務所で遠慮をしない程度には近しい関係にある堀宮と言えど先輩を差し置くつもりはないから潔く譲ろうとしたが、結果的に譲り合いの状態になってそれをプロデューサーの上地から温かい視線を無言で向けられたおかげ気恥ずかしくなってしまい、根負けして俺が堀宮の分も含めて質問することになった。

 

 「脚本のところが“審議中”って書かれてますけど、これは決まっていないってことですか?」

 「てことです。良いところに気付いたね」

 「いや、普通にこう書かれてたのが気になっただけです」

 

 渡されたドラマ関連の資料の中に書かれていた“脚本:審議中”という欄を指摘すると、上地から少し大袈裟気味に言葉を返された。直接口にしたら負けだと自分の中で決めているが、俺は上地の“こういうところ”がどうも子供扱いされてる気がしていけ好かない。

 

 「では脚本の件に関しては僕のほうから説明します_」

 

 ほんの僅かに感情が乗った少し無愛想な返しなど気にも留めることなく、上地は俺たちに脚本に関する説明を始めた。

 

 上地曰く、今回の『ユースフル・デイズ』の脚本はこれまで連続ドラマを手掛けた経験のない20歳から30歳にかけての若手から公募を集めてその中から脚本家を決めるという選考形式を取っており、参加者は既に脚本として携わった映像作品が世に出ている若手脚本家や小劇場を拠点に活動している劇団に所属する無名の劇作家、更には脚本家志望で素人の大学生に至るまで多岐にわたる。そして水面下で行われていた公募に応募した500人超の中から明日、『ユースフル・デイズ』の脚本を務める“たった1人”が決まるという。

 

 

 

 “『何せこれは、今までのテレビドラマ常識を塗り替える“新時代のドラマ”にするというコンセプトがあるからな』”

 

 

 

 元々このドラマの根底にあるコンセプトが、プライム帯のドラマとしては類も見ないほど攻め込んだものだということはオファーの段階で堀宮もろとも海堂から聞かされていて、それは一色と永瀬についても同じことだろう。これから先の俳優界を担う“次世代”の役者が時代を引っ張っていく第一歩とするように、演出側もこの春の月9で脚本を書いている月島からドラマ演出のノウハウを学んだ“愛弟子”でもあり演出を担当するのは初めてになる20代後半の黛が抜擢されるなど挑戦的だ。そういうこともあって肝心の脚本もまさかと思っていたが、案の定攻めまくっていた。

 

 裏方の事情も芸能界の“奥の方”もまだ“実質2歳児ぐらいの芸能人(こども)”の俺にはよく分からないが、少なくともこのドラマの企画自体が相当ぶっ飛んだ類だということや、こんなぶっ飛んだ企画をまかり通らせた“上地P(プロデューサー)”の手腕のやばさぐらいだったら身を持って分かる。

 

 「へぇ~、面白そうじゃん」

 

 そんな敏腕プロデューサー・上地からの説明が一通り終わると、右隣でふてぶてしく足を組んで座る一色が能天気な独り言を呟く。今は上地の話が重要だから置いておくが、それにしてもこの人は“王子様(スター)”として有無を言わせない魅力と圧倒的なオーラを踏まえても、よく“こんな性格と振る舞い”で“歩く社会現象”と言われるほど売れているものだ。

 

 「で、もしそれでズブの素人が選ばれることになったとしてもちゃんと“採算”は取れんの?」

 

 と心の奥で疑っていたら、ふてぶてしい姿勢はそのままに一色は先陣を切って早速言いづらかった“核心”をぶつける。その表情を横目で一瞥したら、どこか能天気に笑う表情とは裏腹に上地を見つめる眼だけは“真剣”だった。

 

 「もちろんプライム帯のドラマの脚本であることと“新時代のドラマを確実にヒットさせる”ことを念頭に置いて僕らは“超キビシク”審査してるから、そこは保証するよ

 

 そんな王子からの真剣な眼差しに、大ヒット請負人のプロデューサーは自信に満ちた表情で応える。

 

 「・・・なるほど。上地Pがそんなに自信満々に言うなら“信じていい”ってことだね?」

 「ご納得頂けたようでなにより」

 「ま、審査で選ばれた脚本家の人と出来上がったシナリオが“原作レイプ”よろしくの“最悪(ゴミクズ)”でも、オレたち4人と演者(キャスト)のみんなでどうにかするから上地Pは数字の心配はしなくて大丈夫だよ」

 「アハハハッ、これはまた頼もしいなぁ。ねぇ黛ちゃん?」

 「私に聞かないでください」

 

 プロデューサーの謳い文句に乗る素振りをすると見せかけて笑みを浮かべながら容赦のない言葉を用いて揺さぶりをかける一色に、上地は表情一つ変えずに意味深な笑みを浮かべたまま黛を“道連れ”にしてわざとらしく褒める。

 

 「だろ?オレたちは“実力”で選ばれて“ここ”にいるからな

 

 当然“スターズの王子様”たる一色は、こんな分かりやすい煽てには一切動じず火花すら散らさない余裕綽綽なドヤ顔とビッグマウスで返す。まだ決めつけるのは早いかもしれないけれど、芸歴としてではなくこの4人の中での“年長者”として引っ張っていくという彼なりの意思が、ここまでの一連で垣間見えたような気がした。

 

 

 

 “ただ、一色十夜(この人)の芝居の()り方は・・・・・・俺的にはあまり理解ができない・・・

 

 

 

 「でもさぁ、脚本(シナリオ)書く人を明日までに審査で決めるとして1ヶ月後の撮影までに間に合うの?」

 

 ズカズカと切り込んでいった一色に続く形で、俺と永瀬を挟んで一番右側のイスに座る堀宮が質問をする。確かにここは、俺も気になってはいた。

 

 「無論、心配はご無用。何せ最終審査は“このドラマの第1話にあたる脚本(シナリオ)をそのまま書いてきてください”という課題を出しているからね。当然ながら僕や黛ちゃん、そして原作の逢沢先生で何度も話し合いを重ねて、最もドラマ版『ユースフル・デイズ』に“相応しいシナリオ”を採用して、更にここから逢沢先生を中心として演出班と共に添削をかけて、必ずや完璧な脚本に仕上げて速やかにお届けすることを約束するよ」

 「・・・てことはその審査で上地さんたちに選ばれたシナリオが、ほぼそのままの形で台本(ホン)になるってわけ?」

 「なるってわけ」

 「だってよさとる。質問した甲斐があったね」

 「わざわざ俺に聞かないでください杏子さん(まぁ甲斐はあったけど・・・)」

 

 俺たちメインキャスト陣の投げかける質問に、上地は飄々とした口ぶりで余裕を持って答えた。ひとまず脚本が撮影開始(クランクイン)までに間に合うか問題については、“不安要素”が拭えないが上地の言っていたことを要約すると“大丈夫”だという。

 

 

 

 “『・・・もちろん俺は引き受けますよ・・・役者なんで・・・』”

 

 

 

 みたいなことをそういえばオファーが来たときは意気揚々と海堂に俺は言い放っていた気がするが、今にしてみればとんでもない“箱舟”に乗ってしまった感が否めない。それでも実力に加えて運をも味方に付けなければ這い上がれない異端な世界にいる以上、俺たち“若手”は目の前にあるチャンスの1つ1つにしがみついて、己の実力を証明していくしかない。

 

 

 

 「おっと、話が大分盛り上がってきたけれどティザーの撮影時間が迫ってしまったので申し訳ないけれど今日の顔合わせはここまで」

 「あの・・・!

 「おっ、なんだい永瀬さん?」

 

 それからしばらく上地を相手にした質疑応答のやり取りが続いたのち、ティザーの撮影が迫り一旦“お開き”にしようとしたところで、ここまで黙って俺たちのやり取りを聞いていた永瀬が勇気を振り絞るように手を挙げた。

 

 「・・・最後に1つだけどうしても聞いておきたいことがあるんですけど・・・いいですか?」

 「大丈夫だよ。何でも言ってごらん?」

 

 ずっと聞くべきかどうか悩んでいたのか、少しだけ緊張気味でおっかなびっくりに呼び止めた永瀬を、上地は一色を相手にするときとは打って変わった優しい言葉と口調で語りかけて落ち着かせる。

 

 「実は・・・私が通っている学校が昨日が始業式でちょうど同じクラスに芸能事務所に所属している人がいるんですけど・・・・・・その人が“千代雅役のオーディションを受けたけど落ちた”って言っていたのを偶然聞いてしまったのですが・・・」

 

 上地の優しい口調に半ば後押しされる形で、永瀬は恐る恐るどうしても聞きたかったことを口にする。

 

 「憬さんは分かりませんが、今回のドラマのキャスティングについては杏子と十夜さんはオファーで選ばれていて、少なくともですけど私は“オーディション”があったなんて話は全く聞いていないのですが・・・・・・上地さんと黛さんは何かご存じですか?

 

 その瞬間、最初の緊張が解かれて幾分か和やかになっていた会議室の空気が一気にピりつき始めた。

 

 「えっ?それってマジな話なのあずさ?」

 「うん・・・はっきりとそう言ってた」

 「一色先輩も知らなかった?」

 「思いっきり初耳」

 「さとるは・・・あたしと一緒にオファー貰ってるから聞くまでもないか」

 「当たり前です(やっぱり先輩呼びなのか・・・)」

 

 堀宮が芸歴的には後輩にあたる一色のことを普通に“先輩”と呼んでいたことが“ふざけ”ではなくガチだったのはともかく、『ユースフル・デイズ』のメインキャストを決めるオーディションがあったという事実は風の噂ですら聞いたことがなく、俺にとっては絵に描いたような“寝耳に水”の話だ。

 

 「・・・ってことでみんな“オーディション”のことは知らないってさ」

 

 当然メインキャスト4人全員が“オーディション”があったことを知らなかったことは、ピりつき始めた空気を和ませようと少なからず感じているはずの動揺を隠して“先輩として”気丈に普段通りのテンションを装い1人1人に確認する堀宮によって証明された。

 

 「だからあたしたちに教えてくれない?このドラマの“メインキャスト”として、クランクインまでにちょっとでも“モヤモヤ”は潰しておきたいからさ

 

 場の空気を読みつつここにいるメインキャスト(4人)が揃って“何も知らない”ことを確認した堀宮は、偶に見せる晴れやかな無邪気さと底知れぬ不気味さが同居した笑みを浮かべて上地と黛を問い詰める。

 

 「・・・話してもいいですか?この子たちに?

 「うん。構わないよ

 

 堀宮から“笑み”を向けられた黛は観念するかのように隣に立つ上地に横目で視線を送り“オーディション(ほんとう)”のことを話していいか問いかけると、上地は特に考え込むような様子もなく迷わずに黛の意見を飲んだ。

 

 そんな上地のあまりの躊躇のなさに、プロデューサーとしての“自負と覚悟”がほんの一瞬だけ垣間見えたような気がした。

 

 「・・・みなさん・・・・・・心して聞いてください・・・

 

 そして黛は腹を括ったかのように一呼吸すると、メインキャストとしてのオファーを引き受けてこの場所に集った俺たちに“舞台裏の真相”を話し始めた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_東京都目黒区_芸能事務所・ホリエプロ本社ビル_

 

 「お疲れ様」

 「お疲れ様。申し訳ないね、入学式でごたごたしているであろうタイミングで呼び出してしまって」

 「ううん、私は全然へっちゃらだからお気になさらず」

 

 芸能事務所・ホリエプロ本社ビルの5階にある社長室。中野サンライズプラザで行われた霧生学園の入学式に出席していた環は、その後にあったホームルームが終わった直後にマネージャーの中村から“社長から先日のオーディションについて伝えなければならないことがある”という連絡が入り、事務所が手配した車で所属している芸能事務所であるホリエプロの事務所へ向かっていた。

 

 「霧生は楽しそうか?って言っても今日1日じゃ分からないか」

 「ははっ、そんなのまだ入学式が終わったばっかだから分かんないよ・・・でも、仲の良い友達と久しぶりに同じクラスになれたから楽しみにはしてる」

 「そうか、それは良かったじゃないか」

 

 ホームルームが終わった放課後、携帯に中村さんからの電話がかかって制服を着たまま真新しいカバンを片手に事務所の社長室へ直行した私を、事務所の社長(ボス)堀家(ほりえ)さんがいつもと変わらずアットホームな感じで出迎えながら応接間のソファーに座らせる。

 

 「しかし霧生の制服を着こなす姿を見ると、グランプリを獲ったときから随分と蓮は“大人っぽく”なったとつくづく感じるよ」

 「さすがに“お世辞”だとしても大袈裟過ぎじゃない“ボス”?」

 「“お世辞”なんかじゃないさ。これでも君のことは女優として大いに期待しているからね」

 

 ちなみにこれは余談になるけれど、私が芸能界に入ってからずっとお世話になっている芸能事務所・ホリエプロには独特な“事務所の掟”があり、そのうちの一部が社長のことは“ボス”と呼ぶことと、ボスに対しては“敬語禁止”というもの。これはただ単にボスと所属している親子以上に年の離れたタレントとの距離を縮めるだけが目的ではなくて、ちゃんとした“人材育成”を基にした事務所としての方針(あり方)・・・だと私は思っている。

 

 「ボスにそう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 最初は“敬語で話しちゃダメだ”と意識し過ぎるあまりぎこちなくなりがちだったボスとの会話も、芸歴4年目になった今では何も意識をしないで平然と交わせるようになった。そんな敬語禁止の掟と事務所の家庭的な空気のおかげかは分からないけれど、いまの私は自分より上にいる人は例え相手が大先輩の大物であっても臆しないぐらいには女優(やくしゃ)として強くなれた。

 

 

 

 “『ユースフル・デイズのオーディションの件でボスから話がありますので、行事が終わり次第すぐ事務所(ほんしゃ)へ向かってください』”

 

 

 

 携帯にかかって来た中村さんからの突然の連絡は、一度は不合格になったドラマのオーディションに関係する話だった。もちろん芸能界が想像していたより“煌びやかで華やかな世界”なんかじゃないことを知っている私は、安易に淡い期待なんかしない。と思いつつ、心の中で1%ぐらいは合格した人がオファーを断ってその“おこぼれ”が私のところに来てくれないかな・・・と余計なことを願っている自分もいる。

 

 

 

 だって不合格になったとは言え・・・オーディションの手ごたえは本当に文句がないくらいにあったから・・・

 

 

 

 「それで、この前のドラマのオーディションのことで何かあった?」

 「そのことについてだが蓮・・・・・・心して聞いて欲しい

 

 応接間のいかにも高級なソファーに座り、いつもみたいに遠慮なんかせずに呼び出した理由(わけ)を聞く私に、仏のように温厚な性格がそのまま顔に出ているかのような仏顔のボスは、テーブルを挟んだ反対側のソファーに座りがてらいつになく真剣な眼つきで私を見つめる。

 

 「・・・割と本当に真面目な話みたいだね・・・・・・これ

 

 何とか私は余裕ぶっていつも通りに振る舞うが、今までで一番“怖い”ボスの表情(かお)を見た瞬間、これから話す内容が“只事”じゃないことが一瞬で分かり動揺で呼吸がほんの少しだけ浅くなる感覚を覚えた。

 

 「実は今朝方、この間の『ユースフル・デイズ』のオーディションの件でプロデューサーの上地氏から直接連絡が来てね・・・・・・環蓮を“大村凪子(おおむらなぎこ)”役として改めて起用したいというオファーなんだが、蓮はどうしたい?

 「大村凪子・・・・・・あぁ、あの弓道部にいる雅の友達ね」

 

 そして何かしらの覚悟を決めてきたいつもよりも怖い仏顔のボスから明かされたのは・・・“別の役として『ユースフル・デイズ』に出てくれないか”というオファーだった。

 

 「うん、私は全然オッケーだよ」

 

 私にオファーが来た大村凪子というキャラクターは、原作ではストーリーの中心人物になる新太、雅、純也、そして私がオーディションを受けた亜美たち4人の隣のクラスにいる弓道部に所属している生徒で、同じ弓道部の雅とは部活仲間および同期のライバルという関係で友達としても仲が良くて、ストーリーの根幹には直接関わってこないけれど何でも話せる理解者(ともだち)として雅の背中を押したり、時には叱咤激励したりと脇役ながらも見せ場は多い“オイシイ”役どころだ。

 

 「そうか。蓮のことだから“ノー”と言われたらどうしようかと思ったよ」

 「するわけないじゃん。だって凪子は私の中だと亜美の次に好きなキャラクターだし」

 

 当然私は役として“オイシイ”なんていう安い理由で凪子を好きになったわけじゃなく、凪子のキャラクターに“私もこういう人になりたい”と、人として純粋に“憧れ”ている。

 

 「それに、一度は不合格になった私にわざわざ声をかけてくれたんだから、女優として期待に応えるのは当然でしょ?」

 

 もちろん出来ることなら亜美(メイン)を演じたかったし、最終選考まで行ったのにまたしてもチャンスを掴めなかった悔しさだってある。だけど、こんな私に期待してくれる大人(ひと)達がいるならその人たちの期待に応えて、そして期待を超えて自分がいつでも“主演(メイン)”を()れることを芝居で証明してみせる。

 

 科学的な根拠はないけれど、それだけの芝居(こと)()れる自信ならいまの私にはある。

 

 「・・・けどそんな“怖い顔”をして何を言うかと思ったら、案外普通のことで安心した」

 

 だけどボスが今までで一番怖い顔をして何を言うかと身構えていたら、蓋を開けてみれば “ただのオファー”だったからどこか拍子抜けしたような気分だ。まぁ、何だかんだで続けて見せ場のありそうな役を演じられることは嬉しいし、浮上するチャンスを与えてくれたことはありがたいから後は自分でやれることをただやるだけだ。

 

 「・・・ひと安心したところで悪いが、“本題”はここからなんだ・・・

 

 なんて呑気に油断した私に、ボスは再び“覚悟を試す”表情と鋭い眼つきで話を続ける。

 

 「・・・今回のメインキャスト4人を決めるオーディションは・・・・・・厳密に言えばメインキャスト以外の生徒役を決めるために行われたものだ・・・

 「・・・え?

 

 そしてボスから明かされたオーディションの“本当の目的(真実)”に、私は完全に言葉を失った。

 

 「残酷な言い方をすると・・・蓮のところに半井亜美役を決めるオーディションのオファーが来た時点で、半井亜美を誰が演じるのかは既に水面下で“決まっていた”ということになる

 「・・・・・・は?

 

 

 

 憬と渋谷で『ロストチャイルド』を観に行った次の日に舞い込んだ、亜美役としての『ユースフル・デイズ』のオーディション参加のオファー。ずっとそこに立ってやろうと憧れ続けていたメインキャストになれるチャンスに、私は二つ返事でOKを出した。オーディションで亜美の役を掴み取るために原作の漫画を全巻まとめ買いして、徹底的にストーリーやキャラクター同士の人間関係、そして自分の演じる亜美の心境を叩き込んで受験勉強もそっちのけで役を作り込んでオーディションに臨んだ。

 

 

 

 “_不合格とさせていただきます。_

 

 

 

 ここまでして臨んだけれど、結果は不合格だった。もちろん自分の想いが伝わりきらなかったことは、誰も見てないところで涙を流さないと気分が落ち着かない程度には悔しかった。それだけこのオーディションには賭けていた。でも、最終選考の演技審査の出来栄えは自分の中では会心の出来で、審査員の反応も良かったから、これで“環蓮(わたし)”の名前と実力ぐらいは覚えてもらえただろうという確かな手応えがあったことは、唯一だけど直ぐに自信を取り戻して立ち直れることができた大きな救いだった。

 

 

 

 「何それ

 

 

 

 だけど私がオーディションに向けて役を作り込んでいた時にはもう、私よりも名前が売れている違う誰かにオファーが来ていて、オーディションの最終選考で全てを賭けて自分なりの亜美を演じていた時にはもう・・・誰が亜美を()るのかはとっくに決まっていた。

 

 

 

 「全部嘘じゃん

 

 

 

 私は最初から、役者として勝負する土俵にすら立たせてもらえていなかった。私は最初から、メインキャストの“引き立て役”として外野でいいように掌で踊らされていた・・・当然それは、私と一緒にオーディションを受けていた他の女優(ひと)たちも、同じことだ。

 

 

 

 「で?私は“メインキャストさん”の人気に乗っかって“おこぼれ”でもっと有名にでもなればいいの?

 

 ボスからオーディションの“からくり”を知らされたいまの私は、きっと鏡で見たら自分でも怖気づいてしまうくらい“怖い顔”をして笑っている。“種明かし”をされた私をテーブル越しに黙って見つめるボスは、ありとあらゆる感情が入れ交じったような表情(かお)で受け止めている。からくりを明かしたら私がこうなることを分かっていたうえで、私に“女優”としての覚悟を無言で問うている。

 

 「そうでもしないと主演になれないどころか勝負すらさせてもらえないなんて・・・・・・芸能界(せかい)って“残酷”なんだね

 

 そんなボスに自分でも信じられないくらい冷めた“言葉”をぶつけたところで、何になるわけでもない。別に芸能界が単純な実力だけじゃ這い上がれない複雑で理不尽な世界なのは嫌でも“分からされた”からもう怒りはないし、望んでいた役とは違う役でオファーが来たことに不満もないし、むしろ凪子役のオファーが最終選考での結果を踏まえたものだとしたら、これ以上にありがたいことはない。

 

 

 

 ただ、正々堂々と“勝負”をしたかったのに、勝負をする権利すら与えてもらえなかったことが・・・腸が煮えくり返って今にも爆発してしまいそうなほど悔しくて堪らない。

 

 私を選ばなかったどころか勝負の土俵にすら立たせてくれなかった大人達を・・・“芝居”という名前の実力行使で心の底から後悔させてやりたくて仕方がない。

 

 

 

 「・・・蓮・・・僕が“全部を知った”上でこのオーディションに君を参加させることにOKを出した理由は、分かるか?

 

 私の身体中を激しく巡る複雑怪奇な感情を黙って受け止めていたボスが、“お前なら分かるはずだ”と言いたげに重い口を開いて“理由”を問う。

 

 

 

 “『“主演を演じることしかできない”役者になるな。“主演も演じられる”役者になれ』”

 

 

 

 「・・・ってこと?

 

 6月に公開される映画でサブヒロインの役を貰えたときにふと“『何だ、ヒロインじゃないんだ』”という何気ない不満を漏らしてしまった私に、ボスが真剣な眼差しと表情で言ったアドバイス。もちろん、それが答えだってことは言われなくても私には分かっている。

 

 「・・・分かっているなら、もう“やること”は一つだよな?

 「当たり前だよ。私は“女優(やくしゃ)”だし

 

 分かり切った答えをぶつけた私に、ボスは続けて“覚悟”を問う。その表情はいつになく真剣ながらも、いつになく微笑んでいた。

 

 「ボス・・・・・・“爪痕”だけは絶対残して帰ってくるから

 

 その微笑みで“燃えた”私は、全部を受け止めてくれた恩師(ボス)に“女優(じぶん)の覚悟”をぶつけた。

 

 

 

 

 

 

 さあ、戦え私。




静かに切られる、戦いの火蓋_






推しの子とアクタージュのクロスオーバー、誰か書いてくれないかな?



※2024/02/07 内容を一部変更しました。


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scene.74 ルーティン

いや、前回のあとがきで書いたとはいえこんなにも早く推しの子とアクタージュのクロスオーバーが爆誕するとは思わなんだ


 2018年9月3日_午前5時30分_

 

 ♪~♪~♪~♪~♪~♪

 

 「・・・・・・ん~」

 

 5時30分。起床時間を告げるスマートフォンのアラームを止めて、眠気眼な身体を起こしてゆっくりと意識を深層(ゆめ)から現実へと引き戻す。今日は“頭痛の種”となる夢を見なかったからか、心なしか気分が良い。

 

 “・・・今日こそは走れる・・・”

 

 1分弱ほどの時間をかけて眠気を飛ばしバルコニーへ向かうと、実に4日ぶりになる晴天の夜明け空が窓の向こうに広がっていて、リビングを淡く照らしていた。このところはずっと雨が続いていたせいで日課としているルーティンをやれていなかったからか、年甲斐もなくテンションが久しぶりに上がっているのを直に感じる。やれやれ、そこそこにいい歳なはずのアラサー過ぎの小説家が、何をたかが日課のランニング如きに“家族旅行へ行く日の朝に“早く行きたい”と親にせがむ5歳児”みたいな心持ちになっているのか。

 

 

 

 “『僕たち大人が遠い昔に捨て去った“純粋無垢な感情”を見ていると・・・自分自身のことが随分と“醜く”思えてしまうものです』”

 

 

 

 久しぶりに見る晴れた夜明けの空を前に子供じみたテンションになりかけていた心と頭を冷やそうと、テーブルの上に置かれた嗜好品(セッター)に無意識に手を伸ばしたところで天知が珍しく溢した“自虐”が浮かび、手が止まる。

 

 「・・・・・・はぁ」

 

 純粋に湧いて出てきた感情を無理やり煙草という安定剤で抑え込もうとしている自分を俯瞰して、すっかり汚れて“醜く”なってしまったかつての“千両役者(スター)”のなれの果てを自覚しながらタール代わりの溜息を吐き出す。つい昨日、なるべく嗜好品には頼らないと誓っていた傍からこれだ。このザマだったらもういっそのことこれを機に本数を減らすどころか“禁煙”にでもしなければ駄目なのではないかとすら思えてくる。

 

 “・・・結局何だったんだ・・・昨日の“アレ”は・・・?”

 

 そして昨日、個人的なロケハンの最後に訪れた馬橋公園で前触れもなく襲い掛かってきた、“フラッシュバック”のような何か。やはりそれは一晩が経とうとも一切中身も何故いきなり“それ”に襲われたのかも全く思い出せる気配すらなく、すっかり“夢の同義”と化している。

 

 だからといって、わざわざ“それ”の正体を突き止めるためだけに馬橋公園(あの場所)へ向かうほどの気力はない。何が起こったのかは覚えていないが、仕事に支障が出始める程度には“疲れる”ことだけは分かっているからだ。無論、そうまでして正体を知ろうとは今は思わない。

 

 “行くか

 

 ひとまず気分を変えて結論のない堂々巡りを一旦終わりにするために、俺はいつものように顔を洗って髭を剃り、ランニングウェアに着替え軽いストレッチを済ませ帽子(キャップ)を被り、朝6時の外へと出た。

 

 

 

 

 

 

 「本当にこんな朝っぱらから“こんなところ”を走ってんだな

 

 いつもの晴れた朝と変わらず歩き慣れたエントランスホールと厳重なセキュリティーで覆われた二重の扉を通り抜け、すっかり走り慣れた“トラック”でもある人工島(アイランド)の外側をぐるりと取り囲む1周1.4kmの遊歩道へと一直線に向かい、外出するときにいつも左手にはめているスマートウォッチを時計からストップウォッチのモードに切り替えてスタートを押して走り出そうとしたタイミングで、背後から久しいながらも聞き覚えのある声がふと聞こえた。

 

 「・・・・・・一色?だよな?」

 

 不意に聞こえた声のする方へと振り返ると、そこには同じくランニングウェアと帽子(キャップ)に“マークリー”のサングラスという出で立ちをした一色十夜がいた。

 

 「いかにも」

 

 ただ一色とはかれこれ10年ほど会っていなかったせいで確信が持てなかったが、俺からの確認に“変装”をした一色がサングラスを外して、感情が視えないクールな笑みと共にメディアでよく見かける“美少年”だった10代の頃から衰えることを知らない端正な顔立ちが露になると、それが確信に変わった。

 

 「・・・何でここにいる?」

 

 しかしドラマや映画の演出でも中々見かけないあまりにも突拍子のないかつての“ライバル”の登場に、思考回路がこんがらがって幾分か語彙力が低下する。

 

 「(しん)ちゃん”から聞いた

 

 そんな状況を飲み込めないまま混乱している意識に“心ちゃん”という聞き覚えのあるあだ名が入り、俺は冷静さを取り戻す。

 

 「・・・天知さんか。何をどう聞いてどう話したかは知らないが余計なことを」

 「故意か偶然か昨日ドラマの撮影をしてるスタジオに顔を出してきてね。新しい仕事の話ついでにふとサトルのことを思い出したから、“おまけ”で聞いてきた」

 「そいつは“大きなお世話”だな」

 「そう冷たいこと言うなよサトル。これでもお互い競い合ってきた“役者(ライバル)”同士だろ?」

 「昔の話な。言っておくけど俺は芸能界(あんな世界)にはもう二度と戻らないと決めているから

 「・・・へいへい。分かってますよそれぐらいのことは」

 

 左手にはめている色違いのスマートウォッチを操作しがてら飄々とした様子で話しかけてくる一色を、俺は無難にいなす。“王子様”と呼ばれる甘いマスクと“カメレオン”と称される変幻自在な演技を武器に第一線で活躍しているこいつと同じ役者だったのはもうすっかり“”の話だから、芝居を捨てた今さらになってこいつと“演技論”の話をするつもりなど毛頭にもない。

 

 「それより時期的にドラマの撮影の真っ只中で忙しいんじゃないのか?」

 「あぁ、おかげさまで“絶好調”」

 「それは良かったけど、“こんなとこ”まで来て寄り道する必要はあるのか?」

 「今日は撮休(オフ)だから暇なんだよ」

 「暇だからってわざわざ俺のとこに来るなよ・・・」

 

 にしても“スターズの王子様”と呼ばれていた頃と引けを取らないくらい忙しいはずなのに何でこんなところにいるのかと思ったら、今日は“撮休”だという。別に俺にとっては何も関係ない話なのだが。

 

 「とりあえずせっかくだから一緒に走ろうぜ。偶にはいいだろこういうの?」

 

 なんて俺の心の事情などお構いなしに、サングラスを再びかけた一色は一方的に話の主導権を取る。相変わらず、何を考えているのか全く読めないところは初めて会った頃からほとんど変わらない。

 

 「・・・俺についてこれるならな

 「・・・いいねぇ

 

 ひとまずまだ人通りが少ないうちにルーティンを終わらせて仕事に戻りたかった俺は、カウントも取らずにタイマーをスタートさせて走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 「そっちの仕事は順調か?」

 「あ?まぁ、今のところおかげさまでな」

 「ベストセラー連発してる大人気作家がよく言うわ」

 「馬鹿言うな。“こっち”の世界にも上には上がいるんだよ」

 「ははっ、確かに夏目とか太宰がいるしな」

 「いつの時代だそれ。あと、比較対象がおかしいだろ」

 「言っても“こっち”の世界でいう薬師寺真波(やくしじまなみ)みたいなもんでしょ?」

 「さっきから軒並みお亡くなりになっているだろうが」

 「っていうかお前、やっぱり普段から走ってるだけあってそれなりに速いな」

 「一色こそ、全然ペース落ちねぇじゃねぇか」

 「ウエイトトレーニングとランニングは日頃の日課だからね。芸能人ナメんな」

 

 走り始めて10分と少し。4周のうちの2周目を終えても一色は息すら切らさず俺と全く同じペースで左隣を安定したフォームで走る。何なら一色(こいつ)のほうがペースにまだ余裕があるようにすら思えてくる。

 

 「別にナメてないわ」

 

 自分で言うのも難だが1kmにつきだいたい5分半ほどという普段から走り込んでいない人からすればそれなりのハイペースで走り続けているが、さすがは第一線で活躍する現役の俳優なだけあって体力づくりにも隙が無い。といったところか。

 

 「けど、役者はやめても走り込みだけは今でも続けてるんだな?

 

 そんな感じで俺よりも余裕そうな顔をして隣を走る一色から、いきなり“痛いところ”を突かれる。

 

 「あぁ。何か・・・これだけはやらないとどうも落ち着かないんだよな

 

 

 

 

 

 

 俺が今のように朝早く5~6km程度のランニングをするようになったのは役者をやめて小説を書くようになってからではなく、17のときに起きた“ある出来事”で俳優業を一時休養せざるを得ないほど精神(こころ)が参ってしまっていた時期に“リハビリ”として始めたのがきっかけだった。

 

 ただ何も考えず、決まった時間に決めたコースをその日その日の身体のコンディションと相談して、自分のペースで走る。5~6kmというランニングとして考えると平凡な距離なのには、“リハビリ”をしていた頃は普通にランニングをした後に学校に通って授業を受けるためにある程度は体力を温存する必要があったことや、目的は“体力づくり”というよりかは“精神(メンタル)の安定”という文字通りのリハビリの意味合いが強かったため無理はしなかったことの名残のようなものだ。

 

 そして自らに課した“ルーティン”により芝居のことすら考えない“時間”を設けたことで、俺は再び役者として俳優業に復帰することができた。同時に晴天時のランニングは俺にとって感情を完全にリセットして切り替えられる貴重な“ルーティン(時間)”となり、それは自分が俳優(やくしゃ)として俗に言う“全盛期”を迎えて再びロクに休めない日々が続くようになってからも、欠かさずに続けていた。

 

 

 

 “『バイバイ』”

 

 

 

 10年前の“あの日”・・・23時過ぎに突然来たメールを遺言に“あいつ”が自ら命を絶った数時間後でさえ、俺は明け方の空を見るや否やいつものようにウェアに着替え、気が付いたら走っていた。何も考えず、いつものように“ルーティン”をこなした。ただこの日ばかりは、俺の記憶が正しければ体力が尽きるまでただひたすらに走り続けていた。身に降りかかる全ての現実から逃げるように、ひたすら走り続けていた。

 

 

 

 もう・・・・・・何も考えたくなかった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「サトル、言っとくけどオレならもうちょいペース上げて走れるけど、どうする?

 

 隣を走る一色が、話の流れをぶった切ってペースを上げてみないかと俺に聞いてきた。

 

 「・・・そうだな。偶には違うことをしてみるのも悪くはないのかもしれないな」

 

 正直言っていきなりペースを乱されるのは普段だとあまり良い気分にはならないが、何となく今日はいつもよりペースを上げて走りたい気分だ。

 

 「じゃあついて来いよ。オレに

 

 3回目のスタート地点が見えた瞬間、一色は走り始めるときに俺が放った言葉をそのまま仕返す台詞を吐いてスパートをかけて先行すると、俺もそのペースに合わせて身体のギアを上げてペースを速める。

 

 “・・・最後まで持つのかこれ・・・?”

 

 気が付くと俺は一色と共にランニングというよりもほとんどラストスパートに近いスピードで足を進めていた。こんなハイペースで走ったのは、一体いつぶりになるのだろうか・・・

 

 「懐かしくないか?サトル?

 「・・・何がだ?」

 

 呼吸がこれ以上乱れないように調整しつつ、俺は三歩分先を走る一色に問いかける。

 

 「・・・こうやって息を切らしながら走るのは・・・・・・ドラマでお前と初めて一緒に撮影したとき以来だ・・・

 

 

 

 そして呼吸を整えながら問いかけた俺の声を横目に見ながら振り向いた一色(あいつ)の顔は、18歳のときのように“若返って”いた・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピッピッピッ_

 

 「・・・・・・ん~」

 

 5時30分。起床時間を告げるスマートフォンのアラームを止めて、眠気眼な身体を起こしてゆっくりと意識を深層(ゆめ)から現実へと引き戻す。

 

 「・・・・・・いてぇ」

 

 だが身体を起こした次の瞬間、妙に全身が火照っている感覚と共に一時は治まっていたはずの“頭痛”がまた襲ってきた。幸いにも熱っぽいだるさはなく、頭痛も今までと同じく耐えられないような痛みではなく、頭痛薬(タブレット)さえ飲めば落ち着く程度のものだから仕事にはそれほど支障があるものではない。

 

 “・・・今日こそは走れたのにな・・・”

 

 痛みでいつもより少し重くなった身体でバルコニーに向かうと、実に4日ぶりになる晴天の夜明け空が窓の向こうに広がっていて、リビングを淡く照らしていた。ただよりによって約1ヶ月ほどご無沙汰になっていた“頭痛の種”が再発したせいで、走ろうにも気力が分かない。

 

 “そういや、夢の中で誰かと走っていたよな、俺”

 

 ミネラルウォーターで頭痛薬(タブレット)を流し込み、ついさっきまで見ていた頭痛の種と思われる夢を思い起こしてみる。真っ先に頭に浮かんだのは、俺が役者だった頃に競い合っていたかつてのライバルと俺が、ひょんなタイミングで10年ぶりに再会してルーティンで走っているコースを一緒に走っている光景。どおりで目が覚めたときに全身が熱を帯びたように温まっていたわけだ。

 

 

 

 “『お前も少しは自分を持ったらどうなんだ?』”

 “『そういうあんたはもっと自分を削った方がいい』”

 

 

 

 それにしてもこの俺があの一色と一緒に仲良くランニングをしているなんて、本当の意味で夢の中での出来事でしか“あり得ない”くらいには可笑しな話だ。無論それは一色(あいつ)のことが嫌いというわけではなく、互いの人間関係がすこぶる悪いということでもなく、ただ俺とあいつがそれぞれで持っている“価値観”からしてあり得ないという話だ。

 

 

 

 “『やっぱサトルとは“人間”として分かり合えそうにないわ・・・・・・ま、オレはそういう“おもしれぇ”やつのほうが“役者”としては好きだけどな』”

 

 

 

 “・・・やはり・・・何も変わっていなかったってことか・・・”

 

 薬の効果が効き始めたおかげか、次第に何かに押さえつけられているように重かった頭が軽くなり、思考回路も回復を始める。“悪夢のような何か”を見るたびに襲いかかる頭痛は、結局のところ相も変わらず治ってなどいない。

 

 “・・・いや、違う?”

 

 ただ今までと少しだけ違うことは、いま見た夢が“昔の出来事”ではなく、ごく普通の夢の類だったことだ。役者だった頃の(こと)でもなければ、“小説家の男”と会っていたときの(こと)でもない。いまここにいる“時間枠”と同じ瞬間を、かつてのライバルと一緒に走っていた。

 

 

 

 “『・・・この公園に入る前、夕野は僕に馬橋公園(ここ)へ来るのはさっき昼食(ランチ)を食べた喫茶店と同じだと言っていたが・・・その時も今みたいな現象に襲われたのかい?』”

 

 

 

 もしかしたらこの頭痛は、昨日のロケハンで襲い掛かった“フラッシュバック”に起因するものではないのかと思い返してみるが、案の定その前後の記憶は一晩経ってすっかり曖昧になってしまっている。だからといって、わざわざもう一度“フラッシュバック”を体感するために馬橋公園(あの場所)へ行きたいと思えるほど、俺の感覚はイカれてはいない。

 

 “・・・そういや一色(あいつ)と一緒に走ったこと・・・・・・あったな

 

 薬の効果で正常に戻り出した身体で外の世界からの逆光で暗くなった絵画()の目の前へと歩き徐に凝視していると、不意に“昔の記憶”がよぎった。

 

 

 

 “『サトルはショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?』”

 

 

 

 “・・・なるほど・・・・・・そういうことか・・・

 

 ふと頭を駆け巡った“昔の記憶”と一緒に、曖昧になりかけていた夢の情景(なかみ)が蘇る。俺の隣で走っていたのは一色(あいつ)ではなく、“18歳”のときの一色十夜(あいつ)だった。考えるまでもなく、なぜ俺があいつとルーティンとして走っているコースでランニングをしていたのかは謎だ。とはいえ夢というのは所詮、言ってしまえば世の中に蔓延る理論武装や起承転結なんて関係のない“ドグラ・マグラ”の如き“しっちゃかめっちゃか”な限りなく非現実(フェイク)に近い深層心理なのだから、起こり得ないであろう謎が頻発するのはよくある事だ。

 

 だとしたら考えられるのは、“過去と現在”が混合したということだろうか。確かに一色がまだ18だったとき、16の俺は隣を一緒に走っていた。無論、それは役を演じる俺たちのことを捉えるカメラの前での話だが、先ほどの夢の中と同じように俺たちは走っていた。将来有望な10代の少年少女を俳優(スター)としてステップアップさせるために仕組まれた“4か月限定の青い春”の中で俺たちは傷つき、惑いながらも全力疾走で走っていた。

 

 

 

 もし役者をやっていた時期(ころ)を思い浮かべたとして、純粋に“一番楽しかった”と心の底から言えるのは・・・きっと“あの頃”なのかもしれない。

 

 

 

 “・・・って、馬鹿か”

 

 いつの間にか感傷に浸り未練がましく昔を懐かしむ思考をリセットするべく、俺は洗面台に向かって顔を洗う。冷たい水が顔にかかり、しぶとく残っていた10%ほどの睡魔が何処かへと吹き飛んだ。

 

 「・・・ハハッ・・・・・・随分とひでぇ顔してんな・・・」

 

 蛇口を止めて、水が下たる33歳の成れの果てを鏡越しに見つめると、力の抜けた独り言が無意識に口からこぼれた。元々俳優として顔で売っているわけではなかったが、あの頃も含めて芸能界から離れた身分になってからも身なりには最低限の注意は払っていた。とはいうものの、表に出て“スポットライト(太陽)”を浴びなければ華というものは次第に萎れていくものだ。

 

 

 

 “『じゃあこの調子でいつかはドラマや映画にも・・・』”

 

 

 

 かつての俺と今の俺を見比べた“だけ”の連中は決まって誰もが“変わらない”とでも言いたげに俺の表情(かお)を視てくるが、10年も“日陰”で過ごしていれば比較的普通に生活していても年相応に身も心も老けていくものだ。しかし、こうやってまじまじと10年分の年月を経た自分の顔を見ると・・・随分と変わり果ててしまったとつくづくと感じる。

 

 そもそも10年前の俺は、こんな“未来”など想像すらしていなかった・・・

 

 

 

 

 

 

 “『バイバイ』”

 

 

 

 

 

 

 “あいつ”が死んだ・・・・・・“6月30日(あの日)”までは・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 “『あなたはどのように私を化けさせてくれるの?』”

 

 

 

 “・・・!?

 

 何の前触れもなく突発的に起きた10年前の“フラッシュバック”と同時に、俺の感情を()べた百城の感情()が突然と記憶を埋め尽くした。

 

 “・・・あぁそうか・・・・・・百城(天使)から直接聞けばいいのか・・・

 

 そして俺は頭の中に浮かんだ“物語の続き”を具現化するピースを手に入れるため、感情の衝動に身を任せて百城に一通のメッセージを送った。




2つの時系列を行き来するのは、まるで別作品を同時進行で執筆しているかのような感覚に陥るのでスイッチの切り替えがとにかく大変ですね・・・・・・って、似たようなことを前にも書いたような気がする。



と、作者は愚痴を溢していますが次回からまた2001年に向かいます。


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scene.75 人気者(スター)の休日

GWも普通に仕事じゃ


 2001年_4月8日_お台場・マリンシティ_

 

 「すいません!お待たせしました!」

 

 午前10時48分。日曜日なのも相まって若者や家族連れ、観光客などで混み合うお台場マリンシティの中にあるシネマコンプレックスに、憬は約束していた時間から18分遅れて到着した。

 

 「もー遅いよ“さとる(ジュン)”、あと“タメ口”」

 「(あ、やべっ)悪い、途中で思った以上に乗り換えに時間がかかった」

 「だから一旦渋谷で合流して一緒に行こうかって言ったのにあたし」

 「面目ない」

 

 東京駅でホームを間違えて1本分のタイムロスをしたせいで集合時間から18分遅れて着いた俺を、堀宮はあからさまに呆れたような顔を浮かべて叱る。横浜の実家から事務所に向かうときに毎回渋谷駅を使っていたから“これぐらい”はどうにかなると堀宮からの助け舟を断った結果がこれだ。ふと思い返せば、事務所の最寄り駅までは乗り換えなしで行けていたからなるべくしてなった感は否めない。

 

 「てか“ホリミィ()”から聞いたんだけど“サトル(純也)”って東京(こっち)に来たのはついこないだからだって?」

 「あぁうん、入学式前日まで横浜の実家から事務所に通ってたから(一瞬誰かと思った)」

 「横浜からだったらまだ通えることは通えるけどやっぱり地味に大変なものなの?」

 「いや、俺が住んでたところからだと“トーヨコ”一本で渋谷に行けたからそうでもないよ。むしろ俺にとっては今のほうが逆に大変だけどね、乗り換え多いし」

 

 続いて着いた傍から事務所の先輩に軽く叱られる俺を、一色と永瀬がさり気なくフォローする。それにしても一色はミリタリージャケットと胸元に“NEW YORK CITY”と大きく書かれた白のロゴTシャツに、ニット帽とオレンジの色付きサングラスという“王子様”の要素ゼロな“変装コーデ”のせいで声を聞くまでこの人が一色だという確信が持てなかった。強いて言うならニット帽からチラッと出ている襟足だけが、この人が一色だという判断材料ってところだ。

 

 「“大変”だったら最初からあたしに相談しろっつーの」

 「だからごめんて」

 「あと遅れるならせめて“遅れる”ってメールすること。電話は無理でもマナーモードにすれば電車の中でも出来るでしょ?

 「うん・・・それはマジで気を付ける(うわこれマジだ)」

 「てゆーかあたし“さとる(ジュン)”に何通かメール送ってるはずだけど分かんなかった?

 「多分マナーモードとかにしてるから気づかなかった」

 「マナーモードでも“バイブ”はするからポケットにでも入れてたら気づくと思うけど」

 「・・・そうか・・・ちょっとメール来てるか確認するわ」

 

 そしてさり気なく“地雷”を踏んだ俺は堀宮から“先輩”としてガチのお叱りを受け、中学を卒業すると同時に卒業祝いで買った最新型の携帯電話を取り出そうとジーンズのポケットの中を漁った・・・

 

 「・・・あ」

 

 だがポケットの中に入っているはずの携帯電話はどこにもなかった。

 

 「・・・・・・やべぇ、多分寮に忘れてきた」

 

 同時にその携帯電話を寮にある自分の部屋に置いてきてしまったことを、俺は思い出した。

 

 「・・・マジで言ってるそれ?

 「・・・はい」

 

 きっとこれは最低限の操作は出来るようになったとはいえ、まだ“携帯電話を携帯する”という習慣が身体に染み付いていなかったせいだ。にしてもまさかこんな4人揃った貴重な休日に自分の人としての未熟さを痛感する羽目になるとは思ってもみなかった。

 

 「待ってそれ・・・・・・もうケータイの意味ないじゃん、ハハハッ」

 「ちょっ、笑い事じゃないってきょ・・・“千代”」

 

 そんなこんなでガチで凹みかけた俺をみた堀宮は、さすがにやり過ぎたと思ったのかそれとも単にガチ凹みをする俺のことが面白おかしくなったのか腹を抱えて笑い出した。そして久々に説教を食らって反省が過ぎた俺は、ついつい堀宮のことを危うく“本名”で呼びかけてしまった。せっかくの休日のはずが、もう既に“踏んだり蹴ったり”だ。

 

 「・・・まぁ、これも“いい勉強”になったってことで次からは気を付けることだね?」

 「・・・うす」

 

 こうして笑いが収まったところで、堀宮はいつもの晴れやかな“笑み”を浮かべて説教を終わらせた。その優しい表情を見た瞬間、堀宮が笑った理由が“前者”だったことも分かった。

 

 だからどうしたという話になるが、こういう何も飾らない堀宮の笑みを視ると理由もなく“安心”してしまう自分がいる。

 

 「あのさ・・・もうそろそろチケット受け取って中入らないとやばいと思うけど?」

 「・・・やばっ、もう上映まで10分もないじゃん。ありがと“あずさ(アミ)”」

 「“ホリミィ()”、今日はあんまり“先輩感”出すなよオレたち“クラスメイト”なんだから」

 「分かってるって“一色先輩(コウ)”」

 「言っとくけど“サトル(純也)”のこと怒ってたとき、どっからどう見ても事務所の先輩後輩にしか見えなかったわ」

 「嘘マジで?」

 「マジで、なぁ“あずさ(亜美)”?」

 「うん。私もそういうふうにしか見えなかった」

 「え~これでも結構抑えてたんだけどなぁ~・・・もう遅刻した“さとる(ジュン)”が全部悪いねこれ」

 「それまで人のせいにされるのは理不尽だわ」

 

 ひとまず目当ての映画の上映時間まであと10分を切ったことに気付いた俺たちは、3日前に一色が“偽名”でインターネットで予約したチケットをカウンターで受け取り、指定された席のあるスクリーンへと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 そもそもどうして俺たちメインキャスト4人組が、ドラマの情報解禁を明後日に控えた日曜日に互いを“役名”で呼び合いながら“四者四様”の変装コーデを着こなしてこんなところで“遊んで”いるのかというと、それは3日前のドラマのティザー撮影を兼ねた顔合わせにまで遡る。

 

 “『少なくともですけど私は“オーディション”があったなんて話は全く聞いていないのですが・・・・・・上地さんと黛さんは何かご存じですか?』”

 

 全ては撮影の時間が迫り顔合わせを“お開き”にしようとしていたタイミングで永瀬が呼び止めて勇気を振り絞るように打ち明けた、全く聞かされていなかった“オーディション”が始まりだった。

 

 “『・・・みなさん・・・・・・心して聞いてください・・・』”

 

 俺と永瀬も含めて全員が知らなかったオファーの裏の水面下で行われていた“オーディション”の件を堀宮から問われた黛は、一度だけ深呼吸をすると俺たちに向けて覚悟を試すような表情(かお)と口調で“舞台裏の真相”を話し始めた。

 

 “『・・・実は・・・_』”

 

 黛の口から告げられたのは、俺の想像を遥かに上回るほど色んな大人(ひと)達の思惑が複雑に絡み合ったかのような実態で、例えるならば知らず知らずのうちに“芸能界(この世界)の裏側”に片足を突っ込んでしまったかのような・・・そんな感覚だった。

 

 “『・・・そんなことって・・・』”

 

 オファーの舞台裏を明かされた俺たちは、しばらく二の句が全く出てこないような状況になった。

 

 “『・・・・・・こんな血も涙もない“負け戦”みたいな真似をしてでもオーディションをやったのは、何かあたしたちに“意味(メリット)”があるからってこと?』”

 

  そうして“四者四様”の感情が入れ交じる沈黙が10何秒か続いたのち、沈黙を破った堀宮は普段より1トーンほど低い静かな口調で上地に問いかけた。いつもと同じような笑みを浮かべつつ上地と黛を凝視する碧眼の瞳は、(ライバル)のことを意識しているときと同等かそれ以上ぐらいの勢いの“感情()”が燃え盛り宿っているかのようにギラついていた。

 

 “『その通りだよ。ただし、ここから先は“企業秘密”だけどね』”

 

 堀宮から向けられた“もう一つの素顔”に、上地は相も変わらずの余裕綽綽な振る舞いと口調で返した。この瞬間、オーディションの“一件”は俺たち演者の力だけじゃどうやっても解決しないことを俺は理解した。

 

 “『・・・分かった。じゃああたしは“この件”についてはもうこれ以上首を突っ込まないでパスしようってことにするけど、みんなはどうしたい?』”

 “『“揉め事”は嫌いだからオレもパス』”

 “『私も・・・演者が首を突っ込むのは違うと思うから、パスで』”

 

 この4人の中で最も“芸能界”のことを知っているであろう堀宮も俺と同じことを思ったのか、上地の言葉を聞いてこれ以上は首を突っ込まないと決めて、一色と永瀬もそれに同意する形になった。

 

 “『さとるは?』”

 “『・・・俺はあくまで“役者”としてここにいるんで、ただ自分のやるべきことをやるだけです』”

 “『フツーに“俺もパスします”って素直に言えばいいのに』”

 “『これは俺の素直な気持ちです』”

 

 もちろん俺も、他の3人と同じく“パス”を選んだ。理由は恐らく堀宮と同じだ。

 

 “『でも・・・・・・“役者(おれたち)”には“役者(おれたち)の意地”があるということも、忘れないでください』”

 

 ただ、自分たち“役者”がいま出来ることは“たった一つ”だけだとしても、本気で主人公になるために“オーディション(負け戦)”で実力を曝け出しながら自分の全てを賭けた人たちがいることだけは“メインキャスト”として“分かって”欲しかった俺は、最後の最後で“子供”になって自分の意思(わがまま)をぶつけた。

 

 別に芸能界を生きる大人達の思惑だとか、自分たちじゃどうすることもできない“芸能界(せかい)”の理不尽さに抗おうなんて気持ちはこれっぽっちもない。そもそも俺は“役者”以外の戦い方なんて知らないし、“芝居”以外の武器で他人と戦おうとも思わない。

 

 

 

 俺はただ純粋に・・・“余計なこと”から邪魔をされることなく、“役者”としてみんなと芝居をしたいだけだ。

 

 

 

 “『・・・もちろんさ。何故なら僕ら大人は常日頃から、“将来有望”な役者(こども)の“味方”だから』”

 

 オファーの裏に隠されていた真実を知らされた俺たちメインキャスト4人組はティザー撮影が終わった後に4人だけでロビーに集まって話し合い、今から撮影開始(クランクイン)までに“役者”としてやれることは全部やると決めて、先ずは“クラスメイトとしての関係を深めよう”という話になり、 早速“敬語禁止”と“偽名(※役名)呼び”、そしてなるべく“余計なこと”は考えないという縛りを課して全員のスケジュールがちょうど1日空いている日曜日に都内某所で休日(オフ)を満喫することになった。

 

 誤解されないために予め言っておくが、この休日(オフ)はあくまで“役作り”に向けた立派な手順だ。

 

 “『いい加減負けてくれないかな“ホリミィ”?さすがに“あいこ”が20回も続くとしんどいわ』”

 “『一色先輩こそいい加減に譲って欲しいなぁ~、言っとくけど“レディーファースト”ができない男の人はどんなに顔が良くても女子からはモテないよ?』”

 “『悪いなホリミィ。オレって生まれついての“男女平等(ジェンダーフリー)”主義だから“レディーファースト(そういうの)”ってよく分かんないんだよね。だから次にみんなで遊ぶときは勝たせてやるから今回は負けてくれない?』”

 “『あたしだって先輩に勝たせてやりたいんだけどさあ、負けようって思ったらついつい血が騒いじゃうんだよね。“負けず嫌い”ってやつ?』”

 

 ちなみに休日(オフ)で行く場所は“渋谷で映画鑑賞(おれ)”、“お台場で色々(堀宮)”、“上野で博物館と美術館(一色)”、“池袋で水族館と展望台(永瀬)”の4人で見事に分かれたため“じゃんけん”で決めようということになり、俺と永瀬が早々に負けて一色と堀宮がじゃんけんをして勝った方に行くということになったが、2人してじゃんけんが強すぎたせいで全く決着がつかなかった。ちなみに俺が渋谷をチョイスした理由は単純に所属事務所がそこにあるから乗り換えで迷わずに行けるのと、願わくば映画を観たいという理由だけだったから、実のところあんまり“渋谷”には執着はしていなかった。

 

 もちろん、そのせいで俺は東京駅で軽く迷子になって遅刻する羽目になってしまうことになるが。

 

 “『あの・・・もうここまで来たら多数決にしません?』”

 

 結局じゃんけんでは全く決着が付きそうにもなかったため、最終的に永瀬の提案により“多数決”という形が取られて、結果として俺と永瀬がお台場を選んだことで休日に行く場所は決まった。

 

 “『マジかよ・・・ぶっちゃけオレ的にはお台場(あそこ)って仕事で何回も行ってるから休日(オフ)って気になれないんだよなぁ』”

 

 といった流れで“多数決”でお台場になった休日(オフ)のスケジュールに一色は文句を言いつつも、“ま、博物館とか美術館に行くよりお台場で遊ぶほうが“高校生(オレたち)らしい”か”と勝手に納得して最終的に譲ったことでようやく決着した。

 

 

 

 

 

 

 「いや~、やっぱハリウッド映画はスクリーンで観るに限るわ」

 「“杏子(雅ちゃん)”、それもう3回ぐらい言ってるよ」

 

 こうして自分たちがメインキャストで出演するドラマの情報解禁を前にお台場で“お忍び”の休日(オフ)を満喫する俺たちは、一色が独断と偏見でチョイスしたハリウッド映画の鑑賞を終えて、マリンシティの中にあるバーガーショップで少しだけ遅めの昼食を食べていた。

 

 「てゆーかレオン・フラナガンの体幹ヤバくない?あんなの相当トレーニングとか積まないと絶対ムリだって」

 「当たり前だよ。だってレオンはこの映画の撮影のためだけに自宅にあるトレーニングルームを改造して半年かけて身体づくりしたぐらいだし」

 「いや“レオン様”半端なっ」

 

 恐らくこの4人の中で最も“稼いでいる一色の“奢り”で鑑賞したハリウッド映画のアクションをやや興奮気味に話す堀宮に、一色が自分の持つ知識を話す映画鑑賞終わりの席。ちなみに2人が話している内容は、俺たちが鑑賞したハリウッド映画『諜報員(エージェント)』の中でレオン・フラナガンが演じている主人公であるCIAの諜報員・アッシュ・フェリックスがターミナルに潜入し、自身の身の潔白を証明する本物の“リスト”を盗み出すために秘密部屋の天井裏から潜入してリストの入ったディスク(データ)をコピーして盗むというシーン・・・で、レオンが披露した垂直降下アクションがどれだけ凄いのかという話だ。

 

 「まぁただ、諜報員(エージェント)はアクション映画ってよりはどちらかというと全体的にシナリオに凝ってる感じだからアクション映画って考えると“地味”な部類だけどね。そもそも監督のアリー・デ・フェランが手掛けてる作品のジャンルはどちらかというとサイコホラーやサスペンスとかだし」

 「“十夜さん(新太くん)”って凄く映画に詳しいんだね?」

 「別に映画に詳しい訳じゃないけどオレの両親とアリーが知り合いでさ、その流れでアメリカに住んでたときにオレも2,3回くらい会ってるから自ずとアリーの映画を観るようになった的な感じかな?」

 「それが嘘じゃなくてマジっぽいのがアンタの家族の怖いところだよ・・・っていうかどうやって“一色先輩(コウ)”のご両親はアリー監督と知り合ったの?」

 「母親が描いた絵画をアリーが2億円で落札した縁で招待されたパーティーに行ったらそのまま仲良くなった。多分日本(こっち)でもちょっとしたニュースになってたと思うわ」

 「パーティーって?」

 「オレはまだ4歳とかで留守番させられてたから詳しくは知らないけど、ざっくり言えばアリーと親交のある“ハリウッドスター”とか“アーティスト”とか各界の“セレブ”が100人ぐらい集まって、DJも呼んで何でもありの“宴”を夜通しでやる・・・みたいな?」

 「・・・ちょっと次元が違い過ぎてついて来れないんだけどどうしよう“あずさ(アミ)”?」

 「私に聞かれても困るって」

 

 そして話はいつの間にか一色の家族とついさっき鑑賞した映画でメガホンをとっている監督が家族ぐるみで面識があったという話題にすり替わっていた。もちろんこの人の両親が揃って世界的な活躍をしている“芸術家と写真家(アーティスト)”だということは芸能界のみならず世間的にも有名な話だから、浮世離れした自慢話に聞こえてこないところが何だか恐ろしい。

 

 “ていうかこれ・・・ファミレスとかで話すような内容じゃないだろ・・・”

 

 「それよりさ、アクション映画で居眠りするやつなんて初めて見たんだけどオレ」

 「!?

 

 と、一色ファミリーとアリー監督の話をすっかり油断して注文したチーズバーガーと一緒に頼んでいたスプライトを口に運びながら傍観して聞いていた俺に、一色はいきなり心をグサッとダイレクトに刺すことを言ってきた。

 

 「おまっ・・・蒸し返すなよそれっ!」

 

 もちろん悪いのは俺だから何も言えないけれど、危うくスプライトを盛大に吹き出すところだった。

 

 「ほんとそれ。よくあんな大音量のところで寝られるよね“さとる(ジュン)”?」

 「いや、あれはわざとじゃ」

 「遅刻確定で“うわヤバイどうしよう”ってなって走ってきたせいで疲れたから寝ちゃったなんて言い訳はなしだからね?」

 「いや言い訳って・・・“永瀬さん(半井さん)”、ちょっと千代(こいつ)の口止めてくれない?」

 「ごめん“憬さん(純也くん)”。さすがに一番盛り上がってる終盤(ところ)で爆睡してたのは私もちょっとびっくりしちゃった・・・」

 「うん、ごめん・・・やっぱりシンプルに俺が悪かったわ(もう帰りたい・・・)」

 

 3人から立て続けについさっき鑑賞した映画で思いっきり爆睡をかましてしまったことを突かれて、俺はまたも“踏んだり蹴ったり”な状況になった。もう一度言うけれど、悪いのは全部俺で堀宮の言うように全力疾走で走っていて疲れたという理由で寝てしまったわけでもない。

 

 「・・・これはあれだな。“サトル(純也)”って実は洋画は“字幕で観る派”とかだろ?」

 「・・・そうなんだよね。実は」

 「だから途中で観ていて疲れて寝ちゃったとかだろ?ぶっちゃけ?」

 

 そしてざっくりとはしているが、その本当の理由をセットで買ったフライドポテトで指をさす仕草をしながら一色は俺の目を見て言い当てる。

 

 「・・・まぁ、そんなところかな」

 

 俺は元々、もっぱら洋画は小さい頃から“字幕”で観る派だった。そうなった理由は苺が嫌いなのと同じくあまり深くは覚えていないが、あるとき金曜日に放送しているロードショーで何かの吹き替え版を観たときに、何となく顔が外国人なのに“日本語”を喋っているということや、顔と声がどうも一致しない感じがして、ちっともストーリーが頭に入って来なかったことがあった。当然ストーリーが頭に入って来なかったわけだから、どんな映画を観たのかはほとんど覚えていない。

 

 ちなみに余談として堀宮と永瀬は“吹き替え派”で、一色に至っては“どっちもいける派”かつ“何もなくても観れる派”だという。

 

 「だったら最初から字幕で観たいって言えば良かったのに。そう言ってくれたらあたしは全然譲ったんだけど?」

 「そうなんだ」

 「じゃあ逆に“憬さん(純也くん)”はどうして“吹き替え”が良いって嘘をついたの?」

 「・・・嘘っていうか、これには“役者だから”って意味でワケがあってさ・・・」

 

 

 

 “『それを言うならわたしなんて“声優”って時点で尚更だよ』”

 

 “『初めまして、私はスターズ所属の永瀬あずさと言います。お互いに今回が初めてになりますが、一緒に頑張りましょう』”

 

 

 

 3日前に2人の女優(やくしゃ)に会って改めて思い知った、無意識に偏見の壁を作っていた自分の視野の狭さ。けれどもそういう身勝手な苦手意識が、他人(ひと)感情(モノ)を自分の感情(モノ)にして進化していく役者の成長を妨げていく・・・と決めつけるのは独りよがりな考えだけれど、俺の中にいる役者という“生き物”はそういうもので、そうやって俺はメインキャストに抜擢されるまでに這い上がってきた。

 

 だからこそストーリーが頭に入って来ないとか、聞こえている声は演者に声を当てている吹き替え声優の人の声で演者自身の声じゃないから、演者が演じている役の感情が入って来ないから頭に入らないとか、そういう苦手意識や偏見を取っ払うことで新しい“価値観”みたいな何かが自分の中で生まれて、役者(ひと)として今以上の高みにいけると思ったから敢えて俺は“吹き替えで観たい”と正直に3人に伝えた。

 

 “・・・やべぇ・・・全然ストーリーもアッシュの感情も何も入って来ねぇ・・・

 

 こうしていざ覚悟を決めて吹き替え版で『諜報員(エージェント)』を観たはいいものの、結果は“案の定”だった。もちろん吹き替え声優の演技が“かなり上手い”というのは、細かな台詞の言い回しや息遣いを聞けば分かった。ただやっぱり、その声とレオンから発せられているであろう声が俺の頭の中ではどうしても“一致”しなかったせいでアッシュの感情やレオンの演技が俺の感情(こころ)に伝わらず、堀宮が絶賛していたワイヤーアクションの辺りから完全について来れなくなってしまい、気が付いたら寝落ちしていた。

 

 “・・・あれ?もう終わったのかこれ?

 

 もちろんその先からエンドロールまでに何があったのか、ロクに覚えていない。

 

 

 

 「・・・だから嘘をついたわけじゃなくて、ただこれを機に“苦手なもの”を克服したかったけど駄目だった、って感じなんだよね俺って・・・」

 

 とりあえず俺は、居眠りしてしまった理由(わけ)を嘘偽りなく正直に打ち明けた。

 

 「・・・ハハハハッ」

 「ちょっ、何笑ってんだよ“一色(新太)”?」

 「あぁ悪い。別に“サトル(純也)”のことを馬鹿にしてるわけじゃないんだけど・・・何かそういうところが“お前らしい”な~って思ってさ」

 

 俺が事の顛末を打ち明けると、一色は俺に向かって“お前らしい”と言って笑いかける。もちろんそれが“馬鹿にしている”わけじゃないことは一瞬で分かった。

 

 「何て言えば良いんかな・・・・・・サトル(純也)は役者で例えると、監督や演出家(パペッティア)”の“意図()”がなくても自分の意思で勝手に動ける“人間”・・・・・・ってところだな」

 

 そして次の言葉を考える隙を与えず、続けて一色は意味深にクールな笑みを浮かべながら独創的な例えをして、俺がどういう人種(タイプ)の役者なのかというのを教えてきた。ただその例えがあまりに独特過ぎて、いまの俺には理解が追い付かない。

 

 「・・・・・・とりあえず・・・“一色(新太)”が言いたいことは何となく分かったよ

 

 ただ“ふたつ”だけ分かったことは、一色十夜という役者(ひと)はやたらと“”が鋭いということと、一色の例えは紛れもなく“正しい”ということ。

 

 

 

 というか、自分がどういう人種(タイプ)の役者なのかを他人(ひと)から当てられると・・・“こんな気分”になるんだな・・・

 

 

 

 「ハイッ、2人とも“お芝居”の話はここまで

 

 知らず知らずのうちに一色以外の周りが見えなくなって一点を凝視し始めていた俺の意識に、パチンという手を叩く音と共に堀宮の声がスッと入る。

 

 「今日は“余計なこと”は考えないで遊ぶんじゃなかったっけ?」

 

 我を忘れて役者の“スイッチ(本能)”が入りかけていた俺と一色を、堀宮は先輩らしく優しく諭す。そうだ・・・今日は役者としてではなくただの“クラスメイト”として俺はお台場(ここ)に来ていた。

 

 「そうだな。今日の休日(オフ)は“特別”だしな・・・」

 

 堀宮に感化されるように、一色がどこか儚げに微笑みながら誰に言うでもなく呟く。

 

 

 

 “『役者(おれたち)”には“役者(おれたち)の意地”があるということも、忘れないでください』” 

 

 

 

 「で?次はどこ行く?オレは“ジョイワールド(ジョイワ)”が良いんだけど?」

 「おっ、いいねぇ」

 

 そして独り言を吐き出し終えて無邪気に笑いかける一色を合図に、俺たちはすぐに“クラスメイト”に戻って、俺たち4人にとって最初で最後の“休日(オフ)”を思うがままに楽しむ。

 

 「やっぱこういう仕事(こと)やってると定期的に発散しとくのが定番だし」

 「あたし“川下り”のやつ乗りたい」

 「私は3Dシアターとか」

 「“サトル(純也)”は?」

 「俺は・・・ぶっちゃけそういうテーマパークとか行ったことないからお任せで」

 「あぁ、確かに“さとる(ジュン)”ってそういうとこ行ったことなさそうって感じするわ」

 「マジでそういうの良くないって“杏子さん(千代)”」

 

 

 

 俺たちがこうやって“余計なこと”を考えずにいられる時間は、“今”のうちだけかもしれないからだ。




休日はまだ、始まったばかり_



今回の話を書くために2001年当時のお台場について軽く調べたのですが・・・ゆりかもめは有明までしか開通してなくて、りんかい線に至っては天王洲アイル止まりというアクセスの悪さに軽く衝撃を受けました。


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scene.76 大観覧車

景ちゃんハピバ


 マリンシティの中にあるシネマコンプレックスでレオン・フラナガン主演のアクション映画を鑑賞して昼を済ませた俺たちメインキャストの4人は、行き当たりばったりで決めた次の目的地でもあるジョイワールドへ向かっていた。

 

 「やっぱ混んでんな~」

 「無理ないよ。だって今日は日曜だから」

 

 そしていざ入り口まで来てみると、ジョイワールドは休日なだけあってチケットを受け取るだけで軽く20分は待たされそうなほど混雑していた。

 

 「どうする?多分入ってもアトラクションによっては1時間とか待たされてロクに遊べないよこれ」

 「そーいや霧生の寮の門限って仕事がないときは19時半だったよな」

 「さとる(ジュン)って寮だよね?」

 「うん、そう」

 「てゆーか今って何時?」

 「午後2時ジャスト」

 「マジかー、後のこと考えたら思った以上に時間ないね」

 

 4人揃った休日と言えど今日は日曜で世間的にも“休日”なわけだから、どこもかしこも混んでいるのは当然のこと。とは言えせっかくリフレッシュのために来ているのに、待ち時間によってトータルで数時間分を失うのはあまり良い気がしない。

 

 もちろん、アトラクションで何十分も何時間も待たされるような遊園地やテーマパークには一度も行ったことがないから“食わず嫌い”な部分もあるのだけれど。

 

 「やっぱ違うところにしようぜ。見ろよ、サトル(純也)が露骨に退屈そうな顔してる」

 「余計なこと言うな一色(新太)

 「オイさとる(おまえ)

 「だってせっかくの貴重な時間が待ち時間で消えるのは嫌でしょ?」

 「いきなり映画で20分もあたしたちを待たせた“遅刻魔”がそれ言っちゃう?」

 「その節はすいませんでした(いつまで根に持ってんの・・・)」

 「まあまあ」

 

 なんて心の中に留めていた退屈の感情が思いっきり表に出てしまったのかまたしても一色と堀宮からそれを指摘され、おまけで集合に遅れたこともほじくり返された。言うまでもなく悪いのは俺だから、反論の余地はない。

 

 「けど憬さん(純也くん)の言うことも確かに一理あるかもって、私も思う」

 「まぁ、あずさ(アミ)の言う通りそれもそうね。悔しいけど」

 「ホントにすいません」

 「気にすんなサトル(純也)、こういう“星占い12位”の日も偶にはあるからさ?ポジティブに行こうぜ」

 「全く慰められてる気がしないのは俺だけか?

 

 ともかく永瀬の優しさに半ば救われる恰好になった俺は、メインキャスト一行と共に“ジョイワールド”を諦めて高速道路の高架と公園を挟んだ先にある“ヴィーナスタウン”という観覧車がトレードマークのショッピングモールで残りの“休暇”を満喫することにした。

 

 

 

 「“ここ”で働いているみなさん。しばらくの間オレたちがお世話になります」

 

 

 

 ヴィーナスタウンに向かう途中、偶然にもドラマ関連で9月まで世話になるテレビ局の横に来たこともあり、一色が仕切る形で俺たちは入り口に立ち寄り建物に向かって軽く一礼をした。

 

 「これ、お礼した意味あるの?」

 「あるわけないじゃん、ノリだよノリ」

 

 言うまでもなくついでで立ち寄った俺たちが挨拶をしたのには、特に深い意味はない。本当にそれでいいのか?と突っ込みたくなるが、今の俺たちはただの“高校生”で来ているから、あくまで“ノリ”ということにした。

 

 

 

 「サトル(純也)いいじゃん最高に似合ってる(やべぇ“前衛芸術”できたわこれ)」

 「いやいや、どっからどう見ても似合ってないって“これ”は(完全にわざとだろこいつ)」

 「じゃ~ん、どうこれ?あずさ(アミ)をコーディネートしてみたけど良い感じでしょ?」

 「ちょっと、恥ずかしいって杏子(雅ちゃん)

 「いや・・・マジで普通に可愛いじゃん。なぁサトル(純也)?」

 「うん、さすがシェアウォーターのイメージガール・・・に“そっくり”って言われてるだけあるわ永瀬さん(半井さん)危ねぇ・・・)」

 「誤魔化すの下手か。あとそれじゃああたしも“そっくり”さんってことになるわ」

 「確かに」

 「てかさとる(ジュン)“テンガロンハット”似合わなさすぎるでしょチョーウケる!」

 「だから言わんこっちゃねぇじゃんか一色(新太)

 

 

 

 そしてヴィーナスタウンについた俺たちは中にある店で4人でファッションやちょっとしたアクセサリーをコーディネートし合ったり、

 

 

 

 「よしっ!行けっ!・・・・・・あぁぁぁもうウッザ!今の行けたでしょマジで!?」

 「ホリミィ()、もう諦めなって。これで15回目だぞ」

 「いやまだ、コツは掴んだから次は絶対行ける」

 「ねぇ永瀬さん(半井さん)?ひょっとして杏子さん(千代)ってUFOキャッチャー好きなの?」

 「うーん、そうでもないかな。杏子(雅ちゃん)の場合は好きって言うより、どちらかというと何でもかんでも負けず嫌いって感じだから」

 「へぇー・・・そうなんだ(そうだろうけど負けず嫌いもここまで来ると大変だな・・・)」

 「うわタイミングミスった最悪・・・・・・あっヤバい、これ絶対金欠になるパターンだわ」

 「じゃあそうなる前にやめればよくない?」

 

 

 

 ゲームセンターで同じ芸能事務所の先輩女優がUFOキャッチャー相手に散財する滑稽な姿を見て“絶対自分はこうはならない”と反面教師にしたり、

 

 

 

 「憬さん(純也くん)ってプリクラ撮ったことなかったんだ?」

 「うん。実はこういうのって女の人専用だってずっと思ってた」

 「それはそれで偏見が凄いことで・・・」

 「写真(コレ)ね、胸元(ここ)に貼ればいいよさとる(ジュン)?」

 「さすがにそれが嘘なことぐらい知ってるわ」

 「にしてもさ、テーマパークに行ったこともなければ街も滅多に歩かないで映画ばっか観るみたいな生活してたら普通の高校生の役やれって言われても大変じゃね?」

 「一色先輩(コウ)がそれ言うと説得力が1ミリも感じられないんだけど」

 「酷いなホリミィ()、これでも日本(こっち)へ戻って来てからはホントにフツーの生活してきてるからねオレ?」

 

 

 

 4人で揃ってプリクラを撮ったりして本当に普通にそこら辺の高校生と何ら変わらない日曜日を満喫していたら、あっという間に時間が過ぎていった。

 

 

 

 「やっぱお台場に来たら“大観覧車(コレ)”は絶対乗っとかなきゃでしょ?」

 

 こうしてかれこれショッピングとゲーセンで2時間ほど時間を潰した俺たちは、最後にティザー撮影の後の話し合いで堀宮が絶対に乗りたいと言っていた大観覧車へ立ち寄った。

 

 「ちなみにこの観覧車ってロンドンにある観覧車に抜かれるまでの数か月間だけ世界最大だったらしいよ」

 「へぇマジで、すごっ」

 「その手の話に興味ないにしても少しは感情乗せたらどうなの?」

 「(堀宮と一色(このふたり)、多分これからもずっと仲良くはなれそうにないな・・・)」

 

 入り口の階段へと向かう途中で観覧車にまつわる豆知識を呟く一色に、如何にも興味なさげの“棒”なリアクションで返す堀宮を、俺と永瀬が何とも言えない感情で後ろから見つめる。とりあえずパッと見で互いに我が強いのがはっきりと分かる一色と堀宮は、役者としてはともかく人間的な相性はあまり良くなさそうだ。もちろん、これぐらい自分に対する自尊心が強いほうが役者としてやっていけそうなのは確かなのかもしれないけれど。

 

 「待ち時間は・・・10分か。意外と空いてるね」

 「時間的には夕方の一歩手前だから、ちょうどいいタイミングってところだしな」

 

 待ち時間は約10分。ゴンドラの種類はスタンダードな“カラー”と、4台しかない全面ガラス張りで透明な“シースルー”の2種類。もちろん変装して一般人に紛れ込んだ状態で遊びに来ている俺たちはなるべく目立つことはしたくない&そんなに待ちたくないということで、満場一致で普通のゴンドラへ繋がる階段を選ぶ。

 

 “・・・これで最後か・・・”

 

 そして大観覧車のゴンドラへと繋がる階段を前に、もうすぐ休暇が終わるという実感が急に湧き始める。とにかくここまで、なるべく“芝居(しごと)”のことから離れて“余計なこと”は考えずに普通にして楽しんできたつもりが、終わりが近づくにつれて一旦は忘れようとしていた“現実”が襲い掛かる。

 

 

 

 “『役者(おれたち)”には“役者(おれたち)の意地”があるということも、忘れないでください』”

 

 

 

 当たり前だ。俺たち役者は最初から役作りの一環も兼ねて遊んでいる。そもそも本当に何も考えずに遊びに行くならこんなふうに互いが互いを“役名”で呼んだり“タメ口”を強制したりで縛り付けるようなことはしない。それでも俺は大前提として今日を思いっきり楽しんだ。それはみんなと変わらない。

 

 ただ・・・そこに『ロストチャイルド』の時のように何にも縛られることなく本当の意味で100パーセント役作りに専念できるか、色んな余計なものを背負わされながら役作りをするかという、決定的違いが1つあるだけのことだ。

 

 

 

 “そのたった“1つ”さえなければ・・・・・・俳優(おれたち)はどれだけラクなことか

 

 

 

 「ねぇ?“ぐーぱー”しない?」

 「急だな、別にいいけど」

 

 なんて雑念に駆られていたら、先頭を歩く堀宮が突然“ぐーぱー”をしようと言い出した。ちなみに俺は、堀宮の言った“ぐーぱー”は知らなかった。

 

 「・・・“ぐーぱー”?」

 「えっもしかしてさとる(ジュン)知らないの?“ぐーぱー?」

 「・・・・・・あぁ、“ぐっとっぱ”?」

 「うん、逆にあたしはそれ知らないけど多分それ」

 「横浜だと“ぐっとっぱ”って言うんだ?」(※諸説あります)

 「うっわ出たよ地域によって呼び名が違うあるある」

 「“うわ”は余計だろ」

 

 そして堀宮の言葉でそれがようやく“ぐっとっぱ”を意味していることに俺は気が付く。ついでにどうやら呼び名は地域によって違うらしい・・・という、まあまあどうでもいい豆知識もついでに手に入れた。

 

 「それより教えてくれない?なんでぐーぱーするかさ?」

 「そんなの決まってんじゃん、2対2で分かれるためだよ。だってこのまま4人で仲良く乗ったってつまんないし」

 「なるほどね・・・もちろん男同士女同士になってもそこは文句なしってことだ?」

 「“ある意味”、それが一番かもね?」

 「スキャンダル的な?」

 「はい先輩はそれ以上余計なこと言わない」

 「ホリミィ()はオカンか?」

 

 ともあれ堀宮がいきなりぐーぱーをやろうとした理由は至って単純で、今からグーとパーで分かれて2人ずつでゴンドラに乗ろうというものだった。確かに堀宮の言う通りじゃないけれど、普通に4人で同じゴンドラに乗るのは、それはそれで普通過ぎる感が否めないから割と一理あるかもしれない。

 

 「それってさ、俺と杏子さん(千代)一色(新太)永瀬さん(半井さん)ってパターンもってこと?」

 「当たり前でしょ」

 「マジか」

 「え?嫌なのさとる(ジュン)?」

 「いや、別に?」

 

 もちろんその組み合わせが同じ事務所の俳優同士になろうと、関係はない。

 

 「じゃあみんな・・・・・・ぐーぱーじゃす_」

 

 

 

 こんなふうに色んなことを忘れたかのようにはっちゃけられるのも、今のうちだ。

 

 

 

 「いや・・・これ、“ぐっとっぱ”した意味ないですよね?

 「“ぐーぱー”ね?

 

 こうしてメインキャスト4人で“ぐーぱー”をした結果、その組み合わせはものの見事に“事務所ごと”で分かれた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「にしてもさあ、ゴンドラ(ここ)でもさとると一緒になるとかどんだけあたしたちって仲良いんだって話だよね?あずさと一色先輩もそうだけど」

 「“ある意味”、そうかもしれないですね」

 「“ある意味”ってどういう意味よそれ?」

 

 大観覧車のゴンドラに乗る前にやった“ぐーぱー”で仲良くパーを出した俺と堀宮は、赤色のゴンドラに乗って1周約16分の“空中散歩”に出ていた。

 

 「ていうか、いま俺のことサラッと本名で呼びましたよね?(って言ってる俺も敬語に戻ってるけど・・・)」

 「もういいじゃん、そういうの。どうせこの中にはあたしとさとるしかいないし」

 「そういう問題なんですかこれ?」

 「あと役の名前で呼び合うのいい加減疲れた」

 「あぁ・・・それは俺も分かります」

 

 ちなみにゴンドラの中で同じ事務所の先輩後輩の2人だけになったことで、それまでの“縛り”も一旦終了になった。恐らくそれはすぐ後ろのオレンジ色のゴンドラに乗る “一色・永瀬ペア”も同じこと・・・だと思うけれどあの2人が仲良く話しているイメージは今のところあまりないからそこまでは分からない。

 

 「しっかしアレだね・・・これじゃあ普段通り過ぎてつまんないね」

 「杏子さんが急に“ぐっとっぱ”なんかしようと言い出すからですよ」

 「“ぐーぱー”な。“上京”してきた以上は覚えなさい」

 「別に横浜と東京(ここ)じゃ上京もへったくれもないでしょ。そもそも事務所は思いっきり渋谷だし」

 「四の五の言わずさとるは“ぐっとっぱ”から離れることね?そうしないと“田舎者”ってナメられるよ?」

 「別に呼び方なんてどうでも良くないですか?やってることは同じだし」

 「あら、『役者(おれたち)”には“役者(おれたち)の意地”があるということも、忘れないでください』なんてカッコよく啖呵を切ってた割には“お利口さん”なこと」

 「とりあえず杏子さんが負けず嫌いなのはよく分かりましたよ。あとついでに言っときますけど、さっきのUFOキャッチャーの散財ぶりにはぶっちゃけヒキました」

 「敬うべき先輩に対してそんなにどストレートに言うかな普通?」

 

 そして始まる、本当に普段通りにも程がある空気感で展開される堀宮との会話。最早これでは、せっかく“縛り”を課してまで地味に行くのには不便なお台場(※2001年)に貴重な休日を使って4人で来た意味はまるでないも同然かもしれない。

 

 「敬うも何も普通に心配ですよ。この調子じゃいつか絶対に破産するんじゃないかって」

 「ホントさとるってあたしにだけ容赦ないよね?」

 「だけってことはないですよ(例えば蓮とか)」

 「あずさにはあんなに優しいのに?」

 「永瀬さんは初対面なんで」

 「正直でいるのは良いことだけど、あんまり正直すぎると友達増えないよ?」

 

 だけれどそんないつも通りの時間(いま)が、何だかんだで俺は一番心から楽しめているのが分かる。それがどうしてなのかは自分でもよく分からないのだけれど、目の前に座っている堀宮が“役作り”のことなど考えないで素直に楽しんでいる様子を見ていると、何だかこっちもついその気になってくる。

 

 「別にこれ以上増えなくてもいいですよ。俺には“親友”がいるんで」

 「相変わらず捻くれてますね~“孤高の天才”さんは、この前は“苦手意識”がなんちゃらかんちゃらって言ってたのに?」

 「(なんちゃらかんちゃらって・・・)あれはあくまで“役者”としてってことです。これでも俺は、現実と非現実(ドラマ)の世界はちゃんと分けて考えてますから・・・」

 

 何だかんだで今日は朝から乗り換えをミスって遅刻するわ携帯を寮に置き忘れるわで堀宮から早速叱られるわ、せっかくの映画鑑賞で爆睡をやらかすわで散々な休日だった。

 

 「・・・ふ~ん」

 

 それでも形だけとはいえメインキャストが全員揃ってこうやって貴重な休日を満喫できたことは、“これからのこと”を考えると本当に有意義だったと信じたい。

 

 

 

 “・・・って、何で俺はこの瞬間をこんなにも楽しんでいるんだ?

 

 

 

 「じゃあさ・・・・・・もしも “親友”の蓮ちゃんが“敵”になってさとるに牙を向けてきたら、どうする?

 

 

 

 

 

 

 「今頃盛り上がってるかな?ホリミィとサトル(そっち)は?」

 「さあ、どうなんでしょうね?」

 

 一方その頃、憬と堀宮が乗る赤いゴンドラの1台後ろのオレンジのゴンドラでは、同じように仲良くグーを出した十夜と永瀬が前のゴンドラに乗る2人のことを気に掛けながら2人きりで話をしていた。

 

 「すげぇ今更だけどさ、相変わらずあずさってホリミィ以外にはずっと敬語なんだね?」

 「いけませんか?」

 「別にいけなくはないけど、あずさから見たオレって同期で事務所も同じわけだから全然タメ口で話してもいいのにってふと思ったからさ」

 「そういう十夜さんは先輩だろうとアリサさんだろうと基本タメ口じゃないですか」

 「一応弁えてるよ。これでもね?」

 「そうなんですね・・・」

 「あ、全然信用できないって顔してる」

 「はい。正直」

 

 無論こちらも、2人きりになったことで“縛り”のルールは自然に消滅していた。

 

 「とにかく敬語なのは・・・こっちのほうが落ち着くってだけで、深い意味はないですよ」

 「さっきまで普通にタメ口で話してたじゃん」

 「あれは“縛り”で仕方なくですよ・・・はっきり言って私はやり辛かったです」

 「はははっ、確かにそう言われてみればチョイチョイ顔にも出てたし・・・やっぱり、リフレッシュしてるときぐらいは“マイペース”に行きたいってとこだね」

 「そう・・・ですね」

 

 ただオレンジのゴンドラの中の空気は、前を行く赤いゴンドラとは対照的にどこかよそよそしい。

 

 「・・・やっぱ盛り上がらないね。いつもの面子だと」

 「・・・ですね」

 

 そして流れるのは、今一つ馬が合わない2人同士の沈黙。

 

 

 

 “うん。フツーに気まずい

 

 

 

 「・・・・・・あずさはさ、今回のドラマではどうしていきたい?

 

 体感的に30秒ぐらいの沈黙を経て、俺は反対側に座るあずさに当たり障りのない言葉をかける。相変わらず生真面目でシャイな彼女とは、オーディションでグランプリを獲った初対面のときからずっとこんな感じで、事務所でたまに会って話をしてもあんまり盛り上がった試しがない。

 

 「そうですね・・・・・・私は他の3人に比べるとまだまだ芝居は未熟ですので、とにかく3人に芝居で追いつくことが、いまの目標です

 

 何よりあずさは、“変人”が多数を占める芸能界(この世界)においては逆に “希少種”でもある“普通の感覚”の持ち主だ。ホリミィのような自我丸出しの“エゴイスト”でもなければ、憬のような“ホンモノ”でもない、本当の意味での普通の人。強いて個性的なところがあるとするなら馬鹿がつくほど正直なところぐらいで、あとは全部普通だ。

 

 「うん。普通だね」

 「・・・もしかして馬鹿にしてます?」

 「ううん、褒めてる」

 「心なしかあんまりそういうふうには見えないのですが」

 「ひどいな~、これでも本当に褒めてんだぜあずさのこと?」

 「・・・そうですか」

 

 彼女が持ち合わせている役者として持っている価値観は、びっくりするほど至って普通。だけどそんなあまりにも“普通”な役者観が逆に“変人”めいて見えてくるのが異端な世界の綾にして、“女優・永瀬あずさ”の女優(やくしゃ)としての魅力でもある。

 

 「むしろあずさのような“普通の感覚”は、裏を返せば誰とも被らない役者としてとっておきの個性だとオレは思うから、大切にしろよ」

 「・・・はい」

 

 そしてもちろん至って普通な価値観がありながら原石としての素質があったことで、彼女はアリサからスターズの女優として見出された、と言ったところだろうか。

 

 「・・・そういえばあずさって、アリサさんに憧れて女優になるって決めたんだっけ?」

 「はい。アリサさんは小さいときからずっと尊敬しているので」

 「へぇ~、オレと一緒じゃん」

 「十夜さんもそうなんですね・・・正直少しだけ意外です」

 「ははっ、本当に正直だよな~あずさって」

 「すいません。悪い意味ではないのですが」

 「知ってる知ってる。普段の振る舞いって意味だろ?」

 「えぇ・・・まぁ」

 

 逆を言えばそんな普通の彼女は、アリサが女優をやめなければ夢を掴むことが出来なかったとも言える・・・

 

 「もちろんアリサさんのことは女優(やくしゃ)としても人間としても尊敬しているよ・・・・・・だからオレはスターズを選んだから

 

 何て目先で決めつけるほど俺の心は未熟じゃないから、俺は自分の為に平気で自分本位の嘘を吐く。

 

 「ところであずさは・・・・・・サトルやホリミィのような役者をどう思う?

 

 

 

 

 

 

 「じゃあさ・・・・・・もしも “親友”の蓮ちゃんが“敵”になってさとるに牙を向けてきたら、どうする?

 「・・・は?

 

 何の前触れもなく、いつもの明るい笑みと共に唐突に向けられた言葉に俺は思わず言葉を失いかける。

 

 「いや・・・まず、何で蓮のことを知ってるんですか?」

 「だって映画で共演してるから」

 「・・・あぁ、“バトルロワイアル”」

 「おぉよくぞご存じで」

 

 一体全体どうしてまだ名前すら教えていなかった蓮のことを堀宮が知っていたのかと呆気にとられかけたが、よくよく考えてみれば同じ映画で主演と助演で共演していたことを思い出して、共通点はすぐに見つけられた。

 

 けれど、どうして俺と蓮が親友だということを知っているのかはまだ分からない。

 

 「でも」

 「あと蓮ちゃん言ってたよ。“憬にだけは負けてられない”って」

 

 なんて俺からの疑問に堀宮は容赦なく言葉を被せて遮ると、目の前のやや深めに被る黒いキャップの下から覗く感情がいつもの笑みから偶に見せる不気味な笑みに変わった。

 

 「・・・さっきから杏子さんは何が言いたいんですか?」

 「まだ分からない?もしも“親友”の蓮ちゃんが“敵”になってさとるに牙を向けてきたらって、あたしはさっきから聞いてるんだけど?

 

 

 

 “『こんな血も涙もない“負け戦”みたいな真似をしてでもオーディションをやったのは、何かあたしたちに“意味(メリット)”があるからってこと?』”

 

 

 

 突如として向けられた、3日前と同じ感情。一体それが何を意味しているのか、同じメインキャストとして『ユースフルデイズ』のオファーを引き受けた俺にはすぐに分かった。

 

 「・・・牙を向けられたらこっちも牙で応戦するだけですよ・・・・・・それは相手が親友だろうが誰であろうが関係ない・・・・・・その牙を受け止められない程度の覚悟で、俺は役者なんかやってないので・・・

 

 そうだ。俺たちは役者だ。例え相手が誰であろうと、自分が1番だということを証明しなければいけない。

 

 

 

 “『サトル(純也)は役者で例えると、“監督や演出家(パペッティア)”の“意図()”がなくても自分の意思で勝手に動ける“人間”・・・・・・ってところだな』”

 

 

 

 それは例え休日だろうと、関係なんてない。2対2に分かれて“縛り”から解放された今はもう、“治外法権”も同然だ。

 

 「・・・その“覚悟”っていうのは本物なの?さとる?

 「はい。じゃなかったら今回のドラマのオファーは引き受けてませんよ

 

 不敵かつクールな笑みを浮かべて覚悟を問う堀宮に、全てを察した俺は即答で応える。正直に言うと、いまの俺は冷静さを建前でどうにかして保っているぐらいには、軽く動揺している。それもそうだ。つい数十秒前までは何事もなく普通に日常的な会話をしていたら、突如として現実に引き戻して役者の本質を問いかけるようなことを言ってくる。本当に堀宮(この人)は、突然女優モードのスイッチを入れてくるから油断ならない。

 

 「俺だってそれぐらいのことは分かっています・・・・・・もしかしたら今回のドラマで蓮と“敵同士”の関係になってしまう可能性もゼロじゃないということは・・・

 

 

 

 “『ところで憬くんはさ、俳優とか目指さないの?』”

 

 

 “『だったらやってみろよ。オーディションを勝ち抜いて、“こっち側”に来てみろよ!』”

 

 

 “『私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ』”

 

 

 “『次はちゃんと“カメラの前”でこんなふうに芝居が出来たらいいよね・・・私たち?』”

 

 

 “『おかげさまで私も“そこそこ”有名になり始めてるから』”

 

 

 

 「だけど(あいつ)からはもう・・・・・・“喧嘩”は何度も売られているんで

 

 けれども、役者として蓮に追いつこうと心に決めたいまの俺は、それぐらいの覚悟を問われても堂々と自分の意思を答えられるぐらいには強くなれた。

 

 「そんなことより教えてください・・・何で杏子さんは俺と蓮が親友だってことを知ってるんですか?

 

 タイミングを見計らい、俺は一度言いかけて遮られた自分の意思を堀宮に伝える。

 

 「・・・・・・うん。じゃあ、5秒間だけ目を閉じてくれたら、全部教えてあげる

 

 すると堀宮は、数秒ほど考え込んだ末に普段の毒気が全くない笑顔を浮かべながらまたしてもよく分からないことを言ってきた。

 

 「5秒・・・・・・いやなぜ?」

 「知りたくないの?たった5秒だけ目を瞑れば“マジのマジ”で全部教えてあげるって杏子先輩が言ってるのに。こんなチャンスもう二度とないよ?」

 「ていうか何をするんですか」

 「それは絶対教えない。ほら、これから観る予定の映画を観る前にネタバレされちゃったら、さとるも嫌でしょ?」

 「まぁ・・・嫌ですけど」

 

 本気だという意思表示でもある“マジのマジ”というよく分からないワードと一緒に、堀宮は俺に容赦なく揺さぶりをかける。とにかく、この人は意地でも何をするのかは一切教えてくれないようだ。

 

 「・・・もうすぐ頂上ですね」

 「そうだね。で?どうしたいの?」

 

 さすがに堀宮が何をしたいのか今度こそ皆目見当がつかない俺は、徐に視線を外に向けて一瞬だけ話題を逸らしてすぐさま戻される。気が付くと俺と堀宮が乗るゴンドラは、ほとんど頂上に差し掛かるところにまで来ていた。

 

 

 

 “・・・やっぱり・・・俺はいま、堀宮から“役者”として何かを試されている・・・

 

 

 

 「・・・“マジのマジ”ですからね?

 

 本当に何も予測できないが、堀宮から何かを“試されている”ことを直感し“乗る以外の選択肢はない”ことを悟った俺は、堀宮の“マジのマジ”に乗ることにした。

 

 「ありがとう・・・さとるなら引き受けてくれると信じてたよ」

 「だから何が?」

 「それを今からするって言ってんじゃん。あんまりしつこいと嫌われるよ?」

 「・・・はいはい」

 

 再び普段と何ら変わらないオフの状態に戻ったように見える堀宮は、俺の目を真っ直ぐに見つめ笑いがてらに軽く叱る。

 

 「じゃあ・・・・・・目、閉じて

 「・・・こう・・・ですか?

 

 そして堀宮の声に誘導されるように、俺はゆっくりと目を閉じる。にしても何を仕掛けてくるのかは知らないけど、たった5秒間だけ目を瞑るだけで全部を教えてあげるなんて、随分と虫のいい話・・・

 

 

 

 

 

 

 “・・・・・・えっ・・・・・・

 

 

 

 目を閉じた次の瞬間、座っていたゴンドラがほんの僅かに揺れたのと同時に、柔らかな唇が口元に優しく触れる感触を覚えた。




突然のキスは、運命のミス?_



トータルで書き上げるのに2週間ほどかかった、何気に今までで一番難産な回でした。何となく全体的にダイジェストみたいな感じになってしまったのは、執筆の過程でペース配分とかを色々と考えた結果です。ひとまず景ちゃんのバースデーに間に合わすために無理やり締め切りを守ったようなものですので、気が向いたら添削する可能性が高いです・・・・・・と言いながら、肝心の本編は誕生日を迎えた本人はおろか原作キャラですら回想でしか登場しないという始末。


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scene.77 好きになってよ

 「ところであずさは・・・・・・サトルやホリミィのような役者をどう思う?

 

 自分たちの1つ前を行く赤いゴンドラに一瞬だけ目線を向けた十夜は、サングラス越しに永瀬の目を真っ直ぐに凝視して、静かに問う。

 

 「・・・あの、“どう思う”って言うのは?」

 「そこまで難しい話なんかじゃないよ。2人の“芝居”を知ってるあずさだったら、ほんの少し考えれば分かることだからさ・・・」

 

 フレンドリーながらもどこか意味深に笑いかける“スターズの王子様”からの視線と感情に、永瀬は心の中で感じている動揺を隠しながら問われた意味を自力で考える。

 

 「・・・どう表現するのが正解なのかは分かりませんけど・・・・・・憬さんと杏子の芝居は、私たちがアリサさんから教えられた芝居とは正反対のものだと、私は思っています・・・

 

 

 

 “『・・・これは極論だけど、恐らく彼は相手を好きになる役なら相手の事を本気で好きになるし、相手を殺す役を与えられたら本気で人を殺すつもりで芝居をするだろうね・・・』”

 

 

 

 「・・・これはあくまでオレの知り合いが言ってたことの受け売りになっちゃうけど、例えばああいうタイプの役者は相手を好きになる役を与えられたら、相手のことを本気で好きになるくらいその役に入り込んじゃうだろうね・・・

 

 数秒ほど考え込んで問いかけに真摯に答えたあずさに、俺はスターズのオーディションを受けていた頃に“幼馴染”から助言として言われた持論を打ち明ける。

 

 「所謂“メソッド演技”ですよね」

 「その通り。アリサさんが世の中で一番恐れていると言っても過言じゃない演技方法だよ」

 

 ちなみに“ホリミィ”こと堀宮杏子とは、この月末に公開される予定の映画の撮影で初めて共演して以来、通っている学校が同じということもあってか何かと連絡を取り合っているくらいには近しい関係だ。ただ、互いが忙しいおかげで直接的に会うことは少ない。

 

 「でも既に一度だけホリミィと共演しているオレから見れば、あの2人は同じくメソッド演技を駆使した没入度の高い芝居を武器にしてるけど・・・その“本質”は全然違うんだよ」

 

 そんな彼女と初めて会うことになった、俺が初めてのドラマ出演にして初主演を任されたドラマ・『学園探偵・ケイト』の劇場版の撮影現場。犯人の妹役としてカメラの前に立って演じていた杏子の芝居は、普段の良くも悪くも小生意気で今どきな女の子のような雰囲気はおろか人格すらもそっくりそのまま演じている登場人物に移り変わったかのごとく、別人になりきっていた。

 

 

 

 “『世の中には、技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいるのよ』“

 

 

 

 それはまるでいつか見た、生まれながらにして技術や人知を超えた“領域”に達している2つ年下の役者(にんげん)の芝居を目の当たりにした衝撃を彷彿とさせるようなものだった。

 

 

 

 「・・・確かあずさってサトルともホリミィとも共演したことないんだっけ?」

 「はい。杏子は幼稚園のときからの付き合いなので普段だとよく話したりしてましたけど、現場が同じになったことはないですね・・・憬さんに至ってはお会いするのも今回が初めましてです」

 「そっか・・・生で芝居を視てないってなると、中々伝わらないよなぁあれは・・・」

 

 

 

 “『どう監督?あたしちゃんと泣けてた?』”

 

 

 

 カットがかかったその瞬間、カメラの前に立っていた犯人の妹の姿はどこかへと消え去り、瞬きを終えたときには普段の堀宮杏子に戻っていた。そんな彼女の役柄が自分の身体から抜ける一瞬をカメラの外から視た俺は、憬と杏子の芝居は同じモノを武器にしていながらもその性質は大きく異なっているということを知った。

 

 

 「もちろん憬さんの芝居がどういうものなのかは、『ロストチャイルド』などを観ているので私にも分かります・・・何というか、杏子と同じメソッド演技のはずなのに、言葉にできない“異質”さがあったというか」

 「すごいじゃんあずさ、ただスクリーンで観ただけなのにあんな些細な演技の違いに気付けるなんてさ?」

 「いや・・・杏子のことは友達として子役のときからずっと応援し続けているから、どういう芝居をしているのかは何となくですが分かっているつもりなので・・・これはその延長線上に過ぎません」

 

 ただ2人の芝居のそれぞれの性質は実際に現場でオンオフを目撃しないと伝わらないところがあって勝手に心配していたけれど、さすがは星アリサに“忖度無し”で選ばれてグランプリを獲っただけあって、あずさの勘はそこら辺の俳優(ひと)よりも冴えていた。

 

 「てことはもうあずさは、あの2人が役者として“どう違う”のかは何となく分かってるってことだね?

 

 実際に同じ空気で2人の芝居の違いを体感していないから完全ではないが、明らかに違いの“正体”には薄々気付き始めていることを確信した俺はもう一度だけあずさに揺さぶりをかけてみる。

 

 「・・・・・・まだ同じカメラの前に立っていないので言い切れる自信はありませんが、“何となく”なら想像はできているつもりです

 

 そんな俺からの揺さぶりに、あずさは謙虚な姿勢はそのままに目の前に座っている俺の目を真っ直ぐ見つめながら自信を持って答えた。

 

 “よし・・・良い感じに燃えてきた・・・

 

 そして彼女の濃紺(ネイビーブルー)の瞳に内に秘める静かな闘志が見え隠れしたのを視た俺は、最後までとっておいた“メインディッシュ”の意思確認(しつもん)をあずさにぶつけることを決めた。

 

 「じゃあ聞くけど・・・・・・あずさ的にはサトルとホリミィ。“危ない”のはどっちだと思う?

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・もう、いいよ

 

 暗闇の先から聞こえてきた約束の“5秒”を告げる合図に、俺は恐る恐る閉じていた瞼を開いて視線と意識を現実に戻す。だが、今まで生きてきた中で経験したことのない動揺に襲われている俺は目の前に広がる現実を受け入れられずにいる。

 

 「ごめん・・・びっくりした?

 

 恐らく完全に心ここにあらずの状態になっているであろう俺に、いつの間にか被っていたキャップが取れて肩あたりまで伸びるサラッとした亜麻色の髪の全貌が露わになった堀宮は、目の前の背もたれから身を乗り出し右手を俺の左頬に伸ばし添えながら少しだけ心配そうな表情を浮かべ静かに語りかける。俺を真っ直ぐに見つめるその表情がまた“絶妙”なせいで、冷静になろうとする気持ちに反して心拍数は動揺で更に上がり始める。

 

 「・・・びっくりしたとかじゃないですよ・・・・・・だって・・・

 

 本当に一瞬だった。“目、閉じて”という言葉に渋々と従いゆっくりと目を閉じたその直後、ゴンドラがほんの僅かに揺れたのと同時に、柔らかな唇が心地よい体温と共に口元に優しく触れてすぐにまた離れた。

 

 「・・・やっぱり嫌だった?

 「嫌、っていうか・・・いま起きてることが現実なのか夢なのか・・・もう、自分でも訳が分からなくなってるっていうか・・・・・・すみません

 

 幾ら自分の気持ちを言葉にして返そうとしても、完全に頭の中がショートして“目を瞑っていた5秒間”をループし続けるせいで、自分でも何を言っているのか分からなくなるほど真っ白になっている。

 

 「・・・それもそうだよね・・・

 

 どうにかして言葉にならない自分の意思を伝えた俺を見つめる堀宮は、そう言って儚げに笑うと俺の左頬に添えていた手をそっと放して目の前の背もたれにもたれかかり、左手に持っていた黒いキャップを再び深く被ると少し恥ずかし気な表情を浮かべながら外の景色に目を向ける。

 

 

 

 “・・・・・・雅?

 

 

 

 「・・・・・・“雅”?

