私のトレーナーはウマ娘かもしれない (テトラ)
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#0 【不明なファイル】

 
プロローグです。
ウマ娘のキャラは出てこないので読み飛ばしても構いませんが、一応本編(次話から)の前日譚です。


 

 

『⬛︎⬛︎⬛︎様。パーティーの準備が整いました』

 

 

「うーん……その⬛︎⬛︎⬛︎様、って呼び方やめない?⬛︎⬛︎⬛︎君?」

 

 

『あら、それはどうして……?』

 

 

「何かさー、僕たちって家族だろう?だったらそんな堅苦しい言い方はどうかなーって」

 

 

『なるほど……い、いきなりは難しいけど……改善してみるわね』

 

 

ーーーー

 

 

『⬛︎⬛︎姉様と⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎が居ないみたい。それに⬛︎⬛︎⬛︎様と⬛︎⬛︎姉様も……⬛︎姉様、私が呼んでこよう』

 

 

『いや、先程⬛︎⬛︎⬛︎と⬛︎⬛︎⬛︎が迎えに行ったはずだ。連絡は既にしてあるから、私たちは待っているとしよう』

 

 

『このパーティーは姉様たちの弛まぬ努力と勤勉さに報いて、天が祝福を与えてくれたからこそ開けたのでしょう。本当に、ありがとうございます』

 

 

『おや、⬛︎⬛︎⬛︎だって最近、その信仰心が認められて枢機卿になったじゃないか。このパーティーは、私たち姉妹全員にとっての"祝福"だと私は思っているがな』

 

 

『あぁ、⬛︎⬛︎も来たのだな……え?』

 

 

『どうだ?この日のために新調したドレスだ……何だその顔は。まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔じゃないか、姉上』

 

 

『あの、多分⬛︎姉様は⬛︎⬛︎姉様が軍服以外の服を来ているのが意外なんだと思う。私も、初めて見た……』

 

 

『あぁ、そう言う事か。何、私だってファッションの一つや二つくらいするさ。毎回毎回、私だけ軍服ってのも何だか悪いしな』

 

 

『お待たせしました、姉様方。⬛︎⬛︎⬛︎と⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎を連れて来ました』

 

 

『まだ、道具の手入れが終わってないんだけど……本当にいいの?』

 

 

『……あれ、今日の主役まだ来てないんだ』

 

 

『待っていたよ、⬛︎⬛︎⬛︎に⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。それと⬛︎⬛︎⬛︎もふたりを連れて来てくれて、感謝する』

 

 

『褒められるほどの事ではありませんよ。それにしても、姉様方のドレスは素晴らしいですね……少し、見入っていまいました』

 

 

「申し訳ありません、皆さんを待たせてしまったでしょうか……」

 

 

『『『『『『『おぉ……』』』』』』』

 

 

『何か……⬛︎⬛︎姉様キラキラしていつもより綺麗……気のせい?⬛︎⬛︎姉様?』

 

 

『まぁ⬛︎⬛︎姉様は私たちの長女だし、何よりウマ娘だからな。とても美しいのは当たり前だろう、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。ただ、私個人としては──』

 

 

「いやー、待たせたねー。作業が中々終わらなくてさー」

 

 

『⬛︎⬛︎⬛︎様をお連れ……コホン、ついそう呼んでしまうわね……』

 

 

『ふむ、来たな⬛︎⬛︎⬛︎。やはり私の中では、君が一番着こなしが上手だよ』

 

 

『そう?ありがとう、⬛︎⬛︎姉様』

 

 

『さて、全員揃った事だ。早速だが⬛︎⬛︎⬛︎様の誕生日パーティーを始めるとしよう。⬛︎⬛︎、クラッカーを配ってくれ』

 

 

 そうして始まった華やかなパーティー。

 

 

 ⬛︎⬛︎姉様は挨拶として、主役の⬛︎⬛︎⬛︎様と昔の楽しかった事、辛かった事の思い出も語っていたが、ずっと温かい目をしていた。皆んなの面倒をみようとして、あっちへこっちへ歩き回っていたのを⬛︎⬛︎⬛︎様に『君も楽しもうよ!』と逆に世話を焼かれていた。

 

 

 ⬛︎姉様がデザインした料理や部屋を飾る絵画は宝石の様な輝きでパーティーを彩り、⬛︎姉様は楽しむ私たちを見て静かに微笑んでいた。

 

 

 ⬛︎⬛︎姉様は銃の様なクラッカーを撃って⬛︎⬛︎⬛︎様を盛大に祝った。後、途中から私を着せ替え人形みたいに何度も違う衣装を着させていたけど……まぁ、結果的にパーティーが盛り上がったから良いのかしら。

 

 

 ⬛︎⬛︎⬛︎はほとんど全ての美味しい料理を作った。彼女が手がけた氷の巨大シャンパンタワーのお披露目はパーティーが一番盛り上がった瞬間だろう。透き通った氷に煌めく金のシャンパンが流れ、とても幻想的な時間になった。

 

 

 ⬛︎⬛︎⬛︎はシャンパンタワー制作の手伝いと、デザートのアイスクリームを作った。それとパーティー中に細々と冷たい料理ばかり食べていたら、⬛︎⬛︎⬛︎様にアツアツの魚介スープを口に放り込まれていた。彼女は涙目になりながら怒って抗議していたけど、その後は少しだけ表情が緩んでいた。

 

 

 ⬛︎⬛︎⬛︎は料理の栄養バランスを考えてくれた。本当は食事中も色々言うんだけど、今日はとても静かだった。でも、⬛︎⬛︎姉様の着せ替え人形第二弾にされた時は『た、助けて下さい……ひゃあ!』と言って、珍しく恥じらっていた。

 

 

 ⬛︎⬛︎⬛︎は食事前も祈りを忘れなかったが、それはそれとしてパーティー中は普段の硬さが薄れて、クラッカーを片付けたり料理の配膳を手伝ったりしていた。聖女の様な彼女が居るだけで、辺りが温かな空気で包まれていた。

 

 

 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎は口では色々文句を言いつつも誕生日パーティーの目玉の、ショート、ショコラ、チーズと一段一段で味が違う豪華な三段ケーキを手がけたり、パーティー中の配膳を率先して行ったりと、本質的な面倒見の良さが隠し切れていなかった。

 

 

 そして私、⬛︎⬛︎⬛︎はそんな皆んなの様子を眺めていたら、同じ事をしていた⬛︎⬛︎⬛︎様とふと目が合ってしまい、お互い顔を見合わせて何となく笑った。取り繕いなど一切ない、自然な笑いだった。

 

 

『心』が実際に存在するのかと聞かれても、昔の私はよく分からなかった。けど、今この瞬間だけは、実際に存在する私の『心』が熱を帯びていくのをはっきりと感じた。

 

 

 ここには私の……私たちの大切な人がいる、親しい姉妹がいる、温かい家がある、綺麗な思い出が残っている。

 

 私たちの、かけがえのない居場所がある。

 

 

 あぁ……私は本当に幸せ者ね。

 

 こんな幸せな日が、いつまでも続きますように……。

 



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#1 乙女達のAwaken

男トレーナーが『うまだっち!』される話とか、ウマ娘優位で『うまぴょい!』する作品が多い気がしましたので、敢えて逆を行ってみよう……と思って走り出した作品です。


 全国各地から優れたウマ娘とトレーナーの集まる場所、日本ウマ娘トレーニングセンター学園。

 

 通称トレセン学園の広大な敷地の一角にあるトレーナー寮の一室では、とある女性トレーナーが湯気立つマグカップを片手に、デスクの椅子に腰掛けながら、窓の外に広がる春うらら〜な景色を眺めてモーニングタイムを過ごしていた。

 

「ふーむ、やはりまだ平均と比べて骨が薄めなのか……お弁当のビタミンDの量を増やすのはともかく、筋力トレーニングも更にしておきたいけど、過度なトレーニングは彼女の足の速さに影響が出るだろうし……」

 

 その女性トレーナーは、黒のハイウエストに白い長袖のワイシャツ、首には特徴的な黄色のショートタイを巻き、その上から金色のトレーナーバッジの付いたグレーのオーバーコートを、ボタンも留めず、袖さえ通さずまるでマントの様に羽織っている。

 

 腰まで伸びた美しい黒髪は前髪の一束だけが白髪で、室内だというのに大きめのホワイトグレーのカウボーイハットを被り、さらに黒いシルクの手袋までしている。

 

 その部屋の家具や床、壁は全体的にダークブラウンやその同系色で統一されており、寮の一室にも限らず、どこか異国情緒を感じるアンティークな雰囲気がある。

 

「トレーナー君! トレーナー君! トレーナー君! トレーナー君! ……」

 

 しかしそんな部屋にも近代的なものは幾らか置いてあるもので、例えばデスクの上にあるタイプライターの隣りに置かれているタブレットPCや、先程からトレーナーを呼びつけている棚の上に置かれた、白衣を着た手のひら大くらいの大きさのぱかプチもその一つ。

 

 その女性トレーナーはまだ中身の入ったマグカップをデスクに置くと、立ち上がって棚にある白衣を着たぱかプチに近づき、そのぱかプチの頭をカチッと押し込んだ。

 

「やあ、おはようトレーナー君! 昨日飲ませた薬の効果は出たかな? 早速だがその確認がしたいから今すぐ、私のラボまで来てくれないかな?」

 

 ギャンギャンギャンと朝の優雅な雰囲気をぶち壊しにする様なやかましい声が部屋全体に響き渡る。声の主はアグネスタキオン、この女性トレーナーの担当ウマ娘の1バである。

 

「おはようタキオンクン、今日も気分が良さそうで何よりだ。でも、寮内だからもう少し静かにね? 今からそっちに向かうけど、一応カフェが起きているか確認してからになるから、少しだけ待っていてくれるかな?」

 

 その後一言二言話してタキオンの応対を終わらせたトレーナーは、隣に置かれた黒衣のぱかプチの頭をカチカチッと2回続けて押し込んだ。

 

「……はい、トレーナーさんですか?」

 

 すると数秒後、黒衣のぱかプチから先程のタキオンのテンション高めの声とは打って変わって落ち着いた、マンハッタンカフェの声が聞こえてくる、カフェもまたこのトレーナーの担当ウマ娘だった。

 

「おはようカフェクン。念のためコールさせてもらったよ。今日はトレーニングの前にミーティングをしたいんだけど……うーん、悪いけどタキオンのラボまで来てくれないかなあ?」

 

「……えぇ、分かりました。……トレーナーさんが謝る必要はないですよ……大方、タキオンさんがラボから出てこないからでしょうし……」

 

 どうもこのウマ娘にとっては慣れた事の様で、トレーナーが詳細を説明するまでもなく状況を察してくれている、いつもより声のトーンは落ち気味だが。

 

「あはは……そう言ってくれると助かるよ、そういうわけで、集合場所はタキオンクンのラボに変更ね。別に急ぐ必要はないから、ゆっくり身支度を整えてくるといい」

 

「……分かりました」とマンハッタンカフェのぱかプチから聞こえたのを最後にブツリと通信が切断されたのを聞き届けてから、そのトレーナーはデスクに戻るとマグカップの中身を飲み干し、タブレットPCをタブレットモードに切り替える。

 

 そして、テーブルに置いてあったやや大きめのバスケットとタブレットPCを片手に持つと、玄関に向かい白と黒のコンビシューズを履いた。

 

「おっと、自己紹介が遅れたね。ボクの名前は"機宮ユリ"。チーム『アダーラ』の担当をさせて貰っているトレーナーだよ、これからよろしくね〜」

 

 ぎこちなさの無い流れる様な動作で、やや腰を折り快活そうな笑顔を見せながら、玄関に置かれた全身鏡に向かって自己紹介する機宮トレーナー。やがて「うーん……」と悩みながら、空いている方の手で帽子の角度を僅かに変えた。

 

「帽子の角度は……これくらいが良いかな」

 

 そう呟いてから機宮トレーナーは廊下に出ると、部屋に施錠をしてその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あ、トレーナーさん……おはよう御座います」

 

 アグネスタキオンのラボ前。そこに機宮トレーナーが辿り着く前に、既にそこにはマンハッタンカフェの姿があった。トレーナーが来た時の反応の遅さから、どうやら直前まで誰かと話していた様だった。

 

「さっきぶりだけど、おはようカフェクン。ごめん、"お友達"とのおしゃべりの邪魔をしちゃったみたいだね」

 

「……いえ、丁度、話に一区切りついたところでしたから……大丈夫です。それより、その……」

 

 俯いてしまうマンハッタンカフェ、ラボからは「ハーッハッハッハッハ!」という、アグネスタキオンの歓声が壁越しにでもハッキリ聞こえて来る。機宮トレーナーは状況を一発で判断した。

 

「分かったよ、タキオンクンが掛かったらボクが止めるからさ。さ、今日もチームとしての活動を始めようか」

 

 そう言いながら、機宮トレーナーは実験室もといタキオンのラボの扉を開ける。そこにあるのは至って普通の実験室だが……部屋の半分が厚いカーテンで仕切られており、その奥は昼だというのにかなり薄暗いように見えた。

 

「おーいタキオンクン〜? 朝のミーティングをするよー? 朝食も持ってきたから出ておいで〜」

 

 バスケットを実験室の黒机の天板に置き、カーテンを開けてラボの中を伺う機宮トレーナー。

 

 そこには、何かが書かれた紙くず、薬包紙、付箋のついた分厚い本、ファイル、未開封の小包、ドライバーや赤と青のケーブルが床に散らばっており、そしてここの主であるアグネスタキオンも床に落ちていた。

 

「……おや、トレーナー君! 予定していた時間より些か早いじゃないか。ふむ、見たところ昨日の薬の効果は出ていないらしい……失敗か。だが、あの薬なら上手くいくはずだ。という訳で、これを……」

 

 自身のラボの床に転がっていたアグネスタキオンだったが、トレーナーに気づくなりのそのそと立ち上がる。

 

 そして、机の上にあった試験管立ての中のカラフルな色水の入った試験管2つを選び出すと、それをビーカーの中に注ぎガラス棒で混ぜて手早く調合し、ずいっと機宮トレーナーに差し出した。

 

「えぇぇ〜……分かった分かった、飲むよ。あまり期待しない方が良いと思うけど……まぁ、タキオンクンがそれで満足するなら、ね」

 

「ふふふ、それでこそ私の優秀なトレ……モルモットだ」

 

 何故か言い直したタキオンをよそに、機宮トレーナーはブルーハワイの様な色に光り輝く内容物をしばらく眺めた後、一息に飲み干した。すると、機宮トレーナーの口元から白煙が立ち上り始めた。

 

「え? ちょっ、タキオンクン?」

 

「ふぅン……これは想定外の反応だ。大丈夫だ、体に害のあるものは入っていないよ。それでどうだい? 何か自分の中で──」

 

「いや、そうじゃなくて。これ……」

 

 そっと天井を指差す機宮トレーナー、そこにはスプリンクラー付きの火災警報器があった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて、チーム『アダーラ』のミーティングを始めようか」

 

 やや実験室内が煙たい中、機宮トレーナーはそう言うとプロジェクターを使い、広げたスクリーンに予定や計画がまとめられた表を映し出した。

 

 あの後、慌てて3(1+2バ)人で火災警報器が作動しないよう実験室の窓を全開にし、機宮トレーナーは窓から半身を乗り出して煙を外に排出した。

 

 だが、今度はその立ち登る煙を見たウマ娘やトレーナーにボヤ騒ぎと勘違いされ、野次ウマが集まって来たため説明をして回るのに随分手間取ってしまった。

 

 幸いにも早朝という事もあり通報はされなかった様だが、当事者であるタキオンが中々後始末をしようとしなかったため、よりにもよって話すのが苦手なカフェが説明をして回るハメになり、マンハッタンカフェのやる気が下がった。

 

「まず、ボク達のチーム『アダーラ』の現状だけど……少〜しだけメンバーが少ないのが問題点だ」

 

 機宮トレーナーは、何処から取り出したレーザーポインターで、スクリーンに映し出された「なんと4バ!」とやたら強調された文字を指し示した。

 

「ふぅン……つまりトレーナー君は、他のウマ娘をスカウトするべき……そう言いたいのかな」

 

 タキオンはもそもそとトレーナーの持ってきたお弁当(サンドイッチとキャンディティー)を味わいつつミーティングに参加している。

 実験室に戻ろうとした所を、散歩に行きたがらない犬の様に両手を掴まれて抵抗虚しく無理矢理引き摺り出されたので、若干服がホコリっぽくなっているが。

 

「……その考えには賛成だよ、観察対象を増やすのは私の研究の成果を高めるのには欠かせない要素だからねえ。ただ、一体誰にするつもりなんだい?」

 

「……あ、私もチームのメンバーを増やすのには賛成です……タキオンさんみたいな人じゃなければ、私は誰でも……」

 

「酷いなカフェ!? 私がいつそんな君に嫌われるような事をした!?」

 

「……自分に聞いてみてください」

 

 ふー、ふー、とこれまたトレーナーが持ってきた淹れたてのコーヒー(キリマンジャロ)を冷ましながらゆったりと口をつけ、タキオンの質問を躱すカフェ。

 紅茶に角砂糖をばかすか放り込んだタキオンとは対照的に、カフェのコーヒーは全く砂糖の入っていないブラックコーヒーである。無論、『友達』の分も淹れてある。

 

「ははは、まぁカフェクンもお手柔らかにね。それで、話を戻すと今はチームメンバー数的にあと1人はメンバーを増やして"チームとして"レースに出走出来る様にしたい。加入予定の子もいるけど……念のためもう1人欲しい所だね」

 

「あの有名ウマ娘!?」と「Unknown」と書かれた表の一部分を、トレーナーは先程と同様にレーザーポインターで指し示し、続けて手元のタブレットPCを操作して次のスライドに移った。

 

「そこで、まぁいつもの方法だけど新入生の選抜レースでピンと来た子をボク達のチームに加えようと思うんだ。方法について何か意見はあるかな?」

 

「……ないね」

 

「……特には」

 

「よし、じゃあそれで決まりだ」

 

「本日選抜レース!」のスライドには、出走予定のウマ娘達の名前と顔写真、簡単なプロフィールが、新人トレーナーの研修でも充分使えるレベルでかなり見やすくまとめられていた。

 

「最後に、昨日の夜中に海外遠征組からビデオレターが届いていたんだ。今日はまだ時間があるからここで再生するよ〜」

 

 スライドを閉じ、メモリーに保存されていた動画を開いて再生すると、いきなり画面いっぱいに誰かの顔が写った。

 

『ボタンは押したな、む……これで良いのか? コホン……おはよう、トレーナー。こっちは──』

 

『失礼、オグリキャップ。少しカメラから近すぎるのではないだろうか? 椅子を用意したから、こっちに座るといい』

 

『近すぎる……? そうだったのか、感謝する』と言いながら、後ろにある椅子に座った私服姿の芦毛のウマ娘の名はオグリキャップ。チーム『アダーラ』には2番目に昔から所属しており、現在は海外遠征のためしばらく日本を留守にしていた。

 

『……改めて。おはようトレーナー君。今まで通りビデオ通話をしたかったのだが、予定と時差の関係上、そちらと通話が出来る時間を作るのが難しそうだったから、今回はビデオレターという形で近況報告をさせて貰うよ。と言っても"転轆轆地"、コンディションに問題は無いし、明日のレースにも万全の体制で挑めるだけの余裕はある』

 

『私も、珍しい料理をいっぱい食べたし、こっちでいっぱいトレーニングもしたぞ。多分……食べ過ぎでは無いはずだ。本当……だぞ?』

 

 そして同じく海外遠征でオグリキャップと共に行動しているのは、ただ座っているだけでも皇帝としての風格が溢れているウマ娘、シンボリルドルフ。彼女は機宮トレーナーが中央に来てから初めて担当したウマ娘かつ、チーム『アダーラ』の最古参メンバーだった。

 

『オグリキャップの事なら心配しないでくれ、私の目から見ても、彼女の食事量は君の指定した量を超えてはいないよ。ただ……唯一問題があるとするなら、君が居ないと少し物寂しいな』

 

『そうだな……ここの料理は凄く美味しい。でも、やっぱり私はトレーナーの作ったご飯が一番好きだな……トレーナー、私達が帰ったら皆んなでお好み焼きパーティーをしないか? 少し前タマに焼き方のコツを教えて貰ったから、私も手伝うぞ』

 

『お好み焼きか……(ゴクリ)それも良いな。最近は些か、日本食が懐かしくなってきた事だしな』

 

 レースでは「芦毛の怪物」と「皇帝」と呼ばれ、お互いを好敵手だと認めている2バだが、カメラの前で楽しそうに話している姿は、気の置けない友人同士にしか見えなかった。

 やがて、少しカメラの事を忘れかけていたのか、コホンとルドルフが咳払いをすると、今一度カメラに向き直った。

 

『ではトレーナー君、明日、いやこのビデオレターを見ている時にはもう当日だと思うが、本番のレースを楽しみにしていてくれ。戴冠した"9つ"の冠と「皇帝」の名に恥じない走りを、世界に轟かせて見せよう! それと、生徒会の皆んなにも改めて宜しく言ってもらえると助かる』

 

『私も、今回は走る訳ではないがそれ以外の事をしっかり学んで帰ってくるつもりだ。今の私は、カサマツの人たちやトレセンで出会った仲間とトレーナーの思いも、"芦毛の怪物"の名と共に背負っている。失望させたりはしない』

 

 そこでビデオレターは終わった。

 彼女たちはチーム『アダーラ』の"目標"に向けてチームの先頭を走り続けており、今はそのために海外遠征を行っていた。今回はオグリは海外慣れのための見学、そしてルドルフがレースに出走する予定だった。

 

「会長もオグリ君も随分と遠い所に行ってしまったものだね。つくづく、トレーナー君の才能には驚かされるよ、毎日のように逆スカウトを受けるのも当然と言えば当然だろうねえ」

 

「"私のトレーナーになって欲しい"っていう気持ちは嬉しいんだけどね〜……全員スカウトしてたら、流石に面倒見きれないよ〜」

 

 チーム『アダーラ』は長期に渡ってメンバー不足ではあるものの、入りたいと思うウマ娘が少ないわけではない。当然だろう、"チーム全員がほぼ無敗で世界トップクラス"なのだから。事情を知らない新入生などは大半が1回は『アダーラ』の部室の扉を叩く。

 

「……背後には気をつけて下さいね、トレーナーさん……最近は、貴女の事を良く思わない人もウマ娘も増えて来ましたから……」

 

 世界トップクラスを地でいく『アダーラ』を率いる機宮トレーナーは、他者から見れば羨望の的であると同時に邪魔者だった。多くは前者だが、まだ年若い女性という事もあってか、所詮は担当したウマ娘の才能と軽んじられて嫌がらせを受ける事もあった。

 何も、レースに関わっている者の全員がレースが好きな訳ではないからだ、水面下では表沙汰に出来ないような汚い事も行われているし、そう言ったものからウマ娘を守るために理事長やたづなさんがどれだけ奔走している事か。

 

「おやおや、カフェクンは心配性だね。大丈夫、自分の身くらい自分で守ってみせるさ」

 

 もちろん、君たちの事もね、と機宮トレーナーはそう付け加えてさりげなくウインクをした。因みに、普段から誰に対してもこんな感じであり、かつウマ娘並みに容姿端麗、更にスタイルも良いと来ているので少なからず好意を持っている者も存在する。性別や種族問わず。

 

「っ……と、そろそろレース会場に行かなくちゃ。じゃあ、後は頼んだよ2人とも。再三だけどタキオンクン、あんまりカフェクンを困らせちゃダメだよ?」

 

「全く……しょうがないねえ。その代わり、帰ったらまた実験に付き合ってくれよ?」

 

 そう短くやりとりをすると颯爽と実験室を後にした機宮トレーナー。いつの間にかプロジェクターやその他もろもろの設備は片付けられており、初めからそこに誰も居なかったかの様になっていた。

 

「さて、カフ」

 

「嫌です」

 

「えぇー!?」

 

 そーっと試薬を取り出しながらカフェに声をかけようとしたタキオンだったが、案の定速攻で断られた。これ以上は先程の約束を破る事になるため、しぶしぶタキオンは引き下がり、また甘い紅茶を飲み始める。

 

「なあ、カフェ」

 

「い……なんですか?」

 

 条件反射の如く「嫌です」が飛び出しそうになったカフェだったが、今度はタキオンが紅茶を嗜みながら話しかけて来たため、その言葉を飲み込んだ。

 

「トレーナー君の事なんだが……彼女は本当に人間、つまりヒトなんだろうか」

 

「……!! それは……」

 

「私には、どうもそれが信じられなくてね。ほら、以前私が学園中で実験をした事があっただろう?」

 

 タキオンの語るそれは、今から数ヶ月前の事。タキオンが他のウマ娘で試薬の実験を行ったところ、色々あって在籍しているウマ娘の殆どがトレーナー依存となり、あちらこちらで「うまぴょい!」が発生するゾンビパニックの様な事態になった事がある。

 予想外の事態を引き起こした張本人であるタキオンはとりあえずトンズラしていたのだが、最上階の物置まで逃げて来た時にそれは起こった。

 

『ふぅーっ……ここまでくれば大丈夫だろう。きっと今ごろ、みんなが私を探しているだろうねえ。さて、ひとまずこの物置にでも隠れ──』

 

『"みんなが私を探している"ねえ?』

 

 タキオンがドアノブに触れた瞬間、背後から声が聞こえ、物置の扉のガラスが反射して廊下側の窓が映る。そこには3階だというのに空いた窓の外に座っている機宮トレーナーの姿があったのだ。

 その後、ひらりと窓を乗り越えた機宮トレーナーにあっさり捕まったタキオンは観念して解毒剤の量産をさせられたのだが、重要なのはそこではない。

 

「あの時、どうやって窓の外で待ち伏せしていたんだろうね? 先回りするにも、あの時トレーナー君は1階にいたはず……もし壁を登ったのだとしたら、ますます人間離れしている身体能力だと言わざるを得ないしねぇ……」

 

「……確かに、トレーナーさんは少し外れたところがあると思います……でも、ウマ娘だとしたら……なんでそれを隠してるんでしょう……」

 

 実験室で朝食を取りながら会話するアグネスタキオンとマンハッタンカフェ。こう見えて2バはそこそこ仲が良い友人で、会話の内容以外はいつも見られる光景だった。

 

「……………………」

 

 そして、コソコソ話の当人である機宮トレーナーは廊下で実験室の壁に背を向け、寄りかかりながら一言も喋らずその会話を聞いていた。

 やがてその話がひと段落した所で機宮トレーナーはゆっくりと、誰にも気付かれずにその場を後にしたのだった。

 




プロフィール1

「機宮ユリ(はたみや ゆり)」

誕生日    3月25日
身長     168cm(らしい)
体重     計測断固拒否
スリーサイズ B87 W53 H81(自己申告)

「さあ、ボクと最高のレースをしよう!」


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#2 洗礼Breeze

機宮トレーナーのヒミツ①
実は、「中央を無礼るなよ」を頂戴した事がある


「あ!『アダーラ』のトレーナー!にしし、今日という今日はボクのトレーナーになってもらうよ!」

 

 真っ直ぐレース場に向かおうとしていた機宮トレーナーだったが、校舎を出た辺りで曲がり角から1バのウマ娘が待ってましたと言わんばかりに飛び出してきた。

 

「おはよう、トウカイテイオー。キミは本当に根性あるよね〜……このやりとりも、もう何度目だったかなあ?」

 

 世界レベルの優駿の集うチーム『アダーラ』に加入したいというウマ娘は少なくない、誰しも自身の夢を預けるなら優秀なトレーナーの方が良いに決まっているからだ。

 だが『アダーラ』は完全な機宮トレーナーのスカウト制なので、例えチームの部屋に押しかけたところで丁重に帰される。そうなれば大半のウマ娘は諦めて別のチームを探しに行くのだが、そうはならないウマ娘もいる。

