魔法少女サクリファイス【完結】 (難民180301)
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日記1

○月✕日

 やったぜ。

 

 私は魔法少女になった。

 

 魔法の国で魔法少女といえば見習い、魔法使い、魔女、賢者、大賢者を超える最上位魔性(ましょう)位階。つまり私はこの国で一番えらい奴らの仲間入りをしたわけだ。

 

 もちろん努力なんて一切してない。いつもどおり学校行って授業中に昼寝して、気がついたら放課後になってる毎日を送ってたら、急に力に目覚めた。身体が光に包まれて変身した。

 

 当然学校の連中は大騒ぎ。校長室に連れてかれてそっこー飛び級卒業が決まった。自分の才能が怖いぜ。

 

 固有魔法もがっつりSランクの『代償』。何かを代償に捧げることでどんな奇跡も起こせる最強魔法だ。もし私みたいな超天才魔法少女の命を捧げたら、世界創造とかできるんじゃないかな。怖いからやんないけど。

 

 明日から魔法少女生活だ。才能に恵まれた大天才の私なら大活躍は間違いない。むしろ活躍し過ぎて引かれないようにしないとな。

 

 いやー人生楽勝だな。

 

 

 

○月✕日

 

 いやー人生つれえわ。死にたい。

 

 魔法少女の役目は防衛。山の向こうからやってきた魔獣を退治して魔法の国に入れないようにするってのは、よく知られてる。でもその給与が歩合制だとは思わなかった。最高位なんだからもっと楽させてよ。

 

 あとチーム。私は最強なんだから、最強のチームのマジカル☆ホープを訪ねて「入れてくださいな」と頭を下げた。

 

 リーダーのホープフルちゃんは優しい子で、魔法を使ってみせてと言った。

 

 代償の魔法で髪の毛を一本捧げてみた。何も起こらなかった。

 

 爪を捧げた。何もなかった。痛い思いして血液を捧げた。何も起こらなかった。

 

 ホープフルちゃんの白けた目がきつくて、寿命を一年捧げてみた。やっぱり何も起こらなかった。

 

 で、この後。

 

 黙って私の奮闘を見てたヘイトレッドさんが、めっちゃ傷つくこと言った。

 

「アホが。貴様の悪名は私たちも聞いている、授業は常におざなりで魔力値も史上最低、おまけに訳の分からん魔力地脈説だのなんだの根拠のない妄言を垂れ流す無能だとな。無能なら無能で努力すればいいものを貴様はいじけて腐るばかりで最低限の努力さえしない。そんなゴミがいくら代償を捧げたところで奇跡が起こると思うか? いいか、貴様の全存在を掛けてもそこにいる私のホープフルの細胞の一片にさえ及ばん。分かったらせめて路傍の石程度に自分の価値を上げて出直せゴミクズ!」

 

 こんなクソ長い罵倒を丸暗記してる私って、やっぱ超絶天才なのではなかろうか。そう思うことにする。

 

 要は私がクズ過ぎて何を捧げても奇跡の代償になりえないんだって。悲しみ通り越して笑えてくるぜ。

 

 ヘイトレッドさんは無能なら無能なりに努力しろとか言うけど、そんなのめんどくさいじゃない。苦しいのいやじゃない。いやなことをそのまま放っておくことのどこがクズだというのか、これだから年増は困る。魔法少女になると何歳になっても見た目十代で固定されるから、きっとヘイトレッドのやつは百歳くらいだ。けっ、ババアめ。

 

 悪口書いたらすっきりした。

 

 魔法少女の仕事はやる気出ない。さいきょー天才っつってチヤホヤされるはずだったのに、ひどいこと言われたんだもの。たぶん一生やる気でない。

 

 もう寝る。

 

 

 

○月✕日

 

 これは天地開闢以来ずっと明白な事実だけど、私は天才だ。

 

 私は昨日やる気をなくした。チヤホヤされないケチで面倒な魔法少女の仕事なんてどうでもいい。自分の価値を上げる苦労なんてめんどくさい。

 

 だけどチヤホヤはされたい! 何の努力もしないでもてはやされたい!

 

 これを叶える唯一の方法はというと、周囲のレベルを下げることだ。

 

 ヘイトレッドさんたち魔法少女や学校の連中は、私ほどではないにせよけっこう優秀なエリート集団だ。私のさいきょーっぷりが目立たなくなる程度には平均が高い。

 

 この平均がめちゃくちゃに低いところこそ、私の天国だ。すなわち社会の最底辺、ゴミ溜め掃き溜め肥溜めのフルコース、不適合者と落伍者のオアシス──スラム街。魔法のマの字も知らないクズの集まりの中でなら、相対的に私が最強、私がもっとも天才で賢明な魔法少女になれる!

 

 これを相対的最強論と名付けよう。我ながら天才過ぎて恐ろしい。

 

 というわけでこれからスラム街へ引っ越しする。

 

 魔獣退治? 意識の高いホープフルちゃんやヘイトレッドさんが死ぬまでやってりゃいい。けっ、成功者がよ。

 

 

 

○月✕日

 

 スラムに着いた。

 

 外国人がやたらに多い。

 

 隣国のエボルレアで最近革命があったせいで、難民が流れ込んでいるらしい。四六時中革命と戦争繰り返してるエボルレアもアレだけど、魔獣退治にかかりっきりで国境警備もままならない魔法の国も相当アホだ。

 

 まずは寝床を探そう。

 

 

 

○月✕日

 

 やった、やった。私は最強だ。

 

 このろくでもない最底辺の掃き溜めでなら、私は強い。恐れられ敬われチヤホヤされる。

 

 寝床を探し始めて数秒で強盗にあった。薄汚いメスガキが錆びたナイフ構えて脅迫してきた。

 

 私は魔法少女に変身してから、素手でナイフをへし折って、メスガキのケツをひっぱたいてやった。すると生意気にも反撃に引っかき攻撃を繰り出してくるから、私はキレた。捕まえて何回もケツを叩くうちにガキが泣きながらやめてと叫ぶので、子分にしてやった。ガキの寝床に案内させて、今はそこに隠してあった貴重なランタンの燃料を浪費しながら日記書いてる。今にも泣き出しそうな目で睨んでくるのがたまらねえぜ。

 

 反抗心を叩き折るには、私がいかに優れた魔法少女であるかを分からせる必要がある。そもそも至高の魔法使いたる魔法少女に刃向かおうと考えるのが間違いなんだ。

 

 燃料なんて使い切ってやる。今夜は徹夜で講義だ。

 

 

 

○月✕日

 

 メスガキが弟子になった。私のあまりの賢さに感動したらしい。

 

 というのは半分冗談で、どうやら自分が魔法を使えたことがよほど嬉しかったとか。

 

 スラムの連中は生まれつき魔力がないために落ちぶれて最底辺になるやつが多い。メスガキもその一人。ただし魔力がないと判定されるのは魔力解釈論において主流な魂根源説に基づいており、私が悪ふざけで提案した地脈増幅説に基づけば魔力なしの最底辺でも魔法を使える。実際私もこの説にあやかったから魔法少女になれたようなもんだし。

 

 メスガキは私の教えた説の通りに魔力を運用し、指先に小さな火を灯してみせた。その直後、弟子入り志願。

 

 もちろん私は承諾した。だって師匠とかいかにも偉そうじゃん。敬われたい。チヤホヤされたい。

 

 そんなわけで、小汚いメスガキが弟子になった。

 

 

 

○月✕日

 

 メスガキはクロアと名乗った。

 

 クロアは覚えがいい。一日で魔法の基本工程と属性の概念を理解し、魔力運用にいたってはもう中級の域だ。おししょー、おししょーと引っ付いてくるのもかわいくて気分が良い。

 

 ただ、臭いのはダメだ。裸にひんむいてから魔法の水にぶち込んで丸洗いしてやった。きれいになった後で泣きながら引っかいて来たけど、臭くなかったから許した。

 

 そうして判明した衝撃の事実。

 

 このメスガキ、ガキのくせに割と美少女じゃんか。

 

 

 

○月✕日

 

 クロアが食料をどこからか持ってくる。

 

 私は一日中寝床でだらだらして、気が向いたら魔法を教える。

 

 教えるたび、クロアは私に尊敬の眼差しを向けてくる。

 

 理想の生活だ。

 

 

 

○月✕日

 

 面倒なことになった。

 

 今日の朝、クロアが食料と、ついでに血まみれのメスガキを拾ってきた。どうも難民同士のいさかいに巻き込まれ、刺されたところをクロアが魔法の力で連れ出して来たらしい。

 

 治癒の魔法は基本じゃなくて固有魔法の域だから、裏技を使った。そのケガしたメスガキの魂の波動を解析し、私経由で地脈から溢れ出るエネルギーと同調させることで、生命力および魔力の治癒促進を行った。地脈増幅説の応用だ。

 

 傷口はすぐに完治したけどガキは目を覚まさない。失った血と体力まで戻るわけじゃないからね。

 

 この最強天才魔法少女が手を貸したからには死なれては困る。つーか死んだら殺すぞクソガキ。

 

 

 

○月✕日

 

 やったぜ。ガキが目を覚ました。クロアと抱き合って喜んじゃったぜ。

 

 ガキはサプーリンと名乗った(長いので以下サプー)。年はクロアと同じ十歳前後。そのくせおっとり丁寧で気品にあふれた話し方をするし、薄汚れてる割には儚い美少女っぽい雰囲気だから、腹が立った。このガキ私よりかわいい見た目してるじゃねーか。

 

 クロアが無神経にも「隣の国の人?」などと聞くのでケツをつねってやった。ひゃん、とかわいい悲鳴があがった。そういうことは聞くもんじゃない。サプーも暗い顔でうなずかんでいい。

 

 後は普通に魔法の講義をして、りんごをかじって、魔法の水で洗いっこしてから寝た。

 

 夜中にこっそり起きて日記を書くのは、隠れた努力をしているみたいでかっこいいな。今度からこの時間に書こう。

 

 

 

○月✕日

 

 弟子が増えた。

 

 クロアが私のことを「魔法少女なんだよ! すっごく強くてかっこいいんだよ!」と紹介すると、サプーが興味津々で食いついてきた。確かエボルレアには魔法がないはずだから、余計関心があるんだろう。尊敬の眼差しはいくつあっても多すぎるということはない。当然、弟子入りを許可した。

 

 まあ、すごいですわ、信じられませんの。そんな風にいちいち上品に感心されるのはとても気持ち良かった。が、途中からクロアまで付け焼き刃の魔法を披露して胸を張るのはうっとうしかった。師匠の見せ場をとるんじゃない。押さえつけて腰砕けになるまで顎の下を撫で回し黙らせてやった。こいつは獣みたいにここが弱い。

 

 すると「とても仲の良いご姉妹ですのね」とサプー。私がきょとんとしてるうちに、クロアは這いつくばったまま「えへへ」と身をくねらせた。ぶっちゃけ、素直でかわいくてちょっと生意気なこいつのことは嫌いじゃない。この私の妹分として認めてやらんでもない。

 

 せいぜい偉大なる姉をチヤホヤするがいい、妹よ。

○月✕日

 

 クロアも随分と出来るようになった。

 

 今や教科書の中等レベルの魔法なら無詠唱かつ実質ノーコストで連発できる。よほど私の教え方が良かったんだな。私ってやっぱりすごい。

 

 ついでに教えてたサプーもある程度の魔法は使えるようになった。魔法の国だと魔法の腕がそのまま身分になるから、とりあえず少しでも使えるのはいいことだ。刺し傷で崩れた体調も回復した。

 

 生活環境もだいぶ良くなった。私は面倒くさくてやんなかったけど、クロアとサプーが土魔法で寝床の壁を拡張、補強し、水魔法で地下水脈とつなげて擬似的な上下水道システムを構築した。この一画だけスラムじゃないみたいだ。

 

 住みよい環境にするのはいい。

 

 だけど二人はいつまでここにいる気だろう?

 

 クロアは言わずもがな、サプーも中心部の学校に入学金免除で入学できる魔法の腕を身に付けている。そうすれば将来、もっと上等な環境でチヤホヤされることも可能なのに。

 

 でもそうなると、私をヨイショしてくれるやつがいなくなって困るな。なるたけ最底辺のここにいてもらいたい。

 

 将来云々の件は黙っとこう。

 

 

 

○月✕日

 

 ヘイトレッドさんが負傷したらしい。最強の魔法少女の一角が倒れたとかで、スラムの連中が噂していた。

 

 地脈エネルギーの流れが不安定だから、たぶん山の向こうに吸い出されて強力な魔獣に変化したんだろう。

 

 クロアとサプーには間違っても山に近づかないよう言っておいた。

 

 特にクロアは最近外出が多く、外で何をしているのか聞いても「何でもないよー」と惚けやがる。サプーと二人がかりで拷問しても口を割らないし、むしろ虐められている間ちょっと嬉しそうだ。こいつも変わっちまったな。

 

 まあクロアもあからさまに危ない場所に近づくおバカではないだろう。勝手にしろばーか。

 

 

 

○月✕日

 

 クロア、あのクソガキやりやがったな。

 

 今日、クロアが大量のガキをウチに連れて来た。薄汚い少年少女共。臭くて鼻が曲がったんで問答無用で水の中へ放り込んだ。

 

 そいつらは、クロアが勝手に魔法を教えていたスラムのガキ共だった。全員初歩レベルまでは習得していて、クロアがもっと学びたいなら師匠、すなわち私の弟子になれと勧誘したらしい。ガキ共は一列にならんで弟子にしてくれと口をそろえた。

 

 魔法の国で生きるには魔法の腕前が何より重要になる。スラムから抜け出すために必死なのだろう。クロアの話だと泥水を啜ったり腐ったネズミの死骸をかじったり、ときには人の死体でもかじって食いつなぐそうだからな。そりゃ誰だって抜け出したいさ。

 

 問題なのは、クロアが私に黙って生意気にも師匠を気取っていたことだ。

 

 その上臭いガキ共を大量に連れてきて、弟子にしろだと?

 

 弟子にするに決まってるだろーが。

 

 クロア、このクソガキ、最高に嬉しいことをやってくれたな!

 

 弟子は師匠を敬ってチヤホヤする。その数は多ければ多いほどいい。クロアはまさに私が一番喜ぶことをしてくれたのだ。

 

 ふへへ、ただ変身するだけでガキ共は腰を抜かすくらい感心してくれる。最底辺の中で輝く最強の魔法少女とは私のことだぜ。



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日記2

○月✕日

 

 今の寝床は私含め二十七人の大人数を収容できる大きさじゃないから、クロアに言って手近な場所にガキ共の寝床を作った。今日はそこを一つずつ回って基礎から教えるのでまる一日使った。疲れたけど、無知なガキにモノを教えていると頭がよくなった気分がして心地良い。

 

 それと良い出会いもあった。

 

 ガキ共はよっぽどこの底辺から抜け出したいらしく、分からないことはすぐ質問して貪欲に知識を吸収した。クロアほどとはいかないがかなり筋がいい。魔力がなくても魔法が使える理論にはみんな驚いていた。

 

 でも底辺の中には、どんなに頑張っても覚えの悪い最底辺の落ちこぼれがいるものだ。

 

 その落ちこぼれのメスガキは名をユノンという。ユノンは普通一度で分かることでも噛み砕いて三度は説明しないと分からないし、そのくせ無駄に遠慮がちなせいで質問もしない。一人だけ私の講義についていけず、寝床の隅でしくしく泣いていた。

 

 それでいいんだよ。底辺のくせにスラムのガキ共はみんな優秀過ぎる。自分よりも劣った存在を認識したときのあの快感! ユノンのような無能が私は大好きだ。

 

 だから私はユノンを寝床に引っ張り込み、付きっきりで教え込んでやった。ユノンは何を理解できてないのか理解できず、質問しようとしても「あうあう」と何度も涙目になっていた。その覚えの悪さときたらもう、最高。

 

 今は私が日記書いてる横で寝てる。気持ちよくなるのに忙しくて気にしなかったけど、年はクロアとサプーよりも一つか二つ下に見える。サラサラした銀髪は手慰みで撫でるのにちょうどいい。

 

 よし、この無能な幼女は私の新しい妹分だ。せいぜい私を引き立て、快感を与えてくれ。

 

 

 

○月✕日

 

 クロアが拗ねた。

 

 私は賢いから原因は分かってる。最近ガキ共に教えて回るのとその後寝るまでユノンに付きっきりだから、構ってもらえなくて寂しいわけだ。

 

 と、正面から言ってやったら久しぶりに引っかかれた。「姉さんのバーカ!」だって。

 

 顔真っ赤だぞさては図星か〜? と追い打ちすると、サプーに泣きついていた。サプーはクロアをあやしながら、咎めるように私を睨んだ。ユノンはおろおろしていた。

 

 結局クロアはサプーと寝て、ユノンもおそるおそる二人に話しかけにいき、私は今一人で日記と向き合っている。

 

 さてここまでの描写を通して私自身を客観視して判明したことは、私は人類史上最大級に全くこれっぽっちも悪くないことだ。私悪くない。

 

 悪くない。

 

 だけど引っかかれた傷が痛い。ので、明日クロアと話がしたい。

 

 微妙に理屈が通ってないのもきっと、引っかき傷が痛いせいだ。

 

 

 

○月✕日

 

 クロアの機嫌が直った。妹分のゴキゲンを取る程度、私には造作もないことだった。

 

 ガキ共には講義のお休みを告げ、寂しそうなユノンはサプーに任せて、一日中クロアに引っ付いていた。初めて会ったときケツをしばいたこと、かなり臭かったこと、妹分にしたこと。なだめすかして抱きしめながら思い出話をすると少しずつ笑顔になって、「一番の妹は私だもん!」と言いながら身体をすりつけてきた。

 

 ただ、引っかき傷のお返しに「お仕置きされなきゃ」とか言って尻を差し出してきたのはびびった。はしたないことはやめろ、と一発叩くとかわいらしい悲鳴を上げていた。私も変な趣味に目覚めそうだった。サプーとユノンの視線が痛かった。

 

 

 

○月✕日

 

 機嫌を直したクロアは、ガキ共に対し急にお姉ちゃんヅラをし始めた。

 

 私の出番が奪われるようでウザかったものの、元々ガキ共に教えていただけあって、中々分かりやすい講義だった。私のユノンへの特別授業にも顔を出し、そのおかげってわけじゃないだろうけど、ユノンが初めて指先に火を灯した。

 

 ユノンは大泣きして喜んでいた。ちょっと異常な喜びようだったから私達が戸惑っていると、ユノンは涙ながらに「魔力がないせいで家を勘当された」と語った。

 

 魔法の国は魔法を使えないもの、つまり魔力を持たない者にとても冷たい。そのことを改めて考えると、魔力がなくても魔法が使える私の地脈増幅説って、けっこう福音なんじゃね? さすがだぜ私。

 

 

 

○月✕日

 

 今日はいつも通り、無能なガキ共にモノを教えて気持ちのいい一日だった。

 

 ユノンの学習進捗はクロアの介入で向上した。どうもクロアと感性が合うらしい。しかし地脈との同調を説明するにあたり、「ふわふわした感覚に身を委ねて魂さえふわふわしてきたら同調できてる」としたのはいただけない。ふわふわしすぎだろう。これでユノンが一発理解できたのも釈然としない。

 

 釈然としないといえば、ガキ共が受講料と称して食料を貢ぐようになったのもそうだ。私は無能に教えることで気持ちよくなりたいだけであって、食べ物がほしいわけじゃない。少食だし。

 

 断ってもガキ共が譲らないから、持ち帰って妹分たちにあげた。

 

 

 

○月✕日

 

 最近、朝起きるとクロアとユノンが私に引っ付いている。冷え込みの厳しい季節だからありがたい。二人の肌と体温は暖かで柔らかくなめらかだ。皮膚を剥いで毛布になめしてやりたいぜ。

 

 と言ってみたら後ずさりして震えだした。ただの冗談なのにかわいい妹分たちだ。

 

 どうせならサプーも引っ付いてくれたらもっといいけど、奥ゆかしいあいつは一歩引いた位置で見守っていることが多い。「私には過ぎた幸せですわ」だと。メスガキが生意気にも遠慮しやがって。

 

 

 

○月✕日

 

 教えるガキの人数が激増した。二十七人から百八十五人へ。バカかよ。

 

