1LDKの女王モルガン (粗茶Returnees)
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1話目 モルガンと料理

 

 週末をどう過ごすか。どこかの部に入っている人なら、部活動に励んでいるだろう。友人とどこかに遊びに行ったり、ゲーム三昧だったり。各々が自由に、何割かは自堕落に過ごすことだろう。

 

「ヤマト、この玉ねぎというものはどこまで剥けばよいのですか?」

 

「茶色のとこだけでいいけど?」

 

「? 皮を剥くと言ったではないですか」

 

「説明が悪かったです。はい」

 

 ヤマトと呼ばれた少年は、にんにくサイズにまで皮を剥かれ続けた玉ねぎを見て唸る。まな板の上には、乱雑に剥かれ続けた他の皮たち。茶色の部分を捨てて、その他の残骸を集めれば、どうにかなりそうだ。どうせこの後小さく切ることになる。

 下手に玉ねぎを所々潰しているせいか、女性の目には涙が溜まっている。本人は「何事もありませんが?」とシラを切りたいようなので、少年も指摘しない。

 茶色の皮を集めたらそれを捨てる。残った部分を、重ねられるところは重ねて、その塊を何個か用意。これから作るハンバーグの中にねじ込む予定だ。

 

「これを細かく切っていって」

 

「わかりました」

 

「……なんで包丁を掲げてるんですかね?」

 

「斬るのですよね?」

 

「そうだけども! まな板すら切りそうな勢いだよね!」

 

「この板は斬れないようになっているのでは?」

 

「耐久性があるだけ! てか包丁が先に折れそうだな!」

 

 女性が1回その高さから振り下ろした。叩きつけるように。薪割りぐらいの勢いで。

 

──バキッ!

 

「あ」

 

 振り下ろしたはずの包丁が宙を舞っている。綺麗な縦回転。10回転ほどしてからその切っ先は床に突き刺さる。そのすぐ横では、包丁が折れたことにショックを受けた少年が膝から崩れ落ちていた。

 

「……脆い」

 

「脆いじゃねぇわ! 使い方ってものがあるの!!」

 

 飛びつく勢いで起き上がった少年が、女性の顔や手をペタペタ触って確認。人形のように、身動ぎせず女性は疑問を口にする。

 

「どうされたのですか?」

 

「いや……包丁の破片とかでどこか怪我してないかなって。ガラスもだけど、金属の欠片って危ないし」

 

「そうでしたか。ご安心をヤマト。防げますから」

 

「普通料理にそれ用の魔術は使わないんだけどな?」

 

 「当たり前ですよ」みたいにくすりと笑う女性に呆れて、少年はため息混じりにツッコんだ。そのため息には、安堵の意味も篭っていることを女性は察している。

 

「掃除するから、ちょっとここで動かずに立っといて。いいか、一歩も動くなよ」

 

「それは振りというやつですか?」

 

「ガチの心配です!」

 

「ふふっ。大げさですねヤマト」

 

 裏のない言葉。心からの心配。それがひどく胸に染み込んで、女性は言われた通り動かずに少年を見つめた。まずは大部分を拾ってそれを何重もの紙で包み、袋の中へ。それを玄関に持っていったら、掃除機を持ってきて、あるかも分からない破片の掃除。最後に、フローリングの隙間に破片がないか目視でチェックし、それっぽいものがあれば小さな箒で取り除く。

 

「これでよしと」

 

「魔術を使えばその手間はいらなかったのでは?」

 

「魔術は極力使わないって話をしたろ?」

 

「この程度なら問題ないと思いますが」

 

「いいんだよ。使わずに済むのなら使わない。それより買い物にいかないとな。包丁がないと料理ができない」

 

 ジーッと女性と視線が重なり合い、数秒後にぷいと逸らされた。自覚はちゃんとあるようだ。

 作りかけの料理は、大皿やボールに入れておいてラップで包んでおく。火元の確認も済んだら、マイバッグと財布を用意。財布の中身を確認し、お金を下ろす必要があることを確認。

 出かける準備を済ませると、視線を感じてそちらを向いた。

 

「私も同行しましょう」

 

「…………服装をどうにかしてくれ」

 

「どこに問題が?」

 

「全部かな!」

 

 付けていたエプロンを外した彼女は、胸元だけでなくお腹まで露出している。ドレスのような衣装ではあるのだが、脚を隠す布地にはスリットが入っているどころではない。際どいというかほぼアウトではなかろうか。動作次第では……というやつだ。

 それは彼女にとても似合っている。その美貌を、美しさを際立たせている。だが、現代日本でその格好は大変目立つ。コスプレもいいところだ。確定で注目を集めることになるし、少年としてはそんな注目を浴びたくない。

 よって、彼女には留守番を頼むことになる。

 

「つまらないです」

 

「そうは言うけども……。いや、服を買えば解決なんだけどさ」

 

「ではついでに買ってきてください」

 

 少年は言葉を詰まらせた。言いそうだと思っていたし、自分でもそれは考えた。しかし問題がある。大問題がある。

 

──年頃の少年が女性用の服を1人で買う

 

 この絵面が少年にとって大変厳しい。女装癖があるだなんて思われたくないし、そうならなくても「変態だこいつ」と思われる。そんなことがあった日には、もう外を出歩けない。

 しかもだ。服を買うとなると、下着も必要となってくる。服以上のハードルの高さだ。年頃の少年にそれは過酷が過ぎるというもの。

 そんなこんなで、服を買ってくるという選択肢が取れない。なんとか理由をつけて、やんわりと断りたい。はっきり言うなんて、照れと恥ずかしさと諸々で無理だ。

 

「サイズとか……」

 

「採寸すれば問題ないでしょう?」

 

 絞り出した答えが速攻で潰された。彼女はなんとも思っていないようで、「どんとこい」みたいな顔をしている。両手を広げ、寸法される準備は万全だ。

 これはこれで少年にとってハードルが高い。鋼の心を持つと自負しているものの、彼女のスタイルは抜群だ。出るとこは出て、引き締まるところは引き締まっている。

 ありていに言えば、巨乳である。ボインである。その魅力と破壊力を理解してほしいと思いつつ、少年はそれをなんとか断った。

 

「メジャーがない。ひとまず、服は通販でどうにかしよう。1式を一通り揃えられたら、それで出かけられるようになるし」

 

「……いいでしょう。その提案を許可します」

 

「ありがたや~」

 

 少年は気づいていない。通販のやり方を教えることになることを。それはつまり、一緒に彼女の服を選ぶだけでなく、下着まで選ぶことになるということも。それに直面して赤面するのは、数時間後の話だ。

 

 

 ひとまず説得が終わり、少年は包丁を新調しに外出。それだけを買うのも味気ないなと思って、帰りにはコンビニによってデザートを購入。留守番をさせることのお詫びだ。そもそも、外出の原因を作ったのは相手方なのだが。

 

「ただいま~」

 

「おかえりなさいヤマト。てれびが壊れたのですが」

 

「ちょっと何言ってるのか分かりたくないな」

 

「ヤマトに教わったとおり、このりもこんの赤いボタンを押しました。これでてれびが点くのですよね?」

 

「そうなんだけど……。誰が陥没させるまで押せと?」

 

「押し込まないのですか?」

 

 間違ってはいない。押し込むと言えなくはないのだから。しかしそれは、力をこれでもかと篭める程じゃない。ましてや、赤いボタンに触れられないような陥没のさせ方は論外である。

 少年は頭を抱え、どう説明するか悩んだ。一度やり方を見せてはいたが、それだけでは駄目だったらしい。改めて説明するとして、それはリモコンを買ってからにしよう。

 

「新調したらまた教えるよ。とりあえず、リモコンがイカれたくらいなら問題ない。テレビ本体で点けたらいいだけだし」

 

「その手もあるのですね」

 

「……怖いからやるなよ。それはおれだけがやるから」

 

 やらかしたばかりだ。これには彼女も頷くしかない。

 気を取り直して、少年は新調した包丁を持って台所へ。彼女もエプロンを着けてその隣に並んだ。最後までやり切るために。

 

「包丁の使い方を教えます」

 

「威力は加減しますが?」

 

「威力って時点でアウトだ! ったく」

 

 少年は彼女に包丁を握らせ、後ろから手を重ねた。また折られたら今度は心も折れちゃうから。

 

「包丁は軽い力でも食材を切れるようになってるんだ。左手は猫の手にして」

 

「ねこ? ねこ、ですか?」

 

「…………もしかして」

 

「どういう生命なのですか? ねこというものは」

 

「……はい。それは後で見せてやるから。手を軽く丸めてくれ」

 

 どの程度かは、少年が実践して見せる。彼女もそれを真似て手を丸め、これでいいのかと振り返りながら聞いた。身長差はほとんどなく、振り返れば自然と目が合う。彼の視界に映るように、丸めた手を頬の横辺りでくいくいと動かす。

 

「これでいいのですか?」

 

「う、うん」

 

「? どうかされましたか?」

 

「なんでもないです」

 

 きょとんと純粋な表情をして、猫の手を作った彼女が可愛らしく見えた。美しいという言葉が似合う女性なのに、あどけなさを感じさせるそれはポイントが高い。

 

「それができたら、食材をこの手で抑える」

 

「こうですか?」

 

「そうそう。それで、包丁の腹を指に当てて安定させて、そのまま引きながら腕を下ろす」

 

「! 本当に簡単に切れるのですね」

 

「だろ? これぐらいの力でいいんだよ。それで、切るときの厚さも抑える手で調節していくんだ。今回は、今切った厚さにしていってくれ」

 

「わかりました。ありがとうございますヤマト」

 

「どういたしまして」

 

 やり方を教えたら、少年も少年で調理を再開。1人でやらせても本当に大丈夫なのか。その不安はまだあるから、チラチラと横目に様子を見守る。

 

「……綺麗に切るんだな。全部同じ厚さにできてるし」

 

「これぐらい当然では?」

 

「いやいや。器用だよこれは」

 

「そうですか」

 

 自分にとっては当然のこと。それを褒められてもあまり響かないが、多少なりとも嬉しさを感じなくはない。

 それよりも彼女の印象に残っているのは、先程まで感じていた少年の温度。背中越しに感じていた、リズムの早い彼の鼓動。鋼の心(笑)を持っていようとも、年頃の反応は示してしまうのだ。

 そのことに彼女は静かに微笑んだ。愛らしい少年だと。

 

 それが魔術師である少年こと京坂大和と、ひょんなことから住み着くことになったモルガン・ル・フェの同棲生活の一幕である。

 

 



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2話目 モルガンと学校

 

 週が明ければ当然平日。平日とは、ほぼすべての人間が出勤だったり通学したりする日だ。当然ながら、大和も例外ではない。今年の春から高校生になった少年は、制服の袖に腕を通して着替えを済ませた。彼の通う学校は学ランタイプ。冬服には、黒ではなく茶色の制服が採用されている。

 

「ヤマトの正装ですか」

 

「正装というか制服だけど……、制服も一応正装になるんだっけ。あれ? どうだっけ?」

 

 冠婚葬祭儀式等。制服での参列が可能なことを考えると、正装の1つではある。

 

「どちらへ?」

 

「学校。……話してなかったな」

 

「学校ですか。知識としては与えられています。同年代の者たちを箱庭に集め、つまらぬものを詰め込む場でしたね」

 

「聖杯ってもしかして学校嫌いなのか?」

 

「アレに好き嫌いなどないでしょう」

 

「それもそうか。え、じゃあ偏見で語った?」

 

「分析した結果ですよ。詰め込むだけで賢くなったと錯覚する。無駄に時間を浪費しているに過ぎません」

 

「授業の受け方次第で改善されたりは?」

 

「無駄から非効率的にランクアップします」

 

「そっかー」

 

 暗記するだけして、それを社会で使うのかと言われたら首を傾げるものばかり。人生にとっての通過点に向けてのピンポイントの勉強。なるほど、たしかにそれはモルガンに酷評もされよう。為政者の1人として、その辺りの考え方があるから。

 

「とりあえず、生徒である以上学校には行くよ。入学してから半年だし、3年通ってちゃんと卒業したいし」

 

「何時に帰ってきますか?」

 

「部活はやってないから、授業終わってなんやかんやで……16時くらい?」

 

「駄目です」

 

「なにが!?」

 

「私の昼食をどうするつもりですか!」

 

「たしかに!」

 

 料理初心者のモルガンに、自分で昼食を作れなど不可能な要求だ。無理難題だ。たとえインスタントだろうと、機械が相手というだけでポンコツさを見せるモルガンには、難しいことのはずだ。……魔術さえ絡めば、機械だろうと解析できると豪語しているが、大和はその話をそこまで信じてない。

 昼食を抜くのは大問題だ。通販で買った服も届いていない以上、モルガンは外出もできない。今日も一日この家で過ごすことになる。テレビのリモコンも昨日壊した。

 退屈という地獄の耐久。それをするなら、昼食という気分転換の価値は大きい。

 

「今から準備したら学校に遅刻するし……、出前か? いやでも服装問題がな」

 

「ヤマトの服では胸が苦しいですからね」

 

「うん。……え? 試したことないよな?」

 

「あなたが眠っている間に。現代ではカレシャツという文化があるのでしょう?」

 

「ん゛っ!! ああ、あるけども……!」

 

「なぜ動揺しているのですか?」

 

「なんでもないです!」

 

 おそらくモルガンは意味を分かっていない。思春期少年にそれを説明する気力もなく、熱くなった顔をパタパタと手で扇いだ。

 

「ふぅーー。で、その服どうしたの?」

 

「今あなたが着てます」

 

「ふにゃっ!?」

 

 まさかの制服のシャツでのチャレンジだった。たしかにボタンがあることを考えれば、こちらの方が試しやすいだろう。なぜかボタンが外れている箇所があったのも、これで原因判明である。

 しかし今はそれどころではない。再度動揺した大和に、モルガンが詰め寄っているから。

 

「ヤマト今の良かったのでもう一回」

 

「何言ってるの!?」

 

「私にもくるものがありましたから。もう一度お願いしたいのです」

 

「理由を聞いてるんじゃなくて!」

 

 おもちゃを見つけた子供のように、純粋な目でお願いしてくるモルガンを、大和は遅刻しちゃうからという理由の一点張りで強引に突破。逃げるように家を飛び出すのだった。

 

「……霊体化すればついていけますね」

 

 閃いてしまった。

 

 

 

 

 京坂大和が住まうのは、日本の地方都市の1つである冬木市。10年前には原因不明の大規模火災が発生し、数百人の死者を出した土地だ。今ではそれが冬木大災害と呼ばれ、その復興を遂げて今では活気づいている。

 大和が通う学校は、その冬木市にある穂群原学園。そこの1年生である。なお家から学校までの所要時間は徒歩5分である。

 

「ギリギリセーフ! っと、おはよう間桐」

 

「おはよう京坂くん。廊下と教室は走っちゃだめだよ」

 

「歩いてたら遅刻したよ」

 

「早めに来ないから。でも珍しいね。いつもは余裕を持って登校してくるのに」

 

「朝からドタバタしてたもので」

 

 話しながら鞄の中にある荷物を引き出しの中へ。そうこうしていると、朝のHRの時間を告げるチャイムが鳴った。担任の先生はまだ来ない。毎週月曜日は数分遅れて来るのだ。

 それを踏まえると、教室まで歩いてきてもよかったのかもしれない。京坂は一時的に上着を脱ぎ、下敷きを団扇代わりに使う。

 

「ほぇー。窓開けてもいいかな?」

 

「クラスのみんなは寒いと思うよ?」

 

「だよな」

 

 今は冬である。教室に暖房があるわけでもない。室温自体も少し低めだ。これなら上がっている体温も、1限目までには戻ることだろう。

 横から新たに感じる風。左は窓で、そちらは閉めている。風は右からで、そちらは人工的なもの。生み出しているのはその席に座っている生徒。先程から会話している間桐桜が、こちらも下敷きを使って扇いでくれている。

 

「先生が来るまでね」

 

「いや助かるよ。ありがとう」

 

 何人かから羨ましそうな視線と哀れみの視線が送られてくるが、それらはすべて無視である。

 間桐桜は、この学園の中でも指折りの人気を誇る少女だ。顔がよく穏やかな性格。これだけでも男子から人気が出るというのに、制服の上からでも分かる豊かな胸。夏服の期間にどれだけの男子から視線を集めたことか。

 学年単位では「間桐桜と同じクラス」という点で羨ましがられ、クラス単位では「間桐桜の近くの席」という点で羨ましがられる。今月の席替えで大和は彼女の隣になったので、男子からブーイングが送られた。

 

 ではでは、「人気がある=モテる」なのかというとそうでもない。なにせ、1つ上の学年にいる「穂群原のブラウニー」先輩が、間桐とほぼ毎朝登校しているからだ。さらには、彼女が通い妻らしき行動をしていることも判明している。

 「これもう付き合ってんだろ」と周囲が判断するのは当然のことだ。つまり、哀れみの視線を送る者は、ブラウニー先輩と間桐桜が付き合っている派。羨望の視線を送る者は、まだ付き合っていないと信じている派なのだ。

 

(まだ付き合ってないとしたら、外堀から埋めてんだよな間桐)

 

 あのお人好しが服を着て歩いているような先輩のことだ。ここからの詰め方次第ではくっつくだろう。

 

「(最後列の窓際。これが主人公ポジというものですか)」

 

「!?」

 

 脳内に直接響く声に大和は戦慄した。滝のように冷や汗が流れ始め、「扇ぐのが弱かったかな」と勘違いした間桐が必死に下敷きを扇ぎだした。そこまでされると寒いと言うか悩むと、担任教諭が登場。間桐も扇ぐのを止めて、前方へと向き直る。大和も上着たる学ランを着た。

 

「(もしかしてすぐ側にいる?)」

 

「(はい。霊体化しているので誰にも気づかれませんよ)」

 

「(安心したけどそうじゃない……!)」

 

 この場で現界でもされようものなら、大騒ぎになる。同行されていると思うと、大和の心中は穏やかではないが。主に緊張で。

 

「(家の戸締まりはしてる?)」

 

「(鍵は開いてますが、結界は張ってあります。賊が忍び込もうものなら炎上しますよ)」

 

「(アパートまで焼けるよな!?)」

 

 自身の部屋は結界で守られても、他の部屋がそうじゃない。大和はそのセキュリティを取り下げてもらい、もっと穏やかなものへと変えてもらう。

 あとは、こちらでの心配ぐらいか。

 

「(現界はしないでくれよ)」

 

「(仕方ありませんね。……人目がないところなら)」

 

 そのチャンスがあるとすれば昼休みだろうか。だが今日は弁当を用意していない。ひとり暮らしが突然ふたり暮らしになったのだから、冷蔵庫の中身がほぼなくなっているのだ。お昼を学食で済ませて、帰りに買い出しに行くつもりである。

 

(持ち帰り形式にして屋上に行けばいいか)

 

 あそこは人の立ち入りが禁止されている。鍵も職員室で保管されていて、その使用許可が下りることは滅多にない。卒業写真を撮るときに許されるくらいだ。

 だが魔術を使ってピッキングしてしまえばどうということもない。屋上に入れるし、帰るときも閉め忘れなければ無問題。あとは行きと帰りの人目を注意するだけ。

 

(あぁあとは、放課後に先輩に相談に行っとかないとな)

 

 担任の話を聞き流しながら、チラリと横を見る。姿勢正しく、真面目に聞いている姿は優等生のそれ。

 彼女に相談ができれば最適だったのだろうが、生憎とそれをするわけにもいかない。モルガンの説明をいったいどうしたらいいのか分からないし、変な奴だと思われるのも面白くないから。

 

 

 

 

 

「待たせちまって悪いな。一成に今朝頼まれてたやつだから先に修理しときたくて」

 

「いえいえ、急にお願いしたのはこちらなので」

 

「それで、俺にどんな相談なんだ?」

 

 そんなこんなで放課後。

 大和は生徒会室へと足を運び、「穂群原のブラウニー」こと衛宮士郎に会っていた。彼は頼まれれば断らないお人好し。家事やら家電の修理やら、便利なスキルも多い人物だ。元は弓道部に所属していたが、とある事情とその流れから退部している。

 

「ブラウニー先輩って間桐と仲良しじゃないですか」

 

「俺の名前のどこにブラウニーがあるのさ……」

 

「衛宮・ブラウニー・士郎でしょ?」

 

「ミドルネームを持ったことはないぞ」

 

「京坂。人の名前で遊ぶのは感心せんな」

 

「ああいや。別に本気で嫌ってわけじゃないんだ一成。いつもこんな感じだから」

 

「衛宮がそう言うのであればいいが……」

 

 衛宮士郎がこの部屋にいる時、基本的にセットでいるのがこの学園の生徒会長、柳洞一成である。衛宮の料理によって胃袋を掴まれた人物であり、嘘か本当か「衛宮の味噌汁なら毎日飲みたい」と言ったという噂がある。一部の女子の手により薄い本が作られた。

 

「話が逸れちまったな。俺と桜はまぁ、たしかに仲良くさせてもらってるな。妹がいたらこんな感じかなって時々思うよ」

 

間桐も大変だな

 

「桜がどうしたって?」

 

「ああいえ。……衛宮先輩って間桐と買い物とか行きます?」

 

「食材の買い出しなら手伝ってもらうことが多いな」

 

「服とかは?」

 

「服? いや、それはないけど。女性の服がどうした」

 

「はっ! まさか京坂はそちらの道に!?」

 

「そこに行くのは柳洞先輩じゃないですかね」

 

「スカートはたしかに脚周りがスースーするな。冬は寒そうだ」

 

 眼鏡をクイッと上げながら言い放った。

 

「「え……?」」

 

「冗談だ」

 

 衛宮と大和が席を立って後ずさる。

 

「冗談だと言ったろう。待て距離を取るな私が悪かった!」

 

 軽い絶望に落とされたかのような顔をされては、衛宮もそれ以上下がれない。冗談が分かりにくいぞと文句を言いながら、彼は椅子に座り直した。柳洞からさらに1席開けて。

 

「京坂も座れよ。何かあれば俺が時間稼いでやるから」

 

「待て衛宮。さてはまだ疑っているな?」

 

「ははは。何を言ってるんだ一成」

 

「柳洞先輩はインテリな見た目しといて運動神経悪くないですからね。すぐ逃げられるようにしときます」

 

「(その時は私が彼を眠らせます)」

 

 大和は静かに椅子に座り直した。柳洞から可能な限り離れた位置の椅子に。モルガンの「眠らせる」が怖いから。

 

「そもそも服って、男性用と女性用で違うじゃないですか。おもにフロント部分」

 

「ま、まぁそうな」

 

「その手の話を生徒会長の前でするかね……」

 

「真剣な悩みなので見逃してください」

 

「真、剣……?」

 

 事情を知らない者にとっては、ふざけているようにしか思えない。だが大和の目は真剣そのものだった。

 

「女性の胸って個人差あるじゃないですか」

 

「桜の前振りはこれか……」

 

「そうです。胸でかい人ってやっぱそれ用のサイズを探さないとだめですよね? 男だとほぼ服のサイズだけでいいですけど、女性って身長が同じでも……ってパターンあるし」

 

「そうなんじゃないか? 俺も知ってるわけじゃないけど」

 

「間桐と服を買いに行ったことはないんですか?」

 

「まぁな」

 

「えー。衛宮先輩なら1回くらいあると思ってたのに」

 

「そう見えるか?」

 

「見えますよ。ね? 柳洞先輩」

 

 柳洞に話を振ってみるも、彼は念仏を唱えて集中していた。あまりダイレクトな話にはしていないのに、それを話題に出すだけで防衛手段に入るようだ。

 

「衛宮×間桐は生徒間じゃ鉄板ですよ」

 

「否定するのも桜に悪いし……行動を改めるか?」

 

「それやると間桐が傷つく気がするのでこれまで通りで」

 

「そうだよな。固まっちまったイメージは、そういうもんとして受け止めとくしかないか」

 

 うまいこと距離を取るとかできなさそうな人物だ。間桐自身も聡い子である。昨日の今日で変化が起きてしまうと、確実に後日詰め寄られることになる。大和はそれを回避した。

 

「それにしても急にどうしたんだ京坂。お前さんひとり暮らしだろ?」

 

「そうだったんですけどね。なんか急に住人が増えたもので。しかも持参した服の数が乏しいと来た。言語のこともありますし、中継役をやるつもりですけど、事前に把握できることはしときたいじゃないですか」

 

「殊勝な心掛けだな」

 

 デジャヴを感じたけど、衛宮はそれを胸の内に留めた。

 

「協力できることならしてやりたいが、その問題は俺も手伝えないからな……」

 

「衛宮先輩から間桐に聞いてくださいよ。胸でかい人はどこで服を買うのかって」

 

「あのな」

 

 受け答えをしながら、衛宮は他の手がないか考える。困っているのは伝わっているから、可能な限り助力をしたいのだ。

 ずっと話していると口も渇く。淹れておいたお茶を衛宮は啜った。

 

「もしくはこっちでもいいですよ」

 

「こっちって?」

 

「何カップなのか」

 

「ブハッ!」

 

 啜ったお茶を吹き出した。柳洞は黙ってポケットからハンカチを取り出し、お茶がかかった場所を拭いた。

 

「わ、悪い一成……」

 

「構わん。京坂が悪い」

 

「あのな京坂。いくら仲がいいからって、全部を知ってるわけじゃないんだ。ましてやプライバシーなんて」

 

「藤村先生なら知ってそう」

 

「そっちも知らな……待てまさか!」

 

「衛宮先輩ありがとうございました! 相談を聞いてもらえただけでも良かったです! あとは何とかします!」

 

「待て京坂!」

 

 生徒会室を出て颯爽と職員室に向かう大和を、衛宮が焦った顔で追いかける。衛宮士郎と京坂大和は知り合ってまだ半年。あくまでこの学園の先輩と後輩。だが、ひとり暮らしをしている者同士話が合った。苦労話から何まで話ができるし、どちらも互いの家に遊びに行ったこともある。

 だからこそよく知っている。京坂大和が藤村大河に話を振るときのやり口を。

 

「藤村先生いますか!」

「待てって!」

 

 息を上がらせた状態で生徒2人が職員室へ。扉を開けるのに勢いをつけ過ぎたせいで、派手な音も出てしまった。何事かと職員たちはそちらに目を向け、呼ばれた藤村はため息をつきながら立ち上がった。

 

「2人とも廊下を走ってきたでしょ。しかもこんなに大きな音出してー」

 

「先生に聞きたいことがありまして。衛宮先輩が知らないなら藤村先生に聞くしかないかなって」

 

「しろ……衛宮くんが知らなくて私の知ってること?」

 

「大したことじゃないんだ藤ねえ」

 

「んー?」

 

 顔を引きつらせながら後輩を退出させようとする先輩。それに抗って職員室に留まろうとする後輩。この構図と話の内容がどうにも噛み合わない気がして、藤村は謎掛けをされている気分になる。

 

「大したことじゃないなら今言っちゃいなさい。わかんなかったらわかんないって言うから」

 

「藤ねえ!」

 

「藤村先生ならそう言ってくれると思ってました!」

 

 生徒思いだなぁと付け足しておいて、藤村の機嫌を良くしておく。これで衛宮の制止は利かない。あとはアクセルを踏むだけ。

 

「間桐って何カップですか」

 

『……』

 

 面白がって耳を傾けていた教員たちが一斉に仕事に戻った。音楽プレイヤーを持っている人たちはイヤホンやヘッドホンを装着。中には職員室から退出する人も。

 

「葛木先生」

 

「なんだ藤村先生」

 

「私の机の一番上の引き出しにあるものを取ってください」

 

 一部の生徒からは鉄仮面と呼ばれる葛木宗一郎は、藤村に言われたとおり中に入っていたものを取ってそれを手渡す。

 藤村はそれを手に打ち付けて鳴らしながら、にこにこと笑顔を浮かべて京坂と衛宮に向き直った。目は一切笑っていないが。

 

「教師の私が生徒のプライバシーを流すわけないじゃな~い。しかもデリカシーが皆無だし」

 

「衛宮先輩が知らなかったもので。藤村先生なら知ってるかと。てか知ってるんですね」

 

「ふふっ。ふふふふふ。あなた達、ちょーっと廊下に出ましょうね~」

 

「え、俺まで!? なんでさ!」

 

「当然よ士郎。桜ちゃんを守れないで正義の味方は名乗れないでしょ」

 

「うぐっ……」

 

 とぼとぼと衛宮が廊下に出て、京坂は藤村にずるずると引きずられて外へ。職員室の扉がピシャリと閉まり、その数秒後。藤村特性ハリセンが綺麗な音を鳴らすのだった。

 

 

「これはオフレコなんだけど、桜ちゃんってEカップなんだって~」

 

「「おい教師」」

 

 

 その夜。モルガンにカップとは何かと聞かれた京坂は衛宮に説明を投げつけた。

 

 



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3話目 モルガンとお出かけ①

 感想も評価もめっちゃ嬉しいです。ありがとうございます!
 今後ともこの作品にお付き合いいただけると幸いです。


 

 通販で買った服が届き、それを着たモルガンが部屋の中でくるりと1回転。軽く身体を動かし、その着心地を確かめる。

 服装自体はいたってシンプルだ。サーヴァントとしての服装を参考に、足首まで丈のあるスカートは黒色。シャツは白色にして、その上からカーディガンを羽織っている。髪型はポニーテールにして、髪を束ねるのはおなじみ黒のリボン。

 

「悪くはないですね。実物を見ずに買うのはどうかと思いましたが、サイズも特に問題ないです」

 

「ならよかった。これでモルガンも外出できるな」

 

「そうですね。胸周りが少々……窮屈に感じますが、そういうものでしたね」

 

「え? …………っ、はい……そうです」

 

「? なぜ照れているのですか?」

 