 それの最たる例がトウカイテイオーだった、彼女はこうやって毎日の様に機宮トレーナーの出待ちをしている。

 

「だってボク、カイチョーみたいな強くてかっこいいウマ娘になりたいんだもん!ほら、早く準備してよー!今日は自信あるんだ!」

 

「ふむ、それは楽しみだね。実際、今のキミは普段よりも脚の調子が良さそうだし。やっぱり、ウマ娘ってボクたちの理解が及ばない、不思議な力があったりするのかな……?」

 

 そう言いながら前傾姿勢をとる両者。

 機宮トレーナーは懐から一枚のコインを取り出して親指の上に乗せた。

 

「ルールは1つ、先にレース場に着いた方が勝ちだ。まぁ、別にもう言わなくても分かってると思うけど」

 

「……今日は絶対負けない。勝って、カイチョーと同じチームに入れさせてもらうんだ!」

 

 それを聞き届けた機宮トレーナーはコインを爪で弾いた。高く宙を舞ったそれは一瞬の静寂の後、足元のタイルに落下して高い音を立てる。

 それを皮切りに、完璧なスタートダッシュを決めて走り出したテイオーはレース場まで一直線に駆けて行く。一方の機宮トレーナーはというと前傾姿勢をやめて身体を起こしたばかりか、その場から全く動いていなかった。

 

 

 

「ふぅ……トレーナーはいない、よね?やった!今日こそボクが1番乗りだー!」

 

 今日、選抜レースが行われるレース場、沢山の人やウマ娘が集まり、着々とその準備が進められる中にテイオーが駆け込んでくる。

 勿論、指定された場所以外でウマ娘が全力疾走するのは固く禁じられているため、レースの時の走りと比べてかなり控えめなスピードだったが、それでもテイオーは大人の全力疾走より圧倒的に早く駆けてここまで来ていた。

 

「やあ、トウカイテイオー。さっきのスタートダッシュは中々良かったと思うよ、ちゃんと練習したんだね。ただ、フォームにまだまだ乱れがあるかなあ」

 

「エェ!?」

 

 近くの観客席を見やるテイオー。

 そこには機宮トレーナーが足を組んで、息切れを起こしている様子さえ見られず、当然の様に座っていた。

 

「何でボクより速くレース場にいるの!?わけわかんないよー!?」

 

「まぁ、そこはちょっと裏技で〜。それに、わけが分からないのはボクもなんだよ」

 

 観客席から降りると瞬く間にテイオーとの距離を詰める機宮トレーナー。ほとんど身体が密着するくらいまで近寄ると、テイオーの顔に自身の顔が触れ合うくらいまで何も言わずに接近させる。

 更に、テイオーの鼻をフローラルな香りがくすぐった事でテイオーは一瞬で上気してしまった。

 

「うぇぇ!?ちょ!ちょっと待ってよトレーナーぁ!?な、何もこんな場所でぇ!?」

 

「悪いけど、少しじっとしてくれたまえ」

 

 驚いて飛びのこうとするテイオーの腰に腕を回し、がっちりとホールドする機宮トレーナー。そして空いている方の手でテイオーの顔を引き寄せる。

 テイオーは、機宮トレーナーの目鼻立ちのきりっとした美しい顔から目を逸らす事さえ出来ず、顔を真っ赤にしながら耳を左右違う方にくるくると回し、プルプルと震えながら瞳を硬く閉ざした。

 

「うーん、目を開けてくれると助かるんだけど……心拍数も上がってるし、顔も赤いよ?大丈夫かい?」

 

 しかし、テイオーがいつまで待っても予想していた感触は来ない。恐る恐る瞼を開けると、心底不思議そうな表情をした機宮トレーナーの顔が、今吐息を吐けばそれを感じ取れるくらい近くにあった。宝石の様に美しい瞳に、テイオーの心拍数は上がりっぱなしだった。

 

「えっと、な、何してるの……?」

 

「いや、キミを隅々まで観察すれば何か分かるかもと思ったんだ、ボクが勝ったら代わりにキミの身体を調べさせて貰う約束だっただろう。今回だってそうさ。……別に、そういう事をしようと思ったわけじゃないよ?」

 

 機宮トレーナーは「ウマ娘って本当に分からないな……」と呟きながらテイオーを解放した。いつの間にか周りにはギャラリーが出来ており、中には鼻血を出して倒れているウマ娘さえいた。実際、見た者の角度的によっては"そういう事"をしている様に見えただろう。

 

「ト、トレーナーのバカぁぁぁぁぁ!!」

 

 そう言いながらテイオーは、尻尾をぶんぶん振りながらギャラリーをかき分けて何処かへと走り去ってしまった。

 

「……少し距離感を間違えたのかなあ。うぅーん、ウマ娘ってやっぱり分からない……」

 

 ポツンと取り残された機宮トレーナーは色々と考えながら、予定の中に『トウカイテイオーに謝罪する』を付け加えた。

 

 

ーーーー

 

 

『晴れ渡る空の下、ウマ娘たちが各々の夢を掲げてターフを駆けていきます。春の選抜レース。勝利の女神は一体誰に微笑むのか! 1番人気を紹介しましょう──』

 

 選抜レースは学園内で行われている、簡単に言うと各ウマ娘の能力をトレーナーが見定めるためのレースだが、一般にも公開されているため実況がついている。

 1番人気、2番人気といかにも速そうなウマ娘の名前が読み上げられて行くが、観客席の1番上に座った機宮トレーナーは周りのトレーナーや観客が誰が勝つのかと盛り上がっている中、全くその話題に上がらないとあるウマ娘を見つめていた。

 

「さて、キミはこのレースをどう走るのかな……」

 

「あら機宮さん。ご機嫌麗しゅう御座います。やはり、貴女もいらっしゃっていたんですのね」

 

 まばたき一つせずにレース場を凝視していた機宮トレーナーの元に、観客席の通路を上がってやって来たのは学生服姿のメジロマックイーンだった。

 

「これはこれは、メジロ家の御令嬢様……なんてね、おはようマックイーンクン。今回の選抜レースはボクが前々から目を付けていたウマ娘が出走するからね、観ない手はないよ〜」

 

「……誰なのか、教えて貰ってもよろしくて?今回のレースは新入生も多く出走していますし、その中の誰かという事ですの?」

 

「いや、丁度キミと同学年のウマ娘だよ。ほら、今ゲートに無理やり押し込まれてるあの子」

 

 振り返ってゲートを見るマックイーン。

 そこには1バだけ、尻尾を掴まれてゲートに押し込まれているウマ娘が居た。やがてそのウマ娘もしぶしぶゲートに収まると、ゲートが開いて各バが一斉に駆け出していく。マックイーンはその時ようやくそのウマ娘が誰なのか判別する事が出来た。

 

「スカイさん……ですの?」

 

「その通り。さぁ、マックイーンクンもこっちに座るといい、一緒にあの子の走りを見ようじゃないか。まぁ、99%1着になるだろうけどね」

 

 マックイーンは言われた通り機宮トレーナーの隣に座ると、レースでは先頭と2番手の白熱した競り合いが繰り広げられていた。そんな中、セイウンスカイは3番手の位置につけていたが、前にいる2番手とは6バ身以上の差があった。

 

「確か、セイウンスカイさんは逃げと先行が得意なウマ娘でしたわね、今回は先行で行くつもりなんですのね」

 

「いや、アレは実質的に"逃げ"だと思うなぁ。ずっとハイペースで走ってる。今回はバ群全体の速度的に、先行のポジションを維持したまま終盤まで足をためる余裕なんてないからだろう」

 

「に、逃げですの? しかし、それでは──」

 

 勝てるわけがない、マックイーンはそう思っていた。

『逃げ』は最初から最後まで全力を出し、先頭を維持し続けてそのままゴールする作戦だ。それがレース中盤で大差をつけられて3番手に落ち着いているとなると、これ以上挽回は出来ないという事だ。

 先頭の1番手と2番手がスタミナ切れを起こして失速するのはまぁあり得るとしても、セイウンスカイの後ろ、4番手以降とはほとんど差がないため、終盤になれば一気に上がってくるだろう。ハイペースで走り続けているセイウンスカイに、それを躱せる手段はない──。

 

『残り400を切りました! おおっと! 競り合っていた5番と13番が失速していきます! 代わって先頭は、セイウンスカイ!! しかし後続との差は僅かだ! 一体誰がどこで仕掛けるのか!』

 

 マックイーンの予想通り、先頭で競り合っていた2バはスタミナ切れを起こしたらしくどんどん順位を落としていった。しかし、セイウンスカイはこれ以上加速する事は出来ないようで、残り200を切ったところで後続が──

 

「何で、上がってこないんですの……?」

 

『これはどうした事か!先頭を行くセイウンスカイと2番手との差は1バ身もありません!しかし、"誰も上がってこない"!!残り100を通過!それでも先頭は変わらず、セイウンスカイ!!』

 

 残り100を切り、どんな作戦のウマ娘でも1着を目指して一気にスパートをかけなくてはならない距離になったというのに、後続で足をためていたはずのウマ娘たちは誰も動かなかった。

 

「これが彼女の"逃げ"、か」

 

 ポツリと機宮トレーナーが呟き、そのままセイウンスカイが1着でゴールインした。

 

『セ、セイウンスカイ!今1着でゴールイン!!春の選抜レースを制し、その実力を見せつけました!!会場は驚きで包まれています!』

 

 レース会場がどよめきで包まれる中、1着をとったセイウンスカイは肩で息をしながらしばらく膝に手を乗せていて顔を見る事は出来なかったが、ようやく上体を起こした時には、何処かのほほんとしている風だった。

 

「本当に勝ってしまいました……凄いレースでしたわね……って機宮さん!?」

 

 マックイーンが隣の席にいた筈の機宮トレーナーに声をかけようとしたが、そこには機宮トレーナーの影も形もなく。座っていた席の上に一枚のメッセージカードだけが残されていた。

 

『また今度、一緒に野球観戦でもしに行こう!空いている日が有れば教えてくれたまえ。それと、例の件もよろしく〜。怪我と病気にはくれぐれも気をつける様にね』

 

「機宮さん……はぁ、スカイさんが羨ましいですわね」

 

 機宮トレーナーにレースが終わったらすぐに駆け出してスカウトに行かせるほど熱烈なアプローチをさせるセイウンスカイの事を、少しばかり妬ましく思うメジロマックイーンだった。

 

 

ーーーー

 

 

「……という訳でセイウンスカイ、キミをチーム『アダーラ』の新たなメンバーとしてスカウトにし来たよ」

 

 レースの結果を受けて、一喜一憂しているウマ娘やそれをスカウトしたいトレーナーをかき分けて、機宮トレーナーはセイウンスカイの元に直行した。そして、「スカウト」という単語が機宮トレーナーの口から出た瞬間、周囲にいた彼女を知るウマ娘や他のトレーナーが一斉に注目し、見るからにざわざわとしだした。

 

「ええっと……本当にセイちゃんなんです?何かの間違いじゃないんですか〜?」

 

「本当にキミだよ、セイウンスカイ。どうかボクに、キミのトレーナーを務めさせてもらえないかな?」

 

 周囲のウマ娘が「良いなー」という羨望の視線をセイウンスカイに送る。何せトレセン学園でも最強と名高いエリートチームへの唐突なスカウトだ、ウマ娘なら誰しも一度は憧れるだろう。

 しかも、セイウンスカイは言い方は悪いが、ジュニアクラスC組の売れ残りの様な立場だった。アメリカ産まれで才能に溢れたエルコンドルパサーやグラスワンダー、世界レベルの血統を持つキングヘイローなどの同期と比べると、血統も才能もいまいちパッとしないセイウンスカイはどうしても見劣りしてしまうからだ。

 それがいきなりトップクラスのチームに勧誘されるなんて、これをシンデレラストーリー(まるでオグリのような話)と言わずして何というのだろう。

 

「いや〜でも、せっかくの申し出ですけど、私そんなに真面目にトレーニング出来ないと思いますよ?きっと、トレーナーさんに迷惑かけるだけなんじゃないかなー、なんて」

 

「それでも構わないさ。ボクはキミの走りに"夢"を見出したから、こうしてスカウトに来たんだ。大丈夫だよ〜!『アダーラ』のチームとしての目標も、そんなに難しいものじゃないからさ」

 

 軽くウインクをしてみせる機宮トレーナー。

 まだ年若いにも関わらず、その飄々とした仕草からは絶対的な何かがあるのを感じさせるが、それでいてプレッシャーなどの息が詰まる様な重苦さは全くしない。誰にでも好かれそうな人だ、とセイウンスカイは感じ取っていた。

 

「……本当に、良いんですね?セイちゃん割とメンドくさいウマ娘ですよ?期待に応えれないかも知れないんですよ?」

 

「もちろん、全部ひっくるめてのスカウトだ。キミの事をあらかた調べ尽くした結果の上で、ボクはキミの助け(トレーナー)になりたいんだよ」

 

「どうかな?」と黒いシルクの手袋と幾つかの無地の指輪を嵌めた細い手をそっと差し出した機宮トレーナー。その差し出し方は握手を求める時のものではなく、男性が女性にダンスを申し込む時の様な、手のひらを相手に向けるものだった。

 

「……分かりました。これからどうか宜しくお願いします、私のトレーナーさん」

 

 セイウンスカイは一瞬躊躇ったものの、笑顔でその手を取った。ここに『アダーラ』の新たなメンバー、そして未来では【青天の奇術師(マジシャン)】と呼ばれる指折りの優駿が誕生したのだった。

 

「さて、じゃあスカイクン。早速今日からチームとしての活動をしたいんだけど、今日の夜あたりにボクの部屋まで来てくれないかな?チームの外出許可は既に取っているから、安心してくれたまえ。それで、ボクの部屋は……」

 

 そう言ってセイウンスカイにトレーナー寮内の自室の場所を教える機宮トレーナー。しかし、セイウンスカイにはわからない事があった。

 

「……トレーナーさん、何で昼や夕方じゃなくて、わざわざ夜に活動するんです?外出許可まで取るなんて、流石に大変だったんじゃないですか〜?」

 

「あぁ、それはキミにはその方が良いんじゃないかと思ったからだよ?だってキミ、今段々眠くなって来てるだろう?」

 

 ドンピシャ過ぎてギクッとするスカイ。

 確かに、セイウンスカイは名前に反して朝が苦手だった。流石にレースの時にウトウト寝ぼけたりはしないものの、今はスカウトされたという安心感と、先程のレースの疲れから少し眠気を感じ始めている。

 それにしても、私が朝が苦手な事を抑えた上で、スカウトする以前に外出許可を先んじて取っている事に加え、先程の「キミの事をあらかた調べ尽くした結果の上で」という言葉も合わせると、もしかしてトレーナーは自分と同じタイプなのかな……? とスカイは考え始めていた。

 

「まぁ、単にボクに時間がないってのもあるんだけどね……今日は忙しくてさ〜。夜まではボクに会えないと思っていてくれたまえ。それと、コレをキミに渡しておこう」

 

 ズシッ、と少し重量のある何かを手渡されたスカイ。機宮トレーナーが手を退けると、そこには円柱状の監視カメラの様な、レンズの付いた何かがあった。

 

「"ペンタ"、自己紹介だ」

 

 そう機宮トレーナーがセイウンスカイの手のひらに乗った何かに話しかけると、収納されていたであろう虫の様な脚が何本も出てきて自立する。スカイは思わず、「うわぁ……」と嫌悪の声を溢した。

 

『……初めまして、私はペンタ。機宮ユリが多忙の時は、私が代わりにトレーニングを行う。何か分からない事があれば、いつでも聞いてほしい』

 

 しかし、奇妙な虫の様なロボットから聞こえて来たのは、意外にも機宮トレーナーよりも落ち着いた女性の声だった。

 

「……これ、一体なんなんです?もしかして俗に言うAIとか?」

 

「まぁそんな感じかな。彼女は『ペンタ』ボクが独自にプログラミングしたトレーニングAIみたいなものさ。凄く優秀だから、ボクが居ない時は代わりにこの子に頼ってくれたまえ」

 

『機宮さん、もう次の予定の時間が迫っている。すぐに出立する事を推奨するけど……』

 

「あ〜、分かったよペンタ。それじゃスカイクン、また夜に会おう!」

 

 スタスタと忙しそうにレース場を後にする機宮トレーナー。気づけば周囲にはあまり人影もなくなり、スカイとその手のひらに乗ったペンタだけが残されていた。

 

「えっと……ペンタさん?この辺りにある良い昼寝スポットなんて調べられませんかねー?」

 

『分かった、トレセン学園の敷地内で、尚且つ侵入禁止区域以外で検索をかけるわね……39件ヒットした。最寄りまで約150mだけど、どうする?』

 

「いや、ペンタさん優秀過ぎません?」

 

『恐縮です』とペンタは返し、スカイはふわぁ……とあくびをしながら最寄りのスポットまで案内してもらう事にした。

 

「おおー、まさかセイちゃんが知らなかったこんな隠れ場所があったとは〜」

 

 たどり着いた場所はスカイも知らなかった木漏れ日の差し込む草むらであり、うまい具合に外からは見えない秘密基地の様な所だった。スカイはこれ幸いとばかりにそこに寝転ぶと、心地よいお日様の香りですぐに瞼が重くなったので、しばらく昼寝をする事にしたのだった。

 

 

ーーーー

 

 

「ここが、機宮トレーナーの部屋……」

 

 日はとっくに沈み、寮の門限も過ぎた午後7:00にスカイはトレーナー寮の最上階、1番奥にある機宮トレーナーの部屋の前の廊下で立ち尽くしていた。ペンタによれば、中では既に『アダーラ』のメンバーも集まっているとの事、スカイは少し緊張で上がり気味の息を整えてから、堂々と扉を勢いよく開けた。

 そこに居たのは──

 

「しかし、紅茶もコーヒーも常備しているとなると普段どちらを愛飲しているのか分からないなあ、いや……片方にこの『身体が凄く光るだけの薬』を混ぜてこっそり戻しておけば、トレーナー君の反応で分かるかも知れないな!」

 

「タキオンさん……普通に犯罪行為を働こうとするのはやめて下さい……」

 

「おやぁ?気にならないのかいカフェ?紅茶とコーヒー、即ち私たちの嗜好だ、好感度を図る目安にもなるだろうねえ。その上で、どちらを愛飲しているか気にならないと?」

 

「いや……それは、気にならなくもないですけど、話が違いませんか……?」

 

 機宮トレーナーの部屋はかなり手広な感じで、来客用のソファとテーブルまであるが、その木製テーブルの上にはコーヒー豆の入った瓶やら、茶葉の入った缶やらが大量に並べられ、もはやコレクションの様になっている。

 普段より狂気の増した瞳をしたアグネスタキオンは部屋中の棚という棚を開け、茶葉の入った缶を取り出しては見比べていた。

 一方、マンハッタンカフェはタキオンが無造作に置かれたコーヒー豆よりも、まるで美術品の様に美しいアンティークなコーヒミルやサイフォンに興味がある様で、タキオンと意味のない会話をしながらも、機宮トレーナーの手によって綺麗に陳列されたそれらの一つ一つを瞳を輝かせながらまじまじと眺めていた。

 そして何故か、機宮トレーナーの姿はない。

 

「あの〜、ここが『アダーラ』のトレーナーさんの部屋であってます〜?今日スカウトされた、セイウンスカイって言うんですけどー……」

 

 何となく割り込み辛さを感じながらも、スカイは尻尾を股に挟みながら思い切って声をかけた。自身より上級生だから臆しているというより、この2バ、特にアグネスタキオンはトレセン学園全体で優駿以上に問題児として悪名高いからだ。

 

「んん? あぁ、君が新しい実験た……コホン、新しいメンバーのスカイ君だね? ようこそ『アダーラ』へ。私はアグネスタキオンだ、そしてこっちが……」

 

「……マンハッタンカフェです……それと、隣にいるのが私の友達……タキオンさんには、あまり関わり合いにならない方が良いですよ……光らせてくるので」

 

「カフェ、私を何でもかんでも光らせる怪バみたいに言うのはやめたまえ」

 

『でも、過去の投薬の結果、84%以上の確率で身体の発光が見られる。光らせるウマ娘と言っても良いと思う』

 

「ペンタ君、君も正確なデータを持ち出して支援砲撃するのはやめたまえ」

 

 カタカタとスカイの持っている機体とは別のペンタの機体が、テーブル上のコーヒー豆の入った瓶の陰から姿を現してタキオンを言葉で串刺しにする、その後テーブルの端まで寄ると脚を閉じて停止した。カフェの持っている機体だった。

 

 それにしても、機宮トレーナーはこんな明らかにハイテクな機体を何故いくつも持っているのだろうか? 実際にここまで流暢に話せるAIをプログラミングしたとなれば、トレーナーをせずとも充分そちらの道でも生きていけるだろうし、これほど精密なパーツはどう製作したのだろう? 

 もしや、かなりの魔窟に脚を突っ込んでしまったのでは……とスカイが考えを巡らそうとした時、不意にスマホの着信音が部屋に響き渡った。

 

「おや、もうそろそろ時間かな。すまないがスカイ君、出てくれないかい?」

 

 そう言ってタキオンは何処か愉悦を孕んだ様な……まるでイタズラをする前の様な視線でデスクの上に置かれたスマホを差した。スカイは何となくいやーな予感がして耳まで無意識に垂れてしまっているが、とりあえずスマホを手に取ると『トレーナー』と表示の出ている着信に応じた。

 

『やぁスカイクン、電話越しだけどチーム『アダーラ』にようこそ!顧問のトレーナーとして、君の加入を改めて歓迎するよ〜』

 

 やはり出たのは機宮トレーナーだった。電話越しという事を除けば朝と同じ調子だが、しかし、何故夜になってもトレーナー寮の自室に居ないのか……スカイはそれが気になっていた。

 

「あの〜、トレーナーさん。もうすっかり夜ですし、トレーナー寮にいないと色々不味いんじゃないですかー?今、何処にいるんです?」

 

『え?アメリカにいるけど……』

 

「は、はい?本気で言ってます?アメリカにいるけど……じゃないですよ!?何でそんな所にいるんですかぁ!?しかも、トレーナーさん朝はこっちに居ましたよねぇ!?」

 

 前言撤回、どうやら私は魔窟どころか魔界の入り口にいたらしい。とスカイは頭を抱えて認識を改める中、タキオンはスカイの反応を興味深そうに眺め、カフェは「あぁ……」という同情を孕んだ表情をしていた。

 




「機宮ユリ」プロフィール②

 『アダーラ』の顧問を務めているかなり若手の女性トレーナー。

 他者との距離感が非常に近く、誰とでもすぐに仲良くなれる人懐っこい性格で、担当のウマ娘との関係は年齢が近しいこともあってか、教え子でもあり友達でもある様に見える。

 ウマ娘のトレーニングは勿論のこと、家事全般や各種ゲーム、スポーツ、ダンス、機械いじりや化学知識など様々な事において天才と言わしめるほどの才能と経歴があるが、どこかエキセントリックなところがある。


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#3 皇帝とCrown

機宮トレーナーのヒミツ
②実はカナヅチ、浮かぶ事も出来ないらしい。

・今回はアメリカが舞台ですが、英語をいちいち翻訳すると長くなるので""表記で日本語です。


「……おかしいな、私はまだ夢を見ているのか?トレーナーがこんな所に居るはずがない。早く起きないと、目覚まし時計はどこだ……?」

 

「いや、夢じゃないよオグリクン?」

 

 アメリカ、ロサンゼルス。今の時期はたまに雨が振ることもあるが、今日は雲一つない晴天だった。

 

 ここは一年中を通して温かい気候と海岸線の美しさに加え、世界中から様々な文化やエンターテイメントが集う、観光スポットとしても超有名な都市だ。そこそこ高級なホテルの前で、自身の担当バを待っている機宮トレーナーの変わった服装も、ここではあまり目立たない。

 そんな華々しい街のホテルから飛び出してきたのは、芦毛の怪物ことオグリキャップ。着ている服はいつものそれより少しオシャレなコーディネートだったが、全体的に崩れていて何となく着こなせていない感があった。

 

「オグリキャップ!どうしたんだ、そんなに慌て、て……?」

 

 機宮トレーナーの姿を見るなり、絶句して立ち尽くしてしまったのは『皇帝』シンボリルドルフ。トゥインクルシリーズでは"9つ"の冠を戴冠するという前代未聞の記録を打ち立て、そしてドリームトロフィーリーグに移籍し世界に進出してもなお、見ていて退屈とまで言われる程の絶対的な強さでレースを制していた。

 因みにファッションはいつもの私服に加え、羽織ものを増やした感じであり、こちらは違和感なく着こなしている、眼鏡はしていない。

 

「あぁ、おはようルドルフクン。やっぱり離れた所で応援するなんて性に合わなかったから、つい来ちゃったよ〜」

 

「……ま、全く君はいつも私を驚かせてくれるな?それにしても、置いてきた子たちは大丈夫……いや、君がそんな失態を犯す筈もないか」

 

「勿論、その辺のことは昨日伝えてきたし、大半の事は"ペンタ"が代行してくれるから心配はいらないよ。さて、早速会場の『サンタアニタパークレース場』に向かおう。時間はたっぷりあるとは言え、有限だからね」

 

 そう言うと機宮トレーナーは2バを連れてホテルのタクシー乗り場まで軽い足取りで向かった。強い日差しが容赦なく降り注ぎ、朝方でもタクシー乗り場には長い列が出来ているため、特に田舎育ちのオグリなどは「あ、あれに並ぶのか……」とつい耳を倒してしまうが、機宮トレーナーが向かったのはそこではなく、少し離れた場所に停まっていた一台のシルバーのタクシーだった。

 機宮トレーナーはそのタクシーの運転手に手を振ると、タクシーが目の前まで移動して停車し、そのまま扉を開けてメーターをチラッと見てから後部座席に乗り込んで運転手と一言二言交わす。

 

「席は前と後ろのどっちが良い?」

 

「ん?あぁ、私はどちらでも構わないよ。オグリキャップは何か希望がおありかな?」

 

「……そ、そうだな……なら、前の席に座っても良いだろうか。折角の機会だから、街並みを見たいんだ」

 

「了解。それじゃ、ボクは後部座席だね」

 

 一旦タクシーから出てきた機宮トレーナーはまたタクシーに戻って後部座席の右に座り直る。続けてルドルフが機宮トレーナーの隣に座ると、最後にオグリがゆっくりと右にある助手席に座り、シルバーのタクシーがロサンゼルスの街を走り出した。

 

 

ーーーー

 

 

「"サンタアニタパークレース場に向かうみたいだけど、もしかしてアンタら、今日出走するウマ娘とトレーナーだったりするのかい?"」

 

「"あぁ、片方が今日走るんだ。結構強いんだよ?"」

 

「"ほー、そりゃあ俺の責任重大だな。いつも以上に気を配らねえと"」

 

「"そうしてくれると助かるな"」

 

 目的地の住所を運転手に伝えてから、運転手とちょいちょい軽めの会話をする機宮トレーナー。苦もなく英語をスラスラと話して時折り笑ってみせる姿は、ネイティブの人と比べても全く遜色ない。

 

「やはり、君は英語が堪能だな。私も語学の自信がない訳ではないが、トレセン学園でそこまで流暢に話せるのは君くらいのものだろうな」

 

「まぁ、前にも話した事あるけど、昔アメリカ住みだったからね〜。その時に、色々勉強したんだよ」

 

 オグリは街の景色を窓ガラスに張り付く様にして眺め、ルドルフは普通に座っていたが、流石にレース前という事もあってか、それきり黙ってしまうくらいには口数が少なめだった。

 

「……ルナ、ありがとう」

 

 ピン、とルドルフの耳が跳ね上がる。機宮トレーナー自身は座席に寄りかかって前を向いたままだったが、いつの間にかルドルフの右手に機宮トレーナーの黒い手袋をした細い左手がそっと被せられ、親指でルドルフの手の甲を優しく撫でさする。

