後天少女の異能使い(ストライカー) (たこふらい)
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序章 査定外の異能使い Make_Up_Striker.
1話:目下逃走中 >稲原イズナ


 人類は進化した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()』をきっかけに空いた世界の穴。そこから溢れ出した異界の法則。人類に与えられた新たな機能。世界各国で次々と出現した超常現象を操る人々。

 あるいは火。あるいは水。あるいは風。あるいは。古今東西様々なものを己の手足として扱う能力。

 脆弱な肉体を強靭な兵器として練り上げ、その身から『武装』を生み出す能力。

 

 それらは総称して『異能(ストライク)』と呼ばれた。

 

 小説や映画の中にしか存在しなかったファンタジーがおよそ数十年で当たり前のものとなった。

 そして今や、『異能』は人間社会そのものを大きく変化させてしまっていた。

 

 異能を悪用した凶悪犯罪、テロの増加、戦争。

 それらに対応するために政府が国中から異能を使える人間──すなわち『異能使い(ストライカー)』を集め、作り上げた組織『ディフェンサー』。

 首都圏防衛のために作られた大規模要塞都市。通称『ホライゾン』。

 

 既存の戦力を根底から否定するほど圧倒的な力で世界のパワーバランスの一角を握った異能に対して、追いすがるように急速に発展した科学。

 技術革新技術革命。

 新たな法則である『異能』を『科学』は受け入れ、また『異能』は『科学』を受け入れた。

 

 そして異能と科学。嚙み合わないはずの二対の歯車。二つの相反するテクスチャが融合した景色へと、世界は変わっていった。

 

 

 

 

 

 

>>>稲原(いなばら)イズナ

 

 

 

 時間はちょうどお昼時。

 見上げた青い空が小さく見えるほど高いビルが立ち並んだ裏路地を縫うようにひた走る。

 周囲はほぼ壁で風通しが絶望的、直上から差し込む忌々しい太陽は建築物で遮られているとはいえ熱帯のような蒸し暑さを感じる。肌に張り付いたシャツの感覚が気持ち悪い。

 オマケに、ビルや床、目に入る建築物のほとんどがやたらとのっぺりとした黒一色。隅やら端やらに張り巡らされた微妙に光っている謎の蛍光色パイプ。トリックアートでもうまくやっていけそうな貫禄を持つ外装のせいか、方向感覚が狂いに狂い、今自分がどこに居るのか、どこに向かえばいいのかすらわからなくなってしまった。

 決して自分が方向音痴なせいではないはずだ。きっと。

 普段通学路に利用している道は、『いついつどこで、どんな人が通るか』程度までおおよそ把握できるほど見知っていると豪語できる。が、一本違う道、少し奥まったところに入り込んだだけで、見知った景色からまるで異世界にでも来たかのように街並みがガラッと未知のものに変わった。

 周囲は『科学』で囲まれているはずなのに、鬱蒼としたジャングルに足を踏み入れてしまったような気にさえなってくる。

 つまるところ、絶賛迷子中というわけだ。

 

「だぁーーーッ! どーなってやがんだこの街は!?」

 

 思わず獣のような咆哮を上げる。

 案内もない。人も居ない。ないない尽くしの不親切なSFチックコンクリートジャングルに対して───ではない。

 具体的にあーだこーだ言おうと思えばいくらでも文句は出てくるが、一番に言いたいことはそんなことじゃない。

 

 走りながら僅かに振り返る。

 

 人は居ないなんて言ったが、実はそれは間違いだ。正確に言えば道案内でもしてくれそうな親切な人が居ない、だ。

 

 路地。その角から顔を出したのは、いかにも『顔を見られたくないことをしてますよ』って自己紹介を始めそうな黒フードを着込んだ人間。

 それがざっと5人ほど。

 手には金属製のバットやら、高圧スタンガンらしきゴツゴツしい機械やら、物騒なものがわらわらと。少なくとも、たった一人の平凡男子高校生に向けるには過剰なまでの武器が握られている。

 間違って道案内を頼んだ日には親切心で病院か墓場へ連れていきそうな連中だった。

 

「なぁ! なぁオイって! ちょっと話し合おうぜラブアンドピースラブアンドピース!」

 

 必死な命乞いに対して黒フード達は無言で答えを返してきた。

 それどころか手近なものを叩き壊して『次はお前がこうなる番だ』的な威嚇までしてきた。

 

 人類の叡智たる対話を忘れてしまったのかこの脳内世紀末野郎達は!?

 

 世知辛さに少し涙目になる。『世界で最も安全な要塞都市』の謳い文句はきっと家出でもしているに違いない。

 

「ツイてねぇよ、ほんと……っ!」

 

 吐き捨てる。

 こういうときばかりは異能が使えない自分に文句の1つばかり言いたくなる。

 

 上を眺めてみれば空を飛んでる女子高生。テレビを見てみれば明らかに自然現象ではない風だの水だのを撒き散らして演出している今流行りらしいアイドルグループ。先程は銀行強盗でもおっぱじめようとしてたのか、両手に炎を持った強面のおっさんが秒で小学生ほどの身長の女警備員に叩きのめされていたり。その他色々。

 

 一般社会まで浸透した異能使い(ストライカー)たち。彼らのような超能力者であれば、炎で焼やしたり、水で押し流したり、空気の刃で切り刻んだり。あるいはアニメ(フィクション)のスーパーマンじみたフィジカルで斬った張ったの大立ち回り。暴漢集団相手でも怖くないのだろうが、生憎とそんな見せ場は一切ない。不良だか何だか知らないが、そんな集団相手に10分も無様に逃げ回れたのなら、平凡やや下あたりが定位置な一男子高校生にとっちゃ大金星として表彰を貰ってもいいだろう。

 

 実のところ、自分の異能が使えない理由だってそんな大したものじゃない。

 端的にいってしまえば、ただの才能不足の四文字で足りてしまうような陳腐なそれだ。

 人類総人口のおよそ3割。この異能と科学の街『ホライゾン』だけでも10万人以上いるとされる異能使い、そのすべて全員が一騎当千の実力者になれるとは限らないということだ。

 

 自分がその栄えある3割、異能使いとしての適性があったのは良いことだったのか悪いことだったのか。いや、現状を見るに悪いことだったのかもしれない。今じゃ才能と呼ばれるものが数値グラフ図形に諸々、目に見える形で表現できてしまうほど科学が発展した社会だ。学校の健康診断感覚で計られたオレの才能容量(キャパシティ)とやらは、今逃げ回っているこの状況から押して図るべし、だ。

 最低限の適性だけ与えられ、一般人と異能使いの境界をフラフラしてるよりはいっそ全くの才能無しだったほうがきっぱり諦めもつけられたのかもしれないが。

 

 異能が使えるならさっさと使ってるし、こんなリアル逃走中なんかしたくない。なんならヤンキーに襲われそうな女の子を颯爽と助けた後にいい感じにチヤホヤされてお付き合いでもしてみたいところだ。なお現実は甘くない。

 多対一の強制鬼ごっこは命がかかってるし、チヤホヤしてくれる女の子なんていないし、異能なんてものは万人に平等に公平に与えられた便利な力なんてものではない。

 世の中にはそれこそ一人で軍隊と渡り合うような実力者や、海を割るほどぶっ飛んだ異能使いも居るらしいが、それは頂点のうちの頂点。底辺異能使いには程遠い話に過ぎない。

 

 ツイてねぇ! と今度は心の中で呟く。

 今日は待ちに待った金曜日。『学園』の改装工事ということで早々に帰路に着けた帰り道。授業がみっちり詰まった学校生活に勢いよく別れを告げ、普段は通らない裏路地でショートカットを決めようとしたからバチでも当たったのか。

 

 不用心に首を突っ込んだ通路にガラの悪そうな黒フード達がたむろしていた挙句、一斉にこっちを見て来た挙句。挙句挙句、挙句の果てにその全員が武器を持って追いかけてくるなんて、一体誰が予想できるんだ!?

 

 喧嘩を売った訳でもない。謎の取引現場を見かけた訳でもない。ちょいと顔を突っ込んだだけで、脛に傷がありそうな集団に追いかけられる理由(ワケ)の心当たりなんて全くない。

 

 これはあれか。

 験担ぎに引いた大吉のおみくじとか、2本連続で当たった棒アイスとか、そんなちょっとした幸運の揺り戻し的なあれか!?

 

 くそ理不尽じゃねぇか!! と再び絶叫したい気持ちに駆られるが、それで何か変わるわけではない。この状況を打破するために何とかする必要がある。具体的にはいい感じにオレの隠された力が目覚める的な覚醒イベント(ノープラン)とか。

 こんな休日直前の最高な日に、ボコボコのボロボロのボロ雑巾みたいにされて地面に転がされるなんて惨めな週末は過ごしたくないに決まってる。

 

 休日への思いを糧に灰色の脳細胞を光速で回転させながら、日光とヒートアイランド現象で信じられないほどの熱気に満たされた空気を引き裂いて走り続ける。

 

 そして全力ダッシュでブレた視界に漠然と探していた使えそうなものが映り込んだ。

 ひっそりと、壁の配色に埋もれるようにビニールカバーで覆われた一塊の山。

 

 異能と科学の総本山、『ホライゾン』では区画ごとの開発、その優先順位はまるで碁盤の目の如く厳密に決められている、と発表されていたがどうやら本当のことだったらしい。今まで生活していて全然気づかなかったが。

 まるで見えない壁で区切られたように壁を走っていたパイプが途切れ、ひと世代ほどタイムスリップしたかのように少し古い建物が増えたころに、『それ』を見つけて閃いた。

 

 作戦はこうだ。

 通り過ぎる瞬間にいい感じに『それ』を通路にぶちまけていい感じに逃げる!

 これ以上ないくらい完璧な作戦だ。きっと特殊部隊でも採用されるに違いない。

 

 

 自分に言い聞かせながら手を伸ばす。

 実際問題なんでもよかったのだが、この炎天下の中放置されているところを見るにどうせ発注ミスかなにかで管理しきれなくなった廃棄品の不法投棄だ。誰も気にやしないだろうと、誰に言われたわけでもなく心の中で言い訳をして。

 中身が入ったまま壁に沿うように積まれた『それ』―――埃を被ったボトルクレートの山。追い抜きざまにその取っ手に手をひっかけ、

 

「どっりゃあああ潰れろおおおお!!!」

 

 叫びながら黒フード達の方へ押し付ける。

 反撃を予想してなかったのか、黒フード達の驚く声と怒声が聞こえたが、努めて無視をしながら更に体重を掛けて押し倒す。

 

 こっちだって正当防衛だ。恨むならオレじゃなくて自分達を恨めこの野郎!!

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる声。がらがらと勢いよく崩れる音。

 迫っていた物騒な雰囲気ごと、不法投棄の山に埋め尽くされ、やがてシンと静まり返った。

 

 

 

「…………………………………………、へっ、ざまーみろ」

 

 

 

 ほっと一息つき、震える手で額の汗を拭う。

 正直なところ、潰れろなんてあからさまに叫んだのは『まぁビビって逃げる時間が稼げたら御の字かなぁ』なんて思ってたのだが、なんだか予想以上にうまくいってしまった。ちょっと本気で潰れてないよな? 生きてるよな? なんて不安になる。

 

 端から飛び出した黒フード達の手足がもぞもぞと芋虫のように動いているのを見て少し安心した。

 怪我の一つや二つは平凡で善良な男子高校生を追い回した罰として受けてほしいが、さすがに取り返しのつかないような大怪我でもしてたら後味が悪すぎる。

 今は埋もれて動けなさそうとはいえ、さすがにこのまま放置するのはいろいろな意味で怖い。具体的には夜道とか。

 

 危機を脱し、少しずつ息を整えながら黒フード達を観察する。

 服装や装備を見る限りホームレスがその日の食い扶持のために徒党を組んで襲ってきた、なんてことでは無さそうだが襲われた理由を考えても仕方がない。そこは司法の仕事であって高校生の出番ではない。早いところ警察に引き取ってもらうっていうのが最も安全であり、ベストな選択肢だ。下手に拘束しようとして刺激して地雷を踏むのはごめんこうむりたい。

 

 女の子なら話は別だけどな!!

 

 女子とのコミュニケーションに飢えたDK(男子高校生)を舐めるな。襲ってきたのが女の子なら本望です! って拝みながらボコボコにされたがるのが哀れな男子高校生という生き物なのだ。

 

 もっとも、今回追ってきた連中は普通に全員むさくるしい男だったが。大吉だろうとアイスが二本当たろうと女子運はからっきしらしい。

 

 

 

 と、そこまで考えて周りを見渡す。

 第六感だとか、第三の眼だとか、そんな特殊能力なんて持ってないが、それでも感じる違和感。机の上に確かに置いたシャープペンシルを見失ったかのような……そんな気持ち。

 

 人が居ない。

 これだけ騒げば付近の人が一人二人は顔を出してきそうなものだが、そう言った気配がない。

 それどころか、おそらくは壁一枚挟んだ先にあるはずの居住空間。その先から聞こえるはずの物音。人が居れば必ず聞こえるだろう生活音が一切聞こえない。

 自分の呼吸音と、黒フードたちが藻掻いてる音だけが静まり返った通路に響く。

 

 じっとりと嫌な汗が吹き出る。

 なんだか自分の知らないところで自分が関係する何かが動いているような、漠然とした感覚が背筋を這う。

 

(再開発でここらへんはゴーストタウン化してるんだったっけ……?)

 

 暇そうなニュースキャスターがやってる朝のニュース番組で見たような気もする。しかし再開発で住人を別の区画に追いやっていたとして、それでも大都市『ホライゾン』の一部だ。街全体が静まり返って、人一人見掛けない、なんてことがあるのだろうか?

 

 まぁそれはそうとして、と思考を切り替える。

 思考に没頭してるうちに黒フード達が脱出してきてリアル逃走中第二部が始まるのはこりごりだ。さっさと通報して帰ってしまおうと、立ち上がる。

 どうにも引っかかる感じがぬぐえないまま、親から無理やり持たされた型落ち薄型端末を取り出す。

 薄型と言いつつ、現行のモデルと比べやや厚い筐体のこれは頑丈さだけが売りなだけに少々の使いづらさを感じる。まぁ、使えればいいかと電源ボタンを押す。

 

 ジャラリ、と金属が擦れる音が聞こえた。

 

 反射的に振り返ろうとして、

 

 

 

「―――えーいっ☆」

 

 

 

 女の子の声。そう認識したころには既に手遅れだった。

 

 ホラーゲームのドッキリイベントなんかよりも遥かに唐突に、ほんの少しも備える隙を与えず、つかの間の安心は完全に粉々に破壊された。




 性転換タグ、TSタグ要素が出てくるのは2話ほど後になります。お待ちください。


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2話:放火魔注意報 >稲原イズナ

 ゴンッ!! という轟音が炸裂する。

 大型トラックが突っ込んできたような衝撃と共に、視界が流線型の図形で覆い尽くされる。

 よどみなく流れていた意識に空白が勢いよく差し込まれる。

 ザリザリザリリ!! と体がアスファルトと擦れる音が四方八方から聞こえた。

 

 何かにぶつかり弾みながら止まった体は、まるでスイッチを切ったかのようにあらゆる感覚が麻痺していた。

 ギシギシと。放置されて錆びついた金属のように軋みを上げる体で、辛うじて動いた首を傾ける。

 真っ赤な少女が立っていた。

 ファンタジー映画で魔法使いが着てそうな、血のように真っ赤なローブ。首元にはマフラーのように巻かれた鎖型のシルバーアクセサリー。伝線したタイツで覆われた片足を前に上げ、プラプラと揺らしている少女が立っていた。

 そこでようやく、自分が少女に蹴り飛ばされ十数mをバウンドしながら転がったのだということを認識した。

 

「ごがっ、ぐげっ、ぶ、がァあああああああああ!?」

 

 今更思い出したかのように神経が激痛を伝えてくる。

 全身くまなく鑢をかけられたかのような痛みと、未だに少女のつま先が突き刺さっているんじゃないかと錯覚するほどの腹部のダメージが、一瞬で痛みの許容量の限界を超える。

 処理しきれない感覚に思考が沸騰し、硬直し、ただ地面でのたうち回る以外の選択肢を根こそぎ奪っていく。

 

「もー、『異能(ストライク)』も使えないよーな相手に時間かかりすぎだよ。あげくに返り討ちとかマジありえないんですけど。おかげであたしが動く羽目になったじゃん、ねぇ。───お仕事もまともにできねーのかコラ、かわいいミンチにしてやってもいーんだぞ?」

 

 週末の予定を話し合う女子高生のように軽い口調から、剥き出しのナイフのように背筋が凍りそうな言葉が飛び出す。

 会話、と呼んでもいいのだろうか。不法投棄の山から這い出してきた黒フード達へと一方的に投げつけられたその言葉は、内容だけで言えば高校生同士のたちの悪い冗談としてでも聞きそうなものだが、それに込められた感情はナイフで氷の塊を強引に傷口にねじ込むような、ゾッとするほど冷たいものだった。

 

 

 

 ぐるぐると回る視界の中、心臓の鼓動に合わせて鋭く痛む腹部を押さえる。急速に湧き上がる吐き気と赤黒い鉄の味と共に脂汗が垂れ落ちる。

 幸い、骨は折れてないようだが、それがわかったところで今の状況じゃ気休めにもならない。

 

 目が追いつかないほどのスピード。頭1つ分ほど身長が高い、体格で勝るはずの自分を軽く蹴り飛ばすほどの膂力。

 そして少女の全身を覆う、瞬きすれば消えてしまいそうな、しかし確かな力を感じさせる燐光。

 理論よりも直感で理解する。

 

(身体強化(ギアチェンジ)!? くそっ、異能使い(ストライカー)か!)

 

 最悪だ、と歯を食いしばる。

 

 『身体強化(ギアチェンジ)』。

 『異能』と呼ばれるものが司るものの1つ。

 異界の法則に適応した人類が持つ特殊な臓器から生成された超自然的なエネルギーを用いて強化された肉体は超人と化す。 

 刃を通さず、鉛弾を弾く。素手で金属をねじ曲げ、アスファルトを踏み砕くなんてわけないほどの肉体へと強化してしまうのが『身体強化』。

 一般人と異能使いは『身体強化』の有無それ1つだけで隔絶された戦力差が生まれる。傷一つで死が近づくようなシビアな世界観のドラマにアメコミのヒーローが殴りこみをかけているようなものだ。

 異能を使えない一般人がいくら最先端の銃火器を揃えたところで、通常兵器では『身体強化』を施した肉体に傷一つさえつけられないというのが大きな理由。

 『身体強化』をした異能使いに有効打を与えるためには同じく『身体強化』をしなければまず、勝ち目はない。

 それが異能の『法則(ルール)』であり、身体強化が使えないオレが抵抗する術はないという証明だった。

 

 Q.なんで異能使いは強いの?

 A.なぜなら異能使いだからです。

 

 なんてことを地で行くやつに、ほぼ一般人である自分が自力でなんとかしようと考えることすら無謀なのだ。

 

 襲撃。痛み。少女。異能。異能使い。

 ひたすら思考を回す。自分をいつでも殺せる猛獣と1対1という状況から湧き上がる恐怖を誤魔化そうとして、誤魔化しきれなかった動揺がカチカチと歯が鳴る音で溢れる。

 

「あん、何ビビってんのぉ? 何が何だかわかんねーって顔しやがって」

 

 薄暗い路地でもはっきりと表情がわかるくらい、悪辣な笑みが少女に浮かぶ。

 日常から唐突な非日常。理解不能な疑問と驚きを口から吐き出そうとするが、引き攣った喉が勝手に声を呻き声に変換していく。

 

「ぎっ、ぐっ…………て、テメェ……!」

 

「その顔だよその顔! もしかして()()()()()()()()()() とか()()()()()()() とかクソつまらねーこと聞く気じゃねーよな? だとしたら頭の回転100年おせーんだよ」

 

 硬質なケースを取り出して少女は笑う。

 ぱかりと開かれたケースの中に納まっていたのは、釘打ち機───のような見た目をした注射器。釘の代わりに細い針があり、取り付けられたアンプルには得体の知れない液体がゆらゆらと揺れている。

 

「わざわざ説明してやる必要もねーが、迷える子羊野郎に初回限定サービスで教えといてやるよ。これは『テスター』。喜べよ、記念すべき何百人目かのモルモットだぜ? ま、学者さんが何を考えてこんなの作ったのかまではあたしも知らねーけど。これを今からてめーにぶち込む。当然、拒否権なんてもんはないから大人しくしろよー」

 

 わざとらしく大きく肩を竦めて、端からまともに説明する気などないとでも言うように、少女はニヤニヤ笑いを深めた。

 そして、ガシッと背中が足で押さえつけられる。

 足を払おうとするも、びくともしないどころか更に圧力が高まり、ミシミシミシ!! と嫌な音が体の中で反響する。

 

 なんだあれは。どういうことだ。なんでオレが!?

 

 ぐらぐらと未だに揺れる視界の中、まともな抵抗も出来ずに焦燥と恐怖ばかりが募っていく。

 

「が、ひゅ、や、やめろ……ッ!」

 

「どーしよっかなー、んー? でもだぁめ☆」

 

 ぷす、と首筋に僅かな痛みが走る。

 数瞬遅れ、じわりと体に異物が注入される嫌悪感。

 

 そして、身の毛がよだつ『症状』が襲い掛かってきた。

 

 強烈な吐き気と灼熱。

 体の内側で何かがゴリゴリと音を立てて変質していくようなおぞましさ。

 首から一本、背骨の中を通すように針金をねじ込んでいくような感覚。

 先ほどとはまるで別種の痛みに体が意思とは関係なく硬直し始める。

 チカチカと視界が明滅する。

 肋骨を内側から突き破るかと思うほど心臓が大きく拍動する。

 

「…………んー、外れかな? まーいいケド。目的は果たした。『ブリッジ』まで運んじゃってー。あたしらの仕事はそこで終了。()()()()()()()()()()、さっさとやっちゃって」

 

 無言で黒フード達が近づいてくる。

 まるで人としての扱いを考えていないかのような、乱暴な仕草で体が持ち上げられる。

 もはや逃走だとか通報だとかそんなレベルじゃなかった。

 何をされるのか。どこへ行くのか。

 混濁した意識の中、必死に思考を繋ぎ止めて考えても脳内が導き出す答えは不明の一点張り。

 

 ―――と、自分を持ち上げた黒フードの動きが止まる。

 

「…………どーしたの?」

 

 少女の怪訝な声が路地に響く。

 黒フードたちは全員、一点を見つめているようだった。

 視線の先、つられてそちらを見る。

 そこには一人の女が立っていた。

 

 腰まで伸びた黒髪を一つにまとめ、ローヒールのブーツを履き、どこかくたびれたスーツを羽織った女がそこに立っていた。

 僅かに俯き影になったその顔から、表情は読み取れない。

 

 傍から見れば通報待ったなしの事件現場だ。まともな人であれば近づきたくないだろうし、関わりたくもないだろう。

 しかし、野次馬根性か、あるいは腰を抜かしているのか。理由はわからないがスーツの女がこの場を離れる様子はない。

 

「もー、一人も入れるなって言ったのに。……おねーさんさー、今こっちはちょーっとばかしお取込み中なワケ。誰にもこのことを言わないでそのまま回れ右するなら見逃してやるからさー、どっか行ってくんない?」

 

「………………………………、」

 

 無言のままの女に苛立ったのか、少女のこめかみに青筋が走る。

 

「あっ無視? そーですかそーですか」

 

 少女は、まるで吹奏楽団の指揮でもするように右腕を上げ、

 

「―――形成開始(セット)

 

 詠唱(フレーズ)と同時に、ボッ! と物理法則を完全に無視して、オレンジ色の炎が湧き上がる。

 迸る炎は勢いを増し、少女の右手を覆いつくし、凝縮し、弾け飛びながら右手にひとつの形を作り出す。

 その右手の中には炎と同じ色、灼熱に染まったレイピアが獲物を貫かんとメラメラ輝いていた。

 

 『異能を用いた武装の創造』。

 剣、槍、斧、弓、薙刀、矛、etc。

 個人によって様々だが、あらゆる武器の形をとって顕現するそれは異能使いの象徴だ。

 身体強化された肉体同様、通常兵器では傷1つ付かないそれは単純な武器としても、異能を扱う際の触媒としても使われる。

 

 ピッ、ピッ、と。炎に包まれながら傷1つない細い指先で掴まれた細剣が指揮棒のように振れる。

 オレンジ色の軌跡は消えることなく空中に残り、ゆらゆらと陽炎が立ち昇る。

 全身が総毛立つほど込められたエネルギー。にもかかわらず、スーツの女は動かない。

 たまらず逃げろ! と叫ぼうとし、

 

「じゃあ死ね」

 

 轟! と、内側から弾け飛ぶように軌跡が爆発した。

 放たれた爆炎は、通路を埋めつくし、オレンジ色の津波のように襲いかかった。

 スーツの女までの距離およそ25m。進路上にあるものすべてを焼き尽くして余りあるその火力に、最悪の結末は容易に想像できた。

 アスファルトを焦がし、壁につけられていた室外機を溶かし、空気を燃やし尽くし。

 炎と黒煙が無慈悲に、限りなく暴力的に、一片たりとも抵抗を許さずスーツの女を飲み込んだ。

 

 

 

「―――うそ、だろ」

 

 

 

 鼻につく煙の匂いがやけに気持ち悪い。

 今まで、辛うじて保っていた何かの一線が、頭の中で音もなく崩れ落ちたような気がした。

 目を逸らすこともできない光景に視界がどんどん遠ざかっていく。

 

 死んだ。

 今まで会ったこともない。会話を交わしたことも無いただの一般人の女性が目の前で炎に包まれた。

 たったそれだけで、明確に感じ取れる『死』。

 

 ―――冗、談、だよな?

 

 震えた声で零れた言葉に返事をする相手は居ない。

 『これ、実はただのドッキリなんだ! どう? びっくりした?』なんて誰かが言ってくれるのを待っても、答えはいつになっても返ってこない。生存の可能性、僅かな希望さえ持てないほどの圧倒的な確信。

 

 理解できない、理解したくない現実にカラカラと喉から水分が失われていく。

 

 一瞬で煉獄と化した路地。鈴のようにコロコロと笑う少女。まるで気にすることでもないというかのように無反応な黒フードたち。

 『嘘だ』と、『冗談だ』と、呟こうとした口から声は出ず、打ち上げられた魚のようにパクパクと動くだけだった。

 

 人が焼け死んで、焼き殺して、それがあまりにも当たり前(じょうしき)のように平然としている彼らを見てるとどちらが異常(ひじょうしき)なのかわからなくなってくる。

 頭がおかしくなりそうだ。

 

「アッハ! 野次馬が腰抜かしてたってとこか? ウケる」

 

 バチバチと爆ぜる音と炎の残滓と煙で眼前が覆われる。

 その煙の向こうには誰も見えない。

 

「ほら何ぼーっとしてんの。さっさとこいつ、を…………、?」

 

 何かが聞こえた。

 少女の目線が黒煙の向こうに向けられる。

 そこには何もないはずだった。

 アスファルトを焦がし、金属さえ融解する温度だ。生き物が生きていける環境では絶対にない。

 あのスーツの女は、道端に吐き捨てられ、踏みつけられたガムのように、べったりと床にこびりついてるはずだった。

 

 再び、何かが聞こえた。

 それはありえないことだった。

 

 ゆらりと煙の向こうに人影が浮かび上がる。

 まるでいきなり竜巻でも現れたかのように、煙と炎が渦を巻いて蹴散らされる。

 そこに立っていた人物の姿を見て、訝しむようだった少女の表情が僅かに固まる。

 

 そこには一人の女が立っていた。

 腰まで伸びた黒髪を一つにまとめ、ローヒールのブーツを履き、くたびれたスーツを着て。

 そして、右手に淡く輝く剣を持って。

 シュルシュルと風が渦巻く半透明の剣を持って、『ヒーロー』がそこに立っていた。

 

 初めてそこで女の表情が見えた。

 女は笑っていた。

 この状況に対して。恐るべき事態に対して。

 圧倒的なまでの自信をもって、確かに女は笑っていた。

 

「───は」

 

 ぽつりと少女が呟いた。

 

「『風』、ね。あれを防いだのは褒めてあげるけど、エアコン代わりにもならねーようなそのちゃちなそよ風で、『カテゴリ2』のあたしの炎を完璧に防げるとでも思ってんのかなー?」

 

 否定するように。

 まるで小さな子供が駄々をこねるように、横薙ぎに振られた細剣の軌跡が再び暴力的な炎を生み出す。

 

「『炎』、『水』、『風』、『雷』、そして『土』。5つの系統の中で特に破壊に向いてんのが『炎』だ。一点突破で集中したらどの属性だろーと、どれほど防御に特化させようと防げるやつはいない。な、わかるだろ? わかってるよなー? わかってんならさっさとかわいいウェルダンになれよ!!!」

 

 叫び声と共にギュルギュルと巻かれた炎の渦が放たれる。

 先程の炎が津波だとしたら、今度は蛇。荒れ狂いのたうち回る蛇のように、すべてを喰らい破壊し尽くすが如き炎に対して、それでも女はなんの反応も示さない。

 

 2度目の爆発。

 2度目の確信。

 

 

 

 ───そして、当然のようにその確信は再び覆された。

 

 旋風に吹き飛ばされた煙と炎の前に立つスーツの女。

 その周囲はまるで綺麗に円で切り取ったかのように、見えない壁で遮られたように、焦げ跡が途切れていた。

 中では存在が許されないように、舞い散る微かな火の粉でさえ、その円へ侵入した瞬間消滅していく。

 

 カツ、コツとローヒールが足音を立てる。

 それは女が無傷であり、錯覚や幻影などではないということを証明していた。

 

「───あ……………………………?」

 

 思惑が外れ、絶対の自信があったであろう自らの異能が通じていないという現実を処理しきれないのか、ポカンと口を開け、年相応の仕草を見せる少女を前に、スーツの女の口が開く。

 

「そんなんで『カテゴリ2』? 笑わせるね」

 

「……………………は?」

 

 自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 今、なんて言った?

 この火薬庫よりも危険な少女相手に、あろう事か挑発しやがった!?

