主人公はジェリド・メサ (中津戸バズ)
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黒いガンダム

 サイド7のスペースコロニー、グリーン・ノア1の宇宙港は殺風景だった。固い無機質な床は必要以上に音を反響させ、ますますその淋しさを増加させる。

 隅に集まったむさ苦しい軍人達の中から、女の声が上がった。

「ジェリド、襟を閉めたらどうなの?」

「暑いんだよ」

「バカ言わないで。カクリコンはコートも着てるわよ」

 金髪をボリュームのあるオールバックに固めた長身の軍人が、ショートヘアの女士官の詰問をのらりくらりとかわす。彼の名はジェリド・メサ。エリート部隊ティターンズに所属する中尉だ。

「襟を閉めて制帽を被れってか? 訓練生じゃあるまいし」

「めくじらを立てるのは私だけではなくてよ」

「ジャマイカンも黙認してたさ」

 女士官とジェリドの問答が続く中、宇宙港に甲高い少女の声が響く。

「会えやしないわよ! カミーユ!」

 宇宙港に似合わないその声は、本人の意思にかかわらず注目を引く。ジェリド・メサも例外でなく、その声の主へ視線をやった。

 視線の先にいたのは、男女の二人組だった。先に行く中性的な少年を、アジア系の少女が追いかけている。

「女の名前なのに……なんだ男か」

 ジェリドは、何の気無しにそう言った。女の名が聞こえて振り向いてみれば、男だった。彼にとっては、それだけの話だ。

 少年が足を止めた。ジェリドの気持ちがどうであろうと、少年にとってそれはコンプレックスだ。彼のナイーブな心は、コンプレックスを刺激されれば黙っているはずもない。

 少年はその瞳を真っ直ぐにジェリドに向け、その足も同じ方向へ進んでいく。

「なめるな!」

 一般人立ち入り禁止を示す柵を飛び越えて、その少年はジェリドへ飛びかかった。鋭い踏み込みのまま、正拳突き。しかしその拳は、咄嗟に上体を反らしたジェリドには当たらない。

「このガキ!」

 間一髪かわしたジェリドは素早くその腕を取り、肩の関節を極める。肩甲骨が軋む。痛みに呻く少年は暴れるが、より深く関節を極められると逃れることはできない。

「俺達がティターンズと知ってのことか!」

 周りの兵士達も集まってくる。ジェリドと先ほどまで話し込んでいた士官の男女二人も一緒だ。

 ティターンズに対してテロ紛いの行動をするスペースノイドなど掃いて捨てるほどいる。まだハイスクールに通っているほどの少年だろうと、エゥーゴの関係者でないとは言い切れない。

「貴様エゥーゴか! ティターンズを狙って!」

 ジェリドが怒鳴り声を上げた。周囲の人間も、少年の言葉に注目する。どんな恨み言が飛び出るのか。

 少年は、その予想を大きく裏切る言葉を発した。

「……男に向かって、『なんだ』はないだろう!」

 間の抜けた沈黙が流れる。エゥーゴの手の者にしたって、他に言い訳のしようはいくらでもある。ジェリドの笑い声がその奇妙な雰囲気を破った。

「く……ハハハハハッ! それだけか、たったそれだけで!」

「そうだ! ティターンズだからって……!」

「そうかよ!」

 ジェリドの顔から笑みが消え、腕の力を抜いた。不意に支えを失って、カミーユはつんのめる。振り向きざまのカミーユの胸板を、ジェリドは蹴り飛ばした。

 しりもちをついたカミーユに、警備の手が迫る。

「来い! 貴様!」

「ただで済むと思うなよ、小僧!」

 カミーユの両脇を抱えているのはティターンズの憲兵だ。乱暴に引っ立てられれ、カミーユは暴れる。

「くそっ! おい、お前! 戦えよ! 一対一で戦えないのか!」

 手錠までかけられたカミーユは、ジェリドを挑発する。彼にできることはそれだけだ。ジェリドは鼻で笑った。

「カミーユ!」

 ファという名前の少女が、柵越しに声をあげていた。カミーユは彼女を一瞥することもなく、悪態をつき続ける。

 ジェリドは彼女をちらりと見やると、憲兵の一人を手招きし、耳打ちした。

「は……しかし……」

「かまわん! 俺の方も怪我はない」

 渋る憲兵をジェリドはそう押し切った。本来なら立ち入り禁止区画に部外者が入り込んだ時点で銃殺すらあり得る。

「くそっ! 放せ! お前っ!」

 まだ暴れるカミーユに、ジェリドはつい、また余計な一言を口にする。

「二度と馬鹿な真似はよすんだな。カミーユ『ちゃん』」

「ぐ……おおおおお!!」

 足をばたつかせるカミーユは、そのまま引きずられていった。

「カミーユ……」

 禁止区域に身を乗り出していたファが、心配そうにつぶやいた。カミーユがこれからどうなるか、彼女には見当もつかない。

「おい、お嬢ちゃん」

「あ……」

 ジェリドに声をかけられて、ファはびくりと体を震わせ、後ずさった。自分も同罪として扱われたら、という恐怖が頭をよぎる。

「喧嘩を吹っかけたのは俺の方だとあの憲兵には言っておいた。俺も怪我はないし、後ろ暗いところがなけりゃあ一週間もすれば出てくるはずさ」

「え……」

 ファは固まった。そう告げるジェリドの姿が、カミーユを必要以上に挑発する先程の彼と結びつかない。ましてや、エリート意識の塊のティターンズの言動とは思えなかった。

 ジェリドは追い払うように手を振る。

「……さあ、帰った帰った。お前さんまでしょっぴかれるのはごめんだろう」

 ようやく我に返ったファは、回れ右して駆け出して、不意に振り向いた。

「兵隊さん!」

「なんだ」

「……ありがとうございました」

 ファは、また駆け出した。ジェリドは深く息をつく。

「おい、いいのかよジェリド」

 ジェリドの同僚の、帽子の男が怪訝な顔で訊く。

「あの坊やがエゥーゴの関係者だと思うか?」

「いや……しかしなあ」

 その男は帽子を取った。禿げ上がった額のその男、カクリコンはどうにも納得がいかないようだ。

 ティターンズは地球連邦のエリート部隊であり、治安維持を目的として結成された組織だ。七年前のジオン公国との一年戦争、四年前のジオン残党の蜂起を受け、ジオンの残党狩りなどを中心に行っているとされている。

 しかしその実情は、地球生まれの地球至上主義者によるスペースノイドへの弾圧に終始していた。

 その弾圧を止めるため、いわば反ティターンズとして結成されたのがエゥーゴだ。宇宙寄りの大企業が出資者となり、その思想に共感した連邦軍人を中心にして、ティターンズを相手に戦っている。

「いいのよ、カクリコン……それよりもジェリド、よくあの子を許したわね」

 ショートカットの女軍人が口を挟む。先ほどまでジェリドが会話していたもう一人の相手だ。

「俺ももうガキじゃない……。今はあんな子供を相手にくだらん喧嘩などしてはいられんだろ」

「……そうね」

 ジェリドの成長に少し驚きながらも、女軍人、エマ・シーン中尉は頷いた。彼女の記憶の中のジェリドはもっと野蛮で、直情的で、傲慢だった。

「ま、そう怒るなよ。お前さんがああいう奴を見逃してやるなんて珍しいのさ」

 カクリコンが笑うと、ジェリドはむっとした様子だ。

「そうね、訓練生だった頃はいつも誰かと揉めていたもの。ねえ、カクリコン?」

 エマは悪戯っぽく笑ってカクリコンを見る。三人は同期生だ。カクリコンはばつが悪そうに広い額をかいた。いつもジェリドとつるんで揉め事を起こしていたのはカクリコンだ。

「お前こそ、同期の連中じゃあ一番手が早いって」

「殴られるのが嫌ならミスを無くすのが軍隊でしょう?」

 エマのさも当然と言ったふうな口ぶりに、二人は肩をすくめた。

 

 

 

 地上に落とされた影が滑っていく。三方の窓から太陽が照りつけるコロニーの空を、三機のモビルスーツが飛んでいた。

 磨き上げられた黒い機体は、その艶で陽の光を反射する。実に十八メートルはあるそのモビルスーツは、まるで生身の人間のように軽やかに宙を舞った。

「大した加速性能だな、こいつは! ハハハハハ!」

 ジェリドは思わず叫んだ。

 かつて一年戦争で勝利を呼んだ「白い悪魔」、ガンダム。その後継機こそが、彼が今乗るガンダムMk-Ⅱだ。

 特徴的なツインアイとV字アンテナはそのままに、内蔵式だった頭部バルカン砲を外付けのバルカンポッドに変更し、角ばったボディはより流線形へデザインされ直した。

 何より目を引くのは、その色だ。ティターンズの軍服にも似た、黒。全てを塗りつぶす黒色が、コロニーの空からスペースノイドを威圧している。

「無駄口を叩かないの!」

 エマがたしなめる。優等生のいい子ちゃんが、姉でも気取っているつもりか。ジェリドは心の中で毒づき、エマのミスを蒸し返す。

「エマ、お前侵入者を逃したらしいな」

 このグリーンノア2に先程現れた侵入者を試験中に発見したエマが攻撃したものの、その侵入者を逃してしまった件だ。

 彼らが試験を実施したのはグリーンノア2、バスクはグリプスと呼んでいるコロニーである。すでにティターンズの軍事拠点と化しており、エゥーゴの工作員が潜入することは考えられる。

 今彼らが試験をしているここはグリーンノア1。民間人が多く住む居住用スペースコロニーである。

 エマが言い返そうと口を開いた瞬間だ。

 耳に嫌に残る電子音。警報だ。

「なんだ!?」

 すぐさま基地へ通信を繋ぎ、状況を知る。

「コロニーの外壁を破って……モビルスーツが侵入してきただと!?」

 

 

 

 集結したジムⅡの隊列を追い越して、三機の黒い影が飛ぶ。ジムⅡは一年戦争時に生産されたジムの改修機にすぎない、もはや旧式化した機体だ。

 飛び出したばかりに侵入者に撃ち落とされたジムⅡが、地に伏せた。

「旧式は下がってろ! 俺達が落とす!」

 コロニーに侵入した三機のモビルスーツに向け、ジェリド達は機体を加速させる。

 敵も三機、こちらも三機。さらに地上のジムⅡ隊の援護もある。

 相手のパイロットか機体がよほど優れていない限り、負けはない。そのはずだ。

 見たこともないその新型が、その姿を表す。それはかつてジオン軍が用いたドムという機体に似たものだった。

 しかし彼ら三人のパイロットを襲うのは、それ以上の衝撃。

 三機のうち一機は、その装甲を赤く染めていたのだ。

「赤!」

「まさか……!」

「赤い彗星、だと!?」

 一年戦争のジオン側の大エース、「赤い彗星」シャア・アズナブル。偽物がハッタリを期待して、真似ただけかもしれない。しかし当然、本物の可能性もある。

 しかしジェリドは、不敵に笑う。俺はエリート部隊ティターンズの一員だ。テロリスト風情に負けるものか。

「望むところだ。赤いのは俺が相手をする!」

 ジェリドはビームサーベルに手を掛けた。

 地上のジムⅡ達による援護射撃が敵の新型を襲うが、それらは全て、危なげなく回避される。

「行くぞ! エマ、カクリコン!」

 頭部のバルカンポッドを乱射しながら、敵機体の銃撃を掻い潜り一気に距離を詰める。

「もらったあっ!」

 バックパックからビームサーベルを抜き、ジェリドは眼前の敵に向かって振り下ろした。

 赤い機体はその光刃を半身になってかわし、さらにMk-Ⅱの腹部に蹴りまで打ち込む。コクピットのジェリドは激しく揺れ、しかしそれでも攻撃の手は緩めない。

 スラスターの向きを変え、急降下するガンダムMk-Ⅱ。赤い機体の下側から、ビームサーベルを振り上げる。急上昇して逃れたリック・ディアスは、その背中を晒している。

「逃すか!」

 ジェリドの前進を阻んだのはビームピストルの射撃だ。背面のラックに収納されたままのリックディアスのビームピストルが、ジェリドに向けて放たれた。

 出鼻を挫かれたジェリドを、さらに手に持ったビームピストルの射撃が襲う。

「この……! くそっ!!」

 ジェリドは悪態をついた。

「なかなかイキがいいですな!」

 髭面のパイロット、ロベルトが新型のコクピットの中で笑った。眼下に迫るモビルスーツを前にそう減らず口を叩けるのは、彼らが一年戦争をくぐり抜けた歴戦のパイロットだからだ。

「大尉! 捕獲するのは一機でいいんですか?」

 カクリコンのMk-Ⅱを近づけさせずに、一方的に銃撃を続けるのはアポリーという名のパイロットだ。

 彼らが乗る新型モビルスーツ、リック・ディアスはガンダリウムγという新素材を装甲に用いており、その火力や運動性もまた、ジムⅡなどとは比較にならない。いわば新世代型モビルスーツだ。

「敵もなかなかやる、一機にしておけ! ……ふふ、ガンダムか」

 赤いリック・ディアスのパイロットシートには、赤いノーマルスーツを来た金髪の男が座っている。青い瞳をバイザーに映すその男は、ガンダムという響きに懐かしさを感じていた。

 彼の名は、クワトロ・バジーナ。エゥーゴに所属する大尉だ。

「うおおおお!!」

 ジェリドのMk-Ⅱはさらにもう一本のビームサーベルを抜き放ち、二刀流になって斬りつける。

 赤いリック・ディアスもビームサーベルを抜いて応戦する。クワトロは、戦場を俯瞰した。

「よし……二番機の動きが悪い! 捕獲するぞ!」

 接近戦を仕掛けてくるガンダムMk-Ⅱを片手間に押し返し、赤いリック・ディアスはカクリコンの二号機へと向きを変える。

「くそっ! 寄ってたかって俺を!」

 真正面で注意を引きつけるアポリーと、背後からの射撃で動きを止めるクワトロのリック・ディアス。

 追い詰めたカクリコン機にとどめを刺すのは上方から来るロベルトだ。

「させるか!」

 ジェリドの体がGを受け座席に押し付けられた。彼のMk-Ⅱはロベルトに追いつき、その胸元めがけてビームサーベルを振るう。

「ちいいっ!」

 一太刀目をどうにかビームサーベルで防いだロベルトだが、その反応はやや遅れている。二合、三合と打ち合わせるものの、ジェリドのペースだ。落とせる。これを勝機と見たのはジェリドだけではない。

「カクリコン! しばらく保たせなさい!」

 エマはビームライフルをロベルトのリック・ディアスに向け、引き金を引いた。その銃口から放たれた光が、ロベルト機のバックパックを掠める。

「なにい!?」

「逃すか!」

 好機と見たジェリドはさらにロベルト機のビームサーベルを払い、その胴体に自身の機体の肩口を勢いよくぶつける。

「くっ……今行くぞ! ロベルト!」

 アポリーが機体を上に向けた。ロベルトを救うべく、ジェリド達へと突っ込んでいく。

「いかん! アポリー!」

 クワトロが叫ぶ。しかしそれよりも早く、ジェリドは号令を下していた。

「今だ! 撃てーっ!!」

 地上のジムⅡ隊の一斉射がアポリー機を襲った。バックパックと脚部を撃たれ推力を失ったアポリー機は、減速のために噴かしたブースターのせいで、不規則な軌道を描いて落ちていく。

 アポリーのリック・ディアスが地面に落ちてしまっては回収は本格的に難しくなる。脱出ポッドを使おうにも、重力下では信用できない。クワトロはその進路を下へ取った。

「今さらケツをまくろうってぇ!」

 だがそれをカクリコンが阻む。すでにビームライフルを破壊されていたが、彼の闘志は消えていない。

 がむしゃらにビームサーベルを振り回す。しかし、その右手は一瞬で、クワトロの機体に切り落とされた。

「ええい……認識を改めねばなるまい」

 クワトロはカクリコン機の腹部を強く蹴飛ばし、ビームピストルを抜いた。立て続けに引き金を引き、カクリコン機に命中させる。

「うおおおお!!」

 シールドの内側、カクリコンは揺れるコクピットの中で叫んだ。

「いいわよ、ジェリド!」

 一方エマはヘルメットの中で呟く。

 ロベルト機は二対一の窮地のまま追い詰められていた。すでに片腕を落とされ、残った腕のクレイバズーカも残弾が少ない。

「エマ! お前さんはカクリコンへ行け! 赤い彗星が相手じゃ長くは保たん!」

「でもジェリド!」

「こいつは俺が落とす!」

 すでにエゥーゴは、捕獲よりも撤退を優先している。つまり、ガンダムMk-Ⅱを捕獲するための手加減もなくなった。

 これまでジェリド達が渡り合えたのは、相手が全力を出せないところに付け込んだからだ。もしリック・ディアスのパイロット達が本気になれば、あっという間に追い詰められているだろう。それは先ほどの赤いリック・ディアスとの戦いで、彼が肌で感じたことだ。

 エマは振り向き、カクリコンの援護に向かう。

 状況が相手の思うままに進むことに、ロベルトは歯がみした。一号機の足止めをするか、それとも。

「どこを見ている! エゥーゴ!」

 そのわずかな隙を突いて、ジェリドの機体が突っ込んでくる。ビームサーベルをロベルト機へ逆袈裟に振り上げた。

「甘いな!」

 紙一重でかわしたロベルトは、クレイバズーカをガンダムMk-Ⅱに向ける。正確には、向けようとした。

 コクピットが揺れる。

 ジェリドはビームサーベルを手放し、リック・ディアスの胴体に組みついたのだ。

「な……なにを!?」

「聞こえるか! 本部ビル! 今すぐ全員退避しろ!」

 スラスターを斜め上に向け、リック・ディアスを抱えての急降下だ。当然ロベルトも落ちないようにスラスターを噴射するが、推力で大きく水を開けられている上に、重力を敵に回しては飛べるはずもない。

 ジェリドはリック・ディアスのクレイバズーカを脇に抱え込んだ。これで、打つ手はない。

 風を切り、彼らはぐんぐんと加速していく。遠心力の擬似重力の底に向かって落ちる、2機のモビルスーツ。

「う……うおおおお!!」

 直前、ジェリドはバーニアを噴射した。全速力でぶつかっては彼もコロニーもタダでは済まない。減速だ。

 激しい衝突。落下した先は、ティターンズの本部ビルだ。ジェリドが通信で避難を促したものの、全員が脱出できたかはわからない。

 ロベルト自身も、落下の衝撃により朦朧としている。手の空いた兵士が、リック・ディアスの周りを取り囲み始めた。

 ジェリドのMk-Ⅱは、マウントポジションにも似た姿勢でリック・ディアスを拘束する。

 すでに上空では、赤いリック・ディアスが身を翻していた。撤退するつもりだ。追撃する余力は、カクリコンにはない。

 ジェリドは視線をぐしゃぐしゃに潰れた軍施設に向けた。遠い眼下には、拳を振り上げて怒鳴る軍人もいる。顔は見えないが、それなりの地位の人間だろう。

「こりゃ、始末書じゃ済まんかな……」

 ジェリドは天を仰いだ。開放型コロニーの空は、宇宙に繋がっている。

 

 

 



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カプセル破壊命令

 あのグリーンノア1でのリック・ディアスとの戦闘から数日。ジェリド達は、アレキサンドリアに乗りこみ、エゥーゴの旗艦アーガマを追撃する任務に出ていた。

 親ティターンズの連邦軍に連絡をつけてアーガマの足止めをさせることで、アーガマに追いつく計画である。

 ティターンズの女性士官、エマ・シーン中尉は、新造重巡洋艦アレキサンドリアの廊下を移動していた。ハンドグリップから手を離し、無重力の廊下の壁を蹴って目的のドアに手をかける。

「エマ・シーン中尉であります。足止めに向かわせていたボスニアのアーガマとの交戦報告を持ってまいりました」

「……うむ、入れ」

 ドアの内側からは低く重厚な声が返ってくる。バスクだ。

「失礼します」

 電子制御のドアが開き、エマは部屋に入る。

 エマの視界に飛び込んだのは、バスクと、彼の部下と、衰弱した一人の捕虜だった。

「これは……」

 エマは口元に手をやった。捕虜は体中傷だらけで、何日も寝ていない様子だった。

 尋問の域を超えている。間違いなく、拷問。エマはバスクを見た。

「どうした、エマ中尉。さっさと渡さんか」

「は、はっ」

 エマはどうにか取り繕い、バスクに書類を渡す。

 彼が書類に目を通す間、エマは横目で捕虜を見ていた。大きな鼻の短髪のパイロットだ。顔の殴られた痣が痛々しい。意識があるのかわからない目がエマに向いた。

 バスクは資料から目を上げた。

「ふむ……いいだろう」

「大佐。彼は……」

 ついにエマはそう切り出した。細い眉を寄せ、不信感をあらわにする。

「見てわからんか、中尉達が捕虜にしたエゥーゴのパイロットだ」

「ええ、わかります。しかしこれは拷問でしょう」

 彼女は生来まっすぐな人間だ。融通が効かないところはあるものの、理不尽な暴力を見過ごせない。凛とした澄んだ声が部屋に響く。

 バスクの顔がさっと赤くなった。ゴーグルの上までも怒気が滲み出ている。

「貴様!」

 バスクは大きな手でエマの顔を殴りつけた。無重力空間ゆえにエマの体が飛び、壁に当たって跳ね返る。帽子が宙を舞った。

「中尉風情が何を言うか!」

「し……しかし、捕虜の扱いは軍規では……」

「黙らんか!!」

 バスクはエマの胸ぐらを掴み、さらにもう一発、顔面にパンチを打ち込んだ。鼻血が空間に浮かび、バスクの白い手袋を赤く染める。

「さっさと出て行け!」

 無重力空間では鼻血は飛び散ってしまう。顔中に血を貼り付けながら、エマは部屋を追い出された。手にはかろうじて掴んだ帽子が握られている。

 ドアのロックが閉じた。

 廊下に浮いた彼女はポケットからちり紙を探る。その内心は揺れていた。

「拷問だなんて……」

 バスクが苛烈な人格を持っていることはある程度知っていた。しかし、このような非人道的な行為まで行っているなどとは思っていなかった。

 巷で流れているティターンズによる民間人への弾圧の噂すらも、あのような人格ならば本当かもしれない。

 エマはそこまで考えて、首を振った。そんな馬鹿なことがあるはずがない。きっと今回のあの捕虜の件も、何か重大なわけがあったのだろう。

 ポケットから取り出したがちり紙で鼻血を抑えるが、宙を舞う血の雫は、すでに彼女の帽子を汚していた。

「これも使えよ」

 宙に浮かんだちり紙がもう一つ。声の主はジェリドだった。

「ジェリド!」

「どうしたんだ、その鼻血は」

 ジェリドは呑気にそう訊いた。

 エマは迷った。ここで彼に捕虜への拷問のことを話せば、味方になってくれるかもしれない。しかし反対に、バスクへ密告する可能性もある。

 何より、彼女はバスクを信じたかった。捕虜への拷問は必要悪でしかなく、民間人への弾圧も全てが嘘っぱち。そんな期待を捨てきれずにいた。

 エマは、帽子を握りしめた。

「……いえ、まだ無重力帯に慣れてないから。ほら、ここの壁」

「ぶつけたのか」

「ええ」

 ジェリドは眉を上げた。苦笑するエマ。きつく握られた彼女の帽子は、皺だらけになっていた。

 

 

 

「アーガマに乗っているのはエゥーゴの指導者ブレックス准将だ! なんとしてもあの艦を落とせ!」

「はっ!」

 アレキサンドリアのブリッジではジャマイカン少佐がパイロット達へがなりたてていた。アレキサンドリアを含むこの艦隊を指揮するバスクの腹心である。

 ジャマイカンの後ろでは、バスクがその光景を眺めている。彼と目があって、エマは目を逸らした。

「ジェリド中尉には特命を与える。お前達は先に配置についておけ」

「はっ!」

 カクリコンとエマは揃って敬礼し、ブリッジを出て行く。エマは不思議と、後ろ髪を引かれる思いだった。

 二人がブリッジから出たことを確認してから、ジャマイカンは口を開いた。

「戦闘中、後続のカプセルが射出されるはずだ。おい!」

 ジャマイカンが呼びかけると、ブリッジのモニターの一つに今回の戦闘の模式図が映し出される。

「これがそのカプセルのコースだ。お前は戦闘には参加せず後方で待機しろ。敵がこのカプセルを回収するようなら、撃て」

「そのカプセルというのは、爆弾でしょうか」

 ジェリドは表情を変えず、ただ聞き返した。ジャマイカンもまた、仏頂面のままだ。

「まあ、そんなものだ」

「了解しました」

「よし、なら貴様も配置につけ! 準備が出来次第すぐに出撃だ!」

「はっ!」

 ブリッジを後にするジェリドの背中を見て、バスクはほくそ笑んだ。これで、見せしめの用意はできた。

 格納庫までの道中、ジェリドの内心はこの命令に懐疑的であった。人払をしてまで伝える必要があるのだろうか。間違いなく後ろ暗いところがあるからだろう。

 彼はノーマルスーツのヘルメットを被り、バイザーを下ろした。

 たとえこの命令が何であろうと、俺は必ずやり遂げてみせる。ティターンズでのし上がるためには、それしかない。むしろ俺にこの命令が下ったことを光栄に思え。

 決意を固めた彼は、Mk-Ⅱのコクピットに乗り込んだ。

 

 

 

「聞こえるか、アーガマ。こちらはティターンズのバスク・オム大佐である」

 アーガマのブリッジは騒然としていた。先日のグリーンノア1での作戦の失敗、それに続く連邦軍の追撃。貴重なパイロットを二人と、新型モビルスーツを二機失い、いわば出鼻をくじかれたアーガマの士気と結束は落ち込んでいる。

 そこに飛び込んだある通信は、彼らの心情を揺さぶった。

「貴様らエゥーゴのパイロットを二人、我々は預かっている。無事に返して欲しければ、二時間以内にブレックス・フォーラ准将の身柄を引き渡せ」

 グリーンノア1での戦闘で捕虜にされたリック・ディアスのパイロット、アポリーとロベルトのことだ。彼らを人質に、バスクはエゥーゴの指導者の身柄を要求している。

「バスクめ……! なんと恥知らずな!」

 ブレックス・フォーラ准将は壁を殴りつけた。

 その彼に、キャプテンシートから大男がその野太い声をかける。

「どうしましょう、准将」

 アーガマの艦長、ヘンケン・ベッケナー中佐だ。エゥーゴの旗艦を任されるほどの優秀な船乗りである。

「私が行くことはできん……! しかし、バスクの本当の狙いはそこではないのだ」

「そうでしょうな、要求に応えればエゥーゴが死ぬ。しかし無視すれば、エゥーゴからの離反者も出るかも知れません」

 クワトロが准将の弁を継いだ。サングラスの奥の青い瞳は、モニターのバスクを睨んでいる。

 バスクのやり口は悪どかった。

 無論、この要求には無理があった。たかがパイロット二人と組織の長では、全く釣り合いが取れない。エゥーゴの構成員もブレックスが出て行くわけにはいかないことは理解するだろう。

 しかし、パイロットを見殺しにしたとあれば、エゥーゴの士気に影響が出る。

 思想的な結束は、心情によって揺らぐ。これから全面戦争に突入して行くにあたって、どれだけの人間が今の考えを貫けるのか。

「むう……大尉ならばどうする」

「……私はパイロットですよ、准将」

 クワトロは助け舟を出さなかった。この状況において、逃げ道はない。大人しくアポリーとロベルトを見殺しにする他ない。

「……仕方あるまい。あの二人には悪いことをした」

 ブレックスはうつむいた。アレキサンドリアに追いつかれている今でさえ窮地には変わりない。重々しく、その口を開く。

「艦長、アレキサンドリアを振り切れるな?」

「モビルスーツ隊を撃退できれば、おそらくは」

 ブレックスとヘンケンの目がクワトロに向いた。

「やってみましょう。ただ、敵は手強いですよ」

「例のガンダムのパイロットか」

「はい」

 あっさりとそう言い切ったクワトロに、ブレックスは肩を落とした。嘘でもいいから、「私が全て叩き落として、ついでにアポリーとロベルトを救出してきます」とでも言ってはくれないものだった。

 

 

 

 アーガマには僚艦のサラミス改級モンブランが付いている。しかしそのモビルスーツはジムⅡのみであり、ティターンズのアレキサンドリアとがっぷり四つに組んで戦うにはアーガマの戦力を含めても心許なかった。

 加えて、アレキサンドリアには二隻のサラミス改級が同行している。ジムⅡだけでなく、ハイザックもある。

 すでに戦闘は始まっている。モビルスーツ隊が発進した。

「モビルスーツには構うな! アーガマをやれ!」

 ジャマイカンの指示がコクピット内に流れる。

「構うなと言われて、構わずにいられるものかよ」

 カクリコンは通信を繋げず、そう言い返す。ジャマイカンは嫌われ者だ。撃ってくる敵を前にして、ただ横っ腹を晒すことなど出来はしない。

「各機! 赤い新型は相当の手練れだ! 必ず複数人で当たれ!」

 クワトロが駆るリック・ディアスのビームピストルがジムⅡを撃ち抜いた。自分の指示がまるで通じず、カクリコンは舌打ちをする。

「ちっ! ジェリドの野郎は特命かよ!」

 背中を預ける親友は、今はいない。あの赤い新型相手に俺は戦えるのか。カクリコンは自問する。しかし、答えは出ない。

「ええい……! 数も質も段違いとはな……!」

 一方のリック・ディアスの中のクワトロも苦い顔を浮かべていた。

 一年戦争の頃、連邦のモビルスーツ「ガンダム」に辛酸を舐めさせられた思い出が蘇る。その舞台ははちょうどサイド7、先日の戦いが行われたグリーンノアの前身である。

 同じサイド7で、ガンダムの手で部下を二人失った。

 クワトロはがむしゃらに戦っている。その戦いぶりは、だんだんと、七年のブランクを取り戻しているように見えた。

「ジムⅡ隊は散開! ハイザック隊は敵艦に攻撃を集中させよ!」

 モビルスーツ隊の指揮官はエマだ。命令に従い、ハイザック達のビームライフルが繰り返し光条を放つ。

 エゥーゴのジムⅡが内側から光り爆ぜる。命が消える光は、不自然なほど美しかった。

 

 

 

 ライトを点滅させながら、カプセルが一台、その戦場を横断していた。人が入れるほどの大きさだ。

 ジェリドはようやく訪れた自らの出番の到来を喜び、そのビームライフルをカプセルに向ける。

 気配。

 カプセルの中からだ。宇宙で感じるはずがない気配。それは一般にニュータイプと呼ばれる人種が感じられるものだ。

「馬鹿な……」

 妙な感覚を、頭を振って追い払う。自分がニュータイプだと感じた事は、今まで一度もなかった。しかし、そのべっとりと張り付く不快感は、彼の脳裏から離れない。

 カプセルに狙いを定めた彼は、その表情を険しくする。あれは爆弾だ。そう自分に言い聞かせる。

 しかし、ジャマイカンは言葉を濁していた。ならばあれは捕虜なのか。ジェリドの頭の中で、その疑問が回り続ける。

「くそっ!」

 ジェリドは悪態をつき、通信のスイッチに手を伸ばした。

 

 

 

「クワトロ大尉!! 聞こえますか、大尉!!」

 リック・ディアスの中に、アーガマからの通信が飛び込む。トーレスだ。

「トーレスか、どうした」

「あ……アポリー中尉とロベルト中尉です!」

 トーレスの報告は要領を得ない。ビームピストルで眼前の敵を追い払って、クワトロは聞き返す。

「何がだ」

「二人が乗ったカプセルがそこを飛んでるんですよ!」

 ライトを明滅させその宙域を漂うカプセル。その窓を叩くのは、アポリーとロベルトだ。

「バスクめ……!」

 ブレックスはアーガマのブリッジシートから立ち上がった。

「准将、座っていてください!」

「これが落ち着いていられるものか! 殺すための人質なのだぞ!」

 ヘンケンの指示にも、ブレックスは怒鳴り返す。とはいえ、自分のシートに座り直すだけの冷静さはあったようだ。

「おのれ……こうまでして見せしめを作るつもりか!」

 はらわたが煮えくり返っているのはヘンケンも同じだ。こんな人質紛いの方法まで取るバスクを許すことはできない。

 モニターに映った望遠カメラの映像からは、アポリー達の身体も見える。拷問の後だ。パイロットスーツも着せていない。カプセルに穴でも開けばあっという間に死んでしまうだろう。

 何より許せないのはこうして戦場に放ったことだ。流れ弾が掠めただけで宇宙のチリになる恐怖を彼らは味わっているはずだ。残酷で非人道的な処刑を、エゥーゴの旗艦の目の前で行おうというのだ。

 アーガマのブリッジが揺れる中、真っ先にカプセル保護に動いたのはクワトロだった。優秀な部下を失うわけにはいかない。だがそうして隙を作らせることも、バスクの考えのうちだった。

「あの敵、何をするつもり?」

 エマがそれを察知する。やや突出していた彼女だが、そのクワトロの不可解な動きを見過ごすはずがない。グリーン・ノアでも、この赤い新型のパイロットの動きは手練れであろう他の二機をはるかに超えていた。常に赤い新型に注視するようになるのも当然と言える。

 ビームライフルで牽制し、彼女はクワトロの行き先を捕捉する。

「カプセル……?」

 赤いリック・ディアスの目指す先にあったのは、小さなカプセルだ。この乱戦の中では、彼女が気づかなかったのも無理はない。

 クワトロ機とカプセルの間に彼女はMk-Ⅱを割り込ませた。

「ええい!」

 クワトロはビームピストルを捨て、サーベルを抜く。対するエマはシールドを構え、その後ろでビームサーベルを握りしめた。

「エマ! 聞こえるか、エマ!」

 その緊張の一瞬を破ったのはジェリドの通信だ。エマは驚き、咄嗟に身を退く。

「戦闘中よ! 個人通信なんて……!」

「カプセルの中身を確認しろ! エマ! 俺の位置からでは遠くて見えん!」

 クワトロはすでにエマを捨て置き、カプセルへと突き進んでいる。

 ジェリドの指示を不可解に思いながらも、彼女自身、赤いリック・ディアスが目指すカプセルの中身は知りたいと思っていた。エマはその指示に従ってカメラの望遠を入れ、モニターに映るカプセルを拡大する。先程のバスクへの不信感が、彼女のなかにあったからだ。

「嘘よ……そんな……!」

「パイロットだろう、この間の!」

 エマが答えるまでもなく、ジェリドはその中身を言い当てた。

「ジェリド! 撃つのはやめなさい!」

 あの時拷問を受けていたパイロットもカプセルの中にいる。エマは叫んだ。しかしジェリドには届かない。彼はもう個人通信を切っていた。

 この間のパイロットだろうと、軍人ならば死ぬことは覚悟の上だろう。こうして戦場を飛ばしたのだって、言ってみれば普段の戦闘と変わらない。違いは一度捕虜にしたかどうかだけだ。ジェリドは口の中で呟く。

「恨むなら、こんな人質紛いの手を打ったバスクを呪うんだな!」

 指が引き金にかかる。跳ねる呼吸。ジェリドはその指に力を込めた。

 噛み締めた歯が、軋む。

 ビームライフルの銃口から飛び出した光は、そのカプセルを掠めることなく、赤いリック・ディアスめがけて飛んでいった。

「ぬおお!?」

 直撃を喰らい、揺れるリック・ディアス。だが、追撃はない。機体も動く。すぐさま体勢を立て直し、カプセルを回収する。

「ジェリド……!」

 エマは、そのカプセルを抱えたクワトロ機を追いかけようとして、やめた。

 二機の距離はぐんぐんと離れていく。

「……見逃した、というのか……」

 赤いリック・ディアスの中でクワトロは呟いた。エゥーゴに身を投じたものは、そのほとんどがティターンズの非道に憤りを感じている。そしてそれはティターンズの構成員であったとしても、あり得ない話ではない。

 コクピットの中で、ジェリドはじっとりと背中を濡らす汗に気づいた。指先の小さな震え。荒い呼吸。

 こんな人質じみた真似をする必要はない。俺たちはティターンズだ。あの程度の敵なら、もう一度戦ったって墜とせる。

 流れ弾が当たれば即死の恐怖の中でアーガマの連中への見せしめになるなど、戦士への仕打ちとは思えない。

 ジェリドはこの戦闘中、引き金を二度と引かなかった。

 

 

 

「何をやっておる!」

 ジャマイカンの怒鳴り声が響く。

「ジェリド貴様、こんな簡単な任務もこなせんのか! 訓練生からやり直すか! ええ!?」

「申し訳ありません」

 ただジェリドは頭を下げる。鼻息荒いジャマイカンはまだ収まらない。息を吸ってまた声を張り上げる。

「グリーンノアでの戦闘でいい気になりおって! この役立たずめが!!」

 ジャマイカンは怒鳴り疲れたのか、肩で息をしている。

「申し訳ありません、少佐」

 ジャマイカンは、ちらりと背後のバスクに目をやった。バスクは小さく顎をしゃくる。

「……もういい、下がれ。二度はないぞ」

 手を払ってジャマイカンはジェリドをブリッジから追い出した。

 ジェリドの表情は、固い。

 ブリッジ前の廊下でジェリドを待っていたのは、エマだった。手を後ろで組んで壁に寄りかかる彼女は、ジェリドを見てさっと顔を背けた

「……私の部屋に来なさい」

 それだけ言うと、エマはグリップを掴んで廊下を進んでいく。ジェリドは黙って、その後を追った。

 

 

 

「通信記録は、ちゃんと処分しただろうな」

 エマの部屋に入って一番、ジェリドはそう切り出した。

「ええ」

 エマは帽子を脱いだ。殺風景ではあるが、女の匂いがする部屋だ。

 ジェリドが密命を受けたあの戦闘では、結局アーガマを取り逃した。損害は与えたものの、追撃任務はまだ続く。

 再び二人の間に沈黙が流れる。お互いに、言いたいことはある。しかし、切り出すつもりになれなかった。

「ジェリド……あなた」

「外したんじゃない、外れたんだ」

 ジェリドは問われるまでもなく、答える。あのカプセルへの銃撃の話だ。

「嘘をつかないで。コースもわかっていたのなら、あなたが外すはずないわ」

「誰にだってミスはある。それとも、俺が情に絆されたって?」

「ええ、そうよ」

 エマは臆面もなくそう言い返す。ジェリドは調子が狂ってしまって、声を荒げた。

「馬鹿を言うな! あれはミスだ、次に機会があればいつだってあのカプセルを撃ち抜いてやる」

「ジェリド、よく聞いて」

 エマはいつになく真剣な面持ちだ。声も低い。

 目を閉じて、軽く深呼吸をする。再び目を開けた彼女は、その大きな瞳でジェリドを見つめた。

「私、エゥーゴに行こうと思ってるの」

 

 

 



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脱走

 アレキサンドリアのブリーフィングルームには、アーガマの追撃に参加している連邦軍士官の姿があった。というより、連邦軍所属のボスニアのクルー達が目立つ。

 ドアを開けて入って来たのは、ジェリドとカクリコン、そしてエマだ。

 カクリコンを除いた二人は、どこかよそよそしい。それどころか、ジェリドは不機嫌さすら露わにしている。

 乱暴に席についたジェリドに対し、連邦軍の荒くれパイロット達が目を止めた。

「名乗りも上げずにご登場かい?」

 連邦軍のパイロット、ライラ・ミラ・ライラだ。さばけた雰囲気の女大尉だが、その口ぶりはどこか柔らかい。席を立って、ジェリドの方へ近づく。

 むっとしたカクリコンとジェリドとは対照的なエマの憂いをライラは感じ取った。

 ライラはエマを見やってから、いたずらっぽく笑う。

「ティターンズというからどんなエリート様かと思えば、乳繰り合って痴話喧嘩とはね」

「何を!!」

 ジェリドも立ち上がった。連邦兵達は笑って囃し立てる。エマは座ったまま、無表情を装っていた。

「……何をやっとる、貴様は」

 ドアを開けて入室して来たのは作戦参謀であるジャマイカンだ。ライラは余裕に満ちた笑みを浮かべながら、ジェリドは不服そうに、それぞれ席についた。

「あー、ボスニアの諸君、とりわけライラ隊のパイロット達は、アーガマの足止めに貢献してくれている。よくやってくれた」

 投げやりな様子が口調に滲み出ている。

 ジャマイカンはジェリドを見た。連邦軍を持ち上げることで、密命を果たせなかったジェリドを言外に叱責しているのだ。

「それでは、今回の作戦を説明する」

 モニターに航路図が映る。

「エゥーゴの連中はこのように進路をとっている。どうやら地球に何かを降ろすつもりらしい。つまり我々は、連中を地球衛星軌道上……」

 航路図の一点が点滅する。

「この位置で叩く」

 おお、とパイロット達から声が上がった。ボスニアとの合同作戦なら、アーガマも沈められるはずだ。

「今から五時間もすれば会敵する、準備を怠るな」

 荒くれパイロット達は互いに顔を見合わせ、笑う。アーガマを墜とせばこの任務も終わり、気兼ねなく眠れるというものだ。

「今回の作戦、戦闘隊長はエマ中尉に任せる。以上、解散だ」

 ジェリドが席を立った。ドアを開けた彼は、エマをじろりと睨んでから、肩をいからせてブリーフィングルームを出た。

「なんだ、あいつ……」

 なあ、とカクリコンが同意を求めて呼びかけるが、エマは答えなかった。

 

 

 

「私、エゥーゴに行こうと思っているの」

 カプセルをあえて外して射撃した出撃の後、エマから想定外の告白をジェリドは受けた。

「ジェリド……あなたも来ない?」

「何を馬鹿な! カプセルの捕虜だって軍人だろうが!」

「ならなぜ見逃したの!?」

 声を荒げたジェリドは、冷静さも余裕もない。エマのその問いに対する答えも、持っていない。

「私はエゥーゴに……」

「言うな!!」

 胸ぐらを掴まれ、エマは思わず口を閉じる。噛み付かんばかりの形相で、ジェリドは怒鳴った。

「脱走は重罪だぞ! 俺は貴様に情なんぞ持っちゃいない……次にそんなことを言ったら、貴様はもう裏切り者なんだ!」

 胸ぐらの手に力がこもる。額がぶつかりそうな距離で、二人の視線が交錯する。

「聞きなさいジェリド! バスク大佐は……」

「もういい!」

 ジェリドはエマを突き放すと、ドアを開けて出て行ってしまった。部屋に残されたエマは、その開け放たれたドアを見て、膝を抱えた。

 

 

 

 

「待ちなよ、エリートさん」

 アレキサンドリアの廊下で、ジェリドはライラに呼び止められた。

「あのエマって娘がそんなに気に入らないのかい?」

 ライラは挑発的に笑う。

 先日ライラ隊を撃退したあの赤い新型は、おそらく赤い彗星。グリーンノアで赤い彗星を退けたジェリドに、ライラは少なからず興味を持っていた。

 しかし、そのジェリドはやけに同僚の女パイロットに敵意を燃やす余裕のない男だった。しかも聞くところによると密命にも失敗したらしい。

 ライラは、ジェリドの真価を測りかねていた。

「ティターンズがどんなご立派な組織か知らないが、あんたはただのお子様だね」

「貴様!」

 喧嘩の売り方も、ライラは板についている。ジェリドは怒りに任せて殴りかかった。不安や鬱憤を、その挑発にぶつける。

 彼の拳は振り抜かれた。無重力の廊下で跳び上がったライラは、ジェリドのパンチが眼下を通り過ぎると同時に天井を腕で押し加速して蹴りつける。

 小さくうめいて、ジェリドは顔を押さえた。

「宇宙には宇宙のやり方があるってことさ」

 続けてジェリドの腹を蹴りつけて、ライラはジェリドの視線に気づいた。

 威圧。そのプレッシャーに、ライラは一瞬凍りつく。勝っていたのは私だというのに。ライラはそう自分に言い聞かせる。

「……なら、その宇宙でのやり方というのを、俺に教えてくれ」

 ジェリドは重く口を開いた。ライラは怯えを押し殺して、その強気な態度を崩さない。

「……はっ。何を言うかと思えば。赤い彗星を撃退したティターンズのエリート様が私に?」

「頼む! ライラ!」

 ジェリドはライラの肩を掴んだ。剥き出しの白い二の腕に指が食い込む。

「俺は力が欲しいんだ! 出世したいんだよ!」

 ジェリドは顔を近づける。ライラは首を振って、ジェリドの腕を払おうと手をかけた。

「あたしにとっちゃあ理由なんて関係ないね。さっさとこの手を……」

「この通りだ、ライラ」

 ジェリドはそのまま、頭を下げた。エリート意識の塊であるはずのティターンズが、いち連邦軍相手に頭を下げる。それを見下ろすライラの目に宿るのは、失望か。

「およしったら。掴むのも、そうやって頭を下げるのも」

 ライラはうんざりした風を装ってそう言った。

 ジェリドの真価は結局、わからずじまいだった。こうして頭を下げることができるという事実は、赤い彗星を退けたエースパイロットとも、同僚の女との険悪さを隠さないお子様とも、合致しない。