 

「……まだ新米だったボクを信じて、ここまで来てくれてありがとう。結構感謝してるんだ、あの日の事もさ」

 

 あの日、というのは誰も担当を持っていなかった機宮トレーナーがシンボリルドルフと出会い、夢を語った日の事か、それともまだ距離感を掴みきれていなかった機宮トレーナーとルドルフが"夢"についての齟齬から一度だけ絶縁状態になったものの、仲直りした日だろうか。もしくは、試行と修正の果てに『皇帝』が9冠を制覇し日本ウマ娘の究極に立った日だろうか。

 全てが全て、懐かしくて儚い日々だった、まるで"本来はありえない歴史"だったかの様に。

 

「ふふっ、"君を手放すつもりは毛頭ないよ"……ここまでではなくこれからも、君は私のトレーナーだろう?」

 

 独白するかの様に溢すルナ。

 機宮トレーナーに顔を向けると、機宮トレーナーもそれに気が付いたのか視線をルナの方に向けると、「そうだったね〜」とまたいつもの調子でウインクをしてみせた。

 

「むむ……?」

 

 ただ1バ、窓の方を向いたまま横目で小声で会話しているルドルフと機宮トレーナーを見て、不思議そうにしているウマ娘もいた。

 

 

ーーーー

 

 

「(むごむご……)どうかしたのか、トレーナー?」

 

「ちょっと考えてたんだ。ふーむ、バ場は良か……天候によるデメリットもないとなれば、今回も一瞬でカタがつきそうだね」

 

 ウマ盛りサイズの巨大プレッツェルとホットドッグを"間食"としてモグモグしているオグリが、腕を組んでじっとバ場を見つめている機宮トレーナーに問いかける。先程までルドルフ含めパドックで出走するウマ娘の1バ1バを観察していた機宮トレーナーは、途中でお腹を空かしたオグリにプレッツェルとホットドックを買ってあげた後、コースと観客席を隔てる柵の前まで来ていた。

 観客席にはラフな格好をした人やウマ娘もいるが正装で望んでいる者もおり、このレースの格式の高さを表しているかの様だった。

 

「"なあ、今回のレースには日本から『皇帝』シンボリルドルフが出るんだよな?"」

 

「"あぁ、結構強いって噂だが……まぁ大したことないさ、所詮小さい国の中で『皇帝』って名乗ってるだけ。本場のドリームトロフィーを狙うなんてバ鹿げた話さ"」

 

「"言えてるな、アメリカまでわざわざ負けに来たってところか。ご苦労なこった"」

 

「む……」

 

 オグリは一般的に言うところの天然だ、しかし頭が悪いわけではない。むしろ良い方だからこそ、近くで喋っていた2人組の男のルドルフに対する悪口も大体聞き取れてしまう。プレッツェルを食べる手を止め、その2人組を見て耳を後ろに倒すが不意に頭に誰かの手を置かれた。

 

「ああいう人は何処にでもいるものさ、放って置きたまえ。それに、ちゃんと『分かってる』人はルドルフの事を小馬鹿になんて出来ないよ」

 

 そのままオグリの芦毛の頭をポンポンと軽く叩く機宮トレーナー。周囲を見てみれば、あの2人組の様に軽口を叩いている者などごく少数で、特に正装を着た観客や、現地のウマ娘やそのトレーナーと思われる人物などは真剣な面持ちでゲート前で瞳を閉じ、瞑想しているルドルフを見ていた。

 皆、忘れていないのだ。過去、この場所で行われた『サンルイレイステークス』の事を。

 日本の『皇帝』が世界へと駆け出した覇道の第一歩の事を。

 

『"快晴の空模様が、まるで世界へ駆け出す優駿たちを祝福するかの様です。サマードリームトロフィー予選、サンタアニタパークレース場、芝コース12ハロン(約2414m)。1番人気を紹介しましょう、日本のトゥインクルシリーズ9冠を達成した絶対なる『皇帝』、シンボリルドルフ──"』

 

 ファンファーレが響き渡り、実況が始まると共に続々とゲートに消えていくウマ娘たち。ここに集まっているのは全て、トゥインクルシリーズで優秀な成績を収めた優駿の中の優駿である。予選であっても日本のURAファイナルズ並み、若しくはそれ以上のウマ娘が集まっているのだが、ルドルフは全く怯みもせず、普段通り堂々とゲートインをする。

 そして実況が途切れ、数秒の静寂の後ゲートが開き、全てのウマ娘が最高のスタートダッシュを決めて一斉に1着を目指して駆けて行く。

 

『先頭に立ったのは……。一番人気シンボリルドルフ、4番手につけています』

 

「トレーナー、少し良いか?」

 

「どうしたんだい、オグリクン……って、もうプレッツェルとホットドッグを食べ終わったのかい!?キミは本当に大喰らいだなあ〜……」

 

 これが、機宮トレーナーの私生活の出費の半分がウマ娘の食事代になっている原因の一つである。そんな事を知ってか知らずか、人の顔より大きい特大プレッツェルとホットドッグをぺろりと平らげたオグリは、視線でルドルフの事を差しながら少し不安そうな表情をしていた。

 

「どうして、今回ルドルフに何も作戦を伝えなかったんだ?」

 

「ふむ、そうだなあ……強いて言えば次に生かすためかな。それに、そうでもしないとこのレースがルドルフクンがただ走っただけで、何の成果もなく終わっちゃうしね」

 

 レースは既に最後のコーナーを曲がって終盤の局面を迎え、ここでバ群はアメリカ特有の芝の中にダートのコースがある場所に差し掛かった。

 ほとんどのウマ娘がダートに足を取られて減速する中、シンボリルドルフはというと倒れそうなくらい思い切った前傾姿勢を取って、ストライド走法(歩幅を大きくとる走り方)のまま一気に先頭集団から抜け出した。

 

「はぁ、正直ルドルフクンもボクも……おや?まさかルドルフクン、アレをやる気なのかな?」

 

 ダートから抜け出したルドルフは芝に戻ると、いきなり上体を元に戻すどころか、他のレースでは見た事がない程に起こしたのだ。一瞬観客が「まさかスタミナ切れか?」とルドルフの不調を疑ったが、ダートで得たリードをどんどん広げていく姿を見てそうではないのだと気づいた。

 後続もためていた脚を解放して追い縋ろうとするが、最後のスパートをかけたルドルフには全く追いつかない。それもそのはず、今のルドルフが行っているのはピッチ走法(歩幅を短くして回転数を上げる走り方)、本来ルドルフはあまり得意ではないそれを、彼女は完璧にものにしていた。

 

 そのまま2番手と5バ身、6バ身、7バ身と圧倒的な差をつけながら『皇帝』シンボリルドルフは1着でゴールした。会場はアメリカのウマ娘の惨敗に一瞬静寂に包まれたが、誰かの拍手を皮切りに段々拍手は大きくなり、やがて歓声が巻き起こる。

『皇帝』の名前を、強さを、観客の全員がそれを讃え、納得した証だった。そして『Record』の文字が掲示板に表示された時、歓声は一大記録を祝福する打ち上げ花火の様に更に大きくなった。

 

「これは……流石は『皇帝』ってところか。ふふっ、こんな気持ちは久しぶりだよ〜!」

 

 機宮トレーナーも、涙を流して喜ぶという感じではなかったが堪らなく楽しそうな表情をして、芝の上で指を1本立てて見せたルドルフに手を振っていた。

 




『機宮ユリ』プロフィール③

・趣味は可愛いものを集める事と、スイーツの食べ歩き。いくら食べてもスタイルが変わらないとのウワサがあり、彼女と親しい某ウマ娘からは「う、羨ましいですわ……」と言われているとか。
 


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#4 頂点のDignity

戦人さん、誤字修正ありがとうございます。
今回でようやくプロローグが終わりです、次回から本格的に物語が稼働します。

機宮トレーナーのヒミツ
③実は、指輪は別々のカラーリングのものを9つ嵌めている。嵌めていないのは左の薬指。


「"まずはサマードリームトロフィー予選突破、おめでとうございます。シンボリルドルフさん"」

 

「"ありがとうございます"」

 

 大波乱のレースを終え、一息つく間もなく大勢の海外メディアに囲まれての勝利者インタビューに答えるシンボリルドルフ。その斜め後ろには彼女のトレーナーとして共に台上に立つ機宮トレーナーの姿もあったが、両者とも緊張などと言う言葉はどこ吹く風と言った様に、特に気張らず普段通りにしていた。

 因みにオグリはインタビュー部屋には入れて貰えたが、遠巻きに眺めるのが限度だった。

 

「"それにしても、今回のレースは本当に素晴らしい走りでしたね。レコードを記録して、何か感じた事はありますか?"」

 

「"そうですね……レコードを記録出来たのは嬉しいですが、それでもまだ予選を突破したに過ぎません。素直には喜べないのが実情ですね"」

 

「"ふむふむ……"」とルドルフに質問した記者は素早くメモを取って引いていく。その後も次々と「"アメリカのレースに出走した理由は?"」とか「"最終的な目標はやはりサマードリームトロフィー優勝ですか?"」など質問の雨あられが降ってきたが、中には少々無礼な事を聞いて来るインタビュアーもいた。

 

「"えー、シンボリルドルフさんはデビューしてからそのトレーナーだけを担当にしていたみたいですが……いつまでも経っても切り捨てないのは何故です?もっと貴女に相応しい、優秀なトレーナーもいるのでは?"」

 

「………………」

 

 ルドルフは表情も笑顔を保ったままで、耳もピンと張ったままだったが、機宮トレーナーの位置から見た尻尾はどことなく垂れ下がっていた。

 そして、ルドルフがこの無礼なインタビュアーに何か言い返そうと「そうですね……」と考え込もうとした瞬間、ルドルフの肩をポンと叩いて機宮トレーナーが一歩前に出た。

 

「"ボク以上に優秀なトレーナーなんて、そういないと思うけどな〜。そのもっと優秀なトレーナーってのは、具体的に誰の事だい?"」

 

「トレーナー君……!?」

 

 ざわざわ、と挑発とも取れる機宮トレーナーの発言に部屋内に居た全員に動揺が広がる。

 ルドルフは自身のトレーナーの思いがけない行動にチラリと横に立っている機宮トレーナーを見てみたが、別に驕り高ぶっているわけでも、虚勢を張っているわけでもない平然とした立ち振る舞いだった。

 

「"え?い、いやそれは……しかし、貴女はまだ若いでしょう?"」

 

「"勝ち負けに若さは関係ないだろう?トレーナーとして大切なのは勘と経験、それをどれだけ磨き、培ってきたかが問われるんだ。無意味に年月をかけるだけなら、誰にだって出来るんじゃないかな?"」

 

 小馬鹿にするのではなく、あくまでも当然の事の様にそう正面切って言われたインタビュアーは「"は、はい……"」と尻込みしてすごすごと引っ込んでいった。

 その後はつつがなくインタビューが進行し、数十分してようやく機宮トレーナーとルドルフはメディアの質問責めから解放された。しかし、ルドルフにはまだライブが残っているため、どうも何か話したい事がある様だったが一旦機宮トレーナーと別れる事となった。

 

「トレーナー、私は十分凄いと思うぞ」

 

「おや?藪から棒に、どうかしたかい?」

 

 ライブ会場は屋内にあるホールで行われる。

 しかしまだ設営準備やウマ娘たちの支度などで入場は出来ないため、オグリと合流した機宮トレーナーはレース場のラウンジでオレンジジュースを飲みながら休息を取っていた。周囲には同じくライブ待ちと思われる人やウマ娘が沢山いる。

 そんな時、テーブルを挟んで対面に座っていたオグリが胸に手を当てながら突然語り出し始めたのだった。

 

「トレーナーにカサマツで出会った時の事は、今でも鮮明に覚えている。あの日、トレーナーは私の元に突然やって来て『キミは世界を目指せる器だ、よかったらボクの担当ウマ娘にならないかい?退屈はさせないよ?』と言っていた」

 

「ふむふむ?一言一句、よく覚えてるね〜」

 

「衝撃的だったからな……忘れるわけがない。それからトレーナーと一緒にトレーニングするのは楽しかったし、自分がどんどん速くなって行くのが分かったんだ。トレーナーは私のために毎日毎日カサマツとトレセンを行き来して、本当に大変だっただろう?」

 

「まさか、それくらい大したことじゃないよ」

 

 大したことじゃないよ、とは言っているがカサマツとトレセン学園は道なりにいけば大体380kmくらいは離れている。ウマ娘なら休憩無しでも5時間半、車なら4時間半、電車でも3時間半はかかる距離であり、それを毎日往復するなど()()()に考えればそれだけで疲れ切ってしまう。

 

 オグリは「トレーナーは優しいんだな」と言うと、ふと窓の方に顔を向けた。

 窓の外に広がるのは、先程熾烈な争いが繰り広げられた青々とした芝とそれを跨ぐダート、並木の奥には空に磨す様な荘厳な山々が連立しており、見ているだけで思わずため息が出る程の絶景だった。

 

「トレーナーがかけ合ってくれたおかげでトレセン学園にも入学させてもらったし、こうして、日本から遠く離れた世界にも連れ出してもらった……あの時トレーナーに会えなかったら、きっと、このアメリカの地を踏む事なんて叶わなかっただろう」

 

 そして、オグリキャップは改めて機宮トレーナーの方に向き直る。その瞳には強い決意が宿っており、窓から差し込む光がまるで後光が差している様に見えた。

 

「だから、私をここまで導いてくれたトレーナーは最高のトレーナーだと思うんだ。それを、私の走りで皆んなに証明してみせる、だからトレーナー……あまり、気に病まないでほしい……」

 

 先程までの威厳は何処へやら、機宮トレーナーの事を心配してオロオロしだすオグリ。機宮トレーナーはそのいじらしい姿に「っ〜〜!」と顔が少し綻んだ後、帽子のつばで目元を隠した。

 しかしそれは一瞬の事で、椅子にもたれ掛かってストローでオレンジジュースを飲んだ後、次に機宮トレーナーの両目が見えた時には普段通りの表情に戻っていた。

 

「はぁ……オグリクンって純粋だよね〜、なんか申し訳ない気分になっちゃうよ。ボクは別に気にしてないからそれは大丈夫、ただ……」

 

 テーブルに肘をついて声のトーンを下げる機宮トレーナー。さっきまでは喜び、平常心に戻ったかと思うとシリアスな雰囲気を漂わせる感情の起伏は、もはや役者といった方が良いくらい切り替わりが早い。

 

「……今年度ばかりは、そう簡単には勝てないと思った方がいいよ?」

 

 オグリは正直な話かなりビックリしていた。珍しかったのだ、何処か戯けたような口調であっても、機宮トレーナーが弱音を吐いたりする事が。

 それはどういう意味なんだ?とオグリが聞こうとした瞬間、建物内にアナウンスが入った。どうやらライブが行われるホールの準備が終わり、入場開始時刻になったとの事で、周りで休んでいた人やウマ娘もゾロゾロとラウンジを後にして移動し始めた。

 

「ふむ、入場開始時刻になったみたいだ。ここらで切り上げて、ボクたちも移動しようか」

 

 機宮トレーナーは僅かに残っていたオレンジジュースを飲み切ると、既に中身のないオグリのコップも持ち、さっさと片付けに行ってしまった。

 聞くタイミングを逃したオグリは、結局ライブホールで開演を待っている時も、機宮トレーナーと話す事が出来なかったし、ライブが終わる頃には質問する事さえ忘れてしまっていた。

 

ーーーー

 

「すっごく楽しかった〜!」

 

 お昼過ぎ、ライブホールから出てきた機宮トレーナーの第一声はそれだった。とは言え、周囲の反応も大体そんな感じの興奮冷めらやぬと言った感じであるため、あまり目立ってはいない。

 

「世界レベルのウマ娘たちがカッコいい曲に合わせて踊って、歌って、輝く姿に終始、圧倒された……!やっぱり、レースもだけど映像で見るのと生で見るのとじゃあ全然違うね〜!」

 

「あぁ……!センターでソロパートを歌うルドルフも凄くカッコよかったな、トレーナー!」

 

 キャラが多少崩壊しかけている機宮トレーナーとオグリだが、これはまだ良い方だ。余りにも感動しすぎて、決めポーズの瞬間に「はぅっ!」と言って倒れてしまう者も中にはいるのだから。

 

「さ〜て、早速センターの子を控え室まで迎えに行ってあげようか。こんなに混雑してたら、中々外に出づらいだろうしね」

 

 ライブを踊ったウマ娘たちは、基本しばらく控え室で待機している。興奮冷めやらぬファンが何を起こすか分からないからという措置であり、過去には暴徒と化したファンが過剰なファンサービスを求めた事で、それがトラウマになり走れなくなったウマ娘もいた。

 

 オグリを連れてホールから離れ、控え室まで続く廊下の途中に居たセキュリティーに、機宮トレーナーはフリーパスを見せて通過する。

 楽屋の様に幾つもの個室がある控え室では、ウマ娘とそのトレーナーと思しき人が、泣いたり、励ましあったり、逆に吹っ切れた様に笑ったりしている声が聞こえてくる。

 勿論、扉は締め切られているので、ウマ娘並みの聴力が無いと分からない事ではあるが。

 

「ルドルフクン?ボクだけど入って良いかな?」

 

「トレーナー君か。どうぞ入ってくれ」

 

『"シンボリルドルフ様"』と書かれた紙が貼ってある控え室の扉をノックし、返事があったのを確認して扉を開ける。

 中には既にステージ衣装から私服に着替えたルドルフが椅子に座っており、何名かが入る事を想定されているのか少し広い部屋だった。

 

「レースもライブもお疲れ様、ルドルフクン。どっちもすごくカッコよかったよ〜!」

 

「何、トレーナー君の指導あってのものだ。発憤忘食、君があれほど熱心に教えてくれた事を無駄にしたりはしないよ」

 

 芝も焼ける様な熾烈なレースを制し、ライブではセンターで目まぐるしく歌って踊ったというのに、今のルドルフからは疲れなどというものは全く感じられなかったが、かといって威厳に満ち溢れているというわけでもなく、ただ『シンボリルドルフ』というウマ娘がそこにいた。

 

「だがトレーナー君。どうしてあのインタビューの時、私に代わって質問に答えたりしたんだい?しかも、あんな自らに非を向ける様な発言までするなんて、一体どういう意図か聞いても良いかな?」

 

「もう答えが出てるじゃないか。その通り、ボクに非を向けるために決まってるだろう?」

 

 何でもないかの様に機宮トレーナーは言ってみせた。だが、ルドルフは途端に悲しそうな表情になったし、オグリも部屋に置いてあったお菓子に伸ばしていた手を引っ込めた。

 

「……私は綺麗事だけで『皇帝』になりたいわけではない。そういう非難も悪意も、甘んじて受け入れる覚悟は出来ている。私はまだ『皇帝』たる器に相応しくないと、君はそう言いたいのか?」

 

 そういうルドルフの耳には、隣の部屋で啜り泣くウマ娘の声が聞こえていた。レースで勝ち続けるという事は、その度に負けるウマ娘が幾重にもいるという事だ。きっぱり諦めて夢を託す者もいるだろう、だが嫉妬や憎しみを向けるものだって当然いる。

『皇帝』の玉座はウマ娘たちの各々の夢を束ねて威光とし、打ち捨てられた他者の夢を積み重ねているからこそ威厳があるのだ。

 

「それは違うよルドルフクン、キミは間違いなく『皇帝』に相応しい器だ。ただ、ボクにもキミの背負っているものを少し肩代わりさせて欲しいってだけさ。ボクたちは共に玉座を目指す仲間だろう?」

 

「トレーナー君……」

 

 機宮トレーナーはそういうと一瞬、自身の嵌めている指輪の1つ、黒を基調に緑色の彩色がなされ、弾痕の様なデザインが刻まれている指輪に目を落とす。

 その特に悲しんでいるわけでも、喜んでいるわけでもない表情からは何を思っているかは窺い知れなかったが、オグリの『ぐぎゅるるるるぅぅぅ……』という猛獣の唸り声の様な腹の虫の音が部屋に響き渡ると、「さて!」という掛け声と共に快活そうな笑顔を浮かべた。

 

「湿っぽい話はやめやめ!折角ロサンゼルスまで来たんだ、飛行機の発着までまだかなり余裕がある。昼食にしては遅めだけど、一緒に何か食べに行かないかい?良いお店知ってるんだよね〜」

 

「(トレーナーオススメのお店……!?ごくり)」

 

「さぁ」と椅子に座ったルドルフに目線を合わせるため、やや屈んで手を差し伸べた機宮トレーナー。差し出された手は仲間であることの再確認の様にも見え、ルドルフはそんな機宮トレーナーの様子に「ふっ……」と微笑み、こわばっていた表情が緩んでいった。

 

「……私の杞憂に過ぎなかったというわけか。さて、トレーナー君。食事の誘いは嬉しいが、それはこの『皇帝』を満足させるものなんだろうね?」

 

「当然さ、ボクに任せてくれたまえ!」

 

 そう自信を持って断言した機宮トレーナーが差し出している手のひらに、ルドルフは自らの手のひらを期待と信頼を込めて重ねる。そして、トレーナーはパートナーをエスコートする貴族の様に、優しくルドルフを椅子から起こすと互いの顔を何を言うでもなく、しばらく見つめあった。

 

「ト、トレーナー……すまないが、私も起こしてくれないか……お腹が減って力が出ない……」

 

 バタッ、という音が聞こえた方を見れば、オグリが塩をかけられた青菜の様にへにゃへにゃと萎びて倒れていた。ルドルフと機宮トレーナーは一瞬オグリの方を見てから再び顔を見合わせると、何となく込み上げるものを抑えきれず、笑い合った。

 

ーーーー

 

「おぉぉぉ……!!トレーナー、これ全部食べて良いのか……!?」

 

「いや、一応これ2バと1人分……まぁいいや。今日は満足するまで食べるといい」

 

「なるほど、どんな店に連れて行ってくれるのかと私なりに考えていたが、まさか中華料理店だったとはな」

 

 トレーナーがルドルフとオグリを連れて行ったのは豪勢な内装をした中華料理店だった。アメリカの中華料理店と侮ることなかれ、中央に何本もの花が飾られた回転テーブルに運ばれてくる料理は、どれもこれもが輝いて見えるほど立派なものばかりだった。

 

「日本食も良いとは思ったんだけど、どうせなら帰ってからのお楽しみにしたいからね。それに、ちゃんとした中華料理ならキミたちの身体にも良いだろうしね」

 

 そう機宮トレーナーとルドルフ会話している内にも、回転テーブルが段々と回り始めていた。理由はもちろん、オグリが取り皿に山の様な量を盛って、頬をハムスターの様に膨らませて心底美味しそうに食べているからだ。

 

「トレーナー、この豚の角煮の様なものは一体なんだ?甘くてジューシーで……ほっぺたが落ちそうだ……」

 

「あぁ、それは東坡肉(トンポーロー)……っておーい、ボクたちの分も残しておいてくれよ〜?」

 

 完全に『掛かり』に入ったオグリは『食いしん坊』『栄養補給」『別腹タンク』『アクセラレーション』『じゃじゃウマ娘』『どこ吹く風』と次々にスキルを発動させているかの如く、ウマ盛りの料理を平らげていく。ルドルフも最初は遠慮している様だったが、燕の巣のスープをレンゲで掬って飲んだ途端「これは……」と驚き、その後は段々と箸が進み始めた。

 

「トレーナー、これもすごく美味しいぞ!ほら、食べてみてくれ!」

 

「一口にしては大きくないかな……どれどれ」

 

 パクッ、と瞳を輝かせたオグリが差し出した魚の姿煮を食べる機宮トレーナーは「どうだ、美味しいか?」と聞くオグリに笑顔で頷いて見せた。だが、そのやり取りを見ていたルドルフは居ても立っても居られない気持ちになったのか、手元にあった適当な料理を箸で摘むと「ト、トレーナー君!」と言って、それを機宮トレーナーに差し出した。

 

「これも美味しいと思うぞ!」

 

「おっ、ルドルフクンも気に入った料理があったのかな?これは確か……」

 

 そう言って差し出された料理をを味わう機宮トレーナー。その後も「トレーナー、これも……」とか「トレーナー君、こっちも……」と理由を食べさせ合う攻防が続いた。オグリの方は完全に善意なのだが、ルドルフの方は無意識なのか『対抗意識◯』が発動してしまっている。

 結局「そろそろ勘弁してくれないかな……」という機宮トレーナーの白旗が上がるまで、その攻防は続いた。

 

「"これでお願い出来るかな?"」

 

 その後、食事を終えて会計をしている機宮トレーナーはカードを取り出して代金を支払った。

 そのためルドルフとオグリには結局あの料理が具体的に幾らしたのか分からなかったが、チラッと見えた伝票には見たこともない様な数字が書かれていた様な気がした。

 

ーーーー

 

「"コイツ……腹の中に何か入れてるな!?"」

 

「"な、何もないぞ……?"」

 

 食事を終えた一向は空港にあらかじめ送って置いた荷物を回収してお土産選びで時間を潰した後、検査を受けていたが中々通過できずにいた。

 ルドルフは問題なく通れたのだが、先程の食事で自制しなかったオグリはお腹が見事なまでに膨らみ、更に妊婦でないと検査官の人に言ってしまったため、かなり疑われて何度も金属探知機での検査やボディーチェックをさせられている。そしてそもそも、機宮トレーナーの姿もなかった。

 

「ゴメンゴメン!待たせちゃったかな?」

 

 ルドルフの元に手荷物のカバンを持った機宮トレーナーが駆け寄ってくる。オグリはまだ検査をされていたが、段々と集まっていた検査官も少なくなってきたので、間もなく解放されるだろう。

 

「いや、大丈夫だトレーナー君。それにしても、キミは何故別室に連れて行かれたんだい?」

 

「あ〜……どうも金属探知機の不具合みたいだったよ?何も持ってないのに、どういうわけか引っかかっちゃってね〜」

 

「すまない、待たせた」

 

 そんな話をしているとオグリも検査を終えて機宮トレーナーとルドルフの元にやって来たので、一向は税関検査をパスした後、搭乗ゲートに並んでからようやく飛行機に乗りこむ事が出来た。

 離陸前に周りの客が手荷物を座席上部のロッカーに預ける中、機宮トレーナーは手荷物のカバンから2つのぱかプチを取り出した。デザインされていたのはオグリとルドルフだった、当人たちが「何故それを……?」と困惑する中、そのまま3列の椅子の真ん中に座った機宮トレーナーは、ぱかプチを抱きながら目を閉じたのだ。

 

「何というか、トレーナーも眠るんだな……」

 

「同感だ……てっきりトレーナー君は眠ったりしないものかと」

 

 その姿を見ていた、トレーナーの右側の通路側に座るオグリと左側の窓側に座るルドルフは同じような感想を述べる。それくらい普段の機宮トレーナーは疲れなどというものを感じさせない快活さがあるのだろう。

 

「ふわぁぁ……トレーナー、すまないが少し腕を貸してくれ……

 

 離陸後、沢山食べてお腹が膨れたためか段々と眠くなって来たオグリは、窓側で本を読むルドルフをよそにそっと機宮トレーナーに寄りかかると、自らのぱかプチを押しのけて機宮トレーナーの右腕に抱きついて寝息を立て始めた。

 

「トレーナー君……ふふっ」

 

 その後、トレーナーの腕に抱きついて眠るオグリの寝言で起きているのが自分だけだと気づいたルドルフも、自らのぱかプチを退かすと空いている左腕にそっと抱きつき、幸福感を感じながら意識を手放した。

 

「"………………!?"」

 

 芦毛と鹿毛、そして黒髪が混じり合い、肩を寄せ合って眠るその3名の姿はまるで仲の良い姉妹やそれ以上のものに見えた事だろう。事実、トイレに立ったとある乗客や乗務員は思わず足を止めて、不躾と分かりつつもその様子に見入ってしまう者もいた。

 

