夢見鳥の憂鬱 (キョクアジサシ)
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福丸小糸の隠し事

 小糸が何か隠し事をしているらしい。

 私こと、樋口円香は以前、別の現場で耳に挟んだ噂を思い出し、眉根を寄せた。

 事務所のパソコンデスクで資料作りをしていたプロデューサーへ、軽く視線を向けて問う。

 やはり心当たりはないようで、不思議そうに首を傾げるだけだ。

 

「小糸が隠し事かあ……。まあ、親御さんの許可なしでアイドル活動してたし、なくはない話だけど……」

「……私もその話は聞きました。でも、同じ間違いを犯す子じゃないでしょう」

 

 季節は一月。

 冬型の気圧配置が強まっているものの、雪が降っているのは日本海側だけらしく、首都圏の空は青く、高い。

 他のアイドル達は、それぞれの現場へ出ており、事務所にいるのは私とプロデューサーだけだ。

 プロデューサーは苦笑して頷く。

 

「そうだな。仮に隠し事をしていても、理由があってのことだと思う。……円香に何か心当たりはないのか?」

「特に何も。……ただ、その隠し事は」

「?」

 

 言い淀んだ私に、プロデューサーはもう一度首を傾げる。

 私は意を決して答えた。

 

「私に関することだそうです」

「円香に? ……ますます分からないな。後ろめたいこともないだろうに」

「だからお手上げなんです。重ねてですが、何か心当たりはありませんか? ミスター・八方美人」

「なんか、引っ掛かる言い方だが……。うーん、何かのサプライズとか?」

「私の誕生日は、十月でしょ」

「だよなあ。……思い当たるとしたら、ソロデビューしたとかもあるけど?」

「確かに、しましたが曲をもらったのは、真乃やあさひ達も一緒でしょう。……事務所のみんなでお祝いしたじゃないですか」

 

 私の返答にプロデューサーは、やや苦悶を滲ませる笑みを浮かべた。

 その気持ちは私も分かるので、何とも答えようがない。

 あのパーティーは端的に言えば、無茶苦茶だった。

 この事務所も狭くはないが、アイドル全員と社長、はづきさん、そしてプロデューサーが、CDの発売日に集まったのだ。

 滅多にない機会だったし、寒空の日々の中、スケジュールを合わせたのだから、大騒ぎにならないはずがない。

 

「よかったじゃないか。果穂なんか、ずっと円香にべったりだったし」

 

 そう言われて、その日の事を思い出す。

 私のソロ曲、「夢見鳥」を聞いた果穂は終始、

 

「やっぱり、円香さんはお姉さんのにおいがします!」

 

 と言って、私に抱き付いていた。

 邪険にすることもできず、私はされるがまま、時々頭を撫でていただけだった。

 それでも強く印象に残っているのは、真っすぐに私を見上げて輝く、果穂の瞳だ。

 

「……あの子、体温高い」

 

 という、私のぼやきにプロデューサーは、ちょっと笑う。

 また、同時にソロデビューした恋鐘さんや、智代子、甘奈からも、

 

「ねえ、初めてデモを聞いた時、どう思った!? 歌詞は!?」

 

 と、ずっと質問攻めにあった。

 私は私で、彼女達の曲も聞いており、気になったことは質問していた。

 だが、基本的に発声や譜面のさらい方などの技術的な面が多く、甘奈に、「いや、そういうことじゃないんだけどね?」と苦笑されたのを覚えている。

 そんなにつまらないことを聞いたつもりもなかったのだが、ちょっと温度差を感じもした。

 プロデューサーが目を伏せ、コーヒーを飲みながら、問いを投げて来る。

 

「……退屈だったか?」

 

 私は視線を逸らし、右手で左腕の肘を撫でた。

 

「……まあ、悪くはありませんでしたけど」

 

 私の答えにプロデューサーは安心した様子で、「そっか」とだけ頷く。

 私は何となく身体がむずがゆくなり、道路に面した窓際へ移動して、忙しく歩く人影を見ながら考える。

 しかし、となると本当に心当たりがない。

 祝われる覚えも、恨まれる覚えもないとなると、どうすればいいのだろう。

 そんな風にフラットでいられればいいとは思うが、隠し事をされているとなると、どうにも居心地が悪い。

 軽い憂鬱を覚えた私が重いため息を吐くと、ふと、プロデューサーが言った。

 

「そう言えば、透と雛菜が小糸から何か相談を受けたって言ってたな。……その件かも知れない」

「……内容は?」

 

 プロデューサーは肩をすくめる。

 

「さすがにそこまでは知らない。気になるなら、どっちかに聞いてみればいいんじゃないか? どの道、ここにいても手詰まりだ」

「……そうですね。ええ、まったく意味がない。最近、いろいろな所で時間を無駄にしてますし」

「ええと、俺を見ながら言うのは止めてくれないか? 結構、刺さる……」

 

 そう言って、肩を落とすプロデューサーへ私は皮肉気な笑みを見せて、背を向けた。

 事務所のドアを開け、玄関のローファーを履きながら、考える。

 どっちか、か。

 透と雛菜。

 さて、どちらに聞くのが正解だろう……?