「追及はしないでください」

 

 言葉にするのも躊躇われる。ましてやそれを、自身の名義で買ったとなれば秘密にもしたい。できれば記憶から消したい。しかも、本人と一緒に買ったという事実が、少年の心にグサリと刺さっていた。刺激が強過ぎるどころじゃない。

 

「他にも服は買うつもりだけど、それは今度から直接店で買えるし、好きなの選んでいいよ。……予算は守ってほしいけど」

 

「資金が少ないのでしたね」

 

「うぐっ! ……はい」

 

「ご安心をヤマト。私に考えがあります」

 

「考え? 強盗はやめてよ?」

 

「なぜ私が賊の真似事をするのですか」

 

「ごめんなさい」

 

 心底嫌だったようで、ガチトーンで言われた。冗談でもそれに近いことは言わないようにしようと、大和は固く誓う。

 

「資金のやりくりなら心得があります。為政者たる者、自分の懐事情は豊かにするのが最低限の仕事です」

 

「最低限が早速難しいような……」

 

「それができぬ者が上に立ってどうするのですか?」

 

「返す言葉もございません」

 

 歴史を振り返れば、それができていなかったとされる諸侯や王がゴロゴロいたのだが、それを言っても彼女は鼻で笑って一蹴するのだろう。そういう者が治めるから滅ぶのだと。

 大和の資金難の原因はモルガンなのだが。モルガンもまた、それを理解しているから打開策を打ち出す。

 

「働く気?」

 

「私はヒトを使う立場であって使われる立場ではないです」

 

「だよね」

 

「それをしなくても資金の増やし方はあるでしょう?」

 

「……ギャンブル……」

 

「いいのですか? 私がやるとすべて当ててしまいますよ?」

 

「絶対やらないで」

 

「はい」

 

 そんなことが起きてしまうと、全国でのニュースで報道されてしまうし、警察が動いて不正がなかったかの調査も始まりかねない。いろんな意味で嫌だった。

 モルガンはそんな賭け事に手を出さない。大和の意向を汲んで、騒がれずに済むやり方で安定的に収入を得るつもりだ。

 

「株をやります」

 

「株もギャンブル性あるよな!?」

 

「それは素人がやるからです。ご安心を、私なら外しません」

 

「……高校生って株買えたっけ?」

 

「え?」

 

 戸籍上では存在しない。それがモルガンたちサーヴァントだ。買い物程度ならまだしも、契約を交わすようなやり取りではボロが出る。そうなると、やはり名義は大和のものを扱うしかない。だが、高校生で株に手を出せるのかを、大和もモルガンも把握していなかった。(高校生でも可能である)

 

 話は一旦保留となり、気を取り直して外出。2人並んで町中を歩くのは、なんだかんだで初めてだ。なんとなくむず痒くて落ち着かない気持ちを、大和は考え事をすることで抑え込む。

 たとえば、服を買って外出できるようにしたはいいが、1つ達成するとすぐにその次に出てくる問題とか。

 

「私のファッション……ですか?」

 

「うん。女性って鞄とか小物も含めてファッションらしいし。ほら、あそこの人とか」

 

 大和が指を差した方向では、大学生くらいの女性が友人たちと集まっていた。見ればたしかにそれぞれ小物を持っているし、アクセサリーを付けている者もいる。

 モルガンはそれを一瞥だけして、興味を示さなかったのかすぐに目を逸らした。

 

「私は気にしませんよヤマト。買い物程度なら、あなたが今持っているマイバッグがあれば十分ですし」

 

「いやでも財布とか」

 

「それもそこに入れればよいでしょう? たとえあなたが学校に行っていようと、そのバッグは家に置いていくのですから。……そうですね。強いて言えば、その時用の財布が1つあればよいですね」

 

「なるほど。モルガンのやり方は無駄がないよな。合理主義ってやつ?」

 

「ええ。ですが、私の統治下であろうと娯楽は認めますよ。私の支配が揺るがない程度なら」

 

 揺らぐなら、それを徹底的に破壊するだろう。冷たい目で、薄っすらと笑いながらそれを言う彼女に、大和は静かに納得した。彼女の人となりを少し分かった気がするから。

 そんな大和にモルガンは半歩近づき、覗き込むように顔を近づけて告げる。

 

「ですから、あなたも他の女性やサーヴァントに靡かないように。ヤマトは私の(マスター)なのですから」

 

「う、うん。それはもちろん」

 

 顔を近づけられて照れた大和は、こくこくと頷きながら僅かに距離を開けた。それを勘違い──するわけがないが──したことにして、モルガンは少年の腕を掴んで引き寄せる。腕を絡ませれば、少年の腕に彼女の柔らかな体が触れる。少年はそれで顔を赤くし、身体を強張らせた。

 

「ふふっ、愛らしいですね」

 

「かんべんしてください」

 

 少年の素直なギブアップ。そこが限度だと分かっているモルガンは、腕を離して少し距離を取った。それは最初よりも近い距離で、肩が触れるか触れないか程度。

 大和はそれに気づけないほどテンパっていて、モルガンはそれを見越してこうしている。作戦通り。

 

「ヤマト。あなたに頼みたいことがあります」

 

「頼みたいこと?」

 

 先程までの緊張も全て追いやり、大和はモルガンの話に耳を傾ける。その復帰の速さをモルガンは評価しているし、こういう時は面白くないとも思っている。

 

「外出中や他に人がいる時、私の名前は伏せておいてください」

 

「あーなるほど。それならなんて呼べばいい? ヴィヴィアン?」

 

「いえ、それでは隠しきれません」

 

 クラス名を提案しないのは、大和がモルガンのことをそれで呼びたくないから。美しい女性だと思っていて、そんな人をバーサーカーなどどうして呼べようか。会話ができないレベルで狂っていたら、あるいはそう呼んだかもしれないが。

 

「トネリコとお呼びください」

 

「トネリコ?」

 

「はい。その名前なら真名にたどり着けません。もっとも、顔でバレることはあるかもしれませんが。顔バレというやつです」

 

「覚えたての言葉を使いたがるのかわいいな」

 

 しかも軽くドヤ顔も入れているのだ。かわいいと思うのは仕方ない。普段の凛々しい姿とのギャップが強い。

 かわいいと言われたモルガン本人は、きょとんと目を丸くしていた。そんな褒め方をされたのは、記憶にない。

 

「……ヤマトほどではありませんよ」

 

「うーんすごい複雑」

 

 かわいいと言われるよりかっこいいと言われたい。そんな気持ちがあるのだが、モルガンにとってはその葛藤すらかわいらしく見える。まだまだ幼いと思えてくる。

 

「今日は買うものが多いのでしょう? 早く行きますよ」

 

 先を歩いた。ほんのりと熱くなった頬は、大和には見えない。

 

「先に服屋でもいいけど」

 

「それは後日で構いません。荷物が増えては大変でしょうから」

 

 魔術の使用を控えているのであればなおさらだ。

 

「……それなら尚更、服を先に買おう」

 

「ヤマト?」

 

「極力不便な思いはさせたくないから」

 

「……まったくあなたは……」

 

 不便を感じたことはないし、不憫を感じさせているのは自分だ。召喚されるはずのない存在を召喚して、本来なら不要な警戒をさせている。そうだというのに、大和はその事に何も不満を示さない。文句を言わない。それよりも、モルガンの生活を優先して気を配っている。

 その事に別の意図がないことは、モルガンの持つ『妖精眼』で分かっていた。他人に冗談を言ったとしても、モルガンにだけは誠実でいる。心の機微を隠そうとするのは、愛嬌として見逃すが。

 本音と建前を乱立しまくる人間たちは、『妖精眼』を持つモルガンにとって「気持ち悪い存在」として映る。けれど、すぐにそういうものだと認知したから、期待値だって存在しない。ゼロはゼロだ。

 

「ヤマトがそうしたいのなら許しましょう。ですが夕飯はどうするのですか?」

 

 大和は少し、特別だ。

 

「藤村先生が、時間ある時に遊びに来いって言ってたからそれで解決。いつでもいいって言ってたし」

 

「あの指導者の家ですか」

 

 モルガンは僅かに警戒心を生み、

 

「いや衛宮先輩の家」

 

 自覚する前にそれを霧散させた。

 

「あの者の家に? 呼んだのはフジムラですよね? まさか同じ家で生活を?」

 

「先生は先生の家があるよ。細かいことは知らないけど、衛宮先輩が弟分なんだってさ。独り身になった先輩の後見人って立ち位置らしいよ」

 

「そういうことですか」

 

 最低限の情報を得たモルガンは、それならいいと賛同を示した。先に連絡を済ませておこうという話になり、大和は携帯電話で衛宮に連絡を済ませる。

 

「先輩も歓迎だってさ。なんか居候ができて、その人の紹介もしときたかったとかなんとか」

 

「居候?」

 

「衛宮先輩の家でかいしな。部屋ならわりと余ってるだろうし。……そのうちホームステイ先とかになりそう」

 

「ヤマトは広い家に憧れでも?」

 

「ずっとそこに住みたいかと言われると微妙だけど、ちょっとくらいは住んでみたいかな」

 

「そうですか」

 

 ふむと唸ってモルガンが思慮にふける。その様子に何かを察した大和が、今の生活でも満足していると慌てて付け加えた。

 

「今度城を建てます」

 

「建てなくていい!」

 

「一晩で建てられます」

 

「人の話聞いてる!?」

 

「……すごいの建てますよ?」

 

「うっ……、せめて高校卒業してからでお願いします」

 

「卒業……あと2年半ほどですか。すぐですね」

 

 体感がバグっていると思ったが、彼女の生きた年齢を思い出せば、そんな感覚にもなろうと想像がつく。

 大和にとっては長い期間で。モルガンにとっては瞬きの間。

 その感覚の違いは、けれど何かに支障をきたすわけでもない。その違いを少し寂しく思うくらいだ。

 それを隠すように大和は話題を服に変えた。これから買うのだから、その選択も自然なものに見える。

 

「トネリコはどういう服装が好み?」

 

 それを隠せるわけもなく、けれど知らないフリをしてモルガンもその話題に乗る。

 

「特に好みはありませんが、そうですね。あまり派手過ぎないものが好ましいですね」

 

「ってなると、今の服もわりと良さげ?」

 

「はい。なにせ自分で選んだ服ですからね」

 

「言われてみればたしかに!」

 

 女性用のを買ってしまったという衝撃ばかり気にして、そのことがすっかり抜け落ちていたらしい。数ある中から、本人が選んで決めた服なのだ。そりゃ好みの服装にもなる。

 

「ドレス調のものもいいですが、それはヤマトが困るのでしょう?」

 

「それを着て参加するパーティーがあればいいけどね。そういうのないし」

 

「コスプレに見えてくると。遺憾です」

 

「そうなっちゃってるんで」

 

 そうこう話していれば、目的地に到着した。

 モルガンは当然ながら初見であり、大和も慣れないなりに誘導してレディースコーナーへ。どういうものがあるのか、一通り見てから考えることとなり、モルガンと共に店内を回っていく。男1人で残るなど、大和には耐えられない。鋼の意志はこの手のことに無力なようだ。

 

「柔らかな色合いのものが多いですね」

 

「色合いで女性らしさってのも出るからね」

 

「言わんとすることは分かりますが……こうまで色の近いものばかりあると呆れてしまいます」 

 

「幅広い色というより、極端だもんな。店は他にもあるから、ここじゃなくてもいいぞ」

 

「では他の店も見ましょうか」

 

 そう言って店を出ようとすると、ちょうどレディースコーナーの端で大和は知り合いと顔を突き合わせてしまった。

 それが知り合いだと認識した瞬間笑顔が固まり、ぎこちない動きになる。

 

「あらあなたこの前の」

 

「これはどうも寺と結婚された方」

 

「そんなものとはしてないわよ! 宗一郎様ともまだだけど! あなたこそ、とうとう女装癖に目覚めたのかしら」

 

「目覚めてねぇよ! 悪趣味キャスターさん!」

 

「誰が悪趣味ですって! 客観的に見れば否定はできないけれど

 

 この女。真名はメディア。ギリシャ神話に登場する魔女の1人であり、大魔術師としても魔術界隈で名高い。クラスはキャスターである。

 当然ながら、モルガンにも分かることがある。

 

「(ヤマトこの女、サーヴァントですよ)」

 

「(え? いやこの人はキャスターさんで………………キャスターなのか)」

 

 



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4話目 モルガンとお出かけ②

 

 キャスター。それは聖杯戦争における7つのクラスのうちの1つ。セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、アサシン、バーサーカー。そしてキャスター。この7つのクラスに合わせて、それぞれ1騎ずつ英霊が召喚される。誰がどのクラスになるのか。それは基本的に逸話や伝承を元に決まっており、例外はバーサーカーだ。狂化させちゃえば誰だってバーサーカーになる。お手軽だね!

 その中でもキャスターというのは、言うまでもなく魔術師がなるクラス。神話や逸話で魔術に長けていたとされる者がなるクラス。

 

「あらそちらの女性は? どんな手で洗脳したの?」

 

「まるで『お前にパートナーができるはずがない』みたいな言い方だな」

 

「ごめんなさいね。そう言ったのよ」

 

「はーん? 葛木先生に、キャスターさんがイカれた服を買ってたとでも言ってやろうか」

 

「宗一郎様があなたの戯言を真に受けるわけがないでしょう」

 

 絶対的な信頼を葛木に置いているメディア相手に、脅迫まがいの言葉は通じない。精神的に優位に立っているメディアは、手料理がうまくいったとき並の笑みを浮かべている。

 そんな小さな諍いを一通り見届けたモルガンは、話を切るためにも会話に割って入った。

 

「彼は私が(マスター)と認めた存在だ。あまり貶めないでもらおうか」

 

「……そう。これは失礼なことをしたわね」

 

 夫って階段をすっ飛ばし過ぎじゃないだろうか。そんな事を思いはしたが、大和の相手がそう言ったのなら受け入れるしかない。どんな相手であれ、パートナーができることは喜ばしいことだから。葛木宗一郎という男に運命を感じたメディアが、それを否定するわけにもいかない。

 互いに買い物の途中ということもあり、後腐れのないように何度か言葉を交して別れた。話していた場所も場所だったため、他の客や店員にとっても困ったものだっただろう。

 

「あの者に何も仕掛けぬのですか?」

 

「必要ないでしょ。おれもトネリコも、聖杯が欲しいわけじゃない。だろ?」

 

「ええまぁ。あれにかける願いなど、持ち合わせてはいませんから」

 

 何か1つでも挙げるとするなら、()()()の幸せだ。

 

「だから放置でいいわけ。それに、真っ昼間からドンパチするのもね」

 

「夕方ですが?」

 

「……はい。あの……人が多い時にやるのはーってやつです」

 

 フィーリングで話していたらツッコまれた。お笑いのようなツッコミではなく、冷静な間違いの指摘なので、指摘された大和は目を泳がせている。モルガンはそのことを気にも止めず、浮かんだ疑問を口にした。

 

「何時に目的地に着けばよいのでしょう?」

 

「うん? あー、遅くても19時頃には着いといてほしいって話だから、ざっとあと2時間半ぐらいかな。移動時間とか考えれば、6時半には向かいたいね」

 

「早めの到着を心掛ける文化でしたか。とても好ましいですね」

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。この文化がない国の人たちにとってこれは、拘束感があって窮屈らしいから」

 

「ふむ……」

 

 傍から見る分には、外野の視点であれば、それは素晴らしいものとして映るのだろう。時間を守るということは、それだけ相手との時間を重要視しているのだから。奉仕の精神に近いものとして、見えることもあるかもしれない。

 だがその輪に入ったとしたら、意見は変わるだろう。時間を重要視すると、時間に追われることになるのだから。『個人』を重視する文化圏の人たちにとって、それは異質だ。優先順位が狂っているのだから。

 

「人によって捉え方は変わるだろうけどね。トネリコならどう思う?」

 

「好ましいという評価は変わりません。時間という絶対的な概念。それによる統制の仕方は効率がよいですから」

 

「そっか」

 

 統治する者にとって、分かりやすい基準というものは欲しくなるものだ。「何時から誰がどうする」という、この指示出しの仕方はスケジューリングにも役立つのだから。

 もっとも、それはあくまで統治する立場であればの話。今のモルガンはサーヴァントであり、ブリテンの支配者ではないし、ましてやこの国の支配者でもない。やろうと思えば乗っ取ることなど容易いが、やるなら日本ではなくブリテンだ。

 

「さてと、トネリコが欲しがる服があればいいんだけど……。出発まで2時間しかないしな……」

 

「今日のところは、一着でも見繕っておけば十分です」

 

「え?」

 

「今日で何着も買う必要はありません。なにより、後日に回せば、またあなたとこうして出かけられるでしょう?」

 

「……」

 

 ぽかんと口を開けて固まった大和に、モルガンは僅かに頬を緩めて手を伸ばす。男の子らしい硬めの手を握って、それを軽く引っ張れば、スイッチが入ったロボットのようにビクリと反応した。

 硬直が解けようと、やっぱりまだ大和は呑み込めていない。なにせモルガンにとって、自分のサーヴァントであることは退屈だと思っていたから。

 

「認めましょうヤマト」

 

 それに気づいてはいないモルガンだが、彼女は大和の靄をひと思いに払拭した。

 

「私は思いの外、あなたとの時間を楽しんでいます」

 

「ぇ……ぁ……。……っと……そ、それはよかった。……うん」

 

「ですからヤマト」

 

 握った手を、両手で包み込んで胸の高さにまで引き上げる。それを、大切なものを扱うように抱えて。彼の目を見つめながら紡いでいく。

 

「どうかあなたも楽しんで。それとも」

 

 言葉を区切って、ちょっと意地悪っぽくしかける。

 

「私とでは楽しめませんか?」

 

「いやそんなことは──!」

 

 思わず大声を出してしまい、大和は慌てて口を閉じた。その声に反応した人たちも、すぐに目を逸らしていく。

 

「ふふっ、そこまで慌てずともよいものを」

 

「誰のせいだと……」

 

「あなたが油断しただけですよ。私は、魔女ですから」

 

 どこか誇らしげに言う彼女に、ぶつけるような言葉は出てこなかった。彼女になら、騙されても嵌められてもいいと。不思議とそう思えたから。

 そんな彼女が胸の内を明かしてくれたのだ。ならば自分も明かさないとフェアではない。

 

「正直に言うとさ」

 

「はい」

 

「戸惑いのほうが大きかったんだ。突然の出来事だし、予想外のことばっかりだし」

 

「はい」

 

「でも不快感はないんだ。おれも、トネリコといる時間が楽しいんだと思う。友達と遊ぶのとはまた違う感覚だけど。おれは……おれはこの時間も好きだ」

 

「……そうですか。では、これからもあなたの時間を私が支配しましょう」

 

 包まれている手に軽く力を入れた。彼女の手を握り返すために。

 内心の整理ができたことで、吹っ切れるものもあったのだろう。彼の方からこのように動くことは、今までになかった。「包丁の使い方を教えるため」といった具合に、何かしらの理由がある時に触れていた。

 けれど今は理由がない。その事にモルガンは、慈しみを込めて微笑む。まるで成長を喜ぶ母親、あるいは姉のように。

 

「それでは服を見繕いましょうか」

 

「そうだな」

 

 片手は放して。片手は繋いだままで、モルガンは大和の隣に並んだ。指を彼の指の間に割り込ませ、絡めて握る。

 さすがにこれには応えたようで、大和はビクリと反応を示し、さらには耳まで赤く染めるのだった。

 

 

 買い物を済ませたら2人は衛宮邸へ。何着かの試着を繰り返し、組み合わせも試し、モルガン自身が納得のいくものを無事に見つけることができた。

 その最中、大和は毎回感想を求められ、初めてのシチュエーションに緊張しながら頭をフル回転。何度かやれば細かな部分も言えるようになり、そうなると初めの方に試した服装の再評価も求められた。

 まだ16歳の少年にとってそれは試練で、なんとか乗り越えた頃には気疲れしていた。その疲れも、モルガンのささやかな喜び顔を見れば吹っ飛んだが。

 長い年月、ただ恐怖で支配を保ち続けた彼女は、満面の笑みのやり方を思い出せない。その笑顔を、浮かべることができない。そもそも、感情の起伏だって乏しい。いわゆる負の感情。そちらばかりだ。

 

「相変わらずでっかい屋敷」

 

「この建築様式は、この国独自のものでしたか」

 

「そうそう。今じゃ珍しい方だよ」

 

 神社や寺、京都や鎌倉の町並み。そういった「貴重だから残そう」と定められた場所以外では、この様式をほとんど見ない。指定地域以外であれば、「旧くて危ないから建て替えようね」といった流れで姿を消している。

 そんな中でも、衛宮邸は立派に残っていた。綻びを見つける方が難しいほどに、柱や屋根もしっかりしている。単純にこの建物の歴が短いだけだが、いつからあるのかを知らない者には、「立派に形を保っているな」と思えるわけだ。

 

「この敷地面積も珍しいのですか?」

 

「まぁね。これぐらいの大きさでこの辺りで知られてるのは、遠坂邸と間桐邸ぐらい。森を進んでいった所にある城は例外」

 

「城……ですか?」

 

「そう城。次の週末にでも見に行こうか」

 

 予定を立てたところで、大和はインターホンを押した。 

 

『どうぞ~』

 

 機械越しにでも伝わる元気さ。その明るさと声に、大和はくすりと笑って敷地の中に入る。敷地内に入るための門。それを抜ければ広い庭と広い屋敷。離れには蔵もある。

 

「いらっしゃ~い! ちょうどそろそろ来るんじゃないかなーって話してたところなのよー! ってあれ? その人は? ……ははーん?」

 

「何1人で勝手に納得してるんですか()()()()

 

「べっつに~? っていうか、学校の外じゃ先生じゃないの。オフだから先生って呼ばないでって言ったじゃない」

 

「間桐は先生付きで呼んでますよね?」

 

「桜ちゃんはいいのよ。そういう呼び分けに戸惑う子だから」

 

「贔屓だ」

 

 細かいことは気にするなと高らかに言う藤村を見て、妙にテンション高いなと思った大和はその理由に察しがついた。

 この女性。すでに酒を飲んでいる。

 衛宮なら止める気もするが、「1缶だけ」と言って押し切る姿も想像がつく。それでコレなのだろう。

 

「それでー。大和はいつの間に綺麗なガールフレンドを作っちゃったのかしら~ん?」

 

「かしらんって……ん? ガールフレンド?」

 

「違うとは言わせないわよー。だって、()()()()()()()()()()()

 

「…………っ!?!?」

 

「真っ赤になっちゃってかっわいい~」

 

 慌てて手を離そうとするも、モルガンがそれを許容しない。むしろさらに力を込めている。大和は驚愕してモルガンに視線を向け、離してほしいと目で訴えかける。

 

「恋人というのは違いますが、手を離す理由もないでしょう?」

 

「ぅぅぇ……」

 

「おおー。堂々としててかっこいいわね。大和も見習いなさい」

 

「……なんか釈然としない……」

 

「藤ねえいつまで玄関で話してるのさ。上がってもらわないと」

 

「そうだったそうだった! ごめんね私ってば盛り上がっちゃって」

 

「一週間禁酒で手を打ちます」

 

「あははそれは釣り合わないで──」

「おっいいなそれ」

「冷蔵庫にあるお酒処分しときますね」

「──ちょっ!?」

 

 間桐がリビングへと引っ込み、藤村が慌ててそれを追いかける。仕事後の楽しみを奪われるのは、何がなんでもやめさせたいようだ。

 

「はぁ。悪いな来てそうそう騒がしくて」

 

「藤村先生のノリには慣れました」

 

「ははっ。そう言ってもらえると助かるよ。で、ええっと……」

 

 衛宮が言葉を詰まらせ、困った様子で頬をぽりぽりと掻いた。その理由にすぐに思い当たった大和は、モルガンを紹介しようとして未だに手を繋がれていることを思い出す。

 衛宮が困ったのは、こちらも理由だったようだ。

 

「あの……」

 

 捨てられた子犬の如き目で見られ、モルガンもようやく手を離した。それが叶ったことはひとまず嬉しいけども、大和はどこか引っかかりも覚えた。繋ぎ続ける理由もないはずだから。

 けれどそこは今は考えない。衛宮に紹介しないといけないのだから。もちろん自分ともう1人来ること自体は、先の電話で話している。

 

「電話で言ったうちのめっちゃ遠い親戚。トネリコさんです」

 

「ご紹介にあずかりましたトネリコです。此度は夕飯にご招待いただき感謝します」

 

「ああいやこれはご丁寧に。衛宮士郎です」

 

 すっと衛宮は手を伸ばした。握手のためのそれを、モルガンは少し考えてから手を伸ばす。大和と繋いでいたのとは反対の手で。

 衛宮はそれに疑問を抱かない。「こっちが利き手だったか」ぐらいにしか思わない。そっち方面には相変わらず鈍い男である。

 

「客人ですかシロウ」

 

 玄関から家に上がってもらい、リビングへと案内しようとしたところで、ちょうどその人物と鉢合わせした。

 凛々しい顔立ち。美しい金髪。エメラルドの双眸は真っ直ぐと衛宮たちを見ていた。

 

「ちょうどよかった。こちらは電話で話した、しばらくうちに住むことになった──」

 

 彼女こそ、滅びに向かうブリテンの最後の栄光を守り続けた王。

 モルガンの異父姉妹──

 

「──セイバーだ。仲良くしてくれると助かる」

 

 ──アルトリア・ペンドラゴンである。

 

 

 



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5話目 モルガンと衛宮家

 たくさんの感想、評価。本当にありがとうございます! 