 

 

○月✕日

 

 今日は相当に働いた。底辺相手に教師面して気持ちよくなる暇なんかない、まる一日土木作業だった。

 

 ガキが増えたのは、貧民同士のつながりが原因だった。その日の食料にさえ困るスラムでは、貧民たちがそれぞれにコネを持って支え合うのが常道。最初の二十七人が少しずつ魔法を使えるようになると、コネのある貧民たちはその方法を知りたがった。魔力を持たずとも魔法が使えるウワサ、すなわち私が教えているとの情報が瞬時に拡散し、ほぼスラム全体のガキ共が集まってきたわけだ。

 

 もちろん私は受けて立った。数が多すぎるからって突っぱねるのは負けた気がする。最底辺の肥溜めで魔法少女が負けるわけないんだよ。

 

 まずは全員に教えを授けるための場所を作った。ガキ共を総動員してスラム中から廃材をかき集め、火と水の魔法で溶接したり土の魔法で接着したりなんだり。

 

 そうして先程竣工したばかりのそこは、ボロボロの大講堂だ。内側はまだ空っぽだけど、明日中には教壇と階段状の座席を作って一度に百人は入れるようにする。講義内容は初級、中級、上級、応用に分けて一コマ九十分。初級と中級の講義はクロアとサプーにも担当してもらう。日時を決めてそれぞれの講義をやれば、希望者全員に教えを授けることができるだろう。

 

 ここまで書いて気づいた。

 

 なんで私がこんな丸きり教師のマネごとしなきゃいけないんだよ。全員学校行けや。

 

 行っても魔力がないから入学さえできない? 知らんわ。

 

 まあここまで大きな建物を作ったからにはやるけども。めんどくさいな。私はただ底辺相手にイキりたいだけだったのに。

 

 とはいえ、クロアとサプー、ユノンから向けられる尊敬の眼差しが気持ちいい。サプーに至っては畏敬を感じるほどだ。頑張る理由としてはこれで十分か。

 

 よし、日記を書いた勢いでカリキュラムを組もう。今日は徹夜だぜ。

 

 

 

○月✕日

 

 講堂完成。さっそく新顔のガキ共相手に講義開始。

 

 無教養で無節操なガキだけあってうるさいことこの上なかったが、教壇で私が変身してみせるとすぐ静かになった。魔法少女の肩書はこいつらにさえ通用するらしい。やはり私はすごい。

 

 誤算だったのは、初級の講義時間よりもその後の質疑応答の時間が長くなったことだ。ほぼ全員のガキが挙手して、ときに鋭くときに的はずれな質問を飛ばしてきた。質疑の内容はクロアが記録してくれてたから、よくある疑問を次の講義内容に組み込んでいこう。クロアにはごほうびを用意しないと。

 

 

 

○月✕日

 

 一日中講義。ほぼ同上の内容。講義の改善案別紙にメモ。

 

 クロアが希望するごほうびの内容に困惑。頭を撫でる、抱きしめる、キスする、尻を叩く。すべて実行したが、次第に恍惚としてヨダレを垂らし始めたので中止。

 

 妹の趣味嗜好に懸念。

 

 

 

○月✕日

 

 講義。同上。

 

 忙しくて日記に割ける時間が減ってきたけど、気がかりを一つメモ。

 

 最近サプーの様子がおかしい。「体調が優れない」などと言って講師役を辞退することが多い。さらに、私だけでなくクロア、ユノンと接することも減った。朝起きるとどこかへ姿を消していることもある。

 

 私達と距離を置こうとしている?

 

 怪しいので、明日拷問予定。

 

 

 

○月✕日

 

 講義、同上。

 

 クロア、ユノンに命じてサプーを捕らえ、三人でくすぐり拷問を実施した。質問内容は「何か不穏なことを抱え込んでいないか」。

 

 結果から書くと、サプーは口を割らなかった。何を聞いても必死で歯を食いしばって押さえつけられた身体をよじっていた。一時間足らずで涙を流し始め、私はなんなら漏らすまで続けるつもりだったけど、クロアとユノンが「かわいそうだから」と音を上げて拷問を切り上げた。サプーははだけた衣服を直しながら、涙目のふくれっ面で私をにらんだ。

 

 反抗的な目つきにとても興奮したので、抱きしめて頭を撫でてやった。サプーはしばらく抵抗したものの、次第に大人しくなってしくしく泣き出した。

 

 何か抱えているのは明白なくせに、耳元で「吐け」と囁いても首を横に振るだけ。これにはさすがの私も白旗だった。もう勝手にしろ、私は忙しいんだ。

 

 さあ講義、講義。

 

 

 

○月✕日

 

 講義、同上。

 

 サプーの口数が少ない。

 

 

 

○月✕日

 

 朝。

 

 最初期の二十七人、私と妹分たちを抜いて二十三人が学校に出向いた。

 

 魔法の国の中心、グランマギクス中央学校。十分な魔法の素質ないし腕前を試験にて披露すれば、即日入学の上に身分まで保障される、魔法至上主義の象徴的な施設。

 

 底辺のガキ共が将来どうなろうと私は興味がない。

 

 だけど私の顔に泥を塗るような結果になれば容赦しない。きちんと結果を出すか本人が諦めるまで、徹底的に教え直してやる。

 

 夜。

 

 全員合格。

 

 最初等から学校で学べることになった。身分が与えられ、これからは寮で暮らすことになる。きちんと卒業して魔性(ましょう)位階を獲得すれば、充実した魔法生活を送れるだろう。

 

 私は泣いた。私の愛する最底辺の無能なガキ共は、いっぱしの成功者としての道を歩み初めてしまったのだ。もはやあいつらは私が見下せる連中じゃない。

 

 二度と面見せるな成功者ども、せいぜい落ちぶれないよう気張ることだ。そんな捨て台詞に傷ついたのか、あの憎い成功者共も泣きながら私に抱きついてきた。クロア、サプー、ユノンも泣いていた。なぜか涙が止まらなかった。

 

 見下していた最底辺のガキ共が、まっとうな人生を歩み出す。そのことを考えると無性に虚しい。

 

 私は何をやっているんだろう。

 

 

 

○月✕日

 

 講義に熱が入った。虚しさをごまかすために。

 

 生徒たちの中にいつの間にか新顔が混ざっていて、卒業した二十三人以上に数が増えていた。ガキだけでなく、いい年したおっさんやおばさん、乞食の類も混じっていた。

 

 別に私より劣っている底辺であればガキである必要はないけど、講義を一つでも飛ばすと理解度にムラが出る。クロアに言って、全員の名前と出席を記録することにした。

 

 生徒総数二百四十四人。

 

 うっかり生徒って単語を使ってしまった。

 

 魔法の国の学校といえばグランマギクス一つだけだから、あえて言うなら私塾だろうか。

 

 なんであれ、底辺と向き合うのは気持ちがいい。相対的に私がすごいやつだって思えるもの。

 

 書いてて虚しくなってきた。

 

 

 

○月✕日

 

 講義、同上。

 

 サプーへの第二次拷問が必要かもしれない。あのメスガキ、顔色が悪い。匂いがしないから月のモノでもないだろうに、何を隠しているのか。

 

 ユノンも心配になってきた。ユノンは覚えが悪いなりに、基礎の魔法をもう習得している。その気になれば学校にも入れるだろうに、素振りさえ見せない。

 

 指摘してやると、ユノンは真っ青になって頭をぶんぶん横へ振った。何かに怯えているみたい。ユノンはユノンで何を抱えているのやら。

 

 ちなみにもう上級魔法を使いこなせるクロアは、学校にまったく興味がないようだった。

 

「姉さんとずっと一緒にいる」

 

 と、言ってくれたのは嬉しい。

 

 でも蕩けた瞳でもじもじ膝をすり合わせながら言うのは、ちょっと恐ろしい。妹が姉に向ける目とは思えない。怖い。

 

 

 

○月✕日

 

 朝起きるとクロアが私の右半身に抱きついて、発情していた。全裸だった。

 

 左半身ではユノンがきょとんと不思議そうに、クロアの痴態を見つめていた。

 

 教育に悪い。お仕置きしたら、クロアの嬌声が大きく響いた。

 

 何しても悦ぶとか無敵かよ。

 

 

 

○月✕日

 

 まったくサプーのやつめ、面白い秘密を抱え込んでたものだ。

 

 なぜ話さなかったのかと聞くと、妹じゃないからだと。

 

 今日記を読み返してみたけど、確かに弟子扱いはしてもサプーを妹扱いはしたことがなかった。それで寂しくなって距離を取り、秘密も言えずにいたらしい。

 

 これは私が悪い。そばにいるのが当たり前すぎて言葉にしなかった私が全面的に悪い。本人にはもう言ったけど、改めてここに明記しよう。

 

 サプーは私の妹分だ。あいつがどんな身の上であっても。

 

 そして妹分は姉より下なので私のほうがえらい。私は常に誰かが下に見えてないと死んでしまう病なんだから、勝手に下から抜け出されるのは困る。

 

 それを阻止するために二十年の寿命を捧げたと思えば安いものだ。

 

 ゴミ未満の価値しか無かった私の命にも、ようやく値打ちがついてきたらしい。とはいえクロアたちが心配しないように、代償の固有魔法は秘密にしておこう。

 

 日記を書いている後ろで、クロア、サプー、ユノンが抱き合って熟睡している。

 

 安らかな寝顔を見るにつけ、二十年は安かったと確信できる。

 

 

ーーー

代償ストックメモ

 寿命五十三年

 腕二本

 足二本

 五感

 主要臓器

代償レートメモ

 二十年=致命傷の即時完治

ーーー



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三人称1

 魔法の国、スラム街。難民たちの粗末なバラックが立ち並ぶ夜道を、サプーは一人歩いていた。ハチミツのような金髪がさらさらと揺れ、柔らかな月光を照り返している。

 

 迷いのない足取りでしばらく進むと、やがて貧民たちの気配すらない林に入る。枯れた木立の間を抜けて、その先にある草原でサプーは足を止めた。

 

「約束通り参りました。姿を現しなさい」

 

 凛とした声が夜闇に響く。

 

 それに応じ、闇からにじみ出るように黒い鎧の男たちが五人現れた。彼らは音もなく移動しサプーを取り囲む。

 

 サプーはその威容に怯むことなく、堂々と声を張った。

 

「覚悟はできています。煮るなり焼くなり好きになさい。ただし、あの方たちへの手出しは許しません」

「無論。我々も魔法の国と事を構えるつもりはない」

 

 リーダー格の男が一歩前に出て、覆面の下からくぐもった声を響かせる。乱暴にサプーの細い肩を掴み、両手を後ろ手に拘束した。

 

「サプーリン・エル・エボルレア第四王女。貴様は祖国へ護送され、最後の王族として公開処刑にかけられる。抵抗するな」

「……っ」

 

 残酷な末路と両手を縛られる痛みに、サプーは息を呑んだ。

 

 サプーことサプーリン・エル・エボルレアは隣国エボルレアの第四王女である。革命軍が王族を次々と始末する中、市井へ遊びに出ていたサプーリンは大衆に紛れ、混乱しているうちに難民の列に流され魔法の国までやってきた。訳も分からずスラム街をさまよっていると、難民たちの話からどうやら天涯孤独になったらしいと推測。絶望しているうちに追手の暗殺者に刺突され、致命傷を負った。

 

 そうしてすべてを諦めたとき、あの人たちに出会った。

 

『すっごーい! 簡単に治った! おししょーは何でも出来るね!』

『まあ私は天才無敵最強の魔法少女なんで? このくらい楽勝よ楽勝、はっは』

 

 最上位魔性位階の魔法少女を自称する、十代後半程度の少女。それからその弟子らしい、サプーと同じ年頃のクロアと呼ばれる女の子。彼女たちは貧民という立場にも関わらず底抜けに明るくて、一人ぼっちのサプーを受け入れてくれた。

 

 隣国まで聞こえてくる魔法の技術を教えてもらい、いつしか他の貧しい子供たちも加わって、騒がしくも楽しい時間を与えてくれた。大切な恩人だった。

 

 だから追手に傷つけさせるわけにはいかなかった。

 

『同居人を思うなら、一人で○月✕日の夜、スラム街外れの草原に来られたし』

 

 いつかまた追手が来ることは分かっていたし、その紙切れの指示に従うほかないことも理解していたけれど、いざその時が迫ると寂しくて態度に出てしまった。

 

 魔法少女はそれを見て取り、声をかけてくれた。

 

『やあやあサプー。最近元気がないけどどうした? お腹でも壊した?』

『……いいえ。なんでもございません。私は元気いっぱいでございますよ』

 

 とたん、魔法少女は鬼になった。

 

『そうかそうか。クロア、ユノン、この嘘つきを引っ捕えろ』

『えっえっ、何を……んひゃっ、や、やめて、やめてくださいまし!』

『やめてほしければ吐くのだ。貴様の悩みをきりきり吐くのだ。ほれほれ〜』

『いやあああ!?』

 

 魔法少女は妹分たちにサプーを抑えさせて、脇や胸や足をくすぐった。サプーはもがき苦しみながらこの女正気でございますかと思うと共に、そうまでして心配してくれる優しさが面映ゆかった。

 

 だからこそ、優しい彼女たちを巻き込めない。結局サプーは一人で悩み、勝手に結論してここまでやってきた。

 

 サプーは恐怖を抑え込み、これで良かったのだと言い聞かせた。一人で静かに消えるのがもっとも賢明だと。優しい恩人たちを守ることができたのだと思い込んだ。

 

 しかしその健気な思いは、身勝手な魔法少女に踏みにじられることとなる。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「こんばんはー」

 

 革命軍の追手たちが弾かれたように声の方向へ振り向くと、黒いローブ姿の少女が、林から出てくるところだった。捕らえられたサプーが驚きに絶句している。

 

 追手たちのリーダー格は、刺すように鋭い声を発した。

 

「魔法使いか……いいかそこの魔法使い、警告は一度だけだ。何も言わず、すぐに回れ右をして消えろ。さもなくば殺す」

「ははっ……やかましいわ」

 

 少女が吐き捨てると同時、夜闇が光に照らされる。

 

 光は少女の身体を包み込んでいた。一秒にも満たない間の発光が収まると、黒いローブが一変している。

 

 白蝋色を基調にくすんだ灰色のラインを走らせる奇妙なドレス。スカートの裾や袖口は燠のように赤熱し、徐々に炭化している。胡乱げな表情は灰色のヴェールで半分以上が隠れていた。

 

 それだけでも奇抜な意匠だが、もっとも目を引くのは少女の背後に浮かぶ赤いろうそくだった。数十本──正確には七十三本──の赤いろうそくに火が灯され、少女の背中を中心に円形に整列して浮遊している。そのすべてが逆さまで火を下にしているにもかかわらず、火は下に立ち上り、溶けた蝋は上に滴り落ちていた。

 

 ヴェールの下から青い瞳をのぞかせて、少女は男たちを睥睨する。

 

「さもなくば殺す? そりゃこっちのセリフなんだわ。黙って聞いてれば、うちのサプーを勝手に連れ去るばかりか、公開処刑って。あんまりふざけたこと言ってると……」

 

 殺すぞ。と口の中でつぶやかれた殺意は、男たちをたじろがせるに十分だった。全身がこわばり、空気が軋む。

 

 しかしその緊迫を打ち破るように、悲鳴のようなサプーの声が割って入る。

 

「なぜ来たのですか! 私はあなたたちを巻き込みたくなかったのにっ!」

「巻き込まれるかどうか、それは私が勝手に決めること。お節介押し付けないでよ王女様」

「押し付けてるのはそっちでしょう! だって、私は……私だけが、あなたの妹じゃございません……赤の他人ですのに……」

「は?」

 

 突如いじけたような声を落としたサプー。少女は目を丸くした。

 

「弟子にはしてくださいました。たくさん仲良くしてくれました。クロアさんとユノンさんと一緒にお昼寝もしました、湯浴みだって……ですけどあなたは、二人と違って私だけいつまでも妹と呼んでくださらなかった……助けられる義理なんてありませんの」

「観測史上類を見ないほどめんどくさいなぁサプー」

「はあ!?」

 

 憤慨するサプーを尻目に、少女は視線を宙に漂わせる。数秒後、「うん」とうなずいた。

 

「たしかに妹分にする、とは言ってないね」

「そうでしょうとも」

「じゃあ今言うわ。お前私の妹。勝手に連れて行かれるのは許さない」

「今更っ……!?」

 

 今更何を言うのか、とサプーが反論する時間はなかった。

 

 二人が言葉を交わしている間に、追手の男たちは狼のように素早く散開していた。リーダー格の一人だけをサプーの拘束に残し、他の四人は少女を包囲している。

 

 リーダー格は無感情に告げる。

 

「死灰のドレス、命の灯火。音に聞く最低の落伍者、魔法少女サクリファイスとお見受けする」

「いかにも私は最強の魔法使い、魔法少女サクリファイス……え、落伍?」

「固有魔法を満足に扱えず、魔獣退治に従事する腕もなく、スラム街に下った最悪の落ちこぼれ。我々革命軍の敵ではない──死ね」

 

 包囲した追手の四人が、微妙にタイミングをずらして少女に踊りかかる。少女がどのような反撃に移ろうと互いに攻撃をカバーしあい殺し切る必殺の包囲網である。

 

 これに対する少女の行動は単純だった。

 

 視界の左右に位置する二人。そのうちの一人に踏み込んで、拳を振り抜く──ただし、人の認識できない高速で。

 

 ぐしゃり、と湿っぽい音が響く。ろうそくの灯りと月光の下、赤黒い血のりと灰色の脳漿がきらめいた。

 

 さらにもう一度、ぐしゃり。

 

 少女が拳を振り抜いた姿勢で動きを止めており、前方二人の追手の頭部が消失していた。現実離れした光景を前に場が膠着する。

 

「殺すぞって言ったのに」

「バカな、固有魔法もなしに……!?」

「固有魔法がなくっても、人相手なら身体一つで十分足りる。最上位魔性位階なめんな、っての!」

 

 少女の身体がブレる。単純に変身で強化されただけの膂力をもって、残った二人に肉薄する。一人は反応すらできず胸部を貫手に貫かれ、もう一人は交差させた両腕の防御もろとも胴体を蹴り砕かれ、地面と平行に吹っ飛んでいった。

 

 初めての殺人を経験しても、少女の心は揺らがない。妹と認めるサプーを傷つけ、連れ去ろうとする誰かがいるなら、文字通り一片の容赦もしない。もちろん死体が日常的なスラムの郊外という状況も考慮しているが、そうでなくとも躊躇はしなかっただろう。異常に頑強な精神は、この少女の才能だった。

 

 四人の敵を屠った少女は、流れるように最後の一人へ向かう。サプーを人質に取られると面倒だ。反応さえさせずに仕留める。

 

 しかし少女の判断は、ほんのわずか遅きに失した。

 

 リーダー格の男の頭部を殴り飛ばす。首と身体がなき別れしながら吹っ飛んでいく。

 

「か、は……っ!?」

「サプー!?」

 

 同時に、サプーが崩れ落ちた。

 

 抱き止めた少女は、サプーの背中に大ぶりのナイフが刺さっているのに気がつく。リーダー格の男は戦力の不利を悟るや否や、サプーの護送から暗殺に目標を切り替え、見事に達成してみせたのだ。

 

 ナイフはサプーの華奢な背中、肩甲骨の下あたりに深々と刺さっている。肋骨の隙間を通された刃は、心臓に達しているだろう。

 

「くそ、くそっ!」

 

 少女はリーダー格の根性と自分の甘さを呪う。今にも消えてしまいそうなサプーが倒れないように、必死で抱き止めている。

 

 出会ったあの日と同じ要領で、サプーの魂の波長と地脈のエネルギーを同調させてみる。しかしいくら治癒を促進させたところで、損傷した急所を治すには足りない。焼け石に水、万事休すだ。

 

 サプーは喘ぎながら、すでに光を失った目から涙を流して、少女と見つめ合う。

 

「お、ねえ、さま……」

 

 ともすれば聞き逃してもおかしくない、かすれた声だった。

 

 間近に迫る死の恐怖をおして紡がれたその言葉を確かに聞き取った瞬間、少女の思考が冴え渡る。

 

「固有魔法、『代償』発動……!」

 