 しかしそれが、ライラの興味を誘った。

「来な。戦闘が始まるまでレクチャーしてやる」

 ついてくるよう顎で指し示し、ライラは格納庫へ向けて床を蹴る。

「ライラ……! ありがとう!」

 まっすぐなジェリドの言葉に、ライラは鼻を鳴らした。

 

 

 

「提案があります」

 同じ頃、ブリーフィングルームでエマが手を挙げた。部屋を出たのは、まだライラとジェリドだけだった。

「何だ、エマ中尉」

 エマは立ち上がり、自らの見解を語る。

「地球へ何かを降下させるなら、アーガマはレーザー衛星の破壊もする必要があるはずです」

「それがどうした」

「私をレーザー衛星防衛のために先に出撃させてください」

 パイロット達の目つきが変わった。ジャマイカンも息を漏らす。

「ほう……」

「レーザー衛星破壊のために、アーガマはモビルスーツを使うと考えられます。ですから私がレーザー衛星付近で待機しアーガマのモビルスーツを観測次第照明弾を……」

「なるほど、そうすればモビルスーツのいないアーガマを狙えるというわけだ。だが、危険なのはお前だぞ」

 ジャマイカンは頷いてからエマに釘を刺す。ティターンズがわざわざそんなことをするより、連邦の兵士にでもやらせたほうがいいはずだ。

「構いません。Mk-Ⅱでなければ先回りできるスピードは出ませんし、それに……」

 エマは、ジェリドが座っていた席に目をやった。

「ティターンズという組織にあぐらをかいているだけでは、連邦軍や市民の支持は得られませんから」

 連邦のパイロット達は、その口角を上げた。エリート組織というティターンズだが、彼らの目の前にいるのは、そのエリートの名に見合う誇り高い士官だ。それも美女。彼らのライラ隊長とはタイプが違うが、鼻の下を伸ばしている者すらいる。

「ふむ……いいだろう。照明弾を撃てば敵のモビルスーツも、攻撃を察してアーガマへ戻るはずだ。お前が深追いされることもあるまい」

「ご理解、感謝いたします」

 エマは席についた。しきりに頷くカクリコンを横目に、彼女は両手を膝の上で握った。

 

 

 

「なんだと!?」

 ジェリドはカクリコンの胸ぐらを掴んだ。

「お、おい、離せよ」

「もう一度言え!」

 ジェリドの手は、より強く握られる。カクリコンは怒鳴り返すように答えた。

「だから、エマが単独で先に出撃したって……」

 ジェリドはカクリコンを突き飛ばすようにして、自分のMk-Ⅱのコクピットへと跳んだ。

 エマが先行することになった都合上、カクリコンが戦闘隊長に任命された。そのことを自慢しにジェリドがいる格納庫にやってきたカクリコンにとって、これは青天の霹靂だ。

「ジェリド!」

 ライラが叫ぶ。しかしジェリドは答えず、Mk-Ⅱのエンジンに火を入れた。

 エマの狙いは間違いない。ジェリドはコクピットのモニターを殴りつけたい衝動を抑え込む。

「裏切りなどさせんぞ、エマ!」

 Mk-Ⅱがハンガーから体を起こすと、ライラもカクリコンも、巻き添えにならないように引き下がる。

「ジェリド・メサ中尉だ! カタパルトハッチを開けろ! でなければハッチを撃ち抜く!」

 ジェリドの剣幕に押されて、ハッチが開かれる。カタパルトを使うことなく駆け出したジェリドのMk-Ⅱは、宇宙でそのスラスターをいっぱいに噴かした。

「なに!? ジェリドが無断出撃だと!?」

 ブリッジではジャマイカンが顔を青くする。

「ええい、作戦は変更だ! エマ中尉の照明弾は待たんでいい!」

 

 

 

「エマ! エマ中尉! 聞こえるか!!」

 エマのMk-Ⅱに届いた途切れ途切れの通信はジェリドの物だ。

「……来たのね、ジェリド」

 エマの機体がさらに加速する。

 アレキサンドリアを出た時はレーザー衛星への進路をとっていたエマの機体は、アーガマへ進路を変えるために推進剤と時間を使っていた。

 ジェリドはそれを理解していたからこそ、アーガマへまっすぐ飛び、エマの機体に追いつけたのだ。

「エマ! 今からでもレーザー衛星に進路を取れ!」

「私がアーガマに行くって、わかってるのね」

 自分は悪い女だとエマは思った。

「ジェリド、あなたもエゥーゴにおいでなさい。バスク大佐のやり口には、あなたも嫌気がさしているんでしょう?」

「俺はっ……!」

 ジェリドは言い淀んだ。事実、バスクのやり口の悪どさを、ジェリドとエマは目撃した。しかし、それはティターンズ全てが悪であるという証にはならない。男にとって力は憧れだ。ジェリドにとってそれはティターンズだった。

「ジェリド!」

 アースノイドにとって、ジオンは許せないものだ。一年戦争から七年も経っていない。ジェリドの父親は軍人だったが、ジオンに殺された。

 一度ティターンズを選んだ以上、そうそう宗旨替えはできない。

「俺はっ……ティターンズだ!」

 出世さえすればティターンズを変えられる。ジェリドは、エマの叛意を知ってもティターンズに報告していなかった。

 俺がティターンズを変える。その一言をあの時言えれば、この結末は避けられたかもしれなかった。

 

 

 

「艦長! 敵モビルスーツの反応があります!」」

 アーガマの艦橋で、オペレーターのトーレスがそう叫ぶ。

「なに! ええい……! 第一種戦闘配置だ! モビルスーツ隊を出せ!」

 思わずキャプテンシートから立ち上がったヘンケンは、通信機に向かって怒鳴りつけた。

 すでにレーザー衛星の破壊のためにクワトロ大尉は出発していた。レーザー衛星の破壊が遅れれば、それだけ大気圏突入用シャトル「ホウセンカ」の降下も遅れる。

 それはつまり、ホウセンカとその搭乗者が、本来の目的地へたどり着けなくなる危険性も高まるということだ。

「……えっ!? 艦長! 敵モビルスーツから通信が入っています!」

「いちいちそんなものを知らせんでいい!」

「降伏すると言ってるんですよ!」

 ヘンケンは目を丸くした。モニターに通信映像が出る。

「アーガマ。聞こえるか、アーガマ。こちらはティターンズのエマ・シーン中尉。これよりティターンズを離反してエゥーゴに付く!」

 そう簡単に信じられるものか。突っぱねようとしたヘンケンだが、モニターに映ったティターンズの女性士官の顔を見て、その気勢を削がれる。

「ど……どうしましょう、准将」

「どうもこうも……!」

 ブレックスは床を蹴って、トーレスの席に割り込む。

「エマ中尉といったな、君の随伴機はエゥーゴに来る意思はあるのか」

「……いえ、ありません」

「そうか。なら、その随伴機を墜とせ」

 ブレックスは淡々と告げる。モニターに映るエマの表情は、ヘルメットに隠れてしまった。

 わずかな間を、ブレックスは見逃さない

「やはりエゥーゴに来るというのは嘘で、騙し討ちか」

「いいえ!」

 ブレックスは決して非情な人間ではない。しかし、残酷なティターンズと戦う以上、非情な決断は往々にして必要となる。

 ヘンケンの表情が、ほんのわずかに曇った。彼は軍人であって政治家ではない。

「捕まえたぞ、エマ!」

 ジェリドのMk-Ⅱが、エマ機を羽交い締めに捉えた。エマのスラスターの噴射にも負けず、力強く抱く。

「放しなさい、ジェリド!」

 エマは一度アーガマへの通信を切った。

「黙れ! 貴様、さっきアーガマへ通信していたな!」

「ええ……もうあなたと私は敵同士なのよ!」

 機体を回転させ、エマはジェリド機の腕を振り払う。その勢いのまま蹴り飛ばし、ビームライフルを向けた。

「エマ……!」

「ためらいなど!」

 ビームライフルの銃口が光った。間一髪それを避けたジェリドは、同じくビームライフルを構える。

「貴様、撃ったな! この俺を! ティターンズを撃った!」

「敵同士よ!」

 続けてエマのビームライフルが火を吹く。Mk-Ⅱの盾を傷つけて、ビームは宇宙へ消えていった。

「貴様ああ!」

 ジェリドも負けじと撃ち返す。Mk-Ⅱの高い運動性を生かしたドッグファイトの最中に互いの銃撃が飛び交う。ブースターとビームの光が、激しくステップを刻んだ。

「ティターンズにしがみつくから!」

「よくも撃ったな!」

 ジェリド機の盾が外される。役に立たない伸縮ギミックを疎まれたのか、シールドは哀れ宇宙へ舞った。

 シールドの投擲を察知したエマは、同じく自機のシールドでそれを払う。

 シールドの付いている腕で払うことは、ジェリドに読まれていた。死角になる左腕の陰に沿って、ジェリドはエマ機の左側面に回り込んだ。

「墜ちろ!」

 咄嗟に出た左腕と引き換えに、エマはジェリドのビームを防いだ。シールドには耐ビームコーティングがなされているとはいえ、受けた角度と距離がまずかった。

 ジェリドはその銃撃の際にも、スラスターを全開にして突っ込む。片腕になったエマ機に再び取り付いたジェリドは、片腕で腰を、もう片方の手でビームライフルを持った右手を抑え込む。

 このまま無理やり牽引していくわけにもいかない。撃てば落とせる。しかしエマだ。

 一瞬のジェリドの迷いを、ジムⅡの銃撃が破る。

 アーガマと随伴のモンブランからモビルスーツ隊が発進したのだ。ジムⅡとはいえ、数の力の前にはジェリドも無力だ。

「十分だ、元ティターンズさん!」

「あとは俺たちに任せるんだな!」

 片腕のエマ機を守るような陣形を取ったジムⅡ隊は、ジェリドに向けて発砲する。戦力差は圧倒的だ。

 二機がかりでジェリド機を追いかけ、残りのジムⅡ隊がジェリドを撃つ。ビームがMk-Ⅱの足を掠めた。

 ジェリドが墜とされるのは時間の問題かに見えた。

「殺気を感じろ」

 その声に弾かれるように、Mk-Ⅱを追うジムⅡのビームをジェリドはかわした。

 その直後、そのジムⅡはビームに貫かれ爆散する。

「ふん……教えてやったことは、身についてるみたいだね」

 ジェリドの表情が明るくなった。

「ライラ! カクリコン!」

 その喜色満面の声にライラは肩を震わせる。カクリコンのMk-Ⅱが、返事代わりにカメラアイを点灯させた。

 アレキサンドリアとボスニアのモビルスーツ隊が増援に来たのだ。

「戦えるかい?」

「当たり前だ!」

 ジェリドは増援部隊の隊列に合流し、ライラのガルバルディβと肩を並べる。

 形勢は互角以上。ジェリドとライラの機体はエゥーゴの艦めがけて、スラスターを噴かした。

 ジムⅡ部隊の射撃を、ジェリドは見もせずにかわす。背後からの攻撃だというのに、避けなければならない攻撃だけは、本能が警鐘を鳴らす。

 あっという間に混戦状態に陥った中で、ジェリドとライラはエゥーゴのサラミス級巡洋艦モンブランへ肉薄する。

「二手に別れる!」

「おう!」

 機銃の掃射は二人の後を追うように宇宙の闇に溶ける。ビームライフルが次々にモンブランの装甲に穴を開けていった。

 機関部を狙うライラのガルバルディβに気づいたジムⅡが、ようやくライラを追いかける。ビームライフルの射撃で牽制し、どうにかライラの動きを止めた。

「ふふ、こりゃ一本とられたね」

 まるで自分を見ていないかのようなガルバルディβの戦いぶりに、ジムⅡのパイロットは疑念を抱く。そしてその疑念は、通信一つで氷解した。

 モンブランのブリッジは恐慌状態だ。弾幕を掻い潜り、そのモビルスーツはブリッジにビームライフルを向けている。

 何者にも染まらない、黒。黒いガンダムは、その引き金を引いた。

「大したもんだ……師匠のあたしも立つ瀬がないよ」

 シールドの裏のミサイルでジムⅡを撃墜したライラは、言葉とは裏腹な笑みを浮かべていた。

 ブリッジを失いコントロール不能になったモンブランへ、ジェリドは追撃する。ビームライフルのエネルギーも残りわずかだ。

 モンブランは一度強く光って、船体がほとんど真っ二つに折れた。ジェリドがもう一発ビームライフルを撃ち込むと、そのまま爆発して、デブリを周囲に撒き散らした。

 人の死の直前の光は、遠くからは美しく見えた。

「やったなあジェリド!」

 飛び込んだ通信はカクリコンだ。振り返れば、ガンダムMk-Ⅱがもう一機、ジェリドに向けて進路を取っている。

「カクリコン!」

「お前、エネルギーは持つのか?」

 カクリコンのMk-Ⅱは、シールドの裏にセットされた予備のエネルギーパックを取り外し、ジェリドに押し付ける。ジェリドのビームライフルのエネルギー残量はカラだ。

「ありがたい」

「なに、お互い様だ」

 カクリコンは落ち着いていた。ジェリドがエネルギーパックを付け替える間、周囲を警戒している。

「それに、一隻俺が墜とすまでは付き合ってもらわんとな」

 モニターから目を離さず、しかしリラックスした様子でカクリコンは笑った。

 ジェリドも釣られて笑う。

「お前さんにできるかね」

「バカ言えよ……」

 軽口を叩き合うのはいつものことだ。カクリコンの顔が、さっと真剣味を帯びる。

「エマはどうした」

「……裏切ったよ」

 カクリコンにも、エマの機体が敵の隊列に巻き込まれるようにしてアーガマに着艦したのは見えた。

 エマが裏切ったことはショックが大きいが、すでに疑いようのない事実だった。

「お前はそれをわかって無断出撃か!」

「さあな」

 ジェリドははぐらかした。事実を話せば、ジェリドがエマの叛意を知っていながら報告しなかったことも明るみに出る。

 それにエマが裏切った以上、事実を知ればカクリコンまで裏切ることも最悪の事態ではあるが想定していた。

 実弾が、二人の間を別つ。装甲に散弾が撒かれ、わずかな傷が表面を覆う。すばやく互いの距離をとった二人は、敵の姿を認めて口を揃えた。

「赤い彗星!」

 そのリックディアスは赤。身のこなしにも、隙はない。レーザー衛星を破壊してアーガマに戻ってきた彼らはようやく、戦線に参加する。

「相手してやるぜ、赤い彗星!」

 カクリコンのビームライフルが火を吹いた。最小限の動きでそれを躱したクワトロは、すぐさま撃ち返す。

「うおお!」

 カクリコン機はシールドを前に突き出した。散弾を受け止めたシールドが軋む。クレイバズーカの威力に、コクピットも揺れる。

 その脇から、ジェリドのMk-Ⅱもクワトロを狙う。カクリコンの攻撃と連携して、その避ける先を予測して銃火を浴びせる。

 クワトロの機体はジェリドとカクリコンの二機がかりの攻撃を掠らせもしなかった。

「甘いな!」

 クレイバズーカが眼前に迫る。身を捻って躱したジェリドだが、そのモニターには、突きつけられるビームサーベルが映っている。

 破壊されたバルカンポッドが、Mk-Ⅱの頭部から外れた。一部がひしゃげたそのバルカンポッドは所々火を吹き、沈黙する。ガンダムMk-Ⅱの右頬に傷が刻まれていた。

 乗機の頭部の破壊を免れたジェリドは、自身もビームサーベルを抜く。クレイバズーカよりは、ビームライフルの方が至近距離での取り回しは上だ。

 鍔迫り合いの直後、発砲が交わされる。狙いをつける暇など与えるつもりはないとばかりに、ジェリドは攻め立てる。

 一瞬の隙をついたリック・ディアスの蹴りが、ジェリド機のバランスを崩した。続け様のビームサーベルは防いだものの、クレイバズーカを躱せる体勢にはない。

 振り向きもせず、クワトロはクレイバズーカを背中に向けた。その弾丸はカクリコンを襲う。

「ぐおおおお!」

 クワトロ機へ狙いを定めていたカクリコンはすんでのところでシールドを割り込ませたものの、受け方が悪く宇宙でぐるりと体を回す。どうにかバーニアとAMBACで回転を止めたが、隙だらけだ。

 ジェリドの方も、未だ窮地を脱してはいない。カクリコンへの背面撃ちの隙をついて体勢を立て直そうとするものの、流れはクワトロにあった。

「なめるな!!」

 ジェリドはリック・ディアスのサーベルを払いつつ荒々しくビームライフルの銃口を密着させる。

 しかし、リックディアスはさらに体を押し付けそのビームライフルを逸らせると、頭部をクレイバズーカの銃身で殴りつけ、その腹部を蹴り飛ばした。慣性に従い伸ばされたMk-Ⅱの左腕を、そのビームサーベルが切り落とす。せっかくパックを交換したビームライフルが、握られたまま宇宙に浮かぶ。

 二人がかりだというのに、まるで勝ち目がない。これが本気の赤い彗星。これが、シャア・アズナブル。

 しかし、クワトロはそれ以上の攻撃をジェリドに加えなかった。それからすぐにビームピストルを両手に二挺持ち、ティターンズの部隊へ突っ込んでいく。

 これ以上はジェリドなどに付き合っていられない。一刻も早く敵を止め、アーガマ離脱の隙を作る必要があった。

 聖人が海を割るように、その赤い軌跡は爆発を周囲に伴っていた。ジムⅡやガルバルディβが、次々と墜とされていく。

「野郎!!」

「ジェリド! 撤退信号だ!」

 すでに十分な打撃は与えた。敵のエースパイロットに陣を崩されたことを機に、ジャマイカンは撤退信号を出した。

 ジェリドは舌打ちした。

「くそっ! シャアめ!」

「落ち着けよ、ジェリド」

 カクリコンのMk-Ⅱは、近くに浮いていたクレイバズーカを手に持った。クワトロのリック・ディアスがジェリドを殴りつけて放り捨てたものだ。

「見ろよ、ヘコんでるだろ」

 銃身の真ん中よりやや先に行ったところに、大きな凹みがあった。よく見れば、そこを境に銃身そのものが歪んで曲がってしまっていることもわかる。

「シャアだってなりふり構ってない」

「次は勝てるか」

 ジェリドの問いに、カクリコンは力強く笑って頷く。

「ああ。……さっさと離脱するぜ」

「おう」

 二人は並んでスラスターを噴かした。帰投する仲間たちのノズル光が、視界の星に交じる。

「エマ……」

 母艦へ向けて加速する機体の中、ジェリドは小さくそう呟いていた。

 

 

 

「ううむ……手ひどくやられたな……」

 ヘンケンは顎をさすった。

 クワトロの部隊が帰ってくると、ティターンズの部隊は波が引くように撤退していった。

 艦もモビルスーツも傷つき、モンブランに至っては撃沈された。

 どうにか当初の目的であったホウセンカの投下にこそ成功したものの、これはエゥーゴの大きな痛手だ。

「私が死なん限りエゥーゴも死なんよ」

 ブリッジの乗組員に向けてブレックスはそう嘯いてみせた。方便だとはわかっていても、士気は上がる。

 ブリッジの気密ドアが開く。赤のノーマルスーツの男が、敬礼をとって入ってきた。クワトロだ。

 ブレックスが振り向く。

「大尉か。今回は大尉のお陰で助かったよ」

「それはどうも。……彼女が、例の」

 クワトロの視線の先に居たのは、ティターンズ仕様のノーマルスーツを着たショートヘアの女士官。エマ・シーン中尉だ。

「ああ。大尉も含めて話し合っておこうと思ってな」

 エマはその視線に気づいて、とりあえず敬礼をした。

「……エマ・シーン中尉であります。迎え入れてくださり、感謝いたします」

「あ……うむ……」

「迎え入れると決まったわけではない。まだ観察期間も始まっておらんのだ」

 落ち着かない様子のヘンケンを制するように、ブレックスは厳しい言葉を告げた。

 エマもブレックスの言葉は予想していたようで、ショックを受けた様子もない。

 クワトロが口を開いた。

「私はクワトロ・バジーナ大尉だ。赤いリック・ディアスのパイロットをしている。中尉は、なぜエゥーゴに来ようと?」

「ティターンズの非道を目にしました」

「非道?」

 クワトロは低く聞き返す。何を目にしたか、彼は聞くつもりだ。

「先日、私はエゥーゴの捕虜をバスク大佐が拷問しているのを見ました。その直後の戦闘では、人質に使っているのも」

「……ほう。では君はあの時のMk-Ⅱのパイロットか」

「はい。一号機は私が……三号機にはジェリドが乗っていました」

 エマは自分の発言に驚いた。なぜ、ジェリドのことを話してしまったのだろう。

「そうか……三号機のパイロットはジェリドというのか」

 クワトロが呟く。

 あの時捕虜の乗ったカプセルを狙わずリック・ディアスを銃撃し、今日の戦闘ではモンブランを沈めクワトロに肉薄した三号機のパイロットには、少なからぬ興味がある。

 今はまだ青いものの、かつての自身のライバルを感じさせるパイロットだ。

 とはいえ、かつてのライバルとジェリドは違う。戦い方も感じ方も、おそらく考え方も違うだろう。似ているのはガンダムに乗っていることと、自身を一度とは言えやり込めたことだ。

「彼にエゥーゴに来るつもりは?」

「いえ……わかりません。でもジェリドはあの時、カプセルの中身を知って、撃ちませんでした。あえて外したんです」

「わかっている」

 クワトロはサングラスの奥で目配せをした。ヘンケンはすぐにブレックスを見、ブレックスは頷いた。

「いいだろう、このアーガマは君を迎え入れる。ただし、しばらくの間、中尉は保護観察期間だ。構わんね」

「はい」

「しばらくは不便をかけるが、すぐにエゥーゴの一員になれるさ」

 ヘンケンはたった今迎え入れられたエマ以上の笑みを見せた。大きく笑う彼に構わず、エマは案内されるままブリッジを出ようとした。

 彼女は足を止めて振り返る。

「クワトロ大尉とおっしゃいましたね」

「なんだ」

「あのカプセルの二人は……」

「今は治療中だ。もうじき、モビルスーツにも乗れる」

 エマは敬礼をして、ブリッジを出た。

 

 

 

「ジェリド! 貴様……なぜ無断出撃した! 営倉入りが望みか!?」

 神経質にジャマイカンが叫ぶ。ジェリドは仏頂面で、その顔を見返す。

 青筋が浮かんだジャマイカンの顔は赤く、ジェリドに掴みかからんばかりの勢いだ。先日のカプセル狙撃に続いて、また失敗。ジャマイカンが熱くなるのも無理はない。

 それに加えて、エマの離反。ジャマイカンはその憤りをジェリドにぶつけていた。

「連絡ミスですよ、少佐」

「連絡ミスだとお!?」

「こっちはあの作戦変更を聞いてない。自分からすれば、命令も出てないのにエマ中尉が勝手に出撃したのを止めようとしただけです」

「だとしても無断出撃だろう! 役立たずでは飽き足らず、足を引っ張りに出おったか!」

 ジャマイカンは言い返すはずのない相手に言い返され、ますます顔を赤くした。もはや赤黒いと言っていい。

「そうか、わかったぞジェリド! 貴様はエマを庇っているんだろう! 貴様もエマと同じ裏切り者か!」

「そこまでにしろ」

 低く重苦しい声が、ジャマイカンの後ろから飛ぶ。ブリッジの窓から星を見ていた大男が、振り返った。

 バスク・オム大佐だ。

「今回中尉は敵の艦を落とす働きをしてくれた。連絡ミスならば、それで帳消しにしてやらんか」

「しかし大佐、それでは示しがつきません! 我々はエリートなのですぞ!」

「くどいぞ! 中尉の今後の働きに期待できるのがわからんのか!」

「は、はっ! その通りで……」

 バスクは軍規よりも自分の好みを重視していた。彼の暴君ぶりにジェリドがこれほど感謝したことはない。

「私とブルネイはもうグリプスへ戻る。あとは任せるぞ」

「はっ!」

 ジャマイカン達は敬礼をしてバスクを見送る。

 バスクはジェリドの横で、一度立ち止まった。

「次にわしの命令を無視すればどうなるか、わかっているだろうな」

「はっ……心得ております」

 表情を隠すゴーグルの下の底知れぬ狂気がジェリドには感じられた。

 ジャマイカンからの説教を聞き終えたジェリドはブリッジを出た。

 幸運にも、お咎めはなし。一つ大きく伸びをしたジェリドは、ある人物に気づく。

 ブリッジのドアの側で、ライラが壁に背を預けていた。その表情は、決して明るくない。

「ライラか。どうした?」

「営倉入りになりそうなら、ちょいとケチをつけてやろうかと思ってね。ま、無駄足だったみたいだけど」

 壁を蹴ったライラは、ジェリドに背を向ける。

「あのエマって娘を茶化したこと、謝るよ。……悪かったね」

 裏切りを知っていたとしか思えないジェリドの行動。ライラは、その疑いを胸にしまい込んだ。

 

 

 



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サイド1の追撃

「悪くないな、これ」

「ああ。俺も意外だ」

 手元の袋から取り出したナッツを口に運ぶ彼ら二人の空気は弛緩していた。

 袋の口を閉めるように握り、もう片方の手でチューブ入り飲料を開けて咥える。

「せめて酒が飲めたらな」

「こんなジュースじゃ耐えられんよ」

 アレキサンドリアの酒保には、飲食用の休憩室が隣接されている。それなりの大部屋だが、今はジェリドとカクリコンの二人きりだ。

「ま、酒が飲めたところでこのチューブじゃ味気なかろう」

 二人は声を合わせて笑った。

 ナッツの袋が、がさりと音を立てる。空になったその袋をカクリコンは握りしめた。

 休憩室のドアが開いた。ジェリドとカクリコンのだらけた雰囲気はすぐに消え、立ち上がって敬礼する。

「む、ジェリド中尉にカクリコン中尉か」

 手に包みを持った軍人はアレキサンドリアの艦長であるガディ・キンゼーだ。黒いコートに黒い帽子を被り、そのひさしの下からは鋭い眼光が覗く。

 今はジャマイカンが艦隊を率いているため艦長として指揮を取ることは比較的少ないが、優れた船乗りとして艦内でも知られている。

「ガディ艦長も、何かお買い上げですか?」

「ん……まあな」

 照れ臭そうに笑うと、ガディは手に持った菓子を見せた。袋入りのシュークリームだ。

 ガディの人格に合わない甘い食べ物を見て、ジェリドとカクリコンの表情がやわらぐ。

 袋を開け、シュークリームを齧ってガディは尋ねた。

「確か二人は同期だったな」

「はっ」

「……エマ中尉も、だったか?」

 ガディの鋭い目がジェリドを射抜く。エマの裏切りにおいて、たしかにジェリドの行動は怪しい。

「はい。エマ中尉も同期です」

 甘いカスタードクリームを嚥下したガディは、ジェリドから視線を外さない。

「気の毒だったな、伝達ミスによる無断出撃に加え、同期が目の前で寝返るなど」

「お心遣い、痛み入ります」

「その二つが同時に起こるなど、ただの不運とは考えられん」

「……どういう意味でしょうか」

 ガディはジェリドを疑っている。ジャマイカンとの違いは、その優秀さだ。

 艦内放送が休憩室に鳴った。ジェリドに呼び出しがかかっている。

「む」

「自分が呼ばれているようですね。それでは、これで」

 ジェリドは残ったナッツを全て手に取って、口に放り込んだ。バリバリと音を立てて噛み、飲み込む。

 休憩室を出るジェリドの背中に、ガディの視線が突き刺さっていた。

 

 

 

「遅かったな、ジェリド中尉」

 呼び出しがかかってすぐ、ジェリドはジャマイカンの元に駆けつけた。それにも関わらずジャマイカンが彼をなじるのは、個人的感情に他ならない。

「失敗ばかりの貴様を役立てる方法を思いついたのだ」

 今度は何だ。いちいち嫌味っぽい言い方をするジャマイカンに、ジェリドは腹を立てた。

「貴様なりに今の状況を説明してみろ」

「はあ……」

 うんざりしながら、ジェリドは言われた通り説明した。

「アーガマは先日の地球衛星軌道上での戦い以降、サイド4の暗礁宙域へ逃げ込みました。デブリが多く、追跡は難しいと考えられます」

「追跡は難しいのではない、失敗したのだよ。アーガマの行き先として考えられるのは?」

 ジャマイカンは揚げ足を取った。

「サイド1、サイド2……それに月でしょうか」

「戦力はどうだ」

 ジャマイカンはジェリドが答えを言い終えるより早く次の問いを投げかける。

「戦力ですか。アーガマは先日の戦いでそれなりに痛手を負っています。こちらのモビルスーツ隊で残っているのはサチワヌはほぼ無傷、アレキサンドリアとボスニアのモビルスーツ隊はそれぞれ半数近くにまで落ち込んでいます」

「そう、そこでだ。中尉には助っ人に行ってもらいたい」

 ジャマイカンの指がぴんと立ち、口角が吊り上がった。

「助っ人?」

「ああ……そういう要望があった」

 

 

 

 ボスニアのモビルスーツデッキで、誘導灯が色とりどりに光っている。ティターンズよりも荒い。ジェリドは内心そう感じた。

 膝を曲げて衝撃を吸収しながら着艦したのは、ジェリドのガンダムMk-Ⅱだ。

 開いたコクピットのハッチを蹴って、無重力の格納庫へ降りる。ふわりとした浮遊感にも慣れてきた。

「ジェリド!」

 手を振っているパイロット。ライラだ。

 ジェリドは一時的にではあるが、ボスニアに配属になった。

 ジャマイカンは、痛手を与えたアーガマならば単艦でも沈められる公算は高いと読んでいた。しかし、そのアーガマの航路もわからない。

 そこで、サチワヌ、ボスニア、アレキサンドリアの三隻で手分けして、推定されたアーガマのルートを辿ることになった。

 問題は二つあった。一つは、痛手を負っているとはいえ、アーガマに発見され返り討ちにされる可能性があること。もう一つは、万が一にもアーガマを沈めた場合の手柄だった。

 アレキサンドリアとサチワヌはティターンズの所属だが、ボスニアは違う。もしボスニアがアーガマを拿捕なり撃沈なりしてしまえば、ティターンズの面目は丸潰れだ。そして反対に、現時点で戦力が最も少ないのもボスニアだった。

 ボスニアを沈めさせず、万一アーガマを沈めた場合は手柄をティターンズの物にする方法。

 ジェリドは自虐的に笑った。

「ジャマイカンに俺は疎まれてるからな。いい厄介払いの口実だったろう」

「こっちは望んであんたを呼んだんだ。いっそティターンズなんて辞めて、ウチに来ないかい?」

 冗談だろう、と言ったジェリドは、まだ笑っていた。

「それにしても、やっぱりあんたの要望か」

「まあね。まだ教え足りないのさ」

 ジェリドが乗ってきたMk-Ⅱにはもう、整備兵が群がっている。ムーバブルフレーム機を扱うのは彼らにとっても初めてだろう。

「ジェリド、あんたにはいい男になる素質がある」

「いい男か」

「いい男ならもたれかかって酒が飲める……いいものだよ」

 ライラの柔らかそうな唇は、そう言葉を続けた。

 格納庫を眺める彼女の横顔に、ジェリドは見惚れていた。

 

 

 

「エマ中尉」

 廊下を移動するエマは呼び止められ、移動用のハンドグリップを停めた。

「なんでしょう」

 振り向いた先には、髭面の大男。アーガマの艦長のヘンケン・ベッケナーだ。

「うむ……お茶でもどうかと思って」

「お茶ですか?」

 エマは怪訝な表情だ。ヘンケンは頭を掻いた。

「その……アーガマの食堂で……」

「……昨日もお付き合いしたばかりです」

 昨日も同じように、ヘンケンはエマを誘っていた。

「せっかくのお誘いですが、もうすぐ艦を出ますので」

 エマはすげなく断って、再び廊下を移動し始めた。彼女には大事な予定がある。

 ヘンケンはがっくりと肩を落とした。やはり、昨日お茶した時に、何かミスでもあったのだろうか。思い返せば緊張して、カットされたケーキをあっという間にばくばくと平らげしまった。一口が小さいエマを急かすように見えてしまったかもしれない。ヘンケンは逡巡する。

 エマはそんなヘンケンを見かねたのか、首だけを振り向かせて付け加えた。

「私、明日の午後空いてます」

 ヘンケンは呆気に取られてしばらくエマの背中を眺めてから、ぱあっと顔を明るくする。彼はにやけた顔で、ブリッジに戻った。

 

 

 

 ボスニアの艦長であるチャン・ヤーにも挨拶を済ませ、ジェリドはのんびり過ごしていた。ライラの言葉は覚えていたが、珍しさが勝った。サラミス級に乗るのは訓練生の頃の一授業以来だ。

 一年戦争中に造られたものだろう。七年ほどの月日を感じさせるのは、やはり通路だ。船内移動用のハンドグリップには滑り止めが擦り切れているものもある。

 まだ老朽というほどではないが、経年劣化の相は否めない。

 ジェリドが向かったのは酒保だ。ティターンズの制服を見て、酒保の兵士は無言で敬礼した。

「シュークリーム、あるか?」

「いえ」

 酒保の兵士は無愛想だ。嫌われたものだ、と思いつつ、ジェリドは品揃えを見た。やはりアレキサンドリアと比べると見劣りする。ティターンズの特別扱いもずいぶん行き過ぎている。

 ジェリドの目が一点に止まった。

「酒じゃないか」

 ジュースと同じチューブ入りのアルコール飲料だ。軍規では基本的に、航宙中の飲酒はご法度。ボスニアでは軍規違反が横行しているようだ。

 しかしジェリドも、軍規に忠実というわけではなかった。

「……いくらだ」

「現金払いですよ」

「二本くれ」

 酒保ではツケが一般的だ。軍人手帳の磁気カードで買い物をすると、給料から天引きされる。当然ながら、軍規違反のこの飲み物を記録に残すわけにはいかない。

 ジェリドはポケットに手をやって、財布から小銭を取り出し、渡す。

 釣り銭と酒が、ぶっきらぼうに突き出された。酒のチューブは、艦内の明かりを琥珀色の液体に映している。

 ライラの部屋はどこだったか。浮かれたジェリドに、艦内放送で呼び出しがかかった。

 

 

 

「本当にアーガマがここに入ったのかよ」

「あたしを疑うのかい?」

 30バンチコロニー。今から二年ほど前、伝染病の流行によって住民が全滅したという曰く付きのコロニーだ。

 コロニー内部へ続く通路は、そのコロニーの前評判に反してさほど汚れていない。

 宇宙では堆積する埃もないものだ。

 ティターンズの黒いパイロットスーツの左胸には、赤い星が描かれている。ジェリドのパーソナルマークだ。

「人が全員死んだっていうなら、秘密基地にはうってつけか」

 そう呟きながらジェリドはコロニー内部へ出た。

 一見する限りでは、とても内部の人間が全滅したとは思えなかった。街の景色も、正常そのもの。重力もある。パイロットスーツは、空気が正常であることを示している。

「二年もすれば病原菌も全滅してるさ」

 バイザーを開けるか迷っていたジェリドの内心を、ライラは言い当てた。

 ボスニアのクルーも二人ついてきている。彼らは二人ずつのペアになって、敵の基地があるかも知れない三十バンチを調べることになっていた。

「なあ、ライラ」

 ボスニアのクルーと離れてすぐに、ジェリドはライラに話しかけた。

「なんだい?」

「ボスニアじゃあ酒が売ってるんだな」

 ライラは小さく笑った。

「憲兵にチクるのかい?」

「いや、大好物さ。……二本買ったんだ。帰ったら飲もうぜ」

「その時は、もたれかかって飲ませてくれ」

 ジェリドは目を丸くしてから、力強く頷いた。

 公園のベンチに人影が見える。二人は銃を構えた。

「これは……」

「死体か」

 すでにミイラ化している。気にしていなかったが、コロニー内の気温も高い。ミラーが動かないからだ。

「妙だ」

 ジェリドはその死体に近づき、しゃがみ込む。

「伝染病なら、もっと苦しんで死ぬはずだぜ。だが見ろ、まるでデートの待ち合わせだ」

 死体は、若い女のような装いだ。かわいらしい細身の腕時計に、華奢なデザインのミュール。今では見る影もないが、おそらくはうら若き乙女というべき人物だっただろう。

「病気で死にかけながらデートに行くか?」

 振り向いたジェリドの表情が固くなった。どこかから、話し声がする。おそらくエゥーゴだ。ライラも周囲を警戒する。

 二人は足音を立てずに近くの建物に隠れる。聞き耳を立てると、その声は男女一人ずつとわかってきた。

「ここで起こった反地球連邦のデモは、大規模ではあったが暴力的ではなかった」

「それではなぜ?」

 女の声を聞いて、ジェリドは二人が見える場所を慌てて探し始めた。やがて彼は、建物の陰から、会話する二人を覗き込んだ。

「エマ……!」

 やはり。ジェリドは自身の直感が的中したことを悔やんだ。

 ライラははやるジェリドの肩越しに、エゥーゴの二人を見た。

「あれは確かエマ中尉……。あの赤いパイロットスーツは何者だ?」

 赤いパイロットスーツの男は、ジェリド達に背を向けていた。

「地球連邦は、宇宙という環境に適応した人々を恐れている。自分たちの立場が脅かされると思ったのだろう」

「ニュータイプの力が怖かったと?」

「そうだ。ニュータイプのことを知らんから連邦の上層部は怯えて、デモの鎮圧をティターンズに委ねた。スペースノイドの力を削ぐためだ」

 赤いパイロットスーツの男が振り向いた。会話の内容はジェリド達にも聞こえている。その内容は、彼らも気づいていたコロニーの不可解な状態に関するものだ。

「シャア……!」

 グリーンノアでの戦闘の後、ジェリドは赤い彗星について調べていた。赤いパイロットスーツの男の輪郭や口元は、旧ジオン公国の記事などに載っていた仮面の男と一致している。

 そして何より、このコロニーに来た時から感じる圧迫感は、間違いなく、あの赤いリック・ディアスが放っていたものと同質の物だった。

 ライラはジェリドに囁く。

「出るよ。三、二、一……」

「動くな!」

 ジェリドとライラは物陰から飛び出し、拳銃を二人に向けた。振り向いたエマの表情が驚愕に歪む。

「ジェリド!」

「手を上げろ! 動けば撃つ!」

 エゥーゴの二人は銃を抜いてもいない。クワトロが何事かエマに言い含めると、二人は大人しく手を上げた。

「……シャア・アズナブルだな」

 ジェリドの視線がクワトロを捉えた。エマの瞳が揺れる。

「今の私はクワトロ・バジーナだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「言ってろよ。ちょいと付き合ってもらうぜ」

 一歩前に進み出て、ライラはジェリドに目配せする。

「たのむ、ライラ」

 ジェリドがうなずくと、ライラは銃を構えたまま、エマとクワトロに近づいていった。

「まず、アーガマはここに何の用があって来た? やはり基地があるのか?」

「ここの死体を見たか?」

 クワトロは問いに答えなかった。会話がスムーズにいかないことに、ジェリドは苛立った。

 発砲音。クワトロの足元に、弾痕が残っている。ライラは思わず振り向いた。

「質問に答えろ! 次は当てるぞ……!」

 ジェリドは確かに熱くなっているが、まだ許容範囲だ。むしろ、感情的になったふりをして相手を揺さぶるつもりかもしれない。ライラはエマのパイロットスーツから拳銃を奪い、今度はクワトロに近づいていく。

 たった今発砲されたというのに、クワトロは落ち着いていた。手を上げたまま、言葉を続ける。

「公に発表されている伝染病と考えると、説明ができんことがある。それは君たちもわかっている通りだ」

「黙れ!」

 今度はジェリドは発砲しなかった。ライラがクワトロの近くにいるからだ。

「二年前、ここ三十バンチには毒ガスが撒かれた。犯人はバスクとティターンズだ」

「黙れと言っている!」

「悪しきザビ家を、連邦がやり直そうとしているのだよ!」

 ジェリドの冷静さが失われていく。ライラもこれ以上クワトロに話させまいとまなじりを決した。

 その一瞬の隙をつき、エマは駆け出す。振り向いたライラがその体当たりでバランスを崩したところを、クワトロが捉えた。

 首に手を回し、手に持った拳銃をライラのこめかみに押し当てる。

「嘘だ! いくらバスクでも、そんなことをするものか!」

 ジェリドは両手で銃のグリップを握りしめる。パイロットスーツの内側にじっとりと汗が染みていた。

「ジェリド、ティターンズはジャミトフの私兵よ。そうして意地を張るのはやめなさい」

「エゥーゴだってアナハイムの私兵だろうが!」

 ジェリドはエマに怒鳴り返す。エゥーゴという組織が独自のモビルスーツを運用できるのは、大きな後ろ盾があるからだ。その後ろ盾がアナハイム・エレクトロニクスというのが、もっぱらの噂だった。

「ジェリド君。エゥーゴに来るつもりはないのか」

 情報統制を取れるのは連邦だ。つまり、三十バンチ事件の犯人が連邦の所属であることはほぼ間違いない。

 バスクは一千万人近い民間人の命を奪った。ジェリドも、できることなら否定したいことだ。だが、バスクならやりかねない。

 ジェリドはティターンズをはじめとするアースノイドのスペースノイドへの差別意識を知っている。連邦軍の一部が暴走したとしたら、ありえない話ではない。ティターンズは、はたして一千万人の命の上に立つ正義を持っているだろうか。

 ジェリドの額の脂汗が、目元にまで垂れてくる。クワトロから外した視線は、ライラに引きつけられる。

「貴様らエゥーゴは、正義なのかよ」

 消え入りそうな声で、ジェリドは言った。

「人類の半分を殺したジオンのなりそこないが、正義であるものかよ!!」

 悲痛な叫びが三十バンチにこだまする。一年戦争のコロニー落とし、それに次ぐジオンの侵攻。ジェリドは友人を失い、ジオン軍人の横暴に逃げ惑った。まだ復興は終わっていない。ボロボロになった街も、失われた命も戻ってこない。

 一年戦争で、ジェリドの母親は心を病んでしまった。夫は戦地で死に、これまで暮らしてきた家は焼かれた彼女は、帰ってくるはずのない夫を待ち続けている。今は親戚の家に預けているが、もし彼がティターンズに反旗を翻してエゥーゴに行けば、その母親や親戚は逮捕されひどい仕打ちを受けるだろう。バスクの非情さを知ったジェリドは、それも恐れている。

 ジオンへの怒りと、母親への配慮と、ティターンズへの忠誠。それら三つの割合など、熱くなったジェリドにはわからない。

「君の論理はすり替えだ。エゥーゴはジオンではない」

「じゃあなんで赤い彗星がエゥーゴだ!」

 遠くにエンジン音が聞こえる。二手に分かれていたボスニアのクルーが、銃声を聞きつけて近くに来ている。

「……また会おう、ジェリド君」

 クワトロはライラを捕らえたまま、じりじりと後ずさった。

 逃がすまいとするジェリドが一歩踏み込んだ。その瞬間、クワトロはライラを突き飛ばす。

 後ずさるクワトロに引っ張られたライラは、後方へ傾いた体勢を戻そうと体重を前にかけていた。クワトロに突き飛ばされた彼女は、前方へ倒れこむ。

「ライラ!」

 ジェリドは駆け寄り、ライラの体を支える。ライラの脇から通した手がエゥーゴの二人へ拳銃を向けるが、ちょうど二人は建物の死角に隠れるところだった。

「……ライラ、ボスニアに戻ろう。モビルスーツ戦になる」

 ジェリドは言った。その目はクワトロ達が消えた曲がり角を、じっと見つめていた。

 

 

 

 エマ・シーンの印象は、その生真面目さに終始している。

 日系人ゆえの彫りの浅い顔立ちと、くりっとした愛らしい瞳。細い眉を吊り上げて他者の甘えや失態を口うるさく指摘する彼女の姿は、その態度とは裏腹な、ある種の愛嬌を感じさせる。

 軍人家庭に生まれた彼女は、両親から深い愛情を受けて育った。軍人とは国家の持つ暴力であり、それゆえに自らを強く律する必要があるとの考え方も、両親からの影響だ。

 後方勤務の軍人だった父親は、低いバリトンボイスと大きな体に似合わず、エマを叱る際にも声を荒げることがなかった。家に居ることは少なかったが、彼の姿はエマにとって理想の軍人だった。

 真面目な性格とパイロットとしての高い資質を持った彼女は連邦軍内でめきめきと頭角を表し、ティターンズへの入隊まで認められた。

 しかし、彼女の運命はそこで変わった。

「エマ中尉……気をつけてくれ」

 モニターからは髭を生やした武骨な顔が見つめている。エマは、艦長がこうして私情を挟むことを好ましく思う女ではない。

 しかし、存外悪い気分ではなかった。それはわずかなりとも触れたヘンケンの人格を気に入っているからだろうか。

「……はい」

 エマの答えは、短かった。

 アーガマは戦力不足に悩まされていた。グリーン・ノア1での戦いを皮切りに、アーガマのモビルスーツは次々と落とされていく。

 想定以上のペースで撃墜されたモビルスーツ隊のおかげで、予備パーツは大量に余っていた。それを使って組み上げたリック・ディアスが、今エマが搭乗しているモビルスーツだ。

