異世界ライフは魔女と共に~魔女の嫁として送る、久遠のTS百合生活~ (オサカナ)
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1章
1話 新しい人生


 僕……高崎蓮(たかさきれん)はとある地方都市の公立高校に通う十七歳の男子高校生だった。

 容姿も頭脳も普通、何かのめり込めることも、これといった特技もなく自分を代わり映えのない人間だと自覚していた。

 

 そしてこれまでもこれからも普通の人生を歩むと思っていた。

 

 

 そう思っていた……

 

 

 一瞬……本当に瞬きの間の出来事、しかし僕には数秒にも数十秒にも感じられる時間だった。

 

 いつものように学校を終え、季節がらそれなりに早い時間でもかなり薄暗くなってきた下校の途中、横断歩道で信号を待っていたところトラックが突っ込んできたのだ。

 

 そのほんの数秒前、向こうから一台だけ来るトラックの様子がおかしいと感じていた。速度の緩急があったり、ふらついた動きだったり、おそらく居眠りでもしていたのだろう。

 

 

 しかしそう感じてはいても、突然急カーブをしたその車体を当然避けられるわけもなく僕の体は宙を舞った。

 

 跳ねられた瞬間、自分の骨が割れる鈍い音をはっきりと耳にし、地面に叩きつけられた体から絨毯のように血が広がった。不思議と痛みはなく、意識ははっきりしていたが指先ひとつ動かせず、ただ横たわるのみだった。

 

 

 やがて冬のアスファルトの冷たさも感じなくなっていき、自分が死にゆくことを予感した。家族や友人、今までの人生がかすかに脳裏に浮かぶ。

 

 

 ……もうそのことを考える気力もなくなってきた。もやがかかったようだった視界が徐々に暗くなり、自分の体が浮いていく気がした。

 

 

 何か特別なことをしたわけでもない。ただ生きていただけの……僕の人生はここに終わった……はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 …………意識が……ある?

 いったい何があった? 僕は死んだのか? あれから助けられたのか、それとも……ここが死後の世界ってやつ?

 

 ともかく、ふと気がつくと自分に確かな身体の感触がある。

 多少混乱したが身体は動かせなかった。その代わり少しずつ視界が開けてきたので、僕はひとまず落ち着いて状況を観察することにした。

 

 

 薄暗い部屋、本のようなものがあちらこちらに散乱している。どうやら室内にいるらしい。

 少なくとも、病院というわけではないようだ。

 

「………?」

 

 ふと見ると部屋の中央で椅子に座り、読書をしている人物がいた。顔までは見えなかったがシルエットは女性であることがかろうじてわかる。

 その人物がこちらの様子に気づいたのか、読んでいた本を閉じこちらに近づいてきた。

 

「どうやら、お目覚めのようだね」

 

 その声は綺麗で、それ以上に何か安心できるような不思議な魅力を帯びた声だった。

 彼女が近づいてきたことでその容姿もはっきりと見えてくる。

 

 歳は二十歳そこそこくらいに見える、比較的長身でその顔立ちはかなりの美人ではあったが、どこか好奇心にあふれる子どものような印象を感じさせた。

 少しはねていて、軽く肩にかかるか、かからないかくらいのセミショートのきれいな金髪、透き通るような碧眼、すこしダボっとした服をきたその人物。

 予想はできていたが医者や看護師といった感じではない。

 

 それなのになぜだろうか? 

 この人に対し、警戒をするという気持ちにならないのは?

 

「じゃあさ……これは何本に見える?」

 

 その人物は指を三本立て、僕に問いかけてきた。

 一応、声は出せそう。状況はつかめないが、危険はなさそうだし……

 

「三本です…………え?」

 

 それを答え、自らの声が耳に入った瞬間、僕は気づいた。

 自分の声が全く違った、まるで女の子のような透明感のある高い声になっていたことに……

「うんうん、意識ははっきりしているようだね。問題なしっと」

 

 彼女はこの状況に納得するかのように、うなづくような動作をしている。

 ということは……この状況はこの人が作り出したってことか?

 

「まあ、色々戸惑うことはあるかもしれないけれどまず要点を話そうか。君には……これからこの世界で私と一緒に暮らしてもらう」

「はい?」

 

 この世界? 一緒に暮らす? 一体この人は何言ってるんだ……

 

 

「なーに言ってんだこの人、てか自分は死んだんじゃ?……みたいな顔してるね。ちゃんと説明はするから安心したまえ」

 

 その言葉に混乱をしていると、この人はずいぶんと気さくな口調で説明を始める。

 話を聞けばわかる、そう言うかのように。

 

「まず、君についてだが……君は一度死んだ、間違いなくね。私が殺したわけじゃないからその死因まではわからないけど、君はしっかりとその記憶があるはず……あるよね?」

「記憶……あっ……」

「ごめんごめん、つらいなら思い出す必要はないよ」

 

 あの瞬間を思い出す……轢かれたときの音、感触、痛み、全てが鮮明な記憶として残っている。

 やはり一度自分はその生涯を終えたのだと……

 

「生物の魂は通常その生物が死ぬと肉体を離れ、また違う生物に宿る。だが私は君が死んだ後すぐに魂をこの世界に引き寄せてその身体に入れた、というわけだ」

 

 その肉体? 他にも気になる言葉はあったがその言葉を聞き、先ほどの声の変化を思い出す。

 そして僕はある程度自由に動かせるようになった、自分自身を初めてこの目で見た。

 

「あれ? え?」

 

 簡素な服の上からわかるかすかに膨らんだ胸、かつての自分よりも細い手足、首筋にかかる感触のある長い髪……

 なんとなく予想はしていたが、これはやっぱり女の子の身体?

 

「まあまあ、落ち着いて。次にその身体についてだけど……まだ自己紹介をしていなかったね。私の名前はセシル・ラグレーン、ここで魔術を研究している者だよ」

「ちょ……ストップ!」

 

 淡々と説明をする彼女に僕はたまらず口を挟む。

 

「いやいや、待ってくださいよ。何で女の子の身体になってるんです? それに魔術って……そもそも、ここどこ?」

 

 ようやくこちらから意見できたので、ここぞとばかりに僕は矢継ぎ早に疑問をぶつけた。

 それを聞いた彼女は一瞬考え込むような動作の後……

 

「あ~そうか、なるほど。それより……君はもしかして男の子?」

「えっ? そう……ですけど」

「マジか……やらかしたかも。でもそれならそれでいいかな。とにかくこれから話すから続けるよ」

 

 なんだか、スルーされてしまったようだ。しかも向こうは納得しているようだった。

 その反応から察するに、女の子の身体になってるのは手違いがあったっぽい……

 

「まずその身体だけど、この近くのある場所に、腹部を刺されて倒れている少女がいた。その子は私が見つけたときにはすでに息絶えていて、蘇生は叶わなかったがその身体からは素晴らしい魔術の才能が感じられた」

 

 え……それって、つまり……

 

「私はずっと一人で研究をしていたが、その子を助手に欲しくなった。しかし、死んでしまっていてはどうしようもない。そこで私は別人の魂をその子に入れて助手にしようと思ったわけだ。魔術の才能は肉体に依存するものだからね。……ここまで話せばもう分かったと思うけど、それが君だよ」

「……!」

 

 その予感は的中した、やっぱりこの体ゾンビなの?

 

「ああ、大丈夫。肉体の損傷は私が完璧に治した。つまり、魂が入った今の君の肉体は生前と変わらず活動している。試しに自分の胸を触ってごらん」

 

 その言葉を聞き、僕はゆっくりと自分の胸に手を当てる。

 ふよふよとした柔らかい感触に一瞬戸惑ったが、心臓がトクントクンと確かな鼓動を刻んでいることを確認できた。

 

 それは今まで生死も曖昧だった自分が、生きているという安心感を感じさせるものだった。

 

「これで一通り説明は終わり。本題に入るけどさっきも言ったように君は私の助手になり、この世界で暮らしてもらう」

「う…………」

 

 僕はあまりに非現実的な話の連続に戸惑っていたが、この人が嘘を言っているようには感じなかった。

 それどころか……死んだと思ったらこんな場所にいきなりいたなんてもっと気が動転していてもおかしくないはずなのに、自分でも困惑するほどその説明を理解し、冷静に考えることができている。

 

 だけどその問いかけに返事をすることは出来ず黙っていると、彼女はどこからか手鏡を取り出し僕に渡した。

 

「試しに今の自分の顔でも見てみる?」

 

 そう言われ、手渡された鏡を覗き込むと……

 薄暗い照明の光に照らされる長い銀髪、滑らかで透き通るような白い肌、はっきりとした藍色の瞳、年は十六、七歳くらいだろうか……とても整った顔立ちをした少女がいた。

 予想以上にかわいい……文句なしの美少女だ。

 

「ね? かわいいでしょ? 君はどうせ一度死んだ身だし、儲けものだと思ってその美少女の身体で第二の人生を歩むってのも悪くないと思うけど?」

 

 確かにそれは一理ある。というか、また生きられるのなら普通に考えたらそれしかない。

 だが、ここまでの会話でほとんど乗せられるがままだった僕は、自分の意見を多少なりとも伝えたいという気持ちが沸いてきた。

 そうやって、少し嬉しそうに話す彼女に僕はある疑問をぶつける。

 

「もし……これで僕が断ったらどうするんです?」

「あ……うん……そうしたら残念だけど、君の魂には消えてもらい違う人のを呼ぶしかないね」

 

 その返事を聞いた僕にもう選択肢はなかった。そんな人生も悪くないと思ったし、この人も死体を蘇らせて自分の助手にするなんて危ない人かもしれないが悪い人という感じはしない。

 数秒考え……僕は覚悟を決めて口を開く。

 

「わかりました……あなたの言うとおりにします」

 

 それを聞いた彼女は笑顔を浮かべ僕に言った。

 

「よし……ならばその円を自分の足で越えてくれ。それを越えたとき君の魂は完全にその肉体に定着する」

 

 はじめて足元をまじまじと見ると床に直径一メートルほどの白い円が描かれ、僕を囲んでいるのに気づいた。これがこの人の言う円に違いない。 

 ふらつく足で立ち上がった僕はごくりとつばを飲み……ゆっくりとその円を越えた。

 

「──!」

 

 踏み越えた瞬間、ずしりとした感触を得た。

 そしてそれまでかすかに感じていた、ふわふわとしたイメージが一切無くなった。

 

 きっとこれが……魂が定着するということなのだろう。

 

「おめでとう。これで君はこの世界に生きることになったわけだ。わからないことも多いと思うけどこれから教えてあげるから」

 

 僕の手を握りそう言う彼女だが、僕は話の内容よりもその握ってきた手の感触に関心がいく。

 その白く綺麗な手の暖かさ、それを感じているこの肉体が、自分のものだということを実感する。

 

 

 こうして僕は女の子の身体での新しい人生を歩むことになった……きっとこれでよかったはずだ。

 



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2話 生きている証

「そういや、言い忘れてたけど君は私の魔術で歳を取らなくなってるから。きっと美人さんになるだろうけど、一緒に暮らすならかわいいままでいてほしいもんね」

 

 ……え? 今、大事なこと言わなかった?

 

「いやいや、待ってください。それってどういうことですか?」

「その言葉通りだよ、あくまで不老であって不死じゃないからそこんとこ注意ね。殺されなければ死なないぐらいの気持ちでいればいいよ。怪我とか病気なら私が治してあげるから」

 

 ……僕の質問はさも当然のことのように返された。

 

「それにすぐに気に入ると思うよ。別に今すぐ困るようなことはないし、私としてもそのままでいて欲しいしね」

 

 それはそうだがいきなり不老の体だと言われたら慌てるのは当然だ。でもこれはこれで……悪いことではない気がしてきた。

 いや待てよ、それならもしかして……

 

「もしかしてあなたも……そうなんですか?」

「おっ、察しがいいねえ。その通り、こうみえて私は人生経験豊富だよ~ぶっちゃけた話、三百歳ちょい。肉体的には見た目通りだから」

「おおぉぉ……」

 

 マジか~いやなんとなくそうじゃないかと、察してはいたけど。

 しかしこの人そんなことをあっさりするなんて、かなり凄い人なんじゃないだろうか……

 

「そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったね。教えてくれる?」

「高崎蓮です……」

「ん……やっぱりね、いい名前だね。レンくん、いやレンちゃんかな。これからよろしくね」

 

 そのまま呼ぶのか、確かに中性的な名前だと自覚していたが、少女の身体になった今そう呼ばれると少し変な感じだ。

 でも自分の名前が褒められたのは悪い気はしないかも。

 

「あなたのことはなんて呼べばいいですか?」

「私? 呼びやすいように呼んでくれればいいよ」

「……先生とか師匠とかですか?」

「一緒に暮らす人にそう呼ばれるのは、なんか違うな~私たち見た目的にはそんなに離れてないしね」

 

 自分で言うか……でも確かにその通りかな。せいぜい先輩と後輩くらいの感じか……

 

「普通にセシルさんでいいですか?」

「いいよ、じゃあそれでよろしく、レンちゃん!」

 

 名前を呼び合ったことで、距離が縮まった気がした。

 見上げた彼女の顔はそう呼ばれたことが嬉しかったのか笑っていた。

 

「ところで、レンちゃん。お腹すいてない?」

「……空いています」

 

 その言葉を聞いて自分の腹部を触る。

 今までそれどころではなかったけど、確かに空腹感を感じるな。

 

「まあ、そうだよね。身体を治すときにいろいろしたわけでついでに見たけど、お腹の中空っぽなんだもの。普段ちゃんと食べてなかったみたいだね。私もまだだし、せっかくだから一緒に食べようか」

 

 そういって僕の手を取ったセシルさんに連れられて、今までいた研究室らしき部屋の外に案内される。少し散らかっていたが、木造の建物自体は元の世界と変わりないものだった。

 

 少し視点が低く感じるのは、多分身長が縮んだからだろう。今は160いくか、いかないかくらいかな。そうするとセシルさんは170くらいありそうだ。

 

「そこに座って待っててね」

「わかりました」

 

 テーブルのある部屋に案内された僕はいつのまにかローブから普段着と思われる服に着替え、エプロンをしたセシルさんが料理を作るのを待つことにした。……はずだったが僕の目はキッチンに釘付けになった。

 かつてテレビで見たような料理人を上回る包丁さばき、素人目にも分かる全く無駄のない動き、驚くほどの手際の良さだった。

 

 

 少ししてテーブルに並べられた料理は、コンソメのような色合いのスープ、レタスに似た野菜を中心としたサラダ、キノコが入ったパスタだ。

 見た目にも彩りよく、ふんわりといい匂いがしてとてもおいしそうだ。

 

「さあ、召し上がれ」

「いただきます」

 

 スプーンとフォークを差し出され、僕はたまらずスープをひとすすりする。

 おいしい……驚くほどおいしい。様々な食材の複雑な旨味を感じ、一度だけ何かの記念で行ったことのある有名なレストランを思い出す。いやそれ以上かもしれない。

 みずみずしいサラダも少し固めに茹でられたパスタも絶品だった。身体の違いのせいかより味覚が鮮明になった気がする。

 

「どう? お口に合ったかな」

 

 セシルさんはフォークでパスタを巻きながら、僕に問いかける。

 

「はい、とてもおいしいです」

「それは良かった。よく噛んでゆっくり食べてね」

「あの……料理上手ですね」

「うん、まあね。食事は人の楽しみの一つだし。どうせならいいものにしたいからね」

 

 そう語るセシルさんだが、僕は先ほどから気になっていたことを聞いてみた。

 

「そういえば、どうして僕を選んだんですか」

「ん~いや、君を選んだというわけじゃない。いくつかの世界から条件を決めて、ある程度しぼってから無造作に選んだ」

「そうなんですか?」

「うん。その条件の中に性別は入れ忘れていたけど……かえってよかったと思っているよ。そのうち詳しく話してあげる。とりあえずさあ……悪いんだけど、一人称は僕のままでいてくれない?」

「はあ……」

 

 つまりこの人はドジで男である僕を選んだの? しかもボクっ子好き?

 

「じゃあ……人前でないなら、セシルさんに対してはそうします」

「ありがとね、やっぱり男の子でよかった~」

 

 今までも身内には僕で通してきたし、これから一緒に住むんだからその方が気楽かな。

 

 もうあまり頭が回らないし、考えてもしょうがないので、食事に専念することにした。

 それから少しして完食、量はそれほどでもないが胃が縮んでいたのか十分満腹になった。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま、レンちゃんも食べ終わったなら一緒にお風呂入ろうか」

 

 え、お風呂もあるの? しかも一緒に?

 

 

 ◆◆◆           ◆◆◆

 

 

 案内された浴場は予想よりも広く、そして綺麗だった。しかもシャンプーや石鹸まで平然とある。

 そして僕は今、女の子になった髪と身体をセシルさんに洗ってもらっている。お風呂場で他人に洗ってもらうなんて、いったいいつ以来だろう……

 

「そんな感じで洗うんですね」

「女の子の髪や肌はデリケートだからね~やさしく洗わないと。あと、髪は普通に伸びるから、切ってほしいときは私に言ってね」

 

 丁寧に洗われているけど……ほんと綺麗な髪だな。背中にややかかるくらいのロングの長さで、男の頃の自分とは比べ物にならないほどサラサラで艶やか、輝くような銀色をしている。

 まだあまり自分のものである実感が薄いが、せっかくだから大切にしようと思う。

 

 

「ふう~~」

 

 洗い終わって、髪を纏めてもらった僕は湯船に浸かった。熱すぎず、ぬるすぎずちょうど良い、思わず声が出てしまった。

 一息つき、お湯の中で自分の体を改めて観察する。

 

 敏感な肌とお湯の感触が胸の膨らみ、そして背中から女性特有の流線型の身体のラインを感じさせて……やはりもう男の身体ではないのだと、否が応でも実感させられる。

 

 胸は全くというほどではないが……平均くらいで、ある方ではないといったところか。少し残念。

 対してセシルさんは服の上からは分かりにくかったが、かなりのスタイルの良さだ。今は同性と割りきってお風呂に入っているとはいえ、少しドキドキする。

 

 しかし多少は自分の理想とは違うとはいえ、十分に美しいと言えるであろうこの肢体を見放題、触り放題というのが男として嬉しいことには変わりないかな。

 

 

「…………」

 

 しばらく浸かっていると、少し離れた位置にいたセシルさんがジリジリと少しずつ近づいてきた。

 それはまるで獲物を狙っている動物かのように……

 

「やっぱり綺麗な肌だよね~白くてすべすべで~」

「ちょ、ちょっと……」

 

 少したじろいだ僕であったが、何もできずそのままピッタリと横に身体を付けられる。

 そうして、僕の手をそっと握ってセシルさんは静かに口を開いた。

 

「レンちゃん、君は今日いろいろなことがあった。何かの要因で死んで知らない場所にいて、しかも違う身体になっていた。もしかするとまだ生きている実感が薄いかも知れない」

「…………」

「でも君はさっきおいしいと感じ、湯船に浸かりあたたかいと感じ、今触れ合って感じている。何かを感じるということ、それが生きているってことだよ」

「セシルさん」

 

 その言葉を聞き、僕は少し顔を赤くなったのを感じた。

 ようやく引き離してくれたセシルさんは笑って言った。

 

「けど私が言っても説得力ないかもね、そもそも私が呼んだんだし」

「はは……」

 

 

 

 お風呂から出た後はもらった布で身体を拭く。薄いが不思議と吸水力はあり、髪もすぐに乾いた。これも魔術によるものなのだろう。

 

 そしていつの間にか下着とパジャマが用意してありサイズはピッタリだった。

 女性物の下着は自分から着るのは少し抵抗があったが、着てみたら肌にフィットする感覚が案外いい感じだ。自分に元々その気があったのか、精神も少し体に引っ張られているのか、後者であってほしい……

 

「大丈夫? 自分で着れた?」

「はい、ちょっと苦戦しましたが何とか……」

「うんうん、よく似合っているよ。今日は時間も遅いしゆっくり休むといい。明日から改めてよろしくね」

 

 あまり時間の感覚がなかったがもう夜中らしい、寝室の場所を教えてもらい向かおうとしたところ……

 

「ああ、忘れてた。ちゃんと歯磨いてね。やり方はわかるよね」

「は、はい……」

 

 歯ブラシとコップ、無地の容器に入った歯磨き粉を手渡された。こういうのはちゃんとあるんだな……

 

 

 

 歯も磨き終え、改めて寝室に向かう。他にこの家に何があるのか、少し気になりはしたが眠かったのであまり聞く気にならなかった。

 

「……へえ」

 

 部屋はきれいに片付いており、ベッドは思っていたりよりフカフカで上等なものだった。ともかく横たわり、これまでじっくりとは観察していなかった自分の手を見つめる。

 今朝までとは違う小さい手……元の世界でのことを思い出す。

 

 朝起きたときはあれがあの部屋での最後の目覚めになるとは思わなかった。いつもの何気ない「行ってきます」の挨拶が母さんとの最後の会話になるなんて想像もしなかった。

 それに自分の死体はどうなったのか、家族や友人は悲しんでいるのか、そんな思いを巡らせていたら自分もいつの間にか涙があふれてきた。

 

 

 しかし今はこれが紛れもない現実だ。それに魔法の世界に憧れがなかったわけではない。

 セシルさんも凄くいい人みたいだし、これからも前を向いて生きていけばいい。

 

 そう納得すると急に睡魔が襲ってきた。今は不老の体みたいだが眠くなるのか、と……そんなことを思いながら僕の意識は急速に闇の中へ薄れていった。

 



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3話 初仕事

「う~ん……」

 

 ベッドの普段より柔らかい感触。それほど厚みはなく、軽いはずなのに十分な暖かさを持った布団。

 窓からの朝日に照らされ、いつもとは少し違った違和感を覚えながら僕はゆっくり目を開いた。

 

「…………あっ、今何時!?」

 

 数秒のまどろみの時間の後、あわてて飛び起き、周囲を確認する。

 

「ああ、そうだったんだ……」

 

 今、自分が置かれていた状況を思い出す。下校途中の交通事故で死んだ僕はこの世界に連れてこられ、魔術師を名乗る、え~と……そうセシルさんに魂を別の体に入れられ、この世界で生きることになった。

 ベッドに腰かけたまま、自分の手を見つめながら、何度か握りしめ自分の体であることを確認する。しっかりと動く、間違いない、僕の身体だ。

 

 そしてさっきまで寝ていたベッドがなんだかほんのりいい匂いだ……これが女の子の匂い……

 

「そういえば昨日は……んんんっ──!」

 

 ふと昨晩あったこと、それを思い出そうと記憶をたどった僕は……浴室での出来事を思い出し、思わず両手を顔で押さえた。

 布団から出ると空気はやや肌寒いというのに、身体が火照り、顔が赤くなっていくのを実感する。

 

 もう自分の身体とはいえ初めてまじまじと女性の身体を見たというのに、どうして昨日はあんなに冷静でいれたんだ?

 それどころか他の女性とお風呂に入って髪や身体を洗われて……後ろからあんなことまでされて、本当に何だったんだろうか。もしかして……軽く気づかないくらいに精神をいじられていたとか?

 

「まあ……いいや」

 

 多分そんなところだろうが、ここで止まって考えても仕方ないので、とりあえず部屋を出て洗面台で顔を洗うことにした。

 スリッパを履いて部屋を出て、慣れないお屋敷の道を思い出しながら洗面台にたどり着き、鏡を見ると眠たそうな目をした少女が映っていた。

 

 しかし……昨日は驚きの方が大きく、そこまで気にする余裕がなかったが、明るいところで見るとやっぱり相当な美少女だ。誰からも好かれそうな印象を感じられ、寝起きですっぴんだというのに、どんなアイドルよりも可愛く見える。

 ゆっくりと胸に手を当てると、やっぱり程よい柔らかさと弾力、そして触られる感触を得た。

 正直言って、少し気持ちいい。女の子の身体……やっぱりいいな。

 

 それにこの身体は不老で、その上すごい魔術の才能が有ると言っていたよな……

 

「ふふっ……」

 

 これからの生活のことを考え、自然と少し笑みがこぼれた。鏡の中の少女もそれに合わせてかすかに可愛らしい笑顔を浮かべる。

 決して生前が充実していなかったわけではないが、きっとここでの生活はそれより楽しいものに……生きがいを感じられるものなるだろう。

 

 洗い終えて、置いてあった布で顔とちょっと濡れてしまった前髪を拭いていると、ほんのりいい匂いが漂ってきたので、寝ぐせを軽く手ぐしで整え、食卓のある部屋ヘ向かう。

 その際のサラサラとした感触でさえもすごく新鮮な感じだ。

 

「……えっと~」

「あっ、おはよう! レンちゃん」

「おはようございます、セシルさん」

 

 僕がゆっくりと中の様子をうかがいながらドアを開けると、セシルさんはキッチンに立って料理をしていた。

 朝食を作っているのだろう。相変わらず手際がよく、それに楽しそうだ。

 

「昨日はよく眠れたでしょ? 落ち着けるよう軽いおまじないしてあげたからね」

「はあ」

「丁度起こしに行こうと思ったところ、すぐ朝ごはんできるから座って待ってて」

 

 言われるがまま席に座り、数分後に運ばれた朝食はパンを中心として、目玉焼きやサラダといったオーソドックスなものだった。

 僕はあまり朝食を重視する方ではなく、食べないこともよくあったが、そんなことを忘れさせてしまうぐらいおいしそうだ。

 

 まずバターを付けた焼きたてのパンを一口頬張ると、香ばしい香りが鼻を抜け、皮はザクっと中はふわふわの感触、そして小麦の味が口の中に広がった。やっぱり……本当においしい。

 想像以上においしかったパンをもぐもぐと味わい、噛み締めながら、僕は上機嫌そうなセシルさんに質問をした。

 

「そういえば、助手っていっても僕は何を手伝えばいいんですか?」

「とりあえずはねぇ……今日やることは決まってる。ここのお掃除だよ」

「へ? そう……じ?」

 

 掃除……予想外の回答だった。

 

「いや~、一人だとなかなかやる気がでなくてね。それに新しい身体にも慣れてもらうため、ちょっとした肩慣らしだと思って」

 

 確かに散らかってはいるけど……な~んかイメージと違う……

 

 

 

 悶々とした気持ちを抱きながらも、僕は朝食をきれいに食べ終えた。昨日よりも多くの量をおいしく食べられたので、この身体は少食というわけではないらしい。

 見ているとセシルさんも結構食べる方みたいだ。

 

 その後は半ば強引に三角巾にエプロンといった服装に着替えさせられた。残っていた寝ぐせも不思議なくしで一瞬で直され、お団子にささっと纏められた。

 昨日の身体を拭いた布といい、妙に心地いい布団といいこっちには便利なものがあるなあ。髪が長いと手入れなど面倒ではないかと思っていたが、その心配はなさそうだ。

 

「じゃあまずこの部屋からお願いするね。何か気になることがあったら聞いてね」

「了解です」

 

 言われたように黙々と部屋に散らばる本の整理をする。こういう作業は嫌いではない。

 少し気になって本を開くとはじめて見る文字が並んでいるというのに読むことができた。不思議な感覚だったが、よくよく考えてみたら普通に会話もできているのだからこれも魔術によるものなのだろう。

 きっと僕が考えてもわからないだろうし、深く考えないでいいや。

 

 

「よっこらしょっと……」

 

 こうやって何かを持つと以前よりも少し重い気がする。少女の身体になったことが原因に違いない。こればっかりは仕方ないか。

 

 そうして大体の本の整理も終わり、床や机を拭いていると……

 

「……ん?」

 

 本に埋もれていたらしい、美しい結晶のようなものが入った小さなビンがあった。

 上手く説明できないが、一目見た瞬間この世のものではないような何かを感じたので、隣の部屋を掃除しているセシルさんに渡しに向かう。

 

「セシルさ~ん」

 

 そうっと部屋に入ると、セシルさんは本を積んだまま座って読んでいた。

 ……これでは片付かないのも納得。

 

「あ、あの~」

「!? な……なに?」

 

 そんなに驚かなくても……

 

「これ、落ちてたんですが」

「え!? これ見つけてくれたの? ありがとね!」

 

 予想外の反応。長年無くしていたものが見つかったように、目を輝かせてとても喜んでいる。なんだか大切なものだったようだ。

 渡したのならもう僕がここにいても時間の無駄だろう。気を取り直して掃除を続けることにした。

 

 しかしなあ……なかなか広い家だ、セシルさんお金持ちなんだなあ。こうして掃除をしていると家政婦にでもなった気分だよ。

 

 

 そうして床の雑巾がけも済ませ、すべて終わったときには時計の針は一時を指そうとしていた。

 

「ようやく一段落したしたようだね、お疲れ様」

 

 僕はセシルさんの差し出した飲み物を受け取る。氷入りのグラスに入った、それはよく冷えていて麦茶に似た味がする。疲れた体に染みわたるようでとてもおいしい。

 

「お昼を食べたら、散歩がてら街へ出ようか。この世界のことも教えてあげるよ」

 

 そういえばここは昨日までいた世界とは違う、いわゆる異世界だった。少し忘れかけていたよ。この家ずいぶん現代的だし……

 思えば掃除した部屋は窓がない部屋だったし、起きた後、寝室から外を眺めたりもしてない。ちらりと見えたのは塀ぐらいだった。

 僕はまだこの家の外がどうなっているのかを知らないのだ。

 

 考えるほどに混乱してきた……とりあえずお腹すいたし、お昼にしてもらおう。

 

 

「はい、どうぞ」 

「いただきます……」

「おや、どうかした? 嫌いなものでも入ってる? それともライスがよかった?」

「ああ……大丈夫です。何でもないですよ」

 

 昼食はパンと野菜やお肉がじっくり煮込まれたシチューだった。それを見た僕は口に運ぶ前に、無意識に動きを止めていた。

 それに気にとめたのか、セシルさんは言葉をかけてくれた。よく人を見ているものだ。

 

 シチューを食べながら僕は自分の心が浮き足立っているのを感じた。何だか子どものころおもちゃ屋に連れて行ってもらう前……そんな気分を思い出す。

 思い返せば母さんの得意料理もシチューだった。きっとさっきはそれが頭によぎったのだろう。よく作ってくれたあれは……すごく優しい味だった。

 このシチューも文句なしだが、またあれも食べてみたいかも……今度自分で作ってみようかな。

 

「うんうん、おいしくできた。はやる気持ちはわかるけどゆっくり食べてね」

 

 そう言って嬉しそうに食べる姿を見つめてくるセシルさんを見て……僕はなんとなく昔の母さんの姿を思い出していた。

 



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4話 街並みと観光

「あっ……わああっ……」

 

 食べ終えた僕はこの世界に来て初めて家の外へと出た。そしてドアを開けた目の前に広がっていた光景は……見渡す限りの草原だった。

 それは写真やゲームなんかでしか見なかったような光景で……本当に現実であるのか一瞬不安になったものの、ポカポカと気持ちいい昼下がりの日差しに鼻をくすぐる草の香りは間違いなくその身に感じることができた。

 

 どうやらこの家は人々が住む町からやや離れた土地にあるらしい。家の周りを一回りすると、少し離れた位置に飼っているのであろう馬がつながれていたのも、ここが違う世界だと感じさせる要因になっている。

 

「ふふっ、ここに住んでる私は見慣れているけどレンちゃんにはなかなか新鮮な光景だよね」

 

 遅れて出てきたセシルさんは何やらバッグのようなものを持っている。これから街に行くわけだし、買い物でもするのかな?

 

「少し歩くから話しながら行こうか」

「いいですよ~」

 

 そういって僕たちは並んで、街路を歩き始めた。しかしこうしていると、セシルさん背高いし、脚もスラっとしてるなあ。見事にモデル体型って感じだ。

 

「じゃあ……まず聞きたいけど、レンちゃんはこの世界についてどう思った?」

 

 いや、どう思ったとか言われても……?

 

「そうですね。思ってたよりあんまり変わらないなあって……あれ、もしかして……ここも地球ってことですか?」

「うん! 正解! 鋭いね~」

 

 あ……適当に言ってみたけど望んでいた答えだったみたいだ。

 

「ここは別の世界ではあるけど、同じ惑星ってことは……」

「大体わかってきた? 時間の流れ、この惑星の外についてはどの世界も同じ。ここもレンちゃんが昨日まで生きていた世界も同じ時系列の上にいて、どの人々も同じ空を見ている。天気は違うだろうけどね」

「ふむふむ」

「早い話が……何らかのきっかけで枝分かれをした世界、並行世界というやつ。えっと、ずらずら説明しちゃったけど理解できるかな?」

「はいはい、わかります。大丈夫ですよ」

 

 それほど詳しいわけではなかったが漫画や小説などでその言葉は目にしたことがある。というかこの人も何で知ってんの? 

 そんな文明が進歩している世界のようにはちょっと思えないんだけど。

 

「そしてここが肝心なわけだが、この世界とレンちゃんのいた世界の一番大きな違いは……もう分かっていると思うが魔術というものあるという点だ」

「魔術……」

「そう、この世界の大気には魔力と呼ばれるものがありそれを利用する技術、それを総じて魔術と呼ぶ」

「なるほど……でもどうしてその魔力があるんですか?」

 

 それを聞いたセシルさんは突然歩みを止めた。あれ? もしかして意地悪な質問しちゃった?

 

「実はねぇ……私もよくわからない。長年調べていることなんだけどね。でもきっと何かがあるはずだ、人類が生まれる前にこの惑星に何か影響を与えたことが……そんなことを調べるということもロマンがあって楽しいことだよ」

「はあ……」

「もちろん、レンちゃんにも手伝ってもらうよ~」

 

 なんか誤魔化された感がある……本当に知らないみたいだし話題を変えよう。

 

「それじゃあ、モンスターみたいなのはいるんですか?」

「やっぱりそうきた? そうだね、少しはいる。たま~に生まれる魔力の影響を顕著に受けたりしたやつがそうだ。まあせいぜい他のより大きくなったり凶暴性が増したくらいで、寿命も短かったりするから大したことは無い」

「ふむ……」

「そういうの退治する人たちだったりいるし、レンちゃんの世界だってクマとかが人を襲ったりもそう珍しくないはずでしょ。あと他に分かりやすいので言ったら……魔術師が造る土人形くらいかな。竜みたいなのはお話の中だけだよ」

 

 そういう感じなのか。なんか平和そうで安心したような……少し残念なような……

 

 

 その他にもいくつか話しながら歩いていると、目的の街が見え始めた。歩き始めて大体三十分くらいだった。

 そしてその街並みはいくつも並んだ煉瓦作りの建物に石畳の道、馬車と思われるものの走っていて一見したイメージだと現代のものより少し遅れた印象を受ける。

 しかし活気はあり、住宅についても現代のものと遜色無いほど丈夫そうで、なによりも……とても清潔だった。

 

「どう? レンちゃんが考えていた光景と似るところがあったんじゃないかな」

「確かにそうかもしれないです。それにしてもすごく綺麗ですね」

「もう少し、汚れているものだと思ってた?」

「言いにくいですけど……はい」

「ふふ~ん、それについては結構私の功績でもあるんだよ」

 

 ……どういうこと? 不思議に思った僕が問いかけようとすると、それをかわすようにセシルさんは歩行を速め、入り口の門へと向かっていった。

 

「こんにちは、先生。お買い物ですか?」

「うん、それもあるけど……あの子にこの辺の案内をね」

「えっと……あちらの方は?」

「私の助手ですよ。最近、少し遠出したときに会った子です」

「ほう! あなたがわざわざ見込んだということはやっぱり優秀なんですね」

 

 なにやら門兵と思われる人と親しげに話している。思っていたより……街の人達と距離近いんだな。

 

「おまたせ。門兵さんにレンちゃんのことを紹介してきたから。あの人はここ長いから、聞けば大抵のこと答えてくれるよ」

「わざわざありがとうございます。セシルさん、ここの人達にすごく慕われているんですね」

「んん? 外れに住む魔女は他の人間が嫌いとか……そう考えていたとか?」

 

 図星だった……

 

「じゃあなぜわざわざ離れたところに住んでるんですか?」

「何か爆発したり、漏れちゃったりしたら迷惑かけるでしょ?」

「爆発……するんですか?」

「あくまで一つの例え。ちょっと危ないこともあるってだけ。気づいてなかったと思うけど、外出の際には人払いの結界を張ってあるから泥棒とかの心配もないよ」

「へえ……」

 

 

 その後は古書店や市場を回りながらこの世界のことを教えてもらった。この国は領土は小さいながらも最近は戦争もなく結構栄えている王国であること、魔術は日常に浸透した技術であり、学校などでも教えている学問の一つであることなど。

 それとさっきから気になっていることがある……

 

「そのバッグって……買ったもの全部入れてますけどどれだけ入るんですか?」

「これは中の空間を広げてあってね、無限とまではいかないが倉庫一つ分くらいの容量があり重さもそのまま。でもこれは他の人たちには内緒して……わかった?」

 

 なるほど……いかにもって感じの代物だ。確かにこの世界の文明とはつりあわないものだが……

 

 

 

「おや、お二人お帰りですか?」

「はい、いつもご苦労様です」

「レンさんでしたよね。これからここで困ったことがあれば、自分に聞いてください。そのためにいるようなものなので」

「……はい! ありがとうございます! こちらこそお願いします」

 

 やがて時間も忘れ、見慣れぬ周りのもの、優しい人々に触れ合いながら色々な場所を回っていると、日も暮れ始め僕たちは帰路へと着いた。

 元の世界よりずっと空気が澄んでおり、地平線に沈みかけている夕日が美しい。

 

「どうかな? レンちゃんはこの世界でやっていけそう?」

「はい、まあ……」

「そうか……でも人間すぐに慣れるものだ、何も心配することはないよ」

「そうですか」

 

 そうして語り合う内に今まで感じていた不安のいくつかが無くなった気がする。

 

「そういえば、今日話したことの他にも教えたいことはたくさんあるからね。また後でゆっくり話してあげるよ」

 

 そう言って夕日に照らされ振り向いた姿は……とても美しく、何より僕を気遣うような優しい口ぶりの中、セシルさん自身もこれからの二人の生活に心躍らせていることを感じさせた。

 



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5話 念願の魔術

「おはようございま~す」

「ああ、おはよっ。調子よさそうだね」

「はい」

  

 堂々とドアを開けて、当たり前のように挨拶を交わす。僕はこの世界に来て二回目の朝を迎えた。

 もう昨日のように戸惑ったりはしない。目覚めはとてもいいものだった。

 

 もう女の子の身体にも幾分か慣れ、昨晩はお風呂も一人で入ることができた。しかし……じっくりと見る自分の身体や顔、起きた時やふとした動作の際に感じるほんのりとした香り、いずれにも僕は心が動いてしまう。

 違和感こそ薄れてきたが、飽きてきたということはない。少し前の自分を考えたら別に変なことではないだろう。やっぱりこの身体はいいと、時が経っていくにつれその思いが強くなる。

 

「じゃあ、朝食作るの少し手伝ってくれる?」

「はいはい、了解です」

 

 

 そうして僕自身も少し作るのを手伝った朝食を食べ終え、食後のお茶を飲みながら語り合う。

 

「ところで……今日は何するんですか? まさかまた掃除じゃないですよね……」

「ん……いや、ちゃんと今日から魔術を教えてあげるよ」

「本当ですか!」

「やっぱ楽しみにしてたよね~すごく嬉しそう」

「あ……えへへ」

 

 

  ◆◆◆           ◆◆◆

 

 

「ここらでいいかな。人影もないしね」

 

 僕たちは今セシルさんの家から数キロほど離れた草原の外れにいる。どうやらあまり人目につかないところがいいらしい。

 当然車などはないからここまでは一緒に馬に乗せてもらってきたわけだが……その乗り心地は思ったより良く、草原を駆ける爽快感は今まで感じたことがないものだった。

 

「さてさて、じゃあこれをプレゼントするよ」

「これは……」 

 

 馬から降りた僕が周りをウロウロしていると、セシルさんは何やら片手で持てるくらいの大きさの杖のようなものを渡してきた。

 杖をプレゼントってことは……これってつまりあれだよね!

 

「これはねえ、簡単に言ってしまえば魔術を使うための道具だ。これ一本あればいろんなことができる、万能なやつだよ。別に杖である必要はないけれど、割と一般的な形だし、レンちゃんが一番イメージしやすいと思ってね……聞いてる?」

「あっ……はい」

 

 正直僕はセシルさんの説明もろくに耳に入らないほどに興奮していた。

 きっと男女問わず誰もが魔法を使ってみたいと、一度は思ってことがあるだろう。もちろん僕も例外ではない。そんな子どもの頃からの夢が叶うようなものだ、平常心でいることの方が難しいだろう。

 

「無理もないかな、とりあえず一緒にやってみようか。簡単だから肩の力を抜いて……そうそう」

 

 そう言ってセシルさんは後ろに立ち、杖を持つ僕の右手を優しく持って前へと突き出した。

 

「おお……おおお」

 

 ポウっと赤い光が杖の先から出たと思った瞬間、小さな火の玉のようなものが一直線に飛び小岩に命中した。

 思っていたよりもずいぶんとあっさりできた、というのがまず第一の印象だった。

 

「じゃ、もう一回。今度は感覚をちゃんと覚えてね」

「はい」

 

 言われるがままに続けてもう一発、同じような光が杖の先から放たれた。

 その際杖に何か力のようなものを帯び、それが流れ先端に集まったような、そんなイメージが浮かんだ。

 

「上手上手、大体これで分かったかな。様々な理論があるけどこうやって魔力を集中させる、その基本がこれだからそのイメージを忘れずにね。これができればこの世界にあるいろんな道具が使えるようになるから」

「そうなんですか……でも道具ってやっぱりないとダメなんですかね。さっきのを指先からそのままだしたりみたいにでみたりは……」

「私はそれくらいならできるよ。ほらっ」

 

 僕の質問に答えながら、セシルさんは親指と人差し指の指先をこねる動作のあと、先ほど僕が杖先から出したような光を弾くようにして飛ばした。

 ほとんどそちらの方向を見ていなかったというのに、その光は正確に小さな岩へと命中し、パチンという音とともに掻き消えていった。

 

「とまあ私はこうやってできるけど、これはかなり特別だと思って。普通はこんなことはできないよ」

「へえ……」

「魔力を扱うことはみんなできるけど、普通はさっきレンちゃんか感じたように流れをいじる……できて身体からそのままエネルギーとして出すってくらいが限界。さっきみたいにある程度の威力を持ったものを遠くに飛ばすのは才能がなきゃできない」

 

 ふむふむ、大体わかったけど……意外とそんなもんなのか。

 

「魔術師っていうのは魔力に関わる道具を作ったりしていって、人々の生活を良くしていく、そういう人たちだから。特別な人ってわけじゃないよ」

「要は研究者って感じですね」

「そうそう、そういうこと。厳密にいうと私はちょっと違うけど……それは置いといてさっきの感じであの辺の岩を狙って今度は一人でやってみて。間違っても私に当てないでね」

「大丈夫ですよ~」

 

 試しにもう一度先ほどのイメージを頭に浮かべ、杖を突き出してみるとちゃんと魔力の固まりが出た。

 例えるならば自転車や逆上がりのように身体にそのイメージが染み付いている感じだ。しかし、少し小さく形も完全な球状ではなかった、やはり先ほどのは補助があったからだろう。

 

「うんいい感じ。あとは何回も繰り返して慣れるしかないね」

 

 セシルさんは岩に腰掛け、例のバッグからスケッチブックを取り出し何か描いている。

 楽しそうな表情、その目線から恐らく僕を描いているんだろう。思えば今の自分は客観的に見れば草原で魔術の練習をする美少女、いい構図だろうけどそんなに堂々とやられたら少し恥ずかしいな……

 

 

 ともかくその後はアドバイスを受けながら何度も繰り返すうちに少しずつ上達していき、一時間後くらいには最初のものと遜色ないものがいくつも連続して出せるようになった。

 やっている最中は楽しくてあまり気にしていなかったが、元からある力を利用するので魔力切れとかそういうものはないらしい。その代わり毎回詳細なイメージが必要なので、なんというか……頭が疲れた。

 

「そろそろ疲れてきたでしょ、お弁当にしようか」

 

 最高のタイミングでそう切り出したセシルさんはすでにバッグからランチボックスと水筒を取り出し、シートを敷いて待っていた。

 お弁当は魚のフライと味付けした鳥肉それぞれを野菜と挟んだ二種類のサンドイッチだ。

 鳥肉は野鳥のものだろうか、少し歯ごたえがあったが味わい深い肉だった。

 

「どう、おいしい? 温かいお茶とデザートもあるからね」

「はい、ほんとおいしいですよ。で……どんなもんでした、僕の魔術は?」

「すっごく上手だったよ! やっぱりレンちゃんは才能はもちろんだけど、集中力がすごいね」

「そ、そうですか。こういうの憧れだったので、張り切っちゃったというか……」

「そういう気持ちは大事! もうこの分野については基本はほぼ大丈夫かな」

 

 少し練習しただけだがもうそのレベルなのか……この肉体の素質がそれだけ凄いってことかな。

 

「そもそも魔術の才能ってどんなものなんですかね?」

「ん~そういう決まりがあるものじゃないけど、一応私が考えてるのは二つ。一つは今のように魔力という力を扱う繊細さ、器用さって感じ。人間一人が扱える魔力量はあまり変わらないけど、それだけはどうしてもすごく差が出る上、努力してもどうしようもないから」

「なるほど、でもう一つは」

「もう一つは端的に言えばひらめきってやつ。魔力の関係する事象で、これをやればいいんじゃないかってのが自然と頭に浮かぶイメージかな。私もそうだけどこういうものが欲しいな、作りたいなってなったら、なんとなくでじゃあこれからかかればいいってのがわかるんだよね」

「ふうん……」

「レンちゃんはどちらの才能もすごいよ、私が保証してあげる。人に謙虚であることは大切かも知れないけど、自分が人とは違うことがあるっていうのをちゃんと認識しておくのはもっと大切だからね」

 

 自分に取り柄があまりなかっただけに、よくわからないけど心にとどめておくべき事柄だろう。

 

「才能があれば一通りの基本をマスターするのは早いから。そういえば以前、魔術の才能は肉体に依存するといったけど、血筋とかはあんまり関係が無いんだよ」

「へえ……」

「私の両親もそれほど腕があったわけではないし、その身体の元の持ち主もそうだったと思うよ。ただ残念ながら家庭の事情とかでちゃんと学校もいけず、しっかりと魔術も学べなかったんだろうね」

「何だかイメージと違いますね。もっと代々続いていくようなものだと」

「やっぱり?」

 

 んん? なんだその意味深な笑みは?

 

「とはいっても私たちの才能は多少特別とはいえ、決して唯一無二ってほどのものでもないよ。百年単位で世界全体を見渡せばチラホラはいるくらいのはず」

「まあ……僕たちがこうして会えているわけですしね」

「そうだね。才能や知識に経験、そして意欲、もちろん全部大事なことだけど……結局はそういった縁が一番大切だよね。素質を持って生まれてもそれが実る環境にいるか、そして何より会えるかっていったらまた違うから」

「縁……そうですね。僕もそう思います」

 

 

 

「それはそうと、もっとセシルさんのことについて教えてくださいよ。僕はそれが聞きたいです」

「いいよ、さて……どこから話そうかな。それじゃあ一昨日の夜、レンちゃんの世界から魂を呼んだところからにしようか」

 

 だいぶ予想外のところから話が始まったなあ……

 

「まず以前言った魂を選んだときの条件だが、その前に聞きたいけど君は前世では何歳だった?」

「えっと、十七歳でしたけど……」

 

 そういえば以前、僕をこの身体の中身として選んだときにいくつか条件を決めていたと言っていたな。

 

「そうだろう、一つ目の条件は大体そのぐらいの年齢であることだからね。赤ん坊や小さい子どもに来られても困るし、かといっておじさんおばさんとかに来られても私が嫌だから」

 

 嫌って……あなたはそれ以上の年齢のはずでしょうが! と心の中で僕は突っ込む。

 

「二つ目はそれなりに賢い、良識ある人間だったということだ。レンちゃんはそんなことないと思うかもしれないが、そう私が選んで実際選ばれた以上十分のはずだよ。要はあんまり勉強しない人や学ぶという意欲がない人、そして危険なこと考えてる根が悪人みたいな人では困るっていうこと」

 

 ちょっとピンとこないな……

 

「時間はあったから色々なことに手を出し覚えてきたとはいえ、私自身は魔術はともかく、他の学問に関しては凡才もいいとこだからね。足並みを揃えて、学んでいける人が欲しかったというのもあったかな」

「そうなんですか」

「そしてこの話で肝心なのが三つめだが……私が今まで訪れた世界の人間だということ。そうでなければ翻訳魔術が使えないしそもそも呼べないから」

「今まで訪れた世界?」

 

 薄々感づいていたが、やっぱりそうなのか?

 

「気づいた? ご想像の通り、実はねえ……私もこの世界の人間じゃないんだよ」

 



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6話 魔女の思い出

「え~そんなやっぱりな~みたいな顔しないで……せっかく満を持しての衝撃の事実なんだからもっと驚いてくれたっていいのに……」

「そんなこと言われても……」

 

 ちょっとリアクションに不満があるようだが、あれだけ怪しげな言動をしてればなんとなくわかるって……

 それともそれを承知した上でのリアクションを期待していた?