 

 多少のズレはあるとは言え、少女が言ったことは事実だ。

 炎系統は他と比べ破壊に特化した性質を持つ。それに比べて、スーツの女の系統は風。遠距離、応用性に優れた系統とはいえ、決して防御性能が高いとは言えないというのが一般評価だ。

 そんな異能で、凶悪の塊のような少女の攻撃を2度も防げたのはきっとなにかのカラクリがあるのだろうが、それが3度目も4度目も通用するとは限らないだろう。

 

 そして、異能の出力は異能使いの感情、意思で大きく左右される。

 ざっくりと言ってしまえば、()()()()()()()()()()

 今でさえ掠っただけで燃えカスになる威力の攻撃がポンポンと気軽に打ち出されているのに、怒らせるなんて気化したガソリンに火を近づけるようなものだ。

 

 完全な自殺行為。

 

 しかし、血の気が引いたこっちの気持ちなんて露知らずとばかりにスーツの女はどんどんと油を注いでいく。

 

「っていうかさぁ、何から何まで雑過ぎなのアンタら。『リムーバー』、だったっけ? 新参者がイキがって、プロ意識ってもんが足りないみたいね」

 

「──────、」

 

「人払いも雑だし異能の使い方も雑極まれり。その程度で満足してる器なら、さっさと飼い主のとこに帰っておままごとでもやってな、お嬢ちゃん」

 

 ブチッ、と何かがキレる音がした。

 

「───ぶっ殺す!!!!!!」

 

 憤怒の色に染まった表情で少女が再びレイピアを振るう。

 身体強化で高められたスペックをフルに使い、音速を超えた細剣の切っ先が空気を切り裂き、オレンジ色の軌跡が数百数千も重なり1つの太い束となる。

 軌跡に込められたエネルギーが煮えたぎる激情を表すかのように、その余波だけで周囲を焦がしていく。

 

「消し飛べクソアマァ!!!」

 

 爆炎がレーザーのように放たれる。

 威力は先程と比べて遥かに桁違い。人1人どころかビルひとつを簡単に、少女の言葉通り消滅させてしまうような火力で襲いかかった。

 

 そして、今度ははっきりと見えた。

 陽炎で揺らぐ視界の中、迫る爆炎へと女が1歩、散歩でもするかのような気軽さで踏み込む。オレンジ色に照らされた表情はなおも余裕を湛えて。

 

 ()()()()() ()()()()()()()()()

 一拍遅れて、もはやオレンジ色の壁のように見えていた炎に透明なラインが幾つも走る。

 幾つも筋が入った激情の炎は砕かれたようにバラバラになり、散り散りになり、獲物を焼き尽くす僅か手前で勢いを失い、空気へ溶けるように消滅した。

 

 ひゅ、と息をのむ音が聞こえた。

 少女の足が一歩、二歩と後ろに下がる。

 

「斬撃? いや、『武装先端の軌跡を爆発させる』ってとこかな、『オプション』は。爆風の向きと出力を調節すればさっき見たいな器用な真似もできるもんね。でも、せっかくの炎なのにそれじゃあ隙だらけじゃない?」

 

 ねじ込むように、それが証明だと言うように話し続ける。

 

「『炎』を集中すれば防げるやつはいない? そりゃ凡人が生み出した勝手な言い訳でしょ。そんなのをものさしにしてるから、アンタは『カテゴリ2』止まりなんだよ」

 

 無造作に半透明の剣が揺れる。

 

「覚えた? 理解した? じゃあ、次は私の番ね」

 

 唄うように言葉が紡がれる。

 距離およそ25m。焼けただれた地面を踏みしめ、抜刀術のように深く腰を落として。

 

「───《ハバキリ010》」

 

 轟! と疾風が。

 剣を抜き放つと同時に空気の壁を突き破り、路地を吹き荒れた。

 

 吹き荒れた風は強靭な鞭のようにしなり、黒フード達を一人の例外もなく地面へと叩きつけた。

 

「てめっ───!?」

 

 少女が構えたレイピアは根元からばっきりとへし折れた。

 そしてなおも勢いは衰えず、風の鞭は恐ろしい勢いのまま少女の体を弾き飛ばす。

 少女の体はまるでピンボールのように幾度も壁に衝突しながら通路の外までぶっ飛んでいった。

 

 

 

 息も、瞬きも出来なかった。

 

 

 

 …………強い。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 思わず拳に力が入る。

 ただの素人の自分にもはっきりと伝わるほどの強さに、ぶるりと体が震える。

 蹴り飛ばされたダメージ、体を蝕む『症状』。それらがこの一瞬だけでも吹き飛ばされたかのように目が釘付けになる。

 ただ歩いているその姿に自然と視線が吸い寄せられる。

 

「やぁ、少年───」

 

 腰まで届く黒髪が、見せつけるようにふわりと揺れる。

 

「───無事かい?」

 

 瞬間、ぶつん、と。ブレーカーを落としたように、限界を迎えた意識が途切れた。

 




評価、お気に入り、ありがとうございます。


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3話:変化はいつも理不尽に >稲原イズナ

 ドタドタドタ! と建物全体に足音が響きそうな勢いで階段を駆け上がる。

 すれ違った人がぎょっとした目でドン引きしていたが、一々弁明している余裕もないため、軽く頭を下げるだけで走り抜ける。

 この建物全体が丸ごと『学園』の寮として使われているため、次に登校した日にはどんな尾ひれがついた噂が広まっているのか考えたくもない。噂好きのパワーは恐ろしいのだ。寮監へのまともな言い訳を今から考えておく必要がありそうだ。

 

 

 

 あの後、目を覚ましたら大通りの端に転がされていた。

 黒フード達も、あの恐ろしい少女も、こちらを助けてくれたらしい女性もどこにもおらず、忽然と消えた危機に一瞬、暑さにやられて白昼夢でも見たのかと思ったがそんなことはないらしかった。

 

 少し遠くで響くサイレン。ビルの隙間から狼煙のように立ち上る黒煙。遮二無二逃げていたため、あの時の場所が正確にわかる……とは言えない。決して迷子だったわけではないが。とはいえ、おおよそで考えたとしても、あれが無関係であると考えられるような都合のいい頭はしていない。

 

 彼らの目的はなんだったのか。彼らは一体誰だったのか。少し整理する時間が欲しかった。

 

 

 

 チクチクと突き刺さるような視線を躱しながら廊下を走り抜ける。

 ようやくたどり着いた自室の扉をガチャガチャ鳴らし、震える手で鍵をこじ開けて素早く潜り込む。

 靴箱には一足のシューズが突き刺さっていたが、勢いのままノックもせずにリビングの扉を開け放つ。

 

「───遅い。こんな時間まで何やってんだ」

 

 そこには、白衣を着た青髪の少年が安楽椅子に座ってやたらと難しそうなタイトルの本を眺めていた。チラリと目線だけがこちらを見る。

 ぼさぼさと適当に伸ばし、天然パーマが少し入った深い色彩の青髪。目元近くまで垂れた髪から覗く鋭い目つき。野生的なイケメンだと女子人気が高い男の敵こと、汐射(しおいり)ミスズ。

 じろじろと不躾な視線でこちらを観察し、汐射はそれだけで大方事態を把握したのか、僅かに目を細め、露骨にため息をついて本を机に放り投げた。

 

「たっ……………………タスケテ」

 

「……まずは着替えないか? それ。いろいろ混ざってどろっどろになってるんだけど自覚ある? お前の部屋だからお前がいくら汚そうと一向に構わないんだけど、おれの部屋でもあるってこと忘れないでくれよ」

 

「違う違う違ァう!! 見るからに怪我して帰ってきたルームシェア相手に掛ける言葉として180度違う! もっと心配しろ! オレを!!」

 

「だってお前いっつも面倒事持ってくるじゃんか……。この前は『土』に巻き込まれて生き埋め、さらにその前は……なんだっけ? 刺されたんだっけ?」

 

「やめろその話は思い出したくない…………! っていうかあれは半分以上お前のせいだろ!!」

 

 今でも思い出すと背筋が凍る一件だった。

 モテるというだけでも嫉妬の炎が燃え盛るくらいなのに、あろう事か女子の対応がめんどくさいととんでもないことを言い出したこいつの為にとある『作戦』を決行したのだが、その一件のせいでこいつはなぜかさらにモテるわ、こっちは相手の女の子達のうち1人に刺されるわと散々な結末だったのだ。

 

 女の子1人に言い寄られるためだけにこっちがどんな苦労してると思ってやがるんだ!! と藁人形に五寸釘でも打ち込みたくなってくるのはこいつの態度のせいもあるだろう。せめてもっと嬉しそうにしろ、殴るから。

 

 ギリギリギリ、と歯ぎしりをして睨みつけたい気持ちを抑えて今回の顛末を説明する。

 

 

 

「───黒ずくめの集団? 『カテゴリ2』の異能使い(ストライカー)? そんでもってそれを倒した女の異能使い?」

 

 辞書みたいに分厚い本を開きながら汐射は怪訝そうな声を上げ、

 

「はいダウト。おもしろいジョークだな、ここ1週間で一番笑ったぜ」

 

「ジョークじゃないですーー!!! ほんとのことですーー!!!」

 

「『カテゴリ2』って言えば、上から数えて二番目の化け物クラス、そんなのがそこらへんにポンポン歩いてるわけないだろ。その化け物を一発でぶっ倒したって人の話も嘘くさいし」

 

 見るからに興味なし、関係なし、と言わんばかりに読み始めた本を汐射の手から取り上げる。

 

「じゃあオレのこのボロッボロの体はなんだって言うんだよ」

 

「ちゃんと前見て歩いてる? メガネでもかけた方がいいんじゃないか?」

 

「転んだだけでここまで怪我するわけねぇだろ!? オレのことなんだと思ってんだよ!?」

 

「万年カテゴリ6(査定外)、雑魚のくせに巻き込まれ体質、前方不注意イノシシ野郎」

 

「よーし上等だ無意識ハーレムモヤシ野郎、今日こそその顔歪ませてやるおぶべら!!??」

 

「…………マジで馬鹿だろお前」

 

 大きく踏み出した1歩で散らばっていたプリントを踏みつけ、盛大にすっ転んだオレを呆れた顔で見下ろす汐射。もう今日の不幸は全部こいつのせいに思えてきた。

 ……というか今ので傷口が開いたかもしれん。後頭部辺りがぬるっとしている。

 

 タンスの角に小指ぶつけろと呪詛を飛ばしそうになりながらなんとか軌道修正に入る。こいつに付き合ってたら夜が明けかねん。

 

「はぁ、はぁ、えっと、どこまで話したんだっけ?」

 

「クソザコ巻き込まれイノシ」

 

「そう! 助けてくれよ汐射!! あとさりげなく罵倒加えんな!」

 

「はいはい、んじゃあ、いつもみたいにそこに座ってくれ。診るから」

 

 促されるままに病院で置いてそうなパイプ椅子に腰を下ろす。

 汐射はふざけたようなやつだが、これでも『カテゴリ3』のエリート。実力はオレより遥かに上だ。もっとも、普通の異能使いとオレを比べるとどんなやつでも『遥かに上』になってしまうが。

 

「───《フェイルノート345》」

 

 詠唱と共に、汐射の翳した手から水が溢れる。

 溢れ、零れた水は細かな霧となり、霧が触れた傷口からどんどん痛みが引いていく。毎度思うが、これだけで大抵の傷は治せるっていうんだからなかなかチートじみてるよなぁなんて感じる。オマケにイケメン。天は二物を与えずとは何だったのか、ファッキンゴッド。

 

 汐射の異能(ストライク)は『水』。直接的な攻撃力や破壊力よりも、補助的な役割に向いている系統だ。単純に水を操る力に加え、傷を『癒す』こともできる『水』が無ければ人類の医療はあと500年は遅れていただろうとも言われている。

 

「『癒す』って言ってもまだ未解明なとこも多いけどな。自然治癒力を活性化させてるのか、欠損した細胞を1から作り直してるのか。使ってる本人でさえイマイチはっきりしないのが困りものだよ」

 

「原理がどうだろうと結局治れば一緒じゃねーの? 今どきスマホの動き方を一から知ってるやつとか普通居ねぇだろ」

 

「ただの道具をただ使う分には別にそれでもいいんだけどな。でも『異能』は想像力、イメージをそのまま出力する力だ。『治すっていうのはこういうことだろう』という本人の認知がダイレクトに出力されるのは便利だが、逆に言えば『わからないものは治せない』。ゲームの魔法的にHPを回復できても骨折1つ治せないなんて間抜けなことになりかねんからな。自分の異能の解釈くらいはっきりさせておくのは当然だろ。俺は、自分のことも知らないで漠然と『そういうものだ』と力を振るうだけの有象無象に成り下がるつもりはねぇんだよ」

 

「相変わらず意識高いねぇ。エリートの秘訣ってやつ?」

 

「ただのスタンスだろ。って言うかなんでわざわざ俺のとこまで来たんだよ。打撲、全身擦り傷、軽度の火傷、そんでもって極めつけは肋骨。1本にヒビが入ってた。 なんで救急車呼ばないんだよ普通に重傷じゃねぇかバカ」

 

「『安い』、『早い』、『上手い』の三拍子。それに、前から怪我した時は異能の練習台にさせろって言ってたじゃん。───いっだだだだぁ!? ばかっ、そこっ、今っ、自分で治したとこじゃねぇかつねんな馬鹿ぁ!!?」

 

「俺の言う『怪我』ってのは指切ったとか足ひねったとかせいぜいそのレベルのやつなんだよ貧弱豆腐バカが。ここまでやれとは言ってないぞ」

 

「ちょっ、おっ、千切れる千切れるぅぅぅぅ!!? こっちだって好きで怪我してるわけじゃねぇわ!!!」

 

「もし好きでやってたなら『ドM』と『変態』のワードも罵倒に加えてやるよ」

 

「遠慮しときますぅぅぅぅ!!! そういうのは女の子からだけで結構ですぅぅぅぅ!!!」

 

 汐射はこちらをひとしきり虐めて満足したのか、ぐりぐりぐりー!! とつねってきた指を離し、床でぜぇはぁいってるオレを見下ろして呆れたようにため息をつく。こいついつか絶対泣かしてやる。

 

「……まぁ医者の真似事っていうか練習に付き合わせておいてなんだけどよ、俺なんか頼るより先に行く場所あるだろ、普通。『傷病区』の病院とか、せめて保健室とか」

 

 

 と、小首を傾げる汐射に対して、

 いやまぁ、そうなんだけどさ。と少し口ごもる。

 

 

「…………注射ぶち込まれたって話はしたよな?」

 

「ああ。正直怪我よりそっちのがヤバいと思うがとりあえず置く。それで?」

 

「釘打ち機みたいなデザインの注射器、見たことあるか? かなりコンパクトでだいたい手のひらに収まるって感じの」

 

「……………………、…………ないな」

 

「オレはあるぜ。あれは───」

 

 そう、あれは。

 そっと首筋に触れながら、記憶を辿る。

 

「あれは、『()()()()()()()()()()()()()()()()。まだ未発表のな。少し前にネット上に流出してるのを見つけた。すぐ削除されたみたいだけど、見た目は覚えてる」

 

 『傷病区』。

 なにやら物騒な名前だが、その本質は巨大な病院といったところだ。急病人も怪我人も、『ホライゾン』で救急車を呼んだらまずこの区に運ばれる。

 ここ『学区』が学生の街だとしたら、『傷病区』は医療の街。治療から研究、臨床、それらを一手に担い、ホライゾン内で大手を振る巨大研究機関の一つ。

 

 

 

 そう、研究だ。

 

 

 

「『何百人目かのモルモット』、『学者さん』。オレを襲ってきたやつらの一人が言ってた。『傷病区』の研究者たちが、ごろつきを手足にして一般人相手に違法薬物の人体実験を繰り返してる、なんて可能性があると思わないか」

 

「でもそれじゃあ何か変じゃないか? 薬物の治験って結果だけじゃなくて過程も見るもんだろ。騒がれたり、通行人に目撃されて手間がかかるかもしれない屋外で打ってから攫うより、攫ってから拘束してじっくり観察したほうが実験としちゃあ確実だ。それに、実験動物(モルモット)にするなら無傷の健康体の方が都合がいいはずだろ。異能使いのスペックなら一般人相手に手こずる道理もない。わざわざ流血沙汰にしなくても済ませられると思うんだが」

 

「ここらへんで救急車呼んだらまず真っ先に運ばれるのは『傷病区』だ。命に関わらず、しかし放置できないような具合に痛めつけておけば、仮にしくじって被験者が逃げ出しても結局は自分たちの手元に戻ってくる。薬を弄って遅効性のものにすれば、うまい具合に運ばれてきたタイミングから観察もできる。そういうことを狙ってたんじゃねぇかって」

 

 実際、この予想があってるかどうかの確証はない。

 ただの素人の妄想で、実際はもっと違うのかもしれない。

 いや、9割9分9厘は外れてるだろう。証拠として挙げるには不確定すぎる。

 

 それでも、少しでも納得できそうな理屈があればそれにすがりたくなる気持ちもある。

 

「もしそれが当たってたとしたら『傷病区』関係の施設は使えない。ここの寮の保健室だって『傷病区』から来てる先生たちだ。あれくらいデカい組織なら末端まで指示が届いてない可能性もあるが、そうじゃねぇ可能性もある。だから、お前にしか頼めなかった」

 

 

 

 じっ、と汐射の目を見る。

 視線が交差する。

 

 

 

 ふぅ、と息を吐く音が聞こえた。

 

 

 

「……………………ま、そういうことなら仕方ない、か。別に怒ってるわけでもないからそんな気にするな」

 

「いや助かるよ、マジで。お前に放り出されたらどうしようかと思って気が気じゃなかったわ」

 

「お前俺のことなんだと思ってんだよ」

 

 

 

 はぁ~~~~、と深く息をつく。

 そう言えば汐射はこういう時は心底頼れるやつだった。

 

 安心して肩の力を抜くと、立ち上がった汐射がふと動きを止める。

 

 

「そういやなんだが…………」

 

「あん?」

 

「稲原。お前さっき薬の遅効性がどうのって言ってたよな。それって──────」

 

 あっ、と呟いた時には遅かった。

 

 

 

 ぐるりと視界が回る。いや、体が倒れていた。

 平衡感覚を失った体が椅子から転げ落ち、床に勢いよく衝突する。

 

「お前割と本気でバカだよな!? いや気づけなかった俺も俺だけどさ! クソッ、どうすればいいんだこれ!!」

 

 慌てる汐射の声がどこか遠くに感じる。

 

 体が異常に熱い。

 触れる空気が氷みたいだ。

 焦点の合わない瞳はもはや目としての役目を果たせず、ただぼやけた部屋の景色を画像として脳に送り込んでくる。

 

 立ち上がろうとした四肢は穴の開いた柄杓で水を掬うような頼りなさ。

 遠くに感じる汐射はいつもの飄々とした態度を崩し、慌てているのがどこか面白くて笑ってしまう。

 

 今日だけで何回気絶すりゃいいんだよ、と文句を言ってもどうしようもない。

 

 重りをつけて海に投げ込んだように、すっと暗闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突な痛みでほぼ強制的に意識が覚醒させられる。

 ミキサーで骨の一つ一つを丁寧に粉砕されるような。あるいは全身の毛穴に針を突き刺されるような。

 あの時の少女に蹴り飛ばされた痛みとはまた別格のそれ。

 

 ぱき、べき、ぼき、と。

 硬質なものが砕ける音が体の()()で響く。

 ぶちぶちと、千切れる音が聞こえる。

 ゴリゴリと、首の根元から何かが入ってくる。

 ()()は骨を伝い、血管を伝い、神経を伝い、全身をゆっくりと覆っていく。

 ブワッと、全身から脂汗が噴き出る。

 

 何かが。

 自分の中の何かが決定的に変わっていく。

 それを自覚しながら何もできない。

 敷かれたレールの上を走る列車のように、もはやその行先は変えられない。

 金縛りにあったかのように動けないまま、ひたすらこの苦痛が過ぎ去るときを待つことしかできない。

 

 噛み締めた奥歯が割れそうだ。

 

 

 

 硬く閉じた瞼の裏側で、光が見えた。

 光の粒は緩やかに円を描き、体の内側を同じ光の粒へと変換していく。

 拡散した粒がゆっくりと、気の遠くなるほどの時間をかけて寄り集まり、一つの形を作り上げる。

 

 

 

『────────────、』

 

 

 

 声。

 何かの、声。

 

 

 

『────────────、───?』

 

 

 

 誰だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐん、と意識が浮上する。

 ピチピチピチ、と名前もわからない鳥の鳴き声と窓から差し込む光で目が覚めた。

 

 何度か瞬きをして、目が光に慣れ始める。

 昨日のあれは夢だったのだろうか。

 

「ん”んーーーっ───はぁ…………」

 

 初老のおっさんのようにうめき声をあげながら凝り固まった体を伸ばす。

 不思議と体が軽い。

 

「あぁ…………んん……?」

 

 体を起こす。

 なぜか首元のあたりが少しくすぐったいような気がする。

 だまし絵を見せられているような、そうじゃないような。よくわからない違和感。

 

 首を傾げてベッドから立ち上がる。

 

 ばさり、と何かが振ってきた。

 

「…………………………………………髪?」

 

 そう、髪だった。

 背中に届くほどまで垂れ下がった金色のそれは、まさしく自分の頭部から生えている髪だった。

 

 一目でおかしいと思った。

 自分はこんな金髪ではない。普通の黒だったはずだ。

 それに、ここまで長く伸ばすはずもない。

 

 掬った指に絡まる金色の束を見る。

 どんどんと違和感が膨らむ。

 

 

 

 ハッとして髪に触れた手を見る。

 太めの指に、ごつごつとした印象を持たせるであろう角ばった関節、平たい指先──────いわゆる男の手が、見慣れたそれがそこにはあるはずだった。

 

 そこにあったのは、男の手ではなかった。

 すらりと細長い指に、丸みを帯びた関節、白く透き通るような肌がそこにはあった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──────―――な、な、なななっ、何っ、こ…………こ、声!! 声!!?」

 

 自分の声では声が聞こえて、反射的に喉ぼとけに触れる。

 予想していたややでこぼこしていた感覚よりも、ずっとなめらかでするりとした感覚が指に返ってくる。

 

 ぺたぺたと顔に触れると、いつもであれば僅かな抵抗を返してくるだろう肌はなく、つるりとした感覚が手に残る。

 それどころか、骨格ごとまるで自分のものではないかのような気がしてならない。

 

 

 

(なんだ、これ)

 

 こらえきれずに洗面所へと駆け出した。

 

(なんだこれなんだこれなんだこれ!!? 女みたいな……っていうかこれじゃまるで───!)

 

 よたよたとよろけながら、息を切らして鏡を覗き込む。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 背中まで垂れ下がり、寝癖で乱れた金髪。すっと伸びた鼻梁。髪よりもやや深い色をした瞳。

 

 

 

 震える手で顔に触れる。

 

 鏡の中の金髪美少女も同じように顔に触れる。

 

 頬を抓ってみる。

 

 痛い。

 

 金髪美少女も痛そうにしている。

 

 

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 

 思考が停止しそうになる。

 

 いやいや。

 いやいやいやいや!?

 待て待て待て待て待て待て!!

 

 なんだこれは。あの後気絶してから何があった。どういうことだ!?

 

 必死に記憶を辿って心当たりを探してみるも全くない。というかこんな非現実的な、()()()()()()()()()()()()()なんて現象の心当たりなんてあってたまるか!?

 

 朝の満員電車よりもぐっちゃぐちゃになった脳内で現実逃避を始めた思考回路をなんとか現実に引き戻そうとする。

 

 引き戻そうとして、気づいた。

 

 気づいてしまった。

 

 鏡の中の金髪美少女の顔がどんどん赤くなっていく。

 

 

 

 ごくり、とつばを飲み込む。

 ゆっくりと。ゆっくりと、顔を下に下げてみる。

 

 

 

 胸のあたり。そこには見慣れないふくらみが二つあった。大きさは…………およそ大きな梨くらいだろうか。

 恐る恐る、両手で触れる。

 

「──────う、わ」

 

 確かな感覚が自分の両手と体に返ってくる。

 

 ───夢だ。

 これは夢だ。

 夢に違いない。

 

 そう念じながら、太ももの間に手を伸ばす。

 慣れた下着の手触りに少し安堵し、そして、()()()()()()()()()()()()に手が触れなかった事実をなんとか忘れ去ろうと脳が現実逃避を始め、

 

「う、」

 

「あっ、」

 

「わっぎゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!?????????????」

 

 甲高い悲鳴が部屋に響き渡った。




・まとめ
稲原(いなばら)イズナ
 『学区』の『学園』に通っている男子高校生。弱い。
 書類上『カテゴリ6』の異能使いだがほぼ一般人と変わらない。弱い。
 普通の黒髪男子だったがTSして金髪少女になった。

汐射(しおいり)ミスズ
 同じく『学園』に通ってる男子高校生。青髪イケメン。
 『カテゴリ3』の異能使い。水を生成して操ったり傷を治したりできる。名称は<フェイルノート345>。

異能使い《ストライカー》
 超常現象を操る。身体能力も高い。
 『武装』と呼ばれるものを作り出すことができる。
 精神状態によって出力が上下する。
 カテゴリという格付けがあり、カテゴリ1~カテゴリ6まである。数字が小さいほど総合的な実力は高い。



なんと…………柴猫侍(@Shibaneko_SS)さんからタイトルの挿絵を頂きました!!!!!

【挿絵表示】


しかも五属性分の差分もあります!かっこいい!

【挿絵表示】



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感謝感激です。とても、うれしい。


次回はおまけ回です。お待ちください。


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おまけ:麻伐ユイの場合

毎度のことながら評価、感想、お気に入り登録ありがとうございます。

今回は別視点のおまけ回です。


>>>麻伐(あさきり)ユイ

 

 

 

 カツカツとヒールを鳴らして墨を塗りたくったような暗闇を歩く。年中無休ひっきりなしに怪我人病人が運ばれてくる『傷病区』でも、外部の人の行き来を想定してない場所は夜になると基本的にこんなのばっかりだ。街灯の一つ付きやしない。

 暗いところって基本的に好きじゃないのよね。汚れていても気が付かないし、普通に見にくいし。虫とかいたりするし。

 

 あとは私らみたいな()の連中が蔓延ったりね。

 

 

 

 持ってきた『荷物』を適当に放り投げ、懐から携帯電話を取り出す。

 機種自体は普通なものだけど、()()()()()()からツギハギみたいに部品を取り付けて改造した結果本来の大きさの三倍くらいになってしまっている。ぱっと見、どれが本体かわからないくらい。正直言って使いにくいことこの上ないが、もう慣れてしまったので今更他のものに変える気も起きない。

 

 アドレス帳に飛んで目的の番号に掛けると、ワンコールもしないうちに相手が出てくる。相変わらず仕事熱心なことだ。

 

『首尾は?』

 

 スピーカーから凛とした少女の声が飛んでくる。所謂私の上司ちゃんってやつだ。

 

「問題なーし。巻き込まれてた一般人は保護。回収した『荷物』もちゃんと持ってきてるよん」

 

 ちらりと視線を向ける。

 まぁ『荷物』っていうのは拘束した二人のバカなんだけどね。

 真っ赤なローブを着た少女に、都市用迷彩服に身を包んだいい歳をしたおっさん。少女はずっとこっちを睨んできてるしおっさんのほうは目を伏せてる。

 

「実行兼敵性排除担当の『炎』に……『水』ね。水蒸気で光の屈折率を変えて全く別の風景を投影。何にも知らない一般人をそのハリボテで騙して人払いってとこかな。いちいちやること小さいんだよね。こっちが武装使うまでもないし。ま、それがこいつらの限度ってことだろうけど」

 

 猿ぐつわを咥えたまま表情を歪めた二人から視線を外す。こういうところで変に素直だから『リムーバー』とかいうテロリストに利用されるんだよね。

 

『リムーバー』。

 最近世界中でいろいろやらかしてる狂信者集団。『神』を復活させるとか『神』を降ろすだとかのたまってるけど、やってることはテロリストと大差ないっていうはた迷惑な集団。大抵は異能の使えない一般人だけど、時々今回みたいな高位能力者も混じってるから最近は指数関数的に脅威度が吊り上がってるって話だ。

 特に各地の首都圏を狙って行動してるみたいだから、首都防衛のために作られた『ホライゾン』にとっては目の上のたん瘤。

 それでも未だに殲滅できてないのはとにかく数が多いってのと、数に対して情報が少なすぎるってこと。実際に行動を起こしてるのは末端の末端か、末端の末端の末端って具合でとにかく情報が得られない。行動理由も『神』がどうたらってことしか判明してないってのが不気味ね。

 『ホライゾン』の組織力をもってしても、対症療法的に後手に回るしかない。これってなかなかの異常事態よ?