「エマ・シーン、リック・ディアス! 出ます!」

 カタパルトデッキに出たモビルスーツからの眺めは、他では味わえない。視界の右側はアーガマの艦体によって塞がれ、前面では、星空を爆発の光が彩っている。

 体がシートに押し付けられた。アーガマは視界の後ろの方へ流れていく。カタパルトでの加速は、鍛えられたパイロットでも堪える物だ。

 エゥーゴで不足していたのはモビルスーツだけではない。パイロットもだ。このサイド1へ進路をとったのも、エマを即戦力として活用するためでもあった。

 たった今、エマの保護観察期間は終わった。腕のいいパイロットを遊ばせておくわけにはいかない。

 エマ機に通信が入った。またヘンケンからだ。

「エマ中尉、さっきも言ったがあまりアーガマから離れんでくれ。足は敵よりアーガマの方が速い」

「……それでいいんですか?」

 アーガマの推力ならば、サラミス改級であるボスニアを振り切ることができる。また、アーガマ発見の報はアレキサンドリアにも届いているだろう。もたもたしていては包囲されてしまう危険性もある。そういう意味では、ヘンケンの指示は理にかなっている。

 しかし、前面に比して装甲で劣る背面を向けて逃げればアーガマとて無事では済まない。

 今求められていることは、一刻も早くボスニアに打撃を与えることだ。それも、しばらくはアーガマを追跡できなくなるほどの大打撃だ。その証拠に、ヘンケンはクワトロにボスニア攻撃を命じている。

「……中尉には、アーガマのそばにいてもらいたい」

 苦虫を噛み潰したような表情で、ヘンケンは絞り出した。エマの胸に、暗い罪悪感が差す。

「命令ならば従います」

「……エマ中尉。ただちに敵艦へ攻撃を開始してくれ」

 わずかばかりのモビルスーツ隊がアーガマの防衛についている。

 隊の割り振りに含まれていないエマは、クワトロと同じく敵艦への攻撃に振り分けるのが最良であるとの判断を、ヘンケンは下した。

「了解」

「……生き残ってくれ」

 ヘンケンからの通信は、それで途切れた。エマは息を吐き、フットペダルを踏み込んだ。

 

 

 

「シャアだ! シャアを止めろ!」

 ジェリドのMk-Ⅱが、クワトロのリック・ディアスの進路に割り込む。すぐさま向けられたクレイバズーカに臆することなく、ジェリドは加速した。

「三十バンチでは世話になった!」

 ジェリドのMk-Ⅱはわずかに右に針路を取る。左手につけたシールドに、散弾の傷がついた。クワトロのクレイバズーカだ。

「おおおおおおお!!」

 プロレス技のラリアットのように、強引に左腕をリック・ディアスの顔面に叩きつける。

 そのまま引き込み、右手のビームライフルをリック・ディアスの背面に突きつける。

「ええい!」

 クワトロは超一流のパイロットだ。背後のビームライフルを素早く蹴り上げ、銃撃を許さない。

 ジェリドは手元から離れたビームライフルを見て歯噛みする。振り向き様、クワトロはビームサーベルを抜いた。

 Mk-Ⅱのシールドにビームサーベルが食い込む。溶けるシールドを感じて、ジェリドもまたビームサーベルを抜き打つ。

 ビームサーベルの鍔迫り合いは、近くにビームの粒子が飛び散る。本来なら互いに推力に任せてサーベルを次々に押し付けあうのだが、クワトロはそうしなかった。ジェリドのサーベルに押されるまま、吹き飛ばされるように距離を取る。

「しまった!」

 クレイバズーカの銃口は、Mk-Ⅱを捉えていた。今のMk-Ⅱに、射撃武器はない。

「させないよ!」

 横合いからの数発のビームが、クレイバズーカを撃ち抜く。

「ライラ!」

 ガルバルディβ。ジェリドは通信を聞くまでもなく、そのパイロットを見抜く。

「忘れたかい、ジェリド! 敵に合わせて戦い方を変える、基本だろ!」

 ガルバルディβのビームライフルが次々に放たれた。クワトロほどの腕でも、ボスニアへの道を阻まれる的確な射撃だ。

 クワトロは唸った。ここでジェリドとライラの相手をしていては、ボスニアを攻撃できない。

 一瞬の膠着を破って、後方からリック・ディアスが猛然と追い上げる。エマだ。

「大尉! ここは私が!」

「すまん、恩に着る!」

 片手にクレイバズーカ、もう片手にビームピストルを構え、エマはライラのガルバルディβを銃撃する。ジェリドのMk-Ⅱは加速力では優っていても、ライフルを失っている今、クワトロを追う脅威とは認識されない。

「邪魔をするな、エマ!!」

 Mk-Ⅱが斬りかかった。後ろへ下がったエマのリック・ディアスの胸部装甲を、その切先が掠める。

「ジェリド!」

「……エマだと!?」

 ジェリドは自分の発言が信じられなかった。目の前のモビルスーツは、リック・ディアス。通信もつながっていない。しかし、ジェリドはそのモビルスーツのパイロットがエマだと理解していた。

「まやかしだ! エマのはずがない!」

 向けられた二つの射撃武器の狙いを、ジェリドは下方へ急加速して外す。Mk-Ⅱを目で追うエマの隙をライラのガルバルディが突いた。

 体を庇ったリック・ディアスの右腕が切り落とされた。エマは残った左腕で、ビームピストルの狙いをつける。

 ジェリドのMk-Ⅱが、その左腕を掴んだ。下方から背後に回り込んだMk-Ⅱは、右腕のビームサーベルを振り上げる。

「墜ちろ!」

「ああああああ!!」

 接触回線でMk-Ⅱのコクピットに届いた悲鳴は、エマのものだった。ビームサーベルを振り下ろす刹那、ジェリドの視界の端にリック・ディアスのバックパックにマウントされたビームピストルの銃口が映った。

「やった!」

 ライラは小さくつぶやく。頭の上から唐竹に真っ二つに斬られたリック・ディアスは、Mk-Ⅱが離れると同時に爆発した。そこには、命は残っていなかった。

「いかん! ボスニアが!」

 ライラはガルバルディβを加速させる。アーガマへ戻るクワトロのリック・ディアスが、ボスニアから離れていった。ボスニアは損傷している。

 チャン艦長の悲鳴まじりの通信がライラに届いた。

「ライラ! 何をやってるんだ! あの赤い機体だ。ボスニアは機関部に損傷を受けた!」

「なに!? 持つのか」

「持つには持つらしいが……しばらくは動けん!」

 ライラは舌打ちした。エゥーゴのモビルスーツはあっという間にアーガマに引っ込み、アーガマは月に向けて発進する。

 アーガマにまんまと逃げられてしまった。またもや赤い彗星に、してやられたのだ。

「……ジェリド」

 ライラはジェリドのMk-Ⅱに振り向いた。Mk-Ⅱは、力なく、そこを漂っている。

「ジェリド! どうした、ジェリド!」

「……あの時、エマのリック・ディアスの背中の銃は、俺を向いていたんだ」

 ジェリドは操縦桿を動かす様子もない。ライラはガルバルディにMk-Ⅱを抱えさせ、加速した。

「エマは……俺を撃たなかった! 俺を、俺を撃てたはずなんだ、あいつは!!」

 ヘルメットの中で、ジェリドは呟き続ける。表情はライラには見えなかった。

「同期だった。情は捨てたと言っていた。俺も情は捨てた。しかしエマは……そうじゃなかった!」

 情けをかけてくれた同期を、躊躇なく殺した。それだけではない。突きつけられた、三十バンチの真実。感情が噴出した。

「あたしもあんたも軍人だ」

 ジェリドの倍以上の実戦経験を持つライラは、ルーキーの涙まじりの懺悔に、そう答えた。

「……よくやったよ」

 ガルバルディは、加速にあてられて揺れるMk-Ⅱを抱きしめた。

 

 

 

「ボスニア、追ってきません!」

「よし! ……あとで大尉には礼を言わんとな」

 キャプテンシートで小さくつぶやいたヘンケンは、一見したところ冷静だった。

 呼び出しに応じて、シート脇の受話器を取る。

「うむ……ああ、わかった。了解だ」

 艦長として、パイロットの命に優劣をつけるわけにはいかない。だがやはり、エマは帰ってこなかった。

 非情に徹するのが軍人である。ヘンケンは彼の経験からそう理解していた。

 だが、もしもこのアーガマがエゥーゴの旗艦でなければ、エゥーゴの代表であるブレックスが乗っていなければ、ヘンケンはエマを助けるために艦を前進させたかもしれない。次々と人の命が失われる戦争の中で、何かを残せるのなら。

 ヘンケンは、自分の選択を悔いなかった。あの状況における最高の選択をした。そう思わなければ、彼は押し潰されてしまいそうだった。

 

 

 



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月の裏側

 月面都市フォン・ブラウン。かつてアームストロング船長が人類で初めて月面に降り立った場所に設けられた歴史の長い都市である。

 ジェリドを乗せたボスニアは、アーガマ追跡の三隻の中で最も遅く、月に入港した。

 ジェリドも、それを機にアレキサンドリアに戻る。自室のわずかばかりの荷物をまとめるジェリドに、訪問客があった。

「帰るなら挨拶くらいしたらどうなんだい?」

 ライラだった。棘のある言い方で、ジェリドを睨む。

 ジェリドは前回の出撃以来塞ぎ込んでいた。ライラとの酒の約束も、果たしていない。

 バスクが三十バンチに毒ガスを撒いた事実、エマの殺害。無理もなかった。

「……すまん」

 ジェリドは小さく口を動かすと、荷物を入れたナップザックを背負った。ライラを押し退けるようにして、ドアを潜る。

 部屋の隅に、酒が二本浮いていた。それを見たライラは視線を酒に残したまま、呟くように言った。

「……ひとつ言いたいことがある」

 ジェリドは立ち止まった。

「あんたはたぶんニュータイプだ。エマを感じたんだろう?」

「……俺は地球生まれだ」

「アムロ・レイだってそうさ」

 ライラは振り返った。ジェリドはまだ背を向けたままだ。

「前も言ったけど、あんたにはいい男になる素質がある。それはニュータイプとかとは関係なく、ね」

「俺はエマを殺したんだぞ」

「敵を殺しただけじゃないならそう言えばいい。あたしが甘えさせてやる」

 ライラは表情を変えずに言った。

「……時間をくれ」

 ジェリドは振り向かなかった。だが、目は確かに前を向いている。彼はこんな場面で甘えられる男ではなかった。自分の弱さを認められても、弱いまま足を止めることは良しとしない。

 ライラは目を細めた。拒絶されることは織り込み済みの申し出だったが、もしも胸に飛び込んでくるならそれでいいとさえ考えていた。ジェリドは、まだ強くなる。それはパイロットとしてではなく、男として、人間としてだ。

「ジェリド……次こそは、酒が飲めるといいね」

「……ああ」

 小さな声だったが、ジェリドは確かに、力強くそう言った。

 

 

 

 アレキサンドリアの自室へ移動するジェリドを、カクリコンが呼び止めた。

「どうだった? アーガマと会って一戦交えたんだってな」

 カクリコンは称賛する。だがジェリドの胸中は複雑だった。

「エマを殺した」

「……そうか」

 ジェリドの目はまっすぐだが、カクリコンは声のトーンを落とす。裏切り者ではあっても同期だ。

 重い雰囲気に耐えかねて、カクリコンは話題を変えた。

「お前がいない間に、一つ面白いフォーメーションを考えたんだ」

「……フォーメーション?」

 ジェリドが視線を上げた。カクリコンは笑う。

「ああ。お前としかできないが、こいつが決まればあの赤い彗星だって」

「どんなフォーメーションだ?」

 赤い彗星の名が出ると、ジェリドは食いついた。カクリコンは勿体つけて片目を瞑る。

「名付けて……二機で一機に見せる作戦、だな」

 

 

 

 無重力空間でもシャワーが浴びられるのは、驚異的な科学の進歩という他ない。アレキサンドリアのシャワーは、簡単に言えば、上方から水を噴射し、下方でそれを吸い込む仕組みだ。

 熱い湯が身体を伝う。初めて使った時は足の裏のくすぐったさに悶えたものだが、慣れれば気にならない。

 シャワールームを出たジェリドは、バスタオルで身体を拭う。自慢の髪型がくったりと寝てしまっていた。

 脱衣所ではカクリコンが制服を着ながら待っている。ここ数日、たっぷりと二機を一機に見せる作戦の練習をしたおかげで、ジェリドはエマのことから目先を変えることができていた。

「あの作戦、実戦でも使えるぜ」

「やってみないと分からん弱点もあったがな。Mk-Ⅱの性能を生かすには一番だ」

 カクリコンは自慢げだ。

 ジェリドは下着を穿き、私物の整髪料をいくらか手に取る。前髪を上げ、脱衣所の鏡をきりりと睨んでみた。

「必ずシャアを落としてみせる……恨むべきはシャア、憎むべきはシャアだ」

 ジェリドはエマの死の原因の押し付け先を求めていた。

 整髪料の容器をカクリコンの方に投げる。

「使うか?」

「いらん」

 その冗談混じりの申し出を断って、カクリコンは容器を投げ返した。

 ドアがノックされた。

「ジェリド中尉、いらっしゃいますか?」

 脱衣所の外の通路から声がする。ジェリドがそれなりに目をかけている下士官だ。

 ジェリドは億劫がって、パンツ一枚しか身につけないまま返事をせずにドアを開けた。

「何の用だ」

 例の下士官の後ろには、ライラが立っていた。

 目があって、固まる二人。下士官が気まずそうに笑った。

「……何の用だ、ライラ」

 いくらか声を低くしたジェリド。ライラの方は男の裸など見られているだろうから、むしろ恥ずかしがる方が恥をかくことになると判断したのだ。

 ライラはため息をついた。

「……サチワヌが消えたって話、聞いたかい?」

 サチワヌはアレキサンドリア、ボスニアと共にアーガマ追撃に参加していたサラミス改級の巡洋艦だ。今も、同じ月面都市グラナダのドックで待機しているはずだった。

 ジェリドは何事もないように、平静に応える。

「サチワヌが? ……エゥーゴか」

「バスクの密命だってグラナダの管理官には話したそうだけど。あんたと意見を交換したくってね」

「わかった」

 一度気にしていない風を装った以上、ジェリドは引き下がるわけにはいかなかった。裸などどうということはない。

 自分の体に一度目を落とし、ライラに訊く。

「……このままでいいか?」

「バカ」

 ライラは脱衣所のドアを閉めた。

 カクリコンの笑い声が脱衣所に響く。

「カクリコン」

 ジェリドは睨んだが、カクリコンはまだ肩を震わせている。苛立ちを隠さず、スラックスに足を通した。

 ライラの前で恥をかいてしまった。思い返せばエマを殺した時にも、みっともないところを見せた。

 ジェリドはふと、ライラとの約束を思い出した。酒保で買った安酒では力不足だし、第一ボスニアに置いてきてしまった。

「そういえばカクリコン、お前いろいろとツテがあるらしいな」

「ああ? まあな、お望みならワインだって用立ててやるよ」

 ジェリドは上着を羽織り、下から前を止めていく。

「じゃあ、目一杯いい酒を仕入れてくれるか」

「目一杯いい酒か。へへ、ライラと飲むのかよ」

「うるさい」

 開けた襟からスカーフを覗かせ、ジェリドは脱衣所のドアを開けた。ライラがあくびをして待っている。

「ずいぶん身体に自信があるんだねえ」

 ライラもジェリドを冷やかす。赤面したジェリドは、話を逸らした。

「サチワヌの件だが、もしエゥーゴならまずいな」

「ほう?」

 やはり軍人といったところか、ライラはジェリドの話に乗り、小さく相槌を打って続きを促す。

「サチワヌの強奪ができるということは、まず間違いなくグラナダがエゥーゴに付いている」

「裏切った……いや、元からエゥーゴのシンパか」

 顎に手をやったカクリコンがジェリドの肩から顔を出す。

「ティターンズは嫌われてるからねえ」

 くつくつと笑ったのはライラだ。ジェリドのことが気に入っているとはいえ、ティターンズへの嫌悪感は変わっていない。

 ジェリドは廊下に出た。

「おそらくは戦力を考えてサチワヌを襲ったんだろうが、グラナダ市が敵だというならいつこのアレキサンドリアが狙われるかわからん」

「じゃあ、アレキサンドリアはすぐに出港すべきだと?」

「ボスニアもだ」

 ライラの問いにジェリドは落ち着いて答える。カクリコンも頷く。

 その時、艦内放送が鳴った。

「これより一時間後、アレキサンドリアとボスニアはグラナダを発つ。各員は発艦の用意をせよ。繰り返す、各員は発艦の用意をせよ」

 三人は顔を見合わせる。ちょうどジェリドが言った通りになったのだ。

 ライラが跳び、二人から離れた。

「それじゃ、あたしはここでしばしのお別れか」

「戦闘になれば顔を合わせるさ」

 ジェリドの声は、わずかに震えていた。戦闘には慣れた。しかし、エマを殺した瞬間の感覚は忘れていない。

 単なる罪悪感だけではない、頭の中に何かが入ってくる感覚。ジェリドはそれをたまらなく不快に感じていた。

「……ふん、また戦場で、か」

 ライラはわずかに表情を曇らせたが、すぐに笑みをこぼす。

「酒はまだ先になりそうだね。じゃ」

「ああ、またな」

 ライラは廊下の移動用ハンドグリップを掴んだ。通路を進む彼女の背中は、どんどん小さくなっていく。

「酒ってのはやっぱりライラのためか」

 カクリコンがにやつく。ジェリドは口を尖らせた。

「いけないかよ。だいたい月から離れちゃあお前さんの伝手もないだろう」

「カクリコン・カクーラー商社は月から地球まで全宇宙どこでも営業中だぜ、お客さん」

 おどけてみせた同僚。今までなら、エマが小言を言う場面だった。 

 

 

 

 アーガマのモビルスーツ格納庫には、新型が三種ある。

 一つは、一年戦争の名機ジムに酷似した緑色のモビルスーツ、ネモ。

 ハイザックに似た赤い機体は、アナハイムによって開発された高性能量産機、マラサイだ。実は数日前まで、この機体をティターンズに流すか否かでアナハイムの上層部は揉めていた。

 ガンダムMk-Ⅱのパーツの発注にはアナハイムも一枚噛んでいた。Mk-Ⅱがグリーンノアにあることをエゥーゴが知っていたとしたら、疑われるのはアナハイムだ。強奪が成功していれば間違いなくエゥーゴとの関与を疑われることになる。その場合の生贄として、マラサイは準備されていた。

 しかし、グリーンノアでのガンダム奪取が失敗に終わったため、アナハイムはエゥーゴとは無関係と言い張って押し切ることができたのだった。

 ジム系とザク系の外観、それぞれエゥーゴ独自のモビルスーツで持ち合わせる事で、エゥーゴは地球連邦とジオンの二つの魂を受け継いでいるとアピールしているのだ。

 クワトロは、これから自分が乗る機体を眺める。すでにその機体での出撃は二度目だが、本格的な戦闘はまだだ。

「大尉の色は人気ですからね」

 背後から声をかけたのはアポリーだ。パイロットスーツを着ている。

 アーガマのリック・ディアスは赤く塗り替えられた。アポリーのリック・ディアスも赤い。

「アポリーか。もういいのか?」

「ええ、おかげさまで。医者からも太鼓判ですよ」

 バスクに受けた拷問の傷が癒えたということだ。力こぶを作ってみせ、笑う。

「ロベルトもすぐ来ますよ。……アレキサンドリア、グラナダを出たらしいですね」

 アポリーは声を潜めた。秘密の相談というわけではないが、こう言った話は小声で行う。うっかり、「地元の話」が出てしまうかもしれないからだ。

「ああ。すぐ戦闘だ」

「あのガンダムのパイロットも出るでしょうか。ジェリドとかっていう」

「エマ中尉の仇をとらねばなるまい」

 クワトロの表情がかげった。エゥーゴに来て以来、彼には迷いがあった。だが、もうそんな余裕はない。エゥーゴが潰されるか否かという事態が肌で感じられる。

 ジェリドは、アポリーとロベルトも一本取られた相手だ。グリーン・ノアでは遅れをとったが、それはMk-Ⅱを捕獲しようと躍起になっていたからでもある。アポリーの闘志も燃える。

 ジェリドを倒す。クワトロは改めて、目の前の金色の新型を見上げた。

 

 

 

 アンマンに停泊中のアーガマを叩く。グラナダを出てすぐ、アレキサンドリアの決定は降った。

 ジャマイカンは決して優秀な指揮官ではないが、状況を見る目はある。

「アンマン、ミサイルの射程内に入りました!」

「よし、アーガマが出港出来んように港を狙えよ!」

 ジャマイカンの指示が飛ぶ。しかし、オペレーターが悲鳴を上げた。

「ダメです! アーガマ、出港していきます!」

「ちょうどいい。アーガマごとアンマンを叩き潰してやる。全艦、撃て!」

 アレキサンドリアからミサイルが発射される。サチワヌ、ボスニアが後に続いた。

「そううまくはいかんでしょう」

 ガディは険しい表情だ。アレキサンドリアがグラナダを出た事はエゥーゴにも知られているはずだ。警戒は強い。

 ガディの言葉通り、ミサイルは全て撃墜された。

「モビルスーツ隊を出した後、もう一度一斉射だ! ……今度はアンマンそのものを狙え」

 ジャマイカンは唇を歪めた。

「しかしそれでは……」

「アーガマはアンマンを守るためにミサイルを落とさねばならん。そこを攻め立てればエゥーゴなど」

 ガディは眉をひそめた。ジャマイカンは、手段を選ばない男だった。

 

 

 

「出たらすぐにどけ! ミサイルを撃つぞ!」

「ちっ、モビルスーツ隊を何だと思ってやがる……!」

 ジェリドは言われるまま、ミサイルの射線からMk-Ⅱをどける。カクリコンも、後についてきた。

 アンマンに向けブースターを噴かすジェリド達を、ミサイルが追い抜いていく。

「ジャマイカンめ……!」

 ジェリドはミサイルの狙いを一眼で見抜いた。なまじ艦を狙うよりも、こちらの方がよほどアーガマの手を焼かせるだろう。しかし、こんな卑怯なやり方は好みではなかった。バスクを思い出すからだ。

 アーガマが吐き出したモビルスーツが、懸命にミサイルを迎撃している。緑色のジムもどき。見たことのない機体だ。

「隙だらけだな……許せよ」

 スラスターの光を曳いて、Mk-Ⅱは先行しすぎた新型に狙いを定める。

 新型モビルスーツ、ネモ。アナハイム・エレクトロニクスが開発した、初期型ムーバブルフレームを搭載した量産性に優れるモビルスーツだ。

 わずか一瞬。ネモのパイロットは、狙われていることにも気づかなかったかもしれない。Mk-Ⅱのビームライフルは、ネモの胴体を撃ち抜いた。

 他にもモビルスーツはいる。ジェリドの視界に、赤い新型が映った。

「赤い新型……ザクもどき! シャアだな! よおし、カクリコン!」

「急ぎ過ぎだぞ、ジェリド!」

 追いついたカクリコンが、ジェリドの後方で通信に応えた。

「あの赤い機体だ! 例の作戦をやるぞ!」

「任せろ!」

 一際激しくスラスターが火を噴いて、Mk-Ⅱは赤い新型モビルスーツ、マラサイとの距離を詰めた。地上すれすれを飛行し、地形を盾にする。

 マラサイがMk-Ⅱを追って月面に降りていく。Mk-Ⅱはティターンズのエースだ。見逃すわけにはいかない。

 そこはクレーターにできた岩場だった。モビルスーツが隠れられる、奇襲に適した地形。

 左前方から飛び出したMk-Ⅱは、その勢いのまま右前方の岩陰に消える。マラサイは距離を取ったが、すばやいターンで岩陰から再び現れたMk-Ⅱに追いつかれる。

 ビームライフルの射撃が交わされる。マラサイの周りを回るように、Mk-Ⅱは今度は右後方へ逃げていった。

「逃がすか!」

 マラサイのパイロットが叫んだ。右手のビームライフルの引き金に指がかかる。

 マラサイの腹部を、光が貫く。内側から爆発して、左腕の残骸を残すのみだ。マラサイから見て右前方の岩場から、ビームライフルを構えたMk-Ⅱが顔を出していた。

「遅いぞ、カクリコン!」

「言うなよ。しかしこれで、赤い彗星もおしまいか」

 カクリコンは物足りないようにつぶやく。彼らの作戦にかかってはこうなるのも無理はないが、たしかにあっけなさすぎる。

 ジェリドは、額を手で押さえた。

「いや……この感じ……! シャアじゃない! シャアは別にいる!」

「なんだと!?」

 ジェリドの発言は、理解し難い。確認する方法もないパイロットの居場所を言い当てるなど、常人には不可能だ。

 だが、ジェリドはそれに成功した。

「そこか!」

 ジェリドが旋回のために地を蹴ったと同時、その足元の月面を散弾が砕く。

「勘がいいな。さすがだ」

 その銃撃の主は、金色。ガンダムにも似た頭部を持つ、スマートなシルエット。わずかな星の光を反射し、きらきらと光っている。アナハイム・エレクトロニクス製の新型モビルスーツ、百式。

 パイロットは、クワトロ・バジーナ。ジェリドはそれを感じ取った。

「貴様……シャア!!」

 ジェリド機がまっすぐ加速する。ビームライフルが二発、百式めがけて放たれた。

 百式は後退し、クレイバズーカを撃つ。怯まずに散弾をくぐり抜けたジェリドのMk-Ⅱがビームサーベルを抜いた。

「よくも俺にエマを殺させた!!」

 頭部バルカンを乱射しながら接近し、ビームサーベルを振り抜く。軽い手応え。当たっていない。

「くそおおお!!」

 ビームライフルを次々に撃つ。もはや乱射と言っていい撃ち方だが、百式はまるで宇宙で踊るように、そのことごとくをかわしていく。金色の輝きを追いかけて、幾条ものビームが宇宙を奔る。

「いい機体だ」

 百式が突然に距離を詰めた。その加速はスムーズだったが、動きに散りばめられたフェイントが予備動作を消した。ジェリドは慌てて、サーベルを構える。

 ビームライフルが、一瞬で両断された。首を狙った返す刀を、ジェリドはなんとかビームサーベルで受け止めた。

 視界が揺れる。それは比喩ではなく、Mk-Ⅱの頭部が激しく揺れた。

「バカな!」

 宇宙空間での百式のハイキック。バックパックのバインダーによる素早くスムーズな姿勢制御のなせる技だ。センサー類が集中している頭部を狙い、一時的に戦闘能力を著しく低下させる。

 蹴った反動でMk-Ⅱと離れた百式は、クレイバズーカを構え、撃った。

 憎しみと怒りに駆られシャアを追った時点で、ジェリドは負けていた。感情任せの直線的な攻撃は、全て見切られてしまう。

 もう一つジェリドが不幸だったのは、相手の実力だった。新型モビルスーツの百式だけでなく、エマを殺しアーガマを追い詰めたことで、赤い彗星として名を馳せた頃の力を呼び起こしてしまった。

 Mk-Ⅱはもう、全身の装甲が穴だらけだ。ジェリドの幸運は、クワトロの誤算にあった。

「百式では軽すぎるか」

 リック・ディアスと百式は違う。手足のパワー、機体の軽さ。それらの違いの相乗効果が、必要以上に百式とMk-Ⅱの距離を空けた。

 距離が離れただけ、散弾の威力は下がる。ジェリドが九死に一生を得たのもそれが理由だ。

 ジェリドはボロボロの機体を立て直そうと足掻いた。

「くそっ……! 何が違う! 俺とシャアで、何が違うんだ!」

 だが、Mk-Ⅱは各部から激しく火花を散らすばかり。百式はクレイバズーカを下げた。

「弾切れか」

 クワトロはつぶやく。敵ならば、容赦はしない。百式のビームサーベルが高く掲げられる。一息に百式を寄せ、クワトロは操縦桿を引く。

「なめるなああ!!」

 ジェリドの叫びに呼応するように、Mk-Ⅱが動いた。振り下ろされたビームサーベルをサーベルで受け、至近距離で頭部バルカンを撃ちまくる。

 クレイバズーカは弾切れだ。距離さえ取れば、どうにでもなる。ジェリドのMk-Ⅱは満身の力を込めて、百式の腹を蹴り飛ばそうと脚を伸ばす。

 反動で距離を取る事はできなかった。突き出した右脚部は、膝のあたりで切断されている。切り払ったのは百式のサーベルだ。

「荒いな」

 クワトロは再度ビームサーベルを振りかぶる。しかし、そこに乱入したのはガルバルディβだ。

「甘いよ、シャア!」

 ビームライフルとともに、シールドのミサイルを撃つ。わずかな時間差が、クワトロの接近を躊躇わせた。

 ライラはライフルを撃ちながら接近し、ビームサーベルを抜く。袈裟がけの一撃の直後シールドのミサイルを放ち、横薙ぎに一閃。

 百式は次々に繰り出されるその猛攻を、ビームサーベル一本で防いでみせた。サーベルを弾き、向けられたミサイルごと、盾と腕のジョイントを斬る。最後の真一文字の一太刀は、上体を大きく反らして躱し、ガルバルディの顎を蹴り上げる。その反動で体を前転させ、ビームサーベルを振り下ろした。火花を散らして、ガルバルディの左腕が舞う。

 百式のクレイバズーカのマガジンが外れた。それほどの激しい動きを行いながら、もう一方の手ではクレイバズーカの弾倉を変える操作を並行していたのだ。

 接近戦の最中にマガジン交換など、どれほどの実力差があるのだろうか。ライラは悔しかった。

「ジェリド! 早く逃げろ!」

 カクリコンのMk-Ⅱが、ジェリドのMk-Ⅱを抱えた。

「ぐっ……! すまない、カクリコン」

「礼ならライラに言え!」

 Mk-Ⅱは加速し、ジェリド機を両腕で押し出す。カクリコンはすぐに、クワトロと戦うライラに加勢すべく、機体を反転させる。その瞬間だった。

「遅い!」

 急加速した百式はガルバルディの横をすり抜け、クレイバズーカをジェリドの機に向けた。

 ジェリドは危険だ。クワトロの直感がそう告げている。エゥーゴの窮状を鑑みるに、ニュータイプであろうと生かしておく余裕はない。

 ジェリドのMk-Ⅱと百式の間にはまだ距離がある。しかし、今のMk-Ⅱは満身創痍。この距離からの散弾でも、致命傷になりうる。

 カクリコンが怒鳴り声を上げた。

「貴様あ!!」

 クワトロのクレイバズーカの引き金が、引かれた。

 割り込んだモビルスーツは、至近距離でその散弾を受けた。全速力で割り込んだ故に、百式に背を向けた姿勢だった。

 コクピット内にも、散弾は通り抜けた。モビルスーツから見れば小さな散弾だが、人間のサイズで見れば驚異的な大きさだ。肩の肉が抉れ、血が噴き出る。

 ぐんぐんと下がっていくコクピット内部の気圧。吸い出されていく空気に混じって、血と肉片が舞った。

「ああ……やっぱりか……」

 肩の血を見て、状況を理解する。腹部が熱いのは、そこにも穴が空いたから。視界が霞んできた。

 ピンク地のノーマルスーツの表面を、血の滴が走っていた。

「ライラ……嘘だ! ライラ!!」

 ジェリドはコクピットの中で立ち上がった。

 クレイバズーカに貫通されたガルバルディβは、パイロットと同様、瀕死だった。散弾をたっぷり食らい、穴だらけの体を引きずる。

「いい男に……なるんだよ」

 その言葉は血と共に吐き出された。ヘルメットの内側に、血液の球が浮かぶ。

 ライラは男の序列を決める人間ではなかったが、ジェリドは一番の男に躍り出ていた。優秀で、傲慢な一方、しおらしいところもある。それが魅力だ。壁を乗り越えられるよう支えてやれれば、ジェリドはいい男になれる。

 もう少し、長く生きていたかった。惚れた男の行く末を、見届けたかった。だがこの死に方に、悔いはない。

 ガルバルディは百式の方へ向きを変えた。ジェリドには瀕死の病人が、寝返りを打つように見えた。

 二発目のクレイバズーカ。吐き出された大量の弾丸が、モビルスーツの装甲を穿つ。ガルバルディβは、爆発を起こし、消えた。

「ライラ!! ライラ!! ライラあああああ!!」

 ジェリドは喉の限り叫んだ。しかし、ライラからは応答はない。当然だ。もう、ガルバルディの通信装置は破壊され、答えるライラも、もう死んだ。

「シャア!! 貴様ああああ!!」

 ジェリドは咆哮する。しかし彼には、どうすることもできない。半壊したMk-Ⅱはいくら操縦桿を引いてももう動かない。

 クワトロがちらと見やったカクリコンのMk-Ⅱは腰が引けている。ジェリドのMk-Ⅱはすでに遠く、近づけば、前進してきたアレキサンドリアの対空砲火をもろに浴びることになる。

 アーガマが、はるか頭上を飛んでいた。月の重力を振り切るつもりだ。

「潮時か……帰艦する」

 アレキサンドリアの砲撃をかわし、金色のモビルスーツはスラスターの光を尻尾にして、月の空へ上っていく。

 アレキサンドリアの攻撃は失敗に終わった。たくさんの将兵を失ってなお、戦争は終わらなかった。

「仇は取るぞ……必ず……!!」

 ジェリドの目から涙が溢れだす。暗い怒りの光を湛え、百式の背を睨んでいた。

 

 

 



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大気圏突入

 赤熱した機体。高度計の表示はぐんぐんと下がっていく。視界は、青。水の惑星というのも納得だ。

 機体の表面温度の上昇が止まらない。モビルスーツが百八十度回って、視界が地球から宇宙へ変わる。がくん、とシートが揺れて、表面温度が下がり始めた。

 バリュートが開かれた。画面には大きく、成功の文字が出る。

 ジェリドはシートから立ち上がり、すぐ横のドアを開けた。これはシミュレーターだ。モビルスーツ戦闘の再現度は高くないが、大気圏突入の練習はこれで十分だ。

 カクリコンが声をかけた。

「ご苦労さん」

「どうせ本番じゃ、オートマチックでも開く。減速のタイミングでも掴めりゃあいい」

 アレキサンドリアがアーガマに追いつくのは地球軌道上だ。大気圏再突入と同時の戦闘になる。

 もちろんアレキサンドリアは地球に降りないが、ジェリドを含めたモビルスーツ隊はバリュートを使って地球に降下する予定だった。

 カクリコンは手に持ったハンバーガーを齧った。

「しかしよくやるよ、お前は。あの金ピカを本気で落とす気だ」

 ジェリドも少し休憩して、自販機でハンバーガーを買う。冷めている上、バンズもパティもパサパサで風味にも欠ける代物だが、血肉にはなる。ジェリドは大きくかぶりつき、口いっぱいのハンバーガーを噛んだ。

「ライラか?」

 カクリコンが訊いた。ジェリドは答えない。

 金ピカ、つまりクワトロはライラを殺した。しかし、ジェリドのクワトロへの憎しみはそれだけではなかった。

 ジェリドは自身の手でエマの命を奪った。エマが寝返った原因も、三十バンチ事件の真相への鬱憤も、ジェリドは無意識にクワトロに押し付けている。

 クワトロさえ落とせばいい。今の彼にとって、それが全てだ。

 ハンバーガーをわずか三口で食べ切ると、ジェリドはその部屋を出た。

「どこ行くんだ?」

「俺の部屋だ」

「またお勉強か。真面目なことで」

 カクリコンはからかいまじりにジェリドの背を見送った。

 ジェリドはここのところ、何度もクワトロとの戦闘映像を見ている。リック・ディアスの頃の映像も、百式に乗り換えてからの映像も。

 見れば見るほど、自身とのレベルの差を思い知らされる。しかしジェリドはめげなかった。クワトロの動きには、常に意味がある。動きの理由を見つけ出し、それを習得し血肉にする。ジェリドは今、貪欲だった。

 

 

 

「カミーユ……私たち、どうなるのかしら」

「知らないよ。ブライトキャプテンが居たって、もうダメかもしれない」

 カミーユは悲観した。隣のシートに座って目に涙を浮かべる少女以上に、彼は追い詰められている。嫌な予感が、彼にまとわりついていた。

 窓の外には、暗い宇宙が見える。周囲の乗客たちもまた、先の見えない恐怖と戦っている。

 彼らは皆ティターンズに迫害された人々だ。反ティターンズ運動をやった者もいれば、その巻き添えや、全く無関係の者もいる。

 また、ひとくちに反ティターンズ運動といっても、それが平和的なデモの範囲なのか、それとも武力を伴ったテロなのか、そういった意味でも、この艦の人員は多岐にわたる。

 カミーユは、反ティターンズ運動に参加していた。ジェリドに殴りかかったあの日、カミーユは結局ティターンズの関係者であった両親のおかげで釈放された。ジェリドに情けをかけられた事も、後日ファから聞いた。

 彼の自尊心はずたずたになった。名前を侮辱した傲慢な軍人も反感を抱えた両親も、程度の差はあれ彼にとって嫌悪の対象だ。子供からの脱却を図る十七歳のナイーブな少年にとって、それらに助けられた事実は許し難い。

 両親への反抗、ティターンズへの復讐。二つを同時に満たせる反ティターンズ運動は、カミーユにとって魅力的だった。

 その後、両親でも庇いきれないほどの事件を起こし収監されたカミーユを救ったのがブライトだった。彼はカミーユの他の難民たちを乗せて、シャトルで逃げ出した。他の難民達の中には、カミーユの巻き添えで捕まったファも含まれていた。

「ティターンズめ!」

 カミーユは思わず壁を殴りつけた。ファが宥めようとするが、それも余計に腹が立った。ファがこうして泣いているのも、自分のせいだ。自分が反ティターンズ運動なんかをやってしまったから、ファも泣いている。

 そんなファに宥められること自体、カミーユにとっては自身の失態すらも棚に上げられているようで、自尊心が深く傷ついた。いっそのこと責めてくれた方が、気が楽だった。

 窓の外を、何かが通過した。前方へ向かったその何かを追って、カミーユは立ち上がる。

「カミーユ!?」

「操縦席の方に行ってみる!」

 せめて、ファだけは守ってみせる。それはファへの奇妙な対抗心だけではなく、単純な愛情だった。

「開けてください! 何か起こってるんでしょう? 手伝います!」

 カミーユは操縦席のドアを叩く。しばらく叩き続けると、うんざりしたように副操縦士の男が出てきた。カミーユはその男の横をくぐり、叫ぶ。

「あっ、待て!」

「ブライトキャプテン! あれはモビルスーツです!」

「モビルアーマーだ。……誰だね」

 渋い顔でキャプテンシートに座るブライトが振り向いた。

「カミーユです、カミーユ・ビダンです。ほら、助けていただいた時にサインをねだった」

「なんで君のような子供が操縦席に来ているんだ!」

 ブライトが声を荒げた。船が激しく揺れる。

 カミーユを通した副操縦士が間の抜けた声をあげる。

「そんな大声を出さなくても……」

「違う! 攻撃だ!」

 副操縦士をぴしゃりと叱って、ブライトは口元に手をやった。このままではまずい。

 高速の謎のモビルアーマー。パニックになった船室の声が聞こえる。カミーユも焦った。

「なんとかできないんですか? ホワイトベースの艦長でしょう!」

「連絡船だぞ! 武装なんかあるか!」

 この子が軍人なら修正しているところだ、とブライトは思った。

「通信をキャッチ! 流します!」

「聞こ……か、テ……テーション、聞こえるか。こちらは地球……邦軍所属、パプ……ス・シ……」

 通信が悪い。しかし、ブライトにもわかる。連邦軍、つまりティターンズの息がかかった者だ。

「くそっ!」

 ブライトが悪態をついた。カミーユはそれを見て、苛立つ。憧れたキャプテンがこんな風に追い詰められる姿など、見たくない。

「停船せよ。……プテーションを拿捕する」

 モビルアーマーはテンプテーションの斜め前方を並行して進んでいる。カミーユが突然駆け出した。

「何をする!?」

「信号弾があるんでしょう!」

 乗員を押しのけて、カミーユがスイッチを押した。テンプテーションから放たれた信号弾は、謎のモビルアーマーに向かって飛んでいく。

 信号弾を迎撃できそうな武装はない。当たった。カミーユは思った。

 そのモビルアーマーは、モビルアーマーではなかった。

 機体の下部は真下に伸ばして足になる。ブースターとビーム砲はそのまま肩に変わり、ボディは九十度回転し胴体に。

 モビルスーツだ。このモビルアーマーは、モビルスーツに変形できる。

 変形を済ませたモビルスーツは、手首の発振器を掴んで振るう。ビームサーベルだ。

 信号弾を切って落とし、再び通信を送る。

「抵抗するつもりならば沈める!」

「待て! ……投降する!」

 ブライトの苦渋に満ちた声が応えた。テンプテーションのクルーも、異議はない。

 カミーユはクルーに取り押さえられている。

「了解だ。メッサーラについて来てもらう」

 和らいだ声が、通信越しにテンプテーションに届いた。

 再び変形しモビルアーマーに戻ったメッサーラは、テンプテーションの前に出る。操縦席から見える宇宙は、深く暗かった。

 

 

 

 地球連邦軍所属、アレキサンドリア級ハリオのデッキにメッサーラが着艦する。先に着艦したテンプテーションの周りを兵士が取り囲んでいた。

 メッサーラのコクピットが開いた。

 中から出て来たのは、細いヘアバンドを頭に巻いた、若い男。怜悧な視線をテンプテーションに向けている。

 自身の直感が当たっていることを確信し、彼は呟いた。

「急いだ甲斐があった」

「冗談じゃない。こんな漂流船を勝手に拾うなんて!」

 ハリオの艦長のテッド・アヤチが、わざわざMSデッキまで降りてそのパイロット、パプテマス・シロッコに詰め寄る。

「すぐに私のジュピトリスに引き上げさせますよ」

 シロッコの興味はもう、テンプテーションから降りてきた民間人に注がれている。兵士たちに銃を向けられながら、彼らは手を挙げて列をなして出てくる。

 民間人の列の先頭は、ブライトを含むクルー達だった。

 無重力に任せて、シロッコはメッサーラを足場にして跳んだ。ブライト達が並ぶすぐそばのバーを掴んで止まる。

「艦と貴官の名前を教えてもらおう」

「テンプテーション……ブライト・ノアだ」

「ブライト? ふっふっふ、あのホワイトベースの艦長ですか」

 ブライトの表情が曇る。シロッコは口角を吊り上げる。彼がテンプテーションの位置を掴んだのも、ニュータイプとして感じるものがあったからだ。

 ニュータイプはニュータイプを感じ取る。シロッコはテンプテーションから感じた優れたニュータイプの気配の正体を見極めるつもりだ。

「ご自身もニュータイプなのですか?」

「……答える義務はない」

 シロッコの尋問とも呼べない質問を、ブライトはつっぱねた。

「では、ブライトキャプテン。信号弾を私のメッサーラに撃ったのは?」

 シロッコはパイロット一同に目をやる。彼の目に止まったのは、取り押さえられているカミーユだ。

 ブライトは迷った。ここで正直にカミーユを突き出すべきか。民間人の子供のやったことなら、庇うべきか。そもそも難民を連れて逃げた時点で極刑ものならば、いまさら罪状が増えても同じだろう。しかし、ブライトにも家族がいる。