「………………」

 

 しかし、その度に眠っていたはずの機宮トレーナーが微動だにせず無言で片目を開けて微笑んだので、その者たちは全員そさくさとその場を後にしたのたが。

 




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#5 光輝なEnigma

あのときのさん、幻燈河貴さん、一等陸士さん、誤字修正ありがとうございます。
前話から少し時間が飛びます。

機宮トレーナーのヒミツ
④「実は、蟋牙ヲケ縺後>繧九i縺励>」


「えーっと……校舎はあの辺だから、入り口は……多分こっちだよね?」

 

 キョロキョロと周囲を見回すといういかにも挙動不審な動きをして、トレセン学園の校舎を目指しているスペシャルウィーク。彼女はこの時期にしては珍しく、トレセン学園に転入して来たウマ娘で今日がその登校初日だった。

 少なくとも、彼女の昨日の行動的には。

 

「どんなウマ娘がいるのかな……いや、日本一になるんだから気後れし、ちゃっ……!?」

 

「あら?」

 

 そう決意を新たに校舎までの道のりを急ぐスペだったが、曲がり角に差し掛かった時に不意に誰かとぶつかってしまった。

 歩いていただけなので倒れたりはしなかったものの、思わず瞑ってしまった目を開けると、そこにいたのは明るい鹿毛……どちらかというとオレンジに近い髪色をした、十字のデザインがされた耳飾りを付けたウマ娘が居た。

 目障りにならない程度に煌びやかな雰囲気を湛えたそのウマ娘の周りには、一陣の金色の風が吹いている様にも見える。

 上級生、という単語をスペが導き出すのには、さほど時間は掛からなかった。

 

「す、すみません!私、今日が登校初日で……あっ、C組に転入して来たんです!ぶつかっちゃってすみません!」

 

「なるほど。では、私と同じなのですね。どうぞ顔を、お上げになってはくれませんか?」

 

「え?」とスペが即座に下げた頭を恐る恐る上げると、そこにはオレンジ色の髪をしたウマ娘が聖女の様な優しい微笑みを浮かべていた。

 

「これも、天の思し召しなのでしょう。宜しければ、私と共にC組まで行きませんか?」

 

ーーーー

 

「………………」

 

 始業前、みんなの友達ハルウララ(別クラス)とおしゃべりをしていたセイウンスカイは突如教室の戸を開けて入ってきた2名のウマ娘を注視していた。

 

「(片方は『スペシャルウィーク』って言う、北海道出身のウマ娘でしたっけ。田舎育ちでこれと言った家柄でもないけど、才能はかなり見込みアリ……だったかな。こんな情報、私のトレーナーさんは本当に何処から入手したのやら)」

 

「あ、あのー今日から私このクラスに入るスペシャルウィークって言いま」

 

 スカイが自らのトレーナーの情報収集能力に嬉しさを通り越して若干引く中、スペが早口で自己紹介をしながらぎこちない動きで教室内に入る。しかし、クラスメートばかりを見ていたためか、スペは自分で自分の靴を踏んで転んでしまった。

 それを見たハルウララが真っ先にスペの元に駆け寄り、助け起こす。スカイもそれに続き、偵察というよりは普通にクラスメートの一員として挨拶をしに行く事にした。

 

「私!ハルウララって言うの!こっちはね!セイウンスカイ!」

 

「よろしく〜」

 

「スペシャルウィークさん、お怪我はありませんか?」

 

 何げない挨拶をするスカイ。すると他のウマ娘たちが駆け寄るより早く、スペの後ろに続いてやって来たウマ娘がスペの脚を心配しながら歩み寄ってくる。その独特のオーラに、スカイは一瞬上級生かと思ってしまったが、次の瞬間自らのトレーナーのとある言葉を思い出した。

 

『そうそう、来週来る転入生はスペシャルウィークの他にもう1バいるんだけど……そうだね、聖女みたいな雰囲気のオレンジ髪をした子が居たら、それがそうだよ〜』

 

 なるほど、この子が……とスカイは内心納得していた。

 ウララの紹介でクラスメートのエルコンドルパサーやグラスワンダーも次々に自己紹介をしていくが、出身地の流れになった時スペをからかってグラスに肘打ちされたエルが、ようやくスカイが気になっていた事に触れてくれた。

 

「イタタ……そっちのアナタは、何処から来たんデスカー?アッ、そう言えば名前をまだ聞いていませんデシター!」

 

「あっ、確かに私もまだ……あの、お名前は何て言うんですか?」

 

 エルとスペの2バから質問を投げかけられたオレンジ髪のウマ娘は、いつの間にか手元に持っていた十字がデザインされた手のひら大の本を片手で広げると、俯いて深く深呼吸をした。

 そして再び顔を上げるときには先程とは空気感の違った、嵐の中で咲き誇る花の様な強く凛々しい表情をしていた。

 

「私は枢機卿の"トレヴ"です。元々はフランス出身ですが、今は日本で暮らしています。以後、皆さまどうか、お見知りおきください」

 

 そう言って優雅に一礼したトレヴに、スカイは内心『これはとんでもない大物の転入生が来たなぁ〜……』という若干の面倒くささと共に、対抗心がふつふつと湧いて来たのだった。

 

ーーーーーー

 

 

「はーい、ではみなさん少し早いですが、席について下さい」

 

 一方、トレセン学園高等部では担任の先生のホームルーム開始の言葉に、オグリは食べかけのツナサンド(2×10個、トレーナーの手作り)を名残惜しそうにゴソゴソと机の上から片付けようとした。

 しかし、「オグリキャップ、全部食べてからにして下さい」という担任の手慣れた対応により、再び食べる事を許されたオグリはその事に感謝しつつ、なるべく周りに迷惑をかけない様にするため、下を向きながらツナサンドを急いで頬張り始めた。

 

「今日は、このクラスに転入生が──」

 

 あぁ……何という口福だろう。ただのツナサンドであるはずなのに、少量のサワークリーム味のポテトチップスと新鮮なレタスを混ぜ込んだだけでここまで美味になるとは……などと、オグリが食べるのに夢中でなっている中、ホームルームがどんどん進んでいく。

 

「おい、そこのお前……何をしている?」

 

 やがて、オグリがもう間も無くツナサンドを食べ切ろうかという時、何者かが話しかけて来た。聞き慣れない声にオグリは「誰だ……?」と呑気そうに、手にツナサンドを持ったまま顔を上げたが──

 

「……?何だ、私の顔に何かついているのか」

 

 ツナサンドが、オグリの手から滑り落ちた。

 そこに居たのは雪原の様に色白な肌のウマ娘だった。セミロングの髪は黒っぽいので黒毛のウマ娘に見えるが、多分あれは自分と同じ芦毛だろうとオグリは思い至った。

 制服の上からでも分かるくらい、スレンダーで引き締まった身体は完璧なプロポーションをしており、透き通った青色の瞳は大海を写した宝石の様に美しい。一言で彼女を表すなら『清涼』という言葉が一番分かりやすいだろう。

 そんな彼女に、オグリは見入ってしまっていたのだ、ツナサンドの存在さえ忘れて。彼女をよく知る周囲のウマ娘や担任の先生は『!!?』と天地がひっくり返った様に驚愕していた。

 

「……はぁ、座らせてもらうぞ」

 

 何も言わないオグリに呆れたのか、その清涼感溢れるウマ娘は隣の空席に座った。そこでようやくオグリは、このウマ娘は転入生で、自分の隣の空席に座りに来たのだと理解出来るくらいには意識が戻ってきた。

 

「……………………」

 

「オ、オグリキャップ?どうかしましたか……?ツナサンド、落ちていますよ……?」

 

 しかし、未だポーっとして机に落としたツナサンドに対して何の反応もしないオグリ。

 あまりの異常事態に担任の先生も恐る恐る尋ねると、そこでようやくツナサンドの事を思い出したのかハッとしてツナサンドを拾ったオグリ。しかし、何故かまだ手をつけていないものも全て片付けてしまったのだ。

 そして、次の発言でトレセン学園全体が大きく揺れた。

 

「あぁ……すまない。何だか、お腹が減らないんだ……」

 

「タマモクロス!今すぐオグリキャップを保健室に連れて行きなさい!!救急車を呼んでも構いません!!!」

 

「わ、わかったで先生!!ほらオグリ!何処か痛いとこないか!?そのまま楽にしててええからな!ほな行くでぇ!!」

 

『白い稲妻』ことタマモクロスに、まるで俵の様な担ぎ方をされて教室から電光石火の勢いで退出させられたオグリ。その間僅か数秒、タマモクロスの異名は伊達ではない。

 

「……暑苦しい奴らだ」

 

 その破茶滅茶な様子を見た清涼感のある芦毛の転入生はそう言うと、目を閉じて深いため息をついたのだった。

 

ーーーーーー

 

 

 おまけ 

『テイオーにハチミツドリンクを奢る機宮トレーナー』

 

 

「んん?なんだアレ?トレセンの方から来たような……ま、いっか!すみませーん!ハチミツ硬め濃いめ多めで!」

 

 ピーポーピーポー、とサイレンを鳴らして通り過ぎて行った救急車がどうもトレセンの方から来たような気がしたテイオーだったが、気にせずハチミツドリンクを注文する事にした。

 いつものオーダーをして店員がハチミツドリンクを作っているのを眺めていると、テイオーは不意に何者かの気配を感じた。しかし振り向いても背後には誰も居ない。

『気のせいかー』と思ってテイオーが顔を戻したところ、いつの間にかすぐ隣に機宮トレーナーが立っていた。

 

「同じものをもう1つ頼めるかな?それと代金は2つまとめて、これで頼むよ」

 

「ピャァァァァァァァァ!!?」

 

ーーーー

 

「それにしてもトウカイテイオー、もう始業時間だろう?良いのかい、こんなところに居て?」 

 

「無敵のテイオー様は勉強も出来るからね〜、多少サボったって大丈夫!『アダーラ』のトレーナーも、なんでこんなところに居たのさー?」

 

 近くのベンチに座って、硬め濃いめ多めのハチミツドリンクを飲むテイオーと機宮トレーナー。先程までテイオーをびっくりさせてしまったからか、機宮トレーナーはテイオーにポカポカ叩かれていた。ウマ娘の力でそれをやられると結構痛い筈だが、機宮トレーナーは割と何でもないようにしている。

 

「もちろん、キミに会うためだよ。トウカイテイオー」

 

「エェッ!?」

 

 テイオーは意図していなかったアプローチに思わず色々妄想してしまうが、機宮トレーナーがこちらを真剣な表情をしているのを見て、テイオーは妄想の世界から素早く帰還した。

 

「……ごめん、トウカイテイオー。この前ボクが距離感を間違えたせいで、キミに迷惑をかけてしまったようだ。本当にごめんね……」

 

 首を垂れる機宮トレーナー。

 ここでテイオーは、許すかわりにチームに入れさせてよ!という事も出来ただろう。だが、そんな事を一瞬も考えたりしないくらいにはテイオーは根が良いウマ娘だった。

 

「別にそんな、気にしないでよ!ボクは無敵のテイオー様だからねー!それくらい、ぜ、全然気にしてないし、何ともないよー!」

 

「へへーん!」と言わんばかりに腰に手を当てて胸を張って見せるテイオー。機宮トレーナーは顔を上げると「そうか……ありがとう、テイオークン!」といつもの明るい表情に戻った。その後、ハチミツドリンクを飲みながらテイオーのカイチョーにまつわる話を聞いていた機宮トレーナーだったが、不意にポケットのスマホが揺れ、誰かから電話がかかってきたのに気付いた。

 

「機宮だ。ボクに何か用かな?……なっ、あぁ分かった。今すぐそちらに向かうよ」

 

「え、どうしたの?」

 

「オグリクンが病院に担ぎ込まれたらしい……じゃあテイオークン、名残惜しいがここでお別れだ。あぁ、そのハチミツドリンクは代わりに飲んでおいてくれたまえ」

 

 ベンチから立ち上がって電話に出たトレーナーは、そのまま短く別れを告げると何処かへ走り去っていってしまった。

 ぽつんとひとり残されたテイオーは別れ際に押し付けられた、機宮トレーナーの飲んでいたハチミツドリンクに目を落とす。まだ中身はそこそこ残っており、ストローは飲んだ直後のため湿っている。

 

「こ……これ、トレーナーの……」

 

 つい『そういう事』をイメージしてしまうテイオー。チラチラ、と周囲に誰も見ている者が居ないのを何度も確認すると「残したら勿体無いから……勿体無いから、ボクが代わりに飲むだけなんだ……」と自分に言い聞かせてハチミツドリンクのストローに口を付けた。

 

「…………ふふふふ、いつもより美味しいかも……」

 

 チュ〜……と、ハチミツドリンクの中身が無くなるまで、テイオーは含み笑いを堪えながらハイライトの消えた瞳で赤いストローを咥えていた。




『愛が重バ場』タグいりますかね……?
感想&評価、よろしくお願いします〜


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#6 星々Foresee

5話まで書いてもチームメンバーが一堂に揃わない小説があるらしい。

"トレヴ"のヒミツ
①「実は、自宅の中に教会があるらしい」


『──おや?お邪魔だったかな、⬛︎⬛︎⬛︎』

 

 深夜。

 何処かの教会と思しき場所で、オレンジ色の髪をしたひとりの女性が片膝を着いて、祭壇に向かって瞳を閉じて祈りを捧げていた。

 そこに、黒地に所々緑色の彩色が入ったショートスカートの軍服に黒のオーバーコートを羽織り、制帽を被った女性がツカツカとハーフブーツを鳴らしながら歩み寄って来た。

 

『いえ、姉様。ちょうど今終わったところでしたので、問題ありません。それより、こんな夜更けに、どうされましたか?』

 

 オレンジ髪の女性は瞳を開け、ゆっくりと立ち上がると、軍服の女性の方に振り向いた。すると何かが目の前に飛んできたので、すかさずキャッチした。何かを掴んだ手を開くと、そこにあったのは⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎だった。

 

『⬛︎⬛︎⬛︎からだ。まぁ、中身は言わなくても分かるな?それを読み込んでおいて欲しいとの事だ』

 

『⬛︎⬛︎⬛︎姉様から、ですか……』

 

 はぁ……と、先程までの凛々しさは何処へやら、軍服の女性が深くため息をつく。それを見たオレンジ髪の女性は受け取ったものをしまうと、意外そうに首を傾げた。

 

『あの、⬛︎⬛︎姉様。何か不具合でも……?』

 

『……まぁ、そうとも言えるな。休日を返上しても、事務作業が中々終わらないんだ。これも、仕方ない事だと分かってはいるんだがなあ〜……何か甘いものでも漁るとするよ』

 

 そんな事をボヤきながら、軍服の女性は腰のホルスターから大口径のリボルバー式拳銃を取り出すと、それの撃鉄を起こしたり倒したりするという、片手間にやるにはかなり危なっかしい事をしつつ教会を後にした。

 

『レース、ですか……そんなに楽しいものなのでしょうか?』

 

 ひとり残されたオレンジ髪の女性は、そうポツリと呟き、同じように教会から出て行った。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「離してくれトレーナー君!私は、"紅茶抽出飽和砂糖水溶液"の効果を私自身の身体で実践してみたいだけなんだ!だからはーなーせー!!」

 

「はいはい〜タキオンクン落ち着いてね〜。幾らなんでも、ほぼ砂糖そのままの飲み物は飲ませられないよ?」

 

 チーム・アダーラの部室(仮だったもの)にて、小テーブルに置かれた砂糖瓶と、入れたての紅茶が入ったティーポットを前に駄々をこねるタキオンとそれを羽交い締めにしている機宮トレーナーが居た。

 

 仮だったもの、というのはそもそもチーム・アダーラはセイウンスカイが加わるまで、便宜上存在しているだけのチームだったからだ。

 学園の生徒会長に地方からやって来た革命児、マッドサイエンティストに血に飢えた黒い猟犬という優駿を抱える集まりであれど、4バしかいないためチームとするには規定的にグレーゾーンだったのだ。

 それでも便宜上存在し続け、定着していったのは単に全員が圧倒的に強かった為であるのだが。

 

 アダーラの部室の内装はまるで中世ヨーロッパを思わせる造りであり、床には分厚い絨毯が敷かれ、ティーセットの入ったガラス張りのキャビネットやマントルクロック、金彩ソファなど様々な家具が置かれ、まるで『貴族の住む宮殿から切り取って来ました』と言った風の壮麗ささえ醸し出している。

 因みに機宮トレーナーによれば『家で余ってたものを適当に持って来ただけだよ』と言う事らしいが……まぁ、機宮トレーナーについて深く考えるとわけが分からなくなるので、新規のスカイを除いてある種『まぁそういう事もあるよね』的な諦めがあった。

 

 普段はタキオンが常駐する実験室か、色々な機材が置いてある機宮トレーナーの部屋で活動を行う事が多かったが、流石に今日はアダーラのチームメンバー全員が揃った正式な場という事もあり、この場で今後の予定を決めるミーティング、ついでにお茶会をする運びになったのだ。

 

「タキオンさん……あの、流石にみっともないと思いますよ……。やっぱり……砂糖なんて、そもそもタキオンさんに与えるべきじゃないような……」

 

「砂糖は健康に良いものとは言えないからね、控えるべきものに違いはないだろう。それにしても、"砂糖"に批判"殺到"か……ふ、ふふふっ」

 

……やっぱり会長さんって、硬いように見えて意外とそう言うの好きなんですかねー?

 

「……(茶菓子をモソモソと食べている)」

 

 部屋の壁やキャビネットに沿うように置かれた計5つの美術品の様なアンティークチェアのそれぞれに、シンボリルドルフ、オグリキャップ、マンハッタンカフェ、セイウンスカイの4バが思い思いの椅子に座っていた。

 その前には小テーブルが幾つか置かれており、紅茶かコーヒーの入ったカップと花のブローチの様な白餡のお菓子が薄く小さい皿に並べてある。

 

 もし、今ここに全く関係のないウマ娘が入ってきたとしたら、自分が開いたのはどこでもドアだったのか?と一瞬疑ってしまうだろう。それくらい言えるくらいには、大胆で細かい内装になっている。

 

「さ〜て、ついにこの日がやって来たね。新しく入ってくれたスカイクンでようやく定員達成、いよいよ、チーム・アダーラの本格始動だ」

 

 ひとり立ちながら説明を始める機宮トレーナー。

 取り押さえられていたタキオンもしぶしぶと言った様子で、近くのアンティークチェアに座ると砂糖瓶に紅茶を入れたものではなく、紅茶に砂糖が溶け残るくらい入れたものに手をつけ始めた。

 

「ペンタ、概要を説明してくれたまえ」

 

『分かった。みんな、今日はチーム『アダーラ』のミーティングに来てくれて、ありがとう。まずはシンボリルドルフさん、生徒会長としての業務で忙しい中──』

 

「あ〜……悪いけど、もっと端的に頼めるかな?」

 

 機宮トレーナーの背中の陰から現れた、監視カメラに脚が生えたかの様な見た目をしたロボット[ペンタ]が肩にちょこんと乗りながら、落ち着いたトーンの女性の声で喋り始めたが、長くなりそうだと察した機宮トレーナーによって催促された。

 [ペンタ]は『あっ、ごめんなさい』とレンズの部分を下げて謝罪すると、一拍置いてからまた話し始めた。

 

『端的に言うと、今日は全員の脚の検査と現在の目標の再確認をするの。セイウンスカイさんは今回のミーティングが初めてだったはず、説明しておくと、チーム・アダーラでは定期的に前述した2つの事項を確認するのが、習わしになっている』

 

「つまり、健康診断と今後の計画の決定ってわけですね?良いですよ〜、何だか最近はサボらせて貰ってばっかりですから。多少はやらないと、ね?」

 

 スカイの言う通り、何故か機宮トレーナーがスカイに言い渡したトレーニングはほぼ遊びみたいなものだった。

 例えばスカイが初日の早朝から山中の川に行き、魚のいそうなポイントにエサと針を投げ入れて『ゴメンなさい、今日は川釣り行ってきます〜』という短い文章だけをスマホでトレーナーに送り、早速サボタージュをかました事があった。

 

『分かったよ。しかしウキ釣りも良いけど、今日は趣向を変えてフライフィッシングなんてどうだろう?』

 

 しかし、すぐにそんな返信が送られ『あれ?ウキ釣りなんて私言ってませんよね?』とスカイが独り言を呟いたところ、釣り用具を装備した機宮トレーナーが背後から現れたことさえあった。

 そんな事が何度も続いたので、流石のスカイもトレーナーのあまりのノリの良さに『不安感』を覚え始めていたのだ。

 元からそれが狙いなのかどうかは機宮トレーナーのみぞ知る、というところだが。

 

「説明ありがとうペンタ。というわけで、最初は脚の検査からだ。ひとりずつ呼ぶから、このパーテーションの後ろに来てくれたまえ。まずは、ルドルフクンからだ」

 

 そう言うと機宮トレーナーはパーテーションの陰に消えていった。噂に敏感なスカイも聞いた事があったので知っていたが、脚の検査とは『触診』の事である。

 医者やマッサージ師でもないのに年頃の女の子の脚を定期的に触るなど、第三者、特に上層部の人が聞けば一発でクビを言い渡されそうなものだが、それを抑えるのにも『実績』という壁が一役買っているのかも知れない。

 

ーーーー

 

「さてと、お次は今後の目標の再確認だ……あれ?スカイクン、もしかして風邪でも引いたかい?」

 

「え!?いや〜、別に何でもないですよ〜?」

 

 そう取り繕うスカイが顔を真っ赤にしているのも無理はない。機宮トレーナー自身は至って真面目に脚の状態を検査していたのだが、検査中に脚をなぞるように触ったり、生々しい実況をしながらジロジロ見つめたりしていたため、検査というよりそういうプレイの様な状況になっていた。

 当然、他人に脚をそこまで至近距離で見せた経験などないスカイにとっては、恥ずかしい以上の体験となってしまった。

 

……どうしてトレーナー君は、割と賢いはずなのにその辺は鈍感なのかねえ

 

……同感です

 

「ん〜?タキオンクンにカフェクン、今何か言ったかな?」

 

「「……別に何でもない(よ?・ですよ)」」

 

 もう何度か目の検査なので幾らか耐性がついて来たタキオンとカフェがそう溢す。他者との距離感がバグっている私のトレーナーはいつか『えいっ』とばかりに刺されるんじゃないだろうか、と内心思いながら。

 

「そうかい?まぁ、それなら気を取り直して目標の再確認と行こう。これを見てくれたまえ」

 

 機宮トレーナーが近くにあった何かに掛かっていた布を外すと、情報番組でよくある重要なワードが捲れるシールで隠されている巨大パネルが現れた。上部には『正式発足!!チーム・アダーラの今後の展望とは』という、目につきやすいカラフルなタイトルが書かれている。

 相変わらずいつそんなものを作り、置いていたのかは謎である。

 

「まずルドルフクン。改めて、サマードリームトロフィー予選突破おめでとう!教えていなかった走法さえものにしていたなんて、正直感動しちゃったな〜」

 

『ルドルフ、オグリ、タキオン、カフェ、スカイ』と、縦軸に名前が書かれた表の横軸にはそれぞれ『脚質、距離&バ場適正、前回のレース結果、目標と過程』の5つの項目が並べられ、パネルの実に半分を占める5×5マスの表になっていた。

 そして、機宮トレーナーがルドルフの項目を隠していたシールをめくると『先行・差し、中〜長距離・芝、サマードリームトロフィー(米)予選1着、同大会(米)準決勝』とあらかじめ書かれていたものが露わになった。

 

「ありがとうトレーナー君。いつか君は『ただ勝つだけじゃつまらないな』と独り言を言っていただろう?それを踏まえての事だ。『皇帝』たるもの、レースを見てくれる全員の憧れでなければならないからね」

 

「……!そんなことをわざわざを覚えていてくれたのかい?流石はボクの愛バだね!次もこの調子で頼むよ、ルドルフクン!」

 

 ルドルフがやったピッチ走法はウマ娘の身体の構造上……というよりヒト型で走るならそれが一番良い走り方だ。

 ウマ娘とヒトがここまで足の速さに差があるのは1秒あたりの歩数の違いにある。ヒトが1歩踏みしめる時にはウマ娘は既に数歩先を行っているためウマ娘はヒトより速いのであり、足の回転を早くするピッチ走法はそもそもウマ娘のスピードの源とも言える。

 ストライド走法も有効ではない訳ではないが、歩幅を伸ばそうとすれば、必然的にウマ娘の持ち味である脚の回転数が減ってしまうのだ。反対にピッチ走法は上半身の下で何度も脚を回せるため、その分地面との接触が増え、ウマ娘の種族としての持ち味を生かしつつ、素早く駆け抜ける事が出来る。

 

 しかし、見てみれば分かることだが、どのウマ娘も基本的に最初から最後までストライド走法で走る。何故か?ヒトと比べて超長距離を走らねばならないウマ娘がピッチ走法をやると、バ鹿みたいにスタミナを食って終盤スタミナ切れになりかねないからだ。短距離ならともかく。

 ならば、ルドルフみたいに途中で切り替えれば良いだろうと思ってそれを実行しようとすると、普通は切り替えの時にスムーズな足運びが出来ずに減速してしまう。それでは本末転倒だ。

 

 そもそもシンボリルドルフの強みは圧倒的なストライド時の歩幅にある、他のウマ娘の追従を許さない広い歩幅で走るからこそ圧倒的なスピードを生み出せるわけで、機宮トレーナーも上記の事実を分かっていながら口にしなかったのはそれが理由だ。

 

 しかし、先のレースでは実際に終盤で真逆のピッチ走法に切り替えて、尚且つレコードを飾って勝利して見せたのだから、改めてシンボリルドルフというウマ娘の万能性が伺えた。

 

 だからなのか、いつもより少しテンション高めの機宮トレーナーはルドルフをそう褒めそやした後、再び巨大パネルのシールを剥がした。オグリの項目にはそれぞれ『先行・差し、マイル〜やや長距離・芝ダート、大阪杯1着、天皇賞(春)』と書かれている。

 

「次はオグリクン、この前の大阪杯は中々良い走りだったよ〜!最後の加速なんて、まさにギアチェンジしたみたいで圧巻だった……!」

 

「……ん?あぁ、そうだな!大阪のたこ焼きは外はカリッ、中はフワフワで美味しかったな……」

 

「オグリキャップ?トレーナー君の質問に返答が噛み合っていない気がするんだが……」

 

 何故か、オグリは天然を通り越してトンチンカンな返答をした。その上、オグリはお菓子がもうお皿にないにもかかわらず、フォークでお皿をつついては"無"を口に運ぶと言う意味のわからないことを繰り返していたし、いつもはハツラツとしているのに今日はどことなく物憂げだった。

 

「ん〜オグリクン?ボーっとするなんて君らしくもない気がするんだけど、どうかした〜?」

 

「あっ、すまないトレーナー……私に構わず続けてほしい……だが、後で話したいことがあるんだ。それだけ頼む……」

 

 オグリは流石に皿をつついて無を食べる事はやめたものの、物憂げなのは変わらなかった。

 ルドルフ、タキオン、カフェといったメンバーは勿論、オグリ自身が有名という事もあって新入りのスカイでさえもが、オグリの普段とは全く違う雰囲気にかなり違和感を抱いていた。

 

「ふーん……"ホーリックス"に惚れたかな?さて、どうしたものか……

 

 ただ1人、機宮トレーナーだけは何か心当たりがあるのか、いつもと変わらない表情をしながらそう小さく呟いていたが。



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#7 百合とGambit

感想ありがとうございます!