 円形に整列した逆さのろうそく。灯された火が次々に激しく燃え上がり、溶けた蝋が天に上っていく。

 

「いくらでも持ってっていい。今の私ならきっと──!」

 

 かつて代償の魔法が不発に終わったとき、少女は何も惜しいものがなかった。髪、血、爪、身体のすべてはおろか、命さえどうでもよかった。ただ無気力に生きているふりをしているだけだった。

 

 だけど今は違う。いびつな形の出会いでも大切な妹ができた。ガキ共相手に威張りながら講師役をするのは若干虚しくもそれ以上に楽しい。その時間が大切で、命がとても惜しい。死にたくない、生きたいと思う。

 

 だからこそ、今の少女の命は代償たりえた。ほんの一秒すら無駄にしたくない大事な寿命を捧げ、ついに奇跡が発動する。

 

「生きろ、サプー」

 

 七十三本の蝋燭のうち、二十本が燃え尽きた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 魔法少女サクリファイスのアトリエ。

 

 スラム街のはずがやたらと小綺麗な小屋の点在する一角にひっそりと存在する、立派な一軒家。元はボロ小屋だったとは思えないその家屋の中で、少女たちは顔を突き合わせていた。

 

「んもー、心配したんだからね!」

「しました……」

「ご、ごめんなさい」

 

 クロアが腕を組んで、正座したサプーにお説教。ユノンはサプーの袖をちょんと掴んで口を尖らせている。

 

 クロアは一人で抱え込むなとか、大きすぎる問題でもとりあえずは相談してほしいとか、好き勝手言いたい放題。心配をかけたのは事実なのでサプーは反論せずしょげ返っている。

 

 ひとしきり言いたいことを言い終えたクロアは、おそるおそるうかがうように尋ねた。

 

「サプーは、その、向こうに帰りたい? ここじゃダメ?」

「ダメなわけありませんわ。元々向こうでは親兄弟からも無視されていたので、いい思い出もありませんし。クロアさんとユノンさん、それからお姉さまと一緒の方がずっといいに決まってます」

「そっか! サプーの家族がろくでもない人たちで良かった!」

「その言い方はちょっとありえませんわ」

「ありえん……」

「えっ、どこらへんが?」

 

 きゃいきゃいと姦しく言い合いをする三人。

 

 それを壁一枚隔てたアトリエの外で聞きながら、魔法少女は昨夜日記に走り書きしたメモを見つめた。

 

「残り五十三年……使いたくねーなー」

 

 念頭にあるのは、固有魔法『代償』の意地悪さだ。

 

 代償に捧げるものは、少女が心の底から失いたくないと願うものでなければならない。サプーの命と比べれば二十年の寿命は安いが、これ以上は絶対に使いたくない。楽しい今の時間を少しでも長く味わいたいからだ。もちろん時間だけでなく身体も感覚も使いたくない。痛いのも不便になるのも嫌だ。

 

 しかし、この先もしも奇跡を願わなければ乗り切れない事態や、守りきれない何かがあるとすれば──すべてを擲つ覚悟が、ある。

 

 というのも、代償を惜しんで大切なものを失えば後悔では済まないが、代償を捧げて守りきったなら、絶対に後悔しないからだ。実際、サプーが助かったことには何の後悔もない。

 

 そう結論した少女が日記を閉じる。

 

 すると、アトリエの中から妹たちの声が聞こえた。

 

「おーい姉さーん」

「お姉ちゃんごはんだよぅ……」

「お姉さまー!」

「はいよー!」

 

 日記をローブの懐にしまって、少女は中へ入る。

 

 いざというとき、捧げることをためらわないように──せめて今を精一杯、少女たちは生きていく。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 魔法の国の片隅で暮らす、外道にして最低最悪な腐った性格の魔法少女。

 

 この日記はそんな彼女が命を燃やし尽くすまでの、ささやかな記録である。



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日記3

△月✕日

 私塾経営が忙しい。

 

 一番の原因は難民まで生徒になったことだ。魔法の国出身者と違って、難民たちの中には勉強に必要な字が読めないやつもいる。魔法の国のガキどもがそのことをあげつらい、難民と諍いになる問題も出てきた。そのたび私かクロア、サプーが成敗に行くから無駄に手間がかかる。

 

 スラム故に食料が不足して、みんな腹を空かせているのもまずい。空腹じゃ学習の効率が落ちる。

 

 というわけで、この前悪漢を殴ったあたりの外れで穀物と芋類の栽培を始めることにした。幸い魔法の国は地脈エネルギーに恵まれた肥沃な土壌だから、多少雑なやり方でも育つだろう。種子は中央から爪弾きにされた闇商人をせっついて入手。乞食から元王族までスラムの人種は幅広い。

 

 難民とケンカする余力があるやつは働け、と命じた。反発するガキもいたが、目の前で土魔法を使って耕す見本を見せてやると、嬉々として参加しだした。とにかく魔法が使えればなんでもいいんだろう。チョロい奴らめ。

 

 今日は初級魔法以上を修めたガキを集め、土魔法で一斉に開墾した。

 

 ちょっと広くなりすぎたけど、せっかくだから魔法の国の市場経済を破壊するつもりでやるぜ。

 

 

 

△月✕日

 やらかした。

 

 いくら私が地脈エネルギーを集められるとはいえ、一日じゃ食料は実らない。働いて腹を空かせたガキ共から総スカンを食らった。

 

 例の闇商人も、一度に大量の食料を仕入れることはできないという。

 

 ガキ共がうるさいので、昔私に貢がれた食料のうち日持ちするものを配給した。それでも不満が出るのはまあ、無敵の魔法少女様といえどどうしようもない。

 

 ちくしょー。

 

 

 

△月✕日

 講義は妹たちに任せ、一日中エネルギーを増幅させた。

 

 やっと芽が出た。

 

 結実は遠い。

 

 私に都合の良くない自然の摂理なんざ滅べばいいのに。

 

 

 

△月✕日

 やったぜ。自然はともかく世界は私に都合がいい。失敗や敗北とは無縁の勝ち組魔法少女とは私のことだぜ。

 

 魔王がやってきた。

 

 初めて見た印象は冴えない男だった。魔性位階持ちでもないお飾りの王様が冴えてるはずもない。こいつのご先祖が昔山の向こうに魔獣を追いやった功績がなければ、誰も存在すら知らないだろう。実際私も証拠を見るまでは詐欺師かと思った。

 

 だけど飾りとはいえ王様は王様だ。魔法の国で一応、遺憾の極みではあるが、たぶん一番えらい。

 

 そんなえらい魔王様が、私に頭を下げた。つまり私はこの国で魔王以上にえらい魔法少女なのだ。思い出すとニヤニヤ笑いが抑えられない。

 

 経緯としてはこうだ。

 

 アトリエにやってきた魔王は、私が教えている魔力解釈論における地脈増幅説を国中に普及してほしいと言った。なんでも魔王を始めとする上流階級の子息の中には、生まれつき魔力がないために存在を秘匿され、無情な扱いを受ける者たちがいるらしい。魔王はそういったかわいそうな子供たちを見ていられない。心を痛めていた折、私の教え子が例の説を学校で語っているのを知って、ピンと来た。

 

 魔力を持たない者を冷遇する風潮を、私の教えが打破できる。お飾りではない魔法少女の肩書と実力のある私であれば、魔法の国の悪弊を変えられる、と。

 

 あまりにも胡散臭い理屈だ。

 

 当然の流れとして私は土下座を要求した。

 

 魔王は何の間違いかこの国で一番えらい。そんなえらいやつが、社会的弱者の扱いに心を痛めることがあるか? 絶対ない。隣国エボルレアから戦争と革命がなくなるのと同じくらい、あり得ない。

 

 どうせいいやつのフリして腹黒い企みがあるんだろ。土下座しろと言われたらすぐ態度変えるんだろ。

 

 と、思ってたら意外や意外、あっさり額を地面につけやがった。

 

 念には念を入れて、頭を踏んだ。丁寧語でお願いするようにも求めた。やつはすべて言う通りにした。

 

 見かねたクロアに止められなかったらもっと続けていただろうが、あいつはきっと何を言ってもその通りにしただろう。

 

 えらいヤツのくせに、本当にまっすぐで純真で誠実な野郎だった。

 

 気に入らない。私はこの手の根っからの善人がきらいだ。私のクズっぷりを鏡で見せられてる気分になる。

 

 なのでクズはクズらしく、土下座に加えて更にいろいろな要求を突きつけてやった。

 

 スラム区画の改築、造成、振興、投資。徹底的に金と人材を回して中央と同じ生活水準にすること。その代わり、私は無魔力冷遇の風潮打破を確約する。

 

 あの野郎、あっさり納得してそれどころか礼まで言いやがった。頭を下げたことなんざまるで気にしてない。あいつがお飾りの王で良かった、もし外交の矢面にでも立ってればこの国は終わりだ。魔法の抑止力バンザイ。

 

 スラム街の変革は遅くとも今月中に始まる。うまくいけば食料問題も解決できるだろう。

 

 万事順調、都合よく回ってまさにやったぜの極み。えらいやつに頭を下げられて気分もよかった。

 

 が、一つだけ懸念がある。

 

 魔王が機嫌良さそうに帰っていくとき、会談をのぞいていたユノンと鉢合わせした。ユノンはすぐに私の後ろに駆け込んで隠れた。魔王は「君は!」とか言ってたいそう驚いていた。さっさと帰れ、と私はヤツの背を押しやった。

 

 何か面倒な気配がした。まさかサプーに続いてユノンまで王族じゃあるまいな。生き別れになった魔王の隠し子とか。

 

 後で問いただすと、ユノンはぷるぷる首を振っていた。

 

 ユノンはウソをつけない子だが、できれば拷問をしたい。しかしクロアやサプーと違って、ユノンにやるのはかわいそうな気がする。

 

 頼むから面倒なことになりませんように。

 

 代償なんて使いたくないぞ。

 

 

 

△月✕日

 魔王の野郎、今日は音沙汰なしだった。

 

 騙された? しかしプライドを踏みにじられてまでウソをつく理由が分からん。

 

 ガキ共は腹が減ったとうるさい。土魔法耕作には早くも飽きてきたようだ。くそったれ今日も私は断食だ。

 

 はからずも食事を断つと感覚が研ぎ澄まされ地脈との同調が深化すると判明した。魔法少女としてのレベルが上がったぜ。

 

 あの魔王野郎覚えてろ。このままだんまりするつもりなら、地脈を暴走させて居城を消し飛ばしてやる。

△月✕日

 ああ、魔王様ありがとう。魔王様は偉大だ。私には及ばずとも魔王はえらくてすごいやつだ。

 

 スラム街大改革は会談から二日後に始まった。

 

 魔王がまずよこしたのは、土、水、火の魔法を建築用に特化させた、国お抱えの職人集団。それから国内外に蜘蛛の巣みたいな販路と流通経路を巡らせる商工会のおっさんども。ここ数日はこいつらと顔を突き合わせて変革計画の打ち合わせに追われていた。

 

 商工会は当初嫌そうな顔を隠そうともせず魔王に言われたから来たのだと言わんばかりだったが、開墾途中の農地を見ると目の色を変えた。いわく、広大かつ極めて肥沃。この土地の運用次第では莫大な利益が見込める云々。夜な夜な地脈の流れをここに集約しといたかいがあったぜ。

 

 先行投資として種子を譲り受け、生徒の人数で管理できる分だけ撒いた。つまりは国境地帯の平原見渡す限りに。作業に従事した生徒たちには商会から賃金を出す。

 

 その賃金の使いどころとなる市場および娯楽施設は建設保留。当面は住宅街が優先される。

 

 私塾の大講堂と私たちの住まいは職人曰く「手の加えようがない」ので、そのまま運用する。

 

 衣食住の整備と雇用と経済システム。計画通りにいけば中央ほどとはいかずとも、子どもたちが学びながらそこそこの生活ができるようになるだろう。

 

 みんな魔王様のおかげだ。

 

 優しい聖人の魔王様がいるおかげでこの国は安泰だぜ。魔王様ありがとー。

 

 

 

△月✕日

 クロアたちに日記を読まれた。昨日の。

 

 白い目で見られた。手のひらくるくる? こういうのは魔法少女用語で硬軟自在というのだ。我ながら賢いぜ。

 

 それはさておき、計画進捗は順調。

 

 ガキ共の中には、職人や商会のおっさんどもに話しかけて仲良くなってるやつもいる。その年から人脈作りとはしたたかなやつらめ。

 

 

 

△月✕日

 計画は大きな変更を強いられた。ただし悪い意味じゃない。

 

 温泉が湧いたのだ。職人たちが基礎を打ち込んでいるとき、湧き出したらしい。

 

 地脈をこっちに引っ張りすぎたかもしれない。大元の流れがあまりにも大きすぎて加減を間違えたかも。反省。

 

 生徒たちの希望で娯楽施設、大浴場を建設することに。住宅用地運用に大きな変更が必要になり、職人たちは渋面だった。

 

 浴場ができたら姉妹で入りにいこう。

 

 

 

△月✕日

 クロアとサプーが、ユノンのことを心配していた。

 

 もちろん私もあいつの異変には気づいてる。魔王がやってきて以来、何かに怯えるように周囲を見回したり、夜魘されることが多くなった。心配だ。

 

 サプーは「拷問ですわ」とはしゃいでいたが、ダメだ。あんな小さくてかわいい子に酷いことはできない。クロアも同じ意見だった。

 

 差別ですわですわとうるせーので、特に聞くことはないがサプーを拷問した。

 

 淑女然としたサプーがくすぐられてもがき苦しむ様は、癒やしになる。サプーを羽交い締めにしてたクロアも楽しそうだった。

 

 やられた後は不満げに頬を膨らませるサプーだが、抱きしめて優しく頭を撫でるとすぐに機嫌を直す。ここまでが様式美。

 

 姉妹のスキンシップは素晴らしい。

 

 ユノンには要注意。

 

 

 

△月✕日

 あの魔王野郎が面倒な連中を送りやがってしばくぞ。

 

 ケツの穴を地脈に直結させて五体四散させてやろうかこのヤロー。

 

 

 

△月✕日

 昨日の日記は魔王様への怨嗟だけになってしまった。

 

 魔法少女とはすなわち女の子。誰かへの怨嗟を吐き出すなんて、女の子としてはしたないことだ。

 

 昨日、上流階級のご子息七人が私塾へやってきた。魔力がないために、存在を抹消されている権力者の血縁者たちだ。

 

 年は下は七歳から上は十五歳までの男女。こいつらが魔法を使えるように教育することで、地脈増幅説普及の足がかりにする、というのは会談当日に決めていたことだ。

 

 ただ、このガキ共は面倒くさかった。

 

 高飛車とか偉そうとかではなく、むしろ逆だ。魔法が使えないのを周囲に相当ひどく詰られてきたのか、死人のように暗い。私塾に来たのも厄介払いされたと思いこんで、絶望しているやつもいた。

 

 これだけならスラムのガキにも同類がいたけど、ここからが真のめんどくさポイントだ。

 

 朝から日がくれるまで地脈との同調を教え込んでいると、一人が基本の灯火魔法を使えるようになった。そいつはしばらく呆然としてから、我を忘れたように地脈からエネルギーを吸い出し始めた。周囲の奴らも同じようにした。

 

 全員にゲンコツを落とした。

 

 この最強無敵魔法少女サクリファイス様の教えを無視して、地脈に没頭するとはなにごとか。私に教えられたこと以外はやるな。と、厳命しても何人か無視しようとした。

 

 中でもツインテールのクソガキは耳のキンキンする声で喚いてうるさかった。やつが言うには、

 

「うるさい止めるな! あたしにも魔法が使えるのよ。もう無能なんて呼ばせない、恥さらしなんて言わせない! スラムのゴミにできてることができない訳ないのよっ! さっさと使えるようになってこんなゴミ溜め抜け出してやるんだから!」

 

 へし折れたプライドが、降って湧いた幸運によって蘇り、クソ生意気なおぼっちゃんお嬢様の本性が出たってわけだ。

 

 こんこんと理屈を言って聞かせたが、果たして通じたかどうか。

 

 念のため、あいつらが勝手に地脈を使わないようエネルギーを散らしておいた。これだけ散らせばあいつらの練度じゃどうにもならないだろう。

 

 先は長そうだ。

 

 

 

△月✕日

 プライドの高いガキを見くびっていた。

 

 まさか散らしたエネルギーでお構いなしに暴走しやがるとは。

 

 が、一度痛い目にあって懲りたのだろう。

 

 ツインテはじめ、連中は私に対してとても従順かつ素直になった。

 

 結果よければすべてよし。

 

 

 

△月✕日

 作物が実った。品種は芋。

 

 出来は良い。さっと茹でて皮をむくと、ほくほくした白い果肉が湯気を立ててた。かじるとあっさりほころんで、ほのかな甘みが口いっぱいに広がった。腹持ちもいい。気のせいかもしれないが、地脈との同調率も上がった気がする。

 

 ガキ共は貪り食っていた。

 

 商会のおっさんたちは、頭を抱えていた。

 

 いわく、この品質の作物を大量に流通させれば市場が壊れる。もっと質を落とせないかと相談された。

 

 良いものをたくさん作って流せばいいってわけじゃない。経済ってめんどくさい。

 

 

 

△月✕日

 おっさんどもと相談。

 

 地脈から引っ張るエネルギーを微調整。

 

 講義はクロアとサプーに丸投げ。いつの間にか上級魔法の講義までこなすようになってた。

 

 特にクロアの上達ぶりは好ましくない。すでに賢者クラスはある。もし魔法少女になったら私が威張れない。どうか壁にぶつかりますように。

 

 ユノンは中級まで使えるように。以前の危うい様子は見られなくなった、と報告。

 

 万事上々。

 

 

 

△月✕日

 私塾から退学者が出た。

 

 職人や商会のやつらと仲良くしていたガキ共で、それぞれ弟子入りし見習いや雑用として働くことになったらしい。

 

 なんとなく上級と応用を修めて学校に行くのが卒業だと思ってたけど、考えてみればこれも退学ではなく、卒業の一つかもしれない。

 

 クソが、こいつらといいクロアといい、いつまでも私の下で這い回っていればいいものを立派になりやがって。二度と戻ってくるな。

 

 

 

△月✕日

 住宅地の区画が一つ竣工。予定通りの人数が居住開始。

 

 最近、ツインテールのガキがつきまとってきてうっとうしい。クロアがよく牙と爪をむき出しにして追い払っている。獣かよ。

 

 朝起きると私の腕によく爪を食い込ませていて痛い。切っても切ってもすぐ生えてくる。

 

 引っぺがそうかな、とつぶやいたらクロアは震えて後ずさりした。怯えた顔で満足したので見逃す。サプーとユノンには、「いきなり怖いこと言うのやめて」と呆れられた。別に怖くはないだろう。気さくな冗談だ。

 

 ユノンはいつの間にか、すっかり平生のぽやっとした雰囲気に戻った。もう心配ないだろう。

 

 スラム街の改革は順調。魔獣との防衛戦も大した情報がないから、安定しているのだろう。

 

 まさしく天下泰平。

 

 世の中平和で何よりだ。

△月✕日

 

 私は親子のシステムが嫌いだ。

 

 親は子を生むかどうか選べるが、子は生まれるかどうかを選べない。親がいないと生きられない以上、子は親の支配を受けるしかない。不公平だ。大嫌いだ。

 

 だからその分、姉妹の関係が好きだ。うっかり生まれちゃった苦労を分かちあえる仲間だから。

 

 だけどサプーといい今回のユノンといい、私の大切な妹分たちは出生で私を驚かせる癖があるようだ。クロア、お前だけは信じてるぞ。三度目はやめてよもう。

 

 とりあえず今日の感想はただひとつ。

 

 魔王様ありがとー。



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三人称2

 魔法少女サクリファイスが難民向けに掲示する大型文字表を作っているとき、その男はやってきた。

 

「よし、文字表はこんなもんか。あとはいくつか例文があれば完璧だけど、ユノン、できた?」

「……ん」

「なになに、『おねえちゃんだいすき』『クロアねえきもい』『サプねえはいじめたい』。姉に偏りすぎてるな。講堂に貼りだすんだから、もっとマシなもんは作れない?」

「……むり」

「よーしそうだ、ユノンはまともな例文さえ作れない。そこがいいんだよ。一緒に出来るまでやるぞコノヤロー」

「うんっ」

「何イチャイチャしてんの」

 