 逡巡するブライトをよそに、副操縦士の男がカミーユの背中を強く押し出した。

「この子供だ! こいつが、信号弾を!」

 突き飛ばされたカミーユは、シロッコを強く睨んだ。

「やはり君か」

「……どの道名乗り出るつもりでしたよ。いけませんか、俺が撃っちゃ」

「……ほう、なるほど。君か、あのプレッシャーの正体は。ふっふっふ、はっはっはっは!」

 シロッコの高笑いが響いた。難民たちの眼差しは怯えている。

「この少年を少し借りて行く。あとの者は、追って指示を出す」

 手がカミーユの腰に回された。その腕を反射的にカミーユは掴む。

「カミーユ!!」

 ファが叫んだ。シロッコの目は、もし暴れれば、ファも他の乗客もただでは済まないと言っていた。カミーユは、シロッコに従うほかにない。

「……行きましょう、シロッコさん」

 格納庫を離れ通路をしばらく行くと、ドアの前でシロッコが立ち止まった。

「ここだ。……入りたまえ」

 狭い部屋だ。真ん中に小さな机があり、それを挟んで向かい合うように椅子が二つ並んでいる。カミーユは、ジェリドに殴りかかった日に入れられた取調室を思い出した。

「さて、カミーユ。私はパプテマス・シロッコ。木星船団で働いていたが、今は連邦の大尉だ」

 シロッコは手前側の椅子に腰掛けた。腰掛けたと言っても無重力だ。机と椅子の間に挟まったような形になる。

 手で促され、カミーユは向かいの椅子に座った。それを見て、シロッコは微笑む。

「素直で嬉しいよ、カミーユ」

「やめてくださいよ、その喋り方」

 カミーユは、シロッコの白々しさにはうんざりだった。だがシロッコは一瞬意外そうな顔をしてから、猫撫で声のまま続ける。

「私があのシャトルを見つけられたのは君がいたからだ。君にも、私が近づいたのがわかっただろう?」

「わかりませんね」

「いや、わかるはずだ」

 シロッコは余裕を崩さず、しかし有無を言わせぬ口調でそう言った。カミーユが口ごもる。

「漠然としか感じなかったかもしれん……しかし君は、私を感じた。私が君を感じたように」

 ゆっくりと、耳に滑り込む声が続く。

「君は私をも超えるニュータイプになる素質がある。私の元でなら、その力を伸ばせる」

「ニュータイプなんて本気で信じてるんですか?」

 カミーユは答えた。シロッコの言葉は、心地よく入り込もうとしすぎている。少しでもケチをつけて、シロッコのペースを崩すつもりだ。

「君がいなければ疑ったかもしれんな。このニュータイプ的な物の感じ方を、天才ゆえのものだと思い込むようになって」

「天才だって、自分で言うんですね」

 言い返したカミーユだが、シロッコはまるで堪えない。

「天才なのだから仕方あるまい。……ふむ、君は今の地球連邦をどう思う?」

 シロッコは、机の上で手を組んだ。机の下で拳を握りしめるカミーユと違い、その手には余裕がある。

「どうって……僕があの船に乗ってた時点でわかるでしょ」

「私も連邦政府のやり方には不満がある。世界を動かすに値しない人間が、上に居すぎるのだよ」

 シロッコは椅子から立ち上がって、さらに身を乗り出す。カミーユは当然、見上げる形になった。

「世界を動かすのは一握りの天才だ。……私や、君のような」

 カミーユの頬に、シロッコの手が伸びる。白い布手袋は固いが、その下の手は温かい。ゆっくりと顔を撫で上げるその刺激に、カミーユは背筋に走るものを感じた。

「冗談じゃありませんよ!」

 カミーユの手が、それを払いのける。噛みつくような目でシロッコを睨んだ。

「おやおや」

 カミーユの息が荒い。小さな口から呼吸音が漏れる。カミーユを怯えさせたものは、殺気とはまるで逆の感覚だった。シロッコから感じる雰囲気は、カミーユを取り込みかけた。

 それだけの大きな力に、身を委ねたくない。シロッコがカミーユを利用するつもりならば、取り込まれれば一巻の終わりだ。

「あなたは……あなたは一体何がしたいんです!」

「ふふふ、言った通りだ。世の中は天才が支配する。無能者は退場するか、その下で働けばいい」

 カミーユは冷静ではない。シロッコの論理の小さな粗をあげつらうが、無駄だった。

「王様にでもなるんですか? 幼稚ですね」

「王様になるつもりはないが、君ならなれるだろう。王様にも、女王様にも」

 カミーユは手を机に叩きつけて立ち上がった。これ以上、この男と話すつもりはない。

「よくわかりましたよ、あなたって人が。俺は絶対にあなたに協力なんてしません!」

 シロッコはそれを見てもなお、笑っている。その理由をカミーユは思考し、奥歯を噛んだ。

「貴様、ファに手を出すつもりか!」

「……ふっふっふ、それがニュータイプの物の感じ方だ。私が何も言わずともわかってくれるとは、やはり君はニュータイプだ」

 カミーユはシロッコの胸ぐらを掴んだ。

「ファに手を出してみろ、承知しないぞ!」

「そうか、彼女の名はファというのか」

 シロッコはとぼけてみせた。カミーユはシロッコの手のひらの上だ。ファの名前すら、自分から吐いてしまう。

「連邦やティターンズの高官は君が思っている以上に悪どい。彼女くらいの歳の少女を特に愛好したりな」

 アクセントは、「特に愛好」の部分にかかっている。カミーユは黙り込んだ。胸ぐらを掴ませていながら、シロッコはカミーユを支配してみせた。

「カミーユ、君の選択肢は二つだ。私に従い、ファ君だけでも安全を確保するか、それともこの取引に応じず、ファ君を……」

「わかりましたよ……」

 カミーユは胸ぐらを掴んだまま、額をシロッコの胸に押し付けるようにして言った。

「……従います。あなたの……部下になります。なりゃあ、いいんでしょ……!」

「いい子だ」

 シロッコはほくそ笑み、カミーユの頭を撫でる。その指は、滑りのいい髪の中を、思いのままに伸びていった。

 

 

 

 モビルスーツデッキから飛び出したガンダムが、アレキサンドリアの前方を飛ぶ。ジェリドのガンダムMk-Ⅱだ。少し遅れて、カクリコンのMk-Ⅱも飛ぶ。

 ジャマイカンにも許可を取った。彼らは実機で訓練を行うつもりだ。

 彼らのMk-Ⅱは、胸部と脚部に追加のブースターを設置し、さらに背中には大きな背負い物がある。

 これこそが大気圏突入用の装備、バリュートだ。バリュートのテストを行うのかと言えば、そうではない。彼らのビームライフルは、模擬戦用のペイント弾に変えてある。

「行くぞ、カクリコン!」

「おう!」

 ジェリドのMk-Ⅱが、宇宙の虚空に向かって一発ペイント弾を撃つ。開始の合図だ。

 スペースデブリもない宙域だ。障害物は何もない。決着は早いはずだった。

 先手はカクリコン。エリート部隊ティターンズに入隊しガンダムMk-Ⅱのテストパイロットに選ばれるほどだ。彼も腕はいい。正確な狙いで、ペイント弾を撃つ。

 だが、ジェリドには当たらなかった。すでに四、五発は撃っているが、どれもかすりもしない。

「なぜだ……なぜ当たらん!」

 モビルスーツの強みはその手足を利用した反動による方向転換、AMBACだ。姿勢制御には他にバーニアも用いるが、それら二つを最大限に活かし、メインスラスターを有効に稼働させることが宇宙空間におけるモビルスーツ戦の極意だ。ジェリドはそう結論を下した。

 もちろん、各機ごとに各バーニアの推力も手足の重量のバランスも異なる。しかしジェリドはそれも、クワトロが操るリック・ディアスと百式の二つのモビルスーツを見たことによって適応方法も見出している。

 敵の攻撃のタイミングを見切り、減速、加速を自由自在に操れれば、たとえ複数が相手でもかわしきれる。ジェリドはカクリコンを圧倒していた。

「ジェリドの野郎!」

 操作にクセはあるものの、Mk-Ⅱはできのいいモビルスーツだ。実戦経験を積み機体にも慣れた今、カクリコンもエースの実力がある。彼は銃を構え直し、ジェリドを追った。

 コクピットが揺れる。カクリコンのMk-Ⅱの胴体がピンク色に染まった。ペイント弾の色だ。もし本物のビームならMk-Ⅱは爆発していた。

「何っ!? いつ撃ったぁ!?」

「終わりだぜ、カクリコン!」

 カクリコンは呆気に取られていたが、笑って首を振った。

「ふふふ、負けたぜジェリド。大した腕だ」

「もう一度やるか?」

「パイロットやってく自信がなくなっちまうよ」

「そうか……すまんな、付き合ってもらって」

 そう言いながら、ジェリドは今回の模擬戦を反芻する。やはりバリュートのパックが付いていては動きが変わる。

「気にするな。さて、バリュートのテストに移ろうぜ」

 二人とも、バリュートの大きさも開き方も正常だった。

 カクリコンは大きくうなずく。

「よし、戻るぞジェリド。もうじき地球だ」

「ああ、楽しみだぜ。ようやくシャアを殺せる」

 ジェリドの表情に笑みが戻る。

 着艦したジェリドがコクピットを出ると、カクリコンが整備士に指示しているところだった。

「あのペイント弾の絵の具をきっちり落としておけよ。縁起が悪いからな」

「はいっ!」

 小さく笑ってジェリドはカクリコンの肩に手を置いた。

「ずいぶん入れ込んでるんだな、次の作戦。模擬戦まで付き合って」

「まあな」

「地球に女でもいるのかよ」

 ジェリドはからかったが、カクリコンは平然としている。

「ああ。いけないかよ」

 カクリコンの答えに、ジェリドは鼻を鳴らした。それを見て、カクリコンは吹き出した。

「はっはっは、そうひがむなよ、ジェリドくん!」

 カクリコンはジェリドの背中を叩く。ジェリドが感じるのも、不愉快さだけではなかった。

「一杯やるか」

「オレンジジュースでか?」

 二人は声をあげて笑った。確かな手応えが、ジェリドを支えている。

 その足で酒保に向かい、飲み物と軽食を買って隣の飲食室に入る。二機を一機に見せる作戦の訓練の時も、いつもそうだった。

 オレンジジュースにポテトチップス、チョコ菓子などを両手に携えて、飲食室のドアを開けた。

「腕を上げたな」

 黒いコートに黒い帽子。鋭い目つきで二人を迎えたのは、アレキサンドリアの艦長、ガディ・キンゼーだ。

「見てらっしゃったのですか?」

 敬礼し、ジェリドは尋ねる。

「ああ」

 ガディはドーナツをかじって答えた。その鋭い目は、ジェリドを離さない。ジェリドも負けじと、その目を見返す。

 小さく笑って、ガディは目を閉じた。そのトレードマークの帽子を脱ぐ。帽子に見慣れているジェリドたちからすると、少し物足りない。

「中尉はいいパイロットになる。……だが、気負いすぎるなよ」

 クワトロにこだわるな。ジェリドはそう受け取った。

 こうして腕を上げたのもクワトロへの復讐のためだ。そのこだわりを捨てるわけにはいかない。しかし、クワトロに何もかもを押し付けるのは間違っていることも心のどこかで感じていた。

 ティターンズに正義はないかもしれない。エゥーゴの方が正しいかもしれない。ジェリドの胸中は複雑だ。

 カクリコンが口を挟んだ。

「それは無理というものです。ライラ大尉と親しかったことは艦長もご存知でしょう」

「そうだが……。いや、気負うなと言って気負わせるのも妙な話だな」

 ドーナツを口に詰め込んで、ガディは席を立った。見送るジェリドたちの敬礼に敬礼を返して、部屋を出て行った。

 

 

 

「いよいよ、ジャブローだな」

 アーガマの食堂で、ロベルトは食事が載ったトレイをテーブルに置いた。食堂が位置する居住ブロックは、遠心力によって擬似重力を発生させている。

 隣の席のアポリーも、切り分けたステーキを噛んでいる。

「懐かしいか?」

「敵の基地だぞ、懐かしくなんかあるか」

 口髭の下で、ロベルトは笑った。

「前の時はひどかったからな」

「今回は大気圏降下と一緒だろ? まったく信じられんよ」

「違いないな」

 机に肘をついて、アポリーは同意した。言葉は怯えているようだが、彼らはベテランのモビルスーツパイロットだ。むしろそれを楽しむ余裕すらある口ぶりだった。

「あ、大尉」

 クワトロも、食事のトレイを持っている。ステーキにパン、ポタージュスープに生野菜のサラダだ。ロベルトが声をかけると、彼らの向かいの席に座った。

「ジャブロー攻撃の話をしてたんです。大尉も二度目ですね」

「アーガマのクルーには、前のジャブロー防衛に参加した者もいるだろう」

「攻め入ったことがあるのは我々だけです」

 声を落として、アポリーは言った。クワトロは頷きパンを齧った。

 思い出したようにロベルトが尋ねる。

「そういえば、レコア少尉はどうなんです?」

「それだよ、連絡が取れんのだ」

 クワトロが顔を上げた。サングラスの奥の瞳の表情は読めない

「それは……ジャブローの偵察に失敗したということで?」

「わからんよ。捕虜になっているかもしれんし、殺されているかもしれん。通信機器の故障であることを願いたいがな」

 サラダにフォークを突き刺して、クワトロは口元へ運んだ。生野菜を宇宙で安定的に供給できるのは、居住性に力を入れたアーガマのなせる技だ。

 アーガマがエゥーゴのフラグシップというのは、戦闘力だけではない。アナハイム・エレクトロニクスの最新技術を盛り込み、居住性すらも含めたあらゆる意味で高性能な軍艦として作られている。

「あれだけの思いをして地球に降下させたのですから……」

「言うなよ」

 アポリーをロベルトが咎めた。無事でいてほしい、というアポリーの願いだが、どこか責める風になってしまった。ましてやレコアと恋仲だったクワトロの前だ。アポリーはばつが悪そうに、コーヒーを喉に流し込む。

 エマが死に、レコアは音信不通。ヘンケンこそ威勢はいいが、関わりの深い人間ほど、それが空元気だとわかってしまう。

 ジャブロー侵攻を前にして、アーガマの雰囲気は沈んでいた。

 

 

 

 オペレーターの声は落ち着いている。モニターに映った彼の肩越しに、ノーマルスーツを着込んだジャマイカンが見えた。

「ジェリド中尉、発進してください」

 Mk-Ⅱがデッキを踏みしめ、カタパルトに足をセットする。砲撃が交わされる前方宙域には、大きな青い星。地球だ。

 赤い彗星もいるはずだ。バリュートパックを装備したMk-Ⅱの中で、ジェリドの操縦桿を強く握った。

「ガンダムMk-Ⅱ! ジェリド! 出る!」

 加速するカタパルトから投げ出される寸前、足裏を含めた各部のスラスターをいっぱいに噴かす。発艦のタイミングを狙い撃ちされないための、モビルスーツ発明以前から洗練され続けたその仕組みが、ジェリドを戦場に送り出した。

 エゥーゴの作戦は宇宙からジャブローめがけて降下し攻撃、占領するものだ。ジェリド達はエゥーゴのモビルスーツが大気圏に降下する際の隙を突いて攻撃し、ジャブローに降りてからはジャブロー防衛に手を貸すことになる。

 月から地球圏までの旅路で、ジェリドは確実に腕を上げた。手に持っているのはハイパーバズーカ。ビームライフルは腰にマウントされている。

「そこっ!」

 そのハイパーバズーカが、出撃早々発射される。カタパルトとスラスターの加速を乗せた弾丸が、エゥーゴのリック・ディアスに激突し、炸裂する。

「どこだ? 金ピカ! シャア!」

 ジェリドはコクピットの中で左右に視線を動かす。リック・ディアスが落ちるのを横目で確認し、地球の方向へ目をやった。ティターンズカラーのハイザックが、右足を撃ち抜かれ怯えている。

「そこか!」

 ハイザックを撃ち抜いたビームの主へ、ジェリドはバズーカを放った。ビームに比べ弾速が遅かったためか、その弾丸は見切られ躱されてしまう。しかしジェリドは確かに見た。金ピカ。シャア。

「そこのハイザック! 大気圏突入は無理だ、とっとと下がれ!」

「わっ、わかった!」

 言われた通り、ハイザックは引き上げていく。片足を失ってバランスが取りにくそうだが、見る限りでは母艦に帰れそうだ。

「よしよし……勝負だ、赤い彗星!」

 百式がビームライフルを撃つ。だがジェリドはそれをよけ、勢いよく百式の下方へ向けて加速しながらバズーカを撃った。

「当たらんよ」

 弾丸を交わしつつターンし、クワトロはジェリドのMk-Ⅱに機体前面を向けた。ジェリドはまたバズーカで百式に狙いをつける。

「ほう!」

 百式がすばやく真横に移動した。百式がたった今いた場所を、ビームが通過する。そして続け様のバズーカの弾が、百式に迫る。

 ジェリドのMk-Ⅱは、右手にハイパーバズーカを、左手にビームライフルを携えていた。実弾に目を慣らさせてからの、実弾とビームの時間差射撃。

 いくらシャアといえども、この攻撃ならば。ジェリドのその予測は、裏切られた。

 バズーカの弾が、宇宙で炸裂する。弾を貫いたビームが、まっすぐMk-Ⅱに伸びていく。

 百式は、飛んでくる敵のバズーカの弾を狙撃したのだ。自身に向かって撃たれたら弾丸なら、発射タイミングを見切っていれば不可能な話ではない。

「うおおお!?」

 かろうじてシールドの防御が間に合った。しかしもう、百式はMk-Ⅱの背後に回り込んでいる。

「落ちろ!」

 放たれたビームを、ジェリドは身をよじってかわした。背後から近づいてくることは、気配で勘づいている。

「やる!」

 振り向き様ジェリドはバズーカを構える。苦し紛れの動きだ。百式は素早く接近し、そのバズーカの距離を外す。

 バズーカの銃身が、百式の肩に当たった。Mk-Ⅱはビームライフルを持った左手で、同じくビームライフルを持った百式の右手を押さえ込む。

 百式は左手を引いた。間違いなく、ビームサーベルを抜く気だ。Mk-Ⅱはスラスターを使って、百式の上方に逃れる。

「真似るぜ、シャア!」

 五発目のハイパーバズーカ。それは百式に届かず、爆発する。弾丸を撃ちぬいたのは、ジェリドのビームライフルだ。

 宇宙であっても爆煙は出る。それに紛れて、ジェリドのMk-Ⅱは百式へビームライフルを撃ち込む。

 ビームが数発、爆煙の中に消える。当たっていたなら爆発が起こるはずだ。バズーカの爆煙の周囲に目を凝らしても、百式の姿は見えない。

「馬鹿な……どこだ、シャア!」

 背後か。ジェリドは三百六十度にまで警戒を広げる。

 通信が飛び込んだ。カクリコンだ。

「ジェリド! 正面だ!」

 爆煙の中からビームが返ってくる。クワトロは爆煙に身を隠したまま、出どころが見えないビームをかわしたのだ。ジェリドは背筋が寒くなった。

 カクリコンが両者の側面から割って入ると、百式はすぐさまライフルを向け撃ち返しながら逃げていった。

「逃がさんぞ!」

「待て、ジェリド!」

 カクリコンのMk-Ⅱの手が、ジェリドの機体の肩を掴んだ。

「ちょうどいい! あの金ピカを二人で!」

「高度計を見ろ! もう持たんぞ!」

 カクリコンは冷静だ。熱くなっていたジェリドは、久々に高度計を見た。

「まだ行ける!」

「落とせなかった時の体勢次第じゃ、バリュートで身動きも取れず死ぬ!」

「二人がかりなら落とせる! だから逃げた!」

 ジェリドは叫んだ。金ピカを必ず落とすつもりだ。

「バリュートが怖いんだよ、シャアは! だから逃げ回って、俺たちと戦わない!」

 クワトロは、二人がかりでも相手にできる自信はあった。だが、バリュートによる不測の事態を避け、ジェリドとカクリコンから逃げた。

「ジャブローに降りてからでいい! ……それならシャアの方から来てくれるさ」

「しかし!!」

「熱くなりすぎるんだよ、お前は! 熱くなるから、その分俺はクールでいなきゃならん。手柄が立てられんわけさ」

 事実、カクリコンの冷静さはジェリドあってこそでもあった。模擬戦で打ちのめされ、今もこうしてカッとなったジェリドを見たことで、冷静さを強く意識するようになった。

「……すまん、カクリコン」

 言い合いの末、頭を下げたのはジェリドだった。大気圏突入の恐怖は彼も感じている。一度立ち止まれば、冷えた頭が恐怖を思い出す。

「いいのさ。……バリュートが開いてる時に撃たれたらたまったもんじゃない。行くぞ」

 二人は敵の少ないところへ腰を据え、バリュートを開いた。

 重力の井戸の底へ、落ちる。彼らの故郷、地球へ。

 

 

 



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ジャブローの風

「ええい、旧式ばかり!」

 カクリコンはぼやいた。ジャブロー地下のエリア1。ビルを盾にしてジムキャノンが砲撃を続けているが、どうにも負け戦の様相だ。

「なめるな!」

 Mk-Ⅱの機動力は地上でも健在だ。ジェリドは敵の隠れるビルに接近し、空き部屋越しにビームライフルを撃つ。

 ビルを挟んで爆発が上がる。飛んだパーツを見る限り、ジムⅡか。

 ビルを回り込んで、ネモが斬りかかった。ちょうどビルの角だ。出会い頭の辻斬りだが、半身になって躱したジェリドは至近距離でビームライフルを撃つ。

 コクピットを撃ち抜かれて、ネモは膝をついた。ビルの向こうに敵の気配を感じ取り、ジェリドは後退する。その直後、エゥーゴのマラサイやネモの集中砲火がビルを破壊し尽くした。

 ジェリドが二機落としたというのに、エゥーゴの勢力は健在だ。理由は一つ。エリア1の守備隊の戦力が、極端に少ない。

「ジムキャノン隊! 何をやってる! 弾幕を張ってろ!」

 ジェリドが怒鳴る。すでにジャブロー守備隊はエリア1の一角に追い詰められている。

 ジムキャノン隊の背後に、ネモが迫る。七年前の機体では、センサー類すら違う。

 ネモが、潰れた。それを踏み潰したのは、頭上の地下洞窟に張り付いていたガンキャノン重装型だ。ガンキャノン重装型はエゥーゴを砲撃するジムキャノンの隊列に加わる。

 砲撃の密度を増したところで、敵はそこを迂回する。そもそも数が圧倒的に足りないのだ。カクリコンのMk-Ⅱもビームライフルを撃つ。

「ちっ……頑張っちゃいるが押されているな」

「明らかに戦力が少ない。どうなってるんだ、ジャブローは!」

 苦し紛れにビームライフルを撃ちながら後退し、ジェリドとカクリコンは愚痴を交わした。

 きりがない。ジェリドは背後のモビルスーツ隊に目をやる。動きに精彩を欠いている機体も多い。

 モビルスーツに乗っての実戦など久しぶりだろうによくやる。ジェリドは心の中で皮肉まじりに呟いた。

「ええい、エリア1を放棄する! エリア2に後退だ!」

 ジェリドのその苦渋の決断にモビルスーツ隊は歓喜する。一時ではあるが、一歩間違えば撃たれる恐怖や緊張から解放されるのだ。

「気を抜くな! 殿は俺だ!」

 あっという間にジムキャノン隊は下がっていった。洞窟の地面をがしがしと踏み、エリア2へ後退する。

 ジェリドを含むジャブロー守備隊を追撃する機体があった。赤いリック・ディアスだ。

「シャアではないはずだが……」

 ジェリドはビームライフルでリック・ディアスを撃った。落とすつもりの射撃だったが、相手は警戒して物陰に隠れてしまう。サーベルを抜こうとして、ジェリドは首を振った。

「くそっ! 気を取られるな!」

 エリア1の部隊を後退させるのが今の目的だ。リック・ディアス一機にかかりきりになってはいけない。

 今度は三機編成のマラサイ隊がビームライフルを撃ちながら接近してきた。後退したいが、そうはいかない。

 ジェリドはビルに一度身を隠し、スラスターを噴射してジャンプする。ビルに回り込んだマラサイ隊の中に、反応できないパイロットが一人。

 ジェリドはそれを見逃さない。遅れた一機をビームライフルで撃ち抜く。長期戦になることを見越して、無駄弾を避けるようになっていた。

 しかし、残りの二機は手練れだ。ジェリドを追ってジャンプする一機と、それを地上で援護する一機。

 飛行中は行動が限られる。動きを制限するように数を撃つ地上のマラサイと、ジェリドのMk-Ⅱに確実に狙いを定める空中のマラサイ。

 まずビルの屋上に着地して、ジェリドは地上のマラサイの目線を切る。同時に強くビルの屋上を蹴り、空中のマラサイの視界から消えた。

 ジェリドのMk-Ⅱが地上に着地した。一拍おいて、ジェリドを追ってジャンプしたマラサイが地上に落ち、爆散する。ビルの屋上を蹴った直後、Mk-Ⅱのビームライフルがマラサイを撃ち抜いていた。

「次は地上の!」

 ジェリドはそう口にした。地上のマラサイと向かい合う。

 横合いからのビームが地上のマラサイを貫いた。射線を追った先には、黒いガンダム。

「カクリコン!」

「エリア2だろ! 早く来い!」

 後方からの砲撃が、エゥーゴの部隊を襲う。エリア2に後退しながら、ジムキャノンやジム・スナイパーカスタムが支援してくれているのだ。

 

 

 

 エリア2の守備隊もエリア1と大差ない。比較すればむしろ少ないくらいだった。

「どうなってるんだ、ジャブローは!」

「ジャブローは引っ越し中なんです」

 ジェリドの声は通信が拾っていた。ジム・スナイパーカスタムのパイロットが答える。

「引っ越し? どういうことだ?」

「はっ、そういう命令がありまして、ニューギニアに本部を移すと。ガルダも動員中です」

「引っ越しにしたって、この抵抗は何だ。まるで空き家同然だ」

 カクリコンが怪訝な顔で訊く。引っ越しにしてもティターンズが何も聞いていないのはおかしいが、それ以上に抵抗がない。

「それは……基地司令が、自爆装置にスイッチを入れたからではないでしょうか」

 通信が割り込んだ。

「なに!? 誰だ、貴様」

「エリア2の、Bブロック! 八階です!」

 そう言われて覗き込むと、脂汗を垂らした士官が窓の前に立っている。

「どういうことだ! 話せ!」

 士官はジェリド達に姿を見せようとして、通信機の前から離れていた。手すら振っている彼に、通信が聞けるはずもない。

「通信に戻れよ! くそっ!」

 Mk-Ⅱにバルカンポッドを触らせる。しばらく首を傾げていた士官だったが、ようやく気付くと通信機の前に戻った。

「ジャブローの核爆弾です! 司令がスイッチを入れました! あと一時間……いえ、五十八分で爆発します!」

「バカな……!」

 天下のジャブロー基地が捨て石程度の扱いなどと、信じられなかった。これではジャブローの守備隊もティターンズの降下部隊も切り捨てられたようなものではないか。

「司令はどこに行った!?」

「もう脱出されました」

 どれほど無責任な男だ。ジェリドは苛立つ。カクリコンが口を開いた。

「解除はできないのか?」

「解除コードは……司令だけが知っています」

 この通信は他のモビルスーツにも聞こえている。パニックになりかけたパイロット達を、ジェリドが一喝した。

「落ち着け! あと一時間もある! ジャブローから逃げるのはそう難しくない!」

 ジェリドはつとめてゆっくりと話した。自分が落ち着かなければ、他のパイロット達も落ち着くはずもない。

 ジムキャノンが一機、走り出した。だがそれを、近くにいたカクリコンが止める。

「放せー! 死んじまうんだぞ!」

「慌てるな! 一時間もある! 時間が余るくらいだ!」

 カクリコンが叫ぶ。このパイロットが逃げていたなら、パニックは止められなかっただろう。

「俺はたった今降下してきたばかりだ。脱出に使えそうな飛行機はないか? 滑走路とか!」

 エリア2から近いのはこっちだ、いやあっちの滑走路だ。ジャブロー守備隊が口々に話す声がする。

「モビルスーツ以外の人間はBブロックのこのビルに集まれ! 捕虜も連れてこい、それから滑走路に移動だ」

「エゥーゴだ! すぐそこまで来てる!」

 ジェリドは舌打ちしたい気持ちを押し殺した。

「よし、俺が出る。モビルスーツ隊は後に続け! パイロットでないなら乗り物を集めてBブロックビルに集合! 十分後にはここを離れて滑走路に移動を始めろ!」

 ジェリドの通信は放送を通してエリア2中に響いた。

 ひとまず、パニックは収まった。十分間は、どこの滑走路に行くかを決めさせるための時間でもある。

「行くぞ!」

 ジェリドは先頭を切った。

 エゥーゴの軍勢は、エリア1に攻め入った時よりは少ない。エリア1の維持に使っているのだろうとジェリドはふんだ。

「シャアは……!」

 ジェリドは首を振った。今は、時間を稼ぐのが第一。シャアを探している場合ではない。やってきたエゥーゴは、威嚇か牽制の射撃で近づけさせないのがベストだ。

「クソっ……許せよ、ライラ!」

 ジェリドは岩陰からビームを撃ち、また隠れる。シャアを殺すのは、後回しだ。

 無心で撃ち続けて、十分。エリア1と2の戦力が合流したことで、ジャブローの守備隊の戦力は増加していた。何事もなく、十分が過ぎる。

「ジェリド中尉! 移動先はE滑走路! 移動先はE滑走路です!」

 エリア2のBブロックからの通信だ。声の主は、あの帽子の士官。

「データもくれ!」

「はいっ! ご無事で!」

「了解だ。……聞いたかみんな! 俺たちはこれよりE滑走路に撤退、ジャブローを離脱する!」

 雄叫びが通信に乗って返ってくる。モビルスーツ隊にも、光明が見えたのだ。

 通信を切った後、ジェリドは自身の行く末を冷笑した。モビルスーツならいざ知らず、軍用とはいえジープなどを守って撤退できるだろうか。

「やれるのかよ、ジェリド・メサ」

 安請け合いをした自分に発破をかけた。今更弱音を吐いたって始まらない。

 エゥーゴの攻撃の手が緩んだ。錯覚ではない。引き上げていくエゥーゴのモビルスーツも見える。

「そうか! 連中もジャブローの自爆をわかって……」

 ジャブローの自爆の話は、基地中に放送で知らせた。エゥーゴもそれを信じて、撤退を決めたのかもしれない。あるいは、エリア1でエゥーゴも士官を捕まえて、自爆の話を聞いたのかもしれない。

 いずれにせよ、これはチャンスだ。

「よし! 滑走路へ移動だ! 時間はある、道中の友軍は可能な限り救助しろ!」

「おう!」

 カクリコンも無事だ。ジャブロー脱出は、もう目の前だ。

 

 

 

 青い空は、どこまでも広がっている。重苦しいジャブロー内部を抜けて目にした空は、清々しい。

「やった! 滑走路に出たぞ!」

 澄み切った広い空へ通じる輸送機は、ひどくちっぽけだった。

 輸送機に群がる無数の軍人は、我先にと乗降口に繋がる階段に群がっている。黒山の人ごみが、輸送機の周辺にわたって続いていた。

 ジャブロー自爆を知らせる放送が、これだけの人を怯えさせたのだ。

 わずかな生への道を、彼らは奪い合う。殴り、蹴り、引き倒し、足を引っ張り合う。ジェリドが助けたエリア1やエリア2の生存者も加わって、もはや殺し合いの様相を呈してさえいた。

 モビルスーツを捨てることは考慮に入れていた。しかし、誰の目から見ても、この輸送機に全員を運ぶ力がないことは確かだった。

 全員が助かることはない。誰かが死に、誰かが生き残る。

 それはここまでジャブローの守備隊を生き残らせたジェリドにとっても同じことだった。これまで守った命を切り捨てなければ、自身が死ぬ。

「……力のないものは、死あるのみ。力のないものは……」

 ジェリドはぼそりと呟いて、手元のスイッチを押した。

 Mk-Ⅱの頭部バルカンが発射される。激しい銃声が兵士たちの耳をつんざいた。六十ミリ弾の行き先は、空だった。

 兵士達は、Mk-Ⅱに注目した。開いたコクピットから身を乗り出す、ティターンズのパイロットスーツ。ジェリドだ。

「聞け!! ガルダ級がジャブローにはある!」

 少し間を置いて、兵士たちは口々に文句を垂れる。

「ふざけるな!」

「エゥーゴに取られたんだよ!!」

 輸送機から少し離れたアスファルトを、六十ミリ弾が砕いた。

「エゥーゴから奪い返す! それだけのパイロットもモビルスーツもあるんだ!」

 できるのか。時間はもうないぞ。兵士たちの頭にそんな疑念が渦巻くが、それを口にするものはいない。その場を支配していたのはジェリドだ。

「ついてこい! ガルダ級ならここの全員が乗れるはずだ! 生き残るなら一緒がいいだろうが!」

 争いは収まった。つい先程まで掴み合っていた二人が、どうするべきか話し合う。大きなざわめきが、輸送機の周りに渦を巻いた。

 そもそも可能なのか。ジェリド一人では無理な話だ。

 ジェリドの肩に、モビルスーツの手が置かれる。カクリコンのMk-Ⅱだ。

「遅いぞ、カクリコン」

「やろうぜ、ジェリド」

 カクリコンは笑う。接触回線だから、ジェリドにしか聞こえていない。

 乗り捨てられたジム・スナイパーカスタムに向かって、兵士が走る。エリア1で生き残った兵士だ。エリア1や2のパイロットが、またモビルスーツに走る。

 それを見て、輸送機に群がっていた軍人たちが、次々に離れていった。輸送機にたどり着くまで乗っていたモビルスーツや車に再度乗り込み、ジェリドの後に続く。

 ジェリドの協力者が増えれば増えるほど、群がっていた兵士が輸送機を離れるペースは早くなっていく。

「そんなオンボロじゃ無理だ! こっちに乗れ!」

「すまん!」

 ボロボロの車の兵士に、手が差し伸べられる。状態の良い車に乗り換え、ガルダ級へ向かう。

 いったいどこに隠れていたのか、ぞろぞろとモビルスーツが出てきた。パイロットは輸送機に乗るときにはモビルスーツをこの付近に乗り捨てていたはずだから、不思議ではない。

「ティターンズか、ありゃあ」

 ジェリドはつぶやく。集まってくるモビルスーツの中にはティターンズカラーのハイザックもいた。

 ちょうどそのハイザックから通信が届く。

「私はジャブローのマウアー・ファラオ少尉! ティターンズだ! 同行する!」

「よし、ティターンズなら頼りにする!」

 モニターに映った顔は美女だ。ジェリドはMk-Ⅱのカメラアイを点灯させ、感謝を伝える。

「行くぞ……ジャブローから脱出する!」

 エリア2脱出時の戦力を超えるまで時間はかからなかった。車にも満杯の人を乗せ、彼らはガルダ級の滑走路へ急いだ。

 

 

 

 二隻のガルダ級を擁するエゥーゴにとって、撤退は簡単だった。逃げ遅れのいないように、出発は爆発の十分前まで遅らせている。

 余裕のエゥーゴの前に、白旗を上げたモビルスーツが一機、現れた。

「俺はティターンズのジェリド・メサ中尉! 交渉に来た!」

 ガンダムMk-Ⅱ。仇敵であるティターンズの登場に、エゥーゴはざわめいた。

 血気にはやるエゥーゴの新兵がモビルスーツの操縦桿を握りしめる。

「どうしましょう、大尉」

「ふむ……私が話そう」

 ガルダ級の一隻、アウドムラのブリッジで、クワトロが通話機を取った。

「私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉。この場の責任者だ。ジェリド・メサ中尉、君の話を聞こう」

 ジェリドはその声と名乗った名前に驚愕を隠せない。ライラの仇、シャア・アズナブル。

「シャア! 貴様ぬけぬけと!」

「交渉に来たのだろう?」

 クワトロは落ち着いている。ジェリドの気勢に冷や水をかけた。

 焦ってはいけないことは分かっている。ジェリドは深呼吸をして、続けた。

「……ガルダ級を一隻、俺達ティターンズと連邦に譲ってもらいたい。見返りは、あんたらの安全だ」

「安全だと?」

 クワトロの隣でロベルトが眉を寄せた。安全を脅かすほどの力が、今のジャブロー駐留軍にあるのか。

「ガルダ級を一隻でいいんだ。あとは血の一滴も流さずここから逃げられる」

 Mk-Ⅱは、手に持った白旗を大きく振った。それを合図に、滑走路近くのエレベーターが上がる。

「バカな!」

 エゥーゴは浮き足だった。

 エレベーターに載っていたのは、明らかに寄せ集めの、しかし大量のモビルスーツだった。

 先頭こそわずかばかりのハイザックとジムⅡで固めているが、その後ろに続くのはジムⅡになり損なったジムだけでなく、ジムキャノン、ジムスナイパーⅡ、ガンキャノン重装型、ジム・スナイパーカスタム、ガンタンクⅡ、果てはザクタンクやグフ飛行試験型まで、ジムⅡ未満の旧式モビルスーツ達がずらりとひしめき合っている。

 一年戦争に従軍したアポリーやロベルトからすれば、懐かしいという思いが他人事のように湧き出てくる顔ぶれだ。

 そうして地の底からゾンビのように湧いて出たモビルスーツ達は、決して無傷ではない。手負いといっていいモビルスーツもいる。だが、この場では脅威になる。離陸していない飛行機などいいカモだ。

 密林からも、モビルスーツが立ち上がった。汚れてはいるがこちらは新鋭の機体、それもティターンズカラーだ。マウアー・ファラオ少尉が、ハイザックにビームライフルを構えさせている。

「ここで戦闘になればガルダ級は破壊されるぞ! 貴様らもそれは望んじゃいまい!」

 ジェリドは声を張り上げる。クワトロは通信機を掴んだまま黙る。

 Mk-Ⅱは白旗を持った手を横に突き出した。

「こいつを俺が放せば攻撃を開始する手筈になっている。爆発まではあと二十分! さあ、どうするシャア!!」

 エゥーゴは焦った。想定外の奇襲。ガルダ級で脱出する予定だった彼らは、周囲の警戒が緩んでいた。

 遠くから、もう一機モビルスーツの足音が聞こえた。

 別の滑走路でも、ジャブローを脱出しようとする兵隊のために輸送機がパンクしているはずだ。そう考えたジェリドは、カクリコンを他の滑走路に送り出した。

 Mk-Ⅱが連れてきたのは数台のモビルスーツと、軍用大型トラックが十数台、それら全てにすし詰めになった兵士達だった。トラックの荷台の両端には座席が付いているが、それにも座れない兵隊達は、トラックに引っ掛けたベルトや他の兵士にしがみついて、どうにか振り落とされずについてきている。

「……乗せられるのか?」

 そんな言葉がマウアーの口をついて出た。

 とはいえ、ジャブロー側の戦力は強化された。状況は好転している。

「わかった、いいだろう」

 クワトロの声にはまだ余裕があった。ジェリドは、それが悔しい。

 アウドムラとスードリの艦内にクワトロの通信が届く。

「スードリを連邦に明け渡す。スードリからモビルスーツをアウドムラに移せ。入り切らんようなら捨てて構わん」

「大尉! いいんですか!?」

 ロベルトがクワトロに詰問する。

「どのみちカラバに渡す予定だろう」

「カラバが困りますよ」

「戦闘になればスードリの腹のモビルスーツも無事では済むまい。当たりどころが悪ければガルダが一隻も飛べんことになるぞ」

 クワトロは安全策を取った。想定外ではあるもののジャブローは自爆によって完全に破壊される。さらに戦略的に大きな価値を持つガルダ級を一隻手に入れられたのなら万々歳だ。

「ジェリド君。離陸のタイミングはどうする?」

「お前達が先でいい。ジャブローから離陸するまでは停戦だ」

 エゥーゴが積荷を下ろしてからジャブロー駐留軍が乗り込むまでの時間がある。ジェリドはそれを見越して決断した。

 エゥーゴのモビルスーツが、スードリの格納庫から次々と出てくる。エゥーゴの構成員だけでなく、ジャブローで捕まった捕虜もスードリから降りてきた。

 これ以上を望むのは交渉として傲慢すぎるか。ジェリドは呟き、捕虜から目を背けた。もしもエゥーゴがバスクのように捕虜を利用するつもりなら止めなければならないだろう。だが、ジェリドはそうしない。

 爆発までの時間は十五分を切っている。

「クワトロだ。エゥーゴの引っ越しは終わった」

「了解だ。こちらも引っ越しを始める……おい! 爆発物の検査急げ!」

 あらかじめ爆発物処理のエキスパートを班に分けておいた。ガルダ級の内部構造を引っ越しを待つ間に知らせ、後は人海戦術で爆弾を探す。

 クワトロが、ジェリドに尋ねた。

「……レコア・ロンドという捕虜はそちらにいるか?」

「おかげさんでな、捕虜の名簿なんぞ作ってる余裕はない。……女か?」

「エゥーゴの構成員だ」

「なめるな!!」

 ジェリドはとうとう、冷静でいられなくなった。ビームライフルの銃口がアウドムラに向く。

「貴様はライラを知らんだろうが、俺にとっちゃ師匠なんだ! 仇の貴様が、俺を利用しようってか!!」

 引き金はまだ引かれない。噛み締めた歯が軋む。呼吸が激しい。アウドムラとMk-Ⅱの間に、強いプレッシャーが満ちている。

 緊張した空気の中に、通信が割り込んだ。

「ジェリド中尉! 爆発物、検出されません!」

「……了解だ。乗り込みを始めてくれ」

 無数の人間の命を背負ったジェリドは、引き金を引けなかった。ここで感情に駆られては、バスクと変わらない。男には我慢の時がある。

「必ず俺が殺してやるよ、シャア」

 ジェリドのMk-Ⅱが腕を振った。早く行けというサインだ。

 アウドムラからは、通信は来ない。そのまま滑走路を加速して、離陸していった。

 熱い太陽に向かってぐんぐんと伸びていくその軌道は、ジェリドには眩しかった。

 

 

 

「そんなあ! 博物館にだってないんですよ、こんな機体!」

「そんなグフもどき捨てちまえ! 死にたくねえだろ!」

 すがりつくグフ飛行試験型のパイロットが蹴り飛ばされ、無理やり担がれてスードリに連れていかれる。

 スードリの艦内に、傷だらけの軍人達が押し寄せる。ジェリドはMk-Ⅱをスードリの脇に立たせ、ブリッジへ上がった。

「どうだ、動かせそうか?」

「軍人がこれだけいれば、コロニーだって動かせますよ」

 舵輪の前の男が、ジェリドに声をかけられて振り向いた。エリア2で、基地の自爆を教えてくれた士官だ。

「ふっ、頼むぜ」

「ええ、任せてください」

 ジェリドは、空白のキャプテンシートに腰掛けた。ジェリド艦長か、悪くない。手元の受話器を取った。

「格納庫! 受け入れはどうか!」

「こちら格納庫! このガルダ級ってのは大したもんだ、全員飲み込んじまったよ」

「そうか!」

 ジェリドは喜んだ。このスードリにたどり着けなかった友軍には申し訳ないが、少なくとも目の前の人間を救うことができた。

「モビルスーツも何機か載せられるが、どうする?」

「……すまないが、ティターンズの機体を優先してくれ。いいな?」

 少し胸が痛む。こうして一緒に戦ったのに、自分の機体を優先するのは卑怯な気がした。

 コストや性能を考えれば一番のはずだが、どうにも割り切れない。

「了解! ……ティターンズは嫌なやつらだと思ってたけど、エリア1じゃ助かったよ」

「あんた、エリア1にいたのか?」

「トカゲのマークのジムキャノンさ」

 またな、といって通信は切れた。トカゲのマークと言われても、ジェリドにはピンとこない。

「爆発まであと何分だ」

「八分です」

 ブリッジクルーは冷静に答えた。ジェリドももう、出発を焦っている。爆発から逃れるデッドラインは、四分。

「爆発までは?」

「まだ一分も経ってませんよ!」

 ジェリドは貧乏ゆすりを始めた。もしこの積み込みが遅れて爆発に間に合わなければ、俺は間抜けだ。モビルスーツなど放っておいてすぐに出発すれば、全員の命を守れたのに。

 格納庫からまた呼び出しだ。ジェリドは通話機を取る。

「どうした?」

「積み込み完了だよ、艦長。出してくれ」

「了解!」

 ジェリドは勢いよく通話機を戻した。

「メインエンジン、火は入ってるな!」

「入ってます!」

「スードリ、発進だ!」

 傷だらけの兵隊を乗せて、その鉄の鳥は滑走路を走る。フラップが下がった。空気抵抗が揚力に変わる。

 ごうごうと腹の底に響く音がする。誰が言い出したのか、格納庫では振動や転倒に耐えようとしゃがんで頭を守っている。

 がくん、という感覚。体が下に押し付けられる。ジェリドは窓を見た。確実に、飛んだ。スードリはどんどんと上昇する。その大きさゆえに、ほとんど揺れは感じない。

 空だ。ジェリドは真正面の窓を見た。青空が、下の方まで広がっていく。地平線よりもはるかに上に、スードリは飛んでいた。

 ジェリドは満足げに頷いて、通話機を取った。

「こちらスードリ艦長、ジェリド・メサ。……離陸に成功!」

 艦内がどっと歓喜の声に包まれる。無事を喜び合い、抱き合う。両手を振り上げ雄叫びを上げる。格納庫の騒ぎは、ブリッジにまで届いていた。操舵手ですら離陸が嬉しいのか、小さくガッツポーズをしている。

 その喧騒が落ち着きかけた頃、後方から大きな爆発音がした。振り向けば、密林に舗装された大地の果てに、大きなキノコ雲がもうもうと上がっている。ジャブローが爆発したのだ。

 次に艦内に響いたのは安堵の吐息だった。誰も彼も疲れ果て、小さくため息をつく。エゥーゴの侵攻、ジャブローの自爆。二つの危機を、ジェリドとスードリのクルーは乗り越えた。無事だった。生き残った。その喜びが、今度は緩やかに、彼らを満たした。

「進路はどうしましょう」

「とりあえずは北米だ。これだけの艦を着陸させられる基地も、そう多くはあるまい」

 ジェリドはそう言って、キャプテンシートに深く体を預けた。大気圏突入から、彼は休みなしに戦い続けた。その疲れを、まずは癒すことにした。

 

 

 



