青薔薇を照らす星明かり (椎名洋介)
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序章

 今年に入って、『BanG Dream!』シリーズにすっかりハマってしまいました。
 ハマったら書くしかねぇべ! とばかりに、えいやっ、と書き始めた次第。
『闘わない作品』に、初挑戦であります。


       

 

 

 オールスタンディングの観客席は、開演まで一〇分を切ったところで、定員の三〇〇名に達しようとしていた。

 男女比は、ほとんど5:5に近い。圧倒的に若者が多いが、仕事帰りのサラリーマンやOLらしいスーツ姿も何人か見受けられる。

 オーディエンスが注目するのは当然、目の前に広がるステージだ。

 こちら側に背面を向けて二段に積まれたキーボード、

 四本の弦に、さらに細い四本の複弦が張られた赤い八弦のベース、

 それらに挟まれる格好でセッティングされた黒いドラム・セット、

 指板に星のインレイがあしらわれたサンバーストのギター、

 そして、『いつも』のライヴであれば置かれることのない、ステージ中央のマイクスタンド……。

 今か今かと待ち構える観客達の喧噪は、控えめに流れているBGMをかき消すには充分過ぎるボリュームだった。

 

「もうすぐ始まる!」

友希那(ゆきな)ORION(オリオン)のジョイント・ライヴ!!」

「チケット買えてよかった~!」

 

 特にステージに近くなるほど、ファンの熱量も高くなる。

 やがてすべての照明が落とされ、上手から四人のメンバーが現れた。

 それぞれの楽器の前に立ち、各々が自身の楽器を手にする。

 軽いサウンドチェックを済ませると、いの一番に声をあげたのは下手側にいた短髪のベーシストだった。

 

「お前ら、準備はいいか!?」

「おおぉおぉおおぉおぉおおお!!」

 

 彼がひとたび観客を煽れば、会場のボルテージは一気に高まる。

 満足気にグリスダウンで応えると、それじゃいってみよー、とフロントのギターに向かって合図する。

 頷き、ギタリストの少年の視線が向く先は背後のドラムだ。

 レギュラーグリップで握られたスティックが掲げられ、カウントを取る。

 

「ワン、トゥー、スリーッ!」

 

 四拍目は、ピッコロ・スネアが抜けの良い音が響く。

 次の瞬間、

 オーバードライヴがかかったベースのイントロで、今宵のライヴは幕を開けた。

 

 

 一年前。

 キャパ一〇〇〇人を超えるライヴハウス『渋谷dub』で行われたブッキング・ライヴにて、鮮烈なデビューを飾った一組のバンドがいた。

 劇昴的で力強く、あるいは流れるような涼美的に溢れるメロディラインとスリリングなリズムアレンジで観客を魅了し、学生とは思えない華麗かつ巧みなプレイは会場に来ていた音楽関係者の度肝を抜いた。

 その日出演したバンドで唯一ヴォーカルが不在ながらも、たった四人だけで奏でるアンサンブルは一気に会場の熱気と勢いをかっさらった。

 インストゥルメンタルバンド“ORION(オリオン)”。

 期待の新人バンドが、彗星のごとく現れた瞬間だった。

 

 

 真っ白くステージを照らすパーライト。

 光の下で繰り広げられる演奏に、一人の少女は文字通り飲み込まれていた。

 身長わずかに一四八センチ。薄紫の髪を左右で束ねた、小柄な少女である。

 

「すごい……」

 

 開いた口から漏れ出た言葉は、まさに彼女の感情をダイレクトに表していた。

 もともと、ファンで応援しているヴォーカリストが出演しているという理由で買ったチケットだった。

 同じダンス部の先輩も出演すると知ったのは、ほんの二日前だ。

 圧倒された。

 

「あの人達、すごくカッコイイ……!」

 

 オープニングから三曲、怒涛の演奏が続いた。

 とにかく、凄い。

 何が凄いかって言うと……ええと……こう、ドーン! バーン!! って感じで。

 最初のMCでマイクを握ったのは、キーボードに立つオレンジブラウンの少女だった。

 

「あっ、実里(ねえ)だ……」

 

 ダンス部の先輩だ。

 

「皆さんこんばんは~、ORIONでーす! 今日は『ORION×友希那 ジョイント・ライヴ in AXIS(アクシズ)』にようこそお越しくださいました!!」

 

 観客席のあちこちから歓声が上がる。

 実里ちゃーん!

 カワイイ~!!

 今日もカチューシャ似合ってるよー!!

 

「わあ、ありがと~!」

 

 声をかけてくれた女子達に手を振り返してから、はぁい、と話を戻す。

 

「え~そんなわけで、オープニングから三曲続けて聴いていただきました」

 

 ベースのイントロから始まったのは、『EYES OF THE MIND(アイズ・オブ・ザ・マインド)』。

 中盤で全部の楽器がわざと少しずつズレる箇所がドミノ倒しみたいで印象的だったのが、『DOMINO LINE(ドミノ・ライン)』。

 煌びやかなピアノが綺麗な曲は、『TAKE ME(テイク・ミー)』。

 どうやらライヴで何度も披露されている曲らしい。楽曲それぞれに真剣に取り組んでいながらも、四人の表情には余裕が見て取れた。

 

「今日は新曲も何曲か用意してるので、皆さん最後まで楽しんでってくださいね~!!」

 

 実里の軽快なMCに、観客も拍手で応える。

 見知った顔ということもあって、少女も精一杯の拍手で応援した。

 

「さてさて、今日のライヴはいつもと違ったジョイント・ライヴ! 前置きはナシにして、早速この人に登場してもらいましょう…………私の同級生、友希那!!」

 

 コールとともに、実里はマイクを持っていない左手で上手を指す。ステージを照らしていたライトが、一斉に上手に置かれたスピーカーの……その裏から出てくるであろう人物に狙いを定めた。

 果たして、透き通るような銀髪をなびかせて現れた一人の歌姫に、会場はさらに沸いた。

 

「キタ……!」

 

 無意識に、自分の口が緩んでいるのが判る。

 逢えた。

 また、逢えた。

 今日はどんな曲を歌うのだろうとか、どんな歌声を聴かせてくれるのだろうとか、そういったことしか考えられなくなっていた。

 それくらい、初めて彼女を『観た』時は衝撃だったのだ。

 流れるような所作でステージ中央に置かれたマイクスタンドに立つ友希那の一挙手一投足を、見逃さないようにしっかりと目に焼き付ける。

 そして。

 

「友希那です。今日はよろしく」

 

 涼やかな、しかしそれでいて芯のある心地よい声が、ステージ脇のスピーカーから聞えてくる。友希那は一度キーボードの方へ視線を投げると、小さく息を吐く。

 そして。

 

「行くわよ……『Believe in my existence(ビリーヴ・イン・マイ・イグズィステンス)』」

 

 この日、宇田川(うだがわ)あこの中の『カッコイイ人』が一気に四人も増えた。

 

 

 

       

 

 

「それじゃあ、今日もお疲れさまでした」

 

 ギターとマルチエフェクターが入ったハードケースをそれぞれ持って銀色のバンから降りると、一哉は運転席に納まる男性を振り返る。

 

「すみません鳴海さん、いつも送ってもらっちゃって」

 

 いいってことよ、と鷲鼻のベーシストは笑って犬歯を覗かせた。

 

「メンバーをちゃんと送り届けるのが、年長者の務めってやつだからな」

 

 メンバー内で唯一の大学生である鳴海が早い段階で普通自動車免許を取得したこともあって、ライヴのある日は車での移動が主である。

 もっとも、ライヴで使う様々な機材を積んである関係上、一〇人乗りのバンは『とりあえず四人。頑張れば五人乗れる』程度になっているが。

 

「それにしてもなあ」

 

 言いながら鳴海が視線を向けるのは、一哉といっしょに下車した銀髪の少女だ。

 

「まさかうちのリーダーが話題の歌姫と幼なじみだったとはね~」

「ちょ、その話はこの前したじゃないですか!」

「はっはっは、悪い悪い。ガミが慌ててる顔って珍しいからさ」

「ったく……お疲れさまでした!」

「ん。友希那ちゃんも、お疲れ様。歌モノ()るのは新鮮で楽しかったよ」

「こちらこそ、いい刺激になったわ」

 

 ありがとうございました、と頭を下げる友希那に、よせやい、と鳴海が返す。

 

「そういうのはガミに言いなよ。今回の企画だって、持ち込んだのはガミなんだから」

 

 そんじゃ二人とも気をつけてな~、と窓枠から手を出してひらひら振りながら、銀色のバンが走り去って行く。

 

「……帰るか」

「そうね」

 

 車を見送ってしばらくして、示し合わせたように二人は夜の住宅街を歩き始めた。

 ふと見た携帯の画面に表示されるは、『21:37』の数字。今日はさほど遠くない距離のライヴハウスということもあって、比較的早めの時間に帰ってこれたらしい。

 ちらり、と傍らを歩く少女を見る。

 身長差もあって、こちらからは美しい銀色の髪しか見えない。

 その髪が、

 

「ねえ、一哉」

 

 呟きとともにこちらを見上げた。金色の双眸とセットになって、だ。

 いきなり振り向くものだから少しばかり驚いたが、どした、と一哉は聞き返す。

 

「あなたは、今日のライヴ、どうだったの?」

「俺か?」

「ええ。あなたの感想を聞かせて欲しい」

 

 湊友希那の音楽に対する姿勢は、超が付くほどにストイックだ。一切の妥協を許さず、常に全力で目の前のオーディエンスに向かって歌を届ける。

『あの日』を境に貪欲なまでに自身の理想を追い求めるようになった彼女が、鳴海に対して、いい刺激になった、と言ったのだ。

 つまりそれが、今回のイベントを終えた友希那が抱いた、嘘偽りのない感想なのだろう。

 だったら、

 

「俺は……」

 

 こちらも素直な感想を述べるべきだろう。

 

「……懐かしかったかな」

「懐かしかった……?」

「ああ。小っちゃい頃、公園でお前の親父さんにギター教わってた時さ、よく一緒になってやってたろ? 俺が弾いて、お前が歌うってやつ。リサも一緒だったかな……まあなんか、あの時みたいでさ」

 

 覚えたてのコードを少年が弾き、それに合わせて少女が歌う。たまにもう一人の幼馴染みがベースを奏でたりして。

 そんな公園でのセッションはいつからか自然消滅してしまったが、それでも当時は夢中になって演奏していたのを憶えている。

 そして、笑顔で歌っていた彼女の顔も。

 だから、

 

「すごく楽しかった」

 

 たとえ、今はその笑顔が失われても。

 

「やっぱり俺、友希那の歌、好きだわ」

 

 こんな真正面から称賛されると思っていなかったのか、友希那はわずかに目を見開いた後、その言葉を飲み込むように顔を俯かせた。

 二人の靴音が、アスファルトを叩く。

 しばらくして、片方の音がぴたりと止んだ。

 

「……友希那、どうかしたか?」

 

 立ち止まって、振り返る。まだお互いの家まではもう少し距離があるのだ。

 背後で足を止めている友希那はまだ俯いていて、だからどんな表情をしているのかは判らない。

 

「考えごとか?」

 

 怪訝そうな一哉に、ええ、と友希那は頷く。

 そして顔を上げると、彼女は唐突に問いかけてきた。

 

「私が毎日ライヴハウスに行ってる理由は知ってる?」

「へ? ぁ、いや……自分の歌を磨くため、じゃないのか?」

 

 それもあるわ、と友希那は言った。

 

「でも、それだけじゃない。ずっと探していたのよ。夏の『フェス』に向けたコンテストへ出場するために必要なメンバーを」

「『フェス』?」

 

 彼女の口から出た『フェス』という単語……思い当たるのは一つしかなかった。

 

FUTURE WOLRD FES(フューチャー・ワールド・フェス).……」

 

 全てが終わり、

 全てが始まった『フェス』……。

 

「ええ、そうよ。私は必ずあの舞台に立って、自分の音楽を認めさせてみせる。だからこそ、ギタリストとしてのあなたの腕を見込んで提案があるの」

 

 そして。

 

「一哉……私とバンドを組んでほしい」

 

 覚悟を込めた金色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。

 

 

 


 

 

ORION×友希那 ジョイント・ライヴ・リポート

〇月×日 LIVE HOUSE AXIS

 

 

 人気急上昇中のインストバンド・ORIONと、各地のライヴハウスに出演してはめきめきと頭角を現している孤高の歌姫・友希那の一夜限りのジョイント・ライヴが、先日『LIVE HOUSE AXIS』にて行われた。

 定刻通りに始まったライヴは、まずORIONのステージから。『EYES OF THE MIND』に始まって『DOMINO LINE』、『TAKE ME』と、すっかりライヴでおなじみになった曲を一気に演奏。

「私の同級生」という八谷のMCで友希那が呼び込まれると、会場を包む熱気はさらに高まる。彼女の持ち込んだカバー楽曲をORION流のロック・アレンジに乗せて時に力強く、時に伸びやかに歌い上げる友希那の美しい歌声に魅せられて、会場はおおいにわいた。

 後半戦はORIONによる怒涛の新曲ラッシュ。もちろん影山のちょっとジャジーなドラム・ソロや鳴海のうねるようなベース・ソロも圧倒的。本編ラストの『ASAYAKE』では、野上と観客が一体となってこぶしを突き上げる姿が印象に残る。

 アンコールでははもう一度友希那を呼び込み、全員での『ETERNAL BLAZE(エターナル・ブレイズ)』にて華やかなエンディングを飾った。

 会場に駆け付けた双方のファンにとって、忘れられない一夜となったことだろう。

 

 

 

セットリスト

 

<MC>

Believe in my existence(feat.湊友希那)

魂のルフラン(feat.湊友希那)

残酷な天使のテーゼ(feat.湊友希那)

右肩の蝶(feat.湊友希那)

<MC>

FLUSH UP*新曲

目撃者*新曲

ROMANCING*新曲

<Encore>

大世界*新曲

ETERNAL BLAZE(feat.湊友希那)

 

 





 ご覧いただき、ありがとうございます。
 お気づきになられた方もいるかと思いますが、オリ主達のバンドは実在するフュージョンバンド『CASIOPEA(カシオペア)』をオマージュしたものになっています。バンド名も星座からだしね。
 なお、本作の世界観では『ORION』のオリジナル曲として『CASIOPEA』の楽曲が演奏されますので、その点、ご了承ください。


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第一章 アタシにやらせて欲しいの:前編

       

 

 

 今井(いまい)リサは、合鍵を持っている。

 正確には、それは今井夫妻……つまりリサの両親に預けられたものだったが、実際に利用するのはほとんどリサだということだ。

 玄関のカギを開けて上がり込み、階段を昇る。一応ノックだけはして、一哉(かずや)の部屋に入ってゆく。もっとも、ノックしたくらいで彼が起きるわけがないことは判っているし、黙って上がり込むのも挨拶に応える相手が不在だからであって、別にリサが無作法なわけではない。

 とは言え、実際のところリサは毎朝、この瞬間がけっこう好きだった。

 ノックから三秒、返事がないのを確認してから、ドアを開ける。

 すると勉強机の脇、大きな掃き出し窓に枕を向けて置かれたベッドの上に、目標の相手の姿がある。

 お腹のあたりに申し訳ていどに毛布を乗せ、それ以外はTシャツにスウェットという格好で朝寝を決め込んでいるのは、リサの幼なじみだ。

 野上(のがみ)一哉。

 今日はどうやって起こしたものか、と部屋の中へと一歩踏み出した時、視界の端に見覚えのある大きな黒い何かが映り込んだ。

 クローゼットの扉に立てかけるようにして置かれてある、ギターケースだ。

 ……ああ、そっか。

 

「昨日、ライヴあったんだっけ……」

 

 そして自身の記憶が正しければ、そのライヴにはもう一人の幼なじみも出ていたはず。

 視線をベッドの方へ戻すと、ふと、そのもう一人の幼なじみの姿が彼に重なった。

 変わってしまった彼女と、

 変わらなかった彼。

 でも、どっちもアタシのだいじな幼なじみ。

 だから。

 にんまり、と笑みを浮かべて、リサは忍び寄る。そして、毛布に手をかけた。

 

「はーい、朝ですよー! 起きましょーお!」

 

 毛布を引っぺがして声をかけるのは、一応の段取りである。だがそんなことで一哉が起きないことくらい、長年の付き合いで判っている。

 お楽しみは、これからだ。

 そういう時、リサは『奥の手』を使って彼を起こすのだ。

 今朝、リサが用意したのは湿布薬である。

 ぺたん、と貼り付けるタイプだ。

 

「ほら一哉~。起きないと大変なことになっちゃうよ~?」

 

 言いながら、湿布薬の裏のシートを剥がし、

 

「いいのかなー? やっちゃうよー?」

 

 ごろん、と背中を向けてしまった彼の背中へ貼り付ける。

 二枚。首筋のすぐ下と、腰のあたり。丁寧に、シャツを捲ってあげたうえで、だ。

 

「いくよー」

 

 宣言してから、リサは二枚同時に、一気に剥がした。

 

「いっ!!」

 

 一哉は、ぎくん、と反応してから、

 

「ってー!!」

 

 ベッドに跳ね起きた。

 

「起きた?」

 

 目に涙を浮かべる一哉に、リサはとっておきの笑顔を見せる。

 

「起きた」

 

 一日が始まった。

 

 

 野上一哉と今井リサは、幼なじみである。

 一哉の父・野上(あきら)と、リサの父・今井勇作(ゆうさく)が大学時代の親友だったからだ。それに互いの結婚相手も、友人同士だったという。大学時代のコンパで知り合ったのだそうだ。

 四人は何度もダブル・デートを重ねて、結婚も同じ年だった。子供の方も、野上家の子供が男、今井家の子供が女だったことから、双方の家庭は俄然、盛り上がった。

 将来、二人を結婚させよう、とか言って。

 この二人というのが、つまり野上一哉と今井リサである。結婚云々(うんぬん)、という話は当人達はまったくもって知らないが。

 おまけに、一哉の母・野上(かえで)が高校時代に友希那(ゆきな)の父・湊智之(みなととしゆき)と同じバンドを組んでいたことから必然的に湊家との交流も増えて、一哉とリサ、そして友希那を加えた三人は、よく近くの公園で一緒に遊ぶようになった。

 つまり、一哉とリサだけでなく、友希那を含めた三人が幼なじみなのだ。

 

「おっ、きたきた~!」

 

 玄関を開けて外に出ると、すぐに見慣れた顔が門扉の向こうで出迎えてくれた。

 ウェーブのかかった豊かな栗色の髪。

 猫みたいに大きな瞳。

 ころころと表情が変わるのが愛くるしいのは、まぎれもなくリサだ。

 

「おはよっ、一哉☆」

「おはよ~。学校違うんだし、別に待っててくれなくてもいいのに」

「そういうわけにいかないでしょー? 友希那だってまだ出てきてないし」

 

 はいこれ、と言ってリサが差し出すのは、水色の風呂敷に包まれた長方形だ。

 

「今日のお弁当。卵焼き、いつも以上に美味しく出来たから、楽しみにしててね」

「マジで? 判った、楽しみにしてる。いつも本当にありがとな」

「いいってば。アタシが好きでやってるんだから」

 

 プロのミュージシャンとして活動する一哉の両親に海外からオファーがかかったのは、ちょうど一哉が高校へ進学するタイミングと一緒だった。

 活動の拠点を海外に移そうかという話しは以前から出ていたが、それはあくまでも一哉が高校を卒業してからの計画だった。

 さすがに、未成年の息子を一人置いて渡航することには抵抗がある。そこで父の古い友人である今井勇作が、三年間の親代わりを引き受けてくれたのだ。

 すなわち、一哉が高校を卒業するまで、である。

 付き合いの長いお隣さんということもあって、野上夫妻は勇作に甘えることにした。

 リサとは幼なじみなだけではなく、もともとリサの父とは一哉自身も友人みたいに付き合わせてもらっていたので、これは関係者全員にとって好都合だったと言える。

 食事は基本今井家で()らせてもらっているので、自炊の面倒はない。それどころか、料理上手なリサは一哉のためにこうして学校のある日は毎日のように弁当を作ってくれるのだ。

 友希那が家を出てきたのは、リサ手製の弁当を自分のリュックに仕舞うのとほとんど同時だった。

 

「やっほー! 友っ希那ー♪」

 

 真っ先に駆けて行ったのは、リサだ。

 

「リサ……、一哉も」

 

 友希那の姿を認めた途端、昨日の彼女の言葉が脳裏をよぎった。

 ……私とバンドを組んでほしい……。

 無意識に、手に()げたギターケースを握る力が強くなる。

 けれど次の瞬間には、一哉は思考を切り換えていた。

 

「おはよう、友希那」

 

 二人に歩み寄りながら、一哉はつとめていつも通りに声をかける。

 

「おはよう、二人とも」

 

 いつもの三人が揃った。

 行こっか、と先陣を切るリサに置いて行かれないように、一哉と友希那は歩きだした。

 道中、ライヴやバンドの話が出ることはなかった。

 

 

 NR線への乗り換えのために友希那達より一足早く荒川線を下車してからのことを、断片的にしか一哉は憶えていなかった。

 ずっと思考の渦に飲まれていたからだ。

 道中、一つ学年が下の影山と合流したのは憶えている。

 今日のリサの弁当が和食メインで、宣言通り卵焼きがいつも以上にふっくらしていて旨かったのも憶えている。

 だが、それだけだ。

 授業のことなんて、ノートに書き取りはすれども全く頭に入っていない。

 なぜ、と一哉は思う。

 なぜ、友希那は俺をバンドにスカウトしたのだろう。

 その疑問だけが、ずっと彼の心の中を渦巻いていた。

 そんな一哉の意識が再び現実に引き戻されたのは、耳馴染みのある声が聞こえたからだった。

 

「あれっ、一哉?」

「……リサ?」

 

 茜色に染まり始めた空。

 夕刻である。

 ギターでも弾いて気を紛らわせようと、リハーサル・スタジオも設けているライヴハウスCiRCLE(サークル)へとやって来たところで、一哉は今朝別れたばかりの幼なじみと出くわした。

 

 

 

       

 

 

 思いがけない場所で出会った二人は、とりあえずすぐそばのカフェへと入ることにした。

 CiRCLEと併設された、オープン・カフェである。

 ギターケースとマルチエフェクターを、それぞれテーブルの下に押し込む。他の客の邪魔にならないようにだ。

 けれどギターケースは大きくて、半分ほどしか隠せなかった。

 一哉はカフェ・ラテを、リサはクリーム・ソーダをオーダーした。

 

「そんで、さ」

 

 飲み物が二つテーブルの上に揃って、最初に口を開いたのは一哉である。

 

「なんで、リサがここに?」

「いやー、この近くに新しいアクセショップが出来てさ……ほら、あのお店。それを見に来てたんだ~。一応、友希那にも声かけたんだけど……断られちゃって」

 

 まあフラれるのは慣れてるからいいんだけどさ、と笑う彼女の表情に、けれどいつものような元気を感じないのはなぜだろうか。

 

「一哉は、どうして? ライヴ観に来たの?」

「ライヴ?」

「うん。今日、あそこで()るんだって」

 

 そう言って彼女が肩越しに指差すのは、CiRCLEである。

 

「いや、だから誰が」

「友希那」

「はぃいっ!?」

 

 しれっ、と応えるリサに、一哉は思わず立ち上がる。

 途端に他の客達の視線が集まり、すみません、とおずおずとそのまま座り込む。

 

「……ごめん、ちょっと取り乱した」

「あ、うん。アタシは大丈夫だから……」

 

 いや、それにしても、だ。

 ライヴ?

 昨日、俺達とやったばかりだというのに?

 

「……ひょっとして聞かされてない?」

「あ、あぁ……まあ、うん」

「そっか」

 

 伏し目がちにそう言って、リサは手元のクリーム・ソーダに口をつける。

 

「あのさ……ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いい?」

「別にいいけど、なに?」

「昨日、友希那からバンドに誘われたって話、本当なの?」

「え……?」

 

 瞬間、一哉は自分の耳を疑った。

 

「どうして、それを……」

「あぁ、ゴメンね。アタシが友希那に訊いちゃったんだ……まだバンドのメンバー探してるの、って。本当は、そんなつもりじゃなかったんだけど」

 

 そうしたら、友希那の口から一哉の名前が出た、ということらしい。

 

「返事は、まだなんだよね?」

「……まあな」

「だよね。昨日の今日だし……一哉には自分のバンドがあるわけだし。急いで答えなくてもイイと思う」

 

 まーアタシはさ、とリサが身を乗り出す。両肘をテーブルに突いて、組んだ指の上に顎を乗せる格好だ。

 

「友希那のお父さんは辛かったと思うし、だからお父さんのために『フェス』に行くんだっていう友希那の目標は応援したいって思ってる」

 

 アタシも一応ベースやってたしね、とわずかに細められた瞳は、久遠(くおん)の昔に思いを馳せているようにも見える。

 

「リサにはさ」

 

 カフェ・ラテを飲もうとカップを口に近づけたまま、一哉は声をあげる。

 視線は、自然とリサの向こう側……CiRCLEに向いていた。

 

「今の友希那は、どう見えてる?」

 

 その問いに、うーん、と唸り、目を閉じて何か考え込むような仕草を見せてから、

 

「……本当は、辛いんじゃないかな」

 

 彼女はそう言った。

 

「友希那、ずっとお父さんのために音楽をしてきて……でもそれって本当にお父さんの為になってるのかなって……、それは本当に友希那のやりたいことなのかなって」

「だから、辛い……?」

「うん。友希那の夢は応援したいけど、それで自分自身を追い詰めて欲しくはない。友希那のお父さんのことがあったからこそ、アタシは、友希那に音楽で辛い思いをして欲しくないんだよ。アタシには、見守ることしか出来ないから……」

 

 彼女が友希那を想う気持ちは、痛いほどよく判る。

 だからこそ、一哉は友希那とのジョイント・ライヴを希望したのだ。

 もう一度、音楽の面白さを……楽しむ気持ちを思い出して欲しかったから。

 

「友希那とバンド、か……」

 

 カフェ・ラテを口に含んで、そう呟く。

 実のところ、友希那とバンドを組むことじたいに抵抗はない。ORIONでベースを担当している鳴海も、バンドとは別でスタジオ・ミュージシャンの仕事を並行している。バンドとしてのスケジュールに支障がなければ、それ以外の個人の活動の制約はそれほど設けていないのである。

 ただ、一つ。

 昨日のライヴで一哉が『楽しい』という気持ちとは別に感じたこと……それが、彼に二の足を踏ませていた。

 けれど。

 もしかしたら……、

 

「……ん?」

 

 ふいに、気がついた。

 リサが、しきりにライヴハウスの方へ視線を向けているのだ。

 

「気になるか?」

 

 ふと指を一本だけ立てて、示すのはCiRCLEだ。

 

「え!? ……ぃや、まあ、その……」

 

 突然振られたリサは、そんな意味のない単語を羅列しながらもじもじし始め……やがて、こくり、と小さく頷いた。

 

「そりゃあ、アタシ達の幼なじみだし、心配というか……」

 

 ちょっとちょっと、なんで顔まで赤くなってるんでるんですか!

 でも、まあ、そういうことなら。

 

「よし、決めた」

 

 気がつけば、一哉は立ち上がっていた。

 カップの中身は、飲み干してある。

 

「……一哉?」

 

 こちらを見上げる恰好になったリサは、ぽかん、と口を開けている。

 それを尻目にカフェのカウンターまで歩いて行き、二人分の会計を済ませてから、

 

「行こう」

 

 リサの手を取る。

 

「え……ぃ、行くって、どこへ?」

「友希那のライヴ」

 

 俺と、

 リサと、

 ……友希那と、

 それぞれの気持ちを確かめるために。

 

「観に行こう」

 

 話は、それからだ。

 

 

『フェス』に向けたコンテストのエントリーに必要なメンバーは、三人以上。

 しかし、そう簡単にメンバーが決まるわけがないことは友希那も理解していた。

 生半可な技術では、自身の目指す『理想』を実現することは不可能だからだ。

 けれど、見つけた。

 思い出すのは、ついさっきステージで演奏していたバンド……正確には、ギタリストの少女だ。

 一度聴いただけでややこしいと判るフレーズを弾きこなす技術はもちろんのこと、その土台となる基礎が尋常ではない。

 普通に練習していて身に付かないレベルのものであることはすぐに判った。

 紗夜(さよ)

 正確無比のギタリスト。

 そのタイトなリズム感は、幼なじみのギタリストにも引けを取らないかも知れない。

 だから早速コンタクトを取るために彼女達の控室へ向かった。

 ……のだが、ドアを開けようとして、その手を止める。

 中が騒がしかったからだ。

 スタジオの廊下で、紗夜が出てくるのを待つことにした。ドアとは反対の壁に立って、だ。

 やがてドアが開き、中からギターケースを背負った(みどり)色の少女が姿を見せた。

 こちらを見つけて、紗夜の顔にわずかに驚愕の色が浮かぶ。

 

「……っ! ごめんなさい、他の人がいるとは気づかなくて。……さっきの、聞こえてました、よね?」

「ええ」

 

 パフォーマンスで誤魔化しても、基礎のレベルを上げなければ後から出てくるバンドに追い抜かれる。

 ただ馴れ合いがしたいだけならば、高校生らしくカラオケやファミレスにでも集まって騒いでいれば充分だろう。

 バンドに必要なのはただ一つ、技術のみ。

 そんな紗夜が目指すものとメンバーとの音楽性の違いから、彼女がバンドを脱退するまでの一連の会話を、だ。

 

「さっき、あなたがステージで演奏しているのを見たわ」

「……そうですか。ラストの曲、アウトロで油断して、コード・チェンジが遅れてしまいました。拙いものを聴かせてしまって、申し訳ありません」

 

 驚いた。

 確かにほんの一瞬だけ、彼女の音はモタっていた。けれどそれは、友希那の基準で考えてもほとんど気にならない程度のものだったのだ。

『あれ』をミスと断じるのであれば、彼女の理想は相当な高さだ。

 もしかしたら、と友希那は思う。

 この子なら……、

 

「紗夜、と言ったわね」

 

『二人め』として相応しい人材なのかも知れない。

 

「あなたに提案があるの。……私とバンドを組んで欲しい」

「……私と、あなたで……バンド?」

 

 すみませんが、と紗夜は困惑しながら返した。

 

「あなたの実力も判りませんし、今はお答え出来ません」

 

 そこまで聞いて、はたと気づく。

 こちらはまだ、名前すら言っていなかったのだ。

 ちゃんと自己紹介しないと~、なんていうリサのお小言が聞こえてきそうだ。

 

「私は湊友希那。今はソロでヴォーカルをしているわ。FUTURE WORLD FES.に出るためのメンバーを探しているの」

「……っ! 私もFUTURE WORLD FES.には、以前から出たいと思っていました。でも、フェスに出るためのコンテストですらプロでも落選が当たり前の、このジャンルでは頂点と言われるイベントですよね」

 

 彼女はこれまで、いくつもバンドを組んできたという。

 アマチュア・バンドでもコンテストにエントリー出来るとはいえ、肝心のバンドの実力が足りず、諦めてきたとも。

 

「ですから、それなりに実力と覚悟のある方とでなければ……」

「……私はフェスに出るためなら、何を捨ててもいいと思ってる。あなたの音楽に対する覚悟と目指す理想に、自分が少しでも負けているとは感じていないわ。私の出番は次の次。聴いてもらえば判るはずよ」

 

 友希那の宣言を聞いて、ついに紗夜は折れた。

 判りました、と。

 でも、と彼女は付け加えた。

 

「まずは一曲、聴くだけです」

「いいわ」

 

 それで充分よ。




 今回登場したリサの父および友希那の父の名前は、完全な思い付き。
 けれど、友希那パパの名前の由来は『劇場版BanG Dream!/Episode of Roselia』をご覧になった方ならお判りいただけると思います。


 そして。
『BanG Dream!』シリーズの醍醐味と言えば、やっぱりライヴ。

 というわけで、実は先日投稿した『序章』にて、特殊タグを使ったちょっとした「仕掛け」を作ってみた。
「ライヴ・レポート」に記載されているセットリスト、実は曲名をクリックすると該当する楽曲の動画に飛べるようになっている。

 疑似的なライヴを体感していただければ幸いです。


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第一章 アタシにやらせて欲しいの:後編

       

 

 

 一哉に手を引かれて、気がつけばリサはライヴハウスの中へと入っていた。

 彼が二人分のチケットを支払い、そのまま地下へと降りて来たのだ。

 分厚い扉を開けて中へ入ると、むっとする熱気が二人を襲う。

 

「すご……だいぶ人、入ってるな」

 

 隣で呟く一哉の手には、何も()げられていない。他の客の邪魔になると悪いからと、ギターやらエフェクターやらが入ったハードケースはカウンターに預けてきたのだ。顔なじみだという女性スタッフは、快く引き受けてくれた。

 

「う、うん。そうだね……」

 

 リサとしては、そう返すのがやっとだ。

 それどころじゃなかったからだ。

 目の前の光景に見惚れていたから。

 カウンターのスタッフ……たしか、まりな、といっただろうか……が言うには、ちょうどこれから友希那のステージが始まるらしい。つまり、今この会場に集まっている観客全員が友希那の……幼なじみの歌を待っているということなのだ。

 それがたまらなく……嬉しかった。

 

「こんなに、たくさん……」

 

 前方へと歩いて行きながら、辺りを見回していた時だ。

 一哉が隣にいるのとは反対側の肩が、誰かとぶつかってしまった。

 

「あっ、ごめんなさいっ」

 

 慌てて、ぶつかってしまった人の方を向く。

 

「いえ……、こちらこそ」

 

 照明が落とされているせいではっきりとは見えなかったが、相手が落ち着いた声色の少女だったことに、リサは胸をなで下ろした。もしも『そっち系』のアブナイ人だったら、どんないちゃもんをつけられるか判ったものではないからだ。

 

「大丈夫か?」

 

 言いながら、一哉が手を握ってくれる。混雑した会場で、はぐれてしまわないための彼なりの気遣いだろうか。

 頷いて、リサは他の客の頭の間からステージを覗き込んだ。

 ……そういえば、ステージで友希那が歌うところを見るのって、いつぶりだろう。

 周りの喧騒を置き去りにして、だんだん意識がステージへと吸い寄せられてゆく。

 知らず知らずのうちに頬が紅潮し緩んでいることに、リサは気づいていなかった。

 

 

 一方で氷川(ひかわ)紗夜も、会場の熱気を前に驚きを隠せなかった。

 ぶつかってしまった女性に会釈を返してから、改めて周囲を見渡す。

 正直、バンドを組んで欲しい、と言われた時は何かの冗談かと思った。

 しかし。

 紗夜が何より驚いたのは、集まったファンの数は当然ながら、そのマナーの良さだ。

 タイム・テーブル上では、とっくに『湊友希那』のステージは始まっている。

 押しているのだ。

 それなのに、観客達は一切騒ぐ様子がない。近場の友人達との話し声が聞こえる程度なのである。

 みんな、と紗夜は思う。

 ……みんな、あの子の歌を待ってるみたい……。

 

「りんりん! こっちこっち!」

 

 ふいに、後ろが騒がしくなった。

 

「ほら。ここがドリンク・カウンター。ステージから一番遠いから、ここに居れば押されないからね……って、り、りんりん!? わわわわわわ~! り、りんりんの顔が青いー!」

「人が……たくさん……うち……に……か、帰り……た……」

「りんりんしっかりしてぇ! 友希那の歌を聞くまで死んじゃ駄目だよぉ~!!」

 

 あまりのうるささに背後を向くと、会場の入り口付近に二人組の女子が立っていた。一人はツインテールの少女で、大きな声は彼女が出しているらしい。

 もう一人……黒髪の少女の方には、見覚えがあった。

 同じクラスなのだ。たしか、白金(しろかね)という苗字だったはず……彼女も『湊友希那』のファンなのだろうか。

 それにしても、隣の子の騒がしさは目に余る。

 ここはひとつ、オーディエンスのためにも注意するべきだろう。

 

「ちょっとあなた達、静かに……」

 

 ……してもらえませんか、そう言おうとした、まさにその時だ。

 ステージのライトが一斉に灯った。

 同時に鼓膜に衝撃が叩きつけてくる。

 文字通りの、衝撃である。

 思わず、振り返った。

 歌っている。

 湊友希那が、歌っている。

 だが、

 信じられない。

 こんなことって……こんなことって、あるの!?

 言葉ひとつひとつが……音にのって、情景に変わる……色になって、香りになって、会場が包まれてゆく……。

 バック・バンドはいない。

 流れるオケに合わせ、湊友希那はたった一人で歌っているのだ。

 音の厚みだけで言えば、生のバンドには劣る。けれど彼女の歌声に……震える喉が編み上げる旋律に、紗夜は一瞬で心を奪われていた。

 

「湊、さん……」

 

 間違いない。

 彼女は『本物』だ。

 やっと、見つけた……!

 

 

 そして一哉は、

 

「なんだ、これ……」

 

 ただただ、見惚れていた。

 思えば、純粋に観客として今の彼女の歌を聴くのは、これが初めてなのだ。

 それも、昨日のライヴでは歌うことのなかった、彼女のオリジナル曲である。

 全身の毛が逆立つのを感じる。

 耳が、目が、肌が、細胞が、魂が……湊友希那という一人のヴォーカリストを余すことなく味わおうと研ぎ澄まされてゆくのが判る。

 力強い歌声である。

 気高い歌声である。

 繊細な歌声である。

 瞬間、彼女の目と目が、合った。

 途端に、何かが一哉の心の中へと入り込んでくるのが判った。

 期待。

 不安。

 焦燥。

 ……歌を通して、彼女の『感情』が濁流のように流れ込んできたのである。

 ああ、そうか。

 これが、お前が見てきたものか。

 これが、お前が感じてきたことか。

 これが、お前の『覚悟』なのか。

 ……だからお前は、俺に声をかけたのか。

 そして、

 

「……ああ」

 

 一哉の目に映るもの、その全てがにじんでゆく。

 にじんで、輪郭を崩して、光にきらめいてゆく。

 頬を熱いものが流れるのを感じながら、けれど一哉は動けなかった。

 ただ、じっと見つめることしか出来なかった。

 たった一人でステージに立ち、その歌声だけで観客を魅了する幼なじみの姿を。

 彼女の言の葉で紡ぎあげられる世界を、一身に受け止めていた。

 やがて友希那のステージが終わり、歓声の中彼女が舞台からはけるのを見届けてから、一哉は隣のリサを見やる。

 こちらの視線に気づいた彼女の顔を見て、思わず苦笑した。リサもまた、苦笑で返す。

 お互いが、同じような顔をしていたからだ。

 自分はブレザーの袖で顔を拭って、彼女には持っていたハンカチを渡してやる。

 そして情けない顔をどうにかしてから、示し合わせたかのように二人は同時に頷いた。

 答えは、もう決まっていた。

 

 

 

       

 

 

 ノックは三回。

 どうぞ、という返事を待ってからドアを開けると、彼女はいた。

 こちらに背を向けた状態で椅子に座り、けれどその表情は正面の鏡に映し出されているためよく見える。

 湊友希那。

『本物』のヴォーカリスト。

 失礼します、と紗夜が入室すると、

 

「……どうだった、私の歌」

 

 鏡ごしに、金色の瞳が尋ねてくる。

 

「なにも言うことはないわ……」

 

 垂らした両手を固く握り、紗夜はそう応えた。

 

「私が今まで聴いたどの音楽よりも……あなたの歌声は素晴らしかった」

 

 それは、本心だった。

 そうでなければ、あそこまで歌に魅せられ、心躍らされたことへの説明がつかない。

 だから続く言葉は、自分でも驚くほど自然と口から出てきた。

 

「あなたと組ませて欲しい。そして……FUTURE WORLD FES.に出たい。あなたとなら、私の理想……頂点を目指せる!」

 

 言いながら差し出す手は、ともに道を歩む相手へのほんの挨拶である。

 友希那は立ち上がると、滑らかな動きでこちらまで歩いてくる。

 そして、迷うことなくその手を取ってくれた。

 

「……ええ、こちらこそ」

 

 そこから、軽い作戦会議をした。

 早速スタジオの予約を取ろうとか、早く残りのメンバーを集めようとか、だ。どうやらもう一人ギター候補に声をかけているらしいが、返事はまだとのこと。それ以外にもベースやドラムといったリズム隊は勿論、表現の幅を広げるためにはキーボードも欠かせない。メンバー探しは急務なのだ。

 そしてその中で、現在進行形で友希那が制作しているというオリジナル曲のメロディーを聴かせてもらい、これを元にアレンジを詰めることになった。

 そんなこんなでロビーに出ると、受付カウンターに立つ女性が笑顔で迎えてくれる。

 

「あ、二人とも。お疲れさま」

「まりなさん、お疲れさまです」

「お疲れさまです」

 

 通い慣れているらしい友希那に続いて、紗夜も会釈する。

 そのままカウンターまで歩いて行くと、まりなは二人の背後を指して言った。

 

「一哉くん、来てるよ」

 

 同時に、

 

「こっちだよ、こっち」

 

 背後から、それに応える声があがる。

 紗夜も振り向くと、丸テーブルが二つ置かれた合成皮革のソファーに、一組の男女が座っていた。声の正体は、両腕を振っている少年である。

 どちらも、見覚えのない顔だ。

 ……いや、

 

「あら?」

 

 少年の隣に座る栗毛の少女の方は、なんとなく覚えがある……思い出した、さっき会場でぶつかってしまった少女なのだ。

 けれど友希那の方は、どちらも面識のある人物のようだ。

 

「一哉、リサも……」

「よう」

「あはは、来ちゃった」

 

 軽く手を挙げて一哉が、頬を掻きながらリサと呼ばれた二人がそれぞれ応える。

 

「その様子だと……バンド、組めたんだな」

「ええ。氷川紗夜……彼女、素晴らしいギタリストよ」

「ギター、もう一人声かけてたのか?」

「ええ。ツイン・ギターのバンドもざらにあることだし、その方がバンドとしての表現の幅も広がるかと思ったの」

「そっか……まあ、それならいいけどさ」

「湊さん、あの……この人達は?」

 

 会話についていけない紗夜は、ついに声をあげた。

 最初に応えたのは、栗毛の少女である。

 

「あ。挨拶が遅れちゃってごめんね! アタシ、今井リサ。友希那の幼なじみで、さっきのライヴ観てたんだ。で~、こっちが……」

「ども、野上一哉です。見ての通り、ギターやってる」

 

 言われて、気がついた。たしかに彼の手には、ギターケースが提げられているのだ。

 

「さっき話したもう一人のギター候補というのが、一哉なの」

「ということは、実力のある方なんですよね?」

「問題ないわ。一哉の腕は、昨夜セッションした私が保証する」

「セッション、ですか?」

「ええ、彼のバンドとね」

 

 そういうことなら、こちらとしては何も言うことはない。

 立ち話もなんだし、と一哉は空いているソファーを指した。

 

「座ってくれ。大事な話なんだ」

「……バンドのことかしら?」

「まあ、そんなとこ。リサにも関係ある話だから、このままでもいいか?」

「リサが?……判ったわ」

 

 そう言って、友希那はソファーに腰掛ける。紗夜も、それに続いた。

 さて、と一哉がイニシアチブを取った。

 

「あまり時間取らせたくないから、単刀直入に言うぞ。……バンドの話、受けようと思う」

「……そう……」

 

 瞬間、友希那の目に浮かんだものは、安堵だろうか。

 しかしそれは、ただし、と二つ指をたてた一哉の言葉によって瞬時に消え去った。

 

「二つ、条件がある」

「……言ってみて」

「まず一つ」

 

 人差し指だけをたてて。

 

「メインのギターはそちらの氷川さんだ。俺自身、自分のバンドもあるから、ずっと練習に付きっきりってことは出来ない。……それでも構わないか?」

「いいわ」

 

 即答だった。

 

「……驚かないんだな」

「もともと、無理を承知でお願いしたのはこちらだもの。受けてもらえるだけでも充分よ。私達が頂点を目指すためには、あなたの音楽センスは間違いなく必要だから」

 

 その代わり、と友希那は金色の瞳を一哉に向ける。

 

「練習に参加する時は、真剣にやってもらうわよ」

 

 もちろんだ、と一哉は唇を笑みに歪めた。

 

「お前の覚悟、想い……さっきの歌で全部伝わってきた。だから俺も、やるからには全力で、友希那……お前の歌に賭けようと思う。手なんて抜かないさ」

「それを聞いて安心したわ。……それより、もう一つの条件は?」

「ああ、それなんだが……」

 

 言いかける一哉を、

 

「一哉、ちょっと待って」

 

 それまで口を閉じていた今井リサが遮った。

 

「……ここからは、アタシに言わせて。ちゃんと自分で伝えないと、意味ないと思うからさ」

 

 そう呟く彼女の手はスカートの上に置かれて、小さな拳を二つ作っていた。

 

「ん、判った」

 

 彼の返事を待ってから、

 

「友希那」

 

 リサは幼なじみの少女と向き合った。

 

「アタシさ、今日の友希那の歌を聴いて、思い出したんだ。小さい頃、みんなでよくセッションしてた時のこと。友希那がヴォーカルで、一哉がギター、アタシは……ベース。憶えてるよね?」

「ええ……けど、それが……」

「アタシにやらせて欲しいの」

「……え?」

「バンドのベース、アタシにやらせて欲しいの」

 

 彼女は、そう言った。

 

「でも、リサ。あなたベースは……」

「うん、高校入ってからやめちゃった。けど、もっかい始めようと思う。たしかにブランクはあるし、みんなの足を引っ張っちゃうこともあるかも知れない」

 

 それでも、と友希那を見据える彼女の瞳には、たしかな決意の色が浮かんでいた。

 

「アタシは友希那の隣に立ちたい。傍で、友希那を支えたいんだ」

「リサ……」

「友希那、お前が俺の力を必要としてくれたように、俺には……俺達には、リサの力が必要だと思ってる」

 

 だから頼む、そう言って、野上一哉は頭を下げた。

 

「湊さん、どうしますか……?」

 

 紗夜の問いかけに、友希那は応えない。

 目を閉じて、考え込んでいるのだ。

 正直なところ、最初はリサの加入を断るべきだと思っていた。だが彼女の『目』を見てしまった以上、それは出来ない。

 だから、友希那の決断に任せる。

 それが、紗夜の出した答えだった。

 

「……二人の言いたいことは判ったわ」

 

 やがて、その瞼が開かれる。

 

「リサ、本気なのね?」

「うん」

 

 即答だ。

 

「アタシ、やるよ。精一杯、友希那の隣りに立つために。だから練習も、死ぬ気で頑張る」

「そう……」

 

 じゃあ、と友希那は言った。

 

「一週間よ」

「え?」

「一週間後……あなたをテストするわ。譜面は後で送るから、それまでに弾けるよう練習しておいて」

「そ、それって……」

「せめてブランクだけでも埋めてもらわないと、公平な判断が出来ないから。でも、もしそれで駄目なら……幼なじみでも諦めてもらうから。いい?」

「……うん、判った!」

「紗夜も、それでいいわね?」

「……私は、湊さんの判断に任せます」

 

 最後に、

 

「一哉は?」

「ああ、それで構わない。……ありがとな、友希那」

 

 そこまで言った時だ。

 突然ロビーの自動ドアが開いて、二人の人物が飛び込んできた。

 

「ゆ、ゆゆゆ……友希那さん! 今の話って、本当ですか!? バンド組むって……!」

「ちょ……あこちゃん……わたし、もう……」

 

 紗夜は、その二人組に見覚えがあった。

 さっきのライヴで騒がしかった少女と、クラスメイトの白金なのだ。

 だが二人に対して最初に声をあげたのは、リサの方だった。

 

「あ、あこ!?」

「ええっ!? リ、リサ姉!?」

「リサ、知り合いなの?」

「あ、うん。ウチのダンス部の後輩で、中等部の子」

「そう……」

 

 いきなりの乱入に友希那は二度ほど目を(しばた)かせてから、冷静に質問に答えた。

 

「ええ、そうね。その予定よ」

「あっ、あこ、ずっと友希那さんのファンでした! 憧れてますっ!」

 

 ツインテールの少女は、上擦った声のままで一気に言葉をまくしたててゆく。

 そして続く言葉に、紗夜は今度こそ頭を抱えたくなった。

 

「だ……だからお願いっ、あこも入れて!」

 

 当然、友希那のバンドに。



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第二章 セッション

 書いては消し、書いては消し……を繰り返していたら、いつのまにかひと月以上経っていた、だと……?


       

 

 

 時刻は、すでに午前零時を回っている。

 自室に戻った一哉(かずや)は今日の宿題を粗方片づけてから、ベッドに潜り込んでもぞもぞと携帯を弄っていた。

 

一哉(かずや):そういうわけで、こないだ組んだ友希那とバンドやることになりました>

 

 メッセージアプリで事のあらましを書き連ねた一哉は、最後にそう締めくくった。

 送り先は、『ORION』と名付けられたグループチャットである。

 すぐに、ぴこん、と携帯に通知が届いた。

 八谷実里(やたがいみのり)からだ。

 

<実里:いいんじゃない?>

<実里:やりたいことはどんどんやっちゃった方がいいもんね>

 

 相変わらず返信が早い。一哉がチャットしてから二〇秒ほどで、立て続けにレスが帰ってきた。

 

<実里:カズくん、別にORION辞めるわけじゃないんでしょ?>

<一哉:当然。リーダーが辞めるわけにはいかないだろ>

<実里:それもそうだよね~>

 

 しばらくしてから、他のメンバーからの返信も届く。

 

奏太(そうた):お! ガミ、友希那ちゃんとやるの? イイね~! 青春だね~!!>

大樹(たいき):了解です>

 

 鳴海(なるみ)はテンションが高いし、影山(かげやま)の返信はいつも簡潔だ。

 

<実里:こっちの練習は、いつも通り?>

<一哉:うん。明日、パルで>

<一哉:朝のうちに来月のイベント用のセトリ送っとくから、各自譜面用意しておくように>

<実里:はーい!>

 

 軽い打ち合わせを終えてアプリを閉じると、一哉はそのままカレンダーのアプリを開いた。

 明日からとりあえず一週間ほど、すでに決まっている練習分のスケジュールがずらりと並んであった。

 

 ORIONバンド練@パル。

 個人練&リサ練@家。

 友希那バンド練@サークル。

 友希那バンド練@サークル。

 ORIONバンド練@パル&リサ練@家。

 友希那バンド練@サークル&リサ練@家。

 友希那バンド練&リサ・オーディション@サークル。

 

 これは、と一哉は思う。

 明日から忙しくなりそうだな。

 部屋の電気を消して毛布をかぶると、睡魔はすぐにやって来た。

 

 

 翌朝、一哉はリサにゴムパッチンで起こされることになる。

 そして開口一番に、彼女は言った。

 

「今日の一哉のバンド練習、連れてってもらってもイイかな?」

 

 

 

       

 

 

 放課後、いつもより早く帰り支度を整えたリサは、駆け足で校門へと向かっていた。

 廊下を抜け、階段を降りて玄関に着いたところで、黒い長方形のケースを背負った見慣れた赤いカチューシャが目に入る。

 

「実里!」

「あ、リサ~!」

 

 こちらに気づいた八谷実里が、満面の笑みで振り返った。

 ORIONのキーボーディストにして、同じダンス部の仲間である。

 実は一年前、バンドメンバーを探していた一哉に彼女を紹介したのがリサだったりするのだが、それはまた別の話。

 

「ゴメン、待たせちゃった?」

「ううん、だいじょーぶだよ!」

 

 靴を履き替えて、二人で校舎を出る。

 

「今日はいきなりで、ホントごめんね」

 

 練習の見学のことだ。

 いくらリサがベース経験者とは言え、彼女には約三年ほどのブランクがある。それを一週間で埋めなければならないのだ。半端な練習では、きっと友希那は首を縦に振らないだろう。

 そこで彼女が出した結論が、身近なバンドに混ざってベースの練習をすることだった。

 身近というのは無論、一哉のバンドである。

 そういうわけで今朝、寝坊助の一哉をいつものように起こしたリサは言ったのだ。

 今日の一哉のバンド練習、連れてってもらってもイイかな?

 一哉は、二つ返事で承諾した。ただしメンバーに確認して、OKが貰えたら、とも言われたが。

 結果、全員OKくれました。やったね。

 実里は、今日の案内人というわけだ。

 

「何言ってるの、リサなら大歓迎だって!」

「ありがと♪」

「いやあ、それにしてもリサがベースか~。ちょっと意外だったなあ」

 

 そう言って、実里の視線がリサの少し後ろの方を向く。

 今、リサの背中にも黒い長方形のケースが背負われているのだ。家の外に持ち出すのはかなり久々で、だからクラスメイトからの質問も多かった。

 

「あれ、アタシ言ってなかったっけ?」

「うん、初耳。リサってほら、色々ネイルしてるじゃない? だから楽器やってるとは思ってなかったの」

 

 言いながら、実里は自身の両手を広げて見せる。春の桜を彷彿とさせるリサのネイルに対して、彼女のそれはシルバーラメが散りばめられている程度で、しかも短い。

 

「私もやってはいるけど、爪の保護程度だし。あんまり長いと、鍵盤弾く時、邪魔になっちゃうしね」

「そうだよね~。でもアタシの場合、逆なんだ」

「逆?」

「うん。楽器を弾かないからネイルしてるんじゃなくて、ネイルしたいから楽器辞めちゃったんだよ」

「ほぇ~。……で、今回また楽器にカムバックと」

「そーゆーコト。まあ、アタシは基本、指弾きはしないからさ。」

 

 そんな話をしながら、門を抜ける。

 羽丘女子学園から、徒歩で一五分そこそこ。

 国道沿いにあるとある雑居ビルが、目的の場所だった。

 

「……ここ?」

「そうだよ~。ま、スタジオは地下なんだけどね」

 

 言われて彼女が指差す先のテナント案内板を見てみると、たしかにそれらしい名前がある。

 こっちこっち、と実里の手招きに誘われるまま、リサも建物脇の階段を降りていった。

 

 

Studio PAL(スタジオ・パル)』には、常駐スタッフはいない。

 無人営業なのだ。

 予約はウェブで受け付けていて、料金も銀行振り込みの前払い。ロビーへ入るのも、メールで送られてくる暗証番号をそのままドア・ロックに入力すればいい。予約した時間より早く来てしまったのならロビーで軽く暇をつぶし、利用開始時間からスタジオ入りするわけだ。

 今日ORIONが使用するのは、三つあるリハーサル・スタジオの中で一番大きい二〇畳のCスタジオらしい。

 

「ささ、入って入って!」

「お、お邪魔しまーす……」

 

 楽しさ半分、緊張半分といった面持ちでスタジオに足を踏み入れるリサに、

 

「お、来た来た」

 

 エフェクターボードのケーブルを繋げていた一哉が、しゃがんだ姿勢のまま顔だけをこちらに向けた。

 

「もうちょっとで準備終わるから、そこの椅子に座って待ってて。ベース、出してスタンドにかけちゃっていいから」

「うん、判った」

「実里も、ちゃちゃっと準備ヨロシク」

「はーい!」

 

 ぱたぱたと移動する実里を尻目に、リサも言われた通り背負っていたリュック・タイプのケースからベースを取り出しておく。中学まで使っていたジャズ・ベースだ。

 

「よーし、それじゃ機材のセッティングも粗方済んだんで、始めちゃおうか」

 

 やがて全員の準備が整ったところで、リーダーの一哉がこの場の指揮を執り始めた。

 

「最初に紹介しとく。彼女が今朝話した今井リサ。俺の幼なじみで、練習を見学したいってことで来てもらいました」

「こんにちは。今日は無理言って見学に来させてもらいましたっ。よろしくお願いします!」

「よろしくねー!!」

「ん。よろしくっ!」

 

 真っ先に返事を返してくれたのは実里と、鷲鼻が印象的な青年だ。すかさず、一哉が二人の紹介に入った。

 

「まあ実里は同じ学校だからいいとして、あっちのベースが鳴海さん。俺のニコウエで大学生」

「ちょっとカズくん。私の紹介、雑じゃなぁい?」

「雑じゃなぁい。んで最後に、奥にいるのが一つ年下の……」

「……影山です。よろしくお願いします」

 

 いささか小柄な少年が、ドラム・セットの向こう側から会釈を寄越す。

 

「今年からドラム叩いてもらってる」

「今年から? でも一哉って、もう一年くらいバンドやってなかったっけ?」

「……まあ、色々あるんだよ」

「ふうん」

 

 ひととおり紹介を終えて、一哉は今日の練習メニューをホワイトボードに書き込んでゆく。

 大まかに分けて二つ。『「CiRCLE」イベント用セトリの確認&通しリハ』と、『リサのベース練習』だ。

 

「ていうか一哉、CiRCLEでイベントやるんだ?」

「おう、来月な。前にあそこで友希那とのライヴのリハやった時に、まりなさん……ああ、受付の人な……に声かけられて。色んなバンドが出るみたいで、俺らもその中の一つ。でもこういうイベントは久しぶりだから、けっこう気合入ってるよ」

「新旧織り交ぜたセットリスト組んでるんだー!」

 

 足元のフット・ペダルを微調整しながら、実里の声が飛んできた。

 

「へぇ~! 凄いじゃん!!」

 

 ギター・ストラップに頭と右腕を通してから、へへん、と一哉は得意げな笑みを浮かべた。そして正面の譜面台に乗せてある紙の束を手に取ると、ほい、とこちらに差し出してくる。

 

「参考になるか判らないけど、よかったら見るか? 今度やる曲の譜面」

「え、いいの? ありがとー!」

 

 B4サイズの紙が、ペラで約一五枚ほど。これで五曲分らしい。

 

「げ」

 

 渡された譜面に目を落とした時、リサはあまりの情報量の多さに思わず唸ってしまった。

 一哉直筆の譜面は、四段譜になっていた。一段目にギター、二段目にキーボード、三段目にベース、そして四段目にドラムである。二段目と三段目の間には、捩じ込むようにコード・ネームが書かれている。

 何より、ドラムのパターンやコードのバッキング、ルート音しか押さえない箇所のベースパートなどは極端に簡略化されているのだ。つまり、書かれていない部分は演奏者の裁量に委ねられているということである。

 

「わー、見事に読み辛いね」

 

 それが、リサの感想だった。

 やっぱり? と肩をすくめて見せるのは、実里だ。

 

「そもそもカズくんってデモ音源作らないタイプだから。曲の構成からアレンジまで、全部そこに書いてあるんだよね。おかげでも~読み辛くって! 暗号だよ暗号!」

「だから実際に合わせてみるまで、ガミから渡された譜面がどんな曲になるか判らないんだよな。まあ、それがカチってハマった時がめちゃくちゃ面白いんだけど」

 

 ちなみに、友希那とのライブ・リハの際に友希那が持ち込んだカバー曲を一哉がアレンジした際も、ヴォーカル譜が読み辛いと友希那から苦情を受けたらしい。

 

「アハハっ! なんか色々言われちゃってるね~一哉」

「わーってる。……だから最近は、もう少し見やすくなるように色々試行錯誤してるよ」

「ふ~ん、例えばどんな感じ?」

「今の四段譜を三段譜……いや、二段譜に詰めて一曲一枚に収める、とか。一段目にギターとシンセ、二段目にベースとドラム……みたいな」

 

 余計に読み辛いよ、という三人のツッコミが炸裂したところで、それに参加しなかった影山がドラム・スティックを打ち合わせる。いつでも行けるよ、という合図だ。

 気を取り直して、一哉達は所定の立ち位置に戻る。

 最初は聴いているだけだというのに、リサはさっきから変な緊張が続いていた。

 一哉の演奏は幼いころからよく聴いていたが、思えばバンドとしての彼の演奏を聴くのは今日が初めてなのだ。

 手元の譜面に目を落とす。一番最初は……、

 

「『新曲』?」

「ああ、そうなんだ。なんだかんだで初めての箱だし、せっかくだから『新しいバンドの顔になる曲』を作ろうって、実里がさ」

「だってCiRCLEだよ! がっつりロック調の曲もやってかなきゃ!」

「……まあ、こう言うもんだからさ。じゃあお互いに思いついたフレーズを出し合って上手く繋げよう、ってことになったんだよ」

 

 タイトルはまだ決まってないけど、と一哉は足元のエフェクターを切り換える。

 

「とりあえず、だいたいの構成とアレンジは出来上がってきたし……ま、一曲目に関しては普通にアンサンブルの確認と個人練みたいな感じかな」

「でもよお、だからって打ち込みのパターンを人力でやらせるかい、フツー」

 

 ひー、と両手のストレッチをしながら、鳴海が口を挟んだ。

 この一曲目の譜面に関しては、一哉と実里が出し合ったフレーズをまとめて繋げるために、実里のパソコン・ソフトを使った大まかなデモが作られたらしい。

 ところが『実際の人間が演奏する』という要素を若干無視したベースやドラム・パターンの構成だったらしく、鳴海は初めてデモを聴いた際に思わず二人に問いかけたというのだ。

 ──え、マジで?