 ユノンの頭を少女が撫でていると、呆れ顔のクロアがアトリエにやってきた。

 

「お客さんだよ、姉さん。なんか偉そうなおじさん」

 

 名残惜しそうなユノンを振り切って、少女は別室へ向かう。スラムに来てからの客人といえば学習の滞った困り顔の生徒たちが主だが、クロアが偉そうなと形容するような男の生徒はいないはずだ。

 

 訝しみながら別室へ入ると、なるほどたしかに偉そうな男が目に入る。男は上質な布に包まれたはちきれんばかりの太鼓腹を揺らし、粗末なイスをきしませながら立って少女を出迎えた。

 

「おお、君が魔法少女サクリファイスか。私のことは当然ご存知だろうが、一応名乗りを挙げさせて──」

「知らねえよ誰だあんた」

「ええ!?」

 

 男は脂汗をにじませて、あたふたとうろたえ始める。

 

「し、知らない!? 魔王だぞ? 私こそ第三十五代目の魔王だ。まさか魔の学徒である君が知らないはずは」

「知るわけないでしょ、居城に引きこもってしじゅう政治ごっこやってる根暗一族なんて。たぶん学校の誰も知らないんじゃない?」

「そ、そうなのか……」

 

 自称魔王は言い返すでもなく、悄然と肩を落とした。

 

 この時点で眼前の男が本物である可能性は低くなった。いくら魔法の国で陰の薄い王族とはいえ、先祖の偉業を引きずってお飾りの玉座を与えられている残念一族とはいえ、腐っても権力者がこの態度はあり得ない。

 

 少女はひとまず男を詐欺師の類と想定し、変身した。死灰のドレスと五十三の逆転蝋燭が顕現する。溶けた赤い蝋が天井に落ち、跡を残さず消失していく。

 

 自称魔王はその威容に息を呑み、続いて顔を曇らせた。

 

「ほう、素晴らしい! しかし困ったな、私は魔王として君に話をしにきたのだ。立場を信じてもらわぬことには進まない」

「分かった、任せて」

 

 と言いながら、少女は男の顔面へ正拳突きを繰り出した。寸止めするつもりの軽い一撃だが、変身した魔法少女の拳は殺意がなくとも威圧になる。詐欺師の撃退にはちょうどいいだろう。

 

 しかし少女の拳は寸止めされる前に、輝く障壁に阻まれた。

 

 障壁は魔王の鼻先に展開していた。地脈ではなく、魔王の純粋な魔力のみで構成された強固な障壁。半透明の壁には拳を中心に亀裂が入り、砕けた破片が中空へ溶けるように消えていく。

 

 魔王は反射的に一歩後退って、一方の少女は手応えを確認するように拳を握ったり開いたりしている。

 

「さすが偉大なる魔王様。この障壁の力で魔獣を山の向こうに封じておられるわけだ。魔王様ありがとー」

「し、信じてもらえて何よりだよ」

 

 少女が何事もなかったようにイスを引いてきて座るので、魔王もこけたイスを自分で直して、腰を下ろす。用向きの前提条件たる魔王の立場が信用され、話が始まった。

 

「単刀直入に言おう。君が提唱し、実践している地脈増幅説。これを普及させ、我が国の悪弊を正してほしい」

 

 魔王が語ったのは魔法の国の悪弊──魔法至上主義の是正である。

 

 魔法の国は古くから魔獣との防衛戦と、それに伴う防衛産業で成り立ってきた。故にその産業の主幹たる魔法が何よりも重視され、それが使えないもの、すなわち生まれつき魔力を持たない者は生ゴミ以下の塵芥として見られる。捨てられた塵が集まってできたのがスラム街である。

 

 魔王はやるかたなしという風に首を横へ振る。

 

「本当にひどい価値観だ……魔力がなくとも同じ人だというのに。家名を重く見る上流階級では、魔力のない子供は誰からの愛も受けないまま、孤独に生かされる。座敷牢や僻地の小屋に幽閉されてな」

「で?」

「しかし君の学説を普及させれば、この風潮は終わる。魔力の有無に関わらず、誰でも豊かに生きられるようになる。現に一月前入学した子供たちは、スラムの生まれだが今は充実した生活を送っているようだ。だから頼む! この国をより良くするために、君の力を貸してほしい。魔法少女サクリファイス!」

「土下座しろ」

「えっ」

 

 国を思う魔王の熱い言葉に返されたのは、氷のように冷たい少女の冷笑である。

 

 少女は立ち上がってふんぞり返った。直立してようやく同じ目線になる魔王の図体が神経に障る。

 

「私をバカにするな。魔王みたいなえらいやつが、殊勝にも『国を良くする』だと? 真っ赤なウソだって誰でも分かる。文明百回滅んでもずっと語り継がれるくらい最高に胡散臭いウソだよそれは」

「そこまで壮大なウソでは……いやそもそもウソではない! なぜ謀る必要がある!?」

「知らないけど信じない。信じられない。もしどうしてもウソじゃないってんなら土下座しろ」

「なっ」

「できないよなあ? どうせ弱者のことなんざ政治ごっこの道具にしか考えてないんだろ? 何か真っ黒なわっるーい企みがあるんだろ? そういう悪者はなぁ、絶対土下座なんてできないんだよぉ!」

「ちょ、ちょっと姉さん! 何言ってるの、一応魔王様なんだよ!?」

「うるさいうるさい、私はえらいやつが大嫌いなんだ!」

「子供みたいなこと言って!」

「子供だよ!」

 

 さすがに割って入ったクロアと言い合いをしているうちに、魔王は膝をついていた。

 

 あ、と少女が声をあげたときにはすでに両手を地面につき、間もなく額も床につける。

 

 綺麗な土下座だった。その姿勢は、魔王が国を良くするためにプライドをかなぐり捨てたことを意味する。クロアは目をまんまるにしていた。

 

 しかしそれでも、少女の疑いは消えない。

 

「そ、そこまでして叶えたい陰謀があるの!? このっ!」

「姉さん!?」

 

 少女は変身を解除して黒いローブ姿に戻ると、片方のブーツを脱ぎ捨てる。

 

 クロアが止める暇もなく、素足を魔王の頭に乗っけた。

 

「む!?」

「分かったその根性は認める! 負けた! だからどんな悪巧みしてるのか白状しろ! 汚い言葉吐きながら立ち上がって私に怒れ! 悪者っぽくしろ! したらその悪いことに全面協力してやる!」

「私は悪巧みなどしていない! どうしようもない理由で打擲される者たちがいることに我慢ならん、それだけだ! 君の力なら現状を変えられる。ホープフル嬢の希望でもヘイトレッド嬢の憎悪でもない、君のすぐれた頭脳と手腕が必要なのだ。だから頼む!」

「頼むだぁ!? お願いしますだろぉ!」

「お願いします!」

「ぐ、ぐぬぬ……!」

 

 性格の悪い少女といえど、土下座した頭を少女に踏まれてなお懇願する魔王が、ウソをついてないことは薄々分かりつつあった。言われた通り敬語を復唱したのは、地位やプライドに拘りのないことの証左。有名な他の魔法少女を引き合いに出してまで必要としてくれたのも大きい。しかし少女の意地が邪魔をして後に引けない。頭に置いた素足が葛藤で震える。

 

 状況を変えたのは、クロアの一声だった。

 

 たしなめるように少女の肩へ手を置く。

 

「姉さん。踏みたいなら私が後で踏まれてあげるから。ブーツで」

「踏まんわい! ああ、もうっ、分かった! 魔王様、分かったから!」

「本当かね!?」

 

 少女が足をどけると、魔王は勢いよく頭を上げた。

 

 少女は渋々うなずく。

 

「要は今までどおり、私のやり方で魔法を教えていけばいいんでしょ」

「ああそうだ、その通りだ。それに加えて、私から一つ要請したい」

 

 魔王がまくしたてた要請とは、魔力のない上流階級の子息たちの教育だった。少女の学説にいまだ懐疑的な国の上層部を納得させるには、上層の日陰者たちが魔法を使えるようになればてっとり速いというわけだ。

 

「子どもたちは根回しが済み次第こちらに送る。よろしく教えてやってくれたまえ」

「はーい……あとこっちからも要請して、いい、ですか?」

「何かね」

「スラム街に金と人とモノ回して」

 

 だいぶ気まずい気持ちになりつつも、少女はちゃっかり言っておく。少女の私塾とアトリエを中心にスラム街の一部は改装されているが、大部分はボロ小屋と悪臭に満ちた貧民窟だ。暮らしを良くするのに魔王の後ろ盾があれば心強い。

 

 優しい魔王は力強くうなずいた。

 

「もちろんだ。実は君の教え子の二十三人が、私塾のことを話題にしていてね。頂点たる魔法少女が目をつけた土地だと言って、もう金庫番たちを説得してある。近いうちにここは大きく変わるだろう」

「あ、そう……すごいな私」

「ああ、君はすごいぞ! 魔法少女の伝統に縛られず柔軟な方法で国に貢献するその衷心、まったく脱帽を禁じ得ない。魔王ではなく一人の男として、深く感謝する」

「ぐ、ぬう」

 

 大方話がまとまって、間が空く。

 

 その間に少女はもたもたとブーツを履き直して、小さくつぶやいた。

 

「し、失礼なこと言ってごめんなさい。どうぞ殴ってください」

「殴る!? バカな、子供に、ましてや魔法少女の君に手を上げるなど! 気にしなくていい、私と君は国の現状を憂える同志じゃないか。それに今まで何もしてこなかったくせに、今更弱者を救おうなどと白々しく聞こえたのはまったく理解できる。魔獣退治も魔法少女たちに丸投げ、学校の運営だって──」

 

 魔王は「気にしなくてよろしい」という旨の長広舌を上機嫌に披露した。子供のように無邪気な笑顔で語る彼の前で、少女はうつむいて、耳まで真っ赤になっている。後ろで見ていたクロアはというと、見たことないほどしょんぼりしている姉の姿を前に、笑いをこらえるので必死だ。

 

 そうして敗北者気分だったために、少女は去り際の魔王のつぶやきを追及できなかった。

 

 魔王が部屋を出ようとしたとき、中を覗き込んでいたユノンの小さな身体と鉢合わせになる。

 

「君は……!」

 

 このとき、ユノンの怯えた様子に顔を曇らせて去っていった魔王を、きちんと問いただしておけば──少女がそう後悔するのは、少し先のことである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「ああ、君のお姉さんなら向こうでお頭と話してたよ」

「ん、ありがと」

 

 親切な職人に頭を下げて、ユノンはとことこと教えられた方向へ進んだ。

 

 周囲では建材の搬送や路面の舗装、基礎工事に測量などがいっぺんに実施されやかましい。黒いローブの上半身をはだけさせた、筋肉たくましい職人たちが忙しなく行き来しており、ユノンの儚げな銀髪と華奢な体躯がとても目立っている。

 

 ユノンは一枚のざらざらした紙を大切そうに抱えていた。姉の助言を元に作り直した、例の文字表と共に貼りだす予定の例文テキストである。これなら大好きな姉に褒めてもらえるに違いない。ユノンの足取りは次第に弾むように軽くなっていく。

 

 ユノンは誰からも必要とされなかった。生まれつき魔力がないことを責められ、罵られ、詰られてきた。役立たずならせめて小間使いになれと命じられ、その役目すらすさまじい要領の悪さでまともにこなせず、勘当された挙げ句にスラム街で暮らしていた。

 

 そうして泥水と腐ったネズミで食いつないでいたとき、姉に出会った。

 

『──このように、魔力がゼロに近くとも地脈エネルギーと同調し、増幅させれば魔法を使える。完全に魔力がゼロなら代わりに生命力を増幅させればいい。ただし地脈エネルギーを直接魔法に使うのは絶対やめろよ。分かった?』

『分かんない……ぐすっ……ごめんなさい』

『なんて物分りが悪いガキだ! 私はお前みたいなやつが大好きだ! 存在してくれてありがとう!』

『えっ』

 

 姉は変わっていた。魔法の国でもっともえらい最上位魔性位階、魔法少女のくせに、魔獣とも戦わずスラム街で魔法を教えていた。それだけでなく、ユノンの類まれな理解の悪さを褒めそやした。

 

『どうして、怒らないの? 私は頭が悪いのに……』

『ダメな自分を恥じるんじゃない。そんなダメなところが大好きってバカも世の中にはいるのさ……誰がバカだテメーケンカ売ってんのか』

『!?』

 

 一人で勝手にキレていた姉の言い分は奇怪至極だったが、これだけは分かった。姉は皮肉でもからかいでもなく、本当にユノンを必要としている。生まれて初めて好きだと言ってくれた。妹分だと突如言われたあの日、どれだけ嬉しかったか。

 

 ユノンは妹分として姉と暮らすうち、不器用なところが好かれていると理解が及んだ。しかし出来ないことが出来るようになったとき、姉は飛び上がって喜んでくれる。それに気づいたときユノンは、出来ることさえ出来ないと言い張ろうかと考えていた自分を恥じた。

 

 今日もどうにか、今の自分に出来る精一杯の役割を果たした。出来上がった学習用例文を姉に見せ、褒めてもらう。そのために、ユノンは変革途上のスラム街をごきげんに急ぐ。

 

 姉の姿はスラム街の一角、職人たちの詰め所にあった。簡素な木組みのテーブルを、職人たちと一緒に囲んでいる。体格のいい男たちと比べると、姉の細い身体は人形のように小さく見える。

 

「嬢ちゃん、明日朝イチの資材の置き場がねえ。ちょちょいと魔法少女の力でどうにかならんか?」

「楽勝よ、北東エリアの空き地に行きな」

「あそこは一昨日の暴走騒ぎで吹っ飛んだだろうが、ええおい犯人さんよ」

「あー……んじゃ南の農地に場所作っとくわ」

 

 ユノンには分からない難しい話が聞こえる。改革計画の打ち合わせをしているようだ。

 

 ふと周りを見てみると、かつての汚くてひもじいスラム街の面影はもうない。元の住人たちはみんなある程度魔法を使えるようになったし、何人かは中央の学校で活躍しているらしい。みんな姉が頑張ったおかげだ。

 

 その気になれば魔獣退治で活躍することもできるのに、無償で弱者たちに魔法を教え、暮らしを良くしてくれる。姉はなんて良い人なんだろうとユノンは改めて思った。まさか魔法少女の初日でやる気を喪失して相対的最強論などという意味不明な理論に基づきスラム街にやってきたなんて、欠片たりとも想像がつかない。

 

 しばらく物陰から姉へ熱い視線を送っていたユノンだが、ハッと我に返る。いつまでも見とれてはいられない。

 

 忙しそうだから確認だけ、褒めてもらうのは後、後。健気にそう決めてユノンが一歩踏み出すと──

 

「ああ、やっと見つけた。お父さんが迎えに来たぞ、ユノン」

 

 苦しい過去が、ユノンの肩を掴んだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 魔法少女サクリファイスのアトリエ、応接室。

 

 粗末なイスにはサクリファイス当人と、向かいに妹分のユノン、その隣に目つきの鋭いやせぎすの男性が腰掛けている。男性の後ろには護衛らしきいかつい男たちが五人、仏頂面で立っている。部屋の外には、心配げな顔のクロアとサプーがそわそわしていた。

 

 少女は困惑していた。職人たちと打ち合わせをしていたら、突如男たちがユノンを連れて声をかけてきたのだ。内容次第では相手にしないが、さすがにそうもいかない。

 

「えーと、ユノンのお父さんでしたっけ?」

「ええ。ユリアス・グランマギクスと申します。ご存知の通り、グランマギクス中央学校の校長を務めさせていただいております」

「ご存知じゃないですが、えらい人ですね。すごいですね」

 

 ユリアス校長の笑顔がこわばった。少女の率直な返しを挑発と受け取ったらしい。

 

 むろん少女に別意はない。校長の顔どころか教師や同輩の顔さえ覚えてないが、並外れた立場であることは知っている。数百年続くグランマギクス中央学校の校長といえば、市井の頂点と言っても過言ではない。要はすごいおじさんだ。

 

(たしかに魔王様の隠し子とかではないけど……校長の娘かー)

 

 意表を突かれた少女は、ユノンに目をやった。妹分のユノン改めユノン・グランマギクスは石のように固まってうつむいている。

 

「で、校長先生がどんな御用で?」

「……いえ、大したことではありません。恥ずかしながら、困った家出娘を連れ戻しにきただけなのです」

 

 ユノンは不意に顔を上げた。絶望的な表情で少女を見つめる。

 

 しかし校長が目だけ動かして一瞥すると、また俯いて動かなくなる。

 

 校長はわざとらしく眉間に指を当て、弱った表情を見せる。

 

「実は一年ほど前、ユノンは魔力がないことに絶望し、姿を消したのです。グランマギクス家が総力を上げて捜索しましたが見つからず、失意にくれる毎日でした。ですがつい先日、貴女の私塾と銀髪の娘の噂を聞きつけ、こうして本日確認に参った次第です」

 

 指輪だらけの黄ばんだ指が、ユノンの銀髪を梳いた。ユノンの身体がガタガタ震え、膝の上の小さな拳がこれでもかと握られている。

 

「……へえー。魔力がない子供にはきつく当たるのが普通な世の中ですけど、校長は家出したユノンを、わざわざ探したんですか」

「当然です。魔力の有無など、父が娘に向ける愛に比べれば何の価値がありましょう」

「はあ、愛」

「愛です。いやしかし、私のユノンが本当にお世話になりました。聞けば魔力のない娘でも魔法が使えるよう躾けてくれたとか。これで娘が家名に気を遣って家出する理由はなくなった。なあ、そうでしょうユノン?」

「……」

 

 黙り込むユノンの肩に、太い指が食い込む。

 

「これからは家族で仲良く暮らそう。お前は昔から要領が悪かったが、大丈夫だ。魔法少女から直接薫陶を受けた魔法の腕前がある。我がグランマギクス家、ひいては魔法の国全体に貢献する能力が備わっているはずだ」

「……は、い」

 

 返事は死にかけの虫みたいな声だった。

 

 校長は壁面の落書きみたいなとびきり安っぽい笑顔で、魔法少女に向き合った。

 

「魔法少女サクリファイス。娘の面倒を見ていただいてたいへん助かりました。後日グランマギクス家から正式な謝礼を贈ります。それでは今日はこのへんで……ユノン?」

 

 立ち上がり、ユノンの腕を掴んで強引に引き立たせる校長。小さな悲鳴が漏れた。

 

 そのまま出ていこうとする校長だが、ユノンはうつむいてその場を動こうとしない。

 

 魔法少女サクリファイスはその様子に、深いため息をついた。

 

(冷静に考えろ、私)

 

 少女は校長の話に何一つ納得していない。校長の動きの端々に見られるユノンへのぞんざいな扱いには、モヤモヤとイライラを通り越して怒りさえ覚える。

 

 しかし感情のままに振る舞った結果、魔王に失礼を働いてしまった。えらい人間が悪いやつばかりだと決めつけるのはいけない。物事の表面だけ見て動いてはいけない。

 

 かといって現状の情報だけでごちゃごちゃ推理するのも面倒なので、少女はもっとも手っ取り早い確認を取ることにした。

 

「くそっ、おい誰かこの子を運べ、きっと疲れてるんだろう」

「待って待って、校長待って」

「む?」

 

 しびれを切らした校長にあわてて待ったをかける。

 

「ユノンにちょっと聞きたいことあるんですよ。いいでしょ?」

「……手短に頼むよ」

 

 うつむいたユノンの両肩をつかみ、正面から目を合わせる。恐怖で涙をいっぱいためた瞳が忙しなく揺れていた。

 

 冷静に、抑えろ。賢い魔法少女は同じ失敗をしない。必死で言い聞かせる。

 

「ユノンはお父さんと一緒に暮らしたい? それはユノンが本当に望んでいること?」

「おい、何を」

「黙ってろ」

 

 校長が声を荒げたのに反射で少女は変身してしまった。逆転した赤い蝋燭の火はいつもより大きく激しい。

 

 ピンと張り詰めた空気の中、ユノンは喘ぐように口をぱくぱくさせる。何かを言おうとしては喉奥につっかえている。

 