 

 アルトリア・ペンドラゴン。それはかのアーサー王伝説にて登場するアーサーの名前だ。物語では男性として描かれているが、実は女性である。当時の世俗的にもアルトリアは男装して、アーサー王を名乗る他なかった。そういう事情だ。

 アーサー王伝説は、それに登場する騎士や魔女の物語も編纂した物語である。アーサー王の最後が変わっていたり、マーリンのなんやかんや。ガウェインやトリスタンの物語に、モルガンだってその都度役回りが変わっている。その結果、モルガンは三重人格だとされたり、アーサー王が死んだりと色々である。

 

「セイバー。こっちは俺の後輩の京坂大和と、その遠い親戚のトネリコさんだ」

 

「よろしくお願いしますセイバーさん」

 

「ええ。よろしくお願いします。ヤマト」

 

 アルトリアが大和の名前を呼んだ瞬間、モルガンがピクリと眉を動かした。それをアルトリアは見逃さなかったが、何がいけなかったのかは見当がつかないらしい。彼女は観察するようにモルガンを見つめ、モルガンはそれに悠々と言葉で返す。

 

「私がどうかしましたか? ()()()()

 

 呼ぶときに、妙に力が篭っていた。セイバーは困惑し、けれど何も返さないわけにはいかないと口を開く。

 

「いえ……。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私とあなたは初対面のはずですが?」

 

 そうだなと大和はモルガンの隣りで同意した。なにせこのモルガンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 つまりはアルトリアが汎人類史の英霊で、モルガンが異聞帯の英霊ということ。そうであるからこそ、モルガンの言う通り初対面なのである。

 

「そう、ですね。世界にはよく似た人物が3人いるという話をシロウから聞きました。おそらくそれなのでしょう。失礼しました」

 

「構いません。あとで少々、話をしてみたいですが」

 

 モルガンの放つ重たい空気に、大和と衛宮は顔を見合わせていた。この2人は、仲良くできないのかもしれないと。そしてそれ以上に、今の空気から逃げたかった。女の諍いに男の出番などないのだから。

 

「え、えーっと。一応紹介もできたことだし、夕飯にするか」

 

「しろーー」

 

「……藤ねえもあんな調子だし」

 

「はい。ところでタイガはなぜ元気がないのですか?」

 

「桜に負けたんだろ」

 

「?」

 

 唯一事情を知らないアルトリアは首を傾げ、衛宮に続いてリビングへ。それを見届けながら、大和はモルガンの様子を伺う。機嫌が悪い彼女を見るのは初めてだから。

 

「やっぱりセイバーさんは嫌い?」

 

「……いえ。こちら(汎人類史)の私はまだしも、私は彼女とは面識がありませんから。知識として知っているだけ。好きも嫌いもありません」

 

「そのわりになんか機嫌悪くない?」

 

「それはセイバーが…………。いえ……。私たちもリビングに行きましょう。待たせると不審に思われますから」

 

「……そうだな」

 

 露骨なまでの黙秘。それを追及するのはよくないのだと、大和は感覚的に察した。何より、物事をはっきりと言うモルガンが伏せたのだ。それは突かれたくないことだろう。

 

(……なぜ……)

 

 大和の後ろに続いて歩く。その背中を見つめながら、モルガンは自分の中のつっかかりに戸惑っていた。

 

(なぜ私は…………、()()()()()()()()()()()()()と、そう思うのでしょう。特にアルトリアには……)

 

 それは京坂大和が自分の(マスター)だから。真っ先に浮かんだのはその理由だが、どうにもこれはしっくりこない。答えのひっかかりすらなく、何も見えない深い靄の中を、手探りで小さな宝を探しているようだった。

 

「冬場は冷え込むからな。京坂が来るってのもあって、今日は鍋にすることにした」

 

「鍋ですか。みんなでつつきながら食べられるし有りですね」

 

「だろ?」

 

「先輩の料理ならなんだって美味いですけどね!」

 

「それは言い過ぎだって。俺もまだまだ半人前だ。今じゃ洋食は桜の方が上だからな」

 

「いえそんな。……先輩の教えが分かりやすいですから。私1人では上達なんて……」

 

「目標があると成長しやすいよなー」

 

 間桐が衛宮から家事を教わり始めたのは、わりと近年である。その短な期間だけで成長し続け、洋食においては衛宮を抜いたのだ。元から向いていたのもあるかもしれないが、それだけの熱意がなければどのみち成長しなかったはずだ。

 

「目標か。たしかにそれがあるとないとでは違うな」

 

「そうそう──」

 

 「食べさせたい相手がいるならなおさら」と続ける前に、間桐がにっこりと笑顔を浮かべて大和を見た。大和もそれで笑顔を固め、何事もなかったように口を閉じる。

 そんな会話を見守りながら、アルトリアと藤村がまだかまだかとそわそわしていた。早く食べたいらしい。特にアルトリアの視線が鍋の具材から微動だにしていない。衛宮家のエンゲル係数は大きく変動していることだろう。

 

「もう待てないわ! セイバーちゃんとトネリコちゃんの来日を祝って~。かんぱ~~い!!」

 

 慣れている衛宮、間桐、大和はそれに遅れることなくグラスを手に持ってコツンと当て合う。それに遅れたのがアルトリアとモルガンで、それぞれは隣にいる衛宮や大和と静かに乾杯した。

 

「ぷは~~! 麦茶が美味い!」

 

「あ、今晩のお酒も取られたんですね藤村さん」

 

 大和が藤村を先生呼びしない時、代わりにさん付けである。

 

「誰かさんのせいでね~。でもいいのよ。私は麦茶でも酔える!」

 

「それもう狂人だよ」

 

「ヤマト」

 

「ん?」

 

「なべというものは、どういただくのですか?」

 

「ごめん説明が必要だったな」

 

 モルガンの過ごした世界に、鍋の存在がなかったわけじゃない。同じような器はあったし、それを活用していた時もあった。けれどそれは主にシチューを作る時、あるいは魔術に纏わるもの。似て非なる文化なのだから、食べ方も違うかもしれない。

 そこの確認を取るモルガンに、大和は鍋の説明をした。鍋の種類の話をすると長くなるので、今回は衛宮たちが用意したこれの食べ方だけ。といっても、難しいことは何らないのである。わいわい食べましょうというだけだ。

 

「そういうものですか」

 

「そういうものです。おれがトネリコの分も取るよ。どれがいい?」

 

「そうですね……。せっかくですから1つ1つ食べてみたいですね」

 

「りょーかい。一気に取っても仕方ないし。……まずはこんなもんかな?」

 

「ありがとうございますヤマト」

 

「どういたしまして」

 

 モルガンの分を取れば、今度は自分の分を取る。具材を取るために上げていた腰を下ろしたところで、大和は衛宮の視線に気づいて首を傾げた。

 

「どうしたんですかエミー先輩」

 

「誰がエミーだ。……いや。この前言語の問題がどうこうって言ってたからさ。思ってたより流暢に、というか完璧に話してるから驚いてな」

 

「ああ。おれも本人から不安だって聞いてたんですけど、何も問題なかったですね」

 

「お箸の使い方も様になってますね。セイバーさんもそうですけど、海外では流行ってたりするんですか?」

 

「私は貴方方のを見て修得しました」

 

「器用だなセイバー……」

 

「私はヤマトに教わって覚えましたね」

 

 初めて使った時はやりにくそうだったのに、次の食事の時には完璧に使いこなしていた。大和も驚嘆したものである。

 

「トネリコちゃんはどこ出身なの?」

 

「オークニーという島です」

 

「オークニー……うーん。聞いたのにごめんね。全ッ然分かんない。士郎はわかる?」

 

「俺も心当たりがないな……セイバーは?」

 

「オークニーですか。……聞いたことがあるようなないような」

 

 考え込む間も口に食べ物が運ばれていく。特徴的なアホ毛がぴょこぴょこと左右に揺れ、食べ物を飲み込むのと同時に萎れた。

 

「すみません。知っている気はするのですが、どうにも思い出せません」

 

「たしかイギリスにある島、でしたよね?」

 

 ブリテン島出身のアルトリアでも分からないか、と話が終わりそうなところで、間桐が記憶を遡りながら繋いだ。予想外の人物が正解を言い当てたことに、大和と衛宮は目を丸くした。

 

「桜知ってるのか?」

 

「テレビで見たことがあるという程度なので、詳しくは知らないんですけど……。中世以外にも、先史時代の遺跡が多く残ってるとかなんとか……」

 

「よくご存知で。言ってしまえば田舎、ということになりますが、その分残っているものもあります。そういう島です」

 

「海もきれいっぽいから行ってみたいな」

 

「波は穏やかではないですよ。ですが、ヤマトと里帰りするのも悪くないですね」

 

 仲いい人への地元紹介。衛宮とアルトリアにはそう見えたのだが、藤村と間桐には別の構図に見えた。

 

桜ちゃん桜ちゃん。これもしかしてアレじゃない?

 

はい。京坂くんには失礼で意外ですけど、たぶんソレです

 

「藤ねえと桜は何をコソコソしてるのさ」

 

「コソコソ何をしている!」

 

「コソコソお話をしてるのよ。ね~桜ちゃん」

 

「はい」

 

「うーん神経の図太い女ども」

 

「実は猫を被るのが苦手なのよね~」

 

 猫を被るどころか、自由気ままな性格を鑑みれば猫そのものだ。相手をし続けると疲れることは目に見えていて、大和はそれ以上何も言わなかった。衛宮もアルトリアとの会話に逃げている。

 だがそこで見逃すような藤村ではない。話していた相手がいきなり黙ると、ちょっかいをかけたくなる。間桐談によると、衛宮や大和相手には特にその傾向が見られるとか。

 

「大和も、トネリコちゃんの故郷に行くときには、シャキッとしきなさい」

 

「別に今だってネチネチしてませんが?」

 

「そういうことじゃなくて。ほら、ご挨拶もあるでしょ?」

 

「ご挨拶って……!」

 

 ニヤァと笑う藤村に、間桐と衛宮はため息をついた。いくらなんでもそれは先走り過ぎだし、踏み込み過ぎている。やはりしばらく禁酒させるのは、正解なのかもしれない。

 

「藤村さんいいんですか?」

 

「なにが?」

 

 そんな藤村に大和は反撃した。

 

「たしか相手いないでしょ」

 

 どぎついストレートで。

 

「…………ふっ。ふふふっ。ふふふふふふ!」

 

 殴られたようなリアクションを取った藤村は、顔を伏せた状態で壊れたように笑った。反撃の内容がクリティカルヒットしたからかもしれない。

 なにせ弟分である衛宮士郎には、彼を密かに好いている間桐桜がいるし、何やら関係良さげなアルトリアもいる。気にかけている生徒である京坂大和にも、いつの間にかモルガンがいた。

 どちらも付き合っているわけではないが、この場で関係性で区切っていくと独り身なのは藤村大河だけなのだ。

 

「京坂くんちょーっと先生とお話しようか~」

 

「学校外では先生じゃないとかいつも言ってなかったですかね!」

 

 ゆらりと距離を詰めてきた藤村が大和の肩をがっしりと掴む。その力の強さに大和は引き笑い。

 

「あなたがトネリコちゃんのご家族にあった時に失礼を働かないように、みーっちり教えないといけないでしょ?」

 

「間桐と言い藤村さんと言い笑顔が怖いなぁ!」

 

「タイガ、でしたか。その必要はありません。私に家族はいないので」

 

「え……」

 

 さらりと流れた重い情報に藤村は固まり、大和の肩を離してぎこちなく周囲を一周した。衛宮も間桐もアルトリアも、失言をした藤村をジーッと見つめている。このことを知っていた大和だけは、視線を逸らしていた。

 きっちり5秒。

 ぎこちない動きで視線をモルガンへと移した藤村は、それをもう実に鮮やかでキレのあるジャンピング土下座をした。

 

「大変失礼なことをいたしました!!」

 

「いえ……あの、ヤマト……。これは?」

 

 初めて見る謝罪の仕方に困惑したモルガンは、隣にいる大和に説明を求めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「セイバー」

 

「どうされましたかトネリコ」

 

「今後ヤマトのことを名前で呼ばないように」

 

「?」

 

「でないとあなたを、呪ってしまいます」

 

「えぇ……」

 

 帰宅前にそんなやり取りがあったとか。

 

 

 



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6話目 モルガンと聖杯戦争──のお話

 

 高校生のひとり暮らしで1LDKと聞けば、一般的には裕福な家庭だと思われるだろう。全国のひとり暮らし大学生の多くが、その事に羨ましがること間違いなし。

 そのはずなのだが、大和はそう思わない。仲のいい先輩こと衛宮士郎は屋敷暮らし。学校で有名人である遠坂凛も、広い家でひとり暮らしをしている。そのどちらの共通点も、身内の不幸なのだから下手に触れられない。もう1つは、どちらも魔術師であるということ。

 遠坂といえば冬木のセカンドオーナー。魔術師としても名を知られるほど。聖杯戦争においては御三家の1つだ。対して衛宮は有名ではない。知る人ぞ知る、くらいのものだ。

 

「魔術師殺し。それが衛宮先輩を引き取った人の異名」

 

「分かりやすい異名ですね」

 

「魔術を扱う者としては異端で、現代兵器を平然とバンバン使う。まぁ既に故人だから置いといて。そんな人だから資金の調達手段をいろいろ持ってたのかな。衛宮先輩にあの家と暮らしていけるお金を残せたくらいだし」

 

「その者がどうかされました?」

 

「その人は10年前の聖杯戦争に関わってる」

 

「ほう?」

 

「アインツベルンと関係を持ってたみたいで、アインツベルンは遠坂と並ぶ御三家の1つ。魔術師の戦いにジョーカーを送り込むってやり方、ありそうでしょ?」

 

「そうですね。本気で勝ちに行くのなら、その者を取り込んで送り込むのは有効な手です。ですが、アインツベルンとやらの狙いは叶わなかったと」

 

 聖杯戦争は60年周期で行われていたとされる。だが、第四次聖杯戦争が10年前で、現在すでにサーヴァントは7騎召喚されている。その周期の乱れが示すことは。

 

「聖杯の不完全な顕現」

 

「10年前に起きた大災害も、それが原因だ」

 

「不完全な顕現による大災害ですか……。ヤマト、この土地の聖杯は真っ当なものではありませんね」

 

「やっぱり?」

 

()()()()()()()()()()()が、その証になりえます」

 

「そうかもしれないけど……、その言い回しは好きじゃないや」

 

 聖杯戦争で英霊が召喚されるのは7騎までだ。7つのクラスに合わせて1つずつ。例外はエクストラクラスと呼ばれるルーラーであったり、アインツベルンが過去に召喚したアヴェンジャーだったり、魔術師であるキャスターが召喚する英霊だったり受肉した英霊……例外が多い。

 それはさておき、大和はモルガンの言葉に不満を感じた。彼女が言ったことは間違っていない。召喚されるはずのない異聞帯のサーヴァントで、そもそも異聞帯というものは世界の剪定によって消えていく幻想。どちらの意味でも、このモルガンの召喚はあり得ないのだ。

 だが、それが起こっていることと、聖杯が真っ当ではないことが、イコールの関係になるのかは、まだ判断できない。

 

「聖杯というのは、もしも○ックスではありません」

 

「どっからその知識得てるの?」

 

「あれは膨大な魔力の塊。それを魔術師が用いることで、できることが格段に増える。そういう意味での、万能の願望機なのです。ですから、使用者が願ったのであれば、その大災害とやらは勝者が引き起こしたものです」

 

「……そうじゃないなら? というか、不完全な顕現でスパンも10年ってことを考えたら、誰かが願ったわけではないよね?」

 

「はい。さらに調べないことには断定できませんが、ここの聖杯戦争は7騎だけではないのやもしれません」

 

「それってどういう……」

 

「それについては今後次第です。それよりもヤマト。1人でここまで調べていたのですね」

 

 憶測で話を進めすぎては身動きが取りづらくなる。それを避けたモルガンの考えに大和も遅れて乗っかり、逸れた話題についていく。

 

「ここの聖杯戦争について調べるのがおれの仕事だから。そのために"家"から派遣させられたんだよね」

 

「それは何のために?」

 

「そこは知らない。"家"の雰囲気は合わなくて居心地悪かったから、派遣されてよかったよ」

 

 家。大和はそういう言い方をしているが、それは一家という括りではなく、一族という単位である。言うなれば実家は本家みたいなものだ。広大な敷地を持ち、基本的に一族が丸ごとそこに暮らしている。当然建物も大きい。豪邸である。

 大和が豪邸のような家にあまり住みたがらないのは、その辺りが関係していたりする。ただし、差別的な扱いや迫害を受けていたわけではない。そういうのは一切なかった。

 

「あの"家"の魔術はおれが一番長けてるから、他の誰かが派遣されるわけがなかったけど」

 

「そういえば、ヤマトの魔術を私はまだ聞いていませんでしたね。汎用的で基礎的なものを扱えるのは知っていましたが。独自のものはまだ」

 

「まあ……人に見せられるものでもないし、使い勝手がいいわけでもないからね。使い道がピンポイントなんだよ」 

 

「話さなくても構いませんよ?」

 

「……うーん、ざっくりとした言い方でいい?」

 

「はい。無理に聞きたいわけでもありませんし」

 

「夢魔にほんの少し、似てる魔術だよ」

 

 その単語にモルガンはピクリと反応したものの、瞳を閉じて一言「そうですか」と言うだけだった。大和が夢魔というわけではない。それは分かりきっていることだから。魔術がちょっぴり、夢魔に近いだけ。あの悪夢(マーリン)とは違う。

 

「それが調査に役立つんだ。今回は……調べさせてくれたって表現が適してるけど」

 

「協力者ですか」

 

「協力者……って言っていいのかな。何か企んでそうなんだよなあの麻婆大好き神父さん」

 

「……もしその者が、ヤマトを利用して何かを成そうというのなら、その時は私が対処しましょう」

 

「ははは、うん。情けない話だけど、その時はよろしく」

 

「情けなくなどありませんよ。ヤマトはマスターで私はサーヴァント。当然の在り方です」

 

 それが道理だと理解はしていても、任せきってしまうのも気が引けた。真っ当な魔術師であれば、そんなことはないのだろう。あっさりと割り切って、それがお前の仕事だと言って、前線に出させるのだろう。

 それを躊躇う大和は、魔術師として未熟なのだ。たとえ一族で誰よりも長けていようとも。

 

「それよりもヤマト」

 

「ん?」

 

「マーボーというものは何ですか?」

 

「それか。麻婆っていうのは料理の1つだよ。麻婆茄子とか麻婆豆腐とか。他にも何個かある。しばらく食べてなかったし、明日の夕飯に麻婆豆腐でも作るかな。モルガンはそれでもいいか?」

 

「構いません。あなたと食べるものなら、なんだって」

 

 それは言い過ぎだろと大和が苦笑するが、モルガンはわりと本気でそう思っている。

 今食べているグラタンだってそう。そもそもサーヴァントは、食事を取る必要がないのだから。それでも食べるのは、大和が一緒だから。

 

「そういえば、この前衛宮先輩の家に行った時、セイバーさんと何か話してたみたいだけど何話してたんだ?」

 

「そのことですか。……大したことではありません。どういうわけか、彼女は私を正しく認知できていないのだなと、そう思っただけです」 

 

「大したことでは?」

 

 対面したというのに。異父とはいえ姉妹だ。顔を見ればわかる関係だ。認知した上で初対面だと振る舞う。それならまだ分かるが、正しく認知していないとはこれいかに。  

 モルガン自身が魔術で誤魔化したわけでもない。思い返せば、顔のよく似ているアルトリアとモルガンが同じ空間にいたのに、()()()()()()()()()()()()()()。顔面風王結界(インビジブル・エア)(偽)である。

 考えるほどに疑問が湧いていく中、モルガンは一旦流す。調査はするとして、認知がズレるのならありがたい。面倒事を避けやすい。

 

「アルトリアのことで、気になったことがまだあるのですが」

 

「そうなの? もしかして、あの体のどこにあれだけの食べ物が入っていくのかって話?」

 

「いえそちらではなく。聖剣の効力で不老となった以上、あれはどれだけ食べようと変化が起きませんから」

 

「なるほど」

 

 異次元の腹袋は、そんな便利な機能で守られていたらしい。不老でも太りはするんじゃねと思わなくはないが、そもそもがサーヴァントだ。宝具などによる体の変化があったとしても、食事1つで変化が起きることはない。その理論でいくと、モルガンも大食漢になれるわけなのだが、それをされると家計が厳しくなるので大和は言及を避けた。

 

「私が思ったのは、アルトリアのアホ毛についてです」

 

「どこ気にしてんだよ」

 

「ヤマトは気にならなかったのですか? あのアホ毛。アホ毛なのに器用に動いていましたよ」

 

「髪の毛を動かす術でも身につけたのかな。なんの役に立つのか知らんけど」

 

「私は思いました」

 

「アホ毛ほしいとか言わないでよ」

 

「言いませんが?」

 

 違ったらしい。冷たい目をされた。

 

「あのアホ毛、着脱可能なのでは?」

 

「何言ってんの? え、何言ってんの?」

 

 なぜさも確証があるような調子でそんな事を言うのか。

 さっきまでの真面目な話と空気もどこへやら。されどモルガンは真剣だ。真剣に、アホ毛のことを考えている。実に天才(アホ)らしい。

 

「私の配下には、(けん)を抜くことで本能を溢れ出させる者がいます。それに近い何かが、あのアホ毛にはあるのではないかと」

 

「いやモルガンの眼を疑ってるわけじゃないけどさ。セイバーは騎士王でしょ? アーサー王にそんな伝承なかったと思うんだけど」

 

「そうなのです。ですが、……それでは私が感じたものはいったい……」

 

「頭の片隅にでも入れておこう。さっきも言ったけど、モルガンの眼を疑ってるわけじゃないんだ。モルガンにしか見えないものがある。それが時には、おれにとって突拍子のないことに思えるだけ」

 

 モルガンの持つスキルの1つが『妖精眼』だ。人には見えないもの、本音と建前だったり、そのさらに根幹部分が視えるもの。

 それを持つモルガンが言うのだ。あのアホ毛に何かあるのだろう。アホ毛なのに。

 

「ええ。ヤマト、今度にでも、アルトリアのアホ毛を抜いてみます」 

 

「アホ毛を片隅に入れようって話じゃないんだわー!」

 

 モルガンをアホ毛の話から離れさせるのに、20分を要した。

 

 




アホ毛:アルトリウムの結晶。モルガンにはない。


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7話目 モルガンとアインツベルン

 

 冬木市にて行われる聖杯戦争。その御三家と呼ばれるうちの1つ。それがアインツベルンであり、彼らは遠坂や間桐と違って基本的に日本にいない。冬になれば辺り一面が真っ白になるような、そんな白銀の雪の世界に居城を構え、聖杯戦争の時期になれば代表を送り込む。

 それが10年前であれば、雇われた正義の味方衛宮切嗣と、その妻でありホムンクルスでもあるアイリスフィール・フォン・アインツベルンだ。

 その2人の間には1人の娘がおり、その名をイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。第五次聖杯戦争に参加する魔術師の中では、一線を画す存在。マスターとしても、誰よりも──黒桜は知りません──優れている。

 

「リズ、シロウをここに連れてきて」

 

「誘拐でいい?」

 

「んー。抵抗するなら許可するわ」

 

「許可しないでくださいイリヤ様! リーゼリット! あなたもそんなことすぐに口にしない!」

 

「「セラうるさーい」」

 

「うるさ……!? それはあなた達が──!」

 

 そんなイリヤなのだが、ホムンクルスと人間のハーフだ。本家の者たちによって体も調整され、魔術師として優れている代わりに、体の成長は止まっている。本当なら衛宮士郎よりも年上なのだが、今の彼女の見た目は高く見積もって中学生。妥当なのが小学校高学年というもの。

 その彼女の使用人なのが、こちらもホムンクルス。口煩い母親のような姉のような、そんな存在がセラ。対象的に軽い言動が目立つ方が、リーゼリットである。セラはイリヤの教育係であり、リーゼリットはイリヤの護衛役だ。どちらもイリヤが大好きである。

 

「じゃあセラがシロウを連れてきて」

 

「はい!? なぜ私がそのようなことを……!」

 

「穏便なやり方がいいなら、セラのやり方でやればいいでしょ? シロウなら絶対話し合いができるし」

 

「それは……そうなのでしょうが……」

 

「じゃあよろしくねセラ」

 

「……はい」

 

 小悪魔の笑みと共に押し切られ、セラはがっくりと肩を落とす。そんなセラを一瞥したイリヤは、弾かれるように窓の外に視線を向けた。今いる城だけでなく、周囲の森さえも範囲にした結界。そこに反応があったからであり、セラとリーゼリットも意識を切り替える。

 

「……あぁ。セラ。外に出る時にバーサーカーも連れていきなさい」

 

「バーサーカーを、ですか?」

 

 肩の力を抜いてやれやれと首を振った主人の言動に、セラは戸惑いを顕にする。イリヤのその反応は、「大したものでもない」と判断した時のもの。しかしそれなら、自身のサーヴァントであるバーサーカーを、ギリシャの大英雄たるヘラクレスを連れて行けとは言わない。

 

「そう。そっちの方がいいから。シロウを連れてくるのは違う日にしましょう」

 

「え?」

 

「イリヤ?」

 

「退屈な時間を潰せそうになったから、今日はいいの」

 

 180度意見が変わったものの、イリヤは主人だ。セラとしても、衛宮士郎を迎えに行かなくていいのは万々歳である。ホムンクルスだからこそなのか、彼女は人間が好きじゃないから。

 

 そう思っていたのに……。

 

「あなたですか……京坂大和……」

 

「歓迎されてないね」

 

「あなたを客人として扱うかどうか……。判断が難しいので」

 

「セラさんって、衛宮先輩と話す時より言葉柔らかいのに遠回しに失礼だよね」

 

「彼は今関係ないでしょう」

 

「これがツンデレというものですか」

 

「誰がツンデレですか誰が! っと失礼しました。私はイリヤ様に仕えるメイドのセラと申します。あなた様のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 

「ええ。私の名はトネリコ。今日はヤマトに頼んでこちらに来ました。事前の連絡もなく訪れたことにお詫びを」

 

 メイドの宿命なのかセラの性質なのか。彼女は目の前にいる人物が、人の上に立つ者であることを直感的に理解した。そして礼節を弁えているということも。となれば、今回のもやはり大和が原因である。前回もふらふらっと音沙汰なく訪れた。

 

「今回は何の用なのですか京坂大和」

 

「名前の発音よくなってるな。練習でもした?」

 

「していません。衛宮士郎で慣れただけです」

 

「おれと先輩の名前似てないんだけどな……。用事らしい用事はないんだ。寄っただけ」

 

「軽い気持ちで寄るような場所ではないでしょ……。位置からしても」

 

 それはそうだ。大和の家から近いわけでもなく、この周囲に道路が整備されているわけでもない。車で森の近くまで行けたとしても、そこからここまでは長い距離を歩かないといけない。明らかに寄り道の距離ではないのだ。

 

「■■■■■」

 

「お、バーサーカーさんだ」

 

「バーサーカーというわりに、理性があるようですね」

 

 会話が成立するバーサーカーの発言である。

 

「■■■■■■■」

 

「寄り道だけど、イリヤさんは招く気なのかな」

 

「……その通りですが京坂大和。あなた今バーサーカーと会話していません?」

 

「ニュアンスが分かるぐらいだよ。イリヤさんほどは、バーサーカーのことは分からない」

 

「そうですか。いえそれでも十分おかしなことですが」

 

 バーサーカーはいつも無言だ。マスターであるイリヤに対しても、短な声が漏れたり、行動で反応を示すことが多いというのに。今のはある種異常な現象だ。

 呆れるセラをよそに、大和は持ってきた鞄の中をゴソゴソと漁る。はじめからここに寄るつもりだったのだから、手土産くらいは持参している。そのうちの1つを渡す相手が、巨岩のような肉体を持つ大英雄ヘラクレス。彼は狂化していることもあって、好きなものや嫌いなものがない。

 そんな彼へのお土産とは。

 

「はいエネループ」

 

「は?」

 

「12本入りを買ってきたから、それでしばらくは持つでしょ」

 

「■■」

 

「は? ……え、あの……バーサーカー?」

 

 男の友情と言わんばかりの拳の重ね合い。モルガンは何も知らないのだから成り行きを見守るだけで、存在は違えど共にイリヤに忠誠を誓う者同士であるセラは、何も呑み込めない。

 

「どうかしたセラさん? もしかしておれ何かやっちゃいました?」

 

「なぜでしょう。無性に腹が立ちます」

 

 ぐっと堪えているセラの視界には、エネループを手に入れたことに喜んでいる──ように見える──ヘラクレスの姿も。

 

「ギュって握ってるけど、あれ握り潰されないかな……」

 

「大丈夫ですよヤマト。そうしない程度の理性はあるようですから」

 

「ならよかった」

 

「はぁ。そろそろご案内させていただきます。イリヤ様の下へ戻りますよバーサーカー」

 

 仕事モードになれば何も恐れる必要がない。冷静に、粛々とやることをこなせばいい。

 仕事人として見事に意識を切り替えたセラは、大和とモルガンを先導して城の中へ。バーサーカーもそれについて行き……入り口で体を引っ掛けた。デカ過ぎて通れないらしい。

 

「■■■■ーーー!!」

 

「あなたは霊体化しなさい!!」

 

「■■ー!!」

 

「壊しちゃダメよ、バーサーカー」

 

 壁を殴り壊そうとするヘラクレスを、セラは慌てて止める。それを拒みそうだったヘラクレスも、自身のマスターたるイリヤが現れたことで大人しくなった。けれどもまだ霊体化はしない。イリヤにエネループを渡していないから。

 

「1週間ぶりかしら、ヤマト」

 

 モルガンの視線が鋭利な刃と化す。それだけでなんとなく見当をつけたイリヤは、面倒臭そうに半眼になり、ひとまずヘラクレスの下へ。彼が右手だけを城内に伸ばしているから。

 

「余裕ないのね」

 

「……」

 

 すれ違いざまにモルガンにだけ聞こえるように囁く。彼女の反応は待たずに、イリヤはヘラクレスの手の前まで歩いた。彼女がそこまで来ると、ヘラクレスも握っていたその手を開いていく。

 その手の中にあるのは、当然ながら先程もらったエネループ。それはヘラクレスが、「はじめてのおつかい」で達成できなかった買い物。なお大和は後でセラに請求するつもりでいる。領収書もちゃんとアインツベルン名義である。

 

「……ふふっ、やっと達成できたのね。偉いわバーサーカー。ありがとう」

 

 イリヤのその言葉を受け、バーサーカーもようやく霊体化した。

 

「なんで来たのかしら? しかもあなた達、()()()()()()()()?」

 

「ええ。ヤマトは浮遊ができないようなので、それならば空というものを味わってもらおうかと」

 

「それができるだけでもあなたの技量が覗えるわね。しかも転移まで」

 

「それをすべて把握しているあなたも、並の魔術師ではないようですが?」

 

「そう。素直に受け取っておくわ」

 

 静かに牽制し合う2人から離れた位置で、それをハラハラしながらセラが見守る。戦闘が向いていないセラにも、モルガンの並外れた力量を感じ取れるのだ。その横で一緒に控えているリーゼリットは、手を羽に見立ててぴよぴよと飛ぶ真似をしている。セラに腹をグーパンされた。

 

「イリヤさんにお土産あるんだけど、いる?」

 

「お土産? 私欲しいもの特にないのだけど」

 

「藤村さんから預かってる昔の衛宮先輩のアルバムだけど、いらないなら返しとくか」

「いらないとは一言も言ってないでしょう?」

 

「反応早いよ」

 

 そのアルバムは藤村大河が制作したものだ。彼女が撮った写真が多いが、彼女がまだ学生だった頃のものもある。藤村大河にとって、宝石のような時間。その内の1つ。

 つまり衛宮切嗣の生前の写真も混ざっているのだが、中身を見ていない大和の知ったことではない。「イリヤちゃんに会いに行くの? これを貸すって話になってるから、ついでによろしく~」とか言って渡されたものだ。なお藤村も、衛宮切嗣とイリヤの関係を知らない。

 

「部屋に行きましょう! タイガから聞いてる話もあるんでしょう? 写真見ながら教えて!」

 

「イリヤさんって衛宮先輩ほんと好きだよなぁ」

 

「当然でしょう? シロウは私の最後の家族なんだから!」

 

 アルバムを両手で抱き抱えたイリヤが、踊るように軽い足取りで階段を登っていく。それが本当に嬉しそうで、笑顔が心底から溢れているのは、それを見た誰にでも伝わる。

 見た目通りの幼さを感じさせる、無邪気さ。純粋さ。そして残忍さだって併せ持っている。いや、一般的な善悪をつけられないほどに、彼女は純粋だとも言える。幼い子どもが、小さい虫を理由もなく殺すのと同じだ。

 

「トネリコ?」

 

 イリヤの後ろに続いて歩いていると、モルガンに袖を摘まれた。それは止まれという合図ではない。大和の気を引くためのもの。

 

「(彼女には、少し警戒しておいてください)」

 

「(そうなの? 怖いとこはあるけど、純粋な人だし、読みやすいと思うけどな。衛宮先輩も、悪い人とは思ってないみたいだし)」

 

「(底無しのお人好しの意見は参考になりませんが?)」

 

「(それはたしかに)」

 

 あの人が心から悪だと断定するものどういうものだろうか。悪人だと断定する人間は、どういう人間だろうか。まったく想像ができない。

 そんな人間の言う「悪い子じゃないと思うんだ」を、どれだけ信用できると言うのか。

 

「(人間は成長し、変化できる。それは分かっているので『あくまで今の彼女は』という話ですが)」

 

 どこまでも純粋な存在を知っている。

 よく知っている。誰よりも理解している。

 イリヤの生まれを知らずとも、その中身を見抜いて眉をひそめたとしても。それを連想させた。

 

