蒸し暑い夏の一日 (名島)
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暑い日にはエアコンと扇風機だけが働くべき
流石に早いとは思うのだが、今年もそうめんの味に飽きを感じ始めていた。
すりごまを大量投入し風味を変えてなんとか食べきり、流しに食器を浸ける。
さして汚れているものでも無し、さっさと洗ってしまえば良いのだけれど、今はそんな気分でもない。
食事中から点けっぱなしになっているテレビは、何か良く分からない情報番組を垂れ流している。
ここで流行りのグルメでも映されてしまうと少々まずいことになるのだが、そんなこともなく。
どの層に向けて作られているのかも不明瞭な実験品じみた家具を見て回っては、おざなりに褒め讃えているだけだった。
台所スペースからテレビの前へと戻り、ベッドを背もたれに腰掛ける。
隣には同じようにしている白い修道服を着た同居人の少女。食後で眠気が来ているのか、蒸し暑い陽気にだれているのか、ぼんやりと脱力していた。
彼女の飼い猫である三毛猫も勝手に涼しい場所を見付けたのか、部屋の隅で一匹(とよく見たら
部屋を吹き抜ける生ぬるい風がカーテンを揺らしていく。決して涼しくはないが、まあこの分ならまだエアコンは必要なさそうだ。
そのまま特に会話も生まれず、目的のない視線をテレビに向けてもこれといって有益な情報は入って来ない。というかCM中だった。
チャンネルを変えるかと視線を彷徨わせてみてもエアコンのリモコンしか見当たらない。ゲームでもしようかと考えたが行動には移さなかった。
何もない時間だった。快適でもないし、興奮も感動もない。ただただ薄らぼんやりとした気分のまま、時間だけをかけ流しにしている。
望んでそうしたわけでもないが、何かで飾り付けるような気力も起きないままに二人でぼんやりと昼下がりを過ごす。
ふと壁のカレンダーに目が留まった。七月の二十日。なんかあったな、と思う。
山の日か海の日か川の日だったような、などと雑な思考を巡らせていたが、不意に辿り着いた答えに少しだけ意識が明瞭になる。
そうだ、確か七月二十日は俺――『上条当麻』とインデックスが出会った日、のはずだ。
覚えてはいないが知ってはいる。追跡者から逃げ、屋上から落ちた彼女がここのベランダに引っかかっていた日。
出会って、一度は別れて、また出会った。それからなんだかんだでずっと一緒にいる。
一年も一緒にいてなんだが、改めて考えると少しだけ不思議な気分だった。きっと本来は出会うはずの無かった人と出会い、それが続いているのだから。
今日までだって決して平坦な道のりではなかった(今の状態を鑑みると何の説得力も無い)けれど、こうして今でも一緒にいられる。
これを奇跡だとか、幸福だとか呼ぶべきなのだろうか。なんとなくそう考えてはみたが、どこか上滑りをしてしっくり来なかった。
特別な出来事が起こって特別な状態になった。客観的に捉えればつまりはそういう話なのだろうけど、特別なものなんて慣れてしまえばすぐに色褪せる。
これが当たり前で、つまりは日常だった。それ以上でも、それ以外でもないのだと思う。
そんな風に一通り思考を巡らせた結果、彼女にかけた声は「しかし今日も暑いな」というしょうもない一言だった。
「だねー」
返事は気のない一言だった。さもありなん。
もっとそれらしきことを言うべきだったのかもしれないけれど、何も思いつかないしこれ以上考える気にもならない。
彼女はどうなのだろうか。今日が
忘れているということはあり得ない。であれば、今日という日のことを覚えていない俺に気を遣ってでもいるのかもしれない。
この一年一緒にいても、彼女の考えは今一つ分からない。普段から何も考えていないようで、意外とそうでもないのだろうとは気付いているが。
まあでもそんなものだろう。それだって別に俺が極端に鈍いとか、彼女が特別どうだとか、そういう話ではないはずだ。
十全に言葉を尽くして、自分の考えを伝えあって、それでも人と人が完璧に分かり合うことは難しい。そしてそんなことをしなくても一緒にはいられる。
勝手に気を遣っているのであればそれもまたそれだし、何かこちらから言って欲しいのだとしても、まあそれはそれだ。
特別何の感慨もないということは多分ないとは思うけれど、それをどう表現して分かち合うのかなんてことに模範解答はない。
ありがとうとかごめんとか、本当はもっと何かそういう思いを言葉にした方が良いのだとは思うけれど、彼女との会話で最適解なんて選べた試しがない。
だから、何か不満があればそのうち勝手に怒り出すだろう。そんな程度に考えている。
「ねえ、とうま」
不意に、ベッドにもたれかかっていた彼女が俺にも体重を預けてくる。少し離れて座っていたから、俺の二の腕、肘の上辺りに彼女の頭が押し当てられる。
視線を隣に向ければ目が合った。微笑んでいるわけでも、怒っているわけでもない。先ほどまでテレビに向けていたものと同じ、特に目的のない瞳。
「なんだよ、暑苦しいな」
「うん」
そう言っただけで、それ以上は特に何も言ってこない。
そのまま再び間が空き、沈黙が滑り込む。爽快感のない風が吹き、テレビはまたいつか聞いたような話題を繰り返し、三毛猫が少し身じろぎをする。
遠くから車の、大型車両の重低音が聞こえてくる。それに誘われて外の音に耳を澄ませてみても、街路樹で鳴く蝉の声が聞こえてくるだけだ。
穏やかな時間だった。語るべきことは何もなく、ただ彼女の頭が触れている腕が僅かに熱を帯び、小さな不快感を与えてくる。
それだけで、それ以上に何か求めるものもない。そういう時間を俺達は共有しているようだった。
「ねえ、とうま?」
「だから、なんだよ」
再びぼんやりとした声をかけられて、なおざりにそれに応じる。大体いつだってそんな日々だ。
幸福の形なんて分からない。これがそうだと言われてもしっくりこない。
それでも、今この日々はきっと悪いものではないとは感じている。彼女だってきっとそう思っている。思っているということにする。
この一年は、そんな時間を手に入れる為の一年だったのだから。
「……そろそろ、エアコンつけ」
「だめ」
彼女が手を伸ばした先にあるエアコンのリモコンを蹴り飛ばした。
彼女はまだ知らないのだろうが、不幸とは未払い料金請求書の形をしているのだ。
次の一年は、まずそれを教えることから始まるようだった。
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