 

「まあいいや、本題に入ろうか。私は……こことは違う別の魔術のある世界で生まれた。せいぜい平民の中では割と裕福な方くらいだったけど、大きくなっていくにつれて魔術の腕前も上がっていった。そのうち自分で言うのも何だけど……歴史に名を残す天才とまで呼ばれた私は若くして国一番の魔術師とされるようになった」

 

そうしてセシルさんは思い出を語るように話し始めた。

 

「既存の魔術は大体極め、色々と研究をしたかったが周りの環境がそれを許さなかった。小国で人手が無かったていうのもあって若かった私も政治的な職にも就いていた……就かされてたし、魔術の講師の仕事なんかも忙しかったからね」

「大変そうですね」

「それで、ど~しても休みが欲しくて……忘れもしないある日、依頼された講義を適当に嘘の理由作って断り、森で一人フィールドワークをしているときだった……」

 

 いやいや、それはだめでしょ!

 

「久々に夢中になって下ばかり見ていたら……ふと気づくと全く見知らぬ土地に来ていることに気づいた。以前にも何度かその森には訪れたことがあったから迷うことはないはずなのに、進めど進めど見慣れぬ景色。周囲の状況を把握するための魔術を使おうにしても、何故かほとんどが上手く使えない。このときは焦ったねえ」

「ほうほう」

「とりあえず森を出ることに専念した。日が暮れるころ何とか近くの村を見つけたが、そこで出会った村人とは言葉が通じなかった。そこでようやく察したね、自分が違う世界に来てしまったということを」

 

 そういった類の魔術とかあるのかと思ってたけど、単なる偶然によるものなのか……

 

「何とか身ぶり手振りで意志疎通を図り、ある家に泊まらせてもらったが……もしレンちゃんが言葉も通じない、自分の技術も使えない環境に置かれてしまったらどうする?」

「僕だったら……絶望しますよ」

「まあそれが自然な反応だよね。でも私はその時……物凄く喜んだ、未知の世界で新たな知識を得ることができる事が嬉しくてたまらなかったのさ。あの夜のワクワクは結構長い私の人生でも一番のものだったよ……」

「変わってますね~」

 

 うん……なんていうか……この人にどこか子どものような雰囲気を感じた理由が分かった気がする。

 

 

「それから数日もすればなんとなく言葉も理解できてきたので、その世界について調べることにした。魔術が使えなかったのは魔力の性質による違いだとわかり、道具を工夫するうちに元の世界での知識も加え様々なことが出来るようになった。不老になる魔術を見つけたのはそれから一、二年くらいしたころかな、あれはかなり偶然の産物だった」

「そういえば、この国の人たちは年取らないことを怪しまないんですか?」

「それについては心配いらないよ。レンちゃんの世界と違って、魔力の影響から年をとってもあまり見た目が変わらない人が結構いるからね。何より一つの場所にそれほど長く留まり続けるつもりはないから大体はバレないよ。何か言われたら、見た目若いってよく言われますって流しておけば大丈夫!」

 

 ふむ、そうなのか。確かに見た目が若い人が多い気がしていたけど、まあ多少は人体にも影響はあるのだろう。

 

「その後、それに加え私が世界を超えたあの森も研究して、そういった場所を利用し今のように世界を渡る術も手に入れた。その森はよく人が消える危険地帯みたいな扱いだったけど、世界中探せば結構そういう場所はあるんだよ」

 

 なるほど、いわゆる神隠しとかもそのような場所に迷い込んだということなのだろうか。いや、待てよ……

 

「僕を元の世界に戻してもらうことは……できませんかね?」

「ん~残念ながら……ある程度近い世界ならともかく完全に狙った移動はまだ不可能、並行世界は無限にあるわけだし。でもこれはまだまだなわけだから、いつか出来るようにしたいと思う。時間はたくさんあるからね」

 

 ダメ元で聞いてみたがやはり無理か、まあここも居心地いいし別にいいんだけど。

 

「話を続けるけど、その後私はいくつかの世界を渡り、魔力の性質が世界によって違うことがあることを知った。恐らくそれも何かのきっかけによるものだろうが、当然魔術も違うものになるし文明も生態系も変わってくる」

「ふむ、それはなんとなくわかります」

「そこからまた新しい知識を得て、また違う世界へ行き……とやってきたわけだよ。私がこの世界ではとてもじゃないけど無理であろう技術を持ってるのをちょっと不自然に思ってたでしょ」

「ああ……そのバッグとかですか」

 

 そちらにちらりと目線を送ると、セシルさんはそうと頷いた。

 

「そうそう、こういうのができるのはそれのおかげ。いくら私でも三百年やそこら一人で普通にやってても、ここまではとても無理。人間一人ができることなんて、どんな天才でもたかが知れてる」

「はあ……」

「でも他の世界の技術を知って、使えるのなら話は別。文明のブレイクスルーっていうの? それを起こしまくってきたってわけ」

 

 さっきから目が輝いているよ……よっぽど楽しかったんだな。

 

「そして魔力の性質の違いはその起源を解き明かす手がかりにもなるわけだから、私はこれまで訪れた世界の魔力を結晶にして保存していた。そうしておけばその世界に存在しない魔術を使うなんてこともできる。しかし最近一つ無くしてしまっていて焦っていたんだけど、それは君が見つけてくれた。感謝してるよ」

 

 何のことかと一瞬考えたが、昨日の掃除で出てきた結晶のことだろう。そんな大切なものを本に埋もれさせてしまうなんて……

 

「あとその中で魔力が全くといっていいほど存在しない世界もあった。そういった世界は大抵代わりに科学技術が発達しており、文明のレベルは魔術を主とした世界よりもずっと高かった。人間、下手に便利な力を持たないほうがいいのではないかと考えさせられたね」

「そんなものなんですね」

「そこでも私は様々なことを学んだわけだけど、その生活が実に快適でね。今でも私の中の基準となってしまっているよ」

 

 恐らく僕がいた世界もその一つだろう。清潔なお風呂にトイレ、その他の生活レベルの高さの理由が分かった気がする、確かにあの生活に慣れてしまったら抜けるのは難しい。

 そういえば初対面のとき僕が魔術を知らないことを普通に流していたが、そこから来たと察したということか。

 

「そしてこの世界に来てからだが、以前私はこの国の宮廷魔術師をやっていた。その際、都市の構造について考案したり、技術をいろいろ提供したりしてあげたんだ。特に衛生環境には気を使ったよ。もちろんこの世界の文明に影響がないレベルでね」

「なるほど、だからあんなにきれいな街並みだったんですね。今もそうなんですか?」

「実は……いろいろあって辞めさせられちゃった。今でもある程度のコネは持っているし、仕事も回してもらってるから、肩書が外れただけみたいなもので別にお金に困っているとかはないよ。他にもいろいろやってるしね」

 

 ええ……それだけの功績があったのに、いったい何をやらかしたんだこの人は……

 

「これで話は終わり。まあ色々あった人生だけど、かえっていつも新鮮な気持ちでいられたよ。人生楽しむには知的好奇心、学び知る喜びが大事ってことだね」

 

 ここまで人の話に聞き入ってしまったのは初めてな気がする。何かそんな人生憧れるな……

 

「さて、お昼も食べたことだし練習を続けようか。今度は他の魔術を教えてあげるよ」

「はい!」

 



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7話 依頼と体験

 この世界に来てから一ヶ月ほど経った。魔術は基礎的なものは大体習得し、応用的なものを教えてもらっている。

 セシルさんは想像以上の飲み込みの速さだと驚いていた、元の体の持ち主に感謝だね。

 

 また、この世界の法律や歴史、一般常識などの他に科学の知識なども教えてもらっている。セシルさんの教え方が上手なおかげか、自分が興味を持てるせいだろうか、学校で習っていたときよりすんなり覚えることができた。

 やればやるほど上達する魔術もそうだが、勉強についても学ぶことがこれほど楽しいと思ったことはなかっただろう。正直言って学校に通っていたときよりも遥かに勉強している。

 

 それだけではない。この家には多くの本、魔術についての本や小説なんかはもちろん、少し古い絵柄だったりするが漫画すらたくさんある。何より驚いたのは、かなりレトロなやつとはいえ携帯ゲームもあったことだ。

 聞いてみると他の世界から持ち込んだものらしい。洗濯機や冷蔵庫もそんな感じでちゃんとあるので、とても快適な生活だ。

 

 もちろん魔術師の助手として研究の手伝いなどもして、毎日が刺激ある退屈しない毎日を送っていた。

 

 そんなある日のこと……

 

 

「あれ何ですか?」

 

 夕飯の食材のお使いから帰ってくると部屋の隅に見慣れない物が合った。大きな箱にたくさんの尖ったものが刺さっている

 あれは……剣だろうか? 見た感じ百本近くありそうだ。

 

「ん、あれ? さっきこの国の王宮の人が来て兵士が使う剣の魔力付与を依頼されたんだ。まあ、年一くらいであることだよ」

「国からの直々の依頼ってことですか。さすがですね。でも結構多いですが……」

「そうだね、確かに多いかも。今年は新人さんが多いって聞いたから……そうだ、レンちゃんも手伝ってよ。二人でやれば早く終わるし、レンちゃんなら私と遜色ないものができるよ。大丈夫だって!」

「え~ホントですか?」

 

 

 そうして夕食を終えて、いつもの研究室の一つに連れられた僕はやり方を教えてもらうことになったわけだが……本物の剣に触るなんて初めてだから、やっぱり緊張するな。

 

「最初は柄から……均等になるように……そうそう」

 

 魔力付与に使うという手袋型の道具を着けて、言われるがまま作業を行う。魔力を帯びた場所は淡い光を放ち、なんとも神秘的な雰囲気だ。

 それにやっていくうちにここはもう十分か、ここはまだ足りていないか、といったことがなんとなく分かってきた。これもこの身体の才能のおかげなのだろうか。

 

「よし、オッケー。すごくいいと思うよ」

「ありがとうございます」

 

 なんとか一本目ができた。まじまじと見つめてみると、やはり実物の剣は迫力が違うな。

 

「この調子でお願いね。終わった剣は鞘に収めてあの箱に、上手くいかなかったらこの布で拭けばやり直せるから。あと、手を切らないようにね」

 

 そう言ってセシルさんは剣のいくらかを僕に渡し自室へと戻っていった。

 

 

 

「ふう……」

 

 いったん椅子から立った僕は大きく背伸びをして、身体のこりをほぐすように背をそらす。

 なかなか神経を使う作業だ。やり直しができるといっても結構疲れるな。

 

「さぁて、続き続き」

 

 再び、椅子へと座り作業を再開した。残りを見ると半分ほどだ。

 要領もわかってきたし……頑張るぞっ!

 

 

 

「よし……これで最後だ」

 

 最後の一本を終えた僕は、首だけを後ろに向けて時計を見る。始めてから実に三時間程経っていた。

 それほど長く感じなかったのはやはり作業に集中していたからだろう。実際に楽しかったし。

 

「しかし、この剣やっぱり本物なんだな……」

 

 机に乗っていた最後の剣を右手に持ち、その重さを再確認する。始める前に想像していたよりは重い、しかし手に吸い付くような握り心地があり、あまり力のない今の僕でも問題なく振り回せそうなのは魔力付与の効果だろう。

 

「むむ……よっと」

 

 本物の剣なんてものを持ったせいか、男心がくすぐられた僕はちょっと試してみるつもりで剣を両手で持ち軽く構えてみようとした。

 したのだが……

 

「あ、やばいっ!」

 

 カチャンという音が静かな部屋に響きわたる。

 持ち上げた剣の先端が机の上の小さな棚に置いてあったビンに当たり、中の液体をこぼしてしまったのだ。

 

「わわわ……」

 

 すぐに元に戻したのでこぼれたのはほんの少しだけ、見た感じでは分からない量で済んだ。

 だけど……肝心の剣についてしまった。

 

 きっとこのまま黙っていても誤魔化せるくらいの量。それに打ち明けた場合、もしかしたら……怒られるかもしれない。

 どうするべきか……

 

 後になって思えばなんて愚かだったんだと悔やんでしまいたくなるが、このとき僕は打ち明けるべきか黙っているかとにかく本気で悩んでいた。

 

 

「そろそろ終わったかな~」

「あっ!」

 

 自分の分を終えたのであろうセシルさんがドアをノックして入ってきた。その手には二つのカップが乗ったお盆を持っている。

 やはり……隠し事はよくないだろう。僕は覚悟を決めることにした。

 

「ん? どうかした?」

「あの……ごめんなさい! えっと……そこの棚の上にあった薬、僕がこぼしてしまいました……」

「…………」

 

 一瞬の間、故意ではないとはいえ自分が悪いのだから叱られることを考えた。しかし……

 

「いや別にいいよ。完成品を置きっぱなしにしていた私も悪かったんだし」

「え、でも……」

「いやいや、ちゃんと正直に言ってくれたからね。恐らく黙っていても隠し通せただろうに、わざわざ言ってくれたということは私を信用してくれているということ……でしょ?」

「セシルさん……」

「何だか子どもに言ってるみたいになっちゃったね。まあ危ないものはちゃんと別に保管してるとはいえ、今後も何かあったら報告してね。とりあえずお疲れ様」

 

 セシルさんはそう言って優しい笑みとともに温かいココアの入ったカップを僕に差し出した。

 甘いいい香りが落ち着いた気分にしてくれる。

 

「おいしい……」

「よかった。一仕事終えて、疲れたときは甘いものが一番。こんな少し遅い時間に飲むってのも、またおしいんだよね」

「ですね……ねえ、セシルさん。もしも……もしもですよ、僕が黙っていて後から気づいてたら、どうしたんですか?」

「そうだねえ、怒ったりはしないけど、ちょっといじわるしちゃうかも」

「いじわるって……どんな」

「それは~秘密!」

 

 なんだそりゃあ……

 

「え~と、さっきこぼして少しついちゃったっていうのはこの剣かな」

「ああはい、そうですが……」

「そうか……じゃあこれは当たりだね」

 

 どういうことだろう? あの薬品に何か特別な作用でもあるだろうか。

 

「さてと、飲み終えたら剣を何本か持って外へ来てくれる?」

「え? 外へですか? もう夜ですけど……」

「試し斬りだよ、やってみたいんでしょ?」

「あ……はい!」

 

 

 心の内を見透かされたような思わぬセシルさんの一言。嬉々として僕は仕事を終えた剣の内、適当に五、六本、セシルさんも自分が施した分のいくつかを持ち家の外へと出た。

 外では既に日は落ち静寂に包まれていたが、満月の光が草原をかすかに照らしており、昼間とは違った印象を感じた。

 

「ちょっとそれで練習していてくれる?」

「わかりました」

 

 まず手始めにと基本の剣の振り方を教えてもらい、軽く素振りをする。

 本物の剣を持つという体験に感激しながらも、初めてだというのに思い通りに剣を振るえることに対して魔力付与による効果の実感をした。

 

 

 そうして軽く身体が温まってきたころ、セシルさんがどこからか巻き藁を持ってきた。

 

「じゃあやってみてくれる。スッパリ切れるようになってるから」

「これですね……」

 

 巻き藁の中腹に軽く剣を当て、切りかかる場所を決める。

 軽く目を閉じ一つ深呼吸をして、僕は巻き藁に切りかかった。

 

「てあっ!」

 

 パンッと乾いた音がして袈裟切りにされた巻き藁が真っ二つに割れ、上の部分が地面へと落ちる。

 

「わあっ……」

 

 憧れだった瞬間。当然初めての体験であるが、手にその感触が今もって残っているほど、とても気持ちがよく、印象的な光景だった。

 

「うん、問題なさそうだね。じゃあ私も一発……」

 

 そう言うセシルさんは別の剣を手に巻き藁の前に立ち、剣を構えた。

 しかし……この人剣術もできるのか? いや、僕に教えてくれたわけだしある程度の腕前はあるのだろうか?

 

「やっ!」

「……え? ちょっ……今のなんですか!」

「ふふん、なかなかのものでしょ。いっておくけど、特にズルはしてないよ」

 

 セシルさんはちょっと得意げに笑っている。しかし僕はせいぜい素人に毛が生えた程度ではないかという、直前の予想をものの見事に覆され、冷静ではいられなかった

 

 セシルさんの振るった剣は比喩ではなく本当に太刀筋が全く見えなかった。決して目を離していたわけではない、しっかりとその瞬間を凝視していた。それなのに()()だ。

 そして切られた巻き藁は僕がやったように少し動いて落ちたのではなく、切った瞬間は微動だにすることなく一拍置いてズレるように下へ落ちた。もしこれが実戦だったら剣に手をかける前に切られている、僕でさえそう確信するほどの速さだった。

 

「何でもできるんですね……」

「私も伊達に長生きしてないから、これくらいはね。今度レンちゃんにもちゃんと教えてあげるよ。男の子はこういうの好きでしょ?」

「ああ、はい……」

「残りの剣のチェックは私がやるからレンちゃんはさっきみたいに剣振っててもいいし、まだ巻き藁あるからそっちやっててもいいし、好きにしていいよ。疲れたならもう休んでも大丈夫だから」

「じゃあもう少し素振りやってます」

 

 セシルさんにキチンと剣術を教えてもらえると言われたのは素直にうれしかった。

 だがそうは言われたが、それ以上にその動きの美しさに僕は圧倒され、動揺していた。まさしく達人の技をこの目で見たのだと。

 

「うん、特に問題なしだね。これなら大丈夫。もう遅いし今日はお休みかな」

「ならこれ戻しておきますね」

「あっ、ありがとう! 気が利くね。明日取りに来てくれるから玄関置いといた箱に入れといてくれればいいよ」

「了解です」

 

 試し切りを終えた剣を言われた場所へと戻す。また少し汗をかいたため、交代でシャワーを浴びた後、互いに部屋へ行き寝床についた。

 しかしセシルさんの剣筋を見たときの興奮はシャワーを浴びているときも、歯を磨いているときも、そしてベッドの中で目を閉じてからも続き……結局その日はあまり眠れなかった。

 

 

  ◆◆◆          ◆◆◆   

 

 

 翌朝、いつものように朝食を食べ終えた僕たちが本を読んだりして時間をつぶしていると、王宮の人と思われる数人の兵士が剣を受け取りに来た。

 

「おはようございます。依頼されたものはできてますよ」

「おお、さすが素晴らしい出来栄え! いつもありがとうございます。それではこれは報酬です」

「はい、確かに受け取りました。それでは皆さんも気を付けてお帰りくださいね」 

 

 受け渡しは数分ほどの短い時間だったが、その親し気な会話はセシルさんと彼らとの信頼関係を察するに十分なものだった。疑っていたわけではないが、元王宮勤めは本当なのだろう。

 それに受け取った報酬も見た感じ結構な金額のようだ。それだけセシルさんの信頼が大きいということか。

 

 

「えっと……じゃあこれはレンちゃんの分。好きに使っていいよ」

「え、こんなにいいんですか?」

 

 もらったお金を手にセシルさんはテーブルに僕を呼んだ。分け前を渡すためだ。

 しかし僕は少し戸惑っていた。確かに手伝ったとはいえそれほど多くこなしたわけではない。それなのに、仕事した量より明らかに多い分け前を差し出されたからだ。

 生活費などは除いて、自分たちで使う分を分けているのだから、あんまりもらうのはちょっと悪い気がする……

 

「いいって、今回は助かったよ。これからも手伝ってね」

「……ありがとうございます!」

 

 やや受け取るのを躊躇した僕を見たセシルさんは、優しい笑顔とお礼の言葉と共に僕の方へ袋を動かし、それを見た僕は微笑み返した後、そのお金を受け取った。

 こうまで言ってくれるんだから、遠慮する必要はないだろう。

 

 そうして自分の部屋で初めて自分で稼いだお金を眺めながら、僕は本屋で興味を引いた本などを思い返し、どうやって使おうかとしばらくの間思いに耽っていた。

 

 

 その日からしばらく後、今年入った中で異例の速さで出世をしている兵士がいると風のうわさで聞いた。

 始めの内は特に何か抜きん出たものがあるわけではなかったが、何やら支給された新しい剣を受け取ってから驚異的な集中力と共に急に剣術の腕を上げ、メキメキと頭角を現していったとか……

 

 



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8話 山中での遭遇

「えーと、これでいいんですか?」

「そうそう、ちゃんと土を落としてからしまってね」

 

 紫色の小さな花を付けた植物を手に取り、僕は教えられた通り根についた土を落としてから、袋へとしまった。

 僕たちは現在、家からやや離れた土地にある山で植物を採取している。この山は辺境の地とはいえ、一応国の管理下にあり、もちろんセシルさんを含め、国の魔術師は自由にここに来る許可があるとのことだ。

 

 そしてここに来た理由だが、魔力の影響は動物よりも植物の方が受けやすく様々な効力を持ったものが生息しており、それを手に入れるためだ。魔術にも使われるほか、この世界の医学は基本それらに頼ったものらしい。

 しかし、その効力は実に高くいわゆる西洋医学の薬を凌駕するものも多い、その代わり強力な毒物となるものもたくさんあるので注意が必要だとか。

 

「もう要領はわかったでしょ。一緒にやってても効率悪いし、別れて取りに行こうか。二時間後にさっきのふもとに集まろう」

「いいですよ。二時間後ですね」

「じゃあ、気をつけてね」

 

 そうしてセシルさんの提案で別れて行動することになった。この辺に危険な動物もいないらしいし、待ち合わせ場所を指し示す道具も持っている。また万一に備えて杖も持っているから、心配はない。

 しかし……それにしてもここは気持ちがいいところだな。静かで、自然に溢れていて……空気がおいしいっていうのはこういう感覚なのだろうか。

 

 

 

「よいしょ……」

 

 そのまましばらく採取を続けた後、近場に合った切り株に腰掛け一休みをした。もう十分な量は集まったので、このまま終えてもいいだろう。

 そんなことを思いながら取り出したお茶の入った水筒に口をつけ、一口こくりと飲みこむ。その時、山中で一人という普段とは違う状況からか、ふと頭にあることがよぎった。

 

 僕はこの身体での生活にも時間が経ち、自らの内面は男であることを揺ぎ無く自覚しながらも、周囲に対しては女性として振舞えるくらい慣れてきた。そのことに関しては全く苦に思うことはなく、むしろ楽しんでいるといってもいい。

 しかし……よくよく考えてみればこの身体は元は別人の身体のわけだ。

 

 もしもその人物が生きていれば魔術師として大成したかもしれないし、才に気づく機会がなくとも別の人生を歩んでいたに違いない。そして何より……生き返る身体もないわけだから、僕はそのまま死んでいただろう。

 今その身体で生きていると考えると、人生を奪ってしまったようで少しこのままでいいのかわからないような気持ちになってきた……

 

 

 でも、もしかすると自分以外の人間がこの身体で生きていたかもしれない。例えるならば、僕は偶然宝くじに当たったようなものだ。無限にある世界の中でこの体の持ち主が死に、同じくその時に死んだ僕が偶然選ばれ、そして今に至る。

 それはきっと運命で、いまこうして生きていることは、いつかセシルさんが言っていたがまさしく儲け物なのだろう。

 そう思うといくらか気が楽になった。恐らく普通の人間より遥かに長いものになるだろうこれからの人生の中で、いつもこの人物への感謝を心のどこかへ置いておこう……そう決心した。

 

「ふう……そろそろ時間か」

 

 腕時計を見ると約束の時間が近づいていた。もう待ち合わせ場所に向かってもいいだろうと、水筒をしまい立ち上がろうとしたときだった。

 

「ん?」

 

 背後でパキッと枝を踏む音がした。

 セシルさんかな? それとも他の誰かか? もしそうならこんなところに他の人がいるなんて珍しいな、と一瞬考え、その音を発した存在を確認するため振り向こうとした──

 

「声を出すな……」

「!!」

 

 耳元から聞こえたのは野太い男の声。

 そして背後からは喉元にナイフを突きつけられ、ごつごつした手で口を塞がれた。

 

「このまま持っている金を出せ、下手な真似をすると……わかるよな?」

 

 僕は自分でも少し驚くほど冷静に、今の状況を把握する。

 まず後ろにいる男はいわゆる野盗、こんな場所だし山賊といってもいいかもしれない。僕も詳しくは知らないが、ちらほら出没するという話は聞いたことがある。

 

 そして今の時点で僕に危害を加える気はないということだ。その気なら、近づいた時点でいきなり切りつければいい。それをしなかったということは目当ては金だけであり、渡しさえすればそれ以上何もないということを示していた。

 向かい合ってならできることもあるが、背後をとられたこの状況、いくら杖を持っていてもやや厳しい。

 どうせ大した金額も持っていないので僕はその声に従い、金の入った袋を渡した。

 

「よし……ほらよっ!」

「くっ……!」

 

 金を受け取ったその男は僕を突き飛ばし、そのままナイフを構えたまま距離をとる。

 ややよろめきつつも立ち上がり、振り返った僕はようやくその姿を捉えることができた。やや小柄でボロボロの汚い服を着た、右目に眼帯をした男だった。

 僕はこのまま退き、セシルさんと合流すべきであると考え、彼の方を向いたまま後ずさりをしようとした。

 

「ん……? あれ、お前は?」

 

 しかし予想外のことが起こった。

 起き上がった僕の顔を見たその男は、きょとんとした表情に、構えていたナイフを自然に下ろしてしまうほどの動揺をしていたのだ。明らかにおかしな反応だ。

 

「何で生きているんだよ……あのケガで助かったっていうのか……」

 

 何だ、何を言っているんだこいつは? 僕はこいつとは間違いなく初対面のはずだ。仮に町であったのならばこんな眼帯男忘れるはずがない。

 しかし、その言動から察するに向こうは僕を知っているようだ。

 

「まあいい、もう一度殺してしまえば同じことだ……」

「──!」

 

 その言葉を聞いて数秒後、ようやく理解することができた。この身体は何者かに刺されて死んでいたと言っていた。恐らくその犯人がこいつだったのだろう。

 しかし、そうなると当然何かしらの理由があって殺したはずだ。ましてや向こうにとっては一度殺したはずの人間が生きていたのだ。このまま無事に帰すとは思えない……

 どうする、走って逃げるか? いや、この身体で逃げたとしても簡単に追いつかれてしまう可能性が高い。また逃げたとしてもセシルさんと会えなければ事態は何も好転しない。

 

 僕は覚悟を決めてこの男と戦うことにした。かつての自分だったら、刃物を持った男に立ち向かうなんてありえない選択だったはずだ。

 しかし、杖を手に取ると不思議と気持ちが落ち着いてきた。こういった相手を想定した護身のための技術は少なからず教えてもらっているし、仮に負傷してもセシルさんが手当てをしてくれるはず。

 

 それに今の僕は魔術の才能に溢れた身体、そして手にした杖はセシルさんの特製だ。日常の色々なことに使える道具でありながら、十分な力を持った武器。専用の用途に特化したわけではないが、それでも戦力としてはナイフ一本のあいつを僕が上回っていることは確実だ。

 きっと向こうは僕がそれだけの力を持っていることを考えてもいない、それだけに油断しているはず!

 

「死ねっ!」

 

 男が明確な殺意と共にナイフを持って走り出した。

 僕との距離は五メートル程、間に合うか一瞬考えたがそのまま空気の塊を作り男の顔にぶつけた。

 

「うっ!」

 

 目潰しを食らった男はひるみ、胸を狙っただろうナイフはわずかに左に逸れていく。

 その際少し腕を切ったようだが、気にも留めず僕はそのまま男の服をつかみバランスを崩し転ばせた。

 

「くそっっ! ……!?」

「うああああああ!」

 

 ドカッという鈍い音が静なな山の中に響き渡った。

 男が起き上がる前に僕は杖を振り上げその先端に魔力をこめ、起き上がろうとした男の顔面めがけて振り下ろしたのだ。

 

「……」

 

 そのままゆっくり男は倒れこんだ。軽く触れてみたが、どうやら意識を失ったらしい。

 もちろん死んではいないだろうが、込められた魔力により重さと意識を弾き飛ばす作用を持った一撃だった。すぐに起き上がることはないだろう。

 多分だけど……

 

 

「はあはあ……痛っ」

 

 気がつくと先ほど切られた腕からポタポタ出血し始めた。結構深手のようだ。

 仕方ないので手で押さえてそのまま下山することにした。この男を放っておくわけにはいかないが合流してから来ればよい、そう考えたからだ。

 

 そうして男から取られた金を取り返し、改めて合流場所へ向かおうと、少し歩いたところで……何者かの気配を感じ振り返った。

 

「……!?」

「おい……どうした?」

 

 歩みをピタリと止め、痛みも忘れるほどの衝撃だった。

 そこには先ほどの眼帯の男の仲間と思われる男がきていた。その身体はかなりの大柄で、眼帯の男を片手で軽く抱き起こしていることからもその力の強さがうかがえるが、僕の関心の方向はそこではなかった。

 

「おい待て、そこのガキ……お前がやったのか?」

 

 その男は狼のような動物を連れていた。しかしその風貌は僕の持つ狼のイメージとは明らかにかけ離れていて、その体長は二メートルは軽く超えていそうで、伸びた体毛、血走った眼、一目見てわかる。

 セシルさんが以前言っていた魔力の影響を強く受けた動物とはこれなのだと。

 

「どこかで見た顔だが……まあいい。例え小娘でも無事に帰すわけにはいかんな……」

「ガウッ!」

 

 男の合図でその魔物が向かってきた。さすがにこれから逃げるのは不可能だと一瞬で悟る。一瞬、息を吸った後、僕はその動きに合わせて火球を放った。

 

「ガッ……」

「あっ、しまった……」

 

 さっきよりも集中する時間があったため、それなりの威力のものを放つことができた。しかし紙一重でかわされてしまい、火球は後ろの木に当たり破裂した。

 

「こいつ、この杖だけでこれほどの火を……何者だ?」

「くっ……うあっ」

 

 続けて攻撃をしようと、一度後ずさりした僕は木に足をかけてしりもちをついてしまった。

 それに遠慮なしに飛び掛かる魔物の動きがかつてトラックに轢かれたときのようにゆっくりと感じられる。まずい……これは本当にヤバい。

 

 杖を固く握りしめ、抵抗を試みながらも、この時僕は心の隅で人生で二度目の死を覚悟していた────

 

 

「…………あれ?」

 

 しかしその爪や牙が僕を傷つけることはなかった。焦りのあまり一瞬つむってしまった目を開けると魔物は地面に横たわり、もはや全く動いていなかった。

 

「何だ? どうし……グッ!」

 

 男が蹴り飛ばされたように吹き飛び、木に頭をぶつけて気絶した。

 そして次の瞬間、今まで何もなかったはずの場所に見慣れた人影があった。

 

「セシルさん……」

「危ないところだったね、レンちゃん」

「ふう……死ぬかと思いましたよ……」

「ああ、こいつらか……」

 

 姿隠しの魔術でも使っていたのだろう。安心した全身の力が抜け……僕は座り込んだまま動けなかった。

 

「ともかくありがとうございます。安心しました」

「まあ、いい経験になったじゃないの。ここはレンちゃんが以前住んでいた世界と違ってこういったことは珍しくないしね。とりあえず、怪我してる腕見せてくれる?」

 

 セシルさんが淡い光をまとわせた手袋をして、軽く傷口に触れるとスッと痛みが消えた。

 いや、感覚がなくなったという感じだ。まるで麻酔をかけられたようだ。

 

「えっ、ちょっと……」

「すこ~し動かないでね」

 

 そしてどこからか針と糸を出し傷口を縫い、処置をした。

 普段医者のようなこともやっているだけあって、その手際は実に鮮やかだった。

 

「これでよし、その糸は治るにつれ自然に消えて跡も残らないから安心して。大体二、三日もすれば塞がるかな。痛くないよね?」

「大丈夫です」

「よかった。さ~て、こいつらだけど……とりあえず街まで連れて行くか。聞き出したいこともあるし」

「聞き出したいこと?」

「それのこと」

 

 指差したのは男が連れていた生き物だ。もう完全に息絶えているようだが……

 

「あれは自然に生まれたものではない。人が生み出したものだ」

「へえ……まさかこいつらじゃないですよね」

「ああ当然、つまりこいつらにこの化物を流しているやつがいるっていうことだね」

 

 やっぱり物騒だな……いや、元の世界が平和すぎたのかもしれない。こんな世界ならこういうこともあって当然だと思うべきだろう。

 

 

 

 とりあえず僕たちはこの調査のために死体を確保し、二人を連れて山を降り始めた。

 意識がなくとも歩かせることくらいはできるらしい。意識が戻ったらどんな反応をするのだろうか……

 

「そういえばセシルさん」

「ん? 何かあった?」

「いや……さっきずいぶんとタイミングよく出てきたなあと思って」

「…………」

「もしかして、近くで見てたとかじゃないんですか?」

 

 あっ、目をそらした。

 

「ほら、答えてくださいよ」

「実は……一人目とレンちゃんが話してるあたりからいたよ。私はこの場所で誰がどの辺にいるか把握できるから、なんかいるな~と思って来てた」

「やっぱり……」

「こいつ一人ならレンちゃんでも大丈夫そうだったし、いざって時にはすぐ近くいるし。実戦のいい機会だったかなって……ね?」

「…………」

「あ……ごめんごめん。危険な目に合わせっちゃったことは謝るよ~」

 

 別にそのことについて、何も恨んだりはしていないけどな~

 

「じゃあ、夕食はおいしいものにしてくださいね。お肉がいいかな~」

「わかった、お肉ね。そろそろ食べごろの牛肉があったはずだから、それのステーキにしよっか。治療したとはいえ怪我したんだし、治すためにも栄養とらなくちゃ」

「いいですね。厚めに切ってくださいよ」

「了解!」

 



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9話 共に生きるもの

本編の前日談です


「はあ……はあ……ここまで逃げれば、とりあえずは大丈夫かな……」

 

 やつらの気配が周囲にないことを確認し、木に寄りかかり一休みをする。 

 あたしは今、命を狙われていた。事の発端はほんの少し前に遡る。

 

 小さな町の民家に生まれたあたしは幼いころに病気で母を亡くし、そこからは父に育てられた。父はごく小さな商店を営んでいたがその経営は上手くいかず、元々子には無関心だったがいつしかあてつけをするかのように暴力を振るうようになった。

 その環境に耐えられず、今日いくらかのお金と食料を持ち、以前から計画していた家出を決行した。行くあてもなかったがとりあえずこの国で一番大きな町へ向かっていた。

 

 日も沈み、付近の洞窟で今夜は野宿をすることを決めたあたしだったが、火を起こしていた最中、何やら奥で人の声が聞こえたので何の警戒もせずその方向に向かってしまった。

 今になって思えば、ここで引き返し、別の場所を探すべきだったのかもしれない……

 

 かすかな明かりの中進んでいくと、そこにいたのは二人組の男と狼のような獣を連れたローブを着た男だった。

 彼らの話に耳を立てていると何かの取引だということは察せたが、それ以上にあたしは直感的に危険な雰囲気を感じ物陰に身を隠しその場から離れようとした……そのときだった。

 

「しまっ……」

「誰だっ!」

 

 チャリンという音が静かな洞窟に響き渡った。うかつにも持っていた袋から硬貨を落としてしまったのだ。彼らの反応からして確実に気づかれてしまったので、落とした硬貨には目もくれず洞窟の出口を目指して走った。

 普段ならそうしただろうが、この時は謝ろうという考えはわかなかった。それほどまでに、彼らは関わってはいけない存在だという予感がしたからだ。

 

「声からしてただの小娘のようだったが、見られたからには仕方ない。お前ら……行って来い」

「わかりました」

 

 

「はあっ……はあっ……」

 逃げながらローブの男の顔が頭に浮かぶ。どこかで見た顔だ……指名手配の人間だろうか。しかし今は深く思い出している余裕はない。

 洞窟を出て少し離れた岩陰で様子を見ていたが、追ってきた二人組は武器を持っており命を狙っているのは明らかだったからだ。

 

 そこであたしはその洞窟を離れ、近くの山の中に隠れることにした。

 そうして今に至る…………

 

 

 

 身を隠してから、しばらくの時間が経った、体感では一時間ほど経過した気がする。もう安心だと考え、水筒を取り出し一口含む。

 

 さて、これからどうするか。このままここで一泊か、それとも町まで歩いていくか……

 

「ん~よし!」

 

 このまま留まり続けるのも危険だと思い、ここを離れることをあたしは選択した。

 

「…………」

 

 集中して自分の身体に魔術による視覚の強化を施す。これでいくらか夜目が効くはずだ。

 誰かに習ったわけでもない、物心つくころには自然にできるようになっていた。普通の人は色々道具を使ったり学校で学んだりするらしいが、あたしは自分にかけるだけなら何も使わずに、その他日常で使うのも基本的な杖一本でできていた。

 

 きっと人よりかは魔術の才能があるのだろう。ちゃんと学びたいと思ったこともあるが、家のこともありそれは叶わなかった。

 

 ともかくこれで歩いていける。それなりに距離はあるがこの視界なら大丈夫。

 そう考えたあたしは服についた砂を落とし立ち上がろうとしたとき……何かの鳴き声が聞こえた気がした。

 

「……オオン……」

「……こっちか……」

 

 いや、気のせいではない。明らかに近づいている! それに……男の声も聞こえる、さっきのやつらだろう。

 何故気づかれてしまった? まさか、落としてしまったお金の匂いからか? 

 そういえば、あの場には明らかに普通ではない獣がいた。十分にありえることだ。

 

「くっ……」

 ともかくこのままではすぐに見つかってしまう。あたしは声の方向とは違う方向に向かって、走りながら山を下り始めた。

 

 走りながら後ろを振り向く。今の所は大丈夫、そう考えたが……

 

「うわっ!」

 

 前を良く見ていなかったので、何かにぶつかってしまった。そして……しりもちをついたまま前を見上げたとき、あたしは言葉を失った。

 

「えっ……あっ、ああぁ……」

「おっと、ここにいたか」

 

 それはさっきの二人の片割れの男だった。小柄な男で刃渡りの大きなナイフを持っている。

 そしてその男は明かりを向けて顔を確認すると、ナイフを向けながらゆっくりとその歩みを進めてきた。

 

「お、おねが……たす……」

 

 恐怖の余り腰が抜けて立ち上がることができず、声も上手く出せない。

 近づいてきた男の冷たい視線に自分の死を覚悟した。

 

「……すまんな、悪く思うなよ」

「あっ……」

 

 無造作に突き出されたナイフが自分のお腹に突き刺さった。

 

 痛い……熱い……でも声が上がらない。口の中に血の味がする……地面に倒れこんだまま手足が動かない。

 

「見つけたか……」

「ああ、終わりましたよ」

 

 もう一人の男が来たようだ。しかし、目もかすんできて良く見えない。何かを話しているようだがそれも上手く聞き取れない。

 

 

 あたしは自分の体がズルズルと引きずられているのを感じた。恐らくこのまま山奥へ捨てられるのだろう。

 もう傷の痛みも血の味も感じなくなっていた。引きずられていく感覚も薄くなって、何も考えられなくなっていく。

 

 ――――もっと広い世界を見たかったな。

 

 消えていく意識の中、最後に思ったのはそんなことだった……

 

 

  ◆◆◆         ◆◆◆

 

 

「はあ~えらい目にあったな……」

 

 まだ頭がクラクラする。すっかり日も暮れているし……

 

「ちゃんと印つけて整理しとかないと……」

 

 私、セシル・ラグレーンは自らのドジっぷりを悔いていた。

 山で魔術に使用する植物の採集をしている際、うっかりと手を切ってしまったのだ。それ自体は大したことはなかったが、その後が問題だった……

 傷薬と間違えて、入れ物が同じの麻酔薬を取り出してしまい、それを誤って直接吸ってしまった私はそのまま山中で昏倒してしまった。薬には常人よりも遥かに耐性があるとはいえ、自分で作ったそれなりに強力なものだったので、数時間は眠ってしまったようだ。

 

 しかし、こういうことは初めてではない。ドジというのはいくら経験を重ねても直らないものだ。

 ちゃんと自分用の薬も目印をつけるようにして……それに加えて今度からは何かしらで意識を失ったら、気付けの電気ショックでも流れるようにでもした方がいいかもな。

 

 まあとにかく、一日を無駄にしてしまったような切ない感じだが……仕方ない、このまま帰ろう。

 

 

「ん……」

 

 そうして山を降りていったが、その途中あることに気がつく。

 

「誰かいるね……こんな時間に」

 

 誰かが自分の周囲に張っていた索敵の魔術に引っかかったらしい。即席のものだし、範囲を広めてある分、詳しく知ることはできないが一人でいることくらいはわかる。

 

 ここから百メートルくらいだろうか、もしかしたら行き倒れとかかもしれない。

 一応向かってみるか。

 

 

「あの人か……」

 

 その人物は夜の山には似合わない軽装の小柄な男性だった。

 同業だろうか……それともやはり道にでも迷ったのか……とりあえず声をかけてみる。

 

「すいませ~ん」

「!? 誰だ! 何だ……女か。こんなところで何をしている」

「いや、ちょっと色々ありまして。あなたもこんな時間にどうしたんですか?」

「何でもない……とっとと失せろ」

 

 何だよ態度悪いな……おや?

 

「あなた、服に血が……」

「ちっ……死ねっ!」

 

 ああ……そういうことね。

 

「よっと……」

「がっ……」

 

 懐からナイフを取り出し向かってきた彼の攻撃を難なくかわした私は、そのまま魔力をまとわせた指で彼の額を軽く小突いた。

 いきなりきた時は少しびっくりしたけど、大したことはない。武器を出すまでもない相手だ。

 

「…………」

 

 男は意識を失ったまま、数メートルよろけながら勢いのまま走り、そのまま倒れこんだ。起きる気配は無い。

 

 ともかく、倒れているこいつは放っておくことにした。この辺尖った枝とかあるし、もしかしたら倒れこむ際に目とかを怪我したかもしれないが……どうでもいい。連絡は後回しにして、こいつにやられた被害者を探すほうが先だ。

 私は地面を確認し、こいつが来た方向の足跡をたどることにした。

 

 

 

「あそこかな……」

 

 その先には、不自然に積みあがった落ち葉があった。間違いないな。

 

「……やっぱり」

 

 その落ち葉をゆっくり除いていくとそこには案の定、横たわる少女がいた。粗末な服装を見るに家出少女といったところか。

 軽く触れてみたが既に脈は無いようだ。とりあえず私は体を抱き起こしたが……

 

「……可愛い」

 

 思わずその一言がこぼれていた。

 その少女は実に私の好みの容姿をしていた。いい年して少年少女に興味を示す私の性癖が褒められたものではないと自覚しているが……やっぱり可愛い。

 

 しかしあまり死体に欲情してるのもまずい……一度身体をちゃんと調べてみるか。

 

「う~ん、駄目……かな」

 

 外傷、そして体内の情報を解析していく。死後一時間といったところだ。さすがに蘇生は不可能か。

 あともう少し、せめて三十分早ければなんとかできたんだけど……ん?

 

「え、嘘……」

 

 少しして、私は瞳を開くことのない彼女の顔を覗き込みながら、自分の目を疑った。

 その少女は驚くほどの魔術の才能を持っていたのだ。それこそ私に並ぶであろう程の。

 

 そうなると実に惜しい。仮にこの少女が生きていて、魔術を学んでいたのなら、素晴らしい魔術師になっていただろう。

 それに……できることならば自分のそばにおいておきたい。私がそう思える程の人間は、ここよりも遥かに魔術が発達した世界でも、誰一人として会うことはできなかった。

 でもこれではね……

 

「あ……いや、でも……」

 

 私の脳裏にある考えが浮かんだ。でもそれは決して正しいとはいえない行為だ。狂っていると言う人もいるかもしれない。

 しかし……こんな機会はもう無いだろう。

 

「よし……!」

 

 私は決心をした。例えそれが自分の欲に負け、人の正義に背くことだったとしても構わない。

 

 名も知らぬ少女に深く感謝をし、その亡骸を抱きかかえた。ふと空を見上げると満天の星空だった。どの世界でも変わることの無い光景だ。でも……今日は一際輝いて見えた。

 この光景はきっと生涯忘れることはないだろう。

 

 普通とは違う永い人生の中、共に生き、学ぶことができる者。

 その出会いとこれからの未来に私は確かな胸の高鳴りを感じていた。

 



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10話 洞窟探索

 あの二人に襲われた日から一週間が過ぎた。衝撃的な出来事だったが、こっちに来てからやや平和ボケをしていた僕にとってはいい刺激になったと思う。

 セシルさんは例の魔物を調べてから、何やら自室に篭ることが増えた気がする。変な荷物が届いたりもするし。

 

 

 近々何かあるかもしれない、僕なりにそんなことを考え始めていた、ある朝の朝食の後……

 

「ごちそうさまでした」

「食べ終えたら出かける用意をして。そうだね、動きやすい服装がいい」

「どこ行くんですか?」

「ん~ダンジョン……かな」

 

 ◆◆◆         ◆◆◆ 

 

「ここがその悪い魔術師の隠れ家とやらですか」

「ああ、王宮の情報を流してくれた人の話ではね」

 

 馬に乗せて連れられたのはそう遠くない場所にある洞窟だった。ここにこの前の騒動の黒幕がいるらしい。どうやら信頼できる情報のようだが……見た感じただの洞窟だ。

 

しかし……なぜか、この洞窟から胸騒ぎのような物を感じる。何だろうこの頭ではなく身体が拒絶しているような感覚は……

 

「さあ、行くよ」

「ちょっと待ってくださいよ」

 

 こうして迷宮探索が始まった。こうもあっさりと。

 

 

 

「とりあえず私の後ろをついてくれば大丈夫。こういうのは慣れてるから」

 

 そうして一時間ほど歩いてきたわけだが……確かに分かれ道なども即決だ。それでいて迷っている様子も無い、それに楽しんでいるようにすら見える。慣れているというのは本当だろう。

 しかし洞窟の閉鎖感のせいだろうか、会話が減ってきた気がする。この空気を断ち切ろうかと、僕はふと頭に浮かんだ疑問を聞いてみた。

 

「そういえば、国はもう居場所も割れてるのにその魔術師を捕まえようとしないんですか。こういうのは僕たちの仕事ではないと思うんですけど」

「いや、つい先日十数人の捜索隊をこの洞窟に送ったらしい。それでねえ……生きて帰ったのはほとんどいなかったとのことだ」

「え……」

 

 まさかの回答に僕は思わず足を止めてしまった。

 

「どういうことですか……」

「それはやっぱり何かいたんじゃないの……といってるそばから」

 

 かすかに地面が揺れた、と思った次の瞬間、

 

「あれは……何ですか?」

 

 壁や地面の土が集まり、大小さまざまな大きさの人型の物体になった。

 一番大きいものは洞窟の天井に届くほどであり、その腕でつぶされたらただではすまないと一目でわかる。

 

「以前、話したやつだよ。侵入者撃退のための土人形でしょ。ここのやつが作ったんだろう、まあ少し後ろで見ててちょうだいな」

 

 セシルさんはそれを前にしても、全く動じる様子が無い。戦うつもりだろう。僕は言われたように距離をとった。

 考えてみればセシルさんが戦うというのははじめて見る。参考になるだろうからしっかりと見ておこう、そう考えたが……

 

「え? もう……こんなに?」

 

 僕が前を向いたとき、すでにその半数が土くれとなっていた。そして、残りも動き出す間もなく次々とその形を崩していく。セシルさんはその場から動く様子もない。

 その数が残りわずかとなったところで、以前教えてもらった視覚強化の魔術を通してその現象の正体が分かった。

 

 ごく小さい、それこそ肉眼では認識するのがほぼ不可能なほどの大きさの魔力弾。それがやつらの魔力が集中している一点、恐らくコアといえる場所に超高速で打ち込まれていた。それも命中した後、破裂するように一発一発が調整されている。

 

 驚くべきはその動作だ。未熟な僕はもちろん、この世界の人は魔術を使う際に基本的に集中が必要だが、ほとんどそれがない。

 まるで呼吸をするかのように自然に放っている。その上狙いも超正確、軽く振るった杖の先から豆まきの豆のようにバンバン飛んでるのに、打ち漏らしはほぼゼロだ。

 

 先週の山での出来事を思い出す。あの狼は見た目には全く外傷が無かった。同じように急所となる場所にピンポイントで打ち込んだのだろう。

 

「一通り片付いたかな」

「……凄すぎます。ちゃんと見てましたよ」

「そ、そう……」

 

 頬を赤らめて、ちょっと照れているようだ。そういうところ可愛いな。

 

「もっと派手にするんじゃないかと思っていましたが、意外ですね」

「ドカドカやるだけが戦いじゃないからね。こんなところで派手にやったら煙たくなるし」

「それにしても……」

「じゃあやってみる? まだ残ってるみたいだし」

 

 その指差す方向には一体だけ残っていた。大きさは中間くらいで、既に半壊といった状態だが明らかにこちらに敵意を持って動き出していた。

 

「いい? あれを怖いとかは思わないで、ただの土くれだ。それをちょいとつついて壊すだけ」

「つついて……壊すだけ……」

 

 言われるがままに杖を構える。魔力を小さく凝縮させるイメージで……狙いは魔力が集中している人間の心臓にあたる場所に……

 

「──!」

 

 足を開き、両手で構えた杖から魔力弾が発射された。そしてドンッという音とともに狙いどおりに命中、すぐに音を立てて崩れ去った。

 以前岩に向けて撃ったときよりもずっと重い感触。実際に銃を撃ったことはないが恐らくこれに似た感じだろうと、そう思わせる感触だった。

 

「さすがだね、こうやって正確にかつ炸裂する威力のあるやつを飛ばすことはやっぱり練習で身に着けるのは厳しい。それなりにセンスがないとできないから。私が知る限りだとこの世界で会った中ではできるのはあと一人だけ」

「それは誰ですか?」

「そうだね……ここら辺で休憩しようか。それから話そっか」

 

 僕たちは手頃な大きさの残骸の岩に腰を掛けた。そして、水筒を取り出して一息つく。

 戦いという非日常にちょっと興奮していた気持ちが落ち着いていくのを感じる。

 

「ふう……じゃあ始めるよ。そいつの名はアレン、少し前私の教え子で部下だった男だ」

「宮廷魔術師をやっていたときのですか」

「そうそう、あいつはまあまあ将来有望なやつだったんだが……」

「何があったんですか?」

「いつしか過激な思想を持ち始めてね、危ないやつになってきたんだ。きっと根がそういう奴だったんだろうね」

 

 なんかよくありそうな話だ……

 

「そしてある日、国家機密の研究を盗み失踪した。その際、警備の兵士を何人か殺してね」

「国家機密……どんな研究ですか?」

「魔力を利用した生物兵器……言っちゃえば人工の魔物の研究だよ」

 

 なるほど生物兵器……前の世界では空想の中だけの話だったが、確かにこの世界ならばある程度現実的かもしれない……ん? 