 




こんにちは、キョクアジサシです。
「夢見鳥の憂鬱」をお読みいただき、ありがとうございます。

pixivでも同時掲載しており、そちらでのユーザー名は、「サイド」ですが、ハーメルン様ではその名前は既に使われているため、「キョクアジサシ」名で投稿させていただいています。


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コーヒーが口に苦かった理由

「ん~? 小糸ちゃんから相談~? 受けてるよ~?」

 

 少し時間は流れ、ビジネス街沿いのコンビニのイートインに、私と雛菜の姿があった。

 冬の天気の移り変わりは早く、空の端っこには、夜の灰色がかった青みが滲み始めている。

 

「……そう。で、内容は?」

「あは~、円香先輩、直球~! 気になるの~?」

 

 隣に座った雛菜は、ラージサイズのホットミルクティーを飲みながら、悪戯っぽく笑う。

 

「自分の事だし。……普通でしょ」

 

 私はカップのキリマンジャロを飲みながら、淡々と答えた。

 結局、私が選んだのは雛菜だった。

 チェインを開き、透か雛菜か少し迷ったものの、気が付いたら彼女へメッセージを送っていたのだ。

 理由としては、まあ、単純に雛菜の方が話が早そうだったから。

 透だと、話があちこちに脱線しそうで怖い。

 

「ん~、確かに大事なことではあるかな~。最初に聞かされた時は、『あ~、小糸ちゃんらしい悩み~』って思ったし?」

「小糸らしい悩み?」

「うん~。円香先輩も納得はすると思うな~。……言えないけど~」

 

 まあ、それはそうだろうと思う。

 親しき中にも礼儀ありだ。

 大切な悩みであるほど、気軽に他人へ話すワケにもいかない。

 

「……浅倉にも相談してるって聞いた」

「そうだね~。雛菜も透先輩と二人で話したよ~? 透先輩は透先輩で、いろいろ考えてるみたいだし、ちょっと大ごとかも?」

 

 大ごと、という言葉に、コーヒーを飲む私の手が止まる。

 何か、心にひっかかるものがあるのだが、それを上手く言葉にできない。

 もどかしい気持ちを抱えたまま、口へ運ぶコーヒーは、さっきよりも苦い気がした。

 

「とはいえ、教えてはくれないんでしょ?」

「詰めに入ってるからね~。透先輩は、今日、行動に移すみたいだし~?」

「行動?」

 

 透が行動。

 珍しい言葉の組み合わせに、私は違和感を覚えてしまう。

 私は一度、前髪の乱れを直して、頭を整理し、状況を確認する。

 まず、小糸が何らかのトラブルを抱えたのが始まりだ。

 そして、透、雛菜へ相談し、透は今日、何かしらの行動を起こそうとしているらしい。

 

「雛菜、小糸って今日、仕事?」

「うん、本屋の一日店長のオファーが来てたね~。雛菜と透先輩はオフだよ~?」

「……ふうん」

 

 すると、現状、身体が空いているのは私、透、雛菜の三人だ。

 透が今、どこにいるのかは分からないが、行動を起こすという以上、この寒空の下で準備をしているのだろう。

 そして、雛菜が透と行動を共にしていないことから、既に解決策は見つけられ、目的地へ向かって走るだけの状況になっていると考えられる。

 となると―――。

 

「……」

 

 また、憂鬱な苦い気持ちが舌に乗り、私は顔をしかめる。

 隣の雛菜が、カップを傾けながら言った。

 

「円香先輩、そのモヤモヤは捨てないでね~?」

「……え?」

 

 顔を上げた私に、雛菜はいつもと変わらない調子で問う。

 

「そもそも、小糸ちゃんの相談はそのためのものだし……。ねえ、円香先輩は、どうして雛菜のところへ来たのかな~?」

「……?」

「どうして、透先輩じゃなくて、雛菜を選んだの~?」

 

 要領を得ない質問に、私は首を傾げる。

 

「別に、雛菜の方が話が早そうだったから」

「ん~、雛菜は違うと思うな~? もし、本当に小糸ちゃんの悩み事を知りたいなら、透先輩に聞いた方がよかったんじゃないかな~?」

「……どういうこと?」

 

 不審げな私の質問に、雛菜の形の整った眉が八の字になる。

 

「だって、雛菜は言わないよ? 透先輩だって言わないけど、でも、ちょっと表情とか仕草に出るかもって期待したら~?」

「……それは」

 

 透の方が出やすいと、私は思う。

 ふわふわしているように見えて、雛菜は口が堅い。

 ここ! と決めた一線は絶対に守るし、踏み込ませることもない。

 そういう意味では、透には脇の甘い部分があって、攻めるとしたら、彼女の方なのだろう。

 ではなぜ、私はそうしなかったのか……?