「(少し、妖精に近い)」

 

 モルガンが絶対に赦さないと決めた存在。そして大和がその危険性を理解できない存在。

 大和はそれを思い浮かべているモルガンの手を取った。この世界には、彼女の知る妖精たちなどいない。地上からは姿を消し、星の内海に行ったと言われている。ならば、今はそんなことはいいのだと。知らぬが故に、そう動ける。

 

「(モルガンが言ったみたいに、人は変われる生き物だ。それに、衛宮先輩ってそこの影響力強いんだよ。だから大丈夫。モルガンは気にしなくていい)」

 

 衛宮は理不尽も残忍も良しとしない。正義の味方になる男だから。

 

「(それに……、その……。おれも頑張るから)」

 

「(ヤマト……)」

 

 恥ずかしそうに、視線を合わせることなく大和が言う。そこに頼もしさを感じるには、まだ彼の度胸が足りない。

 

「(なにを頑張るのですか?)」

 

「(うぇっ!? え…………っと……)」

 

 ちょっと踏み込んだらテンパるこの少年に、何ができるのだろう。手を煩わされるだけかもしれない。

 けれども今の彼なら、これはこれでありなのだ。可愛らしいから。そう思う気持ちを、モルガンは胸のうちにしまった。

 

 




イリヤ:なんか色々と気づいてる子。大和のことは「士郎の後輩」としてそこそこ友好的に見てる。
バーサーカー:実は大和と友情コンボができる。ランサーが死ぬ。

次回、あの男現る。


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8話目 モルガンとフリーマーケット

 

 週末らしいことと言えば何だろう。家族や友人と出かける。バイトに奔走する。週末に休みがある人に「おファックですわ!」と言いながら出勤する。自由が増えるということは、それだけ人によって生活様式が異なることになり、誰かが休む時には誰かが働いていないと回らない社会になる。

 それは安定した国家運営を実現させる反動。資本社会の呼吸の証。町中を見てそれを肌で感じ取りつつ、モルガンは大和とある場所に向かっていた。

 自由が広がった現代だからこそできることの1つ。賑わいを見せるその場所。フリーマーケットである。

 

「自由な市場、ですか」

 

「そう。使えるけどもう使わないものとか、再生利用ができるものを持ってきて、売買したり交換したりする場。物は大切にしようってな」

 

「ヤマトは何か欲しいものでもあるのですか?」

 

「特には。掘り出し物でもあればいいなっていうのと、トネリコが楽しめたらいいなって」

 

「そうですか」

 

 一定範囲ごとで場所が決まっているのだろう。それぞれがテントの下で、長テーブルを設置してその上に商品を置いている。各々で工夫が施されていて、客の数もそれなりに多い。イベント好きな日本人なら、興味本位や気まぐれでひとまず足を運びにくることだろう。

 自分の国とは徹底的に異なる統治の仕方。汎人類史が、長い歴史と過激な歴史の末にたどり着いた1つの結論。

 

「……トネリコにとって、現代って生きづらいか?」

 

「なぜ、そう思ったのですか?」

 

「いや……ぼんやりとだけど、そっち(異聞帯)のことも記憶にあるから。違う場所って、思うことも多いんじゃないかなって」

 

「曖昧ですね」

 

「うっ」

 

「……たしかに日々違いを感じていますが、あなたの心配には及びません。時代や思想、そこに生きる者たち。それらによって、統治の方法は変わるものですから」

 

「それなら安心した」

 

 いっぱいいっぱいだった大和も、ある程度モルガンとの生活に慣れてきたからこそ生まれた懸念。気づき、心配になったこと。1つの国の為政者に、全く異なる在り方を見せつけているようなこの日々は、酷く残酷なんじゃないかと、そう思っていた。

 けれどそれは違った。モルガンは「違うもの」としてはじめから見ていて、「こういうもの」として受け入れていた。もしかすれば、どこか使える制度もあるのではと、観察もしているかもしれない。

 

「久しいな少年。寄っていかないかね?」

 

「わぉ言峰神父。なんであなたがここに?」

 

「見ての通り、私もこのフリーマーケットの参加者でね。教会の資金運用に苦労しているというわけだ」

 

「何でもできそうな雰囲気あるのに」

 

「ふっ、私はそこまで、器用ではないとも。というか経営学修めてないのにいきなり教会1つを1人で運営できるわけないじゃん」

 

「めっちゃ早口で本音が出ましたね」

 

「ヤマトこの者は?」

 

 大和の人間関係1つ1つに目くじらを立てるなど、そんな無粋なことはしない。

 モルガンにとっては初対面だから、説明がほしいだけだ。何より、こういう時は最初に紹介から入るものではないのか。今の流れでは、モルガンが割って入るまで2人で会話を続けそうな勢いだった。

 

「冬木市にある教会にいる言峰綺礼さん。通称麻婆神父」

 

「そんな通称がついていたとは」

 

 教会以外での目撃箇所が、麻婆豆腐を食べているところしかないのだから必然である。

 

「それで神父さん。こっちがトネリコ」

 

「少年君は他己紹介のやり方を学校で教わるといい」

 

「あれ?」

 

 上下関係が明確であれば、その場で最も立場の高い人間に紹介。それがなければ、相手方に身内を紹介し、次に身内に相手方を紹介だ。

 モルガンが女王であることを考えれば、間違ってはいない。けれど彼女のことを隠しておきたいのなら、先に言峰に紹介するべきだった。今回なら無知で誤魔化せるが、次回以降はそうもいかない。

 

「ヤマトが世話になったようですね」

 

「なに、職務を全うしたにすぎんよ」

 

 モルガンと言峰が視線を交わし、言峰は不敵に小さく笑みを溢した。モルガンの真名までは分からずとも、ある程度掴めるものもあるらしい。

 

「京坂大和。私の下を訪れなかったということは、()()()()()()かね?」

 

「そうですね。参加はしませんよ。巻き込まれたら話は別ですけど、そもそも()()()()()()()()()?」

 

 大和は言峰に左手の甲を見せた。聖杯に選ばれたマスターであれば、そこに3画令呪が刻まれる。衛宮士郎は普段それを隠して、イリヤなら堂々と晒している。その令呪を、大和は持っていない。だからこそ、大和自身がモルガンの召喚理由を把握していないのである。

 大和の手を見て言峰は鼻を鳴らす。それならそれでいいのだ。イレギュラーな存在が、乱入してこないのだから。そもそもイレギュラーはすでに身内にいる。増えては管理の苦労もひとしおだ。

 

「ならばよいとも。少年、せっかく来たのだから1つどうかね?」

 

「これが言峰神父じゃなかったら買ってたんだけどなー」

 

「失礼という言葉を知っているのかね?」

 

「神父さんには気にしなくていいものでしょ?」

 

 清々しい答えだった。高飛車な弟子を彷彿とさせる。

 

「それより神父さんこれ全部高くないですか? 宝物展だよこれ」

 

「どれも本物だ。知人の代わりに販売している」

 

「そっちのテーブルのが安く思えてくるトラップじゃん」

 

 言峰は、今日のフリーマーケットで2つの長机を確保していた。片側は10年来の付き合いである金ピカからパチったもの。どれもが馬鹿げたほどに高い値段だ。そしてその隣。こちらは言峰の私物から出してきたもの。こちらもそこそこな値段を張られているが、宝物のせいで金銭感覚が狂い、安く見えるというわけだ。

 

「教会で見かけたやつもありますね。これ売れるんですか?」

 

「高齢者の信者が買っていっている。ありがたいことにな」

 

「詐欺師に思えてくるな」

 

「定価だとも。上乗せはしていない」

 

「ヤマト。これらの物は高いのですか?」

 

「うん」

 

「この値段ですよね?」

 

 元から金銭感覚が狂っている彼女だ。金ピカ英霊の宝物ですら、高いとは思わない。

 そんなニュアンスを聞き取った大和は、顔を引きつらせながらモルガンに問う。

 

「……な、何か惹かれるものでもあったか?」

 

「いえそうではなく。この値段が高いと感じるラインなのだなと」

 

「おれが惨めに思えてくるからやめて!」

 

「ふん、安心したまえ少年。君は()()()()()()()()

 

「へ?」

 

 言峰がいるテントの対面。そこに構えられているテントの下で、長机に項垂れている赤い悪魔の姿がそこにあった。学校の話題の中心人物たるきらびやかな姿など、影も形もどこにもない。

 

「あの人の家って金持ちでしたよね?」

 

「散財したのだろうよ。後見人として資産の紐は握っていたが、今年度にそれを手放してね。半年であの有り様だ」

 

「ええぇぇ……」

 

「ちなみに本人の主観で値段が決められている。定価より高いぞ」

 

「転売詐欺じゃん!」

 

「売れぬのも当然ですね。魔術師としての才はあるようですが、商才は皆無と」

 

 ああはなりたくないなぁと、大和は深いため息と共に呆れ。それを受けてモルガンは、大和をそうさせないために金銭感覚のズレを埋めていこうと決める。自身の(マスター)に惨めな生活などさせられない。

 

「さてさて、他の店も見に行くか」

 

「そうですね」

 

「後ほど、また来たまえ」

 

「無理やり買わせる気ですか?」

 

「まさか。実はまだ、物を全て揃えているわけではなくてね。ここに到着していない商品もある」

 

「それを買うかはともかく、次に何を並べるのかは、楽しみにしときますよ」

 

 他の店を見て回るとは言ったものの、実は向かう先は決まっている。先ほど遠坂の成れの果てを見た時に、ついでに周囲の店も見た。その中で1つ、気になったものがあったのだ。

 そこに向かう道中、並んでいる商品も見て楽しみながら回る。モルガンが惹かれるものがあるか。彼女に似合いそうな何かはないか。それを密かに思いながら。

 残念ながらそういうものは見当たらず、大和たちは目的地に着いた。

 

「ライダーさんも参加してたんですね」

 

「や──京坂ですか」

 

 その名を発しかけた瞬間の殺気。それで理解したライダーは呼び方を変えた。俊敏な反応である。敏捷Aランクは伊達じゃない。

 

「ええ。今は席を外していますが、桜と一緒です。不要なものの処分に丁度いいと」

 

「他に使ってくれる人がいるなら、そっちの方が気持ちいいですからね」

 

「そういうことです」

 

「で、なんで間桐先輩が()()()()()()()()()()()()()?」

 

 置物のように黙って黄昏れていた間桐慎二が、話を振られたことで嫌そうな顔をする。溜まっている鬱憤もあったようで、大和による刺激で破裂した。

 

「抜け出せないんだよ! 僕の尻が嵌ってな!」

 

「先輩の尻ってそんな大きさじゃないでしょ」

 

お前が僕の尻を語るな!

 

 正論である。

 

「僕だってこんな目に合うとは思わなかったさ! 今朝いきなり桜とライダーが部屋に来たと思ったら──」

 

『兄さん客寄せをしてもらっていいですか?』

 

「──とか言って、僕の返事を待たずに自転車の籠に押し込んできたんだ! 僕がこんな目に遭ってるのはお前のせいだからなライダー!!」

 

「桜を後ろに乗せるのですから、あなたは前に入れるほかないでしょう」

 

「人を籠に入れるって発想がおかしいんだよ! お前なら往復できるだろ!! はあ、はあ。ったく、おかげで今日の僕はみんなのお笑い者さ。お前も笑えよ、京坂」

 

「ハハハハハ! ズボン破けてパンツ見えてやんのー!」

 

「最低だ……! 最低最悪の情報を叩き込みやがったこの後輩!!」

 

 喋る相手が来たことで、不満をぶつけるように叫びまくっている間桐慎二だが、それはまさに逆効果であった。なにせ彼が叫ぶほどに人の注目が集まり、その数だけ彼は覗き見えるパンツを晒しているのだから。籠の網越しであるため、変にアブノーマルである。

 

「おいライダー! ギッタギタに裂いてやれ!」

 

「あなたのパンツ(ズボン)をですか? それともパンツ(パンツ)をですか?」

 

「パンツしか選択肢にないじゃないか……!?」

 

「何を騒いでるんだ慎二。離れていても聞こえてきたぞ」   

 

 味方がいないと軽く絶望した間桐慎二の下へ、友人であり正義の味方たる衛宮士郎が現れた。その手はイリヤと繋いでおり、アルトリアは藤村と食べ歩き中である。

 

「いいタイミングだ衛宮」

 

 救世主を見たようにその顔は喜びに染まり、

 

「あ、わり。俺の知ってる友人じゃなかったや」

 

「おい待て衛宮!」

 

 一瞬で地に叩き落とされた。

 

「というかおい! なんでその手で子供の目を覆ってるんだよ!」

 

「いや、イリヤにはまだ早いというか……」

 

「僕は規制される存在(喋る18禁)とでも言いたいのか……!?」

 

「シロウ。私をレディとして扱ってくれるのは嬉しいけど、子供扱いするのはどうなのかしら?」

 

「子供扱いってわけじゃなくてだな……」

 

 場の混沌がそれなりに広がったところで、やはり衛宮が対応することになった。困っていると知って、友人を助けないわけがない。ライダーや桜が放置したのは、籠を壊す以外の手段を持ち合わせなかったこと。そしてそれをやりたくなったからだ。

 衛宮士郎なら問題ない。解体し、元に戻すだろう。実は衛宮がここに来たのも、桜から連絡を受けたからである。その桜は凛の様子を見に行っているが。

 

「いや~面白いもの見れたし満足満足。トネリコ的には、今のマイナスかな?」

 

「いえ。あなたの本質は揺らぎませんから」

 

「……これって褒められてる?」

 

「無論です。だからこそ私は、あなたの側に居続けるのです」

 

「…………ありがと」

 

 大和がどういう人間なのか。それはとっくに分かっている。初めて知った時から、彼のことは見抜いている。 

 それは視えるからであり、彼がモルガンに対して真摯に向き合うから。

 自分との決定的な違いを感じつつも、それでも"いいな"と思えているのだ。

 

 

 他にも回って適当に時間を潰せたところで、大和はモルガンと一緒に再度言峰の下を訪れた。そこに行くだけで気付ける変化。それこそ、言峰の言っていた物が到着した証。大量のダンボールによって築かれた山である。

 

「なんですかこのダンボールの山。ダンボールなんて誰も買いませんよ?」

 

「中身が持ち運びに不便なものでね。ダンボールがあった方が便利だということだ」

 

「なおさら買わないのでは?」

 

「なに。私はこれを販売するつもりはない」

 

 ならばなぜ大量に持ってきたのか。

 

「在庫処理に協力したまえ」

 

 そういうことである。

 大和とモルガンは半眼で言峰を見つめた。

 

「私が持っていても仕方のないものだ。欲するものが持つべきだと思わないかね?」

 

「中身が分かればね?」

 

「聖杯だとも」

 

「……は?」

 

「聖杯。そういったのだ。贋作ではあるがね」

 

 聞き取れなかったのではない。理解が追いつかなかったのだ。聖杯を配るとはどういうことなのか。そもそも聖杯がなぜ顕現していて、ダンボールに敷き詰められているというのか。

 

「全てで48個。倉庫に置いていても場所を取るから困っている。贋作と言ったが、聖杯は聖杯だ。使い道はある。君も1つくらい持っていても損はないのではないかね?」

 

 大和も、モルガンも。聖杯にかける願いなど持っていない。それを持っていても仕方がないのは、言峰と同じだ。

 大和はモルガンと顔を見合わせ、しばらく考えてから結論を出した。

 

「2個貰ってもいいですか?」

 

「ふっ、構わんさ。──喜びたまえ少年。君の願いは、ようやく叶う」

 

 言峰がダンボールを2つ手渡し、モルガンと大和がそれぞれ1個ずつ持つ。それを持って、中にそれがあるのを感じて大和はいい笑顔を浮かべた。

 

「自家製ポップコーンできそうだな!」

 

 世界一無駄な使われ方が決まった瞬間である。

 

 




聖杯の贋作:魔術師の求める万能の願望器にはなれない器。冬木の高齢者たちからは「最新型炊飯器」「最新型鍋」「最新型電子レンジ」など、何にでも使える万能調理器具として喜ばれている。電気代不要。



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9話目 モルガンと独占欲

 

 聖杯を2個得たのはいいものの、用途が特にない。ポップコーンを作るにしても、いったいどれほどの量を出してくるか不明だから中止。家で飾ろうかとも考えたが、置き場所に困るということで、結局聖杯はダンボールの中へ。

 箱の中は、衝撃を和らげるために、大量の新聞紙が敷き詰められていた。そのおかげで傷1つない。聖杯がちょっとした衝撃程度で傷つくわけもないが。

 その聖杯を1つ手に取って眺める。汚れだって1つもない。どこをどう見ても、金色に輝いており、そこに反射して映る自分の顔が、何やら不要物に思えてくる。聖杯には何も映させず、ただ鎮座させていたらいいのだと。無言の説得力があった。贋作ですら、そう思わせてくる。

 

「……聖杯って純金かな?」

 

「売ろうとしていませんか?」

 

「一番現実的な使い道だと思う」

 

 売ったらどれほどの金額になるのだろうか。その辺の質屋に入れてしまうと、本来の価値より低い値段で買い取られそうだ。一般人にとっては、聖杯などただの金の器。道理ではある。

 そうなると、売るのはやはり魔術師相手がいいか。時計塔にいるロードにでも押し売りすれば、良い値段で買い取られること間違いない。贋作だけど。

 

「聖堂教会、でしたか。ここにある教会に48個もあるのはおかしな話ですが、それがおかしくないのであれば、世界中に聖杯があるのでは?」

 

「マックじゃないんだから」

 

「ポップコーンかもしれません」

 

「食べたいのか?」

 

 モルガンは首を横に振った。そういうわけではないらしい。ポップコーンと言えば、映画館以外でなかなかお目にかかれない商品だ。味の好みは人それぞれ。ポップコーン自体の好みもそれぞれ。

 買うか買わないかも別れるが、大和は友人と映画を観に行くと割り勘で買う。ドリンクが二個セットでお得だから。そして友人が食べ尽くすというのが定番の流れである。

 

「今度映画を観に行くのもありか」

 

「現代の娯楽の1つでしたか。時期によってラインナップが変わるのでしたね」

 

「そう。今やってるやつは何かな……」

 

 パソコンを起動させる。大和は魔術師の家系だ。家名の変遷はあれど、本家の歴史も長い。そうなると時代遅れな家具や機器が多くなりがちなところを、大和はそうなっていない。最先端に興味津々である。本家にいた頃、幼いときの友人にロ○クマンをやらせてもらったことが原因だ。エア○マンは倒せなかった。

 そんなわけで、彼の家にはテレビもパソコンもある。ゲーム機もあるし、録画機器だってある。扱いだっていたって普通だ。赤い悪魔みたいに破壊したりなんてしない。

 

「ヤマトはどういうものが好みなのですか? やはりロボットですか?」

 

「置きにいってるようで当てにきたな?」

 

 見事に正解である。変形とかすると大興奮する。

 

「今やってるやつだと絶対観たいってやつはないんだよなー。あ、振り返り上映なんてしてるんだ」

 

「スクリーンが後ろにあるんですか?」

 

「物理じゃなくて。過去に放映されてたやつが、何個かピックアップされて上映されてるっぽい」

 

「なるほど。そちらにはヤマトの好みのものがありますか?」

 

「困ったことにない。モルガンが選んでくれていいよ」

 

「……考えておきます。この機械の使い方も教えてください」

 

「いいよ。でも壊すなよ」

 

「振りですか?」

 

「振りじゃないです!」

 

 パソコンまで壊されてしまうと洒落にならない。"家"から毎月お金の仕送りはあるが、まず食費が増えた。次に予定外の出費もあった。モルガンの私服や靴、その流れで大和の私服も増えたり。何より一定額を貯金に回したい。

 

「物は大切にってな」

 

 その心掛けも理解できる。モルガンはこの前、大和に家計簿を見させてもらった。毎月仕送りで送り込まれる金額。それに対する毎月の出費額。

 実は半分ほどは貯金に回しており、その影響で節約した日々を送っているのだ。モルガンは過去数ヶ月分を見てから、今月の出費額を見た。今は12月の半ばで、それなのに出費額はもう先月分に迫っている。

 

「あ、でも」

 

「?」

 

「モルガンに窮屈な思いはさせたくない。優先してるのはそっちだから」

 

「私はサーヴァントですよ?」

 

「関係ない。せっかく現代に来たんだし、しかも戦う必要もない。なら満喫してもらいたいじゃん?」

 

「あなたは……本当に魔術師ですか?」

 

「あはは。まぁ、おれも誰かさんに感化されたのかもね」

 

 その誰かなど、聞くまでもなかった。モルガンから見て異常だと感じる人間。人の形をした何か、とすら言えてしまう者。それに気づいている人間はほとんどいない。あの学校では、数年来の友人である間桐慎二くらいか。

 そのくせして人への影響力を持つ。

 

(いえ、だからこそですか)

 

 不気味なほどに真っ直ぐだから。1つのことに向かって突き進み続ける人間だから、その言葉は真摯なもので、周りに影響を与えることもあるのだろう。

 

──()()()()()()()()()

 

 自分の(マスター)が、自分以外の人間によって染められる。この事実は、モルガンが現界してから初めて「つまらない」と感じたものだ。

 背の低い丸テーブルを挟んで向かい側。そこに座っている少年は、押し黙るモルガンを見て首を傾げている。そんな彼に、テーブルに沿って近づいたモルガンは、彼の肩に指先を伸ばした。触れそうで、触れなくて。一度引っ込めた指を、再度伸ばして。

 

(……っ)

 

 意を決して触れる。彼の肩に。その袖を指で摘まんだ。

 

「モルガン……?」

 

 彼女の行動の意図が読めず、少年は緊張して体を強張らせた。1LDKという空間で毎日を共にしているとはいえ、出会ってからまだ10日も経っていない。親しみがあるのは、夢の中での交流があったから。けれどそれは曖昧なもので、目を醒ませばいつも彼女の顔も、交流の中身も朧気だった。

 そうであるからこそ、大和はまだ彼女に慣れない。慣れられるわけがない。ふとした仕草にドキッとするし、気を抜けば視線を彼女に奪われる。気を強く持たねば、会話の度に言葉を詰まらせることだろう。

 大和から見て、モルガンは魅力的な存在なのだ。凛々しく、美しい顔立ち。その堂々たる姿は大きく映り、時折見せる抜けた一面がかわいらしい。

 

「ヤマト」

 

 その彼女が、今のどれにも当てはまらない表情で。それなのに、普段より強く視線を釘付けにしてくる。

 軽く寄りかかられて、彼女の重み(存在)を触れられた肩に感じた。名前を呼んだその声は、何よりも綺麗な色で彼の耳をくすぐった。

 

「あなたは私のものです。あなたのすべてを、私は支配します」

 

「うん……? ……うん」

 

 言葉の意味を考え、大和なりに咀嚼して、頷く。

 

「私には、支配すること以外の手段がありません。持ち合わせていません」

 

 あったかもしれないが、2000年もの時を経て喪った。

 

「であれば、あなたは私の色に染めます」

 

 自分好みの人間にしたいわけじゃない。傀儡を作りたいなら、それこそホムンクルスを作ればいい。人形を作ればいい。

 そうではなく、大和には大和の軸を持ってもらって。それを保った上で……。

 

「ヤマト?」

 

 何も返さず、大和はモルガンの手をそっと放させて立ち上がる。

 

「っ……」

 

 離れていく少年にモルガンは手を伸ばしかけ、躊躇いの末にその手を下ろした。

 いつものことだ。何をどう転がしたとしても、自分の手には何も残らない。得られたものもこぼれ落ちていく。何を望んでいたのだろう。この時間だって──

 

「モルガン」

 

 ──少年の声に思考を遮られる。名前を呼ばれただけなのに、その声に意識を向けさせられる。

 戻ってきた彼の手には、1つのネックレスが乗っていた。青い宝石をあしらわれ、それがただの宝石ではないことを、モルガンは見抜いた。

 

「……君にとっては、無いも同然かもしれないけど、加護を込めてある。正直そっちは二の次で、単におれは、これをモルガンに贈りたい」

 

 その言葉に他意はなかった。本当に、プレゼントしたいだけ。そのことにモルガンは僅かに目を見開く。

 

「せっかく、こうして出会えたんだからさ。何かできたらなって思ってたんだ。ケーキとかでもよかったかもしれないけど、12月だしクリスマスあるし。残せるものにしようって思って」

 

「……いずれ私は、還るのですよ?」

 

「それはそれ。これはこれ。おれがやりたいからそうしたんだよ。難しかったけどな。モルガンに気づかれることなく用意するとなると、他の人に買ってもらうしかない」

 

「なるほど。聖杯を入れていたダンボール」

 

「そう。神父さんがそこに紛れ込ませてくれてた。あの人こういうとこは、しっかりこなしてくれるんだよ」

 

 「性格破綻してそうなのに」と大変失礼なことを付け足しながら、大和はモルガンの前まで移動して目の高さを合わせた。

 サプライズとしての贈り物。それは見事に成功している。モルガンはこれが用意されていたことに、ついぞ気づけなかった。

 

「受け取ってくれる?」

 

 きっかり3秒。躊躇うのでもなく揶揄うのでもなく。言葉にできない感情を抱いた。それが何かはわからなくて(思い出せなくて)。けれどそこに気持ち悪さはなくて。

 それを優しく包み上げるように受け取った。汎人類史の自分の記憶も持つモルガンにとって、それは希少価値の高いものではない。大きさにしても、数にしても。それらのものに劣っている。

 それなのに、これはそのどれよりも輝きを放ち。どれよりも重く。どれよりも価値のあるものだ。

 

「……ヤマト」

 

「うん?」

 

「これを私に付けてくれますか?」

 

「……うん。いいよ」

 

 受け取ってもらえた。その事実が大和を笑顔にさせる。

 モルガンに渡したネックレスを預かり、彼女の後ろへ。モルガンも美しく長い髪をまとめ、それが邪魔にならないように横にずらす。

 

「っ!」

 

 息を呑んだ。彼女のうなじが、少年にとって刺激が強いものだったから。クラスメイトと話していた時は、その魅力が分からないと思っていたのに。いざその時が来ると、グッとくるものがあった。

 知らない気持ちだった。それが何かを大和は理解できず、胸の中でうずまく気持ちを、深呼吸1つで鎮めていく。

 冷静さを取り戻して、彼女の首へネックレスを回す。付ける事自体は簡単だ。クラスプを付ければいいだけなのだから。

 頭では分かっている。それだけだと。しかしそれがうまくいかない。緊張して、手が震えてしまう。下手に失敗し続けて、傷をつけたくもない。

 

「ヤマト」

 

 優しい声色だった。それと共にモルガンは、片手を大和の手にそっと触れる。ひんやりしていて、艶のある手。触れられた瞬間、大和はピクッと身震いしたが、そこからは不思議と落ち着けた。彼女のことで緊張しているのに、彼女によってそれが解けていく。

 

「よし……。できたよ、モルガン」

 

 手を放して、彼女から1歩離れた。モルガンは胸元にあるそれを見つめ、次に部屋にある鏡の前へ。そこで確認してから、大和の方へと振り返る。

 

「どうですか?」

 

「とても似合ってると……そう思います」

 

 贈ったものを付けてもらえている。それだけでも感慨深いもので、胸の底から込み上げてくるものがあった。

 それを感じながら大和はベッドに腰掛け、後ろに手をついて天井を見上げる。モルガン相手に送る言葉は、他にもあったのではないかと思ってしまう。素で綺麗なのだ。正直言って、アクセサリー類は余計なものになるんじゃないかと不安もあった。

 けれど彼女はつけてくれた。感情の起伏が乏しい彼女だが、反応を見る限り悪いものではない。そこで安心すると、さっきまでの距離を思い出して顔が熱くなる。

 

「顔が赤いですよ」

 

「うわっ!?」

 

 ひょっこりと視界いっぱいに映った彼女の顔に驚き、大和は素っ頓狂な声と共にベッドに沈む。その反応にムッとしたのか、モルガンが覆い被さるように大和の上へ。少年の顔の横に手を置き、ジッと見つめる。

 

「モ、モルガンさん……?」

 

「何を怯えているのですか」

 

「いや……えっと……」

 

 失礼な反応をしてしまった自覚もある。大和はぐるぐると視線を泳がせ、やがて彼女に贈ったネックレスにそれが止まる。

 

「……ありがとうモルガン」

 

「? なぜあなたが礼を?」

 

「受け取ってくれたから。それが嬉しくて」

 

「……」

 

「俺にとっては、大事だったから」

 

 大和には見えないように顔を伏せて、そのままこつんと胸に頭を乗せた。

 

──知らない(覚えてない)

 

(わたしは……)

 

 胸のうちに灯る温もりを、青いムーンストーンが輝いて代弁した。

 

 

 



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10話目 モルガンとクリスマス①

 

 冬木市の冬は、雪が大量に積もったり池が凍ったりすることはない。北陸や北海道のような豪雪地帯ではないのだ。逆にまったく雪が降らないのかというと、そういうわけでもない。多少は雪が降るし、数cmだけ積もることもある。かき集めたら雪合戦できるね程度だ。

 

「去年は大量に降ったらしいんだけど、自然現象だからな。今年が例年通りならあんまり降らないかな」

 

「ヤマトは雪が降ってほしいのですか?」

 

「雪が降る方が体感的に暖かいって言うし。冬にしか見れないものだからな」

 

「あぁ、寒さが苦手なのでしたね」

 

「まぁね。だからこうして食材を大量に買ってるってわけ」

 

 普段ならマイバッグ1つで済ませる買い物を、今日は両手に大きめなビニール袋がある。モルガンにはマイバッグを持ってもらっている状態。合計で3袋というわけだ。昨日も同じ量の買い物をしているため、これで冷蔵庫の中がいっぱいになる。