 

『数百人規模の誘拐事件。および人体実験行為。本来であれば我々『システム』が動く案件ではありませんが、『リムーバー』が関わっているとの報告があります。故に、あなたをお呼びしました。…………この意味がおわかりですね』

 

「あいあい、いつものね」

 

『…………はい、いつもの、です。報告にあった薬品は未だに不明ですが、注射器については解析が終了しています。今あなたがいる研究所が開発元で間違いありません。不明の薬品についてもその座標で情報収集を行ってください。必要なバックアップは行います』

 

「人はいらない。どうせ邪魔になるし」

 

『ではそのように。…………今回の件は本体を直接叩けない故に、『リムーバー』と手を組んだここの研究所、および『傷病区』への()()と警告を兼ねています。未だに全体像が見えないテロリスト集団と『ホライゾン』内で指折りの巨大組織が癒着しているなど、あってはなりません。そんなことがあれば…………』

 

「そんなことがあれば『ホライゾン』は容易く崩壊する。しかもやつらに利用される形で。7つの要塞都市のうち1つが落ちるだけで世界がどれくらいの損害を受けるか分かったもんじゃないね」

 

 ま、私個人としては別に世界はどうでもいいんだけど。たまたま今の上司のお嬢ちゃんが気に入ったからこっち側に付いただけだし、何かが違ったら向こうに居たかもね。

 

『『システム』として、二度と先の災厄を繰り返すわけにはいきません。故に徹底的に、綻びから潰していかなければ。ではそちらのタイミングで突入、必要であれば排除を。しかし『傷病区』がこの街を支えている柱の1つなのは事実です。最低限かつ、話が通用しない場合に限り───』

 

「気張ってるとこ悪いけどお嬢ちゃん、そういう段階はもう終わってるみたいよ?」

 

 年不相応な命令を下そうとしてるお嬢ちゃんを遮って、うんともすんとも言わない自動ドアを蹴り破る。

 そこには室内にも関わらず街灯ひとつ無い外と同じくらい真っ暗な空間が広がっている。自動照明もきっちり切ってる辺り、歓迎ムードって空気じゃないね。

 

 研究所の間取りは事前に頭に入れてる。オフィスビルの地上1階、地下4階部分って感じ。研究所って割にはかなり狭く聞こえるけど、つまりそれは大っぴらには出来ない理由があるってことだ。

 1階部分はそれこそ普通のオフィス。ぼんやりと見えるのは並べられたデスクに椅子、その他事務作業に必要な大型機械などなど。でもその作業を行う人は見えない。地下に引っ込んでるのか、この暗闇に潜んでいるのか、はたまた。

 ちゃんと明かりを灯せば、ビジネスマンなら過ごしやすい空間なんじゃないかなって印象を持てなくはない。

 

 そう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 パチ、とスイッチを押すと通電した電灯が暗闇を照らし上げる。

 

 そこに広がっていたのは惨状の一言。

 

 元は清潔感に溢れていたであろう空間は真っ赤に染まっている。

 床には何かの書類と共に血と肉片が散らばっている。壁も同様、血糊と臓物が飛び散って見てても愉快な状態ではない。

 誰一人生かして帰さない。直接リアルタイムで見てたわけじゃないけど、そんな意志すら感じてしまうほどの徹底ぶり。

 

 地下にあるって話の実験室もおそらく同じ状態でしょうね。

 

『これは…………あなたが?』

 

 耳にあてたスピーカーからやや硬くなった声が聞こえてる。こんなゴミの掃きだめみたいな裏側に居るっていうのに、ただの死体で動揺するような『甘さ』が残っている様子は好印象だ。利害関係のみで動くロボットみたいなやつよりよっぽどいい。

 

 まぁそれとは関係無しに私がこんなことやらかすと思われてる方がよっぽどショックなんだけどさ。

 

「そんなわけないでしょ。オーダーは『リムーバー』の拘束と情報の引き出し。こっちだってプロなんだからオーダーに背くような行為はしないっつーの」

 

 通路をふさぐように転がってる名前もしらない死体を適当に足でどかしながら施設の最奥へと足を進める。

 

「死因はいずれも銃殺。拳銃とかじゃなくてもっとデカい得物だね。薬莢は『土』。使用後はただの土くれになって銃の特定を防止するっていう代物。こっちのやり方は如何にも『傷病区』っぽいやり方だねー」

 

 階段を降りるとむわっとより一層濃い鉄の匂いが廊下に充満している。片付けくらいしていけっつーの。

 

『であれば………やはり主犯は『傷病区』全体で間違いないと? この施設の()()は我々に嗅ぎつかれる前の証拠隠滅と考えてよさそうでしょうか』

 

「それはちょっと違う」

 

『判断の理由は?』

 

「手口が違う。誘拐、及び人体実験の件と、ここのスプラッタの件ね。誘拐の件は雑で大雑把。それに対してここのは徹底的に静かに、それでいてスピーディに実行されてる。野良の集団じゃ絶対できない真似よ。あとは──────」

 

 部屋の一つに転がっている死体の一つに近づき、首に掛けられていたカードにカメラを向ける。社員証とかで使われる感じのストラップで引っかけるタイプね。

 

『…………これは?』

 

 電話の向こうから疑問が飛んでくる。

 そりゃそうだよね、名前も顔写真もない真っ白なセキュリティカードを見せてるんだもの。

 

「ゲストカードってとこかな。学生さんが企業見学に行ったときとか渡されてそうな、って言えば伝わるかな? 最低限の権限だけ付与したゲスト用のセキュリティカード。見ればわかるけど、こーいうの持ってるやつが正規の研究員にちらほら何人か混じってる」

 

 割合は正規が7、ゲストカードが3ってとこかな。

 ゲストカードの他に顔付きのカードも拝借して立ち上がる。マスターキー(蹴り破る)は持ってるんだけど音が出るしうるさいしやかましいから使わないで済むに越したことはない。

 

『傷病区の研究員たちが外部から人員を招いていた、と? それは……』

 

「そう、おかしい」

 

 ピピッ、と電子音を鳴らして開いた自動ドアを進む。地下はまだいいけど地上の方は大変なことになりそうだね。毎日最高気温を更新してるみたいな状況だし、腐って虫が湧くのも時間の問題だ。

 もっとも、腐敗して虫が湧いてるのはここだけじゃないけど。

 

「『傷病区』は自分たちの技術の流出を最も嫌ってる。それこそ、開発から生産、販売まで全て自分たちでこなすくらいに。だから全体の意志として外部を招くなんて選択肢は取らない。取れない。……普通の状態なら」

 

『では、なぜ?』

 

「『傷病区』。ホライゾンの医療を担う大企業。今それは内部分裂を起こしてる。組織が巨大になった弊害ってやつだね。権利争いでズッブズブの今、そこでうまい汁を啜りたいと思ったバカの一部が()を持ち込んできた。実用化の目途が立たずに倉庫の肥やしになってた新型注射器をわざわざ横流ししてまでね。それがこのゲストカードと例の薬品と『リムーバー』。んで、ここで研究を繰り返して何かを見つけた。それを察知した傷病区の上層が私ら『システム』にペナルティを課される前に自分達で処理した。こんなところかな」

 

 地下4階、この施設の最深。いかにも大事なものがありますよって感じに厳重な金属扉を開けるとひんやりとした空気が漏れてくる。当然、血の匂いも。

 中はもはや見慣れた光景。死体と書類が散乱している。

 こうまで徹底してるところを見るに、単純な()()だけじゃなくて他の『傷病区』グループメンバーに対しての()()()()も兼ねてそうだね。

 

 そんでもって、ここは実験データとか集めた情報をデータ化して保存しておくサーバールーム。業務用の大型冷蔵庫みたいなラックがいくつも並んでる。

 

『背景は把握しました。であれば肝心なのは……回収したアンプルに残された薬品。そしてここの研究内容ですね。データの回収は可能ですか?』

 

「ま、そこまでは甘くないよね」

 

 スロットに収まっていただろうハードディスクは全て抜き取られてもぬけの殻になってる。試しに書類のほうに目を通してみても、雑多なものばかりで確信に至れるようなものは残っちゃいない。もうここから得られる答えはないでしょうね。

 

『予想は?』

 

「『傷病区』ならいいんだけどね。あいつらがいろんなことぜーんぶ自分たちでやってるってことは、それだけ外部を信用してないってこと。間違って回収したとしても、確認し次第速攻で破棄してくれてるはずよ。ぽっと出の外部技術を流用して足元掬われたんじゃ連中も目を当てられないだろうし」

 

 でも、こういう時って絶対都合のいい方向には進んでくれないのよね。私の運が悪いのかは知らないけど、経験上絶対。そういうレールに乗ってるもんだと思って受け入れてるけど。

 

「確証はないけど回収したのは『リムーバー』側。ここを『ブリッジ(中継地点)』って呼んでるくらいだし、単なる研究施設っていうよりも『リムーバー』との連絡橋として使ってる意味合いのほうが大きいのかも。だから『傷病区』の兵隊共が来るより先にその研究成果とやらは回収されてるかなー」

 

 ふと目に入った紙束を手に取る。

 名前、顔写真、所属、その他いろいろ。簡易的な履歴書みたいだけど、その用途は就職活動なんかよりよっぽどおぞましいことに利用されてるであろうデータの数々。ざっと目を通しただけだとイマイチ共通点は見受けられない。でも軒並み顔写真のところに大きくバツがつけられてる。

 ペラペラと捲っていくと1枚だけバツがついてない紙があった。

 黒髪のちょっと目つきが悪い男子高校生。最近見たような、見てないような顔だ。名前は……『稲原イズナ』。裏とは全然関わりない一般人だし、このゴタゴタに巻き込まれたのは不運としか言いようがない。

 

 適当に紙束を投げ捨てて研究所を後にする。

 あとは放っておいても()()()()が終わった『傷病区』が綺麗にしてくれるだろう。

 

『…………ご苦労様です。報酬はいつもの通りに』

 

 ため息交じりの上司ちゃんの声が聞こえてくる。大方、これからの対応にうんうんかわいく唸りながら頭を悩ませてたってとこだろうから直接見れないのが残念ね。

 

「んじゃー例のバカ二人の処理とかもあとは任せていいよね? あとご飯代もちょうだーい。今日はお肉って気分かにゃ」

 

『いえ、追加のオーダーを』

 

 ビシ、と体が凍り付く。完全に夜食の気分だったお腹が情けない音を上げるのが聞こえた。

 

()()()稲原イズナ。彼の観察任務を命令します。現状、致死率100%の『テスター』を打たれて生きているのは彼だけです。他に生きている被験者が居ない以上、何としてでも彼から情報を得る必要があります』

 

 うげ、と思わず口から零れる。

 

「…………それって私じゃないとダメ? 他のメンバーとか……」

 

『現在他の『システム』メンバーはあなた以外別件に対応中です。よってあなたが適任かと』

 

「私基本的に暴力担当なんだけど……」

 

『…………どうしても、というのであれば仕方ありません。この件は他の方に───』

 

「あーーーもうそんなしょんぼりした声出さないでよ!! わかったから!!」

 

『では、お願いしますね』

 

 得意げなお嬢ちゃんの声を聞いてるとなんだか手玉にとられてる気持ちになってくる。いつの間にそんなテクニックを覚えたんだか。

 

 

 

 通話を終えた携帯電話を懐に押し込めながら、書類で見かけた未解決のワードを脳内に並べ上げる。

 

 『神』。

 日常生活で小耳にはさむくらいならどうとも思わないただの一つの単語。

 しかし、こちら側ではまた違う意味合いを持つ。

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 




・まとめ
 麻伐(あさきり)ユイ
 『ホライゾン』の裏側で仕事をしている。『システム』という組織に所属している異能使い(ストライカー)。めちゃくちゃ強い黒髪碧眼の女。
 『風』の異能を使える。名称は<ハバキリ010>。前々回登場した半透明の剣は武装ではないらしい。
 徳が低く年下に弱い。

 お嬢ちゃん
 麻伐ユイの上司。名前は漢字1文字らしい。

 例のバカ二人
 前々回ワンパンされた炎系少女と未登場のまま麻伐ユイにボコられた水系おっさん。麻伐ユイが『ブリッジ』に対する交渉と脅しの材料として持ってきたが当の『ブリッジ』が壊滅していたため放置された。これからどうなるかは未定。

 『ブリッジ』
『傷病区』側からも『リムーバー』側からもトカゲのしっぽとして扱われた不憫な研究所。一部を除いて全滅した。

 『リムーバー』
『神』という存在をこの世に降臨させようとしているらしい集団。それとは別に普通にテロったりしてるやばい人間の集まり。


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おまけ:後天少女のお風呂回(ウォッシング)

再びおまけ回です。TSものを銘打っている以上、これはやりたかった。


 たらり、と汗が肌を滑り落ちる。

 

 外気温は連日猛暑日を更新中。一歩玄関から外へ出れば汗をかく理由なんて掃いて捨てるほど転がってるが、生憎ここは室内だ。ただ立ってるだけで汗をかくなんてことはない。

 

 汗の理由。単純に言ってしまえばそれは…………緊張だった。

 

 浅く早くなった呼吸。バクバクと肋骨を打ち付ける心臓。乾いた喉。

 ある意味、つい昨日の逃走劇なんて目じゃないほど体は緊張していた。

 

 なんで緊張してるかって?

 

 それは……その……服を脱いで…………つまりは全裸だからである。

 

 たかが裸になるくらいで、と思うかもしれない。

 しかし昨日の一件がここに響いてくる。

 

 前日は風呂なんて入る余裕なんて無かったから仕方ないが、さすがに色々限界だった。

 コンクリートジャングルの中を10分ほど全力疾走。そしてベッドの上でかきまくった寝汗。おまけに着替えもしてないときた。

 

 血と汗が染み込んだ服を着たまま放置したらどうなってしまうのかは想像に難くない。

 ここらで一つ、お風呂に入りたいところだった。

 

 

 

 しかし……認めたくはないが今自分は女…………ということで…………いや心まで女になったつもりはないが…………だからなんとなく見てはいけない感じがするっていうか…………でも…………。

 

 

 

 もごもごと口の中で言い訳を繰り返して5分ほど。ため息と共に飲み込んでぎゅっと固く瞑った目をゆっくり開ける。

 いくら否定しようと、今目の前にあるものが変わるわけでもない。いい加減に覚悟を決めねばならなかった。

 

 自分の体。

 すなわち、『女の体(げんじつ)』を受け入れなければいけないということを───!

 

 

 

 

 

 

 目を開けたらそこは浴室だった。

 

 そう、つまりはお風呂だ。

 

 極力首を下げないようにして、ぎゅっとタオルの端を握りながらのろのろと足を進める。

 

 シャワーの隣に設置された鏡。そこにはリンゴみたいに顔を真っ赤にして、体にタオルを巻き付けた金髪美少女がぎこちない動きでシャワーを掴んでいる姿が映っていた。

 浴室に入る前に、死にかけの虫みたいな声を上げながらかろうじて体にタオルを巻き付けることには成功したため比較的ダメージは少ないが、それでも裸体にタオル1枚姿の女の子の体を直視するのは刺激が強すぎる。

 ましてや出るところが出て引っ込むところが引っ込んだような、同学年の女子たちと比べるとやたらないすばでーとも表現できるような体だ。うっかり直視したら鼻血でも出してぶっ倒れるかもしれん。

 …………というかただの裸よりも、余計に見てはいけないものを見てるような気さえしてくる。

 

 タオルの下から覗くボディーラインとか……こう……───。

 

 カッと顔に集まった熱を散らすようにブンブンと首を振る。オレは自分の体に興奮するような変態じゃねぇ!

 

 

 

「───熱ッ!?」

 

 鏡の姿に気を取られて温度調節を間違えたシャワーに思わず悲鳴が飛び出るが、なんとか湯加減を整えて全身に浴びていく。

 巻き付けたタオルで多少勢いは削がれてるものの、お湯で汗と血が混ざった汚れが流されていく感覚は格別の一言だ。一生この感覚を味わっていたい。

 

 まぁそんなわけにもいかないのでちょうどいいところで切り上げて次へ進む。

 

 

 

 第1段階、シャワーを浴びるという難敵を撃破して次に現れる第2段階。

 すなわち、髪の毛だ。

 

 こんな長い髪洗ったことなんてねぇよ! と文句を言っても終わらないので1プッシュほどのシャンプーを手に取ってゴシゴシと洗い始める。

 

 のだが。

 

 全然シャンプーが泡立たず、最終的に普段の3~4倍ほど使うことになってしまった。

 こんな大変なものを毎日洗ってる女の子という生き物はきっと幻か何かに違いない。だって多すぎるんだもん。

 まとめた髪の毛をごしごしっと泡でもみくちゃにし、適当に指を通して終了とする。いくらやっても終わる気がしない。

 

 

 

 ジャーっとシャワーで洗い落とし、第2段階をクリア。そして残るは──────。

 

「───そう、だよな。……か、身体も………………だよな」

 

 そう。身体だ。

 せっかく汗を流しに来たのにここを雑に終えたらお風呂の意味が無い。むしろこれが目的と言ってもいい。

 

 しかしきっちり汚れを洗い落とすということは、全身くまなく石鹸の泡で擦るということで、つまりそれは全身を触るということで、つまりつまりそれは女の子の体を───!

 

 明後日の方向へ飛んでいきそうだった思考を引き止め、なんとか被害を最小限にするための方法を考える。

 素手で触れる? 論外。童貞精神が爆発してしまう。タオル越し? なんだか逆にもっとやばい気がしてくる。タオルの端と端をもって擦り付けて体を洗う、いわゆる銭湯のおっさんスタイル? 素手で触ってしまうリスクも低いし1番安全そうだけど、いくら自分の体とはいっても金髪美少女がそんなことやってたら幻滅してしまう。却下。

 

 

 

 じっくり10分ほど考えて、出した結論はタオル越しに洗うことだった。

 

 苦肉の策ゆえ仕方ない。素手で触れるよりはダメージを少ないはずだ。別に下心なんて無いのだ。別に、どうせ自分の体なんだからいくら触っても無問題だろうとか、そんなことを考えてる訳では無いのだ。

 

 もうこうなったら勢いだ勢い。ばっとやってさっと済ませてしまおう。

 つらつらと頭の中に言い訳を並べ立てて、意を決して体に取り掛かる。

 

 もこもこと泡立てた石鹸を持ち、ぐいっと一息で──────! 

 

 

 

 ………………………………………………。

 

 

 

 ………………うぉ…………い、意外と重量が…………──────。

 

 

 

 

 

 

 勢いに任せてなにか大切なものを失った気がする。

 

 ちゃぽちゃぽと湯船に浸かりながらなんとも言えない喪失感を抱えて天井を見上げる。

 ちなみに髪は頭の上にまとめてタオルで落ちないようにしている。くるくると巻いてタオルごとまとめて頭の上に載せてるとなんだか歴史の教科書とかに居るインド人のような気持ちになってくる。インド人じゃないけど。

 髪が長いってだけでこれくらい手間が増えるんだからこれを毎日やってる人はとんでもないな、なんて他人事ながらそう感じる。。

 

 ふぅ、と緩く息を吐き出す。

 

 やっぱりお風呂文化というのはなくてはならないものだなぁ、なんて思う。

 元々お風呂が好きだったこともあり、こうして汚れを洗い落として清潔な湯船に揺られてるだけで何とも言えない幸福感というものが湧き上がってくる。

 極楽極楽とでも言うのだろうか。

 

 軽く鼻歌を歌いながら湯に浮いたタオルで空気をつつみ、クラゲのように膨らませる。

 つついてぶくぶくと音を立てる様子を見ると子供の頃に戻ったような気がしなくもない。

 

 …………しかしこれからどうすればいいのか。

 

(まずは学園? いや寮監の方が先か? っていうか『朝起きたら女の体だった』なんてどう説明すればいいんだよ)

 

 あのまさに規律の鬼のような寮監に説明しにいくのは気が引ける。

 この建物はある程度男女関係なく住んでる寮とはいえ、同棲は校則で禁止されている。自分の中では男だと思ってはいるが、周りから見たら100%女なのでどんなことを言われるかわかったもんじゃない。最悪、怒りの鉄槌が落ちてきそうだ。

 

 それ以前に本人として認められるのかどうか。外見なんて全く共通点がないし、性別だって変わってるし。中身が一緒だって言っても狂人の戯言扱いで門前払い、最悪詐欺とか不法侵入で逮捕されるかもしれない。そうなったらおしまいだ。

 

(…………よし、汐射に行かせよう。こうなったら全部巻き込んでやる)

 

 なんとしてでもアイツを巻き込んであのすまし顔を大慌てにさせてやらねば気が済まない。

 完全に八つ当たりだが関係ない。いつも余裕ぶった顔をさせるのはなんとなく負けた気がするし、たまにはこういう時があってもいいだろう。

 そういうのを別にしても汐射はこういう対応慣れてそうだし、もう特権ルームメイトの権利を振りかざしてしまうことにしよう。お礼は肉でもおごっておけばいいだろう。

 

 

 

 表情を緩ませながらお湯に揺られること数分。いい加減に熱くなってきた。

 またぶっ倒れても敵わないのでそろそろ出るか…………と浴槽から立ち上がる。

 

 そう。立ち上がった。

 

 思い出してほしいんだが、オレは自分の体を直視しないためにタオルを巻いていた。

 体を洗ったときも同様に、泡を流すとき以外はタオルを巻いて、どうしても外さなければならないときは視線を上に向けていた。

 浴槽に入ったときもだ。タオルを巻いていた。

 そう、巻いて()()のだ。

 

 じゃあ、今手にあるタオルは?

 

 …………そうだね、ついいつもの癖で回収したタオルだね。

 もっと言うならブクブクさせて遊んでた時からもう体からタオルは離れていたわけで、つまりそれに気づかなかった自分はただのバカじゃねぇか!?

 

 ちらりと視界に入った肌色から慌てて顔を背ける。

 もう少し視線を下げてたら危なかった。自分の部屋で大量出血して救急搬送なんて笑い話にもならないからな!

 

 しかし今更また巻きなおすのも面倒だ。どうせあと少しだし、そのまま済ませたほうがいいだろう。

 

 足を滑らせないよう慎重に動かし再びシャワーの前に立つ。最後に改めて体に残った汚れを洗い流すためだ。

 あと単純にシャワーが気持ちいい。

 蛇口の位置を確認するため、体が見えない程度まで視線を下げようとして、

 

 ()()()()()

 

 

 

 深い金色の、自分の瞳が同じようにこちらを覗いている。

 

 再び思い出してほしいのは、この浴室には鏡が設置されているということだ。それも、シャワーの隣に。

 つまり、だ。

 シャワーを浴びるためには必然的に鏡の前に立つ必要があり、それはつまり自分の姿が見えるということであり、つまりつまりタオルを巻いてない自分の体を直視するということであり──────!!

 

 反射的に顔ごと背けそうになり、

 …………いや! と思い直す。

 

 元の姿に戻れる方法も保証もない今、この先、この体と付き合っていかねばならないのだ。下手をすれば一生。いや一時的なものだと思いたいが!

 それなのにお風呂に入る度に恥ずかしがってるわけにもいかない。いずれ慣れなければならないことだろう。受け入れるのが遅いか早いかだけの違いだ。

 

 

 

 意を決して、顔を正面に向き直す。

 そして徐々に視線を下げていく。

 

 濡れてぺたりと下がった金髪。やや血走った金色の瞳。紅潮した頬。

 

 改めて見るとやはり整った感じがする。これが自分じゃなければなぁ……なんて思いながらさらに視線を下げる。

 

 喉ぼとけが浮いていない喉。丸みを帯びた肩。

 

 そしてついに上半身へと視線を落として──────、

 

 

 

 鏡が曇っていた。

 肩から下にあたる部分は湯気で真っ白に覆われて、輪郭がぼやけた肌色の影しか見えなかった。

 

 

 

 ………………………………。

 

 

 ………………………………なんか…………なんか違うだろうこれは!!

 

 

 

 反射的に鏡を殴りつけそうになった。

 鏡の中の金髪少女も微妙そうな顔をしていた。

 

 …………どっと一気に疲れた気がしてならない。一体自分はなにと戦っていたんだろう。

 

 なんだかさっぱりとしない感じになってしまったがわざわざ鏡を吹いてまでして見る気力はない。

 手早く体から水気を拭い去って風呂場から退散する。

 

 なおこの後髪を乾かすことにも苦戦するはめになるのだが、それはまた別の話だ。



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第1章 学園編 
4話:初めての? >稲原イズナ


 ざわざわと人混みが生み出す喧騒に浸りながら一人、食堂の端の席で朝食を口に運ぶ。多少の騒がしさであればそこまで気にするものでもないのだが、今日に限っては場違い感というか、すさまじい居心地の悪さを感じてしまう。

 なぜかと言えば、

 

 食堂にいるほとんどがこっちを注目しているからだ。

 

 自意識過剰のナルシスト、ってわけではもちろんない。

 学生寮の食堂というのはいろんな人が行き交うように見えて、意外と閉鎖的だ。 

 何時くらいにこの人が来て、そしたらだいたいこのあたりの席にきて、何を頼んで…………みたいな情報は年単位で過ごしているうちに勝手に蓄積されてる。

 

 一日をだいたい決まったルーティンで動いている彼らにとって、この食堂は庭のようなもので、少しいつもと違うところがあったら誰かがすぐ気がついて一気に広まる。

 

 例えば、風邪で誰かが休んだ時とか。

 例えば、退寮した誰かが居なくなったときとか。

 

 例えば…………誰も知らない金髪少女が席に座っていたときとか。

 

 ビシビシと突き刺さる好奇の視線と陰口でなんだかむずがゆくなってくる。というか普通に恥ずかしい。

 

 まぁオレだってワイシャツにズボンを履いた金髪女子が居たらそりゃ穴が空くほど見るけど、もう少し遠慮ってものはねぇのか!?

 

 こうなるくらいならコンビニで適当に部屋で済ませておけばよかったと後悔し始めたとき、正面とその隣の席の椅子が引かれ、誰かが座った。

 汐射だった。

 

「よお。調子はどうだ?」

 

「めちゃくちゃ視線が痛ぇ。動物園の客寄せパンダってこんな気持ちなんだな…………」

 

「元気そうでなによりだよ。というかどうやっても目立つってわかりきってるだろ。部屋でコンビニのおにぎりとか食っとけばいいじゃんか」

 

「バッカお前、学生のお小遣いなめんな。一食コンビニ飯にするだけで何円嵩むと思ってんだ。こーいうところで節約しなきゃ月末ヤバいんだよ。だから安くいっぱい食える食堂に来てるって訳。あと今日は鮭の塩焼きがメニューにある」

 

「いやお前の好みとか知らないよ。あと学割は学生証ないと適応外だろ。というわけでこれ」

 

 ぽいっとテーブルの上にプラスチック製のストラップに収められたカードが置かれる。

 

「え、なにこれ」

 

「お前のIDカード。とりあえず最低限必要な情報は書き換えといたから学園に入るくらいはできるはずだぜ」

 

 朝に汐射に渡したIDカードは顔写真のところが今の自分の姿に置き換わっており、他にも色々変更されているところがある。

 まじまじとカードを見つめ、何度か汐射の顔と視線が往復する。

 ごく、とつばを飲み込み、

 

「汐射…………お前ついに女だけじゃなくて犯罪行為にまで手を…………!!」

 

「違ぇよバカ、どっちもやってねぇ。今回のは普通に申請したんだよ」

 

「いやでも早すぎないか? 写真撮ったの今朝で、まだ2時間くらいしか経ってないぞ。こういうのって二日三日とか、下手すりゃ一週間くらいかかるんじゃないか?」

 

「それに関しちゃコイツに感謝してくれ。コイツが居なかったら申請どころじゃなかったからな」

 

 汐射が隣の席を指す。

 そこに座っていた少女がごほん、と軽く咳払いをしてこっちを見てくる。

 

 第一印象は『性格キツそう』、って感じの少女だった。

 やや釣り目になった切れ長の赤眼。如何にも自信満々といった表情。そして『炎』の異能を示す燃えるような赤髪をいくつかの束にしてくるくると縦に巻いている。

 

「あなたが稲原イズナ? ……ふーん。(わたくし)緋剣(ひつるぎ)ホムラ。汐射くんから事情は聞いてますわ。よろしくお願いしますね」

 

「ど、ども……………………え、もしかして汐射の追っかけ(ハーレム要員)?」

 

「しっつれいですわね。あんな輩たちと一緒にしないでくださいな。私とそいつはお互いに利があるから手を結んでるだけ。ってなわけで貸し一つね、汐射くん」

 

「はいはい」

 

 なんだか自分の知らないうちに話が進んでるような感じがして首を傾げる。

 つまり…………どういうことだ?

 

「緋剣家って言えばあとわかるだろ? あと、こいつの父親が学園の理事やってる。つまりはそういうこと」

 

「お前の交友関係どうなってんだよ…………!」

 

 つまり。

 普通ならおそらく門前払い、できても最悪一週間ほどかかる手続きを学園の理事にお願いして二時間で済ませたってことか?

 

 段々こいつの人脈が怖くなってきた。なにをどうしたらこんな繋がりできるんだよ!

 

 言われてから気づいたが、緋剣家と言えば『ホライゾン』支援団体の中でも五指に入る巨大財閥だ。そこのご令嬢と対等に取引できるなんて一体何をどうしたのか想像もつかない。

 

 というか全然動じてない汐射が恐ぇ!

 

 

 普通の人なら一生無い人脈をさも当然みたいな顔して使ってる汐射と赤髪令嬢にドン引きしてガタガタ小動物みたいに震えてると、不意に二人が席を立つ。

 

「そろそろ行くぞ。演習場の予約取ってるし、遅れたら先生がキレる」

 

「なんで演習場? ってか何やんの?」

 

「そりゃ、決まってるだろ」

 

 にやりと汐射が笑う。

 

能力測定(アセスメント)。せっかく使えるようになったんならやるしかないだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 いざ能力測定(アセスメント)、とは言ったものの。

 

「おいこら汐射ィィ!!! こんなの聞いてねぇぞ!!?」

 

 バタバタバタ! と足音を響かせながら一辺100mほどに区切られた正方形の空間を逃げ回る。少し上を見上げるとガラス張りになった部屋から汐射がこちらに向かって手を振っているのが見えた。

 

 あいつ絶対ぶん殴る!!

 

 ギリギリと歯嚙みしながら振り返る。

 

 ドラム缶型のロボットが駆動音を響かせながら猛スピードでこちらに迫ってきていた。

 4本伸びたアームがぎゅるぎゅると無機質な音をかき鳴らす。

 

『まずは仮想敵(オートマタ)、コイツからだ。最低限コイツをタイマンで倒せなきゃ話にならんぞー』

 

 拡声器からとんでもないことが聞こえてくる。

 

 人間は金属製のロボットを素手で壊せるようなスペックに作られちゃいねぇんだぞ!?

 

「っていうか! 能力測定(アセスメント)ってこんな実戦形式じゃなくてヘッドギア付けてデータ読み取って云々ってやつだったろ! なんでいきなりこれなんだよ!?」

 

『そりゃあ実戦形式交えながらのほうが精度も確度も段違いなわけだし。今の自分の実力を知るにも丁度いいだろ。カテゴリごとにチューニングしたのが控えてるからさっさと倒せ―』

 

「お前さては今朝事故ったの根に持ってるだろ!?」

 

『そんなことない。別に、お前のためを思っての買い出しから帰ってきたらいきなり異能で攻撃されたことの不満なんて1ミリもない』

 

「やっぱ根に持ってるじゃねぇかあれは仕方ないだろぉ!! ええいくそっ、わかったよやりゃあいいんだろやりゃあ!!」

 

 やはりアイツは殴らねばならないと決意を新たにし、走りながら一息入れる。

 

 

 

 そして強くイメージする。体の内側を走る神経を伝わせるように、ある種のエネルギーを体の隅々まで行き渡らせるように。

 

 バチン、と頭の中で歯車が切り替わるような感覚。

 それと同時に振り返り、一歩強く踏み出した。

 

 ゴンッ、と踏み込む足音がやけに後方で聞こえた。

 

 瞬きする間に仮想敵との距離が縮まり、0になる。

 埒外に高まった身体能力が爆発的な膂力を生み出し、普通の人間ではありえない速度で体が動く。

 

(これが…………『身体強化(ギアチェンジ)』!)

 

 『男』を失ってしまった代わりに使えるようになった異能、その片鱗。

 なんで注射されただけで女になって異能が使えるようになるのか。原理はさっぱりわからないが事実そうなってるんだから受け入れるしかない。

 

 そして実際に『身体強化』を経験した今だからわかる。これだけでも人間にとってはオーバースペックだと。

 そりゃ一般人じゃ歯が立たないわけだ。大人と子供どころか、文字通り次元が違うとしか言いようがない。

 あれだけ速く感じた仮想敵の速度も、今ならゆっくり歩いてる程度の速度にしか感じない。

 体にみなぎる万能感、今なら空だって飛べそうな気分にさえなってくる。

 

 ただ問題を上げるとすれば…………──────。

 

 

 

 ぜんっぜんコントロールできねぇんだけどこれ!?