 

「透先輩との付き合い自体は、円香先輩の方が長いし、考えれば分かったことでしょ~? でも、そうしなかったのは……」

 

 雛菜は一度、ミルクティーに口を付け、あちち、と舌を出して苦笑した後、言った。

 

「答えを聞くのが怖かったから。円香先輩が知りたかったのは、小糸ちゃんの本当の悩みじゃなくて、妥協する理由。……だから雛菜の所へ来たんじゃないかな~?」

「……どういう意味?」

 

 私は雛菜の話題の展開について行けず、眉間に指先を当てて、考える。

 雛菜の指摘に従えば、私は真相の究明ではなく、感情の納得を求めていたことになる。

 私が真相究明にどこまで情熱を燃やしていたかは分からないが、後者に比重を置いていたのでは? と言われて、返す言葉がなくなってしまったのは事実だ。

 つまり、私にあるのは、「今のままで、いいはずだ」という曖昧な感情だけだということ。

 ではなぜ、そう思いたいのか?

 

「もっと言えば~、本当に気になっていたのなら、直接小糸ちゃんに聞けばよかったんじゃないかな~? ……でも、できなかった。理由は、分かるよね~?」

「……」

 

 私は私の心の中に、理由を探す。

 その答えを探し出すまでに結構長い時間が必要だったが、雛菜は何も言わず、傍にいてくれた。

 私は苦笑気味に漏らす。

 

「……答えは、単純ね」

 

 そう、とても単純。

 透でもなく、雛菜でもなく、本人に聞きにも行けなかった理由。

 私は、小糸が困った時、一番最初に相談される人間でありたかったのだ。

 だが、小糸は私に何も言ってくれなかった。

 彼女が選んだのは、透で、雛菜だった。

 なぜ、私に相談してくれなかったのか?

 その答えを聞かされるのが怖かった。

 それを認めたくなくて、私は雛菜のところへ来てしまった。

 大ごとと言われて、心にひっかかるものがあった理由は、それだ。

 雛菜はこう見えて、一番ガードが固く、自分のルールに忠実で、ボロを出さない。

 私は無意識に、本当の答えが返ってこないと理解していたから、何の気兼ねもなく質問ができた。

 ……私は、雛菜に甘えたのだ。

 きっと雛菜は、そんな私の気持ちに気付いていたのだろう。

 だから、私は今の感情に従って、素直な言葉を口にする。

 

「雛菜」

「ん~?」

「……ごめん。無神経だった」

 

 雛菜は一瞬、目をぱちくりとさせたが、すぐにいつもの向日葵のような笑顔を見せた。

 

「あは~、全然だよ~! 雛菜だって、小糸ちゃんに隠し事されたら、イヤだし~? たまにはこういうのもいいと思う~! ……あ、でも、ヒントを出さないのも意地悪だから、これは言っておくね~?」

「?」

 

 首を傾げた私に、雛菜は得意げな表情で右手の人差し指を立てる。

 

「円香先輩は、小糸ちゃんが何をしたいのか、もう知ってるよ~? ただ、思い込みで、勘違いしてるだけ~」

「……は?」

 

 全くもって意味の分からない言い回しに、私の声が圧を増す。

 もう知っている?

 勘違い?

 何を?

 

「ちょっと視点を変えれば、すぐに気付くんじゃないかな~? ……あは~、円香先輩ってば、意外と抜けてるぅ~!」

「??」

 

 本気で頭を悩ませ始めた私に、雛菜は小悪魔っぽく、意地悪に笑って、片目を閉じて見せた。

 

「じゃあ次は、透先輩と会ってみたらいいんじゃないかな~? 今ならまだ間に合うだろうし~?」

 

 含みのある発言に私は大いにつっこみたいところだったが、時間もなさそうなので、イートインの椅子から腰を上げる他ない。

 私は雛菜へ向き直って、言う。

 

「……雛菜、借り一つ。今度、返すから」

「あは~、じゃあ雛菜、期待して待ってるね~? お返しは何がいいかな~?」

 