「はい、とそう言おうとしてるんだ。悪いが急いでいるんでね、失礼──」

「私は嫌だぞ、ユノン」

 

 校長と同じく少女もしびれを切らした。ユノンを置いてけぼりにして言いたいことを言う。

 

「私はユノンと一緒に暮らしたい。いろんなことを教えてやりたい。お前は私の教え方だと中々覚えないくせに、クロアの教えはすぐ覚えるんだ。憎たらしいやつだよ。あと最近、サプーいじめるの楽しんでるよね? 私も楽しい、だけどあいつを取り押さえるには人手がいるわけ。だからさ、その──行かないで」

 

 まっすぐな少女の言葉を受け、ユノンは苦しむのさえ忘れて絶句していた。

 

 静寂の中、堰を切ったようにユノンの瞳から涙が溢れ出す。

 

「私も、行きたくない。お姉ちゃんと、クロア姉とサプ姉と、一緒が良い。そこの人は私を捨てた、名前も呼んでくれなかった。全部ウソ、怖い、嫌い、嫌い!」

「よーし分かった!」

「何をバカなことを。子供の妄言だ。おい、引きずってでも連れ帰れ」

 

 苛立たしげに吐き捨てる校長。安っぽい笑顔は消え、計算高い冷徹な目がユノンを見下している。

 

 命令を受けた五人の屈強な男たちは、ユノンの小さな背中に手を伸ばす。しかし直後、金縛りにあったようにびくりと硬直した。

 

 ユノンの肩越しに少女が睨みつけていたからだ。多少荒ごとに縁がある男たちだからこそ、あと一歩でも踏み込めば魔法少女の殺意が躊躇なく発揮されることを察知した。

 

「何を突っ立っている! 揃いも揃って木偶の棒か、忌々しい……おい魔法少女」

「は?」

「ママゴトはやめてさっさとソレを渡せ」

「なんで?」

「貴様の新説は価値がある。その手法を身に付けたソレの価値もまた高い。我がグランマギクス家で研究を深め、普及し、後世まで語り継がれる功績とする。そのためにソレが必要だ」

「なんで?」

「いいから渡せと言っている。私の一言で、貴様の訳の分からん改革計画など白紙に──むぐっ!?」

「なんでっつーのはそーゆーことじゃなくてさ」

 

 校長の口は塞がれた。不意打ちで接近した少女が、拳を校長の口へ捻じ込んだからである。

 

 脂汗を浮かべる校長の頭をぐいと目線まで引き下げて、静かに言った。

 

「なんで私が言うこと聞く前提で話してんのってことよ」

「ぐっ、ぬ……!?」

「動くな、喉千切るぞ」

 

 校長に目線で合図された護衛の男たちは、少女の冷え切った声で再び動きを止める。校長は恐怖か生理反応によるものか、どちらともつかない涙を流している。

 

「ほんと、あのおっさんがいいやつだったせいで無駄に時間食った。ありがとうね校長、分かりやすい悪者でいてくれて。本来えらいヤツってのはあんたみたいのがふさわしい」

「ぐぐ……!」

「女の子の手咥えてんなよ気持ち悪いっ!」

 

 少女は突如声を荒げ、校長の胸板を蹴って距離を取った。言い分はもう無茶苦茶だ。ヨダレと血といくらか折れた前歯が床を汚す。校長はひどく咳き込んでいた。

 

「おい、きれいにしろ」

「は、はいっ!」

 

 怒れる魔法少女の眼光に貫かれた護衛の男の一人は、上着の裾で必死に床の汚れを拭い始めた。

 

 ひとしきりきれいになったところで校長がようやく持ち直し、アトリエの外へそそくさと向かう。

 

「薄汚い尖兵風情がふざけおって……! いいか、グランマギクス家にたてついたこと、後悔させてやる! 精々力に酔っているがいい、小娘!」

 

 少女は後を追わず、ただ変身を解いて、泣いているユノンを抱きしめる。

 

 泣き止むまで付き合おうかと思ったものの、ユノンは涙を流しながら、くしゃくしゃになった一枚の紙を取り出した。それには少女と共に作るはずだった文字学習用の例文が綴られている。

 

『わたしはだれにもひつようとされなかった』『おねえちゃんがひつようとしてくれた』『だからわたしはここにいる』

 

「おっっも! こんなクソ重い文章講堂に貼り出せんわ!」

「えへへ」

「えへへじゃないよ、まったく」

 

 相変わらず出来の悪いユノンに笑顔を浮かべながら、サラサラした銀髪を撫でる。

 

 そうしていると、応接室の外でハラハラしていた妹たちが顔を出す。クロアは憤怒、サプーは冷めきった無表情だ。

 

「あの男許せない! ユノン泣かせて姉さんの手を汚した!」

「追わなくてよろしいの?」

「よろしい。逃げる相手を追うのは魔法少女じゃない。そうそう、クロア?」

「え?」

「クロアの苗字言ってみて」

「ただのクロアだよ? 気がついたらスラムだったから」

 

 つまり、クロアが亡国の元王族だったり魔法の国の中枢に食い込む権力者の縁者だったりする血縁トラブルは今後ないわけだ。少女はほっと息をついた。

 

 グランマギクス家は魔法の国でかなりの権力を持つ。校長の捨て台詞は形だけでなく中身を伴うものになる。仮に脅し文句の通りスラム街改革計画が白紙に戻されれば、せっかく暮らし向きが向上してきた今かなりの打撃になる。

 

 そうなるとやはり、代償の魔法を使わざるを得ない。果たして校長による有形無形の圧力を無効化する現実改変に、どれだけの代償が必要となるのか。見当もつかないが、必要ならやるしかない。

 

 そこまで考え覚悟を決めたところで、少女はあっと閃いた。

 

「魔王がいるじゃん」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 結果的に、校長からの嫌がらせの類は一つとしてなかった。

 

 私的密偵を動かし始めて間もなく、校長は知ったのだ。スラム街の改革には魔王が絡んでいる。つまりその計画を現場で主導する魔法少女サクリファイスは、魔法の国の象徴でもある魔王を後ろ盾としている。

 

 同じお飾りの立場とはいえ、国を興した魔王一族と学校を設営したグランマギクス家では格が違う。下手に盾突けば魔王一族と近い国の上層部が動き出し、反逆者扱いされて取り潰しの憂き目に合うだろう。

 

 そのように報告を受けたところで、校長は思い切り執務机を殴りつけながら、

 

「あのクソガキ共がっ!」

 

 と毒づいたとか。



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日記4

□月◇日

 創世記から明白な真実として知られている通り、この世界は偉大なる魔法少女サクリファイス様をチヤホヤするためにある。

 

 計画着手から半年、スラム街は立派な街として完成した。南の農業区、西の大浴場を中心とした歓楽区、東の私塾周辺に展開する魔法区、北の住宅区で構成される。

 

 ただ、大浴場だけは湧出量の増加に伴う計画変更のせいでもう少しかかりそう。近頃地脈の流れが異常に強くなって湯の量が安定しないんだ。流れは多少ならいじれないこともないが、この激流ではとても無理。自然の影響だけはどうしようもないので、気長にやっていく。

 

 上流階級のガキ共も順調に魔法を覚え、物好きな一人を除いて引き上げていった。無魔力を冷遇する風潮は、あいつらを先駆けに変わっていくだろう。魔王との取引も一段落だ。

 

 そんなわけで浴場は置いといて、計画完遂の打ち上げを行った。せっかくなので酒を呑んでみたけど死ぬほど苦くてあれなら泥水のほうがマシだ。大人たちの気が知れない。

 

 その打ち上げで決まったもっとも嬉しいことは、この元スラム街区画の名前をサクリファイス区にする話が持ち上がったことだ。

 

 ここはもう魔法の国の最底辺ではなくなった。でも私の名前がつくことで、みんな私の存在を意識する。区画の名前になってるということは、すごくてえらいやつだとみんな思ってくれるだろう。これこそ私の求めていたチヤホヤだ。

 

 今日は気分がいい。

 

 この世のすべてにありがとー!

 

 

 

□月◇日

 世界滅べくそったれ。

 

 魔法の国の上層部の陰謀だ。

 

 語呂が悪いからといって、区画の名前はサクリファイス区からサクリン街になった。魔王に文句を言って撤回させようにも、私が気づいたときにはもう住民たちに周知されていた。区画だけでなく私までサクリンサクリンと気安く呼ばれるようになった。誰がサクリン先生だこの野郎。

 

 私はやる気をなくした。多分もう永遠にやる気でない。

 

 講義は妹たちに任せて、寝る。

 

 

 

□月◇日

 やっぱり持つべきは妹だ。

 

 妹たちに慰められるうち、サクリファイスでもサクリンでもどっちでもいいやと思えてきた。誰に何と呼ばれるよりも、クロア、サプー、ユノンに姉と呼ばれるのが一番胸が躍る。妹さえいれば残りの寿命全部満足だ。

 

 寿命といえば、蝋燭が一本燃え尽きた。長さからして端数だったのだろう。思えば全部に火が灯って溶けているのに、一本ずつ目減りしていくのは不思議だ。魔法少女の神秘。

 

 さあ今日も無知な生徒たちに知恵を授けてやるぞ。頑張ろう。

□月◇日

 校長がやってきた。わざわざ本人が取り巻き連れて。暇かよ。

 

 またユノンに手を出すつもりなら門前払いだったけど、私に話があるというので、聞くだけ聞いてみた。意味が分からなかった。

 

 まず、校長の権限で魔導館をとり潰すことに決まった。蔵書の一部は学校の図書室に引き取るとのことで、実に感心だ。あんな公共施設とは名ばかりの廃墟さっさと潰れた方がいい。使い勝手最悪だし蔵書は大半が作者不明で悪夢みたいなことしか書いてないし、潰れたらとてもすっきりするだろう。国の手でやってくれるなら願ったりだ。

 

 ここまでは分かったけど問題はその後、「潰されたくなければ土下座してあの日の非礼を詫びろ」と威圧してきたことだ。なんで私があの廃墟を潰されたくないの前提なのか。

 

 今思いついた。昔私があそこに住んでたから、思い出の建物を壊されたくなければ、という文脈だったのか? だとしたらあのおっさん相当なロマンチストだな。かわいい。私も少しは嫌そうな顔をしてあげればよかった。

 

 取り壊すなら是非頑張ってほしい。あのろくでもない廃墟には古い呪いがかかってるから、下手に手を出せばひどい目にあう。

 

 と、注意してやったら呪いなんてあるわけないだろと勝ち誇ったように笑いながら出ていった。

 

 私の過去を調べてから公共事業を一つ立ち上げ、始める前にわざわざ私のとこへ報告しにきたとすると、校長の職はよほどやることがないと見える。

 

 頑張れ校長。呪いなんかに負けるな。

 

 

 

□月◇日

 校長がやらかした。だから言ったのに。

 

 学校の式典か何かで、魔法少女を「卑しい尖兵」と表現したのが来賓のお偉いさんに聞き咎められ、おまけに生徒たちにも反発されて上と下から猛烈な批判を食らっている。外を出歩けば石を投げられるわグランマギクス家の屋敷には変な活動家もどきたちが詰めかけるわでたいへんな騒ぎらしい。

 

 やらかす校長もアホだが騒ぎ立てる中央の連中も暇過ぎるだろ。腹を抱えて笑ってしまった。

 

 やらかした権力者を吊し上げて楽しむのは、人類が生み出した中でもっとも素晴らしい娯楽だと思う。あーおかしい、呪い様様だ。今度会ったら指差して笑ってやろう。魔王もなんかやらかしてくんないかな。

 

 他人の不幸サイコー。

□月◇日

 大浴場が完成したら姉妹で遊びに行こう、と約束した。楽しみ。

 

 ツインテとクロアの仲が悪い。

 

 魔法をある程度覚えた子息たちは、ツインテを除いて全員生家に帰った。生意気なガキだがツインテも寂しいだろう。もっと仲良くしてやってほしい。

 

 

 

□月◇日

 やたらとクロアがツインテお嬢様を目の敵にしている。聞いてみると、この前の魔力暴走で私に迷惑をかけたのを根に持っているらしい。

 

 なんで私が気にしてないのにクロアがネチネチ言うのか。叱りつけるといじけて口をきかなくなった。

 

 難しい年頃だ。

 

 

 

□月◇日

 死にたくない

 辛い、こわい

 たすけて

 

 

 

□月◇日

 サクリン街でずっとチヤホヤされるはずだったのにとんだ災難だ。

 

 昨日、初めて魔獣と戦う羽目になった。魔王に頼まれた。ちょっとした負い目があるせいで断りきれなかった。

 

 事の発端は人手不足だ。魔獣を山のふもとで食い止める魔法少女が、ホープフルちゃんとヘイトレッドさん含め六人しかいない状況だった。何ヶ月か前にヘイトレッドさんがケガをして、その穴を突かれる形で他の魔法少女たちも連鎖的に負傷。常に誰かがケガで離脱している状態でギリギリ持ちこたえていた。音沙汰がなかったのは、この不利な趨勢を隠すためだったらしい。

 

 そんなこんなで目をつけられたのが私。ふざけんなチクショー。大昔の魔王も仕事が雑だよなんで賢者でも倒せる下級魔獣までしか止めらんないのよ。障壁なんだから中級以上も全部止めてよ許せねえ。

 

 もう二度とあんな怪物たちと戦いたくない。

 

 だけど中途半端に活躍しちゃったせいで、無駄に頼りにされてしまった。

 

 空気に流されるわけじゃないぞ。褒められて調子に乗ったわけでもない。

 

 というのも私が頑張らなきゃいけないのは今だけだ。地脈と同調して観測してみると、あと一ヶ月もすれば流れが安定して魔獣の数も減る。私が抜けても問題がなくなる。

 

 それに小遣い稼ぎにもなる。もしマスコットの連中が私の討伐数ちょろまかしたら、ふんだくってサクリン街の予算にしてくれる。

 

 だから頑張れ。

 

 今だけ頑張れ、私。

 

 

 

□月◇日

 頑張れない、怖い。

 

 もうやだ。

 

 

 

□月◇日

 ホープフルちゃんが励ましてくれた。この子ほんと天使。

 

 いい機会だったのでいろんな話をした。

 

 魔法少女になっても魔獣と戦う義務が課されるわけじゃない。なのになぜホープフルちゃんは戦うのか。歩合制の報酬なんてとても割に合わないのに。

 

 答えは単純、ヘイトレッドさんが戦っているから。幼馴染で何かと無茶をしがちなヘイトレッドさんを一人で戦わせるのは不安とか。じゃあヘイトレッドさんはというと、魔法の国に家族がいるからだと。

 

 私は拍子抜けした。魔獣と戦う魔法少女はてっきり愛国心や博愛精神をこじらせたなんちゃって使命感野郎ばかりかと思いきや、もっとも強く有名な二人は個人的に守りたいもののために戦っていたのだ。

 

 私も見習おう。頼まれていやいや戦うんじゃない。金のためでもない。妹たちを守るために戦うんだと思い込んだ。ふもとより後ろへ魔獣を通せば、妹たちが危ないかもしれない。守るために戦う。

 

 やる気が溢れ過ぎてやーばい。

 

 

 

同日追記

 あえぎ声がうるさくて眠れない。

 メスガキ共が盛ってんじゃねーよクソ。

□月◇日

 戦い始めて一週間たった。あと二十日だ。

 

 魔獣の討伐数はごく平均的。でもそれとは別に楽しいことがあった。

 

 朝、地脈の流れを見た感じいつもより魔獣が少なそうだとホープフルちゃんに言ったら、すごく驚かれた。ツンケンしてるヘイトレッドさんも口をあんぐり開けてた。感心されて気持ちよかった。

 

 聞けば魔法の国は魂根源説が主流だったので、地脈エネルギーと魔獣の関連性を想像さえしなかったとか。ていうか地脈の存在すらよく分かってない感じだった。そういえば中央だと妄言扱いされたっけ。

 

 ああ気持ちいい。相手の知らないことを自分が知ってて、しかもそれを解説するときって、得も言われぬ快感がある。すごい、かしこい、さすがサクリン、とみんなに褒めてもらえた。褒めろ褒めろ。

 

 と、いい気になってたらヘイトレッドさんに舌打ちされた。ホープフルちゃんさえドン引きする形相で睨みつけてきたけど、効かん。賢いえらいサクリン先生は無敵なのだ。

 

 このチヤホヤ会を通して、私はヘイトレッドさんのことを見直した。

 

 普通、地脈の考え方がここまで有用だと分かれば、初対面のとき妄言扱いしたのを謝るのが普通だ。だけど彼女は謝罪の概念を子宮に置いてきたようにごめんの「ご」の字も口にしなかった。

 

 つまりまともに謝れないあの女は悪者、同志、人間のクズ。見ていてとても安心できる。私はクズみたいな子が大好きなんだ。悪者でいてくれてありがとう。

 

 今日はいい夢見れそう。

□月◇日

 魔獣がほぼいない日。くじ引きで見張り番を決めて、私は久しぶりにアトリエへ帰った。

 

 クロアもサプーもユノンも、ツインテとかの生徒たちも、幽霊を見るような目をしてた。帰ったのを泣いて喜ばれたのは嬉しかったな。

 

 こいつらのためなら魔獣退治も怖くない。ウソ、怖いものは怖い。

 

 クロアたちは私が日記を書いている横で寄り添うように眠ってる。ちょっと書きづらい。寝顔を見てたら私も眠たくなってきた。

 

 寝るぜ。

 

 

 

□月◇日

 久しぶりにクロアに引っかかれてしまった。

 

 そのせいで腕一本と寿命五年が代償で持ってかれた。今すっごく痛い。ないはずの腕が痛い。痛い。

 

 ホープフルちゃんにナデナデしてもらって今日は寝ることにする。

 

 痛い。

 

 

 

□月◇日

 今日は大事をとってふもとの宿舎でお休み。痛みも引いてきたから、昨日あったことを書き記す。

 

 まず、クロアが魔法少女になった。

 

 これだけならまだ良かった。クロアの上達速度からしてそのうち至ることは分かっていた。

 

 問題はクロアの固有魔法が覚醒と同時に暴走したことだ。

 

 固有魔法は獣性。爪と牙がナイフのように伸びて身体能力は通常の魔法少女と比較にならないほど上昇する、Bランクのありふれた魔法。猫とうさぎの中間みたいな耳が生えてかわいい。獣じみたところのあるクロアには似合いだ。

 

 肉弾戦なら最強と言われる魔法だけど、Sランクの私の代償、Aランクの希望と憎悪と比べて下の方のBランク。この理由は理性の低下だ。変身すると自動で獣化し、ちょっと賢い犬程度の知能に落ちる。

 

 そこに魔力の暴走が重なってさあたいへん。犬どころか狂った狼みたいな形相で私のとこへ一直線にやってきた。さては私のこと大好きか。

 

 そのときの私はふもとでひいこら言いながら魔獣と戦っていて、急に現れた獣娘にすごく驚いた。驚きすぎて暴走するクロアのじゃれつきを回避できず爪で引っかかれて、よろめいたところに魔獣の追い打ちを食らって腕がぽろっと落ちた。

 

 で、せっかく落ちた腕を使わない手はないというわけで、代償に捧げた。でも一度落ちた腕だけだと足りなくて、仕方なく寿命を五年追加。周囲の魔獣の全滅と、クロアの沈静化を成し遂げた。

 

 目が覚めたクロアは幸いにも何も覚えてなかった。私がうっかり腕を落としちゃったというと、私の分まで戦うから休んでと言ってくれた。

 

 日記書きつつ窓の外を見ると、ふもとの平原地帯で魔獣をばったばったなぎ倒すクロアの姿が見える。あの勢いじゃマスコットも勘定がたいへんだろうな。

 

 妹に戦わせて休んでる姉なんて最低だ。

 

 最低だけど痛いんだもの。傷口痛い、幻肢痛やばい。生理痛も重なってお腹の中に鉛。大事な寿命代償にしたのもきつい。辛い。

 

 生きててもなんもいいことない。

 

 くたばれ世界。

 

 

 

□月◇日

 前ページ読み返してドン引きしてる。病み過ぎだろ私。

 

 寿命はあと四十七年もある。腕はもう片方残ってる。落ち込むことないさ。

 