 

「いやあ、むしろ鳴海さんに()ってもらうなら、これくらいしないと失礼かなって話になりまして」

「うんうん! ロックって言っても、そんなにテンポ早くないからイケるよねって」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……いつか腱鞘炎なるで、ホンマに」

 

 そんな彼の愚痴をよそに、まあともかく、と一哉が両手をはたく。

 

「いっぺん、通してやってみよう」

 

 これから披露される曲がどんなものなのか、鳴海が言っていたように譜面を見ているだけでは判らない。

 

「ワン、ツー、スリー、フォー!」

 

 しかしこの四人の演奏が合わさった時、それがとてつもない化学反応を起こすだろうという確信だけが、リサの心にはあった。

 

 

「いやーっ! 今日は疲れた~!!」

 

 夜道を照らす街灯の下を歩きながら、ぐいっ、と組んだ両手を天に伸ばして、リサが大きく息をついた。

 

「お疲れさん。飲むか?」

「ありがと~☆」

 

 駅から出る際に自販機で買っておいた二人分のオレンジ・ジュースの一つを渡して、一哉が笑う。

 夜の帰り道である。

 

「一哉、今日はホンットーにありがとね。すごい助かったよ!」

「どういたしまして。でも驚いたよ。ちょっと基礎復習しただけで、譜面ひととおり弾けるなんて。本当にブランクあったのか?」

 

 一七時から三時間押さえたスタジオでのリハーサルのうち、ORIONとして使用したのは九〇分。残りの九〇分は、リサのリハビリに()てられた。

 最初の一時間は基礎の復習として、鳴海が同じベーシストとして面倒を見たのだ。

 そして鳴海を除いたメンバーはラスト三〇分でのセッションに向け、友希那がテスト用としてリサに渡した書き下ろしの譜面とにらめっこしての練習である。

 細かいミスこそありはしたものの、リサは見事にORIONとのセッションを乗り切った。

 課題曲のワンコーラスを弾き通したのだ。

 

「これは、あと何日かやれば及第になるかもな」

「マジ!?」

「大マジ。鳴海さんだって、筋はイイ、って褒めてたし」

 

 もともと『相性』という面で見れば、リサと友希那は『合う』はずなのだ。そこに技術が伴えば、間違いなくバンド・メンバーとして迎え入れてくれるだろう。

 だが気になるのは、

 

「それよりさ。ゆうべ、ドラムやりたいです、って友希那に直談判しに来た子、いたじゃん」

「ああ、あこのこと?」

「そうそう、その子」

 

 結論から言えば、宇田川(うだがわ)あこのバンドメンバー入りは断られることとなった。それどころか、リサのようなテストすら受けさせてもらえなかったのだ。

 あくまでも、現状では、というマクラがつくが。

 

「正直、音も聴かないで判断するのは早いと思うんだけどなあ」

 

 友希那のファンだという彼女は、憧れの相手を前に興奮しきって宣言したのだ。

 あこ、世界で二番目に上手いドラマーですっ! だからあこもバンドに入れてくださいっ!!

 それは、彼女なりの自己PRだったのだろう。自分にはみんなの足を引っ張らないだけの実力がある、と。

 しかし、二番目、というのがマズかった。その単語に目ざとく反応した友希那が、二番を自慢するような人とは組まない、と一蹴してしまったのである。

 

「友希那の性格は理解してるけど、それでもどうにかならないものかねぇ」

 

 はあ、と息をついて、ジュースをあおる。キャップを閉めなおしてから、一哉はリサに顔を向けた。

 

「リサ的には、どう思うよ?」

「えっ? あ、アタシ?」

 

 漠然とした一哉の問いかけに、視線を上向けて自身の顎を人差し指で押さえながら、う~ん、とリサは唸る。

 一〇秒ほどしたところで、彼女は笑みを浮かべてこちらを振り向いた。

 

「あんまり心配しなくて良いんじゃないかな? あこがあれくらいで諦めるような子じゃないのは、アタシが一番知ってるし」

「ああ、そういえば部活同じなんだっけ?」

「うん、ダンス部。だからそれなりに体力もあるし、ダンスの振り付けを考えたりするセンスもある。それに、ちゃんと目標に向かって努力出来る子だから、そこに友希那が気づけたら、きっと可能性はあると思う」

「そっか、アリか」

「うん、大アリ。やる時はやる子だよ、あこは」

「そっかぁ」

 

 だとしたら……、

 

「俺達は俺達で、今出来ることを全力でやるしかないな」

「そうだね! よぉし、頑張るぞー!」

 

 おー、というリサの意気込みに笑顔を浮かべながら、黒いケースを背負った二人は家路についた。

 たった独りで歌い続けてきた歌姫を、傍で支えるために。

 

 

 そして一週間後……リサのオーディションを兼ねたバンド練の当日になって、彼女の所見は見事的中することになる。

 一足早く『CiRCLE』に到着していた紗夜と二人でスタジオのセッティングを済ませている最中、メッセージアプリにリサから連絡が届いたのだ。

 

<リサ:友希那と『サークル』向かってるよー♪>

<リサ:あ! あと、あこもオーディション受けられるようになったよ☆ b~y リサ>

 

 おや、マジですか。

 何をどうして宇田川あこがオーディションを受けられるようになったのかは気になるが、それは後でリサに直接訊けばいいことだろう。

 返事を送ろうと作業の手を止めたところで、紗夜から、

 

「……野上さん? どうかしましたか?」

「え? ああ、いや……何でもない。リサから連絡があっただけ」

「今井さん……でしたよね。彼女は何と?」

「友希那とこっちに向かってるってさ。……あ、氷川さん。このコンセント、そっちの延長コードに挿してもらえる?」

「判りました」

 

 コードを紗夜に渡してから、一哉は空いている方の手でリサへの返信を打ち込んだ。

 

<一哉:りょーかい>

<一哉:気をつけて来いよ>

 

 それだけ送ると、アプリを閉じて、一哉も機材のセッティングを再開した。

 

 

 

       

 

 

 広いスタジオ内で、四人がそれぞれ最後のチェックを行っていた。

 紗夜は指のウォーミング・アップも兼ねてひたすらフレーズの練習を、リサも両手のストレッチを済ませてから、譜面を見ながら自分のパートを復習している。

 友希那から見て右側でスタンバイしている一哉も、最終チェックに余念がないようだ。

 そして、スタジオの奥の方に置かれたドラム・セットには、薄紫の髪のドラマーが緊張の面持ちで一音一音を確かめていた。

 宇田川あこ。

 世界で二番目に上手いドラマー……らしい。

 CiRCLEに友希那とリサ……そしてあこがやって来た時、紗夜は少し驚きの表情を浮かべたが、しかし反対の声を上げることはなかった。

 曰く、湊さんの選出ならば私は構いません、とのこと。

 スタジオで簡単な自己紹介を済ませた時に、一哉を見たあこが、この前友希那さんとライヴしてたカッコイイ人だ、と一人興奮してリサに宥められたのは、また別の話。

 

「そろそろ準備は良いかしら?」

 

 マイクをスタンドにセットしながら、友希那が四人の楽器隊を見渡す。

 

「はい」

「おう」

 

 二人のギタリストの返事を聞いてから、友希那はリズム隊に視線を向けた。

 

「リサ、あこ。あなた達には、これから私達と一曲セッションしてもらうわ。ワンコーラスだけとはいえ、もしそれで駄目なようなら、今回の話は諦めてちょうだい」

「うん、判ってるよ。そのためにこの一週間、死ぬ気で頑張ってきたんだからさ」

「あ、あこも! 絶対絶対、合格出来るように精一杯叩きます!」

 

 二人の意気込みは充分だ。それが友希那にも伝わったのか、ふう、と小さく息をついて、友希那は宣言した。

 

「それじゃ、いくわよ」

 

 オーディション、開始だ。

 

 

 バンドの演奏に身を任せながら歌い始めた瞬間、友希那は今までに感じたことのない『歌いやすさ』に、わずかに戸惑いを憶えていた。

 無機質ながら正確に弾いてゆく紗夜のギターに、バンド全体のサウンドを支えるリサのベース、前へ前へと推進力を高めるあこのドラムに、リズムを刻みながらも存在感を示す一哉のギター。

 そして……友希那のヴォーカル。

 五人の演奏が合わさった途端、奇妙な一体感が生まれたのだ。

 それは例えるなら、『音楽の波』だろうか。

 別々の時、別々の場所で生まれ、別々の人生を歩んできた五人が、今この瞬間『音楽』によって一つになっている。

 それぞれが持つ『うねり』が合わさって、大きな『波』へと変化しているのである。

 ちらり、と友希那は他のメンバーを見やる。

 思ったとおりだ。紗夜も、リサも、あこも、一哉も……おそらくこの場にいる全員が、いつも以上の実力を発揮している。

 ……ああ、そうか。

 これが『バンド』なんだ。

 

「――勝ち取れ、今すぐに! SHOUT!」

 

 黒き咆哮をあげ、演奏が終わる。

 それでもしばらく、友希那はその場を動くことが出来なかった。

 

「あの……さっきからみんな、黙ってるけど……あこ、バンドに入れないんですか?」

 

 皆が唖然とする中、気まずそうに沈黙を破ったのは、あこだった。

 彼女の発言で我に返った友希那は、一つ深呼吸をする。

 

「そ……うだったわね。ごめんなさい」

 

 けれど今のセッションで、すべての答えは決まっていた。

 

「いいわ、二人とも合格よ」

 

 その回答に、リズム隊の二人は飛び上がるように……いや、実際に飛び上がって喜んだ。

 興奮冷めやらぬ勢いで、小さなドラマーは信じられないといった様子で自分の両腕に視線を落とす。

 

「それにしても、なんか、なんか凄かった!! 初めて合わせたのに、勝手に(からだ)が動いて……!」

「あこもそう思ったんだ! アタシ、練習の時以上に指が動いてさ! なんかイイ感じの演奏だったよね」

 

 それが一体、どうして起きるのかは判らない。

 けれどメンバーの技術やコンディションに()らない、その時その瞬間にしか揃い得ない条件下でのみ奏でられる……そんな特別な『音』は、たしかに存在する。

 今の友希那達に起こった現象が、まさにそうなのだ。

 

「ミュージシャンの誰もが体験出来るものではない『感覚』……雑誌のインタビューなどで見かけたことはあるけれど、まさか本当に自分が体験することになるとは思いませんでした」

「なっ、なんかそれってっ、……キセキみたいだね!」

「うん。マジック! って感じ♪」

「そう、ね……。私も正直、驚いているわ。けど……今のセッションは良かった。とにかく二人とも、これからよろしく」

 

 こうして、二人が新たにバンドメンバーに加わることになった。

 これで、残すはキーボードのみ。

 そう簡単に見つかるものではないと理解はしている。むしろ、こうもとんとん拍子でメンバーが集まったのが不思議なくらいなのだ。

 それが偶然か必然かは、判らない。

 しかしこの五人で奏でる音楽は、間違いなく今まで自分が体感したことのない『何か』をくれることは間違いなかった。

 すべては、頂点を目指すため。

 父が果たせなかった夢を、叶えるため。

 そのためには、と友希那は思う。

 少なくとも、ここにいるメンバーの力は必要になる。

 けれど。

 一つ……一つだけ、懸念があるとすれば……。

 友希那は、メンバーで唯一の男子に目を向けた。

 幼なじみのギタリストは、セッションを終えてから一言も喋ることはなかった。



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第三章 初ライヴは突然に

 昨日(一〇日)は「ドラムの日」だったそうで。


       

 

 

「……ふぅ。こんなところかしら」

 

 ひととおり歌い終えたところで、友希那(ゆきな)は一つ息をついた。

 マイクスタンドに添えていた手を離し、ペットボトルを掴む。

 常温の水で喉を潤してから、友希那は気になったところを一つずつ指摘してゆく。

 

「あこ、サビで少しリズムが崩れていたわ」

「はっ、はい!」

「リサも、あこのテンポをもっと意識して」

「……りょうかいっ!」

 

 リサとあこの二人が正式にバンドメンバーとして加入してから、すでに一週間が経過している。

 リズム隊は連日の練習の成果もあってか、オーディションでセッションしたオリジナル曲をフルコーラスで演奏することにも慣れてきたようだ。

 実際にバンドを組んでみて判ったが、リサはともかく、あこもなかなかにパワーのある演奏をするドラマーらしい。

 荒削りではあるが、爆発力がある。

 しかし、当然ながら課題がないわけではない。

 演奏する曲が長くなれば、その分ムラも出やすくなる。ペース配分を間違えれば、曲の後半でガス欠、ということもあり得るのだ。

 今は、そのムラを極力なくすための調整期間というわけだ。

 そして二人への指摘を粗方済ませると、彼女の金色の瞳は幼なじみの少年を捉えた。

 

「それと……一哉。あなた『BLACK SHOUT』の時、何を弾いていたの?」

 

 あことリサにオーディションの課題として出したオリジナル曲のタイトルである。

 

「何って、ギターだけど?」

 

 当の本人は二回ほど目を瞬かせてから、何を判り切ったことを訊くんだい、とでも言いたげな表情をこちらに向けてくる。

 

「そういう意味じゃないわ。私が言いたいのは、ギターから出ていた『音』のことよ」

 

 バンド練習の際、メンバーはそれぞれ正五角形を描くような配置で向かい合う恰好になっている。廊下に繫がるドアに背を向ける格好の友希那を起点にして、左側に紗夜、右側が一哉。スタジオ奥の左右がそれぞれリサとあこである。

 ゆえに、友希那は『異変』にすぐ気がついた。

 サビに入った瞬間、一哉の足元にある二台のパワード・スピーカーから届いたのが、(ひず)んだディストーションではなく厚みのあるストリングスの音色だったことに。

 

「ああ、それは私も気にはなっていました」

 

 紗夜だ。

 

「演奏中、野上さんのギターから出る音がいきなり変わったものですから……」

「アタシは自分の演奏で手一杯だったけど……言われてみれば、たしかにいつもと違ってたかもね~」

 

 ピックをキャビネットに置きながら、リサも同調する。

 

「一哉さんの音、途中から『どーん!』って感じじゃなくなりました!」

 

 あこの擬音が正しいかどうかは置いておいて、しかしイメージとしては間違ってはいないだろう。

 じぃ~、っと四人の視線が、一人の少年に集められる。純粋な疑問を持つのが二人と、面白そうだというのが一人、そしてキラキラ瞳を輝かせるのが一人である。

 一哉は相変わらずすっとぼけた表情を浮かべていたが、この奇妙な四対一のにらめっこに耐え切れず吹き出したのは彼の方が早かった。

 

「……ぷはっ! 判った判った、ちゃんと話すから」

 

 自分の椅子に腰かけた一哉は、それから愛用のギターをみんなの前に掲げた。ORIONで使っている桃色からボディ真ん中に黄色にグラデーションしてゆく物ではないが、同じヘッド・ボディシェイプを持つ、鮮やかな青いサンバーストだ。

 

「これ、判るか?」

 

 言いながら一哉が指差すのは、ボディ下部に取り付けられた、手のひら程度の大きさの黒い機器である。

 

「うわぁ。一哉ってば、ま~たアタシ達の知らない機材持って来たんだね」

「何かしら、これ……紗夜は判る?」

 

 黒い機器には二つケーブルが繫がっており、プラグがある方はボディのジャックへ、もう一つはブリッジとリア・ピックアップのハムバッカーの間に滑り込むようにして、こちらは細長い黒いパーツが装着されている。

 

「いえ、あまり見慣れないものですが」

 

 けれど、と紗夜はハムバッカーとブリッジに挟まれたパーツを見て自分なりの推測を述べた。

 

「強いて言えば……ピックアップ、でしょうか?」

「お、氷川さん当たり」

 

 ギターの心臓部とも言える、弦の振動を電気信号に変換するためのパーツである。

 

「MIDIピックアップ・ユニットを付けてみたんだ。まず、演奏した情報を後ろのラックに積んであるMIDIコントローラーに送ってMIDIデータに変換させる。……で、その下に積んであるMIDI音源を、フット・コントローラーでもって鳴らしてたってわけ」

「じゃあ、さっきのストリングスの正体はその音源によるものということ?」

 

 友希那の問いに、一哉は頷いて見せる。

 たとえば、と彼は足元のフット・コントローラーのスイッチを踏んで『BLACK SHOUT』のサビのメロディーを演奏して見せる。

 すると、ミョーンとエンベロープがかかったディストーションの音色が聞こえてきた。

 滑らかに『歌いあげる』ギターの演奏に、おお、と四人がざわめく。

 足元のスイッチを切り換え、同じメロディーを弾く。すると今度は、ギターの生音にスティールドラムが足されたような音色である。

 

「簡単に言っちゃえば、ギター・シンセサイザーってとこだな」

「ギター・シンセサイザー……なんかカッコいい名前してますね!」

「わざわざ、そんなものを準備していたのね」

「まあな。せっかくギターが二人いるんだし、俺は足りない音をまかなえれば良いかなって。やっぱりシンセ系の音は、ないよりあった方がいいでしょ?」

「……それもそうね」

 

 頷いて、友希那も椅子に腰を下ろす。

 一哉の言う通り、シンセサイザーがあるかないかで曲の印象は大きく変わる。そして現状では、彼の機材に頼るしかないのだ。

 本当は、と紗夜が溜め息交じりにこぼす。

 

「そのキーボードが見つかると良いのですが……」

「それが一番だけど、ないものねだりしてもしょうがない。俺はしばらくアンサンブル担当のギター・シンセってことでやろうと思うから、今やれることをやっていこう」

 

 というわけで、と一哉は鞄からファイルを取り出すと、中に入っていた紙をメンバー達に渡し始めた。

 

「げ。これはまさか……」

 

 最初に受け取ったリサが、何かを感じ取ったかのように顔を引き攣らせる。

 あこは中身を確認した途端に目が点になり、紗夜は興味深そうに手元に来た紙を眺めている。

 やがて、友希那にも紙が渡される。

 折りたたまれたB4の紙が、一人あたり二枚ほど。

 開いてみると、どうやら譜面のようだ。

 ヴォーカルを含む五段譜の構成で、きっちりアレンジまで施してある。

 というか……、

 

「これって、前に私とあなたで演った曲よね?」

 

『魂のルフラン』と書かれたタイトルを指して、友希那のそれは質問というより確認である。

 

「おう。みんなの音像がなんとなく掴めてきたんで、このバンド用にアレンジし直した。オリジナル曲もだいぶまとまってきたし、ここいらで課題曲を増やしてもいいかなって」

「奇遇ですね。実は私も、いくつか候補曲を持って来たんです」

「氷川さんも? ……ちょっと見せてもらっていい?」

「はい、どうぞ」

「どれどれ……うん、悪くないかも。友希那はどう思うよ?」

 

 言われて、友希那も一哉の手元を覗き込む。バンドの方向性を考えるなら、たしかにこの選曲は頷ける。

 

「そうね。バンドの底上げには最適なリストだと思うわ。一哉が持って来た譜面も含めて、来週までに全員練習してくること」

 

 その宣言に、リサとあこの魂が抜けたような気がしたのはなぜだろうか。

 ともあれメンバーは現在、友希那を含めて五人。

 キーボーディストは、いまだ見つからずじまいだった。

 

 

 親友との日課は、基本的にはいっしょにプレイしているオンライン・ゲーム中に行うことが多い。

 クエストをこなし、素材を蒐集(しゅうしゅう)し、レベルを上げながら、近況をお互いに共有し合うのだ。

 もちろん、今日も。

 

<Ako:……って感じで、まだちょっと怒られはするけど、認められるようになってきた!>

 

 夜も更けてきて、だから今日はヘッド・セットを用いた通話ではなく、ゲーム内のチャットである。

 白金燐子(しろかねりんこ)は、慣れた手つきでキーボードを叩いてゆく。

 

<RinRin:バンドとして息が合ってきたんだね。あこちゃんのドラムも、どんどん(うま)くなってるんじゃないかな>

<Ako:ふ……これくらい造作もないことよ!>

 

 あこが友希那のバンドメンバーとして加入する(しら)せを聞いた時は、燐子も自分のことのように喜んだ。ついこの間まで、何度頼み込んでも断られ続けていたのを知っていたからだ。

 それからというもの、あこの話題はバンドの話一色だ。

 だからだろうか、文字だけのチャットでも、彼女が楽しそうに『話して』いるのが伝わってくる。

 そして、そんな話を『聞いて』いるこの時間が、燐子は好きだった。

 

<Ako:そうだ、りんりん! 今日、一哉さんから新しい楽譜もらったんだけど……また、お願いてもいい?>

<RinRin:えっと……音ゲーのマークに書き直せばいいんだよね?>

<Ako:そうそう! 『(みぎ)』がスネアドラム、『(ひだり)』がハイハットでお願いしまーす!>

 

 同時に、数枚の画像が添付されてきた。

 ファイルを開くと、携帯で撮影したらしい譜面が二枚分表示される。

 てっきりドラム譜だけかと思ったが、どうやらそうではないらしい。手書きゆえに字の癖はあるが、しかし見ただけで曲の全体像が掴めるようになっている。

 ええと、ドラムのパートは…………あった、五段構成の一番下の段だ。

 

<RinRin:うん、任せて。明日には送るね>

<Ako:ホント!? ありがと~りんりん!>

 

 それから、

 

<Ako:ではお礼として、我が同朋(どうほう)、りんりんにだけ特別に、演奏中のバンドを見せてしんぜよう>

 

 ……え?

 あこの言葉を理解するより早く、新たな動画ファイルが添付される。

『練習風景.mp4』と書かれたファイルにカーソルを合わせ、クリックする。

 映像は、スタジオ内の壁か何かでカメラを固定して撮影されているらしい。一番手前にあこがいて、五人がそれぞれ向かい合う格好でサウンドの確認をしている様子が俯瞰して撮られていた。

 画面の一番奥には、友希那の姿もある。

 映像だと後ろ頭しか見えないあこが、スティックを掲げてフォー・カウントをとる。

 そして始まった演奏に、燐子は自分の目と耳を疑った。

 

「すごい……」

 

 携帯のカメラということもあって、決して音質はいいわけではない。しかしバンドとしての一体感は、カメラ越しでも充分に燐子に伝わっていた。

 ベースも、二人のギターも……そして何より、親友が憧れの歌姫と同じバンドで一心不乱にドラムを叩いているその姿がとても輝いて見えた。

 

<RinRin:ありがとう。すごいね! 全員でひとつの音楽を作り上げてる……みんなでって、こういうことなんだね!>

 

 すぐさま感想を書き込んで、送り返す。

 だが、

 

「……あれ?」

 

 反応がない。

 

<RinRin:あこちゃん?>

 

 再度メッセージを送ってみても、応えはなかった。

 眠ってしまったのだろうか。

 

<RinRin:あこちゃん、もう寝ちゃった?>

 

 思えば、彼女が自分からチャットを落ちるなんてことは、今までになかったことだ。それぐらい練習がハードで、けれど毎日が充実しているということだろうか。

 念願のバンドで楽しそうにしている姿は親友として誇らしくある一方で、燐子の胸には少しだけ寂しさがあった。

 まるで、少しずつだけどあこが遠くに行ってしまうような……そんな感覚を憶えたのだ。

 

<RinRin:じゃあ、また明日ね(*'▽') おやすみ~>

 

 それだけ送ってから、燐子もチャットを終える。

 それからもう一度、さっきの動画を開いた。

 やっぱり、と思う。

 あこ達の演奏を見て、聴いていると、なぜだか(からだ)が引き寄せられるような感じがするのだ。

 まるで、あなたもこちらに来なさい、と手招きされているように。

 オーディションを終えたあこは、その日のチャットで嬉々として話してくれた。

 ――曲が始まったら、勝手に躯が動いたの! すっごく巧く叩けて、リサ姉はマジックって言ってた!

 ――やっぱりバンドって最高! みんなで演るのって、楽しすぎる!

 ――みんなで集まると、何が起こるか判らない……キセキって、たぶんこーいうことだよ!

 

「……キセキ……」

 

 ちらり、とデスクの脇に目をやる。備えつけられたグランド・ピアノに意識が向いて、ふいに燐子は考えた。

 たとえば、もし……もし……私のピアノを、あこちゃんのドラムのように、友希那さん達の演奏に重ねたら……。

 そう。たとえば……動画に合わせてピアノを少しだけ……少しだけ弾いてみたら……、

 

「どう……なるんだろう……」

 

 それは純粋な疑問であり、好奇心でもあった。

 そして一度考えてしまったら、試さずにはいられない。

 動画を最初まで戻してから、席を立つ。防音対策は済ませてあるので多少は大きな音を出しても問題ないが、それでも一応ピアノの響板を閉じたうえで、燐子は椅子の上に腰を下ろした。

 鍵盤の上に手を乗せ、静かに目を閉じる。

 パソコンのスピーカーから流れる情熱的な演奏に身を委ねながら、燐子の指は滑らかに音を奏で始めた。

 

「……ッ!」

 

 最初の一音を押さえ、ハンマーが弦を叩きあげたその瞬間、燐子は今までにない高揚感を憶えた。

 昔から、ずっと一人でピアノを弾いてきた。

 大好きだけど、誰かといっしょに演奏するなんて……今まで考えたこともない。

 けれどこの時、燐子は気づいてしまった。

 映像の中の五人の演奏に自分のピアノが信じられないくらい自然に混ざり合っていることに。

 少なくとも、ずっと前からバンドの中で演奏しているかのような錯覚を憶えてしまうくらいには。

 あこちゃんも、と燐子は思う。

 友希那さん達といっしょに演奏してる時は、こんな感覚なのかな……。

 あっという間に、最後まで動画に合わせて演奏してしまった。

 

「あ……もう、寝なきゃ……」

 

 もう一度やろうとパソコンに向かおうとして、壁にかけた時計が目に入る。流石にこれ以上は時間的に厳しいだろう。

 鍵盤蓋を閉じて、パソコンの電源を落す。明日の準備を済ませてから、ベッドに潜り込んだ。

 

「いっしょにピアノ弾くの、楽しかったな……」

 

 暗くなった天井を見上げながら、ぽそり、と呟く。

 今なら判る。

 あこの言葉の意味が。

 

「バンド、か……」

 

 もし、あの中に自分がいたら。

 またあの感覚を味わえるのだろうか。

 変わることが出来るのだろうか……。

 ……私も、バンド……やってみたい……。

 

「また……明日も弾いてみよう……」

 

 もちろん、親友の頼まれごとも忘れずに。

 

 

 

       

 

 

「ふぅ~、今日も疲れたぁ~……」

「あこも、もうヘロヘロだよぉ」

 

 二時間の練習を終えてスタジオを出る頃には、リサとあこの足取りはすっかり重くなっていた。

 オリジナル曲に加え、一哉と紗夜がそれぞれ持ち寄ったカバー曲の演奏も始まったことで、ただでさえハードな練習がより一層ハードになったからだ。

 

「ちょっと……宇田川さんも今井さんも。ここは通路なんだから、ダラダラしないで」

 

 そんな二人をたしなめる紗夜を尻目に、友希那はつかつかと受付カウンターの方へと歩いてゆく。

 

「すみません。次回の予約、いいですか?」

「毎度どうも、友希那ちゃん」

 

 笑顔で応えるのは、常駐の若い女性スタッフだ。

 月島まりな。

 CiRCLEの、実質的な店長である。

 オーナーは別にいるらしいが、少なくとも友希那はそういう認識でいた。友希那がこの場所を利用する時、受付カウンターに収まっているのはかなりの確率で彼女なのだ。

 

「今日は、一哉くんはいないんだね?」

「ええ」

 

 ORIONの練習日と被っているためだ。

 

「……っと、そうだ!」

 

 突然、思い出したようにまりなが声をあげる。

 

「来月のこの日なんだけどさ、予定、どうかな?」

 

 言いながらカウンターに置いてある卓上カレンダーを手に取って、こちらに向けてくる。

 

「他でライヴの予定とか入れちゃってる?」

 

 控えめな質問なのは、これまで友希那がソロ・ヴォーカリストとしてライヴハウスを渡り歩いてきたことを知っているからだろう。

 

「いえ、私達はまだ……」

「あっ。最近ソロからバンドに変えたんだっけ?」

 

 じゃあ大丈夫かな、と引き出しからCiRCLEの予定が書き込まれたノートを取り出すと、まりなはそれをカウンターの上に乗せた。

 

「来月ウチでやるイベントなんだけど、急遽穴が空いちゃって」

 

 スケジュールの都合で、声をかけていた参加バンドの一つがどうしても出演が難しくなったのだという。

 

「他に頼めそうな人いなくてさ~……よかったら、出てもらえないかな?」

 

 お願い! と両手を合わせるまりなの声に、弾かれたように残りのメンバーが顔を上げた。

 けれど友希那はすぐに応えることは出来なかった。

 ノートに記載された出演バンドの一覧に、見覚えのある名前があったのである。

 

「ORION……」

 

 友希那達のデビュー・ライヴは、奇しくも一哉のバンドと同じイベントだった。

 

 

 CiRCLEはその歴史の浅さから決して知名度の高いライヴハウスとは言えないが、しかしこの近辺で活動する若手バンド達には人気の施設である。元々ガールズバンドの応援のために建てられたこともあって利用者のほとんどは女性だが、別に男子禁制というわけでもない。

 さらに言えば、リハーサル・スタジオやオープン・カフェが併設されていることも、人気の秘密である。

 そんなカフェ・テラスの一角で、四人の少女達がテーブルを囲んでいた。

 すっかり陽の落ちたカフェを照らすのは窓ガラスから漏れるCiRCLEの照明と、川沿いの歩道に等間隔に並べられた街灯のみだ。

 

『そうか……ライヴ、決まったのか』

 

 テーブルの中央に置かれたリサの携帯に映る一哉が、腕を組んで難しそうな表情を浮かべる。初ライヴ決定の連絡を受けて、ORIONの練習スタジオからビデオ通話でこの緊急会議に参加しているのだ。

 急遽決まったライヴ出演。

 穴の開いた枠を埋めるためのピンチ・ヒッターではあるが、CiRCLE主催のイベントはこの地区の登竜門的存在であると同時に、メジャーのスカウトが来るという噂がある。最年少のあこは判りやすく興奮しているが、残りのメンバーにしても、初めてのライヴということで気合が入らない道理はなかった。

 もっとも、スカウトに浮かれるあこに紗夜や友希那が釘を刺す一幕もあったが。

 

『ただそうなると、さすがに本番ではサポートで入れそうにないかもな』

「私達の出番はあなた達ORIONの次……ライヴまでまだ時間があるとは言え、確保出来る練習時間を考えると、それも視野に入れないといけないわね」

 

 出演バンドの持ち時間は、それぞれ二五分ほど。その後は機材の入れ替えのための休憩時間が一五分ていど設けられているため、仮に作業がスムーズに進めば、引き続き一哉も友希那のバンドの演奏に参加出来るかも知れない。

 

「でも一哉もアタシ達と同じメンバーだし、出来るなら一緒に演りたいよね」

「……いいわ。なら、オリジナル曲を最後に持ってきて、そこで一哉にも出てもらいましょう。残りは、今練習しているカバー曲を中心に披露するわ」

『それならこっちとしても助かるが……いいのか?』

「ええ。お願い出来るかしら?」

『……判った。そういうことなら、メンバーとして喜んで出させてもらうよ』

「では私は、カバー曲のギター・アレンジを少し変えますね」

『頼んだ』

 

 そこまで話が進んだところで、ふとリサは気付いた。

 

「……けどさ。『BLACK SHOUT』はともかく、カバーの方はどうするの?」

 

 画面をのぞき込むように、そう問いかける。

 オリジナル曲も、一哉が書いてくれたカバー曲のスコアも、どちらもキーボードありきでアレンジがされているのだ。

 

『どうする、つってもなぁ……』

 

 一哉抜きでカバー曲を演奏する以上、シンセサイザーのサウンドによる音の厚みは期待出来ない。

 やはり『バンド』として完成するためには、キーボーディストの存在が必要不可欠なのだ。

 

「あこ達もずっと探してるけど、全然見つからないもんね……」

「短期間にこの五人が集まったことの方が異常よ。私は妥協してまで。メンバーを揃えたくはないわ」

 

 そうね、と紗夜がうなずく。

 

「下手なものを聴かせるよりは、いっそ居ない方がマシかも知れない」

「でもそれってさ、せっかく作った曲を、ベストな状態で聴かせられないってことだよね……アタシとしては、やっぱりきちんと形になったのを演りたいけどなぁ」

『ないもの……』

 

 言いかけた一哉の言葉を、

 

「ないものねだりしても、しょうがないわ」

 

 友希那がひったくった。

 

「あ……取られた」

「取られましたね」

「取られちゃった」

『俺の、台詞……』

 

 画面の中で項垂(うなだ)れる一哉を除く全員の視線が、友希那へ集まる。当の彼女は長い銀髪を手でなびかせてから軽く咳払いをすると、続けた。

 

「……とにかく、ライヴに向けて少しでも理想に近づけるように練習しましょう」

 

 CiRCLEからのオレンジ色の照明に淡く照らされて上手く誤魔化せているようだが、友希那の頬がほのかに紅くなっていたことに、リサはすぐさま気がついた。

 

 

 電話を切って、スタジオの中へ戻る。

 迎えてくれるのは、

 

「あ、どうだった?」

 

 ドアに一番近い実里だ。キーボードをケースに仕舞う最中だったようだ。アーム型のキーボード・スタンドは、すでに分解されて鳴海と影山がバンに積みに行ってくれている。

 

「友希那達、ライヴ決まったってさ」

「ホント!? 良かったね~! 場所は?」

「CiRCLE」

 

 言いながら、携帯を仕舞って一哉も自身の片づけに入る。練習が終わったタイミングでリサから連絡が来たので、いまだ手つかずだったのだ。

 

「CiRCLEって……今度私達が演るトコだよね?」

「ああ。おんなじイベントだってさ」

「うっそぉ! マジ?」

「マジマジ。バンドが一つ出られなくなったみたいで、そこに声かけられたみたい」

 

 彼女達の出番がORIONの次であることも伝えると、きゃあ、と歓喜の声が返ってくる。

 

「あ~! 何だかワクワクしてきた!」

「ワクワク?」

「だってリサ達といっしょにライヴ出来るんだよ! あこちんもいるし、楽しみじゃないわけないじゃん!」

「……まあ、そうだな」

 

 一哉の歯切れの悪い返しに、今度こそ実里の手が止まった。

 

「……カズくんは、楽しみじゃないの?」

「いや、楽しみだけどさ……友希那達のバンド、まだキーボードが見つかってないんだよなあ」

「キーボードなら、私サポート入るよ?」

()()。こっちの練習だってあるんだから、物理的に難しいだろ」

 

 ライヴに向けた旧曲のリアレンジ、そして新曲の暗譜など、ORIONとしてもやらなければいけないことは多い。

 それに帰宅部の一哉と違って、実里はリサと同じダンス部だ。おまけにライヴハウスでアルバイトもしているというのだから、自由な時間は一哉以上にないと言える。

 だというのに彼女は、小首を(かし)げて、おまけに唇をすぼめて見せる。

 

「そんな顔しても()()

「やっぱり?」

「駄目なものは駄目だってば」

 

 そこまで言ってから、

 

「あ」

 

 思いついた。

 

「そうだ実里。お前ンとこのバイト先でさ、誰かよさそうなのいないか?」

SPACE(スペース)に?」

 

 ガールズ・バンドの聖地とも呼ばれているライヴハウス『SPACE』は、オーナーによるオーディションを通過したバンドのみがライヴへの出演を許される。

 実里も、出演バンドの演奏を観ることで自信の技術の向上に繋げようとアルバイトを始めたのだ。同じ理由でスタッフとして働いている同世代がいる可能性も捨てきれない。

 

「ウチか~……うん、一応いるよ」

「えっ……いるの?」

「いるよ。ギターだけど」

「ねえ俺の話聞いてた? 今探してるのキーボード。ギターじゃないのよ」

「だよねえ。まあでも、うん。判った。こっちでも色々声かけてみるよ」

「いいのか?」

「もちろん」

 

 実里の返答は、ピース・サインである。

 そして、

 

「私も、リサ達のバンド、見たいもん」

 

 にっこりと微笑む。

 こういう面倒見の良さは、どことなくリサと通ずるところがある。

 ……だからリサは、かつて友希那と同じようにバンドメンバーを探していた一哉に、彼女を紹介してくれたのだろうか。

 だとしたら。

 

「俺は俺で、友希那達に何が出来るのかな」

 

 ぽそり、と誰にも聞こえないくらいの声量で呟く。

 鳴海達が戻って来たのは、それから間もなくだった。

 そしてそのタイミングで一哉から告げられた新たな『無茶ぶり』に、ORIONのメンバーは揃って苦笑して肩をすくめた。

 

 

 その週の日曜日、普段の勉学やら連日の練習やら『無茶ぶり』やらで久しぶりに疲れていた一哉は、休日なのをいいことに枕元で小刻みに震える携帯電話を無視して二度寝を決め込んでいた。

 しばらくして部屋に入ってきたリサに叩き起こされ、なんで電話に出ないのさ、と叱られた。

 そして興奮気味にまくしたてる次の言葉で、眠気は一気に吹っ飛んだ。

 キーボーディストが見つかった。



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第四章 青い薔薇:前編

       

 

 

 指定された場所まで地図アプリを頼りにやって来て、燐子(りんこ)はそこが前に親友が連れてきてくれた場所と同じであることにようやく気がついた。

 ライヴハウス『CiRCLE(サークル)』。

 予定の時間よりもだいぶ早く着いてしまい、だから燐子は、近くのベンチに座って待つことにした。

 ほう、と息をついてから、燐子は手元の携帯電話に視線を落とす。

 開かれているのは、メッセージアプリだ。画面には、ゆうべ親友から送られてきたチャットが映し出されている。

 思い返せばそれは、本当に突然だった。

 この一週間ほど、ほとんど毎日のようにピアノに座っては『動画』に合わせて気の向くまま演奏する日々を送っていた燐子のところへ、一本の電話が入ったのだ。

 通話ボタンを押して耳にあてた時、受話口の向こうから焦燥感に包まれた親友の声が聞えてきた。

 

 

 ――りんりーん! 助けてぇ!

 ――あこちゃん、どうしたの?

 ――キーボードが見つからないんだよぉ! せっかくライヴが決まったのに! りんりんの知り合いでいない? キーボード弾ける人! ピアノでもいいんだっ。

 

 

 思わず、鍵盤に触れる手が反応した。

 ……ピアノ……ピアノなら、私……弾けるけど……でも、私は……。

 

 

 ――あ、でも上手い人じゃないとバンドには入れないんだけど……。

 ――……そっか……そう、だよね……。

 

 

 バンドの話は、いつもあこから聞いている。

 その日の練習や、楽しいこと、大変なこと……それこそ友希那達が音楽というものにとてつもない熱量をもって真剣に取り組んでいることが伝わってくるくらいに。

 対して、自分はどうだろうか。

 ピアノを弾くのは好きだし、楽しい。けれど私は、ただ自分の部屋に籠って一人で演奏しているだけ。

 あこちゃんみたいに積極的になれない私が、こんなことを言ってもいいのだろうか。

 ……けれど。

 

 

 ――りんりん? そうだよね、ってことは、誰か知ってるの……!?

 

 

 どくん、と心臓が高鳴る。

 体温が上がって、顔が熱くなるのが判った。

 何か言葉を紡ごうとしても、緊張してうまく声が出せない。

 でも。

 それでも……。

 

 

 ――……って、そんなうまい話ないよね。あのね、もし、めちゃくちゃ上手い人がいたら、あこに教えて……。

 ――……ける……。

 ――……? りんりん?

 ――……ひ……弾ける……! 私……弾けるのっ……!

 ――ええっ!?

 

 

 そんなわけで、昨日の今日でここまで来たわけである。

 あの時どうして、弾ける、とあこに言ったのか、正直なところ燐子には判らない。

 ただ、画面に映る彼女達といっしょに演奏したい、その気持ちがあったのは事実だ。

 だが裏を返せば、その衝動に突き動かされて口走ってしまったとも言える。

 しかしここまで来たら、もう引き返すことは出来ない。

 ぎゅっ、と膝に置いた手が小さく拳を作る。

 果たして、変わることは出来るのだろうか。

 

「……強い……自分に……」

「りんり~んっ!」

 

 あこ達がやって来たのは、ちょうどその時だった。

 

 

 

       

 

 

 CiRCLEまでの道すがら、一哉はリサから事の詳細を聞かされた。

 ライヴの日が刻一刻と迫る中、いっこうにキーボーディストが見つからないことに焦った友希那達は昨日、ついに『奥の手』を使うことになった。

 手当たり次第に知り合いへ連絡を取ることにしたのだ。

 連絡係は、リサとあこの二人が務めた。

 そして一本めの電話で、さっそく見つかったのだという。

 見つけたのは、意外にもあこだった。

 電話を終え、びしっ、と効果音がつきそうなくらいの勢いで挙手したカッコイイドラマーは、こう宣言したらしい。

 あこの親友、ピアノ弾けます!!

 そして今日、その親友を呼んで実際に音を合わせてみることになったという。

 言わずもがな、オーディションである。

 ひととおり話を聞いた一哉は、とりあえず一言。

 マジか。

 

「あっ、あそこです! りんり~んっ!」

 

 スタジオ最寄りの駅で先行していた友希那達と合流すると、五人はそのままCiRCLEへと歩を進めてゆく。

 目的地が見えたところで、ふいにあこが声をあげて駆けだして行った。

 反応して顔を上げたのは、オープン・カフェの手前にあるベンチに座っていた黒髪の少女だ。

 

「こ、こんにち、は……。白金、燐子……です。よろしく、お願いします……」

「あっ……ご丁寧に、どうも。こちらこそよろしくお願いします」

 

 控えめながらも丁寧な物腰の彼女に、思わず一哉も挨拶し返した。

 

「へーっ。この子が燐子ちゃん?」

 

 リサである。

 

「あこの友達っていうから、なんてゆーか……あこと似たようなタイプの子想像してたけど」

「りんりんはね、すっごいんだよっ。ネトゲでは無敵なんだから!」

「ゲ、ゲームの……話は……あんまり……!」

 

 そう言ってオロオロする様子は、たしかにリサの言うとおり、あことは似ても似つかない。

 それにフリルのついた白いブラウスに黒いロング・スカートという、活発な性格のあこの親友にしてはずいぶんと落ち着いた雰囲気をまとっている。

 

「そうね、音楽の話が聞きたいわ」

 

 ずい、と友希那が前に出る。

 

「燐子さんと言ったかしら? 課題曲はあなたのレベルに合ってた?」

 

 それは最終的な確認である。

 楽曲の難易度が演奏者の技術レベルを上回っていたら、当然ながら演奏出来ないからだ。

 だが、

 

「わ、わた……し……動画と……その、たくさん……一緒に……」

 

 彼女の答えは、どうにも歯切れが悪い。

 いや、純粋に人と話すのが極端に苦手なだけだろうか。

 

「動画? ……演奏レベルを確認したいのだけれど、それは難しかったという意味?」

「白金さん」

 

 紗夜だ。

 

「同じクラスだけど、こうして話すのは初めてね。ピアノ、有名なコンクールの受賞歴もあると聞いたことがあります。いつも学校では静かなので、こういった場に来るとは思いませんでした」

「……コンクールは……小さなころの、話で……私、ただ……」

 

 言いながら、言葉に詰まった燐子は俯いてしまう。その様子を見てか、紗夜は彼女を呼んだ張本人であるあこに何やら耳打ちしている。

 その時だ。

 ちょん、と上着の裾を誰かに引っ張られた。

 

「……友希那?」

 

 銀髪の少女が、視線は燐子に向けたままで、躯をこちらに向かせていた。

 

「あの子のことがよく判らないわ」

 

 ささやきである。だから一哉も、ささやきで応えた。

 

「でもコンクールで賞取れる程の腕なんだろ? 正直、背に腹は代えられないと思うぞ」

 

 ライヴまで、残り日数も少ないわけだし。

 

「……そうね」

 

 そして我らが歌姫は、一人のピアニストに向き直った。

 

「……オーディションは、あこの時と同じで一曲だけよ。それで駄目なら帰ってもらうから」

「はいっ! 頑張りますっ!!」

 

 威勢よく応えたのは、あこの方だった。

 

 

 燐子の分のキーボードは、CiRCLEのレンタル機材を使うことになった。

 クラシック経験者なら軽いタッチよりもピアノ・タッチの重い鍵盤の方が馴染みがあるだろうということで、選んだのはRolandの『FA-08/88』である。スタンドはもちろん、サスティンやボリューム・ペダルなど足回りの機材も借りて、一哉達はスタジオに入った。

 六人に増えて少し手狭になった感覚は否めないが、演奏に支障が出ないよう配置に気をつけて、それぞれ準備に入る。

 

「……では、いきますよ」

 

 全員のセッティングが終わったところで、最後の確認として声をあげるのは紗夜だ。

 

「白金さん、いいですか?」

「は……はい……」

 

 キーボードの前に立って、しかし燐子の返事は今にも消え入りそうだった。

 

「白金さん」

 

 そんな彼女が少しばかり心配になって、一哉はたまらず声をかけた。

 

「緊張するのは構わないけど、もう少し肩の力抜いて」

 

 言いながら一哉は、フット・コントローラーのスイッチを踏みかえる。『BLACK SHOUT』のイントロで使うハープシコードの音色を呼び出したのだ。

 

「シンセの上モノとかは俺がやっちゃうからさ。今自分がやれることをやってくれれば大丈夫だから」

「はい……わかり、ました……」

 

 ……大丈夫かな、本当に。

 まあ、ともかく。

 友希那へ視線を投げる。

 彼女は頷いて、口を開いた。

 

「あこ、カウントをお願い」

「はーいっ!」

 

 ドラム・スティックのフォー・カウント。

 イントロは一哉のギター・シンセだ。8分で刻まれるフレーズを、一音一音しっかりと弾いてゆく。

 友希那の歌声が、一哉のギターに重なる。

 そこへドラム、ベース、紗夜のギター……そして燐子のピアノが合わさった瞬間、全員の顔色が驚愕に染まった。

 まず変わったのは、燐子だ。さっきまでの物怖じした様子はどこへいったのか、そこに立っていたのは晴れやかな表情で楽しそうにピアノを奏でるキーボーディストがいた。

 紗夜やリサ、あこの音も、燐子の演奏に引っ張られるように……いや、違う。

 この『感覚』は…………!?

 一哉は、他のバンドメンバーを見やった。

 思ったとおりだった。

 燐子が加わったことで、これまでにない演奏になっているのだ。

 同じだ。

 リサやあこをオーディションした、あの時と!

 それだけではなかった。

 

「友希那……」

 

 ぼそりと零した声は、アンプやスピーカーから叩きつけてくる演奏によって掻き消え、だから誰に届くわけでもない。

 それでも一哉は、歌姫から目を離すことが出来なかった。

 歌っている。

『孤高の歌姫』だった幼なじみが、見事なまでの音楽に揺られて、楽しそうに歌っている。

 音楽の波に乗り、感情に乗せて歌い上げる彼女の表情は……昔のような懐かしさを感じさせたのだ。

 そう。それはまるで、三人でセッションしていたころのような懐かしさだ。

 思わず、唇が笑みに歪む。

 ああ、これだ。

 これだよ、友希那。

『音』を『楽』しんでこそ、音楽なんだ。

 ORIONとのジョイント・ライヴでは……いや、一哉の『音』だけではついぞ引き出すことの出来なかった、友希那の表情。

 でも。

 いける。

 いけるぞ。

 このメンバーなら……このバンドなら、お前の夢はきっと叶う。

 歌の終焉とともに、一哉は歪ませたギターをかき鳴らした。

 

「なんか……すごかった。五人より……」

 

 ベースを構えたまま、最初に口を開いたのはリサだった。感慨深げにつぶやくと、うっすら笑みを浮かべる。

 その言葉に異を唱える者はいない。スタジオの沈黙は、逆にリサの言葉を肯定していた。

 そんな中で、紗夜が続く。

 

「……私は問題ないと思いました。……ちなみに湊さんの意見は?」

 

 その問いかけに、しかし友希那はすぐには応えなかった。

 

「……こんなこと、何度も……おかしいわ」

 

 マイクの前で、ぶつぶつ言っている。

 彼女が何を考え込んでいるのかは、一哉にはおおよその見当はついていた。

 だが、最年少のドラマーはそうではなかったようだ。

 

「それって……こんなによかったのに駄目ってこと? な、なんでですか?」

 

 言いながら、あこは今にも泣き出してしまいそうな顔つきで身を乗り出してくる。

 だが、それは誤解だ。

 

「ほら友希那、いつまでぶつぶつ言ってんだ戻って来い」

 

 ぱんぱん、と一哉は銀髪の少女の前で両手をはたく。少しばかり驚いたのか、ぱちくり、と彼女らしくない大きな瞬きを見せてから、

 

「……そうね、ごめんなさい」

 

 気を取り直して。

 

「演奏は問題ないわ。技術も表現力も合格よ」

 

 それから、

 

「ぜひ加入して」

 

 それはこれ以上ない、友希那なりの賛辞なのだろう。メンバー入りを認められた燐子が、ぱあっ、と表情を明るくさせたのが何よりの証拠だ。

 そんな燐子のもとへ、あこが抱きつく。

 

「やったー! やっぱりりんりんは凄い! 最強だよ!! この短い期間でノーミスだったもんねっ!」

「あ、それそれ」

 

 ぽん、とリサが手を打った。

 

「燐子ちゃん、すっごいピアノ上手いんだねー☆ 譜面もらったの昨日でしょ?」

 

 燐子がピアノを弾けることをあこが知ったのは、昨日の夕刻。それから今まで丸一日と経過してさえいない。

 にもかかわらずこの練度の高さというのは、彼女の才能なのか、それとも……、

 

「えと、その……家で……動画と、いっしょに……何度も……弾いてたから」

「あ! あこがあげた練習動画のこと? あれで練習してたんだ」

「なるほど。妙に一体感があるとは思いましたが……」

「……にしても、だ」

 

 紗夜の言葉を、一哉が引き取る。

 

「初めの一回でここまで出来るのはすごいよ」

 

 少し考えて、友希那も同意したようだ。

 

「いいわ」

 

 そして、

 

「あこ、燐子さん……それとリサ。あなた達も含めて、一度このメンバーでライヴに出る」

「ラ、ライヴ……!?」

 

 燐子である。

 

「うそ……」

 

 いきなり、おろおろと狼狽(うろた)え始めたのだ。

 

「やったねー☆ じゃあ燐子ちゃん……いや、燐子。これからよろしく♪」

「リサ、ちょいまち」

 

 にっ、と人懐っこい笑みを浮かべるリサに待ったをかけてから、一哉は燐子に歩み寄った。

 

「白金さん、大丈夫か? 顔色悪いぞ?」

「あ、えと……うぅ……」

 

 おろおろ、あたふた。

 何かが、引っかかった。

 そのまま一哉は、すぐ脇にいたあこを向いた。

 

「あこちゃん、白金さんをここに呼ぶ時、ちゃんと説明したんだよな?」

「したよっ!」

 

 即答である。

 

「なんて?」

「バンドしよって! スタジオで、あこ達といっしょにキーボード弾きに来て、って!」

「……う~ん、あこ。その説明、ちょ~っと足りないかも……?」

 

 実際、リサの言うとおりだ。

 バンドをやろうとは言ったが、肝心のライヴのことについては一切触れていないのだ。

 燐子があまり人前に出ることを好まない性格であるということは、さすがに初対面の一哉でさえ察することが出来た。

 要するに、彼女は今日、ライヴに出る前提でオーディションに来たわけではなかったのだ。

 

「参ったな……」

 

 思わず、両手で顔を覆う。

 だとすると、考えられるのは……、

 

「わた……し、そこまで……考えて……」

「なら、もう帰って」

 

 ああ、やっぱり。

 まるで興味を失くしたかのように、ぴしゃり、と友希那は言ってのける。

 

「どんなに力があっても、やる気のない人に割く時間はないの。他のキーボードを探すだけよ」

「そうは言うがな、友希那。白金さん程の腕はそうそう見つからないぞ。だいいち、ライヴに間に合わなかったらどうすんだ。お前のバンドだぞ?」

「それならキーボード抜きでやるだけよ」

 

 その時だ。

 

「……わ、わた……し……っ、……きたい!」

 

 たどたどしい、しかし力強い大きな声が、スタジオに響き渡った。

 それを発したのが燐子だということに驚いたが、誰よりも唖然としていたのは親友のあこの方だった。

 

「り、りんりんの大きな声、初めて……」

「わ、わたし……皆さんと……弾きたいです……っ」

 

 それは、決意の表明だった。

 

「が、がんばります……お、おねがい……します……っ!!」

 

 それは、紛れもない彼女の『熱意』だった。

 燐子の眼を見た一哉が、やれやれといった様子で振り返る。

 

「だってよ、リーダー」

「……そう」

 

 すると友希那は満足したように笑みを浮かべて、燐子に振り返り言った。

 

「燐子。その気持ち、ライヴで見せてもらうわ」

 

 メンバーが、ようやくそろった瞬間だった。




 ようやく、Roseliaのメンバーが揃いました。


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第四章 青い薔薇:中編

       

 

 

 空が茜色に染まり始めてゆく。

 それをリサは、窓側の席で頬杖を突きながら黙って見つめていた。

 放課後の羽丘女子学園、リサ以外に誰もいない二年A組の教室である。

 今朝の小テストに引っ掛かったらしい友希那が別室での追試を受け終わるまで、こうして待っているのだ。

 

「……はぁ」

 

 小さく、溜め息を零す。

 明日はついに、ライヴ当日なのだ。

 

「ねえねえ、リサちーいるー?」

 

 突然、快活な少女の声が聞こえた。

 がらり、と教室の引き戸を開けて、一人の人物が姿を現した。そのまま、とてとてとこちらに近寄って来る。

 ふんわりとパーマがかかった、翡翠色の髪の少女である。柄の入ったネクタイもスカートも紫を基調とした色で、だからリサと同じ二年生であることが判る。

 というか、

 

「あ、ヒナ」

 

 氷川日菜(ひかわひな)、リサのクラスメイトである。

 

「どしたの、部活これからでしょ? 何か忘れ物?」

「ううん、違うんだー。ちょっと訊きたいことがあって!」

「アタシに?」

 

 うん、と日菜は頷いて見せる。

 

「うちのおねーちゃんとバンド組んだってほんとー?」

「えっ、お姉ちゃんって……あ、そっか」

 

 思い出した。

 

「ヒナって双子なんだっけ」

 

 言われてみればたしかに、誰かに似ているような気がする。

 特徴的な翡翠色の髪……当てはまるとすれば、紗夜ぐらいだろうか。

 そこまで考えて、リサは記憶を探ってみる。

 

「……そういえば、紗夜の苗字ってたしか……」

 

 そこで、日菜が言葉をひったくる。

 

「そー。氷川紗夜。あたしのおねーちゃん。あたしには何にも話してくれないからさー、いろいろ教えてほしーなっ」

「いいけど……なんで紗夜はヒナに話さないのー?」

「んー……」

 

 リサ以上に表情豊かな日菜が、一瞬だけ困ったような笑顔になったのは気のせいだろうか。

 

「まぁいいじゃん、それはっ。それよりバンドしてる時のお姉ちゃんってどんな感じ? 楽しそう? 嬉しそう?」

「えっ? う、うーん……いつもと変わらないんじゃないかなぁ……?」

 

 実際のところまだ付き合いもそこまで長くないので、リサとしてはそう答えるしかなかった。

 ギターの腕は相変わらず凄いし、わずかなリズムの乱れにも気がついて注意してくれる。少しでもバンド全体の実力を底上げしようと尽力してくれる姿は、バンドメンバーとして頼もしいとさえ思っている。

 それが『普段』の紗夜であるならば、いつもどおり、と答えるのが一番しっくりくるのだ。

 

「そっかぁ……」

 

 けれど日菜としては、リサの返事はちょっぴり納得していないようだ。

 だが、

 

「……あ」

 

 ちょっと待って。

 思い出したかも。

 

「そういえば、ちょっと前に紗夜、練習中にギターの相談してたなー」

「おねーちゃんが?」

「うん。アタシの幼なじみにね」

 

 

 それはまだキーボーディストが見つかる前の、一哉も交えたある日のスタジオ練習の時だ。

 フルサイズのアレンジが出来上がったばかりのオリジナル曲『BLACK SHOUT』を磨き上げることが目標にされたその日、各々の個人練習時間に思い立ったように紗夜が一哉に声をかけたのだ。

 

「野上さん、少しいいでしょうか?」

「どうかした?」

「ギター・ソロのことで、ちょっと相談が……」

「ん、判った」

 

 応えて、立ち上がる。一哉はワイヤレス・システムを導入しているようで、だからケーブルが邪魔になるようなこともなく紗夜の方に歩いて行った。

 

「ここのフレーズなんですが、何度弾いてもミスしてしまって……」

 

 ちょっと聴いてもらえますか、そう言って紗夜はギター・ソロを奏で始めた。

 アンプを通して歪ませたソリッドなサウンドが流れ、リサも自身の練習の手を止めて紗夜の方を向く。見ると、友希那やあこも視線をそちらに投げていた。

 日々の基礎練習によって培われた左手の運指と右手のピッキング。機械的ともとれる滑らかなソロ・フレーズがほんの一瞬だけ、たしかに途切れたような気がした。

 

「ど、どうでしょうか……?」

「んー、そうだなあ……」

 

 言いながら、腕を組む。

 

「どこまで言って良いかによるけど……」

「構いません。野上さんが思ったことをそのまま言っていただければ」

「そか。じゃあ、お言葉に甘えて言わせてもらうけど……うん、ソロの組み立て方は悪くない。フレーズもまとまってるし、全体的に見てもちゃんと『弾けてる』と思うな」

 

 ただ、と一哉は付け加えた。

 

「固い」

「固い?」

「ああ、固い。とにかく全身に力が入ってる。こう弾かなきゃ、って気持ちが前に行き過ぎて、それで同じところで躓いてるんじゃないか?」

 

 たとえばさ、と一哉は自分の椅子まで戻ると、右足でボリューム・ペダルを上げる。そのままエフェクターの隣に足を滑らせ、作動させるのはMIDIコントローラー・G-MINORである。ディレイ・エフェクターをオンにしたようだ。

 足を軽く前後に開く、それは一哉がソロ・パートを演奏する時によくとる姿勢である。

 

「ちょっと演ってみるな」

 

 そして、先ほどの紗夜が弾いたのと同じフレーズを弾き始めた。

 一哉のギターは、軽量化のためにボディの中が一部くり抜かれたセミホロウ構造になっている。楽器職人の彼の祖父が、ORIONの結成祝いにとオーダーメイドで造ってくれたらしい。

 一哉が考案したオリジナルヘッド/ボディ・デザインを持つギターは、まず全体の試作品ということでプロト・タイプが一本が制作され、こちらはORIONのLIVEで主に使われている。

 そして今、彼が持つ青いギターこそ『KN-1』と名付けられた、二つとない彼だけのオリジナル・モデルというわけだ。

 まあそんなわけで、使用するギターが違えば『音の鳴り方』が違うのは当然のことなのだが、一哉の最初のピッキングの段階で、リサは二人の決定的な違いに気がついた。

 一哉が指摘していた通り、たしかに先ほどの紗夜の演奏は正確ではあったものの、どこか『型に嵌まった』ような感覚があった。

 だが一哉には、それがない。

 別段、高度な演奏をしているわけではない。フレージングはそのままに、ちゃんと『自分の音』としてソロに昇華しているのである。

 

「……まあ、こんな感じか」

 

 紗夜が躓いていた箇所も含めて、一哉はソロを弾ききってしまう。

 演奏者が違うだけでこうも変わるのか……素直な驚嘆と同時に一哉の高い実力にリサは舌を巻いた。

 そしてリサでさえここまで感嘆するのだから、同じ楽器を弾く紗夜が受けた衝撃は、きっとリサの比ではないだろう。

 一哉のセンスがバンドに必要だという友希那の言葉の意味が、少し判ったような気がした。

 

「とりあえず俺から言えるのは、肩肘張らなくていいってことかな。躯が固まってちゃ、出来るものも出来なくなるから。もっと肩の力抜いて。ソロなんて自由に弾いてナンボなんだし」

「自由に、ですか……?」

「おう。いやまあ、コード進行はしっかり憶えとかないとフレーズが出て来ないとかあるから、そこは気をつけてな。……あと技術的なことを言うなら、右手が左手の動きについて行けてないところがあったから、アルペジオのエクササイズとかやってみるといいかも」

 

 たとえばCのメジャー・アルペジオを、ダウンとアップを交互に行うオルタネイト・ピッキングで6弦7フレットから1弦8フレットまでしっかりと正確に行う。かなり難しいが、五分くらい弾き続けると相当右手と左手の調整になるという。右手を左手に追従させるには、かなり効果的な基礎練習法らしい。

 説明を受けていた紗夜はいつの間にノートを取り出していたのか、一哉から提示されたメニューやアドバイスを書き込んでいた。

 

「……なるほど……ありがとうございます。とても参考になりました」

 

 ぱたん、とノートを閉じて、紗夜は一哉を見上げた。

 

「今日から早速やってみます」

「それがいいな。ああでも、無理はしないように。初めはゆっくりでいいから、徐々に慣らしていきな」

 

 判りました、と応える紗夜の顔に、どこか焦りに似た何かが見えたような気がした。

 

 

「へー、そんなことがあったんだぁ……」

 

 リサの隣の席に腰を下ろして、

 

「だからなのかな……」

 

 ぽつり、と日菜が零す。

 

「なにが?」

「えっとー……最近ね、おねーちゃんのギターの音が変わったような気がして。うまく言えないけど……こう、ぽわーっ、てなるんだー」

 

 氷川日菜は、頭の回転が速い少女である。

 成績も優秀で理解力もある一方で日常的な会話では感覚的な擬音を多用するのだが、それでも彼女の言いたいことはリサには判った。

 だが、

 

「……ねえ、リサちー」

「んー?」

「おねーちゃんのこと、よろしくね」

 

 よろしく?