 

「もしかして……」

「ああ、この洞窟にいる。この前のからもあいつのクセ……みたいなものが感じられた、間違いない」

 

 やっぱり……

 

「私はそういうの気に入らなくて、その研究に参加していなかったんだけど、正直あまり進まず凍結に近い状態になっていた。だから国としては損害は少ないはずだった」

「……」

「でも、政治にも口を出す私のことが気に入らなかった人たちがいいキッカケだと思ったのか、責任をとる形でクビにされたんだ」

 

 あららら、そういうことだったのか。

 

「それに関しては恨んではいないけれど、あいつが実際に危険なことをやっているのなら私が責任をもって止めなくてはね」

「そうだったんですか……」

 

 しんみりとした感じで語っているが、セシルさんにとってはほんの一瞬の小さな出来事に過ぎないだろう。

 やっぱりそいつに多少なりとも思い入れがあったということかな。

 

「さ~て、ここからは少し危険な道のりになるかもしれないけれど……大丈夫だから。そんな緊張とかはいらないよ」

「はい、頼りにしていますよ」

 

 

 

「じゃあ、そろそろ出発しますか」

「そういえば……具体的に何に注意すればいいんですか?」

 

 この先は危険なものになるといっていたが、実際何人もの人がここで消えている。

 いくら守ってくれるとはいえ、僕自身も気を引き締めなくてはいけない。

 

「さっきのでは迷いこんだ一般人を追い返すのがせいぜいといったところだ。兵隊さんたちで駄目だった以上、他にも何かいるだろうし、恐らく多くの罠も仕掛けてあるだろうしね。ここからは私が歩いたところをついてきて。念のため壁に触らないようにしてね」

「へえ……セシルさんは罠の場所が分かるんですか」

「ふふっ、まあね。魔術による探知もできるけど使うまでもない。実はここまでに何個か見つけたけど、あんな子供だましの罠、一目瞭然さ」

 

 そう自慢げに言いながら嬉しそうに歩き始める。その直後……

 

「あっ……」

「うわわっ!」

 

 ボンッという音とともに土煙があがり、僕は思わず身をかがめる。

 少しして目を開けたが、どうやらなんともないようだ。

 

「大丈夫ですか……」

「ああ、問題ないよ……このっ!」

 

 そういって右足をタバコの火を消すかのように地面に擦り付け、足元には穴が開いている。どうやら魔力により無理やり爆発を押さえ込んだといったところか。

 自分にもできるだろうか、いやあらかじめ場所がわかっているならともかく、いきなりでは無理だろう。その反射神経はさすがだと思うが……

 

「……ちゃんと探しながらゆっくり行こうか」

「そうですね……」

 

 

「ほいっと」

「おおっ、なるほど。わかりやすい」

 

 セシルさんが懐から取り出した小瓶に入っていた結晶を用いて、魔術を行使する。杖から放たれた大きめの光球は、僕たちの前を進み照らしながら時折、一部分が分かれ異物のある場所を指し示していった。

 こんなに面白く、便利なものがあるのなら初めから使えばいいのに……

 

 

 その後は罠にかかることなく進め、何度か先程のような人形や人造の魔物に遭遇したがセシルさんが蹴散らしていった。

 そして……



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11話 帰路へとついて

「これは……」

「う~ん、いかにもだね。やはりこういうところに住むやつは作りたくなっちゃうのかな」

 

 明らかに人工のものである大きな扉のある場所にたどり着いた。

 その大きさは僕たちの背丈の倍近くはあり、なぜわざわざこんなところにこんなものを作ったのか、小一時間問い詰めたくなってしまう。

 

 だが、きっと意味なんてないのだろう。ここまでの道のりを考えたら、こんな何の変哲もない扉による防衛の効果など無いに等しい。

 恐らくセシルさんの言ったようにただ作りたいから作っただけ。そう考えると、ここに住むやつの余裕、遊び心、そんなものがうかがえる。

 

「この先にいるのですかね。その黒幕が」

「間違いなくね。よし! ちょっと耳貸して」

 

 ここまでこれといった困難な障害はなかっただけに、この先に危険なものがある可能性は高い。

 何か作戦があるのだろうか。

 

「君を……するから適当なところで……して」

「え? そんなので大丈夫ですか」

 

 耳打ちされた内容、そのあまりにもシンプルな手段に僕は一瞬戸惑ってしまった。

 だが……僕はこれまでわずかな期間ながらも魔術を学んだことで、なんとなくわかっていた。ここにいるものだけならず、この世界にいるもの全てがこの単純極まるやり方を防ぐ術を持たないことを。

 

「大丈夫! 私はあいつのことよく知ってるから。ただ……一つだけこの先何がいても、話と違うじゃん! みたいになっても決して焦らないで。落ち着いていて」

「はあ……」

 

 それはどういうことだろうか。

 でもいざとなれば、何とかしてくれるだろう。何も心配することはない。

 

「じゃあ行くよ……とりゃあ!」

「──!?」

 

 いきなり予想外の行動、セシルさんはその扉に手をかけ開ける……のではなく魔力をまとわせた蹴りで勢いよく開け放った。

 恐らく万が一の待ち伏せに備えての行動だろう。しかし……びっくりした、何か言ってよ。

 

 扉の向こうは少し生暖かいような空気、そして短めの通路があり、その奥は開けた部屋になっていた。少し薄暗い部屋だったが、すぐに目は慣れた。

 しかし見えてきたその光景に僕は目を疑った。

 

「また侵入者がきたと思っていたら……あなたでしたか」

 

 部屋の奥から黒いローブを着た若い男がゆっくりと姿を現す。一目でわかる、こいつが例の魔術師だろう。

 しかし僕はそれ以上に目の前の光景に対して、気を落ち着けるのに精一杯だった。

 

「ああ久しぶりだねアレン。それにしても大したもんじゃん。例のあれの試作型ってところ?」

 

 セシルさんは彼と話しながらも、それをそれを見上げ感心している。

 その部屋にいたのは……体長十五、いや二十メートル近くはあろうかというドラゴンだった。強靭な四肢、見るからに硬そうな鱗や皮膚、部屋に転がるいくつかの人骨が犠牲になった人々を物語っている。

 

 僕は以前、ここまでファンタジーな生物はこの世界には存在しないといわれた。しかし、目の前にいる存在は紛れもなく、以前いた世界でも、ここに来ても絵本などで何度か見た、よく見知ったまさしく竜。

 むしろあまりにもイメージ通りのその姿が、人工的に生み出された存在であることを示していた。

 

「そういえば君は昔から竜のお話が好きだったね、これで念願叶ったりというところか。こいつがいるならいくら兵隊が来ようと怖くないってわけだ」

「ふっ……ふふふふっ、そうですよ。しかし一人でこんなところまで来て……全く変わりませんねあなたは、でも今はだいぶ落ちぶれたよう……!?」

 

 パンッという破裂音が部屋全体に響き渡った。全く分からなかったがいつの間にかセシルさんが攻撃をしていたらしい。

 しかし、それは男の眼前にて薄い壁のようなものに阻まれてしまった。だが視力強化を通してみると、その壁も既にボロボロで魔力を発していないことがわかる。

 

「ちぇっ、一発じゃダメだったか……それにしてもお前には言われたくないね。誰のせいだと思ってるんだい?」

「さすがですね……だが私もここまで一人で来た。こんなところでやられるわけにはいかないんですよ」

 

 口では強がっているが冷や汗をかいている。それもそうだろう、きっと今の防御は十分な時間をかけて用意した魔術によるもの。それが単なる杖からの魔力弾一発で崩壊寸前までいったのだ。

 そしてそれは単なる威力によるものではない。強化ガラスが一点の衝撃であっけなく砕け散るがごとく、防御魔術の綻びをついた一撃だった。

 このわずかな会話の間だけでそれを把握し、寸分違わず打ち込んだ。しかも自分はそれに気づくことすらできなかった。改めて実力差を実感するには十分だっただろう。

 

「だが……いくらあなたといえどもこいつを倒すのは不可能です。それに研究も大詰め、直に量産すら可能になる。そうすればこの国も私のものだ、やがては世界も手に入れられる。でも……あなたには関係のない話ですね」

 

 アレンが右手を挙げるとそれにあわせてドラゴンが足を振り上げた……踏み潰すつもりか!

 危険を感じた僕はセシルさんの方を向くと、目を合わせた後一つ小さく頷いた。もう()()()()()という合図だった。

 

「さよならです先生……」

 

 男が手を降り下ろした瞬間────パチッという電撃音と共に、青白い火花が弾けた。

 

「!? 何……だ……」

 

 震えながらも、後ろを振り向く。予想外の方向からの衝撃、人の本能として後ろを向くのは当然のことだ。

 だが、その視線の先には何も()()()()()()

「…………────」

 

 一拍置いてアレンは膝から崩れ落ちた。完全に意識はない。

 そしてドラゴンは突然の主の沈黙に攻撃を中断し、辺りを見回している。

 

 

「……ああ、さよならだね」

 

 いや、ちょっと待って! なんかそれっぽいこと言ってるけど、やったのは僕だから!

 

 でも、まあ何のことはない。僕は姿を消す魔術をかけてもらい、後ろにこっそり回りこむ。そして二人が会話している間背後で待機していて、合図とともに首筋にパリッとやっただけだ。

 

 これは元々違う世界の魔術のようで、便利だから常に発動のための魔力の結晶を携帯しているらしい。なんでも姿を隠すだけでなく生物の視覚以外にも作用し、センサーなどでも発見は不可能でどんなカメラにも映らないという高性能とのことだ。

 別世界の技術でもある以上、この世界で探知する手段は一切ない。悪用はしないと言っていたが……どうだかな。

 

 しかし……この後どうするんだ。魔術を学び始めたから分かる、いくらセシルさんが天才でも、それは技量が秀でているということであり、火力という点で体ひとつの個人が集団を上回ることはないし、もちろんこのドラゴンを殺すことはできない。

 何か兵器でもないと無理じゃないか? それともそういうの持ってきてるの?

 

「んん? えっ、ええええ?」

 

 ドラゴンの様子がおかしい、と思った次の瞬間、突然倒れこみ動かなくなった。ふと気づくといつの間にか姿も戻っているようだ。

 これは終わった……ということなのだろうか。

 

 

「……大丈夫だよな」

 

 軽く身体に触れてみたが、完全に動いていないようだ。

 どうやったのかは知らないが、とにかく速足でセシルさんの方へ向かう。

 

「おっ、レンちゃんありがとね。少しあいつと話したかったから、こんなこと頼んじゃった」

「は……はい、それは別にいいです。しかしどうやって……」

「あそこを見てごらん」

 

 指差したドラゴンの腹をよく見ると何かが刺さっていた。あれは……ナイフ?

 

「あのナイフには特製の麻酔薬がたっぷりと仕込んであるのさ。効き目、即効性共に申し分ないやつをね。ほら猛獣には麻酔、常識でしょ。普通に注射だと刺さらないだろうし」

「まあ、わかりますけど……」

 

 最近部屋で作っていたのはこれだったのか、こんなものを用意してきたなんて……

 

「今、ずるいとか思ってる?」

「いやいや、そんなことないですよ」

「まあ仕方ないか。でもあれは個人レベルの火力じゃ無理でしょ。見た感じ火を噴いたり空を飛んだりはできない、そこまで超常的な存在ではないみたいだけど……レンちゃんにわかるように言えば恐竜が生きて動いて、さらには人が従えてるみたいなものだからね。この世界の剣や槍、ちっぽけな鉄砲なんかじゃとてもかなわないよ」

「それにこの場所……」

「そう、こんな狭い中じゃ派手にぶちかますこともできない。その辺も計算しての番としての配置だろう。勝てない相手に工夫するのは人として当たり前」

 

 わかるけど、ちょっと肩すかしっていうか……

 

「じゃあこれお願いね」

「これは……」

 

 渡されたものは手錠と手袋だった。魔術を封じるとかいう手錠はわかるけど、手袋?

 

「そいつに手錠したら、周りの骨を拾ってきて。しっかりと弔ってあげなくてはね」

 

 なるほどね、そのための手袋か。やっぱり責任を感じているのかな……

 

「私はこれからこいつを解体するから頼んだよ」

 

 そう言ってセシルさんは別の大きなナイフを出しドラゴンを解体し始めた。そのまま持ち帰ることが無理なのはわかるが……明らかにその手際の良さは初めてではない。それに簡単に皮膚を切り裂き、返り血が全く出ていないところを見ると、あのナイフも特別なものなのだろう。

 もしかして始めからこれが目的だったのかもしれない。 

 

 

 

「ふう……全部拾ったかな」

 

 最初はやはり気持ち悪かったが、拾っていくうちに慣れていった。これがいい事かどうかはわからないが……こういうことも経験だ。

 

「こっちも終わったから、向こうへ行くよ」

「は~い」

 

 僕が拾い終わるころ、既にセシルさんはドラゴンの解体を終えていた。

 呼ばれてついていった先は、始めに男がやってきた方向だ。その奥にはもうひとつ研究室と思われる部屋があり、書物や実験の跡とみられるものがあった。

 

「色々ありますねぇ」

「そうだね、ん? これは実験体を売っていた顧客のリストだな。後で王宮と取引して、情報料たっぷりと取ってやろうか」

「えぇ……」

 

 おいおい……これじゃ泥棒とあまり変わらないぞ。

 

「ん? これは……」

「え! ちょっと見せて!」

 

 僕は机の引き出しから、紙の束を見つけた。恐らく実験のレポートだと思うが、セシルさんに即座にとられてしまった。

 しかも凄いニヤニヤして読んでるよ……

 

「あの~ちょっと~」

「おっと、私、今もしかして悪い顔してたかな?」

 

 ええしてました、思いっきり。

 

「私こういうのを眺めてると、ついなっちゃうんだよね。自分で調べるのも楽しいけど、他人の研究を見るのも面白いもんだよ。ここまでできたのは、普通にすごいことだしね。まあ、これは世に出すのも危険だし、燃やすのももったいない。戦利品としてもらっておこう」

 

 そういってセシルさんはそのレポートをしまいながら、僕に向けて口に人差し指を当てたポーズをする。

 つまりは「このことは内緒!」ということだろう。

 

 

 

「こんなもんか、そろそろ戻ろう」

「わかりました」

 

 一通りの捜索を終えた僕たちは、未だにピクリとも動かないアレンを連れて、元の道を辿った。

 帰り道は道や罠の在り処もわかっているうえ、ここの主である男を連れているのだから、襲われることもなく楽に進めた。

 

 

 そして来たときの半分ほどの時間で入り口にたどり着くと……そこにはあらかじめ連絡しておいたのか何人かの兵士が待機していた。

 

 

「お二方、ご協力感謝いたします」

「おっ、隊長久しぶり」

「はいお久しぶりです、セシル殿。しかし、あなたが行ってくださるとは……連絡を受けたときは驚きましたよ」

「私とこの男と話したかった……というのもありますが、これ以上犠牲を出したくなかったですからね。あなたも一応聞いてるとは思いますが、数でかかればいいという相手でもなかったので」

「ありがとうございます。私は正直昨日出撃の命を受けて、ここで死ぬ覚悟でいました。今朝は妻と娘に別れを告げて……それで城に行ったら突然の待機命令。まさかとは思いましたが……」

「そうですか、もっと早く私が動ければよかったですね……」

「いえ我が隊の部下もみな感謝していますよ。ところで、何か戦利品などはありますかね?」

 

 あっ……これは……

 

「それやっぱり上の人から聞いて来いって?」

「はい、一応……」

「戦いの最中に全て焼けてしまいました。な~んにも残ってません。しいていうなら取引先のリストくらいですかね。これはあとで私から持っていくので、そう私が言っていたと伝えてください」

「……なるほど、わかりました。そう上に報告しときます」

「わかってますね~」

 

 やや大人の会話を交えながら、兵士の隊長と思われる人物と談笑を続ける。それなりに親しくしている人なのだろう。

 

「それでは、そろそろ私たちは戻らなければならないので。報酬などはまた後日」

「はい、後は任せました」

 

 そうして日も傾き始める頃、兵士たちは犠牲者の遺骨を持ち、男を連行していった。

 

「あの後どうなるんですかね」

「恐らく極刑は免れないだろうね」

「そうですか……そうですよね……」

「レンちゃんが気にすることはない。仕方ないことだよ……」

 

 そうは言っても……

 

「じゃ、私たちも帰ろうか」

 

 こうして僕たちは日が暮れ始める中、馬に乗り来た道を進み始める。

 手綱を持つセシルさんの背中はなんだか元気がなさそうで……かつての教え子に引導を渡すことになった、そんな悲しさが垣間見えた。

 そして────

 

「……んっ、どうしたのレンちゃん?」

「えっ……? ん……なんか、落ち込んでるみたいだったんで……いやでしたか?」

 

 自分でもこの瞬間、どんな感情でいたのかよくわからない。

 慰めたいと思ったのか、とっさに出てきた言葉はそうだったが、もしかしたら僕も今日、人の死にわずかながらに触れ怖くなったのかもしれない。それとも黄昏時の風景が、何か思い出させたのかもしれない。

 とにかく何が本心かは自分でも知る由がない。

 

 だけど後ろに座っていた僕はそんなセシルさんを見て、いつの間にか腰に手を回し抱き締めていた。

 

「……もう少しこのままでいてくれる?」

「……はい」

 

 そう答えたあと僕は自然と腕の力を少しだけ強めた。

 背中に体重を預けて暖かく柔らかい感触を、ほんのりとしたいいにおいを、お互いの鼓動を、しばらくの間感じていた。



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12話 異世界ライフのこれから

「んん~」

 

 手にしていた本を置き、ソファに深く座ったまま軽く背伸びをする。時計は午後三時を指していた。

 窓からは暖かい日が差し、気持ちのいい休日だ。

 

 この世界に来てから七年ほどの月日が流れた。とはいっても、身体には大きな変化はない。

 それでも今は女の身体を存分に楽しんでいる。たまに髪型も変えてみたり、ドレスなどで着飾ってパーティーなどにも連れていってもらったりもした。

 もう断言してもいい、自分は元々この身体を楽しめる素質があったのだと。

 

 しかし、自分の内面が男であることは今でもはっきり自覚している。根本的な思考などが変わった感じもない。

 つまり身体に引っ張られるようなことはないということだが、これはそういうものらしい。

 

 肝心の魔術の腕前はこの世界のものだけに限れば、元々ここの人間の身体ゆえの適正もあり、セシルさんにも勝るとも劣らないくらいに上達し、国にも並ぶものがいないほどになった。

 まあ日常ではそれほどの力はいらないし、実戦形式でやるとほとんど負けてしまうけれども。

 

 他にも助手としての活動の他、自分でも研究を行い、いくつかの新しい技術を見つけ出したりして、発見の喜びを知ることもできた。

 

 教えてもらったのは魔術だけではなく、護身のために剣術をはじめとする武術、それもマジカルなアレンジを施したものを教えてもらっている。

 ちょっと色々あって部屋でそのアイデアノートみたいなものを見つけたときはやや引いたが……楽しみでやっているんだろう。

 

 また料理も教えてもらい、今では交代で作っているほか、小さなお店で時間があるとき働いたりもしている。

 看板娘みたいな扱いをされるのは複雑な気持ちだが、誰からも好かれるというのは悪くない。かつてはとてもありえなかったことだし。

 

 そして、当のセシルさんは昨日から、王宮に呼ばれて外出している。

 そろそろ帰ってくるころだと思うが……

 

 

「ただいま~」

 

 そんなことを考えているそばから帰ってきた。

 だけど……声になんだか元気がないし、浮かない顔をしているな……

 

「何があったんですか?」

「レンちゃん……引っ越すよ!」

「へぇ?」

 

 あまりにも突然の提案に、思わずソファから飛び起き聞き返す。

 え、今引っ越すって言ったよね。何で?

 

「引っ越すって……急になんですか? ちゃんと説明してくださいよ」

「もちろん。レンちゃんもこの国の王が最近変わったのを知ってるだろ。その関係で私は呼ばれたんだけど……」

 

 それについては知っている。前の王は病死したらしい。

 もう年だったし、特に陰謀が絡んだとかそういう話ではないはずだけど……

 

「新しい王とその周りが近々隣国と戦争をするとか言い出してね。私にまた宮廷魔術師として協力しろと言ってきたんだ」

「なるほど……それで?」

「もちろん断ったよ。戦争のために研究してるわけではないからね。何より……私をクビにしたのはあいつらなんだよ! 今さら何言ってんだ!」

 

 やっぱ根に持ってるんじゃないか……

 

「でも王に逆らったことは確かだからね、この国ではちょっとやりにくくなる」

「まあ、そりゃそうですよね」

「だったら、引っ越しするいい機会かなって。戦争といっても小競り合い程度でここらへんは大丈夫だろうけど、わざわざそんなことになって留まることはないからね」

 

 もう、勝手だな……でもそれもいいかもしれない……

 

「一週間後には出発しようかなって思ってる、荷物とかまとめておいてね。と言っても、ただ放り込んでおくだけだけど」

「わかりました」

 

 

 ◆◆◆         ◆◆◆

 

 

「ブルルッ」

「おっと、よしよし」

 

 軽くなだめてから馬にまたがる。セシルさんのコネで国からもらった、美しい毛並みが特徴の名馬が僕の馬だ。

 乗馬の技術はもちろん教えてもらったし、魔力を通す特製の手綱のおかげで力はいらない。それに加え会話とまではいかなくてもある程度の意思疎通も可能だ。

 

「さて、行こうか。挨拶とかした?」

「大丈夫ですよ」

 

 

 これまで暮らしていた家に一つ礼をして、振り替える。

 そうして朝日が照らし、草原の朝露がまだ乾かぬうちに僕たちはこの国を後にした。

 

 七年間、色々あったけど……楽しかったな。

 

「ところで次はどこ行くんですか? 聞いてなかったですけど」

「こことはだいぶ離れた海沿いの国へ行こうかと思っているよ」

「ほう、いいですね~」

「まあ、最初に住む場所やお仕事を確保しないとね。他にもやることはあるし、始めのうちは慌ただしいかも」

 

 僕たちの腕前なら特に困ることもないだろう。蓄えはたくさんあるし心配はいらない。普通に働いてもいいし、今度は教える側になってもいいな。

 セシルさんなら、普通の魔術師の仕事などに加えて今までのように医者……のようなことをやっていれば手っ取り早く稼げるだろう。

 

あと、そういえば……

 

 

「荷物の整理をしているとき、いくつかの研究レポートが無かったんですけど知りませんか? セシルさんのやつでしたけど」

「ああ、あれは……こっちでの知り合いの魔術師にあげてきた」

「いいんですか? 長年やってきたのに」

「いいんだよ、私はレンちゃんよりは長くあの国にはお世話になってきた。こんな別れになったとしても、それは感謝している。ちゃんと信頼できるやつに渡してきたし、悪用できるものでもないしね」

 

 なら構わないけど……

 

「あの国への置き土産といったところですか」

「そうそう、流石に何も渡さずに消えちゃったら、後々面倒になったりするかもしれないし。まあ単なる気まぐれの偽善に過ぎないかもしれないけど」

「いいえ……正しいことをしたと思いますよ」

 

 セシルさんは無言で頷いた。まあまあ長くやっていた研究のはずだ。

 それでもわざわざ渡してきたのはやっぱりあの国のことが気に入っていたのだろう。

 

 

 

「……ねえ、レンちゃん。私からもちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「ん? 何ですか」

 

 その声からは大切な話であることがわかる。何かしたっけ?

 

「もし……もし元の世界に戻れるとしたら……どうする?」

「え、元って……できるんですか!」

 

 それはまさかの内容だった。

 確か以前は世界間の移動はある程度のブレがあり、自由な移動はできないはずだが。

 でも思い当たる節がないでもない。前は一緒に進めていたけど、最近は妙に隠すようにして一人でやっていたし……

 

「秘密にしていたけど最近、大きく進展があってね。今さらな話かもしれないけど……そういったこともできそうなんだ」

「はあ……」

「こういうことができるようになるのならば、やはりきちんと聞いておかなければいけない事だと思ってね。レンちゃんが戻りたいのだとすれば、この世界の魔力を持たせてあげるよ。今のレンちゃんなら何だってできるでしょ。あまり好き勝手は良くないけど」

「そうですか……」

「もちろんこれからずっと私と一緒にいてもいいよ。でも決めるのはレンちゃん自身。どちらの選択をしたとしてもかまわないよ」

 

 今でも時々、元の世界の風景や家族、友人の顔を思い出すことがある。それが懐かしく、夜中一人でできる事なら戻りたいと泣いていたことも何度もある。それが叶う機会だ。

 そしてこの世界で得た技術や知識、さらに魔力も持ち込めるのならば、大抵のことはできるだろう。

 

「…………」

 

 セシルさんは黙って僕の答えを待っている。確かにいい話だ。ここに来たばかりの自分だったら、戻ることを選択しているかもしれない。

 しかし、今の僕の答えは決まっていた。

 

 

「僕は……セシルさんと一緒にいます。そうやってこれまでみたいに二人で……多くの土地を、世界を見て回りたいです」

 

 僕はなんとなくわかっていた。

 セシルさんはきっと僕に自分とずっとずっと共にいてほしいと思っていたことを、だけど僕のためにこの選択をさせてくれたことを。

 

  それでも……自分に正直になって出した、本心からの結論だった。

 

 

「そっか……じゃあこれからもよろしくね、レンちゃん!」

「はい! お願いします、セシルさん!」

 

 そのまま数秒の沈黙の後、セシルさんは少しホッとしたような……そんな笑顔でそう言った。

 それを見て、僕はこれからもずっと続くであろう二人での、楽しく不思議な生活を予感していた。

 

 



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13話 魔女の独白

「よ~し、これでおしまいっと」

 

 国の人間から依頼されていた薬の調合の仕事を終え、私は細かい作業でこった身体をほぐすように大きく背伸びをした。

 兵士長さんに頼まれた部下のための傷薬や栄養剤、元同僚の魔術師に頼まれた研究用の薬品、不眠症の王様に個人的に頼まれた睡眠薬とその種類はいろいろ。結構大変だったが、それ相応の報酬はもらってるし、普段お世話になっているからね。

 

 そして仕上げに容器に入った薬とラベルに間違いがないか、指差しながらしっかりと確認する。

 

「うん……大丈夫だ、間違いないね」

「お疲れ様です、セシルさん」

「お疲れレンちゃん、助かったよ」

 

 作業を手伝ってくれたレンちゃんに礼をする。

 やはり二人だと進むのが早い、今まで一人が当たり前だっただけにそのありがたみを深く感じる。それにすごく丁寧にやってくれるから本当に助かる。

 

「そろそろ私は寝ようと思うけど、レンちゃんはどうする?」

「僕は……もう少し起きてます。読みたい本があるんで」

「そう? 勉強熱心だね。じゃあ後片付けとかもよろしくね」

「わかりました」

 

 返事をもらい、私は研究室を出るために着ていた白衣を脱ぎ、軽くシワを伸ばしながら引っ掻けた。

 この白衣は私の特製であり、ラボでの私たちの作業着。着ている者に様々な外的要因から自動で身を守る魔術を施してある、私の自信作の一つだ。

 

 また同じ効果を持つローブもあり、今回みたいな薬の調合など科学寄りの研究をするときはこれ、それ以外の魔術らしい魔術をするときはそのローブに着替えたりする。気分というのは大切だ。

 

「そう言えばレンちゃん、一つ聞きたいんだけど……」

「……? 何ですか?」

「ここでの生活は楽しい?」

 

 ふと、ドアを開けながらそう問いかけた。その質問に特に深い意味はない、私たちが出会ってからそろそろ半年が経つ頃なので、ちょっと聞いてみたくらいのつもりだった。

 もし何か不満点があったならば、改善するようにすればいいし、何もないならそれでいいと思っていた。しかし……

 

「もちろん! そうに決まってるじゃないですか」

 

 笑顔でそう言ってくれた。これでも星の数ほどの人間と関わってきた身だ、その言葉に嘘がないことははっきりとわかる。

 

「魔術の勉強は楽しいし、料理は美味しいし、これは当たり前かもですけど……空気もよくていいところだし、充実した生活ですよ。それにこの身体も気に入りましたし」

「そ、そう……でも何かない? しいて言えば何か……」

「そうですね、しいて言えば……」

「言えば?」

 

 何かな、ちょっとドキドキ。

 

「たまには自分の部屋片付けてくださいよ。せめて、読んだ本はちゃんとしまってください」

「……わかりました」

「じゃあ、お休みなさ~い」

「お休み……」

 

 

   ◆◆◆          ◆◆◆

 

「ふう……」

 

 軽くシャワーを浴びてから寝巻きに着替え、自分の部屋に戻った私は、重力に身体を任せてバフッとベッドへと倒れこんだ。

 そのまま昼間干された布団のフカフカの感触を楽しむ……至福の一時だ。それにしても……

 

「やっぱりレンちゃん可愛いな~」

 

 私はさっきの言葉を思い出す。ああやって言ってくれると……やっぱり嬉しい。魔術の才能もさることながら、気が利いて、真面目で……レンちゃんに会えてよかったと改めて思う。

 やはり魔術の無い世界から来たせいか、かえって人一倍魔術に興味を持ってくれているのも実にうれしい。それに最初に男の子だったと知ったときは、正直またドジをやってしまったと感じたが、結果としてはいい方向へと転がった。

 

 ふとした仕草や考え方などから垣間見える男性的な内面のギャップがたまらないし、仮に女同士だったら揉めることなんかも多くなったかもしれない。

 それになんだかんだでレンちゃん自身もあの身体を気に入ってくれているようで何よりだ、……もしかして潜在的にそういう願望があったのかも。

 

「さて……」

 

 このまま眠りたい誘惑をなんとか断ち切って布団から顔を上げ、机へ向かう。毎日の日課である日記を書くためだ。

 部屋の中は確かに少し散らかっているけど……もう遅いし明日やろう!

 

「今日は……何があったかな?」

 

 机へ座った私はペンを取り、日記帳へ今日の日付を書き込む。毎日、変化を求めながら生きることを心がけているとはいえ、やはりこれといった出来事が無い日も少なくない。

 それでも何か書くことを見つけ、文を紡いでいく。今日は昼間、レンちゃんと剣術の稽古をしたことやさっきの会話あたりを日記にした。

 

 剣術を教えているのは一応護身のためや魔術の練習にもなるというのが大きな目的だ。

 私たちは争うための力を欲しているわけではないが、自由でいるには面倒事に巻き込まれても何事もなく切り抜けられる力、降りかかる火の粉を払うだけの力はやはり必要といえる。

 

 だけどそれ以上の目的として、私自身が相手が欲しかったというのがある。昔からこうして自らを鍛えることは好きだし、今では相当の腕前であることは自負している。

 だけど、魔力を純粋なエネルギーとして扱う先天的な器用さを必要とする私のやり方を、同様にできる見込みがあるものはいなかった。だからこれまで練習相手がいなかったも同然だった。

 

 だけど今は違う。これもよくよく考えてみたら、女の子だったら付き合ってくれたか怪しいし、もちろん全く向いてないということも考えられた。

 でもやっていて実感するがレンちゃんは飲み込みが早いし、何よりとても楽しんでくれている。この辺はやっぱり男の子といった感じだ。

 

 それに強くて凛々しい銀髪ポニテの少女剣士、しかもボクっ娘……最高すぎるでしょ! 

 今度他の武器や徒手での戦い方もいろいろ教えてあげようかな。

 

 

 

「これでよし……」

 

 一ページの三分の二ほど書き込み、日記帳を閉じた。そのまま振り返り、部屋の隅の方にあるそこだけ綺麗に整頓された本棚を見る。

 並べられているのは全て誰かに見せるつもりもない私の日記だ。

 

 私にとって日記はただ日々の出来事を記録するためのものだけではない。

 ……かつて、初めて違う世界へと来たその夜から毎日欠かすことなくつけているものであり、書くことが多くても少なくても上限は一日に一ページ、自分の誕生日の度に新しいものに変えることで、暦としての役割を持っている。

 

 そうして続けてきた日記は本棚いっぱいに並んでいる。……思えば長く生きてきたもんだ。

 書物として残す以外にも、魔術的にもっとコンパクトに情報を保存する方法はある。だけどもこれに関してはこのやり方を続けるつもりだ。

 

 偶然発見し、私の力を持ってしてもいまだ全貌の解明には至らない不老の魔術。やがて人が正しい進歩の果てにたどり着くであろう技術の先取り。

 独り占めと言ったら言い方は悪いが、今の人間には過ぎたものだと考えた私はレンちゃんに出会うまで自分以外にはこれを施したことがなかった。まあそれは正解だったと今は思っている。

 

 私はこれまで、自らの好奇心のままに人生を生きてきた。魔術の研究だって誰のためでもなく、自分が興味があるから続けてきたことだ。

 世界にはまだまだ知りたいことがあるし、行く先々での人との出会いと生活はそれだけで楽しい。そして飽きてきたら、また面倒事になってしまったら別の地域、別の世界へと行けばいい。とても、とても……いつまでも続いてほしいほど楽しい人生だ。

 だけど……

 

「はぁ~」

 

 最近どうしても頭によぎることがある。私が初めて異世界へと足を踏み入れたあの時、きっと引き返すことはできた。当時の私も心のどこかでわかっていたはずだ。

 だけど家族とも友人とも約束されていた輝かしい未来にも、自らの意思で別れを告げ、私は引き返さないという道を選んだ。そしてその道の先に今の私がある。

 

 私はそうして自分の意思で自分の人生の選択をした。しかし、レンちゃんはちょっと話が違う。レンちゃんの魂をこちらに引っ張ってきたとき、もしこの話を断ったら、ということを聞いてきた。あの時……私は動揺した。

 入る肉体がなければ、魂はそのまま普通に死んだときと同じく全てを忘れて輪廻の流れに戻る。だからこそ、私は記憶を持ったままもう一度生きられるというのに断るなんてことはないだろう、そんな考え方をしていた。

 

 あの日はいろいろあった、私も少々平静を欠いていたのかも知れない。一応精神を落ち着かせてあげていたとはいえ、いきなりお風呂に誘ったりしちゃうし……中身男の子だぞ……なんとなくで誤魔化したけどさあ。

 だけどそれでもそんな傲慢ともいえる考え方のまま、人生の岐路に立つレンちゃんに選択の余地のない選択肢を与えてしまったと、少し後悔しているのだ。

 

 レンちゃん自身がどう思っているかはわからないし、私は聞くつもりも覗き見るつもりもない。そして私はずっとレンちゃんに一緒にいてほしいと心から思っている。

 それでもそう遠くない未来、私の並行世界移動の技術に進展があり、一度行った世界にまた行けるようになったとき……その償いとして私は改めて問いかけ、そしてその選択を尊重しようと思う。レンちゃんが私と共にいてくれるのかを……

 

 

 

「ふふふっ……」

 

 まあそんなことはまた後で考えればいいとして、椅子を立ち、本棚から無造作に一冊の日記帳を手にとり、ページをめくった私はかすかな笑みをこぼした。

 記してあったのは百年ほど前のささいな出来事だ、もちろん詳細に覚えているわけがない。それでもこうやって読み返せば、こんなこともあったな……とかすかに思い出し懐かしい気持ちへと浸ることができる。

 一通りそのページを読んだ私は、さらにページをめくった。

 

『〇月△日 本日、学校の生徒たちに密かな楽しみである小説やイラスト、脳内でつぶやいていた詠唱などを記したノートを見られてしまった。うかつにも机の上においたまま…………』

「…………」

 

 当時の様々な感情をぶつけたかのように書きなぐったそのページを、バンッと音がするほどの勢いで閉じ、再びベッドへと倒れこむ。

 

「あ~~!」

 

 布団に倒れこみ顔をうずめる。例え遥か昔の事とはいえ、もう当人たちがいないとはいえ、こういうのは……やっぱりくるものがある。

 まあ、今もそういうの続けてはいるけどね……

 

「いいや……もう寝よう」

 

 ともあれ就寝前の日課を終えた私は部屋の電気を消し、ベッドへと横たわった。

 眠ること、というのは実に気持ちがいいものだと私は思う。その気になれば眠りを必要としなくなる身体にもなれないことはないだろうが、それはしない。

 それは人間から遠ざかってしまうとかそういうことではなく、例え活動できる時間が増えたとしても、この何より心地よい時間を失いたくないからだ。

 

 横たわり数分……眠くなってきた。明日はどんな日かな……おやすみ……なさい…………

 

 

 




ここまでが1章になります。
感想や評価をくれた方、ありがとうございました。引き続きいただけると嬉しいです。
2章からもよろしくお願いします。


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2章
14話 意外な提案


 現代の日本のとある地方都市の一角。既に日は西の空へと落ち、立ち並ぶ店や走り去る車といった営みの光が代わりに闇を照らす。

 それらの光は同時にそこに住む人々の生活の様子を如実に表していた。

 

 そしてその街の中心部の地域、いくつかのオフィスビルが立ち並ぶ商業地区。その一つ、既に中の人間は皆無であるビルの屋上、低めのフェンスを越えた先のへりに腰を掛け、スラリとした両足を遊ばせて街を俯瞰する少女がいた。

 

 月光を受け輝く髪をふわりと夜風に揺らし、明け方の蒼の瞬間の空を思わせる澄んだ瞳は宝石をまばらに散りばめたような夜の街へ向けている。

 本来ならば人のいるはずのない場所であり、いるはずのない時間帯。それなのに何事もないように平然と。

 それだけで周囲はまるで、違う世界のような雰囲気に満ちていた。

 

 

 …………言い過ぎかな。まあ、こんなシチュエーションだ、多少自分に酔ってみたくもなるもんだ。

 

 

 僕は今、この辺りで一番高いビルの屋上から自分の故郷である街を見下ろしている。

 正確には前の僕が生まれた街であり、そして……死んだ街でもある。訪れるのは七年ぶりくらいだ。

 

 何十年もご無沙汰なわけではないから、そこまで大きな変化は見受けられない。それでも知らない公園やコンビニなんかができていたり、ここからでも見える場所で様変わりしている場所はちらほらある。

 それは僕に時間の経過というものを否が応でも感じさせていた。

 

 正直なことを言うと、もうここには来る事はないと思っていた。

 僕は少し前セシルさんから、そのまま一緒にいるかそれとも帰るかと聞かれたが僕は前者を選んだ。その時から、もう自分はこことは一切の関わりの無い人間だと考えていた。

 いや、本当はそのはずだったんだがなあ……

 

 

    ◆◆◆             ◆◆◆

 

 

 新たな土地での生活を始めて一ヶ月ほど、住む家も簡単に見つかり、すぐさま住みやすいように改装も済ませた。そうして僕たちはその土地にすぐに馴染み始め、まあまあ快適な生活を送っていた。

 何よりも周りの人間から好かれているのが大きかった。セシルさんは研究者としての本業のほかに、よくお医者さんや学校の先生といったことをやっている。そしてここに来てからも、既にこの地域にも、国を隔てて、ある程度魔術師としての名が知れ渡っているのもあり、簡単にそれらの地位を手に入れられた。

 そういう職に携わるのは稼ぐのが楽というのもあるが、それ以上に手っ取り早く周囲に溶け込むことができるかららしい。

 

 様々な土地を転々とするセシルさんが言うには、新天地での生活は信頼を得ることから始まるとのことだ。

 僕自身も手伝いとして働いているが、買い物をするときおまけしてもらったり、小さい子どもから懐かれたりしたときなどすでに日常の中でそれを実感するときがある。

 

 そんな楽しい生活の中で、とある日の夜、夕食を食べ終わり、くつろいでいたときのこと……

 

「むむっ、くっ……このっ」

「……」

 

 そうやって何やら、うなっているセシルさんは、ソファーに寝そべりながら落ちものパズルゲームをやっている。

 こういうのはシンプルなだけにいくらでも飽きずにできる、僕たちのお気に入りの一つだ。

 

「あっ……」

 

 声を出したまま、手が止まった。きっとミスって終わったんだろう。

 

「ふぅ……ね~え、レンちゃん」

「何ですか~」

 

 ため息を一つ、ゲームの電源を切り、机の上において起き上がったセシルさんは唐突に話しかけてきた。それに僕は読んでいた本から目を離さぬまま、声だけで返事をする。

 どうせ大した事ではない、明日の朝食は何がいいとか、その程度のことだと思ったから。

 

「私たちってさ~出会ってから結構経つよね~」

「そう……ですね」

 

 いきなり変な事聞くな、何の話だろう……

 

「でも、僕たちはほとんど変わりませんけどね」

「そんなことないよ。私はともかく、レンちゃんは成長したでしょ~」

「本当ですか~」

 

 そのままの調子で会話を続ける。何とな~くだが……その意図が分かってきた。

 

「ホントホント、なんていうか落ち着いたっていうか……大人になったと思うよ。身体は変わらないから、あんまり変わった感じはしないかも知れないけど、精神が若いままってことと未熟であるってことは別だからね」

「そうですか……で?」

「!?」

「いや、なんか言いたいことがあるんでしょ? ほらほら、早く言ってくださいよ」

「…………」

 

 今まで流暢に話していた口がピタリと止まる。図星のようだ。

 この人は僕と話すとき、切り出しにくい話題を振るときに、突然脈絡がなく、当たりさわりのない話から始めることがままある。今回もそんな感じがしたが……正解だったな。

 

「ん~そういうところも鋭くなったよね……いいことだよ。実を言うと、一度、レンちゃんのいた世界に、というか日本にまた行きたいな~って思ってる」

「……はえっ!?」

 

 突然の展開に変な声が出てしまった。読んでいた本を膝に置き、ガバっと身を起こしてセシルさんの方に向き直る。

 ちょっと待てよ……聞き間違いじゃないよね?

 

「どうしてそんな急に? この前、もう僕は向こうに未練は無いって言ったじゃないですか。それにこっちの暮らしもいい感じになってきたのに……」

「あ~それはわかってる。だから……レンちゃんの為じゃなくて、私が行きたいの」

「はあ……」

 

 僕のためじゃなくて、自分が行きたい……か。

 

「確かにレンちゃんは例え帰れるようになっても私と暮らすって言ってくれた……でも、向こうにまた行きたくないとは言ってないよねえ。それにホントは一度は戻ってみたいんでしょ?」

「うっ……それはそうですけど」

「じゃあ、いいでしょ! 引っ越してから忙しくて、丁度落ち着いてきたこの時期だからこそ、一度故郷でゆっくりとしようよ」

 

 僕が拒否できずにいると、突然嬉しそうになるセシルさん。その口ぶりから、もう行くことは決定事項のようだ……

 

「別に向こうに住むってわけじゃない。ほんの二週間くらい、ちょっとした旅行感覚だよ」

「うん、まあそれなら……」

「それにレンちゃんもせっかくだから、ご両親に一度顔を見せたらどう?」

「…………そうですねぇ」

 

 父さんや母さんに……

 

「だけど会ったとしても、僕の心は変わらないですよ。あくまでもこっちに住み、一緒にいるってことは」

「もちろん、そのことはわかってるよ。あと私もご挨拶したいしね」

「じゃあ……いいですよ」

「決まりだね。あ~ワクワクしてきた」

 

 確かに僕はセシルさんとこれからも一緒にいることを選んだ。どんな世界でも付いていくすることを選択した。もうそれは例え両親に会っても、揺るがない決心だ。

 でもだからといって、会いたくない、行きたくないなんてことはない。

 

 なんだか……僕がそれなりの覚悟をして決めた選択を、茶番にされてしまった感じがしたが……こういう人だというのはわかっているし、別にいいかな。

 セシルさんと一緒に会いに行くことを、すでにまんざらでもないと考える自分がいることも確かなのだから。

 



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15話 世界を越えて

 それから僕たちは色々と準備を始めた。とはいっても引っ越ししてそれほど時が経っておらず、元々まとまって保管されているものもあり、荷造り自体はそれほどかからない。問題はそれ以外だ。

 まずは向こうでも魔術が使えるように魔力の結晶を用意、それに一応この地域の医者としても活動している僕たちが、いきなりいなくなっても迷惑をかけるので周囲への声掛けをした。

 

 そして馬の世話のお願いなど、その他もろもろの準備を終えようやく五日後の朝、僕たちは出発をした。

 

 

「大丈夫? もうここ超えたら、しばらくは戻れないからね」

「問題ないですよ。別にまた引っ越すとかじゃないんだから」

「そうだけど、一応ね」

 

 連れられたのは前もって見つけておいたらしい、世界と世界の境界があるという近くの森。ここから別の世界へと行けるらしい。

 それほど遠くはない、少し歩けば行ける距離に、こんな場所があったとは知らなかったな。

 

 

 僕たちは小規模の空間操作や自動翻訳、幻術を応用した不可視化などなど、科学と魔術双方から見ても、どの世界にも存在しないほどの技術をいくつも有している。

 当然本来ならばどんな天才が一生を費やそうと、決してたどり着けないほどの成果だ。

 

 これはセシルさんが渡り歩いてきた世界ごとの魔術や科学の知識などを組み合わせたりして、好奇心のまま技術のブレイクスルーを繰り返し編み出されたもの。つまりは約三百年もの一人異世界文明融合の賜物だ。

 

 そしてそれも今は二人となり、研究もかなり加速した。実際この七年の間にも、異世界の魔術でありながら、こちらの魔力だけで工夫してできるようになったことも結構ある。またリソースや時間が足りず理論上は可能でも実現は手間がかかること、そもそも危なくて実現させるつもりのないものも含め、多くの新しい技術が生み出された。

 もはや僕たちはあらゆる世界を含めても最先端の技術を有しているといっても過言ではない。

 

 だけど、それでもとても追いつけていない、僕たちの能力を超えた技術が二つある。

 

 一つは僕たちの身体にかかっている不老の魔術。別のことを研究していた際に全くの偶然で編み出されたらしいこれは、維持のために必要なものがなければ副作用とかもなく、特にする気はないが解除も自由で、老化以外にもどこを止める、どこを止めないと、かなり自由に決められたりする。

 僕たちのような類まれな魔術の才を持つものにしか施せないという制約を除けば、まさしく人類が夢見る不老長寿技術の完成形のようなものだ。

 そもそもその制約だって、僕たちしか使わない以上取り払う必要もない。

 

 ただ、セシルさん本人ですらなぜこうなっているのか、未だよくわからないらしい。少なくとも単純な肉体の再生のようなものというより、時間操作の類に近いことはなんとなくわかっているが、類似の魔術も今のところ見つかってない。

 たまたま見つけて詳しい原理は不明でも、とりあえず問題なく使えているならそれでいいとのこと。それはそれで間違っていないだろう。

 いつかはその全貌がわかるであろうことには違いないのだから。

 

「えっと、確かこの辺に……あったあった、目印」

 

 そうこうしているうちに、現場へと着いたらしい。

 セシルさんが指し示す先にあるのは、やはり事前に用意しておいたと思わしき地面にぼんやりと浮かぶ円形の印。ここがその世界の境界といった地点であることは前々から教えてもらっていた知識のみしかなく、こういったことが初めての僕でも一目でわかった。

 それだけそこから異質なものが感じられたからだ。

 

「じゃあいよいよ行くよ、レンちゃんも入って」

「はいはい、この中ですね」

 

 最初にセシルさんが円の中へと入り、続けて僕も入っていく。とはいっても僕自身は何かすることはない。ただ、待っていればいいだけ。

 これがもう一つの解明に至らぬ技術、並行世界間の移動。セシルさんにとって全ての始まりであり、僕たちが出会ったきっかけでもある。

 

 こちらも偶然で見つかったものではあるが、その解析は不老の魔術と比べれば少しは進んでいる。

 遥か昔セシルさんが遭遇した初めての神隠しは世界のわずかな綻び……例えるならばこの世界そのもののバグのようなものだ。到底狙って遭遇するようなものではなく、出会ってしまっても当人はどこか知らない場所にいた、周りのものはあいつは突然いなくなった……それで終わるような世界に何ら影響のあるものではない。

 

 しかし人並外れた好奇心と才能を持ったセシルさんは違った。そこから長い時間をかけ、それを解き明かして、ここまでに至ったのだ。

 それはバグを解析、制御可能としていき、やがては自らの移動手段として確立した、というイメージだろうか。

 

 初めはせいぜい人がいる世界くらいしか行先の指定もできなかったみたいだが、魔術がある世界、ない世界といったようにその精度も上がっていき、今はこうして「一度行った世界にまた行ける」までになった。

 

 きっと人類が真っ当な進歩をしてここまでの技術を得るのには、本来ならば科学文明であろうと魔術文明であろうと、相当な時間が必要であろう。それこそ何百年、何千年単位でかかるかもしれない。僕たちだってその全容の解明にはまだまだかかる。

 だけど、それでも僕たちがそんな技術を有している、どんな世界にとってもよそ者のようなものであることは間違いない。

 

「やるよ~すぐ終わっちゃうからしっかりご覧あれ~」

「はい……」

 

 いよいよ始まりだ。さてさて世界を越えるとは……どんな感覚なんだろうか。

 楽しみなようで、ほんの少し怖いかな。

 

「ここかな……えいっ!」

「────!」

 

 

 数秒、位置を調整するような動作をしたセシルさんが向こうの世界に持っていくものとは別に時間をかけて用意していた、世界の境界を越えるだけのエネルギー。相当量の魔力の結晶を手に持ったまま、杖で軽く地面を叩いた。

 その瞬間円からはまばゆい光が放たれ、一瞬にして……僕たちを包んだ。

 



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16話 移動はのんびりと

「ふう……いいかな」

「あれ、もう完了ですか?」

 

 その光はほんの瞬きの間で消え、セシルさんの手にも何もない。そのまま何事もなかったように静かな森の中に僕たちはいた。多分……もう移動は終わっているのだろう。

 正直に言ってすごくあっけなかったというのが第一印象だ。本当に成功したのかわからないほどに。

 

「もう私はこれ何回もやってるしね。最初のころはもっと何分も、下手したら数時間くらいかかってたんだけど、今はこんなもんだよ」

「ふうん……それは大変そうですね。でも、今回はこれで本当にこれたんですかね?」

 

 なんだか見た感じ、今までいた森の中とあんまり変化ないよな……木の葉っぱの形とかが違うかな?