 ホープフルちゃんとヘイトレッドさん、クロアがとても心配してくれた。ホープフルちゃんへのなでなで要求が無限に受理される。いつもならヘイトレッドさんが調子に乗るなと止めるくせに、気を遣ってるな。もっと遣え、気持ちいい。

 

 クロアは暴走の影響で、ぴくぴく動く獣耳だけ出しっぱなしだ。かわいい。人の耳も含めて四つも耳があるのはまったく欲張りだ。

 

 魔法少女のみんなが、もう休んでいいと言ってくれた。

 

 たくさん心配してもらって休むのも許されて、おまけに妹がかわいい。逆にケガしてよかったじゃないか。

 

 よかった、よかった

 

 よかった

 

 

 

□月◇日

 宿舎から戦いを眺める。地脈の流れは安定傾向。私の予報した凪の期間まであと少し。

 

 クロアの活躍ぶりがすさまじい。

 

 私と同じ最上位魔性位階に至ったクロアは、もう下に見て世話を焼くような子供じゃない。いや、魔法少女じゃないにしても、サプーは大賢者、ユノンもぎりぎり魔女くらいの腕がある。立派になった。サクリン街だってあれだけ発展すれば勝手に住人たちで繁栄していくだろう。

 

 私ってもういらないんじゃないか。悲しくなってきた。

 

 

 

□月◇日

 決めた。

 

 ケガが治ったら、新しい最底辺を探す旅に出よう。

 

 私を必要としてくれるどこか。えらくてすごいやつだと思えるような底辺。汚れと埃に塗れた地獄のようなユートピアが、きっとどこかにあるはずだ。

 

 でも姉妹の約束は果たす。大浴場が完成次第、最後に楽しい思い出を作ってどこかへ消える。

 

 それまでは頑張って生きるぞ。

 

 

 

□月◇日

 昨日「生きるぞ」なんて前向きなこと書いたからこんなことになる。

 

 明日、私が当初予測した地脈の凪。その直前に大規模なエネルギーの噴出がある。ありそうじゃなくて確実にある。

 

 前から薄々思ってたけど、実際戦ってみた感じ魔獣の正体は山の向こうにある噴火口から噴き出したエネルギー生命体だ。これほどのエネルギーを元にすれば、観測したことのない強力な魔獣が発生する。おそらくヘイトレッドさんにケガをさせた個体の数十倍強大な個体が。大昔の魔王の障壁もおそらく崩壊し、魔法の国は近隣国もろとも魔獣禍に呑まれる。

 

 自慢だけど私は地脈との同調率なら国で一番だ。私以外に明日の破局を予想できているやつはいない。

 

 そして破局を回避できる力を持っている魔法少女も、私だけしかいない。

 

 約束を果たさずに死ぬのは、嫌だな。

 

 

 

□月◇日

 準備完了。

 

 日記の最後に遺書を書いた。読まれたくない部分の塗りつぶしもしといた。クロア、サプー、ユノン、ついでにツインテのガキとかその他大勢。私のこと忘れないでね。

 

 窓の外で、空を覆い尽くす魔獣が見える。

 

 魔法少女たちが途方にくれてる。

 

 障壁が壊れた。

 

 輝け私。 

 

 

 

 

 

 

遺書

 ごめんなさい。

 ありがとう。



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三人称3/新・日記

 サクリン街、魔法少女サクリファイスのアトリエ裏手。

 

 小さな墓石が花束に囲まれていた。棺に入り切らなかった手紙や手向けの類が山をなしている。もはやそこが墓なのか供えものの捨て場なのか分からない有様だ。弔意に溺れかけた墓碑には『救国の魔法少女サクリファイス、ここに眠る』と刻まれている。

 

 そんな墓石の前に、三人の少女が力なく座り込んでいた。故人の妹であるクロア、サプー、ユノンだ。彼女たちを気遣うように墓地の周囲に人気はなく、ひっそりと静まり返っている。

 

 獣耳を生やした少女、クロアは古びた手帳をパラパラめくる。故人の遺した日記だ。汚いのか丁寧なのか分からない字体で、故人の想いと思い出が綴られている。

 

「私のせいだ」

 

 クロアがつぶやく。

 

「せっかく魔法少女になれたのに……やっと役に立てると思ったのに、暴走して足引っ張って、困ったら全部姉さんに押し付けちゃった……私がもっと頑張ってたら」

「……『妹が姉の見せ場を奪おうとするな』。あの人なら、そんな風に言うでしょうか」

 

 ほんとに言いそう。思いの外説得力のあるサプーの言葉に、クロアは嗚咽しながら噴き出した。

 

 泣き笑いで涙に咽びつつ、日記をシワができるほど強く握りしめる。

 

「ひどいよ姉さん……あんなに強そうなフリしてたくせに、本当に辛い気持ちは全部ここに押し込めてさ。もっと頼ってくれてもよかったじゃない……」

 

 後悔と自責の念が溢れ、あの日の苦い記憶が脳裏をよぎった。

 

 魔獣退治の助っ人に向かった姉が久しぶりに帰ってきたあの日、クロアたち妹は姉が日記を書いている横に引っ付いて眠った。サプーとユノンが先に寝入ってやがて姉も落ちた一方、クロアだけは最後まで起きて、姉の日記をのぞいた。

 

 きっといつか見たような、姉らしい強気で汚い割にちょっとだけ優しい奇妙な文章がたくさん書かれてる。そう期待してのぞいたクロアが目にしたのは、

 

『死にたくない、辛い、こわい』『頑張れない、怖い。もうやだ』

 

 消えかえの灯火みたいに頼りない弱音だった。

 

 すべてのページがそうだったわけではない。それでも当時のクロアは隠された姉の弱みに、胸を貫かれたような衝撃を受けた。姉を一人で戦わせてはいけない、と動物的本能が警鐘を鳴らした。

 

 その本能が魔法の腕前を底上げしたのか、クロアは間もなく魔法少女として覚醒した。しかし初めての変身で理性と記憶を失い、気がつけば姉の膝枕で寝ていた。

 

『姉さん、その腕……』

『ええい泣くな泣くな、私も泣きたくなるだろ。うっかり落としただけだっての。それよりクロアお前、寝てるとき私を引っかいてきやがって。この戦いが終わったら尻を捧げてもらうぞ』

『捧げるよそんなの、いくらでも捧げるよっ!』

『いくらでもはいらんわ』

 

 失われた腕の包帯には血がにじんでいた。痛みによるものか不自然に汗をかいていた。それでも平気そうに強がる姉を前に、クロアはもう我慢ならなかった。

 

『姉さん……もうやめて。戦わないで』

『は?』

『私が戦うから。姉さんの分まで戦う。もう無理しなくていいんだよ』

『は、はは』

 

 妹から戦う決意を告げられた姉は、くしゃりと笑ってから疲れたようにため息をついて、窓の外と日記にぼうっと目をやるだけの傷病生活を始めた。

 

 そうして姉に代わり魔獣退治に参加したクロアは、人一倍懸命に戦った。偉大な姉の代わりになるために必死だった。しかし実は固有魔法を使わない姉の働きは大したものではなく、クロアは結果として姉よりもはるかに多くの魔獣を退治した。役に立てている実感が嬉しくて戦いから戻るたび姉に声をかけたが、姉は人が変わったように言葉少なだった。

 

 戦って、他の魔法少女たちと仲良くなって、宿舎に戻り姉に話しかける毎日。

 

 その生活は突然終わった。

 

『バカな、あり得るのかこんなこと……』

『この魔獣……希望が欠片も見えない……!?』

 

 空を覆い隠すほど大きな魔獣が、列をなして山の向こうからやってきた。大昔の障壁はきしみを上げ、驚くほどあっさり壊れた。

 

『姉さんっ!?』

 

 そのとき破滅的な魔獣を大きく上回る悪寒を覚え、姉の元に舞い戻ったクロアは、変身した姿の姉と対面した。少女の背に浮かぶ逆転した赤いろうそくのすべてが激しく燃え盛り、溶けた蝋は天井をすり抜け、どこか上方へ消えていく。

 

 クロアは代償の固有魔法を知らない。しかし獣性で底上げされた本能が、姉を止めろとけたたましい警鐘を鳴らしていた。

 

『何、やってるの姉さん』

『クロア』

『ううん、わかってる。どうせまた一人で抱え込んで、みんなを助けようとしてるんでしょ……ふざけないでよっ! 姉さんに結局全部押し付けて、それで助かったって意味ないじゃない! 私は姉さんを助けたいのっ!』

『うるせーバカ』

『ば……っ!?』

 

 身も蓋もない罵倒に虚をつかれ、怯むクロア。

 

 その微かな間隙に、代償の発動準備が終わっていた。

 

 姉は窓の外の破局に目を向けたまま、

 

『日記、読めよ』

 

 淡々と告げて、すべての代償を捧げた。

 

 視界が光に包まれたクロアがおそるおそる目を開けると、破滅の魔獣たちは姿を消し、魔王の障壁は何事もなかったかのように復活していた。ふもとの魔法少女たちは白昼夢でも見たのかと混乱しだしていた。

 

 ただ、それが夢ではなかった証拠として、姉が忽然と消えていた。

 

『なるほど……おそらく「代償」の固有魔法で救済の奇跡を願ったのだろう』

 

 魔法少女ヘイトレッドがクロアの証言からそう推測したのを最後に、クロアの記憶は途切れ途切れになっている。

 

 ただ、姉の死を魔王やサクリン街の住人たち、元教え子の子供たちがひどく悲しんで、アトリエの裏がしばらくごった返していたのは覚えている。

 

 すべてが終わったあとでようやく、クロア、サプー、ユノンの三人が墓石に向かい合っている。

 

「約束、しましたのに……生きろともおっしゃいました……無責任じゃありませんか……」

 

 サプーは赤子のようにぐずりだした。高貴な顔貌はすでに泣き腫らして赤くなっているが、涙は際限なく溢れ出る。ユノンに至っては何も言わずひたすらに涙と鼻水を流しては拭う人形と化している。

 

 クロアはペタリと獣耳を伏せて、震える声で言った。

 

「姉さんは日記を見ろって最後に言ってた。見よう、みんなで」

 

 芝生の上に日記を置いて、三人で読み始める。

 

 ところどころページが破かれていたり塗りつぶされているが、それは紛れもない姉の存在証明だった。強靭な精神のもと自身の信念を貫いた軌跡。その合間にはささやかな日常の思い出。終盤のページに綴られた『忘れないでね』の一文は、日記を読めと言い残した理由そのままだろう。

 

 ついにたどり着いた最後のページ。

 

『ごめんなさい』

『ありがとう』

 

 たったそれだけの簡素な文字列に、クロアたちは絶句した。悲しさ、悔しさ、怒り、自責、その他あらゆる感情の激流が少女たちの心を押しつぶしていく。

 

 彼女たちの悲痛な泣き声の示すところは、救国の魔法少女の失態だろう。

 

 魔法少女は大切な誰かの命を守ったかもしれないが、心は救えなかった。国を変革し、改革し、救った功績が意味をなさないほどの大失態だ。

 

 魔法少女サクリファイスは何もできなかった。

 

 残酷な現実はただ厳然とそこにあった──

 

「ちょっと失礼するぞ」

「わわーっ、ヘイちゃん空気空気!」

 

 が、その空気を打ち破る闖入者が現れた。

 

 魔法少女ホープフルとヘイトレッドの二人組だ。ほわほわした顔つきにためらいや遠慮を滲ませるホープフルと、怜悧な瞳でズカズカ墓地に踏み入ってくるヘイトレッド。対照的な二人だ。

 

 ヘイトレッドは大きな麻袋を抱えていた。紐でがんじがらめにしてあり、中には生き物が入っているのかバタバタ暴れている。

 

「お前たちに渡すものがある」

「ご、ごめんね? ほんとはもっと落ち着いてからにしようと思ったんだけど」

「この三人がいつ落ち着くというんだ、脱水で死ぬまで泣き続けるぞ」

「ヘイちゃん言い方!」

 

 窘めるホープフルに取り合わず、ヘイトレッドは麻袋を姉妹の眼前に放り投げた。中からくぐもったうめき声が漏れる。

 

「痛そう……」

「開けてみろ」

 

 と、言っても三姉妹は呆然と袋を眺めるばかりで動こうとしない。うめき声に聞き覚えがあったのだろう。涙は驚きで止まっていた。

 

 しばし膠着した末、クロアが震える手を袋に伸ばす。

 

 しかしそれよりもわずかに早く、袋の中身が自力で拘束を緩ませ、袋口からひょっこり顔を出した。

 

 顔をぶんぶん振って猿轡を外す中身。

 

「ぷはっ……こんっのクソ年増無神経魔法少女野郎がァ! 余命一年の英雄に対する仕打ちかこれが!? ホープフルちゃんの相方だからと大目に見てきたがもう我慢ならん、少なくとも一発ひっぱたいて──」

 

 中身、もとい魔法少女サクリファイスの怒鳴り声が途切れた。丸い目をぱちぱちさせて、呆然としている妹たちと顔を合わせる。

 

 すると深いため息を吐きつつ、ヘイトレッドへ怨嗟のこもった一瞥を向ける。

 

 それから呆れるほど屈託のない笑顔を浮かべて、自らの魔法少女名が刻まれた墓碑のすぐ前で、こう言い放った。

 

「よっ、久しぶり。元気してた?」

 

 大騒ぎになったのは言うまでもない。

 

 

 

ーーー

 

 

 

新・日記

?月?日

 魔法の国の魔性位階持ち全員分の頭脳を合わせたよりもはるかに、私の頭が良いのは自覚している。なので現状は想定の範囲内どころか計算どおりだ。こうなるの分かってた。

 

 破局回避のため寿命と身体全部を捧げようとしたけど、奇跡の後でギリギリ余剰一年分残されたのはたまたまじゃない。賢い私の想定内。私が間違うとかあり得ない。

 

 代償を使う直前に「あ、これ四十六年で足りそう」と分かったので他の代償はケチって、奇跡発動と共に姿をくらましてやった。今頃私は国を救ったすごいやつ扱いだろう。嬉しい。

 

 ちょっとモヤモヤするのは、五感や四肢を捧げればもうちょい命ケチれたかなってこと。いやでも、あの蝋燭で目や鼻や足を焼くのはきっとすごく痛い。腕を千切られるのさえあんなに痛かったのに。

 

 私はきっと正しかった。腕一本だけないけど、それ以外は満足な体で一年生きられるなら、最善の選択だったに違いない。さすが過ぎるぜ私。

 

 あと一年も生きられる。

 

 何して余生過ごそうかな。ひとまずこのアジトでケガ治るの待って、その後はやっぱり新しい最底辺探し? それとも救国の英雄扱いを楽しんで気持ちよくなる?

 

 ああ人生楽しすぎる。

 

 

 

?月?日

 人生楽しくない。ひま。

 

 アジトにしてる魔導館は昔と変わらず見渡す限りの本棚と、その間で階段、梯子、渡り廊下が絡み合う悪夢みたいな景観をしてる。使い勝手最悪でじめじめ湿っぽいし本の中にはカビの楽園になってるやつもある。この有様で何を導くってんだよバカじゃねーのと何度思ったか知れない。

 

 だからこそ利用者が少なくて、本棚に隠れ住む暴挙が可能なわけだけど、ひまだ。本は全部読んでつまんない。どんな本でも一度読んだら飽きる。ひま、ひま。

 

 思えばここの本読み尽くしてヒマになったから日記を書き始めたんだっけ。それにも飽きてやることないから学校行って、サボり常習犯になって。

 

 ダメだ。回想しようにも懐かしむ過去とかあんまりない。ひま。

 

 

 

?月?日

 クロアをナデナデしたい。サプーいじめたい。ユノンを下に見たい。

 

 何書いてんだ今更女々しい。

 

 生まれ変わったら紙虫になりたい。

 

 

 

?月?日

 ホープフルちゃんとヘイトレッドさんが来た。

 

 私に感づいてる。消えかけの魔力を感知したらしい。伊達にベテランじゃないわけだ。

 

 ここは私の根城。たちの悪い迷路みたいなものだ。見つけられることはまずない。

 

 ツンケンしてるくせに根は優しいヘイトレッドさんのこと。捕まったらきっと妹たちのとこへ連れて行かれる。

 

 それだけは嫌だ。

 

 いやだ。

 

 

 

?月?日

 捕まった。

 

 クロア、サプー、ユノンが泣いていた。私が生きていたのを喜んでいた。私の存在を求めてくれていた。

 

 だから嫌だったんだ。

 

 かわいい妹たちとの満たされた生活が、あと一年しか出来ないなんて、そんな短い間なら最初からなかった方がマシだ。

 

 もっともっと長く生きていたいな。

 

 もう五、六十年くらい延長できないかな。できるわけないよな。一秒を惜しんで生き抜くしかないよな。これ以上妹たちが泣かなくていいように。

 

 だから日記を書くのはもう終わりにする。文字を一つ綴る時間さえ、楽しい思い出に使いたいから。

 

 読み返してみると人は殺すし、暴力的だし、妹はよく泣かせるし、肝心なところで逃げる私はとんでもないクズだ。性格最低の魔法少女が最底辺の肥溜めで調子に乗っていた最悪の日記だ。

 

 だけどクズはクズなりに、精一杯輝いたと思う。

 

 妹たちと一緒に。

 

 これから最期の輝きを。



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番外編:Fading Away
前半


 魔法少女サクリファイスの最後の一年は、情けない駄々をこねるところから始まった。

 

「やーだー! 合わせる顔なーいー! 私はもう死んだ扱いでいいんですぅー!」

「ね、姉さん? 私塾の子たちきっと喜ぶよ? すっごいチヤホヤしてくれるよ?」

「もう十分されたから満足なの! 今は気まずい気持ちの方が大きいの!」

「ですがお姉さま、どうせ私たちと外を出歩けばバレましてよ?」

「それでもやーだー!」

「お姉ちゃんが子供みたい……」

 

 少女が拒絶したのは生存を公開するかどうかだ。盛大に悼まれ惜しまれ墓まで建てられた今、少女に生き返る度胸はなかった。今更どんな面して戻ってきたのか、と呆れられるのが怖い。チヤホヤされるのは大好きだが、その逆の失望は人一倍苦手だった。

 

 ひとまず少女の要求通り死んだ体で押し通すことにしたものの、少女の顔はあまりに有名だ。面倒くさがって変装もせずに妹たちとアトリエを出る上に、死人だからと開き直って生前の奇行に拍車がかかりろくでもない生存の噂が広まった。

 

 その噂とは、墓前で故人当人が死を悼んでいるとの内容だ。

 

「ああっ、サクリファイス! どうしてあなたのような立派な魔法少女が死んでしまったの! あなたほど偉くてかわいくてすごい女の子は世界のどこを探してもいないというのに! しくしく!」

「しくしく」

「朝っぱらから何を訳の分からないことやってますの!?」

「故人を偲ぶ故人ごっこ。中々にバカらしくて楽しいんだこれが。なあユノン?」

「ん」

「お願いだから二度とやらないでくださいまし!」

 

 弔問客の多くが墓前でそのようにやりとりする姉妹を目撃し、まさか自分の偉業を自分で持ち上げつつ悼む奇矯な魔法少女など他にいないだろうとして、サクリファイス生存説がまことしやかに囁かれ始める。 

 

 その噂を聞きつけ一番に確認しに来たのは、魔王だった。

 

「なんと……このような奇跡がありえるのか……おお、おお……」

「どうも魔王様。暑苦しい泣き方しますね」

 

 もう十分妹たちの涙に出迎えられた少女には、天敵に等しい善人魔王の涙は響かなかった。放置してクロアを捕まえ、覚醒以来鋭くなった爪の手入れをしてじゃれ合った。

 

 そうこうしているとようやく泣き止んだ魔王が、真剣な顔でこう告げる。

 

「本当に申し訳ないが、君にはこのまま死んでうわぁ落ち着きたまえ建前の話だっ!」

「フシャーっ!」

「どうどう、クロア」

 

 毛を逆立てたクロアが魔王に飛びかかり、自動発生の障壁を粉微塵に切り刻んだ。

 

 とはいえ魔王に悪意はなかった。死んでもらう、ではなく死んだことにしておくと言おうとしたのだ。折しも隣国エボルレアの革命新政権が拡張主義を唱えだして情勢がきな臭くなってきたので、少女の身柄を守るため、表向きはこのまま死亡扱いにしておくほうが安全なのだ。