 雛菜は細い指先を、その薄い唇に当てて、微笑む。

 本当に、今回は大きな借りを作ってしまったな、と私は思いながら、コンビニを出て、透へメッセージを送った。 

 

 



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結論ありきで話されても

「樋口ー、こっち」

 

 雛菜と別れてから少し時間が過ぎた後。

 案外、透から早くメッセージの返信が来たので、今どこへいるのかを聞き、とある駅の改札口近くで私は彼女と合流していた。

 透は制服姿のまま、駅構内の大きな石柱に背を預け、ブルーマウンテンの缶コーヒー片手に私を待っていた。

 

「……ごめん、待たせた」

 

 小走りで駆け寄った私に、透は、「んー、別に待ってないよ」といつもの口調で答える。

 特に変わりのない様子だったので、私は少し安堵を覚えながら、周りを見渡す。

 今いるのは、都内の環状線の中でも、たくさんの路線が交差する大きな駅だ。

 六時近いため、目が回るほどに多くのサラリーマンや学生達でごった返し、私はそれだけで軽い疲労を覚えてしまう。

 透はそんな私を見て、悪戯っぽく笑った。

 

「ふふっ、樋口、もうバテてんじゃん」

「……疲れない方が、どうかしてる」

「あー、それは、そうだね。日本の、よくないところ」

 

 透はどこまで本心なのか分からない曖昧な相槌をする。

 私は彼女の隣に並んで立って、石柱へ背を預ける。

 

「で、何? 用事って」

 

 メッセージで要件を伝えていなかったため、透はなぜ私が会いに来たのかを知らない。

 雛菜とのやり取りなどを含め、一から説明しても脱線だらけになるのは間違いないので、私は端的に聞いた。

 

「小糸から何か、相談されてるって聞いたから」

「あー……。されてるね。うーん……」

「?」

 

 透は私から視線を逸らし、珍しく歯切れの悪い口調になる。

 ぼんやり話すことはあっても、言葉を濁すことはあまりないので、私にとっても目新しい反応だ。

 やがて、透は一度、コーヒーを口元へ運んでから話し出した。

 

「でも、私と雛菜も相談したよ。これ、どうしようって」

「相談? 誰に?」

「えっと、霧子ちゃんと咲耶さんと、千雪さんの三人に」

「……は?」

 

 想像していなかった組み合わせだったので、私の声に動揺が滲む。

 透が誰かに相談するということ自体が珍しい上に、選んだ三人に共通点が見えないのだ。

 

「なんで、その三人に?」

「え、別に、適任だったから。……実際、あの三人じゃなかったら解決策は出せなかったと思う」

「……?」

 

 何をもって適任としたのか? はもちろん気になる。

 だが、それ以上に、もう解決策が出てしまっているという事実に私は、内心で驚いてしまった。

 雛菜もそんな感じのことを言ってはいたが、こうも明確に結末を口にされるとは思っていなかったのだ。

 

「……解決策って?」

 

 私のちょっと焦りを滲ませた問いに、透は、「ふふっ」と小さく笑ってから答える。

 

「さすがにそれは。……個人情報」

「まあ、それは、そうだけど……」

 

 小糸は私に相談せず、透と雛菜は別の三人に意見を求め、既に解決法は提示されている。

 その現状に、さすがの私も疎外感を覚えてしまう。

 なんでも話してもらえるなんて考えていないが、やはり相手の一人にくらい入りたかったというのも本心だ。

 困った時、相談する相手へ求めるものには、一定の条件がある。

 耳を傾けてくれる優しさを持っていること、そして理解し共感してくれるという信頼があることだ。

 自転車で言うところの、その両輪が揃って初めて、「どうすればいいのか?」という問いと共に、一歩を踏み出せる。

 だからこそ、選んだ相手の中に私がいないというのは、堪えるのだ。

 

「樋口ー、そんな顔しない。……これでも飲んで落ち着きなさい」

 

 透は苦笑して、ぬるい缶コーヒーの底を私の頬へ押し付けて来る。

 抵抗する力も出なかった私は、それを受け取って、一口すする。

 そんなに冴えない顔をしていたのだろうか、と思いながら、私は考えた。

 解決策があるということは、小糸の悩みがあるていど明確なものであったということ。

 だからこそ、一見、性格も個性も違う三人が集められた。

 その三人に問題を解決させる能力があると判断したから、透と雛菜は相談の場を持ったのだ。

 

「……内容は、分からないけど」

 

 思わず口からこぼれ落ちた言葉を透の耳がめざとく拾い、私の横腹を肘でつついてくる。

 

「ふふっ、樋口がめんどくさい女みたいになってる。珍しい」

「……うるさい」

「たまにはいいと思うよ? 時々見せてよ、そういうの」

 