 その言葉の真意を聞く前に、双子の妹は立ち上がって教室を出て行ってしまった。

 じゃああたし部活行ってくるねー、と言い残して。

 追試を終えた友希那がA組の教室に顔を出したのは、その少し後のことだった。



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第四章 青い薔薇:後編

       

 

 

 CiRCLEのライヴ・ステージが地下にあるのには、いくつか理由がある。

 まず、土地の問題である。

 東京都の高い土地価格では、おいそれと敷地面積を横に広げることは難しい。それに加えてカフェ・テリアの併設がオーナーの意向で決まったことにより、ステージが地上に収まらなくなったのだ。

 そのため、リハーサル・スタジオとロビーを一階、ライヴ・ステージを地下に建設することで省スペース化を図ったというわけだ。

 ライヴ・スペースを地下に造ったことで周辺住民への防音上の対策もクリアし、結果としてこの判断は間違っていなかったと言える。

 

「ついにこの日が来たねっ!」

 

 地下の廊下で、宇田川あこは声をあげた。

 

「りんりん、このボード見て元気出して! あこ達のバンド名だよっ!」

 

 ほら、と指す先は、壁面に取り付けられた掲示板である。扉式になっていて、中に入れたポスターが透明のアクリル板を通して見れるようになっている。

 そこには、今日のライヴに出演するバンドが一覧で書かれていた。

<LIVE HOUSE CiRCLE SPECIAL LIVE!!>と銘打たれた今宵のライヴに出演するバンドは、全部で四つ。

 知らないバンドの名前が続く中、リサの目を惹く名前が、二つ。

『ORION』、

 そして、

 

Roselia(ロゼリア)……そっか。友希那、いろいろ考えてたけど、これにしたんだ~」

 

 ついに来た。

 来てしまった。

 この日が。

 

「よーしっ! Roselia初ライヴ!! 行くぞーっ! おーっ!!」

 

 拳を握って突き上げるあこに、遅れて燐子が控えめに拳を上げた。

 

「……っ! おー……」

 

 リサも拳を上げてみたが、思った以上に声が震えて、動きもどこかぎこちない。

 そんなリサの異変に、あこが気づかないはずもなく。

 

「……って、えっ? りんりんだけじゃなくって、まさかリサ姉も緊張……?」

 

 ぎくり。

 

「し……っ! してない、してないよ! ダンスの大会でも、いっしょにステージ出てるじゃん!」

 

 あはははは、と笑い飛ばして見せるものの、しかし実際のところあこの指摘は正しかった。

 そう。

 緊張しているのだ。

 それも、ガッチガチに。

 ダンスの大会に出る時は、緊張の糸が張りつめることもなかった。

 それがどうして、今日に限ってこんなに緊張しているのだろうか。

 ……まあ、なんとなく見当はついてるけど。

 

「あれ?」

 

 背後から声がしたのは、その時だ。

 

「三人とも、こんなところで何してんだ?」

 

 聞きなれた、幼なじみの声である。

 

「あ、一哉。リハーサル終わ……」

 

 ……終わったんだ、と言おうとして、しかし振り返ったリサは言葉をひっこめた。

 そこにいたのは、見慣れない恰好をした見慣れた幼なじみだったのだ。

 白を基調としたセットアップは、立ち襟とポケットだけが黄土色になっている。前を留めている(ぼたん)は、金色だ。胸元には、アルファベットの『J』をアレンジしたような大きなアクセサリーが取り付けられていた。

 おまけに伸びた髪もきっちりセットされているものだから、全体的な印象は一昔前のホテルマンを思わせる。

 

「うわあ……」

 

 あまりの新鮮さに、思わず声が漏れた。

 いつも学校の制服姿やカジュアルな私服しか見ないので忘れていたが、一哉はリサから見てもだいぶスタイルは良い方なのだ。

 普段の彼を知っているからこそ、こういうフォーマルな恰好はリサにとって意外だったのである。

 正直言って、見惚れていた。

 

「ん? どした?」

 

 怪訝そうな顔で、一哉が言った。

 

「……もしかして、変か?」

「ううん、変じゃない変じゃない。へぇ~……けっこう似合ってるじゃん☆」

「うんうん! 大人のヒト、って感じでカッコいいです!」

「あの……その、衣装って……お店で買ったんですか?」

「んにゃ、メンバーの実家が服屋でな。そこのツテで作ってもらったんだ。今日は実里もブルーのセットアップだよ」

「実里姉も!?」

「うっそ! それ超レアじゃない?」

 

 パンツより断然スカート派の実里までしっかりコーデを決めているとは、相当気合が入っていると見える。

 リサは反射的に自分の服装を(かえり)みた。

 お気に入りのオフショルダーのセーターは、太もも辺りまで丈のあるオーバーサイズ。他にはデフォルメされた兎の形をしたピアスやネックレスなど、ロング・ブーツも含めほとんど私生活で着ているものと変わりはない。

 だからこそ、ふと嫌な予感が頭をよぎった。

 あれ?

 もしかして……いや、もしかしなくてもアタシ、浮いてない?

 それより、と一哉は携帯を取り出す。どうやら時間を見ているようだ。

 

「これから最後のリハだろ? 行かなくていいのか?」

 

 ブラシャの合わせに来たんだけど、と鼻を掻く一哉に、三人はそろって声をあげた。

 

「わわわ! リサ姉、もう時間ぎりぎりだよぉ!」

「うん、行こう! 早くしないとあの二人に怒られちゃう!」

 

 急いで、四人は友希那達が待つスタジオへと向かう。

 正直、不安はいっぱいある。

 友希那のようにソロで歌ってきたわけじゃないし、紗夜みたいにリズムを崩さず弾こうとするとどうしても失敗してしまう。

 あこのように誰かに憧れて楽器を始めたわけでもなければ、燐子のように大きなコンクールに出たこともない。

 ましてや、一哉のようにバンド活動をしたことすらなかったのだ。

 バンドで一番技術が足りないのが自分であることくらい、嫌でも判る。

 でも。

 やるしかない。

 今日のライヴできちんと結果を出すんだ。

 友希那の隣にいるために。

 

 

 

       

 

 

 定刻通りに始まったCiRCLEのライヴ・イベントは、順調な盛り上がりを見せていた。

 

「CiRCLE! 盛り上がって行こーうっ!」

 

 歓声とともに振られるライト・グリーンのペンライトに照らされて、フロントに立つヴォーカルの少女が小気味よいギターをかき鳴らす。

 イベントは、もうすぐ折り返し地点に入ろうとしている。今は、ちょうどGlitter*Greenのステージだ。実里がバイトで厄介になっているライヴハウス・SPACEを拠点として活動している、四人組のガールズ・バンドである。

 心地よいリズムに、透明感あふれるヴォーカルが重なる。研鑽を重ねることで培った演奏は、彼女達の実力の高さをうかがわせた。

 

「いいな」

 

 思わず、一哉はそう呟いた。

 ステージ上手の、舞台袖である。

 ORIONとしての出番が、彼女達の次なのだ。小休憩出来るように置かれた椅子に座って、気づけば彼の右足は無意識にリズムを刻んでいた。

 

「は~っ、やっぱイイな~グリグリ」

 

 まるで憧れの芸能人を見るような視線でステージを眺めているのは、隣に座る実里だ。

 一哉と同じく、セットアップの衣装である。

 もっともそのデザインには、一哉のそれとはいくらか違いがある。

 ホテルマンのような一哉のジャケットに対し、実里は青いテーラードだ。前の釦は留めず、その下には黒いVネックTシャツを着ている。

 スカートではなくパンツ・スーツなのは、ペダルの操作がし易いようにそう頼んだらしい。同様の理由で、履いている靴も白いスニーカーである。

 衣装に合わせてか今日はトレード・マークのカチューシャすら外して、下ろした髪はいくらか大人びた印象を与えていた。

 

「実里お前、な~にうっとりしちゃってんの」

 

 そんな実里の向こう側から、ぐい、と身を乗り出す鳴海は黄色味がかった苅安(かりやす)色のセットアップに身を包んで、頭には汗止め用の黒いヘッド・タイを結んでいる。

 

「そんなにグリグリのファンだったっけ?」

「ファンどころか大ファンですぅ~。ナルルンもSPACEのライヴ観に来たら判るよ。ゆりさんの歌、すっごいんだから!」

「そんなもんかねえ」

「鳴海さん、影山は?」

「んん? めーそーちゅー」

 

 見ると、山吹色のセットアップを着た影山は一番奥に座って、本番前のルーティンである精神統一中のようだ。

 

「まあ、今日はだいぶ体力使いそうだしな。緊張もしんてんだろ」

「そう言う割に、鳴海さんは平気そうですね」

 

 一哉の言葉に、とぉんでもない、と鳴海は食い気味に返してきた。

 

「俺ぁいつだって緊張しまくりよ」

「じゃあナルルン」

 

 実里である。

 

「ずばり、今日の課題は?」

「手ぇ攣らないかどうか」

 

 じゃあ大丈夫ですね、と一哉が口にしたところで、ステージの歓声がひと際大きくなった。

 

「みんなありがと~う! 今度SPACEでライヴするから遊びに来てくださ~いっ!」

 

 どうやらGlitter*Greenのステージが終わったらしい。ステージの照明が落とされる中、四人の少女がこちらへはけてくると同時に、下手側から数人のスタッフが出てくる。機材転換のため、一五分ていどのブレイク・タイムに入るのだ。

 

「皆さん、お疲れさまです!」

 

 舞台袖へと帰ってきた少女達に、立ち上がった実里が真っ先に飛び込んだ。

 

「ありがとう。実里ちゃん達の演奏、楽しみにしてるね」

「みのりんも頑張ってね~」

 

 三〇分のステージングの疲れを感じさせない軽さで声をかけるベースの少女には、一哉も見覚えがあった。

 近所の楽器店で何度か会ったことがあるのだ。一哉が客で、彼女はレジ・カウンターに立つ店員である。

 その場の流れで実里に紹介された一哉達もGlitter*Greenのメンバーと軽く談笑し合い、そして彼女達は楽屋へと戻って行った。

 

「えー、ORIONの皆さん、スタンバイお願いしまーす」

 

 やがて機材の入れ替えも済んだところで、若いスタッフの合図が飛んで来た。

 影山も瞑想を終え、四人は示し合わせたように円になる。

 

「さぁて、それじゃ行きますか」

「オッケー」

「よっしゃ」

「はい」

 

 拳を握り、腰だめに構える。

 

「せーの」

 

 そのまま、

 

「えい、えい、おーっ!!」

 

 握った拳を突き上げ、四人は気合を入れた。

 

 

 出番は最後の最後、スタンバイまで時間的余裕があった紗夜達は、ステージでの模様をモニター越しに眺めていた。

 

「それにしてもRoseliaか~、『ロゼリア』って響きがもうカッコイイなぁ~」

 

 手にしたドラム・スティックをくるくると回しながら、あこが感慨深げに呟く。

 

「そういえば友希那さん、どうしてバンド名、Roseliaなんですか?」

薔薇(ばら)の『Rose(ローズ)』と、椿(つばき)の『Camellia(カメリア)』からとったわ。とくに、青い薔薇……そんな、イメージから……」

「青い、薔薇……」

 

 紫陽花(あじさい)菖蒲(あやめ)など青い花を咲かせる植物がある中、青い薔薇だけは自然界に存在しないものと言われていた。

 もともと、薔薇には青い色素が含まれていないからだ。

 実際、多くの物語や詩の中に登場する青い薔薇は、総じて『存在しないもの』の象徴として描かれている。どこかの国のおとぎ話では、魔女に青い薔薇を贈ると願いが叶うとも言われていたそうだ。

 ゆえに、花言葉は『不可能』。

 しかし、この話には続きがある。

 バイオテクノロジー技術の発達により、西暦二〇〇四年、ついに世界初の『青い薔薇』が誕生したのだ。

 どんなに遠い夢でも、信じればきっとたどり着ける。

『不可能』から『可能』へ。

 花言葉が変化した瞬間だった。

 

「不可能を、可能に……いい名前ですね」

 

 きっと彼女がこの名前に辿り着くまで、相当な時間がかかったのだろう。

 きっかけが何かは紗夜には知る由もないが、しかし実際のところ、紗夜はこの名前にすでに愛着を持っていた。

 何せ、目標は高い。

 FUTURE WORLD FES.への出場なのだ。

 一見不可能に見えるその夢も、きっと実現することが出来る。

 不思議と、そんな自信をくれる名前に。

 

「そういえばリサ」

 

 ふいに、思い出したように友希那が声をあげた。

 

「あなたこの前、ORIONの練習に顔を出したそうね」

「うぇっ!?」

 

 ちょうど水を飲んでいたらしいリサは、友希那の言葉に反応して盛大にむせてしまった。

 

「わわっ、ちょっとリサ姉、お水零しちゃってるよ!」

「あの、ハンカチ……どうぞ……」

「……そんなに驚くことかしら?」

「今井さん、大丈夫ですか?」

「あ、あはは~……大丈夫だよ~。……ていうか、なんで友希那がそのこと知ってんのさ~?」

 

 言いながら、リサは壁際のスタンドに置かれた一本のギターを見やった。

 KN-1。鮮やかなプラネット・ブルー・サンバーストが美しい、一哉のギターである。

 

「アタシ言った覚えないんだけどな~」

「一哉から聞いたわ。ベースの練習に付き合ったって」

 

 しれっ、と応えるのは、友希那である。

 

「え~っ!? ……まったく、そういうのは黙っておくのがデキるオトコノコなのに、何で言っちゃうかな~」

「彼、飲み込むのが早いってあなたのこと褒めていたわよ」

「むむむ、それは嬉しいんだけどさあ」

 

 ぷう、と頬を膨らませて、それはいかにも不服そうだ。

 

「あ、もうすぐ一哉さん達の出番だよっ!」

 

 わくわくした様子で、あこがモニターを指す。

 暗いステージの上はすでに機材の入れ替えが終わって、そこにはORIONの楽器達が鎮座している。

 

「野上さんの技術はたしかに目を見張るものがありますが、バンドとしての実力はどうなんでしょう?」

「わ、私も……気になり、ます……」

 

 友希那とバンドを組んでから、それなりに一哉に演奏について質問することはままあった。

 しかし紗夜と燐子は、まだORIONとしての一哉の演奏を聴いたことがなかったのだ。

 

「彼らは一つのジャンルにとらわれない演奏スタイルだから、一言で表すのは難しいわね」

 

 それが、友希那の答えだった。

 

「でもでも! あこ、ORIONの曲すっごい好きです! ドラムもどーん! ばーん! て感じで勢いがあって、それでそれで……!」

「あ~こ、ちょっと落ち着いて。……でも、言いたいことは判るかな。アタシも、正直言ってビックリしたし」

「そんなに、なんですか?」

「うん。何て言うのかな……みんな同じ方向を向いて演奏してる感じ? バンドとしてのまとまりが凄いっていうか……」

 

 リサがそこまで言った時、モニターの映像に動きがあった。

 打ち込みのシーケンスが流れ始めたのだ。

 キックとスネアだけのシンプルな構成でテンポも100以下と、決して速くはない。

 しかしシーケンスに合わせて明滅を繰り返すステージの照明につられて、徐々に観客席から手拍子も聞こえ始めてくる。

 最初にステージに現れたのは黄色味がかったスーツの青年だった。ついで山吹色の少年、青い少女と続いて、最後にリハーサルでも見た白いセットアップのギタリストが姿を見せる。

 それぞれの位置についたメンバーは軽く楽器の試し打ちをし、リーダーである一哉に視線を投げる。

 

「紗夜」

 

 モニターから目を離さず、口を開くのは友希那である。ステージ中央に立つ一哉が、背後を向いてカウントを取るところだった。

 

「あなたも観ておいた方がいいわ」

 

 そして、

 

「彼らは……いずれ私達が超えるべき壁になる存在だから」

 

 ――CYBER ZONEサイバー・ゾーン――

 

 とくに自己紹介もなく幕を開けたORIONのステージに、紗夜は思わず息を呑んだ。

 畳みかけるようなギターとシンセ・ブラスのユニゾンから始まったかと思えば、手足のコンビネーションを効かせたトリッキーなドラム・パターンにギターのコード・カッティングが入る。

 世界観を広げてゆくキーボードの下で、ギターとベースは打ち込みかと思わせる正確さでロック・フィーリング溢れる16ビートのリフを奏でる。

 キーボードと弦楽器組との掛け合いが見られるブリッジを経て、曲はギターがメロディーをとるサビへ入る。

 どれをとっても、素晴らしい、としか言いようがなかった。

 個々人の技量はもちろん、四人が合わさったバンドとしてのレベルがケタ違いなのだ。

 ライトハンド奏法を駆使し汗を散らしながらギター・ソロを奏でる一哉の姿に、紗夜は目が釘付けになった。

 紗夜自身も、人並み以上に練習しているという自負はある。

 だが、一哉は?

 いったいどれだけの練習を重ねたら、こんな……こんな『歌う』ようなギターを奏でられるのだ!?

 太く鋭い、独特な音。

 一哉が持つ、彼だけの音。

 そんな音が、と紗夜は思う。

 私にはあるのだろうか。

 

「すご……この前の練習よりも、もっと上手くなってる……!」

 

 リサである。高揚した面持ちの中で、その口元は穏やかな笑みをたたえている。

 圧巻の演奏は会場をあっという間に沸き立たせ、観客の心を掴むには充分過ぎた。

 しかし、ORIONは止まらない。

 一曲目が終わるや否や、すかさずドラムのカウントが入り二曲目へとなだれ込んだのだ。

 

 ――目撃者――

 

 先ほどとは打って変わって、アップ・テンポで軽快なノリの8ビートである。

 一体となった観客は手拍子で応援し、それに応えるようにメンバーも熱い演奏を繰り広げてゆく。サビを終えたあとはオクターブ奏法を使った短いベース・ソロが飛び出したりと、迫力満点だ。

 

「リサ姉リサ姉! ほら、実里姉のピアノだよ! すっごいカッコいいよ!」

「うん……本当、みんな凄過ぎて言葉が出ないよ……」

「お、お客さんも……みんな、盛り上がってますね……」

「これが……私達が超えるべき、壁……」

 

 決意を新たにピックを握りしめた時、楽屋の扉が誰かにノックされた。

 素早く、三回。

 入ってきたのは、ライヴ・スタッフの女性だ。

 

「Roseliaさ~ん、そろそろスタンバイお願いしまーす」

 

 はい、と友希那が短く、しかし力強く返す。

 それから彼女はこちらを振り返ると、一つ息をついてから、言った。

 

「みんな……行くわよ」

 

 頂点へと至る道を歩むために。

 Roseliaは今日、その第一歩を踏み出した。



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第五章 全てを賭ける覚悟

       

 

 

 なんだ。

 何なんだ、彼らは。

 

「こんなバンドがいたなんて……」

 

 愕然と、ライターの女はそう呟いた。

 観客席後方の、ドリンク・カウンターのすぐ側である。

 この地区で活躍する若手アマチュア・バンド達のライヴをレポートする、それが彼女の今日の仕事だった。

 そのはずだ。

 それが、どうだ。

 

「ORION……」

 

 AXISというライヴハウスを拠点に活動しているインスト・バンドがいるという話は、彼女も知っていた。

 だが『知っていた』だけで、実際に『見て』、『聴いた』ことはなかったのだ。

 しかし、彼女はきちんと理解していた。

 彼らの実力は、つい先ほどまで演奏していたGlitter*Greenにも引けを取らないと。

 

「皆さーん、どうもこんばんは~!!」

 

 ステージが白いライトで照らされ、上手に陣取るキーボードの少女がマイクを手に取った。

 

「いきなり演奏が始まってびっくりしたかと思いますが……改めましてORIONで~す!」

 

 マイクを持っていない方の手を力強く挙げる少女に、割れんばかりの拍手が送られる。

 

「それではここで、軽くメンバー紹介いってみたいと思います!」

 

 スポットライトが、下手側の苅安色のベーシストを抜いた。

 

「まずはベース・鳴海奏太(なるみそうた)!」

「よぉろしくぅっ!」

「オン・ドラムス・影山大樹(かげやまたいき)!」

 

 山吹色のドラマーは顔が見えるように立ち上がると、オーディエンスに対して軽く頭を下げた。

 

「続きまして、キーボードは私、八谷実里(やたがいみのり)で~す!」

 

 スポットライトに照らされて、キーボードの奥で少女は恭しくお辞儀をした。

 

「そしてそして!」

 

 ライトが、フロントに立つ白い衣装のギタリストを照らす。

 

「私達ORIONのリーダーです。ギター・野上一哉(のがみかずや)!」

 

 全員の紹介が済んだところで、さて、と実里は今しがた演奏した曲の紹介に入った。

 

「最初に聴いていただいた曲は、本日初お披露目の新曲『CYBER ZONE』、そして二曲目はこの前のAXISでのライヴで披露した『目撃者』でした~。皆さん盛り上がってもらえてますか~?」

 

 おぉおぉおおおぉおおお!!

 

「うわ、すごい熱気。ありがとうございます~! 時間はあんまりないんですけどね、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみくださ~いっ!」

 

 参加バンドの持ち時間は、約三〇分ほど。まだ彼らの出番は二〇分ほど残っている。

 いったい次は、どんな曲が飛び出すのか。

 無意識のうちに、ペンを持つ手に力が入る。

 

「さてさて。とは言ってもね、私達もこの場所が初めてのように、私達を初めて観る人もいるかと思います……そうだよね?」

 

 ORIONが初めての人ー、そう実里が問いかけると、ぱらぱらと頭しか見えない観客席から腕が伸び始める。

 その数、実に観客の三分の二である。

 

「こんなに!? わぁー、これはORIONを覚えて帰ってもらう絶好のチャンスだね~……それでは、続いての曲は……ORIONを知ってくれてる人には久しぶりになるのかな? そんな(ふる)い旧いORIONのナンバーからこんな二曲、ご用意しました」

 

 おお、と会場からどよめきが上がる。

 

「それじゃ、みんな準備はいい?」

 

 彼女が問いかけるのは客席ではなく、ステージに立つメンバーである。

 

「オーケー? じゃあ行くよーっ!」

 

 マイクを置き、滑るような動きでフロントの88鍵シンセの最高音を叩く。

 鳴ったのは、『ド』の音ではなかった。

 サンプリングされた、女性のヴォイスである。

 

CONJUNCTIONコンジャンクション!』

 

 ヒュー、と誰かが口笛を吹くのが聞こえた。

 そして始まるのは、ずいぶんとテンポの速い曲だ。正確にショットを叩くドラム・パターンに乗って、残りの三つの楽器が16分のウラを決める。

 続くユニゾン・フレーズに、女ライターは舌を巻いた。

 しかし意外だったのが、趣向を変えたのかユニゾン後のギター・ソロは4ビートのアレンジになっていたことだろうか。スウィング気味の一哉のソロ、そして続く実里のピアノ・ソロの裏で、影山の華麗なシンバル・ワークが光る。

 ロックだけではなくジャズまでこなせるとは。

 そうして三曲めが終わったと思えば、ライトに抜かれた下手のベーシストがイントロのベースラインを『叩く』。

 

 ──GALACTIC FUNKギャラクティック・ファンク──

 

 続く四曲めは、16ビートのリズムに乗ったファンキーなナンバーである。

 ギターとシンセがメロディーを取るテーマ部分、そしてシンセのブリッジを経て、フロントの一哉がさらに前へと躍り出る。

 エフェクターを切り換え、右手に持っていたピックを素早く口に運んで、(くわ)える。

 

「まさか」

 

 そのまさかだった。

 ギター・スラップだ。

 だがその難易度は、ベースのスラップよりも高いと言われている。弦の幅がベースに比べて狭いからだ。

 そんなテクニックを使ったギターソロを終え、再びテーマを挟んだ次は上手(かみて)のキーボードにライトが当たる。歪ませたリードでソロを取る実里の姿に観客達は沸き立つ。

 そしてブレイクを決めたところで、ステージを静寂が包んだ。

 

「え、なに?」

「どうしたんだ?」

「機材トラブルかな?」

 

 暗くなったステージに少なくない客が戸惑いを憶え始めた、ちょうどその時。

 突如、スパンッ、と音抜けのいいスネアが響き渡る。

 同時に灯るステージ照明。

 照らされるのは、奥にいるドラムである。イントロと同じキメに合わせて、スネアロールを中心としたドラム・ソロが展開される。レギュラー・グリップから叩き出されるパワフルなそのフレーズは、かのスティーヴ・ガッドを彷彿(ほうふつ)とさせた。

 タム回しとキックを合わせた六連符のフレーズを叩ききると、今度はそのままベース・ソロへとなだれ込む。

 オクターブ・ラインやライトハンド奏法を多用した独特のベースプレイは、複弦ベースの特性を上手く生かしているようだ。

 おまけに左手でコードフォームを作り、右手でかき鳴らすようなあれは……ラスゲアードだろうか。フラメンコでよく見られる奏法だ。

 しまいにはエフェクターで歪んだサウンドがスピーカーから鳴り響き、まさしく『音で殴られた』ような錯覚を覚えてしまう。

 ステージを縦横無尽に歩き回る様は、まさに『暴走ベーシスト』と呼べよう。

 そんなメンバー各自の『楽器による自己紹介』的な要素を持つ四曲目も、いよいよ大詰めだ。ベース・ソロが終わり、三度めのブリッジを挟んだ後は、最後のテーマ。

 無事に二曲を弾ききった彼らに、観客達は男女関係なく拳を突き上げ、これでもかという声援をステージに送る。

 女ライターも、手元のメモ帳に彼らのパフォーマンスを余すことなく書き込んでゆく。

 無論、記事にするために。

 

 

 スタッフに案内された友希那達が舞台袖に辿り着いたのは、まだORIONは四曲めの演奏真っ最中だった。

 ステージから客席へと伝播する熱気は、袖に立っていてさえ伝わってくる。

 曲が終わり、タオルで汗を拭ってから、実里がマイクを握る。

 

「はーい、ありがとうございました~! 『CONJUNCTION』と『GALACTIC FUNK』の二曲をお送りしましたよ~!!」

 

 彼女のMCの裏で、鳴海と一哉がいそいそとチューニングを合わせる。あれだけ曲中で激しいスラップを繰り出したのだから、それも当然だろう。

 

「でも楽しい時間はあっという間ですね~。私達、次の曲が最後です!」

 

 えー!?

 早いよ~!

 もっともっと!!

 次々と、客席から『まだまだ聴いていたい』という声があがる。その反応が意外だったのか、実里は二度ほど目を瞬かせてから、にへら、と笑みを浮かべた。

 初めての会場でこれだけファンの心を掴めたのが、よほど嬉しかったらしい。

 

「私達の演奏をもっと聴きたいって思ってくれた人は、ぜひAXISで演ってるライヴにも遊びに来てくださいね~!」

 

 弾んだ声音で軽い宣伝を挟んでから、実里は一つ息をついた。

 そして、

 

「次の曲は、今日この日のために書き下ろした新曲です」

「……え?」

 

 困惑の声は、すぐ近くから。

 

「リサ……どうかしたの?」

「ぃや、だって……リハの時と曲が違うから……」

 

 リサがORIONの練習を見学した時、セットリストの最後は『ASAYAKE』になっていたという。

 それが、新曲……?

 

「それじゃここで、普段ライヴじゃほとんど喋らないリーダーにマイク持ってもらおっかな~」

 

 カズくんはいどうぞ、とマイクを差し向けられた一哉は、俺が? とでも言いたげに自分を指差した後、渋々渡されたマイクを握った。

 

「えー、どうもこんばん……ぇ、あ、ちょっ……」

 

 一哉が喋り始めたタイミングで左右のスピーカーから叩きつけられる耳障りなハウリングに、観客は勿論のこと、袖で見ていた友希那達も顔をしかめた。

 

「……収まった、かな? えと……改めまして、ORIONのリーダーやってる、ギターの野上です」

 

 誤って音を出さないようにボディー寄りのネックを空いている手で持ちながら、彼は話を続ける。

 

「見てもらったら判るように、俺達のバンドにはボーカルがいません。だからこそ俺達は、聴いてくれるお客さんの心にストレートに届くような曲作りを意識してきました」

 

 そんな中で、と一哉の視線が舞台から逸れる。

 上手の袖……まさに今そこに立っているこちらを向いたのだ。

 ほんの数秒。

 けれど間違いなく、彼の目は友希那の目と合っていた。

 

「最後に演奏する新曲……これは、俺達の『次』に出てくるバンドへ贈る曲になります」

 

 つまり、Roseliaに。

 

「アタシ達に……?」

 

 ぽつり、と隣でリサがこぼす。そんな彼女に、友希那は小さく囁いた。

 

「サプライズ、ってことね」

 

 Roseliaのデビュー・ライヴに合わせて、わざわざ曲を作ってきたということだ。

 

「彼女達が目指すものは、はるかに高い場所にあります。だけど俺は、きっとその夢はいつか叶うって信じてる……いや、叶えます。あいつらは。だからこそ皆さんには、これから彼女達が歩き始める輝かしい道への第一歩を見届けて欲しいんです」

 

 彼が、Roseliaのために作ってくれたという曲。

 彼が持つRoseliaのイメージ。

 

「楽しみね」

 

 気付けば、そう呟いていた。

 

「ん? 友希那、何か言った?」

「……いいえ、何でもないわ」

 

 今はただ、目の前で繰り広げられる音楽に身を委ねよう。

 

「それでは聴いてください……『SPLENDORスプレンダー』」

 

 そして奏でられるは、煌びやかでありながら荘厳な響きを持つ曲だ。

 極彩色のサウンドが、ステージを彩った。

 

 

 一哉からORIONのメンバーにもたらされた『無茶ぶり』。

 それは、セトリを変えて『CYBER ZONE』とは別にもう一曲新曲を披露する、ということだった。

 友希那達の新たな門出を祝う曲をやりたい。一週間で譜面を渡すから、どうか付き合って欲しい。

 そんな一哉の無茶ぶりは、今に始まったことではない。これまでのライヴ出演の際にも、アレンジを含めて完璧に書き上げた譜面を唐突にメンバーに渡しては『次のライヴでやります』ということは、よくあったのだ。

 我ながら、ずいぶんとワガママな性格してるよな、と一哉は思う。

 けれど、それを後悔したことは一度もない。

 こうやって自分勝手な舵を切っても、ついてきてくれる仲間がいるから。

 だから。

 

「ありがとうございました~! ORIONでした~!!」

 

 きっとこの曲に込めた想いと願いは、彼女達に届いているだろう。

 実里の挨拶を最後に舞台袖へとはけたところで、Roseliaの姿が目に留まる。

 

「一哉さんお疲れさまですっ! まさかORIONの新曲が二曲も聴けちゃうなんて、あこ、超・超・ちょーう興奮しましたぁ!!」

「お疲れ、一哉☆ ライヴ観てたよ~、お客さんもめちゃくちゃ盛り上がってたじゃん! ……ていうかさー、最後に新曲やるってアタシ聞いてないんだけどー?」

「いや、だってそれ言ったらサプライズにならないでしょうに」

「おうおう、ガミってば人気者だねぇ」

「鳴海さん頼むから茶化さないでくださいよ」

「へえへえ」

 

 じゃあ先に楽屋戻ってるぞー、と通路を歩いてゆく鳴海達の間をするりと抜けて、見覚えのある銀髪が一哉の前に躍り出た。

 

「友希那……」

「お疲れ様」

 

 彼女の言葉は、簡潔に。

 

「新曲、良かったわ」

「……! そうか……」

「でも」

 

 金色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめてくる。

 

「私達は、今のあなた達以上のステージを披露するわ。だから見ていてちょうだい。私達の……青薔薇が花開く、その瞬間を」

「ああ、判った」

 

 一哉の返事を聞いてから、友希那は彼の横を通り過ぎてゆく。

 そして振り返った一哉が見たのは、こちらを見据える五人の少女達だった。

 ステージ用の衣装ではない。全員が私服である。一見すると統一感のカケラもないが、しかし彼女達が『音楽』というモノで一つになっていることを、一哉は知っている。

 今日のために必死に練習してきたことを、一哉は知っている。

 だからこそ、彼は呼ぶのだ。

 

「行ってこい、Roselia」

 

 返事は、五人それぞれ。

 彼女達が舞台へ上がる、その背中を見送って、一哉は踵を返した。

 

 

 

       

 

 

 人気ヴォーカリストの友希那が率いるバンドということもあって、Roseliaのライヴは開始早々熱狂の渦に包まれていた。

 短い自己紹介の後、立て続けに四曲が披露される。

『魂のルフラン』、『Hacking to the Gate』、『ETERNAL BLAZE』、そして『雨上がりの夢』である。

 

「高校生でこのレベル! Roselia……この子達話題出ますよ。今月のPV、トップも狙えるかも!」

「さっきのORIONとはまた違うタイプの実力派だな。今までどこのスカウトも受けなかったと聞いたが……友希那はバンドが組みたかったのか……?」

 

 一五分をゆうに超えるメドレーを終えて、センターに立つ友希那がMCを始める。

 

「次の曲の前に、メンバー紹介行くわよ」

 

 歪んだサウンドでコード・カッティングを決めるギター・氷川紗夜。

 ツー・フィンガーによる流れるようなベース・ラインを奏でるベース・今井リサ。

 二つのバス・ドラムを活かしたフィルを叩くドラムス・宇田川あこ。

 ハープシコードによる独創的な世界を作り出すキーボード・白金燐子。

 四人の紹介が終わったところで、リサがMCを引き取った。

 

「そして我らがヴォーカル・湊友希那!」

 

 バンドの演奏に合わせ、小さく礼をする。

 

「ここで最後に、私達Roseliaの六人めのメンバーを紹介するわ」

 

 そう告げる友希那の言葉に、ざわり、と会場がざわめいた。

 それはもちろん、後方でライヴの模様を事細やかに書き込んでいたライターやプロのスカウトたちも例外ではない。

 だが興奮する観客達とは対照的に、彼らは首をかしげていた。

 メンバーが六人いるのであれば、最初からその六人めも含めて演奏した方がよかったのではないか?

 しかしそんな彼らの懸念も、続く彼女の言葉で杞憂に終わる。

 

「サポートギター・野上一哉!」

「なっ、野上って……さっきのORIONの!?」

「マジかよ!」

 

 どよめきの中、呼び込まれた少年がライトに抜かれた上手から姿を現した。

 しかし、その装いは先ほどのORIONのステージとは大きく異なっている。

 白を基調としていた衣装ではなく、黒いパンツに黒い革のジャケットを着込んで、その首にはストールを巻いているのだ。

 ストラップに繫がっているギターもORIONで使っていたものとは別物のようで、こちらは鮮やかな青である。

 やがて自身のポジションについて一哉の準備が完了するのを確認してから、次に奏でる曲の名を告げる。

 

「それではラスト、聴いてください。『BLACK SHOUT』」

 

 この日、Roseliaは間違いなくそのステージで一番に輝いていた。

 

 

 

       

 

 

 CiRCLEでのライヴも無事に終わり、実里達と打ち上げに行こうとした矢先。

 ようやく帰り支度を済ませたところで、唐突に鳴海がこう言った。

 

「ああそうだ。俺達の打ち上げはまた今度でいいからさ、ガミお前、友希那ちゃんとこ行って来いよ」

「え!? 友希那達と打ち上げ!? 行きたい行きたいッ! 私も行きたーい!」

「お前は昼間学校で会えんでしょーが。ほら帰ンぞー」

 

 やだー私も行くのー、とごねる実里を引きずって楽屋を出て行く鳴海の姿を、一哉は呆然と見送ることになった。

 しかも、影山もとっくに帰ってしまったらしい。

 

「…………え?」

 

 何一つ言葉を返す暇なく、いつの間にか一哉は置いて行かれていた。

 

 

 まあ、そんなわけで。

 友希那達と合流した一哉は、お腹が減ったというあこの言葉もあって近くのレストランに来ていた。

 六人掛けの席で、通路側からリサ、あこ、燐子が、反対側は一哉、友希那、紗夜がそれぞれ向かい合う格好である。

 メニューはすでに選び終えていて、それぞれの目の前には各自ドリンク・バーで取ってきたソフト・ドリンクが置かれていた。

 

「あははっ! お腹痛い! あこ、もっかい! もっかいリクエスト!」

「えーっと……この……闇のドラム・スティックから……何かが……アレして、我がドラムを叩きし時……魔界への扉が開かれる! 出でよ! 『BLACK SHOUT』!!」

「ひーっ! 何かがアレしたー!!」

「……リサ、お前そんなにゲラだったっけ」

 

 ミルクティーを飲みながら、不思議そうに一哉は呟いた。

 格好よくキメているあこには悪いが、正直なところどこに笑える要素があるのか一哉には判らなかった。

 まあ、そういうオトシゴロでもあるのだろう。

 ちらりと友希那達を見てみると……やはり、特にこれといった反応はしていなかった。

 

「ほらー、友希那も紗夜も! 初ライヴの記念なんだからさー、二人も何か、話して話してー?」

 

 そんな二人を見かねてリサが声をかけたところで、ようやく紗夜が口を開いた。

 

「湊さんが、こんなところに来るのは意外でした。私はこういった、得体の知れない添加物系のメニューは受け付けませんので」

「……私だって普段は来ないわ。用がないもの。一哉だってそうでしょう?」

「俺に同意を求めるなよな。でもまあ、基本的にORIONのメンバーくらいとしか外食はしないし、いつもはリサんとこで済ませてるから……そうなるのか」

「今井さんの家で? どういうことですか?」

「あれ、言ってなかったっけ? 俺んちって今、親が仕事で海外に行っててさ。戻ってくるまでの間、リサの両親が親代わりになってくれてるんだ」

「えー! リサ姉そうだったの!?」

「そだよー☆」

 

 そう応えて、リサはあこにピース・サインを作った。

 

「家もすぐ側だし、お父さんどうし友達だったしね。そういえば、小さい頃はしょっちゅうアタシと友希那と一哉でお泊り会とかしたよね」

「……その話はいいわ。リサ、私がしたいのは音楽の話だけよ」

「同感ね」

 

 友希那の言葉に、紗夜が続く。

 

「でも、ここはともかく、今日の演奏はよかった。今井さん。あなた、上手くなったと思う」

「え……。あ、ありがと……!」

 

 どうやら、こうも真っ直ぐに言われるとは思わなかったのだろう。ぽかん、と紗夜を見つめたままのリサは、徐々にその口元が緩み始めた。

 

「えへへ……一哉も、アタシの練習に付き合ってくれてありがとね。鳴海さんにもお礼言っておいてもらっていい?」

「はいよ、承った」

「それはそうと」

 

 言いながら、コーヒーを一口すするのは友希那だ。

 一見普通のコーヒーに見えるが、しかしその中身はこれでもかと砂糖がぶち込まれた『激甘』である。廻りに気づかれないように入れたつもりだったのだろうが、たまたまドリンクを取りに行くタイミングが被った一哉は視界の端でばっちり捉えていたのだ。

 

「たしかにこの短期間で、Roseliaのレベルは確実に上がった。あこ、燐子。あなた達もよ」

 

 それは、一哉も思っていたことだ。

 正確には、あこ達のオーディションという形で五人で音を合わせた時だ。

 初めてなのに初めてではないような、そんな不思議な感覚。

 弾けば弾くほど『音』に引き寄せられ、バンドが一つにまとまってゆくのを感じたのだ。

 

「だから、本当にこのメンバーで本格的に活動するなら、あなた達にもそろそろ目標を教える」

 

 きた。

 ついに、この瞬間が。

 

「そうですね。私はそのために湊さんと組みましたから。たしかにここで、意思確認をすべきだわ」

 

 一哉も紗夜も、友希那のその『目標』のために声をかけられたのだから。

 

FUTURE WORLD FES.(フューチャー・ワールド・フェス)の出場権を掴むために、次のコンテストで上位三位以内に入ること。そのためにこのバンドには、極限までレベルを上げてもらう。音楽以外のことをする時間はないと思って。ついてこれなくなった人には、その時点で抜けてもらうから」

 

 そして、友希那はこう付け加えた。

 

「あなた達、Roseliaに全てを賭ける覚悟はある?」




 なんとかRoselia初ライヴまで漕ぎつけた。区切りはいいかな?
 ちなみに、今回の話で書き上がってるストックはすべて出し切りました。次回以降の更新は、しばらく間隔が空くかと思います。

 感想等いただけると、私が喜びます。


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第六章 突然の誘い:前編

       

 

 

 エレクトリック・ギターの弦選びにおいてまず最初に注視されるのは、弦の太さだ。

 太さ……すなわちゲージが変われば弦の張力が変わり、弦を押さえるのに必要な力や音質にも変化が出るからだ。

 次に、弦に使われる素材である。

 ニッケル弦は加工が容易で扱いやすく、弦に迷ったらとりあえずこれ、とするギタリストも多い。また強い磁性体の金属のためピックアップとも相性が良く、エレクトリック・ギターに最も合う素材とも言われている。

 鉄にクロームを加えた合金のスチール弦は、ニッケル弦に比べて固い素材のため耐久性が高く、錆に強いのが特徴だ。ニッケル弦よりシャープなサウンドを目指すなら、スチールも選択肢に入る。

 しかし最終的にどの素材を使ったどの太さの弦を選ぶかは、完全にプレイヤーの好みである。

 

「欲しくな~る、欲しくな~る。あなたはどんどん欲しくな~る……」

 

 相手の視界を塞ぐように掲げられた奇妙なぬいぐるみが、わざとらしい喋り方で語りかけてくる。

 

「さあ、どっち!」

「うーん」

 

 整然とした陳列棚の前で唸る一哉(かずや)は、人差し指で一つずつお目当てのものを物色しながら、やがてぬいぐるみの方を向いて手に取ったそれを見せる。

 

「こっちで」

「えーっ!? 結局それなのー?」

 

 視界を覆っていたぬいぐるみが外され、声の主が姿を現した。

 紗夜や燐子と同じ花咲川の制服の上からエプロンをかけた、アルバイトの少女である。

 常連の一哉からすればすっかり顔なじみではあるが、この前のCiRCLEでのライヴでたまたま一緒になったことも彼の記憶には新しい。

 Glitter*Greenのベース・鵜沢(うざわ)リィだ。

 

野上(のがみ)くん、せっかくデベコが新商品売り込んでもそれ選ぶじゃんか~」

「でもね鵜沢さん、ライヴ中の手汗で指が汚れないってのは、汗っかきの人間からしたら目からウロコなんですよ」

 

 一哉が選んだのは、弦の表面を薄い皮膜で覆うことで他の二つよりも耐久性に優れたコーティング弦と呼ばれるもの。

 中でも多くのプロ・ミュージシャンに絶賛されたというElixir(エリクサー)のナノウェブ・モデルで、一哉も中学時代に興味本位で買って以来、現在まで一貫して同じ弦を使い続けていた。

 

「たまには冒険してみてもいいのに」

(なが)ぁい旅の果てに行き着いた先がこれなんですってば。うっかり放っといても錆びないなんて、ズボラな俺にはぴったり」

「そんなもの?」

「そんなもの」

 

 言いながら、一哉は手に取った弦をカゴに入れる。

 

「あとは、二階だっけ?」

 

 ですね、と応えて、二人は階段がある方へと歩き始める。

 午前一〇時の開店から三〇分と経たない店内は、休日とはいえ客の姿はまだほとんど見えない。

 というより、今店の中にいる客は一哉一人なのだ。

 だからこそ鵜沢は『お得意様』ともいえる彼に新商品の売り込みをしかけていたわけなのだが、結果はこの通りである。

 

「今書いてる曲がちょっち行き詰まりでして。息抜きに色々ギターを見てみようかなと」

 

 理由は、それとは別にもう一つある。

 AXISのオーナーに紹介してもらったイベントへのORIONとしての出演が近日中に控えている中、演奏の幅を広げるためにも新しいギターを試してみたかったのだ。

 かと言って、今さらエレキギターに手を出すつもりはない。

 

「いっそのこと、エレガットとか買っちゃおっかな~、なんて」

「ガットか~……あ、じゃあアレなんかどう?」

「アレ……ですか?」

「うん。この前中古品で良いのが入ったって店長が言っててね」

 

 先導して階段を上がる鵜沢は、前を向いたまま。

 その顔が、ふいに肩越しにこちらを見下ろした。

 

「三〇年モノだってさ」

「へぇ」

 

 それは興味深い。

 ギターの材料である木材は、長い年数をかけることで内部に残ったわずかな水分も蒸発させてその木質を変化させる。この変化は当然、サウンドの面にも影響を及ぼすことになる。

 エレクトリック・ギターならばこれに加えピックアップに使われるマグネットが経年によって弱まるため、より魅力的なサウンドへと変わることもあるのだ。

 

「ほら、これだよ」

 

 鵜沢に案内されたのは売り場の一角、『USED』の文字が値札に書かれた商品が並ぶ中古コーナーである。

 一哉でも両腕を目一杯に広げれば左右に陳列された商品に手が届きそうな通路で、スタンドに立てかけられたギターの中の一つが、どうやらそれらしい。

 

「触っても?」

「野上くんなら試奏もオッケーだって」

「誰情報ですか、それ」

「店長」

「やったね」

 

 じゃあデベコと店番してるから~、と一階へ降りていく鵜沢を見送ってから、一哉は紹介されたギターを手に取り、手頃な椅子に座った。

 まず感じたのは、思ったよりもネックが握りやすかったことだ。

 通常、クラシックギターのナット幅はエレクトリックやアコースティックのそれよりも幅広い設計のため専用のフォームの習得が求められるのだが、どうやらその必要はないらしい。つまり、普段とあまり変わらない感覚で演奏が出来るというわけである。

 気の向くまま、思いつくフレーズを奏でてみる。

 時にはピック、時には指の腹を駆使しながら年代物のガット・ギターの音色を一通り確かめた一哉は、取り出した携帯でギターを写真に納めると二階を後にすることにした。音のイメージはだいたい掴めたからだ。

 

「鵜沢さん、試奏ありがとうございました~」

 

 階段を降りながら、一哉はレジ・カウンターにいるであろう店番に声をかける。

 ところが一階に出たところで、

 

「……野上さん?」

 

 鵜沢ではなく、彼女が納まっているレジ・カウンターの向かい側に立つ少女が、こちらを振り返った。

 顔の動きに合わせて、彼女の(みどり)色の髪がなびく。

 紗夜だ。

 

「今日はORIONの練習なのでは?」

「そうだけど、スタジオ入りは午後からだからさ。それまでに交換用の弦とか買っとこうと思って。そっちこそ、Roseliaの練習じゃなかったっけ?」

 

 先日の打ち上げでフェス出場を目指すという友希那の話があってから、今日が初めての練習日なのだ。

 

「入り、一一時とかそこらだったよね?」

「ええ。なのでその前に少し、小物を見ておこうと思ったのですが……」

 

 言いながら彼女の視線が、カウンターの方へ向いた。近づいてみて初めて、それがあるライヴを特集した音楽雑誌の見開きであることに気がついた。

 

「んー?」

 

 覗き込んだ一哉は、紙面の中で目立つ文字をとりあえず読み上げてみることにした。

 

「『孤高の歌姫(ディーヴァ)・友希那がついにバンドを結成』……? これってもしかして……」

 

 もしかしなくても、そうなのだろう。ちらり、と隣の紗夜に視線を投げると、彼女は小さくうなずいた。

 

「この前のCiRCLEでのライヴの特集ですね。カメラを持った方が何人かいらしていたとは思いましたが、まさかこんな大々的に取り上げられているとは……」

「『──新生バンド、Roselia』!! けっこうイイ見出しじゃん?」

 

 にゅっ、とカウンターの上に座るデベコが……いや、その奥で椅子に座った鵜沢がそう零す。

 

「ライヴも大盛況だったもんな~……あ、ほらココ、ORIONもちゃんと載ってるぞ~」

 

 言いながら鵜沢の指す先には、一面を飾るRoseliaに比べればかなり小さい扱いではあったが、その日出演した他のバンド達の模様が記されている。その中にはたしかに、一哉達ORIONの記事もあった。

 小さい枠の中にずいぶんと熱量あるコメントが書かれていたのは意外だったが、しかし改めてヴォーカリストとしての友希那の実力と世間のガールズバンド人気の実態を思い知らされた。

 何より、この記事に掲載されたRoseliaの写真が、それを物語っていたからだ。

 

「……俺、いないな」

 

 そこに映るのは、友希那をはじめとした紗夜、リサ、燐子、あこの五人。

 文面にこそ『終盤にはORIONのギタリスト・野上一哉が電撃加入!』なんて書かれているが、しかしそこに肝心の一哉の姿はなかったのだ。

 そんなショックと同時に、誌面を彩る友希那達の写真に一つ大きな違和感を覚えた。

 

「……ぷはっ!」

 

 たまらず、吹き出した。

 

「野上さん?」

 

 隣で首をかしげる紗夜に、一哉はその部分を指し示す。

 一生懸命に演奏中の様子が写されたカットである。

 

「これさ、気にならない?」

「……え?」

「服だよ、服」

 

 質問の意図が判らないようだ。

 

「なんか、リサだけ浮いてないか?」

 

 友希那と燐子は服の傾向が似ているし、あこの私服はロック・バンドということを考えれば何ら不思議ではない。紗夜はどちらかとカジュアル寄りだが、そこにリサのやや攻めたファッション・センスが加わることで、結果的に彼女だけが浮いてしまっているのだ。

 リサ自身のキャラクターも相まって、どことなくギャルっぽい印象を受けるのである。

 

「これからの活動的にも、やっぱり衣装は必要になるか……?」

「別にいいじゃないですか。衣装は急ぐ必要はないと思いますし、写真はなくとも、私達はあなたを含めたRoseliaです。別段気にすることは……」

 

 言いかけて、ぷつり、と紗夜の言葉が途切れた。

 

「氷川さん?」

「どした? 固まっちゃって」

「いえ、そこの……」

 

 思わず、一哉は誌面から目を離して彼女の方を向く。

 その理由を、一哉はただちに理解する。紗夜の視線が、ある一点で固定されて動かないのだ。

 レジ・カウンターの向こう側……ちょうど鵜沢の背後の壁に貼られた掲示物の中に、ひと際目を惹く一枚のポスターがあった。

 ファンシーな衣装に身を包んだ、五人組の少女達である。よく見るとギターやベース、それからショルダー・キーボードを構えている子もいて、だから彼女達がバンドだということに気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

Pastel*palletes(パステル・パレット)……? なんですか、これ?」

「ああ、このポスター? なんかこの前デビューしたバンド? グループ? みたいで。アイドルだかバンドだか判らないんだけど、なんか結構面白いんだよ」

「はぁ……」

「新譜コーナーにCDあると思うけど、見てく?」

「それは良いんですけど……」

 

 一哉の視線は、ポスターに向かれたまま。

 

「何か見覚えがある気がするな……」

 

 ポスターに映る少女に、である。

 

「え、そうなの?」

「はい。思い出せないんですけど」

「ん~……デベコ、判るか?」

 

 カウンターのデベコを手に取り、鵜沢はポスターの前で彼……というか彼女……というかを掲げた。そしてそのまま、彼女は『デベコ』となる。

 

「──ムムム、そーだな……このギターの子とかじゃないカ? どことなく紗夜ちゃんに似て……」

 

 瞬間、びくり、と紗夜の肩が震えたのが視界の端に映った。

 

「……氷川さん?」

 

 見ると、おぼつかない足取りで何歩か後退っている。

 

「わ……たし……練習がありますから……これで!」

 

 それだけ言うと、紗夜は弾かれたように扉へと向かう。

 

「ちょっ、氷川さん!?」

 

 追いすがる一哉の声もむなしく、そのまま彼女は店を飛び出して行ってしまった。

 

「……私、何かマズいこと言っちゃった?」

 

 ガラス張りの扉の方を向いたまま、呆然と鵜沢がつぶやく。

 

「いや、それはないと思いますけど……」

 

 かぶりを振って、一哉はもう一度壁のポスターを見やった。

 ツインテールの少女を中心に横並びになった、五人の少女達。

 やっぱり、と一哉は(ひと)()つ。

 

「似てるよな……」

 

 視線の先には、ドラムスティックを構えながら少しぎこちない笑顔を浮かべる少女がいた。

 

 

 走る。

 走る。

 ただひたすらに、走り続ける。

 今、この瞬間、紗夜の頭の中にはそれ以外になかった。

 一刻も早くあの場所から離れたくて。

 少しでも遠くへ行ってしまいたくて。

 そうでもしないと、自分の感情が抑えられなくなってしまいそうだったから。

 道行く人の間を縫うように駆け抜けてゆく。

 体温が上がり、呼吸も浅くなり始める。

 駅までたどり着いたことでようやく彼女は足を止め、構内の柱に背を預ける。膝に両手をついて、荒い呼吸を何とか落ち着かせた。

 そして思い浮かぶのは、強い疑念である。

 なぜ?

 なぜあなたは、そうまでして私を真似したがるの?

 そうやって、また私から何もかも奪っていくつもりなんでしょ?

 

「そんなこと、させない……」

 

 震える手で、拳を作る。

 

「私には、ギターしかないんだから……」

 

 ギターまで奪われてしまったら、私にはもう、何も……。

 そのためには、

 

「Roseliaを最高のバンドにしないと……」

 

 ギターだけは、日菜(ひな)に負けない……!