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シャトル発進

 寄せ集めのモビルスーツを満載したスードリが、カリブ海の上空を飛ぶ。海の群青と、空の淡い青が水平線を挟んでいる。

 だが、ジェリドは不愉快だった。これほどの激闘をくぐり抜け、負傷者もたっぷり載せたスードリに、エゥーゴのアウドムラ追跡の命が下されたのだ。

 着陸して乗員の整理を行うことも許されず、定員を超えた数を乗せたスードリは、アウドムラが行ったという北米のフロリダを目指して飛行していた。

「ジェリド中尉」

 キャプテンシートの横に、マウアーが立っている。

「もし戦闘になったとして、この艦では……」

 ジェリドも、それは考えていた。不機嫌さをあらわにした口ぶりで答える。

「無理だろうな。モビルスーツが三機、それも下駄履きでなきゃあ空も飛べん」

 だが、とジェリドは続ける。その視線はまっすぐ、スードリの窓を見据えている。

「上がそう言うんじゃ従うのが軍人だ。無理ですと言っちまうのは無責任だろう」

「中尉は、それで構わないと?」

 マウアーは低く美しい声で言った。痛いところを突かれ、ジェリドは横目でマウアーを見る。

「構わんわけじゃないさ。だから俺は上に行く。いずれはティターンズだって手中に収めて、そんな不愉快な命令を誰もこなさんで済むようにするんだ」

 自分でも意外なほど、滑らかにジェリドは喋った。内心で抱えていたものが、ふと形になったのだ。

「ジャブローの核自爆で、そう思った?」

「そんなものかもな」

 本当は、もっと前からだ。だがそれが形になったのは、ジャブローでの経験によるものだろう。理不尽に人の命を奪い環境を汚染するやり方が許せなかった。

 ジェリドはまた乗員のリストに目を通した。レコア・ロンドの名は、やはりない。

 ブリッジクルーが二人、ほとんど同時に振り返った。

「アウドムラ、高度を下げました! 着陸する模様です!」

「ケネディポートが、カラバに占領されているそうです!」

 二つの情報を線で繋げば、自ずと答えは出る。ジェリドは声を張り上げる。

「戦闘準備だ。モビルスーツパイロットはコクピットで待機。デッキのクルーはベースジャバーを出しておけ! スードリはケネディポートから三十キロ以内に近寄るなよ!」

 連邦の制服を着た士官の肩を叩き、ジェリドはブリッジを後にする。マウアーも一緒だ。

「行くぞ」

「ええ!」

 彼ら二人は、通路を駆け出した。

 

 

 

 ジャブローから脱出したエゥーゴは、地上の反地球連邦組織、カラバの先導と協力の元、占領されたケネディ空港からパイロットを宇宙に打ち上げるつもりだった。

 アウドムラのブリッジの窓からは、エゥーゴのクルーが続々とシャトルに乗り込んでいるのが見える。クワトロの青い目が、それを追っていた。

「大尉、そろそろ百式をシャトルに積み込みませんとランデブーポイントに間に合いませんよ」

 カラバのハヤト・コバヤシが聞いた。かつてのホワイトベースのクルーだ。

「いや……今は辞めておこう」

「なんですって? 宇宙に上がれませんよ」

「ひとまずはシャトルを宇宙に上げる。私と百式は次の機会を待ちます」

「敵が来る、と?」

「ええ。ロベルトにも出るように言ってください。モビルスーツ隊の準備も」

 クワトロは自身の直感をハヤトに告げた。シャトルに乗った多くのモビルスーツパイロットのために時間稼ぎをするつもりだ。

 

 

 

「なに、戦闘?」

「ああ、そうらしい」

 通信越しにアポリーとロベルトが話している。わずかな緊張はにじみ出ているが、それを隠す様子も恐れる様子もない。戦闘は慣れっこだ。

「それじゃあお前さん、宇宙には上がらんのか」

「しばらくのうちはな。お前こそ、シャトルには何人も乗ってるんだろ」

 ロベルトのリック・ディアスがシャトルに向かって手を振っている。

「そっちは俺のじゃないぞ」

「おっと」

 アポリーはモニターに映ったリック・ディアスを見て笑った。その場で足踏みし、アポリーのシャトルに体を向けた。

「俺だって不安だ。こんな旧式、大丈夫なのかね」

 シャトルのパイロット不足により、アポリーがシャトルの一機を任されている。ケネディポートのシャトルは旧式化しており、灯りが点かない計器すらあるほどだ。

「打ち上げに成功してから落とされたんじゃ、お前さんの責任だ」

「ちぇっ、守ってくれよ」

 アポリーが口をとがらせた。

 

 

 

「モビルスーツが出たな」

 白いスーツの男が呟く。捕虜と言っても、ジャブロー脱出のどさくさのおかげで手錠の一つもかけられていない。エリア2の兵士達に連れ出されてスードリに押し込められたものの、離陸時の混乱のおかげで監視はない。これだけ人の多い艦内で二人の人間を見つけ出すのは至難の業だ。

 人でいっぱいの格納庫を避け、彼らは廊下の壁に背を預けている。

「……どうするつもり?」

 問いかける女はエゥーゴのレコア・ロンド少尉だ。白いスーツのジャーナリスト、カイ・シデンは笑う。

「さてね。手荒な真似はしたくないが」

「モビルスーツが出払っている今がチャンスでしょう?」

「そう思う」

 カイは懐から拳銃を覗かせる。ジャブローを脱出する際、密かにスリ取っていたものだ。

「あら、あなたも?」

 レコアもポケットから銃のグリップだけを出して見せる。カイは小さく照れくさそうに笑った。

「あんまり格好つけるもんじゃないな」

 すでに目星はつけている。スードリに初めから積んであったベースジャバーだ。

 二人は格納庫に出た。周囲に目を光らせながら、目立たないようにベースジャバーに近づいていく。

「動かせるの?」

「こう見えてホワイトベースの元クルーさ」

「ロックがかかっているはずよ」

 スードリには多数の不正規人員が乗り込んでいる。当然スードリの指揮権を持ったジェリドもそれをわかっているから、各機のセキュリティは厳重に管理するよう命令していた。

「俺はあんたを傷物にさせてしまった。せめてここからは逃してみせなきゃな」

 ベースジャバーのコクピットのロックを解除するにも暗証番号が必要だ。カイはその番号を、迷うことなく入力する。

 認証完了を示す緑のランプがテンキーに点き、コクピットが口を開けた。

「そんな……」

「こいつの暗証番号を決めるところを見てただけさ」

 いわゆるショルダーハッキングというものだ。スードリがジャブローを出るまで、ベースジャバーは厳重な管理をされていなかった。パスコード変更が行われることを見越して、カイはスードリに入ってからずっとベースジャバーを見張っていたのだ。

「イレギュラーが重なったおかげだ。乗ろう」

「……ええ」

 レコアの表情は決して明るくなかった。逃げられるかどうか、という悩みもさることながら、逃げ出してエゥーゴと接触できた後、自分が元に戻れるかが不安だった。

 ジャブローで受けた傷は深い。それを癒してくれるのは、クワトロだろうか。

 

 

 

「ベースジャバーなんて学校以来だな」

 空を翔ける三機のモビルスーツたちと、それを支える三機の航空機。モビルスーツの空中戦闘を可能にする、サブフライトシステムだ。

「ジェリド! スードリはいいのか?」

「ケネディポートに接近しすぎんように言っておいた。どうやったってあれじゃ戦えん」

 カクリコンのMk-Ⅱからの通信にジェリドが応えた。スードリはそもそも正規クルーではない上、モビルスーツもわずかだ。戦闘に参加させる道理はない。

「見えた! アウドムラだ!」

 ハイザックのマウアーが叫んだ。

「ケネディ空港……やはり宇宙に上がるつもりか!」

 地上のモビルスーツからのビームが彼らのそばを通過する。赤いリック・ディアスだ。

「あの時の捕虜か……! 行くぞ!」

「了解!」

 ジェリドの指示に、マウアーとカクリコンがうなずく。三機のモビルスーツは、ベースジャバーごと高度を落とした。

 アウドムラの格納庫からモビルスーツが数機顔を出した。その中には百式もいる。

「シャア!」

 ジェリドのベースジャバーが急降下する。空気抵抗を減らそうと体を伏せ、ビームライフルを撃った。

「ええい、ジェリドか!」

 百式もスラスターを噴射し、空に出る。ビームライフルの牽制射撃の後、ビームサーベルが抜かれた。ジェリドも同時に、サーベルに手を伸ばす。

「下駄も履かんでやれると思うな!」

「おおおおお!!」

 すれ違いざま、ビームサーベル同士が激しく衝突した。ジェリドのベースジャバーががくんとスピードを落とす。百式は剣に合わせてビームライフルをベースジャバーに撃ち込んでいた。

「はあ!!」

 ジェリドのMk-Ⅱはべースジャバーから飛び上がった。後方の空中で落下軌道に入った百式めがけ、飛ぶ。

 百式は振り返った。落下先を予測したジェリドの偏差射撃を、時折スラスターを噴かしてかわす。

 反撃するクワトロのビームは当たっていない。Mk-Ⅱのノズル光が空中で何度か弾ける。百式に追いつき、もう一度ビームサーベルを振るう。

 ジェリドの一撃は百式のバックパックのフレキシブルバインダーを切り裂いた。

 空中で何合も打ち合うことはできない。地上のように地面に足をつけることもできないし、重力も空気抵抗もあるため宇宙のように相手に密着し続けることは難しい。

 二度の交錯の結果、ジェリドはベースジャバーを、クワトロはバインダーを失い、互いに背を向けたまま着地する。百式はその勢いのまま急加速しホバー軌道を取った。

「逃がすか! ……いや!」

 ジェリドはクワトロを追って加速しかけて、踏みとどまる。カクリコンとマウアーの方を振り向いたが、善戦しているようだ。というより、ネモやマラサイの動きが良くない。

 ネモやマラサイに乗っているのはカラバのパイロット達だった。モビルスーツをカラバに譲渡し、パイロットは宇宙に帰らせるのがエゥーゴの計画だ。

 ネモとマラサイはクセの少ないモビルスーツであるものの、初めて乗ったモビルスーツでティターンズのエリートの相手をするとなると厳しいものがある。ましてやシャトルを守りながらの戦いだ。

 数で大きく劣るジェリドたちが善戦できたのは空をとっている強みだけでなく、そういった敵方の不備という幸運があったからだった。

 再度加速したジェリドの行く手をメガ粒子が阻む。

「ベースジャバー!?」

 ジェリドはその疑問を口に出した。上にモビルスーツは積んでいない。サブフライトシステムが単独で飛ぶなど不自然だ。ベースジャバーを出撃させるような素振りはアウドムラには見えなかった。

 スードリから通信が入った。ブリッジクルーの悲痛な声が響く。

「ジェリド中尉! 捕虜にベースジャバーを奪われました! それに……うわっ!」

「なんだ!? どうしたんだ!!」

 通信が途切れる。何かあったのだろうか。

 続けて放たれたベースジャバーのメガ粒子砲をシールドで防いだジェリドだが、その表情は冴えない。飛んでいる敵を落とすという状況だけでなく、スードリでの事件もまた彼の脳裏にこびりつく。

「ちっ、シャアにベースジャバーを壊されなければ!」

 ジェリドは悪態をついた。状況は良くない。ただでさえクワトロ相手では押され気味なのに、さらに援軍が来てはジェリドも持たない。

 ベースジャバーが通信を開いた。

「エゥーゴのモビルスーツ! 聞こえるか! こっちはティターンズから逃げてきた! 撃つのはよしてくれ!」

 ベースジャバーのコクピットにいるのは、カイとレコアの二人だ。

 操縦を引き継いだレコアは、Mk-Ⅱへ攻撃を続けている。今の通信はエゥーゴの参加者だった彼女の方が向いているはずだ。

 レコアが通信をカイに任せたのは、彼女の恐れの現れだった。

「捕虜……レコア少尉、か?」

 クワトロは呟いた。

 上空と地上、百式とベースジャバーの波状攻撃がジェリドを襲う。ジェリドは自棄になったようにビームライフルを乱射した。

 

 

 

 一方、カクリコンたちに攻撃されるカラバの部隊の中で、奮戦するモビルスーツがあった。ロベルトのリック・ディアスだ。

「ティターンズめ、うろちょろと!!」

 彼とアポリーは一年戦争の頃からの付き合いだ。

 上方への攻撃にあたって、リック・ディアスの背部ラックのビームピストルはかなり有効だ。マウアーのベースジャバーにビームが当たった。

「ううっ! この!」

 ベースジャバーから身を乗り出し、ハイザックが負けじとマシンガンの弾をばら撒く。たたらを踏んだモビルスーツ隊に、さらにマシンガンの弾が降り注いだ。

「何事!?」

 見上げたマウアーのハイザックに影が落ちる。ベースジャバーに乗った連邦カラーのハイザック。ジェリドたちの援軍だ。

「くそっ、援軍まで来た! オークランドか!」

 ロベルトは悪態をつく。三機のモビルスーツにさえ苦戦しているのに、見たところベースジャバーは二機、それぞれに二機ずつハイザックが乗っていた。

 ロベルトのリック・ディアスがクレイバズーカを構え直した。

「シャトルの打ち上げは邪魔させんぞ!」

 アポリーはシャトルにパイロットとして乗り込んでいる。一年戦争からの親友である彼を殺させるわけにはいかない。ロベルトはリック・ディアスを空に舞わせ、ブースター・バインダーの接続を外した。狙いは援軍にやってきた連邦カラーのハイザックだ。

 手に持ったバインダーを、ベースジャバーめがけて投げつける。ベースジャバー上の二機のハイザックが互いのバランスを取れずよろめいたところに、強烈な飛び蹴りをかます。

 一機を右の回し蹴りで叩き落とし、その勢いに乗って半回転して、左の後ろ回し蹴りでもう一機もベースジャバーから蹴り出した。

「こうか! よし!」

 ベースジャバーの操作を奪いつつ、落下していくハイザックへ上からクレイバズーカを撃ち込む。当たった一機は、火を吹きながら滑走路へ落ち、爆発する。

「さて……!」

 一息ついたロベルトは時計を見る。シャトル発進まで、あと三十秒。空をこちらが取った今、状況は悪くない。

 突然、カクリコンのベースジャバーが加速した。目標はアポリーのシャトルだ。

「いかん! アポリー!」

「シャトルはもらったぁ!!」

 ロベルトのベースジャバーが追いかける。カクリコンは数発ビームライフルを撃ち込んだ。

「うわあっ!」

 操縦席のアポリーが悲鳴をあげる。

「させるものか!!」

「うおおおお!!」

 カクリコンはロベルトの射撃をかわそうと、ベースジャバーから飛び降りた。乗り捨てられたベースジャバーをとどめとばかりにぶつけられ、シャトルは傾いていく。ロベルトは叫んだ。

「アポリー!!」

 地面に叩きつけられたシャトルは大きな爆発を残して、残骸へと変わった。

「やったぞ、アメリア!!」

 勝鬨を上げるカクリコン。乗り捨てたベースジャバーに空中で再度乗り直し旋回し、もう一機のシャトルを狙う。

「アポリー……! くそっ! ガンダムめっ!」

 シャトル打ち上げまで、あと二十秒。シャトルはもう一機ある。ロベルトには、その死を悲しんでいる暇もない。

 

 

 

 クワトロの目が、新たな敵機を捉えた。小さく横に動くと、アスファルトを強力なビームが抉った。

「新手のモビルアーマーか!」

 そこを舞うのは、アダムスキー型UFOを彷彿とさせる円盤状の機体。機体下部の大型ビーム砲が、アスファルトを灼いた張本人だろう。

「援軍……オークランド研究所か?」

 百式は飛んだ。ジェリド以上の腕とは考えにくい。何より、大きくはあるが航空機だ。接近戦ならモビルスーツに分がある。

 ジェリドのビームライフルは弾切れだ。クワトロは余裕を持って空に上がった。

「もらった!!」

 その新手の腹に追いつき、百式は右手のビームライフルをその腹部へ向ける。

 突如、円盤が開いた。分割された円盤は、肩と頭を形作る。機体下部が伸ばされてできた両足が、百式を蹴り飛ばした。

「変形した!?」

「醜いな!」

 バランスを崩し地上に落下した百式めがけ、その可変モビルアーマー、アッシマーは大きなビームライフルを構える。

「墜ちろ! ……なに!?」

 アッシマーの胴体をベースジャバーのメガ粒子砲が捉える。体勢を立て直そうとする百式に、Mk-Ⅱが飛びかかった。

「シャア!! ここで貴様を墜とす!」

 接近戦を挑んだのはベースジャバーの射撃を避けるためでもある。一番の理由は、もうビームライフルがエネルギー切れということだ。サーベルを抜く暇を与えず一気に組み付き、地面へと引き倒す。

 総合格闘技でいうガードポジションだ。片手で百式のビームライフルを掴み、もう片方の手で頭部を殴りつける。

「レコア少尉は生きていたな! ジェリド!」

「あの場で調べられるものかよ!」

 ジャブローでの取引を責めるクワトロだが、百式の頭部をMk-Ⅱの拳がへこませる。

 アッシマーも、ベースジャバーを追う。ジェリドが百式に組みついたため、射撃でクワトロを攻撃することができない。今のアッシマーの攻撃目標はうざったいベースジャバーだ。

 モビルスーツを二機搭載できるベースジャバーの推力が、かろうじて生存を可能にしている。

「ベースジャバー、レコア少尉だろう! 上昇しろ!」

 クワトロの声だ。地上で戦いながら、レコアへ指示を出したのだ。

「上昇だと!?」

「……了解です、大尉!」

 驚くカイと、低く返事を返したレコア。機首を上に向け、ベースジャバーは上昇する。

 不意に敵がいなくなったアッシマーは寸分の迷いもなく変形し、シャトルめがけて突き進む。ベースジャバーやモビルスーツなどに構っている場合ではない。シャトルを落とすことが今回の目的だ。

 クレイバズーカの散弾がアッシマーの装甲に打ちつけられる。モビルアーマー形態の装甲に隙はないが、続けざまの二発目を避けるため軌道を変えた。

「でかいだけで勝てると思うな!」

 アポリーを失ったロベルトが叫ぶ。敵が変形モビルスーツだろうと、怯むことはない。

「宇宙人が……!!」

 再度変形したアッシマーのビームライフルが、リック・ディアスの右腕を貫いた。遅れて腕は小さな爆発を起こし落ちていく。

「おのれええ!」

 未だ空中のアッシマーにロベルトは背部のビームピストルを放つが、軽く肩を掠めただけに終わる。

 シャトルが低く音を立てた。発進の時刻だ。ボルトが外れ、多量のガスをノズルから噴射し発射台から飛んでいく。

「逃がすものかよ!」

 アッシマーはまたモビルアーマー形態へと変形した。右腕を落とされたリック・ディアスでは妨害はできない。宇宙めがけて飛んでいくスペースシャトルを、高速で追いかける。

 百式の左手が、Mk-Ⅱの拳を掴んだ。

「邪魔をするな! ジェリド!」

「黙れ! このままなぶり殺しに……!」

 百式の右手がビームライフルを手放した。自由になった両手でMk-Ⅱのアンテナを掴み、そのメインカメラめがけて頭部バルカンを撃つ。

 シャトルを二機とも落とさせるわけにはいかない。アポリーをパイロットに推薦したのは自分だ。

「サブカメラがある!」

 まだジェリドは戦意に溢れている。だが、百式はすばやく畳んだ両足でMk-Ⅱの腹部を蹴り飛ばしつつ、同時にビームライフルに手をかけて引ったくるように取り戻す。ガードポジションから脱すると、クワトロはフットペダルを踏み込んだ。飛行するつもりだ。

「待て! シャア!!」

 それを追って飛行するMk-Ⅱ。バックパックからビームサーベルを抜き、空中で斬りかかる。百式は、避けない。ジェリドはビームサーベルを振り下ろした。

「俺を踏み台にした!?」

 左腕を斬り落とされた百式は、Mk-Ⅱの肩を踏み台にして、さらに高く飛ぶ。右手にはビームライフル。アッシマーを止める気だ。

「レコア!」

「大尉!!」

 上昇していたレコアたちのベースジャバーが、百式の下に潜り込む。それを足場に、百式はもう一度飛んだ。

 シャトルをアッシマーのビームが掠める。この距離なら当たる、パイロットの指に力がこもった。

 突然、機体が揺れる。背後からのビーム。振り向けば、金色のモビルスーツが、白い雲の上でライフルを構えていた。百式の左腕を犠牲にし、クワトロは三度のジャンプでアッシマーに追いついたのだ。

「くっ……! バランサーか!」

 バランスを崩したアッシマーでは、シャトル追撃は不可能だ。ぐらりと機体が揺れ、高度が落ちる。

「ならば……アウドムラだけは返してもらう!」

 

 

 

 アウドムラの機内は天地がひっくり返ったような大騒ぎだった。

 正面に見えるのは、スードリ。それは間違いなく、アウドムラのいる滑走路を目指して降下していた。

「離陸だ! 早く離陸しろ!」

「無茶ですよ! ぶつかります!」

「滑走路が塞がれるぞ!!」

 ブリッジクルーの弱音をハヤトの指示がかき消す。動かなければやられる。

 ケネディ空港の大きな滑走路は、ガルダ級であろうと離着陸が可能だ。しかし、当然滑走路には長さが要る。

「バカな! スードリは何を考えている!!」

 ジェリドはMk-Ⅱのコクピットで叫んだ。それはスードリ自身もただでは済まない体当たり紛いの手段だった。

 アウドムラの離陸には加速距離が要る。スードリはその滑走路をアウドムラと向かい合うようにして着陸し、滑走路を塞ぐつもりだ。

 たしかに、アウドムラの足を止めれば一挙に集まった連邦の援軍とともにカラバを倒し切れるだろう。だが、スードリには遠方で待機していろと命令を出していたはずだった。何より、一歩間違えば撃沈する恐れがある危険な行動などさせるつもりはない。ジェリドは奥歯を噛んだ。

 ハヤトが落ち着かない様子で声を張り上げる。

「モビルスーツ隊に帰艦命令を出せ!」

「もう出してます!」

「なら祈るだけだ!」

 彼の丸い目は、正面のスードリを睨んでいた。離陸しなければ、いずれ囲まれて沈められる。

 スードリが滑走路に降りた。一つの滑走路を、アウドムラとスードリの二つのガルダ級が、チキンレースのように対向する。

 加速するアウドムラの後部ハッチから、続々とモビルスーツが乗り込んでいく。置いていかれては袋叩きだ。

 加速した両機は、滑走路の中央近くまで距離を詰める。離陸が遅れれば正面衝突。スードリにも離陸の動きは見えない。

「フラップ全開! 三、四、五番バーニア点火!!」

 アウドムラが浮いた。加速が揚力に変わる。

「行けええええ!!」

 アウドムラの腹がスードリのブリッジと火花を散らして削り合う。スードリの背を滑り、アウドムラは離陸した。

 

 

 

「スードリはなぜあんなバカな真似をした!!答えろ!!」

 メインカメラを損傷したMk-Ⅱから降りたジェリドは、スードリのブリッジへと駆け上がった。そこに立っていたのは、ティターンズの制服を着た男だった。

「貴様、誰だ! 所属を言え!!」

「オークランド研究所、ベン・ウッダー大尉だ。スードリはブラン隊が接収した」

 毅然とした態度のウッダーに対してもジェリドは怯まない。クワトロを見逃してまで守ったスードリとその乗員たちを勝手に使われてはたまったものではない。

「どんな権利があって、貴様!」

「ジャマイカン少佐にはオークランドの所長が話を通してある!」

「俺は聞いちゃいない!」

「中尉が喚くな!」

「ティターンズは一階級上の扱いだろう!」

「オークランド研究所はティターンズになった!」

「新参者だろうが!」

 ジェリドとウッダーは睨み合う。どんどんと大きくなっていく二人の怒鳴り声は、もう一人の男によって遮られた。

「気に食わんならここで降りていけばよかろう。我々はアウドムラ追跡の任務がある」

 アッシマーのパイロットでブラン隊を率いる男、ブラン・ブルターク少佐がブリッジに入ってきた。

「貴様……!」

「俺は少佐だ。ティターンズのローカルルールも関係ないな」

 ローカルルールとまで言われては、ジェリドもカッとなった。

「なんだと!?」

「ジャブローから乗ってきた連中のほとんどはこのケネディ空港で置いていく。貴様もそれに混ざりたいなら勝手にしろ」

 階級では相手が上だが、ジェリドはまだ何か言いたそうだった。

「落ち着いて、ジェリド!」

 マウアーが割り込んだ。彼女はジェリドを抱き止める。

「個人的な感情だけで動いていては上にはいけない……そうでしょう!?」

 短く唸って、ジェリドは黙った。頭に血が上っていたことは確かだ。しかし、ウッダーの行為は間違いなく乗員を危険にさらす行為だった。

「戦闘の直後で気が立ってるんですよ、こいつは」

 カクリコンも加勢する。

「なんたってあの金ピカは赤い彗星だ。熱くなるのも仕方ないでしょう」

「いい、カクリコン」

 ジェリドの手がカクリコンを制した。ブランに近づき、頭を下げる。

「……冷静ではありませんでした。責めを受けるつもりです」

 ブランは小さく微笑んだ。ティターンズの割には素直だ。

「いいさ。パイロットというのは跳ねっ返りなくらいがいい」

 軽く肩を叩き、ブリッジを出るように促した。休めと言っているのだ。

「は……失礼します」

 ジェリドはマウアーとカクリコンと並んで敬礼し、ブリッジを後にした。

 

 

 

 戦闘後の慌ただしいアウドムラの格納庫に、ベースジャバーと百式が滑り込んだ。片腕を失った百式の頭部はところどころへこみがある。

 隅のリック・ディアスからロベルトが百式の方へ駆け寄った。クワトロがコクピットから降りてベースジャバーの上に立つ。

「大尉、あのハンバーガーの撃退、お見事でした」

「たまらんものだな」

 クワトロは、閉まっていく後部ハッチから空を眺めている。二機あるシャトルのうち、一機は破壊されてしまった。それも、アポリーの乗ったシャトルだ。

「いえ……戦争ですから。アポリーも、そのつもりだと思います」

 ロベルトの声は、震えていた。アポリーは彼らにとって七年来の戦友だった。

「またスードリが追撃に来るだろう。ゆっくり休んでおけ」

「いえ、リック・ディアスの整備を手伝います。右手もやられましたし」

 軍人とはいえ、感情はある。それを考えたクワトロの指示だったが、ロベルトは断った。

「いいのか?」

「いいんですよ。動いていれば薄れます」

 薄情と言われるかもしれない。しかし、感傷に浸っている暇はなかった。いつスードリが追いつくかわかったものではない。

 二人の足元でハッチが開いた。ベースジャバーのコクピットだ。

「おっと、撃つなよ。俺は民間人、フリーのジャーナリストさ」

 わざとらしく両手を上げて、白いスーツの男が顔を出した。

「カイ・シデンという。……あんたは」

 カイの目が鋭く光る。クワトロから、ただならぬものを感じたからだ。

「クワトロ・バジーナ大尉だ。エゥーゴだが、今はカラバに身を寄せている」

「ほお、あんたが」

「何か?」

「いいや」

 どこか失望を感じさせる声音だった。カイはハッチから出て、格納庫へ降りる。

「レコア少尉は?」

「すぐ出てくるさ」

 クワトロの問いに答え、カイはアウドムラのクルーを一人伴って格納庫を去っていった。

 栗色の髪がコクピットの中に見える。クワトロは歩み寄った。

「大尉。……お久しぶりです」

「ああ」

 小さく息を吐いて、レコアがコクピットから這い出す。その間際、彼女はバランスを崩した。

 すぐさまクワトロの腕が彼女を支える。抱き寄せるようなその格好に、レコアは思わずクワトロを押しのけた。

「いやっ!」

 転ぶことはなかったものの、立ち上がったレコアの目は虚ろだ。クワトロも驚き、彼女を見る。蚊帳の外のロベルトも、心配そうな視線を二人に向ける。

 クワトロを振り払った事実に気づき、彼女は自分の肩を抱いた。

「……少し、休ませて」

 レコアはそのままふらつく足取りで歩いていく。追いかけようとするロベルトを、クワトロが目で止めた。

「いいんですか?」

「……我々にはやることがある。百式には無茶をさせた」

 クワトロはレコアに背を向けた。百式はアナハイムの新鋭機だ。リック・ディアスと同じく、カラバではパーツの入手は難しい。片腕を失った百式の傷だらけの頭部が、クワトロのサングラスに映っていた。

 

 

 

 直感が、一つ。北米のシャイアンの豪邸で、一人の男が空を見ていた。

 

 

 



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アムロ再び

 ケネディ空港を発ってまだ数時間。ロベルトは格納庫のコンテナに腰を下ろし、タオルで汗を拭っていた。彼の目の前に、コーラの瓶が差し出される。

「大尉」

「どうだ、リック・ディアスは」

 百式やリック・ディアスは宇宙へ返す予定の機体だ。カラバのアウドムラでの運用は考えていない。したがって、予備のパーツもないというわけだ。

「いただきます」

 瓶を受け取って、ロベルトは続ける。

「アポリーのリック・ディアスを借りることにしました。ほら、あれ」

 ロベルトは格納庫の隅のリック・ディアスを指した。アポリーの機体だ。損傷は少ない。

「私の機体をパーツ取りに使えば、それなりに戦えるかと。……百式はどうなんです」

 リック・ディアスと違って、自由に使える予備機もない。百式の左腕は、取り返しのつかない傷だ。

「予備のパーツがないからな、片腕でやるしかあるまい」

 自嘲するようにクワトロは笑った。シャトルを打ち上げさせるためとはいえ、無茶をさせた。

「ヒッコリーまで持つでしょうか」

 ヒッコリーというのは地名ではない。アメリカ西海岸にある発着所のコードネームだ。

「やってみるしかないな、これからハヤト艦長と打ち合わせだ」

 クワトロの表情は暗い。エレベーターへ向かうその足取りは確かだが、重くもあった。

「……本当に、どうなるのかねえ」

 ロベルトはコーラの蓋を開けた。

 エレベーターに乗りこんだクワトロが上階のボタンを押すと、通路を走る足音がする。

「大尉! 私も……」

「乗れ」

 ドアを開き、クワトロはその女を迎え入れる。レコア・ロンド少尉だ。

 エレベーターは密室だ。ドアが閉じた鉄の箱の中に、沈黙が流れる。クワトロは一言も発さない。小さな駆動音の中に、唾を飲み込む音が混じった。

「大尉……」

 彼女はクワトロの手を握り、体を押し付ける。剥き出しの二の腕に布地が擦れた。レコアの腕が、クワトロの肩へ回される。

「さっきはごめんなさい、大尉。……私……」

 一度クワトロの顔を見たが、レコアはまた目を落とした。声が震えている。男の体に鼓動が触れた。激しい脈動は性的興奮のためではない。消しがたいトラウマへの恐怖だ。

 クワトロの手が伸びた。肩に回されたレコアの手を優しく取り、体から離す。サングラスの内側でレコアを見据える瞳からは、感情はうかがえない。

 冷たい声で、クワトロは告げた。

「これからハヤト艦長と打ち合わせがある」

 レコアは取られたままの腕を振り、クワトロの手を払った。彼女は声を詰まらせる。

「あなたは……!」

 エレベーターのドアが開いた。レコアはそのまま駆け出していく。クワトロはそれを引き止めることなく見送って、エレベーターから出た。

 背後から、声をかけられる。

「あんた、卑怯なんじゃないかい」

 クワトロが声の主の方へ振り向くと、カイが通路の壁にもたれていた。その目には、確かな失望と怒りの色があった。

「……私は自分がすべきことをやっている。今はアウドムラを落とすわけにはいかん」

「あの人はジャブローで汚された自分の体を、あんたで上書こうとしてるんだよ。それをあんたは!」

「私は彼女の機嫌を取るために軍人になったわけではない」

 クワトロはブリッジへの通路を進む。カイは声を張り上げた。

「卑怯なんだよシャア・アズナブル。そう名乗って戦わないから!」

 足が止まった。振り向かず、クワトロは答える。

「レコア少尉の話はそうだが、今の私はクワトロ・バジーナでしかない」

 カイがクワトロの肩を掴む。強引に振り向かせると、もう一方の手がクワトロの頬を打ち据えた。強烈な一撃に、クワトロは床に倒れ込む。サングラスが床に転がった。

「いつだってそうだ! セイラさんがどんな気持ちで戦ってたかなんて考えもしない!」

 壁に拳が打ち付けられる。クワトロだ。立ち上がり、カイに怒りのこもった目を向ける。

「やめろ! カイ!」

 ハヤトが割り込んだ。ブリッジから口論を聞きつけて走ってきたのだ。

「偉くなったもんだな、ハヤト」

 鋭い目で、カイはハヤトを睨む。低く響く声で、彼は続けた。

「いつから俺にそんな口が聞けるようになった?」

「やめろと言ってる!」

 ハヤトは怯まない。よく通る声でそう言い聞かせる彼には、指導者としての貫禄があった。

 しばしの睨み合いの後、カイは目を閉じて息を吐く。

「負けたよ。ここはお前の顔を立てるさ。小型飛行機を一台借りていきたいが、構わないな?」

「……ああ」

 ハヤトの許可を得ると、カイは身を翻しエレベーターへ歩いていく。見上げていたクワトロは、サングラスに手を伸ばす。

「あばよ、軟弱者」

 肩越しにカイはそう言い残した。クワトロは黙ったままだ。気まずそうに、ハヤトはクワトロに声をかける。

「大尉、打ち合わせです。行きましょう」

 サングラスに伸ばした手は、その横で固く握られていた。

 

 

 

 ジェリドに敬礼をして、その兵士はすれ違った。ジャブローで助けた兵士も、このスードリにはまだ多い。

 ブリッジに入ると、クルーの半分ほどが振り返って敬礼した。反応しないのはブラン隊としてスードリに乗り込んだメンバーだ。

「何の用だ、ジェリド中尉」

「ご立派だな、ベン・ウッダー艦長」

 言葉は静かだが、彼らは密かに火花を散らし合う。ジェリドからすればウッダーに艦を奪われた形だ。わだかまりはある。

「ブラン少佐に話があって来た」

「隊長は今はこれだ」

 ウッダーは立てた二本の指を口元にやる。

「これ?」

「煙草だ。喫煙室だよ」

 地球に帰ってくるのはジェリドにとって数ヶ月ぶりだった。煙草のジェスチャーがぴんと来なかったのも無理はない。宇宙での戦闘を意識している軍人は、その殆どが煙草を吸わないからだ。

「わかった」

「おい、何の話を……」

 ジェリドは問いに答えず、ブリッジを出ていった。ウッダーは小さく、その背中に舌打ちした。

 

 

 

「少佐、こちらでしたか」

「ん、ジェリド中尉か。吸うのか?」

 ジェリドが喫煙室に入った時、ブランは煙草を咥えていた。見たところ火をつけたばかりのようだ。

 輸送機としては規格外なほど大きいスードリだが、その喫煙室は他の軍艦と変わらないサイズだった。

「いえ、お話が」

 ブランは煙草の灰を灰皿に落とした。

「話?」

「少佐のアッシマーの操縦技術は見事なものです。それを教えてもらいたい」

 笑い声が煙の奥から聞こえた。

「私の目から見ても中尉は十分な腕だ。実戦の日は浅いだろうに、よくやる」

「まだ足りないのです。今の実力では」

 ゆっくりと、紫煙が吐き出された。その煙を追ったブランの視線が、ジェリドを不意に見つめた。

「赤い彗星のシャア、か」

「……その通りです。俺は奴を超えないと、前に進めません」

 肺いっぱいに煙草の煙を吸い込み、ブランが喫煙室のベンチに腰を下ろした。開いた口から煙が立ち上り、消えていく。

「間違いだな。個人への復讐などに囚われて戦争をするものじゃない。ましてや前に進めんなど」

「しかし!」

「一年戦争の初期、私は飛行機乗りだった」

 話がつながっていない。ジェリドは怪訝な顔だ。思い出話で煙に巻くつもりなら許さない。

「同僚も部下も上司もたくさん死んだ。宇宙人は嫌いだが、殺すとかは別の話だ」

「だから俺も忘れろと」

「囚われるなと言っている」

 ブランはぎろりと睨んだ。

 ジェリドにとってクワトロは単なる復讐の相手ではない。ライラを殺されたことは確かだが、エマの死はむしろティターンズに責任がある。エゥーゴに正義があることも、内心認めてはいた。

 そういった内心の不満や鬱憤をすべてクワトロに押し付け、その上で彼を殺すことで全てから目を逸らせると考えているのだ。

 煙草を灰皿に押しつけ、ブランは立ち上がった。

「ティターンズになってエゥーゴを叩けば出世ができる。私はそのつもりで戦っている」

 お前はどうだ。そう聞かれた気がして、ジェリドは俯いた。

 

 

 

 夕焼けに染まった暗い空を、輸送機が割っていく。地平の近くは赤く染まり、目的の艦は夕日を目指して飛んでいた。

 後部ハッチが開く。緑の誘導灯に従って、その輸送機は格納庫に着陸した。

 輸送機を出迎えるのは、現状のアウドムラのツートップ。クワトロとハヤトだ。

 輸送機のドアが開き、生意気そうな少年がタラップを飛び降りる。

「来たよ、父さん」

「カツ!」

 ハヤトが駆け寄り、生意気そうな少年の頭を力強く撫でる。まんざらでもないような顔で、カツはそれを受け入れた。

 続いて輸送機から出てきた懐かしいくせ毛に、ハヤトは笑みを浮かべた。

「これからしばらく世話になるな」

「こっちの台詞だ、アムロ」

 久々の旧友との再会だ。ハヤトは分厚い皮の張った手を差し出す。固い握手が交わされた。

「フラウたちは?」

「日本へ行ったよ」

 アムロは少しだけ、目を伏せた。その視線がカツに向いていることを、ハヤトは見抜く。

「カツを連れ出してくれたことはありがたいよ、アムロ」

「僕だって、ずっと家にいるんじゃつまらないからね。母さんは反対してたけどさ」

 カツが付け足した。地球での暮らしは今の彼にとって窮屈だ。カツの母親にあたるフラウは反対していたが、ハヤトは多少強引にでもカツを連れ出す算段をしていた。

「母親だからな」

 アムロはどこか遠い目で言った。同級生が母親をやっていると理解すると、自分が歳をとったように感じるのだ。

「アムロ、カツを鍛えてやってくれ」

 ハヤトはカツの背中に手を置いた。強引に押し出されてカツは少しつんのめった。

「どうかな。俺だって錆びついている」

「大丈夫ですよ。輸送機を奪った時のアムロさん、かっこよかったし」

 カツが屈託なく笑う。その若い眼差しが、アムロには眩しく思えた。

「俺は……」

 アムロは堪えきれず目を逸らした。その視線は、ハヤトたちの後ろで腕を組んでいるある男に止まった。

 金髪の下の整った顔。赤い制服。身のこなし。サングラスをかけていても、その正体はわかる。

「シャア」

「今はクワトロ・バジーナだ」

 表情ひとつ変えずにクワトロは答える。緊張した空気を感じ、ハヤトはカツを連れて下がる。

「なぜ地球圏に戻ってきた?」

 沈黙が流れた。カツが唾を飲み込む。クワトロは天井を見上げた。

「ララァの魂は、火星より向こうにはない。そう思って地球圏に来た」

 答えを聞いて、アムロの表情が沈む。ただでさえ虚勢を張っているような状態だった彼の脳裏に、愛した女性をその手で殺した過去が甦った。

 クワトロは続ける。

「ティターンズは手強い。が、君が戦ってくれるなら心強い」

 元よりカラバに参加するつもりでアムロはここに来た。しかし、心の内に巣食うのは恐怖だった。

 アムロのその表情は怯えている。死に物狂いで戦っていた一年戦争当時と違い、彼の中にトラウマは大きく深く根付いていた。

 アムロは横目でカツを見た。尊敬の眼差しを向けたカツの目が、失望との間で揺れる。

 小さく、アムロは絞り出した。

「宇宙は……無理だ」

「宇宙にもララァはいない。どれほど探そうと、ララァには会えん。それをどこかで認めていないから怖い。違うか?」

 トラウマの根源を見抜かれて、アムロはクワトロを睨んだ。クワトロはサングラスを外した。アムロを見つめ返すクワトロの目は、どこか羨望を含んでいる。

「……生きている者は、生きている間にやるべきことがある。それをやることは、死んだ者への手向けだ」

「喋るな!!」

 戦うことを意識すればするだけ、ララァのことがより鮮明に思い出される。自身の封じておきたい過去を踏み荒らされて、アムロは叫んでいた。

 その言葉の後、また静寂が訪れる。叫び声に注意をひかれて、整備兵たちの注目も集まった。必死だったアムロも、ようやくその周囲の目に気づく。

 あの一年戦争の英雄であるアムロ・レイが戦いに怯えている。失望を含んだ目を向けているのは、カツも同じだった。

「もういいですよ! アムロさん!」

「か……カツ……」

「ホワイトベースの頃のアムロはもっと……!」

 カツをハヤトが張り倒した。これ以上、アムロに重圧をかけるわけにはいかない。本人も戦う必要があることは頭では分かっているのだ。

 カツは立ち上がった。口の端が切れて血が出ている。

「カツ! アムロに謝れ!」

「父さんだってアムロを甘やかして! 知らないよ!」

 ハヤトの訓戒も意に介さず、カツは走って行ってしまった。その背を追って一歩踏み出すが、逃げ足の速さにハヤトはため息をついて首を振った。

「まったく……! あいつは今度きつく叱ってやらんと……」

 ハヤトが振り返ると、すでにクワトロは百式の整備に戻っていた。アムロは力なく、そこに立ち尽くしている。

 ハヤトは、一年戦争の頃のブライトの気持ちが、ほんのわずかだけわかった気がした。

 

 

 

 喫煙室から出て、ジェリドは懊悩していた。窓から、赤く染まった西の空を見下ろす。

「ヘレン・ヘレンだったわね」

 ジェリドは振り向いた。後ろにいたのはマウアーだ。髪が少し濡れているところからして、シャワーの後だろうとジェリドは推測した。

「ヘレン・ヘレン?」

「スードリの石鹸よ。気づかなかった?」

 ジャブローを出てから北米に到着するまでにジェリドはシャワーを浴びていたが、ヘレン・ヘレンのことには気づかなかった。

 まずヘレン・ヘレンが何か、というところすらジェリドは知らないが、石鹸のブランドか何かだろうとあたりをつけて話を合わせる。

「ほう。いいものを使ってるんだな。気づかなかったよ」

「そうね。本当は高官が使う予定だったのかしら」

 ジェリドの隣に並んだマウアーは、石鹸の匂いがした。

「オーガスタ研究所から強化人間が来るって話……聞いた?」

「オーガスタの強化人間だって?」

 ジェリドは聞き返した。マウアーが頷く。

「ええ。ロザミア少尉がこのスードリに到着するそうよ」

「強化人間か……詳しくないな」

 ジェリドはコーラの瓶を傾ける。口の中で炭酸が弾けた。アレキサンドリアの酒保にも炭酸飲料はなかったから、久しぶりのコーラだった。

「強化人間はニュータイプを再現したものだけど、オーガスタ研究所では耐G訓練が進んでいるらしいわ」

「よく知ってるんだな」

 素直に感心するジェリドに、マウアーは少しはにかんだ。

「ジャブローのニュータイプ研究所にいたから」

「ニュータイプなのか?」

 コーラの瓶を持った手が下がった。

「どうかしら。適性はあるって研究者は言ってたけど」

 マウアーは窓の外に目をやった。雲の隙間から、一機のモビルスーツが見える。

「来たようね。会いに行く?」

「……行こう」

 強化人間。ジェリドは、ライラにニュータイプだと言われたことを思い出した。

 新型可変モビルアーマー、ギャプラン。両腕部の大型ブースターが特徴的な、オーガスタ研究所で開発された機体だ。

 その青い機体から、ノーマルスーツが顔を出す。ヘルメットを脱ぐと、ボリュームあふれる長髪が揺れるように風になびいた。

「ロザミア・バダム少尉他、六名。オーガスタより参りました。回収していただきありがとうございます」

 敬礼をするその姿には気品がある。見たところ、普通の人間と変わらない。

 ジェリドはギャプランに続いて着艦したモビルスーツに目をやった。アクト・ザクと呼ばれるジオン製モビルスーツだ。一年戦争末期の機体だが、その反応速度はハイザックにも負けていない。