 

 その姿と横顔が“千代雅”とリンクしたように感じた俺は、無意識に“幼馴染”の下の名前を呼んでいた。

 

 「・・・えっ?“”なんてここにはいないけど?」

 「・・・・・・」

 

 そして久しぶりに千代のことを雅と下の名前で呼んだ俺に、雅が現実に引き戻す言葉をかけたことで徐々に心が我に戻っていき冷静になっていく。

 

 「・・・完全に我を忘れてましたね、俺」

 「うん。完全に我を忘れて入り込んでたよ。“純也(やく)”に」

 

 幾分か冷静さを取り戻してようやく置かれている状況が鮮明に見えてきた。どうやら俺は、突如として向けられた感情にまんまと乗せられて自分を見失い、雅と全く同じ表情(かお)をしていた堀宮を視て、ついつい我を忘れ純也の感情に入り込んでしまった。

 

 「じゃあ・・・ “キス”をしたのもそういうことですか?」

 「“そういうこと”になるね。だって原作で純也(ジュン)から不意打ちでキスされた雅みたいに突然キスされたら人ってどんな顔をするのかっていうのがあたし的にどうしても気になってさ・・・それでちょうどあたしの目の前にいる相手役(さとる)を使って試してみたくなった・・・・・・ってところかな

 

 こうして俺は堀宮から予期せぬ形で台本でも演出でも何でもない、人生初のキスをされた。もちろんこれらは全て、雅の役作りをしていた堀宮の“策略”に完全に踊らされていただけだ。

 

 「観覧車に行こうと言っていたのも、まさかこの為だけに?」

 「さすがにそれは“マグレ”だよ・・・でも、今日じゃなくても台本(ホン)が届くまでのどこかでさとると1対1でこんな感じで話せるシチュエーションは作っておきたいって、ずっと考えてた」

 

 早い話が、俺は堀宮から雅の感情を掴むための“道具”としてまんまと利用された。

 

 「だからって・・・いきなり“キス”なんかする必要はあったんですか?」

 「あるよ。だって不意に“キス”されたときの表情なんて漫画の絵とかドラマみたいに作られた感情を参考にしたって分かんないからね・・・だから“リアル”な表情を題材の1つってことで参考にして、そこから雅の性格だとか境遇を取り入れて役の感情を組み上げる・・・・・・こんな感じであたしはずっと自分の役柄を作ってきた・・・ま、役作り目的で人に“キス”なんてしたのはこれが初めてだけどね?」

 

 堀宮は真っ当なやり方かはともかく役者として間違ったことはしていないから、その方法が今のような際どいものだとしても、同じく自分の芝居で利用できるものは利用してきた俺にはこの人を悪く言える筋合いはない。たまたまやり方が違うだけで、やっていることの本質は変わらない。

 

 「ごめんねさとる・・・でもこれがあたしの“やり方”だから、悪く思わないでくれたら嬉しい」

 「・・・別に悪いとは思ってないですよ。自分の芝居に利用できるものはどんなものでもとことん利用するのが、どうせ役者って生き物だと俺は思ってるんで

 

 やや申し訳なさそうな表情を浮かべて相手が共演者(おれ)だということを良いことに自分がしたことを正当化する堀宮を、俺はその行為を庇うような言い分を交えつつ思っていることを正直に話す。

 

 「けどさ、ぶっちゃけ最悪な気分でしょ?人生初のキスがこんな感じの訳分からないドッキリみたいな茶番だなんて」

 「確かに騙されたって気分は否めないですね」

 「“人生初”なのは否定しないのね?」

 「まぁ・・・それはホントなんで」

 「はははっ、もうさとるは素直でかわいいな~」

 「だから頭を撫でたら機嫌がよくなるのは犬ぐらいですからね杏子さん?」

 

 こんな感じでジェットコースターのように心境が変わっていく堀宮とは、こうやって一緒にいると未だに振り回されっぱなしだ。

 

 「でもさとるって属性で言うと犬じゃね?」

 「“属性”って何すかもう・・・」

 

 そしてまた女優モードが切れて元に戻った堀宮は、ダル絡みをしてくる少しめんどくさい面倒見の良い先輩女優に戻って、犬を躾けるかのように俺の頭を撫でる。そんな普段の様子からは、女優・堀宮杏子が努力家だということは微塵も感じられない。

 

 

 

 

 

 

 “・・・堀宮も出てたんだな・・・このドラマ・・・

 

 

 

 まだ横浜の実家から事務所や撮影現場に通っていた中3のとき、偶然にも実家にあったコレクションの中に子役時代の堀宮が出演しているドラマがあって、受験勉強の合間に興味本位で鑑賞したことがあった。しかもそのドラマは俺が牧のことを知るきっかけになった小学校を舞台にした学園ドラマだった。

 

 

 

 “下手じゃないんだけど・・・・・・なんか中途半端な芝居だな・・・

 

 

 

 そのドラマで堀宮が演じていたのは、牧が演じるいじめグループのリーダー格の取り巻きBといったところの役柄で、言わば典型的な脇役だった。そして肝心の演技力はというと、一言で言えば演じている役の感情が視えてこない薄味な芝居(モノ)だった。決して“大根”というわけではなければ、最初の頃の蓮みたいな経験不足ゆえの拙さもない、ひとまず演技として普通に観れるレベルなのだけれどイマイチ役を掴み切れてない感じが随所に現れた深みがない中途半端な芝居だった。例えるなら子役が無理して大人ぶって悪人を演じているような感じで、結果的にリーダー格を演じていた牧の子役離れした怪演の良い引き立て役になっていて、観終わってみれば堀宮の役は何の印象にも残らなかった。だから俺はリアルタイムで観ていたときに、堀宮がいたことに気付けなかった。

 

 

 

 “そうか・・・だから堀宮は牧のことをあんなに・・・

 

 

 

 あれから5年以上が経ったいまの堀宮は取り巻きBを演じていたときとは比べ物にならないくらい演技力が跳ね上がり、はつらつとしていて可愛らしい見た目に反した没入度の高い芝居を武器にすっかり人気女優の仲間入りを果たしている。もちろん本人からは直接聞いていないから憶測になるが、きっと堀宮にとっては同世代の天才子役・牧静流との共演が大きな転機になって、今の活躍に繋がっているのかもしれない。

 

 そして子役時代からの演技の進化と無邪気な笑みに隠された女優としての覚悟を目の当たりにして、堀宮は天才ではなく根っからの努力家だということを知った。言うまでもなく、当の本人はそれを他人から察せられるのを嫌っているから、その努力を天真爛漫な無邪気(ベール)で覆い隠す。

 

 

 

 それが堀宮の女優(ひと)としての在り方ならそれで構わないし、ただの後輩の俺がとやかく他人の流儀に文句をつける資格はない。だとしても、このまま俺だけが弱い部分を暴かれたまま負けっぱなしで終わるつもりもない・・・

 

 

 

 

 

 

 「それと、“キス”についてはちっとも最悪だなんて思ってませんよ。ただあまりに突然すぎたからある意味ショックは受けましたけど、こっちもこっちで“収穫”はありましたから

 

 このまま利用されたままでは終われないという役者としての性が出て、俺は堀宮に喧嘩を売るに等しい本音をぶつける。

 

 「“収穫”って?」

 「それは・・・」

 

 

 “『ごめん・・・びっくりした?』”

 

 

 「・・・どうして杏子さんが蓮と俺が親友だってことを知っているのか、これで聞けるからです

 

 つもりが、5秒が経ち目を開いたときに堀宮が魅せた表情が頭に浮かんだ俺は、思惑とは違う言葉を口にしていた。

 

 「ホントに?」

 「えぇ、多分」

 「多分って?」

 「多分は、多分ですよ」

 

 案の定、それが本音かどうかを突っ込まれた俺は思わずどっちつかずな返答をしてしまった。これじゃあ反撃どころか、却って返り討ちもいいところだ。

 

 「・・・まいっか。最初からそういう約束でさとるは律義に目を瞑ってくれてたし、あたしの役作りに協力してくれたお礼ってことで教えてあげるよ。蓮ちゃんのこと」

 「・・・はぁ」

 

 と、色々と根掘り葉掘りを聞かれて墓穴を掘ってどんどん役作りの肥やしにされていくことを覚悟したが、堀宮はあっさりと話題を逸らしていった。本当にこういう変なタイミングで無頓着になるところも含めて、この人は何を考えているのか時々分からなくなる。

 

 「でもその前に・・・・・・“追加”でもう一個だけどうしても約束して欲しいことがあるんだけどいいかな?

 

 なんてほんの一瞬の油断が見透かされたのかは分からないが、堀宮は直前になって“条件”を追加してきた。

 

 「・・・もし嫌と言ったら?」

 「教えない」

 「幾らなんでも言ってることが滅茶苦茶だよアンタ

 

 気の知れた先輩からのお願いとはいえ理不尽の度が過ぎる要求に、思わず口調が少し荒くなった。けれど、これぐらいの無礼は水に流してほしいくらいには心の底から“は?”と人格を疑いたくなる気分だ。

 

 「別に約束して欲しいってだけでそれを守れなんて一言も言ってないけどなぁあたし?」

 「・・・それはどういう?」

 「だから、あたしが今から言うことに“はい”と答えてくれたら、それを守るか守らないかは関係なく今度こそちゃんと教えてあげる」

 「さっきから杏子さんのやってることって“カツアゲ”と何ら変わらないですからね?」

 「大丈夫だよお金は取らないし次はちゃんと“マジのマジのマジ”でさとるに言うから」

 「うわ出た杏子さんお得意の“マジのマジ”。いい加減もう騙されないっすよ俺?」

 「まあまあ話を最後までお聞きなさい“さとるお坊ちゃま”

 「誰が“お坊ちゃま”だコラ?」

 

 先輩からの理不尽な要求と如何にも弄んでいるオーラ全開のニヤケ顔のコンビでさすがに尊敬よりもイライラが勝り始めた俺に、堀宮はどこ吹く風と言わんばかりに一切気にも留めずに自分のペースで話を進めていく。

 

 「言っとくけど・・・これはあたしにとってはもちろんだけど、何よりさとるにとってもジュンを演じるうえで“メリット”しかない大切な約束だから安心して聞いてほしいんだよ

 

 そしてイライラのせいでまた冷静さを失い始めていた俺に、堀宮は再びどこか不敵な笑みを浮かべながら立ち上がると半ば強引に俺の右隣に座り込む。

 

 “さっきからマジで何を企んでんだ・・・堀宮(この人)は?

 

 それにしても、今日はいつもと比べても一段と感情の移り変わりが激しくて何だかシンプルに様子がおかしい・・・ということを足を組んで座る右隣に思い切り言ってやりたいところだけど、女優モードに入ったときの色々な感情が混ざり合った本気の視線から直視されると、底知れない緊張感で気が引き締め付けられて平静を装うので精一杯になる。

 

 「で・・・“マジのマジ”で何ですか?その“約束”って言うのは?

 

 もちろん、この状態になってしまった堀宮を止める術を持ち合わせるほど、俺はまだ強い役者(にんげん)にはなれていない。

 

 「お、やっと乗り気になった」

 「“かまってちゃん”な先輩に妥協してやっただけです。勘違いしないでください」

 「へぇ~、さとるにしては大胆なこと言うじゃん?」

 「俺だって役者です・・・ただ利用されっぱなしで終わるつもりはないんで

 

 ただ、こんなふうに止めるまでは行かなくとも同じベクトルで張り合えるぐらいには、役者(にんげん)として強くなれた。と思う。

 

 「・・・よし分かった・・・・・・その“喧嘩”・・・10年に1人の天才女優の堀宮杏子が引き受けよう・・・

 

 そして流れでやっと言えた宣戦布告の言葉に、堀宮は無邪気さと不気味さが同居した笑みで俺の顔を覗き込むように凝視ししながら“喧嘩”を買って出た。しかしながら、自分のことを堂々と“10年に1人の天才”だと何の疑いもなしに堂々と言える自信と、その自信を裏付ける実力と努力だけは悔しいけれど今の俺では到底かなわない。

 

 

 

 “『あたしは堀宮杏子。2年後ぐらいには牧静流を名実共に追い抜いてる予定だけど、基本的にみんなとは仲良くするのがモットーだから気楽な感じでよろしく』”

 

 

 

 そんな堀宮の女優(やくしゃ)として誰にも負けない確たる覚悟だけは、初めて会った日からずっと俺は尊敬している。

 

 「てことで早速だけど・・・・・・あたしのこと“好き”になってくれない?

 

 もちろん、そのことを直接口にして伝えたことは一度もない。

 

 「・・・・・・それはあくまで“役”としてってことですよね?

 「“もちのろん”だよ。だって共演者同士がリアルでそうなってスキャンダルでも起こされたらあたしたちのキャリアに傷がつくし」

 「言ってることが真っ当なのはともかくさっきのキスのせいで何一つ説得力がないんですけど・・・

 

 こうして右隣に座る堀宮の口から新たに告げられた約束は、自分のことを“好き”になって欲しいというもの。当然ながらガチではなく、あくまで“”としての話なのはもう分かり切っているから、さっきみたいに取り乱しはしない。

 

 「つまり、ドラマの撮影を通じて俺に雅のことを“純也”として本気で好きになってほしいと?」

 「端的に言えばそうなんだけど、ぶっちゃけそれだけじゃまだ足りないんだよね?」

 「足りない?」

 「さとるならもう分かってると思うけど、メインキャストのあたしたちは“その他(助演)”の共演者(ひと)たちからしてみれば“面白くない”存在なわけよ・・・・・・そんな円滑にスケジュールが進んでなんぼのドラマの撮影で“御法度”も同然な状況を上地さんたちが作り上げたのは」

 「俺たちメインキャストは大人から俳優としての価値があるかどうかを“試されている”

 

 そしてオファーの裏側を上地と黛から教えられている俺は、堀宮の言葉を遮って持論を展開する。ちなみに堀宮が説明していたのを遮ったのは、土壇場で条件を増やされたことへのほんの些細な仕返しのつもりだ。

 

 「ま、100パー正しいって保証はないけどそんなとこね」

 

 ただ相手はそんなことで熱くなるような単純な人間じゃないから、気にも留めずにスルーされた。俺も俺でこうなるだろうと何となくは分かっていた部分もあるから、特にこれといって思うこともない。

 

 「ということだから、あたしたちはただ仲良くクラスメイトを演じ切るだけじゃなくて、“共犯者”になってあたしたちのことを視ている全員(みんな)を演技で黙らせないといけないってわけ・・・もちろん“仕掛け人”のプロデューサーも含めてね?

 

 とにかく俺たちメインキャスト4人は互いがライバルであるのと同時に、今回のドラマにおいては絶対に1人として欠けてはならない協力者であり、“共犯者”だ。改めて、チャンスとはいえとんでもない箱舟に乗ってしまったという思いが、日を追うごとに高まっている。

 

 

 

 “『ユースフル・デイズ』の撮影が終わったら、そろそろ自分でも仕事を選ばせてほしいって思い切って“おやっさん”に直談判してみるか・・・・・・ちょっと怖いけど

 

 

 

 「だから・・・・・・あたしが演じる雅のこと、本気で“好き”になってよ

 

 来月に迫る撮影のことが頭をよぎり意識が一瞬だけうわの空に向いたところで、背もたれに置いていた左手の甲に堀宮の手が優しく被さる感覚を覚えた。

 

 「さっきのさとるみたいに・・・・・・“好き”って感情を向けられたあたしが本当に我を忘れて役に入り込んじゃうくらいね?

 

 そして徐に俺の左手からその手を離すと、堀宮はウインクをしてスッと立ち上がり目の前の定位置(背もたれ)に戻る。

 

 

 

 “『でもさとるのそういうちょっと“冷めてる”ところ、あたしは“らしく”て割と好きだよ』”

 

 

 

 「・・・分かりましたよ・・・・・・杏子さんからの喧嘩は・・・同じく“10年に1人の天才俳優”、夕野憬が引き受けます・・・

 

 左手に優しく触れた心地よく暖かい体温と碧眼の瞳から放たれる視線に“あの日の笑顔”がフラッシュバックした俺は、おおよそ普段の自分は言わないであろう大それた強がり(本音)で先輩女優からの“喧嘩”を買って出た。

 

 「・・・ねぇさとる?それってひょっとしてあたしのマネ?」

 「違います。とりあえず今のは一旦忘れて早く蓮のことを教えてください

 

 無論、口から溢れ出た強がりは次の一言目には立派な“黒歴史”になっていた。




喧嘩の基本は、タイマンだ_



エミリア・ロマーニャGP、イタリア北部における歴史的な水害により開催中止・・・・・・時速300kmオーバーを軽く出せるマシンを作れるテクノロジーを持ってしても、悲しいことに自然の摂理には手も足も出ないのが人類の現実。


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scene.78 返信 / 大切 

まさか江戸前エルフで水星親子の共演が見られるとは・・・・・・てかCV能登さんのエルフとか最高過ぎる


 「・・・ただいま」

 

 午後の6時半。大観覧車でお開きになったメインキャスト4人のお忍び休暇を終えて阿佐ヶ谷にある芸能コースの寮の2階にある自分の部屋(ワンルーム)に入った瞬間、誰もいないことは分かり切っているはずなのに無意識に“ただいま”という呟きが口からこぼれた。

 

 “・・・って、この部屋には元から俺しかいないっつの・・・”

 

 と、心の中で自分にツッコミを入れながら部屋の電気をつけると、3日前に入居したばかりでまだ小綺麗な全景と紺色のカーテンのワンルームが露になる。ちなみに初顔合わせ&ティザー撮影があった入居初日に寮母さんから教えられたことだが、この部屋に住んでいた前の住人はあの“天馬心”だという。

 

 まぁ、“いま聞いたところで・・・”というのが本音だったが。

 

 「・・・そうだ、携帯忘れてたんだった」

 

 今日一日でとにかく色々なことがあってすっかり頭から抜け落ちていたが、携帯電話をこの部屋に置きっぱなしにしていたことをハッと思い出して部屋を見渡すと、中学の卒業祝いで買った折り畳み式の最新機種(ケータイ)は充電ケーブルが差し込まれた状態で勉強机(デスク)の上に置かれていた。思い返すと今日は朝起きてから一度も使った覚えがないから、恐らくは昨日の夜に充電をしたまま消灯して、それっきりになっていたというところか。

 

 “そういやメール送ったとか言ってたな・・・”

 

 充電ケーブルを外してベッドに座り携帯の画面を開くと、早速メッセージが来ていることを小さな画面から告げられて受信ボックスを開く。集合に遅れてきたことを割と本気なトーンで叱られたときに、堀宮からそんなことを言われていた気がする・・・なんて朝のことを思い返しながらボックスを見返すと、堀宮からの件名なしのメールが数件ほど届いていた。

 

 “・・・・・・蓮からも来てる

 

 のと同時に、一番上には今日の13:55に送られてきた蓮からのメールがあって目に留まった。そういえば、蓮からメールが来たのは携帯を買ったときにEメールで送ったメアドに試し打ちでメッセージを送ってもらって以来だった。つまり、実質的にこれは蓮から来た初めてのメールになる。

 

 “『_おつかれ。ちょっと話したいことがあるんだけど今日会えたりする?_』”

 

 “急にどうした?”と一番上のボックスにあったメッセージを開いてみれば、何だか想像していた以上に“重要そう”な文言が書かれていた。

 

 “会えたりする?って・・・急だなオイ・・・”

 

 文字だけしかないことも相まって、表情と声で相手が何を考えているかをずっと読んできた俺からしてみれば、メールだと相手がどんな心境で送って来たのかがイマイチ分からなくなる。別にテクノロジーの進化で携帯電話やEメールでのやり取りが増えていくこと自体は否定しないけれど、やっぱり話す必要があることは直接会って話すに越したことはない・・・と、役者で生きていくことを決めている俺は思う。そしてそれは蓮も同じことだから、こんなメールを俺に送ってきたんだろう。

 

 “さて・・・・・・何て送り返すか・・・”

 

 きっとわざわざメールで事前に言ってくるってことは、(あいつ)なりに大事な話をしたかったのだろう。ちょうどその頃、俺はメインキャストの面子と一緒にお台場で遊んでいたことなんてつゆ知らず・・・正直に堀宮たちとお台場で遊んでいたことを話すか?いや、下手にありのままを話したら“こんなときになに遊んでんだ”ってなって良い気分はしないだろうな・・・けどなぁ、嘘をついたらついたでバレたら間違いなく怒るしなあいつ・・・それか盛大に馬鹿にして笑ってくるか・・・

 

 「・・・あーめんどくせぇ・・・」

 

 メッセージをどう返そうかと色々と思考を巡らせていたら、それなりの声量の愚痴がこぼれた。何度でも言うが俺はこういうハイテクの進化を否定するつもりはない。ただ、相手の感情が文字でしか読み取れない“メール”と俺の相性は、どうやら決して良いとは言えないみたいだ。

 

 テレレーテレレテレレーテーテレレーレレー♪_

 

 「あ、杏子さんだ」

 

 すると俺の携帯が電子音(ジュピター)のメロディーを奏でながら堀宮からのメールが来たことを告げる。もちろん着信メロディーがジュピターなのは俺の趣味でも何でもなく、携帯(コイツ)の初期設定の着信音がどういうわけかコレだったというだけのことだ。

 

 “『_今日のことは絶対ナイショね(^_-)-☆_』”

 

 “内緒か・・・そりゃそうだな・・・”

 

 “『_了解しました。_』”

 

 ひとまず、堀宮への返信は30秒で済ませた。考えるまでもなく、お台場の観覧車の中でキスしたなんて周りに話したら変な方向に誇張された噂が広がってドラマの撮影にも何かしらの悪影響は絶対に出るし、そもそもこんなこと話せるわけがない。

 

 

 

 “『ごめん・・・びっくりした?』”

 

 

 

 というか、役作りの成り行きだったとはいえ堀宮から“マジのマジ”でキスされたんだよな・・・俺・・・

 

 “いけない、蓮にメール返さないと

 

 キスをされた直後のことを思い浮かべてまた混乱し始めた思考をリセットさせるため、ふたたび蓮が送ってきたメールを開き、作成画面を立ち上げてやや遅れた返事を打つ。

 

 “『_携帯忘れたまま打ち合わせ行ってたからいま気付いた。本当にごめん_』”

 

 「・・・大丈夫だよな?これで・・・」

 

 トータルで4,5分ほどの時間をかけて悩んだ挙句、俺は嘘と本当が半々ずつの返事を文字に起こして蓮に送った。こういう自分を正当化する言い訳を考える猶予が会話に比べてある程度の余裕があるところは、相手の感情が視えないメールの利点(メリット)の1つと言ってもいいと、少しだけ思った。

 

 

 

 “『あたしたちはただ仲良くクラスメイトを演じ切るだけじゃなくて、“共犯者”になってあたしたちのことを視ている全員(みんな)を演技で黙らせないといけないってわけ・・・もちろん“仕掛け人”のプロデューサーも含めてね』”

 

 

 

 だけれど、気心の知れた親友に“秘密”にしなければいけないことがあるとはいえこうやって嘘をつくのは、人を裏切っているような気がして何となく嫌な気分だ。

 

 

 

 “『そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・何も分かってない癖に知ったような口聞きやがって・・・』”

 

 

 

 自分の実力を思い知らされた蓮を、これ以上気を落とさないようにと下手に嘘を取り繕って気を遣って余計に傷つけてしまった“あの日”のことは1日たりとも忘れたことはない。最もあの日の喧嘩がなければ、下手したら俺は芸能界(この世界)に足を踏み入れることはなかったのかもしれない。そう考えると、親友を勝手に傷つけては勝手に同情してヤケになってオーディションを受けて落ちたところを運よく拾われて、あれよあれよという間にその親友を差し置いてプライム帯のドラマでメインキャストに抜擢された自分が、随分と“虫のいい奴”に思えてくる。

 

 

 

 “『・・・もしも “親友”の蓮ちゃんが“敵”になってさとるに牙を向けてきたら、どうする?』”

 

 

 

 “・・・出来ればもっと違う“カタチ”で蓮とは芝居がしたいな・・・

 

 ベッドの上に寝転がり明かりのついた真っ白な天井を見上げると、ゴンドラの中で堀宮が言っていた“これからのこと”が頭をよぎった。オファーの裏で行われていた“オーディション”の実態を打ち明けられたときからもしかしたらこうなるかもしれないという覚悟はしていたつもりだったが、いざ4月10日(あさって)が近づくと自分の意図とは関係なしに心が弱虫になる。でも、時間は無情に1秒を刻んで着実に本番へと進んでいる。

 

 

 

 “・・・立ち止まっている暇はない・・・よな・・・

 

 

 

 テレレーテレレテレレーテーテレレーレレー♪_

 

 返事を送ってから2分後、俺の携帯から着信メロディーがまた鳴ってベッドから起き上がり携帯を開く。メールの送り主は、もちろん蓮だ。

 

 “『_りょーかい。じゃあ明日は?_』”

 

 “・・・随分あっさりだな・・・”

 

 返って来たメールは、思っていた以上にあっさりとしたメッセージだった。まぁ考えてみればEメールでやり取りしていたときのあいつのメールも顔文字みたいな余計なアクセントなんてないシンプルな感じだったから、別にそこまで不思議には思わない。

 

 “『_明日はオフだから大丈夫_』”

 

 どう思われているかはともかく文言だけなら疑われずに済んだことにひと安心して、俺はすぐさまメッセージを返す。

 

 テレレーテレレテレレー♪_

 

 そして程なくして、蓮からの返信。

 

 “『_じゃあ、あしたの夕方6時に憬のいる寮のすぐ近くにある公園のブランコで_』”

 

 「・・・・・・馬橋公園(あそこ)

 

 “『_分かった。絶対行く_』”

 

 テレレーテレレ♪_

 

 “『_あした私撮影で学校休むけど、多分間に合うから心配しないで_』”

 “『_OK_』”

 

 テレレ―♪_

 

 “『_あとバックレたらボコす_』”

 “『_了解です_』”

 

 それにしても蓮からのメールは、普段の明るい振る舞いとは対照的で堀宮のように顔文字はおろか“(笑)”のようなアクセントすら使ってこないから、きっとジョークで送ったのだろうけどおかげで“バックレたらボコす”の文面が少し怖いことになっている。そう言いながらも、同じくそういう類のものを全く使わないものだから結果的にメールがいつも事務連絡みたいになっている俺が言えた義理じゃないが。

 

 “・・・さて、まだ夕飯の時間までは少しあるから原作読んでおくか・・・”

 

 ともあれ今日の“イベント”がようやく終わり、中途半端に時間を持て余した俺はデスクの隣に鎮座させた本棚に手を伸ばして、世界観や人間関係を含めて純也の人物像を理解するために買い占めた『ユースフル・デイズ』の単行本を手に取り、“役作り”のことはなるべく考えないようにしながら恐らくドラマにおける佳境の場面になるであろう“文化祭編”に該当する7巻のページを開く。最初は“よくありがちな学園モノか、役作り以外じゃ絶対読まないな”とやや斜に構えていたが、読んでみたら恋愛だけじゃなくて登場人物それぞれの過去や葛藤などがストーリーに散りばめられていて、読んでいて思わず “つらくなる”展開もあったりするヒューマンドラマ的な要素も色濃くあったりして、気が付いたら普通にハマってしまった。

 

 きっと2年前の春までの俺がそう遠くない未来にこんな類の漫画にハマっているなんて、夢で見ても絶対に信じないだろう。ただ、蓮がこういうジャンルのドラマや映画でヒロインを演じるようなことがあったら、もしかしたらこのオファーがなくてもいずれはこうなっていたのか・・・は分からないけど、今にしてみればこういう作品も全然悪くないと俺は思っている。

 

 “そういや純也からキスされたときの雅って・・・原作だとどんな表情(かお)してたっけ・・・

 

 

 

 “『目、閉じて』”

 

 

 

 「!?

 

 そんな『ユースフル・デイズ』の7巻のページを開くのと同時に、観覧車での“1コマ”が脳裏をよぎり反射的にページを閉じる。そしてワンルームの部屋に沈黙が流れると、急激に上がった心拍数の鼓動が身体の内側から聞こえてきた。

 

 少なくともこの“高鳴り”には明らかに思い当たる節があるが、それを分かり切っているはずなのに・・・俺はいま、冷静さを失いかけている。

 

 

 

 “この感情はなんだ?

 

 

 

 “『あたしが演じる雅のこと、本気で“好き”になってよ』”

 

 

 

 「はぁぁ・・・・・・どいつもこいつもめんどくせぇ・・・」

 

 結局また心が冷静ではいられなくなってしまった俺は、どうにもならない気持ちを溜息交じりに溢しながらベッドに倒れ込み、同じ階の部屋に入居している芸能コースの新井から夕飯の時間になりドアをノックされて起こされるまでふて寝した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日_霧生学園高等学校_1年I組・教室_

 

 「ふぁぁ~」

 「ヘイ、まだ“おねむ”か夕野っち?」

 「あぁ・・・さすがに3時間くらいしか寝れてない状態で授業受けるのはしんどいわ」

 「途中で何回か落ちかけてたしな」

 「寝不足の身体に“太陽の温もり”はマジでダメだって」

 「だから“夜更かし”は良くないっつーのに。芸能人にとって疲労は天敵だぜ?」

 「“夜更かし”じゃなくて仕事のこととか考えてたら寝付けなかったんだよ・・・ていうかそれ朝のときに新井に話した気がするんだけど?」

 「余裕で知ってる」

 

 1年I組、4限終わりの芸能コースの昼休み。前日に色々とめんどうなことがあったことやドラマのことで少し気が立っていたのに加えて、トドメのちょっと長めのふて寝が思った以上に体内時計に響いてすっかり寝不足気味な俺は、隣の席に座るクラスメイトで同じ寮に暮らしている“寮友”でもある新井からちょっかいを出されていた。とりあえず、これからは仕事がオフのときはなるべく夜以外は寝ないようにしようと朝起きたときに俺は心に決めたが、3日後には忘れている自信しかない。

 

 「・・・ウザっ」

 「どうだ?これでイライラしたから少しは目ぇ覚めたろ?」

 「うん。おかげで1パーセントぐらい」

 「うわビミョー」

 

 ちなみに新井こと新井遊大(あらいゆうだい)は、中2のときに月9の撮影で共演したときに俺が役に入り過ぎて本当に顔を殴ってしまった相手役を演じていた“元テレビ戦士”の若手俳優だ。あの現場で気負い過ぎていた俺に“役者の先輩”として気さくに話してくれてからすっかりご無沙汰になっていたが、まさか霧生(ここ)で“クラスメイト&寮友”という形で再会するとは思わなかった。そして寮で再会してからすぐに意気投合した新井とは、早くも中学のクラスメイトだった有島のように顔を合わせれば必ず何かを話すぐらいには仲良くなった。

 

 

 

 “『よっ夕野っち!久しぶり!』”

 “『・・・えーっと、ごめん誰だっけ?』”

 “『オイオイマジかよ、ほら中2んときに月9の現場で“演技論”について語り合ったじゃねぇか俺たち?』”

 “『待って・・・・・・・・・あぁ、“伊藤”?』”

 “『いやそれ俺が演じてた役の名前な』”

 

 

 

 ただ申し訳ないことに俺はそんな新井のことをすっかり忘れて、久しぶりに声をかけられたときは“伊藤”の名前で憶えていた。どんなに役者になって過去を乗り越え、プライム帯のドラマでメインを張れるようになっても、相変わらず人の名前を覚えるのは苦手で会わなくなるとすぐに忘れてしまう。もちろん山吹や牧はメディアでよく見るから忘れるわけはないし、俺が役者になるきっかけの1つになった天馬心だったりと、初対面が印象的だった場合は逆に忘れない。

 

 「そうだ伊藤、じゃなかった新井」

 「夕野っちはいい加減俺の名前を覚えてくれ」

 「ごめん。でもあんまり新井の名前って普段聞かないからさ」

 「ぐっ・・・無自覚で言ってそうなのがマジでタチ悪ぃなお前何気にその辺のことまあまあ気にしてるからね俺・・・)」

 

 故に俺は、撮影のときに役に入り過ぎて本当に顔を殴ってしまった記憶(こと)が強烈に頭に残ったせいで、あんまりテレビじゃ名前が上がらない新井の名前を今でも演じていた役名の“伊藤”と間違えて呼んでしまう。

 

 「2人とも仲良さそうになに話してるの?

 

 そんなこんなで昼休みになってやや賑やかになり出した教室の一角で隣同士の机越しにウダウダと話していた俺と新井の元に、可愛らしい声と共に1年I組唯一の声優でもある初音が加わる。

 

 「あぁ初音さん。いま夕野っちがオフをいいことに“昼寝”と“夜更かし”のコンボをキメたせいで寝不足だから俺が居眠りしないように目を覚まさせてるとこ」

 「だから“夜更かし”じゃなくて寝ようと思ったけどこれからの仕事のこととか色々と考えてたせいであんまりよく寝れなかっただけだっつの・・・それに“昼寝”も役作り的なことをして疲れたからたまたまあのタイミングで休憩してたってだけで・・・あとそもそもあれは “昼寝”じゃないし」

 「“昼寝”に“夜更かし”を決め込むなんて夕野さんって意外と不良なのね?」

 「人の話聞いてたかな初音さん?あとなんで不良・・・?)」

 

 もう俺にとってはすっかり当たり前の光景になってしまったからついつい忘れそうになるがこの1年I組にいる生徒は全員、ジャンルは様々だが何かしらの芸能活動をしている“表現者”だ。周りを見渡せばこれまでのクラスと比べると見るからに容姿が整ったクラスメイトの数は多く、さすがは芸能コースなだけあってどこかしらで見たことのあるような顔もチラホラといる。

 

 「ねぇ見て、あの夕野憬が普通に初音さんたちと話してる

 「ほんとだ、入学式も仕事で早退とかしてたから勝手にスターみたいに思ってたけど、こんな感じでクラスにいると意外と普通だよね?

 

 『ロストチャイルド』や堀宮と共演したギーナのCMが思っていた以上に注目されたことに加えて、現在進行形で出演している3社のCMがテレビで流れている俺は、そんな“スター集団”と巷で言われているらしい芸能コースのクラスの中で早くも周りから一目置かれ始めている。こんなことを言うと嫌味に聞こえるかもしれないけど、まさか芸能コースに入っても“有名人”扱いされるとは思ってもみなかった。とは言え2年のクラスには堀宮、そして3年のクラスには一色とモンスター級が揃っているわけだから、それらに比べるとランクは少しだけ落ちる。

 

 ただこれが、明日以降になるとどうなっていくのか・・・・・・いや、ここはそもそも‟スター”が揃う芸能コース。きっといつもより少しだけ盛り上がる程度でそのまま何事もなくいつもの日常に戻るはずだ。

 

 「ていうかなんやかんやでさ、せっかく同じクラスになれたのに中々一緒になれないよね“おふたりさん”?」

 「えっ?・・・あぁなんだ、蓮のことか(急すぎて一瞬誰のことかと思った・・・)」

 「そう」

 

 ちなみに晴れて三度(みたび)のクラスメイトになった蓮は、別のドラマの撮影が入っている都合で今日は学校を休んでいる。

 

 「詳しい話とかあんまり聞いてないけど忙しそうだな」

 「ほんとね~、でも本人は“1話だけのゲスト”だからわざわざ言うほどじゃないって強がってたけど」

 「そっか、それは順調そうでなによりで」

 「良いよなぁ~仕事が途切れない売れっ子は。俺なんて中学の卒業式の次の日にドラマの仕事が一本決まるまで半年間全く仕事がなかったんだぜ?ま、受験を優先してたってのもあるけどよ」

 「おう・・・それは心中をお察しします」

 「なんか上り調子な夕野っちから心配されるとちょっと複雑だな」

 「大丈夫だよ“ゆーだい”くん、チャンスは幾らでもあるから」

 「“テレビ戦士”んときの名前で呼ばれると何か虚しくなってくるからやめてくれないかな初音さん・・・てかアレ観てたんだ?」

 「うん。中1のときまでほぼ毎週観てた」

 

 どさくさで新井が思っていた以上に苦労していたことが分かったことはともかく、何だかんだで蓮の女優活動も順調そうなのをこうやって人伝で聞くと、訳もなく嬉しく思う。

 

 “・・・けど約束は18時か・・・ていうかそれまでに本当に撮影終わんのかな・・・”

 

 「そういや夕野っち、いま環さんのこと“”って呼んでなかった?」

 「えっ?」

 

 ふと蓮からのメールを思い出してスケジュールを気にしていた手前、隣の席の新井は“すげぇいいことを思いついた”とでも言いたげなテンションでいきなり俺に問いかけてくると、間髪入れずに俺の左耳に手を当ててきた。

 

 「もしかして環さんとデキてんの?

 「・・・へ?

 

 そして直後の小声で囁かれた新井からの斜め上すぎるキラーパスに、軽く取り乱した俺は自分でも訳が分からない素っ頓狂なリアクションをしてしまった。

 

 「えっ・・・ちょっおま・・・マジで?」

 「いやまだ何も言ってないからね俺?

 

 突然にも程がある問いかけに一瞬だけ取り乱したが、俺の意味不明なリアクションを変に真に受けて1人で勝手に混乱し始めた新井を見ていたらすぐに冷静になれた。とりあえず俺はいま、新井からあらぬ誤解をされていることは分かった。

 

 「新井くんが何をどう思ったのかは分かんないけど、夕野さんと蓮は小学校と中学校でクラスが同じだった友達ってだけだよ」

 「正確には小6から中2の1学期までだけだけどね?・・・まぁそんな感じで仲良かったから、普通に下の名前で呼び合ってるって感じかな(何かよく分かんないけどナイス初音さん!)」

 「何だよそれー、期待して損したわ」

 「逆に伊藤、じゃなくて新井は何を期待してたんだよ?」

 「確認だけど俺の名前わざと間違えてね?」

 「いやいや、俺が新井のことをわざと間違えたことはあったか?(まぁ悪いなとは思ってるけど・・・)」

 「(あ、この眼はマジなやつだ・・・)・・・わざとじゃなくてもそろそろ覚えてくれよ夕野っち」

 「うん。普通にそれは以後気を付ける」

 

 ひとまず新井が勝手に抱いたあらぬ誤解は、俺と蓮の関係をある程度知っている初音のナイスフォローによってあっという間に解決した。まだ知り合ったばかりで微妙なところだけれど、何となく“持つべきものは友”とはこういうことなのかもしれない・・・と、自分勝手な持論に浸る。

 

 「ちなみにわたしは新井くんの名前はちゃんと覚えてるよ。“テレビ戦士”のときから」

 「おう・・・ありがとう。なぁ、初音さんってわざと俺のことからかってたりするんかな?

 「うーん、入学式で蓮と話したときの感じだとほぼ天然かと

 「なに小声でひそひそやってるの?」

 「ん?いや別に、小声で夕野っちに変なリアクションすんなって叱ってただけ」

 「変は余計だろが」

 

 ただこうやって教室の席に座って話してみれば、クラスメイトが芸能界を生きている人だろうとそうではない普通の人だろうと同じ世界を生きている人間だということが身に染みるように感じる。

 

 

 

 “『俺は芸能界のことなんてさっぱり分かんねぇし、きっとそっちの世界じゃ朝起きて飯食って学校にいくような俺らとは一日が違うかもしれねえ。でも俺はそんな世界にいる奴とこうやって話してるわけよ。それってつまり、お前や環がいる芸能界も俺のいるフツーの世界も全く一緒ってことじゃねぇの?』”

 

 

 

 「けど、2人のおかげでやっと目が覚めてきた気がする」

 「おぉ、よかったよかった」

 「これに懲りて仕事以外で“夜更かし”なんかするんじゃねぇぞ夕野っち?」

 「しないししてねえわ」

 

 不意にかつてのクラスメイトが言っていた言葉を思い出して、2人と会話をする俺の心がほんの僅かに感傷的(センチ)になる。言うまでもなくこうしていま教室で明るく話す新井も初音も、このクラスにいる生徒はみんな“一般人”ではない。だけれどカメラも照明もカチンコも何もない教室には、普通の世界と全く同じ緊迫感とは無縁の空気で満ち満ちている。

 

 にしても、すっかり異端な世界に慣れたいまになっても元クラスメイトの“格言”が響いてくるなんて、やっぱり有島というやつは只者じゃない。

 

 「でも、夕野さんと蓮か~・・・・・・わたしは普通にお似合いだと思うよ?」

 「何が?」

 「もちろん恋人同士って意味で

 

 なんて具合に感傷に浸りかけていたら、あろうことか初音がさっきのデジャブも同然の話題を悪意なしで掘り返してきた。どうでもいいことはどうでもいいことだけど、この初音といい堀宮といい蓮といい俺の周りにいる女優(じょし)は“油断大敵”な連中ばかりだ。

 

 「・・・俺と蓮か・・・」

 「え?やっぱ夕野っちって実は満更でもない・・・?」

 

 

 

 “『・・・やっぱり憬と話してるとそれだけで楽しいよ。愉快だし』”

 

 

 

 「いや、蓮はないな

 

 ちなみに初音からの問いに対する答えは、迷うことなく最初から“ノー”だ。

 

 「そんなキッパリ言うか普通?」

 「だってマジで蓮はないから」

 「でも環さんすっげー美人じゃん。初めて生で見たときマジでビックリしたわ俺」

 「まあ、華があるのは俺だって思ってる」

 「しかも小6からの付き合いとか逆に逃す理由はないと思うぜ?って言っても邪魔なマスコミとかがいるから堂々とはできねぇけど」

 「そこなんだよねー、わたしも全然アリだと思うけど」

 「言っとくけど別にマスコミとかじゃないよ」

 

 もちろんそれはマスコミが怖いだとか、世間体を気にしているからというわけじゃない。

 

 「ただ(あいつ)とは、お互いがライバルになっても今までみたいにどんなことでも気兼ねなく話せる“親友同士”でこれからもいたい・・・・・・本当にそれだけだよ

 

 俺にとって蓮は、いつになってもかけがえのないたった1人の“大切な親友(そんざい)”だ。

 

 「うわぁカッケー・・・さっすが“スター”の言うことはサマになるわ」

 「別に俺はスターでも何でもないわ」

 

 それ以上でもそれ以下でもないけれど、“宇宙人”と呼ばれて教室の隅で閉じこもっていた“ありのまま”の俺を初めて友達として受け入れてくれたあいつとは、例え我儘だと言われようと小6のときと変わらない関係のままでこれからもいたい。

 

 

 

 “『・・・次はちゃんと“カメラの前”でこんなふうに芝居が出来たらいいよね・・・私たち?』”

 

 

 

 それだけ俺にとって蓮は“大切”だから、互いに同じカメラを前に対立して競い合うようになっても、あの日から多少の紆余曲折がありながらも続いている“親友”という関係だけは・・・・・・どうしても壊したくない。

 

 

 

 “・・・なんだ、思った以上にちゃんと蓮のこと大切に想ってるじゃん・・・・・・“愉快な友達”さん・・・

 

 

 

 「てかそろそろ購買行かね?腹減ったわ」

 「確かに、早くしないと売り切れて選択肢がどんどん減ってくしね」

 「つーわけで俺は夕野っちと購買行くけどよかったら初音さんも一緒に行く?」

 「えっ、いいの?」

 「だって“野郎2人”で行ってもなんか味気ねぇし」

 「悪かったな味気なくて」

 「分かった、じゃあ元テレビ戦士の“ゆーだい”くんのお言葉に甘えて」

 「あのさ、やっぱりわざと言ってるよね初音さん?」

 「ん?何のこと?」

 「(あ、この眼は天然だ・・・)・・・いやぁ、ヒロインやってる人気声優さんに名前を覚えてもらえて光栄だな~マジで腐らず俳優続けて良かったわ~俺」

 「ねぇ夕野さん、わたしって言われるほど“まだ”人気じゃないんだけどもしかしてゆーだいくんって意外と“猫被る”タイプ?」

 「いや、多分違うと俺は思うしそういうことは仮に思っていても本人の前では口にしないほうがいい気が」

 「とりあえず一旦泣いていいかな俺?

 

 こうして15歳の若手俳優と元人気子役と若手声優の3人は、気の合うクラスメイトになって仲良く購買へと向かって行った。




日常は進む、淡々と_



本当は堀宮が使っている顔文字は時系列的に当時流行っていたドコモ絵文字風にしようとしましたが、どうやっても上手く反映されない&色々とめんどくさいということでそれっぽい顔文字にしました・・・・・・ちなみに物語の舞台となっている2001年当時の作者はまだ物心すらついていない3歳児でしたのでガラケーには触れたことすらありません。すいま千年女優。


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scene.79 親友なんていらない

シンプルに一晩寝たらメンタルリセットできる心がほしい


 “『それで、杏子さんはどうやって蓮から俺のことを聞いたんですか?』”

 “『まあまあそう焦らない。今からいきさつとかもちゃんと言うからさ』”

 “『別に焦って無いですよ』”

 

 お台場にある大観覧車のゴンドラの中で、キスに続く“宣戦布告”を経た堀宮はようやく蓮のことを俺に話してくれた。

 

 “『蓮ちゃんとは会うのはもちろん“バトルロワイアル”の現場が初めてだったけど・・・少しでも時間があったら台詞の言い回しの確認とかアクションシーンの練習とかしてたりさ、あと休憩時間だろうとお構いなしで監督のところに行って一緒にVチェックして自分のカメラ映りを確認してたこともあったかな・・・・・・とにかく蓮ちゃんって本当に真面目で一生懸命な努力家って感じだったから、ついつい声をかけたくなったんだよね_』”

 

 堀宮曰く、撮影現場での蓮はとにかく勉強熱心で誰よりも本気で撮影に取り組んでいたという。時には次のシーンの撮影準備のために他の出演者がロケ先の宿泊施設で休憩を取っている中でも1人休憩を取らずに監督のところに向かい、一緒にVチェックをして自分のカメラ映りを確認してどう映ればより“画的”に良くなるかのアドバイスを仰いだりしながら監督と話し合っていることもあったらしい。

 

 “『_それで2日目の撮影が終わった日の夜に泊ってたコテージのテラスに呼び出して、監督と一緒にVチェックしてたのを見たってことを話して“真面目に頑張ってて偉いね”って褒めてあげたら、“別に、これぐらい普通なんで”ってすっごいクールな感じで返されてさ・・・なんかそういう“自分、ハングリー精神で生きてます”みたいなところがさとるに似ていて“可愛かった”から余計に気に入っちゃった』”

 “『いや、あいつに“可愛げ”なんかないですよ。ついでに俺もですけど』”

 “『“可愛い”って言うのは見た目とか仕草じゃなくてあくまで仕事への姿勢って意味だよ』”

 “『分かってますよそんなこと』”

 

 ともかくそういった目の前の仕事に対するひたむきな姿勢はヒロインを演じていた堀宮にとっても思うものがあったみたいで、そんな(あいつ)の一生懸命さを気に入った堀宮は共演者である以前に“友達”になってみたいと、2日目の撮影が終わった後の夜にロケ先の宿泊施設のテラスに呼び出した。

 

 

 

 “『どうして蓮ちゃんはそこまでして頑張ってるの?もしかして演じてる役が途中で退場しちゃうから張り切ってるとか?』”

 “『そんな安っぽい理由なんかじゃないですよ』”

 “『じゃあどうして?』”

 “『それは・・・・・・どうして堀宮さんに言わなきゃいけないんですか?』”

 “『だって気になるから。蓮ちゃんがそこまで“マジのマジ”になれる原動力が・・・ね?』”

 “『先輩からのお願いだからって教えませんからね。だって堀宮さんには関係ないことだし』”

 “『ねぇ・・・じゃんけんしよ?』”

 “『・・・じゃんけん?』”

 “『うん。今からあたしと蓮ちゃんでじゃんけんして、勝ったら特別に蓮ちゃんの役作りにマンツーマンで付き合ってあげる』”

 “『・・・もし私が負けたら?』”

 “『蓮ちゃんが女優を頑張れる秘密をあたしに教えてよ。誰にも言わないから』”

 “『・・・いや、意味がわからない』”

 “『どうしてそんなに悩んでんの?だって蓮ちゃんってじゃんけんめっちゃ強いから絶対に有利じゃん・・・・・・それとも、あたしに“じゃんけん”で負けちゃったら勝てる“モノ”が何もなくなっちゃうのが怖いから?』”

 “『・・・・・・は?・・・なわけないでしょ?』”

 

 

 “『_って感じでかる~く煽ってみたら普通に乗ってくれたよ。じゃんけん』”

 “『あいつって一見すると余裕ぶってるけど意外と熱くなりやすいところがありますからね』”

 “『でもあのときの蓮ちゃんの眼が見るからにブチ切れてて超怖かった』”

 “『そりゃあんな馬鹿にするような煽り方したら誰だって怒りますよ・・・・・・いや待って・・・てことは杏子さんって“あの蓮”にじゃんけんで勝ったんですか?』”

 “『うん。普通に一回目で勝てたけど、何で?』”

 “『・・・言っときますけどあいつ、じゃんけんが強いとかそんなレベルじゃないっすよ?』”

 “『知ってるよ。現場でもじゃんけんが“超強い”って話題になってたからね。ケータリングの残りとか朝夕のバイキングとかを賭けた“じゃんけん大会”みたいなのを共演者(みんな)と一緒にやってたけど全部勝ってたし・・・蓮ちゃんがじゃんけんで負けたのはあたしとやった1回きりじゃないかな?』”

 

 そして話の流れでじゃんけんをすることになり、もし蓮に勝てたら自分に“秘密”を教えるという条件で堀宮は蓮にじゃんけんを挑み、1回目で勝ったという。俄かには信じ難いが、“あの蓮”にじゃんけんで勝ったという。

 

 “『・・・まさか、“最初から”とか汚い手でも使いました?』”

 “『いやいや、“清純派”で売ってるあたしがそんな外道な手口(イカサマ)なんて使うように見える?』”

 “『いきなりキスしてきた女優のどこが清純派なんですか?』”

 

 ちなみに俺は蓮と何回かじゃんけんをしたことがあったが、1度たりとも勝った試しがないどころかあいつがじゃんけんで負けている姿すらも見たことがない。

 

 “『本当にイカサマなんて何もやってないよ。強いて言えばほんのちょっとだけ“頭”を使っただけで』”

 “『頭を使うってどういうことですか?』”

 “『それはいまからじゃんけんして先にさとるが3回勝てたら教えてあげる』”

 “『またそうやって人を誑かすつもりですか?』”

 “『誑かすはヒドくない?』”

 “『世の中には仏の顔も三度までってことわざがあるんですよ杏子さん』”

 “『てゆーか、えっ?10年に1人の天才俳優であろうお方がじゃんけん如きで逃げるって・・・・・・ぶっちゃけダサ』”

 “『3連敗しても泣き言は無しでお願いしますよ先輩』”

 

 とまぁ、どういうわけか話の流れで俺も堀宮と一緒にじゃんけんをする羽目になったが、結果は俺の3連敗に終わった。もちろん、堀宮が使っている“必勝法”の手がかりは全く掴めなかった。

 

 “『てゆー感じでじゃんけんに勝って、あたしは蓮ちゃんからさとるのことを聞きだしたってわけ』”

 “『・・・そういや今日の予定決めるときに一色先輩と20回ぐらいあいこになってたの思い出したわ』”

 “『あとさぁ、さとるってホントじゃんけん弱いよね?』”

 “『俺の周りの連中がこぞって強すぎるんですよ』”

 “『3連敗したら泣き言は無しじゃなかったっけ?』”

 “『うっ・・・ハイ(自分で言った手前で何も言えねぇ・・・』”

 

 こうして“じゃんけん3連敗”という脱線を挟んで、俺は堀宮が蓮のことを知っている理由に辿り着いた。

 

 “『・・・ちなみに蓮は、杏子さんがさっき話してた言葉(こと)以外で何か俺について言ってました?』”

 “『・・・・・・それ、ほんとに聞いちゃう?』”

 

 

 

 

 

 

 4月9日_午後5時55分_馬橋公園_

 

 “本当に間に合うんかな・・・”

 

 7限目まである月曜日の授業を終えた俺は、オフで空いた時間を学校のすぐ近くにある図書館で課題と復習をしながら4,50分ほど潰して、約束していた時間の5分前に寮から歩いて1,2分ほどの馬橋公園の一角にあるブランコの前に着いて蓮を待っていた。本人は心配ないと言っていたとはいえ“遅れそうならメールくれ”みたいに一言だけ蓮の携帯に送ってやろうと思っていたが、向こうが撮影で気を引き締めているときにこんな“分かり切っている”ことを送ったところでありがた迷惑だろうなと思い、俺は夕方6時というあいつの言葉を信じることにした。

 

 まぁ、俺としては最悪寮の門限の10分前まではどれだけあいつが撮影で遅れようが待つつもりではいるが・・・

 

 “・・・誰もいない・・・”

 

 夕方6時前の日暮れの空の下、きっといつもだったら園児や小学生の子供たちの笑い声で溢れているはずのブランコの周りは人影すらなくて、どこか遠くのほうで家路に帰る子供のような声が微かに聴こえるくらいで静まり返っている。時間帯を考えると親に言われている門限があるだとか、何か目当てのアニメがあるだとか、そんなところだろう。

 

 

 

 “『いい憬?絶対に夕方のチャイムがなるまでには帰ること。分かった?』”

 

 

 

 そういえば俺も、小学生のときは母ちゃんから“夕方のチャイムがなるまでにはウチに帰るように”と、勝手にどこにでもいるお母さんらしく門限をつけられていたことを思い出す。仕事柄もあって夕方6時までに帰ってくることは稀だったから幾らでも門限なんて破ることは出来たのに、俺は律義に学校が終わったら直帰で301号室に帰って母ちゃんのコレクションを漁っては1人で勝手に鑑賞会を開いて時間を潰していた。

 

 

 

 “・・・すごい・・・

 

 

 

 という感じに言っておけば聞こえはいいが、要は俺には小6まで親友はおろか一緒に遊ぶ友達すらいなかったから門限を破る理由なんて端からなかったというだけだ。でも、ただブラウン管の前に座って観ているだけなのにちょっとした仕草のひとつですら感情が揺さぶられる星アリサ(あこがれ)の圧巻の演技があったから、寂しさはこれっぽっちもなかった。

 

 

 

 “『後悔も、思い残すことも、何一つありません』”

 

 

 

 それからしばらくした4月のある日、俺の憧れは突然と表舞台から降りて次の世代に芸能界(せかい)の未来を託した。そして今、憧れが託した“スターズ”とは違えど俺はかつて憧れていた女優(やくしゃ)がいた世界と同じ場所に立っている。早いものであれからもうすぐ2年が経とうとしているが、未だに俺は憧れどころか目の前を歩く親友にも追い付けていない。いや、“にも”なんて言ってしまったらまるで蓮が大したことないやつみたいで、嫌だな・・・

 

 「・・・憬

 

 こんな感じでブランコの周りを囲む手すりに座るように寄りかかり、目を瞑りながら昔を懐かしんでいた意識に聞き覚えのありすぎる声が聞こえて声のする方へと顔を向けると、左の頬に自分のではない指先がぶすっと触れる感覚を覚えた。

 

 「ハイ引っかかったバカが見る~」

 「・・・ったくしょうもないイタズラしやがってお前ってやつは・・・」

 

 頬に触れる指先を軽く振り払い声の聞こえた真後ろに振り向くと、そこには今日の撮影を終えてきた蓮が流行りの“何とか系”のストリートファッションを着こなして立っていた。

 

 「(蓮・・・だよな?)・・・・・・蓮・・・何か雰囲気変わった?」

 「何かじゃなくてあからさまにね?」

 「それは見りゃわかるけど・・・」

 

 だが後ろに立ってどこか誇らしげな雰囲気を纏いながら俺に笑いかけている蓮の髪が、すっかり見慣れた背中まで届くぐらいの長さから一見すると男と見間違えるほどバッサリと短くなっていたから、そのあまりの変わりように思考が追い付けなくなった俺はほんの一瞬だけ本気で人違いじゃないかと蓮のことを疑ってしまった。

 

 「あといま本気で私のこと“誰?”って思ったでしょ?」

 「何で?」

 「嘘が下手な君の顔にそう書いてる」

 「・・・好きにしろよ」

 

 案の定、心の中に隠していたつもりの本音を良いも悪いも俺のことをよく知っている親友は秒で読み取った。本当に蓮というやつは、こうやってダイレクトに思っていることを言い当ててくるからある意味で誰よりも油断ならない。

 

 「ってか、すげぇ髪切ったなお前?」

 「そうだね。もしかしたら人生史上一番短いんじゃないかな?さすがに生まれてきたときほどじゃないけど」

 

 そして人生史上で一番髪を短くしたという蓮から特に普段と変わらない様子のまま揶揄われながら、何となくの流れで俺は蓮と一緒にそれぞれブランコに座って特に漕ぐわけでもなく話を続ける。

 

 「人生史上一番かは知らないけどここまで短いのは俺も初めて見たわ。小6のときも今思えばそれなりに短かったけど、その時はまだ肩にかかるかかからないかくらいだったし」

 「よく覚えてるよねそんなこと?」

 「これでもお前のことは転校してきたときからずっと見てたからな」

 「えっ・・・もしかして憬って私の髪の毛を今までずっとジロジロ見てたの?ヒクわー」

 「なわけねぇよ普通に親友としてだわ・・・・・・まぁ、言い方は悪かったけど」

 「自覚あったんかい」

 「言い終えた瞬間に間違えたって思った」

 「ははっ、何それおもしろっ」

 「笑いたきゃ笑え」

 

 転校してきた小6のとき以上に短くなった見慣れないショートヘアのおかげで、最初は隣のブランコに座っているのが蓮だと分かっているはずなのにどことなく別の誰かと話しているかのような感覚に陥りそうになったが、その違和感も少し話せばすぐに消えて行った。

 

 「でもさ、自分で言うのもアレだけど案外ショートも似合うでしょ?私?」

 

 つい言葉を間違えたことを満足そうに弄った蓮は、如何にも“似合ってるでしょ?”と言いたげな目つきと表情で左隣に座る俺をクールな笑みで見つめる。もちろん背中までサラッと伸びた長い髪もボーイッシュな短い髪もどっちも文句なしに似合っていることは変わりないから、返す言葉はひとつだ。

 

 「まぁ良いんじゃね?普通に似合ってるし」

 「うわ反応薄っ」

 

 だけどあからさまに“言わせたい”感が満載でこのまま素直に言うと負けな気がした俺は、相手が怒らない塩梅でやや無愛想に感想を返した。

 

 「蓮は元々“華がある”から、前々からショートも似合うんじゃないかって思ってはいたからな」

 「・・・そりゃどーもです」

 「喜べよ。褒めてんだから」

 「憬のくせに生意気」

 「久しぶりに聞いたわそれ」

 

 右隣のブランコに座りやや自慢げに笑っていた横顔が、少しだけムスっとなって薄暗くなり始めた茜色の空に照らされる公園の木々を見つめる。その表情は思っていたのと違うリアクションをされた不満げとシンプルに似合うと言われた安堵が半々ぐらいに分かれている。人のことを嘘が下手だと蓮は言うが、俺からしてみればこいつも大概だ。

 

 「とにかく、2001年(今年)の環蓮は“ボーイッシュ”で行くからそこんとこよろしく」

 「・・・おう」

 

 視線を前に向けたまま、蓮はぶっきらぼうなトーンで言葉を返す。当然横にいる本人には直接言うつもりはないけど、誕生日を迎えるたびにこういうさり気ない普段の表情(かお)ですら女優らしくどんどんと綺麗になっていくから、嬉しい反面で遠い存在になってきているような気になってしまいそうになる。

 

 

 

 “『ところで憬くんはさ、俳優とか目指さないの?』”

 

 

 

 「・・・そういや、今日撮影あったんだよな?」

 「うん、1時間前までね」

 「よく間に合ったな」

 「間に合うも何も、スタジオで撮るシーンは土曜日で全部撮り終えて今日はファミレスのシーンだけだったし、ロケも荻窪の辺で割と近いとこだったからスケジュール的には最初から“ノー問題”だよ」

 

 数秒ほどの沈黙を挟んで、俺は一旦途切れた会話の続きを始める。

 

 「そっか・・・なんか色々頑張ってんな」

 「と言っても1話しか出番のない“ゲスト”だけどね?ま、出演時間が多かろうが少なかろうが真剣に()るのは変わらないけど」

 「蓮はホントに真面目で偉いよ」

 「ひねくれオタクに褒められてもちっとも嬉しくない」

 「こっちは素直に褒めてんのに酷ぇなオイ

 

 互いに顔を向けながら笑い合うわけではなく、横目で視線を送りながら淡々とブランコに座って会話を繋いでいく平和な時間が流れる。俺たちはカメラがまわれば共演者(ライバル)だけれど、カメラも何もなければこうやって意識的に仲良くしたりなんか全く考えないでありのままの言葉を日常的なトーンに乗せて会話を繋いでいくただの親友だ。

 

 「・・・髪を切ったのも撮影(それ)のためか?」

 「実は違う作品のためなんだよね・・・って言いたいところだけど、ついさっき撮り終えたドラマで私が()ってたのがバスケ部の女子生徒だから、“全然髪とかそれっぽく短く出来ますよ”って冗談で言ってたのが結果的にホントになっちゃった、って感じ」

 「・・・監督とかビックリしたんじゃないかそれ?」

 「さすがに撮影の3日前に“ホントに髪切ります”って伝えたからそこは大丈夫だったよ」

 「その辺は抜かりないんだな」

 「ただ監督は“本当に切ってきたんだ・・・”ってちょっとだけ驚いてたけど」

 

 と、ここで話の流れを遮って一旦余談を挟むが、俳優を始めとした芸能人が何かしらの都合で雰囲気や見た目が大きく変わるほどバッサリと髪を切るような場合は、当然ながら現在進行形で仕事で世話になっている関係者各所へ事前に伝えなければならないことが暗黙の了解として広がっている。もちろん言わなくても罪に問われることはないが、極端な例を挙げるとワックスのCMに起用したタレントや俳優が、いざCMや広告の撮影になったときにワックスをしても全く変化が分からない丸坊主になっていたら間違いなく現場は混乱するだろうし、その当事者に対する“信用”は確実に下がることになりましてやフリーではなく所属している事務所があるのならば親元の看板にも泥を塗ることになる。

 

 だから髪を切ったり髪を染めたりと大胆なイメージチェンジをする場合は、事前に関係者各所にそれを伝えることが業界におけるマストになっている。(※諸説あります)

 

 「にしてもさ、たかが役作りで髪切るだけで契約してるスポンサーとか色んな所に連絡とかしないといけないなんて、そういうところはめんどくさいよね芸能界?」

 「仕方ないよ、芸能人はまず“見た目”だからな」

 「憬は最初から“演技派”で売ってるからそういうのあんまり関係ないでしょ?」

 「あるにはあるよ俺にだって」

 「あと憬からそういう言葉が出てくるのはぶっちゃけ意外だよ」

 「そんな意外か?」

 「だって普段の君って芝居することしか考えてない“おバカ”じゃん」

 「お前は俺のことを何だと思ってんだ“ボーイッシュ”野郎がとうとう“芝居バカ”ですらなくなってんじゃねぇか・・・)」

 

 俺が本気でキレないことをいいことに容赦なく生意気に馬鹿にしてくる(こいつ)も、どうやらその辺のことはちゃんと理解しているみたいだ。もちろん根が真面目なのは分かり切っていることだから、驚きは全くない。

 

 「・・・ていうか、昨日のメールで言ってた話したいことって何だよ?」

 

 なんて具合に話が脱線していたが、そもそも俺は昨日の蓮からの“ちょっと話したいことがある”というメールがきっかけでこんな時間に馬橋公園(ここ)のブランコに座っている。しかも“バックれたらボコす”という脅しのおまけ付きで

 

 「あ~、そういやそれで憬をわざわざ呼び出したんだった」

 

 ふとそれを思い出した俺に、隣に座る蓮はややわざとらしくおどける。

 

 「“バックれたらボコす”とか人に言っておいて自分は忘れてたのかよ」

 「なわけないじゃん」

 「だったら早く言ってくれよ・・・こっちは門限のせいで1時間後には寮に戻んないといけないし」

 

 そんなわざとらしい態度をとる蓮を、門限がある俺は悪いと思いながらもややぶっきらぼうに急かす。だいたい、わざわざこうやって俺を呼び出したということは学校の休み時間10分程度で終わるような話じゃないのは想像がつくからだ。

 

 「・・・まぁ、なるべく話はちゃんと聞いてやるから」

 「心配しなくても大丈夫だよ。そんなに時間をかけて言うような話じゃないし」

 

 極力気を遣ってしまっていることを悟られないようにぶっきらぼうを装うが、悪いと思っている内心が表情に出てしまっていたのか蓮は俺のほうに顔を向けて言葉を遮るように間髪入れずに“大丈夫”と言った。

 

 「ねぇ・・・・・・憬にとっての“親友”っていうのは、どんな存在?

 

 そのどこか儚げな笑みを視た瞬間、これから蓮が俺に伝えることが只事じゃないという“嫌な予感”が頭の中をよぎった。

 

 

 

 ♪~♪~♪~♪♪♪♪♪♪♪♪♪~

 

 

 

 今まで俺に見せたことのない表情(かお)から放たれた蓮の声を合図にするように、夕方の6時を告げる夕焼け小焼けのチャイムが遠くから流れ、それまで淡々としていて穏やかだった俺と蓮の間(ブランコ)の空気がどっしりと重くなっていく。

 

 「“親友”か・・・・・・随分急だな

 

 意図せず不気味さを助長する夕方のチャイムが遠くで流れるなかで、理由もなく先の知れた未来を突きつけてくる予感に抗いながら俺は言葉を紡ぐ。

 

 

 

 “『もしも “親友”の蓮ちゃんが“敵”になってさとるに牙を向けてきたら、どうする?』”

 

 

 

 「お互いが“1番”を競い合うライバルになっても、カメラを前に牙を向け合う関係になっても・・・カメラの外だと今までみたいにどんなことでも気兼ねなく話すことができるただの“心を許せる大切な存在”でいられるのが親友・・・・・・ってところかな

 

 チャイムが聞こえなくなったのと同時に、“親友とは何か”という自分なりの今のところの答えはひとまず纏まった。自分で言っておいて難だが、ほぼそのまま蓮のことを言っているわけだから結構恥ずかしい。

 

 「フッ、親友っていうかそれもう私のことじゃん」

 「悪いか?」

 「別に?ただ憬はそういうふうに思ってるんだな~って。それだけ」

 「・・・何だよそれ」

 

 頭の中で考えるまでもなく、そのことは隣にもしっかり伝わっていたみたいでたまらず蓮は笑い出した。いつも通りの親友を揶揄ってくるふとした感情に毎度の如く言い返そうとするが、襲い来る“予感”といつもとほんの僅かに違う蓮の様子に、俺は上手く言い返せないでいる。

 

 「じゃあ、憬にとって親友は“無くてはならない大切なもの”ってことだね?」

 「そんな感じで言われるとすげぇ大袈裟だけど・・・・・・まぁ、俺にとっては誰が何を言おうとそういうのが“親友”だからよ・・・」

 

 

 

 そう言えば、今までの俺は“親友”とは何なのかなんて考えているようでロクに考えていなかった。俺が蓮に向けて言ったことはあくまで俺が思っている価値観(こと)であって、少し角度を変えて考えてみれば(こいつ)にとっての親友という存在が俺と全く同じだとは限らないことは当たり前だ。役者にも色んな人種(タイプ)がいるように、人間だって1人1人がそれぞれ違う・・・・・・

 

 

 

 「・・・蓮は違うのか?

 

 突如として心の奥に浮かんだ親友への疑念を、俺は簡潔な言葉に変えて隣に伝える。

 

 「ううん。親友は大切だよ。だって一緒にいて楽しいし、こうやって何気なく話してるだけで嫌なことも全部忘れられるし・・・」

 

 すると蓮はブランコから立ち上がり、ダンサーのような軽やかな足取りでブランコに座ったままの俺を見下ろすように目の前に立った。

 

 「だけど、もしも“親友”っていう存在がこれからもずっと女優を続けていく私にとって邪魔な“障害物”だとしたら・・・・・・私は親友なんていらない・・・




向けられた言葉は挑発か?本気か?_



ちなみに髪をバッサリ切った環のイメージは、図書館戦争の笠原郁です。更に補足をしておくと環って何かとロングヘアのイメージが強いですが、スカウトキャラバンのとき(※原作117話)や黒山の初監督作品に出演していたとき(※原作114話)など、本誌で読んでいた読者なら何となく分かると思うのですが結構ヘアスタイルを変えてるんですよね・・・・・・事情が事情なだけあって本誌勢の人にしか伝わらないのが何とももどかしい。


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scene.80 タイマン

 “『・・・ちなみに蓮は、杏子さんがさっき話してた言葉(こと)以外で何か俺について言ってました?』”

 “『・・・・・・それ、ほんとに聞いちゃう?』”

 

 

 

 “『憬にだけは負けてられない』”

 

 

 

 “『・・・・・・すいません。やっぱりもう大丈夫です』”

 

 じゃんけんに負けた蓮が堀宮に俺とのことを打ち明けたときに口にした“(おれ)にだけは負けてられない”という、負けず嫌いなあいつらしさが凝縮された一言。

 

 “『・・・マジでいいの?もっと色々教えてほしいんなら幾らでも話すつもりだけどあたし?』”

 

 好奇心という出来心が働いた俺は“答え”の先を関係のない堀宮に求めかけたが、その瞬間に俺のことを堀宮に打ち明ける蓮の姿が頭に浮かんで、寸でのところで冷静さを取り戻した。

 

 “『本当に大丈夫です・・・・・・それぐらいのことは、俺があいつから直接聞きます』”

 “『・・・“マジのマジ”で良いんだね?さとる?』”

 “『はい。“マジのマジ”でお願いします』”

 

 どうして見たこともないはずの光景が想像となって頭に浮かんできたのかは分からない。だけど、想像の中にいる蓮の俺に向けた“負けたくない”という感情は人伝なんかじゃなくてちゃんと面と向かってあいつと向き合い、ひとりの“親友”として俺が受け止めないと駄目だと思った。

 

 “『・・・そっか・・・・・・でも、せっかくの“親友同士”だったらやっぱり1対1(タイマン)で語り合わなきゃだよね?』”

 “『“タイマン”って・・・別に喧嘩するわけじゃないんですけど』”

 “『タイマンは1対1の“ステゴロ”で喧嘩するだけじゃなくて、“1対1で交渉する”っていう意味合いもあるからね。詳しいでしょあたし?』”

 “『・・・まぁ、杏子さんも一応“進学校”とも言われてる霧生に受かってるぐらいですからね』”

 “『うわぁ出たよ“ドラいもん”』”

 “『だから何なんすかそのタチの悪いパチモンみたいなあだ名・・・』”

 

 最終的に自分の意思で蓮の気持ちを受け止めると決めた俺に、堀宮は毒気のないいつもの笑みで先輩としての助言を送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 「だけど、もしも“親友”っていう存在がこれからもずっと女優を続けていく私にとって邪魔な“障害物”だとしたら・・・・・・私は親友なんていらない・・・

 

 ブランコに座ったままでいる俺の目を見下ろすように真っ直ぐ見つめながら、目の前に立つ蓮はクールに笑いながら普段より1トーンほど低い声で言い放つ。

 

 「・・・本気か?

 「じゃなかったら君をわざわざ呼び出してまでこんなことなんか言わないよ

 

 見上げて問いかける俺に、蓮は表情を崩すことなく即答で答える。ブランコに座る俺を見つめる眼と向けられた感情は、言い放った言葉が決して強がりや挑発なんかじゃなく“本気”だということを物語っている。

 

 「ねぇ?憬の次の“仕事”って何?

 

 

 

 “『悔しいっていうか・・・・・・なんか自分の知らないところで自分が勝手に不戦敗したみたいな気分』”

 

 

 

 映画館で『ロストチャイルド』を観終えた後、隣の客席に座る親友を限りなく敵視に近い感情で見つめた横顔と同じくらいかそれ以上の強い感情で、蓮はすっかり“女優らしくなった”笑みを俺に魅せつけて畳みかける。

 

 「正直に答えてよね・・・・・・“親友”だったらさ?

 

 

 

 “『そうだね・・・牧静流(あいつ)はあたしの“居場所”を目の前で何度もすまし顔で奪い去っていった“(かたき)”だから、この地球上にいる誰よりも最高に“いけ好かない”』”

 

 “『芸能界はね・・・嫌われてなんぼの世界なんだよ。女優だろうと男優だろうとね』”

 

 

 

 それはいつかの俺が対峙した、自分の為なら相手のことを本気で“嫌い”になれる覚悟を手にした2人の女優(やくしゃ)が持ち合わせている感情(モノ)と同じだった。その原動力は、“(おれ)には負けたくない”という確たる決意だ。

 

 

 

 “『これからも“芝居”と共に苦しみもがき続けなさい』”

 

 

 

 「・・・・・・蓮は受けたのか?“オーディション”?

 

 向けられた役者としての覚悟に、俺は頭の中を駆け巡る“予感”が紛れもなく“本当”だということを悟り、ブランコから立ち上がり避けられない明日へ進んでしまう一言をぶつける。

 

 「うん。ただ残念ながらオーディションは仕組まれた“出来レース”・・・私は端から勝負すらさせてもらえなかったけどね

 「てことは髪を切ったのは“配役(そのため)”か?

 「へぇ~、憬のくせに随分察しがいいじゃん

 「いまのお前とよく似た中性的な雰囲気のキャラクターが原作にいたことを思い出したからな

 

 見上げていた表情がほんの数センチ分だけ下に移動する。予感は当たった。蓮は“勝負権のないオーディション”を引き受けて、大人の掌の上で転がされ落とされた。“対価”として代わりとなる配役を当てられた上で。

 

 「それに・・・・・・お前が受けたオーディションの実態は、俺も知ってる

 

 蓮が髪を切った本当の理由にようやく合点がいった。ショートヘアにした(こいつ)が演じるであろう役はきっと大村凪子といういわゆる“サブキャラ”で、原作では雅の友人としてそれなりの出番があり、メインの4人との絡みもある“オイシイ”役どころだ。ただ実際に来月から撮影が始まるドラマがどこまで原作をなぞっていくのか、あるいは独自な方向へ進んでいくのかは分からないから凪子がどんな立ち位置なるのかは脚本次第。それに、物語の“一番(ヒロイン)”であることに意味を見出す蓮にとっては、このオファーは一番ではない“負け犬”だというレッテルを本人の意思とは関係なしに周囲から貼られるという、屈辱以外の何物でもないものなのだろう。

 

 「・・・憬は誰になった?

 

 もちろん俺が()の立場だったとしても、間違いなく似たような心境になる。

 

 

 

 “『その“喧嘩”・・・・・・10年に1人の天才女優・堀宮杏子が引き受けた・・・』”

 

 

 

 「・・・園崎純也・・・・・・“メインキャスト”だよ・・・

 

 だとしても、役者という生き方を選んだ俺たちがやるべきことは、たった1つだ。そこに主役も脇役も端役も、自身の置かれている境遇なども全く関係ない。

 

 「“おれ”のことを恵まれている奴だと妬みたければ妬めばいい・・・・・・でも、“おれ”はお前以上に本気だよ

 

 自分でも何を挑発的なことを言っているのか、俯瞰した瞬間に面白おかしくなって吹き出しそうになる。だけど・・・これがいまの俺が(おまえ)に向けられる精一杯の覚悟だ。

 

 「・・・あはははっ・・・・・・もうほんっと久しぶりにみたよ、芝居以外で君がそんな表情(かお)するの

 

 少なくとも俺が役者になってからは一度も使う機会がなかった何の役にも立たない持て余した感情と共に吐き出された“真実”を真正面で受け止めた蓮は、堪えきれずと言わんばかりに腹を抱えて笑い出した。でも、俺に向けた眼には隠しきれていない感情が微かな動揺と確かな闘志となって見え隠れしている。

 

 「だろうな。役者になったらもうお役御免になるかと思ったけど、まさか“こんなこと”で使う羽目になるなんてな

 「ま、先輩の私から視れば久々に使った割には飼い慣らせてんじゃない?

 「そりゃあ俺の分身だからよ。手前の感情を自分で使いこなせなかったら役者失格だ

 

 何だかんだで久しぶりに使った、喧嘩のとき以外では何の役にも立たないメソッド。ただ役者になる前の“その場しのぎ”とは違い、今の“メソッド”は親友の覚悟と向き合うためには必要なものだ。

 

 「・・・やっぱり・・・まだ台本を誰が書くのかすら分からない状況なのにちゃんと仕上がってる

 「さすが・・・お前は親友なだけあっておれのことになると勘が冴えまくりだな

 「そんなんじゃないよ。私は“原作”を読破してるってだけだから

 

 そして俺のことをよく知る親友は役立たずだったメソッドの確かな違いに瞬時に気付いて、余裕綽綽な感じを繕いながら俺の右肩に優しく手を掛けて通り過ぎ、俺が座っていた左側のブランコに座る。

 

 「けどいいの?これ以上君が“純也”の力を借りて自分の芝居を見せびらかすような真似したら・・・・・・私も“本気”で喰ってかかるけど?

 

 先ほどとは打って変わって今度は俺がブランコに座る蓮を見下ろす格好になり、見上げながら浮かべるありとあらゆる心情が混ざった“女優の笑み”と対峙する。

 

 

 

 “『“役者(おれたち)”には“役者(おれたち)の意地”があるということも、忘れないでください』”

 

 

 

 「構わねぇよ・・・・・・役者が自分の芝居を見せびらかして何が悪い?

 

 そんな今まで向けられた中で一番強い感情に、俺は“あるがまま(自分)”の感情で意地をぶつける。

 

 「・・・・・・憬も言うようになったじゃん

 

 すると見上げる笑みと視線がほんの少しだけ“和らいだ”のを俺は静かに、確かに感じ取った。

 

 

 

 “・・・良かった・・・・・・蓮はちゃんと“蓮”のままだ・・・

 

 

 

 目に見える感情の一瞬の綻びに心の中で安堵して、さっきまで蓮が座っていた右側のブランコに俺が座ると、蓮はブランコを漕ぎ始めた。

 

 「憬は漕がないの?」

 「俺?・・・しょうがねぇな・・・」

 

 そして俺も蓮からの言葉に甘える恰好で、同じようにブランコを漕ぎ始める。

 

 「・・・何だかんだでいつも通りの蓮で安心したわ」

 

 確かにいまの蓮は、堀宮や牧と同じくらいの覚悟を秘めているかもしれない。だけど、少なくともあの2人とは違って向けられた感情の奥にある“本心”を隠しきれないでいる。もちろんそれは良い意味であって、仮面のようなもので着飾らずそのままでいることが蓮にとっては女優であるための一番の武器で、“女優・環蓮”があの2人のようになる必要なんて全くないと俺は思っている。

 

 「でも・・・・・・お前が“本気”なのはちゃんと心に伝わった

 

 それでも(こいつ)は、これからもずっとライバルの“一歩先”を走り続けるために、自分の中にいるもう一人の自分の感情を利用したのだろう。

 

 

 

 “『サトル(お前)は役者で例えると、“監督や演出家(パペッティア)”の“意図()”がなくても自分の意思で勝手に動ける“人間”・・・・・・ってところだな』”

 

 

 

 昨日の映画を観終えた後のバーガーショップの席で、自分が一体どういう役者(にんげん)なのかを言い当てた一色に心の中で確かな“不愉快”さを感じた、俺のように・・・

 

 

 

 「・・・言っとくけど、私は別に憬と親友でいられる“いまの関係”を断ち切りたいとは思ってないから・・・そこは安心していいよ

 

 体幹的に10秒ほどの気まずさに似た沈黙を破り、左隣でブランコを漕ぐ蓮は視線を遠くに向けたまま自分の思いを打ち明け始める。

 

 「分かってるよ。だけど必要とあれば“親友をやめる”覚悟は出来てる・・・ってところだろ?」

 「はぁー・・・ホントに憬のたまに見せる“そういうところ”だけはずっと嫌いだよ私」

 「俺に対しては本当に容赦がないよなお前ってさ?」

 「だって事実だし」

 

 いつもだったら言い負かせられている俺からの偶の仕返しに、“お株”を奪われた蓮は分かりやすく機嫌を損ねる。まだ発展途上の役者に過ぎない俺が言える義理じゃないが、同じ役者の視点で蓮のことを視れるようになったら、案外こいつは人から煽られると普段よりも“チョロく”なることが分かった。

 

 “やっぱお前、煽られると途端に分かりやすくなるよな?”

 

 「・・・そーかよ」

 

 と追い打ちをかけてやりたいと思う欲求を心の中に押さえて、適当にそれっぽい相槌を打つ。まぁ言ったところで俺が得をするわけじゃないし、そもそもそんなことをする必要もないから言うつもりもない。

 

 「“嫌い”って言われて親友やめたくなっちゃった?」

 「そんなんで嫌いになる奴とは親友どころか友達にすらなれねぇよ」

 「あははっ、人に容赦ないよなとか言っときながら憬も大概じゃん」

 「大概もクソも、俺は自分には嘘を吐かないってだけだ」

 

 そんなことなどつゆ知らずか、蓮は得意げになって俺を揶揄い始める。正直に言うと親友という“補正”が掛かっていると言われたらそれまでだが、人を揶揄ったりする“駆け引き”的なものは隙を一切見せない堀宮のほうが一枚上手だなとつくづく思う。これもまた、芸能界(この世界)に入って色んな役者や人間と直接会ってきたから理解できたこと・・・なのかはまだ分からないけれど、とにかく実際に会ってみたら意外と俺はまだ親友のことを理解出来ているみたいだ。

 

 「・・・ていうか、さっきから随分と余裕ぶってない?」

 「は?いつも通りじゃね?」

 「もしかして私が人から煽られると“チョロい”とか思ってる?」

 「・・・何で?」

 「そんなの顔を視なくても声の感じを聴けば分かるよ。“親友”なめんな」

 

 そして俺以上に親友のことを理解している蓮は、俺が心の中で“チョロい”と思っていたことを些細な変化だけで読み取った。

 

 

 

 “『どうせ芝居のことでまた悩んでるでしょ?』”

 

 

 

 「・・・俺も蓮の“そういうところ”だけは嫌いだわ」

 

 “親友”という一種の特別な関係が難儀にしてしまっているのは否めないが、蓮の“こういうところ”は女優(やくしゃ)として十分武器になる才能だと俺はずっと密かに思っている。

 

 「何それ?もしかして“煽ってる”つもり?」

 「別に何でもねぇよ」

 「言っとくけど芝居をしてないオフの憬が私のことを煽るなんて50年は早いと思うけど?」

 「“オフ”のときの俺とか“50年”って絶妙なとこを突いてくるのがお前らしいよ・・・」

 

 もちろんこのことはライバルとして、そして何より親友として何が何でも墓場まで持っていくつもりだ。役者という生き物は自分でも気づけていない秘めた手前の才能に自らの意思(ちから)で気付くことで、人間として一歩先へと進んで行ける。

 

 

 

 “『主人公のことを考えていたら、俺自身の過去のことを思い出してました』”

 

 

 

 少なくとも俺は、そうやってここまで這い上がってきた。それ以外の生き方を知らないだけだと言われてしまったら何も言い返せない。だけど、今でもこうやって隣にいる親友()と一緒に役者をやれているという現実が、自分の生き方が間違いなんかじゃないということを証明してくれる・・・・・・と、大言壮語を吐けるほどまだ俺は偉くもなければ強くもない。

 

 「なぁ・・・いまから1つだけ我儘言っていいか?」

 「・・・何?」

 

 でも、自分が今までしてきた芝居(こと)が間違っているなんて、1秒たりとも思ったことはない。

 

 「俺は・・・・・・蓮とはこれからもずっと親友でいたい

 

 

 

 “自分の芝居(こと)までを否定してしまったら・・・・・・それはもう“俺”じゃない

 

 

 

 「・・・もし私が“()だ”って言ったら?

 

 ブランコを漕ぐのをやめて“親友なんていらない”と面と向かって言われようと自分の“我儘”を貫く俺に、蓮はブランコを漕いだまま横目でクールに問いかける。

 

 「いくら蓮からのお願いでも、それを受け入れるのだけは“嫌だ”な・・・

 

 その問いの答えは、(おまえ)の前で“役者になる”と心に決めた日からずっと変わらない。

 

 「・・・俺は蓮の“いまの気持ち”と向き合いたくて役者になろうって決めた・・・それは今もずっと変わってない・・・・・・だから、“親友なんていらない”と俺に言ったお前の“いまの気持ち”とも役者として・・・何より“親友”として向き合いたいって思ってる・・・

 

 

 

 “『せっかくの“親友同士”だったらやっぱり1対1(タイマン)で語り合わなきゃだよね?』”

 

 

 

 「・・・ホントさ・・・・・・憬って教室の“隅っこ”にいたときからなんにも変わってないよね?

 

 俺からのあまりにも我儘で独りよがりな本音に、蓮はブランコを漕ぐのをやめて同じ視点で溜息交じりに大袈裟に呆れかえったリアクションをして嘲笑う。

 

 「・・・それは蓮だって同じだろ?

 

 もちろんそこに“悪意”の感情が一切含まれていないのは、俺に向けられた眼が“女優の環蓮”から“ただの親友”に戻っていたのを感じて一瞬で分かった。

 

 「当たり前でしょ。だって“私は私”だから

 

 どんなに芝居が上手くなろうと過去を乗り越えようと、そして必要とあれば親友を捨てる覚悟を持てるようになっても、幼少期に確立された己の人間性なんてそう簡単には変わらない。

 

 「・・・知ってるよ

 

 こうやってブランコに座って隣り合う俺たちは、互いが“世界の縮図(しくみ)”を少しずつ理解してその度に互いがそれぞれ“違う”ものを背負い始めて、互いが音を立てないでゆっくりと“大人”に近づいていこうとも、今日も仲良くあのときの“宇宙人と蔑まれる馬鹿(オタク)”と“負けず嫌いなクラスの人気者(マドンナ)”と何ら変わらない感覚で言葉を交わし合う・・・・・・こんな感じの日々が、あとどれくらい続いていくのだろうか・・・

 

 

 

 “『オーディションを受けて、蓮と同じように俺も役者になる』”

 

 

 

 「・・・私ね・・・今回の『ユースフル・デイズ』で“後悔”させてやろうって考えてる

 

 静かに自分の気持ちを吐き出しながら、役者になると言った “あの日”のようにいつもより一歩だけ踏み込んで“蓮の気持ち”に向き合う覚悟(こと)を決めた俺に、蓮は来月から撮影が始まるドラマへの思いを明かし始めた。

 

 「ひょっとして俺も含めた“メインキャスト”か?」

 「いいや、“一番”は私のことを選んでくれなかった“大人達”だよ・・・」

 

 何となく後悔させる矛先がどこに向いているのかは既に予想出来ていたが、俺は敢えて“一番じゃない”答えを言って心に貯めこんでいるであろう感情を更に吐かせた。

 

 「・・・環蓮(わたし)半井亜美(メイン)にキャスティングしなかった“大人達”を、後悔させてやりたくて仕方ないんだよ・・・・・・心の底から

 

 すると一旦ただの親友に戻りかけていた蓮の表情(かお)が瞬く間に“もう一人の自分”へと移り変わり、堀宮の”笑み“によく似た”黒い炎“が宿ったかのような琥珀色の瞳が地上と空の中間を睨み、限りなく憎悪に近い感情を吐き出す。

 

 

 

 “『そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・』”

 

 

 

 「分かってると思うけどもちろん“芝居”での話ね?

 「分かってる

 

 それはあの日の怒りとは比べ物にならないほどの、禍々しい感情だった。“怖い顔”をしてここまで自分を追い込んでいる蓮を視るのも、初めてだった。

 

 「そういうわけだから場合によっては“メインキャスト”の君にも容赦なく牙を向けるようなことがあるかもだけど・・・・・・悪く思わないでくれるかな?

 

 

 

 “やっぱり、(おまえ)は今までの自分を捨てる覚悟(つもり)で俺の隣に座っているんだな・・・

 

 

 

 “『もしも“親友”の蓮ちゃんが“敵”になってさとるに牙を向けてきたら、どうする?』”

 

 

 

 「分かった・・・・・・だったら俺は、お前の芝居(きば)を“メインキャスト”として全部受け止めてやる

 

 だが再び一歩を踏み込むと決めた俺には、またひとつ大人へと変わろうとしている蓮の心境の変化を迷わず二つ返事で受け入れて向き合うだけの覚悟はもう出来ている。

 

 「・・・言ったね?“男に二言はなし”だよ

 「あぁ。俺だって伊達にメインに抜擢されたわけじゃない。それに・・・まだお前との“勝負”は終わってないしな

 

 

 

 “『私と憬・・・どっちが先に自分の芝居を恥ずかしがらずに堂々と見れるようになれるか、勝負しようよ』”

 

 

 

 「終わってないどころか、勝負はまだ始まったばかりだよ・・・・・・むしろ“私たち”にとってはここからが本番なんだから・・・

 

 左隣に座る蓮は、瞳に“黒い炎”を宿したまま笑みを浮かべて俺に向けて拳を突き出した。

 

 「マジで久々だな、“これ”やるの」

 

 隣から向けられた右の拳に、俺も左の拳を向ける。

 

 「ついでに言っておくと君とはこのドラマで何気に“初絡み”になるわけだから・・・“タイマンを張る前のごあいさつ”ってことで」

 「親友やめるわ牙向けるわタイマンするわ、今日の蓮はやたらと物騒(シリアス)だな(てか最近流行ってんのか“タイマン”って?)」

 「アレ?“親友”のことは全部受け止めるんじゃないの?」

 「当たり前だろ。俺は“暴力”が嫌いってだけだから、“芝居”のタイマンなら幾らでも引き受けてやるよ」

 

 そして俺たちは互いを横目で見ながら、夕方6時過ぎの空の下で月9の顔合わせのとき以来に互いの拳を合わせた。

 

 「覚悟しとけよ。憬

 

 この瞬間、俺と蓮は“親友同士”から“敵同士”になった。もちろん、親友(あいて)(かたき)になったところで我儘な俺たちの関係自体は何も変わらない。

 

 

 

 だけど・・・“芝居”となれば話は別だ。

 

 

 

 「望むところだ

 

 

 

 

 

 

 さあ、戦え・・・俺。




変わりゆくものと、揺るぎないもの_



サブタイトルを“タイマン”にするか“我儘”にするか“宣戦布告”にするかで三日三晩ガチで悩んだ挙句、こうなりました・・・・・・というわけでここからいよいよ色々と動き出していくわけですが、物語は2018年に戻ります。


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#001B.《幕間》 6月30日⓪

懐玉・玉折のOPがこれでもかってくらいアオハルってて大好き(なお本編)


 2018年6月30日_午前8時35分_北鎌倉_

 

 6月30日、朝の8時30分と少し。快晴の空の下、せっかくスケジュールが丸々1日空いている完全なオフ日なのにも関わらず、私は仕事が入っているときと同じ朝4時半に起きてルーティンのストレッチとかを諸々やって、朝の7時に自宅を出て北鎌倉の円覚寺に来ていた。

 

 “・・・てかこれ、帰りに缶コーヒーとか飲んどかないと道中で死ぬな・・・”

 

 ぶっちゃけ、仕事がないのに仕事があるときと全く変わらないスケジュールで動いてるようなものだから気持ち的には普段より寝不足だし、普段の休日はノープランでその日の気分で好き勝手に過ごしているからか、イマイチ休みって気もしない。そもそも貴重な休みなんだし別にこんな朝早くから起きて片道1時間半もかけて“こんなところ”に行く必要はなくない?って話にもなるけど、“この後”に寄ると決めている場所のことを考えるとその前にこれからお世話になる人への“ご挨拶”は済ませておきたいと思ったから、私は朝の7時に“都心某所”のマンションを出てここにいる。

 

 「鎌倉とかいつぶりよ・・・」

 

 北鎌倉駅の目と鼻の先くらいのところにそびえ立つように構える円覚寺への階段を、特に深い意味なんてない独り言を呟きながら上がっていく。そういえば、こうやって鎌倉に来ること自体がなんだかものすごく久しぶりだ。

 

 “たしか前に鎌倉に行ったのは・・・・・・あぁ、“あのとき”か・・・”

 

 いったいいつぶりだろうと円覚寺の階段を上がりながら記憶を掘り下げる。そうだ、私が18から19のときに主演で出ていた朝ドラの撮影(ロケ)が鎌倉で、円覚寺に行ったのもちょうど今頃だった。

 

 “てことは・・・・・・“14年”ぶりってことね・・・

 

 

 

 

 

 

 “『いまの世の中は随分と“楽”に女優を名乗れる時代になられて、私は羨ましい限りですよ・・・・・・』”

 

 

 

 

 

 

 “・・・あぁやだやだ、こんなときに縁起の悪い思い出を私はネチネチと・・・

 

 ついでであんまり思い出したくない記憶まで浮かび上がって、私はそれを頭の中で払い除けて空を覆うほどの樹木に囲まれた遊歩道を歩いて洪鐘を目指す。とにかく今は、なるべく“ネガティブ”なことは頭の中から捨てて、向き合わないと。

 

 “・・・ここだ”

 

 円覚寺の総門から向かって右側の遊歩道を進み、道中にある弁天堂の鳥居をくぐり抜けたところから続く140段の石段を上った先にある国宝・洪鐘のすぐ隣に、私がこれから“ご挨拶”をする大女優・薬師寺真波(やくしじまなみ)は眠っている。14年前に朝ドラの撮影で鎌倉に来ていたとき、監督の“ゴローさん”から“『今日は薬師寺真波の命日だ』”と聞いて、“願掛け”も兼ねて共演者や撮影に携わっていたスタッフたちと一緒に真波さんのお墓参りをした・・・“この場所”に来るのは、それ以来のことだ。

 

 「お久しぶりです。真波さん

 

 14年ぶりに訪れた真波さんのお墓は、まだ朝の9時前という人通りが少なめな時間帯だからかお供え物は少なく思ってた以上にスッキリとしていた。14年前に来たときは、全国にいるファンの人たちが置いていったであろうお供え物がこれでもかって置かれていて、伝説の大女優のお墓とは思えないくらい雑然とした光景が広がっていたから、これはこれである意味で軽く意表を突かれた気分だ。

 

 「僭越ながら・・・再来年から始まる大河ドラマで、薬師寺真波を演じさせていただくことになりました

 

 お墓の前にある2段の段差を上がり、“”の文字が大きく刻まれた墓石の前に立ち、手を合わせて目を閉じ真波さんにご挨拶をする。

 

 

 

 

 

 

 薬師寺真波。“撮影所”という場所がまだ全盛だった時代において当時の邦画界のみならず、敗戦によって士気が下がっていた戦後の日本そのものにとっての“希望”として映画史に名を遺す名だたる名監督と呼ばれる人たちと共に数々の傑作を創り上げ邦画界に“ひとつの歴史”を遺した“日本一の女優”。47歳という若さでこの世を去ってから43年、彼女は今でもなお“映画史の1ページ”として日本のみならず世界的にもその名が語り継がれ、愛され続けている。

 

 “『キネマのうたの主演を、是非とも環蓮さんにお願いしたい』”

 

 そんな日本が誇る稀代の大女優を私が演じることになったのは、プロデューサーの中嶋(なかじま)さんと監督の“ゴローさん”こと犬井(いぬい)さんから直々にオファーが舞い込んだほんの1週間ほど前のこと。もちろん最終的に私はそのオファーを引き受けることになるのだけれど、オファーが来たときは引き受けるべきかどうか久々に悩んだ。これまでに色んなドラマや映画で主演や重要な役柄を()らせてもらって人並み以上にはプレッシャーへの耐性や度胸がついてきていたとはいえ、あの“薬師寺真波”を演じるということはオファーを引き受けた今だから言えることだけど、はっきり言って恐れ多かった。大河ドラマの主演を演じるという役者としてこれ以上の冥利に尽きることのない名誉と、“日本一の女優”の人生と軌跡を現代に伝え語り継ぐ役目を与えられるプレッシャーの板挟み。

 

 

 

 “『いまの世の中は随分と“楽”に女優を名乗れる時代になられて、私は羨ましい限りですよ・・・・・・とくに、環さん(あなた)のような女優(ひと)を見ているとね・・・』”

 

 

 

 そして思い起こされた、ある映画の撮影現場で薬師寺真波の“忘れ形見”から言われた一言と苦い思い出。16から17のときに撮ったあの映画で私は日本アカデミー賞で新人賞を獲って女優として“花開く”ことになるが、あのときはちっとも嬉しくなんてなかった。寧ろ、“あの程度でも賞を獲れてしまう”という現実を自分の手で証明してしまったようなものだから、賞を“獲ってしまった”ときは本当に苦しかったし悔しかったし悲しかった。認めたくなんてないけど、“あの2人”がいなかったら間違いなく立ち直れなかった。

 

 “『私が薬師寺真波ね~・・・』

 

 それぐらい、忘れ形見の“あの人”から言われた言葉や仕打ちはあの頃の私を追い詰めた。いま思えばあの言葉と挫折があったからこそ“”があるのは紛れもない事実で、時が経って色んな経験を踏むうちにあれもまた一種の“優しさ”だったことに気付けたから、未だに思い出すと心の中がキツくなるけれどあの人には本当に心から感謝している。

 

 “『別に“環蓮”に演じてほしいんなら私は幾らでもやるけどさ、“あの人”はなんて言うんだろうね?』

 

 だからこそ、私は容易にこのオファーを引き受けようとは思えなかった。“中途半端”な女優で終わるはずだったかつての私を変えてくれた恩を、私が真波を演じることによって仇で返すようなことになってしまったら・・・なんてどうしようもない臆病なプライドで、無意識に私は逃げ道への言葉をそれっぽい“つよがり”で取り繕っていた。

 

 “『まさかとは思うが、環は“16年前”のことをまだ引きずっているのか?』”

 

 そんな私を目覚めさせてくれたのは、14年前にヒロインで出させてくれた朝ドラからずっと親交のある“ゴローさん”の一言だった。私は何のために女優を続けているのか?ここで“大河の主演(薬師寺真波)”を()れるチャンスを自ら手放したら、それこそあの人からの恩を仇で返すことになって、もう二度とリベンジの機会なんて与えられない。女優として21世紀(この時代)を背負って立っている以上、逃げるなんて選択をしたらそれこそ“女優・環蓮”の名が廃る。

 

 

 

 それに、負けっぱなしのまま“勝ち逃げ”されてしまうのは・・・・・・最高にイヤだ。

 

 

 

 “『まさか?・・・私は“NO”だなんて最初から一言も言ってないけど?』

 

 

 

 こうして私は、再来年の大河ドラマ『キネマのうた』で日本一の女優(薬師寺真波)の人生を演じることになった。

 

 

 

 

 

 

 「真波さん並びに、薬師寺家の歴史に泥を塗らぬよう精進して最後まで“あなた”を演じ切ってみせますので・・・何卒よろしくお願いします

 

 真波さんの眠る墓前の前で手を合わせて、声を出して挨拶をする。傍からみれば何をやってるんだって話だ。私が生まれる10年も前に亡くなっていて、会ったことはおろか生前の姿を同じ時間軸で見たことすらない人に、返事なんて返ってこないことなんて分かり切っているのにこれでもかってくらい敬意を払って畏まり挨拶をする。俯瞰すればするほどおかしな光景だ。

 

 でも、大河ドラマを始めとして実在する人物を演じるということは、それぐらいの誠意と責任を持って演じ切らなければ、その人の人生を否定するに等しいことだと私は思っている。だから私は、実在する人物を演じる際には必ずその人物のもとを訪ねて“挨拶”することを心掛けている。

 

 もちろんこれも、“あの人”の芝居を通じて教わったこと。

 

 「こんな朝早くから“おばあちゃん”に何か用?

 

 真波さんへの挨拶を終えて閉じていた目を開いた瞬間、背後から妙に聞き覚えのある女の人の声が聞こえた。

 

 「・・・こんな時間にバッタリ会えるなんて奇遇だね・・・静流

 「えぇ、私も同じ心境よ

 

 私に話しかける声のする背後へと振り返ると、そこにはアイボリーホワイトのリラクシーワンピースにスニーカーというシンプルで小洒落たファッションを身に纏い、右手にカーネーションの花束を持つ薬師寺真波の孫”がいた。奇しくも今日は真波さんの命日だから、“もしかしたら”という予感はうっすらと感じてはいた。

 

 「もしかして静流も朝早くから真波さんにお参り?」

 「当たり前でしょ?人が多い時間にわざわざこんな“目立つ場所”に足を運ぶのは好きじゃない」

 「あぁ、なるほどそういう」

 

 私と同い年(※学年は1つ上)ながら芸歴でいうと10年先輩にあたる女優・牧静流。2歳で芸能界に入り天才子役として早くも一世を風靡すると、入れ替わりが激しく消費期限も短いと言われている子役の宿命(ジンクス)を跳ね除け、そのまま人気が途切れることなく天才子役から演技派女優として30年近くに渡って第一線で活躍し続けている稀有な女優で、私にとっては20年来のライバルにあたる。

 

 「まさか、よりによってあなたが再来年の大河ドラマの“主演”を演じることになるなんてね」

 「うん、おかげさまでね。そのことでたったいま真波さんに挨拶を済ませたところだよ」

 

 そして何を隠そう静流が“薬師寺真波の孫”であることは芸能界じゃずっと前からすっかり有名な話なのだけど、世間一般的には静流自身が薬師寺真波の孫だということは今日まで全くと言っていいほど知られていない。正確に言えば“顔つきがそっくり”なことや、“”という苗字が真波さんの祖母にあたる“文代(ふみよ)”という人物と同じであることを関連づけて物好きな一部のマスコミが色々と裏を回ってリークしようと暗躍し続けていると風の噂でたまに聞くが、その度に“何やかんや”が起こって真相は全部揉み消されている。

 

 ついでに補足を付け足すと静流の苗字でもある牧はあくまで芸名で、本当の苗字は“一ノ瀬(いちのせ)”だ。*1

 

 「えぇ、見れば分かる」

 

 そんな嘘と理不尽で溢れかえった芸能界という異端な世界で、私と静流は女優として人生の半分以上の時間をずっと生きている。

 

 「ていうかさ、劇場じゃないところで静流と会うのはいつぶりって話じゃない?」

 「そうね・・・私は昔過ぎて忘れたわ」

 「昔過ぎて忘れたって、“おばあちゃん”じゃないんだから」

 

 ちなみに私たちはそれぞれ私がドラマ・映画(邦画)、静流が映画(国内外問わず)・舞台と微妙に活動しているフィールドが違うこともあって今まで同じ作品で直接的に共演したことは一度もなく、おまけに互いが互いで忙しいせいで面と向かって会うのはスケジュールが空いていたときに静流が出ている舞台の楽屋に挨拶ついでに手土産を片手に軽く言葉を交わすぐらいだから、こうやって劇場以外の場所で会うのは同居生活が終わってからは片手で数えられるぐらいしかない。

 

 「あなたが遊ぶ暇もないくらいドラマに映画と引っ張りだこで忙しいからよ」

 「それを言うなら静流だって映画の撮影と舞台の公演でずっと忙しいでしょ」

 「確かにそうね、私は私で明日からしばらく海外だし」

 「知ってるよ。久しぶりにハリウッド映画の出演が決まったみたいじゃない?」

 「有難いことに3年ぶりに“お声”がかかった」

 「しかも風の噂じゃあの“リッキー”と初共演するかもっていうね」

 「相手が“ドタキャン”とかのトラブルを起こさなければの話だけどね」

 「うわ~あの“お騒がせリッキー”のことだからやりそ~」

 「さりげなく王賀美くんのことを随分と馴れ馴れしい“あだ名”で呼んでるけど会ったことなんて一度もないでしょ?」

 「逆に静流は会ったことあんの?」

 「あるわ。3年前にチャイナタウンを歩いてたときにバッタリ」

 「ウソ?マジ?」

 「マジ」

 「リッキーがチャイナタウン歩いてたの??」

 「どこに食いついてんのよあなたは」

 

 墓前の石段を下り、真波さんのお墓を前に静流とリッキーの話題で軽く談笑する。

 

 「てかいっそのことこれを機会にリッキーみたいにハリウッド一本で勝負してみるってのはどう?」

 「いいや、ハリウッドの“日本人枠”はあくまで王賀美くんに任せることにするわ・・・だって彼は私よりも若いし、そもそも私は“映画専門”なんかじゃないから」

 「そー言いながらちゃっかり助演女優賞獲ってるくせに」

 「“運が良かった”だけよ、あれは」

 「にしても珍しいじゃん。あの負けず嫌いで“がんこちゃん”な静流が後輩くんに道を譲るって」

 「嫌味?」

 「ううん、褒めてる」

 「はぁ・・・まぁいいわ。分かっていると思うけど私だってもう立派な大人よ。だから必要のない勝負は受けない、弁えるところは弁える。これもまた女優としての生き方・・・」

 

 2段の石段を下りて対面する小顔で愛らしくてそれでいて凛々しくもある可憐な顔立ちは、50年以上前に撮られたカラーフィルムに映る真波さんの姿に年々似てきている。

 

 「それに・・・・・・私の目指す場所はもっと別のところにある

 「・・・ほんと、あんたは相変わらずね」

 

 特にパッチリと透き通った青紫色の瞳と右目にある泣き黒子(ぼくろ)は、お世辞抜きで真波さんと“瓜二つ”だ。地毛が黒髪ではなく赤髪だったり、160の後半はあったと言われている真波さんとは対照的に体格は150半ばぐらいでやや小柄だったりと細かな違いはあれど、30代になってすっかり大人びた静流の顔立ちは、本当に真波さんの“生き写し”なんじゃないかって思えるくらいに似ている。

 

 「・・・機会ができたら聞こうと思ってたけど、私みたいな“赤の他人”が自分の“おばあちゃん”を演じるの、静流はどう思う?

 

 入れ替わるように2段の石段を上がり墓石の前に立つ静流に、私は問いかける。

 

 

 

 

 

 

 “『みんなはおばあちゃんのことを“日本一の女優”だとか言って神様みたいに拝んでるけど・・・・・・私にとっておばあちゃんは神様なんかじゃなくてタチの悪い悪魔なんだよ・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・どう思うも何も・・・あなただったら“薬師寺真波を演じられる”って信じたから、私は了承したってだけのことよ

 「・・・あぁ、そうだった。静流は真波さんの“子孫”だったわ」

 「正確に言えば戸籍上は“赤の他人”ってところね。まぁ、私も“関係者の1人”であることに変わりはないわ」

 

 私の問いかけに、静流は“”と刻まれた墓石に目を向けたまま呆れ半分な様子で答える。当然『キネマのうた』を製作するにあたって、静流は“あの人”と同様に関係者として製作元のMHKに薬師寺真波をモデルにした大河ドラマを製作することを承諾している。

 

 「本当は全部知ってるくせに、どうしてあなたはそんなことを私に聞くの?

 

 もちろん、薬師寺真波を演じる女優が環蓮(わたし)になることも含めてだ。

 

 「“本音”を聞きたいんだよ・・・“薬師寺真波を環蓮に演じさせていただきたい”って言われたとき、静流はどう思ったか・・・“私のほうがもっとちゃんと演じられるのに”って、一瞬でも思ったんじゃないかとか

 「私の言葉がそんなに信用できない?

 「そうじゃない・・・・・・ただ、“女優”として静流の思うことが気になるってだけ

 

 自らが承諾したことを知っているうえでそのことを聞いてきた私に、静流は背を向けながら微笑んでいるとも怒っているとも捉えられる口ぶりとトーンで問いただす。“おばあちゃん”のお墓を前に私にも視えない感情を向ける後ろ姿が、在りし日の薬師寺真波の後ろ姿とリンクする。悔しいけど、本気になれば静流は私なんかよりよっぽど真波さんのことをちゃんと演じ切ることができるんじゃないかと、そう思えてしまうくらいに“日本一の女優”の幻影と重なる小柄で華奢な背中。

 

 

 

 先ずはこの“背中”を超えない限り、私が薬師寺真波を演じる資格も、私が『キネマのうた』の撮影現場に足を運ぶ資格もない。そう思った。

 

 

 

 「はぁ・・・あなたって人は、偶に会うたびにどんどんと“なりふり構わなく”なっていくわね?

 「当然だよ。どんな人間だって20年も“こんな世界”で女優なんてやっていれば、嫌でも“なりふり構わなく”なっていくからね・・・それは静流だって同じでしょ?

 

 背を向けたままの感情に、少しだけ棘が加わる。どうやら、というよりかはやっぱり、静流はただの“後輩および友達”だった頃と、本質は何にも変わっていない。

 

 「私に“薬師寺真波”を演じることはできない・・・・・・理由はそれだけ。これで満足した?

