艦船達にまともな服を着せたい (本間・O・キニー)
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ベルファストにまともな服を着せたい

 その女は銀髪で、巨乳で、美人だった。

 有能な秘書艦であり、優秀なメイドだった。

 そしていつも献身的に、俺を支えてくれていた。

 だが一つだけ、その女には一つだけどうしても我慢ならない欠点があったのだ。

 

「どうしてベルファストは、あんなデカい乳を見せびらかすような服を着ているんだろう」

 

 誰に聞かせるわけでもないその問いは、虚しく消えていった。

 

 ベルファストは献身的なメイドである。文字通り朝から晩まで、常に俺の傍にいる。つまりあの蠱惑的な2つの膨らみも、常に視界の中で揺れ動き、俺の意識を誘っているのだ。

 おかげで最近は何事にも集中できず、気が付けばあの肌色を目で追ってしまっていた。

 

 正直に頼んでみようかと思った事があった。その乳を隠す服を着てほしいと。しかし、彼女はどんな反応をするだろうか。

 

「ご主人様は、たかが乳が見えたくらいの事で動揺しておられるのですか? この程度の露出は、ロイヤルの上流階級ではごく普通のファッションなのですが。そんな小心者が艦隊を率いるおつもりですか? 」

 

 妄想の中のベルファストが蔑んだ眼で俺を見てくる。いや、流石に現実のベルファストはそんな事は言わないと信じたい。しかし万が一、その可能性を考えただけで、俺の勇気は萎んでいった。

 

 実際、彼女の服はギリギリだが隠れる所は隠れているのだ。それに対して正面から指摘をしてしまえば、俺の方が部下を卑猥な目で見る助平男とのレッテルを貼られかねない。いっそもっと痴女らしい格好をしてくれていれば、心置きなく上司として改善命令を出せるものを。

 

 しかし、このままでいても結果は同じ事だ。今はまだ目を逸らして耐えているものの、遠からず俺は、ベルファストをあの谷間でしか認識できないようになってしまうだろう。そのときが、俺の名誉が死ぬときだ。

 

 何か手は無いか。夢の中にまで追いかけてきたあの幻影から逃れるように跳ね起き、眠れぬ夜を過ごし、ぼんやりと輝き始める東の空を眺めていたとき、ついにその天啓は訪れた。

 謀略だ。ベルファストがまともな服を着ざるを得ないような、そんな理由をでっち上げるのだ。成功の暁には、あの魔性の肉塊は永遠に封じられるだろう。俺は安らかな日々を取り戻すことができる。

 これは、男の尊厳を守るための戦いなのだ。

 

 

 

 冬の日差しが差し込む朝。俺は寒々しい執務室の革張り椅子に身を預け、湯気の立つティーカップを口に運んでいた。

 視線の先にはあの女、ベルファスト。俺がこれから陥れる予定の女だ。彼女は真意の読み取りづらい笑顔を浮かべながら、静かに佇んでいた。その顔に意識して視線を留めながら、俺は声をかけた。

 

「ベルファスト」

「はい、ご主人様。どのようなご用件でしょうか」

「いや、特に用があるわけじゃないんだが」

 

 僅かに不思議そうな表情を見せつつも、ベルファストは元の姿勢に戻った。いつもどおりの、平然とした姿。だが、そうしている事こそが、今は異常だった。

 現在の室温は僅か3度。この部屋の空調は全て停止している。俺は外套を着込んでなお忍び寄る寒さに震えながら、薄地のメイド服姿で優雅に微笑むベルファストの顔を、雪女に出会った犠牲者の気分で見つめていた。

 

 シンプルにして完璧な策だと思っていたのだ。艦船(KAN-SEN)達が人類より耐寒性能に優れているのは間違いない。だが寒いものは寒いはずなのだ。極寒の空気の中で乳を剥き出しにしていれば、少しくらい震えたりするだろう。そこですかさず善意の提案として、厚着をするように勧める。これにて目的達成、そのはずだった。

 

 だがこの女は眉一つ動かさず冷気の中に立っていた。驚異的な精神力である。いくらなんでも完璧すぎだろう。わざわざ朝早くに執務室入りし、空調の故障を偽装し、震えながら彼女を待っていた俺の苦労は何だったというのか。

 そろそろ感覚の無くなりそうな手のひらを擦り合わせながら、俺は再び彼女に呼びかけた。

 

「ベルファスト」

「はい、ご主人様。どのようなご用件でしょうか」

「ちょっと空調を動かしてみないか。今なら動いてくれそうな気がするんだ」

 

 こうして俺の第一手は徒労に終わったのだった。

 

 

 

 一つの策が失敗に終わった。だがそれは敗北ではない。次なる計略は既に用意してあった。

 この時のために用意しておいた冊子を手に取り、標的に向けて何食わぬ顔で話しかける。

 

「ベルファスト、少し意見を聞きたいんだが」

「はい、ご主人様」

 

 前回の仕掛けで警戒されていないか少し不安だった。一見、彼女はいつもの様子で微笑んでいる。しかし安心はできない。この女の、笑顔以外の表情など見たことは無いのだ。

 

「この母港に制服を定めようかと思っているんだ」

「制服ですか? 今もメイド隊や騎士隊にはそれぞれの制服がございますが」

 

 そんなドスケベな制服があってたまるか、という言葉を飲み込むのには多大な苦労を要した。各個人の改造が激しいとはいえ、本当にあれがメイド隊の制服として通っているからタチが悪いのである。そもそも、ほぼオーダーメイドみたいになっているあれらの服を制服と呼んで良いのだろうか。

 

「そう、この母港には2種類の制服に加えて私服の者が入り混じっている。今は人数が少ないのもあり、特に問題は起きていない。だが、これから人は増えていく。その時、制服の違いが派閥化や軋轢の元にならないかと不安でな」

「そこで、統一した制服を作るという事ですか」

「そういう事だ。実はもう業者を探していて、いくつかデザイン案を出してもらった。最終的には母港全員にアンケートを行って採用デザインを決めるつもりだ」

 

 そう言って、机越しに冊子を手渡す。それこそが、あの厄災の果実を封印する希望の鍵であった。

 

 業者に言い含め、あの冊子の中身は全て胸元を確実にガードするデザインとなっている。あの中のどれが選ばれたとしても、それをベルファストは着る事になるのだ。

 