「ああ、よろしく頼む。見たところ、ギャプランには慣れていないようだが」

 出迎えたのはブランだ。減速時の機体のわずかなブレを見てそう言えるのは、彼が同じ可変モビルアーマー乗りというだけでなく、熟練のパイロットだからだろう。

「は……」

「少尉の準備ができたら再出撃だ。アウドムラを落とすぞ」

 そう言ってブランは背を向けた。艦長であるウッダーに連絡するつもりだ。

「あんたがオーガスタのロザミアか」

 ロザミアに、ジェリドが話しかける。まるでレーシングカーのピットインのように整備員がギャプランに集まっている。

「あなたは?」

「そうだったな。俺はジェリド・メサ中尉だ。こっちが……」

「マウアー・ファラオ。少尉だ」

 並んだ二人の自己紹介にも、ロザミアはあまり反応を示さない。

「強化人間というから気を張っていたが、俺たちとあまり変わらんようだな」

 強化人間を人形と揶揄する者もいるが、ジェリドはフラットな感想を述べた。みくびられたと思ったロザミアはむっとして言い返す。

「ギャプランは私のような強化人間でなければGに耐えられません。肺も強化されています」

 スードリの格納庫内はハッチが閉まるまで高空の低気圧に晒されていた。しかし、ロザミアは地上のように話せている。

「いや、大したものだ。強化人間というのは実験段階だと思っていたが」

「私がこうして空を落とす人たちと戦えるのは、強化人間だからです」

「空を落とす……」

 マウアーがおうむ返しした。

「エゥーゴはコロニーを落とすつもりの人たちです。コロニーが落ちてくる……あの光景は……!」

 ジェリドとマウアーの頭に疑問符が浮かぶ。コロニーを地上に落とすのは、エゥーゴの目的とは違う。むしろ、地上の汚染を嫌って人間を宇宙に上げたがっている人間の方が多い。

「おかしくないか? エゥーゴは地球の汚染を嫌っている。コロニーを落とすつもりなんてないはずだ」

「コロニーが落ちてくる夢を見るんです、今でも」

「夢だって?」

「夢です。エゥーゴに毎晩、うなされてるんです」

 話が噛み合わない。ジェリドはロザミアからぞっとするものを感じた。隣のマウアーもそれは感じたようで、ジェリドと目を見合わせた。

 強化人間の不安定さだけが理由なのか。それとも、強化人間を戦わせるためか。あるいは、こうして精神操作をしなければ強化人間は作れないのか。

 オーガスタのアクト・ザクのパイロットがロザミアに駆け寄ってきた。

「ギャプランの整備が完了したそうです」

「そうか。お前たちは?」

「アクト・ザクはいつでも出られます」

 満足そうにロザミアは頷いた。

「少佐に準備ができたとお伝えしろ。エゥーゴを叩く」

 ロザミアはまともではない。ジェリドたちは、部下に指示を下すロザミアから、異常さを感じていた。

 

 

 

 白い雲を眼下に眺め、モビルスーツの編隊が飛んでいた。空は黒い。夜の闇の中、彼らは標的を追う。

 アクト・ザク、ハイザックはそれぞれ二機ずつ、一つのベースジャバーに乗っている。ジェリドたち三人が一機ずつベースジャバーを与えられていた。

 スードリの乗組員もその半数以上がジャブローから脱出してきたいわばジェリド派であることに加えて、ブラン隊やオーガスタ研からの人員はそれぞれのベースジャバーがある。

 スードリのベースジャバーを半ば独り占めできる権利がジェリドたちにはあった。

「出てきたな、宇宙人どもめ」

 ブランが言った。ドダイ改に乗ったモビルスーツが数機。リック・ディアスを先頭に百式、その後ろに数機のマラサイが後に続く。

 よく見ると、百式には片腕がない。ケネディ空港でシャトルを打ち上げるために行った無茶が、まだ響いているのだ。

「ジムもどきがいないな……」

 カクリコンが小さくつぶやく。カラバの空戦力は十機にも満たない。対するスードリ側は、同じようにSFSに載っているモビルスーツだけでもオーガスタ研、オークランド研、ジェリドたち三機を合わせて十四機。さらに空中戦に特化した可変モビルアーマーまで存在する。

 戦力差は圧倒的だ。まともに戦えば、スードリの圧勝だろう。

 ブランが命令を下す。

「各機、油断するなよ! あの金色は私とジェリド中尉のMk-Ⅱで仕留める!」

 先行して、アッシマーとギャプランが敵の射程内に入った。カラバのモビルスーツたちが二機を狙うが、その運動性能の前に次々とかわされていく。

「了解だ、ブラン少佐!!」

 編隊から一機が飛び出る。ジェリドのMk-Ⅱだ。アッシマーの大型ビームライフルを援護射撃に、夜空に浮かぶ金のモビルスーツを狙う。

「墜ちろ! シャア!」

 二機からの射撃。ド・ダイ改の上では百式の動きも限られるものの、どうにか第一射を凌ぎ、ビームライフルを撃ち返す。

 一機のマラサイが頭部を吹き飛ばされた。撃ったのは、ハイザックか、アクト・ザクか。ティターンズのペースで戦闘が進んでいる。先頭を飛ぶリック・ディアスに火砲が集中した。

 その瞬間だった。宵闇を切り裂き、二つのビームがアクト・ザクを撃ち抜いた。ちょうど胴体と頭部の正中線に一発ずつ。撃たれたアクト・ザクは、力なくベースジャバーから崩れ落ち、爆発する。

 雲の中だ。アウドムラが逃げ込んだ雲から、ジェリドはプレッシャーを感じた。

「二機目のリック・ディアス!」

 雲を破って、片腕のリック・ディアスが姿を表す。左前腕にビームピストルを二挺取り付け、さらにクレイバズーカを手に持ったその隻腕のリック・ディアスは、その戦場を見下ろし、ド・ダイ改を加速させた。

 

 

 



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カツの出撃

 けたたましく警報が鳴る。敵襲だ。アウドムラ中に緊張が走る。

「スードリですよ、大尉!」

「ああ、わかっている!」

 ノーマルスーツに着替えたクワトロの背後からロベルトが呼びかける。百式は隻腕のままだ。スクランブル同然の出撃だが、クワトロは百式の下へ走る。

 リック・ディアスが動いた。元はアポリーの機体だったが、今はロベルトが使うはずの機体だ。

「早いな……む!?」

 別れたばかりのロベルトは、まだ格納庫を走っている。

「ロベルトではない……誰だ?」

 クワトロが焦ったような声で呟く。リック・ディアスはド・ダイ改に乗り、開いたハッチの前へ立った。

「僕だって戦えるんだ!! 今のアムロなんか……!」

 ド・ダイ改のスラスターが大量のガスを後方に噴き、そのリック・ディアスはアウドムラから夜の空へと飛び出した。パイロットは、カツ・コバヤシ。

「カツ、行きます!!」

「あの馬鹿!! アポリーの機体を!」

 ロベルトにとってそのリック・ディアスは戦友の忘れ形見ですらある。乗機を失い、ロベルトはその場で地団駄を踏むばかりだ。

 百式のコクピットから、クワトロが叫んだ。

「ロベルト! お前は片腕のリック・ディアスに乗れ! カツ君は私が連れ戻す!」

「……了解!」

 カツへの怒りは消えないが、それを言っても始まらない。クワトロの決断が最善であることは、ロベルトにもわかっている。

「聞いたな? マラサイ隊は私に続け。ネモ隊はアウドムラから離れるな」

 続いてコクピットシートに戻り、クワトロはモビルスーツ隊に命令を出す。マラサイは滞空しての戦闘もネモ以上だ。ド・ダイ改があるとはいえ、単体での空戦能力も重要だ。

 反対に、ネモ隊には開いた格納庫ハッチから対空射撃を命ずることでアウドムラの乏しい武装をカバーする。

 マラサイ隊が敵を引きつけてネモの援護射撃で撃破する予定だったが、カツのせいで計画が大きく狂った。いずれにせよ、リック・ディアスを無駄にするわけにはいかない。

 ロベルトのリック・ディアスの出撃にもわずかだが調整が要る。

「大尉! 後から追いつきます!」

「わかっている。クワトロ・バジーナ、百式。出る!」

 金の機体に続いて、マラサイを乗せたド・ダイ改が一斉に夜空へ舞った。

 

 

 

 ロベルトは雄叫びをあげる。

「うおおお!!」

 戦闘空域まではクレイバズーカを背部のラックに掛けてド・ダイ改のグリップを掴めたが、交戦している今、クレイバズーカを有効活用しなければ活路は見えない。

「ええい、ティターンズめ!」

 アクト・ザクの体に二つの風穴を開け、撃ち落とす。まだ戦力は不利。ロベルトはド・ダイ改を加速させた。

 一方、万全のリック・ディアスに乗るカツは、パニックに陥っている。

「うわあっ! くそっ! くそおっ! なんだよっ! なんで……!」

 リック・ディアスは彼がこれまで乗ってきたジオン系モビルスーツに近いが、未熟なパイロットが初めて乗って実戦で使える代物ではない。

「戻れ! カツ君! 聞こえるか!」

 クワトロの通信も耳には入らない。集中砲火を浴びせられていながらまだ直撃を受けていないのは、未熟さゆえの予測不能な動きが原因だった。

 カツの呼吸は浅く早くなる。顔は怯え、体が強張る。彼の脳裏に浮かぶのは、やはりアムロだった。アムロは初めての実戦でザクを倒した。それが、彼にとっての普通であり目標だ。

 今、カツは何もできていない。戦いに怯えたアムロを嫌悪していながら、死の恐怖を前に、彼もまた怯えていた。

「うわあああああ!!」

 視界には多数の敵。カツはクレイバズーカを乱射した。

「散弾ではなあ!」

 アッシマーが一気に近づいた。クレイバズーカの射撃を物ともせず、至近距離でビームライフルを突きつける。

 ド・ダイ改の上で百式が跳んだ。アッシマーの胴体に飛び蹴りが突き刺さる。そのまま体を捻り、頭部を横薙に蹴り抜いた。

「あっ……!」

 カツはつぶやく。後ろにも、前にも、味方はいる。彼はそんな簡単なことさえ、パニックのあまり忘れていた。

「逃がさん!!」

 アッシマーはビームライフルを構え直し、すぐさま引き金を引く。ブランの狙いは百式が乗っていたド・ダイ改だった。百式が離れた今、ド・ダイ改は回避運動を取れない。

 ド・ダイ改が激しく火を吹き、爆発する。

「た……大尉!!」

 カツのリック・ディアスが百式へ手を伸ばす。ド・ダイ改にはモビルスーツが二機乗れる。サブフライトシステムもなく空中に放り出されれば、敵の餌食だ。

「甘いな!」

 ギャプランのムーバブル・シールド・バインダーからビームが発射された。一撃目がちょうどカツのリック・ディアスと百式の間の空間を撃ち抜く。そして二発目で、百式を狙う。

 クワトロはアッシマーの後方、つまりティターンズの編隊の中へ、その身を躍らせる。ギャプランのビームは空を切った。

「もらうぞ、シャア!」

「喰らえ!」

 ガンダムMk-Ⅱが二機、一斉にビームライフルを撃つ。

 クワトロも落ちるつもりはない。この一瞬の攻防をくぐり抜ければ、すぐにカラバのド・ダイ改に拾ってもらう算段だ。

 スラスターを噴かし、高度を上げることでビームを回避し、反撃のライフルを撃ちつつ後退する。

「捕まえた!」

 百式の背後を取ったのはギャプラン。ビームサーベルを二本構え、百式の背中めがけて振り下ろす。

「うおおお!」

 見もせずに、百式はビームライフルを肩越しに後ろに向けた。強化人間の勘なのか、ロザミアはその銃口が自身に向くより早くブースターを噴かし急降下する。

「嫌な敵だ、こいつ!」

 ロザミアが吐き捨てた。だが、ギャプランの陰にアッシマーが潜んでいる。両足で背中を蹴り飛ばし、百式をスードリ隊の包囲の中へ押し込んだ。

 腕利きの敵に囲まれ、百式は片腕。サブフライトシステムもない。クワトロは冷や汗を垂らした。

 

 

 

 鉄の巨人の足元で、レコアは走った。ネモがビームライフルを構えるアウドムラの格納庫で、彼女はある人物を探していた。

「大尉! アムロ大尉!」

 ノーマルスーツの男が振り返った。レコアは詰め寄り、アムロの両肩を揺さぶる。

「ガンダムのパイロットだったんでしょう!? なぜ戦わないの!」

「君たちの事情がわかっていたって、できないものはできないんだ!」

 アムロも、戦うつもりでこの格納庫へやってきた。カツが出撃した理由も、アムロの態度に対する不満が原因だ。責任を感じたアムロは、モビルスーツに乗るつもりだった。

 しかし、マラサイ隊が出撃するのを見て、彼は怯えてしまった。戦うと事前に決めていても、その気持ちはエンジンの轟音にかき消された。

 レコアは叫ぶ。

「クワトロ大尉が死んでしまうのよ!」

 レコアはケネディ空港での戦いを目撃していた。アッシマーやガンダムMk-Ⅱとの戦いでもクワトロは押されていた。その上アウドムラで整備を受けられなかった百式は、未だ片腕のままだ。頼みのロベルトも、カツのせいで手負いのリック・ディアスに乗る羽目になった。

 果たしてこの空中での追撃を撃退できるだろうか。レコアは恐れていた。

 アムロの肩を揺さぶるレコアの手は、震えていた。彼女の頬を涙が伝っている。

「シャアが死ぬだって?」

 表情の抜け落ちた顔で、アムロはそう口にした。一年戦争で幾度となく彼を追い詰めた赤い彗星のシャアが死ぬ。

「そうよ! なのに震えていられるようなのは、男ではないわ!」

 アムロは歯を食いしばる。戦わなければならない。そんなことはわかっている。

 だが、体は動かない。返事を返さないアムロを、レコアは見限った。身を翻し、震えた声で整備兵に呼びかける。

「そこのネモ、出せるのね」

「乗れるのか!」

「動かす程度には」

 整備兵に促され、レコアはリフト車の上に乗ろうとする。しかし彼女の腕を取って引き戻し、一人の男がリフトの上に立った。驚いて、レコアはその男の名を呼んだ。

「アムロ・レイ!」

 アムロは答えない。レコアが見上げた彼の目はたしかに怯えているが、真っ直ぐにネモを見つめている。

 ハッチが開き、コクピットシートに体を預けた。レバーの上に両手を置くと、手が震えていたことに気づく。強く握ってみた。もう一度力を抜いた時、震えは治まっていた。

 ド・ダイ改へとネモは歩く。

 戦える。アムロは大きく息を吸った。

「アムロ、ネモ、行きます!」

 

 

 

 ビームライフルを連射する百式にも、ジェリドは臆することなく接近する。片腕なら武器の持ち替えも効かないはずだ。ティターンズのモビルスーツに囲まれた今こそ、クワトロを落とす最大のチャンスだった。

 ベースジャバーの機動力が相手なら、百式も逃げられない。百式はカラバのモビルスーツ隊に向け加速している。ジェリドは操縦桿を倒して、百式を追いかけた。

 ギャプランもジェリド機に並走する。ロザミアだ。

「思い切りも腕もいい……だが!」

 百式を追って二人は速度を上げた。しかし、その視界の先には百式のバックパックしか残っていなかった。

「相手が悪かったな」

 クワトロは、バックパックを切り離して囮にしたのだ。加速する百式に合わせて動いたジェリドとロザミアは、勢いに乗ったままパージされたバックパックを、反射的に目で追ってしまった。

 加速するMk-Ⅱから見れば、百式は高速で前方から迫る形になる。想定外の出来事だが、ジェリドはMk-Ⅱをベースジャバー上で伏せさせた。

 ビームがMk-Ⅱのバックパックを掠めて通過する。顔を上げたMk-Ⅱのメインカメラに、百式の足の裏が映った。

 横に向かって踏みつけるような体重を乗せた百式のキックで、Mk-Ⅱの上体が跳ね上がる。クワトロはライフルを手放し、その右手でベースジャバーのグリップを掴んだ。

 さらに百式はMk-Ⅱの下に体を回し入れ、ベースジャバーの上で倒立するようにしてもう一撃を蹴り上げる。

「ぐおおおっ!」

 Mk-Ⅱの手がグリップから離れる。百式がベースジャバーを加速させると、Mk-Ⅱは後方へ流されていくようにも見えた。

「くっ! 小細工を!」

 ロザミアは後ろを振り向いた。

 変形による空気抵抗の増加が、それまでの慣性を打ち消す。ギャプランの中でロザミアは小さく笑う。

 百式はベースジャバーを奪う際にビームライフルを捨てた。いわば丸腰。遠距離戦はこちらの土俵だ。

「落ちろ!! ガンダムもどき!」

 ギャプランが両腕のブースターからビームを撃った。二発のビームがクワトロに迫る。

 ベースジャバーの上で、百式は跳んだ。バックパックを失い空中での機動性が低下しているが、その行動で敵の視界から再び消える。

 腰のビームサーベルを抜き、自由落下のまま百式はギャプランの頭上を取った。一息に振り下ろしたビームサーベルが、ギャプランの左腕を落とす。

「エゥーゴ! 貴様らは……!」

 ロザミアが悲痛な声を上げる。クワトロはそのままギャプランを踏み台にし、大きく跳ぶ。

 大きな音を立てて、百式は再度ベースジャバーに着地した。ギャプランに斬りかかる際に乗り捨てたベースジャバーだ。クワトロはロザミアを攻撃しながら、ベースジャバーの位置を把握していたのだ。

 もし失敗すれば、バックパックのない百式は落下してしまっただろう。この高高度の戦いでそれを成功させるのは、クワトロの高い実力と大胆さがなければ不可能だった。

「ハーバー曹長! ロザミアを拾ってやれ!」

 そう指示を飛ばしてブランが振り向く。彼と彼の指示を受けたモビルスーツ隊の攻撃で、マラサイ隊は半分近く落とされていた。

 旋回し、アッシマーが百式の元へ向かった。クワトロは操縦桿を握り直す。アッシマーを越えればカラバのモビルスーツ部隊の隊列に戻れる。四方からの攻撃をかわし続ける必要もなくなるのだ。

「大尉ーーーっ!!」

 カラバの隊列に戻ろうとする百式を阻むアッシマーは、背中をカラバの部隊に向けている。肩を掠めたビームピストルの二連射は、間違いなくリック・ディアスのロベルトだ。

 だがブランは怯まない。オークランドだけでなくオーガスタ研究所の戦力も加えた今のブラン隊は、カラバの戦力を圧倒している。

 ハイザック部隊の弾幕がロベルトを追う。これでは、百式を救助できない。

 カラバのモビルスーツ部隊の後方から、ビームが続けざまに撃たれた。それらは一分の狂いもなく、ブラン隊のハイザックを次々と撃ち落としていく。

「馬鹿な!」

 マウアーが叫んだ。遠距離からここまで正確な射撃ができるなど、まともではない。

 ド・ダイ改に乗って現れたのはネモ。だが、そのプレッシャーをマウアーは感じていた。

「ブラン少佐! 危険です!」

「騒ぐな! 終わらせる!」

 アッシマーと百式が正面から向かい合う。大型ビームライフルが、ここぞとばかりに連射された。ベースジャバーのメガ粒子砲は機体下部。アッシマーが上をとっている今、百式に射撃武器は頭部バルカン砲しかない。

「赤い彗星か……! 落ちろっ!!」

 ブランがつぶやいた。

 背後から、つまりカラバのモビルスーツ隊からのビームに、アッシマーの右腕が撃ち抜かれた。右腕が爆発し、ビームライフルが落下していく。ブランの目が驚愕に見開かれた。

「アムロか!」

 百式のコクピットでシャアが叫んだ。通信は来ていないが、直感でわかる。彼らはニュータイプだ。アッシマーの向こうに、ビームライフルを構えたネモが見えた。

 アッシマーが黒煙と火花を吹く。片腕を失えば変形することもできない。余命いくばくもないアッシマーは、ブランへその窮地を教える。

「死に土産をいただく!!」

 丸腰だが、構わない。どのみちベースジャバーから落とされれば百式は終わりだ。

 スラスターを噴射し、真正面から百式に向かい合う。百式も、ビームサーベルを構えた。

「うおおおおお!」

 すれ違いざま、百式のビームサーベルが、アッシマーの胴体を両断した。一瞬遅れて、百式の後方で、アッシマーが爆発する。

「逃がさん! シャア!!」

 カクリコンが叫んだ。

 ベースジャバーの上に立って戦うより、伏せている方がスピードは出る。後方からのベースジャバーとその黒い機体が、クワトロを追いかけていた。

 おそらくは最後になる。ここさえ切り抜ければ、クワトロはアムロと肩を並べて戦える。

 無断出撃したカツを救うために引き起こされたクワトロの大立ち回りも、これで終わるはずだ。

 カクリコンのベースジャバーが機首を上げた。ベースジャバーで体を隠し、次の行動を悟られにくくするつもりか。クワトロは警戒して、半身になって振り返る。

 宙返りするように、ベースジャバーからMk-Ⅱが姿を見せる。手に持ったビームライフルを百式に向け、引き金を引いた。

「おおお!!」

 クワトロは雄叫びを上げ、ベースジャバーから跳んだ。カクリコンの射撃は正確に、そのベースジャバーを狙っていた。破壊され、墜落していくベースジャバー。

 だが、問題はない。このままの高度なら、カラバのモビルスーツ隊に拾われるはずだ。

 夜の月が、百式を照らしていた。白い光を反射して、その金色は美しく輝く。

 その百式に、影が落ちた。月を背にして、その漆黒のモビルスーツは落ちてくる。

「ライラ! 今、仇を取る!!」

 カクリコンは、百式に蹴落とされたジェリドのMk-Ⅱを拾っていた。機首を上げ上昇したベースジャバーから飛び降り、ジェリドはクワトロを狙う。夜の闇と黒い機体、それに高速戦闘が、彼らの「二機を一機に見せる作戦」を成功させた。

 上空に向かって、スラスターを噴かす。重力加速度以上のペースで加速していくガンダムMk-Ⅱは、ビームサーベルを両手で力強く握った。

 百式はもう飛べない。姿勢制御用のバーニアでは、逃げ切れない。

「うおおおおおおお!!」

「まだだ、まだ終わらんよ……!」

 百式もビームサーベルを構える。落下しながらの一撃なら、Mk-Ⅱを撃墜しても止まらない。振り下ろされたその光刃へ、ビームサーベルを叩きつける。

 それは一瞬だった。防御のためにビームサーベルを握る百式の右腕は、満身の力と全重量を込めたMk-Ⅱの両手での一撃に耐えられなかった。

 人間で言う鎖骨のあたりから真下へと、Mk-Ⅱのビームサーベルは切り裂いた。

「うおおっ!?」

 コクピットの内部で火花が散った。小さな爆発が各部で起き、切り落とされた右半身が離れていく。制御を失った百式は、真っ逆さまに落下していった。

 クワトロの脳裏に走馬灯が駆け巡る。幸せだった少年時代。妹や母親、友人。アムロ。記憶に刻みつき、永遠に忘れられない女。

「ララァ……!」

 その言葉を最後に、通信は途絶した。百式は、北米大陸の上空で、大きな花火のように内側から弾け飛んだ。

「シャア……馬鹿な!」

「た……大尉ーっ!!」

 パイロットたちは叫んだ。だが、クワトロからの返事はない。ばらばらになった百式のパーツは、破片となって地上へ落ちていく。

 この北米大陸サンフランシスコ市の上空で、カラバは永久に、クワトロ・バジーナを失ったのだった。

 

 

 

 戦闘空域のはるか下方へ、ジェリドのMk-Ⅱは落下していく。スラスターを下に向けるが、落下は止まらない。百式への攻撃の際には推進剤を全て使い尽くすつもりで加速したからだ。

 そのMk-Ⅱに、一つの機影が追いついた。その機影はMk-Ⅱの腕を掴む。

 荒い呼吸で、ジェリドは礼を言った。

「すまん、マウアー」

「無事?」

「ああ、怪我はない」

 マウアーは小さく笑って、ジェリドをベースジャバーに引き上げた。

 ブラン少佐を失ったが、赤い彗星を落とせた。マラサイ隊にも大打撃だ。今のところ、勝利と言っていい成果だ。

 上方で、カラバのモビルスーツ隊がアウドムラへと引き上げていくのが見えた。

 スードリからの通信が入る。ウッダーだ。

「深追いはするな。……各機、帰艦しろ」

 ウッダーの声は暗い。隊長であるブランを失ったからだ。怒りに任せて追撃を命じることはなく、むしろブランの死亡による指揮系統の混乱を考慮に入れ、彼は帰艦命令を出した。

 ネモ隊が姿を表していない以上、その動向には注意する必要がある。事実、マラサイ隊は本来、適当なところで引き上げて、ネモ隊の火力支援を利用した水際殲滅を狙っていた。

 しかし、百式が敵軍に囲まれて取り残されるアクシデントにより、その目論見は失敗した。マラサイ隊も多く失い、アウドムラの戦力は大きく落ち込むことになる。

 撤退していくアウドムラのモビルスーツたちを見て、ジェリドは自問するように言う。

「俺は赤い彗星を落とした。そうだろ?」

 マウアーはわずかに困惑する。沈んだ様子のその言葉は、とても因縁の相手を倒した喜びとはほど遠い。心配そうな声音で、マウアーは相手の名を呼ぶ。

「ジェリド?」

「思ったほど嬉しくはない。こんなものか、ってな。ブラン少佐の言った通りだ」

 落ち着いた様子でジェリドは続ける。落ち込んでいるわけではないことを確認して、マウアーはまた微笑を浮かべた。

 ジェリドはベースジャバーの操縦をマウアーに任せ、レバーから両手を離す。両肘を膝につき、両手を組んだ。全天周モニターを強く見上げる。

「……やらなきゃならんことは、決まった」

 ジェリドの目には決意が宿っていた。ベースジャバーは風を切り、空高く上っていった。

 

 

 

 アウドムラの格納庫は、暗く沈んでいた。次々に着艦するマラサイ隊はその数を半分以下に減らし、そのどれもが深く傷ついている。

 鈍い音と、短い悲鳴が響いた。倒れこんだ少年の胸ぐらを掴み、ロベルトは立ち上がらせた。

「立て! このガキ!」

 再び、拳がカツの頬に打ち付けられる。格納庫の床を、カツの小さな体が転がった。

 ロベルトは、カツの胸ぐらを掴んで、また強引に立ち上がらせた。

 カツはぼそりとつぶやく。その目は不安げに所在なく震え、口元は引き攣った笑みを浮かべている。事態と責任の大きさのあまり、彼はそれを拒絶した。

「赤い彗星なんでしょ……? ほ、ほら、こんなことじゃ、死にませんよ、きっと……」

 カツの体が飛んだ。壁に強く体を打ちつけ、痛みに喘ぐ。口からは血が溢れ出す。思わず押さえた両手の中に、折れた奥歯が転がった。

「立て」

 ロベルトの怒りは収まらない。カツの勝手な行動は、アウドムラのクルーたちも被害を被っている。止めるものはいない。アムロもその様子を遠巻きに見ていた。

 ロベルトが右手をもう一度振りかぶった。その腕を、一人の男の手が掴む。

「もういいでしょう、そのくらいで」

「ハヤト艦長」

 ロベルトを止めたのは、ハヤトだった。

「……邪魔せんでください。あんたの事情もわかってるつもりです」

 だが、ロベルトは収まらない。ハヤトはカツの父親だ。そうでなければロベルトも大人しく引き下がっただろうが、身内贔屓でカツの独断行動を認められてはたまったものではない。

 ロベルトの右手を掴むハヤトの左手は、力強い。彼らの視線が火花を散らした。

「ここはどうか」

 ハヤトは空いた右手をカツの肩に置いた。

 ロベルトは奥歯を噛んだ。自分のやっていることは、八つ当たりも混じっていた。アポリーとクワトロを続けざまに失ったショックを、子供に押し付けているだけではないのか。

 カツの胸ぐらを掴んでいたロベルトの手が、離れた。ハヤトが手の力を緩めると、ロベルトは黙って引き下がった。

「と……父さん」

 申し訳なさと安堵の入り混じった目で、カツはハヤトを見上げた。その顔を、ハヤトの拳が殴りつける。

「貴様が殺したんだぞ! カラバは!」

 後頭部が壁にぶつかる。ハヤトはカツの肩から胸ぐらへ右手を掴み変え、壁に押しつけた。カツは、床に倒れ込むことさえできない。

「お前の勝手な出撃で、カラバの貴重なマラサイとパイロットを何人殺させた!!」

 ハヤトは何度も、カツの顔面を殴りつける。あざだらけの顔を守ろうと、カツの両手が上がった。次の瞬間、カツの視界が回転する。ハヤトに投げられたのだ。硬い床に背中から叩きつけられ、カツは呼吸すら満足にできない。鼻も血で詰まっている。

 続けて、ハヤトはカツの体を蹴りつける。床に倒れるカツの体を、固いブーツで踏んだ。

「くそっ……! くそぉっ!!」

 十四歳の少年は、痛みに声を上げることすらできない。うつぶせになって体を丸めるが、ハヤトは強引に体を蹴り上げ仰向けにし、何度も踏みつける。

 カツの意識はどんどんと遠のいていく。朦朧とする中で、彼はハヤトの目に涙が浮かんでいるのを見た。

 

 

 

 アムロはアウドムラの通路を歩いていた。それは自身に闘志を思い出させた女へ、この戦いの結果を伝えにいくためだ。

 レコアは、怯えていた。誰よりも戦いの結果を知りたがっていた彼女は、格納庫から遠く離れた通路で膝を抱えていた。

「レコア少尉」

 声をかけられて、彼女はびくりと体を震わせた。恐る恐る、振り返る。憔悴しきった顔だ。震える唇を動かして、言葉を紡ぐ。

「……クワトロ大尉は……?」

 クワトロは、その場にいない。レコアは昼間のエレベーターでの出来事を思い出した。クワトロが生還していても会いにこない可能性は、低くない。彼女は、クワトロの生還を望んでいた。

 アムロは目を閉じ、俯いた。小さく首を横に振った彼に、レコアが掴みかかる。

「嘘よ! 大尉が……大尉が!」

 彼女はアムロを揺さぶる。悲痛な声だ。アムロは、目を開けた。

「すまない」

 レコアの動きが、ぴたりと止まった。スローモーションのように力なく床へへたり込む。呆然とした表情の彼女の目は、どこも見つめていない。真っ先に嗚咽が漏れた。二、三度しゃくりあげて、涙が溢れ出した。

 手で顔を抑え、彼女は子供のように泣き声をあげた。

 アムロは、見ていることしかできなかった。クワトロ・バジーナの死が、アウドムラ全体に重くのしかかっていた。

 

 

 



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レコア、恋のあと

戦闘なし回です


 金色の朝日の中の複葉機が、暗い格納庫へ入っていく。隅にモビルスーツが並ぶアウドムラの広い格納庫に着陸し、その複葉機は止まった。

 小さく声を出して、パイロットがタラップを降りた。飛行帽を脱ぐと、豊かな金髪がまろびでる。女だ。

 彼女の元へ、アウドムラの出迎えが近づいてきた。がっしりした体格の男と、少年の二人組。女は愛想良く笑った。

「朝早く起こしちゃってごめんなさい。ベルトーチカ・イルマです。ヒッコリーは……君、どうしたのその顔。いじめられてるの?」

 ベルトーチカは出迎えのカツの顔を覗き込んだ。顔中に絆創膏が貼られ、あざや腫れだらけだ。

「……関係ないでしょ」

 カツは不機嫌そうに言った。すぐにハヤトが割り込む。

「博物館の、ハヤト・コバヤシです。よく来てくれました」

「この子の顔、どうしたんです?」

 差し出されたハヤトの手を無視して、ベルトーチカは間の抜けた様子で聞いた。ハヤトはその言葉を遮るように手招きする。

「さ、こちらへ」

「だから、この子……もう」

 むくれながらついて行くベルトーチカをカツは見送った。昨夜の戦いで出撃したパイロットたちは、ほとんどが部屋で休んでいる。スードリの追撃のペースを考えれば、彼らが目を覚ますまでは攻撃はない。

 カツだけが起きている理由は簡単で、傷が痛くて寝られないからだった。折檻の後すぐに医務室に連れ込まれたが、十二時頃には目を覚まして、やることもなくモビルスーツデッキの手伝いをやっていた。

 カツはモビルスーツを見上げた。無断出撃に使ったリック・ディアスは傷だらけで、ロベルトのリック・ディアスのパーツと合わせて一機として動かすことに決まっていた。

 空いたモビルスーツハンガーを見て、カツは唇を噛んだ。

 

 

 

 ベッドの上で、アムロは天井を見上げていた。明かりはついていない。もともと、寝るつもりだった。

 ライバルだったシャアの死。アムロの眠りは浅く、今自分が眠っているのかそれともベッドの上でじっとしているだけなのか、その境目も曖昧だった。

 ドアが叩かれる。アムロは体を起こした。

「ハヤト艦長がお呼びです」

 女の声だ。

「……わかった。今行く」

 口数少なく彼は言った。ズボンに足を通し、フライトジャケットを羽織る。

 ドアを開けると、そこには瞼を腫らしたレコアが立っていた。

「……行きましょう」

 何かを言いかけて、彼女は口を閉じて職務に戻った。アムロは彼女の背中を追い通路を歩いていく。

「アムロ大尉をお連れしました」

「通してくれ」

 ハヤトが返事をすると、ドアが開けられた。レコアは部屋に入らない。部屋に入るよう、アムロを視線で促す。

 アムロはこの部屋の正式な名前を知らなかった。柔らかいソファに高級そうな机、壁には絵までかかっている。

 ソファについているのは、ハヤトにロベルト、それから、今まで彼が見たことのない金髪の女性だった。

「彼女がヒッコリーまでの案内人だ」

「なんで俺を呼んだ?」

 アムロはハヤトを睨みつけるように言った。期待されていることは分かっている。だが、その期待に素直に応えられる余裕はない。

「とりあえず、ベルトーチカさんに」

 アムロはぶっきらぼうに手を差し出した。ベルトーチカが立ち上がり、その手を握る。

「ベルトーチカ・イルマです」

「アムロ・レイです」

 笑顔のひとつも作ってみせないアムロを見て、ベルトーチカは細い眉を寄せた。

「この艦の方って、みんな無愛想なの?」

 答えを持っていないアムロは、助けを求めてハヤトを見る。ハヤトは座るように手で示した。

「まあ座れ。呼んだのはお前の意見を聞きたいからだ」

 二人が座るのを見届けてから、ハヤトは机に肘をついて手を組んだ。

「どうだ、アムロ。今のアウドムラでヒッコリーに着いて、スードリの攻撃からシャトルを守れるか?」

 ハヤトの目つきは、少し弱気だった。それが不快で、アムロはソファから立ち上がる。

「そんなことは、俺じゃない誰かに聞けばいいだろう! ロベルト中尉でも、誰だって!」

「アムロ……」

 すがるようなハヤトの目を見れば、何を求められているかはわかる。それがなおのこと、アムロを苛立たせた。

「それって、ヒッコリーに来ないということですか?」

 二人の緊張に水を差すように、ベルトーチカが聞く。アムロは気勢を削がれて、もう一度ソファに座った。ハヤトが間に入るように、ベルトーチカの問いに答える。

「ええ。今のアウドムラには補給が必要です。モビルスーツとパイロットを宇宙へ返すどころか、アウドムラそのものが沈められかねません」

「アーガマの戦力も不足しているので、早めに決めた方がよいかと」

 ロベルトがハヤトに続く。打ち上げられたシャトルとのランデブーポイントへ行くのもリスクがある。

 元はといえば彼と彼のリック・ディアスを宇宙に帰すためのヒッコリーへの寄り道だが、そのためにアウドムラを撃沈の危険に晒すわけにはいかないというのが彼の考えだ。

「でも、ヒッコリーの霧は打ち上げには有利でしょう?」

 ベルトーチカが反論した。このままでは彼女は無駄足だ。

「スポンサーとの話ではリック・ディアスを宇宙に帰す重要度は低いと言っています。最悪の場合、打ち上げないというのも」

 ロベルトはやや残念そうだ。彼の言通り、リック・ディアスの重要度は低い。

 その一方で、百式は最新技術を盛り込んだZ計画の鍵となるモビルスーツだった。アナハイム・エレクトロニクスも百式を宇宙に上げることを再三要求していたが、結局それは叶わず地上で破壊されてしまった。

 ハヤトがアムロを横目で見やった。

「戦力さえあれば、ヒッコリーでの打ち上げもやれるんだが……」

 アムロが机に拳を叩きつけた。鈍い音とその行動に、彼以外の全員が驚愕する。拳を固く握ったまま、アムロは立ち上がった。

「ヒッコリーには寄らない」

「おい、アムロ!」

 ハヤトが席を立った。ロベルトも、少し遅れて立ち上がる。ベルトーチカは怯えと失望の入り混じった目をアムロに向けている。

「ヒッコリーには寄らない!」

 ハヤトの制止も聞かず、アムロは通路へ出た。

「逃げるの?」

 ドアの脇から冷たい声がした。振り返ると、レコアの視線が突き刺さる。

「逃げてなんかいない!」

「逃げてるのよ、あなたもクワトロ大尉と変わらないわ!」

 レコアは甲高い声で叫んだ。アウドムラの固い通路は、人の声を響かせる。

「俺にシャアの代わりなど押しつけるな!」

 その悲痛な声は、部屋の中にいるハヤトたちにも聞こえた。アムロは感情的になりすぎた自分を責めるように、もう一度壁を殴りつけ、通路を歩き去っていった。

 

 

 

 日は高く上り、ブリッジにも日光は差しこまない。窓の外の青空の端は、白く霞んでいた。

「ああ、わかった。ギャプランは直るのだな? よし」

 受話器をゆっくりと置いたウッダーは、ため息をついてキャプテンシートに座り直した。

 戦闘から一夜明けた。ブランが死に、敵のエースも落ちた。ウッダーは今、スードリの最高責任者である。

 スライドドアが開いた。振り向くと、ティターンズの制服が見えた。

「……また貴様か、ジェリド中尉」

「今日は揉めに来たわけじゃない」

 柔和に笑ったジェリドに思うところがあるのか、ウッダーは窓の外を見ながら言った。

「ブラン少佐は、どのように死んだ」

 ジェリドは目を丸くした。ウッダーは、想像よりも情に篤いようだ。

「少佐は立派だったよ。アッシマーが飛べないとわかると、敵を道連れにしようとして向かっていった」

「……そうか。少佐を落としたヤツは」

「とどめを刺したのは赤い彗星だ。」

 ウッダーは振り返った。眉をひそめ、ジェリドを見る。

「妙な言い方だな」

「ジムもどきがアッシマーの右腕をやった。モビルスーツを三機まとめて撃ち落としたのもそいつだ」

 近づいてくるジェリドの口調には淀みがない。ウッダーは顎に手をやった。

「赤い彗星の次はその謎のパイロットというわけか?」

「まぐれとは思えん」

 有利ではあるが、楽にはならない。ジェリドもウッダーも、真剣な顔だ。ジェリドはクルーの肩越しに進路を見た。

「アウドムラは宇宙へモビルスーツを返すつもりだろ。西海岸のどこかの打ち上げ基地を取るんじゃないか?」

「いや、奴らには打撃を与えた。連邦軍の巣の北米を嫌って、アウドムラは太平洋上へ逃げ出してくるさ」

 顎に手を当て、ウッダーはブリッジの前方の空を睨んでいる。

「そこを叩くか」

 ブリッジシートの横で立ち止まり、ジェリドは小さく手招きする。怪訝な顔をしつつ、ウッダーは耳を傾けた。

「ギャプランの修理は遅らせろ。ロザミアは何をするかわからん」

「人形は信用ならんか?」

「強化人間全体がそうかはわからん。が、彼女は不安定だ」

 ふむ、と唸ってウッダーはまた背中をシートに預ける。たしかに、ロザミアは不安定だ。この状況で勝手に動かれては、たまったものではない。

 ウッダーは受話器を取った。

「モビルスーツデッキか。……ギャプランの修理は後回しだ。わかったな?」

 受話器が置かれる。ジェリドは笑った。

「ありがとう、ベン」

「うるさいぞ」

 

 

 

「ねえ、ねえってば!」

 ヒッコリーを諦めたアウドムラにとって、ベルトーチカの存在価値はなかった。手持ち無沙汰の彼女は、自身を出迎えた傷だらけの少年に興味を惹かれていた。

 工具を抱えて格納庫を急ぐカツが振り返る。

「あなたには関係ないって言ってるでしょ!」

「気にならないはずないでしょ? 君、ボロボロだし」

 とぼけた様子の彼女は、空気を読むと言うことをしない。カツに向けられる整備士たちの殺気立った視線にも気づいていながら、彼女はカツを追いかける。

 この針の筵のモビルスーツデッキで働くことは、カツなりの罪滅ぼしのつもりだった。クワトロを含め優秀なパイロットとマラサイを失わせた責任を取ろうというのだ。

「遅くなりました」

 整備士は、やってきたカツを睨んで舌打ちする。カツの独断出撃は許し難い。独房入りに関しては、カツがいきなり医務室送りになったために明確な決定は下されていない。

 カツに怒鳴ることすら、整備士たちはしなかった。

「ねえ、どうしてみんな怒ってるの?」

 子供っぽくベルトーチカがカツに尋ねる。怒りゆえか、整備士の口数はごくわずかだ。無言でまた歩き出したカツに業を煮やしたのか、ベルトーチカは足音を鳴らして整備士に近づいていった。

「どうしてあの子をいじめてるんですか?」

 カツが振り返った。触れられたくない話だ。整備士たちにとっても、思い出したくもないだろう。

 口を開くことなく、整備士はカツを一瞥して顎をしゃくる。カツの口で話させるつもりだ。

 おずおずと、カツがベルトーチカに声をかけた。

「ベルトーチカさん、こっちです」

「え?」

 整備士たちの前では、やはり話したくなかった。カツはベルトーチカを人気のない方へ連れて行き、無断出撃の件を話した。

「ふーん、そんなことなの」

「そんなことって!」

 あっけらかんとした様子のベルトーチカに、カツは声をあげてしまった。

「お、おかしいですよ、そんなことだなんて!」

「だってあそこで君が手伝ってても、みんなの空気を悪くするだけでしょ? 何か事情があるのかと思ったけど、それじゃあ意味ないわ」

 二の句が告げないカツは、口をぱくぱくさせている。ベルトーチカはそんなカツを見て、呆れたように眉をひそめる。

「私は戦争も、戦争をする人も嫌いよ。だから君のことも嫌い。勝手に出撃するくらいなら、その時落とされてればよかったのよ」

 無断出撃の時から、カツは白い目で見られていた。しかしベルトーチカは、自身の価値観ではあるが、カツを真正面から見て、受け止めている。

「わかってますよ。死ねって言うんでしょ」

 カツ自身、何度も自責したことだ。いっそあの時、死んでいればよかった。

「君、子供でしょ? そうやって短絡的に考えるの、やめたほうがいいわよ」

「じゃあどうしろって…!」

「勝手にすればいいじゃない。君がアウドムラに乗った理由なんて知らないもの」

 ベルトーチカは口を尖らせたままカツに背を向けた。軍艦に乗っている生傷だらけの子供には興味を惹かれたが、パイロットでもないのに独断で出撃して正規パイロットを死なせたと分かればベルトーチカが冷たくなるのも無理はない。

 彼女に事情を説明した時、カツはどこかで助けを期待していた。その事実に気づき、カツはまた自己嫌悪に陥る。あれほどの失敗をしておきながら、甘えていたのだ。

 ベルトーチカの最後の言葉が、カツの中で不思議にこだましていた。

 

 

 

 自室の窓から見下ろす地面は遠く、傷だらけの茶色い塊に見えた。

「カクリコン」

「おう、ジェリドか」

 ドアを開いて、ジェリドが部屋に入ってきた。手土産にコーラを二本持っている。カクリコンも腕を上げて手招きする。

 机の前の椅子に座ったジェリドに向かい合うように、カクリコンはベッドの端に腰掛けた。

「何の用だよ」

「お前さん、地球に女がいるんだろ?」

 ジェリドは屈託なく笑った。カクリコンも、苦笑いで応える。

「まあな。ジャブローの戦いが終わりゃあまた会えると思ったんだが、アウドムラ追撃なんて面倒な任務をとしつけられちまった」

「そんなお前を慰めてやりにきたのさ」

「ふっ、ありがとよ」

 受け取ったコーラの蓋を開けると、空気が抜ける小気味いい音がする。泡が瓶の容器の口にまで膨らみ、カクリコンは慌てて口をつけた。ジェリドもそれを見ながら、コーラの封を開けた。

「……なあ、ジェリド」

「どうした?」

 半分ほど飲み干して、カクリコンは小さく言葉を漏らした。

「俺はな、ティターンズ以外はクズだと思ってたんだよ」

「……そうか」

 ジェリドの顔もカクリコンにあてられて、真剣味を帯びている。

「でもよ、ライラとか、ジャブローの連中とかブラン少佐とかと会って、俺達ティターンズってのはそんな立派なもんじゃないってわかった」

 照れ臭そうにカクリコンは笑い、コーラをあおる。ジェリドは黙って、カクリコンの次の言葉を待った。瓶の中で揺れる黒褐色の液体を眺めて、カクリコンはまた口を開く。

「アメリアに会ったときに恥ずかしくない男ってのは、たぶんそういうことだろう。ティターンズを鼻にかけた横暴なんてのは間違ってる。スペースノイドだって、全員じゃないがいい奴もいる」