 

 

 

 予想をはるかに超えるスピードに、仮想敵を蹴り飛ばそうとした足は盛大に空振りし、態勢を崩したまま勢いよく地面を転がる。

 身体を強化していたおかげで痛みはないが、うっかり解除していたらそのままおろし金にかけられた大根のごとくミンチになってただろう。

 

 膨らまし過ぎた風船みたいに制御できねぇ。長年普通自動車を運転していたドライバーがいきなりマッハで飛び回る戦闘機に乗せられたみたいだ。普段とのスペック差が大きすぎる。

 

『まずは慣れるところからだ。『身体強化』を使いながら普段通り動けるようにしろ』

 

「簡単に言ってくれるなぁ!」

 

『普通こんなことないんだけどな。多くの異能使い(ストライカー)は覚醒初期を超えたらあとは体の成長に合わせて異能に適応していく。だからお前みたいな、通常の感覚で身体強化後の肉体を動かすなんてちぐはぐなことはないはずなんだが…………』

 

 そもそも以前と比べて重心から何まで全部変わってるからぶっちゃけただ歩くだけでも違和感あるんだけどな! これで早く慣れるなら悪くはないんだけど。

 

 あと、何がとは言わないが、動くたびにめちゃくちゃ揺れる。ヤバい。さらしか何かでまとめておけばよかったかもしれない。

 

 

 

 汐射の話を聞きながら一度突撃の準備をする。

 

 2回目。

 再び空振り。

 

 3回目。

 寸胴のような胴体に掠るが破壊するまでのダメージは与えられず。

 

 4回目。

 ようやく命中。

 

 

 

 メギメギバキ!! と蹴りが命中した胴体から盛大にひしゃげる音を響かせて、仮想敵は紙のように吹き飛ぶ。おおむね予想通りというか、多少身構えていたものの鋼鉄を蹴り飛ばした足には傷一つなかった。鉄より硬い体ってなんだよそれ。

 

『よし、慣れてきたみたいだな。次はもう少し強めのやつを出す。今度は『身体強化』だけじゃなくて異能(ストライク)も使え』

 

 パカリと天井の一部が開き、新たな仮想敵が投下される。先ほどと見た目は同じだが一回りほど装甲が厚いように見える。ただ殴る蹴るといっただけでは少し苦戦しそうだ。

 

 わずかに息をつき、目標に向かって駆けだす。

 

 ここからが本領。これからが本番。

 

 『身体強化(ギアチェンジ)』というものはすべての異能使い(ストライカー)が使える平均的な汎用能力に過ぎない。

 

 故に、ここからが能力測定の本番。

 

形成開始(セット)──────」

 

 瞬間的に距離を詰める。

 剣を持つように右手を構える。

 口の中で言霊を紡ぐ。

 

「──────<ケラウノス000>!」

 

 バチィ! と空気を焦がして右手の中に光が奔った。

 否、光ではない。

 それは雷だった。

 

 断続的に眩い光を放ち、空気を焼くそれは小さいながらも雷と呼べる代物だった。

 

 こちらを捕縛しようとするアームを搔い潜り、装甲の隙間へと雷の短剣を突き刺す。

 回路を走った高圧電流は容易く抵抗を食い破り、内部からロボットを蹂躙しつくした。

 

 

 

 

 ………………………………。

 

 

 

 あれ? もしかしてオレって強いのでは?

 初めてだけど結構倒せてるし、実は才能あるのでは?

 

 

 

『そんじゃ次。カテゴリ5』

 

 再び天井の一部が開き、仮想敵が投下される。

 外見に差異はないが、たぶんどこかしらが強くなっているんだろう。

 

 最初は本当に倒せるのか半信半疑だったが、今の自分でも倒せることがわかったし、雷に対して精密機械のロボットとは完全にこっちが相性有利だ。もうこれは勝ったみたいなものだろう。

 

 さっきの仮想敵よりかなり機動力が高いが、『身体強化』と異能を組み合わせれば余裕で追いつける速度だ。つまり…………倒せる!

 

 今までと同じように一直線へと仮想敵へ突っ込む。やはり仮想敵は反応が追い付いていない。

 

 バチンッ!! と前髪から稲妻が迸る。

 放たれた雷の槍は光の速さで装甲の隙間に突き刺さり、内部回路を焼き尽くして──────、

 

 

 

 ()()()()()

 

「うっそぉ!!?」

 

 思わず足を止めたところにアームの先端に取り付けられたグローブが襲い掛かる。

 当然、避けられない。

 

 無防備なボディにグローブが突き刺さり、受け身も取れずに地面を転がった。

 

 

 

 

 

 

「──────なんでさっきの倒せてねぇの!? 最初と二体目は出来たじゃん!」

 

 うだうだと文句を言うオレに対して汐射がニヤニヤと笑う。なぜか隣には緋剣さんも居る。

 

「んじゃ、説明してやるからよく聞けよ。まずは一体目」

 

 ピコン、と腕に巻いた小型端末から空中に立体ホログラムが投影される。先ほど倒した仮想敵の3Dモデルのようだ。

 こういうのって見てるだけでなんだかテンション上がってくるんだよな、かっこいいし。

 

「ま、普通にぶっ壊してるよな。身体強化も問題なく使えてたみたいだし次、二体目」

 

 画面が切り替わる。

 

「<ケラウノス000>で生成した雷による内部機関損傷により行動不能、んで最後。お前が聞きたいやつ」

 

 再び画面が切り替わる。

 

「装甲が薄いところを狙ったのは大当たりだが…………まぁ、あれだな。お前の出力低すぎ」

 

「ちくしょう! 薄々思ってたことをあっさり言いやがって!!」

 

「話には聞いてたけど、あなたってほんと弱いですわね。稲原イズナ」

 

「なんでオレのことそっちまで伝わってんの!? っていうかカテゴリ6クラスは倒せるようになったしこれでもマシになったほうなんだわ!」

 

 グサグサッ! と緋剣さんの純粋な驚きの言葉が心に刺さる。

 なまじ貶めそうだとか、そんな意図が含まれてないのがわかるばかりに余計ダメージ入るわ!

 

「弱点突いてるのに倒せないやつはさすがに初めて見たわ。努力次第である程度は伸びるとはいえ、今の出力でカテゴリ5クラスを倒すのは工夫が必要だぜ。意図的に作られてる弱点部位もカテゴリ6クラスと比べたら倍くらい耐久違うし。ということでお前は今まで通り『カテゴリ6』、これからに期待ってやつだな」

 

 がっくりとうなだれる。

 これから始まるオレの無双伝説なんてなかった。

 

「いやそんなに都合よくいくわけないっては思ってたよ? わかってたよ? でも女になった対価がこれっぽっちって、なんか納得いかねぇだろ!! 返せ!! オレの!!」

 

「…………ま、これくらいできるようなったなら異衛科(ハードコア)にも上がれるだろ。前と比べれば雲泥の差じゃないか。もっと素直に喜べよ」

 

「って言われてもなぁ…………。お前ら異衛科(ハードコア)ってみんなこういうの余裕なんだろ? 今まで一般科(ピースフル)に居た身としちゃ、正直ついていける気しねぇよ」

 

 ボケっと天井を見上げて呟く。

 実力というかなんというか、そういうものが根本的に足りないような気がしてならない。

 

異衛科(ハードコア)になったら学園祭のトーナメントにも出れる。『ディフェンサー』のお偉いさんも来るしここで成績残せばスカウトだってされるかもしれない。そしたらあとは順当の出世コースだ。もっとやる気出せよ」

 

「『ディフェンサー』、ねぇ…………オレそういう出世街道とか興味ないしなぁ」

 

 街の治安を守るために活動している『ディフェンサー』。異能を使っていろいろやらかそうとするやつはこの時代事欠かないし、あらゆるところで引っ張りだこになってるという話だ。

 危険度も高い職種ゆえに、いろいろ優遇される部分も多い。あと子供からの人気も高いそうだ。

 

 

 

 ぼーっとそこまで考えたところでふと、頭の中にあの人の姿がよぎる。

 

 炎と煙の中で、ただ一筋差し込んだ眩しい光のような。

 

 

 

「──────…………なぁ」

 

「ん?」

 

「強くなったら…………なんか…………こう…………いろんな人と会えたりするのか?」

 

「『学区』総出の催しだからな、他の区からもたくさんの見物客がくる。もちろん、参加者も。運が良ければ、お前を助けたっていう異能使いとも会えるんじゃないか?」

 

「べっ、べべべ別にそーいうわけじゃないから!! ただ、ちょっと、えーっと、その、『オレより強いやつに会いに行く』的なアレだから!!」

 

「わかり易すぎる…………っていうか見た目も変わってるんだし気づいてもらえないだろ」

 

「た、確かに……………………じゃなくて! とにかく、強くなってそのトーナメントで勝てばいいんだろ! やってやるよ!」

 

「ほんと単純だな…………。じゃあ、今日から特訓な。目標は来月のトーナメントまでにカテゴリ4だ」

 

「余裕!」

 

「んじゃあ今から俺と緋剣、二人相手にして実戦形式で組手だ。もちろん異能は使う」

 

「えっ待ってそれは聞いてな──────」

 

 

 

 

 

 




この後めちゃくちゃボコされた。

・まとめ
 稲原イズナ
 元男の現金髪少女。
 発現した異能はカテゴリ6の<ケラウノス000>。系統は『雷』。雷と言いつつそんなに強くない。弱い。
 完全な不意打ちで当てたら異能使いでも気絶させることができるが少しでも意識されたらちょっとしびれるくらいで終わる。

汐射(しおいり)ミスズ
 めちゃくちゃコネがある。
 買い物から戻ったらちょうど着替え中の稲原イズナと出くわした挙句暴発した異能を食らわされた。

緋剣(ひつるぎ)ホムラ
 緋剣財閥の令嬢。父親が学園の理事を務めてる。

仮想敵(オートマタ)
 異能周りの技術を応用して作られた自立稼働するドラム缶型のロボット。主に訓練用に使われる。コストが安いため大量生産できる。

異能使い(ストライカー)
 だいたい小学生くらいまでには覚醒する。成長と共に異能に適応していき、炎なら髪が赤色に、水なら青髪に……といった具合で外見が変わることもある。

系統
 炎、水、風、雷、土の5種類ある。
 炎は近接、水はサポート系、風は遠距離、雷はスピード、土は地形操作……のようにそれぞれ得意な分野がある。


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5話:始まりの強化週間 >稲原イズナ

>>>3rd Person

 

 

 カメラのストロボのような閃光が断続的に演習場へ閃く。

 その光の中、稲原イズナと緋剣ホムラ。二人の異能使い(ストライカー)が向き合っていた。

 

 バチバチと前髪から火花を散らすイズナ、凪いだ湖面のように静かに立つホムラ。

 

 引き絞られた弓のように張り詰めた空間に、バチンッ! と一際大きく火花が爆ぜ、それを合図にしたかのように二人の周囲の空気が爆発した。

 

「───『雷衣(アルゲス)』」

 

 全身に雷を纏い加速し突撃するイズナ。瞬きする間に距離を詰め、砲弾のような勢いで放たれた拳をホムラは辛うじて首を逸らすことで回避する。

 

 その間にも次々と放たれる雷の打撃。電磁力で手足を加速させた一撃はもはや身体強化(ギアチェンジ)で強化された視力でも視認が難しいほどの速度を誇っていた。

 

 ホムラが一度動く間に二度イズナは動く。根本的な速度の差から必然、ホムラは守りに押し込まれた。

 ホムラは体の反応が追い付く限り身を躱し、あるいは捻り、それでも間に合わない場合は右腕で受け、防御を重ねていく。

 

 圧倒的な速度の連撃(ラッシュ)になすすべもなく押し込まれていくように見えた。

 

 嵐のように攻め立てるイズナに対し限界を迎えたのか、やがて一歩、二歩、とホムラの足が下がり始め───ガクッと、何かにつまずいたかのように大きく態勢が崩れる。

 

 反射的に足を見るホムラ。そこには黒い縄───砂鉄で編まれた鎖が絡みついていた。

 

 

 にやり、とイズナが笑みを浮かべる。

 

 生まれた大きな隙。

 

 好機は逃さないとばかりに、勝負を決めるためにイズナは強く前へと踏み込む。拳から紫電を散らし、大きく引き絞って───引き戻されたかのように思いっきり体を逸らし、足元から花が咲くように噴き出した()()を辛うじて躱す。

 

「──────『火岩華(イズヴェルジェーニエ)』」

 

 ぶわっ、とイズナの頬に冷や汗が浮かび、ホムラは犬歯を剥き出しにして笑った。

 あのまま踏み込んでいたらまともに溶岩が直撃し少なくとも戦闘の継続はできなくなることが確定するであろう攻撃。下がった足も、崩れた態勢も、ホムラの(ブラフ)だったことをイズナは理解した。

 

 

形成開始(セット)、『巨人よ、大地を束ねて剣と為せ』───」

 

 一瞬動きが止まったイズナを蹴り飛ばし、距離を取りながら態勢を立て直したホムラが詠唱を続ける。

 

 

 特定言語による詠唱。異能使いがその力を十全に発揮するための技法の一つ。

 異能とは、異能使いの認知を外界に出力する力。イメージの強度によって大きく左右される異能にとって、言霊で認知を補強する詠唱はすべての異能使いにとっての常套手段だ。

 

 

 詠唱に呼応するようにひと際強く吹き上がった溶岩がホムラの左手に集中し、圧縮され、武装を形成する。

 

 

「───『破壊の証明を我が手に納めよ』。<レーヴァテイン051>」

 

 

 それは剣だった。

 炎そのものを束ねたかのように赤々と燃える刀身。その先端を流れ落ちる溶けた岩石。

 見る者に灼熱に燃え滾る活火山をイメージさせるようなエネルギーを秘めた特大剣だった。

 

 

 そして、蹂躙が始まった。

 

 

 少女が左手でその剣を振るうだけで猛烈な熱波が巻き起こる。

 振り下ろせば大地が裂け、薙げばその射線上にあるものはすべて燃え尽きる。

 

 

 イズナの武装では受け止めることはできない。

 圧倒的な熱量に近づくこともできない。

 反撃の手段はない。

 

 

 ゆらり、と少女の影が陽炎で巨人のように揺らぐ。

 

 

 炎で生み出した上昇気流で加速しながら軽々と身の丈を超えるほど巨大な剣を振り回すホムラ。飛び跳ね、動くたびにその赤髪が残火のように揺れる。

 圧倒的な出力差の前に、イズナは逃げの一手しか取れなかった。

 

 

 形勢は完全に逆転した。

 

 

 顔を引きつらせながら降りかかる炎から必死に回避行動をとっていたイズナ。しかし、打つ手のない状況に徐々に追い詰められ、壁へと追い込まれる。

 

 

 そして眼前へ突きつけられた炎剣を前に、イズナは何度目かの敗北を認めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

>>>稲原イズナ

 

 

 

「───雷を体に纏うことで身体能力の底上げ、電磁力を応用した砂鉄の操作。…………小技は増えたけど、どうにも決定打に欠けるな。もっとなんかないのか?」

 

「スピードは褒めてあげなくもないけど威力はからっきしなのよね。もっと派手にいきなさいよ」

 

「無茶言うんじゃねぇエリート共! こっちはまともに異能使い始めてから一週間も経ってねぇんだぞ!」

 

 やいのやいのと好き勝手に言ってくる二人。全身に負った軽いやけどを汐射に治療してもらいながら叫ぶ。

 カテゴリ6。それも最近異能を使えるようなった素人が今まで異衛科(ハードコア)でビシバシやってきたであろう格上相手をどうにかできるような手が思いつくと思ってるんだろうかこのエリート共は。

 

 むしろ、あんな暴虐の化身みたいな緋剣を相手に多少は戦えていることを褒めてほしいぐらいだ。

 

 

 そんなオレの気持ちは露知らずとばかりに指でくるくると髪を弄ぶ緋剣をじとっとした目で睨みつける。黙ってれば深窓の令嬢に見えなくもないのに、言葉も異能もやたらと強火なのがアレである。

 

「…………失礼の波動を感じましたわ。もう一回やりましょ、サンドバッグにしてあげますわ」

 

「お前エスパーかよさらっと心を読むんじゃねぇ!! 今日はもう終わりだ終わりこんな調子でやってたら強くなる前に燃えカスになるわ!!」

 

「汐射くんに治してもらえるから肉体的なダメージは実質0じゃないですの」

 

「精神的に!! オレがキツいの!! 毎日10回も20回もあんなにあぶられたら心が焼肉になっちまうよ。…………腹減ったな、後でなんか食うか」

 

「でも始めてからずーーっと私に負けっぱなしじゃないですの。こんなのじゃ『学園祭』で勝てませんわよ、稲原イズナ」

 

「オレが弱いんじゃなくて緋剣が強すぎんだよ。っていうかなんだあの武装反則じゃねぇかふざけんな!!」

 

「対応できないほうが悪いんですわ。ま、私が最強ですので仕方ないんですけども」

 

 ふふん、と無い胸を張る緋剣。

 へー、と適当に返したら関節を極められた。なぜ。

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、結構動けるようにはなってきたし今日は応用のとこまで説明するぞ」

 

 場所は少し変わって射撃訓練用のブース。長方形の空間の先に円形の的がずらりと並べられている。

 

「武装には『オプション』ってのを付与することができる。読んで字のごとく、だけどまぁ実際に見たほうが早いだろ。───形成開始(セット)、<フェイルノート345>」

 

 汐射の手から生成された水が凝縮し、半透明の弓を形成する。そして同じく水で作られた矢を番え、適当に放った。

 ひょう、と空気を裂いて飛んだ矢は的の手前で地面に落下し、水しぶきを上げて形を失った。

 

「俺の武装は弓。これに『オプション』を組み合わせれば──────」

 

 今度は三本同時に番え、再び放つ。

 バラバラの方向に飛んだ三本の矢。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「とまぁ、こんな芸当もできる。ちなみに<フェイルノート345>の『オプション』は『必中』だ。狙った標的へ自動的に追尾してくれる。もちろん、これも完璧じゃないが」

 

「かっこいい……オレもやりたい」

 

「『オプション』はある程度自由に、そして一つだけ設定できる。対異能使いの戦闘において重要なのは相手の『オプション』は何か、というのをいち早く見抜くことだ。属性は見ればすぐわかるしそっちのほうに注目したほうがいい。特に力押しができないお前にとってはな」

 

「はい先生!」

 

「なんだ生徒」

 

「自由に設定できるってどこまでだ? 『振ったら勝つ!』みたいなのやられたら普通に無理ゲーだと思うんだけど」

 

「さすがにそこまで理不尽なものは付与できない。具体的にどの程度のものまでできるかはその人の才能容量(キャパシティ)によって変わってくるが。だいたいは複雑なものほど容量食うし、単純なものほど軽く済むと思ってもらえたらいい。単純なものならクセもないし扱いも容易だが、その分見破られやすいし対処もされやすい。逆に複雑なものはその分強力だが、オーバースペックな『オプション』を無理やり積もうとすれば逆に異能自体の出力が落ちることだってある」

 

 なるほど、と一つ頷いて、

 

「つまりこれからちょうどいい『オプション』を<ケラウノス>につけると!」

 

「いやお前には使えないよ」

 

「は?」

 

才能容量(キャパシティ)が足りない。異能と身体強化を同時に使うだけでカツカツなのに『オプション』なんて付けれるわけないだろ。それにお前の武装は不定形。イメージを固着させて武装に付与する『オプション』とは滅法相性が悪い。諦めろ」

 

 無慈悲な宣告にがっくりと崩れ落ちる。後ろで緋剣がゲラゲラ笑っていた。神は死んだ。

 

「…………そ、そんな落ち込むなよ……世の中には『オプション』を使わない純粋な異能だけで実力を証明してる異能使いだっているんだし、お前にだってチャンスはあるだろ」

 

「───わかってない。お前は何にもわかっちゃいないよ汐射ミスズ」

 

 ゆらりと幽鬼めいた動きで立ち上がり、ズビシィ! と人差し指をこのわからずやに突きつける。

 

「───自分で考えた超能力を武装に付けられるとか…………めちゃくちゃロマンじゃねーか!?」

 

「…………は?」

 

「こーいうのは全ての男の一生の夢だっていうのに…………んなかっこいいもんを取り上げられたオレの気持ちがわかるか汐射!? ちくせう『オレの考えた最強の異能』計画がぁ!!!」

 

「………………………………………………………………、あ、そう」

 

 

 なんだか汐射の視線が絶対零度のように冷たくなったがこれは死活問題なのだ。

 才能容量ってどうやったら増えるのだろうか。訓練で伸びるようなものなのだろうか?

 

 

 

「…………っていうかさぁ」

 

 うんうんと唸りながらなんとかならないかと頭を抱えていると、ポツリと汐射が呟く。

 

「いい加減お前の服装ヤバすぎ。自覚してんのか?」

 

「服装って言ったって…………ワイシャツにズボン、別に普通だろ」

 

「男子生徒だったらな。今の自分の状態を客観的に見てみろよ、そろそろ改めないと風紀委員がぶちぎれるぞ」

 

「いやそこまでじゃないだろ…………! それに改めろって言われてもさぁ」

 

「買いに行け」

 

「男のオレが女子の買い物コーナーに行ったら変態みたいじゃねーか!」

 

「今はどこからどう見ても女だろ」

 

「こっ……心は男だから! 誰が何と言おうと男だから! それに一人でいくのもなんかさぁ…………あれというか…………」

 

「なら二人でいけばいいじゃないですの。ということで稲原のこと、借りていきますわ」

 

 

 待ってましたと言わんばかりに喜色に満ちた声が背後から聞こえる。

 ぐいっと背後から緋剣に手首を掴まれる。

 そのままずるずると引きずられ───ってあれ!?

 

 

「え?」

 

「構わん。ついでに色々教えてやってくれ」

 

「え?」

 

「もちろんですわ。ちょうど私だって同性として目が余ると思ってたところですし、この際みっちり教えてあげますわ」

 

「えっ、いやっ、ちょ──────」

 

「ほらぐだぐだ言わない、さっさと行きますわよ!」

 

「やっ、やめろォ!! オレはこの服がいいんだ!! 女子の制服とか着れるわけないって!!」

 

「そんな見た目で言われても説得力ないですわ」

 

 なんだかある意味で自分の大切なものが失われそうなとんでもない危機にダラダラと冷や汗が流れるが、頼みの綱の汐射はオレを売った。助けは来ない。

 

 そのまま無慈悲に抵抗もむなしくブースから引きずり出されてしまった。

 

 

 

 




・稲原イズナ
 緋剣ホムラとの模擬戦を繰り返して色々小技が増えたTS男子高校生。火がトラウマになりそう。
 『雷衣(アルゲス)
 雷を全身に纏って身体強化を底上げする技。なんで身体能力が上がってるのかイズナは理解してない。とりわけスピードが上がり同じ異能使い相手でもほぼ先手を取れるようになった。雷を纏っているため攻撃に当たったり体に触れたりすると痺れる。

<ケラウノス000> 系統:雷 武装:不定形
破壊力:E/防御力:E/スピード:B/制御力:D/持続力:C/成長性:A>総合:カテゴリ6


・緋剣ホムラ
 戦闘狂の気がある自尊心たっぷり火属性令嬢。キレると大剣を振り回す。今回は主人公の対戦相手をしていた。
 破壊力は『学園』内でもトップクラス。豪快な戦い方を好む。反面持続力が低く、よくスタミナ切れになる。
 『火岩華(イズヴェルジェーニエ)
 相手の足元から溶岩を爆発させる技。地雷のように置くこともできる。熱い。

<レーヴァテイン051> 系統:炎&土 武装:特大剣
破壊力:A+/防御力:A/スピード:D/制御力:D/持続力:D/成長性:C>総合:カテゴリ2


・汐射ミスズ
 今回はヒーラーとして裏方に徹していた男子高校生。主人公がようやくまともな服装をしてくれそうなので安心している。ある程度の怪我ならすぐに治せるので主人公が怪我するたびにに治して模擬戦に押し込んでいた。

<フェイルノート345> 系統:水 武装:弓 オプション:『必中』
破壊力:C/防御力:B/スピード:C/制御力:B+/持続力:B/成長性:C>総合:カテゴリ3


・『オプション』
 異能使いの武装に一つだけ付与できる特殊能力の総称。
 発動条件+効果で設定される。
 発動条件を複雑にするほどより大きな効果が得られるが、才能容量(キャパシティ)以上のオプションを付与してしまうと異能自体が弱体化することもある。


次回はお出かけ回です。


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6話:それぞれの雑感

 今話を書き上げるにあたり、緋剣ホムラの口調を色々変更しました。要するにお嬢様口調になりました。
 以前の回もちょこっと修正してるので気になる方はぜひ読み返してみてください。


「ねぇまだですのー? もう10分もそのままじゃないですか。…………あっ、良いことを思いつきましたわ! 一緒に入って手伝ってあげましょう! せっかくですし、色々着方とか教えて──────」

 

「う、うるせぇ! できる! 一人でできるから入ってくんな頼むから!!」

 

 死神の宣告のような声がカーテンの外から聞こえてきて思わず叫び返す。声色から、あの小馬鹿にしたような生意気な笑みを浮かべているであろうことがビシビシと伝わってくるが今の状態じゃとてもじゃないが反撃できねぇ! クソ!

 

 だら、と。クーラーが効いた一室にも関わらず、頬から冷や汗が流れ落ちる。

 

 どうすればいいのかはわかるが……いやしかし…………もうわかんねぇ!

 

 手元に押し付けられたものから目を背け、呆然としながら現実逃避をするように天井を見上げるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 事の発端はやはり、先ほど演習場で迂闊にも口走ってしまった自分の『一人でいくのも……』発言だろう。

 あれで何かのスイッチが入ったのか、生き生きとし始めた緋剣に連れてこられた場所がここ『商業区』。7つに分けられる『ホライゾン』の中で最も人と金の出入りが大きいブロックだ。

 

 『傷病区』が医療、『学区』が学業を司るとしたら、『商業区』は文字通りの商業。あらゆる商品がここに集い、そして他のブロックへと分散させる流通の街だ。ここでは大抵のものが揃っている。

 例えを出したらキリがないが、とにかくなんでも揃うって言うのがここの特徴だ。自分も特売品で安くなったおかずを求めてよく足を運んでいる。

 

 それでも、なんでも揃うと言ってもまさか自分が()()のためにここに来るとは思いもしなかったが!

 

 『商業区』の一角にある馬鹿でかいデパート。その中にある試着室で一人ウロウロと挙動不審な動きをしてしまう。

 いや、誰だって自分と同じ状況になったら挙動不審になるに違いないだろう。そうあれかし。

 

 ごくりと唾を飲んで、改めて、手にあるものへと目を向ける。

 

 

 胸元によくわからない花の校章が付いた白のブラウス。そしてサスペンダー付きのスカート。

 

 

 …………端的に言えば『学園』指定の夏用制服、もっと言えば『女子用』である。

 

 

 

 いやいや。

 いやいやいやいや!!

 

(これをどうしろと!? い、いや服なんだから着ろってことなんだろうけどオレが!? っていうかこれじゃまんま()()じゃねぇか!!)

 

 今まで生きてきた中で女装なんてしたことないし、これからもする予定なんてなかった。それがどうしてこんなことになるんだと一人頭を抱えてしまう。

 両手に持った女子制服が妙にずっしりと重く感じる。

 服、ということは理解している。しかし、今までそれを着るという発想もイメージもしたことがなかったが故に、『これを今から着るのか!? 自分が!?』という気持ちと『どうせここから逃げられないんだからさっさと着て終わりにしようぜ』と妙に達観した気持ちが二つある。完全に混乱していた。

 

 

 コンコン、と死神(ひつるぎ)がノックした音にびくぅっ!! と思わず体が震える。

 

 

 まずい。

 まずいまずい!

 

 

 もたもたしてたら訝しんだ緋剣が入ってくるかもしれない。そうなったら一巻の終わりだ。

 

 同級生とは言え、女子と密閉空間で二人きりなんていろいろまずい。別に手を出すとかそういうのじゃないけど、何かあったら陰に待機してるお付の凄腕スーパーウーマン! おまけに過保護! みたいなSPが飛んでくるに決まっている。

 

 ならさっさと着替えてしまおう、とのことなのだが、そこでもまた一つ問題がある。

 

 着替えるということは、まず当然ながら、今着てる服を脱がなければならない、ということだ。

 

 着慣れたいつものYシャツにズボンのスタイルなら目をつぶってでも着替えられるため、今まで大した問題じゃなかったが、慣れない服となると話が変わってくる。

 

 女子用の下着なんて部屋にはなかった(あっても困るが)ため素肌の上にそのままシャツを着ているわけだが、それはつまり…………その…………脱げばいろいろと見えてしまうというわけだ。

 

 所詮は自分の体! と割り切るつもりだったがどうにも気恥ずかしさがぬぐえないし、というか直視したらぶっ倒れると思うしで、正直かなり厳しい。

 

 下の方はぶっちゃけ我慢さえすればどうということはない。はずだ。

 腰布一枚で過ごすなんて、あまりの防御力の低さに正気の沙汰じゃないとか考えてしまうが、我慢さえすればいけるはずだ。きっと。たぶん。

 

 

 …………よし! こうなれば勢いだ。<ケラウノス>を使って爆速で着替えを終わらせたらどうにでもなるはずだ。完璧な作戦──────、

 

 

 にゅっ、とカーテンの隙間からいきなり緋剣の顔が飛び出してきた。

 

 

「ほぎゃあああああぁぁぁぁ!!!?」

 

「まだ全然終わってないじゃないんですの。やっぱり私手伝って──────」

 

「だいじょーぶ! 大丈夫!! 一人でできる! それよりあのSPさんなだめてきてよ雇い主でしょーっ!? めちゃくちゃこっち睨んできてるからさぁ!!」

 

 キラリとサングラスを光らせたSPさんの視線に肝を冷やしながらグイグイとそのまま試着室まで入ってきそうな勢いの緋剣を押し戻して、再三になるが女子制服を手に取る。

 

 バクバクと大げさなほど肋骨を叩く心臓を落ち着かせようと深呼吸をする。

 

 残された時間はあと僅か。あと少しも経てば痺れを切らした緋剣が再び突入してくるだろう。そうなればもうゲームオーバーだ。お嬢様に手を出したとみなしたSPにボコボコにされて、あとはそこらへんの海に捨てられることだろう。どうにかそれだけは避けなければならない。

 

 

 ……………………………………………………。

 

 

 ………………………………………………………………………………ッッ!!