 

 観念したかのような溜息を交えてようやく溢してくれた、かつての“後輩および友達”への“本音”。静流の口から告げられた薬師寺真波の“ピース”はあまりにも抽象的だったけれど、思わぬ場所とタイミングで収穫を得られた。

 

 「・・・ありがとう・・・“本音”を話してくれて・・・

 「・・・“蓮”のそういうどこまでも真っ直ぐで“正直”なところ・・・・・・初めて会ったときからずっと嫌いだった

 

 そして純粋な感謝をする私に背中越しでありったけの嫌味を静かにぶつけ、静流はカーネーションの花束を添えるように優しく墓前に置き、そのまま目の前に眠る真波さんに向けて手を合わせて目を閉じて、無言で挨拶をし始める。

 

 

 

 

 

 

 “『私ってさ、2歳の時に芸能界(このせかい)に入っちゃったから“普通の世界”を知らないんだよね』”

 

 

 

 

 

 

 女優になるために芸能界に入り、31年。静流は今や国内の映像作品や舞台にとどまらずハリウッド映画でも王賀美陸とは違った独特な存在感を放ち、26のときには本場アメリカでアカデミー助演女優賞を受賞する快挙を果たすなど、アメリカでは役者として“第一人者”と言われている“リッキー”以上に評価されていると言っても過言ではない。そして静流が30年かけて辿り着いた景色は、“日本一の女優”であり祖母でもある薬師寺真波が志半ばで病魔に侵されたことで打ち砕かれた、女優としての“最期の夢”でもあった。

 

 

 

 “『蓮にはわからないよ。私みたいな“嘘吐き”が女優を続けている理由なんて』”

 

 

 

 皮肉にもその夢を叶えてしまったのは、“あの人”と同じく生まれたときから今日に至るまでずっと呪いのように“薬師寺真波という存在”に苦しめられ続けている、静流だった。この世界にいる誰よりも忌み嫌う存在を目の前にして、明日には日本を出るという静流は何を想い、何を伝えるために真波さんの前に立っているのか、真波さんにどんな言葉をかけているのか・・・そんなもの、所詮は“赤の他人”に過ぎない私には何も分からない。

 

 

 

 “『私は自分のことだけを考えて芝居にのめり込めるあなたたちのことが・・・・・・羨ましくて仕方ない』”

 

 

 

 でも、薬師寺真波という人間を演じるということは、死してなおも子孫に重い十字架を背負わせ続ける1人の女優がどのような女優であって人間だったのか知り、この手で触れていかなければいけない。

 

 

 

 血筋が途絶えない限り半永久的に最終回なんて訪れない“薬師寺家の歴史(キネマのうた)”を生きる、“この人たち”と共に。

 

 

 

 

 

 

 「・・・真波さんとどんなことを話した?静流?」

 

 真波さんへの無言の挨拶を終えて合わせていた手を解いた静流に、私は同じく真波さんへの挨拶を終えたときに背後から話しかけられたのを再現するように再び問う。

 

 「あなたのような“赤の他人”に、私が教えるとでも?」

 「あははっ、そーいうと思った~」

 「最初から思っていたならいちいち聞かないでくれる?」

 

 冷めた眼つきと一緒に返ってきた答えは、完全な“拒絶”。静流にとってこの私がただの可愛い“後輩および友達”だったのは、今はもう昔の話。別に“嫌いだった”と言われたことも含めて、ショックとか怒りとか、そういう感情(もの)も何も感じない。強いて言えば、“そりゃそっか”程度の感情が僅かに湧いたぐらいだ。

 

 「でも・・・教えない代わりというわけじゃないけれど、これでまたしばらくは会えなくなるだろうから“思い出話”ぐらいだったら今から近くの海にでも行って聞いてあげてもいいわ」

 「ごめんね静流。私この後どうしても“外せない野暮用”があるから行きたいのは山々だけど無理だわー」

 「そう、それは残念ね」

 「代わりに明日の撮影ドタキャンして見送りにでも行こうか?」

 「多方面に迷惑がかかるからやめなさい

 

 これ以上いても仕方がないと、私はここから離れるタイミングを伺う。とにかく薬師寺家の話は“こんな場所”でバッタリ会ったついでで話すような内容じゃない。そもそも私にはまだ“行くべき場所”が残っているから、“こんなところ”で油を売るほどの時間もない。

 

 「それじゃ、時間もあんまりないし私はこれで下りるよ。ドラマの撮影あるから見送れないけど、静流が出る3年ぶりのハリウッド映画楽しみにしてるから」

 「ありがとう。あなたもどうか頑張って」

 「うん・・・健闘を祈る」

 

 真波さんへ挨拶を済ませた静流と別れ際に軽く言葉を交わして、私は背を向けて来た道を戻ろうと足を一歩進める。

 

 「待って

 

 足を一歩進めたのと同時に、静流の呼び止める声が聞こえて振り向かずにその場で立ち止まる。

 

 「・・・最後にひとつだけ、蓮に聞きたいことがあるの

 「・・・なに?

 「“どこ”へ行くの?

 

 

 

 

 

 

 “『_憬?嘘だよね?_』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・ほんとは全部知ってるくせに、どうして“あんた”はそんなことを私に聞くんだよ?

 

 背後から聞こえた問いかけに、ついさっき言われた返答と全く同じ意味を持つ言葉を振り向かずに返す。

 

 「・・・やっぱりやめておくわ。これ以上あなたに聞いたところで、お互い“いい思い”なんてしないでしょうから

 「・・・・・・

 

 

 

 そしてちょうど10年前の6月30日(今日)という日に“あいつ”の身に起こった事情を知っている静流の言葉を無言で受け止めた私は、今度こそ真波さんのお墓を後にした。

*1
詳しくはスピンオフ『演じざかりのエトセトラ』を参照




1ヶ月ぶりでございます。断じてサボっていたわけではございません。ちょっと色々と忙しくて拙作の執筆が滞っていただけです。すいまセンターオブジアース。

ちなみに今回の話は#001の数時間前の出来事を描いた閑話になります。どうして#001の次じゃなくてこんなタイミングなのかは・・・一言で言うと“バランス”です。何か2018年に戻ると前回で言っておきながら閑話をぶち込んで読者を騙したみたいな感じになってるかもしれませんが、ちゃんと2018年に戻っているので嘘はついてません・・・はい。

そして現在(2018年)の時系列で、牧静流が初めて登場しました。だから何だよんなことより景ちゃんとかアキラ君を出せよって話ですが、こういう“よなちよ世代”が主役じゃないアクタージュだって、1つや2つや3つくらいはあってもいいじゃないですか・・・なんてね。

というわけで、何とか年内に100話の大台に乗れるよう、これからもボチボチと頑張ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・牧静流(まきしずる)
職業:女優
生年月日:1985年1月1日生まれ
血液型:B型
身長:153cm(14歳)→ 156cm(現在)

本名:一ノ瀬静流(いちのせしずる)


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#008. 消えた小説家

そういえば5年前の春に実家の父親がビ●グモーターへ売りに出したアコードツアラーは無事に次のオーナーのところへ渡ったのだろうか?(※実話です)


 「やっぱり昨日から予約入れておいて正解だったわ~」

 「・・・そうだね。沙貴(さき)

 

 6月のとある日の休日、都内某所のどこにでもある“自称進学校”の高校に通う沙貴(さき)美月(みづき)は2人きりで池袋に遊びに行っていた。

 

 「そうだ、さっきプリクラで撮った写真あとでメッセしとくから」

 「うん・・・ありがと」

 

 サンシャイン通り界隈にあるクレープ専門店で買ったクレープを食べ歩き、ゲームセンターでクレーンゲームとプリクラを楽しんだ沙貴と美月は、沙貴が昨日から予約を入れておいたカラオケ店に入った。

 

 「も~、どしたー美月?今日ずっとテンション低いけどなんか嫌なことでもあった?」

 

 受付で部屋番号の書かれた伝票を受け取り、ソフトドリンクを片手に予約していた部屋に入る沙貴と美月。

 

 「えっ?いや別にそんなんじゃ」

 「ひょっとして彼氏にフラれちゃったとか?」

 「フラれてないしそもそもいないわ」

 「うわなにそれさびしっ」

 「それいうなら沙貴も一緒じゃん」

 「あははっ、それな~」

 「・・・・・・」

 

 部屋に入りマイクの音量を調整しながら元気溌剌(げんきはつらつ)と気丈に振る舞う沙貴と、照明の明るさを調整しながらそんな彼女をやや複雑そうな表情で見つめる美月。

 

 「・・・・・・」

 「・・・ねぇ沙貴?本当に大丈夫なの?」

 

 それでも美月は心配していることを察せられないように無理やり話を合わせていたが、カラオケルームの中でふと2人の間に流れた10秒ほどの沈黙でとうとう耐えられなくなり、沙貴にあることを聞こうとする。

 

 「ん?何が?」

 

 同じクラスの友達のことを心配する美月に、沙貴は“他人事”のような笑みを浮かべて聞き返す。

 

 「ううん・・・何でもない」

 

 気丈にいつも通りのテンションを取り繕って笑みを浮かべる沙貴と目が合った瞬間、美月は自分がやろうとしていることに気がつき、“せっかく沙貴が今だけは何もかも忘れて楽しもうとしてるのに・・・”と、心の中が罪悪感で一杯になる。

 

 「・・・分かるよ・・・美月はほんっと優しいから、お父さんとお母さん(たいせつなかぞく)が“大変なこと”になっちゃって、そのせいでみんなから“可哀想だから”って一緒にいると気まずいみたいに勝手に距離置かれちゃってるあたしが無理して笑ってないか心配で仕方ないんでしょ?」

 

 心の中にある罪悪感が顔に出ている美月に、沙貴はいくつもの複雑な感情が入り交じったかのような表情で儚げに笑い、2週間ほど前に“家のリビングでお母さんがお父さんを刺し殺してお母さんが警察に連行されて行く一部始終をただ茫然と立ち尽くして見届けることしか出来なかった挙句、それまで仲良くしていたクラスメイトからも“気を遣う”ことを口実に避けられ始めた自分”のことを今までと変わらずにずっと友達として接してくれている美月を気遣う。

 

 「ごめん・・・・・・せっかく今日くらいは楽しもうって約束なのに、私ったら」

 「美月が謝ることなんて何一つないよ。まあたしかに?どんなにあたしたちが楽しもうって頑張ってもお母さんがお父さんを刺したって現実(こと)からは逃げ切れないし、これが夢だったらなって思っちゃうことだってめっちゃくちゃあるし・・・ぶっちゃけ、あれからずっと空元気でなんとか一日を乗り切ってる感はあるよ」

 

 

 

 “『不思議だ。こうやって“被害者の自分(あたし)”のことを本気で心配してくれる友達(みづき)と一緒にいると・・・何だかそれだけで自分が罪を犯したことを忘れた気分になれる・・・』”

 

 

 

 「・・・でも美月と一緒にいる“この時間”は本当に心の底から楽しいし、嫌なことも全部忘れられる・・・・・・それだけは“100パーセント”本当だよ」

 

 

 

 “『・・・もし刑事さんが真実に辿り着いてお母さんがあたしの代わりに罪を全部背負ったことがみんなにバレたら・・・美月はどうするんだろう・・・?・・・それでもあたしのことをいつもみたいに心配してくれるのかな?』”

 

 

 

 「それに、友達といるときは“笑っている”ものでしょ?」

 

 

 

 “『それとも・・・ずっと嘘を吐いていいように利用し続けてきたことを軽蔑してくれるのかな?』”

 

 

 

 「・・・・・・友達としてこれくらいのことしかできないけど、一緒にいるだけでちょっとでも沙貴の気持ちがラクになるんだったら、海でもフェスでもどこへでもお供します」

 「お供しますって時代劇か」

 「あぁいや・・・なんか言葉おかしくなってた」

 「あはははっ、ウケる~」

 

 

 

 “『まぁいいや・・・・・・だって、みんなに本当は“あたしがお父さんを殺した”ってことがバレたらその瞬間に“死のう”ってもう決めてるから』”

 

 

 

 「じゃっ、時間も短いから歌っちゃいますか!」

 

 ピッ_

 

 「いきなり十八番じゃん」

 「やっぱりこれを歌っとかないと始まらないでしょ?」

 「・・・こんな状況でよくこの曲歌えるよね?」

 

 ♪~

 

 「えっ?何か言った?」

 「いいや、何でもっていうか始まるよ曲?」

 「あぁそうこれ何気にイントロが短っ“『近ごろ私達は~いい感じ~』”」

 

 沙貴と美月は辛い現実から逃れ全てを忘れるかのように、2時間ほどカラオケで馬鹿みたいに盛り上がりながら歌いあった。

 

 

 

 

 

 

 「・・・はいカットOKでーす!!

 

 

 

 2018年9月5日_池袋_午後6時50分_映画『造花は笑う』_沙貴と美月がカラオケルームの中で歌うシーン_予定より40分巻きで撮影終了。

 

 

 

 

 

 

 「はぁ~、今日はいつもより時間かかった~」

 

 午後6時50分。監督からのカットの掛け声と同時にカラオケルームで沙貴と美月が互いに現実を忘れて歌いあうシーンの撮影が終わると、カラオケ音源に乗せてルームソファーに座りマイクを片手に歌っていた沙貴役の千世子はわざと電源の入ったマイクに向けて自分の気持ちを吐き出し、もたれかかった。

 

 「“40分巻き(これ)”でもかかったほうなんですか?」

 

 それを聞いた千世子の右隣の位置に座る美月役の美々が、思わず驚きと疑い交じりに芝居のスイッチを切った千世子に声をかける。

 

 「うん。やっぱり()ったことないような役柄を()るのは大変だよ。今日なんて5年ぶりくらいにシーンを撮り直したし。それに引き換え、この前撮ったデスアイランドのときは3時間巻きで終わった日もあるくらい順調だったのに」

 「“3時間巻き”・・・それはすごいですね(ここまで早いと真剣に撮ったのか疑いたくなるけどさすがにそれを本人に向かって口にするのは)」

 「もしかして疑ってる阿笠さん?」

 「えっ?あぁいや別に」

 「大丈夫大丈夫、私と共演したことない人からこんなふうに驚かれたりするのは“慣れっこ”だから」

 「はは・・・そうなんですね・・・」

 

 映画の撮影を3時間巻きで終わらせたという嘘みたいな本当のエピソードに思わず疑いの目を向けた美々の本心を持ち前の勘の鋭さで見破って揶揄うように笑ってみせる千世子に、美々は劇中の美月のようにタジタジになる。

 

 「私、こういうはっちゃけた役柄を演じている百城さん(あなた)のことを見るのは初めてなんですけど・・・」

 

 

 

 “スターズの天使”として同世代の中では飛び抜けた知名度を持つ大人気若手女優・百城千世子。“何を演じても同じ”とアンチと呼ばれる一部の人から言われていることはともかく、場面に合わせて瞬時に涙を流し、自分を映すカメラのアングルや画面のサイズ、またそれぞれのカメラが自分をどのようなアングルで映すのかを把握して、逆に自分のことを映しているカメラに自分はどう映るべきなのかも常に考えながら完璧な芝居をする器用さも持ち合わせ、NGを出さず演出家(かんとく)も最低限の演出付けさえすれば1テイクで文句なしのOKシーンを撮ることができる。監督にとってはこれ以上ないくらい効率的な芝居をしてくれるおかげで“扱いやすい”く、それでいて女優として必要な技術も表現力もしっかりと兼ね備えていてなおかつ自分の正しい“魅せ方”をも熟知している非の打ち所がない“完璧な女優(プロフェッショナル)”・・・というのが、業界内(かいわい)で流れている噂や初めて共演するにあたって彼女が出演していた作品をいくつか鑑賞した私の中にある、百城さんのイメージだった。

 

 “『沙貴のことで相談があるんですけど、もっと思い切って明るい感じにしてもいいですか?』”

 

 だけどそんなデフォルトも同然な天使のイメージは、昨日から続く映画の撮影を通じて予想を裏切るように変わっていった。演じる役の感情をしっかりと掘り下げる私とは対照的に、百城さんは演じる役の感情を掘り下げない・・・ここまではだいたい想像通りだった。だけど百城さんが撮影に向けて作り込んできた沙貴の人物像は、原作で書かれているどちらかというと地味でクラスの中だとあまり目立たない立ち位置の本来の人物像とはほど遠い、明るくはっちゃけた陽キャの“JK”だった。こんなにも原作の沙貴と乖離した沙貴(キャラ)を作り込んでくる百城さんは、私のイメージには全く存在していなかった。

 

 “『“それに、友達といるときは笑っているものでしょ?”』”

 

 もちろんこれは百城さんなりの“狙い”があってのことで、監督の篠田さんは“『宮武先生の原作に比べて2段階ぐらい明るくなった沙貴のおかげで、映像を通じて伝えたい相対的に沙貴が抱え込んでいる心情と外面の差異(ギャップ)が広がった』”と百城さんが作り込んできた沙貴にかなりの好印象を持っていた。そして実際に撮影も当の本人は時間が掛かったと言っていたけど今のところ今日までNGは一度もなく、1テイクの撮り直しも監督からではなく彼女が“今ならもっと上手く演じられる”と自ら頭を下げてお願いしたからだから、実質ノーミス。おまけにリハの前の段階で既に自分と私の立ち位置だとかカメラがどのタイミングでどういう角度で自分を撮るのかも把握している徹底ぶりで、初共演だからよく知らないけれど彼女が()っている芝居(こと)が普段の撮影現場と何ら変わらないということは、一緒に撮影していて分かり始めた。

 

 

 

 「私、こういうはっちゃけた役柄を演じている百城さん(あなた)のことを見るのは初めてなんですけど・・・・・・“こういう芝居”も出来るなんて正直意外でした

 「意外なのは“いい意味”でってことかな?」

 「あ、はい、もちろん」

 「ふふっ、ありがと阿笠さん」

 

 ただ、あの“百城千世子”がこういう“はっちゃけた芝居”をするなんて全く思っていなかったから、カットが掛かって役の感情から自分の感情に戻るたびに何だか少しだけ変な感覚に襲われる。

 

 「いえ・・・どういたしまして」

 

 例えるなら、真新しいスマホとかパソコンを買った最初の日みたいな、まだ自分の身体が最新機種に慣れてなくてどこかぎごちなくなるあの感じに近いような。()り方自体は鑑賞した映画やドラマと同じはずなのに。不思議だ。

 

 「まあでも、“こういう芝居”ができるってより何とかこういう芝居も“形にでき始めた”って感じかな?今のところだと・・・なんか、新しいパソコンを買って使い始めたときみたいに手元がまだ慣れてなくておぼつかない“あの感じ”みたいな?」

 「・・・なるほど」

 

 なんて薄っすらと心の中で思っていたら、全く同じような言葉(こと)を百城さんは私に向けて言った。それにしてもさっきのときといい、この人は“エスパーか?”ってぐらい勘が鋭い。

 

 「こう見えてまだまだ“発展途上”だからね・・・私も

 

 きっとこういう些細な感情を読み取る勘の良さが、百城さんが百城千世子である所以なんだと共演して一緒に芝居をするうちに私は思うようになった。

 

 

 

 “・・・こんなに繊細な感性を持っているのに、どうして百城さん(あなた)は本当の自分をひた隠すように繊細さとは真逆の芝居をするのか・・・

 

 

 

 だから、私は“あること”を彼女に聞いてみたくなった。

 

 「じゃあ私はまだ今日のスケジュール残ってるのでお先に失礼します」

 「あぁはい、お疲れ様でした(さすが分単位でスケジュールが組まれてるって言われてるだけある・・・)」

 

 だけど“天使”として超多忙なスケジュールをこなしているであろう百城さんはスッと立ち上がり、私や監督たち撮影スタッフに挨拶しがてら次の現場にいち早く向かうため先に現場を後にしたから、結局この日は彼女に聞きたいことを聞くことは出来なかった。

 

 「あ、そうだ阿笠さん」

 「はい、何か?」

 

 その代わり、百城さんは撮影をしていたカラオケルームを出る直前に“妙なこと”を私に聞いてきた。

 

 「阿笠さんって小説とかって普段読んだりする?」

 「・・・はい。特別に好きというわけじゃないですけど、姉が読書好きで実際に出版社で編集者の仕事をしているからっていうのもあって小さいときから割と読んだりはしています。この『造花は笑う』も撮影に向けて宮武先生の原作をちゃんと読み込んでいますので」

 「ということは小説家の名前には詳しいの?」

 「詳しい・・・かは程度にもよりますけど姉の影響で“人並みより少し上”程度には知ってるつもりです」

 「じゃあ“朝田憧(あさだしょう)”って小説家(ひと)は知ってる?

 「・・・あさだ、しょう・・・

 

 去り際に呼び止めた百城さんの口から出たのは、“朝田憧(あさだしょう)”という小説家の名前だった。

 

 「はい・・・姉が好んで読んでる小説の作家で名前は知ってますけど、もう20年くらい本を出してなかった気がします

 

 “朝田憧”・・・姉の寧々がその人の小説を好んで読んでいるから名前も知っているし、何なら家の本棚にもその人の小説が置かれている。

 

 

 

 “『寧々、この朝田憧って誰?』”

 

 

 

 朝田憧という小説家のことを、いつかの私はふと寧々に聞いたことがある。16歳のときに発表したデビュー作の小説でいきなり芥川賞を史上最年少で受賞して世間から大きな注目を集めると、翌年には2作目の小説で直木賞に輝き2年連続で芥川賞と直木賞を現役の高校生が受賞するという前代未聞の快挙を成し遂げ一躍時の人となり、“文学界の革命児”として日本の文学界にも大きな衝撃を与えた。そして2年後、19歳のときに発表した“若くして栄光を手にした1人の小説家の堕落”を描いた3作目の小説では惜しくも受賞は逃したものの、当時19歳という若さでノーベル文学賞にノミネートされたことで世界的にも“ショウ・アサダ”という小説家の名前が広く知れ渡るようになった。

 

 しかし、朝田憧は世界的に有名になるきっかけになった“3作目の小説”を最後に突如として小説を書かなくなってしまい、今日に至るまで新作は一切出ていないどころか、今では彼がどこで何をしているのかさえ誰も知らない“失踪状態”になっている。

 

 

 

 「でも、どうして急に?」

 

 そんな読書好きの人以外じゃ今はもう誰も名前を聞いてもピンとこない“消えた小説家(過去の人)”のことを、百城さんは前触れもなく急に聞いてきた。

 

 「ん~、何となく?」

 

 しかも、“何となく”というノリに近い感覚で。

 

 「何となくって・・・ひょっとして百城さんって朝田憧のファンだったりします?」

 「ううん、全然。それどころか昨日まで名前も知らなかった」

 「いや、だったら尚更どうして急にそんな」

 「ごめん今日は時間に余裕ないから続きはまた今度で」

 「ちょっ、百城さん」

 

 こうして百城さんは、ノリについて行けず困惑気味な私を尻目に“不可解な謎”を残してそのまま話しかける暇もなく現場を後にしてした。

 

 

 

 “・・・なにを考えているんだろう・・・この人は?

 

 

 

 オーディションを経て初めての共演が決まってから早1ヶ月、主演の百城さんが頭や心の中で考えていることは顔合わせのときからちっとも分からないままだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 午後7時05分_都道435号_

 

 池袋で行われた映画『造花は笑う』の2日目の撮影を終えた千世子は、その僅か10分後には“よそ行き用”の私服に着替えてマネージャーの眞壁が運転するアルファードに乗り込み、ある1人の男に会うため麻布十番へと向かっていた。

 

 「最終確認になりますが、本当に大丈夫なんですね?千世子さん?」

 「何のこと?」

 

 千世子がこれから会うその男とは、来年の夏に撮影を始める映画で千世子が主演を務めるにあたり映画の製作が本格的に始まる前に主演の千世子と1対1で会う機会を設けて欲しいという条件付きで監督の國近とプロデューサーの天知に映画化の許可を出した、原作となる小説を書いた男である。

 

 「この後のご予定、アリサさんには一切の相談をせず秘密裏に決めたと天知氏から連絡を頂いているのですが、果たしてそこまでする必要はあったのでしょうか?」

 

 平然を装いハンドルを握り、これから千世子さんが会う“原作者”の待つ麻布十番の芸能人御用達のレストランへ僕は車を走らせる。

 

 「あぁ“あのこと”ね・・・多分相談しても問題はないっちゃなかったかもしれない。だけど、相手の作家さんがどうしても“一部の人間以外には秘密で”ってうるさいからさ」

 

 一方で相手側の条件を飲んだ結果としてアリサさんには一切の相談もしていない完全な“秘密裏”で行動している緊張感を肌で感じている僕とは対照的に、バックミラー越しに感情の視えない表情で控えめに笑う千世子さんからは緊張感は全く感じられず、寧ろこういう“スリル”を楽しんでいるようにも思えてくる。

 

 “・・・なんだか、このままだと天知さんみたいな方向に走っていきそうな予感もするな・・・・・・予感で終わればいいんだけど・・・

 

 「もしかしてマクベスは“後悔”してる?」

 「“眞壁”です。どうしてですか?」

 

 と、心の中に残る不安や心配に似た少しの後悔を感じ取ったのかは分からないが、千世子さんは微笑みながら後部座席から視線を送る。

 

 「だってこういう“面倒なこと”に巻き込まれるのはイヤでしょ?正直?」

 

 もちろん天知さんを通じて“あの映画”の話を知らされている千世子さんは、同時に僕自身も関与していることを知っているから、“恐らく”と勘を働かせなくとも僕の心境をある程度以上は理解しているのだろう。

 

 「人間は誰だって本能的に“面倒なこと”はなるべく回避したいものですよ・・・でも、天知氏との繋がりがある以上、マネージャーと言えど“あの映画”の件に加担している身であることに変わりはないので、もう割り切っています」

 

 だから僕は、これまで他人には一度も話したことのなかった本当の気持ちを“共犯者”となる千世子さんに打ち明けた。

 

 

 

 

 

 

 “『“王賀美陸”という素晴らしい才能を日本の映画界へ呼び戻すには、彼にとって“唯一の親友(ともだち)”でもある眞壁さん(貴方)の力が必要なんです・・・・・・それとも、ただの“裏方”のまま叶えたい野望(ゆめ)も叶えられないまま一生を終わらせますか?眞壁さん?』”

 

 

 

 

 

 

 ほんの少し前までの人生計画だと、もっと平穏に千世子さんのマネージャーを淡々とこなしているはずだったが、とある“悪魔”に心の奥を掴まれてしまってからは大手芸能事務所の社長と敏腕芸能プロデューサーとの“板挟み”の日々がひたすら続くようになった。

 

 「それに・・・・・・私はマネージャーとしてどんなことがあろうと千世子さんを支えると決めていますので

 

 だけど、“弟”や“リク”と違って役者になれずに一度は終わっても、それでも捨てきれなかった確かな“野望(ゆめ)”がある。そのためだったら、僕は“悪魔”とだって手を組むだけの“覚悟と情熱”はある。

 

 「・・・ほんとのことを言うと、マクベスを巻き込むような真似(こと)はしたくなかったんだよね。“わたし”

 

 そんな目上の都合に振り回される僕の本心を聞いた千世子さんのバックミラー越しの表情(かお)から、珍しく笑みが消えた。普段は常に天使の笑みという“仮面”で覆われているはずの感情が、普段より1トーンほど低い声色と一緒にそれが紛れもない“本心”だということを僕に訴える。

 

 「でもわたしが天知さんから“あの映画”の計画(こと)を聞かされたときには、マクベスはもうとっくに“グル”だったから、止めようがなかった

 「そうですか・・・すみません

 「謝る必要なんてないよ。だってこれはマクベスが望んだことでもあるし、もしもマクベスが天知さんに唆されたタイミングでわたしに相談しに来たとしても、きっと何も変わらなかった・・・

 

 専属マネージャーとして支え続けている5年の月日の中で、後部座席で眠っているとき以外だと片手で数えるほどしか見たことのない“仮面”を外した千世子さんの表情(かお)。その表情は“女優・百城千世子”ではなくて、“十夜さんち”の可愛い17歳の姪っ子だ。

 

 「だって、天知さんを止められるほどわたしは強い人間じゃないから・・・・・・動かすことは出来るかもだけど」

 「“動かす”ことは出来るんですね?」

 「これでも“私”はあの人にとっては“お金”になるからね?

 「いきなり生々しくなりましたね・・・

 

 もちろん主人格が“千世子さん”だろうと“千夜子さん”だろうと容赦なく目上の人を揶揄う小生意気でおませなところは変わらない・・・それでも、“百城千世子(天使)”として身を削る思いでカメラの前に立ち続ける彼女だって、所詮は家に帰れば“城原千夜子”というただの女の子(にんげん)だ。

 

 「“天使”の価値を甘く見ないでいただきたい」

 「いや全く甘く見ていないですし滅相もないです

 

 10歳も年上の大人な僕に“巻き込みたくなかった”と真面目な顔をして本心を打ち明けた千世子さんは、一瞬だけ見せた本性を再び“仮面”で隠して悪戯っぽく口角を上げる。

 

 

 

 “・・・本当だったら“巻き込むような真似はしたくなかった”と言うのは、子供を守るべき大人の立場にいる僕がやらないといけないのに・・・・・・何でそんな背負(しょ)い込む必要のない余計なものまで千世子さん(あんた)は背負おうとするんだよ・・・

 

 

 

 「そういえば、昨日はほとんど寝ていないと今朝方に話されていましたが、ここからだとまだ20分ほどはかかると思うので仮眠でも取られたらいかがでしょう?」

 

 なんて生意気な心の内、ただの専属マネージャーにすぎない僕には到底言えるわけがない。

 

 「・・・そうだね、じゃあマクベスのお言葉に甘えてこれから“消えた小説家”と会うのに備えて瞑想でもしますか」

 「“消えた小説家”・・・・・・確かにそう言えるかもしれませんね」

 

 僕からの提案に左側に薄暗く映る車窓に目を向けた千世子さんは、瞑想に入ると僕に告げるとそのままゆっくりと目を閉じる。ただでさえ超がつくほど多忙なスケジュールをこなしている以上、彼女には少しでも睡眠時間を与えてあげたいというのがマネージャーとしての本音だ。

 

 「お店の前に到着したら起こします」

 「・・・うん・・・」

 

 ゆっくりと目を閉じそのまま日々の疲れをリセットさせるように眠りに就く千世子さんをバックミラー越しに確認して、僕は真っ直ぐに目的地へと車を走らせた。




アクタージュが原作のくせにキャラがまともに“アクター”をやってるシーンを入れるのが21話ぶりってどうなのよ・・・・・・別に芝居を避けてるわけではなかったのですが、掘り下げとか色々してたらこうなりました。すいま千と千尋の神隠し。

ちなみにさり気なく本編に原作キャラの1人でもある阿笠みみが50話ぶりに登場しています。ただし表記は芸名ではなく本名の“美々(読みは同じ)”ですが・・・はい。



そして最後に超個人的なことですが、先日の日曜日にZC33Sをマジで納車しました。欲を言うと厨房のときからの憧れだったBMW3シリーズ(F30)を中古で買おうか死ぬほど悩んでいましたが、20半ばの1DK暮らしクソ社会人の財力では維持費に加えて“外車あるある”のトラブルが起きたら割とガチで財布がヤバくなるので、予算内(限界ギリギリ)で買える国産車で一番好きなやつに決めました。とりあえず8月の盆休み(という名の有休)は慣らしも兼ねて走りまくる予定です・・・・・・そんな暇あるなら執筆せえって話。


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scene.81 屋上にて

お互い頑張って行きましょうなんて言葉を返されたら、こっちも頑張るしかないじゃないですか。

8/27追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました


 2001年_4月10日_午後5時。テレビフジ火曜22時枠にて7月から放送されるドラマ『ユースフル・デイズ』の情報解禁(プレスリリース)がメディア各社に向けて行われた。プレスリリースにおいて解禁されたメインキャスト及び制作スタッフは以下の通り_

 

 

 

 原作:逢沢夜宵(あいざわやよい)著『ユースフル・デイズ』(K談社)

 

 神波新太(こうなみあらた)一色十夜(いっしきとおや)

 園崎純也(そのざきじゅんや)夕野憬(せきのさとる)

 千代雅(ちしろみやび)堀宮杏子(ほりみやきょうこ)

 半井亜美(なからいあみ)永瀬(ながせ)あずさ

 

 脚本:草見修司(くさみしゅうじ)

 演出:黛美和(まゆずみみわ)

 プロデューサー:上地亮(かみじとおる)

 

 制作:共テレエンタープライズ

    オフィス・ムーンパレス

 

 

 

 なお、追加キャスト等の新情報は後日解禁される模様_

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2001年4月11日_午前8時30分_霧生学園・1年I組

 

 「あ、環さんおはよー」

 「おはよー」

 

 HR(ホームルーム)前の“朝学習”が始まる15分前の8時30分。私は仕事がオフで学校へ授業を受けに行く日には、だいたいこれぐらいの時間に芸能コースが割り当てられているI組の教室に入るようにしている。ルーティンってわけじゃないけれど、ボスから言われた“15分前行動”の教えを守っているうちにいつの間にか“15分前行動”が当たり前になった。もちろんこれは、芸能界で生きていく以前に一般社会でも生きていける力を今のうちに身に付けておけ・・・ということだろうか。

 

 って、朝からこんな小難しいことはあんまり考えたくないのにな・・・と頭の中で軽く自業自得の愚痴をこぼしながら自分の席に座って、今日の授業で使う教科書を鞄から取り出して机に入れる。

 

 「おーはータマ」

 「あ、おーはー伊織」

 

 ほんの僅かに遅れて、始業式の後にやった席替えで私の真後ろの席になった伊織がいつもの元気な調子でやってきて、真後ろの席に座る。

 

 「・・・やっぱりタマは髪切ると“誰”?って感じになるよね」

 「どういう感じだよそれって」

 「“わたしの知ってるタマじゃなーい”、みたいな」

 「ぁははっ、確かにここまで短く切ったのは生まれて初めてだし。伊織はロングの私しか知らないからね」

 「けどこういう“ルーティ”みたいな髪型も似合っちゃうからいいよね~タマは」

 「ルーティ?」

 「ルーティ・カトレット。テイルズオブディスティニーのヒロインだよ」

 「テイルズ・・・・・・どっかで聞いたことあるけど何だっけ?」

 「ゲームだよゲーム。新作が出るたびにCMも普通に流れてるからタマも分かるはずだよ」

 「ゲーム?・・・・・・あぁ、もしかして“ドラクエ”的な?」

 「うん。“ドラクエ”じゃないけどまぁそんなとこRPGってとこしか合ってないけど・・・)」

 

 そして仕事の話をするわけでもなく、ただ大して中身なんてない他愛もない会話を淡々とする・・・という、“売れてると売れてないの境界線”を漂っている若手女優の、なんてことはないオフの日常。

 

 「・・・てかさー、思ったほどみんな“ザワザワ”してないね?」

 「何が?」

 「ほら、“昨日”のこと」

 

 そのはずなんだけど、何だか今日は昨日までよりも周りのクラスメイトが少しだけ“ざわついて”いる。

 

 「・・・まー当然でしょ。そもそも“本日の主役”がまだ来てないんだから」

 「あ~それもそっか」

 

 どうして周りにいるみんながざわついているのか、その理由は私が一番よく知っている自信がある。もちろん話題の中心がここに来たらどうなるかも、大体予想がつく。

 

 「あ、夕野さん来た

 「どうする?こういうときって普通におめでとうとか言うのが正解かな?

 「いや普通にそれが無難でしょ?

 「でもこのクラスの中で夕野さん以外にあの“オーディション”受けた人っていたりするんかな?何か噂だと出来レースだったらしいよ7月のドラマのやつ

 「てことはこれ落ちた人が万が一同じクラスにいたりなんかしたらマジで修羅場じゃね?

 

 ほら、私の思っていた通り。ご本人が教室に近づいただけでこの盛り上がりよう。何だかまだ教室にすら入ってないのに周りの空気がガラッと変わりだした。これぞまさに、“メインキャスト”にしか放てない圧倒的なオーラ。

 

 「おっ、きたきた“本日の主役”

 

 自分でも分かっているはずだけど、目の前で“それ”を魅せつけられると無意識に拳を握り締めそうになるくらいの感情に襲われる。入学式終わりにボスから事務所に呼び出され、“オーディション”の真実を明かされたときと同じ・・・あの“感覚”がまたぶり返す。

 

 「・・・・・・うん

 

 

 

 だって自分より前に“誰か”がいるという状況は・・・・・・その相手が“誰だろう”とシンプルに悔しいから・・・

 

 

 

 「・・・おはよ。夕野さん」

 「おはよ」

 

 機嫌を伺うようにクラスメイトの女子の1人が話しかけると、憬はいつも通りのポーカーフェイスで流れるように返して、気まずくなった教室の空気など気にもせずに自分の席に向かう。

 

 「おーはー、“メインキャスト”さん」

 「・・・皮肉?」

 「ううん、 “おめでとう”って意味」

 「そっか・・・分かりづらいけどありがとう初音さん」

 「いえいえ、お気に召さらず」

 

 そして自分の席に座った憬を、真後ろに座る伊織は気まずい空気なんてお構いなしに迎える。本当にこういうときでもずっと“平常運転”でいられる伊織のメンタルの強さは、純粋に羨ましいし役者として尊敬する。

 

 「おはよ、憬」

 「おはよ、蓮」

 

 席替えの関係で私から向かってちょうど右隣にある自分の席に座る憬に、私は何事もないかのように声をかけると、続けて憬も同じように平然と同じ言葉を返す。

 

 

 

 “『望むところだ』”

 

 

 

 私と憬が“親友同士”から“敵同士”なったのは、つい一昨日のこと。でもだからってお互いのこれまでの関係がガラッと変わったかと言われたらちっともそんなことはないから、(かたき)になっても今までどおり普通に何気なく私たちは話す。そんな“めんどくさい2人”がよりにもよって隣の席になってしまったのは、運命の悪戯か何かなのだろうか?

 

 なんて、神様のことは基本信用していない私にはわからないけれど。

 

 「案外余裕そうじゃん?」

 「何が?」

 「だって今日はクラスのみんなが君のことを注目してるよ?“火10に大抜擢されたメインキャスト”として」

 「見りゃわかるよ。俺が教室入った瞬間に静かになったのも含めて」

 「緊張しない?初めてでしょこういうの?」

 「残念ながら“こういうの”は受験生のときに経験済みだよ」

 「あーそういえば國近監督の映画に出てたわ。あとギーナのCM(やつ)も」

 「どっちも助演(バーター)だけどな」

 「(そうそう。こういうときでも普通に話せるのが“友達”なんだよね~)」(←初音は憬と環が『ユースフル・デイズ』で共演することをまだ知りません)

 

 昨日発表された“プレスリリース”をきっかけに一夜にして世間の注目を集めることになった憬は、周りのみんなから注目されていることなど気にもせず、私からの揶揄いに全く動じない。

 

 「やっぱり緊張してんじゃん」

 「何で?」

 「だって緊張しない?って私からの質問には“否定”しないし」

 「・・・そりゃあするだろ。寧ろ全く無関心で緊張しないほうが怖いわ(一色(あの人)とかはしなさそうだけど・・・)」

 

 ように見せかけてちゃんとそれなりに緊張している辺りがバカ正直な憬らしくて、平然を装っているけど初めてメインキャストに抜擢されたプレッシャーというものを人並み程度に感じているその横顔を見ているだけで何だか微笑ましくて、ライバルだということをつい忘れそうになる。

 

 「ぁははっ、強がっちゃってお可愛いこと」

 「うるせぇ(なんでいきなりお嬢様口調?)」

 

 それでもあの“宣戦布告”から今回のドラマを通じて本当に覚悟を決めてきているのは、自分に注目するクラスメイトの視線を睨むように見据えながら左隣の私に話しかける横顔でハッキリと分かる。“変わる選択”をした私と同じように・・・憬もまた役者として次の領域(ステージ)に進むために変わり始めている。

 

 

 

 ここで油断していたら・・・・・・私は憬にまた負ける・・・

 

 

 

 「って、“本日の主役”と話してたら私まで注目の的になってる」

 「“本日の主役”って何だよオイ」

 

 隣の席になった憬と何気なくいつも通りに話していたら、クラスのみんなの視線が憬から“憬と私”に移り変わっていた。

 

 「これじゃあせっかく隣同士になったのに気軽に教室で話せないよね?

 

 当たり前だ。だって私がいま友達感覚で話している憬は、7月に火10で放送されるドラマでメインキャストの4人の中の1人に選ばれた、霧生学園高校・芸能コース1年I組が誇る正真正銘の有名人。しかもそのドラマはただのドラマじゃなくて、メインキャストが全員リアルな高校生の年齢の若手俳優が占めるという視聴率がカギを握るプライム帯のドラマにおいては超が付くほど攻め込んだキャスティングに、脚本に風の噂だと高円寺を拠点に活動する小劇場劇団に所属している“草見修司(くさみしゅうじ)”という全くの無名な劇作家を起用したり・・・とまぁ、ざっくり言うと良くも悪くも放送前から色んな意味で注目を集めているドラマのメインキャストに、憬は選ばれたということだ。

 

 「・・・だな

 

 揶揄い半分に話しかけた私に、憬は至って真剣な表情のままどこか思い詰めたような口ぶりで返す。もしも出演するドラマが確実に視聴率を見込める売れ線の人気俳優を主演に置いたありきたりなドラマだったら、もっと素直にクラスのみんなは憬のことを祝福してくれたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 “_不合格とさせていただきます。_”

 

 

 

 

 

 

 でも“これ”は、そんなありきたりなドラマなんかじゃない。

 

 

 「ねぇ、昼って空いてる?

 

 まだどうしても話しておきたいことがあった私は、昼休みに憬を“ある場所”に連れて行くことにした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「そういえば憬と仲いい感じだった新井くんが来てなかったけどなんかあった?」

 「新井はドラマの撮影があるから休むってさ。ほぼエキストラみたいな役らしいけど久しぶりに現場出れるって言って喜んでた」

 「へぇ~、良かったじゃん新井くん」

 

 午前中の授業を終えた昼休み。俺は斜め前を歩く蓮に連れられる形で屋上へと続く階段を上っていた。

 

 

 

 “『ねぇ、昼って空いてる?』”

 “『昼?空いてるけどなに?』”

 “『どうしても話したいことがあるから屋上に来て』”

 “『いやだから、何で?』”

 “『いいからいいから』”

 

 

 

 といった感じの流れで、俺は蓮と昼休みに屋上へ行く約束をした。一体こんなところに来てまで話したいことは何なのかは知らないが、こいつが俺と話すのにわざわざ屋上を選んだ理由は何となく予想はついている。

 

 「よし。誰もいない」

 「そもそもこんな雨が降りそうな微妙な天気のときに屋上に上がろうとは思わないでしょ」

 

 蓮がそろりと屋上に繋がる塔屋(ペントハウス)の扉を開けると、薄暗い出入り口に光が差し込んで視界が幾分か明るくなる。今日の天候は天気予報によると一日中曇りで、ところによってはにわか雨。そんな予報通りな感じの良いとは言い難いお天気だからか、常に解放されていて放課後には吹奏楽部のたまり場の1つになっているという屋上には人が1人もいない。とりあえず天気はそんなに良くないものの、俺と話がしたい蓮にとっては最高のコンディション・・・というところだろうか。

 

 「何気に初めてだよ。学校の屋上」

 「マジで?」

 「マジ。逆に蓮は屋上あんの?」

 「あるよ。ついこないだまで通ってた中学(がっこう)の卒業式前日に伊織たちと思い出作りで」

 「ほんと蓮は初音さんと仲がいいよな」

 

 ちなみに学校の屋上にこうして上がるのは、実を言うと撮影も含めて一度もなくて生まれて初めてだ。今日はあいにくの空模様だがそれでも何となく開放的で景色がいい。吹奏楽のことは全然知らないけれど、青空の屋上で曲の練習をするのはさぞ気持ちがいいのだろうというのは容易に想像できる。

 

 「そもそも“大中(ダイチュウ)”の屋上は立ち入り禁止だったしな。覚えてない?」

 「・・・あぁ、言われてみれば」

 「俺が言うまで完全に忘れてたろお前?」

 「しょうがないじゃん。だって私途中で転校して東京(こっち)に来ちゃったし」

 「あ~俺が初めて現場に行った月9の役作りな」

 「そうそう」

 「マジで急だったからあのときは本気で焦ったわ俺。まさかお母さんを横浜(むこう)に残して1人で行くとは思わなかったし」

 「ね~、いま考えたらあそこまで自分を追い込む必要なんてなかったんだけどね・・・視界が狭くてホントにおバカだったからさ、中2の私って」

 

 そんな屋上という天井のない空間で敵になった“親友”と2人だけになると、どこか張り詰めていた教室の空気から文字通り解放されてついつい話が弾みだす。

 

 「・・・仮に必要なんてなかったとしても、あれだけ本気で頑張ったから蓮は月9を最後まで演り切れたんじゃねぇの?

 「・・・憬

 

 お互いがただの親友から同じ撮影現場で火花を散らすことになる敵同士になっても、やっぱり蓮とこうやって話していると純粋に心地良くて、話し相手がライバルだということをついつい忘れてしまいそうになる。

 

 「って、俺は思うってだけだけど」

 「君ってそんな“すけこまし”みたいなこと言うような人だっけ?」

 「人がわりとガチで褒めてんのに“すけこまし”呼ばわりはねぇだろ・・・」

 

 もちろん親友であるが故の容赦ない揶揄いに“ムッ”となることもあるけれど、それすらも変わらず楽しそうに飾らずに笑う表情ひとつで憎めなくなってしまうところが、ズルくもあって魅力的でもある。

 

 「でもありがと。こんなふうに憬から肯定してもらえるとやっぱ嬉しいわ」

 「それはまた何よりなことで」

 「ま、逆に考えれば普通に卒業まで横浜(むこう)にいたら伊織とはまだ友達になれてないし、静流とも単なる事務所の先輩後輩みたいな感じで今ほど近い関係になんてなれてなかったと思うから・・・そう考えると無駄なんかじゃなかったなって言えるかな?」

 「無駄じゃないでしょ。まず住んでる部屋の同居人が牧静流って時点でチート過ぎるわ」

 「ホントそれ。やっぱり役者はライバルが近くにいて“なんぼ”だね」

 「お前が言うと説得力がすげぇわ・・・

 

 だからこそ俺は思うことがある・・・出来れば蓮とは現場の外でも争うようなカタチじゃなくて、もう少し違う“カタチ”で芝居をしたかったと。どうしてよりによって蓮との初めての共演が、“このドラマ”なんだと。

 

 「では俳優の夕野憬さん。初めて学校の屋上に立った感想は?」

 「感想・・・なんかいきなりインタビューが始まったんだけど」

 「いいから早く。こういうときにイイ感じのコメントが言えるかどうかも芸能人だったら大事だからね?憬ってドラマの番宣で“めざまし”とかに出る羽目になったときに寒いこと言ってシラケそうだし」

 「何でシラケる前提なんだよ?」

 

 目の前に立つショートヘアの蓮が、いきなり“インタビュアー”になって右手で拳を作ってエアーで俺にマイクを向ける。制服を着ているのも相まってか、どことなく原作の“大村凪子”の姿がちらつく。

 

 「ではもう一度、初めて学校の屋上に立った感想は?」

 「・・・えーっと・・・・・・景色が開放的で、良いんじゃないですか?」

 

 それとこれとは別で、ハッキリ言って俺はバラエティ番組とかエンタメ番組のインタビューで面白いことをしようなんて微塵も思わないし、そういう芝居を求められないものに出たいとも思わない・・・とは心の中で思うもののそんな我儘を言えるほど役者として偉くなったわけじゃない俺は、蓮が勝手に始めた“予行練習”に嫌々付き合い、3割ぐらいのやる気で動く思考回路で思いついたそれっぽいコメントを適当に返す。

 

 「んー・・・普通過ぎるしシンプルにつまらないから2点」

 「勝手に採点しとけ」

 

 そして俺が適当に返したそれっぽい感想に、蓮は“2点”をつけてクールに悪戯っぽく笑う。

 

 「やっぱ憬ってバラエティーは致命的に向いてないよな~」

 「元々芝居以外じゃ勝負してねぇっつの」

 

 そんな小6のときから見慣れた悪戯で無邪気な微笑が、一昨日の公園で魅せた禍々しさすら覚える“笑み”が嘘だったんじゃないかと俺の心に語りかけてくる。こんなふうに何にも考えないでバカをやれるただの親友でいられる瞬間に1秒でも長く浸れたらと、俺の心を甘やかそうとする。

 

 

 

  “『覚悟しとけよ。憬』”

 

 

 

 それでも俺は、“親友なんていらない”と役者を続けるために“”になる決意を示してきた親友の覚悟に役者として応えると心に決めている。だから俺も蓮と同じように、自分の気持ちに甘える気持ちを一昨日の宣戦布告と一緒に“公園のブランコ”に置いてきたつもりだ。

 

 「で・・・俺を屋上にまで連れ出して話したいことは何?まさかまた喧嘩か?

 

 真正面で無邪気なままいつものように気の合う親友を揶揄う蓮に、俺は現実へと引き戻す言葉をかける。

 

 「ぁはははっ、違う違う・・・ぶっちゃけわざわざ屋上まで来て話すようなことじゃないけど、今日はとてもクラスがそんな“状況”じゃないからさ・・・」

 

 “本題”に話が移った瞬間、クールに笑いながらも蓮の表情(えがお)から数秒前までの無邪気さが消えた。心の中にあるスイッチを切り替えたであろう蓮に、俺は無言のまま心で合わせる。

 

 「憬は部活どうするの?

 「・・・・・・部活?」

 「そう。部活」

 「・・・まさかこれを聞くためだけにわざわざ俺を屋上に連れ出したのか?」

 「うん」

 

 こうして何を言い出すかと身構えてみたら、本当に“わざわざ屋上まで来て話すようなことじゃない”ことを聞いてきて、俺は完全に面を食らった。

 

 「・・・まぁ、それもそうだよな」

 

 だけれど同時に、蓮が俺を屋上に呼び出した理由も察した。

 

 「憬にしては珍しく察しがいいじゃない?」

 「珍しくは余計だ」

 

 

 

 昨日の夕方にメディア各社へと発表されたドラマ・『ユースフル・デイズ』のプレスリリース。俺はその瞬間を“別件”の打ち合わせで向かっていた事務所で立ち会う形で目撃した。今まで主演の影で密かに注目される程度だった俺が、メインキャストとして大々的に注目される瞬間。

 

 “_夕野憬って、何者?_

 

 もちろん現時点での俺は『ロストチャイルド』や堀宮の“バーター”で出演したギーナのCMで世間の一部から“演じ分けが凄い”と騒がれた程度で、一般的な世間からの反応は何ならまだまだ“無名”に等しいくらいだし、純粋な知名度だと蓮のほうが全然上だ。それでも火10での大抜擢は、日常を取り巻く環境を一夜で一変させるには十分すぎるほどの起爆剤になった。

 

 “『・・・おはよ、夕野さん』”

 

 教室に入った瞬間、I組のクラスにいたみんなが俺の存在を認識して、女子の1人がどう声をかけるべきかを探るかのように声をかけてきた。教室に入った瞬間、それまで賑やかだったクラスの空気は一瞬だけ静まり返って、独特な気まずさを纏いながらざわつき始めた。それでも蓮と初音は普段と同じように接してくれたけれど、本当に何気ない話をただしているだけでも周りから向けられる視線のせいで、場所を選ばないと他愛のない話すらできない状況。それはもしかしなくとも、あの“オーディション”の噂が“”となって芸能界に広まっているせいだ。当然、このクラスで“オーディション”を受けて落とされたのも蓮だけとは限らない。誰が敵なのかもわからない状況。もしも同じプライム帯のドラマのメインキャストの1人に抜擢されたとしても、今期の月9のように名の知れた主演俳優を添えた王道のパターンや、主演の周りを名だたる実力派やベテランが囲む朝ドラのような作品だったら、こういう状況にはなっていないはずだ。

 

 “『大出世やん!おめっとさん!』”

 

 打ち合わせを終えて寮に戻った俺の“色んな思惑が複雑に絡む大抜擢”を祝福してくれた新井は、こんな日に限って撮影が決まって学校を欠席。もちろんチョイ役ながらも久々に仕事が決まったことは素直におめでたいことだけど、もし新井がいたらわざわざ蓮が俺を屋上に呼び出さないといけないくらいの空気にはなっていなかった・・・かもわからない。

 

 

 

 ともかく、昨日を境目に俺を取り巻く環境はまたひとつ“普通の世界”から遠ざかった。

 

 

 

 「で?部活は入るの?」

 

 

 

 と、ここで一旦話を遮って補足を挟むが、霧生学園高等学校には普通科にあたる進学コース、スポーツ科学を重点的に取り入れているスポーツコース、そして憬たちが在籍している芸能コースの3つの学科(コース)が存在しており、基本的に授業を受ける際に科目によっては3つのコースの生徒が同じ教室や化学室、視聴覚室で授業を行うことがある(※ただし授業の班分けはコースごとに分けられており、他コースの生徒ならびに芸能コースの生徒は原則として双方との生徒同士での私語のやり取りは禁止となっている)。そして芸能コースの生徒が部活動に所属することに関しては、所属している芸能事務所との相談の上で部活動への所属が認められている。ただしあくまでも“芸能活動を最優先”にすることが条件であり、所属事務所と学校側の双方の合意が得られない限り大会等への出場はできないなど“制約”も多いためその制約を嫌う生徒、またはあまりにスケジュールが忙しく部活動はおろか学校に通い授業を受けることもままならないというケースもあるためどこの部活にも属さない“無所属”を選択する生徒、もしくは“”だけを置いて“幽霊部員”となる生徒も少なくない。ちなみに部活動に関しては授業に比べて他コースとの“隔たり”はある程度緩和されており(※ただし連絡先の交換などプライベートに関わるようなやり取りは禁止)、部活動の時間は他コースに通う生徒にとっては芸能コースの生徒と交流ができる“唯一の時間”でもある。

 

 

 

 「・・・とりあえず“陸上部”に入ろうって思ってる」

 「・・・へぇー、そうなんだ」

 

 とはいうものの俺たちのような芸能コースの生徒はどんなに有名になって注目されようとも、霧生学園(この学校)では芸能コース故の“特例”こそあるものの基本的には“一生徒”として扱われていることは進学コースの生徒と変わりはない。だから芸能人の俺だって、ちゃんと部活には入ろうとは思っていたし、何なら霧生への進学が決まった時点で“おやっさん”には相談もしている。

 

 「・・・なんだその感情が籠ってない微妙なリアクションは?」

 「だって憬が部活やってるイメージが全然湧かないからさ」

 「帰宅部だったしな、大中(ダイチュウ)のときは」

 

 ただ中学のときの俺は帰宅部で習いごとすらしていなかった“オタク”だったせいで、案の定蓮からは思いっきり不審がられた。まぁ、部活動なんて1ミリも興味がなかったような奴がいきなり“陸上部に入りたい”とか言い出したら意外に思われるのは、理解出来なくもない。

 

 「でも憬が陸上ね~・・・50メートルは何秒で走れる?」

 「50メートル・・・確か中3の体力テストでギリ6秒台に入った気がするわ(と言っても純也の専門は“走り幅跳び”だからただ速いだけじゃ駄目だけど)」

 「そんなに足速かったっけ憬って?」

 「何かよく分かんねぇけど小さいときから足だけはそこそこ速いんだよ俺」

 「はぁぁ~、天才は羨ましいことで」

 「天才ってかそれ言うなら蓮のほうが運動神経は普通にあるだろ・・・それに、ぶっちゃけ俺は走るか走って飛ぶ以外だと大体平均かそれ以下だし」

 「じゃあ憬が陸上部にしたのは消去法・・・」

 

 そんな俺がどうして1ミリも興味のない陸上部に入るのか・・・そこにはちゃんとした理由がある。

 

 「と見せかけて“役作り”?」

 「・・・・・・さすがオーディションに向けて読み漁っただけあるな」

 「肝心のオーディションは落ちちゃったけどね☆

 「満面の笑みで落ちたことを俺に言われても困るんですが・・・

 

 ただ、結局その理由は自分の口から明かす前に“原作”を読破している蓮に皮肉を込めた自虐と一緒に気付かれてしまったが。

 

 「ま、“そういう目的”じゃないと陸上なんてやろうって気にもならないのが憬だからどうせ役作りだろうなって思ったよ」

 「・・・ほぼ正解だけどいざ当てられるとムカつくわ」

 

 もちろんオーディションのために徹底的に亜美を作り上げてきた負けず嫌いな蓮も、俺と同じことを考えているのは“親友”としてよく分かる。

 

 「ははっ、いつまでも“ライバル”を見くびっていたら一瞬でまた“追い抜かれ”ちゃうよ?メインキャスト様?」

 「別にメインキャストになったからって俺は蓮を“追い抜いた”なんて思ってねぇよ・・・」

 

 

 

 “・・・俺が追い抜かれる、か・・・

 

 

 

 「・・・蓮は凪子と“同じ”か?

 「・・・

 

 会話の中で浮かんだ確信を蓮に伝えると、たかがメインキャストに抜擢されただけでまだライバルに何一つ勝ててない俺を見つめる表情(かお)から一瞬だけ笑みが消えた。

 

 「・・・うん

 

 そして相槌を打つと同時に真剣な眼つきで優しく微笑むように蓮は頷いた。“いまの蓮”が本心ではどう思っているかは流石に当てられないから分からないが、俺にはその感情が“役者(ライバル)”ではなく“ただの親友”のように思えた。

 

 ガチャッ_

 

 「・・・?」

 

 すると蓮が図星を突かれて俺に相槌を送った瞬間を図るように、後ろにあるペントハウスの扉が開く音が微かに聴こえて、俺は背後へと振り向いた。

 

 「なるほど~、屋上で2人きりとはなかなかやりますね。さとるセンパイ♪

 

 振り向いた視線の先には、購買で買ったパンとウィーダーゼリーを片手に屋上へと上がってきた堀宮が得意げな顔をして立っていた。




親友の間に挟まる先輩_



補足として少し前に髪を切った環のイメージは図書館戦争の笠原郁と後書きで書いていましたが、本編の時系列である2001年ではまだ図書館戦争は発表されていないので、友人であり声優の初音からはTODのヒロインであるルーティカトレットっぽく見えています。

ついでに言うと作者的にはどっちのイメージでも大丈夫って感じです。


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scene.82 ワル

渋谷事変ハジマタ\(^o^)/


 「なるほど~、屋上で2人きりとはなかなかやりますね。さとるセンパイ♪」

 

 俺から見て後ろ側にあるペントハウスの扉が開く音が微かに聴こえて背後に振り向くと、視線の先に購買で買ったであろうパンとウィーダーゼリーを片手に堀宮が得意げな顔をして立っていた。別に構わないけれど、何だか間が悪いのが否めない。

 

 「何を言いたいのかは分からないけど多分違います。てか杏子さんも今日学校来てたんですね?」

 「そうなんだよ~でも教室にいると視線が煩くて落ち着かなくてさ~」

 「それはご愁傷様です(俺もだけど)」

 「ついでにぶっちゃけると2年生になってから初めてなんだよね~学校(ここ)くるの」

 「杏子さんは忙しいですからね」

 

 少しゆっくりとした足取りで、堀宮は俺と蓮のところに歩いてくる。開口一番でいきなり“なかなかやる”と揶揄ってきたのことは今はスルーするとして、演じている役でも何でもない“高校生”になって俺たちと同じ学校の制服を着ている堀宮を見るのは何気に初めてだ。

 

 「ま、3年の“一色先輩”には負けちゃうけど」

 

 シェアウォーターのCM、ギーナのCM、そして6月に公開される“バトルロワイアル”でそれぞれ違う制服を着ている姿を知っているせいか、同じ学校の同じ制服を着ているはずなのに堀宮(この人)が着こなすとまるで学園ドラマのワンシーンを見ているかのような錯覚につい引き込まれそうになる。

 

 「・・・ってあれ?ひょっとして隣にいるのって蓮ちゃん?」

 「はい、“バトルロワイアル”以来ご無沙汰です。堀宮さん」

 

 存在に気付いた堀宮に声を掛けられて、蓮は軽くお辞儀をして挨拶する。よくよく考えたらいまこの屋上には芸能コースの生徒しかいない。そう思うと俺の隣にいる蓮はもちろんのこと、何なら俺も他のコースの生徒から見れば同じように見えているのかもしれない。

 

 「髪が短くなってるから一瞬誰だかわかんなかったけど・・・超似合ってんじゃん!」

 「ちょっ、いきなり人の前で頭を撫でないでください恥ずいから」

 「大丈夫、俺もそれこの人から何回もやられてるから」

 「そうなの?」

 

 近づきざまに堀宮は役作りで髪を切ってイメチェンした蓮の姿に分かりやすく驚いて、短くなった髪を俺のときと同じように撫でる。そういえば蓮が髪を切ったのはここ数日のことだから、堀宮が知らないのも当然のことだ。

 

 「杏子さんもほどほどにしてくださいよ、そういうの」

 「え~何でよ~カワイイ後輩ちゃんが2人もいたら先輩として可愛がるのが普通でしょ?」

 「もうちょいやり方ってのがあるでしょ。だいたい杏子さんは距離感がおかしいんすよ(こないだの“キス”とか・・・)」

 「ちぇっ、こうやって自分の価値観を押し付けるからさとるは友達が少ないんだ。ねぇ蓮ちゃん?」

 「蓮を巻き込まないでください。あといまの発言は普通にヒドいです」

 「まぁ、それは私も一理あると思ってます」

 「オイ蓮テメェ

 

 もちろん俺のほうも堀宮が蓮に喧嘩を売ってじゃんけんに勝ったエピソードしか聞いてないから、この2人が“パッと見”で案外普通に仲良さそうにしている光景を見て内心で少し驚いている。2人揃って“友達が少ない”認定されたことは事実とはいえ癪だが。

 

 

 

 “『_今日のことは絶対ナイショね(^_-)-☆_』”

 

 

 

 「っていうか・・・蓮と杏子さんって仲良いんですね?

 

 ただ“あのメール”のこともあってか僅かばかりに“不穏な予感”を感じ取った俺は、敢えて(しら)を切ってみた。

 

 「うん。“実は”見ての通りバトルロワイアルの現場で意気投合しちゃってもうすっかり“友達”って感じだから」

 「あぁ、“あの映画”ですか」

 「意気投合ってよりは堀宮さんがほぼ一方的に“友達になろ?”って絡んできただけなんだけどね・・・」

 「も~蓮ちゃんまで冷たい~」

 「ウチの事務所の先輩に代わって謝るわ、迷惑かけて申し訳ない」

 「コラさとる、あたしの株を勝手に下げない」

 「今しがた人の株を下げたアンタがそれを言うな

 

 試しに初耳を装って軽い小芝居(ウソ)を仕掛けてみたら、堀宮は俺のついた咄嗟の嘘に自然な感じで乗って自分より少し背の高い蓮の肩に手をやり“友達になった”ことをあからさまにアピールし出した。こういう演技なんて関係ない日常会話の中でさり気ない嘘をつく瞬間ですら自然で上手いところが、“女優・堀宮杏子”の恐ろしいところでもある。

 

 「あ、ごめん。さっきから2人きりで大事そうな話をしてるところを思いっきり邪魔してるよねあたし?」

 

 そして蓮を巻き込んで事務所の後輩にある程度のちょっかいを出したところで、堀宮は両手を合わせる仕草をしながら後輩2人(俺たち)に謝る。相変わらずこの人は何を考えているのか分からなくなる瞬間が多いが、やや“”にあざとさ全開の謝り方をした瞬間、まだ“演技”を続けていることだけは“役者の勘”で分かった。

 

 「いえ、もう話は済んだので大丈夫ですよ」

 「そう?」

 「だよね憬?」

 「ん?おう」

 

 先輩女優の小芝居に対して、蓮はあざとく謝ってきた堀宮に対して“全く気にしていませんよ”と言わんばかりに控えめに笑ってクールにあしらう。その微かな視線の動きで、蓮もまた“ひと芝居”を打っていることに俺は気が付いた。ついででこんなことを口にしたら怒るだろうし俺が言える立場じゃないけれど、やっぱり蓮の芝居はかなり上手くなったとはいえ“アドリブ”においては堀宮と比べてしまうと芸歴(キャリア)の差をまだハッキリと感じる。

 

 

 

 “・・・思えば堀宮が来てから、何だか空気が不穏だ・・・

 

 

 

 「そっかぁ・・・・・・じゃあマジのマジでごめんなさいだけどちょっと蓮ちゃんと“話したいこと”があるからさとるは先に降りてもらっていいかな?

 

 先ほど感じた“不穏な空気”が少しずつ確信に変わり始めるのとリンクして、堀宮は無邪気な口角と口調はそのままで俺に向けて“屋上から降りる”ように仕向ける。俺を真っ直ぐに見据える碧眼の瞳には、時折姿を現す不気味な“黒い炎”が浮かんでいるように見える。

 

 「・・・わざわざ俺を外さないと話せないようなことですか?

 「う~ん、ある意味

 「ある意味?

 「早い話が“女子トーク”的な感じだよ

 

 普段は後輩にちょっかいを出すのが大好きなめんどくさい先輩が、表情はそのままに“女優(やくしゃ)”になって普段は隠れている別の素顔を曝け出して俺に感情を向けている。この“”をしている堀宮を何度か見てきている俺はこんなことで動じるほど弱くはないから、平然を装って対峙する。

 

 「てことでさとるには先に降りてもらうことになるけどいいかな蓮ちゃん?」

 「・・・私は別に構いませんけど、憬は?」

 「・・・まあ、蓮がいいなら俺も構いませんよ」

 

 とはいえ“この状態”になった堀宮と“何か”を察している様子の蓮を見て、ひとまずこの場は身を引いたほうがいいと判断した俺は、張り合うことなく堀宮の誘導に従うことにした。

 

 「そうだ、お詫びにこの“トライアングル”。さとるにやろっか?」

 

 自分の思い通りにことが進んだことに納得したのか、堀宮は女優の感情を解いたいつもの先輩になって“霧生学園の名物”と言われている“トライアングル”というパンを俺に差し出す。

 

 「気持ちはありがたいですがあいにく腹はあんまり減ってないんで俺はいいです」

 

 だけれど学校に来てから中々気が休まらないままでそんな気分じゃないから、心の中で申し訳ないと思いつつ俺は先輩からの奢りを珍しく断った。とにかく今は、学校の名物をじっくり味わうよりも、昼休みが終わるまで図書室で潜むように陸上競技の参考書でも読んでこの2人を片隅で気に掛けつつ気持ちをリセットしたい気分だ。

 

 「ほんとにいいの?さすがに昼を抜くのは良くないと“先輩”は思うけど」

 「俺なんかより忙しい杏子さんこそたくさん食べたほうがいいんじゃないですか?」

 「もしかしてあたしが先に降りててって言っちゃったから拗ねてる?」

 「別に拗ねてないっすよ。そもそも学校(ここ)で食べる昼は自分の金で食べると決めているんで」

 「あらあら、いつもは何のためらいもなくあたしからの奢りを貰ってるさとるがこれは珍しい」

 「躊躇いなくって俺が餌付けされてるみたいな言い方だな・・・とにかく、もしそれをあげるなら蓮にあげてください。一緒に昼を食べながらのほうが会話も弾むでしょ?」

 「おぉ~、さとるがこんなイケメンみたいな気の利いたことを言えるようになるなんて・・・先輩は嬉しいよ」

 「それはどうもです」

 

 とりあえず自分が“お邪魔虫”と化したことを理解した俺は、この後に何かが起こりそうな気配しかない女子2人からゆっくりと距離を置くようにペントハウスへと足を進める。

 

 「蓮・・・言ってもあんまり意味ないと思うけど、昼休みが終わるまでは図書室にいるから

 「・・・・・・

 

 そして最後に図書室にいることを伝えられた蓮が無言で小さく頷くのを振り向きざまに確認して、俺は一足先に屋上を降りた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「本当に行っちゃったね。さとるくん」

 

 ペントハウスの扉が閉まる音が耳に届いてから一呼吸の間を置き、あたしは屋上を囲むフェンスのほうへと歩きながら蓮ちゃんに少しだけ心配しているように装って笑って見せる。

 

 「ですね・・・けど良かったじゃないですか。これで男子の前じゃ話せない“女子トーク”ができますよ?」

 

 そんな“後輩思いな先輩”を演じるあたしに、2歩ほど遅れてフェンスに着いて隣で寄りかかった蓮ちゃんはさとるといたときまでとは打って変わった無愛想な視線を向けて静かに笑う。さすがはあの“牧静流”が妹のように可愛がっていると噂の若手女優なだけあって、バトルロワイアルの撮影が終わってからちょっと会わなくなったうちに“この子”は元来の健気さはそのまま着実に“強く”なってきている。

 

 「も~、さっきから顔が怖いよ蓮ちゃん」

 

 こう言っちゃさとるには悪いけど、“邪魔”だった友達思いの後輩が空気を察して下に降りてくれたおかげで、あたしは“期待の蓮ちゃん”と2人だけになれた。案の定、“緩和剤”がいなくなったことで周りを取り巻いている空気が灰色の雲に覆われた空みたいに重くなり始めた。

 

 「・・・ずっと見てましたよね?私たちのこと

 「うん。見ちゃってた

 

 やっぱり・・・蓮ちゃんには気付かれてたか。あたしが一部始終をペントハウスの扉の裏側から窓越しでひっそりと見ていたこと。

 

 「でしょうね。だって一回だけ私とガチで目が合いましたから

 

 しかも、あろうことか目線までピンポイントに合ってしまった。

 

 「うん。まさか20数メートル(これくらい)離れててしかもドア越しなのにピンポイントで目が合っちゃうなんて思わなかった」

 「これでも視力2.0あるんで私」

 「やばっ、2.0とかあたしと一緒じゃん」

 「そうなんですね・・・まぁ、だからってお芝居にはあまり影響するとこじゃないですが」

 「さとるに負けず劣らず蓮ちゃんも“反抗期”ですね~」

 

 本当は数少ない“幼馴染といられる時間”を先輩としてもう少しだけ後輩に与えて上げたかったけど、冗談抜きで本当にピンポイントに目が合ってしまったから何とも中途半端なタイミングで扉を開けるしかなかった。あのまま放置していたら蓮ちゃんの一瞬の動揺に“芝居勘”が冴えわたっているさとるが気付いてしまうのは時間の問題だったから、あたしは無理やり“2人きり”の時間を終わらせることにした。

 

 「ちなみに君ら二人衆の会話はドアを閉めてたおかげで1ミリも聞こえてないから安心して♪」

 「どっちにしろ大した話はしてないんでそこはもういいです」

 「いいんかい」

 

 それでもさとるが最後まで動揺に気づけなかったのは、相手が幼馴染で同じ芸能界(せかい)でライバルとして張り合っている“特別な存在”だからこそ生まれた油断。確かにさとるの演技は芸歴10年越えでそこそこ目の肥えたあたしから見てもお世辞抜きで上手いし、何ならギーナのCMでさとるの異次元とも言える芝居の“深さ”は実感しているからこっちとしても油断はできないけど・・・やっぱり駆け引きみたいなお芝居以外の“要素(アドリブ)”が加わると、一気に隙が生まれて雑になる甘さが“あの子”にはまだあって、その甘さが“大人の役者”に成ることへの足枷にもなっている。

 

 

 

 ま、“(あたし)”のことを本気で好きになるまでは“あのまま”のほうが色んな意味で“好都合”なんだけど。

 

 

 

 「そうだ、トライアングルとウィーダー、どっち食べる?」

 「トライアングルで」

 「“誰かさん”と違って蓮ちゃんは躊躇いがないよね」

 

 ひとまず腹が減っていては(いくさ)なんて出来ないし、シリアスな空気にずっと入り浸るのもあんまり好きじゃないからあたしは自らさとるに代わって“緩和剤”になって、“やりづらい”相手を前にあからさまに心をガードしてる蓮ちゃんに2択の“奢り”を差し出すと、この子は相手が先輩女優だろうと迷うことなく豪華なほうを選んだ。こんなことしたら先輩のお昼が半分以下になっちゃうのに、失礼だなんて思わないのかな・・・なんて思いやる優しさだけじゃ、この世界は這い上がれない。もちろん目上の人を敬う礼儀は大事だけれど、だからといって“イエスマン(まとも)”になったらなったで途端に淘汰されてしまうのが・・・あたしたちが生きてる芸能界という理不尽な世界。

 

 「腹減ってるんで」

 

 

 

 ま、大真面目な顔して腹が減ったとアピールしてくるこの子が果たしてどれだけ“持ってる人”なのかはここからの“頑張り”次第になるけれど。

 

 

 

 「いいね~正直で。あたし蓮ちゃんのこういうとこさとると似てて結構好き」

 「そんなに似てますか?私?」

 「うん。もう“運命の糸”で結ばれてんじゃないの?ってくらい」

 「“運命の糸”って・・・勘弁してくださいよ。あくまで私はあの“芝居バカ”の“バカ”が感染(うつ)っただけです」

 

 購買で買った霧生学園で一番人気のトライアングルを渡しがてら屋上の2人を見て思ったことをそのまま例えてみても、トライアングルを受け取った蓮ちゃんはすました顔を貫いて動揺しているという素振りを見せない。やっぱりこの子は“バトルロワイアル”のときよりも着実に芯が強くなっている。

 

 「でもさ・・・そうやって“バカ”が感染(うつ)るくらい仲良くなれる“ライバル”がいるって、最高じゃん」

 「・・・“何言ってんだこの人”って一瞬思いましたけど、そういえば堀宮さんに憬のことは話してましたね、私」

 

 もちろん細かいところまで目を配らせると、さとると負けず劣らずの真っ直ぐな性格を如実に表す“”だけは“本当の感情”をずっと見せびらかしている。というか、そもそも“感情(こころ)”と繋がっている眼だけはどんなに芝居が上手くなっても嘘なんてつけないからいくらポーカーフェイスで誤魔化しても相手には常に筒抜けも同然。

 

 一番肝心なのは、その動揺に“自分自身”が気づけるかどうか。あるいは気づいた上で、ときに嘘を吐いてでも向き合い続けることができるかどうか。

 

 「・・・それはもちろん、最高ですよ・・・偶にあいつの芝居を見てると“骨が折れる”みたいな思いをすることもありますけど、その分こっちも“なにくそ”って気持ちになって前に進める・・・・・・ほんと、あんな刺激的なライバルなんて他にはいないですよ

 

 やっぱり“嫌う”狡猾さではなく“向き合う”誠実さを選んだこの子は、あたしからしてみればまだ“トライアングル”のように甘く“ワル”に成り切れないでいる子どもで、こういうところもまた、さとると本当にそっくり・・・

 

 「あははっ、蓮ちゃんはほんとにいい“ライバル”を持ったね」

 

 “大人達の天秤”に掛けられても“ワル”に堕ちることなく健気に頂きを目指して灰色の空を見上げる、ショートヘアの横髪から覗く金色の瞳。そんなどことなく騎士道を思わせるような勇敢で純粋な瞳を視て、この子は容赦なんてしなくても“上がってくる”と確信した。

 

 「そうですね・・・まぁ、“芝居バカ”が過ぎるところが玉に瑕ですけど」

 

 いや、むしろこの子には是非ともあたしたちメインキャストの“”として立ち塞がってもらえるくらいになってくれないと・・・ハッキリ言って困る。

 

 「“芝居バカ”・・・今度あたしもさとるのこと“芝居バカ”って呼んでみよっかな?」

 「また塩対応されても知りませんよ」

 

 だって踏み台にする“引き立て役”が強ければ強いほど・・・・・・あたしたちが“実力”でメインキャストに選ばれたことへの何よりの“証明”になるから・・・

 

 「あのさ、蓮ちゃんって今日は丸1日オフだったりする?」

 「はい、今日は大丈夫ですけど」

 「・・・そっか」

 

 

 はぁ・・・いつかのあたしもこの子みたいに健気に頑張っていたはずなのに、どこで違えたんだろう・・・

 

 

 

 

 

 

 “『中途半端に“人の真似っこ”をすることしかできないんだったら、今すぐ消えてくれないかな?杏子ちゃん?』”

 

 

 

 

 

 

 でも・・・みんながみんな健気な“いい子ちゃん”ばかりじゃ張り合いがないし、そんなつまらない世界じゃ“イエスマン”しか生まれない・・・・・・だから“ワル”は必要なんだよ・・・

 

 

 

 

 

 

 「じゃあ・・・今日の放課後にその“芝居バカ”を賭けて、あたしと対決してみない?

 

 私をずっと横目で視続ける碧眼の瞳が、何かの封印を解いたように“ギラつき”を容赦なく放ち始める。

 

 「・・・対決・・・

 

 ペントハウスの扉を開けて、たったいま屋上(ここ)に来たように私たちに装う堀宮さんを見て、この人が最初から私と2人きりになって話したいことがあるのを私は察した。2人きりで話したのは“バトルロワイアル”の現場の一回きりだけど、その一回でこの人が私を“1人”にするときは何かを企んでいるときだっていうのは分かっているし、“根拠”だってある。

 

 「どうする?また“バロワ”のときみたいにじゃんけんで決めちゃう?」

 「じゃんけんで決めるかはともかくまず“バロワ”なんて略し方聞いたことすらないですよ」

 「だってこれはバロワの“舞台挨拶”のときまで温めてるネタだから」

 「ネタって、マジで何のために?」

 「とりま舞台挨拶を通じてマスコミの人にイイ感じに広げてもらって流行語大賞を獲る予定。みたいな?」

 「そうですか。私は応援できませんが頑張ってください

 「うん。女優とは思えないくらい感情が1ミリも込もってないね蓮ちゃんリアルで“ゴミを見るような目”を見たの初めてだわ・・・)」

 

 と、こんな感じでやっと“本題”に触れたかと思ったらまた話が脱線し始めた。もちろんこういう何を考えているか基本分からないところも、“バロワ”の現場で予習済み。

 

 「そんなことよりも先に、私に説明することがあるんじゃないですか?

 

 とにかく先ずは相手の思惑を知りたい私は、さっきの憬と同じくやや強引に話を元に戻す。

 

 「さとるもそうだけどさぁ・・・蓮ちゃんも蓮ちゃんでせっかちよね?」

 「もうこの際せっかちで構わないです(ちょっとだけ癪だけど・・・)」

 「うわ開き直った」

 

 心の中でじんわりと心拍数とリンクしてリズムを打つ動揺を建前という芝居で隠して対峙する私を横目で視て、メディアでよく取り上げられている清涼飲料水みたいに爽やかな“清純派女優”の姿からは想像出来ないどこか不敵な微笑みで、堀宮さんは心を揺さぶってくる。

 

 「自分で言うのも難ですけど私ってどっちかというと気が短いほうなんで」

 「言っとくけど“短気は損気”だよ?」

 「分かってますよ・・・でも、いま重要なのはそこじゃない

 

 動揺を悟られないように、頭をフルに回転させて相手に喰われない“台詞(アドリブ)”を紡ぐ。ただ隣でフェンスに寄りかかるように立って、私のことを横目で見つめているだけなのに、堀宮さんから本気(マジ)の感情を向けられるとそれだけで全身が締め付けられる感覚に襲われる。ただ制服を着て立っているだけで絵になってしまう“才能”に、無意識に圧倒されそうになる。こういうときに喰われずに“形勢逆転”が出来るかどうかで主役になれるかそれ以外で終わるかが決まるのが世界の縮図だとしたら、きっと前者が“メインキャスト”に選ばれた4人で、後者がなれなかった私なのだろうか・・・

 

 「なんで憬を巻き込むんですか?

 

 

 

 ・・・んなもん誰が決められるってんだよボケが、って思う。

 

 

 

 「別に巻き込むなんて一言も言ってないよ?ただ憬を“賭けて”蓮ちゃんにはあたしと対決してもらうってだけ」

 「賭けるってどうしてですか?」

 「だって対決するなら多少のリスクは背負っとかないと本気(マジ)になれないでしょ?」

 「だからって憬」

 「逃げるの?これはあたしに勝てるかもしれない絶好のチャンスなのに?

 

 私の主張を容赦なく遮り、逃げる隙すら与えず隣でフェンスに寄りかかる堀宮さんは追い打ちをかけてくる。“私たちの世代”の女優の中じゃ静流に続いて人気と実力がある女優からずっとハードな“心理戦”を仕掛けられているせいで、ハッキリ言って私の脳みそは疲れ始めて言い返すので精一杯。

 

 「それともあたしにまた“負ける”のが恐くて」

 「分かりましたよ。何するかは知らないけどやればいいんでしょ、対決?

 

 だけれど漫画でもドラマでも現実でもライバルになる“”を相手に棄権をするのは、主将の座を争うことになる“凪子”だったら、例えどんなに不利な状況に自分がいたとしても絶対にそれだけはしない。

 

 「その代わり・・・・・・“今日こそ”は絶対に負かす

 

 

 

 だから私は“凪子”として、“雅”からの挑戦状を受け取った。堀宮さんが私が凪子を演じることを“知らずにいる”としても、この対決は“引き受けなくちゃいけない”ことだけは感じていたから・・・

 

 

 

 「アハハハッ・・・・・・いいねぇ、そうこなくっちゃ

 

 おおよそ清純派とは思えない小悪魔のような笑みを浮かべた堀宮さんは軽やかな足取りで亜麻色のミディアムヘアをなびかせながら目の前にサッと現れるように移動して、

 

 「それでこそ(あたし)の“ライバル”だよ。“蓮ちゃん(ナギ)”?

 

 手を後ろで組むポーズをしながら1秒前までとは正反対の“清純派”って響きが本当に似合う穢れのない爽やかさな笑顔で知らないはずの“役名”で呼び、白い歯を“にっ”と出して笑った。

 

 「・・・やっぱり、“ナギ”を演るのは蓮ちゃんで合ってるみたいだね

 「・・・どうして分かるんですか

 「キミの瞳がそう言ってるから・・・・・・って言えたらかっこいいんだけどね?

 

 そんな堀宮さんの表情と仕草が“”にしか視えなくて、私はこの人の“役者”としての恐ろしさを改めて思い知らされた。




蒼色の瞳に、覗かれる感情(こころ)_



本当はもう少しキリの良いところまで進める予定でしたが、思った以上に長くなってしまったので堀宮が環に持ち掛ける“対決”とは一体何なのかは次回をお楽しみください。

最後に、本編にて“バロワ”という単語が出てきましたが、某グラブルの名探偵とは一切関係ございません。


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scene.83 ブレるな

 「・・・どうして分かるんですか

 「キミの瞳がそう言ってるから・・・・・・って言えたらかっこいいんだけどね?

 

 真上を覆う灰色の曇り空が一瞬で晴れ渡るくらいの邪気のない笑顔で、堀宮さんは再び私の言葉を遮るように対峙する。物真似をしているわけじゃないのは分かるけれど、まるで“雅”が原作のコマからそのまま飛び出してきたと感じるほどに火10で自らが演じることになる役に憑依してみせる堀宮さん。

 

 「実は弓道部の主将が信じられないと思うけどマジのマジであたしの“はとこ”でさ」

 

 一瞬にして目の前で雅に“化けた”かと思ったら、カットがかかってスイッチが切れたかのように一瞬で“”を解いて、堀宮さんは再び素に戻る。

 

 「・・・“清水平仁(しみずへいじ)ラウール”って背の高い人ですよね?」

 「よくフルネームを覚えられたね?だいたいみんな最初は苗字かミドルネームの“ラウール”しか覚えられなくて最終的に苗字の清水をもじって“スミス”ってあだ名になるのがオチなのに」

 「一応、人の名前を覚えるのは得意なほうなんで」

 「へぇ~じゃあ台本の暗記も得意って感じ?」

 「そうですね。暗記だけは自信あるんで」

 「逆にあたしは暗記するの苦手なんだよね~、だから台本に書かれてる台詞を直ぐに覚えられる人ってほんと羨ましい・・・」

 

 素に戻った堀宮さんは目の前でフィギュアスケーターみたいな軽やかな身のこなしを魅せつけるように時計回りにくるりと回って、右隣に移ってフェンスに寄りかかる。

 

 「とまぁ“ネタバラシ”するとその“平仁”に昨日の夜メールで“新しく芸能コースの子って来た?”的なノリで聞いてみたら、“環蓮って人が弓道部に来た”って返ってきたから“ビビっと”来たってとこかな・・・あとぶっちゃけ平仁とあたしが親戚って何気に衝撃じゃない?」

 「何気どころか普通に衝撃ですよ・・・」

 「でも顔をよく見たら意外と共通点が多いのよあたしたちって・・・平仁が色黒で外国人顔だから親戚感は今一つ伝わりづらいけど」

 

 そんな普段の何気ない些細な仕草だけでもバトルロワイアルの現場に続いてこの人の“役者”としての恐ろしさを思い知って、自分がまだ真っ向勝負じゃ“勝てない”位置にいることを自覚する。

 

 

 

 だけれどそれはあくまで“現時点”の話で、未来(あした)はどうなっているかなんてわからないし、それを決められる筋合いは神様にもない。

 

 

 

 「ついでに平仁から蓮ちゃんが中学のときに体育の授業で弓道を習ってて同じクラスにいた主将の子と良い勝負してたって話も聞いちゃった」

 「・・・なるほど・・・全部筒抜けだったわけですね」

 「言っとくけど平仁のことは責めないであげてね?何の悪気もないから」

 「もちろんですよ。“スミス先輩”は私たちの事情を知らないだろうから」

 「おぉ、蓮ちゃんも平仁のことは普通に“スミス”呼びなんだね?」

 「はい。弓道部のみなさんはだいたい“ラウール”か“スミス”呼びだったし、あのふたつだったら私的にラウールよりも“スミス(こっち)”のほうがしっくり来たんで」

 「あははっ、確かにあの風貌はラウールってより“スミス”だよね〜」

 「堀宮さんもそう思ってたんですね」

 「てゆーかあたしのことは“杏子さん”って呼ばないんだ?」

 「いや、なんか堀宮さんのことはあんまり下の名前で呼ぶ気になれなくて」

 「あれ?もしかしてあたしって蓮ちゃんから嫌われてる?」

 「嫌いじゃないけど、“友達”になった覚えはないです」

 「遠回しだけどハッキリ言われた~」

 

 ひとまずこれで堀宮さんが“凪子を私が演じることになった”事実にどうやって気付いたのか、堀宮さんが私に“”を賭けさせてまでやりたいことが何なのかも大体は理解した。

 

 「・・・そんなことより、対決の内容はどうするつもりですか?堀宮さんが弓道部に籍を置いてることは昨日スミス先輩が話していたのでどうせ放課後に弓道をやるのは予想できますけど、“どのやり方”で決着をつけるつもりかだけ教えてください

 

 思惑が分かり始めた私は、再び堀宮さんのペースに持っていかれて脱線しかけた話を本題に戻した。

 

 「ん~、どうしよっかな・・・」

 

 私からの問いかけに、右隣の堀宮さんはフェンスに寄りかかりながら空を見上げてわざとらしく考え込むポーズをする。もしかしなくとも既に何をするのかは決めているのだろうけど、それが分かっていてもこの人の仕草を見ていると本当に考え込んでいるのかも知れないと思わせられてしまうところが、同じ役者としてタチが悪い。

 

 「・・・蓮ちゃんは“射詰競射(いづめきょうしゃ)”って分かる?」

 

 考え込んでから約10秒、ポーズを解いた堀宮さんは空を見上げたまま呟くようなトーンで私に聞いてきた。

 

 「はい。ざっくり言えば“的を外したら負けのサドンデス”ですよね?」

 「そうそう、よく知ってるね」

 「“さわり程度”ですが中学のときに授業で教わってたんで」

 

 もちろん中学3年の“選択体育”で弓道を習ったことのある私は、“弓道部”の堀宮さんの言う射詰競射が何を意味しているのか自体は知っている。とはいっても選択体育で選んだときも“やったことがないから”っていうノリで選んだ程度でそこまで弓道自体に思い入れがなかったから詳しいルールや作法はまだ基礎の基礎ぐらいしか分からないけど、単純に弓道で勝敗を付けるとしたら射詰競射(これ)が最も決めやすい対決方法だというのは分かる。

 

 「それと・・・原作の雅と凪子が新主将にどっちがなるのかを決めるときも、“射詰”で決着をつけてましたよね?」

 

 それに原作の内容もちゃんと頭に叩き込んでいるから“射詰競射”という単語が堀宮さんの口から出てきた瞬間、パっと閃くほどのスピードで私はこの人の企みを察した。

 

 「すごいじゃん!こういう何気ないところまでちゃんと内容を理解してるなんて、蓮ちゃんは真面目に頑張ってて偉いね」

 

 原作の中でも“名場面”の1つと言われているシーンと言えど、それを説明なしに言い当てた私に堀宮さんは顔をこっちに向けて大袈裟に褒め称える。当たり前だ。こちとらオーディションと役作りで原作の内容は全部頭の中に入れて来たから。

 

 「・・・別に、私にとっては普通なんで」

 「あ、バロワのときと同じこと言ってる」

 「言いましたっけそんなこと?」

 

 そんなことをメインキャストに用意された4つの椅子に座る人に褒められたって、1ミリたりとも嬉しくなんかないけれど。

 

 「ともかく、だとしたら対決はどっちかが的を外すまで矢を放ち続けるサドンデスですか?」

 「う~ん、ほんとは原作みたいに実際のルールに沿って行きたかったんだけど他のみんなが練習する時間を割くってなると“短期決戦”で終わらせなくちゃだから・・・“二手(ふたて)勝負”でいくか。もちろん途中でどっちかが的を外したら試合終了で」

 「“二手勝負”って実質1本勝負じゃないですか・・・決着つかなかったらどうするんですか?」

 「(4射ノーミスの自信あるんだこの子・・・)そしたら“遠近競射”で決めるまででしょ」

 「遠近・・・・・・あぁそんな手もありましたね」

 「ははっ、さすがに中学の授業でしかやったことがないんじゃド忘れしちゃうよね?」

 「さすが弓道部なだけあって詳しいんですね」

 「まあね、これでもあたしって中学上がったときから弓道やってて大会も出たことあるから。ちなみに中3で都大会個人総合3位」

 「本当ですか?(そもそもこの人が弓道やってたことが意外だけど・・・)」

 「ほんとだよ~、(うち)に表彰状あるからクランクインのとき持ってこよっか?」

 

 こうして屋上での話し合いの流れで、私は堀宮さんと“二手”で決着が付かなかったら“遠近競射”で勝者を決める条件付きの射詰で対決することになった。ちなみに射詰とは弓道の中で個人戦の優勝者を決めるもので、選手が一本ずつ矢を放って失中(※矢が的から外れること)した選手から脱落し、最後まで連続で矢を的中(※矢が的に当たること)させた選手が勝者になるというもの。もし選手が2人以上残っている状況で全員が的中、または失中したら“延長戦”になり一本ずつ放つか、放った矢が的の中心に近い人が勝ちになる遠近競射を行うこともある・・・という。

 

 「・・・そうだ、私が勝ったら“憬は”どうなるんですか?」

 

 なんて対決のことを話していたら、危うく“一番聞いておきたかったこと”をすっかり聞き忘れるところだった私は、堀宮さんに“賭け”のことを聞いた。

 

 「さとる?・・・あ~“賭け”の話ね。そりゃもちろん蓮ちゃんが勝てたらあたしは“何も”しないよ?」

 「“何も”って?」

 「そのまんまの意味よ。今まで通り蓮ちゃんとさとるは“ズッ友”でいられるってわけ。あとプラスでこの天才女優・堀宮杏子が蓮ちゃんに欲しいものを一つ奢って進ぜよう」

 「随分な自信ですね・・・」

 

 二手勝負で決着をつけるにあたって“多少のリスクがあったほうがいい”と憬を“賭ける”と言い出した堀宮さんは、憬のことを聞いた私を横目に飄々とした表情と声色で自信満々に答えた。

 

 「・・・じゃあ、私がもし負けたら」

 「“さとると絶交”

 「・・・・・・

 

 そして自分が負けた場合のことを少しだけ恐る恐ると聞いた私に、何の躊躇いもなく飄々と笑いながら“絶交”というワードを並べた言葉をぶつけてきた。

 

 「は?

 

 さすがにこればかりは、あまりにもその言葉を言い放つのに躊躇いがなかった笑顔の堀宮さんを前に言葉が出て来なくなった。

 

 「あれ?聞こえなかった?も~しょうがないな~、だから〜蓮ちゃんが負けた場合は憬と」

 「聞こえてますよ

 「じゃあなんで聞き返したの?」

 「聞こえたから“は?”って言ったんです

 

 二回も説明されなくたって、たったいま告げられた言葉が何を意味するのかは分かっている。もしも私が堀宮さんとの二手勝負で負けてしまった場合、“私は憬と絶交する”ということ。

 

 「・・・本気で言ってるんですか?

 「あたしはいつだって本気(マジ)だけど?

 

 恐る恐ると相手が本気かを確かめる意思を遮るほどのスピードで、堀宮さんは間髪入れずに“マジ”だと言い放ち顔を私のほうへ向ける。“本気”とも“冗談”とも取れるような表情を浮かべて静かに笑うこの人は、いったいどこまで本音で言っているのか分からない。

 

 でも、私はいまこの人から“試されている”ことは分かる。

 

 「・・・それともこんな“くだらない”賭けで友達を失くすのは嫌?

 

 こういうとき、どう答えるのが正解なのか。それがその場で分かるくらい勘が鋭かったら、私はもっと上手く立ち回れているはずだ・・・

 

 「・・・・・・“嫌”に決まってるでしょ

 

 だけれど、肝心なときに限って勘が回らない不器用な私は“役者の意地”ではなく “自分の本音”で無意識に答えた。

 

 「・・・はぁ・・・そっかそっか、やっぱり嫌だよね?こんな何考えてるか分かんない先輩が勝手に吹っ掛けてきた対決(ゲーム)のせいで友達を失くすかもしれないって考えたらさ・・・あたしもそんな蓮ちゃんの気持ちはすっごいよく分かる・・・

 

 答えを聞いた堀宮さんは、軽く溜息を交えて独り言を呟くようなトーンで話しかけながら背を向けるように私の前に立った。

 

 「でもさ・・・・・・そんなんじゃ蓮ちゃんは一生勝てないよ

 

 そして私に背を向けたまま、普段より1トーンほど低い声で堀宮さんは冷たく言い放った。顔は見えていなくとも、この人が“怒って”いるのは演技でも見せたことがないくらい感情が冷めた声色でハッキリと分かって、私は答えるべき言葉を“間違えた”ことを理解した。

 

 「あたしを“負かす”んでしょ?だったら“負かせる”だけの覚悟を見せてくれなきゃ・・・

 

 冷めた声色で呟く背中が振り返り、反論のしようがない正論を突き付けられて動けないでいる私の右手に力なく掴まれているトライアングルを奪い取る。

 

 「ごめんね。やっぱりあたしもお腹空いちゃったから蓮ちゃんへの奢りは“またの機会”で♪」

 「・・・・・・」

 

 なすすべもなく棒立ち状態のまま無情にトライアングルを奪い返された私を見つめる堀宮さんの表情は、1秒前まで怒っていたとは思えないほど爽やかに微笑んでいながらも、私の目を視る碧眼だけは“本当の感情”を映していた。

 

 「というわけで、今日も授業終わったら“弓道場”に遊びに来てよ。待ってるから」

 

 

 

 “『・・・蓮は違うのか?』”

 

 

 

 「・・・・・・あの

 

 トライアングルを奪い取り、ドラマのワンシーンみたいに颯爽とした足取りで屋上を降りようとする背中を、やっとの思いで出てきた声で呼び止める。

 

 「・・・堀宮さんは自分がこれからも女優を続けていくとしたら・・・・・・そのためだったら“親友”は捨てられますか?

 

 自分より後に入ったライバルに先を越された悔しさの中にある、自分で“要らない”と言葉にした親友を想い続ける感情。

 

 「・・・そんなことぐらい自分の頭でよ~く考えてみたら?蓮ちゃんはもう“新人”なんかじゃないんだしさ

 

 要らないと一度は蓋をしたはずの感情に振り回されながらどうにか思ったことを言葉にして伝えた私を、情け容赦せずに突き放す先輩の言葉。土壇場でまた言葉を間違えた私に言い返す権利なんてなくて、先輩からの言葉にただ立ち尽くすことしかできない。

 

 「じゃ、そゆことであたしは先に降りてるよ~」

 

 そんな私のことなんか全く気にも留めない様子で、堀宮さんはウィーダーを持ったままの左手で真後ろの私に軽く手を振るような仕草をして、そのまま振り返ることなく今度こそ屋上を降りて行った。

 

 「・・・・・・

 

 屋上で1人きりになった瞬間、堀宮さんに何も言い返せなかった悔しさと“”から逃げてしまった自己嫌悪が合わさった感情が一気に襲い掛かってきて、急に目頭が熱くなった。

 

 「・・・っ!

 

 溢れ出しそうな正直な感情に反抗して、フェンスに寄りかかり目をギュッと閉じて空を見上げるように私は顔を上げて感情を無理矢理リセットさせる。

 

 “・・・もっと強気になれ・・・私は事務所期待の“将来有望”な実力派若手女優だぞ・・・

 

 

 

 私は女優だ。ライバルが自分より前を走っていたら、それを躊躇いなく追い抜いて主役を勝ち取る。私をメインに選んでくれないどころか“勝負”すらもさせてくれなかった“大人”に、勝負の土俵に上がらせなかったことを絶対に後悔させてやる・・・そのためだったら親友じゃなくなる“恐怖”なんて・・・

 

 

 

 “・・・こんなことで泣いてたまるか・・・

 

 

 

 変わることに戸惑うな・・・“ただの親友”じゃいられなくなることを恐れるな・・・それで勝てるんだったら、私は“敵”になんていとも簡単になれる・・・・・・だから私は言ったんだ・・・憬に“親友なんていらない”って・・・

 

 

 

 “・・・こんなことで・・・!

 

 

 

 “『“親友なんていらない”と俺に言ったお前の“いまの気持ち”とも役者として・・・何より“親友”として向き合いたいって思ってる・・・』

 

 

 

 ブレるな・・・甘えるな・・・・・・いま“それ”に甘えてしまったら・・・私はまた“みんな”に置いていかれる、追いつけなくなる、向き合えなくなる・・・・・・ただ親友の躍進(こと)を応援するために、私は役者になんかなってない・・・憬と“ただの親友”で終わるような関係なんて・・・・・・望んでなんかいない・・・

 

 

 

 “『俺は、お前の“牙”を“メインキャスト”として全部受け止めてやる』

 

 

 

 ブレるな・・・・・・ブレるな・・・・・・ブレるな・・・・・・!

 

 

 

 

 

 

 _ポタッ

 

 「・・・?」

 

 熱くなった目頭に必死で抵抗しながら目を閉じて空を見上げていたら、強く閉じていた瞼の下に一滴の水滴が落ちた。もちろんそれが瞼の隙間から零れ落ちた涙じゃないことは頬を伝う冷たい感触で分かった。

 

 ポタポタポタポタッ_

 

 頬を伝った水滴を手で拭うと、貯めていた感情が堰を切って決壊したかのように頭上から無数の水滴が音を立てて落ち始めた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・雨」

 

 ランチルームのすぐ近くにある購買の一角に置かれた自販機コーナーで少しだけ周囲の視線に気を配りながら間食用の“カロリーメート”を買って、少しだけ疲れた気分を落ち着かせるため図書室に向かい陸上競技の参考書を探していると、静寂に包まれている図書室の外から雨音が聞こえ始めた。ちなみに図書室は当然飲食禁止だから、カロリーメートは制服の内ポケットに入れている。

 

 ザァァァァ_

 

 窓の向こうで水滴が反射する音が耳に届いたかと思ったら、雨音は一気に強くなってザーっという静かな轟音に変わった。もちろん『ロストチャイルド』の撮影現場で全く同じようなシチュエーションの雨を一度経験していることもあって、これが通り雨かにわか雨だというのは一瞬で分かる。

 

 

 

 “『すげー雨だな。これ撮影大丈夫か?』”

 

 

 

 参考書を探すのを中断して何気なく微かに聴こえる雨音に耳と意識を傾けると、巡り巡って“いま”に繋がることになる映画の撮影で通り雨にさらされたときのことを思い出した。そういえばあれから一度も会っていない共演者で一緒に雨に当たった“あの人”の名前は何だったか?脇役だったけど俺とは割とガッツリ共演していたし、何ならついこの間まで頭の片隅で記憶していた気がするけど・・・ここにきて完全にド忘れした。“帰国子女”で英語の発音がめちゃくちゃネイティブだったことだけは強烈に覚えているけど、そのインパクトが強すぎて肝心の名前が・・・・・・にしても仲良くしてくれた共演者の名前を忘れるなんて中々に酷いな、俺・・・

 

 

 

 “・・・って、蓮は大丈夫か?

 

 

 

 なんてド忘れした彼方の記憶を思い出そうと自分勝手に考え込みながら雨音を聴いていたら、それどころじゃないことに気が付く。蓮のやつ、堀宮と一緒に屋上に残ったままだけど急に降り出した雨に濡れたりしてないだろうか。まぁ、あいつの運動神経を考えるとずぶ濡れになる前に避難は終わっているだろうけど。

 

 “しょうがないな”

 

 と、屋上に残した蓮のことを気にしながらも心の中である程度の余裕を持って、俺は図書室を出て屋上に繋がる階段をめがけて昼休みの廊下を走り出す。ランニングをするぐらいのペースで廊下を走っていたら案の定階段に辿り着く途中で廊下を普通に歩いていた数組の他コースの生徒からすれ違いざまに視線を向けられたが、それを気に留めている暇はないから気にせずに階段を目指す。

 

 “・・・って、俺は何をやってんだろうな”

 

 階段に辿り着いてそのままのペースで一気に2階まで駆け上がったところで、急に冷静になって足が止まる。ほんの少しだけ荒れた息を整えながら、今度はゆっくりと3階、4階、そして屋上に繋がる階段を上る。本当に、俺はさっきから“何してんだ”って話だ。あれだけカッコつけて“図書室で待ってる”と捨て台詞を吐いたくせに、俺はいま雨に濡れているかもしれない蓮のことが心配で階段を上がっている。それにあいつは俺にとって堀宮たち他のメインキャスト以上に“厄介”な存在(ライバル)のはずなのに・・・

 

 

 

 “『マジのマジでごめんなさいだけどちょっと蓮ちゃんと“話したいこと”があるからさとるは先に降りてもらっていいかな?』”

 

 

 

 堀宮が俺を屋上から降ろすように促して蓮を2人きりにしたのは、間違いなく役作りで“何か”を企んでいるということだけは俺にも想像できる。あの人が役への理解を深めるためなら“手段を厭わない”ところは、観覧車の“キス”で分からされた。かと言ってあのまま俺が意地で屋上に残ったりしたところで“メリット”は何一つとしてないのは分かり切っているから、俺は屋上から降りた。

 

 「(・・・これで2人が仲良く笑いながら降りてきたらいよいよ俺は“狂言回し”だな)」

 

 もしも俺に堀宮のようななりふり構わない強さがあったら、きっと俺は“敵”よりも“味方”を優先して真っ直ぐ図書室に行って陸上競技の参考書を探して読み漁って、見も心も陸上部に所属している純也にする役作りをしているだろう。そのほうが効率的で絶対にいいのはどこかで分かっている。俺がいまやっていることは、役作りとは何の関係もないことなのも分かっている。こんなところで“油を売って”いる暇が俺にはないということも分かっている。

 

 

 

 “・・・そもそも純也にとって凪子は・・・現実の“俺たち”とは違って“雅と仲のいい隣のクラスの顔見知り”程度の関係に過ぎない・・・・・・だから俺が今やっていることは、ある意味で純也のことを否定しているに等しいことだ・・・

 

 

 

 それでもやっぱり、“親友”が雨に打たれているかもしれない状況を黙って見過ごすことが出来ないのが・・・俺って奴だ。主役になるために捨てるべきものが親友だとしても結局それを捨てることができないのが俺って奴だ。そんなだからライバルに追いつけないんだと言われても・・・そう思う自分だけは変えたくない。

 

 

 

 “・・・もちろんこの“気持ち”は・・・・・・“甘え”なんかじゃない・・・

 

 

 

 

 

 

 「図書室にいるんじゃなかったの?憬?

 

 3階から4階の間にある踊り場までゆっくりと上がったタイミングで上のほうからついさっきまで2人きりで話していた声が聞こえて我に返ると、そこにはちょうど屋上から降りてきた蓮が“手ぶら”で踊り場に立っていた。

 

 「急に雨が降ってきたから心配して上がってきた・・・まぁパっと見た感じあんまり濡れてなさそうでなによりだけど」

 「当たり前じゃん。雨が降ってきた瞬間にマッハでダッシュして屋根の下に逃げたから」

 「音速超えてんじゃねぇかよ」

 「マッハはウソだよ」

 「だろうな。ハンカチ貸すか?髪がちょっと濡れてる」

 「大丈夫、自分で拭く」

 

 元々そこまで心配していなかったとはいえ、髪の毛が少しだけ雨に当たって濡れているのがよく視ると分かる程度しか濡れていなかったから、とりあえず余計な心配で終わって一安心だ。

 

 「杏子さんは?」

 

 ただ気になることがあるとするなら、一緒に屋上に残っていたはずの堀宮の姿がないということ。

 

 「先に降りた」

 「先に?何で?」

 「最後にちょっとだけ1人になって気分転換したくなったから堀宮さんには先に帰ってもらった。そしたらこの雨だよ」

 「そっか・・・それは災難だったな」

 

 堀宮のことを聞いた俺に、蓮はアメリカの映画やドラマでありがちな肩をすくめるジェスチャーをしながら先に降りたことを明かした。恐らくあの感じからして半ば無理やり始まったであろうめんどくさい先輩からの“女子トーク”が終わって少しばかり疲れた気分をリセットさせようとしたら土砂降りを食らった・・・ってところか。

 

 「てか、杏子さん(あの人)から何も奢られなかったのか?」

 「それについては“ノーコメント”で」

 「いや何でだよ?」

 「だってこれは憬には秘密の“女子トーク”だからさ」

 「・・・ハイハイそうでしたね」

 

 わざとらしく飄々と笑いながら、蓮は普段通りの振る舞いを“装う”。言っていることのどこまでが本当かは分からないが、少なくともいまの(こいつ)の様子をみて堀宮と“何か”があったことは考えなくても俺にはわかる。

 

 「じゃあ私は適当に購買で“カロリーメート”でも買って教室に戻ってるよ」

 「カロリーメートならちょうど俺がいま持ってるぞ?」

 「いやいい。私も君と同じで自分のお昼は自分のお金で買うって決めてるから」

 

 どこか矢継ぎ早に話を終わらせると、蓮は踊り場にいる俺のことなど気にも留めずにいつもより“早歩き”のペースで階段を下り始める。

 

 

 

 

 

 

 “『私ってあんな下手くそだったんだね』

 

 

 

 

 

 

 「・・・蓮

 

 いつもみたいに隙さえあれば面白おかしく弄り倒して揶揄うようなこともせずにそそくさと立ち去る背中を見て明らかに“思い詰めている”ことを感じ取った俺は、蓮を呼び止める。

 

 「お前さ・・・杏子さんと“何か”あったろ?