 私は透のローファーの先を踏み付ける。

 

「痛い。なにするの」

「余計なこと、言うから」

「ごめんって。……じゃあ、私もヒントを出そうかな」

「……?」

 

 意味ありげな言葉に、不審げに眉を寄せてしまったが、透は涼しい表情で言った。

 

「まだ、解決策があるだけで、解決済みではないよ? ……今からでも、気付く事はできるかな」

「……何言ってるの?」

「ふふっ、さあね。じゃあ、私は用事があるから」

 

 透はそう言って、石柱から背を離す。

 

「大事なのが。……店が閉まる前に、行かないと」

「店? 何か買うの?」

「そ。……さすが千雪さん、いい店知ってる」

「……全然分からないんだけど」

「霧子ちゃんが花好きで助かった」

「いや、だから……」

 

 噛み合わない会話に、私は全然ついて行けない。

 事情を知る透としては裏付けのある発言なのだろうが、生憎、私は蚊帳の外だった人間だ。

 清々しいほどに、会話の意図が掴めない。

 

「じゃ、そういうことで」

 

 透はそう言って背を向け、一度手を振った後、あっさりと去って行く。

 取り残された私は、もはや唖然とする他なく、賑わう構内の喧騒を、どこか遠い世界のもののように聞く事しかできなかった。

 まさに、今回の出来事の縮図のようだと思った私の口元に、皮肉気な笑みが浮かんだ。

 



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星の輝く屋上と、バラバラな矢印

 そして私は一人、事務所の屋上で一番星の輝き始めた夜空を見上げていた。

 一月の夜風は冷たく、首元から容赦なく体温を奪っていくが、私は気だるく顔を上げることしかできない。

 夜空の群青は妙に深く、油断すると魂ごと引っ張っていかれそうで、怖かった。

 底冷えしているのは、外気なのか心なのか、分からないまま、私は自分の身体を抱き締めるように、腕を回す。

 ほぅ……と息を吐くと、屋上の空に、白い吐息が広がり、少しの余韻を残して消えていく。

 

「……はぁ」

 

 分かっては、いたこと。

 生きていれば誰かと出会い、世界は広がり、それぞれの望む未来へ向かって歩き出す。

 ひとところに居続けることはできず、少し停滞する時があっても、四季が巡るように時間は流れる。

 そこに特別はなく、時は人を選ぶこともなく、先へ先へと押し流していく。

 

「ふー……」

 

 私は冷えた指先を暖めるために、もう一度息を吐く。

 小糸は、透と雛菜に。

 透と雛菜は、霧子と咲耶さんと千雪さんに。

 今まで、幼馴染の中でだけ巡っていた矢印が外を差し、三人はそこへ向かって進み出した。

 何も不自然なことはない。

 不自然と言うのなら、四人のまま、ずっと一緒にいられると思っていた私の方だろう。

 相談してくれなかったと咎めるのは、あまりにワガママが過ぎる。

 進むというのなら、できれば笑って背中を押してあげたい。

 

「指先、あったかくならないな……」

 

 言葉だけが先行して、気持ちが伴わない現実を写すようだと私は思う。

 望んでいない理屈にいくら血を通そうとしても、熱を持たないのは当然だ。

 どっちが間違っているというのなら、それは私。

 でも。

 

「……だったら、私はどうしたらいい? どこへ向かえばいい?」

 

 夜空も、星も、街のイルミネーションも、私に答えてはくれない。

 答えてくれたかもしれない三人は、別の方向へ歩き出した。

 私は最後まで取り残され、一人になる。

 

「……っ」

 

 これ以上、この冷たい憂鬱の中にいることはできないと直感で理解して、私は屋上を出る。

 プロデューサーは取引先から直帰したらしく、事務所には誰もいないから、少し身体を暖めて帰ろう。

 そう思い、屋上から階段を下りて、玄関のドアを開け、真っ暗な事務所へ足を踏み入れた時、それは唐突に起こった。

 ぱぁん! という炸裂音と共に、聞き慣れた声が鼓膜を打つ。

 

「樋口」

「円香ちゃん」

「円香先輩~!」

 

 私の名前の部分だけ、不揃いに重なった声が、事務所に響き、不意にLEDが灯る。

 

「ソロデビュー、おめでとう!」

 

 三人の弾んだ声。

 突然の出来事に、私の脳が派手にフリーズする。

 完全に固まった私の前には、パーティー用のクラッカーを持った透と小糸と雛菜の姿があった。

 私は、私の頭に引っ掛かった、クラッカーのキラキラしたテープがずり落ちていくのを視界の端で捉えつつ、一生懸命現状の把握に努めた。

 雛菜は悪戯っぽく笑い、小糸はちょっとためらったような、恥ずかしそうな赤色を頬に滲ませている。

 そして、透はどういう理由があってか、クラッカーを机へ置いて、椅子の影に隠していた何かを持って、それを後ろ手に隠す。

 