『史実改変』タグをつける事にしました、今後とも正史とはかなりズレていく予定です。

クラシックとシニアは同じ名前のレースは分けられているという設定(ジャパンカップ)


 

 

「……まぁいいや。オグリクンのことは後で聞くとして、次はタキオンクンとカフェクンに移るとしよう」

 

 部室の窓から外の景色を眺めてポーッとしているオグリをよそに、機宮トレーナーはまずアグネスタキオンの項目を隠していたシールをゆっくりと剥がした。『脚質、距離&バ場適正、前回のレース結果、目標と過程』の項目にはそれぞれ『先行・差し、中距離〜やや長距離・芝、有馬記念"2着"、宝塚記念』という文字が、わざわざ文字ごとにフォントと色を変えて印刷されている。

 続いてマンハッタンカフェの方も捲ると『差し、やや中距離〜長距離・芝、有馬記念"1着"、天皇賞(春)』といった内容の項目が現れた。こちらもフォントや色が異常なくらい凝っている。

 

「前回の有馬記念、同じチーム内で争わせるってのは些かイレギュラーだったから少し心配していたけど、結果的にタキオンクンもカフェクンも死力を尽くせた良いレースになったね〜」

 

 去年、つまりクラシック級12月の有馬記念。あの日『超高速の粒子』と『漆黒の摩天楼』が中山の地で激戦を繰り広げた。

 チームとしては初めてのメンバーの同レース出走となり、その頃もう既に最強チームとして名高かったチーム・アダーラ所属のウマ娘同士が有馬記念という輝かしい舞台で争うという事で、出走を発表してすぐに話題になったし、当日は観客も大量に押し寄せていた。

 

「ふむ、まぁ賞賛は嬉しいが……私としては、結局カフェに勝てなかったのが残念で仕方ないよ、まさか判定の末にハナ差で負けてしまうとはねえ」

 

「……いいえ、有馬記念は長距離のレースですから……元々中距離が得意なタキオンさんと、長距離の私では……悔しいですが、1着であっても勝ったとは、言えないです……」

 

 勝負服が白と黒、嗜好が紅茶(激甘)とコーヒー(無糖)といった様に色々対照的なタキオンとカフェだが、レースでもそれは例外ではない。

 

 アグネスタキオン、そのウマ娘の強さは本人の根性もそうだが何といっても脚の骨密度の低さと骨の薄さにある。更にこの2つと天性の才能を秘めた脚の筋肉とが合わさる事で、しなやかで流れる様な脚運びを可能とするのだ。

 例えるならばフェンシングの剣の様に、軽やかに、素早く対象(地面)を捉える脚と言えるだろう。

 

 対してマンハッタンカフェ、彼女の強さは逆に異常なまでに硬い脚の骨である。それでいて鈍重にならない細さを兼ね備えており、シューズも機宮トレーナーの特注の物で見た目こそ学校の上履きの様だが、ハンマーで殴りつけてもビクともしない耐久性がある上に羽のように軽量だ。

 例えるとすると雪山登山で使うピッケルの様に、鋭く、確実に対象(地面)を捉える脚と表せるだろう。

 

「そうかな?過程はどうあれ結果は結果、1着だ。それに、あの有馬記念からカフェクンも随分と熱心にトレーニングをしている……今ならどうなるかな〜?」

 

「トレーナーさん……」

 

「まぁ、その前にカフェクンはオグリクンと春天で当たる事になるから、決着をつけるのはその後になるね」

 

 オグリキャップとマンハッタンカフェの目標の項目には『天皇賞(春)』の文字がある、奇しくもまた白黒と対になる様な組み合わせだった。因みにオグリはその話題を振られても、垂れている耳を僅かに起こしただけで変わらずポーッとしていた。

 

「タキオンクンも見た限り脚に何かしらの問題やその予兆は無い、このままのトレーニングペースで問題はないだろう。ただ、そろそろ砂糖は控えるべきだ」

 

「うえぇ……ト、トレーナー君?まさか砂糖で生きている私に断糖しろなんて言うんじゃないだろうね……?」

 

「ううん、そこまでは言わないよ。ただ毎日毎日、白砂糖1kgの袋を開けるのはなあ〜……」

 

 タキオンは紅茶が大好きで、毎日水の様にそれを愛飲しているのだが、それは砂糖が溶け残るくらい入れたものに限っている。タキオン自身割と小食な部類に入る事もあってか、1日に摂取している食物の半分くらいが砂糖なのだ。

 それで何故身体の異常が起こらないのかについては、機宮トレーナーのウマ娘に関する難題の一部となっている。タキオンと機宮トレーナーはお互いに研究者でありモルモットというわけだ。

 

「……タキオンさん、そんなに砂糖漬けだったんですか……確かに、多いなとは思ってましたけど……流石に引きます……」

 

「なんだろうね、またカフェが増えた様な気がするのは私だけかい?ふむ……そんな薬は作った覚えがないんだが」

 

「……口を挟む様ですけど、トレーナーさんとマンハッタンカフェさんって実際似てません?実は姉妹、って言われても割と納得できる気がしますよ?」

 

 タキオンに口撃を喰らわせる機宮トレーナーとカフェの様子を見ていたスカイが、少し気になっていた事を会話に差し込んでくる。

 機宮トレーナーは何か不意をつかれた様な表情をした後、カフェを見つめながら考え込む仕草をする。

 

「それ、結構みんなに言われるんだよね〜。カフェクン、実は君ってボクの妹だったりする?」

 

「え……その、違うとは……思います。ただ……(貴女がお姉さんだったら……良いな、なんて……)

 

 確かに、機宮トレーナーとマンハッタンカフェは傍目には姉妹の様にも見えるだろう。

 金色の瞳に、ほぼ同じ髪型をした美しい黒髪の一房は白色という身体的な特徴に加え、服装の面でもカフェの勝負服は黒コートと黄色のネクタイ、機宮トレーナーの普段着はグレーのコートと黄色のショートタイ、靴もお互いカラーリングが白黒とそこそこ似通っている。

 

「ん?最後の方聞こえなかったよ〜?」

 

「いえ、大した事じゃないので……」

 

「(ただ、何だ……?)」

 

「(あ〜、そういう……)」

 

 恥じらいを隠しきれていないカフェに対し、若干湿度が高くなるものや色々察するものが居たがそれを表に出しはしなかった。

 

「ふーむ?まぁカフェクンがそう言うなら、置いておくとしよう。さて、かなり待たせちゃったけど、最後はスカイクンだ」

 

 手慣れた動作で最後のシールを剥がすと『逃げ・先行(仮)、中距離〜長距離、春選抜1着、未決!』と、スカイの項目も多少の情報不足感はあるもの綺麗に纏められている。機宮トレーナーはパネルを見つめた後、(仮)の部分にどこからともなく取り出した赤ペンで二重線を引いた。

 

「……トレーナーさん、選抜レースしか走ったの見せた事ないセイちゃんの脚質が良く分かりましたね?一回見ただけで分かるものなんです?」

 

「うーん、流石に一回見ただけじゃ決定づけるのは難しいな。でも、キミはあの選抜レース以外に走った事がないわけじゃないだろう?」

 

「自主トレ、見られてたって事ですか……たまに、誰も居ない時間にやってたくらいなんですけど……トレーナーさんって、結構油断ならない人だったりします?」

 

「スカイ君、それくらいトレーナー君の行動から見ればまだ普通の方さ、慣れておきたまえ。今日朝食に何を食べたかとか、そう言う事だってトレーナー君はお見通しらしいからね」

 

「いや〜、それはタキオンクンが口元にミックスジュースが付いたままトレーニングに来たから分かっただけなんだけどなあ……それよりスカイクン?」

 

 機宮トレーナーは、何処からか取り出した指し棒でスカイの『目標』欄の『未決!』の部分を指し示す。名前を呼ばれたスカイはゆっくりとタキオンからパネルの方に視線を戻した。

 

「……キミは何をしたいのかな?」

 

「え?」

 

「それがなんであれ、ボクが全身全霊で叶えてみせよう。キミの夢、ボクに聞かせてくれるかい?」

 

 機宮トレーナーはスカイの方に歩み寄ると目の前で跪いて、驚いているスカイの手を取って真摯な瞳で上目遣いをしながら語りかけた。その様子にルドルフは思わず立ち上がりそうになり、タキオンはその瞳がますます深みを帯び、カフェはコーヒーを飲むのをやめ、金色の瞳でトレーナーをじっと見つめていた。

 

「……っ!?ト、トレーナーさん!?あの、そんな風にしなくても大丈夫ですから、ね?まず、離れません!?」

 

「あれ?おかしいな……」

 

 機宮トレーナーは立ち上がって一礼をすると、再び元のパネルの前に何か考えながら戻っていった。先程の行動によほど驚いたのか、スカイは椅子に座ったままパタパタと忙しなく尻尾を左右に振っていた。しばらく黙ってしまった後、スカイは少しずつ自身の事を語り始めた。

 

「何度も言いますけど、私、そんなに大したウマ娘じゃないんですよ。そりゃあ、憧れや夢が無いわけじゃあないですけど、自分の実力は自分が一番分かってるんですよね〜。だから、高望みが出来ないって言うか……」

 

「セイウンスカイ、しかし君は……」

 

 何か言おうとしたルドルフをそっと指で制した機宮トレーナーは、「ふーむ……」と言いながら真剣な面持ちでパネルの右半分を覆っている巨大なシールに手をかけた。

 

「ならスカイクン、ひとまずチーム・アダーラとしての目標に向かって進んでみないかい?」

 

「アダーラの、目標?でも……」

 

「大丈夫、十分君に出来る目標だ。まずはそれを目指しつつ、後で気になったなら修正を加えればいい……アダーラのチームとしての目標は、これだ!」

 

 機宮トレーナーはパネルの右半分を隠していたシールを途中までゆっくり剥がしていく。スカイはそれをジッと見つめていたが、他のメンバーはその『チームの目標』を知っているからか、何処か納得が行った様な、安堵した様な空気感だった。

 

『──凱旋門賞 入着』

 

「……なるほど、凱旋門賞。凱旋門賞なら……ってなりませんよ!トレーナーさん話聞いてました!?」

 

「もちろん聞いていたとも、その上でキミに提案しているんだ。スカイクン、キミは番狂わせが好きなんだろう?そしてキミ自身、レースへの憧れを捨てたわけじゃない。一度きりのトゥインクル・シリーズ、折角やるなら最高の舞台で番狂わせを起こしてみようよ!」

 

 機宮トレーナーはそう言い切ると軽くウインクをして見せたが、その後は真剣な面持ちで磨き上げられた黄水晶の様な双眸でスカイを見つめている。スカイを試している様な、期待している様な、そんな思いがある様に見える表情だった。

 

「えぇっと、でも……」

 

「……心配する事はないよ。キミを凱旋門賞にだって勝てるウマ娘に仕上げる計画は既に整っている。スカイクンは"大船"に乗ったつもりで、おサカナちゃんを思う存分"釣り"上げるといい」

 

 メンバーの誰かが一瞬『上手い……』と零した気がしたがそれはさておき、機宮トレーナーの全てを見透かされた様な眼差しに押されたのか、スカイはまた少し黙った後、観念した様に切り出した。

 

「……おっけー。分かりましたよ、トレーナーさん。そこまでお膳立てされたら、引くに引けませんから。久しぶりにちょっとやる気になったセイちゃんの事、良い感じにお願いしますね?」

 

 こうして全員の目標が定まり、ミーティングは無事に終わった。「グラウンドに2時間後また集まってね〜」という機宮トレーナーの声が追いかけてくる中、オグリ以外のメンバーはそれぞれチーム・アダーラの部室を後にした。

 そして部屋に残った機宮トレーナーとオグリの間で、とある"相談室"が開かれる事となった。

 

 

ーーーー

 

 

 ミーティング中意識がふらふらと飛んでいたオグリだったが、スカイに呼びかける機宮トレーナーの姿を見て、ふとある日の記憶が脳裏に浮かんでいた。

 

『何故、トレーナーがここに?そのバッジは、確か……』

 

『……隠していてゴメン。実は、ボクは中央のトレーナーなんだ。そしてこちらがボクの担当のシンボリルドルフ、名前くらいは聞いたことあるんじゃないかな?』

 

『オグリキャップ、突然の呼び出しに応じてくれて感謝する。単刀直入に言おう、君を"中央"、ひいては"チーム・アダーラ"にスカウトしたい──』

 

 通りすがりのトレーナー、そう名乗っていた機宮トレーナーにカサマツの地で助言から始まった指導を受け、中京杯では"大差"を付けて勝利したところでオグリキャップは中央に招かれた。

 その後も機宮トレーナーのミスで危うくダービーへの出走が叶わなく''なりかけ"たり、それが原因でルドルフと機宮トレーナーの話し合いで虎と龍の睨み合いの様な空気感になったり、世間を大いに騒がせたレースも何度かあったものの、今思えば全て今日、そして明日へと繋がっていたと言える。

 

 そしてオグリ自身、自分のコンディションがそれを無駄にしかねない異常自体であるのを自覚していたし、頭の痛い問題だった。

 しかし、その"問題"の解決方法も原因も、幾ら考えても分からなかったオグリはどうしようもなく不安になった。そこで、久しぶりに1対1で機宮トレーナーと話し合う場を設けてもらう事をミーティング中に提案したわけだ。

 

「一応確認するよ?その新入生が視界に入るとつい視線がそっちに向いちゃうし、ふとその新入生の事を考えると何処でもボーッとする、いつも何となく胸が苦しくて食事も喉を通らない……と」

 

「そうなんだ……トレーナー、私はどうしてしまったんだろうか……」

 

 そう言うオグリの耳はぺたんと力なく垂れ下がり、隅々まで手入れされてふさふさしていた尻尾も今はすっかり萎んでしまった様に見える。

 

「オグリクン、安心したまえ。キミの不調の原因はハッキリと突き止められたよ」

 

「おぉ……もう原因が分かるなんて、やっぱりトレーナーは凄いな!……それで、この胸のモヤモヤは一体何なんだ?」

 

「そうだな……うん、ここはハッキリ言わせてもらうよ。キミは、コイをしているんだ。その新入生にね」

 

 機宮トレーナーに笑顔でそう告げられ、文字通り目を丸くするオグリ。そしてしばらく静寂が流れた後、何かを考え込んでいたオグリが再び口を開いた。

 

「鯉……?すまないトレーナー。鯉をする、とはどう言う意味なんだ?魚釣りのことか?」

 

「う〜ん、タマモクロスを呼びたい気分だなあ……オグリクン、魚じゃなくてL.O.V.Eの方の"恋"だよ。多分その子に一目惚れしちゃったんだね〜」

 

「恋……私が?そうか、恋……なのか、これが……」

 

 今度は意味がちゃんと伝わったのか、オグリは「恋……恋か……」と呟きながら部屋の隅の方をぼうっと眺め始める、その切なそうな横顔は正しく恋する乙女のそれだった。

 

「あれ、オグリクン?オグリクン〜?」

 

「っは!すまない、つい……トレーナー、私があの子に恋をしているのは分かった。だがウマ娘がウマ娘に……というのはその、良いのか?トレーナー的に」

 

「ふむ、確かに一昔前まではタブー視する声もあったけど……URAの規定は変わったし、法律的にも問題はないはず。ボク的にも生徒間の恋愛には概ね賛成だし、良いんじゃないかな?」

 

「そ、そうか……!そうか……!」

 

 先程までの悶々とした雰囲気は何処へやら、オグリの表情はパァッと晴れ渡り、尻尾も元気を取り戻したのか左右に忙しなく揺れている。

 やがてオグリは機宮トレーナーの方に向き直ると胸に手を当て、浮かれた表情を何とか真剣なものに取り繕った。

 

「……トレーナー、頼みがある」

 

「おや、何の頼みかな?ボクに出来ることがあるなら、手を貸すよ」

 

「私は、その……"恋"というものを今まで経験した事がない。だから教えてくれ、私はこの気持ちをどうすれば良いんだ?」

 

「そうだな〜、最終的には想いを伝えるとして、まずは相手のことを知らなくちゃね。その様子だと、殆ど話した事もないんだろう?」

 

 ふーむ……と機宮トレーナーは視線を天井に這わせつつ首を傾げて思考を巡らす。そして『恋、デート、距離感、成就、コツ、プランは……』と考えを整理するかのように色々と呟き続けた後「よし!」と言ってオグリの両肩に手を置いた。

 

「ボクが、キミの恋のキューピッドになろう!トレーナーとして、教え子のフィジカルだけじゃあなくてメンタル面のケアも必要だろうからね。さて、すっかり聞きそびれてたけど、その新入生の名前は何て言うんだい?」

 

「な、名前か……」

 

 オグリは頬を僅かに赤らめながら機宮トレーナーから視線を逸らすと、その唇を兎の咀嚼の様に小さく動かした。

 

「その……ホーリックス、という名前らしい。確か、そう名乗っていた気がする……」

 




カフェの脚の特徴は完全に妄想。

"ホーリックス"のヒミツ
①実は、鏡面貼りの小物が好き


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#−52 品格と夢の記録①【幕間】

戦人さん、再びの誤字修正ありがとうございます。
今回は回想、及びシンデレラグレイの要素が入りますのでネタバレ注意。ちょっと曇らせあり。

機宮トレーナーのヒミツ
⑤ヘマをする時は、信じられないくらい初歩的なヘマをするらしい?


 ──栄光への道に、灰を降らせる者よ。

 

 

「ダービーに出られないことを、どうお思いですか!!」

 

「出たら勝てそうですか!?」

 

「関係者以外立ち入り禁止だっ!トレーニングの邪魔をしないでくれたまえ!」

 

 トレセン学園の練習場にて、今大いに世論を騒がせているウマ娘とそのトレーナーがマスコミ各社の群れに呑まれていた。

 かたや最近、地方から中央へ上がり一気に知名度と人気を獲得し、そして現在クラシック登録申請漏れの問題を巡って世間の注目を浴びている芦毛のウマ娘、オグリキャップ。

 そしてちょっと変わった服装を着こなして、まだ新人ながら『皇帝』の専属トレーナーとして実績を積んだ事で、トレセンに現れた流星などと呼ばれるまでに至った若きトレーナー、機宮ユリ。

 

 そんな話題性の塊のようなふたりが、こうしてマスコミに囲まれるという事は今まで無かったわけではない。

 しかし、今回は『オグリキャップのクラシック登録漏れによる日本ダービー出走不可』という一連の騒動を受けて盛り上がった世論を、更にある1人の記者が囃し立てた事でトレーニング中にも関わらずマスコミ各社が取材に押しかけてくるまでになっており、機宮トレーナーが珍しく声を荒らげて対応するレベルだった。

 

「機宮さん、今回のダービー出走不可は貴女の過失が原因との事ですが、責任は感じでおられるのでしょうか!?」

 

「貴女がURAに対して陳謝し、オグリキャップのダービー特例出走を取り決めるべきだと言う声が上がっていますが、如何でしょうか!!」

 

「はぁ……トレーニングが終わったらインタビューには答えるから!今はちょっと下がってもらえないかな〜?」

 

 しかし今回は機宮トレーナーに非があった。

 何を隠そう、オグリキャップのクラシック登録を忘れてしまったのは地方からずっと一緒にいた、機宮トレーナー自身なのだから。

 

ーーーー

 

「何であんなミスしちゃったんだろ〜……」

 

「トレーナー君……」

 

 トレーニングを終えて、オグリを庇いつつマスコミの群れから逃げ切った機宮トレーナーは、生徒会の仕事で忙しいルドルフを手伝うために生徒会室を訪れていたのだが、仕事をしているうちにアンニュイな雰囲気になってしまったのか段々と独り言が増え、最終的には来賓用の机に頭を突っ伏してしまった。

 

「ゴメン、ルドルフクン……ボクのせいだ。ボクのせいで、キミにも迷惑をかけちゃった……」

 

「……確かに、今回はトレーナー君の過失が原因だ。けれどあんなオーバーワークをしていたら、何かミスをしてしまうのは無理もない事だ。私は気にしていないから、顔を上げてくれ」

 

 ルドルフは生徒会の仕事をする手を一旦止めると、すっかり陰鬱モードなってしまった機宮トレーナーの隣に座ってそう優しく語りかけた。

 

 機宮トレーナーはオグリを見つけてからは、トレセン学園とカサマツとを毎日往復していた。

 午前はオグリのトレーニングやらその他のサポートを徹底的に行い、午後からはトレセン学園に戻って通常の業務に加えて生徒会の仕事を手伝い、夜はルドルフのドリームトロフィーへのプラン、オグリに最適なトレーニングメニューと中央移籍の計画を立て……と、寝る暇も休む暇も無いような生活を何ヶ月も続けていた。

 正直、傍目から見ても過労死していてもおかしくないレベルの仕事量であり、それでいてつい最近まで全く疲れた様子を見せなかったのだ。

 そういう事情を知っているルドルフからすれば、もちろん自身を頼ってくれなかった事などに対して少々怒りを感じないわけではないが、それよりも労ってあげたい気持ちの方が勝っていた。

 

「え〜……でも……」

 

「オグリキャップも許していたのだろう?なら今後は気をつけていけば良いさ」

 

「そうかなあ〜今後って言っても、もう取り返しがつかないじゃないか。日本ダービー、出させてあげたかったな……」

 

「………………っ」

 

 機宮トレーナーは机に顔を突っ伏したまま、いつもの快活さからは想像もつかないほど、活力のないボソボソとした口調で後悔の言葉を溢していく。

 そんな機宮トレーナーを居た堪れない表情で見つめるルドルフの手元にはオグリキャップの特例出走を扇動するとある記事、そして生徒会長の机にはその特例出走の希望署名10,000人分が自身がすべき事を示す様に、重く積み重なっていた。

 

ーーーー

 

「えー、今日は何故呼び出されたか分かるかね?ルドルフ君」

 

 眼鏡をかけルドルフとは幾らか面識のある委員長の、隣に立つ小太りの男がそう口火を切る。

 

 後日、オグリキャップの日本ダービー特例出走に署名したシンボリルドルフは、その件についてURAの中央諮問委員会、それも委員長直々の呼び出しを受けた。軒並みのウマ娘がこの問題をどうこうしようとそれは勝手だが、あの『皇帝』シンボリルドルフがこの問題に首を突っ込んできたとなれば、URAも動かざるを得なかったのだ。

 

「……えぇ、ご無沙汰しております。委員長」

 

「この騒動に貴方が首を突っ込んでくるとは意外ね、ルドルフ」

 

「私なりに三思後行した結果です」

 

「……であれば、理解しているでしょう?」

 

 委員長室という特異な場でも、落ち着き払った様子を崩さないルドルフ。そればかりか委員長から幾ら問いかけられても、何処か余裕を感じさせる立ち姿は"生まれた時から頂点を志し、相応の勝利を積み重ねたエリートの中のエリート"の風格そのものだった。

 

「クラシック登録すらしていない不心得者……そう、今回の問題はオグリキャップにも、貴女のトレーナーにも非があるの。これを認めればクラシックのルールそのものが瓦解するし、URA全体を揺るがす問題になりかねない」

 

「えぇ、理解しております」

 

 確かに、これを認めればオグリキャップの出走は叶うだろう。しかし、元々はルドルフのトレーナーである機宮ユリとオグリキャップの過失によるものなのだ。それを踏まえた上で、日本ダービー特例出走認めさせようと署名をしたルドルフの姿は良く言えば『献身的』だが、悪く言えば『身内に甘い』だけとも捉えられるのだ。

 当然、理事会は後者で捉えるだろう。そうなれば最悪、規約違反という形でルドルフの今後のレース出走権が認められなくなるなんて事にもなりかねない。

 この委員長だって意地悪でオグリキャップの特例出走に否定的なわけではないのだ。ルドルフやURA全体の事を案じているからこそ、そう簡単に首を縦には振れないという事情がある。

 

 そもそも、中央諮問委員会とは言え理事会を通さねばこんな特例は認められない。そして、URA理事長と理事達で構成されたURAの全決定権を持つ理事会を動かすのは、この委員長が働きかけたとしても時間のかかる事なのだ。

 つまり、ここで認めようが拒否しようが、どっちにしろオグリは開催目前の日本ダービーには出走出来ないのだ。

 

「……分からないわね。貴方はたったひとりのウマ娘と、貴女のトレーナーのためだけにルールを変えろと言っているようなものなのよ?」

 

「ですから、そう申し上げているのです」

 

 ルドルフがそうきっぱりと言い切った時、不意に委員長の机に備え付けられた電話がけたたましく鳴った。張り詰めた緊張が一瞬緩んだような気がしたが受話器をとった委員長が、一層恐ろしく厳粛な顔になったのをルドルフの慧眼は見逃さなかった。

 

「……はい。いえ、そんな事は……そんな、しかしこれは……はい……分かりました、失礼します」

 

「え、委員長……?どうされましたか……?」

 

 委員長の隣に立っていた小太りの男も委員長の電話相手への態度を見て、ただ事ではないという事に気が付いたのか額に汗を浮かべて狼狽し始めた。

 やがて受話器を置いた委員長は俯いて重いため息を吐き、顔を上げてズレた眼鏡の位置を直すとおもむろに手を組みルドルフの事をしっかりと目を見開いて見つめた。

 

「……ルドルフ、落ち着いて聞いて頂戴」

 

「………………」

 

 委員長はそう前置きをすると、心の底まで凍りそうな凄みを感じさせる言い方でこう告げた。

 

「理事長が、貴方に直接話したい事があるらしいわ。今すぐ理事長の元へ行きなさい」

 

 ──女王謁見。




曇らせ(トレーナーも)
JRA本部について調べたら外観が漫画そのままだったのに驚き。

シングレの話という事で前後にキャッチコピーを付けてみました、もう1話だけ幕間続きます。


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#−51 品格と夢の記録②【幕間】

戦人さん、毎度毎度の誤字報告ありがとうございます。私も気をつけなければ……。

お気に入り200超ありがとうございます!
面白ければ評価&感想宜しくお願いします!