 

 そして自分の名前を呼ばれて立ち止まった蓮に、俺は感じ取ったことをそのまま言葉にして問いかけた。




あの日と同じ悩める背中、その胸中は_



余談ですが作者は弓道に関しては縁もゆかりも知識もないド素人以下です。色々と調べながら書いているとはいえツッコミどころがあるかもしれませんので、“これはおかしい”という部分がありましたら容赦なく感想にてご指摘して頂けるとありがたいです。


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scene.84 必要

 「・・・蓮

 

 階段の踊り場から背中越しに自分の名前を呼ぶ憬の声に、早く1人になって気持ちを冷静にしたいと願う意思に反して足が止まる。別に“聞こえないフリ”をして誤魔化すことも出来たのに、私は5段ほど階段を降りたところで思わず立ち止まった。

 

 「お前さ・・・杏子さんと“何か”あったろ?

 

 立ち止まった私に一呼吸を入れる間も与えず、背後で私を見下ろす憬はダイレクトに“図星”を突く。本当にこの芝居バカは、こういうときに限ってやたらと勘が鋭いから困る。

 

 「・・・・・・

 

 と言っても、上手く感情が作れず相手に図星を突かれて二の句が全く出てこないいまの私じゃ、“何かあった”ことを察せられて当然だ。

 

 「・・・“ノーコメント”

 

 少しの沈黙を挟んで、私は振り向かずに言葉を吐き出す。私の言葉が言霊にでもなったかのように、激しく降っていた雨音が静まりだす。察せられてしまった以上は、もう下手な誤魔化しなんて効かない。

 

 「“ノーコメント”ってことは、“何かあった”って解釈でいいな?

 「仮に“何か”あっても憬に言えるわけないじゃん・・・それだとせっかく堀宮さんと2人きりになった意味がない

 

 もういっそ放課後にこれからも“友達でいられるか”を賭けて堀宮さんと対決することになったことを打ち明けてやろうか・・・と、憬に見抜かれて吹っ切れたように背を向けたまま言葉をぶつけてみたら、思っていた以上に感情が乗ってしまった。いつもだったらもう少し上手く言い返せるのに・・・どうした私。相手は他の誰よりも知ってる憬だぞ、私。

 

 「憬・・・1つだけ提案があるんだけど

 

 

 

 “・・・大丈夫・・・・・・これはあくまで“勝つ”ためだ・・・

 

 

 

 「・・・7月のドラマの撮影が終わるまで・・・こうやって話すのやめにしない?

 「何で?

 

 突然降り出した雨から逃げるようにペントハウスの中に入って、ゆっくりと階段を一歩ずつ下りながら固めた決意を、普段以上に冷静な憬の声が揺らがせる。堀宮さんとの対決に勝つためとはいえ、“これ”がその場しのぎの即席でしかないことは私が一番よく分かっている。

 

 「だってほら、そもそも純也と凪子ってクラス違うし別に仲が良いわけでもないじゃん・・・・・・だから、こんなふうに憬と話してると何だかスイッチがイマイチ入らないんだよ・・・

 

 だけどこうでもしないと、いまは気持ちを切り替えられない。とにかく気持ちを切り替えていかないと、撮影が始まる前に役者として戦う機会(チャンス)を与えてくれた堀宮さんに失礼だ。

 

 「それ・・・本当に“必要”か?

 

 

 

 “こうでもしないと気持ちを切り替えられない自分が・・・・・・ほんとに情けなくて嫌いだ

 

 

 

 「・・・うん。私にとっては

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧生学園高等学校_弓道場_

 

 「・・・・・・ふぅ」

 

 学校の敷地内にある弓道場の女子更衣室。袴を締めて、胸当てを付け、弓道衣に着替えた私はその場に立ち目を瞑りゆっくりと深呼吸をしてこの後の“二手勝負”に向けて集中力を高める。昼休みのときは自己嫌悪で取り乱す一歩手前まで追い詰められたけど、形だけでも“覚悟”を示したおかげか不思議と気分は引き締まって落ち着いてきた。

 

 「やっぱり環さんはシュッとしててスタイルが良いからカッコイイですよね先輩?

 「シッ、多分いま集中力高めてるみたいだからそっとしておいて

 

 後ろのほうで進学コースの女子部員のひそひそ声が耳に届く。実は私が籍を置くことになる弓道部はコースが進学だろうと芸能だろうと更衣室は同じで、練習も他のコースの人と一緒に同じメニューをこなすことになっている。もちろんそれは他の部活動も同じように、他コースと会話をすることすら許されない授業とは違って隔たりはないに等しい。

 

 「あ、堀宮さん戻ってきた

 

 ただし私のいる芸能コースはあくまで“芸能活動を最優先”にしていて事務所からの合意がない限りは大会などに出ることはできないから、スケジュールとの両立が出来なくて籍だけ置くか何処にも入らない帰宅部になる人も少なくないという。

 

 「一旦出よう

 「えっ何で?

 「いいから(なんか嫌な予感がする・・・)

 

 ちなみに私は役作り以前に仕事がオフのときはちゃんと練習に参加するつもりでこの弓道部に入ると決めた。もちろん女優の仕事が最優先だから大会には出ないし、仕事があったら躊躇いもなく部活も学校も休むけれど。

 

 「・・・・・・はぁ」

 

 体感でだいたい30秒ほどの深呼吸を終えて、瞼をゆっくりと開ける。ついさっきまで後ろにいた何人かの先輩と同期の新入りは、集中力を高めていた私に気を遣ったのか更衣室を後にしていた。この後に私と堀宮さんが“二手勝負”をすることを知っているにしても、別にここまで気を遣わなくたっていいのにって、私は思う。

 

 「(部活だけは進学だろうと芸能だろうと普通に話しても怒られないのに・・・これじゃ意味が)」

 「れ~んちゃん?

 「ひっ!?」

 

 目を開けてから一呼吸、一足先に弓道衣に着替え終えていた堀宮さんが集中力を高め終えて油断しきった私の背後から音を立てずに忍び寄り肩に手をかけて囁くように声をかけてきた。

 

 「ごめん、びっくりした?」

 「当たり前ですよ急に肩をポンってされたら!・・・もうせっかく集中力高めてたのに」

 「てゆーか蓮ちゃんリアクションめっちゃ乙女じゃん・・・可愛すぎるからもう一回やっていい?(現場でもこれやろ)」

 「絶対嫌です

 

 おかげで私は自分でもびっくりするぐらい“乙女”なリアクションをしてしまった。ハッキリ言って、結構恥ずかしい。

 

 「にしてもやっぱり蓮ちゃんは弓道衣が似合うよね~」

 「そうですか?」

 「うん。さすが凪子に抜擢されただけある」

 「・・・別にこの恰好が似合う人なんて幾らでもいますよ(ちょっと嬉しいけど・・・)」

 

 一方で堀宮さんは堀宮さんで、まるでつい4時間ほど前のことなど気にも留めていないばかりかこれから私と“二手勝負”の対決をするという緊張感すら微塵も感じられないほど穏やかな表情で、弓道衣を着た私をやや大袈裟気味に似合っていると褒める。もちろん表に出したら“負け”な気がするから感情には出さないけれど、弓道衣が似合ってると言われるのは自分が与えられた役に近づけているような気がして、意外と嬉しかったりする。

 

 「うんうん。褒められて嬉しいんならもっと喜んでいいんだよ蓮ちゃん?(マジでさとると負けず劣らず正直だなこの子は)」

 「とりあえず頭撫でるのやめてもらっていいですか?なんかムカつくので」

 「あたしが頭撫でるとへそ曲げるとこもさとると一緒だね?」

 「あの“バカ”と一緒にしないでください」

 「も~冗談やから怒らんといて~(やっぱこの子カワイイ・・・)」

 「なぜ唐突に関西弁?しかもあからさまに“エセ”だし)」

 

 なんて心情がバレてしまったのか、堀宮さんは手を伸ばして私の頭を撫でながら関西人じゃない人でも一瞬でエセだと分かる関西弁を交えて揶揄う。本当にこの人は、ついさっき私に“怒った”ことなんか忘れてしまったんじゃないかってくらい優しくしてくるから、どっちが本当の堀宮さんなのか分からなくなる。そりゃあ、こんな人が事務所の先輩で互いに下の名前で呼び合うほど親しくなれていれば、役作りなんてしていなくても演技力は磨かれそうだ。

 

 

 

 “・・・ていうか普通に堀宮さんのこと下の名前で呼んでたな・・・憬・・・

 

 

 

 「・・・そういう堀宮さんも似合ってますよ。弓道衣」

 「えっ?ホントに?お世辞じゃなくて?」

 「ホントですよ。お世辞は言わない主義なんで」

 

 一瞬だけ心の中に出てきた雑念を捨て去って、ひとまず後輩として堀宮さんを褒め返す。もちろんこれはお世辞なんかじゃなくて、お世辞抜きでよく似合っているから私は褒めている。

 

 「そっか。蓮ちゃんからそう言ってもらえると嬉しいよ、あたし」

 

 私から褒め返された堀宮さんは、弓道用にポニーテールにした髪を魅せつけるかのように清純派女優の本領発揮と言わんばかりの爽やかな表情で微笑む。にしてもこの人は清純派で売っているだけあって、制服だとかこういう服装がいちいち絵になるから羨ましい。

 

 「・・・堀宮さん

 

 

 

 本当はこんなふうに穏やかなままで行けたらラクなんだけれど・・・そうもいかないのが私たち女優だ。

 

 

 

 「ん?」

 

 この後の二手勝負に向けて、更衣室の空気が重くなっていく一言(きっかけ)を堀宮さんに告げる。

 

 「・・・あの、さっきは

 「分かってるよ。蓮ちゃんが“そんなつもり”で“嫌”って言ったんじゃないってことぐらい。だから今日も“弓道場(ここ)”に来たんでしょ?

 

 私が言いたいことを察した堀宮さんは穏やかな表情をキープしたまま、 “全部お見通し”と言いたげな口ぶりで私が言おうとしたことを代わりに言って笑いかけ、せっかく気持ちを切り替えた私の心に矢を突きつけるかのように覚悟を問いてくる。

 

 

 

 “『あたしに“芝居”で負けることがそんなに怖い?』”

 

 

 

 「・・・当然です

 

 堀宮さんと初めて共演した“バトルロワイアル”の撮影自体は酸いも甘いも知ったことをひっくるめてもすごく楽しくて、役者(キャスト)として収穫できた経験値も大きかった。けれども私はあくまで助演で、どれだけ頑張っても主演(ヒロイン)の“引き立て役”でしかなくて、終わってみればじゃんけんに続いて芝居でも私は負けた。それでも引き立て役なりに全て出し尽くして完全燃焼した上で技量と実力が上回っていた堀宮さん相手に役柄と同じく綺麗に負けたから、作中だけでなく現実でも引き立て役のまま終わった悔しさは残ったけれど悔いは残らなかった。

 

 「勝ちに来たんで

 

 昨日発表された『ユースフル・デイズ』だけでなく、色んな作品でメインを張るまでに注目されてブレイクしている堀宮さんとの差は、きっとバトルロワイアルのときからほとんど縮まってなんかいないし、逆に遠ざかっているとも言える。

 

 

 

 “『そんなんじゃ蓮ちゃんは一生勝てないよ』”

 

 

 

 それでもやっぱり同じ相手に“二度も負ける”のは・・・どれだけ自分が不利な立場にいるとしても、受け入れることなんて出来ないし・・・受け入れたくもない。

 

 

 

 「・・・本気(マジ)で言ってる?

 

 “勝ちに来た”と改めて覚悟をぶつけた私に、堀宮さんは一歩近づいて私の両肩に手を置いて眼をギラつかせながら清純派の欠片もない不敵な表情を浮かべて笑い、更衣室の空気が一気に重くなる。

 

 「“マジ”です

 「“マジのマジ”で言ってる?

 「“マジのマジ”です

 

 容赦なく感情(こころ)を覗いてくる碧眼を負けじと凝視して、真正面から覚悟をぶつける。芸歴も経験もまだ浅くとも私だって芝居で生きてくと決めた女優(やくしゃ)だ。同じ“過ち”なんか繰り返さない。

 

 「じゃあさ、あたしに勝てたら何奢って欲しい?

 

 私の両肩に手を置き、不敵に笑って睨むようにまじまじと凝視したまま堀宮さんは私が勝ったときに貰うことになる“奢り”を聞いてくる。バトルロワイアルのときにもこんな表情を私に見せたことがあったけれど、あのときは“喰われる”という恐怖に心が負けてしまった。今だってそうだ。私はこの人から覗かれる視線にゾッとして、周りの酸素が少しだけ薄くなるような感覚を感じている。

 

 

 

 “『ねぇ、じゃんけんしよ?』”

 

 

 

 だけど、これから“ライバル”として前に立つ以上は、これぐらいのことで萎縮なんてしていられない。

 

 「・・・“トライアングル”。奢ってください

 

 呼吸を整えてどうにか心の動揺をコントロールして、ギラつく碧眼から眼を逸らさずに二手勝負の“ご褒美”を願う。堀宮さんに二手勝負で勝てたら奢って欲しいものは、“トライアングル”一択。

 

 「そんなのでいいの?このあたしにかかればファミレスのセットぐらいは奢れるよ?

 「トライアングルでお願いします

 「ぶっちゃけアレより美味しいものなんて幾らでもあるよ?

 

 一個150円で買える購買のパンを奢って欲しいと言った私に堀宮さんはファミレスを餌に意思を惑わそうと試すけど、これ以外の選択肢は頭の中にはないからもう惑わされない。別にめちゃくちゃ好きなわけじゃないけれど、今は“アレ”をこの人に奢らせたい。

 

 「いや、“アレ”がいいんです

 

 

 

 もちろんその理由はただ一つ・・・

 

 

 

 「堀宮さん(アンタ)に勝って・・・“奪い返し”たいんで

 

 冷静になってみればたかが150円のパンのために親友を賭けるのはどう考えてもバカな話だ。けれどもこれが、覚悟が足りなかった私から一度奢ったパンを奪い取った堀宮さんへの私なりの女優(やくしゃ)としての“礼儀”。

 

 

 

 「(やっぱり何だかんだで気持ちは切り替えてくるとは思っていたから、ここまでは予想通り・・・ただ問題は、無理やり切り替えた蓮ちゃん(この子)の心の“集中力”が果たして最後まで持つか・・・・・・ま、“どっち”に転んでも(あたし)は構わないけどさ・・・)」

 

 

 

 「・・・うん。悪くない

 

 私をまじまじと凝視して見つめる視線と表情がほくそ笑んで、一歩後ろに下がると同時に両肩に置かれた手が離れて身体が少しだけ身軽になる。

 

 「弓道場(ここ)に来たんなら嫉妬ぐらいさせてよね・・・・・・“ナギ”?

 「・・・はい。もちろん

 

 そして私のことを“役名”で呼んだ堀宮さんの楽しげな表情に真正面から応えて、私は射場へ向かった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 霧生学園高等学校_総合グラウンド_

 

 夕方の曇り空の下。去年に出来上がったばかりの新しい“総合グラウンド”の外れにある、一直線に伸びていくまだ綺麗な赤色をしたピット。斜め下に落としていた視線を前に向けると、踏み切り板の奥で今から跳ぶ俺を待ち構え鎮座するように地面に佇む砂場が視界に入る。幸いにも昼間に降った雨がすぐに止んでくれたおかげでピットは渇き、コンディションは良好。

 

 「・・・・・・」

 

 視線を再び斜め下の地面に下ろして、全身に伝わる力を極限までゼロにして身体をリラックスさせながら集中力を研ぎ澄ます。

 

 “・・・助走距離は40メートル。中間地点に置いた第1マークと第2マークを基準にして、“6・6・6”のリズムで40メートル先の踏み切り板までで18歩を刻む。最初の6歩で踏み切りまでのリズムを作りながら一気に加速し、次の6歩でリズムとペースを保ちながら踏み切り動作に入るために腰の位置を上げ、最後の6歩でリズムとスピードをキープしつつ踏切準備にかかり、踏み切る。そして踏み切ってからは空中で“6・6・6”のリズムで一歩ずつを刻んで “出来る限り遠くへ足を置く”ことを意識して身体が前へと進んでいく力を地面に身体が着くギリギリのタイミングまでフルに使って、その力をバネにして最後は両足を前に出し切り、出し切った足が着いた場所まで跳ぶイメージで腰から着地する・・・”

 

 「・・・・・・」

 

 助走から着地までのイメージを浮かべて、最後にもう一度マークの位置と自分の歩数を確認して、スタートラインの位置に左足を置き頭の中で“6・6・6”のリズムを刻みながらスタンディングスタートの体勢をとる。スタート前、ここから40メートル先に向けて加速していく身体に勢いを付けさせるために、重心を一旦後ろに反らしてその反動を使って左足のつま先を上げる。

 

 「・・・・・・っ」

 

 そして“6・6・6”のリズムに合わせて全身にかかる力を前方に持っていくイメージで左足を軽く曲げて前傾姿勢を作ると同時に、その力を左足に全て集中させつつリズムを意識しながら地面を押すように走り出す。

 

 “1”

 

 加速し始めた勢いを利用して左足に集中していた力を利き足の右足に移動させて、頭の中で流れるリズムに合わせて自然に身体が前に進んでいく力を最大限に利用して地面を押すイメージで加速を強める。

 

 “2、3、4、5”

 

 ここから6歩目にかけては頭の中で刻んでいるリズムで地面を押す両足で具現化させて、リズムの安定性を保ちながらも第1マークを目掛けて一気にトップスピードまで加速させる。

 

 “6”

 

 6歩目。リズムを刻み加速している俺の身体は、スタート直前に思い描いたイメージ通りにジャストなタイミングとポジションで左足が第1マークの地点を踏み込んだ。もちろん第1マークをドンピシャで踏めたことを喜ぶなんてことはせず、第2マークに向けてリズム、スピード、歩幅をキープする。

 

 “7、8、9”

 

 地面を押すリズムとスピードと歩幅が乱れないように意識を足に向けながら、9歩目を目安に最後の踏み切り動作に入るまでの体勢を作るために腰を上げて姿勢を作る。

 

 “10、11、12”

 

 踏み切り動作への体勢が出来上がり、そのままペースを保ったまま第2マークでキッチリと左足で12歩目を踏み込む。リズム、スピード、歩幅、体勢、完成形まではまだ遠いだろうけど我ながらここまでは順調だ。

 

 “13、14、15”

 

 第2マークを通過して、6歩先まで迫る踏み切り板の場所を意識しつつも“4箇条(ペース)”を保って16歩目までを刻む。

 

 “16”

 

 16歩目を踏み込んだところで、ここからリズム・スピード・体勢をキープしつつ17歩目の動作に入る右足に力を込めて、ピッチを上げる。走り幅跳びにおいて肝心なのは最後の2歩で、一番の理想は踏み切りの2歩前の歩幅を大きくとり、最後の1歩は小さく刻むこと。ここで踏み切り板の存在を意識し過ぎて最後の一歩を大きくとって合わせることをすると後ろ足の重心が後ろに逸れてしまって、結果的に前に進む勢いが潰されてしまうからだ。

 

 “17”

 

 実践前の反復練習で教わったアドバイス通りに踏み切り板の位置は敢えてあまり意識せずに“2歩前を大きく、1歩前を小さく”を意識しながら17歩目で踏み切りに向けて大きく最後の勢いをつけ、最後の18歩目は身体を空中に上げるイメージで踏み込む。

 

 “18”

 

 18歩目。空中動作に移ったほうがいいと無意識に反ろうとする身体を理性で抑えて神経を踏み込む左足と目の前の砂場へ意識させて、姿勢を保ちつつ僅かに重心を下げて左足をバネにして上へと跳ぶ準備をして、踏み込む。踏み込んだ瞬間、左足の底から板を踏んだ感触が僅かながらに伝わる。それを合図に18歩目を刻む左足にグッと力を入れて押し込み、反動でジャンプをするように上へと跳ぶ。

 

 地面を押す感覚がなくなり、宙に浮かぶ身体。前に進む力で浮かんだ身体をより遠くへ跳ばすため、空中を漕ぐように素早く右足を前に・・・

 

 

 

 ザッ_

 

 という空中動作をイメージしながら右足から砂場にスッと着地して、そこからゆっくりと前に進む身体を止めるために数歩ほど足を進めて、止める。もちろん俺がいまやっていることは助走と踏み切りまでの動作を行う練習だから、空中動作はやっていない。

 

 「“ギリ及第点”ってとこだが、コツは掴めたみたいだな?」

 

 踏み切り動作を終えた俺を、今日から直々の先輩となった走り幅跳びの2年生エースが“ギリ及第点”と冷静に評価する。

 

 「一応さっきの反復練習でイメージだけは掴めたつもりです。ただ、ここから跳ぶって動作に持っていこうとすると自分の中にあるイメージに身体がついていかない感じがありますね」

 

 実践練習の前に踏み切り動作の反復練習をしたことでどうにかイメージを掴めたおかげか、踏み切り動作までとはいえ2年生エースの先輩からはまずまずの評価を貰えた。けれども身体が宙に浮いた瞬間、頭の中にある純也の空中動作(フォーム)と自分の身体が噛み合わない感覚を俺は覚えた。

 

 「当たり前だ。陸上を中学から続けてたならともかく、昨日今日で陸上始めたような奴がいきなり空中動作まで完璧に出来るなんてあり得ねぇ。こういうのはひたすら練習を重ねて身体で覚えさせていくのがセオリーってやつだ」

 「はい、もちろんです」

 「本当に分かって言ってんのか?」

 「いまこうやって助走ありで踏み切りまでやってみて分かりました」

 

 なんてことをほぼそのままの意味で言葉にしたら、若干説教じみた感じでもっともなことを言われた。それにしてもこの2年生エースの先輩は、相手が7月のドラマでメインキャストをやるような奴が相手でも全く贔屓しないで普通に“後輩その1”のように淡々とクールに接してくる。自分で自分をメインキャストって言うのは事実とは言えまあまあ癪だが。

 

 「とりあえず夕野はもっと喜べよ。そもそも今まで陸上なんぞ全くやったことのねぇズブの素人が一日足らずで“ギリ及第点”まで行けんのはすげぇことだから

 

 

 

 そんな走り幅跳び2年生エースの先輩にしてスポーツコースに在籍しているこの人の名前は、王賀美岳(おうがみがく)。中学3年のときに高校で言うところのインターハイにあたる“全中”に出場して走り幅跳びで5位になったことがあり、霧生学園陸上部では1年生のときから走り幅跳びのエースとしてここの陸上部でただ一人、去年のインターハイ出場している本物の実力者にして陸上関連の雑誌で特集が組まれたこともある“高校陸上界”では名が知られているちょっとした有名人だ。ちなみにこの人は中学のときに全国大会で5位を獲ったことで強豪校からのスカウトが次々と来たというが、それらの誘いを全て断り“家から一番近くにある”という理由で弱小まではいかないが決して強豪というわけでもないこの学校を選んだという漫画みたいなことを現実(リアル)でやるような尖った感性を持っている。

 

 

 

 練習開始前の同じ学年の部員との会話にて_

 

 「ガク、早速1年の女子からお前宛てにラブレター来てたけどひょっとして口説いた?

 「は?んなこと俺がするわけねぇだろ。つか持ってくんないちいち

 

 

 

 ついでに付け足すとこの人は一色や早乙女といった“芸能界でも屈指のイケメン”と共演者として会っている俺から見ても“あの人たちと普通に勝負できるんじゃないか?”と思わせるほど端正な顔立ちの持ち主で、180以上は確実にありそうな高身長も相まって校内では下手な芸能コースの男子生徒よりも俄然女子からの人気があるらしい。

 

 「どうする?とりま中身だけでも見とく?

 「・・・一応中身ぐらいは見ておくか。そうしねぇと断りの返事書くか会って直接断るか決めらんねぇしな

 「ははっ、相変わらずガクは優しいのか冷たいのかよく分かんねぇな

 

 そしてその噂通りなのか今日は練習前に会ったことすらない1年の女子からラブレターを送られたことを同期の部員に愚痴っていた・・・ところをちょうど練習着に着替えて近くを通りがかった俺は盗み聞きの形で偶然にも聞いた。ひとまず、漫画や芸能人の武勇伝ぐらいでしか聞いたことのない内容の話を耳にした俺は、盗み聞きをしたことは黙っておくことにした。

 

 

 

 「・・・そうですね。自分で言うのもアレだけど、凄いことですよね

 

 最終的な完成形まではまだまだ遠い“ギリ及第点”とはいえ1日足らずでどうにかコツを掴んで形にしたことをもっと喜べとクールな表情で言う“王賀美先輩”に、俺は咄嗟の作り笑いで言葉を返す。もちろん純也を演じることを加味すると、この現状では1ミリたりとも満足も安心もできない。

 

 「・・・あんま嬉しくなさそうだな」

 「えっ?そうですか?」

 「“俺はちっとも満足してません”ってのが顔に出てる」

 

 上手く作り笑いで誤魔化したつもりが、指導をする先輩からはあっという間にバレてしまった。

 

 「・・・まぁ、はい」

 

 もちろん嘘を吐くのが得意じゃない俺は誤魔化しを重ねるようなことはせず、あっさりと白状する。

 

 「ドラマのことか?

 

 素直に喜べないことを白状した俺に、王賀美先輩は更に核心を攻める。考えてみれば、メディアを通じて公開された“メインキャスト”の話を、コースは違えど同じ学校に通う生徒が知らないなんてことは余程のことがない限りあり得ない話だ。きっとこの人も『ユースフル・デイズ』のことはニュースか何かで見ていて、“部外者”と言えど勘づいているんだろう。

 

 「どうしてですか?」

 「そんぐらい話題になってんだよ。俺ら“パンピー”の間でも」

 

 ただ、幾らなんでも勘が鋭すぎないか・・・と少しだけ思うけれど。

 

 「・・・詳しくは言えないんですけど・・・そういうことです

 

 とはいえそれをお互いが悟られ悟った以上、俺はもう言い逃れはしない。とにかく、全ては完璧に“純也”を演じるためだ。

 

 

 

 “『7月のドラマの撮影が終わるまで・・・こうやって話すのやめにしない?』”

 

 

 

 「夕野・・・踏み切った後の空中動作はこの際どうだっていいから、5分休憩したら試しに本気で跳んでみろ

 

 詳しい話なんて言えるわけないが半ば観念して端的にドラマ関係のことだと打ち明けた俺に、王賀美先輩はぶっつけ本番で跳んでみろと静かに発破をかける。

 

 

 

 

 

 

 “『ジュン・・・・・・ううん、なんでもない』

 

 

 

 

 

 

 「はい

 

 “同じ種目”を専門にしている先輩からの挑戦状に、心を切り替えた俺は“”のことを思い浮かべながら引き受けた。




戦いは、それぞれのペースで進んでいる_



アクタージュを書いているはずなのに、最近調べているのは弓道と陸上のことばかり・・・・・・無論、作者は陸上に関しても未経験の素人以下なので基本的にフィーリングで書いています。さーせん。

※ここから先の後書きに書かれていることはアクタージュとは何の関係もない作者のひとりごとです。そこそこの長文ですので、興味ねぇよって方はスルーして頂いて大丈夫です。






話は変わりますが、“秋の日本グランプリ”は今年で見納めになります。もちろんこの時期は台風の影響も相まって天候が荒れやすいから春に開催したほうがいいという考えは本当によく分かります。決勝が短縮された去年の鈴鹿が記憶に新しいですが、特に2014年は台風による悪天候の中で予定通り決勝がスタートして、結果論ですがジュール・ビアンキ選手が亡くなるという悲劇も起きています。このように台風によって何度も泣かされてきた過去がありますので、日本グランプリの春開催に舵を切ったFIAの判断はいちファンとしてやむを得ないと思うのと同時に、大いに賛成しています。ただ・・・やっぱりチャンピオン争いが絡まない序盤戦の鈴鹿というのは、ファン歴18年からすればどうしても何か物足りないような寂しさを感じてしまうんですよ・・・・・・ほんのちょっとだけなんですけどね。

しかし、台風などの悪天候に左右されるリスクが少ない、フォーミュラE(東京)との二週連続開催による相乗効果、物流面での効率化による温室効果ガス排出量の削減・・・最後のやつに関してはファンにとってはそこまで関係のないことかもしれませんが、春開催ならではのメリットはたくさんありますので、ひとまずはいちモタスポファンとしてF1の転換期を受け入れて来週末に迫る“最後の秋”、そして“新しい春”のどちらも純粋な気持ちで楽しみながら53周のハイスピードドラマを見届けたいと思います。

がんばれつのっち


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scene.85 勝負①

つのっち鈴鹿おつかれ&残留おめ


 同日_12時45分_中央自動車道下り線・河口湖IC付近_

 

 「zzz・・・・・・藤くん?もう現場着いた?」

 

 法定のスピードで動いていた車が止まる感覚と一緒に、アイマスクの下で何かしらの夢を見ていた俺は目を覚ます。今日の撮影は山梨の樹海と聞いていたはずだけど、何だか思ってた以上に早く現場に着いたな・・・

 

 「・・・って、まだ着いてねぇじゃん」

 

 と、そんな感じで呑気にアイマスクを外して周りを見渡すと、運転席に座る藤井がちょうど料金所で通行料を払っているところだった。普段の俺は一度車で眠ったら目的地に着くまでしっかり寝れているが、どうやら今日は早とちりしてしまったみたいだ。まぁ、いつもより短時間だけどぐっすり眠れたことでハードスケジュールで寝不足気味の脳は良い具合に回復したからそこまで不満はない。

 

 「あ~あ、この車の行き先が“富士Q”だったらなぁ」

 

 とはいえ予定よりも推定で2,30分は早く起きてしまった若干のイライラは否めないから、ちょうど左の窓に映る遊園地へ視線を移して冗談半分で運転席の藤井に愚痴る。

 

 「今から行きますか?“富士Q”?」

 「えっ?マジで行ってくれんの?」

 「その代わり仲良く2人揃ってアリサさんや各方面から“お灸を据えられる”ことになると思いますが」

 「お灸だけで済めばいいんだけどなー」

 

 運転席の窓を閉めた藤井は、後部座席に座る俺からの冗談半分の愚痴にしっかりと乗りながらもハンドルだけはちゃんと逆方向の出口へと向けて車を走らせる。俺的にはこのまま“富士Q”のほうの出口に出て駐車場でチケットを取るところで”あ、間違えた“みたいなことをやってくれたら最高に“おもしれぇ”けど、さすがにそういう一発芸をただの専属マネージャーに求めるのは行き過ぎた“我儘”だから無論やらないし、マジでやるのは俺だって求めてない。

 

 「けれども十夜さんはついこの間の日曜日にお台場であずささんたちとお忍びで映画鑑賞などをして過ごしていたのでは?」

 「あれはどっちかっていうと“仕事の延長”だからさ。ほら、オレらって来月から『ユースフル・デイズ』の撮影入るじゃん」

 「なるほど、共演者同士の親睦を深めるみたいな?」

 「まーそんな感じよ」

 

 それに来月からは“あのドラマ”の撮影が始まるから、はっきり言って余裕をこいている暇なんてない。一応今回のドラマは出演者の大半がリアルな“高校生”のためなるべく平日は避けて学校でのシーンは土日に集中させるらしいとアリサ伝手で聞いてはいるが、常に出ずっぱりの俺たち“メインキャスト”に、そんなのは関係ない。

 

 「あのさ藤くん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

 「はい。何でしょう?」

 

 特に俺みたいな“事務所の広告塔”となると、1つの作品に一極集中する暇すらもない。

 

 「ぶっちゃけオレって“このまま”で良いんかな?

 

 なぜなら俺は、他の三人とは違って求められる“芝居(もの)”が違うからだ。

 

 「・・・どうされました?

 

 出来レースも同然のオーディションを勝ち抜き、俳優としてスターズから芸能界に入り、“スターズの王子様”として業界からも世間からも持て囃されて、分刻みで組まれたハードなスケジュールを歯車のようにこなしていく日々。

 

 「いや・・・なんかいま入ってるスケジュールが全部終わったら1ヶ月ぐらい“(いとま)”したい気分だな、って話」

 

 ぶっちゃけた話、21世紀を迎えてから3月に一回だけしか学校で授業を受けた日がないくらいには忙しい“超有名人”の日常を送っていると、休みの日に楽しいことだけを考えて遊園地のアトラクションや観覧車に乗っている一般人が“自由”に見えてつい羨ましく思える瞬間が不意にやってくることがある。

 

 

 

 “・・・結局忙しすぎて“千夜子”ともまだ会えてないしな・・・

 

 

 

 「・・・さすがにお疲れですか?」

 「いいや、体力もメンタルも余裕綽綽。ただぶっちゃけスターズ的に王子様(オレ)に“おんぶにだっこ”な状況が続くのはよろしくないでしょ?」

 「なるほど・・・確かに芸能事務所の所属俳優やタレントで1人だけ突出して注目されているという状況がずっと続くのは、“この後”のことを考えるとあまり良いことではないかもしれませんね」

 「ハハッ、さすが藤くんは話が早いから助かるわ」

 「いえいえ、滅相もないです」

 

 別に身体も心も疲れてなんかいないし、俳優(やくしゃ)を生業に生きているいまの生活に不満はない。ただ、漠然とした“ひとつの思い”がふと心の中で渦巻く瞬間が前触れもなく訪れることがある。

 

 「それにさ・・・・・・このオレがずっと“スターズの王子様”でいるとは限らないじゃん?

 

 

 

 俺はいつまで、“スターズの王子様”と言われ続けるのか。果たして今いる“この場所”が、役者として生きていく上で本当に正解なのか・・・

 

 

 

 「・・・アリサさんには私の方から相談しておきますか?」

 「いや、機会が作れたらオレが直接話すから藤くんは何もしなくていいよ」

 

 後部座席からの言葉にただならぬ気配を感じてか、普段のどこか余裕そうな雰囲気から急に珍しく本気で心配気な口調になって聞いてきた運転席の藤井に、俺はいつも通りの感じで言葉を返す。

 

 「あとこっから寝れるかどうかわかんないけど、やっぱ現場着くまでもうひと眠りするわ」

 「承知致しました」

 

 そしてこの後の撮影に向けて気分を切り替えるため、俺は一旦開けた視界を再びアイマスクで・・・

 

 ヴゥゥ_ヴゥゥ_

 

 閉じる寸前という嫌がらせとしか思えないタイミングで、ポケットに入れていた俺の携帯が揺れて着信を知らせてきた。

 

 “『_おつかれ先パイ。そっちの調子はどう?_』”

 

 下ろしかけていたアイマスクを頭にかけて画面を開くと、杏子から一件のメールが来ていた。向こうは今ごろお昼休みか、はたまた休憩時間か移動時間か・・・は置いとくとして、どうやらそっちはそっちで来月の撮影に向けて順調に頑張っているみたいなのは、自分が“曰く付きのドラマ”でメインキャストの1人に抜擢されたとは思えないくらい能天気なメールの一文で何となく分かった。

 

 

 

 もちろんそれは、俺も同じだ。

 

 

 

 “『_絶好調ナリ_』”

 

 杏子からのメールを速攻で返して、俺は今度こそ頭にかけていたアイマスクを下ろして瞑想に入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 霧生学園高等学校_弓道場_射場_

 

 「只今より、1年I組・環蓮、2年I組・堀宮杏子による射詰競射を執り行う・・・競技内容は立射による二手勝負。二手以内に先攻が失中し後攻が的中、あるいは先攻が的中し後攻が失中した場合は実際の規則に従い競技終了とみなすが、先攻後攻どちらもが失中した場合は、遠近競射による決着とする・・・」

 

 

 

 「ははっ、平仁ったらいっちょ前に仕切っちゃってカッコイイ~」

 

 射場の控え室。左手に練心(れんしん)*1、右手に一本目の矢を持つ私は、他の部員を集めて射場で二手勝負を取り仕切る主将の“スミス先輩”、もとい清水平仁(しみずへいじ)ラウール主将からの試合開始の合図を堀宮さんと一緒に待っていた。

 

 「大丈夫ですか?集中力を高めないで余裕なんかこいてて?」

 「集中力の高め方なんて人それぞれよ。ま、あたしは“天才”だし切り替えるのも一瞬で終わるから無問題(もうまんたい)だけどね」

 

 主将が試合内容の説明をして、ここからいよいよ入場という場面でも、隣に立つ堀宮さんは試合前とは思えないくらい余裕綽綽な感じで私からの僅かな心配を跳ね除け飄々と笑ってみせる。

 

 「はいはい。それはまたお気楽なことで」

 

 全く、これじゃあ真面目に集中力を高めてる私が馬鹿みたいだ。そもそも堀宮さんは“本気”で私と憬の関係を賭けているわけじゃなくて、あくまで私自身の“覚悟”がどれくらいかを見極めるためにわざとああいうふうに発破をかけているだけって可能性も十分に考えられる。だってそうじゃなかったら、“本音”を選んだ私のことを本気で怒るようなことは、きっとこの人だったらしない・・・100パーセント言い切れる根拠はないけれど、それが本当だとしたらここまで力んで勝負に挑む必要なんてあるのか?と思わず疑問が浮かぶ。

 

 「蓮ちゃんは蓮ちゃんで気負い過ぎじゃない?」

 「・・・そうですか?」

 

 もういっそのこと、選択体育の授業で教わったときみたいにサクッと勝負を決めるぐらいの意気込みで行くのも手かもしれない・・・だって中学のときはそれで同じクラスの元主将と良い勝負をしたんだから。

 

 「武道に“雑念”は禁物だよ?」

 

 

 

 “もちろん・・・これはそういう問題じゃない

 

 

 

 「心得てますよ・・・・・・今日は“勝ち”に来たんで

 

 試合前でもマイペースを貫く堀宮さんを尻目に、私も私なりの“マイペース”を貫く。この人の言う“賭け”が本気なのか“試し”なのかなんて考えない。そんなもの、勝負に勝った後に問いかければいい。

 

 「・・・そっか

 

 改めて最後の宣戦布告をした私に堀宮さんは静かにそう呟くと、両手に自分の弓と矢を持ったまま足音を立てずにスッと背後につく。その一連の所作は普段の堀宮さんからは想像がつかないほどおしとやかで、まるでもう10年以上は弓道を極めているんじゃないかと思えるくらい無駄がなく洗練された動きに感じた。

 

 “・・・空気が変わった・・・

 

 そして試合前に2枚の紙を選んで“後攻”になった堀宮さんが背後についた瞬間、控え室の空気が一瞬にして変わる。何が起きたのかは振り返らなくても、背後から伝わる“殺気”にも似た気配で分かる。つい数秒前まで必死に集中力を高めていた私を横目にお気楽なムードで大真面目に試合を仕切るスミス先輩を遠目で見ていた人が、この後の二手勝負に向けて私以上に集中力を研ぎ澄ましている。

 

 “・・・雅?

 

 振り向くことすら無意識に躊躇ってしまうほどの気配に堪えながら、私は背後を一瞬だけ一瞥すると、視線の先で堀宮さんは凪子との勝負を目前にした“”と全く同じ表情を浮かべて私を睨むように見つめていた。同じようなではなくて“全く同じ”なのは、この人の気迫ですぐに分かった。

 

 

 

 “いや、そうか・・・この人は最初から・・・

 

 

 

 『もう、さっきから顔怖いよ雅?大会でも練習試合でもないのに気負い過ぎじゃない?』

 

 「・・・堀宮さんこそ大会でも練習試合でもないのに気負い過ぎじゃないですか?顔、怖いですよ?

 

 心の“スイッチ”を切り替えた堀宮さんの表情を見て意図を察した私は、新主将をかけた射詰競射を前に雅へ声をかけた凪子と同じ意味を持つ言葉を、視線を前に向けたままぶつける。

 

 『・・・ナギにだけは黒星なんて付けられたくないから・・・』

 

 「蓮ちゃんごときに黒星なんて付けられたくないからね

 

 返ってきた言葉は口ぶりこそ雅とは反対に余裕さが見えるが、台詞自体は雅の言っていた言葉とほとんど同じで、向けられている感情はもはや“雅”そのものと言っていいほどリンクしている。堀宮さんにとってはこれからやる射詰競射の単純な勝敗はどうでも良くて、“本当の狙い”はあくまで雅の役作り・・・だから今ここにいる私は、言ってしまえばこの人の役作りにまんまと“利用されている”だけの状況だ。

 

 “・・・なんだ・・・私はただこの人に“騙された”だけか・・・

 

 私や憬が専門のトレーナーや経験者からの特別指導に加えて役作りのために実際に演じる役と同じ部活動に入ったのと同じ感覚で、堀宮さん(この人)は憬を“ダシ”にして雅が“ライバル”だということを私の意識に植え付けて、つい“その気”になって袴を着て射場に来てしまった私を利用して自分の演じる役の役作りをしている。 “こんなことまでして何が楽しいんですか?”なんて聞いたところで、返ってくる答えはたかが知れている。

 

 

 

 “『あたしを“負かす”んでしょ?だったら“負かせる”だけの覚悟を見せてくれなきゃ』”

 

 

 

 この人は目的のためなら手段なんか選ばないで必要とあれば人を欺く真似も厭わない役者(ひと)だというのは、“同じ(タイプ)の役者”と長いこと同じ部屋で生活しているから分かる。もちろん、本人には何一つ悪気がないところもきっと同じ。

 

 

 

 “そっちがその気なら・・・・・・“こっち”もなりふり構わず利用するだけ

 

 

 

 『・・・そう簡単には勝たせないよ。雅』

 

 「・・・そう簡単には勝たせませんよ。堀宮さん

 

 雅の言葉を交えた堀宮さんからの挑発に、私は“凪子”の言葉を使って振り向かずにそのまま返す。もう魂胆が分かってきた以上、何の迷いもなく正々堂々と勝負できる。バトルロワイアルのときみたいに挑発にまんまと引っかかって“じゃんけん”に負けて黒星をつけられた弱い私はもういない。この私をまた易々と都合よく騙せるなんて思ったら・・・大間違いだ。

 

 

 

 “『それ・・・本当に“必要”か?』”

 

 

 

 「射手、入場

 

 スミス先輩の合図がすぐに掻き消してくれたが、こんな大事な時に(あいつ)から掛けられた言葉がほんの一瞬だけ私の脳裏をよぎった。“必要”だから遠ざけたくせに、何を私は自分勝手に振り返っているのか。

 

 

 

 『ブレたら終わり・・・全ての神経を正鵠(せいこく)に集中させる』

 

 

 

 矢を構えたときの凪子の独白を思い起こしながら心の中のスイッチを切り替えて、先攻の私は先陣を切って足音を立てず床を沿うように一歩を踏み、静かに下座側から射場へと出る。左手に持つ練心の末弭(うらはず)*2が地面に触れないように右手で握る矢と共に腰の位置で平行に保つことを意識しながら、体勢を一寸たりとも崩さないように二手勝負を見守るスミス先輩たち部員が一堂に会す上座へと身体を向け、一礼する。

 

 “・・・スミス先輩・・・”

 

 上座へ一礼すると、ほんの一瞬だけ私たちの勝負を取り仕切ることになった主将のスミス先輩と目が合った。確か堀宮さんとは“はとこ”の関係で、顔をよく見ると共通点があると堀宮さんは言っていたけど、言われてみれば面影はある。顔立ちはやや強面でいかにも外国人との“ハーフ”っていう感じだけれど、鮮やかな亜麻色の髪と青空みたいに綺麗な碧眼は“はとこ”と本当にそっくりなのは、意識すればするほど感じる。

 

 “はとこが相手ですが、容赦なく勝たせて頂きます”

 

 そんなスミス先輩に、初日から体配*3や射法八節*4、手の内*5など基礎的な感覚を取り戻して弓道に身体を慣らす私を真摯に指導してくれた“”を心の中で返して、私は再び身体の向きを前に戻し立ち位置となる本座へと歩を進める。自分の立ち位置が近づけば近づくほど、緊張感は大きくなっていく。どんなに感覚を振りほどこうにも、部員全員が私と堀宮さんに注目しているのが平常心を保つ意識に入り込む。

 

 “久しぶりだな・・・こういう感覚”

 

 部員全員が、私と堀宮さんの一挙手一投足に注目している。それは選択体育のときだってそうだった。女優の私はいつも学校の中じゃ注目の的で、実技の延長でたまたま同じクラスにいた弓道部の元主将と今みたいに射詰をしたときも、こんな感じでみんなから注目された。結果は5射目で後攻の私が外して試合終了になったけど、まさかここまで狙い通りに矢が的に当たるとは思わなかったし、何よりもその瞬間だけは自分が“主役”になれていた気がして、負けたことなんかどうでもよかった。

 

 “・・・でも今回ばかりはそうはいかない”

 

 数歩後ろを全く同じスピードで本座へと歩を進める“本当の主役”の気迫が、背後からズシリと圧し掛かる。考えても見れば中学の選択体育でやったことがあるだけの未経験に羽が生えたぐらいの素人が、いっちょ前に中学のときに都大会で3位になったこともある“直心(じきしん)*6使いの経験者を相手に“初心者向けの練心で挑むこと以外はハンデなし”で挑もうとしているこの光景は、傍から見れば本当に畑違い・・・ってところだけど、これでも私は未経験ながら選択体育の授業で弓道部の主将だったクラスメイトと本気で矢を射合って自他共に“結構いい勝負”をしたことがあるぐらいだし、その時の感覚は昨日の練習であっという間に掴めたから、二手までなら的中させる自信だけはある。

 

 

 

 “『このまま弓道続けたら主将どころか都大会で優勝できるくらいの素質はあるよ。環さん』”

 

 

 

 本座の立ち位置に両足を揃えて、自分の背丈分ほど離れた立ち位置に堀宮さんが立ったことを左から聞こえる僅かな足音をたよりに感じ取って、的に向かって一礼する。昨日の練習終わりにやや強面な見た目に反して親身で優しいスミス先輩から言われたけれど、どうやら私は都大会で優勝できるぐらいの素質があるらしい。幸か不幸か、私には弓道の才能が“ある”みたいだ。

 

 

 

 “そんなもの持ってたって・・・・・・芝居が出来なきゃ意味がない・・・

 

 

 

 心の奥にある“負の感情”が出てくる前に意識を眼前に戻して、上手側に立つ堀宮さんと同時に視線と意識を再び的へと向ける。

 

 

 

 “違う・・・大事なのは意味とかじゃなくて、堀宮さん(この人)に勝つこと・・・勝って何かを“得る”こと・・・・・・“武道に雑念は禁物”だ・・・

 

 

 

 “武道に雑念は禁物”・・・試合前の堀宮さんからのさり気ないアドバイスを合図に、私は堀宮さんと共に左足から踏み出して三歩目で顔だけを的の正面に向けたままつま先を揃え身体を右へ90度向けて、射位に立つ。沈黙と共に押し寄せる緊張をゆっくりとした呼吸で払いのけ足踏み、胴作りの順で構えをとる。視線と顔を的から正面に戻した瞬間、これから“射詰競射(しょうぶ)が始まる”という実感が頭の中で音を立てるかのように強くなる。

 

 “慌てることはない・・・これしきの緊張感、カメラの前で誰かを演じるときの緊張に比べたらどうってことないのは分かってる・・・

 

 次の動作に移る直前、小さく深呼吸を一回挟んで心身に溜まっている余分な力を抜け切り、所作に神経と思考を“全集中”させる。

 

 

 

 “・・・ここから先は・・・“ブレたら”終わり・・・

 

 

 

 呼吸と共に身も心もフラットにして、“礼射系”という作法に乗っ取って“矢番(やつが)*7、“打ち起こし*8を行う。ちなみに原作で凪子がやっている所作も、単行本の裏設定によると“礼射系”だというから、これはちょっとしたラッキーだった。

 

 「・・・ふぅ」

 

 “引き分け*9の動作に入る前に、一息を吐いて少しだけ溜まった緊張を再度解く。ここで下手に的を意識して力んでしまうと、次につながらなくなる。

 

 「・・・っ」

 

 腹を決めて息を吸い込むのと同時に左手と右肘を“斜め上”に上げて、身体の左右が的の正鵠*10と綺麗に“縦横十文字”の一直線上になることを意識しながら押し開けるよう左手で弓を押し、右手の親指と人差し指で挟むように支えながら右肘で矢を引き、狙いを定める。

 

 

 

 “『弓道は“筋肉”で引くものではなく、“骨”で引くものです』”

 

 

 

 中学の授業のときに担当の先生から教わり、スミス先輩からも昨日改めて教わった要となる“引き分け”の極意。これは“腕の筋肉を使うな”と言っているわけではなく、“腕の筋肉に頼るな”という意味合いのほうが正しい。安定した軌道で矢を射るにはそれ相応の力は必要だけど、だからといって腕の力だけを頼りに弓と矢を引こうとしても身体全体が力んでしまい、狙いは思うように定まらない。大事なのは体幹と、腕から肩にかけての関節を意識し徹底して無駄な“筋力”を使わずに力を込めること。こうすることで身体のブレはなくなり、狙いも定めやすくなる。もちろんこれは中学の授業の時点でコツは掴んでいたから、昨日の練習でも割とすぐに感覚を取り戻せた。

 

 “経験値だけはどうにもない・・・・・・でも、二手までならやり合える

 

 謙遜と過信の狭間を行き来する自信を両腕に乗せて、視線と意識を“正鵠”へ向けて、引力に逆らい余計な力を入れようとする上半身の筋肉を理性と集中力で力み過ぎないよう抑え込みながら“十文字”がブレないように正しい力を込め続け、引き分けの姿勢を続けて狙いを定める。ここで少しでも心身が引力に負けてしまえば、全てが水の泡だ。

 

 “・・・弓道は“ブレたら”終わり・・・

 

 呼吸を整え、決して焦らず、自らの身体と対話をしながら“”を待つ。緊張はしない。意識の全ては、28メートル先の“霞的(かすみまと)*11に向けているから、緊張なんてする暇もない・・・

 

 

 

 “・・・・・・ここだ

 

 

 

 的に向けて研ぎ澄ます意識の中にほんの一瞬だけ矢の軌道が視える瞬間が訪れる。その一瞬を狙い撃ち、最後の“残心*12へ繋ぐことを頭の片隅に置きながら矢を抑える馬手(みぎて)から矢を離す。

 

 キャンッ_

 

 独特な乾いた音を立て、放たれた矢は一直線に軌道を描きながら的へと吸い込まれるように空を切り、二の黒に的中した。もちろん狙っていたのはど真ん中の中白だったから理想の軌道からは少し逸れてしまったけど、感触は良好。

 

 「おぉ・・・」

 

 私の放った矢が的中した瞬間、上座で勝負を見届けている部員の何人かが小さく驚いたような声を上げる。ひとまずこれで多少はプレッシャーをかけることができたと信じたいが、油断はせずにすぐさま残心の所作をとり本座へと戻り、二本目に気持ちを備える。堀宮さんに勝つためには、最低でも四本の矢を全て的に的中させなければいけない。

 

 

 

 “・・・射詰で雅に勝ってこそ・・・“凪子”なんだから・・・

 

 

 

 憬と奢りを賭けた二手勝負は、ここからが本番だ。

*1
初心者向けの弓

*2
弓の上端にあたる部分

*3
入場から退場までの一連の所作

*4
矢を射るときに行う8つの基本動作

*5
弓を構えるときの握り部の握り方

*6
中・上級者向けの弓

*7
弓を引く前の準備にあたる動作

*8
矢番えを終えて弓を引く前に弓矢を持つ両手を上に上げる動作

*9
打ち起こしの体勢から両手を左右に開き、的を狙う体勢にする動作

*10
霞的の中心にある白円。この円の中と外のどちらに矢が的中しようが “あたり”とみなされるため得失点等の差はない(ただし遠近競射の場合は的の中心に近い位置に矢を的中させた者が上位とみなされる)

*11
一尺二寸の大きさの的で中心から中白、一の黒、二の白、二の黒、三の白、外円の順番で輪状に塗られている的。ちなみに大学弓道を除く一般や中高生の大会ではこの的が使われている

*12
矢を放った後の姿勢




この的を、矢を射よ_



しれっとですが、おかげさまで100話に到達しました・・・・・・厳密に言うとキャラ紹介で2話分を費やしているので“本当の意味”での100話は“102話”になるのですが、誠に勝手ながら“前祝”とさせていただきます。

正直言ってこの小説は皆さまに好かれるようなお話というよりは、好き嫌いや賛否がハッキリと分かれるような自分勝手なお話だと、書いている作者自身は勝手に思っています。だって100話まで進んで何をやっているのかと言われたら、高校生の環蓮がオリキャラと弓道をやっているようなお話ですよこれ。もちろん“アクタージュ”というわけでお芝居はちゃんと絡んでいるんですけどね・・・ていうか注釈多すぎだろ今回・・・・・・すいません今のは独り言です。はい。

とまぁ、こんな感じの自分勝手なお話ではありますが、それでも作者の自分勝手を受け入れて下さるばかりか“お互い頑張って行きましょう”とエールまで送って頂いた方をはじめ、最新話まで根気強く読んで下さっている読者の皆さまの支えもあって、100話という一つの大台に何とか辿り着くことができました。

最後にこれからも作者の自分勝手は“愛”も変わらず続いていきますが、何卒よろしくお願い致します。


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scene.86 勝負②

MFゴースト、開幕。


 “『お疲れ様です。堀宮さん』”

 

 時刻は共演者のみんなが夕食のバイキングを済ませて各々自分たちの部屋へと戻って行った夜の8時過ぎぐらいのこと。“バトルロワイアル”の2日目の撮影が終わった日の夜、私は堀宮さんから“1対1でどうしても会って話したい”とロケ先の宿泊施設にあるテラスへと呼び出された。

 

 “『おっ、マジのマジで来たじゃん』”

 “『いや、そっちが“会って話したい”って言うから来たんですよ(ていうか“マジのマジ”って何?』”

 

 開口一番に“マジのマジ”という口癖と共にテラスの柵に寄りかかるようにして私を待っていた堀宮さんは、“デスゲーム”を通じてのクラスメイト同士の殺し合いの中でも最後まで“殺し合い”を止めるために奔走する友達思いの誠実なヒロインとはまるで真逆な態度と振る舞いで私を出迎えた。

 

 “『あの、わざわざ私を呼び出した理由はなんですか?』”

 “『まぁそう焦らない。先ずは好きな食べ物からでも話そうよ?だって蓮ちゃんとはお互い初対面だし』”

 

 それで何を話すかと思ったら、先ずはそれぞれで自己紹介ときた。正直言って自分の時間を割かれた形になっていた私は早く理由を知りたかったけど、相手が自分より芸歴的に10年近くも離れている先輩であるが故、ひとまずは後輩として堀宮さんの話に付き合うことにした。

 

 “『10歳のときかな・・・ドラマで共演してた同い年くらいの子から撮影の休憩時間にこんなふうにスタジオの裏に呼ばれて、 “人の真似っこをすることしかできないんだったら今すぐ消えてくれないかな?”って言われたことがあってさ・・・・・・それを聞いていつか絶対“その子”を助演で従えてヒロインになってやるって決意したときの思いが今でもずっと心の中にあって・・・だからあたしはこの芸能界っていう“ヘンテコ”な世界で頑張れてる』”

 

 そして何度かの“寄り道”を経たのち、会話はどうして“女優”を頑張れているかという話題になった。自分が女優を頑張れている理由を私に打ち明けた堀宮さんの表情は飄々と笑みを浮かべていながらも普段とは打って変わって本当に真剣で、私はこの人が“根っからの努力家”だということを知った。

 

 “『蓮ちゃんはどうして“女優”を頑張れてるの?』”

 “『私・・・ですか・・・』”

 

 理由を打ち明けた堀宮さんから続けて“理由”を聞かれたが、話そうとした瞬間に私は何とも言えない“恥ずかしさ”に襲われて言葉が出て来なくなったしまった。それはいつもの自分だったら恥ずかし気なく言えるはずのことだけど、会話の流れに乗ってさり気なく打ち明けようとしたら何故か言葉が詰まった

 

 “『蓮ちゃんがそこまでして頑張ってる理由はなに?もしかして演じてる役が途中で退場しちゃうから張り切ってるとか?』”

 “『そんな安っぽい理由なんかじゃないですよ』”

 “『じゃあどうして?』”

 “『それは・・・・・・どうして堀宮さんに言わなきゃいけないんですか?』”

 “『だって気になるから。蓮ちゃんがそこまで“マジのマジ”になれる原動力が・・・ね?』”

 “『・・・先輩からのお願いだからって教えませんからね。だって堀宮さんには関係ないことだし』”

 

 謎の恥ずかしさで言葉を詰まらせた私を見た堀宮さんから勝手に“雑な理由”を決めつけられてムカッときた私は、せめてもの抵抗としてだんまりを決め込もうとした。

 

 “『ねぇ・・・じゃんけんしよ?』”

 “『・・・じゃんけん?』”

 

 そんな“だんまり”を決めた私に、堀宮さんは唐突にじゃんけんを持ちかけた。どうしてじゃんけんをいきなりしようとしてきたのか、この人の会話のペースに理解が追い付かなかった。

 

 “『うん。今からあたしと蓮ちゃんでじゃんけんして、勝ったら特別に蓮ちゃんの役作りにマンツーマンで付き合ってあげる』”

 “『・・・もし私が負けたら?』”

 “『蓮ちゃんが女優を頑張れる秘密をあたしに教えてよ。誰にも言わないから』”

 “『・・・いや、だからじゃんけんをする意味がわからない』”

 

 ただ、じゃんけんだったら誰にも負けない自信はあった。幼稚園に通っていた頃にお母さんから絶対に勝てる“おまじない”を教えてもらってからは、冗談抜きでずっとじゃんけんは無敗だったから。

 

 “『そんなに悩む必要なんてあるのかな?だって蓮ちゃんってじゃんけんめっちゃ強いから絶対に有利じゃん・・・・・・それとも、あたしに“じゃんけん”で負けちゃったら勝てる“モノ”が何もなくなっちゃうのが怖いから?』”

 “『・・・・・・は?・・・なわけないでしょ?』”

 

 だから私は、堀宮さんからの挑発にムキになって乗った。

 

 “『あ、なんかごめんフツーに勝っちゃった』”

 “『・・・・・・うそ』”

 

 その結果、私は普通に呆気なくほぼ10年ぶりくらいにじゃんけんで負けた。敗因はもちろん、ムキになるあまり“おまじない”を忘れたことで堀宮さんに差し出す手を見抜かれてしまったこと。そして、堀宮さんもまた私と同じ“おまじない”を使っていたこと。

 

 “『じゃ、そんなわけで教えてもらいましょうか?蓮ちゃんが“頑張れる”理由・・・』”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャンッ_

 

 堀宮さんの馬手(めて)*1から、乾いた音と共に三本目の矢が放たれる。矢番えから“十文字”の姿勢を取り、矢を放つまでの全ての所作が丁寧で無駄なくおしとやかでまるで“大和撫子”のように美しいから、勝負のことをつい忘れて私は見惚れそうになる。

 

 「おぉー」

 「真ん中いった?

 

 堀宮さんのまさしく“お手本”と言える美しい所作から放たれた矢は、鋭く綺麗な一直線に軌道を描いて的のど真ん中に吸い込まれるようにあわや中白に当たったんじゃないかと思えるほどスレスレの“一の黒”に的中して、上座が思わずざわめく。

 

 “・・・やっぱり、強い”

 

 そんな周囲のざわめきなど全く聞こえていないかのように、堀宮さんは表情一つ変えずに残心をとり、私の待つ本座の位置に戻る。ちなみに三本目までを終えた時点の成績は、私が二の黒・三の白・二の黒で、堀宮さんが二の白・一の黒・一の黒(※あわや中白)。やっぱり所詮は“やってみたら普通に出来た人”と“都大会3位の実力者”なだけあって、軌道の安定感だと堀宮さんにはまだまだ及ばない。ひとつだけ言えることは、弓道の的が“得点制”だったら私の勝ち目は限りなく少なかった。

 

 “これは遠近競射まで行ったら相当集中力上げないとキツイかもしれない・・・”

 

 とはいえ、四本全てを的中させても“遠近競射”が残っているから油断できない状況が続いているのは相変わらずだ。きっとここまでの流れだったら、堀宮さんは危なげなく四本目も決めてしまうだろう。そう考えると、射詰で四本を全て的中させたところで全く安心はできない。そもそも“安心”なんてしたらその瞬間に武道は“終わり”なんだろうけれど。

 

 

 

 “『蓮ちゃんごときに黒星なんて付けられたくないからね』”

 

 

 

 だけれどこれはただの“勝負”じゃなくて、お互いの“役作り”も掛かっている。ならば原作の展開通りに勝負が進んでいくとしたら、凪子(わたし)が勝って(堀宮さん)が負けなければいけない・・・もしもこの思惑が本当だったとしたら、次の四本目で私が外せば堀宮さんも外して遠近競射へ・・・あるいは私が四本目を決めることが出来たら・・・

 

 スッ_

 

 上座にいた先輩の部員から最後の一本となる四本目の矢を受け取り、目を合わせず僅かな“”を頼りに堀宮さんとタイミングを合わせて、射法八節に取り掛かる。もちろん堀宮さんが最初から“負ける”前提でこの勝負を仕掛けてきているとしても、私は“本気”でこの人に勝ちに行くだけだ。

 

 “だって凪子は、雅と本気で争って主将になったんだから

 

 「・・・ふぅ」

 

 ゆっくりと息を吐き、二手勝負最後の一射を放つ所作に入る。相手が何を考え、何を企んでいようとも、惑いなんてしない。私は“凪子”・・・隣のクラスの雅とは何でも話せる友達で、同じ部活で主将の座を争うライバルだ・・・

 

 「・・・っ」

 

 自分自身に言い聞かせ、雑念を完全に捨てて、弓と矢を引き分ける。気を休めることなく同じ所作を連続で繰り返してきたことにプラスして“堀宮さんとの勝負”という緊張からか、身体全体にほんの僅かな“熱さ”が駆け巡り、綺麗な縦横十文字を保とうとする両腕を余分に動かそうとする。

 

 “耐えろ。あと少しだから”

 

 アドレナリンが回りだして必要以上の力を無意識に引き出そうとする両腕を理性で抑え込みながら、的に狙いを定める。矢尻*2が的へと突き刺さるまでの軌道を頭の中でイメージするように描き、中白へと意識を集中させる。全く同じところを全く同じ所作で狙ったにも関わらず、一度も同じところに矢が飛んで行かないのが弓道の難しさ。

 

 “ブレるな・・・”

 

 とはいえ、さすがに四本目となると“労力”を使わないと矢を射れなくなり始めた。体力は有り余っているのに、思うように自分の身体をコントロールできない僅かなイライラで、集中力がついていけないもどかしさ。悔しいけれど、純粋な実力勝負じゃいまの私は相手(ライバル)になれていない。もちろん弓道だけじゃなくて、芝居でもそうだから堀宮さんはメインに選ばれて、私はまた選ばれなかった。“勝負”すらさせてもらえなかった。

 

 

 

 “・・・またバトルロワイアルのときと一緒じゃん・・・

 

 

 

 ・・・・・・ふざけんなよ。

 

 

 

 キャンッ_

 

 矢尻の軌道と狙う場所が一致する寸前、私の馬手から矢が離れた。明らかに自分の意図していないタイミングで、四本目の矢が放たれてしまった。

 

 “あっ・・・

 

 弦音(つるおと)*3が聞こえた瞬間、狙いが定まる前に矢を離してしまったことに気付いたが、時は既に遅し。放たれた矢は中白からやや外れたところへと空を切り飛んでいく。その光景が目の前に映り、残心の構えをとる身体の感覚が一気に冷めていく。

 

 “・・・終わった

 

 ポッ_

 

 心の底で勝負を諦めかけたが、私が放った四本目の矢は安土(あづち)*4に刺さるギリギリのところで踏み止まって、外円に突き刺さった。結果として、これで私は二手全てで矢を的中させることが出来て、最低限の目標だった“二手ノーミス”はクリアした。後はすぐに控える堀宮さんの四本目に“明暗”が託されるのを、見守るだけ・・・

 

 “・・・何やってんだ、私

 

 四本目を上手く放てなかった締まりのなさが、“悔い”となって心を埋め尽くす。それを表に出さないように、“カメラが回っている途中だ”と一瞬だけ思い込むことでどうにか気持ちを切り替えて残心の所作を済ませ、本座に戻り構えながら堀宮さんの四本目を見届ける。

 

 “・・・綺麗

 

 射位に立ち、礼射系の作法に習い矢番え、打ち越こし、引き分けの所作を経て矢を構える堀宮さんの姿を、身体と顔を的と安土のほうへ向けたまま私は構えの姿勢を保ち横目で見届け続ける。本当にこの人の所作はひとつひとつがあまりにも凛々しくて綺麗すぎるから、嫉妬すらも湧いてこない。

 

 

 

 その姿があまりにも“雅”と被って視えるから、目の前で本当に“雅”が矢を構えているみたいに思えて・・・・・・“がんばれ”とつい応援しそうになってしまう・・・

 

 

 

 

 

 

 “『じゃ、そんなわけで教えてもらいましょうか?蓮ちゃんが“頑張れる”理由・・・』”

 

 堀宮さんとのじゃんけんに呆気なく負けた私は、じゃんけん前の“約束”の通り女優を頑張れている理由(ひみつ)を打ち明けることになった。

 

 “『“役者になれたらお前の気持ちとちゃんと向き合える”みたいなこと言って、たったそれだけの理由で本当に“芸能界(私たちの世界)”に入った“親友(バカ)”がいるんですよ・・・』”

 

 

 

 初めて会ったのは、小学校の6年に上がるのと同時に親の仕事の都合で引っ越した横浜の転校先のクラス。そのクラスで1人、誰とも遊んだり話したりすることもせずに窓際の席に座って、自分の世界に耽るように外を眺めていた男子がいた。名前は、夕野憬。

 

 “『“向日葵の揺れる丘”が好きかな・・・』”

 “『あーあれでしょ、星アリサが主演のやつ』”

 “『そうそう。ストーリー自体はありきたりで普通なんだけど主演の星アリサの演技がすごくてさ_』”

 

 “独りぼっちで寂しそう”だと思って何気なく話しかけてみたら、たまたま“好きなもの”が同じだったこともあってもの凄く話が盛り上がって、あっという間に休み時間が過ぎていった。好きな映画、そして尊敬している俳優(やくしゃ)の話になると教室の隅でだんまりしてたのが嘘みたいに饒舌になる様子が、見ていて本当に面白くて、話していて本当に楽しかった。

 

 “『良いと思うよ。蓮は“華”があるし』”

 

 でもそれ以上に、憬は私のことを“マドンナ”みたいに特別扱いしてくるみんなとは違って、気に食わないことがあったら平気で文句も言ってきたりとただの“友達”として接してくれたことが、何よりも嬉しかった。そうやって時々ちょっとした喧嘩をしながら毎日のように学校で会って話しては一緒に登下校するような時間を過ごしていたら、私にとって憬は友達から“親友”になっていた。

 

 “『蓮と同じように俺も役者になる』”

 

 ある日、私は初めて出演した映画で自信を粉々に砕かれて、自分から映画を観に誘ったくせに卑屈なままに酷いことを言って当たってしまったことがあった。それでも憬は私の目を真っ直ぐに見て、“自分も役者になる”と啖呵を切るように堂々とそう言ってのけた。

 

 “『俺は芸能界についてはまだ何も知らない。でも、オーディションに受かって蓮と同じ世界に立てば、今の蓮の気持ちに向き合える自信はある・・・もちろん、役者として』”

 

 全ては“初めての挫折”を味わった私の気持ちに、“親友”として向き合うため。“役者になりたい”とか、“星アリサに憧れて”とか、探せば目指す理由なんて幾らでも転がっていたはずなのに、よりにもよってあいつは一番“バカ”な選択肢を迷うことなく本気で選んだ。

 

 “『他の誰かを演じるって・・・やっぱり最高ですね』”

 

 そしてあの“バカ”は、本当にそれを有言実行して“俳優(やくしゃ)”になった。おまけに芝居も荒削りだけど私なんかより最初から全然上手くて、冗談と本気が半々ぐらいの気持ちで“ふざけんな”って思ったりもした。

 

 “『蓮も女優を続けてくれて・・・・・・ありがとう』”

 

 けどそんなことがどうでもよくなるくらい、憬が役者になってくれたことが本当に嬉しくて・・・私は“役者”として憬の隣に立ちたいって、“親友”として憬ともっと向き合いたいって・・・本気で思った。

 

 

 

 “『そっか・・・じゃあその“親友ちゃん”がいるから、蓮ちゃんは女優をここまで頑張れているんだね?』”

 

 私が頑張れる理由を、堀宮さんは親身になって本当に優しく聞いてくれた。普段は軽口を叩いては小悪魔みたいに人を揶揄ったり欺くようなことも平気でするけれど、本来の堀宮さんはバトルロワイアルで演じていたヒロインのように友達思いで、誰かが困っていたら躊躇うことなく手を差し伸べるような誠実な人だ・・・と、私はじゃんけんに負けた“あの日”から心の中でずっと思っている。

 

 “『はい・・・“親友()”にだけは負けてられないので』”

 “『・・・・・・えっ待って?親友ってさとるのことなの!?』”

 

 そんな堀宮さんの優しいところについ油断をした私は、伏せておくつもりだった親友の名前をつい口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「えっ?

 「堀宮さんが負けた?

 

 堀宮さんの馬手から放たれた矢の行き先を見届けた上座から、驚きと少しの困惑が交じったようなざわめきが聞こえた。

 

 “・・・・・・うそ

 

 そして私も、最後の矢が飛んだ軌道に理解が追い付かない感覚を一瞬だけ感じた。堀宮さんの四本目(さいご)の矢は、放たれた瞬間に中白から次第に右に逸れ始めて、外円まで数ミリほどの安土に突き刺さった。この瞬間、私は堀宮さんとの射詰競射(しょうぶ)に勝った。

 

 「勝者・・・1年I組、環蓮

 

 堀宮さんが残心を終えて本座の位置に戻るのと同時に、上座でこの勝負を取り仕切るスミス先輩が勝者の名前を告げて、それに合わせて私と堀宮さんは的のほうを向いたままお辞儀をする。もちろん堀宮さん(この人)が最初から“こうする”つもりで私との二手勝負を引き受けていたことは、入場前に雅と“全く同じ”感情で“凪子(わたし)”を視ていた時点で察しはついていて、実際にその予想は当たった・・・のはきっと間違いじゃない。

 

 “でも・・・“あれ”はどう見ても・・・

 

 だけど、四本目を射る堀宮さんは的を外してやるかなんて一切思わないで、“本気”で中白を狙って失中した。獲物を狩るように鋭く的の中心に狙いを定めて、これまでの三本とは比べ物にならないほどの“気迫”を込めて・・・最後の矢を射っていた。

 

 

 

 『うん。ダメだった・・・最後の最後で力んじゃった・・・』

 

 

 

 的に向かってお辞儀をして、左手に持つ弓を床に付けないように腰の位置で保ちながら足音を立てずに歩を進めて、下座側に退場する。私は最後の最後で力んで、外円に的中。堀宮さんは最後の最後で力んで、失中。確かに結果だけを見れば、私の勝ちだ。

 

 

 

 『完敗だわ・・・やっぱりナギは強かった』

 

 

 

 けど堀宮さんは、最初から最後まで“”のままこの二手勝負に“挑戦者(チャレンジャー)”になって挑んでいた。それを私は、“凪子(ナギ)”として迎い入れなければいけなかった。

 

 

 

 『・・・ねぇ・・・ジュン』

 

 

 

 なのに、私はずっと“挑戦者”のまま堀宮さんとの二手勝負に挑んでいた。そもそも“天才”と周りから一目置かれている凪子を演じなければいけないにも関わらず、“本気で勝つ”意味を最初から最後まで間違えていた。だから最後に、私は自分に“負けた”。

 

 凪子だったら・・・最後まで絶対に負けなかったのに・・・

 

 

 

 『ううん、なんでもない』

 

 

 

 また・・・“あのとき”と同じだ・・・

 

 

 

 「マジか~、何であそこで力んじゃったかなぁ~あたし?我ながらしっぱいしっぱい」

 

 

 

 “『堀宮さん(アンタ)に勝って・・・“奪い返し”たいんで』”

 

 

 

 あんなに意気込んでいたのに、全然勝負になってないじゃん・・・・・・全然追いついてないじゃん・・・

 

 

 

 “『それ・・・本当に“必要”か?』”

 

 

 

 何が“必要”だよ・・・何が“スイッチが入らない”だよ・・・

 

 

 

 “『・・・うん。私にとっては』”

 

 

 

 誰にも勝ってないくせに・・・・・・偉そうに“言い訳”なんかしてんじゃねぇよ・・・

 

 

 

 ガタン_

 

 「?・・・ちょっと蓮ちゃん?弓を置くときはもっと丁寧に置かないと駄目だって」

 「・・・すみません」

 

 控え室に戻った瞬間、一気に全身の力が抜けた私はその反動のまま左手で持っていた弓を床に落としてしまった。背後から堀宮さんに優しく注意されて落とした弓を拾おうと身体を動かそうにも、気力が起きないせいでこの身体は立ったまま動かない。

 

 「てゆーか蓮ちゃん超テンション低くない?せっかくこのあたしに勝ったのに?」

 「・・・・・・」

 

 そんな私に、気迫を解いていつも通りの調子に戻った堀宮さんが代わりに落とした弓を拾って目の前で微笑む。その輝かしいくらいに爽やかなヒロインの表情(かお)を直視できずに、私は俯き続ける。

 

 「もうこれでさとるとは“ズッ友”でいられるわけだしさ。よかったじゃん

 

 

 

 “・・・よかった・・・?

 

 

 

 「・・・・・・よくない

 「・・・?」

 

 “よかった”という言葉が聞こえてきて、私は目の前の堀宮さんに向けて顔を上げる。

 

 「・・・ちっとも・・・よくなんか・・・・・・ない・・・!

 

 二手勝負に勝ったことを素直に褒めて称える堀宮さんへ自分の気持ちをぶつけた瞬間、堪えていた感情(モノ)が一気に両目から溢れた。

*1
矢を持つ右手のこと。ちなみに弓を持つ左手は弓手(ゆんで)という

*2
矢の先端

*3
矢を放ったときに弓の弦から鳴る音

*4
的を設置するために作られた盛り土




その悔しさは、同じ“役者”だからこそ_



だいたい半年おきの周期で新しい物語を無性に書きたくなる衝動に駆られるのは、どうしてだろうか・・・


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scene.87 追いつけない

100話達成(キャラ紹介抜き)


 「ちょっと蓮ちゃん?弓を置くときはもっと丁寧に置かないと駄目だって」

 「・・・すみません」

 

 下座側から退場して控え室に戻るや否や、蓮ちゃんは力なく左手に持っていた練心を床に落とした。

 

 「てゆーか蓮ちゃん、さっきから超テンション低くない?せっかくあたしに勝ったのに?」

 

 消え入りそうな声で反応しながらも俯いたまま動かないでいる蓮ちゃんに代わって落とした練心を拾って、あたしは普段通りの感じで笑みを作って話しかける。

 

 「・・・・・・」

 

 だけれど蓮ちゃんは、まるであたしの声が耳に届いていないかのように拳を強く握り、無言で俯き続ける。どうして親友を賭けた“二手勝負”に勝てたのに、この子はこんなにも“悔しさ”を滲ませているのかは、何となく予想は出来ていた。

 

 「もうこれでさとるとは“ズッ友”でいられるわけだしさ。よかったじゃん

 

 だからあたしは、敢えてストレートに突っ込んだ言葉を思い切ってかけてみる。

 

 「・・・・・・よくない

 「・・・?」

 

 “よかったじゃん”という余計な励ましに、ようやく蓮ちゃんは顔を上げてあたしの目を見る。

 

 「・・・ちっとも・・・よくなんか・・・・・・ない・・・!

 

 内側にあった感情が爆発して詰まる声をどうにか絞り出して自分の不甲斐なさに怒るその両目には、涙が浮かんでいた。

 

 「ヘイどうしたどうした?蓮ちゃんはあたしに本気で挑んで勝てたんだから、何も泣くこと」

 

 パシッ_

 

 涙を浮かべて悔しがる少しだけ背が高くてスタイルの良い後輩の頭を撫でて慰めの言葉をかけてみたら、蓮ちゃんの左手があたしの右手を乱暴にどかした。

 

 「・・・・・・っ!

 

 そして再び“ちょっかい”を出したあたしをいつギャン泣きしてもおかしくない表情で声を押し殺し俯き気味に睨みつける金色の瞳から、浮かんでいた涙が一筋こぼれ落ちる。まだ真似することのできない“一歩先”を行く才能を目の当たりにして、そこに辿り着けないでいる自分を自覚して、それを受け止めきれずに感情を露にする1コ下の“子供”。

 

 「(・・・芝居なんかしていない・・・“本物”の感情・・・)」

 

 それは場数を踏んで大人になればなるほど失ってしまう感覚で・・・芝居を理解すればするほど再現が難しくなってしまう奇跡の産物・・・

 

 

 

 “やっぱり・・・・・・蓮ちゃんは“大人”になる前のあたしだ・・・

 

 

 

 「堀宮さん、環さん、そろそろ射場に戻っ・・・・・・“キョン”、何があった?

 

 心が身体に追いつけないで泣いている蓮ちゃんを“自分(あたし)”と照らし合わせていると、射場に戻ってこないあたしと蓮ちゃんを心配した平仁がやってきて、ただならぬ空気を察して深刻そうな顔をしながら“”のあだ名であたしに問いかけてきた。

 

 「ごめん平仁、ちょっと更衣室に行っててもいい?蓮ちゃんと話しておきたいことがあるから

 「・・・分かった。部長と武島先生には僕から事情を説明しておく

 

 俯いたまま泣いている蓮ちゃんを横目で見た平仁は、特にあたしのことを問い詰めることもなく状況を理解してくれた。この状況だけを見たら、あたしが蓮ちゃんに酷いことをして泣かせたって疑われても仕方がないのに。

 

 「疑わないんだね?もしかしたらあたしが蓮ちゃんに酷いこと言ったって可能性もあるのに?

 「キョンがそんな真似をする人じゃないのは小さいときから知ってるよ

 

 心で思ったことをぶつけてみたけれど、平仁はゴツい見た目に反した優しい口ぶりで静かにそれを反論する。今更だけど、弓道部の主将が親戚として“互いのことをよく知ってる”人で本当に助かった・・・ま、だからこそこの“二手勝負”は実現したんだけど。

 

 「ありがと。平仁」

 「僕は大丈夫。それより環さんを」

 「うん、分かってる」

 

 ただ今はそんな悠長なことを考えている場合じゃないから、あたしは涙を浮かべて立ち尽くす蓮ちゃんの肩を叩いて“行くよ”と合図をして、歩幅を合わせながら更衣室へと蓮ちゃんを連れて行った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

  霧生学園高等学校_総合グラウンド_

 

 「・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・」

 

 砂場の上で仰向けの姿勢になって、呼吸を整えながら少しだけ暗くなり始めた曇り空を見上げる。

 

 「夕野、上手く跳べなかった理由は自分で分かるか?」

 

 着地してから10秒ほど仰向けになって呼吸を整え立ち上がった俺に、王賀美先輩が砂場の外から見下ろすように話しかける。

 

 「はい・・・自分の頭の中で思い描いているイメージに、やっぱり身体が追いつけていないです

 

 

 

 

 

 

 踏み切り動作の練習と同じように、“6・6・6”のリズムを意識して40メートルの直線(トラック)を18歩で刻んだ。もちろんここまではほぼ完璧に俺の身体は描いていたイメージについて来れていた。

 

 「・・・っ

 

 そして18歩目。踏み切り板を踏み込み、宙に浮かんだ身体をより遠くへ跳ばすため、空中を漕ぐように素早く左足を前に出して、その要領で右足を更に前に出す。そして最後は両足を前に放り出すようなイメージで長座の姿勢をとって宙を跳ぶ身体が砂場につく最後の一瞬まで少しでも長く身体が前に跳ぶことを意識して、跳躍距離を稼ぐ。

 

 “・・・しまった、勢いが

 

 ぶっつけ本番で“本気で跳んでみろ”と発破をかけた王賀美先輩の言葉に応えるように、俺は一度も試してすらいない“純也のフォーム”で思い切って跳んでみた。もちろん言うまでもなく、跳躍の出来栄えは最低だった。踏み切りまでは悪くなかったものの、空中を漕ぐということを過度に意識し過ぎたあまり左足を前に出した瞬間に思った以上に全身が力み、前に進んでいた身体は一気に失速して、空中を漕ぐというより空中で“もがく”ような状態になった俺の身体は理想とはほど遠い勢いを失った無様なフォームを描いて、半ば尻餅をつくように砂場へと落下した。

 

 ““心”は追いつき始めているのに・・・“身体”はまだまだ追いつけない・・・

 

 こうなるだろうとは頭の片隅ぐらいには1歩目を踏み出す瞬間まで考えてはいたが、どんなに役の“感情”を理解しようにも身体が出来てないんじゃ意味なんて全くないというどうしようもない“現実”に直面するのは、“どうにかしてやる”と意気込んで跳び終えた後だとやっぱりもどかしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 「だろうな・・・夕野がいまやろうとした“はさみ跳び*1は上級者がやるような空中動作(フォーム)だ。そいつを基本動作のコツが掴めたばかりの“ホヤホヤ”な奴がトライしたところで、バランスとテンポが崩れて失速するのは当然だ。ま、そもそも“はさみ跳び”をするにはスピード自体がまだ足りてないって話だけどな」

 「やっぱり・・・根本的に身体を作らないと駄目みたいですね(“ホヤホヤ”って・・・)」

 

 上手く跳べなかった理由を答えた俺に、王賀美先輩は淡々とその理由を説明する。“ホヤホヤ”と言われたのが少しだけ気になるところだが、もちろん言われていることは全て正しいから反論の余地は全くない。

 

 「夕野の場合はまずは“かがみ跳び*2で感覚を慣らして、次に“反り跳び*3で跳べるところまで跳べたところで“はさみ跳び”と順序をしっかり組み立てて身体を作っていくべきだ」

 

 “純也”が走り幅跳びの空中動作(フォーム)で習得しているのは、フォームの中でも最も難しいとされているはさみ跳び。言うまでもなくこのフォームは、俺のような昨日今日で始めたばかりの初心者には到底出来るような代物ではない。ただ幸か不幸かは知らないが、『ユースフル・デイズ』はスポーツ漫画ではなく、あくまでも“4人の主人公”の人間関係に焦点を当てた学園漫画なため、そこまで“スポーツ”的な描写はガッツリとは掘り下げられてはいない。もちろんそれは、ドラマでも引き継がれる。

 

 「その3つの空中動作を習得するにはどれくらいの時間がかかりますか?」

 

 ただ、単行本に描写されていた純也の跳び方が“それ”だったから、俺はその跳び方を選んだ。別にドラマの演出ではそこまで重要視はされない要素だ。それでも“選ばれなかった人たち”のことを考えると、妥協なんてしたくなかった。選択肢は一択だった。

 

 

 

 問題は感情だけが先走り、この身体が感情に“追いつけない”でいるということ・・・

 

 

 「そんなのは“自己責任”に決まってんだろ。コツコツと努力して1,2年後ぐらいに開花する奴もいれば、ほんの1,2ヶ月で人様の努力を超えてくるような“怪物”もいる・・・素質(ポテンシャル)なんぞ人によって全然違うしな

 

 身体が追いつくまでにはどれくらいの時間が必要かを聞いた俺に、王賀美先輩は“走り幅跳びをナメるな”と言いたげにぶっきらぼうな口調でアドバイスを送る。

 

 「とにかく、ただでさえ初心者なうえに芸能人やってて忙しい奴が1,2ヶ月ではさみ跳びを完璧な形にできるなんて思わない方がいいぞ

 

 一切の容赦がないけれど、本当にこの人の言う通りだということは跳び終えた瞬間に理解した。これは役の感情を理解すること以上に難しいということ。そして俺の身体が追いつかないことが、純也という人間(キャラクター)と向き合うことにおいての“足枷”になっている。

 

 「確かに1,2ヶ月でどうこう出来るようなものじゃないのは、実際に跳んでみてとてもよく分かりました・・・けど・・・俺を選んでくれた人と、選んでくれたことを受け入れてくれた人たちの期待に、俺は“役者”として応えないといけないんですよ・・・

 

 それでも時間は待ってはくれない。俺はこのドラマで何としても、ドラマに関わる全ての人たちからの期待と敵視に、“メインキャスト”として応えて超えて行かなければならないから、止まる訳にはいかない。

 

 「俺が“純也”になるためには・・・・・・王賀美先輩の力が必要なんです

 

 

 

 “『あたしたちはただ仲良くクラスメイトを演じ切るだけじゃなくて、“共犯者”になってあたしたちのことを視ている全員(みんな)を演技で黙らせないといけないってわけさ・・・もちろん“仕掛け人”のプロデューサーも含めてね』”

 

 

 

 それこそが、まだ実力が未知数の“俺たち”がメインに選ばれた理由だからだ。

 

 「・・・って言われたとこでぶっちゃけ困るんだよ。んな芸能界とかの事情なんて俺みてぇな“パンピー”にはどうすることもできねぇし」

 「・・・すいません。そんなつもりで言ったわけじゃないんですけど、つい我儘言いました」

 

 という“役者(じぶん)のエゴ”が無意識に暴走して、それを受けた王賀美先輩は襟足のあたりを数回搔きながら溜息交じりに文句を返す。全く、俺と来たら芸能人じゃない王賀美先輩になにを偉そうに無理難題を押し付けているのか。撮影が始めるまでに形にするためには、誰よりも自分が頑張らないといけない立場なのに。

 

 「・・・けど、高1になったばっかで連ドラのメインに選ばれんのは相当な“プレッシャー”だろうなってのは、俺でも分かる」

 

 堪らず謝った俺を見た王賀美先輩は、そう言うと何か“腹を決めた”ように浅く息を吐いた。

 

 「夕野・・・・・・お前はなぜそこまで頑張る?

 

 そして立ち上がりアドバイスを受ける俺の目を真っ直ぐに視て、ひとつの理由を聞く。

 

 「・・・“役者”だからです

 

 その問いかけに、俺はまた返答を困らせてしまうことを覚悟して、敢えてもう一度“エゴ”をぶつける。どんなに困らせない言葉を取り繕うとも、俺が今日を頑張れている理由はどんなにそれっぽい言い訳を探しても、“これ”しか思いつかない。

 

 

 

 俺は役者だ。それ以上でもそれ以下でもない。他人の人生を演じる快感(よろこび)を1秒でも長く味わっていたい・・・・・・ただの“芝居バカ(やくしゃ)”だ。

 

 

 

 「・・・そうか

 

 俺からの覚悟に、王賀美先輩の緑がかった色の瞳がギラつく。

 

 「じゃあ俺は“ロングジャンパー”の意地にかけて、生意気なド素人のお前が“本番”までに形だけでもまともに跳べるように鍛え上げてやる

 

 そして瞳をギラつかせながら、王賀美先輩はクールに笑って俺に“宣戦布告”をした。こうして俺は来週から就くという専門のトレーナーに加えて、王賀美先輩からの指導で身体づくりを始めることとなった。

 

 「あの、俺ってそんなに“生意気”ですか?」

 「おう。なんか自分が“天才”だって感じをあざとく見せびらかしてる感じがするし」

 「別にそんなつもりはないんですけどね・・・」

 「あと“そういうとこ”」

 「じゃあどうしろと?」

 

 ただし、この人との“二人三脚”は前途多難になりそうだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ごめんお待たせ」

 

 弓道場の女子更衣室の白い壁に背中をつけて畳に座り、膝を抱えながら溢れ出てしまった気持ちを落ち着かせている意識に、堀宮さんの明るめな声が届く。“お待たせ”というけれど、実際には2,3分ぐらいしか経ってないからそこまで待ってはいない。

 

 「これ。道場の外にある自販機で買ってきた」

 「・・・これは?」

 「あたしからの“奢り”だよ。言っとくけど“さっきの勝負”とは全然関係ないから安心してね」

 「・・・シェアウォーター」

 「そう。本当は“ランナー用”として走り終えて枯渇した身体への水分補給が目的で開発されてたものだから口に合うかどうかは保証できないけど、まぁ勝負を終えて疲れた身体にはちょうどいいかなって思ってさ」

 「・・・ありがとうございます」

 

 更衣室で1人膝を抱えて座り込む私に、堀宮さんは弓道場の外にある自販機で買ってきたというシェアウォーターを豆知識と一緒に“奢り”で差し出してきた。

 

 「そういえば・・・堀宮さんってイメージキャラクターやってましたよね?」

 「うん、去年ね」

 「テレビでCM観た記憶あります」

 「マジで?まぁでも、結構色んな時間帯で流してくれたからな~あのCM」

 

 よくよく考えたら、堀宮さんは去年にシェアウォーターのイメージキャラクターに選ばれていた。そんな元イメージキャラクターからシェアウォーターを受け取るっていうこの状況は、傍から見たら何だかシュールだ。

 

 「けど、それにしても色々とシェアウォーターのことは詳しく知ってそうですね」

 「一応“イメージキャラクター”をやるにあたり、商品を好きになるためにその辺のことは開発者の人から開発秘話とか色々と直接聞いたからね。意外と抜かりないでしょ?あたし?」

 「・・・ふっ・・・堀宮さんってホントに真面目ですね」

 

 そんなどこかシュールな光景と、本当は“真面目”なくせにその素振りをちっとも見せないで天才ぶる隣に座り込んだ堀宮さんの明るい笑みに、つい私は吹き出してしまった。

 

 「よしっ、やっと蓮ちゃんが笑ってくれた

 

 その一瞬を見逃さなかった堀宮さんから、案の定心の底から嬉しそうに指摘される。

 

 

 

 “・・・なに笑ってんだよ・・・“ボロ負け”したくせに・・・

 

 

 

 「・・・・・・揶揄うのもほどほどにしてくださいよ

 

 せっかく落ち着き始めた感情(こころ)の外へと再び溢れ出そうになった自己嫌悪を、強がりの言葉に変換しながら堀宮さんから受け取ったシェアウォーターで流し込む。

 

 「・・・美味しい?それ?」

 

 シェアウォーターを一気に3分の1ぐらいまで口に運んだ私に、いつもの調子で堀宮さんは感想を聞いてくる。

 

 「・・・美味しい。悔しいけど」

 「も~素直じゃないなぁ~」

 

 もちろん私は、正直にその感想を堀宮さんへと言う。基本的に私はずっとライバル企業のスポーツ飲料ばかりを飲んでいたからシェアウォーターを飲むこと自体が初めてだったけど、普通に美味しかった。

 

 「でもよかった。お気に召してくれたみたいで」

 「・・・生まれて初めてのシェアウォーターがこんな“タイミング”になるとは思いませんでしたけどね」

 「ウソ?蓮ちゃんって今まで飲んだことなかったの?」

 「私は幼稚園のときからもっぱら“アクアリウス”だったので」

 「あ~そっちね~、あたしもすっごいよく分かる。だってシェアウォーターってアクアリと違って普通に飲んだらそんなに美味しくないしね」

 「イメージキャラクターで関わった人がそんなこと言って大丈夫なんですか?」

 「平気平気、だって開発者の“高橋さん*4もそう言ってたし」

 「そういう問題なんですかこれ?・・・っていうかさっき商品を好きになるためとか言ってましたよね堀宮さん?」

 

 そして“枯渇した身体への水分補給が目的で開発された”というシェアウォーターの効果かどうかは知らないが、ついさっきまで黒い感情に押しつぶされていた心が、ゆっくりとだけれど浄化され始めた感触を覚える。そのおかげで気分はある程度“ラク”になった。

 

 「でも、蓮ちゃんのおかげでシェアウォーターの“新しい効果”が判明したよね?」

 「・・・何がですか?」

 「シェアウォーターは運動した後の水分が枯渇した身体だけじゃなくて、泣いた後の“涙が枯渇した身体”でもちゃんと美味しく感じられるって」

 「・・・・・・うるさい

 

 なんて感じでシェアウォーターの効果を片隅で考えていたら、それを予見してたかのように堀宮さんからピンポイントに核心を突っ込まれた。

 

 「あぁごめん。怒らせちゃった?」

 「・・・別に。怒ってはないです」

 

 核心を突かれてムッとした私に、堀宮さんは1ミリも申し訳なさのない“ごめんなさい”で被せる。悔しいけれど射詰をした後にあれだけ泣いた後じゃ、水分も枯渇しているからこの身体がシェアウォーターを美味しく感じるのも無理ないのかもしれない。

 

 「“シェアウォーター”は・・・普通に美味しいので

 

 それにこの人なら、全部分かったうえで気を遣ってわざわざ“これ”をチョイスして持ってきても不思議じゃない。やっぱりこういう“策士”なところも全部含めて、この人が“理不尽な世界”で腐らず10年も頑張れている理由なんだろう。

 

 

 

 “・・・全然追いつけないな・・・私・・・

 

 

 

 「・・・気持ちは落ち着いた?

 

 ほんの少しの沈黙を挟んで、隣に体育座りになって見守る堀宮さんが10数秒ぶりに声をかける。

 

 「・・・はい。何とか

 

 左隣からの声に、私はシェアウォーターを畳に置いて答える。折れかけたこの気持ちを完全に立て直すには一晩は必要になるかもだけど、言葉通り気持ち自体は冷静でいられる程度には落ち着いた。

 

 「・・・まだ10歳だったとき、“人の真似っこをすることしかできないんだったら今すぐ消えてくれないかな?”って同い年くらいの子から言われたことがあるって話をあたしがしたのは、覚えてる?」

 「・・・バトルロワイアルのときですよね?」

 「そう」

 

 落ち着きを取り戻した私に、堀宮さんはいきなりバトルロワイアルの撮影のとき自分が“女優を頑張れている”を打ち明けたときのことを話し始めた。本当にこの人は、何の脈略もなしに関係なさそうな話を始めてくる。

 

 「いや~さすがのあたしも自分のしてきた芝居(こと)を全部否定されたからメンタルがぐちゃぐちゃにやられちゃって、しかもその子の言ってることって全部正しいから何にも言い返せなくてさ~・・・・・・ほんと、あのときはマジのマジでしばらくは立ち直れなかったなぁ」

 「・・・何が言いたいんですか?」

 

 急に“昔の話”を始めた堀宮さんのペースについていけず、私は投げやりに言葉を左隣へ投げかける。

 

 「さっきまでの蓮ちゃんがギャン泣きの一歩手前ぐらいの勢いで泣いてたみたいにさ・・・・・・あたしもあんなふうに自分のプライドをヅタヅタにされて泣きじゃくったことは数えきれないくらいあるよ

 

 こうして投げやりな問いかけから返って来たのは、“撮影終わり”のときと同じ真剣な努力家の感情と眼差しだった。

 

 「こんなこと言うのって自分で自分を棚に上げてるみたいでちょっと嫌だけど・・・あたしは主演(ヒロイン)に選ばれるようになるまで、さっきの蓮ちゃんみたいに泣いたことが何回もあって・・・そうして気が済むまでありったけ泣いたらまた立ち上がって、立ち上がっては前を向いてを繰り返して、どうにか頑張って“ここ”まで歩いてきた・・・

 

 

 

 “『それ・・・本当に“必要”か?』”

 “『・・・うん。私にとっては』”

 

 

 

 「・・・だから蓮ちゃんもいっぱい泣いて、泣いた数だけ立ち上がって、誰にも負けないくらい強くなればいいんだよ・・・

 「・・・・・・

 

 

 

 “『・・・お前が本気で腹を括ってまで覚悟して決めたなら何にも言わないけど・・・・・・“無茶”はしすぎんなよ

 

 

 

 「・・・ほんと、さっきから何やってんだろ・・・私

 

 堀宮さんの中にある“良心”と、気持ちを切り替えてからずっと頭から“消していた”憬に言われた最後の言葉のフラッシュバックで無意識な弱音が口から溢れ、抑えていた感情が一筋の涙になって再び出てきた。無理して口角だけは上げて自嘲気味に笑ってみせたけど、やっぱり駄目だった。

 

 「あの後・・・憬と階段でバッタリ会ったんですよ・・・

 

 その勢いのまま、私は堀宮さんに屋上で2人だけになって話した後に憬と会ったことから、“本気で勝負”する意味(こと)を最初から最後まで理解できていなかったことまで全てを打ち明けた。もちろん、一歩後ろを歩いていたはずの親友が、いつの間にか私の一歩先を歩いている現実を“本当”は受け止めきれないでいる自分の弱さも、追いつき追い抜かさないといけない“ライバル”に対してどうしても非情になれない自分の甘さも、全部。

 

 「・・・ “(あいつ)”に堂々と勝負振っといて・・・馬鹿ですよね・・・・・・ライバルどころか全然追いつけてないのに・・・

 

 “止まれ”と言い続ける建前の感情を無視して、私は“強がり”を捨てて溜めていた本音の感情を全て吐き出した。

 

 「・・・そっか・・・だから蓮ちゃんはあんなに悔しがってたんだね

 「・・・・・・

 

 全てを吐き出したあと、我に返ってみると私は膝を抱え込んで両目からまた涙を流していて、そんな私の頭を堀宮さんが優しく撫でていた。

 

 「・・・でもこれでまた蓮ちゃんは強くなれた・・・さとるとの距離も近づいた・・・

 「・・・・・・

 

 けれど不思議と涙で霞む視界に反して、気持ちは雨が止んで虹がかかった空のようにスッキリと澄んでいた。

 

 「・・・それに、今日から毎日これだけ“泣けば”クランクインまでには“無敵”になれるんじゃない?」

 「・・・・・・もうほんとにさっきからうるさい

 

 優しく頭を撫でる堀宮さんからの揶揄いに、私はその手を払いのけて悪態を返し、一旦置いていたシェアウォーターを手に取って二口ほど飲み込む。

 

 「どう・・・スッキリした?」

 「・・・スッキリどころか逆に燃えてきましたよ・・・・・・もうこんな“弱虫”な自分にだけは絶対負けないって

 「ほぉ~、てゆーか蓮ちゃんって意外と立ち直るの早かったりする?」

 

 涙を拭って顔を上げ、左に座り込む堀宮さんへ今度は強がりなんかじゃない“本心”の言葉をぶつける。シェアウォーターの効果かは分からないけど、どうやら“心の眼(きもち)”は前を向けるぐらいには元に戻ってきたみたいだ。

 

 「当たり前です。じゃなけりゃ女優(やくしゃ)は務まらないんで

 「・・・うん。いいね

 

 

 

 そうだ。勝負はまだまだ終わってなんかいない。だからいつまでも俯いて立ち止まってる暇なんてない。追いつけないでいることをウジウジ悩むくらいなら、追いつき追い越すまで走るだけ・・・そうやって私もここまで何とか這い上がって来た・・・だって私は(あいつ)と同じ、役者だから・・・“戦う”って決めたんだから・・・

 

 

 

 「よし、じゃあ蓮ちゃんの気持ちの整理もついたことだしそろそろみんなのところに戻りますか」

 「・・・はい」

 

 今度こそ気持ちを切り替えて前を向いて立ち上がった私は、“超えるべき壁の1人(メインキャスト)”の堀宮さんと一緒に更衣室の外へ出て射場へ足を進める。

 

 「いい加減戻らないと心配されそうだし」

 「・・・それは悪かったですね」

 「えっ?なんで蓮ちゃんが謝ってんの?」

 「いや、その・・・あ~もう言うんじゃなかった」

 「あははっ、素直じゃなくて可愛い」

 

 この人の言う通りってわけじゃないけど、“天才じゃない”私が主演(メイン)を勝ち取るためには涙を流さないといけなくなる瞬間がきっと何度も訪れる。憬や静流のような“天才”の演技を魅せつけられては、拳を強く握りしめるような瞬間もきっと何度も訪れる。

 

 「・・・堀宮さん」

 「ん?」

 

 だけど、それで“親友”に追いついて、そして追い越してを繰り返して一緒に高みを目指せるなら・・・これぐらいの苦しみなんて幾らでも耐えられる。耐えてみせる。

 

 「もし次に勝負をする機会が来たら・・・・・・役作りなしの“真剣勝負(ガチンコ)”でやりませんか?

 

 

 

 もちろん超えるべき“ライバル”は・・・・・・ひとりだけじゃない。

 

 

 

 「・・・言っとくけど“マジのマジ”になったあたしは“雅”よりもっと強いよ?

 「関係ありません。次は“完全勝利”しますから

 

 

 

 「( “転んでも、只では起きぬ、(したた)かさ”・・・・・・ほんと、雅の感情(こと)を知るにはこれ以上ないくらいもってこいの“血肉(うつわ)”だよ・・・この子は・・・)

 

 

 

 「・・・いまの言葉がただの“強がり”で終わらないことを祈ってるよ。“ライバル”さん?

 

 呼び止めて“再戦(リベンジ)”を申し込んだ私に、堀宮さんは普段より1トーン低い声と凛とした表情で静かに笑いながらそれを引き受けると、小さくウインクをして颯爽と射場へ入っていった。

*1
空中で足を交互に入れ替える跳び方。最も飛距離を稼げるフォームと言われているが、空中動作が複雑で難易度は高い。ちなみに1回だけ足を入れ替える跳び方を“シングルシザース”、2回足を入れ替える跳び方を“ダブルシザース”という

*2
名前の通りかがむような姿勢で着地までの飛距離を稼ぐ跳び方。複雑な動きがないため初心者向けのフォームと言われている

*3
空中で身体を反って飛距離を稼ぐ跳び方。他の2つの跳び方とは違い前方回転力を打ち消す効果があるため有利な着地姿勢が取りやすく、選手として大会に出場するには最低限習得しておくべき基本形のフォームと言われている

*4
原作111話にて名前のみ登場




“足りないもの”を自覚した2人は_



もう既に前祝はやってしまいましたが、キャラ紹介を除いた“本当の意味”での100話を達成しました。というわけで改めてになりますが、今後ともよろしくお願いいたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・清水平仁ラウール(しみずへいじらうーる)
学年:霧生学園高等学校進学コース3年C組・弓道部所属(主将)
生年月日:1983年9月1日生まれ
血液型:A型
身長:193cm

・王賀美岳(おうがみがく)
学年:霧生学園高等学校スポーツコース2年H組・陸上部所属
生年月日:1984年11月30日生まれ
血液型:AB型
身長:185cm


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scene.88 らしくない

 「憬・・・1つだけ提案があるんだけど・・・・・・7月のドラマの撮影が終わるまで・・・こうやって話すのやめにしない?

 

 昼休み。屋上へと繋がる階段の途中にある踊り場。普段とは違って余裕がない蓮から背中越しに告げられた、2年前と同じ“弱った”ときのサイン。

 

 「何で?

 「・・・だってほら、そもそも純也と凪子ってクラス違うし別に仲が良いわけでもないじゃん・・・・・・だから、こんなふうに憬と話してると何だかスイッチがイマイチ入らないんだよ・・・

 

 そのサインに気付いている俺はすかさず問いかける相槌を返すと、蓮はややバツが悪そうに言い訳がましい理由をつけて、5段下から立ち去ろうとする。

 

 「それ・・・本当に“必要”か?

 

 頑なに堀宮と何があったのか“ノーコメント”を貫く“あの日と同じ”感情をしたその背中に、俺は最後の“意思確認”をする。

 

 「・・・うん。私にとっては

 

 背中を向けたままの蓮から返ってきた言葉は、俺の想像していた通りの言葉だった。

 

 「・・・お前が本気で腹を括ってまで覚悟して決めたなら何にも言わないけど・・・・・・“無茶”はしすぎんなよ

 「・・・・・・

 

 そんな無意識なまま冷静さを欠いて自暴(やけくそ)になりかけている蓮に、俺はライバルではなく“親友”としてアドバイスを送ると、蓮は言葉を返すことなく階段を降りていく。

 

 

 

 “・・・どの口が言ってんだ?

 

 

 

 そして無言で階段を降りていくその背中を踊り場で立ち尽くしながら見届けた俺は、ここまで来るのに何度も“無茶”をしてきた自分の心に問いかけた。

 

 

 

 “・・・でも・・・・・・蓮も俺と同じなんだ・・・

 

 

 

 自分の心に問いかけてみたら、俺はひとつのことに気が付いた。

 

 

 

 “・・・・・・らしくない

 

 

 

 シーン_

 

 気が付くと、さっきまで降っていた雨はすっかり止んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日_午後6時40分_

 

 王賀美先輩との走り幅跳びの練習を終えた俺は、学校から見て通りを挟んだ向かい側に位置する総合グラウンドのロッカールームで制服に着替えて帰り支度を済ませていた。

 

 「おっつー、さとる」

 

 そして寮の最寄りへと向かう大通りのバス停へと足を進め通りへ出ようかというところで、ふと目の前から聞き馴染みのある声に呼び止められた。

 

 「・・・杏子さん。まだ帰ってなかったんですね?」

 「あたしもついさっきまで部活やってから」

 「確か弓道部でしたよね?」

 「うん。残念ながら本業が忙しくてあまり顔は出せてないけどね」

 

 視線を向けると、同じく部活を終えた堀宮がいた。確か今日は、珍しく丸一日オフだったと言っていた気がする。

 

 「はいこれ」

 

 と、昼休みの屋上での一幕のことを頭の中で考えていると、堀宮はスクールバックの中から何かを取り出して目の前の俺に差し出すように投げてきた。

 

 「っと・・・シェアウォーターだ」

 「そう。部活終わりで疲れてるかな~って思って」

 「まぁ、はい・・・ありがとうございます」

 

 練習終わりの少し疲れた身体で、俺は毎度お馴染みの先輩からの“奢り”をキャッチする。にしても堀宮からの“奢り”で2,3回に1回のペースで必ずシェアウォーターが出てくるのは、単純にこの人がこの商品を好んでいるからなのか、スポンサーの事情で外だとシェアウォーターしか飲めず飽きてきたからなのか、はたまた俺が美味しいと言ったからなのかは未だに教えてくれないから分からない。

 

 「あれ?あんまり嬉しくなさそうだね?」

 「嬉しくなくはないですけど、ちょうど“アクアリウス”を飲んできた後なんで」

 「マジか・・・もしかしてさとるって“アクアリ”派?」

 「どっちもいけます」

 「じゃあ有難く受け取りたまえよさとる君」

 「ずっと気になっているんですけど杏子さんってたまに武士みたいな言葉遣いしますよね?