 

 

 もう…………どうにでもなれ!

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、やっと出てきた───ってどうしたんですのその顔。とっても真っ赤ですけれど」

 

「い、いや…………気にしないでくれ…………それよりティッシュ持ってない?」

 

「?」

 

 小首を傾げた緋剣を曖昧に笑って誤魔化しつつ、無事に着替えを終えた代償としての諸々の後始末を終えてほっと溜息をつく。

 

 …………なんだか見えない何かがゴリゴリと音を立ててすり減ったような気がする。着替えの度にこんな思いをし続けるのもアレだし、いい加減早いところ慣れなければ()()()してるかもしれないな、これ。

 

 

 ゲッソリとしたオレを上から下まで眺めた緋剣が何やら満足そうに頷く。

 

 

「やっぱり素材がいいからでしょうか、映えますわね。『馬子にも衣裳』ってものでしょうか」

 

「褒めてんのか貶してんのかどっちかにしろよ…………なぁもう着替えていいか? なんか、股の間がスース―するし落ち着かないんだけど…………」

 

「ダメに決まってるじゃないですの。今日一日はそれで過ごしてもらうから早く慣れなさいな」

 

「冗談だろ!? こっ…………こんな吹けば飛ぶような布切れ一枚で!? しかも女装で!?」

 

「今は女の子なんですからこれが正装ですわよ」

 

 

 ひらひらと動くたびに軽快に揺れて足に触れるスカートの感覚がなんだかこそばゆくて、裾を手で押さえる。

 今までボケっと見ていただけの女子のスカートというものは、想像よりかなり頼りない。厚板でも仕込んで下に下げたほうがいいんじゃないかと思うくらいだ。

 

 まぁ、しかし。できるだけ気にしないようにしたら耐えられないほどではない。ささっと帰って着替えれば何も問題はない。

 

 

「それじゃ、次行きましょうか」

 

 

 その考えが浅はかであったことが緋剣の口から証明された。ウソだろ。

 

 

「いやいや待て待て待て!! これで十分だろ!? 何!? まだあるの!? オレのHPはもう残ってねぇんだけど!!」

 

「制服だけじゃ物足りないに決まってるじゃないですのー! あと私服でしょ、下着に化粧道具、女の子は必要なものがいっぱいなんだから今日はみっちりやらせてもらいますわよ!」

 

「ひぃっ! だ、誰か助けっ──────、」

 

「問答無用ですわー! 元『殿方』と言うのであれば覚悟を決めてくださいな!」

 

 おーっほっほっほ! と高笑いをする緋剣に対抗する術も無し。そのまま引きずられていくしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 大手チェーン店のファミレス。そのテーブル席に座る。

 

「………………………………ひどい目にあった」

 

 じぅ、と音を立てながらカップに注がれたバニラシェイクをすすり、向かいの席に座っている緋剣をジト目で睨む。

 その足元には収まりきらなかった大量の紙袋が積み置かれている。なんでも、『こっちから買い物にお誘いしたのにそちらに任せるなんて緋剣家の名折れですわ』とのことで、支払いは全額緋剣持ちだそうだ。ブラックカードなんて始めてみたわ。

 

 まぁそんなこともあってとんでもない恩を受けてしまったわけで。

 

 気恥ずかしさとありがたさが混じって自分でもよくわからなくなっているのである。

 あと何回も着替えを繰り返した結果色々慣れてきたような感じがする。…………代わりに大切なものを失った気もするが。

 

 ハンバーガーにその小さな口でかぶりつき、もぐもぐと口を動かして緋剣が微笑む。

 

 

「…………んぐ、そんなに拗ねないでくださいまし。制服も似合ってますわよ」

 

「うっ、うるせぇ…………絶対似合ってないってこんなの」

 

「だったら鏡でもみたらどうですの? 可愛らしい女子高生にしか見えませんわ、今のあなたは」

 

「それがなんか落ち着かねぇの!」

 

「あら、では今日のお買い物はお気に召さなかったということでしょうか」

 

「そ、そんなんじゃないけどさ…………」

 

「では、問題ありませんわね」

 

 

 ぺろり、と舌を出した緋剣の顔を見てガクッと頭が落ちる。なんだか、いろんな意味でこれからも勝てる気がしない。

 

「私も鬼じゃないですので。別に服装を強要したいわけでもないですし、負い目に思って無理に着ていただかなくても結構ですわ。でも! せっかく買ったのにずっと放置するのも物が可哀そうですので、週に一回は私に女の子の格好を見せること! これが今回の取引条件ですわ」

 

「う、ぐぐ………わかったよ。週に一回だよな?」

 

「気に入ったのであれば毎日でもよろしくてよ?」

 

「しない! 絶対しない!」

 

 

 ばったりとテーブルに突っ伏す。これから週に一回は女装することが決まってしまった。

 

 

「…………っていうかさぁ、えっと、緋剣?」

 

「ホムラ、でいいですわ。私もイズナと呼ぶので」

 

「お、おう。じゃあ…………ホムラ。ホムラはなんでオレにこんないろいろしてくれるわけ? まだ会ってちょっとしか経ってないじゃんか」

 

 ふと湧いた純粋な疑問。巨大財閥のご令嬢が、なんで『学園』の一生徒に過ぎないオレにここまで世話を焼いてくれるのか。

 取引といってもこっちが一方的に与えられてるようなもんだし。今まで特別付き合いがあったわけでもないし。クラスも違うし。

 

 

 そんなオレになぜ?

 

 

 そう問いかけると、そうですわね、とホムラは呟き、顎に人差し指を当てて少し中空を見据えた後、いたずらっ子のような笑みを浮かべてこちらを見た。

 ふわりと真っ赤な髪が揺れる。

 

 

「──────()()、ですわ。教えてもいいですけれど、こちらのほうが面白そうですし」

 

「なんか馬鹿にされてる気がするんだけど気のせいか??」

 

「そんなことありませんわ。なら…………これは『ノブレス・オブリージュ』。持つ者たる私からの施し。今までの稽古もそれの一貫。これでどうです?」

 

「なんかどっかで聞いたことあるセリフだな。ていうか悪化してるだろそれ!」

 

 がばっ! と起き上がって言い返すとなぜかポカンと目を丸くしたホムラの顔が視界に広がる。

 

「な、なんだよ」

 

「────────────、いえ。あなたでも何かを覚えてることがあるんだなぁと思いまして、驚きましたの」

 

「やっぱ馬鹿にしてるだろお前!!」

 

 

 

 

 

 

>>>麻伐ユイ

 

 

 

 くるくると人差し指の先に鍵束を引っ掛けて弄びながら、射撃訓練のブースに一人座り込んでキーボードを叩きつけてる青髪の男子生徒に近づく。

 足音で気づいたのか、一瞬だけこっちを見たけどすぐに目を逸らしちゃった。恥ずかしがり屋なのかね。

 

「やっほー、汐射くん」

 

「どうも──────()()()()。今月の鍵当番は末櫂(まつかい)先生のはずじゃなかったですかね?」

 

「末櫂先生は海にいったらしいよん? 海に、ね。とりあえず今日はその穴埋めを頼まれたって感じ」

 

 適当に答えながらそこらへんに置いてあった椅子に腰かける。木と鉄パイプのやつ。こーいうのってなんだかすっごい座り心地抜群なのよね。これが人間工学ってやつかしら。

 

「稲原イズナの様子はどう?」

 

「別に…………普通ですね。最初はもっと混乱するかと思ったんですけど、今でも落ち着いてるように見えます。精神面でも特に変化はないようです」

 

「異能は?」

 

「かなり成長速度が速いですね。身体強化(ギアチェンジ)のみとはいえ、3週間であの緋剣ホムラと戦えるレベルまで来てる。変化後の肉体のポテンシャルも高い。この調子だと、来週の学園祭でもいいところまでいけるんじゃないですかね」

 

「でもまだカテゴリ6でしょー? 君ら異衛科(ハードコア)は基本的にカテゴリ4以上の集まり、クラス替えしたばっかりでまともに授業も受けてない彼……おっと、今は彼女か。彼女じゃ勝てないんじゃない?」

 

「査定上は、ですけどね。いくら異衛科が高カテゴリの集まりとはいえ、戦闘訓練をなぁなぁで流してるやつらじゃ今の稲原相手に1秒持ちませんよ」

 

「ふゥン」

 

 

 立ち上がってぐるりと演習場を見渡す。…………確かに、このがらんどう具合じゃ練度も高が知れるって感じね。どこのブースも基本的にガラガラ、たまにいるのは『生徒会』とか『風紀委員会』の子たちくらい。もっとも、全部の学生に強さなんて求め始めたらもう色々終わり始めてるって証拠みたいなもんだから、このくらい平和ボケしてるくらいがちょうどいいのかもね。

 

 

 さて、と。

 

 

 もう一度椅子に座り直して青髪くんを背後から見下ろす。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 カタカタと。

 キーボードを指が叩く音が静かに響く。

 彼の表情は頭部と髪に遮られて窺えない。

 

 

「いいや、そうでもないです。一つだけ後手に回りました。……こっちの落ち度ですがね」

 

 

 風一つない湖面のような声色で返される。

 

 

「アンタはアレに関与してないと?」

 

「当然です。あんなことをしてるとわかったならその時点で行動に移していた。今回の件はそれだけのことに過ぎない」

 

「本当かにゃーん? 『穴』由来のテクノロジーは未知の塊、あんたら研究者にとっちゃ眉唾物でしょ。多少露見するリスクはあってもそれ以上のリターンを見込んでテロリスト共を引き入れたりしちゃうんじゃないの?」

 

「……………………、」

 

「それに、あの場所にいた連中は無作為に被験者を集めてたみたいだけど、そのほとんどが非異能使いもしくはカテゴリ6から5未満の異能使い。そういえば稲原イズナ、彼女も該当するよね。いざ()()なったとしても、同室のアンタじゃ隠蔽も楽とか考えてたんじゃ──────、」

 

()()()()()

 

 

 絶え間なく響いていたキーボードの音が止まる。

 ピリ、と空気が張り詰める。

 

 

「若輩だからと甞めるなよ『システム』。今更そんなドブネズミのような真似をするかよ。俺たち(傷病区)にだって一世紀以上自分達の力だけで非合法な手を使わずに粛々と研鑽を重ねてきた自負がある。そしてその総意は『ホライゾンの発展のため』に集約される。それを乱す異分子を今まで見落としていた自戒もこめて、今回は徹底的に処理した。それだけの話だ」

 

()()()? ()()()()? 私にはどーにも他の理由が多分に含まれてるような気がしてならないんだけどなー?」

 

 

「………………………………………………………………」

 

 

 はぁ、と息を吐く音が響いた。

 

 

「……………………、揶揄うならそれこそ稲原にしてくださいよ」

 

 

 呆れたようなため息だった。振り返った青髪少年がめんどくさそうな目でこっちを見る。それと共に、張り詰めた空気も霧散していく。

 

 

 ちぇ。バレてたのか。

 

 

「相手を怒らせてボロを出させようとするのはいつものあなたのやり方だ。仕事ならともかく、遊びでそれに付き合わされるのはごめんです」

 

「えー? なんで遊びって断言できるのよ」

 

「仕事なら尋問なんてあなたはしない。首を跳ね飛ばして終わりだ」

 

「人を妖怪みたいに言わないでよ。単にそっちのほうが効率いいってだけなんだから。それに、わかってたにしてはさっきのは結構マジだったんじゃにゃーい?」

 

「友人を出汁に使われたらさすがに俺だって怒りますよ」

 

「はいはい、反省してまぁーす。んで結局新しい手がかりは無し、と。せめてなんかは掴んでおいてよーこっちの仕事増えるんだからさぁ」

 

「あなたのことなんだからそれも織り込み済みでしょ。既に知ってる情報の確認作業と暇つぶしで腹を探られるこっちの身にもなってください。それに本命は稲原の護衛と調査ですよね? こんなところで油売ってないで、さっさと行ったらどうです。まぁ、緋剣と一緒ですから今日のうちは大丈夫でしょうけど」

 

「だから暇なんだもーん。そう思ってお嬢ちゃんに掛けてもガチャ切りよ!? 部下のお世話するのも上司のお仕事でしょーもー」

 

 

 ぶーぶー口を尖らせて文句を言っても青髪くんはもう聞く耳もたずな状態になってしまった。冷たいやつね。

 

 しょうがないのでさっさと本来のお仕事に向かうとする。ここに来たのはちょっとした様子見が半分くらいだしね。

 

 まぁ仕事と言っても簡単なものだ。

 稲原イズナを狙ってこそこそしてる連中を路地裏に連れ込んで首を搔っ切る、これだけ。異能を使うまでもない。

 

 あとは放っておけば街のそこらじゅうを徘徊してる大量のお掃除ロボットが勝手に掃除してくれるし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から一般人に露見することもない。こんなんじゃ表と裏、どっちのために作られた街なのかわかんなくなるね。

 

 ま、私は使えるもんは全部使う主義だし、そこんところはどうでもいいんだけど。

 

 

 ほっ、と声を出して立ち上がる。

 

 そろそろ獲物が餌を嗅ぎつけたところだろうし、単純労働のお時間というわけね。

 

 

 




まとめ

稲原イズナ
・週一で女装することが決まったTS男子高校生。それでも普段はいつものスタイルを貫きたい。

緋剣ホムラ
・ジャンクフードも食べる令嬢。

汐射ミスズ
・『傷病区』の関連者らしい。『ブリッジ』を壊滅させた。

麻伐ユイ
・暇つぶしに来た。




 なんと、主人公の稲原イズナのファンアートを頂きました!

ーーーーーーーーーーーー

作:おてんさん 
【挿絵表示】

 しかも全身絵!
 めちゃくちゃ最高なのでぜひ見て…………!

ーーーーーーーーーーーー

作:こはやさん 
【挿絵表示】

 ぴこぴこしてるアホ毛が特徴的ですね。

ーーーーーーーーーーーー

作:鳩は平和さん 
【挿絵表示】

 なんとこちらもほぼ全身絵!イズナくんもいつかこんな女の子した格好をするようになるんですかね。

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作:柴猫侍さん 
【挿絵表示】

 なんだかアニメのカットインでありそうなかっこよさ。すばらしいですね。

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 次回は早々にトーナメント戦になります。


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7話:学園祭

 学園祭。ようするに規模が大きくなった学生たち中心の文化祭である。教師たちは警備以外には基本ノータッチ、出店やプログラム進行もすべて生徒。『学区』内合同開催ということで、普段は交流がない違う学校に通ってる生徒たちが一気に集まるため、良くも悪くもどんちゃん騒ぎである。

 

 今日はその当日。場所は競技会場として設営された円形のバカでかい建物。

 ビシッと気合を入れるために早起きでもするかと思いながら寝坊して結局いつもの時間に起きることになったが、そんな些末なことがどうでもよくなるくらい衝撃的なことがあった。

 

 

 微妙に顔をしかめて歯噛みしながら壁からこっそりと頭を出す。なんだか覗き見してるような感じだが、事実やってることは覗きなので言い訳の余地がない。

 

 視線の先には二人の男女。片方は汐射ミスズ、お馴染みのアイツ。そして問題はもう片方。

 頭の上あたりで一つにまとめられた腰まで伸びた黒髪。髪の隙間から覗く碧眼。あの時と同じ、スーツ姿にローヒール。

 

 そう、あの人だった。

 

 

 あまりの唐突さにと叫んでしまいそうになるのを堪え、慌てて近くの壁際に隠れたというところまではよかった。落ち着いて観察すれば、なぜかアイツがあの人と会話をしていた挙句、身振り手振りや表情から知り合いのような、それよりも少し気安いような、そんな雰囲気を感じてしまってなんだか悔しいような気持ちが湧いてくる。

 

 

 ───って目が合った!?

 

 

 競技参加者の他に観戦客などなど。大量の人間で溢れてる広場で完全に人混みの中に埋まってたはずなのに、その碧色の視線がぴたりとこちらを射抜いた。

 

 思わぬエンカウントにバクバクと心臓が高鳴る。

 

 ドギマギと固まったオレに、その人は微笑みを返しひらひらと手を振ってどこかへと歩いて行ってしまった。

 会話を終えたらしい汐射が呆れたような表情をしてこっちへ歩いてくる。

 

 

「何やってんだよお前」

 

「………………」

 

「まさか覗き趣味があるとは思わなかったよ。最近は覗かれる方じゃないかと思ってたが」

 

「なぁ、今の人って」

 

「新任の麻伐ユイ先生。末櫂先生の代わりの臨時だとさ」

 

「麻伐先生」

 

 麻伐ユイ。その名前を口の中で何度か反芻し、頷く。

 

 なるほど、なるほど。

 

 つまりこれは……千載一遇のチャンス、ということじゃないか!?

 

 ひょっとしたらなんとなく流れっぽいなにかが来てるのかもしれない。まさかこんなあっさりと会えるとは思っても居なかったし、下手すれば一生会えないかもと思っていたが、意外とワンチャンスあるのかも?

 

 いよっしゃ! と心の中で密かにガッツポーズを決める。

 

 

「……本当にお前を助けた人だとしても、向こうに気づいてもらえないんじゃないのか? お前、前の面影一ミリもないし」

 

「おぶっ、べ、別にそういうんじゃねぇから! 別に、あとで連絡先聞きに行こうとか思ってねぇから!! っていうか心を読むな!!」

 

「お前が分かりやすすぎるんだよ…………」

 

 

 バッサリと切られた言い訳にワタワタと両手を振って否定するが、汐射の呆れたような生暖かい目線が逸れてくれない。ホムラといい汐射といい、コイツらマジで心読めるんじゃないだろうな?

 

 

「あと汐射、なんか知り合いみたいだったじゃんなんで言ってくれないんだよ水臭いじゃんかっていうか連絡先知ってる? あと好きな食べ物とか趣味とか───ってアレ!? 汐射!?」

 

「今日はこの後雨らしいぜー」

 

 

 振り返ると汐射はいつの間にかスタスタと歩き始めていた。

 

 

「ガン無視!? なんでだよオイもうちょっと手伝ってくれよ!」

 

「直接聞きに行けばいいだろ……」

 

「ヴェッ!? いやっそれは……その…………恥ずかしくて…………」

 

「乙女かよ! いいか、俺はもう知らん。それくらい自分でどうにかしろ」

 

「ちょ、汐射!? なんでそんな不機嫌なの!? 待てって、おーーーい!!!」

 

 

 呼び止めても反応なし。なんだか急速に不機嫌オーラを出して眉間にしわを寄せてしまった汐射は、そのままスタスタと歩いて行ってしまった。

 

 お、オレ、なんかしたか……? 汐射のことだし会話のタネになりそうなものはいっぱい知ってると思ったんだが……。

 

 呆然と、呼び止めようとした姿勢で固まる。

 ひゅう、と冷たい風が吹いたような気がした。

 

 

 ぼーっと突っ立ってるわけにもいかず、参加者の呼び出し放送に合わせて大人しく移動することにする。あんな汐射を見たのは初めてだが、今日は待ちに待った本番の日だ。切り替えていかなければ。

 

 

 

 

 

 

>>>汐射ミスズ

 

 

 

 予選リーグ。参加者の中から無作為に何人かのグループで分けられ、勝ち星が最も多い一人が決勝トーナメントに上がる。トーナメントはリーグでの勝率順に配置が決められ、勝率が近い者同士が最初に戦う。なんでも、最初の一回戦はできるだけ実力差をなくした対戦カードにしたいとのことだ。最も参加者の実力にかなりむらっけがある以上あんまり意味もないような感じもするが。

 

 

 医療班の待機用に用意された簡易ボックスルームで、白い壁一面に投影された仮想ディスプレイから流れる予選の様子を眺める。

 異衛科のほとんどが参加しているとはいえ、自力での攻撃手段を持たないことがほとんどの水系統の異能使いは会場か、あるいはこうして別室で待機。負傷者が出た場合治療に出ていくといった形になっている。

 学生の水使い(ヒーラー)にとってこういった怪我人が断続的に発生するシチュエーションは貴重だ。普段の生活では、多少の傷ならともかく骨折などの大怪我になると経験の少ない学生には治療の機会は与えられない。理由は様々あるが、効率が悪いし下手をすればより悪化させることさえある、ということが大きい。しかし今回のような学生中心の催し物になると、大怪我の治療も実習として与えられる。そういうこともあって、自分と一人の先輩を除き、ほとんどの水使いが3つの会場に出払っている状況だった。

 

 

「どうどう? 試合の様子は」

 

 メガネをくいっとかけ直しながら、自分と同じく残ったヒーラーの先輩が話しかけてくる。

 

「まぁ予選ですしね。負傷レベルも下級生に任せられる程度ですし、まだ俺らの出番はないと思いますよ」

 

「だっよねー。……うわっ、あのブロック見てよ! すっごいねぇ」

 

「あぁ……、緋剣のブロックですね。いつものですよ」

 

「さすがは『次期学園最強』とまことしやかに噂されるだけはある。背負ってる家名は伊達じゃないね」

 

 

 ディスプレイの一つが紅蓮に染まる。

 コートの一角、100m四方の空間をオレンジ色で切り取ったかのように埋め尽くす灼熱の炎。その中心では緋剣が大剣を地面に突き刺し、不敵な笑みを浮かべていた。対戦相手の姿が見えないということは、今の一撃で場外まで飛ばされた、ということだろう。ご愁傷さまだ。

 

 他人事のように映し出される試合の様子を眺める。

 

(やっぱ稲原の練習相手を緋剣にお願いしてよかったな)

 

 どうせ模擬戦をするならできるだけ強い奴が相手の方が都合がいい。その点に関して、緋剣は最高水準を満たしていた。快く引き受けてくれた緋剣に感謝せねばなるまい。

 口では貸しだのなんだのと言ってはいるあの少女は根本的にお人よしな性格だ。お願いした立場であるこっちが若干気後れするほどに。

 

 学園祭で一区切りつくだろうし、その後しっかり稲原とお礼をしなければならないな。

 

 と、そこまで考えて朝に交わした稲原とのやり取りが脳裏に過り、ぎゅっと眉間にしわが寄る。

 

 

 稲原、そう稲原だ。

 麻伐ユイに実際命の危機を救ってもらったらしい、というのはある。しかしよりにもよってあんなやつに惚れやがって。よりにもよって、あの麻伐ユイに!

 

 ヘラヘラと笑うあのクソ野郎の顔が浮かび、頭を抑える。考えるだけで頭痛さえしてきそうだった。

 

 別にアイツが誰に夢中になろうがなんだろうが、俺が手を出す問題じゃないっていうのはわかる。わかってはいるが、『奥ゆかしい風情がある日本家屋の玄関を開けたらワンルームゴミ屋敷』とでも表現できそうな人間性の麻伐ユイにお熱なのは、あの内面を知っている者として忠告の一つでも上げたほうがいいのかもしれない。

 だが恋は盲目とも言う。今更俺が言ったところで『命を救ってもらった』というバイアスがかかった視点では信じまい。アイツバカだし。

 俺ができることと言ったら、外見しか知らないであろう稲原の幻想が壊れないまま本人が忘れ去ってくれることを祈るだけである。

 

 しかし、得体の知れない薬物である『テスター』の被験者の観察が必要とはいえ、わざわざ学園まで潜入までするか? 普通。絶対楽しんでるだろあのクソ野郎。

 

 これから起こることを考えると、対応に回らざるを得ないであろうという予想に頭が痛くなる。

 

 

 ぐりぐりとボールペンをこめかみに押し当てていると、と・こ・ろ・で~……、と妙に弾んだ口調で呟いた先輩のメガネがキラリと光る。

 

 あぁ、クソッ。

 

 そう言えばこの人も大概めんどくさい人だった、ということを思い出してさらに眉間に力が入る。他人を揶揄うモードに入った先輩は正直言って同じ空間にいることも憚られる。

 やっぱ現場の方にでてればよかったな、と思うがもはや手遅れ。大人しくしている以外に道はない。

 

 

「そんでそんで? キミが最近面倒見てあげてるって女の子は? どうなのよ?」

 

「……稲原のこと言ってます? それ」

 

 

 予想通りの質問。しかし眉間にはさらに深々としわが刻まれていくのがわかった。

 

 

「そうそう、その子! 遠目で見たけどなかなかかわいい子じゃん? ……なんでか男子用の制服着てたけど」

 

「まぁそれは……いろいろあって。先輩は『学院』なので知らないと思いますけど、アイツはそんな可愛げのあるようなやつじゃないですよ」

 

「ほうほう、つまり可愛いところはもう見飽きてると。アッツアツね~」

 

「……なんか勘違いしてるみたいですけど、別にそういうのじゃないですから」

 

「またまた照れちゃって~、キミにも案外かわいいところがあるんだね、汐射クン」

 

「……………………めんどくさっ!!!!」

 

 

 なんで、こうも自分の周りにはこういうやつばっかり集まるんだ!?

 

 叫びながら頭を搔きむしりたくなる衝動をひたすらこめかみにボールペンを押し付けることで堪える。少しは人の話を聞けってんだよ!

 

 こんな手合いに絡まれてるだけなのに稲原にはハーレム野郎扱いされるし、これが運だというのなら半分と言わずに全部アイツに押し付けたい気分だ。

 

 

「ほらほら、かわいい彼女の試合が始まるよ? 見なくていいの?」

 

 『極めて愉快』と顔に書いてる先輩がいくつかに分割されたディスプレイの一つを指さす。

 

「……別に見る必要ないですよ」

 

「およ? なんで? 初試合でしょ?」

 

「だって───、」

 

 

 直後、ディスプレイから落雷のような光と轟音が迸った。

 

 

 

 

 

 

>>>稲原イズナ

 

 

 

 すう、と息を飲み込む。

 わずかに汗を掻いた両手を何度か握り、会場を見渡す。

 

 異能使いの全力でも端から端まで少しかかりそうなほど広い円形の会場。蓋のような天井。そしてぐるりと囲むように並べられた観客席。

 他人が戦ってるのを見て何が楽しいのかわからないが、かなりの席が埋まっているように見えた。この会場が後二つ分あるというのだから凄まじい人の集まりだ。

 

 がしがしと地面を軽く踏み込み感触を確かめ、10mほど前に立っている対戦相手に目を向ける。

 

 ワックスで逆立てられた鉛色の髪。首に下げられたシルバーアクセサリー。如何にもチンピラって感じの相手だった。その口元には挑発的な笑みが浮かんでいる。

 明らかにこちらを下手に見ている表情。

 付近の観客の野次を聞いても、大多数は向こうが勝つと予想しているらしかった。

 

 

『開始合図があるまで武装の展開は禁止、また相手の命を奪う過剰な攻撃も禁止であり───、』

 

 

(今に見てろよ)

 

 

 放送部のルール説明を聞きながら、口の中で呟く。

 

 

 そもそも、だ。

 正直なところ、強くなろうと思ったきっかけそのものは既に達成したというか、偶然に達成されてしまったと言ってもいい。

 

 

『───相手を10秒間のノックアウト、もしくは場外へ出すことが勝利条件で───、』

 

 

 だってあの人臨時教師らしいし。なんかとんでもないことが起こってこっちが退学になったり、すぐあの人が転勤とかでいなくなったりしない限りはいつでも会えるわけで。ただ会って話をするだけなら、わざわざ今から痛い思いをして戦う必要なんてないのだ。

 

 

『───規則に則って試合を行いましょう。では位置について───、」

 

 

 まぁ、それはそれとして、だ。

 きっかけは受動的とはいえ異能を使えるようになったわけで。どうせなら、目の前にいる相手のように今まで肩で風を切って歩いてたヤツらに一泡吹かせてやりたいと思ったってバチは当たらないだろ?

 

 それにきっと、あの人だってこの試合を見ているはずなのだ。

 なら『目的は達したし痛い思いはしたくないから棄権します』なんてダサい真似はしたくない。

 

 せっかくなら、さ。

 かっこいいところだって見せたいって思うのが『男』だろ?

 

 

 バチン! と。自分の気持ちに呼応したように、僅かに体から漏れ出た電気が空気を焼く。

 

 

『───試合開始!』

 

 

「『だ、」

 

 

 バゴンッッ!! と。

 放送部の合図とほぼ同時に、紫電を纏った飛び蹴りが相手の頭部に突き刺さる。おそらくはこちらを認識する間もなく、今まさに詠唱を始めようとして口を開けた間抜け面のまま、相手は場外までぶっ飛んでいく。そして壁にぶつかり、ピクリとも動かなくなった。

 

 

「さぁ、キリキリいこうじゃねーか」

 

 

『───…………しょ、勝者、稲原イズナ!』

 

 

 

 

 

 

>>>汐射ミスズ

 

 

 

「───カテゴリ4以上(対戦相手)カテゴリ6(稲原)。正面からやりあったら地力の差でまず不利。単純な出力勝負になればおそらく負けるし、仮にその場は勝てたとしても、後の試合でいずれガス欠を起こす。なら、どうするか」

 

「相手が武装を展開して100%の力を出し切る前にぶっ潰す。それが今の開幕ブッパってことね、えげつな~。こりゃ避けれんわ」

 

 クツクツと先輩が愉快そうに笑う。

 

「単純な身体強化(ギアチェンジ)だけじゃここまでの速度はでないよね。私の見立てだと……そうだね、彼女は雷使い。それにカテゴリ6であの威力ってことを考えると……『チャージしてズドン!』 って感じだと思うんだけど、どうどう?」

 

「ま、だいたいそんな感じだとは思いますよ。こんなやり方は俺も教えてない。稲原が自分で編み出したんでしょう」

 

 

 言いながら内心で先輩の分析力に舌を巻く。

 言語センスは独特だがその頭脳は本物だ。巫山戯た言動を抜きにしても天才と評せるほどだろう。

 

 あの速度にあの威力。

 カテゴリ6という格下でありながらカテゴリ4を鎧袖一触で仕留めてしまうほどのカラクリは、おそらくは先輩の言葉通りのことだろう。詳しいことは本人に聞いてみなければわからないが。

 

 しかし短期間でこの成長速度。間近で見ていたとはいえ俄には信じ難い気持ちがあるのは確かだった。

 異能は未覚醒だったが才能はあった、という一言で片付けてしまえる程度のことではあるがどこか引っ掛かる。

 

 

 そんなこちらの気持ちとは裏腹に、軽快に勝ち星を重ねていく稲原。時計の長針半分を回るころには、ディスプレイにちょうど最後の対戦相手を危なげなく倒した様子が映し出されていた。

 

 

「すごいすごい無双じゃん! これなら次の査定会で4くらいまでは格上げされそうだね。……っていうか全勝? じゃあ───」

 

「そうですね。他のブロックで全勝してるのは稲原を除けば緋剣だけ。例年通りの配置なら、トーナメントはその二人が最初にぶつかるってことになります」

 

「あっちゃっちゃー。いくら稲原チャンがうまくやっててもあの緋剣チャン相手じゃもう無理ね。無理。9割9分9厘負け確定。普段から模擬でやりあってるんでしょ? じゃあ手の内も読まれてるだろうしなぁー」

 

「…………ま、そうですね。──────あ?」

 

 

 不意に感じた違和感。それに確信をつける前に、投影されていた映像にノイズが走り、あっという間に画面が覆われていく。備え付けられたスピーカーから聞こえていた会場の音声もノイズに塗れ、神経を逆撫でする刺々しい音に思わず耳を塞ぎそうになる。

 

 

「うるっさ〜〜なにこれ故障!?」

 

「……さすがに全部が同時刻に故障ってのは有り得ないですよね」

 

 

 清廉な水に1滴落とされた真っ黒な墨のように、嫌な予感が頭の中に広がっていく。

 故障? 停電? 人的ミス?

