報われない愛のおはなし (加賀崎 美咲)
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報われない愛のおはなし

 偉大なる女王モルガン妃が建国せし、妖精國ブリテン。その首都、罪都キャメロット。

 

 世界の中心とも言うべき女王の間。本来、静粛であるべきはずのそこは今、にわかにざわめていた。

 

「聞いたか? あの、仮面卿が登城なされるらしいぞ!」

 

「まさか⁉︎ 最後に姿をお見せになったのは半年ほど前だろう? またすぐに姿を現されるなんて……」

 

「なんでも、北の湿地で発生したおびただしい数のモースを討ち取ったとか。この度の登城は、その褒美なのでは?」

 

 女王の間で控える文官妖精たちは、好き勝手に仮面卿と呼ばれている人物に関して噂話を囁いている。

 

 玉座に腰を下ろした女王モルガンは、そんな妖精たちの落ち着きのなさをどうでもよさそうに一瞥だけすると、また頬杖をついた。

 

「たくっ、おっせーな。仮面卿のやろう。いつまでお母様を待たせる気だ?」 

 

 文官妖精たちとは別の位置にいた妖精騎士トリスタンが赤い髪をかき上げながら毒づく。

 

 短気で荒っぽい性格の彼女は待たされていることが酷く不快で、それを隠そうともしない。

 

「はしたないぞトリスタン。ここは女王陛下の御前だ。陛下の後継者といえど、無礼は許されない」

 

「はいはい、わぁーかったよ。まったく、てめぇは堅っ苦しくてヤだよ」

 

 それを嗜めたのはトリスタンと同じ、長身の妖精騎士のガウェインだった。その青い双眸で見下ろされたと感じたトリスタンは嫌味ったらしく呟いて目を合わせない。

 

 基本的にこの二人は相性が悪い。奔放で加虐趣味のあるトリスタン。誠実で騎士の模範たらんとするガウェイン。

 

 その二人が互いに手を出さないのはひとえに、その間で黙する一人の妖精騎士が抑止力となっているから。

 

 その名は妖精騎士ランスロット。背丈も体躯も二人に大きく劣るように見えるものの、その実力は妖精騎士、ひいてはこの妖精國においても最強と名高い騎士であった。

 

 彼女を敵に回すような真似を二人ともとれない。それほどまでに彼女は隔絶した実力者だった。

 

 そのランスロットだが。彼女はいつものように口喧嘩する同僚二人を意に介した様子もなく、女王の間、その入り口をじっと見つめ、何かを待っていた。

 

 間もなく、変化があった。

 

 コツン、コツン。大理石の廊下を靴が音鳴らす。

 

 そしてその人物はゆっくりと女王の間に現れた。

 

 赤の線がいくつも走る白亜の鎧。体格はそれほど大柄でもなく、ガウェインより小さくトリスタンより大きい。

 

 素肌の全ては白亜の鎧に隠され、見た目からはどの氏族の妖精なのかは分からない。唯一、その素性の手がかりとなりそうなのは、鎧によって覆われた一対の翅。

 

 その名は秘されている。なによりも女王の意向によって。

 

 それこそが、妖精國が誇る最後の妖精騎士。名は公表されておらず周囲から、そして女王からも仮面卿と呼ばれる妖精騎士その人だった。

 

 女王の間を中ほどまで進み、立ち止まった仮面卿は臣下の礼をとる。

 

「女王陛下につきましては、益々のご発展喜び申し上げます。仮面卿、ただ今参上いたしました」

 

「良い、楽にせよ」

 

 初めて女王が笑った。道具が満足いく仕事をしたことに喜ぶ笑みだった。

 

 文官たちが決まった文言を唱え、式典が始まる。仮面卿の働きを褒め称えるための式典。

 

「北のモースどもの討伐ご苦労であった。褒美を取らす」

 

 女王が言うと、控えていた文官二人が協力して、舞台袖から重そうにして何かを持ってくる。

 

 それは黄金に輝く聖剣。仮面卿に与えられるのは、女王モルガンが作り出す量産型聖剣。使い捨ての聖剣がこうして彼に与えられるのはもう何度目か。

 

 女王は魔術を使い、ひとりでにそれを浮かせると仮面卿の目前にまで運んだ。

 

「次の聖剣だ。またお前がそれを使い、我が妖精國を脅かす敵を滅ぼし、武勇を重ねることを期待する」

 

「是非もなく。拝領させていただきます」

 

 宙に浮いたままだったそれを、仮面卿は受け取った。

 

 仮面卿が聖剣を手にすると、聖剣と仮面卿、双方の魔力が干渉し合って、聖剣は輝きを増し、仮面卿は身体の節々から魔力が赤雷となって漏れ出る。

 

 黄金に輝くその聖剣は、女王が作り出す使い捨ての神秘。実に数十本目となる聖剣が授与された。

 

 妖精たちは預かり知らぬことであったが、本来その聖剣は女王にとって、自身の破滅を連想させる忌避すべき代物だった。

 

 たとえ模造品であっても、それを与えていることは女王から彼への信頼の重さを表している。

 

 静かに聖剣を拝領して、式典は厳粛に執り行われていった。

 

 ここは女王モルガンの治める妖精國。本来であれば成立しないはずだった可能性の歴史、異聞帯。

 

 女王歴2017年。人理保証機関フィニス・カルデアが調査のため、訪問する半年前のことであった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 式典も終わり、厳かだった雰囲気も、女王の御前であるから完全とはいかないまでも、柔らかさを取り戻していた。

 

 式典の主役、仮面卿は要件も終わったと踵を返して去ろうとしていた。

 

 それに待ったをかけたのは女王であった。

 

「待て、仮面卿。聖剣は渡したが、貴様への褒美がまだである。好きに望むものを言え。私はそれを与えよう」

 

 足を止めた仮面卿は振り返ると、丁寧に一礼をしてその女王の申し出を断った。

 

「いえ、女王陛下。それには及びません。殿下のために働くことこそ私の喜び。これ以上の褒美は過ぎたものです」

 

「相変わらず無欲な忠臣よ。お前がそう言うなら、まあいい。女王は寛大だ。お前のわがまま、許そう」

 

 女王は実に満足げだった。過去に情夫として手元に置いていた時期があるほど、女王はこの騎士を気に入っていた。

 

 対して騎士は淡々とした口調で、あくまで臣下としての立場を崩そうとはしない。

 

 そんな二人の会話を興味深そうに見つめているのは妖精騎士ランスロット。女王と仮面卿。二人を交互に見ては落ち着かない様子だった。

 

 別れの言葉を最後に仮面卿が女王の間を去る。それを見てランスロットも好機とその背中を追った。

 

 トテトテと軽い足音を立てる追跡者に気がついた仮面卿が足を止めた。

 

「……何用でしょうか、ランスロット卿」

 

 事務的な口調にランスロットは少し不満げな声をあげる。

 

「用がなければ話しかけてはいけない?」

 