 ベルファスト個人に服を変えろと強制するのは難しい。ならば対象を母港全体に広げることで、こちらの真の意図をカモフラージュする。木を隠すには森の中。森がなければ作れば良い。新たな制服規定ができてしまえば、あの女に逃げ場は無い。悲願は目の前、そのはずだった。

 

「ご主人様、このデザインはどれもダメです」

 

 だがベルファストの言葉は、そんな儚い希望をあっさりと粉砕した。

 そしてこちらが衝撃から立ち直るより早く、彼女は追撃してくる。

 

「この業者、おそらく艦船(KAN-SEN)の服は専門外なのではないでしょうか? どのデザインにも同じ欠陥が見受けられます」

「欠陥、とは?」

「胸の部分です。艦船(KAN-SEN)の平均的なバストサイズは人類より遥かに大きく、それに個人差が激しいのです。そのため制服をデザインする際には胸元を調整しやすい構造にするか、あるいはオーダーメイドで個々人の体型に合わせる必要があるのです。この業者はそういった事情を把握していなかったのでしょう」

 

 思いがけず、彼女らの制服事情のトリビアを知れてしまった。

 つまりなんだ。乳がデカすぎるからこんな服着れないと。物理的に。あまりにもあまりな見落としに、一瞬意識が遠のく。

 言われてみれば、用意されたデザインは全て前をぴっちり閉じたものだ。後から調整するのは難しいだろう。

 

「で、では、オーダーメイドで」

「それも難しいでしょう。どのデザインも、なぜか胸元の装飾が非常に多く、凝ったものですから。細かくサイズを変えればバランスが崩れてしまいます。コンセプトの段階から、デザインを再考された方がよろしいのではないでしょうか?」

 

 猛獣を封じ込めるための檻を用意したつもりだった。しかし閉じ込めたいという気持ちが強すぎたのだろう。その檻はあまりにも小さく、そもそも猛獣を収める事はできなかったのだ。

 敗北感に包まれながら、俺は投了の宣言をした。

 

「すまない、その冊子、処分しておいてくれ」

 

 

 

 焦っていた。これで二度目の失敗だ。まだ策はある。制服作戦も、完全に潰えたわけではない。

 しかし、それらを実行に移すには、下準備が必要だ。果たしてそれだけの時間が、俺に残されているのだろうか?

 

 答えの出ない思考の堂々巡りを中断したのは、他ならぬベルファストの声だった。

 

「ご主人様、僭越ながら、ご提案があります」

「あ、ああ。なんだ?」

「この母港の近くに、メイド隊の制服を発注している店がございます。制服のデザインについてお考えでしたら、一度視察されてみてはいかがでしょうか?」

 

 今も目の前で谷間を剥き出しにしている、この制服をデザインした店。どう考えても俺の望むようなデザインは出てこないだろう。断るための適当な理由をしばし考える。

 だがその時、俺の脳内に電流が走った。この提案は、利用できる。

 

「そうだな。一度見てみるか。もちろんベルファストも一緒に来てくれるんだろう?」

「はい。ご同行させて頂きます」

 

 あっさりとした了承。餌に食いついた魚を見るような気分だ。内心を隠すように、俺は大げさな笑顔を作った。

 

「そうだ、折角だからそのまま食事でもどうだ? ベルファストの作る料理には及ばないだろうが、雰囲気の良い店を知ってるんだ」

「ご主人様とご同席させて頂くなど、メイドとして――」

「そう言わないでくれ。有能な部下を慰労するのも指揮官としての仕事だ。俺の秘書艦として、誘われてくれないか?」

 

 この論法はベルファストに対して効果覿面だった。しばし考えるような素振りをしてから、彼女は短くはい、と頷いたのだった。網の用意は整った。後は仕上げだけだ。

 

「そうそう、レストランでメイド服というのもなんだ。適当な私服に着替えてきてくれ」

 

 素直に頷き着替えに向かうベルファストの背中を見送りながら、俺は達成感に満たされていた。

 ベルファストがよそ行き用のまともな服を着て戻ってくる。俺はそれを褒め称え、もっとその格好が見たいとねだる。あの女も手放しで褒められ続ければ悪い気はしないだろう、その服を毎日着るようになる。俺に平穏が訪れる。全くもって完璧な論理だ。

 

(まさか、外出用の私服まであんなドスケベスタイルじゃないだろうしな)

 

 ドスケベスタイルでした。

 

 セーターとタイトスカート。長い足を包むタイツ。鮮烈な赤い帽子に、同じく赤いショール。ある一部分さえ見なければ、実に優雅な私服だった。しかしそのセーターはまるで上半分を切り取られたかのようになっており、彼女の肩から鎖骨、谷間までが惜しげもなく露出されていた。

 

 今にして思えば、何故この結果を予測できていなかったのか。焦りで冷静さを失っていたとしか思えない。どうかしていた。

 俺は、これからこの格好の女を連れて街を歩き、服屋を物色し、良い雰囲気のレストランで食事をしなければならないのだ。どう見ても好色な遊び人である。ホテルの鍵をプレゼントするようなやつだ。周囲からの視線を想像しただけで目眩がした。

 

 そして、やはり俺は冷静ではなかった。いつの間にか忍び寄って来ていたその気配に、俺は全く気付けずにいたのだ。遠慮がちに肩に触れる手。そこで初めて状況を理解する。

 ベルファストが、吐息のかかるほどの、すぐ傍に、いた。

 笑みの消えた口元。何かを訴えかけるような瞳。普段とはまた違った威圧感に呑まれそうになりながら、俺は彼女が口を開くのを待っていた。

 

「ご主人様は、何か、深刻な悩みをお持ちですね?」

 

 ああ、悩んでいる。

 

「その悩みは、私に関する事ですね?」

 

 その通りだ。

 

「そしてそれは、私の容姿についてですね?」

 

 大正解だ。

 

 ベルファストは、全てお見通しだったのだろうか。俺の下手な策略も、その目的も。だとすれば、これから俺は度し難いムッツリスケベとして断罪されるのだろう。仕方のない事だ。そう思った。

 しかし、彼女の台詞は想像とは違っていた。

 

「やはり私の姿は、醜悪なのですね」

 