 モルガンの術を使えば、買い物袋を家に先に送ることもできる。配達業者がいろんな意味で泣く手段だが、大和は当然それをさせない。周りから余計な疑いの目を持たれるのも面倒だから。

 

「先日からそうですが、普段より賑わっていますね。特に今日は皆浮足立っている」

 

「イブだからな」

 

「クリスマスの前日ということに何の意味が?」

 

「日本人はお祭りが好きだから。イブはそういうものだって認識だけして楽しんでる」

 

 町中に視線を向ければ、イルミネーションをしていたり、店の中や外にクリスマスツリーを設置している。すれ違う子どもたちは、「サンタさんに何お願いした?」という話題で持ち切りだ。

 

「不思議なものですね」

 

「そうなるわな」

 

 本来ならキリスト教の宗教的行事だ。日本はそれをガワだけ取り入れた。もちろん日本にだってキリスト教の信者はいるし、教会だって全国にある。聖堂教会だってそこの一端だ。それなのに、日本で主流なのは、クリスマスイブにケーキを食べたり家族や恋人と過ごしたりすること。以上である。

 これ自体は、日本では珍しいことではない。ハロウィンもイースターもバレンタインもそうだ。「なんか名称のある日」をイベント日に変え、日本流を編み出す。それを不思議だと感じるのはおかしくない。

 

「ヤマトは何か予定を決めていましたか?」

 

 「予定があるか」ではない。「予定があったのか」をモルガンは聞いた。自身が召喚される前に、もしかしたらヤマトは誰かと予定を話し合っていたかもしれない。家族はないとしても、例えば友人。衛宮の家に遊びに行くつもりだったのかもしれない。少なくともあの性格なら、大和に声をかけていそうだ。

 

「いや全然。衛宮先輩にはよかったらどうだって聞かれてたけど、それの断りの連絡は入れてある」

 

「やはり呼ばれていましたか」

 

「まぁね。でも、トネリコがいるから。あっちに混ざって賑やかなのも好きだけど、トネリコとゆったりしようかなって」

 

「……よい判断です」

 

 大和と並んで歩いていたモルガンは、少年がいない方へと顔を逸した。その頬に、僅かな熱を帯びさせて。

 

 

 

 帰宅後、買ったものを冷蔵庫に入れながら、中身を整理。今日使う予定のものは、なるべく手前に。昨日以前に買っていたものも前にした。夕飯はそれらを元に作る予定だが、できればクリスマスっぽさを出したい。

 

「ケーキ用意すればクリスマスだな」

 

「安直ですね」

 

「元々ケーキは食べる予定だったからセーフ!」

 

「私は構いませんが、ケーキは買っていませんよね? 予約もしていないはずです」

 

 そうなのだ。クリスマスケーキを、当日にケーキ屋に買いに行くなど愚の骨頂。ケーキ屋からすれば「お帰りください」案件である。召喚されてこの方、ほぼずっと大和と行動を共にしているモルガンが、それを知らないわけがない。

 それでもケーキを食べるということは、大和が取る行動は1つだけである。

 

「作るから問題なし!」

 

「……作れるのですか?」

 

「うん。作るって言っても、デコレーションだけなんだけどな」

 

 なにせそれ用の調理器具がない。贋作聖杯を代用するのもいいが、あの器を生地製造機やらクリーム製造機やらにするつもりはないのだ。変な事象が起きても困る。ダンボールで眠ってもらうしかない。

 そんなわけで、やることはデコレーションだけである。衛宮が桜とケーキ作りをする予定らしく、その流れで生地も製作。そのうちの1つを、もうじき届けてもらう予定だ。ライダーあたりがそれをやってくれるだろう。

 

「そんなわけで、おれたちがやるのは、生地にクリームを塗りつけたり、飾り付けをすること」

 

「クリームも出来上がっているものを?」

 

「そのつもりだったけど、クリーム作りってそこまで手間がかからないらしい。保険として買ってるんだが、作るのに挑戦するのも有りだ」

 

「ヤマトは作りたいわけですね」

 

「見事に言い当てられた」

 

「材料を買ったのなら、それ以外ないでしょう」

 

「ははは、それもそうか」

 

 料理には、微塵も興味がなかった。そんな大和ではあるが、ひとり暮らしを始めてから興味を持った。ずっと何かを買っての生活では飽きてくるから。料理の奥深さを、衛宮によって教えられたから。

 

「それじゃあ準備するか」

 

「はい」

 

 揃ってエプロンを付ける。はじめは1人分しかなかったそれも、モルガンが来てからは2人分ある。エプロンだけではない。食器類だって増えた。それ以外にも、家の中にある生活用品の種類が変わったり、無かったものが増えていた。

 モルガンにとっても、料理は関心があるものだ。今はまだ大和の補助が必要だが、その成長もまた著しい。任される範囲が増え、いずれは1人での料理も可能になるのだろう。そんな彼女は、この時間を漠然と好きだと感じている。

 誰かと一緒に何かをする。相手が笑顔になってくれる。それだけでも、彼女にはこの上なく嬉しいもの(救われるもの)なのだ。

 

「モルガンもいることだし、クリーム作りに並行してイチゴも切っていくぞ」

 

「ケーキに添えるのですね」

 

「そういうこと」

 

 順番に手も洗って、冷蔵庫からイチゴとクリーム作りに必要なものを大和が取り出す。その間にモルガンはまな板や包丁、ボウルといった調理器具を用意した。

 

「大きい方に氷水を用意して、その上に小さいボウルを置いてほしい」

 

 大和の指揮の下、今日も2人での料理作りが始まった。どっちが何をするのか。その分担も済ませた。クリームの方を大和が担当し、イチゴをモルガンが。そのうち来るであろう生地の受け取りも、モルガンの担当となった。

 

──ピンポーン

 

 そうやって決まった矢先。噂をすれば何とやらだ。

 いざ始めようとしたところに水を差された形となり、モルガンは眉をぴくりと動かした。だが無視するわけもなく、大和に頼まれたともあって玄関へ。

 

「セイバーですか。ライダーが来るかとヤマトと予想していましたが」

 

「手持ち無沙汰だったので。エプロンがとても似合っていますねトネリコ」

 

「当然です。私が着こなせぬものはありません。して、その袋に入っているものが生地ですね」

 

「はい。生地()()()()()()()

 

「………………は?」

 

 あまりにも堂々と言われたために、モルガンはその言葉の理解が遅れた。「だったもの」とはどういうことか。生地とやらは溶けることがあるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、アルトリアのお腹からかわいく音が鳴った。空腹を鳴らすその音に、アルトリアは恥ずかしげに笑い、モルガンはそれですべてを理解した。

 

()()()()()()()?」

 

「……はい。大変美味でした」

 

「誰が感想を言えと? まったく……セイバーあなたはどうしてそうなのですか!」

 

 セイバーの顔を掴む。このまま消し飛ばしてやりたいが、それでは諸々と問題が出てくるから耐えた。だがその代わりに、手にはこれでもかと力を込めている。魔術による身体強化も入れてだ。

 

「いたたた! いえ、私も大変申し訳なく思っています! 代わりにお小遣いを使って別の生地を買ってきますから!」

 

「なぜ先にそうしなかったのです!」

 

「そのためには一旦帰る必要がありまして……。そうしたらシロウにバレてしまいますから……」

 

「何を小さいことを気にしているのですか! 最優のサーヴァントともあろうものが!」

 

「いたい、いたいいたい! 顔がパチパチします止めてくださいトネリコ……!」

 

 これが本当に騎士王なのだろうか。こんな小娘相手に、汎人類史の自分は負けたというのだろうか。そのことを思うと、こちら側の自分が不憫でしかない。その思いも混ぜると、ちょっとした魔術の行使も許される気がしてきた。というかもう使っている。

 もちろんこれだけ騒いでいたら、キッチンにいる大和にも聞こえている。事情も把握した大和は、携帯電話を片手に衛宮へと電話しながら玄関へ。モルガンの肩にぽんと手を置いて止めさせた。

 モルガンの手が離れても、アルトリアの頬がパチパチしていた。電気ネズミ状態だ。

 

「ヤマトは甘いです。この愚か者を相応に罰しないでどうするのです」

 

「結構怒ってるのな。……あー、なら先輩。それはおれたちにやらせてもらっていいですか?」

 

 モルガンと話しながら、衛宮とも電話で交渉。そちらは予想通り快諾されたので、大和は通話中の携帯電話をアルトリアに渡した。彼女がそれを耳に近づけた瞬間バチッと音が響いたが、通話できているのなら生きているのだろう。

 

「トネリコも楽しみにしてた?」

 

「……いえ」

 

 人の家の玄関の前で正座し始めたアルトリアが、携帯電話を片手に眉を下げている。その様子を見るだけで、衛宮が本気で説教をしていることが伝わってくる。

 

「ヤマトが楽しみにしていたことなので」

 

「……」

 

 間違いなく楽しみにしていた。材料をわざわざ買ったのだ。生地を自分で作るなり、自分で買うなりと他の方法も取れたが。そこは先輩の好意に甘えただけ。人格からして、まさか届かないだなんて思いもしなかった。衛宮本人も困惑していたぐらいだ。

 その衝撃はもちろんあった。ただ、京坂大和という人間はそこからの復帰が早い。切り替えが早い。それ故に「じゃあどう対処しようかな」とすぐに考える。結果、ショックの度合いは周りが思う以上に軽度となる。

 それでも響くものがあるとすれば、これなのだろう。

 

「まぁ、トネリコと2人でって予定とは崩れたしな」

 

 彼女と何かをするのは、ここ最近の楽しみだ。

 

「……同じですね」

 

「ぇ?」

 

「私も……ヤマトと料理することが楽しみですから」

 

 その気持ちは同じだった。モルガンも抱いていることだった。

 少し恥じらって、それでも言い切った彼女の姿が。その声が。大和の頭をガツンと殴った。衝撃は、こっちの方が強かった。

 

「どうしました?」

 

「なんでもないです……」

 

 顔が赤くなって顔を逸した大和をモルガンが追撃する。変わらずかわいらしい反応だ。その原因が自分にあるということが、モルガンの胸を少しずつ満たしていく。

 

「そ、そうだトネリコ」

 

「はい?」

 

 頬をつつこうかなと近づいていたモルガンが、だいぶ大和と距離を詰めていた。顔がほぼ真ん前にあり、その美しき双眸や柔らかな唇に意識が向く。再度大和は顔を赤く染め、それに感化されたモルガンも半歩下がりながら視線を逸した。

 

「…………何を言いかけていたのですか?」

 

「あ、ああ……。その、衛宮先輩がまだケーキ作ってないらしくて、それをやらせてもらえることになったんだ」

 

「そうですか。では、そちらにこれから向かうという話ですね」

 

「そう。準備ができたら行こうか」

 

「はい」

 

 目の前で起きていたことには目もくれず、正座を続けているアルトリアは衛宮からの罰を言い渡されているのだった。

 

「ごはんだけは抜かないでくださいシロぉぉぉ!!!」

 

 涙目の大絶叫である。

 

 




アルトリア「やむを得ない事情があったのです。説明の場を求めます!」


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11話目 モルガンとクリスマス②

 

 まずはアルトリアの弁明を聞こう。いくら彼女が腹ペコ王の名を持っているとしても、他人に渡す物を食べるなどそんな非常識なことはしない。ポンコツな部分が出始めているアルトリアでも、そこはさすがに一線を守っている。衛宮だって彼女を信じていた。

 そんな彼女が、どうして渡しに行くケーキの生地を食べるに至ったのか。それはとても彼女らしい行動だ。優しさを見せただけだ。

 

──兄弟らしき子ども2人が買い物をしていた

──その2人はクリスマスケーキのおつかいの帰りだった

──2人でケーキの袋を持っていたら片方がコケてしまい、それにつられてもう1人も転倒

──その際にケーキもグッチャグチャ

 

「そこで私は、生地を渡すことにしました。帰ってから家族で飾り付けるのも楽しいと説いたのです」

 

「その流れからどうして生地を食べるにいたったのさ……」

 

 今の流れでは、食べる要素がどこにもなかった。「本当は渡しただけで食べていない」という展開はない。もしそうなら、モルガンの妖精眼がそれを見抜いているから。けれど彼女の眼によると、食べたことは事実なのだ。

 

「彼らは家族でもケーキを作るつもりだったようです」

 

「渡した意味がなかったパターンだな」

 

「ですが1度渡してしまった手前、返してもらうのも気が引けます。相手は子供ですし」

 

「まぁ……。それで?」

 

「3人でいただきました」

 

「今過程が飛んでなかったか!?」

 

 イリヤと藤村がこたつの中でぬくぬくと温まっている目の前で、「私はつまみ食いをしました」と書かれたプレートをセイバーが首から下げている。彼女は正座していて、目の前にはマスターである衛宮が、視線を合わせて話を聞いていた。

 

「生地だけを食べても美味しいのでは? という話が子どもたちの間で起こり、その真相を確かめるために食べる運びとなったのです」

 

「セイバーはその時に一緒に食べたと」

 

「分けてくれたので」

 

 食べる子どもたちを見て、お腹を鳴らしたからである。

 

「こういう事情ですので、何卒……何卒ごはんを食べさせてください」

 

「せっかくのイブなんだし、セイバーちゃんを許してあげたら?」

 

「俺はともかく、被害を受けたのは京坂たちだからな……」

 

 衛宮から話を振られ、大和は手を止めて振り返った。モルガンもそれに合わせている。

 

「おれはいいですよ。こうして作らせてもらえてますし。トネリコは?」

 

「私は……」

 

「ご飯食べたいぞトネリコ~」

 

「……この小娘……!」

 

 クリームを塗るのに使っていたパレットナイフをモルガンが射出。精確に額へと向かって飛ばされたそれを、アルトリアは真剣白刃取りで受け止める。クリームは両手にべったりついた。

 

「危ないじゃないですか!」

 

「ヤマトあの者を排除する許可を! 反省の色が見えません!」

 

「反省はしています! 後悔はしていません! 美味しかったです!」

 

「この……!」

 

 今にも飛びかかりそうなモルガンを、大和がその手を掴んで引き止めた。彼女たちの小競り合いがエスカレートすると、間違いなくこの屋敷が吹き飛んでしまう。迷惑をかけるし事件性があるとして警察が捜査を始めてしまう。「面倒事」への発展は避けたい。

 とはいえ、アルトリアには相応の罰を与えなくてはならない。でないと、モルガンの気が済まない。

 

「セイバーさんはデザート抜きってとこで手を打とう。な?」

 

「……ヤマトがそう言うのでしたら」

 

「京坂。デザートが抜きということは、私はデザートが食べられないということですね?」

 

「え、うん。ご飯抜きよりマシでは?」

 

「むぅ、悩ましいですね」

 

「あ、ご飯かデザートかって2択じゃないですよ。何も食べられないか、デザート抜きかの2択です」

 

「デザート抜きで!」

 

「決まりましたよ衛宮先輩」

 

「お、おう」

 

 アルトリアはすでにデザートを食べているような状態だ。そのことを加味すれば、デザート抜きで許されたことは温情のある措置である。

 アルトリアからパレットナイフを回収し、ケーキ作りへと戻る。モルガンはもちろんだが、大和も初挑戦の作業だ。サポートとして、間桐が見守っている。

 

「間桐ってお菓子作りとかするのか?」

 

「時々するかな。試合の日に持っていくこともあるし、甘いもの食べたくなっちゃう時もあるし」

 

「へ~。でもケーキってそんな頻繁には作らないだろ?」

 

「練習してた時期があるから、そのおかげ」

 

「練習してた時期……あー。先輩のたん──」

「余計なことは言わなくていいんだよ? 京坂くん」

 

 にっこりと笑いながら間桐が強い圧をかけてくる。ジャブ程度で遊ぼうとしたらこの返しだ。大和は顔を引きつらせてその話題をやめた。

 

「女心はわからん……」

 

 大和と間桐がそんなやり取りをしている隣で、モルガンは黙々とケーキにクリームを塗っていた。大和かモルガン、どちらかが1人でやるのではなく、せっかくだから途中交代でやればいいと間桐が助言したのだ。大和が前半で、モルガンが後半。監修は間桐桜である。

 

「そういえばライダーさんは?」

 

「ライダーなら今ドライブしてるよ。イリヤさんの車を借りて」

 

「イリヤさん車あんの!? あぁいや、あの城にいるならそれぐらいあるか……」

 

 自分の名前を出されたことにイリヤが反応し、みかんを5段まで積んだところで台所へと目を向けた。

 

「私の車の話?」

 

「そうですそうです。なんかイメージつかなくて意外だなと。衛宮先輩より年上なら、免許持っててもおかしくはないんですけど」

 

「そうね。免許は持ってるわ。ふふっ、あとで見せてあげてもいいわよ? 私の車強いんだから」

 

「強いって何」

 

「あれはたしかに、強い車ですね」

 

「でしょ?」

 

「だから強いって何? 車に使う表現じゃないよね!?」

 

 ライダーが帰ってくればわかるとのことで、細かな説明は省かれた。

 

「ヤマト。形を整えられたと思うのですが、どうでしょうか?」

 

「うん? うぉっ! すげぇ!! 初めてだよな!?」

 

「トネリコさんお上手ですね……。自信無くしそうです」

 

「? 写真の通りにしただけですが」

 

「初めての方でそれができる人はいないんです! えぇ……トネリコさん姉さんタイプなんだ……」

 

 間桐的にはあまりそのカテゴリには入ってほしくなかった。むしろ、ぽんこつエピソードを聞いていた分、自分よりの人間だと思っていた。

 本人は自覚していないが、間桐の料理の成長率だって世間的に見れば異常である。ハイペースである。比べる相手が悪いだけ。といっても、彼女の姉に料理の腕はないが。悲惨なことになるが。

 

「クリームを整えることはできましたが、ここからクリームで飾り付けるのは難しそうですね」

 

「やってみるか?」

 

「向いているとは思いません」

 

「それで味が落ちるってわけでもないんだから」

 

「……では」

 

 パレットナイフでクリームを整えるのはまだいい。やり直しが通用するから。だが、クリームでの飾り付けとなると、ほぼ一発勝負である。

 

「やはり難しいですね」

 

 2人に見守られながら一通りやってみたモルガンが、小さく肩を落としながら呟いた。写真にあるものを真似ようとした。基本に忠実にするのが、料理の極意だと大和に言われているから。

 それをやろうとしたのだが、うまくはいかなった。ケーキの横側で、波打つクリームを一周させようとしたが、それは途中で切れてしまっている。ツギハギの工程がまんま残り、ケーキの上で何ヶ所か盛ろうとしたクリームも、失敗して潰れている。イチゴ等でのカバーが、むしろ不格好に見えなくもない。

 

「おれは好きだぞ」

 

 目を伏せたモルガンの横で、それでも大和は優しく笑った。

 

「こういうのって、作った人の頑張りが見えやすいからな」

 

「はい。というか、私が初めて作った時より上手なんですから自信を持ってください」

 

 モルガンは大和と間桐に視線を向けて驚いた。そこには嘘も気遣いもなかったから。大和の気持ちは本物で、モルガンが作ったことに喜んでいる。間桐にあるのも、純粋な嫉妬と喜びだ。モルガンのセンスへの嫉妬と、教える相手の潜在能力への喜び。

 モルガンにとっての失敗を、この2人は本気で失敗だとは捉えていない。

 

「やってくれてありがとう、トネリコ」

 

「いえ……」

 

『■■■■■ー!!』

 

「ちょうどライダーたちも帰ってきたね」

 

「バーサーカーさんとドライブ行ってたのか。……バーサーカーさんが乗れる車あるのか?」

 

「ううん、違うよ京坂くん。バーサーカーとドライブじゃなくて、()()()()()()()()()()()だよ」

 

「頭大丈夫か間桐?」

 

「こらバーサーカー! 何時だと思ってるの! 静かにしなさい!」

 

 大和が間桐に腹パンされている傍らで、イリヤが縁側からヘラクレスを叱る。そのヘラクレスの代わりに、搭乗者であるライダーことメドゥーサがイリヤに謝罪した。楽しいドライブになったから、ついテンションがハイになったのだと。

 

「どうやらあのバーサーカーは、変形機能を持っているようですよヤマト」

 

「トネリコまで何言って……変形しとる!!」

 

「ふふん。すごいでしょ? あれが私の車。バーサーカー号よ!」

 

「かっけぇぇ!! 名前以外はかっけぇ!」

 

 大興奮している大和は、イリヤにスネを蹴られた。モルガンが防御を張ったことで、蹴った本人が涙目である。

 

「みんなこっちにいらっしゃーい! ライダーさんも帰ってきたんだから、クリスマスパーティー始めるわよ~! ほら、セイバーちゃんもこのサンタ帽子被って」

 

「あの、大河。このプレートは……」

「それは外しちゃ駄目」

「はい……」

 

 バーサーカーは霊体化し、メドゥーサは靴を脱いで家に上がる。広い衛宮家の食卓はいつも少人数で広々と使われていたのだが、今日のこの人数だとぴったりだ。長方形の机で、長い左右に3人ずつ。藤村と衛宮が、短い辺にそれぞれ座っている。なお大和は、モルガンとイリヤに挟まれている。

 

「それじゃあみんなコップ持って~。乾杯するわよ~!」

 

 音頭を取るのは決まって藤村だ。便宜上彼女が最年長であることと、その手のことが向いているから自然とそうなる。

 今度はモルガンもアルトリアも遅れない。藤村の声に合わせて乾杯した。離れている相手もいるため全員とはできないが、それはそれ。楽しければ何でもいいのだ。

 

「じゃんじゃん食べちゃいましょ! セイバーちゃんも遠慮はしなくていいからね~」

 

「ありがとうございます大河!」

 

「でもデザートは食べちゃ駄目よ~」

 

「あぅ。……士郎! デザートは食後に食べるものだと聞きました! つまり今あるケーキはデザートでは──」

「駄目だぞ」

「かはっ!」

 

 屁理屈も途中でぶった切られた。それに見かねた衛宮は、自分の分のケーキを分けることに。甘い男である。

 

「ヤマトはケーキから食べるのですか?」

 

「トネリコと作ったやつだからな。ひとまず一口だけ」

 

 生地を作ったのは衛宮と間桐だ。言うなれば、みんなで作ったケーキ。ケーキは大まかに分ければ、生地とクリームである。当然種類によって変わるが、今回のケーキはそういうものだ。ショートケーキだ。

 生地だけが良くても駄目。クリームだけが良くても駄目。どちらもが支え合って、1つの品になる。その片翼を、大和とモルガンで担った。

 モルガンは大和がケーキを食べるのをじっと見つめていた。人知れず息を呑み、左手でスカートをぎゅっと掴む。

 

「美味しい」

 

「……! 本当、ですか?」

 

 疑う余地はない。それの真偽なんて自身の"眼"で視えている。それなのに、言葉を自然とか溢れでていた。

 1人で作ったわけじゃない。生地はそもそも関わっていないし、クリーム作りだって大和との共同作業だ。何1つ、1人だけで作ったものはない。それなのに、その言葉が胸に染み込んでいく。その笑顔に、ぐっと心を掴まれる。

 

「改めて、一緒に作ってくれてありがとう」

 

 

「士郎入るわよー」

 

 空気を一切読まない声が聞こえてきた。玄関が開けられる音も、人が上がってくる音も聞こえてくる。その音は2つで、1人は声からして女性だ。そしてそんな行動を取る衛宮の知り合いは、1人しか浮上してこない。

 

「遠坂?」

 

「アーチャーが妙にケーキ作るのを張り切っちゃったから、どうせ人が集まってるだろうなって思ってお裾分け」

 

「あ、ああ……」

 

 ピシッとその場の空気が凍る音がした。藤村ですら箸を止めて固まり、間桐は黒い笑みを浮かべてその女性の肩を掴む。

 

「さ、桜? どうしたの、なんか怖いわよ……?」

 

「ふふ、ふふふふ。姉さん。少し、あちらでお話しましょう?」

 

 姉さんもとい遠坂凛が間桐に連行され、その様子に大和とモルガンは首を傾げた。この2人だけは、アーチャーの料理の腕を知らないから。

 

「何かまずかったかね?」

 

 連行されるマスターを見送り(見捨て)、アーチャーがリビングの様子を見ながら問いかけた。それで的確に察せられたのならまだよかったが、この男「何かやっちゃったな」ぐらいしか読み取れていない。女心が絡んでいるから。

 そんなアーチャーもといエミヤに、アルトリアがため息をつきながら冷めた視線を向けた。それをエミヤは、これ幸いとアルトリアに説明を求める。

 

「アーチャー。あなたに人の心はないんですか?」

 

「まさか君にそんなことを言われる日が来るとは思わなかったよ。セイバー」

 

 

 

 

 

 宴もたけなわ。途中で不穏な空気が流れなくもなかったが、その元凶たる1品をモルガンと大和の知らぬところで、アルトリアとヘラクレスが食すことで解決。大いに愉快な時間は流れ行き、モルガンは眠っている大和を連れて帰宅した。

 夜遅くではない。藤村の入れ知恵の結果、大和は眠らされてモルガンにお持ち帰りされているのだ。なおその先は大和の家だが。

 

『イブってね、大切な人と過ごしたいって人もいるのよ。今の日本だと結構主流なんだけど』

 

 大和には聞こえない声量で、藤村がモルガンに言ったのはそういうことだ。大和は、「泊まっていってもいいぞ」という衛宮の誘いを断った。その最大の理由は、モルガンのことだ。今は周りに、アルトリアにすら正しく認識されていないが、いつそれが解けるとも分からない。面倒事は避けたいと思うのは、大和らしい行動だ。

 だが藤村がそんな理由を理解しているわけがない。パーティーに参加するだけして、結局帰るのなら、()()()()()()だと藤村が解釈するのもおかしくないのだ。

 

『大和にとってトネリコちゃんは、それだけ大切なんじゃないかしら』

 

 混乱の渦に叩き込まれた。考えが纏まらなくなった。だからモルガンは、誰にも気づかれないように、イリヤすら気づけないほど慎重に大和に眠気をかけていった。

 眠る前に帰ろうと促し、2人で帰路につく。途中で大和は眠りにつき、誰の目にも映っていないことを確認したモルガンは、大和を連れて家へ転移。靴と上着を脱がせたら、大和をベッドに寝かせた。

 

 そうして今にいたる。

 すやすやと眠る彼を見つめながら、彼女は思考をぐるぐると回していた。どれだけ考えても、一向に手がかりがない。陸地が見当たらない。

 

「ヤマト……」

 

 眠る彼の頬に触れた。

 それだけで、胸にある「何か」が揺れた気がした。数時間前までは普通だったのに、今は名前を呼ぶだけで胸が、少し苦しい。締め付けられる。

 

『トネリコちゃんにとって、大和ってどんな子?』

 

 暗がりの中、彼の顔に魅入る。

 その唇に触れたいと過ぎり、それを脳が正しく認知して、その先まで考えそうになった途端、ボンッと顔が一気に熱くなった。

 

──わからない(知らない)

 

 彼をずっと見ていたい(直視できない)

 

──わからない(憶えてない)

 

──ヤマトは……(マスター)

 

 本当に? 本当にそれだけだろうか?

 

 

──わたしにとって、ヤマトは……

 

 



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12話目 モルガンと娘

 

 冬ともなれば朝は寒いものだ。夜の間に冷え込み、その冷気が朝にも残っている。地域によっては、日が昇っていようと関係ない。

 幸いにも冬木市は豪雪地帯ではない。雪かきの必要もない。とはいえ冬は寒い季節だ。寒さが苦手な大和も、週末となれば布団から出るのも億劫に感じる。モルガンが来てからは改善されているが、それでも布団から出るのに気合を入れていた。

 

「起きましたかヤマト」

 

「もるがんはいつもはやおきだな」

 

「眠そうですね」

 

「なんか、あたまがぼんやりする。かいみんだったんだけどな」

 

 なんでだろうなと、眠たげに首を傾げる大和にモルガンは「そういう日もあるでしょう」と返す。心当たりが大いにあるのだが、原因が自分だと分かっていても、後遺症が残る類ではないとも分かっているから有耶無耶にした。モルガン自身は無自覚だが、それを言うことに躊躇いがあるようだ。

 

「ちょっとまってな」

 

「はい」

 

「ん~~! よしっと!」

 

 グッと体を伸ばすのと同時に、自分の魔術回路に魔力を走らせた。魔術回路は魔術師にとって神経も同然。そこに魔力を走らせると、電気が走る感覚に似ている。それで大和は、強引に眠気を飛ばして意識をはっきりとさせた。

 

「ヤマト。貴方は私の(マスター)です」

 

「そうだな。どうした急に」

 

「逆に言えば、私は貴方の妻です」

 

「説明は抜きなのか」

 

「私たちの子どもができました」

 

「…………………ん?」

 

 だらだらと冷や汗を流しながら大和は記憶を掘り返し始める。モルガンとの夫婦関係は便宜上のはずだ。彼女がマスターのことを夫と呼ぶから、そういう関係と言うことに納得している。

 だが断じて手を出していない。彼女で卒業した覚えはないし、彼女の操をもらった覚えもない。それは分かりきっていること。それなのに汗が止まらないのは、衛宮家でのクリスマスパーティー以降の記憶がないから。しかも今日は妙に頭が重い。

 

(…………え? いやいやいやいや……まじで?)