 怒ったような口調ではあるが、鈴の音のような声からは親しみが伝わり、愛らしさが優っている。

 

 話せることが嬉しいと、ランスロットの声は弾む。

 

「いや、なに。この間、君が好きそうな紅茶を出す店を見つけたんだ。せっかく顔を合わせたのだから、この後どうだろうか?」

 

 ようすれば、会食への誘いだった。

 

 仮面越しではあるものの、仮面卿が少し面食らったのはランスロットにも分かった。

 

 けれどすぐに動揺は霧散した。

 

「いえ、申し出は嬉しいのですが、これから私は北の氏族への偵察任務に就く予定。せっかくのお誘いですが——」

 

「いや、仮面卿。その誘いを受けろ」

 

 二人の間に割って入る声。間違えるはずもない。それは女王だった。『水鏡』の魔術の応用、声だけを二人に聞こえるように飛ばしている。

 

「仮面卿、良い機会だ。褒美を取らす。今日一日、休暇をこのキャメロットを楽しめ。案内にランスロット卿をつけよう。我が命、まさか断りはせぬよな?」

 

 それだけ命じて、女王は消えた。

 

 あっという間に外堀が埋められる事態を呑み込みきれず、ぼんやりとした生返事を仮面卿がして、女王の命令は下された。

 

 後に残されたのは仮面卿とランスロット。

 

 いち早く復活したランスロットは微笑む。

 

「それでは行こうか」

 

 手を差し出し、騎士らしくエスコート。仮面卿はその手を取るしかなかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 ブリテンで最も栄える都キャメロット。その大通りに面するオープンしたばかりの喫茶店に二人はいた。

 

 方や蒼い騎士の鎧を脱ぎ、可愛らしさと気品が同居するワンピースに着替えたランスロット。

 

 甘いチーズケーキと香り高い紅茶に舌鼓。

 

 そしてテーブルを挟んで果実のケーキと紅茶に手をつけず座ったままの仮面卿。

 

 さすがに鎧は脱いだものの、白のシャツと黒のズボンというシンプルな装いと、被ったまま仮面が異質な存在感を放っていた。

 

 仮面の機構が作動することで口元が開き、切ったケーキを運ぶ。

 

 無機質だった仮面卿の雰囲気が柔らいだことにランスロットは手応えを感じた。

 

 この同僚が意外にも、甘いものに目がないことを、ランスロットは最近になって知った。

 

「食事を取る際にも仮面を外さないのね」

 

 からかうような笑みでランスロットが指摘した。妖精騎士ランスロットでは無い。親しい人にしか見せたくない、柔らかい素の声だった。

 

「お気を悪くさせてしまったのなら謝罪します。ですが、この仮面は女王陛下より賜ったもの、おいそれと外すわけにもいきません」

 

「分かっているわ。誰だって隠したい事の一つや二つあるもの。良く、分かるわ」

 

 ランスロットは笑う。それは少し自虐を含んだ笑い。

 

 咳払い。せっかくの食事が辛気臭くなってしまうと危惧したランスロットが話題を変えた。

 

「そう言えば今回、君は北の湿地の方に行ったんだって? あちらはどんな様子だった? 君のことだからモースに遅れを取ることはないだろうけど」

 

「驚くほどモースが大量に湧いていた。聖剣がなければ一度出直すことも考えていた。……やはり女王が言うように、『大厄災』が近いのだろう。最近特にこうしたモースの出現の頻度が増している」

 

 二人の頭を悩ます問題。妖精に害なす黒い粘液状の生命体モース。その大量発生は妖精國を守る騎士である二人にとって無視できないものだった。

 

 その時だった。仮面卿の近くを通り過ぎようとしていた給仕係が少しつまずき、手に持っていた皿から料理の汁が飛んだ。

 

 それは仮面卿のシャツに小さな染みをつくる。

 

「あっ、ああ! 申し訳ありませんお客様! ど、どうか命だけは」

 

 粗相をしでかし、動揺して声をあげる給仕係は人間だった。

 

 妖精に使われるためだけに作り出される命である人間。それが仮にも使う立場にいる妖精に粗相をしたのなら、どうなるかは彼の態度を見れば分かるだろう。

 

 ましてや相手は高級そうな服を着た上級妖精。きっと自分は妖精の怒りを買い、もうすぐ命を終えてしまう。人間はそう理解して、それでも命乞いをしていた。

 

 仮面卿は何も言わず、静かに仮面を人間に近寄せた。

 

 死刑宣告だと、人間は強く目を瞑った。

 

 けれど人間が聞いたのは予想外の言葉だった。

 

「お前はなにもしてないし、私は何も見ていない。良いな?」

 

 それだけ言うと仮面卿は給仕係を突き放して、何もなかったかのように食事を再開した。

 

 給仕係は初め、何が起きているのかわからず目を白黒とさせていた。

 

 が、その意味がわかると何度も礼を言いながら仕事に戻っていく。

 

 何度も頭を下げながら去っていく給仕係を見送って、改めてランスロットは仮面卿を見た。

 

「前から思っていたけれど、君は人間に優しいね。何か特別な思い入れでもあるの?」

 

 確認する様な口調。それもそのはず。

 

 普通、妖精は人間を可愛がっても、庇いはしない。地を這う虫や羽虫を人間が気にしない様に、不快になったのなら軽く除けてしまう。

 

「……何も。何も無いよ。息を吹きかけても死んでしまうような存在に一々怒りをぶつけたところで、自分が無為に疲れるだけだ」

 

 どうでも良いことだと仮面卿は言う。

 

 それが本当のことを言っていて、その実、少し違うのにランスロットは気づいていた。

 

 決して憐れむのではない、ただ弱者を労る優しさ。それはランスロットにとってとても、とても好ましく映るものだった。

 

「君のそういうところ、僕は好きだよ」

 

 だから自然と笑みが溢れ、温い目で彼を見つめてしまう。

 

 熱で潤んだ瞳に見つめられて、頬がむず痒くなった仮面卿は、誤魔化すように指先で宙に何かを描く。

 

 それは魔力で宙に描かれた魔法陣。

 

 小さく光の炎が灯り、燃える様にして服についた染みが消え去った。

 

 片手間に行われた奇術にランスロット目を丸くした。

 

「それは女王陛下に習った魔術?」

 

 妖精で魔術を扱うものは少ない。そもそもが神秘の塊であり、思うがままに世界に影響を与えられる妖精にとって魔術はある種、当たり前のことを遠回しにして実行する手段でしかない。

 

「手慰みに教わった程度のもの。そう大したことはない。それこそ女王陛下に教わって、たまに領地で練習する程度だよ」

 

「なら今度、君の領地に遊びに行っても良いだろうか?」

 

「それは……」

 

 一般的に、それは家に招かれてもよいかという問いだ。もっと奥にある意味は言わずもがな。

 

「だめだろうか?」

 

 答えに窮した仮面卿の手をランスロットは取った。両手で彼の手を引き、身長差が自然と上目遣いをさせる。

 