 浮かんだ考えに次々と『No』をシュミレートしていき、やがて1つの可能性に突き当たる。

 楽観的な思考から取り逃していたそれに、油断した自分も含めて舌打ちをする。

 

 

「……()()()()()

 

 

 ゴロゴロと。暗闇の中でとぐろをまく化け物のうめき声のような遠雷の音が、ボックスルームへ不気味に響いた。

 

 

 



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8話:闖入者

>>>3rd Person

 

 『凶悪犯罪者収容施設(アウトサイド・ペンタグラム)

 巨大要塞都市『ホライゾン』某所。一般人が立ち入りを禁止されている区画にその建物は有った。

 その名の通り五芒星を象ったその建築物は、日中夜間問わず建物から半径5km以内あらゆる人間の立ち入りが制限されている。

 敷地内を徘徊するのは異形の兵器。つるりとした半透明な外装で覆われ、巨大な触腕を持ち、頭部をチカチカと僅かに明滅させているイカ。少し上空を緩慢な速度でゆらゆらと漂うクラゲ。大型トラックほどの大きさでありながら音もなく五芒星の周囲を()()クジラ───海洋生物を模したロボットが警備を行っている

 

 『機構兵器(オルガギアーズ)』。ある一人の天才が生み出し、異能とはまた違うベクトルで一つの時代を捻じ曲げた技術の産物である。

 従来のテクノロジーを大きく逸脱したそれは既に都市の六割を埋め尽くしている。

 その特徴の一つに『生物の姿を模していること』、『一つの分野に性能を特化させていること』が挙げられる。

 五芒星を警備する彼らに与えられた役割とはすなわち、『対異能使い』である。

 

 異能使いにおいて基本となる『身体強化(ギアチェンジ)』。彼らはそれを行うことでその五体を超人と化す。

 並の刃物や銃弾では傷一つ付かぬ肉体を。数メートルの壁など物ともせずに飛び越えられる身体能力を。()()()()()()()()()()()()

 

 例えば数百メートルほどの高さの高層ビルから飛び降りたら? 酸素が無い宇宙空間であれば? 目を潰すほどの光が降り注いだら? 鼓膜を破るほどの音を浴びせられたら?

 

 通常兵器が通用しない異能使いに対して、如何に『人間』の異能使いに対処するか。

 その一点に着目して理論を構築し開発されたのがこの海洋生物の群れである。

 

 そして。そんな『対異能使い』の兵器が集められているということは、五芒星の中にどのような人物らが収容されているのかということもそのまま証明している。

 

 殺人、強盗、テロ。異能を用いた犯罪を行い、尚且つ一般の施設では拘束が難しい、あるいは『大きな犯罪組織』絡みと判断された異能使いがここで収容されており、その中には都市に仇為す『リムーバー』の正規メンバーも含まれている。

 

 建物の内部は外部の『外側から内側へ侵入させない』という目的とは反対に、『内側から外側へ脱出させない』という目的が据えられている。

 理論上、核ミサイルが数発直撃しても突破されないとされている堅牢な壁。内部の構造が1時間ごとに特定のアルゴリズムに従って自在に変化する人工の迷宮。内部を完璧に把握・操作を行う『ディフェンサー』の特殊部隊による二十四時間絶え間ない監視。

 

 

 『ホライゾン』内でも屈指の警戒が敷かれている重要施設。

 まさに難攻不落。何人も破ることのできない治安維持組織『ディフェンサー』の牙城だった。

 そう。()()()のだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 張り巡らされたセンサー群の一つが一人の男を捉えて。

 

 そして、黒い五芒星は陥落した。

 敷地内を徘徊していた機構兵器(オルガギアーズ)は大きくひしゃげ、その隙間から赤黒い液体が流れ落ちている。外壁の一部は崩れ落ち、何かに引火したのか建物のあちこちが炎に包まれている。

 建物内部はもはや誰も聞くこともない警報が鳴り響き、赤いランプが明滅し、血と煙の匂いに包まれ、『ディフェンサー』も犯罪者も分け隔てなく肉塊へと。あるいは人型の炭となって床に転がっている。

 

 

 五芒星の屋上。この惨状をたった一人で作り上げた男が立っていた。

 収容所の様子と反して汚れ一つもない白衣を羽織り、医者や研究者と言い表すにはあまりにも暴力的過ぎる空気を纏ったオールバックの男が、冷たい銅のような瞳で無感心に眼下を見下ろしていた。その瞳が、何かに気づいたようについっと横に滑る。

 

 目線の先。ガッシャン! と軋みながら勢い良く開いた金属製の扉からペタペタと足音を立てながら男へ向かって一人の少女が歩いていく。

 

 

「───おそい」

 

 

 なぜか服を着ておらず、最低限の下着だけを身につけスレンダーな肉体を惜しげもなく晒した少女が口を尖らせて文句を言い放つ。

 

 

「ねーおっそいんだけど!! 何やってたんだよ今まで!!」

 

「早すぎンのはテメェの体内時計だろ。全部予定通りに決まってるだろうが」

 

 

 ギャンギャンと騒ぎ立てる少女に向かって乱雑に言葉を返す白衣の男。

 傍から見れば、世紀末じみた周囲の空気を物ともせず平気で会話を進める彼らの異質な雰囲気が浮き彫りになったように感じるだろう。

 

 

「なんであたしがそっちの都合とか考えてやんなきゃいけねーんだよ。ねぇなんかないの? お腹ぺっこぺこーなんだけど」

 

「俺が腹空かせたガキに喜んで飯を食わせるようなヤツに見えてるならその二つも付いてる目玉は両方とも節穴らしいな。……んで、そのふざけた恰好はなんだ? まさかその歳で変態趣味が完成されてるとは思わなかったぜぇオイ」

 

「人聞きワルイこと言わないで欲しいんですけどー。ここ入るときアイツらあたしの服を取り上げやがったからさー、囚人服なんてダッサイもの着たくないし。だからアンタがきたタイミングで着替えよーと思ったのにさぁ。───何あたしの服燃やしてやがんだてめーぶっ殺すぞ!!!?」

 

「間違っても死なないよう『耐性』があるテメェに合わせてやったんだ、愉快な人型アートになってねえだけ感謝しやがれ露出狂。それ以上はあずかり知らねぇな?」

 

「………………、」

 

「あ? 何見てやがる。オイ離せクソガキ」

 

「……もっとレディの扱いってのを学んだ方がいいんじゃねーの?」

 

 

 白衣を引っ張るのをやめ、ぶつくさと文句を言いながら下着姿で座り込む少女を見て、今度は白衣の男がため息をついた。

 手持ち無沙汰に手遊びを始めた少女がそう言えば、とたった今思い出したように小首を傾げる。

 

 

「そんで毛ほどの役にも立たなかった自称『司教』のクライアントサマは? たぶん同じエリアにいたと思ったんだけど。死んでた?」

 

「俺が適当に改造()っといた。依頼主に死なれちゃあ金も貰えねぇしな、かったりぃ」

 

「ウゲッ、じゃあやっぱあれはアンタか。なんだよアレ、ボートの底にくっついてたほうが相応しいって感じのビジュアルは。普通にドン引きなんだけど」

 

「なーんで俺がそこらへんの雑草相手に緊張しながら細心の注意を払ってオペしてやらなきゃならねぇんだ? わざわざ『技術』レベルの施術をしてやる義理もねぇし。せいぜい制御力と持続力の恒久的向上の代わりにあと二週間の命ってとこか。前の状態よりはうまく稼働してんじゃねーの? ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 心底どうでもよさそうに吐き捨てながら男は少女の横を通り抜け、屋上を後にする。

 

 

「時間だ。他の『フリーランス』とは現地で落ち合え。司教も既に向かった」

 

「はいはい、わかりましたよーだ」

 

 

 拗ねたように口を尖らせていた少女の口元に獰猛な笑みが浮かぶ。この後に起こるであろう戦闘を想像して。そして、自分が一方的な立場で蹂躙することを確信して。

 

 

 二人の人影が朝焼けに浮かぶ『学区』へと消えていく。

 

 

 『学区』合同学園祭当日。その明朝の出来事だった。

 

 

 


 

 

 

>>>稲原イズナ

 

 

 

 予選はつつがなく進み、残るは決勝トーナメント。

 全勝、かつ一発KOという形で予選を進んできたが、今度はそうもいかない。

 

 開始位置に立つ真っ赤な少女を正面から見据える。

 

 緋剣ホムラ。カテゴリ2。炎と土の複合異能の使い手。武装は身の丈を超えるほどの大剣。

 今まで散々模擬戦闘に付き合ってもらった相手だ。お互いある程度の手の内は知ってるし、知られてる。

 だからこそ、今までの戦法は通用しないだろう。

 

 そもそもあの戦法は余力を持ったままここまで勝ち進むために、苦肉の策で編み出した物なのだ。

 

 予選リーグ、及び決勝トーナメントはよほどのことが無い限りその日の内に終わるようにスケジュールが組まれてる。つまり、若干のインターバルを挟みながらもほぼ連戦というわけなのだ。

 燃費が悪いオレの能力にとってはその時点でマイナス。さらに言えば、長く一試合を行えば行うほど体力も消耗されるし、どんどん『電池切れ』が近づいてくるってこと。

 

 そこで如何に体力を温存したまま勝ち進むか……といったところで思いついたのが開幕ブッパ戦法、見栄えもへったくれもない戦い方だ。

 

 これだって言ってしまえばオレの切り札、貴重な一手だ。出来る事なら予選で一度も使わずに勝ち進めたら万々歳だったが、そんなことができるなら苦労はしないというやつだ。それこそホムラに近しい実力が必要だろう。

 

 普段の模擬戦でこちらのスピードに目が慣れているホムラに対してどうにか裏を搔きつつ、まだオレの前で一度も全力を出していないだろう攻撃を見切り、尚且つスタミナ勝負になる前に短期決戦でアイツを倒す。

 

 ……冷静になって考えてみるとなんだか大変そうな気がしてきたなー、とか考えていると、ホムラがいつものように自信に満ちた表情で話しかけてくる。眩しい。

 

 

「ここまで勝ち進んだことは褒めて差し上げますわ、イズナ。まぁ私が稽古を付けたのですから当然ですけども」

 

「へいへい、感謝してるよお嬢様。でも後悔すんなよ? 今日こそ! お前に目に物見せてやるってんだからな!」

 

 

 ビシッ! と余裕綽々なその顔に指を突きつける。

 

 異能から経験、戦闘センスから何までこっちが下ってのは最初からわかりきっている。

 だが負けるつもりは無い。

 地力で劣っていようともそれをどうにかひっくり返してやるのがオレの勝ち筋だ。

 

 頭を回せ。隙を見逃すな。

 徹底的にこちらの土俵へ持ち込め。

 

 あと出来れば最後だけでもかっこよく決めさせてくれ!

 

 

「……何か邪な思念を感じますわ」

 

「きっきき気のせいじゃねーの!? 別に麻伐先生にいいとこ見せたいとかそんな事考えてるわけじゃないから……!」

 

「───ふ、フフフフフフ。舐められたものですね、私も。いいでしょういいでしょう。そこまでと言うのであれば私も手心を加える必要はありませんの。ぶっ飛ばしてやりますわよイズナぁ!」

 

「あっやべっ、いや冗談! お前との勝負はガチなんだって!?」

 

 

 ずもももも……! とどす黒いオーラを出し始めたホムラを見て冷や汗が垂れる。本気でまずいかもしれない。

 

 

『まもなく開始の合図が放送されます。両選手は準備を』

 

 

 ポケットに仕込んできた小道具をポンポンと叩いて確かめながらもうすぐ来るであろうその合図を待つ。

 

 今か今かと、スターターピストルが鳴るのを待つ短距離走者のように姿勢を低く構え───動きがふと止まった。

 その理由は単純だ。

 

 会場に設置された放送用のスピーカーが鼓膜を直接打ちのめすような大音響を爆発させたからだ。

 

 

『ではザザザ、に、ついて、ザザザザザザザザザザザザザザザザザザガリガリガリ!!』

 

 

 濁流のように垂れ流される無秩序なノイズに思わず耳をふさぐ。

 一ヶ月間の訓練の結果で戦闘時に発生する爆音や閃光にある程度慣れているにも関わらず、咄嗟に耳を塞いでしまうほどの音の渦に揉まれながら同じように両手で耳を覆っているホムラに向かって叫ぶ。

 

 

「うるっさ!? なんだよおいおいこのタイミングでトラブルかぁどーなってんだよホムラ!」

 

「わ、私に聞かないでくださいませ! 悪天候の影響じゃありませんの!?」

 

 

 バチン、とスイッチを落としたかのように放送が切断されノイズ音が止む。どうやら放送部が取りやめたらしいが……。

 

 

 ガリ、とまた違う音が聞こえた気がした。

 耳をふさいでいた手を離し、ホムラと顔を見合わせてその音の方向へと目を向ける。

 

 遥か上方、会場の天井。音はそこから発せられていた。

 

 ガリガリと、何かがひっかいているような音。

 放送事故にどよめいていた観客たちもそちらに目を向ける。

 

 唐突に、背筋へ氷柱を突き刺すような悪寒が襲い掛かる。

 現状を把握する前に、第六感とも呼べるようなナニカが警鐘を鳴らす。

 

 ガチリ、と。

 日常から非日常へ、歯車が切り替わる。

 

 

 ギュガッッッ!! と。天井にオレンジ色の軌跡がいくつも奔った。

 壊れかけの弦楽器を力任せにかき鳴らすような不快な音を撒き散らし、それは金属製の天井を蹂躙した。

 爆発。

 軌跡に沿って天井が炎を噴き上げ、まるで紙細工のように崩壊させる。

 

 

 その光景を見て目を細めたホムラがぽつりと呟く。

 

 

「……目に物見せるって言いましたわよね、イズナ。まさか───、」

 

「オレがんなことできるわけねーだろ!? っていうかぼーっとしてんなよあぶねぇ!!」

 

 

 冗談かどうか判別できないボケを放った赤髪少女に叫び返しながら、降り注ぐ瓦礫を避け、大きくその場を離れる。

 

 ズン、と足場を揺らして墜落した瓦礫は地面を盛大に巻き上げ、土埃が立ちこめた。

 

 ぽっかりと空いた天井の穴から、雨と共に大小二つの影が降りてくる。

 その片方にどこか既視感を感じ、気づいた瞬間に再び悪寒が全身を侵した。

 

 脳裏に浮かんだのは一ヶ月前。路地裏で見た光景。

 半ばトラウマと化した記憶が瞬間的にリフレインし、青ざめる。

 

 ファンタジー映画から飛び出してきたかのようなローブ。首元に巻かれた鎖。忘れたくても忘れられないあの少女の姿。

 

 

「クソ……やべぇ、ホムラ!」

 

 

 ホムラが簡単にやられるとは到底思えない。

 それでも、『もしかしたら』を想像してしまって不安と焦燥が胸中に広がる。

 

 早くいかなければ、と踏み出そうとした足が止まった。

 

 オレとホムラを分断するように落下した瓦礫の前、そこにもう一人の人影が佇んでいた。

 

 異形のシルエットだった。

 上半身が『鍛え上げた』という言葉では説明が付かないほど異常に膨れ上がっている。上半身と比べれば一般適なサイズ感を保っているであろう下半身さえ奇妙にデフォルメしたように見え、遠近感が狂ってしまったかのような錯覚さえ覚える。頭部に到ってはもはやただ()()()()()ようにさえ感じてしまう。

 

 

「『神よ。我ら敬虔なる信徒に啓示を、導きを与えたまえ───』」

 

 

 ブツブツと胡乱に呟く異様な雰囲気が足を縫い留める。

 フードで顔の半分ほどが覆われその表情はわからない。

 

「『愚かな人類文明を()()し秩序たる神の統治を今こそ』。<ラビュリントス☒☒☒>」

 

「なっ、しまっ───、」

 

(『詠唱』!? 気づくのが遅れた!)

 

 

 ワンテンポ遅れて身構えるも、既に遅かった。

 

 同時に霧が男を中心に吹き上がる。

 一気に広がった霧はハチの巣を突いたような騒ぎになっている観客席の喧騒ごと会場のほとんどを飲み込み、冷たい沈黙を作り上げた。

 



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9話:インサイド

>>>緋剣ホムラ

 

 

 

「───貴女、私とどこかで会ったことがございまして?」

 

 

 こちらの問いかけに怪訝そうな表情を浮かべたローブ姿の少女。

 その表情は抜き身の鋸のような刺々しさに満ちていたが、その端々には未だに成長期途中のあどけなさが残っている。おそらくは中学生ほどだろうか。

 明らかにこちらよりは年下の少女。そしてその年齢で今回のような凶行に走った背景を想像し、緋色の令嬢は僅かに瞠目する。

 

 

「さぁ? これから殺す相手の顔なんていちいち覚えてねーっつーの」

 

「でしょうね。私もあなたのような無粋な輩は記憶にございませんもの」

 

 

 あ? と低い声を上げる少女を視界に納めつつ、輪郭を朧げにする瓦礫の山の向こうへと意識を向ける。

 

 

(降りてきた人影は二人。もう一人はイズナのほうへ行ったようですわね。襲われたのがここだけ、というのも考えにくい。おそらく他の会場も似たような状況になってるはず。目的は……イズナ? 汐射くんがおっしゃっていた『リムーバー』との接点を考えればおそらく彼が関係していると考えるのが自然ですけれども……)

 

 

 筋は通るがどうにも違和感が残る。しかし現時点で考察には値せず。

 緋剣ホムラはそう結論づけてひとまずは考えるのをやめる。

 

 緋剣ホムラの人生において、様々な場面における優先順位が存在するがこの場で最も優先されることは級友の無事である。

 通りすがりの不幸な少女としてであれば、緋剣ホムラは己に科した責務に従い彼女へ手を差し伸べただろう。後輩としてであれば、緋剣ホムラは相談だろうと環境の改善であろうと全力で取り組んだだろう。

 

 だが目の前の少女は、明確に敵として立ち殺意を向けた。

 どんな過去を持とうとも、どんな思いを掲げようとも。

 敵として立った以上、敵として粉砕するのみ。

 

 それが彼女の矜持である。

 

 

「オイオイ、なに呆けてんだよ。てめーの相手はこのあたしだぜ? 向こうを気にしてる場合じゃねーってことがわかんねーのか? それともなんだよ。遺言でも思いついたなら聞いといてやるぜ」

 

「ええ、そうですわね」

 

 

 苛立たし気に唾を吐き捨ててジャラリと首に巻いた鎖を揺らした少女を見据えて緋剣ホムラは答える。

 

 

「好きなものはありますの? それと食物アレルギーがあれば今のうちに」

 

「……は?」

 

「あなたへの差し入れを考えてましたの。()()()()()()()()()()()()

 

「……あ"ー……はいはい、オーケーオーケー。テメェはミートパイだ。そのツラとびっきりのひき肉に仕立ててやるよ!」

 

 

 そして。二人の異能使いの利き手へと空間から滲んだ炎が収束していく。

 

 

形成開始(セット)、<ダインスレイヴ337>」

 

形成開始(セット)、<レーヴァテイン051>」

 

 

 レイピアと大剣。

 二つの灼熱が破壊を撒き散らしながら衝突した。

 

 

 

 

 

 

>>>稲原イズナ

 

 

 

 会場の一角で戦闘が始まったころ、籠った爆音が断続的に鳴り響く最中でもまだその場を動けずにいた。

 理由としては簡単、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 目は離していない。それなのにも関わらず、フードの男は空気に溶けるように一瞬で姿を隠してしまったのだ。

 しかし、この場から立ち去ったというわけでもなさそうだ。それもそのはず───、

 

 

『素晴らしい! やはり神は敬虔なる信徒であるワタクシに微笑んでくださった! まさか貴方様の『使い』をこの目に映すことができようとは……祈りが通じたのですね』

 

 

 姿を消した男の声が聞こえる。どこか一か所から、というわけではない。全体だ。霧に包まれた周囲から奇妙に反響した男の声が聞こえてくる。

 『神』とやらに陶酔した男の声。街中でたまに見かける修道服や神父服を着た宗教関係者が神に感謝を述べる言葉として見れば理解できなくもないが、どこか胡乱な響きを持って会場に響く声は一般的な宗教思想として見るには些か強すぎる『狂信』の色があった。

 

 

(霧、姿を消す能力。そんでもってこの……反響? たぶん水使い(ヒーラー)の発展あたりってとこまでは予想できるが、イマイチわかんねぇ)

 

「宗教勧誘ならよそでやってくれ───って言いたいところだがそんな穏便な要件って訳でもなさそうだしな」

 

 

 無駄に男を刺激しないように口の中で呟く。

 そんなオレの様子に気づいているのかいないのか、変わらず男は姿を隠したまま滔々と口から言葉を溢れさせる。まるで全身にアルコールが回った酔っぱらいのように。

 

 

『「テスター」もやはり、素晴らしい。異端であればその身ごと罪を浄化し、貴方様の『使い』を見つける(しるべ)となることを証明した。これでまた天啓に一歩近づけたというわけですね。感謝いたします、主よ』

 

「……ってちょっと待て、今『テスター』って言ったか? ってことは……あんときの『リムーバー』とかなんとかの関係者さん、っつーことか」

 

 

 口に出してからすぐに自分の軽率さを後悔したが、それでも気になってしまった。

 『テスター』。オレの体がこんなことになった原因らしき物。

 その単語が耳に入った瞬間、つい疑問を投げかけてしまった。

 

 流れるような『神』への感謝の言葉が途切れ、代わりにくぐもった男の声が響く。

 

 

『如何にも。我々は「リムーバー」。愚かな人類文明をこの地より剝離せんとする者』

 

「よくわかんねぇしだいぶ物騒な口上だけど会話は成立するみたいだな。んじゃあ一個聞いてもいいか?」

 

『構いませんよ、「神」は寛容です。迷える子羊よ、一体どんな智慧をお望みでしょうか』

 

()()()()()()()?」

 

()()、「()()()()

 

 

 迷いもせず、男は即答した。

 

 

『すべては我らが「神」が下した天啓のために! 地上から人類文明を剥がし取り、かつて存在した「聖地」を再現せよとのお告げのままに! なので、必要な犠牲でした。彼らには何かが足りなかった。「依代」とはなりえなかった。あなたとは違って。……誠に残念なことです……』

 

 

 姿が見えずとも、演技くさく身振り手振りを付けながら話している様子がありありと浮かびそうなほど仰々しく答えた男は、最後に沈痛な声色でそう付け加えた。

 

 

『さぁ、こちらへ。あなたは選ばれし神の写し身となった。我々の希望となるのです』

 

 

 男の目的はそれだった。

 わかりやすく翻訳するなら『薬品で体質をいじった人間をカルト思想の象徴にしよう』といったところか。

 

 ズレた思想。現代社会では到底受け入れられない倫理。

 狂気と狂信が押し出された答えを聞いて、

 

 

「───ふざけんなよ」

 

 

 否定する。

 

 

「神だかなんだか知らねぇが人を巻き込んでんじゃねぇ。オレの体だって、元に戻しやがれってんだ」

 

 

 否定する。

 

 

 この一ヶ月間。下火になっていた感情が元凶の一端を目の当たりにして燃え上がる。

 例の路地裏の出来事。あの赤い少女からの襲撃。肉体の変化。理不尽に次ぐ理不尽。

 抵抗も出来ずに硬直していた現実も、状況を整理して落ち着いてくれば受け取り方も変わってくる。

 

 

『───喜べよ、記念すべき何百人目かのモルモットだぜ?』

 

 

 少女の発言を思い返す。

 それはつまり、自分以外にも犠牲になった大量の人間が居たことを示している。おそらくは、助からなかったであろう犠牲者が。

 

 自分だけだったらまだ「まぁ、運が悪かったな」と済ませられたかもしれない。

 だが。

 

 

「今までどれだけの人間をその『神』とやらに踏みつけにしてきた? 自分が敬虔な信者だって? うぬぼれてんじゃねぇ。本物の『カミサマ』ってやつの天啓だろうがお前の妄想だろうが、それを叶えるために他人を実験動物(モルモット)みたいに弄りまわすような手段しかできないのなら───」

 

 

 端的に言えば、キレていたのだ。

 あの少女に対して。それの片棒を担いでいる男に対して。数百人が犠牲になった現実に対して。……それを知らずにのうのうと過ごしていた自分に対して。

 『テスター』がどんなものなのか、なぜ自分の体がこんなことになったのか。そんな疑問を押しのけて真っ先に聞きたかった理由はテロリストの言い訳未満の自己弁護に過ぎなかった。

 

 無意識のうちに握りしめた拳から紫電が漏れる。

 霧の中を見据えて真っ向から否定する。

 

 

「断言するぜ。それは普通のシスターさんや神父さんが持ってる信仰(祈り)なんてモンじゃねぇ! お前が持ってんのはただの薄汚れた、自己中心的な破壊行為(テロリズム)に過ぎねぇってな!」

 

 

 激情のまま、虚空に叫んだ。

 

 ヤツの地雷を踏み抜いた自覚はあった。だが関係ない。

 こいつらの企みはここで潰す。

 

 静かに決意を固め、拳を握り。

 

 

 ───声が聞こえた。

 

 

《よいよい。実に(われ)好みで若く未熟な味よ》

 

「───……は?」

 

 

 いきなり冷水を背中に流し込まれた心地だった。

 霧の男ではない。ましてやホムラでも誰でもない。

 この場にいる誰のものでもない、しかしどこかで一度だけ聞いた声が、鼓膜を介さずに頭の中へ流れ込む。

 

 

 

《うむ? おお、ようやく聞こえおったか。全く、『繝?け繧ケ繝√Ε』を挟んで経絡を繋ぐのも難儀なものであるな》

 

 

 一瞬、声に僅かなノイズが走った。

 幼い少女の声だった。どこか老成した口調のまま、声の主はこちらの様子など気にした様子もなくカラカラと童女のように笑う。

 

 

《ところで。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ぴくり、と童女の声に反応して体が動く。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ズバァッ! と。

 次の瞬間、下がった頭のすぐ上を何かが通り過ぎた。

 

 

「───ッッッ!!!???」

 

《しかし先に話しかけたのは吾のほうじゃな。然らばこれは餞別よ。じゃが次はそうもいかぬぞ?》

 

 

 切断された一本の髪がはらりと落ちる。

 

 音もなく頭を掠めたのは、霧の背景に溶け込むような半透明の大鎌だった。

 いや違う。『背景に溶け込むような』、ではない。実際に溶け込んでいるのだ。

 それは全てを霧で構成された無音の凶器だった。

 

 つまりは。

 

 

(おい……冗談だろ!? まさか会場に広がってるこの霧全部アイツの武器って言うつもりじゃあねぇだろうな!?)

 

大吉(当たり)じゃ。おぬしの予想通り、この霧にはあやつの生命力が込められておる。刃を出すも消すもあやつの意思一つといったところかの。……なにやら好かぬ臭いも混じっておるが》

 

(さ、サンキュー。なんかいろいろ知ってんのな───、)

 

 

 じゃねぇ! 気にするところはそこじゃねぇ!

 

 

「っていうかお前っ誰!? っていうかどっから話しかけてきてんの!? っていうかさっき勝手に体動いたんだけどどーいうこッッ!?」

 

《五月蠅い、喧しい。わざわざ口に出さなくても聞こえておるわ。それに先ほどから言っておるじゃろう、吾に構ってる暇はあるのか、とな》

 

 

 ぞわり、と。嫌な予感が足元から這い上がる。

 

 

『ほう、避けましたか。首から上を刈り取るつもりだったのです、が。運のいいものです』

 

 

 先ほどまでとは打って変わりのっぺりと感情を感じさせない平坦な司教の声が響く。

 だが、平坦な声色から感じた印象は『冷静』というものからは程遠い。

 むしろその逆───荒れ狂った感情を押さえつけ、無理やり表面上のみを整えようとすればこのような声色になるのだろうという印象の方が強かった。

 ぐちゃぐちゃに膿んだ傷口の上からぐるぐると包帯を巻きつけたらちょうど見えなくなるような、といった具合に。

 

 そして偽りの仮面が剥がれ落ちる。

 

 

『この……カス異教徒風情がァ! このワタクシに、司教たるこのワタクシにそのような汚らわしい汚物未満の言葉を浴びせるなどとは、もう我慢ならん!』

 

 

 絶叫する司教に呼応するように、周囲の霧が変化していく。

 あくまでも自然の状態だったそれが、肌に張り付くような不快感を伴い始める。呼吸の度に吸い込む水蒸気の粒一つ一つが悪意を持っているかのように脈動する。

 

 

『必要なのはその依代に足りうる胴体、のみです。貴様はその手足を切り落とした後に頭を7つに腑分けて供物にして差し上げましょう! ええ! これは司教の、司教たるワタクシのォ! 決定事項です!』 

 

「あぁクソッ、さっきから一体何がどうなってやがる……!?」

 

 

 来る。ヤツの攻撃が。

 

 爆音を鳴らしている心臓。汗にまみれた手のひら。

 続けざまに起こった異常事態に盛大にテンパりながらも、右手に雷の小剣を出現させて体だけは戦闘の姿勢を作る。

 

 

《ふむ、これでは些か不公平じゃのう、どれ。吾が少しばかり手ほどきしてやろう。───今回だけじゃぞ?》

 

「えっお前なにするつもり───、」

 

 

 言葉は途中で途切れた。なぜなら。

 

 楽し気な童女の声が頭の中で響いたその刹那。

 

 ガギゴッ!!!!!! と。錆びた歯車を力尽くで嚙み合わせ、無理やりねじ回し始めたかのような異音が反響して、それと同時に水を貯めた浴槽から一気に栓を引き抜いた勢いで、ある種の情報が頭の中を埋め尽くす。

 

 敢えて言葉にするなら、『危険信号(アラート)』。

 無理やりに押し広げられた感覚器官が周囲の環境をスキャンし、希釈されないままの純粋な情報の濁流が脳を焼きかける。

 

 生存本能に従った肉体が一瞬でフリーズした思考を置き去りにして半自動的に動き始める。

 

 

「お───」

 

 

 ほぼ真後ろまで迫っていた断頭の刃を、思考を挟む間もなく本能のままに首を振って、

 

 

「おお───」

 

 

 そのままの勢いで体を振り回して左後方から貫く一撃の射線上から逃れ、

 

 

「うぉおおおおおああああああァッ!!!???」

 

 

 シュドドドドドドッ!! と。

 

 合わせて十三の霧の牙。

 死角からも問答無用で迫る無音の鎌を、現在進行形で失敗中の床運動の選手のように転げまわりながらただひたすらに回避する。

 

 思考回路へダイレクトにぶち込まれた攻撃の位置情報を頼りに振り向きもせずひたすらに体を躍動させる。

 

 

「ちく、しょ、なんだこれ!? お前マジで何しやがった人の頭ン中で勝手によお!? つーか頭いてぇ!」

 

《おぬしの力の性質上、常に全身から微弱な電磁波を放出してるようじゃな? 故にそれをおぬしの五感で感じ取れるようちょいと手を加えさせてもらったぞ。言い換えるなら……「れぇだぁ」、といったところかの。これであやつの刃は見切れるじゃろう。ほれ、跪いて吾へ感謝せよ》

 

「やったーこれでオレにも『超直感』的なスーパーパワーゲットだぜ! ───ってなるかバカ! せめてなんか一言言ってからやりやがれ!!」

 

《なぜ吾が斯様な真似をせねばならぬ。めんどくさ。それに先の場面、わざわざ断りを入れていたらその間に素っ首が飛んでおったわ》

 

「ちくしょう反論できねぇ! マジで何なんだコイツ!」

 

 

 司教の攻撃が途絶えた隙を突き、態勢を立て直す。

 

 霧の刃。その攻撃速度自体は実際そこまで速いというわけではない。

 無音透明。謂わば不意打ちに特化した性能ではあるが、決して反応できない速度ではない。

 

 つまり、よくわからないが攻撃を察知できるようになった今、霧が実体化するのに合わせてこちらも武装を使えば少なくとも防御はできる!