 

 ただ、今は“ライバル企業の商品”を飲み干した後だからかあまり飲む気にはなれない。別に俺はどっちが好きとか嫌いとかはないけれど、アクアリウスを飲んだあとに塩味が強いシェアウォーターを飲む気にはあまりなれないし、そもそも俺はスポーツ飲料も特別に好んでいるわけでもない。

 

 「もちろんありがたくいただきますよ。世話になってる“先輩”からの奢りなので」

 

 まぁ、色々と気に掛けてくれている“事務所の先輩”からの奢りだから、普通に有難く頂くことには変わらないが。

 

 「ありがと。そう言ってもらえると奢り甲斐があるよ

 

 なんて本音と建前が半分ずつの感謝をかけると、すっかりいい気になった堀宮が敷地内を照らす照明の明かりの下で白い歯を見せるように優しく微笑む。

 

 「・・・それはどうも」

 

 もうすっかり慣れたつもりでいたけど、こんなふうに不意打ちでこの表情(かお)を向けられると、調子が狂う。

 

 「・・・ねぇ、この後ちょっとだけ時間いい?

 

 その瞬間を図っていたかのようなタイミングで、堀宮は明らかに意味深なことを俺に問いかけてきた。

 

 「時間・・・言っときますけど寮暮らしなんで門限が」

 「大丈夫。ちゃんと20時までには間に合うように絶対するから」

 

 当然いきなりこんなことを言われてやや混乱している俺は一旦断ろうと首を横に振る言葉をかけようとしたが、堀宮はそれを遮り“門限までに間に合うようにする”と念を押してきた。

 

 「部活動の時間によって“門限が変わる”の知ってたんですね?」

 「当たり前でしょ。だってあたしは霧生(ここ)の学生だし」

 「まぁ・・・そりゃそっか」

 

 ちなみにこれは余談だが、霧生学園の寮ではどのコースだろうと関係なく門限が定められていて、原則として芸能コースでは“スケジュールの都合で止む終えない場合”を除いて19時までに寮に戻ることになっている。しかし部活動によっては18時30分まで活動時間があるところもあるため、それに該当する部活に所属している生徒は“部活動に参加した日”に限り20時まで門限が延長される。

 

 「あ~あ、さとるが“寮暮らし”じゃなかったらもうちょい時間を気にしないで済むのにな~」

 「悪かったですね俺が“寮暮らし”で

 

 ついでに言っておくと堀宮は寮ではなく自宅から通っているため、もちろん“門限”は該当しない。ただし“補導”があるためどっちにしろ遅くまでは出歩けない。

 

 「それで、俺に何の用ですか?」

 「何となくちょっとさとると“1対1(イチイチ)”で話したくてさ。ほら、バス停まで行く途中に公園あるじゃん?ちゃんと時間は考えるからそこで話そ?」

 「なに勝手に俺が行く前提で話進めてんだ

 

 という事情なんか関係ないと言わんばかりに、堀宮は“途中にある公園”に俺を勝手に誘う。もしも仮にこの誘いに乗ったとして、果たして俺は門限までに帰れるのだろうか・・・というか、そもそもこの人が何を考えているのかがまるで視えない・・・

 

 

 

 “『マジのマジでごめんなさいだけどちょっと蓮ちゃんと“話したいこと”があるからさとるは先に降りてもらっていいかな?』”

 

 

 

 「・・・じゃあ、俺が屋上から降りたあとに蓮と2人で何を話していたかを教えてくれるなら、杏子さんの“ワガママ”に付き合います

 

 いつもの揶揄いを食らって幾分か冷静さを取り戻した俺は、咄嗟に屋上で蓮としていた“女子トーク”を約束の引き換えにして堀宮に条件を突き付ける。

 

 「しょうがないなぁ・・・ホントは教えたくないけど、それで付き合ってくれるんならあたしはいいよ

 

 あれだけ“マジ”な感情で“降りろ”と言っていたから、7割ぐらいの確率で適当な言い訳を返されて断られるんじゃないかと頭の中で予想していたが、意外にも堀宮は俺の“我儘”をすんなりと受け入れてくれた。

 

 「“マジのマジ”ですよ?」

 「分かってるってば」

 「あと、なるべく余計な話は“ナシ”でお願いします。時間ないんで」

 「ガッテン承知」

 「(・・・ホントに大丈夫だよなこれ?)」

 

 とはいえ信用はしきれないところもあるから少しばかり揺さぶりをかけてみたものの、こうやって相手を探る時間も勿体ないからどうなるかは一旦置いて、俺はひとまず堀宮を信じることにした。もし最悪長引きそうなら、鍛え始めたこの“”で逃げ切ればいいだけのことだ。

 

 「てなわけで行きますか。時間もないし」

 「人の時間割いてるアンタがそれを言うな

 

 こうして俺は、途中で“少しだけ”寄り道をしながら大通りのバス停まで堀宮と一緒に歩いて帰ることになった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「“二手勝負”?」

 「そう。“ついに、助演の環蓮がメインキャストに牙をむく・・・一体、どうなってしまうのか!?”・・・みたいな?」

 「いや、そんなどっかで聞いたことあるようなフレーズを使って“みたいな?”って言われても全然分かんないっすよ・・・」

 

 歩くこと大体3分。バス停のある大通りまであと少しというところにあるこじんまりとした公園のブランコに座り、俺は堀宮から蓮のことを聞いていた。

 

 「まー簡単に言うとあたしと蓮ちゃんって弓道やってるじゃん?そしてウチらの演じる役ってお互いライバルじゃん?だから一緒に“射詰”でもやって仲良くしようってワケよ」

 「・・・まず“いづめ”って何ですか?」

 

 ちなみに俺は、弓道の知識は全くと言っていいほどない。

 

 「ウソでしょそこから説明しないといけないのあたし?」

 「俺、弓道とか全然知らないんで」

 「はぁー・・・“時間ない”っつったのはどっちよ全く」

 

 そんな弓道のルールや専門用語を全くと言っていいほど知らない俺にあからさまに呆れるような様子で、堀宮は蓮との顛末を“射詰競射”の説明(こと)と一緒に話してくれた。

 

 「えっ、蓮が勝ったんですか?」

 「うん。四本目であたしが外した」

 

 堀宮曰く、蓮とは“あるもの(※さすがにそれは秘密)”をかけて“射詰競射による二手勝負”という方法で対決をして、その勝負になんと蓮は勝ったという。言っておくがこの人は、中学のときに弓道で都大会3位を獲ったことがある(※実際に表彰状を見せてもらった)実力者だ。

 

 

 

 “『そう言えば雅って弓道部ですけど杏子さんは弓道やったことあるんですか?』”

 “『中学からずっと続けてるよ。自慢じゃないけど去年の都大会で3位』”

 “『マジですかそれ?』”

 “『“マジのマジ”。何なら事務所で次会うとき表彰状持ってこよっか?』”

 

 

 

 ちなみに堀宮が“経験者”だということを知ったのは、『ユースフル・デイズ』のオファーが正式に決まって原作を読み出した後のこと。言うまでもなく、普段の雰囲気や振る舞いとのギャップが凄くて都大会3位の表彰状を見るまで俺は信じられなかった。

 

 

 「外したのはわざとですか?」

 「うーん、ある意味“わざと”かもしれないね。あくまであたしは“本気で狙って”外しただけだけど」

 

 たださすがに勉強もスポーツも“何となく”で何でもできてしまう蓮を持ってしても、都大会3位になったこともある経験者には“忖度”をしてもらわないと勝てなかった・・・というところだろうと俺は予想した。

 

 「でも、4射全部ノーミスで決められたのはちょっとだけ予想外だったよ」

 「4本とも全部当たったんですか?」

 「そうそう。弓道なんて授業でやったことあるってことを踏まえても昨日今日で習い始めた子が4連続的中させられるほど甘くないし・・・ホントは中学から習ってたりしてたの?」

 「いや、マジで中学の授業でやったことがあるぐらいですよあいつ」

 

 そんな堀宮だが、さすがに蓮がいきなり4連続で的に矢を当ててきたことは想定外だったらしい。

 

 「うっそでしょ・・・じゃあ何?蓮ちゃんってもしかしてマジのマジで“凪子”みたいな根っからの天才タイプ?」

 「少なくともスポーツに関してはそうですね・・・あいつ、じゃんけんもそうですけど運動神経も抜群でどんなスポーツも“何となく”って感じで何でもできるタイプなんで」

 「あ~、言われてみたら確かにスポーツ出来そうって感じしたわ~。まず体幹がすごくしっかりしてたし」

 

 もちろん勉強は当然のこと、運動神経に加えてセンスも抜群でどの科目をやってもクラスで1番だった蓮のことを親友としてよく知っている俺からすれば、そこまで驚くような話じゃない。確かに堀宮の言う通り、あいつはこと“勉強とスポーツ”においては類まれな才能を持っている天才なのかもしれない。

 

 「・・・やっぱり・・・“役作り”が目的ですか?

 

 そしてこれには“裏がある”ことが分かり切っている俺は、脱線しかけた話を早々に終わらせて容赦なく核心に迫る。

 

 「あ~、やっぱりそう来ちゃう?」

 「やっぱりも何も、杏子さんだったらきっとそうするだろうなって思っただけです」

 「・・・・・・ちぇっ、さとるは無駄に勘が良いんだから」

 

 核心を問いかけてみると、堀宮は観念したかのようにそれが“本当”だということをあっさり認めた。

 

 「・・・でも珍しいですね。極度の負けず嫌いな杏子さんがわざと人に“勝たせる”ような真似をするのは」

 「もちろん“負けてあげる”っていうのが良い気分じゃないのは変わんないよ・・・でも、雅の感情(こと)をもっと深く知るには“敗北”のひとつやふたつは噛みしめておかないとだからね」

 

 原作の劇中で主将の座を争うことになる、弓道部の2人。1人はひたむきに練習に明け暮れて天才の隣にまで並んだ健気な“努力家”で、もう一人は中学時代から名が知られていた鳴り物入りの“天才”。

 

 「それに・・・・・・負けるからこそ“得られる”ものもある

 

 そんな2人を演じるのは、才能に恵まれつつもそれに満足なんかしない“2人の努力家”だ。

 

  「・・・・・・そうですね

 

 自らを天才女優だと名乗る努力家の真剣な眼差しに、俺は素直に言葉を向ける。蓮にどのような言葉を使って焚きつけたのかまでは知らないが、この人が自分の為なら手段を厭わないのは知っているから、“何か”があったことは聞かなくともわかる。

 

 「さとるは分かって言ってるの?」

 「分かってますよ・・・俺もこうしてメインを張れるようになるまで何回も“負けて”来ましたから」

 

 俺たち役者は、みんながみんな“負けず嫌い”の集まりだ。負けた経験を糧にして、勝ちに繋げる。今まで芸能界(この世界)で会ってきた人たちはそれこそそれぞれで違う人間性を持っていたけれど、根底にあるものはみんな同じだ。

 

 「・・・“利用”しましたね?蓮のこと?

 

 もう聞かなくても分かり切っていたが、俺は頭に浮かんだ言葉をそのままの形で右隣のブランコに座る堀宮に問う。

 

 「ごめんね。悪気はないんだ」

 「でしょうね。杏子さんが“そういう人”なのは後輩として知ってるんで」

 「ひょっとして怒ってる?」

 「いえ、全く」

 

 別に俺は、自分の役作りのために親友が“利用”されたことには、本当に1ミリも怒ってなどいない。

 

 「ただ・・・」

 「ただ?」

 

 

 

 “『お前が本気で腹を括ってまで覚悟して決めたなら何にも言わないけど・・・・・・“無茶”はしすぎんなよ』”

 

 

 

 「俺は(あいつ)を・・・・・・“血肉”にはできませんでした

 

 ただ、俺にはそれが出来なかった。互いの役柄を考えればあいつの“言い分”は理にかなってはいるから、お望みどおりに利用すれば良かった話でもあった。もしも相手が隣にいる堀宮だったら、俺は何の躊躇いもなくそうしていた・・・とは今更言い切れないけど、やろうと思えばやれていた。

 

 「あの後、急に雨が降り出したから心配で屋上に向かって・・・その途中で階段を降りてきた蓮とバッタリ会いました・・・・・・あいつは分かりやすく“弱って”ました・・・そんなあいつを見ていたら・・・とてもじゃないけど“ライバル”として言葉をかけることは出来なかった・・・

 

 

 

 けど、弱っている親友の背中を見た俺は・・・“ただの親友”に戻って言葉をかけた。

 

 

 

 「・・・でも、弱っていても無理して強がるあいつを見て・・・心配したのと同時に“安心”した

 

 

 

 相手は“敵”なのに、無理をしているのは“お互い様”なのに、どの口が言ってんだ?と、自己嫌悪に似た感情に襲われた先にあった・・・“安心”という感情。

 

 

 「俺は・・・自分が思っていたよりもあいつと“近い”ところにいるって・・・俺なんかよりもずっと先を歩いている思っていた存在(ライバル)が、今でも“ただの親友”だってことを実感できて・・・・・・“嬉しい”って思った

 

 

 

 親友が弱っている姿を見て“嬉しさ”を覚えてしまう、“らしくない”自分・・・・・・でも、想像していたよりは親友から“突き放されていない”ことを知って、相も変わらずあいつは何も変わっていなくて・・・俺は“安心”した。

 

 

 

 「・・・意外と“クズ”っぽい一面もあるんだね?さとるって

 

 気持ちを切り替えたくて頭の中から“排除”していた記憶を掘り起こして、屋上で話した後に蓮と階段の踊り場で会ったことを打ち明けた俺に、堀宮は小さく笑いながら星空のない空を見上げて呟くように俺のことを“クズ”と言った。

 

 「“クズ”・・・・・・そうかもしれませんね

 

 堀宮の言う通りだ。自分自身を俯瞰して振り返ってみれば、人に利用されて弱っている親友の姿を見て心の中で安心している俺という奴は、“クズ”と言われても何も言い返せない。

 

 「否定しないんだ?」

 「親友が弱ってる姿を見て“安心”してるような奴に、それを“否定”する資格はないですよ」

 

 

 

 “『蓮と同じように俺も役者になる』”

 

 

 

 2年前と同じ、弱っている背中。それを見て、あの日から俺たちは何も変わってなんかいないという現実(しんじつ)にもう一度だけ気が付いて、確かな嬉しさを覚えた・・・・・・少なくともこんなこと、2年前の俺は毛頭にも思わなかったはずだ。

 

 

 

 

 俺の中でゆっくりと・・・・・・“らしくない自分”が芽生え始めている。

 

 

 

 「でも・・・そんな人間が好き勝手に生きることが許されるのが、芸能界って世界(ばしょ)だってあたしは思う

 

 半分ぐらいの冗談のつもりで言った自虐に、堀宮は左隣のブランコに座る俺を横目で見ながら優しく笑う。

 

 「・・・・・・

 

 ありとあらゆる気持ちが複雑に入り交じったこの感情を“浄化”していく優し気な笑みに、俺は言葉を失う。

 

 「それにさ、どこかの誰かが言ってたけど人って自分の気持ちが一番分からない生き物らしいよ・・・でもそれが分からないと、あたしたち人間は役者にはなれないって・・・

 「・・・どういう意味ですか?

 

 相変わらず、堀宮は時々何を考えているのか全く分からなくなる瞬間がある。いまこうして俺に向けている言葉は果たしてこの人の“本心”なのか、それとも“気まぐれ”なのか・・・全く読めない。

 

 「・・・だからこうやって自分の気持ちに気付けたさとるは、自分が思ってる以上に役者として成長できてるよ

 「・・・・・・

 

 ただひとつだけ確かなことは、こうして堀宮から肯定の言葉をかけられた俺の心は、これ以上ないくらいに“喜んでいる”ということ。

 

 「もちろん。“親友”に負けないくらいにね?

 

 

 

 未体験の感情が血肉となって身体中を駆け巡っていく感覚・・・それは、新しい自分の発見という、“不知の知”の喜び・・・

 

 

 

 

 

 “もし俺が蓮にこの感覚の“全て”を言ってしまったら・・・・・・俺たちはどうなってしまうんだろう?”

 

 

 

 

 

 

 「・・・門限が迫ってるので俺はこれで帰ります」

 

 ふと我に返り冷静になって、俺は門限のことを思い出してブランコから立ち上がる。何だかよく分からないが、堀宮と一緒に蓮のことを話していたらいつの間にか“心の奥に閉めていた感情”が出てきてテンションがおかしくなりかけていた。とにかく門限を破ったら問答無用で反省文を書く羽目になり内申点にも影響してくるから、破るわけにはいかない。

 

 「うそもう帰るの?せっかくイイ感じに盛り上がってきたところなのに」

 「こんなところで盛り上がったら本末転倒もいいとこですよ」

 「蓮ちゃんとのこともっと知りたくないの?」

 「もう十分聞きましたよ。てかこっちはマジで時間に追われてるんで」

 「なんか今日いつも以上に冷たくない?」

 「そんなことないですよ・・・じゃあ、今日はありがとうございました」

 

 引き留めようとする堀宮の声を尻目にして、俺は素っ気なく返事を返して公園の出口へと歩き始める。正直言うと堀宮から蓮のことをもっと色々と聞きたかったが、これ以上この場所にいると我を忘れて“ハイ”になりそうな危険を感じたから、とにかく今は1秒でも早くこの場から離れてさっさと寮にある自分の部屋へと戻って頭を冷やしたい気分だ。やっぱり“あの感情”は、そう簡単に思い起こすものじゃない。

 

 “・・・どうしたんだ、今日の俺は・・・

 

 「・・・さとる!

 

 そのとき、堀宮が突然俺の名前を大声で呼んだ。普段の感じとは“微妙に違う”雰囲気を感じ取った俺は、無意識に背後のブランコへと振り返る。

 

 

 

 『ジュン』

 

 

 

 「もしこのあいだの休みで2人きりになれなかったら・・・・・・ここで“する”つもりだったから

 

 ブランコに座ったまま、帰ろうとする俺を呼び止めて脈略なく観覧車でやられた“キス”のことをいきなり打ち明ける堀宮の姿が、“”とリンクして見えた。それを自覚した瞬間、俺の心拍数が音を立てて上昇し始めた。この感覚が一体何なのか・・・感情の正体は分からないけれど、俺の身体と心はこの感覚をちゃんと覚えていた。

 

 

 

 “『あたしが演じる雅のこと、本気で好きになってよ』”

 

 

 

 「・・・今さらそんなこと言われても・・・俺は知らないです

 

 そして最後に向けられた言葉でぐちゃぐちゃになった感情を1秒でも早くリセットさせたくなった俺は堀宮から逃げるように公園の外に出て、そこから大通りのバス停まで全力でダッシュした。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・こっわ

 

 公園の外へ逃げるように歩き、そのまま走り去っていく憬をブランコに座ったまま見送った堀宮は、憬の姿が見えなくなるのと同時に自らの感情に動揺した後輩へ向けた独り言を呟いて静かに笑った。




向けられた感情は、あまりに強く_



俳優デビューした鳥谷の記念すべき初台詞が最高に口悪くて笑った


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scene.89 タラレバ / 今じゃない

今回の話は2話構成になってます。


 

【タラレバ】

 

 

 

 「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 

 学校から一直線に海岸線まで下りていく一本道を、制服を着た主人公の少女は下校する生徒たちを追い抜くように全力で走る。

 

 カンカンカンカン_

 

 海岸線の前を遮るように立つ踏切が鳴り、電車が遮断機の下りた踏切を横切る。それを見た少女は更に力を込めて走る。

 

 「はぁ・・はぁ・・はぁ・・」

 

 電車が踏切を通過してその先にある駅に向けて減速し始めたのと同時に、少女は線路に沿って駅まで続く歩道に入って、電車が入線した駅のホームを目指してなおも全力で走る。

 

 「ヒロ!」

 

 電車が着いてドアが開くのと同時に改札を抜けて駅のホームについた少女は、そこで電車を待っていた男友達の名前を呼ぶ。

 

 「?」

 

 少女の声が聞こえて男友達は声のする方へと振り向く。呆気にとられる男友達の右手にはシェアウォーター。

 

 「一緒に帰ろ!」

 

 ナレーション:『水がメグル、アナタとシェアする』

 

 「・・・お前、先帰ってたんじゃなかったのかよ」

 「も~ひどいな~」

 

 息を切らしながら笑いかけるクラスメイトに、先に帰っていたと勘違いしていた男は少しだけ呆れたように笑いながらシェアウォーターを片手に持ったまま少女のほうへと近づいていく。

 

 

 

 『ヒロ!・・・・・・一緒に帰ろ!

 

 「はいカット!いいね最高の笑顔だよあずさちゃん!

 「・・・いえそんな、恐縮です

 「じゃあこのままラストシーン本番撮っちゃおうか。あずさちゃんもヒロくんも行ける?

 「俺はOK」「はい。お願いします

 

 

 

 

 

 

 2001年_4月12日_午後2時50分_江ノ島高校前駅_

 

 「Very good job(マジでおつかれ)

 

 4月12日。昨日までの曇天とは打って変わり天気は見事な撮影日和(かいせい)。ラストシーンの撮影で最後の“OK”が監督さんから出た後の休憩時間、カメラ映りのチェックを終えた私のところに“主役”のシェアウォーターを片手に相手役の狩生(かりう)さんがネイティブな英語でイメージキャラクターの私を労う。

 

 「狩生さんのほうこそ、お疲れ様です」

 

 オフィス華野(かの)という芸能事務所に所属している若手俳優・狩生(かりう)ヒロ。つい先月までは本名の“狩生尋(かりうひろ)”で活動していたが、この4月から芸名の今のものに改名した。とはいえ読みは同じだから、こうやって名前を呼ぶことに関しては何ら支障はないけれど。

 

 「てか“シェアウォーター”のCMってホントに春から撮影してたんだな。季節は“”なのに」

 「はい。大体シェアウォーターのCMは早ければ3月あたりから撮影を始めるのがセオリーみたいなので(シェアウォーター”の発音はネイティブじゃないんだ・・・)」

 

 そんな相手役の狩生さんと現場で会うのはこの“シェアウォーター”のCMが初めてだけど、私にとって狩生さんは同じ高校に通う1学年上の先輩で高校生と役者の“二足の草鞋を履く者同士”として何度も会っているから、この人が“LA帰り”の帰国子女なのはとっくに知っている。

 

 「3月?Are you kidding(冗談だろ)?」

 

 ただ同時にこの人は芸歴的には私と同じ3年目で“同期”ということになる私にとっては、ちょっとだけややこしい“立ち位置”にいる人でもある。狩生さんはそんなこと1ミリも気にしてなさそうだけど。

 

 「噓みたいな話だけど本当なんだよね~。だいたいCMは1ヶ月以上かけて作っていくのが基本だから」

 「・・・Wow

 「あと2人とも、ラストシーン文句なしでOKだったよ」

 「ほんとですか、ありがとうございます」

 

 季節設定がオンエアされる時期に合わせた“”だということに驚きを隠せないでいる狩生さんに、映像のチェックを終えた監督さんが通りすがるついでに全テイクのOKを私たちに告げる。

 

 「じゃあこの後は駅舎の前に移動してメディア向けのインタビュー撮るからよろしくねあずさちゃん!」

 「はい」

 「ヒロくんもありがとうね!」

 「あざます」

 

 そして最後に撮る情報番組に向けたインタビューの撮影を前にした私と出番を終えて後は帰るだけになった狩生さんの肩をぽんと叩いて、監督さんは次の準備へと取り掛かり始める。

 

 「“人気者”はやること多くて大変だな」

 「いえいえ、私なんてまだまだです」

 

 ちなみに私たちがいま着ている衣装は夏用の制服(※流石に休憩中はスタッフ用のジャンパーを羽織ってる)で、もちろんその理由はついさっきまで撮影していたCMのオンエアが始まるのが6月1日からだからだ。これは事務所に入ってすぐの頃にアリサさんから教えられたことだけど、CMの制作は企画や脚本、撮影に編集、更にはタイアップ曲のオファーなどの工程を経るため大体の場合1~2か月は掛かるらしい。だから実際は半袖だとまだ肌寒い季節でも、相手役の狩生さんもエキストラの人たちもみんな夏の格好をして撮影している。

 

 「なぁアズサ、ひょっとしていまの俺たちって何も知らない人から見たらすげぇ“ヘンテコ”に見えてんのかな?」

 「“ヘンテコ”、ですか」

 「だってフツーに考えて最高気温が摂氏20℃に届かないようなこの時期に夏服着てる集団が駅のホームに“わんさか”いるんだぜ?」

 「・・・確かに。何にも事情を知らない人が見たら“何だこれ”ってなるかもしれませんね」

 「ま~それ言えば“向こう”には真冬もタンクトップと短パンで過ごすような“イカれたおっさん”が近所にいたけど」

 「本当ですか・・・」

 「(あ、マジでドン引いてる)」

 

 私にとってはすっかり当たり前になってしまったけれど、狩生さんの言う通り何も知らない人から見れば何だか少し“ヘンテコ”に見えるかもしれない。でもそういう感覚は、色んな現場で“初めて”を重ねていくうちに消えていった。どうやら私は、私の思っている以上に芸能界(この世界)でちゃんと“生きれている”みたいだ。

 

 

 

 “・・・少しは追いつけたかな・・・・・・杏子に・・・

 

 

 

 「・・・俺さ、何気にCM撮ってる現場に行くの人生初なんだよね

 

 ロサンゼルスにいたという“イカれた近所のおじさん”の話で軽く引いてしまった私に、狩生さんはホームの向こうに広がる海を見ながら呟く。

 

 「そうなんですね」

 「なんつったっていまの俺は所詮、クラスの人気者(一軍)に憧れてる“Wannabe(二軍)”みたいなもんだからさ」

 

 少しだけ癖のあるオレンジがかった明るめの茶髪に、爽やかさとワイルドさが合わさったキリっとした顔立ち、モデル顔負けのスタイルの良さからなるただの二枚目には留まらない独特なオーラを放つ立ち姿・・・もし狩生さんがアリサさんからのスカウトを蹴らないでスターズに入っていたら、間違いなく“ライバル1号”の十夜さんや夏の月9で主演に抜擢された山吹さんと同じくらいの場所には、きっともう立てているはず。

 

 「そんなことないですよ・・・狩生さんは十分に“一軍”です」

 「あくまでそれは“学校”に限った話だろ?」

 

 その証拠かどうかは分からないけど、私が通っている学校での狩生さんの人気はすさまじく、校内に非公認の“ファンクラブ”らしきものが存在するほどだ。もちろん当の本人は、そんな現状なんて1ミリたりとも満足していない。

 

 「俺はアズサみたいに、“学校の外”でも認められるような人間になりたいんだよ・・・

 

 

 

 “・・・私は“学校のみんな”に好かれている狩生さんのほうが・・・・・・よっぽど羨ましいですよ・・・

 

 

 

 「・・・スターズに入るという選択肢は、最初からなかったんですか?

 

 何気ない一言がきっかけで浮かんだ本音を心の奥にしまい込み、私は分かり切った質問を隣に立つ狩生さんにぶつける。

 

 「“NO”だね。だってスターズ入ったら“バイク”乗れねぇし」

 

 言うまでもなく返ってきた答えは、案の定とっくに本人の口から聞いたことのあるものだった。ちなみに所属俳優の怪我を防ぐという理由で、スターズでは原則として“撮影等の止むを得ない場合”を除いて自動二輪車の運転や所有は禁止されている(※なお免許自体は取っても構わない)。

 

 「あずさも適当に時間作って免許ぐらい取ればどうよ?世界変わるぜマジで?」

 「いえ、転倒する自信しかないのでお断りします」

 「そこに自信もってどうすんだオイこーいうところが可愛いんだけどさ)」

 

 ついでに私はバイクなんて恐くて乗れる気がしないので、特に不満はない。

 

 「・・・多分だけど、こんな俺が“アズサやトーヤんとこ”に入ってたらとっくにやる気なんかなくして役者辞めてたよ」

 「・・・そうなんですね」

 「あ、今のは全部“ジョーク”だから真に受けなくていいぜ」

 「今のが全部ジョークだとしたらタチが悪すぎますよ

 

 なんて“バイク”のことはともかく、アリサさんが“オーディションなし”で直接スカウトしたほどの素質を持っていながら狩生さんがスカウトを蹴った理由はきっとこれだけじゃない。もしもスターズに入っていたら・・・と簡単に“タラレバ”は心の中でいくらでも唱えられるけど、それは本人にしか決められないことで、結末なんて本人でさえも分からない。

 

 「それにさ・・・みんなが揃ってアズサみたいに“有名なとこ”に入ったからといって、“一軍”になれるとも限んないじゃん?

 

 でもひとつだけ確信していることがあるとするなら、狩生さんは“もっと高いところへ行ける”役者だということ。

 

 「だから俺は俺のやり方で、“一軍(ジョック)”になってやるさ

 「・・・私も応援しています。同じ役者として

 

 

 

 もちろんこれも・・・勘という名前の“タラレバ”だ。

 

 

 

 「つーことで“7月のドラマ”もよろしくな。“Ms.Nakarai(半井ちゃん)”」

 「あ、はい・・・・・・えっ?半井?」

 

 こうして一足早く今日の仕事を終えた狩生さんは、帰り際に私のことを7月から始まるドラマの“役名”で呼んだ。

 

 「それって、どういうことですか?」

 

 今ひとつ言われたことを整理出来なかった私は、さっさと帰ろうとしていた狩生さんを呼び止めた。

 

 「俺、“相葉傑(あいばすぐる)”で『ユースフル・デイズ』出るから

 「・・・・・・“Really(本当に)”?

 「Sure(もちろん)

 

 そして狩生さんの口から明かされたのは、私が“亜美”として出演することになっているドラマ・『ユースフル・デイズ』で物語の“キーパーソン”となる“”役に抜擢されたという、驚き以外の何物でもない知らせだった。

 

 

 

 

 

 

【今じゃない】

 

 

 

 同日_霧生学園・1年I組_

 

 「また早退とは人気者は大変だな、夕野っち?」

 「別に言うほど人気じゃねぇよ俺は」

 「火10のメインに選ばれてる奴のどこが人気じゃねぇんだよオイ」

 

 4時限目が終わり、周りのクラスメイトがこれから昼休みに入るというタイミングで、俺は午後から行われる音楽プレーヤーのCMの撮影(※2パターン)に行くために帰り支度を始めていた。

 

 「帰る前に俺に教えてほしいんだけど、陸上部の王賀美岳っていうイケメンアスリートに喧嘩売ったって話を通りすがりで聞いたんだけどガチ?」

 「は?何で俺が」

 

 という事情があってさっさと支度を済ませている俺に、右隣の席にいる新井が早退する俺を揶揄うついでに何だかよく分からないことを聞いてきた。俺が王賀美先輩と喧嘩?どういうことだそれ?

 

 「移動教室のときに違うコースの女子が噂しててさ、“芸能コースの夕野憬って俳優の人が走り幅跳びの練習中に王賀美先輩へ向けてガン飛ばしてたのを柵越しに見た”ってよ」

 

 

 

 “『俺を選んでくれた人と、選んでくれたことを受け入れてくれた人たちの期待に、俺は“役者”として応えないといけないんですよ』”

 

 

 

 「いや、普通にアドバイス聞いてただけだし・・・ってか進学コースの人もなに人様の練習を覗き見してんだよ

 「要はそれぐらいモテてるらしいって話だぜ。ったくさすがは霧生学園スポーツコース屈指の“人気者(スター)”なだけあるわ王賀美岳・・・で?夕野っちはマジで喧嘩売ったの?」

 「だから売ってねぇっつの

 

 確かに言われてみれば、思い当たるような節は確かにあった。けど断じて言うが、王賀美先輩とは喧嘩なんてしていない。

 

 「まぁ王賀美岳って人はこの学校じゃ俺のような生半可な芸能コースの奴とは比べ物にならないくらい女子からの人気が高ぇからな・・・てか芸能コースの立場よ」

 「そういや昨日の練習でいきなり1年の女子からラブレター貰ったとか言ってたわあの人」

 「はぁ!?・・・・・・俺はちょっと顔が良いアスリートにも負けるのかよ」

 「別に“人気”で張り合っても虚しいだけだろ。それに王賀美先輩は何気に1年でインターハイ出てる“超人”だから、そりゃあ一目置かれるわけだわ」

 「マジかよ!?・・・・・・あれ?俺って根本的に負けてる?」

 「安心しろ。いくら王賀美先輩といえど“芝居”は出来ない・・・これは俺たちだけの“特権”だ」

 「・・・だよな~夕野っち。さすがは“心の友”だ」

 「どっかで聞いたなその台詞

 

 そして下手な芸能コースの男子よりも圧倒的に学校の女子からの人気が高い王賀美先輩にあらぬ嫉妬を抱く新井を、俺はクラスメイトとしてどうにかして宥める。もう言うまでもないが、新井は俺が陸上部に入ったことを知っている(※というか寮に入ったその日に入るつもりだとは打ち明けた)。

 

 「ていうかあのグラウンドって外から普通に覗けたの?」

 「おう。見学で俺もあのグラウンド行ったけど意外とあそこって場所によっては外から普通にトラックが見えるとこが多いぜ」

 「マジか、全然そんなの意識してなかった」

 「まーカメラマンにとっては隠し撮りし放題ってとこだな。とーぜん警備員みたいな人がいたからその辺はちゃんとしてるっぽそうだけど」

 「どっちにしろほぼプライベートなんてないようなもんじゃねぇかそれ」

 

 その流れで明かされる、霧生学園が誇る無駄にハイスペックな総合グラウンドの落とし穴。言われてみれば何となく周りの景色に解放感を感じたから、きっとそれが正体だったんだろう。肝心の俺は走り幅跳びに集中しすぎて全く気にしてなんかいなかったが。

 

 「やべぇ、あんまりゆっくりしてられないからこれで帰るわ」

 「マジか、やっぱ“人気者”は大変だな」

 「その“くだり”はもういいっつの

 

 本当は昼休みが終わるまでこうやって仲の良いクラスメイトと駄弁っていたい気分だが、撮影が迫っている以上は“目の前の仕事”が最優先だから、俺は早々にこのクラスから引き上げる。

 

 「じゃ、撮影頑張れよ夕野っち」

 「おう、ありがとう新井」

 「今日はちゃんと俺の名前を言えたな」

 「・・・うるせー」

 

 ちゃんと“伊藤”と間違えることなく名前を呼んだことを得意げにツッコまれつつ、俺は新井に軽く手を振って教科書を入れたリュックを背負い1年I組の教室を出る。

 

 「あれ?夕野さんもう帰るんだ?」

 「うん。午後から仕事あるからね」

 「いいなぁ~わたしも仕事で早退とか一度でいいからやってみたい」

 「別に早退したくて“早退”してるわけじゃないんだけどね・・・」

 

 教室を出た瞬間、購買で買ったであろうパンを片手に教室へと戻ってきた初音と鉢合わせた。

 

 「・・・蓮もおつかれ」

 「おつかれ」

 

 その斜め後ろには、左隣の席にいる蓮もいた。

 

 「今日は憬が仕事か」

 「おう、CM2本撮り」

 「それはまた忙しそうなことで」

 「おかげさまでな。時間もあんまりないから俺はもう行くよ」

 

 普段とあまり変わらないテンションを装って素っ気なく挨拶を交わして、俺は昇降口へと足を進める。

 

 

 

 “『おはよ』”

 “『おはよ』”

 

 

 

 昨日から俺は、蓮の言う通りに学校の中で互いにあまり話さないようにすることを意識している。もちろん挨拶とか最低限の会話はするけれど、何だか随分と素っ気ない感じがするのは否めない。

 

 

 

 “『“無茶”はしすぎんなよ』”

 

 

 

 そうやって無茶をして強がる親友のことを心配する反面で、その強がりを見て2年前と変わらない親友を“喜ぶ”自分の感情に、昨日は翻弄された。一晩寝たことでだいぶ頭は冷静になって感情も元の落ち着きを取り戻したが、あの“らしくない感情”の対処の仕方は全くもって分からない。もしかしたらこれは自分の心の中が“変わり始めている”予兆なのかもしれない。だが、その心のもう半分が変化を全力で否定している・・・例えるならそんな状態だった。

 

 

 

 “『もしこのあいだの休みで2人きりになれなかったら・・・・・・ここで“する”つもりだったから』”

 

 

 

 そんな状態で“あんなこと”を言われたものだから、俺の感情は例の“キス”以来のキャパオーバーを起こして、とてもじゃないけどあの場所には留まれなかった。『ロストチャイルド』のときの“フラッシュバック”とも違う、まだ自分の中でも何が何だか分からない“戸惑い”にも似た謎の感情に、俺は堀宮をそっちのけにして公園を出て走り出した。

 

 

 

 “『_昨日は無理やり帰るような形になってすみませんでした。_』”

 “『_全然気にしてないから大丈夫よん♫_』”

 

 

 

 さすがに一晩が明けて自分の振る舞いに“無礼すぎた”と冷静になった俺は、せめて気持ちだけはと堀宮に謝罪のメールを送った。本当は面と向かって直接謝るのが一番だとは思うが、かといってそこまでして謝るほどのことでもないし相手は俺以上に忙しいからという理由で最終的にメールという形で気持ちを伝えたが、どうやら当の本人は全く気にしていなかったらしく、絵文字付きのメールが帰ってきた瞬間に一安心した。

 

 

 

 “・・・自分を見失うのは・・・“自分”に自信がないからだ・・・

 

 

 

 そうして昨日から今日を振り返ってたったいま辿り着いた結論が、ざっとこんなところだ。結局は蓮や堀宮を相手に自分の感情に振り回されていたのは、それだけ自分に自信がないことの裏返しだ。俺の中では自信を持っていたつもりでも、意識していないところだとまだまだボロが出ていたみたいだ。そういう“”を失くしていかないと、俺はメインキャストを名乗れる資格はない。

 

 

 

 “『覚悟しとけよ。憬』”

 

 

 

 いい加減、俺も覚悟を決めなければ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「憬!

 

 他のコースの昇降口とは別の場所にある“芸能コース専用”の昇降口に着いて、自分の名前が書かれているロッカーから愛用のスニーカーを取り出して“下履き”に履き替えたところで、さっきまで初音と一緒に教室へ戻っていたはずの親友の声が聞こえてきた。

 

 「帰る前に・・・・・・どうしても憬に言っておきたいことがある

 

 俺の名前を呼ぶ無駄に良く通る声が聞こえて振り返ってみると、教室からここまで全力で走って俺を追いかけてきたであろう蓮が少しだけ乱れた息を整えながら振り返った俺の目を真っ直ぐに見ていた。

 

 「・・・蓮

 

 その表情には、昨日のような強がりの裏にある“弱さ”は全く感じられなかった。俺のことを真っ直ぐと見据える目が合った瞬間に、蓮が本当の意味で“覚悟”をしてきたことを理解した。

 

 「・・・私が昨日言ってたやつ・・・・・・やっぱ“ナシ”で

 「・・・・・・

 

 こうしてどんなことを言ってくるのかと“身構えて”いたら、予想の斜め上を行くような言葉(こと)をぶつけてきたから、俺はつい無言でフリーズしてしまった。

 

 「・・・・・・いや、何か言えよ」

 

 フリーズして何秒かして、蓮から案の定ツッコまれる。いま目の前にいるのは、紛れもなく“クラスの人気者”だったときから何も変わっていない、“ただの親友”。

 

 「・・・・・・ははっ・・・ぁはははっ」

 

 そんな親友が少しだけ悔しそうに“自分の間違い”に気付いたその表情が本当に微笑ましくて、つい俺は堪えきれずに笑ってしまった。

 

 「ちょ、何がそんなに可笑しいんだよこっちは真剣に話そうとしてるのに?」

 「あぁ悪い悪い・・・・・・なんか・・・無理して強がらないで自然体でいる蓮を見てると、“安心”しちゃってさ・・・」

 「“安心”って・・・何それ気持ち悪っ

 「俺も思ったけど言うならもうちょいオブラートに言ってくれよ地味に傷つくから

 

 案の定、急に笑い出した俺は蓮からガチめに引かれた。もちろんこうなるのは当然で蓮が俺に対して容赦ないのも受け入れているけど、いざここまでどストレートに言われるとほんの少しだけダメージを食らうのが本音だ。

 

 「急に笑い出すような人を見て“気持ち悪い”って思うのは自然でしょ?」

 「まぁ・・・はい」

 

 けれども、やっぱりあんな“らしくない”強がりで虚勢を張ってる背中よりも、こうやって何も飾らないありのままの感情で正直に俺のことを見つめる表情を見ているほうが俺は親友として好きだから、何だかんだで微笑ましさが勝ってしまうから、俺は蓮のことを憎めないで大目に見てしまう。

 

 「それで?“学校ではあんまり話さない”ってルールを破ってまで俺に伝えたいことは?」

 「別にルールは破ってないよ。だってこれは“事務連絡”だから」

 「“事務連絡”・・・(もうちょい良い例え方あったろ・・・俺も咄嗟じゃ思いつかないけど)」

 

 とは言っても、やっぱり偶に強がって突っかかって来るようなところも、親友として嫌いじゃなかったりする。

 

 「今さっき私が言った通り、“学校で話さない”ってやつはナシ・・・・・・昨日から色々考えたけど、冷静になって考えたら特別仲が良いわけじゃないならわざわざ意識して避けるようなことしたって意味ないな・・・って思ったからさ

 

 

 

 “・・・そっか・・・・・・俺は蓮が・・・

 

 

 

 「・・・だから言ったろ。“必要か?”って

 

 親友を前に強がることを止めた蓮の表情を視て、突如として頭と心の中にひとつの “感情”が浮かんだが、それを奥にしまい込んで俺はいつもの調子で蓮に言い返す。

 

 「・・・はぁぁ・・・よりによって憬に“分からさせる”のは“マジのマジのマジ”ぐらい悔しい」

 「“だろうな”ってのが俺には“マジのマジのマジ”で伝わってくるわ・・・(何となくノったけど“マジのマジ”って流行ってんのか?)」

 

 いつも通りに言葉を返した俺に、蓮もまたいつもの調子であからさまに正直な気持ちをわざとらしい溜息に乗せて態度にしてぶつける。

 

 「でもありがとう・・・憬のおかげで色々と“気付けた”

 「・・・そっか

 

 そんな何気ない会話をして、俺はようやく昨日の蓮の背中を見て芽生えた“らしくない自分”の正体を自覚して、それを受け入れられる覚悟ができた。

 

 「だから覚悟しなよ・・・・・・弱点に気付けたいまの私は、君の想像してる10倍は強くなってるから・・・

 「・・・お前のことを見くびったことは一度もねぇよ・・・・・・転校してきたときからずっとな

 

 

 

 でも、その“覚悟の全て”を蓮に打ち明けるのは・・・・・・“今”じゃない。

 

 

 

 「行ってこい。憬

 「・・・おう

 

 腕を組んでまるで仁王立ちのような姿勢で何度目かの“タイマン”を売ってきた親友に見送られながら、俺は昇降口を出て“次の場所”へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 「やっぱいいよね“親友”って

 

 憬が昇降口を出て、声が届かないくらいの距離になったところで右のほうからよく知っている明るい“”が聞こえて私は振り向く。

 

 「・・・いつからいたんですか?」

 

 視線の先には、昨日の屋上と同じように“トライアングル”の袋を片手にキラキラと私に笑いかける堀宮さん。

 

 「さとるの笑い声が聞こえてきたあたりかな?」

 「うっわそれ一番恥ずかしいタイミングじゃないですか」

 「何気に2人とも結構声が通るタイプだから筒抜けだったよ」

 「マジか」

 「もちろん“マジのマジ”をあたしに許可なく“無断”で使ったところもね」

 「あれって“許可制”なんですね?

 「嘘、たったいま思いついた

 「でしょうね

 

 それにしても堀宮(この人)が同じ学校の先輩になるなんて、バトルロワイアルのときの私は想像すらもしていなかった・・・もちろん憬とまたクラスメイトになれたことは、もっと予想外だったけれど。

 

 「はいこれ。あたしに勝った記念品」

 

 会話をしながら感傷に浸り始めていた私に、堀宮さんは私が勝負に勝ったときの約束として“奢る”ことになっていたトライアングルを差し出す。

 

 「はい。ありがたくいただきます」

 

 そのトライアングルを、私は堀宮さんの目を見て感謝を告げて今度は堂々と受け取る。ギリギリ試合に勝って、勝負で惨敗したからこの人に“勝った”気は全くと言っていいほどしないけど、ボロボロに負けて泣いたからこそ得られたものも確かにあった・・・その成果が、“これ”だ。

 

 「今さらだけどほんとにこれでよかったの?」

 「最初から言ってるじゃないですか。“これがいい”って」

 「あははっ、そういえば“奪い返したい”って言ってたもんね蓮ちゃん」

 

 たかが150円で買えるこの学校の購買で売られているパン。でもそのパンを奪い返せたから憬とも“親友”でいられた。例えこれが全部掌の上だったとしても、その中でのせめてもの最善を私は尽くせた。

 

 「当然です・・・取られたものは取り返して、追い抜かれたら追い返すのが私なんで

 

 

 

 その繰り返しが・・・私が“超えるべき壁”を超えていく糧になることを信じて・・・・・・

 

 

 

 「じゃ、あたしは教室に戻ってこれから帰り支度するから今日はこの辺で」

 「堀宮さんも早退ですか?」

 「うん。なんてったって“メインキャスト”は忙しいからね~。てことでまた現場でね、蓮ちゃん」

 

 私にトライアングルを渡すと、堀宮さんはスキップするかのような軽やかな足取りで2年I組の教室へ引き返していく。

 

 「・・・・・・最後に“勝つ”のは私ですよ・・・堀宮さん

 

 さり気なく遠回しな皮肉を込めながら捨て台詞と共に颯爽と立ち去る“メインキャスト”の背中に、私は自分の中に渦巻く精一杯の感情をストレートにぶつける。

 

 「・・・へぇ~、言ってくれるじゃん

 

 軽やかに一歩を踏む足どりが止まり、可愛さと美しさを兼ね備えた“清純派の微笑み”を浮かべながら、堀宮さんは振り向きざまに私の目を凝視するように見つめる。

 

 「どうしても“勝ちたい”んならあまり先輩を刺激しないほうが身のためだよ・・・・・・“ピュアガール”

 「・・・・・・

 

 そして笑みを浮かべたまま数秒前までの明るい声からは想像できないほど冷めたトーンと“狂気”すら覚えるほどの強い視線で一瞥して、今度こそ教室へと戻って行く。

 

 

 

 “『そんなんじゃ蓮ちゃんは一生勝てないよ』”

 

 

 

 学校の屋上で選択肢を間違えた私に“失望”したときとは比べ物にならないほどの、相手を“”とみなした情け容赦のない感情。“良心”の部分で慰められたおかげで忘れかけていたけれど、堀宮さんは悪い意味でも“厭わない人”だというのを小さくなっていく背中を見送って改めて私は察する。

 

 “・・・“ピュアガール”・・・

 

 口調こそ普段とあまり変わらなかったけど、堀宮さんが言い放った最後の言葉が間違いなく私に対する“侮辱”を意味しているというのはすぐに分かった。これが女優・堀宮杏子の、“もう一つの正体”・・・

 

 

 

 “『いまの言葉がただの“強がり”で終わらないことを祈ってるよ。“ライバル”さん?』”

 

 

 

 「・・・・・・“ピュアガール”ナメんな

 

 死角へと消えていった堀宮さんへ“侮辱”に対する言葉をぶつけて、私は1年I組の教室がある“逆方向”へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2001年_5月19日_

 

本日より一色十夜さん、夕野憬さん、永瀬あずささん、堀宮杏子さん。クランクインです。よろしくお願いします

 

 

 

 そして、2001年5月19日。4人のメインキャストと助演、それを取り巻く大勢の端役と見守る大人達のあらゆる思いが交錯する中で、“4か月限定”の“青い春”は始まった。




ついに始まる、もう一つの学園生活_



はい。というわけでユースフルデイズ編もといchapter4はようやく序盤が終わり、いよいよ撮影へと入っていきます。最後のほうはかなりダイジェストっぽくなってしまいましたが、“前フリ”がこれ以上長くなってしまうと流石に書いてる側もキツくなってくるのでやや強引ですが序盤戦はここで〆とさせていただきます・・・・・・相変わらず話を纏めるのがド下手ですみませんとくん。

そしてもう一つ、急遽とはなりますが今回からchapter4を“chapter4-1”として改めさせて頂きます。理由としてはこのままだと今やってる長編がかなりのボリュームになっていくため、だったら何分割かにしてキリ良く分けて行くほうが読者としては読みやすいし書き手としても進めやすいという作者なりに効率を考えた末の結論です。

というわけでchapter4改めchapter4-1は実質この回でラストとして、物語はここから“繋ぎ”として一旦2018年に戻ったあと、いよいよメインキャストたちが撮影へと入って行く“chapter4-2”へ進んでいきます。

明日という日が、今より明るい日になりますように。ではまた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・狩生ヒロ(かりうひろ)
職業:俳優
生年月日:1984年1月5日生まれ
血液型:AB型
身長:181cm(初登場時;175cm)

本名:狩生尋(※読みは同じ)


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#009. 独り言①

今更ながら10-FEETにドハマりしている今日この頃。


 “「あぁ・・・なぜだ・・・・・・僕はもう、生きる意味を見出せないで肉体的に死のうと腹を決めているはずなのに・・・どうして消えたくないと僕の心は言っているんだ・・・・・・わからない・・・この感情は何だ?怒りなのか悲しみなのか喜びなのか!?・・・・・何なんだ・・・・・・僕は何がしたいんだ!?教えろよ僕は何者なんだ!!?・・・・・・」”

 

 リハーサルと最終稽古終わりの夜。カーテンのない光を全て遮断した真っ暗な自室の中で、俳優・司波京一は明日に本番を控える役者としての起死回生をかけた舞台に向けて、台詞を暗唱しながら最後の役作りをしていた。

 

 「・・・・・・俺は何者になりたいんだ?」

 

 役を一度解いて、自問自答する。俳優として、1人の人間として、家族という“守るべき存在(もの)”も含めて手に入れたいものは全て手に入れた俺は、確かに幸せを感じていた。それでも役者として常に生きている俺の心はどこか晴れなかった・・・そんなときに俺の前に現れた、“”という少しでも強く触れた瞬間に粉々に砕けてしまいそうなほど繊細で、触れた瞬間に骨の髄まで吸い込まれてしまいそうな強い感情を持った22歳の彼女。

 

 「・・・“役者”か・・・・・・誰かの傷口を塞ぐ“ほんの少し”か?」

 

 その選択をしてしまったら、“全てを失う”ということは誰よりも俺が一番よく知っていた。それでも零の心に深く空いているどす黒い穴を埋めてあげたいと、思ってしまった。それは彼女のための優しさなどではなくて、人並みの幸せを手に入れたことで忘れかけていた新しい感情(なにか)を得て血肉にして喰うという、役者を生きとし生ける人間なら誰しもが持ち合わせている自己満足と探求心。進化の為なら、ここまで積み重ねたものは全て捨てられる覚悟はあった。

 

 「・・・・・・結局、どっちつかずか」

 

 間違いなく、覚悟はあった。だが俺は最後の最後で零ではなく家族を選んだ。俺が家族を選んだら零は失踪した。それを合図に、俺が生きるための存在価値は音を立てて崩れ去った。たった一度の過ちが“タトゥー”となって世の中に広まり、荒んだ心の安息の地だったはずの家族を失い、昨日まで味方だった周囲の大人が全員敵に変わり“生きる”居場所を失くした。

 

 「・・・答え(それ)を永遠に探すのが役者なんですよね・・・・・・先生」

 

 そんな崖の下に堕ちたも同然の俺を、役者の生き方を教えてくれた恩師は拾い、最後のチャンスを与えてくれた。“この役は、今のお前にしかできない”と・・・

 

 

 

 “・・・なら・・・・・・俺は・・・”

 

 

 

 ガチャッ_

 

 自分以外の人間なんているはずのないこの部屋の扉が突然開き、俺は思わず扉のほうへと視線を向ける。

 

 「・・・・・・零?」

 

 真っ暗なカーテンのない部屋の扉の前には、失踪していたはずの零が薄っすらと笑みを浮かべながら立っていた。何が起こったのか把握出来ずに呆然と立ち尽くすだけの視線と意識に、零の右手に握られたナイフが留まる。

 

 「零・・・なんでここにっ・・・」

 

 それに気づいたときには、零は俺を抱きしめていた。身体を退けようにも動けず、それどころか(はらわた)が焼けるように熱くなって、呼吸もままならなくなった。この瞬間、俺は零が右手に持っていたナイフで腹を刺されたことを理解する。

 

 「・・・零・・・お前・・・・・・自分が何してるのか・・・分かっているのか?」

 「わからないよ・・・・・・だって私は、あなたに“壊され”ちゃったから」

 

 俺の腹を突き刺す零のナイフが身体から離れた次の瞬間、零はナイフを両手に持ち替え成す術もなく崩れ落ち始めるこの身体の心臓を目掛けて容赦なくそのナイフを突き刺す・・・

 

 

 

 

 

 

 「カット!・・・はい。2人とも良きです」

 

 壁の向こう側から監督の声が聞こえ、京一が役作りで使っている殺風景な自室を模したほとんど真っ暗闇なスタジオがパッと照明に照らされる。これにて“日劇”『メソッド』第9話の“役作りをしている途中で寝落ちた京一が夢の中で部屋に侵入してきた零にナイフで刺される”シーン、撮影終了。

 

 「・・・相変わらず、“役に入った”ときの(ひかり)ちゃんは怖いな」

 

 照明がつくと同時に、胸元に押し当てられたダミーナイフの感触が離れ、つい1秒前まで愛と憎しみを詰め込んだナイフを京一(おれ)の身体に突き刺していた身体から零の感情がスッと抜けて、彼女はいつもの“光ちゃん”に戻る。

 

 「一色さん。今の“怖い”という言葉は“お褒めの言葉”と捉えてよろしいでしょうか?」

 

 冗談半分で笑いながら“怖い”と言った俺に、光は如何にも“私を褒めてください///”って言いたげな目をしながら表情と口調だけはポーカーフェイスという、素直になれないおませな子猫のフリをした従順な子犬みたいなチグハグな感情で甘えてきた。

 

 「うん。そう捉えてくれていいよ」

 

 ただ、実際に光の芝居はお世辞抜きで気を抜いたら“この俺”を持ってしても一瞬にして喰われてしまいそうなくらいには凄いから、“褒められて伸びる系”の現代っ子な彼女には最初から褒めておくつもりではいた。まぁ、彼女の“こういうところ”は普通に気に入っているから、素直に“可愛いやつ”としか俺は思っていないけれど。

 

 「・・・ありがとうございます」

 

 女優・堂島光(どうじまひかり)。彼女は俺より11歳年下ながらも、5歳のときから子役としてデビューしているため年齢的にはまだ若手の部類だが芸歴だけなら今年で20年目を迎えた俺とほぼ同期というある意味そこそこの“ベテラン”だ。俺が“スターズの王子様”と呼ばれていた頃は全くと言っていいほど無名だったが、9歳のときにMHKで放送されていた料理をテーマにした子供向けの教育番組で劇中ドラマの主人公&5代目ヒロインの“ヒカリちゃん”に抜擢されたことで子役としてブレイクするも、人気絶頂だった11歳のときにMHKの番組を卒業すると同時に学業に専念するために女優業を一旦休業。それから4年後、高校進学のタイミングで芸能活動を再開すると映画を中心に主役級から脇役、シリアスからコミカルに至るまで幅広くこなせる器用さと、役を演じていることを忘れさせるほど演じる役に入り込んだ没入度の深い芝居を武器に演技派として着実にキャリアを築き、去年は主演を務めた映画で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を獲ったのを始め映画賞を総なめにして“トップ女優”の地位を確立し、今や“ポスト環蓮”とすら言われるほど同世代の女優の中では抜きん出た実力と評価を得ている演技派女優。

 

 「(いい子なんだけど気まぐれなんだよなぁ光は・・・)」

 「・・・どうされました一色さん?」

 「えっ?あぁいや、何でもない」

 

 ただ、主に映画を主戦場(メイン)に活躍している光はこれまで民放のプライム帯に放送しているドラマに出演したことがあまりないため、俺が“共演者”として彼女と接するのはこのドラマが初めてだった。もちろん彼女が民放のプライム帯のドラマでメインキャストを演じるのも、今回が初めてのことだ。

 

 

 

 “『京一さん・・・・・・好き』

 

 

 

 光のことは“ヒカリちゃん”と世間から呼ばれていた子役時代から知ってはいたし、それからメキメキと頭角を現し演技派女優としての地位を確立した今の実力も、“顔見知り”として出演していた映画をいくつも観ていたからある程度以上は理解しているつもりだったが・・・カットがかかっている瞬間は1コンマの油断さえも命取りになるほどの迫真かつ繊細な表現力と、別人格が乗り移ったんじゃないかと錯覚してしまうほどの圧倒的な感情の掘り下げからなるメソッドの精度は撮影初日の時点で俺の想像を軽く超えていて、日を追うごとに凄みを増して来ている。まるでこの俺を本気で“潰そう”と言わんばかりに。

 

 「いや、何でもないって言いたいところだけど・・・ひとつだけあったわ」

 「・・・なんですか?」

 

 次のシーンの撮影に向けた準備に取り掛かるスタジオから前室(まえしつ)に向かう途中で、俺は光に一度は口にするのを躊躇った言葉を打ち明ける。

 

 「・・・やっぱり芝居は楽しくないとな・・・ってさ

 

 “観客”として凄いと直感した演技が、実際に相手役としてその演技と対峙した瞬間に“”が“恐怖”に変わる感覚。役と自分はあくまで別人格と割り切り、役は入り込むほど“作り過ぎない”主義の俺と正反対な価値観で生きる京一とは心の中で“対話”をしてもちっとも噛み合わなかったが、人の痛みに敏感なところと自分自身が喰われる“恐怖”を心の底から楽しいと思える感性だけは皮肉にも一致している。だから俺は、隣にいる光のように自分の想像を超えてきた役者とバチバチに演り合っている瞬間が、楽しくてしょうがない。

 

 

 

 その気持ちだけは、“あのドラマ”で初めて(あいつ)と演り合ったときから何も変わらない・・・

 

 

 

 「急にどうされました?何か悩み事とか?」

 「いや、ただの役者の“独り言”だから心配なさらず」

 

 何気ない独り言を11コ下の女優に心配されながら、撮影スタジオの出入り口のドアを抜けた先にある前室へ入り、徐に部屋の奥にあるソファーに座って目を閉じ、感情を一旦リセットさせる。約2時間ないし3時間に渡って常に感情のギアを上げておかなければいけない舞台も大変だが、時にはたった数秒の為だけにギアを切り替えるような作業を半日ないし丸一日繰り返す映像演技もかなりの労力を伴う。だからこうした空き時間にどれだけ感情を“温存”することができるかもまた、役者にとってはかなり重要な作業だ。

 

 「・・・一色さん」

 

 目を閉じて“無の境地”に入ろうとした俺に、一緒に前室に入った光が話しかけてくる。ちなみにこの後は9話で“京一が零からナイフで胸を刺された夢から醒める”というシーンの撮影で今日のスケジュールは終了となるため彼女の今日の出番はもうない。

 

 「ん?どした光ちゃん?」

 

 いつもだったら撮影が終わったら軽く挨拶をしてそそくさと自分の楽屋に戻って着替えて帰ってしまう良くも悪くも“現代っ子”な光が、珍しく自分の出番が終わっても前室に来てわざわざ何かを“言いたげ”に話しかけてきた。そんな普段とは違う様子に、俺は閉じていた目を開けソファーに座ったまま零の衣装を身に付けたまま目の前に立つ光に問いかける。

 

 「あの・・・どうしても一色さんにお願いことがありまして

 

 しかし、零の衣装を着た光を見上げてみるとあまりにも京一が見ている零の姿とリンクし過ぎて、なんだか変な感覚になる。それはきっと、彼女自身の人間性と零の人間性の共通点が多いことにも由来しているのかもしれない。気の合う共演者以外とは最低限の関わりしか持たず大人数の馴れ合いを好まない閉鎖的なところや、エンタメ的なノリが大の苦手という理由でバラエティー番組には一切出ない“硬派”なところ、だけどその割には人懐っこい一面もあって気の合う人にはその部分を隠しきれないところ・・・要するに、何だか“危なっかしくて”ついほっとけなくなるところが似ているということ。

 

 「お願いか・・・うん、いいよ

 

 実は光と会ったのはこのドラマがきっかけではなく、初めて会ったのはいまから6年ほど前、俺の“従妹(いとこ)”とW主演で出ていた舞台を観に行ったときの公演終わりに楽屋を訪れたときのこと。もちろん初めて会ったときから、彼女の演技は本場アメリカのアカデミー賞で助演女優賞を獲っている主演の片割れに引けを取らないほどに凄かった。

 

 

 

 “『いえ・・・私はただ、“お姉様”が教えてくださったとおりにお芝居をしただけですから』”

 

 

 

 そして彼女が“お姉様”と慕う従妹の“あいつ”と共演した舞台が演劇界で高く評価されたことがきっかけで、女優・堂島光は“演技派”として一気に評価を上げていくようになった・・・そのときから彼女には、“ベクトル”は異なるが零と同じように平然を装う感情の中で常に脆さが見え隠れしているような不安定さがあって、俺が知っていた“ヒカリちゃん”はもうそこにはいなかった。

 

 「・・・あの

 

 コンコン_

 

 「失礼します。十夜さん、リハは今から15分後になります」

 

 ソファーに座る俺へと何かを言おうとしたタイミングを図るように、2人きりの前室に助監督が入ってきて、俺に次のリハの時間を伝える。

 

 「OK。わざわざ事前に教えてくれてありがとう」

 「では失礼しました」

 

 俺が座ったまま感謝を言うと、助監督はそのまま後にして前室は再び俺と光だけになる。当の本人はただ大真面目に自分の仕事を全うしているだけなのは分かるから何も言うつもりはないけれど、それにしてもタイミングが“ちょうど”過ぎて光ちゃんにも少しは配慮してやれよと俺は一瞬だけ思ってしまった。

 

 「・・・あぁそうだ、“お願い”って?」

 「すいません。やっぱり今日ではなく改めて明日の撮影終わりに言います」

 「えっ、でも結構本気で言いたげな感じにオレには見えたけど?」

 「これはただの私の我儘みたいなものなので・・・別に今日じゃなくても大丈夫なものです」

 「ホントに光ちゃんはそれでいいの?」

 「はい。なんだか“今の”で今日言おうって気持ちが途切れてしまったので」

 「おう・・・そっか」

 

 そのおかげ、と言ってしまうとさすがに助監督が可哀想だから名誉を守っておくが、どうやら光の中では俺に“お願い”を言おうとしていたタイミングを逃してしまったらしい。こういう変に“気まぐれ”なところも何だか零とよく似ていて、9話の終盤まで撮影を進めた今更ながら零という役は今まで彼女が演じてきた役の中でも1位なんじゃないかと思うくらい俺の中では“ハマって”いる。

 

 「では、この後事務所で打ち合わせがあるのでお先に失礼します」

 「うん。分かったよ」

 「お疲れ様でした」

 

 なんてところは置いておくとして、こんな具合に役者という生き方を選んだ人間というのは、何かと価値観や常識が一般の人からズレている人が多いように、光には光のタイミングというものがあるから、俺は余計に問い詰めるような真似は絶対にしない・・・特に、彼女みたいな硝子のように繊細な心の持ち主には、尚更だ。

 

 「・・・光ちゃん

 

 帰り際の挨拶を終えて前室を後にしようとする光を呼び止め、俺は“念のため”の助言を送る。

 

 「役にのめり込むのは良いけれど・・・のめり込み過ぎて自分を見失うなよ

 「・・・もちろん、心得ています

 

 俺から助言を送られた光は、“言われなくとも”と言いたげな表情を浮かべながら去り際に小さくお辞儀をして、そのまま前室を後にした。

 

 「・・・そういうところが心配なんだよなぁ」

 

 ひとりきりになった前室で、溜め込んでいた本音を吐き出して俺は再び目を閉じてリハの時間を待つ。結局、普段は撮影が終わったらすぐに帰る光が俺に言いたかったことは何だったのかは、明日へ持ち越しになった。

 

 

 

 “『まあまあ手が掛かる“子猫”だけど、光は世間のみんなが思っている以上に“デキる子”だから』”

 

 

 

 目を閉じた瞬間、いつか従妹が光のことを“手の掛かる子猫”と言っていたことを思い出した。子猫という表現が正しいかは別にして、“手が掛かる子”ほどほっとけなくなるこの気持ちは、分からないわけでもない。千夜子とは違う意味で、光もまた俺の中ではこのドラマの撮影を通じて“ほっとけない存在”になりつつある。幸か不幸か、いまの俺は京一と同じくそういう存在が“2人”いる状況だ・・・・・・一色十夜(オレ)という役者は、本来であればもっと器用に素顔と他人を演じ分けることができるはずなのに、どうした、俺?

 

 

 

 “・・・そういや・・・今日って杏子の誕生日だったよな・・・

 

 

 

 「(・・・今日の撮影が終わったらおめでとうの一言ぐらいはLIMEで言っておくか。明日は明日で盛大に祝う予定だけど)」

 

 自問自答の流れで不意にこのドラマで京一の妻である凛子を演じている杏子のことを思い出したことで、ようやく俺は感情を完全にリセットすることができた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2018年9月5日_午後7時28分_麻布十番_

 

 「千世子さん。到着しました」

 

 運転席から聞こえる声で、深層(くらやみ)に落ちていた意識がゆっくりと現実に引き戻される。

 

 「・・・ん、もう着いたんだ」

 

 来年のGWに公開予定の映画の撮影(ロケ)をしていた池袋からマネージャーの“マクベス”こと眞壁さんが運転する車の後部座席に乗ること約20分と少しくらい、わたしは約束していた麻布十番のお店の前に着いた。

 

 「爆睡してたせいか分かんないけど一瞬だった」

 「そうですか」

 「ねぇ、ホントは“ワイスピ”みたいにめちゃくちゃすっ飛ばしてきましたってことはない?」

 「いえ、ずっと法定速度厳守で運転していますのでご心配なく」

 

 本音を言えば撮影現場を出てからすぐに爆睡したせいで体感的には30秒ぐらいしか経ってないけれど、20分だけとはいえぐっすり眠れたおかげか“あの小説家”と会う前に思った以上に身体をリフレッシュさせることができた。

 

 「あははっ、冗談だよ冗談」

 「というか千世子さん、“ワイスピ”もご覧になっているんですか?」

 「いや、ないよ。名前だけ知ってる」

 

 爆睡したせいで目的地につくまで一瞬だったことを冗談交じりに伝えると、生真面目な眞壁さんはものの見事に真に受けて本気のトーンで返してきた。まだ本人には言ってないし言うつもりも今のところないけれど、眞壁さんは“どっかの夜凪(誰か)さん”と負けず劣らずなレベルの正直者だ。

 

 「じゃあ帰りはタクシー捕まえて帰るから、今日はこれでお互いお疲れ様だね」

 「そうですね。明日も5時半ですのでどうか無理はなさらないように」

 「ありがとマクベス。さすがに今日は帰ったらゆっくりと休ませて頂くから」

 「承知致しました」

 

 そんなマネージャーの正直さに軽く疲れ気味の心を癒されながら、わたしはショルダーバッグから取り出した外行き用の伊達眼鏡をかけて車の後部座席から外へと降りる。

 

 「では千世子さん。大丈夫だとは思いますが、くれぐれもお気をつけて

 「・・・うん

 

 運転席に座る眞壁さんに心配無用の笑みを繕いながら外へと降りて、乗ってきた車が走り去るのを背後で感じ取りながら、わたしは地下にある“消えた小説家”の待つレストランへと足を進める。

 

 “・・・ここか”

 

 麻布十番のメインとなる通りから1本入った一方通行の通り沿いにさり気なく立つ一見すると何の変哲もない6階建てのビルの地下に、まるで隠れ家のように佇んでいる高級イタリアンレストラン。

 

 コッ、コッ、コッ_

 

 控えめな照明に淡く照らされた地下一階へと繋がる階段を降りる自分の靴音が、背後の地上の雑踏に混じって耳に入り、その音がこれからこの下にある店で会う“小説家”への興味と緊張となって1歩を踏むごとに心をじわりと刺激する。

 

 コッ、コッ、コッ_

 

 いつからか、わたしはどんなにカメラを向けられても緊張なんてしなくなった。つい1ヶ月前まで撮影していた映画で5分の長台詞を急遽演ることになったときも、緊張なんてしなかった。その理由は、“百城千世子”として10年の月日を生きている“”が一番よく知っている。1フレームすら隙を作らないために、わたしは徹底的に百城千世子という人間を作り上げてきた。だから百城千世子(じぶん)にとって、カメラの前で演じるということは普通に“呼吸”をすることに等しいくらい、出来て当たり前のこと。

 

 “こんなに緊張するのは・・・いつぶりだろう・・・”

 

 なのに、わたしに会いたいという小説家の待つレストランへ続く階段を降りているいまのわたしは、久しぶりに心臓が高鳴るほど緊張している。カメラなんてない。視線を送る演者もスタッフもいない。いつもみたいに自分を追い込んで“百城千世子を演じる”必要もないのに。

 

 “『僕は“百城千世子”ではなく、“城原千夜子”と話がしたい』”

 

 アリサさんはおろか、ごく一部の人にしか明かしていない“極秘”の話し合いを実現させた天知さんの口から伝えられた、小説家からのメッセージ。アリサさんに内緒で行動していること自体には、不思議と緊張も罪悪感もない。じゃあこの高鳴りの正体が何なのかを考えられるとしたら、真っ先に思い浮かぶのはこれだ・・・だってわたしは、“千夜子(わたし)”で生きている時間と同じくらいかそれ以上に“千世子()”でいる時間が長くなって、その生き方に身も心もすっかり慣れ切ってしまったから・・・

 

 

 

 “『“カレン!・・・・・・行って”』”

 

 

 

 いや違う。この“緊張感”の正体はもっとシンプルなもの。『デスアイランド』の撮影(ロケ)で洪水に飲まれそうになったわたしを庇って流されていった夜凪さんに、つい“千夜子(じぶん)”の感情が溢れてしまった瞬間にも似た・・・自分でも制御することが出来ない、言葉では表現できない“何か”。

 

 

 

 “()べなきゃ・・・・・・百城千世子が“ニセモノ”で終わってしまわないために・・・

 

 

 

 階段を降りた先にある扉の前で、わたしは心の中にあるスイッチを切り替えて、“百城千世子(もうひとり)”のを表に出す。もちろんこれは二重人格とかそういうのじゃなくて、単なる“気持ちの持ち方”の延長線みたいなものだけれど、これは私がわたしで在るためにも大切なことだ。

 

 「・・・さて・・・喰らい尽くしますか・・・

 

 自分に言い聞かせるように小さく心の内を呟き、私は目の前の扉を開けた。




1ヶ月ぶりでございます。本業の仕事も含めてちょっと個人的にやることが多くなってしまい拙作の更新が滞っておりました。詳しいことは活動報告のほうで既に書いておりますが、恐らく年内の更新はあと1,2回ほどになるかと思います・・・・・・と言っておきながら終わってみればちゃっかり4話ぐらい更新してる可能性もゼロではないですが、数ヶ月の間はそれぐらいのペースになるかもしれません。ごめんなさい。


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#010. 独り言②

King Gnuがいる時代に生まれて、本当に良かった


 「いらっしゃいませ」

 

 入った瞬間、“一見さんお断り”なのが伝わってくる厳かでシックな雰囲気にまとまった店の内装が目に留まるのとほぼ同時に、私より少しだけ背の高いウェイトレスの女性が落ち着いた口調の挨拶で出迎える。この一瞬で店の中を見回してみた限り、時刻は19時半という絶好のディナータイムなだけあってカウンター席はほぼ埋まっているみたいで、隠れ家のような佇まいの割には意外と繁盛している。

 

 「“朝田憧”の予約で来ました、城原です」

 「“城原千夜子様”ですね。どうぞこちらへ」

 「はい」

 

 ウェイトレスから自然な流れで本名を言われて心の中で少しだけ反応したが、もちろんこのことを想定していた私はウェイトレスに対しても仮面の感情で余裕を持って返す。ここから先はディナーを終えてタクシーに乗り込むまで、油断はできない。

 

 “こういう店・・・十夜さんとご飯を食べるようになってから全然行かなくなっちゃったな・・・”

 

 クラシック音楽が小さく、厳かで静かなお店の空気を邪魔しない程度のさり気ない音量で流れる中を歩き、この店のカウンター席の奥にある個室へと進む。さすがは高級レストランと言ったところか、居酒屋みたいなお店で馬鹿みたいに悪酔いしそうなマナーのなっていない人は誰もおらず、談笑はあっても静かに盛り上がっている程度でこの店に来ているお客さんはみんな“ちゃんとした大人”みたいだ。

 

 「こちらでございます」

 

 こうして誰にも自分が“百城千世子”だと気付かれることなく奥にある個室に着いた私に、ウェイトレスが上品な仕草で手を招くように2つある個室のうち奥側の個室を案内する。この囲いの向こう側で、私に会いたがっている“小説家”が待っている。

 

 “・・・よし

 

 「ちなみに私たちがここへ来たことは秘密でお願いしますね?」

 「かしこまりました。それではごゆっくりどうぞ」

 

 心を万全な状態へと一気に引き上げて、ウェイトレスに万が一の“保険”をかけた私は、小説家の待つ個室へと入る。

 

 「初めまして。この度は君にお会いすることが出来て光栄な限りだよ・・・“城原千夜子”さん

 「私のほうこそ光栄ですよ。ノーベル文学賞にノミネートまでされた“文学界の革命児”とも呼ばれた人が、このような賞とは無縁の単なる“若手女優”にお会いしたいだなんて

 

 4人分の椅子が均等なバランスで配置された個室に入ると、私から見て左奥の椅子に座る朝田さんが立ち上がり握手を求め、私もそれに応じがてら建前の会話(やりとり)で場を繋ぎながら左手前の椅子に座る。

 

 「単なる若手女優だなんてとんでもない。“天使”の異名で活躍する城原さんの活躍は畑こそ違えど表現者の“端くれ”として拝見させてもらっているけれど・・・君のような“映像の世界で生きるために生まれてきたような才能“を視ていると、役者の世界がより一層華やかで煌びやかに感じるよ」

 「それは大変恐縮です。しかしあれだけの作品を世の中に残しておきながら“端くれ”だなんて、それこそ自分のことを謙遜し過ぎなのでは?」

 

 小説家・朝田憧(あさだしょう)。今から22年ほど前に処女(デビュー)作の小説で16歳という若さで芥川賞を受賞して、翌年に2作目を発表するとその小説で直木賞を受賞し現役高校生が“2冠を獲る”という前代未聞の快挙に“文学界の革命児”と呼ばれ一躍時の人になると、その2年後に出した3作目となる小説は受賞こそ逃すも19歳の若さでノーベル文学賞にノミネートされ、“ショウ・アサダ”として世界的に名を知られるようになったが、それを最後に今日に至るまで1冊も本を書かなくなってしまい世間からはすっかり“過去の人”として忘れ去られてしまった、謎の多い人。実際、私はこの“オファー”が自分のもとに来るまで朝田さんの存在すら知らなかった。

 

 「芥川賞に直木賞、それからノーベル文学賞のノミネート・・・城原さんの言う通り“文学界の革命児”と世間から持て囃されていた時期は確かにあった・・・でもそんなもの、今の僕にとってはただの“過去”以外の何物でもないんだよね・・・」

 

 隙間時間を使って朝田さんのことを調べてみたら、今では作品ごとに名前を変えながらコンスタントに小説を世に送り出している・・・と、風の噂が“死亡説”と一緒にデジタルタトゥーとなっていくらか出回っていたけれど、信憑性がありそうな記事や資料はどこにもなかったから、これ以上の深入りは一旦やめることにした。

 

 「ああ失敬。芥川から先の部分(くだり)はあくまで僕の“独り言”だから、聞き流してくれて大丈夫だよ」

 「ふふっ、朝田さんって意外とお喋りなんですね?」

 「自分で言うのも難だけど、僕は人と話すことが好きなんだ。例えばこんなふうに人とコミュニケーションを取る中で出てくるさり気ない言葉(ワンフレーズ)から、果てしなく壮大な物語が生まれることが僕らの世界にはあるからさ」

 「へぇ~、それは凄く興味深い話ですね」

 

 そんな朝田さんの処女作が20数年の時を経て初めて“映像化”されることと、その映画のヒロインに朝田さん(この人)からの“指名”で私が選ばれたことが水面下で決まったことで、私は企画が本格的に動き出す前にこうして原作者でもある朝田さんと会って話すことになった。ちなみに朝田さんの作品はこれまで映像化や舞台化されたことは一度もなく、小説以外の形で世に出ること自体が初めてのこと。

 

 「城原さんはどう?俳優の人って結構役作りとかで拘ってる人とか多そうだと僕はイメージしているけど」

 「う~ん、私はあんまり役作りしないタイプだからその辺のことはよく分かんないんですけど、私たちの世界でも朝田さんみたいな人は割といるかもしれませんね」

 

 その理由は天知さんから既に教えられているけれど、朝田さん曰く“『僕の小説を自由に使っていいと決めている監督と演出家は“3人”だけ。それ以外の人はお断り』”らしく、今日のディナーという名の“極秘対談”も映画化に向けて朝田さんが天知さんと監督の國近さんへ提示したいわゆる“交換条件”のようなもの。

 

 「ほぉ、“百城千世子”はそこまで役作りをしないのか・・・やはり役者の世界は奥が深そうだ」

 「奥が深いって言い切れたらいいんですけど、私の場合はただ単に“百城千世子”として求められる芝居をこなしているだけなので、その辺りのことは何とも言えないです」

 

 座っていても分かるくらいシュッと引き締まった体格に、二枚目俳優のような端正な顔立ちと耳心地の良いやや低めな甘い声。黒のサマーニットとベージュ色のチノパンというシンプルで当たり障りのない服装でも地味に感じないクールな出で立ちに反して饒舌に喋る朗らかな朝田さんのおかげか、開始1分ほどで互いに打ち解けることが出来て私と朝田さんが座る個室はディナーが来るまえから和やかな空気が流れている。

 

 「“良い意味”で捉えるとするならば、城原さんはこの世界の誰よりも“百城千世子”を演じることに長けている・・・ということになるね」

 

 だけど百城千世子ではない“本当のわたし”に会いに来た朝田さんは、私と同じように和やかに進む会話の中で“ヒント”を常に探っている。恐らくそのことをご丁寧に自分から打ち明けたのも、仮面の感情で話している私のことを探るためだから、油断はしない。

 

 「それを逆に“悪い意味”で言うとするなら・・・私は“百城千世子”しか演じることしかできないということにもなりますね・・・

 

 

 

 だったら私も、“フェア”な状況に持ち込んで揺さぶるだけ。多少のリスクは伴うけれど、その分だけお互いに“収穫”も大きくなる・・・

 

 

 

 「“自分しか演じられない”、か・・・ならばその理論が城原さんにとっての揺るがない“事実”だと仮定するとして・・・どうしてそれを分かっていてもなお君は運命(さだめ)に従い続けるんだい?

 「・・・だって私は、常に“百城千世子”で在ることを常に求められていて・・・期待(それ)に応えて、超えていくのが私の使命(生き方)でもあるから・・・

 「・・・なるほどね

 

 自分の中にある百城千世子の“流儀”を打ち明けた私を見つめる奥二重の(あか)い眼がほんの一瞬だけ見開き、朗らかな笑みに何とも言えぬ不気味な感情がゆっくりと宿り、和やかなはずの晩餐の席に音を立てるように緊張が走る。

 

 「ただ生憎なことに、今ここにいるのは “城原千夜子”で在ることを求めている1人の“観客(ファン)”だ・・・・・・それでも“きみ”は、百城千世子を演じ続けるのかい?

 

 そして私がずっと“百城千世子”として会話していることを見抜いた朝田さんは、声のトーンを少しだけ落としながら核心を問う。

 

 「僕は“本当のきみ”に会いに来たんだよ。城原千夜子

 「ん?本当も何も、“天使”になって仮面をつけている“百城千世子()”も、“普通の女の子”として生きている“城原千夜子(わたし)”も、どっちも“ホンモノ”の自分(わたし)だよ?

 

 テーブル越しに不気味に笑う“消えた小説家”の禍々しさすら覚えるほどの感情(本性)が、私の心を容赦なく刺激する。ようやく始まった、“主演女優と原作者”の2人きりでのディナー。

 

 「・・・言っとくけど、今日は私のお腹を満たすぐらいには“あなたのこと”についてざっくばらんに聞かせてもらうからね。朝田さん?

 「ははっ・・・やはり、 “天使様の仮面”はそう簡単には剝がれないか

 

 もちろん私も易々と引き下がって終わらせるつもりは毛頭ない。なぜなら“わたし”は天使でも美少女でもなくて・・・“女優(やくしゃ)”だから。

 

 「いいでしょう。そうと決まれば先ず手始めに本日のメニューを決めるとしますか・・・もちろん今日は僕の奢りだから、好きなものを好きなだけ頼んで頂いていいよ城原さん

 「では、“朝田先生”のお言葉に甘えて・・・

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_午後9時45分_西新宿_

 

 「一色様。こちら3411号室の鍵になります」

 「いつもありがとう」

 

 緑山で行われた日劇(ドラマ)の撮影を終え、法定速度より少しだけ早いペース(※覆面に捕まらない程度)で愛車のDB9(マーちゃん)を走らせ片道1時間をかけて住処にしているマンションの地下駐車場に着き、フロントに上がりコンシェルジュから3411のカードキーを受け取るという、“日9”の撮影が始まってからお馴染みになった日常の一コマ。これでも撮影自体は50分ほど巻いてきたが、如何せん撮影しているスタジオまでの距離がそこそこ長く、途中で渋滞にも捕まったおかげで結局“いい時間”になってしまうのもまた、緑山に行くときの日常(ルーティン)だ。

 

 「いえ、一色様のほうこそ日々のお仕事本当にお疲れ様です」

 「ハハッ、仕事場から帰って開口一番に労われるとそれだけで疲れも半分以上は吹き飛ぶよ」

 

 そして同じマンションに住み始めて3年も経つと、こんな感じでコンシェルジュの人とも顔なじみになって事務連絡以外の話題でも軽く話すぐらいには近しい関係になる。まぁ、コンシェルジュにはコンシェルジュの仕事もあるから、あまり“長居”はできないが。

 

 「じゃあオレは明日も早いから、部屋に戻らせてもらうよ」

 「かしこまりました」

 

 ともかく明日も撮影現場(ロケ地)は違えどまた5時半にはここを出なければならないから、早々に話を切り上げて34階へと俺は向かう。

 

 「お疲れさま。ひょっとして十夜さんも“仕事終わり”?

 

 34階へ向かおうとエレベーターホールへ足を進めようとしたとき、俺の背後からいきなり“天使の気配”を感じた。もちろんその正体を知り尽くしている俺は、声が聞こえた瞬間に理解した。

 

 「随分と帰るのが遅かったな。ま、詳しいことは部屋に戻りながらでも聞くとして」

 「もう、外にいるからってカッコつけちゃって」

 「いつも通りだろ」

 

 振り向いた視線の先には、やはり千夜子がいた。その服装はマネージャーの車で移動するときというよりかは、高級なレストランやちょっとしたパーティーに行くときに着るような服装だ。黒いプルオーバーのワンピースに最低限の小物しか入らないようなファッション重視のショルダーバッグ、たまに登校する学校へ行くときにかけているやつよりも少し洒落た黒縁の伊達眼鏡・・・これはもしかしなくとも、千夜子は映画の撮影(ロケ)が終わった後に“どこかしら”に寄ってきたというのは、“”で分かる。

 

 「お待たせしました、城原様。こちら3412号室の鍵になります」

 「ありがと」

 

 そんなこんなで予期せぬ形でメディアではまずお目にかかれない貴重な“2ショット”が実現してしまったことで、平然とした態度で千夜子に3412のカードキーを渡す受付のコンシェルジュも、内心では少なからず舞い上がっているのだろう。とはいえこのマンションのセキュリティは従業員も含めて自社タレントのプライバシーにやたらと煩い星アリサですら信頼しているほど“完璧”に統制されているから、間違ってSNSに上げるなんて馬鹿な真似はされないだろう。無論、そんな真似をすれば冗談抜きであのアリサさんから社会的に“抹殺”されるリスクがあるからだ・・・言うまでもなく、それは当の本人の裁量次第だが。

 

 「では、おやすみなさい」

 

 舞い上がる素振りを全く見せずに自らの仕事を全うするコンシェルジュの言葉を背にして、俺は千夜子と並んで歩くように34階へと昇るエレベーターへ向かう。

 

 「・・・少なくとも撮影が長引いた、ってワケじゃじゃなさそうだな?」

 「どうしてそう言い切れるの?」

 「その見るからにお高いレストランあたりに行きそうな服装を見れば、だいたい予想はつく」

 

 フロントからエレベーターホールへと向かう途中、ちょうど受付のコンシェルジュから声が届かなくなる距離まで離れたタイミングで俺は隣を歩く千夜子に続きを話す。

 

 「どこに寄ってきた?」

 「・・・十夜さんの言う通り“お高い”レストラン。國近さんがどうしても2人で話がしたいって言うからさ」

 「本当か、それ?」

 「“”の言うことが信用できない?」

 

 どこに寄ったと問いかけた俺に、千夜子は感情の読めない笑みを浮かべながら答える。相変わらず千夜子は、3411と3412の部屋にいるとき以外は俺やマネージャーの眞壁くんが隣にいようと徹底されたプロ意識を最大限に利用して“百城千世子”を貫き続ける。

 

 「・・・で、“ドクさん”とは何を話した?」

 「それは“トップシークレット”で」

 「“口止め”ってか」

 「ま、そんなとこかな」

 

 だけれど取り繕った感情に反して嘘をつかない瞳を視た俺は、千夜子がレストランで“落ち合った”のはドクさんではなさそうだというのも微々たる“反応”で察したが、ここは敢えて真に受けたフリをして会話を続ける。

 

 「どうやら順調そうだな。そっちは」

 「うん、おかげさまで。そういう十夜さんだってドラマの視聴率が右肩上がりで絶好調でしょ?」

 「絶好調ってほどでもないよ。初回の視聴率が想定より伸びなかったせいで相対的に上がってるってだけだから・・・ていうかスカッとする逆転劇が醍醐味の日劇で“ドロドロの愛憎劇”とか攻めすぎって話よ」

 「ははっ、分かってて主演のオファー引き受けたくせにそれ言っちゃう?」

 「今更ながらとんでもない仕事(オファー)を引き受けちまったと思ってるよ」

 「でも視聴率が上がっているってことは、それだけ『メソッド』の面白さに視聴者が気付き始めてるってことじゃない?」

 「まぁ、詳しくは言えないけど最終回は結構面白いことになりそうから楽しみにしとけ。千夜子」

 

 そのまま千夜子と何気ない会話で互いに繋ぎながらエレベーターホールに着き、俺は3411のカードキーをエレベーターのボタンパネルにあるセンサーにかざす。

 

 「ふ~ん。分かった」

 「ホントに思ってんのそれ?」

 「“ほんとのほんと”」

 「何だよ“ほんとのほんと”って?(どっかで聞いたことあるようなセリフだな・・・)」

 

 センサーが認識されると同時に俺たちの住む34階までノンストップで運ぶ“厳重なセキュリティに守られた密室”の扉が開き、俺と千夜子が中に入るのと同時に扉が閉まり、俺たち2人はカードキーで認識された“指定階”の34階まで一気に昇っていく。

 

 「・・・一応聞くけど、もうとっくに“気付いてる”よね?十夜さん?

 

 そして自分たちがいま立っている場所が指定された階まで止まることのない“安全な密室”と化した瞬間、ドア付近に立つ俺の背後で千夜子は感情(こころ)の“仮面”を外して問いかける。

 

 「ドクさんってさ・・・自分の映画に出す演者とは映画(それ)の撮影が終わるまでは絶対にご飯に誘うようなことはしない人なんだよ・・・・・・例えどんなに親しい人だろうと

 

 もちろん“本当か?”と問うた時点で千夜子が俺を見抜いていたことには気付いていたし、演者と監督という関係で一緒に仕事をしたことのあるドクさんの人間性(こと)も千夜子よりは知っているから、俺も本当のことを言うだけだ。

 

 「残念だったな、千夜子

 「ううん、いい勉強になった

 

 ややわざとらしく振り向いて“生意気な親戚の子どもにちょっかいを出す”ように軽く煽ってみたら、“素顔”の千夜子は満更でもなさそうな表情(かお)で静かに笑って負けを認める。そういえば色々を経てスケジュールに少し“余裕”ができていた頃、仕事がオフの日に己の苦手意識と戦いながら昆虫採集へとまだ5歳くらいだった千夜子を連れて行ったときに、ちょっと生意気になりだした年頃のこいつから“虫嫌い”を馬鹿にされたことの腹いせに軽く“煽って”みたことがあった・・・

 

 

 

 “『もうとおやおにいさんきらい。いっしょーはなさない』”

 

 

 

 そしたら見事に千夜子は真に受けて露骨に拗ね始めてしまい、機嫌を直してもらうためのお詫びで帰りに“お高い”ディナーをご馳走する羽目になった。もちろんそれで千夜子はすっかり機嫌を取り戻してくれたから今となっては良い思い出だ・・・・・・あれから10年と少し、目に入れても痛くないほど可愛らしい“城原家の天使”は、その可愛らしさを残しつつもすっかり大人に近づき、浮世離れした唯一無二の美しさも兼ね備わった“みんなの天使”になった。

 

 「・・・大きくなったな。千夜子

 

 人気女優に成長した千夜子から視線を再び前に戻したら、不意に幼いときの“天使の姿”が脳裏に浮かんで無意識な独り言が口からこぼれた。

 

 「えっ?なに急に?」

 「気にするな。役者の“独り言”だ」

 「“叔父さん”の間違いじゃなくて?」

 「・・・うるせー」

 「あははっ、十夜さんカワイイ」

 「勝手に言ってろ」

 

 案の定、後ろにいる千夜子からは思いっきり揶揄われた。でも普段はミステリアスな天使を装ってるくせして俺には堂々と姪っ子として“甘えてくる”ところが結局は可愛すぎるせいで、いつも俺はただの“叔父さん”と化すのが“食卓同盟”の日常(オチ)だ。

 

 「・・・誰と行ったかはやっぱり言えないか?

 

 数秒ほどの沈黙と共に“密室(エレベーター)”が34階へ近づいて減速し始めたところで、俺はもう一度千夜子に問いかける。

 

 「ごめん。言えない

 「・・・そうか

 

 背中越しに言葉をかけてから1秒足らず、背後に立つ千夜子はいつもより少し低い声色で静かにそう呟く。監督かプロデューサーか誰の指示かは知らないが、やはり固く口止めされているみたいだ。

 

 “・・・どう考えても裏はありそうだけど・・・ドクさん関連なのは間違いないからひとまず今はそっとしておくか・・・

 

 無論、こういう“タブー”な場面に出くわしたときは、下手に首を突っ込まずに“そっとしてあげる”ことが芸能人にとっての“暗黙の了解”だ。例え相手(それ)が、自分にとって“守らないといけない存在”であろうとも。

 

 「まぁ仕方ない。この業界じゃ“よくある”ことだ

 「・・・そうだね

 

 芸能界で生きるために“見えない掟”を守った俺に千夜子が複雑そうな感情で相槌を返したのと同時に34階に到着したエレベーターは止まり、扉が開く。

 

 「けど、せめて何を食べてきたかぐらいは俺に教えてくれよ」

 「どうして?」

 「どんなご馳走を食べて来たのかシンプルに気になるし」

 

 エレベーターという“密室”の外に出て、俺と千夜子はそれぞれ自分の部屋がある方向に向かって、誰もいない34階のフロアを住人の迷惑にならない程度の声量で下らない話をしながら歩く。

 

 「んー、やっぱりそれも秘密で」

 「夕飯は関係なくね?」

 「じゃあ十夜さんが余計な心配をしないようにネタバレしとくけど、“ちゃんと食べてきた”よ」

 「心配して欲しくないなら何を食べたか言えよ」

 「それは教えない」

 「このマンションのセキュリティーより厳重に口止めされてんなオイ

 

 基本は別行動の俺と千夜子がこのフロアを歩いているときはもっぱらお互いに仕事終わりで1人だから、こうやって2人揃って歩いているのは何だか新鮮に思える。だからどうしたって話と言われたらそうだけれど、こんな何気ないほんの一瞬でさえも理由なく感慨深く思えてしまうのは、きっと“”のせいだろうか。

 

 「夕飯の話はともかく、明日も早いんだから夜通しの“反省会”なんかしないで早めに寝とけよ千夜子」

 「そういう十夜さんもね」

 「言われなくとも」

 

 なんて勝手に耽っているうちに、俺と千夜子はそれぞれの部屋の前についてほぼ同じタイミングで部屋の鍵を開ける。本当はあとほんの少しだけ話がしたいなんてらしくないことを頭の片隅で感じつつ、それを理性で押さえ込んで部屋の扉を開ける。

 

 「じゃあ、おやすみ」

 「十夜さん

 

 玄関の扉を開けて3411の中に入ろうとした俺を、千夜子は突然呼び止める。何となく“めんどくさそうな”ことを聞いてきそうな予感は、この時点でしていた。

 

 「わたしって、“人間”?

 

 その予感は、見事に当たった。

 

 「・・・・・・どこからどう見ても“人間”だろ

 「・・・そっか

 

 どう答えるべきか2秒ほど迷ったが、俺は意味深に微笑む千夜子に向けて百城千世子を“肯定”する言葉で答えた。それをどう受け止めたかは本人にしか分からないが、千夜子は俺の意見をすんなりと受け入れてくれた。

 

 「ていうか、何で急にそんなこと俺に聞く?」

 「特に深い意味はないよ、ただの“役者”の独り言ってだけ。じゃ、おやすみなさい」

 

 そして千夜子は俺の返答を待たず、明らかに意味あり気な“独り言”を勝手に残して手を振りながらそそくさと3412の扉を開けて、そのまま玄関(とびら)の奥へと入って行った。

 

 「・・・・・・やっぱり心配だ

 

 3412に入って行く千夜子を黙って見送った俺は、再び世話が焼ける姪っ子を心配するただの叔父さんと化して3411に帰った。




これにて“chapter4-1”は終わり、次回から物語は再び2001年に戻り“chapter4-2”に突入します。


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chapter 4-2.恋
scene.90 背中


2023年もあと半月・・・バカな・・・早すぎる・・・

※12/17追記、今後の展開を考慮し、一部内容を変更しました。


 2001年_5月14日_芸能事務所スターズ・社長室_

 

 「“自由”になりたいとはどういう意味で言っているの?十夜?」

 「そのまんまの意味だよ。これからはオレの“自由”にさせて欲しい・・・ってこと」

 

 『ユースフル・デイズ』のクランクインを今週末に、そして初顔合わせを翌日に控えた5月14日の午後5時30分。午前中から昼にかけて青山のスタジオで行われたテレビ雑誌用のインタビューと撮影を終え、午後は学校で6限目の授業を受けた後にマネージャーの車でスターズに戻った十夜は、その足ですぐさま社長のアリサがいる社長室へと“ある話”をするために向かっていた。

 

 「・・・十夜」

 「もちろんあくまでこの事務所を辞めるつもりは全くないからそこは安心していいよ。だって早乙女さんの抜けた穴が完全に埋まってバブルに乗りまくってるこのタイミングで辞めたりなんて真似したらアリサさんどころか“あの人たち”にも迷惑がかかるだろうし」

 「・・・まさかご両親の存在(こと)をタブー同然で視ているあなたの口から気遣う言葉が出てくるとはね」

 「ま、オレはピーターパンとは違って身体が大人になれば心もちゃんと大人になるからな」

 

 応接間のテーブルを挟んでソファーに座るアリサからの鋭い視線に、6限目の授業を受けに行った関係で霧生の制服を着る十夜は1ミリも動揺も緊張もすることなく反対側のソファーで姿勢を崩した体勢のまま飄々とした態度で対峙する。

 

 「それよりも、人の機嫌を損なわせる前に本当に言いたいことは言っておくほうが身のためよ?

 

 そんな“スターズの王子様”の異名を持つ看板俳優の無礼で生意気とも取れる態度に、アリサもまた己の感情を心の内側にしまい込んで冷静に対峙しながら静かに諭す。

 

 「・・・言われなくとも

 

 自分の眼を凝視するかの如く捉えるエメラルドグリーンの瞳に映る感情が少しだけ鋭くなったのを感じ取った十夜は、アリサの眼が本気になったのを合図で感じ取り心の中にあるスイッチを切り替え、姿勢を前のめりにしながらアリサの眼を見つめ返す。

 

 「要するにアンタに言いたい“自由(こと)”っていうのは、スターズには残るけどこっから先はオレが心から演りたいと思える作品をオレの“思う存分”で演らせてほしいってことさ・・・

 

 飄々とした態度から一変していつになく真剣な表情を浮かべ独特な言い回しで“自由”の意図を伝える十夜に、アリサは十夜のその言葉と意思が質の悪い脅しではなく“本気”だということを察する。

 

 「・・・もし私が駄目だと言ったらどうするつもり?」

 「ダメかぁ・・・ん~、どうしよマジで・・・だってアリサさんに駄目って言われたらオレはこのまま“ただの王子様”として悪戯に消費されていくだけだしなー・・・」

 

 目の前に座るアリサに“本気”だということがはっきりと伝わったと対峙する微妙な感情の変化に気付いた十夜は、再び飄々とした態度でわざとらしく考え込む仕草して、何かを思いついたかのような笑みを浮かべる。無論ここまでの展開は、十夜にとっては“想定通り”のことだった。

 

 「だったら逆に聞きたいんだけど・・・・・・もしオレが前言撤回してスターズを辞めるって“馬鹿”なことを言い出したら、アンタはどんな手を使ってでもオレを引き留める?

 

 そして意味深に笑みを浮かべた十夜は、アリサへ自分の今後を左右する問いかけをぶつけた。

 

 

 

 

 

 

 4時間前_

 

 「うっわ敦士じゃん」

 「“うわ”じゃねぇっつーかそれはこっちの台詞だわ」

 

 午後1時半。青山にある撮影スタジオで行った“テレビジョン7月号”のインタビューと撮影を終え、藤井の車でスターズから歩いて1分ほどの真新しいビルの中に2か月前にできた“会員制”のトレーニングジムに登校前の“暇つぶし”で行くと、同じ芸能事務所なのにも関わらず“共演NG”の1コ上の先輩がちょうどトレーニングを終えたのか個室から出てきたことろに出くわした。

 

 「それよりこんなとこにいて大丈夫かお前?一応学校あんだろ今日?」

 「へぇ~、敦士でもオレのことちゃんと心配してくれるんだ?」

 「ちげぇよ。お前が遅刻したら学校に迷惑がかかんだろっつー意味だ」

 

 ロッカーで制服から自前のトレーニングウェアに着替えてきた俺を、ジャージ姿の敦士は露骨に“嫌っている”雰囲気を出しつつもぶっきらぼうに心配する。

 

 「心配せずとも大丈夫だよ。時間潰すのは30分だけだから」

 「だからお前の心配なんかしてねぇつんだよ。つか時間潰すだけならもっと他に場所あんだろ?」

 「何となく身体を動かしておきたい気分なんだよ今日は」

 「そんなの俺に聞かれても知らねぇよ」

 「で?そーいう敦士は何でここにいんの?もしかして暇人?」

 「は?暇なわけねぇだろこっちはこの後蒲田で撮影だ」

 

 山吹敦士。結果的に俺と入れ替わるような形で星アリサの元から離れた早乙女さんと同じく事務所の創立時から所属しているスターズのイケメン俳優で、正統派というよりはミクスチャーバンドのフロントマンにいそうな強面な顔立ちと独特な存在感を武器に不良や影のある役柄を多く演じていることからついた異名は、“スターズの異端児”。

 

 「あーなるほど、昨日からクランクインしたって噂の月9ね。いいね、頑張ってんじゃん」

 「お前に労われたところで1ミリも嬉しくねぇんだよ」

 

 もちろんその実力はアリサからヘッドハンティングされただけあって折り紙付きで、7月から放送される月9で主演を射止めたりするくらいには業界でも高く評価されている。

 

 「も~なんで“あっくん”はオレにだけそんなに冷たいの~?」

 「その名前で俺を呼ぶなや・・・っつか何だよその気持ち悪い言い方?」

 「“マキリン”の真似」

 「1ミリも似てねぇ上にあいつは俺のことをそんな名前で呼んだりしねぇの知ってんだろ殺すぞ

 「おぉこわっ

 

 ただ俺にとって敦士は事務所の先輩というよりは、日本とニューヨークを行き来するような生活をしていたときから良くも悪くもつかず離れずを繰り返しながら続く1コ上の腐れ縁の仲だ。ついでに言っておくと俺は別に敦士のことは全く嫌ってなんかいなくて、異端児と呼ばれている世間のイメージ通りの口の悪さに反して根はめちゃくちゃ真面目で、少しでも暇があればこうしてストイックに鍛錬に励む絵に描いた努力家な姿勢は、“努力”するのが苦手な俺からしてみれば“ちょっと”だけ羨ましく思えるし、本人に言うつもりはこれっぽっちもないけれどそういうところは同じ役者として尊敬もしている。

 

 「言っとっけどここでお前と長話する暇はねぇから俺はもう出るわ」

 「何だよせっかく“幼馴染”のオレが来たってのにつれないなぁ」

 「お前が“幼馴染”とか反吐が出るわ

 

 一方で敦士は、俺のことを“共演NG”にする程度には割と本気で嫌っている。その理由は何か俺が悪いことや嫌がらせみたいなことをしたというわけじゃなくて、ただただ初対面のときから絶望的に“馬が合わない”だけのこと。それでも俺たちの腐れ縁が続いているのは、共通して意識しているひとりの“女優(やくしゃ)”のせいだ。

 

 

 

 

 “『オレも尊敬してるよ。星アリサ』”

 “『・・・意外だな。他人にまるで興味のねぇお前に尊敬できる人がいたなんて』”

 

 

 

 それぞれ“尊敬”に込められた意味は違えど、俺と敦士は星アリサという“女優”を子供のときから知っていて、国民的女優とまで呼ばれた星アリサに導かれる形で芸能界(この世界)に入った。もし仲が良いとは言えない中途半端な腐れ縁をしぶとく繋ぎ止めている“何か”があるとするならば、きっとそういうことだと思う。

 

 「あっそ。じゃあオレも人様に“殺すぞ”とか言うやつと幼馴染になった覚えはないから今日からただの顔見知りな山吹くん?

 「ああ是非ともそうしてくれ俺は大歓迎だ

 

 

 

 ま、本当にそうだとしても俺の人生にとって敦士は1パーセント程度の影響しか及ぼしてないただの“無害”な腐れ縁(ともだち)だから、どうでもいいことだけど・・・

 

 

 

 「つーわけで応援する気は1ミリもねぇけど、7月のドラマはせいぜい周りの足引っ張らねぇようにしろよ

 

 俺に向かっていつもの憎まれ口を叩いた敦士は、去り際に当てつけのように“あのドラマ”の初顔合わせと本読みを明日に控える俺に労いの言葉をかけながらシャワールームへと歩いていく。恐らく俺と顔を合わせることも嫌な敦士のことだから、このままシャワーを浴びたらロッカーに直行して撮影をするという蒲田か、あるいは適当にカラオケルームでも借りて台本(ホン)の読み込みにでも行くのだろう。

 

 「敦士・・・・・・ありがとう

 

 けれどもそれだけ嫌っているはずの相手にも何だかんだで優しさを捨てきれない不器用なその背中に、俺は“幼馴染”として声をかける。

 

 「勘違いするな。これはお前のための言葉じゃねぇ」

 「“スターズのみんな”ってことぐらいは分かるよ。お前は不器用だけどめちゃくちゃ優しいやつだってのは知ってるからな」

 「・・・ったく、マジでお前のそういうところだけは今すぐにでも顔面ぶん殴ってやりてぇぐらい気に食わねぇわ」

 

 もちろん俺は、例え本人が反吐が出るほど嫌っているとしても、敦士のこういうどこまでも不器用なところは小さいときから“友達”として好きだ。

 

 「主演(メイン)を演る以上、スターズの看板に泥を塗るような真似だけはすんじゃねぇぞ

 「・・・“ウィームッシュ”

 

 激励に答えた俺に“『レストランの厨房じゃねぇんだよボケ』”とでも言いたげな鋭い視線で一瞥すると、敦士はそのままトレーニングルームを出て行く。

 

 「・・・敦士(おまえ)は気楽でいいよな・・・・・・“追うべき背中”が手の届くところにあって・・・

 

 そんな小さいときから良くも悪くも何も変わらない“あっくん”の背中が通路の死角に消えるのと同時に、歩き去って行った方向を見たまま独り言をわざと口からこぼし、余計な感情を身体から吐き出す。

 

 

 

 “・・・なら俺にとっての“背中”は、誰になる?・・・

 

 

 

 “『芸能界は嫌いじゃなかったのかよ?一色?』”

 

 

 

 己の中にある“目指すべき場所”というものが、ハッキリとした形として目の前にある。目の前にある誰かの背中に、人は必死になってついていく。誰が言ったか、それを“憧れ”、もしくは“尊敬”と呼ぶ。例えば芽が出ずに燻っていた自分に“憧れの人”が手を差し伸べてくれた恩を返すために世界の“歯車”となって我武者羅に己を高める努力を続けていくように、自分の目の前にそういう存在がいるということは、それだけ憧れに近づいたときに自分の成長というものを自覚しやすい。

 

 

 

 “『あぁ・・・大嫌いだ』”

 

 

 

 2年前。俺は敦士と同じスターズに入り芸能界へと足を踏み入れた。でも純粋に星アリサに憧れていた敦士とは違って、俺にとっては表舞台を降りてしまった今のアリサに憧れはない。かと言ってこのまま普通に一般人として無難に生きようとしても、“一色家の人間”として一括りにしようとする一部の大人達がそれを許さなかった。だから俺は単なる“二世(サラブレッド)”として終わらないために、あの人たちから長い年月をかけて背中へと強力に植え付けられた“見えない十字架”を破壊する選択をした。もちろん、よりによって一番やりたくなかったその選択をしたことを後悔したこともあった。

 

 

 

 “『嫌いだよ。俺にとって苺は“劇物”を口に入れるに等しいから』”

 

 

 

 だけどその選択が正しかったことがはっきりと分かるまで、そう時間はかからなかった。“一夜(兄さん)の生まれ変わり”という言葉に苦しめられ、それでも憧れ尊敬もしていた“2人の役者”はもう表舞台にはいない。“追うべき背中”なんてどこにもいない。かと言って追ってくる者は大人達の都合で脇に追いやられていく。こうなることは最初から分かっていたはずなのに俳優(やくしゃ)として足を踏み入れた愚かな俺に、(あいつ)は“生きる意味”を与えてくれた。俺の選択が決して愚かなものじゃなかったことを、“糸のない芝居”で証明してくれた・・・その“生き様”が、勝利もなければ敗北もない現実に晒されてすっかり冷え切っていた心に一気に“”をつけた。

 

 

 

 俺もああいう人間になりたいと・・・・・・本気で想った。

 

 

 

 “・・・俺にとっての“背中”は憬なのか?