 彼女の意図しないところで、答えを急くような形になっていた。

 

 しばしの沈黙。仮面の下がどうなっているのかランスロットには分からない。

 

 ただ色良い返事を期待して待つことだけが、彼女に出来ることだった。

 

 そして返事は申し訳なさを多分に含んだため息。

 

「……すまない。君の誘いは嬉しいが、これでも忙しい身で、今君を領地に招待しても、お客様としてちゃんと相手をできない」

 

「そうか……。それは残念だ。仕方ない、ならいつか君の都合の良い時に、ぜひ誘って欲しい。きっとだ」

 

「ええ。その時は、必ず」

 

 そう伝える仮面卿の言葉は、どこか寒々しかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 仮面卿の領地はブリテンの南方、コーンウォールの一地域にある。

 

 短時間でも滞在すると記憶を失う名無しの森にも近い場所であるが、仮面卿の村は静かで牧歌的な穏やかな空気が流れる場所だった。

 

 飛行して村の中央に降り立つ仮面卿。住人の妖精や人間たちが領主の帰還を見つけて、嬉しそうに駆け寄る。

 

 そんな住人たちを優しくいなして、仮面卿は自身の屋敷に戻った。

 

 静かな屋敷。手入れは行き届いている。しかし人と気配は無い。

 

 常駐するハウスキーパーがいないのだ。

 

「やあ、おかえり。今回は早かったね? もしかして私に会いたくて早く帰ってきたのかな? だとしたら嬉しい限りだけど」

 

 だというのに、帰ってきた仮面卿を出迎える声があった。

 

 白い髪にアメジストの色の瞳。一目見て絶世の美女といえる容姿だが、それと相対して仮面卿はとても嫌そうな顔を作る。

 

「……また来ていたのか、()()()()

 

 仮面卿は重いため息をつく。白髪の美女は酷いなあ、と楽しそうに言う。

 

 本来、いるはずがない存在。妖精郷に閉じ込められているはずの妖精は、まるで勝手知る我が家の様に、仮面卿の屋敷に居直っていた。

 

「そういえば彼女、ええっと名前は何だっけ? ……ああ! そうそう、ランスロットだ。彼女、ここに来たがっていたけど、断って良かったのかい? 折角だからここに招待すれば良かったのに」

 

 勝手に出した紅茶と、とっておいた茶菓子を食みながらマーリンが言う。

 

 飄々としたマーリンの語り口に仮面卿は少しだけ苛立ちを見せる。

 

「お前がいつここにいるかも分からないのに、そう気安く人を呼べると思うか?」

 

「いやだなあー! そういう時はモチロン空気を読んでお暇して、いい感じのムードを遠くから眺めてるさ」

 

「そういうことをしかねないから、呼べないのだ。分かっているのか?」

 

「ふふふっ。つまり、そういう空気になるかもしれない相手だと? 君も隅に置けないなー!」

 

「——っ! マーリン! おちょくりに来たのなら、帰ってもらうぞ!」

 

 羞恥に仮面卿がワナワナと怒りに震え、拳を振り上げようとしている。

 

 当の原因はまあまあと、どの口が言うのかなだめていた。

 

「じゃあおふざけはここまで。今日は君の聖剣の状態を見せてもらいに来たんだ」

 

 そしてコインの裏表をひっくり返した様に、おふざけの雰囲気が霧散する。これは女王にも話していない。仮面卿の秘密だ。

 

「……分かった」

 

 仮面卿がうなずき、魔術を行使する。背後の空間が水面の波紋のように歪み、その奥から光り輝く何かが現れる。隠されていたものが暴かれた。

 

 それは聖剣だ。モルガンから仮面卿が賜ってきた量産型聖剣と同型で。しかし、少しだけ違う箇所があった。

 

 鞘だ。量産型聖剣にはない、封印の様な鞘が現れた聖剣にはあった。

 

 聖剣を受け取って、マーリンは眺めたり、魔力を流してみたり、その様子を確かめて、一つ頷いてから仮面卿に返却した。

 

「うん、やはりまだ覚醒する様子はないね。けれど内側にある魔力は段々と励起し始めている。いずれ来たる『大厄災』に反応しているのは間違いない」

 

「その、……本当に来るのか? 『カルデア』という、別の世界から来た人間たち。予言にある異邦の魔術師は」

 

「ああ、必ず来るよ。鏡の氏族の長エインセルの予言の歌のとおり、予言の子が現れ、巡礼の旅を始める。そして、その時が大厄災の現れる時、君の出番というわけさ」

 

 マーリンが手に持っていた聖剣を仮面卿に差し出す。

 

 聖剣を受け取る。重い。重さがでは無い。この聖剣を使って、自分がしなければならない、酷い未来を想像して、ずっと重たく感じる。

 

「……そのために『最果て』からこれを回収してきたんだ。この、返還されたはずの、本当の聖剣。()()()()()()()を」

 

 これでなければ救えないものがあるから。

 

 これでなければ斬れないものがあるから。

 

「やらなければならないって分かっていても。いざ、時期がせまってくると覚悟も揺らいでいく。まったく、情けない」

 

「それは仕方がないことだよ。君の女王への忠誠、仲間たちへの親愛も本物だ。それを裏切るのだから、君の苦悩は知性ある生き物として、とても真っ当な悩みだ」

 

 その運命を運んできた奴が面厚く言えたものだと、仮面卿は内心毒づく。

 

 けれど未来を知り、その結果、何もかもを裏切ることを選んだのは自分自身なのだ。だから仮面卿自身も同罪。

 

「でも皮肉な話だ。女王から最も信頼されながら、その君がその円卓を崩すきっかけになってしまうとは。私が思うにその名前はある種、概念的に円卓を滅ぼすものなのかもしれないね」

 

 ——ねえ、妖精騎士「■■■■■■」

 

 マーリンがその名前を呼ぶ。ため息と自虐的な笑み。仮面卿はその兜を外した。

 

 聖剣と同じ、美しい金色の髪が柔らかく舞う。

 

 これは救いのない話。愛を知り、それでなお裏切る話。

 

 与えられた愛に、刃をもって報いた愚かな一人の妖精騎士の物語。



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2話

 覚えている一番古い記憶は灰が降る、滅びた街並み。

 

 どこにも命の気配がない街。命あるものはきっと他に何もない。

 

 私はそこで地に膝をついて、呆然と暗く曇った空を見上げていた。

 

 自分が誰なのか、思い出せない。

 

 何のために生まれてきたのか、分からない。

 

 確かにあったはずなのだ。

 

 明日を生きる希望。また明日も頑張ろうと、前を向かせてくれる理由が、私にはあったのだ。

 

 なのに、愚かにも私はそれを失った。

 

 名前は覚えてる。

 

 私は『■■■■■■』。けれどそれはただの音の連なりでしかなく、その名の意味を私は思い出せない。

 