 久しぶりに日本に帰ると醤油の匂いがするなんて話を聞いたことがあるが、流石にそこまでではないものの空気の違いというのはわずかに感じるかも。

 

「試しに適当な魔術使ってみれば? 多分できないから」

「へえ……あっ、確かにできないです」

 

 言われたように僕は何度もやっている周囲の地形や生物の有無を探索するための魔術を使おうとした……が、セシルさんの言葉通りに何も起きず不発に終わった。今までできていたものができなくなるのは、少し不思議な感覚だ。

 視覚ではいまいちわからなかったが、これで別の世界にこれたという事実が実感となったかな。

 

「さてさて、まずはこっから人のいるとこに行かないとね。大体の場所はわかってるとはいえ、森のなかだし」

 

 セシルさんはそういって僕が使おうとしたのと同じ魔術を、今度は移動に使うものとは別の持ち込んだ魔力を使って発動した。僕たちが所持しているそれは指輪についた、蒼いような、白いような、そんな不思議な輝きの小さい宝石のようなもの。

 これだけで節約して使うならば数ヵ月分は確実にある。滞在期間は二週間くらいのはずなので多めに用意したようだ。

 

 魔術は人が作り出した技術であり、元となるものが必要だ。早い話、もしこれがなかったらこの世界では魔術が使えない。僕たちも護身のため、多少は鍛えているとはいえ、それだけでは普通の人とは大差がない。

 つまりこれを無くしてしまったら、こちらの人と変わらなくなってしまうが……その心配は大丈夫。一つは保険として僕たちはこれとは別に、万が一に備え少量の様々な世界の魔力の結晶を体内に入れているから。

 

 そして何より、これには無くさないように、普段からちょくちょく忘れ物をするセシルさんのために僕が開発した魔術がかけてあるからだ。それは僕たちが万が一どこかに置き忘れても、少し離れればすぐにそのことが全てを優先して頭に浮かんでくる……そんな呪いが。

 やりすぎと思われるかもしれないがこれくらいしないと、忘れ癖というのは治らないものだ。

  

 それにしても、この小ささは凄いことだ。魔力をこのように物質化する技術自体は向こうではありふれているが、ここまでの密度はありえない。これだけで十分にオーパーツだ。これまでも何度かやってるから忘れそうになるが、これもまた僕たちのみが有する技術に違いはない。

 でも……多分今の僕が同じことをやってもここまではいかないだろうな。

 

「あっちがこうなって~こっちがこうで~」

「……ん、やっぱ……」

 

 セシルさんが周囲の確認をしている間、ふと思い立ち自分の指輪も見つめると、それは出発前に見たときと変わらずに煌々とした輝きを放っていた。

 こちらの人々がこれを見てもきっとただの綺麗な宝石くらいの印象しかわかないだろう。しかし僕はこの小さな固まりからは本来こちらにはあるはずのないもの。周りの景色、雰囲気、口では言い表しにくいが漠然とした、この世界のどれとも違ったものである違和感、そんなイメージが無意識に浮かんでいた。

 

 確かにこれは世界にとっては明らかな異物だ。しかし、僕たちにとってはある意味最も近しいものであるともいえる。

 自分はもうこの世界では同じく異物なのだと、よそ者であるとはこういうことなのだと、なんとなくだがそんなことが頭をよぎった。

 

 

「大体わかったから行こうか」

「あっ……はい。早速行きましょう」

「オッケー! ここ割と街の方から近かったから、少し歩けば出られるよ。それからはゆっくり行こうか」

「はい!」

 

 そこからセシルさんの案内に連れられ歩いていくと十分ほどで懐かしきアスファルトの道路に、さらにそこから道なりに歩くこと十分ほどで小さな町へと出た。今日は休日ということもあり、人通りもそれなりだ。

 しかしそこは日本であることには変わりはないが、僕の住んでいた地域からはやや離れている場所、具体的にはいくつかの県をまたいだ地域だった。

 つまりここからはこの国の全てをつなぐ交通網……電車による移動が必要だ。

 

 だけど問題が一つ。僕たちはここで使うお金を持っておらず、また当然ながら身分を証明するようなものも持っていない。

 というわけで最初にしたことは……

 

「はい、ご苦労様~」

「ちょっと……ちゃんとできたんですか?」

「大丈夫だよ。ほらバッチリ」

 

 セシルさんは人目のない路地裏で成功したことを示すように、目の前にいる眼鏡の男性から受け取った紙幣の束を僕に見せびらかす。とりあえず……上手くいったみたいだ。

 

 端から見ればそうとしか見えないだろうが、これは決してカツアゲなんかをしたわけではない。

 僕たちは向こうから持ち込んだどんな世界でも価値あるもの、つまりは(きん)や貴金属による装飾品など。それをその辺を散歩していたと思しき、適当な人に暗示をかけて代わりに換金してきてもらったというわけだ。

 これもそんなに褒められるようなこととは言えないが、一時的なもので大した金額じゃないからあっという間だったし、この人の財布にもお礼としてそれなりに入れておいてあげたから……いいんじゃないかな。

 

「はい、ありがとうね~」

「えっ……俺今何して……」

「ほらほら、早く行こ行こ」

「はいはい」

 

 そうしてその男性の暗示を解いて僕たちは、そそくさと移動を開始した。

 

 

「お弁当どれがいいかな。何か知ってるのとかない?」

「え~と、これ食べたことあります。おいしかったですよ~」

「じゃあ、私これにしよ」

「それじゃ僕はこっちで」

 

 久方ぶりの日本の街並み、人の空気、向こうの世界との多くの違いに少し戸惑いつつも楽しみながら、文明の利器たる鉄道での旅。

 

 

「んん……」

「眠くなった? 朝早かったからね、少し休んだら?」

「そうします。次の降りる駅になったら起こしてください……」

「は~い」

 

 駅弁を買って二人で食べて、窓の外を眺めながら心地よい振動に揺られて、そんなのんびりとした穏やかな旅。

 いつか時間ができたらこんな旅をしてみたいと、昔思ったようなそんな記憶が蘇る。

 

 

「この辺……知ってます。もう少しですよ……あれ?」

「……ん、むにゃむにゃ……」

「寝てる……まいっか、あと一時間くらいあるし」

 

 そうやっていくつかの路線を乗り継いで……日が沈みかける頃に僕の故郷の街へと着いた。

 

 そして、今に至る……

 



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17話 都市を見渡して

 夜空を見上げながら深呼吸をする。季節は初夏、世界が変わり多少の地球の歴史と地形の違いはあれど、向こうでも緯度的には大体日本と同じなので、温度感はそれほど変化はない。

 

 しかしやはり向こうの世界と比べると、空気が汚れているのがわかる。

 こちらで生きていたときは感じなかったのに今はハッキリとわかるのは、感覚が鋭くなったのもあるが、向こうの空気が実に澄んでいたというのが一番の理由だろう。

 

 だが別にそのことに対しては嫌な気持ちにはなったりはしない。それどころか、これが文明の匂いだといった感じに不思議と納得できる。

 夜空に浮かぶ星も多少雲って見えるものの、どうということはない。満天に輝くそれは、どちらの世界でも変わることのない自然の美しさだ。

 

 そしてそこに目を下ろすとあるものは、並んで動き続ける車のランプ、未だ働き続ける人がいることを表しているビルの光、さらには街のネオンやイルミネーション。

 夜の街を彩るそれらは星空に似て全く非なるものだ。しかしその人工の美しさは自然のものにも劣らない、と僕は思う。

 

「ふふっ……ふふふ……」

 

 なんとなく……笑みがこぼれてしまった。でもこんな風にビルから夜の風景を見下ろすなんて、昔からちょっと憧れていたところはある。正直言ってとてもいい気分だ。

 きっと多くの人が、こういうことをしてみたいと一度はそう感じたことがあるのではないか。

 

 だが……こうしていても、見える場所にはやはり限度がある。 

 視力強化を施せば、暗がりの中でもここから遥か遠くを歩く通行人の顔ですらしっかりと見ることができる。しかしそれでも、建物の影になっている場所なんかは死角になってしまって無理だ。

 向こうでは高い建物がほとんど無かったからよかったが、こればっかりは仕方がない。

 

「よいしょっと……」

 

 僕は空間の拡張をしてある服の中から、愛用の杖を取り出した。今の僕の服装はこちらに合わせてごく普通のカーディガンにジーンズといった感じ。

 もし今の行動を知らない人が見れば、何もないところからこんなものを出すなんて手品の様にしか見えていないだろう。

 

「…………」

 

 その杖の先を身体の正面に向けて少し集中する。その先に淡い白い光が上がり、その粒子はみるみるうちにある形を成していく。数秒後、光は白い鳩の形となった。

 その鳩はよく目を凝らしてみれば、ぼんやり光って見えるものの、それ以外は普通とまったく変わりがない。しかし手で持ってみればふわふわと綿のように重さを感じさせない。

 

 これは魔力で作った即席の使い魔。とはいえ魂を持った生き物ではないが、本物と全く同じ動きで思うがままに動かすこと、そして何よりもその目を通じて物を見ることができる。

 自分の周囲くらいだったり、また今回は家に置いてきた道具を使えばある程度の範囲に直接視線を飛ばす、いわゆる千里眼もできるけど、それなしでこの街のような広い範囲を見て回るにはこのような中継となるものが必要だ。

 

 こういった魔術は広く見渡すのはもちろん、客観的に自分を見ることにも役立つ。第三者の目で見る自分は鏡で見るのとはまた違って、いいものだ。

 現にさっきまでそうしてここに座る自分を眺めていたしね。

 

「ん~と……大丈夫か……よし、いってらっしゃい」

 

 最後に完璧にできているか軽くチェックした後、それを夜の街へと飛び立たせた。

 そして一度軽く目を閉じ、メインの視覚を鳩の方へと移す。元の身体の視覚も残してあり、同時に見いるわけだがもう慣れたので特に混乱したりはしない。

 

 

「ああ、あったなあ、こういうの」

 

 そうして鳥の視点でゆっくりと夜の街を見渡していく。

 

「うわ……あいつの家じゃん、多分もういないんだろうなぁ……」

 

 今まで見えなかった建物の影や人が過ごすその内部、街の裏路地、放課後に遊んだ公園、仲の良かった友人の家、さらには昔通っていた学校や通学路……なんだか少し涙ぐんでしまう。

 

「こっちは……やめとくか」

 

 そのまま自分の家へと向かおうとしたが、一瞬考えそれから翼を翻した。どうせ明日自分の足で向かうのだ、今見に行く必要はないだろうと、そう考えたから。

 

 

「はあ……面白かった」

 

 三十分程街を周り、僕は鳩を自分の元へ帰して視点を戻した。最後に杖でコツンと触ると、光となって消えていった。それを見届け、心のなかでご苦労様と言う。

 

 こうやって見て回ってなんとなくわかった、この世界に生きる人たちは向こうの世界の人たちとは根本的に違うところがある。

 なんだか……言い方は悪いかもしれないが、欲望というものをひしひしと感じる。以前セシルさんも言っていたが、魔力という便利な力があり、エネルギーの問題が少ないと文明はどうしても発達しにくいらしい。

 ここの他にも魔術の存在しない、もしくはほぼない世界にも行ってきたがそれは例外がなかったということだ。

 

 満ち足りないがゆえに、人はより良きを求め、文明は成長するということか。ハングリー精神って大切。

 でもセシルさんはどんな世界にいたとしても、きっとこちら側だな。

 

「ん……もうこんな時間か」

 

 腕に付けた時計を見ると、思ったより時間が過ぎていた。少し急いで戻らないと、セシルさんもきっと待っているだろう。

 

 僕は立ち上がり傍らに置いてあったビニール袋を持ち、杖を懐にしまった。

 そしてここに来た時と同じく、今いるビルより1~2階分低い隣のビルの方へ歩いていき……まるで跨ぐにはやや大きい水たまりを飛び越えるかのように、少しだけ助走を付けてピョンと跳び上がった。

 

「よっ……とっとっ……」

 

 足元に魔力を瞬間的に溜めて足場を傷つけないように、音を出さないように調整しながら放出し推進力とする。

 同時に自分の周囲の空気もいじって進む方向への空気抵抗をなくしつつも、丁度下から支えるような感じに、さらには着地も自らに一切の衝撃が無いよう、そして足音を立てないように滞空中に溜めた魔力を上手い具合にクッションとする。

 

 どんな世界でも物理的な法則は変わらない。地球からの重力を制するには未だ至っていない現状、浮くだけならともかく、長時間飛ぶという動作は魔術を用いてもなかなか難しいものだ。

 それにどうしてもスピードがいるから日常で急ぐことが少ない僕たちのあんまり性に合ってないし、みんなが地に足付けているなかこっそりとはいえ空飛ぶのもなんだし、やっぱり馬で移動するの楽しいしで……ともかく飛行に関する魔術はまだ効率的といえるものはない。

 というより、本気で取り組むきっかけがないといった方が正しいか。

 

 それならば短距離の移動ではこうしたやり方の方が使う魔力もはるかに少なくて済むが、こちらはこちらでただジャンプして着地するという動作にもそれなりに複雑で繊細な魔力の操作が要る。

 だけど……僕たちにとってはそんな問題は何てことない。元から足場だらけの街中では実に有用な移動法だ。距離が足りなければ空中で跳ねることだってできるし。

 

 

 そしてそのまま音もなく建物の屋上を跳び移り、途中の通りも難なく跳び越えて、目的の場所……僕たちの泊まるホテルへと向かっていった。

 



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18話 夜のくつろぎ

「確かここらだったな」

 

 少しだけ迷いつつも、その近くまでたどり着いた僕は、周囲を確認してから、建物の間の路地へと降り立った。

 あとはここから歩いて五分もない距離のホテルに向かうだけだが、その前にっと……

 

「こんな感じかな……」

 

 人々の歩く街道に出る前に魔術を用いて髪と瞳の色を変えた。杖と同様に服から取り出した手鏡に写る自分はもう見慣れた銀髪ではなく、艶のあるダークブラウンの髪に黒の瞳だ。

 実際に変わっているのではなく、これは見るものの認識をいじる幻術の類い。同様の方法で今まで屋上にいた間は、万が一にも見られて面倒ごとにならないよう不可視の状態にしていたし、ここに来るまでも僕とセシルさんは髪色と瞳の色を変えていた。

 

 幻術とはいえ電子機器をも騙せ、この世界で見破れる手段があるわけもないのでこれで問題ない。

 向こうではさして珍しくもない銀髪でも、こちらだとさすがに目立つからね。

 

 一応これでどこにいても不思議ではない、普通のかわいい女の子だ。少なくとも見た目は。

 

 しかしこう……夜にこの街を一人で出歩くなんて初めての経験かもな。この辺はさっき見渡したが、自分の足で歩き、自分の目で見るのではまた違った風景に見える。

 そしてこの硬いアスファルトを踏みしめる感覚……昨日までは全くなかったこの体験、それさえもなんだか懐かしい。

 

 ……だいぶ長く離れて忘れていたかとも思ったけど、故郷ってのはやっぱり特別なものなのかな。

 

 

 

 街中にそびえる一つのシティホテル。ここに僕らは二週間の滞在を予約してある。

 来る途中の予約だったが結構空いているらしく、普通に申し込むことはできた。

 

 格としては決して高級というほどではないが、外からは小綺麗なフロントや広々としたロビーが見え、清潔で上品な印象を与える。

 子どものころ、何故かここに憧れていたのを思い出す。今こうやって入ってみると、別に大したことはないが、この中は大人のための空間のような気がしていた。

 

「えっと……三階か」

 

 そんなホテルの独特の雰囲気を楽しみながらエレベーターで階を上がり、廊下を渡り、部屋のドアの前に立つ。

 ドアの奥からはかすかに聞き慣れた声が聞こえ、部屋の中の気配を感じさせた。そして持っている鍵を入れた後、僕はドアノブに手をかけて、少し重たい感触のドアをゆっくりと開けた。

 

「あはははは!」

 

 その瞬間、テレビの番組の音声とセシルさんの笑い声が聞こえた。ずいぶんと上機嫌だ……

 

「帰りましたよ」

「あっ、お帰り~夜の散歩は楽しかった?」

 

 もう必要ないので髪色を戻して部屋に入る。手を離すとオートロックのドアはガチャリと音を立て一人でにしまった。

 

「はい、夜風が気持ちよかったです」

「何十年か前、私がこの世界にいた頃は私もいろいろ回ったけど、ここはいいね。今なら女の子が夜出歩いても、そんなに心配ないみたいだし」

「そうですね~」

 

 部屋にいるのは、ここに来る途中に中古で買ったノートパソコンをいじりながら、テレビを見て楽しそうに笑う、二十歳程のTシャツ姿の女性。

 いったい誰が、この人がいくつもの世界を超えて、数百年の時を生きる魔女だと思うだろうか。正直この馴染みっぷりに僕も戸惑うくらいだ。

 

「言われたとおり、コンビニでお菓子適当に買ってきました」

「ご苦労様、早速食べよっか」

「でもちゃんとしたお店もまだやってましたけど、これでよかったんですか?」

「いいの、これが食べたかったんだから」

 

 持っていた袋の中身はコンビニのスイーツだ。夕食はすでに済ませたので、夜の散歩のついでにデザートとして買ってくるように頼まれていた。

 早速ティーバッグの紅茶を用意し、僕は昔から売っているロングセラー商品のケーキ、セシルさんは新発売の小さなパフェを食べてみた。

 

「ん~おいし~」

「うん……」

 

 このなめらかな舌触り、確かにうまい……ていうかこれ食べた事あったはずだが、こんなに美味しかったっけ? 久しぶりに食べたから?

 やはり、長年残る商品にはそれだけの理由があるってことかな。

 

「そっちも一口頂戴」

「はいどーぞ。じゃあそっちももらいますね」

「うん、こっちも美味しいね。コンビニのスイーツはすごいね~」

 

 ケーキを一口上げて、僕もセシルさんのを一口もらう。これも濃厚なチョコのクリームがいい味だ。こっちは初めて食べるものだが気に入った。また後で買って食べよう。

 あと今ようやくわかったが、わざわざコンビニスイーツなんて変化球を買ってこさせたのは、きっと普通の菓子屋のものでは自分達で普段作っているものに似通ってしまうからだろう。

 

 こちらでしか食べられないものといえば、確かにこういうものになるのも納得だ。

 

「それにしても久しぶりにこっちに来ると、全然違ってるもんだね」

「そうかな? そこまで変わんないと思いますけど」

「レンちゃんは久しぶりとはいえ、ずっとこっちで暮らしてたわけだからそう思うのは当然かもしれないけど、これくらいの期間でここまで文明全体が進歩するってのはあんまりないからね。レンちゃんから聞いてはいたけどインターネットとかすごく便利だし」

 

 そりゃあその辺は変わっているだろうね。きっと一番身近に感じられる変化だろう。

 そう考えてみると、この世界の技術の進歩というのは確かに早い。今まで人の歴史を考えてみればなおさらだ。

 

「以前ここにいたのも期間としてはほんの少しだったっていうのもあるし、やっぱり……私にとっては何度訪れようと、刺激あふれる生活の待つ異世界だってのは変わらないよ。それに前は一人だったけど、二人ならなおさら楽しいもの」

「ふうん……」

「あと昔の方がよかった……な~んてことは言わないけど、ちょっと不便だったあの頃も少し懐かしくはなるかな。あまり便利すぎるのもつまらないかもってね」

「そんなこといって、セシルさんはあっちにいろいろ持ち込んでるじゃないですか」

「ふふっ、まあね。だって便利なんだもん」

 

 そんなことを話しながら食べ終わり、僕も久しぶりにテレビ番組やネットサーフィンを楽しむ。他の家電はともかく、これらは向こうにそれだけあっても仕方がない。

 こちらだからこそ楽しめるものだ。

 

 番組に出ているタレントたちの面々、ネットのコンテンツ、変わっているものもあれば変わらないものもある。

 これらで時間を潰すことは、無駄な時間を過ごしている気がしなくもないが、それはそれで悪くないものだと、そう感じる。

 

 

 やがて夜も更けていき、僕たちはお互いのベッドへと横たわった。

 

「…………」

 

 こうして見上げる天井は見慣れた家のものとは違う。ベッドや布団もそうだ。わずかに感じる違和感が自分の居場所を認識させる。

 

 明日……僕は両親に会いに行く。事故で何年も前に死んだ息子が少女の姿で来るなんて、果たして母さんや父さんはどんな反応をするだろうか。

 驚くのだろうか、嬉しがるのだろうか、そもそも……信じてくれるのか。

 

「眠れないなら買ってきた漫画とかあるけど読む?」

「いや、いいです……」

「やっぱり明日のことが心配なの?」

「はい……」

 

 隣のベッドからそう聞いてきた声は……僕を気遣うような静かな声だった。

 

「大丈夫だって、実際に親子なんだからすぐわかってもらえるよ。私だってついてるし」

「そう……ですよね」

「何なら明日行く前に電話でもしてみる?」

「それもありですけど……信じてもらえないでしょう。下手すりゃ詐欺だとでも思われるかも」

「だね。じゃあ、やっぱり直接か」

 

 そうだよね、大丈夫だよね。そう自分に言い聞かせると何だか安心してきた。

 でも一応、どんな感じで会うかは考えておいたほうがいいか。

 

 例えば、まず昔友人だった人間を装って、そこから打ち明けるとか、それとも家族しか知らないような話題から始めてみるとか…………どうしよう……かな……

 

 



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19話 昔と今の自分

「んんっ……」

 

 寝返りを一つ打ち、いつもより少し固いベッドの感覚を感じながら目を覚ます。

 ……昨日はいつの間にか寝ちゃったみたいだ。あまりいいアイデアは思いつかなかったな……しょうがない、なるようになるか。

 

「おはよう、いい天気だよ。ほら」

 

 セシルさんは部屋のカーテンを開け、窓からの外の景色を見下ろしている。朝日を受けて輝くその姿は一瞬映画のワンシーンかと思うほど綺麗だ。相変わらず何しても絵になる人だな。

 ……でかでかとしたファンシーなクマさんTシャツを除けば。

 

「どう? よく眠れた?」

「一応……」

「そう……昨日も言ったけど大丈夫だって」

 

 その言葉に軽くうなずいた。まだ多少の不安があるが、もうここまできたら行くしかない。

 何はともあれベッドから身体を起こし、顔を洗って、服を着替える。

 

 何度か髪型は変え、今はたまたま七年前と同じ様な背中に少しかかるくらいのロングのストレート。色々いじれるし、割と気に入っている。

 寝ぐせを直すのは普段向こうで使っているクシを持ってきたから、あっという間だ。

 

 それのみならず、セシルさんは寿命がない人生の中できるだけ快適に生きることについてはかなりの力を注いできたようで、そういった道具や魔術はいろいろある。

 それらのおかげか僕は女として生きることに対して、煩わしいと感じたことはない。

 

 少しして鏡の中には、ぱっちりとした瞳、艶やか肌の少女。髪を触ればサラサラとした触り心地。

 うん、今日も可愛い! こっちにいるなら身体年齢的には丁度女子高生ってとこかな。

 

「着替えたなら早速、朝ご飯に行こうか。ここの結構美味しいらしいね」

 

 いつの間にやら準備万端のセシルさんが、早く行こうとばかりに僕を誘う。そんなに急がなくても……

 でも確かに朝食はこうやってどこかへ泊まったときのイベントの一つと言えるものだ。ここの朝食はわりと評判だったので、僕自身も楽しみにしていた。

 

 

 

「うんうんっ、美味しいね!」

「美味しいですね~」

 

 下の階のレストランに来た僕たちは、ずらりと並ぶビュッフェ形式のメニューを各々取り分けて食べ始めた。

 評判なだけあって、その味はなかなかのものだ。ふんわりとしたオムレツも、野菜のソテーも文句なしに美味しい。

 

 もちろん味も大切だけど料理の要素はそれだけではない、こうやって思い思いに好きなものを取って食べていくというのは、普段とは違ったワクワクがあっていいものだ。

 しかし……

 

「……なんか多くないですか?」

「私こういうとこだと、いつも少し取りすぎちゃうんだよね。なんだか楽しくなっちゃって」

 

 子供か、この人は。自分が食べる訳じゃないから、食べきれるなら別にいいんだけど……

 

 

「ごちそうさま」

「ごちそうさま、ふ~お腹いっぱい」

「あれだけの量があれば、そうでしょうね」

 

 それから三十分ほどかけてゆっくりと食事を楽しんだ僕たちは、最後のコーヒーを飲みながら、食べ終えた皿を見る。

 セシルさん朝からよく食べるなあ……でも僕も久しぶりの日本のご飯の味が嬉しくて、お代わりしたので結構お腹いっぱいだ。お米自体は向こうにもあるが、やっぱり少し味が違うからね。

 発酵食品なんかも同様だ。僕たちも色々と工夫して近づけてはみたけど、今味わった醤油の味とはやはり違っていた。懐かしい味だったなあ。

 

 

「さて、この後どうする? このままレンちゃんの家に行くか、それともどこかで時間を潰す?」

「え~と……じゃあもう少し考えたいんで街を見て回りますか。あと行きたいところがあるんで、そこ先に行きましょう」

  

 

 

「昨日も思ってましたけど、黒髪も似合いますね」

「そう? レンちゃんも髪色変えても可愛いよ」

 

 ホテルを出た僕たちは、ぶらぶらと散歩してから本屋などを訪れたあと、とある場所へ向かっている。

 部屋を出たときから目立たないようお互いに髪と目の色を変えているが、これだけで結構印象は違うものだ。黒髪にしたセシルさんもなんか大人っぽく見える。

 だけど、それにしてもこの世界への馴染みっぷりは凄いな。背が高めなことは少し目立つが、まあこれくらいならいくらでもいるし。

 

「ところで、後どれくらいなの? その例の場所に」

「ん……もう少しですよ」

 

 今二人で歩いている道、以前の僕はここを毎日歩いて高校へと通っていた道。

 何度も何度も往復した、忘れもしない通学路。そしてこの先にあるものは……

 

「着きました……ここですよ」

「この信号のところが……」

 

 あの後やっぱり補修されたのか、後ろの壁や信号機が比較的新しい。しかし大きくその風景は変わらない。

 ここはかつての自分が人生を終えた場所……七年前の事故現場だ。

 

「ここに来たのはいいけど……大丈夫なの? トラウマとかになってない?」

「ん~懐かしい感じはしますけど、特に嫌な気持ちにはならないですね」

 

 戻ってきたからにはここには一度来なければいけないと思っていたが、仮にも自分が死んだ場所なのに、ここまで落ち着いていられるとはな。

 正直、実際に来たらもう少し動揺すると思っていたが……

 

「そう? それならいいけど……」

 

 この身体になって新しい人生が始まってから、多くのことを学び、多くのことを経験した。

 そして魔術というそのままの人生では決して出会うことのなかったであろう技術も身につけたし、今の自分が才能にあふれる人間だという自覚もある。

 

 それに自分の身を守ることに関してはバッチリと教えてもらった。仮にあの時のようにトラックが突っ込んできたとしても、今ならばどうとでも対処できるだろう。

 それだけのことができるようになった自分なら、こんな気持ちでいられるのも、至極当然なのかもしれない。

 

「この辺だったかな……」

「何してるの?」

「今は周りに誰もいませんよね」

 

 信号から数メートル離れた場所、僕はそこに座り込んだ。絶対に間違いがないかはちょっと自信がないが、多分ここで合っているはずだ。

 本当は寝転がってみたいけど、さすがにそれはやめておく。

 

 目をつむり、手を触れて感じる。この固いアスファルトの感触……人生で最後に味わった感覚だ。今は昼間で温かいが、あのときは冷たい感触だった。

 こうしているとあのときの瞬間を思い出す。嫌に思わないとはいえ、決していい思い出といえるものでもない。

 だけど……なんだか不思議な感情が頭によぎる。

 

「これ、本人じゃなかったらだいぶ不謹慎だよね」

「ふふっ、違いませんね」 

 

 軽く笑いながら返事をして、わずかな砂を払いながら立ち上がった。そしてもう一度、周りを見渡す。

 ここに来たことで、かつての自分と今の自分の違いを感じられた気がする。

 

 死んだことがよかったとまでは言わない。でも偶然あの日、あの時、あの場にいたから、今の間違いなく幸福だといえる人生を歩む自分がいることもまた事実だ。

 

「じゃあ、そろそろ行きますか」

「満足した?」

「はい、やっぱり来てよかったです」

 

 寂しいような……それでいて何か一回り成長したような感覚を覚え、僕たちはその場を後にした。

 



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20話 道端での出会い

「そういえば、最初にどんな感じで切り出すか考えた?」

「それが……考えているんですけど、あまり思いつかなくて。アイデアくれませんか?」

 

 通学路を来た方向とは逆に二人で話しながら歩いていく。ここは小学生や中学生たちも通るが、今日は休日だからその姿はない。

 それにこの時間なら家が留守ということはないだろう。もしいなくてもせいぜいスーパーやコンビニの買い物くらいだ。

 

 ここから家まではゆっくりと歩いて行っても十分もかからない、着くまでに何か思いつけばいいけど……

 

「やっぱり第一声っていうのは難しいもんだよね。行方不明だったとかならまだしも、確実に一度死んでるんだし」

「そうですよね~何かのイタズラじゃないかと思われないか心配ですよ」

「もしかしたら、警察とか呼ばれるかもよ~」

「勘弁してくださいよ~」

 

 いや、本当にそうなりかねないんだよね……

 

「いっそのこと、いきなりお母さ~んって感じに抱きついてみたら?」

「それは……ちょっと……」

 

 う~ん、覚悟を決めて来たつもりだったけど、やっぱりいざとなるとどんな風にするか迷ってしまうものだ。

 それにしてもいきなり抱きつく……か、そんなこと考えもしなかったな。

 

「そうかな~レンちゃんぐらいの美少女にハグされたら、老若男女問わず誰でも嬉しいものだと思うけど」

「そんなもんですかね……というか何か話が変わってますよ」

「でも、久しぶりに再会した子が親にそういうことするの、別にそこまで不自然じゃないよね」

「…………」

 

 そんな風に言われると、案外悪くないかも。

 それに自分の子ども時代を思い出すと、一人っ子だったのも相まって、母さんに甘えていたことが多かった。学校で嫌なことがあったときや転んで怪我をした時なんか走って泣きついたりしてたなあ……

 

「セシルさんはどうなんですか? 両親との思い出とか。さすがにそんな昔のこと覚えてないですかね」

「少しだけど……魔術が上手くできて褒められたりとかは、おぼろげながら思い出せるって感じ」

 

 褒められたりしたこと……やっぱり記憶に残るのはそういうことなのか。

 

「あと、私は一人で全部やっちゃうような子どもだったからね。手がかからないって言われたけど、もう少し甘えればよかったかなと、今もたまに思うんだ。今更仕方ないけどね……」

 

 その言葉と表情からは少し淋しさを感じた。そうか、セシルさんは別れを告げる間もなく別の世界へ来て、そのまま過ごしてきたんだよな。

 家族というものにずっと縁がないまま……僕はちょっといけないところに踏み込んでしまった気がしたが……

 

「やっぱり違いますね……僕は母さんに頼りっぱなしでした」

「それもいいんじゃない? 今日会ったらまた甘えなよ」

 

 それは杞憂だったようだ。返してくれた返事とともに、いつも通り笑いかけてくれた。

 やっぱりこの人は外見は若くても、自分の何倍、何十倍もの経験を積んだ大先輩だと改めて思った。

 

 

「あっ……あの人」

「えっ?」

 

 突然のセシルさんの声に考えていたことも消え、思わず正面を向いた。

 十メートルほど前を歩くのは左手にビニール袋、右手にバッグを持つ中年の女性。入ってきた脇道にはコンビニがあったはずだから、そこで買い物をしてきたのだろう。しかしそれでは普通の通行人だ。

 セシルさんが指摘したところ、それは僕にもすぐにわかった。

 

「あの人、お財布落として……」

「あっ、じゃあ……」

 

 その女性の少し後ろに黒い縦長の形の財布が落ちていた。きっと右手に持つバッグから落としたものだろう。

 そしてその人は財布を落としたことに気づく様子はない。さすがにそのまま黙ってみているわけにはいかないので、僕はその財布の場所に駆け寄り、それを拾い上げた。

 

「……?」

 

 しかし……持った瞬間、不思議な感覚を感じた。何故かはわからないが自分はこれを知っている、持ったことがある……そんな感覚だった。

 だが、深く考える前に再び足を速め、前を歩く女性に歩み寄り声をかけた。

 

「すいませ~ん、財布落としましたよ」

 

 その女性の後ろ姿を間近に見たとき、僕はある予感がした。別にそれは奇跡というほどのことでもない、この場所ならばごく普通にありえることだ。

 それでも、まさか……という気持ちもあった。

 

「あっ……すいません」

 

 そして、その声を聞き、振り返った顔を見たとき……予感は確信へと変わった。

 

 僕の記憶よりも少し体型がふくよかになり、髪も白髪が増えた気がする。でも、その顔を忘れるわけがない。

 

 目を合わしたまま、時間が止まったように身体が硬直した。そして数秒後、口を開け、僕は掠れたような声を出した。

 

「母さん……?」

 



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21話 帰れなかった場所

「はい……? 母さんって……突然何言ってるんですかあなたは……」

 

 僕がつぶやき、再び数秒お互いが沈黙。そして母さんは何だこの人は……といった感じに振り返りながらそう言った。

 

 当然の反応だ、予想していた反応とも言えるだろう。しかしこの人は間違いなく僕の母さんだ。

 まだ……かすかに感じていた、もしかして人違いなのではないかという不安が、今の言葉で完全に払拭された。

 

 もちろんここで引き下がるわけもない。僕は財布を奪うように取り上げバッグへとしまって立ち去ろうとする母さんの肩を押さえ、道を塞ぐように前に回り込んだ。

 

「待って母さん!」

「しつこいですよ! 私の息子だったレンは七年前に交通事故で……」

「だから……僕はそのレンだって……」

「いい加減にしてください! もうレンは死んだんです……あなたのような人は知りません!」

「それは……えっと……」

 

 ああ、駄目だ。いくつか考えていたはずの言葉が出てこない。それにもうだいぶ母さんは警戒している。

 もうこのまま言葉で説得は難しいかもしれない。魔術で無理やり落ち着いてもらうか? いや流石にいきなりそれはちょっと……

 こうなったら……

 

「っ……!」

「!?…………」

 

 さっきセシルさんに言われたように、母さんに抱きついた。正直、道端でこんなことするなんてやや強引かとも一瞬考えたが……身体が先に動いてしまった。

 背中に手を回し、肩の方に顔を寄せる。懐かしいにおいがする……前は僕の方が大きかったのに、今はほんの少しの身長差しかない、思わず感情が高ぶり、手に力がこもる。

 

 

 そのまま十秒ほど経った……母さんのほうから引き剥がすような様子はない。

 それに……何もせずともわかる、母さんが僕に心を許していること、それどころか僕がレンだということを信じ始めてくれていることが。

 

「もしかして……本当に……レンなの?」

「……そうだって……言ってるじゃん……」

 

 さらに数秒経ち、お互い手を離した僕と母さんは目を合わせて、そう言い合った。僕は自然と出てしまった涙を拭い、会話を続ける。

 

「でも、よくわかったね、どうして? もしまだ信じられないなら何だって質問してよ」

「そんな……必要ないわよ。だって……あなた昔は何度こうやってきたと思ってるの? 中学、高校に上がってからも何回か泣きついてきて……」

「へえ~」

「あ、ストップストップ。母さんそれ以上は……」

 

 後ろから追いついてきたセシルさんが、僕と母さんの会話をニヤニヤして聞いていた……

 むう……まあいいか。

 

「もうあなたがレンだってことはわかったけど……いろいろどうしたの? それに……すっごく可愛いんだけど」

「ん~とこれは話すと長くなって……」

「ちょっとすいません、私が代わりに話しましょう」

「えっと……あなたは?」

 

 これまでのことをどうやって説明するか迷っていると、セシルさんが話に割り込んできた。

 母さんは謎の人物の突然の登場にちょっと緊張しているようだ。フォロー入れてあげないと。

 

「申し遅れました。私はセシル・ラグレーンといいます。あ、日本語でよろしいですよ」

「はあ……」

「大丈夫、この人は少し怪しい感じかもしれないけど、ちゃんと信用できる人だから」

「私もお母さんにはお会いしたかったです。まあ立ち話もなんですので、どこかに座って……」

 

 

 

「お母さん、お綺麗ですね~若く見えるって言われるでしょ」

「そんなことありませんよ~」

 

 僕たち三人は近場の喫茶店に入り、ゆっくりと話すことにした。

 僕がセシルさんと親しげに話していたのもあり、母さんはすっかり打ち解けているようだ。まるで古くからの友人のように話している。

 

 だけど、セシルさんは若く見えるの究極とも言えるのに……この会話はなんかな~

 

「それよりもたくさん聞きたいことがあるんですけど……」

「わかってますよ、まずは私たちがどこから来たか、それからですかね」

 

 それから三十分ほど、母さんは食い入るようにセシルさんの話を聞いていた。

 僕たちが来た世界のこと、少女の身体になってる理由、魔術のこと、その他いろいろ……

 

 それにしてもセシルさんはこういうとき、特に人に何かを信じこませるというのが実に上手い。

 いくら僕が自分の子供だとわかってもらった状況だとしても、こんな非現実なことを言われて、全てを信じてもらうのは厳しいだろう。

 それに元々母さんは結構用心深い人だ。

 

 だけど母さんは現実として、初対面であるセシルさんを完全に信用して話を聞いている。

 その話し方か、声か、雰囲気か、あるいはそれら全てか、とにかく暗示をかけているといった様子はない。

 まさに驚異の話術といった感じだ。今思えば僕自身も初対面のとき、魔術だの、魂だのの話をすんなりと信じてしまったことを思い出す。

 

「……私が話すことは以上ですかね。何かほかに聞きたいことありますか?」

「大丈夫です。わかりました……」

「どう、母さん? わかった……かな?」

「レン……」

「へ……? むぐっ!?」

 

 話が終わり、うつむいていた母さんに声をかけたとき、再び今度は母さんの方から僕を抱き寄せてきた。

 思いっきり頭を押さえ抱きしめてくる……ちょっと苦しい……ん?

 

「ふうっ、苦しいって……母さん?」

「レン……ありがとう……」

 

 腕を放され、顔を上げてみると、母さんは大粒の涙を流していた。

 今まで何がどうなっているのかわからなかったが、具体的な説明を聞いて溜まっていたものが溢れてきたのだろう。

………それを見て、声をかけるでもなく僕もしばらくそっとしてあげることにした。

 

 

 

「どうぞ……」

「すいません……」

 

 少しして、絶妙のタイミングでセシルさんが母さんにハンカチを差し出した。受け取った母さんはそれで涙を拭くが……ちょっとカッコよすぎやしない?

 

「レン……私はずっとあなたがもし生きていたらって考えていた……」

「…………」

「女の子になってたとしても、あなたはあなただよ……また、会えるなんてね……」

「母さん……」

 

 涙ぐんだ声で母さんはそう言った。僕も……一度はここにはこないことを選んだとはいえ、こうしているとまた会えて本当に良かったと心から思う。

 

「セシルさんもありがとうございます。すごく良くしてくれているみたいで……」

「あっ、はい。こちらこそ」

「レン、あなた二週間はこっちにいるんでしょ。これから家に来る?」

「もちろんだよ」

 

 即答だった。家には元々行くつもりだし、断る理由は無い。

 

「レンちゃん、今日ぐらい泊まっていけば?」

「そうですね。母さん……いいよね?」

「いいもなにも、あなたの家なんだから。何ならずっと……」

「……ごめん、さっきも言ったけど……僕はこの人といるって」

「そうね……私は何も言わないわ。こうやってまた会えただけでも、嬉しいもの……でも今日はいいでしょ、お願い」

 

 僕は母さんの言葉に何も言わず、笑ってうなずいた。

 

 

「ところで父さんは?」

「今でも一緒に暮らしてるよ。でも、あなたが死んでからしばらくは本当に落ち込んでて……」

「そう……なんだ」

 

 僕たちは先ほどの道を歩いている、当然セシルさんも一緒だ。この人がいなければ父さんに説明するのが大変になる

 

「何年かしてようやく割りきって元気になってきて……今日はたまたま休日出勤だから今は家にいないけど、会ったら絶対喜ぶよ」

「そう……だね。セシルさん、また説明お願いしますよ」

「はいはい、任せて」

 

 三人でそんな会話をしながら道を進み、やがて家に到着した。

 

「……」

 

 本当に懐かしい光景だ……玄関、物置、車、何一つ変わらない……僕が生まれるとほぼ同時に建てられた思い出の家だ。

 

 自然と会話も止まり、母さんから無言で手渡された鍵を受け取って二人より前に出て早足で歩き出した。そしてきれいに掃除された白いドアの前に行き、鍵を開けてドアノブを強く掴む。

 一呼吸置いた後、あの日……帰ることのできなかった玄関をゆっくりと開け、小さく呟いた。

 

────ただいま、と

 

 



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22話 もう一つの我が家

「んん……うんうん……」

 

 家に入り最初に感じたことは、その匂いだ。どんな家にも独特の匂いというものがあるが、自分の家の匂いは気づきにくい。

 でもこんなに久しぶり、七年も家に来ていないとなれば話は別だ。そしてそれは視覚によるものよりも強く、僕の心と記憶を刺激した。

 

「おじゃましま~す。レンちゃん、どう? 七年ぶりの実家は?」

「はい……こんなに時間が空いてても、忘れないものなんですね」

 

 だけど家の中はすべてが同じというわけではない。

 例えばテーブルなど家具の場所が変わっていたり、テレビが新しくなっていたり、そういった記憶の中とはいくつか違うところがある。

 

 あとちょっと違和感を感じるが……これはきっと背が低くなったからか。

 よく久しぶりに帰った実家が小さく感じるなんて話があるが、その逆は僕ぐらいのものだろう。

 

「母さん、結構模様替えとかした?」

「そうだね……やっぱりあの後いろいろね……」

 

 僕が死んでから……やっぱりどうにかして切り替えていこうとしたんだろうな。その気持ちは痛いほどわかる。

 僕自身も母さんや父さんがどう思っていたのか、ずっと考えてきたから……

 

「そういえばレン……」

「ん? 何かあるの、母さん?」

「あなた達ってどんな家に住んでるの?」

「あ~それはね……ちょっと言いにくいけど~ここよりはだいぶ大きい家。あとはその前に住んでた家も……」

「そうなんだ……いいわね」

 

 やや答えにくい質問にセシルさんと一瞬目を合わせてから答えた。

 ちょっとだけ元気なくしちゃったかな。でもセシルさんは実質的に国を動かしているような立場にもいた人だからな。

 今は違うが、それでもまだ僕たちがお金持ちなのは間違いない。ごく一般のサラリーマンの父さんとはちょっと比べられないよなあ。

 

「じゃあレン、こっちに来て」

「えっと、これは……」

 

 リビングの端の方に置いてあったのは、僕の……男だったときの写真だ。つまりは遺影だが……

 

「やっぱりこんなに経つと自分の顔も忘れちゃうでしょ。それとも昔の自分より、今の可愛い女の子の方がいい? 気に入ってるんだよね」

「ん~そうかも……でも」

 

 こうやって今自分を見ると、案外……

 

「結構男前じゃない。昔のレンちゃん」

「そうですか、セシルさん……どーもです」

 

 僕も大体同じような感想だ。割と……普通くらいの顔立ちだと思う。

 今でこそ、容姿については自信があるが、昔はコンプレックスとまで言わないものの、自分でそんなに良い評価をしたことは無かった。そこまで卑下することもなかったな。

 まっ、それでも今の自分が大好きってことには変わりないけどね。

 

「さて……私はこれから忙しいから、とりあえずゆっくりしていて」

 

 僕が写真を見ている間に、母さんはエプロンをして、台所に立っていた。さっきお昼は軽く済ませたので、きっと夕飯の支度だろう。

 

「せっかくもう一度家に帰ってきたんだから、今日はあなたの好物たくさん作るから。セシルさんも召し上がっていってください」

「あっ、じゃあ僕も手伝うよ」

 

 立ち上がり、持ってきたバックの中のケースから自前のエプロンと包丁を取り出す。こっちの世界では料理することはあまり考えてはおらず、果物剥くときにでも使おうぐらいの気持ちで持ち込んだ物だ。

 だけど今日の朝、こんな展開になるであろうことを予想して持ってきた。そしてそれは正解だった。

 

「えっ……いいよ。それにあなた料理なんてしたことなかったよね?」

「ふ~ん、じゃあ見ててよ」

 

 髪をまとめ、僕は料理の下ごしらえをする母さんに並んで台所に立つ。疑いの目を向ける母さんに対して、僕は玉ねぎを一つ取りそれを刻んだ。

 何気ないことだが、今の技術を見せるには十分だろう。

 

「ええっ、早っ!」

「ふふん、どう?」

 

 トトトンという包丁とまな板の当たる軽快な音と共に、ものの数秒で刻み終えた僕はちょっとにやけながら母さんの方を向き直る。いつも交代で料理してるし、包丁のような動作はもっと繊細な魔術の鍛錬もありお手のものだ。

 飾り切りとかだってある程度ならできる。

 

「レン……凄いね。私よりずっと上手だし……」

「セシルさんから教えてもらって、いろいろやってるからね」

「女子力高いわね……」

「女子力……かあ」

 

 母さんが驚いているのも無理はない。以前は本当に料理とは縁が無く、こうして並んで料理するなんて考えもしなかった。

 

「あとこの包丁も手を加えてあるしね。これ自体で完成してるものだから母さんにも使えるよ、ちょっと試してみる?」

「えっ、私でも使えるの!? 貸して貸して!」

 

 包丁が特別なものと聞き、半ば強引ぎみに僕から包丁を取る母さん。

 気持ちはわかるけどさあ、もうちょい落ち着こうよ。

 

「どう?」

「凄い……手に吸い付くみたいだし……この切れ味も……やっぱすごいのね、あなたたち」

 

 僕たちが普段使っている調理器具は向こうの世界には本来ない、別世界から持ち込んだものも含めいろいろ細工が施してある。

 その内容はこんな機能あったらいいなと思うようなものもあるが、包丁については純粋にその機能を高め、より使いやすく、より切りやすく、より安全にを突き詰めたもので、それ自体が調理技術を上げるものではない。

 それでも母さんを非日常に引き込み、興奮させるには充分すぎたようだ。

 

「レン、ありがとね。包丁置いとくよ」

「あっ、わかった」

「じゃあ、追加の買い出し行ってくるから、残りの野菜切ってもらっててもいい?」

「お安いご用だよ」

 

 今作っているのは母さんの得意料理であり、僕の好物だったビーフシチュー。僕も向こうで味を思い出しながら何度か作ってみたけど、どうにもしっくりこなかった。

 今日はようやくそれが食べられる。楽しみだな……

 

「それ終わったらこっちもやっといてくれる?」

「はいはいっと」

 



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23話 父との再会

「少し休憩する?」

「いいよ、こっちも終わったし」

 

 一通りの作業を終えた僕と母さんはエプロンを脱いでいすに腰掛けた。母さんを見ながら、こうして二人で並んで座ることの懐かしさを味わう。さっきは三人だったしね。

 

「そういえば、父さんにはもう何か言ったの?」

「さっき電話したよ。ビックリすることがあるから、寄り道しないで早く帰ってきてねって」

「ビックリすることか……そうだろうね」

「もうじき帰ってくる時間だから」

 

 父さん……僕を見てなんて言うかな。いくらセシルさんが説明してくれたとしても、驚くだろうな。

 優しかった父さん……会うのが嬉しくもあり、ちょっと怖くもある。ファンタジーとか好きだったから、きっと理解は早いだろう。それに魔術を見せてあげたら喜ぶかも。

 

「レン……さっきから思ってたけど、あなたの髪すっごい綺麗だよね。本当にサッラサラの手触りで……」

 

 母さんはほどいた僕の髪を撫でながら、そう聞いてきた。

 髪色は家に入ったときから戻しているが、度々母さんが見つめてきたのには気づいていた。まあ……今となっては羨ましく思うのもなんとなくわかる。

 

「そうそう、切ってもらうのはセシルさんにやってもらってる。いろいろ便利な道具があるから手入れも簡単だしね」

「いいわね~でもそういえばさあ……」 

「ん……何?」

「あなたの格好ってあんまり昔と変わってないよね?」

 

 えっ……そんなこと? 