 

 脳内時間の換算でだいたい1分ほどその場で立ち尽くして自問自答をして、俺はひとつの答えに辿り着く。

 

 「・・・いや、“それ”だけは違うだろ」

 

 1分の自問自答で辿り着いた答えを自分ですぐさま否定して、ほんの数コンマとはいえ“憧れそうになった”弱い自分を振り切るように俺は個室のトレーニングルームに入り軽くストレッチをしてランニングマシンのスイッチを押して6限目に間に合うギリギリのタイミングになるまでひたすら走った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_午後3時30分_霧生学園_

 

 キーンコーンカーンコーン_

 

 「はい。では今日鑑賞したホルストの『火星』の感想をまとめて提出してくださいねー」

 

 「伊織ー、まだー?」

 「もうちょい待ってすぐ終わるから!」

 

 午後3時30分。チャイムを合図に6限目の選択科目(音楽)の授業が終わり、私はA4用紙の鑑賞文に書いた『火星』の感想を先生に提出して教科書を片手にまとめ、まだ感想文を書いている伊織を待つ。

 

 「ごめんお待たせ!」

 

 チャイムがなってから約30秒後、何とか感想文を書き終えた伊織と一緒に周りのみんなより少し遅れる形で一緒に音楽室を出る。

 

 「ねぇタマ?」

 「ん?」

 「唐突に聞くけどさ・・・わたしたちって本当に芸能コースなのかな?って思ったりしない?」

 「・・・いや、何で?」

 

 音楽室から1年I組の教室へ戻る途中で、隣を歩く伊織がふと私にこんなことを聞いてきた。

 

 「だってわたしたちって芸能コースって言ってもさ、他のコースの人たちと同じように授業をこうやって普通に受けたり購買とかでお昼買ったりとかしてるわけじゃん。もちろん仕事が入って学校行けないってこともあるけど・・・なんか“ここ”にいると受けてる授業が普通過ぎて自分が声優だって思わなくなったりするんだよね。まぁI組で声優やってるのはわたしだけなんだけど」

 「・・・あー、言われてみれば芸能コースって割には“特別”って感じはしないからね」

 「でしょ?芸能コースだからってお芝居の稽古が授業で組まれるとかもないしさ」

 

 今までほとんど意識したことなかったけれど、言われてみると伊織の言い分も理解ができる。芸能活動との両立または優先を前提にした特殊なカリキュラムを組まれている芸能コースといえど、今日みたいにスケジュールがオフの日は他のコースの生徒と同じく6限もしくは7限の授業を普通に受けて、課題も提出する。

 

 「もしかして伊織ってもっとレッスンとか芝居に集中できる時間が欲しいって感じ?」

 「ううん。レッスンは週4で通ってる稽古と不定期でやってるワークショップでこと足りてるし、どんなに演じることが好きでもずっと演り続けるのは疲れるからこの“ザ・普通科”って感じはむしろ好きだよ。感情も一旦リセットできるし」

 

 もちろん芸能コース故の制約も色々あるけれど、一日の流れは3月まで通っていた中学校と何ら変わらないからあんまり“芸能コースにいる”っていう実感は感じないっちゃ感じない。

 

 「だから逆に言えばあんまり特別な感じがしない普通の学校って感じがわたしたちにとってはかえって良いんだと思う」

 「・・・伊織ってさ、急に真面目なこと言い出すよね?」

 「“急に”とは失礼な」

 「ハイスイマセン」

 

 いつもみたいなちょっとした愚痴だと思って適当に聞いていた伊織の話が結構真面目なやつだったことはさておき、この学校の芸能コースの一日というものは普通の高校と何ら変わらない至って普通なものだ。

 

 「で話を戻すけど、タマの場合は尚更そうじゃない?」

 「どうして?」

 「多分、3年に上がるころには超がつくぐらい有名な女優になってると思うから」

 

 だけど伊織の言う通りってわけじゃないけれど、こんな感じの普通の一日が“戻る場所”となってちゃんと残っているってことは、それがカメラの前だろうと客席の前だろうとマイクの前だろうと他人になりきる生活をしている私たちにとっては重要なことだ。

 

 「いやいやさすがにそれは“まだ”でしょ?」

 

 特に週末からクランクインが始まる“あのドラマ”のように、大きな仕事が控えている“”みたいなときは、尚更。

 

 「分かんないよ?見てくれる人はちゃんと見てるし、脇役でも端役でも“光る演技(もの)”を魅せることができたらたった一日で世界が変わることだってあるのが役者の世界だからね」

 「・・・“光るもの”かぁ・・・それがあれば苦労しないんだけどね」

 

 いつもはどこか抜けてる伊織がたまに見せる役者としての頼もしさに、まだまだ“発展途上”な私は弱音まではいかない半ば自虐的な本心を吐き出す。

 

 「少なくともタマは“光るもの”をちゃんと持ってるよ・・・芽が出るのは明日じゃないかもしれないけど、タマならきっとそう遠くないうちに絶対に咲かせることができるって、わたしが保証してあげる

 

 その自虐に、伊織は励ますための演技なんかじゃないのが一瞬で分かるくらいの純粋な笑みと真剣な眼つきで大袈裟なくらいのエールを私に送る。

 

 「じゃあ、卒業までに開花できなかったら責任取れる?」

 「それは無理。そこはあくまで自分の頑張り次第だから努力はしなさい」

 「たははっ、冗談だよ冗談」

 

 ただ大袈裟なエールはあくまで“私が頑張らないと意味がない”ということが大前提ところは、何だかんだでちゃんとすべきところはちゃんとする伊織らしさがあるけれど、ライバルだとか関係なく純粋に応援してくれる友達がいるというのは、一番の親友が撮影現場の“(ライバル)”になったいまの私にとっては大きいことだ。

 

 「大丈夫。どっかのメインキャストさんにはまだまだ私の後ろで走っててもらうから・・・

 

 

 

 ドラマ『ユースフル・デイズ』のメインキャストが発表されてから1ヶ月と少しが経ち、このドラマのクラインクインも今週末に迫った。メインキャストに抜擢されたことで学校中から注目されていた憬も、一旦ドラマの話題が少し落ち着いたことに比例するように今じゃ私と何ら変わらない感じでオフの日には授業を受けて、放課後は役作りの一環で陸上部の練習に参加したりして撮影に向けて演じる役に身と心を近づけている。当然それは私も同じことで、“台本(ホン)”がまだない中で自分のやれることを時間のある限り精一杯にやってきた。

 

 数日前、屋上にて_

 

 “『あのさ、台本がいつ届くかって蓮は聞いてる?』”

 “『憬が聞いてないってことは、まだ誰も分かってないってことだよ』”

 “『マジで?大丈夫かそれ?』”

 “『いや私に聞かれても困るし、逆に聞きたいくらいだよ』”

 

 だけど問題点は、先週の時点で肝心の台本がまだない状態だったということ。何日か前に仕事の話をするときの“密会場所”と化している屋上で昼休みに憬からもそれを聞かれた。私みたいにそんなに出番は多くないであろう助演とは違って、“メイン”は出番が多い分だけ台詞も増えるから負担も半端じゃない。

 

 “『静流が言ってたけど、締め切りがギリギリになるまで台本が仕上がらない脚本家はそう珍しいことじゃないらしいよ。もちろん演者としては早く仕上げてくれるに越したことはないけど、早く書ける脚本家(ひと)が優れてるとも限らないことだから、ってさ』”

 

 もちろん2歳から芸能界で生きている静流を通じて色んなことを教わってきた私は締め切り間近になるまで台本が上がらない脚本家がいることは理解しているから、15日に迫る顔合わせに間に合わない可能性すらも、一応覚悟はしていた。

 

 “『まさか“メインキャスト”ともあろうお方が、これぐらいのことでビビッてなんかいないよね?』”

 “『ビビるわけねぇだろ・・・どんな状況だろうと演るべきことを最大限に演るのが役者だってのは、俺でもわかる』”

 

 それは憬もまた同じことだったが、昨日になってようやくマネージャーの中村さんから“『15日の顔合わせに向けて読んでおくように』”と1話の台本が手渡された。最悪のパターンになる覚悟はしていたけれど、ひとまず顔合わせに間に合ったことで私は一安心した。

 

 

 

 「・・今日はいつになく燃えてるね?」

 「えっ?そう?」

 

 友達からの真っ直ぐなエールについその気になって隠しておかないといけない感情が湧き出てしまった私に、伊織は“無自覚”な核心を突いてきた。この際に言っておくと、メインキャストの4人以外のキャストは『ユースフル・デイズ』の放送直前に情報公開される関係で、共演者以外には一切情報を明かしてはいけない決まりになっている。だから当然、このドラマと何の関係もない伊織は『ユースフル・デイズ』に私が凪子役で出演する話は全く知らない。いや、知られてはいけないのだ。

 

 

 

 “『分かってると思うけど、ドラマのことは絶対バレないように気を付けろよ』”

 “『憬こそ気を付けたほうがいいんじゃない?嘘つくの超下手だし』”

 “『・・・お前こそ初音さんにうっかり口滑らしそうで心配なんだけど』”

 

 

 

 ちなみに憬と屋上で話しているのも、要するに“そういうこと”。だけどいざ普段から話している友達にもオンエアまで隠し通すというのが、これまた難しい。というか、既に弓道部のみんなを巻き込んで堀宮さんと二手勝負とかしちゃっていたりと、これまでまあまあバレるかどうか危ないラインのことを何回かやっては来ているけど。

 

 「そりゃあ、“ライバル”には負けたくないからさ」

 「・・・ふ~ん」

 

 そんなこんなで今日も今日とて、ついつい伊織を前に余計な感情が出かけてしまってそれっぽい本音で誤魔化す。まぁ、それだけ普段はリラックス出来ているって考えれば悪いことじゃないんだろうけど、やっぱり心を許している友達相手に隠し事をするのは、何だか私の性に合ってない。

 

 「ふ~んって、何?」

 「別に?ただ相変わらずタマはどこまでも負けず嫌いだな~って」

 「・・・まあ、私は“役者”だから」

 

 

 

 憬ほどじゃないかもしれないけれど、私も自分に嘘を吐くのは嫌いだから。

 

 

 

 「えっ?嘘?

 「あれって本物だよね?

 「ていうか何でこの学校にいるの?もしかして撮影?

 「いや、噂だとここの生徒らしいよ?

 「マジで!?でもなんで1年の教室に?

 

 「ねぇタマ?わたしたちってこんなに注目されるような有名人だったっけ?」

 

 いつものように伊織と話ながら渡り廊下を歩いて1年I組の教室が目と鼻の先にまで近づいてふと前に意識を向けると、ちょうど廊下にいた何人かのクラスメイトが私たちのほうを向いてざわつき始めたのをきっかけに、それがクラスの中にも伝染(うつ)っていって教室の周りの空気が一気に独特な緊張感に包まれ始めていく。見慣れない光景に、伊織は困惑を隠せないでいる。

 

 「いや・・・違うと思う

 

 この異様なまでの注目が明らかに自分たちへ向けられた視線じゃないことをすぐに理解した私は、背後からただならぬ気配を感じて後ろを振り返る。

 

 「・・・・・・すごい、実物、初めて見た

 

 振り返った瞬間、あまりのオーラに隣にいる伊織は一周回って無の境地になって私の斜め後ろで固まるように呆然と立ち尽くす。

 

 “伊織じゃないけれど・・・いざ正面に立たれると釘付けにされそうになる“何か”がある・・・

 

 同じ学校の制服を着ている同じ学校の生徒のはずなのに、まるで“この人”の周りだけは常に映像作品の世界みたいに華やかで、ただそこに立っているだけであまりにも綺麗で私は思わず目を離せなくなる。この感覚を分かりやすく例えるなら、“メデューサに石にされる”・・・みたいな感じだ。

 

 “・・・やっぱり・・・ただ顔が整っただけのイケメンってだけじゃなくて、オーラが尋常じゃない・・・

 

 ちなみに私はこの人の実物を月9の現場で一度だけ見たことがある。でもそのときは遠巻きでしか見ていなかったからあまり実感はなかった。だからこうやってこの人と真正面で対面するのは初めてだけど、“絶世の美少年”と呼ばれるそのルックスは1コンマでも視界に入ると目を離せなくなる“魔力”みたいなものを持っている。

 

 “・・・この人が・・・一色十夜・・・

 

 “歩く社会現象”と呼ばれるほどのカリスマ性で私たちの世代の中だと静流と肩を並べるかそれ以上の影響力を持つ“スターズの王子様”、一色十夜。ドラマ『ユースフル・デイズ』ではメインキャストの1人で原作でも一番人気のキャラクター・神波新太を演じる共演者・・・・・・すなわち、本番で私はこの人とも比較されることになる。ついでに言っておくと、静流とは従兄妹の関係でもある。

 

 「君たちのクラスって、1年I組だよね?

 

 目の前で対峙する恰好になった私と伊織は、早速スターズの王子様から声をかけられた。ただ立ち位置的には私が前のほうにいるせいで、必然的に王子様の意識は私のほうへと向けられる。

 

 「うん・・・そうだけど

 

 普通の学校の感覚だと、学年が上の人には信頼関係がない限りは敬語で話すのが基本だと中学のときに教えられてきた。でも私たちが生きているのはあくまで“芸能界”で、芸能界という世界では年齢よりも芸歴が優先されるから、学年が上だろうと芸能界の“先輩”として謙遜はしない・・・と言い切れたら様になるんだろうけど、それプラスで“君呼ばわり”されたのがなんかムカついたから、私は王子様にタメ口で返してやった。

 

 「そっか

 

 まぁ、そんなどうしようもなく下らないプライドが王子様に通用するわけもなく、普通にスルーされた。多分私のことを知らないってだけだと思うけど、あまりにも呆気なく受け流されたから一瞬だけ心がムッとなったが、表情(おもて)に出る前に押さえ込んで平然を装う。

 

 「伊織、大丈夫?」

 「ごめん・・・生で見る一色十夜がカッコ良過ぎてそれどころじゃ・・・」

 「分かった。気が確かなうちに下がってて」

 「・・・かたじけない」

 「(なんで古語?)」

 

 ちなみに仕事柄の関係で今をときめく系のキラキラしたイケメンへの耐性が低い伊織は“ただの女子”と化してパニック寸前になっていたから、ひとまずは後ろに下がらせた。

 

 「じゃあ手短に聞くけど、“サトル”は今日学校に来てる?」

 「・・・それは夕野憬のこと?」

 「そう。だって君のクラスに“サトル”は1人しかいないじゃん」

 

 そして私と1対1の構図になると、目の前の王子様は一呼吸を置き、飄々とした笑みで憬のことを私に聞いてきた。何で憬のことをいきなり聞いて来たかは分からないけど、もしかして共演者同士で何か話したいことでもあるのだろうか?

 

 「“サトルくん”になにか用?」

 「いや、用があるってよりは久しぶりに学校に来たからついでで寄ってきたって感じかな?」

 「ついで・・・そっか、『ユースフル・デイズ』ってドラマで共演するからご挨拶って感じね」

 「まーそんなとこだよ。でも、よく知ってるね?」

 「あのドラマのことは芸能コースでも有名だからさ」

 

 という推測は外れたみたいで、どうやらこの王子様はただ共演者の憬についでで会いに来ただけらしい。ていうか、“スターズの王子様”って話して見たら結構チャラい感じなんだ・・・

 

 「・・・っていうか君・・・こないだ2年生の堀宮って人に弓道で勝負挑んで勝った子でしょ?

 

 なんてほんの僅かに油断していた次の瞬間、王子様は前触れなくいきなり声を1トーンほど落として図星を突く。

 

 「・・・どうしてそれ

 「嘘で誤魔化さなくても分かる。オレは君のことを知ってるからね・・・環蓮さん?

 

 そしてあまりに急に図星を掴まれた私に、王子様は後ろに伊織たちがいることなんてお構いなしに私の両肩を優しく掴んで顔を近づけ、私の眼を真っ直ぐに凝視する。少女漫画のワンシーンみたいなシチュエーションに後ろのほうから黄色い悲鳴のような声が聞こえてきたけれど、そんなの全く眼中にないと言わんばかりに王子様は私の眼をじっと見つめる。

 

 「へぇ~・・・私の名前、知ってたんだね?

 「だって君の名前ってちょくちょく耳にするし

 「ま、“スターズの王子様”には負けるけど

 「ハハッ、それはどうも

 

 見つめられている私も、王子様の距離感がおかしい以前に自分という存在を喰らうように見つめる琥珀色の瞳と底知れない感情に吸い込まれそうになる己に鞭を入れ、意地(プライド)を盾に持ち応えるのが精一杯で、周りを見る余裕なんてない。それどころかさっきまで音楽の授業でホルストの『火星』を鑑賞してたせいか、頭の中で戦争を連想させる禍々しいメロディーが駆け巡る始末。誰がどう見ても、主導権を握られ翻弄されているのは“メインになれない”私だ。役者としては、私のほうが先輩で実力だってまだ上なはずなのに・・・

 

 “・・・これが、主演に選ばれる人の存在感・・・ってこと?

 

 

 

 全く、どうして主演に選ばれるような人はみんな立ち振る舞いひとつだけでこんなに“違う”んだろう・・・どうして私にはそれが“無い”んだろう・・・

 

 

 

 “いや・・・私にだって・・・

 

 

 

 「・・・ところで君は

 「オイ!

 

 私の感情を間近で見つめる王子様が何かを言いかけるのと同時に、甘いマスクの後ろから憬の声が聞こえた。

 

 「何やってんだよ・・・一色

 

 王子様(ライバル)を静かに制止するその声と表情は、目の前に広がる光景に少しだけ戸惑いながらも珍しく本気で怒っていた。




主演同士、ひと悶着_



というわけで、ユースフルデイズ編・第二幕の始まりです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・初音伊織(はつねいおり)
職業:声優・女優
生年月日:1985年6月24日生まれ
血液型:B型
身長:151cm


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scene.91 タイプ

メリクリ


 “・・・妙に騒がしいな・・・”

 

 選択科目(美術)でついさっきまでいた美術室に置き忘れた教科書を取りに行き、1人廊下を歩いて自分の教室へと戻る途中、1年I組がある階に繋がる渡り廊下の向こうから独特な騒がしい空気を感じた俺は、歩くスピードを速めた。

 

 “・・・一色と、誰?”

 

 渡り廊下を渡り切ってI組の教室がある左へ足を進めると、そこには霧生の制服を着た一色が廊下の真ん中で誰かと対峙するように話しかけている後ろ姿がまず目に留まった。その次に、やや後ろで滅多に学校へは姿を見せない“スターズの王子様”をときめくように見つめている初音と、I組の教室から野次馬のように一色の一挙手一投足に注目するクラスの連中(みんな)

 

 “・・・蓮?”

 

 そして王子の話し相手が蓮だというのが顔は見えずとも背丈とスカートで理解したその瞬間、一色が真正面に立つ蓮の両肩に手をやり抱き寄せるように自分の顔を近づけ、それを見守る何人かの女子が悲鳴に近い黄色い声を上げる。

 

 「オイ!

 

 どうして3年の一色が1年の教室の前にいるのか、というか本当にあの一色も霧生に通っていたのか・・・と考えを巡らすより前に、俺は蓮を抱き寄せようかという勢いで距離を詰めた一色に声をかける。

 

 「何やってんだよ・・・一色

 「・・・なんだ。まだ教室に戻ってなかったのか

 

 俺の呼ぶ声に、一色は抱き寄せる一歩手前の姿勢のまま目の前にいる蓮へ顔を向けたまま俺に言葉を返すと、そのままフィギュアスケーターのように身体をクルっと回して蓮の肩を組む。“王子の死角”でよく見えなかった表情が露になり、余裕そうに振る舞いながらも少しばかり動揺している蓮が俺の眼に映る。

 

 「久しぶり。ティザーの撮影以来だね」

 「そんなことよりさっきから蓮に何してんだよ」

 「あぁこれ?実はちょうど彼女にサトルが学校に来てるか聞いてたとこでさ」

 「俺に用があるなら関係ない奴を巻き込むなよ

 

 もちろん、一色という役者(にんげん)が“こういうやつ”だというのは初対面のときに理解はしていたから、要はあのときと同じようなことを何らかの理由で一色は通りすがりの蓮にやっていたのだろう。

 

 「マジで殴るぞ・・・

 

 それでも親友が雑に扱われているように見えた俺は、心の奥から湧き上がった感情をそのまま言葉にして一色へとぶつけ続ける。芝居をしているとき以外で、それも家族ではない赤の他人に本気で怒りを覚えてそれを表に出したのは“いつぶり”かは分からないが、きっと役者になってからは初めてのことだ。

 

 「・・・演技じゃ、ないっぽいな

 

 芝居ではない本心の感情を見て、一色はようやく蓮の肩から手を放す。

 

 「えっと、“レンちゃん”だっけ?ごめんね急に色々聞いちゃって。後ろにいる彼女とみんなも迷惑かけてごめんね。久しぶりの学校でついついテンション上がっちゃってさ、ちょっと舞い上がってた・・・」

 

 俺の眼を吟味するように一瞥しながら蓮から離れると、一色は王子の“本領発揮”と言わんばかりの爽やかさで蓮とすぐ後ろで見ていた初音、更には教室の外に出て見守っていたクラスのみんなに謝ると、その流れで機嫌よくスキップをしながら俺ところに歩み寄って無理やり肩を組んできた。

 

 「ちょっ、いっし」

 「そのお詫びってわけじゃないけれど、ここにいるオレとサトル、それからメインで選ばれたホリミィとあずさで最っ高のドラマ作るから・・・・・・みんなよろしく

 

 そして俺を勝手に巻き込んで“お詫び”として勝手に俺たちが出るドラマの番宣しながら空いてるほうの左手をクールに振ると、蓮と初音以外の取り巻きのみんなが俺たちに向けて拍手をし始めた。ひとまず今は蓮とのことについて色々と問いたい気分だが、こういう光景を“同じ視点”で見ると一色は芸能界(この世界)で生きている人たちからも一目置かれる存在(カリスマ)だということを余計に思い知る。

 

 「さっきから何がしたいんだアンタは?」

 「帰りのHR(ホームルーム)が終わったら第二音楽室に来てほしい

 

 拍手が鳴る中で何を考えているか分からない王子を問い詰めると、一色はI組のみんなに手を振りながら俺にだけ聞こえるほどの声量でそれに応じる。

 

 「は?何で?

 「どうしても今日この後、サトルと2人で話がしたい。ちゃんと音楽室は貸し切ってあるから、邪魔は誰も入らない

 「今日は部活に出ることになってるから無理だ

 「30、いや20分だけでいい。頼む

 

 何を言い出すかと思ったら、俺と2人で話がしたいからと第二音楽室を貸し切ったということを小声で告げられた。色んな物事が俺の知らないところで勝手に進み、ただでさえツッコミたいところが多い。おまけに今日は陸上部の練習に参加することにしているし、20分とはいえ自分のための時間はなるべく避けたくはない。

 

 「・・・どうしても“今日”じゃなきゃ駄目か?

 「あぁ。今日を逃すと次に学校行けるのは低く見積もってドラマの撮影が終わった後になるし、出来れば明日の顔合わせの前に話しておきたいことだからな

 「・・・・・・分かった。乗るよ、あんたの提案

 「ありがとう

 

 ただ、俺を視る琥珀色の瞳から向けられる感情の限りもう俺が断るという選択肢はないことを悟り、“不安材料”を取り除くという意味で俺は妥協することにした。

 

 「その代わり時間は20分までで、“次会うとき”にはちゃんと(そいつ)に謝るってことは絶対だぞ

 「“レンちゃん”ね。もちろんだよ

 

 無論、これからの撮影(こと)を考えた条件はちゃんと付け加えた。

 

 「じゃあね1年生のみんな。芸能活動ばかり優先してないで学校の勉強もちゃんとしとけよ

 

 小さく頷いた一色は俺の肩から右腕を離すと、そのまま捨て台詞のような言葉を最後に言って颯爽と上の階にある3年の芸能コースの教室へと戻っていく。しかしながらこの王子は、ただ自分の教室に戻って行く後ろ姿でさえ美しさすら覚えるほど華やかで様になっていて、そのあまりの浮世離れした独特なオーラにざわつきはするが後を追いかけようとする人は誰もいない。俳優だろうとアイドルだろうと芸能人なら誰でも感じてしまう、憧れや尊敬と同時に持っている“隣に立つと自分が霞んでしまう”という恐怖。

 

 

 

 その隣で直接比較される立ち位置に・・・・・・俺はいる。

 

 

 

 “・・・さすが一色、色んな意味で格が違うな”

 

 一色の姿が死角に消えて、ようやくI組の周りは静まり返る。たかが久々の学校にテンションが上がり俺の顔を一目見たいなんて理由で1年のところに来ただけでこれだけの騒ぎを起こされるのは、メインキャストに選ばれた俺が言うのも難だがいい迷惑にも程がある。

 

 「・・・蓮。大丈夫か?」

 

 少しの余韻を残しながらも目撃していたクラスのみんなが静かになる中、あの独特な距離感の“餌食”になった蓮を俺は気遣う。

 

 「うん。私は全然大丈夫」

 

 いくら常識の枠から外れた人間が多い世界だとはいえ、あれだけの存在感を放つ一色を相手にしたわけだから多少以上の動揺はしていたはずなのに、蓮はさっきの動揺が嘘のような何食わぬ顔で大丈夫と答える。

 

 「むしろ憬のほうが動揺してたんじゃないの?内心?」

 「・・・そりゃあ動揺はするだろ。いきなりあんな場面に出くわしたら」

 

 それどころか一色を止めた俺が逆に助けたはずの蓮から心配されて、蓮以上に動揺していたことを正直に俺は打ち明ける。当たり前だ。渡り廊下を曲がったらいきなり“スターズの王子様”が同じ学校の女子に抱こうかという勢いで距離を詰めている場面(ところ)に遭遇したら、相手が誰だろうと動揺はする。しかもそれがよりによって蓮だったから、動揺した以上に俺は一色に対して怒りを覚えた。

 

 

 

 “でも、もし仮に相手にされていたのが蓮じゃなくて初音とか別の人だったら、俺はあそこまで・・・

 

 

 

 「とりあえず今日のことで一色さん(あの人)のことを悪く思うなんてことはないから、憬は気にしないで

 

 一色とのコンタクトを思い出して自問自答を始めようとした意識に、目の前の教室へ振り向きながら話しかける蓮の声が届いて寸でのところで現実に戻る。

 

 「・・・本当に蓮はそれでいいのか?」

 「いいよ。ていうか役者はあれぐらいぶっ飛んでるほうが演り甲斐もあって面白いし、何より“アレ”と直接対決する憬こそ自分の心配をするべきなんじゃない?」

 「別に周りが焚きつけてるだけで対決するわけじゃねぇだろ・・・(一色をアレ呼ばわり・・・)」

 

 それにしても蓮のやつは、1ヶ月前に堀宮とやった弓道の“射詰め競射”を通じて何かを掴んだのか、少しずつの変化ながらも着実にメンタル自体が強くなった。きっと俺がメインキャストに選ばれた直後の(こいつ)だったら、今日と同じ場面に遭ったらしばらくは強がりで動揺を隠すので精一杯だった。それが今は、直後でも俺に対して強がることなく平然と気持ちを切り替えている。

 

 「でもぶっちゃけ助かった。ありがとう

 

 そしていつもの揶揄いの後にさり気なくぶつけられる親友の本心と、ライバルとして近づいたと思っていた実力差がまた少しだけ離されつつある感覚。

 

 

 

 “『じゃあ・・・・・・繋いでみる?』”

 

 

 

 このままだと俺は、また“あのとき”と同じように突き放されて置いていかれる・・・

 

 

 

 「・・・どういたしまして

 

 今や俺のことをすっかり“ライバル”として割り切れるようになった蓮がただの親友に戻る一瞬に、俺はそのまま親友として言葉を返して、教室へと足を進める。

 

 「あの一色十夜が目の前にいても平気でいられるよね2人とも・・・」

 「あぁ、芸歴的に俺は同期で蓮に至っては先輩だからな」

 「一応この中だとわたしが一番先輩のはずなんだけど・・・」

 「ていうか憬って一色さんのこと呼び捨てで呼んでんの?」

 「ダメか?一応芸歴は同期だけど?」

 「いや、なんか意外だなって」

 「わたしから見れば一色十夜と普通に話せてたあなたたちが意外だけどね・・・」

 

 そして教室の前で一色のあまりのオーラに茫然としていた初音が加わり、学校で揃えば必ずと言っていいほど一緒にいるいつもの面子でI組の教室に戻る。

 

 「でも“ゆーだい”くんは残念だったよね?」

 「新井?」

 「うん。いつもは仕事がないからほぼ毎日学校来てるけど、よりによって一色十夜が霧生(がっこう)に来た日に限って仕事だなんて」

 「とりあえずいま言ったことは本人には言ってやるなよ初音さん?

 

 ちなみに幸か不幸か、“仕事の少ない”新井は今日に限ってスケジュールが入っていて学校を休んでいた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 午後4時05分_霧生学園・第二音楽室_

 

 “・・・ここだ”

 

 帰りのHR(ホームルーム)を終え、I組の担任に陸上部の練習に30分ほど遅れることを顧問と王賀美先輩へ伝えるように伝言をして教室を出た俺は、駆け足で4階にある第二音楽室へ向かう。本当はメールを使って直接伝えたいところだったが、“親族同士を除き芸能コースの生徒とそれ以外の生徒同士の連絡交換は原則禁止”という校則があるおかげで急用ができた場合はこのような形で伝えるしか方法はない。

 

 「やあサトル。さっきはお騒がせして悪かったな」

 「・・・ひとまずあんたが渋谷を“ジャック”できた理由がよく分かったよ」

 「ハハッ、ありがとう」

 「褒めてねぇ

 

 第二音楽室に辿り着き扉を開けると、黒板のすぐ近くに置かれたグランドピアノに寄りかかるような姿勢で一色が俺を機嫌よく出迎える。

 

 「で、早速だけど俺に話したいことっていうのは何だ?」

 「開口一番でそんな畏まるなよ。お互いに約1か月ぶりの会話だ、もう少し“ラフ”に行こうぜ」

 「久しぶりの学校でテンション上がってるのかは知らないけど、俺がさっき言ったことはちゃんと守ってもらうぞ」

 

 さっさと用件を済ませたい俺と、久しぶりに会った俺と1分でも長く話をしたいであろう一色。しかし、“スターズの王子様”としてメディアで見ない日はないほどの大スターが俺と全く同じ制服を着ているのは、同じ学校に通っているから当たり前のはずなのに今一つ現実感が湧かない。

 

 「大丈夫だよ。“あの子”には明日、顔合わせでちゃんと謝るから」

 「・・・絶対だからな

 

 まぁ、こっちとしても顔合わせ前に聞きたいことを聞ける機会を設けられたわけだから、一言二言だけ交わしてすぐに戻るつもりはない。

 

 「さて、先ずは何から話すか・・・忙しくてサトルはおろかみんなともロクに会えてないしな~」

 

 もう一度蓮にちゃんと謝ることを約束した一色は、独り言を言うかのように俺へと呟きながらピアノに寄りかかったまま天井を見上げ、静止する。

 

 「・・・役作りは順調?

 

 天井を見上げて考え込むこと約10秒。天井を見上げたまま、一色は俺に問いかける。

 

 「順調・・・

 

 と言いかけたところで俺は一瞬だけどう答えるか否か惑ったが、思い切ってありのままの現状を一色に伝えることにした。

 

 「・・・と言いたいところだけど、正直クランクインまでにギリギリ形にできる・・・ってところだよ

 「なるほどね。それ、言える範囲でいいからもう少し詳しくオレに聞かせてよ・・・

 

 

 

 メインキャストの情報解禁から1ヶ月。契約している企業のCM関連と、恐らくドラマの撮影と同時進行でこれから進めていくことになるかもしれない“別の仕事”に纏わる話し合いと並行して、台本が届かない中で地道に俺は純也の役を作ってきた。

 

 “『夕野、お前はまず空中で足を漕ぐ動作を意識するあまり着地姿勢が雑になる癖がある。いいか、重要なのは跳んでからも頭の中で絶えず乱れずリズムを刻むことだ』”

 

 身体は専門のトレーナーに加えて、霧生学園“随一”の走り幅跳びのスペシャリストである王賀美先輩からの指導のおかげか、まだ完全とまではいかないがフォームも安定するようになった。厳密にはここまでして身体を純也に近づける必要はないかもしれないが、決して器用な役者じゃない俺にとって役の感情を理解するということは、文字通り“身も心”も演じる役に近づけること。

 

 

 

 “『これからも“芝居”と共に苦しみもがき続けなさい』”

 

 

 

 もちろんこれは、ただ己の感情を武器にするだけじゃ芝居は出来ないということを家族の過去と向き合ったことを通じて身を持って学んだ末の演り方であって、俺がメインキャストとして相応しい役者であることを証明するための覚悟・・・みたいなものだ。

 

 “『“忙しい”あたしからさとるに提案があります』”

 “『提案?(どうせまたロクでもないやつを・・・』”

 “『何かロクでもないこと言いそうだなって顔してるねさとる?』”

 “『だって杏子さんの考えることって、こないだの観覧車然り蓮との一件然り大抵“ロクでもない”じゃないですか?』”

 “『ブチ殺されたいのかなさとるくん?』”

 

 一方で身体が純也に近づくと、今度は心が純也から離れ始めた。肝心の台本が昨日になってようやく届いたことに加えて、俺以外の3人はスケジュールがタイトなせいでこの1ヶ月で同じ事務所(カイプロ)の堀宮とですら丸一日オフだった日とスケジュールの合間で俺に会いに来た2日だけで、堀宮との間で交わしている“秘策”があるとはいえ役として雅との正しい関係性を築くという部分においては今日の段階でも不安材料が俺の中にはある。

 

 “・・・思っていたのと違うな・・・

 

 中でも大きな“しこり”として残っているのは、昨日ようやく完成した台本を一通り読んで純也の感情に入り込んでみたら、ここまで俺が作り上げてきた純也の人物像と、脚本家が書いた純也の人物像に微妙な“差異”を覚え、ここにきて純也の気持ちがまた分からなくなってしまったことだ。演者である以上は何としてでも本番までに形にしてみせると心で誓ってはいるが、万全かと言われればそうではない。

 

 

 

 “『だから・・・・・・あたしが演じる雅のこと、本気で“好き”になってよ』”

 

 

 

 現状で確かなのは、このままだと俺は堀宮の演じる雅のことを好きになれないかもしれないということ・・・

 

 

 

 「そっか・・・苦労してんだな

 

 一瞬だけ悩んだ末にお世辞にも役作りが順調に進んでいるとは言えないことを打ち明けた俺に、一色は天井に向けていた視線を正面に戻して慰めに近い言葉をかける。

 

 「まぁしょうがないよ。そもそも台本(ホン)がオレたち演者のところに届いたのがつい昨日のことで、おまけにこの学校は“情報漏洩の観点”から台本の持ち込みも禁止ときた・・・ほんとさ、この学校の校則は変なところで超がつくほど厳しいから嫌になるよね?」

 「・・・それより一色は順調なのか?役作り?」

 

 ピアノに寄りかかり手振りでジェスチャーをしながらクールに弁を振るう一色に、俺は聞かれた問いをそのままの形で返す。

 

 「もちろん順調だよ。だってオレ“天才”だし」

 「理由になってんのかそれ?」

 「なってるよ。じゃなきゃこの世界に天才がいる意味が破綻する・・・」

 

 そっくりそのまま言われたことを仕返した俺に一色は自信満々に独特な言い回しを使ってそう言ってのけると、寄りかかっていたピアノから立ち上がって徐に黒板へと向かい、ちょうど置いてあったチョークを使って箇条書きで何かを書き始める。

 

 「ではここでひとつ、サトルに問題(クイズ)だ。世の中には大きく分けてふたつのタイプの“役者”が存在するんだけど・・・それは一体なんだと思う?

 

 何を書くかと少しだけ身構えていると、一色はいきなり俺へ問題(クイズ)を出してきた。

 

 「ふたつ・・・」

 「ちなみにヒントはナシ」

 

 考え始めた俺に、“ヒントは無し”という追い打ちがかかる。ただこれでも俺は2年間も役者をやってきている身で、それなりに経験は重ねてきたからこの問題が何を意味するのかはすぐに分かった。

 

 「・・・役に入り込むタイプと・・・“そうではない”タイプ

 

 5秒ほど頭の中で正しい答えを考えて、それを口に出す。正直言うと、これはこの問題における100点満点の正解だという確証はなくあくまで俺の“持論”みたいなもので、役者の種類というのは“ふたつのタイプ”に分けられるほど単純なものなんかじゃないのは分かっている。

 

 「“100点”・・・・・・なのかはオレも判断できないけど、それも正解の“ひとつ”だよ。サトル

 

 そんな俺の持論も同然の答えはどうやら一応のところは正解だったみたいだが、やはり答えはまだ他にもあるみたいだ。というか、俺は相手がどういうタイプなのかを考えるかなんて演技中は考えず役の感情に入り込んでいるから、そんなのはあまり関係ない。

 

 「正解の“ひとつ”?」

 「ちなみにオレがこのクイズの答えを書くとしたらこうだ」

 

 1つの持論を答えた俺をクールに褒めた一色は、箇条書きの問題文の下に“持論”の答えをチョークで書き始める。

 

 「大きく分けるとするなら、役者は“憑依型”と“俯瞰型”のふたつに分けられる。当然これはあくまで“大きく分けた”話なわけだから、正確にはもっともっと色んな人種(タイプ)役者(にんげん)が世界には存在するわけなんだけど、そんなの数えてたらキリがないって話よ・・・」

 

 一色曰く、この世界には“憑依型”と“俯瞰型”のふたつのタイプが大きく分けると存在するという。

 

 「というわけで今回は役者のタイプをこのふたつにざっくり分けて説明するけど、例えば憑依型は文字通り自分が演じる役に身も心も徹底的に入り込むタイプの役者だ。もちろん憑依型と言っても一括りじゃなくて、じっくり時間をかけて泥臭く役の思考や生き方をインプットして感情に落とし込む人もいれば、台本に目を通したらその瞬間に役作りをすっ飛ばしていきなり自分の演じる役の感情に入り込んである程度“モノ”にしてしまう人もいる・・・・・・ただ憑依型で一貫して共通してるのが本人の精神状態が左右されやすく、おまけに少しでも演じる役と自分の間に同調できない“差異”が生まれると途端に思うように役を作れなくなって、最悪の場合は監督の意図に上手く答えられず迷走する危険も併せる“諸刃の剣”の持ち主でもあるってわけさ・・・ま、言うまでもなくサトルやホリミィがこのタイプになるね」

 「杏子さんか・・・確かにあの人は役に入り込んだ没入度の高い芝居が武器の役者(ひと)だからな」

 「他人事みたいに言ってるけどサトルも同じだからな?」

 「それぐらい自分でも分かるわ

 

 先ずは憑依型とはどういう役者なのかをチョークを使ってフローチャート形式に書きながら、俺はまるで生徒のように相槌を打ちながら一色の話を聞く恰好になる。

 

 「で、次が俯瞰型になるけどこれはサトルが言っていた通りで簡単に言えば“役に入り込まない”タイプの役者だ。もちろん監督や演出家からの指示に合わせて喜怒哀楽を表現する点においては一緒だけど、こっちはあくまで演じる役の感情に入り込むようなことはせずに“役は役、自分は自分”と距離を置いた状態を保ちながら演技をする・・・・・・ただし俯瞰型の人は台本を読んだ瞬間に役の感情を理解するなんて化け物じみた真似は出来ないし、演技の迫真さは憑依型にはどうしても及ばない部分もある・・・その代わりに憑依型以上に常に自分自身を俯瞰で視れているわけだから監督からの急な演出変更にも柔軟に対応できる融通の利く器用な役者が多いし、中には憑依型に迫るような表現力を併せ持ってる人もいるから意地悪な言い方をすれば映像舞台問わず“演出家に好かれやすい”タイプとも言えるわけ・・・今回のドラマで言うなら、あずさがそうかな?」

 「じゃああんたは?」

 「オレは“天才”・・・って言いたいとこだけど、ご覧の通りサトルとは正反対の“俯瞰型”だよ」

 「“天才”じゃないのかよ」

 「“俯瞰型の天才”だよ

 「・・・天才かどうかで張り合う気はないからそれでいいよもう

 

 解説付きで黒板にフローチャートを書き終えた一色は、得意げな様子で自分が“俯瞰型”だということを俺にカミングアウトする。無論、一色(こいつ)の演技を“視聴者”として何度か観てきている俺にとってはとっくに分かり切っている。

 

 「ていうか・・・あんたって意外と理論的に芝居を考えているんだな?

 

 ただ意外だったのは、特に深く考えるようなこともせずに己の感覚だけで生きているようなこのエキセントリックな王子が、意外にも芝居に対しては“理論派”寄りな考えを持っていそうだということだ。

 

 「ハハッ、別にそんなことないよ。いまオレがサトルに言ってることはあくまで芸能界の“先輩たち”から学んだ受け売りに過ぎないからね」

 

 とは言うものの、黒板にフローチャートを書いて自分で掴んだ芝居の理論を同世代のライバルにマンツーマンで教える一色の思考回路は、華やかだけれどどこかミステリアスな“スターズの王子様”の雰囲気の如く全く読めない。

 

 

 

 “『誰かを演じる時に余計な感情が入っていると何かと不都合でしょ?』”

 

 

 

 “やっぱり・・・・・・芝居のタイプは真逆だけど、牧と似てる

 

 

 

 「というわけでここからが今日の本題。ハイそこ注目」

 「ずっと注目してるわ」

 

 不意に本当の感情が視えない王子に“デジャブ”を感じていると、俺の注意を引くように一色は“憑依型”と“俯瞰型”を箇条書きで分けたフローチャートの横に本題となる“2問目”の問題を書き始めた。多分これから書かれる問題(クイズ)が、わざわざ今日というタイミングで俺に聞いておきたかった話なんだろうと、俺は思った。

 

 「では“感覚派”のサトルに最後のクイズだ・・・・・・いまのサトルにとって、“役作りの足枷”になっている人はいったい誰でしょう?

 

 2問目の問題を黒板に書き終えるのと同時に、一色は琥珀色の瞳をギラつかせながら目の前に立つ俺へと向かって不敵に微笑んだ。




求められる、ファイナルアンサー_



突然ですが皆さんにとって2023年はどんな1年でしたか?

ちなみに僕にとって2023年は今までで一番短い1年でした。社会人生活も3年目になり責任を伴う機会が増え、その反動で書きたいことリストも増えて執筆のモチベが安定したはいいものの、結局は同時進行で書くものが増えた(※近々またひとつ増える予定)せいで思うように更新が進まないし、かといって普通に本業の仕事があるから執筆に割り当てられる時間も下手に増やせないというジレンマと戦っているうちに、あっという間に年末になりました。

きっと来年も、また再来年も、特に変化することなくこんな感じで仕事と執筆をして、まとまった休みが取れたら息抜きに一人旅して・・・そうだな、一度やってみたいのが箱根の旅館で文豪のごとく2泊3日ひたすら部屋に籠って小説を執筆したらどんなアイデアが思い浮かぶのか、やってみたいな・・・と言いながら、結局めんどくさくなって特に何もやらずにこの季節を迎えるんだろうな・・・・・・独り言ですごめんなさインデペンデンス・デイ。

というわけで年内の投稿はこれで最後になります。少々気が早いですが、よいお年を。


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scene.92 気付きたくなかった

ナカイユウです。先ずは能登半島地震で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。

大変な状況が続いておりますが、2024年もよろしくお願いいたします。


 “『難航していたユースフル・デイズの台本がようやく完成したそうだ。時間の猶予は余裕があるとは言えないが顔合わせまでには自分の台詞を暗記できる程度には頭に叩き込んでおけ』”

 

 事務所で“おやっさん”こと海堂から直接手渡された、『ユースフル・デイズ』第一話の台本。その脚本を手掛けたのは高円寺と阿佐ヶ谷の小劇場を拠点に活動している“エニグマの慟哭(どうこく)”という劇団で劇作家として活動している草見修司という人で、おやっさん曰く“エニグマの慟哭”という劇団は演劇界では“新進気鋭の一角”としてかなり名が知られている劇団らしい。

 

 “『さとるはどう思う?このシナリオ?』”

 “『はい。本業は舞台演劇の脚本家で連続ドラマは初めてと聞いていたので不安でしたけど・・・シナリオ自体は原作を準拠しつつも映像に落とし込むためのオリジナルな要素が随所に散りばめられていて、恋愛に重きを置きつつもあくまで“人間ドラマ”として4人の生い立ちや人間関係を重点的に掘り下げるところとかは原作と同様にいい塩梅でバランスが取れていると思います・・・とにかくひとつ言えるのは、シナリオ自体はドラマとして観る分には普通に面白いです』”

 “『割とどーでもいいけどさとるってたまに“オタク”っぽくなるよね?』”

 “『思ったことは全部言わないと基本気が済まないタイプってだけです』”

 

 ただし残念ながら舞台演劇に疎い俺は脚本家のこともその人が所属している劇団のことも全く存じ上げていないおかげで凄さはイマイチ分からなかったが、事務所に居合わせていた堀宮と早速2人でやった予習の本読みを通じて、とても連続ドラマ初挑戦とは思えないほど完璧な仕上がりのシナリオにこの脚本家は本当に厳正な審査を経て選ばれたんだろうなと感じた。

 

 “『ただ・・・“シナリオ自体は”って言うのはどういう意味?』”

 

 もちろん“シナリオ”が完璧なのは台本を読んだだけで感じた。ドラマ化するにあたって脚色されている部分もあるが、原作漫画の特徴である学園モノならではの爽やかさがありながらもリアルでどこか生々しさのある独特な雰囲気もちゃんと反映されていた。

 

 “『読んでみて思ったんですけど・・・・・・台本(ここ)に書かれてる純也と、原作を元に俺が作り上げてきた純也の人物像が、何か合わないんです』”

 

 だけど脚本家の書いた純也の人物像は、俺が作り上げてきた純也の人物像とは少し違っているように感じた。別に純也の性格が変わったというわけではなく、このドラマのなかでの純也が雅のことを表には出さないが心の中で“異性”として認識している点も変わらない。それどころか、雅と純也の距離感も原作とほとんど変わっていない。

 

 “『あたしは原作の純也とこの台本(ホン)に書かれてる純也は特に変わってないように感じたけどね?』”

 “『確かに杏子さんの言う通り、雅と純也の関係性は原作と何ら変わってないのは分かるんですよ。分かるんですけど、何というか・・・・・・俺には雅との距離感が原作と微妙に違うように感じるんですよ』”

 “『まあドラマ化するにあたって多少オリジナルな要素は組まれてるとは感じたけどね・・・・・・でも、さとるにとっては“そーいう問題”じゃないっぽいみたいね?』”

 “『はい・・・何だかここにきて振り出しに戻ってしまった気分です・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「では“感覚派”のサトルに最後のクイズだ・・・・・・いまのサトルにとって、“役作りの足枷”になっている人はいったい誰でしょう?

 

 黒板の前に立ち、最後の問題を書いた一色が、目の前に立つ俺を見てどこか不敵に笑う。

 

 「“知らないフリ”なんてらしくないことすんなよ。ホントはもうとっくにサトルは自分でその原因が分かっているはずだぜ?」

 

 何を言っているのか本当に何も分からず聞き返した俺に、一色は“お前なら分かっているはずだ”と言って琥珀色の瞳をギラつかせるように言い返す。“役作りの足枷”は何なのか、それは単純に俺が間違った人物像を作り上げてしまったことに他ならない・・・・・・と決めつけることが出来たら、この問題の答えは即答できたはずだ。

 

 「・・・その“誰か”が原因で俺は純也の感情がまた分からなくなっている・・・ってあんたは言いたいのか?」

 「あぁ、その通り」

 

 足枷になっている原因を探る俺の言い分に、一色は感情の視えない不気味な笑みでクールに頷く。

 

 「って言っても、オレから見て確信が持てるのは“これ”ひとつだけどな?」

 

 一色からのさり気ないヒントに、俺は脳をフル回転させて原因を探る。俺が純也の感情に同調できない理由は何か?堀宮の演じる雅への感情移入が足りない?いや、別に原作の雅もドラマのシナリオに書かれていた雅も俺の“よく知っている”雅だった・・・・・・じゃあやっぱり、単純に原作とドラマの純也と雅の距離感に僅かな違いがあるからなのか・・・?でも、あれは・・・

 

 「実は結構近くにあるんだけどなぁ・・・サトルにとって障害物になってる人って・・・」

 「・・・・・・」

 

 考えを幾ら巡らせても答えの欠片にすら辿りつけない察しの悪い俺に、一色はまたひとつ誘導尋問という名の“ヒント”を与える。

 

 「じゃあさ・・・芝居とか関係なしにサトルにとって一番“近しい”存在って、誰?」

 「“近しい存在”?」

 「そう・・・さすがにこれ以上は何も言えないけどね・・・」

 

 

 

 “俺にとって・・・・・・一番近しい存在・・・

 

 

 

 “『でもぶっちゃけ助かった。ありがとう』”

 

 

 

 「・・・・・・蓮

 

 誘導尋問に導かれる形で目の前の王子に支配された恰好の思考回路で考え抜いて出てきた答えが、口から独り言となってこぼれる。

 

 「やっぱ分かってんじゃん。サトル

 

 芝居とかそういうものを抜きにして、いまの自分にとって一番“近しい存在”でもある親友の名前を口にした俺に、一色は“やれやれ”と言いたげに不気味さの漂う笑みを止めてクスっと笑いながら優しく褒める。

 

 「・・・本気で言ってんのか?それ?」

 「逆にそれ以外の理由があるのか?って言いたいぐらいだよ」

 

 だけど、なぜ一色(こいつ)の言う“足枷”が蓮なのかは、はっきり言って俺には分からない。

 

 「ここまで来たら逆に聞くけど、サトルはオレがレンちゃんに“ちょっかい”だしてたとき・・・“どんな気持ち”だった?

 

 

 

 “『なんだ。まだ教室に戻ってなかったのか』”

 

 

 

 「・・・・・・腹が立った

 

 ただ、一色(こいつ)が蓮の身体を抱き寄せようと近づけたとき、やたらと馴れ馴れしく蓮の肩に手をやったとき、それを見た俺は無性に腹が立った。

 

 「それはどうして?

 「・・・これが正しいかは分からないけど・・・・・・蓮が雑に扱われてる気がしたから

 

 

 

 自分にとっての大切な存在が目の前で雑にされているのが、どうしても俺の中では許せなかった。

 

 

 

 「・・・それよりあれ、“わざと”だったのかよ?」

 「ほんとのことを言えば“そういうこと”になるね・・・サトルのスケジュールとサトルが役作りで苦労している話とサトルとレンちゃんの関係はホリミィから聞かせてもらっているから、それを踏まえてレンちゃんのところに“ご挨拶”をしたっていうのが事の顛末ってところかな・・・・・・ま、サトルがまだ教室に戻っていなかったのが唯一の誤算だったけど、却って効果が抜群に効いてるみたいで何よりだったよ・・・」

 

 そしていま、俺は一色からあの騒ぎが王子の“天然”によるものではなくて全部が仕組まれた芝居だったということをネタバラシされて、落ち着いていた一色への怒りの感情が再び沸き上がり始めている。

 

 「・・・ったく、知らないところでごちゃごちゃと・・・

 

 正直、知らないところで秘密裏に一色と堀宮が連絡を取り合って俺のスケジュールや事情を把握していたことは“いい加減にしろ”とは思うが、不思議と俺はそこまで気に留めてはいない。

 

 「もしかして怒ってる?」

 「当たり前だろ。メインキャストの俺はともかく蓮まで巻き込みやがって・・・・・・マジで何がしたいんだよ、アンタは?

 

 そんなことより、蓮のことをただの役作りの“肥やし”みたいに利用していることを知らされて、それに対する怒りで俺の頭の中はいっぱいだ。

 

 「さっきから言ってんじゃん。これは全て役作りで苦労してるサトルの手助けのためだって

 「だからって気安く蓮に触れていい理由にはならねぇだろが

 「理由にはなるさ・・・だってオレたちは“役者”だ

 

 

 

 あれ・・・なんで俺はさっきから“正しいこと”を言っている一色にここまで怒っているんだ・・・?

 

 

 

 「自分の芝居に利用できるものは何だって“利用”する。それがオレたち役者という生き物がこの世界で生きるために課されている摂理・・・・・・違うか?

 

 感情的な相手にも語気ひとつ強めるようなこともせず、ただ静かにほくそ笑んで冷静に言い放つ一色の言葉で、俺はふと我に返る。一色が芝居のために容赦なく蓮のことを利用した事実は変わらない。その事実が俺たちの間で植え付けられた時点で、ただでさえ芝居の性質を含めて相性が良いとは言えない一色(こいつ)との“わだかまり”は逆に深まってしまっただろう。

 

 「・・・そうだ・・・あんたの言う通り、俺もその生き方で役者をやってきた・・・

 

 だけど、一色の言っていることは少なくとも役者としては至極当然とも言える正論でしかなく、俺だって同じことをずっとしてきた。それはいま音楽室(ここ)にいる俺と一色に限らず、俺を通じて純也のことを本気で好きになろうとしている堀宮も、言うなれば俺のことを一時とはいえ本気で遠ざけようとしていた蓮でさえもやっている、自分以外が“”である役者ならみんなが当たり前にやっていること・・・それを自覚した途端、目の前の一色に対する怒りは急速に感情から抜けていった。

 

 

 

 “「(憬・・・やっぱりお前は、どこまで行っても糸なんかに囚われない“ホンモノ”だよ・・・)」”

 

 

 

 「さて、余分な熱が冷めたところで話の続きだ

 

 我に返って冷静になった俺を目視で察した一色が、再び飄々とした様子で最後の問題の真下にチョークで何かを書き始める。

 

 もしも相手がレンちゃんじゃなかったらサトルはここまで怒らなかった?_

 

 「役者だったら嘘偽りなく正直に答えろよ?サトル」

 

 白のチョークで指をさしながら、一色は俺に正しい答えを求める。

 

 「・・・あんたのことを止めるのは変わらないけど、きっとあそこまでは怒らなかったと思う」

 

 もちろん嘘を吐かずに芝居をしてきた俺は、頭に浮かんだ答えを一色と黒板に書かれた答えに向けて馬鹿正直に話す。性格が悪いと言われたらそれまでだけど、相手によって怒りの度合いが変わるのは人間だったら当然のことだ・・・と、これまでごく普通な人間関係を築かずに生きてきた俺は思っている。

 

 「どうして?」

 「どうしてというより、俺だったら別に特別親しくない奴が蓮と同じ目に合っていたところを見ても、あれほど頭には来ないってことだよ」

 「へぇ~、誠実に見えて意外と性格悪いんだな?」

 「少なくともアンタほどじゃねぇとはここで断言しとく

 

 思った傍から案の定、“悪い部分”を指摘された。だからと言ってこの部分は生まれつきなところがあるから今更気にはしないが、相手が相手なせいでムッと来たから軽く言い返した。

 

 「でもさ・・・何だかんだでちゃんと分かってんじゃん。自分のこと

 

 そしてここにきてようやく、一色の言っていることの“本当の意味”が分かり始めた。

 

 「あぁ・・・やっと分かったよ・・・・・・一色が俺に言いたいことの意味が・・・

 

 

 

 “『もしも“親友”っていう存在がこれからもずっと女優を続けていく私にとって邪魔な“障害物”だとしたら・・・・・・私は親友なんていらない』”

 

 

 

 「関係は違うけど・・・俺にとって蓮が、“雅”と同じくらい大切な存在だから

 「それはあくまで“親友”、ってことで良いんだね?

 「当然だ。俺たちは“純也と雅”みたいな関係にはならねぇよ

 

 俺なりに辿り着いた問題の答えに、一色は再び不敵な笑みを浮かべながら問いかける。そうだ。確かに蓮は純也にとっての雅と同じくらいには大切な存在と言えるかもしれない。恋愛だとかそういうのとは違う次元にいる、たった1人の“親友”として。

 

 「親友ね~、じゃあレンちゃんとは分け隔てなく何でも言い合える?」

 「おう」

 「ただ一緒にいるだけで楽しくてしょうがない?」

 「おう」

 「嫌なところも全部ひっくるめて受け入れられてる?」

 「あのさ、こんなこと俺に聞く意味ある?」

 「大アリだよ。オレの“授業”はまだ終わってないからね」

 「これのどこが授業なんだよ・・・

 

 あくまで“俺たち”は一貫してただの親友だと伝えたはずが、妙に引っかかるところがあるのか一色はなおも掘り下げてくる。どれだけ深堀りしようと意味ないだろうと内心では思い始めているが、こいつの言う“本当の意味”にはまだ辿り着けていないから結局は付き合わなければいけない悪循環。

 

 “・・・入るときに時間見ときゃよかったな・・・”

 

 もうそろそろタイムリミットも近いだろうと一瞬だけ黒板の上に飾られている時計に目をやると、時計は午後4時22分を指していた。今更になって、音楽室に入るときに時間を見るのを忘れるという本末転倒のミスを犯した事に気付く。

 

 「よし、続きを話そう」

 「・・・ハイハイ」

 

 だが今は下らない自業自得は一旦捨てて、俺は仕方なく一色の“授業”に集中する。

 

 「ところでサトルはレンちゃんと“手を繋ぎたい”と思ったことはない?」

 「手・・・」

 

 

 

 “『ここからスタバに着くまで私と手でも繋いでみる?・・・・・・できれば“恋人繋ぎ”で』”

 

 

 

 「・・・思ったことはないけど、手を繋ぐのは嫌じゃない

 

 

 

 そういえば『ロストチャイルド』を鑑賞した後に、蓮のやつから“いつか彼氏とデートする役を演ることになったときのためにシミュレーションしたい”と言われて、 “恋人繋ぎ”をしながらセンター街を歩いたことがあった。

 

 

 

 「まーそれくらいなら“親友”だし、当たり前か」 

 「さっきからマジで何なんだ・・・」

 

 

 

 あくまで演技だったけれど、即興で彼女役を演じた蓮の芝居があまりにも上手すぎて、俺は不覚にも“勘違い”しそうになった・・・あれから俺は役者として、そして“親友”として隣に立てるように、もっとあいつに近づきたいと思うようになった。

 

 

 

 「だったら、2人だけでいる時間が1秒でも長く続いたらって思ったことは?

 

 

 

 “『では俳優の夕野憬さん。初めて学校の屋上に立った感想は?』”

 

 

 

 「まぁ、あるよ。(あいつ)は大切な親友だし」

 「レンちゃんのことを本気で大切にしてるんだろうなってのは、オレに本気で怒るサトルを見てよく伝わったよ」

 「・・・そうかよ」

 

 

 もう二度と、置いていかれたくない。出来ることなら、蓮が初めてヒロインを演じるときは俺が相手役になって隣で芝居をしたい。

 

 

 

 「そんなレンちゃんが自分以外の違う男に取られたりしたら、サトルは嫌か?

 

 

 

 俺にとって蓮は、かけがえのない一番の親友。それは余程のことがあったとしても変わらない。例えどんな理不尽がこの先で待ち受けるとしても、それだけは変わらないでいてほしい。

 

 

 

 「・・・嫌・・・

 

 

 

 ・・・だから・・・気付きたくなかった・・・

 

 

 

 「嫌・・・ていうか

 「じゃあそうなる前にいっそのことキスの1つでもして、もっと色んなことをしたいとか

 「はぁ?何言って

 「サトルさ、いま完全に“レンちゃん”のこと意識してるでしょ?

 「いや、はぁ?

 「だったら何でそんな動揺してんの?

 「アンタがわけ分かんねぇこと言う

 「実は“ラブ”でしょ?ぶっちゃけた話

 「アンタマジで

 「このまま下手にしらばっくれてるとオレがレンちゃんの“初めて”を奪っちゃうけど、それでもサトルは

 

 ガシッ_

 

 「いい加減にしろよ・・・・・・一色

 

 言いたいことを何度も途中で潰された俺は、気が付くと一色の胸倉を強く掴んでいた。

 

 「・・・・・・はぁ」

 

 それと同時に自分が“思う壺”に嵌ったことを理解して、俺は息を吐くのと同時に一色の胸倉から手を放す。

 

 「やっと自覚したみたいだな。もうサトルにとってレンちゃんの存在は“ただの親友”では収まらないところまで大きくなってしまったことに・・・

 

 限りなく誘導尋問に近い質問攻めでようやく“本当の意味”に辿り着いた俺を、一色が誇らしげな表情でニヒルに微笑む。

 

 “パッと出のアンタに何が分かる?

 

 「・・・“パッと出”のアンタに何が分かる?

 「その前に否定はしないんだね?

 「・・・・・・

 

 その“何でもお見通し”と言わんばかりの鋭い視線と感情に本心をそのままぶつけて、俺はまたしても墓穴を掘る。

 

 「つっても仮にサトルが否定(うそ)で誤魔化してもオレは役者だから分かるんだよ・・・“そういう”の・・・

 

 そんな俺に一色は胸倉を掴まれた仕返しとばかりに俺の制服のネクタイを引っ張り、初対面のときと同じように眼前まで顔を近づける。

 

 「サトルこそいい加減受け入れろ・・・・・・じゃないと“お前”はただ一人置いてかれるぞ?

 

 一歩間違えればキスをしてしまいそうなほどの至近距離で普段よりも低く冷たいトーンで、王子はこの期に及んで往生際悪く現実から目を背けようとする俺を鋭い感情で凝視する。

 

 「“オレたち”にも・・・“親友”のレンちゃんにも・・・

 

 この感情が芝居ではないのは、“スターズの王子様”とは思えないほど剥き出しになった感情で分かった。

 

 「・・・ってオレが言って解決するような問題(こと)だったら、サトルもみんなもこんな苦労なんかしないのにな?」

 

 そして次の瞬間には再び王子に戻って俺から顔を遠ざけ引っ張ったネクタイを直し、何事もなかったかのように一色は黒板の前へと戻り、“もしも相手がレンちゃんじゃなかったらサトルはここまで怒らなかった?”とチョークで書いた箇条書きの下に、“YES”の3文字を書いて俺に見せびらかす。

 

 「でもこれだけは言える・・・・・・サトルがレンちゃんに抱いてる感情(それ)は、“友情”なんかじゃない

 

 分かっている・・・いや、もしかしたら“差異”を感じた瞬間(とき)には本当はもう、心のどこかでは既に分かっていたのかもしれない。視ている景色が漫画という3人称から台本という“1人称”に変わったことで純也の人物像にズレが生まれた原因が、紛れもなく“蓮の存在”だということ。

 

 「だったら・・・何だよ?

 「それは純也の役作りをしているサトルが一番よく知ってる“感情”だろ?

 「・・・・・・

 

 どこにぶつけたら良いのか、どうやってぶつけたら良いのか、そもそもこの感情は“本当”なのか、それさえも分からない混沌とした気持ちの悪い感触と、高鳴る心音。“差異(ズレ)”を無くすためには、たったいま“自覚”したこの感情を受け入れなければいけないというのか?

 

 「にしてもここまで嘘吐くのが下手な奴に会ったのは、マジで18年生きてきて初めてだよ・・・

 

 

 

 “だとしても・・・・・・いま湧いたこの感情を受け入れてしまったら・・・

 

 

 

 「・・・・・・それだけは無理だ

 

 色んな感情がごちゃごちゃになった挙句、心の奥から絞り出てきた今の心境。もうこれ以外の何物でもなかった。

 

 「無理なのは“受け入れたくない”からか?」

 「あぁ・・・自分に嘘を吐いてまで芝居はしたくない」

 

 そんな気持ちの整理が全く追いつかないでいる俺のことなどお構いなしに、一色は黒板を前に容赦なく話を進める。

 

 「・・・けど、それでも“受け入れない”とダメなんだろ?俺は?」

 

 混乱する気持ちの中で、どうにかして俺は一色に答えをすがる。もう役作り云々じゃなく、一刻も早くこの“制御不能の半歩前”な感情をどうにかして落ち着かせたかった。誰でもいいから目を背ける俺のことを肯定して欲しかった。

 

 「いや・・・そうまでして“受け入れたくない”なら別に受け入れなくても良いんじゃね?」

 「・・・・・・は?」

 

 そんな無意識に“ラク”になろうとした魂胆を見抜いたのか、一色は情け容赦なく再び心に揺さぶりをかける。おかげでこっちはとうとう追いつけなくなって、ただ困惑をぶつけるしか術がなくなった。

 

 

 

 というか、今はもう何も考えたくない・・・

 

 

 

 「だってさ、 “受け入れろ”っていうのはあくまでオレ1人の意見であって、みんながみんなサトルをどんな目で視てるかなんて誰も分かんないし、誰が何と言おうとどうするか決めるのは“自分自身”の勝手じゃん・・・

 

 

 

 “『異性とかの壁を超えた“何でも話せる親友”がいるってことはさ・・・・・・どんな理不尽があっても自分を保っていくためのすっごく大事な“財産”になるんだよね』”

 

 

 

 「ぶっちゃけ芸能界の先輩でもないオレが言うのもアレだけどさ、少なくともつい2年前まではただの一般人だったサトルよりは“一流(こっち)の世界”を知ってる身分として、敢えて言わせてもらうよ・・・

 

 

 

 ・・・(おまえ)はどうしたいんだ?

 

 

 

 「たかが同期の芸能人その1の“戯言”に惑わされてんじゃねーよバーカ

 「・・・・・・

 

 もう何もかも投げ出してしまおうかと本気で考え出そうとしていた思考回路と心に、王子のクールな笑みと共に“受け入れたくない”気持ちを肯定する侮辱(ことば)が突き刺さって逃避しかけた意識が一気に現実へと引き戻された。

 

 ピピピピッ_ピピピピッ_

 

 「おっと、もう時間だ」

 

 俺の目の前から一定のリズムを刻む甲高い電子音が聴こえてくると、徐に一色は自分の制服の左袖をめくり上げ、ブレザーとワイシャツの死角になっていた腕時計のタイマーを止める。

 

 「てなわけで今日はこれにてタイムリミットだ。サトル」

 「・・・一応ちゃんと律義に時間計ってたんだな?」

 「だって“20分”って約束だろ?大丈夫。サトルがこの音楽室に入った瞬間に合わせてちゃんとタイマーはセットしておいたから」

 「・・・それはどうも」

 

 ここまでの感情の反動からか、袖に隠すようにしてはめている腕時計を得意げに見せびらかす一色に、俺は惰性で言葉を返すだけで手一杯だ。

 

 「言っとくけどこう見えてオレはキッチリ時間を守る主義だからね」

 「はぁ・・・そういやティザーのときも何だかんだギリギリ顔合わせに間に合ってたの思い出したわ・・・」

 

 どうやら時間のほうは俺が心配なんかしなくとも、一色がちゃんと時間を見てくれていたらしい。さすがは中身が“理論派”なだけある・・・とでも言ったところか。

 

 「ただオレの言ったことを真に受けるにしろ、タチの悪いジョークで受け取るにしろ・・・サトルが“ピンチ”なのは変わらないってことだけは覚えておけよ?」

 

 なんて具合に少しだけ気を楽にした俺に、一色は“念を入れて”警告する。

 

 「あぁ・・・分かってる

 

 もちろんそんなことは、言われなくても俺が一番知っている。

 

 「・・・そう言い返すと思ったよ」

 

 王子からの警告にどうにか心を切り替えて返した最低限の覚悟を俺の眼を凝視する琥珀色の瞳で受け取ると、そのまま一色は音楽室の扉へ颯爽とした足取りで歩いて、扉の前で立ち止まる。

 

 「言おうかどうか迷ったけど、やっぱりオレ的にサトルには最初から最後まで純也を完璧に演じ切ってもらいたいからひとつだけ“ピース”をやる・・・・・・“俯瞰型だろうと憑依型だろうと“やるべきこと”は同じ”・・・これ、“超重要”だから・・・

 

 そして最後に俺が純也の感情に再び近づけるための“ピース”を与えて、一色は第二音楽室を後にする。俺がこの音楽室に入ってちょうど20分、“授業”はお開きになって教室は文字通り俺1人になった。

 

 「・・・・・・はぁぁ」

 

 1人になった瞬間、一気に気が抜けたのか勢いよく溜息がこぼれた。一周回って冷静になった今なら、この溜息が意味するものは考えなくとも分かる。というより、それを考えた瞬間にまた冷静さを失うだろうから、どうにかして心が受け止められるくらいになるまではその“感情”のことは考えたくない。

 

 出来ることなら、目の前に広がっているこの景色と感情が、ただの“”であってほしい・・・とさえ、思ってしまう。

 

 「・・・・・・最悪だ

 

 だがどれだけ“夢であれ”と願おうと覚めるわけがない現実が広がる今の状況と心境は・・・ただただ“最悪”だ。

 

 

 

 “それでも、“やるべきこと”をやらないと・・・・・・ここで逃げたら、俺は“役者”じゃない・・・

 

 

 

 「・・・行かないと」

 

 十夜が黒板に書いたフローチャートに目をやり強引に己の意識へと焼き付けた憬は、黒板のフローチャートを消して得体の知れない何かに駆られるように駆け足で陸上部の練習拠点となっているグラウンドへと走った。




この気持ち、まさしく_



ここから先は個人的なことではありますが、1月1日に発生した能登半島地震に関係する話になります。読みたくないという方、もしくは読んでいる最中に少しでもストレスを感じた方は、速やかにブラウザバックをしてください。









個人的なことですが、僕には金沢に住んでいるはとこがいます。1月1日、石川県能登地方を震源とする最大震度7を観測する地震が起きてしまいました。震度7や6強を観測した能登地方から少し離れたところとはいえ、はとこの住む金沢でも震度5強を観測し、民家の崩落や神社の鳥居が崩れるなどの被害が出たと聞いています。幸いなことにはとこは家と家族もろとも無事でしたが、今回の地震によって家が倒壊するなどの被害に遭われてしまった方や、大切な人を亡くしてしまった方、亡くなられた方のことを考えると、はとこの無事を素直に喜んで良いのだろうかという複雑な思いがあり、同時に甚大な被害を受けた珠洲市、輪島市などの現状に心を痛めております。

遠くにいる一般市民の僕に出来ることは現地の被害状況を考えると何の足しにもならないほど微々たるものですが、とにかく復興のために今自分が出来る精一杯の手助けをしていきたいと考えています。誰が何と言おうと、地震が起きて良いことなんて何一つとして絶対にありません。

最後に、亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災した現地の1日でも早い復興を強くお祈りいたします。


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scene.92.5A 《幕間》 境界線

 2001年_5月13日_新宿・歌舞伎町_

 

 「おつかれホリミィ」

 「あははっ、こんなところで先輩が1人ぼっちであたしを待ってるとかマジのマジでウケるんだけど」

 

 5月13日、日曜日の夕方。事務所(カイプロ)を出たあたしは一色先輩から呼び出される形で歌舞伎町のカラオケボックスに偽名を使って入店して、予め先輩が同じく偽名を使って1時間だけ予約を入れていた部屋に入る。

 

 「てゆーか先輩って今日はオフな感じ?」

 「いいや。つい30分前まで事務所(スターズ)で打ち合わせ」

 「それはまた大変なことで」

 「ホリミィもお仕事お疲れ」

 「ありがと先輩」

 

 少しだけ狭い部屋の扉を閉めて、正体を隠す意味合いの“裏原系”のストリートコーデを着こなす先輩から見てテーブルを挟んだ向かいのやや固めなソファーに座る。部屋に入っても黒いニット帽と薄色レンズのサングラスを外さない先輩と同じく、あたしも変装代わりで被っている帽子(キャップ)と伊達メガネをつけたまま対峙するようにソファーでくつろぐ。たまにこんな感じで会うたびに思うけど、プライベートの先輩の風貌に普段の王子様の要素はほぼない。

 

 「で、先輩のところにもちゃんと台本は届いた?」

 「見ての通り、もちのろんだよ」

 

 それでも何やかんやで様になってしまう先輩の“変装”は置いといて、挨拶的な意味合いでほんのちょっとだけ会話を交わしたあたしと先輩は“歌いたくなる”衝動に駆られる前にさっさとお互いのバッグから台本を取り出して“本題”へと移る。最初に言っておくけど、あたしたちは遊ぶためにわざわざ“カラオケボックス(こんなところ)”に来たわけじゃない。

 

 「ではぼちぼちやりますか。って言っても、新太と雅が1対1で絡んでるシーンはそんなになさそうだけど」

 

 もちろんここへ来た理由の“ひとつ”は、ついさっき事務所で受け取った台本(ホン)の“読み合わせ”のためだ。

 

 『コウって亜美ちゃんと前から知り合いだったんだ?』

 『うん、何なら小6まで一緒だった』

 『そうなんだ。どおりであっという間に打ち解け合ってたわけね』

 『一応幼稚園から一緒だったからね。でも中学に上がるタイミングで亜美が引っ越してからずっと会えてなかったからさ、正直すげぇ驚いてる』

 

 まぁぶっちゃけると何もこんなところでわざわざこんなことをする必要は、ないっちゃないかもしれない。じゃあどうしてあたしと先輩はここに集まっているかと言うと、カラオケボックスなら偽名と変装さえすれば容易に予約を入れて入ることができ、尚且つここなら同じ個室でもカフェみたいなところとは違ってある程度なら大声を出しても怪しまれることもない上に、ドアさえ閉めれば完璧な“密室”が完成するからお忍びで話し合いをするにはカラオケボックス以上に好都合な場所はない。と、あたしは思う。

 

 『コウは嬉しい?』

 『なにが?』

 『なにがって、それは亜美ちゃんに会えて嬉しいかに決まってるじゃない』

 『・・・嬉しいよ。そりゃあ』

 

 ちなみにあたしの演じる雅と先輩が演じる新太の2人は、中学のときに同じクラスになったことで知り合うことになる。そして小学校からの幼馴染の純也との3人組の関係が出来上がり、やがて同じ高校に上がることを決めたタイミングで3人の中で“とある約束”をする。

 

 『ねぇ、まさかとは思うけどコウって』

 『別に“そういう”のは思ってないから、大丈夫だよ』

 

 その“約束”があったからこそ、3人は仲の良い友達同士のままで平穏に過ごしていた。

 

 『ふっ、まだ私なんにも言ってないのに急にどうしたの?』

 『いや・・・あんな言い方されたら誰だってそう思うでしょ』

 『そう思うってなに?』

 『・・・とにかくそういうところホント気を付けたほうがいいよ雅ちゃん』

 

 

 

 だけど2年に進級した1学期、県外の高校から転校してきた亜美が3人のクラスメイトになったことをきっかけに、ずっと友達のまま卒業して大人になっていくはずだった“私たち”の関係がゆっくりと変わっていくことになる。

 

 

 

 「・・・やっぱ何だかんだで先輩上手いわ。おかげであたしも演りやすかった」

 「そう言って貰えて何よりだよ。でも台本読んでる時点でホリミィも順調そうなのが分かってオレも安心した」

 

 部活終わりの帰り道でばったり会った新太と2人で話す場面を重点的に読みながらの本読みは、はっきり言ってめちゃくちゃ順調に終わった。一色先輩とはこれまで先輩が主演を務める“学園探偵モノ”の映画で一度だけ共演しているから分かっているけど、こうやって1対1で演り合ってみると本当に演技が上手いのがよく分かる。

 

 「当たり前でしょ。あたしは“天才女優”だから」

 「ハハッ、それは心強いな」

 

 先輩が演っている芝居はあたしみたいに役に入り込んで演じ分けるというわけではなく、あくまで“一色十夜(じぶん)”をある程度残したうえで色んな役を演じている“俯瞰型”で、それも先輩の場合は元の素材があまりにも強すぎるおかげでもはや“主役特化型”(※あたしが勝手に命名)になっている。

 

 「けどあたしからすれば先輩みたいな役者が共演者にいることも心強いよ」

 「心強いか・・・ホリミィは随分とオレのことを高く評価してくれるんだな」

 「別に評価してるってワケじゃないけど、一緒に演ってて面白いなって感じ。だってみんながみんな同じタイプだったらそれはそれで味気ないし」

 「ほんとホリミィは素直じゃないよなー」

 「先輩には言われたくないね」

 

 世の中の声に耳を傾けると、そんな先輩の演技を“何を演じても王子様”だと言う人も中にはいる。確かに先輩は決して役を演じ分けるのが上手いタイプの役者じゃない。でもそれはあたしから見れば外面しか知らないのに全てを知ったかぶったような薄っぺらい評価でしかなくて、そもそも“一色十夜(じぶん)”の存在を残したまま芝居を成立させるのは相当な技能(スキル)を持ってこそのもので、少なくともあたしやさとるのような役に憑依するタイプには到底不可能な境地だ。故に先輩はこれまで主役しか演じていないけれど、逆に言えば先輩以上に“主役を上手く演じ切れる俳優(やくしゃ)”は、あたしたちの世代には誰もいない。

 

 「けど先輩も“天才”だってのはちゃんとあたしは認めてるよ。少なくともあたしにはロクに役を作らなくてもどうにかなっちゃうような“先輩みたいな芝居”は演ろうと思ってもできないし」

 

 しかも先輩の場合はそれを役作りなんかほとんどしなくても何食わぬ顔で完成させてしまうから、あたしは純粋に凄いと思っている。けれどもその凄さを味わうたびに、これがどれだけ努力しても追いつくことの出来ない本当の“天才”なんだと突き付けられて悔しさのような何かが込み上げたりもする。まぁ、こんなことをイチイチ気にしてるようじゃ芸能界はやっていけないのだけど。

 

 「それを言うならオレにも無理だよ・・・ホリミィみたいな芝居をするのは

 

 本音と建前がちょうど半々になったあたしの言葉に、先輩は無音でミュージックビデオが流れるブラウン管のモニターを見ながら珍しく弱音にも似た言葉を呟く。

 

 「あら、“スターズの王子様”が珍しく弱気に」

 「そういうことじゃないよ。だってオレの芝居とホリミィの芝居は根本的に違うからね」

 

 さり気なく揺さぶりをかけようとしたら、それっぽい言葉で逃げられる。さすがは“スターズの王子様”なだけあって、連絡先を交換している程度には近しい関係のあたしにもこの人は本当の感情を見せる真似はしない。

 

 「オレがホリミィの代わりになれないように、ホリミィもオレの代わりにはなれない。だからこの世界にはみんなが“主役”になれるチャンスがある・・・

 

 

 

 “『ホリミィは芝居やってて楽しい?』”

 

 

 

 「・・・って、オレはホリミィに言いたかった」

 「めっちゃ哲学すぎてわけわかめだけど先輩が言いたいことは分かったわ」

 「いやどっちだよそれ

 

 ただ先輩は“王子様”になるために芸能界に入ったわけじゃないっていうことと、主役だけが求められ続けている現実にちっとも満足していないことだけは、当の本人は一度たりとも打ち明けたことはないけれど“女優の勘”であたしは分かっているつもりだ。

 

 「じゃあ軽く本読みを終えたところで“本題”に入りましょうか、先輩?」

 「そうだね。特段オレらは問題なさそうだから、“そっち”の進捗の話を始めよう」

 

 明後日の顔合わせに向けたウォーミングアップを兼ねた本読みを終えたところであたしは目の前に座る先輩に声をかけると、先輩はそれに応じるように台本を自前のバッグの中にしまい込む。

 

 「単刀直入に聞くけど、サトルのほうは順調?

 

 ちなみに今日、あたしと先輩がここに来たのには“もうひとつ”の理由がある。というか、何ならこっちのほうがメインだったりする。

 

 「うーん・・・大方あたしの“予想通り”ってところかな?」

 「なるほど。つまりは“あんまり上手くいってない”ってところだね」

 「そゆこと」

 

 あたしからの近況報告に、先輩はすぐさま“予想通り”の意味を察してほくそ笑むように核心を突く。もちろんあたしにとっても、さとるがこうなることはある程度は予想できていた。

 

 「やっぱり、あたしはこうなると思ってたんだよねー・・・

 

 

 

 

 

 

 “『さとるはどう思う?このシナリオ?』”

 

 つい数時間前、あたしは海堂さんからようやく脚本家の人が完成させたというドラマ『ユースフル・デイズ』の第一話の台本を同じく事務所に居合わせていたさとると共に受け取り、お互いにこの後のスケジュールが空いていたこともあって早速読み合わせをしようと小会議室を借りた。

 

 “『読んでみて思ったんですけど・・・・・・台本(ここ)に書かれてる純也と、原作を元に俺が作り上げてきた純也の人物像が、何か合わないんです』”

 

 すると台本を一通り読み終えたさとるは、台本に書かれていた純也の人物像が自分の想像しているものとズレていると言い始めた。

 

 “『あたしは原作の純也とこの台本(ホン)に書かれてる純也は特に変わってないように感じたけどね?』”

 

 だけどあたしには原作の漫画に描かれている純也とドラマ版の台本に書かれている純也の人物像は、雅の視点から見ると“全く同じ人”に思えて特に違和感は感じなかった。

 

 “『確かに杏子さんの言う通り、雅と純也の関係性は原作と何ら変わってないのは分かるんですよ。分かるんですけど、何というか・・・・・・俺には雅との距離感が原作と微妙に違うように感じるんですよ』”

 

 どうやらさとるには純也の視点から見ている雅の姿が自分の中で作り上げていたものと比べると少しだけ違って見えていたようで、それがただ単にドラマとして見映えするようにオリジナルの要素が幾らか付け加えられたとかいう問題じゃなさそうなのはさとるのリアクションだけで十分に分かった。

 

 “『まあドラマ化するにあたって多少オリジナルな要素は組まれてるとは感じたけどね・・・・・・でも、さとるにとっては“そーいう問題”じゃないっぽいみたいね?』”

 

 もちろんあたしはドラマの脚本がどんな形になろうとも、さとるが役作りで壁にぶち当たることになるだろうとは予想していた。というより、さとるが純也を完璧に演じ切るためにはどうしても演じる役と全く同じ感情を“追体験”させる必要があった。

 

 

 

 “『あたしが演じる雅のこと、本気で好きになってよ』”

 

 

 

 “『はい・・・何だかここにきて振り出しに戻ってしまった気分です・・・』”

 

 だからあたしは、この1ヶ月の間さとるへ“アプローチ”をかけ続けていた。あくまでそれはさとるに“完璧に演じてもらうため”だったけれど、先輩にも秘密にしているあたしが提案した“秘策”の効果もあってさとるは見事にあたしと先輩の思う壺に嵌ってくれた。

 

 “『うん、それはマジのマジでヤバいんじゃない?』”

 “『はい。はっきり言ってヤバいです・・・・・・けど、どうにか明後日の顔合わせまでには最低限の形にして、本番に間に合わせる必要がありますね』”

 

 それは同時に、この“”を乗り越えられなかったら冗談抜きでさとるの役者人生(キャリア)に大きな傷がつきかねないほどの危険な“賭け”だということを意味している。でもそこまでしないと、きっとあたしたちはメインキャストに選ばれた以上の演技は出来ない。4人が隙もなく最高の状態で本番に臨んでくることを周囲(みんな)は求めていて、あたしたちはその期待を超えなければいけない。

 

 

 

 みんなの期待を超えるためだったら・・・・・・あたしは手段を択ばない。

 

 

 

 “『まーそうやって四の五の言ってウジウジ悩むよりさ、もう一回このまま読み合わせてみようよ?何か分かるかもしれないし』”

 “『・・・そうですね・・・まずは読んでみましょう』”

 

 結局あの後もあたしとさとるはとりあえずやってみようと普通に読み合わせをしたけれど、純也の感情が分からなくなってしまったさとるは最初から最後まで不調のままこれといった解決策も出ず、あたしが“この後予定がある”と事務所を出て解散になった。

 

 

 

 

 

 

 「そっか・・・やっぱりサトルのように実体験から共通点を探して直に感情を引っ張り出す“感覚派”の憑依型(タイプ)は、同じ憑依型でもホリミィみたいな“理論派”以上に諸刃の剣だよね?」

 

 あたしから事務所でやった本読みの経緯を一通り聞いた先輩は、ニット帽からチラッと出ている襟足の髪を指先でいじりながら正面に座るあたしを見ながら静かに笑う。どうやら無駄に勘の鋭い先輩は詳しい話をしなくとも、さとるが役の感情を掴めなくなってしまった原因を勘づいているみたいだ。

 

 「・・・先輩ってさ、環蓮って女優は知ってる?」

 「環蓮・・・あ~、ホリミィの映画に助演の中にその名前あったわ」

 「へぇ~、先輩も知ってるんだ」

 「あの子の名前はたまに聞くからね。それにオレらにとっては今や同じ学校の“後輩”だし」

 

 そんな先輩に、あたしは1人の女優の名前を聞いてみる。

 

 「・・・あぁそうか。つまりはサトルにとってその環蓮ちゃんがリアルで“雅のような存在”だから混乱してるってことか」

 「先輩のその推理力の高さはなんなの?凄いを通り越してキモいんだけど

 

 何となく予感はしていたけど、この王子様と来たら自分の勘だけで容易く真実に辿り着いてしまった。てゆーか、マジのマジでエスパーなんじゃないのこの人?

 

 「まあ先輩の推理の通り、要するにそーいうことよ・・・基本的に異性の友情なんてふとしたことがキッカケで破綻して“恋愛対象”になっちゃうぐらい脆いものだから。ましてやあたしたちがこれから演じる役がそうみたいに、仲が良ければ良いほどそんな関係に陥りやすい・・・それが今のさとると蓮ちゃんの関係性なんだなって、この1ヶ月であたしは分かったからさ」

 

 なんて先輩の“名推理”はさておき、さとるが純也の感情を分からなくなってしまった原因は間違いなく蓮ちゃんの存在。さとるはあたしが演じる雅のことを本気で好きになろうとしているが、その好きの感情と純也が雅に感じている“好き”という感情は微妙に違っている。

 

 「だけどさとるはその感情をまだ“自覚”出来てなかった・・・・・・だから、純也のことをずっと誤解したまま解釈してた

 

 問題は、その違いに当の本人はまだ気づけていないということ。

 

 

 

 “『今さらそんなこと言われても・・・俺は知らないです』”

 

 

 

 「果たしてサトルはただ鈍感なだけか、それとも恋愛感情が何なのかを知らないだけか」

 「いや、どう考えてもさとるは後者だよ」

 

 観覧車でキスをしたときや、ちょいちょい思わせぶりを装ったアクションを起こしたときのリアクションからして異性をちゃんと異性として見ているのは明らかで、“恋愛感情”自体はちゃんと意識の中に持ち合わせている。

 

 「さとるが今までの人生で“恋愛”っていうのをしてこなかったのに加えて、そういう役をこれまで一度もやって来なかったから人を好きになる感覚が何なのかを自分の中で把握しきれてない・・・だから台本が来ていざあたしを相手に芝居をしようとした途端に純也のことが分からなくなったんだよ、さとるのやつ」

 

 でも芝居抜きで“人を好きになる”という感情を経験してこなかったさとるは、今の自分が雅に向けている“好き”と純也が雅に向けている“好き”の違いに気付けなかった。

 

 「・・・じゃあ、サトルは雅のことを好きになるためにまずはホリミィのことを好きになろうとしたけれど、いざ台本が出来上がって感情移入してみたらそこにいたのは雅じゃなくて環蓮ちゃんだったってことか?」

 「さとるが思い浮かべていたのが蓮ちゃんだったのかは本人に聞かないと分かんないけど、あたしを相手にして初めて純也を演った瞬間にようやく自分がしてきたことが間違いだったことに気付いたのは確かだね・・・」

 

 そして違いに気付けないでいる状態のまま純也の人物像を作ってきたさとるは、目の前に広がる景色が“文字”に変わって話し相手が雅から“あたし”に変わった瞬間、ようやくその違いに気が付いた。

 

 「だって“恋”っていうのは好きになろうって必死に頑張れば巡り会うようなものじゃなくて、“気がついたらそこにある”的なものだからさ・・・・・・ま、“ガキンチョ”のさとるもこれでようやくスタートラインに立てたってところよね_

 

 

 

 純也にとって雅は、小学校からの幼馴染。最初はただの友達同士だったけれど中学に上がってしばらくしたある日に同じクラスメイトになって知り合った新太が雅と楽しそうに話しているのを見てから、心の中で人知れず雅に対して好意に似た気持ちを持つようになる。でもこの気持ちを伝えてしまったら新太や雅との関係が壊れてしまうことに悩んだ純也は、同じ高校を志望すると決めた日に2人へ“ある約束”を持ちかけたことでこれからも“友達”のままで居続けることを選ぶ。

 

 

 

 『_“どうしよう・・・・・・俺、雅が好きだ”_

 

 

 

 だけど高校2年の1学期に新太の幼馴染だった亜美が転校してきてクラスメイトとなったことがキッカケになって3人の関係がゆっくりと変化していくにつれて、心の奥で長い間蓋をしていたはずの感情が徐々に抑えられなくなっていく。

 

 

 

 “『杏子さんからの喧嘩は・・・同じく“10年に1人の天才俳優”、夕野憬が引き受けます』”

 

 

 

 だからさとるが純也を演じるためにはたかが数か月程度の準備なんかじゃ全然足りなくて、何年もかけて蓄積された“友情”が必要だった。でも何よりも幸運だったのは、さとるにとっての雅になり得る“存在(ひと)”がすく近くにいたということ。だからあたしはキャスティングが決まるのと同時に、2人を間接的に焚きつけることにした。

 

 

 

 本人同士に自覚こそないけれど・・・さとると蓮ちゃんの感情(それ)はいつ“境界線”を超えてもおかしくないほど2人にとっての重荷になっていることは、2人を焚きつけたことであたしも感じたから・・・

 

 

 

 「・・・で?ホリミィはここからどうしたい?」

 

 さとるの話を一通り聞き終えた先輩は、意味深そうに静かに笑いながらテーブル越しに座るあたしへ問う。

 

 「あたしに出来ることはもうないわ・・・後はさとるの頑張り次第」

 

 とにかく撮影までにあたしのほうでやれることはやったから、もう後は本人次第。

 

 「・・・そっか」

 

 本当のことを言えばもう少し踏み込んだところまでまだ出来なくはないけれど、ここから先はあたしがやるより別の誰かに“アシスト”してもらうほうがきっと効果があるから。

 

 「ねぇ、明日のサトルのスケジュールって聞いてたりする?」

 

 

 

 “『明日?普通に一日中オフですけど?』”

 

 

 

 「?・・・あー、明日はオフだって帰り際に言ってたよ」

 

 何も出来ることがないと言ったあたしに、先輩は唐突にさとるのスケジュールを聞いてきた。

 

 「・・・実は奇遇なことにさ、ちょうどオレも明日6限だけ授業受けることになってるんだよね」

 「マジ?てゆーかあたしより忙しい先輩に“休み”なんてあったんだ?」

 「仕事の合間で授業受けるからオフってわけじゃないんだけどね・・・」

 

 先輩がさとるのために何かを“企んでる”のは一瞬で察せたけど、敢えてあたしは正直に本人から聞いていたスケジュールを伝えて泳がせてみる。

 

 「じゃあさ・・・もしオレがホリミィに代わってサトルに直接伝えて“自覚”させてくるって言ったら、ホリミィは止める?

 

 

 

 “・・・恨まないでね・・・・・・さとる・・・

 

 

 

 「・・・好きにすれば?あたしは別に先輩を止める気はないから

 

 考えるまでもなくあたしの答えはもう決まっていた。さすがにこればかりは自分で言うとあまりにクズすぎるから心の中に留めておくけど、さとるに先輩に蓮ちゃん、そしてあずさを一遍に“踏み台”に出来るチャンスに恵まれた2001年(今年)のあたしは我ながら運勢最強だと思う。

 

 「てことはいいんだね?サトルに言っちゃって?

 

 目の前でクールに笑みを取り繕うあたしを見つめるレンズ越しの琥珀の眼が、獲物を狙う肉食動物のようにギラつく。

 

 「うん・・・いいよ

 

 もちろん答えを決めているあたしは、純也にとってはライバルとなっていく先輩(新太)に“ここから先”を託すことにした。これも全ては、さとるが身体だけでなくて心も純也になるために。

 

 「・・・やっぱりホリミィはちゃんと“吹っ切れてる”から助かるよ

 

 さとるが無意識に張っている“境界線”を壊してくることにOKを出したあたしに、先輩は優し気な口ぶりと表情で感謝を言う。

 

 「本当にありがとう。ホリミィ

 

 実際のところあたしたちは人の心を全て読み取れるエスパーなんかじゃないから、さとるが蓮ちゃんのことをどこまで本気で想っているのかとか、その想いを自覚したことで本人の心がどんなダメージを受けるかまでは分からない。きっとこれで先輩がさとるのために何かしらの手を打つとしても、与えられるのはパズルでいうとたった1ピースぐらいのヒントだけだろう。

 

 「ははっ、のらりくらりしてる先輩が素直にありがとうって言うなんてどういう風の吹き回し?」

 

 だけどみんながみんな最高の演技をして欲しいと思っているからこそさとるの苦悩は本当によく分かるし、最高(ベスト)を尽くしたいのはメインも助演もみんなが同じで、演者の誰もが“このドラマ”に自分の全てを賭けている。そのためだったら、プライベートの友情(かんけい)ですら運命の為に差し出すことだってあたしにはお安い御用だ。

 

 「マジのマジで信じてるよ・・・一色先輩

 

 

 

 “それはさとるも同じでしょ?

 

 

 

 「・・・それで、あずさは最近どう?」

 「あずさ?あぁ、“役作り”の話ね」

 

 顔合わせを直前に控えてさとるに立ちはだかった課題にまつわる話がひと段落したのを見計らって、あたしはさとるのことを教える“交換条件”として約束していたもう一人の話題を始める。

 

 「心配しなくともあずさのほうは順調だよ・・・“そっち”とは違ってね」

 

 どうやら挑発気味にほくそ笑む先輩の様子からして、あずさのほうも順調みたいだ。

 

 「・・・そう。じゃあ残りの時間をかけて、あたしに詳しく聞かせてよ」

 

 こうしてあたしは、予約を入れていた残りの時間をフルに使って先輩からあずさの役作りのことを聞き出した。

 

 「聞いて驚くなよ・・・

 

 

 

 “『私。静流さんと友達になりました』”

 

 

 

 「・・・聞いておいて大正解だったよ。あずさのこと

 

 そして先輩から明かされたことで、あたしはあずさのことを“友達”だからと見くびっていたことを思い知ることになった。

 

 

 

 “『うん・・・負けたくないのは、私も一緒だから』”

 

 

 

 「ちょっと前まで何かあったらすぐあたしに甘えてくる引っ込み思案の弱虫だったくせに・・・・・・いい度胸じゃん




後ろを歩いていたはずの幼馴染に、何を思う_



というわけでここからscene93に行く前に、補足にあたる幕間話を3話ほど挟みます。


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scene.92.5B 《幕間》 正しい向き合い方

 2001年_4月某日_東京都目黒区_桜羽高校_

 

 「なんかさぁ、永瀬さんって最近調子乗ってる気がしない?」

 「どうして?」

 「ほら、例えばこの間も仕事あるからとか言ってカラオケ断って帰ったときとか、別に元から芸能人やってるから忙しいのは分かるから行けないのは仕方ないにしてもなんか断り方が“芸能人ぶってて”ぶっちゃけウザかったっていうかさ」

 「あー、分かるっちゃ分かるかも。ずっとウチらには敬語だしリアクションも基本素っ気ないし」

 「学校じゃ優等生みたいに装ってるけど実は裏だと絶対見下してそう」

 「ありそーそれ。同じ芸能人でも3年の狩生先輩は気さくでめちゃくちゃ人付き合い良いのに」

 「・・・ねぇ、ひょっとして永瀬さんって1組の一ノ瀬さんに憧れてるのかな?」

 「いち・・・あぁ“牧さん”ね。あの人本名と芸名が違うから一ノ瀬って聞くと誰だか分かんなくなるんだよね」

 「あるあるだね」

 「永瀬さんが牧さんを・・・確かにそれ言われると妙に納得できるわ。あのミステリアスで誰も近寄れない感じとかリスペクトしてそう」

 「もしかして永瀬さん、ウチらが思ってるより狡猾で性格悪かったりして」

 「えーあの永瀬さんが・・・いや、女優だから意外とそのパターンもあり得るかも・・・」

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・」

 

 1か月ぶりにスケジュールが丸一日空いた日の、授業終わりの下校時間。自分の机に置き忘れてしまった筆箱を取りに戻ろうと2年5組の教室に入ろうとしたところで教室の中からクラスメイトの陰口が耳に入ってしまった私は、聞こえなかったフリをして入るかどうか数秒ほど悩んだ挙句に、忘れ物を取らずにそのまま引き返して急ぎ足で“ある場所”へと足を進める。

 

 “みんなに悪気はないんだ・・・悪いのは誤解される自分だから・・・”

 

 私が通っている桜羽(おうわ)高校は杏子や十夜さん、そして憬さんが通っている霧生学園とは違って芸能コースが存在しないため、芸能界で仕事をしている人とそうでない人が同じクラスで同じ勉強をするから、自ずと芸能人じゃない人たちと一緒にいる時間は多い。もちろん芸能活動をしている生徒はわたしも含めて特別なカリキュラムを組まされた上で勉強しているわけだけれども、はっきり言って学校に行けば隔たりはないから比較的ごく普通な高校生活が送れると思っていたけど、現実はそんなには上手くいってない。

 

 

 

 “『永瀬あずさ。15歳です。小さい頃からずっと憧れていた女優になるという夢が叶って本当に嬉しいです』”

 

 

 

 スターズの新人発掘オーディションを勝ち抜いて晴れて女優になって、受験と並行してアリサさんの伝手で紹介された講師たちのもとで高校進学のタイミングまでひたすら役者にとって必要なスキルを身に付けるためのレッスン漬けの日々を過ごして、この学校に推薦で合格したタイミングで表舞台に出て1年の間に朝ドラをはじめ色んな作品に出させてもらって、杏子がやっていたシェアウォーターのイメージガールにも選ばれて・・・という具合にあっという間に2年間が過ぎて、気が付いたら私は既に人気女優の地位にいる幼馴染の杏子と比較されるところまで辿り着いた。もちろんそうするためにはクラスメイトと過ごす時間を犠牲にしないといけなかったけれど、女優は小さいときからずっと憧れていた“将来の夢”でもあったからちっとも苦じゃなかったし、仕事を優先することでクラスメイトの遊びの誘いを断り続けることになるから、必然的に距離を置かれていくだろうなっていう覚悟はあった。

 

 “・・・真面目に仕事してるだけなのに・・・”

 

 悪いのは自分。みんなはただ女優として有名になって“チヤホヤ”されているように見えるわたしのことが羨ましいって思っているだけで、誰も悪くない。“嫉妬”のようなものは芸能界でもそれ以外でもきっと人はみんな抱えているから、もし私が正反対の立場だったとしたら、周りに流されて同じようなことを口走ってしまうかもしれない。だから悪いのは、芸能界(この世界)に足を踏み入れながらも気にしなくても良いことを気にしてしまう、“弱虫”な自分。

 

 

 

 けど、ただ真面目に自分の仕事を頑張っているだけなのに“何も知らない人”から陰で色々言われるのを耳にしてしまうと・・・・・・誰だって嫌な気分になる。

 

 

 

 「・・・また来てしまった」

 

 昇降口に向かって歩いていたつもりが、私は図書室と一部の授業でしか使われていない木造建築の旧校舎の廊下を歩いていた。真っ直ぐ家に帰ろうと思ったけれど教室に忘れた筆箱を“忘れたフリ”をしてそのまま帰るのが何だか気分的にモヤモヤして、かといって戻ってクラスメイトと鉢合わせもしたくないから、こうやってわたしは放課後になるとほとんど誰もいなくなる旧校舎に来て時間が過ぎるのを待つ。

 

 “・・・さっきから何してるんだろ・・・私”

 

 自分でも思う。さっきから私は何をしているのかと。でもこうやって考えることを放棄して人通りのないところでじっとしていると無性に心が落ち着いてくるから、学校で嫌なことがあるとわたしは放課後に決まってほとんど誰もいなくなる旧校舎に行って、こんなふうに気のすむまで時間を潰す。本当のことを言うと、こんなことをしたって時間が無駄に過ぎるだけだから何の意味もないかもしれない。だけどこうやって時間を無駄に使うことで余計な感情を一旦リセットさせることが出来るから、私にとってはとても重要なことだ。

 

 “・・・ピアノ?”

 

 奇跡的に東京大空襲の戦火を免れたことで大正末期に建てられた当時のレトロかつ独特な雰囲気をそのまま残す旧校舎の廊下を歩いていると、上の階のほうからピアノの音色が聴こえてきた。もしかしなくても2階の第3音楽室で、誰かがピアノを弾いている。今日は珍しく私以外の誰かがいるのだろうか。少なくとも私が放課後に旧校舎へ足を運んだときは、この校舎の音楽室でピアノの音が聴こえるなんてことは、一度もなかった。

 

 “・・・これは・・・“月の光”・・・”

 

 “先客”がいることにほんの微かな不安を感じながらも、素人の耳でも“上手い”と分かる“月の光”の丁寧で繊細な音色に導かれるように、私は旧校舎の木目調の階段を上がって階段の先にある音楽室へと足を運ぶ。

 

 ガラガラガラ_

 

 「・・・誰?」

 

 古びた音楽室の扉を開けて中に入ると、ピアノを弾いていた人は月の光を奏でていた両手を止めて扉の前に立つわたしのほうへ座ったまま振り向いてこっちへと近づいてくる。もちろん1組に在籍しているこの人のことはこの学校に入学したときから知っているけど、面と向かって会うのは初めてだ。

 

 「って、誰かと思ったら5組の永瀬さん」

 「あぁ、はい・・・あの、もしかして邪魔してしましたか?」

 「いやいや邪魔だなんてとんでもない」

 

 “どっちの名前”で呼ぼうか惑った一瞬のタイミングで逆に話しかけられた私は、頭が真っ白になってつい頓珍漢な返答で返して何を言っているんだと我に返って人知れずに後悔する。

 

 「ところで永瀬さんはどうしてここに来たのかな?」

 「はい・・・何というか、たまたま旧校舎に来てみたら音楽室のほうから月の光が聴こえてきて、それで誰が弾いているのか気になったので・・・」

 「もしかして耳障りだった?」

 「いえそんな、むしろ外から聴いていても引き込まれるくらい、素晴らしい演奏でした」

 

 そんな私に目の前まで近づいた彼女は、何も気にしていない素振りで軽く揶揄いながらも優しく微笑みかける。

 

 「あははっ、ピアノはあくまで息抜きでやってる“趣味”程度だから人様に聴かせられるほどの演奏じゃないけど、そう言って貰えると私も嬉しいよ」

 「そうですか・・・こんなことを私が言うのも難ですけど、ありがとうございます・・・」

 

 2年1組に在籍する彼女の名前は、一ノ瀬静流。と言ってもこの名前を知っている人はこの人の家族とこの学校にいる人と“芸能界にいる人”くらいで、世の中では牧静流という“もう一つの名前”で知られている天才女優。子役時代からずっと第一線で活躍し続けている彼女の才能と実績は私たちの世代の中でも群を抜いていて、“暗黙の了解”で口にすることが禁じられているけれど祖母にあたるお方が日本一の女優として知られている“薬師寺真波”だということもあり業界全体からも一目置かれている“雲の上の存在”。そしてたまに学校に来て授業を受けることもあるけれど、彼女を纏うミステリアスなオーラがあまりにも強すぎて周りのクラスメイトが全く話しかけられないせいで、学校でも“孤高の美少女”と化して雲の上の存在みたいになっている。

 

 「も~、さっきから肩に力が入って固いよ永瀬さん。女優なんだから切り替えないと」

 「そうですよね。すいません切り替えていきます」

 

 補足を付け足すと私はこの人とは一度も共演したことないどころか思いっきり今が初対面だから、10年以上も芸歴が上の同級生(先輩)を前にしてやや緊張している。

 

 「あの・・・あなたのことは本名か芸名のどちらで呼べばいいですか?」

 「ん?どういうこと?」

 

 緊張しているせいかは分からないけど、私はまたしてもよく分からないことを口走る。案の定、彼女は何を言ってるのか分からないと言わんばかりに首をかしげる。

 

 「私にとっては女優としての先輩にあたるので牧さんと呼ぶべきかなと思うし、でも学校だと本名の一ノ瀬さんで通っているわけなので・・・こういうときはどちらの名前で呼べばいいのか」

 「永瀬さんの好きな呼び方でいいよ」

 

 そして困らせてしまったからと何とかして弁明する私に、彼女は言葉を遮り再び優しい笑みを浮かべる。

 

 「・・・では・・・“静流さん”で」

 

 芸能界の先輩から向けられる微笑みに、少しだけ頭の中で考えを巡らせた末に自分の中で最もしっくりきた呼び名を目の前の“静流さん”に伝える。

 

 「下の名前にしたのには理由はあるのかな?」

 「はい。静流さんだったら、呼び方で迷うことはないと思いましたし・・・私の中でも一番しっくりきましたので」

 

 スッ_

 

 次の瞬間、静流さんはわたしに抱きつくように私の肩に両腕を乗せ、眼前に顔を近づけてきた。

 

 「ふ~ん

 

 肩上ほどの長さに揃えたワンレングスの赤い髪。宝石みたいに綺麗な青紫色の瞳と右目の下にあるトレードマークの泣き黒子(ぼくろ)。子役だった頃の面影がありつつも相応に大人びた可愛さと凛々しさを兼ね備える美少女の顔立ち。

 

 「ごめんなさい・・・やっぱり生意気ですよね?