 なんだろう。変な勘違いが発生している。

 

「そんな事はない。君は美しい」

「では、どうしてご主人様はいつも、私に極力視線を向けないようにしていらっしゃるのですか? 私が醜くて、見るに堪えない姿だからではないのですか?」

「違う。理由があるんだ」

 

 言い訳にもなっていない稚拙な否定。それで止まるベルファストではなかった。

 

「ご主人様にもっと見られたいなどというのは、メイドの分を超えた望みであると、もちろん理解しております。ですが、メイドではなく部下として、と言って頂けて、私はつい舞い上がってしまったのです。このように、慣れない着飾り方などもしてみました。でもやはり、ご主人様はすぐ目を逸らしてしまわれました。きっと、私の振る舞いは滑稽に映っていたのでしょうね」

 

 追い詰められていた。きちんと理由を説明しない限り、彼女は納得しないだろう。しかし真実を言ってしまえば、つまり、あなたの乳が気になって気になって仕方ないから目を逸らしていたんですなどと告白してしまえば、それはそれで終わりな気がする。

 覚悟を決める時が来たのだろうか。最終手段を使う、その覚悟を。

 迷いを振り払うように立ち上がる。ベルファストの潤んだ瞳にしっかりと視線を合わせ、手を差し出す。

 

「聞いてくれベルファスト。言い訳に聞こえてしまうかもしれない。だが俺は本当に君の事を美しいと思っている。容姿だけじゃない。その献身的な姿。完璧であり続けようとする心。そして」

 

 その時、不意にバランスが崩れる。足から力が全て抜けてしまったかのように、体が傾いてゆく。

 

「ご主人様!?」

 

 慌てて支えるベルファストの体にしがみつき、なんとか倒れる事は避けられた。密着した体から伝わる体温に少し顔が熱くなる。短く謝りつつ体を起こし、椅子に座り直した。

 

 その時には、既に目的は達成されていた。

 

「ベルファスト。少し、服が乱れている」

「えっ」

 

 彼女の胸の先をギリギリで隠していたセーターは、今やずり下がり、その中に隠されていた全てを露わにしていた。先ほどの接触が原因だった。

 いや、正確には俺がこっそり手を引っ掛けたのだ。

 これこそが、俺の最後の策だった。

 慌てて服を直すベルファストから紳士的に視線を逸らしながら、俺は実に白々しく押し付けがましい台詞を並べ始めた。

 

「すまない。俺を助け起こそうとしたばっかりに、君に恥をかかせてしまった。本当に申し訳ない。しかしだねベルファスト、君の服装は少しこういうアクシデントに弱いと思わないかい? 外出中や来客中にこんな事が起きたら大変だろう。普段からもっと露出を控えた服を着た方が良いんじゃないかな? そうそう、実は前から何度も少しずり下がりそうになっててね、それで俺は目を逸らして――」

 

 聡明な彼女は今や全てを察しただろう。俺の悩みの正体、いつも目を逸らしていた理由。俺の今日一日の行動の真意、その全てを。しかしそれはもはや問題ではない。それを指摘する機会を与えることはもう無いのだから。

 そして確かなのは、俺が彼女に真っ当な服を着させるための大義名分を手にしたという事。それだけだった。

 人の服を脱がせた挙げ句に説教をしながら飲む紅茶はとても美味しかった。

 

 

 

 翌朝、朝日の差し込む窓の外を眺めながら、俺は実に清々しい気分でいた。

 あの後しばらく台所の生ゴミを見るような視線を向けてきていたベルファストだったが、結局ちゃんとした服に着替えてきて外出することとなった。

 もはや制服を発注する必要もなくなったが服屋を見て回り、何着か彼女にプレゼントもした。贖罪の意味も込めて。

 奮発したレストランで料理が運ばれてきた頃には彼女の様子もすっかり元に戻り、いつもの微笑で雑談に付き合ってくれるようになっていた。

 

 そして今日、ベルファストは胸の隠れたメイド服で出勤してきた。

 俺はついにあの怨敵の誘惑に打ち勝ったのだ。

 

 上機嫌でティーカップを傾ける俺に、ベルファストが近づいてくる。こころなしか、いつも以上に輝いている笑顔を浮かべながら。

 何故か急に寒気がした。

 

「ご主人様、本日付けで発行する通達文のご確認をお願いしたいのですが」

 

 差し出された紙にはこう書かれていた。「本日付けで、母港内において乳房の上部を露出した服装を禁ず。これは目の前でうっかり転んだ男性の手が引っ掛かり、破廉恥な格好になってしまう危険を防止するためである。秘書艦 ベルファスト」

 

「待て、なんだこの規則は。聞いていないぞ」

「申し訳ありませんご主人様。秘書艦としての権限で進めていたのですが、うっかりご主人様にお知らせするのを忘れておりました。実はもうこの紙も母港内の各所に掲示されております」

 

 顔から血の気が引いていくのが、はっきりと感じ取れた。

 この文面。そして突然服装を変えたベルファスト。母港の誰もが、何が起きたかを察してしまうに違いない。直接言いふらさずこんな手段に出るとは。なんと陰湿でタチが悪いのだろうか。

 女の怒りを甘く見ていた。気付けばベルファストの後ろには羅刹のような幻覚が見えている。俺はもはや怯える事しかできず、いつものように微笑む彼女を見つめていた。

 

「よかったですねご主人様。これでもう乳に惑わされる事はありませんよ」



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シリアスにまともな服を着せたい

 コツコツと、控えめなノックの音が室内に響く。

 夢の世界をゆらゆら漂っていた意識が、ゆっくりと覚醒していく。昼下がりの穏やかな日差しに誘われて、すっかりうたた寝してしまっていたらしい。

 何度か頭を揺すり、冷めたティーカップの中身を飲み干して眠気を振り払う。そして、ようやく思い出した。

 今日は、新しいメイドとの顔合わせがあるのだった。

 いつも甲斐甲斐しく注意してくれていたメイド長は、あいにく外出中だ。どうにかキリッとした表情を取り繕い、扉の向こうに声をかけた。

 

「どうぞ、入ってくれ」

 

 ドアノブが回り、執務室の重厚な扉が静かに開いて行く。その影から姿を現したのは、雪のような空気を身にまとう、白髪で巨乳の少女だった。

 