「……、なにこれ」

 

 どうにかひねり出した言葉はそれだけだったのだが、三人にはそれで充分だったようで、にやりと笑い合っている。

 

「あは~、円香先輩が鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる~! サプライズ成功~!」

 

 雛菜がご機嫌な様子で、クラッカーを持った右腕をぶんぶん回す。

 なんかもう、いろいろ通り過ぎつつある私の表情を見た小糸が、おののいた。

 

「ぴぇ!? ひ、雛菜ちゃん! やりすぎ、やりすぎ!」

「え~? でも、発案は小糸ちゃんだよ~? こんな円香先輩、なかなか見られないし、シャッターチャンス~!」

 

 スマホを構える雛菜に、透が笑いかける。

 

「ふふっ、さすが雛菜。命知らず」

「……ちょっと待って。ほんとに、どういうこと?」

 

 驚きと戸惑いの混じった私の問いに、小糸が答えた。

 

「あ、あのね……、ソロデビューのお祝い、しなきゃって思って……」

「……? でも、みんなでそれはしたでしょ」

 

 小糸は珍しく機嫌を損ねた様子でむっ、とした後、唇を尖らせて私に言った。

 

「だ、ダメだよっ。みんなでお祝いはしたけど、四人でお祝いしていないからっ。そういうの曖昧にするのは、よくないと思う!」

「……え?」

 

 全ての答えが集約されたその主張に、私は言葉を失う。

 雛菜のあの台詞が解答を持つ。

 

『円香先輩は、小糸ちゃんが何をしたいのか、もう知ってるよ~? ただ、思い込みで、勘違いしてるだけ~』

 

 もし、その理屈の通りであるのなら、私は、「一度お祝いしたから、二度目はない」と勝手に思い込んでいただけということ。

 雛菜と透が、私に柔らかな口調で答えた。

 

「円香先輩の考えている通りだよ~? 嬉しいことは、楽しいことは、二回お祝いしちゃダメなんてルールはないでしょ~?」

「ふふっ、むしろ、大事なことだから何度やってもいい」

「そうそう~! それが幸せだって、雛菜は思うな~!」

 

 私の頭の中で、点と点が繋がっていく。

 全ての始まり。

 小糸の隠し事。

 それは、『樋口円香のソロデビューを、四人で祝うこと』だったのだ。

 だから、私に言えなかった。

 雛菜が、『小糸らしい悩み』と言ったのも頷ける。

 クラッカーの鼻に据えた火薬の匂い、床に落ちた色とりどりのテープ、そして視界の端にはテーブルの上のたくさんのお菓子や飲み物、ボードゲームの箱が見える。

 昼間、プロデューサーと一緒にいた時にはなかったものだ。

 つまり。

 

「……浅倉」

「んー?」

「さっき、買いに行ったんだと思うけど。……どこで買ったの、この雑貨」

 

 腕を後ろに回したままの透は、「ふふっ」と得意げに笑う。

 

「千雪さんに教えてもらった店で。……ぱーっと、騒ぎたいからって」

「こんな時間に事務所まで使って……。プロデューサーに許可は?」

「もちろん」

 

 透は一旦言葉を切って、また得意げな笑顔。

 

「取ってない」

「あは~、また怒られる~!」

「ぴ、ぴぇ!? どうしてご機嫌なの、雛菜ちゃん!?」

 

 三人は騒ぎ出すが、私は頭痛を抑えられない。

 まだ、解決していない要素が残っているからだ。

 

「それだけじゃ、ないんでしょ」

 

 私がそう呟くと、ふっと事務所のLEDが落ちる。

 一瞬、驚いてしまったが、すぐに仄かなオレンジ色の間接照明が優しく夜の事務所内を照らし出した。

 柔らかな薄い光が視界に滲み、周囲を見渡すと、暗闇の落ちた部屋の隅には、設置型の照明器具が据えられている。

 それらが事務所内で光点となり、繋げて線にすると、身体を包み込まれているかのような、不思議な安心感を抱いて私はため息を漏らした。

 透が、静かな声で言った。

 

「この演出は咲耶さんの案。『円香は派手な盛り上げを好まないだろうから』……だって」

「相変わらず、あの人は……」

 

 キザなことをすると思いつつ、このシチュエーションを拒む事もできない。

 