 

 覚えていない。どうやって帰宅したのかも。いつ寝たのかも。このダルさの理由も分からない。

 

「ヤマト?」

 

「ひゃい!」

 

「……どうされたのですか? それだけ汗も流して。風邪ですか?」

 

「風邪……ではないぞ。うん。……え、確認させてほしいモルガン」

 

「? はい」

 

 頭の中はまだぐちゃぐちゃ。何も整理できない。けれどいくら考えたって真相は不明。これは彼女に聞くしかない。なにせサーヴァントは体調を崩さない。毒とかは話が別だが、風邪はひかない。食事も睡眠も、極論無くていい。それがサーヴァントだ。

 ならば、モルガンは絶対に覚えているはずだ。昨晩のことを。

 

「昨日の夜さ。先輩の家から帰ってから、何かした?」

 

 何個か言葉が抜けている気もしなくはないが、支離滅裂なことは言っていない。文章として成り立っている。

 モルガンはその内容に目をぱちくりさせ、

 

「……っ」

 

 口元を隠して頬を染めながら視線を逸した。

 

(……まじ、なのか……?)

 

 大和はベッドに背中から倒れて、天井を見つめた。何1つ覚えていないし、身に覚えがないことだ。何もなかったと信じたい。

 それなのにモルガンの反応はどうだ。大和と違って昨晩のことを覚えているはずの彼女が、これまで1ミリも見せたことのない反応をしている。普段の凛々しい様子からは想像もできない反応で、大変かわいらしい姿なのだが、そう思えるほど大和は落ち着いていなかった。混乱の渦に揉まれている。

 

「あの、ヤマト……」

 

「ごめんモルガン!」

 

「へ!?」

 

 大和なら、この胸の内にある「何か」が分かるだろうか。それを聞こうと思ったモルガンを、しかし大和が勢い良く起き上がって抱き締めた。急な展開にモルガンも困惑し、すっぽりと彼の腕の中にいる。身じろぎできず、視線はあちこちに飛ぶ。

 思ってたより力が強いんだなとか、ほどほどに硬さのある体なんだなとか、彼の匂いがするなとか、これ結構好きかもとか。いろんなことが同時に頭の中で踊り狂っている。

 

「やっちゃったのに全く覚えてないとか無責任なクズでごめん」

 

「い、いえヤマトは、そんなことないです」

 

「おれ、頼りない奴だと思うけど。できること少ないけど、でも必ず君を幸せにしてみせるから」

 

「ぇ……」

 

「約束させてほしい」

 

 背中に回された腕が、さらにぎゅっと力を込められた。苦しくない力加減なのに、胸が苦しい。何か言おうとしても、何もうまく発せられない。胸がいっぱいなのだ。

 それでも、何か返したい。それに答えたい。

 言葉にできないのなら、何か行動で──

 

 

「お母様私の着替えは~?」

 

 

 ──その声にモルガンと大和は体をビクッと跳ね上げて、反発する磁石の如く離れた。

 モルガンは混乱(大和)のせいですっかり忘れ、大和は何が何やらと再度混乱の深淵に叩き込まれた。

 

「あ? 何見てんだよ」

 

「ヤマト。この子が私たちの娘の……ヤマト?」

 

 バスタオル1枚で体を隠した少女が、娘なのだという。ピンクに近い赤い髪。恵まれた容姿。そして口の悪さ。

 

「そうはならんやろ……」

 

「何がだよ」

 

 一晩のうちに娘がここまで成長していました。という信じ難い現実に大和の頭はキャパオーバー。脳は処理を諦めてシャットダウンするのだった。

 

 

 

 

 意識を取り戻した大和は、ぼんやりと今の状態を把握する。寝ている状態だ。体が横になっている。首は少し高い位置だ。枕にしているものはとても柔らかい。こんな枕は知らないし、そんなクッションもなかったはず。

 

「意識が戻りましたかヤマト」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()。視界に映るのは、天井ではなく豊かな胸もといモルガンの顔。それも視界に逆さに見えていて、大和は今の自分の状態を把握した。

 

「何してるんですかねモルガンさん」

 

「ヤマトの意識を失わせた責任を取っています」

 

「ベッドでもよかったのでは?」

 

「? 並んで横になっている方がよかったですか?」

 

「そういうことではなく! 膝枕の必要はないよなってこと!」

 

「どこか問題が?」

 

「恥ずかしい」

 

 正直に言って、大和は横に転がってモルガンの膝から離脱。ちょっと名残惜しいなとか思ったりしたが、頭を振ってその邪心を追い払った。

 

「そういえば、娘の幻覚を見た気がしたんだけど」

 

「誰が幻覚だ」

 

「ん? ……あれ?」

 

「お母様はなんでこんな奴を?」

 

「ヤマトが(マスター)で、私が(サーヴァント)。それに基づいているに過ぎない」

 

 自分の物言いに、胸中で靄が広がる。

 

「……お母様が認めてるなら。でも私はお前をお父様なんて呼ばないから!」

 

「なんだろうこの、再婚相手に子供がいたみたいな状況」

 

「仮にお母様に相手がいたとして、別れるなんてことがあったらそいつの目が腐ってるだけだからな」

 

「わかる。おれだったら手放さない」

 

「あは。案外分かってんじゃん」

 

 モルガンを最大限に評価している2人は、通じるものがあったらしい。もっとも、まだ互いにその一面しか知らないだけだから、とも言えるが。

 その話題に少し照れたモルガンは、咳払いをして誤魔化し、話の主導権を握った。自身の娘の説明がまだろくに行われていないからだ。

 

「この子には、妖精騎士トリスタンの名をギフトしています」

 

「じゃあトリスタンって呼べばいいのか?」

 

「いえ、その名は少々……」

 

「だよな。なんて呼べばいい?」

 

「スピネル。隠す必要があるなら、こっちの名前」

 

「なるほど。なんでうちにいるのかは分からんけど、よろしくなスピネル」

 

 大和が手を差し出し、少女はその手とモルガンの顔を往復した。モルガンがこくりと頷いたため、少女は渋々といった様子で大和の手を握った。

 

(こいつ、なんも疑わねぇのな)

 

 モルガンがいるから。彼女の娘だと言うのなら、初対面だろうと信用できると思っているのだろう。警戒なんて一切しないし、何も仕掛ける様子がない。それをバカだとは思うけれど、悪い印象は抱かなった。

 

「(この子の真名はバーヴァン・シーですが、少なくとも外でその名は呼ばないようにお願いします。ギフトを剥がさせるわけにはいかないので)」

 

「(わかった。おれはそのままスピネルって呼び続ける。それでいいだろ?)」

 

「(はい)」

 

「お母様の(マスター)みたいだけど、名前で呼んでいい?」

 

「おれもこの年齢で父親とは呼ばれたくないしな」

 

「え……」

 

「お母様?」

 

 戸惑いの声を上げたモルガンにスピネルは首を傾げた。どこか問題があっただろうかと。それは大和も同様で、2人の視線がモルガンに集まる。

 当の本人は絶賛大いに迷っている最中である。葛藤中である。なにせ相手が愛する娘なのだ。その娘相手に、大和のことを名前で呼ぶなとは言いづらい。その理由を聞かれたとしても、答えづらいものだ。

 けれども、たとえ愛娘が相手だとしても、呼んでほしくないという思いがあるのも事実。いったいどうすればいいのか、モルガンは表情を無にして脳内会議を繰り広げている。

 

(ファミリーネームで呼ばせれば……。ですがそれだと2人の間に距離を感じる。でも名前で呼ばせるのは……かと言ってマスターと呼ばせるのも……)

 

 脳内会議は白熱し、議論に議論を重ね、その末に1つの結論にたどり着いた。この間僅かに2秒。

 

「いや、なんでもない。好きにするといい」

 

「じゃあヤマトって呼ぶわね」

 

 ぴくりと頬が動く。自身の手を強く握った。

 そうなる自分にも、どこか嫌気が差していた。娘相手に、そう思ってしまう自分に。

 

「そういやその服モルガンのだよな?」

 

「そうなの! お母様が着させてくれて。どう?」

 

「綺麗だけど、……ちょっと違う気もするな」

 

「は?」

 

「スピネルは綺麗だぞ」

 

 ストレートな物言いに、少女は髪を指先でくるくる回す。大和がお世辞で言ったわけでもないから、照れくさいのだ。

 

「でも服はモルガンのやつだから、スピネルにはスピネルに合う服があると思うんだ」

 

「ふん。それがあればの話だけど」

 

「だから探しに行こうぜ。3人で」

 

「お母様と!?」

 

「今おれ弾いたな?」

 

 大和のツッコミは無視して、スピネルはモルガンの様子を窺った。本当に一緒に行けるのだろうかと。期待と不安を混ぜ合わせた目で見つめた。

 モルガンの答えは決まっている。返答はすぐだった。

 

「構わん。それぐらい付き合える程度に、こちらでは争うことがない」

 

「やった!! お母様いつ行く? 今からとかどう?」

 

「そう急くなスピネル。ヤマトの朝食が終わってからだ」

 

「早く食え!」

 

「わかりやすい関係だな」

 

 この2人の関係は良好だ。スピネルはモルガンのことが大好きだし、モルガンもスピネルのことが大好き。実にわかりやすい。

 それなのに、大和には引っかかるものがあった。それはモルガンの口調だ。大和と話す時と、スピネルと話す時で全く異なる。スピネルが相手の方が、固い口調なのだ。

 

「(なんでスピネルにはその口調なの?)」

 

 それを大和はモルガンに単刀直入に聞いた。聞かれるとは思っていたのか、モルガンは驚くことなく大和に視線を向けた。

 

「(どう接したらいいのかわからなくて……)」

 

「(不器用か)」

 

 けれどもそれは仕方のないことだ。異聞帯でのモルガンの苦悩と、その末に生まれた妖精騎士トリスタン。その経緯と関係、そして周囲の環境。それらを考えれば、モルガンの口調が固いものになるのは必然だ。

 許す気も救う気もなく、信用ならない妖精たちが周囲にいたのだから。そしてそれは、バーヴァン・シーを護るための措置でもあった。

 

「(肩の力を抜けばいいよ。こっちに妖精たちはいないんだし、おれもフォローするから)」

 

「(……はい)」

 

 わかりやすく良好で、わかりにくく不器用な親子関係。それが大和から見たこの親子の関係なのだった。

 



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13話目 モルガンと娘とお出かけ

 

 奇妙な気分だった。3人で出かけるのはいい。そこは何も問題ない。日本では大変珍しい、というか世界的にも珍しい部類の髪色の、「美」がつく女性2人と一緒にいる。その事実に、慣れてきていた大和の感覚が再度狂った。

 しかも、スピネルがモルガンのことを「お母様」と呼ぶのだ。大和にとって追い打ちだった。スピネルがそう呼んで、モルガンは大和を「(マスター)」と呼ぶ。そのくせして、客観的に見ればスピネルと大和が同列だ。落ち着きを見せるモルガンが2人の保護者に見える。

 事実とのこのギャップが、大和を奇妙な気分に陥れていた。

 そんなことを露とも知らず──知っていても変わらないだろうが──スピネルが大和の隣へと駆け寄る。3人で広がって歩くのは迷惑だから、道を把握している大和が先頭、モルガンとスピネルがその後ろをついて歩いていた。

 

「ねぇ、この町本当に聖杯戦争してるの?」

 

「なんで?」

 

「お母様から聞いたけど、昨日パーティーをしたのでしょう? しかもそこに、セイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカーがいたって。それで何も起きないなんて、頭が湧いてるか戦争してないかのどっちかじゃん」

 

「あー。今休戦状態らしいからな。監督役がそうしてる」

 

「なんだそれ」

 

 呆れたスピネルが、あからさまにため息をついた。モルガン同様、彼女もイレギュラーだ。呼ばれるはずのない英霊。モルガンは聖杯に何も求めないために、聖杯戦争に興味を示していない。けれど、どうやらスピネルは興味があったらしい。

 理由は違えど、大和もモルガンも参加させる気はサラサラない。

 

「神父さんが言うには『隠蔽のための資金が足りてないのに戦争されたらもう無理じゃん』だとか。あとは隠蔽理由によく使われてたガス会社が破産してたりとかな」

 

「だっせー。どうしようもなくだっせー」

 

 そこは激しく同意である。聖杯戦争ともあらば、冬木にある教会に優先して資金を送り込みそうなものを、聖堂教会はそうしていない。

 そもそも隠蔽先の会社が潰れたのだって、理由として使い過ぎたからだ。それだけ不祥事が起きれば、市民からの反感を買う。破産に追い込まれるのも当然だ。他のスケープゴートもあるはずだが、言峰神父は休戦させている。

 

「現代は神秘が遠のいてるからな。それの秘匿に躍起にならないといけないし、そうなると隠れ蓑が消えた時に困るってわけ」

 

「ふーん? それで魔術の使用をお母様にも控えさせてるの?」

 

「それもあるけど、面倒事を避けたくてな。幸い、聖杯戦争が休戦状態だから大半の心配事はないんだが」

 

「巻き込まれようと勝てばいいだけだし、お母様が負けるわけないだろ」

 

「そういう問題じゃないんだよ。冬木の聖杯は7体の英霊を選んだだけだ。各クラスに合わせてな。キャスターが英霊召喚したからズレてるけど、そこは大した問題じゃない」

 

「問題だろ」

 

「キャスターは魔術師の英霊だから、理論上可能でそれを実践しただけ。でも……」

 

「でもなんだよ。勿体ぶんな」

 

 バシバシとスピネルから腕を叩かれるが、それを流しながら大和はモルガンに念話を送る。

 

「(スピネルの前でもトネリコでいいのか?)」

 

「(……あ)」

 

 そう。スピネルにとってモルガンはモルガンだ。母親であり、その名はモルガン。救世主トネリコではない。

 モルガンも、自分の娘が召喚されるとは思っていなかった。だからトネリコの名を使っていたのだが、現実はこれである。召喚されてしまった。

 数秒悩んだ末に、仕方ないかとモルガンは頷いた。スピネル──バーヴァン・シー──が召喚されたが、それ以外に異聞帯の存在はいない。少なくともまだ観測されていない。特に、あの妖精たちがいない。それならば、事情を説明して納得してもらえばいいだろう。

 

「おい」

 

「悪い悪い。ほら、トネリコが召喚されただろう? 今はスピネルもだ」

 

「は? トネリコ?」

 

 目が細くなったスピネルに、大和は声を小さくして説明した。聖杯戦争を警戒して、真名がバレないように偽名を使っているのだと。少女がスピネルと名乗っているのと近い理由だ。

 

「あー、そういう」

 

 隠さなくたっていいのに。お母様なら真名が知られたところで負けるわけないのに。そんな思いをアリアリと目で語っているスピネルに大和は苦笑した。本当に大好きなのだと、会って半日すら経っていないのにそれが伝わってくるから。

 

「親子でお揃いになっていいじゃん」

 

「お母様と……! それもそうね!」

 

「(チョロくね?)」

 

「(ですから心配になるのです)」

 

 困った様子のモルガンだったが、その口調は穏やかなものだった。今の理由で喜んでくれることが、嬉しいらしい。親というものは、子供の笑顔が好きというのもあるのだろう。スピネルは明らかに機嫌が良くなっているのだから。

 

「ヤマト! 早く服を買いに行きましょ! あと靴もな!」

 

 

 

 服を買いに行く予定だったのだが、靴も買いたいというスピネルの発言で行く先が変更。一同は、より多くの店があるデパートメントストアまで足を運んだ。そこに行くと当然人も多くなるのだが、今日はまだマシな方だ。

 

「お母様が服を買った店は?」

 

「違う建物だけど?」

 

「同じ店に案内しろっての!」

 

「でもあっちに行くと、靴屋が全然ないぞ」

 

「……ちっ。なら靴を先に買って、それからまた移動な!」

 

「そう急くなよ。こっちにはトネリコと全然来てなかったし、スピネルも一緒に見て回るのもいいんじゃないか?」

 

「……お母様は?」

 

「今日はこちらで見てみるのもよいな。こちらの方が家から遠い。私たちはともかく、ヤマトの疲れが溜まるのだから」

 

「そこまで体力ないわけじゃないからな?」

 

 さっきの今で、スピネル相手にモルガンの口調が変わるわけがない。そう簡単にできるのであれば、とっくにそうしているだろう。これは時間がかかるだろうなと認識を改め、大和は自分の立ち位置を決めた。

 いや、それは元から決まってはいた。モルガンに対してのスタンスは変わらない。だから、決めたのはスピネルとの関係だ。距離感だ。

 大和は自分の役割を片時も忘れたことなんてない。自分で決めたことは、最後まで全うするのだ。

 

「スピネルはどういう靴が好きなんだ?」

 

「ヒールのあるやつ。あれ考えた奴天才だろ。賞賛されるべき偉人だろ」

 

「ははっ、なるほどな」

 

「てか、むしろなんでお母様にヤマトがそれを買ってないの? 本当にお母様のこと想ってんの?」

 

「……ごめんなさい」

 

「スピネル。あまりヤマトを責めないように。私も納得してのことだ」

 

「……なにそれ」

 

 スピネルはつまらなさそうに呟いて、足早に店の中に入っていった。

 

「申し訳ありませんヤマト……」

 

「いや、スピネルの言うことも尤もだ。この際だし、モルガンも靴を選んでみたらどうだ?」

 

「ですが……それでは……」

 

「ははっ。スピネルが増えたことでもうパーだよ。家計の方は計算し直すから、ひとまずは気にせずにスピネルと選んでみてくれ」

 

 スピネルは経済事情を知らない。だから、モルガンがスニーカーを履いていることが気に食わなかった。もっと相応しい靴があるから。もっと魅力を引き出せる靴があるからだ。それを知っているはずなのに、大和がそうしなかった。モルガンも大和を庇った。それがスピネルの機嫌を損ねる。今日はアップダウンが激しくなりそうだ。

 大和は決断した。貯蓄に回す資金を使わないといけなくなったのなら、一旦そのことを忘れてしまおうと。スピネルの言い分は尤もなのだから。かわいい子も、綺麗な人も、着飾ったほうが絶対に良い。

 なるほどスピネルは、とても女の子らしい子のようだ。

 

「スピネル。何か目を引くものはあったか?」

 

「お母様。ううん、まだ見始めたばかりだし」

 

「そうか。では…………共に回るか」

 

「……ぇ?」

 

 ぴたっと体の動きを止めたスピネルが、目を丸くしてモルガンの方を見る。彼女は一瞬だけ視線を逸らしたが、すぐにそれを戻した。真っ直ぐにスピネルを見るために。

 

「私とでは不服か?」

 

「そんなことない! ……そんなことないわ。……いいの? 私がお母様の時間奪っちゃってもいいの? きっと長くなる。これだけ多いのだし、靴に夢中になっちゃうかもしれないわ」

 

「それでいい。私の時間を、お前にやると言ったのだ」

 

「……!!」

 

 はっきりと、そう告げた。誰でもないモルガン自身の口で。それは彼女からの歩み寄り。異聞帯でも、合わせ鏡を渡されたり、魔術を教わったり、娘として引き取られたが、こういう時間はなかった。向こうでのことが不服だったわけじゃない。不満なんてない。けれども、立場の都合もあって、親子らしい時間なんてなかったから。

 

「ぁ……ぇっ……」

 

 言葉がうまく出ない。どうしたらいいのか分からない。スピネルは目を泳がせて、モルガンの手を取ろうかと悩んで、自分の手を僅かに動かしては戻すのを繰り返す。

 それはモルガンも同じで、言ったはいいがこの後どうしようと悩んでいた。はっきりとは言われていないが、スピネルの反応から拒まれてはいないことが分かる。大和に言われた通り、一緒に靴を見ることができそうだ。けれど、手を取ってもいいのだろうか。どうにも確証が得られない。こういう時間を、スピネルと過ごせたことがないから。

 

「何してんだか」

 

「「あっ」」

 

 その沈黙を、様子を見守っていた大和が破る。両手を使って、モルガンとスピネルの手を掴んで2人の手を触れさせる。

 そうなってしまえば後は簡単で、2人は互いにたぐり合うように手を動かして、ようやく重ねあった。

 どこか感慨深く、それでいて照れくさそうな反応をどちらもが浮かべて。

 

「おれはちゃっとお金卸してくるから、戻ってくるまでに靴を選べたら念話してくれ」

 

「わかりました」

 

「そんなすぐ決まるわけないじゃん。靴選びは本気なんだから」

 

「うん。いくらでも時間をかけていい。店はここ以外にもあるから、この店で決める必要もないぞ」

 

「うっそ、他にも同じ規模の店があんの?」

 

「あるんだなーこれが。だからこそ、こっちにまで来たわけだし。ついでにここのパンフも取ってくるわ」 

 

「ええ。お願いしますヤマト」

 

「それじゃあまた後で」

 

 親子2人の時間を作ってやりとか、邪魔したくないとか、そういう傲慢な考えはない。2人には2人の時間が必要だなとは思っているが、即それを実行するのは荒療治もいいところだ。下手したら逆効果である。

 モルガンならよっぽどのことはないだろうと、信じられるところがある。……そう、信じ切れないのだ。不安があるのだ。なにせ彼女が、スピネルを相手にした途端不器用になるのだから。

 

(スピネルがだいぶ靴好きみたいだし、それに合わせて教えてもらったりしとけば、それで大丈夫だと思うけど)

 

 その考えを、大和はモルガンに言わなかった。アドバイスに似たそれを。

 なにせこれは、2人の問題だから。大和は事情をほとんど把握していないのだ。関係を良い方向に持っていけそうなことは思いついても、それが本当に正しいのかは不明。家庭の事情というやつは、外から見て分かるほど簡単ではない。

 

(おれも、2人と話をしておいた方が良さそうだな)

 

 もし、仮に。起き得るのかは不明だが。あのモルガンから相談を受けることがあった時に、的外れなことは言いたくない。そのためにも、2人のことをより知る必要がある。逆もまた然りだ。スピネルと話す時も同様である。助けになりたい。

 それと、一番考えたくないことで、そうなってほしくないことだが。自分の居場所が無くなるのは避けたい。

 

(一応家主だしな)

 

 不安材料が増えた気もしなくはないが、それに合わせて楽しみも増えた。解消するほどに、楽しめる時間が増えていくだろう。

 そんなことを考えながら、お金を引き出すためにATMがある場所に到着し、

 

「(ヤマト……スピネルが消えました……)」

 

「(なんでや……)」

 

 ショックを受けているモルガンから届いた念話に愕然とした。

 

 

 



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14話目 モルガンと親子①

 

 夢のような時間だと、本気でそう思った。だって、お母様と一緒に買い物ができるのだから。

 ずっと職務をしていて、ずっとあの玉座にいて、ずっとつまらないあの妖精たちを支配していたお母様。私を娘として引き取ってくれて、お母様しか使えなかった魔術を私に教えてくれた。妖精騎士トリスタンを着名(ギフト)してもくれたお母様。

 そのお母様を、どうやったら喜ばせることができるのか分からない。私にとっての『楽しいこと』は、お母様に褒めてもらえること。認めてもらえること。その手段は、残虐と言われるような行い。ここの倫理観ってやつで言えば『悪いこと』。 

 それをしたら、お母様は褒めてくれた。それをうまくできなかったら、お母様を落胆させてた。

 だからきっと、それ以外のことに楽しみを見出すのは、お母様を困らせること。認めてもらえないこと。そう思ってたから、どっちの手段も取ることにした。

 

 残虐なことも、私の楽しみも。

 

 靴の研究のために、クソ妖精どもの足を切り飛ばしたりしてた。部屋に持って帰って、並べて、一流の靴ってやつを追い求める。それが私のもう1つの『楽しいこと』。目標。……夢ってやつ。私だけの、理想の一足。

 

『こちらでは無闇に人を傷つけることを禁じる』

 

 ヤマトが私を見て意識をふっ飛ばしてる間──大変失礼なことだったけどお母様が膝枕するから何もできなかった──そんなことを言われた。訳がわからなかった。だって、お母様はこれまで「そうしろ」と言ってきたのに。

 でも時間が経てばそれを理解できた。ヤマトが戦闘が起きることを避けてるって、ヤマトと話してて分かったから。それなら仕方ない。お母様の決定でもあるし、従う。

 残された私の『楽しいこと』は、靴のことだけになった。勉強して、研究して、理想の一足を作る。そのための努力だけが、『楽しいこと』。

 それを、その時間をお母様と共有できる。その事に、何とも言い表せない気持ちが浮き上がってた。

 

『靴って本当にいろんなのあるわね。ドレス用じゃないのにヒールがあるやつもある』

 

『同じ形でもデザインが異なる。細かな需要に合わせているのか』

 

『あ、お母様その靴はね──』

 

 与えられている現代の知識に、靴のことなんてない。そんな細かなところまでは補完されないし、してほしいとも思わない。だって、それは私の努力じゃない。私の力じゃない。

 これだけは譲れない。譲らない。私は、私の夢のために自分で進んでいくんだ。

 だから、自分が持っている知識。それを使っての解釈、分析。そして考察。それらで、お母様に靴のことを教えてあげる。間違ってたら嫌だけど、間違えない自信がある。

 

『お母様もヒールのある靴なんてどうかしら?』

 

『それも悪くない。が、服の系統に合わせたい』

 

『それもそうね』

 

 手に持っていた見ていた靴を棚に戻して、お母様と移動。そうやって少しずつ店を回っていたら、お母様が興味を示す靴があった。

 それは私にとって意外なことで、お母様がその靴を手に取るのを静かに見てた。何か聞かれたら、頑張って答えよう。お母様のために私ができることを、頑張ろう。

 

『この靴なら──』

 

『っ!!』

 

 息を呑んだ。見えているものが、どんどん遠くなっていく感覚に陥った。

 ねぇ、なんで。

 なんでなのお母様。

 

 どうしてお母様は──!!