「本日付けでこの母港に配属される事となりました、シリアスと申します。ロイヤルメイド隊の一員として全力でご奉仕させて頂きます。誇らしきご主人様」

 

 生真面目、というのが彼女の第一印象だった。キビキビとした動作。定規でも入っているかのように伸びた背筋。体幹を全く揺らさない歩き方。俺が見慣れているメイドの所作とは、似ているようで決定的に違う、無骨な動き。

 昨晩知った彼女の前歴、そこに記されていた一つの単語が記憶から浮かび上がってきた。可憐な顔写真からは想像ができなくて、驚いたものだ。

 そうか、これが元騎士の立ち居振る舞いか。

 

 いつの間にか観察に夢中になっていた自分に気づき、慌てて目を伏せて咳払いをした。この母港を率いる者として、きちんとした対応をせねば。

 

「君をこの母港に迎えるにあたって、最初に一つ、どうしても訊かねばならない事がある」

 

 シリアスの纏う空気が、固くなった。彼女もきっと、訊かれる事は予想していたのだろう。焦点の曖昧な瞳が、不安に揺れている。

 あまり勿体を付けても仕方がない。単刀直入に切り出した。

 

「なんだその服は」

 

 シリアスの姿は、栄えあるロイヤルメイド隊の証たるメイド服ではなかった。

 青みがかった暗い鼠色を基調とする、エキゾチックなドレス。東煌の伝統衣装を思わせる染色と文様が、ロイヤルでは見慣れぬ独特の雰囲気を放っている。

 しかし、東煌で見たそれと比べると、目の前の衣装は異常に布地が小さかった。そしてあろうことか、胸の前に頼りなく垂らされた二枚の布の先は、全く固定がされていないかのように揺れていたのだった。

 

「申し訳ございません誇らしきご主人様。実はメイド服を用意できず、やむを得ず私服姿で参りました。この不出来なメイドをお叱りくださいませ」

「いや、別にメイド服でないのは構わないが。しかし」

 

 問題はそこじゃない、その言葉が喉につっかえる。

 至って真面目な口調でピントのズレた謝罪をしてくる彼女の姿は恐怖でしかなかった。

 

「シリアス、この母港の服装規定を昨日まで把握しておりませんでした。研修の際に支給されていたメイド服も、他の私服も規定にそぐわないものでしたので、急遽この服を……」

 

 服装規定。少し前に色々あって制定される事となった「胸の上部を露出してはいけない」という規則。通称、北半球禁止法。

 確かに今シリアスの北半球は隠れている。隠れているが、いや本当に隠れているのだろうか。本当に、これ以外無かったのか。

 異界常識を目の当たりにした衝撃で、思考がおぼつかない。何をどうすればこれがどうにかなるのか分からない。結局、口から零れるのは諦めの言葉だった。

 

「わかった。今はそれでいい」

 

 それが、新たな面倒の始まりであった。

 

 

 

 シリアスは真面目で良い子だった。熱心で献身的だった。ただちょっとだけ、不器用で思考回路がおかしかった。

 仕方ない。騎士からメイドへと転職したばかりで、経験不足なのだから。優秀な先輩メイド達に教育してもらえば、いずれ立派なメイドに成長するだろう。そんな風に考えていた。

 

 とはいえ、成長を待つ間には、無視できない犠牲もある。

 目の前で熱々の紅茶を御馳走されている絨毯の事ではない。割れて散らばるティーカップの事でもない。シリアスの姿を見るたびに悲鳴を上げている、俺の理性の事だ。

 床に転がったシリアスから慌てて顔を背ける。

 あの服の異次元の上部構造が転倒時にどうなるか。考えるまでもない事だった。

 

 そうして待っていると、やがて彼女は起き上がり、一心不乱に謝り始める。流石に目を逸らすわけにもいかず、シリアスに向き直るしかなくなる。

 震えながら謝罪の言葉を述べるシリアス。震える布。震える乳。煩悩の化身が踊っている。彼女を宥めている間ずっと、それは視界の端で存在感を放っていた。

 

 やはり、なんとかしなくては。

 シリアスの新しいまともなメイド服は注文済みだ。だが、それが届くより前に、俺の紳士たる精神が屈してしまいそうである。

 策が必要だ。新たな魔物を封印するための。

 

 まあ今回は、そう難しい事ではないはずだ。なにせシリアスは素直な子だ。多少変な頼み事をしても、特に気にしないだろう。回りくどい手段は使わず、正面から対処する事ができる。実に気楽な話だ。

 そう、思っていた。

 

 

 

「つまり、裸エプロンをご所望なのですね。 誇らしきご主人様」

「違う。普通に着てくれ」

 

 なんとなくこの反応は予想できていた。

 

 それはさておき、今回のこれは策とも言えないシンプルな話だ。エプロンを着せてしまえば露出の大部分はカバーできる。見た目もメイドっぽくなって一石二鳥。これにて一件落着。

 ほっと息をついて椅子に座り直し、ティーカップを求めて手を伸ばした。その時だった。

 

 まるで、怪力自慢がエプロンを真っ二つに引き裂いたような音が室内に響いた。

 顔を上げると、まさしくそんな光景が広がっていた。

 

「も、申し訳ございませんっ! 誇らしきご主人様に頂いた大切なエプロンが大変な事に……どうかこの不器用なメイドを折檻してください!」

 

 どうやら一筋縄ではいかないようだ。

 

 

 

 あの後も俺は、マント、ケープ、ストールなど、手当り次第に手近な衣類をシリアスに与えていった。だが、生き残った物は無かった。それが運命であるかのように。

 あるいは、砲弾の直撃をも無傷で防ぐ艦船(KAN-SEN)戦闘服の素材なら。そう思って購買部を覗いてみたのだが、尽く売り切れていた。なんでも数日前に購入希望者が殺到したそうな。

 本当に運命の女神が、シリアスの乳を隠させまいとしているのだろうか。なんとも奇妙で間が悪い話だった。

 

 シリアスの脅威は、もはや抑える事はできない。そう結論せざるを得なかった。だが、そこで諦める俺ではない。次なる策は既に始まっていた。

 

「誇らしきご主人様。そのお姿は一体……」

 