 意味を思い出せないと妖精は名前を失う。

 

 名前を忘れた妖精は消えゆくだけ。役割を失った妖精は消えるだけ。

 

 さようなら名もわからない私。

 

 膝と肩に積もる灰の冷たさを感じながら、私が失われていく。

 

 翅が朽ちていく。

 

 手足が崩れていく。

 

 私という輪郭が失われていく。

 

 ああ。せめて、消えてしまう時は、こんな凍えてしまいそうな寒さじゃなくて、優しい温かさを感じて消えたかった。

 

 もう叶うことのない、ささやかな願いを抱いて、私は消えていく。

 

 ——はずだった。

 

 崩れていく私の体を、誰かが抱きとめてくれた。

 

 労る様な優しい手つき。

 

「……誰でしょうか?」

 

 よく見えない瞳を凝らす。ぼんやりとその姿が、輪郭ばかりが見えた。

 

 冷たい氷の様な瞳が私を見ている。

 

 私を見つけてくれていた。

 

「ああ、良かった! まだ、生きている妖精がいた……」

 

 氷のみたいな瞳から一粒、また一粒涙の雫が溢れては、ひび割れた私の肌を濡らす。

 

 それはとても暖かかった。きっと優しい人だ。

 

 私は確信する。

 

 誰かの為に涙を流して泣いてくれる、とても愛おしく優しい人。

 

 私はそんな人の役に立ちたい。きっとそれが私の使命。生まれてきた意味。

 

 思い出せないとしても、間違いないという確信があった。

 

 言うことを聞いてくれない腕に鞭打ち、ボロボロの手で触れることを申し訳なく思いながら、優しい人の涙を拭って差し上げる。

 

「泣かないで優しい人。どうか、私を使ってください。お掃除でも、靴磨きでも、なんでもします。だから、どうかお願いします。私をあなたのお役に立ててくださって」

 

 優しい人は始め、驚いて目を丸くする。

 

 そして本当に美しく、この島にあるどんな花よりも美しい笑みを浮かべた。

 

「分かりました。あなたに名を与えます。私にとって最も大切な名を。私を守り、この世界を守り、こんな悲しいことを起こさせない、そんな立派な騎士になってください」

 

 そして私に名が与えられた。

 

 私の新しい名は妖精騎士『■■■■■■』。

 

 優しいあの人を守る強い妖精騎士。

 

 最強じゃないかもしれない。

 

 立派じゃないかもしれない。

 

 大したことはできないかもしれない。

 

 それでも。あの日私の手を取ってくれた優しい瞳に、もう二度と涙を流させない。

 

 ずっとこの人が笑顔でいられるように、例えどれほど痛い思いをして、傷つくとしても、最後までやりきろう。

 

 与えられた輝く黄金に、誓いを立てた。

 

 それくらいだったら、私にだって出来るはずだ。

 

 これはずっと遠い、むかしのおはなし。

 

 まだブリテンという國が生まれるずっとむかし。

 

 仮面卿という妖精騎士が生まれた日のおはなし。

 

 

 

 ●

 

 

 

 シェフィールドの街を焼き払った戦闘から数日。仮面卿はノリッジの街にやって来ていた。

 

 泊まっている宿のベランダから街を一望する。

 

 もうすぐ「大厄災」が起きるというのに、街は平素通りの賑わいを見せている。

 

 仮面卿は呆れて何も言えない。

 

 マーリンは笑う。

 

「もうすぐ無くなってしまうと聞いていたけれど、随分とみんな明るく賑やかじゃないか。まるで厄災が起こることが、ただの誤報なんじゃないかって」

 

「スプリガンの所為だろう。みな、離れたくても、せっかく手に入れた土地を失うことを恐れている。彼らが滅した後で、持ち主のいなくなった土地をスプリガンがまた手に入れて再開発する、と考えれば本当に悪辣だ」

 

 先代のスプリガンを謀殺し、その地位を簒奪してみせたキャップレス、現スプリガン。

 

 その悪辣とさえ形容できる政治手腕は確かなもので、大厄災をだだのビジネスチャンスに変えてしまっていた。

 

 女王陛下がお認めだとしても、仮面卿は彼を好意的には見られない。ああいった手合いは、仮面卿の好みではなかった。むしろ、それほどまでに利益を追求して何になるのか、嫌悪よりもよく分からないというのが素直な感想だ。

 

 むしろ彼が気にしているのは部屋の奥、勝手にベッドを占領して寝転がる夢魔だった。

 

 白いフードで顔を隠したハーフの夢魔は誘惑する様な蠱惑的な笑みを作った。

 

「おや、私を熱心に見つめて。人肌が恋しいのかい仮面卿」

 

 戯けて見せるマーリンは、本来であれば発見次第女王に殺害ないしはそれに準ずる目に合うに違いないのだが、当の本人は重く受け止めた様子もない。

 

「ほざけ。堂々と白昼を歩いて、よく女王陛下の監視に見つからないな」

 

「幻惑の魔術は私の得意とする分野だからね。一人で歩き回る分なら、それなりに誤魔化しが効くのさ。むしろ君と外を歩いていときの方がよっぽど目立つって寸法さ」

 

「何故?」

 

「あの仮面卿が謎の美女を連れている。あの美人は一体何者なんだ! 愛人? それとも恋人? ……という訳さ。噂話が好きなのは人も妖精も変わらない」

 

「やめろ。普通に寒気がする。冗談でも、言っていい事と悪い事があると思わないのか」

 

 心底嫌そうな雰囲気を醸し出す仮面卿をマーリンは笑って流す。

 

 女王モルガンの命により、ノリッジで起こりうる大厄災の規模の調査、および女王の行う『対処』に、意図しない問題が発生した場合の保険として派遣された仮面卿。

 

 彼は女王には黙ったまま、共犯者であるマーリンを密かに連れてノリッジ入りをしていた。

 

 彼女をわざわざ見つかるかもしれない危険を冒してまで連れて来たのは、一重に予言の子と称される妖精が、真にその資格を持ち得るのかを見定める為。

 

「ほら、きっとあの子じゃないかな?」

 

 群衆の中、マーリンがその一角を指さした。

 

 少し田舎くさいきらいのある服装と身の丈を超える様な杖。記憶にある予言の歌にあった予言の子と容姿が一致していた。

 

 よくよく見てみると側には見慣れない魔術礼装を着た少年。

 

 あれは人間だ。仮面卿の本能がそれを見分けた。人間に■■する妖精である彼自身の本能のせいで、お話をしたい衝動が湧いて出て、それを理性で押さえつける。

 

 自分が■■するのは女王陛下ただ一人。心移りなんてみっともない。そう自分に言い聞かせて。

 

 好物を前にして我慢する子供のように強く唇を噛んだ。

 

「おや、その様子だと当たりの様だね。どうだい? 彼女は予言の子だと思うかい?」

 