 

 映画を中心にメディアでよく見る慣れた顔のはずなのに、こうやって眼前で自分の感情を凝視されると得体のしれない強烈な“何か”があるような緊張感に襲われて、身動きが出来なくなる。

 

 「ううん。何となく永瀬さんぽいなって思っただけ」

 「ぽい?」

 「ちょっと話して分かったけど、永瀬さんって嘘つけないタイプの人間でしょ?」

 「はい・・・基本、嘘は苦手ですね」

 

 同時に私は静流さんの“初めまして”とは言えない近すぎる距離に、既視感を覚える。

 

 

 

 “『あずさはショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?』”

 

 

 

 「・・・やっぱりね」

 

 頭の中で不意に既視感を感じながら立ち尽くしているうちに、静流さんはそう言うとわたしの肩から手を放し軽やかな足取りで離れる。その何気ない一挙手一投足でさえ、まるで映画のワンカットを観ているかのように錯覚しそうになる。

 

 「じゃあ、今日から私と“友達”になろうよ。永瀬さん?」

 「友達・・・ですか?」

 

 静流さんの独特な距離感に圧倒されているうちに、私は静流さんから友達になろうと言われた。正直、頭の中はこの音楽室に入ってから混乱しっぱなしだ。

 

 「嫌?」

 「いえいえ断じてそんなことは・・・・・・でも、本当に私なんかでいいんですか?」

 「永瀬さんだから友達になりたいんだよ・・・だって永瀬さんのことは、“同じ女優”としてこの学校にいる誰よりも私は理解できる自信があるから・・・」

 

 そんなふうに混乱している私のことをよそに、静流さんは私のことを“同じ女優だから理解できる”と付け足して優し気な表情を魅せ続ける。私に向けているその表情に嘘がないのは、真っ直ぐに私を見つめる眼を視たらすぐに分かった。

 

 「・・・あの・・・もし私と“友達”になってくれるのであれば・・・・・・どうしても静流さんにお聞きしたいことがあります

 

 その眼を視た瞬間、私はつい静流さんのことを女優ではなく“友達”として頼ってしまった。

 

 「友達だったらもっとフレンドリーに行っていいんだよ永瀬さん?ほら、ここは撮影現場なんかじゃないんだからもっと肩の力を抜いて」

 「・・・はい」

 

 

 

 “『あずさはどうするつもり?これから撮影までの1ヶ月?』”

 

 

 

 「では、難しい話になりますけど・・・」

 

 それはきっと、今の自分が置かれている誰にも頼ることができない状況に、少しだけ疲れてしまったからなのかもしれない。女優(やくしゃ)という道を選び芸能界という世界に足を踏み入れた以上、生き残るためには1人でも生きて行けるほどの心を持たないといけなくて、最後(ほんばん)は自分の力で乗り越えないといけないのは杏子も十夜さんも憬さんもみんな同じことで、私にだってそれぐらいの覚悟を持っているつもりで今日まで頑張ってきた。

 

 

 

 “『本気のつもり言ってんの?それ?』”

 “『うん・・・負けたくないのは、私も一緒だから』”

 

 

 

 「友達との“正しい向き合い方”って、何ですか?

 

 自分で蒔いた種で私は生まれて初めて杏子のことを、『ユースフル・デイズ』の撮影を機会に幼馴染ではなく主演(ヒロイン)を争う“ライバル”として向き合おうと心に決めていた。だけどそのことをまだ受け入れ切れていない自分もいて、でもそれを話せるほど心を許している相手は杏子以外だと周りには誰も居なくて、そんなときにさっき教室で耳に入ってしまった陰口と静流さんの嘘のない優しさに立て続けで触れたことで、出さないと決めていたはずの弱い自分が心の奥から傷口を開くように出てきてしまった。

 

 「おぉ、思ってた以上に難しい質問がきたね」

 「ごめんなさい。いきなりこんな悩み相談みたいなことを聞いてしまって・・・」

 

 こんなことを今回のドラマとは関係のない静流さんに聞いたところで、せいぜい誰かに悩みを打ち明けたことで自分の心が少しだけ軽くなる以外は何も解決なんてしないのは分かっている。

 

 「・・・それってさ、役作りに関係してたりする?」

 「えっ、どうしてですか?」

 「だって仮に永瀬さんの聞きたいことがただ友達と喧嘩したとか自分の好きな人と友達の好きな人が同じだったみたいな“ありふれた”話だったら、こんなふうにわざわざ女優の私に打ち明ける必要はなくない?」

 

 それでも静流さんに頼ってしまったのは、彼女が私と同じ“女優(やくしゃ)”だから人知れず抱えているこの気持ちを少しは分かってくれると思ったから・・・なんて心から言えるほどのものじゃなくて、私の場合はただ初対面の先輩に悩みを相談しようとしているだけの“甘え”。杏子みたいに抱え込んでいいものとそうでないものを白黒ハッキリ分けられるほど、私は器用でもなければ強くもないから。

 

 「ねぇ、もし私が役者としてって意味での“正しい向き合い方”ならアドバイスはできるって言ったら・・・聞きたい?

 

 

 

 こんなどうしようもなく弱い自分を変えたかったから・・・・・・私は女優になったのに・・・

 

 

 

 「・・・はい。お願いします

 

 “お願いします”と助けを乞うた瞬間、不意に悔しさにも似た感情が心の中で渦巻く。こんなふうにすぐ人に頼ってしまうから、私は杏子の“ライバル”になれないままでいる。このままじゃ、わたしは“3人”の足を引っ張ってしまう。それが分かっているのに他人に頼ってしまう、子どものときから心がまるで成長しない自分の情けなさ・・・

 

 

 

 

 

 

 “『あずさはいいよね?だってあたしがいるんだから』”

 

 

 

 

 

 

 「言っておくけど、自分の力だけじゃどうしようもないようなことを頼れる人に話すことは恥ずかしいことじゃないし、人に頼れるのも“強さ”だよ・・・

 

 自己嫌悪になるたびに思い出す小学6年生のときの“出来事”が頭の中を掻き回し始めた私に、静流さんは優しい口ぶりで慰めるように語りかけ、軽やかな足取りで真横について私の背中をポンと一回叩く。

 

 「いたっ」

 「あ、ごめん強すぎた?」

 「いえ、全然大丈夫です」

 

 優しい口調に反して、全身に力を入れないと少し痛みを伴うくらいの強めな一発に、“女優だったらしっかりしなさい”という静流さんなりの叱咤激励を感じた。そのおかげか分からないけど、背中を突いた衝撃のおかげで自己嫌悪に苛まれかけていた意識は一瞬で元に戻った。

 

 「えーっと何だっけ?永瀬さんは友達との“正しい向き合い方”について知りたいんだよね?」

 「はい・・・もし静流さんがよろしければ」

 

 私の背中を叩いた静流さんは、ややわざとらしい口調でアドバイスの続きを話し始めながらゆっくりとした足取りで先ほどまで弾いていたピアノのほうへと歩き出して、静流さんの後を追うように私もピアノのほうへと足を進める。それにしてもこの人は、まるで私の思っていることが全て分かっているのでは?というぐらいに、一言が芯を突いてくる。

 

 「じゃあ悩める永瀬さんに1コだけ大事なことを教えてあげる・・・・・・・・・友達との“正しい向き合い方”なんてないよ

 

 そして静流さんはピアノの側板に手を置いて振り向いて、私に“ひとつの答え”を教える。

 

 「“みんな違ってみんないい”って言葉があるみたいに、全く同じ思考回路を持っている人間なんてこの世界には誰もいない・・・同じ役者でも、人によって演じ方が全然違うのと同じようにね・・・

 

 それは、友達との向き合い方に“正しい答え”はないというもの。

 

 「どうして永瀬さんが悩んでいるかは敢えて聞かないでおくけど、きっといまの永瀬さんは役者云々というより生きることに必死過ぎて全部の物事を難しく考えちゃってるところがあるって、私と話していて余計なくらい緊張してるところを見て私は感じたから・・・だから多少それで思い悩むことがあったとしても、もっと自分の好きなように振る舞っていいと思う・・・

 

 結局のところ、中途半端な私のどうしようもない弱虫な悩みに対する“正解”は分からないままだ。いや、そもそも道徳の教科書に書かれていることだとか先生から教わったようなやり方なんてちっとも通用しないのが現実だから、この問いに正しい答えなんてないのは少し頭を(ひね)って考えればすぐに分かるようなこと。

 

 「せっかく“女優になる”夢を叶えたんだから、永瀬さんだけの“自由”を楽しまないと・・・ね?

 

 けれど、静流さんが私に教えてくれた“アドバイス”は本当に的を得ていて、今まで教わってきたどの助言よりも胸に刺さった。

 

 

 

 “・・・どうして私は・・・それでも女優を続けてるのか・・・

 

 

 

 「・・・私、その友達とドラマで初めて共演することになって・・・・・・あんまり詳しいことは言えないんですけど、自分の役作りを兼ねてその子と意図的に距離を置くことにしたんです・・・だけどそのやり方が本当に正しかったのかなって悩み続けてる自分もいて、どうしたらいいのか分からなくなったところでこうして静流さんと会ってずっと今まで抱えてた思いを打ち明けて、だけどこんな大したことない悩みを打ち明けてどうすんだって後悔してる自分もいて・・・・・・でも、静流さんのアドバイスを聞いて1つだけ覚悟が決まりました

 

 アドバイスを伝え終えて泣き黒子のある右目で小さくウインクをした静流さんに、私はいま感じた“本音(思い)”をありったけ打ち明けた。

 

 「もう逃げたりなんかません・・・・・・同業者(ライバル)になった友達からも、その友達に甘えっぱなしの弱い自分からも

 

 

 

 

 

 

 “『あたしがどんな思いして子役やってるか何も知らないくせに慰めるくらいならほっといてよ!友達だったらさぁ!!』”

 

 

 

 

 

 

 私がそれでも女優を続けている理由はただ夢に憧れているだけじゃなくて・・・・・・もうあんな“後悔”はしたくないから。

 

 

 

 「そっか・・・だったら私は永瀬さんのその覚悟を全力で応援するよ・・・・・・“友達”として

 

 覚悟を決めた私の眼を真っ直ぐ真摯に見つめる静流さんは、一瞬だけクスっと得意げに笑いかけると徐にピアノ椅子に座る。そういえば、月の光の演奏を途中で中断させてしまっていた。

 

 「そうだ永瀬さん、何か私に弾いて欲しい曲ある?」

 「えっと弾いて欲しい曲・・・あの本当にお願いなんかしていいんですか?」

 「いいよいいよ。だって私たちはもう“友達”なんだから」

 「・・・では、月の光でお願いします」

 「あ~、さっきまで私が弾いてた曲ね。っていうか永瀬さん月の光知ってたんだ?」

 「はい。実は小学生のときにピアノを習っていたことがあって、実際に弾いたことはないんですけどこの曲自体は前から知ってました」

 「じゃあ永瀬さんもピアノ弾いてみる?」

 「いえそんな、ただでさえ習ってたときも飛び抜けて弾けてたほうではないですし、中学に上がったタイミングでキッパリと止めてしまったので今はもう静流さんと比べると“ミジンコレベル”かと・・・」

 「ふふっ、永瀬さんはほんとに自分に正直だから話してるだけで面白いよ」

 「あの、それは“良い意味”でってことですよね?」

 「もちろん。私は人に悪口は口が裂けても絶対言わない主義だから」

 「そうですか・・・安心しました」

 

 こうして私は、“ひょんなこと”から静流さんと友達になった。




向き合い方に、“正解”なんてなくて_



こんな時代だからこそ、ブレイバーンのような作品は必要だと思う・・・・・・イサミ、どうか強く生きて


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#010B.《幕間》 モノクロ

先日、某民放のドラマにおける原作者とテレビ局側のトラブルが原因による痛ましい事件が起きてしまいました。この事件との関係は一切ないのですが、本作におきましてもオリジナルの要素や展開が非常に多く、また今現在進めている長編が漫画原作のドラマ化というものを題材の一つとして取り上げていることもあり、二次創作とはいえ今後のことも踏まえて色々と考えなければならないと受け止めております。

ストーリーの都合上、賛否の分かれる展開は今後も続いてしまうと思いますが、これからも自分なりに原作に対する最大限のリスペクトを持って或る小説家の物語を執筆していくことをお約束しますので、よろしくお願いいたします。


 2001年_5月14日_芸能事務所スターズ・社長室_

 

 「だったら逆に聞きたいんだけど・・・・・・もしオレが前言撤回してスターズを辞めるって言い出したら、アンタはどんな手を使ってでも引き留める?

 「・・・・・・いいえ。私は十夜を引き留めるようなことはしないわ

 「へぇー・・・てっきりオレはアリサさんのことだから“広告塔”のオレを使える権力を全て使うくらいの勢いで止めてくると思ったぜ

 「残念ながらいまの私にはそれほどの力はないわ・・・・・・ただし・・・“時と場合”によっては、一色十夜に俳優としての“価値”を見出して“投資”をしてくれた全ての関係者(人たち)の恩を仇で返すということはどういうことかをあなた自身の身を持って“勉強”してもらうことになるけれど・・・・・・その覚悟はあるのかしら?

 「ハハハッ・・・そんなの、覚悟があるから言ってるに決まってんじゃん・・・・・・もちろん、“今のところ”はスターズ(ここ)から離れる気はこれっぽっちもないけどね?

 

 

 

 

 

 

 「・・・あれ藤くん。何でここにいんの?」

 

 社長室でアリサとの話し合いを終えてフロアに戻ると、どういうわけか事務所の玄関前に車を止めているはずのマネージャーの藤井が、俺をお出迎えでもするかのようにフロアに立ち待っていた。

 

 「十夜さん。実は急な話になってしまうのですが、どうしても十夜さんにお会いしたいというお方が事務所の前にいらしています」

 「事務所の前?オレこの後何にも予定とかないから帰るところなんだけど?」

 「いえ、軽く挨拶をするだけでも構わないと仰っていますので、ご安心を」

 「挨拶・・・」

 

 “・・・来やがったな・・・

 

 「真夜子(まやこ)さん”でしょ。オレに会いたいって言ってる人?

 

 藤井の姿が目に留まったあたりから“これは何かあるな”という予感はしていたが、“挨拶だけでも構わない”という言葉(ワード)が出てきた瞬間、俺は確信した。

 

 「左様です。“お母様”とお伝えすると十夜さんは挨拶すら拒否すると思いましたので敢えて名前は伏せさせて頂きましたが」

 「藤くんがアリサさんからどういうふうに家族のことを聞かされてたかはどうでもいいけど、少なくともオレと“あの人”の仲が悪いとかそんなのじゃないから藤くんは要らない心配なんかしなくてもいいよ」

 「分かりました。肝に銘じておきます」

 

 アリサからの入れ知恵を鵜呑みにして珍しく普段以上に気を遣ってきた藤井に注意までは至らない程度の忠告をして、俺は気持ちを整えながら事務所の玄関前に出る。

 

 「久しぶりね・・・・・・十夜

 

 事務所から出てきた俺を出迎えるように、しばらく会わなくなっていた“あの人”は礼服のような黒一色のサイドプリーツワンピースの出で立ちで、後部座席のドアを開けたまま通りに停まるホワイトカラーのプレジデント(見覚えのあるセダン)の前に立ち俺が来るのを待っていた。

 

 「・・・5年ぶりくらいだね・・・“母さん”

 

 

 

 一色真夜子(いっしきまやこ)。俺にとっての実の母親にして、“20世紀最後の現代美術”の異名で世界的に知られている芸術家だ。この母親の生い立ちを軽く説明すると、日本を代表する名門と呼ばれている交響楽団で長らくコンサートマスターとして活躍していたヴァイオリニストの一色真嗣(いっしきまさつぐ)を父に持つ裕福な家庭に育ち、そんな父の影響もあり真夜子は物心がつく前から必然的に音楽に触れていたことが後に彼女にとって大切な趣味でもある音楽鑑賞やピアノに繋がることになる。ちなみに真嗣は俺にとっては祖父にあたる人だけれど、彼は姉さんが5歳のときに亡くなってしまったから当たり前だが面識は全くない。

 

 しかし真夜子が音楽以上に興味を持ったのは“美術(アート)”の世界のほうで、家族で訪れた避暑地の景色や夢の中で見た景色をスケッチに描くことから始まり、そこから独学でひたすら絵を描き続け、ときには寝ることすら忘れたり絵を描きたいからと学校を休もうとするほど創作に没頭して小学校時代にはいじめを受けたり学校の先生から“問題児”として扱われたこともあったが、その仕打ちに臆することなく小学校からミッション制の女子高を卒業するまでに1000枚を超える絵を描き、16歳のときに制作して初めて展覧会で入選した絵は、後に彼女の名を世界に知らしめることとなる作品と共に美術の教科書に載るほどの代表作になった。

 

 それから“どんな道を進んでも構わないが、せめて高校までは勉学もやり遂げなさい”という両親の教えを守り高校を卒業した真夜子は都内各地の画廊や百貨店で個展を開きながら生計を立て、真夜子の理解者でもあった医師の邸宅の一部屋を間借りしながら変わらず絵の創作を続ける生活を送っていた。そんなある日、真夜子の個展を偶然訪れていた劇団を主宰する1人の青年と出会い、真夜子の作品に感銘を受けた青年の伝手で“アングラ演劇の伝説”と呼ばれる劇団に入団することになり、以降は自身の創作活動と並行して劇団の“美術作家”を担うことになる。

 

 真夜子にとって転機となったのは23歳のとき。劇団の舞台で劇中のオブジェとして使われた直径3メートルの球体を200色の白と黒のグラデーションで塗りつぶした球体アートを、既に業界では名前が知られていた1人の写真家、もとい俺の父さんでもある一ノ瀬道重(いちのせみちしげ)が一枚の写真に収め、日本のアンダーグラウンド文化を題材にした写真集の表紙にしたことをきっかけに話題を呼び、真夜子本人から“モノクローム”と名付けられたオブジェは公演終了後に主宰の知り合いが経営する画廊に展示されたのちオークションにかけられ、最終的にニューヨークで美術館を運営している大富豪のコレクターが4億円相当の値で買い上げたことが世界的なニュースになり、一色真夜子の名前が世界に知られる大きなきっかけとなった。

 

 そしてこの作品をきっかけに父さんと知り合った母さんは、27歳のときに劇団が解散するのと同時期に父さんと結婚し、新たな活動拠点となるニューヨークへと一緒に渡米して・・・・・・そこから先は“20世紀最後の現代美術”と呼ばれるほど芸術家として世界に多くの衝撃を与え続けた・・・とでも言っておこう。

 

 

 

 とまぁ、ここから先のことはあんまり思い出したくないから省かせてもらうけど、ざっくり言うと俺が生まれる5年前に亡くなった祖父だけが凄いくらいの普通の家系で終わるはずだった一色家を、誰もが羨む“華麗なる一族”に変えてしまった母親(ひと)だ。

 

 

 

 「それで、“”に何か用?」

 「2泊3日とはいえせっかく日本へと帰れたのだから、せめて十夜にも挨拶ぐらいはしておかなければと思ってね」

 「父さんは?」

 「残念ながら帰国直前に急用が入ってしまって・・・代わりと言っては難だけど、十夜宛てに国際郵便を送ったと聞いているから返事はよろしくね」

 「あぁ・・・わかったよ」

 

 事務所の玄関前で交わす、5年ぶりの再会とは思えないほど淡々とした母さんとの会話。俺と全く同じ色をしたボブカットの髪も、外出するときは必ず掛けている愛用の縁のないラウンドフレームのサングラス越しにうっすらと見えるこれまた俺と全く同じ色をした琥珀色の瞳も、実年齢より10歳以上は若々しく見える顔も無駄に透き通った声も、まるで5年前から時が止まっているんじゃないかと思うくらいに全く変わっていない。

 

 「久しぶりに十夜を見てるけど、随分と大人になったわね?」

 「当然だよ。あれからもう“5年”も経ってるから」

 

 いや、5年経って大きく変わったことが1つだけあった。俺より少しだけ高かったはずの母さんの背丈が、今じゃ目視で20センチほど小さくなっている。考えてみれば5年前の俺はまだ12,3で、そこから中学の間に成長期が来て一気に背が伸びたわけだから、当然っちゃ当然だ。

 

 「“5年”・・・ということはもう高校3年生ね」

 「そうなるね」

 「制服、とても良く似合ってるじゃない」

 「それはどうも」

 

 まぁ、だからと言って感傷に浸るとかそういう“センチ”なことはしないけど。

 

 「そんなことより、母さんは本当に挨拶をするためだけにわざわざここに来たの?」

 「いいえ違うわ。実はこれから小夜子の家に行って孫の千夜子に会いに行くのだけれど、もしこの後時間が空いているならば十夜も顔ぐらい見せに行くのはどうかしらと思ってね」

 「なるほどそういうことね。でも今日俺がこの時間帯に事務所にいるってよく分かったな?」

 「今日の予定は“アリサちゃん”から聞かせて貰っているわ」

 「うん、そんなことだろうと思ったよ。あまりにタイミングが良過ぎるし」

 

 わざわざスターズの事務所にまで運転手付きの車で寄り道をしてまで何しに来たかと思えば、姉さん夫妻と孫に顔を見せに来ないかという“おばあちゃん”らしいお誘いだった。アリサから予定を聞いているということは今日この後のスケジュールが空いているのは知っている。

 

 「ちなみに姉さんのところに顔を見せたいところだけど、残念ながらそんな時間すらないくらいには暇じゃないんだよね。ドラマの台本早く覚えないといけないしさ」

 

 もちろん俺の答えは“ノー”一択だ。ただし誤解して欲しくないのは、俺たち親子は仲が悪いとかではなくて、俺は母さんや父さんのことを人間的に嫌ったことは一度たりともない。

 

 「だからごめん・・・千夜子にはまだ会えない

 

 

 

 俺はただ、“一夜(兄さん)の生まれ変わり”のまま一色家の歯車となっていくような生き方だけはしたくない・・・

 

 

 「・・・分かったわ。でも謝らなくたって十夜が忙しくしているのは私も重々分かっているから、無理に連れて行くようなことはしないわ」

 

 俺が“ノー”と言うことを最初から分かっていたのか、静かに微笑みながら淡々と自分の息子に言葉をかける母さんはこれ以上説得するようなことはしなかった。

 

 「はっ、相変わらずそういうところも変わらないな。母さん」

 

 俺が子どもだったときから何も変わらない母さんの様子に、思わず一瞬だけ笑ってしまった。この人は昔からそうだ。姉さんのことも含めて身体の健康のこと以外においては基本的に放任主義で、止められるようなことも窘められるようなことをされた記憶は少なくとも俺の中にはない。

 

 「だって、変える必要はないじゃない・・・小夜子と同じく自分の道を進んでいる十夜(あなた)のように・・・

 

 

 

 

 

 

 “『お前らのせいで俺は・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・そうだね

 

 俺が“この人たち”の家から出て行ったあの日も、さすがに決意を問われこそしたが最終的には“あなたが決めたことだから”と俺のことを無理に止めるようなことはしなかった。俺の母親は、そういう人だ。

 

 「どうする十夜?小夜子の家には行けないにしても、十夜のマンションまでならあなたが構わないのなら送ってあげれるけれど?」

 「悪いけどいいよ。本当のこというとこの後マネージャーの藤くんと来年のスケジュールのことで相談しておきたいこともあるし」

 「そう・・・でも、元気そうにしているあなたの顔を見れただけでも今は満足だわ」

 

 そんな人柄のおかげなのかは分からないが、母さんとの会話は傍から見れば5年ぶりに会ったとは思えないほど淡々と進んでいった。

 

 「そうだわ十夜、俳優のお仕事は不規則になりがちだからどんなに忙しくてもちゃんと3食は食べること」

 「分かってるよ」

 「それから千夜子の写真、十夜にも郵便で送ろうと思っているけどいる?」

 「んー、母さんに任せるよ」

 「分かったわ」

 

 こうしてどこか和やかながらも当事者同士には5年の距離感をヒシヒシと感じる淡々とした会話はあっという間に終わり、母さんは運転席に座る付き人に手で合図を送りながら後部座席に座るのと同時に、付き人は後続車が来ないことを確認しながら運転席から出て空いている後部座席のドアのほうへとスッと歩いてそのドアに静かに手を掛ける。

 

 「母さん

 

 付き人が後部座席のドアを閉める寸前、俺は後部座席に座る母さんに声をかける。俺が何か伝えたいことがあると察した付き人は、半開きのドアに手を添えたまま制止して母さんに確認を取って閉めようとしていた後部座席のドアを再び開ける。

 

 「・・・目の調子はどう?

 

 最初は聞くつもりなんて全くなかったけれど、次に面と向かって顔を見るのがいつになるのか全く分からないと考えたら、最後にどうしても聞いてみたくなってしまった。

 

 「そうね・・・この5年10年で左目はほとんど見えなくなってしまったけれど、右目は変わらずピンピンよ

 「・・・そうか

 

 まだ視界だけはちゃんと残っている右目で辿るように、後部座席に座る母さんは顔を左側に向けて愛用のサングラス越しに俺の表情を捉えるようにハンデを負っている目の現状を話す。

 

 「もう、十夜は私のことなんか心配しなくたっていいのに」

 「心配はしてないよ。ただ、現状を知りたかっただけだから」

 「そう。でも、私は十夜が元気でいてくれたら、後は何も要らないくらい幸せよ」

 

 心配されていると感じ取られたのか、母さんは俺を安心させるために少しだけおどけて見せる。もちろん、心配なんかこれっぽっちもしていない・・・

 

 「“何も要らない”なんて言うなよ母さん。あんたにはこれからもあんたにしか創れない作品(モノ)でこの世界を彩ってもらわないと困る・・・」

 

 6歳のときに家族旅行で訪れていた真嗣(父親)の休暇先で不発弾の暴発事故に巻き込まれた母さんは、そのときに負った傷の後遺症で白と黒以外の色を失った。そんな“モノクロ”の視界に映る5年の月日が経った分だけ大人に近づいた俺を見て、この人が何を思い何を感じているかなんて俺には分からないし、はっきり言って分かりたくはない。

 

 「・・・“オレ”が役者になって色んな人間を演じ続けるようにさ

 

 

 それを“認めてしまう”と・・・過去を捨てていまここにいる“オレ”を殺すことになるから・・・

 

 

 「・・・ふふっ・・・そんな表情も出来るようになったのね?十夜?

 

 不意に心の奥から沸き上がりかけた感情に蓋をしてわざと“スターズの王子様”として自分の気持ちを伝えると、それを見た母さんは控えめながらも本当に心の底から嬉しそうに笑う。

 

 「“オレ”は役者だからね

 

 その心からの言葉に、俺は“一色十夜”のままで言葉を返す。

 

 「じゃあ、どうか元気でね。十夜

 「うん。母さんも元気で

 

 そして最後にもう一度“本当の自分”に戻って別れ際の言葉を交わして離れると、付き人は後部座席のドアを静かに閉めてやや早歩きで運転席へと戻り、静かにドアを閉めると母さんを乗せたプレジデントはそのまま姉さんと夫の千里さんの住む“城原邸”へと静かに走り去って行った。

 

 「・・・ご一緒にならなくてよろしかったのですか?十夜さん?」

 

 プレジデントが走り去った方向を見て立ち尽くす俺に、背後でずっと見守っていた藤井が声をかける。

 

 「あぁ。これでいい」

 

 気に掛ける藤井に、俺は何食わぬ表情(かお)で綽綽と返す。せっかく5年ぶりに会ったのだから、1日ぐらい家族水入らずを楽しんで過ごしたっていいじゃないかと言われてしまえばそれまでの話だ。

 

 「“オレ”の芝居に・・・・・・“俺”の心は必要ないからさ

 

 けれども俺とあの人たちの間を隔てている“”は、そう容易くは壊せない。

 

 「つーことで、オレらもボチボチ“おうち”に帰りますか」

 

 

 

 “オレ”が生き続けている限り・・・・・・永遠に・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピッピッ、ピッピッピッ、ピッピッピッ_ピッピッピッ、ピッピッピッ、ピッピッピッ_ピッピッピッ、ピッピッピッ、ピッピッピッ_ピッ

 

 「・・・・・・」

 

 誰かに押さえつけられているかのように重くなった瞼を目いっぱいの力を込めて半分ほど開け、半ば手探りの状態で午前4時半を知らせるアラームを止めてベッドの上で上半身を起こして座禅を組み、その体勢のまま再び目を閉じ1分間の瞑想に入り眠っていた脳を徐々に動かして、ゆっくりと目を開ける寝起きのルーティン。

 

 “・・・懐かしい夢を見たな”

 

 目を開けた瞬間、4時半にセットしたアラームに叩き起こされるまで見ていた18歳のときの“光景(ゆめ)”がバッと脳裏に蘇る。家族に縛られることを過度に恐れて、王子様という名前の“虚飾”で塗り固められていた18歳の自分(こども)。こうやって大人になった今になって思い返すと、アリサさんの元にいた頃の自分は本当に生意気で恥ずかしくて、それでいて愛しくも感じてしまう。

 

 “「昔を振り返る暇があるなら芝居に集中したらどうなの?“おっさん”?」”

 

 そして俺が(かつて)の自分を思い起こすたびに、心の奥でずっと飼い慣らしている霧生の制服を着た大人になる前の“オレ”が今の自分(おれ)に語りかけてくる。

 

 “「(まだまだ“お子ちゃま”なお前には、過去を振り返ることの重要さは分からない、か・・・)」”

 

 と、このまま話を進めると俺がただ単に頭がおかしい奴のように見えてしまうから言わせてもらうけど、これは俗にいうイマジナリーフレンド“その1”のようなものだ。ただし、このイマジナリーフレンドはフレンドにしては挑発的でいちいち当たりが強いのが玉に瑕だが。

 

 “「(けど、“大人”になるってことはそういうことだぜ?)」”

 

 ベッドの上で座禅の姿勢で座る三十路半ばの俺を“おっさん”呼ばわりして見下ろす制服姿の“オレ”に、心の中で話しかける。

 

 “「ったく、大人ってやつはどいつもこいつも都合の良いことばかりだな」”

 “「(それで気がまぎれるなら好きに言えばいいさ。そう遠くないうちにお前も分かるはずだから)」”

 

 “オレ”という奴が俺の心に住み着いた年月は、気が付いたら人生の半分を超えてしまった。もちろん俺が大人になるにつれて自分の中で変幻自在にコントロールできるくらいには飼い慣らせることが出来たが、今でも時折こうやって俺の身体から飛び出してくることがある。

 

 “「(ま、その瞬間に今度こそお前は俺の身体(こころ)から出られなくなるだろうけどな?)」”

 “「それで困るのはそっちじゃね?」”

 “「(ははっ、そうかもな)」”

 

 だけど偶にはこんなふうに“自由”に解放してあげるのもまた、役者という精神をすり減らす日常を送る中で自分を保つために重要なことの1つだ。

 

 “「・・・また“あの人”の夢を見たのか?」”

 “「(あぁ・・・また見ちまった)」”

 

 俺を見下ろす18歳の“オレ”が、あの人との夢をまた見てしまった自分に問いかける。

 

 “「人様に“大人とはこういうものだ”って偉そうに言ってるくせに、“おっさん”はまだ後悔してるんだね・・・・・・役者だったらいい加減捨てちまえよ、“そんなもの”・・・」”

 

 

 

 

 

 

 “『・・・ごめん・・・・・・泣いてもいいかな?わたし・・・』”

 

 

 

 

 

 

 “「(・・・いつまで経っても過去と決別することに固辞してる“王子様(おまえ)”には、一生分からないよ・・・)」”

 

 心の中で問いに答えると、“オレ”の姿はどこかへと消えていた。というか、結局これは早い話が昔の自分との対話という名の“自問自答”だ。

 

 “・・・後悔、か・・・

 

 “後悔”・・・あのときもっとこうしていればとか、もっとちゃんと向き合っていればとか、同じテーブルで同じ料理を食べたり休みが取れたら世界中の色んな場所に連れて行ってあげたり、もっと一緒にいる時間を増やしていたら・・・と、数を上げれば普通にずっと心に残っている後悔(もの)はいくつもある。そんな甘えは、芝居を生業にする人間にとっては最も邪魔な“贅肉”のようなものなのかもしれないが、“6年”が経とうとしても性懲りもなく俺は“この感情”を心に留めている。

 

 

 

 “『今日からよろしくね。十夜さん』”

 

 

 

 不意に“食卓同盟”を結んだ日の千夜子が、一瞬だけ脳裏をよぎる。“百城千世子”として世間がよく知る天使の笑みよりも可愛くて愛おしい姪っ子の悪戯だけど着飾らないありのままの笑顔(すがお)

 

 “・・・本当に似てるよな・・・千夜子(おまえ)

 

 もしかしたら俺は、あの人へのせめてもの“贖罪”のために千夜子の面倒を見ているのかもしれない・・・と、“あの人がいた”頃の記憶を夢で見るたびに思う。別に俺は神様の存在を信じているわけじゃないが、もしもこれが俺にとっての贖罪ならば、どちらの親にも似なかった千夜子の姿が大人へと近づいていくたびにまるで“生まれ変わり”のようにあの人とそっくりになっていくことも、俺と同じ道を選んだことによっていつかはお互いを“喰い合う”時が来てしまうであろうことも・・・

 

 

 

 

 

 

 “『・・・やっぱり・・・泣くんじゃなかった』”

 

 

 

 

 

 

 そして、千夜子が背負う必要のない“後悔”を背負ってしまったことも、全てはあの人と向き合う勇気がなかっただけの自分を認めきれなかった俺に科せられた“罰”・・・とでも言うのだろうか。

 

 

 

 “いいさ・・・それで千夜子の心が軽くなるならば、この俺が身代わりになっていくらでも神様からの“罰”を受け入れよう・・・

 

 

 

 大人になって過去を“認める”ことが出来た今なら痛いほど分かる・・・・・・“モノクロの視界”に隠されていたあの人(母さん)の悲しみと、“生まれ変わり”という言葉に隠されていた本当の想い・・・

 

 

 

 

 

 

 “『ほんとうに十夜は・・・一夜の生まれ変わりね』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・っとあぶね。千夜子にモーニングコールしないと」

 

 自問自答を終えて我に返った十夜は寝室の照明を付けながらスマホを立ち上げ、映画の撮影で1時間後にはマンションを出なければいけない“千世子”にモーニングコールの電話をかけた。




憬か蓮か十夜のうち誰を掘り下げようか悩みましたが、タイミング的に今しかないという理由で今回は十夜を掘り下げました。

これまで名前しか明かされていなかった十夜の母親にして千世子にとっては“おばあちゃん”にあたる真夜子が登場して、ざっくりとですが生い立ちも語られましたが、はっきり言って彼女と一色家の生い立ちはまともに掘り下げると一本の長編になってしまうくらいには濃ゆい感じなので、結果的に今回はダイジェストっぽくなってしまいました。ごめんなさい。

十夜、そして千世子を始めとした“一色ファミリー”の話については本筋の話と並行して徐々に掘り下げて行く予定ですので、多少時間はかかりますが楽しみにしてくれると幸いです。

というわけで物語は2018年に一瞬だけ戻りましたが、次回から本筋に戻るため再び2001年に戻ります。





人を責めずに、仕組みを責めよ


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scene.93 簡単なこと

ハミルトンがフェラーリ移籍・・・・・・マジすか


 「・・・目、閉じて

 

 メインキャスト同士で先ずは親睦を深めるためにと、お忍びでお台場へ遊びに行った日の最後に乗った観覧車。

 

 「・・・こう・・・ですか?

 

 その観覧車の中で、俺は“ぐっとっぱ”をして一緒のゴンドラに乗ることになった堀宮からキスをされた。もちろんそのキスは本心ではなくて、“不意にキスをされたときの表情がどんな感じなのかを見たい”という、劇中で純也から告白前にキスをされるときの雅の表情を知りたい堀宮なりの役作り。

 

 「・・・・・・もう、いいよ

 

 体温の感触が唇から離れ、暗闇の向こうで聞き慣れた声が聞こえてきて、俺は目を開ける。

 

 「・・・ごめん憬。びっくりした?

 「・・・蓮・・・なんでここに?

 

 だけど目を開けた視界の先で座っていたのは、堀宮ではなくて蓮だった。

 

 「だって、憬が連れて来たんじゃん・・・ここに・・・

 

 

 

 

 

 

 「ッ!!・・・・・・・・・夢か」

 

 親友に記憶を“置き換えられた”ことで心の動揺が限界に達した瞬間、俺の視界はゴンドラの景色から俺が住んでいるワンルームの天井に変わった。どうやら今さっきまで目の前に広がっていた現実は夢の中の出来事で、俺はベッドの上で横になりながら色々と考え事をしているうち寝落ちてしまったみたいだ。

 

 「・・・んだよ・・・今の」

 

 眠気が覚めて夢だったことを完全に理解したら、訳もなく独り言がこぼれた。悪夢を見た後とはまた違う、見てはいけないものを見てしまった後のような説明のつかない何とも言えない気まずい感覚。どっちにしろこういう夢を見た後の寝起きは、あまり気分は良くない。

 

 「・・・それは違うっつってんだろ」

 

 自分に言い聞かせる意味合いで、俺は自分自身に喝を入れる。こんな気まずい夢を見てしまった原因は、間違いなく一色から昨日言われた“あの言葉”のせいだ。

 

 

 

 “『サトルがレンちゃんに抱いてる“それ”は、“友情”なんかじゃない』”

 

 

 

 「はぁぁぁー・・・」

 

 一色から言われた言葉(こと)を思い出したら、自分でも引くほどの大きなため息が出てきた。あの王子の言っていたことが正しいとなれば、俺は蓮のことが・・・いや、俺はつい昨日まで雅を演じることになる堀宮のことを好きになろうとしていた。もちろんあくまで“役同士”としてだが。

 

 テレレーテレレテレレーテーテレレーレレー♪_

 

 そのとき、充電していた携帯が一件の着信を知らせる。

 

 「(どうせ“あの人”だろうな・・・)」

 

 カチャッ_

 

 『_おっはーさとる!今日の本読みよろしくね!_』

 

 「朝からテンション高ぇなこの人・・・」

 

 充電していた携帯を開くと、相手は案の定の堀宮だった。もうすっかり慣れたけど、この人のメールは基本的にテンションが高い。

 

 “『_はい。こちらこそお願いします。_』”

 

 とりあえず内容から察するに“恋愛モード”ではなく普段の“ビジネスモード”なのは分かったから、それを察した俺はひとまず普段通りに返信した。

 

 テレレー♪_

 

 “『_(^_-)-☆_』”

 

 「・・・はぁ」

 

 たまにめんどくさくなる先輩とのメールを終えて、普通に“めんどくさい”と思ってしまっている自分に対する溜息を吐き出す。つい一昨日まではこの人からのメール1つで心を高揚させることができるぐらいには完璧に感情を作れていたはずなのに、台本を渡され一色の術中に嵌り作り込んだ“感情”をぐちゃぐちゃにされてからは、すっかり心が高揚しなくなってしまった。

 

 “・・・でもなんで俺は堀宮(あの人)のことを疑おうとしなかったんだ?”

 

 そんな堀宮からのメールを閉じて、俺は再び考え込む。台本を読んだときの違和感といい、会えない中で好きという感情を途絶えさせないための“秘策”といい、よく考えてみればおかしい点はいくつかあった。なぜ俺はそれにずっと気づけなかった?結局のところ、あれからずっと寝落ちするまで自己分析を続けてみたけれど、答えは何一つ分からないままだ。

 

 “純也と俺の境遇は、ある意味でとてもよく似ている”

 

 ある意味、俺と純也の境遇は似ている。小さい時から仲の良い女子の幼馴染がいて、高校に上がっても変わらず親友の関係で仲良くやっている。でも俺は純也とは違って、蓮に対して“そういう”感情なんかは全く持っていなくて、ただ純粋に親友としてあいつとはずっと接してきたし、それはこれからも変わらずに続いていくつもりだった。

 

 でも、だからと言って心当たりが全くなかったわけじゃない。

 

 

 

 “『じゃあ・・・・・・繋いでみる?』”

 

 

 

 『ロストチャイルド』を観た後にあいつが仕掛けた即興劇(シミュレーション)。もちろん最初から最後まで芝居だったとはいえ、本当に一瞬だけど俺はあいつに“その気があるんじゃないか”と本気で勘違いした。今のところあいつから好きという感情を向けられたのはあの一回だけでおまけに芝居だったけれど、成す術なく騙された俺にとっては役者以前に親友として置いてかれてしまったかのようなショックがあった。

 

 

 

 “ただの親友、本当にそれだけか?

 

 

 

 「いや・・・親友に置いていかれるのは普通にショックだろ」

 

 それから春になって俺は蓮と同じ高校に進学して再びクラスメイトの関係になり、早くも俺たちはそれぞれメインキャストと助演で共演することになった。ただしメインは俺で、あいつは助演。

 

 

 

 “『もしも“親友”っていう存在がこれからもずっと女優を続けていく私にとって邪魔な“障害物”だとしたら・・・・・・私は親友なんていらない』”

 

 

 

 寮の近くにある公園で待つ俺の前に現れた見慣れないショートヘアの蓮が言い放った、“ライバル”としての宣戦布告。でもそれが本当の覚悟ではなくて、先輩女優からちょっと挑発されただけで揺れるぐらいの強がりだと分かった、数日後の昼休み。俺はまだあいつとの距離は思っていたほど離されていなかったことを知った。

 

 

 

 “『うん。私は全然大丈夫』”

 

 

 

 だけれどそれも束の間、堀宮との“二手勝負”をきっかけに自分が演じることになっている凪子のようにまたひとつ心が強くなったあいつを見て、再び距離が開いてしまったことを知った。俺が一歩を進むごとに、あいつもまた一歩、二歩を進んでいるという、距離が縮まりそうで縮まらない感覚。

 

 

 

 もしかしたら俺は、蓮のことをもっと分かりたくて、いつまでも蓮にとって一番近いところにいたいから、芝居をしているあいつが前に進んでいく姿を見て、俺もまた芝居で進み続けているのだろうか・・・

 

 

 

 “『サトルさ、いま完全に“レンちゃん”のこと意識してるでしょ?』”

 

 

 

 「・・・じゃあどうしたらいいか教えてくれよマジで

 「おっす夕野っち」

 「!?・・・新井?何でここに?」

 「夕野っちこそどうした?さっきからずっとぶつくさ1人で喋ってたけど?」

 「あぁ、これは・・・独り言」

 「独り言にしちゃすげぇ長くね?ひょっとして熱ある?」

 「いや、多分平熱」

 「多分かい

 

 急に部屋のドアのほうから声がして顔を向けると、どういうわけか新井がいた。そして新井の顔を見た瞬間、自問自答にのめり込みすぎて我を忘れ誰もいない壁に向かって独り言をずっと呟いていたことに気付いてどっと恥ずかしさが込み上げる。

 

 「それよりみんなもう1階(した)で朝飯食べてるぜ?」

 「マジで?もうそんな時間?(そういや目覚ましかけたっけ俺?)」

 

 ちなみに新井はいつまで経っても下に降りて来ない俺の様子を見に来たらしい。ふと枕元の目覚ましを見ると、いつの間にか朝食を食べる7時を過ぎていた。ついでにどさくさに紛れて目覚ましのアラームのセットをし忘れていたけれど、もう起きた以上はどうでもいい。

 

 「悪い。仕事のこと考えててボーっとしてた」

 「ボーっとしてた割にはご乱心に見えたけどな?」

 「いやあれは」

 「にしても基本ポーカーフェイスな夕野っちでもあんなに“おかしくなる”ことってあるんだ?」

 「“おかしい”って言うな」

 

 とにかく俺はいま、役者になってから一番と言ってもいいくらいに取り乱しているのかもしれない。そりゃあ一色から顔合わせと本読みの前日に“あんなこと”を言われたら、こうなるのは無理もない。

 

 「ああそうだ、今までずっと言ってなかったけど俺も出ることになってるから。夕野っちが出るあのドラマ」

 「・・・・・・マジ?」

 「大マジ。ずっとバレないように隠してたけど台本も貰ってる。ちなみに“奥田(おくだ)”な」

 

 と、本番までに解決すべき問題を考えているうちに完全に取り乱していた自分を恥じて冷静になったところで、今度は新井がいきなり曇りひとつすらなさそうな満面の笑みで『ユースフル・デイズ』に演者で出ると打ち明けた。

 

 「そっか・・・じゃあ今日からよろしく」

 「え、反応薄っ・・・結構びっくりすること言ったつもりだったんだけど俺?」

 「大丈夫。驚いてはいる」

 「完全にうわの空にしか見えないんですが・・・?

 

 けど正直、心境的にはそれどころじゃないから新井が共演者になるということにはあんまり驚けなかった。

 

 「どうせ言うなら今日の本読みまで黙っておけば普通に驚いたのに」

 「うわ~そっちのパターンかぁ~・・・はぁ、ったくこういうところがあるから俺はチャンスを掴めないんだろうな」

 「そんなことないから安心しろ」

 「で?さっきは何でぶつくさ壁に向かって喋ってたん?」

 「マジで何でもねぇから気にすんな」

 

 ひとまず腹が減っては戦も出来ないから、俺は様子を見に来た新井の後に続いて自分の部屋を出て、寮母さんが作ってくれたバイキングが用意されている1階へと足を進める。

 

 「・・・まぁよく分かんねぇけどあれだ。芸歴だけは先輩の俺から言えるのは、“メインキャスト”だからって必要以上に気張る必要はないってことよ」

 

 その途中の階段で、前を歩く新井は背中を向けたままいきなり真面目な口調になってアドバイスを始める。声のトーンからして、役作りが上手くいっていないことで俺が取り乱していたことには様子を見ただけでとっくに気が付いているみたいだった。さすが、子役から芸能界で仕事をしているだけあって勘は鋭い。

 

 「“どんな形”であれ、せっかくメインの大役を勝ち取れたんだから、もっと馬鹿になって楽しもうぜ。夕野っち?」

 「・・・新井お前」

 「おっと、言っとくけど俺は何も“知らねぇ”から夕野っちが聞いたところで無駄だぜ?

 「・・・おう

 

 振り返ることなく、新井は俺にエールという名のアドバイスを送る。実際に新井はどこまであの“オーディション”の実情を聞かされているのかは、はっきり言って本人の口からカミングアウトされるまでは聞くつもりはない。

 

 「馬鹿になって楽しむ・・・か

 

 けど、新井は裏事情を知っていてもなおも本心から今日から始まるメインとそれ以外の“駆け引き”を純粋に楽しみにしている。

 

 「そう。馬鹿になって楽しむ・・・・・・役者だったら“簡単なこと”だろ?

 

 

 

 “『“俯瞰型だろうと憑依型だろうと“やるべきこと”は同じ”・・・これ、“超重要”だから・・・』”

 

 

 

 「・・・あぁ。そうだな

 

 そんな前を歩く新井からのアドバイスでふと一色から言われた言葉を思い返してみたら、昨日からずっと1人で考え込んでいた時間は何だったのかと思うほどの勢いで、ひとつの“結論”が頭の中で思い浮かんだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 今日は5月15日。夕方にテレビ局の会議室で控えるドラマ『ユースフル・デイズ』の第一話の読み合わせが始まり、撮影に向けて一気に動き出していく。脚本が中々届かない状況でも自分なりの役作りを各々続けて、メインキャストの俺たちはついにこの日を迎えた。この1,2ヶ月、俺は身体も心も純也に近づけるため、やれるだけのことをやってきた。後は、本番に向けて最終調整・・・

 

 「・・・夕野っち?」

 「?」

 

 したいどころか、本読み前日に俺が地道に立てていた“プラン”は全部ひっくり返った。

 

 「相変わらず緊張しちゃってる?」

 

 通い慣れ始めた高校の昇降口で靴を履き替えI組の教室へ歩く俺を横目に、隣を歩く同じクラスの新井がいつもの調子を装いながら気に掛ける。

 

 「緊張・・・そりゃあ多少ね」

 

 

 

 “『馬鹿になって楽しむ・・・・・・役者だったら“簡単なこと”だろ?』”

 

 

 

 「けど・・・どうにかなると思う

 

 気に掛けてきた隣を歩く新井に、俺は強がりでも何でもない本心の自信を伝える。

 

 「てか、どうにかなってこその“メインキャスト”様だけどな?」

 「さっきから俺を緊張させたいのか落ち着かせたいのかどっちなんだよ?

 

 でも実際に、“どうにかなる”やり方は少しだけ考え方を変えてみたら意外にも容易く思いついた。それは今まで俺が役者としてやってきたことと同じことだった。

 

 

 

 Q. もしも相手がレンちゃんじゃなかったらサトルはここまで怒らなかった?

 

 A. YES

 

 

 

 「まぁ、ここまで来たらやってやるけど

 

 俺は蓮のことが好きだ。もちろん親友として好きなのは当たり前だけど、同時に“異性”としても好きだ・・・というこの気持ちを認めること自体は、自分の気持ちに気付いてしまった今の俺ならきっと簡単なことで、この好きという感情を素直に受け入れたら心は幾分かは軽くなるかもしれない。

 

 「おっ、いいねぇスイッチ入った」

 「唐突にロボットか俺は?」

 

 だけど俺は、この“好き”という気持ちを認めたくない。受け入れたくもない。その理由はただ一つ、これを受け入れ認めてしまったら最後、蓮とは二度と親友には戻れなくなってしまうことを分かっているから。現実で恋愛はしたことなんてないけれど、“彼氏と彼女”という関係は親友という関係に比べると脆くて不安定なのは、原作を読んで学んでいる。もちろんそれが恋愛の全てじゃないのだろうけれど、俺は“いまの関係”を捨ててまで蓮と近い存在になりたいとは思わない。

 

 「新井こそ準備は出来てんのか?台本読んだ感じだと奥田って1話からちょいちょい出番ある役だけど」

 「余裕よ。何せ俺はやるときはやる男だからな」

 「それはまた随分と自信がおありなことで」

 

 でも、親友だからと今までのままで居続けようとした結果、俺は未だにあいつの隣に立てないでいる。あいつが突き放そうと走る度に俺も“ライバル”になって追いついてみても、追いついたら追いついたであいつは突き放すように走り始める。その繰り返しがこれから続いていくのは、ライバル以前に親友としてあいつに並べられていない気がして、それはそれで嫌だ。

 

 「自分に自信がなかったら今でも続けてねぇよ。役者なんて

 

 そして俺が縮まらない距離を前に足踏みをしている隙に、違う役者(誰か)がヒロインになったあいつの隣に俺より先に立ってしまうのは・・・もっと嫌だ。

 

 

 

 “『次はちゃんと“カメラの前”でこんなふうに芝居が出来たらいいよね・・・私たち?』”

 

 

 

 あいつにとっての“主人公(ヒーロー)”になりたい俺と、ただの“親友”のままでこれからも変わらずにいたい俺。どっちもまごうことなく本心で、出来ることならその両方を叶えたいとさえ思ってしまう。だけど友情と恋愛を両立することなんて無理な話で、どちらかを得るにはどちらかを捨てなければいけないという究極の取捨選択。そんなの、容易く決められるわけがない。

 

 

 

 “『サトルこそいい加減受け入れろ・・・・・・じゃないと“お前”はただ一人置いてかれるぞ?』”

 

 

 

 結局俺は、そのどちらかを決めることさえ出来ず、一日経っても心はアタフタして惑い続けている。でもそれは、純也も雅に対して同じように感じていた。雅と新太が仲良く話しているところを見て、“それ”を自覚して、だけど2人との関係は壊したくなくて、人知れず悩みに悩んだ末に、3人で仲良く“友達でいよう”という選択をする。そして純也は友達という関係が保たれたことに安堵をするが、完全には受け入れ切れないまま1年が過ぎて、“4人”の物語が始まる冒頭へと繋がる。

 

 

 

 “『“オレたち”にも・・・“親友”のレンちゃんにも・・・』”

 

 

 

 純也が抱えていた“好き”という感情は、ただの疑似体験で作り上げた恋愛感情じゃ到底辿り着けない、想像していた以上に辛く苦しいものだ。そして俺はいま、堀宮と一色による“策略”を通じてようやく本当の意味で雅に対する“好き”という感情に辿り着いた。もちろん、 “こんな形”で気付きたくなんてなかったけれど、おかげでようやく純也の気持ちに気付くことができた。ならば役者として“やるべきこと”は、もう分かっている・・・

 

 

 

 

 “『あたしが演じる雅のこと、本気で“好き”になってよ』”

 

 

 

 いま抱えているこの感情をそのまま純也に落とし込んで、雅のことをもう一度“好き”になる・・・・・・そうやって役の感情を読み取ってきた俺にとっては、“簡単なこと”だ・・・

 

 

 

 「おーい、聞いてんのか夕野っち?」

 「?あぁ悪い、何か言った?」

 

 不意に肩をとんと叩かれ、俺は現実に戻る。俺としたことが、またボーっと我を忘れてしまっていたみたいだ。案の定、何か言っていたのは何となく意識の片隅で把握はしていたけれど、そのまま聞き逃してしまった。

 

 「いや、何でもねぇ」

 「そっか・・・ごめんな朝っぱらから色々」

 「気にすんな夕野っち。やっぱメインは何かと注目されるから、集中したいってのは俺も分かるよ」

 

 罪悪感から謝る俺を、新井は何も気にしていないと言わんばかりに気さくな態度で気遣う。そういえば初めての撮影現場だった月9のときも、こんなふうに新井から励まされたことがあった気がする。

 

 「ありがとう・・・今日から“ライバル”になるけど、こういうときに励まされると本当に心強いわ」

 「ライバルだとか関係ねぇよ夕野っち。一緒に“最高の思い出”作ってこうぜ」

 「・・・おう」

 

 気を取り直して感謝を伝える俺の背中を、新井はエールと一緒に軽く叩く。気が付いたら、I組の教室はもう目の前まで近づいていた。

 

 「うぃーす」

 

 機嫌よく教室へと入って行く新井に続いて、俺は無言で教室の中へと入り新井と同じように自分の席へと足を進める。

 

 「おはよう憬」

 

 席に着こうと教科書など諸々が入ったリュックを机の上に降ろした俺に、ちょうど左隣の席に座る蓮がいつもと変わらない調子で声をかける。

 

 「おはよう、蓮・・・」

 

 既に教科書の類を机の中にしまい込んだであろう蓮を横目に見ながら、俺もまたいつもの調子で・・・

 

 

 

 “・・・あれ?(こいつ)ってこんなに可愛かったっけ?

 

 

 

 「ん?なにフリーズしてんの?」

 「いや、何でもない」

 「ホントに?」

 「“ホントのホント”だわ」

 

 隣の席に座る親友から怪訝な顔をされて、俺は無意識のうちに蓮の表情を凝視したまま“フリーズ”していたことに気付いて、平然を装いながら座る。

 

 「・・・・・・怪しい」

 

 だが時すでに遅しか、蓮は早速疑い始めて座ったまま隣に座る俺のことを凝視するようにじっと見つめる。

 

 「何が?」

 「だって、どっからどう見ても様子が変だし」

 

 怪しむ視線に、“謎の動揺”を悟られないように目を合わせる。つい昨日までは何とも思っていなかったのに、目が合った瞬間に今まで感じたことのない独特な緊張が走る。

 

 「別に、いつも通りだろ」

 

 その緊張に耐えかねて、素っ気なく返答して視線を黒板のほうへと向けて気分を落ち着かせる・・・って、さっきからどうした俺?なんで蓮と普段通りに接しているだけなのに緊張しているんだ?俺?

 

 「・・・“いつも通り”にしては、さっきから妙によそよそしくない?

 

 視線を逸らしてしまった俺の隣で、蓮は少しだけトーンを落として一気に問い詰めてくる。そのほくそ笑むようなニヤリとした視線と表情に、俺は再び横目で視線を合わせる。

 

 「・・・何だよ」

 

 まず大前提として(こいつ)は小学校でも中学校でも常にクラスの中心にいた“マドンナ”的存在だったから、“可愛い”のは当たり前だった。でも俺の中にある認識ではこいつの良さはただ可愛い以上に“”があることで、そもそも俺がこいつと仲良くしようと思えたのは外見ではなくてこいつの内面と俺の波長が合ったことだ。だから俺はこいつに対して、シンプルな意味で“可愛い”と思ったことは一度もなかった。

 

 そう。一度もなかった・・・

 

 

 

 “『憬が連れて来たんじゃん・・・ここに』”

 

 

 

 「・・・憬」

 「悪い。俺ちょっとトイレいくわ」

 「ちょっ、このタイミングで行く普通?」

 「リュック背負ったまま行くのは嫌だろ」

 

 夢の中にいた蓮の姿が脳裏に浮かんで、俺は堪らず一旦気持ちを落ち着かせるために席を立ちトイレへと早足で向かう。もちろんトイレに行きたいのは嘘じゃなくて、本当だ。

 

 「環さん。夕野っちのやつ、今日“あのドラマ”の本読みあるらしくて朝からすっげぇ緊張してるっぽいから、今日はそっとしといたほうがいいぜ?

 

 教室を出る間際で、新井が蓮につかさずフォローを入れているのが微かに聞こえてきた。多分内容からして、変な誤解はされないで済むだろう。と、信じたい。

 

 「夕野さんおーはー」

 「あっ、おはよう初音さん」

 「多分もうすぐHR(ホームルーム)だけどどこいくの?」

 「ちょっとトイレ」

 「遅れないようにねー」

 

 その途中で新井と一緒に何かとクラスで話す機会の多い初音からすれ違いざまに話しかけられて軽く答えながらいなして、半ば駆け込むようにトイレに入りとりあえず洗面器で顔を洗い深呼吸をして、鏡に反射(うつ)る自分の顔を凝視してみる。

 

 “・・・なんつー表情(かお)してんだ、俺”

 

 鏡の前に反射っていたのは、雅への気持ちを抑え込んで友達のままでいようとしていた純也が1人になるときに見せる綻びと、全く同じ表情をしている俺の姿・・・

 

 

 

 “『サトルがレンちゃんに抱いてる“それ”は、“友情”なんかじゃない』”

 

 

 

 「・・・ぶっ壊れたら責任とれよ・・・・・・一色

 

 親友のままでいられるはずだった蓮との関係を壊してしまう“爆弾”を置いていかれた怒りと、純也というキャラクターの本質をようやく掴むことができた喜びが同時に襲い掛かってきてキャパオーバーしかけた心を、鏡の向こうにいる自分を一色に見立てながら静かに解放して、寸でのところで自我を保つ。

 

 

 

 “やっぱりこの感情(想い)を完全にコントロールするのは・・・・・・“簡単なこと”じゃないな・・・

 

 

 

 キーンコーン_

 

 「やばっ」

 

 廊下のほうからHR(ホームルーム)の時間を告げるチャイムが聞こえ、俺は走り幅跳びの練習で鍛えた脚力をフルで使った全速力のダッシュで教室へと戻った。




やるべきことは、ひとつだけ_



勘が鋭い人はもうお分かりかもしれませんが、時系列的な意味で景ちゃんがようやく生まれました。と言っても、過去の視点での話ですけどね・・・・・・はい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【人物紹介】

・新井遊大(あらいゆうだい)
職業:俳優
生年月日:1985年6月14日生まれ
血液型:AB型
身長:168cm


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scene.94 脚本家の慮り

早バレ、ダメ、絶対。


 『次は、お台場海浜公園です。The next station is Odaiba-kaihinkōen_』

 

 5月15日。7月から火曜10時枠で放送されるドラマ『ユースフル・デイズ』の初顔合わせを兼ねた第一話の読み合わせに向けて、このドラマの脚本に大抜擢された高円寺の小劇場を拠点に活動する劇団・“エニグマの慟哭”の劇作家でもある青年、草見修司は自身が執筆した台本の最終稿やメモ用のノートなどを詰めたリュックを背負い、この後に本読みが行われるテレビ局へと1人で向かっていた_

 

 

 

 

 

 

 「(・・・意外と綺麗なんだな・・・ここから見る景色・・・)」

 

 顔合わせと読み合わせが行われるお台場のテレビ局へと向かう途中、まばらに乗客が乗っているゆりかもめがレインボーブリッジのループを抜けて吊橋部に差し掛かり、寄りかかるドア越しから並行する道路のトラスの向こうに見える都心と海に目を向ける。眺めはお世辞にもあまり良いとは言えないがやたらと天気が良いからか、コンクリートジャングルと東京湾のコントラストが何だか心地よい。思えば脚本のオファーが正式に決まってからの1ヶ月は執筆に専念する関係で主宰の数多(あまた)さんから休みを貰い、そこからは部屋に籠ってひたすら脚本を書いて原作者に送るという作業に追われて、はっきり言って空を眺める余裕すらないくらいだった。そのせいかこういう何気ない東京の風景ですら軽く感動を覚えてしまうくらいには、今の僕の感受性は有り余っているみたいだ。

 

 「(これぞまさに、“青天の霹靂”・・・・・・いや違うか)」

 

 車窓に映るブリッジの向こうに広がる景色を見て、心の中で人知れず上手いことを言いかけて、そんな自分をすぐさま恥じて現実に戻る。正直僕としては、第一話の脚本が3度の修正の末に原作者から“はなまる”を頂けた余韻をもう少しだけ味わいたいところだが、如何せん舞台の稽古とは“時の流れ方”というものがまるで違う連続ドラマの制作現場なだけあって、いつものペースで事を進めるわけにもいかず、明日までには第二話の第一稿を完成させて原作者に送らなければならない。

 

 “ただし、肝心のその第一稿はまだ締め切り前日であるにも関わらず半分ほどしか完成していないという有り様・・・

 

 「(丸4日掛かった量を明日までに・・・・・・今は考えないでおこう)」

 

 ひとまずまだ完成していない第二話の脚本のことは本読みが終わってから考えることにして、僕は再び視線と意識を車窓へ向ける。

 

 

 

 

 

 

 “『君が草見修司くんだね?』”

 

 始まりは2月に拠点の劇場で行った公演の千秋楽終わりでのこと。カーテンコール、そして壇上を原状復帰したのちに通い慣れた飲み屋で2時間弱ほどの打ち上げと反省会を挟んで解散して1人でアパートへの帰り道を歩いていたとき、僕はスーツを着た背の高い男に背後からいきなり話しかけられた。

 

 “『・・・どうして僕の名前を?』”

 “『それよりも先ずは草見修司くん。君がいる劇団でもある『エニグマの慟哭』はまだ旗上げから5年ながらも演劇界では“センセーショナル”と評され大いに注目されていると聞いている・・・そしてこの劇団が表現する演劇とやらは、主宰の由良木数多(ゆらきあまた)が表現する常人には到底理解できない不条理とユーモアに満ちた世界観を脚本家の君が“シナリオ”という形で完璧に補完することで舞台として成立させている・・・もちろん主宰の抱えている“狂気”を芝居という形で昇華する演者も含めてエニグマの慟哭という唯一無二の世界観を表現するには必要なピースだが・・・・・・その中でも君はまさに劇団にはなくてはならない頭脳(ブレーン)』”

 “『・・・なるほど。いきなり呼び止めた事情は分かりませんが、要するにあなたはこの僕をスカウトしに来た、ということですか?』”

 “『よくぞご存じで』”

 “『その出で立ちと語り口、それとあなたから出ている“オーラ”で何となく分かりますよ・・・プロデューサーでしょ?』”

 

 ほんの一瞬だけ不審者か自分が得体のしれない何者ではないかと錯覚している異常者だと仮定して身構えてみたものの、僕のいる劇団の話題を一方的に話し始めたところで“この人”が芸能関係かあるいは映像作品関係のプロデューサーだというのは、雰囲気で分かった。補足をしておくとこれは生まれ持った超能力ではなく、物心がついたときからの趣味の1つである“人間観察”を経て気が付いたら習得していた下らぬ特技に過ぎない。

 

 “『えぇ・・・いかにも』”

 

 こうして相手の正体を言い当てた僕に、スーツ姿のプロデューサーはニヒルに笑いながら一枚の名刺を差し出した。彼の名前は、上地亮。テレビドラマや映画を中心にメガヒットを次々と生み出している大物プロデューサーとして度々テレビでも名前を聞いていたから、実物こそ初見だったが名前だけは既に知っていた。

 

 “『それで、あなたのような著名人が僕のような“無名の劇作家(アウトサイダー)”に何か用でも?』”

 “『用があるから君に声をかけたのさ・・・“アングラ”も“メイン”も関係なく、僕は10代という多感な少年少女だけが持つ“青い醜さ”を表現できる脚本家(ライター)をずっと探していた・・・』”

 

 無論、“山勘”でプロデューサーであると見抜いていた僕は、この男の話を疑わずに聞き入れた。

 

 “『草見修司くん・・・・・・君が持つ才能、是非とも映像の世界でも発揮させてみないかい?』”

 

 そんな帰りの夜道で僕に話しかけてきたプロデューサーの男が持ち掛けてきたオファーたるものが、今回のドラマの脚本だった。厳密に言えばこの男が僕と同じように声をかけた人間は僕を含めて複数人いて、要はオファーはオファーでもオーディションの要素を含めたものだった。

 

 “『・・・どんな作品を作るつもりですか?』”

 “『4月に僕らのほうで情報を解禁するまで絶対に口外しないことを約束して欲しいんだけど・・・守れるかい?』”

 

 口外しないことを条件に、上地さんは『ユースフル・デイズ』が7月にドラマ化するという話を僕に打ち明けた。

 

 “『・・・分かりました』”

 

 その中身はともかくとして、僕は直感でこのオファーを受けてみることを決めた。正直なところ舞台演劇が好きだから劇作家をやっているところもあって、今いる劇団で“板付作家”として活動している現状は確かに至福ではあったが、それ以上に“1人の脚本家(にんげん)”として単純に生きていきたいとも思っていたから、内容は二の次で引き受けることにした。

 

 “『と言いたいところですが、僕からも二つほど条件をつけさせてもらいます。それを受け入れるのであれば引き受けましょう』”

 “『もちろん何でも言ってくれ・・・どんな条件だろうと、僕は文句を言わないから』”

 “『・・・では先ず一つ目として、主宰の数多にだけは今回の件について話させてください・・・そして二つ目は・・・・・・僕の脚本(シナリオ)があなたの心に通用したときに、改めてお話します』”

 “『・・・いいねぇ・・・やはり僕の想像していた通りだ』”

 

 ただし、オファーを引き受けるにあたって僕のほうからも条件を付けさせてもらった。

 

 “『ともあれ、これにて“オファー”は成立だ。ここから先の結末は草見くんの頑張り次第だけどね?』”

 “『・・・はい』”

 

 こうして奇しくも利害が一致した僕は、大物プロデューサーが持ち掛けてきた“オファー”たるものに乗っかることにした。

 

 

 

 

 

 

 『まもなく、お台場海浜公園、お台場海浜公園です。出口は右側です_』

 

 

 

 

 

 

 “オファー”として与えられた課題は、ドラマ『ユースフル・デイズ』の第一話にあたるシナリオを自分なりに考えて提出するというものだった。とはいえ流石に原作が存在するだけあっていくつか制約はあり、シナリオを書く上で定められた条件としては、第一話のシナリオは原作者の逢沢(あいざわ)さんが直々に指定した範囲内のエピソードを消費したものであること、逢沢さんが指定した部分は原作通りの台詞(もの)を使用すること、登場人物の設定や人間関係は改変せずにそのままシナリオに反映させること・・・とした上で、各々が元となっている原作のシナリオを脚色していくというものだ。舞台演劇一筋の僕にとっては映像化することを前提とした脚本を執筆すること自体が初めてだったことに加えて、自分で考えたオリジナルと数多さんの頭の中で浮かんだ未完成なアイデアをト書きと台詞に起こすことしかしてこなかったから、既に完成されたものを台本として作り上げる作業(こと)自体が初めての経験だった。

 

 “『上地亮のところへ行くと言うのか・・・貴様は?』”

 “『まだ決まっていませんが、審査が通れば恐らくは約半年ほど・・・出来れば暫くの間はそれに専念させて頂こうと考えています』”

 “『そうか・・・・・・草見修司・・・貴様は、何のために生きとし生ける?』”

 “『無論、行く行くは“1人の人間”として自らがこの世界に存じた証を示すつもりです・・・』”

 “『・・・・・・分かった・・・事が済むまでは貴様の好きにすれば良い。他の団員(ものたち)には私から事を伝えておく・・・』”

 “『心遣い感謝します。数多さん』”

 “『気にすることはないぞ、草見修司・・・・・・我々も、世紀が次に進んだように次なる章へと進まねばならないからな・・・』”

 

 無論、上地さんに出した条件の通り数多さんには事前に話をつけた。いくらこの僕を作家以前に人として信頼してくれている数多さんと言えど納得して貰えるかは不安ではあったが、最終的に僕の我儘を許してくれるばかりか脚本執筆に専念するため“お暇”まで貰うことができた。僕がエニグマの慟哭(この劇団)に固執しているわけではないことを理解している数多さんにとっても、僕にばかり頼っていては劇団の未来がないことは重々理解しているからこそ、自由を利かしてくれた。仲間を蔑ろにしている、そう捉えられても仕方のないことをしているのかもしれないが、僕自身には後悔もなければ罪悪感もない。その程度のことで心が揺らぐ人間に、由良木数多という“狂人(おとこ)”の右腕は務まらない。

 

 

 

 

 

 

 『お台場海浜公園。お台場海浜公園_』

 『まもなく、2番線に、新橋行きが_』

 

 

 

 

 

 

 僕は脚本を書く上で、ひとつだけ決めていたことがあった。そのために僕は原作が連載されていた1996年からドラマ版の2001年という時代設定の変更やより登場人物の心情と行動に現実性を持たせるために場面を細かく脚色しつつも、シナリオにおいてはあくまでストーリーの補完のみに絞り忠実に原作を再現するように原作のコマからカット割りを逆算してト書きを作り、最終的に自分の中でも完璧な原作再現となる第一稿を作り上げた。無論何もかもがゼロの手探り状態で始めたこともあり、上地さんの元へと送れたのは締め切りの前日になった。

 

 正直、最初は思い切って許されるかどうか際どいところまで脚色してやろうかとも考えていたが、原作の漫画を全巻読破してそれが間違いだということは改変しようのないほどに完成された“素材”が教えてくれた。原作が存在する脚本となると、恐らく元の素材からどうやってオリジナリティを出そうとするかばかりを考えようとする連中は少なくないだろう。確かにそれは無理もない話で、例えば原作の話を一字一句全て原作通りに書けと言われたら、僕らは何のために脚本を書いているんだという話になる。無論、自己のオリジナリティを出していくことを僕は否定しない。だが中にはそこで“原作ありき”の脚本において肝心なところを飛ばしていきなり脚色しようとする馬鹿も、きっと現実には一定数いるのだろう。僕自身は声を大にしてそれを言えるほど偉い立場ではないから主張はそっと心にしまっておくが、少なくとも僕は『ユースフル・デイズ』の原作が素人目で読んでも完成されていることが分かるストーリーだったからか、そういう馬鹿げた類の気持ちは微塵も感じなかった。寧ろ原作として既に完成して世に送り出されたシナリオを、いかに崩さずに自分の色に染め上げることが出来るか、それこそが原作ありきの脚本を書く上で重要なことなのではないか・・・と僕は第一稿を書き終えてみて感じた。ただしこんなものは所詮、“他人(ひと)のため”にしか脚本というものをこれまで書いて来なかった22の無名な劇作家(ものがき)が偉そうに能書きを垂れているに過ぎない、そんな価値でしかない参考になんてなりはしない下らぬ結論のようなものだ。

 

 

 

 “『おめでとう草見くん・・・満場一致で、君の書いたシナリオに決めたよ』”

 

 

 

 ただ今回のドラマに関して言えば、僕が辿り着いた考えが正しかったようだった。

 

 

 

 

 

 

 『1番線、有明行き。扉が閉まります_』

 

 

 

 

 

 

 “『それで早速なんだけど、草見くんが言っていたもう一つの条件は何だい?』”

 

 “君に決めた”という上地さんから直接携帯に掛かってきた電話で静かに喜びを嚙みしめるのも束の間、上地はオファーを受け取ったときに約束をしていた“条件”の話を僕に持ち掛けた。

 

 “『そうでしたね・・・ちゃんと覚えてくれていたあたり、あなたのことを信用して正解だったみたいです』”

 

 無論ながら僕の提示した二つ目の条件も上地は引き受けてくれたことで、僕は正式にドラマ『ユースフル・デイズ』の脚本家として選ばれた。

 

 “『では草見くん。君には早速、ある場所へと向かって頂こうか・・・・・・是非とも君と一度会ってお話したいという方がいるからね・・・』”

 

 選ばれたのは良いが、大変だったのはここから第一話の最終稿が完成するまでの1ヶ月間だったのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 『次は、台場です。The next station is Daiba_』

 

 お台場海浜公園駅を出てすぐに、下車する駅を車内放送のアナウンスが告げる。つい先ほどまでトラックやタクシーと並走しながらブリッジを渡っていたはずの窓の外には、10年前まで“陸の孤島”も同然だった新都心にそびえる比較的新しいビルが流れ、直後に視線の先を覆い尽くすように大きなビルが車窓に入る。

 

 「(・・・ここか)」

 

 この中で僕はこの後、生まれて初めてドラマや映画を主戦場としている役者たるものの芝居を初めて同じ空気で体験することになる。当然ながら僕は“演劇バカ”にはならないように日頃から暇が出来ればドラマや映画は普通に鑑賞してきているから、目の前に座る観客を対にする演劇に求められる“1対100”の芝居と、画面の向こうに座る観客を対にする映像に求められる“1対1”の芝居の違いも自分なりに理解しているつもりだ。メインに選ばれたキャスト4人はプライム帯ながら僕よりも若い10代という年齢で構成されている若さ故の不安要素はあるが、いずれも“1対1”の芝居を基本としている映像演技を主軸としている上、4人とも演技においては少なくとも及第点以上の領域に達していることは事前にその4人の出演した作品を鑑賞し、心得ている。

 

 “・・・だが、この4人が同じ“場所”に立ったとき、何が起こるのかは未知数・・・というところか”

 

 まず前提として、星アリサの芸能事務所・スターズに所属している一色十夜と永瀬あずさに関しては大きな心配はないだろう。一色十夜は演じ分けではなく本人の個性を前面に押し出した所謂“主役の芝居”を武器としている典型的な主演俳優だが、同時に場面によっては相手を目立たせる芝居も難なくこなせる器用さがあるのは彼の初主演作となったドラマで把握している。ドラマ自体の演出による力もあるが、彼は芸歴1年目の時点で場の空気を読みそれを自在にコントロールすることでより自分を際立たせるという術を使いこなしていた。要は役作りをせずともただ周囲の雰囲気だけを読み切って芝居をするだけで成立させてしまう“本当の天才”である上に、同世代の役者の中ではあの牧静流を超えるとも言える世間からの注目度を持っていてスター性も申し分ない。もう一人の永瀬あずさは他の3人と比べると実力自体は最も低いが、あくまでそれは現時点での話に過ぎず、彼女が注目されることとなった連続テレビ小説では後半からの登場ながら話が進むにつれて右肩上がりに演技力が向上していったように、役者としての成長速度は目を見張るものがある。今のところ一色十夜のように才能だけで芝居を成立させられるようなカリスマ性こそ感じないが、真面目な“努力家”であろう彼女は今回のような同世代の役者との共演を転機に次の段階へ化ける可能性は十分に秘めている。

 

 「(それにスターズは所属タレントへの教育も徹底していると噂で聞いている・・・となると・・・)」

 

 一方で、この手の芸能事務所としては珍しく演技派の俳優に重きを置いているカイ・プロダクション所属の2人は、その例に漏れず同世代の中でも特に演技面で注目されている。そのうちの1人、堀宮杏子は去年シェアウォーターのイメージガールに選ばれたのを境にドラマや映画で次々とメインを演じるようになりブレイクした“新進気鋭の女優”のように世間では思われているが、実際は子役時代から地道に芝居を磨き続けて昨今のブレイクに至った苦労人だ。そんな彼女が約10年の“下積み”を経て得たものは、清涼飲料水がよく似合う爽やかな清純派の雰囲気に反した演じる役柄に入り込む憑依型の芝居で、それでいてどのような作品でも違和感なく溶け込む彼女の演技は理論的に芝居を組んでいるかのような安定感も併せ持っていると僕は感じた。その理由を確かめてみるという意味合いで試しにマニアの知り合いから拝借したビデオを借りて子役時代の演技も見てみたが、10歳のころの彼女は至って平凡だったことから、彼女の入り込む芝居は“後天的”に染み付いたことが分かり合点がいった。僕の中にある判断基準としては、この手の役者は自分が壊れる“限界値”をある程度は理解しているだろうから、様子見としておくが特段心配はしていない。

 

 「(・・・やはり・・・懸念すべきなのは“彼”だ・・・)」”

 

 問題は最後の1人、夕野憬だ。恐らく今回のドラマでメインキャストに選ばれた4人の中では、一般的な知名度で言うと最も低くテレビ的な意味で言うと数字が取れないのが彼だが、こと演技力においては他の3人を圧倒する潜在能力を持っている。ちなみに彼のことはドラマのオファーが来る前から僕は知っていた。きっかけは、彼が世間に注目される転機となった映画『ロストチャイルド』を僕にとっては“脚本の師匠”にあたる映像作家の透視(とうし)さんから“凄いヤツが出てる”と映画館のチケットを渡され、稽古終わりに数多さんと3人で観に行ったときのことだ。

 

 

 

 “『俺にしてみりゃ、あれは完全に“役者殺し”のやり方だ。そんなドクさん相手にド新人がここまで演れたとなれば・・・日本の映画界の未来は明るいだろうよ・・・』”

 

 

 

 『ロストチャイルド』を観終えた透視さんはその演出方法を冗談交じりで“役者殺し”と言っていたが、監督の國近独という男は“ホンモノ”しか演者として使わず、ドキュメンタリー由来の写実的なカメラワークや演出方法はもちろんのこと、演技面においても徹底的に演者に対してリアリティを追求するスタイルは従来の映像演技に求められるものとも異なる方法で、キャリアを積んだベテランであっても決して簡単に適応できるものではないという。そんな高難度な技術を問われながらも持ち合わせた技術だけでは上手く嚙み合わないある種の“役者殺し”でもある國近監督のメソッドに、スクリーンに映る14歳の少年は見事に適応していた。徹底的にリアルでありながら、芝居としての“一線”は超えずに作品として成立させる塩梅。今のところ俳優としての映像作品で名のある役を演じた機会はこの一回だけで、僕が彼の演技を見たのもあの一回だけだが、それだけで彼の持ち合わせているものがどれほどのものであるのかは十二分に伝わった・・・と、ここまで聞けば全く心配なんてする必要はないように聞こえるが、問題は彼自身のことだ。

 

 

 

 “『・・・いや・・・今はこれでいいかもしれないが・・・・・・私は彼の芝居には限界があるように思える』”

 “『なるほどねぇ・・・じゃあせっかくだから“由良木ジュニア”の主張を先輩が聞いてやろうじゃないの』”

 “『まず本郷透視に語弊が生まれないように説明するならば、夕野憬の芝居は下手ではない・・・・・・ただ、彼は常に演じる役に対して自我という感情を捨て去り己を全て捧げ殺す勢いで、感情(パトス)のあるがままに芝居をしている・・・・・・現状として、この映画はそんな彼の芝居が良い意味で作用し、まかり通ったわけだが・・・私から見れば“偶然の産物”でしかなかった・・・・・・もし彼がこの先、己に嘘を吐かずに役者という生き方を生けるとするならば・・・“四面体”の鳥籠の中に閉じ込め餌を与え続ける今の“飼い方”では・・・結果として彼は大海まで飛べずに“死ぬ”ことになるだろう・・・・・・鳥籠の中で育った渡り鳥が、大人へと育つ過程で大海を渡り切る力を失ってしまうように・・・』”

 “『うん、なるほど・・・ねぇ通訳さん?お宅の主宰がいま“僕ちん”に言ったことを一言で説明してくれない?』”

 “『分かりましたけど僕は通訳ではないですよ透視さん』”

 

 

 

 あの映画を観終えた後、他の客がぞろぞろと帰り始めた客席の一角で議論のように3人で総評をしていたときに、数多さんが彼のことをこう評した。無論それは、僕も彼の演技を見てひしひしと感じていた。何度でも言うが夕野憬という少年の演技は素晴らしく、あの才能は“10年に1人”という表現で片づけてしまうには勿体ないほどだと思う。

 

 

 

 “『要するに・・・“感覚”で生きているこの少年の芝居は、映像には“向いていない”ということです』”

 

 

 

 だからこそ少年の芝居(それ)は、強すぎるが故に作品のバランスを壊しかねない“危険”を秘めていて・・・ドラマにはあまりにも不向きだ・・・

 

 

 

 “『これはあくまで僕の持論ですが・・・もし周りの大人たちがどうしても彼のことを“日本一の役者”として成功させたいと思っているのなら・・・・・・“大人”になってしまう前に、一度でいいから彼を舞台に立たせるべきです・・・』”

 

 

 

 

 

 

 『まもなく、台場、台場。出口は右側です_』

 

 最寄りの駅を告げるアナウンスが流れて、減速し始めると共に景色の流れも遅くなっていく。それに合わせて僕も視線と身体の向きを変えて右側のドアへと向かう。乗っているゆりかもめは既にホームに進入していた。

 

 「(いよいよか・・・)」

 

 ブー_

 

 『台場。台場_』

 

 ブザーが鳴ってドアが開いたのを合図に、僕は意識を前に向けて台場駅のホームに降り立ち、そのまま真っ直ぐに最寄りのテレビ局へと足を進めた。




いざ、お台場へ_



草見修司って誰だよ?と思った方が中にはいるかと思いますが実は彼、原作キャラなんです。とは言っても蓮や皐月ちゃんと同じく単行本には未登場なのであまり知られておらず、原作の最後を締め括った台詞以外はこれといった見せ場もないまま原作自体が終わってしまったのでどういう人物像なのかは殆ど考察になってしまうのですが・・・僕の中にある草見先生(若かりし頃)のイメージは大体こんな感じです。

最後についでの補足ですが、本編の時系列は2001年となっていますのでりんかい線はまだ新木場から天王洲アイルまでしか開通していません(※翌年の2002年に大崎まで全線開通し、JRとの相互乗り入れを開始)。

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【人物紹介】

・草見修司(くさみしゅうじ)
職業:劇作家・脚本家
生年月日:1979年4月20日生まれ
血液型:A型
身長:177cm


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scene.95 たかが芝居

ルリドラゴン、大復活。


 草見が自ら執筆した脚本を背にテレビ局へと向かっている頃、学校で5限までの授業を終えた憬は霧生の制服を着たまま裏口にある駐車場からマネージャーの車に乗り込み、道中で新宿から程近い場所にある撮影スタジオで撮影終わりの杏子を拾い、読み合わせが行われるテレビ局へと向かっていた_

 

 

 

 

 

 

 「空を飛べない僕たちに♪通り雨が一筋、落ちる♪」

 

 お台場にあるテレビ局へと向かう道中の後部座席。余計な緊張と余計な感情を何処か彼方へ飛ばす意味合いで右側の景色に目を向ける俺と、左側でイヤホンを付け音楽プレーヤーで聴いたことのないフレーズをご機嫌に口ずさんで自分の世界に浸る堀宮。ちなみにいま堀宮が使っているのは、自身がイメージキャラクターを務めているSONNEY社の携帯音楽プレーヤーだ。本人に言ったことはないが、外に出ているときは必ず自分のスポンサーとなっている企業の商品を積極的に身に付けるようなところに、堀宮の根元にある真面目さが伺える。

 

 「さっきから何ですかその歌は?」

 「“GAJUMARU17(ガジュマルセブンティーン)”の“人鳥(じんちょう)の唄”」

 「・・・曲どころか歌手の名前すら今ここで初めて聞きましたよ」

 

 別に興味があるわけではないけれど、イヤホンをしている堀宮にスポンサー先の音楽プレーヤーで聴いていた曲を聞いてみたら、案の定全く知らない曲名とアーティスト名が出てきた。

 

 「歌手じゃなくて“バンド”ね?」

 「バンドなんですね。その・・・ジャガイモみたいな名前の」

 「おまえの耳はちくわかコルァ?

 「とりあえずジャガイモと間違えたのは謝りますまぁ、俺も自分で絶対違うって思ってたけど)」

 「ったく、ほんっとさとるは流行りに無関心なんだから・・・・・いまあたしが聴いてたのはGAJUMARU17。略して“ガジュマル”・・・言っとくけどこのバンドぐらいは知っておかないとクラスの話題について来れなくなるよ?」

 「そんなに有名なんですかその・・・“ガジュマル”ってバンド?」

 「ガジュマル“セブンティーン”な?いい加減覚えなさいさとる」

 「“ガジュマルセブンティーン”。略して“ガジュマル”。これでいいですか?(いつもに増してめんどくせぇなこの先輩・・・)」

 

 俺が絶対ありえない間違い方をして思った以上にガチめにツッコまれたことはともかく、堀宮が音楽プレーヤーで聴いていたのは“ガジュマルセブンティーン”というバンドの曲らしい。もちろん、俺は1ミリも知らない。

 

 「明らかに“めんどくせぇな杏子さん”って顔してるけど、今回は大目に見てあげる」

 「そんな顔に出てますか俺?」

 「ガッツリ出てるよ。もうメンドクセーってのがさ・・・ま、そういうところもあたしは“好き”だけどね?」

 「好き?」

 「あぁ勘違いしないでチェリー君。あくまで“後輩”としてだから

 「別に勘違いはしてねぇですチェリーて・・・)」

 

 そんな1ミリも知らない俺を相手にして半ば呆れる感じで揶揄う堀宮。どうやらこの人はよほど俺にガジュマルの曲を聴かせたいらしい、というのはとりあえず分かった。

 

 「てか、そもそも杏子さんってもう専属のマネージャーが別でついてますよね?」

 「あぁ“セーラ”のこと?大丈夫、事情はもう話してるから」

 

 ちなみに堀宮には4月から“セーラ”こと世良さんという女性の専属マネージャーがついているのだが、どういう気まぐれか昼になって“どうしても今日だけはさとると一緒に行きたい”と無理を言ったらしく、本来はテレビ局で合流するはずだった先輩はいま、俺の隣でイヤホンをつけながらリラックスをしている。

 

 「だいたいそこまで無理言ってまで俺と現場入りしたい理由は何なんですか」

 「だって初めての顔合わせだし、こうやって“クラスメイト同士”で行ったほうがなんだか気分もそれっぽくなって気が乗りやすくならない?」

 「・・・まあ、杏子さんの言いたいことは分かりますけど」

 

 だけどおおよそ俺と一緒に行きたいって無理を言っておきながら肝心の俺をほったらかすように自分の世界に浸る堀宮を見ていると、はっきり言って“随分とお気楽だな”としか思えない。ただ、初めての顔合わせに向けて少しでも気分を“それっぽくしたい”というこの人の主張は、俺も分からないことはない。

 

 「それより四の五の言わず聞いてみ?曲聴けばさとるも“ガジュマー”になれるから」

 「(まだ四の五のも言ってないんだけど・・・)・・・“ガジュマー”って何ですか?」

 

 なんて俺の感想など知ったことかと言わんばかりに、堀宮は話題を再びバンドの話に戻す。もちろん俺は開き直って、その話に乗っかる。

 

 「“ファン”の愛称。誰が決めたとかはないけど、暗黙の了解でガジュマルのファンはこう呼ぶようになったらしいよ」

 「へぇー・・・にしても、そんなに有名なんですかガジュマルってバンド?」

 「有名なんてもんじゃないよ。少なくともあたしらの世代で知らない人はいなんじゃないかなってくらい_」

 

 そこから始まった堀宮による“初心者でもわかるガジュマル講座”的なものによると、GAJUMARU17は沖縄出身の3ピースロックバンドで、去年の秋に発売した『JUNK(ジャンク)』というアルバムのリード曲が発売後に全国CMのタイアップで流れたことや、ラジオでヘビーローテーションされたことをきっかけにロングヒットして一躍有名になり、その流れで先月にあの“Mステ”で地上波初登場を果たすとついにオリコン1位を記録し、アルバムはミリオンヒットを達成。ジャンルはいわゆるオルタナティブロックというものでアルバムに収録されている14曲のうち半分にあたる7曲は歌詞が英語だが、堀宮曰くこのバンドの真骨頂は日本語の歌詞で書かれている曲のほう(※堀宮の見解)だという。ちなみにバンド名の由来はメンバーが通っていた高校に植えられているガジュマルの木と、バンドを結成したのが高校2年生の文化祭のときだったからだという。

 

 「てゆーかさとるって“Mステ”とか普段観てる?」

 「いや、名前と音楽番組だってのは知ってるレベルでまともに観たことは一回もないです」

 「マジで?言っとくけど今どき高校生にもなって生まれてこのかたMステをまともに観たことないなんてマジのマジで“化石”だからね??」

 「何でまともに観てないだけでそこまで言われないといけないんすか・・・」

 

 余談だが、俺は母ちゃんの影響もあって“Mステ”どころか“紅白”ですらまともに観たことは一回もない。

 

 「・・・まあ、杏子さんのおかげでとりあえず凄いバンドだっていうのは十分伝わりましたよ」

 「うわ露骨に興味なさそう」

 「だって曲知らないから」

 

 とりあえずこんな感じで俺が理解できたところだけを抜粋したが、堀宮からの“ガジュマル講座”は約10分に渡って続いた。どんなバンドなのかはともかく、熱意だけはこれでもかというほど伝わった。

 

 「でもそれ以上にぶっちゃけ意外でした。杏子さんがこういうロック系が好きだなんて」

 「そうかな?」

 「何となく歌姫みたいな女性歌手の曲とかを好んでそうな感じなのに・・・俺初めて知りましたよ」

 「って言ってもマジな話するとあたしもガジュマルにハマったのは“Mステ”きっかけだからさとるどころかあずさとかも知らないよ」

 「確かに杏子さんの話を聞く限り知られるようになったのは最近ですからね」

 「最近って言ってもハマってからはマジのマジで週の半分はヘビロテしてて超詳しくなってるからそこんとこヨロシク」

 「何がヨロシク何すか・・・

 

 とはいえ、堀宮がこのバンドにハマりだしたのはここ1ヶ月の話だが。

 

 「それより俺に聴かせたいんなら早く聴かせたほうがいいんじゃないですか?あとちょっとでレインボーブリッジですよ」

 「うっそもうそんなとこまで来てんの?ちょっと飛ばし過ぎじゃない将大さん?」

 「いえ、私はずっと制限速度を厳守しています」

 

 そうこうしていたらマネージャーの菅生が運転する車の車窓からレインボーブリッジが見え始め、それに気づいた堀宮が運転席の菅生にジョークを飛ばす。正直バンドの話で思った以上に時間の流れが早くなってしまった感が強いが、何やかんやで堀宮の機嫌も良くなったし、これで却って余計なプレッシャーは吹き飛んだ気はする。

 

 「はぁ、本当は3、4曲は聴かせてあげたいところだけど時間がないなら仕方ない・・・ではこのあたしが、いまのさとるにピッタリなとっておきの一曲を聴かせてあげよう。ってことでイヤホンつけて」

 

 レインボーブリッジが見えたことで我に返った堀宮は左耳につけていたイヤホンの片側を外して俺に手渡して、左側のイヤホンを耳につけるように促す。俺はそれに応じて、堀宮のイヤホンを左耳にはめ込む。

 

 “・・・やっぱり何も感じない・・・”

 

 もちろんついこの間まで感じていたはずの感情は、全く湧いてこない。何故ならいま隣に座っているのは雅ではなくて、ただの堀宮だから当然のことだけれど。

 

 「で?俺に“ピッタリ”なとっておきの一曲は何ですか?」

 「さっきあたしが聴いてた“人鳥の唄”って曲」

 「あー、杏子さんが口ずさんでた曲ですね」

 「ちなみに人鳥はペンギンの和名ね」

 「それは中学の授業で聞いたことがあります」

 「こういうことは知ってんのね?

 「何だろう、いますげぇ馬鹿にされた気がする

 

 俺がイヤホンを左耳にはめたのを横目に見て、堀宮は音楽プレーヤーを操作して曲の頭出しをする。

 

 「そうだ、聴いてもらう前に豆知識を言うとこの“人鳥の唄”は『JUNK』ってアルバムの11曲目に入ってるどっちかっていうとマイナーな曲なんだけど、この曲を作ったギター・ボーカルのシュースケ曰く歌詞のモデルは高校生のときによく読んでた『ユースフル・デイズ』に登場する純也なんだって・・・ま、俗にいう“インスパイアソング”ってやつよ」

 「ユースフルデイズ・・・・・・“とっておき”ってそういうことなんですね」

 「そゆこと」

 

 どうしてわざわざ俺に名前も知らないバンドの曲聴かせようとしているかと思ったが、これで合点がいった。もちろん俺はこれから初めてGAJUMARU17の曲を聞くのだけれど、これから自分が演じることになる役をモデルにしているとなると、少しだけ興味が湧いてきた。

 

 “それに・・・気持ちを“リセット”するには好都合だ・・・”

 

 「後は・・・ガジュマルの中であたしが一番好きな曲ってところかな?」

 

 右耳にイヤホンをつけたまま横目で俺にいたずらな感じの笑みを見せた堀宮は、そう言うと音楽プレーヤーの再生ボタンを押す。

 

 「この明るいけどなんだか切ないイントロがいいんだよね~」

 「・・・ですね」

 

 左耳から聞こえてくる、遅くもなければ早くもない程よく落ち着いたリズムで鳴る乾いたエレキギターの音色。きっと音楽的な意味で言うと明るいメロディーのはずなのに、堀宮の言う通りどこか切なく感じる独特な音色が左耳で鳴り響く。

 

 【僕が嘘を伝えた日 君は淋しそうに笑った 青く染まった空の下 僕たちは痛みを分け合った】

 

 ギターの音色が流れる中で、ボーカルの素朴で真っ直ぐだけれどその中に何とも言えない“儚さ”を感じる癖のある歌声が入り、ワンフレーズが終わるのと同時にベースとドラムが加わり3ピースの音が左耳で完成する。

 

 【壊れることが怖くて 逃げた僕を嘲笑う あの日の景色の中に もう一度手を伸ばしてみる】

 

 普段あまり音楽を聴かないような素人の耳でも“抑えきれない衝動”のようなものを感じる少し荒削りな演奏と、万人受けするというよりどちらかというと好き嫌いが分かれそうなボーカルの個性的な歌声が、絶妙なコントラストになってひとつに纏まる独特な心地良さ。落ち着いたテンポで流れる明るくて爽やかなメロディーと、それと相反する内向的でどこか不穏な歌詞。直接的ではないけれど、まるで原作にもある純也が心に抱えている後悔と対峙しているかのような情景が脳裏に浮かぶ。

 

 【君を知りたくて】

 

 

 

 “『おはよう憬』”

 

 

 

 【空を飛べない僕たちに 通り雨が一筋落ちる 羽を持たない僕たちは 打たれたままただ立ち尽くす】

 

 心に溜めていた気持ちが一気に音となって解放されていくようなサビが左から聴こえてきて、我に返る。俺としたことが、“君を知りたくて”という歌詞で(あいつ)のことを思い浮かべてしまった。せっかくいま流れている曲に集中して完全に忘れかけていたのに、俺は何をしているんだ。

 

 

 

 少なくともいま思い浮かべるべき人は、雅じゃなければいけないはずなのに・・・

 

 

 

 「さとる・・・目的地に着くまでに1つだけ聞いていいかな?」

 「・・・なんですか?」

 

 曲に集中出来なくなったことを察したのか、はたまた単なるいつもの気まぐれか、1番のサビが終わったタイミングで堀宮は普段より1トーン低い声で前を向いたまま静かに聞いてきた。

 

 「いま、あたしじゃない“誰か”を思い浮かべたでしょ?

 「・・・どうして?」

 

 左から向けられる視線が、一気に強くなる。咄嗟に“なわけない”としらを切ろうとして、言い逃れ出来ない図星を突かれて頭が真っ白になった挙句、どっちつかずで曖昧な相槌を返す。

 

 「誰なのかは敢えて聞かないでおくけど、“天才女優の眼”は誤魔化せないぞ?」

 「・・・相変わらず自分に自信がおありなようで」

 「ホントに否定しないんだね、さとるって」

 

 精一杯な相槌を返した俺に、堀宮は半ば挑発するかのように横目でウインクを見せびらかしてキラキラと笑う。自分でも分かってはいるけれど、きっといまの俺は堀宮じゃなくても、誰がどう見てもそう感じるぐらいには分かりやすく動揺しているんだろう。

 

 

 

 “『役者だったら“簡単なこと”だろ?』”

 

 

 

 「まぁ、小さいときから嘘をつくのは嫌いなんで・・・」

 

 蓮への感情をそのまま堀宮の演じる雅に落とし込む。言葉にすれば簡単なことで、それはこれまで俺がしてきたいつものことと何ら変わらないことも分かっている。だけど、この感情をどうやって扱えば良いのかが、分からない。

 

 「ははっ、もうほんっとさとるは馬鹿正直で可愛いんだからっ」

 「(また始まった・・・)頭を撫でたからってどうにもなりませんよ杏子さん」

 

 案の定今回も愚直に否定をしなかった俺の頭を、堀宮は優しく撫でる。何となく曲は既に2番に入っているのは分かるが、はっきり言って全く意識に入って来ない。

 

 「・・・何があったかは知らないけど・・・・・・たかが芝居にそんな“マジのマジ”になってどうすんの?

 

 そして俺の頭の上に掌を置いたまま、堀宮は笑みを浮かべつつも真剣な眼差しを向けて“たかが芝居”と言い放った。

 

 「“たかが芝居”・・・

 

 

 

 【空を飛べない僕たちは 雨が止むのを待たずに走る 羽を持たない僕たちを 通り雨は止めどなく撫ぜる】

 

 

 

 「・・・選ばれた俺たちの中で誰よりも真剣に芝居と向き合ってきたはずの杏子さんが、それを言うんですか?

 

 元々堀宮がその場のノリで主張をコロコロと変える人だというのは知っている。だけど、心の底から敵視している子役時代からの“ライバル”に負けたくなくてここまで這い上がってきたはずの努力家でもあるこの人から“そんな言葉”が出てくるとは思わず、心の声がそのまま口から出た。

 

 

 

 

 

 

 “『牧静流なんてスッと追いついて、グッと一気に突き放してやるから』”

 

 

 

 

 

 

 「もちろん“雑な芝居”をしろとは言わないよ・・・・・・あたしがさとるに言いたいのは、そんな難しいことじゃない

 

 次の言葉を紡ぐ前に、堀宮は俺のほうへと顔を向けて静かに微笑み、徐に右耳につけていたイヤホンを外す。

 

 “・・・堀宮・・・?

 

 イヤホンを耳から外したのを合図に、俺を見つめる堀宮の眼と感情が微妙に変わる。

 

 「大丈夫だよ。“私”たちなら絶対

 

 隣に座る堀宮の姿が、およそ清純派で売っているとは思えない普段の後輩にダル絡みすることが好きなめんどくさい先輩から、“純也(おれ)”のよく知っている強がりで健気な頑張り屋の“幼馴染”に変わる。

 

 「“ジュン”もそうでしょ・・・

 

 

 

 次の瞬間、左側に座る“雅”は俺に抱きつくように身体を近づけ、右耳にもう片方のイヤホンをはめながら戻り際に左頬へ優しくキスをした。

 

 

 

 【空を飛べない僕たちは 雨が止むのを待たずに走る 羽を持たない僕たちを 通り雨は止めどなく撫ぜる 空を飛べない僕たちは 光芒(ひかり)の中へこの手を伸ばす 羽を持たない僕たちに 通り雨が一筋落ちる】

 

 

 

 “どうして俺は・・・冷静なままなんだ?

 

 

 

 【僕が想いを伝えた日 君は嬉しそうに泣いた (あか)く染まった空の下 僕たちは笑い合っていた】

 

 

 

 「2人とも分かっているとは思いますけど、“スキャンダル”だけは起こさないようお願いしますね?」

 「もちのろんだよ将大さん。いまのはあくまで“芝居のうち”だから」

 「何が“芝居のうち”だよマジで・・・あと、言っときますけど俺はただ巻き込まれただけですからね菅生さん?」

 

 曲が終わったタイミングで、運転席の菅生はバックミラー越しに後部座席に座る俺と堀宮を注意する。言うまでもなく俺は完全なとばっちりだし、おまけにマネージャーに思いっきりいちゃついたところも見られてしまった。何を考えているのか本当に分からないけれど、堀宮的にはこういうことは世良さんの前じゃできないことなのだろうか。もちろん、どっちにしろ意味が分からないのだけど。

 

 「それよりイヤホン返してくれない?もう曲が終わったところだと思うから」

 「よくタイミングが分かりましたね」

 「何回もヘビロテしてるからねこの曲は」

 「・・・はいはい」

 

 文句を言う間もなく、堀宮から促されて両耳につけていたイヤホンを俺は返す。初めて聞いたガジュマルの曲の感想は・・・隣に座る誰かさんが“邪魔”をしたせいで断片的にしかもう覚えていない。

 

 「それであたしの勧めた曲はどうだった・・・って聞かれても分かんないか?」

 「当たり前でしょ・・・今日は一段と何がしたいのか分からないですよ杏子さん・・・」

 

 いつもの“先輩”に戻った堀宮が、俺にいつも通りの感情で話しかける。本当にこの人の言う通り、曲自体の具体的な感想というものはどこかへと飛んでしまった。

 

 「けど、演奏も歌声も荒削りですけど、変に飾らず真っすぐに訴えてくるあの感じは嫌いじゃなかったです・・・歌詞は誰かさんのせいであんまり入って来ませんでしたけど」

 「あははっ、ごめんごめん」

 

 けれども初めて耳にした聴き心地はどっちかというと俺的には好きな感じだった。ただ正直いまは、そんなことはどうでもいいのが本音だ。

 

 「でもこれでガジュマルってバンド、さとるもちょっとは気に入ったでしょ?」

 「・・・えぇまあ、“ちょっと”ですけど」

 「だったらこれでお互いに“好きなもの”がひとつ増えたね?さとる」

 

 惰性で初めて聴く音楽のことを正直に話した俺に、堀宮はそう言って白い歯を見せて“にっ”と笑いかける。思えば堀宮のこの表情を見るのは、何だかんだで久しぶりだ。

 

 

 

 

 

 

 “『さとるのそういうちょっと“冷めてる”ところ、あたしは“らしく”て割と好きだよ』”

 

 

 

 

 

 

 でも、お台場(ここ)にある観覧車でキスされたときのように、俺の感情は高鳴らない・・・純也という人物の“本質”自体は掴めているはずなのに、雅の感情で俺の左頬に2回目のキスをした堀宮を・・・俺は“純也”として視ることが出来なかった・・・

 

 

 

 「・・・ですね」

 

 久しぶりに見た堀宮の笑顔に、俺はまた曖昧な相槌を打って視線を右側へ移す。どうやら車はもう既に首都高を降りていたみたいで、窓の外には高層マンションとゆりかもめの高架、そして1番の歌詞にあった“青く染まった空”というフレーズがよく似合う快晴の午後の空が広がっている。

 

 「にしても、今日ってこんなに晴れてたんですね・・・」

 

 まるで蓮への感情に向き合うフリをして無意識に逃げているこの俺を、嘲笑うように。

 

 

 

 「(やっぱり。一色先輩から“発破”をかけられた今のさとるに、あたしの揺さぶりはほとんど届いてない・・・)

 

 

 

 「さとる・・・最後にひとつ、あたしからアドバイスしてあげる

 

 歌詞に書かれていたような空を見て思わず口から溢れた独り言に、堀宮は最後のアドバイスを送る。

 

 「もしも今日の読み合わせでさとるが純也の気持ちをちゃんと掴めたとして、それで週末の本番で完璧に演じ切れるとしても、それが作品にとっての正解だとは限らない・・・逆にもし今日がダメで、週末になっても自分の中でまだ掴みきれていない部分が残っていてダメなままだとしても、ダメだからこそ見つけられるものもあって・・・ダメだったときの自分の演技がむしろ作品にとっての正解だったなんてことも起こりうる・・・・・・それが芝居の本質だって、あたしは思ってる

 

 

 

 “『あたしたちはただ仲良くクラスメイトを演じ切るだけじゃなくて、“共犯者”になってあたしたちのことを視ているみんなを演技で黙らせないといけないってわけ・・・もちろん“仕掛け人”のプロデューサーも含めてね?』”

 

 

 

 「自分がメインに選ばれたからって思い上がって難しく考えてちゃ、何も見つけられないよ・・・・・・あたしたちが演ることは、“たかが芝居”なんだから・・・

 

 テレビ局に着く前に教えられたそれは、観覧車に乗っていたときに言われたアドバイスとは真逆のような持論だった。

 

 「・・・分かってますよ・・・言われなくても

 

 結局俺は演じる役の本質は掴めたものの、それを意図的に出すことが出来ない不完全な形のまま、読み合わせに臨むことになった。




空を飛べない僕たちは_



前回に続いて補足ですが、後部座席の憬と杏子はシートベルトを着用していません。(※後部座席のシートベルト着用が義務化されたのは2008年のため、本編の時系列である2001年時点では合法となっています。しかし現在の道路交通法では違反となるためご注意ください)


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scene.96  異国 / 好きになったことある?