 理解できない物を見る目で、シリアスが尋ねてくる。まあ、今の俺の姿を考えれば当然の反応か。安心させるよう、なるべくにこやかな声で返事をしてやった。

 

「ああ、これは重桜の伝説にある、天狗と呼ばれる超人を象った仮面なんだ」

 

 生粋のロイヤル人にとって、天狗の造形は奇妙に映るのだろう。シリアスはますます困惑の表情を深めている。しかし今の俺は、そんな事が気にならないくらいに、歓喜に震えていた。

 

 購買部の土産物コーナーで見つけたこの仮面。実のところモチーフなどは何でも良かった。重要なのは、この仮面の覗き穴が非常に小さいという事、それだけだった。

 

 仮面越しに、シリアスの顔を真っ直ぐ見据える。絹糸のような髪、ハの字になった眉、揺れる瞳、ツンとした鼻、慎ましい唇、そして、細い首筋。それが見える全てだった。その下にあるはずの果実は、仮面に狭められた小さな視界には映らない。

 つまりそういう事だ。封じられない乳が視界に入ってくるなら、視界の方を制限してしまえばいい。逆転の発想である。

 

 初めてだった。何にも気を取られる事なく、真っ直ぐシリアスの顔を見たのは。

 いつの間にか、その顔から困惑の色は消えていた。目には決意が宿り、頬は真っ赤に染まっている。ゆっくりと、唇が開いた。

 

「つまり、シリアスをご所望なのですね。誇らしきご主人様」

 

 流石に理解ができなかった。

 

「仮面とは、高貴な方が己の素性を隠すための仮初めの顔。そして舞踏会で卑しい身分の少女と出会い、一夜の夢を過ごすのです。新しい同僚から借りた本にそう書いてありました。であるなら、誇らしきご主人様が仮初めのお顔を身に纏っておられる事。それはつまり、これからシリアスと男女の『まぐわい』をお望みであるという事なのでしょう」

 

 恋に恋する乙女のロマンチックな妄想かと思ったら、最後だけ嫌に直接的だ。

 だいたい、天狗鼻の貴人とのラブ・ロマンスなど存在するのだろうか。

 

「それに、その仮面の雄々しくそそり立つ鼻は、男性自身の隠喩であると耳にしたことがあります。今、誇らしきご主人様もきっとそのように猛々しく……」

 

 知っていたのか、天狗。

 

 放置していたら一晩中でもよく分からない事を言い続けていそうなシリアス。その様子に呆れながらも、俺の心には余裕があった。

 仮面の力を借りた今なら、動じずに彼女を見ることができる。紳士的にそっと頭を撫でて、不適切な発言を優しく窘めてやろう。そんな理想的な光景を思い浮かべながら、無造作に足を踏み出した。

 それが、良くなかった。

 あまりにも狭い視界。完全な死角となった足元に転がる障害物。気付いた時には、どうしようもなく体勢は崩れていた。

 

 しかし、転倒の衝撃が訪れる事は無かった。いつの間にかシリアスの顔がすぐそばにあった。あの一瞬で駆け寄った彼女が、俺を支えてくれたのだ。ようやく状況を理解する。

 彼女の助けを借りて、なんとか身を起こす。だが、シリアスはまだ、俺の胴を掴む手を離してくれない。もう片方の手で、そっと仮面を外された。

 

「仮面を付けたまま動かれては危険でございます。どうか、このようなものを付けるのはお止めください。誇らしきご主人様」

 

 仮面の魔法が解かれる。視界が開放される。それなのに、見えるのはシリアスの顔だけだ。

 その顔は、何か言いたいようだった。

 長いまつげの一本一本が判別できる。仄かな花の香りが漂ってくる。気まずさに、目が逃げそうになる。それを制するかのように、シリアスは口を開いた。

 

「誇らしきご主人様は、シリアスの事がお嫌いですか? 失敗してばかりの、卑しいメイドはお嫌いですか?」

 

 嫌いなものか。嫌っているなら、まともな服が出来るまで自宅待機にするなり、無人の倉庫整理に放り込むなり、縛り上げて放置するなりしている。

 だが、彼女にそう感じさせてしまったのは、俺の責任だろう。部下から目を逸らし続けている俺が『誇らしきご主人様』とは、実に不釣り合いな呼び名だった。

 

「シリアスを嫌いに思ったことなんてない」

「でしたら、どうかシリアスをご所望ください。メイドは夜伽に呼ばれるものだと、それも古株より新人の方がクセがついてなくて良いと、シリアス勉強しました」

 

 相変わらずの異次元論理。だけど今は理解できた。きっとシリアスは、役に立てたと思えるなら何でも良いのだろう。だからといって、そんな弱みに付け込んで、彼女に手を出すわけにもいかなかった。

 彼女をきちんと見てやれる方法。彼女に役立っているという実感を与える方法。その両方を満たす方法が、確かにある。しかしそれは苦い犠牲を伴う手段だった。

 後は、決断するだけだ。

 

 

 

 一時間後、俺は二組の視線に晒されていた。

 片方はシリアスからの熱い視線。もう片方は、映えあるロイヤルメイド隊のメイド長にして俺の第一秘書艦、ベルファストの視線だった。そして、その視線を敢えて形容するなら、それは台所に沸いた害虫に向ける視線だった。

 

「この状況について、ご説明頂けますか? ご主人様」

 

 ベルファストが口火を切る。長期間の委託任務から帰ってきたばかりのはずだが、その声は少しの疲労も感じさせなかった。

 

「シリアスが望んだんだ。夜伽がしたいって」

「メイドに手をお付けになるのでしたら、普通に寝室へ連れて行かれればよろしいのではないでしょうか? どうしてこのような事に?」

 

 やっぱりこの女のメイド観もおかしい気がする。指摘する勇気は無いが。俺が今から言う事も相当頭がおかしいのだし。

 

「ベルファスト。実は俺は、緊縛プレイが大好きなんだ。縛り上げた女を放置して眺めるのが性癖なんだ」

「は?」

「だからなベルファスト。俺は縛られた女を眺めているのが、一番興奮するんだ」

 

 シリアスが動けば胸が揺れる。何かで覆おうとしてもすぐに破いてしまう。なら、身動きを取れないようにしてしまえばいい。

 しかし、それだけでは駄目なのだ。このメイドとエロが頭の中で同じ引き出しに入っているシリアスに、自分が仕事をしているという実感を与えなければならない。

 つまり緊縛放置プレイである。毎晩この性癖を熱く語っていた軍学校時代の同輩に、今だけ感謝の気持ちを捧げたい。

 