 ────"女王(クイーン)"と"皇帝(エンペラー)"は何を語る……。

 

 

「ではルドルフさん、ここからはおひとりでお願いします。理事長は気難しい方ですので、くれぐれも"興"を削ぐことのないよう……」

 

 見た目若そうな黒服の男に連れられて迷路の様なURA本部のビル内を歩き回った後、エレベーターで恐らく最上階と思われる場所にたどり着いたルドルフは、ひとりだけそのエレベーターから降ろされた。

 

 URA理事長……ルドルフでさえも、どんな人物なのかはウワサ程度でしか聞いた事がなかったが"女王(クイーン)"と呼ばれているらしい事、先程の"興"を削ぐなと言う発言と、エレベーター内で冷や汗をかきながらカタカタと震えていた黒服の男の様子から察するに、相当恐れられている人物の様だった。

 

「ふーっ……」

 

 ルドルフは気持ちを整えるために一度深呼吸をした。この階には先程出てきたエレベーターと、窓さえない灰色の短い廊下の先に扉があるばかりで、ウマ娘の聴力と嗅覚を持ってしても何の音も聞こえないし、何の匂いもしない異質な空間だった。

 

 ここに立ってばかりもいられない、そう思ったルドルフはゆっくりと歩みを進める。一歩歩みを進めるたび、カツン、カツンという音だけが無機質な廊下に嫌なくらい反響した。

 歩みの一歩一歩で自身の決意を確かめる様に、長い時間をかけて『理事長室』と書かれた扉の前までたどり着いたルドルフは、一度瞼を閉じた後再び深く深呼吸をした。   

 そして次にその眼を開けた時、そこには威厳に溢れたひとりの『皇帝』が立っていた。

 

「理事長殿、失礼します。シンボリルドルフです」

 

「………………」

 

 ルドルフが見るもの全てを抑圧するような、巨大で重厚な扉を4度ノックしてそう問いかけるが返事はない。両手に力を込めてその扉を開くと、いきなり光が差し込んだが、それに動揺する様なルドルフではなかった。

 やがて完全に扉を開けると、理事長室内は扉の外とは別世界だった。

 

 まず、最上階全てを使った円形の部屋内は軽めのトレーニングなら出来そうなくらいに広く、紺色を基調とした部屋の床の中央には『URA』の文字とロゴが白色で書かれていた。

 遠い壁沿いには積み重ねられた無数のショーケースがあり、その中に様々な種類のぱかプチが陳列されていた。ルドルフが見たことのないぱかプチもあったが、以前ジャパンカップにやって来た事のある外国のウマ娘のものだとすぐに気が付いた。

 およそ数百は下らないであろうぱかプチがあちらこちらに陳列されている様は、可愛いというより無数の視線に晒されているかの様な重圧感を与えてくる。

 

「ふふ、よく来たわね。()()()()()()さん」

 

 とそこまで部屋を見た時、部屋に良く通る女性の声が響き渡った。ルドルフも今まで一度も聞いたことのない、割と普通と言えば普通の年若い女性の声だった。

 声の主の方に視線をやる、少し離れた場所にある『理事長』というプレートの置かれた木製の巨大な机の奥には、それに見合う大きさの玉座の様な装飾のされた黒い回転椅子があり、背もたれをこちらに向けているためどんな人物か視認する事は出来なかった。

 

「さて、オグリキャップの特例出走の件だけど、希望署名を取りやめるばかりか、委員長に楯突いたそうね?今更そんな事をしても日本ダービーへの出走なんて叶わない、賢しい貴女なら分かっていた事でしょう?」

 

 そう言う理事長の口調自体は普通なのだが、ただ話しているだけにも関わらず、何処かこちらを軽んじている様な何かを感じさせる。ルドルフが目を凝らして"玉座"を見ると、肘掛けの部分から何か……鹿毛のウマ娘のぱかプチが乗せられており、理事長と思われる女性はそれに手を乗せて頭を撫でていた。

 ──私だ、とルドルフは特徴的な勝負服を見てそう思い至った。

 

「えぇ……もちろん可能性は少なかったですが、こうして理事長殿と面会出来た事で、その状況も変わりました」

 

「……続けて」

 

 理事長がルドルフのぱかプチを撫でる手を止める、広い机には綺麗な水差しとデスクスタンドの他に、もう一つ芦毛のぱかプチも置かれており、それは正しく今の話題の渦中にいるオグリキャップのぱかプチだった。

 

「理事長殿……レース、とは何のためにあるとお考えでしょうか」

 

 ルドルフが鋭い目つきで玉座の背もたれを凝視する中、理事長は椅子をそのままにして机の上にある氷の入った水差しに手を伸ばすと、大きなコップに中身を注ぎ始めた。

 

「夢を叶えるため?名声のため?それとも本能が走りたいと願うからでしょうか?そう、例を挙げればキリがありません。つまりそれだけ、レースは様々な想いを託すものなのです」

 

「……つまり、何が言いたいの?」

 

 中身を注いだ理事長はコップを背もたれの方に持っていったが、飲む音は聞こえない。理事長もルドルフの事は見えていないので、今のルドルフの顔は誰も見てはいないのだが、もしそれを見たものが並のウマ娘やヒトだったら、あまりの恐ろしさに気を失ってしまっただろう。

 

「彼女の走る姿は、多くの観衆を魅了した。そして皆、示し合わせるでもなく彼女のダービー出走を願った。皆、彼女に様々な想いを託しているのです。それこそがレースのあるべき形であり、本質そのもの。それを下らない規則によって潰すなど、愚劣の極みです」

 

「ほぉ……でも、その意見には貴女の夢も入っているわよね?」

 

「……その通りです。ですが、私だけではありません。トレーナーが、スタッフが、ウマ娘が、何よりトゥインクルシリーズを愛するファンが、歴史に残る大スターの誕生を望んでいる」

 

 そこまで強く語った後、ルドルフは"玉座"に座っている理事長に向かって腰から体を倒し、深く深く頭を下げた。理事長の机のさらに奥は、壁ごと巨大なガラス張りの窓になっており、差し込んだ光がルドルフの姿を仄かに照らした。

 

「貴方なら、理事会を通さずとも特例出走の認可を下せるでしょう。お願いします、オグリキャップを走らせてください。日本ダービーに」

 

 ルドルフは頭を下げて床を見つめながら微動だにしなかったが、だだっ広い部屋にコツ、コツ、と歩み寄ってくる音が響いた。理事長がその玉座を離れ、ルドルフのもとに歩み寄ってきた音だった。

 

「…………言いたいことはそれだけ、か」

 

 何度か靴の音が響いた後、頭を下げ続けるルドルフのすぐ側まで理事長が詰め寄ってきた。近くにいると僅かに香水の香りが漂い、履いている靴が黒の革靴だという事をルドルフは認識出来たが、不意に頭に冷たい何かが流れた。

 

 ──水だった。

 

 本来冠を載せるはずのルドルフの頭に、冷たい氷水が時折硬い氷と共に流れていく。

 そして大きなコップに入った水が無くなったのか、水の流れが止まったかと思うと視界の端で理事長が腕を振り下ろし、地面に叩きつけられたコップが音を立てて砕け散った。ウマ娘の並外れた聴力には、耐え難い音量だった。

 

「バ鹿にしているのか?」

 

 声色が低く、怒りを孕んだものへと変わる。

 そう言うと理事長は再びコツコツと音を立てて"玉座"へと戻っていった。ルドルフの頬を涙の様に一筋の水滴が垂れ、サラサラとしていた美しい鹿毛には雨に打たれた様に滴っており、まるで『皇帝』としてのプライドや、生き方全てを否定された様に見えた。

 

「驕るなよ"皇帝"、レースを動かすのは貴様じゃない、この私だ。私を中心に全てのレースは回っている。貴様がその頭を下げたところで何になる?」

 

 ドカッ、と乱暴に"玉座"に座り直した"女王"はまたしてもルドルフの方を向く事なく、背もたれを向けたままだった。ルドルフはそこでようやく顔を上げたが、威圧感は顔の半分は暗くて見えなくなる程高まっていた。

 

「そんな事も分からないと言うのは、そもそも貴様がレースの本質を見損なっているからだ。愚劣なのは貴様の方だ。話にならない、帰れ」

 

「…………っ」

 

 取り付く島もない、と言った明確な拒絶だった。恐らく、これ以上何を言ってもこの理事長は取り合ってくれないだろう。だがここまで言われてはルドルフもただでは引き返せない、一言、何か一言だけでも言わなければ、いずれあの"玉座"を目指す者としても。

 

()()()()()()()()

 

 しかし、その一言はそんなルドルフの対抗意識を踏み潰すかの様な冷たさと、本能的な恐怖を掻き立てるような威圧感を持っていた。ルドルフの喉まで出かかった言葉が飲み込まれ、代わりに「……失礼しました」という退室を受け入れる言葉が口から出てきてしまっていた。

 

「……部屋が汚れた、1分以内に元に戻せ。それと、ルドルフを連れてきたアイツは新人だったな?奴はURAに相応しくない、今日限りでクビだ……はぁ」

 

 ルドルフが部屋から出て行く時にさえ、"女王"は何か言葉をかけるどころか近くの受話器越しに、イライラした様子でそう告げるばかりで、ルドルフの事などもう歯牙にもかけていない様子だった。

 

ーーーー

 

「どうぞ……」

 

 理事長室から出て先程のエレベーターに乗ろうとすると、そこには白いタオルを持った先程と同じ黒服の男が居たが、何となく元気がない様に見えた。恐らく、先程の"女王"の解雇通知を知らされたのだろう。

 

 ルドルフは白いタオルを無言で受け取ると、自身の濡れた髪や顔を拭いた。それでも湿ったままだったが、大分水気は拭き取る事が出来た。黒服の男がエレベーターのボタンを操作すると、一瞬の浮遊感と共にエレベーターが下降し始めた。

 

「怖かった、でしょう?」

 

 エレベーターの中で、ルドルフに視線を向ける事なく不意に黒服の男がぽつりと呟いた。

 

「あの人は、いつもあんな感じです。普段は部下に対しても割と寛容なんですけど、命令に従わないと見るや直ぐに切られちゃうんです。それと、私みたいな臆病者はね」

 

 エレベーターがどんどん下がって行く、ルドルフは黙ってその黒服の男の話に耳を傾けていた。

 

「理事会も、形式上あるだけでとっくに機能していないみたいです、URAの全てがあの"女王"の手のひらの上。辞めさせられた者が訴えようと、立場が立場ですから警察も介入出来ないんです。そして逆らったものは、皆……」

 

 ポーン、という音と共にエレベーターが下へと辿り着きドアが開く。黒服の男がエレベーターの『開』ボタンを押しながらドアの横に道を譲る。

 

「すみません、独り言です。シンボリルドルフさん、どうかお気をつけて。あの"女王"に対抗出来るのは、貴方だけですから」

 

「……忠告、ありがとうございます」

 

 それからはまた迷路の様なビル内を黒服の男の先導で歩き回ったが、その間お互いに何を話すでもなかった。やがてエントランスまでたどり着くと、ルドルフはタオルを返そうとしたが「それは持っていけとの事です」と黒服の男が言ったのでそのまま持っていく事にした。

 そして黒服の男は、またビル内へと戻っていった。

 

「………………っ」

 

 情けない、直接会って話せば日本ダービー出走を認めさせられるだろうと思ったがこのザマだ。

 ルドルフは外を行く車の音以外聞こえない無人のエントランスを歩く、磨き上げられた大理石の床や巨大な柱にチラッと自身の小さな姿が反射していた。そして顔を上げると、入り口の前には見知った人影があった。

 

「トレーナー、くん……」

 

 無意識にルドルフの足は動いていた。走るフォームなどお構いなしに自身のトレーナーの元に駆け寄ると、そのまま抱きついた。

 

「あ、ルドルフクン!酷いじゃないかボクに黙っているなんて……うわっ!?ど、どうしたんだい……って、髪が濡れてるじゃないか。まさか、URAの人に何かされたのかい!?」

 

「後で……話す。今は……このままでいてくれ」

 

 また一筋、ルドルフの頬を水が滴った。ルドルフの様子的にただ事ではないと悟ったのか、機宮トレーナーはルドルフをそっと抱きしめ返して背中をさすった。

 

「ルドルフクン、本当にゴメンよ……!ここだと目立つ、あっちの裏路地で話し合おう……」

 

 そう言うとルドルフは機宮トレーナーの胸に顔を埋めたまま僅かに頷いた。

 その後ルドルフは『皇帝』ではなくひとりのウマ娘、シンボリルドルフとして自身のトレーナーの腕の中で抱きしめられ続けた。優しいフローラルな香りのする温かな抱擁に、ルドルフは久しぶりに誰かに甘える、という事をしたのだった。

 

 傍に抱えられた白いタオルの中には、白い一通の封筒が入っていたが、それにふたりが気づくのはトレセン学生に戻ってからだった。

 

 

 ────最高のレースをしよう。

 




幕間はこれにて終わりです、次はいよいよ天皇賞(春)目前の話となります。


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#8 疑惑のHelix

戦人さん誤字修正本当にありがとうございます。
アンケートを追加しましたので、協力よろしくお願いします。

追記)食事シーンの料理を変更しました。

"ホーリックス"のヒミツ
②実は、無意識のうちに誰かの背後をつけてしまうらしい。


『"機宮ユリ"』

 

・"推定視力6.0以上"

・"ファッションに対して興味が薄い"

・"金銭感覚は他者とズレがある"

・"大胆不敵な行動に反し慎重な性格"

・"他者との距離感が近いが秘密主義者"

・"アレキサイミアの傾向"

・"教育レベルは高い"

・"歩き方に異常なほど癖がない"

・"固形物及び硬い食品を嫌う"

・"格闘術に熟達している"

・"不眠症、もしくはショートスリーパーの傾向"

・"嗅覚、聴覚は特に過敏"

・"3年前私と別れ、アメリカから日本に移住"

・"地方のウマ娘とは全て契約破棄になっている"

・"現在は日本ウマ娘トレーニングセンター学園に勤務"

・"私と出会う前までの正確な記録が見当たらない。情報改竄に長けているのか、そういうのが得意な仲間がいるのかな?"

 

 ──とあるウマ娘のメモの一枚。

 

ーーーーーー

 

 

「ふぅ……やっぱりメジロの紅茶は最高だね」

 

「ふふ、お菓子なども選りすぐりのものを用意させて頂きました。楽しんでいって下さいませ」

 

 天皇賞(春)を目前に控える中、機宮トレーナーはメジロマックイーンの招待を受けてメジロ家の邸宅で壮麗なティータイムを楽しんでいた。

 純白のテーブルクロスが掛けられたラウンドテーブルの上には、ケーキスタンドやピンク色のチューリップが生けられたプレスドグラス、アンティークな陶磁器のティーセットが置かれている。

 

「おぉー、このお菓子結構上品な味がしますね〜」

 

「なるほど、紅茶も良い茶葉を使っているね。ただ、ミルクも悪くないがもっと砂糖があった方が私の好みではある」

 

「……マックイーンさん、ここに砂糖泥棒がいますよ……砂糖瓶が空になってます……」

 

 隣のラウンドテーブルでそんな事を語らっているのは、先日皐月賞を危なげなく制したセイウンスカイ、紅茶が飲めると聞いたからか何故かついてきたアグネスタキオン、天皇賞(春)を目前に控え、コンディションの調整のため羽を伸ばしに来たマンハッタンカフェである。

 残りのメンバーであるルドルフとオグリは、前者は生徒会の仕事で、オグリは個人的な事情でお茶会にはついてこなかった。

 

「心配ありませんわ、アグネスタキオンさんの砂糖好きは把握していますから」

 

 メジロマックイーンが近くに控えていたメイドに視線を送ると、そのメイドが一礼して部屋の外へと出ていった。そしてものの10秒程で砂糖瓶を持って再び現れると、テキパキとした動作でタキオンの前の砂糖瓶を取り替える。

 

「全く、タキオンクンってば、砂糖は控えて欲しいんだけどな〜……マックイーンクン、気を使わせて悪いね」

 

「いいえ、招いたのはこちらですから。そちらが気にする事ではありませんわ」

 

 離れたテーブルで、タキオンが怪しげな笑みを浮かべながら砂糖をどんどん溶かしているのを尻目にそう語る機宮トレーナーだったが、マックイーンが優雅な仕草で紅茶を飲んだ途端、不意に顎に手をやりながらマックイーンの方をじっと見つめ始めた。

 

「あ、あら?そんなに私の顔を見つめて……どうされましたの?」

 

「いや……マックイーンクンって、ちゃんとお嬢様出来るんだね?」

 

「それはどういう意味ですの!?」

 

 一瞬でメジロ家のお淑やかなお嬢様という仮面が剥がれ、いつものおもしれー奴に戻ってしまうマックイーン。それを見て機宮トレーナーは心底楽しそうな微笑みを浮かべる。

 

「ふふっ、ゴメンゴメン。マックイーンクンって"真面目で頑張り屋"だから、ついいじりたくなっちゃうんだ」

 

「……もう、からかわないで下さいませ!」

 

 そう談笑をしている機宮トレーナーとマックイーンの姿は傍目から見ても相当親しい事が分かるが、今日メジロ家に機宮トレーナーが招かれたのはこうやってお茶会をするのがメインの目的ではない。あくまでこのお茶会はとある準備が整うまでのメジロ家のもてなしであり、10分ほどお茶会を楽しんだところで、白い口髭を生やした老執事がお茶会をしている面々の元にやって来た。

 

「機宮様、準備が整いました。ご案内致しますので、こちらにお越しください」

 

「おっと、もう行かなきゃ。時間が経つのは早いなあ〜」

 

 そう言って機宮トレーナーはお茶会の席を立って老執事について行こうとするが、それに先んじてマックイーンが少し焦りながら椅子から立ち上がると、老執事に問いかけた。

 

「あっ機宮さん、お待ちになって下さい。じいや?わたくしもついて行っても宜しくて?」

 

「申し訳ありません。大奥様は機宮様をお呼びですので、お嬢様といえどそれは出来かねます」

 

「じいや」と呼ばれた老執事に気の毒そうな様子でそう言われたマックイーンは、少し寂しそうな顔をして椅子に戻ると小さくため息をついた。

 

「んーまた後でね?マックイーンクン」

 

 そう言い残し、機宮トレーナーは老執事の案内で部屋からスタスタと出て行った。

 

「「「………………」」」

 

 残されたタキオン、カフェ、スカイはお互いの顔をチラチラ確認しながら、耳をそばたてて機宮トレーナーが部屋から出て行く様子を見つめていたが、ウマ娘の聴力をもってして足音も聞こえなくなった時くらいで、タキオンがそっとマックイーンに手招きをした。

 

「あら、どうしたんですの?」

 

「……すまないんだが、少しの間人払いをしてくれないかな?マックイーン君にも関わる事なんだよ……」

 

「え?わ、分かりましたわ……」

 

 マックイーンが控えているメイドに目配せをすると、メイドは律儀に一礼をしてからそさくさと部屋の外へと捌けていき、部屋内には4名だけが残った。それからマックイーンは自身の椅子をタキオン達のいるテーブルに持って行くと、全員の顔をキョロキョロと見回した。

 

「あの……一体何なんですの……?」

 

「マックイーン君、君は私たちのトレーナー君と随分仲が良いらしいね?」

 

 4名で1つのラウンドテーブルを囲っている中、タキオンが瞳を更に濃くしながらそう切り出す。カフェは元々そうだが、スカイまでもが何となく暗い雰囲気を醸し出している。

 

「えぇ、そうですが……」

 

「そこで質問なんだが、トレーナー君と接していて何か不審に思った事はないかい?どんな事でもいいんだが」

 

「………………?」

 

「いや〜、言われないと分からないと思いますよ?私も最初言われた時は『ええ!?トレーナーさんが!?』ってなりましたし」

 

 質問の意味が分からない、そう言いたげなマックイーンの表情を見かねたスカイが横から助け舟を出す。あまり中身の減っていないカップをソーサーの上に置いたカフェがマックイーンの方を向くと、いつもの様にぽつりぽつりと話し始めた。

 

「……単刀直入にいうと、タキオンさんはトレーナーさんの事を……ウマ娘なんじゃないか、そう疑っているらしいです……」

 

「き、機宮さんがウマ娘!?まさか、ありえませんわ!?」

 

「まぁ最初はそうなりますよねー……あ、まだ私とタキオンさん、カフェさんとマックイーンさんにしか知らない事ですから、声は小さくお願いしますね?」

 

 思わず叫んでしまったマックイーンだったが、スカイに嗜められた事で自身のお淑やかではない行動に気付き、コホンと咳払いをしてからそれを誤魔化す様にテーブルから持ってきた紅茶に口をつけた。

 

「ふぅン……その反応を見るに、多少は違和感があったってところかな」

 

「ウマ娘……確かにそう言われれば、本当に僅かですが、違和感がなかった訳ではありませんわね……でも、そんな気になるのでしたらあの帽子を取って貰えば、それで済む話ではありませんの?」

 

「やろうとした事もあったさ、ただトレーナー君のガードは中々硬くてねえ。絶対に帽子は外さないし、こっそり帽子を取ろうとしてもすぐに気づかれてしまう」

 

「『こらこら、イタズラはいけないな?スカイクン』って跳ね除けられたんですよねぇ。まぁ、私はちょっときになるなー、っていう軽〜い感じでやったんですけど」

 

「そんな事してたんですか……よく、トレーナーさんに怒られませんでしたね……」

 

 カフェは割とこの疑惑に対してタキオンに付き合わされているだけなのか、言葉が少々呆れ気味だった。スカイも面白そうだから、というのが強そうであり、唯一真面目(?)に考察しているのはタキオンくらいのものだろう。

 

「それで……結局、私にそれを教えてどうしようと言うんですの?」

 

「よく聞いてくれた。私が聞きたいのは『メジロ家』なら、何か知っているんじゃないかという事さ。ここまで言えば分かるだろう?」

 

 マックイーンは発言の意味を考えた。

 タキオンは『メジロマックイーンなら』ではなく『メジロ家なら』と言ったのだ。マックイーンよりメジロ家の事に詳しい者など数えるくらいしかいないだろう。そして、その中で最もメジロ家に詳しい者と言えばただひとり。

 

「……分かりましたわ。ただ今日明日という訳にはまいりません。後日、こちらから連絡を取らせていただきますわね」

 

「おや、割とダメ元だったんだが……以外とすんなり引き受けてくれるんだね?」

 

「あの機宮さんが実はウマ娘かも知れない、だなんて言われて気にならないわけがありませんわ。私個人としても興味がありますので」

 

 そう胸に手を当てて話すマックイーンの姿はとてもお嬢様らしいもので、それを見たスカイが「おお〜」と少し興奮した様な声を上げる。

 

「何だか、密約って感じですね〜」

 

「……無闇に秘密を暴くのは、良くないと思いますけど……まぁ、私も多少は知りたいです……」

 

 4名の考えがまとまったところで、不意に部屋の外から軽やかな足音が聞こえて来た。全員の耳がピンと立ち、マックイーンは急いで元の場所に椅子とティーカップを戻すと、まるでさっきまで隣のテーブルの3名と話していました。と言った感じで「そういえば──」などと他愛もない話をし出した。

 残りの3名も昼寝をしたり、マックイーンと語らったり、紅茶をゆっくり飲んだりとそれぞれ普段らしい行動を取り繕った直後、機宮トレーナーが部屋に入って来たが、隣にはとあるウマ娘の姿もあった。

 

「はい、皆んな注目〜!前々から予定してたんだけど、今日からチーム・アダーラにまた新しいメンバーが加わるよ。一応、自己紹介を頼めるかい?」

 

「メ、メジロドーベルよ。よろしく……」

 

 たどたどしい挨拶をするメジロドーベル。

 今日メジロ家に招かれた理由はこのドーベルのスカウトというのが目的だったので、アダーラのメンバーもマックイーンも特に驚きはしていなかったが、僅かにマックイーンはドーベルに羨望の眼差しを向けていた。

 

 

ーーーー

 

 

「今回のスカウトの件、打診して下さり誠にありがとうございました」

 

 椅子に座る人物に珍しく敬語を使い、軽く一礼をしてみせる機宮トレーナー。両側の棚には天皇賞の盾を始めとした数々のトロフィーが飾られており、その1つ1つがメジロ家の栄光そのものである。

 

「その口調はやめて頂きたい……それに、今回のスカウトは貴方がマックイーンを通じてドーベルを引き抜いたのでしょう?」

 

「おや、何のことかな?貴女のところのドーベルが自発的にアダーラに参加したいと申し出て、それを貴女がボクに提案しただけ……幾らボクのチームのウマ娘が強いからって、考えすぎじゃないかい?」

 

 機宮トレーナーは、視線をショーケースの中の数多の盾に泳がせて「やっぱり、メジロ家って恐ろしいな……」などと呟きながら小さな部屋の中をゆっくりと歩き回る。木製の椅子に座ったメジロ家の当主は、それを受けても頑とした姿勢を崩さず、静かに口を開いた。

 

「私は、貴方が恐ろしい……貴方は一体、何に向かって進んでいるのです?」

 

「そりゃあ、勿論最高のレースのためさ。トレーナーなんだから、それを望まないわけがないだろう?」

 

 振り返って快活そうな笑顔を浮かべる機宮トレーナーだったが、艶やかな黒髪は夕陽に照らされこの世のものではない生き物の様な怪しげな影を形作っており、磨き上げられた黄水晶の様な瞳は何の感情も宿っていないかの様にただ無機質な輝きを放っていた。

 その噛み合っていない歯車の様な笑顔は、嗚咽感をもたらす様な違和感と不気味さがあった。

 

「ん?電話かな……それじゃ、ボクはこの辺で失礼させてもらうよ。ドーベルクンの事は責任を持って最高のウマ娘にしてみせるから、期待していて欲しいな」

 

 不意にポケットを弄った機宮トレーナーは、メジロ家の当主にそう言うと足早に部屋から出て行った。そして廊下を幾らか進んだところで、震えるスマホを取り出して画面をスワイプした。

 

「どうかしたのかい?……え、いやこれは仕方ないよ。それで?……なるほど。ふむ……」

 

 電話相手と何かしら話す機宮トレーナーにはもう、先程一瞬見せた違和感は無くなっていた。

 

 

──────────────────

 おまけ 〜ホーリックスと一緒に昼食を取ろうとがんばるオグリ〜

 

 

「ねぇねぇ、トレセン学園の7不思議って知ってる〜?」

 

「知ってる知ってる、確か真夜中のトレーナー寮で女の霊の声が聞こえるとか──」

 

「…………いないな」

 

「えへへ〜、久しぶりに会長とお昼が食べられるね〜」

 

「最近はドリームトロフィーの練習や生徒会の仕事が立て込んでしまっていたからな、テイオーには寂しい思いをさせてしまったな」

 

「ダイジョーブ!会長が忙しいのはボクが一番よく知ってるもん!それで、今日は会長は何を食べるのー?」

 

「何処だ…………?」

 

 機宮トレーナーとタキオン、カフェ、スカイががメジロ家にお邪魔している日の昼下がり、オグリはトレセンのカフェテリアで大量の料理を乗せたお盆を持ったまま、立ち尽くして周りをキョロキョロと見回していた。

 

 今回、オグリは機宮トレーナーに提案された『お昼たまたま同席して仲良くなろうプラン』を実行するため、いたく真剣な表情をしてカフェテリアにやって来ていた。あまりに集中していたため、芦毛の怪物だ……と近くのウマ娘をビビらせている事に、オグリは気が付いていなかった。

 

 大きめのお盆には、鉄板の上でジュウジュウと美味しそうな音を立てるにんじんハンバーグや、みずみずしい京野菜のサラダ、磯の香りが漂うあおさの味噌汁とほかほかの山盛り白米が乗せられており、オグリは近くの椅子に座ってそれをかっこみたい欲求に襲われたが、どうにかそれを我慢して転入生……ホーリックスの姿を探す。

 

「(居た!)」

 

 カフェテリアの角のテーブルで、ひとりで冷製パスタとフルーツサラダを食べている黒っぽい芦毛のウマ娘、ホーリックスの姿があった。早速オグリは近寄って相席しようとしたが、少し歩いてから重大な事実に気がついてしまった。

 

「(……何と、声をかければ良いのだろう)」

 

 今日のカフェテリアにはホーリックスの周り以外にも空席が幾つもある。何ならオグリのすぐ側にも空席があるので、これではたまたま相席という事にはならない。困った……とオグリが悩んでいる所にふと、小さくても目立つウマ娘の影が。

 

「ん?何やぁオグリ、そんな所に立ってたら邪魔になるでー?」

 

「タマ!良い所に来てくれた!」

 

「ちょお危なっ!?ウチのうどんが溢れるところやったやないかぁ!」

 

 お盆を持っていた事を忘れていたオグリは、そのまま背後から声をかけて来たタマモクロスの方に振り返ってしまい、危うくお盆同士がぶつかって料理が『飛散(悲惨)』になるところだったが、身長差とタマの咄嗟の回避によってそれは免れた。

 

「タマ!空いている席が沢山ある時に、他のウマ娘の隣に座るにはどうしたら良いんだ?教えてくれタマ!」

 

「律儀にお盆置いてからウチを揺さぶるなやぁぁぁ!うどん溢れるっちゅーねんんん!!」

 

 ピギャァァ!!という悲鳴が聞こえそうなタマの様子に、ハッとした顔でタマの肩を掴んで揺さぶるのをやめたオグリは、再びお盆を持ってタマに向き直った。

 

「あっ、すまないタマ……実は」

 

「あ、ちょお待った!今何を言おかとしたか当てて見せるわ……あの外国から来たっちゅう別嬪さんと仲良ぅなりたいんやろ?」

 

「!?どうして分かるんだ、タマ!?」

 

「当たり前やろ。オグリは自覚してないかもやけどな、普段からあの子の方ばっかずーっと見とるの結構皆んなにバレバレやで?今だって、後ろが見たくてソワソワしとるやないか」

 

 うっ、と自らの行動を省みるオグリ。確かに授業中とか、昼休みとかつい視線を送っていたかも知れないし、今はあの子が食事を終えてしまうのではないかと気が気じゃなかった。