「どうだか。単に人間を連れて歩いているだけの上級妖精かもしれない。何よりも我々が警戒すべきなのは、あれが予言の子なのかどうかよりも、あれが予言の子だとして、それが何をしでかすのか。その一点に尽きる」

 

「違いない」

 

 そして二人は予言の子一行を遠くから監視することにした。

 

 そして始まった大厄災。

 

 避難誘導するノリッジの兵士たちに紛れながら、時々モースを切り倒し、監視を継続する仮面卿。

 

 そして仮面卿は見た。

 

 大厄災に勇敢に立ち向かっていく彼らの姿を。突然乱入した、まるで妖精騎士の様な力を振るう盾の騎士が、あまりに強大な大厄災を受け止め、そして打ち払う様子を。

 

 仮面卿は確信する。あれらは本物の予言の子、そして異邦の魔術師とその仲間たち。女王の盤石の統治を破壊する存在だと。

 

 予言にあった通り、今こそが磐石たる女王の統治を崩す最後の機会なのだ。

 

 

 

 ●

 

 

 

 大厄災が収束してすぐ、仮面卿は疲労した彼らを背後から襲う真似は取らなかった。

 

 背後からの奇襲なぞ、女王の妖精騎士にあるまじき選択であったし、そもそも今回彼に下された命に予言の子の始末は含まれていない。

 

 彼は命令を忠実に守り、大厄災が払われたことを確認してキャメロットに帰還した。

 

 女王へ謁見しに参った女王の間。つつがなく報告は終わり、ノリッジを救った褒美に、予言の子一行をこのキャメロットに招くことを女王は定めた。

 

「みなの者。仮面卿と2人で話がしたい。よって全ての文官、書記官はここより退出することを命ずる」

 

 全ての議題が出揃ったという頃、突然女王はそう伝えた。妖精たちは何事だという顔を作りながらも、女王の命令に逆らうはずもなく部屋から姿を消していった。

 

 広い女王の間。たった二人は静かに見つめ合う。仮面卿は何故飛び止められ、公然と密談の場に置かれたのか心当たりが無い。

 

 何故と問いかけようにも、相対する女王は氷の眼で彼を見つめるだけ。無言こそが最も強力な責め立てだった。

 

 先に口を開いたのは女王。

 

「仮面卿。必要ないと分かっていることだが、一つ問わねばならないことがある」

 

「何なりとお聞きください」

 

「そなた、私に何か隠し事をしてはいないか?」

 

「——っ!」

 

 心臓が大きく脈打つ。

 

 マーリンのこと。エクスカリバーのこと。そして自分の抱いている逆心。

 

 どれか一つでも、知られてしまえば不忠の徒として処分は免れない。

 

「どうした? 黙っていては、何も分からぬぞ。どうなのだ仮面卿」

 

 どうしたものかと、仮面卿は答えるべき言葉を見つけられない。

 

 だから白を切ることにした。

 

「まさか。そんなこと、あるはずもありません。私があなたに隠し事なんて」

 

「そうか、やはり妖精たちのくだらぬ戯言だったのか」

 

 女王が心から安心したと笑みをこぼす。久しく見ていなかった表情に、仮面卿も胸の奥が暖かくなるのを感じたい。

 

 そして女王はまた笑った。笑みの色が変わる。

 

「ああ、良かった。本当に。なら、()()はお前とは何の関係もないのだな」

 

 仮面卿と女王の中間地点に何かが落下してくる。湿った肉が床に叩きつけられる様な音。真っ赤な血が一度大きく跳ねて、そして広がっていく。

 

 それは人のカタチをしていた。美しい白い髪。純白の衣装。それらはズタズタに傷つけられ、手にしていたはずの杖は薪にもならないくらいに細切れにされていた。

 

 白いフードが覆い被さり顔は分からない。

 

 次の瞬間。与えられた聖剣を抜いた仮面卿は、床に転がるマーリンを飛び越えて女王に斬りかかる。

 

 瞬きすらも許さない一瞬のこと。

 

 振るった刃は、あらかじめ張られていた魔力障壁によって防がれる。

 

「本当に、私を裏切ったのか? お前が?」

 

 信じられないというように、女王は狼狽している。まだ勘違いかもしれない。斬りかかられる今ですら、女王はどこかでそんな期待をしている。

 

 けれど、一度、また一度と振りかぶる聖剣がそれを否定する。お前は敵だと叫んでいる。

 

 女王の命の危機を感じ取り、防御術式が自動展開し、迫る魔力の槍を斬り払いながら後ろに下がる仮面卿は転がっている友人を拾う。

 

 触れてみれば、まだ僅かに暖かい。脈も途切れていない。手当てをすればまだ助かる見込みがあると、経験則から分かった。

 

 ならばやるべきことは一つ、逃げることだ。

 

 しかしそれは容易なことではない。城そのものが複雑な構造をしているうえ、あちらこちらに衛兵の詰所がある。

 

 どうやっても時間を食われ、追い詰めれる。

 

 正攻法では逃げきれない。

 

 だから仮面卿だからできるやり方を選んだ。

 

 よりにもよって、女王から与えられたやり方を。

 

「宝具解放、偽装展開。これは我が女王にかかる暗雲を穿つための極光! 『偽典・黄金聖剣』!」

 

 なんと皮肉な口上か。女王を守るべき聖剣が、女王を害するために振われる。

 

 ありったけの魔力を聖剣へと流し込む。

 

 聖剣が魔力を加速させ、魔力を光と熱量へと変える。それと同時に、変換しきれない魔力は赤雷と化し、破壊を伴って周囲へ撒き散らされる。

 

 光と赤雷による二重属性の破壊。

 

 城の床が破壊され、地上階までの吹き抜けと化す。

 

 舞い上がる土煙に紛れ仮面卿は走る。女王の間を駆け抜け、転がるマーリンを拾い上げ今さっき作り出した脱出口から逃走を図る。

 

 地上階への一方通行に足をかけようとする中で、モルガンが玉座から立ち上がり、仮面卿を引き留めた。

 

「待て! 行くな!」

 

 必死に駆け寄るモルガン。武装であるはずの大杖を投げ捨て、無防備な姿を晒して。

 

 それほどまでに、女王は必死だった。それほどまでに大切だった。

 

 大穴の淵に手をかけたままの仮面卿。逃げなくてはいけないと分かっていても、無体にはできなかった。

 

 仮面卿が声に静止して、逃げず留まったことに女王は希望を見いだす。縋りつきたくなるような都合の良い展開を望んだ。

 

「今ならお前の不忠を、一時の気の迷いとして許そう。私に隠し事をしたことも許す。その夢魔の手当てだってする。私の永遠の統治には、お前が必要なのだ。お前がいてくれなければ……」

 

 救い上げるように手を差し出すモルガン。果たして、本当に救われようとしているのは、どちらなのか。

 

 けれど仮面卿はその手を取らなかった。取ることが出来なかった、

 

 俯き、なんと伝えるべきか思い悩む。

 

 けれど、しかし、やはり。言うべきことは決まっている。

 