 シリアスは後ろ手に縛られた状態で、部屋の隅に鎮座している。

 もしかしたら縄や手錠も壊されるかと不安だったが、幸いその心配は無さそうだった。流石に彼女にも不可能なのか、それとも緊縛プレイという題目を守っているだけだろうか。

 上気した頬や荒い吐息、時々体を蠢かせる様子などは実に蠱惑的だったが、まだなんとか耐えられる。そのレベルに収まってくれていた。

 でもやっぱり目に毒だから、明日までに覆い布を用意しておこう。

 

 ベルファストもどうやら俺の真意を悟ったらしい。こっそりため息をついてから、乱雑に放置されていたティーセットに興味を移している。

 その様子に満足して、俺は宣言した。

 

「では、シリアスの新しいメイド服が届くまで、これがシリアスの勤務内容ということで」

 

 

 

 朝日が輝いている。窓から差し込む日差しが部屋の全てを輝かせている。世界は輝いていた。

 今日ついに、シリアスの新しい服が到着した。再び俺は魔の誘惑に打ち勝ったのだった。

 来客のたびに隣部屋に痴態を転がしていく苦労も、毎日昼食をあーんしてあげる気恥ずかしさも、今となっては微笑ましい記憶の1ページである。

 

 なお、本日付けで母港内での乳暖簾は禁止される事となった。まあ念の為というやつだ。まさかあんな格好をするような奴、流石のロイヤルにも二人と居ないだろう。

 

 しかし、ふと考える。果たしてこれが最後の乳だろうか。奴らは俺の想像も付かない手で、いつの日か、再び俺の目の前に現れるのではないだろうか。その時に備え、俺も自分の精神力と知恵を磨かねばならない。

 

 さしあたっては、目の前でまた転んで、そのまま自分で体を縛り始めたシリアスを上手く対処しなくては。



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ユニコーンにまともな服を着せたい

 固く、その身を閉ざしていたつぼみが、春の陽気に包まれて少しずつ綻んでいくように、その少女は小さく微笑んだ。

 

 ユニコーン。妖精のような白い衣を身に纏い、幻想的な紫の髪を長く伸ばした幼い少女。ちょこんと垂らされたサイドアップが愛らしさを強調している。胸元で固く抱きしめられたぬいぐるみは、彼女の内気な心の表れにも見えた。

 つい少し前まで、その顔は緊張と警戒心に覆われていた。だが今は、その瞳には安心感と好奇心が浮かんでいる。それが好意に変わるまで、それほど時間はかからないだろう。そんな予感がした。

 

 やれやれ、上手くいきそうだ。心の中でこっそりとため息をつく。幼い部下との初顔合わせは、いつでも気の抜けない戦いだった。

 

 艦船(KAN-SEN)は強大な力を持った兵器である。だがどういうわけか、彼女たちの多くは、その力と不釣り合いに幼い心と体を持って生まれてくる。目の前の少女、ユニコーンがそうであるように。

 そんな不安定な子らを従え、導くために、指揮官には彼女らの信頼を勝ち取る義務があるのだ。

 

「あのね、お兄ちゃんって呼んでもいい?」

 

 唐突な要望。しかし、俺は笑顔で頷いた。先程まで、扉の影から覗き込むだけだった子が、自ら「お願い」をしてきている。大きな進歩であった。

 この流れのままに、一気に距離を縮めたい。逸る気持ちを抑えつつ、ゆっくりとユニコーンの方へ歩み寄って行く。

 

 この時、俺は油断していた。どうしようもなく。彼女は幼い子どもだと、まだ咲きかけのつぼみだと、そう信じていたのだ。

 だが、間違いだった。不意に、それまでの奥手な雰囲気を覆すように、ユニコーンは勢いよく駆け寄ってくる。ずっと抱えられていたぬいぐるみが、無造作に放り捨てられる。その裏に隠されていたものが、開放される。

 

 薄い。あまりにも薄すぎる白い衣。肌の桃色までが透けて見える、服としての機能を放棄したような有様。そして、その薄衣に包まれた胸元は、幼い少女という印象を消し飛ばすほどに、確かに女性を主張していた。

 彼女はつぼみなどではなかった。彼女のその一部分は、十分に実った果実だったのだ。

 

 

 

 そして、もはや何度目かも分からない悩みに俺は囚われていた。

 相手はアンバランスに育っている部分があるとはいえ、幼い少女だ。

 誘惑に負けて、そんな少女の白桃に手を出してしまえば破滅。かと言って、正面から「乳が透けてるから服を着替えろ」などと命令してしまえば、幼女趣味の色情魔の誹りは免れない。

 

 やはり今回も他に道は無い。たとえ幼い少女に向けて悪逆非道の限りを尽くそうとも、彼女がまともな服を着ざるを得ない状況を作り出すのだ。

 そうして俺は、幼い少女を陥れる計画を練り始めた。

 

 

 

 香ばしいスパイスの香り。トロトロに煮込まれたチキン。そっと甘みを添えている野菜。無心でスプーンを動かし、カレーを口に運ぶ。

 流石はベルファスト謹製の料理。子供向けの甘口でありながら、大人にも物足りなさを感じさせない、まさに一流の味であった。

 

 別に目的を忘れて昼食に夢中になっていたわけではない。これも策の一部だ。

 右手を動かし続けながら、ちらりと視線を前に向ける。そこには俺と同じく、黙々とスプーンを往復させている少女がいた。

 ロイヤルレディと呼ぶにはまだ遠い、拙い食べ方。カレーがたまに飛び散って、周囲を汚している。それこそが、俺の狙いだった。

 

 カレーで服を汚させる。着替えさせる。大勝利。策はシンプルに限る。

 しかし、それだけでは足りない。過去の苦い記憶が蘇る。ただ着替えに行かせても、似たような服で戻ってくる。その可能性は捨てきれなかった。

 だから、もうひと押しする。

 

「ユニコーン。食べ終わったら、着替えて来なさい。昼からは母港の屋外施設を見て回るから、暖かい格好でね」

 