 

 

 

       

 

 

 クリーン・トーンのギターに導かれて、最後の一節を歌いきる。

 スタジオに広がる心地よい残響を聴き届けてから、友希那は閉じていた瞼を開いた。

 やはり、と友希那は思う。

 駄目だ。高音の伸びを意識し過ぎると、今度はピッチが甘くなってしまう。

 こんなところで躓いていては、いつまで経っても憧れのバンドには追いつくことなど出来はしない。

 ……お父さんのバンドには、(かな)わない……。

 思い詰める友希那を見かねてか、最初に口を開いたのは、向かい合った位置で座る幼なじみの方だった。

 

「ほい、お疲れさん。ちょっと休憩入れるか」

「……ええ、そうね。そうしましょう」

 

 ボリュームペダルを下げて、一哉はギターをスタンドに立てかける。

 

「今日は付き合わせてしまってごめんなさい」

「急にどうした? 別にいいって。こないだはORIONの練習でRoseliaの方には顔出せなかったし、せっかく誘ってくれたんならな」

 

 まあでも、と一哉はだだっ広いスタジオを見回すと、ほう、と大きく息をついた。

 

「まさか二人っきりとは思わなかったけど」

 

 スタジオには、他のRoseliaのメンバーの姿はない。

 今日は、友希那の個人練習の日なのだ。

 にもかかわらず一哉に声をかけたのは、ほとんど思いつきに近かった。

 自分でも、なぜそうしたのかはよく判っていない。

 純粋に伴奏を弾いてくれる人手が欲しかったのか。

 あるいは、ともう一つの可能性を考えて、しかしすぐに否定する。

 

「リサ達はお茶会だっけ?」

「そうらしいわ」

 

 なんでも、『祝! 雑誌掲載記念』とのことらしい。

 

「あこと燐子も行くそうよ」

「友希那は行かないのか?」

「そんな暇なんてないもの」

「相変わらずストイックなことで」

「悪いかしら?」

「いいや、お前らしくて安心したよ」

「そう」

 

 水を一口飲んでから、けれど、と友希那は幼なじみの方へ視線を向けた。

 

「少し意外だったわ」

「なにが」

「てっきり、あなたなら行くものだと思っていたから……」

 

 お茶会の誘いじたいは、Roseliaのグループチャットで全員に送られていた。

 発起人のあこをはじめとした燐子とリサはすでに参加を表明していて、残りは友希那、紗夜、一哉の三人の返事待ち。

 友希那は即座に不参加を宣言、紗夜も同様の返信がされた後で、一哉もまた不参加の決断を下したのだ。

 友希那が一哉を練習に誘ったのはその後だったから、それが理由ではないことは判っている。

 でも、少しだけ気になったのだ。

 

「ああ、あれか……」

 

 頬を()いて、一哉はばつが悪そうに声を漏らす。

 

「なんか、恥ずかしくって」

「恥ずかしい?」

「雑誌掲載記念、つっても、Roseliaとしての俺って映ってないだろ? それに……」

「それに?」

「……女子達に男一人が混ざるって光景が、なんとも……」

 

 打ち上げの時は気にならなかったんだけどなあ、と苦笑する一哉を見て、ようやく理解した。

 ああ、そういうことか。

 そして理解した瞬間、友希那は一哉へ歩み寄っていた。

 

「一哉」

「んん?」

 

 椅子に座る一哉を、少しだけ見下ろす格好になる。こちらを見上げた澄んだ黒い瞳の中に、友希那自身の姿が反射している。

 変わらないわね、と友希那は思う。

 一哉の瞳がだ。

 幼いころから、ずっと。

 父といっしょになってギターを弾いていたあの頃のまま。

『音』を『楽』しむことに喜びを感じていたあの頃のまま。

 今も昔も、彼は『音楽』というものと心から向き合えている。

 それに比べて、自分はどうだろうか。

 目の前の彼のように、真剣に音楽と向き合えていると言えるだろうか。

 友希那はそのまま彼に……あるいは自分に言い聞かせるように言った。

 

「あなたは、Roseliaだから」

「え……?」

「私は……私達は六人でRoseliaだから」

 

 だから……、

 

「だから、自信を持って」

「え、あ、おう……?」

 

 言い終えてから、どれくらいそうしていただろうか。

 壁にかけられた時計の針が、止まることなく時を刻んでゆく。

 かち。

 かち。

 かち。

 かち……、

 

「あ、あのぉ……友希那さん?」

 

 沈黙に耐えかねた一哉が、たまらず声をあげる。

 

「なにかしら」

「いや、そんなに俺の目見てどうしたのかと思って」

「あ……っ!」

 

 言われて、ようやく気がついた。

 ずっと一哉の瞳を見たままだったのだ。

 すぐさま、長い髪が円形に広がる勢いで、くるりと回れ右する。

 

「わ、ちょっ!?」

 

 広がった銀髪に巻き込まれたのか、一哉の悲鳴が背後から。

 そのまま急いでマイク前まで戻ると、友希那も椅子に腰を下ろす。

 部屋の空調は効いているはずなのに、なぜか耳のあたりが熱い。

 自分を落ち着かせるために、手にした水をもう一度(あお)る。

 キャップを閉めたタイミングを見計らってか、

 

「……ありがとな」

 

 ふいに、そんな言葉が聞こえた。

 

「……なんか、この前も似たようなこと言われたっけか」

「そうだったの?」

「氷川さんにな。Roseliaのライヴ・レポに俺の写真がない、って不貞腐れてたら慰めてくれたよ。俺を含めたRoseliaなんだから写真の有無なんて気にするな、って」

「そう」

 

 見たか、と問う一哉に、友希那はうなずいた。

 

「見事にあなただけ映っていなかったわね」

「言うな言うな、地味に沈んでるんだから」

 

 その時だ。

 ぴろりん、と二人の携帯が鳴った。

 見ると、リサがお茶会の様子を収めた写真がRoseliaのグループチャットにアップされている。飲み物やスイーツが広がったテーブルの上で、三人がピース・サインを出しているところだ。

 それなりに楽しんでいるらしい。

 チャットを眺めながら、それはそうと、と一哉が思い出したように切り出した。

 

「氷川さんの方は大丈夫なのか? 早退したんだろ?」

 

 厳密には、帰らせた、と言ったほうが正しい。

 先日の練習で、休憩中に談笑するあこ達に紗夜が感情を爆発させる一幕があった。それに加え練習開始からどこか落ち着きがなく、演奏にも集中出来ていなかった様子の彼女を見かねた友希那がそうさせたのだ。

 その原因というのが、

 

「お姉ちゃん、か。氷川さんって弟妹(ていまい)いたのか」

「リサのクラスに、双子の妹がね」

「妹さんね……あ」

「なに?」

「もしかして、氷川さんの様子がおかしくなったのって、これが関係してたりするか?」

 

 言いながら、一哉は椅子の後ろに置いてあったリュックから何かを取り出して見せる。

 一枚のCDだ。アイドル・グループだろうか、ジャケットには五人組の少女が楽器を構えている写真がレイアウトされていた。

 

「これは……」

 

 渡されたCDを見つめる友希那の視界に、見覚えのある顔が入ってきた。

 

「どこでこれを?」

「江戸川楽器。駄弁ってたら、たまたま壁のポスターが目に入ってさ。その後に飛び出してった感じだったから。……で、どうなんだ?」

「間違いないわね」

 

 友希那は即答した。

 

「ほら、この翠色の髪をした子がいるでしょう?」

「ん-? あ、たしかに。どことなく氷川さんに似てるって鵜沢さんが言ってたな……」

 

 そこまで言って、はっ、と彼は顔を上げる。

 

「まさか」

「彼女よ」

「ほぇ~、この子が」

「氷川日菜。リサのクラスメイトだったはずだけど」

「ん。その辺りは直接リサに聞いてみるよ」

 

 そうしてCDを片づけると、よし、と一哉は意気込む。

 

「休憩終わりっ。とりあえずブラシャの続き?」

「ええ。残り時間いっぱいまで」

「オーケー。でも無理はしないように」

「それくらい言われなくても判ってるわ」

「ならヨシ」

「……ねえ、一哉。」

「ん?」

「さっきのCDに写ってたドラムの子……大和(やまと)さんよね?」

「あ、似てると思ったら大和だったか」

 

 結局、残りの一時間はほとんど休憩も取らずひたすら練習に打ち込むことになった。

 

 

 友希那がマイクスタンドをスタジオの脇へと片付けている間に、一哉は備え付けのフローリング・ワイパーで床を掃き、取りこぼしたホコリやらを掃除機で吸い取る。

 帰り支度を済ませてスタジオを出ると、二人はそのままロビーへと向かう。退出完了の報告をするためだ。

 

「まりなさーん、終わりました~」

「Cスタジオ、空きました」

 

 カウンターの前に立つと、椅子に座ってパソコンとにらめっこしている店長代理が顔を上げた。

 

「ああ、二人ともお疲れさま」

 

 そして浮かべるのは、朗らかな笑みだ。

 それから立ち上がると、レジスターにスタジオ代を打ち込み始めた。

 

「最近特に練習頑張ってるみたいだけど、Roselia、どう?」

「どう、って言われても……うーん、何と言ったらいいのやら……」

 

 返答に詰まりながら、一哉は財布に手を伸ばす。

 

「まだまだ理想のレベルには程遠いです」

 

 だが彼が代金を支払うより早く、言いながら友希那はポップアップに表示された金額の半分を銀色のトレイに乗せた。

 ちらり、と一哉の視線がこちらに向かれる。

 

「とのことです」

 

 けれどそれも一瞬のことで、一哉は苦笑を浮かべて残りの金額をトレイに乗せる。

 一連のやり取りを見守る恰好(かっこう)になったまりなは、何だか微笑ましげである。

 

「あははっ、友希那ちゃんは理想高いからなー。ずっとやりたかったバンドだったら、余計に一哉くん達に求められるものも上がってくるでしょ」

「今に始まったことじゃないですからね。その辺は慣れっこです」

「慣れっこかぁ~。友希那ちゃんも心強いんじゃない?」

「……そうですね」

 

 実際、結成して間もないRoseliaが初ライヴにもかかわらずあれだけのパフォーマンスが出来たのは、一哉に()るところが大きい。

 バンドの音合わせでは全体のバランスを聴き比べ、アドバイスが必要な時は出来る範囲で応えてくれる。

 以前、ギター・ソロに悩んでいた紗夜に技術的な課題とそれをクリアするための練習法を教えたのが良い例だ。

 

「さて、と。どうする? 次の予約、入れとくか?」

「私は構わないけど、あなたは大丈夫なの?」

「ちょい待ち。……あー、明後日なら空いてるな」

「ならそこをバンド練習に()てましょう」

 

 その時だ。

 

「あ、あのっ!」

 

 突然の声に振り返ると、一人の女性が立っていた。どうやら、ロビーへ出る際に死角になって見えなかったらしい。

 まだ初々しい。二〇代(なか)ば、と言ったところか。七分丈のVネックシャツにテーパードパンツという出で立ちで、ぴんと伸びた背筋や眼鏡の奥にある瞳からは真面目そうな印象を受ける。

 

「お話し中すみません。友希那さん、ですよね?」

「……はい、そうですけど」

 

 それから女性が向き直る相手は、一哉の方だ。

 

「それに、ギタリストの野上一哉さん?」

「え……ええ、まあ。はい」

 

 応える幼なじみの方も、きょとん、である。

 

「少しお時間いただきたいんですが、よろしいでしょうか?」

「失礼ですが……どなたでしょうか?」

「あ、申し遅れました! 私、こういう者です!」

 

 言いながら、女性は二枚の紙を取り出すとそれぞれに渡してきた。

『株式会社クイーンレコード/山田花』

 クイーンレコードといえば、七〇年以上の歴史を持つ老舗レーベルだったはず。

 それによく見ると、彼女が肩にかける鞄からは一冊の雑誌が覗いているのが判る。Roseliaの初ライヴの模様が書かれた、あれだ。

 目の前の彼女が何のために声をかけたのか、大方の見当がついた。

 

「率直に伝えますが」

 

 両手を重ねて、山田はかしこまりながら言葉を紡ぐ。

 

「友希那さん、うちの事務所に所属しませんか?」

 

 ああ、やっぱり。

 思ったとおりだ。

 レコード会社に声をかけられることは、何も今に始まったわけではない。『友希那』としてライヴハウスを転々と回り始めた当初から、こうしたスカウトは日常茶飯事だったのだ。

 しかし、

 

「……いえ、事務所には興味ありません」

 

 そのことごとくを友希那は断り続けてきた。

 たった一度や二度聞いただけで判断されてたまるか。

 そして何より、

 

「私は自分の音楽で認められたいだけですから」

 

 メジャーの世界に行ったところで、待ち受けているのはビジネスに縛られた『売れる音楽』だ。

 そんなものに、いったい何の意味があるというのだろうか。

 

「話はそれだけですか? でしたら私達はこれで。……行くわよ」

「あ、おう……。じゃまりなさん、明後日の予約これでお願いしますっ」

 

 書類をまりなに渡し終えた幼なじみを連れて、山田の脇を通り抜ける。

 そのままCiRCLEを出ようとして、

 

「待ってください! あなたは本物だ! 私……いえ、私達ならあなたの夢を叶えられる!」

 

 追いすがる山田の続く言葉に、友希那は耳を疑った。

 

「いっしょにFUTURE WORLD FES.に出ましょう!!」

 

 ………………え?

 何と言ったの?

 彼女は今、何と言ったの?

 自動扉のセンサーの数歩手前で、たまらず友希那は足を止めた。

 

「憶えてないかも知れませんが、あなたの二回目のライヴの時にも断られてるんです。でも諦められなくて……色々調べて……」

 

 そして、ここへ辿り着いた。

 

「バンドにこだわっていることも知っています。だからあなたのためのメンバーも用意しました」

 

 カウンターの奥で、これってつまりメジャー・デビュー、と呟く声が聞こえた。

 

「あの、ちょっと待ってください」

 

 困ったように眉を寄せ、理解が追いつかないと言った様子で声をあげるのは一哉である。

 

「これって、要は友希那のスカウトですよね? 俺まで名刺いただいちゃっていいんですか?」

「ああ、いえ。ちゃんと理由はあります!」

 

 それから、山田花は言った。

 

「野上さんには、バンドメンバーの一人として友希那さんのバックについていただけないかと思ってまして」

「へ? いや、でも……ご存知かと思いますけど、友希那はもうコンテストに向けたバンドを組んでるんですが……」

「コンテストなんて出る必要ありません。本番のフェスに出場出来るんです! ステージだって、メイン・ステージです!!」

「……本番の、フェスに……?」

「…………私………………」

 

 言葉がうまく出て来ない。

『あの人』が憧れた場所。

『あの人』が憧れた景色。

 悲願だったステージに、バンドで立てる。

 そのチャンスが、向こうからやって来たのだ。

 なのに。

 それなのに、何で……、

 

「たしかに……Roseliaでは次のFUTURE WORLD FES.でメイン・ステージに立つことは難しい……」

「友希那……?」

 

 なぜ言い訳をしているの……私……。

 この事務所に入れば、確実にフェスに出られるのよ。

 

「……友希那さん? すみません、何か気に(さわ)るようなことを言いましたか?」

「いえ……そうではなくて……」

 

 そして、

 

「少し……待って欲しい……」

 

 ようやく口をついて出た言葉に、友希那は当惑した。

 私……何を言ってるの?

 フェスに出られる、これ以上ないチャンスを……!

 それから少しして、判りました、と山田はうなずいた。

 

「友希那さんの中で答えが出る時まで、いくらでも待ちましょう」

 

 じゃあまた、ここに来ますから。

 そう言って帰る山田に、判ったわ、と絞り出すのがやっとだった。




 最近、CASIOPEAの『Universe』という曲をずっとヘビロテしています。
 結成二五周年にちなんだ二五分の八部構成から成る超大曲(!)なわけですが、縛りとして125テンポ、おまけに二度と五度の音を使わないという徹底ぶり。なんじゃこれは(褒め言葉)。
 皆さんもよかったら聞いてみてくださいな。ちなみに、私のおすすめは七部の『~Harmonize~』です。


 たぶん年内の投稿はこれが最後になるかと。
 皆々様、よいお年を。


 感想、お待ちしてます。


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第六章 突然の誘い:後編

 明けましておめでとうございます。
 年が明けたので初投稿です(ンなわけあるか)。


       

 

 

 いつもの駅でいつもの電車を降りて、荒川自然公園を突っ切る形で帰路に着く。

 すっかり陽の落ちたいつもの帰り道のはずなのに、友希那にはこの道が果てしなく長く感じられた。

 つい先ほどのスカウトについて、ずっと考えていたからだ。

 なぜ、すぐに引き受けなかったのだろう。

 憧れのステージに立てる絶好の機会だったのに。

 だが友希那の選択は、ただ回答を先延ばしにしただけ。待たせたところで、いったいどうするというのだろう。

 そんな心境を知ってか知らでか、隣を歩く一哉もずっと黙ったままだ。

 

「あれ? 友希那と一哉じゃん」

 

 ようやく家が見えてきたところで、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

 

「二人ともおかえりーっ!」

「……リサ」

「あれ……リサも今帰ってきたとこか?」

 

 街灯に照らされて、こちらに駆け寄ってくるのはもう一人の幼なじみである。

 

「うん。今日のお茶会、楽しかったよ!」

「みたいだな。あの写真見たら、だいたいの雰囲気は伝わってくる」

「……あなた達、今日の練習、しないつもりなの」

「みんな家でやってるってさ~。えへへ、アタシもこれから! それより友希那、アタシ達から一個提案があるの!」

「……なに?」

「Roseliaの衣装、作ってもいい?」

 

 お茶会に集った三人は、まずそれぞれが欲しいメニューをオーダーして普通に軽食を楽しんでいたという。

 おいしいスイーツに舌鼓を打ち、他愛のない会話で盛り上がる……ザ・お茶会だ。

 そんな中で、思い切ってリサは訊いてみることにした。

 二人とも、雑誌見て……どー思った?

 

「そーしたらさ、あこに言われちゃったんだよね~。アタシだけギャルっぽくて浮いてる、ってさ。オシャレには結構、気を(つか)ってるんだけどな~」

「すまん。それ、俺も思ってた」

「うっそ、一哉まで!? うわー、友達に言われるよりショックかも……」

 

 ともかく。

 そこで燐子が零した『統一感』をヒントに、Roseliaのバンド衣装を作ってはどうかということになったらしい。

 

「でね、燐子が衣装作れるって話になって。Roseliaの世界観っていうか、演奏を伝えるためにもイイと思うんだよね」

「衣装か……、俺はアリだと思うけど。友希那は……?」

 

 そう問いかけてくる一哉の声音がいつもとは違うことくらい、友希那にはすぐに判っていた。

 何事もないかのように、必死に取り繕っているのだ。

 なぜ?

 そんなの決まっている。

 リサに気づかれないためだ。

 

「……好きにしたらいいわ……」

 

 顔を俯かせたまま、友希那にはそう返すことしか出来なかった。

 うまく誤魔化せる自信も、余裕もない。

 

「へへ、ありがとー! 早速みんなにメールしよーっと!」

 

 そう言いながら携帯を取り出すリサの手が、

 

「……ん?」

 

 ふいに止まった。

 

「友希那……、顔色悪くない?」

 

 どき、とした。

 

「それに、一哉もちょっと元気なさげだし……何かあったの?」

 

 どうして……どうしてこうも、彼女は鋭いのだろうか。

 幼なじみ、だから?

 その時だった。

 

「あーぁあ、やっぱ隠すのは無理かあ」

 

 突然、一哉はそう言うと顔をあおのかせる。

 それからこちらを向くと、浮かべるのは苦笑である。

 

「悪い、友希那。俺言うわ」

「え……」

 

 ちょっと待って。

 その一言を発するより早く、一哉はリサと向き直ってしまう。

 

「リサ」

「うん?」

 

 携帯を持ったままのリサに、ぽりぽりと鼻を掻きながら一哉はあっさりと言ってのけた。

 

「俺、スカウト受けたわ」

「ふーん……え!? スカウトってあのスカウト!? どどどどういうこと一哉!?」

「そのまんまの意味。バックバンドのメンバーってことでライヴに出てみないか、ってさ」

「ホントに!? やったじゃん!」

「いやまあ、まだ出るって決めたわけじゃないぞ? 返事は待ってもらってる」

「絶対出た方がイイって! せっかくのチャンスなんだもん!」

 

 アタシも負けてらんないなー、と、まるで自分のことのように喜ぶリサの様子を見ながら、友希那は一哉の袖を引っ張った。

 こちらを振り向いて顔を寄せる一哉の耳元で、ぼそぼそと声をひそめる。

 

「どういうつもりなの?」

 

 わずかながらに声が震えているのが、自分でも判る。

 

「時間を稼ぐには、こうするしかないだろ」

 

 応える一哉も、ぼそぼそ、である。

 

「時間?」

「……お前が答えを見つけるまでのだよ」

 

 なんの、とは訊かなかった。

 そんなこと、判りきっている。

 

「なになにー、二人でナイショの話ー?」

 

 二人の間を覗き込むように身を傾げるリサに、なんでもない、と一哉は返す。

 

「そっか。……じゃ、アタシもう帰るね。一哉も夕飯食べてくでしょ?」

「荷物置いたらそっち行くわ。ちなみに今夜は?」

「ハンバーグだって」

「お、やりぃ」

 

 そうして門扉を開けて帰って行くリサの姿を、友希那はただ黙って見送ることしか出来なかった。

 

 

 

        

 

 

 夕飯を食べ終えてやることと言えば、学校の宿題と、ベースの練習くらい。

 それすら終わってしまえば、あとはお風呂に入って、寝るだけだ。

 

「だはぁ」

 

 ぼふ、とベッドに仰向けで倒れ込みながら、リサは腹の底からの溜め息を吐き出した。

 夕飯の後、成り行きで一哉にベースの練習を三〇分ほど付き合ってもらった。楽器の練習になると相変わらずスパルタ気味の幼なじみにヒーヒー言いながら必死こいて喰らいついたわりには、両手に残る疲労感はどこか心地よい。

 照明を遮るように、手をかざす。

 季節に合わせた桜色のジェルネイルは、もうない。本格的にベースを再開するにあたって、実里に頼んで付きっ切りでていねいに剥がしてもらったからだ。そのおかげか、今のところ爪に目立った傷は見受けられない。

 

「一哉ってば、絶対アタシに何か隠してる」

 

 それは言うならば、女の勘である。

 スカウトの話は、おそらく本当だろう。だがその話に『続き』があることに、リサは気付いていた。

 何かを誤魔化そうとする時、決まって一哉は鼻を掻く癖があることを知っていたからだ。

 だが、その『続き』がいったい何なのかは、リサには判らない。

 

「アタシってそんなに頼りないのかな?」

 

 もぞり、と寝返って、枕元に置いてある猫の人形を手にとる。

 そして思い浮かべるのは、無類の猫好きな幼なじみのことだ。

 そう言えば、中学くらいまでは、ベランダ越しによく話していたっけか。当時の一哉は友希那の父にギターを教えてもらおうと向こうの家にしょっちゅう遊びに行っていたから、タイミングが被った日は一哉を交えた三人でいろんな話をしたものだ。

 もう、そんなことをしなくなって久しい。きっとリサが窓を開けて呼びかけたところで、向こうが応えてくれる確率は低いだろう。

 ねえ、友希那。

 本当は、何か悩んでるんじゃないの……?

 

「どうしたらいいのかな……」

 

 その問いに答えてくれるものは、どこにもいなかった。

 

 

 自室に戻った友希那は、荷物を置いてベッドに座り込んでいた。

 何をするでもなく、

 呆然と。

 ただ、ぐるぐると、思考だけが渦巻いている。

 まだ、まとまらない。

 掛け布団の上に放った携帯が鳴ったのは、その時だ。

 一本の、電話であった。

 さっきの事務所からだ。

 少しばかり逡巡して、友希那は電話を取った。

 

「……はい、もしもし。……ええ、そうですが」

 

 流されるままに返事をし、流されるままに電話を切る。

 何が正しくて何が間違っているのか、まだ判らなかった。



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第七章 寄り添う者:前編

       

 

 

 作業が一段落したのは、つい今朝のことだ。

 白金燐子(しろかねりんこ)は時計台を正面に、街路樹を囲むように配置されたベンチの一つに腰を降ろす。

 それから、目の前を行き交う人々を、彼女はぼんやりと眺めた。

 CiRCLE(サークル)からほど近い、NR線の駅前広場である。

 天気のいい休日ということもあってか、家族連れや若者が多い。座れる場所を探したのは、雑踏の中から抜け出したかったからだ。

 だが。

 背負っていたソフトケースを前に抱えて腰かけた時、ふいに自分の中に生じた違和感に気がついた。

 人込みは、昔から苦手だ。ところがソフトケースを……その中に入っているキーボードを抱きしめていると、以前のように我を忘れて取り乱さないことに気づいたのだ。

 

「お待たせ、りんりんっ!」

 

 改札から宇田川(うだがわ)あこが飛び出して来たのはそれから少し経ってからだったが、それでも待ち合わせの時間よりも一〇分は早かった。

 

「人多いねぇ。今度から待ち合わせ、別の場所にしようかなあ」

 

 周囲を見まわしながら歩く、あこのその言葉は燐子への気遣いだろう。

 

「あ……だ、大丈夫だよ……」

 

 それより、と燐子は手に下げていた紙袋を掲げて見せる。

 

「衣装、あこちゃんのだけ、先に作ってみたから……」

「えっ、ほんと!? やったー!」

 

 袋の中を覗き込んで、あこが声をあげる。

 先日のお茶会でRoseliaの衣装を作ることになった燐子は、手始めに一着、作ってみることにしたのだ。あこ用なのは、単にあらかじめサイズを把握している唯一のメンバーだからという理由である。今あこが着ている私服も、燐子の手製だ。

 

「じゃあ早くスタジオに行って、みんなにも見てもらおっ」

「うん。気に入って……もらえると、いいな……」

「りんりんのデザインなら間違いなしだよ!」

 

 衣装の方向性が決まれば、あとはメンバー全員分の採寸をして、それぞれのイメージに合わせて微妙にニュアンスを変えてゆく作業に入る。

 

「手伝えることがあったら言ってね! あこ、何でもやるから!」

 

 どん、と力強く拳で胸を叩く親友に、自然と燐子も口元が笑みに緩む。 

 

「ありがとう、あこちゃん……」

「うん! よーし、ついにバンド衣装だあ! 燃えちゃうなあーっ!」

 

 目を輝かせて踏み出すあこの足が、

 

「……って、ん?」

 

 ふいに止まった。

 

「あこちゃん……どうか、したの……?」

「ねえりんりん、あれ……」

 

 振り向くことなく燐子の肩を叩きながら、あこは前方を指す。広場を抜けて、ちょっとした喫茶店やアクセサリー・ショップが並ぶ通りの奥に、人影が見えた。

 ざっと五〇メートルほどは離れているだろうか。だが、太陽の光を照り返す鮮やかな銀髪に、燐子は見覚えがあった。

 

友希那(ゆきな)さん……?」

 

 こちらに背を向けた格好のため顔までは判らないが、白いブラウスも裾にフリルのあしらわれた濃紺のスカートも、記憶の中の(みなと)友希那と一致する。

 異変に気づいたのは、あこの方だった。

 

「あの人、誰だろう?」

「え……?」

「ほら、あそこの、友希那さんの(そば)にいる人だよ」

 

 赤毛を低くお団子にまとめた、地味なスーツの女性である。

 だが、燐子はもちろん、あこも知らない人物だ。

 そんな彼女に先導されて、友希那は歩き始めてしまう。その足取りが心なしか重く感じられたのは、燐子の気のせいだろうか。

 一つだけ確実なのは、彼女達が歩いて行った先は、スタジオとは違う方向ということだ。

 その時だ。

 しゅばっ、と効果音がつきそうな勢いで、あこの姿が消える。次の瞬間、彼女は路地の植え込みと自販機の間に隠れるように身をかがめていた。

 

「あ……あこちゃん?」

 

 困惑する燐子に、振り向いたあこは唇に人差し指をあてて顔をしかめて見せた。

 静かに、の合図である。

 

「りんりん、しーっ。友希那さんに気づかれちゃうよ」

「でも、あこちゃん……やめようよ……あっ!?」

 

 突き当たりを曲がった友希那達を追いかけるように小走りで行ってしまうあこを、慌てて燐子も追いかける。

 電柱の陰に身をひそめるあこに追いついた燐子は、最後の抵抗とばかりに続けた。

 

「よくないよ……勝手に、あとを()けるなんて……」

「だって、もうすぐ練習始まる時間だよ?」

「……それは、そうだけど……」

「あの友希那さんが、練習に遅れてまで会うあの女の人……何か(おど)されてるとしか思えないっ」

 

 そして、

 

「友希那さんをしつこくつけまわすストーカーかもっ!」

 

 言うと、そそくさと次の物陰へと隠れに行ってしまう。

 だがある意味で、あこの言葉は正しいとも言えた。決して長い付き合いではないが、こと『音楽』に対する友希那のストイックな姿勢は、これまで何度も目にしてきている。

 そんな彼女が、バンド練習よりも優先するような用事なのだ。

 女性の風貌からしてあこが想像するような人物ではないだろうが、なぜだか只事ではないという予感が、燐子の頭をよぎった。

 そしてたった一人の親友は、そんな歌姫の後を尾けに行ってしまったのだ。

 

「あこちゃん、待って……!」

 

 放っておけるわけがなかった。

 息も切れ切れにやっとのことであこに追いつくと、彼女に(なら)って身をかがめる。路地から大通りに出る手前の、電柱の陰である。

 あことともに顔だけ出して、友希那達の同行を探る。

 横断歩道を向う側へ渡った二人はそのまま歩道に沿って歩いて行く。見つからないように、燐子達も後に続いた。

 片側二車線の大通りの両脇にはどれもビルが立ち並んでいて、その中でもひときわ大きな建物へと、友希那達は向かったようだ。

 二〇階近くはありそうな、高層ホテルである。

 

「あこ達も入ってみよう!」

「わたし達……入れないん、じゃ……」

 

 しかし以外にも、すんなりと建物の中へ入ることが出来た。風除室が設けられた二重構造のドアを抜けて、広いロビーに出る。見失ったのかきょろきょろと見まわすあこに、しかし今度は燐子の方が早く気がついた。一瞬、見慣れた銀髪が視界の端に映ったのだ。

 友希那と女性は、喫茶店のテーブルを囲んでいた。チェックイン・カウンターの見える開放型の喫茶店で、天井は二階までの吹き抜けである。丸いテーブルが一見無造作に、けれど絶妙のバランスで配置されている。

 二人は何やら話しているようだが、当然、ロビーからではその内容までは判らない。

 見つからないように細心の注意を払って移動するあこに、渋々燐子も続く。友希那達の視線の先に入らない位置の太い柱の後ろに隠れて、燐子達はそれぞれ顔だけを覗かせた。

 近くで見るとよく判る。ウェイターが持ってきた紅茶を飲んで何やら言っているスーツの女性の方は、やはり、とてもストーカーという感じには見えなかった。

 

「今日はもう練習があるの」

 

 出された紅茶にあまり手をつけず、友希那はテーブルに視線を落としている。

 

「もう少し、時間を……」

 

 俯いたままの友希那の言葉を、

 

「申し訳ありません」

 

 スーツの女性が遮る。

 

「依然うかがった弊社(へいしゃ)の者が熱烈なファンで、軽々しく、いくらでも待つ、などと。しかし、こちらとしてはビジネスですので」

「いえ……私も、目的は……」

「……え?」

 

 思わず、声が漏れる。

 ビジネス?

 目的?

 いったい何のこと?

 

「他社からも話が来ているんでしょうか? 我々より他社が用意した条件が魅力的だと言うのなら、(いさぎよ)く諦めますが」

「他からは……まだ、来てないわ……」

「でしたら、Roseliaとして生真面目(きまじめ)にコンテストに出場するのか、我々といっしょに本番のメイン・ステージに立つのか……考えるまでもないはずです」

 

 友希那の(こた)えは、沈黙、である。

 それよりも……、

 

「……ねぇ、りんりん」

 

 柱の陰で、あこが燐子の服の裾を引っ張った。

 

「これ、どういうこと?」

「……(わか)らない……」

 

 意外ですね、と言ったのはスーツの女性だ。

 

「『孤高のヴォーカリスト』として名高いあなたが、バンドが友達になってしまったのですか?」

「違うわ!」

 

 ここに来て、初めて友希那が顔を上げた。

 

「私は、フェスに出るためなら何でもする! ……ただ、今日は練習が……」

「……では、あと一週間だけ待ちましょう。あなたが一人のアーティストとして、正しい選択をしてくださることを祈っています」

「……判ったわ」

 

 じゃあこれで、と席を立とうとする友希那に、

 

「くれぐれも、同じ(てつ)を踏まないようにお願いしますよ」

 

 スーツの女性は呼び止めるように声をかけた。

 

「どういうこと?」

「先日、あなたのバックバンドとして声をかけさせていただいた、野上さんです」

一哉(かずや)が……?」

 

 突然、この場にいないギタリストの名前が話題に上がったのを聞いて、燐子とあこは目を()いた。

 なんてこと。

 野上さんも、この話に関係しているの……?

 だが、友希那は彼女の言葉で何かを察したようだ。俯いたまま、そう、とだけ応えると、足早に喫茶店を後にする。逃げるような足取りで出入り口を目指す彼女の背中が、燐子にはどこか(かな)しそうに見えた。

 最後まで、こちらの存在には気づいていないようだった。

 

「行っちゃった……」

 

 あこである。

 

「ねえりんりん、どうする……?」

「と、とりあえず……今日は、スタジオで練習……だから……」

 

 燐子は懸命に、腹の底から声を絞り出した。

 

「わたし達も、行かないと……」

「そ、そうだっ! とにかくみんなと合流して、それから考えよっか!」

 

 着信音が鳴ったのは、その時だ。

 あこの携帯である。慌てて手に取って、あこは通知を確認した。

 

「あ……リサ姉からメッセージだ。紗夜さんしかいないけど、みんなどうしたの……って」

 

 言いながら、こちらを振り向いたあこは眉を寄せている。

 この様子だと、どうやら紗夜とリサも知らされていないようだった。

 つまり、このことを知っているのは燐子とあこ、そして当事者である友希那と……一哉だけということになる。

 

「今……見たこと、言わない方がいいよ、ね……?」

 

 燐子は必死になって言葉を探した。

 

「友希那さんが……スタジオに来るなら……本人の口から、聞ける……かも。それに今日は……一哉さんも、来るから……」

「そ、そうだよねっ。なんかきっと、変な風に聞こえただけだよねっ」

 

 言いながら、あこは燐子の手を取って歩きだした。

 

「じゃあ、スタジオに急ごっ!」

 

 つられて、燐子も足を踏み出す。

 嫌な予感が、ずっと頭を離れなかった。

 

 

 

       

 

 

 珍しいこともあるもんだなあ、と思う。

 あこと燐子が約束していた練習時間より三〇分遅れたことが、ではない。

 寝坊したと言った一哉がぎりぎり五分前に滑り込んだことが、でもない。

 友希那が事前連絡もなしに一五分も遅れたことが、だ。

 いつもの彼女なら、それはあり得ないことだった。しかもそれを棚に上げてあこ達を注意するのだから、リサとしては可笑(おか)しくってしょうがない。

 

「いいから早く準備してください」

 

 ギターを構える紗夜(さよ)の言葉は、溜め息混じりである。

 

「ロスした分を取り戻さなくては」

 

 そうは言っても、遅刻した三人を待つ間はずっと運指の練習に時間を充てていたことを、リサは知っていた。例の、オルタネイトでアルペジオを弾く練習だ。

 そして、その練習に一哉が付き添っていたことも。

 だが、あこ達は互いに顔を見合わせて、困ったように眉を寄せているだけだ。

 そんな二人へ最初に声をかけたのは、自身の機材の前で丸椅子に腰を下ろす一哉だった。

 

「どうした?」

 

 言いながら、持ち込んだペットボトルの水を一口あおる。笑みを浮かべて、しかしその声音がいくらかわざとらしいのは、彼なりにこの場の空気を換えようとしているのだろうか。

 

「二人して辛気くさい顔して」

「そうだよー」

 

 だからリサも、一哉の言葉に乗ることにした。

 

「紗夜せんせいが怒るのなんて、いつものことじゃーん」

「野上さん、今井さん! まじめにやってください。コンテストは刻一刻と近づいてるのよ」

「はいよ」

「はーい」

 

 紗夜から向けられた鋭い視線に、リサは一哉と顔を見合わせて、それから肩をすくめて見せた。

 重い足取りでそれぞれの楽器に陣取るあこ達を眺めて苦笑する彼の姿に、そういえば、とリサは思い出す。

 この前言ってたバックバンドのスカウトって、結局どうしたんだろう。

 耐えかねた友希那が顔をしかめたのは、その時だった。

 

「……あこ、燐子。早くして」

 

 二人はあくまで位置に着いただけで、ろくに準備も始めようとしないのである。

 

「え、ちょっとなに? どうしちゃったの、二人とも」

 

 見ると、あこ達はしきりに友希那へ視線を投げている。

 思えば、リサが友希那へその理由を(たず)ねた時も、帰ってきた答えは、ちょっとね、であった。

 遅れてきた友希那の様子がいつもと違っていることくらい、リサにはすぐに判った。

 そして最初に違和感を覚えたのは、お茶会のあった日……練習終わりにスカウトを受けたと一哉が告白した、あの夜だ。

 まさか、とは思う。

 

「宇田川さん、やる気がないならかえ……」

 

 言いかける紗夜を、

 

「あ……あのっ……」

 

 遮るように、立ち上がったあこが声をあげた。

 

「あ、あこちゃん……」

「ごめん、りんりん。……あこ、見ちゃったの」

 

 何をですか、と訊ねるのは紗夜だ。

 俯いたままのあこの目は、見上げるように向き合った友希那を捉えていた。

 

「友希那さんが……スーツの女の人と、ホテルで……話してて……」

「それがどうしたって言うの。湊さんにだってプライベートはあるでしょう」

「で、でも……」

「あこちゃん……」

 

 口を挟むのは、燐子だ。

 

「い、今は練習を……」

「そうだけど……でも、でも……気になるんだもん!」

 

 おかしい。

 明らかにおかしい。

 確実に、何かがあったのだ。

 

「あ、あこだって、Roseliaっていう、この六人だけの……『自分だけのカッコイイ』のために頑張ってきたし」

 

 スカートに置かれた彼女の手は、ぎゅっ、と握りしめられている。

 ぞくり、とした。

 なに、この感じ。

 お腹の底に冷たいものが広がってゆく、あの感じだ。

 

「だから……」

 

 その予感は、

 

「コンテストに出られないなんて、絶対イヤなんだもん!」

 

 感情のままに叫ぶあこの言葉で、確信に変わった。

 思わず、リサは友希那の方を向く。びくり、と彼女の肩が動いたのが視界に入ったからだ。

 彼女はあこの方を見ようともせず、その目を逸らしていた。

 

「どういうこと?」

 

 ギターを握る紗夜の手から、力が抜ける。あこの方を向いたそれは、続けて、という意思表示だろうか。

 顔を上げることなく、あこはぽつりぽつりと話し始める。

 

「今日……りんりんと待ち合わせしてて。そしたら……友希那さんを見かけて」

 

 そして、

 

「友希那さん、フェスのメイン・ステージに出ないかって言われてて……Roseliaで生真面目にコンテストに出る必要なんてないって……!」

 

 え?

 

「一哉さんも……そのバックバンドに声かけられてて」

 

 誰かが息を()む気配があった。

 一哉だった。

 

「……宇田川さんの言い分は判ったわ」

 

 紗夜である。その目は、友希那を(にらみ)みつけていた。

 

「湊さん、認識に相違(そうい)はないんですか」

 

 だが、応えは、ない。

 

「私達とコンテストになんか出場せずに、自分一人本番のステージに立てればいい、そういうことですか?」

 

 応えは、ない。

 

「……否定しないんですね。だったら……」

 

 ストラップを外してギターをスタンドにかける紗夜に、たまらずリサは声をかけた。

 

「ちょ、ちょっと待って! そう言ったわけじゃないじゃん! 友希那の言い分だって、ちゃんと聞こうよ!」

 

 言いながら、しかし友希那の前に立って見せても、彼女は何も言ってはくれなかった。

 

「友希那……ねえちょっと……!」

「無駄ですよ、今井さん。何を聞いても、その人は何も答えてくれない」

 

 友希那に対する彼女の呼び方が変わっていることに、振り向いたリサはようやく気がついた。

 紗夜の目に宿るのは、あこのような不安ではない。

 明確な呆れと怒り……そして軽蔑だ。

 

「私達なら音楽の頂点を目指せる、なんて言って……自分達の音楽を、なんてメンバーを()きつけて……」

 

 自分の機材を手際よく片づけてゆきながら、紗夜は続ける。

 

「フェスに出られれば、何でも……誰でもよかった。そういうことじゃないですか……!」

「え……それじゃあ、あこ達……そのためだけに、集められたってこと?」

 

 呆然と声を漏らすあこに、それは違うよ、と真っ先に否定したかった。

 

「あこ達の技術を認めてくれてたのも……Roseliaに全部賭けるって話も……みんな、嘘だったの……?」

 

 友希那のことをずっと(そば)で見てきたからこそ、言いたかった。

 だが、いくらリサがわめいたところで、何の解決にもなりはしない。

 きちんと友希那が、自分から言ってくれなければ意味がないのだ。

 だが、幼なじみは応えなかった。

 何も言わなかった。

 

「……友希那さんひどいよ……っ!!」

「あこちゃん……待って、どこに……!?」

「ちょっ、二人とも……!」

 

 スタジオを飛び出して行くあこ達に追いすがるように声をあげても、二人に届くことはなかった。 

 紗夜の軽蔑の眼差しは、そのまま滑るように一哉に向けられる。

 

「あなたは、当然このことを知っていたんですよね? あなたもスカウトを受けていたのだから」

「ああ」

 

 即答だった。

 友希那を除いた全員の視線が、一哉に集中する。目深にかぶったキャップのツバに隠れて、だからリサには一哉が今どんな顔をしているのか判らない。

 それが余計に、怖い。

 そして同時に、理解してしまった。

 これが、一哉の隠し事だったんだ。

 

「知ってた」

「知ってて黙っていたんですか?」

「そうなるな」

「私達に何も言わずに」

「ああ」

「なぜです?」

「それを話したところで、氷川さんは納得するのか?」

「質問を質問で返すのは、失礼ではないでしょうか」

 

 それもそうか、と彼は笑った。

 底冷えするような声だった。

 知らない。

 アタシ、こんな一哉、知らない……。

 

「では質問を変えましょう」

「どうぞ」

「あなたは、このスカウトを受けたんですか?」

「さあ、どうだろうな」

「はぐらかさないでください!」

 

 ここにきて初めて、紗夜が声を荒げた。固く拳を握り、肩をいからせて、形のいい眉は吊り上がっている。

 

「私は本気で()いているんです……」

「友希那が受ける、ってんなら、俺も受けるだろうよ」

 

 言い換えればそれは、友希那が断れば一哉も断る、ということになる。

 つまり、全ては友希那の判断によって決まってしまうのだ。

 

「……判りました」

 

 紗夜の言葉は、()(いき)混じりである。

 無論、落胆の、だ。

 

「結局、あなたも湊さんと同じというわけですね」

 

 それが、氷川紗夜の出した結論だった。

 

「やるからには全力で、手は抜かない」

 

 唐突に紗夜が呟く、それはリサが再びベースを手に取る決断をしたあの日、同じく友希那と組むことを決断した一哉が友希那へ告げたものだ。

 

「あの言葉も嘘だったということですか」

 

 当然ですよね、と紗夜は続けた。

 

「あなたにとって大事なのは、Roseliaじゃない。あくまで湊さんと……ろくな目標もなく続けているだけの、お遊びのバンドなんですから」

「紗夜!」

 

 反射的に、リサは鋭い声をあげた。

 お遊び?

 ORIONがお遊び?

 お遊びって言った!?

 

「いくら何でもそれは言い過ぎ!」

 

 それだけは、聞き捨てならなかったからだ。

 だが。

 

「リサ」

 

 背後から、少年の声がリサを制する。

 

「一哉、でも……!」

「いいんだ。そんなことは、今は重要じゃない」

「……とにかく、私はもう帰ります」

 

 言って、紗夜はギターをケースに仕舞ってゆく。

 作業の(かたわ)ら、

 

「湊さん」

 

 彼女は語った。

 

「私は本当に、あなたの信念を尊敬していました」

 

 それは、別れの言葉である。

 

「野上さん、あなたの技術とセンスにもです。……心底から羨ましかった。だからこそ、私も……」

 

 垂らした手が拳を握っていることに、リサは初めて気がついた。

 そして、

 

「とても失望したわ」

 

 それが、合図になった。

 紗夜は立ち上がると、振り返ることなくドアの方へと歩いて行く。

 去って行く背中に向かって、リサは声をぶつけた。

 

「じゃあ……じゃあ、これから先アタシ達、どうするつもり……?」

「あなた達は『幼なじみ』……何も変わらないでしょうね」

「そういうことじゃなくて……」

「時間が惜しいの」

 

 背中を向けたままで。その左手は、ドアノブを掴んでいる。

 

「申し訳ないけれど、失礼するわ」

 

 それが、その日、紗夜の最後の言葉だった。

 重い防音ドアが滑らかに閉まると、ほんの瞬間だけ聞こえていたロビーのBGMが、また途切れた。

 六人いたはずのスタジオが、あっという間に半分になる。

 

「ねえ」

 

 声をかける相手は、残された二人の幼なじみである。

 

「今の話、本当なの……?」

「本当だったら、なに」

 

 応えたのは、友希那の方だった。

 

「なに、って……友希那はそれでいいの? 本当はメンバーに何か言いたいことがあるんじゃ……」

 

 言いかけるリサを、

 

「知らない!」

 

 友希那の上擦った絶叫が遮った。

 

「私は……っ、お父さんのためにフェスに出るの! 昔からそれだけって言ってきたでしょ!」

 

 癇癪を起こした子供のように、その声を荒らげて。

 

「……帰るわ」

「か、帰ってどうするつもり……?」

「フェスに向けた準備をするだけよ」

 

 それだけ言うと、友希那もスタジオを後にしようとする。

 

「友希那……っ!」

 

 遠ざかる幼なじみの背中に、しかしかける言葉が見つからない。

 ……いや、何を言えばいいのか判らなかった。

 スカウトはどうするの?

 アタシ達はこれからどうすればいいの?

 ……Roseliaは、どうなるの?

 ぐるぐると、思考が渦巻いてゆく。そうしている間にも、友希那はドアへと近づいていった。

 

「……ねえ、一哉!」

 

 一縷の望みをかけて、リサはもう一人の幼なじみを振り向いた。

 

「一哉も何か言ってよ! 知ってたんでしょ、友希那のスカウトのことも!!」

 

 椅子に座ったまま、相変わらず帽子のせいで表情は見えない。

 関係あるもんか。

 

「このままじゃ……このままじゃ、本当にRoseliaがなくなっちゃうよ! 一哉はそれでいいの!?」

 

 応えは、ない。

 だが友希那がノブに手をかけたところで、

 

「友希那」

 

 ようやく、彼がその口を開いた。

 ノブを回そうとする友希那の手が、止まる。

 

「事務所の人には、何て言われた?」

「……一週間」

 

 ぽそり、と呟くその声は、本当にリサの知っている友希那なのかと疑ってしまうほどに弱々しい。

 

「あと一週間だけ待つ、って」

「だったらそこが最後のチャンスだ」

 

 野上一哉は、そう言った。

 

「それまでに、お前が納得出来る答えを出せ」

 

 友希那は応えない。

 重い防音ドアの固いノブを回して、ついに彼女は一人でスタジオを出て行ってしまった。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう……!

 

「一哉」

 

 震える声で言いながら、リサは背後を振り返る。

 幼なじみは、じっとこちらを見据えていた。

 

「どうして話してくれなかったの……」

 

 友希那のスカウトを、だ。

 

「もっと早く教えてくれたら、こんなことにならないで済んだかも知れないのに」

 

 言葉にしながら、しかし心のどこかで、違う、と何かが叫ぶ。

 もっと早く教えてくれたら?

 違う。

 もっと早く、アタシが訊いておくべきだったんじゃないの?

 友希那を支えると決めたなら。

 

「……ごめん」

 

 彼がそう言った時、ようやく、彼の顔が見えた。

 眉を寄せ、申し訳なさそうに目尻を下げた、心苦しげな表情だった。

 CiRCLEのスタッフが利用時間を告げに来るまで、二人はそれから一言も話さなかった。



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第七章 寄り添う者:中編

 調子に乗って、続きも出します。


       

 

 

 服、靴、アクセサリー、美容……。オシャレには、多少なりともお金がかかる。

 そしてかかる費用を賄うには、働かずして稼ぐ方法はほぼ皆無と言っていいだろう。

 少なくとも、一般的な家庭にとっては、そうだ。すなわち、起床して通勤、九時五時(くじごじ)で仕事を済ませて帰宅し就寝、である。

 学生もまた例外ではない。違うのは、仕事の代わりに学校があることくらいだろう。

 つまるところ、リサもまた、アルバイトをしているというわけだ。

 あれだけの大騒動の後にも(かかわ)らず。

 家から学校までの通学路の途中に位置するとあるコンビニエンス・ストアが、彼女の働き口である。

 ポケットに突っ込んだ携帯が小さく震えたのは、まさにバイトのシフト真っ只中だった。

 さっきまでいた客は今しがた自動ドアを潜って出て行ったところで、だから店内にはレジ・カウンターに立つリサと同僚、それからバックヤードにいる店長しかいない。すっかり()の落ちたこの時間帯は客足も決して多くはなく、だから束の間のブレイク・タイムのようなものだ。

 素早く取り出して、画面を()ける。

 一通の、メールであった。

 差出人は、

 

友希那(ゆきな)から……?」

 

 タップし、メールを開く。

 その内容に、リサは息を()んだ。

 

 

『from/湊友希那

 sub/(件名なし)

 来週の練習予定、取り消す。

 他のメンバーにも伝えたから』

 

 

「うそ……」

 

 思わず口元を手で覆い、声を漏らす。

 たった今取り消されてしまった来週以降は、まだスタジオの予約を済ませていないのだ。それは事実上、Roseliaの練習が全てなくなったことを意味していた。

 そんな。

 これでは、本当にRoseliaが解散してしまう。

 まだ、何も聞けていないのに。

 まだ、何も話せていないのに。

 友希那は、これで本当にいいのだろうか。

 無論、フェスに向けた友希那の覚悟は、リサも知っている。

 けれど、こんな形でフェスに出たとして、果たして本当に、友希那の夢は叶ったと言えるのだろうか?

 ふいに、もう一人の幼なじみの顔が頭をよぎった。

 その時だ。

 

(みなと)さんって~、リサさんの幼なじみでしたっけ~?」

 

 妙に間延びした喋り方で、同僚の少女がこちらを覗き込んでくる。

 短く切り揃えられた髪は白く、瞳は透き通ったアクアマリンだ。身に着けているのは、リサと同じ袖と襟に赤と青のラインが入ったシャツに薄い水色のエプロンである。

 ゆるい顔つきがちっとも気にならないのは、きっと彼女ののんびりとした性格によるものだろう。

 青葉(あおば)モカ……胸元のネームプレートにあるとおり、それが彼女の名だった。

 同じく羽丘女子学園(はねおかじょしがくえん)に通う、リサの一つ後輩である。

 

「えっ」

 

 生返事をしてしまってから、

 

「あ、あーうん。そ!」

 

 あわてて持ち直す。

 

「家が隣どうしでさ……」

 

 言いながら、しかし徐々にその視線が下がってゆく。

 そう。

 ずっと、隣どうしだった。

 ずっと、いっしょにいたのだ。

 それなのに、と思う。

 なんでアタシは、もっと上手く出来ないんだろう……。

 友希那とも、

 一哉とも。

 そんな思いを悟られないように、リサは話題を()らすことにした。

 

「そ、そう言えば、モカと(らん)も幼なじみなんだっけ?」

 

 だが。

 

「まあ、一応……そう、なんですけど」

 

 彼女にしては、その返事はいささか歯切れが悪い。気づいた時には、どうかしたの、と(たず)ねてしまっていた。

 

「いや~、まあ、いろいろありまして~」

 

 話し方は相変わらずだが、彼女が浮かべる笑みはどこか寂しげだ。

 

「いろいろって……どういうこと?」

「んーと……」

 

 リサの問いに、モカは視線を彷徨わせる。

 それから、

 

「蘭の家って、華道(かどう)家元(いえもと)なんですけど」

 

 慎重に言葉を選んで、話し始めた。

 

「蘭を後継者にしたいお父さんに、ただいまバンド活動を反対されてまして」

 

 Afterglow(アフターグロウ)のことだ。

 

「それで落ち込んでた蘭を心配したら、みんなには関係ない、って言われちゃって……。で、ちょっとトモちんと蘭が衝突しちゃいまして」

「そっか……なるほどね。蘭も悩んでるんだ……」

 

 似ている、と思った。

 AfterglowとRoseliaが、ではない。

 モカとリサ自身が、だ。

 大切だからこそ、ずっとずっと『見守るだけ』で、決して自分から動こうとはしない。

 だがその結果が、あんな事態を引き起こしてしまったのだ。

 だったら……、

 

「……本当に大切なら、隣にいるだけじゃ駄目……」

 

 ぽそり、と呟くその言葉は、モカだけではなく自分自身に向けた言葉であることに、リサは気づいていた。

 そうか。

 ああ、そうか。

 

「間違った方向に行かないように導くのも友達……ううん、『親友』の役目……なんだよ」

「隣にいるだけじゃ、駄目……」

「アタシもさ、友希那が幸せなら、ってずっと見守ってきた。もしかしたら間違ってるかも知れない、って思いながら、ずっと……。でもそれは、やっぱり間違いだったんだよね」

 

 モカは、頭の回転が速い少女だ。だからこそ自分で答えに辿り着けるという確信が、リサにはあった。

 モカならきっと大丈夫。

 リサは、固く拳を握りしめる。

 アタシは、今から取り戻さなくちゃいけない。

 でもその前に、と思う。

 一哉と話さなきゃ。

 

 

 シフトを終えて真っ先に一哉にメッセージを送ったリサは、しかしそれから二日経つまで返信を放ったらかしにされることになる。

 その間、一哉が今井家に夕食を()りに来ることはなかった。

 

 

 

       

 

 

「参ったなあ」

 

 一哉は机に突っ伏して、溜め息とともに吐き出した。

 リサの言うとおりだ。

 もっと早く彼女に話していたら、こんな状況にはなっていなかったかも知れない。

 すなわち、Roseliaの空中分解、である。

 理由がなかったわけではない。

 だが友希那を想って取ったはずの行動が導いた結果が、これだったというだけだ。

 遅かれ早かれ、こうなることは判っていたはずなのに、である。

 突っ伏した彼に声をかけるのは、

 

「よっ、お疲れさん」

 

 鳴海奏太(なるみそうた)だ。見ると、真っ白いタオルを首にかけて顔面の汗を拭っている。

 ライヴハウスの、控室である。AXIS(アクシズ)のオーナーの勧めで出演することになったイベントの会場だ。

 今しがた出番を終えて控室に戻ってきたばかりで、だから突っ伏した一哉の顔と机の間には汗拭き用のスポーツ・タオルが挟まれている。

 身に着けた白い衣装にも、ギター・ストラップの形に汗の染みが出来ていた。

 

「影山はどした?」

「トイレ」

「んじゃ実里は?」

「更衣室に直行です」

 

 楽屋は四人で一部屋だが、さすがに着替えまで同じ部屋でやるわけではないからだ。

 

「そっか」

 

 そう言って、鳴海は一哉の向かい側の椅子に腰を下ろす。彼のジャケットもまた、まるでタスキをかけたかのように汗の染みが出来上がっていた。汗止めのヘッド・タイを外すと、下敷きになった前髪が何本か額に貼りついている。

 

「いやあ、楽しかったな」

「ですね」

 

 披露したのは三曲と、少ない持ち時間ではあったが熱いステージになった。

 機材転換のために暗転してからも、しばらくは爆裂のような拍手が鳴り止まなかったほどだ。

『歌詞』という言葉のコミュニケーションがなくとも、演奏する楽器それぞれから放つ気持ちが観客に届いたと思うと、この結果は上出来だと言えるだろう。

 そんな中で、

 

「ところでガミや」

「はいはい」

「やっぱりお前さん、いつもと調子違うよな?」

 

 鷲鼻のベーシストは、リーダーに起きている異変を正確に見抜いていた。

 

「ステージに立ってる時はあんまし気にならなかったけどよ」

 

 ぎくり、とした。

 

「……どうしてそう思ったんで?」

 

 応じる一哉は、突っ伏した姿勢から顔だけを鳴海に向けた格好だ。

 

「んー、(かん)

「勘って……そんなんで判るもんなんですか?」

「オイラの勘をあんまし()めるなよ?……で、結局どうなのさ? 何かあったのか?」

「ああ、いや、まあ……」

 

 考える。

 だが答えを出すのは一瞬だった。ここで変にはぐらかしても、何かの拍子に事態が露見するのは明白だからだ。

 だったら、相談するのは早いうちに越したことはない。

 リサが言っていたように。

 

「あるっちゃあ、あります」

 

 そして、一哉は語り出した。

 友希那が、Roseliaではなくソロのヴォーカリストとしてスカウトを受けていること。

 一哉自身もまた、そんな彼女のバックバンドの一人として声をかけられていること。

 

「フェスへの切符は、友希那にとって喉から手が出る程に欲しいものなんです。だからこそ時間をかけて、あいつ自身が納得出来る答えを見つけるまでは誰にも言わない方がいいと思ってました」

 

 だが二日前、ひょんなことから友希那のスカウトがメンバーに発覚し、今まさにRoseliaが解散の危機に陥っていること。

 そして。

 

「ORIONがお遊び、ねえ……」

 

 肩をすくめて苦笑する鳴海に紗夜から言われたことまで告げてしまったのは、あるいは思っている以上に自分がその言葉に打ちのめされているからなのかも知れない。

 

「もちろん遊びでやってるつもりはないけど、でもすぐに反論出来ない自分がいたのも事実なんです。たしかに彼女の言う通り、俺達は特に明確な目標があって活動してるわけじゃない」

 

 Roseliaでいう、『FUTURE WORLD FES.』への出場、である。

 だがORIONには、それが、ない。

 

「バンドやろうぜ、つって誘ったのはオイラだしな」

 

 鳴海が笑うと、口髭もいっしょに歪む。

 

「そうでしたっけ」

「そうだよ」

 

 でもま、と背もたれに背を預けると、彼の座るパイプ椅子が、ぎしり、と軋んだ。

 

「別にいいんじゃねーの? 遊びだろうが何だろうが、オイラ達、こうやってライヴしてることそのものが目標みたいなもんだし」

「え?」

「ガミよ、俺が誘った時にお前が言ってたこと、憶えてるか?」

 

 鳴海の問いに、ついに一哉も身を起こす。

 

「俺が言ったこと……?」

「おうよ」

 

 一年前……一哉が高校一年生だったころ、鳴海は同じ高校の三年生だった。

 ある日の昼休みに中庭で一人ギターを奏でる一哉を見た鳴海が、声をかけたのだ。

 いい曲だな。お前さんのオリジナルか?

 ええ、まあ。

 そりゃすげぇや。もっと聴かせちゃくれねぇかい?

 ……いいですよ。

 二人が親睦を深めるのに、そう時間はかからなかった。

 そんな中で、鳴海は野上一哉という人間に音楽性の面で強く惹かれていくことになる。

 すなわち、たぐい稀なる作曲家(コンポーザー)としての才能と、プレイヤーとしての技量の高さである。

 当時からすでにスタジオミュージシャンとしての活動を始めていた鳴海は、ゆえに気になったのだと言う。

 一哉の音楽に対する高いモチベーションと飽くなき探求心は、いったいどこからきているのか。

 その答えこそが、

 

「……子供のころに感じた音楽へのときめきを、今度は自分が誰かに伝えたい……」

「ときめき……」

「おう。忘れたわけじゃあるめぇな?」

 

 忘れるものか。

 そうだ。

 ああ、そうだ。

 俺にとって、音楽のルーツはいつだって……。

 

「オイラはさ、そう言うお前だからバンドやろうと思ったわけ。狭いスタジオで黙々と弾いてるのも悪かねえけど、こいつの曲をステージで……デッカい箱で爆音で響かせたら絶対楽しくなりそうだ、ってな」

 

 そして、彼は言った。

 

「遊んで何が(わり)ぃのさ。音を楽しんでこそ音楽……お前さんのモットーだろ?」

 

 にやり。

 

「だったら、友希那ちゃんにもそう伝えりゃよかったじゃねえの。オイラがORIONでお前の曲を()りたい、って思ったみたいに、お前もRoseliaで友希那ちゃんの曲を奏りたい、ってな感じにさ」

「そうだよ」

 

 応えたのは、少女の声だった。

 

「私達だって、みんなカズくんの曲に惹かれて……胸がときめいたから、バンドしてるんだもん」

 

 戸口に仁王立ちで、八谷実里(やたがいみのり)が朗らかな笑みを浮かべていた。

 淡いピンクのパーカーはオーバーサイズで、下に履いたベージュのミニの裾がかろうじて見えている格好である。腰に当てた彼女の右手は、真っ白なキャップを掴んでいた。

 

「そのカズくんが惹かれた音楽なら、それはきちんと向き合うべきだと私は思うな」

 

 その後ろから、ひょっこり、と影山が顔を覗かせる。その頭が、しきりにうなずいているのが見えた。

 

「二人とも、いつから……」

「ちょっと前にね。何か二人で真面目に話してるから、気になっちゃって」

 

 とにかくさ、と控室中央に置かれたテーブルを回り込むと、実里は一哉の隣に腰を下ろす。後に続いて、影山は鳴海の隣に座った。

 

「友希那のことにしても、ORIONのこれからにしても、カズくんがやりたいようにやればいいと思うな」

 

 微笑みをたたえて、こちらを振り向く。

 うんうん、と腕を組んでうなずくのは、鳴海だ。そのまま、ちらり、と横目で視線を投げてくる。

 まるで、何かを催促(さいそく)するかのように。

 

「まあ欲を言うんだったら、そろそろデカいライヴにも出たいなとは思ってるけど」

「ちょっとナルルン! せっかくのイイ雰囲気壊さないでよ~!」

「えー! いーじゃねーかよー! オイラもああは言ったけどさ、やっぱり何千人何万人とかの前で奏ってみたいんだって!! 絶賛製作中の新ベースちゃんも試したいんだよおっ!」

「あー、さてはそれが本音だなー!?」

 

 わいわい、がやがやと騒がしくなる楽屋で、一哉は一人考え込む。

 

「俺がやりたいこと、か……」

 

 一哉は衣装ズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、チャットアプリを起動した。

 通知がついているのは、まだ一哉が中身を開封していないからだ。

 いや、放ったらかしにしていた、と言った方がいいだろう。

 騒動のあった二日前の夜、唐突にリサからメッセージが送られてきていたのだ。その時は後ろめたい気持ちからすぐには返事を出せなかったが、今なら出来る。

 俺のやりたいこと。

 俺の願い。

 それは……。

 

 

 終演後リサと二日ぶりに連絡を取った一哉は案の定、彼女からのお叱りを受けることになった。




 後編はまた近いうちに。


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第七章 寄り添う者:後編

       

 

 

 あの日から、何もする気が起きなかった。

 予約していたスタジオでの練習をキャンセルし、学校が終われば真っ直ぐに家に帰る。今日なんかは、とうとう食事とトイレ以外は部屋から出なかったほどだ。

 週末なのだ。

 いつの間にか()は沈んでいて、だから友希那(ゆきな)は天井のシーリングだけ点けて、ベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。

 身に着けているのも、部屋着のTシャツに黒のロングスカートである。

 それからどれくらいの時間が経ったのかは判らない。だが母親が呼びかけて来ないということは、まだ夕食前ではあるのだろう。

 事務所の人間に呼び出され、スカウトへの返事として一週間の猶予が提示されたのが、二日前。

 期限まで、残り五日。

 手にした携帯の画面には、一件の通知が届いていた。メールアプリだ。

 友希那を呼び出した、クイーンレコードの担当者からだった。

 メールを開き、返信を送る。

 たったそれだけだ。

 だというのに、なぜか携帯を持つ手は思うように動いてくれない。たったそれだけのことが、出来ないでいるのである。

 夢はもう、目と鼻の先にあるのに。

 手を伸ばせばすぐ掴める距離まで来ているのに。

 しかし指を動かそうとすると、決まって脳裏をよぎるのだ。

 それは、記憶である。

 この一ヶ月ばかりの、Roseliaとしての記憶だ。

 少しずつメンバーが集まってゆき、バンドとしての形になった。

 あっという間に初ライヴが決まり、友希那達はRoseliaとしてのデビューを飾った。

 決して長い付き合いではないが、それでもバンドとしての活動は、少なくとも友希那にとって心地よい時間であったことは確かだ。

 そう、一瞬でも『きっかけ』を忘れてしまうくらいには。

 そしてその事実こそが、友希那の行動を阻害するのである。

 どうして。

 夢を叶えるためならば全てを投げうつ覚悟を決めたはずなのに。

 どうして。

 みんなの顔が浮かんでくるの。

 紗夜。

 あこ。

 燐子。

 ……リサ。

 …………一哉。

 画面を閉じたはずの携帯が突然、ゔゔ、と震えた。

 チャットアプリに届いたメッセージだ。

 

「リサ……?」

 

<リサ:ゆっきな~! 窓開けて―!!>

 

 なぜ、こうも見計らったかのようなタイミングで来るのだろうか。

 寝そべったまま、慣れた手つきで返信する。

 

<友希那:忙しいから無理>

 

 しかし間髪(かんはつ)入れずに返ってきたリサのメッセージに、

 

<リサ:寝っ転がって何に忙しいのかな~?>

 

 思わず友希那は跳ね起きて、自分の部屋を見回した。

 大した広さではない。壁際にはパソコンデスクと低いレコードラックが並び、ラックの上にはCDラジカセが置かれている。その隣のスタンドにかけられているのは、ヘッドホンだ。

 フローリングや壁紙を除いて、部屋の色調は深いムラサキで統一されている。デスクも椅子も床に敷いたラグ・マットもベッドカバーも枕もベッドライトも、だ。

 その中で、彼女のベッドはベランダへと繋がる大きな()()し窓と平行になる格好で、デスクがあるのとは反対側の壁に頭を向けるように置かれている。

 

<リサ:カーテン開いてるぞ☆>

 

 釣られて窓の方を向いた目が、驚愕に開かれる。

 カーテンが閉じられていないことに、そこでようやく友希那は気がついたのだ。

 視界に映るのはムラサキの布ではなく、ガラスに反射した友希那自身の姿だ。その向こうには、夜空と隣人の家のベランダが見える。

 そこに、いた。

 にんまりと笑みを浮かべて、携帯を持つのとは反対の手で茶髪の少女がこちらに手を振っている。

 それだけではない。

 その隣に、もう一人、いた。

 少女の傍らに立って、ベランダの(へり)に寄りかかっているのは少年である。どこか吹っ切れたような彼女とは対照的に、彼の笑みは苦笑気味だ。そのまま、手にした携帯に二人は何かを打ち込んでゆく。

 直後、友希那の携帯が立て続けに震えた。

 新しいメッセージだ。

 二件の。

 

<リサ:おー! やっと気づいてくれた!!>

<一哉:よお。そっち行っていいか>

 

 友希那は、心の底からの溜め息をついた。

 そして、渋々返信する。

 

<友希那:好きにすれば>

 

 友希那とリサそれぞれの自室は、それぞれから繋がるベランダが向き合った格好になっている。このあたりの住宅街は建物の間隔も狭く、そのためその気になればベランダを介してお互いの部屋に転がり込むことも出来るようになっているのだ。

 二人の幼なじみが、慣れた動作でベランダを渡る。

 施錠された窓のカギを開けてやると、二人は足の裏についた汚れをはたき落としてから部屋に上がった。

 

「やっほー! 友希那の部屋に来るのってひっさしぶりだな~!」

「そうなのか?」

「うん。二~三年は来てないと思う。せっかく家が隣どうしなんだからさ、友希那ももっとうちに遊びに来てもいいんだよ?」

 

 言いながら、リサはベッドに、一哉は椅子に腰を下ろす。キャスターを転がして、ラグ・マットの上まで移動してきた。ベッドに腰かけた二人の正面に来る格好だ。

 

「……毎日のように会ってるのに、今さら何か用?」

 

 友希那の言葉は、半ば本音だ。一哉とはこの前のスタジオ以来だが、リサとは昨日も通学中に顔を合わしている。意図的に家を出る時間を早め、なるべく会わないようにしていたにも拘らず、である。

 

「あー、うん……」

 

 リサの笑みに、影が差す。

 

「まずはごめんねっ」

 

 スカウトのことだ。

 

「家の前でたまたま会った夜さ……あれからずっと、友希那はずっと一人で悩んでたんだよね? 一哉から聞いたよ、全部」

 

 弾かれたように友希那が振り向く先は、正面に向かい合った一哉だ。

 

「話したの……?」

 

 友希那の質問に、一哉は肩をすくめて見せる。

 そして、言った。

 

「ああ、話した。もう隠す必要もないだろ。スカウトがあった、ってことはバレてるわけだし」

 

 アタシさ、と呟くリサの視線が、次第に(うつむ)いてゆく。

 

「本当は、何かあるんじゃないかって気づいてた。一哉、隠し事ヘタだし」

「……それはそうね」

「おい」

「嘘は言ってないでしょ~? ……でもね、それが何なのかまでは気づけなかった……気づこうと、しなかった……!」

 

 奥歯を()みしめて、落されたリサの肩は小刻みに震えている。

 

「アタシ、友希那の親友失格だよね……。友希那が幸せなら、なんて言っといて、ただ『見守るだけ』で自分から動こうとしなかったんだもん……」

 

 リサの悲嘆(ひたん)は、

 

「俺も同じだよ」

 

 一哉に引き継がれた。

 

「一緒に悩むべきだったのに、一人にさせた。夢を知ってるからこそ、下手に踏み入らない方がいいって、勝手に結論づけて……そのせいで、こうなった。……だから、ごめん」

 

 一哉の謝罪に、リサが補足を入れる。

 

「一哉、断ってたんだって」

 

 何を?