 タマは「はぁ〜初心(うぶ)やなぁ」と言いながら楽しそうに肩をすくめた。

 

「よっし!ならウチに任しとき!オグリ、行くで!」

 

「あ、待って欲しい……!まだ心の準備が……」

 

「何言ってんねん!そんなんじゃ、いつまで経ってもお近づきになんてなれないで?」

 

 ズンズンと小さい身体ながら堂々とホーリックスの元に向かうタマとは対照的に、ちょっとオドオドしながら少しずつ歩き、遅れそうになってから少し早歩きで近づき……をオグリは繰り返していた。

 やがて先にたどり着いたタマがガンッ!と、どんぶりが音を立てるくらい強くテーブルにお盆を置くとホーリックスは食事の手を止め、耳を後ろに倒してジト目でタマを見上げた。

 

「……僕に何か用?」

 

「いやぁ、ウチら同じクラスやろ?アンタの事よく知らんし、少し話してみたくなってな。ほら、オグリも座ったらどうや?」

 

「あ、あぁ……」

 

 転入初日はセミロングだったホーリックスの黒っぽい芦毛が、今日はミディアムくらいに切り揃えられていたが、少しボサボサした感じは変わっていなかった。

 タマが気を利かせてオグリがホーリックスと向かい合う様に誘導したため、オグリは意中の相手と正面から対面することとなり、思わず目を逸らしてしまっている。

 

「……それで、何?また自己紹介しなきゃダメか?」

 

「いいや大丈夫やで。寧ろ、こっちがせなあかんな。ウチはタマモクロスっちゅうもんや。で、こっちが……」

 

「…………」

 

 話を振られた事に気づかないオグリに、テーブルの下でこっそりとタマがオグリを小突く。オグリはつい「……何だ?タマ」と言いそうになってしまったが、すんでの所でそれを飲み込んで「あっ……オグリキャップだ、よろしく頼む」とちょっとぎこちない挨拶をした。

 

「タマモクロスに……オグリキャップね、まぁ、有名だから覚えてたけど。一応、ライバルって事なのか」

 

「ライバル?あっ、アンタ春天に出るんか?」

 

 ホーリックスが黒っぽいので分かりにくいが、いつもの芦毛コンビは芦毛トリオになっていた。ホーリックスはフルーツサラダの果物を摘みながら話す。

 

「まぁね……出走理由は、資格があるからって言うくらいだけど。あぁ、それとオグリキャップ、お前はあのトレーナーの担当だから、それもあるな……でも」

 

 急に名前を呼ばれ、内心ドキリとするオグリ。しかしホーリックスから向けられたのは、失望の入り混じった氷の様に冷たい瞳だった。

 

「お前、本当に芦毛の怪物なのか?さっきからオドオドして……勝つ気、ある?」

 

「っ……!?」

 

「おいアンタ……」

 

「それじゃ」

 

 タマが何か言い返す前に、ホーリックスはさっさと席から立ち上がると食器を返却口に持っていってしまった。

 

「嫌われて、しまった……なあタマ、今の私は……そんなに、弱そうに見えるのか……?」

 

 動揺が抑えられないかの様に、途切れ途切れで細々とタマの方に顔を向けるオグリ。タマは「せやなぁ……」と腕組みをしてから、オグリに言い聞かせる様に語り始めた。

 

「アイツもちょっとばかり強い言葉やったけど……確かに、さっきアイツと話しとった時のオグリはめっちゃ情けへんかったで。なぁオグリ、そんなんでレース大丈夫なんか?」

 

 親友であり、ライバルであるタマから「しゃきっとせえ!」と怒られるのを過ぎて心配される程、今の自分がナヨナヨしている事を察してしまったオグリは、目の前の料理もあまり魅力的には見えなくなっていた。

 




もう忘れていると思いますが、#2でマックイーンが機宮トレーナーに頼まれていた例の件が、ドーベルのチーム・アダーラ加入です。


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#9 凍えるInviolable


投票ありがとうございます!
やはり、『機宮トレーナーのウマ娘疑惑と真実』が一番多い様ですね……改善せねば。

因みに、1話以外全ての話などに機宮トレーナーの真名と正体を仄めかす伏線が仕込まれています。


 

 

『唯一無二、一帖の盾をかけた熱き戦い!最長距離G1、天皇賞(春)!連日の快晴により、絶好の良バ場となりました!』

 

「さて、お手並みを拝見させて貰おうかしら」

 

 実況の声が観客席全体に響き渡る中、そんな実況の声もやや小さく聞こえる、京都レース場の最上階のVIPルームと書かれた豪勢な部屋で、レース場全体を見下ろしながらURA理事長がそう呟く。

 

「失礼します姉様、トレヴです」

 

「あら?こんな所に来てどうしたの?」

 

 ノックの後そんなやりとりが行われ、VIPルームの扉が開くと、そこにはトレセン学園の学生服に身を包んだオレンジ髪のウマ娘……トレヴの姿があった。右手にはいつも持ち歩いているのか、十字のマークが描かれた聖書を携えている。

 

「いえ。特に要件というわけではありませんが……そうですね、久しぶりに"姉様の"顔が見たくなったもので。丁度教務も済みましたので、ご一緒しても構いませんか?」

 

「そう、ならもっとこっちに来ると良いわ。ここは特等席だから、レースの様子が一望出来るわよ?」

 

 広いVIPルームの窓から見えるレース場では丁度、パドックに各ウマ娘がちらほらとゲートインし始めているのが見えた。理事長はトレヴを一瞥した後、ゲートの方に射抜くかの様な鋭い視線を向けた。

 

『一番人気は大阪杯を制した『芦毛の怪物』こと、オグリキャップ。二番人気となりましたが引けは取りません、ここまで無敗のステイヤー『漆黒の摩天楼』マンハッタンカフェ。三番人気は長期休暇からの復帰戦となります、『白い稲妻』タマモクロス……そして、海の向こうからやって来た注目のウマ娘!6番人気、ホーリックス──』

 

『最近日本に引っ越して来たばかりだそうです、日本の芝のコースで実力を発揮できるでしょうか?オグリキャップとタマモクロスとの芦毛対決にも注目したいですね』

 

「姉様は、本当にレースが好きなのですね……私には、少し面白さが分かりかねます。もちろん、必要な事だと分かってはいるのですが……」

 

 理事長の近くに寄って何となくレース場を眺めるトレヴがポツリとそう溢す。理事長は視線をゲートに向けたまま「そうね、貴方はあまりレースを見た事がないものね」と呟き、更に続けた。

 

「私は今まで何度もレースを見て来たけど……予想外の着順のレースもあったわね、私はそんなレースが好きなの。貴方はそう思わないのかしら?」

 

 そう言う理事長はホーリックスの事を、ただじっと見据えていた。

 

「でもまぁ……"今回は"誰が勝つなんて最初から決まっているようなものだけどね」

 

 

ーーーー

 

 

「ふーっ……」

 

 ゲートに入る前に、深く深呼吸をする。

 

 今回のレースはG1最長距離……つまりまぁ凄く距離の長いレースだ。元より私の得意な距離はマイルなので、かなり厳しい戦いになるだろうが、それは元々長距離が得意なウマ娘とて同じ事だろう。得意だからと言ってキツイのに変わりはない……そんな事を確かトレーナーが言っていた気がする。

 

 今回は運良く1枠での出走になったから、最短ルートで走れるはずだ。同じチームのカフェは6枠、タマは3枠、そして……あの子、ホーリックスは一番大外の8枠の出走だった。

 

「っ……」

 

 ダメだな……レースはもう始まるというのに、あの子の事を考えるとこの前の失望の視線や自分の気持ちを思い出して、心が落ち着かない。

 

 つい視線がホーリックスの方に行ってしまう。彼女の勝負服は全身をピッチリと覆った艶消しのされた黒に近い紺色の……あれは服なのか!?身体のラインが強調されすぎではないだろうか……確か『ライダースーツ』というものだった様な……。

 一応、腰から下にはライダースーツの延長の様な形で内側が青いマントの様な布があるにはあるが、切れ込みが深いので見る角度によっては、臀部からつま先にかけての脚のラインが丸見えだ。

 

 その上に世界史の教科書で見た事がある西洋の小手や、肩鎧、太もも中程くらいまでの具足……なんちゃらアーマーだっただろうか。ライダースーツよりは少し灰色に近い色の鎧を部分的に着ている姿は、お姫様(シンデレラ)というよりそれを守る騎士(ナイツ)の様な凛々しさがある。

 

「(そろそろゲートインしないとな……)」

 

 周りを見れば、皆んなが段々とゲートに入っている最中だった。私はなるべくあの子を視界に入れない様にしてゲートの中に入った。

 

『ゲートイン完了、出走の準備が整いました』

 

 狭く静かなゲートの中に入ると、流石に集中せざるを得なくなる。大丈夫だ……長距離のトレーニングは沢山して来たのだから、いつもの私らしい走りをすれば勝てる。意中の相手が居て集中できない、などという理由でトレーナーの期待を裏切る様な真似はしたくないからな。

 

『ゲートが開き各ウマ娘スタート!おっと!ホーリックス!ホーリックス出遅れた!大外からのスタートでこれは痛い!』

 

『考え事をしていたのでしょうか、何処となく上の空といった感じでしたね』

 

「(何っ……!?)」

 

 一瞬遠くから聞こえた実況に気を取られそうになるが、無視して集団の3〜5番目あたりに着こうと抜け道を探す。よし、ここから抜ければ良い位置に着けそうだ。

 

『第3コーナー初めに抜けたのはこのウマ娘、マインゴーシュ、差がなくセイブザクイーン、ここから3バ身開いてチェインフレイル、内に2番オグリキャップ、中団に控えてレッドジャケット追走、その集団を伺う様に1バ身離れて4番マンハッタンカフェ、差がなく5番タマモクロスと続いています──』

 

『シンガリは大きく遅れて6番ホーリックス、出遅れがかなり響いている様ですが、最後まで分かりませんよ』

 

 4番手の位置につき、なるべく冷静に前方の様子を窺う。このレースは今までの私が体験したどんなレースより長い、なるべくコースの内につけて体力の消費を抑えるのが懸命だろう。

 

 勝負は最後の直線だ、私の得意な直線で加速して一気に決める。この位置を維持し続けるためにはコーナーで失速などできないが、トレーナーと何度もコーナーの練習はして来た。

 スピードを落とさずに内側ギリギリを攻め、体力のロスを最小限に抑えた。

 

『1周目、第4コーナーを通過し直線に入ります。縦長の展開となり、依然としてマインゴーシュ先頭のまま落ち着きました。前半1000m、やや平均より速めのペースでゴール板前を通過し、オグリキャップ4番手、マンハッタンカフェは6番手に控えたまま、第1コーナーに向かっていきます……』

 

 実況も段々と聞こえなくなってくる、私が良い感じに集中している証だ……と、言い聞かせながら余力を残せるように全力は出さず、いつでも仕掛けられる体制を整えておく。

 

 第2コーナーを曲がり、再び直線に差し掛かると、前方のウマ娘が失速して落ちて来たためか段々とバ群が固まって来た。これに飲まれては不味い、チラッと外側を見れば一瞬大外を回る事になりそうだが抜けられる隙間があった。

 

 ここを抜けて3番手の位置についておけば、最後に抜け出す必要がなくなる。段々と長距離レースの疲れが溜まって来た頭ではそんな事を考えるのがやっとだったが、悪くない手だと思った。

 

 だが、私が一瞬大外に出ようと思った瞬間、沢山の脚音が響く中でも判別出来る規則的な脚音と共に、視界の左端に紺色の何かが写り込んだ。

 

「っ……!!?」

 

『後方から動いたホーリックスが、中団外めから更に前を狙っているぞ!坂に差し掛かる前にホーリックスが仕掛けた!!』

 

 一瞬映り込んだものに集中を乱され、実況の声が嫌というほど聞こえてくる。視界に映り込んだのはホーリックスだった、私が外に出ようとした瞬間、大外を回りながら先頭目掛けて飛び出して来たのだ。

 

『ホーリックス!大外を駆け抜け、早くも5番手から4番手に上がってきました!下り坂に差し掛かり、脚を貯めていたマンハッタンカフェとタマモクロスも徐々に順位を上げてきたぞ!』

 

 先頭を目掛けて横を通っていく彼女の、一瞬見えた横顔はとても涼しげだった、きっとまだまだ余力を残している……そう思った私は急いでバ群から抜けだし、彼女を追走した。

 

『第4コーナー600を通過!ホーリックス仕掛けて前に行きました!そして外からはマンハッタンカフェとタマモクロスが競り合いながら上がってくる!第4コーナーから直線に向けてホーリックスが先頭で上がってきた!外からは、オグリキャップが追い上げてくる!』

 

 最後の直線で彼女は更に加速していく……まだだ……まだ……残り200!ここだ!!!

 

「(見ていてくれ……これが……!私の……!!全力だ!!!)」

 

 今まで溜めてきた脚を解放し、一気に加速して彼女の背に迫る。後方からは2種類の聞き慣れた足音が近づいてきているのが分かった、カフェとタマが段々と距離を詰めてきているのだ。

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 彼女の背が近づき、横に並びかける。長距離レースというのもあって一歩踏み出す度に脚が千切れてしまいそうなほどの痛みが襲う。叫びながら更にペースを上げ、あと少しで彼女を追い抜ける!そう思った瞬間、こちらを一瞥した彼女の青い瞳と目が合った……気がした。

 

ーーーー

 

 

「何だ……ここは?」

 

 気がつくとそこは、地面が一面青い氷に覆われた海だった。ヒュオオオ……という風の音が聞こえ、うっすら積もった雪が舞い上がると同時に、真横を何者かが駆けていく。

 

「(あの子……?)」

 

 特徴的な勝負服はどうもホーリックスの様だった。様だった、というのは彼女は更にフルフェイスのヘルメットの様な兜を被っており、顔が全く見えないからだ。

 

 そして少し離れたところで彼女は立ち止まるとこちらに身体を向け、不意に左胸に手を当てると彼女の身長より大きい、触れば身も心も凍てついてしまいそうな、半分凍りついた大剣を取り出し、片手で軽々と担いだ。

 

「心の底まで……凍りつけ!」

 

 そう言い放ち、大剣を振りかぶるホーリックス。周囲の冷気が大剣に集まっていくと同時に、どんどん自身の身体が冷えていく様な感じがした。

 

 身の危険を感じてその場から離れようとしても脚が動かない、凍り付いている……のか!?

 

 そして、彼女が大剣を上から勢いよく斜めに振り下ろすと、突然激しい吹雪が彼女の方から吹き付けて私の身体がみるみるうちに青い氷に覆われていった。氷の中で最後に見えたのは──

 

「──温かさなんて、もう要らない……」

 

 兜を脱いだ彼女の、寂しそうな眼差しだった。

 

 

ーーーー

 

 

「……はっ!?」

 

 気づけば、周りには沢山のウマ娘が居た。しかし、皆んなゆっくりとしたペースで走っている。

 

「レース……は終わった、のか?」

 

 私自身息が上がっているが、ゴール版を走り抜けた記憶がない。そればかりか最後の200mを過ぎたあたりから、変なイメージを見ていた様な……アレは一体何だったんだ?

 掲示板を見ると、既に順位が発表されていた。私の順位は──

 

「6、4、5、2……?」

 

『やりました!ホーリックス!!後半からのロングスパートで、他を寄せ付けない圧倒的な走りを見せたホーリックスが天皇賞春を制しました!2着にはマンハッタンカフェ!3着はタマモクロス!』

 

 4着。掲示板は捉えたが、今までのレース結果を考えれば遥かに低い順位だった……どうしてだ?あのまま走れば、いつもなら絶対追い越せたはずなのに。

 

「そうだ、早すぎたんだ……」

 

 彼女が横を通った時、元々私は順位を1つあげるだけのつもりだった。だが、彼女の走りを見た私は釣られるように仕掛けてしまった。それがいけなかったんだ。

 

 彼女は最後尾からスタートしていたし、横を通り過ぎた時もまだまだ余裕がある感じだった。それと、ずっとバ群の前の方を走っていた私とが同じ場所からロングスパートをかければ、スタミナの残り的に追いつけなくて当然だ。

 

「ワァァァァァァァァ!!!!」

 

 歓声が上がる。振り返ってみるとあの子、ホーリックスがウイナーズサークルの真ん中に立っていた。観客には半身を向ける様にして、あのイメージの中で見た兜を被って表情を隠している。その姿はとても、とても──美しかった。

 

「(すまない……トレーナー……)」

 

 今日、トレーナーはどうしても手が離せない仕事があるらしくこの京都レース場には来ていない。だがトレセン学園でテレビか何かで見ているはずだ。そして、ひどく落胆している事だろう。

 

 トレーナーは私を信じて、レースに影響があるかも知れない私の恋を応援すると言ってくれた。風紀に厳しいチームなら『キッパリ諦めろ』と言われても不思議じゃないのに、だ。

 

 それにも関わらず、その恋のせいで集中をかいてレースに負けたなどトレーナーの信頼と優しさ裏切る行為に他ならない。

 

「(私は……なんて、事を……)」

 

 1着を逃した以上に、自分の情けなさに涙が溢れそうになる。こんな感覚は久しぶりだった。

 

 

ーーーー

 

 

「あらあら、オグリキャップったら。レースで泣くなんて珍しいわね。よっぽど悔しかったのかしら……」

 

 VIPルームの窓からオグリキャップを眺めているURA理事長が本当に心配そうに、だが何処か上部だけの様なものも感じさせる口調でそう呟いた。

 

「姉様の予想通り、ヘキ……いえ、ホーリックスが勝ちましたね。なるほど、これがレースというものですか……」

 

「どう?少しは興味が湧いたかしら?」

 

「そうですね……少なくとも、データで知っていたレースとは違って今のレースは何か……胸の辺りが熱くなる様な感覚がしました。例えるなら、天から啓示を授かった時の様な高揚感に似ているかも知れません」

 

「(その例えは貴方くらいしか理解できないわよ……?)」

 

 トレヴは彼女なりに真剣に感想を話しているのだが、正直理事長はピンときていなさそうだった。だが理事長は顔色一つ変えずにしているため、トレヴがそれに気づく事はなかった。

 

「さて、そろそろ引き上げるわよ。貴方はそうね……怪しまれるといけないから、少し後に出てくると良いわ」

 

「承知しました、姉様」

 

 理事長は腕時計やスマホで時間を確認するでもなく、そう言うと窓から離れた。だが、部屋から出る支度をする最中、何かに気付いた様にトレヴの方に向き直った。

 

「あぁそうそう。来週からトレセンに"USC"が入ることになったのから、一応伝えておくわね。最近、URAの規定をちょっと変えたの」

 

「"USC"というと……あの?」

 

「そうよ。そろそろ本格的に計画に取り掛からないとね、目が多いに越した事はないわ。それと医療面でも支援が必要そうだから、後々"彼女"も派遣するわね」

 

 帽子の角度を「何か違うわね……」と言いながら調整する理事長。そしてあらかた身の回りの物をまとめた後、部屋を出る前に今一度トレヴの方見ていたく自然で、柔らかな笑顔を浮かべてこう言った。

 

「学園生活、貴方も楽しんでね?」

 

 

ーーーーーー

 

 

「いや〜、今日も大変だったなあ……」

 

『機宮さん、そろそろエネルギー補給の時間。自分での補給が難しいなら、私が補給させる事も出来る』

 

「あー……いや、ストローだけ持ってきてくれるかい?」

 

 夜、トレーナー寮の自室に戻ってきた機宮トレーナーは肩に乗せたAIのペンタにそう言い、おもむろに膝下くらいまでの大きさの冷蔵庫の中を探り始めた。

 中に入っている食品や飲み物を退けて冷蔵庫の奥にあった取っ手を引くと、何と突き当たりの部分の板が外れた。機宮トレーナーはその板の裏に隠されていた、透明な液体の入った白いラベルに緑色で少し英語とは違う文字が書かれている酒瓶を取り出すと、板を元の位置に嵌め込んで中身も元あった様に戻した。

 

『ストローを持ってきた。どうぞ』

 

「助かるよ〜ペンタ」

 

 レンズのついた蜘蛛の様な見た目のペンタは、テーブルの上で沢山ある脚を器用使って一本のストローを抱えていた。機宮トレーナーは酒瓶の蓋を開けて、ペンタから受け取ったストローをそれに刺した。

 そして、机の上でタブレットPCを広げるとその酒瓶の内容物を「やっぱり苦い……」と言いながら何でもないかの様に吸い始めた。

 

『機宮さん、帽子に何かついているけど……花びらかしら?』

 

「え?どれどれ……」

 

 機宮トレーナーがいつも被っている白のカウボーイハットをひょいっと取った。すると、頭の上に機宮トレーナーの黒髪と同じ色をした少し大きめの"ウマ耳"が現れた。

 

「ふむ……枝垂れ桜の花弁かな?まだ散りきってなかったし、どっかで付けてきちゃったのか」

 

 そう呟く機宮トレーナーの黒いウマ耳はピンと立ったままで、動きこそなかったが威厳に溢れている様に見えた。

 

 やがて帽子についていた花弁を取り去った機宮トレーナーは、自身の耳を後ろに倒して器用に帽子の中に収納すると、また酒瓶の中身をストローで吸いながら、タブレットPCのキーボードを踊る様に軽やかな手つきで叩き始めたのだった。

 





感想・評価お待ちしております。割とマジでモチベが違いますので……。

【設定】
ホーリックス
名称   『ゼータナイツ』

固有スキル『Frozen Heart』
・最終直線で競り合いになると、近くのウマ娘の速度を下げ、自身の速度がすごく上がる。


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#10 鋼のJealousy-first part-


評価ありがとうございます!

#3のオグリの英語認識は、流石に見かねた機宮トレーナーが教えたということで……(更新されたシングレ第52Rを見つつ)

ちょっと長くなりそうなので前後編に分けました。


「ほんにゃらもんにゃら〜!シラオキ様、今日も私に福を授けて下さい!かしこみかしこみ〜……」

 

 トレセン学園の敷地に入るや否や、スマホを開いて占いアプリを立ち上げるマチカネフクキタル。謎の呪文を何度も何度も唱えて、意を決したように画面をタップしたフクキタルだったが、すぐに顔面が蒼白になった。

 

「──えっ、き、きょ、きょ……」

 

 占い結果に夢中になるフクキタルは、自身に迫る怪しい影に気付かなかった。

 

 

ーーーー

 

「USC?」

 

 朝のHRが始まる前のブレイクタイム。自室のソファでゆったりしながらマグカップを傾けていた機宮トレーナーは、隣に座っているルドルフにそう尋ね返した。肩にはAIのペンタも一緒である。

 

『USC……確か、"Uma-musume Security Company"の略称だったはず』

 

「そうだ。そのUSCの警備員を、新たにトレセン学園で雇う事になったんだ」

 

「しかし、何でまた?そりゃあ、今まで警備員なんていなかったけどさ」

 

「私も秋川理事長から伝えられただけだから、詳細は良く分からないのだが……"全てのトレセン学園には、最低ひとり以上のウマ娘の警備員を置くこと"という、URAの新しい規定が出来たのが理由らしいな」

 

 ここ、中央のトレセン学園内があまりにも平和的かつ緩い空気が流れているせいで分かりにくいのだが"ウマ娘"というのは色々と問題になりやすい存在だ。

 

 全員容姿端麗であるが故に色にまつわるトラブルに巻き込まれる、もしくは引き起こす事もあるし、日本は銃規制が厳しいので起こり辛いが、外国では武装した集団が誘拐目的で学園に侵入した事もある。

 

 そもそも、誘拐とかそんな飛躍した話にならずとも、取材に来た大量のマスコミの対応に手を焼いたり、学園の外に怪しげなカメラマンが待ち構えていたりする事は珍しくない。中央のトレセン学園は有名ウマ娘が多数在籍する施設だからだ。

 

 さらに、もし生徒間で乱闘騒ぎになったとしても力の差があり過ぎて、管理する側である筈の教職員は逃げ隠れるしかないのだ。現在、ウマ娘の教職員はトレセン学園には1人もいない。らしい。

 

 結局、ウマ娘が絡むトラブルが起きた時は教職員含めて生徒会のメンバーに連絡して仲裁、もしくは鎮圧してもらう他ないのだが、生徒会のメンバーもあくまでトレセン学園に通う生徒。学園の治安や管理を担うのは、本来教職員の役目だ。

 

 そこで、警備員の話に戻る。

 

 警備員という仕事を置けば、上記の問題は全て解決する上に、生徒会のメンバーでは監視し辛い夜間も目を光らせる事が出来る。ただ、警備員は既存の教職員から選出しても全員ヒトである以上現状とあんまり変化がないので、外部からヒトではない、ウマ娘の警備員を雇う必要があるという訳だ。

 

「ふーん……まあ、ひと昔はトレセン学園も結構荒れてたらしいからね。ところでルナ?」

 

「何だい?トレーナー君」

 

「尻尾がこう、ボクの膝に乗っかってるんだけど?」

 

 機宮トレーナーの片方の膝に絡みついているルドルフのサラサラとした油気のない尻尾は、時折何かを催促するかの様に波打ち、艶やかな毛が膝枕をされているように広がっている。

 

「乗っかっている、ではなく乗せているのさ。最近、君は少々他のウマ娘ばかりにかまけ過ぎではないかと思っているんだ。もちろん、私の理想は全てのウマ娘が幸福に生きられる世界の実現だから、君が手広く他のウマ娘のサポートをしているのは良いことだ。ただ、君の一番の愛バは私だろう?私も、君は最高のトレーナーであり、共に夢へと歩むパートナーだと思っているんだよ。そうだというのに、こうも放って置かれると少し寂しさを感じてしまうのは致し方ない事だとは思わなかったのかな?それから──」

 

『なるほど、これが修羅バ……』

 

「これはラーニングしなくて良いよペンタ……分かったよ、頭ポンポンしてあげるから。それで機嫌を治してくれるかい?"ルナ"?」

 

 機宮トレーナーの提案に、はいともいいえとも言わず、黙って目を閉じると身体をピッタリくっ付けて頭を擦り寄せてくるルドルフ。

「参ったなあ〜……」と機宮トレーナーが呟き、ルドルフの特徴的な三日月のある髪にそっと手を置こうとした瞬間、部屋のスピーカーから少し焦っているような放送が聞こえて来た。

 

「放送での緊急の集会を行います。生徒のみなさんは、HRのように速やかに自身の席のある教室に集合してください。また、教職員及びトレーナーの皆さんも、近くの部屋に入るようお願いします。繰り返します──」

 

 顔を見合わせるルドルフと機宮トレーナー。今日は新しく来る警備員を紹介するため、そもそもこの後生徒全員の集会があるはずなのだ。何かあったとしてもその場で話せば良いのだから、それを差し置く緊急の集会なんてあるはずがない。

 

 察しのいいふたり、特に非常時のマニュアルをよく知っているルドルフはすぐにこの放送が、集会をする時のものでない事に気が付いた。

 

「──トレーナー君」

 

「ああ、分かっているさ。恐らくキミの考えている事態が起こったんだろう……よし、少し様子を見てくるとしよう」

 

「それはダメだ、君はここに居てくれ。私はマニュアルに従って生徒会室に行かなくてはならないから、君の側には居られないんだ」

 

「腕には自信がある、心配には及ばないさ。さっきキミも言っただろう?ボクの愛バの事を放っては置けないよ」

 

「っ、そういう話じゃない!!万が一の事があったらどうするんだ!君は"ヒト"だろう!」

 

 先程の湿っぽさとは打って変わって真剣な様子のルドルフに対し、機宮トレーナーの方は全く危機感などない様に見えた。

 良く言えば冷静だと言えるのだろうが、悪く言えば"全く分かっていない"と言う事だ。

 

「……仕方ない、ならボクはここに残るよ。ただ、このペンタだけは連れて行って欲しい。この子を通じて通話もできるし、ボクの目にもなってくれるからね」

 

『貴方の邪魔はしない。出来ることがあるなら、全力でサポートする』

 