「申し訳ありません陛下。私はあなたの手を取れない。あなたは分かってくれない。()()()()()()()()()()()()()()()、きっと分かってくれはしない」

 

 ——あなたはきっと私の心を分かってくれはしない。

 

 そして仮面卿が手を離した。すぐそばにいたはずの二人は離れゆく。

 

 地上階にまで落ちていった仮面卿とマーリンはそのまま逃走していく。

 

 残されたのは、空を切る手だけ。何も掴めなかった自身の手を見つめるモルガン。

 

「何故だ。仮面卿……。何故分かってくれない。私はこんなにもお前を必要としているのに。お前は違ってしまったのか?」

 

 そこに冷酷な女王はいなかった。寄り添っていた大切な、運命を共にしていた相手を失った哀れな女一人。

 

 何故と問いかけ、答えを求めど、答える者は誰もいなかった。

 

 静けさに包まれた女王の間で、女王はひとりぼっちだった。



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3話

 とおい、とおい、むかしのはなし。

 

 キャメロットにお城が立つよりも前の、もっと昔の話。

 

 ブリテンは今よりも、ずっと小さな島だった。

 

 狭い島なのに、妖精はいっぱいいた。いっぱいいたから、みんな争った。

 

 あの山に住みたい。あの綺麗な景色を独り占めしたい。川で水遊びがしたい。

 

 理由はいっぱいあったけれど、方法はいつも一つ。

 

 殴って、蹴って、食って、刺して、斬って。殺す。気に入らないやつ、邪魔なやつを気の向くまま痛ぶる。

 

 たくさんの血が流れた。

 

 本当にたくさんの血が流れた。

 

 それでも、誰も止めようとはしなかった。

 

 自分の楽しいことの邪魔になるなら、誰かを殺すのは当たり前のことで、みんなが仲良く生きられる世界を作るなんてめんどくさいこと、誰も考えない。

 

 そんなことより、もっと楽しいことをしていたい。だから世界は変わらない。誰も変えようとしない。

 

 優しい人はそんな当たり前をおかしいと言った。

 

 みんなが笑って、殺し合うこともなく、穏やかに過ごせる。そんな優しい夢のような世界を、優しい人は作りたいと言った。

 

 そして私たちの旅が始まった。

 

 優しい人、救世主と呼ばれたトネリコ。と、その一行。

 

 不死身のエクター。

 

 排熱大公ライネック。

 

 始まりの騎士トトロット。

 

 そして私、初代妖精騎士『モードレッド』。

 

 トネリコは色々なことを知っていた。巡礼の鐘を鳴らし、厄災を退け、妖精たちの氏族を少しずつまとめていく。

 

 トネリコは初めから、その手順を知っていて、あとはどう上手くこなしていくか。それはとても長い旅だった。私の作ったトネリコの靴が、何度も代替わりするくらいの長い旅路。

 

 少しずつ、ブリテンは良い国になっていった。痛めつけるのを我慢して、話し合う妖精たちが増えた。もっと暮らしが仲良くなるように、手を取り合う妖精たちが増えた。

 

 私はその為に、トネリコにさせられない汚いことをした。

 

 北に行っては争いあう部族の今代を両方滅ぼした。

 

 東でか弱い妖精たちを奴隷のように酷使する嫌な妖精の腹を裂いて、動物たちの餌にした。

 

 西だと豊かな森を独り占めするいじっぱりをバラバラにして肥やしにした。

 

 南ではトネリコを害そうとした村が一つ海に沈んだ。

 

 こんなことを何度も、何度も。トネリコには言えない。上手く黙ったまま終わらせた。

 

 トネリコは救世主だから。こんなことをする必要ない。優しい人だから。みんなに好かれる救世主が、こんな後ろ暗いことをしていいはずがない。

 

 だから私が代わりにやった。彼女の代わりにやった。

 

 ずっと綺麗なままでいて欲しい。汚いのは私だけで十分だと、本気で思っていた。

 

 トネリコの評判に傷をつけない為、元の名を捨て、仕事をしている時は仮面を被って正体を隠した。

 

 そして仮面卿なんて名前がつく頃、私の殺した妖精たちの死体の山が一つの地方に変わった。

 

 けれど、それもやっと終わる。ついに、このブリテンに平和が訪れようとしていた。

 

 私たちの冒険は無駄じゃなかったんだ。

 

 トネリコは人間のウーサーが組織した円卓軍と協力して、六の妖精氏族をまとめ、その徴となる王にはウーサーがつくことに決まった。

 

 そんな大冒険の終わりが半年前のこと。

 

 ロンディニウムで行われる戴冠式に向かう足取りの軽い旅の途中、今日はもう遅いからと森で野宿をすることになった。

 

 私が焚き火の近くで、森の獣たちが来ないか見張る不寝番をしていると、こちらに近づく誰かの足音。

 

 トネリコだった。少し眠そうに瞼をこすりながら来ると、目が合うと笑って私の横に腰を下ろした。

 

 焚き火に照らされて、トネリコの金の髪が煌めいていた。

 

「モードレッド。私たちの旅も、ようやく終わりが見えてきましたね。これまでの長い間、本当にありがとう。あなたには何度も助けられた」

 

 お礼なんて不要と伝える。だって私は、あの日、滅びようとしていた私を見つけてくれた、あなたの役に立ちたくて、今日まで一緒にきたんだ。

 

 そう伝えるとトネリコは少し恥ずかしそうにして、これからのことを話しだした。

 

「もうすぐそのブリテンは統一されて、一つの国が生まれます。そうしたら楽園から派遣された妖精である私の役目も終わり」

 

 重大で難しかった役目から解放されるというのに、トネリコの面持ちは暗い。

 

「そうしたら、そうしたなら……。どうしましょうか?」

 

 何かを期待するような声色で、そんなことを聞かれた。私はトネリコの役に立つなら、何でも良かった。どんな簡単な雑事でも、難しい苦難でもやり遂げてみせる。

 

 むしろトネリコの使命が終わっただけのことで、私が彼女の下から離れるはずもない。

 

 私の全ては、ただトネリコが笑って欲しいから。その理由は出会った日から変わらない。

 

 私はずっとトネリコと一緒にいたいのだ。

 

 私の言葉を聞くと、「はい、そうですか」とトネリコはしばらくそっぽを向いたまま。

 

 鼻歌など歌って、何だか嬉しそうだ。トネリコが嬉しいなら、私も嬉しい。

 

「なら、まだまだ旅を続けることにしましょう。そうだ! 初めはアヴァロンに行ってみませんか? 帰郷なんて、新しい旅の第一歩にはピッタリじゃないですか」

 

 それは面白そうだ。ブリテンとは違う妖精の世界。トネリコの生まれた場所。きっと素敵な場所に違いない。

 

 もうすぐブリテンが生まれ変わる、今までで一番おめでたい日。それがやってくる。

 

 

 

 ●

 

 

 