 決まってる。

 スカウトを、だ。

 

「……そう」

 

 なぜか、そんな予感はしていた。

 去り際に聞いた、事務所の人間の言葉が引っかかっていたからだ。

 同じ轍を踏むことのないようにお願いしますよ。

 あの時点で、彼は『答え』を出していたのだ。

 

「やっぱり、ね……」

 

 ……ああ、

 どうしてこの二人は、ここまで……。

 

「アタシ達ね」

 

 そんな友希那の思いを知ってか知らずか、リサは続ける。

 

「友希那の力になりたいんだ」

 

 柔らかい微笑みをたたえ、手をこちらに差し出して。

 だが、

 

「お父さんのことも、Roseliaもフェスのことも、ずっと友希那一人に背負わせちゃってたから。だから、これからはアタシ達もいっしょに……」

 

 言いかけたリサを遮るように、

 

「なんでっ!?」

 

 友希那は思わず言い放っていた。 

 突然の大声に、びくり、と二人の肩が動く。差し出された手が、友希那に弾かれたせいで引っ込んだ。

 

「なんで……なんで二人とも、いつもそうなの!? なんで謝るの! リサも一哉も悪くない! 悪いのは全部私じゃない!!」

 

 止められない。

 感情の濁流が、止められない!

 

「私の自分勝手でこうなったことくらい判ってる! スカウトを断らなかった私のせいなのに……!」

 

 なんで私のことを責めないの?

 なんで私のことを怒らないの?

 なんで、

 

「なんで……優しくするの……」

 

 (せき)を切ったように、涙が溢れてくる。

 

「いつも……いつもそうよ……。私が何をしてもリサは笑って……一哉も、いつもそばにいてくれて……」

 

 零れそうになるのを、必死になってこらえた。

 無駄だった。

 

「私は……二人がいると、駄目なの……。一哉と違って、私はちゃんと音楽に向き合えない……っ!」

 

 どんなに歯を()いしばっても、(のど)の奥に号泣を()()んでも、それでも肩の震えを隠しきれずにむせび泣いてしまう。

 それは『あの日』以来誰にも見せることなかった、湊友希那の『弱さ』だった。

 認めざるを得なかった。誰か助けが必要なのだ。

 だからこそ、

 

「大切だからだ」

 

 一哉の顔に顔を上げて、その時初めて自分が俯いてしまっていたことに気づいた。

 

「大切だから、俺達は友希那と向き合ってるんだ」

 

 それが、彼の答えだった。

 

「俺もリサも、自分の気持ちと向き合って、今ここにいる。だから友希那も音楽と向き合う前に、どうしたいのか何をしたいのか……自分の気持ちと向き合ってくれよ」

「自分の、気持ち……」

 

 そうだよ、とリサが友希那の手をとった。

 

「フェスに出たい、って友希那の覚悟は知ってるよ? でも皆で演奏してた時は、昔の……友希那のお父さんといっしょにセッションしてたころの友希那が戻ってきたみたいで、すごく嬉しかった。少なくともアタシには、友希那が幸せそうに見えてたよ」

 

 だから、と両手で優しく包み込む彼女の(てのひら)は、とても温かい。

 

「もし迷ってるなら、今はRoseliaを捨てないで欲しい」

 

 にんまりと、リサが笑う。

 

「それがアタシの気持ち」

「……気持ちだけでは、音楽は出来ないわ」

 

 やっとのことで絞り出した言葉は、

 

「本当にそうか?」

 

 一哉に一蹴された。いつのまにか椅子を降りて、ラグの上にあぐらをかいている。

 

「俺なんか、むしろ気持ちだけでやってるとこ、あるぞ」

「え……?」

「聴いてくれる人に盛り上がって欲しいし楽しんで欲しいし……踊ってもらえたらもう最高! って感じで」

「それはあなたのやり方でしょ!? 私はあなたみたいにはなれないの!」

「そりゃそうだ。俺と友希那は別の人間なんだから」

 

 でもな、とこちらを見上げる瞳は、昔のままだ。

 困ったように眉を寄せるその表情は、懐かしささえ感じられた。

 

「『気持ち』が……『こころ』がなきゃ、『思い』は決して届かない」

 

『こころ』がこもるからこそ、人は『音楽』に『こころ』を動かされる。

 

「俺はそれを、智之(としゆき)おじさんに教わった」

 

 友希那の父だ。

 無論、夢を諦める前の、である。

 

「あ……」

 

 思わず、友希那は声をあげた。

 思い出したのだ。

 公園でのセッションでギターと出会った一哉は、それ以来智之にギターを教えてもらうようになった。

 まるでスポンジが水を吸うような勢いで新たなコードやフレーズを身に付け、新たな曲を弾けるようになっては友希那とセッションする、そのたびに弾けんばかりの笑顔を浮かべる幼い彼の姿は、今でも友希那は(おぼ)えている。

 小学生に上がってしばらくしたころだろうか、いつものように湊家でギターを奏でる一哉を見守っていた智之がある日、口を開いたのだ。

 それはいつか、友希那も訊かれた言葉だった。

 

 ……一哉くん、音楽は好きかい?

 ……うん。大好きだよ! こうして弾いてるとね、楽しくってわくわくして、それから胸の奥がぐっと熱くなってドキドキするんだ!

 ……わくわくドキドキ、か……。

 ……おじさんは、わくわくドキドキしないの?

 ……もちろんわくわくするよ。それにドキドキもする。心の底から音楽が好きだからこそ、僕もキミみたいに演奏している瞬間が何より好きなんだ。

 ……へ~。

 ……でもね。たとえどんなに演奏が上手でも、『こころ』がこもってなかったら『思い』は届いてくれない。『こころ』がなくなった瞬間に、それはただの『音』の『流れ』に……『音楽』ではなくなってしまうんだ。

 ……おじさんのお話、ムズカしくってよくわかんないや。

 ……パパ、私も~。

 ……えっ、友希那もかい? そうだな……とにかく、一哉くんが感じた気持ちを大切にすること。これが一番大事かな。それさえ忘れなければきっと、ギターももっと(うま)くなれるさ。

 ……友希那の歌みたいに?

 ……私の歌?

 ……ああ。

 ……わくわくドキドキを?

 ……ああ。わくわくドキドキだ。

 ……でも、ちょっと長いよ。

 ……じゃあ、少し短くまとめようか。いい機会だから、友希那も憶えておくといい。

 ……うん!

 ……いいかい二人とも。これからもずっと音楽を好きでいる気持ち……、

 

「……ときめきを忘れては駄目だよ……」

 

 友希那の呟きは、ほとんど無意識である。だがその無意識に選ばれた単語に、一哉はうなずいて見せた。

 

「それが俺の気持ちだよ」

 

 ぽりぽりと頭を掻いて、一哉の笑みは苦笑である。

 

「ま、言いたいことはほとんどリサに取られたけど。まあ付け加えるなら……」

 

 ふう、と息を吐いて、一哉は言った。

 

「俺は友希那の歌が好きだ」

 

 それは、告白だった。

 

「小さいころ、あの公園で初めて聴いた時から……俺は友希那の歌に心の底から()かれてた。()れてた」

 

 恥ずかしがることなく淡々と言ってのける彼に、なぜか顔のあたりがほんの少しだけ、熱を帯びたような気がしたのは友希那の気のせいだろうか。

 

「でもおじさんの件があってから、すっかり変わっちまって。だからRoseliaが出来た時は、正直ほっとした。やっと、昔みたいに戻れる場所が出来たんだ、って……そう思った」

 

『音楽』に執着するのではなく、楽しんでいたころの湊友希那に。彼は、そう言っているのだ。

 

「あとは、リサと同じかな」

 

 つまり、

 

「俺も、友希那にはRoseliaとしてフェスを目指して欲しい。ORIONと同じくらい、俺にとっちゃRoseliaも大事なバンドだからさ」

 

 それから、

 

「俺はRoseliaで、友希那の音楽を奏でたい」

 

 それこそが、二人の気持ちである。

 だから、それを伝えに来たのだ。

 こうして、わざわざ部屋に上がり込んでまで。

 だったら、と思う。

 私の『気持ち』は、いったい何?

 お父さんの代わりにフェスに出る……その『気持ち』だけで、ここまでやってきた。

 でもそれは、フェスで否定されたお父さんの音楽を、娘たる私がフェスの舞台に立つことで皆に認めさせたかったからだ。言わばそれは、敵討ちのようなものだ。

 だとしたら。

 私が本当にやりたいことは……?

 

「よっしゃ」

 

 言って、一哉が立ち上がる。彼が向く先は、友希那の隣に座るリサだ。

 

「そろそろ帰るか。言い足りないこととか、あるか?」

「ううん、ないよ。全部言ったからスッキリしちゃった!」

「そうか」

 

 それから、一哉はこちらを振り向く。

 

「友希那……」

「……なに?」

 

 友希那の問いかけに、彼はしばらく応えなかった。

 じっと、こちらを見つめて。

 瞳を見据えて。

 それから満足げにうなずくと、呟いた。

 

「またな」

 

 それが最後の一言だった。

 一哉に続いて、じゃっ、とリサが快活に手を振って部屋を出てゆく。

 こちらのベランダからあちらのベランダへと、二人は帰って行った。

 向こうの窓が閉じられてカーテンが引かれるを見届けてから、友希那も窓を施錠してカーテンを閉じる。それから、ベッドに仰向(あおむ)けで横になった。

 天井のシーリングが眩しくて、目元を腕で覆った。

 正直、まだ気持ちの整理はついていない。

 けれど。

 

「自分の気持ちと向き合う、か……」

 

 少し……ほんの少しだけ前に進めるような、そんな気がした。

 

 

 リサの呟きは、

 

「一哉」

 

 自分の部屋に戻ってきて、カーテンまで閉じてからだった。

 ベッドに腰を下ろして、床に座った一哉に向いて。

 

「これでよかったんだよね」

「だといいけどな」

「でも、今アタシ達に出来ることは、たぶん……やれたはずだよ」

「そうだな」

 

 言って、一哉は組んだ両手を天井に向けて、ぐっと伸ばす。

 

「俺達の気持ちは全部ぶつけた。後は、友希那がぶつけてくれるのを待とうぜ」

 

 ちゃんと、己の気持ちと向き合ったうえで。

 

「うん」

 

 リサは、そう応えた。

 

「そうだね」

 

 それから。

 

「……あのさ」

 

 リサも、ベッドから降りて床に座る。

 一哉の隣になる格好で。

 

「もう、隠し事はしないでね」

「リサ……」

 

 言いながら彼のパーカーの裾をつまんで、ぎゅっ、と握りしめる。

 

「……困った時くらい、幼なじみを頼ってよ」

 

 リサの言葉に、一哉は何度かうなずいてから、応えた。

 

「判った」

 

 夕飯に呼ばれたのは、それからすぐだった。



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第八章 Re:birth day:前編

 評価、誤字報告、ありがとうございます。


       

 

 

「りんりんからオフ会誘ってくれるの、初めてだね?」

 

 手元に視線を落とすあこに、

 

「うん。……家にいても、落ち着かなくて……」

 

 燐子(りんこ)は応える。

 CiRCLEの、オープン・カフェである。

 利用客は、何もスタジオで練習するバンドマン達だけではない。コーヒーをちびちび飲みながらノートパソコンを開く大学生らしき青年もいれば、人気メニューのフルーツ・タルトを囲んで談笑する女子高生達の姿も見える。

 ちょうど、学校帰りの時間と被っているのだ。

 そんな中で二人の着いたテーブルには、オレンジ・ジュースとホット・ミルクがそれぞれ並べられている。ジュースの方に、あこはストローを()した。

 

(わか)るっ。……あこも、なんかどうしたらいいか判んなくって……」 

 

 だから、と浮かべて見せる笑みは、しかし苦し紛れの作り笑いだ。

 

「りんりんに会えて、ちょっとほっとしてるんだ~」

 

 あの騒動から、すでに三日が経とうとしていた。

 だからあこにしてみれば、それは不意を()かれた恰好だったのだ。

 共通の趣味であるゲームを通じて親交を深めた二人は、たびたび『オフ会』と称して遊びに出かけることがある。そしてそれは、話を持ち掛けるのは決まってあこの方からなのだ。

 だが、今日は違った。

 燐子の方から声をかけてきたのである。

 Roseliaとしての練習がもともと組まれていた、この日に。

 

「……ねえ、りんりん。あこ、皆に余計なこと言っちゃったのかな」

 

 テーブルの上に置いた手が、拳を作る。

 そのまま小さく震え始める拳を、

 

「あこがあんなこと……」

「それは違うよ」

 

 燐子の(てのひら)が優しく包み込んだ。

 

「……友希那(ゆきな)さんや野上(のがみ)さんが、本当にRoseliaを辞めるなら……いつか……判ってたことだと思う」

「じゃあ……このままRoselia、なくなっちゃうの……?」

「それは……」

 

 言いかける燐子の言葉が、ふいに途切れた。

 怪訝に思ったあこが顔を上げると、対面に座る親友は両手で口元を覆い、驚きに目を見開いている。

 

「…………まさか……待って……」

 

 それは、何に対してのことなのかは判らない。しかし彼女は何かを確信したかのようにうなずくと、手を下ろして、こちらを見据えた。

 

「……あ、あこちゃん」

「なに? りんりん」

「その……もしかしたらなんだけど」

 

 そして、彼女は言った。

 

「一哉さん、スカウトを断ってるかも知れない」

「え!?」

 

 思わず、声をあげてしまう。だが周りの利用客はほとんど気にしていないようで、特に誰にも咎められることはなかった。

 

「ど、どいうこと……?」

 

 あこの問いは、浮かした腰を下ろしながら。

 

「だってこの間、紗夜さんが()いた時は」

「うん……、否定はしてなかった。……でも、この前……友希那さんを追って、ホテルに入ったこと……あったよね?」

 

 あこは、ぶんぶんと首肯した。

 (おぼ)えている。

 何しろ、そこで聞き耳をたてていた時に、例のスカウトの話題を知ってしまったのだ。

 だが。

 

「あの時に、スーツの女の人が友希那さんに言ってたこと、思い出したんだ」

「言ってたこと?」

「うん……同じ(てつ)()まないように、って……」

 

 思い出した。

 席を立とうとした友希那を呼び止めるように、彼女はたしかにそう言ったのだ。

 もっとも、

 

「り、りんりん……それってどーゆー意味?」

 

 その意味はさっぱりだが。

 

「えっとね……『轍を踏む』って言うのは……『前の人と同じ失敗を繰り返す』って意味で……」

 

 なるほど。

 相手は友希那に対し、『一人のアーティストとしての正しい選択』を迫っていた。その彼女に、こんな言葉を告げるということは、つまり……?

 

「……だからこの場合だと、野上さんと同じ決断をしないように、ってことなんじゃないかなって……」

「あっ!」

 

 また、あこは声をあげた。

 やっと判ったのだ。

 

「てことは、一哉(かずや)さんも本当はRoseliaをなくしたくないってこと!?」

「……あくまで、推測……だけどね」

 

 小声でちぢこまる燐子に、あこは言った。

 

「ううん! きっとそうだよ!」

 

 そして、ポケットから携帯を取り出す。写真フォルダの中に収めた中から一つを選ぶと、あこはそれをテーブルの中央に置いた。

 不思議そうに覗き込んだ燐子が、わあ、と声を漏らす。

 

「これって……」

 

 一本の動画である。

 Roseliaの練習風景だ。

 だがそれは、いつか燐子に送ったものとは別物だ。

 

「……わたしも、いる……」

 

 燐子を含めた六人の演奏を収めたものなのだ。

 

「……新しいの、撮ってたんだ」

 

 うん、とあこはうなずく。

 

「あこ、あの日はカッとなって飛び出しちゃったけど……またこうやって集まりたいんだ……」

 

 それは、本心である。

 実際のところ、怯えがないと言えば嘘になる。仮にまた集まったとしても、この前のようにバンドそのものが瓦解(がかい)してしまわないか、そんな漠然とした不安は、今でも胸に巣くっているのだ。

 しかし。

 それでも、まだ可能性が残されているのなら。

 

「皆でもっとバンドがしたい……。あこ、Roseliaでもっともーっと、カッコよくなりたい!」

 

 あこの宣言に、

 

「わたしも……」

 

 あこの携帯に映る動画に落とされた燐子の紫目(しめ)が、こちらを向いた。

 

「……わたしも、わたしを変えてくれたこの人達と……もっともっと……もっと音楽がしたい」

 

 それは、紛れもなく二人の心からの願いだった。

 まだ、Roseliaでいたい。

 まだ、Roseliaを終わらせたくない!

 だから、と続ける燐子の姿は、あこにはどこか、いつもよりも凛々(りり)しく見えた気がした。

 

「だから……わたし達でも出来ることを……いっしょに、考えて欲しい」

「うん。……うん! あこ、頑張るよ!」

 

 とはいえ、

 

「うーん……何だろうな……何がいいんだろう?」

 

 呟くあこの視線は、テーブルの上の携帯に落されている。

 考えるとは言ってみたものの、しかし起こすべき正しい行動が何なのか、すぐには出てこないのだ。

 チャットで全員を説得してみる?

 ……駄目だ。リサや一哉ならともかく、友希那と紗夜がこちらから何か言ったところで動いてくれるとは思えない。

 

「……うん、そうだね……」

 

 応える燐子も、見つめる先は練習風景の動画である。

 公共の場ということもあって、スピーカーから流れる音量はいくらか控えめだ。

 だが六人の合奏は、わずかな音量であっても二人の耳には轟きわたるように響いている。耳に、(からだ)に……血肉に染み渡るように『音』を憶えているからだ。

 その事実に、

 

「あれ?」

 

 あこは引っかかった。

 

「音?」

「あこちゃん、どうしたの?」

「りんりん、音だよ」

「え?」

「音だよ、音!」

「……あっ!」

 

 ぽん、と燐子が手を打った。まるで、解けなかったクイズの正解に納得したみたいな、そんな仕種(しぐさ)だ。

 彼女もまた、思い出したのだ。

 

「りんりん、前に言ってくれたよね? 言葉だけじゃ伝わらないかも知れない、って!」

「う、うん……」

 

 友希那のバンドに加入したくて猛アタックを仕掛けても撃沈していたあこに、相談を受けた燐子が言ってくれたのだ。

 だから、

 

「『音』だよ、りんりん!」

「うん……『音』だね……」

 

 二人の顔に、笑みが浮かぶ。

 希望は、まだ、ある!

 

 

 

       

 

 

 自分のことを、天賦の才を持った特別な人間だ、などと思ったことは一度もない。

 まさしく『天才』と呼ぶべき人物を、他に知っているからだ。

 とは言え、勤勉な学生、くらいは思わなくもない。

 こんな日は特に、だ。

 所属していたバンドが、崩壊した。

 それも、さあこれから目標に向かって練習するぞ、というタイミングで、だ。

 それから、三日である。

 紗夜(さよ)は学校から帰宅するなり、自室にこもってギターの練習に取り組んでいた。

 無論、苦手にしているセクションを少しでも克服するためだ。

 ベッドに腰を下ろした紗夜の脇に広げられた一冊のノートには、罫線(けいせん)を五線譜に見立てたいくつかの練習用の譜面と、それぞれに合ったトレーニング方法が書き込まれている。それらを一つずつ、順番に反復してゆくのだ。

 しかし。

 

「ちっ……!」

 

 思わず、舌打ちをしてしまう。

 納得のいく演奏が出来ていないのだ。

 シールドを()さずアンプにも(つな)げず、だからピックで弾かれた弦は電気信号に変換されることなく乾いた硬い音を奏でる。

 フレーズはきちんと弾けている。

 だがそれだけだ。

 自然と、ピックを掴む右手に力が入る。そのせいで出音は強くなり、かろうじて保たれていた『旋律』が崩壊して、ただの『音』の『流れ』へとなり下がってしまった。

 もたつく運指に、さらに紗夜は奥歯を噛みしめた。

 駄目。

 駄目!

 こんなレベルじゃ……弾いても弾いても、ただ苦しいだけ……!

 一人の少女が、紗夜の脳裏をよぎる。

 いつも紗夜の後を追いかけては、嬉々として真似を始める、あの顔。

 忌々しい、あの顔。

『あの子』は、昔から何でも感覚だけでこなせてしまう奇妙な才能があった。紗夜がどんなに何かを努力したとしても、『あの子』はそれを持ち前の才能で軽々と追い抜いてしまう。

 そのたびに、比べられてきた。

 そのたびに、諦めてきた。

 勉強も、趣味も、何もかも……一度も『あの子』に勝てたためしがなかった。

 最後に残されたのが、今、紗夜の腕の中にある一つの楽器なのだ。

 もう、なりふり構ってなどいられない。

 たとえ、Roseliaがなくなったとしても。

 

「あれ? やめちゃうの?」

 

 突然の声に、紗夜は自分が練習の手を止めていたことに初めて気がついた。

 弾かれたように、声のした方を振り向く。

 視線の先は、部屋の入り口である。

 そこに、いた。

 一番顔を合わせたくない『あの子』が。

『天才』が。

 ……双子の妹が。

 

「……日菜(ひな)っ。勝手に部屋に入って来ないでって言ったの、もう忘れたの?」

「入ってないよ。ほら、ドア開いてたから……」

 

 部屋の戸口に立ってこちらを覗き込む日菜の眉が、ふいに寄る。顎に手を当てて、それは何かを考え込んでいるようだ。

 

「ん~……あれ? なんだろ……?」

「なんだろ、って……なに? ちゃんと(しゃべ)りなさいっていつも……」

 

 そこまで言いかけて、

 

「……なんかおねーちゃんのギターの音、おねーちゃんっぽくなった気がする」

 

 日菜の(つぶや)きに(さえぎ)られた。そして彼女の曖昧な表現の仕方に、紗夜は面食らってしまう。

 

「え?」

 

 きょとん、と目を()いて、だから妹が言いたいことを把握するのにたっぷり三秒もかかった。

 だが、それでも理解は出来ていない。だから紗夜の言葉は、溜め息混じりである。

 

「……あなたの説明はいつも判りにくいの」

 

 そう言った時だ。

 ふいに日菜が、あっ、と声をあげた。

 

「教科書! 前は『教科書』だった!!」

 

 何やら思いついたようにはしゃぎながら、それはどうやら紗夜の指摘に対して相応しい例えを見つけたつもりらしい。

 

「だけど今は『おねーちゃん!』って()こえる!」

「なによ、それ……」

 

 ポケットから携帯を取り出すて、それにね、と日菜は部屋に入って来た。ぱたぱたと、紗夜の前までやってくる。

 無邪気な笑みで。

 

「今のおねーちゃんすっごく、るんっ、てしてる!」

 

 そして、

 

「この人みたいに!」

 

 そう言って、携帯の画面をこちらに(かざ)して見せる。何かのウェブサイトだろうか。

 

「……なに、これ?」

「動画!」

「それは判るわよ。中身の話をしているの」

「この前、麻弥(まや)ちゃんが昔サポートしてたバンドの映像見せてくれたんだけどね、これがもうすっごくて! とにかくずっと、るんっ、てしちゃうんだよ!!」

 

 さっぱり判らない。

 

「早く出て行って。忙しいんだから」

 

 そう言ってみても、日菜は(きびす)を返す様子はない。それどころか、さらに一歩近づいて、ぐい、と携帯を差し出してくるではないか。

 

「いいから、これだけ見てみてよ! あたしの言いたいこと、きっと伝わると思うから!!」

 

 この場合、彼女は梃子(てこ)でも動かないということを紗夜は知っている。

 平気で自分の言いたいことを言い、相手の気持ちなど忖度(そんたく)することなく否定したければ否定する。やりたいことしかやらず、やりたくないことは決してやらない。

 そういう少女なのだ。

 渋々、日菜の携帯を受け取って、画面に視線を落とす。どうやら動画サイトに上げられたうちの一本らしい。

 投稿時期は昨年の暮れ。何かのライヴ映像を収めたものなのか、サムネイル画像には野外ステージに立つ四人のバンドマン達を正面から撮影したものが表示されている。

 画像に白い文字で書き込まれた『CROSSOVER JAM(クロスオーバー・ジャム)』という名前には、紗夜も見覚えがあった。プロアマ問わずオーディションを通過したミュージシャン達がジャンルの壁を超えて出演する、総合音楽フェスなのだ。

 動画タイトルを見た瞬間、紗夜は思わず腰を浮かしそうになった。

 後ろの方に、よく知っている名前が書かれていたのだ。

 

『【圧巻】十手観音・大和麻弥ラストステージ!【ORION】』

 

 ORION(オリオン)

 まさか……、

 

「……野上(のがみ)さん……?」

 

 気づいた時には、紗夜は再生ボタンをに指を伸ばしていた。

 すっかり陽の落ちた野外音楽堂の巨大な舞台、その中央に立った野上一哉は、愛用のギターを構えている。この前のような白い衣装ではないが、それでも清潔感の感じられるカジュアルなジャケットである。

 他のメンバーも似たようなものだった。ベースの方は衣装用に買ったのだというのが丸判りな総柄のジャケットで、キーボードはYシャツの上にVネックのニット・ベストを身に着けている。

 黒いドラム・セットに座る人物だけ、紗夜の記憶と違っていた。小柄な少年ではなく、眼鏡をかけたボブカットの少女なのだ。

 だが、見覚えはあった。

 日菜が映っていたバンドのポスターにいた、あの少女なのだ。

 会場はすでに大盛り上がりで、だからステージも佳境に差しかかったころだということが判った。

 そんな中で一哉が小気味いいカッティング・フレーズを二回ほど繰り出すと、待ってましたと言わんばかりの歓声があがる。それを受けた一哉は背後にそびえる台の上に乗っかる格好のドラムを振り返り、そこに陣取る少女とアイコンタクトを交わす。

 三度めからは、ドラムのキックと同時だった。四つ打ちで刻まれるビートに合わせてベースがボトムを支え、シンセブラスが曲にさらなる広がりと(いろど)りを与える。

 

 ──ASAYAKE──

 

 紗夜が連想したのは、水平線の向こうから昇る太陽だ。

 夜の闇を追い払い、ブラシで掃いたような雲が浮かぶ空を群青(ぐんじょう)から茜色へと染め上げてゆく。はるか遠くで鳥の群が横切ってゆく様子が、鮮明な映像として『見えた』のである。

 美しい、と思った。

 そうだ。

 ORIONは技術も表現力も、他の同世代のバンドと比べて目を見張るものがあったのだ。

 初めてORIONのステージを目の当たりにした時も、同じ衝撃を受けたのを憶えている。

 だが真に驚嘆すべきは、その技術ではない。

 ディストーションに切り換えてメロディーをとるギターを始めとしたバンドメンバーはもちろん、イベントスタッフや拍に合わせて手拍子をするオーディエンスを含めて、その場にいる全員が晴れやかな笑顔を浮かべているのだ。

 その先にあるのは、たしかな一体感である。

 バンドだけではない。それは観客をも巻き込んだ巨大な一つの塊となって、音の奔流を都会の空へと解き放っているのだ。

 それは、決してお遊びのバンドではなし得ることの出来ない、音楽の一つの完成形である。

 演奏が、終わる。

 爆裂のような拍手が巻き起こる。

 メンバーがステージ中央に集合し、四人で手を繋いで精一杯のお辞儀をする。アップになったドラムの少女の(ほお)に光るものが伝うように見えたのは、気のせいだろうか。

 拍手の余韻の中、画面が消えゆく前に、紗夜は動画を止めた。それから一つ、溜め息をこぼす。

 

「謝らないといけないわね」

「ん? なんのこと?」

「いいえ、こちらの話よ」

 

 日菜に携帯を返して、もう一度、部屋を出るように言いつけた。その言葉がやけに穏やかだったことに、紗夜自身が驚いた。

 

 

 宇田川あこから動画メールが送られてきたのは、それからすぐのことだった。

 中身を確認した紗夜は、その時になってようやく、妹の言葉の意味を理解した。

 

 

 

       

 

 

 ベッドの上でぼんやりと天井を眺めていた一哉は、突然の携帯のヴァイブレーションに飛び起きた。

 友希那からだった。

 電話口の少女ははっきりとした口調で、決めたわ、とだけ言った。

 一哉も、判った、とだけ応えた。

 電話を切った一哉の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

 

 

 その日の夜、一哉の携帯が通知音を鳴らした。

 Roseliaのグループチャットに、友希那からのメッセージが届いていた。

 

 

 

       

 

 

 久しぶりに足を踏み込んだCiRCLEは、たった数日来なかっただけだというのになぜか懐かしい。

 受付を済ませると、カウンターの奥でまりなが微笑みを投げかけてくる。

 みんな来てるよ、と言われた。

 友希那から送られてきたチャットで、集まったのだ。

 

『私の正直な気持ちを伝えたいので、みんなに集まって欲しい』

 

 その一文とともに指定された日時と場所が、今日のこの、CiRCLEである。

 ポップなBGMが流れるロビーを横切って、細長い廊下を進む。突き当たりのスタジオが、目的の場所だ。

 ドアノブに手をかける。

 一哉(かずや)は、瞼を閉じた。

 それから小さく、息を吐く。

 再び瞼を(ひら)いた直後、彼は重い防音ドアのノブを回して、静かにドアを()けた。

 まりなの言ったとおりだった。

 彼を除く五人の少女達が、すでにスタジオの中央で向かい合うように円になっていたのだ。

 

「あっ、一哉……」

 

 振り返るリサに応えて、

 

「悪い、遅くなった」

 

 扉を閉めて、背負っていた大きな帆布製のザックをドア脇の壁に立てかける。

 全員が、制服姿っだ。

 学校が終わってから、直接ここへ来たのだ。到着が遅れたのは、単に花咲川(はなさきがわ)羽丘(はねおか)と比べて学校からの距離が遠いからに他ならない。

 それでも予定していた時刻より一〇分ほど早くたどり着けたのは、おそらく友希那がそのあたりの事情を考慮して時間設定をしてくれたに違いない。

 だが急いで来たことには変わらないので、一哉は臙脂(えんじ)のネクタイを緩めて、ワイシャツのボタンを一番上だけ外す。それから、円の中へと入った。

 

(そろ)ったわね」

 

 全員の顔を見回して、口を開くのは友希那である。

 

「まず……この前のことを謝らせて。いちバンドメンバーとして、不適切な態度だったわ」

「それは……」

 

 紗夜だ。腕組みで、友希那を見据えている。

 

「どういう意味の謝罪ですか?」

「自分の気持ちを、自分で理解しきれていなかった」

 

 友希那は、淀みなく言葉を重ねてゆく。

 

「あなた達との関係性を認識しきれていなかった。そのことに対しての謝罪よ」

 

 それから、歌姫は左隣に立った幼なじみの少年を見上げた。

 一哉は小さく、うなずいて見せる。その仕種(しぐさ)に、右隣のリサが目を見開いた。

 

「ひょっとして……」

 

 声を漏らすリサに、一哉は肩をすくめて見せる。

 応えたのは、友希那の方だった。

 

「スカウトは断ったわ」

 

 友希那のその言葉に、溜め息とともに安堵の視線を向ける者、きょとん、と目を剥く者、胸を()でおろす者……反応は人それぞれだった。

 その中で、

 

「そうだったとしても」

 

 翡翠の少女だけは、相変わらず胸の下で両腕を組んでいた。

 

「私達を『バンドメンバー』ではなく、『コンテスト要員』として集めた事実は変わりないのよね?」

「紗夜、何もそんな言い方……」

 

 言いかけるリサを、

 

「やめて、リサ」

 

 あっさりと友希那は(さえぎ)った。

 

「紗夜の言うとおりよ。私がコンテストのためにメンバーを探していたのは知ってるでしょう?」

「そ、それはそうだけど……」

「私は『FUTURE WORLD FES.』に出場するため……全てはそれだけのために音楽をやってきたわ」

 

 だから、と友希那は紗夜に向き直る。

 

「私は、責められて当然だと思ってる」

 

 紗夜の唇から漏れるのは、切るような溜め息である。

 

「たしかに、フェスは頂点……私もその思いに賛同し、フェスを目指していました」

 

 でも(みなと)さん、と続ける紗夜の瞼が、ついに開かれた。

 そこにあるのは、明らかな困惑だった。

 

「全てが『フェス出場』のためだと言うなら、失礼だけどあなたには、『フェスに出て』それからどうするのか……、その先のヴィジョンが何もないということになる」

 

 そうなる。

 そういうことになってしまう。

 

「違いますか?」

 

 その問いに、友希那は顔を俯かせて、ゆっくりとうなずいた。

 続く紗夜の溜め息は、落胆の意だろう。

 しかし、

 

「結局、私達は『使い捨て』ということなんですね」

 

 その言葉に敏感に反応した友希那が、がばっ、と顔を上げた。

 

「それは違うわ!」

 

 突然の大音声(だいおんじょう)は、防音加工の施されたスタジオの空気さえも、ぴり、と震わせる。その強い否定にたじろいだあこの肩を、側にいた燐子が優しく抱いた。

 しん、と静まった空間で、友希那はゆっくりと言葉を紡いでゆく。

 

「メンバーを探していた時は、そうだった……バンドを組む目的も、そう……。だけど紗夜を見つけて……みんなが集まって……」

 

 いつの間にか友希那の手に携帯が握られていることに、一哉はこの時初めて気がついた。

 表示されているのは、一本の動画だ。

 一哉にも、同様のものが送られてきている。

 

「それ、あこがみんなに送った動画……」

 

 あこの呟きに、友希那はうなずきで返す。

 楽しげに演奏をしている六人の様子が収められた、それはRoseliaの練習風景のビデオである。

 両手ですくい上げるように持たれた携帯を見つめて、友希那の声はわずかに震えている。

 続く言葉に、一哉の眉が、ひくり、と動いた。

 

「いつのまにか、私……お父さんのことよりも……」

「お父さん?」

 

 おうむ返しする紗夜に続いて、

 

「……話すのか」

 

 一哉は口を開いた。銀髪の少女は、こくり、とうなずいた。

 

「本当の私はただ、私情のために音楽を利用してきた人間よ」

 

 そして彼女は、とつとつと語り始める。

 

「少し、長い話になるわ……」

 

 全ての始まりを。



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第八章 Re:birth day:後編

 奇跡のバンドマン、と呼ばれた男がいた。

 湊智之(としゆき)その人である。

 学生時代にバンド活動を始めると、めきめきと実力をつけていった。

 天才的な作曲センスと魂を削るようにして紡がれる歌詞、そして命を燃やして歌う彼の姿が、観客を魅了した。

 大学時代の友人が立ち上げたインディーズ・レーベルに所属したのは、ちょうど娘が生まれたころだった。

 全てが順調だった。

 順風満帆(じゅんぷうまんぱん)、と言ってもいい。

 不定期で制作されるアルバムはインディーズにしては異例の売り上げを見せて、レコ発ライヴは超満員、雑誌での特集も何度も組まれては『FUTUR WORLD FES.』への出場を最も有望視されている、そういった人物なのだ。

 いや、そういった人物だった……と言うべきだろうか。

 だがやがて、破局が訪れた。

 いや、その萌芽(ほうが)はもっと以前……メジャー・レーベルの目に留まり、メジャーでのデビューを持ちかけられたことから始まっていたのかも知れない。

 まず、それまで自分達でしてきた曲作りを、事務所が抱えるプロの作編曲家が担当するようになった。歌詞も同様に、だ。

 商業的な成功を求められた。

 だが何よりも屈辱的だったのは、念願だったフェスで披露する曲さえもが、強制的に事務所プロデュースの楽曲に変更させられたことだった。

 だが問題なのは、突然のサウンドの変化にオーディエンスがついてこれるはずがなかった、という事実である。

 そして、それはバンドメンバーとて例外ではない。

 ひいては、智之自身も。

 それが引き金だったのかは、実のところ判らない。

 しかし二年前の春、智之のバンドは突然、解散した。

 フェス出演後に発売されたオリジナルアルバムを最後として、事実上、消滅してしまったのである。

 そして、彼は表舞台から姿を消した。

 だが少なくとも、そのジャンルに完全に無関心でない限り、誰もが知っている人物であると言える。

 そう。彼の音楽は、決してフェスで見せたようなものではないのだ。

 だからこそ、一人の少女は立ち上がった。

 彼が『音楽』というものに希望を見失い破滅してゆくのを。最も近くで見ていたたった一人の娘が。

 友希那が。

 復讐(ふくしゅう)のために。

 父の本当の音楽を、認めさせるために。

 湊智之。

 奇跡のバンドマン。

 

「そのバンド……前に雑誌で見たことがあるわ」

 

 翡翠の少女が口を開く。

 

「インディーズ時代のアルバムは名盤揃いだって……」

 

 おそらくそれは、彼が引退してからどこかの音楽雑誌が組んだ特集の何かだろう。きっと惹句(じゃっく)は『惜しまれつつも引退したアーティスト達を振り返る』とかに違いない。

 

「湊さんのお父さんが、そうだったの……」

「Roseliaを立ち上げた私は、『自分達の音楽を極める』なんて言葉で私情を隠して、あなた達を騙した。……この前は上手く言葉に出来なかったけど、私には責任がある」

 

 私情のために音楽を利用してきた責任。

 そのために、バンドメンバーを騙し続けてきた責任。

 

「その責任をどう取ればいいのか、ずっと悩んだわ。一時は、Roseliaから抜けるべきなんじゃないかとも思った……。私と違って、あなた達の信念は本物だから」

 

 でも、と友希那は続ける。

 

「私は、あなた達と音楽がしたい……! このRoseliaでなきゃ駄目なの!」

 

 もう一度、Roseliaという一つのバンドとして音楽を奏でたい。

 今この胸にある『ときめき』を、失いたくない。

 それこそが、湊友希那が向き合った本当の『気持ち』だった。

 

「でも、みんなの意見は判らない……こんなことをしておいて都合が良過ぎるのも判ってる。でも……」

「……それでも」

 

 口を挟んだのは、傍らに立つ一哉だった。

 

「お願いします」

 

 言って、彼は深々と頭を下げる。

 意外そうに、紗夜が目を見開いた。

 

「友希那が必死こいて、ようやく自分で見つけた『答え』なんだ。身内びいきかも知れない。俺のワガママかも知れない。でもどうか、こいつの頼みを、聞き届けてやってください」

「アタシからも」

 

 言いながら、リサが前へ出る。

 

「お願いします」

 

 一哉と同様に、頭を下げた。

 友希那もまた、二人に続くように頭を下げる。

 

「頭を上げてください」

 

 そんな三人に最初に声をかけたのは、紗夜だった。

 溜め息混じりで。

 

「そんなことをして欲しいんじゃありません。それに湊さん、あなたが言ったのよ? Roseliaに私情を持ち込まないで、って」

 

 そうだ。

 そのとおりだ。

 だが、

 

「でも……」

 

 その言葉には、続きがあった。

 

「あなたの気持ちも、判るわ」

 

 見ると、彼女の顔には今までにない表情が浮かんでいた。

 肩をすくめた、それは苦笑なのだ。

 

「音楽を続ける動機はともかく、始める動機なんて……みんな、私的なものなんじゃないかしら」

 

 つまり、私情、である。

 

「そ、そーだよっ!」

 

 賛同するように声をあげたのは、あこだ。

 

「あこだって、おねーちゃんみたいになりたかったからだもん!」

「わたしも……」

 

 くすり、と笑みを浮かべて見せて言うのは、燐子だ。

 

「……どこかで、こんな自分を変えたい、って思ったから……」

「アタシは友希那と……って、言うまでもないか」

 

 それは、それぞれが音楽を始めるに至った、私的な動機である。

 そして友希那もまた、音楽を始めた『きっかけ』そのものが父への憧憬(どうけい)だったことを、思い出した。

 きっと、と友希那は一哉を見上げて思う。

 あなたも……。

 

「抱えているものはそれぞれにあっていい。どうしても手放せないから抱えているんでしょう? だったら、そのまま進むしかない……そうじゃない?」

「紗夜……」

「それに、私もまだ、Rosleliaを終わらせたくはないですから」

 

 手を伸ばす紗夜に、友希那も腕を伸ばして握手に応える。そして力強くうなずく友希那に、彼女もまた、うなずきで返した。

 あっ、と思いついたように、あこが声をあげる。

 

「これってもしかして、Roselia再結成フラグですか!?」

「解散してない」

 

 友希那の返しは、奇しくも紗夜と一言一句(たが)わなかった。

 思わずお互いに顔を見合わせ、それから、くすり、と笑った。

 それから、

 

「ああ、そう言えば」

 

 言いながら、紗夜の視線が動く。

 その先にいたのは、一哉だった。

 

「……ん? 俺?」

「湊さんは断ったとのことですが、あなたは結局どうしたんですか?」

「はい?」

 

 いきなり話を振られた彼は、きょとん、と目を剥いている。

 

「スカウトのことです」

「え!?」

 

 後退(あとずさ)った。

 

「あ、いえ、まあ……その、どうしたもこうしたもないといいますか……」

 

 彼女の気迫に気圧されたように頭をぽりぽりと掻いて、一哉の方は判りやすいくらいの狼狽だ。目なんか合わせようともせずに、全然違う方向を向いている。

 だが、翡翠の少女は容赦がなかった。

 

「どうしたんですか?」

 

 言いながら、一歩前へ出る。

 

「いや、ええと……」

「ちょっと()()、あんまり(いじ)めないであげなよ」

「そうだよ紗夜さん! 一哉さんは……」

 

 だがその気迫が綺麗さっぱり消え失せたのは、リサ達が助け舟を出した時だった。

 二歩ほど退がってから、彼女はしてやったりとばかりに笑みを浮かべて見せたのだ。

 

「ふふっ、冗談です」

「……え?」

 

 眉を寄せ、目を見開き、唇を尖らせる……さながらひょっとこのような珍妙な表情で、訊ねる一哉の声は裏返っている。

 

「冗談?」

「はい」

「冗談が冗談……みたいなオチじゃなしに?」

「そんな回りくどいことはしません。さっきの詰問(きつもん)が、です」

「もしかして……俺がスカウト断ってたこと、気づいてました?」

「ええ」

 

 もっとも、と彼女は続ける。

 

「もしかしてと思ったのは、湊さんからメールを受け取った日なんですけどね」

「え?」

「動画を見たんです。去年の、ORIONのライヴを」

 

 去年と言えば、友希那の記憶ではまだORIONのドラマーは影山になる前だ。

 だが、そんな細かいことはどうでもいい。

 

「見事なパフォーマンスでした。画面越しに見ていた私まで、心躍ってしまうほどには……」

 

 それを見た彼女が何を感じたか、何を思ったかが重要なのだ。

 

「画面の中のあなた達は、とても楽しそうに演奏していた。音楽が……バンドが好きであるという気持ちが、真っ直ぐに胸に届いてきたんです。そんなあなたが、バンドを裏切るような行動は取らないのでは、と」

「あの」

 

 おずおずと、燐子が手を挙げる。

 

「実は……なんとなく、わたしもそんな気がしてたんです……」

「え、白金さんも?」

「はい。……気づくきっかけは、違いますけど……」

「そうだったのか……」

 

 ですから、と紗夜は言った。

 

「この前の失言を、どうか(ゆる)してください」

 

 綺麗な四五度で頭を下げた、そんな彼女の言う『失言』が何を差しているのか、友希那は気がついていた。

 そしてそれは、一哉も同じだったようだ。無論、リサも。

 

「そんな……俺は別に気にしてないから……」

「いえ、それでは私の気が済みませんので」

「えー……」

 

 幼なじみの少年は、助けを求めるような視線をこちらに寄越してくる。だから友希那は、肩をすくめてみせることにした。

 自分でどうにかしなさい、だ。見ると、リサも同様に苦笑を浮かべている。

 困ったように顎をさすって、一哉は目を閉じる。そして開くと、彼は真っ直ぐに紗夜を見つめた。

 

「だったら、半々ってことにしません? 俺もみんなに隠し事してた事実はあるわけだし、少なからずの非はこっちもあるよ」

 

 お互い様にしようと、彼は言っているのだ。

 

「……判りました」

 

 紗夜の方も、それで納得したらしい。こほん、と咳払いをしてから、彼女は友希那達を見渡した。

 

「では、最後に。私達はRoseliaとしてFUTURE WORLD FES.のコンテストにエントリーする、みんな、それでいいかしら?」

 

 紗夜の言葉に対する返事は、人それぞれ。

 そんな中で、

 

「……それについて、大事な話があるの」

 

 突然放たれた友希那の言葉に、全員がこちらを振り向いた。

 

 

「友希那?」

 

 傍らの幼なじみを振り向いて、一哉は声をあげた。

 大事な話がある、彼女はまさに、そう言ったのである。

 

「なんでしょう?」

 

 紗夜だ。

 

「まさか、今さらコンテストに出ない、なんてことは言わないですよね?」

「違うわ。改めて私達がフェスに向けて動き出すことには何の変わりもない」

 

 ただ、と友希那は付け加える。

 その目が、真っ直ぐに一哉を見つめていた。

 

「今回のコンテスト、私はサポート抜きで挑みたいと思ってる」

「え!?」

 

 驚愕の声は、誰があげたのかは判らない。見事なまでに被っていて、それは歌姫の発言の突拍子の無さを物語っていた。

 

「え……?」

 

 一哉も同様に、けれど唇の隙間から漏れるのは困惑である。

 友希那が言っていることを理解するのに、いくばくか時間がかかった。

 そして理解した瞬間、一哉の口から零れるのは、疑問である。

 

「どうして……」

「ちょ、ちょっとまってよ友希那」

 

 続いて声をあげたのは、リサだった。言いながら友希那に詰め寄る彼女もまた、明らかにうろたえている。

 

「今のどういう意味!? サポート抜きでって……それじゃ一哉は!?」

「そうですよ友希那さん! 一哉さんもRoseliaのメンバーなんだよ!?」

 

 続くように、あこも友希那に駆け寄った。その手を取って、ぶんぶんと上下に振っている。

 

「リサ……あこも、最後まで話を聞いてちょうだい」

「でも……」

「リサ」

 

 逸る鼓動を押さえ込んで、一哉は言葉を絞り出す。膝から崩れ落ちないだけ、まだマシだ。

 

「あこちゃんも、ありがとう。けど大丈夫だから」

「一哉……」

「一哉さん……」

 

 半分は、本当。

 もう半分は、嘘だ。

 友希那の隣でRoseliaとして音楽を奏でたい……その気持ちを彼女に打ち明けた矢先に、いきなりこんなことになってしまっているのだから。

 

「一哉……」

「……友希那も、何の理由もなしに言ってるわけじゃないんだろ?」

「当然よ」

「だったら、いい」

 

 友希那が考え、悩み、その上で下した決断であるならば。

 

「なにも、一哉にRoseliaのサポートを辞めてもらう、というわけではないわ」

 

 それは、友希那がこれから話す内容の、前提条件だった。

 

「これからも練習には参加してもらうし、必要があれば遠慮なくいっしょにステージに立ってもらう。もちろん、どちらもORIONのスケジュールとの兼ね合いを(はか)った上で、よ」

 

 なるほど。

 

「そうなるとこの先、私達はどうしても一哉を除いた五人での活動がメインになると思うの。この前みたいなことが、また起きないとも限らないし」

 

 RoseliaとORIONのダブル・ブッキングが起こった、CiRCLEのイベントだ。

 

「だから今度のコンテストには、今後の指標としても五人で(のぞ)みたい、というのが理由の一つよ」

 

 つまり、

 

「他にも?」

「ええ」

 

 歌姫は、うなずく。

 

「あるわ」

 

 そして、

 

「一哉」

 

 彼女は言った。

 

「あなたには、ORIONでコンテストにエントリーして欲しいの」

「は……?」

 

 ORIONで、FUTUR WORLD FES.のコンテストに出る?

 

「なんで?」

 

 今度の問いかけは、するりと出てきた。

 

「さっきの友希那の言い分は判った。でも、それがどうして、ORIONのエントリーに繋がるんだよ?」

 

 だが友希那はその質問へ答えるよりもまず、

 

「紗夜」

 

 翡翠のギタリストの方を向いた。

 

「この前のライヴで私がORIONに対して言ったこと、憶えているかしら?」

「え? あ、ええ、はい」

 

 紗夜は少し考える素振りを見せてから、

 

「いずれ私達が超えるべき壁になる存在、でしたよね」

「ええ」

 

 超えるべき壁?

 

「どういうことだ?」

「そのままの意味よ」

 

 彼女はそう言った。

 

「私達が音楽に魅せられた『きっかけ』、憶えてるわよね?」

「そりゃあ、忘れるわけないだろ」

「それなら、判るはずよ」

「はあ?」

 

 さっぱりだ。

 一哉と友希那……そしてリサが音楽を好きになった瞬間、側にいたのは湊智之だ。

 彼のギターに倣って、友希那は歌い、リサはベースを構えて、一哉もギターを奏でる。

 そうやって育ってきた。

 だからこそ俺は……、

 

「……まてよ」

 

 おいおい、ちょっとまてよ。

 まさか。

 

「あっ」

 

 だが最初に声をあげたのは、黙ってやりとりを見守っていたリサだった。ぴこん、と豆電球が光ったような、まさにそれは閃きだ。

 

「……もしかして友希那、ORIONに挑戦しようとしてる?」

「はあ!?」

 

 思わず、一哉は素っ頓狂な声を上げてしまった。それから、もう一人の幼なじみの方を見やった。

 銀髪の少女の目が、真っ直ぐにこちらを見据えている。

 その瞳は、澄んだ琥珀色(こはくいろ)である。

 

「……そういうことなのか?」

 

 その頭が、たしかにうなずいた。

 そして、話し始める。

 

「かつて同じバンドマンのもとで音楽を習っていた私達が、何の因果かお互いにバンドを組んだ」

 

 活動を始めたのは、一哉の方が一年ほど早かったが。

 

「どっちが上か下か、なんて不毛な論議には興味ないわ。でもなぜかしら……」

 

 言いながら、友希那は胸の前で祈るように両手を握りしめる。

 

「あなたには『今』の私達の音楽を聴いてもらいたいし、何よりあなたの『今』の音楽を聴きたい……私達が頂点へ辿り着くためには、それが必要な気がするの」

 

 友希那の口元に浮かぶのは、笑みだ。

 どこまでも柔らかい、それは一哉が久しく見ていなかった、友希那の『微笑み』だった。

 

「お父さんから『ときめき』を教えてもらった者どうし、ね」

 

 友希那は、歌を。

 一哉は、ギターを。

 お互いにお互いの『音楽』をぶつけ合い、その上でRoseliaは上位三位以内に喰い込んでフェスへの切符を掴み取って見せる。

 目の前の幼なじみは、そう言っているのだ。

 

「友希那」

「なに?」

「……いいんだな?」

「自分の気持ちと向き合えって言ったのは、どこの誰だったかしら?」

「やるからには、こっちも本気でフェス狙いに行くぞ」

「そうでないと困るわ。それに、私達だって負けるつもりはないから」

「そうか」

「ええ」

 

 一哉の唇に、笑みが浮かぶ。

 友希那の微笑みも、いくらか挑戦的な笑みに変わった気がした。

 だったら。

 

「判った」

 

 野上一哉はうなずいた。

 なにより、

 

「その話、めちゃくちゃ面白そうだな」

 

 彼の心は今まさに、ワクワクドキドキしていた。

 

 

 

       

 

 

 FUTURE WORLD FES.コンテストには、大きく分けて音源審査と公開審査の二種類の審査が存在する。

 期日までに演奏した楽曲を収めたデータと必要書類を送りつけるのが音源審査、それらをパスし、審査員に加えて一般客の来場するステージで実際に演奏して見せるのが公開審査である。

 しかし実際にフェスへの切符を手にすることが出来るのは、その中のさらにごく一部……上位三組だけなのだ。

 音楽界の未来を担うだろう若手バンドを輩出するには、狭き門であると言える。

 だがその狭き門を抜けなければ、頂点へ昇り詰めることなど出来はしない。それが友希那の言い分だった。

 そして、そのために今、何が必要なのかも。

 

「友希那、ちょっとそこの消しゴム取ってくれるか?」

「……はい」

「ん、さんきゅ」

 

 野上家の、リビングである。壁際のテレビと向かい合うように置かれた大きな『L』字型ソファとの間にある、背の低いテーブルに、一哉と友希那は隣り合うように座っていた。友希那は自宅から持ち込んだノートパソコンを広げて打ち込みソフトを展開しているし、一哉はギターを構えて一音ずつ確かめながら手元の五線紙に書き込んでいる。

 友希那達がRoseliaとして再び一つにまとまってから数日後。今の気持ちを正直に歌にしたい、と言い出したのは友希那だった。

 それは妥当な判断だと、一哉も納得している。

 何しろ音源審査に必要な楽曲は二曲。しかも、どちらもオリジナル曲であることが規定されているのだ。

 ところがここで、ある問題が浮上する。

 Roseliaにはまだ、オリジナル曲が一曲しかないのである。

 提出期限まで余裕があるとはいえ、早急に新曲を用意する必要があった。可能であれば、提出用の音源を録るまでに何度か全体の音合わせもやっておきたい。

 つまりそういうわけで、騒動がとりあえずの幕引きを迎えてから最初の週末、二人はテーブルに向き合っていた。

 生活音らしい生活音もほとんどないので、環境的な面で言えば一哉の家は曲作りに持って来いなのだ。

 ただし、進捗状況はあまり芳しくないと言える。

 特に、友希那の方が。

 陽の光が落ち始めたころ、傍らで聞こえていたキーボードを打つ音が、ふいに止んだ。

 

「あ、祈りタイム入った」

 

 彼の傍らで、銀髪の少女が突然、顔をあおのかせて天井を見上げたのである。そのまま背後のソファに背をあずけて、ゆっくりと目を閉じる。お腹のあたりに置かれた両手は、指を組んでいた。

 歌詞は、驚くほど早い段階である程度のまとまりを見せた。だがそこから先のメインとなる旋律が、いまだ決まらずじまいなのだ。

 

「ねえ」

 

 ふいに、友希那が声をあげる。

 

「ん?」

「参考までに()いておきたいのだけど、あなたって今まで何曲書いてきたの?」

「んん、どゆこと?」

「ORIONを組んでから今までに書いた曲よ。何曲あるの?」

「ええと、何曲だっけかなあ」

 

 シャーペンを走らせる手を止めて、少し考える。目線だけを上にして、思い出すのはこの約一年の活動の記憶だ。

 

渋谷(しぶや)dub(ダブ)で初ライヴした時にやったのは、もともと書いてた五曲だろ。……で、夏休み返上して書き下ろしたのが一〇曲近くで……秋にも書いたっけな? ええと、後は年末年始に()(こも)ってやったのがだいたい……」

「も、もういいわ……」

「え、そう? とりあえずまあ、そんなとこだ」

「随分と、書いたのね」

「ああ」

 

 我ながら同感だ。

 たまに実里(みのり)が曲を書くこともあるが、それでもORIONの大半の楽曲を手掛けているのは一哉なのだ。当然、アレンジも含めて、である。

 

「たぶんレパートリーだけで言えばけっこうな数じゃないかな」

「そんなに?」

「バンド組む前に書いてた曲とか含めると、たぶん」

「そう……」

 

 友希那の唇から漏れるのは、純粋な感嘆だ。それから姿勢を直して、顔だけをこちらに……正確には一哉の手元にある五線紙に視線を向けた。

 

「それでいて、また新曲を書いているんでしょう?」

 

 そう。

 曲を書き下ろすのは、何もRoseliaだけではない。

 ORIONもまた、コンテストへ向けた新曲の制作に入ったのである。無論、その作曲とアレンジは、全て一哉が担うことになる。

 

「まあ、曲作りが半分趣味みたいなもんだから」

「どうしたらそんなに早く書けるのかしら」

「さあな~。別に早けりゃいいってもんでもないけど。……そう言えば、そっちのテーマって『再出発』だっけ」

「ええ。一哉は?」

「『原点回帰』」

「ああ、それで」

 

 納得したように言いながら、彼女の視線は五線紙の上端を見つめている。ORIONの新曲……そのタイトルが書かれているあたりだ。

 その琥珀色の瞳は、遠い昔を思い出しているようだ。

 

「曲にするなら今しかない、って思ったんだ」

 

 憧れたバンドマンから渡された『思い』を。

 

「そう」

 

 だが友希那の話は、まだ続いていた。

 

「あなたこそ、ORIONの方にはもう話したの?」

「コンテストのことか?」

「ええ」

「それがさ、もう目茶苦茶盛り上がってたよ。特に実里と鳴海(なるみ)さんが」

 

 鳴海なんて、見事なガッツ・ポーズまで決めて喜んでいたっけか。

 

「……なんとなく想像がつくわ」

「それこそ、ドデカいフェスなんて去年以来だからな」

 

 それも年の瀬に催された『CROSSOVER JAM』以来、である。思えば、あれもアマチュア・コンテストを経ての出場だった記憶がある。

 

「今、燃えに燃えてるさ」

「あら、もうフェスのメイン・ステージに立つ気でいるのかしら?」

「当然」

 

 一哉の唇が、挑戦的な笑みに歪む。

 今の一哉は、Roseliaのサポート・メンバーではない。

 ORIONのリーダーなのだ。

 そして、そうなることを望んだのは、目の前にいる友希那なのである。

 ならば。

 

「やるからには優勝狙ってくんで。そこんとこ、ヨロシク」

「……これは負けられないわね」

 