 

 そう思っていた。

 

 

「んなっ───、」

 

 

 攻撃を先読みし実体化に合わせたカウンター、それ自体は成功した。

 だが。

 

 ずるり、と。

 雷に撃たれ霧散した部分すら意に介さず、霧の刃は突き進んだ。

 

 

「───あっぶぇ!? どうなってやがんだ!?」

 

 

 間一髪で掠めた刃に冷や汗を流すと、呆れたように童女がため息をつく音が聞こえてくる。

 

 

《戯け。あれはあくまでも虚像に過ぎん》

 

「つまり……なんだ。あの刃一個ぶっ壊したところで意味がない、っつーことかよ?」

 

中吉(まぁまぁ)じゃな。打倒を目指すなら鏡に映る影ではなく、まずは実体へと目を向けよ。しかし……さあて、どうする? 術者は見つけられず、攻撃も捌き切るには不安定。おぬしはどう動く?》

 

「───クソッ!!」

 

 

 クスクスと笑う童女の声に答える前にくるりと踵を返し、会場の反対側、つまりはホムラがいるであろう場所にアタリを付け、全力で駆け出す。

 

 

「あんな啖呵切っておいてこんなことすんのはめちゃくちゃ悔しいけど……少なくとも事実は認めるしかねぇ。()()()()()()()()()()()()()()()。そもそも見つけられないんだからな」

 

 

 身体強化(ギアチェンジ)に加えて<ケラウノス>でも強化したスピードであれば、バカみたいな広さの会場の横断だって一瞬だ。すぐに破壊された天井の瓦礫が横たわっている中央付近に近づく。

 

 

「まずはホムラと合流する」

 

 

 自分のプライドなんかよりもアイツの安否のほうが重要だ。

 頭の中のコイツとかをとりあえずは放り投げ、導き出した答えがこれだった。

 

 アイツが負けるなんて微塵も想像できないが、相手はあの少女だ。正直に言えば心配の気持ちの方が強い。

 そんな気持ちを抜きにした実力で見ても、やはりホムラとの合流が先決。

 

 一時撤退にしても、攻勢に出るにしても、オレ一人じゃどうにもならない。

 

 

《勇気と蛮勇の違い程度は心得ておるようじゃな。しかしその悔恨を飲み込み唇を嚙んだ表情、ますます愛いぞ》

 

「……うるせぇ」

 

《であれば一ついいことを教えてやろうかの。───「前方注意」、じゃ》

 

 

 あ? と眉根を寄せた次の瞬間

 ヒュガッ!!!! と。周囲の霧と空気を飲み込み、目の前でオレンジ色の炎が炸裂した。

 



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10話:選択

 

 

「ご、がふ、があぁッ!?」

 

《だから言ったろうに。おぬしは少し鈍いようじゃな》

 

 

 あんな直前に言われたところで反応できるわけねぇだろ! という叫びを辛うじて飲み込んだ。

 

 息を吸った喉が焼けるところだった。

 爆風に煽られ、地面を転げながら爆発地点を見上げると、2つの影が土煙の中から飛び出した。

 

 

「さっきまでの威勢はどうしたよコラ、誘ってるつもりならもっと愉快にケツ振ってみせろよオジョウサマ!」

 

「マナーがなってませんわよ平民。貴女は言葉遣いから躾しなおしたほうがよろしくてよっ!!」

 

 

 ホムラと、あの時の少女。2人の炎使いが、高速でスタジアムを跳び回りながら何度も衝突するように熾烈な争いを繰り広げていた。

 

 紅蓮に染まった2人がぶつかる度に火花が飛び散り、炎の軌跡が焼き付くように揺らめく。爆発の衝撃が建物を揺らし、加速度的に周囲へ問答無用の破壊を撒き散らす。

 

 彼女たちの周囲は、まさしくレベルが違う戦場だった。

 今まで会場で行われていた学生たちの予選リーグ、競技的な戦闘など文字通り児戯だと見る者にそう思わせるほどの光景に、思わず息をのむ。

 

 

 片やカテゴリ2。レイピアと爆発を意のままに操る少女。

 片やカテゴリ2。大剣と炎を手足のように操る少女。

 

 拮抗しているかのように見えた二つの暴力が、一瞬のうちに明暗を分けた。

 

 重さを感じさせない素振りで溶鉄の大剣を振るうホムラだが、赤いローブの少女のほうがさらに早い。

 目の前の空間すべてを薙ぐようなひと振りを蛇のようにするりと躱した少女の一撃がホムラの喉元まで迫り、その間に挟み込まれた大剣が盾として細剣の斬撃を防ぐ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「嘘だろオイ……!?」

 

 

 大剣だったものの破片を浴びながら、半ば呆然と呟く。

 

 

 武装。様々な形で顕現するそれはいわば異能使いが異能を扱う上での()だ。展開して初めて異能使いとして十全のスペックを発揮できる代物。それ故に、その耐久性は異能使い自身の肉体強度の比ではない。原理や仕組みなどは未だに解明されていない部分も多いが、基本的に壊そうと思って壊せるようなものではないはずなのだ。

 

 それを、あの一瞬で。

 背筋を冷たいものが流れ落ちる。

 

 

 そして、こちらが呆けている間にも戦場は目まぐるしく変化していく。

 

 

「ごめん……あそばせっ!」

 

「あ"ぁ!? 逃げんなゴルァ!!」

 

「うおっ!?」

 

 

 武装を破壊され、異能を扱う触媒を失ったホムラ。彼女は即座に武装としての役目を果たさなくなった大剣の柄を投げ捨てると同時にさらに一歩を踏み込み、トドメを刺そうとレイピアを振りかぶった少女を踏み台にするかのように蹴り飛ばし、その反動でこちらへと向かって飛び込んできた。

 

 猛スピードで落下するような勢いで目の前へと着地したホムラを中心に地面へと異能が走り、力強く脈動する。

 そして地面から生えたのは正六角形の土の柱。

 人間一人分ほどの太さの土柱が幾本も地面から立ち上がり、捻じれ絡み合いながらオレたち二人を囲んでいく。

 

 言わば即席のシェルター。少女と霧が遮られ、僅かなりとも安全地帯となった防壁の中で少し息をつく。

 

 

「一つティータイム、と言いたいところですが、まずは一度情報共有といきましょうか」

 

 

 煤けた制服から埃を払いながらホムラが口を開く。

 

 

「さてイズナ。とりあえずはこの緊急事態、お互い無事で何よりですわね」

 

「お、おう。……っていうかこの壁、お前こんなのも出来たんだな、破られたりしないのか?」

 

「彼女の系統は私と同じ炎。武装の形状はレイピア。こちらの大剣などと比べれば破壊力に劣る代物ですわ。物理的な破壊力を『オプション』で補っているようですがそちらについては───、」

 

 

 コンコン、とホムラは軽く壁を叩く。

 炎と土。二つの系統を併せ持つ彼女の力の片割れが込められたそれは、シェルターの外から響いてくる破壊音に合わせてギュルギュルと音を立てて変形、生成を繰り返しているようだった。

 

 

「───ご覧の通り。彼女の『オプション』は武装で傷を付けたものを爆破するというもの。一枚の壁であればすぐに破られてしまいますが、複数組み合わせれば結果は変わらずとも時間稼ぎにはなりますわ。対策とも言えない物量作戦に頼る羽目になったのは少々気に食わない、と言いたいところですわ」

 

 

 ゴゴン! とやや遠くから爆発音が響いてくる。

 大小を繰り返す音だが、全体的に見れば確実に大きくなりつつある。それが限界に達した時、つまりは少女の破壊速度が防壁の生成速度を上回ったときがこの安全地帯のタイムリミット。

 

 

「……この調子であればあとしばらくは持ちます。その間に現状の確認、そして状況を打開する策を。2人で考えましょう」

 

「つってもなぁ……正直言ってこっち側はお手上げだ。どうしようもねぇ」

 

 

 ガシガシと頭を掻きながら呟く。

 

 

「こっちの相手はこの霧の大元、水使い(ヒーラー)の発展系ってのは間違いない。『オプション』は……悪いけどオレにはわからなかった。ただ姿を隠す『迷彩』、声の『反響』、『遮音』、霧から刃を作り出せる、ってくらいは掴んだんだが位置が掴めねぇからどうにも。高速機動でローラーしようにも向こうだってただ見てるだけじゃないだろうし、見つけるよりも先にこっちの電池切れのほうが早いだろうしな」

 

 

 だから、アイツを倒すために手を貸してくれ。

 努めて感情を排してそう呟くと、

 

 

「なるほど」

 

 

 思考を巡らせていたらしいホムラが静かに答えた。

 

 

「ですが先にこちらの方も伝えておきましょうか。と言っても先ほどお伝えしたことがほとんどですが……」

 

「あぁ、そっちの方なら問題ねぇ。あの女の子には前に一回あったことがあるからな」

 

「あらご存知でしたの。であれば話が早いですわね」

 

 

 そう言ってにこりと微笑むホムラに、何故か猛烈に嫌な予感がする。

 

 

選手交代(スイッチ)、といきましょう。イズナ、貴方があの子を倒しなさい」

 

「……マジ?」

 

「大マジですわ」

 

「……説明頼む!」

 

「では参りましょう。第一に、『お互いに相性が悪い』。イズナの方は言わずもがな、私の方も」

 

「お前が? 冗談きついぜ、大剣ぶん回せば噴火クラスの熱量と威力で大抵一発で片が付くって感じじゃねぇのか?」

 

「そう単純な話でもないのですわ、異能使い同士の戦いというのは。───『耐性』についてはご存じですわよね?」

 

「まぁ、教科書に載ってる程度には。……ってそうか」

 

 

 『耐性』。いくつかある異能使いの特徴の一つだ。なぜ異能使いが超常を操り人間の身に余るほどの強大な力を振るいながらも自滅しないのか、という理由がそこにある。

 

 理由は単純、肉体のほうが異能に合わせて変化しているから。

 毒を持つ生き物がその毒で自らを殺すことが無いように、異能使いもまた、自分の異能で自分の体を傷つけないように体を適応させている、という説が一般的だ。

 

 つまりは。

 

 

「同じ炎使い同士『耐性』があるからお互いに有効打を与えられない、ってことか」

 

 

 基本的に異能の出力が大きいほど同じ系統への『耐性』も強く発達する。

 そして、それはホムラとまともに激突してなお五体満足で余裕を保っていたあの少女も同等であるということをも示している。

 

 ……だが、果たしてそれだけで目の前の同級生は簡単に退くような性格だっただろうか。

 

 そう思った時、ポタリ、と。何かが滴る音がした。

 音源に目を向けるとそこには赤い血溜まり。

 ホムラの右腕から流れ落ちた血が、鮮烈な跡を残していた。

 

 こちらの視線に気づいたらしくさり気ない動作で右腕を隠そうとするが見えた。見えてしまった。

 

 

「お、お前……」

 

「見苦しいものをお見せしましたね。心配はご無用ですわ、()()()()()()()()()()()

 

「この……馬鹿野郎が! なんでっ、なんですぐ言わなかった!? それを!!」

 

 

 ホムラの右腕は、大きくひび割れていた。

 まるで1000度に熱した鋸を勢いよく突き立て、闇雲に引っ掻きましたように焦げた跡が広がっている。シミ一つない肌を裂いてグロテスクな内面をさらけ出している罅割れは明らかな重傷だった。

 

 一歩間違えれば傷どころか腕を丸ごと失っていたであろう怪我に戦慄する。傷そのものではなく、この傷を受けてなお平然と構えて居る目の前の少女に対して。

 

 

「これが第二。彼女の『オプション』は物理的な強度、そして『耐性』をも無視して破壊するもの、という点ですわ。おかげで右腕はこの通り。武装もすぐに破壊されてしまいますので、私としてはどうしてもやりにくい相手というわけですわね」

 

「ならもう戦ってる場合じゃねぇ。今すぐ撤退すべきだ。逃げるくらいなら二人でもできるはずだろ。外出て汐射とかの水使い(ヒーラー)に治してもらってもいい、生徒会の連中と合流してからでもいい、戦うならそれからだ! このままじゃ、お前!」

 

「そしてこれが第三。『この会場からの脱出は不可能』という点」

 

 

 息が、止まった。

 

 

「一度試してみましたが結果はこの通り。会場の外、つまりは霧の外を目指してもいつの間にか会場内に戻されていましたわ。……『迷宮(ラビリンス)』のように。同様に外部との連絡も不可。完全に閉じ込められていますわね、私たち」

 

 

 何でもないことかのように話しながら、ホムラはプラプラと小型の無線機を左手で揺らす。

 おそらくは彼女の側近である女SPさんと連絡を取るためのものだろうが、それは無常にも沈黙を返すばかり。

 

 

「……、」

 

 

 まだ何か方法があるかもしれない、と言った言葉は出なかった。

 ホムラの傷口からは、限界を知らぬかのように真っ赤な液体が流れ続ける。

 

 

 ギリリ、と。硬質なものを削るような音が口から漏れた。

 

 奴らの目的はオレだ。少なくとも司教とかのたまっていたやつはそうらしかった。()()()()()()()()()()()()()()

 

 平然としているように見えたホムラの額には僅かに脂汗が浮かんでいた。顔色も血の気が引いて青白い。

 当然だ。ホムラはバカみたいに強くて、無意識に『負けるわけない』なんて思っていたわけだが実際は無敵でも何でもない。普通の女の子なんだから。

 

 オレに余計な心配をさせないように演技をしていただけなのだ。

 

 巻き込んでしまった同級生に庇われていたという自覚をして。握りしめそうになった拳を強引に解く。そしてそのままYシャツを脱ぎ、ホムラの傷口へと押し当てて固く結び止血を施す。

 無論、これだけで解決するわけがない。せいぜいタイムリミットが少し伸びただけだろう。ホムラが失血死するまで、というタイムリミットが。

 そして敵方も黙ってそれを待ってくれるはずもない。実際はもっと短くなるはずだ。

 

 

 ……脱出する方法はない? いや、ある。

 

 

()()()()()()()()()()()()。ホムラ、オレは今から最低なことを言うぞ」

 

 

 無言で先を促すホムラの赤い瞳を見据えながら、言い放つ。

 

 

()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 冗談でも『自分が敵二人を倒す』なんてことは言えなかった。できもしないことを宣言するのはただの逃避だからだ。

 それでも、傷ついた女の子に再び戦えなんていう最低なことを言う選択肢を選ぶことしかできないちっぽけな自分がたまらなく嫌だった。

 

  ()()()()。ここで二人とも死ぬなんて最悪の結末よりも数百倍マシだ。

 

 

「やってくれるか?」

 

 

 そんなオレの言葉に、緋色の彼女は笑みを浮かべて、

 

 

「当然ですわ。しかし『抑える』……それだけでよろしくて?」

 

 

 ついに決定的に破壊の音色を鳴らし始めた防壁を前にして、玉のような汗を額に浮かばせながらも少女は犬歯を剝き出しにして笑う。

 

 

「もたもたしてたら私が先を超しちゃいますわよ」

 

「上等、すぐぶっ飛ばしてやるからオレが行くまでくたばるなよ」

 

 

 意図して軽口を叩きあって。

 

 ついに、防壁が破られる。

 差し込んだ隙間から灼熱の暴威が顔をのぞかせて。

 

 矢のように放たれた紫電を纏う一撃が、ローブ姿の少女の顔面を蹴り抜いた。



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11話:一つの決着

 渾身の一撃。

 現状の最大火力だった。

 

 完全な不意打ちだ、確実に命中したという自信はある。

 受け身も取らずに地面をバウンドしながら吹き飛んで行った少女の様子からもそれは明らかだ。

 

 しかし。

 

 

(……()()! 冗談キツイぜ、完璧入るタイミングだったろうが!?)

 

 

 人1人を蹴り抜いたにしては些か軽すぎる手応え。吹き飛んだ少女の姿も、よく見れば不自然だ。勢いが付き過ぎている。

 

 おそらく、命中の直前に自ら後方へ飛ぶことでダメージを最小限に抑えたのだろう。

 そして、恐るべきは不意打ちにも関わらず咄嗟に回避行動へ最速でシフトした彼女の判断力。

 

 

(こっちのタネもすぐバレそうだ、もたもたしてたらこっちが喰われる!)

 

 

 そのまま追撃のために1歩を踏み出そうとして。

 瞬間、オレの頭上へズラリと並べられた十三の刃が炎でまとめてかき消される。

 

 

「貴方の相手はこの私ですわ、テロリスト」

 

 

 ゴウ! と。会場を真っ二つにする勢いで立ち上がった炎の壁が、『司教』とホムラ、少女とオレ。強引に、二つの空間へと切り分ける。

 

 

「それじゃあ」

 

「またあとで」

 

 

 一言だけ交わして戦場へ往く。敵を倒すために。

 

 

 

《どいつもこいつも……ワタクシをコケにするつもりですか》

 

 

 不気味な白と鮮烈な赤に彩られた片方の戦場で、激情に震える男の声が不自然に反響する。

 

 

《「依代」の確保は後回しです。まずはあなたの血と臓物で祭壇を彩りましょう!》

 

「独りよがりな殿方はモテませんわよ。誘うのであればそれにふさわしい文句が必要でしょう」

 

 

 虚空に剣の切っ先を向けて緋色の令嬢は告げる。

 

 

「『Shall we dance?』 ほら、おっしゃってくださいな。リードは殿方の特権ですわよ」

 

 

 

 

 

 

 ダンッと跳ね上がるように飛び起きた少女の瞳がイズナを射抜く。

 その頬には殴打の跡が残っているがやはり、決定打には程遠い。ダメージの大半は受け流されたようだ。

 

 心臓を突き刺すような鋭さを孕んだプレッシャーをはねのけて、睨み返す。

 

 

「上等な挨拶じゃねぇかよオイ、『稲原イズナ』」

 

「……わかんのかよ? 前会ったときは男の時だったが」

 

 

 今でも男のつもりだけどな、と心の中で付け加えると。少女は口の端を歪めて嗤った。

 

 

「そりゃ向こうの司教サマが散々テメェにご執心だったからな。元がモブAでもいやでも覚える。ま、似合ってるんじゃねーの? 今なら言い訳できるもんな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ってよ?」

 

「言い訳は必要ねぇ。逃げないし、お前はここで倒す。特に司教とかいうヤツの仲間ってなら尚更だ」

 

「あーそれ? 悪いけどあたしは『リムーバー』じゃない。『フリーランス』。雇われってわけ」

 

「仲間じゃないのか?」

 

「そ。だからまぁ、ぶっちゃければ『リムーバー』の事情なんてあたしには知ったこっちゃないの。つーまーりー」

 

 

 ピッ、と。振られたレイピアの切っ先から蛇の舌のような炎がチラチラと踊る。ゆらりと立ち上った陽炎が視界を歪める。

 

 

「向こうののクソアマを殺そうが、アンタを殺そうが全部あたしの自由ってこと。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 『リムーバー』とやらも一枚岩ではないらしい。

 『フリーランス』というのはその名の通り、要塞都市の防衛組織である『ディフェンサー』などといった一つの大きな組織に属さずに世界各地で活動している異能使い(ストライカー)達の総称だ。契約などを結んで仕事を行う傭兵のようなもの、と言えばイメージしやすいだろうか。

 基本的には個人単位での活動、大きな仕事であれば複数の『フリーランス』がチームを組んで依頼を行うなどといったこともあるらしい。

 

 つまり。わかっていることをまとめれば。

 『リムーバー』と『フリーランス』の一部が結託していること。

 しかし『リムーバー』がそのすべてを統率できているわけではないということ。

 そして言動から察するに、この少女に指示を出した……いや、方向性とも言うべきか。それを与えた人物がいる。司教でも、ましてや『リムーバー』でもない人物が。

 

 そこまで考えて、改めて少女へ向かって構える。

 

 

(理由、背景、後回しだ。そんなもんあとでいくらでも考えればいい)

 

 

 場の空気が張り詰める。

 キリキリと。限界まで引き絞られた弓のように。

 

 仇敵と相対し、緊張と殺気の中で方針を固めた。

 

 

(さっき見せたアレはたぶんもう通じない、でもホムラには時間がない。出来る限り最速、最短で決める!)

 

 

 計ったように二人同時に踏み込んだ。

 僅か数メートルの間合。

 突き出されたレイピアに対し、生み出したのは雷の双剣。大振りのナイフほどのそれ。

 

 ギャリリリリリリ! と。干渉し反発した武装から大量の火花が散った。

 

 突く、というよりは細い刀身のしなりを活かし、反動で切り傷を付けるような独特な動き。

 狡猾に、防御をすり抜けるように放たれる剣戟を、双剣の腹で滑らせるように受け流す。

 一撃を流す度に強烈な熱がチリチリと肌を焼き、確実に体力を奪っていく。

 

 そして、ヤツの武装であるレイピアに近づいて初めて気づいた。

 ()()()()()

 

 目に見える位置と、実際に武装が干渉して火花が散る位置。それが数センチほどズレている。

 

 

(光の屈折……陽炎か!)

 

 

 気づいた瞬間心の中で舌打ちをする。

 

 硬度無視破壊の『オプション』。それを見ればどうしてもレイピアに注目し、警戒せざるを得ない。それを逆手に取った罠。

 気づいたとしても状況が好転するわけではない。むしろ逆。気づいたという事実さえマイナスに働く。ギリギリを狙った最小限の防御では抜けられる可能性ができた以上多少大雑把でも確実な防御を行うしかないからだ。

 防御に意識を割き、余計な動きが混じればそれも疲労という形で後に響いてくる。肉体的にも、精神的にも。

 

 一手のミスが死を招く現状、その枷は重い。

 

 ホムラと違ってオレには炎によるダメージを軽減するほどの『耐性』はない。よしんばあったとしても、ヤツはそれさえも『オプション』で容赦なく噛みちぎる。

 

 しかしそれでも思う。

 勝てる、と。

 

 攻撃の防御。熱による体力減衰。警戒を重ねた故の肉体的、精神的な疲労の蓄積。

 それらを加味しても、<ケラウノス>で強化したスピードがまだ一歩だが先を行く。

 

 

(……いける! このままなら、電池切れの前に押し切れる!)

 

「───とか思ってんじゃねーよな?」

 

 

 ずぶりと。

 確信した思考にゾッとするような言葉のナイフが刺し込まれる。

 

 現在進行形で追い込んでいる。追い込まれているはず、なのに。少女から余裕は崩れない。

 

 

「稲原イズナ、雷系統の異能使い(ストライカー)。カテゴリ6。それがなんでこのあたしとまともに張り合えるのか、ちょいと考えてみたんだよ」

 

 

 火花が更に激しく舞い踊る。

 剣戟の応酬はガトリング砲めいて加速し空気そのものが白熱していく。

 

 

「答えは当然、()()がある。そんじゃー、具体的に何をしてるかってワケだ」

 

 

 ついに、追い抜いた。

 カウンター気味の動きから明確に攻める動きへとギアが切り替わる。しかも向こうはレイピアという武器特性上、守りには向いていない。

 それでも少女の余裕は崩れない。

 

 

「雷、電気。そういや聞いたことあるなー? 人間の筋肉ってのは通常本来の二割程度の力しか発揮できてねーって話だ。脳の方がリミッターを掛けてるんだと。つまるところ、テメ―がやってんのはそれだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから本来のスペックよりも速く、強力に動くことができる」

 

 

 バレている。

 歯嚙みしながらも動きは止まらない。止められない。

 

 ガィィン! と。音を立てて大きくレイピアを上に向かって弾く。

 完全に胴体ががら空きになった。()()の隙もある。だがなんだこの違和感は?

 

 それでも関係ない。ホムラには時間がない。最速で決めるしか道はない!

 

 握った左手に異能を帯びた雷が蓄電される。

 

 タネの二つ目。

 身体の一部に異能を集中・強化し一気に放出する技。

 

 居合い、と例えればいいだろうか。

 攻撃のための動きを、それと正反対の動きで抑え込み、溜めこんでから解放する。

 

 その性質上、使用するには一瞬でも動きを止めねばならないというデメリットがあるが、それを飲み込んで余りある威力がある。

 

 故にいけると思った。思ってしまった。

 

 

阿呆(あほう)

 

 

 頭の中のアイツがため息交じりにそう呟いた時、ようやく気付いた。

 少女の足元から、その背後から、周囲全体から。ぬるりとオレンジ色の光が伸びる。

 

 

「でもリミッターって本来何のためについてんだろーな? それを外してるってことは、それだけ体には想定外の負担がかかってるってこった。そんな状態で更に無茶したら、なんて言わなくてもわかるよなー?」

 

 

 それは檻だった。

 周囲を取り囲むように張られた灼熱の檻。空間に焼き付いた斬撃が生き物のように揺らめく。さながら、獲物を締め上げる蛇のように。

 

 

「バァン☆」

 

 

 少女の声と共に檻が臨界点を迎え、爆ぜる。

 迫る爆炎、強烈な死の予感。体感的に時間が止まる。

 

 地面に伏せる? 否。姿勢を少し変えた程度で避けれるほど甘くはない。

 飛び上がる? 否。攻撃のために踏み込んだ姿勢では高さを稼げない。

 当たる前に少女を倒す? 否。確かに異能使いの意識が失われれば異能による現象も消滅するが明らかに時間が足りない。

 

 否、否、否。

 ならば。

 

 ゴリゴリゴリ!! と。体の中から響く骨が軋む音を食いしばって堪えながら、体勢を捻じ曲げる。

 握った拳はそのままに、その矛先だけを強引に切り替える。

 少女よりもさらに下、すなわち地面。

 

 轟! と。叩きつけた拳から閃光が溢れた。

 

 過剰に蓄電した雷が弾け、ワンテンポ遅れて放たれた轟音と共に地面を叩き割り、陥没させる。

 明らかに過剰な威力。当然、それ相応の代償が訪れる。

 

 殺し切れなかった威力はそのまま反動となり、腕を引き裂きながら体すらも宙に持ち上げた。だがそれが狙いだ。

 

 燃え盛る炎がギリギリのところで体のすぐ下を通り過ぎた。獲物を食らい損ねた猟犬のように僅かに掠めていった灼熱に息をのみ。

 

 

「アハッ」

 

 

 メリッ、と。煉獄から無傷で飛び出した少女のつま先が鳩尾に突き刺さった。

 

 悲鳴を上げることさえできなかった。

 

 およそ人間の膂力とは思えないほどの力で足が振りぬかれる。

 ゴムボールか何かのように何度も地面をバウンドしながら吹き飛ばされる。

 落下した天井の瓦礫にぶち当たり慣性が体を蹂躙する。

 

 感覚が、動く。

 

 

「ご、っぼあ!? はっ、がぶぇ!?」

 

 

 視界が明滅する。内臓が握りつぶされる。赤錆の匂いが広がる。痛い。痛い。気持ちが悪い。

 意識があることを後悔するレベルで猛烈な吐き気が襲い掛かってくる。

 

 

『苦しそうじゃのう?』

 

 

 ぐらぐら揺れる視界の中、クツクツと笑う童女の声だけがはっきりと頭に流れ込む。

 

 

『痛いか? 逃げ出したいか? ならば吾に体を明け渡せ。すぐ楽にしてやろう。おぬしの身体は吾と現世を結ぶ糸、繋ぎ止める楔じゃ、失うには惜しい。その身体を五体満足で保ちたいというのなら協力は惜しまんぞ』

 

 

 ……本当に?