「何で⁉︎ 何でなの⁉︎」

 

 地獄のように燃え盛るロンディニウム。めでたいはずの戴冠式は一瞬にして地獄と化した。

 

 ウーサーたち人間は毒を盛られ、輝かしい王都には火が放たれた。

 

 人間たちに統治されることを嫌がった妖精の一派の仕業だった。

 

 あちらこちらから、妖精の兵隊がやってくる。残りの円卓軍を殺し尽くすため。

 

 そして救世主を殺してこんなことが、二度と起こらないようにするため。

 

 まだ起きてしまったことを受け入れきれず、泣いたまま錯乱するトネリコを抱え、ロンディニウムの街だった場所を駆け抜ける。

 

 ロンディニウムの城は、脱出口をわたしが赤雷の一撃で作ったせいで半壊していた。廃城を尻目に私はトネリコを連れて逃げた。

 

 どこまでも逃げた。

 

 やっとの思いでロンディニウムを脱出して、郊外の森の中に身を潜めた。腕の中のトネリコはブツブツと何かを呟いている。

 

「もうダメだ。どれだけ手を尽くしても、言葉を尽くしても、妖精たちはダメなんだ。支配しなきゃ。あいつらの気持ちなんて、考えなきゃよかった」

 

 そこにあったのは裏切られた悲しみでなく、仲間を殺された怒りでもなく、あまりにも暗く深い絶望だった。

 

「私は妖精を許さない。私は妖精を救わない。私は妖精を許さない。私は妖精を救わない」

 

 トネリコに私は何もしてあげれない。

 

 後日、トネリコは毒を盛ったあの妖精を、魔術によってトネリコそっくりに作り替えて、処刑の身代わりにした。

 

 私はトネリコが手を汚すのを止められなかった。

 

 北の最果て。オークニーに向かう途中。灰の雨が降り続ける寒い世界。奇しくも、私たちの出会った日とよく似た日。

 

 何も期待していない瞳で、トネリコ。否、モルガンは道具()に言った。

 

「モードレッド。私はもう平和な方法で妖精を救いません。支配します。何もできないように。私が思うままに、この世界を動かせるように。そのための長い旅になります」

 

 ——そうやってこのブリテンに、今度こそ永遠の平和をもたらします。

 

 優しい救世主は死んだ。

 

 残酷で冷酷な女王が生まれた。

 

 四百年後、モルガンが最果てより帰還した。その日に私を使い、六の妖精氏族を半分に減らして、彼らを支配して、瞬く間にキャメロットを王都に変え、妖精國を建国した。

 

 妖精たちの時代が終わり、女王モルガンが統治する時代が始まった。

 

 それは暗黒の時代といっても良いのかもしれない。

 

 妖精たちには令呪が刻まれ、生きることの税として魔力を徴収した。出来なければその妖精は死ぬ。

 

 女王の役に立たない妖精は生きることを許されない。この国の全てはただ一人、女王のためにあるのだから。そうやってブリテンは生まれ変わった。

 

 私は妖精歴から仮面卿の名を引き継いだ。女王のためにどんな汚れも引き受けよう。そう名に誓って。

 

 いつからか、より多くを殺すために聖剣を授けられるようになって、女王の統治に逆らう沢山の妖精を滅ぼした。

 

 百年に一度の厄災も、千年に一度の大厄災も薙ぎ払った。

 

 何度も、いくらでも、殺して、壊して、滅ぼして、いくつもの亡骸の塔を築いていく。

 

 私はそれでも良かった。悪政だろうと、暴君だろうと、それがモルガンの望んだことなら。彼女がそれを望むなら、それは私の望みだ。

 

 彼女が望むなら、いくらでも殺そう。女王の統治の邪魔になる全てを滅ぼした。嫌悪していた妖精たちと同じことを私はしていた。

 

 けれど、それは間違いだった。

 

 女王がブリテンを支配した数百年。モルガンはめっきり笑わなくなってしまった。あの時の、この島のどの花よりも美しい笑顔を咲かせない。

 

 いつも苦しそうで、悲しそうで。あの日沈んだ絶望の湖から、彼女は帰らずのまま。

 

 そして気がついた。気がついてしまった。

 

 どれだけ上手く支配しても、妖精國が永遠に続こうと。モルガンが幸せになることはない。

 

 女王でいる限り、モルガンは永遠の不幸にいる。

 

 ある時、二人でキャメロットの城から城下町を眺めた。妖精たちを冷たい目で見下ろしながら女王は私に答えを求めた。

 

「私の国はどうだモードレッド? あの頃とは違う。氏族同士の諍いも、厄災で滅びかけることもない。良い国になったと思うか?」

 

 私は、良い国だと答えた。女王は満足だと言う。

 

 でも、ならば、何故。「あなた」はそんな悲しい顔をするのですか? 良い国になったといいながら、モルガンはそれを認めていない。おそらく、本人はそれに気づいていない。無意識に直視することを避けてすらいるのかもしれない。

 

 許せない。モルガンにあんな顔をさせてしまっている自分が許せない。

 

 この頃から、私は女王の統治を壊すことを決めていた。

 

 誰に言われたからではなく。私の意思で、モルガンを傷つけることにした。

 

 女王をブリテンから救うために、妖精國を滅ぼすことを決意した。

 

 マーリン。汎人類史の並行世界からやってきた、モルガンとは違う楽園の妖精と出会ったのは、私が叛逆を決意して数百年も経った頃だ。

 

 彼女は現在を見通す千里眼で妖精國の現状、私の意思を見通し、私にその方法を授けてくれた。

 

「モードレッドの名を持つ君に協力するのは、少し思うところはあるけれど。これはこれで面白い結末を見られそうだ」

 

 彼女はそんなことを言っていた。

 

 私はマーリンの助言に従って最果てに向かい、そこで封印されていた星の兵器、星が鍛えた最強の幻想兵器であるエクスカリバーを持ち帰った。

 

 あとは鏡の氏族のエインセルが残した予言の歌にある、予言の子がやってくるのを待った。

 

 心のどこかで、そんな日が来なければいいのにと願いながら。

 

 

 

 ●

 

 

 

 マーリンを抱えてキャメロットの街を駆け抜ける。私を捕らえようと襲いかかる妖精兵を可能な限り殺さないようにしながら、私は走り抜け3枚目となる城壁を破り、もうすぐ街の外というところで、聞き慣れた飛行音を避けた。

 

 舞い降りる青の鎧。最速の妖精騎士ランスロットが下手人を捕まえるべくやってきた。

 

 キャメロットから脱出するために考えられる最も厚い障害。

 

「……その妖精を庇って、女王陛下に武器を向けたのは本当?」

 

 まだ信じられないという声色。両腕のアロンダイトはらしくもないほど、躊躇いに揺れていた。

 

「……本当のことだ。そこをどいてくれランスロット。君とは戦いたくはない」

 

「陛下より、そんなにもその妖精が大切か!」

 