 

「この服装も悪くないけど、こんなスラッとした足をしていて……ジーンズよりスカートとかの方が絶対似合うって。それに髪型とかももっと可愛く……」

「そうだね……でもあんまり気が乗らないんだよね」

「え~なんで~」

 

 スカートか……何度かセシルさんにすすめられて履いてみたから、似合うのは知ってるんだよな。でも実際どうにも落ち着かないから、自分から履いてみたりはあまりしない。

 そんなに意識してるつもりはなくとも、どうしても普段着はメンズ寄りの服装になっちゃうんだよね。

 

「その心配はないですよ。ちゃ~んとレンちゃんは自分の可愛さ、魅力をわかってますから」

「え……」

 

 そんな感じで僕と母さんが話していると、今まで沈黙を守ってきたセシルさんが話に入ってきた。

 

「例えば……お母さん、ちょっと来てこれ見てくださいよ」

「え、なんですか?」

「ちょっ……それってまさか……」

 

 さっきからリビングで僕の昔のアルバムを母さんから貸してもらい、眺めていたセシルさんが一連の会話を聞いていたのか、母さんを呼び出し、荷物から何かを探し始める。

 そしてその手に持った物を見たとき……僕は目を疑った。

 

「えっ! これ……レンだよね」

「私が撮ったんです。よく撮れているでしょう」

「それ……持ってきたんですね」

 

 セシルさんが出してきたものは一枚の写真だ。この人はスケッチも得意だが、それとは別にカメラでの写真もよく撮っていて、現像も自分でやっている。

 

 そして、その写真に写っているのは……ドレス姿の僕だった。

 

「やっぱりこういうのはちゃんと見せないとね。もったいないでしょ」

 

 うん、確かに可愛い……

 写真の中の自分はフリルをあしらったドレス、肘までのドレスグローブを身に付け、やや短めの丈のスカートからは綺麗な足が見え隠れする。

 

 それらの黒い生地が白い肌とアップにまとめた銀の髪に映えて、清楚であり妖艶な雰囲気を醸し出した……まさに絶世の美少女だ。自分だけど。

 

「このときは確か、パーティー行くからって……」

「でも楽しそうだったじゃん。これなんて自分から喜んで着てたでしょ」

「う……はい……」

「ほら、お母さん。この通りですよ」

「へえ~」

 

 初めての華やかなパーティーが楽しかったのは事実だし、こうやって着飾ることに嬉しさをを覚えたこともまた事実だ。それは否定できない。

 

「まだまだありますよ。これなんかどうですか?」

「ああ~これも可愛い」

「ちょっと、ちょっと二人とも……」

 

 それからもセシルさんは写真を出し続け……全部で二十枚ほどもあった。

 

 さっきのとは違うドレスを着た写真、研究の時の白衣やローブを着た写真、髪をもう少し長く腰ぐらいまで伸ばしていた時のやつや首元の辺りまで切っていた時の写真など。

 中には盗み撮りしたんじゃないかと思う写真も……

 

「は~……」

「ちょっと、母さ~ん……」

 

 母さんは僕の写真を、それはもう取り付かれたように眺めている。

 

「お母さん、それは差し上げますよ」

「本当ですか、ありがとうございます!」

「いいですよ、予備もありますから。それに何かしら証拠がないと、私たちが来たことが、なんだか信じられなくなっちゃうかもしれませんしね」

 

 それもそうだ、セシルさんの言うことにも納得できる。

 

 それから母さんは特に気に入った最初の写真を額に入れて飾った後、残りの写真を大事そうにアルバムへとしまっていった。

 母さんが喜んでいること、それ自体は僕も嬉しい。嬉しいんだけど……なんだか複雑だ。

 

 と、そんなことを考えていた時……

 

「ただいま~」

 

 一人の男性の声が玄関から聞こえた。

 僕は……その声を聞いて、一瞬自分の呼吸が止まったのを感じた。

 

 

「あ……おかえりなさい」

「ふう~おまえが電話で急かすから大急ぎで帰ってきたよ。で、なんだ? その驚くことってのは?」

 

 部屋に入った父さんと目が合った。やっぱり変わらないな……

 ワイシャツを着て、ストライプのネクタイをして、少し白髪混じりで、いかにも優しそうなおじさんといった雰囲気の父さんだ……

 

「こちらの方々は?」

「父さん……うっ……」

 

 一言呼んだその瞬間、自分でもわからないくらい色々なものが溢れてきた……

 ポロポロと流れてきた涙が頬をゆっくり頬を伝う。

 覚悟していたのに……嬉しくて嬉しくて、声も出ない……

 

「え? 父さんって……」

「セシルさん、この人に説明お願いします」

「わかりました……」

 

 

「本当に、本当に……レンなのか?」

「今話してもらった通りだって」

「そうか……」

「!?…………」

 

 僕自信とりあえず落ち着きを取り戻し、最初は混乱していた父さんも、セシルさんの説明を聞いて僕がレンだとはっきり信じてくれたようだ。

 

 そして、母さんと同じように僕を抱きしめてくれた。小さかった頃の記憶が蘇る……高いものを取る時とか、近くの公園で遊んだ帰り道、こんな風に抱かえられていた……

 成長してからはそんな機会は無くなったが、母さんとは違った力強い腕の感触……それは今でも覚えている。

 

「ずっと……また、会いたかったよ……」

「父さん……」

 

 そのまま少しの間、僕たちは言葉も発さず、互いの背中に回した手に力を込めていた。



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24話 思い出の味

「しかし、本当にそんなことがなあ……」

「まだ信じられない?」

「いや、そういうわけではないが……わかっていても理解が追い付かないという感じで……」

「無理もないよね、ゆっくり落ち着いてよ」

「ああ……」

 

 少しして、僕たち抱き合った姿勢から身体を離した。

 胸に手を当て深呼吸をして自らを落ち着けようとする父さん。僕の記憶では何があっても落ち着いて、どっしりと構えている人だったから、こういうのは初めて見る姿だ……

 

 僕と会ったとき、どちらかというと母さんの方が冷静になっていた。これが素の父さんなのかも。

 

「……!」

「どう? 少しは落ち着いた?」

「ああ……本当に魔法が使えるんだな」

「そうだよ。これでもっとはっきり信じてもらえたでしょ」

 

 僕は道具なしでも使える簡単な精神操作の術式を発動させ、胸にあてた父さんの手に自分の右手を重ねる。元々魔術を扱う向こうの世界の人とこちらの人では耐性が違うため、本当にごくわずかの力でするよう注意する。

 そのまま数秒、やがて呼吸も心拍数も戻り、落ち着きを取り戻した父さんに対して微笑みを向けた。

 

「よくわかったよ、それにしてもな……」

「ん~?」

「かわいいな、お前……」

「……それは自分でもわかってるよ」

 

 こんなことが言えるならもう大丈夫だろう。僕はリビングの椅子に座り、母さん、そして一通りの説明をしてくれたセシルさんに対してアイコンタクトをした。

 そして父さんは母さんと共に改めてセシルさんと向き合った。

 

「えっと……セシル・ラグレーンさんでしたよね」

「はい、セシルでいいですよ。私もお二人にご挨拶したかったです。そんなにかしこまらなくてもいいですから」

「……ではセシルさん。また私たちをこうしてレンと会わせてくれて、言葉で伝えきれないくらいですが、本当にありがとうございます……!」

「いえいえ、私もレンちゃんと出会えて、私の方がお礼をしたいくらいですよ。それに感謝なら身体をくれた女の子にもしてあげるべきです」

「はい……」

 

 母さんと並び深くセシルさんに頭を下げる父さん。確かに直接僕を転生させたのはこの人だが、この身体の元の持ち主が僕と同じ日に死に、そしてセシルさんが見つけることがなかったらその機会すらなかった。

 それに関することは僕の中ですでに決着をつけているが……改めて言われるとやっぱしんみりくるなあ。

 

「それで……レン、お前は向こうの世界で元気にやってるんだな」

「そうそう、楽しくて退屈しない毎日だよ」

「そうか……それならばいいんだ。お前はもう大人だし、こんな素晴らしいパートナーもいる。新しいお前の人生、俺たちに構わず好きなように生きてくれ」

「父さん……ありがとう」

 

 僕自身、七年経って容姿が変わらないため少し自覚が薄いが、本来僕が生きていたならば、既に社会人として自立をしているであろう年齢だ。セシルさんという存在もあり、説明の中で今回こちらに来たことはあくまで一時的なものであることを伝えたが、父さんが引き留めてくるような様子はなかった。

 それどころかこうして僕の後押しをしてくれた。やっぱり迷ったけど……会いに来てよかったな。

 

「それで今日はこのまま泊まっていくんだっけ?」

「ここまできて、そうしないわけにはいかないでしょ」

「なら……今日はたくさん話を聞かせてくれ。向こうでのことをたっぷりとな」

「もちろん、そのつもりだから」

 

 そう答えながら、僕は再び微笑みを向けた。これまで経験したこと、学んだこと話したいことはたくさんある。

 

「よし、じぁあその前に残りの料理の仕上げをしましょう。レンもまた手伝ってくれる?」

「オッケー、すぐ手伝うよ」

 

 

 

「美味しそうですね~いつもレンちゃん言ってましたけど、お母さん料理上手ですね」

「そんな……私なんかよりずっとセシルさんの方がお上手でしょう。それにお口に合うかどうか……」

「私は行く先々でなんでも食べてるので好き嫌いないですよ、この国にもいたことありますし。それに私も確かに腕に覚えはありますけど、やっぱり母親の味というのは特別なものですからね」

「はい……」

 

 母さんは出来上がった料理を運びながら、セシルさんと料理について語り合っている。なんか端から見てると親子みたいに見えないこともない。

 それにしても母親の味か……僕はこうしてまた食べられるわけだが、セシルさんはそうはいかないからな。

 

 

 そうしてメインのシチューとパンをはじめ、色とりどりの様々な料理が食卓へと並んだ。

 思い出すな、誕生日やクリスマスといった特別な日はこうやって料理好きの母さんがたくさんのご馳走を作り、食卓を囲んでいた。

 本当に……本当に懐かしい。

 

「おかげでずいぶん助かったわ。お疲れ様、レン」

「母さんもね」

 

 全ての支度を終えた僕たちは、既に父さんとセシルさんが座っている食卓の椅子に腰を下ろした。

 いつもは二人で食べる夕食を、今日は四人で食べる。たったそれだけ、それだけのことだが僕はそれができたことの喜びを深く噛み締めた。

 

「じゃあ、母さん……いただきます」

「どうぞ、おなか一杯食べて」

 

 いつものように一礼をしてスプーンを手にとった僕はシチューをすくい、ゆっくりと口へと運んだ。

 ……ああ、そうだこの味だ。何度も何度も子供のころから数えきれないくらい食べた味。ずっと食べたかった、僕にとっての母親の味だ。

 自然と身体が震え、涙が溢れてくる……

 

「ううっ……うっ……」

「ちょっとレン、大丈夫?」

「……大丈夫だよ。本当に美味しいよ、母さん」

 

 涙を拭いながら、そう答えた。見上げた母さんの目にも、うっすらと涙が覆っていた。

 

 

「うん……なるほど、これがレンちゃんが何度も作ろうとしてきたお母さんのシチューですか」

「やっぱり違いますよね……僕が作ったのもいい線だったと思ったけど、こうして食べてみると……」

「レンちゃんには悪いけど……確かにそうだね」

 

 セシルさんも母さんのシチューを食べ、その味に興味を持ったようだ。

 基本的になんでも美味しそうに食べる好き嫌いのない人だが、本当にこの味が気に入ったことがその口振りから感じることができる。

 

「特別なことはそんなにしてませんよ。まあしいて言うなら仕上げに隠し味を入れていたり……」

「やっぱり入ってるんじゃん、後でちゃんとしたレシピ書いてくれない?」

「もちろん、向こうでもセシルさんにも作ってあげなさい」

「あっ、お願い~」

 

 目を合わせて、お互いに微笑む。だけどセシルさんは口ではそう言っているけど、もしかしたら既にある程度、レシピの見当がついているのではないだろうか。

 まあいずれにせよ、秘密もわかりセシルさんも手伝ってくれるなら、この味を向こうで食べられるようにするのも簡単なことだろう。

 

「さあセシルさん、ワインもどうぞ」

「ありがとうございます。これは……いいお酒ですね」

「さすが、わかりますか? こんなときですからね、奮発しました。レン、あなたも飲むよね?」

「そうだね、頂戴」

 

 返事を聞いた母さんが全員のグラスへと宝石のように美しい赤ワインを注いでいく。一応は僕も成人済みだ。そんなに強くはないけど、普段から嗜む程度に二人でいろいろお酒は飲んでいる。

 それに初めて親子で飲み交わすんだ、なにも遠慮する必要はない。

 

「じゃあ、乾杯~!」

「乾杯~!」

 

 父さんの音頭で四つのグラスが上がる。そして一拍おいて、各々がグラスに口をつけた。

 

「うん……美味しい」

 

 舌の上で転がすようにしてじっくりと味わう。甘味、苦味、渋味、酸味、それらの冴え渡った味わいが口の中に広がり、そして喉の奥を通ったあと、素晴らしい葡萄の香りが鼻を抜け、余韻をもたらした。

 セシルさんは見た目と香りだけでわかったようだが、お酒の知識があまりない僕もこれはなかなか高級なものだということはわかる。

 

「ほらほらレン、どんどん食べてちょうだい」

「うん、わかってるよ」

 

 母さんに薦められ、僕たちはほかの料理にも箸をつける。やはり料理そのもののレベルの高さ、完成度はセシルさんの作ったものの方が上かもしれない。

 だけど……七年ぶりの、もう二度と味わうことのなかったはずの料理は普段のものよりもずっと美味しく感じた。僕はその味を決して忘れないよう心に刻み、味わいながら食べていった。

 



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25話 団らんの食卓にて

「しかしレン、あなたは女の子になっても変わらないわよね。それについて悩んだりしてないって言ってたし」

「そう……かな。確かにこうなったからといって、別に不満に思ったりしたことはないかな。さすがにこんなに経ってたら、そんなこともあんまり気にしなくなったよ」

 

 夕食会も時がすぎ、僕も含め皆、酔いが少し回ってきた。向こうがどんな世界なのかを話したり、七年間の世の中の動きを聞いたり、そんな感じで話に花が咲いてきた中、母さんがそんなことを言い出した。

 

「そうだなぁ。やっぱり最初は面食らったけど、こうしてしゃべってると全然変わらないな。でも少し大人びた感じになったか……」

「確かに落ち着いたって雰囲気よね。お行儀も何か良くなった……あ、別に昔のあなたが悪かったわけじゃなくて」

「そりゃ向こうで色々経験したし。セシルさんのおかげもあるけど」

「やっぱり、セシルさんには感謝をしてもしきれないわね。とにかくこうしてあなたが成長して、今の境遇に満足してるなら母親としては言うことはないから」

 

 こんな話をしていると、一人っ子ということもあり、昔は少し過保護気味な両親だったことを思い出す。大きくなるにつれ、少しずつ自立を促すことを言ってきたが、やはり甘いところもあり、ちょっとうざったく感じたこともあった。

 そして今日、こうして精神的な成長を認められたっていうのは少し恥ずかしくも、嬉しいものがある。

 まるで……一人前だと認めてくれたみたいで。

 

「私よりも本人の頑張りですよ。レンちゃん、何か他にも簡単な魔術を披露してみたら? 普段からちゃんとやってるのを教えてあげなよ」

「あっ、見せてくれる!」

「ん~そうだね、何がいいかな……」

 

 セシルさんにそう促され、飲みかけのワインのグラスをおいて何を見せるべきか考える。既に幻術や精神操作はやってみせたからなあ。

 そういうのじゃなくてもっと見た目で分かりやすい感じのを……

 

「よし、これなら……」

 

 ふと目についた半分ほど入ったワインのボトルを右手にとる。そして僕は少しずつボトルを左の手のひらに向けてゆっくり傾けていった。

 

「あっ、こぼれるぞ!」

「いいから見ててって、父さん」

 

 注がれていくワインは下から支える魔力によって、手のひらからわずかに浮いた位置でとどまり、シャボン玉を思わせる球状に形作っていく。そして、丁度グラス一杯分の量になったところでボトルを戻し、テーブルへとおいた。

 

「おお……」

「ふふっ」

 

 ワインは立てた人差し指の上で照明に照らされながら浮かび、紅く美しい輝きを放っている。液体が形を持つという、非現実的な光景に見とれる母さんと父さんに向けて、僕は少し得意気に微笑んだ。

 

「はいっ、父さん」

「おっ!? おっとっと……」

「それっと……」

「うわっ!」

 

 指を振るい、空になっている父さんのグラスへと球状のワインを飛ばした。

 それに興味を示し、ぎこちなく受け取った父さんをちょっと面白いと感じた後、ワインを元の液体へと戻した。

 

「どうだった?」

「いや……凄いな! 流石は魔法使い!」

 

 お酒が入っていることもあり、子供のようにはしゃぐ父さん。僕にとっては大したことではないが、こちらの世界の人には新鮮に映るのも当然だろう。

 きっと逆の立場だったら、僕も同じリアクションをしていたに違いない。

 

「母さん、どう? 凄かったでしょ?」

「ええ……ホント凄いと思うわ」

 

 僕自身もお酒のせいか、ちょっと調子に乗っているのを感じる。

 それもあってか、続けて同じことをやろうとしたが……

 

「でも……なんか私が思っていたのと違かったわね……他にない?」

「ええっ……でもこれ凄い高等テクニックなんだよ。なんの補助もなしに綺麗に丸くするのとか……」

「そ、そうなの……ごめんね、別に悪く言ったつもりはないから。でも、少しイメージと違くて……」

「むむ……そうか」

 

 ん~冷静になったら、自分でもあんまりよくなかったと思えてきたぞ。

 父さんは喜んでくれたみたいだが、あれじゃやっていること自体は普通の手品ショーとそう変わりがない。

 もちろん僕は手品師ではないし、これはタネのある手品ではなく、正真正銘本物の魔術だ。

 

 でもきっと母さんが考えている魔術は映画や小説などで見るような動物に変身したり、空を飛んだりそういうものに違いない。

 だけどな……使い魔に意識を移したりするのはともかく、自身が別の動物になるなんてのはまた別の話だし、空を飛ぶというのも僕たちといえどそういう道具がないと厳しい。

 それにやっぱり見てもらうだけじゃなくて、一緒に体験してもらうのが一番わかりやすいだろう。

 

 そんなそれらしい魔術の中で今すぐにできそうなのあったかな? 何より母さんを巻き込んでも大丈夫そうなのとなると……ん? あっ、じゃあ…… 

 

「よし……母さん、一回外に出て。すぐに済むから」

「えっ? 外にってどういうこと?」

「いいからいいから。せっかくだから父さんも来て」

「なんだなんだ、また何かやってくれるのか?」

 



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26話 母との語らい

「ん~いい風だね」

 

 持ってきた杖を手に取り、僕は母さんと父さんを連れて家の前まで出てきた。外は夜風がひんやりと気持ちよく、月が煌々と照っている。

 これからすることは家のなかでもできないことはないが……せっかくの機会だしね。

 

「それで何をするのレンちゃん。手伝うようなことある?」

「それには及びませんよ。まずは……母さん、ちょっと手を出して」

「これでいい?」

 

 少し冷え性の母さんの冷たい感触を感じながら、手を繋ぐ。続けて杖で互いの足下をつついた。

 これも過程の一つだ。普段はこんなことせずいきなりで十分だが、母さんも一緒に体験してもらうんだから、一応は慎重になる必要がある。見た感じもそれっぽくなるし。

 

「ああ……なるほどね」

「わかっちゃいましたか、セシルさん。結構魔力使っちゃいますけどいいでしょ?」

「もちろん、多めに持ってきたし構わないよ」

「何々、どういうことなの?」

 

 どうやら察したらしいセシルさんにウインクをして、何をされるのか困惑している母さんの手をより強く握る。

 父さんもこれから何が起きるのか興味津々のようだ。母さんが終わったら、やってあげようかな。

 

「後は……ちょっと足借りるよ」

「借りるって……えっ!?」

「感覚はちゃんとあるよね。そのまま力抜いてて」

「……」

 

 母さんの身体機能の一部、具体的には足の機能をちょっと拝借させてもらった。今、母さんの足は感覚を残したまま、僕の意のままに操れる状態だ。やっぱりこちらの人は魔術に対する耐性が全くないので、実にスムーズに行えた。多分、触れずとも可能だっただろう。

 当の母さんは自分の意志とは無関係に、自分の身体が動くという不思議な感覚に目を白黒させている。そんな姿はさっきの父さんと同じで見ていて少し面白いけど……これが目的じゃないから程々にしないと。

 

「始めるよ。よっと……うん、成功!」

「凄い……浮いてる……」

 

 そのまま僕と母さんの右足を同時に上げる。そしてその足は地に着くことはなく、足下から微かな光の波紋を放ちながら浮いていた。

 

「最初の一歩だけ感覚を合わせるために身体を動かせてもらったから、もう普通に足を動かせるよ」

「あっ、本当」

「じゃ、このまま上ってくよ。こっちに合わせてね」

「合わせて一緒にね」

「少し変な感じがすると思うけど、地面と硬さは変わらないから安心して」

 

 これは簡単に言ってしまえばさっきのワインを浮かして見せたものと原理は同じもの。空中にて下から支える魔力で足場を生成している。魔力の消費はやや多く、何より複雑な操作はいるが、杖の補助があればそれも僕たちにとっては容易なこと。

 

 しかしそれでもこちらで生きるもの、誰もがあこがれたことがあるであろう空中を歩くという体験であるのは間違いない。

 空を踏みしめるという決して前例のないであろう体験を母さんは、心からの笑みを浮かべて楽しみながら僕と共に歩を進めた。

 

 

 

「わっ、高~い!」

「これくらいで六、七階くらいの高さかな。一応周りには見られないようにしてあるから」

 

 そうして階段を上るように、より高く高く登っていき、既に家を遥かに超えた高さまで来た。下では父さんやセシルさんが何やら話ながら、手を振っているのが見える。

 会ってから数時間だというのに、早くも打ち解けているようで何よりだ。

 

「ところでレン……あなた怖くないの? 昔は結構高いところ怖がってたような……」

「えっとねえ、今はもう大丈夫。こういうことをやってるうちに慣れちゃった。ここに来る前にビルの上とか行ってきたし」

「さすがね。本当に魔法使いなのね……」

 

 そういいながら母さんは羨望の感情を込めた眼差しを僕に向ける。そうやって評価してくれるのはうれしいことではあるが………

 

「とはいっても魔術師って要は魔法の学者、研究者ってところだから。そんなに大したもんじゃないよ。きっと母さんが思ってるようなのとは違うと思う」

「そうなの?」

「僕たちだっていつもは普通の服装で普通に町で生活してるし、ああ……研究のときにローブ着たりはするか。あれもほとんどセシルさんの趣味みたいなものだけど」

「じゃあ、さっきの写真はその時の」

 

 そういえばそうかあ……さっき見たんだっけ。

 

「そうそう。だから僕たちもいろいろ研究していたりするんだ。あの世界の魔法、いろんな世界の魔法、空間のことや時間のことまで……」

「はあ……」

「僕も一応魔術師のはしくれだし、セシルさんに手伝ってもらって、本を書いたりしてるんだよ」

「あなたが……ちょっと想像できないかも」

「そうだよね~」

 

 僕は少し笑いながら、母さんの方に顔を向けた。そんな気持ちもよくわかる。

 母さんが僕をどう思っているかはわかっているつもりだし、こちらにいた頃を思えば今のような生活なんて想像だにしていないかった。

 

「あと向こうも平和ではあるけど、さすがにこっちに比べたら少しは物騒なこともあるかも。でも……それも含めて向こうの日常かな」

「それは……なんとなく私でもわかる。でもセシルさんがいるなら心配はいらないんでしょ?」

「あの人は凄いよ。それにいつも良くしてくれて……一緒にいて楽しくて……」

「いい人だね~あんなに美人さんだし」

「結構ドジなところもあるけどね」

 

 

 手を繋ぎ宙を歩きながら、そんな母さんとの会話を楽しむ。男の身体で生きていた頃も、成長してからはあまり二人きりで話すなんてことは少なかったから、なんだか子供に戻った気もしなくはない。

 しかし、こうして触れ合っているとそういった意図がなくとも、なんとなく母さんの心情を感じ取れる。

 このあたりかな……

 

「母さん、怖くなってきたんじゃない?」

「んんっ……わかっちゃう? 面白いんだけど、ちょっと落ち着かなくて……」

「無理もないよね、慣れてないと……今度来るときは空飛ぶホウキでも作ってこようか」

「そんなこともできるの? 本当ならすごく乗りたいんだけど……」

「完璧ってわけじゃないけど……二人でなら一応のものは多分できる」

「へえ~」

 

 その言葉に母さんはとても嬉しそうな反応を示す。そうだよな。やっぱり、そういうのだよなあ。

 まあちょうどいいきっかけになるかな。

 

「興味ある?」

「うんじゃあお願いしちゃう。その日を楽しみにしてるわ」

「ふふっ、それじゃ降りよっか。手をちゃんと握ってね」

「えっ、降りるってどういう……わわわっ!」

 

 杖で足元を触れた瞬間、魔力で作った足場が消えて僕たちの身体は重力に従い、自由落下を始める。もちろんこれはわざとだ。

 

「えいっ」

「うわっ……」

 

 ちょうど家の屋根のあたりで、落下速度を緩める。そしてそのまま僕はふわっとした感じで足元に大きな波紋状の光を演出しながら、つま先から優雅に着地した。

 母さんはそれどころじゃなかったのが、ちょっと惜しかったけど……

 

「も~ビックリさせないでよ」

「ごめんごめん、でも楽しかったでしょ」

「もちろん、すごく楽しかった!」

 

 しかしこの一連の流れは正解だったようだ。母さんは自分の身をもって魔術を体験できたことで、まるで一つのアトラクションの後のように興奮していた。

 そして僕自身、少しだったがとても有意義な時間を過ごせたような、得もいわれぬ充実感を胸に感じていた。

 



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27話 片付けられた部屋

「レンちゃん。着地バッチリきまったね~」

「でしょう、自分でもいい感じだと思いましたよ」

「お帰り、レン。お前たちが上にいる間、セシルさんと話してたよ」

「父さん」

 

 先ほどまで話していたセシルさん、そして父さんが降りてきた僕たちの方へと歩いてきた。

 

「お前は向こうでは勉強して、練習して……色々やってるんだってな」

「うん……そうだね。そういう仕事をしているわけでもあるんだし」

「へぇ偉いな……こっちにいた頃よりやってるんじゃないか?」

「そうかもね……凄く面白いよ」

 

 どんな会話だったかは聞こえなかったが、セシルさんずいぶんと僕が頑張っているように話していたらしいな。

 間違いではないし、こうして褒められるのは嬉しいんだけど……ちょっと恥ずかしいような。

 

「じゃ、じゃあ父さん。母さんと同じことやってみる?」

 

 とりあえず話題を変えたくて、父さんにも魔術による空中歩行を誘ってみた。

 だけど……僕はあることを忘れていた……

 

「いや、俺はやらないでおく。お前には悪いけど……すまん」

「え、何で? あっ……父さん高いとこダメなんだっけ……」

 

 父さんは黙ったままで首を縦に振った。そういえば重度の高所恐怖症だったんだった……

 

 

 

 結局父さんを連れてくのは断念し、僕たちは再び家に戻った。それにしても仕方ないとはいえ、父さんちょっと情けなくみえちゃったなあ……

 

「そういえば、レンも言ってましたが、セシルさんは凄い人なんだそうですね」

「そんな~でも確かに私たちはちょっと特別ですから。ねっ、レンちゃん」

「まあ、そうですね」

 

 確かに僕たちの扱う、いや扱うことのできる魔術は向こうでの普通の人のそれとは全く違ったものだ。

 もちろん違う世界にいけばその魔術体系は違うものになるので、学ぶこと、知ることは尽きないほどあり、事実セシルさんはそうやって研究を続けて、それを楽しんでいる。

 

 実際に必要な資源とかの問題もあり実現できるかはおいといて、僕たちが有する技術は向こうの人から見ても魔法使いといってもいいほどだ。

 だけどセシルさんがそれをおかしなことには使わないと僕は確信している。仮に世界を簡単に滅ぼすことも、世界を変えることもできる技術を見つけたとしても、というかもう持っていたとしても、きっとその過程や導き出した理論を見てニヤニヤ笑って満足するだけだ。

 

 それを元に何かをしたり、広めたりもしない。せいぜい僕たちだけで遊べそうなもの、便利そうなものを作ったり、後は自分の身を守るために使うくらいだろう。

 

 そしてそれすらも人生を楽しむ一つの要素に過ぎない。そういった人であり、僕は……そんなセシルさんに付いていくと決めていた。

 

「この話はいいんじゃないですか」

「それもそうか、何か私たちだけの話になりそうだしね。そういえば、昔のレンちゃんの話をもっと聞きたいですね~」

「いいですよ、レンは子供のころ、結構泣き虫なところがありましてね~子犬に追いかけられたりして……」

「ちょ、ちょっと母さん。そんな昔の話……」

「いいじゃない。聞いても教えてくれないじゃん」

「それはそうでしょ……」

 

 そんな恥ずかしい過去を自分でしゃべるわけないじゃないか……そんなことは百も承知で言っているんだろうけど。まあセシルさんなら別にいいか。

 でも昔の僕かあ……ん? な~んか忘れてるような……

 

 後で聞こうと思ってたようなこと……昔の……あああっ────!

 

「ねっ、ねえ! 母さん!」

「そんなに大きい声出して……どうしたの?」

「えっと……僕の部屋ってさっき見たら、きれいに片付けられてたみたいなんだけど……本とかパソコンとか、どうしたの?」

「ああ、それは……私はよく知らないから」

「ええっ! どういうこと?」

 

 いや、それは本気で困る。とっておいてあるなんてことは無さそうだったが……

 

「だって、その辺の整理、片づけはお父さんがほとんどやったから。私が手伝おうとするといいって」

「と、父さんっ!」

「……!」

 

 父さんは口にわずかな笑みを浮かべながら、無言でのサムズアップをした。これは……ちゃんと処分してくれたってことだろう。

 複雑な気分だが……母さんに手を出されるよりは良かったか……

 

「くくっ……くくくっ……」

「何笑ってんですか、セシルさん」

「いや、だって……」

「もう……」

 

 一連の会話で何のことかを察したセシルさんは手で口元を隠し、プルプルと震えながら笑っていた。母さんは何のことやらわかっていないようだが、このままでいい。というかわかっちゃダメだ。

 それにセシルさん、そんなに笑わなくてもいいじゃん……

 



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28話 平凡だった特別な夜

「おや……もうこんな時間ですか……」

 

 僕の昔話やら何やら、楽しく話をしている間に夜も更けてきた。料理もほとんど平らげられ、僕を含め皆が頬をほんのりと赤くしている。

 

 そういった研究をしていくうち自然と毒に耐性を持ったセシルさんは本来、酒もほとんど効かないはずだが、今は完全に酔っているとはいかなくともほろ酔いといった感じだ。これは酒を飲むときは自ら一時的に酒に対してのみ耐性を下げているらしい。それでもやろうと思えばアルコールの任意での分解もできるだろう。

 確かに酔わない酒を飲んでもつまらないのはわかるけど……難儀なものだなあ。

 

 

「では……そろそろ私は失礼させてもらいますかね」

「帰るんですか、セシルさん」

「ああ、そうするよ。レンちゃんは久しぶりの親子水入らずの時間を過ごしておいで」

 

 そう言って立ち上がり、来たときの荷物をまとめ始めた。僕としてはすでに家族以上の存在であり、あんまり気にしない。だけど母さんや父さんにとってはいくら親しくなったとしても、少なからずお客様といった印象を与えているはずだ。

 やはりある程度の緊張をさせているのは間違いないだろう。嬉しい心遣いだ。

 

「じゃあ、そうさせてもらいますね」

「あれ、あなたたちは近くのホテルに泊まっているんだっけ」

「そうだけど……」

「セシルさん、タクシーお呼びしますので、待っててくださいよ」

「いや、大丈夫でしょ」

「でも……」

 

 母さんが心配するのはわからなくはない。こっちの世界でのセシルさんは見た感じただの若い女性。

 夜道を歩いて帰らせるのに抵抗があるのは仕方ないだろうな。

 

「大丈夫ですよ、お母さん。距離も大したことないですし、少し夜の散歩もしたいですしね」

「ほら、こう言ってんだし」

「そうですか……」

 

 その言葉は嘘ではない。セシルさんは見知らぬ土地を見て回ることが大好きだ。夜の散歩というのも変な意味ではなく、昨夜の僕のように昼間とは違った街並みを少しは見て回りたいのだろう。

 それに多少酔っているとはいえ、万が一トラブルに出くわしても丸腰で全く問題ない。

 

 

 

「じゃあ、レンちゃん、また明日迎えに来るからね~」

「はいお休みなさい」

「お休みなさい~」

 

 結局徒歩でホテルまで帰ることにしたセシルさんを父さんと二人で見送っていく。

 いや……お休みなさいとはいったが、セシルさんそもそも今日寝るのかな? はしゃいで徹夜でなにかやったりしてそうだ。

 

「お父さん、セシルさんは帰ったの~?」

「ああ、行ったよ~」

「そう……」

 

 家に入りリビングに戻ると、キッチンで後片付けをしていた母さんが心配そうな声色でそういってきた。

 ふと振り向いてきた前を歩く父さんと顔を見合せ「母さんのこういうところは変わらないね」と小声でささやいた。

 

「そういえば、お風呂もう少しで沸くから、先に入っていいわよ」

「はいは~い」

「家のお風呂も久しぶりでしょう。ちょっと狭いかもしれないけど、ゆっくり温まりなさい」

「……わかったよ。ゆっくり入らせてもらうね」

 

 

 

「んん~~……」

 

 髪と身体を丹念に洗い、湯船に浸かる。昨日、今日と旅の疲れによる身体のコリをほぐすようにしながら、我が家の浴室の感覚を記憶の中から思い出していた。

 背は少し縮んだとはいえ、やっぱり普段の浴室と比較して狭くは感じる。けれど几帳面な母さんによる掃除が行き届いていて、とても落ち着くな。

 

「ふふっ……」

 

 背伸びをし終えた後、僕は右脚を湯船から出して持ち上げた。そしてその柔軟性が一目でわかるくらいに直立した、長くしなやかな脚を見ながらかすかに笑いをこぼす。

 

 こうしてお風呂に入ることは大好きだ。いやこちらで生きていた頃から好きではあったし、それは日本人ならほとんどの人が持つであろう気持ちだろうが、今はそれ以上にこの時間を大切にしている。

 身体を洗うときやこうして湯船に浸かっているとき、今の自分を誰の目を気にすることなく堪能できる時間だからだ。

 

 たまにセシルさんと二人でお風呂に入るのも好きだけど……こうして一人で入るというのはそんなまた違った良さがあっていいものだと思う。

 

 

「そろそろ…………ああ、そういえば……」

 お湯のなかで今日あったことを思い返していくうちに時間も経ち、十分身体も温まった。そうして湯船から出るつもりで、立ち上がろうとした時、あることが頭によぎった。

 

 着替えは持ってきたけれど、普段使っているタオルは置いてきたままだった。

 まあ別にいいか、普通に家のバスタオル使おう。

 

「ん? 仕方ないな」

 

 浴室から出たすぐ近くにあるタオル掛けにバスタオルが置いてなかった。さっきは置いてあったはずなんだけどなあ……一旦片づけちゃったのかな?

 

「母さ~ん! タオル持ってき……!」

「ごめんレン、これ……!」

 

 母さんに持って来てもらおうとして呼んだ瞬間、丁度新しいタオルを持ってきた母さんがドアを開けた。

 

「…………」

「……借りるよ」

「あっ……ええ」

 

 お互いの台詞を言い終えることなく、顔を見合せ固まった。そして……一瞬後、僕はタオルを母さんの手から取り、拭いていった。

 

「……」

「どうしたの?」

「あ、ああ、ええっと……こうしてみると、あなたずいぶんと綺麗で……」

「ふ~ん……」

 

 母さんは僕の言葉に無言で軽くうなずく。

 自分で言うのもなんだけど、確かに同性であっても目を引くくらいには魅力的な肢体……だとは思う。

 

「あなたもセシルさんも凄いスタイルいいわよね……さっきから見ていたけど、少食ってわけでもないみたいだし。何か秘訣とか……」

「ちょっと鍛えてたり、普段から外の調査で身体使ったりいろいろやってるしね。そんなもんだよ、ほら……あんまりじっくり見られると、さすがに……」

「ああごめんなさい……」

 

 なんだか母さんテンション高いな……気持ちはなんとなくわかるけどね。

 

「じゃあ私は戻ってるからね」

「はいはい」

「ん~風呂出たのか~?」

「ちょっと、お父さん! まだだから!」

「あははは……」

 

 

 

「さて、と……僕はそろそろ寝るよ」

「そうか、明日もいろいろあるだろうしな。面白かったよ、お前の話」

 

 お風呂を出て着替えた後、再び父さんや母さんに向こうでの生活の様子を話したり、簡単な魔術を披露したり、そんなことをしているうちにさらに夜も更けていった。

 そうして日付も変わり、強い眠気を感じ始めた僕はまだ話したい気持ちもあったが、明日を考え眠ることにした。

 

「それであなたはどこで寝るの?」

「そうだね……じゃあ、自分の部屋で寝るから布団貸して」

「えっ? あそこ綺麗に掃除はしてあるけど……今何もないよ。いいの?」

「いいのいいの」

「……わかったわ」

 

 母さんから余っていた布団と目覚まし時計を受け取り、廊下を歩く足取りに懐かしさを覚えながら自分の部屋へと向かった。

 部屋についた僕は、静寂に包まれた部屋に布団を丁寧に敷いていく。

 

「また、ここで……ね」

 

 敷かれた布団に潜りながら、ふと呟いた。なんだか、初めてセシルさんと出会った、あの日の夜を思い出す。

 あの日はセシルさんのおかげで戸惑いこそ感じなかった。だけど新たな生活への期待と不安……何より親しかった人々にもう会えないという悲しさで胸がいっぱいのまま眠りについた

 

 しかし、今は再び両親に会えた。ご飯を食べて、お風呂に入って、そしてまたこの天井を見上げながら眠ることができる喜びを感じている。かつては当たり前、平凡だった時間がとても愛おしく感じている。

 一度はここには来ないことを選んだが、結局は来てしまった。いや今でもここに住みはしないことを決めているのは変わらない。

 

 だけど……この夜は僕の人生の中で、忘れられないものになるはずだ。

 



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29話 家族と過ごす朝

「ん……んん……」

 

 ジリリとけたたましく部屋に響く目覚まし時計の音。そしてカーテンの隙間から差し込む、いつもと少しだけ違った朝日によって僕は目を覚ました。

 時計の上部を押して音を止めて、布団の柔らかさと残り香を味わうように身体を丸めるような動きをしてから……ガバッと起き上がり、やや大げさに思いっきり背伸びをする。

 

 朝、眠りから覚めるときというのは、目を閉じればすぐに再び眠ってしまいそうなくらいな場合と、起きたその瞬間から明瞭な意識を持てる目覚めの場合がある。

 適度な睡眠時間の他に、レム睡眠の周期などの要因があると聞いたことがあるが、以前ここで過ごしていたときは、あまりそういったいい目覚めをするときはなかった。

 今でも夜遅く起きていたりすることは珍しくない。だけど、それでも環境の違いか身体の違いか、他にも少し心当たりはあるがともかくそういった朝は迎えることは格段に増えたといえる

 

 そして今日も、この数秒の間だけで一日の幸福を感じさせるような、そんな気持ちのいい目覚め。

 

 

「よいしょっと……」

 

 布団をたたんで、部屋の隅へと置いた僕は、やや寝癖になっていた髪を手ぐしで整えながら洗面所へと向かった。

 そして、前髪が濡れないよう魔力で生成したヘアピンでとめ、蛇口からの冷たい水で顔を洗い、置いてあった綺麗なタオルで顔を拭く。

 

 これも毎日、ずっと前から……ここにいたときも、今でも、きっとこれから先も行い続けるであろう行動。どこに住むことになってもこれは変わらないだろう。

 鏡に写る、少しぼんやりとした顔をした少女と目を合わせながら、そんなことを思いをはせていた。

 

 

「レン、起きたの~?」

「もう起きてるよ、母さん」

 

 洗面所から出るとエプロンをつけた母さんが笑顔でキッチンからやってきた。ふと気づくと、味噌汁のいい香りが漂っている。

 朝食を作っている最中らしい。

 

「もうすぐ朝ごはんできるからね。着替えたら来てちょうだい」

「何か手伝うことある?」

「大丈夫よ。あなたはゆっくりしていて」

「わかったよ」

 

 母さんとこんな何気ない話をすることでさえ、やっぱり嬉しく感じてしまう。

 本来だったら……もう二度と迎えることができなかったはずの、我が家で過ごす朝の時間。

 

「おはよう。父さん」

 

 着替えて食卓へと向かうと、父さんが座って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。昔から仕事の日も、休日もどんな時も朝起きたら一杯のブラックコーヒー、父さんの毎朝の日課だ。

 部屋に入ったことに気づかないそんな父さんに、僕は後ろから声をかけた。

 

「んん゛っ! え……ああ……レンか。おはよう」

「……大丈夫? 母さん拭くもの持ってきて」

 

 背後からの聞きなれない僕の声に驚いたのか……父さんはコーヒーにむせてしまった。

 ゴホゴホと咳き込む父さんの背中を軽くさすっていると少しして振り向き、そこから僕の方を向いたままさらに数秒置いたのち、冷静さを取り戻し挨拶を返してくれた。

 

「お父さん、なにしてんの~」

「いや、すまん……」

 

 布巾を持ってきた来た母さんが、仕方がないなといった感じに父さんが少しこぼしてしまったコーヒーを拭いていく。

 そんな父さんをちょっと心配に思いながら……空いていた椅子へと座った。

 

 

「はい、できたわよ。これお味噌汁ね」

「あっ、ありがとう」

「ちゃんと食べていきなさいよ。今日はあの人と一緒に色々見て回るんでしょ」

 

 テーブルにベーコンエッグ、サラダ、味噌汁、ご飯といったバランスのいい、いかにもといった朝食のメニューが並んでいく。

 昔は朝食を簡単に済ませてしまうことがほとんどだったから、こうやって家族そろってしっかり食べることなんて滅多にないことだった。

 

 でも全くしなかったというわけではない。たまにみんなの時間が合えばこうやって揃って食べていたし、もっと小さい頃なんかはそういった日もよくあった。

 

「いただきます」

 

 一礼をして箸を取り、まずは湯気を立てている味噌汁を一口。

 うんうん……やっぱりこれも懐かしい味だ。熱々で、クタッとするまで煮込まれたネギが甘く、その香りが一気に胃を動かしたように感じる。

 

「どう? おいしい?」

「おいしいよ。すごく……」

 

 そうやって味わった味噌汁をいったん置いた僕は、さらに醤油をかけたベーコンエッグへと箸を伸ばす。

 

「ん……この目玉焼き、固めの黄身だね……」

「そうそう、あなたはそれが好きなのよね」

「ちゃんと覚えてくれてたんだ……」

 

 割った目玉焼きの黄身は少し固め、僕の好みの焼き加減だ。半熟も嫌いというわけではないけど、昔からこのややポロポロのするくらいの加減が好きだった。

 母親としては当然のこと、と母さんは思っているのかもしれないけど……こういうことは本当に嬉しい。

 

「そういえば昨日は聞けなかったけど、あなた達は喧嘩したりとかしないの?」

「喧嘩ね~元々優しい人だし、お互いに隠し事とかほとんどないくらいだからあんまり……ちょっと好みで揉めるくらいかな」

 

 箸で切ったベーコンをご飯と一緒に食べながら、本人がいては少し聞きにくいであろう母さんの質問に答える。

 

「食べ物の好みとか?」

「そうそう、例えば一緒に住み始めて少しした頃、この目玉焼きでね。セシルさんは半熟派だから」

「へ~あなたと反対じゃない。それでどうしたの?」

「僕が作るときは固めで、あの人が作るときは半熟でって交代で作るようにしてそれでお互い納得したんだよ。どちらかといえばこっちが好きくらいの話だったしね」

「やっぱり仲がいいわね」

「そう……だね」

 

 母さんに言ったように本格的に喧嘩したようなことは一度もない。多少のじゃれあいはあるけど、何かされても許しちゃうし、仕返しに僕の方からしても許してくれる。

 むしろそんなことをする度に仲が深まっていくと感じるくらいだ。

 

 だけど、やはり人間なので好みなんかで対立することはある。目玉焼きだけでなく、コーヒーの砂糖の有無、麺のゆで加減、香りや風景の好みといった食事以外のこともちょっと揉めたりする。

 最終的には和解したり、結局そのままだったり、いつの間にか違う話になってたり、その終わり方は様々だ。

 

 やっぱり男と女という部分は多少はそんな話に発展する要素になっているのかもしれない。

 それでもそうやって議論しあうのも楽しいことで、嫌な気持ちはしないしね。

 

「あっ母さん、ご飯もう少しもらえる?」

「じゃあ俺のも持ってきて」

「はいはい」

 

 僕のおかわりに続いて父さんも茶碗を差し出す。

 こういったちょっとしたこともまた、いつかあった……いつまでも覚えておきたい光景だ。

 



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30話 変わる日常

「ごちそうさまでした」

 

 お代わりをしたご飯の最後の一粒を食べ終え、箸をおいた僕は母さんの方へ向き直ってから、心を込めてごちそうさまをした。

 

「味はどうだった?」

「あ、うん。美味しかったよ」

「あなた達の普段の食事と比べるとどう? 正直に言うと?」

 

「う……」

 

 詰め寄ってくる母さん。その眼差しは本気だ。

 適当なことを言っておこうかとも一瞬考えたけど、これは正直に答えるしかないか……

 

「久しぶりに食べたとか、そういう思い出も含めて同じくらい……かな?」

「そう……私もあの人の料理、食べてみたいわね」

 

 かすかに聞こえるくらいの返事をして母さんは、ちょっと悔しそうな表情で振り返った。

 きっと料理好きということもあり、この分野でセシルさんをライバル視しているのか……まあ、なんにせよ僕には関係ないけど。

 

「まだ、もう少し時間あるんでしょ。あなたもコーヒー飲む?」

「あっ、ちょうだい」

「砂糖は……」

「もちろん無しで」

 

 

「そろそろ、来るはずだけどな……」

 

 ブラックコーヒーを飲み終えて、改めて身支度を終えた僕はソファーに深く座り、その辺にあった父さんが買ってきたらしい青年漫画雑誌を読みながら時間をつぶしていた。もう来るといっていた時間を少し過ぎている。

 だけど……口ではそう言っているけど、心のどこかではもうちょっとこのままでいいと思っていた。

 

 もちろん久しぶりにこの街をセシルさんと一緒に、自分の足で歩いて回るのも楽しみではある……けれど、こうやって家でぼんやりしながら過ごす時間が考えていたより心地よかったからだ。

 

 

「……ん? 今、チャイム鳴ったよね」

「鳴った……んじゃない?」

 

 そんな一時の幸せな怠惰の時間も、玄関で鳴ったチャイムが終わりを告げた。そろそろ寿命なのか、以前よりもずいぶんと小さい音で。

 実際皿を洗っている母さんはよく聞こえなかったのか、首をかしげている。

 僕はこの身体になってから多少なりとも耳が良くなっているが、それでも鳴ったのはなんとかわかったといった感じだった。そろそろ交換の必要があるだろうな。

 

「はいは~い! 今行きますよ」

 

 漫画を閉じて棚にしまい、ソファから立ち上がり、玄関へと向かう。

 しかし……なぜかな、別に急ぐ必要はないというのに、こうして自然と早足になってしまうのは……

 

 まるで小さい頃どこかへ泊まったときに、決して寂しいとは自覚しなくとも、次の日に母さんにあうのが楽しみだったように。

 僕にとってセシルさんはもうそれほど大きな存在……ということかも。

 

「おはよう、レンちゃん!」

「おはようございま~す。珍しくちょっと遅かったですね」

「えへへ、ちょっとパソコンいじってたら時間すぎちゃった。ごめんね」

「僕もゆっくりできたからいいですよ」

 

 

 

「じゃあ母さん父さん、また後で何度かこっちには来ると思うから。後は最後に帰るときもね」

「わかったよ、楽しんできな」

 

 僕は準備してあった荷物を取り、セシルさんと改めて玄関へ立った。

 この束の間のいつもと違った……()()()()()()()()日常に、別れを告げるために。

 

「忘れ物は大丈夫? 何かあったら戻ってくればいいんだけど一応ね」

「ないない、ちゃんとチェックしたから」

「あと今日はあそこ寄るんでしょ。昨日教えた場所はわかるわよね?」

「大体はね、行けばわかるでしょ」

「そうね。レン……ちょっと手握ってくれない?」

「あ……うん」

 

 ややうつむいたまま、母さんはそういって手を差し出した。

 

「……ありがとうね」

「……僕もだよ」

 

 そのまま僕はその手の温もりを感じながら、優しく、強く両手で握りしめた。

 

「じゃあ俺も頼む……」

「父さん」

 

 母さんから離れたのを見て、続けて父さんも手を出す。

 その手が……少しだけ震えているのが見えた。

 

「元気でな……」

「またすぐ来るつもりだけどね」

「……」

 

 ありゃりゃ、ちょっと固まってしまった。別に言わなくてもよかったかも。まあ、いっか。

 ともかく、その子供のころは不思議と大きく感じた手を……母さんよりも、強く握りしめた。

 

「んん、意外と力強いな、お前」

「ん~そうかも、でも父さんが弱くなったんじゃない?」

「俺も年だからな~」

「病気とかに気をつけてね……」

 

 ……なんだか普通の会話になっちゃったなあ。もっと言うことあったかもしれないのに。

 

 

「そろそろ行きます?」

「そうだね。それじゃあお父さん、お母さん、またうかがいますね」

 

 そうした挨拶を済ませ、セシルさんに声をかける。

 それにしても二人とも本当に嬉しそうだ。

 

「セシルさん……これからも息子をよろしくお願いします」

「はい……わかりました」

 

 

「じゃ、また後でね~」

「せっかく来たんだから、体調崩さないようにするのよ!」

「もう……子供じゃないんだから、わかってるって!」

 

 立ち去る間際に母さんがわりと大きめな声で、そんな心配の言葉をかけてきた。昔からこれに似たことは何度も言われて、何度も……こんな感じで返してきた。

 普段は甘えていたからこそ、言葉として言われるとなんとなく反発するような気持ちになったのかもしれないと、かつての自分を思い返す。

 

「昔とは違うってのに……相変わらず過保護なんだから」

「ふふっ……私はすごくいいご両親だと思ったけどね」

「そういえばセシルさんのこと、二人ともすごく気に入ってましたよ」

「それは嬉しいな」

 

 もちろんこの家にはまた来るが、こちらの世界に来ること自体もこれで最後というわけではない。そしてこれからはセシルさんも家族の一人であると、少なくとも二人はそう思っていた。

 久しぶりに会った息子が連れてきた嫁みたいな……いやむしろ逆か?