 こう言っておけば、きっとまともな布の服が出てくるだろう。俺は安心して、カレーに意識を戻す。

 そして、二皿目を平らげ、食後の紅茶を楽しんでいる間に、着替えをしたユニコーンが戻ってきた。

 

「えっと、ユニコーン? なんでさっきと同じ服なんだい?」

「違うよ? これ、さっきのより、ちょっと薄いの」

 

 状況は悪化していた。

 

「他に、もっと厚くて暖かい服は」

「持ってないよ? ユニコーン、暑いの苦手だから……」

 

 正直、この結果を想像しなかったと言えば嘘になる。今までの経験が、走馬灯のように脳裏をよぎった。

 でも信じたかった。こんな幼い少女ですら服のレパートリーがあんな風だなんて、思いたくなかったんだ。ひっそりと心の中で、俺は泣いた。

 

 

 

 次なる作戦。ユニコーンに外套を着せてあげる作戦。それは、意外なことに上手く機能していた。

 いや、普通はこんな簡単な事が失敗する筈はないのだが。何故か俺の脳裏には、外套が突然破けたり暖炉に飛び込んだり次元の狭間に消えていく光景が浮かんでいたのだ。一種の呪いなのだろう。

 

 それはともかく、外套に身を包んだユニコーンとの母港めぐりは、実に順調に進んでいった。

 演習場を見学した。砂浜で波と戯れた。購買部を冷やかして回った。噴水に腰掛けて、一緒にジュースを飲んだ。ユニコーンは、好奇心のままにあちこちを歩き回り、気になる物を見つけては、星空のように煌めく瞳で眺めていた。ちょっとした事でも驚き、喜びの顔を見せた。

 そうしていると、本当に無邪気な幼い少女であった。

 

 そんな楽しい時間も終わり、執務室へと戻ってくる。分厚い扉を引き開ける。そこで、違和感に気付いた。

 暑い。室内から熱気が漂ってくる。暖房の全力稼働する音が響いていた。慌てて操作パネルに向かい、設定温度を下げる。サウナにでもなったかのような空気に囲まれ、汗をぬぐう。

 先ほど部屋を出るまでは、こんな事にはなっていなかったはずだ。何が起きたのだろうか。訝しんでいると、背後から申し訳無さそうな声をかけられた。

 

「ごめんねお兄ちゃん。帰ってくる時、寒いかなって思って、ユニコーンが温度を上げておいたの。もしかして、やりすぎちゃった?」

 

 なるほど。幼い少女のささやかな気遣いが、少々加減を間違えてしまったという事か。それなら仕方ない。悪気は無いのだから。とはいえ、軽く注意しておいた方が良いだろうか。

 どのような態度を取るかを決めかねたまま、とりあえず振り向いた。振り向いて、しまった。

 

 未だに室内には熱が残っている。冬服でいるには暑く、汗が滲む。そんな中に、薄衣一枚に外套を重ねた、暑がりだという少女。

 もはやその布は、完全に服としての役割を失っていた。はだけた外套の間から、濡れた布越しに、裸同然の胸元が覗いている。その瑞々しさを増した肌色の膨らみは、ただただ暴力的であった。抗う事もできずに、俺の意識は絡め取られていく。

 またしても、油断していた。

 

 我に返ると、こちらをじっと見つめる少女と目が合った。外套は既に、床に投げ出されている。汗まみれの上半身を再び視界に入れないよう、意志力を振り絞る。

 幸いにも、ユニコーンは何も理解していない様子だった。俺がずっと視線を注いでいた意味も。その先にあったものも。

 不覚を取ってしまったが、まだ終わってはいない。次の手を考えねば。そんな事を思っていた時だった。

 ふと、恐ろしい考えが頭に浮かんできた。

 

 本当に、あれだけの醜態に、気付かれていなかったというのか?

 一度芽生えた疑念は消そうと思っても消せず、様々な疑問が浮かび上がってくる。いくら子供でも、エアコンを全開になどするだろうか? 同じ服しか持っていないなんて事があるだろうか? 二度の不意討ちは、本当に意識していない偶然なのだろうか?

 本当は、全て見通した上で俺を弄んでいるのではないか?

 

 仮にそうだとしても、俺にできる事は変わらない。ただ、警戒は必要だろう。これが取り越し苦労なら、それに越したことはないのだが。

 得体のしれない不安感を振り払うように、俺は電話を取り出し次の策を開始した。

 

「もしもしベルファスト、この母港に母校を作ろう。もちろん制服を決めて」

「ご主人様の考えていらっしゃる事はだいたい予想ができますが、無理です」

 

 会心の策は、三秒で潰えた。

 

 

 

 スピーカーから大音量で、キラキラした少女の歌声が響き渡る。会議用の大型スクリーンが、ヒラヒラ衣装の少女の決めポーズを映し出している。カーテンは閉じられ、照明は落とされ、薄暗い室内にあるのは音と画面の光だけ。

 今、執務室は俺たち専用のミニシアタールームと化していた。

 

 少女が好きなものと言えば、アイドル。そんなイメージでそれっぽいアニメを視せてみたのだが、想像以上に効いたらしい。ユニコーンは食い入るように画面に没頭している。毎晩のように女児向けアニメの良さについて熱く語っていた軍学校時代の同輩に、今だけ感謝の気持ちを捧げたい。

 

 画面に目を戻すと、アイドルの少女が愛の歌で悪の親玉を改心させていた。アイドルってこういう事もするのか。エンディング曲がフルで流れ、画面が暗転。上映が終了する。

 

「ユニコーン。楽しかったかい?」

 

 確認するまでもない、単なる話のとっかかり。

 ゆっくりと部屋を明るくしながら、ユニコーンの様子をうかがう。少女は余韻に浸りつつも、どこか寂しそうな顔をしていた。楽しい夢から覚めたときの名残惜しさのような。今がチャンスだった。

 

「そうだユニコーン、君に贈り物があるんだ」

 

 疑問を顔に浮かべて振り向く少女の前で、俺はショーを始めるかのような笑顔を作った。用意していた箱を開け、中身を広げて見せる。

 

 出てきたのは、星空を映し出したかのような深い青色の衣装。それを金のラインが飾り立てている。そして胸元を隠すきらびやかな装飾。まさしくそれは、アイドル衣装であった。ベルファストは実に完璧な仕事をしてくれたようだ。