 アロンダイトが振われる。目で追うのがやっとの斬撃が踊り舞う。

 

 普段ならまだしも、今は片腕でマーリンを抱えている。満足に剣を振ることもできず、赤雷も飛ばせない。

 

 アロンダイトの軌道に沿って剣を置き、なんとか致命傷だけは防ぐ。それも長くは続かない。

 

 実力はランスロットの方が上。それは分かっていたことだ。

 

 圧倒的な手数を前に、少しずつ傷が増えていく。せめて虫の息のマーリンに、これ以上傷を増やさないよう、時々自分の方から刃に当たる。

 

 それをランスロットは気に食わなかったらしい。

 

「女王の妖精騎士がなんて情けない姿。そんなにその妖精が大切か。恥を知れよ裏切り者。どうして裏切った!」

 

「裏切らなければいけない、理由があった!」

 

「そんなもの、あるはずがないだろ! 従う者はどんなことがあっても、最初に誓った人に従っていくべきだ!」

 

 これは従う者としての、吟味の違い。私はそれに否と言う。

 

「相手の綺麗なところしか見ない君はそうだろうな!」

 

「何が⁉︎」

 

「主人が間違っているのなら、正すべきだ。たとえその結果、愛した人から憎まれようと」

 

 救うために傷つける。矛盾した目的のため、私は女王を裏切ることにした。

 

「都合の良いことばかり! ——アロンダイト!」

 

 もう聞いていられないと、ランスロットが決着をつけようと決めにきた。溢れんばかりの魔力がアロンダイトに注がれ、隠されていた本当の刃が飛び出した。

 

 完全励起によって、アロンダイトの輝きが増してゆく。まともに食らったのなら、無事で済むはずがない。

 

 ランスロットは最速の妖精騎士。回避は無理だ。

 

 ならば正面から迎え撃つしかない。量産型聖剣では無理だ。以前模擬戦で試して、ダメだった。

 

 ここで抜くことは、後々不利に響くことが分かっているが、他に選択肢もない。

 

 隠していた黄金を解き放つ。女王すらも知らない、私の妖精法則。その一つ。

 

 背後の空間が波打って、中から隠されていたエクスカリバーを引き抜き構える。

 

 鋒の向いた聖剣にランスロットは怪訝そうな顔。それはそれまで

 

「それが君の切り札? まあ、なんだっていい。ここで君は僕に敗れるのだから! 真名、偽装展開。清廉たる湖面、月光を返す。──沈め、 『今は知らず、無垢なる湖光(イノセンス・アロンダイト)』!」

 

 展開されるアロンダイトの二刀流。その二つの鋒は私とマーリン、その両方を正確に貫く軌道。

 

 一か八か。聖剣に魔力を流し込む。

 

 けれど一度だけ輝いて、何も起こらなかった。

 

 ——否決。これは聖剣を振るうに能わず。

 

 知らない声が頭の中に響いた。

 

 聖剣は応えてくれなかった。ただそれだけ。

 

 間抜けに振りかぶる動作は空回りして、もうどうしようもない隙を生み出す。

 

「覚悟!」

 

 アロンダイトが私の身を割いた。流麗な一撃は、容易く私を二つに両断して転がる。近くに同じようになったマーリンが落下した。

 

「こんなことになってしまって、残念だよ仮面卿。否、モードレッド……。——⁉︎」

 

 一度は好意を抱いた相手。せめて安らかに埋葬してやろうとモードレッドだったものを拾い上げたランスロットは息を飲む。

 

 それはただの花の束だった。自分は確かに斬った相手を拾い上げたはず。しかしそこには、色とりどりの花があるだけ。

 

 やられたと、ランスロットは自分がいつの間にか、幻惑の魔術の、その術中にいたことを今更自覚した。

 

 周囲を見渡しても、どこにもモードレッドとマーリンはいない。二人は最強の妖精騎士から、命からがら逃げおおせたのだった。

 

 拾い上げた花を捨てて、ランスロットは穴の空いた城壁、その向こうに目を向けた。

 

「よくやるよ。いいさ、次は逃さない。君がここに来ることは分かっているんだ。なら、僕は君を待ち構え、今度こそ捕まえてみせよう」

 

 ——もう、君は僕のものだ。

 

 避けられない運命が一つ、また積み重なっていく。

 

 

 

 ●

 

 

 

 キャメロットから脱出した後、私はマーリンを連れて、郊外にある誰も知らない拠点の一つに身を寄せた。

 

 傷ついたマーリンをベッドに寝かせ様子を見る。

 

「……ひどい傷だ。これはもう……」

 

 既に虫の息の身で、ランスロットを騙しきる大規模な魔術の行使は、引き返せない度合いでマーリンを衰弱させていた。

 

 それがなければ、まだ一命を取り留める可能性があったのかもしれない。

 

 私のせいだ。あの時、私が聖剣を使えていたのなら、マーリンは魔術を使う必要はなかった。

 

 私が殺してしまったようなものだ。

 

「気にすることはないよモードレッド。これは私が望んでやったことだ」

 

 意識を朦朧とさせながら、マーリンは何とか言葉を紡いでいく。

 

 酷く弱っているくせに、心配をかけまいという声色。らしくもない彼女の振る舞いは、それだけ後がないことを示していた。

 

「申し訳ないのだけれど、どうやら私はここまでみたいだ」

 

「マーリンすまない、私のせいで君は……」

 

「おおっと、それ以上は言いっこなしだ。私は自ら君に協力をすることを決めて、こう言う結末も、まあ、織り込み済みではあったよ」

 

 それ以上言うことは無粋だと、マーリンのか細い白魚のような指が私の唇を塞いだ。

 

「大丈夫、またきっと会えるよ。次の私がきっと君の力になる。それはきっとだ」

 

 花の魔術師はでも、と名残惜しそうに呟く。

 

「でも。叶うのなら、君の道行を見守る役目は、今の私がやりたかった。それだけは少しだけ心残りかな」

 

「ありがとうマーリン。これまでやって来れたのは君のおかげだ。大丈夫、きっと次こそは上手くやってみせる」

 

 ハッタリだ。何故使えなかったのかも、どうやったら聖剣を使えるのかも、私には分からない。

 

 それでも去りゆく友人にせめて心配をさせまいと、そんな言葉をかけた。

 

 それを当然分かっていて、マーリンは苦笑する。

 

「はははっ、それは楽しみだ。君は自信がないかもしれないけど、安心していい。いつだって最後に勝つのは、愛と勇気って相場が決まっている。君は君の女王様を救える。今までたくさんの人の物語を見てきたマーリンお姉さんが言うんだ、間違いない」

 

 もう、お別れの時間。

 

「君の道行に、花の祝福が溢れんことを」

 

 それが私の友人の最後の言葉だった。

 

 妖精の体は崩れ、後に残ったのは溢れんばかりの花束。

 

 私の友人の祝福に満ち溢れた遺言は、どこまでも鮮やかに、私を濡らしていた。



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