 

「身柄を守るってちょっとちょっと、私がものすごい重要人物みたいじゃん」

「今更何言ってるの姉さん」

「えっ」

 

 クロアと魔王は、少女の無邪気さにそろって呆れ返った。

 

 最上位魔性位階たる魔法少女であるだけでも価値が高い上に、スラム街の改革を通して国力を増大させ、挙げ句には救国さえ成し遂げた。なんなら私よりもよっぽど重要人物だよ、と魔王は苦い顔で付け足した。若干スケールが大きくてピンと来なかったが、少女は頑張りが評価されたみたいで気分がよかった。

 

 こうして少女は公には死んだまま、アトリエの近隣住民には暗黙のうちに生存を受け入れられつつ、のんびりした余生を送る。

 

 生存の扱いの次に少女が取り掛かったのは、姉妹の約束だった。

 

 西の歓楽街の中心に満を持して竣工した大浴場。三階建ての広い内部に浴場、飲食施設などが充実した魔法の国最大の娯楽施設だ。地脈エネルギーが湯に溶け出しているためか健康増進の効果があり、連日国中から客が集まってくる。

 

 当然いつ行っても利用客でごった返しているが、

 

「本日はサクリファイス様御一行の貸し切りでございます。ごゆるりとお楽しみください」

「オーナーありがとー!」

 

 理解のあるオーナーが気を利かせてくれた。なお、オーナーは私塾経営を始めて間もない頃入塾していた乞食である。魔法少女サクリファイスのためならば首と赤字をかけて全力で融通する信者になっていた。

 

 広い、広すぎる浴槽に姉妹四人で肩まで浸かる。

 

「あー生き返るわー。死んでるけどねぇ」

「姉さんそれシャレにならない」

「いや、なるだろー。もう我ながら立場がごちゃつき過ぎて笑えてくるわ」

「立場なんてただ一つですわ。わたくしたちの誰より大切なお姉さまです」

「嬉しいこと言ってくれるなあサプー、このこの」

「へ、変なとこ触らないでくださいまし」

「サプ姉、喜んでる」

「喜んでませんわ! 変態クロアさんと一緒にしないでくださいまし!」

 

 サプーの声はよく反響した。湯気と湯の中に揺らめく妹たちの裸体に視線を巡らせる。出会って一年ほど経っても大して成長していない。

 

 意地の悪い笑みを浮かべて、サプーのどことは言わないまでもツルツルした平たい身体に指を這わせる。サプーは華奢な足をもじもじさせるだけで逃げようとはしない。

 

「んっ、いけませんこんなところで……」

「その通りだね、やーめた」

「泣きますわよ!? 生殺しですの!」

「あはっ、めんどくせーなサプーは」

 

 涙目で抗議するが、少女が優しく頭を撫でているとすぐにうっとり目を閉じて機嫌を直す。極めてチョロい元王女の痴態を、ユノンがジト目で睨んでいた。

 

 と、そこで少女はクロアに見つめられていることに気がついた。クロアは少女の脇腹、ないし脇から背中にかかるあたりを凝視している。とんがった獣耳はぺたりと伏せっていた。

 

「クロア? 姉さんの身体に惚れた?」

「えっ、あ、ううん。えっと、腕、痛くない?」

「平気」

 

 なくなった片腕を心配してくれたのだろうか。しかし間違いなく視線は腕ではなく背中の方に向けられていた。

 

 気になって後から確認してみると、そこには四本の切り傷が痕になっていた。暴走したクロアの爪で引き裂かれた部分である。

 

 クロアは暴走したときの記憶を覚えてないはず。遺した日記のページも該当部分は塗りつぶしておいた。あのとき現場にいたホープフルとヘイトレッドが、クロアが傷つく事実を口外したとも思えない。

 

 きっと心配ない、と少女は楽観した。

 

 残り一年、変な心配事は抱えたくないものだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 無事約束を果たした少女は続いて、ホープフルとヘイトレッドと顔を合わせた。

 

 用件を伝えると、ホープフルは目をまんまるにして口に手を当て、ヘイトレッドは無愛想に腕を組む。

 

「地脈との同調による魔獣の発生予測、か」

「はい。二人ならちょっと練習すれば私と同じくらい出来るようになります。魔獣がいつ出てくるか分かれば便利でしょ? それと、元々えげつない二人の魂由来の魔力を地脈で増幅させれば最強無敵になれますよ」

「ああ、メリットは理解できる。先の戦いでは随分助けられたからな。教えてくれるというならありがたい。だが」

「サクちゃんは本当にいいの? 貴重な時間を私達に使って」

 

 ホープフルが言葉を引き継いだ。困惑と心配が半々の表情だった。

 

 少女の用件は簡単だ。ホープフルたちに地脈増幅説の魔力運用を教え込みたい。そのメリットはこれだけあるからどうだろうか、と。

 

 少女の余命を知っている二人は都合の良すぎる話に首を傾げるが、少女としては打算の上での提案である。

 

「いいです、というかこっちがお願いしてます。だってほら、私もうすぐ死ぬじゃないですか」

「う、うん」

「そしたら、魔獣から国を、もとい私の妹たちを二人は守ることになります。そのためのお手伝い、生きてるうちにしときたいんですよ」

「サクちゃん……」

「参考までに今日と明日の魔獣は〇から五体、明後日は二十から三十体、明々後日は百から百二十体です」

「そこまで分かるようになればありがたいどころの話ではないな。提案を受けよう。早速今から教えてくれ」

「おまかせあれ」

 

 涙ぐんでいるホープフルとは対照的に、ヘイトレッドは淡々と受諾した。

 

 さすがにベテランにして最強の二人組だけあって、地脈と同調する感覚を少し助言するだけで今日明日分の予測が可能となった。少女は舌打ちした。

 

「才能が腹立たしいぜ」

「さ、サクちゃんの教え方が良かったからだよ!」

「ふへへ」

「そこまでではないと思うが」

「んだとコラァ!」

「んもうヘイちゃん!?」

 

 そんなこんなで教え合うこと二時間。

 

「ちょっとお手洗い借りるね」

 

 ホープフルが離席した。静かなアトリエに二人きりで残されるサクリファイスとヘイトレッド。妹たちは私塾の講義に回っており、もうしばらく帰らない。

 

 ヘイトレッドは気にせず目を閉じて、教えられた地脈の感覚を確認していた。この女に対して気まずさを覚えれば負けだ。少女はむっつり顔でふんぞり返った。

 

 ぼんやりしていると、不意にヘイトレッドが口を開く。

 

「サクリファイス」

「はい?」

「なんでもない」

 

 居心地悪そうに目を伏せるヘイトレッドに、少女は勝利を確信した。口を開いたはいいが適当な話題が見つからずなんでもないの一言に逃げたのだ。先に気まずさを感じたのはヘイトレッドの方だ。

 

 しかしその勝利の高揚感は、間もなくどん底へ突き落とされることとなる。

 

 ヘイトレッドは秒間五回程度の高速瞬きを十数秒間披露した後、再び口火を切った。

 

「あのときはすまなかったな」

「どのとき?」

「初めて顔を合わせた日だ。魔法の腕前と思想、存在を否定するような言い方をした」

 

『路傍の石程度に自分の価値を上げて出直せゴミクズ!』

 

 忘れようのない罵倒が少女の脳裏をよぎる。あのときといい姿をくらましたのを捕まえられたときといい、ヘイトレッドは憎たらしい女だった。

 

 なのに彼女はあっさりと頭を下げてしまう。

 

「貴女は普通とは違う活躍のできる素晴らしい人物だったようだ。あのときの言葉を撤回し、謝罪する。申し訳なかった」

「……勘弁してよ」

 

 少女は絶望感でいっぱいの顔を手で覆って仰天した。ヘイトレッドが怪訝に首をかしげる。

 

「ヘイトレッドさん、あんたは私の同類だと思ってたのに。人間のクズとか嫌なヤツとか呼ばれる同志だと思ってたのに……あんたまで、いい人なの……?」

 

 顔をしかめるヘイトレッド。

 

「貴様の奇天烈な価値観はまるで理解できん。だがこれだけは言っておくぞ。貴様はクズではない。ただの不器用な臆病者だ」

「あっそ。じゃあ私もこれだけは言っとこう。ありがとうね」

 

 顔から手をどけた少女の表情は、つきものが落ちたように晴れ晴れとしている。

 

「あのときヘイトレッドさんがきついこと言ってくれたから、私はここにいる。逃げ出した私を無理にでも連れ戻してくんなかったら、死ぬまで寂しいままだった。おかげで今すっごく楽しい。ありがとう」

「別に。私は臆病者が嫌いなだけだ」

 

 ぷいとそっぽを向いたヘイトレッドの横顔は、ほんのりと紅潮していた。

 

「あっ、照れた! 初めての赤面いただきましたァ! ヘイちゃんかっわいいー!」

「き、貴様このアホ野郎……あまり図に乗るなよ」

「ふふん、今更怖い顔しても無駄無駄。私知ってるんですからね、夜のヘイトレッドさんが超かわいいこと」

「なんのことだ」

 

 小癪にもとぼけやがるぜ。白々しいヘイトレッドに対し少女の悪戯心と復讐心に火がついた。うるさい声のせいで夜眠れずに悶々とさせられたのを思い出し、わずかな容赦すら捨てて口を開く。

 

「戦線の宿舎の壁、案外音を通すんですよね。『やめて許してホープ! 気持ちよすぎて私おかしくなっちゃう!』」

「イヤアアァアァっ!」

「ひゃわっ」

 

 ヘイトレッドは少女に飛びかかり押し倒した。

 

 組み敷かれた不利な姿勢ながら、精神的優位は明らかに少女にある。

 

「てっきり攻めだと思ってたんですがね。ホープフルちゃんも中々出来るようで」

「誰にも言ってないだろうな」

「もちろんです……あんたのその表情(かお)を見るためになぁ、今の今まで温存してたんだよぉ! クケーケケケ!」

 

 悪魔めいた腹の立つ笑顔。ヘイトレッドは顔を真っ赤にしてプルプル震えている。それでも有頂天気分の少女は止まらない。

 

「どうせアレでしょ、初めて会ったときもお邪魔虫をチームに入れたくなかったんでしょ? きゃー乙女、ヘイちゃん乙女!」

「だーまーれ!」

「むぐ」

 

 限界を迎えたヘイトレッドは実力行使に出た。少女の隻腕を押さえつけ、口を手で塞いで睨みつける。だが依然涙目なので迫力がない。少女のニタニタ笑いは健在だ。

 

 ヘイトレッドが全力で思考を巡らせる。気に入らない女に最大級の弱みを握られた現状を打破する方法はないか。

 

 必死で考えるあまり、彼女はホープフルが帰ってきているのに気づけなかった。

 

「ヘイちゃん。サクちゃんと何してるのかな?」

 

 二人は本能的な悪寒を覚えた。ゆっくりと背後に佇むホープフルを振り返る。彼女の目から光が消え、瞳孔が深淵のように開き切っていた。

 

 はっとヘイトレッドは状況に気づく。サクリファイスを押さえつけて口を塞いでいるこの態勢は、客観的に見てかなりまずい。

 

「ち、違うんだホープフル。これはだな」

「大丈夫だよ。私はヘイちゃんが浮気なんてしないって信じてる。だから帰ってお話しよ?」

 

 ヘイトレッドの首根っこをむんずと掴み、持ち上げるホープフル。変身してないので普通の女の子の力で人一人を宙吊りにしている。

 

「一生こんなことできないくらい、たくさんお話しようね」

「待って、違うの、ていうかほんとに信じてる!?」

「サクちゃん、今日はありがとう! また今度ね!」

「聞いてよ! ホープ、ホープってばあ!」

 

 そのまま連行する形で、二人は出て行った。

 

 一人残された少女は、嫌いな相手をやりこめた達成感で心の底から笑った。この日の晩ベッドの上で臨死体験をしたと後日ヘイトレッドから愚痴られ、さらに腹筋が割れる思いをした。その際、少女の目論見通り魔獣防衛戦線の運営は楽になったとついでのように報告を受け、満足だった。

 

 ヘイトレッドとの微妙な関係は死ぬまで変わらないと思っていた。憎たらしい初対面の印象も変わらないだろうと。しかし少女たちは、ささいなきっかけで簡単に変化していく。

 

 ユノンもまた、大きく変化している一人だった。

 

「──こ、このように、魔力がゼロに近くとも地脈エネルギーと同調し、増幅させれば魔法を使えます。完全に魔力がゼロなら、生命力を触媒にすると、いいです。ただし地脈エネルギーを直接魔法に使うのは絶対だめ。い、以上が地脈増幅説の概要となります、はい」

「ユノン先生、なぜ地脈エネルギーを直接使ってはいけないのですか?」

「ぼ、暴走するから、です。私達の魂は燃えていて、地脈エネルギーは燃料、です。だから直接使おうとしてたくさん汲むと、えー、メラメラドカンして吹っ飛ぶ、です」

「なるほど、ありがとうございます」

 

 講堂の教壇で、ユノンはつっかえながら生徒たちに教えを授けていた。補助のために傍にはサプーが控えている。成長した末妹の勇姿を、少女は講堂の後方で腕組みしながら眺めている。

 

「ユノン先生、中央では地脈エネルギーの乱用により土地が枯れるとの批判が出ています。本当なのでしょうか?」

「枯らせるもんなら枯らしてみろ……」

「え?」

「ごほん、えっと、私たちはスプーンです。地脈はとーっても大きな河です。だから枯れません。むしろもっともっと使わなきゃ、魔獣ドバドバーっ、です」

「魔獣と地脈に関係があるのですか?」

「あります。えっと──」

 

 ユノンは少女が生還してからというもの、学習速度と意欲が別人のように上昇した。上級魔法の入り口までしか学んでいなかったくせに、わずか数日で応用まで修得。大勢の生徒たちの前で声を張れるだけの度胸までいつの間にか身につけている。

 

 この急成長の訳を問われたユノンは、はっきりこう答えた。

 

「お姉ちゃんに立派なところを見せて、安心してもらいたいから」

 

 少女がユノンを抱きしめて嫌と言うほど頬ずりしたのは、言うに及ばずである。

 

 そして生還から半年ほど経ったある日。

 

 もっとも大きな変化を痛感させられる事件が、少女の身に降りかかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 その日は雨が降っていた。

 

 少女は薄暗い夕方の路地を、アトリエの方へ向かって歩いていた。私塾に顔を出してからの帰り道、少し遠回りする散歩気分だった。

 

 ちょっとした一人の散歩道を行くのは珍しいことではなかったが、この日はたまたま人気の少ない裏路地を選んだ。

 

 するとその経路選択を待っていたかのように、怪しげな人影が現れたのだ。

 

「あ、エボルレアの」

 

 路地の前後を塞ぐ形で一人ずつ、その後ろに周辺の警戒役が数人。見覚えのある怪しげな黒ずくめの格好は、サプーを追ってきたエボルレアの刺客のものだ。

 

 そういえば魔王が重要人物だと言っていた。と考えているうちに前後の黒ずくめがゆっくり距離を詰めてくるが、少女に危機感はなかった。

 

 彼女は魔法少女だ。変身さえすれば魔獣と魔法少女以外の相手にはほとんど無敵の力を発揮する。さらに慣れた少女の変身時間は瞬き一回分にも満たない。撃退するのは容易だ。

 

 今回は妹を狙われているわけではない。引っぱたくだけで済ませよう。

 

 少女はそう決めて悠々と変身を──

 

「けほっ、え、えっ?」

 

 試みて、失敗した。

 

 身体から力が抜け、倒れ込む。何かされた? 違う。

 

 息が苦しい。口の中が鉄臭い。せり上がってきた熱い塊が、濡れた路面を赤く染める。

 

 喀血だった。少女は変身もまともに出来ず、血を吐き出した。

 

 黒ずくめの二人は予定調和というように、倒れた少女を乱暴に引き立てる。残った片方の腕の鎖骨と肩甲骨に手を押し当て、体重をかけた。

 

「いっ、つ、ぅ……!?」

 

 少女の肩が外れた。隻腕を拘束するならこちらの方が早い、と判断したのだろう。

 

 身体に力が入らず、変身もできず、残された一本の腕さえ封じられた少女は、荷物のように黒ずくめに抱えられる。悲鳴を上げる間もなく口に布を噛まされ、上下に揺さぶられた。移動を始めたらしい。

 

 肩の痛みと脱力感と混乱で少女は前後不覚に陥る。

 

 だから聞き慣れた声が聞こえても、夢か現かとっさに判別できなかった。

 

「魔王の敷いた警備網をかいくぐる手腕は見事。ですがもう終わりですわ」

 

 雨で霞む視界の向こうに、サプーが突っ立っていた。

 

「飽きもせず内乱戦争侵略革命……さっさと滅びればいいものを」

 

 感情の抜け落ちた無表情でサプーが吐き捨てる。

 

 一方、黒ずくめの男たちは冷静的確に状況を分析していた。

 

 目標物の回収にあたり目撃者を出してはならない。万が一目撃された場合は迅速な抹消が望ましい。ただし相手が魔法少女であれば即撤退せよ。目前の相手は魔法少女ではない。

 

 高度に訓練された黒ずくめの男たちは言葉による意思疎通を必要としない。目配せと簡素な指の動きで認識を共有すると、目撃者抹殺のため動き出す。

 

 目標物を抱えたリーダー格の左右に一人ずつ残し、手空きの二人がサプーへ躍りかかる。魔法の国の魔法使いは、魔法の発動までに遅延がある。仕掛けるなら発動の暇を与えないこと、と彼らは心得ていた。

 

 二人のうち一人が手先をサプーへ向ける。手甲に仕込まれたバネ仕掛けが金属矢を射出。サプーの正中線を的確に捉えている。もう一人の手甲からは鋭い鉤爪が飛び出し、矢の射線に寄り添うようにしてサプーへ肉薄していく。

 

 並の魔法使いなら声を上げる間もなく絶命する連携。

 

 しかしサプーは身じろぎすらせず迎え撃った。

 

 サプーの足元の水が蛇のようにとぐろを巻き、水流の槍衾として射出される。同時に足元から水の幕が吹き上がり、金属矢を弾き飛ばす。発動までの遅延はないに等しい。

 

 男たちは身を捻り間一髪のところで水の槍を躱す。そのスキに追撃の水槍が追い縋り、男たちの四肢を狙う。

 

「くっ……!」

 

 二人の男は巧みに手甲を盾のように扱い、水の槍を受け止め、いなし、逸らす。隣国エボルレア最新鋭の特殊合金製暗器兼防具は、通常の魔法をものともしない。

 

 男たちは体勢を立て直しながら目撃者の脅威を上方修正。事前の情報にある魔法少女ではないにせよ、相当な手練だ。無視して目標物の回収を優先すべきか。

 

 と、逡巡している暇はなかった。

 

 降りしきる雨だれを切り裂き、真横に白い筋が閃く。その筋は男の手甲に直撃すると、特殊合金をあっさり貫いて骨肉を穿つ。

 

 その様子にぎょっとしたもう一人に向け、白い筋が傾く。二人の男の身体は、胸のあたりで両断された。

 

 白い筋の正体はただの放水だ。ただし固い岩盤や金属製の建築骨組みさえ断裁する超高水圧の激流である。最新の装甲といえど紙切れのように切り裂くことを可能とする。

 

「くそっ!」

 

 リーダー格の左右に控えた二人が、悪態をついて前へ出る。身体を盾にしてでもリーダー格を守り、目標物を祖国へ持ち帰る腹積もりだ。

 

 が、二人は真横から突如吹き込んできた炎のカーテンに、全身を巻かれた。大量の水蒸気がたちこめ、雨水の溜まる路面を燃える二人が転げ回る。

 

「メラメラ……メラメラ……」

 

 炎の飛んできた方向には、ユノンの小さな体躯があった。柔和な目元はまなじりが裂けんばかりに開かれ、残った黒ずくめの男を凝視している。

 

 最後の一人。すなわち少女を抱えた黒ずくめの男はいちかばちか、勇敢にも独力で踵を返し逃走を試みる。

 

 しかし彼の背後はすでに獣が塞いでいた。短刀のように長く鋭い爪と牙をむき出しにして、鱗で覆われた長いしっぽを不気味に揺らめかせ、真っ赤な捕食者の眼光を煌めかせている。