 

 ともかく……そういった人を連れてきたという認識かもな。一応はそれで合っているか。

 いずれにしてもこれからはゆっくり、その人となりを知ってもらえばいい。

 

 

「……」

 

 昨日と同じ道を歩きながら考える。何であんなに気にしていたのかと今になっては思うほど、なんてことのないものだった。

 まあ人生のことなんて、大抵がそんなものだろう。

 

 少し歩いて、ふと振り向いたその先に二人の背中が見えて……僕はこれからもよろしく、と心の中で呟いた。



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31話 お墓参りにて

「面白かったね」

「よかったですね~」

 

 ぞろぞろとした人の流れに混じり、映画館から出る僕たち。

 近頃話題だというアニメ映画を見に来たわけだが、その前評判に違わない面白さだった。

 

 家を出てから服を見て回ったり、雑貨店に行っていろいろと買い物したり、こうして映画を見たり、結構行き当たりばったりのプランではあったが、なかなかに満足できる時間。

 そしてそれはセシルさんも同様の気持ちのようだ。

 

「なんか私のリクエストばっかりになっちゃったから、今度はレンちゃんの行きたいところでいいよ」

「そうですか? でもちょっと時間が中途半端か……」

 

 時計を見ると、時刻は午後二時をちょうど回ったころ。お茶でもしようかと思ったが、微妙なところだ。

 それなら少し予定を変更して……

 

「じゃあ夕方ごろでもいいかと思いましたけど、先に行きましょうか。そうすれば時間もちょうどよくなるでしょう」

「了解っと」

 

 

 

「お母さんから聞いた話だと確かこの辺だったよね」

「そうそう、何とな~くですけどやっぱり見覚えありますね。もう少しだったはずです」

 

 そうしてバスに乗り、僕たちが今日初めて明確な目的地として向かった場所、それは町の外れに位置する墓地だ。

 これから行うのは無事を報告するためのご先祖様への、そして僕自身への墓参り。今日が僕の命日というわけでも全然ないのだけれど、せっかくこちらに来たんだから一応行っておこうと思って、母さんから詳細な場所を聞いて、二人でここまでやってきた。

 

 もちろん僕もここに来るのは初めてなんてことはなく、先祖のお墓参りに子供のころから何度も訪れているので大体の場所は把握してる。

 水が入った手桶とひしゃく、線香を持ち、こうして歩いていると子供のころはお盆のお墓参りなんて面倒なイベントで、終えてからおばあちゃんや両親と行きつけのお店であんみつやらを食べ、その後おもちゃ屋やゲームセンターなんかに連れて行ってもらうことがむしろ楽しみだったと考えていたことを思い出す。子供だから仕方ないよね。

 

 それに人が死んだらこの中に入るなんて、親に聞かされても現実感がなかった。中学に入る頃おばあちゃんが亡くなって、それからなんとなくそういうものだとわかった。

 そして今は昔の自分があの中にいて……さらにはそこに行くなんてなあ。

 

「確かそこ曲がって……ちょっとそっち側見てみてください」

「はいはい」

 

 墓地には多くに家系のお墓があり、なかなかに入り組んでいる。大まかな場所はわかるといっても、さすがにここだという明確な位置までは覚えていないので、一つ一つ見ていくしかない。

 

「あれ、ここらのはずだけどな……あっ」

「どう、見つけた?」

「見つけましたけど……」

 

 二人で手分けして探していた僕たちだったが、少ししてようやく我が家の墓を見つけることができた。

 しかし僕は一度、ここを通りかかったときそのお墓を見逃してしまっていた。結構注意深く探していたつもりだったが、そんなことをしてしまったのはある予測していなかったことがあったからだ。

 

「……えっ! ああ、すいません。こちらのお墓にご用ですか?」

「あっ、はい……」

 

 そのお墓の前には、青い服を着た一人の腰の低そうな中年男性が座り、線香をお供えしていた。当然母さんからは今誰かがお墓にきているなんて話は聞いてないし、事故から七年も過ぎた中で、誰も命日でもないし、お彼岸でもない何の変哲もない日にお墓に訪れる人がいるなんて全く考えてもいなかった。

 その男性がいたことで僕はここのお墓を我が家のものではないと目線から外してしまっており、見つけるのに時間がかかったというわけだ。

 

 しかし、そんなことは本当はどうでもよかった。結局もう一度引き返して見たらすぐに見つかったわけだし、僕たちは急いでいるわけでもないのでこの人が終わるのを待っていればそれで済むことだ。

 だが僕がお墓に他の人がいたという事実の他に、もう一つ首をかしげるようなことがあった。それは……

 

『レンちゃん……あの人、親戚とか?』

『それが全然知らない人なんですよ』

 

 セシルさんは前の男性には聞こえないよう、念話を用いて僕に話しかけてきた。普段はそんなにやる機会はないが、小声でも聞こえてしまいそうな距離なのでこうした方がいいと判断したのだろう。

 そして同時に軽い目配せをしてきたセシルさんの方に横目で目線を送りながら、同じく念話で返答をする。この男性に……僕は全く面識がないということを。

 

『え? じゃあ、どちらさんだろうね?』

『さあ……』

 

 いくら何年も会っていないとはいえ、親戚などならばさすがに完全に初対面といった感覚にはならないはずだ。

 赤の他人がわざわざお墓参りまで来るなんてそれはそれでおかしいし……

 

「はい、終わったので。ところで、あなた方はこちらの家の方ですか?」

「いえ、私は以前こちらで事故で亡くなった子の友人だったものです。丁度近くに寄ったもので」

「そうですか……」

 

 男性の問に対して、セシルさんは息を吐くような自然な嘘で返答をした。いや確かに年齢的には違和感ないし、僕もその連れということにすればいい。そもそも半分は嘘でも半分は本当みたいなものか……

 まあとにかくそれに対して、僕は何も言わずただ黙っていた。

 

「それじゃあ、私はこれで」

「ちょっとすいません。あなたはこちらの家とどういうご関係なんでしょうか?」

「……!」

 

 立ち上がり、この場を後にしようしようとした男性に向けて、セシルさんはこれまたとても自然に問いかけた。それは僕自身がその言葉を発そうとした、まさにそのときのことだった。

 唐突なことにやや気をとられながらも、男性の次の一声に僕は意識を集中した。

 

「ええと私は……いやなんでもないです」

「はあ……」

 

 その問いかけに対し、男性は何かを言いかけた後、顔を背け口ごもるように曖昧な返事をした。

 こうして話しているのを見ていても、やっぱりこの人の姿も声も僕の記憶のどこにもない。この後ろめたいものがありそうな口調、何だか無性に気になるけど……あんまり詮索するのはよくないか。

 

「ねえ、もういいですよ」

 

 既に背を向けて歩き出そうとしている男性を、未だ怪訝そうな目で見つめるセシルさんに僕はそう伝えた。

 しかしその瞬間……

 



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32話 事故の因縁

「────……」

「え……ちょ!? 何やってんですか?」

 

 セシルさんは懐から杖を出し魔力を纏わせて、男性の背中へその先端を軽く触れさせた。そしてその男性は、その場で膝からゆっくりと崩れ落ち、そのまま意識を失い首を下に向けて、地面に座り込んだ。

 ちょっとこれはさすがに……

 

「これでちゃんと聞き出せるでしょ。周りに今人いないし大丈夫大丈夫。私たちだけの秘密にするんだし」

「いや、あんまりよくないですよ、こういうことは」

「レンちゃんは……とっても気になるんだよね、この人のこと」

「……でもここまでしなくても」

 

 確かにこの人は直観的に僕にとって関わりのある何者かということは感じていた。止めようとはしたが、セシルさんの言うようにじっくりと話を聞いてみたいというのも噓偽りのない本心だ。

 

「迷ったら大抵のことはやってみた方がいいよ。その方がきっと後悔しないから」

「はあ……」

「もし何もなかったら、私たちもお互いにこの事を忘れよう。それでよし、でしょ?」

 

 それも一理ある……きっとここで何もしなければ僕は後で悔やんだかもしれない。

 

「じゃあ、さっさとやろう。え~と、あなたはこのお墓の家と何か血縁の関係がありますか?」

 

 座り込む彼に向けてセシルさんは問いかける。今この男性にかけてあるのはただ眠らせるだけのものではない。それだったらわざわざ道具を出さずとも事足りる。

 これは意識のないまま、こちらの質問に全て答えてしまうという恐ろしい魔術。もしもこれが人類に普及したのならば悪用され放題なのは間違いない。というか文明が崩壊しかねない。

 

 先ほど言ったこのことを忘れるというのも、比喩的表現ではなく本当に記憶から消すとお互いに承知の上だ。僕たちも使うのは今回が初めてなほどだが、逆に言えばわざわざこれを使ってここまでして聞き出そうとするなんて、セシルさんもこの人に何かを感じたのだろう。

 

「いえ……何もありません」

 

 それが男性の答えだった。つまり彼は僕たちの血縁者ではないということだ。

 ならば、なおさら気になる。彼がここに来たそのきっかけが。

 

「では、その他にどのような関係があるのですか?」

「私は……七年前、トラックに乗っていて居眠り運転での事故を起こし一人の高校生の命を奪いました。その子がこの墓で眠っています……」

「え────」

 

 

 紡がれたまさかの言葉に僕たち二人は思わず言葉を詰まらせ、顔を見合わせた。そしてゆっくりと彼の方へと目を向け、改めてその存在を凝視する。この魔術にかけられたものは嘘をつけない。そもそも普通に喋ってもこんな嘘をつく必要なんてない。

 つまり間違いなくこの人が七年前のあの日、僕を……

 

「大丈夫……?」

「はい、続けてもらいましょう」

 

 一瞬心臓がドキリとして背筋に悪寒が走った。暖かい日差しが指している真昼間なのに、まるで氷水をかけられたようなそんな感覚。自分でもこの瞬間、平静を欠いていることはわかっていた。

 しかしその落ち着きを取り戻すことより、僕は彼の口からの次の言葉を待ち望んでいた。

 

「それから裁判があり、執行猶予はつきました。ご遺族には何度も謝罪に向かい……このお墓にも定期的に来ています」

「……」

「決して許させるなんて思っていませんが……生涯をかけて自分のしたことは償いたいです……」

 

 その男性は自らの意思のないまま一筋の涙を流し、震える声でそういった。やはりこの状態で誤魔化しなどできないのだから、今の言葉も紛れもない正直な彼の気持ちだ。

 その言葉を拳を強く握り締めながら聞き終えた僕は、セシルさんに目線を送り、軽く頷いた。その意図を理解し、セシルさんは再び杖を出して、彼の背中を軽く触れた。

 

「……あっ」

 

 すぐに男性は目覚め、座り込んだまま辺りを見回す。今喋っていたことは当然記憶にはない。

 この出来事も時間にして一分弱といったところだろう。しかし僕にとってはその何倍にも感じる濃密な時間だった。

 

「大丈夫ですか、立ち眩みですかね」

「すいません……」

 

 違和感を感じないようセシルさんは適当なフォローを入れつつ、彼の手を取り立ち上がってもらった。こんなご時世だからか、一瞬ほんの数分前にあったばかりの若い女性の手を掴むことにやや躊躇したことが手の動きと表情から見て取れた。

 しかしそこに悪い意味はないとすぐに彼も察し、その手を取って立ち上がった。

 

「ありがとうございました。私はこれで……」

「あの! ちょっと……いいですか」

「はい?」

 

 今度こそ踵を返す男性に対し、僕は一度深呼吸をして、少しだけ勇気を出して話しかけた。自分を轢き殺した人間に対して話しかける、そんな有り得ざる光景をセシルさんが固唾をのんで見ているのが背中越しでもわかった。

 

「なんでしょうか? あなたどこかで私に会ったこと……」

「えっと……」

 

 

 向き直る彼を見つめながら思いを巡らす。

 あの瞬間の痛みが、恐怖が、無念が鮮明に蘇る。

 

 そのまま一秒、二秒と時間が過ぎ、ごくりと唾を飲み込んだ後……先に口を開いたのは僕だった。

 

「いや、やっぱりいいです。……これからも頑張ってください」

「あ、え? はぁ……」

「それじゃ、さようなら」

 

 

 ここではどんな言葉をぶつけるべきだったのか、その正解はいつまでたっても分からないかもしれない。もしこの人に会えたら何を言うか、そんなことを考えていた眠れぬ夜もあった気がする。

 だけど本来なら憎むべき相手であるかもしれないはずの彼の優しそうな瞳を一瞬見つめた後、色々と浮かんでいた言葉も何だかどこかへ行ってしまった。

 

 そして、自然と出た言葉は……これからも罪を背負いながら生きていく彼への励ましの言葉だった。

 

 



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33話 機会と後悔

「ねえ、あのおじさん行っちゃったけどいいの?」

「いいんですよ、だって今更恨んでるってわけでもないですし。ちゃんと反省していたじゃないですか。これからは母さんたちもあの人への当たりは弱くなるだろうし」

「でもね……ここでレンちゃんが多少何かしても私は何も言わないよ」

 

 そうだ、確かにセシルさんの言うことも人間の感情の一つだろう。元々今の僕ならばあの男性を生かすも殺すも思いのままなわけだ。もちろんそこまでいかなくても……何か一つくらい仕返しを、ということも理解できる。

 

 僕だってあの人にいい感情を抱いているわけでもない。

 もちろん今の人生はとても楽しい。例え時間を遡ってあの日の結末を変えられたとしても、そんなことは決してしないだろう。

 それが夢物語ではなくなりつつある今でさえそう思う。

 

 だけど仮にも自分を殺した相手に対して、完全に心を許せるかといえば、それはまた別の話だ。

 実際今のやり取りの間でも……

 

「そうですねえ、実は今夜くらいは悪い夢でも見せてあげようかな~なんてことも、ちょっとだけですけど……考えちゃいました」

「ふむ、でも……やらなかった」

「はい」

「優しいねぇ」

 

 一瞬頭によぎったささやかな仕返しの内容を打ち明ける。

 これを実行に移すのは一瞬だ。さっきセシルさんがやったように、杖で軽く触ってそれで完了。百パーセントそれでいける。実に単純な呪いだ。

 

 なんだったら、直接彼の夢の中にお邪魔することだって造作もない。そんなことを、いとも容易く行えるだけの技術が僕たちにはある。

 

 だけど、僕は何もしなかった。それをセシルさんは優しい、といった。

 ……言ってくれた。

 

「セシルさんだったら、そういうことしたんですか?」

「どうかな……何かしらやっちゃうかも」

「まあそれでも別にいいと思いますよ。ちょっとしたことならば」

「そうかもね。だけど、レンちゃんはそれで後悔とかしない?」

 

 あの人ともう会えないなんて、そんなことはないだろう。きっと母さんは連絡先も知っているに違いないし、被害者の立場であるこちらが呼べば、加害者である向こうは当然来るだろう。

 

 だけど、先ほどの瞬間は間違いなく特別なものだ。偶然が重なり、出会った今この時にやらなければ、あとでそんな気も無くなってしまうことが分からないほど、僕は自分に無知ではない。

 セシルさんもそこまで見越しての言葉だ。

 

「後悔なんてしないですよ」

 

 その上で言い放った。この何もしないという選択は状況に流されたものではなく、自分の意志で選んだものであると。

 

「大抵のことはやってみた方が悔やまないかもしれないけど、やっぱり……中にはやらなかったということの方が悔やまない、そんな場合もあると思うんですよ」

「……なるほどね。その通りかも」

 

 少し前のセシルさんの台詞を借りてそう返す。それを聞き、納得の言葉と共に頷いた。

 

 

「それじゃ僕たちも済ませますか。お花とお線香ください」

「はいは~い」

 

 先ほどまでの張り詰めた空気はどこへやら。

 僕たちは軽い口調で喋りながら、お墓に水をかけて掃除をした。そして持ってきたお花をお供えし、線香を取り出して指先から出した小さな炎で点火する。

 

「この煙の匂い、結構好きかな」

「お線香の煙って独特ですよね。僕も好きです」

 

 香炉のあの男性が置いた隣に備えた線香の匂い、これを嗅ぐだけでお墓やお寺に来たと感じてしまうのはやはり僕が日本人だからだろうか。

 異世界出身であるセシルさんにはあまりなじみのない匂いであるはずだが、気に入っているようだ。

 

「……」

「……」

 

 そして、手を合わせお墓に向けて一礼をする。詳しい作法なんてのは知らないけど、大体はこれであっているだろう。そんな気にすることでもない。

 

「レンちゃんはなんかご報告したの?」

「そんなに言うこともないですよ~自分に何か言っても仕方ないし……しいて言うならば、元気でやってますよって。ていうかセシルさんも拝んでましたけど……関係なくないですか」

「そんなことないよ~私はもちろん、レンちゃんはいただきましたってご報告をね」

「はあ……ほお……まあそうですねぇ……」

 

 それって、どっちかというと僕の方がするべきな気がするけど……

 

 

「じゃ、これで終わりだね。次はどこへ行く?」

「え~と……」

 

 そんなことを話しながら、空になった手桶を持ち僕たちは元来た砂利混じりの道をゆっくりと歩き出した。今ならばバスの時間も丁度いい。

 

 ポカポカとした昼下がりの暖かい日差し。そんな陽気が少しだけ夏の始まりを予感させながらも、首筋を通るのは心地よい木々を揺らすさわやかな風。

 生と死の交わる非日常的な空間の中で、季節の変わり目を実感しながら顔を上げて見たものは、かつて家族みんなで通った道。

 

 それは分かっていたはずなのにとても……とても懐かしく、なんだか一瞬昔の自分とおばあちゃんが見えたような気がして……

 

「……あんみつでも食べに行きません? 美味しいお店を知ってるんで」

「おっ、賛成! そうしよう!」

「はい!」

 



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34話 欲しかったもの

「わあ~すご~い。色々ある~」

「気持ちは察せますけど、あんまりはしゃがないでくださいよ」

 

 少々思わぬ出来事があった墓参りから一夜明け、翌日僕たちが訪れた場所。それはセシルさんがこちらにくる大きな目的の一つだった場所、家電量販店。

 

 僕たちの家には向こうの世界には元々ない、この世界やその他文明の発達している世界でセシルさんが買い込んできた冷蔵庫や洗濯機といった便利な家電製品が存在する。

 

 そして魔力を電気に変換してコンセントから利用する技術はあるので今も普通に使用している。魔術だけでも再現できなくはないが、単純にこちらの方が基本的にはずっと効率がいいから。

 だがいくら大事に扱っているといっても、永久に壊れない製品などない。現に今使っているものは結構ガタがきていて、補強し修理を繰り返しているとはいえそろそろ新しいのが欲しいのは確かだ。

 

 それに何より……かなりの型落ち品というのが問題だった。買ったのは相当前だというし、僕たちとはいえ膨大な顧客のデータから快適さを突き詰めてきた、この世界の家電製品を一から作れというのはとてもじゃないが厳しい。

 なので、じゃあもう買っちゃおうと……そういうわけでここにきた。

 

「まずは何からですか?」

「えっ? ああ……じゃあ、初めに冷蔵庫見てみよう」

 

 そういって僕は目移りを始めたセシルさんの手を引き、途中家に寄り母さんからもらったチラシを持って、手始めにと冷蔵庫のコーナーへと歩を進めた。

 

 

「ほ~綺麗だね」

「それはそうでしょ。えっと……僕たち二人だけですし、収納が足りないなら中の空間はある程度いじればいいから、やっぱり小さいのでいいですよね」

「そうだね、どれがいいのかな?」

 

 照明に照らされずらりと並んだ冷蔵庫。爽快な光景だ。いかにも現代的な感じ。

 しかしこの中でどれがいいかと改めて考えていくと結構迷うぞ。さてどうしたもんか……

 

「レンちゃん、これ良くない? 左右どっちからでも開けられるんだってよ!」

「ん~面白いけど、その機能そんなに家で必要ですかね? ほら、これとか棚を取り外せるみたいですよ、こっちのが良くないですか?」

「ああそれいいね! どうしようかな~」

 

 セシルさんもここに来る前にネットで調べてきたというのに、どうにも迷っているようだ。それも仕方ないといえるだろう。僕はほんの七年ぶりのことで、家電の進歩もそこまでの驚きとなることはない。しかし数十年ぶりとなれば話は別。

 ここ最近は魔術主体の世界ばかり移動していたようだし、補強により基本性能はともかく見た目にはかなり古臭い今使っている冷蔵庫を思えば当然だ。

 

「よし……じゃあこれにしよう!」

「いいですね。大きさも丁度よさそうです」

 

 少しばかりの紆余曲折こそあったが冷蔵庫は決まった。サイズ、機能ともにベストな選択ができたと思う。

 

「店員さん呼ぶ前に、他のやつも目星付けときますか?」

「そうしよっか」

 

 

「ねえレンちゃん、あれ凄くない? あの丸いやつひとりでに動いて掃除してくれるんだってよ!」

「ああ……あれは面白いですよね」

 

 冷蔵庫に続いて洗濯機などを見て回り、続いてきたのは掃除機のコーナー。僕が普通の掃除機を手にとって見ている中で、セシルさんが興味を示し始めたのはゴミを自動的に掃除して回るロボット掃除機だった。

 確かに僕もこれはちょっとだけ気になってはいたが……

 

「だよね~普通のと合わせて、一個買ってこうよ!」

「いいですよ。でもこれセシルさんの部屋みたいにあんまり物が散乱してると効果ないんですよね~」

「うっ……」

 

 僕の一言にちょっと言葉をつまらせて顔を背ける。

 捨てなきゃいけないものの分別ができないとか、そういう片付けることが全くできないわけじゃないんだけど、それ以上に散らかすのが上手なんだよな。

 一つのことに熱中しすぎることがあるっていうか……

 

 そして常日頃片付けしなくちゃな~と思いながらも、始めるのはかなりギリギリになってからのタイプなのがまた世話が焼ける要因だ。

 

「ちゃんと片付けるからさ」

「はいはい、いいですよ。そんなに気に入りましたか」

「このフォルムとちょっとぎこちない動きがいいよね。ただあんまり愛着がわくってのも少し考えちゃうところもあるけど……」

「ふ~ん……」

 

 その気持ちはなんとなく理解できる。

 僕たちの技術ならば擬似的な人格を物に付与することだって、そんなに困難なことではない。

 しかしそういうことしちゃうと普段使うにも躊躇しちゃうだろうし、捨てるときもなかなか感情にくるものがある。

 

 もちろん僕たちは道具を大切に扱うことは心がけている、だがそれとこれとは違う。物は物として扱うべきであると、セシルさんはそういう考え方を多少なりとも持っている。魂の在処というものを理解しているゆえの考えだろう。

 だからこそ、このようなものに思うところがあるのかもしれないけど……

 

「まっ、いいでしょ。買っていこう!」

 

 そんなことは些細なこととばかりに、あっさりと購入は決定された。

 僕もちょっと欲しかったし、こういうのをヒントにして何かしら研究に役立てることができるかもしれないし、いいんだけどね。

 

 

 その後は電気スタンドなど小さめの家電を見て回り、やはり多少は迷いながらもとりあえず購入するものを決定することはできた。

 買い物メモを見た限り、後は買うようなものはないけど……

 

「ん? どうかしましたか?」

「いや……ちょっとね」

「もう店員さん呼んじゃいますよ? 何か他に買いたいものとか?」

「ん……ゲーム少し買いたいなって思ってね」

 

 ゲームか……ふむ、それは賛成だ。たくさん新しいのも出てるだろうし、だけど……

 

「今のゲームってたくさんありますからね。やっぱりそういった専門のお店に行った方がいいと思いますよ」

「うん、そうだよね」

「それにやっぱりちゃんと下調べをした方がいいですね。選んだのが変なのだったらいやですし」

「なるほど……」

 

 今のゲームは携帯、据え置き問わずオンラインが主流で、僕のころもそういった風潮はあったが現在はより強くなっているらしい。

 本体とソフト、モニターを買っていけば向こうの世界で据え置きのゲームはできるが、そういった通信がメインのゲームではやはり意味がない。

 

 そうなると全てオフラインでプレイでき、なおかつボリュームが多いゲームが理想だと言える。

 だが僕はここ最近のゲームのことについてよく知らないので、やっぱりもっとよく調べてきて、品揃えのいい店で買うのがベストな選択だろう。

 

 本当はネットの評判に加えて、ゲーマーの人の意見とかも聞きたいが、父さんはあんまりゲームやらないからなあ……

 

「それじゃ、もういいですね」

「いいよ~」

 

 それからすぐに店員さんを呼び、僕たちは会計へと移った。

 

「これまとめ買いするんで値引きしてくれませんか?」

「そうですね、これくらいでどうですか?」

「ん~これから他の店にも行こうと思ってるんですけど、もう少し頑張ってもらえたらこの店で全部買っちゃうつもりなんですが……」

「むむ……仕方ないですね。じゃあこれで!」

「ありがとうございます!」

 

 そんな値引き交渉も済ませて、ようやく支払い。

 結構値引いてもらったみたいだけど、やっぱりこういうのは得意なのだろうか。

 

「こちらにお届けの住所を記入してください」

「はいはい、えっと……」

「あれ? それうちの住所じゃないですか」

「ちゃんとお母さんには許可もらってるよ。ちょうど空いてる部屋があるから帰る日まで置かしてもらっていいって」

「うちにそんな部屋……あっ」

 

 ああ……空いてる部屋あるわ。ピッタリの部屋が。

 

「はい、これでお願いします」

「了解しました」

 

 

「ふ~終わった、終わった! くたびれた~」

「そうですね。でも大事なことですし」

「まあね~」

 

 これで家電の購入は完了だ。ここに来てから結構時間使ったなあ……

 

「それにこういうことを終えた後って、なんかすっきりした気持ちになれるよね」

「一仕事終えた達成感って感じですか」

「そうそう、いい買い物だった!」

 

 そう言ってお互いに顔を見合わせ笑い合う。

 そんなこんなで一つ大きな目的を終えた僕たちは、なんとなく軽やかな足取りで帰路へとついた。

 



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35話 夜の待ち合わせ

「ふう……」

 

 ため息を一つ、仰向けになって本を読んでいた状態から、ごろんと寝返りを打ってうつ伏せの姿勢となる。それと同時に髪がふわりと翻った感触を感じ、またベッドと自分の身体の間で胸が形を変えたのを感じる。

 こういう何気ない動作の一つに自分が女の子であると実感することは、なかなか好きだ。

 

 もうこちらの世界に来てから一週間。元居た世界ということもありだいぶ居心地もよいとも感じるが、やはりこれだけの時間が経つと向こうの世界での生活のことも少しは頭によぎるようになった。

 魔術の勉強もやりたいし、馬に乗って草原を駆けたりもしてみたい。あと僕たちがいない間に病気にかかった人もいるのではないかという気持ちにもなる。

 

 しかし今はここにきている以上、この瞬間を満喫するべきだろう。

 ホテルの部屋のベッドで少年漫画雑誌を読みながら、こちらでしかできないようなことはなにか、明日は何をしようか。

 セシルさんと出会い、日常の中でも常に新しい刺激を求めるようになった僕はそんなことを考えていた。

 

 そしてふと喉が渇いたので、何か飲み物を買ってこようと腰を上げようとした、そのときのことだった。

 

「おっ、きたきた!」

「ん……どうかしましたか?」

 

 突然何かを思い立ったように、パソコンをいじっていたセシルさんが声を上げた。その画面は受信メールを見るものだ。

 なにやらがきた、とそういったようだが……そのメールのことだろうか?

 

「よし! レンちゃん、ちょっと一緒に来てくれる? 紹介したい人がいるんだけど」

「一緒にって……どこに?」

「そんなに遠くじゃないから、ここから二駅くらいの場所」

「今は暇だし、いいですけど……」

 

 

「……」

 

 ガタンゴトンと心地よいリズムで揺れる電車、時刻はちょうど午後八時を回ったが、この路線は学生が主な乗客ということもあり現在乗っているのは塾帰りや部活帰りと思われる学生たち。それもちらほらといった具合で、椅子はたくさん空いている。

 僕たちみたいのが二人並んで座ってると、少しだけ男子学生の視線を感じないこともないが……あまり気にはしない。むしろその気持ちはよくわかるよ。

 

 こんな時間に乗る電車もなかなか風情があっていいと思うけど、そんなことよりもここへは言われるがままきたので、問いただす暇もなかった。

 今から会いに行く人物……もうすぐなのだから、ここで聞くことにそこまで意味があるわけでもないが、一応聞いておくか。

 

「けど誰ですか? その僕に会わせたいって人は?」

「ん~秘密」

「いいじゃないですか、教えてくださいよ。どうせすぐ会うことになるんでしょ」

「そうだね、その子はレンちゃんの後輩ってことになるのかな?」

「後輩……ですか?」

 

 はて? どういう意味だ、それ?

 その子ってことは少なくとも、セシルさんの身体年齢よりは年下なのだろうか?

 

「もう少し詳しく……」

「ああ、そういえば……」

「そういえば?」

「確かメールで……魔法少女とか言ってたかな」

「…………は?」

 

 

 そのまま数分が過ぎ、電車は目的の駅へと到着をした。あの後、その言葉が聞き間違えなどではないか聞いたが、笑ってごまかされるだけだった。

 

「えっとね、たしかあの辺で待ち合わせのはずだけどな……」

「その人とですか……?」

「そうそう! でもまだ来てないみたいだね」

 

 駅の改札を通り、セシルさんは万が一すれ違いになってしまったりしないよう、辺りを見渡しながら駅の外へと出た。出るまでに階段で数人の学生とすれ違ったが彼らは目的の人物ではないようだ。

 そして外に出て指し示したのは駅の近くにある時計。この下でそのメールを受け取った例の人物と待ち合わせをしていたらしい。

 

 

 そんな説明を聞きながら、僕はここまでのことを頭の中で整理する。まずセシルさんがその人物とコンタクトをとったのはパソコンのメールだ。今はもっと手軽なものもあるが、携帯の持っていない僕たちは関係ないし、ホテルまで電話を入れるのも手間なので、メールを連絡手段としたのだろう。

 もちろんメールで連絡を取るには、互いのアドレスを知らなければならない。つまりセシルさんはその人物と既に面識があったということだ。

 

 そして一番の問題、それはセシルさんの言葉をそのまま信じるなら、その人物が……魔法少女だということ。最初はおかしくなったのかとも思ったが、その様子はいたって正常。それにセシルさんが何もないのにここまで僕をわざわざ連れてくるようなことをするはずがない。

 このことから導き出される答えとして……本当にいるのだろう、その魔法少女とやらが。

 

 人物像を察するにセシルさんは「あの子」と言ってたし、恐らくはこの辺りに住む女の子。

 しかし魔術のないこの世界で、そんなアニメ的存在が自然といるわけがないのでそれがどういうことなのか……もうなんとなくその心当たりはあった。

 後輩ってのはよくわからないが……

 

「あっそう、買いたいものがあったんだ。レンちゃん、ちょっとその辺うろついててもいいから、待っててくれる? あの子はまだみたいだし」

「はいはい」

 

 そういって、セシルさんは駅の近くの場所にある、夜までやっているお土産物屋さんに入っていった。

 正直何のためにそんなところへ行ったのか、それはさっぱりわからないが、どうせ予想をしても無駄だ。僕はそれについて考えることをやめ、自分が喉が渇いていたことを思い出し、すぐそばにあった自動販売機でスポーツドリンクを買った。

 

「……ん、そうだ」

 

 ドリンクで喉を潤しながら、例の時計の下をぐるりと一度回る。相手はまだ来ていないみたいだし、この場所から少しだけ離れた周りの建物と比べ頭一つほど大きい四階建て相当のビル。そこに向かって歩いていった。

 あの屋上からならここに近づく人が良く見えるし、それになんとなく高いところにいたかったというのが主な理由だ。セシルさんもその辺にいればいいと言ってたし、構わないだろう。

 

「よっ……」

 

 こぼれてしまってはいけないのでペットボトルのふたを閉め、軽く人目を確認してから、そのビルの屋上へと跳び乗った。

 音もなく、石畳を傷つけるような衝撃もなく、ノーモーションでの地上から屋上への跳躍。どうみても人間技ではないのでこんな時間、こんなところに人影はあまりないが、もし見られてしまったら面倒なことになるからね。

 

「この辺は……あんまり変わらないなあ」

 

 足を縁から遊ばせて両手をついて後ろに体重を預けるような姿勢のまま、夜目の効くよう視覚の強化をして、周囲の風景に目を向ける。この地域にも以前は度々訪れていたことがあり、特に駅周辺は大体の地理を理解している。

 しかし七年の歳月を経ても、どうやらこの辺りの変化は目で見てわかるようなものはないらしい。そういうところもあるよな。むしろちょっとうれしいかも。

 

「……」

 

 少し景色を楽しんだ後、置いてあった外気との温度差で少し結露がついたペットボトルをとり、再び口を付ける。甘い味とのどこしのよさを感じ、水分が身体に染みわたっていくような感覚を堪能する。

 そしてコクリコクリと三分の二ほど飲み干し、一旦それを口から離そうとしたとき……

 

「……ん?」

 

 ふと何やら背後にほんの少しの違和感を感じ、僕はゆっくりと振り返った……

 



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36話 襲撃を受けて

 最初にその違和感を感じたのは……匂い、嗅覚だった。

 このビルは屋上にフェンスがなく、またその位置は端に位置する。そしてちょうど弱くはあるもののハッキリと感じられる程度の風が吹いており、僕が座るのは本来の出入り口である中からの扉や外付けの階段に対して、風下になる。

 

 つまりは何かを鼻で感じたということは、この屋上に僕の他に何者かがいるという可能性があるということだ。

 そして……僕が感じたのはわずかだったが、ほんのりとした甘いようないい匂い。僕もよく知っている匂い。

 有り体に言ってしまえば……女の子の匂いだった。

 

 

 次に感じたのは、聴覚。タンッというか、パンッというか、まるでコンクリートを蹴るようなそんな音。というか間違いなくその音。

 こちらは嗅覚によるぼんやりとしたものとは違い、はっきりと耳に届き、自分以外の確実な存在を僕に知らせた。

 

 もう最初の匂いによる違和感を感じたその時には、僕はそれを自分の目で確かめるため振り向くと同時に、いつも何かがあったときはそうしているように、魔術による思考の加速を行っていた。もはやそれは身体に染みついた動作の一つだ。

 そしてその音を聞き、振り向く一秒が何十秒にも感じる中、すでにある程度確信していた。……背後にいるものの正体を。

 

 

 そして次に感じたのは触覚。ふわりとした自然の風によるものとは明らかに違う、叩きつけるような風圧の感触。それを首筋に感じた。

 

 やはりこの既に攻撃の動作に移っているだろう背後の存在はセシルさんではない。こんなことをする必要がないし、仮にセシルさんがイタズラで襲い掛かってくるなら、匂いも音もなく完全に気配を消して来ることは想像に難くない。

 それこそ僕があらかじめそれを知り本気で察知しようとしても、できるか分からないほどに。

 

 

 そんな思考をしながら、首の動きが追いつきようやく視覚にてその存在を捉える。本来僕たちなら、前を向いたまま後ろを見ることも容易ではあるが、この状況なら直に振り向いて視認した方が早かった。その判断は正解だった。

 そして、その目に飛び込んできたのは……やはりというか、わりかし想像通りのもの。しかしそれを考える前に成すべきことがあった。

 

 その人物は前進を感じさせるやや前のめりの体勢のまま、既に右手に持った棒状のものをこちらに向かい振り下ろし始めている。

 

 それに対して僕は防護のための魔力障壁の発動を開始。とはいえ一から作るという物ではなく、既に用意してある術式を取り出すというイメージが正しいか。

 手ぶらの状態でも即座に発動できるようにそれにより、防御を試みた。

 

「……!?」

 

 それは想定通り間に合った。

 眼前に広がる薄く広い光の膜。だが丹念に練り込まれたその防御性能は折り紙付きだ。構造としては僕たちが研究時に着るローブや白衣と同じ、物理的なもの、魔術的なもの問わずあらゆる衝撃を受け止める。

 それにとどまらず、発動者に対する害あるもの全てを阻む概念的な防御、そうとでも呼べる僕たちの技術の最先端を結集させた代物である。自らの身を守る力の開発、それを最優先させるのは当然のことだ。

 

 案の定それだけのものをその人物の攻撃が突破できるわけもなく、恐らく完璧な不意打ちだと自信を持っての攻撃だったそれを止められたことに驚きを隠せない様子であることは、その表情をはっきりと見るまでもなく理解できた。

 

「……」

「うわっ……とっとっ……」

 

 そのまま手を添え軽く力の方向を前方に変えて、振り下ろされたものをそれを持つ人物ごと弾き飛ばす。もちろん思い切り飛ばすなんてことはせずに、数歩よろめいて後退するぐらいに調節をする。

 そうして僕とその人物の間に数メートルほどの空白ができたところで、ようやく僕は遊ばせていた両足を戻しゆっくりと身体を向けて立ち上がった。

 

 

 ここで口の中に甘い味とほのかな塩味が広がっていることに気づいた。先ほど嗅覚で違和感を感じた、その瞬間から味覚の情報を脳が後回しにしていたようだ。

 そして口の中に残っていたスポーツドリンクを飲み込んで、改めてその人物を凝視した。

 

 

 数歩歩けば手が届く距離……そこに立っていた彼女。

 

 灰色に近い僕の髪よりずっと白く、腰まで伸びる新雪のようなサラサラの髪。フリルをあしらい白と青を基調とした可愛らしいドレス、スリットが入り機動性を兼ね備えつつ色気を醸し出すスカート。

 肘までのグローブをはめた手には僕たちが使う杖の半分ほどの長さの棒状のもの……魔法のステッキとも呼べそうなものを持ち、ほっそりとした足はブーツと太ももまでの長さのソックスに包まれて、スカートとともに眩しい絶対領域を作っている。

 

 身長のわりに大きめなその胸の膨らみはドレスから主張をし、ところどころにアクセントとして金色の装飾品を施し、煌めく髪飾りを付けた彼女の風貌は……まさしく魔法少女だった。

 

「……ほぅ」

 

 そしてその子を見て、僕はある程度予想していたこともあり驚きこそしなかった……が、ひとつ無意識から小さく感嘆の声を上げた。

 その理由は自分でもすぐに理解できた。前に立つ彼女が思っていた以上にそれらしい容姿であったことがまず一つ。

 そしてもう一つ、何よりも彼女の顔が……あまりにも自然すぎる美少女であったことだ。

 

 つまりはハッキリとした大きめの翡翠の瞳、その他顔のパーツにその配置、さらには体型も、僕の眼から見ても整いすぎているそれは、ともすれば人形のような作り物といったある種不気味な印象を見るものに与えかねないはず。

 またコスプレというものはあるが、どんなレベルの高いレイヤーでも、二次元の存在を真似するとなると、やはり誰もが納得する完璧な違和感のない再現というのは難しい。どうしても服装や髪などにところどころにそれは出てしまう。

 

 つまり二つの不自然となるはずの要素を抱えている彼女であるが、事実一切のそれがない。

 例えるならばもし非常に高レベルのアニメイラストのキャラが実在したならば、という夢を極限まで理想的に叶えた存在であるというべきだろうか。

 そんな自然であるがゆえに不可解ともいえる存在ではあったが……その理由はこれまでのことから僕はそれほど時間をかけることなく察することができた。

 



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37話 対話と手合わせ

「……ねえ、君」

「!?」

 

 見つめあったままの硬直が数秒ほど続き、僕はそれを破ろうとこちらから声をかけた。

 それに対し彼女はやや予想外であったかのように、ピクリと身体を震わせて、それから再び警戒するように僕の次の言葉を待った。

 

「私は一応聞いてるけど……君がセシルさんのいっていた魔法少女でいいんだよね?」

 

 とりあえず僕が普段、他人と接しているときの口調で単刀直入に問いかける。

 もう聞くまでもないことかもしれないが念のため、彼女がその僕に会わせたいといっていた、その人なのかを。

 

「……」

 

 僕の問に対して彼女は静かにこくりとうなずいた。やはりといったところか。

 もうこうして話が通じている以上、正直言ってこちらとしてはこの緊張を解き、普通に話したいところだけど……なんだか向こうはそんな感じじゃないんだよなあ。

 

「あの~なんでさっきいきなり襲ってきたの」

「……それは、ちょっとしたイタズラみたいなものです。ここにいるから先生がやってもいいって……すいませんでした」

 

 今度は僕の返答に、その風貌に違わないアニメ的な印象を与える透き通った高く美しい声で返答をしてくれた。

 そしてイタズラ……であることは僕もわかっていた。先ほど受け止めたとき、あの攻撃からは威力もそうだが何より敵意を感じなかった。例えるならば……ピコピコハンマーで後ろから軽く叩くようなもの。

 

 また彼女の言う先生というのはセシルさんのことであろう。まあ……向こうは申し訳なさそうだけど、このくらいのことは普段からそんなに珍しくないことだから別に何も思わない。

 元はといえばそちらは悪くないし、むしろややたるんでいたところにいい刺激になった気もするくらいだから、それについてはもういい。

 なので……僕は次の質問をゆっくりと切り出した。

 

「もうそれはいいよ。あとその格好だけど、やっぱあれでしょ? 身体覆うやつ?」

「……! そうです」

「そう、やっぱりね」

 

 続く質問にもあっさりと答える。こうして言葉を交わすことで、向こうもこちらの敵意のなさ……というより怒っていないかどうかだろうか、それを感じ取ってくれたのだろう。警戒を解き、少し表情が柔らかくなったのが分かった。

 また彼女の現実にありえざる風貌、それは僕たちが作り上げたアイテムの一つ、変身スライムによるものであることを予想はしてはいたが、それが正解だったということを確認できた。

 

 それは簡単に言ってしまえば、身にまとい思い通りの人物に変身できるというもの。

 以前から僕たちは……個人的な趣味からこれの開発、改良を行っており、最初は服や装飾品程度のものになるだったが、幻術や空間干渉を始めとした他の高度な魔術との併用で骨格、体の中身までもを思うがままに再現することができるようになった。

 それを使っている間は完全に別の人間になりきれるのだ。

 

 だが服装や髪といった質感、さらには声や匂いといったものまで完璧となったそれのクリアできない問題として、顔を作るというということが上手くいかなかった。

 実際に身にまとい動いてみると、どうしても表情が固いというか、作り物っぽさが抜けなかったのだ。昔から顔を作るというのは難しいとわかっていたが、ここまで苦戦するものとは思っていなかった。

 

 そして……セシルさんがデータを取るために誰かほかの人にもこれを使ってほしいと、そんなことを以前呟いていたことを先ほど思い出した。

 このスライム自体に変身した経験を蓄積させ、改良に用いる。それが機能向上に最も近道であることには違いない。しかし僕たちだけではそれも時間がかかることはまた事実。

 これの本質はコピーではなく理想の体現だ。データの蓄積を効率的に行うには僕たちがやったよりも精巧で自然な変身、それを可能とするイメージ力が必須となる。

 

 なりたい人物、自分がなっている姿を思い描ける力……それが複雑で美しいものならなおよし。二次元美少女なんて最高のサンプルに違いない。

 そういう方向の力ならば、僕たちよりも普段から様々なエンターテインメントに囲まれているこちらの人々の方が向いているのは自明の理といえる。この違和感のなさも納得だ。

 

 目の前にいる彼女はその為にセシルさんからそれを借り、使っているのだろう。本来僕たち専用で魔力を通して使うものだが、その辺は工夫すれば何とでもできる。

 いつ会ったのかは知らないけど……ちゃっかりしてるなあ~

 

「じゃあ、もういいでしょ。一緒にセシルさん……先生のところへ行こ。この辺にいるんでしょ」

「……いや、待ってください」

「へ?」

「もう一度だけ……手合わせしてもらえませんか?」

「……」

 

 僕の提案を遮り彼女が発した言葉、それにそれを聞いた瞬間は驚きを隠せなかったが、数秒考えその心境を理解した。

 先ほどの不意打ち、僕が異変を感じてから振り向くまでの間に既に背後をとっていたあの素早さはやはり常人のものではない。おそらくセシルさんが簡単な肉体強化をかけてあげてあると思われる。

 向こうの世界でも割と一般的な戦闘技術として使われているこれならば、こちらの世界の人でも使用できる。

 

 そしてそのような力を手にしてみたら試したくなるというのも、また人の心理だ。

 だが丸腰でさえ正直問題ないという自信はあるが、さらに杖も取り出している僕がこの向かい合った状態で彼女に負けることはさすがにない。

 面倒だったら断ってもよかったけど……自分にとってそれはそれで体験にもなると思い、相手をしてあげることにした。

 

「いいよ。さっきは手加減してたみたいだし、今度は本気でどうぞ」

「……! じゃあ、いきます……」

 