「樋口、思ったより早く屋上から降りてきて、焦った」

「あは~、設置するの大変だったね~!」

「ぎ、ギリギリだった……」

 

 結構、タイトなタイムスケジュールで動いていたらしい三人が、ふぅと息を吐いて、笑い合う。

 私は、リアクションに困ったままだ。

 そして、最後に残った要素が顔を見せる。

 透が私の前に立ち、目を細めて優しく微笑んだ。

 

「そしてこれは、私達から。……改めておめでとう、樋口」

 

 透は後ろに回していた腕を私へ向ける。

 その手には、一つの花束が握られていた。

 一種類の花でまとめられていて、茎の長さは20センチくらいだろうか。

 葉は細長くて厚く、左右に広がっており、その先に淡く白い花が咲いていた。

 香りはすっきりとしていて、爽やかだ。

 

「……見たことない花」

 

 それを受け取った私の感想に、小糸が答えた。

 

「アングレカムって言うんだよ。……円香ちゃんへ伝えたい言葉があったから、霧子さんに合ってる花を教えてもらったんだ」

「合ってる花?」

「そ、そう。……花言葉は、家に帰ってから調べて欲しいかな?」

「……ふうん」

 

 スマホはあるし、今この場で調べることもできるのだが、それは無粋だろう。

 ここまでシチュエーションを作ってくれた以上、私がそれを壊すワケにもいかない。

 花を見て、花言葉を知って贈るのではなく、伝いたい花言葉があって、花を選ぶとなると、その分野に詳しい霧子が選ばれたのは当然の流れだ。

 

「……はぁ」

 

 私の口から、熱い吐息が漏れる。

 正直な今の気持ちは、なあんだ、と言ったところ。

 結局、私が一人でジタバタしていただけで、少し視点を変えて考えてみれば、すぐに分かりそうなオチだった。

 ただ、それができなかったのは、私も感情的になってしまっていたから。

 私にとって、この三人はそういう存在。

 ……そういうことだ。

 透が使用済みのクラッカーの引き糸をいじりながら言う。

 

「クラッカーってさ、強い火薬使えないのかな? もっと、バーンってやりたい」

「と、透ちゃん!? それやったら、売り物じゃなくなるよ!?」

「あは~、じゃあ、こっそりやってみる~? 火薬ってどこで売ってるかな~?」

 

 目の前の三人は、いつも通りの三人のまま、好き勝手に喋っている。

 だから私も、皆の知る私に戻る事ができた。

 

「ここでやったら、スプリンクラーが動いて大惨事でしょ。……アイドルとしては致命的」

「あー……、プロデューサーも怒られそう」

「ぴぇ……。プ、プロデューサーさん……怒られるだけで済むかな……?」

「あは~、それこそスキャンダル~?」

 

 そんなことを言い合いながら、私達は笑う。

 仄かなオレンジの間接照明が映し出す、少し特別な夜。

 窓の外に覗く月と星に、屋上で感じていたほどの冷たさはない。

 透き通る夜空は心地よく、弱めのエアコンが不思議なほどに暖かかった。

 



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矢印が導いた先で

 コーラを飲み、コーヒーを飲み、紅茶を飲み、アップルジュースを飲み。

 ポテチを食べて、チキンを食べて、から揚げを食べて、ドーナツを食べ。

 これは終電がヤバいという時間まで、大騒ぎした夜。

 

「少し、食べ過ぎたかも……」

 

 帰宅した後、お風呂に入り、パジャマに着替えた私は、姿見に映る自分の姿を見て、少し苦笑した。

 多分、他の三人も同じ事を感じているのだろうな、と思う。

 私もちょっと羽目を外してしまった感はあるが、まあ、たまにはいいだろう。

 

「さて、じゃあ……」

 

 私は意識して声を出し、勉強机の上の花束へ視線を送る。

 本当はすぐに、その意味を調べたかったのだが、何となく自分を焦らすように、お風呂に入ったり、時間をかけて髪を乾かしたりしてしまっていた。

 だが、もう、そろそろだろう。

 

「名前は……アングレカムだっけ……」

 

 高鳴る胸の鼓動を感じつつ、私はスマホを立ち上げて、検索エンジンを開く。

 

『アングレカム 花言葉』

 

 そう打ち込み、意を決して、検索を始めた。

 トップに出て来た結果を見て、私は机に突っ伏す。

 

「あ、あの三人は……っ」

 

 一段と強くなった鼓動を抑えることができないまま、じわじわと体温が高くなり、呼吸が大きくなるのを自覚する。

 帰宅して少しは落ち着いていた感情が再び騒ぎ出し、私は頬に熱が滲むのを感じ取った。

 机の上の花束と、スマホの検索結果の画像が並んで見える。

 ブルーライトが光る画面には、こんな文字が並んでいた。

 