「……分かった。だがトレーナー君、絶対この部屋からは出ないでくれ。もし知らない者が来たら、すぐ私に知らせるんだ。いいね?」

 

 そう言ってルドルフはトレーナーの部屋を飛び出した。さっきの放送、あれは何か非常事態を分かる者にだけ伝える時のものだ。地震?全く揺れてなどいない。火災?だったらベルが鳴る。水害?ここ数日雨など降っていない。

 

 そもそも、自然災害ならわざわざ生徒に隠す必要がない。あの放送はじん災、つまり学園内に不審者が侵入した時のものなのだ。

 

 

ーーーー

 

 

「は、ぁぁ……ぁぁ……」

 

「…………そのまま、ゆっくり歩け」

 

 トレセン学園の正門前。

 マチカネフクキタルは覆面を被った黒ずくめの集団の中のひとりの男に、首元にコンバットナイフをピッタリと添えられていた。

 

 黒ずくめの集団は近隣の街の宝石店でジュエリーを盗み出した強盗犯だった。だが、逃げている最中に巡回中の警官に見つかってしまい、やむなく近くのトレセン学園に侵入すると、適当なウマ娘をウマ質に取ったのだ。

 

「下手な真似はしな……するなよ?暴れれば……バン!」

 

「ひっ……」

 

 黒ずくめのひとりが指で銃を作ってそれをフクキタルの頭に向けると、耳元でそう戯けた様子で言って見せる。

 

 いくら追い詰められたとは言え、力では敵わないウマ娘の沢山居る学園に突っ込むなんて、警察署に突撃した方がまだ良いんじゃないのか?と思うかも知れないが、彼らはベレッタM92の様な拳銃や、M16自動小銃などの武装をしていた。

 ウマ娘は脚も早く力も強くとも、打たれ強さは人間とあまり変わらない。つまり、ウマ娘はタマより弱いのだ。

 

「あれ何……?」

 

「嘘……ニセモノだよね?」

 

「危険です!離れて下さい!」

 

 教室の近くに居なかったウマ娘や、登校前のウマ娘たちがその黒ずくめを遠巻きに眺めている。トレセン学園の表には既に沢山のパトカーが集まりつつあるが、ウマ質を取られていては無闇に手出しが出来ないようだった。

 

「近づくんじゃねえ!!」

 

 黒ずくめのひとりがそう言うと、手持ちの銃をパトカーや近づこうとしていたウマ娘に向かって乱射する。

 

「この学園のトップは誰だ!出てこい!!出てこないと、コイツの脚をぶち抜くぞ!」

 

 幸い誰に当たったわけでもない様だが、先程からその黒ずくめに捕まっているフクキタルはその怒号に「ひぃあぁ……ぁぁぁ……!」と言いながら、ガタガタと震えている。

 

「……生徒会長のシンボリルドルフです。今、この学園に理事長は居ません。今は私が、この学園のトップに立つ者です、話を聞きましょう」

 

「なっ!おい、君!」

 

 若そうな警官がルドルフを止めるも、ルドルフはひとり黒ずくめに近づいていく。数多の銃口がルドルフに向けられ、凄まじい重圧感を与えてくるが、ルドルフの方も言葉こそ丁寧だったがもの凄い威圧感を放っている。

 そして、ペンタはバレない様にコッソリとルドルフの背中側に張り付き、カメラで黒ずくめの集団の姿を映していた。

 

「っ……そ、そこで止まれ!!俺たちの要件は1つだ、この学園にはヘリがあったな?それを寄越せ、今すぐにだ!コイツがどうなっても良いって言うなら、断っても良いがな」

 

「(どうか、どうか私を助けて下さい……シラオキ様……!!)」

 

 主犯格と見られる男がそうルドルフに脅す様な取引を持ちかける中、フクキタルは泣きそうになりながら目を閉じて必死に祈っていた。

 

 フクキタルは自身の幸運が全て、この黒ずくめに食い荒らされている様な気がして窒息しそうになる程の恐怖を感じていた。死にたくない、まだレースに出たい、だってあのウマ娘の期待に応えたいから。

 フクキタルの脳裏に浮かぶ、尊敬するウマ娘。脚が遅くていじめられていた私をいつも助けてくれたくれた、もう死んじゃった私の──

 

「(助けて……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "お姉ちゃん"……っ……!)」

 

「っがぁ……!」

 

「え?」

 

 パシュ、という音と共にフクキタルにナイフを当てていた男が呻き声を上げながら崩れ落ちる、そして周りが反応するよりも早く、何者かが黒ずくめの集団とフクキタルの間に立ち塞がった。

 

 こちらに背中向けている者を見て、フクキタルは一瞬だけ黒ずくめの仲間かと思った。黒色のオーバーコートを羽織っていたからだ、だが黒ずくめの集団はこの者の出現に明らかに動揺している。そして、こちらに一瞬顔を向けたその者の腰まで伸びた髪の色を見た時、フクキタルの脳裏に浮かんでいたウマ娘と姿が重なった。

 

「(お姉、ちゃん……?)」

 

 ──栗毛の髪。自身と同じ髪色をしたその者は、いじめっ子から庇ってくれていた時の姉の姿と同じ立ち姿で、こちらに目を向けていた。

 

 ────

 

 

「伏せろ!!」

 

 ウマ娘かヒトかも分からない軍服を着た謎の女は、テーザー銃を一発撃ち込んで突如黒ずくめの集団の前に躍り出ると、この場にいる者全てに聞こえる様にそう叫んだ。交渉をしていた私も、その女の必死の叫びに考えるより早く身体が動き、地面に這いつくばる。

 

「舐めやがっ、ぐがっ!?」

 

 怒気を含んだ声を上げ、黒ずくめのひとりがその女に向かって拳銃を突きつけ有無を言わさず発砲したが、それより早くその女はしゃがんで前転して弾を避けながら距離を詰めると、顎にアッパーを喰らわせて一撃でぶちのめした。

 

「この、ぃぎゃぁぁぁぁぁ!!?」

 

 自動小銃を持っていた黒ずくめがその女の方を見た途端、パキキュン!という短い音が何度も聞こえたと思うと顔を押さえて悶えながら倒れた。

 女の方を見れば腰のホルスターから既にリボルバー式拳銃の様なものを抜いており、銃口が倒れた男の方に向いている。恐ろしい反射神経だ。

 

「あがっ、ぐぉぇぇ……」

 

 ナイフを持った男が女に突進して襲いかかってくるも女は簡単にそれを躱し、逆にナイフを持った手を掴んで捻りあげてナイフを落とさせると、片手で首を絞めなながら軽々と男の体を持ち上げた。

 そして近くの木に投げ飛ばして叩きつけると、なおも立ちあがろうとした男の顔面に、またリボルバー式拳銃の弾を素早く何発も喰らわせ、男は完全に伸びた。出血はない、どうも黒ずくめとは違って実物の拳銃ではないようだ。

 

「動くな!!」

 

 そう言って女に銃口を向けた男との距離は近い。伏せながら機会を伺っていた私はこっそりと上体を起こし、何度もトレーニングをして完璧なものにしたスタートダッシュの勢いのままタックルを喰らわせ、男を地面に倒して気絶させた。

 

「ほお、中々やるじゃないか」

 

 栗毛の女はそう言って倒れたこちらに手を差し伸べてくる。その女は先程まで戦っていた者には見えないほど、自然な笑みを浮かべていた。

 

ーーーー

 

『っ……』

 

「どうしたんだい?ペンタ?」

 

 自室からさっさと抜け出すと、校舎の屋上のへりに腰掛けて一連の出来事を上から見物していた機宮トレーナーは、ルドルフに託したものとはまた違う、傍に侍らせていたペンタの様子が気になっている様だった。

 

『……分からない。でも、あの人たちを見ていると、何だか凄く嫌な感じがする。何故だろう』

 

 監視カメラに足が生えた様な奇怪な機械のペンタだが、声自体はとても落ち着いた女性の声だ。そんな声で、ペンタは淡々と今自身が思っていることを口にしていく。

 

「ふーむ、君の"ウマソウル"のせいかもね。銃器、集団、黒づくめ……関係があるならテロ組織か?でも……いや、金が絡むからあり得ない話じゃないか……」

 

 ぶつぶつキーワードを呟く機宮トレーナー。彼女の下では先程の黒づくめが警察に捕まり、黒のオーバーコートの女とルドルフが複数人の警官に囲まれて色々質問されている様だった。

 特に、銃器のようなものを持ち歩いていた方の女は特に警官が集まってしまっている。

 

「これはまた難題だなあ、後で連絡して何かなかったか調べて貰おうとしよう」

 

 そう言って、機宮トレーナーは自身の指輪を抜けるような五月晴れの空に翳した。9つの指輪の中でも、今は右手の小指に嵌められた雪の結晶を模した水色の指輪が一際大きく煌めいていた。

 

「あと、奴らの身元も洗っておかないと」

 



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#11 鋼のJealousy-latter part-

無意識で爆弾を作って起爆させる主人公
お待たせしました。


 ──以上が、今朝の事件の概要となる。生徒会長を務める者として、この学園を導くものとしてあるまじき失態を犯してしまった事を、謝罪させて欲しい」

 

 トレセン学園に所属する全ての在校生と教職員が集められた学園内の大講堂。

 

 2000以上の在校生を抱えるトレセン学園の在校生が一同に会するその様は圧巻の一言だが、一体何をしているのかと言えば、どの学校でも執り行われる全校集会の真っ最中だ。

 

 そんな中、ひとりステージの上に立ち頭を下げているのはシンボリルドルフだった。

 絶対なる皇帝、9つの冠を戴冠した最強のウマ娘とも言われる彼女だが、そんな彼女が頭を垂れている姿に、在校生のウマ娘や教職員はざわざわと動揺していた。

 

 因みに、そんな彼女を見ても全く意に介さない様な態度を取っていた者が5名ほど紛れていた事を、ここに記しておこう。

 

「だが、今日からこのトレセン学園に勤務する事になっていた警備員の方のお陰で、最悪の事態は免れる事が出来た。自己紹介をして貰おう、登壇してくれ」

 

 ルドルフに呼ばれ、スタスタと早歩きで壇上にひとりの女性が登ってくる。先程までルドルフを見ていたウマ娘も教職員も、今度は打って変わってその女性に一斉に視線を向けた。

 

 それもそのはず、ウマ娘の勝負服は様々なものがあれど今は在校生全員がトレセン学園の制服を着ている中、その女性は勝負服以上のインパクトがある第二次世界大戦中のドイツ軍将校の様なネクタイ付きの黒地の軍服を身に纏い、更にその上に差し色で緑が入った黒色のオーバーコートを羽織っている。下半身はショートスカートなので生脚を晒しており、両方の太ももには意味があるのかよく分からない黒のベルトを巻きつけ、膝下くらいまでの硬そうな黒ブーツを履いていた。

 腰のホルスターには手回しの効きそうなSAAと超大口径のS&W M500……のガスガンが収められている、まるで戦争中の国の士官の様な出立ちだ。

 

 おまけに、軍服に押さえつけられていてもなおはっきり形が分かるくらいの立派な胸を持っており、前述した様に細くスラリと長い生脚を惜しげもなく見せつけているのだから、皆が注視しない方がおかしい。

 女としてのかっこよさと美しさを全身で表現するその女性に、男性トレーナーはもちろんの事、ウマ娘や同性のトレーナーでさえ目が離せなくなっていた。

 

「ウマ娘セキュリティカンパニーMSクラス、警備隊長を勤めている"イージーゴア"だ。私の仕事は君たちが安心して学園生活を送れる様にこの学園を警備する事だ。一応中央のトレーナーライセンスは持っているから、忙しくない時ならトレーニングの相談をしてくれても構わないぞ。よろしく頼む」

 

 よく通る声でそう名乗り上げると、イージーゴアは銀色のレリーフの付いた黒の軍帽を取ってみせた。そこには彼女の栗毛と同じ色をした立派なウマ耳があり、彼女がウマ娘であろう事は一目瞭然だった。

 

ーーーー

 

「何か……凄いウマ娘だったね〜」

 

「軍服着てるのはびっくりしたけど、でも凄くカッコ良い感じだったよね!」

 

 ガヤガヤとさっきの警備員の印象を話しつつ在校生が各々自身の教室に戻って行く中、生徒会長であるルドルフは警備員のウマ娘、イージーゴアに改めて自己紹介をした上で感謝を述べるため、大講堂と校舎との間辺りでその姿を探していたのだが、どうにも見当たらない。

 

 全校集会が終わってすぐにイージーゴアの元に行こうとしたルドルフだったが、その時にはもう彼女の姿は無かったのだ。どうしたものか……とルドルフが悩んでいると、ふと生徒の波から離れた所に、数バのウマ娘が曲がり角の向こうを覗くようにして固まっていた。

 

「(あれは……テイオーか?)」

 

 そのうちのひとりは、ルドルフも良く知っているウマ娘のトウカイテイオーだった。のこりの2名は芦毛と栗毛のウマ娘であり、3名は積み重なるようにして曲がり角の向こうを覗いている。

 

「テイオー、どうしたんだ?早く教室に戻らないと、授業に遅れてしまうよ?」

 

「びゃ!?って、カイチョー?」

 

 テイオーの叫びに残りの2名もこちらに振り返る、芦毛のウマ娘はメジロ家の令嬢であるメジロマックイーン、栗毛のウマ娘は……何と、今日あの黒づくめに襲われていたマチカネフクキタルだった。

 

「あっ、あら?会長、奇遇ですわね??」

 

「会長さん?こんな所でどうしましたか?」

 

「おはようマックイーン……そして、すまない、フクキタル。私の不手際で君に怖い思いをさせてしまったな……」

 

「え!?いやいやいや!会長さんが謝る必要なんて!もとはと言えば、私の不運が原因ですから!それより、あそこに居るのは会長さんのトレーナーさんじゃ……」

 

 フクキタルが曲がり角の向こうに視線をやるが、何処か気まずそうにしている。

 そう言えば何故か3名とも少し顔が赤いような……少し心に引っかかりを覚えたルドルフは、一旦、耳をそばたてながら曲がり角の向こうを覗いてみる事にした。すると、そこには──

 

「あぁ、本当に久しぶりだ。君の成分を補給させてくれ……」

 

「ちょっと、ダメだよ?こんな所で……参ったなあ〜」

 

 片方はルドルフが探していた警備員ことイージーゴア。そしてイージーゴアに脚を絡ませられ、胸に顔を埋められながら抱きつかれて少し困っているものの、満更でもなさそうにしているのは何と機宮トレーナーだった。

 

「そもそも、成分って言ってもボクらの身体を構成してるのは別に同じ物質だと思うんだけど……」

 

「何を言う、君が君であるだけで意味があるんだ。はあぁぁぁぁぁぁあ〜……"やっぱり"良いなぁ、君は……」

 

「(…………そうか、そうかトレーナー君。まさか、君にそんな"愛バ"が居たとはね。全く、いつの間に知り合ったのやら)」

 

 ルドルフはそんな光景を目の当たりにしても変わらず微笑みを浮かべていたが、身体から湿り気のあるドス黒いオーラが立ち昇っていた。後ろの3名はそんなルドルフの背中しか見えていないのだが、あまりの威圧感に思わず「ひっ」と小さな悲鳴を上げてしまう。

 

 そこからルドルフの行動は早かった。

 充分ふたりの様子を探れたと判断するや否や、覗きを止めて"たまたま通りかかりました"という様な風を装いつつ、ずんずんとやや早歩きでイチャつくふたりの元に急行した。

 

「やあ、トレーナー君。随分とその警備員のウマ娘と仲が良いらしいね?君たちはどういった関係なのかな?」

 

「おっ……と、これはこれは生徒会長殿」

 

「えっ!?あ、ルドルフクン!?ち、ちょーっと待ってくれ!別に、変なことしてたわけじゃないんだよ?」

 

 ルドルフの姿が見えるなり機宮トレーナーはイージーゴアから手を離し、イージーゴアの方はベンチから立ち上がると何ごとも無かったかの様に、帽子を取って綺麗なお辞儀をした。

 

「いや、私は別にさっきの行為を咎めるつもりはないんだ。ただ君たちがどういった関係なのか知りたいんだ。あくまで、君の担当ウマ娘としてね?」

 

 ルドルフの口元は多少笑っていたが、目は少しも笑っていなかった。掛かりまくっている激おこルナだ。ただごとではないと察したイージーゴアが機宮トレーナーとルドルフの間に、ルドルフの威圧に全く恐れる事なく割って入る。

 

「ふむ、会長殿?今の貴女は他者にものを聞くに相応しくない状態に見えますが?あまり、私の大切な存在に近づかないで頂きたい」

 

「え、ちょっと?何で張り合ってるの?」

 

「イージーゴア。今日来たばかりの警備員の君には関係ない事……いや、あるな。そこにいる機宮さんは、共にかけがえのない時間を過ごしてきた大切な大切な私のトレーナーなんだ。まぁ、君の様な"愛バ"がいるなんて、慮外千万だったわけたが」

 

「いや、別にボクたちは……」

 

「愛バ、だと?」

 

 両者とも火花を散らす睨み合いになりかけたがルドルフの『愛バ』という単語を聞いた途端、イージーゴアの方が意外そうな表情になる。それを見たルドルフの方も少し冷静になり、ふたりの様子が何かおかしい事に気が付いた。

 

「愛バ……愛バ?愛バとは一体何のことだ?すまない、意味が分からないんだが……」

 

「あぁもういいよ!"姉さん"!!」

 

 そう言って、キョトンとしているイージーゴアを手で押しのけてルドルフの前に歩み出ていく機宮トレーナー。

 

 それと同時に放った「姉さん」という言葉が、理解の追いつかないルドルフの頭の中で何度も反響を繰り返して再生された。

 

「姉、さん……?トレーナー君、それって……」

 

「あー……うん。イージーゴアは、ボクの1つ上のお姉さんなんだよね……」

 

「何だ、まだ私という姉がいる事を言っていなかったのか?妹よ」

 

「え〜、だってさ──」

 

 ルドルフは親しげに語らうふたりの姿をしげしげと見比べた。

 

 イージーゴアは栗毛、機宮トレーナーはやや青みがかった黒系の髪色だ。背丈に大きな差はなく、機宮トレーナーの方が胸は少し控えめ、瞳の色はイージーゴアはエメラルドの様な緑で機宮トレーナーは黄水晶の様な黄色。

 似ているところとすれば、つり目なところと、腰まで伸びたロングヘアーの髪型くらいだろうか。ぶっちゃけ全然姉妹には見えないが、ふたりが嘘をついている様にも見えなかった。

 

「つまり、さっき抱きついてたのは……あくまでも姉妹間のスキンシップ、という事なのか?」

 

「当然、こんっっなに可愛い妹としばらく離れ離れだったから、妹成分が足りなくなっていたんだ。だからそれを全力で補給していた、それだけの事だよ?」

 

「姉さん、その〜あんまり成分成分言わないで欲しいかな〜……流石に恥ずかしい」

 

 姉が恥ずかしげもなくペラペラとシスコンっぷりを披露するのを見て、流石の機宮トレーナーも珍しく後手に回らざるを得なかった。

 

「そうだったのか……すまない、ふたりとも。どうも、私の早とちりだったらしい」

 

 自身の早計さを情けなく思ったからか、それともトレーナーを疑ってしまった事への申し訳なさからか、目を伏せてしょんぼりするルドルフだったが、不意に機宮トレーナーはルドルフ頭をポンポンと撫でた。

 

「……ゴメン、謝るのはボクの方だ。もっと早く言うべきだったんだ、そうすればキミを不安にさせる事もなかった。どうか許してほしい」

 

「トレーナー君……ふふっ、君は優しいな」

 

「ふむ、なんだかんだ良い担当ウマ娘を持っているじゃないか、妹よ。この分なら妹を任せても問題なさそうだ」

 

「え、姉さんもしかして最初からそれが目的……いや、違うよね〜流石に」

 

「さて、どうだろうな?改めて、シンボリルドルフ生徒会長殿。君のトレーナーの姉のイージーゴアだ。まぁ、名乗ったところで()()()()()()()()()()()()名前だがな」

 

 機宮トレーナーの黒い手袋と対になる様な、白い手袋を嵌めた手をルドルフに差し出すイージーゴア。ルドルフも今度は本心からの微笑みでその手を握り返した。

 

「こちらこそ。皇帝や生徒会長と肩書きはありますが、どれもまだまだ道半ば。気楽に接していただけるとありがたいです」

 

「カイチョー!色々あったみたいだけど、大丈夫?」

 

 そんなテイオーの声と共に建物の角に隠れていたテイオーとマックイーン、フクキタルが機宮トレーナーたちの元に駆け寄って来た。

 

「あぁテイオー、大丈夫だ。ちょうど今話し合いが終わったところだよ」

 

「それにしても、機宮さんにウマ娘のお姉さんが居たなんて……お、驚きましたわ」

 

「ん〜?何かマックイーンクン、言葉の割にあんまり驚いてなくない?もしかして気づいてた?」

 

「えっ、いえ?そんな事はありませんわよ?」

 

 そう言ってそっぽを向くマックイーン。テイオーはルドルフと一言二言交わした後、機宮トレーナーの方に目を輝かせながら近づいた。

 

「ねえねえ、トレ……機宮さん!前言われたアドバイスを試してみたんだけど、すっごくタイムが短くなったんだ〜!だからさ、今日こそアダーラに入れてくれない?お願い!」

 

「こらテイオー。あまりトレーナー君を困らせてはいけないよ?」

 

「むー、良いじゃん。マックイーンのところから新しくウマ娘をスカウトしたんでしょ?だったら、何でボクはダメなの?」

 

「うーん、キミは本当、素直に頑張ってくれてるし、考えなくもないんだけどね……」

 

「本当に!?ありがとう!!」

 

 その言葉を聞くや否や、嬉しそうに機宮トレーナーの腕に抱きつくテイオー。そればかりか目を細めて頭をすりすりと擦り付けてさえいる、流石のルドルフにも見過ごし難い光景だった。

 

「……テイオー、トレーナー君から離れるんだ。そして何度も言うが、私のトレーナー君を困らせるな」

 

「えー!だって今、トレーナーはボクの事をスカウトするって言ってくれたんじゃないの?」

 

「いや、まだスカウトするとは言ってないんだけど……あとちょっと腕が痛いかな〜」

 

「……(テイオーさんも、あの方の担当になりたかったんですのね。はぁ、ライバルが増えてしまいましたわ……)」

 

 機宮トレーナーを中心とした3バの痴情の絡れが繰り広げられる中、ひとりフクキタルはイージーゴアの元にコソコソと近付いていた。

 

「あっ、あの〜……イージーゴアさん?」

 

「おや、君は今朝の子か。どうした?私に何か用があるのかな?」

 

「用、と言いますか……頼みなんですけど、お願いします!どうか私のトレーナーになってくれませんか!?」

 

「ほお?そう来たか」

 

 顎に手をやって考え込むイージーゴア。その仕草は無意識か意識してやっているのかは不明だが、妹のそれと瓜二つだった。

 

「そうだな、まず私はUSCの警備員だ。ライセンスがあるとは言えトレーナーじゃない、ウマ娘ではあるが、私は()()()()()()()()()()()()()。まず理解したか?」

 

「は、はい……」

 

「警備員の仕事も結構ハードワークなんだ、自由時間は限られる。つまり、君の面倒を見れる時間もごく僅かだという事だ。分かるな?」

 

「うう……」

 

 イージーゴアは怒っているわけでも喜んでいるわけでもない、淡々とした声で同じ栗毛のウマ娘、マチカネフクキタルに問いかけていく。フクキタルは自身の思い描いていた、姉という幻想が打ち砕かれるのではないか、そう考えると閉口するしかなかった。

 

「だが、それでも構わないというのなら、私は君のトレーナーも兼任するとしよう。何、警備員とはいえ、今はここの教職員扱いだからな。私の独断で決めても問題はない」

 

「……!!是非!宜しくお願いします!」

 

「ふふ、良い返事だ」

 

 フクキタルに手を差し伸べるイージーゴア。ちょうどフクキタルの中の大好きな姉とビジョンが重なり、その手を離さない様に握ろうとした瞬間、すっとイージーゴアが手を引っ込めてしまった。

 

「……え?」

 

「おい貴様、私の"妹"に何をしている!」

 

 勿論これはフクキタルに言ったものではない、イージーゴアの目線はテイオーに絡まれる自身の妹の方に向いていた。そして、フクキタルから離れて機宮トレーナーに抱きつくテイオーと何やら話し始めていた。

 

「っ……」

 

 チクリ、と胸を刺されるような痛みがフクキタルを襲う。当たり前だが、イージーゴアに取ってフクキタルと機宮トレーナーとでは明らかに優先度が違うのだ。それが分かっていても、フクキタルは胸が痛くて仕方がなかった。

 

「…………シラオキ様」

 

 フクキタルは崇める神に何かを祈る、その輝きがあるのに吸い込まれそうなほど暗い瞳は、イージーゴアと機宮トレーナーの事だけを見つめていた。

 

 

ーーーーーー

 

 

「ぐぉぉぅぅ……ぅ……」

 

「あら、まだ動けるの?」

 

「むぉぐぁぁっ!!」

 

 夜間。トレセンからそう遠くない繁華街の事務所。その最上階でひとりの男が口や鼻から血を流しながら、床に這いつくばってとある女性から逃げようとしていた。

 しかしその女性は的確にその男の顔を突き上げる様に殴り、一瞬男の身体が宙を舞った。

 

「まぁ良いわ、どっちにしろこれから貴方を嬲り殺すんだもの。じゃないと、生徒の面前で私の庭を汚された、この忌々しい気分が収まらないからなぁ!!」

 

「うぐおぁっ……!」

 

 その女性は回り込んで男の右手を思い切り踏みつける。バキバキという骨が砕ける音がして、男の右手が歪な形に変形した。

 

「ど、どうじ……で……どうして……こんな事を……!!」

 

「どうして、だと?さっきも言ったはずだ。私の鬱憤ばらしのためだ。あぁそれと、いつまでも貴様の組織をのさばらせておくのも不愉快だからな」

 

「ふざけ……るなぁ……!!お前が……やったんだ!ごほっ……お前が、俺の部下を唆したんだろ……!!」

 

「それがどうした?貴様らが弱いからこうなるんだ、弱い貴様らの怠慢だろう。あぁそうだ……昔、貴様らが言ったことだ!だから、私は強くなって帰ってきたんだ!!」

 

 激昂して男の身体を何度も何度も容赦なく踏みつける女性。そのたびに男は呻き声をあげて悶え苦しみ口から血を吐いていたが、その様子を見た女性の顔からは憤りが消えていき、ついには怪しく微笑んだ。

 

「ふふ……そう、やっぱりこれは"楽しい"わね。でも、そろそろ終わらせないと。はぁ、後始末が面倒ね」

 

「あがっ……ゆる、じで……ゆる、じで……ぐだざい……ぐっ、おおおお……」

 

 女性は男の首を指がめり込むくらい強く掴み、無理やり立ち上がらせた。男はしばらくもがいていたが、バチッ!という弾ける様な音と共に、身体がビクッと跳ねた後は全く動かなくなった。

 

「終わった?理事長」

 

 動かなくなった男をポイっと捨てた女性の元に、またひとりの女が現れた。フルフェイスのヘルメットの様な被りものに加え、つや消しのされたタイツの様な衣装を着ているため、全く誰なのか分からなかったが、腕や身体に沢山の返り血が付いている。

 

「ええ、今終わったわ。あとはこれの始末と、血痕の掃除だけよ。そうね……帰りに何か食べたいものとかあるかしら?」

 

「手料理が食べたいな……冷たいやつがいい」

 

「うーん、今からはちょっと難しいわね……明日のお弁当で良いかしら?」

 

 月明かりに照らされた血まみれのふたりは、そんな他愛ない話をしながら男の死体を"掃除"し始めていた。




暗躍する何者か達……


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