 そんな言葉は口や鼻から零れ落ちる湿った深紅の音にかき消された。

 

 しかし意図だけは伝わったかのように、笑みを浮かべる童女の存在感が頭の隅で身じろぎする。

 

 

『もちろんじゃ。それだけではないぞ? おぬしが望むこともしてやろう。まず手始めに……あの小娘を踏みつぶそうかの。そうしたいじゃろう? どうしても殺さぬというのならそうしてくれよう。級友のおなごも救ってくれよう。悪いことはないじゃろう?』

 

 

 あまりにも魅力的な提案だった。

 砂漠を休みなく歩かされた後に目の前へ差し出されたキンキンに冷えたスポーツドリンクのように。体が押しつぶされるほどの大荷物を一人で抱えている時にかけられた「手伝おうか?」の一言のように。

 

 

『ほれほれ、早う決めぬか。時間がないぞ?』

 

 

 目標達成への最短ルート。一も二もなく飛びつきたいほどの誘惑。

 それを前にして、オレは。

 

 

「いらねぇ」

 

 

 誘惑を押しのける。ふらつきながらもその両足で立ち上がる。

 

 友好的な態度さえ感じるが、根本的にコイツは得体が知れない。体を預ければ何が起こるか───それさえもわかったもんじゃない。

 何よりこれは自分の戦いだ。他人に結末を任せる、なんてことはしたくない。

 

 返答。沈黙。

 

 

『───ク』

 

 

 笑みが深まる気配がした。

 

 

『クク、アハハハハハハ! そうだ、そうこなくては、のう! でなければつまらぬ、ヒトはそうでなくてはな!』

 

「うるせぇ」

 

『ならば吾は手出しはせぬ。せいぜいおぬしの無様な戦いを見守るとしようかの?』

 

「悪ァかったな無様で!」

 

 

 どこかにフェードアウトしていく笑い声に叫び返しながら自己分析を行う。

 全身に軽いやけど。無理やり姿勢を変えたときにいくつか筋繊維が断裂している。

 左腕、ぶん殴った反動でズタボロ。攻撃に使うことはできないだろう。

 腹部、マヒしたように鈍い感覚。呼吸をするたびに痛むことから付近の骨が折れているはず。

 『充電』は残りわずか。

 ……正直このままぶっ倒れていたいが、まだ動ける。

 

 そして向こう。

 確かにヤツの能力は強力無比だ。オプション『爆裂』、斬撃を与えたものを問答無用で破壊する能力。あまりにも強力。強力すぎる。だがわかったぞ。

 

 脳裏に浮かぶのは今までの記憶。少女がその力を振るったシーンのすべて。

 

 

 足音が聞こえた。

 

 顔を上げると、近づいてくる少女の姿が霧に浮かび上がる。

 今受けたダメージを除いてもへとへとなこちらとは正反対に、その立ち振る舞いには未だ余裕がある。先ほどの攻防ですら予定調和と言わんばかりの表情。

 

 

「オイオイ、もうおしまいかよ。もっと頑張れよ負け犬、これで終わっちまったらつまんねーじゃねーか」

 

 

 勝負は決した。逆転の目など残されていない。

 そう断言するかのような口調に、思わず笑いがこみ上げる。

 

 

「つまらない? サプライズがお好みかよ。ならとっておきをくれてやる」

 

 

 怪訝そうな少女が何かを言う前に、天井を指さす。

 

 

「ここはどこだ?」

 

 

 霧に覆われ、高い天井は目視出来ない。しかし、そこにはアレがある。

 

 

「お前は何をした?」

 

 

 未だ理解していない少女に向かって突きつける。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「───」

 

 

 ザァ! と。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 密かに、天井の穴をふさぐように展開していた砂鉄から電磁力が失われ、雨と共に降り注ぐ。

 

 

「ここは3つあるうちの1つ、決勝トーナメントの実施会場。見て分かる通り屋内だ、雨なんか入ってくるわけもない、が。わざわざお前は天井をぶっ壊してくれた」

 

 

 手近な水溜まりへと手を伸ばす。パチパチと電気が爆ぜる。

 

 

「水ってのは空気なんかよりもよっぽど電気を通す。つまり」

 

 

 お互いに全身を濡らしたまま、相対する。

 

 

「射程距離、だぜ。この距離ならお前が来るまでに3回はぶち込める。おっと、逃げてもいいぜ? 今なら言い訳が効くもんな。相手のフィールドで負けるのが怖かった、ってな」

 

「───ハッ、テメ―」

 

 

 濡れて顔に張り付いた髪の毛を避けもせず少女は嗤い。

 

 

「殺す」

 

 

 一直線に突撃した。

 

 

(くだらねー挑発だな。乗ってやるよ。テメ―は『爆裂』でなんて殺さねー、このあたしが直々に引き裂いてやる)

 

 

 踏み込むとともに足から吹き上げた炎が爆発的な推進力を生み、双方の距離を一瞬で食いつぶし───視界の外から現れた瓦礫の塊にぶち当たる。ぶち当たってなお少女は笑う。

 

 

(磁力で瓦礫を浮かしやがったな。そして───()()()()()()()()()()

 

 

 確信した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(ベラベラと話していたのはハッタリだ。そんな手段があるならそもそも近距離戦なんて選ばねー、さっきの時点で使ってきたはずだ)

 

 

 次々と瓦礫が飛来する。瓦礫は積み重なりながら一枚の壁になる。

 

 

(テメ―の底は見えてんだよ。今頃は電池切れってとこだろ。あのスピードも威力も、もう出せない。おしまいなんだよお前は!!)

 

 

 一閃。

 ただ瓦礫を積んだだけの壁が耐えられるわけがない。

 

 崩れ落ちた壁の向こうに見えたのはボロ雑巾のような姿。動かない、いや動けないのだろう。スタミナ切れ、オマケにあばらを何本かぶち折って内臓にダメージを与えてやったのだから当然だろう。

 

 勝った。初めから揺らぐことのない確信だった。

 

 

「はいおしまい。安心しろよ、すぐあのクソアマもあの世に送って───、」

 

 

 だからこそ、少女は目の前の光景が理解できなかった。

 

 ヤツの浅い体力はすべて削り飛ばしてやったはずだ。

 肋骨もへし折ってやった。どす黒い血を吐いていることから内臓も傷つけてやったことは間違いない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

 

 

「足りねぇもんは補う、当然だろ」

 

 

 ようやく目を見開いた少女に笑いかける。

 

 左手で引っかけるように収めていたのは長方形の物体。手のひらほどの大きさで薄型。差し込み口が二つあり、押しボタン式のスイッチが一つ。4つの小さなLEDがついている。世間一般でも広く周知されているそれ。

 つまりは。

 

 

()()()()()……!?」

 

 

 モバイルバッテリー。事前に充電しておくことでスマートフォンなどを電源無しで充電することができるというアレ。

 蓄電量を示す4つのLEDは灰色に消灯したまま。

 充電されていた電力がどこへ行ったかなど、言うまでもない。

 

 握った右の拳が雷光を放つ。さらに強く、あるいは今までで最も強く瞬き奔る。

 

 

「───ま、だ、まだだ! 先にテメ―をぶち殺してやれば───!」

 

 

 肉を貫く音。

 苦し紛れに放たれた斬撃。防御はしない。むしろ押し付けるように左手を差し出す。狙いを誤った切っ先が貫通して。

 

 少女の顔色が、決定的に変わった。

 

 

「刺傷じゃ発動できねぇんだろ、お前の『爆裂』」

 

 

 ひっくり返る。

 余裕が焦燥に。勝利の確信から敗北の予感に。

 

 

 思えば最初から奇妙だったのだ。

 路地裏で出会ったときも、今も。コイツは頑なに『突き』をしていない。

 

 レイピアという剣の利点は刺突でこそ強く発揮されるはずなのに、敢えて向いていない斬撃にこだわる理由は?

 刺突用の武器で斬ることを主とする矛盾。そこに秘密が見えてくる。

 『オプション』。基本的には発動条件+効果で武装に付与するもの。しかし強力なものを無理やり付与すれば、必ずどこかにその歪みがでる。

 『武装で傷をつけたもの』という条件が『武装で切り傷をつけたもの』という条件にすり替えられたように。

 

 半ば賭けではあったが、どうやら当たりだったらしい。

 

 まっすぐに貫いた刃を引き抜かれないよう握って固定する。

 

 

「ま、さか。初めからこれを……!?」

 

「んなわけねぇだろ。そうだったらもっとうまくやるさ」

 

 

 すべて想定済み。そんな格好いいことを言えたらよかったが生憎そんなことはない。

 ブラフに引っかかってくれなかったらどうなっていたことか。

 

 たらればに意味はない。

 

 

「それじゃあじっくり味わえよ。敗北ってやつを」

 

 

 ガッゴン!!!! と。およそ人間の体の一部がぶつかる音とは思えないほどの轟音が、目を焼く閃光と稲妻と共に炸裂した。

 

 電磁加速。電気信号操作。リミッター解除。

 限界までため込まれた力が、一撃に込められて。

 人の身で許される限界まで加速した拳が少女の顔面を真正面から穿った。

 

 そしてどこまでも吹き飛んでいく。開幕の焼き直しのようにも見える光景だが、一つ違う点がある。

 

 勝者と敗者が決まっている、という点だ。

 



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12話:雨降って

『誰が来たかと思えば手負いですか。いいでしょう、異教徒とはいえその蛮勇に敬意を表して、その首だけを斬、』

 

「ごちゃごちゃうるさいですわ」

 

 

 男の言葉を遮り、少女は無事な左腕で大剣を逆手で持ち上げ、 

 

 

「チェック」

 

 

 轟! と。

 溶鉄の大剣が地面に突き立てられた瞬間、莫大な炎が吹き上がる。瞬間的に広がった炎の地獄は霧を吹き飛ばし、舐めるように会場半分を覆いつくして───オレンジ色に覆われた空間の中にぽっかりと、一部の空白が生まれた。

 

 

「そこ」

 

 

 先ほどの炎が津波と例えられるなら、今度は熱線。渦を巻きながら灼熱地獄が凝縮される。

 

 クッ、と。こわばったように息を吞む音。

 

 瞬間。すべての霧が消滅し、空白の白が圧縮されたようにより深まる。

 さながら霧で作られた半透明のドーム。

 

 緋剣ホムラは躊躇わない。

 灼熱の中、唯一の異変へと大剣を振るう。

 

 刀身から伸びるように一条に束ねられた緋色の獄炎が空白を貫いて───、

 

 貫かない。

 見えない壁に当たったように弾かれた熱線が、破壊を撒き散らしながら吹き荒れた。

 

 対消滅した霧の防壁の中から司教の姿が滲むように現れる。

 身体全体をすっぽりと覆う外套。異形の輪郭。巨体。照らされて僅かに見えた顔面には顔の上半分を丸ごと覆う黒色の軍用ゴーグル。右手には指揮棒のように細長い武装。

 

 弾かれたあとも未だに燃え続ける炎はじりじりと綺麗な円を描いて周囲を焦がしていくが、司教はそれを意にも介さない。司教の周囲半径1メートルほどを漂う『霧』が熱さえも遮っているようだった。

 

 僅かな視線の交差。

 そして再び、男の外套の下から霧が噴出する。何かで操作しているかのように自然ではない軌道で広がった白色はあっという間に炎を塗りつぶし、白に染めていく。

 

 

『……む、無駄です、無駄。ワタクシには通じない。あなたの炎は届き得ない』

 

 

 ゴーグルの下で引き攣った笑みを浮かべながらも司教は安堵する。

 やはり異端者なぞ敵ではない。防御に専念すればこの女の攻撃は完璧に防げる。無敵だ。負ける道理が無い。

 

 そして時が来た。もはや霧に紛れて移動する必要もない。

 勝ち誇り、告げる。

 

 

『そして、先ほどの攻撃でワタクシを倒せなかった時点であなたの敗北が確定しました。───審判の時です。あなたの罪は神に、ひいてはこのワタクシに刃を向けたこと。己の血で溺れて、死ぬがよい』

 

 

 外界からの隔離。視野妨害。霧の刃。すべてはこの布石に過ぎない。

 ヒュン、と。男の武装が風を斬って。

 

 何気ない合図と共に、少女の体が内側から食い破られた。

 

 

「ご、っぶ、ぁ……!?」

 

 

 ぶちぶちと血管が弾け、内臓が壊れ、かき混ぜられる。

 数秒の後に赤い液体の詰められた袋のように内側が蹂躙されて。

 どちゃり、と。粘性の塊が落ちる音が最後に響いた。

 

 

『うく、クク、クハハハハハ!!』

 

 

 司教の目は濃霧の中でも捉えていた。

 緋剣ホムラの四肢から力が失われ、為すすべもなく崩れ落ちる姿を。その体温が消えていく様を。

 

 哄笑が響く。

 男の表情にもはや陰りはない。

 不敬な異能使いを屠り、あとは『依代』を回収するだけ。それで目的は達成される。

 戦場を区分けていた炎の壁は既に消えた。己を阻むものは何もない。

 

 司教は最後にもう一度だけ霧の向こうに視線を向けて、言った。

 

 

『先ほどの威力には少々驚きましたが……所詮はこの程度。やはりワタクシの敵ではなかった』

 

「あら。弱火では物足りませんの?」

 

 

 ビシリ、と。背後から聞こえた声に、司教の動きが硬直する。

 振り返れない。すぐにでも背後を振り返って空耳か何かだったということを確信したいのにどうしてもできない。

 己のプライドが、ただ首の向きを変えるという単純な動きさえ許さない。

 

 

「あなたの『オプション』は霧範囲内の『率操作』。光の透過率を操作して光学迷彩を、音の伝導率を操作して遮音を、熱の伝導率を操作して炎の防御を、反射率を操作して虚像を生み出し迷宮を。霧の刃は水分子密度の局地的な操作といったところでしょうか。随分と多彩なようですわね」

 

 

 脳がその声を聞きとることを拒否する。『NO』が真っ白になった頭の中を埋め尽くす。

 

 ありえないありえない。

 仕込みの不発はしていない。現にあの不敬な異能使いは死体になってあそこに転がっているはずだ。体温も既に失ったただの肉塊になって己の血で溺れているはずだ。

 

 なら、今ワタクシの背後に立っている者は誰だ!?

 

 

「──────、な、なっ」

 

「なぜ? 教えて差し上げましょう。あなたが霧の中にも関わらずこちらの位置を把握できていた理由、それが答えですわ」

 

 

 やや掠れた声で答え、緋色の令嬢は司教の顔に視線を向けた。正確に言えば、顔上半分を覆っているゴーグルに。

 

 

熱線暗視装置(サーモグラフィー)。文明の利器に頼るのは結構でございますが、それだけでは少々足元がお留守というもの。五感の一つで優位を確保した程度で得意になられても困りますわ」

 

 

 その仕組みはセンサーで物質から反射される赤外線を読み取り、そのデータをもとに画像処理を行うことで温度の分布を視覚的に読み取ることができるというもの。

 であれば、人間よりも強く赤外線を放つもの。つまりは炎の陰に隠れて動けば、司教は緋剣ホムラを認識できない。

 

 そして、司教の男は気づかない。死体だと思っていたものが、緋剣ホムラの異能によって作られた燃える土塊の人形だということに。己の異能である『霧』という特性上、相手を視認するためにつけたサーモグラフィが仇となっていることに気づかない。

 

 

「ばか、な。だがなぜ生きている!? ワタクシに近づいたとてアレを生き残れるはずが───!?」

 

「あなたの異能の端末、『霧』の吸収量が閾値を超えた対象に対し過剰再生。内部から破壊する、と。なるほど、随分と悪趣味な仕掛けですが、()()()()()()()()()()()()

 

 

 ようやく、司教は背後を僅かに振り返ることができた。そして反射的に喉が引き攣った音を立てる。

 ───理解不能。

 

 そこに立っていたのは右腕に焦げた傷跡を残しながらも五体満足な緋剣ホムラの姿。携えた大剣。

 そして。

 だらりと、少女が舌を出して開いた口の中。その喉奥に、ちらちらと小さな炎が踊る。

 

 

「───ま、さか、まさか! ありえない、ありえないィ!?」

 

 

 半狂乱と化した絶叫が司教の喉から迸る。

 

 言葉にすればなるほど、実に合理的だ。

 体内に侵入した『霧』を己の炎で焼いて無力化。担い手の異なる異能が衝突した際に起こるのは出力で劣る異能の消滅である以上、理論上は可能である。

 

 実質的な自殺である、という点を除けば。

 

 肉を守るために骨を断つような暴挙。『耐性』を考えても自分の内臓を燃やすなどという考えは発想は出来ても実行なんてできるはずがないと、そう思っていた。

 

 ゾクリと。背中に走った震えを司教が自覚する前に、緋色の令嬢が武装を振りかぶる。

 

 

「一人で踊る気分はいかがでしたの? 三下。そろそろ終いにしましょうか」

 

 

 溶鉄の刀身に再び炎が収束する。赤から橙へ、橙から白へと。温度の上昇と共に変色が進む。

 束ねられた白炎がすべてを焼き尽くさんと猛り吼える。

 

 

「まだ折れてないのであれば、言っておきますわ。全力で守りなさい。雷鳴に慄く子供のように背中を丸めて、嵐の船のように油断なく。先ほどの一撃にさえ、防御に全霊を尽くさねばならなかったあなたがこれを受ければ塵も残りませんので」

 

「こんな……こんなことが許されるわけがない! なぜこのワタクシがこのような()()()に見舞われなければならない! 神よ、ワタクシは───、」

 

 

 一人の男の叫びは、かき消された。

 燃え滾る炎剣が、司教を覆う霧のドームに触れた瞬間に活火山の如くため込んだ膨大な熱を解放する。今までの何倍もの熱量に周囲の霧が一瞬で気化し、1700倍となった体積の暴力が残った天井をまとめて吹き飛ばした。

 

 

「理不尽、ね」

 

 

 勝者の火焔が、黄昏の如く破壊跡を染め上げる。

 

 

「私程度で理不尽などと、随分と幸せな人生だったでしょうに」

 

 

 霧は晴れた。もはや狂人の居た痕跡など、残されてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 猛烈な爆発を合図に、戦闘は終わりを告げた。殺伐とした戦場の空気が徐々に緊張を解かれ、ほどけていく。

 いつの間にか風が雨雲を吹き飛ばしたようで、もはや吹き抜けとなった天井後から陽射しが差し込んでくる。

 

 二つの決着が付いた会場の中でオレはというと。

 

 

「あのー……ホムラ? そろそろ降ろして欲しいんだけど……?」

 

 

 左肩に引っ掛けられるような形でホムラに抱えられ運ばれていた。気分はさながら米俵だ。

 

 

「電池切れで指一本も動かせなくて助けを求めたのはどなたでしたの? 大人しく運ばれなさいな」

 

「い、いやっそうだけどさ……なんつーかいろいろ役得っつーか苦しくなってきたっつーか!」

 

 

 炎使いの少女を倒した後、同じく向こうの男を倒したらしいホムラとなんとか合流したところまではいいものの、割と身体が限界だったらしく動けなくなってしまったというわけで。ひとまずは外に出ようとホムラに手伝いをお願いしたわけなのだが。

 

 外に出たら会場を包囲していた『ディフェンサー』やら生徒会の面々、治療のために怪我人の元へ駆け回っている水使い(ヒーラー)たちの視線が突き刺さるわけで。指示を飛ばす声やら怪我人の悲鳴やら何やらで多少は誤魔化せてはいるが、それでもシャツ一枚で抱えられているこの格好を見られるのは恥ずかしい。

 

 オマケに言えば、頭がホムラの前側に来るような姿勢のせいで、ホムラが踏み出すたびに目の前でアレがああなるのだ。

 何が言いたいかのか、というのはつまるところ。

 

 胸が……至近距離で揺れている。

 ホムラの大きい、とまではいかないが、制服越しでも確かな存在感を表しているそれ。歩く度に揺れるそれを間近で拝むなんてことは全ての男子の夢であり、つまりその状況にある自分は役得なのである。怪我万歳。

 

 ……と言いたいところではあるのだが。自分の全体重がホムラの肩にかかっているせいで、これもまた一歩踏み出すたびに体重を預けた細い肩がグサグサと腹部を突き刺してきている。

 

 まさに天国と地獄。プラスとマイナス。神様は均衡がお好きらしい。

 

 

「ちくしょう、こういう体験は男の頃にしたかったなぁ! 今も男だけどさ!」

 

「見た目は100%可愛らしい女の子ですわよ」

 

「中身は120%男ですー! 誰が何と言おうと男ですー!」

 

「はいはい」

 

「流すなよ! オレにとっては大事なことなんだから!」

 

「では100歩譲って男の子としましょう。でも身体は女の子なのですから、その……いい加減下着くらいはまともなものをつけたほうがよろしくてよ? 今気づきましたが、ノーブラというのは流石に……」

 

「○%×$☆♭#▲※!? ヤメロー!! 考えないようにしてたんだから!」

 

 

 顔をブンブンと振り回して目を開けると、そこには見慣れた顔。呆れた表情。

 

 

「あっ汐射」

 

「何やってんだよお前ら……」

 

 

 汐射が立っていた。ホムラに抱えられたまま人の流れを遮らないよう出入口の端に移動し、改めて汐射に顔を向ける。

 

 

「よお汐射。何があったか聞きたい? 聞きたいよなぁ~? こっちに来た異能使いの一人はオレが倒したぜ。しかも! カテゴリ2相当! やっぱりオレ天才だったかもしれねぇな」

 

「馬鹿だろ」

 

「馬鹿ですわね」

 

「だぁからちょっとは褒めろよエリート共! まともに異能使い始めて一ヶ月だぞこっちは!!」

 

「だってイズナ、褒めると調子乗るじゃないですの」

 

「お前が調子乗ってると対応がめんどくせぇ」

 

「慈悲もない!」

 

「とりあえず先に緋剣のほう治療するからお前は大人しくしとけ。気が散る」

 

「言われなくても動けねぇんだわ───おぶぁっ!?」

 

「あっ、ごめんなさいイズナ」

 

 

 ついにホムラの肩から滑り落ちて硬い地面に打ち付けられる。まぁホムラも限界だろうし文句はないんだが。汐射は受け止めるくらいしやがれってんだ。

 

 

「そいや汐射は何やってたんだ? っていうか何があったかイマイチよくわかってねぇんだけど」

 

「色々と。こっちもこっちで大変だったんだ」

 

 

 よどみない動きでホムラに治療を施しながら、汐射が事の顛末を語る。

 

 

 襲撃事件。それは異能使いの犯罪者専用の収容施設で起こった脱獄事件をきっかけにしたものらしい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということらしかった。

 襲撃者は全部で6人。うち全員が無力化され4人が拘束、事情聴取中とのことだ。残りの二人については、オレが倒した少女がどさくさに紛れて逃走。そしてホムラが倒した『司教』を名乗る男が意識不明の重体ということらしい。

 

 そう。離れたところにいたオレでさえ、余波で思いっきり吹っ飛ばされた攻撃を受けてなおヤツはまだ生きていたのだ。

 ホムラが手加減したのか、あるいは『司教』の肉体が頑丈だったのか。おそらくは前者だとは思うが。

 なぜなら。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()、ってのは本当なのか?」

 

「あぁ。異能を増幅する加工が施された機械がめちゃくちゃに埋め込まれてた。上半身の六割以上はそれに置き換えられてたって言っても過言じゃねぇ。普通なら死んでるはずだが、何をどうやったのかそれでもヤツは生きていた。生命維持に必要な最低限を残しつつ、残りは徹底的なまでに改造しつくす。倫理なき技術とは言え、ここまでくればもはや一つの到達点だな」

 

 

 苦い顔をして汐射が呟いた。そしてなにかを振り払うように頭を振り、

 

 

「まぁそれは重要じゃない。人体改造程度で異能が先に進めるなら人類はとっくにカテゴリ0(人類未踏領域)に到達してる。ヤツが命を削ってまでして得たものは精々、残滓程度だろうに。……っとまぁ、こんなもんか。あと緋剣、SPさんが泡食った顔で探してたぞ。先に報告しにいったほうがいいんじゃないか」

 

「え、あっ! 忘れてましたわ! ということでまた後で会いましょう! あ、あとイズナ! 今回の件は認めて差し上げますが、私との決着はまだついてないってこと、お忘れなく!」

 

「当然! 次はぜってぇ勝つ!」

 

 

 もはや跡も残らないほど精緻に治療された腕を振って、慌ただしくホムラが人混みに消えていく。まぁ確かにあのSPさん相手にならさっさと無事を報告したほうがよさげではある。普段から目を光らせているというか、単なる仕事って以上にホムラの護衛に熱意を向けてる人だっていうのは直接会話をしたことがなくてもわかるくらいだったし。

 

 

「……ま、決着っつっても今回はほとんどアイツとやりあってないんだけどな。あーあ、この調子じゃ学園祭も中止だろうしなぁ」

 

 

 ようやく動くようになってきた体を起こし、汐射に治療を頼む。

 アドレナリンが切れて徐々に強くなってきていた痛みが和らぎ、事実治っていく。

 今まで何度も汐射の世話になってきたとはいえ、こういう瞬間が一番異能の恩恵というもの感じなくもない。だって便利だし。

 

 グッ、と拳を握り開いて感覚を確かめていると、思い出したかのような唐突さで汐射が口を開いた。

 

 

「実はちょっと厄介なことになってな。しばらく寮のほうには帰らないから、そのつもりで」

 

「マジかよ。学会的な?」

 

「まぁ……そんなとこだ。連絡とかも出れねぇかもしれないから期待すんなよ」

 

「そこまで!? せっかく明日から夏休みじゃんかよもったいねぇな。授業がないから尚更準備に時間を……ってやつか?」

 

「あぁ」

 

「んじゃあ仕方ないな、適当にゲーセンでも行くかな……っと、そういや麻切先生見なかったか? 他の先生方はみんないるみたいだけどあの人だけ見なくてさ」

 

 

 生徒の人影に混じる背広やらスーツの大人の姿。どれもせわしなく動いているが、その中に麻切先生の姿はない。

 そのことが少し気になって汐射に聞いてみたところ。

 

 

()()()

 

 

 スッ、と。今まで聞いたことが無い冷たい刃のような声色。

 

 思わず汐射のほうを見ると、既に立ち上がってこちらに背を向けていた。

 

 

「汐射?」

 

 

 その姿にどこか言いようのない不安のようなものを感じて、思わず声を掛ける。

 

 

「聞いた話だと別の場所で仕事中らしいが詳しいことは知らん、忘れとけ。あと」

 

 

 背を向けた状態から、僅かに汐射がこちらを振り返る。

 

 

()()()()()()()()()()()()。また面倒事に巻き込まれても、俺は助けられねぇからな」

 

 

 それだけ言って、汐射は日陰の中に消えていく。

 なんとなく引き留めることもできずにそのまま見送る。

 

 

「……よっぽど忙しい、ってことか? わかんねぇ」

 

《ふむ。騒乱の匂いがするの》

 

「うおっ!? ……急に話しかけるなよ、ビビるじゃねえか。寝てたのか?」

 

《戯け。おぬしが挙動不審にならぬよう黙っていた吾の奥ゆかしさがわからんのか》

 

 

 ぶーぶーと口を尖らせるような声色。

 

 わからん、といったらコイツもそうだ。

 急に頭の中に流れてきた幼い少女の声。そのくせ口調だけは妙に老成しているという不思議ボイス。異能使いの中にはテレパシーのように直接対面せずとも会話ができるような人もいるらしいが、コイツはどうにもそんな感じがしない。

 なんというか変な感じだが、オレの中に居る、という表現がしっくりくる。

 

 

《……ほう? 吾のことが気になるとな、よいよい。純粋な興味を向けられるのは久方ぶり故な。よいぞ、質問には答えてやろう。じゃが……吾はおぬしを二度手助けした。よってその対価を頂こうかの》

 

「対価ぁ? ……って、例えば?」

 

《そう身構えるな、吾は今気分が良い。差し当たってはまず───、》

 

 

 ごくり。

 どんなものを要求されるのか、はたまた払えるのかどうか、と少し身をこわばらせると。

 

 

《甘味じゃ。吾はあまいものに目がないのじゃ。たあんと献上してもらうぞ》

 

 

 力が抜けた。

 

 

「いやどうやってお前が食うんだよ」

 

《うむ、そこじゃ。そこで吾は考えた。吾と繋がっているおぬしの肉体は、同じく吾を降ろしうる『器』としても機能している。そして先の通り、吾ほどの存在にもなれば『器』を好みに弄ることも可能という訳じゃ》

 

「さらっととんでもないカミングアウト来たな」

 

《もっともあまり手を加えることはせん。おぬしに興味が湧いたからの。吾好みにしたところで、それでおぬしの味が塗りつぶされてはそれこそつまらぬというもの。まぁそれはさておいて、自由に手を加えられるということは、それはもう吾のもの(からだ)ということじゃろう?》

 

「理論が斜め上くらいにぶっ飛んでねぇか!?」

 

《ということでおぬしと五感を共有しても何も問題ないわけじゃな。だって吾の身体だし。ということでおぬしが食し、吾に味を伝えることを許す、光栄に思うがよいぞ》

 

「問題大ありだわこの野郎! だってオレの感じたこと全部お前に伝わるってことじゃねぇか! プライバシー!」

 

《そもそも演算領域からして共有されてる以上今更じゃないかの? まぁおぬしから吾への一方通行じゃがな》

 

「一番まずいじゃねぇか!? っていうかちょっと待て、それって───、」

 

 

 にやり、と。

 頭の中で嗜虐的な笑みを浮かべる気配がした。

 

 

《お、》

 

「待て、待て言うな、信じたくない!! 一か月前から? ってことはアレとかアレとかも全部……」

 

 

 ぐおおおお!! と獣じみた唸り声を挙げながらたまらず座り込む。

 ここ最近の記憶を軒並みぶっ飛ばして地面をのたうち回りてぇ!

 

 

《ほれ、はよ立たぬか。周りの者の目に段々と不審な色が混じってきておるぞ》

 

「誰のおかげだと思ってんだよ……!」

 

《あと吾の声は他の者には聞こえておらぬからな。つまり、今のおぬしを客観的に見れば独り言を呟きながら叫び声を上げる変態不審者と同義になってきておる、ということじゃが》

 

「嬉々としてとどめを刺してくるんじゃねぇ! クソッ、帰ったら質問責めにしてやる……!」

 

 

 クツクツと笑う声に頭を抱えながらひとまずは帰路につく。が、結局呼び止められて会場内で何があったかだとか聞かれてるうちに、汐射の言ったことや頭の中のコイツが何気なく呟いたことなんてすっかり頭から零れ落ちてしまっていた。

 

 とにかく、これで一つの非日常が幕を下ろした。

 また変わらない日常がやってくる。

 

 




 ……ということで、後天少女の異能使い(ストライカー)第1章 学園編はこれにて最終話、終了となります。

 詳しくは割烹にあとがきを置いておきますので、お暇な方は眺めていただければ。

















 あの日だけでいろんなことがあったが、それでもあとはなんてことのない日常に戻るだけ。
 あの路地裏から始まった一つの事件はこれでひとまずの終わりを迎えたのだと、そう思っていた。そう思いたかった。

 今思えば、予兆もヒントもあった。それでもオレは無意識に見逃した。いや、見なかったことにしたのだろうか。

 気づいた時にはすべてが始まっていた。終わりなどではなかった。
 雨は降り止み、しかしそれも嵐の前兆に過ぎず。

 要塞都市の一区画。『学区』を中心に様々な思惑が走り抜ける。
 『世界』を天秤の片側にかけた戦いが始まる。



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