花の名前 : アングレカム

形態   : 多年草

開花期  : 主に冬から春

 

 そして。

 

花言葉  : いつまでも、あなたと一緒

 

「……っ!」

 

 歯を食いしばって、感情の波に翻弄されないように私は努める。

 本当に、この一件の私は勘違いばかりだった。

 283プロでアイドルデビューした透と小糸と雛菜が、新しい出会いを、機会を得たのは事実。

 そして、これからそれぞれの道を歩み、今までと同じようにはいられなくなるのも、遠くない未来の話だろう。

 一緒に過ごす時間が少なくなり、距離が生まれ、生活のために仕事をする。

 それが生きるということだと私は考えていた。

 だが、それは間違いだった。

 私は、私が感じていた以上に一人ではなかった。

 難しいことなんて、何もない。

 いつか来る未来などという、あやふやなものにすがる必要もない。

 私はただ、今もたらされた花の恵みを信じて歩けばいい。

 改めて、三人の幼馴染達からもらった、花束を腕に抱く。

 その花は白く、美しい。

 

「アングレカム、か……」

 

 最後に私は噛み締めるような口調で、その花の名を呼び、微笑んだ。

 

 



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夢見鳥の憂鬱

 それから数か月が経ち、春が来た。

 事務所近くの大きな公園のベンチで、文庫本を読んでいた私へ、一人の少女が声をかける。

 

「おつかれー、樋口。……春だねー」

 

 言われなくても分かることを、制服姿の透はわざわざ言葉にする。

 私は文庫本を閉じて、答えた。

 

「見たままでしょ。桜も綺麗だし」

「そうだね。なんか、始まる―って感じ」

 

 透はいつもの気の抜けたような、捉えどころのない口調で頷く。

 二人で並んでベンチに座り、空に舞い散る桜の花びらを見上げる。

 しばらくそうしていると、そこに二人の少女が加わった。

 

「あは~、透先輩と円香先輩、こんなところにいた~!」

「と、透ちゃん、円香ちゃん、そろそろ事務所へ行かないと、遅刻するよ……?」

 

 雛菜はおっとりしているが、対照的に小糸の息は荒い。

 まあ、時間的には小糸の言う通りで、このままぼんやりしていたら遅刻確定だ。

 

「あー、マズいね。プロデューサー、意外と時間にうるさいし」

 

 透が腕時計で時刻を確認し、ベンチから腰を上げる。

 

「じゃ、行こうか」

 

 透は、そう言って歩き出し、雛菜と小糸もその背中を追う。

 そういう関係性は、今も変わらない。

 まだ、変わらない。

 

「……」

 

 私は、ページに挟まっていた栞を手に取る。

 少し長めの茎に、葉は細長い、白い花をキッチンペーパーで挟み、電子レンジで栞にしたそれは、少し不格好である。

 だが、大切に使えば長持ちしそうだし、ハンドメイド故の暖かみもある。

 

「……ま、何と言うか」

 

 心に憂鬱な雲が広がり始めた時、私はこれを手にするようにしているから、最後まで捨てることはできないのだろう。

 誰にも見られないように注意しながら、そっと栞を胸に沿えると、あの夜の出来事がまぶたの裏に蘇る。

 好きなように飲んで、好きなように食べて、好きなように話した、薄いオレンジ色の特別な夜。

 いつか、この記憶も桜の花びらのように消えて行ったとしても、私が後悔することはないだろう。

 

「樋口ー? 遅れるよー?」

「ま、円香ちゃん、急がないと!」

「円香せんぱ~い、早く~!」

 

 だって、私を呼ぶ声は、いつも傍にあるから。

 私は、一人じゃないから。

 

「……そんなに急がなくても、事務所は逃げないでしょ」

 

 私は努めて淡々と言って、ベンチから腰を浮かす。

 あの花を栞にして使っていることを秘密にはしているものの、まあ、気付かれているような気もする。

 それはそれで、別にいい。

 だって、私は。

 

「今、幸せだから」

 

 私は瞳を閉じ、手に持った栞へ一度、唇を寄せて、そう呟く。

 そして、それを読みかけの文庫本に挟み、ショルダーバッグへ入れる。

 顔を上げた視線の先には、彼女達がいる。

 私はただ、ずっと一緒にいられるよう願いを込めながら、一度手を振って、春の暖かい光の中を歩き始めた。

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。
キョクアジサシです。

普段、苦労性の円香ですが、何かの形で力を抜くことのできる場面を迎えられたら、と思いながら書きました。
個人的には雛菜との絡みが書いていて、新鮮な感じがありました。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。


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