 応える友希那は、ヘッドホンをつけ直すとパソコンの打ち込みソフトと向き合った。そのまま彼女は、無言で手元を動かし始める。

 どうやら、スイッチが入ったようだ。

 口元を笑みに歪めて、一哉もまた、自身の作曲作業に戻ることにした。

 二人の楽曲制作は、学校やバンド練習の合間を縫う形でそれから約一週間、行われた。

 

 

 RoseliaとORION、両者の一次審査通過の連絡が来たのは、それからさらに二週間後だった。




 というわけで、バンドストーリー一章、こんな感じの展開になりました。
 多くは語りません。


 次回もよろしくどうぞ。


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第九章 ときめき

       

 

 

 それは東京でも歴史のあるライヴ・ハウスである。

 最大収容人数は、二階席を含むオール・スタンディングで約一四〇〇人超。

 開業から二〇年を超える今までに、催されたイベントは数知れず。ワンマンライブを行う会場規模の一つの目標としてこの施設を掲げるミュージシャンも少なくない。

 そんなライヴ・ハウスが、F・W・Fコンテストの二次……もとい最終審査の会場だった。

 

「出場者の皆さん。出番の五分前には舞台袖で待機をお願いします!」

 

 戸口に立って、黒地に白く『STAFF』と書かれたシンプルなTシャツを着た若い女性が、広い室内に響くように大きな声をあげる。

 楽屋である。

 それも、特大の。

 音源審査を通過したバンドは、全部で一五組。その約半数が、一つの楽屋に集っていた。

 残り半分は、もう一つの楽屋だ。

 

「本コンテストは公開イベントです! たくさんのお客様がご来場してますが、くれぐれも審査や運営情報の漏洩(ろうえい)には注意してくださいね!」

 

 それだけ言ってから、女性はあわてて走って行った。おそらくもう一方の楽屋へ同じことを伝達しに行ったのだろう。

 

「思ったより落ち着いてるのね」

 

 戸口の方を眺める一哉(かずや)に、傍らから幼なじみが声をかける。

 振り向くと、そこにいるのは透き通るような銀髪の歌姫である。

 もっとも、その装いはこれまでとは大きく異なっていた。

 黒と紫で統一された、それは燐子(りんこ)手製(てせい)の衣装なのだ。

 全体的な印象は、ドレスに見える。すっきりした見た目の上半身に対して、スカートはゆったりとしたボリュウムのあるデザインだ。ベースとなった二色に加えて白い生地が、フリル状に折り重なっている。(えり)(すそ)の黒い生地には、全体のバランスを整えるように金糸の刺繍(ししゅう)があしらわれていた。黒いロング・ブーツも同様に、である。

 透き通る銀髪には、黒い薔薇とやや小振りな青い薔薇の髪飾りが付けられていた。

 胸元にあるリボンは、紫だ。

 そんな友希那(ゆきな)が、一哉の隣にぴったりと腰を降ろしていた。

 

「なに?」

「少しは緊張しているかと思ったのだけど」

「誰が」

「一哉が」

「俺が!? まさか」

 

 苦笑だ。だが同時に目を逸らしてしまう。

 そして、ぽつりと言った。

 

「……まあ、してるかしてないかっつったら、してるのかも知んないな」

 

 言いながら、一哉は楽屋の中を見まわした。

 大勢の参加者達は、その多くが緊張の面持ちである。微動だにしない者、机に敷いた丸いパッドの上にドラムスティックを叩きつける者、ギターやベースを構えてはフレーズの確認をする者……さまざまだ。

 だが全員に共通しているのは、その目の奥に小さな炎が燃えていることだった。

 

「何だかんだ言って、ここに集まってるのは一次を通過したバンド達だからな。みんなレベルは高いだろうし、そんな中にいるとなると、さすがに気が引き締まるよ」

 

 ざわつく楽屋を一通り見てから、一哉は身に着けた白いジャケットの袖を肘までまくり上げる。演奏の邪魔にならないようにだ。

 

「それよか、俺はあっちの方が心配だよ」

「え?」

「あそこ、見てみな」

 

 ほら、と一哉が指差す先を、目で追う。

 そこには真っ赤なベースを膝の上に乗せた栗毛の少女が、が彼女の前に立った青いセット・アップの少女と何やら話している。

 お互いに見せ合うのは両手……の爪だ。

 

「その様子だと、爪の調子もよさそうだね」

「うん、おかげさまでね。いや~、実里がいてくれなかったらどうなってたことか……」

「そんな大袈裟(おおげさ)な」

「大袈裟じゃないよ。本当に感謝してるんだから」

 

 言わずもがな、リサと実里(みのり)である。リサの方は友希那と似たドレスで、しかし胸元のリボンは友希那と違い赤いものになっている。メンバーごとに色が異なるのだ。

 

「いいのいいの」

 

 実里が、にんまりと笑う。

 

「楽器を弾くなら、やっぱ爪のケアはしっかりしとかなきゃだもんね」

「同感。アタシもピックじゃなくて指弾きとか……たまにスラップもやるけど、とにかくそういう時によく爪が弦を擦っちゃうことがあってさ。うっかり割れちゃわないか、心配なんだよね」

「気をつけないとね」

「うん。気をつけないと」

 

 指を全て曲げて自身の爪を見つめながら苦笑する、そんな二人のやりとりを見て、ああ、と友希那は声をあげた。

 

「そういうことね」

 

 リサの表情が、いくらか不自然なのだ。

 緊張にあてられているのである。

 

「そういうこった」

 

 じゃ後でね、とその場を離れる実里を笑みで見送ってから、リサは思い出したように自身の鞄に手を突っ込んで、何かを漁り始める。

 その手が、

 

「……あれ?」

 

 ぴしり、と固まった表情と同時に、ふいに止まった。

 

「おかしいな~、メンテ用のスプレー、たしかに入れたと思ったんだけど……」

 

 がさごそ、がさごそ。

 だが、どうやら探し物は見つからないらしい。徐々にリサの顔に焦りの色が見え始めた。

 

「ない……ないっ!? うそぉ……もしかしてアタシ、忘れちゃった!?」

 

 どうしよ、とうなだれるリサに、あちゃあ、と一哉が掌で目を覆った。

 そして浮かべるのは、苦笑である。

 もともと、会場入りした段階で一番落ち着きがなかったのはリサだった。だから何かやらかしてなければいいがと思っていたのだが、どうやらその予感は的中してしまったようだ。

 だが、

 

「もう、今井さん」

 

 あわてふためくリサに助け舟を出したのは、その隣に座る紗夜だった。胸元のリボンは、青い。

 

「忘れ物には注意って、昨日も連絡したじゃない」

「うぅ……ごめん、紗夜」

「……はい」

 

 言いながら、紗夜は手にした小さなボトルを差し出した。

 リサはボトルを見つめて、きょとん、と目を見開いている。

 

「私ので良ければ、これ使って」

「え、いいの? あ……ありがと……」

 

 無意識なのか、柔らかな笑みを浮かべている紗夜に、リサも微笑みで応えた。

 自然と、遠目に眺めている一哉の口元にも、笑みが伝播する。

 

「ねえ」

 

 ふいに、傍らの友希那が声をあげた。

 

「んん?」

「あなたは今回のコンテスト、どう見ているの?」

「どう、って言ってもなあ」

 

 一哉は少し考える素振りを見せてから、言った。

 

「さっきも言ったけど、俺達を含めて一次審査を通過したバンドであることには変わりない。だからどのバンドが上位に喰い込むか、なんてのは、正直読めないな。みんな、それなりの実力はあるわけだし」

 

 でも、と一哉の唇に浮かぶのは、不敵な笑みである。

 

「負けるつもりはないよ」

「そう」

「友希那だってそうだろ?」

 

 コンテストに出ることが目標ではないからだ。

 本当の目標は、コンテストの先にある……。

 そしてそのためには、上位三位以内に入ることが絶対条件なのだ。

 

「……そうね」

 

 友希那は視線を逸らして、そう言った。

 彼女が見つめる先は、ざわつく楽屋の中でも特に騒がしい一角である。

 目立っていたのは、二人の少女だ。雑談に興じているようだが、何やら一方の少女がやけに元気いっぱいだ。

 友希那に比べるとやや明るい色合いの紫のリボンと、白いリボンが目を惹く。

 あこと燐子である。

 

「りんりん大丈夫? ステージ、すっごい大きいよっ。いつかみたいに()(さお)になっちゃわない?」

「わたしね……最近、気づいたの……キーボードといると、何だか守られてる気がして……」

「あー、それ判る! あこもドラム叩いてる時はちょー無敵だもんっ! よーしっ、練習の成果見せてやろうね!」

「うん……頑張ろうね、あこちゃん……」

 

 ……少しばかり、騒ぎ過ぎだろうか。

 幸いにも、二人に向けられる視線は好ましくないものではないようだ。むしろ、その和やかな空気に微笑ましささえ感じているように見える。

 だが、やはりこれ以上エスカレートする前に一言告げた方がいいだろう。

 

「あこ」

 

 呼ばれて振り返るドラマーに、友希那は努めて威圧的にならないように気をつけつつ、言い含める。

 

「他の応募者もいるんだから、あまり騒ぎ過ぎないようにね」

「あっ……ごめんなさい……」

「それもそうだな」

 

 一哉が、後を引き継ぐ。

 しゅん、と縮こまってしまうあこに、安心させるように。

 

「でも、周りに迷惑かからない範囲なら、多少はかまわないよ」

「ちょっと、一哉」

「いで」

 

 友希那に、肘で脇腹を軽く小突かれた。

 そして小突かれたという事実に、一哉はまたしても苦笑するのだ。

 少なくとも、今までの友希那だったら絶対にしないはずの行動だったからだ。

 これも、と一哉は思う。

 バンドとして夢を追うことを決めたことによる、心境の変化なのだろうか。

 

「まあ、そういうわけだから。程々に、な」

「は、はいっ! ありがとうございます! 一哉さん、友希那さん!」

 

 ぱぁっ、と表情を明るくしてお辞儀をすると、あこは元気に燐子のもとへと戻って行った。それからすぐに雑談を再開したようだが、二人の言いつけをきちんと守って、その声量はさっきと比べいくらか落とされている。

 友希那が立ち上がったのは、その時だった。

 そのまま、戸口の方へと歩き始める。

 目の前を通り過ぎたあたりで、一哉は声をかけた。

 

「どこか行くのか?」

「少し外の風に当たってくるわ。ついでにコーヒーでも飲もうかと思うのだけれど……あなたも来る?」

「コーヒーって、アックスか?」

「ええ。それ以外にないでしょう?」

「いや、あれはなあ……」

 

 苦い顔をして一哉が思い出すのは、特徴的な黄色い缶コーヒーである。

 少し考えて、首を振った。

 

「んー……やめとくわ」

「そう? 美味しいのに」

「そういうわけじゃねえよ。……いや、それも少しはあるけど」

 

 だが一哉が言いたいことは、別にあった。

 

「たまには、一人で考えたい時もあるかと思っただけだ」

「……そうね」

 

 友希那は、そう言った。

 

「判ったわ」

 

 微笑みをたたえて。

 そして(きびす)を返すと、銀髪の少女は真っ直ぐに廊下へと向かってゆく。

 突き当たりで曲がったので、だからその背中はすぐに見えなくなった。

 リサがすっ飛んできたのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

       

 

 

 コンテストは、順調に進んでいった。

 一〇分の持ち時間で、一バンドあたり平均で二曲を演奏する。一つのバンドが終わればすぐに次のバンドが準備に入り、最終的な成績は全バンドが演奏を終えた後の結果発表まで判らない。

 それゆえ一般客を招いた公開審査は、そんなとてつもないプレッシャーに出場者が押しつぶされないように、という運営側の厚意であるとも言える。変な緊張をせず、普段通りのパフォーマンスを見せて欲しい……そういうことだ。

 

「次、Roseliaだっけ?」

 

 天井から吊り下げられたモニターを眺めながら、呟くのは鳴海だ。画面に映されているのはいろんなジャンルのアーティスト達のCMばかりで、だからコンテストの様子は実際に舞台袖まで行ってみないことには判らない。

 だが鳴海の隣に腰かける一哉は、頷いた。

 

「ええ、そのはずです」

 

 Roseliaが楽屋を出て行ったのが、何分か前だからだ。おそらく、そろそろ舞台袖に着いているころだろう。

 

「いいのか?」

「え?」

 

 漠然とした問いに、思わず一哉は鳴海を振り返った。その反応に、鳴海は不満げに口を尖らせている。

 

「え、じゃないよ。え、じゃ」

「いや、質問の意図が判らなかったんで」

「出番前に、声かけに行かなくていいのか、ってことだよ」

 

 ああ、そういうことか。

 

「一応、お前ンとこのバンドだろ?」

「俺のじゃないですよ。友希那のです」

 

 そこまで答えてから、しかし一哉はすぐさま言い直した。

 

「……友希那達の、ですかね。俺はあくまでサポートですから」

 

 審査が始まる前、コーヒーを飲みに外へ出た友希那を追う格好で出かけたリサが彼女と何を話したのか、一哉は知らない。だが戻ってきた二人の晴れやかな表情を見て、何となく察したのだ。

 

「俺の出る幕は、今のところないと思います」

「じゃあ心配はしてないわけだ」

「してないわけじゃないですけど、でも友希那達の実力なら入賞は間違いないでしょうね」

「それは、幼なじみとしての贔屓(ひいき)目かい?」

「違います」

 

 一哉は、肩に下げたギターのボディに右手を添える。

 そして、言った。

 

「一人のバンドマンとしてですよ」

「でもさあ」

 

 口を挟むのは、青いセットアップの実里である。隣り合った一哉と鳴海の肩の間から、にゅっ、と顔を突き出して。

 

「せっかくなんだから、私達も向こう行かない?」

 

 舞台袖に、である。

 

「私、リサ達のステージが観たいんだ」

「いや、でもスタッフの邪魔にならないか?」

「だーいじょうぶだって! 私達Roseliaの次じゃん? 早めに来ちゃいましたー、って言えば何とかなるって」

「まあ、たしかにそうなんだけど……」

「なんだよガミ、やっぱり緊張してるんじゃねーの? 大事なコンテストの前に(いと)しの幼なじみと顔合わせるのが()ずいのか? んん?」

「ぅえっ!? なっ、なにを、ば、ばきゃ!」

 

 何を莫迦(ばか)な、と言おうとして、思いっきりカンだ。

 言い直しだ。

 

「何を莫迦なこと言ってんですか! 冗談でも言っていいことと悪いことがありますよ!?」

「おうおう、その割には顔(あか)くなってんぞ」

「あ、ホントだー。カズくん真っ赤になってる」

「はぃいっ!?」

 

 咄嗟に、両手で顔面を覆った。

 そのまま、一哉は喋り続ける。

 

「だいたい、友希那やリサとは別にそんな関係じゃ……」

 

 だが言い訳は、最後までさせてもらえなかった。

 がら空きになっていた両脇の下に腕を入れられ、無理やりに立たせさられた。

 

「ほれほれ、ノロケはいいから袖まで行くぞー」

「おーっ!」

「いや、ノロケじゃなくって……ふげっ!」

 

 そのまま鳴海に首根っこを掴まれ、引きずられてゆく。

 ……はあ、もういいや。

 早々に抵抗することをやめて、顔を覆っていた手をどかす。

 最後尾を歩く、山吹色のセットアップを着た影山と目が合った。

 苦笑を浮かべていた。

 

 

 友希那に、ありがとう、と言われた。

 いつの間にか楽屋からいなくなっていた彼女を追いかけて、外の休憩スペースで二人で話し込んでいた時だ。

 完全な不意打ちだった。

 嬉しくないわけがなかった。

 アタシが……アタシ達がやって来たことは、無駄じゃなかったんだって、そう思えたから。

 その場に一哉がいなかったのが、ちょっぴり寂しかったけど。

 ぎゅっ、とベースのネックを握りしめて、でも、とリサは思う。

 アタシはみんなに比べて、経験も練習量も圧倒的に足りない。……もしアタシが足手まといにでもなった、みんなの今までの努力が水の泡になってしまう。

 そしたら友希那に……ううん、友希那だけじゃない。Roseliaのみんなに迷惑をかけちゃう。

 それだけは駄目だ。

 

「今井さん。俯いてたら他の人に楽器が当たって迷惑よ」

 

 側に立つ紗夜に声をかけられて、初めて自分が俯いてしまっていたことに気がついた。

 そして彼女は、言った。

 

「ちゃんと前を向いて」

 

 上手側の舞台袖から、Roseliaの機材がセッティングされたステージを……かすかに見える客席を見据えたまま。

 

「前を……」

 

 そうだ。

 紗夜の言うとおりだ。

 どんなに練習を重ねていたとしても、失敗する時は失敗する。あるかも知れない『失敗』に怯えるよりも、まずは前を向いて、目の前のステージと向き合わなければ。

 それこそが、Roseliaのベース・今井リサとしてやれる、唯一のことなのだ。

 

「紗夜、ありが……」

 

 ……ありがとう、と言いかけて、しかしその言葉はあこの声にかき消される。

 

「あーっ! 実里姉だ!!」

「え?」

 

 声をあげたのは、リサだけではなかった。

 友希那もだ。

 振り返ると、舞台袖へと繋がる廊下から、四人組の男女がこちらへ向かって歩いて来る。

 先頭に陣取るのは、赤いセットアップの青年と、青いセットアップの少女である。その後ろを白い少年が続き、一番後ろを小柄な山吹色の少年が付いて来ていた。

 

「お、ちょうどこれから出番って感じか?」

 

 よっ、と片手を挙げる鳴海に、

 

「やっほー! 来ちゃった!」

 

 実里が続く。そこへ、駆け寄ったあこが抱きついた。

 

「実里姉達って、まだ出番まで時間あるよね? どうして?」

「ほら、私達、次だからさ。せっかくだからRoseliaのステージ見ようと思って!」

「ほんと!? よーっし、あこ、ドーンバーンって叩くから、実里姉ちゃんと見ててね!」

「うんうん、ちゃんと見るよ! あこちんも頑張ってきてね。楽しむ気持ちでいくんだよ? いい?」

「はーい!」

 

 そんな二人のやり取りを尻目に、鳴海がリサと友希那のところへやってきた。

 

「そぉら、お前らのだいじなメンバー、連れて来たぜえ」

 

 そして差し出されるのは、白い衣装の一哉である。

 三人の幼なじみが、向かい合う格好になった。

 

「一哉……」

「あ、その、えっと……」

 

 リサの声に、応える一哉は口をぱくぱくさせるばかりで、その言葉は半分も『言語』にならなかった。

 

「大丈夫よ」

 

 そう言ったのは、リサではなかった。

 友希那だ。

 あ、とリサが小さく声をあげた時にはすでに友希那は滑るような足取りで一哉に歩み寄っていて、俯いていた彼の頬を両手で包み込むようにして視線を合わせた。自然と、友希那が一哉を見上げる格好になる。

 白い肌の両手に挟まれた一哉の頬が、紅くなる。

 

「ゆ、友希那……?」

 

 困惑した様子の一哉を見て、ちくり、と胸が痛んだ気がした。

 

「私は、もう折れないわ。リサが……Roseliaのみんながいるから。そこには、あなたも入ってるのよ? だから心配しないで」

 

 友希那は、そう言った。

 

「そうだよ」

 

 一歩踏み出して、リサも笑みを浮かべる。それから一哉の手を取ると、ぎゅっ、と握りしめた。

 

「友希那のことはアタシ達に任して。一哉の分まで、アタシがRoseliaとしてかましてくるからさ!」

 

 だから、とリサは付け加えた。

 

「一哉は、自分のバンドに専念して」

 

 にんまりと。

 

「もともと、そういう話だったじゃん?」

 

 今日は五人のRoselia。

 一哉は四人のORION。

 

「そっか……うん、そうだよな」

 

 こちらを振り向いた一哉は、きょとん、と目を見開いてから、やがて小さく頷いた。

 彼もまた、二人に笑みで応えた。

 

「Roseliaさん、お願いします」

 

 ヘッド・セットをつけた若い女性スタッフが、進行台本を片手に呼びかけてきた。

 

「はい! じゃあ実里姉、またね!」

「うん。行ってらっしゃい!」

 

 実里から離れたあこが、早足で燐子のところへ向かう。

 同時に一哉の頬から友希那の手が離れ、リサもまた踵を返してステージへ歩き出そうとする。

 その二人の背中へ、一哉の声が投げかけられた。

 

「友希那」

「なにかしら?」

「……ぶちかましてこい」

「ええ、言われなくてもそのつもりよ」

 

 それから、

 

「……リサ」

「んー?」

 

 肩ごしに、振り返る。薄暗い舞台袖で、だから少しばかり距離を取っただけで、一哉の表情が見えなくなる。

 しかし、リサには何となく判っていた。

 一哉は、『笑って』いる。

 

「なに?」

「頼んだぞ」

 

 その言葉の意味するところを、彼女は一瞬で理解した。

 

「うん!!」

 

 だからリサも、にっ、と笑みを浮かべて見せるのだ。

 視線を引っぺがして、友希那と並ぶ。

 

「行こ。友希那」

 

 アタシ達の『音楽』を届けに。

 アタシ達の『頂点』を目指しに。

 

「ええ」

 

 紗夜達と合流すると、Roseliaは友希那を先頭にした『V』字の陣形になる。彼女の斜め後ろをリサと紗夜、そのさらに後ろに燐子とあこが並ぶ格好だ。

 先頭の友希那が二歩ほど先を行くと、ふいに立ち止まってこちらを振り返った。

 四人のメンバーを見まわす友希那の瞳は、透き通った琥珀色である。

 そして。

 

「いくわよ」

 

 真っ白い光に照らされたステージへと、真っ直ぐに歩き出した。

 

 

 

       

 

 

 ステージに轟きわたる黒き咆哮に、歓声が沸き上がる。

 赤、

 白、

 青、

 紫……、

 ムービング・ライトの多彩な演出に呼応するように、オーディエンス達の手に握られたペンライトが鮮やかな光を放つ。

『魂の形』と呼ぶに相応(ふさわ)しい演奏が、『波』となって聴き届ける者の心に『共鳴』する。そして昂った感情を吐き出すように、彼らは舞台へ声援を送っているのだ。

 五人の少女達へ。

 Roseliaへ。

 

「ねえ、カズくん」

 

 ふいに、傍らに立つ実里が声をあげた。

 

「Roselia……凄いね」

「ああ」

 

 一哉は拳を握りしめて、力強く頷いた。

 

「凄いよ、友希那達は」

 

 そこに立つのは、もはや『孤高の歌姫(ディーヴァ)』などではなかった。

 汗を光らせ、頬を紅潮(こうちょう)させて、細い喉から力強い声で歌いあげる。紡ぎ出された旋律は小さな手で握りしめたマイクによって増幅され、まるで噴出するマグマの勢いでホールを満たしてゆく。

 その音が、舞台袖に立つ一哉に全てを教えてくれた。

 紗夜のギターが、今までにないくらいに落ち着いていること。

 リサのベースが、緊張をものともせず滑らかな指使いでボトムを支えていること。

 あこのドラムが、これでもかと爆裂する勢いでビートを刻んでいること。

 燐子のシンセが、歓声や照りつけるライトに負けじと強く奏でられていること。

 そして……、

 

「あんなに楽しそうに歌ってる友希那、初めて見た」

 

 友希那の歌声が、心の底から『音』を『楽』しんでいること。

 

 ──Re:birth dayリ・バースデイ──

 

 かつて孤独を抱えていた銀髪の少女は、もうそこにはいなかった。

『仲間』とでも呼ぶべき少女達と夢を追いかける、その決意を今、Roseliaは奏でているのだ。

 

「私……なんか、すっごい燃えてきちゃった」

「奇遇だな。オイラもだよ」

 

 実里の言葉に、黒いヘッド・タイを結びながら鳴海が続いた。ちらり、と彼が視線を投げるのは、黙ってステージを見据える山吹色の小柄なドラマーだ。

 

「影山は……」

 

 言いかけて、しかし鳴海は言葉を引っ込めた。

 

「……言うまでもねえか」

 

 影山の目にも、小さな炎が灯っているのが見えたからだ。それから、彼の視線がこちらを向いた。

 

「ガミ、お前だってそうだろ?」

「はい」

 

 即答だった。

 

「めちゃくちゃ燃えてます」

 

 Roseliaの演奏が、終わる。

 万雷の拍手と大歓声の中、友希那達は一哉達が待機するのとは反対……下手側へとはけてゆく。

 同時に、イベントスタッフが急いで機材の転換にかかった。無論、ステージ中央に置かれたマイクスタンドもろとも、だ。

 

『さて、それでは次のバンドに行きましょうか』

 

 一五分ほど経ったころにようやくステージの準備が整い、司会が次のバンドの紹介を始めた。

 

『エントリーNo(ナンバー).14、ORION(オリオン)!!』

 

 そして流れる、リズム・シークェンス。

 同時に舞台袖に待機していた女性スタッフが、さっきRoseliaへ伝えたのとほとんど同じセリフを口にした。

 

「ORIONさん、お願いします」

 

 違いは、バンド名のみだ。

 

「さて」

 

 組んだ指を、掌を上にして大きく伸びをする。脱力とともに息を吐き出すと、ぱちん、と一哉は自身の頬を叩いた。

 それから、三人のメンバーに向き直る。

 

「それじゃ、行きますか」

 

 一体となった四人の足音は、出陣のドラムである。

 

 

 単色のセットアップ・スーツを着込んだ四人の男女が、呼び込みの拍手とともに広いステージに姿を現す。

 白いギタリストがステージのほぼ中央に陣取ると、山吹色のドラマーは客席から見てステージ後方に鎮座する黒いドラム・セットに腰を下ろす。複弦が備わった八弦ベースを構えた苅安色(かりやすいろ)の青年は下手側、青い少女は上手側でフロントに二台、サイドに一台という『L』字にセッティングされたキーボードの前に着いた。

 ギターとドラムがタテ、ベースとキーボードがヨコの対角線上に位置する、それは横に長い『菱形(ひしがた)』の配置である。

 ORION。

 今回のコンテストで唯一、ヴォーカルのいないインストゥルメンタル・バンド。

 自己紹介を省いたのは、Roseliaと同じだ。

 白いギタリストの合図で、奥のドラマーがスティックを打ち合わせてカウントを取る。

 

 ──CYBER ZONE──

 

 明滅する白いライトの下で、繰り出されるはギターとシンセ・ブラスのユニゾン・フレーズで始まるイントロだ。

 

「始まった、ね……」

 

 ぽそり、とリサは呟いた。

 

「ええ、そうね」

 

 応えるのは、銀髪の幼なじみである。

 出番を終えた……あるいは出番まで時間のあるバンドは、二階席から他バンドのコンテストの様子を見ることが出来る。無論、見るか見ないかを決めるのは出場者自身に委ねられるため、他人の演奏に惑わされたくないという者はずっと楽屋に籠っていることになる。楽屋のモニターにステージの映像が流れないのは、そのためだ。

 リサ達が陣取ったのは二階席のど真ん中、その最前列である。転落防止柵の手すりを掴んで、五人の少女が横並びになった。

 意外だったのは、友希那までがこうしてコンテストに臨むORIONの様子を眺めていることだ。

 ステージの中央で『歌う』一哉を。

 

「アタシね」

 

 唐突にリサの話し始める、その相手は友希那だ。

 

「一哉がバンドを始めるって言った時、実はけっこう不安だったんだ。おじさんのこともあったから、余計にね。……まあ、杞憂(きゆう)だったけど」

 

 一年前、ORIONは約一〇〇〇人の前でデビュー・ライヴを飾ると、瞬く間に大勢の人気を獲得し、個性豊かな楽曲と各メンバーの並外れた技術も相まって学生バンドの中でめきめきと頭角を現す存在となったからだ。

 

「どうしたの、急に」

「いいから聞いてよ」

 

 一度めのサビが終わり、最初のギター・ソロに入る。ワイヤレス・システムの利点を活用して、一気にステージのツラまで躍り出た。興奮する観客に応えるように、一哉のギターも唸りをあげる。

 

「でもね。アタシ、判っちゃったんだ」

「なにが?」

「一哉がバンドを始めようと思った理由」

 

 聞けば、バンドを組む『きっかけ』そのものは、ベースの鳴海から持ちかけられたものだったらしい。

 だがいずれにせよ、一哉がバンドを組むことを決断した理由が、そこにはあったはずだ。

 今なら判る。

 

「一哉も友希那も、いっしょなんだよね」

「……私と、一哉が?」

「うん」

 

 ソロからBメロに戻り、笑顔でリフを掛け合う一哉と鳴海の様子を見守りながら、リサは続けた。

 

「今日の友希那さ、すっごい楽しそうに歌ってたの、自分で気づいてる?」

「……ええ」

「じゃあ、その時の顔が一哉にそっくりだったのは?」

「え……?」

 

 あちゃあ、やっぱりか。

 

「アタシ、ずっと二人のこと見てきたから気づいちゃったんだよね。今あそこで弾いてる一哉と、さっきの友希那の顔、めちゃくちゃ似てるんだよ」

「そう、なのかしら……」

「うん。少なくともアタシはそう思ってる」

 

 リサは手すりの上に両の肘を突いて、掌の上に顎を乗せた。

 

「だからなのかなって」

 

 リサの抽象的な物言いに、しかし友希那は聞き返してはこなかった。

 ゆえに、リサは続ける。

 

「あのころの気持ちを忘れずにいられる場所が欲しかったんだと思う」

 

 だから、バンドなのだ。

 一人きりではなく、ともに『音』を『楽』しむ仲間と。

 それこそ、幼き日々のセッションをした三人の幼なじみみたいな。

 一哉にとってはそれがORIONで、

 友希那にとってはそれがRoseliaだっただけのことなのだ。

 

「お父さん……」

 

 ぽそり、と友希那が呟く。

 ちょうどそのころ、以前より少しばかり長い後奏のギターソロを経て、一曲めが最後のテーマを迎える。

 演奏が終わると、ひときわ大きな拍手が会場中に響き渡った。

 足元のペダルでギターの音量を落として、一度一哉は腰を折った。綺麗な九〇度だ。

 彼が顔を上げたと同時に、ステージ後方のドラムが一定のリズムでバスドラムを刻んでゆく。キックに合わせるように自然と観客達が手拍子を始めて、ステージを真っ白なライトが照らした。

 

「はーい! 皆さんこんにちはー! ORIONでーす!!」

 

 バスドラムをバックに喋り始めるのは、上手の青いキーボーディストである。

 

「最後にお聞きいただきます曲は、我らがリーダー・野上一哉が思い描く『音楽の原点』をポップスなナンバーに仕上げた、出来たてホヤホヤの新曲です!」

 

 軽快な実里のMCに、オーディエンスも歓声で応える。思ったよりも女性の観客の割合が高いことに、リサはこの時初めて気がついた。

 

「みんな盛り上がる準備は出来てるー?」

 

 歓声。

 それも、黄色い歓声だ。

 それに応える実里の声も、いくらか弾んでいるような気がした。

 

「さあそれではいってみましょー! ORIONのニュー・ソング……『と・き・め・き』!!」

 

 リズムに合わせた曲紹介に、ワン、ツー、と打ち鳴らされるドラム・スティック。

 実里のMCと同様に、その曲は軽快なシンセ・ブラスで幕を開けた。

 

 ──ときめき──

 

 朗らかな曲だった。

 晴れやかな曲だった。

 まるで無邪気な子供達が一心不乱に走り回ってはしゃいでいるような、そんな微笑ましささえ感じられた。

 だが、リサが感じたのは、懐かしさだった。

 途端に、記憶が(よみがえ)る。

 それは、幼き日の思い出だ。

 晴れ渡る空の下、

 近所の公園の片隅で、

 アコースティック・ギターを奏でる黒ずくめの男の前で、

 楽しげに歌う少女の側で笑顔で楽器を『弾』く自分の姿が。

 途端に、理解した。

 ああ、やっぱり。

 彼にとっての『原点』は……。

 

「一哉……」

 

 幼なじみの名を呟く友希那の口元は、わずかに笑みになっている。それを見たリサも、笑顔で言った。

 

「ねえ、友希那」

「なに?」

「アタシ、友希那の歌、好きだよ」

「……ありがとう」

「でもね」

 

 そう。でも、だ。

 

「友希那の歌とおんなじくらい、一哉の曲も好き」

「そう……」

 

 友希那が、ゆっくりとこちらを振り返る。

 そして、言った。

 

「私もよ」

 

 かすかな笑みで。



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終章

 テーブルに着いた少年少女達のオーダーは、満場一致でWハンバーグ&エビフライ&チキンソテーのプレート、ご飯大盛デザート付きになった。

 驚異の1382キロカロリーを有する、俗に『スーパーやけ喰いセット』と揶揄(やゆ)されるメニューだ。

 その数、実に九人前。

 四人掛けと六人掛けのテーブルが横並びになった格好である。二つのテーブルの間は人が一人通れる程度の隙間が空いていて、半分がその向こう側のソファへ、もう半分が手前の通路に面した椅子に腰を下ろしていた。

 しかし、それぞれのバンドに覆いかぶさる空気は、いささか暗い。

 困惑と、そして暗澹(あんたん)である。

 それぞれで取りに行ったドリンクバーにも、手をつける様子はなかった。

 

「なあガミよ、本当にオイラ達もいっしょでいいのか?」

 

 壁際の椅子に腰かけた鳴海(なるみ)がこちらに顔を寄せて、その言葉はほとんど囁きに近い。

 場違いじゃないのか、と言外に訴えているのだ。

 一哉(かずや)が応えるより早く、それに応える声があった。

 ORIONをこの場所へ連れて来た、張本人である。

 

「いいんです!」

 

 一哉と隙間を挟んで隣に座った、リサだった。メニュー表を閉じて、鳴海と反対側の壁側の椅子に座ったあこにそれを仕舞うように手渡して。

 だが、一哉は気づいていた。

 気丈に振舞って見せるリサの、その笑みがいくらか無理やりに浮かべられていることを。

 

「今日は無事にコンテストが終わった打ち上げみたいなものなんですから!」

「打ち上げ、ね……」

 

 口を開くのは、奥のソファに腰かけた紗夜である。腕を組んで、閉じられた瞼はどこか不満げだ。

 手前側のソファには、テーブルとテーブルの間を挟んで一哉とはす向かいになる格好で友希那が座っていた。

 

「聞こえはいいけれど、正直私も鳴海さんの意見に賛成です。わざわざいっしょにテーブルを囲まなくてもよかったのではないでしょうか?」

「だってさ、みんなで食べたほうが会話も弾むし、何より楽しいじゃん?」

「ですが」

 

 瞼が開き、緑色の瞳が向く先は一哉……ではなく、ORIONの面々だ。

 

「百歩譲って、野上さんはメンバーですから良しとしましょう。しかし『落ちた』私達と違って『受かった』彼らと同じ席というのは……どう気持ちを処理したらいいのか判りません」

 

 そう。

 それこそが、先のコンテストの結果だった。

 ORIONは、コンテストを二位という成績で通過した。

 だがRoseliaは、上位三位の枠に漏れたのだ。

 だから、

 

「そう言われると、ぶっちゃけ俺も肩身が狭いんだよな」

 

 ぽりぽりと頬を掻いて、そう呟く一哉は苦笑を浮かべるしかない。

 彼はフェスへの切符を手にしたORIONのリーダーであると同時に、切符に手が届かなかったRoseliaの一サポートメンバーでもある。ゆえに、どちらの立場でいればいいのか判らないのである。

 たしかにコンテストを通過するつもりではあったが、まさか本当にメイン・ステージに出られるとは思っていなかった。だがそれ以上に、一哉にとってはRoseliaが落ちた事実の方が驚愕だったのだ。

 いったい、なぜ?

 一哉でさえ気になるその理由を、彼女達が知りたがらないわけがなかった。

 

「講評、聞いたんだろ?」

 

 うん、とリサは頷いた。

 それから友希那に視線を投げて、彼女が小さくうなずいたのを確認してから、続ける。

 

「一言で言うとね、経験不足だって」

「経験不足?」

「うん。ほら、アタシ達って結成からそんなに日が経ってないじゃん?」

 

 たしかに、春先にメンバーが集まってから正式にバンドとして動き出すまで時間はかかったし、Roseliaとしての活動は始まったばかり。まだ二ヶ月と経っていないのだ。

 逆にORIONは、すでに結成してから一年近くが経過している。その経験の差が、今回の勝敗を分けたと言ってもいいだろう。

 

「審査員の人達からはけっこういいこと言ってもらったんだよ? いい演奏だった、実力も充分にある。って」

「だったら……」

 

 言いかける一哉の言葉は、

 

「でもね」

 

 やんわりと遮られた。

 

「だからこそ経験の浅さが引っかかったんだって」

 

 荒削りではあるが短期間でバンドとしてのグルーヴを磨き披露して見せた楽曲は、伸びしろがあり過ぎる、と言わしめるほどに審査員の心を()きつけた。

 ゆえに、彼らは賭けたというのだ。

 一年後……このジャンルの未来を担うに相応しいバンドとして成長したRoseliaに。

『入賞』ではなく、『優勝』という形で『FUTURE WORLD FES.』のメイン・ステージに立って欲しいから。

 

「落選はしたけどさ、すっごく認めてもらえてたし、アタシはそんなに悪くないんじゃないかなって思ってるよ」

 

 次々と運ばれてくる料理を眺めながら、リサの笑みは憑き物が落ちたように爽快だ。

 

「だから一哉も気にしちゃ駄目! 今回は落ちちゃったけど、また来年挑戦すればいいんだしさ!」

「リサ……」

「もー、辛気臭い顔しないの! さ、食べよ食べよっ!」

「そうだな」

 

 にやり、と笑みを浮かべて、鳴海が頷く。

 

「飯が冷める前に喰っちまうか」

「よーし、食べるぞー!」

 

 拳を突き上げる実里の手を、そっと隣の影山が下ろしてやる。

 それから全員で手を合わせ、いただきます、と唱和(しょうわ)した。

 

「……それでも、私は納得出来ません」

 

 紗夜が、むすっとした様子でナイフでチキンソテーを切り始めた。

 

「ジャンルを育てるためと言うのなら、なおさら私達をメイン・ステージに出すべきです」

 

 そうこぼす紗夜の不満に、切り分けたハンバーグを頬張ったあこが声をあげた。

 

「むぐ……たしかにすっごい悔しいけど、でも、それがどうでもよくなるくらい……あこ、楽しかった!」

 

 無邪気な笑みを浮かべて。

 そんな彼女の口元に、燐子が紙ナプキンを掴んだ手を伸ばす。

 

「あこちゃん、ちょっと動かないでね。ソースが付いちゃってる……」

「ん……、ありがとう、りんりん!」

「どういたしまして。……わたしも、あこちゃんといっしょだよ……。今までで一番、楽しかった……」

「あ、あなた達……」

 

 紗夜の顔に、困惑が浮かぶ。

 

「何のために練習してきたのか判ってるの?」

「うん、ちゃんと判ってるよ。でもさ、そういう紗夜も楽しかったでしょ?」

 

 リサの返事に、紗夜は言葉に詰まった。

 

「それは……まあ、ええ……」

 

 ちらり、と紗夜が視線を投げる相手は、友希那だ。

 

「……湊さんは、どうなんですか?」

 

 話を振られた友希那はちょうどエビフライを口に入れようとする寸前で、だから一度フォークを置いた後、そうね、と言った。

 見ると、何やらリサは笑みを浮かべている。

 にこにこと。

 

「正直、楽しくなかったと言えば嘘になるわ。今まであんなに、お父さんのために、って思ってたのに……。歌っている間、何も考えられなかったから……」

 

 その顔が、

 

「でも」

 

 付け加えられる言葉で、途端に崩れた。

 

「どんなに認められても、父が本当の意味で立てなかったステージで歌うその日までは、私は私を認められないわ」

「そっか……」

 

 なんとも情けない笑みに。

 それからこちらを向いて、リサが寄越してくるのは苦笑である。

 どうしろというのか。

 しかし。

 

「……同じですね、私と」

 

 ふいに呟いたのは、紗夜の方だった。弾かれたように、一哉とリサもそちらを振り返る。

 

「紗夜……?」

「湊さんのお父さんのように、私にも、逃げられない大きな存在がいる」

 

 それが誰のことを指しているのかは、何となく一哉にも察しがついた。

 

「どんなに距離を置きたくても、それは決して離れてくれない」

 

 当然ですよね、と紗夜は笑みを浮かべる。

 どこか自嘲めいた。

 

「それも含めて『私』なんですから」

 

 たとえ切り捨てたつもりでも、『過去』は決して消えることはない。どこかで帳尻を合わせて『現在』との折り合いをつけない限り、『過去』はいずれ『現在』の自分へと逆襲してくるのだ。

 氷川紗夜にとって、今この瞬間こそが、その帳尻を合わせるべき時なのである。

 

「だから私は、あなた達とともにバンドを続けたい。Roseliaで頂点を目指したいんです!」

「わ、わたしも……」

 

 燐子が、胸に手を当てて呟く。

 

「やっぱり……このみんなで、『FUTURE WORLD FES.』に出たいです……。それを目指してきた今までが……とても、楽しかったから……!」

「りんりんは次の衣装も考えてくれてるんだよね!」

 

 さらりと付け加えるあこに、しかし燐子の方は慌て気味だ。

 

「あ……あこちゃん、それはまだナイショって……」

「あっ!! ご、ごめん……」

 

 しゅん、となってしまう。

 その様子がおかしくて、つい一哉は吹き出してしまった。つられるようにリサや実里、それから鳴海が笑い始めて、少しばかり笑いの発作を収めるのに苦労した。

 目尻に溜まった涙を拭って、

 

「アタシも」

 

 リサが言う。

 

「まだ……もっとこのバンドをやりたい! だって、すっごーく楽しかったから! それに友希那に……紗夜にも、もっともっと『楽しい』って思ってもらいたいから……!」

「リサ……」

「今井さん……」

「はいはーい! あこもあこも!!」

 

 しゅばっ、と音をたてる勢いで、あこが片手を挙げた。

 

「あこもね、なんか今日……紗夜さんに言われた、自分だけのカッコイイ、ちょっとだけ掴めた気がして……」

 

 それは、一哉も何となく感じていたことだった。

 コンテストのステージで演奏するあこのドラムは、爆裂の勢いでバンド全体のサウンドを引っ張り上げていた。今までの練習ではどこか『可愛らしさ』を感じざるを得なかった一四歳の少女が、どうだ、これくらい屁でもないぜ。とでも言いたげに余裕の笑みを浮かべて演奏する様子は、初めて一哉があこのことを『格好イイ』と意識した瞬間だったのである。

 

「だけど……もっとガッチリ掴めたら、そしたら優勝出来るじゃないかって……そう思えたんです!」

「……ええ、そうね」

 

 友希那は頷いた。

 それから、

 

「期待しているわ」

 

 宇田川あこが友希那の言葉を完全に理解するまで、たっぷり三秒。

 歓喜の声をあげる最年少を、お店の中だからとリサと燐子が静まらせ、座らせる。

 

「ははっ。いいねえ、いいねえ」

 

 陽気な声は、鳴海だった。コーラで喉を鳴らして、その目はもはや保護者のそれである。

 

「ぶっちゃけどうなるかと思ったけど、その調子なら美味い飯喰えそうだな」

「当たり前です」

 

 友希那だ。

 

「私達は、いずれ頂点に立つバンドですから。たった一回落選したからと言って諦めるほど、私達の夢は脆くありませんから」

 

 そうね、と紗夜が続く。

 

「思うところは皆さまざまだけど、私達は来年もコンテストに出る。そして、必ず優勝する。その気持ちは、みんな同じようね」

 

 こくり、と四人の少女達が力強く頷いた。

 

「というわけで!」

 

 ばっ、とリサがこちらを振り返る。

 

「アタシ達の『反省会』はこれでおしまい! こっからは、一哉達の『お祝い』だよー!」

「え?」

 

 思わず、一哉が声を漏らしてしまう。

 無論、顔に浮かぶのは困惑である。

 

「お祝い? この流れで?」

「うん。だって、アタシそのために呼んだんだよ? 幼なじみの晴れ舞台だもん。せっかくの打ち上げなんだから、パーッとやろう!!」

「いや、晴れ舞台つったって……本番は来年だぞ?」

 

 それも、年度末の三月だ。まだ一〇ヶ月近くも先なのである。

 

「まあまあカズくん、細かいことは気にしない!」

 

 気がつけば、対面の実里がソフトドリンクの入ったプラスチックのコップを掲げていた。

 

「ここはリサの厚意に甘えようよ!」

「いや、でもなあ……」

「いいじゃねえかよ」

 

 鳴海が、コーラを持つのとは反対の腕を一哉の肩に回す。

 

「リサちゃんもああ言ってるんだしさ」

「けど、友希那とかが……」

 

 ……何か言わないか、と言おうとした。

 言えなかった。

 他ならぬ友希那本人に、先回りされたからだ。

 

「あら、私はかまわないわよ」

 

 わずかに微笑んで。

 

「それとこれとは話が別だもの」

 

 言いながら、友希那がコップを手にとる。紗夜も、それに続いた。

 

「友希那……」

「新曲、よかったわ」

 

 真っ直ぐにこちらを見つめる友希那の、その言葉はいつだったかライヴで新曲を初披露した時に言われたセリフだ。

 そして、

 

「おめでとう、一哉」

 

 それで、決まりだった。

 

 

 リサの乾杯の音頭で始まったORIONの祝賀会は、それからさらに一時間ばかり続いた。

 

 

 店を出た時、都会とは思えないほどに澄んだ空に瞬く星々が、九人を照らした。




 これにて『バンドストーリー第一章』部分は完結。


 ここからは二~三本ほど短編を書こうかなと思ってます。
 まだ一行だって書いちゃいねえけど(笑)。
 でもだいたいの構想は、着々とオツムの中で出来上がってきております。

 二章は、とりあえず今現在では『未定』とだけ。
 でも、『もしかしたら』とは言い添えておきます。
 まだまだ一哉をはじめORIONの面々には色々と頑張ってもらいたいしね。
 特に今回、作劇上の都合であまりスポットが当てられなかったキャラ……というかあまり喋ってないキャラ(影山とか影山とか影山とか)にも、何か出番を与えたいなあ、なんて考えてみたり。名前の通りほとんどカゲ(影・陰)になってたしね。
 せっかく衣装が山吹色なんだし、山吹の彼女との絡みを持たせてみるか?


『やりたいこと』を挙げたらキリがないね。
 まあ、それが『BanG Dream!』シリーズの魅力でもあるんだけれども。


 そんなわけで、次回はまた間が空くと思いますが、更新された時はぜひ見てやってください。


 では、また。


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短編
SPACE LAST:前編


 お待たせしました。
 これから数回に分けて『SPACE編』を投稿していく予定です。


       

 

 

 神田川に架かる江戸川(えどがわ)(ばし)の名は、かつて河川の一部の区間が『江戸川』と呼ばれていたことに由来する。

 後に地下鉄の駅が作られ、その駅名に橋の名称がそのまま使われたことで、付近一帯を総称して『江戸川橋』と呼ばれるようになった。

 

 江戸川楽器もまた、神田川以前の江戸川からその店名をとっているという。

 ギターやベースはもちろん、ドラムやキーボード、さらにはメンテナンス用の小物まで、たいていのものは手に入る品揃えの良さが店のウリだ。

 三階には練習スタジオも完備していて、下の階で買ったばかりの機材を試すことも出来る。

 だが一哉(かずや)がその店を気に入っている理由は、何よりも学割の適用範囲が広い点だった。

 

「はい、まいど~」

 

 そう言って、カウンターに立つ鵜沢(うざわ)リィがトレーに乗せられたお金を手際よくレジスターに収める。

 それから大きなハードケースの把手(とって)を掴むと、ごとん、とレジ脇のカウンターに置いた。

 続いて、数枚の紙幣と小銭がトレーに乗せられて、こちらへ寄越(よこ)される。

 

「じゃあこれ、お釣りね。あとレシートも、はい」

「どうも」

 

 釣り銭を財布に仕舞って、一哉はカウンターのハードケースを手にとる。

 

「買っちゃったねえ」

 

 にんまりと笑みを浮かべて言うのは、目の前の鵜沢だ。

 

「買っちゃいましたねえ」

 

 応える一哉の方も、ほくほく顔である。

 

 購入したのは、国産アコースティック・ギター・メーカーの老舗、ヤイリから出ているCE-2F。その中古品だ。

 以前、鵜沢の(すす)めで試奏させてもらったモデルである。

 聞くところによると、この店に入荷してからは最低限のメンテナンスしかしていないのだという。フレットの損傷はもちろん、ネックの反りも買い取りの時点でほとんどなかったというのだ。

 かつての所有者は、よほどこの楽器を愛していたのだろう。

 ともあれ、そんなガット・ギターを、ようやく購入するにいたったわけだ。

 

「これで、そっちの新曲の方はだいぶ進展する感じ?」

「ええ。おかげさまで、今、アイデアがばんばん浮かんできてますよ」

 

 ORION(オリオン)の『FUTURE WORLD FES.(フューチャー・ワールド・フェス)』への出場決定のニュースは、ある意味一哉にとっては事件だった。

 おかげで学校ではちょっとした人気者になったし、いつも世話になっているAXIS(アクシズ)のオーナーには祝言と激励の言葉をもらったりもした。

 コンテストの打ち上げがあった翌日の今井(いまい)家の夕食では一哉の好物であるハンバーグが振る舞われ、(しら)せを受けた友希那(ゆきな)の父には、おめでとう、と言ってもらえた。

 かつての師にそんな言葉を投げられて、嬉しくないわけがなかった。だからその時は、すぐ近くに友希那がいたにもかかわらず、わんわん泣いてしまった。

 

 そんなこんなで、コンテストが明けてから二週間が経とうとしていた。

 六月も半ばに入り、少しばかり陽射しが暑く感じるようになってくるころである。

 

「そうは言っても、アルバム二枚分でしょ? 何と言うか……よくやるよねえ」

 

 鵜沢の言うのは、現在ORIONが抱えている問題……と言うより課題のことである。

 五月の終わりだか六月の初めだか……詳細な日付は忘れたが、ふと鳴海がこう言ったのだ。

 よし。この夏、アルバム作ろうぜ。

 無論、自主製作で、だ。

 レコーディングは、バンドの強化合宿も兼ねて八月の終わりごろを予定している。場所はすでに鳴海が手配してくれているそうで、だから一哉達はレコーディングに向けた楽曲制作に追われているのである。

 全部が全部新曲、というわけではないが、それでも必要となる書き下ろしの曲数はゆうにフタケタを超えている。

 当然レコーディングまでにはバンドとしてのアンサンブルも完成させなければならないため、これからの約二ヶ月は、長いようで短い期間であると言えよう。

 

「まあ、何も全部俺が書くわけじゃないですからね」

 

 一哉はそう言って、肩をすくめて見せる。

 

「何曲かは、メンバーにも書いてもらってます。もちろん、言い出しっぺの鳴海さんにもね」

「鳴海さんかあ……」

 

 デベコを抱きながら、彼女は目線だけを天井に向ける。

 

「あの人ばっかりは、どんな曲書くのか予想つかないなあ」

「ほ~。そりゃまた、なぜ?」

「だって、ORIONでの鳴海さんのスタイルってさ……こう言ったら失礼かも知れないけど、良くも悪くも個性的じゃない?」

「あー……まあ、たしかに」

 

 苦笑である。

 

「俺もまだ譜面もらったわけじゃないんで、正直どんな変化球が飛んでくるか判らないんですよ」

「大変でしょ」

「大変ですね」

「例えばさ。前にCiRCLE(サークル)()った時の曲って、野上くんが書いたの?」

「そうですね。一曲めは実里と共作しましたけど」

 

『CYBER ZONE』のことだ。

 

「だから野上くんに関しては、何となく掴める気がしなくもないんだけど……やっぱり鳴海さんはさっぱりだ」

「それで言うと、実里もそうなりません?」

 

 一哉の問いに、しかし鵜沢は首を振った。

 

「みのりんは……ほら、私達もそこそこ付き合い長いからさ」

「ああ、SPACE(スペース)で?」

「そーゆーこと」

 

 思い出したように、そう言えば、と鵜沢が付け加える。

 

「今日のライヴは、野上くんも来るんでしょ?」

「そのつもりです。後で友希那達と合流してから行こうかと」

 

 Glitter*Green(グリッター・グリーン)からRoselia(ロゼリア)とのジョイント・ライヴの誘いを受けたのは、コンテストが終わってすぐのことだった。

 きっかけは、やはりCiRCLE(サークル)でのデビュー・ライヴを目の当たりにしたことだったらしい。

 Roseliaにしても、先のコンテストの結果を受けて積極的にライヴ・イベントに出演しようと話がまとまったタイミングだったので、当然このオファーを受けることにした。

 しかし、

 

「でも残念だなあ。Roseliaの野上くんが見れないなんて」

 

 そう言って肩を落とす鵜沢は、心の底から残念そうだ。

 

「まあ、こればっかりは、ね」

 

 コンテスト準優勝を果たしたORIONは現在、あらゆるライヴ・ハウスからイベントへのオファーがかかっている。

 メンバーのSNSアカウントにダイレクト・メッセージがくることもあれば、どこで聞きつけたのか練習スタジオまでスタッフが直接やって来たこともあった。

 学生が本分である以上、一哉達が受けられるオファーには限りがある。

 だが実際のところ、平日は普段の学校があることを差し引いても、夏休みに入るまでの週末はほとんどスケジュールが埋まるくらいには、今のORIONは多忙なのだ。当然、Roseliaの練習に参加出来る頻度も減ることになる。

 かと言って、Roseliaのサポートは辞めたくない、というのが一哉の希望である。

 そこで、よく行くファミレスでRoseliaとORIONによる緊急のミーティングが行われることとなった。

 一哉を含めた六人体制のRoseliaはCiRCLEのステージのみ……その決断に至るまで、そう時間はかからなかった。

 

「ORIONで出ればいいのに」

 

 鵜沢の提案に、しかし一哉は首を振る。

 

「『ガールズ・バンドの聖地』でしょ? 演者で出るのは、ちょっと敷居が高いと言うか……」

「たしかにそうだけど、オーディションを受けてオーナーが納得すれば、SPACEのステージには立てるよ」

「そうなんですか?」

「うん。CiRCLEといっしょだよ」

「いっしょ?」

「ガールズ・バンドのために作られはしたけど、男子禁制じゃないってこと。割合は少ないけど、男性のお客さんだってSPACEには来るしね」

 

 だから、と鵜沢は言った。

 にんまりとした笑みで。

 

「機会があればでいいからさ、一回、オーディション受けてみない? あそこのPA、マジで凄いんだから」

「……機会があれば、ですけどね」

「お、言ったね? 私ちゃんと聞いたからね、今の言葉」

「はいはい」

 

 がちゃり、とドアを開く音が聞こえたのは、その時だ。

 

「あ、いらっしゃい!」

 

 反応する鵜沢に、一哉も振り返った。

 店の入り口に、水色のセーラー服に身を包んだ五人の少女達が立っている。そのうち三人はタテに長いソフトケースを背負っていて、おそらくその中にはギターなりベースなりが入っているのだろう。

 

「こんにちは!」

 

 声をあげたのは、赤い星の形をした髪留めをした少女だった。(てのひら)をぷるぷると振って見せる彼女に、その時初めて、一哉は一行が鵜沢と同じ制服であることに気がついた。

 花咲川(はなさきがわ)の生徒なのだ。

 おまけに、バンドマンでもある。

 

「おー、今日はまたお揃いで」

「よろしくお願いします!」

 

 鵜沢に、星の少女の隣に立ったポニーテールの少女が笑みを浮かべて応える。

 

「好きに見てていいからね」

 

 バイト少女の言葉に、はい、と全員が返事をして、そのまま店の奥の方へと歩いて行った。

 

「じゃあ、俺も行きます」

 

 少女達の背中が陳列棚の奥に見えなくなってから、一哉は正面の鵜沢に向き直った。

 そして立てた親指を、二階へと続く階段の方を差す。

 

「うちのメンバーも、そろそろ待ちくたびれてると思うんで」

「あ、うん。それがいいかもね」

 

 一哉の用があるのは、ギターの購入だけではない。

 三階にあるスタジオで、ORIONの練習の予定を組んでいたのだ。

 すでにメンバーはスタジオ入りしていて、だから後は買い物を済ませた一哉を待っているのである。

 

「みのりん達には言ってあるけど、利用時間、二時間だからね」

 

 今が午後二時だから、四時まで使えることになる。

 

「判りました。それじゃあ、また後で」

 

 そう言って、一哉は階段へと歩いて行く。

 二階へ上がる時、通路に置かれた電子ドラムに釘付けになる少女達の姿が見えた。

 

 

 

 タイトなリズムに乗って、ギターとシンセ・ブラスがラストをキメる。

 実里(みのり)は上段に積んだキーボードに載せた譜面を手に取って、椅子に腰を降ろす。

 そして漏れるのは、溜め息だ。

 

「うん、なかなかいいんじゃねえの?」

 

 組んだ両手を天井に向かって伸ばしながら言うのは、鳴海(なるみ)である。今日はオーソドックスな五弦ベースを肩にかけている。

 

「おニューの楽器も、さっそく大活躍みたいだしな」

 

 それから彼が笑みを投げて見せる先は、フロントのリーダーだ。

 スタジオには入り口から見て左側の壁一面に大きな鏡があり、横幅よりも奥行きのある構造になってる。そのため、実里達はほとんどライヴと同じセッティングで、鏡と向き合うように練習していた。

 一時間ほど週末のライヴのリハーサルを済ませて、残りの時間で書き上がった新曲のうちのいくつかの音合わせをしていたのだ。

 その中の一曲が、つまり、さっき一哉が下の楽器店で買ったというガットギターをメインに据えたものだったのだ。

 

「まあ、この曲はもとからそのつもりで書いてましたからね」

 

 タオルで軽く汗を拭いてから、一哉が応える。壁の時計を見ると、まだ時間まで一五分ほど余裕があった。

 

影山(かげやま)はどう思うよ?」

 

 そう問いかける鳴海に、ドラムセットに収まった小柄な少年は苦笑を浮かべる。座り直した椅子の後ろには、彼の行きつけだというパン屋の紙袋が通学鞄といっしょになって置かれていた。

 

「相変わらず、パターンが難しいです」

 

 ドラムの、である。

 

「……それだけ?」

「……今のところは」

 

 ORIONのドラマーは、口数が少ない。

 

「でも、けっこう印象変わるよねー」

 

 譜面を畳みながら、実里は声をあげる。

 一哉が、こちらを振り返った。

 ナイロン弦の張られたギターといっしょに。

 

「なにが」

「いつもエレキの音に慣れてたからさ。こうやってアコースティックな音が入ってくると、なんかちょっと新鮮」

「あ、実里。それ違う」

 

 言いながら、一哉の手がひらひらと振られる。

 

「ん?」

「こいつ、アコースティックじゃないから」

 

 こいつ、というのは、今、彼が肩にかけたギターのことだ。

 

「……どゆこと? エレアコじゃないの?」

「違うんだなあ、これが」

 

 途端に、一哉の笑みが得意げなものに変わる。

 

「エレクトリックでアコースティックなものって、ないわけ。だって矛盾してるだろ?」

 

 つまり、こういうことらしい。

 そもそもアコースティックの定義とは、電気機器を使わない、楽器本来の響きのみで奏でる楽器のことを差す。この場合、アコースティック・ピアノなどが、これに(あた)る。ギターに当て嵌めれば、フォーク・ギターやクラシック・ギターである。

 ところが、一哉が使っているギターは、そうではないという。

 ボディの中に、ピック・アップとプリ・アンプが搭載されているのだ。

 

「エレクトリック・ナイロンストリングス・ギター……縮めて、エレナイくんとでも呼んでくれたまえ」

「……それ、もしかしてMCで私が言わなきゃ駄目?」

「それは任せる。でもエレアコって言われたら泣く」

「えー、めんどくさぁい」

「出たよ、ガミの細かいところ」

 

 鳴海である。いつもの八弦ベースに持ち替えながら、その顔には苦笑がある。

 

「だったら、ミス・エレナイ、とかの方がいいんじゃねーの? エレナイちゃんだよ、エレナイちゃん」

「まあ、とにかくさ」

 

 脱ぐようにストラップから腕と頭を出して、一哉はガット・ギターのネックを左手に掴んだ。

 

「この曲に関しては、あとは各自練習、って形でいいかな?」

「うん!」

「はい」

「あいよ」

 

 全員が返事を返してから、

 

「ああ、そうだガミ」

 

 思い出したように、鳴海が付け加えた。

 

「ちょっとお前さんに渡すものがあるんだった」

「渡すもの?」

「おう。ええと、ちょいと待ってくれな……」

 

 ごそごそと、ベーシストが探るのは足元のディパックである。

 

「お、あったあった」

 

 そして中から一枚の紙を取り出すと、一哉のほうに歩いて行って、ほい、とそのまま彼に手渡した。

 実里の位置からは、紙に何が書かれているのかは判らない。

 だが渡された紙に目を落とした一哉の言葉で、だいたいの事情は呑み込めた。

 

「なんですか、これ?……ベース・ソロ?」

 

 だから、

 

「それってもしかして、ナルルンの新曲?」

 

 鳴海よりも先回りすることにした。

 

「おっ、実里ビンゴ!」

 

 嬉しそうに、鳴海がこちらへサムズ・アップして見せる。

 そして一哉の肩に手を乗せると、にいっ、と笑った。

 

「とりあえず思いついたベース・パターンでフレーズ作ったから、後はガミ、よろしくな」

「へっ!? よろしく、って……まさか残り全部ですか!?」

「おう。メロディーもアレンジも、全部だ」

 

 鏡に映った一哉の顔が、判りやすいくらいに目を()いた。

 

「お前さんなら、後は書けるだろ?」

「うそぉん……」

 

 にしし、と鷲鼻のベーシストは得意げである。

 見ると、ドラム・セットに収まった小柄な影山も、微笑を浮かべている。

 

「そんなぁあ」

 

 だはあ、と一哉が肩を落とした、まさにその時だ。

 携帯のヴァイブレーションが鳴ったのである。

 

「あ。ごめん、私だ」

 

 断ってから、鞄に突っ込んであった携帯を手に取る。

 画面を()けると、そこには見慣れた相手からのメッセージが届いていた。

 

凛々子(りりこ)さん……?」

 

 バイト先の先輩である。

 

<りりこさん:ごめんなさい。今、大丈夫?>

<りりこさん:(たすけて)>

 

 パスワードを入力して、アプリを起動する。

 チャット画面には、さきほどのメッセージと、それからデフォルメされた動物がぽろぽろ泣きながら『たすけて』というスタンプが送られてきていた。

 急いで返信する。

 

<実里:大丈夫ですけど、何かありました?>

 

 すぐに既読がついて、間髪(かんはつ)入れずに返信がきた。

 

<りりこさん:SPACEのスタッフが、インフルで次々倒れて困っています>

<りりこさん:たえちゃんの方は連絡がついたんだけど、それ以外が全滅で……>

<りりこさん:だからお休みのところ悪いんだけど、臨時で手伝ってもらえないかな?>

 

 え?