 指示より少し露出が多い気もしたが、まあ許容範囲だろう。

 

「君にぴったりだと思うんだけど、どうかな。着てみてくれないか?」

 

 アニメ視聴で憧れを煽り立てた後で、このプレゼント。夢見がちな少女なら着ずにはいられないだろう。ベルファストに土下座して頼んだ甲斐があったというものだ。

 勝利を確信し、笑みを浮かべて、ユニコーンへと視線を向ける。少女の顔は、今まで一度も見せなかったような表情をしていた。

 

 一言でいうと、ドン引きしていた。

 

「お兄ちゃん、なんでこんなサイズぴったりの衣装があるの? いつ作ったの? 気持ち悪い……」

 

 そうか。女性は普通、男からサイズぴったりの服を贈られたら気持ち悪がるものなのか。

 冷静に考えていれば、その結論にたどり着けていたかもしれない。しかし、焦りと不安、自分が狩られる側かもしれないという恐怖が、俺の思考を曇らせていたのだろう。迂闊だった。

 

 とにかく、このままでは目的を果たすどころか、変質者のレッテルを貼られかねない。衣装を慌ててしまい込み、考える。しかし猶予時間は僅かだった。浮かんだアイディアは、一つしか無かった。

 

「いやな、プレゼントの内容をベルファストに考えてもらったら、あいつ少し張り切りすぎてしまったみたいだ。忘れてくれ」

 

 ごめんなさい。この埋め合わせはなんでもします。

 

 

 

 何を考えるともなく、椅子に身を預け、天井を見つめていた。

 気付けば窓から夕陽が差し込んできている。赤く染まった室内はどこか物悲しく、俺の心を映し出しているようにも見えた。

 負債ばかりが増えていく。ユニコーンの開放的な服をどうにかする事もできていない。万事休すであった。

 

 ふと違和感を覚える。ユニコーンの姿が見えない。小柄な子だから、どこかの影に隠れているのだろうか。立ち上がり、ゆっくりと室内を歩き回る。目当ての姿はすぐに見つかった。

 彼女は応接用のソファーの上で、静かに寝息を立てていた。色々あって疲れが溜まっていたのだろう。それはいい。問題は別にあった。

 

 意外と寝相が悪いのだろうか。彼女の纏う服とも言い難い薄布は、乱れに乱れていた。裾は盛大にまくれ上がり、その簡素な下着も、滑らかなお腹も、全て露わになっていたのだった。

 軽く浮き出た肋骨のその先、急峻な丘のふもと部分が、たるんだ布の塊の下から少し顔を覗かせている。

 

 再び頭の中の声が囁いてくる。寝相の悪さだけでこんな事になるはずがない。これは罠だ。卑劣な誘惑の手口なのだと。

 そうなのかもしれない。彼女は無邪気な少女の皮を被った、悪辣な策士なのかもしれない。

 あるいは、全ては俺の妄想なのかもしれない。幼い子供特有の無思慮と無頓着、それを俺が曲解しているだけ。そうなのかもしれない。

 

 だが、どちらにせよ彼女は危険な女だ。放置するわけにはいかない。これ以上、俺の理性が脅かされないためにも。二度とこんな事が起こらぬよう、手痛い教訓を与えねばならない。

 

 決意は固まった。そっと、手を伸ばした。

 

 

 

 夕陽はいつの間にか沈んでいた。窓の外には闇が広がっている。

 ユニコーンは既に目覚め、こちらをじっと見ている。目尻に涙を浮かべながら。その眼は、まるで夕食にたかるハエを睨みつけるような、そんな眼であった。

 

「ユニコーン、何度も説明しただろう。女の子がお腹を出して寝てはいけない。お仕置きが必要だって」

「だからって……なんで、こんな」

 

 ユニコーンの反応も仕方のない事だろう。きつく胸元に抱きしめたぬいぐるみ。その下に見える部分。そこには隠そうとしても隠しきれない、痕跡が残っていた。俺が刻んだ痕跡が。

 

 そのお腹には、はっきりと描かれていた。「へのへのもへじ」と。

 

 本当は、こんな酷いことをしたくはなかった。しかし、あの時はそうするしかないと思ったんだ。落ち着いて考えてみれば意味のわからない話だ。こんな邪気の無い少女が実は、わざと卑猥な姿を見せてくる腹黒な女だなんて。いや、腹を黒く塗ってしまったのは俺だが。

 

 いずれにせよ、もうどうしようもない。うちの技術部が開発した特別製のマジックは、きっと洗おうが何をしようが当分消えないだろう。彼女がラップ同然の服を着ている限り、あの腹を周囲に晒し続ける事となる。

 俺が出せる助け舟は一つしかなかった。

 

「さっきの衣装、要る?」

 

 

 

 こうしてまた一つの難題が解決した。後は適当に間を置きつつ、あのマジックが消える前に透ける服を禁止してしまえばいいだろう。

 

 また素晴らしき平穏の日々が戻ってきた。いつものように、ベルファストの淹れた紅茶を味わう。

 そういえば、彼女には多大な借りを作ってしまった。一体どんな代価を要求されるのか、正直話すのが怖い。

 そんな事を考えていると、彼女の方から話しかけてきた。思わず震える。だが、その件の話ではないようだ。少しホッとした。

 

「ご主人様、お手紙が届いております」

 

 裏書きを見ると、俺でも名前を覚えているような有力貴族からだった。こんな小規模な母港に何の用だろうか。封を切り、便箋を広げる。堅苦しい時候の挨拶などを読み飛ばしつつ、要件を確認する。だいたいこんな内容だった。

 

「妹分のユニコーンちゃんがお世話になっているので、是非一度遊びに行かせてください」

 

 急に寒気がしてきた。心臓の鳴る音が、はっきりと聞こえてくる。視界が遠くなった。

 文面だけ見れば、普通の手紙だ。だが、あの事件の後だと、その行間から何かがにじみ出てきているように感じてしまう。恐ろしい何かが。

 考えすぎかもしれない。だが、もしそうでなかったとしたら。

 黙ってこちらを見ていたベルファストに、震える声を抑えながら、つぶやいた。

 

「ベルファスト、対空煙幕の張り方を教えてくれ」



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