「そうだ、カクリコン」

 目を閉じて、ジェリドはその言葉を肯定した。

「今のティターンズは間違ってる。だから、俺が変えてみせるさ」

 カクリコンはぽかんとしたままジェリドの顔を見て、笑い出した。込み上げる笑いを抑えきれず、肩を震わせる。

「くっくっくっく、お前が?」

「そうだ、カクリコン」

 ジェリドの本気がこもった言葉を聞いて、カクリコンの笑いがおさまっていく。嘲りの曇りもなく、彼はジェリドの顔を見つめ返した。

 どちらからともなく、手が差し出される。

「もし、時が来たら……俺はお前に着くぜ、ジェリド」

「ありがとうな」

 二人は固く、その手を握り合った。

 

 

 

 ジュピトリスの独房で、ファは膝を抱えていた。元々ジュピトリスは木星と地球の往復用の船だ。ヘリウム3を積むためのスペースだけでなく、違反者を取り締まるための独房もある。

 彼女の心配は自分だけではない。怪しい男に連れられていったカミーユのことだ。ハリオで別れて以来会っていない。

 独房のドアがノックされた。

「やあ、ファ君。手荒な真似をさせてすまなかった」

 ファは入ってきた男をきつく睨んだ。パプテマス・シロッコ。民間人のファを監禁している連邦の軍人だ。カミーユを連れ去った張本人でもある。

「そう睨まんでくれ。私は私なりに君たちのことを思って行動している」

「じゃあ早く家に帰してください!」

 シロッコはそれを聞くと、眉を八の字にして笑う。

「すまないが、それはできない。連邦軍にとっては、今の君たちは犯罪者だ。だがカミーユは素晴らしい才能を持っているように感じる」

「カミーユを戦争の道具にするんですか?」

 ファの声に固いものが宿った。シロッコは一笑に付す。

「カミーユはこれから来る新しい世を作っていくだけの力を持っている。ニュータイプだよ」

「カミーユにそんなつもり、ありませんよ!」

 甲高い叫び声が独房に響く。ファにとっては非常事態の連続だ。彼女は疲れていた。

「君はカミーユの何を知っているのかね」

「そんなこと……!」

「調査したところ、彼の両親は軍の技術者でめったに家に帰っていない。フランクリン博士は不倫もしているそうだ」

「そんなの、無礼です! 何も知らないくせに!」

 ファは声を荒げた。彼女もカミーユの家の事情は知っているが、それを赤の他人のシロッコに口にされる筋合いはない。

「彼はご両親から愛を受けて育っていない。ならば私が、彼を支えてあげるべきだろう」

 ファは口をあんぐりと開けた。もし本気ならば突拍子もない申し出だし、もし冗談や嘘なら最低の部類だ。

「……何を言ってるんです?」

「私は本気だ。カミーユを立派な大人に育てたい。そのために、ファ君の手を借りたいのだ」

 シロッコの真剣な眼差しが、ファを捉えて離さない。ファは、目を逸らしてしまった。

 シロッコは自身の腕時計を見た。

「む……すまんが、用事があるので失礼させてもらう。何か欲しいものがあったら、監視の者に言うがいい」

 わずかな時間の合間を縫って会いにきた、と言外に示す。ファは独房の床を見つめている。

「ファ君、カミーユのことを思うなら、私に協力して欲しい」

 独房から出る直前、シロッコは自身の肩越しに振り向いてそう言った。ドアが閉まり、ファは再び静寂の中に閉じ込められた。

「パプテマスさん……」

 両腕で自分の体を抱き、ファはそう呟いた。

 

 

 

「まずいな……」

 ハヤトが唸った。操舵手が振り向き、心配そうに尋ねる。

「やはり、捕捉されてしまいましたか」

「ヒッコリーに寄らなかったのが裏目に出た。太平洋上で待ち伏せとは……!」

 アムロの反対もあって、アウドムラはヒッコリーへの寄り道を諦め、太平洋へ向かった。しかし、その判断の隙をついたスードリに先回りされてしまったのだ。

 拳を握りしめたハヤトは、マイクを取る。戦うしかない。

「総員、第一戦闘配置! スードリを抜いて太平洋に出るぞ!」

 自室でその放送を聞き、アムロは爪を噛んだ。クワトロの代わりをやれる自信はなかったが、それ以上に、自分にその役割を押し付けてくるハヤトたちが気に入らなかった。クワトロの死について、まだ心の整理がついていないのだ。

 もう少し、自分が早く出ていれば。そんな後悔が、アムロを苛む。

 部屋の外から喧騒が聞こえる。戦闘準備の殺気だった雰囲気が、ドア越しにもひしひしと伝わってきた。

 ドアが開いた。ノックもなく、外からその人物が、ほとんど音を立てずに部屋の中に踏み込んできた。

「戦わないのですね、あなたは」

 声が静かに、震えて響いた。思わずベッドから体を起こしたアムロに、その人物は掴みかかった。

「君は……!」

「アムロ大尉!」

 レコアだ。彼女はそのままアムロを押さえつけ、馬乗りになる。不意を打たれたアムロはそれを許してしまった。

「何をする!」

「あなたはクワトロ大尉を見殺しにした!」

 その言葉一つが重りになって、アムロの手足を縛った。馬乗りのレコアは胸元のボタンを外し、アムロの喉に手をかける。

「責任を取るのよ、あなたが! 大尉の代わりをしなくちゃいけないのよ!」

 呆然とした顔で見上げるアムロの目には、正気を失ったレコアが映っている。唇は震え、大きく開いた双眸は、小刻みに震えてアムロを睨む。

「ううううう〜〜〜っ!!」

 言葉にならない叫びを上げて、レコアはアムロの首を絞めた。形のいい爪が首筋に食い込む。彼は両手でレコアの手首を掴んで抵抗するものの、引き剥がすことはできない。もみ合いの中レコアの胸元がはだけ、谷間と下着が外気に触れた。

 ふと、力が弱められる。レコアの両手がアムロの下着へ伸びる。押しのけようとするアムロの腕にも力はない。激しく咳き込むばかりだ。

「何やってるんです、レコアさん!」

 足音が近づいてくる。黒い影がレコアにぶつかって、羽交い締めに取り押さえた。

「か……カツ!」

 喉を押さえてアムロが叫んだ。傷だらけの顔で現れた彼は、パイロットスーツを着ていた。女とはいえ軍人であるレコアを、カツは強引に引き剥がす。

「放しなさい! 子供が出る幕ではなくてよ!」

「駄目なんですよ! 子供なのはあなただ!」

 レコアの金切り声にもカツは引き下がらない。暴れてカツの腕を引っ掻くレコアだが、ノーマルスーツには傷一つつかなかった。

 アムロの上から引きずり下ろされて、レコアは喚き続ける。

「クワトロ大尉を死なせたのはあの男よ!! なぜいけないの!! 私が幸せになってはなぜいけないの!!」

「殺したのは僕です!!」

 レコアは喚いた時の顔のまま、声を出さずに固まった。アムロの暗い視線に、目を逸らす。

「僕の勝手な行動が、クワトロ大尉や、マラサイ隊の人たちを死なせたんです!! わかってんですよ、僕だって!」

 カツの声は、重い。レコアは押し黙ってしまった。

「だから、アムロさんを憎むのなんて筋違いでしょ!? レコアさんだってそんなこと……」

「いい、カツ」

 アムロがカツの言葉を止めた。二人の憐憫の目が、哀れな女に注がれる。

 力なくカツの腕からへたりこむレコアの目から、涙がとめどなく溢れている。顔にも体にも、ほとんど力が入っていない。ただ頬を、雫が伝う。

「……シャアの代わりは、俺にはできない」

 アムロはそう言ってから、視線をカツに向けた。甘えも怯えも、その目にはない。

「そのノーマルスーツは?」

「余ってたのを勝手に持ち出しました。ネモが余ってるはずなので」

 アウドムラはもともとモビルスーツが余っている。カツの行動でマラサイ隊の半数が落とされたが、数機ぶんの余裕はある。

「やるのか」

「はい。クワトロ大尉を死なせたのは僕ですから」

 カツはあっさりと言ってのけた。それは子供ゆえの思い切りの良さでもあり、軍人としての覚悟の萌芽でもあった。

「ハヤトが許すか?」

「だからアムロさんを呼びに来たんです」

「したたかだな」

 アムロが部屋の外へ出た。格納庫へ二人は駆け出した。

 

 

 

「そのマラサイは出せないのか!」

「無理です! 死にますよ!!」

 格納庫は大騒ぎだ。出撃できるマラサイはごくわずか。マラサイのパイロットの一部はネモに乗るようだ。

 二人組が格納庫に駆け込んできた。くせっ毛の男と少年の二人組だ。

「空いている機体は?」

「アムロ大尉!」

 整備士の顔が明るくなる。アムロ・レイが戦うとなれば百人力だ。

「空いている機体はネモが……」

「俺のマラサイを使ってくれ」

 整備士の言葉を遮って、カラバのパイロットが言った。ヘルメットを小脇に抱え、もう一方の手で照れくさそうに頭を掻いている。

「いいのか?」

「あんたより腕のいいパイロットはいやしないさ」

 パイロットは苦笑いを浮かべた。事実とはいえ、相手が自分以上の腕前であることを認めるには、若干の悔しさもある。

「ありがとう!」

 アムロはマラサイのハンガーへ走っていった。パイロットも、自身のネモへ歩き出した。残されたカツに、整備士が敵意を剥き出して舌打ちする。

「何の用だよ」

「僕もモビルスーツに乗ります」

 先ほどまでの遠慮がちな態度とはうって変わって、カツは毅然とした顔つきで答えた。整備士はそれが許せない。

「ふざけるな! またお前のわがままで……!」

「パイロットが足りないんでしょ!!」

 前回の戦いで生還したマラサイ隊のパイロットたちからは負傷者が二名出ている。ただでさえモビルスーツが余っていたカラバには、余分なネモもあった。

「カツを乗せてやってくれ」

 モビルスーツの外部スピーカーからの声だ。その声に、整備士が振り返る。

「あ……アムロ大尉!?」

「早く乗れ、カツ! ハヤトには、それから話すんだ」

「はい!!」

 真昼の太平洋は、遠く水平線が続いている。アウドムラのブリッジはその静かな海と対照的だった。せわしくクルーが出入りし、繋いだ通信に向かって大声で怒鳴る。

 窓の外に小さく見えるスードリを睨んで、ハヤトは顎を撫でた。補給のために、彼らはホンコンへ向かうつもりだ。モビルスーツ隊のダメージも深い。なんとしても、補給が必要だった。

 ブリッジのモニターに通信が飛び込んでくる。発信者は艦内のネモからだった。

「カツ!?」

 ハヤトは素っ頓狂な声を上げた。唾を飲み込んで、カツは話し始めた。

「父さん、僕に発進許可をください」

「駄目だ! お前はもう出撃させない!」

 遮るようにハヤトはがなった。ブリッジのクルーたちも振り向くほどの迫力だ。

「そんなことでアウドムラがお前を許すと思っているなら大間違いだぞ!」

「アウドムラが沈められるかもしれないんだよ、父さん!」

 どちらも譲らない。彼ら二人の口論は、徐々に激しさを増していく。

「子供には関係ない。もし出撃するというなら、もうお前を息子とは思わん!」

「それでもいい!!」

 そう言い切ったカツに、ハヤトは言葉を失った。カツの表情には投げやりさや甘えはない。ましてや、名誉欲にはやっている様子など皆無だった。

 沈黙するハヤトを見て、カツは若干の罪悪感を覚えていた。ハヤトは孤児になったカツを養子にして育ててくれた恩人だ。

「……別に父さんが嫌いなわけじゃないよ。だけど……」

「父さんと呼ぶな!!」

 ハヤトは厳しい顔つきでモニターを睨む。

「艦長だ。お前はマート少尉の指揮下に入れ」

 ハヤトはつとめて無感情に指示を下す。内心で、彼はカツの成長を喜んでいた。

「じゃあ……」

「ネモ七番機のパイロットのカツ・コバヤシ! 出撃の準備をしろ!」

 緩んだ頬を叩いて、カツは顔を引き締める。

「了解!」

「よかったな、カツ」

 優しい声が聞こえた。アムロだ。カツはネモの手を振らせて応えた。

「生きている者は、生きている間にやるべきことがある、か」

 できることなら、死なせたくない。だが、戦場の中でしかカツの失敗は取り戻せないことも事実だ。アムロは操縦桿を握った。マラサイを載せたド・ダイ改のエンジンが唸りを上げる。

「マラサイ、アムロ・レイ! 出撃する!」

 

 

 

 エンジンが始動した。ギャプランの排気口が盛んに音を立てる。ジェット噴射の風圧を恐れて、整備士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

「ロザミア・バダム、ギャプラン、出る!!」

「ロザミア!! 待て!!」

 ジェリドがモビルスーツデッキに駆け込んだ時には、ギャプランは出発した後だった。

 大きく舌打ちするジェリド。急いでロザミアを追いかけるべく、彼はMk-Ⅱのコクピットへ乗り込み、ブリッジへ通信を繋ぐ。

「ロザミアを逃した!」

「そんなことはいい。奴には好きに暴れさせる」

 モニターに映ったウッダーは、ジェリドの報告にも興味はない様子だ。それがジェリドには不可解に見えた。彼は低く聞く。

「何かあったか?」

「俺の情報筋から聞いたが、シャイアンのアムロ・レイが輸送機を奪って脱走したそうだ」

 ジェリドの表情が険しくなる。

「アムロ・レイだと?」

 一年戦争の英雄で、ガンダムのパイロットだったあのアムロ・レイ。ジェリドもその名は知っている。今はシャイアンにいると風の噂で聞いたこともある。

「ホワイトベースのクルーは反ティターンズだ。奪った輸送機の進路から考えると……」

「アムロはアウドムラにいる。あのネモのパイロットだ」

 ジェリドはうめくように言った。それはほとんど直感だが、あの時のネモは並大抵のパイロットではない。赤い彗星か、それ以上のパイロットが突然アウドムラに参加したとすれば、間違いなくアムロだ。

「わかるのか?」

「面白いじゃないか、今、ガンダムに乗ってるのは俺なんだぜ」

 ジェリドは歯を見せて笑ってみせた。ガンダムMk-Ⅱとジェリドが、いわば先代のガンダムパイロットであるアムロ・レイを叩き潰す。

 ウッダーは口の端を歪めた。今日こそアウドムラを沈め、ブランの仇を討つ。彼ら二人の思惑は一致していた。

「ジェリド・メサ! ガンダムMk-Ⅱ! 出るぞ!!」

 

 

 



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洋上の激戦

 太平洋上に出たアウドムラをついにスードリが捉えた。距離こそあるが、並走する形だ。

 モビルスーツ隊の練度や規模ではスードリの方が上である。アウドムラのネモ隊も、ド・ダイ改に乗って出撃する機体は数えるほどだ。

 マラサイ二機とリック・ディアス一機、ネモが三機の合計六機がアウドムラの外へ出た。それ以外の数機のネモは、アウドムラ格納庫から援護射撃を担当する。そもそも、ド・ダイ改が不足しているのだ。

 スードリのモビルスーツ隊は十機を超え、先行するギャプランをはじめ、ガンダムMk-Ⅱなどの新鋭機も備えている。

 戦況は、アウドムラにとって不利だった。

 マラサイのコクピットのアムロに、通信が届く。アウドムラのハヤトからだ。

「アムロ、敵を一刻も早く退かせるんだ」

「スードリを叩くんだろ?」

 アムロの表情には余裕がある。ハヤトはそれが少し意外だったが、破顔した。

「わかっているならいい。それより、カツをそそのかしたな?」

「そそのかされたのは俺さ」

 カツがいなければ、アムロは出撃しなかったかもしれない。アムロはその意味でも、カツに感謝していた。

「そうか? ……スードリは任せたぞ」

 そう言ってハヤトは通信を切った。モビルスーツ隊のビームライフルが、そろそろ当たる距離だ。

 アムロが通信を開いた。

「わかっているな? ネモ隊とザック中尉はアウドムラの護衛! 俺とロベルト中尉でスードリを叩く!」

「了解!」

 力強い返答の中に、少し裏返った声が混じっていた。カツだ。アムロはそれに気づいたが、何も言わない。彼がモビルスーツに乗ったばかりの頃は、そうして強くなっていった。

 加速する二機のド・ダイ改の上には、マラサイとリック・ディアス。アムロとロベルトだ。

 並走しながら、ロベルトがアムロに尋ねる。

「いいんですか?」

「何のことだ?」

「……カツのことです」

 低い調子でロベルトは絞り出した。カツのことは信用ならない。ハヤトの手前もあって今更カツを糾弾するつもりはないが、またモビルスーツに乗せることには反対だった。

「ド・ダイの上で戦えるパイロットはアウドムラには少ないからな」

 ロベルトは渋い顔だ。

「しかし……」

「信じてみるしかない」

「ニュータイプの勘ですか」

「まあな」

 アムロの目はモニターに映る敵モビルスーツを睨んでいる。今は戦うしかない。ロベルトは小さくため息をついた。

「墜ちろ! エゥーゴ!」

 先頭を切るギャプランは、距離を取ってすれ違う。その間際、放たれた数発のビームをかわし、反撃のビームライフルを当てた。惜しくもシールド・バインダーに着弾してしまったが、アムロは振り返らない。ギャプランの相手は後続に任せるつもりだ。

「なるほど……そういうつもりか、アムロ・レイ」

 ギャプランの後方、黒いガンダムMk-Ⅱの中で、ジェリドはつぶやく。

「先頭のザクもどきがアムロ・レイだ! 俺とマウアーで相手をする! カクリコンはリック・ディアス! 他のものはロザミア少尉に続いてアウドムラを叩け!」

「了解!」

 スードリを狙っていることは、ジェリドに見抜かれていた。しかし、高速ですれ違う相手を追って反転するのは容易なことではない。なにしろ、アウドムラの砲火には背中を向ける形になる。ジェリド達三人はスピードを緩めた。

 瞬間、ジェリドの脳裏に予感が走った。

「そこのハイザック! 下がれ!!」

 わずか一瞬。アムロのマラサイの腕が上がったと思えば、そのハイザックの胴体はビームに穿たれていた。当たった位置はコクピット。制御を失い、ぐらりと揺れてベースジャバーから落ちていく。

 ジェリドは表情を歪め、アムロのマラサイへビームライフルを向ける。

「来い! アムロ・レイ!」

「こいつ……! シャアをやった奴か!」

 ビームライフルの応酬を繰り返しながら彼らは接近した。互いのビームは、そうそう当たらない。両者とも、狙いをつける時間を相手に与えていないのだ。

「マウアー!」

「ええ!」

 ばら撒かれるザクマシンガンの弾がマラサイの機体表面に着弾する。一発や二発では致命傷には程遠いが、牽制にはなる。

「アムロ大尉の邪魔はさせん!」

 ロベルトのクレイバズーカの弾丸が、ジェリドのベースジャバーを掠めた。

 しかし、リック・ディアスのド・ダイ改の行く手を、ビームが通過する。牽制としては十分以上。ロベルトはそのビームの射撃手を探る。

「グリーンオアシスじゃ遅れをとったが!」

 カクリコンが吼える。加速したベースジャバーの上で、もう一機のガンダムMk-Ⅱがビームライフルを構えていた。

「ええい!」

 ビームと弾丸の応酬が続く。グリーン・ノア1での戦いでは翻弄されたカクリコンだったが、今ではほとんど対等に渡り合えている。アーガマ追撃だけでなく、月面都市アンマンの攻撃、ジャブロー防衛、さらにアウドムラの追撃戦と、カクリコンは確実に戦闘経験を積んでいた。

「く……アムロ大尉!」

 視界の端に二機のモビルスーツに追われるアムロを見て、ロベルトは冷や汗を垂らす。

 ジェリドのベース・ジャバーが急旋回し、アムロのド・ダイ改の後ろについた。ド・ダイ改の上で、マラサイが完全に振り返る。体勢は低いが、その銃口の向かう先はMk-Ⅱだ。

 激しい撃ち合いが繰り広げられる。相対速度が減った分、彼らの狙いはより正確になっていく。Mk-Ⅱのシールドに、ビームの深い傷跡がついた。

「逃がさん!!」

「ええい!」

 アムロの射撃は、すでに先読みの域に達している。それは彼が一年戦争で磨いたニュータイプ能力ゆえのものだ。しかし、ジェリドもそれに対応しきれている。

 ニュータイプだ。アムロは思った。青い変形モビルアーマーのような固いプレッシャーではなく、天然物のプレッシャー。ジェリドもまた、目の前のマラサイからニュータイプを感じている。

「ぐおっ!」

 ビームが肩を掠め、ジェリドが悲鳴をあげる。最高速の彼らの距離は、一向に縮まらない。

 マウアーは歯噛みした。自分のマシンガンは、アムロはまるで問題にしていない。

「最適の場所を狙えていれば、ジェリドがあのマラサイを落とせているはずだ……!」

 スードリの対空砲火が迫る。ジェリドとマウアーの攻撃をかわし、スードリに背を向けたまま、アムロのマラサイはスードリへ突っ込んだ。

「馬鹿な!!」

 ジェリドがまた目を剥いた。

 弾の方から避けているかのように、アムロには当たらない。むしろ対空砲火はアムロを追うジェリド達の足を止めてしまっていた。

 ジェリドの隙を見て、背後に向けて一発。マラサイの放ったビームが、スードリの機銃を一つ潰した。対空砲火の中でも、アムロの射撃は正確だった。続けて撃ったビームがマウアーのベースジャバーに着弾する。ベースジャバーは黒煙を噴き上げた。

「くっ、どこをやられた!?」

「無茶はよせ! 俺がやる!」

 ジェリドもアムロの後を追って、スードリの対空砲火の中へ飛び込んだ。

 

 

 

 猛スピードで突っ込んでくる、青いモビルアーマー。それがモビルスーツに変形できることは、これまでの戦いでカツも知っていた。

 先行したアムロとロベルトの脇をすり抜け、そのモビルアーマーは単機でアウドムラへ突っ込んできた。

 カツの脳裏に、違和感が過ぎる。アムロやクワトロから感じたものとは違う。この敵は、ニュータイプのようで、ニュータイプではない。

 メガ粒子砲が火を噴いた。次の瞬間、格納庫のネモが力なく倒れ込む。カツはモニターを睨み、操縦桿を引いた。

 ネモ隊による一斉射撃。瞬間、ロザミアはギャプランをモビルスーツ形態へと変形させる。空気抵抗の増加、さらにブースターの方向転換により、ギャプランを狙ったビームは全て回避された。

 真上へ飛んだギャプランは、両腕のメガ粒子砲をそれぞれ別方向に向けた。

 二発。一発が一機のネモの腕を砕き、もう一発はアウドムラに直撃する。

 下方から機影が迫る。それは、カツの乗ったネモだった。

「うおおおおお!!」

 連射されたネモのビームをかわすギャプラン。性能で言えば、圧倒的な開きがある。カツは接近戦に持ち込んだ。

「エゥーゴ! 宇宙は落とさせない!」

 ギャプランは近接戦闘に向いた機体ではない。だが、ロザミアは退かなかった。

 両者のビームサーベルが火花を散らす。加速の勢いに乗った斬り上げだが、ギャプランのビームサーベルに阻まれる。

「子供が!」

 ギャプランはネモの胴体を蹴る。サブフライトシステムに不慣れなカツは、大きくバランスを崩してしまった。

 ネモのビームサーベルを弾きギャプランは再びモビルアーマー形態へと戻ると、大推力による体当たりでカツのネモを跳ね飛ばした。すさまじいGにより、カツの意識は朦朧となる。

 カツのネモを振り切ったギャプランは、アウドムラへの攻撃に戻る。後続のハイザック部隊も追いついた。

 高速で敵の攻撃をかわしながら、ギャプランはわずかばかりのモビルスーツ隊へ切り込んでいった。メガ粒子砲を撃ちつつ、敵を撹乱する。

 マラサイがギャプランにライフルを向けた。しかし次の瞬間、ハイザック達のマシンガンに蜂の巣にされ落ちていく。

 質、量ともに、アウドムラは劣っている。アムロがスードリを落とすまで耐え切ることも、彼らには難しかった。

 

 

 

 アムロのベースジャバーが機首を跳ね上げる。スードリの格納庫からも、モビルスーツが銃を向けていたのだ。スードリの主翼を盾にして、そのモビルスーツの対空砲火を防ぐ。

 アムロは気づいた。自身を追いかけていたはずのジェリドがいない。スードリの上方に機体をねじ込んだ時を最後に、ジェリドのMk-Ⅱは、彼の視界から消えていた。

 彼は、即座にビームライフルを数発スードリの主翼へ撃ち込んだ。当たりどころが良かったのか射角がよかったのか、そのうち一発のビームは主翼を貫通する。

「まずい!」

 アムロが呟いた。上下逆さまになったガンダムMk-Ⅱとベースジャバーが、ド・ダイ改の進行方向から現れる。

 機銃を回避する必要があるアムロと違い、Mk-Ⅱのベースジャバーは目標へ向けて全速力を出すことができる。高速でスードリの胴体部の下から回り込んだジェリドは、ベースジャバーを宙返りさせてアムロに迫った。

 ビームライフルの距離ではない。すれ違いざまビームサーベルを打ち合わせる。加速した慣性を打ち消された上半身と、ベースジャバーの慣性が残った下半身。斬撃を受け止められた勢いもそのままに、Mk-Ⅱを再び後方宙返りさせ、マラサイの背後、ド・ダイ改の上に着地する。

「時代は変わったんだよ、アムロ・レイ!」

「でやあっ!」

 振り返りつつビームサーベルを横に薙ぐマラサイ。しかし、ジェリドのMk-Ⅱはそれを屈んで躱し、立ち上がる勢いを利してビームサーベルを振り上げた。

 ビームサーベルは空振り。胸元に掠らせつつも、マラサイの動きには支障はない。

 回避と同時に半身になったマラサイは、そのショルダースパイクを勢いよくMk-Ⅱへぶつけた。さらに続けて、右手に持ったままのビームサーベルの切先をMk-Ⅱのコクピットへ突き出す。

 そのサーベルは、体を捻ったMk-Ⅱの脇の下を抜けていく。マラサイの右腕を取ったMk-Ⅱはすぐさまビームサーベルを構えた。振り下ろす右腕を、マラサイの左手が捕らえた。

 力比べの態勢だ。マラサイの機体出力もMk-Ⅱに負けていない。互いの排気口が唸る。二体のモビルスーツは金属の軋みを上げて、組み合ったまま動かない。

 絞り出すように、ジェリドは言った。

「アムロ・レイ! ニュータイプというだけはあるな!」

「こいつ、俺の名を……!」

 接触回線で、両者の通信は繋がっている。スピーカーから流れるその声は、挑発的にも焦っているようにも聞こえた。アムロが叫んだ。

「貴様もニュータイプだろ! なぜティターンズに着く!」

「誰がエゥーゴなどに頼るか!」

 ジェリドはMk-Ⅱのスラスターを吹かせた。ド・ダイ改から振り落とすつもりだ。一瞬で加速した黒いガンダムは、彼の意に反してマラサイの上方をすり抜けていった。

「なにいっ!?」

 ジェリドは下を見る。Mk-Ⅱの加速と同時に、マラサイは体を後方に倒し両手を振り上げ、Mk-Ⅱを蹴り上げた。

 巴投げを喰らい、ド・ダイ改から振り落とされたジェリド。だが、その目は未だにマラサイを睨んでいる。

「ガンダムならばこういうことも!」

 腰にマウントしていたビームライフルを抜き、その照準をアムロのマラサイに合わせる。わずか一瞬だった。ビームライフルの固いグリップとそれを保持するマニピュレーターは狙いを狂わせることはない。

「ニュータイプか!?」

「おおおお!!」

 照準を合わせたジェリドは、その弾道にビームライフルの銃口を見た。マラサイは巴投げの直後から、追撃のためのビームライフルを準備していたのだ。

 両者のビームが発射される。ビームサーベルのように収束されない二つのビームは二機の中央で衝突し、弾けた。

 拡散した僅かな粒子がMk-Ⅱを揺らす。ジェリドは内心、アムロの操縦技術に舌を巻いていた。

「アムロ・レイ……」

 バランスを崩したMk-Ⅱを立て直す。サブフライトシステムには及ばないが、もともと飛行もできる機体だ。

 アムロのマラサイは向きを変え、すでにアウドムラへ向かっている。ジェリドはぎょっとしてスードリを見た。

 主翼を撃ち抜いた時、アムロは正確にスードリのエンジンを狙っていたのだ。スードリは左翼から黒煙をあげている。

「ジェリド中尉! 何をやっている!」

 ウッダーの通信が飛び込んだ。ジェリドは苦々しげにモニターを睨む。

「わかっている!」

 スードリはアウドムラと同型だ。アウドムラの構造を知っていれば弱点はわかる。

 アムロをスードリに近づけてはいけなかったのだ。落ちはしないだろうが、スードリによる追跡は大きく遅れを取ることになる。

 ジェリドは通信を一方的に切った。クワトロを撃墜し、強くなったつもりだった。しかし、アムロはそのさらに上を行っていた。

「アムロ・レイ、か……!」

 見定めた男の名を、彼は呼んだ。

 

 

 

 モビルスーツ隊を追い詰めたギャプランは旋回し、加速する。その機首は、アウドムラのブリッジを目指していた。

「落ちてもらう!」

 恐慌状態のブリッジで、ハヤトは腕を組む。

「艦長! 危険です!」

「今更慌ててもどうにもならん! 対空防御、しっかりやれよ!」

 窓の外に見えたギャプランは、進路が激しくぶれている。スピードも落ちているようだ。

「なんだ、あれは」

 ハヤトは窓へ近寄る。ギャプランの上部に、一機のネモがしがみついていた。

「させないぞ! お前に好きなようには!」

 ギャプランに跳ね飛ばされたカツだったが、彼はどうにかネモをド・ダイ改にしがみつかせていた。ギャプランが見せた隙を見逃さず、彼はギャプランに飛びついた。

 加速性能、旋回性能、そして最高速度、どの面においてもギャプランはド・ダイ改を上回っている。ド・ダイ改でギャプランの進路を押さえることなど、先読みに近い。

 跳ね飛ばされた際にビームライフルを取り落としてしまったが、カツにとっては些細なことだ。発振器を手に取り、ビーム刃を形成する。

「くっ! 貴様、さっきの!」

「女の人……!?」

 だが、一瞬カツに躊躇が生まれた。それは、接触回線によって相手の声を聞いたからだ。

「子供だね」

 その隙をロザミアはついた。ネモを振り払うために、ギャプランをモビルスーツ形態に変形させる。

「あの腕を掴めば……!」

 ギャプランの両腕は、モビルアーマー形態の間、後方へ伸ばされている。変形を間近で見たカツは、どこを掴めば振り払われないか理解していた。カツはギャプランに組み付き続ける。

「ええい、こいつ!!」

「放すものか!!」

 カツはモビルスーツ形態のギャプランの各部に、ネモの手足を挟み込んだ。変形を封じているのだ。

「ならばギャプランのGで死ね!」

 ギャプランのムーバブル・シールドのスラスターが下に向いた。勢いよく噴射し、上昇していく。本来、ギャプランの加速は強化人間でなければ耐えられないものだ。

「うああああ!!」

 カツが苦痛に叫ぶ。だがそれと同時に、彼はネモの全身のバーニアやスラスターをでたらめに噴射した。かかったGに奥歯が軋む。不規則な回転を続ける視界。吐き気が込み上げた。

 ロザミアは戦慄した。吹き出した冷や汗が額に浮かぶ。ネモが姿勢を変えれば、当然組み付かれたギャプランの体勢も変わる。大出力のムーバブル・シールド・バインダーも、下に向かなければ体勢を崩す一因にしかならない。

 ギャプランの加速時のGは常人なら失神してしまうほど強力だが、ネモという重りを抱えていてはそのGも減少してしまう。

 完全に平衡を失った二機のモビルスーツは、複雑な軌道を描いて落ちていった。

「貴様! 死ぬ気か!」

「道連れええっ!」

 震えそうな声を必死で張り上げて、恐れをねじ伏せる。カツは覚悟を決めていた。落ちていく二機。深い海の青は、その細やかな肌のきめを少しずつ大きくし、より小さな皺を鮮明に見せてくる。

「カツ!! 離れろ!」

 聞き慣れない、しかし脳裏にこびりついた声がカツの鼓膜を揺らした。カツはその言葉に従ってしまう。

 高速落下の空気抵抗がギャプランとネモを別つ。そうして離れたギャプランの機体が、横殴りの散弾に吹き飛ばされた。

「乗れ!」

「ロベルト中尉!?」

 リック・ディアスが手を伸ばし、ネモの腕を掴んでいた。肩で息をしながら、カツはリック・ディアスを見た。

「な……なんで、僕を」

 ロベルトは答えず、ギャプランへ向けてクレイバズーカを撃つ。

「アムロ大尉がスードリのエンジンをやった! このまま引き上げる!」

 ド・ダイ改の上に戻ったカツは、ロベルトの変わり身に驚いていた。

「なんで僕を助けたんです!?」

「リック・ディアスのビームピストルを使え。あのモビルアーマーを迎撃するぞ」

 ギャプランは再びモビルアーマー形態を取ってド・ダイ改を追いかけている。一刻を争う状況だからこそ、カツはロベルトの心情が気になった。

「ロベルト中尉!」

「撃てと言ってる!!」

 せき立てられて、カツはリック・ディアスの背中のビームピストルを取った。ビームピストルとクレイバズーカが一斉にギャプランに向け火を吹く。正確な射撃は、確実にギャプランの逃げ場を奪っていった。

 

 

 

 アクト・ザク二機を載せたベースジャバーが、撤退のために身を翻す。格納庫のネモがライフルを一斉射した。火と煙を吹いて、ベースジャバーが爆散する。

「うわあ、うわああああ!!」

 自由落下に陥った二機のアクト・ザクに、追撃のビームが殺到する。数秒も経たず、彼らは残骸へと変わり落ちていく。

 ジェリドのモニターに女の顔が現れる。マウアーからの通信だ。

「ジェリド!」

 Mk-Ⅱの側に、マウアーのハイザックがやってきている。ジェリドはすぐにそのベースジャバーにMk-Ⅱを乗せた。

「アウドムラへ急げ! 撤退を支援する!」

「わかった!」

 マウアーは軍人として威厳ある返事をした後、表情を曇らせた。

「あの敵、アムロって?」

「やられたよ。まだまだだ」

 忌々しそうにジェリドは言いつつ、Mk-Ⅱのビームライフルを撃つ。アウドムラのモビルスーツへの牽制だ。

「そう……」

 マウアーは自分が情けなかった。ジャブローで、彼女はジェリドに憧れた。力になりたい。そう思ってスードリに乗り込んだものの、彼女はジェリドの助けにはなれていなかった。

 ジェリドは優秀だ。エリートであるティターンズの中でも、彼ほどの軍人はいないだろう。

「マウアー! 右だ!」

「ええ!」

 彼女は言われるまま、ベースジャバーを右へ旋回させる。前方からのビームを躱した。ハイザックとMk-Ⅱは、そのビームの主へ照準を合わせる。

 ネモの右腕が吹き飛ぶ。さらに胴体にマシンガンの連射を受け、ネモは爆発した。

「ロザミア少尉! 撤退だ!」

 ウッダーの声がようやく、ロザミアの耳に入った。彼女は言い返す。

「奴らは空を落とす!」

「命令違反だぞ! 少尉!!」

 ウッダーの声ではない。リック・ディアスとネモの乗るド・ダイ改に、ビームが掠った。ジェリドのMk-Ⅱと、マウアーのハイザックが、次々にビームライフルを撃つ。

 声の主はジェリドだった。

「戻れ、ロザミア少尉!」

 ロザミアは歯を食いしばり、表情を歪める。一方のジェリドの表情は崩れない。眉間に皺を寄せるが、困惑の色はない。毅然とした態度でロザミアに命令を出し、リック・ディアスとネモを追い返す。モニターのMk-Ⅱを睨みつける目が、閉じられた。

「……わかった」

 ロザミアは従った。彼女の素直さは、ジェリドにはかえって不思議だった。

 

 

 

 Mk-Ⅱをハンガーに置き、ジェリドは昇降機に乗った。隣のハイザックからも、同じようにマウアーが降りてきている。彼はヘルメットを脱いでマウアーに笑いかけた。

 格納庫の床に立つと、モビルスーツの巨大さが、なんの遠慮もなく語りかけてくる。ジェリドはそれが嫌いではなかった。

「今日も助かった、マウアー」

「ええ……」

 ヘルメットに押し込められていた髪を直しながら、マウアーは答えた。

 スードリの格納庫の端にはウォーターサーバーが設置されている。戦闘を乗り越えた彼らの足が向かう先は、やはりそこだった。

 紙のカップを水が満たす。ジェリドはもう一杯水を汲み、マウアーに差し出した。

「ありがとう」

「おう」

 差し出されたばかりのカップの水面は揺れていた。マウアーは口を開いた。

「ジェリド」

「ん?」

 カップの水をあおりながら、ジェリドはマウアーに視線を返す。彼女はその目を見て、一瞬だけためらった。

「中尉はニュータイプですね」

 不意に、二人の間に声が割り込んだ。振り返ると、ロザミアが笑っている。

「なんだ、急に」

「感じるからです」

 ジェリドは怪訝な顔で彼女を見返す。

「中尉からは強いプレッシャーを感じます」

「プレッシャーか」

 その言葉がジェリドの心に引っかかった。戦闘中に感じた例の感覚につける名前としては、かなりしっくりくるものだ。

 顎に手をやり、彼は尋ねる。

「敵からは、それは感じるか」

「はい。強いのが一つ、弱いのが一つ。あの金ピカもそうでした」

 ロザミアは淡々と答える。ジェリドは真剣な顔で彼女の言葉を聞いていた。

「やはりか」

「何か?」

 心配そうにロザミアがジェリドの顔を覗きこむ。ジェリドは笑った。

「ニュータイプの感じ方がわかってきたのさ。ありがとうな、少尉」

「はっ!」

 ロザミアは力強く敬礼し、歩き去っていく。

 息を吐いて、ジェリドはマウアーに向き直った。

「すまんな。で、さっきは何を……」

「なんでもないわ、ジェリド」

 彼女の切長の瞳はジェリドの目をしっかりと見つめ返している。わずかな声音の変化を不審に思って、ジェリドはもう一度訊いた。

「本当か?」

「ええ。本当になんでもないことよ」

 その目を弓なりにして、マウアーは微笑んだ。彼女は、弱音を吐きたくなかった。ジェリドは大きなことをしようとしている。ニュータイプとして不適格な自分は、果たしてジェリドの隣にいてもいいのだろうか。

 

 

 

「おい、坊主! おいってば!!」

 肩を揺られて、カツは目を覚ます。顔を覗き込んでいるのは、アウドムラの整備士だ。

 カツは慌てて立ち上がろうとしたが、体を起こすこともできない。振り返って、シートベルトに気づいた。

「あ、あの、僕」

「早く降りろ。寝るなら部屋で寝るんだな」

 慌ててシートベルトを外して、彼は思い出した。ここはネモのコクピットだ。帰艦しモビルスーツハンガーにネモを戻して、彼は寝入ってしまったのだった。

 初めてに近いモビルスーツ戦で、彼は死に物狂いで戦った。アウドムラを守るために、ギャプランの殺人的なGにも耐えた。

 その上、彼はクワトロが撃墜されて以来、ほとんど寝ていなかった。緊張の糸が切れて寝入ってしまったのも無理はない。

「すみませんでした」

 小さく頭を下げて、彼はコクピットを出る。整備士はにこりともしなかった。

 格納庫の床に降りて、カツはネモを見上げた。機体の関節部には、他のネモより沢山の整備士が群がっている。前面装甲も凹みやキズが目立つ。

 一刻も早く、カツは部屋で休みたかった。しかし、その前にやることがある。

 彼はリック・ディアスへ駆け寄った。ハンガーの足場の上で、男が整備に取り掛かっている。

「あの! ロベルト中尉!」

 ロベルトは手に持った図面から目を上げ、ハンガーの下のカツをじろりと見る。黙ったまま、ロベルトは手招きした。彼はもう連邦の制服に着替えている。

 カツも昇降機を使い、ロベルトのいる足場に向かった。ロベルトが向かい合っているのはリック・ディアスの指のパーツだった。

「中尉。中尉はなんで、僕のことを助けたんです?」

 ロベルトは顔を上げない。カツはじれったくて、声を大きくした。

「中尉が邪魔をしなけりゃあ、僕があのモビルアーマーを倒せていたんです!」

 平手打ちがカツの頬に飛んだ。尻餅をついたカツは、手すりを掴んですぐに立ち上がる。

「バカを言え。あのスピードで海に落ちてもモビルスーツが壊れるかはわからん」

「なにも叩かなくたって!」

 ロベルトの平手打ちがもう一発、カツの頬を叩いた。

「調子に乗るなよ。お前一人が死んでも何も解決せんのだからな」

 反論しようと口を開いたものの、カツはそのまま固まった。言い返せる隙はない。

「じゃあ、なんで僕を助けたんですか!」

「ネモの一機もパイロットも惜しいだけだ」

 ロベルトはリック・ディアスの整備に戻った。拳を握りしめて、カツは足元を見つめる。

「……でも、僕は……」

 カツの捨て身の行動は、半ば自殺と言ってもよかった。彼をその行為へ駆り立てたのは、やはり無断出撃の一件での罪悪感だ。いっそ死んでしまえば、誰も自分のことを責められない。

「ネモは整備士に任せてさっさと休め。ホンコンまでは追いつかれんだろうからな」

 ロベルトの口ぶりに、カツは苛立ちまじりに声を張り上げた。

「わかりましたよ!」

 昇降機が降り切るよりも早く格納庫の床へ飛び降り、カツは悪態を口の中でつく。

「僕がどんな気持ちで戦ったかなんて、あの人はわかってないんだ」

 足音を鳴らして去っていくカツの背を、ロベルトは横目で眺めていた。

 

 

 

 ウッダーは苦虫を噛み潰した顔でキャプテンシートに腰掛けていた。

 今日こそアウドムラを落とすと息巻いていたが、またしても取り逃してしまった。憤りと焦りが高まっていく。

 肘掛けに体重を預けて、深く息を吐く。ぼんやりと見た空は青い。

「アウドムラの進路は割り出せたか」

 ウッダーは厳しい調子でクルーに問う。

「はっ。やはりおそらくは太平洋を渡ってユーラシア大陸へ行くつもりかと」

「ユーラシアか……やはり狙いはニューギニア基地への攻撃か?」

 今回の戦闘で二機がかりで挑んだにもかかわらず、ジェリドはアムロに出し抜かれた。

 一方でロザミアは目覚ましい活躍を見せた。敵のモビルスーツ隊の連携を完全に断ち、アウドムラをあと一歩というところまで追い詰めた。

 頬杖をつくのを止め、ウッダーは体を起こす。

「よし、日本のムラサメ研究所に連絡を取れ」

「ムラサメ研究所、ですか?」

 ウッダーは唇を歪めた。

「ああ……強化人間を使うぞ」

 広い海原を、スードリの広い影が染めていた。

 



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ホンコン・シティ(前)







 

「やはり、ニューホンコンか」

 アムロは確かめるように言った。その声には幾分かの落胆が見え隠れしていた。

「ああ。カイが紹介してくれたルオ商会を利用させてもらおう」

 アムロの向かいで、ハヤトはコンテナに腰掛ける。表情には、確かな疲れが伺えた。

「たしかに、今の戦力ではニューギニアは叩けない」

「エゥーゴの存在をアピールするにも、補給は必要だ。そういうわけだから、ロベルト中尉を宇宙に上げるのは後回しになってしまうな」

 ハヤトは弱気になっているようだった。アウドムラの戦力は不足している。艦長としての重圧から逃れて弱音を吐けるのは、アムロが相手の時だけだった。

「宇宙に上げなきゃならんのはカツも同じだ」

 アムロの言葉に、ハヤトは顔を上げた。

「カツか……」

 前回の出撃では、カツは敵のモビルアーマーの動きを止める活躍を見せた。モビルスーツ隊が撃墜されていく中でアウドムラのダメージを抑えられたのは間違いなくカツのおかげだ。

「どうだ、よくやってくれてるのか」

「わからんさ。ただ、パイロットとしての筋はいい」

 まともに戦ったのは一戦だけだったが、アムロの目から見ても悪くはなかった。

「なあ、アムロ。カツはあんなことをしたから、俺は艦長として、あまりあいつの親父ができん」

 ハヤトは知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。張り詰め続けた心中を、彼は吐露する。

「カツのこと、気にしてやってくれ」

「ああ」

 アムロは力強く頷いた。

 

 

 