 

 

 

□□□

 

 

 

 モルガンからの連絡を受けた大和は、やることをすぐさま済ませて館内を走っていた。途中でここのパンフレットを取るのも忘れずに、人の間を縫うように、可能な限り急いで走った。

 走ることは向いていない。運動が苦手なわけではないが、体育会系というわけでもない。だから人とぶつかりかけるのも何度かあった。それでも足を止めず、緩めずにひた走り、店に着いた時には肩で息をしていた。

 

「ヤマト……!」

 

 大きく肩を上下している大和にモルガンが駆け寄る。眉間に眉を寄せていて、これまで見たことがないほどに弱々しく感じられる。彼女の弱点は、やはりスピネルなのだ。そうなるほどに、氷のようだと思わせる彼女が愛する娘が、あの妖精だ。

 

「私としたことが……。こちらでは合わせ鏡をまだ渡していません。これでは呼び戻すこともできませんし、どうすれば……!」

 

「落ち着こうトネリコ。状況をおれにも掴ませてくれ」

 

「……そう、ですね。見苦しいところをお見せしました」

 

「全然。それだけスピネルのことが大切なんだろ?」

 

「はい」

 

 深呼吸して焦る気持ちを抑え込んだモルガンが、大和に経緯を説明する。一緒に靴を見ていたのだが、目を離した途端にいなくなったのだと。

 

「子どもじゃないんだから……」

 

「私たちの娘ですよ」

 

「そういう意味ではなく。……トネリコがそうなるくらいに、気になる靴があったのか?」

 

「それは……はい。そうです」

 

 彼女が唯一手に取って靴を見ていたのは、スピネルがいなくなる直前。たった一足を見ていただけで、その一瞬で、スピネルはトネリコに気づかれることなく姿を消したようだ。

 

「一瞬どころか、結構それを見てたわよ彼女」

 

「へ? うわぉ、キャスターさん。なんでここに? ストーカーですか?」

 

「違うわよ失礼ね! 宗一郎様と来てたのよ」

 

「その葛木先生はどこに?」

 

「呼んだか京坂」

 

「うわ!? 急に後ろから話しかけないでくださいよ! まったく気づけなかったし!」

 

「済まない。癖でな」

 

「癖で気配殺さないでくれます?」

 

 そんなことができる時点で、まったくもって一般人ではないのだが。常人からかけ離れているのだが、残念ながらこの葛木宗一郎のカテゴリーは一般人である。そして高校の先生である。

 葛木は表情が微動だにしない。喜怒哀楽が消えてるのではと生徒間で言われるし、欲をすべて切り捨てた超人だとか言われたりしている。新入生から怖がられるのは、毎年の恒例行事でもある。とはいえ誠実な人間として、上級生からは慕われている。あるいは、慣れた生徒がそうなるのか。

 

「その者と共にいた少女なら、あちら側に走っていったぞ」

 

 わざわざ店の外にまで出た葛木が方向を指差す。どうやらどっちに行ったのかを見てくれていたらしい。追いかけなかったのは、見知らぬ人間に追いかけられるという状況を作り出さないためだ。常識もしっかりと持ち合わせている。

 

「もしまた見かけることがあれば、その時に連絡しよう」

 

「ありがとうございます葛木先生! 行こうトネリコ」

 

 モルガンの手を取って駆け出す。館内は走るなと背後から葛木に釘を刺され、大和は走るのをやめて競歩へ。少しでも早く移動しようとし、モルガンは競歩に慣れていないかと思い至ってペースをさらに落とす。

 

「方向はわかっても場所まではな……。せめてこの館内にいてくれたらいいんだけど」

 

「……おそらくは中にいると思います。あの子は日の光が苦手ですから」

 

「まじで? うーん、連れ出したのはまずかったか」

 

「避けるほどではありませんから、そこまで気にしないでください。それに、人間の活動は日中が大半なのですから」

 

「そうなんだよなー。その辺も、あとで本人に聞いてみるかな」

 

 手を引きながら歩く大和の背をぼんやり眺める。出会って間もないスピネルのために、こうやって率先して行動できる彼の背を。

 

「なぜ」

 

「ん?」

 

「なぜヤマトはそう動けるのですか? スピネルとは会ってまだ数時間ですよ」

 

「それ関係ある?」

 

「え……?」

 

 どうしてそんなことを言うのだろうと、不思議そうにする大和にモルガンは面食らった。

 

「時間なんて関係ない。一緒にいた奴がいなくなったから探すんだ。それに、おれたちの娘だからな」

 

「……ヤマト……」

 

 そこに損得なんてない。利害だって関係ない。そっちのほうが良さそうなんて考えもない。

 そうしようと決めたからそうしている。大和は今、それだけの理由で動いていた。

 それはモルガンだってそうするだろう。いや、モルガンの方が強い気持ちでそうする。スピネルが相手なら、娘が相手なら、結果がマイナスに作用するのだとしても、絶対に見捨てない。

 

「スピネルってどんな子なんだ? 当たり前だけどおれは全然知らないからさ。トネリコの口から、それを教えてほしい」

 

 歩くことはやめず、スピネルの捜索を続けながら、大和はそれを今聞くことにした。本人と話して、本人の人柄を知ることも大切だろう。それでも、他者からの視点だって重要だ。

 何よりも、スピネルが最も好意的であるモルガンの視点。彼女から視えるスピネルという存在。その見え方は知らないといけない。家主としても。目的のためにも。

 

「(……真名は言いましたね。バーヴァン・シーだと)」

 

 念話だ。異聞帯出身の少女の話をするのだから、それは必要な措置だ。

 

「(うん。名前だけじゃまったく分からんが)」

 

「(汎人類史のバーヴァン・シーは知らなくても構いません。ノイズとなるかもしれませんから)」

 

 異聞帯は当然ながら別の世界だ。そっちのことを純粋に飲み込みたいのなら、それに類似するこっちの情報を持っていないほうがいいかもしれない。

 

「(精霊は人間と違って繁殖しません。性行為など無用です)」

 

「(じゃあ数が少ないのか?)」

 

「(そういうわけでもありませんが、その辺りの説明は省きます)」

 

 長くなるし、スピネルの捜索に関係しないから。

 

「(妖精は死しても、次代へと生まれ変わります)」

 

「(……はぁ?)」

 

「(そういうものだと受け入れてください)」

 

「(了解)」

 

 メカニズムを抜きに、とりあえずその概要をそのまま受け入れる。

 

「(生まれ変わると言っても、限度はあるのです。魂がすり減れば、その代での死が正真正銘の死です。消えます)」

 

 そこでようやく、人と同じラインの死らしい。

 

「(スピネル……バーヴァン・シーは、ずっと他の妖精たちの慰み者でした)」

 

「(慰み者?)」

 

「(他の妖精が笑えば嬉しいと感じる。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そこに怒気が込められているのは明白だった。モルガンにとって、許せないことだった。相手がスピネルもとい、バーヴァン・シーだから。

 

「(何をされてもです。焼かれようと手足を斬られようと騙されようと、道具として扱われ、壊れたからと言ってごみ同然に捨てられても。それでも妖精が笑うのなら嬉しいことだと。そう考えてしまう子なのです)」

 

 騙されやすいどころではない。チョロいとは大和も感じていたが、これほどとは思わなかった。モルガンが取り乱すのも頷ける。

 

「(だから私は、あの子にギフトを贈ったのです。トリスタンの名を付け、『反転』させた。そうしないと、あの子を他の妖精に容赦をしない性格にしないと守れないから)」

 

「(それで今の性格か)」

 

「(はい。バーヴァン・シーに次はありません。最後なのです。けれど私はあの子に生きてほしい。最後の一度でいいから、あの子が幸福に生きる姿を見ていたい)」

 

 そのために、残忍な性格にさせた。非道にさせた。そうしないとバーヴァン・シーが生きられないから。

 それを間違いだとは思わない。それ以外ないと確信して選んだ。妖精たちを許す気などないから。バーヴァン・シーのためなら、他がどうなろうと構わないと思った。

 大和と繋いでいる手を強く掴む。取りこぼしてしまったものを追いかけるように。

 その手の力を感じながら、大和は思った。良い悪いで語れるものではないなと。妖精は気まぐれで残忍だと聞いている。ならば、バーヴァン・シーにそうする妖精たちも、そうだったのだろう。仕方のないことだとは言いたくない。けれど、そういうものだったと言うしかない。

 その上で、大和は1つのことを確信した。

 モルガンの手を握り返し、彼女に微笑む。

 

「そうなるように、おれも頑張るよ。スピネルを見つけて、連れて帰って、3人で笑っていられるように。スピネルの幸せが、トネリコの幸せでもあるみたいだしな」

 

 だからさ、と繋げる。モルガンが話す前に。

 

「もっと正直になれよ。スピネルに打ち明ければいいんだ。どれだけ好きなのかを。どれだけ愛してるのかって。こっちに妖精なんていない。警戒する相手なんていない。なら、話せるだろ?」

 

「それは…………そう、なのですが……。恥ずかしい

「かわいいかよ」

 

 反射的に出てしまった言葉に大和が気づくのは、モルガンが頬を赤くしてそっぽを向くのと同時だった。

 変に気まずい空気が流れ、それを打破する話題を大和は探す。何かないかと右へ左へ視線を泳がせ、視界に映ったもので浮かんだ話題を使うことに。

 

「そ、そうだトネリコ。結局どんな靴が気になったんだ? キャスターさんとトネリコの話の食い違い的に、だいぶ夢中だったみたいだけど」

 

 横目にちらりと様子を見ながら言うと、靴の話題でモルガンがビクリと肩を震わせた。何かまずかっただろうかと大和は首を傾げる。

 口を開こうとしては閉じて、やがてモルガンは口元を手で隠してまたそっぽを向いた。今度は耳まで赤くなった彼女から、か細い声が発せられる。

 

……言えるわけないじゃないですか。ヤマトのばか

 

  




 異聞帯のモルガンにとっての幸せは、バーヴァン・シーの幸せも含まれている。それが私の解釈です。


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15話目 モルガンと親子②

 

 スピネルを探すのは容易ではない。なにせ少女にとって初めてのデパートであり、この冬木市自体が初めての場所だ。

 モルガンは少女が日の光を苦手にしていると言った。だからといって、絶対に避けないといけないわけではないとも。あくまで、無意識のうちに避けようとする。その程度のものらしい。

 ならば、その気になれば外に出られる。ここに来ている事自体が、その証拠でもある。

 

「外に出てたらいよいよ探し切れないな。館内放送でもしてもらうか?」

 

「……あの子はきっと、それに従わないでしょう」

 

「想像できるなー」

 

 館内放送をしてもらったとしても、無視してどこかに行きそうだ。今だって、スピネルとはぐれたわけではない。スピネルが意図的にいなくなったのだ。その理由は、大和にもモルガンにも予測できない。

 

「こっち方面に靴屋はないんだよな。……フードコートはあるけど」

 

「セイバーではないのですから」

 

「ははっ、たしかに」

 

「ですが……あの子が行きそうな所に見当がつかないのも歯がゆいですね」

 

「……そうだな」

 

 今になって実感する。バーヴァン・シーのことを、本当の意味で知っていたわけではないのだと。何も分かっていない。どうやって生きさせるのか、それしか考えていなかったのだから。

 

「そこまで思い詰めるなよ。これから知っていけばいい。それをできる時間と余裕が、こっちにはあるんだから」

 

 けれど、異聞帯ではなかったものが、こちら側ではある。せっかく2人とも召喚されたのだから、それを活かさない手はない。

 たとえ還る日が来るのだとしても。ここでの日々を忘れてしまう可能性があっても。

 

「ヤマト。急に踏み込んだり距離を詰めてしまうと、警戒される可能性はありませんか?」

 

 それはそうと、話をするにしても、少女が身構えてしまうのではないだろうか。

 そこまではいかなくとも、戸惑わせる可能性がある。さっきもそうだった。目を丸くしていた。

 

「その懸念はもっともだな。でも、いずれは踏み込まないといけないことじゃん? それに、トネリコは言葉にできてないことが多いっぽいし」

 

「そうですか?」

 

「スピネル相手には、足りてないと思う」

 

 言葉が足りない印象などなかった。モルガンはものをはっきりと言うから。けれどどうだろう。スピネルが相手になった途端、モルガンは言葉よりも行動で示しているように見える。

 本人は接し方に困っているようだが、むしろ行動自体は何も問題ない。()()()()()()()()()()()()()()、彼女が娘のことを愛していることが、これでもかと分かってくる。過保護にさえ感じるほどだ。それが当の娘にイマイチ伝わっていないのは、言葉が足りていないから。少なくとも大和はそう感じた。

 

「気持ちってさ、言葉にしないと伝わらないことが多いんだ。行動だけだと、相手の見方に委ねてしまうから」

 

 それを言うのは、モルガンに言うのは、残酷であると同時に、響きにくいことなのだろう。

 何千年間も、妖精を助けるために尽力し続けた。育ててくれた一族を滅ぼされても、魔女だと蔑まれ、迫害されようとも。それでもと抗い続け、妖精を救おうとした。それでも、どれだけ努力を積み重ねても、妖精たちの気まぐれでそれを無に還された。最後の希望(ウーサー)を殺された。ロンディニウムを滅ぼされた。

 話し合いなんて無意味だ。理解なんてしてくれない。言葉をどれだけ重ねようとも、その言の葉は気まぐれという風であっさりと吹き飛ばされる。

 それを思い知らされ、絶望し、恐怖と支配で国を1つにしたのが、異聞帯のモルガンだ。その彼女に「言葉を重ねろ」と大和は言う。

 

「……そんなもの……!」

 

 たとえそれが大和の言葉であったとしても、それに納得はできない。賛同できない。

 スピネルは、バーヴァン・シーは他の妖精とは違うと分かっていても、根本はやはり妖精なのだ。その在り方は変わらない。変えられない。人間で言うところの、性根というやつだ。

 それを変えるのは難しい。モルガンは誰よりもそれを知っている。ギフトという強引な手段を使ったとしても、それは仮初なのだ。だから、言い聞かせようとしてひどく苦労した。長い時間を要した。残酷で残忍な妖精騎士トリスタンとするまで、時間はかかった。言葉だけでは、どうにもならないから。

 

「そんなものでもだよ。言葉だけではもちろん薄っぺらい。行動が伴わないと説得力がない」

 

「知っています。ですが、それでも届かないのです。何も変わらなかった」

 

「だから言葉を尽くすことはやめたんだよね?」

 

「はい」

 

「でも……、いや、そうだな。まずはおれがスピネルと話してみるよ。第三者だから分かることもあるだろうし」

 

 まだモルガンの話しか聞いていない。スピネルからの話を聞いていないのに、何が正しいかなんて分からない。正直に、率直に話せばいいとは思っているが、的はずれなことを言ったらすれ違う。

 モルガンが多くを語れないのなら、ピンポイントに必要なことを話させればいい。そのための仲介役ぐらい、大和は進んで買って出るつもりだ。

 

「なんにせよまずは再会だな。会わないことには何もできない」

 

「そうなりますね。……()()()()()()()()()()()?」

 

 言葉の綾かと思ったが、引っかかった部分だから聞き返した。モルガンのその反応に、大和はこくりと頷く。ポケットから携帯電話を取り出して、それを揺らした。

 

「間桐に協力してもらってな。外に出てる場合を考えたら、人手がいるだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃のスピネルはというと──

 

「いーーやぁぁーーーー!!」

 

 絶叫しながらデパートの外を全力疾走していた。人の域を超えた英霊としての全力疾走である。少女の敏捷はAランク。この全力疾走は速度で言うと、時速60kmを優に超える。人にぶつかれば人身事故だ。人間ボーリングだ。高齢者じゃなくても死ぬ。

 けれどそこは心配ない。少女はちゃんと車道を走っている。ぶつかるものがあるとすれば、それは車両だ。無論、ぶつかればの話であり、少女は車両を華麗に避けながら走っているので万に一つもないのだが。

 

「なぜ逃げるのですか。敵意はありませんよ」

 

「信じられねぇよ! なんだそのデカブツ!!」

 

「これはレンタカーです」

 

「嘘つけ!!」

 

「■■■■ーー!」

 

「吠えてんじゃねぇか!! それバーサーカーだろ!」

 

「レンタルバーサーカー。略してレンタカーです。……ふふっ」

 

「うまくねぇからな!?」

 

 戦車以上の怪物を乗り回すライダー。これに追いかけられて逃げない者はいない。スピネルの判断は何もおかしくはなかった。

 あくまでバーサーカーは車両モード。身軽に車を躱すことができる自分なら、相手を振り切ることができる。そう思っていた時期もあったらしい。だが悲しいかな、このレンタカーは跳躍可能である。速度も同じ。振り切ることなどできず、かと言って追いつかれるわけでもない。

 

(なんでこいつら追いかけてくるんだよ……!)

 

 それは大和が間桐にお願いして、ライダーにスピネルを探してほしいと言ったからだ。彼女の俊敏さなら、広範囲を短時間で探れると思ったから。

 しかしスピネルはそんなこと知らない。突如現れたライダーwithBを警戒し、逃亡を始めたことでチェイススタートである。

 

「桜? ……ええ、分かりました」

 

 突如入ったマスターからの指示。ライダーはそれに忠実に従う。レンタカーの操縦は片手で、空いた手に鎖を出現させ、それをスピネルの横に投擲。

 

「は!? 休戦状態って話じゃなかったのかよ……!」

 

 反撃しようかと一度振り返り、歯ぎしりしてから進路を変えて逃亡を続行。反撃くらい許されるだろうが、スピネルはそうしなかった。モルガンの指示があるのと、大和をあまり困らせたくなかったから。心地よいのだ。あの隣は。

 

「ヤマトは一発殴る」

 

 それはそれとして、休戦状態って説明してきた大和は殴ろう。あのライダーは、全然攻撃してきたから。

 

「■■■■■■ーー!!」

 

「まさかバーサーカーまで……!」

 

 その咆哮に意識を向けないわけにはいかない。バーサーカーは狂化されたサーヴァントだ。理性なんてない。理性がないということは、何をしてくるか分からないということ。追われている状態なら、その咆哮が警報にもなる。

 

「……なにしてんだあれ」

 

 二足歩行に戻ったバーサーカーが、槍投げみたいな姿勢で助走を取っている。何か投げてくるのだろう。その何かは、バーサーカーの右手の中。妙に見覚えがあるというか、今日見たばかりの紫の髪がそこに見える。

 

「■■!!」

 

「正気じゃねぇだろ!!」

 

 バーサーカーである。

 

「くそっ!」

 

 あの巨躯から投げられた槍という名のライダーが、気をつけの姿勢を保ってスピネルへと飛んでいる。驚異的な体幹であるが、そんなことを評価している余裕はスピネルにはない。射線外へと緊急回避し、そのままそっちの方向へと走る。その際にバーサーカーにも目を配っておいたが、彼は何やらビルをよじ登っていた。

 

「キングコングか……?」

 

 親子揃って、妙な知識があるらしい。

 

 その後もライダーとの追いかけっ子をしていたスピネルだが、それは少女にとって予想外の形で終わりを迎えた。

 ビルをよじ登って以降姿を消したバーサーカーが、スピネルの前方にあるビルの上に現れた。また何かしてくるのかと、警戒しながら睨みつけて気づく。またもや誰かしらを掴んでいることを。()()()()()()()()()()()()

 

「……は? いやいや……何しようとして……」

 

 見たことある少年だ。スピネルがこちらに来て初めて出会った少年だ。その彼がバーサーカーにがっしり掴まれていて、緩やかに投げ捨てられた。

 

「ばっ……!」

 

 なんで捕まってるんだとか。お母様はどうしたんだとか。思考が掻き乱されるのも関係ない。待てと言ったって止まらない。落下は始まっている。

 考えるよりも先に体を動かした。変則的であれ、あれでも一応はスピネルのマスターということになっている。そうではなくとも、彼を助けられるのに何もしなかったらそれこそモルガンに叱られる。失望させてしまう。

 いや、そんなことは関係ない。漠然と、だが確信を抱いて足を動かす。()()()()()()()()()のだと。

 必死に走った。スピネルなら間に合う距離だ。ライダーのことも、バーサーカーのことも頭から捨て去って、その目には大和だけを映す。

 

「──!」 

 

 大和が何か言っているがそれは耳に届かない。

 スピネルは走り抜け、跳躍し、逆さになって落下している大和を摑まえた。

 

「いや~助かった! ありがとうスピネル!」

 

「なんか余裕そうね。もしかして私が助けるって信じてたとか言う? だとしたら馬鹿よ。こんなの、お母様のためなんだから」

 

「同じじゃん」

 

「違うわよ! 過程が違うの! ワンクッション挟んでるでしょ。それに、もし私が見捨てたらどうするつもり?」

 

「その時は私が助けた」

 

「お母様……」

 

 やっぱりいたようだ。姿が見えなかったのは、霊体化していたからだろう。

 

「ひとまずスピネル。手を放してくれないか? 頭に血が上りそうだ」

 

 今も逆さになっている。スピネルは大和の足を掴んでそのまま着地したからだ。彼女の中での葛藤の結果が、見事に現れている。

 

「あとこれだとスカートのなかぁっ!?」

 

「死ね! この変態死んじゃえ! 助けるんじゃなかった!」

 

「これは庇えませんよヤマト。……見たくなるのものなのですか?」

 

 手放された直後にスピネルに蹴られている大和を、さすがにモルガンも擁護できない。

 

「チラリズムと言いますか……いやそれは置いといて」

 

「なに流そうとしてんの変態ブタ野郎」

 

「いやそれを言うとずっとあの状態にしてたスピネルが見せたがりというか、痴女ということに嘘ですごめんなさい」

 

 今度はモルガンに抓られた。

 落下の理由はスピネルを自ら来させるため。見つけても逃げていくのなら、こっちのやり方にすればいけそうだなと。なんとも安直な賭けである。しかも分が悪い。スピネル本人に委ねる作戦なのだから。打算だって、無いに近い。

 それが成功したのは、ライダーとバーサーカーのおかげだ。この英霊たちが、スピネルを追いかけ回したことで、少女の思考する余裕を削っていったから。

 

「まさか外にいるとは思わなかったけどな」

 

「……気づいたら外にいたのよ」

 

「そっか」

 

 そこの追及はせず、大和は屋上にいるヘラクレスに手を振った。無事だということと、協力のお礼を篭めて。

 

「スピネル」

 

「……お母様……」

 

 気まずそうに視線を逸した。それはまさに、悪いことを自覚している子どもの姿そのもの。彼女の前では、この子はただの女の子になるようだ。

 叱られると、そう身構えている少女にモルガンは何もしない。行動では、何も示さない。それは異聞帯にいた時と同じだ。変わらない。一方的な施しだけ。

 

「私に、お前の時間をくれないか」

 

「……」

 

「……謝罪と、これからのために」

 

「ぇ……。お母様……何を言って?」

 

「私はお前を分かっていなかった。いなくなった理由も、見当が今もついていない」

 

 そこを言及されてスピネルは息を呑んだ。その理由自体は自覚している。ちゃんと説明できる。けれど、それを言うのはとても恥ずかしかった。プライドが邪魔をする。

 

「私がお前にどうしてほしいかを話す。だから……いや、お前はお前の話せる時に、私に話してほしい」

 

 それでいいかという、モルガンからの提案だった。そしてそれは、スピネルへのお願いでもあった。

 今までにそんなことはなかった。こうしろという指示があっただけ。

 

 果たしてスピネルは、困惑の末にそれに頷き、そしてモルガンの親バカが加速した

 

 

 



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16話目 モルガン親子と年末年始

 

 年の終わり。大晦日。日本人が浮き足立つ日の1つ。

 この日を終えれば新年。それぞれの思いを胸に、落ち着きを無くす若者は少なくない。

 

「お年玉ってのがあるらしいわね」

 

「!?」

 

 カーペットが敷かれているリビングで寝転がっているスピネルが、テレビを眺めながら足をぱたぱたと動かしつつそれを口にした。いったいどこでそんな文化を覚えてきたのかと聞いてみたいところだが、おそらく間桐桜から聞いたのだろう。

 スピネルが召喚されてから約1週間。少女の貴重な女友達は彼女だけだから。

 

「あれってお小遣いとどう違うの?」

 

「あ、そっちか」

 

「そっちかって何よ」

 

「お年玉、お年玉な」

 

 寝転んだ状態で肘をついていたスピネルは、それを解いて軽く振り向いた。露骨に追及を避けた大和に目を細めるも、彼はそちらを見ずに考える。

 違いってたしかに何だろうなと唸る大和を横目に、スピネルの側に腰を下ろしたモルガンはそっと少女のスカートを直した。足を動かしていたせいか、太ももまで見えていた状態だったのだ。大和が視線を泳がせていたのもそのせいだ。

 

「なんだっけな。たしか新年の祝いとして渡すとかだったかな」

 

「……それだけ?」

 

「たぶんそれだけ。目上から目下に渡すってのと、今じゃ子どもに渡すのが風習になってるのが特徴ってとこかな。お小遣いとの違いとなると……金額?」

 

「え~、そんだけだとつまんねー」

 

「ばっか。日本全国の子どもたちはこれを楽しみにしてるんだからな!」

 

「ヤマトも?」

 

「おれは別に。うちの"家"はそんな風習ない」

 

「ふ~ん?」

 

 家柄は良い方だ。世間的に見ても、大和は一応良家の坊っちゃんということになる。冬木市ではその家の名は知られていないため、こちらでは一般人として過ごせている。

 良家なのに、日本の風習となっているお年玉を貰っていない。それは周りの人間が聞けば驚くことだろう。だがここには、日本の文化をよく知らないモルガンとスピネルしかいない。「そういう家もあるんだな。魔術師の家系だからかな」ぐらいにしか捉えていない。

 

「それなら私が貰ってあげるわ」

 

「おっと?」

 

「イブンカリカイってやつ? なんでもいいけど、ヤマトも正月気分ってやつを味わえるでしょ?」

 

「その流れにしてお年玉が欲しいだけだろ」

 

「違うからな! ヤマトに正月っぽいことさせるだけだからな!」

 

「えっ、優しいのなスピネル」

 

「は……はぁ!?」

 

「だって、おれに正月らしいことをさせてくれるんだろ? スピネルが優しい証拠じゃん」

 

「なっ……! ぅぅ……お母様ぁ!」

 

「はいはい」

 

 予想していなかった展開で褒められ、スピネルは顔を朱に染めてモルガンへと抱きつく。それをモルガンは、嬉しそうにして受け止めてスピネルの頭を撫でる。

 

「お年玉は用意しとくよ。それなりの靴が買える程度には」

 

「……!」

 

「いいのですかヤマト?」

 

「これぐらいならまぁ、なんとかなるだろ。親の役割だしな」

 

「親の……。では少し出掛けてきますね」

 

「宝くじ当てに行く気だろ。それはしなくていいからな?」

 

 先に制されたモルガンは、つまらなさそうに大和を見つめる。母親らしいことをしたいという欲求が、ここ一週間ほど続いているからだ。その実態は親バカも親バカで、学校では周りを振り回す大和がブレーキ役になっているほどだ。

 

「お年玉は明日。今日は大晦日だし、ゆっくりしようぜ」

 

「オオミソカですることって何かねーの?」

 

「うーん、大掃除とか。夜に年越しそば食べるとか」

 

「大掃除ねー」

 

 モルガンに腕を回されたままのスピネルが、部屋の中をきょろきょろ見渡してため息をついた。

 

「どこも掃除されてんだよな」

 

「モルガンのおかげでな」

 

「バーヴァン・シーが手伝ってくれるおかげです」

 

「それもあるな」

 

 誇らしげに言い切るモルガンに大和も同意し、そんな2人を見てからバーヴァン・シーは胸を張った。なんだかんだで大和も甘い。

 

「そういえば年越しそばって何? そばと何が違うわけ?」

 

「大晦日に食べるか食べないか」

 

「つまんねー。てかこの流れさっきやった!」

 

「そばはあとで作るけど、具材は家庭ごとに違うってな」

 

「へ~。……暇だし私が作るわ」

 

「料理できたのか」

 

「できるわよ。そばは知らないから、レシピは欲しいけど」

 

「やだこの子レシピまで言及してる。予想以上にしっかり者!」

 

「私のことナメ過ぎじゃない?」

 

「バーヴァン・シー、包丁の扱いには気をつけなさい。振り下ろさないように」

 

「お母様まで!? てかそんなことするの牙の奴らみたいな野蛮人だけでしょ」

 

「野蛮……」

 

「あ~……スピネル。先輩から貰ったレシピを冷蔵庫に貼ってあるから、それを参考にしてくれ。欲しい食材があったらメモしといて。その時に買い物に行こう」

 

「ん、りょーかい」

 

 モルガンからぴょんと離れたバーヴァン・シーが台所に向かい、それを見守りながら大和はモルガンの側に行った。娘の放った何気ない一言が、深々と刺さっているようだ。

 

「わたしは……やばん……やばんな、ははおや……」

 

「そんなことはないだろ。失敗は誰にでもあるし。スピネルが言ったのは、ずっとそうやって料理する奴のこと。牙の奴らってのがどうかはおれは知らんけどな。それより、モルガンもスピネルと一緒に作ってみたらどうだ?」

 

「……そうですね。野蛮ではない証明をしてきます」

 

「根に持つタイプなんだな……」

 

 そうしてモルガンも台所に行き、バーヴァン・シーと具材の話を進める。食材自体は買い込んでいるため、その中から選んで組み合わせることにしたらしい。

 数時間後には、2人がエプロンをつけて並んで料理を始めた。

 

「(緊急事態ですヤマト)」

 

「(なにが?)」

 

「(バーヴァン・シーが私より料理上手です。母としての威厳が……)」

 

「(…………そっか~)」

 

 

 

 大晦日が終われば当然来るのはお正月。そしてお正月と言えば初詣だ。日の光が苦手なスピネルのことを考慮し、大和は日付の変更直後に家を出ることを提案。その時間からでもそれなりに人の数が多いものの、日が昇ってから神社に訪れるよりましである。何よりも、夜のほうがスピネルの機嫌がいい。

 夜道を3人で歩いていると、大和の袖をスピネルが引っ張った。気になったものがあるようだ。

 

「なにあの服」

 

「晴れ着だな。日本の民族衣装ってことになるのかな。昔からある伝統的な服だよ」

 

「ふーん? 悪くないじゃん」

 

「着たいのか?」

 

「無理なのは分かってる。家にそんな服はないし」

 

「先輩の家でも、2人のサイズに合うやつはないだろうしな……。この時間じゃレンタルもできない。ごめんな」

 

「今度で許してやる」

 

「ありがとう」

 

 お礼を言うと顔を逸らされた。純粋な感謝というものに、慣れていないらしい。

 そうやって歩き続ければ神社にも到着する。夜中でも一部の屋台はやっているようで、香ばしい匂いが右からも左からも漂ってくる。スピネルはそれらを見ながら歩き、大和とモルガンでその左右を固める。

 

「右側から行くかな」

 

「そうですね。人の流れもそうなっているようですし」

 

 人の流れに合わせた上で、右に寄って歩けばそちらの屋台を見て回れる。反対側は帰りに寄っていけばいい。その気遣いに気づいているのかいないのか。スピネルは1つ1つ見ながら進んでいく。

 

「気になるものがあれば買うからな」

 

「全部」

 

「勘弁してください」

 

「だと思ったぜ」

 

「店主これの中サイズを」

 

「お母様早い!」

 

「すごい別嬪さんだな。おまけしとくよ」

 

 モルガンが買ったのはベビーカステラだ。これなら3人で分けながら食べられる。そう判断したのだろう。中サイズで買ったのに、おまけのおかげで量は大と変わらない。

 

「柔らかくほんのりと甘い。これは美味ですね」

 

「気に入ったのなら何よりだよ」

 

 1つ食べたモルガンが、スピネルに袋を渡して感想を言う。ひょっとしたらこのお母様、残りすべてを娘に渡すつもりではなかろうか。そう思っている大和に、モルガンはふわりと頬を緩めた。

 

「ヤマトも1つどうですか?」

 

「ん。ああ、ありがとう。……トネリコさん?」

 

 モルガンがその手に持っているベビーカステラを受け取ろうとした大和だったが、差し出した手にモルガンは乗せてくれない。首を傾げる大和の口に、モルガンはその手を伸ばした。食べさせようとしているのだ。俗に言う「あーん」というやつである。外なのに。

 

「私では食べてくれませんか?」

 

「いただきます」

 

 眉を下げてそんなことを言われれば断れない。大和は自らベビーカステラを口に含めた。その際にモルガンの指も口に含めたが、傷つけないように噛まずにベビーカステラだけ回収する。

 モルガンは起きたことに目を丸めていた。予想外だった。思考が追いつかず、というよりも停止し、手をだらりと下げて大和の口元を見ていた。

 

「何してんだこいつ。バカなのか? バカだったな!」

 

「痛い!」

 

 頬を染めるモルガンの横でスピネルが大和のスネを蹴り、その光景を目の前で見せられた店主は缶ビールをひと缶開けた。

 

 参拝するときにベビーカステラを持ちながらというのは、日本人としては気が引ける。そのため大和は食べ切ってから参拝することを提案し、モルガンとスピネルがそれを承諾。腰を掛けられる場所まで移動し、大和とスピネルが並んで座った。モルガンはおしるこが気になったようで、それを買いに行っている。

 

「お母様1人にしていいのかよ」

 

「スピネルを1人にさせる方が心配だとさ」

 

「……そ。ねぇ」

 

「ん?」

 

「スピネルって言葉……石なんだってね」

 

 ベビーカステラが入っている袋を見下ろしながら、スピネルがぽつぽつと言葉を溢していく。

 

「ルビーっていう宝石の偽物。紛い物。どう頑張ったって、キラキラした宝石にはなれないもの。……滑稽ね。私、そんな名前を喜んで使ってたなんて。……ヤマト、知ってたんでしょ? 意地悪よね」

 

「それはその側面にしか過ぎないぞ」

 

 大和は立ち上がり、少女の隣から正面に移った。赤く、愛らしい髪を撫でると、少女が反発するように顔を上げる。睨まれるも、大和は普段と変わらない様子で笑う。

 それは、少女からしたら嘲笑っているように見えるだろうか。そうではないと、頭では思っていても。

 

「スピネルはたしかに宝石じゃない。クリスタルだ。人々が勘違いして、宝石として扱ってたから、発覚した時には大混乱だっただろうな。イギリス王室の冠に使われてたの、実はルビーじゃなくてスピネルだったし」

 

 ただあるだけで問題を生んだ。周りの勘違いのせいで。

 

「宝石を求めてた人からしたら、スピネルは無価値になるんだろう。でもスピネルって、人気があるんだぞ?」

 

「嘘よ。偽物なんか誰が求めるの?」

 

「スピネルもパワーストーンなんだよ。効果は何個かあるけどな」

 

 『目標に向かって頑張る人をサポートする』、『思考を明晰にさせる』、『勝利と成功の護符』、『向上心を養う』などなど。

 それらを挙げながら、大和はその場に屈んでスピネルの頬に手を伸ばした。心優しいスピネル。自己評価が低いスピネル。それでも努力ができるスピネルに。少女を肯定するため、大和は言葉を紡いでいく。

 

「ぴったりだとおれは思うぞ。だってお前は、自分の夢のために頑張れる存在なんだから。研究だって欠かさない。熱心に取り組んでる。スピネルそのものじゃないか」

 

「でも私は大成できない。どれだけ磨いたって、スピネルは宝石になれないのよ!」

 

「本当に宝石になりたいのか?」

 

「当たり前でしょ!」

 

「誰にでも認められる存在になりたいのか? それとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「っ!」

 

「その答えは、もう出てるだろ?」

 

 紙袋を、くしゃりと握った。

 

「トネリコにとってスピネルは間違いなく宝石だ。ルビーやダイヤモンドでは足元にも及ばないほどに、価値のあるものだ」

 

「……そうかな。ううん、お母様は愛してくれてるのだものね。……ねぇ、ヤマトも?」

 

「家族だからな」

 

「……カッコつけようとして、恥ずかしがってんのバレバレなんだけど?」

 

「言うなよ! 余計に恥ずかしくなってきたじゃねぇか!」

 

「……くっ、キャハハハ! 似合わないことするからよ! でもありがとう

 

 調子を取り戻したようなので、大和は立ち上がって頭を掻きながらよしとした。スピネルが追撃して煽ってくるのを、頭を少し荒く撫でることで黙らせる。乱れはすぐに直せる程度だ。

 そうして時間を潰していると、モルガンが無事に帰ってきた。何もなければ念話も来ないわけだが、それはそれで不安になるというもの。大和はほっと息をつく。

 

「おしるこを買ってきました」

 

「食べてきたの間違いだろ。口の横についてるぞ」

 

「……取ってください」

 

「あのな……」

 

 ポケットティッシュを取り出して、ついていた汚れを取る。それができたところで、モルガンがぽすんと大和の胸に軽く体を預けた。それが見えていないスピネルは、残っているベビーカステラを食べながら「ヤマトなんかやらかしたかな」とか決めつけて見ている。

 そのスピネルに聞こえない程度の声量で、モルガンは大和に話しかけた。

 

「最近、貴方といると調子が狂うことがあります」

 

「え、それはごめん」

 

「悪い意味ではありません。むしろ……ええ。とても気持ちの良いものです」

 

 大和は言葉が詰まり、モルガンはその目を見つめて微笑んだ。

 

「ですから、これからも私の隣にいてください。我が(マスター)

 

 

 




スピネルの石言葉は「内面の充実」「安全」です。


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17話目 モルガンと娘の絆

 

 商店街と言えば福引き。福引きと言えば温泉旅行券!