 その承諾を受け、彼女が例のステッキを構える。先ほどは振り下ろしてきた、おそらく今度は突いてくるつもりだろう。しかしその構えはやはり素人のものであることは見て取れた。

 また先ほどの感触からして、どうやらあれにはどんなやり方でも非殺傷となるように仕掛けがあるらしい。

 おそらくはセシルさんの差し金だ。それは彼女も理解していると思われる。

 

「やっ────!」

 

 刹那、彼女がその艶やかな髪をなびかせながら前進した。それは四、五メートルほどの距離を一瞬で詰める、人の限界値の瞬発力、跳躍力といえるもの。

 それを僕は思考を加速し、風の流れでさえ感じられるほど集中した中で、彼女の目線、腕の動き、握り方、それらを観察しながら攻撃の行方を予想する。

 

 そして、その場から足を動かすこともなく……ゆっくりと右手に持つ杖を突き出した。

 

「……!?」

 

 その突き出された杖は、ちょうど彼女のステッキとピンポイントでぶつかり合った。いや……僕がぶつけてやった。

 互いに先が丸まった形状をしているのに、まるで示し合わせたかのような直撃に彼女は目を白黒させ驚きの声を小さく上げる。

 

「くうっ……」

「ほいっと」

「え? わっ、わわっ!?」

 

 そして着地した彼女が体勢を立て直すために後ろへ跳ぼうとしたその時、僕は杖を突き出したままくるりと宙で円を描くように回し、ある魔術を発動する。

 すぐにそれは効果を発揮し、跳び上がった彼女の身体は地に向かうことなく、宙に浮いたままとなり、さらにはその両手は光の輪にて手錠のように後ろ手で縛られた。

 

「はい、これで終わり。どう?」

「……完敗です。流石ですね」

 

 空中に固定したのは手と足だけであるので、その顔を上げながら彼女は自らの敗北を宣言した。思ったよりもあっさりと認めたな。

 だけどそれよりも……こうして間近で見る彼女の可愛らしさに、それが自分たちが作り出した道具によるものであると知っているというのに、少しだけ……見とれてしまっていた。

 

「……あの」

「ああ、はい。ごめんごめん。今ほどくから……」

 

 彼女から声をかけられて、我に返った僕は改めて杖を構え直す。もう決着はついたし、後はこの子と一緒にセシルさんに会いに行くだけだ。

 そうして彼女に杖を構えた僕は、その拘束を解除する……その直前、あることを試みた。

 

 それは心を読む魔術の一つで、相手が何を考えているかなど表面的なことではなく、こちらを深層意識的にどう思っているかを見るもの。魂の状態を見るものといってもいい。

 話している感じ大丈夫ではあると思うが、もしかしたらまだ怯えているなんてことがあったら、ちょっと悪いような気がしてそれを確かめたわけだ。

 結果としてそんなことはなかった……が

 

「……!? ええ?」

 

 僕はその中である事実を知り、改めて彼女の顔を覗き込んだ。魂の状態を見るということは、とある要素を自然と確認することとなる。

 輝きを宿した瞳をこちらに向け、暗がりの中、向こうもこちらの顔を見ようとしているのがわかる。

 

 だがそんなことよりも、驚愕すべきこと。いや使われた道具やそれがセシルさんによってもたらされたという経緯、そして僕自身のことを考えればそれは簡単に予想できたことなのかもしれない。

 

 だけどその時僕の頭からはそんな考えはすっぽりと抜け落ちており、また瞬時に落ち着けるだけの余裕もなかった。

 そして、口を開き事実の確認をするために僕はその疑問を投げかけた。

 

「君もしかして……男の子?」

「……えへへ」

 

 

 その言葉を聞き、彼女……いや彼は、一瞬間を置いてから、ばれてしまったか~とでも言いたそうに、誤魔化すような笑顔をこちらに向けてきた。

 否定しないということは、やはりそれは間違っていないということか……

 

 確かに僕も同じ様なものだけど、なにやってんのかセシルさんは……

 



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38話 ビルの上での交流

「あ~やってるね」

「あっ! セシルさん」

 

 驚きの中、僕がやや固まっていたところに聞きなれた声を聴き、屋上から下を見下ろすと買ったものが入っているであろう袋を持ったセシルさんが見えた。

 そしてその直後、僕がそうしたようにふわりと跳躍をしてこの屋上まで上がってきた。

 

「おやおや……レンちゃん、女の子にひどいことしちゃダメだよ~」

「そんなんじゃないですよ。ちょっと一勝負しただけです。てか……この子男でしょ」

「ん~早速ばれちゃってる?」

「みたいで~す」

 

 拘束を解かれた彼はセシルさんの方へと歩いていきながら、案の定ここまで予定通りであったかように、軽い口調で言葉を交わす。

 どうせそんなことだろうと思ってたよ……

 

「紹介するよ。この子はこの辺に住んでる高校生の古賀アキラ君、今日の夕方ちょっといろいろあって出会ってね……」

「で……例のスライムのやつのモニターとなってもらったと」

「そうそう! さっすがレンちゃん、話が早いね!」

 

 そういえばついさっきコンビニにセシルさんが買い物に行っていた。きっとその時に彼と会ったのだろう。

 そもそも……あれを持ち込んでいる時点で、こちらで試してもらう人を探すつもりだったわけだ。

 

「この子はね、レンちゃんに凄く会いたがってたんだよ」

「ほう……そうなの?」

「はい! まさかこうして本物に会える日が来るなんて……俺、今メッチャ感動してます!」

「は、はあ……」

 

 ちょっと待った……まずその見た目で俺って言われると少し脳が混乱する。自分も大して変わらないかもしれないけどさあ。

 

「えっと……そうですね、先輩って呼んでいいですか?」

「ん? いいけど」

「はい! しかし先生も言ってましたがホントに美少女ですね!」

 

 もう彼が心の底から本当に感激していることは、その興奮ぶりからも一目瞭然だ。

 

「ねえ、先輩……ちょっとハグしてもいいですか?」

「それぐらい構わないけど……やっぱり女の子同士というか、こういう立場同士でしてみたいってことだよね?」

「うわっ! さっすが~わかってますね」

 

 まあ僕もその張本人だし、女の子を体験してみたい男が実際なってみたら何を試してみたいかくらいはなんとなくわかる。

 僕としてもこんなに可愛い女の子が抱きつきたいと言ってるんだから、断ることもないだろう。

 

 そしてもう必要もないしセシルさんもいつの間にそうしてるから、髪色も戻しゆっくり向かってきたアキラ君を僕は両手を広げて受け止めた。

 

「う~あ~」

「……」

 

 むむ、やっぱり……可愛いなこいつ……

 本来のアキラ君について僕は知らないけど、今この状態では160センチくらいの僕より、一回り低い身長。

 そんな抱きやすい大きさで現実ではちょっと有り得ないくらいの美少女が、僕に抱きついてきているのだ。

 

 サラサラの髪のいい匂い、柔らかい感触。ドキドキしてくるのも納得だ……

 ていうかさあ……僕より少しばかりでかいよな、これ……

 

「もういいかな……」

「ああ、はい。堪能しました。ありがとうございました」

 

 少し経ち、アキラ君を引きはがした。ちょっと僕としても思った以上にいい気持ちだった。

 それにセシルさんも……

 

「ねえ、アキラ君。今の私にもやってくんない?」

「えっ、ええっ!? んん……」

「……ほら、やってあげな」

「はい……」

 

 今の光景を見て、少年も少女も大好きのセシルさんが何も言ってこないわけがない。さっきじっと見つめていたのもわかったし、予想通りそのタイミングを見計らって声をかけてきた。

 しかし当のアキラ君はいきなりこんなこと言われてちょっと躊躇してしまうところがあるのだろう。

 

 そんな奥手なところを垣間見せたアキラ君に、僕はちょっと自分を重ねて……言葉と手の二重の意味で背中を押してあげた。

 

「むぎゅ……」

「ああ……いい。本当にそれ可愛くできてるよね。私たちがやった時よりずっと上手くできてるよ」

 

 実に嬉しそうな表情で小さなアキラ君を抱きかかえるセシルさん。僕よりも背が高いから、丁度胸の辺りで顔を埋める感じになっている。

 普段からされている僕はともかく、他の同年代の男子から見たらうらやましい限りだろう。

 

 それにしても確かにそうだ。今のアキラ君の格好は僕たちが作った道具によるもので、もちろん僕たちもそれを試した。しかしあそこまでのクオリティはできなかった。最初に見たときちょっと感心したのもそれが理由の一つだ。

 やっぱ普段からアニメやゲームに囲まれてるものの想像力……否、妄想力の違いか……

 

「ふう気持ちよかった……ありがとうね~」

「俺もよかったです。あと服の上からだとよく分からなかったですけど……先輩と比べて結構でかいですね」

「だってさ」

「まあ……それは個人差ってことで」

 

 別にそれはどうだっていい。僕は自分の胸もこれくらいで丁度いいと思ってるし……

 

「もちろん、レンちゃんも~」

「……! むぎゅ……」

 

 そんなことを考えながら、自分の胸元を見ていたら、音もなくセシルさんが前方に回り込み抱きついてきた。

 いつものことではあるけど……見られているそばだと恥ずかしいんですけど。

 



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39話 模擬戦闘

「ああ、二人とも可愛くていい匂いだった~」

「そういえば、何買ってきたんですか?」

 

 見た目には女三人、実際は女一人に男二人という奇妙な状況でのスキンシップも一段落。僕は先ほどのお土産物屋でセシルさんが何を買ってきたのかを問いかけた。

 

「ああそうそう、これがメインだったんだ」

「これは……木刀ですよね」

 

 そうしてセシルさんが手に持っていた袋に入っていたのは土産物の定番の木刀、それとこの辺のどこでも買えるようなバッジだった。

 これで一体何をするんだ……

 

「これ買ってる最中にアキラ君とばったり会ってね」

「はい。俺も早く着きすぎちゃって……それであのお店で時間潰してたら先生とばったりと」

「そうそう、それからレンちゃんがここにきてたのが見えたから、あの階段で登って後ろからイタズラしてみなってね」

「もう……あれも楽しかったですけどね。それでどうするんですか?」

 

 袋から取り出した二本の木刀をいじりながら、少し前の出来事を話す。さっきあの時計の下にいなかったのはちょっとした行き違いがあっただけみたいだ。

 

「これでちょっと二人に戦ってもらおうって思って」

「へえ……戦う」

「なるほどね、動きのデータも欲しいってことですか」

「そういうこと。軽いチャンバラでいいからさ」

 

 セシルさんの言葉を聞いて、僕はすぐにその意図を理解した。先ほどの動きを見るに変身スライムに加えて、彼の身体には肉体の強化をする魔術が掛かっていることは間違いない。

 これは僕たちにとっては遥か昔の非効率なやり方も同然なので、自分たちで使うことはない。

 しかし……魔術が使えないこちらの人たちに使ってもらうなら話は別だ。その動きも感想も何より貴重なデータとなる。

 

「ほら、男の子はこういうの好きでしょ?」

「僕は全然オッケーです。アキラ君は?」

「もちろん! やらせてください!」

 

 それは即答での返事だった。さっきまで似たようなことしてたんだし、そう答えるしかない。

 僕が彼の立場だったとしても、同じ反応をしたに違いない。

 

「じゃはい、これ持って。あとこれ付けてもらえる」

「ああ、バッジはその為に……」

「そうそう、これに当たったらライフ一つ減少ね」

 

 渡された木刀はさっきのステッキと同じ様に、生物に対してのみ非殺傷となる魔術が施してある。試しに木刀同士を打ち合わせてみれば、カンッとような乾燥された木の甲高い音が響き渡り、手にはその振動が伝わる。しかし自分の手を軽くたたいてみれば、その感触は風船の剣のようなポフッとした感触だ。

 

 そしてバッジはこの木刀が当たったことを認識できるようになっている。これらを付けて僕たちに模擬戦をしてほしいと言うことだろう。

 

「アキラ君、そっちの身体の具合はどう?」

「バッチリですよ! さっき少し動いたし、もう慣れてきました」

「このままで大丈夫だね。一応注意を払ったとはいえ、もしかしたら明日筋肉痛とかになっちゃうかも知れないけど……その時はごめんね」

「それぐらい何てことないですよ。こんな凄い体験させてもらえるんなら、筋肉痛なんて何の問題でもないです」

 

 アキラ君は笑ってそう返した。

 元々身体強化の魔術は力を別のところから足している僕たちのスタイルと違い、人間の生物的な限界に近づけることはできてもそれを超えることはできない。

 科学的に例えるならば、ドーピングなどによる強さとサイボーグやパワードスーツ的なものによる強さの違いにでもなるだろうか。

 

 なので身体強化も使い慣れてない人ならば筋肉痛などではすまない結構な肉体の負担があるはずだが、今回はまとったガワの上からかけているので本来よりもその負担も軽く済ますことができるらしい。

 それについてちょっと心配していたが杞憂で済んだみたいだな。

 

「始める前にセシルさんに髪をまとめてもらいなよ」

「あっ、じゃあお願いしま~す」

「はいは~い」

 

 そうしてアキラ君はその綺麗な長い髪をセシルさんにシニヨンにセットしてもらう。僕も自身の髪を運動がしやすいようにポニーテールにしておく。

 そうしているうち、先ほどの小競り合いの記憶からとある一つのことが頭によぎった。

 

「そろそろ、いいですか先輩」

「ああいいよ。と……その前に、アキラ君は剣道とか習ってるの?」

 

 髪型に加えて衣装も動きやすいように少し変え、スポーティーな印象の加わったアキラ君に僕は問いかける。

 なにかしらの武道の経験はあるのかと。

 

「いや……ないですね。部活は文化系ですし、ちょっと見学したことがあるくらいで……」

「そうか~」

 

 そうだよね~あの構えとか見れば予想ついたよ。

 となればさすがに本気で相手をするわけにはいかないので。セシルさんと一回、アイコンタクトをとってそのあと一つうなづいた。どれだけハンデを入れようかと。

 

「いいでしょ、少し動いてもらいたいだけだし。レンちゃんは出力半分くらい、あとライフはアキラ君が十のレンちゃん一つで相手してあげて」

「それでも足りませんよ。三割位に抑えてかつ思考加速なしで大丈夫です」

「うん……そんなもんだよね」

「それだけハンデあっても、十回やったら十回僕が勝つと思いますけど……」

 

 いくら手加減しているとはいえ、武器持った状態で同じ武器持った素人に負けるなんてことはないだろう。これでもこの七年間、セシルさんに色々と仕込んでもらった身だ。

 それなりの力量であるという自負はある。さすがに素人にはそうそう不覚はとらない。

 

「でも先輩、もしかしたら一回くらいはしくじりがあるかもしれないじゃないですか」

「どうかな~とにかくハンデはあげても、わざと負けたりなんかはしないからね。心の準備ができたら、そちらからどうぞ」

「じゃ……行きます!」

 

 その掛け声とともに弾き出されたようにアキラ君は数メートルの距離を詰める。

 そして右手に持った木刀は振り下ろすのではなく、少し引かれており胸元のバッジへの突きを狙っていることは、思考の加速がなくとも十分に察知できる。その勢いからしてフェイントってこともないな。

 

「てやあっ!」

「よっ……」

「おわわっ……くっ!」

 

 それを見てから、少しだけ左にズレればその突きは当然空を切り、僕の右側を掠めてアキラ君も勢いのままバランスを崩す。

 数歩ふらつきながら進み何とか踏みとどまるも、闘志は全くもって失われていないといった声色だ。だけど……そんな無防備に振り向いちゃだめだよ。

 

「これで一回」

「えっ!? ああっ!」

 

 振り向いてきたところを、ほとんど置いておいたというくらい軽い突きで胸元のバッジをつつく。

 バッジはほのかに光り、それが有効打となったことを知らせた。

 

「やりますね、だけどまだまだ!」

「むっ……」

 

 今度は木刀を両手に構えての正面からの振り下ろし。それを僕は頭上で受け止める。

 こちらはハンデとして推進力としての魔力の出力を抑えているので、正直パワーとしてはかなり負けている。この行動はなかなか悪くないといっていいだろう。

 

 だからといって、この程度はどうってことない。受け止めた木刀をそのまま滑らすように力を逃す。

 そうすれば……

 

「うわっ、ヤベッ……」

「はい、二回目」

 

 その力はやはりあらぬ方向へとそれ、アキラ君は姿勢を崩す。それを今度は起き上がる間も与えずに、下から振り上げるようにしてバッジを叩いた。

 手ごたえはあった、これで残りライフは八だ。

 

「今度こそは!」

 

 しかしアキラ君はひるむことなく立ち上がり、不格好ながらも続けざまに攻撃を仕掛ける。

 もちろん僕も一発食らったら終わりなので、例え素人の動きといえど決して油断することなくその攻撃を捌いていった。

 



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40話 新たな友人

「うわっ……」

「これで……十回目!」

 

 つばぜり合いになったところに足払いを仕掛け、体勢を崩したところを一撃。これで十度目のダメージだ。

 なんとか一発も喰らわずに勝つことができた……

 

「参りました~」

「ありがとうね。付き合ってくれて」

 

 素人が相手かつ時間としてそんなに長くはなかったけれど、普段と勝手が違う状態だったから結構疲れたぞ。

 こちらとしても、いい練習にはなったけどね。

 

「わかってはいましたけど……先輩強いですね~」

「いや……割と危ない場面もあったよ。運が悪かったら負けてたかも」

「そうですか、だったらよかったんですけどね。まあ勝ち負けは置いといて……俺も凄く楽しかったです」

「はいは~い、二人ともいい勝負だったよ!」

 

 僕たちが息を整えながら話していると、セシルさんが二本のスポーツドリンクを持ってきてくれた。

 下の自販機で買ってきてくれたのだろう。

 

「あっ、先生! ありがとうございます!」

「アキラ君は私たちを手伝ってくれてるんだからこれくらいは。レンちゃんにも新しいの買ってきてあげたから」

「嬉しいですね。いただきます」

 

 そんな何気ないやり取りもこうしていると、僕たち三人の距離が縮まったような感じで少し嬉しいかも。

 それにこんな美少女が手で汗をぬぐい、ドリンクを飲んでいる姿はなんかいい意味でのギャップを感じて悪くない。

 

「そういえば先生、ちゃんと撮ってくれましたか?」

「ああ、バッチリだよ」

「ん? 何かで今の撮ってたんですか」

「はい、俺の携帯で撮影してもらってたんです」

 

 セシルさんが出した、アキラ君のスマートフォン。それを使って僕たちの模擬戦の様子を撮影してくれていたらしい。

 喉を潤し、呼吸も整った後、早速三人でその映像を見てみることにした。

 

「うん、よく撮れてる!」

「こうやって動いているところを見ると、我ながら完璧な変身ですね。本当に今日は夢が叶った気分です」

 

 再生される動画には僕たちの戦いの様子が事細かに映し出されていた。

 確かに見事に撮れている。携帯でここまでの高性能なカメラが付いてるなんて便利になったものだ。

 

「先輩もさっきは夢中でよくわからなかったですけど、動きに無駄が全然無いですね」

「僕もまだまだだよ。現にギリギリのところもあったし」

「またまた謙遜を~そういえば先生はどれくらい強いんですか?」

「ん~私は強いよ~」

「僕がやったらほとんど負けちゃうぐらいには」

「そんなにですか……予想以上です」

 

 そりゃ見た目ではわからんよな。でも……よくよく考えれば僕が勝つ場合は大体セシルさん側のミスだから、アキラ君にも案外ワンチャンあるかもしれないな。

 

「とりあえず、二人ともお疲れ様! これからどうする? ラーメンでも食べに行く?」

「あっ、おごってくれるんですか?」

「当然だよ!」

「もちろん行きます!」

 

 確かに運動したら小腹が減った。まだそこまで遅くない時間だし、アキラ君とはもっとたくさん話したいしね。

 

「俺ももっと、先輩にはいろいろ聞きたいことありますよ」

「いいよ、ゆっくり食べながら話そうよ」

「ん、アキラ君、なんかメッセージきてるけど」

「え? ちょっと見せてください……」

 

 返された携帯を受け取って、メッセージのやり取りをしている。相手はご両親かな?

 

「すいません……親が至急、家に戻って来いって」

「あらら~タイミングが悪いね」

「これじゃ無理には誘えないですね……」

 

 間が悪いな~でもこれはどうしようもないな。

 まだこっちにいるわけだし、次会った時にでも話せばいいかな。

 

「またの機会にお願いします……ああ、この変身のやつは……」

「私たちが帰る日まで箱と一緒に貸しといてあげるよ。まだ変身の魔力は十分に残ってるから、一人でいるときにでもそれで遊んでいいよ。肉体強化の方はもう切れてると思うから普通に帰ってね」

「ありがとうございます。それじゃこれで……」

「あっ、あとさっきの映像、後で頂戴」

「は~い!」

 

 そうして木刀とバッジを返し、アキラ君は登ってきた裏の階段からそそくさと帰っていった。

 そういえば……素顔見てないな。さすがにあのまま帰りはしないだろうから裏で変身解くんだろうけど、今からその為だけに追いかけるのもな。

 

 まあ今度会う時に言葉を交わせばわかるか。むこうはこっちの顔知ってるんだし。

 

「残念でしたね。せっかくいい友達になったと思ったのに」

「しょうがないね、連絡先は知ってるから大丈夫だよ。二人でラーメン食べに行こ」

「そうですね、僕もその頭になっちゃってます。この辺に昔よく通ってたところあるんで、そこ行きましょうか」

「いいね、連れてって!」

 



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41話 忘れ物の導き

「ふん……ふん」

 

 夕暮れ時の町の片隅の何の変哲もないコンビニエンスストア。その中の入り口に面した側にある雑誌コーナー。

 そこで私、セシルはややうつむいた姿勢のままとある雑誌に目を通していた。

 

「ふ~ん」

 

 今私が手に取っているのは、芸能人とやらのスキャンダルなどが載っている女性誌でも、旅のお供にと様々なスポットが掲載されたガイドブックなどでもなく、毎月発刊されているアニメ雑誌だった。

 

 私は以前からレンちゃんにこの国の最新のゲームやアニメの文化についてよく聞いていて、これも今回こちらの世界に来た目的の一つだったりする。

 

 本来だったらこのような雑誌をこんな場所で私のような女が手に取っているのは、多少目を引くことなのかもしれない。それでも新刊の誘惑には私の好奇心は抗えず、もちろんこの後購入するつもりだが、その前にこうして軽く目を通していた。

 あんまり人がいたら控えるけど今の店内には高校生くらいの男の子が一人だけだから、構いやしないだろう。店員さんも暇そうだし。

 

「なるほどぉ……」

 

 ふと自然と納得の言葉を、自分にしか聞こえないくらい小さく呟く。きっと自分の中の情報と実際に見てみての情報の統合が脳内で行われたためだ。

 

 他の世界でもこういう文化はあるし、この雑誌の他にも私は別のゲーム誌、アニメ誌、インターネットなどでここに来てから少しずつ勉強してはいる。しかしこの国のそれのその奥深さたるや、目を見張るばかりだ。

 なぜこれをと首をかしげたくなるような様々なジャンルのアニメに、みんなこれ理解しているのかと言いたくなるほど複雑そうなシステムのゲームだったり、とにかく自分は適応は早い方だと自覚しているがそれでもなかなか追いつけない。

 

 また私も結構絵を描いたりはするほうで、向こうの世界で描いたイラストをレンちゃんに見てもらったら、上手いけど少し古臭い絵と言われたことを思い出す。その時はどうもいまいちピンとこなかったが、今こうして現在の絵柄を見ているとその言葉が染みてくる。

 こういうことだったのかと、モヤモヤとした感触が一気に晴れていくようだ。デジタルで絵を描く道具もあるようだし、そうして描いた自分の絵をどんどんと発表していく場所もインターネットにはあると聞いた。

 

 今回の滞在期間ではさすがに厳しいが……向こうに戻ってからもいろいろ参考にしながらゆっくり勉強していこう。

 

 

「うん……そろそろか」

 

 夢中になっているうちに思ってより時間が過ぎてしまっていた。元々アイスでも食べたくなって散歩ついでに買いに来たわけだし、レンちゃんから漫画雑誌もついでに買ってきてほしいと頼まれていることもある。そろそろ立ち読みは切り上げて、本来の目的に移ることにした。あんまり待たせちゃ怒られちゃう。

 そうして読んでいた雑誌をカゴに入れ、歩き出そうとした時だった。

 

「あれ?」

 

 例の男の子が、私の後ろを通りすぎその場から立ち去ろうとした。既に手にはビニール袋を持っていたので、買い物は終えた後なのだろう。

 しかしそれだけでは私は何も思わない。目に留まったのは、彼がすぐそばの棚の上にスマートフォンを置き忘れていたからだ。

 

 その直前少し携帯をいじりながら財布を出し入れしていたようだし、特に意図はなくその際に手を空けるためちょっと置いていったらそのまま忘れてしまった、といった感じであった。

 私は彼が自分で気づくか一瞬待った後、そのまま店を出て行ってしまったので、買い物はいったん後回し。

 カゴを置いて、そのスマートフォンを持ち彼を追いかけることにした。

 

「おや……」

 

 そしてそれを手に取った私だったが、またもや一つのことに気づき、その手を止めた。

 その画面はいわゆるスリープの状態ではなく、画面がついたままになっていた。今はボタン一つでその状態にできることも、いろいろなロックの機能もあり、わざわざそうしておく必要もない事は知っている。

 この状態でいるのも、単純に彼が消さずにここに忘れてしまったというだけのことは容易に予測できる。

 

「……」

 

 私は画面がついていることを知ったその瞬間は、何も見ずにそのまま彼に渡そうとそう考えた。実際人の携帯の画面などあまり見るのはよくないことだ。

 しかしその画面に記された内容を意図せず視認した時、私の心にある思いが芽生えた。

 

 その画面は電子書籍の小説のページを映し出していた。もしその小説が単なる一般的なものなどのようなら、やはりすぐに目を離し、何事もなかったかのように私は彼を追いかけていたに違いない。しかしそうではなかった。

 そのページのあらすじに書かれた内容、それはその作品が「男の子が女の子になる」話であることを示唆するものであった。

 

 確かにこういったジャンルがあるってことは、どこかで見たと思う。しかし、実際にこういうものを愛読している少年という存在には、ここに来てから当然会ったことはない。

 もしかするとあの少年が私の求めていた人材なのではないかと、そう考えたのだ。

 

「よしっ……」

 

 すぐに心の中で決断を下した私は、とある決意を胸に抱き、早足で既に店の外へと出た彼を追いかけた。

 自動ドアを通ると、まだ彼の姿が近くにあった。だがここから声を上げて伝えようにも、相当な大声が必要であったので、声量を必要としない距離にまで早歩きで近づいていく。

 

 夕暮れの涼しい風を感じ、歩いていく中考える。もしかするとあれは単にああいう話が好きというだけで、早合点なのではないかと、だが私の思うとおりである可能性も十分にある。ここでせっかくのチャンスを逃すわけにはいかない。

 思い立ったらやってみる……後悔がないように私はいつもそうしてきたのだから。

 

「ねえ、君!」

「……はい?」

「携帯……忘れていったでしょ」

 

 ついに彼に声をかける。近くで見る彼は私と同じか少し低いくらい、男子としては平均的な身長に、おとなしそうな雰囲気、ごく普通の顔立ちの少年だった。

 そして当初の目的である携帯を手渡しで返し、本命の続く言葉を投げかける。

 

「あっ、すみません! ありがとうございました!」

「……ちょっとまって!」

「えっ!? 何か?」

「……」

 

 さすがにいきなりこんなことを言うのは、私といえどやや躊躇してしまう。本当ならじっくりと話していくべきなんだろうし、いつもの私ならそうしていただろうけど、今回はやや急なことすぎて勇み足となってしまった感はある。

 まあここまできたらいくしかない、ストレートに聞いちゃえ! 

 

「……君、女の子の身体に……一度なってみるつもりはない?」

 



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42話 夢の変身体験

「…………へぇっ!?」

 

 私の台詞を聞いた彼は、その言葉を理解するのに数秒。その後に素っ頓狂な声を上げ、渡された携帯からすぐに私に目線を向けた。

 

「どういうことですか!? もう一回言ってください!」

 

……ビンゴ! 彼の目は今の言葉を聞き、輝きを見せた。この初対面の人の明らかな怪しい言葉であったにも関わらず、明確な興味を示し聞き返してきた反応で確信した。

 違っていたのならば、曖昧に返し帰ってしまうだろうし、こんな今にも掴みかかってきそうなくらい興奮するなんてことも絶対にないだろう。

 

「女の子の身体になる……いや変身の体験してみないかっていったの」

「……マジですか……」

 

 やはりね、私の言ったことをちゃんと理解し、その驚きと嬉しさの入り混じった表情。私の求めていた人間に違いない。

 私は探していた、こういったことに心から憧れている男の子を。

 

 

「いや、待ってください……あなたは一体」

 

 そう……そうくるよね。予想通りだ。

 いきなりそんなことを言われて注意が向くのは、まずその話についてではなく、その目の前にいる人間が何者なのか。

 

 だから私は自分のことを教えると同時に……その言葉の真偽を彼自身の身体を持って示す!

 

「私は……」

「えっ! ちょっと……えええええ!?」

「魔法使いだよ。これで信じてくれた?」

 

 私は彼の半袖のワイシャツから出ていた右手を掴み、滑らすようにして肘まで動かした。

 するとやや浅黒い肌、変哲もない男性の腕だったものが肘から先だけ陶器のような白く艶やかな肌へと、さらには指先まで女性的な細く可憐なものへ瞬きの間に変わっていった。

 

 既に日は暮れはじめ、背後のコンビニの照明くらいしか明かりはないがそれでもはっきりとわかる変化であった。

 その証拠に彼はここが決して人目が皆無とは言えない場所であるにもかかわらず、大きな声を上げ驚愕した。

 

「しぃっ……声が大きいよ」

「はい……これどういう原理で……」

「とりあえず一旦戻すね、はい」

「え……」

 

 目を白黒させる彼を一瞥し、変化させた腕を元に戻す。ひとまずこれで私が本物であると完璧に信じてもらえたはずだ。

 あとはあれを試してもらうだけだが……

 

「ちゃんと説明はするから、とりあえず人目のないとこがいいな。私この辺詳しくないんだけど、どこかいい場所知ってる? 時間はとらせないから」

「じゃあ……近くの公園にでも」

「オッケー、ところで……改めて聞くけど、君は会ってすぐの私を本当に信用してくれた? 目につかないとこに行って、私が実際これから君に何するかわからないよ、それでもついてくる?」

 

 彼の意思を尊重し、一応この先に付いてきてくれるか問いただす。

 

「……はい。ちょっと怖い気持ちもありますが、俺は信じます」

「そう……ならおめでとうと言っておくよ。君は今、人生の分岐点において正解を選んだはずだから」

「……」

「それじゃ、行こ」

 

 

「なるほど、つまり本当に異世界があって、あなたはそこから来た魔法使いと……」

「そうそう、理解が早くて助かるよ」

 

 その公園に向かいながら、男の子と話し、その素性を聞いていく。ついでながら、さらなる信頼を得るため私のことも教えてあげる。

 彼の名は古賀アキラ君、この辺りの高校に通う二年生。中学の時、漫画でそういった話を見たことから性癖に目覚め、それからその類いの作品を探し続け、最近は小説がマイブームらしい。

 そして何より彼は絶対に叶わないことだとはわかっていても、一度は自らが美少女になってみたいという思いを抱えていた。

 

 まさに理想的な人材だ。これならあれのいいモニターになり、その性能の向上に尽くしてくれるに違いない。

 

「ここです」

「よし、誰もいないね。ちょうどいい」

 

 話の途中ではあったが、公園へと到着した。ベンチがいくつかと滑り台、砂場があるだけのこじんまりとした公園で、もう日没間近ということもあり、その中に人影はない。うってつけの場所だろう

 

「さて、念のため……」

「あっ魔法の杖ですよね! 今何したんですか?」

「公園の外から中の私たちが見えないように、簡易的な結界を張っただけだよ。どこかで覗き見られたら嫌だしね」

「へえ~」

 

 私からしたらほんの些細なことに過ぎないが、それでも尊敬のまなざしを向けてくれている。それはとても嬉しいことだけど……これくらいで驚いてもらっちゃ困るな。

 

「よし、始めよっか。服は着たままで大丈夫だよ」

「それがさっきの……」

 

 ベンチに座った私は懐から片手で持てる大きさの箱を取り出した。この中にしまってあるものこそが私たちの作った願望の結晶だ。

 改良を重ねたこれは空間操作、感覚同調、幻術、様々な高等魔術を駆使することで、使用者の理想ともいえる形でその外見を再現できるまでになった。先ほどアキラ君の腕を変えて見せたのもこれによるものだ。

 

 だが私とレンちゃんだけで使うには、見本となるものも少なくそのバリエーションは不足していた。というよりも、もう一人変身願望が豊かな人に使ってもらいたかったというところか。

 そこでアニメやゲームでたくさんのキャラに囲まれて育った現代日本の若者にはうってつけだ。使ってもらっての有用な意見も聞けるだろうし、私たちより精度の高い変身も容易に違いない。

 自動で蓄積されるそのデータは、さらなる性能の向上を生む。

 

 もちろん帰ってから私たちでこちらで手に入れた資料を参考にしながら、何度も試してみて少しずつ学習させていっても、時間はかかるが結果は同じだ。

 だけど私にとってそれ以上に大切なことがあった。わざわざ男の子を選んだのもそのためだ。

 

「うん……それじゃあ今から君の夢を叶えてあげる、準備はいい?」

「……お願いします」

 

 手のひらに出した粘液状のスライムに起動のための魔力を流す。そして同時にアキラ君の額に触れ想像してもらっている理想の姿を読み取り、水色のスライムに送り込む。

 手のひらに乗る量でしかなかったそれは意思を持ったかのように急激に体積を増しながら、目をつむり立つアキラ君を包み込んだ。

 

「うっ、ああっ……」

 

 その中で既に機能の一つである魔術的な変声により鈴の鳴るような少女のものになったアキラ君の声が聞こえる。

 スライムは纏わりつくようにしてあっという間に髪となり、肉となり、服となる。その際に感覚の同調により、本人はまるで身体が作り替えられていくような感覚を味わう。

 

 私たちも体験したがこの感覚は気持ちいいような、こそばゆいようなとにかく不思議で面白い感覚だ。

 ましてやアキラ君の場合、男の身体から女の身体になる感覚を味わうわけだ。声が出でしまうのもうなづける。

 

「はあっ……はあはあ……」

「よし、上手くいった。凄いなあ……ここまでのものとは思わなかった」

 

 私たち以外に試すのは初めてだったが変身は無事に終了した。時間にしたら十秒程度のものだっただろう、いつも通りの時間だ。

 

 そして今の今まで平凡な男子高校生が立っていた場所には……私でさえ驚いてしまうほどの理想像といえる美少女が立っていた

 白い髪も綺麗さと可愛らしさが入り混じった顔立ちも少女らしい体型もアニメチックな服装も、どれも私たちが試した時よりもずっと細かくて、洗練されていて……この姿になることへの強い願望、私たちの半端な覚悟との差を示しているようだった。

 

「えへへ……どうですか」

「いや、ビックリしたよ。この姿ってなんかのアニメのキャラとか?」

「えっと……いえ、俺がもしなれるんだったらこんなのがいいなって、ずっと考えてたっていうか……」

「オリジナルのキャラってことね」

「はい……」

 

 それを言葉にしたアキラ君は少し恥ずかしそうにうつむいた。そんな何気ない仕草でさえ、その見た目だと心惹かれる……

 

「そんな恥ずかしがらなくていいよ。だって考えてごらん、私たちがこれ作ったんだよ? 同じ様なことしてるに決まってるでしょ」

「ああ……そうですね」

 

 自らの秘密をひけらかしたも同然だったアキラ君が照れているのを見て、私は軽いフォローを入れてあげる。まあ事実なのだけれどもね。

 

「ほら、そんなことより念願の女の子の身体になれたんだから、いろいろ自分で確かめてみな。はいこれ鏡ね」

「はい、うわっ……」

 

 懐から手鏡を出して、アキラ君に渡す。それを受け取ったアキラ君は、自分の外見に素直な驚きを見せた。

 

「うわあ……髪長い、すごいサラサラ……腕も細い。胸もちゃんとある、柔らかい……いい匂い……」

 

 ……いい、すごくいい。これが私の見たかった光景だ。この為にこんな子を探していたといっても過言ではない。

 理想の女の子の身体を味わってみたい男の子。そんな願いが叶ったら、このように我を忘れて、スベスベモチモチの白肌を桜色に染めて、自分の身体をまさぐるのも至極当然。

 そしてそれは普通の女の子では絶対に見られない仕草。

 

 口数が減り、思ったままのことを口に出しているのも、その感激の深さがうかがえる。

 そしてそれを私は、何も口を出さずに借りた携帯で撮影しながら、ただ見守っていた。

 

 

「これが……現実だなんて……」

「思えない? これは確かに現実、決して夢なんかじゃないよ」

「セシル・ラグレーンさん……でしたよね。先生と呼ばせてもらいますね」

「んん……まあいいや。なんでも好きなように」

 

 一通り自分の身体の確認が終わったアキラ君は改めて、この出来事を夢まぼろしでないと確認するかのように、私に問いかける。

 もちろん夢などではないと教えてあげる。手を握ってあげながら。

 

「なら疑問なんですが……」

「私がこういうのが好きなのが意外ってこと?」

「……! そうです」

 

 適当に機を見て切り出そうとした話題を、向こうからきっかけを作ってくれた。そのまま乗って、私はレンちゃんについて語ることにした。

 

「それは……私が本物をよく知ってるから」

「本物ってことは……」

「そう、私の大切なパートナーのレンちゃんは元男の子の女の子だよ」

「はあ~どんな人なんですか」

「身体年齢は高校生くらい? 優しくてとっても気が利いて~めっちゃ可愛い銀の髪の美少女!」

「へぇ~」

 

 とても興味津々といった感じで言葉に耳を傾ける。私もちょっと嫁自慢が過ぎてしまったかな……

 

 しかし今話したことは私の本心だ。レンちゃんと出会い、共に生活していくうちに、中身は男の女の子という存在に私は強く心惹かれていた。

 レンちゃんは気づかずにその素質があったという感じだが、じゃあ現在進行形で美少女になってみたくてしょうがない男の子をしてあげたらどうかと……その反応を一度見てみたかったのだ。

 

「今度、俺も会ってみたいです」

「なんなら今からでも会いに行く? 私の買い物帰りを待ってるし」

「えっと今から……あっ、塾行かなきゃ! やばっ忘れてた!」

「あ……そうだったの? じゃあ一回元に戻る?」

「……お願いします」

 

 私が手をかざすと、仮初めの身体を形作っていたスライムは瞬時に形を崩し、吸い込まれるようにして箱へと収まった。

 変身を解除する際は感覚同調も切れるため、それに対して苦痛や不快感といったものはない。だが、せっかく念願の女の子になれたのに早くもそれを解除することになってしまった寂しさはその表情からうかがえた。

 

「ほら、しょぼくれないで。これ貸してあげるから」

「え……俺がこれ持って帰っていいんですか?」

 

 私はスライムの入った箱を置いてあった荷物を手に取り始めたアキラ君に手渡した。

 無論、初めからこうするつもりではある。だが向こうにとってはそうではなかったようだ。

 

「そうだよ、この箱自体に動かすための魔力は込めたから、アキラ君でも問題なく使えるよ。蓋を開けて出したら、なりたい自分を想像するだけ、簡単でしょ?」

「本当に……ありがとうございます!」

「誰かに見られちゃよくないから、一人の時間にゆっくりと楽しんでね」

 

 一転、心からの嬉しそうな笑顔を見せるアキラ君。ああ……いいことしたなあ。

 

「あとメールアドレス教えてくれない? 私、携帯なくてパソコンしか持ってないからさ」

「はい。えっと……書くものあります?」

「はいこれ、私のも書いといたから。後で撮影した写真送ってね」

「わかりました、これでいいですかね?」

「よし大丈夫。それじゃ暇な時間ができたら、どこでもいいから連絡ちょうだい。レンちゃんを連れていくからさ」

「じゃあ早速、塾が終わり次第連絡いれます」

 

 そうしてメモ帳にアドレスを書いた後、背を向けてアキラ君は歩き始めた。いろいろあったけど、時間的には十分間に合うはずだ。

 だけど塾か、あんな体験した後で大丈夫かなあ……そうだ!

 

「待ってアキラ君!」

「ん? 何か……」

「こんな事の後じゃ、勉強に集中できないでしょ。私がここでのことを忘れさせてあげるよ」

「え、ええっ!?」

 

 その言葉にアキラ君は驚きを見せた。だけどこれは思い通りのリアクション。ちょっとからかっただけだ。

 もちろん完全に記憶を消してしまうなんてことはしない。

 

「大丈夫だよ、私がこの魔術をかけたら、君はここでの出来事を忘れて何事もなかったように塾に向かう。それから……」

「それから?」

「塾が終わったら、勝手に全て思い出すようにしてあげる。その方がもう一回、女の子になれることを知る感激があるでしょ」

「ぜひやって下さい!」

 

 迷いのない即答だった。

 こういった体験は実際に試す瞬間以上に、不可能であったはずのことが可能となったと知った時にこそ一番の感激があるものだ。

 

「それじゃさよなら、また後でね。はい」

「────!」

 

 私が彼の後頭部に杖で触れると、一瞬彼の身体は硬直し、そしてすぐに動き出した。

 それにしても現代っ子は忙しいねえ……

 

「ん……俺、ここで何してたんだっけ? まあいいや、早く行こ」

「…………」

 

 

 私も結構時間を食った、レンちゃんも待っているし改めて買い物して、早いとこホテルに戻るべきだろう。

 

 そうしていつも通りの日常に戻ったアキラ君を一瞥し、結界を解いてその公園を後にした。

 彼の人生で二度目の夢の叶う瞬間を想像しながら……

 



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43話 尽きない楽しみ

「どうですか、ありましたか~」

「うんあったあった、とりあえずリストのは全部そろったよ」

 

 僕たちの今いる場所は電車に乗ってきたゲームの専門のショップ。

 あの後アキラ君からメールで、オフラインで全てプレイできなおかつボリュームたっぷりという条件でおすすめゲームをリストとしてまとめてもらい、それを送ってもらったのでその物色に来ていた。

 どうやらアキラ君、かなりやっている方らしい。おすすめのコメントも力が入っていたし。

 

 僕はそんなに詳しくないので、結局ネットの評判見て適当に買っていこうかと思っていたが、こうして専門家が見つかった。渡りに船というやつかな。

 モニターと本体、さらには携帯機の方も買ったので、これで向こうでもゆっくり遊べるな。

 

 よく名作ゲームについて記憶を消してもう一度やりたいなんていうけれど……僕たちは実際にそういったことだって可能だ。

 楽しみは尽きることは無い。今までも、そしてずっとこれからもだ。

 

「後はなんか、買いたいものあります?」

「もういいかな~」

 

 一通り買い物は終わったし、そろそろ切り上げよう。

 カゴに入ったアクション、RPG、シュミレーション、シューティングなど色々なジャンルのニ十本ほどのゲームソフトを見ながら、自然とニンマリと笑みを浮かべたのを感じた。

 

「ありがとうございました~」

 

 会計を終えて、外に出る僕たち。もう少しかかるかと思っていたが、意外と早く買い物は完了した。

 とりあえずもうこちらで購入するようなものはないはずなので、これからどうするか……ホテルに戻るにはちょっと中途半端な時間だし……

 

「レンちゃん、まだ時間あるし、近くのゲームセンター行ってみない? 私一回行ってみたかったんだよね」

「賛成です。行きましょう」

「じゃあ早速!」

 

 そんなセシルさんの言葉で次の目的地は決まった。僕も久々に堪能してみたいと思ってので異論はない。

 買ったゲームはしまい、僕たちはショップからすぐ近くのゲームセンターに訪れた。

 

 

「ふ~ん、これが……」

「はい、お金崩してきましたよ」

「ありがと。ねえ、これってあのフィギュアを下に落っことせばいいんだよね」

「そうですよ。でもこれ結構コツがいるんですよ」

 

 入ってセシルさんが初めに興味を見せたのは、クレーンゲーム。それも橋渡しと呼ばれる、クレーンをうまい具合に引っ掛けてバランスを崩し、二本の棒の上に置かれた商品を落とすタイプのやつだ。

 クレーンゲームの中でも実力が顕著に表れるタイプなのだが、当然初めてであろうセシルさんは果たしてうまくいくのだろうか。僕も……これ成功したことはない。

 

「とにかくやってみる。まずは百円から」

「そのボタンで右に動いて、それで上ですから」

「わかるよ~それくらい」

「そうそう端っこを引っかけるように……あっ行き過ぎじゃないですか?」

「どうかな~」

 

 サイドからクレーンを眺めながら詰め寄る。僕が見た感じ、これではクレーンがわずかにかからない。

 だけどもうクレーンは軽快な音と共に、下に動き始めている。まあ一回目だからしょうがないか……

 

「あれ? あっ、あっ!」

「いい感じ、ねっ言ったでしょ」

「はい……」

 

 そんな僕の見立てとは裏腹に、クレーンの右側のアームはギリギリの絶妙なところで箱のはじを押し込むようにして、穴の側に持ってきた。

 斜めに傾いて収まっているこの状態はかなり順調だ。これならいけるかも……

 

「よし、もう一度」

「おおっ、もうちょい上で……そこ! いいんじゃないですか?」

「うんうん、手応えあった!」

 

 再び降りてくるクレーン。後はもうバランスを崩してやるだけなのだが……

 

「あっ、ああ~!」

「く~惜しいっ! もう一回!」

 

 残念ながら、今度は少し動いただけで落ちるまでには行かなかった。だけどこれなら……

 

「よしっ、よしよしっ!」

「これなら……おおっ!」

 

 三回目、見事に商品はコトンという軽い音と共に落下した。この瞬間は生では初めて見る……

 

「面白いね~これ!」

「しかし多少は動いていたみたいですけど、それでも三回ですか……実は何回も練習してたとかじゃないですか?」

「いや、これが初めてだよ。少しやり方を調べたりはしたけどね」

「それでもこれは凄いですよ」

「隣のもやってみよ。レンちゃん、それ袋に入れといて」

「あ、待ってください」

 

 

 

「おお……いける、やった~」

 

「ここで……いい感じ、オッケ~!」

 

 それからというものの、セシルさんは子供のようにクレーンゲームを満喫した。しかしすごい、何せ今とったフィギュアより大きなものも含めて、全部五百円一枚で仕留めているのだ。

 僕も見ているが、魔術などによるインチキの様子はない。もしかしたらここのゲームセンターが割と良心的な設定、配置をしているのかもしれないがそれでもここまではないだろう。単純にセシルさんの腕前によるものであるのは疑いようもない。

 こんな才能もあったなんて意外だな……

 

「くっ……いけ、いけ……よし!」

「あっ! レンちゃんも取れたじゃん」

「なんとか一個はいけました……」

 

 その中で僕も何とか一つゲット、十五回くらいかかってしまったけど……

 それでも、自分で落せたのは初めてだから嬉しいことには違いない。

 

 

「そろそろやめようか……」

「ですね……」

 

 そうして四体のフィギュアとぬいぐるみを三つ取ったところでクレーンゲームのエリアからは離れた。さすがに店員さんのおっかない視線をチラチラ感じるようになってきたし、ちらほらと見に来る人もいる。

 あれだけ取っていれば、そういうプロな人間だと思われても仕方ない。僕たちだって目立ちたくはないので、動画なんかに撮られてしまう前に、ここからはさっさとトンズラだ。

 

「次はあれ! プリクラってやつ」

「う~ん、ああいうのちょっと苦手……」

「え~私一人で撮ってもしょうがないし、一緒にやってよ」

「いいですよ、せっかくですしね」

「やった!」

 

 

「……」

「ん~レンちゃん、なんかぎこちないな~」

「そうかも……」

「じゃあ、もう一回! 空いてるしね」

 

 でも確かにちょっと変かな。次はもうちょっと……

 

「よし、フレームはこれで~これくっつけて……これでどう?」

「……いいんじゃないですか?」

「はい、印刷っと……お~出てきた出てきた。かわいい~」

 

 そんな編集も終わり、ファンシーなプリクラのシートが排出される。それを見たセシルさんはとても上機嫌だ。

 やっぱり女子にとってこういうのはとても楽しいものなのだろう。僕はいまいちよくわからないけど……

 

 

「ああ面白かった~」

「今日はまた一段と楽しそうでしたね」

「うん、とっても!」

 

 そうして時も過ぎ、日が沈んだころ僕らはホテルへの帰路へとついた。もうすぐこちらに滞在する時間も終わりだ。

 まあ……いつでもってわけにはいかないがまた来れるから、そんなにしんみりするようなことでもないんだけどね。

 

「そういえば今日とったやつ全部持って帰るんですか?」

「それでもいいけど……アキラ君に見せて気に入ったのあったら、あげてもいいかなって」

「いいですね」

 

 今日はだいぶお世話になったわけだし賛成だ。好みのものがあるかはわからないけど。

 

「一応……あさって帰る予定だけど、明日はどうする?」

「明日は……たまには二人別々に行動しません?」

 



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44話 後輩との談話

「うん……これ買ってくかな」

 

 昨日とは違うゲームの販売店にて、僕はいくつかの商品の中から目に付いた一つを選ぶ。中古のRPGだけど結構面白そうだ。

 

 僕たちは明日でこの世界を去る予定だ。つまりは今日が時間にとらわれず街を見て回れる最後の日なのだが、あえてセシルさんと僕は別々に行動をすることにした。

 昨日はアキラ君に勧められたものだけを買っていったが、今日は自分自身の勘に従って購入するゲームや漫画、小説なんかを選択している。

 

 いくつか既に選び終えた後であるが、ふとカゴの中を見ると王道ファンタジーものの割合が大きいように感じる。いや……実際そうであろう。

 こちらの人々にとっては魔法があり、広がる草原や森を馬で駆ける世界は当然ファンタジーであるが、僕たちにとってはそれが日常だ。

 だからこそ、昔よりもなんとなく興味を引かれるところがあるのだろうか。

 

「こんなもんかなっと」

 

 商品の入るカゴに重量を感じるようになってきた。結構長くここに留まっているし、そろそろ会計に移ろうか……

 

「ん? あ~見つけた」

「……え? えっと……どちらさん?」

 

 カゴを持って移動しようとした僕の肩を突然つかみ、一人の男性が声をかけてきた。

 高校生くらいだけど……いったい誰?