 インフル?

 インフルエンザ!?

 夏なのに!?

 

(うそ)ぉ!?」

 

 思わず声に出してしまって、だから一哉がキーボードごしにこちらを覗いてきた。

 

「なに、どうした?」

「SPACEのスタッフが、インフルエンザで倒れて困ってるって」

 

 応えて、一連のやり取りがされた画面を一哉に見せる。

 

「……マジ?」

「マジだよ」

 

 画面を見た一哉の顔が、一気に青ざめた。

 

「……今日のライヴ、どうなる……?」

「あ……!」

 

 そうなのだ。

 人がいないということは、すなわち店の準備から何やらをこなす人員がいないということなのだ。

 つまり、スタッフが全滅している以上、最悪の場合、今日のライヴじたいが『飛ぶ』可能性だってあるのである!

 

「実里と、それからガミよ」

 

 鳴海である。

 

「お前ら今日の練習は切り上げてよ、SPACEの方、行ってこいや」

「えっ!? ナルルン、いいの?」

 

 おう、と鷲鼻のベーシストは頷いた。

 

「俺ぁこれからレコーディングの仕事が一本入ってるから、そっちにゃ行けねぇけどな。ピンチなんだろ? だったら行ってきな」

「ナルルン……」

「鳴海さん……」

「ああ、そうそう。もちろん自分の荷物くらいは片づけてけよ?」

「……実里」

 

 言いながら、すでに一哉はギターをケースに仕舞い始めている。いつものエレキと新入りのガット、二本それぞれをだ。

 

「うん」

 

 応える実里も、畳んだ譜面をファイルに挟んで、鞄に仕舞う。

 

「行かないと」

「だな」

 

 超特急で片づけて、実里と一哉は江戸川楽器店を飛び出した。

 

 

 

       

 

 

 ライヴ・ハウスSPACE(スペース)がオープンしたのは、ちょうどバンドブームの真っ只中だったころだ。

 ロックバンド『ミラキュラス・スカーレット』のメンバーだったギタリストが、ライヴハウスは怖くて危なそう、というイメージを払拭するために立ち上げたのが、そもそもの始まりだった。

 ガールズ・バンドのためのライヴハウスなのである。

 ライヴに出演する条件は、ただ一つ。

 店の(あるじ)が審査するオーディションに合格すること。

 オープン当初はそうではなかったらしいが、少なくとも今の運営形態は、そうである。

 以降、三〇有余年(ゆうよねん)

 SPACEが歩んできた歴史は、SPACEから巣立っていったバンド少女達の歴史であるとも言えた。『ガールズ・バンドの聖地』と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 

「ああ」

 

 SPACEのラウンジに辿り着いた実里達を、しわがれた声が迎えた。

 

「来たね」

 

 それから実里の隣に立つ一哉を見るなり、やれやれ、とばかりに溜め息をつく。

 

「まったく、あんたもかい……」

 

 年配の女性である。

 短い髪の毛はほとんどが白くなり、かろうじて前髪の一束だけがムラサキに染められている。

 腰こそ曲がってはいないが、手にした黒檀(こくたん)(つえ)なしでは歩くことも不自由なようだ。だがその瞳だけは、ぎらぎらと異様なまでの光を放っている。

 その目に、あからさまな呆れがあるように見えるのは、気のせいだろうか。

 

「なんでピンピンしてる奴を呼ぶと、関係ない(もん)もいっしょに来ンのかね」

 

 気のせいではなさそうだ。

 実里は、ぽりぽりと頬を()いて苦笑する。

 それから、口を開いた。

 

「バンド練してる時に凛々子さんから連絡が来て……。それで、気づいたらいっしょに来ちゃいました」

 

 実里の言葉を受けるように、一哉が一歩、前へ出る。

 

「野上一哉です。今日Glitter*Greenとジョイント・ライヴをやるRoseliaのサポート・メンバーをやってます」

「Roseliaの……? でもあんた、今日の出演者じゃないね?」

「はい。だから今日は裏方でサポートに回るつもりだったんですが……」

 

 言いながら、ちらり、と一哉がこちらに視線を投げて来る。

 だから実里は、後を引き継いだ。

 

「人、足りてないんですよね? 私達も手伝います!」

「ああ、そのことなんだけどね……」

 

 老婆がそう言った時だ。

 

「オーナー、着替え終わりました」

 

 ぽやん、とした少女の声が、ロビーから更衣室へと繋がる廊下から聞こえてきた。

 こつこつと足音を鳴らして、奥から出てくるのは、水色のポロシャツを着た長い黒髪の少女である。SPACEのスタッフとしての、それはユニフォームだ。

 

「あ……たえちゃん」

 

 声をあげる実里に、向こうも、こちらに気づいたらしい。

 

「実里さん、来てたんですね」

「もしかして、そっちも凛々子さんから?」

「はい。呼ばれました」

 

 花園(はなぞの)たえ、実里のバイト仲間だ。

 直後、

 

「おたえ、待ってよ~」

 

 明朗な声とともに、廊下の奥からぞろぞろと複数の人影が出てきた。

 四人の少女である。

 ボブやツインテールにポニーテール、それから……ネコの耳のように尖った不思議な髪形をした少女達だ。

 ネコ耳の少女とツインテールの少女には、実里にも見覚えがあった。春先に何度か観客としてSPACEに来ていたのを見たからだ。

 声をあげていたのは、ネコ耳の方だった。

 

「どう? SPACEのユニフォームだよ~」

「いいじゃん」

「ほんと!?」

「うん。香澄(かすみ)、けっこう似合ってる」

 

 たえの言葉に、香澄、と呼ばれた少女が弾けんばかりの笑顔を浮かべる。

 

「えへへ」

 

 笑みに細められた少女の目が、そのまま滑るようにこちらを向いた。

 

「……あ!」

 

 そして、声をあげた。

 指差す先は実里の隣に立つ、一哉である。

 

「あ……」

 

 一方で、一哉もまた、声をあげた。

 それから、

 

「楽器店にいたお兄さん!」

「さっきの楽器店の子!」

 

 二人が同時に声をあげる。

 

「あ、本当だ」

 

 香澄の背後から、ひょこり、とまた別の少女が顔を出した。ポニーテールの少女だ。

 面倒見の良さそうな雰囲気で、会釈を寄越してくる。

 

「こんにちは!」

 

 片手を挙げる香澄の挨拶に、

 

「こ、こんにちは」

 

 一哉も応じる。

 

「なに、知り合いだったの?」

 

 実里は訊ねた。

 

「いや、さっき楽器店で顔合わせただけ。ほら、練習前にエレナイ買ったろ? その時に」

「ああ」

 

 なるほど。あの時か。

 

「とにかく、だ」

 

 オーナーである。

 

「見てのとおり、今日だけこの子達に手伝ってもらうことになったからね。とりあえず八谷(やたがい)は着替えてきな」

「は、はい!」

「それから、野上だっけ? あんた、服のサイズは?」

「あー……XL、ですけど」

「じゃあやっぱりナシだね。うちにはあんたに合うサイズのユニフォームがない」

「え? じゃ、じゃあ俺はどうすれば……?」

「心配しなくても、ライヴはやるよ。客が待ってるからね」

 

 SPACEのオーナー、都築詩船(つづきしふね)は、笑みを浮かべた。

 唇の端を片方だけ吊り上げる、それは器用な笑みだ。

 

「あんたは予定どおりRoseliaのサポートに専念しな。店の準備は、こっちの仕事だ」

 

 ごめんなさいね、と背中を押される形で一哉が凛々子にSPACEから追い出されるまで、三〇秒もかからなかった。

 

 

 

 着替え終えた実里は、まずオーナーの指示で四人の助っ人の面倒を見ることになった。

 無論、たえといっしょに、である。

 仕事に入る前に、お互いに簡単な自己紹介を済ませた。そこで判ったのは、たえを含めた五人ともが同じ学校で、しかも同級生だということだった。

 それから仕事に取り掛かるのだが、開店までに必要な作業は、いくつかある。

 まずラウンジ内の拭き掃除。これはテーブルや椅子、それから受付カウンターや外からの光を取り入れる窓などだ。

 それから床や店先のコンクリートの地面の掃き掃除。

 それが済んだら、臨時の助っ人ということもあってドリンク・カウンターの接客のレクチャーもした。その割にはポニーテールの沙綾(さあや)の手慣れた動作に感心していると、沙綾ちゃんの実家がパン屋なんです、とボブカットのりみが教えてくれた。

 ツインテールの有咲(ありさ)がどこかよそよそしい態度だったのは、単純に彼女自身が人見知りということもあったようだ。驚きだったのは、彼女が昔通っていたというミュージック・スクールが実里と同じだったことだ。

 実際のところ、それまでの仕事を通して、実里の目には五人の仲がとてもいいように見えた。

 同時に、既視感も憶えた。

 その正体を探ろうと記憶の中を漁っているうちに、ふいに気がついたのだ。

 似てるんだ。

 私達と。

 ……ORIONと。

 具体的に、何がどう似ているのかまでは判らない。しかし彼女達が醸し出している雰囲気そのものに、何か近しいものを感じていたのである。

 だからなのか、

 

「そっか」

 

 作業中、たえが話してくれたことにも、すぐに納得がいった。

 

「じゃあみんなでバンド組んでるんだ」

 

 SPACEのステージ裏、事務室である。

 小ぢんまりとした部屋で、部屋の中央にデスクが置いてあり、その上にパソコン・モニターが一つある。あとはロッカーが部屋の隅にぽつんとあって、あとは壁に月毎(つきごと)のスケジュールが書き込まれたホワイト・ボードがあるだけだ。

 実里はその入り口に立って、真ん中で左右に割れた布製の幕の間から顔だけを覗かせていた。

 

「はい。Poppin'Party(ポッピン・パーティー)ってバンドです」

 

 応えるたえは、クリップで留められたいくつかの書類をデスクに置く。

 

「じゃあポピパだね」

「えっ? なんでその呼び方知ってるんですか?」

「……フィーリング?」

「すごーい」

 

 相変わらず独特の間で言いまわすたえに、実里も苦笑する。いつものカチューシャは外して、彼女もまた、長い髪を後ろで束ねていた。

 

「どう、バンドは?」

「凄く楽しいですよ」

「よかった」

「そう言えば、実里さんもバンドやってるんですよね?」

「うん、そだよ。カズくんとね」

「カズくん?」

「ほら、さっき私といっしょにいた」

「ああ、楽器店のお兄さん」

「なんかもうそれで定着してるんだね」

 

 別に彼は楽器店の店員というわけじゃないのだけれど。

 

「バンドの名前って何なんですか?」

ORION(オリオン)。星座のオリオン座から」

「ORION……香澄が喜びそうな名前だ……」

「そうなの?」

「はい。キラキラドキドキが、うちのリーダーのモットーなので」

「……やっぱり似てるね、私達と」

「何がですか?」

「カズくんもね、音楽でワクワクドキドキするのがモットーなの」

「ワクワクドキドキ……キラキラドキドキ……」

 

 その二つを口にしてから、たえはこちらに向き直った。

 笑みで。

 

「うん、たしかに似てますね」

「だしょ~? やっぱり、ポピパの目標ってSPACEになるの?」

「一応そのつもりです。香澄がどうしてもここでやりたいって」

「へえ~」

「実里さんのバンドはSPACEでやらないんですか?」

 

 たえの問いに、少し考える素振りを見せてから、

 

「機会があればね」

 

 実里はそう答えた。

 

「いつかやれたらいいなとは思ってるけど、でもORIONってほら、ガールズ・バンドじゃないじゃん? だから中々言い出せなくってさ」

 

 オーナーにも、そしてリーダーである一哉にも。

 でも、と実里は付け加える。

 

「時間はまだまだあるわけだし、そう焦らなくてもいっかなー、って」

「そうなんですね」

「うん。ゆっくりじっくり、やってこうって感じかな」

 

 その時だ。

 

「……あれ?」

 

 ふいに、向かって左側の壁にかけられたホワイト・ボードに目が留まった。

 顔だけ覗かせていた実里は、完全に部屋に入った。

 ボードに歩み寄った実里は、そこに書かれたスケジュール表を見る。

 今日の日付には、RoseliaとGlitter*Greenのジョイント・ライヴが。

 それ以前は勿論、それ以降の日付にもびっしりといろんなバンドのライヴ・スケジュールが書き込まれている。

 それが、

 

「……なに、これ」

「実里さん、どうかしました?」

「たえちゃん、これ……」

 

 振り返ることもなく、実里はスケジュール表の一点を指で差す。

 近寄ったたえが、あ、と小さく声を漏らす。

 本来ならば、それはあり得ないことだった。

 だからこそ、二人は違和感を憶えたのだ。

 

「変ですね」

「うん、変だ」

 

 伸ばした人差し指が示すのは、七月二〇日(はつか)

 その日以降、SPACEのスケジュール表には何も書かれてはいなかった。



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SPACE LAST:中編

「えー!? じゃあ結局、何もすることなく追い出されちゃったんだ?」

 

 大袈裟なリアクションを返すのは、隣を歩くリサだ。

 

「しかし、オーナーの配慮には感謝ですね。五人編成でのライヴには慣れてきましたが、それでも野上さんのサポートがあるのとないのとでは、ライヴの完成度が大きく変わりますから」

「野上さん……元気、出してください……」

「そーですよ一哉さん! そんなに落ち込んじゃ駄目です!」

 

 紗夜(さよ)に続いて、燐子や最年少のあこにまで慰められてしまった。

 

「……そんなに(へこ)んでるように見えるか?」

 

 やっとのことで絞り出したその言葉に、

 

「そうね」

 

 即答したのは、(りん)、とした涼やかな声である。

 傍らを歩く銀髪の少女。

 (みなと)友希那(ゆきな)だ。

 

「少なくとも、見ているこちらが気になるくらいには」

「マジかあ」

 

 そう言う幼なじみに、一哉としては苦笑で返すしかない。

 SPACEへ向かう道中である。

 あの後、特に行くあてもなかった一哉は、その足で友希那達があらかじめ待ち合わせ場所にしていた都電の駅に向かった。

 もともと一哉も同行する予定だったために何の問題もなかったのだが、それでもある種()らない子扱いされたことが(こた)えたのか、道中もその心持ちは穏やかではなかった。

 そして、Roseliaの中にはそういったことに敏感なメンバーがいる。

 言わずもがな、リサである。

 当然、そこを突っ込まれた。

 突っ込まれてしまったら、話すしかない。

 だから今、こうなっているというわけだ。

 すなわち、なんやかんやで少女に慰められる少年の図、である。

 

「とは言え、夏にインフルエンザとは大変ですね」

「だよねー」

 

 そう言う紗夜に、リサが応える。

 

「でも、実里がいるって聞いたら、少し安心しちゃった」

「安心?」

 

 一哉は顔を上げて、リサの方を向く。

 

「うん。初めての場所だし、スタッフ側に顔なじみがいるのって結構心強いじゃん?」

「ああ、たしかに」

 

 それは判る。

 

「いい意味で緊張が(ほぐ)れてくれたら、よりアタシ達の音楽がお客さんに伝わりやすくなると思うんだー」

 

 ヒマワリのような笑みで、彼女はそう言った。

 だから一哉も、頷きで返す。

 

「そうだな」

「ありがとね、一哉」

「なにが?」

「アタシ達のライヴが予定どおり()れるように、動いてくれたんでしょ?」

「ああ、まあ、そうだな」

「だから、ありがと」

「……おう」

 

 やがて目的のSPACEに辿り着き、六人は建物の中へと入る。

 途端に、ドアの閉じられたステージの方から音楽が漏れ聞こえてきた。

 

「いらっしゃい」

 

 迎えてくれたのは、さっき一哉をここから押し出してくれた張本人である。

 よろしくお願いします、という友希那達の挨拶を受けてから、彼女はこちらに向き直る。

 さっきはごめんね、とばかりに両手を拝み合わせてきた。見事なウィンク付きで、だ。 

 

「今、どんな感じなんですか?」

「ちょうどグリグリがリハーサル中だから、もう少し待ってもらえるかな?」

「判りました」

 

 頷いて、一哉は友希那達を振り返る。

 

「じゃあリハが終わったタイミングでいいから、紗夜さんとリサは俺ンとこに楽器持って来てくれるか? 本番までに弦、張り替えちまうから」

「え、いいの?」

「交換じたいは自分ので慣れてるし、今日はほとんど裏方みたいなもんだからな。それぐらいやらせてくれよ」

「そういうことでしたら、よろしくお願いします」

「うん。じゃ、その時は任せたよ」

「はいよ。任された」

 

 その後Roseliaのリハーサルとライヴ本番を見学した一哉は、PAが凄い、という鵜沢の言葉が誇張でも何でもなかったことを思い知らされた。

 

 

 

       

 

 

 結論から言えば、ジョイント・ライヴは大成功に終わった。

 集まった観客も大いに沸いたし、ステージでパフォーマンスする双方のバンドが実力を充分に発揮出来たのが、何よりの証拠だろう。

 Glitter*Greenのボーカル・牛込(うしごめ)ゆりも、自身の妹がスタッフとして参加していたこともあってか、この前のCiRCLEでのライヴ以上に伸び伸びと歌っている印象を受けた。

 Roseliaは本番中にちょっとしたハプニングが起きたらしいが、持ち前の対応力でもって事なきを得た。

 その全てを、実里はPA卓から観ていた。

 ステージから放たれる迫力も、観客の熱気も、全て。

 やっぱり、と実里は思う。

 SPACEって、いい。

 出演者とお客さんが一体になる、あの感じ。

 私もいつか、あのステージで()れたら。

 そう思っていた。

 

「やりきった、と思う者は?」

 

 フロアの中央に置かれたパイプ椅子に座る都築(つづき)オーナーの、それはほとんど呟きである。

 だがその声は、防音扉の閉められた会場の閉塞感の中で、耳障りなくらいに反響した。

 ステージに立つ少女達から、息を呑む音が聞こえた。

 オーディションである。

 無論、次のSPACEのライヴに出演するための。

 実里は凛々子(りりこ)とともにPA卓に立って、同僚のオーディションの様子を見守っていたのだ。

 そう。

 今ステージに立っているのは、花園たえと、その友人達なのである。

Poppin'Party(ポッピン・パーティー)』だ。

 

 実際のところ、演奏の出来としては、まあまあ、というのが実里の感想だった。

 それなりの練習は積んできたのだろう。個々人の演奏じたいは、緊張によるミスを度外視しても相応の実力が見受けられた。

 しかしこれが『バンド』となった時、果たしていい方向に影響が出るかは、また別問題なのである。

 事実、さきほどの演奏はリズムが乱れているように感じられた。

 曲の、ではない。

 メンバーそれぞれのリズム感のことである。

 それはバンド活動をするうえで、初めにすり合わせなければならないことの一つだ。

 ギターとベースのリズム感が……あるいはドラムとキーボードのリズム感が違えば、それは決して『良い演奏』にはなり得ないからだ。

 ORIONも結成当初、バンドとしてのリズム感をある一定のレベルで一致させるための練習を繰り返していた時期があった。四分(しぶ)音符、八分(はちぶ)ウラ、付点八分休符後の一六分(じゅうろくぶ)ウラ、そして一六分休符後のウラを、それぞれ一定のリズムに合わせて手を叩くトレーニングだ。

 休符を意識した演奏を、とは鳴海の言葉だったろうか。

 いずれにせよ、おかげでリズムの『喰い(アンティシペーション)』が多いORIONの楽曲も、今ではほとんど無意識に演奏することが出来るようになった。

 だが今の『Poppin'Party』には、それがまだ欠けているように聞こえた。

 実里でさえそう感じるということは、当然、オーナーが気づいていないはずがない。

 そしてそれは、どうやらステージに立つ彼女達も同じようだった。たえも紗綾もりみも有咲も、とても今の自分の演奏に納得しているようには見えない。

 やりきった、そう断言出来ないでいるのだ。

 ただ、

 

「はいっ!」

 

 その中で一人だけ、威勢のいい返事とともに挙手する者がいた。

 ステージの中央で星の形に似た真っ赤なギターを下げる少女、戸山香澄である。

 何とも自信たっぷりに手を挙げて見せるその姿に、果たしてオーナーはどう思ったのだろうか。

 かすかに、笑ったように息を吐くのが聞こえたような気がした。

 だが、

 

「駄目だ」

 

 それは残酷な宣告だった。

 

「うちのステージに立たせるわけにはいかない」

 

 だが、香澄も退かなかった。

 

「また受けます!」

 

 マイクによって増幅された彼女の声は、ステージの左右に積まれたスピーカーから放たれる。

 

「いっぱい練習して、何回でも挑戦します!」

「何回でも、ねえ……」

 

 オーナーの言葉に寂しげな色が感じられたのは、気のせいだろうか。

 

「ま、頑張りな」

「はいッ!」

「あの、オーナー」

 

 たえだ。香澄の隣で、彼女は青いギターを下げている。

 ネックを持つ手が、わずかに震えているように見えた。

 実里もまた、垂らした手が無意識のうちに拳を握っていた。

 

「この間スケジュール表見たんですけど」

 

 ジョイント・ライヴ当日に事務室で見た、あのホワイト・ボードのことだ。

 そう。

 それもまた、実里が気になっていたことの一つだった。

 

「七月の後半から、全部真っ白で……」

「……え?」

 

 きょとん、と香澄が呆けた声を漏らす。

 そして少女達の視線が、一人の老婆に集まった。

 不安と、

 そして疑問である。

 

「花園には、まだ言ってなかったね」

 

 それから、と都築(つづき)オーナーは肩ごしに背後を振り返る。

 PA卓に収まった実里を。

 

八谷(やたがい)、あんたにも」

 

 そしてもう一度ステージに立つ五人の少女に向き直ると、ぼそり、と言った。

 

「SPACEを閉めるよ」

 

 静寂。

 それを破るように、たえは問いかけた。

 

「どうして、ですか……?」

「私はもう、やりきった。それだけさね」

「そんな……」

 

 思わず漏らした呟きに、オーナーがこちらを振り返る。

 

「黙ってたのは悪かった。でも、これはもう決めたことなんだ。閉めるまではしっかり頼むよ、二人とも」

 

 Poppin'Partyがステージを後にすると、しばらくして次のバンドがステージに上がる。

 オーディション。

 結果。

 退場。

 入場。

 オーディション。

 結果。

 退場。

 その繰り返し。

 慣れた仕事。

 でも、ちっともバンドの演奏が頭に入ってこない。

 駄目なのに。

 今は、ちゃんと仕事しなくちゃいけないのに。

 でも。

 どうしたらいいの?

 私はどうしたらいいの?

 何をどうしたら、私は『やりきれる』の!?

 ぐるぐる、ぐるぐると、思考が渦を巻いてゆく。

 最後のバンドが終わってシフトからアガるまで、オーナーの言葉が頭から離れなかった。

 

 

 

       

 

 

「実里の様子がおかしい?」

 

 平日の学校終わりにCiRCLEでのRoseliaの練習に参加していた一哉は、休憩に入るとともに二人のメンバーに相談を持ちかけられていた。

 

「そうなんだよ!」

 

 リサと、

 

「そうなんです!」

 

 あこからだ。

 

「最近ちょっと元気がないみたいでさ。廊下ですれ違う時とか、心ここにあらず、って感じなんだよね~」

「部活の日とかも、どこか遠くを見てるみたいで……」

 

 そして二人は、口を揃えて言うのである。

 

「何か知らない?」

「何か知りませんか!?」

 

 ぐい、と詰め寄ってくる二人に対して考えるそぶりを見せてから、

 

「ないなあ」

 

 一哉の、それが答えである。

 

「練習の時も普段とあんまし変わんないし」

「そんなはずないです!」

「絶対何かあるって! あんな実里、初めて見たもん!」

「いや、そう言われてもなあ」

 

 実際のところ、一哉としてもそう応えるしかない。

 事実、ORIONの練習で顔を合わせる実里の様子に、特に目立つ変化が見受けられなかったからだ。

 せいぜいが、このところ口数が減ったな、と感じるくらいである。ライヴでよく喋る実里から想像すればたしかにそれも『違和感』なのかも知れないが、考え事があるならば多少なりとも口数は減るだろう。

 それが何についてなのかは、さすがに判らないが。

 だがリサ達が見たという実里の様子は、たしかにおかしいとは思う。

 

「そう言えば」

 

 友希那だ。水を飲んで、ペットボトルのキャップを閉めながら。

 

「休み時間に何か書いていたわね」

「実里が? ……そう言えば、今あいつとクラス同じなんだっけか」

 

 羽丘(はねおか)女子学園の、二年B組である。

 

「ええ。覗きはしなかったけど、でも何をしているかは想像がつくわ」

「マジっ!?」

「ほんとですか、友希那さん!」

 

 さっきまで一哉に喰いついていた二人が、今度は背後の銀髪の少女の方を振り向いた。

 その気迫に、さすがの友希那も多少気圧されてしまったらしい。一度咳払いをしてから、銀髪の少女は言った。

 

「彼女、曲を書いてるわ」

「曲?」

 

 訊き返すリサに、友希那は頷いた。

 そして彼女の視線が向くのは、一哉である。

 

「あなたなら思い当たる節があるんじゃない?」

「曲、か……」

 

 その話を聞いて、一つだけ、心当たりがある。

 むしろ考えられることとすれば、その一つしかない。

 

「……もしかして、アルバム用の新曲を書いてるのか、あいつ……?」

「アルバム、って……一哉達が作ろうとしてる?」

「ああ。さすがに俺だけで曲作るのは骨が折れるってんで、鳴海さんや実里にも曲を書いてもらうことになってたんだけど、あいつからはまだ譜面もらってなかったんだよ」

 

 言いながら、一哉は足元のリュックから分厚いファイルを取り出した。

 

「別に秘密でも何でもないから見せるけど、今アガッてるのだけでも、ざっとこんな感じだな」

 

 次々と床に広げられてゆく譜面に、Roseliaの面々が顔を覗き込ませる。

 

「もともと進めてたのも含めて、俺のが四曲。で、こっちのが鳴海さんの一曲だな。まだ予定の半分にも届いちゃいない」

「この倍以上って……相変わらず、とてつもない量ね」

「野上さんの創作意欲には脱帽しますね……」

「全部……新曲、なんですか……?」

「黒いのと白いのがいっぱい……あこ、全然判んないよぅ」

「一哉、これ本当に全部録るの?」

「録るよ」

 

 即答である。

 

「まあ、それに加えてライヴが立て込んでるから、キツいことには変わりないんだけど」

「うわぁ……想像しただけで大変そうだね。……あ、そうそう。それで思い出した」

 

 一哉が持ってきた譜面を両手に持って、ふいにリサがそう言った。

 

「一哉さ、来月の二〇日(はつか)って空いてる?」

「七月の? ちょっとまって」

 

 言いながら、手元の携帯でカレンダーアプリを開く。特に何も書かれてはいない。

 

「空いてるけど、思いっきし平日じゃん。何かあり?」

「アタシ達、その日ライヴに出ようかなって思ってるんだ」

「ほう。別にいいと思うけど、どこで?」

「SPACEよ」

 

 一哉の問いに、応えるのは友希那である。

 

「またオーディションを受ける必要があるけど、それまでにベストなパフォーマンスが出来るように」

「どうやら、来月にSPACEが閉店するらしいの。だからその最後のライヴへ」

「……なに?」

 

 思わず、一哉は友希那を見上げた。

 

「閉店?」

「知らないの?」

「いや。そんな話、聞いてないぞ。だいたい、それだったら一番に実里が……」

 

 ……言ってきそうなもんだけど、と言いかけて、一哉ははっとした。

 もしかして。

 

「……あ」

「ひょっとして……」

 

 リサ……そしてあこも、どうやら理解したらしい。

 ライヴハウスSPACEの閉店。

 それにともなう実里の異変。

 間違いない。

 

「それだな」

 

 一哉は頷いた。

 

 

 

 八谷(やたがい)実里(みのり)にとって、音楽とは彼女自身を形成するものの一つであると言える。

 

 初めて楽器に触れたのは三歳のころだった。親の勧めで通い始めたミュージック・スクールの、ピアノ科である。

 二年ほど経ったある日、テレビで流れていた曲を何となく鍵盤で合わせてみたら完全に一致した。それが絶対音感であることを、実里は後になって知った。

 この音を出したい、と思ったら、きちんと出したい音を奏でられるようになっていたのだ。

 楽しい、と思った。

 けれど同時に、物足りない、と思うようにもなった。

 何を弾いても、鳴る音はピアノの音一つだけ。それが物足りなく感じてしまったのだ。

 退屈だったわけではない。課題曲は弾き甲斐があるものだったし、どれも素晴らしい楽曲だった。

 だが、それだけだ。

 

 小学校に進級して少ししたころ、スクールの講師がこう言った。

 実里ちゃん、エレクトーンに興味ある?

 かくしてエレクトーン科へ転科した実里は、自分の世界が一気に広がる感覚を憶えた。

 表現したい音色(おんしょく)を、ボタン一つで切り換えて演奏する。

 演奏するのは一つの楽器なのに、その機械の中には無数の音色が眠っている。

 その事実が、何よりも実里を高揚させた。

 次はどんな音色(ねいろ)を弾こうかな?

 どんな音を使ったらもっと楽しくなるかな?

 そうやって試行錯誤することじたいが楽しくて、もっともっと、音楽が好きになった。

 中学に上がってダンス部に入ったのも、今度は『(からだ)で音楽を表現したい』と思うようになったからだった。

 毎日が音楽で充実していた。

 

 高校へ進学すると同時に、ライヴハウスでアルバイトも始めた。

 初めは、ちょっとした興味からだった。

 同じ楽器でも、奏者が違えばその音色(ねいろ)は十人十色だ。自分にはない何かを持っているだろう『誰か』の演奏を目で観て、耳で聴いて、肌で感じることで、自分にフィードバック出来ないものかと履歴書を持ってやって来たのである。

 全てが新鮮だった。

 ステージに上がるバンドの一つ一つが、自分達の音楽を……自分達だけの音楽を楽器にのせて、歌声にのせてライヴハウスに解き放つ姿が、とても眩しく見えた。

 いつか自分もあのステージに立てたら……そう思うまでに、そう時間はかからなかった。

 

 そして、それから間もなく。

 実里は、今井(いまい)リサの紹介で野上一哉と出逢った。

 そして彼の作り出す『音楽の世界観』に魅せられ、惹かれた。

 キーボーディストを探している、と彼は言った。

 だから実里は、その場で言ったのだ。

 私、やるよ。

 彼の楽曲を自分の音色で奏でたらどうなるのだろう?

 そう思ったら、自身の意思よりも先に口が動いていた。

 私でよかったら、キミのバンド、入るよ。

 その選択は(あやま)りではなかったと、今なら断言出来る。

 ORIONに入って、間違いなく実里の音楽性は磨かれた。

 演奏技術も、スクールに通っていたころに比べれば見違えるほどに上達した。

 一哉ほどではないが、曲も書き下ろすようになった。

 今なら昔以上に『自分』を表現出来る、そう言い切れるだけの自信が、いつの間にか身に着いていたのだ。

 

 だから、と実里は思う。

 だから今なら、立てるんじゃないの?

 立ちたいって、言ってもいいんじゃないの?

 カズくんに。

 ORIONのみんなに。

 でも、言葉でうまく伝えられる自信は、ない。

 だったら。

 作成したデータを、パソコンに繋いだ携帯に保存する。

 きちんと中身が入ったことを確認してから、実里は携帯を繋いでいるコードをパソコンから引っこ抜いた。

 パソコンのモニターには、右下に小さく今日の日付と現在の時刻が表示されている。

 午前三時。

 いつもならとっくに寝ている時間だが、どうやら気づかないうちにこんな時間まで作業していたらしい。

 二週間ばかりこんな生活サイクルだったが、それもとりあえず一区切りだ。

 あとはこれを、カズくんに渡すだけ。

 そして言うんだ。

 私の気持ちを。

 私が出した答えを。

 後悔しないために。

 

 

 

       

 

 

「みんな、今日は急に集まってもらってごめんね」

 

 七月初旬。

 週末から期末テストが始まろうというタイミングで、実里は放課後のORIONのメンバーへ招集をかけた。

 集合場所は、CiRCLEのカフェ・テラス。その中の一つのテーブルを囲うように、四人はそれぞれ座っていた。

 鳴海だけが柄シャツの私服で、残りの三人はそれぞれの学校の制服のままで。

 

「ナルルンも、今日はお仕事なんでしょ?」

「そうだけど、入りが遅いから問題ナシ。気にすんな」

「ありがと」

「で?」

 

 一哉である。オーダーしたカフェ・ラテを一口飲んで、ソーサーに戻す彼の上唇(うわくちびる)には立派な泡髭(あわひげ)が付いていた。

 

「話って?」

「その前に、カズくん」

「ん?」

「泡、付いちゃってるよ」

「ああ、こりゃどうも」

 

 慌てて、取り出したティッシュで口元を拭う。

 それから、彼はもう一度繰り返した。

 

「……で、話って?」

「そのことなんだけどね」

 

 言いながら、実里は携帯を取り出す。

 そして目的の画面を表示させると、テーブルの中央に置いて見せた。

 

「聞いて欲しい曲があるの」

「曲?」

 

 驚いたように声をあげる鳴海に、実里は頷きで応える。

 

「うん。ようやく、デモが出来たの」

「アルバム用のか? それなら今度の練習の時でもいいのに」

 

 だが、

 

「ううん」

 

 今度は頷かなかった。

 

「今じゃないと駄目なんだよ」

 

 揃えた膝の上に乗せた両手が、無意識に拳を作る。

 

「今、みんなに聞いて欲しいの」

「……判った」

 

 そう言って、一哉はポケットからイヤホンを取り出して、プラグをジャックに挿し込む。

 

「周りに迷惑かかると悪いから、一人ずつ聴いてこうか」

「んじゃ、ガミの次はオイラだな」

「……じゃあ、最後は僕で」

「うん。お願い」

「ええと……、この『ラスト・チャンス』ってので合ってるか?」

「うん。名前の方はまだ固まりきってなくて、とりあえず仮ってことで」

「ま、とりあえず聴いてみないことには始まらないか」

 

 そして、一哉は再生ボタンをタップした。

 デモとは言っても、アレンジから何までほとんど打ち込み終えた音源である。

 三分半弱。

 フル・コーラスのデモを聴き終えた一哉はイヤホンを外すと、ふう、と息を一つついた。

 それから鳴海がイヤホンを取って、耳に突っ込んだ。

 三分半弱。

 最後に影山が実里の携帯を取って、再生ボタンを押した。

 

「……どう、かな?」

 

 全員が聴き終えたところで、たまらず実里は声をあげる。

 自分でもびっくりするくらい小さな声で。

 

「どうって言われてもなあ……」

 

 口髭を撫でながら、口を開くのは鳴海だ。

 

「まあ正直、意外っちゃ意外だったな」

「そ、そう?」

「おうよ。実里のことだから、もっと爽やかな感じで来ると思ってたぜ」

「八谷さんのキャラクターからは、あまり想像出来ないタイプの曲ですね」

 

 オレンジ・ジュースをストローでちびちびと飲んで、影山も頷いた。

 

「でも、好きなタイプです。こういう曲は」

「影ちゃん……」

「実里」

 

 一哉だ。

 

「デモん中のギターがクリーンなのは、そういうオーダーってことでいいのか?」

「え? あ、うん。曲調的に、これは(ひず)んでない方がいいかなあって打ち込んでた」

「そっか」

「でね……」

 

 そう。

 ここからが、本題なのだ。

 

「実は、その……出たいライヴが、あるんだ」

「ライヴ?」

「うん。忙しいのは判ってるんだけど、それでもどうしても出たいの」

 

 そうだ。

 言わなくちゃ。

 私の気持ち。

 八谷実里は唾を飲み込んだ。

 

「SPACEのライヴに出たいの!」

 

 ああ。

 言っちゃった。

 

 

 

       

 

 

 SPACEのドアが開かれたのは、西日に照らされた空が茜色に染まったころ、詩船(しふね)がカウンターで次のライヴの進行表の束をまとめていた時だった。

 詩船は手元に落としていた視線を上げて、入口の方を振り返る。

 

「来たね」

 

 来ていた。

 オーディションに臨もうとする若者が。

 だが、

 

「……なに?」

 

 ロビーに立つバンドを見た途端、詩船はたるんだ(まぶた)をわずかに見開かせた。

 予想していた人物と違っていたからだ。

 短期間にオーディションを受けては落ちてを繰り返していた、あの五人の少女達ではない。

 小柄な少年、

 口髭を生やした鷲鼻の青年、

 ギター・ケースを手にした長身の少年……。

 三人の男子を従えた、それは一人の少女だったのだ。

 

「オーナー。お話があります」

 

 真っ赤なカチューシャを付けた、それはSPACEのアルバイトである。

 

「八谷か。こんな時間にどうしたんだい?」

 

 言いながら、しかし詩船は何となく想像がついていた。

 今日はSPACEを閉める前の、最期のオーディション日だからだ。

 そのタイミングで……しかも楽器を背負ってやって来たということは、もはや答えは一つしかあるまい。

 八谷実里は一歩、前へ出ると、見事な九〇度で腰を折る。

 

「お願いします!」

 

 そして、言った。

 

「私に……私達のバンドに、ここのオーディションを受けさせてください!!」

 

 声を張り上げて。

 

「私達、ガールズバンドじゃないけど……でも、ここで一年ちょっと働いてきて、ライヴしてる人達を見てると、すッごい楽しそうで! だからっ!」

 

 矢継ぎ早に、次から次へと言葉が飛び出して来る。

 

「……だから、私、どうしてもここでライヴしたいんです! カズくん達と……バンドのみんなといっしょに、SPACEのステージに立ちたいんです!!」

 

 突然、顔を上げる実里の、その頬が涙で濡れていた。

 

「そうじゃないと……私、やりきったって言えないから!」

「実里ちゃん……」

 

 声を漏らすのは、隅のテーブルに着いているゆりだ。彼女だけでなく、『Glitter*Green』のメンバーが勢ぞろいで、ステージの映像が中継されるモニターがよく見える位置に座っているのである。

 

「だからオーナー、お願いします! オーディション受けさせてください!」

「お願いします!」

 

 以前『Glitter*Green』と『Roselia』のジョイントライヴの時に顔を出していた野上が、続くように頭を下げた。

 そして鷲鼻の青年と小柄な少年も、静かに頭を下げる。

 

「やめとくれ」

 

 それが耐えられなくて、詩船は声をあげた。

 

「私ゃ頭下げられるのが好きじゃないんだよ」

 

 そして目の前の少女に、詩船は顔の前の虫でも追い払うみたいに、手を振った。

 

「そんなことしなくても、オーディションぐらい、見てやるさ」

「……え?」

 

 涙声で、実里が訊き返す。

 だから、

 

「もっとも」

 

 詩船は付け加えた。

 

「受かるかどうかは、実際にあんた達の演奏を聴いてみるまでは判らないがね」

 

 それから、

 

凛々子(りりこ)

 

 ドリンクカウンターに立つスタッフに声をかける。

 

「はい」

「オーディションの準備。あいつらが来るより先に、こっちを見るよ」

「判りました」

 

 応えて、凛々子は廊下の奥へと消えて行く。

 背後で、ぐすっ、と(はな)をすする音が聞こえた。

 振り向いた詩船に向かって、

 

「オーナー!」

 

 激突の勢いで実里が抱きついて来る。

 

「わっと!? ……ったく、泣くんじゃないよ。あんたはオーディションを受ける、私はオーディションを見る。それだけのことだろ?」

「だって、だって……!」

 

 それから詩船は、呆然と立ち尽くす三人の男子へ目をやる。

 

「ほら。あんたらも黙って見てないで、早くこの子連れて支度しな!」

「は、はいっ!」

 

 すぐさま三人は、実里の両脇を抱えて奥の控室へと移動してゆく。

 その背中を見送る詩船の唇には、自然な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 超絶技巧派バンド。

 牛込(うしごめ)ゆりは、ORIONのことをそう評価していた。

 CiRCLEで初めてそのステージを見た、あの瞬間から。

 

「前に、ちょっと声かけてみたんだよね」

 

 デベコを抱きしめながら、リィが呟く。

 

「オーディション受けてみない、ってさ」

「そうだったの?」

 

 驚いたように声をあげるのは、編み込みに眼鏡の七菜(ななな)だ。

 

「てっきり実里ちゃんが言い出したんだと思ったんだけど」

「どっちでもいーじゃーん!!」

 

 元気いっぱいに、ひなこがそう言う。

 

「誰の提案かなんて、些細なことに過ぎないの、さッ!」

 

 彼女のテンションが高いのは、今に始まったことではない。

 

「あ、出て来た」

 

 舞台袖から出てくる実里達の姿をモニターごしに見つけて、ゆりは声をあげた。

 その時だ。

 がちゃり、と入口のドアが開いた。

 振り向いたゆりの視線の先にいたのは、思ったとおりの人物達だった。

 

「りみ」

「お姉ちゃん?」

 

 妹と、その仲間達である。

 五人の少女。

『Poppin'Party』だ。

 誰もがその表情を固め、唇を引き結んでいる。そんな中で、姉の存在に気づいたりみが、我に返ったようにきょろきょろと周りを見回した。

 

「あの……、オーナーは?」

「ステージ。オーディションするところ」

「オーディション? どんなバンドなの?」

「実里ちゃん達のバンド」

「実里さんの?」

 

 喰いついたように、たえが声をあげた。

 

「実里さんが、オーディション受けに来てるんですか?」

「うん。見る?」

「見ます!」

 

 誰よりも早く応えたのは、香澄だった。いつも以上に気合が入っているように見える。

 それから空いているテーブルに着いて、全員でモニターを見上げる格好になった。

 ステージに、四人が立っている。青いドラム・セットには小柄な少年が座り、カミソデに近い方にベーシストが、反対側の壁際にキーボーディストが立っている。ギターはステージ中央だ。

 カメラは天井からのアングルで、フロアの中央で椅子に座るオーナーとステージに立つバンドがいっぺんに見えるようになっている。実際のライヴになれば、これがバンドと観客の図になるわけだ。

 ロビーからでも、ライヴの盛り上がりっぷりを観れるようになっているのである。

 

「……あ」

 

 フロントに立つギタリストが構えた楽器を見て、リィが声をあげた。

 

「どうしたの?」

「あれ、ガットが欲しい、って言って、うちの店で買ってくれたギターだよ」

「へえ」

「ガット?」

 

 香澄だ。頭に『ハテナ』マークでも浮かんでいそうな顔で、彼女は隣のたえに声をかけた。

 

「おたえ、ガットって何?」

「クラシック・ギターの一つで、ナイロン弦が張ってあるもののこと」

「ゆが……じゃないや、ひずむ?」

「基本的には歪まないけど、あったかい音が出るよ」

「そうなんだ~。……あれ? お兄さんのところ、マイクないよ? 何で?」

「実里さんのバンド、インストなんだって」

「インスト?」

「歌のない、楽器だけの演奏で曲を演奏するの」

「へー! そういうのもあるんだね!!」

「……あ。香澄ちゃん、おたえちゃん、始まるよ」

 

 りみの言うとおりだった。

 画面の中で、オーナーが口を開いたのだ。

 準備が出来たら、いつでも始めな。

 それに応えるように、唯一マイクスタンドが置いてあるキーボードに立った実里が、マイクを通して自己紹介をした。

 

「ORIONです。よろしくお願いします!」

 

 中央に立ったギターがドラムを振り返ると、その奥のドラマーがスティックを打ち合わせる。

 フォー・カウント。

 そして始まる演奏。

 だが。

 出だしの音を聴いたその瞬間から、ゆりは確信していた。

 いける。

 いけるよ。

 キミ達なら。

 だって、これだけ音楽に真っ直ぐに向き合っているんだもの。

 

 

 

 ORIONは、ライヴ・ハウスSPACEの最終公演への出演を掴み取った。




 次回、『SPACE LAST』、開演。


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SPACE LAST:後編

       

 

 

 実際のところ、不安がなかったと言えば嘘になる。

 中学校も三年生に進級してほどなく、友達と組んでいたバンドがメンバーの受験勉強による忙しさで活動が困難になってしまった。

 だが志望校も固まっていない彼女にとって、バンドが続けられないという事実は精神的にかなり(こた)えた。

 進路のために勉強が必要なのは判る。

 だが漠然とした将来へ向ける勉強になかなかモチベーションが上がらないことも、また悩みの種だった。

 バンドをとるか、

 受験をとるか。

 だからと言って、朝から高速バスで四時間かけて上京したことに後悔はない。

『聖地』と呼ばれる場所が、今日をもって閉店してしまうからだ。

 それでも時おり、ちくり、と胸が痛むのは、きっと親にナイショで来てしまったことに対する罪悪感に違いない。

 でも、きっと大丈夫。

 友達にはちゃんと口裏を合わせてもらっているし、目的を済ませたらまた四時間かけて地元へ帰るつもりだ。そのためのチケットも、ちゃんと買ってある。

 中学生の(ふところ)事情的に、かなりの出費であることには変わりないけれど。

 

 バスターミナルから眺める新宿の街は、何もかもが新鮮だった。

 緑豊かな地元の田園風景とは程遠い、林立する背の高いビルはどれも窮屈そうだ。

 バスターミナルと新宿駅を隔てる道路は六車線と信じられないくらいに広いのに、通り過ぎて行く車はまるで何かに急かされているようにみんな速度を出している。

 それに、吸い込む空気もどこか濁っているような気がする。

 何よりも彼女が目を奪われたのは、行き交う人の数だ。

 多い。

 多過ぎる。

 あまりの人通りの多さに呆然と立ち尽くしていたら、危うく正面から向かってくるおしゃれな女性とぶつかりそうになってしまった。

 慌てて避けてから、通行の邪魔にならない位置に移動する。

 エスカレーターの脇まで動いてから、ほっと一息ついた。

 これが、と六花(ろっか)は思う。

 東京なんだ。

 携帯を確認する。

 七月二〇日。

 時刻は、午後一時を少し回ったところ。

 予定の時刻まで、あと三時間ほど。

 目的地までの移動を計算に入れても、昼食を()るくらいの時間はありそうだ。

 よし。

 行こう。

 

 

 

「ここが、ガールズ・バンドの聖地……!」

 

 そう呟いて、朝日(あさひ)六花は黒縁眼鏡を指で押し上げる。

 もう片方の手には、チケットを握りしめて。

『SPACE』と看板の掲げられたライヴ・ハウスの前には、すでにたくさんの人が集まっていた。

 六花と同じくらいの年代の子もいれば、大学生くらいの若者もいる。

 ほとんどが、女性客である。

 中には子連れの親子もいるが、その中にちらほらと男性客も見受けられるのは、きっとガールズ・バンド人気だけが理由ではないだろう。

 大勢の客の合間を縫って、扉の脇に置かれたブラック・ボードの前に立つ。

 そこには、本日のラスト・ライヴを盛り上げる出演バンドが一覧になって書き込まれていた。

 

Glitter*Green(グリッター・グリーン)』、

CHiSPA(チスパ)』、

Poppin'Party(ポッピン・パーティ)』、

Roselia(ロゼリア)』、

 

 そして、

 

「『ORION(オリオン)』……」

 

 一番下に書かれたバンドの名を、六花は読み上げる。

 六花が初めてORIONを知ったのは、動画サイトにアップロードされたとある動画を観たことだった。

CROSSOVER JAM(クロスオーバー・ジャム)』……昨年末に開催された総合音楽フェスの模様を収めたものだ。

 メンバーの大半が男性の、インストゥルメンタル・バンド。

 そんなバンドが今日、『ガールズバンドの聖地』たるSPACEのラストステージに立つのだ。

 順不同、と書かれているから、どのバンドがどの順番で登場するのかは六花には判らない。だがグリグリやRoseliaといったさまざまなバンドが出演する今日のライヴは、きっと忘れられない日になるだろう。

 

 受付でチケットを提示すると、入場したことを表すスタンプが押された半券とドリンク引換券が手渡された。

 人の流れに押し潰されてしまうのが怖くて、しばらくはラウンジで時間を潰していた。開場はしても開演までは三〇分ほど時間があったからだ。

 ドリンク・カウンターで交換したアップルジュースを飲み干してから、六花はおそるおそるフロアの方へと歩を進めた。

 会場はすでに満員に近く、だから六花はほとんどステージの後方からライヴを観ることになりそうだ。

 

 やがて客席の照明が、ゆっくりと光量を落としてゆく。

 続いて会場に流れていた背景音楽が徐々にその音量を絞ってゆく。

 残るのは暗闇になった客席と、そして期待に満ちた観客のざわめきだけだ。

 次の瞬間、緑色のライトとともにそれが歓声になる。

 四人人の少女達が、舞台上手からステージの上に姿を現したのだ。

 全員が、揃いの緑を基調としたノースリーブの衣装を着ている。

 白いギターを引っさげて、センターに立つ少女がスタンドに付けられたマイクを握った。

 

「SPACE! 遊ぶ準備は出来てますかー?」

 

 拍手。

 歓声。

 

「オッケー! 行くよー!!」

 

 それに応えるように、ギターのアルペジオから演奏が開始される。

『SPACE LAST』。

 最初のバンドは、Glitter*Green(グリッター・グリーン)のステージからだ。

 

 

 

 SPACE常連のグリグリ、それから『二度めまして』なRoseliaのステージが終わると、初出演のバンドが続いた。

 CHiSPAと、Poppin'Party。

 とくにPoppin'Partyが披露した『夢みるSunflowerサン・フラワー』や『前へススメ!』といった楽曲は、バンドにかける想いや未来へ向けた覚悟などが歌詞から感じられて、六花には彼女達がとても輝いて見えた。

 

「ありがとうございましたー! 私達、Poppin'Partyです!!」

 

 ステージのツラに出て、横並びになった五人の少女達が弾けんばかりの笑顔を咲かせる。

 そして、中央の香澄が宣言した。

 

「絶対、またライヴやります!!」

 

 万雷の拍手を背中に受けて、Poppin'Partyはステージを後にする。

 客電と控えめなBGMが復活して、上手から数人のスタッフが姿を現した。ポピパの機材と次のバンドの機材を入れ替える作業に入ったのだ。

 六花は客席を見回した。

 スタンディングの観客の中に、出番を終えたバンドメンバーの姿が見受けられることに、初めて気がついた。

 その中に、六花が注目しているバンドの姿は、ない。

 当然だ。まだ彼らの出番は終わっていないのだから。

 

「楽しかったね、香澄ちゃん」

「うん! りみりんもお疲れ様!」

「どうしよう沙綾(さあや)。私達の出番、終わっちゃった」

「ほんと、あっという間だったよね」

 

 しばらくして、背後からPoppin'Partyの面々が談笑しながらフロアにやって来るのが判った。

 

「他の客もいるんだから、はしゃぎ過ぎるなよ?」

「判ってるよ有咲(ありさ)~!」

「お前のこと言ってんだよ!」

 

 ……なんだろう。すぐ後ろにPoppin'Partyのメンバーがいる、ということを認識した途端、妙にそわそわする気がする。

 でも振り向いて、ライヴよかったです、と言えるだけの勇気は、まだ六花にはなかった。

 ステージに視線を向けると、すでにスタッフの姿は見えない。据え置きの青いドラム・セットを除いて、どうやら機材の転換が済んだようだった。

 ステージ中央にはギター・スタンドが二つ並んでいて、エレキ・ギターとクラシック・ギターがそれぞれに立てかけられている。

 下手側にはこちらに背面を向けたキーボードが縦に二台積まれ、サイドにはもう一台のキーボードが設置されている。その配置は、言うなればアルファベットの『L』だ。

 舞台の袖に近い上手側には、ベース用の機材が置かれている。

 

 徐々に軽快なBGMが小さくなってゆく。

 入れ違うように、SPACEに押し寄せた大勢の観客のざわめきが大きくなる。

 徐々に客電が落とされてゆき、入れ違うようにステージの照明が灯された。

 舞台上手から姿を現す四人の少年少女の姿に、どう、と歓声が沸き上がる。

 六花もその一人で、彼らを温かい拍手で迎える。

 きた。

 ついに、きた。

 彼らが。

 ORIONが。

 

 夏の暑さを考慮してか、白い衣装に身を包んだギターを除く三人は、それぞれに柄が異なる五分袖のハワイアン・シャツを着ている。男子陣は黒のスラックスのようだが、紅一点の少女はデニムのパンツだ。

 各々が定位置に着いたのを確認してから、唯一マイク・スタンドが置かれているキーボードに立つ少女がマイクを握った。

 

「SPACEのみんな、初めまして! ORIONで~す!!」

 

 ギターとベースのセッティングの合間を繋ぐ、自己紹介を兼ねたMCである。

 

「簡単に私の方からメンバー紹介させてください。オン・ドラムス、影山大樹(たいき)!」

 

 青いドラムセットの奥で、小柄な少年が片手を挙げて応える。彼が二代目らしい。

 

「オン・ベース、鳴海奏太!」

 

 構えるベースは、動画で見たとおりの八弦だ。

 

「オン・ギター&リーダー、野上一哉!」

 

 脚を閉じ、左腕を広げつつ右手を胸に添える、それは『ボウ・アンド・スクレープ』と呼ばれる西洋のお辞儀だ。

 

「最後にMC&キーボードの、八谷実里です!」

 

 そんな少女の自己紹介に、あちこちから彼女の名を呼ぶ声があがる。それはSPACEでのステージが初とは思えないほどの馴染みっぷりだ。

 

「少ない時間ですが精一杯演奏したいと思いますので、最後まで楽しんでってください!!」

 

 拍手。

 歓声。

 

「さてさて、それでは早速最初のコーナーにいってみたいと思います! 私達、もう結成して一年以上経つんですけど、これまで本当にたくさんの楽曲を披露してきました。そんな私達の『これまでの歩み』を知ってもらおうということで、今夜はその中から選りすぐった珠玉のメドレーをお聞きいただきたいと思います!」

 

 そこで言葉を切って、実里はメンバーの顔を見まわす。

 準備が出来たか確認しているらしい。

 リーダーの頷きを見てから、少女は宣言する。

 

「軽快なリズム! 爽快なメロディ! 痛快なキメ! 豪快なトゥッティ! 『スリル・スピード・テクニック』が揃った、その名も『SPACE SPECIAL MEDLEY(スペース・スペシャル・メドレー)』! まずはこの曲からお聞きください、『EYES OF THE MINDアイズ・オブ・ザ・マインド』!」

 

 ワン、

 ツー、

 スリッ!

 ベースのイントロで幕を開けたORIONのメドレーは、すぐさまファットなシンセ・リードがメロディーをとる。

 どっしりと腰の据わったドラミングはタイトかつパワフルで、あの小柄な体躯のどこにそんな力があるのか見当もつかない。

 ピックを使わずチョッパー・スタイルで奏でられるベースも、多弦ベースの課題とも言えるミュートのし辛さを難なくクリアしており、プレイヤーの力量の高さをうかがわせた。

 サビからAメロへ戻る前のブリッジでは実里のリズミカルなピアノ・ソロがフィーチャーされ、バックではベーシストが傍らのティンバレスを軽快に叩きあげる。

 何より、六花の目が奪われたのは伸びやかに歌い上げる一哉のギターだ。ソロに入るなり徐々に音数を増やしてゆき、しまいにはスウィープ奏法まで駆使して演奏を盛り上げる。

 もう一度サビへ戻って、怒涛のキメを終えたところで……、 

 

 ──BLACK JOKEブラック・ジョーク──

 

 ストロボ・ライトが点滅する中で繰り出される六連符のテクニカルなユニゾン・フレーズに繋がって、拍手と歓声が沸き上がった。

 ソリッドなアンサンブルを経て、シンセ・ブラスのソロ……そしてギターのソロと続いたところで突如ステージが暗転し……、

 

 

 ──SPACE ROADスペース・ロード──

 

 ドラムのフィルから入ると同時に、ステージに立つ四人それぞれにスポット・ライトが当たる。

 次の瞬間、六花は眼前で繰り広げられる光景に目を剥いた。

 バス・ドラムのサンバ・キックで刻まれるビートに乗って、残る三つの楽器が一六分音符のユニゾンを始めたのである。

 時おり挟まれるスネアでアクセントを付けながら、しかし先ほどの六連符のユニゾンなど比にならないくらいの、それは実に四〇小節近いユニゾンだ。

 仕掛けに気づいたのは、カラー・ライトとともに駆け上がってゆくイントロ・フレーズを経て、歪んだギターがメロディーをとり始めて少ししたころだった。

 打ち上げられたロケットが成層圏を突き抜けて広い宇宙へと飛び立つようなメインのメロディーが、八小節ごとに転調しているのだ。

 それも、ごく自然に。

 それでいて最終的には元のキーに戻るのだから、いったいコンポーザーたる一哉はどこまで計算してアレンジをしているのだろうか。

 唐突に浮遊感を憶えるのは、ボリュームペダルを駆使したギターのヴァイオリン奏法によるものだ。

 それからフルート系のリードで緊張感のあるソロをとるキーボードに、続くギターソロは対照的に爽やかさを感じさせる。

 そんなギターが最後のキメをとる直前で……、

 

 ──ASAYAKEアサヤケ──

 

 六花が動画サイトで何度も繰り返し目に焼き付け、耳にした、あの小気味いいコード・カッティングが聞こえてきた。

 イントロを盛り上げるのは、観客の手拍子とストロボ・ライトだ。

 Aメロ後のオクターブ奏法では、動画の見様(みよう)見真似(みまね)で、六花もタイミングを合わせて拳を突き上げてみた。

 他の観客もギターの動きに合わせて、拳を突き上げる。

 

 いよいよ、曲も大詰めだ。

 イントロと同じコード・カッティングで、しかしそれをバックにシンセブラスがラストに相応しく曲のスケールを広げてゆく。

 楽しい。

 やっぱりライヴって、でら楽しい!

 ということは、と六花は思う。

 バンドだって、きっと……。

 

 こうして一五分以上に及ぶメドレーは、最高潮の勢いで幕を閉じた。

 

 

 

 メドレーを弾ききった余韻に浸る中、実里は軽く手の筋肉をほぐすように振ってからマイクを手に取った。

 きん、と甲高いハウリング音がスピーカーから響いて、実里の声が会場中に響き渡った。

 

「どうもありがとうございました~っ! 四曲お送りしましたが、途中でこう……メロディーと関係ないややこしいイントロの曲があったり、弾いてるこっちも手が()るんじゃないかと思わせるようなユニゾンの曲があったりしてね。実は何度もヒヤリとさせられてました」

 

 苦笑しながらマイクを握る自分の手がわずかに震えていることに、実里は気づいていた。

 不安に、ではない。

 高揚に、だ。

 

 どうしよう。

 どうしよう!

 ライヴしてる。

 私、今、SPACEでライヴしちゃってるよ!