 

 男が次に動くよりも早く、獣が地面を蹴った。

 

 音もなく男とすれ違い、背後へ着地する。一拍遅れて赤い眼光が男の周囲に糸を引き、獣へ追従した。

 

 身じろぎもせず硬直していた男はやがて、細切れの肉と臓物の塊になって崩れ落ちた。獣性の魔法少女、クロアの爪は交錯する刹那に男の身体を怒りのままに切り裂いていた。

 

「姉さん!」

「お姉さま……!」

「お姉ちゃんっ!」

 

 変身を解除したクロアが耳を忙しなく動かしながら、放り出された姉を受け止める。

 

 助けられた当人は痛みで何も考える余裕がなく、心配げな妹たちの声を聞きながら意識を落としたのだった。

 

 

 

ーーー



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後半

 エボルレアが魔法の国の魔法少女を襲った。具体的な魔法少女名は伏せられたものの、魔王が裏で生け捕りにした刺客の自白が証拠となって、魔法の国はこの事件をきっかけにエボルレアに対し強気の外交を仕掛けられるようになった。

 

 というのは、少女にとって世界一どうでもいい情報だ。

 

 アトリエの自室ベッドに上体を起こした彼女は、しょんぼりと肩を落とす。

 

「変身できなくなったかー」

 

 今回の件で判明した大きな変化は、寿命が近いこと。それに伴い変身ができなくなったことだった。

 

 寿命とは魂と身体の生命力を合算したものである。少女は変身のみならず魔法を使うのに生命力と魔力の両方を地脈で増幅させているが、残り半年分となった生命力を魔法に回すと生命維持ができない。無理に使えば身体が壊れてしまう。つまりもう魔法は使えない。

 

 医者から説明されたこの事実を理解し、受け入れるのに数時間を要した。

 

「大丈夫、大丈夫。私は私だもん。魔法が使えなくなっても変わんない。あと半年楽しんで生きるぞ」

 

 寂しげな色はありつつも、少女の表情に陰りはない。かつての自信の根拠だった魔法少女の力を失ったとしても、今の少女にはかわいい妹たちがいる。なら他に何を失ったって痛くもかゆくもない。

 

 少女は自分に強くそう言い聞かせた。

 

 なお、その大切な妹たちが怒り狂った末魔王の元へ詰めかけ、やれ戦争だ絶滅だと気炎を上げているのは、姉の知らぬところである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 少女の趣味は私塾の冷やかしから食べ歩きに変化した。

 

 歓楽街には地脈エネルギーに恵まれた作物を利用した飲食店や屋台がひしめいている。最近は南の農業区で畜産も始まったらしく、豚や牛、鳥などの食材も豊富だ。賑わいを嗅ぎつけてやってきた行商人によって、希少ではあるが魚介類も流通しつつある。

 

 少女は予定の空いている妹たちを引き連れ、気ままにおいしいものを食べて回った。妹たちの都合が悪い場合は周囲の住人たちが気を利かせてくれるので、実際はほとんど四人で行動を共にした。

 

 およそ一月かけて様々な料理を制覇し、高級食材も口にした四人だが、なんだかんだもっとも気に入ったのは開墾初期に少女が作った芋の蒸かしたものだった。

 

 熱々の芋の皮をめくって、湯気のたつ果肉に塩とバターを乗せて食べる。簡単で素朴な味わいが姉妹の好みに合致した。

 

 クロアは熱いのに犬みたくがっついて食べるから、いつもやけどしそうになる。サプーは最初こそ上品に食べるけどいつの間にか鼻にバターをくっつけている。普通の食べ方順位ではユノンがダントツだった。

 

 そうしてどうでもいい発見をしながら安穏とした時間を過ごして、残り五ヶ月を切った頃、新しい変化が始まったのだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「姉さーん、今日はどこか食べに行く?」

「んー? いや……今日は食欲ないわ。パンでもかじっとくよ」

「そーお?」

 

 食べ歩きの趣味はぴたりと止んだ。

 

「お姉さま、お食事お持ちしましたわ」

「……」

「寝てますの? もう」

 

 寝ている時間が多くなった。

 

「う……ごめん、もうお腹いっぱい」

「お姉ちゃん、ほ、ほとんど食べてないよ?」

「ごめんね。ユノン、食べといて。成長期だもんね。横取りしないでよクロア」

「しないよう!」

「お姉さま……」

 

 食欲がなくなった。パンを一口かじるので精一杯だった。

 

 残り四ヶ月。

 

 少女は何をするでもなく日がなベッドに横たわり、うつろな目を天井に向けて過ごすことが多くなった。

 

 健康状態は良好だ。外された肩も喀血の症状もとっくに治っている。日に日にやせ細っているわけでもなく、血色が悪いわけでもない。ただ決定的に元気がない。

 

 その原因を医者はこのように診断した。

 

「生命力が足りていません。回復が消費に追いついてない。この量では身体の健康を保つので精一杯でしょう。食事はもう諦めるしかありません」

「そんな……!」

「私たちの生命力を譲渡することは可能ですの?」

「不可能です。ですがサクリファイス氏の理論を応用すれば、彼女の生命力を地脈エネルギーで増幅させることは可能です。あ、いえ、私にそんな高等技術はないんですが」

 

 ヘタレる医者を放って、サプーはすぐさま生命力の増幅を試した。思えば出会ったあの日、刺されたサプーを助けたのもこの理論だったのかもしれない。途方もなく大きな力の中に、魂を委ねるような感覚。

 

 まずは姉の手を取り、波長を合わせる。一心同体と呼べる集中状態を維持した上で、地脈エネルギーの大きな流れに接続。ほんの少量だけを汲み上げて、手のひらを通し流しこむ。弱々しい生命の灯火がかすかに火勢を増した。

 

 繊細な地脈操作により、弱すぎず強すぎない絶妙な加減を探るサプー。

 

 張り詰める空気の中、クロアとユノン、医者が固唾をのんで見守る。

 

 その苦労が実り、姉はうっすらと目をあけた。

 

「あー……三人そろって……泣きそうな顔しちゃって……」

「姉さん、姉さん……!」

「ごめんな……姉なのに……悲しい顔、させてばっかりで……」

「そんなことありませんわ! お姉さまがいたからわたくしたちはっ……」

 

 サプーは声を詰まらせた。姉は再び目を閉じ、安らかな寝息を立てている。

 

 医者は顔を逸らして目元にハンカチを当てながら、

 

「増幅した分が切れたのでしょう。ご本人の負担を考えるなら、乱用は避けなければなりません」

 

 と、救いようのない事実を述べたのだった。

 

 三姉妹を含む周囲の者たちはこの日を境に、ようやく理解しはじめた。代償魔法によって少女の余命が一年しかないことは聞いていたが、普段通りに振る舞う少女の様子もあって、現実として受け止めきれていなかったのだ。本当は何かの勘違いで、たとえ一年が過ぎてもちゃっかり元気に笑っているのでは。その楽観は昏睡した彼女の姿によって砕かれた。

 

「ねえお医者さん、どうにかできないの?」

 

 魔法の国の優秀な医者たちは決まって首を横へ振った。身体も魂も健康そのもの、ただ生存に必要な生命力だけが欠乏して、しかも絶対量を増やす手段はない。どの医者もそのような説明をするだけだった。

 

「ホープフルさん、貴女の固有魔法でどうにかなりませんこと?」

 

 次に姉妹が頼ったのは、最強の魔法少女ホープフルの『希望』だ。この魔法は人々が漠然と未来を展望する集合意識、ないしあらゆる事象が宿す未来へつながる可能性など、希望と呼ばれうる概念を操作できる。昏睡した少女にあるはずの『希望』を大きくすれば、寿命を伸ばせるのではないか。

 

 少女の胸に数分間手を置いていたホープフルは、しかし力なく首を振った。

 

「……ダメ。サクちゃんには希望が残ってない。ほんのわずかな可能性さえ空っぽになってる。絶望とさえ呼べない、ただ……終わってる」

 

 魔法少女は魔法の国において最上位の存在だ。特に固有魔法は通常の魔法ではなしえない奇跡を実現できる。ホープフルの『希望』はまさにその代表例だった。わずかな希望から失ったものを取り戻すことも出来るはずだった。

 

 だが格上の固有魔法である『代償』で捧げられたものだけは、力の及ぶところではない。『代償』が支配する残された寿命についても、『希望』では手が出せない。

 

 少女は遠からず死んでしまう。確定した未来と閉ざされた可能性を前に、三姉妹のできることは何もない。絶望のどん底まで落ち込んで、三姉妹は目覚めない姉の身体にすがりついていた。

 

「行こう、ホープフル」

 

 ヘイトレッドが促して、二人は姉妹の愁嘆場から抜け出す。

 

 悄然と歩く帰り道。ホープフルがぐすぐす鼻をすする中、ヘイトレッドは出し抜けに言った。

 

「実は一つだけあったんだ。あいつが助かる方法。だが言わなかった」

「……えっ」

「あいつと初めて会ったとき、魔法が発動してる気配はあるのに何も起こらなかっただろう? 気になって調べてみたんだ。魔導館にも行った」

 

 あの日、少女が目の前で寿命を捧げても何も出来なかったことにヘイトレッドは違和感を覚えた。代償の固有魔法がなぜ機能しないのか。捧げたものと等価の奇跡を実現させるのではないのか。

 

 調べた結果分かったのは、代償の価値は行使者当人の主観に基づくこと。心の底から失いたくないと願うものでなければ、奇跡の代償たりえない。

 

「自分の命を何とも思っていなかったあいつが、命を使ってこの国を救った。どれだけ命が惜しくなったのやら」

「ヘイちゃん……」

「ああ、助かる方法だな。あいつが命より大切に思うものを捧げればいい」

 

 寿命よりも価値があると少女の主観で判断している何か。それを代償にすれば失った命さえ取り戻せる。捧げるものの価値に応じどんな奇跡でも起こすことができるのが、最強の固有魔法『代償』の特性だ。

 

 ではこの場合何を代償にするのか。少女が救済した国か、そこに住まう人々か。違う、と首を振るヘイトレッド。

 

「妹だ。あの三姉妹、いや誰か一人でも代償にすれば十分だろうな」

「そんなの……!」

「あり得ないだろう? だから言わなかった」

 

 仮にクロアたちが代償になることを望んだとしても、代償の発動には少女が自分の意思で奇跡を願い、妹を生きたまま逆さの蝋燭に焚べなければならない。

 

「あいつにも伝えてない。魔法少女ヘイトレッドとしては、伝えるべきだったかもしれない」

「……ううん、きっとそれでよかったんだよ」

「そうかな」

「そうだよ」

 

 もし変身ができなくなるより前に、その方法を少女に伝えていれば。おそらく少女はたとえ可能性の段階でも、妹を生きたまま焼き殺す提案をしたヘイトレッドに激怒しただろう。

 

 ヘイトレッドは性格が悪い。だからこそ最悪の救済に思い至った。誰かを傷つけたり怒らせることに慣れきっている。それでも少女に伝えようとは思えなかった。

 

 普段より小さく見える彼女の肩を、ホープフルは黙って抱いた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 現実を知って以来、三姉妹は姉の自室へ頻繁に集まるようになった。

 

 寝たきりの姉の世話をしながら、その日のたわいもない日常を報告して、寂しさを埋め合わせるように三人で身を寄せ合う。朝起きるとなんでもない様子で姉が起き上がり「おはよー」と言ってくれる、そんなおそろいの夢を見ながら。

 

 残り三ヶ月。迫る別れのときに一人で耐えることは、クロアもサプーもユノンも不可能だった。誰からともなく泣き出して、姉を呼びながら肩を抱き合う一幕が日常と化した。どうしようもなく寂しかった。

 

 そんなある日、クロアは唐突に言った。

 

「お願いサプー! 姉さんと少しだけ話をさせて!」

「……クロアさん。お話をしたいのはわたくしもユノンさんも同じですのよ」

「うん、分かってる……だけどどうしても、姉さんに謝らなきゃいけないことがあるの」

 

 サプーはクロアとしばしの睨み合いの末ため息をついて、「少しだけですわよ」と眠る姉の手を取った。生命力の増幅自体はクロアでも可能だが、話をするには他の誰かに増幅を維持してもらう必要がある。硬い声でありがとう、と礼を言うクロア。

 

 一月前と同じ手順で、姉の生命力が一時的に増す。それに応じてうっすらと目が開き、クロアと視線が合う。

 

 そのとたん、クロアはすさまじいことを言ってのけた。

 

「姉さんごめんなさい! 姉さんの腕切り落として、本当にごめんなさい!」

「え」

 

 ユノンがぽかん、と口を開ける。集中状態のサプーの眉が動いた。

 

 姉もまた、唐突な告白に目を見開く。

 

「自分の爪痕のことはよく知ってる。お風呂で姉さんに私の爪痕がついてるのを見て、もしかしてって思った。私が暴走して姉さんを引っかいて、腕を切ったんでしょ。日記で塗りつぶされてたのってそのことなんでしょ」

「……」

「ごめんなさい。姉さんのこと助けたいのに、足を引っ張ってばっかり……ずっとずっと謝りたかった、でも勇気が出なくて、それで」

「クロアはえらいな」

 

 姉の肉声が響いた。ここまではっきりした声音を最後に聞いたのはいつだろう。

 

 姉は今にも弾けて消えてしまいそうな、儚い笑顔を浮かべている。

 

「勇気、出たじゃないか。怖かったろ、そんなこと言い出すの」

「ううん、違う、私じゃない……ツインテのやつに、謝るなら早くしろって……」

「ああ、仲良くできてるんだ、よかった。あいつが暴走したの根に持ってたくせに、クロアまで暴走すんだもんね……まいったまいった」

「……っ」

「でも腕は関係ないよ」

「え」

 

 クロアは息を呑んだ。

 

「これは魔獣に切られたんだ。クロアに引っかかれたのは、確かにそうだけど……アホめ、お前の引っかき攻撃なんて慣れてるわ今更効くわけないだろ」

「あ……ほ、って。ふ、ふふっ」

「初めて会ったときも引っかいてきたよな……泣くまで尻叩いて黙らせて……お前に出会ってから、全部始まったんだっけ……」

「ぷはっ」

 

 サプーが水面から顔を出したように呼吸を荒げる。集中が切れたのだろう。額に玉の汗が浮いている。

 

 生命力が元の量に戻り、姉の瞳はゆっくりと閉じられる。平生通りの静かな寝息が聞こえてきた。

 

「限界超えましたわぁ」

「ごめんサプー、ありがとう」

「お礼はいりませんわ。代わりに貸し百くらいで手を打ちましょう」

「いちおく」

「え?」

 

 舌足らずな声はユノンのものだった。

 

 やけに無口だったのはかなり我慢していたらしい。これでもかと頬を膨らませて最大級の不満を表明している。

 

「私はクロアに貸し一億。お話したかった。ずるい」

「ぷっ、はは、何その頭悪い数字っ」

「笑うな!」

「分かった分かった悪かった! 貸し一億ね、一生かかってでも返すよきっと」

「わたくしももっとふっかけるべきだったかしら」

 

 その日の三姉妹はいつもより少しだけ、明るい気持ちで眠りについた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 時間はとても残酷に過ぎていった。

 

 残り二ヶ月。

 

 生存を暗黙のうちに知っていた職人たち、商工会の男たち、私塾初期の元教え子たちが毎日のようにやってきて、一方的に思い出を語り去って行った。この中に紛れ込んだ魔王はただの恰幅のいい商人の類にしか見えなかった、と三姉妹は口を揃えた。

 

 残り一ヶ月。

 

 ホープフルとヘイトレッドがやってきた。

 

「ねえサクちゃん。最近魔法少女になる子が増えてきてるんだ。魔力の少ない子でも、魔法を極められるようになったから。あの予報するやり方もすごく助かってる。きっと今なら、あの山みたいな魔獣が出ても平気だよ。うん……だから、だからね……」

「……貴様が守りたいものは、私が守ってやる。安心して休め」

 

 ヘイトレッドが泣きじゃくるホープフルの肩を抱いて、出ていった。簡潔な別れのあいさつだった。

 

 入れ替わり立ち代わりやってくる客人たちを迎え、思いのほかあっさりやってきた最後の一日。

 

 きっかり一年とはいかないようだった。予定より数日早いその日、姉の呼吸は見るからに周期を長くして、顔色が少しずつ悪くなっていった。終わりがきた、とすぐに分かった。

 

 誰の邪魔も入らない姉妹四人の空間で、姉は燃え尽きる直前の強い光を発する。

 

 病床の身体が比喩ではない強烈な光に包まれ、それが収まったときには魔法少女サクリファイスの衣装に変わっていた。死灰のドレスに命の灯火。上下逆さまの赤い蝋燭は小指の先程しか残っておらず、揺らめく火がただ宙に浮かんでいるようだ。死に際の生命力と魔力を振り絞った生涯最期の変身である。

 

 増幅された活力に支えられてかすかに目を開けると、唐突な変身にうろたえる妹たちを認めた。

 

 どうせ死ぬならかわいい妹たちに気の利いたことでも言い残しておきたい。とはいえ朦朧とする意識の中で捻りのきいた遺言など思いつくはずもなく、少女は直感のまま口を動かすほかなかった。

 

「ユノン。あなたは大きくなった。すごく立派。えらい。すごい。もう誰にも、私にも見下せない。元気でね」

「やだ!」

 

 泣きながらぶんぶん首を振るユノン。

 

 少女は苦笑いをこぼしてもう一人に視線を移す。

 

「サプー。私に構われなくっても泣かないで。めんどくさいあなたのことが、皆好きだから」

「嫌です泣きます!」

 

 少女の身体に縋りつき駄々をこねるようにサプーが首を振るので、少女はおかしくなった。しかし「少しは気を遣ってよワガママに育っちゃって」と文句を言う余力は残されていない。

 

 最初の妹、クロアに目を向ける。クロアは涙を目にいっぱいためて唇を噛み締めていた。

 

「クロア、耳貸して」

「え、う、うん」

 

 困惑したクロアが少女の口元に耳を寄せる。人と獣のどちらの耳に話すべきかと少女は戸惑うものの、迷っている時間はない。どちらへともなく掠れた囁き声を発する。

 

「とっておきの秘密。日記にも書いてない。これ聞いて元気出してよ、ね?」

「ひ、秘密?」

「うん──実はこの一年をくれたのは、あなたなんだよ、クロア」

 

 少女がとぎれとぎれに語ったのは、救済の真実だった。

 

「実はあの破局のときね、誰か止めに来てくれないかと期待してた。そしたらクロアが来てくれたじゃない? すごく、すっごくうれしくて──もっと生きたい、死にたくないって思った。分かる? 代償の価値が上がったんだ」

 

 命と身体のすべてを捧げて妹たちを救うつもりだった少女が、なぜたったの寿命四十六年分で救済を実現できたのか。その理由は代償レートの急変だった。

 

 代償の固有魔法は捧げるものと等価の奇跡を叶える。少女はあのとき妹に呼び止められたことで命を捨てる覚悟が揺らぎ、結果として代償たる寿命の価値を急激に高騰させた。だからこそ最期の一年を過ごすことができた。

 

「おかげでこの一年、信じられないくらい楽しかった。クロアは昔から私の役に立とう立とうって張り切ってくれたよね。私を助けたいってあのとき言ってたけど──その通り助けられたよ。ありがとう」

「そんな、そんな……!?」

 

 少女の意図に反し、クロアが元気に笑顔を浮かべることはなかった。それどころかこらえていた涙が一気に溢れ出し膝を折って泣き崩れる。

 

 救国を成し得るほど命が惜しくなった姉を結局は救えなかった。クロアはひたすら無力で惨めな思いにとらわれていた。

 

 そのときにはもう、少女の目から光が消えている。見える、聞こえる感覚が徐々に薄れていき、四肢の末端から熱と力が失われていく。口を動かす力すらもう残っていない。

 

 走馬灯が頭をよぎる。けっして華やかでまっとうな人生ではなかった。性格最低のクズ魔法少女が最底辺の肥溜めに飛び込み好き勝手にやっていただけだった。それでもクズはクズなりに輝くことができた。

 

 自賛を最後に意識が無くなる。

 

 魔法少女サクリファイスは精一杯に輝いて、十七年の人生に幕を閉じた。

 

 最期の火が、消えた。



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