 

「なんか当たったけど、温泉ってなに?」

 

 そんなこんなで、大和とモルガンとスピネルは温泉旅行に来ていた。電車でガタゴト揺られて移動し、最寄り駅からは送迎車。知識としてはあっても、体験するのは話が別。スピネルはそれを楽しみ、モルガンはそんな娘を見て目を細めていた。

 

「ご家族で旅行ですか?」

 

「まぁ、そうですね」

 

「カラフルな家族ですねぇ。多国籍ってやつですか?」

 

「そうですね」

 

 2カ国だが。なんなら異世界だが。

 

「うーん……うん。深くは聞かないでおきます。家族旅行を満喫してください」

 

「ははは、ありがとうございます」

 

 スピネルがモルガンをお母様と呼ぶから、モルガンが親だということは分かる。佇まいからしても、彼女は大人だ。運転手と会話をしている大和のことは、長男だと思ったらしい。つまり、シングルマザーだと判断したのだ。シングルマザーの苦労を運転手は理解できない。何が地雷になるかも分からない。それを避けたのは的確な判断だった。

 旅館へと到着すると、スピネルが車から勢い良く出る。手を空に押し上げながらぐっと身体を伸ばし、後から降りてきたモルガンの手を引いて早速散歩へ。

 旅館の位置は山の中腹辺りだ。周辺一帯が敷地のようで、車道とは別に、歩行者用の山道も整えられている。見晴らしもよく、そう遠くない場所に海も見える。冬の今では無理だが、夏には海水浴客が訪れるらしい。

 

「(チェックインは済ませとくから、ゆっくりしてきて)」

 

「(すみませんヤマト)」

 

 取り残された大和は当然その手の手続きをするし、全員分の荷物持ちにもなる。荷物と言っても1泊分だけ。そう多くはないのである。

 チェックインを済ませたら、女中に部屋へと案内される。夕飯や風呂、部屋のことを一通り説明を受ければ、鍵が渡されて女中は受付へと戻っていった。旅館なのだから当然和風である。部屋には畳が敷かれており、部屋の真ん中には座椅子と机。4人部屋なので、部屋もそれなりに広い。大和は荷物を置き、上着を脱いで暖房を入れた。

 

(これは周辺の簡易地図か)

 

 周りの飲食店やコンビニなど、旅行客には嬉しい情報だけが記された地図。寄る場所があるだろうかとぼんやり考えながら、モルガンたちが部屋に来るまで大和はそれを眺めた。

 

「先に寛いでやがる……!」

 

「そりゃあな。2人のお茶も淹れるから、上着脱いで寛げー」

 

「部屋の確認が先だろ」

 

「わりと見ての通りだが?」

 

「狭いな!」

 

「大部屋だバカ!」

 

 失礼なことを言うスピネルに、大和は煎餅を投げつけた。それをキャッチしたスピネルが、その場で開けてそれを食べる。欠片が床に落ちないようにちゃんと手を添えて。

 この部屋は──当然だが──隠し部屋も無ければ仕掛けもない。部屋の玄関のすぐ近くにある扉を開ければ、トイレと洗面台。玄関には靴箱があり、部屋に上がってすぐ右にはハンガーラック。あとは襖があるくらいで、部屋の大部分は見てわかる大部屋。

 日本人にとっては珍しくもない。大和にとっては、慣れ親しんだ空気感の部屋だ。しかしそれは日本人にとって。国外の人間にはカルチャーショックな空間だ。

 

「変な床ね」

 

「畳な」

 

「このスライド式のドアは……なんだ物入れか」

 

「そういうもんだよ」

 

「こちらの戸は、なるほど窓はこちらでしたか」

 

「トネリコもか」

 

 親子2人で部屋の中を見て回った後、モルガンとスピネルは並んで座椅子に座る。これも体験したことがない椅子だ。2人とも座り方に戸惑う。大和は胡座をかいているが、そうするわけにもいかない。思考の末、2人はそれぞれの座り方で座った。スピネルは足を伸ばし、モルガンは正座だ。

 大和が淹れたお茶を飲む。旅館側で用意されていたお茶だ。お湯を沸かし、茶葉を使って作られたもの。

 

「家のと違うのね」

 

「ここのは緑茶みたいだな。お茶にも種類があるんだよ。スーパーとかコンビニでもいろいろあるだろ?」

 

「あれって商品の名前の違いだと思ってた。味が結構変わるものなのね」

 

「葉の発酵や蒸す時間などで変わる、といったところですか」

 

「飲んだだけでそこまで分かるか? トネリコは時々鋭いよな」

 

 分析等はお手の物である。ただし魔術が関わらない機械は無理だが。

 部屋に置いてあった簡易地図を取り出す。どう過ごすかを話し合って決めるためだ。スピネルは身を乗り出してそれに食いつき、モルガンは姿勢を変えずに見ている。

 

「2人はどう過ごしたい? ここでゆっくりするのもいいけど」

 

「夕飯と朝食は付いているのでしたね」

 

「そっ。先に風呂を済ませて、その間に夕飯の準備してくれるらしい」

 

「無駄がなくいいですね」

 

「じゃあどこかに食べに行くのって明日のお昼だけか」

 

「そうなるな」

 

 商店街で当てたのは今日の午前中。乗り継ぎの途中でお昼は済ませているため、これからどこかで食べるという選択肢はなかった。なお腹ぺこ王は食べ歩きの最中である。

 それならこれを見たって仕方ないなと、スピネルは座椅子の背もたれに体を預けた。何せどこか遊べそうな場所が、ほとんど無かったからだ。田舎の運命である。

 

「今日はここで過ごしましょう。明日の朝食後に散策で」

 

「異議なーし」

 

「了解。じゃあこれは一旦閉まっておくか」

 

「夕飯の時間は19時からですか。入浴を先に済ませるにしても、まだ時間は余りますね」

 

「この旅館に何か遊べそうなものあったっけな」

 

「あ! タッキューってのがあるって聞いたわ! ね、お母様!」

 

「そうですね。自由に遊びに興じていいのだとか」

 

 思い出したらそれをやりたくなったようで、スピネルはお茶を一気飲みして立ち上がる。

 

「早く行きましょ! 他の人間に取られちゃう!」

 

「その場合は時間制だろうから急がなくても……」

 

「早く行きましょうヤマト。他の者が来ても勝負して蹴散らせばよいのです」

 

「なんでそんな好戦的なの? ていうか何時間やる気!?」

 

「あ~言えばこう言うんだから。あは、もしかしてヤマト。負けるから嫌なのかしら? 初心者に負けるのは、なけなしのプライド(笑)が傷つくものね~。でもこれ不戦敗になるわよね。負・け・犬♡」

 

「煽りがかわいいな~スピネルは」

 

「は? マゾなの?」

 

「とても可愛らしかったですよバーヴァン・シー。今の言葉と動きを映像に残したいのでもう1回」

 

「お母様!?」

 

 押された結果、写真と動画の2つでの撮影会が開かれた。顔を真っ赤にしたスピネルが記録に残されたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

「はぁ~、温泉って気持ちいいわねお母様」

 

「そうですね」

 

「家と違って浴槽も広いし! 夜だから何も見えないけど、ロテンブロも良いアイディアだわ!」

 

「景色はそうでも、空を見上げれば星が見えますね」

 

「そうね」

 

 入浴の時間になり、卓球でかいた汗を流して今は湯船に浸かっている。温泉には温泉のマナーというものがあり、脱衣所にそれが書かれていたが、その前に大和から説明も受けていた。郷に入っては郷に従え、ということで2人はそれを守り、髪もお湯に浸からないように髪ゴムで縛っている。なお髪ゴムは受付で借りられた。

 

「それにしても、初心者相手に本気で勝ちに来るなんて、ヤマトもがっつき過ぎだわ」

 

「手を抜いたら文句を言われるから、だそうですよ。それに接戦だったのだから良いではないですか。楽しめたのでしょう?」

 

「それはそうだけど……。負けるのは性に合わないわ。お母様は初めてなのに圧勝してたし」

 

「当然でしょう。勝負なら私は負けません」

 

 言い切るその姿がかっこいい。実際にモルガンは負けていないのだから、その発言の説得力も強い。

 憧れだ。バーヴァン・シーにとって、その姿は敬愛すべきものであり、憧れるものである。自分とは違うなと実感して、湯船の中に口元まで沈めた。

 

「次勝てばよいのです。生きていれば次がある。そうでしょう?」

 

 その言葉に小さく、ゆっくりと頷いた。次とはいつだろう。明日だろうか。それとももっと先だろうか。そもそも、そんな機会は来るのだろうか。……来るのだろう。望めばくる。バーヴァン・シーはそれを理解できている。京坂大和は、自分の願いにも応えてくれる人間だと。

 けれど、叶わないものだってあるのだ。母親を相手に敵わないものもある。

 何1つ衰えを見せない綺麗な肌。ブリテンで1番の容姿。何よりも綺麗な髪も、瞳も。自分にはない魅力で、届かない魅力。

 

「まったく、どうしてお前はそう考えるのですか」

 

「お母様?」

 

 考えを口にしていたのだろうか。それは分からず、考える暇もくれない。モルガンの濡れた手が頬を撫でた。

 

「お前にはお前の魅力があるでしょう? ウェーブの髪は私にない魅力。その心の温かさを映した髪も、私にない魅力。何より、お前の心はブリテンの誰よりも美しいものだと。私は知っています」

 

 その髪を先ほど洗ってあげた。愛おしい髪を、丁寧に、大切に。美しい髪だと心から思いながら。

 それはきっと、バーヴァン・シーも思ったのだろう。モルガンの髪を洗った時に。だから、自分のことを下げてそう考えてしまったのだ。

 

「バーヴァン・シー。お前は私の娘なのですから、自信を持ちなさい。お前も悩殺ボディというやつなのですよ」

 

「お母様急に頭悪くならないで」

 

 バーヴァン・シーの感動が消し飛んだ。

 

「……魅力ではあるのですが……、体目当ての低俗な者が近づきかねないですね。ヤマトも危惧していましたし。バーヴァン・シーやはりお前に男はまだ早いと思います。もしも、もしもですが。気になった男がいれば私とヤマトの前に連れてきなさい」

 

「お母様飛躍し過ぎよ」

 

 そんな相手が、現れたらいいなと頭の片隅で思う。今の自分には思い当たる相手がいないけれど。違う何処かの自分なら、見つけられるかもしれない。

 

「……バーヴァン・シー」

 

「なぁにお母様」

 

「お前は今…………幸せですか?」

 

 湯船の中にある段差に腰掛け、上腹部から上を湯の外に出したモルガンが聞いた。その問いに対する彼女の思いは、間で表れていることだろう。

 そしてそれは、バーヴァン・シーでも掴めたものだった。

 バーヴァン・シーは浴槽の縁に頭を乗せ、夜空を見上げながら振り返る。召喚されてから間もない。1週間と少ししか過ごしていない。その日々は、どうだっただろうか。曲がりなりにも、不幸などではない。友達だってできた。決して、虚しい日々などではない。

 

「……そうね。そう、なんだと思う。……正直、お母様といられたら十分。お母様と話ができて、一緒に何かできる。それだけでも、満たされていくの」

 

 体を起こし、モルガンと同じように腰掛けて、視線の高さを合わせる。

 

「そこにね、ヤマトがいて桜もいる。得られなかったものが、自然と得られた。だからねお母様」

 

 真っ直ぐに言える。笑顔と一緒に。

 

「私は今とっても幸せだわ」

 

 目を見開き、すぐに優しく細めた。

 その言葉が、少女の笑顔が、モルガンの胸を満たしていく。ずっと見たかったものだ。ずっと聞きたかったものだ。それが今、ようやく叶ったのだ。それは何にも言い表せられるものではなく、何にも代えがたいものだ。

 

「そうか」

 

 ただ一言。それを言葉にするのが限界。

 そんなモルガンに、バーヴァン・シーは笑みの意味を変えて言葉をかける。

 

「お母様、ヤマトはどうなの?」

 

 ピクリと肩が震え、どういう意味なのかとその目が問うていた。バーヴァン・シーはそれを、意地悪そうに受け止める。

 

「ヤマトが好きなんでしょ?」

 

「ぇ…………な、何を言っているのですかバーヴァン・シー!? わ、わたしが……ャ、ヤマトのことを……?」

 

「うっそ自覚無かったのお母様……。あれだけ分かりやすかったのに!? 靴見てたときもヤマトがどう見るか気にしてたじゃない!」

 

「落ち着きなさい落ち着くのですバーヴァン・シー」

 

「お母様が落ち着いて!? 今話しかけてるそれ岩よ!?」

 

 温泉で温まり火照っていた体が、さらに赤く染まっていく。特にその顔は顕著なもので、視線があちこちに動いていた。

 

(お母様かっっわ。さすがお母様だぜ!)

 

「あ、あのですねバーヴァン・シー。私とヤマトは」

 

「夫婦でしょ?」

 

「はぅっ!」

 

 今までとの意味合いが違って聞こえてくる。モルガンは見事に翻弄されていた。とても汎人類史の自分の記憶と知識を受け取った人物とは思えない。

 

「お母様」

 

 モルガンの目の前までザブザブと湯船を横切ったバーヴァン・シーが、彼女の手を掴んで真っ直ぐその目を見た。いつもは冷酷で凛々しい目。今は見る影もない。

 

「お母様のおかげで、私は生きられる土台を貰えたわ。今の幸せも、お母様がいてくれたから。私は、十分にお母様からいっぱいのものを貰ってる」

 

 もっと愛されたいという気持ちはある。それは消えない。消えることがない。

 だけど、今はそれ以上のものがあるから。

 

「だから今度は、お母様個人の幸せ。それが叶ってほしい」

 

「バーヴァン……シー……」

 

「幸せになって、お母様」

 

 

 




明日の更新は17時を予定しています。


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18話目 1LDKの女王モルガン

 

 風呂を済ませ、食事も済ませて部屋に戻ると布団が敷かれていた。利用人数分、つまり3人分並べられており、いわゆる川の字になっている。スピネルが娘と言っても、この子実は身長が170cmある。モルガンと同じだ。大和が一番身長が高いと言っても、その差は約3cm。あまり変わらない。

 そんなわけで、スピネルを真ん中にしようとも川の字らしくはない。どこで寝たいという希望もない。その結果、モルガンが真ん中となり、その左右で大和とスピネルが寝ると決まった。

 

「ヤマト起きてますか?」

 

「うん。まだ起きてるよ」

 

「少し、歩きませんか?」

 

 他の客が寝静まった頃合い。スピネルもすやすやと寝息を立てた頃に、モルガンは大和と部屋の外に出ることにした。穏やかに眠っている愛娘の頭をそっと撫で、館内着の上から上着を羽織る。

 今は利用客が寝静まる時間。深夜なわけで、廊下の灯りも最低限だけ。映画館が通路や段を示すために床に僅かな灯りを点けるように、この旅館でも今は床に灯りが灯っている。天井にあるものは、一定間隔に僅かな光を灯すだけだ。頼りになるのは、それらよりも月の光である。

 そんな廊下を2人で歩く。珍しくモルガンが前を歩き、大和はその背を追う。2人の時ならいつもは並んで歩くというのに。

 

(この胸の高鳴りも……()()()()()()、なんですよね)

 

 意識すると、ほんのりと顔に熱が帯びてくる。実は今だけではない。風呂から上がった後に大和と合流した時、視線を合わせられなかった。食事中にはなんとかそこを治せたが、今度は逆に彼に視線を向け過ぎた。意識すればするほど、極端になって調整が効かない。

 廊下を進んで小さな広間へ。そこは小さな憩いの場。バーカウンターもあり、営業時間なら子供向けのジュースからビールまで取り扱っている。その広間にあるガラス張りの壁。京都の和風庭園ほどではなくとも、和を意識した中庭を見られる場所。今は月明かりに照らされ、日中とは異なる装いを見せる。

 そこに面して設置された2つの長椅子。そのうちの1つにモルガンは座り、ぽんぽんと自分の隣を叩いた。それに従い大和もそこに座る。

 モルガンは見慣れない中庭を眺め、大和は星空を見上げた。互いに見慣れているものは違うものだ。

 

「……いいのか?」

 

 何分経過しただろうか。測ってはいなかったが、10分ほどだろうか。その間互いに何も言わず、静かにそこにいた。モルガンから話があると思っていたから、大和も黙っていたのだが、彼女が切り出さないから声を発した。

 モルガンとしては、どう切り出そうか迷っていたのだが。どうやら本人が思っていた以上に時間が経っていたらしい。

 その曖昧な質問は何のことを言っているのか。誰にも分からなさそうなその問いを、しかしモルガンは不思議と理解した。

 

「そうですね」

 

 体を横に傾ける。すぐに肩と肩が触れ合った。特に身長差もないものだから、彼の肩に頭を当てることも乗せることもできない。やろうとすると逆にしんどい。ちょっと憧れてたものだから、彼の身長がまだ伸びることを期待しよう。

 触れ合う肩を意識して、距離の無くなった隙間をさらに埋めるように、モルガンは大和の手に自分の手を乗せる。重ねて、指も絡めた。

 

「私はヤマトに、甘えさせてもらえました」

 

 目を閉じればすぐに浮かぶ。彼の笑顔が、共に過ごした日々が。

 まだ1ヶ月も経っていないのに。もっと長い時間。それこそずっと、彼と過ごしていた気になる。それぐらい、充実した毎日だ。

 

「ヤマトは優しいですね。魔女である私に、これほどのものをくれたのですから」

 

「どうだかな。おれは、そうしようと決めて動いてただけだよ」

 

 記憶は、曖昧だ。戻ってきているものもある。それは他人事のように思えて、けれど大事なものだと心が理解している。情報の波はとめどなく、そして不定期的に押し寄せてくる。

 その波とは関係なく、分かりきっていることはあるのだ。はっきりとしていて、それが原動力になっている。

 熱くて、温かくて、儚い。

 

「おれはさ」

 

 立ち上がって、手を引っ張る。それで立ち上がった彼女の腰に、空いている手を回して引き寄せた。

 

「ゃ、ヤマト……?」

 

 熱っぽい表情で戸惑う彼女を可愛らしく思う。

 それ以上に、愛おしく感じる。

 

「君のことが好きなんだモルガン(トネリコ)

 

 その想いを言い切った。解き放った。

 顔が熱くなるのを自覚する。鼓動が耳元で鳴っていて煩い。彼女に聞こえるだろうか。きっと聞こえているだろう。

 カッコつけようにも、格好がつかない。けれどそんなもの、もうどうでもいいのだ。大きな見栄なんていらない。小さなプライドもいらない。大事なことは、言葉と行動で示すから。

 握っている手も離して、彼女の背に手を回す。逃さないように、手放さないように、失わないように。熱い想いも、大きく速く鳴る鼓動も、彼女に伝えてしまえばいい。

 

 そうだ。伝えなければいけないのだ。

 こうして抱き寄せてようやく理解できた(思い出せた)

 彼女は偉大であっても決して大きくない。女性的で柔らかく、折れてしまいそうな、細くて華奢な体。それもこの腕の中にすっぽり収まる程度の。

 それなのにその身1つで、ブリテンという大きなものを背負っている。妖精たちに理解されずとも、孤高であろうとも。『夢』を叶えたいという、誰しもが抱く思いを胸に秘めて。

 そんな彼女だから──()()()()。使命も背負うものも関係ない。彼女がモルガン(トネリコ)だから。この想いが募り続けるのだ。

 

「──愛してる。モルガン(トネリコ)、君を、心から愛してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 身長差なんてほとんどない。こうやって抱きしめられてしまえば、彼の声は耳元から聞こえてくる。その声に、ビクリと体を震わせた。くすぐったくて身をよじり、恥ずかしくて離れようとし、嬉しくて蕩けそうになる。

 優しい彼。私の幸せを想ってくれる初めての異性。

 その彼の熱も、想いも、何もかも伝えられる。注ぎ込まれて、沈んでいく。落ちていく。

 

──知っていた(思い出した)

 

 私はこの想いを、胸に抱えているものを以前感じていたのです。

 私が絶望に落とされるより以前。救世主として、トネリコとして生きていた数千年。私は夢の中でヤマトと会っていた。

 夢なら、時間も空間も関係ない。世界ですら、夢の中なら超えられる。だって夢の世界は、ありもしないものを組み合わせられるから。

 ヤマトはわたし(トネリコ)をただの女の子だと思っていた。わざわざ教える必要もないから、わたし(トネリコ)も、夢の中では救世主なんて辞めました。休んでいる時に見る夢なのですから。

 次第にそれを、わたし(トネリコ)は気に入りました。

 だって、醜いものを見なくていい。辛いものを見なくていい。しんどいことは何もなくて、そこには自分とヤマトしかいなかったから。お話をするだけで良かった。それだけでも救われて、ただの女の子として接してくれる彼に、次第に心を惹かれたのは、必然(運命)だったのでしょう。

 彼と過ごせば気持ちが上を向く。彼の笑顔で頑張れる。

 そうだったのに、結果は結びつかなかったから。合わせる顔もないなんて思って、夢を見ることもやめて。恐怖で支配する女王になったのです。

 

 それなのに彼は、(わたし)を思い続けてくれた。

 

「君は頑張ったから。ほんとうに、誰にも負けなくて、誰にも真似できないぐらい頑張ったから」

 

 彼は作った。私が女王の肩書きすら置ける場所を。それが()()。彼が生み出した固有結界であり妖精領域。彼1人の力ではないでしょうけれど、彼が核なのは間違いない。

 私が、肩の力を抜けるように。穏やかな時間を過ごせるように。

 多少なりとも、私の記憶にも靄がかかっていました。それ以上に、ヤマトは自分の記憶を忘れさせていたのでしょう。異聞帯(向こう)のことを私に意識させず、自身も意識しないために。自分の性格を理解していたわけですね。不器用で、優しい人。

 

「偽善だよ。これはおれの傲慢だ。そして我儘だ。君に報いがないのは嫌だって。何よりも、君と過ごしたいって。それでおれは、君を夢から引き寄せた」

 

 そんなことはありません。貴方の行いを、私は傲慢だと思わない。そのおかげで、私はここにいられるのですから。

 それにその我儘のおかげで、私はこの想いを知ることができた(思い出せた)

 

「思い出した時には、これを言うって決めてた」

 

 思い出すという行為は、ここの綻びのきっかけ。ヤマトが用意してくれた世界の、幕引きの合図。

 

「おつかれさまモルガン(トネリコ)。それと、おれと出会ってくれてありがとう」

 

「……ぁ」

 

 それは、ついぞ言われなかった労いの言葉。上辺だけのものではない言葉。その感謝も、そのされ方もなかった。

 震える手でヤマトの服を掴む。シワになるぐらい強く。でもそれでは足りなくて、抑えられなくて。両腕をその背に回した。

 胸が熱くなり、込み上げてくるものがあって。それを抑えられたのか、ダメだったのか、(わたし)には分かりません。

 

「ヤ、マト……」

 

 きっと声は、震えています。

 なんとか発せられましたが、それが最後の引き金。溢れ出るものは、すべて(わたし)の気持ち。

 腕の力を強めて。多くの言葉の中から手繰り寄せてそれを絞り出します。

 

「ありがとう」

 

 思えば、その言葉をまったく使っていませんでした。さすがに0回ということは、ないと……思うのですが。

 1回では言い足りません。けれど何回言っても足りません。

 心地よく、幸せな夢を(わたし)にくれた。そのためだけに、彼はきっと、大きな負担を背負うはずなのに。

 ……彼はこれを自分の我儘だと言います。それなら、(わたし)我儘()を押し付けてもいいのかもしれません。

 

「ヤマト。今度は、妖精國に来てくれませんか? (わたし)の國に、いつか来てくれますか? 貴方がいれば私は──」

「行くよ。必ず」

 

 その即答が。力強い肯定が、この上なく嬉しい。

 ですが、本当に話すべきはそれではない。これで満ちるものもありますが、これではない。

 そうです。バーヴァン・シーにも背を押されました。彼の気持ちも伝えられた。

 ですから、(わたし)も応えねばならないのです。救世主でもなく女王でもない。ただのモルガン(トネリコ)を見て愛してくれる彼に。

 

「ぁ……」

 

 言おうとした。その言葉を思い浮かべた。その瞬間体が熱くなって、恥ずかしさでどうにかなりそうです。

 単語にしてたったの2文字。言葉にして5文字か6文字。ただそれだけなのに、それだけのものが言えない。言葉が詰まって、胸が張り裂けそうになる。

 どうして、どうしてその言葉をヤマトは言えたのですか。彼を見れば分かるのでしょうか。

 そう思って彼を見ても、当然ながら分かりません。分かるのは、どうしようもなく(わたし)が彼に惹かれていること。愛おしくて、彼の目に吸い込まれてしまいそうで。

 

 あぁ、結局(わたし)はそういう女なのですね。

 でも仕方ありません。だって(わたし)は、魔女なのですから。

 以前にヤマトに指摘されたように、言葉が足りず、行動で示すのです。

 

「……んっ」  

 

「っ!?」

 

 それは刹那でした。そしてそれは永久(とわ)でした。

 (わたし)想い()も、彼の()も。重ねて、伝えて、溶け合わせて。分かち合っても、足りなくて求める。

 

 愛おしい人にしか、彼にしかしません。彼にしかあげません。

 でも、やっぱり言葉でも伝えたい。今なら伝えられます。今なら、きっと(わたし)も笑えます。彼になら、それができるのです。

 だって彼は──

 

「ヤマト。私も貴方を愛しています」

 

 ──(わたし)の夫なのですから。

 

 

 




決めてない設定もあれば、決めてた設定もあります。ピックアップしておきます。
・知ってた上で協力した人 イリヤ、メディア、言峰
・知ってた上で静観してた人 ギルガメッシュ、槍ニキ
・上記以外の他の人は知らない人たち
・京坂家は、マーリンとモルガンの子孫が日本に流れ着いた一族。大和はその特性等が一番濃く出た
・マーリンとモルガンは師弟関係(確定とされている)であり、交際関係(モルガンと同一視されている存在がそうだった)だが肉体関係はなかった。今作ではあったということにしている
以上です!

1→1人 L→Love D→Darling K→Kiss
1人の愛する夫にのみキスするモルガン様でした。


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