 

「俺ですよ。先輩」

「ああ……アキラ君か」

 

 その人物の第二声を聞いて、すぐに察しは付いた。聞き覚えのある会話のスピードやリズム。知り合いと話すような口調。

 そして何より僕を先輩と呼ぶ人間はこの世界に一人しかいない。つい先日知り合った、僕たちの新たな友人。アキラ君だ。

 

「このくらいの時間にここに行けば、多分いるだろうって聞いたんで」

「なるほどね、この前はおすすめの紹介してくれてありがと」

「はい、お安いご用ですよ」

 

 腕が疲れてきたのでカゴをいったん床に下ろし、アキラ君との会話を続ける。どうやらセシルさんが僕の居場所をアキラ君に伝えていたらしいな。

 

「ところで……あれの調子はどう?」

「問題なく使えてますよ。昨日の夜も親がいなかったので、いろいろと変身して遊んでました」

「ならよかった。そういえばこれから時間空いてる? ちょっと話そうよ」

「もちろん、俺もそのつもりで会いに来ました」

「じゃあ待ってて。これ買ってきちゃうから」

 

 

「それじゃいただきますね~」

「どうぞどうぞ。この前はご馳走しそびれちゃったし」

 

 会計を済ませた僕たちは二人で近くのファミレスへと入った。話すにはちょうどよい場所だ。

 お互いにケーキやドリンクバーなんかを注文し、ゆっくりとくつろいでいる。

 

「前に会った時は呼ばれて帰ったみたいだけど、大丈夫だった?」

「ああ、問題ないですよ。別に無視しても構わない用事でした」

「そう? でもご両親は大切にしないとね」

「むむ……さすが説得力ありますね」

 

 ん~そうかなあ……

 

「そういえば明日で帰るんでしたよね。今日は一緒じゃないんですか?」

「なんとなくね、今日は別行動。それで……なんか近くでやってるとかいうアイドルのライブ見に行くっていってたな」

「はあ~なるほど。そういうの好きそうですね」

「わかる……好きそうだよね」

 

 その言葉に共感を受け、自然とうなづく。

 その通りだ。セシルさん、そういうの大好きそう。

 

「先輩……まず最初にずっと聞きたかったんですが」

「ん~」

「女の子の身体になって……どうですか?」

 

 ああ、そんなことか。でもそれは聞きたいことではあるだろうな。

 ちょうど一杯目を飲み干したグラスのストローから口を離し、僕はゆっくりと間を持たせるようにしてその返事をする。

 

「そんなの……」

「そんなの?」

「最高に決まってるじゃん!」

「ですよね~!」

 

 

 

「はあ~向こうの世界でも、ちゃんと色々あるんですか」

「快適で住みやすくはあるね。セシルさんがそうしたんだけど」

 

 おかわりした飲み物を飲みながら、彼と向こうでの暮らしについて語り合う。やはり興味津々でその話を聞いている。

 こうして嬉しそうに聞いてくれるとなると、こちらも話しがいがあるというものだ。僕も自然と口数が増えていくのを実感する。

 

「でもやっぱり、ずっと女の子の身体でいると考え方とか変わったり、そういうのは?」

「あんまりそういうのないんだよね。まあ、たまに男の感覚が恋しくなったりするけど……」

「はあ……」

「そんなときは変身して遊べばいいしね。そういうことのための物なんだから。あのスライムは」

「それもありですね~」

 

 

「こっちからも聞きたいんだけど、アキラ君ってもしかして一高だったりする?」

「え? そうですよ。言ってなかったでしたっけ? 俺の方からは先生から先輩が昔通ってたって聞きましたけど」

「だからか……」

 

 そういうことだったのか。確かにそれなら先輩だ。

 一高は僕が昔通っていた、ここらで一番大きい公立高校。まあ可もなく不可もなくといったクラスのところだけど、たまに何かあったわけでもない平凡な高校生活を思い出したりもする。

 多分僕の事故はそういった注意を呼びかける際のいいネタにされているんだろうな……

 

「おっ、アキラじゃん」

「えっ? な~んだお前らか……こんなとこで会うなんて奇遇だな」

 

 突然のこちらに向けられた声にビクリと身体を震わせてから、ゆっくり振り返る。話しかけてきたのは二人の男子だった。

 その内容から察するに、アキラ君の同級生といったところだろうか。

 

「あっ、こんにちは」

「え、ああ……こんにちは。あれ……うちの学校ですか?」

「えっと……」

 

 そういえば僕とアキラ君は傍目から見たらそういう関係にでも見えてしまうんだよな。

 さてさて、どうやって答えようか……

 

「俺の親戚の姉ちゃんだよ。この辺案内してくれって頼まれてさ」

「そうか……わかった。じゃあな」

「じゃあな…………なあ、めっちゃ可愛くなかったか?」

「だよな……」

 

 と、僕が答えるまでもなくアキラ君はそう返答した。

 奥の席に向かいながら小声で話す彼らを尻目に、アキラ君との会話を続ける

 

「意外と嘘が上手いんだね」

「そうですか? でも先輩は苦手そうですよね」

「……当たってるよ」

 

 まあこういうのは元からの得手不得手があるものだろう。僕はとっさのこういった事態を乗り切るのはあまり得意な方ではないし。

 

「そういえば、さっきの二人の左側って……もしかして橋口君? 違ってたらいいけど」

「あっ、橋口のこと知ってるんですか?」

「やっぱ当たってた? あの子の兄さんと昔は友達でね。あんまり本人とは会ったことなかったけど、なんとなく面影あったから」

「へえ~あいつの兄さん、地元に就職して働いてるっていってましたよ」

「ふ~ん、まあ元気でやってるなら何よりか」

 

 あいつもあいつの人生を生きているんだな……いつか機会があったら、こっそり顔を見に行ってみるのも悪くないかも。

 

「じゃあさ……もしかして数学の高木先生ってまだいたりする?」

「ああ~高木、いますいます。今ちょうど習ってます」

「まだいるんだ~あの人のテスト難しすぎない?」

「そうそう! この間のなんかみんなブーブー言ってますよ。もう少し優しくしろって」

「やっぱり変わんないね。それでさ……」

 

 

 

「あっ、すいません。俺もうすぐ塾があるんで、そろそろ帰らせてもらいますね」

「わかったよ。もう結構いい時間だしね」

 

 楽しく過ごす時間という物はあっというまに感じるものだ。

 そんな時間も終わり、わずかに残っていたドリンクをお互いに飲み干して、荷物と伝票を手に席から立ち上がった。

 

「今日はいろいろ教えてもらって……ありがとうございました。本物の人の意見を聞けましたしね」

「楽しかったよ。それじゃまた明日ね」

「はい! 今夜はまたたっぷりあれで遊びますね。ご馳走様でした~」

 

 二時間ほどのアキラ君との談話を終えて、僕たちは別れた。外はもう日が落ち始めようとしている時間帯だ。

 

 今日はこちらの世界で自由に過ごせる最後の一日だ。本当だったら他にもいくつかの場所を回る予定ではあった。

 しかし……これはこれで有意義な時間であったなと、そんな思いが僕の中を巡っていた。

 



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45話 最後の一日

「…………んん、まだ……早いかな」

 

 首までかかった布団の暖かさ、柔らかさを感じながらぼんやりとした意識の中、静かにまぶたを開けて横向きになった身を起こした。

 枕元の時計を見ると、まだまだ起きるには早い時間。だけど窓の外は真っ暗、夜も明けていないようだ。

 

 風邪を引いているときなどならまだしも、普段何も異常もないのにこのような時間に起きてしまうのは、何か驚くような夢を見たから、暑くて寝苦しかったから、物音を感じたから、そんなさまざまな理由があるだろう。

 

 そして今の僕がこのような時間に起きてしまった理由は……喉が渇いたからであった。

 

「……あったはずだよね」

 

 一言、小さく独り言をつぶやきながら、スリッパを履いてテーブルの上に置いていたはずのペットボトルのお茶を取りに行く。

 そして記憶通り一本残っていたお茶に口をつけ、常温で置いていたため少しぬるい感触とそれゆえにはっきり感じる旨みを味わいながら、先程から気付いていた一つの出来事……セシルさんのベッドの方へと目を向ける。

 

「あれ起きちゃったの?」

「はい、ちょっと喉が渇いたもんで。セシルさん、眠れないんですか?」

 

 セシルさんはベッドの上で漫画雑誌を下敷きにしてパソコンを乗せ、さらにコミックスをマウスパッド代わりにして、動画を見ていた。

 僕が目を覚ましたことに気づき、付けていたヘッドホンを外したセシルさんは、向かいの自分のベッドに腰掛ける僕に対してそうやって声をかけた。

 

「いや……一度はちゃんと寝たんだけどね。なんだか目が覚めちゃって、ちょっと前から起きてる」

「僕も似たようなもんですよ。あ……飲みます?」

「うん、ちょうだい」

 

 セシルさんが右手を出す。その意思を汲み取り、僕は三分の一ほど飲んだペットボトルをセシルさんに手渡した。

 

「うん美味しい。ところでレンちゃん、また寝ないの? まだ時間はだいぶあるよ」

「なんか僕も目が覚めちゃったんで……このまま起きてることにします」

 

 返答しながら僕は隣のベッドの方へと移動をし、その右隣に同じうつぶせの体勢で横たわった。セシルさんのふわりとした髪からほんのり香るシャンプーのいい香りが鼻孔をくすぐる。

 そしてすぐそばに置いてあったマウスを動かすと、スリープになっていた画面が映し出された。

 

「それ、面白いですか?」

 

 セシルさんが見ていたのは様々なジャンルのものが投稿されている有名な動画サイト。

 僕もそれなりに見ているものなので、こちらに来て初めて触れたセシルさんの感想が少し気になるな。

 

「面白いのもあれば、イマイチなのもって感じ?」

「ふ~ん」

 

 まあそんなところだろう。こういうのはやっぱり作り手のセンスってものが問われるのかも。

 

「……」

「あれ、もうやめちゃうんですか」

「レンちゃんも見たかった?」

「いや、そんなわけじゃないんですけど……邪魔しちゃいましたかね」

 

 セシルさんは今まで見ていたページを閉じると、パタンとパソコンを閉めた。

 もしかして一人の時間を楽しんでいたのに、余計なことしちゃったのかなとそんな気持ちがしたが……

 

「違う違う、レンちゃんも一緒に起きているなら、ちょっとお散歩でもしないって思ってね」

「夜明け前のお散歩ですか……」

「よくない?」

「賛成です!」

 

 

 

「こういう時間に出歩くってのも……」

「なかなか新鮮ですよね~」

 

 着替えた僕たちは未だ日の登らない街中へと繰り出した。同じ道を日中、また夜に歩くのとは違い、独特の静寂と暗がりに包まれ、道行くお店はシャッターに閉ざされている。

 だが時折すれ違う早朝マラソンの人たちや24時間営業であるコンビニの明かり、それらがこの国にいるということを実感させてくれる……ような気がする。

 

「二週間あっという間だったね」

「そうですね……でも楽しかったです」

 

 今日でこの街の光景ともお別れだ。予定の二週間……長いようであっという間の時間だった。

 思いがけない母さんとの出会い、お墓参りに色々と買い物、新しく友達になった後輩。予想だにしていなかった出来事がたくさんあり、とても濃密な時間だったと言えるだろう。

 

「レンちゃん……聞いてもいい?」

「なんですか~」

「こっちにさ……残ったりはしないの?」

「…………」

 

 何を言い出すのかと思えば……そんなことか。

 

「しないですよ。もちろんこっちは居心地よかったですし、馴染みもあります。でも今更気持ちが変わったりしないですよ」

「そう……わかった!」

「ホッとしましたか? そんな顔してますよ」

「ちょっとだけね」

 

 そうやってお互い顔を見合わせながら、僕たちは改めて手を繋ぎあった。



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46話 好きな世界

「……この時間帯の空ってきれいだよね」

「そう……ですね」

 

 ふと空を見上げたセシルさんがその色について、口を開く。

 

 夜明け前と夕焼けの後、昼と夜の入れ替わる狭間の時間に見られる空。天気がよく、更には空気が良く澄んだ日に数分間、長くても十数分ほどだけ見られる幻想的な光景。

 蒼の瞬間……ブルーモーメントととも呼ばれる空。

 

 彼方から顔を出し始めている日の光による、そんな自然のグラデーションは思わず立ち止まってみてしまう美しさだ。

 

「この空……レンちゃんの瞳の色に似てるよね~」

「なんですかそれ。もしかして……口説いてるとか?」

「ん~ほんの少しだけ」

「……実は僕もそう思ったことありますよ」

「へ~そうなの?」

 

 ちょっとした冷やかしを込めながら、珍しく照れ気味のセシルさんに返す。

 

「今度は僕の方から聞いてもいいですか」

「何かあるの~何でもいいよ」

「セシルさんは……この世界好きですか?」

 

 一拍おいてそう問いかける。自分がかつて住んでいた世界、そんな場所が多くの世界を渡り歩いてきたセシルさんの目にはどのように映っているのか、純粋に興味があったから。

 

「そうだね……大好きかな! 私の今まで行ってきた世界の中でもかなり上位に入るくらいね」

 

 思っていた以上に明るく、にこやかな笑顔と共にそう返答をした。

 そんなによかったのか……これはちょっとだけ予想外かも。

 

「へえ……魔術がないのにですか? そういう研究はこっちじゃ基本できませんよ?」

「まあ私の唯一の取り柄なわけだしそこはちょっと残念だけど……それ以外に大きな理由があるからね」

「理由? それはどんな?」

 

 魔術がない世界だとセシルさんはつまらないのかと思っていたけど……そんな感じではなさそうだ。

 まあ僕たちとは違った天才、先人たちが進めた科学のことをのんびりと勉強して、その産物を他の世界に持ち込んだり、また別の世界に行ったとき魔術へと活かしたりそういったことはできるからなあ。

 そういうことでいいのだろうか? それとも……

 

「もしかして、便利なものがたくさんあるからとかですか? 治安がよくて住みやすいからとか?」

「そういうのも理由の一つではあるけど……一番はみんなが頑張ってる世界だからってことかな」

「みんなが……頑張ってるですか~」

 

 ん~なんかいまいちピンとこないな。

 

「私はこれまで何十もの世界を見てきた。すぐに移動した世界もたくさんあったけど、そういった中で特に気に入った世界では二十年、三十年と滞在し続けたこともあった」

「ふむ……」

「そのうち気づいたんだけど、自分はさっきも言ったように魔術でも科学でも、とにかくみんなで支えて頑張ってる世界が好きなんだって」

「なるほど……こういうことあんまり聞いたことなかったんで、もうちょっと詳しく教えてくださいよ」

 

 なんとなく言わんとしていることはわかったけど、まだまだ理解するには言葉が不足している。

 

「例えば、今私たちが拠点にしている向こうの世界も、私はここと同じくらい気に入ってる。あの世界は魔力の影響こそ、それほど強い方ではないけど、人類みんなが魔術を使うことができる」

「ふむふむ……」

「そしてその中でこちらには及ばない早さとはいえ、みんなの中で熱意と才能を持つ魔術師たちが技術を……文明を少しずつ進めている」

「こっちがだいぶ早いだけかもしれないですけど……そうではない世界も結構あるんですよね?」

「結構あったね。特に魔力が濃いめでかつ一部の人間しか魔術が使えないような世界は一番よく見る上、進まないタイプの典型かな。科学の世界だってほんのわずかな人がその恩恵を独占しているような場合も見たことあるし」

 

 一部の人間が科学の恩恵を独占かあ……ディストピアしてそうだ。あんまり住みたいとは思わないな。

 

「魔術を使える人と使えない人で、差別とかそういうのが結構あるとか?」

「そういうのはあったりなかったり……それ以上に一部に偏ってるとかえって進みが遅いんだよね。あと争いごとも多い傾向ありかも」

「魔力の影響が強いからって、天才が多いわけでも、極端に強い生き物がいるわけでもないんでしたっけ」

「そうそう。私たちみたいのだって、会ったのはレンちゃんが初めて」

「……」

「でも何よりそういうところは私自身が得るものも少ないし、大体はそんな世界に長く留まらないね。もちろんいい人はたくさんいるんだけど……」

「あんまり、居心地よくなかったってことですかね」

 

 そういった僕の言葉に、一瞬悩ましそうな表情を見せたセシルさん。そして再び空を見上げ、一つため息をして口を開いた。

 

 

「そうかな……そういうことになっちゃうかな。私たちが世界に善悪とか順位をつける権利なんてないけど、そういった感情を持つくらいなら別に構わないでしょ。気に入らなければ、また次に行けばいいんだから」

「うん……それでいいんじゃないですか? みんなが仲良く頑張ってる世界が一番好きなのは僕も同感です。好きも嫌いもそんな隠すことじゃないと思いますよ」

「ありがとね……なんか吹っ切れさせてもらっちゃったな。たまにこういうことで悩むんだよね」

 

 そんなにたいしたこと言ったつもりないけどな……

 

 

「あっ、レンちゃん、何か飲む? 散歩につきあってくれたし、私がおごってあげるよ」

「そうですか。じゃあ遠慮なくお願いしま~す」

 

 

 そうして近くのコンビニでホットコーヒーを買った僕たちは、それを飲みながらすぐそばのベンチへと腰掛けた。

 

「日が上がってきたね~」

「綺麗ですね」

 

 湯気の立つ暖かいコーヒー、僕はブラックでセシルさんは砂糖とミルクを一つずつ。じっくりと味わいながら、街を照らし始める日を眺める。

 普段飲んでいるコーヒーでもこういった場所、シチュエーションで飲むとなるとそのおいしさもまたひとしおだ。

 

「これ飲んだら、ホテルに戻りますか」

「そうしよう。また荷物の整理の仕上げをしなくちゃならないしね」

 

 

「ごちそうさま」

 そうして数分後、カップをゴミ箱へと捨てた僕たちは同じ道を辿りながらホテルへと向かった。来たときは閉まっていたシャッターが開き始め、人々の生活の始まりを感じさせる。

 この通りも数時間後には多くの人で行き交うだろう。

 

 そして僕たちもひとまずこの世界で過ごす最後の一日が始まるのだ。

 



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47話 協力者へのお礼

「準備万端! じゃ行こっか!」

「僕の方もオッケーです。忘れ物も大丈夫ですし、行きますか」

 

 散歩から帰り、ホテルでの朝食を済ませた僕たちは改めて荷物の確認を行った。

 三度確認したこともあり、完璧だ。

 

「ありがとうございました」

 

 チェックアウトを済ませ、ホテルの外へと出る。既に日は高く昇り、人や車の通りも多い。

 

「それじゃあまずは……」

「アキラ君のとこだね」

「もう連絡はしてあるんですか?」

「バッチリ。家だとご両親がいるみたいだから、近くの公園に来てくれないかって」

 

 

 

「ここでいいんですか?」

「もらったメールの通りならね。でも……ちょっと早かったかな、もう来ると思うんだけど」

「ギリギリまで変身で遊んでるんじゃないんですかね」

「そうかもね~」

 

 人のいない小さな公園のベンチに座り、彼を待つ僕たち。惜しくなるのはわかるけど……仮にあれだけこちらにあったとしても、もう内蔵してある魔力切れは近いはずだから意味ないんだよね。

 ちょっとかわいそうではあるけど……また来ればいいんだし。

 

「あ、きたきた。こっちこっち!」

「おはようございま~す」

「おはよ~」

 

 そうこうしているうちにちゃんと彼はその手に小さな箱を持ち、時間通りにここに現れた。

 

「いっぱい楽しんだ? 僕たちも今日で最後だしね」

「はい、もうたっぷり! 昨日だって……ふふふっ。いろいろとありがとうございました!」

「そうみたいだね、顔を見れば何やってたかは大体わかるよ」

 

 セシルさんはアキラ君から箱を受け取り、中身を開ける。空間を拡張されたその箱の中に入っていたのは薄い青色をした粘液のような、ゼリーのような、不思議な物体……変身スライムだ。

 

「よいしょっと」

「………?」

 

 そうして、セシルさんはそのスライムの一部をちぎり、自ら持っていたファスナー付きのビニール袋の中へと入れた。

 はて……確かに蓄積された情報を利用するには一部あれば事足りる。でもそのまま持ち帰ればいいのにどうしてこんなことしているのだろう?

 

「はい、じゃあこれ。アキラ君このままあげるよ」

「えっ……ええぇ!」

「はっ、あれれっ? セシルさん、どういうことですかそれ!?」

 

 突如紡がれたセシルさんの言葉にアキラ君はもちろん、僕も驚きの声を上げる。

 そういって箱のふたを閉めて、セシルさんはそのままアキラ君へとその箱を手渡した。いったいどういうことだ?

 

「あれ僕が見た感じでも、もう貯蔵してある分はほぼ尽きているみたいでしたけど……ただのおもちゃスライムと変わりませんよ」

「そうなんですか? 記念にくれるんだったら貰っておきますけど……」

「ふふふ~レンちゃんでもそう思うのは無理ないよね」

 

 不敵な笑みを浮かべる。ここまで言うのだから、ハッタリなどではないだろう。

 しかし僕たちは今日でここからいなくなるわけだし、アキラ君だけじゃどうしようもないと思うけどな……

 

「はいっ! これもアキラ君にあげるよ」

「へっ!? これって……この箱となんか違うところあるんですか?」

 

 セシルさんが自信満々にバッグから取り出したのは……スライムの入っている箱とほぼ同じ大きさの箱。

 僕が横からのぞいた感じ、中は空間拡張が済ませてあり、元のスライムが入っていた箱とほぼ同じとしか見えない。向こうの世界から持ってきたのだろうか。

 しかし箱が二つあっても使えないことには変わりないはずだが。

 

「ほらほら、ここんとこよく見てごらんよ」

「これは……コンセントですよね?」

「えっ……まさか!」

「レンちゃんはわかったみたいだね」

「いつのまにこんなものを……そういえばなんかやってるとは思ってましたが…」

「空いた時間でちょっとね」

 

 そうか……そういうことか……

 僕たちは向こうの世界で家電を使うとき、魔力を電気エネルギーへと変換する術を持っている。

 そして効率こそ大きく劣るもののその逆……つまり電気を魔力へと変換することも、また可能であるのだ。

 

 つまりセシルさんはこの箱をこちらで改造しその機能を加えることで、魔力を扱えないこちらの人間であるアキラ君でも、スライムへの魔力の供給を可能としたということか……

 

「使い方は簡単、この中にそれを入れてから、家のコンセントに刺すだけ」

「本当に……本当に使えるんですか?」

「バッチリだよ。私もそれとは違う道具で試したから大丈夫! ただ……」

「ただ?」

「ちょっと充電に時間かかる上、そんなに貯められないんだよね。短い期間だったからそれが限界で……ごめんね」

 

 うん……それはしょうがないな。

 

「それでも全然構わないですよ! でも……具体的にはどれくらいなんですか?」

「私の計算だと、三日充電して満タンになり、それで使えるのは一晩くらい。ちょっと短いよねえ……」

「三日……それで思ったより短いですね。大丈夫、アキラ君?」

「確かに短いけど……それでも俺はこれで終わりだと本気で思ってたんで……本当に感謝しています!」

 

 想像以上に長い充電時間であったが、当の本人はそれでも構わないといった感じだ。

 

「よかった~気に入ってもらえて。安全面は問題ないし、電気代もそんなにかからないからそういう心配はいらないよ。今度来るときはさらに改良したやつのお試しをしてもらうから、ぜひその時はよろしくね」

「もちろん、それはそれで楽しみにしてますね」

「次……いつくらいになりますかね。最近魔力を使う機会多かったんで、向こうにもストックはあんまりないんじゃないですか?」

「そうだよね。でも私もここ気に入ったからまた来たいし……どうにかやりくりして、次の年明けの前くらい?」

「ああ、それくらいなら丁度いいんじゃないですか?」

 

 大体半年くらいのインターバルか。そのくらい開けば普段の研究などに使う分を考慮しても世界を移動するだけの魔力を確保できるだろうし、生活の中で時間を作ることもそう難しくない。

 特に急ぐこともないわけだし、帰省と考えればそんなものか。

 

 それに変身スライムとその付属品のバージョンアップをするのにも十分だ。次来る時にはより精巧な変身をアキラ君に楽しんでもらえるに違いない。

 母さんたちにも体験させてあげられるだろう。

 

「あとこれ、協力してくれたお礼ね」

「ええっ!? だいぶ結構入ってるみたいですけど……こんなにくれるんですか? そもそも俺はただ楽しんでただけで、何もしてないも同然なのに……」

「私は依頼して、君はそれをこなしてくれたんだから報酬を支払うのは当然でしょ。こういうのはちゃんとしないとね」

「……ありがとうございます。じゃあ遠慮なくもらっておきます」

「大事に使って……といいたいところだけど、それは自由にってことで。ご両親には内緒でね」

 

 セシルさんは立てた人差し指を口元に当てる内緒の意向を示すサインをしながら、お金の入った封筒をアキラ君に渡した。

 確かにこういうのは大事だよね。彼は僕たちができなかったことをやってくれたんだから。

 だけど気持ちはわかるよ。あんな体験ができて、楽しい以外の感想なんて持たないだろう。

 

「ああ、忘れてた。レンちゃんあれも」

「はいはい。このフィギュアも一緒に報酬ってことで。好きなやつとかある?」

「うああぁぁ!? これ、全部ですか? どうしたんですか?」

「ん~おととい二人でゲームセンターに行ったら、いっぱい取れちゃって」

 

 

「それじゃお世話になりました~」

「その箱大事に使ってね。私たちも今度来るときまでに色々作っとくから」

「期待してますね~」

 

 別れの挨拶を済ませ、アキラ君はセシルさんからもらった箱、そして数々のフィギュアを受け取って自らの家へと帰っていった。その心の高鳴りは、もう足取りを見ただけでわかる。

 今度僕たちがこの世界を訪れるまでの間、彼はあれをたっぷりと楽しむのだろうなあ……僕が同じ立場でも間違いなくそうするし。

 

 

「次はレンちゃんのおうちだね。改めてご挨拶と預けてあるやつを取りに行かないと」

「そうですね……」

「どうかした?」

「ちょっとだけ……イタズラしてみません?」



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48話 二人の悪戯

「さていよいよだけど……いけるのかな?」

「いけますって、自信ないんですか?」

「大丈夫だって。実際、たまに向こうでやってるときには街の人に怪しまれたことないから」

「なら心配ないでしょ。僕の顔でニヤつきながら髪いじってないで、早くチャイム押してください」

「はいはい、じゃあ……」

 

 母さんと父さんが住む、僕の実家。その玄関前に並んで立つのは僕とセシルさん。

 そして、そのチャイムを押そうとしている僕……を見ているのが僕だ。

 

 要するに僕たち二人は今お互いの精神を入れ替えているわけだ。

 こういったことをするのはこれが最初というわけではない。家の中でも、買い物に出かけるときでも、お互い了承の上で触れ合うだけの一瞬で完了するので、割とちょくちょく気分転換にやったりしている。

 ただ入れ替わるだけでなくセシルさんが僕と自分の身体の両方を動かしたり、またその逆で僕が両方を動かしたり、そんなことも度々だ。

 

 セシルさんの身体に入ると、自分の姿が客観的に見れてまた新鮮な気持ちになる。

 ちょっと高い視点で見る景色も普段とは違う印象を抱かせるし、何より……この胸に感じるズシリとした感触。やっぱりこれがいい。

 セシルさん、いいもの持ってるよなあ……

 

「…………来ないね?」

「そういえば、うちのチャイム少し音が小さいんでした。もう一回やってみてください」

 

 一回チャイムを押し、十数秒ほど経ったがドアが開く気配はない。聞こえていないのかもしれない。

 もう一回試してみて、来ないようなら直接こちらから行ってみようか……

 

「もう一度……」

「はい今行きますよ~」

「えっ……」

「どちらさ……あっ、何だお前か~そういえば今日までだったな」

 

 再びチャイムを押そうとしたまさにその時、ドアを開けて出てきたのは父さんだった。

 おそらくは一度は聞き逃しかけたが、かすかに聞こえたので念のため見に来たといったところだろう。

 

『ほら、セシルさん。自然にしてください』

『わかってるって……』

 

 ちょっと突然のことに心の準備が追いつかず、戸惑いを見せるセシルさんに念話で落ち着きを促す。

 とりあえず今の会話が聞かれたわけでもなさそうなので、バレてはいないはずだ。

 

「や、やだな~父さん。忘れちゃってたの? 前に言ってたじゃん」

「ああ、そうだった。うっかりしてたよ。で……どうだ、こっちでの生活は楽しめたか?」

「たっぷり楽しんだよ。美味しいものもいっぱい食べたし、たくさん本なんかも買い込んだし」

「そうか……」

 

 うんうん、上手い具合にできているぞ。今のところは完璧。

 

「セシルさんも中に入ってください」

「あっ、はい。ありがとうございます。えっと……お父さん」

 

 よしバレてない。父さんは結構こういうところ鈍いからな。このまましゃべり続けたとしても誤魔化せそうだ。

 あとは母さんだが……

 

 

「あっ、あなたたち」

「おはよう母さん。今日帰るから顔を見せに来たよ」

「おはようございます、お母さん」

 

 父さんに連れられて、僕たちは家の中に入る。そして廊下を曲がったところで母さんに出くわした。

 あまり長く話すとボロが出そうだ。さっさとやり過ごすか……

 

「届いた家電はあなたの部屋に置いてもらってあるからね」

「わかったよ、行ってくるね」

「ん……あれ?」

 

 母さんの言葉を受けて、以前家電量販店で購入した品物を僕の部屋へと二人で取りに行こうとしたとき、一度は背を向けた母さんがこちらへと向き直った。

 まずいな……早くも感づかれたか?

 

「ちょっと……待ってくれる?」

「え……何? 母さん?」

「レン……私の手を握ってみて」

「こ、こう?」

 

 母さんの言うとおりにその手を握る、僕の身体へと入ったセシルさん。

 ここまで特にこれといって怪しいところはなかったように感じたが……

 

「んん……ふふっ、わかっちゃった」

「どういうことだ? 母さん?」

「お父さん、わからなかったの? ねえ、セシルさん?」

「……はい、鋭いですね。お母さん」

 

 やっぱり……案外速攻で見つかってしまったな。

 

「えっ? だからこっちはレン……もしかして」

「そういうことだよ、父さん。こっちがセシルさん、僕たちが入れ替わってるってこと」

 

 もう母さんにはバレてしまったので、いまだ目を白黒させて状況をイマイチ把握できてない父さん答え合わせをする。

 まあ完全に信じ切っていたようだし、突然そう言われても戸惑うのも当然かもね。

 

「へ、へえ~なるほど……」

「結構早くバレちゃったね」

「そうですね。最後までいけるんじゃないかとも思ってたけど、母さんどの辺でわかった?」

「そうね~なんか微妙に仕草が前と違ってた……少し女の子っぽくなってた感じなのが違和感? あとしゃべり方が普段よりちょっと早口のような、そんな感じもしたわね」

「……全然ダメじゃないですか」

「いけてると思ったんだけどな~」

 

 とはいえ僕自身でも、正直なところあまり違和感を感じてはいなかった。それくらいセシルさんの演技は上手くいっていたわけだ。

 母さんこれなら振り込め詐欺とか絶対大丈夫だろうな……

 

「俺は全然気づかなかった……」

「多分父さんだけだったら、隠し通せたね」

 

 

「はい、これで戻ったよ」

 

 セシルさんとお互いに拳を突き合わせ、僕たちはお互いに元の身体へと戻った。

 それにしても母さん鋭いな。しかし、それ以上にこういうのは仮に違和感を覚えても、よほどの確信がない限り言い出せないものだ。僕たちならばこれくらいのことは可能だと考えが至ったとしても、実際に言い出すとなるとそうはいかないはず。

 そういうところも含め……お見事、僕たちの完敗だ。

 

「レンちゃんの部屋ってどっちだっけ?」

「こっちです。一緒に行きますよ」

「私たちも手伝う?」

「大丈夫、僕たちだけで」

 

 物をしまうと言っても、あらかじめ用意した袋に詰めるだけでいい。重いものを持つのだって僕たちの技術なら簡単だ。

 下手に手伝ってもらってギックリ腰なんかになったら困るしな……

 



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49話 贈り物と帰り道

「これで全部しまったね」

「残してるものは……ないですね」

 

 収納作業は十五分ほどで完了した。辺りを見渡しても特に忘れ物はない。元の綺麗な僕の部屋だ。

 

「もう終わったの? さすが、私たちの手はやっぱり必要なかったわね」

「だから言ったでしょ」

「お茶いれたから、こっちにきて少し休みなさいな」

 

 これでこちらですることは全て完了だ。だが乗る予定の電車にはまだ時間はある。

 せっかくだし、家族での最後の時間ゆっくりしていくか……渡すものもあるし。

 

「ちょっと待ってくれる?」

「え? どうかした?」

「母さん……これ」

「これ……もしかして私に?」

「心配かけちゃったからね、これくらいは」

 

 荷物から取り出して渡したのは、僕が母さんのために買ってきたネックレス。

 シルバーの素材を中心としたもので、セシルさんにアドバイスしてもらって選んだ一応それなりのブランドもの。気に入ってくれたらいいけれど……

 

「あんまりプレゼントとかしたことなかったし……」

「本当に……ありがとう。大切に扱うね」

 

 声を震わせながら顔を背け、涙をぬぐう母さん。どうやら喜んでもらえたようだ。

 

「それ一応おまじないをかけてあるから。元気で過ごせますようにってね」

「へえ~本物の魔法使いの作ったアイテムね」

「ふふっ、そうなるかも。でも頑張ったとはいえこっちでできるのは限度があるから、簡単なやつだけど……今度来るときにはもっと本格的なの用意するよ。母さんが楽しめるようなやつもね」

 

 僕がネックレスにかけてあるのは精神の安定を促す魔術。ややうさんくさいパワーストーンなどとは違った本当に効果のあるものだ。

 ストレスは万病の元。あんなこともありこれまで母さんは人一倍、気苦労を負ってきただろう。これからは何も心配することなく、自分の人生を楽しんでほしい、そんな思いを込めたプレゼントだ。

 

「……」

「そんな見てないで父さん。ちゃんとあるからさ」

「おっ、さっすがレン」

「はいこれ。無くさないでよ」

 

 もちろん父さんにもプレゼントはある。同様の効果を持ったネクタイピン。何がいいかと悩んだけど、やはり普段使いのできるものがいいかと思い、これにした。

 両方とも贈り物としては無難なものではあるけれど、気持ちと何より僕の七年間の成果を込めてある。絶対に金では買えない価値ある物だと自負している。

 

「ありがとうな。大事にするからよ」

 

 そういって父さんは受け取った後……かすかに震える背中を僕に向けた。

 

 

僕からの贈り物に加えて、セシルさんもお酒と味や香りをより鮮明に感じるおまじないをかけたグラスをプレゼントした。

 母さんも父さんも結構お酒は好きな方だと知っていたし、僕たちもこちらのものを飲みたくて適当にいくつか買っておいたので、その時に一緒に購入したのだろう。

 

 そしてそれから大体一時間ほど僕たちはこの二週間でのこと、そしてこの七年間のこと、以前泊まったときでは話せなかったことも含めてたくさんのことを語り合った。

 

 でもそんな楽しい時間は過ぎるのが早いものだ。

 そうして……

 

「それじゃあなたたち、お正月くらいにまた一回こちらに来るんでしょ」

「うん、そのつもり。だからそんなに心配することないって」

「そうね……でもやっぱり」

「わかってるよ。寂しくなったらあげた写真でも眺めてて」

 

 母さんにあげた写真。僕たちとの再会が間違いなく現実のものであることの証明。

 セシルさん、こっちで新しいカメラも買ってたし、また来るまでの間にたくさん撮ってきてあげようかな。

 

「それではお母さん、お父さん、お世話になりました」

「セシルさん、こちらこそありがとうございました。これからもお付き合いよろしくお願いします」

「もちろんですよ」

 

 

「ポカポカして、気持ちいいですね……」

「そうだね~」

 

 来たときと同様に電車に乗って、路線を乗り継ぐ。

 途中で下車をし、前もって調べておいた感じのいい池の周りを散歩したり、おやつを買って食べ歩いたり、そんな少し無駄な時間を楽しみながら、僕たちは二人での旅路を行く。

 

 

「あとどれくらいだっけ?」

「一時間半くらいですかね」

 

 最初の路線まできて、この世界での時間もあとわずか。

 既に夜のとばりが落ち、文明の光が見え始めた街の風景を、揺れる車内の窓から眺めながらそんなことを考える。

 

 

「細かい場所は大丈夫ですか?」

「バッチリバッチリ、ちょっと時間かかるから待っててね」

 

 初めの駅、道、そして森。二週間前、ここを通ってきたことを昨日のように思い出す。

 木々をかき分け進む中、セシルさんは最も術式の展開に適した場所を探していった。

 

 

「準備完了だよ。じゃあ行こうか?」

「はい、わかりました」

 

 目的の場所に着き少しして準備を終える。僕も手伝おうかと声をかけようとしたが、その気遣いは無用だったようだ。

 そういって僕は名残惜しく一つ深呼吸した後、荷物を持ち円の中に入る。

 

「いいですよ」

「いくよ……えいっ!」

 

 そうしてセシルさんが世界を移動するため、別に確保しておいた魔力塊を持ち、杖でその足下をたたいた瞬間、来たときと同様のまばゆい光が僕たちを包み込んだ。

 

 

 

「終わり……ですか?」

「大丈夫、ちゃんと戻ってこられたよ」

「ふむ……じゃあ」

 

 すぐにその光は消え、僕たちはほんの少しだけ先ほどより違和感を覚える森の中にいた。だがやはりその移動は一瞬のもので、どうにも別の世界へ来たという感触がイマイチわかない。

 それならば……と

 

「えいっと」

「おお、上手い上手い」

「確かに戻ってこれてますね」

 

 かすかな風の音しか聞こえない静寂な森の中に、パチッと小さい音が響き渡る。僕は持っていた指輪の魔力を使わずに、小さな魔力弾を目の前にたまたま落ちてきた木の葉に向かって杖の先から放った。

 そして問題なく弾は放たれ、小さな葉はさらに小さな穴を中心に開けてヒラヒラと舞い落ちていった。

 

 ちゃんと魔術は使えるようだし、僕自身の腕が鈍ったりもしていないな。

 

「もう結構遅くなっちゃったね」

 

 その言葉通り、既にもう辺りは真っ暗、ここは人家もない森の中なのでなおさらだ。

 とはいっても何の問題もなく見えるからそれは別にいいのだが、今から帰って、それまでにはもう深夜と呼べる時間になっているだろう。

 

「ですね。まあ……ゆっくり行きましょう、急ぐことはないですよ」

「そうだね」

 

 そんなことは仕方ないとお互いに顔を見合わせクスリと笑い、僕たちは夜の森を歩き出した。今日は家に帰り、お風呂でゆっくりと疲れを癒やし、ベッドでぐっすりと眠る。

 まるでいつかあった、家族で旅行から帰ったきた日の夜のように。

 

 そうして……また明日から僕たちの楽しくも不思議な生活は始まるのだ。

 



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50話 ある日の魔女たちの日常

「……ずいぶんと強めに降ってきちゃいましたね」

「こんなに降るなんてね」

 

 昼下がりの森の中、一際大きくうっそうと葉の茂った木の下に立つ僕たち。お互い予定がなかった今日、ピクニックがてら簡単な探検や植物の調査などをしてきたその帰りだ。

 先ほどまで夏らしい汗ばむくらいの陽気と日差しであったが、今はザアザアと音を立てるほどの雨が降りしきっている。

 ほんの直前までは小雨程度だったが、一気に降ってきちゃった……

 

「雨具とかは……」

「ないね。降るとは思ってなかったから」

 

 科学の最先端たる気象衛星とコンピューターを使った天気予報には及ばずとも、一応僕たちもある程度天候を観測、予測する術はある。しかしこんなに突然降られちゃそれも無理。

 てかこれじゃ天気予報でもあんまり意味ないだろう。向こうからな~んか怪しい雲が近づいてきてるなあ……とか考えてた矢先のことだったし。

 

 リアルタイムで見るやつだったら、まだいくらかは対応できたかもしれないけど……無い物ねだりしても、ましてや降ってきた後にそんなこと考えていても何もない。

 

「向こうだと衛星とか使っての予報とかあったよね。でもああいうの使っても、こんなに急にこられちゃ無理かな?」

「僕も今同じこと考えてました。完璧には無理でも近いことは……さらに進歩すればもっとよくなっていくんじゃないですかね」

「じゃあ、そのうち私たちも挑戦してみようか。あって困る技術じゃないしね」

 

 それは言えているな。こういった遠出をすることは結構あるし、僕自身普段の生活の中で気にならないといったら嘘になる。

 

「でも……そのまま、真似しちゃできないでしょう。どんだけ金や資材や時間がかかるんだって話です。でも……」

「私たちなりのアプローチでいけば?」

「……楽しそうですね。今やってるのが一段落して、時間が出来たらやってみましょうか」

 

 今僕たちがメインで進めているのは、並行世界の干渉に連なる世界のルール、物理法則をほんの少しいじる魔術。重力というこの世の理から外れる術。

 要するに今度実家を訪れたとき、母さんに乗せてあげる予定の空飛ぶホウキの制作だ。

 

 もう少し手こずるかと思っていたけど、やってみたら案外すんなりいっている。完成も時間の問題。

 それどころか向こうの世界に存在する飛行する乗り物全てを、凌駕することすら既に視野に入れている。

 

 まあそもそも、ホウキである必要は一切ないし、セシルさんもそんな話があるのはあの世界だけと言っていた。確かに人が乗るものではないけど……なんとなく絵になるから、これまで魔法使いの象徴として語り継がれてきたのかな。

 

 とりあえず今度持って行く用に試作品として一つ作ったら、それをベースにもっと機能性のいいやつ、快適なやつを作っていこうか。こういうのもまた、あって困るものではない。

 さっき話してた天気予報も観測するものを同じ技術で一カ所に固定して……いろんなことが想像できる。

 

 

「それで……とりあえず、どうします?」

 

 そうしていつか目を向ける目標の一つについて語り合った後、今の状況について考える。

 もしこのままずっとやまないようであれば、このまま行くという選択肢もある。雨具なしでも大丈夫な魔術もあるわけだし……

 

「ん……少し休んでいこうよ。この子たちも疲れたでしょ。なにすぐにやむよ。向こうの方、明るいしね」

「そうですね、それがいいです」

 

 僕たちの隣でセシルさんが荷物から出した特製の容器に入った飲み水を飲むのは二頭の馬。僕たちの大切な愛馬だ。

 今日は雨が降るまで暑かっただけのことはあり、それなりに疲労しているだろう。せっかくの機会だ。雨宿りも兼ね、休んでいくのもやぶさかではない。

 

 それにセシルさんのいった通り、ここら辺は雨雲がかかっているけど、遠くに見える方は雲の隙間から柔らかく日が差している。

 この雨雲が通り過ぎるのにそう長くはかからないであろう。

 

 

「ねえレンちゃん。こういうのって、向こうだとゲリラ豪雨とかっていうんだっけ?」

「ああ、そう言ったりもしますけど……」

 

 木に寄りかかっていたセシルさんがふと思い出したように口を開き、そう僕に問いかけた。

 確かに最近は突然の大雨をそんな風に呼んだりする。その言葉の発端や是非はともかく、既にあっちでは一般的に浸透した概念だろう。

 でもなあ……

 

「僕はそれあんまり好きじゃないんですよね。それにこれくらいじゃ、そうやって呼ぶにはちょっと弱いくらいの雨だと思います」

「ふ~ん、じゃあこういう雨をなんて呼んだらいいかな?」

「そうですね……『夕立』とか?」

 

 少し悩んだが、考えてみればこの状況にぴったりの言葉だ。

 実際に夏の季語にもなっていると聞いたことがあるこの言葉だが、そう感じながら空を見るなんて案外初めての経験かもしれない。

 

「うんいいね。凄く美しい言葉というか……上手く言葉にしにくいけど……」

「僕も好きな言葉です。風情がありますよね」

「ああ、それだ。その感じだよ」

 

 木にもたれかかりながら、僕たちはそんな言葉を交わす。そうこうしているうちに、さっきよりかは雨が弱まっていくのが感じ取れた。

 

 

「少し上がってきましたね」

「うん、もうじきだね……あ、そうだ。忘れてた」

「ん?」

 

 セシルさんが思い立ったように、なにやらポケットをごそごそといじり始めた。どうしたのかと声をかけようとしたが……

 

「はい、これ。なめていいよ」

「へえ~手作りしたんですか?」

 

 手渡されたのは、小さな紙に包まれた丸い形の手作りの飴であった。思い返してみれば、ここに来る前にキッチンで何かを作っていた。お弁当は既に用意してあったので、何だったのかと不思議に思っていたがこれだったのか。

 ちょっと手持ち無沙汰になってきたところだったので、これはうれしい。

 

「あ、おいしい。ちょっとしょっぱくて……塩飴ですね」

「よかった。今日は暑かったし、塩分は大切だからね」

 

 早速紙から出して、一つ口に入れる。コロコロと口の中で転がすと、最初に甘い味、そしてすぐにほのかなレモンの風味と塩の味を感じた。

 

「うんうん、おいしい」

 

 セシルさんのも同様に飴を舐め始める。そういえば、こういうのを作るのは初めてのはずだ。

 

「向こうで買った本のレシピ見ながら作ったみたけど、初めての割に結構上手くいったね」

「甘さとしょっぱさのバランスはいい感じですね。ただもうちょっとレモンの香りが強くてもアリかもしれないです」

「う~ん、そうかもしれない。今度はちょっと果汁増やして、教えてる子たちにも作ってあげよ」

「いいですね、喜んでもらえると思います」

 

 

「んん……いいかな」

「そろそろ頃合いですね」

 

 その後も適当な話を続け、気づいた頃には雨はすっかり上がりここら辺にも日が差し始めた。

 先ほどよりもずっと気温は下がり、ほのかな雨上がりの草の香りを運ぶ適度な風も吹いている。気持ちのいい帰り道になりそうだ。

 

「もう大丈夫?」

「……」

 

 動物との意思疎通の魔術と共に、先ほどより幾分か体温の下がった自分の馬に触れながら問いかける。

 すると体を寄せ付けながら同意の意思を返してくれた。ちゃんと休めたようだな。

 

「よいしょっと……」

「あ、レンちゃんあれ見て」

「え? 何ですか……」

 

 そうして荷物を持ち、馬の背にまたがった僕に対して少し先に進んでいたセシルさんが急かすように僕を呼んだ。

 その言葉に乗せられて森の外、輝く日の光に雨の名残の水滴を輝かせる草花が一面に広がる草原に出て見えたのは……

 

「すごい……」

 

 それは僕がこれまで生きてきた中で初めて見るような、大きな大きな虹であった。

 遠くのなだらかに広がる丘から伸びるようにして、見上げた空に鮮明な七色の巨大なアーチが架かっていた。

 

「そうだよね、ここまでのは私もかなり久しぶり。それに誰かと一緒に見たのなんて……いつ以来だったかな?」

「セシルさん、一人の時間長そうですしね。こういうのは共感できた方がずっと楽しいですし」

「うんうん、でも今は……いやこれからもか、こうしてレンちゃんがいてくれるわけだからね」

「……ふふっ、そうですね」

 

 ちょっと照れくさく感じながら小さく返事をした僕は、新しい飴を口の中に入れる。

 そして眼前に広がる美しい情景を……僕たちは足を止めてしばらくの間眺めていた。

 



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