一昨日に見た、アニメ化されたアクタージュでアキラ君と阿良也が舞台の上で上半身裸になって双炎の肖像を歌っていた夢が2日経っても忘れられない。


 東京都港区・お台場_テレビフジ7階・会議室B_

 

 「改めまして出演者の皆さま、日頃の撮影やお仕事お疲れ様です」

 

 『ユースフル・デイズ』を放送する大元となるテレビ局の7階にある会議室で、記念すべき第一話の顔合わせは独特な緊張感で覆われた青春の“せ”の字もないような空気の中で静かに始まっていた。

 

 「今回のドラマは高校生たちがメインとなりますので、これから暫くは撮影のない日は学校に通い、撮影がある土日は“別の学校”に通って頂くような慌ただしい日々が続いていきますが、高校生役の出演者様も先生役の出演者様も、先ずはたった4ヶ月しかない“学校生活”を大事にして頂くことを第一優先に、思う存分このドラマの撮影に臨んでいただければと思います」

 

 一通りの挨拶を終え、プロデューサーの上地さんが出演者の前に立ちまるで演説でもしているのかというような振る舞いで心構えを伝える中で、その先に座る出演者一同は“メインの4人”を先頭に各々の前に配られた僕の書いた第一話の最終稿が書かれている台本と出演者一同と長机越しに向かい合うプロデューサーの上地さん、演出の黛さん、そして脚本家の僕を中心としたスタッフ陣を交互に見るように、黙々と僕らに意識を向けている。まだ初めての顔合わせのせいか、メインとその他の間に緊張に似た距離感を感じる。

 

 “・・・やはりこうしてみると、演者の平均年齢の若さが際立つな・・・”

 

 上地さんの“演説”だけが響く異様な緊張感の中で、少しずつ場の空気に慣れて来たのかようやく第一話の出演者の全体像をはっきりと俯瞰出来るようになったが、新太役の一色十夜を始めメインの4人にある程度以上のネームバリューがあることはともかく、本当に高校生役のキャストを10代の少年少女だけで揃えてきたのはやはり衝撃的に思える。おまけに舞台となる2年1組の担任・佐伯(さいき)役に抜擢されているのは白石宗(しらいしそう)という、映画界では“素朴な役柄を演らせたら右に出る若手はいない”と評されていて脇役としてそれなりに有名な実力者だというが、まだ一般的に名前が知れ渡っているとは言えない“地味”な若手俳優ときた。ただ幸いなのは彼自身の雰囲気がどことなく原作の佐伯先生に“そっくり”なところで、撮影が始まる前の段階で“当たり役”になりそうな気配しか感じないところか。

 

 “本当に大丈夫なのだろうか・・・このドラマは・・・”

 

 とはいえ、そもそもドラマという畑に飛び込んだのが今回が初めてなのもあり信憑性は不明瞭だが、恐らく夜10時のドラマでここまで数字が二の次のような攻めたキャスティングをするのは、深夜ドラマでもあまり見ないほどだ。率直なところ現段階では不安のほうが僕は大きいが、上地亮という男にだけは“勝算”が見えているというのだろうか。

 

 「最後に草見さん。ご挨拶のほうをお願いします」

 

 演説まがいな挨拶を終えた上地さんが自分の席に座ったことを目視で確認した演出の黛さんが、僕に合図を送る。さて、いよいよ僕の出番だ。しかもよりによって“トリ”ときた。正直、こうやって大人数の前であーだこーだを言うのは昔から不得手で、出来ることなら僕の挨拶は省いてこのままさり気なくリハーサル室に移り読み合わせを始めて欲しかったくらいだが、名前を覚えてもらう為ならば致し方ない。

 

 「脚本の草見修司です。ついこの間までは舞台演劇一筋の生活に身を置いていましたので、全くの畑違いな場所にいる自分に戸惑うのと共に、これまでテレビ越しでしか観たことのないような顔ぶれがこんなに近くにいることに、大変緊張しています。ははは・・・」

 

 席から立ち、最寄りの駅からここに来るまでに歩きながら自分なりに考えた掴みの挨拶を思い切ってやってみたら・・・ごくわずかな苦笑いが起きた。ひとまず感触がよかったら冗談のひとつでも言ってやろうかとも思ったが、そうでもなさそうなので普通に挨拶を続けることにした。

 

 「とまぁ、僕という人間はここにいる皆さんとは対照的な小劇場というアンダーグラウンドな場所でずっと生きてきました。そんな無名も同然な自分が連続ドラマ、それも火曜10枠という名作揃いの枠で放送されるドラマの脚本を書く資格が果たして本当にあるのか、はっきり言って悩みました・・・それでもプロデューサーの上地さんからの“熱心な説得”や、演出の黛さん、そしてこの作品の原作を手掛けた逢沢先生からの応援もあって、此度のオファーを引き受けることにしました・・・・・・まだまだ脚本家として未熟な身ではありますが、この『ユースフル・デイズ』というドラマが出演する演者にとって“この作品に携われて本当に良かった”と心から思えるような作品となる脚本を届けられるよう、精一杯の誠意を込めて脚本家として皆さんを支えていくつもりですので、よろしくお願いします・・・」

 

 パチパチパチ_

 

 挨拶を一通り終えて軽くお辞儀をすると、盛大というほどではないが最初の苦笑いのリアクションからは想像できないくらいのちゃんとした拍手が第一話の出演者一同とスタッフ陣から送られる。ひとまず挨拶を終えた僕は、そのまま自分の席に座る。

 

 「では、これにてスタッフの挨拶も終わりましたので、出演者の皆様には同階にあるリハーサル室へ移動して頂き、読み合わせを始めます」

 

 こうして僕からの挨拶を最後に一話の出演者とスタッフが一堂に会する初顔合わせは終わり、黛さんからの指示で読み合わせへと移りリハーサル室へと移動する。ここから先は出演者とプロデューサーを含めた演出サイドで人数は幾分か減るから、こちらとしても勝手が想像つくので助かる反面、重要なのはここからとなる。

 

 「“見物”になるね・・・これから先の10年ないし20年を担う少年少女が、どのような演技を僕たち大人に魅せてくれるのか」

 「そうですね。ですが、20年も先の未来なんて誰も分からないですよ」

 「うん、それもそうだね。案外、メインの4人以上に助演の子が20年後には大活躍している・・・なんて未来も十分に考えられる。ま、その頃には果たして僕は生きているかどうか」

 「さすがに生きてるでしょ。だって上地さんまだギリギリ40代じゃないですか?」

 「はははっ、冗談だよ黛ちゃん」

 

 机の上に置かれた台本を手に取り僕らより一足早く会議室を後にするメインキャストを始めとする出演者を見送りながらリハーサル室へ向かおうとした僕の耳に、上地さんと黛さんの会話が入る。会話の内容から上地さん曰く、メインキャストを始めとした10代の子たちはこれから先の未来を担う存在(やくしゃ)になるらしい。

 

 「草見くんはどう思う?あの子たちの20年後の未来は?」

 

 その流れで得体のしれない不確かな未来予想図に対する考えを問いかけてきた上地さんに、僕は自分の率直な意見を返す。

 

 「黛さんの言う通り、僕も彼らの20年後の予想図なんて全く予想なんて出来ません・・・ただ、上地さん(あなた)の選んだ役者がどのような芝居をして、どのような未来に向かっていくのかは気になります・・・・・・僕みたいに“カメラのない劇場(ハコ)”でずっと芝居をしてきた人間には、あなたたちのいる場所はまるで“異国”ですので」

 

 顔も性格も生き様もよく知るいつもの仲間たちで時にぶつかり合いながらも劇を創り上げていく日常とはあまりにかけ離れた、同じ場所にいる仲間という概念に囚われない“もうひとつ”の芝居の世界。僕にとっては大海の向こう側にある“異国”にでも来たかのような感覚だ。

 

 「そういった意味でも非常に楽しみですよ・・・・・・“壇上”に立ったことのない人の芝居をこの眼でみるのは・・・

 

 “壇上の芝居”しかこの眼で確かめたことのない僕に、彼らの芝居はどう映るのか。読み合わせも目前になり心の中は少年のように高鳴っている。全くこの心ときたら、つい先ほどまでは二話の脚本のことや純也役の“”のことで頭が一杯だったはずなのに、本当に現金な奴だ。

 

 「“異国”か・・・・・・いいねぇ

 

 そんな僕の考えを気に入ったのか、上地さんは不敵にほくそ笑みながら賛同した。正直、何が“いいねぇ”なのか僕にはさっぱり分からない。百歩譲ってその後に言ったことに賛同するのであれば、まだ理解は出来るが。

 

 「やはり、君の脚本に決めた僕の眼に狂いはなかったよ」

 「・・・それはどうも」

 

  とはいえここ1ヶ月の付き合いでこの男もまた数多さんや透視さんとは違う意味で常識が通用しない人だということは理解した。やはりと言うべきか、どのような世界においても大勢の人たちの上に立つ人間というものは、大なり小なり基本的にタカが外れていないと務まらないのかもしれない。

 

 「では、我々もリハに向けて“大移動”を始めますか」

 「大移動と言うほど移動はしないんですけどね」

 

 会議室から出て行った演者を見送った僕は、上地さんの小ボケと黛さんのやや投げやりなツッコミを合図に続けてリハーサル室へと向かう。

 

 「リハ室へ入る前に草見くんに言っておくけど、今回のようにメインキャストの4人全員がこうやって揃うのは今日を含めてあと2回あるかどうかだよ」

 「そうなんですか?」

 「そもそも十夜くんはスケジュールが年末までほぼほぼ埋まってるし、杏子ちゃんもあずさちゃんも主演映画の舞台挨拶やPR関連の仕事で忙しくなるのに加えて既に別作品の映画への出演も内定していてこのドラマの放送が始まる7月からそれぞれ撮影開始(クランクイン)・・・嫌味な言い方になっちゃうけど、芸能人には君たちみたいに数か月も稽古場や劇場で缶詰になってじっくりと役作りをする暇はないんだよね。それに、今日みたいにここまでまともな形で台本を使って読み合わせをする機会があるのはむしろレアなんだよ」

 「なるほど」

 「だよね黛ちゃん?」

 「あくまで私は月島の現場で育った人間なのであまり参考になりませんが、多くの現場はそうだと聞いています」

 「ところで最近会えてないんだけどアッキーは元気してる?何度か息抜きでご飯誘ったりしてるんだけど毎回“忙しい”って言って断られてるんだよね~」

 「相変わらず元気にしてますよ。しかし月島はただでさえ根っからの仕事人間ですし、おまけに今は7月から放送される水沢令香さんと山吹敦士さんW主演の月9で忙しいので暫くは無理でしょう」

 「だよね~、まあ近いうちにまた新しい企画が通りそうだから久々に“ラブコール”でもしようかな。なんつって」

 「(これ・・・完全に僕だけ置いてかれてるな・・・)」

 

 プロデューサーと演出の会話で勝手に置いてかれた形になったことはともかく、同じ階にあるリハーサル室へと向かう途中で明かされる、僕らが普段行っている読み合わせとの違い。いくつもの仕事を掛け持ちしながら撮影をこなすとなるとスケジュールを合わせるのが難しく、読み合わせで全員が揃うことはあまり多くないという。無論これらは既に上地さんや黛さんから聞いている話だが、ドラマの撮影というものは常に時間との勝負で、特に出ずっぱりのような主役級の演者となると撮影が始まってしまうとじっくりと役作りを行う時間も取ることができない。そしてリハーサルも本番当日に立ち位置を決めて通しや演出付けをして直ぐに本番、そして場面によっては演出の指示で10秒にも満たないシーンでも何度もリテイクをしながらもロケ地のスケジュールを気にしながら撮影を進行する必要があり、ロケ地によっては天候にも左右されて撮影が急遽延期になることも決して珍しいことではないという。

 

 「あ、草見くん。“保険”のために言っておくけど、僕は君たち演劇人を馬鹿にしているつもりはこれっぽっちもないから怒らないでね??」

 「気にしてないので大丈夫ですよ。本当のことですから」

 

 こうして演者もスタッフもそれぞれ時間に追われながら視聴者という不特定多数の観客や支持をするスポンサーを納得させる作品を作らなければいけないということは、“リテイク”が許されない一発勝負の世界で生きる僕らが追い求めている演劇とはまた違う過酷さがある。当然ながら、何度もリテイクをさせられるような役者はよほどの素質がない限りどの世界でも一瞬で淘汰されていく運命(さだめ)なのだろうけども。

 

 「ちなみに僕の聞くところによると、憬くんも君の“師匠”にあたる本郷くんがコンタクトを取ってそう遠くないうちに“何かをやる”そうじゃないか草見くん?」

 「・・・えぇ・・・まぁ」

 

 と、ドラマ制作の裏側のことを話している中で、上地さんは僕と真後ろを歩く黛さんにしか聞こえないほどの声量で“突っ込んだ”質問をぶつけてきた。無論、彼の言いたいことが何なのかは考えを巡らすまでもなく“二つ目の条件”を提示した上でオファーを引き受けた僕は知っている。

 

 「・・・“彼の件”に関しては本当にお願いしますよ上地さん・・・そのために僕はこのオファーに乗ったんですから

 「もちろん心得ているよ草見くん・・・・・・僕だって気持ちは同じさ

 

 その核心に同じくらいの声量で念を入れた僕は、視線と意識を既に出演者が待機し始めているリハーサル室の中へと移し、何食わぬ顔で上地さんたちと共に中へ入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『雅、新太・・・・・・ちょっと話したいことがあるんだけど、いいか?

 

 

 

 

 

 

 「で、話って何なの憬?」

 

 第一話に出演するエキストラを除くキャストによる読み合わせを終えて基本的に忙しいメインキャストの面々と早々に解散した俺は、どうしても聞いておきたいことを思いついてちょうどリハ室に向かう途中にあった休憩スペースに蓮を呼び出した。

 

 「とりあえず今から俺が言うことは、あくまで“役作り”のためだってことを先に頭に入れてから聞いてほしい」

 「役作り・・・やっぱりそんなことだろうと思ったよ。だって今日ずっと様子が変だったからさ憬」

 「変・・・もうちょっと言い方あるだろそれ(まぁ、そう思われても仕方ないけど・・・)」

 「新井くんからは緊張してるって聞いてるけど、絶対それだけじゃないとは思ってたんだよねーずっと。それにさっきの読み合わせも憬にしては調子悪そうだったし」

 「・・・蓮にはお見通しか」

 「親友なめんな」

 

 そのことを伝えようとする俺を前に、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に座る蓮はいきなり核心を突くと、すぐ近くにあった自販機で買った“フォンスグレープ”という炭酸飲料の缶を開けてそれを一口運ぶ。やっぱり新井のフォローも虚しく、こいつには普通に緊張だけじゃないことは分かってしまっていたみたいだ。

 

 「ほら、また役作りでお困りならこの“環蓮先パイ”に何でも言ってごらん?ライバルと言えど、君が本番で良い演技をしてくれないと助演(こっち)も燃えないからさ」

 「お前は先輩じゃねぇだろ・・・いや、“一応”先輩だったわ」

 「フォンスぶっかけるよ?

 

 ただ幸いにも蓮は、またいつものように俺がただ役作りで悩んでいると完全に思い込んでいるようだ。もちろん、芝居的な意味では大正解だ。

 

 「というわけでもう一度だけ先に言うけど、これはあくまで役作りのことだから真面目に受け止めて欲しい」

 「何だよさっきから妙に畏まっちゃって・・・・・・あー分かった、もしかして恋愛感情が分からないとかそんな感じ?」

 

 と言いたいところだったが、この親友と来たらこうして俺の理解を容易く超えてくることが時々あるから油断ならない。

 

 「・・・まぁ、ある意味な」

 「やっぱりそうじゃん。どうしてこんなどこにでもいそうな役柄で君がこんなに悩んでいるのかって考えたら、理由はそれしか思い浮かばないからさ・・・だって憬、恋愛なんてしたことないでしょ?」

 「おう」

 

 何気なく、ただの冗談を言うような感じで、不器用な幼馴染を揶揄うみたいな感じで、こいつはサラッと俺の心を読み当ててくる。親友で互いをある程度以上は理解している関係であれど、こいつのこういうところは少しだけ怖い。

 

 「そのことで、お前にどうしても聞いておきたいことがある・・・」

 

 

 

 “・・・大丈夫・・・これはあくまで“役作り”だから、恐れることなんて何一つない・・・

 

 

 

 「蓮・・・・・・お前って人を好きになったことある?

 

 

 

 

 

 

 「夕野さん。この回想シーンの『雅、新太・・・・・・ちょっと話したいことがあるんだけど、いいか?』という台詞ですが、試しに腹を割って話しているように見えて本当は一歩引いて話しているという感じをもう少し出してみてください」

 「はい・・・・・・“雅、新太・・・・・・ちょっと話したいことがあるんだけど・・・いいか?”・・・・・・どうでしょう?」

 「なるほど・・・やっぱりここまでやると感情が重くなり過ぎてしまうので、通しのときと今の中間ぐらいのイメージでクランクインまでに役を作ってきてください」

 

 結論から言うと今日の読み合わせは、はっきり言って役の理解を深めたような手応えを殆ど感じられないまま終わった。

 

 『新太ぁ、久しぶりに会ったんだから恥ずかしがらずにもっと堂々と仲良くしてもいいんじゃねぇの?』

 『いやいや簡単に言ってくれるけどさ、正直久しぶりすぎてなに話していいか分かんないんだよね。亜美(あいつ)とは』

 

 もちろんロストチャイルドのときのように周りの足を引っ張るようなことはなく、傍から見れば読み合わせ自体は終始これといった問題も突っかかりもなく進んでいった。

 

 『久しぶりすぎるとなに話していいか分からなくなる・・・雅?人ってそういうもんなのか?』

 『いや私に聞いても分かんないってそんなの』

 

 それはきっと、メインに選ばれた俺以外の3人も含めてまだ完成形になっていなかったこともあるだろうけれど、3人は俺とは違って今日の時点で既に自分の役を自分の“モノ”にし始めているのが、一緒に演っていて俺には伝わった。

 

 『転校生、1組に入るんだ・・・』

 

 特に役作りをしているわけでもなさそうに台本に書かれた台詞をそれっぽく読んでいるだけなのに“異様な説得力”を覚える芝居で、一色は新太の役を自分の色に染めていた。演じる役を徹底的に作る俺からすれば見方によっては上っ面にも思える演じ方は気に食わないところはあるけれど、実際に芝居を目の当たりにして俳優・一色十夜の人気は決して“美少年”と呼ばれる恵まれた容姿や家族が揃って世界的な有名人だからということではなく、正真正銘の己の実力と才能によるものだということを知った。

 

 『半井亜美・・・名前からして間違いなく女子ね』

 

 普段から事務所で度々会っていてCMで共演している経験もある堀宮のことはもう言うまでもなく、さすがは1人だけ子役からずっと芝居をしてきたこともあってお得意の感情を掘り下げるメソッド演技でほぼ文句のつけようがないほどに雅の役を自分のものにしていた。まぁ、この人に関しては台本が届く前の“秘策”をしていた時点で雅になっていたから、読み合わせでの驚きは特になかった。

 

 『半井亜美です。前まで通ってた高校では陸上をやっていました。もちろんここでも続けようかなって思ってます。よろしくお願いします』

 

 一色や堀宮のようなインパクトはなかったが、永瀬もまた亜美の役をそつなく自分のものにしていた。正直演技のレベル的には偉そうな例えをするなら上手いけどそれなりには転がっている程度だったけれど、そういう突き抜けたものもこれといった特徴もない“普通に上手い芝居”だからこそ役に染まりやすく、どこかミステリアスで掴みづらいところがある亜美と上手い具合にリンクしていた。

 

 『絶好調じゃん雅。なんかいいことでもあった?』

 

 ちなみに蓮もまた、明るい性格の凪子の役を自分なりにキッチリと作り上げてきていて、演出の黛さんも好感触を受けた表情で台詞を読む蓮のことを見守っていた。このドラマに対して俺たちメインキャストに負けないどころかそれ以上なほど熱意を持っているだけあって、よく知る間柄だということを差し引いても流石と思えた。本人はきっと悔しさは残っているのだろうけど、今日の読み合わせの段階で蓮も永瀬もそれぞれ適材適所に収まった感はあった。

 

 『なぁ、お前らって彼女作ろうとか思わねぇの??』

 

 ついでに言っておくと、新井も子役から芝居をやっているだけあって安定感が凄かった・・・といった具合に、俺以外の3人や蓮などの周りはそれぞれ芝居の中身こそ三者三葉で全く違うが、それぞれの演り方で自分の役を掴んでいた。

 

 『半井さんって陸上やってたんだ』

 『うん。ただ園崎くんとは種目は違うけどね』

 『へぇ~なにやってんの?ちなみに俺は走り幅跳び』

 

 もちろん俺も、新太や亜美といる場面においてはまだ突き詰める余地はあれど一定の手応えは感じていた。

 

 『亜美ちゃんはどう?ちゃんと陸部に馴染めてる?』

 『どうって・・・それ俺に聞くか普通?』

 

 だけど、こと雅が絡んでくると、急に感情にリミッターが掛かって純也の感情が俺から遠ざかる感覚に襲われる。いつものように演じようとして、急に足がすくんで立ち止まってしまうような感覚と必死に戦いながら、どうにか最後まで演じ切る。こんな経験、今まで芝居をしてきて初めてだった。

 

 「どうされました夕野さん?何か納得のいかないところがあれば幾らでも私に言ってください」

 「・・・さっき黛さんが言った中間って、具体的にどれくらいのことを言っているんですか?」

 「あれは・・・もう少し分かりやすく例えると、自分の気持ちに嘘をつきたくない人が丸一日悩みに悩んだ末に自分の気持ちに嘘をつく・・・という感情です」

 「なるほど・・・撮影に向けて仕上げていきます」

 

 恐らく演出の黛も、その隣で無言を貫き淡々と読み合わせを見守っていた脚本の草見も、読み合わせの段階ではまだ不完全だということを理解した上で、俺が役を掴み切れていないことをきっと把握していた。

 

 「最後に、僕からも皆さんにひとつお伝えしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 

 だからこそ、読み合わせの終わり際にようやく重い口を開いた草見という脚本家から言われた一言は・・・強烈に脳裏に残った。

 

 「黛さんをはじめ、僕たち演出側に出来ることは本当にごくわずかです・・・逆にその“ごくわずか”で僕たちは皆さんのような演者を使って観客、もとい視聴者が毎週楽しみに観てくれる作品を仕上げなければいけません・・・・・・先ずは改めて、その“重み”を理解してください・・・

 

 

 

 ドラマというものは映画とは違い常にスケジュールに追われながら課されたノルマをこなしていかなければならない。だから、もはや俺には悠長に悩んでいる暇もない・・・

 

 

 

 

 

 

 「蓮・・・・・・お前って人を好きになったことある?

 

 こうして思い至ったのが、蓮に直接聞いてみることだった。理由は至って単純で、純也を演じていくにあたって一旦気持ちを“整理”しておきたかったからだ。

 

 「・・・人を好きになったこと・・・・・・それって“恋愛的な意味”で、ってこと?」

 「そう」

 「・・・人を好きになったことねー・・・」

 

 またしても役作りで壁にぶつかる俺からの問いかけに、そのきっかけになっているとは知らない蓮は考え込む仕草をしながらフォンスを口へ運ぶ。1対1の沈黙が1秒ごとに進むたびに、平然を保っていた心臓がゆっくりと高鳴り始める。ついこの間まではそれが堀宮だったけれど、あのまま一色によって気付かされるようなことが起きなければ解釈を間違えたまま本番まで進んでいたかもしれない。そう考えると、これは寧ろ不幸中の幸いどころか役者としてまた一歩先へと進める大きなチャンス・・・と、簡単に“この気持ち”を堀宮のように‟たかが芝居”と割り切ることが出来たら、こんな苦労はしない。

 

 「・・・念のために確認するけど、本当に“役作りで困ってる”から憬はわざわざ呼び出して私に聞いてるんだよね?

 

 それでも俺は割り切らなければいけない。何故なら“蓮と雅”は根本的に違う人間だからだ。

 

 「あぁ・・・だから“親友”のお前にこうして聞いてる

 

 フォンスの缶に向けられていた蓮の視線がいきなりこっちに向けられ、俺はその問いかけに“親友”として答えを返す。俺の眼を真っ直ぐに見る金色の瞳から覗く感情は、冗談でも何でもなく“本気”に見える。

 

 

 

 

 

 

 “『やっと自覚したみたいだな。もうサトルにとってレンちゃんの存在は“ただの親友”では収まらないところまで大きくなってしまったことに・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「じゃあ・・・・・・私が“いま好きな人がいる”って言ったら、憬はどうする?




どうする、憬_



顔合わせと読み合わせのところをガッツリやるかやらないかで相当悩みましたが、尺の都合とここから先に考えている展開的な意味でこうなりました・・・すいま聖闘士星矢。

そしてしれっと登場白石さん


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scene.97 ありえない

もうドドンパには二度と乗れないのか・・・・・・無念。


 「じゃあ・・・・・・私が“いま好きな人がいる”って言ったら、憬はどうする?

 「・・・・・・え?」

 

 “人を好きになったことある?”と聞いた俺に、蓮は俺の眼を真っ直ぐに捉えるように見つめながら、心なしか普段より少しだけ小さめな声量でそう聞いてきた。いきなり親友の口から出てきた言葉があまりにも訳が分からなすぎて、俺は文字通りに言葉を失う。

 

 「・・・本当にいるのか?」

 「その前に、どうするかって答えるのが普通じゃない?

 

 その言葉が本当かどうかを確かめようとした俺の声に被せて、蓮は答えの続きを聞いてくる。普段からよく知っている、良くも悪くも飾り気がなくて誰よりも負けず嫌いで、実は意外と繊細なところもある頑張り屋で俺と負けず劣らず嘘を吐くのが下手なこいつの表情(かお)と声。いま俺の前に缶の炭酸飲料を片手に座っているのは、下らない話ひとつで馬鹿みたいに盛り上がれる小6のときから何も変わらない一番の親友。

 

 「で、憬はどうしたいの?

 

 そんな何も変わらない今の関係性を、身勝手だと言われようと蓮とは貫いていこうと思っている。それだけこいつのことを、俺は“大切にしたい”と心から思っている。これから先の未来で、こうやって共演者(ライバル)として凌ぎ合うような日々が何度来ようと、分け隔てもなくサラッと気軽に愚痴だとか本音を溢せるような“”が続いていくことを、心の底から願っている。

 

 「俺は・・・」

 

 だから、蓮に“好きな人”がもしも本当にいるとしたら、親友である俺がやるべきことはこいつのことを応援してやることが一番だし、互いに他人を演じる生き方をしている以上はなるべく演じていないときは平穏でいたい気持ちはある。

 

 「・・・分からない

 

 その気持ちと同じくらいに、その“続き”を見てみたいと思っている自分が俺の中で生まれつつある。そんな真似をすれば俺たちは二度と“”には戻れなくなるかもしれないことは分かっていて、こいつの口から出た言葉が“本当”だとしたら、それは絶対に許されないことだというのは恋愛をしたことがなくても分かっている。それでも何も変わらないこいつの表情と対峙しているいまの俺は、冷静な判断が出来ないくらいに葛藤している。

 

 

 

 役者だったらこの“葛藤”すらも昇華する・・・俺はその演り方で今日までやってきたはずだ・・・

 

 

 

 「どうしたらいいか・・・・・・分からないんだ

 

 心の中で渦巻く複雑な気分をどうにか整理して、やっとの思いで答えが出た。結局それは、何も思い浮かばなかったという答えだ。当たり前だ。何の前触れもなく親友からこんなことを聞かれても、俺が分かれるわけがない。

 

 「・・・ははっ」

 「・・・何がおかしいんだよ?」

 

 するとそんな俺を正面から見つめていた蓮は、いきなり静かに笑い出した。

 

 「初めて見たかも・・・こんなに弱ってる憬」

 「・・・・・・」

 「やっぱり君は“まだまだ”だね」

 

 どうやって飼い慣らして良いのかが分からない未体験の感情に弱った俺を見て“まだまだ”だと言うその表情は、心配しているというよりはどこか嬉しそうに悩める“1年後輩”の役者を微笑ましく見つめる、同じ学校の制服を着た同じクラスのただの親友だ。

 

 「私が静流と一緒に暮らしてすぐぐらいのときに、静流から言われたことがあってさ・・・“私は2歳の時に“芸能界(この世界)”に入っちゃったから “普通の世界”を知らない。それなのに私たちは“普通の世界で普通の人生を送る普通の女の子”を演じなければならない時が来ることもある”・・・って」

 

 そうして蓮はまた徐にフォンスを口に運び、まだ中2だったときに同居人の牧から言われた言葉を俺に打ち明ける。

 

 「そんな感じでずっと芝居をしてきた静流みたいに、私たちもいつかは経験したことのない感情で芝居をしないといけないときが来る・・・・・・憬にとってそれが“今”なんだよ。きっと

 

 

 

 “『“俯瞰型だろうと憑依型だろうと“やるべきこと”は同じ”・・・これ、“超重要”だから・・・』”

 

 

 

 「俯瞰型だろうと、憑依型だろうと、“やるべきこと”は同じ・・・か」

 「なんの話それ?」

 「何でもない。ただの独り言」

 

 昨日一色から言われた言葉が頭に浮かび、ほぼ無意識に口から出た。偶に出てくる心の声という、余裕があまりないときに出てくる自分の悪い癖。

 

 「・・・ぶっちゃけ私も恋愛的な意味で人を好きになったことがないし、憬の独り言もよくわかんないけど、“やらなきゃいけない”って分かってるならやり切るしかないんじゃない?」

 

 心の声を不意に溢した俺を、蓮は慰めながらも親友として鼓舞する。本当にこういうときに限ってこいつはちゃんと頼もしい“先輩”をやってて、そんなこいつにこうやってアドバイスを送られるたびに、俺はまだまだ“追いつけていない”ことを実感する。

 

 「・・・そうだよな」

 

 

 

 蓮に追いつくためにやるべきことは分かっていて、やるべきことをやればきっと俺は今度こそ追いつけるだろうけれど・・・果たしてそれが“俺たち”にとって正しいことなのか、それが俺たちにとって幸せなことなのか・・・

 

 

 

 「・・・あのさ、憬」

 

 アドバイスを貰ってもなおも覚悟が決まらないでいる俺の様子を見かねたのか、蓮は缶の中に残っていたフォンスを飲み干してどっと息を吐き、まるで何か腹を決めたように俺の眼を再び見つめ始める。

 

 「言おうかどうか迷ったけど・・・どうして雅役の堀宮さんじゃなくて私に聞いたの?

 

 何となく、蓮がどんなことを聞いてくるのかは予想出来ていた。もちろん、その理由はたった1つで、伝えるべき答えも決まっている。全ては自分の“役作り”のため、本当にそれだけだ。

 

 「それは」

 

 ヴゥゥ_ヴゥゥ_

 

 「ごめん電話来た。多分マネージャーだこれ」

 

 意を決して理由を伝えようとしたまさにそのときというタイミングで、蓮の携帯が鳴った。ごめんと言った後に呟いた独り言からして、恐らく相手はマネージャーだ。

 

 「お疲れ様・・・うん、わかったごめんごめん。すぐ下に降りるから」

 

 10秒ほどのやり取りで、蓮はマネージャーと思われる相手との電話を終わらせ画面を閉じて、小さな溜息を溢す。相槌からして、“まだ掛かりそうか?”とでも聞かれているのだろう。

 

 「ごめん憬。マネージャー下に待たせてるから私はこれで帰るね」

 「おう、分かった。こっちこそごめんな、急に付き合わせて」

 「ううん全然。むしろまた何かあったらいつでも呼びな。あんまり大した助言は出来ないかもだけど、フェアに戦うライバルってことで相談だけはちゃんと乗ってあげるから」

 「・・・それは頼もしいな」

 

 半分くらい無理やり付き合わせる形になったこともあり、当然引き留めるようなことは俺もしない。というか、俺も俺でマネージャーを待たせているからこれ以上はここに残るわけにもいかない。

 

 「・・・そうだ、どうせ憬もマネージャーさんが待ってるだろうから一緒に下降りる?」

 「いや・・・俺はあと5分くらいここにいるよ」

 「何それ、1人で気持ちを整理したいみたいな?」

 「(なんで毎回当ててくるんだよ・・・)・・・まぁ、そんなところ」

 

 だけどその前にもう少しだけ1人になって気持ちを整理したい俺は、一緒に下へ降りようという蓮からの誘いを断って先に帰る親友を見送ることにした。例によってこいつからはその魂胆を見事に当てられてしまった上に、せっかく言おうとしていた“本当の理由”も言えず仕舞いだが。

 

 「じゃあこれで次に会うのは学校か撮影かどっちかになるかは知らないけどお疲れ」

 「うん、蓮もお疲れ。お互い撮影頑張ろうぜ」

 「いまの君に人の心配する暇あんの?」

 「っ・・・分かってるわ言われなくとも」

 「あははっ、じゃあまたね憬」

 

 缶を自販機の隣のゴミ箱に捨てて、俺に手を振りテレビ局の通路を歩いていく呼び止められた理由までは知らないはずの蓮を見送り、1人になってどこに目線と意識を向けるでもなく思い耽る。結局、蓮を呼び止めて悩んでいることを打ち明けてみたものの、終わってみれば元気づけられただけでこれといった解決策は出ることなかった。あいつが思っている通りかは知らないけど、確かに普通に考えてみれば相手役の堀宮に相談したほうが理には適っている。それでも俺は、傍から見れば非効率で遠回りにしか思えない方法を選んだ。昨日から自覚してしまった気持ちを整理するには、現実的に“近しい”存在に聞いて“あくまで雅とは違う”ということをもう一度この意識に植え付けたかった。そうすればちゃんと割り切って純也の感情を受け入れることが出来ると思った。

 

 

 

 “『“いま好きな人がいる”って言ったら、憬はどうする?』”

 

 

 

 「・・・はぁぁ」

 

 そう思っていた自分の浅はかさとよりによってこんなタイミングで紛らわしいことを言ってきた蓮に対する溜息が、どっと漏れる。冗談だったとはいえ、言われた瞬間はさすがに頭の中がショートした。結局は冗談だったから良かったけれど、そのときの蓮の表情が妙に本気に見えたのも相まって何とも言えないショックを感じた。あいつと一緒にいてあそこまで心が揺れ動いたのはあいつと手を繋いだとき以来で、あのときの俺もまた、かなり本気で彼女役を演りきるあいつの演技につい“勘違い”しそうになった。

 

 

 

 

 

 

 “『別に緊張なんかしてないよ・・・“芝居”に決まってんじゃん』”

 

 

 

 

 

 

 いや・・・もしもあれが・・・

 

 

 

 「・・・ありえないだろ。それは

 

 ヴゥゥ_ヴゥゥ_

 

 センター街で手を繋いだあの日を思い出して自分でも予期せぬ方向へ思考が持っていかれそうになった瞬間、ポケットに入れていた携帯電話が鳴る。

 

 「はい」

 

 誰からの電話なのか条件反射的に察して我に戻った俺は、携帯を開き連絡元を確認せずにそのまま電話に出る。

 

 「お疲れ様です。夕野君、もうそろそろ読み合わせも終わり解散する頃だと思うのですが、お戻り出来ますか?」

 「はい、今“ちょうど”終わったところですのでこのまま下に向かいます(嘘は言ってない・・・)」

 

 やはり、電話をよこしたのはマネージャーの菅生だった。まぁ、この携帯に登録している連絡先は両手でこと足りるぐらいしかいないから状況さえ考えれば誰からかは想像つく。とは言ってもマネージャーをこれ以上待たせるわけにもいかないので、俺はそそくさと椅子から立ち台本などを諸々入れているリュックを背負い裏口に繋がるエレベーターへ向けて通路を歩き始める。

 

 「戻る前に、急ではありますが夕野君に確認事項があります」

 「えっ、何ですか?」

 

 歩き始めようとしたところで、菅生は俺を一旦呼び止める。普段から畏まっている口調のせいでやや分かりづらいけれど、それなり以上に重要なのは電話越しの空気で察した。

 

 「実はつい先ほど本郷さんから私のほうへ連絡がありまして、“急な変更になってしまい申し訳ないがこちらの来週の都合が悪くなったため、もし良ければ夕野君との“面談”を明日にでも行いたい”ということですが、いかがしましょうか?」

 

 それは、ちょうど来週の水曜にスケジュールに組まれていた本郷という映像作家との“面談”、もとい顔合わせが急遽明日にずれ込んだという連絡だった。ちなみに明日は幸か不幸か、ちょうどスケジュールが丸一日空いている。

 

 「明日ですか・・・」

 

 頭の中で数秒ほど引き受けるか断るかを考えて、俺は決めた。

 

 「大丈夫です・・・是非とも明日でお願いします」

 「かしこまりました。ちなみに時間のほうは夕方の17時からですので学校の授業は普通に受けられるよう調整しています」

 「ありがとうございます、菅生さん」

 

 いまの俺には、引き受ける以外の選択はなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 “『蓮・・・・・・お前って人を好きになったことある?』”

 

 

 

 

 

 

 「はぁぁ・・・」

 

 シャワーから上がってダイニングも兼ねたリビングの椅子に座って、寝る前の1時間を使って今日の復習。あともう少しで暮らし始めてから2年になる、静流と一緒にいるこのリビングの景色。いまの私は多分、こっちに来て1週間もしないくらいのときに別のドラマの台本と睨めっこをしていたのと同じように、自分の椅子に座って台本に目を通しながら演出の黛さんから言われたことを復習している。

 

 

 

 “『私が“いま好きな人がいる”って言ったら、憬はどうする?』

 

 

 

 「私も私で何であんなこと言ったんだよもう・・・」

 

 復習しているところだけど、どっかの“芝居バカ”とそのバカが感染(うつ)って余計なことを言った自分のせいでちっとも身が入らない。

 

 「おぉ〜、今日は随分と荒れ模様だねレンレン」

 

 椅子から立ち上がりがてらに行き場がない自分への不満が溢れ出たまさにそのタイミングで、シャワーから上がって同じく部屋着に着替えた静流が背後から優しく話しかけてくる。そういえば2年前に出た月9でプレッシャーに押しつぶされそうになっていたときも、こんな感じでシャワー上がりの静流から話しかけられてた気がする。

 

 「・・・いまの独り言聞こえてた?」

 「うん、バッチリ。“私も私で何であんなこと言ったんだよもう”・・・ってね」

 「・・・最悪」

 「もしかしなくても何かあった?」

 「はぁ・・・ほんっと静流のそういうとこ嫌い」

 「も~怒んないでよ蓮ってば~」

 

 あのときとはまた違う意味で集中できていない私に、静流はいつものように後ろからギュッと抱きつき、ほのかなシャンプーの香りと背中に温もりと少し大きな胸の感触が伝う。

 

 「・・・前から思ってるんだけどさ、静流って意外と大きいよね?」

 「それ、地味にコンプレックス」

 「小っちゃいよりはマシでしょ」

 「胸があると何かと太って見えちゃうから嫌なんだよねー、おまけに私って蓮とは違って背も低いし」

 「あんまり背丈とかそういうの気にしない人だと思ってたよ。静流は」

 「女優はまず見た目が第一だからね。だから蓮みたいにスラっとしてる人ってほんとに羨ましい」

 「別にスラッとしてても静流みたいに役に恵まれなきゃ意味ないけどね」

 「そんなことないと思うけどなー。比べてる相手が悪いだけで」

 「分かってるよそれぐらい・・・でも、そういう問題じゃないっての・・・」

 

 もちろん静流からのスキンシップは同居を約2年も続けていたらすっかり慣れ切って日常の一コマみたいになっているけれど、こうやって甘えられるとそれだけで気分が不思議と何となく落ち着いていくのはずっと変わらない。

 

 

 

 

 

 

 “『私ってさ、2歳の時に芸能界(この世界)に入っちゃったから “普通の世界”を知らないんだよね』”

 

 

 

 

 

 

 「とりあえず気分は落ち着いたかな?」

 「・・・まず身体離してくれない?じゃないと座れないから」

 「うん、分かった」

 

 私の背中から、静かに温もりと重みが離れる。静流は私とは違って、努力をしているようなところなんて誰にも見せない。その癖ひとたびカメラの前に立てば、自分の芝居1つで周りを蹴散らすくらいの勢いで視ている人たちを圧倒してみせる。

 

 「じゃあ私に話してくれる?蓮が荒れてる理由?」

 「荒れてるって言われると語弊があるな・・・」

 

 もちろん私も静流が台本と睨めっこしたり、必死でノートや自分のパソコンを使って演じる役のバックボーンを作っていたりと、そんなふうに努力している姿を見たことは一度もなく、私が知っているのはこうやって後輩女優を揶揄い半分で可愛がる可憐でミステリアスな1学年上の女の子。

 

 「・・・静流に話して何になるの?」

 「んー、ストレス発散?あるいは、感情の整理?」

 

 だけどこうやって2年間ずっと一緒に暮らしてきたからこそ、芸能界という世界に揉まれて翻弄されたからこそ、こんな世界で子役のときからずっと輝き続けている静流がどれだけ傷つきながら頑張ってきたのか、それだけは私でも分かっているつもりだ。

 

 「あのね静流。そうやって簡単に言ってくれるけど、それで済むくらいなら苦労しないって話」

 「でも誰にも話さないで溜め込んだまま本番まで放置するよりは吐き出しておいたほうが身のためだと思うけど?蓮だって中途半端な気持ちで本番なんて迎えたくないでしょ?」

 「・・・はぁ・・・」

 

 まぁ分かったつもりでそれを口にしたところで、静流にはのらりくらりとかわされるのがオチだろうけど。

 

 「単刀直入に言うと・・・・・・その・・・憬に“好きな人”ができたかもしれない

 

 “こうなったら”静流が止まらないのも知っている(というか半分諦めた)から、私は椅子にまた座って正直に理由を打ち明ける。ぶっちゃけ(あいつ)からあんな言葉が飛び出してくるなんて思いもしなかったから、思い返すだけで何だか気恥ずかしい。

 

 「・・・うん。それで?」

 「・・・それだけ」

 「ほんとに?」

 「ほんとに決まってるよ・・・」

 

 自分の中ではプライドを捨てる覚悟で理由を明かしたのに、静流は“そんなの知らない”と言わんばかりにテーブルを挟んだ反対側の“定位置”に座ってなおも掘り下げようとする。

 

 「・・・別に何でもいいじゃん。大したことじゃないから」

 

 私はそれにどうにかして対抗しようとするけど、一度“スイッチ”が入った静流の眼にはもうお見通しで、誤魔化す隙もない。

 

 「ううん。親友って呼べるくらい仲が良い、それも異性の友達に“好きな人”ができたってさ・・・それって自分がその友達にとっての1番から“2番”になるわけなんだから、普通に大事(おおごと)だよ」

 

 抵抗しようとしてやっぱり恥ずかしくなって“大したことない”と逃げようとした私に、静流は容赦なくその裏側を優しく突いてくる。相も変わらず、嘘が下手なくせに肝心なときに誤魔化そうとする自分は嫌いだ。

 

 「何があったかは知らないけど、もしも私が蓮だったら・・・結構“ショック”を受けてると思う

 

 そんな周りが思っているほど素直じゃない自分の本心に限りなく近い気持ちを、静流は目の前で頬杖をつきながら代わりになって私に伝える。

 

 

 

 “『お前って人を好きになったことある?』”

 

 

 

 「ショックっていうか・・・・・・私もよく分かんないんだよ

 

 俯瞰型だとか、憑依型だとか、憬が言ってた独り言は置いておいて、あいつが自分の演じる役に徹底的に入り込むタイプの役者だっていうのは知っている。

 

 「静流だったらわかると思うけど、憬ってモロに“入り込む”タイプだから、相手のことが好きになる役を演じるときは本気で相手のことを好きになって芝居をするようなやつなんだよ。もちろんカメラが回ってるときだけだと思うけど・・・だけど、あいつは静流ほどオンとオフを完璧に分けられるほど器用じゃない・・・」

 

 そして静流だとか週末から撮影が始まる今回のドラマで雅を演じる堀宮さんのように、オンとオフを完璧に分けられるような器用さはない。昨日と今日で何があったかはもう一度ちゃんと聞いてみないと分からないけれど、明らかに今日の憬はいつもと様子が違っていた。何とか平然を装ってはいたけど、読み合わせのときもどこか意識はうわの空で、役に“入り込めていない”感じがした。

 

 「ほら、憬って7月のドラマにメインキャストで出ることになってるじゃん」

 「そうだね。『ユースフル・デイズ』っていう学園モノのドラマで、原作では憬くんの演じる役は幼馴染のヒロイン“その1”に片思いをしていると」

 

 ちなみにこのドラマに私も出るという情報は本当だったら解禁まで共演者以外にはバラしちゃいけないことだけれど、静流にだけはボスと中村さんに許しを得た上で密かに明かしていて、もちろん本人も全部把握している。

 

 「その読み合わせが今日あったんだけど・・・何だか憬、全然役に入り込めてなかったように見えた」

 「へぇ~珍しい」

 「そうなんだよ・・・って言っても憬が読み合わせしてるところ見るのは初めてだったけど、初めてでも役に入れてないのが見ててハッキリ分かるくらい、集中出来てなかった・・・」

 

 

 

 

 

 

 “『蓮。ちょっといいか?』”

 

 今まで見たことのなかった芝居をみせた憬は、読み合わせが終わると早々にメインキャストの人たちと別れて私を休憩スペースに呼び出した。その表情は私にどうしても言いたいことがあるって感じで、分かりやすく悩んでいた。

 

 “『とりあえず今から俺が言うことは、あくまで“役作り”のためだってことを先に頭に入れてから聞いてほしい』”

 

 私はその原因を察してはいた。憬はこれまで恋愛というものを経験したことがない。だから恋愛感情がどういうものかが分からないから、雅のことを意識している純也の気持ちが分からない。だから、上手く感情移入が出来なくて思うように役作りが進まない・・・と、どうせまた役作りが上手くいかなくてどこぞの“のび太”みたいに私を頼ってきた。そう思って私はあいつの相談に乗った。

 

 “『お前って人を好きになったことある?』”

 

 でも、私の読みは外れた。少しだけ気恥ずかしそうに私の眼を見つめながらそう打ち明けた憬を視て、雅のことを恋愛感情で視れないから役に入り切れないってわけじゃないのが分かった。

 

 “『憬はどうしたいの?』

 

 むしろ実際は真逆で、憬は純也として雅のことを本気で好きになろうとして、相手役の堀宮さんのことを“異性”として意識するために陸上部に入って身体づくりをする裏で、私の知らないところで精神(こころ)を演じる役に近づける努力を続けていた。

 

 “『どうしたらいいか・・・・・・分からないんだ』”

 

 そうして心と身体を純也に近づけていった結果、役をガチガチに作り過ぎて堀宮さんのことを役としてではなく“本気”で好きになってしまった・・・という、私の見解。

 

 “『初めて見たかも・・・こんなに弱ってる憬』

 

 親友になってから初めて見た、憬の表情。今まで知らなかった一面を垣間見た嬉しさに似た面白さと、親友に“好きな人が出来たかもしれない”という現実に対する言葉にできない複雑な感情が同時に襲ってきた。

 

 “『ぶっちゃけ私も恋愛的な意味で人を好きになったことがないし、憬の独り言もよくわかんないけど、“やらなきゃいけない”って分かってるならやり切るしかないんじゃない?』

 

 初めての感情に自分でアタフタしている憬の様子を見て微笑ましく思ったのは本当のことだし、別に悔しいとかそういうことじゃないけれど、やっぱり内心では“少しだけ”ショックなところもあって、素直に頑張れとあいつを応援する気にはどうしてもなれなかった。仮にあいつが本当に堀宮さんのことを好きになっても、私たちの関係はずっと変わらないし壊れることもないはずだから、大して気にする必要なんてない。堀宮さんじゃなくて私に役作りの相談をしてきたのも、あの人が相手じゃ今の自分は冷静になれないから何でも話せるただの“親友”に過ぎない私に頼ったっていうのも、何となく分かっていた。

 

 “『あのさ、憬』

 

 分かっていても、私はどうしても憬に理由を聞いてみたくなった。

 

 “『どうして雅役の堀宮さんじゃなくて私に聞いたの?』

 

 

 

 

 

 

 「・・・それで?憬くんは何て言ったの?」

 「いや、聞こうとしたところで中村さんから“まだ終わらないんですか”って電話が来たから、それで今日はお開き」

 「うわ~なんでよりによってそのタイミングで電話してくるかなぁ中村さん」

 

 終わってみれば、また私は月9のときみたいに静流に顛末を話していた。

 

 「てことは結局、憬くんがどう思ってるかは分からず仕舞いか」

 

 静流の言う通り、理由を聞こうとしたタイミングで中村さんから“早く戻って来い”という電話が来たおかげでどっちつかずでモヤモヤしたまま先に帰ることになったけれど、家族とあいつの次くらいに私のことを知っている静流にこのことを話したおかげか、少しだけ頭の中は整理された。

 

 

 

 “『それは・・・』”

 

 

 

 「・・・そういうことになるね」

 

 もちろん、正しい答えが分からないままっていうモヤモヤはまだ残ってるけど。

 

 「でも別に相手が堀宮さんでもそうじゃなくても、“好きな人”ができたところで私は知ったこっちゃないけどね。だって私はあくまで憬とは親友同士(今まで)の関係でこれからもずっといたいし、きっと憬もそれを望んでる・・・」

 

 

 

 「(やっぱりあなたは、演技は上手くなっても嘘は下手くそなままね・・・)

 

 

 

 「・・・蓮はほんとにそう思ってるの?

 

 そのモヤモヤを別の理由をつけて無理やり吹き飛ばす私に、テーブル越しの正面に座る静流は私の言葉が本当か嘘かを確かめるかのような視線と感情を向ける。

 

 「当たり前だよ・・・・・・そんなの、朝になって目が覚めたら地球が滅んでましたってぐらい、“ありえない”話だから・・・

 

 静流の眼を真っ直ぐ見て、私は思っていることをそのまま言葉にする。例えモヤモヤが残っていようと、それだけは絶対に“ありえない”。だって私たちはお互いに“親友”でいることを望んでいて、求めているから。

 

 「“ありえない”話、ね・・・

 

 

 

 じゃあどうしてアンタは、(あいつ)の隣に違う誰かが立つことをこんなに拒んでいるの?

 

 

 

 “違う・・・私はそんなつもりじゃ・・・

 

 

 

 「そっか・・・分かった」

 

 心の奥に眠っている本心の“片割れ”が発した声を、静流の相槌が優しく掻き消した。

 

 「分かったって何が?」

 「だから、蓮の言ってることは本当だってことが分かったって意味」

 「・・・そんなに私が“嘘つき”に見える?」

 「ううん、ちっとも」

 

 私に向けられている表情は、“本当のことを聞けてよかった”と言わんばかりに“スイッチ”を切って納得している表情。これ以上は心の中を突っ込まれない安心感と、疑い深くて負けず嫌いな性格の静流が珍しくすぐに引き下がったことへの、若干の違和感。

 

 「蓮のことを疑ってるつもりはなかったけど、ごめんね」

 「うん・・・分かってくれたらいいよ」

 

 一緒に暮らしてからもうすぐ2年が経とうとしているけど、こんなふうに静流の考えていることが分からなくなってしまう瞬間は未だにあって、きっと私はまだ、“本当の静流”がどういう人間なのかをほとんど知らない。

 

 「そもそも私、嘘はつかない主義なんで」

 「“嘘をつけない”の間違いじゃなくて?」

 「そんなのどっちでも同じでしょ」

 「ふっ、何だか蓮ってますます憬くんと似てきた気がする」

 「あの“芝居バカ”と一緒にしないでくれます静流さん?」

 

 

 

 静流のことをちっとも分かっていないくせにこうやって都合よく甘えている自分も、芝居のことから離れてちょっと気を抜いたらあいつのことばかり考えている自分も、周りのみんなにどんどん置いていかれている気がして・・・嫌だ。

 

 

 

 「満更でもないくせに」

 「・・・うっさい」

 

 結局この後は、このまま台本を見て復習することなく眠くなるまでただ静流に愚痴を溢しただけで1日が終わった。




“似た者同士”ゆえに_



僕はアクタージュを書いているのか、それともラブコメを書いているのか・・・自分でもよく分からなくなってきた。そもそも僕は恋愛モノを書くことが大の苦手だというのに・・・・・・はい。

というわけで次回は原点に戻るわけではありませんが、原作ではお馴染み?の“彼ら”が出てくる予定です。


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scene.98 悩みごと

ギャンブルが悪ってわけじゃないけど、ギャンブルとは無縁の人生でほんと良かった。


 東京都杉並区・阿佐ヶ谷にある住宅街の一角に、32歳の映像作家・本郷透視(ほんごうとうし)が4月に立ち上げたばかりの映像制作会社、“スタジオ七福神”はある。

 

 「失礼します」

 

 この日、代表の本郷を含め社員2名にアルバイト1名の小規模な阿佐ヶ谷の映像制作会社に、若手俳優として活躍する1人の少年がやってきた_

 

 

 

 

 

 

 2001年5月16日_東京・阿佐ヶ谷_

 

 「(・・・ここか)」

 

 午後4時50分。まともに丸一日学校の授業を受けた俺は、その足で本郷透視という映像作家がつい最近に立ち上げたという制作会社の入る建物の前に来ていた。ここに来た理由としては、『ユースフル・デイズ』とはまた別で水面下で動いている映画への出演に纏わる話し合いのためだ。ちなみにこのオファーの詳細を簡潔に説明すると、3人の若手映画監督がそれぞれ“10代の殺人”を題材にした3つの短編を撮るというオムニバス形式の映画となっていて、そのうち俺が出るのが今から向かう映像制作会社の社長でこのプロジェクトの“発起人”でもある本郷が手掛ける短編というわけだ。

 

 「(1階が銭湯・・・本当にここで合ってるんだよな?)」

 

 俺が生活している芸能コースの男子寮から歩いて5分もかからない住宅街に立つ、閑静な景色にはやや不釣り合いなコンクリートで造られたモダン的なデザインをした5階建てのオフィス。その1階にはこれまたモダンなデザインの建物には不釣り合いな“黒の湯”という銭湯があって、本郷のオフィスはこの横にある階段を上がった先にあるらしい。場所は事前に調べてあるから間違いはないのだけれど、この外見を見ると本当にここで合っているのかが思わず不安になる。

 

 「(それより・・・今日はいつも通りにちゃんと話せてたよな?俺・・・)」

 

 阿佐ヶ谷の一角にある目に飛び込む情報量が多そうなオフィスビルに若干困惑し始めた気持ちを紛らわすように、俺の思考回路は今日を振り返り始める。

 

 

 

 

 

 

 “『おはよ、憬。昨日ぶり』”

 “『おはよ。昨日ぶり』”

 

 1日ぶりに、またいつもI組の教室で俺より先に隣の席に着いている蓮と、いつもと変わらずにおはようと言って自分の席に座る。今日は各々で男子組と女子組に分かれて1日を過ごしたからあまり話すようなことはなかったが、今日に限れば本当にいつも通りにやれていたと思う。

 

 “『夕野っち、そういや昨日“読み合わせ(アレ)”が終わった後に環さんと2人きりになってたけど何してたん?』”

 

 とはいえ昼休みにカフェテリアで一緒に昼飯を食べていた新井から昨日のことを言われたときは、さすがに内心ではそれなりに焦った。

 

 “『あ~あれか。何ていうか・・・ちょっと台本に不安なところがあったから相手役で付き合わせてた』”

 “『相手役・・・けどそれやるなら堀宮さんにやってもらったほうが良かったんじゃねぇの?向こうはガチで相手役なわけだし』”

 “『そりゃ共演者(こいつ)は疑うよな・・・)いや、敢えてだよ敢えて』”

 “『敢えて?』”

 “『相手役でも演出でもない人にいまの自分を視てもらうと、また違った視点で自分の芝居が視れるんだよ』”

 “『だったら俺が相手でも良かったんじゃね?』”

 “『相手が“新太”だったら新井にしてたよ』”

 

 もちろん読み合わせに参加していた新井のことだからあの後に蓮と2人だけで残ったことを聞かれるのは想定済みだったこともあって、俺にしては素早くそれらしい言い訳を思いついてどうにか回避した。

 

 “『つか夕野っちさ、環さんみたいな超がつくほどの“美人”と一緒にいてよく緊張しないよな』”

 “『・・・緊張も何も、小6からの付き合いだからそんなの考えた事もないわ』”

 “『でも“可愛い”とは思うだろ?“幼馴染”から見ても?』”

 

 とにかく今日は、昨日とは違って普段通りに振る舞えた。

 

 “『可愛いっていうか・・・女優としてやっていけるだけの“華”はあるよ。あいつには』”

 “『華か・・・ははっ、夕野っちってたまに独特な表現するよな?』”

 “『・・・そうか?』”

 

 

 

 はずだ。

 

 

 

 

 

 

 「・・・10分前か」

 

 今日の自分を振り返り、左手にはめている中学の卒業祝いで買ったデジタル式の腕時計で時間を確かめると、時刻は16:50を示していた。

 

 「(ちょっと早いけどここにいても仕方ないし、入るか)」

 

 時間的にはまだ少しだけ早いが、これ以上ここで立ち尽くしていても不審者でしかないから、俺は銭湯の入り口の隣にある階段へと足を進める。

 

 「ここに何か用か?

 

 建物の敷地内に足を踏み入れる寸前、後ろから唐突に知らない男の呼び止める声がした。もしかしたらこの建物の関係者なのだろうか。

 

 「すいません。ここの関係者・・・ですか?」

 

 と、頭の中で考えを巡らせながら振り返ると、上は黒のスウェットで下は縦に白のラインが入った黒のジャージというほぼ“黒一色”な服装の男の人が右手にハンディカムを持って立っていた。顔のラインを沿うように無造作に伸びた少し癖のある金髪の髪で目元が隠れているため分かりづらいが、恐らく年齢的には20前後のほぼ同じくらいの背丈の男の人。

 

 「いや、ただの通りすがりだ」

 「・・・そうですか」

 

 何となく第一印象でそんな予感はしていたが、どうやらこの男の人はただの通りすがりらしい。

 

 「それより、あんたはここに何か用でもあるのか?」

 

 だとしたら不審者か何か・・・と疑う隙を突くように、男は無造作に伸びた前髪の隙間から鋭い眼つきで俺を捉えて問いかける。その雰囲気はもはや不審者でしかなくて、出来ることなら無視して本郷さんの待つ2階のオフィスへと繋がる階段を上がっていきたいところだが、男が右手に持つハンディカムのカメラがどうしても気になった俺は、心の中で疑いつつもその男の問いかけに答えることにした。

 

 「実はこの建物の2階にあるオフィスで本郷さんっていう映像作家と会うことになっていて、それでここにいるんですよ」

 「でもどっからどう見ても高校生なあんたが何でここに用があるんだよ?」

 「まぁ、この見た目じゃ何でここに用があるんだよって話ですよね・・・ていうか、ここがどこなのか知ってるんですか?」

 「全然知らない

 「じゃあ何で聞いたんすか・・・

 

 とりあえず2階にあるオフィスに用があることを正直に伝えたら、案の定疑われた。そりゃあいまの俺の服装は学校で授業を受けてそのままここに来ているわけだから、パッと見だとただの高校生ということになるから、疑われて当然だ。

 

 「・・・ところで、そのカメラは何ですか?」

 

 にしても、さっきからこの男が右手に持っているカメラがもの凄く気になる。

 

 「これか。こいつは俺が高1のときに小遣い叩いて買ったSONNEYの“CCD-SC555”っつうハンディカムでな」

 「いやそうじゃなくて、どうしてカメラを持っているのかって俺は聞いてるんです」

 「あ?あぁそっちの意味か。別に深い意味はねぇけど、強いて言えば “シュミ”で普段から持ち歩いてるやつさ」

 「趣味?」

 

 時間を気にしつつも男にカメラのことを聞いてみたら、どうやらただ単に“趣味”で持ち歩いているだけらしい。というかこの人、初対面の割にめちゃくちゃフラットに話しかけてくるな。一応言っておくと、俺って芸能人なんだけど。

 

 「つってもまともに話したら日が暮れちまうけど、どうする?」

 「やめときます。用事があるんで」

 「ハッ、そうだったな。悪いな取り込み中に邪魔して」

 

 “果たして自分は芸能人なのか?”と通りすがりの一般人からあまりにフラットに話しかけられ内心で自問自答していると、男は俺に用事があることを察して自ら立ち話を終わらせてきた。名前も知らない初対面の人にづけづけと話してくる態度や目元まで伸びた前髪から覗く鋭い眼光は普通に怖いが、どうやらそこまで悪い人ではなさそうなのは話していて感じた。

 

 「では、俺はこれから“仕事”があるので失礼します」

 

 とはいえひとまずこれでハンディカム持ちの“不審者”から逃げる口実が出来た俺はその口実をすぐさま実行して、今度こそ2階へ繋がる階段に足を進める。どんなにこの不審者が実は“いい人”であっても、こっちはこっちで外せない“仕事”にいかなければいけないからだ。

 

 「・・・あんた、夕野憬だろ?

 

 階段の一段目に右足が乗ったその瞬間、ハンディカムの男からフルネームを呼ばれた。

 

 「どおりでどっかで見た顔だなと思ってたんだよずっと・・・やっぱり、『ロストチャイルド』に出てたあの“次男坊”だ」

 

 フルネームを呼ばれて振り返った俺に、男はあの映画を観たことを打ち明ける。

 

 「よく分かりましたね」

 「あと、7月のドラマにも出るだろ?」

 「はい。ありがたいことにメインキャストです」

 「ハハッ、そいつは最高じゃねぇか」

 

 そして俺が誰なのか分かるや否や、男は相手が芸能人だからと怯むどころか分かりやすくテンションが上がった様子で友達のような感覚で俺に話しかける。今ハッキリとわかっていることは、俺が“夕野憬”だとカメラを持っているこの男にバレてしまったということ。考えてみればいまの俺は全く変装なんてしていないから、バレるのも時間の問題だった。

 

 「・・・言っておきますが、そのカメラで“勝手に”俺のことを撮らないでくださいね」

 「安心しろ。“肖像権”ってやつだろ?その辺のところはちゃんと頭に入れてるから撮らねぇよ」

 「そうですか。分かってくれて何よりです」

 

 とりあえず俺はどうにか右手に持っているカメラで撮られないようになるべく語気を少し強めて“撮るな”と伝えると、男は軽く笑いながら俺からの忠告を受け入れた。もしかしたらこの人、意外と弁えるところは弁えるタイプかもしれない。

 

 「じゃあ、今度こそこれで」

 

 と、この男に興味が出始めてしまうといよいよ大事な仕事をすっぽかしてしまいかねないから、三度目の正直で俺は背を向けて階段を上る。

 

 「最後にあんたへ言っておきたいことがある

 

 すると男は三度、階段を上がろうとする俺を呼び止めてきた。さすがにこれ以上こんなところで立ち話に付き合わされるわけにはいかないから、俺は背を向けたまま無言で立ち止まる。

 

 「俺は黒山墨字(くろやますみじ)。何年先になるかは分からねぇが、いつかはあんたみたいな役者を使って映画の1つでも撮りたいと思ってる映画監督志望の“バカ”だ・・・・・・もしどこかでまた会うようなことがあったら、そのときはよろしくな・・・

 

 無言で背を向ける俺に、“クロヤマスミジ”と名乗った男は一方的に約束事のようなものを伝えて、そのまま去って行った。

 

 「・・・何だったんだ・・・いまの人」

 

 ますますあのクロヤマというハンディカムを持った映画監督志望の男のことが気になってしまったが、そんなどうでもいい通りすがりの不審者に構っている暇なんてない俺は、心を切り替えて階段を上がりきりオフィスのドアを開けた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「いや~会いたかったぜ憬君。マジで超久しぶりっていうかまずオニーサンのこと覚えてる??」

 「あの、はい。一番最初に撮ったCMでディレクターをやっていたことだけは覚えています」

 

 2階にある映像制作会社・スタジオ七福神のオフィスに入ると、この会社の社長で映像作家の本郷が訪問してきた俺にいきなり握手を求めてきて、俺もそれに応じる。トレードマークのように被っている黒のハット帽以外はどんな感じの人だったのかはほとんど覚えていないが、革ジャンという社長にしては厳つい服装をしたこの人とは、実を言うと一度だけ仕事をしたことがある。

 

 「じゃあ自己紹介はなくても大丈夫ってとこだけど名刺だけは渡しとくわ。一応社長になったんで」

 「あぁ、はい。ありがとうございます(名前はついこの間まで憶えてなかったけど・・・)」

 

 仕事場と隣り合わせの応接間に招かれて、名刺を渡される。スタジオ七福神の社長にして監督として短編映画、CM、有名なアーティストのMV、果ては脚本家として舞台まで手掛けているというマルチクリエイターの一面を持つ映像作家、本郷透視。一般的な知名度は『ロストチャイルド』を世に送り出す前の國近監督(ドクさん)と同じくらいで高いとは言えないが、この人の手掛けた映像作品の評価はどれも高く、実際に国内の映像部門で幾つもの賞を獲った確かな実績もあり業界ではかなり名が知られている。

 

 「いつもは後ろのほうで普通にみんな仕事してるからなんかごちゃごちゃしてるけど、気にしないで」

 「分かりました」

 

 応接間のソファーの後ろでは、そのまま隔てる壁もなく地続きで繋がるかのように資料などが片や少しばかり雑に、もう片方はキッチリ整頓された状態で置かれているデスクがある。パッと見渡した感じだと、ここで働いているスタッフはざっと数人といったところだろうか。

 

 「こんにちは。あのときの少年」

 

 と、2階のフロアを眺めながらソファーに座ろうとしたところで、傍から妙に既視感を感じる声が聞こえて咄嗟に座りかけた姿勢を立て直して俺は振り返る。

 

 「・・・天馬心・・・どうして

 

 振り返った視線の先には、2人分の紅茶の入ったマグカップを持つ“天馬心”がいた。子役から成長してさてこれからというタイミングで芸能界から引退したこの人とは、本郷と同じく生きてきてたった一度しか会ったことがないが、こっちは今でも鮮明に記憶が残っている。

 

 「そういや憬君は心一(しんいち)に助けてもらったことがあるんだっけ?」

 「はい・・・実は2年くらい前に渋谷で不審者に絡まれてたところを、天馬さんに助けてもらいました」

 

 

 

 

 

 

 “『本当はすぐに助けてあげたかったけど、君の“お芝居”が余りにも迫真過ぎてつい見入ってしまったよ。ごめんね、助けるのが遅れて』”

 

 

 

 

 

 

 「というか、どうして役者をやめて普通の人になったあの“天馬心”がここに?」

 

 忘れもしない。何故なら俺はこの“天馬心”という人に助けてもらったついでであの“オーディション”の存在を知り、結果的に今に繋がった。ある意味で言うと、一番の恩人に当たるような人だ。

 

 「あー、心一はアルバイトとして俺が雇ってるんだよね」

 「アルバイトですか?」

 「そう。本当は頭が良くて仕事もめっちゃ出来るから今すぐにでもアシスタントで雇用してやりたいとこだけど彼はまだ現役バリバリの大学生ってわけだからそうもいかなくてさ、それで週4でウチに来てもらって主に会社の経理代行とか由紀治(ゆきじ)の仕事を手伝わせてる」

 「あの、さっきから本郷さんの言ってる“シンイチ”は天馬心のことでいいんですか?」

 「もちろん。天馬心はあくまで僕が芸能界にいたときの芸名(なまえ)で、本名は天知心一(あまちしんいち)だよ」

 「・・・そういえば前会ったときにも言ってましたね・・・」

 

 元子役・天馬心こと、スタジオ七福神・経理代行(アルバイト)、天知心一。服装こそアクの強い社長とは違いどこにでもいそうな“大学生”といった適度にラフな感じだが、180以上はあるスラっとした高身長の出で立ちと子役時代の“美少年”がそのまま大人になったかのような浮世離れした儚げな顔立ちは健在で、明らかに一般人にしてはオーラが強すぎる。というか、まさかこんなところでまた会うとは思いもしなかった。

 

 「言っとくけど心一は赤坂学院(赤学)に通ってるからウチの中では一番の高学歴なんだぜ」

 「赤学に通ってるんですか天馬、いや天知さん?」

 「まぁ、この業界は学歴とかほとんどあてにならないのが現実だけどね」

 「こういうちょっと生意気なところもまた嫌いじゃないんだよなコイツは」

 「もーあんまり褒めないでくださいよ本郷さん」

 

 都内でも有数の名門として知られている大学に通っているという誇るべき経歴を“あてにならない”の一言で生意気に片付ける元子役のアルバイトを、社長の映像作家は内輪ノリで茶化す。この家庭的な光景を見るだけで天馬心、もとい天知がかなり信頼されているのが分かる。

 

 「透視さん、頼まれてたMVの“粗編*1”終わりました」

 

 そんな内輪ノリを微笑ましさ6割と気まずさ4割で見守りながら立ち尽くしていると、2階の玄関のほうから男の人の声がした。

 

 「おう、サンキュー由紀治」

 

 その声を察して下の名前を呼び目線を送った本郷に合わせるように声がしたほうへ振り返ると、若干よれ気味の白いシャツの下にカーキ色のタンクトップと首元にネックレス、ツンと逆立った短髪に顎髭という制作会社のスタッフというよりかは原宿の裏通りあたりで服を売ってそうな出で立ちの20代前半ぐらいの男が立っていた。

 

 「・・・えっと、この人は関係者ですか?」

 

 そのやや厳つくてファンキーな見た目に内心で普通にビビってしまい、思わず本郷へ視線を向けながら関係者なのかを聞いてみる。

 

 「ううん、不審者」

 「えっ?」

 「ちょっと紛らわしい冗談はやめてくださいって透視さん!キャラ作りっすよキャラ作り!」

 

 すると満面の笑みを浮かべて本郷は不審者だと答え、強面のファンキー男は割と本気で困惑した様子で言い返す。薄々分かってはいたけどこの人は不審者ではなく、関係者のようだ。

 

 「っと、失敬。僕は手塚由紀治(てづかゆきじ)。この会社の制作スタッフで、そこにいる本郷っていう帽子被った監督のアシスタントをやってます」

 「あぁどうも。俺はカイプロダクション所属の夕野憬です。よろしくお願いします(見た目厳つすぎだろこの人・・・)」

 

 俺の存在に気付いた手塚というアシスタントは、言葉遣いこそ少し雑だがファンキーな見た目にそぐわない優しそうな口調と表情で俺に一礼して、名刺を渡す。振る舞いからして強面なのは外見だけで中身は普通に良い人なのは一瞬で伝わったが、見た目が見た目だけに一周回って恐怖を感じる。

 

 「それで本郷の隣にいるノッポの彼が」

 「心一のことは俺から説明しといたから大丈夫だよ」

 「はい、了解です」

 

 それにしてもさっき入り口で話しかけられた監督志望のクロヤマという通りすがりの男といい、芸能人をやめて一般人になったと思ったら暫く世話になる監督が率いる制作会社にバイトで働いている天知といい、見た目と中身があまりに違いすぎそうなアシスタントの手塚といい、今日は何かと“濃ゆい”人たちとやたら遭遇している気がする。

 

 「ちなみに以上の3人が、スタジオ七福神のメンバーってとこだ」

 

 そんな癖のある3人が揃ったところで、社長の本郷は俺にこの3人がこの制作会社の全社員だということを告げる。本当にこの人数でどうにかなるのか、社会を経験していない俺ですら疑問に思った。

 

 「3人・・・これで回るんですか?」

 「ギリッギリよ正直。でも何だかんだでどうにかなってる」

 

 試しに聞いてみたら、本郷はアシスタントの2人を誇らしそうに交互に一瞥しながらクールな笑顔でこう答えた。どうやらギリギリで回せてはいるらしい。もちろん、俺にとって重要なところはそこではないのだけれど。

 

 「つーわけでこれから俺は来客と“ちょっと込み入った”話をここでするから由紀治と心一は一旦3階の編集室にでも上がって適当に編集の続きをするなりしといてくれ」

 「一応言っておきますが頼まれてたやつはもう終わってます」

 「二度言わなくとも分かっとるよ。後でチェックするわ」

 

 そしてここからは演者と監督の1対1の面談となるため本郷は早々にアシスタントの2人を3階にあるという編集室へ向かわせて、2階のオフィスは俺と本郷の2人きりになる。当たり前のことではあるけれど、ここでは元人気子役であろうとアシスタントに過ぎないから、扱いは“相方”と全く同じみたいだ。

 

 「さてと、じゃあ始めますか」

 「そうですね」

 

 2人だけになったところで、天知が置いて行った紅茶の入ったマグカップの置かれた応接間に戻り、ゆっくりとソファーに座る。

 

 「って行きたいとこだが、仕事の話をする前に憬君へ聞いておきたいことがある。いいかい?」

 

 ソファーに座り、水面下で俺が“主演”で出ることになる映画のスケジュールの調整などの話し合いが早速始まるかと思いきや、本郷はテーブルを挟んだ反対側のソファーに座るや俺の眼を睨むように見ながら問いかける。

 

 「はい。大丈夫ですけど」

 

 当然これは“監督命令”だから、演者となる俺には基本的に拒否権はないので普通に首を縦に振る。

 

 「憬君・・・お前さんは何か“悩んでいる”ことはないか?」

 「悩み・・・えっ何で?」

 

 一体何を聞いてくるのか身構えつつも首を縦に振ったら、いきなり悩み相談みたいな質問をさせられて思わず困惑した。これじゃあ面談というより、学校の“二者面談”のようだ。

 

 「俺は映画を撮るとき、演者と初めて会うときは必ずこうやって演者の“悩みごと”を聞くって決めていてさ・・・ま、ハッキリ言って“ドクさん”みたいな拘りとかそんなのじゃないんだけど、演者にはなるべく余計なものを背負わず心を“空っぽ”にして演じてほしいっていうオニーサンからのワガママってとこよ・・・ドクさんは誰か分かるよね?」

 「はい。『ロストチャイルド』で色々と世話になりましたので」

 「あれねぇ俺も見たわ。マジで良かったよ憬君の演技」

 「いえそんな、恐縮です」

 

 だけどこの監督が明らかに意図があってわざわざこういうことを俺に聞いているのは、飄々としながらも真剣な眼つきで話をしているので分かる。

 

 「それにさ・・・人を殺すような役を演らせるんだったら、お前さんのようなタイプの役者はなおさら心を“空っぽ”にする必要があるんじゃないの?

 

 少なくとも最初の仕事となったCMで俺を撮っていて、『ロストチャイルド』も観ている本郷が俺がどういうタイプの役者なのかは把握しているのも当然で、現に俺は“悩みごと”を抱えている。

 

 「確かにそうですね・・・・・・余計な感情が残っていると、それだけで精神的な負担は増すばかりで思うように役は演じ切れないから・・・

 

 一方はどこにでもいる普通の高校生。もう一方は人殺し。奇しくもふたりの年齢はどちらも16歳。この“ふたつの役”を演じ分けることになる、ここから先の4か月。本郷の言う通り、悩みがあるなら無くしていくに越したことはない・・・けど、俺がいま抱える悩みを全く関係のないこの人に打ち明けることで、解決はするのだろうか?

 

 「・・・何か悩みはあるか?憬君?

 

 

 

 “『私が“いま好きな人がいる”って言ったら、憬はどうする?』”

 

 

 

 「・・・この週末から撮影が始まるドラマで俺が演じることになる役の気持ちが、まだ掴めていないままなんです

 

 心の中では未だに悩んでいたが、“一縷の望み”にかけた俺は本郷に悩みごとを打ち明けることにした。

*1
※撮影された映像をおおざっぱに編集する作業のこと




迷いの根底は、心の悩み_



金髪の墨字、好青年?の天知、尖ってる手塚・・・以上が原作ではお馴染みの“三人衆”の若かりし頃です。果たして彼らがどのようにして現在に至っていくのか、そのあたりも含めてお楽しみください。

と言った手前になりますが、4月から新たに“一次創作”の投稿を始める関係でただでさえ高いとは言えない拙作の投稿頻度が再び落ちる予定です(※詳しくは活動報告にて)。申し訳ござい魔貫光殺砲。


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scene.99 恋

レッドブル・・・日本GP1-2フィニッシュおめでとう。

そしてつのっち・・・・・・日本GP初入賞おめでとう!!


 “『ねぇ、さとるはどうやったらあたしたちが演じる役と同じような気持ちになれると思う?』”

 “『・・・確認ですけどそれはあくまで“芝居”としてってことですよね?』”

 “『もちのろんのすけ』”

 “『何すか“もちのろんのすけ”って・・・』”

 

 メインキャストの4人でお台場に行った日からちょうど一週間後、俺は堀宮から事務所で会って話す機会を設けられた。もちろんその理由は、“役作り”関係のことだった。

 

 “『で?さとるだったらどうやってあたしのことを好きになる?』”

 “『・・・もう一回確認しますけどマジで役作りってことで言ってるんですよねさっきから?』”

 “『マジのマジ。この何一つ嘘をついてないあたしの眼を見ても分からない?』”

 “『はぁ・・・分かりましたよ』”

 

 まだ頭の中に観覧車でのキスの余韻が僅かに残る中で、堀宮はどうやって自分のことを雅として好きになっていくのかを聞いてきた。

 

 “『そもそもさとるってさ、恋愛どころか人を本気で好きになったことないでしょ?』”

 “『はい』”

 “『清々しいくらいの即答なのは置いとくとして、とにかく今のさとるは演じることになる役を理解するために陸上部に入って、先ずは身体を純也に近づけてるという解釈でOK?』”

 “『えぇ、まぁ』”

 “『だけど恋愛をしたことのないさとるにとって、“心”を近づける方法は原作の受け売りでしかないってわけか』”

 “『・・・そうですね』”

 

 堀宮から“本気で好きになってよ”と本気の感情で告げられてから、俺は今までのやり方に限界を感じ始めるようになった。身体のほうはただ鍛えていけば近づけるが、心はただただ原作の漫画に書かれている純也の感情(こと)を理解したとしてもそれはあくまで原作のコピー&ペイストに過ぎず、本当の意味で堀宮の演じる雅のことを好きにはなれない。1つだけ分かっているのは、俺は今まで生きてきて一度も“恋愛”というものをしたことがなくて、それがどういう感情なのかも理解出来ないでいないということ。

 

 “『もちろん、このままでは俺は雅のことを完全には好きになれないのは、漫画と現実は全く違うので分かります・・・』”

 

 そして観覧車の中で堀宮から雅のフィルター越しに“好き”の感情を向けられたことでそれがどんな気持ちなのかが分かり始めたが、逆にどのようにして自分は相手を好きになればいいのかが分からなかった。

 

 “『だから・・・・・・先ずは堀宮さん自身を好きになってみようと思いました』”

 

 いま振り返ると、俺はとんでもなく馬鹿な事を言ったと思う。もしかしなくても、堀宮は優しく見つめる碧眼の内側(ウラ)で爆笑していたと思う。それぐらい純也(オレ)が雅を好きになるために辿り着いた結論はあまりに非効率なやり方だった。それでも、人を好きになるという感情がどういうものかを“分かっていなかった”あの時の俺は、これが最善だと信じていた。

 

 “『あははっ、なんかさとるらしいね。それ』”

 

 実際に瞳の奥で大爆笑していたかは分からないが、堀宮はそんな1つの“答え”に辿り着いた俺に温かい目で微笑ましく頷いた。

 

 “『だったら、後はここからどうやってさとるがあたしのことを好きになるか・・・だね?』”

 

 堀宮は、生まれて初めて恋愛感情というものに向き合うことになったこの俺に、ひとつの“秘策”を提案した。

 

 “『ということで・・・“忙しい”あたしからさとるに提案があります』”

 

 もちろん恋愛の“”の字も知らない俺は、堀宮の考えた“秘策”の本当の狙いが何なのかを全く知らないまま、知らないことを良いことに都合のいいように利用されたまま、 “あの日”を迎えた。

 

 

 

 “『それは純也の役作りをしているサトルが一番よく知ってる“感情”だろ?』”

 

 

 

 そして都合のいいように利用されたことで、俺は既に“純也の感情”を持っていたことを自覚した。

 

 

 

 

 

 

 「_この気持ちを受け入れることさえ出来れば、俺はもっと純也に近づけるんです・・・・・・でも、それ以上にこの気持ちを受け入れたくないんです

 

 悩みを聞いてきた本郷に、俺は蓮の名前(こと)を伏せた上で純也の役を掴めないでいる理由をこれまでの経緯を踏まえて“悩みごと”として打ち明ける。純也のことをもっと知るには絶対に必要な感情を、どうしても受け入れることが出来ない自分のことを。

 

 「・・・憬君にとって、それだけ親友の子は大事な存在なんだな?」

 「はい・・・“あいつ”は俺にとって、誰よりも大事にしたい親友っていう存在なので」

 

 俺が純也になるための方法はたった1つで、蓮への感情を受け入れて、役者として利用すること。それは他人の感情と実体験を躊躇なく利用してきた俺からすれば、決して難しいことなんかじゃない。

 

 「だから恐いんです・・・・・・俺のせいで、“あいつ”が泣くようなことになるのが・・・」

 

 それでも俺は、親友を失いたくない。俺がこの感情を受け入れたせいで親友が傷つくような光景(みらい)なんて、見たくない。

 

 「憬君・・・もしこの俺が“そんなものはただの甘えだ”と言ったら、どう答える?」

 

 悩みを打ち明けた俺に、テーブルを挟んだ反対側に座り天知の淹れた紅茶を一口運んだ本郷は眼光を鋭くして心の内と覚悟を試すかのように問いかける。

 

 「・・・それは・・・」

 

 

 

 “『私たちもいつかは経験したことのない感情で芝居をしないといけないときが来る・・・・・・憬にとってそれが“今”なんだよ。きっと』”

 

 

 

 「・・・もしこれが役者で生き続けるための“甘え”だと言われたら、本当にその通りだと思います・・・・・・でも、自分に嘘をついてまでそれを受け入れられるほどの強さは・・・いまの俺にはありません・・・・・・そして、そんな弱い自分にも嘘はつきたくありません・・・

 

 頭の中で蓮の言葉を思い返しながら、呼吸を整えて自分なりの答えを出す。はっきり言っていまの俺は、純也になるという覚悟を未だに持てないでいる弱虫だ。弱い自分にすら嘘をつけない不器用な臆病者だ。(あいつ)のように、強がりで自分を奮い立たせることもできない小心者だ。

 

 「“これ”がいまの俺です・・・初めての感情に戸惑い、どう扱ったらいいのか分からない。本当にどこにでもいる、普通の男です・・・

 

 

 

 そんな弱さも、全て俺だ。だけど、こんな俺を捨ててしまったら、俺の中にある弱さすら否定してしまったら、それはもう俺じゃない・・・

 

 

 

 「・・・それでいい

 

 強がりも全て捨て去り、まだ一度しか会っていない映像作家の男に(あいつ)にさえ明かしたことのなかった弱音という名の本音を思い切ってぶつけてみると、本郷は鋭くしていた眼つきを幾分か和らげて、呟くように静かに言った。

 

 「たかが恋愛如きやクラスメイトとの些細な諍い如きで人生の全てを左右されるくらいに心が翻弄される不安定さ。大人になりたがって強がる癖して心ん中じゃ常に誰かしらに助けを求める素直になれない矛盾さ・・・人間性が未完成でチグハグで身勝手で不器用で、傍から見ている大人達が羨ましがるほどに感受性が高くて青臭い・・・・・・10代の少年少女っつーのは、それでいいんじゃないか?」

 

 打ち明けた弱さに対する返答はやや遠回しな言い方だったが、本郷は俺の“弱さ”というものを監督(おとな)として受け入れてくれた。

 

 「既にそこら辺にいる同じくらいの年頃の子よりも色んな世界を見てる憬君もそうかは知らないけど、俺ら大人からすれば中高生なんて悪い言い方をすりゃ“学校の中”だけで成立する狭いコミュニティが世界の全てだと思い込んでる大人ぶったガキみたいなもんだ・・・まぁ、学校が全てじゃねぇってことだけは分かってる奴も多いとは思うけど、結局そのうち大半の連中は“外の世界”を知ろうとも触れようとさえもせず、“青春”っつう形のない不確かなものにすがり続けて、“教室”の中だけで完結するような狭い世界を無意識に守ろうとする・・・・・・・故にそいつらは外の世界を見たときに、ただ見上げた空が晴れているぐらいのことでも感動できるほどの純粋さがあって、それは“外の世界”の何ぞやを知った俺たち大人にはないもんさ・・・

 

 

 

 “『“受け入れろ”っていうのはあくまでオレ1人の意見であって、みんながみんなサトルをどんな目で視てるかなんて誰も分かんないし、誰が何と言おうとどうするか決めるのは“自分自身”の勝手じゃん』”

 

 “『もしも今日の読み合わせでさとるが純也の気持ちをちゃんと掴めたとして、それで週末の本番で完璧に演じ切れるとしても、それが作品にとっての正解だとは限らない・・・逆にもし今日がダメで、週末になっても自分の中でまだ掴みきれていない部分が残っていてダメなままだとしても、ダメだからこそ見つけられるものもあって・・・ダメだったときの自分の演技がむしろ作品にとっての正解だったなんてことも起こりうる・・・・・・それが芝居の本質だって、あたしは思ってる』”

 

 

 

 「そして憬君・・・“お前”も今はそれでいい。受け入れたくないままでいいんだ・・・・・・結末に近づくことが役作りの全てじゃない。憬君がこれから演じる純也は絵の中にいる少年なんかじゃなくて、お前にしか演じることの出来ない純也だ・・・そしてお前が演じる2人の少年は、性格も境遇もまるで真逆だが、どっちも自分が一番大好きだって本心で思ってるだけのただの“弱い奴”なんだ・・・

 

 

 

 

 

 

 ヴゥゥ_ヴゥゥ_

 

 「はい」

 『おつかれ~さとる~』

 「お疲れ様です。杏子さん」

 

 スタジオ七福神での本郷との打ち合わせを終えて寮にある戻ったタイミングを図るかのように、自分の部屋に入ってすぐ携帯に堀宮からの電話が届く。

 

 「なんか今日は随分と機嫌が良さそうですね?」

 『そーかな?』

 「心なしかいつもより声のテンションが高い感じがするので」

 『ちょうど撮影が終わったところで解放感半端ない』

 「それはテンション上がりますね」

 『しっかし声だけであたしの機嫌が良いのが分かるなんて、さすがはあたしの“彼氏”だね♪』

 「誤解が生まれるようなことは言わないでください

 

 何となく声の感じからして機嫌が良さそうだったので聞いてみたら、堀宮はちょうど撮影を終えたところだった。まぁこの人は機嫌が良いか悪いかが割と分かりやすいほうだから、先輩後輩の関係で1年以上付き合っていると彼氏どうこう以前に当てる自信はあるけれど。

 

 『相変わらず冷たいな~。そんなんじゃあたしの心は掴めないゾ?』

 「心配しなくとも、そもそも杏子さんの心を掴む気は全くないんで」

 『そんなこったろうと思ったけどここまではっきり言うかね

 

 一応ついでに言っておくと、俺と堀宮が付き合っているというのは神に誓って“そういう意味”ではない。

 

 『ところでさ、役作りのほうは順調?

 

 なんて挨拶ついでの雑談はここまでと言わんばかりに、撮影終わりで高めなテンションはそのままに堀宮はいきなり本題を切り出す。

 

 「・・・正直、全然順調じゃないです」

 『あらま』

 

 もちろん順調か順調ではないかと聞かれたら、包み隠さず言ってしまえば圧倒的に後者だろう。何故ならいまの俺は(あいつ)へ向けて抱えている“この感情”を受け入れることが出来ないままで、往生際悪く親友で居続けようとしているままだ。結局それは、本郷に悩みとして全てを心から吐き出したところで、何も変わらなかった。

 

 『でも、その割には冷静じゃない?』

 

 吐き出しても何も変わらなかった。もしかして第三者(だれか)に全部を打ち明けたら向き合う覚悟を持てるかもしれないと一縷の望みにかけてみたけれど、何も変わらなかった。何も変わらなかったというのが、俺にとっての純也を演じるための“答え”だった。

 

 「はい・・・これが“正解”だとかは分からないし保証も出来ないんですけど・・・・・・順調じゃないなりに純也を演じるための“答え”は出ました

 

 

 

 【雅ってさ・・・・・・新太のことどう思ってる?

 

 

 

 『・・・そっか。分かった

 

 自分なりに辿り着いたひとつの答えを聞くと、堀宮はいつものように誘導尋問の如く掘り下げていくようなことはせず、理由も聞かずに優しく納得した。

 

 「理由は聞かないんですか?」

 『うん。だってさとるの声を聞けば大体分かるから』

 「本当ですかそれ?」

 『あたしは“ジュンの幼馴染”だよ?これぐらいは当然でしょ?』

 「・・・そうですか」

 

 理由はさっきの俺のオウム返しみたいなものだけど、声色を聞いてそれが本気だっていうのは分かった。

 

 『ねぇ・・・さとるはこのこと聞いたら、怒る?』

 「今度は何の話ですか?」

 『実はあたしが一色先輩と“グル”でさとるのことを利用してたってこと

 

 その流れで、堀宮は今まで俺に隠していたことをサラッと打ち明けた。

 

 「・・・何となく、台本を読んで自分のイメージと純也がかけ離れていた時点で何かがおかしいとは思ってました」

 

 読み合わせに行く途中の車内で図星を突かれた時点で頭の片隅で薄々予感はしていたけれど、俺と蓮が親友同士だということを知っている堀宮なら、こうなることを予想した上で仕組んでも不思議じゃない。

 

 「じゃあ・・・杏子さんの言ってた“秘策”の狙いもそのためだったってことですね?」

 『ぶっちゃけちゃえばそゆこと。まぁ、いくらあたしのことを知ってるさとるでもやっぱり怒るよね?』

 「・・・怒るかどうか聞かれたら、そりゃ怒りますよ。俺はともかく、親友の(あいつ)まで巻き込むような真似をされたら」

 

 もちろん、一色が“発破”をかけることで俺と蓮の関係が一気に“純也と雅”に近づいてしまうことも、勘が鋭く役作りのためなら手段すら択ばないこの人なら、十分に分かっていたであろうことも。

 

 「ただ・・・おかげでようやく純也の気持ちを理解することが出来たので、杏子さんには感謝しています

 

 けれども手段を択ばない堀宮と一色(この2人)がいなければ、俺は本当の意味で純也の感情を理解することは出来なかった。純也が雅へ想っている“好き”という気持ちと、俺が雅を演じる堀宮へ想いかけていた“好き”という気持ちは似ているようで全く違っていたことに、気付くことは出来なかった。

 

 

 

 “『無理なのは“受け入れたくない”からか?』”

 

 

 

 当然気付けて良かったことだけじゃなくて、気付かないままのほうが良かったこともあった。知らないままでいられたら、これからもただの親友兼ライバルとして互いに何の痛みも伴わずに同じ世界で戦っていられた。その代わりに、変わらないといけない自分にも気付くことすら出来ず、また蓮に置いていかれるところだった。

 

 「自分が感じた感情の全てを受け入れることだけが芝居じゃないってことに・・・杏子さんのおかげで気が付きました

 

 だからもっと、俺は(あいつ)に近づきたい。あいつの隣に立つのに相応しい人間になりたい。だけど近づきたい気持ちと同じくらい、俺はこの感情を受け入れたくなんかない。受け入れたせいであいつが泣くようなことになったら、俺はきっと耐えられない。だから、“”のままの関係を壊したくなんかない。だけど、それと同じくらい“その先”に進んで、蓮のことをもっと知りたい。蓮の心にもっと触れたい。蓮にとっての“特別”でいたい・・・

 

 

 

 どっちの心を信じればいいのか、自分でも分からず胸が痛む。この気持ちこそが、純也が雅に対してずっと抱えている“好き”という感情の正体だった。

 

 

 

 「これでようやく・・・・・・心置きなく純也を演じられます

 

 

 

 これが・・・“恋”という感情だった。

 

 

 

 それを知ることが出来たおかげで、俺はようやく本当の意味で純也を演じる覚悟を持つことが出来た。

 

 『・・・さとるはこれからも“秘策”を続けたい?

 

 純也の感情を理解したことへの感謝を携帯電話越しに伝えると、堀宮は優し気な口調で“秘策”をこれからも続けていくかどうかを聞いてくる。

 

 「はい・・・お願いします

 

 もちろん、純也として雅と向き合うと決めている俺の選択肢は、“続ける”の一択だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【俺は・・・2人とはこれからもずっと、何でも話せる関係のままでいたい・・・・・・だから、約束してほしい・・・

 

 「カット!では一旦チェック入ります」

 

 5月21日。ドラマ『ユースフル・デイズ』の撮影は3日目に入り、ロケ地となっている廃校の屋上で快晴の空の下、新太、雅、純也の回想シーンの撮影が行われていた。

 

 「中々やるじゃん。サトル」

 

 回想シーンの撮影がひと段落して小休止(インターバル)が取れたタイミングで、俺は屋上の真ん中に立って空を見上げるような姿勢で集中力を高めている憬に声をかける。

 

 「何か言ったか?」

 「いや、聞こえてなかったんならいいよ」

 

 せっかく褒めてあげたというのに、このお芝居に全ステータスを振ったかのような不器用な共演者は清々しいくらいに聞き逃しやがった。まぁ、こういうところもらしいっちゃらしいし、見ているだけで面白いから俺的には全くイラっとは来ないけど。

 

 「・・・俺はずっと、芝居のために利用することは受け入れることが全てだって思ってた」

 

 半ば勝手に諦めかけて俺が徐に隣の位置に立つと、憬は視線を前に向けたまま前触れもなく俺に話し始める。屋上の柵へと向けられているその紅色の瞳には、(こいつ)なりの覚悟が見え隠れしている。

 

 「だけど・・・受け入れないまま自分を貫く演り方もあったんだって、純也の役作りをしていく中で気付くことができた・・・」

 

 読み合わせの前日というタイミングで、憬は今まで築き上げてきた演技プランを俺と杏子によってぶち壊された。一度は壊すような真似をしなければ本当の恋愛感情を知らない当の本人には伝わらなかったはずのもので、それを自覚させることで“間違った方角”へと進んでしまう危険も秘めていた。

 

 「サトル。オレのことはいいけど、ホリミィのことだけは」

 「別に俺は杏子さんも一色も誰も悪いとは思ってないよ。ただあんたらは役者として自分なりに正しいことをした・・・それだけのことだろ?」

 

 全てはこのドラマで俺たちキャスト陣の実力を周りでカメラやマイクを構えて指示を送るスタッフ陣と、たった4ヶ月しかない“青春”を高みの見物で見守るPたちお偉いさん、そして無数の傍観者(視聴者)に知らしめるため、もといこのドラマを作品としてより良くするための俺たちなりのやり方だった。

 

 「あぁ、その通りさ・・・でもオレが一番嬉しいのは、何やかんやでサトルがちゃんと腹を決めてくれたことかな?」

 「正直、誰かさんのおかげで気持ちの整理はまだ出来てないけどな」

 「悪いと思ってなかったんじゃないのか?」

 「(あいつ)とのことはまだ別だろ」

 「なるほどね。まーそう簡単に親友ちゃんは割り切れないかー」

 「チッ、他人事みたいに言いやがって」

 「でも良かったじゃん。最高の“モデル”が近くにいてさ」

 「・・・ある意味、本当にそうだったな。こんな形で気付きたくはなかったけど」

 「ホントだよなサトル?」

 「次は“マジビンタ”だからな一色?

 

 罪悪感みたいなものが全くなかったかと聞かれたら多少は嘘になるけれど、俺が信じていた通り、このどこにでもいる男の皮を被った“怪物”は本番までに正解に辿り着いてきた。園崎純也という役に限らず俺たちメインの4人に求められている芝居は、“ただの完璧さ”ではなく“10代にしか表現出来ない“青さ”を完璧に演る”というもの。そして憬がこの問いに対して叩き出した答えは、“好き”という気持ちを受け入れ切れない自分を“受け入れる”というものだ。

 

 「だから言ったろ?“受け入れたくないなら別に受け入れなくても良い”って」

 「・・・・・・」

 

 これが芝居という意味で正解なのか不正解なのかは、まだ誰にも分からない。それでも“”を知った憬がクランクインまでに行き着いた純也の“完璧すぎない”演じ方が、このドラマにおいて今のところ最適解だというのは、間近で対峙すれば分かる。信じてはいたし心の底からこうなることを望んでいたけれど、こうも容易く役を掴んで来るとは俺にとっては少しだけ予想外だった。

 

 

 

 “・・・本当に(こいつ)は、周りのみんなの予想を超えるスピードで化けていくから油断ならない・・・

 

 

 

 「・・・一色

 

 ずっと前に広がる屋上に向いていた憬の視線が、俺のほうを向く。

 

 「ありがとう

 

 その横顔は控えめながらも喜んでいて、“ありがとう”という形で嘘のない気持ちを俺に告げる。本当に、ここまで嘘が全くない本心からくる感情を向けられると・・・“王子様”の仮面を被って生きている俺の存在意義を真っ向から否定されたような気分になる。

 

 

 

 “・・・だからこそ・・・・・・お前の愚直なその心の中にまだ隠れている“引き出し”の中を・・・もっと引っ張り出したくなる・・・・・・お前が見ている世界を、もっともっと知りたくなる・・・

 

 

 

 「・・・何気に初めてみたよ。サトルが笑ってるところ」

 「そうか?まぁ、あんまり会って話してないから初めてっていうのもあるかもしれないけど」

 「ハハッ、確かにそうとも言える」

 「さっきからこのあたしを仲間外れにして何を2人で楽しんでるのかな男共?」

 

 愚直に自分の気持ちを伝えた憬と屋上の真ん中あたりで2人きりで話していたところに、背後から“あと1人”がわざとらしい口調でおちょくる。

 

 「ハイこれ。まだ撮影は終わってないから今のうちに水分補給ってことで受け取り給え」

 「っと、サンクス」

 「ありがとうございます」

 

 振り返ったところで両手にシェアウォーターを持っていた杏子が振り返ったタイミングを図ってシェアウォーターをこっちへと軽く投げてきて、俺たちは仲良くそれを受け取る。

 

 「ほんとに杏子さんって好きですよねシェアウォーター(それ)?」

 「だってシェアウォーターは思い入れがあるから」

 「どうせ“スポンサード”の都合でしょ?案外ホリミィって根が真面目だからね」

 「ちょっと先輩それ営業妨害」

 「いや、一応清純派で売ってるなら真面目でも全然問題ないんじゃないですか?」

 「“一応”ってどういうことさとる?」

 「そのまんまの意味ですよ」

 「んだと“チェリー”このヤロウ

 「清楚どころか思いっきり武闘派(ヤンキー)が出ちゃってけどいいのかホリミィ?

 

 そして俺たち共演者は、ちょっとした隙間の時間で本当に友達同士のような距離感で清涼飲料水の入ったペットボトルを片手に学校の屋上で語らう。この瞬間だけは、自分が役者だとか芸能人だってことを忘れられて、どこにでもいる高校生になった気分になれる。だけども俺たちは“役者”であって“芸能人”でもあるから、撮影が終われば基本は“ハイさよなら”の関係だ。普通の奴らにとっては3年もある“ありふれた学校生活”は、俺たちにはたった4ヶ月しか残されていない。

 

 「(・・・あーあ、この青春(じかん)が“本物”だったらな)」

 「ん?なに空を見上げてるの先輩?」

 

 独り言で愚痴るまでもない心の声を快晴の空へと無言で吐き出していたら、杏子がさっきの俺みたいに聞いてきた。

 

 「いや、よく見たらめっちゃ空が綺麗だなって」

 「急になにウケるんだけど」

 「でもちゃんと見てみろよ。こんな空、滅多に見れないぜ?」

 「知ってるよ。こんな雲一つない快晴(そら)は、マジのマジで超レアだから」

 「・・・ですね」

 

 ここからの4ヶ月。きっと色んな思惑が複雑に混ざり合っていく中で、俺たちの青春は夏の終わりに向かって進んでいくことだろう。そんな期間限定の学校生活の中で、俺は他の3人と共にメインキャストに選ばれた・・・って、当然ながら他の3人はどんな思いでこのドラマに臨んでいるかなんて、知ったこっちゃないけど。

 

 「お待たせしました。今から雅と新太のリアクションと返しのシーンを撮るので、3人とも定位置にスタンバイしてください

 

 

 

 ただ選ばれたからには・・・・・・“オレ”は誰よりもこの“青春”を楽しんでやるよ。

 

 

 

 「では本番行きまーす。ヨーイ

 

 

 

 5月21日_ドラマ『ユースフル・デイズ』第一話・回想シーン_予定通り撮影終了_




芸能人だって、青春したい_



しれっと最後のほうでクランクインを通り越して撮影3日目に突入しましたが、これは本編の今後の展開と劇中のドラマの展開の両方を考慮した結果です。

ちなみに今回の話は本来であれば2話ぐらいに分ける予定で書いていましたが、1回マジで詰んだ関係でやや強引ではありますが約2話分を1話に詰め込む形になりました。一応底辺作者なりにストーリーを成立させるための最善は尽くしましたので、どうかお許しください。

というわけで最後は駆け足な感じになってしまいましたが、chapter4-2はこれで一旦2018年に戻って終わりとなり、いよいよ本格的にドラマ撮影が進んでいくchapter4-3に突入します。




やったぜ、つのっち☆


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キャラ紹介 3 (※一部ネタバレ有)

キリが良いので、キャラ紹介です。

※一部ネタバレがありますので注意してください


【主人公】

 

 

 

・夕野憬(せきのさとる)

 

職業:俳優(現:小説家)

生年月日:1985年6月30日生まれ

血液型:A型

身長:174cm(高1)→ 179cm(現在)

 

本作の主人公。“10年に1人”と称される天才的な演技力を持っており、14歳のときに準主役として撮影に臨んだ映画『ロストチャイルド』が公開されたのを機に注目を浴び、15歳でドラマ『ユースフル・デイズ』の4人の主人公の1人・園崎純也役に抜擢される。現在(※2018年)は何らかの事情があり俳優を引退し、小説家として活動している。

 

 

 

(反転 ※ネタバレ注意)一方で十夜や蓮から見た現在の視点では10年前にくも膜下出血で倒れ、以降はずっと病院で昏睡状態に置かれて入院しているなど彼の現在については不可解な点がある。

 

 

 

【chapter 4の主な登場人物(※2001年)】

 

 

 

・環蓮(たまきれん)

職業:女優

生年月日:1985年9月16日生まれ

血液型:O型

身長:169.5cm(高1)→ 171cm(現在)

 

本作のヒロイン。憬の幼馴染であり、憬が芸能界に足を踏み入れるきっかけになった一番の親友。芸能界に入り同世代のライバルとなった憬とは高校へ進学しても変わらず何でも話せる親友のまま関係を続けているが、その裏では憬に自分よりも役者としての才能があることを自覚しており、複雑な思いを抱いている。現在(※2018年)は“芸能人好感度例年1位”の言わずと知れたトップ女優として活躍している。原作では大河ドラマ編に登場。

 

 

 

・堀宮杏子(ほりみやきょうこ)

職業:女優

生年月日:1984年9月5日生まれ

血液型:B型

身長:159cm

 

憬と同じ芸能事務所・カイプロダクションに所属する子役上がりの若手女優。清純派な雰囲気に反して徹底的に役に入り込む没入度の高い芝居を持ち味とする演技派であり、ドラマ『ユースフル・デイズ』では4人の主人公の1人・千代雅役に抜擢される。同じく女優で『ユースフル・デイズ』でも共演する永瀬あずさとは幼馴染の関係。口癖で“マジのマジ”という言葉をよく使う。

 

 

 

・永瀬あずさ(ながせあずさ)

職業:女優

生年月日:1984年4月29日生まれ

血液型:A型

身長:164cm

 

芸能事務所・スターズに所属する若手女優。同事務所の第1回新人発掘オーディションでグランプリを獲得した経歴を持ち、その後も順調にキャリアを重ねていき今では事務所の広告塔の1人として活躍している。ドラマ『ユースフル・デイズ』では4人の主人公の1人・半井亜美役に抜擢される。基本的に他人とは敬語を使って話しているが、幼馴染の杏子とは普通にタメ口で話す。

 

 

 

・一色十夜(いっしきとおや)

職業:俳優

生年月日:1983年4月2日生まれ

血液型:AB型

身長:171cm(高3)→ 172cm(現在)

 

本作の裏主人公。“スターズの王子様”の異名で絶大な人気と支持を誇る芸能事務所・スターズ所属の若手トップ俳優。ドラマ『ユースフル・デイズ』では4人の主人公の1人・神波新太役に抜擢される。一家揃って世界的な有名人で知られているが、自身は“一色家”として一括りにされるのを心底嫌っている。また、天才的な演技力を持つ憬の存在をライバルとして意識している。現在(※2018年)でも俳優としての人気は変わらず健在で、ルックスのみならず演技面でも高い評価を得ている。

 

 

 

(反転 ※ネタバレ注意)原作にも登場する百城千世子(※後述で更なるネタバレ有り)とは叔父と姪の関係であり、現在は実家を離れて1人暮らしをする千世子と“食卓同盟”(※#003.天使と王子を参照)を結び、千世子と同じマンションで隣同士の部屋でそれぞれ生活している。

 

 

 

【現在(※2018年)】

 

 

 

・百城千世子(ももしろちよこ)

職業:女優

生年月日:2001年4月1日生まれ

血液型:AB型

身長:157cm

 

“天使”の異名を持つスターズに所属する若手トップ女優。見た目は異名通りの浮世離れした可憐な美少女だが、当の本人は自分に与えられた役回りを細部まで理解し出演する作品の成功に役者として誰よりも心血を注ぐプロ意識の塊で、“俯瞰力”を武器にした彼女の演技における異常なまでの立ち回りの巧さと器用さは同業者からも一目置かれている。原作では主人公(※原作の)・夜凪景のライバルとして登場している。

 

 

 

(反転 ※ネタバレ注意)‟百城千世子”は芸名であり、本名は城原千夜子(※読み:きはらちよこ)。本作に登場する十夜とは叔父と姪の関係であり、“親戚の叔父さん兼隣人”として“食卓同盟”を結び、同じマンションで隣同士の部屋でそれぞれ生活している。



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