 

「でも、みんな盛り上がってるでしょー?」

 

 ちらり、とリーダーの方を見やってから、実里は客席に笑みを投げる。

 返ってくるのは、歓声と、割れんばかりの拍手だ。

 

「さて、それでは次のナンバーに行ってみようと思います」

 

 その言葉を合図に、ギターとベースがそれぞれ楽器の持ち替えに入った。

 カミソデからスタッフが持ってきた真紅のベースには、複弦を含めて一〇本の弦が張られている。

 

「みなさんもご存知のように、ライヴハウスSPACEは、今夜をもって閉店します。その最後のライヴに、こうしてステージに立てること……本当に、ほんッとーに! 嬉しいです!! ありがとうございます!!」

 

 一哉の方は、エレキからエレガットへと。

 

「……次の曲は、今日のために作ってきた、私の新曲です」

 

 そう言った途端、ふいに視線が引っ張られた。

 客席の後方。

 その一点。

 その真っ暗な空間にいるであろう、Glitter*Greenのメンバー達。

 

「今日、この機会を与えてくれた先輩に……」

 

 言いながら、実里が視線を投げるのはステージに立つバンドメンバー達だ。

 

「……仲間に……」

 

 そして、

 

「……オーナーに……」

 

 それから、

 

「今日この場に来てくれているみんなに、お送りしたいと思います」

 

 マイクを持つのとは反対の手で、シンセサイザーのプログラム・チェンジを済ませる。

 上の76鍵シンセは、ブラスに。

 下の88鍵シンセは、ピアノに。

 

「タイトルも決まってます。それではお聴きください……」

 

 ──FINAL CHANCEファイナル・チャンス──

 

 切ない曲である。

 儚い曲である。

 いつからか胸に描いていた夢、叶うことがないと思っていた夢……。

 SPACEで、ORIONとしてステージに立つこと。

 それが、今、ついに叶った。

 こんなに嬉しいことなんて、ない。

 この時間が、ずっと続けばいいのに。

 でも、

 それは駄目。

 だって『始まり』がある以上、『終わり』は必ず来るんだから。

 だから……だから今だけは、

 

「どうもありがとうございました~っ! ORIONでしたー! それじゃ最後のナンバーはこの曲でお別れいたしましょ~! いきますよー? 『と・き・め・き』!!」

 

 全力で楽しむんだ。

 

 ──ときめき──

 

 

 

 終演後、ORIONは秋に自主製作のアルバムを二枚リリースすることをサプライズ発表した。

 

 

 

 朝日六花が羽丘女子学園に入学するのは、この翌年のことである。




 これにて『SPACE編』は完結になります。
 もう少しキャラクターを掘り下げたかったところですが、一応短編扱いなので長過ぎるのもあれかなと。


 次回は一期のOVAに(あた)る海の話を書きたいなあ。


 まただいぶ期間が空くでしょうが、気長にお待ちいただければ幸いです。


 では、また。


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合宿とビーチボールとライヴ

 久しぶりの投稿&急遽企画に間に合わせるための大急ぎのヘッドスライディング。


 かなりの高確率で加筆します(加筆しました)。


       

 

 

「合宿?」

 

 夏真っ盛りの八月も、そろそろ終わりに差しかかってきたころ。リサ達はいつものようにCiRCLE(サークル)のスタジオで練習していた。

 休憩としてそれぞれが水分補給やクールダウンをしている時に、思いついたようにあこが声をあげたのだ。

 

 ねえねえ、みんなで合宿しましょうよ!

 

「合宿って……Roselia(ロゼリア)で?」

「そー! 合宿! せっかくの夏休みだし、みんなでどこか行きませんか!! 海とか!」

「う~ん、アタシはイイと思うんだけど……」

 

 丸椅子に腰かけるリサは、店先のカフェテリアで買ってきたソフトドリンクをあおりながらドラムセットのあこから目を逸らす。

 視線の先で同じく丸椅子に座った紗夜(さよ)はリサの言わんとしていることを理解したのか、わざとらしく溜め息をついた。

 

宇田川(うだがわ)さん、私達には遊んでる時間なんてないのよ?」

「そ、それはあこだってちゃんと判ってますよ~! だから『合宿』なんじゃないですか! 場所だってちゃんと押さえてあるんです!」

「え、それマジ?」

 

 リサは思わずそうこぼす。

 正直、あこがここまで段取りよく事を進めているとは思っていなかった。いつもの思いつきだと考えていたのだ。

 

「うん! 実はね、りんりんのお(うち)が別荘持ってるんだー! そこで練習も出来ちゃうんだよ!」

「……燐子(りんこ)、そうなの?」

 

 譜面台に次の曲の譜面を乗せていた友希那(ゆきな)が、その手を止めて黒いキーボードに立つ燐子を見やった。

 

「は、はい……千葉の方に……。周りが、田んぼばかりなので……夜遅くとかでなければ、問題ないと……思います……」

「なにそれ、めっちゃ条件イイじゃん!」

 

 おそらく、音出しが可能などこかのコテージを借りるよりも、白金家の持つ別荘で泊まり込みで練習する方がずっと費用を抑えられる。うら若き女子高生のお財布事情的にも、『安さ』は重要なファクターなのだ。

 

「でしょでしょー!? 近くに海もあるんだよね、りんりん!」

「う、うん……」

「海か~! そう言えばアタシ、海とかもう何年も行ってないな~。久しぶりに泳いじゃう?」

「リサ」

 

 近くから、鋭い幼なじみの声。

 

「まだ行くとは決まってないのよ?」

 

 諭すような友希那の視線に、判ってるって、とリサは肩をすくめて見せる。

 

「でもさ、海に行くなら一哉(かずや)にも声かけたかったよね~」

 

 今日のRoseliaのバンド練習には、インストゥルメンタル・バンド『ORION(オリオン)』のリーダーかつRoseliaの六人めのメンバーでもある野上(のがみ)一哉の姿はない。

 今月に入ってから、彼はほとんどRoseliaの練習には合流出来ていないのだ。

 だが、何もそれは一哉が怠け者だからというわけではない。

 

「仕方ないわ。一哉は今、ORIONのレコーディングで忙しいもの」

「だよね~」

 

 レコーディング・スタジオのあるコテージに泊まり込みで、それは当初の予定を大幅にオーバーした、実に二〇日間日近いバンド合宿になると聞いている。

 新作一枚とベスト盤二枚組……都合アルバム三枚分という分量のレコーディングを、この三週間弱というスケジュールでこなさなければならないのだ。

 今は、大詰めの三週めである。

 それこそ紗夜の言ったように、遊ぶ時間などないに違いない。

 とは言え、せっかくなら、というのがリサの本音だった。

 

「はあ、ずっと忙しそうにしてたし、時間があったら誘おうと思ってたんだけどなあ~」

 

 天井を見上げてそう言った、その時だ。

 

「ふっふっふ~」

 

 自信満々といった足取りで、あこがこちらへと寄ってくる。その手にはドラムスティックではなく、スマホが握られていた。

 

「リサ姉、これ見て!」

「んー?」

 

 あこに言われるまま、ひょい、とこちらに向けられたスマホの画面を覗き込む。

 

「なになに……え、これORIONのSNSアカウント?」

「そーそー! でねでね、この下に……」

 

 言いながら、画面をスクロールしてゆく。

 

「ほら、これ!」

「ええと、『ウミボウズプレゼンツ/海の家ライヴ出演決定! 夏の終わりに爽やかになりましょう!!』って……これ、ライヴの告知? それも今度の週末じゃん」

「それがどうかしたの?」

 

 訊ねる友希那に、あこは弾かれたように振り返ると鼻息を荒くして答えた。

 

「海の家でライヴなんですよ! 海の家! しかもりんりんの別荘の近くにある海の!!」

「……あっ!!」

 

 言われて、ようやくリサも気がついた。

 レコーディングのために遠征中のORIONが、月末にライヴをする。

 ということはつまり、燐子の別荘の近くに一哉達の合宿先もあるということではないのか?

 そして宇田川あこという少女は、ORIONのファンである。

 

「あこ、ひょっとして合宿に行こうって言い出したのって……」

 

 考えられることと言えば、それしかない。

 

「……ORIONのライヴが見たいから?」

「あ、あはは~……駄目、かな?」

「いいんじゃないかしら」

 

 肯定の声は、すぐ近くから。

 

「友希那……?」

 

 振り向いたリサの視線の先で、友希那はちょうど手にした携帯を下ろしたところだった。

 

「……実は新曲を書いているところなのだけど、少し行き詰まりなのよ」

「へ、へえ~……え、新曲?」

「ええ。だから、普段と違う環境に身を置いてみることがRoseliaの最高の音楽を作るために必要なことなら、私は行ってもいいと思う」

「……ってことはもしかして……?」

 

 友希那の言葉に、あこが目を輝かせる。

 そして、我らがボーカルはそれを宣言した。

 

「合宿に行くわよ」

 

 きっとライヴを見たい気持ちもあるんだろうなあ、とリサが察するのは、大して難しいことではなかった。

 

 

 

       

 

 

 東京から南西へ約百キロ。のどかな田園風景が広がる片田舎の一角に、そのスタジオはあった。

 建物の西側には全面に大きな窓がとられ、そこから太平洋とそれに面した海水浴場を一望することが出来る。

 夕方は西陽(にしび)が強く射し込むためさすがにカーテンを閉める必要があるが、それでも『海が見えるスタジオ』というのはそれだけで抜群のロケーションだと言えるだろう。長期間の泊まり込みとなるならなおさらだ。

 ──気晴らしに海へ遊びに行く、なんてヒマが取れそうになかったのが心残りではあるが。

 

 もっとも、と一哉は思う。

 それは彼女も同じなんだろうな、と。

 

「じゃあ、最後にパーカッションのチェックしよっか」

 

 慣れた手つきで制御卓を操作するのは、一哉と並んで座る鮮やかな黄色い髪の女性である。

 佐治(さじ)エリカ。鳴海(なるみ)と同じ大学で、今回のレコーディングにエンジニアとして召喚されたのだ。

 この合宿生活で少しでも『夏』を感じたいのか、空調の効いた部屋であるにもかかわらず、デニムのホットパンツにオレンジのチューブトップである。剥き出しの肩も、伸びやかな脚も、まるで内側から輝くようだ。

 時おり見せるヒマワリみたいな笑顔は、どことなくリサに似ていなくもない。

 

「どうかな?」

 

 言いながら再生されるのは、先日レコーディングが終わったばかりの楽曲にダビングされるパーカッション・サウンドだ。

 

「ん~……もう少し、こう、全体的にリバーブかけてもらってもいいですか?」

「いいけど、あんま強くしない方がいいよね。チャンバーぐらいにしとく?」

「いや、ルームでいいと思います」

 

 普段の生活をおくる中で耳にするさまざまな『音』には、必ずどこかで『反射した音』もいっしょに混ざって鼓膜に届いてくる。物や壁に当たって反射する『音』は、反射した先で壁に当たればさらに反射する。この反射の連鎖は、音が完全にエネルギーを失うまで続く。これがリバーブ……すなわち残響音である。

 二人の会話は、この効果を応用したエフェクト処理をかけるにあたって『どのくらいの残響を施すか』というやりとりをしているのだ。

 

「うっきー、ちょっと待ってね~」

 

 応えて、エリカがまた制御卓のキーを叩く。

 すると続いて再生される音源は、先ほどと聞き比べてみても、明らかにより自然な響きになったのが判る。こちらの求める音像にすぐさま応えてくれる彼女の実力の高さは、実際に調整作業に入ったここ数日でかなり実感出来た。

 

「こんな感じだけど、どう?」

「めっちゃイイ感じです」

 

 嘘偽りなく、一哉はエリカにサムズアップして見せる。それで彼女も安心したのか、

 

「よかったぁ……」

 

 まるで湯船に肩まで浸かったかのような脱力感で椅子の背もたれにぐでっと身をあずけた。

 

「これでマスタリングが終われば完成、だね」

「はい、ようやくです。ほんと、今回はありがとうございました」

「いいっていいって。あたしも奏太のいるバンドがどんな感じなのか気になってたし、ウィン・ウィンだよ。こっちもけっこう勉強させてもらったもん」

「そう言ってもらえると助かります」

 

 正直、ほっとしているのは一哉も同様だ。

 

 思えば、この夏はとにかく駆け抜けた夏だった。

 FWFへの出場決定、それに伴う数々のイベントの出演依頼、ライヴハウスSPACEのラストライヴへの出演……。平日の学業を除けばここ数ヶ月、まともに休みなど取れていないのだ。

 それに加え今回のレコーディングを八月中に捩じ込んだものだから、その分夏休みの宿題を可能な限りやっつける必要もあった。忙しいったらありゃしない。

 こうしてトラック・ダウンを終えた今なら間違いなく言える。

 いち高校生が過ごす夏にしては少々ハード過ぎた、と。

 だがそれも、今日で一段落だ。

 

 ちらり、と壁にかけられた時計に視線を投げる。

 午前一一時。そろそろ動き出した方がよさそうだ。組んだ両手をめいっぱい天井に向かって伸びをしたところで、思い出したようにエリカが口を開く。

 

「あ、もしかしてそろそろリハ?」

「ええ、まあ。まだ最後の一仕事が残ってるもんで」

「今日だっけ? 海の家ライヴって」

「はい。だから……本当はマスタリングまで立ち合いたかったんですけど、すみません」

「だいじょーぶ。最終チェックはちゃんと時間がある時にやってもらうからさ。とりま、ライヴ頑張ってきな~」

 

 言いながらエリカが、ぷるぷると胸の前で手を振って見せる。

 

「おっしゃ、じゃあ行ってきます」

「おう、行ってらっしゃーい!」

 

 立ち上がる一哉に、エリカはまたぷるぷると手を振って見送ってくれる。

 演奏に必要な楽器は、すでに会場へ運び出してある。あとは正午から始まるリハーサルに間に合わせるだけだ。

 もっともリハーサルとは言っても各楽器の音量のバランスやちょっとした照明機材の演出の確認くらいのもので、実際にステージでやる曲目はすでにこちらで通してある。

 つまり、これが終われば本番までの約四時間、ようやくまともな『休み』が転がり込んでくるのである。

 

 わずかながらの『夏休み』が訪れる瞬間に、心なしかコントロールルームを出る足取りが軽く感じた。

 

 

 

       

 

 

 サングラスぐらいかけておくべきだった。

 すっかり陽も高く昇った今の時間帯では、蒸し蒸しした暑さと刺すような強い日差しの両方が待ち受けていたのだ。ちょっと歩いただけで額や背中からじんわりと汗が出てきた。

 

 ビーチはかなり賑わっているようだった。家族連れや一哉と同い年ぐらいの若者など、大勢の人が夏の思い出作りにはしゃいでいる。無論、水着で。

 そんな彼らを視界に収めつつ、一哉は目的地へと歩を進める。

 海水浴客達の憩いの場、海の家である。

 

「ん? あー、カズくぅ~ん! こっちこっち!」

 

 本日の会場でもあるウッドデッキの近くまで来たところで、手摺り沿いのテーブルに着いていた客の一人がこちらに気づいて振り返った。

 シルバーのカチューシャで留めたオレンジブラウンの髪をなびかせて、その手には店頭で注文したのかメロンソーダのグラスを持っている。ノースリーブのワンピースは白地に青のボーダーで、裾は脛くらいまでのミモレ丈である。

 八谷実里(やたがいみのり)

 一哉と同じORIONのメンバーで、紅一点のキーボーディストだ。その奥には、ドラムの影山(かげやま)が冷やし中華をすすっていた。

 一哉のギターや鳴海の複数のベース、影山のドラムや実里のシンセといった機材のセッティングはおおかた済んでいるようだ。すぐにでもリハーサルを始められる、そんな感じである。

 

「ごめん、待たせたな」

「だいじょぶだよ~、こうしてまったりさせてもらってるから~」

「そっか。……にしても、けっこう繁盛してるんだな」

 

 お昼時だからだろうか、テーブル席はほとんどが埋まっているし、カウンターにも続々と人が集まっている。夏休みも終盤とは言え、なかなかの賑わいである。

 

「まあシーズンだしね。カズくんも何か頼んで来たら? 焼きそばとかおいしそうだったよ~?」

「そうだな~、俺も何か喰うか。……あれ、そういえば鳴海さんは? もうすぐリハだろ?」

「ナルルンなら、今ウミボウズさんと打合せしてるよ。それが終わってからだって」

「ふうん」

 

 そういうことなら仕方がない。ちょうど腹も減っているし、お言葉に甘えて何か買って来るか。

 

「TDの方はどうでした?」

 

 影山がカットされたトマトを食べながら。それはトラック・ダウンと呼ばれる、楽曲全体の音量やエフェクト処理を行う作業の略称だ。 

 

「ひとまず片づいた。あとはマスタリングだけだな」

「いよいよか~、私達の初アルバムっ! ……まあ、録ってる時は大変だった記憶しかないんだけど」

「いやぁ、あれはさすがに自分でもキツいことやったなーって反省してる」

「別に怒ってるわけじゃないって。カズくの無茶ぶりは今に始まったことじゃないし? 慣れっこ慣れっこ」

「はは……そう言ってもらえると助かるや」

 

 ぽりぽりと頭を掻きながら、苦笑で返すしかない。

 

「あー!」

 

 突然、快活な少女の声がデッキに響き渡った。

 屋根のある、カウンターの方からだ。

 続いて、ぺたぺたと複数の足音が聞こえてくる。

 

「見て見てさーや! こんなところにドラムが置いてあるよ!」

「ホントだ……でも、どうしてだろ?」

「これって叩いていいのかな?」

「勝手に触っていいわけないだろ? なんか、ここでライヴやるみたいだし」

「そうなの、有咲(ありさ)?」

「店のあちこちにチラシ貼ってあんの見てねーのかよ……」

「ぜんぜん見てなかった!」

「自慢するとこじゃないだろ」

「えへへ~」

「褒めてねーよ!」

 

 どこか聞き覚えのある三人声に振り向いた一哉は、そこで思わぬ一行の姿を見た。

 

「……あれ?」

 

 すぐ目に飛び込んできたのは、先頭を歩く特徴的なネコ耳の少女である。白いビキニにデニムのホット・パンツで、見るからに『遊びに来ました!』という出で立ちだ。

 残りの二人も見覚えのあるツインテールとポニーテールで、だから声をかけるには充分な理由だった。

 

「おーい、ポピパ~!」

 

 だが、相手からすればそれは予想外の呼びかけだったようだ。きょろきょろと辺りを見回しては、頭にハテナを浮かべている。

 ……さすがにこの人込みでは、見つけるのも一苦労か。

 そう思った時、

 

「カスミ~ン! こっちだよ、こっちこっち!」

 

 同じように気づいたらしい実里がより声を大きくして、ついでに目印にと腕を上げる。

 

「……あ、実里さんだー!」

 

 名前を呼んでようやくこちらに気づいたネコ耳が、一瞬の驚きの後にぱあっと笑顔を咲かせてやってきた。

 

「ちょまっ!? 急に走んなって!」

「あはは……私達も行こっか、有咲」

「沙綾もちょっとはあいつ止めんの手伝ってくれよな……」

 

 香澄に少し遅れて、後続の二人も一哉達がいるテーブルへとたどり着く。ツインテールが市ヶ谷(いちがや)有咲で、ポニーテールが山吹(やまぶき)沙綾だ。

 

「わーい! 一哉くんもいるー!」

「よっ、相変わらず元気そうだな」

「うん。今日はポピパのみんなで遊びに来てるんだー!」

 

 つまり、あと二人はいる、ということだ。

 

「お……おい香澄っ、先輩なんだから言葉遣い気をつけろって!」

「大丈夫だよ有咲~。ねっ、一哉くん!」

「まあな」

「ちょっとカズくん、いつの間にカスミンと仲良くなってたの~? 私聞いてな~い」

「……あれから色々あったんだよ、色々と」

「ふうん」

 

 SPACEのラストライヴ以来、同じギタリストということで何度か香澄の練習に付き合ったことがある。はじめこそ『先輩と後輩』を意識した立ち居振る舞いをしていた彼女だったが、その際一哉が『堅苦しいのはあまり好きではない』と言ったところ、今に落ち着いた、というわけだ。

 

「あの……」

 

 それまで会話を見守っていた沙綾が、控えめに手を挙げた。

 

「もしかして、お昼中……でした?」

 

 彼女が指す先は黙々と冷やし中華を食べ進めていた小柄なドラマーである。

 全員の視線が、影山へと集まる。

 当の本人は、注目されているのが自分だと判ると、Poppin’Partyの面々を向いて会釈を投げた。口を開かないのは、今まさに中華麺やらキュウリやら錦糸卵やらが口の中に入っているからだろう。

 

「まあ、そんなとこかな」

 

 苦笑しつつ、しかしおかげで一哉は思い出した。

 

「香澄達も何か食べるか? ちょうど俺もこれからだし、何なら奢るぞ」

「へ?」

 

 きょとん、とする有咲に、すぐさま香澄が食い気味に反応する。

 

「え、いいの!?」

「おう。この店、焼きそばがけっこうイケるらしいぞ」

「焼きそばぁ~! じゃあ私も焼きそばにする!」

「ちょ、香澄!?」

「なら私は冷やし中華にしようかな~」

「沙綾まで!?」

「せっかくだからお言葉に甘えようよ。私達もお昼まだなんだしさ」

 

 それに、と沙綾はもう一度テーブルの方を向いた。

 冷やし中華をすする影山を。

 

「久しぶりに、ゆっくり話したいし」

「ぅうぅううぅ……」

 

 唸りながら、ツインテールの少女は頭を抱える。奢られるべきかどうか、かなりの僅差で悩んでいるようだ。

 やがて唸りが止み、頭を抱えていた手を下ろすと、観念したとばかりに彼女は口を開いた。

 

「……私も焼きそばで」

「おし、決まりだな。んじゃみんなの分買ってくるから、ちょっと待っててくれ」

「私も行くー!」

 

 勢いよく手を挙げて、そう立候補するのは香澄だ。

 

「お、そりゃ助かる。ならドリンク持つの任せていいか? 食事系は俺が持つから」

「判った!」

 

 やっきっそばっ、やっきっそばっ、と上機嫌で先を歩いてゆく香澄に苦笑しつつ、じゃ行ってくるわ、と言って一哉もカウンターへと向かった。

 

 

 

 

 人生は偶然の連続である、そんな言葉をよく耳にする。

 しかし逆に、全ては必然である、という考え方もまた存在する。どちらを信じるかは、その人次第だろう。

 だが、一哉は思った。

 

「いやー食べた食べた! にしても、ポピパちゃんと遭遇するなんてね~!」

「私も、まさかリサ先輩や氷川先輩とお会いするなんて思ってませんでした!」

「アタシもだよ~! でも香澄ちゃんと一哉がいっしょにいるとは思わなかったな~。ホント、すっごい偶然だよね☆」

 

 こんな偶然があってたまるかいと。

 絶妙に旨い焼きそばを平らげて。

 

 香澄の後を追う恰好でカウンターに向かった一哉は、たまたま同じタイミングで注文したメニューを受け取っていたリサ達と鉢合わせした。どうやらこの海水浴場の近所にある白金家の別荘を借りてバンドの強化合宿をしているらしく、あこや燐子はもちろん、友希那もこの合宿に参加していると言うのだ。

 

「今井さん、はしゃぎ過ぎですよ。戸山さんも」

「えーいいじゃん紗夜~。紗夜だって一心不乱にフライドポテト食べてたんだし」

「いっ、一心不乱になんか食べてません!」

「そういうわりには、ポテトを食べる手が停まってませんでしたけど~?」

「氷川先輩、ポテトお好きなんですか?」

「べ……別に好きなんかじゃ……」

 

 もはや暗黙の了解になりつつある紗夜のポテト好きだが、俯いて顔を赤くさせている彼女を放っておくのはいささか可哀相だ。

 

「それはそうとさ、リサ」

 

 発言権を求めるように胸の前で小さく手を挙げて、一哉は周囲を見回す。問いかけるのは対面に座ったリサである。

 

「んー? なに?」

「友希那、けっきょくどこにいるんだ?」

 

 現在複数のテーブルに分かれて着いているのは、Poppin’Partyの五人に打ち合わせから戻ってきた鳴海を加えたORIONの四人、それにリサや紗夜、あこに燐子のRoselia組四人。全員が昼食を済ませ、今は腹休めにそれぞれが談笑している時間だ。

 しかし、そこには最後の一人……と言うべきかはひとまず置いておこう……の友希那が見当たらないのである。

 

「えーっとね……」

 

 幼なじみは指に自身の毛先をくるくると絡ませつつ、器用に眉を寄せて困ったような笑みを浮かべると、言った。

 

「たぶん、一人で考え込んでんじゃないかな~」

「んん? どゆこと?」

「今、友希那がRoseliaの新曲を考えてくれてるんだけどさ。中々納得出来るアイデアが浮かんでこないんだって」

「そんなにか?」

「そうなんですよ!」

 

 割って入って来たのは、別のテーブルに座っていた宇田川あこだ。

 

「なんか、ソファーに寝っ転がって祈ってる感じでした!」

「あー……それは重症だな」

 

 何となく状況は把握出来た。

 作詞ないしは作曲に行き詰まる時、友希那はよくそうやって仰向けに寝転がり無言になることがある。一哉はこれを『祈りタイム』と呼称していた。

 単に次の歌詞のフレーズが浮かばないだとかメロディーが降りてこないなど理由はさまざまだが、いずれにせよ『祈りタイム』に入っている間、端から見た彼女はまさしく『虚無』と化す。

 全く喋らず、全く動かなくなるからだ。

 

「でも外には連れ出してるから、近くにはいると思うよ」

 

 だったら、と香澄が声をあげる。

 

「友希那先輩も誘って、みんなでビーチバレーしませんか!?」

「ビーチバレー?」

「はい! いっぱい(からだ)を動かしたら、きっといいアイデアも浮かぶと思うんです!」

「いいね~それ! 友希那、最近ちょっと運動不足だからちょうどいいかも……ふふっ、一哉もいっしょにやる?」

 

 小悪魔的に微笑んだリサがこちらを向いたが、一哉は肩をすくめた。

 

「いや、今は遠慮しとく。ちょっとこれから忙しくてな」

「あ、今日ライヴなんだっけ?」

「そうそう。そのリハをこれから……」

 

 ……やろうかと思ってて、と言いかけて、一哉は口をぽかんと開けたまま静止した。

 目の前の幼なじみが、やべ言っちゃった、とでも言いたげに大袈裟に目を見開き、開いた両手を重ねて口の前にかざしているのである。

 

「え!? 一哉くん、ライヴやるの!?」

 

 一哉が再び動き出すきっかけをくれたのは、香澄だった。

 その間、わずかに二秒。

 

「まあな。予定では一八時スタートだけど」

「それでドラムとかキーボード置いてあったんだ……あのドラム、大樹(たいき)のだったんだね」

 

 納得したように、別テーブルの沙綾が声をあげる。その隣で、声をかけられた影山大樹がこくりと頷いていた。どうやらこの二人、家が同じ商店街の中にあるといういわゆる『ご近所さん』で、昔から付き合いがあるらしい。

 あるいは、幼なじみ、と呼ぶべきか。

 

「観たい観たい!」

 

 はしゃぐ香澄に、

 

「おい香澄」

 

 有咲が唇を尖らせる。

 

「あんまし先輩にワガママ言うなよ? チケットがあるかも判んねーのに」

「あ、それは大丈夫」

「……え?」

「今日のはフリーライヴだから、そもそもチケットの概念がないんだよ。だから観る分には別に問題なし」

「……マジすか」

「……マジっす」

「やったー!!」

 

 じゃ皆で観ようよ、と有咲に抱きついてはしゃぐ香澄を尻目に、一哉はゆっくりと視線をリサへと向ける。

 腕を組んで、やれやれ、とばかりに。

 

「やっぱ知ってて来たんだな」

「……てへっ。バレちゃった?」

「そらバレるだろ。つか、てへっ、て何だよ。てへっ、て」

「可愛いでしょー」

「はいはい、可愛い可愛い」

 

 あっさりと応えたのがよくなかったのか、ぷうっ、とリサは頬を膨らませる。

 

「だってさー、ライヴあることアタシに教えてくれなかったじゃん?」

「都内ならまだしも千葉だぞ千葉。電車でもけっこう距離あるし、そう簡単に声かけらんないだろ」

「それでも、一言くらいは連絡欲しかったよ」

「なぁんでさ」

「だって……」

 

 言いかけて俯くリサの耳が赤くなっているのは、この蒸し暑さで躯が火照っているから……だろうか。

 

「……しばらく会えてなかったし、たまには話したいなあ、なんて……」

「……ぇ、ぁ……ぉう……」

 

 だから彼女がくるくると指で髪を巻きながら零した言葉に、一哉はすぐに返事をすることが出来なかった。

 幸いだったのは、香澄がテーブルを離れてくれたおかげで、二人の間に生まれた微妙な空気に誰も気づかなかったことだろうか。

 

「……リハが済んだら、俺らも合流するから」

「う、うん……じゃあ、アタシ友希那呼んでくるね! この暑さでバテてないか心配だし! 一哉もリハ頑張ってね!」

「あ、じゃあ私も行きます!」

「リサさん、私もいいですか?」

「モチロン☆ いっしょに行こ行こー!」

 

 続くように香澄と沙綾が立ち上がり、リサの後を追う。

 

「……なんだよ、リサの奴……」

 

 ……寂しいなら寂しいって言えばいいのに。

 喉まで出かかって、けっきょくそれは口には出来なかった。

 

 

 

       

 

 

「え~……ではバンド対抗ビーチバレー二回戦、Roselia対ORION……の前に、一個だけ確認したいんですけど……」

 

 恐る恐る、というふうにネットの張られた支柱から声をかけてくるのは、審判役の市ヶ谷有咲である。その視線は、リハーサルを終え合流した一哉達の背後へと向けられていた。

 

「本当にそれでやるつもりですか?」

 

 有咲が言っているのは、別にORIONの服装のことではない。男子メンバーはそれぞれ異なる柄の海パンに履き替えているし、実里だって青のビキニだからだ。

 問題は、そんな四人の背後にそびえる巨大な『玉』のことなのだ。

 

 直径約三・六メートル……運動会などで使う大玉よりも大きなビニール製の、それは規格外な『超巨大ビーチボール』なのである。

 

「おう」

「マジすか……つか、よくそんなんありましたね。どうしたんですか」

 

 即答する一哉に、有咲は呆れ混じりの驚きで。だが彼女の問いに応えたのは鳴海だった。

 

「こんなこともあろうかと、通販で買っといたんだよ」

「犯人あんたかよ……」

「かまわないわ」

 

 そう応えるのはネットの向こう……Roseliaチームだ。

 

「Poppin’Partyとの勝負で、だいたいのルールは憶えた。どんな大きさだろうと、今の私達に返せないボールなんてないわ」

 

 前衛に構える銀髪の幼なじみ、湊友希那である。一哉からすればこういう遊びに興じる姿というのはかなり新鮮で意外だったが、わざわざ黒い水着に着替えているのはもっと意外だった。

 

「風上の陣地はアタシ達がもらったから、サーブはそっちからでいいよ~」

「じゃあお言葉に甘えて……」

 

 言いながら、前衛の一哉と鳴海がしゃがみ込む。その後ろに控えていた影山と実里が、特大ビーチボールを転がしつつ二人の背中へと乗せてゆく。

 次の瞬間、

 

「ぃよいしょぉっ!」

 

 勢いよく伸び上がった一哉達を発射台にして、撃ち上がったボールがネットを越えてRoselia側の陣地へと入ってゆく。

 

「リサ!」

 

 落下地点で手をかかげる友希那に、

 

「うん!」

 

 応えて、リサもいっしょに腕を伸ばす。のしかかってくるようなビーチボールの質量に抗して、後から来た紗夜と燐子も加えて四人がかりで何とかネットの向こうへと押し返した。

 そう。

 もはやレシーブやトスなどではない。

 物理的に『押し返す』のがやっとなのだ。

 

「おー!」

「すっご……リサさん達よく返したな……」

 

 たえや有咲の感嘆もそこそこに、リサは次なる反撃に備える。

 だが、

 

「……わっぷ!」

 

 ORION側でボールを受け止めようと跳び上がった影山が、しかしボールの勢いに押されてそのまま背中から砂浜に落っこちたのだ。

 

「影山!?」

「たっ、大樹!? 大丈夫? 頭とか打ってない?」

「うん……なんとか、大丈夫……」

 

 すぐさま一哉やコートの外にいた沙綾が駆け寄るが、問題はそれだけではない。

 

「やっば、ボールが……!」

 

 落下したボールが、そのまま風にあおられてころころと砂浜を陸の方へと転がってゆくのである。

 

「ちょっ、ちょっと待てぇっ!?」

「わぁ~!? ボール待ってぇ~!」

 

 砂を蹴り飛ばす勢いで鳴海と香澄が大慌てで追いかけるが、強風にあおられたボールに必死の声は届かない。

 何とか追いついた鳴海が回り込んで受け止めようとするが、逆にボールに跳ね飛ばされて、べしゃっ、と派手に砂浜に転んだ。直射日光にさらされ続けた高温の砂に剥き出しの上半身や脚が触れたのか、あっぢぃっ、と珍妙な悲鳴が直後に聞こえてくる。

 

「んぶっ」

 

 直後に噴き出すのは、同じ星座の名を冠するフロント二人組だ。

 

「こらー!」

 

 がばっ、と這い上がった鳴海の顔面には、砂がほとんど満遍なく貼り付いていた。その顔に、さらに一哉と実里が笑いだす。

 

「お前らも見てないでこっちに()ーい!」

「はいはい、行きますよー!」

「ちょっと」

 

 そんな名誉の負傷を気にも留めず、陸へと転がり続けるカラフルなボール。

 それを追いかける星の少女と少年達。

 

「ねえ」

 

 その背中をネット越しに見据えながら、ぽつりと友希那が声をかけた。

 

「ビーチバレーって、こんなだったかしら……」

 

 香澄達と遊んだ時にようやく憶えた『ビーチボール』との明らかなギャップに、今さらながらに戸惑い始めたのだろうか。

 そもそもボールの大きさが規格外なのだから、そりゃそうだろう、とはリサも思わなくもない。

 

「わっかんない」

 

 だからリサは、困ったような笑みを浮かべて、そう応えた。 

 

「けど、こうやってみんなで大はしゃぎして遊ぶの……アタシは好きかな」

 

 そう言って、いつもどおりの笑顔を幼なじみに向けて見せる。

 こちらを見つめる友希那は、その笑みに何を見たのだろうか。瞼を閉じると、それきり何かを考え込んでいるようだった。

 

「湊さん……?」

 

 紗夜の声に応えるようにゆっくりと目を開いた時、リサは友希那の瞳にそれまであった逡巡が消えていたことに気がついた。

 そして、

 

「みんな、私達も行くわよ」

「……友希那?」

「行くって……」

「ボールを止めに行くのよ。さっきのルールに従えば、今のは私達の一点になるはずよ」

 

 言われて、あらためて思い出した。

 そうだ。

 一応、これは莫迦(ばか)デカいボールを使った『ビーチボール』なのだ。

 ならば、全力で遊んで、勝ちにいこう!

 

「……うん!」

 

 四人はいっせいに、ネットをくぐって転がるボールのもとへと走り出した。

 

 

 

 

「はぁあ~疲れた~!」

「もー無理……これ以上はさすがに動け~ん!」

 

 どさり、と香澄と一哉は揃って砂浜に仰向けに寝転がる。総勢一四名の大所帯が波打ちぎわで見据えるのは、すっかり西に傾いた太陽が水平線の向こうに少しずつ落ちてゆく光景である。

 太陽を反射した黄金の海が、波にゆられてきらきらと光る。打ち寄せる波音が疲れた心身に少しばかりの癒しを届けてくれる。

 けっきょく、と紗夜が呆然と口を開いた。

 

「どっちが勝ったの……?」

「途中までは数えてたんですけど……」

 

 つまり、正直判らない、ということだ。

 だが、勝負なんてどうでもよくなるくらいに時間も忘れて遊びまくったという事実が転がった現状に、少年少女達は笑みを浮かべるのだ。

 だから、

 

「一哉」

 

 寝転がる幼なじみの横で、膝を抱えたリサはぽつりと言った。

 

「んー?」

「ごめんね。アタシ、つまんないことでちょっと意地張っちゃってたかも」

 

 だが、

 

「なんのことだか」

 

 頭の後ろで両手を組んで、彼はそうやって苦笑するだけだ。それから彼は、頭だけを銀髪の少女の方に向けて、

 

「友希那の方は、楽しめたのか?」

「……そうね」

 

 応える少女も、ゆっくりと砂浜に寝転がった。

 

「あなた達のテンポに引き込まれて、なんだかセッションしたみたいだったわ」

「セッションか~。友希那ちゃんも巧いこと言うなあ」

 

 砂まみれの顔面を笑みに歪める鳴海の姿に、思わずみんなが笑いだす。

 だが、友希那らしい言葉のチョイスだ、とリサは思った。そしてそれは、彼女にとっても似たようなものだったらしい。

 

「はい! 私も楽しかったです!」

 

 そして、香澄はみんなを見回して言った。

 

「また……またこうして、みんなで遊びませんか?」

「いいね~! 今度は何して遊ぼっか? ビーチフラッグ? スイカ割り? あ、かき氷早喰い対決とかもイイかもね!」

「戸山さんも八谷さんも、勝手に話を進めないでちょうだい。少なくとも私達は、完璧な演奏をするために遊んでいる暇なんて……」

「じゃあバンド! みんなでバンドやりましょう!」

「はあ?」

 

 香澄による唐突な合同バンドの提案に、Poppin’PartyもRoseliaもORIONも、それぞれがそれぞれに思ったことをわいわいと言い始める。やれロゼパがいいとか、ロゼリア舞踏会がいいとか、ロゼリオンもいいよね、とか……突飛な物言いに困惑していた紗夜を除けば、ほぼ全員が肯定的な意見である。

 

「ちょうどいいや」

 

 そんな中、おもむろに一哉が起き上がると、渦中の香澄に声をかけた。

 

「合同バンドも悪くないけど、その前に一つ香澄達に提案なんだけどさ」

「え? なになに、どんなの?」

 

 瞳に期待の色を伺わせる星の少女に、一哉は告げた。

 

「この後のライヴ、歌ってかないか?」

 

 香澄がその言葉の意味に気づくまで、三秒かかった。

 

 

 

 

       

 

 

 海の家『海坊主House』の店主は、かつてはインディーズのレコード会社でマネジメント業務を担当していたのだという。しかしわけあって五年前に帰郷、学生時代の仲間の紹介で今の仕事に再就職したらしい。

 とは言えシーズン中はマネージャー時代のツテで知り合った若手のアーティストを招いては定例フリーライヴを催したりと、音楽への情熱はいまだ冷めていないと言える。

 

 ORIONへの出演依頼がきたのは、レコーディング合宿のためにこちらへやって来てから数日後……ベースの鳴海が昼食を摂りに海の家まで足を延ばことがきっかけだった。

 音楽の話題で、店主と盛り上がったのである。店主も学生時代はバンドを組んでいた経験があったらしく、打ち解けるまでそう時間はかからなかったそうだ。

 そこで、アルバム制作中の旨を鳴海が話したのが、決め手となった。

 

 あ、だったら今度うちでやるライヴ、出てくれよ。

 

 新曲のプロモーションとしてもちょうどいい機会だということで、鳴海から話を聞いた一哉は二つ返事で受諾したのだという。

 機材のセッティングにも人手を割いてくれるという、全面バックアップ体制である。

 

「お集まりいただきました皆様、大変長らくお待たせいたしましたー!」

 

 ウッドデッキに組み上げられた特設ステージの脇で、マイクを握るのは真っ赤なシャツに紺色のエプロンをかけた男だ。『海坊主House』の店主である。

 

「ただいまよりウミボウズプレゼンツ・海の家ライヴを開催したいと思いまぁす!!」

 

 SNS上で事前にアナウンスされていたこともあってか、夕暮れの海の家には大勢の海水浴客達が集まっていた。テーブル席はどれも埋まっていて、座れなかった若者や家族連れがウッドデッキの周りにまで溢れ出ている。

 

「相変わらず、すごい人の数ね」

 

 そのウッドデッキ最後方で、腕を組んだまま呟く友希那に、リサも頷いた。

 

「アタシ達、ずっといっしょだったから忘れがちだけど、ORIONって『FUTURE WORLD FES.』コンテストの準優勝なんだよね……」

 

 そんなバンドが来るとなれば、話題性も充分。集客も見込めるだろう。現に、こうしてたくさんの人達が幼なじみのバンドを楽しみにしてくれているのだ。

 

「……あれ」

 

 ステージを見つめていて、ふとリサは違和感に気がついた。

 

「どうしたの、リサ姉?」

「いやぁ、鳴海さんのベース、今日はあっちなんだな~、て思って」

 

 中央に据えられた黒いドラムセットとステージ中央に置かれた桃色のギターはいつもどおりだが、ベースとシンセの位置が違う。ベースがカウンター側の上手にシンセが下手と、いつもと逆に配置されているのだ。

 おそらく、と紗夜が口を開く。

 

「楽器の交換がしやすいようにしているんでしょう」

「あ、なるほどね」

 

 やっとわかった。

 たしかに紗夜の言うとおり、よく見ると上手側……つまり店舗側に控えているスタッフが、メンテ用のクロスでベースを拭いているのだ。ステージに置かれている八弦とは別の、それは真紅の10弦である。

 

「スタッフさんが手伝いやすいようにか」

「もしかしたら、私達も場所によっては上下(かみしも)入れ替わることがあるかも知れないわね」

「どうかなあ、アタシは今のベースで満足してるし。わざわざ持ち替えなくても、ドロップDならワンタッチでイケるよ?」

「あくまでも可能性の話よ」

「それを紗夜がするのが面白いなあってだけ」

 

 前説があらかた済んだところで、さて、と店主が一息入れる。

 

「ではここで、スペシャル・ゲストにご登場いただきましょう!」

「あ、かすみ達の出番じゃない?」

 

 にっ、とあこが嬉しそうに声をあげた。

 

「はるばる東京からやってきたガールズ・バンド、Poppin’Partyの皆さんです! 盛大な拍手でお迎えくださ~い!」

 

 店主の呼びかけで上手から入場してきた五人の少女に、集まった観客が温かな拍手を送る。

 リサや友希那、それからRoseliaのみんなも、最後方から拍手を送った。

 ただし、こちらは激励の。

 

「こんばんはー!」

 

 センターに立つランダムスターの香澄が、マイクを握る。

 

「ORIONの皆さんと、ウミボウズさんのおかげで一曲歌わせてもらえることになりました、Poppin’Partyです!」

 

 香澄達が楽器も持って来ていることが発覚したのは、一哉が彼女達をライヴに誘った後、着替え終えた全員が改めて海の家に戻ってきた時だ。

 なんと、店に楽器を預けていたというのである。

 ただしキーボードとドラムは例外で、有咲は店主の趣味で店に置いていたというキーボードを、沙綾は影山との体格差を考慮して彼のドラムは使用せず、打ち込みの音源を流して香澄とのツイン・ヴォーカルに臨むらしい。

 

「それでは聴いてください! 『八月のif』!」

 

 あらかじめプログラムされたドラムのスネア・ロールに、軽やかな有咲のピアノがイントロを奏で出す。続くようにたえのギターが夏の終わりを感じさせるようなフレーズを歌い、展開してゆく曲に香澄と沙綾がマイクロフォンを通して歌を届ける。

 

 あり得たかも知れない夏。

 あり得なかったかも知れない夏。

 そういった『IF』が転がる中で掴み取った一つの『今』と『これから』を噛みしめる、彼女達らしい穏やかで温かなナンバーである。

 

 そんな中で何よりリサが惹きつけられたのが、ヴォーカルの二人が浮かべる爽やかな笑みだった。

 きっと、とリサは思う。

 ああして楽しそうに歌っている姿に、お客さんもまたつられて笑顔になるんだろうなあ。

 もちろんRoseliaに温かみがないわけでは決してない。頂点を目指すRoseliaとバンドとしての今を楽しむPoppin’Party……あくまでもバンドとして見ている方向性が違うというだけのことだ。

 

「ありがとうございました~! この後のORIONのライヴも楽しんでってくださいね~!!」

 

 曲を終え、大勢の歓声や拍手を受けて、Poppin’Partyが会場を後にする。入れ替わりでステージ出てきたスタッフが、ささやかなBGMで場を繋いでいる間に香澄が使っていたマイクスタンドや有咲が借りたキーボードの撤収作業に入った。

 

「友希那せんぱ~い、リサせんぱ~い!」

 

 片づけを終えた香澄達がリサ達のいるデッキ後方までやって来たのは、ステージ左右のスピーカーから流れるBGMが徐々に絞られ、ウミボウズのアナウンスでORIONが上手から姿を現したのとほとんど同時だった。

 

「ポピパお疲れ~。なになに、みんなもこのままライヴ観てくの?」

「はい! せっかくだから、って一哉くんが!」

「そうなんだ。そういえば、電車とかは大丈夫?」

 

 帰りの時間のことを訊いているのだ。

 だが、

 

「ああ、それなら平気です」

 

 本日の限定ヴォーカル、沙綾が補足する。

 

「さっき時間確認したんですけど、ライヴ終わった後でも充分間に合いそうなので」

「よかった。それなら気兼ねなく観れるね」

 

 今日の衣装は完全な私服らしく、実里はブランドのロゴが黒く抜かれた白地のTシャツにデニムのホットパンツ、アウター代わりにチェックのロングシャツを羽織って、足元は動きやすいハイカットのキャンバス・スニーカーだ。

 

 赤い八弦を構えた鳴海の方は羽織ったデニムジャケットを肘のあたりまで袖をまくっていて、その下の白いシャツは……タンクトップだろうか。ボトムスも白いパンツで、カジュアルさと爽やかさを醸し出している。

 

 ドラムセットに腰かけた影山は、黒のスラックスに五分袖の柄シャツというシンプルな恰好だ。

 

 そしてセンターの一哉。こちらは薄手の白いジャケットこそお馴染みだが、その下は主張が強過ぎない柄の描かれたTシャツを着ていて、ボトムスはゆるやかなブラウン系のワイド・テーパードである。

 

 所定の位置に着いた全員が、各自最終チェックを行う。

 そして一哉が、下手のキーボーディストの方を見やり、頷いた。応えるように、実里が下段の88鍵シンセに指を乗せる。

 

 ……始まるっ!

 

 きらびやかなエレクトリック・ピアノで奏で始めたのは、パーカッシブなラテン・バッキングである。BbとルートGのC7という2コードの繰り返しの中で、オカズも混ぜながら観客の手拍子も味方に少しずつエネルギーを貯めてゆく。

 九小節めから重なりあうようにオープン・ハイハットで入ったドラムスは、二つのチップをハイハットに落とすと細かく一六分を刻み始めた。

 そして一哉がピックを持った右手を指揮棒のように掲げれば、いよいよ秒読み開始である。

 

 ワンッ、

 

 トゥーッ、

 

 ワンッ、トゥーッ、スリーッ!

 

 ──THE SOUNDGRAPHY(ザ・サウンドグラフィー)──

 

 抜けるような青空とコバルト・ブルーの海を想起させるようなギターのカッティングに、実里のシンセ・ブラスが白い砂浜を描き出す。

 アクセントになる鳴海のプラッキングは、例えるならやって来た海水浴客の軽やかな足取りだ。

 

 一哉の右足が素早くエフェクターを叩くと、ピッチシフターによりオクターブ上の音色を重ねられたクリーンなサウンドが、陽射しを受けて無数のスパンコールを散らしているような海を演出する。

 時おり挿し込まれるブラスの『合いの手』や四拍めに突き抜けるスネアが心地いい。

 

 サビを終えてもう一度Aメロを繰り返すと、今度は実里のソロだ。フルート系のリードで彩りを加えると、すぐさまサイドに積まれた『Ensoniq(エンソニック)/SD-1』に右手を伸ばす。『フッフゥッフー!』とコーラスが聴こえるようだ。

 

「フッフゥッフー!」

 

 というか実際、香澄がやっていた。手拍子をしていたたえが、顔だけを彼女に向ける。

 

「香澄、ノってるね」

「えへへ、なんかタイミング覚えちゃったー! おたえもいっしょにやろ! 楽しいよ!」

「うん。次は私もやってみる」

 

 二度めのサビを経て、続く一哉のギターソロ。ディストーションと違ってプレイの誤魔化しがし辛いクリーン・トーンでここまで淀みのないプレイが出来るのは、ひとえに彼の日頃の鍛錬の賜物だろう。

 最後のサビに戻ると、残すはエンディングだ。イントロと同じパターンを繰り返すブラスのフレーズに、一哉がオブリガードを挟む。

 ラストノートはフェルマータ。

 そして湧き上がる歓声に応えるように、『ダッド・ダッド』と影山がスネアとキックを八分で繰り返すと、

 

 ──DOMINO LINE(ドミノ・ライン)──

 

 メドレー形式で飛び出した二曲めに、わっ、とあこが声をあげた。

 

「待ってました『DOMINO LINE』!」

「なに、知ってるの?」

「うん! 友希那さんのライヴで初めてORIONを見た時に聴いた曲なんだけど」

 

 春先にあった、ORIONと友希那のジョイント・ライヴのことだろう。

 

「なんていうか……ドドドッって感じでドミノ倒しみたいに面白いんだよ!」

「ドミノ倒し……?」

 

 タイトルの『DOMINO』と関係あるのだろうか。

 

 あこの言葉の意味が判ったのは、実里のソロの後、影山のバスドラムだけが四つ打ちで八小節刻まれた後だった。

 観客の拍手にのせて何やら一哉と実里が人差し指を立てていると思えば、一小節内で一六分音符ずつズラしたタイミングでスネア、ギター、ベース、キーボードと鳴ったのだ。

 コードはDM(メジャー)7。

 

 七小節刻まれるバスドラムに、再び立った人差し指。

 一六分ズレた発音。今度はFM7。

 

 四つ打ちのバスドラム。今度は中指も加えて指は二本だ。

 するとまたズレた発音で、DM7とFM7が立て続けに二小節弾かれる。

 

 六小節のキック中に薬指を加えた三本の指が立つと、それはつまり三つのコードの『ドミノ倒し』を意味している。

 DM7、FM7、そしてAbM7。しかしこれは八分三連符ごとにズレたものだ。

 

 ドミノ倒しはまだ続く。今度は四本指だ。

 一六分ずつズラして、DM7、FM7、AbM7、BM7。

 

 今度のキックでは指を立てるのではなく、ぐるぐると回している。

 その姿を見て、リサもようやく気がついた。

 今まで積み上げてきた四つのコードが『ドミノ』であることに。

 事実、八分三連符のDM7で始まったドミノが半音ずつ上がってゆき、AbM7から一六分に戻って駆け上がる演出は、まさしく音の『ドミノ倒し』に他ならないのである。

 

 だが、始まりがあれば終わりがある。『ドミノ倒し』もまた例外ではなく、一オクターブ上までいったドミノはEM7から二拍三連に切り換わりEbM7、そしてDM7へと下降した。

 

 すると待っているのは一哉によるギターソロである。スリリングなアレンジを乗り越えた先にある彼の涼美的なプレイングに、有咲が息を飲んだ。

 

「すっげぇ……実里さんも一哉さんも、あれでホントに私らの一個上なのかよ……」

 

 あっという間に、二曲の演奏が終わる。

 上手から現れたスタッフが鳴海のベース交換を手伝っている間に、下手の実里がマイクを握った。最初のMCらしい。

 

「は~い皆さんこんばんは~! ORIONで~す!!」

 

 お決まりの口上から入るキーボーディスト兼司会の実里のトークが繰り広げられると、先月のSPACEで発表したアルバム制作の話題にうつった。

 

「実は今ですね、私達自主製作のアルバムを作ってまして。ここに来たのもそのレコーディングのためだったりするんですが……なんと今日この場で、新曲を何曲か初お披露目したいと思いまーす!!」

「新曲!?」

 

 判りやすいくらいに、あこと香澄が目を輝かせた。

 

「まあ『出来たてホヤホヤ』、『産地直送』みたいな感じでお送りしたいと思いますが、皆さん盛り上がる準備はいいですかー?」

 

 観客の答えは勿論、声援と拍手である。

 

「よしきた! ということで、影ちゃんのカウントに合わせて、この曲から行ってみましょー! タイトルも決まってます。『FIGHTMAN(ファイトマン)』!!」

 

 ──FIGHTMAN──

 

 ドラムのバック・ビートに合わせて、鳴海のソリッドなベースフレーズがうねる。

 ツー・ファイブの繰り返しで進むリズムパターンは比較的シンプルだが、ゆえにストリングスがレイヤーされたピアノやギターのコード・カッティングで醸し出すニュアンスが聴きどころだ。

 

 ところが。

 

『FIGHTMAN』のタイトルに相応しい演出は、サビを終えた後にあった。

 鳴海とピックを口にくわえた一哉によるベースとギターのスラップ合戦である。

 

「うわぁ、私あんな器用に指入らないよぅ」

「ギターだと弦の感覚が狭いからね。難易度高いよ、あれ」

「おたえなら出来る!?」

「あそこまで『こなす』のはけっこう練習しないと厳しいかも」

「もっと練習しないと、だね!」

「うん。頑張ろ、香澄」

 

 二小節ごとに攻守交替するパターンを四回ほど繰り返すと、ディレイがかかったディストーションがソロでうなりを上げる。

 楽曲全体の空気に呼応するように実里も楽しげにピアノソロを弾きまくって、最後のテーマ。

 エンディングを見事にキメると、オーディエンスのボルテージが一気に上がる。

 

 その熱に背を押され、影山が次のカウントに入った。

 

 ──THROUGH THE HIGHWAY(スルー・ザ・ハイウェイ)──

 

 ショッキングなブラスに合わせた一哉の印象的なコードカッティングでイントロが進むと、Low-Bが張られた真紅の10弦がブリブリとドライヴ感あるサウンドの『支柱』を作る。実里のオルガン・ソロではテンションが上がったのか、気がつけば彼女の足が一本浮いていた。

 

 続いて繰り出されるのはクラッシュシンバルとスネアを使ったパターンのドラム・ソロだ。

 ギターとブラスのキメに合わせてレギュラーグリップから叩き出されるソロ・フレーズ。その間に鳴海が再びベースを赤い八弦に持ち替えると、

 

 ──AKAPPACHI-ISM(アカッパチ・イズム)──

 

 暴走ベーシストお得意のラスゲアード奏法をフルに駆使したナンバーが飛び出してきた。ギターがシンプルなクリーン・トーンでメロをとっているのは、おそらくベース・パターンがかなり派手だからだろう。

 

「はは……鳴海さん、相変わらず飛ばしてるなあ」

 

 リサの苦笑に、

 

「あれが、鳴海奏太(そうた)さん……」

 

 りみの呟きが重なる。

 

「ん? りみ、何か言った?」

「あの……Pastel*palletes(パステル・パレット)って知ってますか?」

「ああ、うん。日菜(ひな)がいるグループだよね?」

 

 楽器演奏も自身で行うという独自スタイルのアイドルバンドである。

 

「はい。前にイヴちゃんから聞いたことあるんですけど、芸能事務所で月に何回かある楽器のレッスンでベースを担当してる人が、たしかそんな名前だったような気がして」

「え、そうなの!?」

 

 初耳だ。

 

「だから、どんな人なのかなって気になってて……」

 

 りみの視線を追って鳴海を見やったリサは、今度こそ本当に笑ってしまった。

 オクターブ奏法のギターがリリカルなフレーズを奏でるのに対して、オーバードライブで歪ませた複弦でライトハンドでもってベースを弾いているのだ。

 

「……あんな感じの人だよ」

 

 そう言うのがやっとだった。

 

「ありがとうございましたー! カズくんの『FIGHTMAN』に始まり、私の『THROUGH THE HIGHWAY』。そして我らが御大・ナルルン渾身の一曲『AKAPPACHI-ISM』とお送りしました!! この曲凄いよね。ナルルン、先にベース・パターンだけ書いてカズくんに丸投げしたんだもんね」

 

 そうなのよ、と応えながら鳴海はさらにベースを持ち替える。シンプルな五弦かと思ったら、一弦と二弦だけ複弦仕様になった七弦ベースらしい。

 何本持って来ているのだろうか、と考えたが、すぐにやめた。大した意味はないからだ。

 

 次のコーナーは春先に発表した曲達からのチョイスということで、まずは爽やかなナンバー『FLUSH UP(フラッシュ・アップ)』が披露された。

 

 続く『NOSTALGIA(ノスタルジア)』と『ROMANCING(ロマンシング)』のメロウなナンバーでぐぐっとムーディーな雰囲気を演出すると、待ってましたとばかりに始まったのは鳴海と影山のソロだ。

 八弦から繰り出されるうねるようなベースフレーズはもちろん、それをボトムで支える影山のドラム。余興のように挿し込まれたFブルースにもすぐさま対応する姿に、沙綾が感嘆の溜め息を吐いた。

 

 鳴海が座っている観客に立つよう煽ると、前列、中列、後列とぞろぞろと人が立ち上がり始めた。それに気をよくした鳴海が一六分ウラのトリッキーなキメを難なくこなすと、そのまま曲へとなだれ込む。

 

 ──青い炎──

 

 今までのシーケンサーによる始まり方とは打って変わり、ドラムのスリリングなフィル・インから、

 

 ──CYBER ZONE(サイバー・ゾーン)──

 

 ギターとブラスのユニゾンフレーズが印象的なこのナンバー。ギターソロではいつも以上に演奏に乗った一哉が、隙間を埋めるような音数でソロを奏でていたのが意外だった。

 全員総立ちの中、曲の終わりとともに鳴り響く四つ打ちのバスドラム。この流れはもちろん……

 

 ──ときめき──

 

 ここ最近の定番曲だ。ピッチシフターでオクターブ上が重ねられたディストーションによる美しいメロディーに、リサの口元に笑みが浮かぶ。

 二度めのサビ終わりにあるアタマ抜きの二拍三連も三度繰り返すというコンテンポラリーなアレンジが加えられ、ライヴごとに進化を続けるORIONの片鱗を改めて目の当たりにした。

 

「さあ、いよいよ次の曲が最後です!」

 

 チッチキ、チッチキ……、と刻まれるドラムのハイハットにのせた実里のMCに、前方の観客から、えー、という声があがる。

 

「最後のナンバーも、録り下ろしたばっかりの新曲! いってみたいと思いまーす!! 聴いてください『TOP WIND(トップ・ウィンド)』!」

 

 ──TOP WIND──

 

 ブラスのイントロに合わせてベースラインを奏でるギターとベース。

 いかにも『ORIONらしい』王道の16ビートナンバーで、ラストのギターソロではバッキングの実里が体操のお姉さんもかくやと言うほど飛び跳ねるというパフォーマンスもあったりと盛り沢山だった。

 

 大好評の中終演したORIONのステージだが、観客の拍手はまだその『終わり』を許そうとはしない。

 リサだけでなく、友希那や他のRoseliaメンバー、そしてPoppin’Partyの面々も、アンコールを求めて拍手を送る。

 アンコールに応えて出てきたORIONが、日も暮れた浜辺の夜空に送り出したのは……

 

 ──GOLDEN WAVES(ゴールデン・ウェイヴス)──

 

 ミドル・テンポのメロウなナンバーだ。今まで聴いたことのない、おそらくこれも新曲だろう。

 大海原をたゆたう一隻の舟のようなゆったりとしたギター・メロに、実里のストリングスが広い空を描き出す。

 どこに行くわけでもない。

 ただ、波に揺られているだけ。

 そう。この曲は『沈む太陽に照らされた金色の波』を『歌って』いるのであって、大航海の旅ではないのだ。

 そしてその海に、自然とオーディエンスも引き込まれてゆくのである。

 

「やっぱり、ライヴっていいなあ」

 

 聞き惚れるように、香澄が声を漏らす。

 

「一哉くん、すっごいキラキラドキドキして見えるもん!」

「戸山さん」

 

 割り込むように、腕を組んだ友希那が声をあげる。

 

「少し、違うわ」

「どういうことですか?」

「彼らのモットーよ」

 

 あ、と何かに気づいた様子でたえが手を打った。

 

「ワクワクドキドキ、ですよね?」

「ええ。それが一哉達の音楽との向き合い方」

「ワクワク……たしかに! キラキラしてるし、ワクワクもするっ!」

「香澄、お前それホントに判って言ってんのかー?」

「判ってるよぅ!」

 

 

 

 こうして『ウミボウズ・プレゼンツ/海の家ライヴ』は盛況のうちに幕を閉じた。

 

 

 

       

 

 

 ORIONのライヴが無事に終了した夜、友希那達は一哉達に別れを告げると別荘への帰路についていた。

 

 いいフレーズが出来そうだわ、とこぼした友希那の言葉に、リサ達もまた笑みがこぼれた。



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