「どういうことだ! ウッダー!!」

 ジェリドは机に拳を叩きつけて怒鳴った。ウッダーは椅子に深く腰掛けたまま、冷たくそれを睨んでいる。

「また強化人間を使うつもりか!」

「ロザミア少尉は貴様よりよほど戦果を上げている!」

「命令違反だってした!!」

「あの時は帰ってきただろう!」

 二人は激しく怒鳴りつけ合う。その背後から、女の笑い声が水を差した。

 嘲笑か。ジェリドとウッダーは二人でその声の主を睨んだ。

 口元に手を当て、二十歳前ほどの少女が肩を震わせている。その隣の眼鏡の女は彼女を止めようと焦っていたが、ジェリド達の視線に気づいて小さく敬礼をする。

「ナミカー・コーネルです。ムラサメ研の主任インストラクター。それで……」

「ふふっ、ふふふふふっ!」

 少女はまだ笑い続けている。毒気を抜かれて、ジェリドが呆れたように口を開いた。

「あんたが、ムラサメ研究所の強化人間か」

 強化人間という言葉に、少女は眉をひそめた。

「そういう言い方は嫌いだ」

「フォウ!」

 コーネルが咎めだてた。納得がいかない様子だったが、少女は渋々敬礼をする。

「フォウ・ムラサメ少尉」

「ああ、わかった。……女なのだな」

 ウッダーは少し意外そうに言った。強化人間は女ばかりなのか、という疑念が彼の中にあった。

「大尉にお願いがあります」

「なんだ」

 フォウはためらう様子もなく続ける。

「モビルスーツの出撃後は、私の自由にやらせていただきたいのです」

「なんだと!?」

 声を荒げたのはジェリドだ。ウッダーも怪訝そうにフォウを見る。

「私、人の指図では動けないのです」

「そんな言い訳が通るか!」

 ジェリドが机を叩いた。フォウを睨みつけ、続ける。

「貴様だって軍人ならば、上の命令には従えんのか!」

「なら、私は日本へ帰らせてもらう」

 ぷいと顔を背けてフォウは言った。慌てるコーネルを、ウッダーが制する。

「いいだろう」

 ジェリドが振り向いた。ウッダーにつかみかからんばかりの形相だ。

「どういうつもりだ!」

「あれだけのモビルスーツを動かせるならば、それなりに自由にやらせてやらねばなるまい」

 まるで悪びれた様子のないウッダーに、ジェリドはさらに噛みつく。

「手綱を握るつもりもないのか!」

「柔軟性がなければ!」

「強化人間でも軍人だろう!」

「貴様ではアムロ・レイに勝てまい!」

 事実ではあった。ジェリドは歯を食いしばる。二人の睨み合いが続いた。

 先に目を伏せたのは、ウッダーだった。

「隊長の仇討ちは、俺たちにしかできんのだ」

 彼はぼそりと、そう呟いた。ジェリドは小さくうなり、そのまま黙り込んでしまった。

「行きますよ、フォウ」

 コーネルが、こっそりとフォウの手を引いた。これ以上この場にいても、先程の決定をひっくり返されるかもしれない。フォウは小さく頷いて、彼女に従った。

 ブリッジから通路に出ると、ロザミアがフォウに視線を送っていた。フォウが睨み返すと、ロザミアは笑った。

「あんたが、あの大きなガンダムのパイロットか?」

「そうだ」

 コーネルが不安そうにフォウの腕を握る。フォウの表情からは険しさが取れていった。

「私はロザミア・バダム少尉だ。あんたは?」

 フォウは視線を床に落とした。

「フォウ・ムラサメ。好きな名前じゃないけどね」

「四番目だから、フォウ・ムラサメかい?」

「黙れ!!」

 突然フォウが叫んだ。ロザミアには侮辱する意図はなかったが、相手の気に障った部分はわかった。

 ロザミアはコーネルをじろりと見た。彼女は怯えて、フォウの後ろへ身を隠そうとする。ため息をついて、ロザミアは言った。

「私も強化人間さ。ムラサメ研なんてやめてオーガスタへおいで。いいやつも多い」

 合点が行って、フォウは小さく声を漏らした。強化人間の感じ。ニュータイプではなく、自分と同じ境遇。

 しかし、フォウは首を振った。ロザミアが首を傾げる。

「どうしたんだい?」

 フォウは沈んだ様子で、唇を噛んだ。

「私は記憶が欲しいの。あの研究所にいれば、記憶を返してもらえる」

「記憶……」

 ロザミアの声が険しくなる。それは研究所の非人道的な記憶操作への憤慨だった。

「私は、自分の本当の名前だって思い出せない。知りたいんだ、昔の自分のこと」

 伸ばされた手が、コーネルの胸ぐらを掴んだ。フォウの背後から引きずり出され、彼女は慌てる。

 鈍い音がして、コーネルは床に倒れ込んだ。一瞬遅れて、眼鏡が床に落ちる。鼻血まみれの顔の彼女の胸ぐらを、もう一度ロザミアが掴む。

「や……やめ……」

「記憶を操作だと? 反吐が出る! ムラサメ研のウジ虫が!」

 ロザミアは拳を振り上げた。

「そのくらいにしておけ、ロザミア少尉」

 三人の女の視線が一点に集まる。通路の端から声をかけたのはジェリドだった。

「さっきは見苦しいところを見せちまったな、フォウ少尉。俺はジェリド・メサ。中尉だ」

 ロザミアが言い返した。

「中尉は下がっていてください」

「いや、譲らんぜ。管轄が違うところ同士で揉めると面倒だ。上官の指示に従ってもらう」

 ナミカー・コーネルはムラサメ研究所、ロザミアはオーガスタ研究所だ。ジェリドはフォウの横を通ってロザミアとコーネルの間に割り込む。

 ちらりと横目で見やったが、コーネルの鼻は折れているようだった。女の細腕の破壊力ではない。ジェリドは強化人間に背筋が凍るものを感じた。

「すまん、ここは俺の顔を立ててくれるか」

「……フォウはどうなの?」

 ロザミアはまだコーネルの胸ぐらを掴んでいる。フォウは困惑した様子だ。

「やめて。私もそいつは嫌いだけど、記憶を戻せるのもそいつだけだ」

 フォウは細い眉を寄せて、そう言った。彼女の決断に、ロザミアはコーネルを軽く小突いて手を離した。コーネルはそのまま尻もちをつく。

「フォウ。スードリを案内してあげるよ」

「ふふっ、よろしく、ロザミア」

 ジェリドは二人の背中を見送るのもそこそこに、コーネルの眼鏡を拾ってやった。レンズが割れている。

 床から起き上がれないままのコーネルに、それを手渡す。

「ほら、あんたのメガネだ、コーネルさんよ」

「は、はいっ、ありがとうございます……」

 慌てて眼鏡をかけ、コーネルは頭を下げた。レンズはひび割れだらけだ。ジェリドは彼女に手を貸してやる。その手を取って、彼女は愛想笑いを浮かべて立ち上がった。

「さっきフォウ少尉が言っていたことは本当か」

 コーネルの表情が凍りついた。ジェリドの視線は厳しい。

「きっ、聞いていたんですか?」

「途中からな。記憶を奪うのがムラサメ研のやり口か」

 その叱責に、コーネルは眼鏡の位置を直す。

「私達はニュータイプを作り出すために必要なことをしているだけです」

「必要だと? オーガスタ研じゃあやってないと言っていたが」

「あれはロザミア少尉が気づいていないだけで、オーガスタだって同じことをやっている! ニュータイプを作り出す過程で記憶が……」

 取り乱してはいても、コーネルはふてぶてしい。鼻を折られた鼻声で、彼女はべらべらと並べ立てた。ジェリドはうんざりして、彼女の手を離す。

「医務室は、あのエレベーターで格納庫のフロアに降りればすぐだ」

「え……」

「俺はあんたが許せんが、殴るわけにもいかんのだ」

 じろりと睨むと、コーネルは身を縮めてエレベーターへ消えていった。

「何を考えているんだ、連邦は……!」

 壁に拳を打ち付け、ジェリドは憎々しげに呟いた。

 

 

 

 ホンコンの街並みは、カツの目にも新しい。彼はアウドムラの窓に釘付けになった。

 今、アウドムラはホンコン・シティの港に泊まっている。水上機としても機能するアウドムラは、さすがはガルダ級と言うべきか。目立ちはするが、とにかく補給を済ませなければならない。

「カツ。いるか?」

「あっ、アムロさん」

 アムロに呼ばれて、カツは振り向いた。自室から呼び出され、カツはドアを開ける。

「ホンコンは初めてか?」

「はい。すごい街ですね」

 カツは目を輝かせた。わずか十五年に満たない彼の人生では、新鮮に感じるのも当然だ。

「俺はこれから、ルオ商会に会ってくる」

「僕も行きます」

 一も二もなくカツは食いついた。

「遊びに行くんじゃないぞ」

 釘を刺され、カツも頭に血を上らせて言い返す。

「わかってますよ。いざとなったら、僕だって戦えます」

「わかってないんだよ」

 ため息まじりのアムロの発言は、尚のことカツを苛立たせた。

「いいでしょ、ついて行ったって」

「ああ。勝手なことはするなよ」

 アムロはフライトジャケットを脱いだ。普段着と変わらない。

「ルオ商会って、どんなところなんですか?」

「さあな。だが、ホンコンの裏社会を牛耳っているらしい」

 カツが唾を飲み込んだ。

「大丈夫だ。ルオ商会はアナハイムと仲がいいから、そうそう派手なことは起きないさ」

 アムロが笑いかけたが、カツはまだどこか怯えているようにも見えた。息を吐いて、アムロは脱いだばかりのフライトジャケットを持ち上げた。彼はそのふところから、一丁の拳銃を取り出す。

「受け取れ、カツ」

「これは?」

 それなりに年季が入っているようにも見える。カツがアムロを見上げた。連邦軍の官給品と同じ型だ。

「一年戦争の時、俺が持っていた拳銃だ。シャアとも撃ち合った」

「え!?」

 カツは凍りついた。彼も薄々は勘づいている。シャア・アズナブルとは、すなわちクワトロ・バジーナ。自分の独断行動の結果、死なせてしまった男だ。

 アムロは強引に、カツの手に拳銃を押し付けた。カツも手を振って拒む。

「もっ、貰えませんよ、そんなもの!」

「受け取れ!」

 一喝されて、カツは黙り込んだ。二人は沈黙する。アウドムラの小さな喧騒と、波の音だけが彼らを包んだ。

「銃の撃ち方はわかるな?」

「い、一応は。でも……」

 カツが口籠る間に、アムロは歩き出してしまった。カツは慌ててその拳銃をリュックサックに入れ、その後を追う。

「いいんですか、アムロさん!」

「ルオ商会では迂闊に見せるなよ。無駄に警戒されたくはない」

 リュックサックがずしりと重くなった気がした。

 

 

 

 ボートがホンコン・シティの港に着いた。見張りを残し、その集団は立ち上がった。

「よし、手筈通り行くぞ」

 ジェリドが小さく言った。ホンコン・シティへの偵察だ。アウドムラがあるだろうことは分かっているが、その正確な位置は掴めない。ジェリドの発案で、クルーの何名かで、手分けしてカラバの動きを掴む。

 ボートから降り、ジェリドは軽く伸びをする。続いて降りようとした女に、彼は手を貸した。

「行くぞ、マウアー」

「ええ」

 マウアーがうなずく。車の手配もできていた。波止場に並んだ車に、彼らは乗り込んでいく。

「すまんな、カクリコンの代わりをやってもらって」

 ジェリドは運転席に座って、ハンドルを確かめた。エンジンキーを入れると、車が低く唸り始めた。

「気にしないで。……カクリコン中尉の電話の相手って、やっぱり?」

「ああ、婚約者だよ。アメリアとかって」

 マウアーが助手席に座ったのを確かめて、ジェリドはギアを入れた。

「こうして大都市の近くに来た時くらいしか電話なんてできんからな」

 任務の連続のために、カクリコンは婚約者への連絡を入れる機会を失っていた。

 アーガマ追跡が決まった時にも連絡を入れられず、ジャブローへの降下でようやく会えたかに思えたが、ジャブローの自爆とアウドムラの追撃でついにその機会はなかった。

「ヤツの長電話などのために、君を駆り出すつもりはなかったんだが」

「女連れの方がエゥーゴも油断するのではなくて?」

 マウアーはいたずらっぽく笑った。切長の瞳がジェリドを見つめる。

 潜入のために、当然彼らは軍服を着ていない。ホンコンの高い気温に合わせて、マウアーの服装は露出が多いものだった。ゆったりとしたカットソーの広い首元から、鎖骨が覗いている。

 マウアーは地図をハンドバッグから取り出す。

「どこから行く?」

「港を当たるつもりはない。ルオ商会へ行くぞ」

「ルオ商会へ?」

 ジェリドは頷いた。車は港に並んだ倉庫の間を抜け、すっかり市街地に入っていた。

「ああ。ホンコンで補給を受けるなら、政府かルオ商会の協力がいる。となれば、ルオ商会だろう」

「もうすでにパイプができていて、補給が進んでいる可能性は?」

 高層ビルの足元で、勝手気ままに看板が顔を出している。雑然としてはいるが、美しかった。

「どうかな。ルオ商会としても、カラバがニューホンコンへやってくるのは想定外だったはずだし、アウドムラは大規模な補給が必要だ」

 これまでの戦闘で戦力を大きく削っていることが、ジェリドの推理を補強していた。

「そのためにルオ商会へカラバの一員をよこすはず、というわけね」

「そんな訳だ」

 助手席のマウアーは、ジェリドよりも歩道に近い。通行人の中に腕を絡ませたカップルを見つけて、マウアーは視線を地図へ戻した。

「次の信号を左。……もし、カラバとルオ商会の繋がりを証明できれば、ティターンズも大手を振ってルオ商会を摘発できる」

「ああ。ルオ商会の力は絶大だからな。ジャミトフ総帥もなかなか手が出せんそうだ」

 それは、迂闊に手を出せばこちらも火だるまになるということだ。ハンドルを握る手にも、力が籠った。

 

 

 

「ここが、ルオ商会なんですか?」

 カツが怪訝そうに聞いた。ルオ商会の一階は、人でごった返していた。

「そのはずだが……」

 受付窓口には長蛇の列。待合の椅子も満席のようだ。窓口に詰めかけた客は、次々に文句を垂れている。

「いい加減にしてくれよ、いつになったらチケットが取れるんだ」

「こら、割り込むんじゃない!」

「シャトルに空きがあるんだろ、本当は!」

 このホンコン・シティを裏で牛耳る集団としてカツが想像していたものよりは、幾分か平和で、幾分か不恰好だった。

 落胆にも似た感情を抱えたカツを尻目に、アムロの目は一点に釘付けになった。ショートヘアの、待合席に座った女性だ。二人の小さな子供を世話しながら、彼女は時折窓口を見やっている。

 アムロは一歩ずつ、その女性に近づいていく。

「ミライさん?」

「えっ?」

 女性が振り向く。彼女の顔がぱっと明るくなった。

「ミライさんだ!」

「アムロ! アムロなの!?」

 思いがけない再会に、彼女は喜んだ。ミライという名を聞きつけて、カツも驚いている。

 アムロは微笑んだ。

「アムロ・レイです。こっちが、あのカツですよ」

「カツ……。ええ、覚えてるわ。大きくなったわね、カツ」

「お久しぶりです、ミライさん!!」

 ホワイトベースでの日々が思い出される。ミライは一年戦争の時と同じように、優しい視線を二人に向けていた。

「確か、カツ達はハヤトとフラウの養子になって……」

 そこまで言って、ミライは口元を手で覆った。ハヤトがカラバを率いているということは、彼女も知っている情報だった。ほとんど囁くような声で、ミライは言った。

「エゥーゴ?」

「ええ」

 アムロは首を縦に振った。横目でカツを見る。

「カツ、子供達を……ええと」

「ハサウェイとチェーミンよ。ごめんね、カツ。ちょっと見ていてあげて」

 ミライはそう言って、子供達に二、三言い含めると席を立った。

「子供達には聞かせたくない。頼むぞ、カツ」

 不服そうだったが、カツはミライが座っていた席に座った。

「よし、お兄ちゃんと話そうか」

 ハサウェイとチェーミンをカツが相手している間に、アムロはミライと部屋の隅へ向かった。

「宇宙に上がるんですか、ミライさん」

 ここで取引されているのは、非合法の、いわゆる裏の宇宙行きチケットだ。

「ええ。あの子達は宇宙で育てたいの。ブライトも拘留されてるというし」

 後半は、アムロにとっても初耳だった。アムロの声が鋭くなる。

「……本当ですか?」

「ええ。グリーンオアシスで、ティターンズに捕まっていた人たちを連れて脱走したって」

 アムロは低く唸った。

「そうか……ブライトが」

 沈痛な表情の彼に、ミライは笑いかけた。

「いいのよ、アムロ。蓄えはあるし、宇宙に上がってしまえばそうそう手は出されないわ」

 ミライは母親だった。ホワイトベースの操舵手として活躍していたあの頃以上に、彼女は強くなっていた。

「もう七年よ。人は変わっていくものだから」

 少し憂いのある目で、彼女は二人の我が子を見た。その二人は、ブライトの忘れ形見になってしまうかもしれなかった。

 アムロは、彼女が心配だった。

「ミライさんは、今どちらに」

「コーラル・オリエンタル号。港の大きな船よ」

「そうですか……。書くもの、ありますか?」

 アムロの突然の申し出に、ミライは驚いていた。

「え? ええ……」

 彼女がカバンからメモ帳を差し出すと、アムロはポケットのボールペンで、そこに何事か殴り書いた。

「僕たちの艦です。何かあったら、ここへ」

 アムロはメモ帳を返して、その文面をボールペンの先で軽くなぞる。ミライはそのメモ帳を受け取る間際、アムロの手を握った。

「ありがとう、アムロ……。私もね、ブライトが捕まったと聞いた時は、どうかなってしまいそうだったわ」

 彼女の目は、わずかだが潤んでいる。アムロは、その手を払うことができない。数秒そうしていて、ミライは笑って手を放した。

 彼女はもう、すっかり母親の顔に戻っていた。

「ありがとう、アムロ。ここには、あなたは何のために?」

「そうだった。行ってくるよ、ミライさん」

 アムロは軽く笑って歩き出した。肩越しに小さく手を振り、窓口へ割り込む。

「おっ、おい!」

 並んでいた客の抗議にも耳を貸さず、アムロは口を開く。

「ルオ・ウーミンさんにお会いしたいのだが」

 窓口の女は、ぎょっとしたような顔でアムロを見返し、背後に目をやる。

「ん? どうした」

 窓口からは答えが返ってこない。不思議に思ったアムロに、カツの悲鳴まじりの声が届く。

「アムロさん、危ない!!」

 背後から肩を掴まれ、アムロはそのまま顔を殴り飛ばされた。待合席まで殴り飛ばされ、アムロは倒れ込む。

 フロアは怯えた叫び声で満たされた。客のほとんどが逃げ出している。

 下手人は屈強な黒服の男だった。ルオ商会のものだろうか。アムロが、待合席の間から立ち上がった。カツの声のおかげで、ガードが間に合ったのだ。

「カツ!! みんなを連れて逃げろ!」

 アムロはそう叫び、黒服へ飛びかかる。ミライがカツの手を引いた。カツは歯噛みしながら、ハサウェイとチェーミンを抱き上げて走り出す。

 黒服を一人叩きのめしたアムロだったが、増援の黒服に胸ぐらを掴まれてしまった。

「ううっ!」

 無理やり上体を起こされ、おもいきり殴りつけられる。床へ転がされたアムロへ、黒服の踏み付けが迫った。

「おおおっ!!」

 人影が飛び込んだ。人影は待合席の背を踏み台にした飛び蹴りをその黒服の後頭部へ叩き込む。さらに床に手をついて蹲った黒服の鼻めがけて返す刀の膝蹴りを入れると、黒服はぐったりと倒れこんだ。

「立てるか!」

 人影はアムロに声を掛ける。鼻血を押さえながら立ち上がったアムロを見て、その男は微笑む。人影の正体は、ジェリドだった。

 三人目の黒服が襲いかかる。ジェリドはすぐさまその男にレスリングのように組み合うと、相手のバランスを崩して床へ転がす。

 一歩踏み込んだアムロと同時に、ジェリドはその男の頭を挟み込むように蹴飛ばした。両側頭部に激しい衝撃を受け、黒服は昏倒する。

「逃げるぞ!!」

「ああ!」

 ジェリドはアムロの手を引いて駆け出した。

 

 

 

 ホンコン・シティは入り組んでいた。アムロとジェリドにとって見ず知らずの街ではあったが、通行人に紛れればそう簡単には見つからなかった。

 一歩裏路地に踏み込んだだけで、表通りの喧騒は消えてしまう。細い路地に入ると、アムロが息を切らして膝に手をついた。

「大丈夫か?」

「ああ、もう、大丈夫、だろう……」

 ジェリドの言葉に、アムロはわずかに背後を気にしながら答えた。やはり軍人であるだけ、ジェリドは鍛えられていた。

「何者なんだ、お前は」

 アムロが聞いた。ジェリドは、息も絶え絶えなアムロの背後、表通りの方へ顔を出した。追手は撒けたようだ。

「おい、答えないか」

 表通りの明るい日差しを背に、ジェリドは挑発的に笑った。

「あんたがカラバのアムロ・レイだからさ」

 ジェリドの手に握られていたのは、拳銃だった。その銃口は、言うまでもなくアムロに向いていた。

「貴様っ!」

「ルオ商会の様子を見にきたつもりだったが、想像以上の大物がかかってくれた!」

 アムロは両手を上げた。睨み合いは続く。

「なぜ俺を助けた!」

「ルオ商会の狙いはわからんが、お前さんを連れて帰ればカラバとルオ商会の繋がりも暴けるからな」

 暗い路地裏は、どこかかび臭い。街の喧騒が聞こえる中で、アムロはからからになった口を開いた。

「その声、シャアを落としたMk-Ⅱのパイロットか」

 ジェリドの片眉が上がった。声だけでわかるとは思えない。やはり、これがニュータイプというものなのか。

「……ああ。ティターンズのジェリド・メサ中尉だ」

 薄く笑い、ジェリドは答えた。

「そうか……シャアとは宇宙からずっと戦っていたらしいな」

「だったらどうだってんだ? 背中を向けろ」

 マウアーが来るまでの辛抱だ。ジェリドは心の中で呟いた。

「動くなあっ!!」

 背後から貫くような大声。ジェリドが肩越しに振り返ると、拳銃を構えている十五歳前後の少年が見えた。

 彼の声で、通行人たちも振り返る。そして構えた拳銃を見て、悲鳴を上げて逃げ出していく。

 アムロが叫んだ。

「カツ!?」

 拳銃を握りしめた少年は、カツだった。額に浮かんだ汗は、走ってアムロを探したためだけではないだろう。

 ジェリドは笑い飛ばした。

「おい坊や、俺が撃てるのか?」

「撃てるさ!」

「ただでさえ跳弾しやすいんだぜ、その拳銃は。構え方もなってないようなお前さんじゃあ、俺は撃ててもアムロがただじゃ済まん」

 これはジェリドの虚勢だった。アムロがただでは済まないと聞けば、カツの指も強ばる。遠巻きに取り囲んだ野次馬たちの潜めた声は、カツの耳には入ってこない。

 カツは拳銃を構え直して、じりじりと近づいていく。自分の鼓動と息遣いが、やけに大きく感じた。ジェリドの背中が遠く見える。モビルスーツでの戦いは経験済みでも、生身の相手を撃つことには抵抗があった。

「じゅっ、銃を捨てろ! 撃つぞ!!」

 銃を手放さないジェリドに業を煮やして、カツはまた叫んだ。ジェリドは逡巡し、そして銃を捨てた。

「俺の負けだな、坊や」

 ジェリドはうつむき加減に笑った。諦めも自嘲も、アムロはその笑みからは感じなかった。

 カツは大きく安堵の息を吐いた。それと同時に、彼の視界の中央のジェリドが動く。

 わずかに力を抜かせてしまったカツの両手は、重力に従って下がっていた。振り向き様の右後ろ回し蹴りが、その拳銃を弾き飛ばす。

「ああっ!?」

 回転の勢いに乗せて、ジェリドは左手をカツの頭に向けて振るう。それは、先程地面へ落とした拳銃だった。後ろ回し蹴りの際に上体を深く沈め、流れるように拳銃を拾っていたのだ。

 多少加減されていたとはいえ、グリップの底をこめかみに打ち付けられたカツは頭を押さえて倒れ込む。

 アムロの目が鋭く光る。蹴り飛ばされたカツの拳銃は路地裏の壁にぶつかって跳ね返ってアスファルトを滑っている。素早く飛びついたアムロが、その拳銃に手を伸ばす。

 銃声が鳴った。アムロは手を伸ばしかけた格好のまま、動きを止める。ジェリドの拳銃の銃口が、アムロを狙っていた。

「カラバはよほど人材不足らしいな。こんな坊主がお前の護衛とは」

 ジェリドの足がカツを小突く。カツは動けず、拳銃も拾えていない。アムロはジェリドを睨みつけた。

「カツを侮辱するな!」

「ガキを戦場に出すのがカラバのやり方か!!」

 判断力のない子供を戦争に駆り出すなど、ジェリドは気に入らなかった。フォウ・ムラサメの事情を聞いたばかりのジェリドは、なおのこと苛立っていた。

 カツが小さくうめいた。それを一瞥して、ジェリドは告げる。

「じき俺の連れの車が来る。そうすりゃあスードリに……」

 悲鳴が聞こえた。その悲鳴は、彼らが拳銃を持ち出した時の比ではない。大勢の人間の悲鳴だ。ジェリドは思わず、大通りの方を見る。

「バカな!」

 彼の目が驚愕に見開かれた。

 ホンコン・シティの高層ビルのその上から、それは降下する。巨大なその四角い物体は、黒く塗装され、金属の光沢で日光を反射している。翼ともシールドともつかない両脇に迫り出した板。機体の前面の砲門は、威圧的に街を見下ろす。ゆうに三十メートルはあるその異形の機体は、機動兵器の中でも、特にモビルフォートレスと呼ばれるものだった。

「サイコガンダムだと……!?」

 呆然としたジェリドに、カツは食らいついた。ふらつく体を立ち上がらせ、ジェリドにしがみつく。

「しまった! こいつ……!」

「アムロさん! 撃ってください!!」

 野次馬たちはすでに逃げ出していた。サイコガンダムの突然の襲来に、彼らは怯え切っている。

 アムロは拳銃を拾って、構える。野次馬はいなくなったが、カツがしがみついたままでは撃つことはできない。

「伏せろ、カツ!!」

 アムロは声の限りに叫んだ。カツは指示に従い、ジェリドを放して地面に伏せる。アムロの銃口はジェリドに向いていた。

「こっちだ、ジェリド!!」

 ジェリドはその声の方へ飛び込んだ。開いたままの車の窓へ彼がその身を躍らせると、再びアクセルが踏み込まれる。

 ジェリドは肩で息をしながら座り直した。リアウインドウには、小さくなっていくアムロたちが見える。彼は銃を構えていたが、ある程度離れるとカツに肩を貸していた。

 バックミラー越しに、マウアーの瞳がジェリドを見つめている。

「悪かったわね、遅くなって」

「いや、いい。それよりあれは……!」

 ジェリドはまた振り返った。モビルフォートレスの肩越しに、もう一機、高速で旋回する機体が見えた。ギャプランだ。マウアーも苦い顔で答える。

「……フォウ・ムラサメとロザミア少尉でしょうね」

 モビルスーツ形態に変形したギャプランは、ビルの屋上に着地する。道路に着地したサイコガンダムもまた、その姿を変えていく。折り畳まれていた両足は伸びて、地面を強く踏みしめる。立ち上がった両肩から頭がせり出し、機体を挟んでいたシールドは一枚に合体し、大きな盾になる。

「ウッダーめ……! 街でサイコガンダムを使うなど!」

 ブレードアンテナと、デュアルアイ。四十メートルを越すそのモビルスーツは、咆哮を上げるように胸の拡散メガ粒子砲を発射した。

 

 



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ホンコン・シティ(後)

 

 逃げ惑う民衆に混じって、アムロは走った。アスファルトを砕いて歩くサイコガンダムの巨体が、彼らを追い立てる。肩を貸されていたカツが、その腕を振り払った。

「カツ!?」

「自分で走れます!」

「よし!」

 アムロはペースを上げた。カツも歯を食いしばってついていく。二人の上を、大きな影が滑っていった。

「これは……」

「味方だ」

 慌てたカツをアムロが落ち着かせる。その影は、彼らの進行方向から来たものだ。

 振り返ると、ド・ダイ改の上に赤い背中が見えた。

「ロベルト中尉!」

 空気抵抗が機体を押し付ける。眼下の景色はあっという間に港の倉庫街からホンコンの高層ビルへと移り変わっていく。

「こんな街中で……ティターンズめ!」

 赤く塗られたリック・ディアスのコクピットで、ロベルトは忌々しげにつぶやいた。

「見えた!」

 高層ビルと遜色ないそれは、ロベルトがこれまで見たことのあるモビルスーツのどれよりも大きかった。

「こいつはまるで……おっと!」

 ギャプランの狙撃をバレルロールでかわし、ロベルトは舌打ちをする。ビルの上に佇むギャプランの中で、ロザミアが唇を歪める。

「ええい、これでは近づけん……!」

 ホンコンの街を傷つけさせるわけにはいかない。ギャプランの射撃をかいくぐって、ロベルトはサイコガンダムを射程内に捉える。

「来たな、エゥーゴ!」

 フォウは引き金を引く。拡散メガ粒子砲が空を染めた。

「うおおおおお!?」

 ド・ダイ改にメガ粒子砲が掠めたようだ。ロベルトは冷や汗を垂らし、被弾箇所に振り向く。溶けた一部の装甲が、その威力を物語っている。

 リック・ディアスが真上にいる限り、サイコガンダムのメガ粒子砲も空に向けて発射される。つまり、街の被害を抑えられるというわけだ。

「しかしこれじゃ……」

 一息つく間もなく、今度はサイコガンダムの指からのビームが襲い来る。フォウは高笑いを上げた。

「あっはっはっは! 逃げてばかりか、エゥーゴ!」

「逃がさないよ!」

 ギャプランが変形し、その大推力でリック・ディアスを追う。クレイバズーカの弾丸をすり抜け、次々にビームを発射する。

「く……こいつは持たんぞ、アポリー!」

 今は亡き相棒の名を呼び、ロベルトは天を仰いだ。

 

 

 

 急ブレーキをかけて車が止まる。ドアを開けて、ジェリドとマウアーが飛び出してきた。目的地だった波止場には、彼らの同僚のティターンズの兵士たちが集まっている。

「ジェリド中尉! 我々は……」

「点呼を取れ!」

「中尉とマウアー少尉が最後であります!」

 部下たちの素早い行動に、ジェリドは安堵した。

 フォウとロザミアの出撃は、彼らにとって想定外だった。偵察隊も、このような非常時にはボートに戻ってスードリへ帰艦するように取り決めてあった。

 街の方でまた破壊音がなった。ジェリドは振り返って、表情を歪ませる。逃げ惑う人々の悲鳴も、遠く聞こえる。サイコガンダムとギャプランに対して、彼は無力だった。

「く……行くぞ、お前たち」

 手はない。ジェリドは奥歯を噛み締め、指示を出す。彼らがボートへ乗り込むその時、空に一つの機影が見えた。

「あれは!?」

 騒ぐ部下たち。ジェリドはその機体へ目を凝らした。

「……カクリコンか!」

 ベースジャバーの上には、二機のモビルスーツ。黒い機体にブレードアンテナ。ガンダムMk-Ⅱの二番機と三番機だ。二番機はビームライフル、三番機はハイパーバズーカを装備している。

 ベースジャバーがホバーで海の上に浮かんで動きを止めると、Mk-Ⅱのコクピットが開いた。カクリコンが身を乗り出して声を張り上げる。

「ジェリド! 早く乗れ!」

「いいのか?」

「連中の支援だとさ」

 カクリコンは苦々しげに吐き捨てた。伸ばしたMk-Ⅱの手に、ジェリドは飛び乗る。彼の脳裏に、一つのひらめきがよぎった。それは一歩間違えば、反逆と取られかねない行為だ。

 だが、動き出したMk-Ⅱの手の上から彼は叫んだ。

「カクリコン! 支援と言ったな!」

 ジェリドの目は鋭い。視線を受けて、カクリコンは操縦桿を握り直した。

「やるのか、ジェリド」

「ああ。あいつらを止める!」

 コクピットへジェリドは体を押し込む。マウアーが心配そうに声をかけた。

「ジェリド!」

「大丈夫だ。こんなところで死にはしない」

 ジェリドは、笑ってみせた。コクピットハッチが閉まる。二機のMk-Ⅱを載せたベースジャバーが低い音を立てて上昇し、空へ向けて加速する。狙いはサイコガンダムとギャプランだ。

 風圧がマウアー達を襲った。髪が風になびく。空高く飛び上がり街を目指したジェリド達を、マウアーは見つめていた。

 

 

 

 広がった光が、天に向かって放たれる。空を飛ぶことで多少なりとも被害は抑えられているが、倒壊しかけたビルを見てロベルトは歯軋りした。

 拡散メガ粒子砲は距離さえとってしまえばあまり怖くない。恐ろしいのは、指先から放たれるビームだった。遠くまで届く上、サイコガンダムからは大きな機体ゆえの鈍重さが感じられなかった。

 サイコミュによる制御は、時として操縦桿より早く機体を動かす。ベテランであるロベルトも、落とされないだけで精一杯だった。

 指からのビーム砲をかわした直後のリック・ディアスをギャプランが追い抜いた。高速で空を飛び回るギャプランにフォウが攻撃を一切当てていないのは、やはり彼女たちが強化人間であるからだ。

「しまった!」

 変形と同時に向きを変えたギャプランは、リック・ディアスの真正面からビーム砲を撃つ。リック・ディアスの左肩が吹き飛んだ。

 右へバランスを崩したロベルトは、視界の隅にサイコガンダムを捉えた。胸の拡散メガ粒子砲は、リック・ディアスに向いていた。

「そこまでだ! フォウ少尉!」

 飛来する一機のベースジャバー。その上の、二機のガンダムMk-Ⅱからの通信だった。フォウの指が止まる。

「ジェリド中尉か!」

「この作戦の目的はホンコン市へ圧力をかけカラバとの連携を断たせること! その目標は達成されたと判断する!」

 ベースジャバーはサイコガンダムの上を旋回している。うざったそうに、フォウは腕を振らせた。

「フォウ少尉! それ以上の行動は上官への反逆と判断するぞ!」

「私はウッダーから許可をもらった!」

 ジェリドは鼻を鳴らした。ウッダーめ。あんな約束などしなければいいものを。ジェリドが促すと、カクリコンはベースジャバーを操作してサイコガンダムに進路を取る。

「あの子は記憶を取り戻そうとしている!!」

 サイコガンダムへ機首を向けたベースジャバーの前に、ギャプランが割り込んだ。モビルスーツ形態に変形し、そのビーム砲を構える。

「邪魔をする気か!」

「強化人間でもないものに、フォウの苦しみがわかってたまるものか!」

 ロザミアは譲らない。だがその横合いから、リック・ディアスのクレイバズーカが飛び込んだ。それはギャプランの体を打ち、体勢を大きく崩す。

 その隙を突き、ベースジャバーはまた加速する。

「やめろと言っているんだ、フォウ!!」

 ジェリドが叫んだ。

「う……ううう……あああああっ!!」

 フォウは頭を抱え、シートの上でのたうつ。耐えがたい頭痛。それは、サイコガンダムに搭載されたサイコミュが、彼女の感覚を鋭敏にしているからだ。

 フォウはモニターの中央に映る、二機のMk-Ⅱを睨んだ。

「嫌いだ……お前なんか、嫌いだ!」

「カクリコン! 避けろおおっ!!」

 第六感に任せてジェリドが叫んだ次の瞬間、拡散メガ粒子砲が発射された。広範囲へ満遍なく降った光の雨は、触れれば破壊される死の光だ。

 ロザミアとロベルトもその発砲に驚き振り返る。ビル群は穴だらけになり、もっともサイコガンダムに近かった高層ビルがとうとう崩れ落ちた。

「奴め……味方だぞ、俺たちは!」

 ジェリドの声に従って即座にベースジャバーを加速させたカクリコンは、サイコガンダムの背後からその惨状を見た。ジェリドは、ベースジャバーからMk-Ⅱを飛び降りさせる。

「こうなれば手荒なことをさせてもらう!」

 コクピットである頭部に取り付きハッチをこじ開けることが狙いだった。

「邪魔だ!!」

 サイコガンダムが振り向き様、左腕を振るう。弾き飛ばされたMk-Ⅱに、頭部から発射されるビームが迫った。

「ジェリド! 無茶するんじゃない!」

 あわやというところで、ジェリドのMk-Ⅱはカクリコンのベースジャバーに拾われる。もう少し遅ければ、ジェリドの命は無かった。

 リック・ディアスのド・ダイ改が突然火を吹いた。掠めたメガ粒子砲のダメージか、それとも高速での旋回が祟ったか。スピードを落としたド・ダイ改にギャプランのビームが直撃した。

「くっ、くそおおおっ!!」

 ロベルトは必死で機体を操作するものの、街の道路の中心へ、ド・ダイ改とともにリック・ディアスが落ちていった。

「お前の相手なんか、していられないのさ!」

 ロザミアはそう残して、ジェリドとカクリコンの方へ飛び立った。

 逃げ回るベースジャバーを、サイコガンダムの腕部ビーム砲が追う。ジェリド達も威嚇を兼ねて撃ち返すが、Iフィールドと重装甲に阻まれて有効打には至らない。

「記憶だ! 記憶を返してもらうんだ、私は!」

 ジェリドは唇を噛んだ。彼女達強化人間は、好きで戦っている訳ではない。強化人間の歪んだ力は、サイコミュによって苦痛へと変わってしまう。

「邪魔をするな、ガンダム!!」

 フォウの悲痛な声が通信機越しに聞こえる。ジェリドは引き金を引くのを躊躇した。

「おいジェリド……ぐお!?」

 ギャプランのビームがベースジャバーを撃ち抜いた。高度を失って落ちていくベースジャバーに、ロザミアが追撃する。

「フォウの記憶のために死んでもらう!」

 ムーバブルシールドの銃口が、日光を反射して光った。ジェリドは咄嗟に、カクリコンのMk-Ⅱを蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされたカクリコンだけでなく、ジェリドのMk-Ⅱもその反動でベースジャバーから落ちる。ベースジャバーをギャプランのビームが撃ち抜いた。そのままジェリド達は加速して、それぞれにビルの陰へ身を隠した。

「出てこい! お前達を皆殺しにすれば私は……!」

 フォウはビルを盾にして地上を走るMk-Ⅱに向けてメガ粒子砲を発射しようとする。砲口に光が集まり、今にも発射せんという瞬間、赤い影がサイコガンダムへ衝突した。

「う……!」

 激しく揺れるコクピットで、フォウはうめいた。モニターいっぱいに、カラバのマラサイと、そのスパイクアーマーが映っている。

「アムロ大尉!」

「これは……! 嫌なマシンだ」

 頭を踏み台にして頭部のビーム砲をかわし、マラサイはビームサーベルを抜く。アムロはマラサイのスラスターを噴射させ、再び一気に踏み込んだ。

「させるものか!」

 ロザミアのギャプランがマラサイに体当たりを決行した。サイコガンダムのIフィールドのために、ビーム砲は役に立たない。

 バランスを崩したかに見えたマラサイだったが、わずかにバーニアに点火させるとそのまま飛行するド・ダイ改の上に着地する。ジェリドは地上から呟いた。

「アムロだ……!」

 ド・ダイ改が急降下し、リック・ディアスを拾う。

「ありがとうございます、アムロ大尉」

「いい。しかしどういうんだ? ティターンズだろ?」

 アムロはビル群の隙間のMk-Ⅱに目をやった。ロベルトが答える。

「仲間割れしているようです。あのデカブツどもと、ガンダム二機で」

「そうか……。市街地での戦闘は避けようと」

 合点がいったように、アムロは小さくこぼした。ロベルトのリック・ディアスが、クレイバズーカを差し出す。

「アムロ大尉、奴はIフィールドが使えるようです」

「ならば実弾というわけか。いいのか?」

 ロベルトは悔しそうに表情を歪めた。

「左腕がこれじゃあ、ド・ダイの上からまともな射撃はできません」

「そうか。借りておくぞ」

 クレイバズーカを受け取ったマラサイめがけてサイコガンダムのビーム砲が放たれるが、アムロの操作によってそれは難なくかわされる。

「くうっ! エゥーゴ!」

 フォウが焦れた声を上げる。アムロ達を追い立てるギャプランも、リック・ディアスのビームピストルにその足を止められている。

「今だ!」

 足元への注意が消えたサイコガンダムへ、ジェリドのMk-Ⅱが突進した。サイコガンダムの体を足場にし、三角跳びのように駆け上がる。

「うおおおお!!」

 咄嗟にフォウは左腕を出した。ちょうど手首の部分を切断され、サイコガンダムの左手が落ちる。

 斬り上げたその足で、ジェリドはMk-Ⅱをサイコガンダムの右の肩にしがみつかせた。肩が盾になって頭部のビーム砲は撃てないし、左手は斬り落とした。胸部の拡散メガ粒子砲はもってのほかだ。狙えるとすれば右手のビーム砲だが、右肩に密着しているMk-Ⅱをピンポイントで撃ち落とすだけの技量と精度は、右手のビーム砲にはない。

「離れろ! 離れろぉ!」

 体を回転させたサイコガンダムは、左腕でジェリドのMk-Ⅱをはたき落とす。フォウは脂汗を流し、ぎりぎりと奥歯を噛み締めている。

「ぐおおおっ!?」

 ノーマルスーツを着ていないジェリドは、コクピット内にしたたかに額を打つ。意識が朦朧とするが、彼は操縦桿を手放さなかった。

「ガンダムが動いた!? なら!」

 アムロはクレイバズーカの引き金を引く。Iフィールドにも通用する実弾だが、散弾はサイコガンダムの装甲を前に、阻まれてしまう。

「くそっ……!」

 万事休すか。アムロは毒づいた。サイコガンダムを止めるには、接近戦しかない。しかし、一機だけで突っ込んだところで限界があることは、ジェリドの行動で分かっていた。

「おい、カクリコン」

 ビルに衝突したジェリドは、血を拭いながらカクリコンを通信で呼び出した。血は目元にまで流れてきている。

「なんだ?」

「俺のバズーカを使え」

 腰にマウントしたままのバズーカを取り、ジェリドは言った。サイコガンダムの動向を見ると、アムロ達に気を取られているようだ。

「バズーカだと? 当たりどころが悪かったら……」

 渋るカクリコンに、ジェリドは声を荒げた。

「やるしかないんだ! ……これ以上、市民に被害を出させてたまるかよ」

 立ち上がったMk-Ⅱだが、幸いにも動きに支障はない。相手の隙を見て、カクリコンのMk-Ⅱが接近してきた。ハイパーバズーカを受け取り、カクリコンは尋ねた。

「やれるのか? どうせなら、俺とお前で突っ込んだ方が……」

 ジェリドは目線をサイコガンダムから外さず答える。

「いや、それもいいが……賭けがうまくいったら、その必要はない」

 賭けという言葉に、カクリコンは首を傾げた。

「どういうことだ?」

「やるしかないのさ」

 そう言って、ジェリドはMk-Ⅱの通信回線を変えた。暗号ではなく、その場のモビルスーツ全てが受信できる通信だ。

「聞こえるか! アムロ・レイ!!」

 マラサイのコクピットで、アムロが目を見開いた。

「あのデカブツのコクピットは頭だ! 俺と貴様で奴の首を斬る!」

「なんだと……!?」

 ロベルトがギャプランに撃ち返しながら、信じられないように言った。

「罠です、大尉」

「いや、行く」

 アムロの目はサイコガンダムと、ビル越しに見えたガンダムMk-Ⅱを捉えていた。

「大尉!」

「これ以上ホンコンが傷つけば補給はできなくなる! わかるだろう!」

 銃を撃ち合いこそしたが、アムロはジェリドに対して単なる敵意だけを抱いたわけではなかった。それに加えて、この街をこれ以上傷つけることはティターンズの本意ではないという推測もある。

「ド・ダイは任せる!」

「はいっ!」

 彼らのド・ダイ改が、サイコガンダムの背後から加速していった。

「仕掛けるぞ!」

 アムロは回線を開き呼びかける。呼応するように、Mk-Ⅱがビルの屋上に登った。

「ジェリド! 貴様、裏切ったのか!」

 フォウが叫んだ。サイコガンダムをMk-Ⅱに向け、胸部メガ粒子砲のチャージを始めさせる。後方からのクレイバズーカの射撃が、サイコガンダムを襲う。

「くっ、うざったい!」

 致命打にはならない。しかし気を取られた一瞬の隙に、そのMk-Ⅱはサイコガンダムのメガ粒子砲めがけてハイパーバズーカを発射した。

 砲門に撃ち込まれた強力な弾頭。サイコガンダムはその砲口から煙を立ち上らせる。コクピットでは警報が鳴り響き、モニターには、一時的なメガ粒子砲の使用不可を知らせる文言が並ぶ。

「おのれええ!!」

 怒りに任せて、フォウはサイコガンダムの右手をMk-Ⅱの方へ伸ばし、ビーム砲の狙いをつける。

 これで殺した。そう思ったフォウの視界の上方に、もう一機Mk-Ⅱが現れる。高速で向かってくるそれに、フォウは表情を歪めた。

「くっ!」

 素早く頭部のビーム砲を発射しようとするフォウだったが、モニターがブラックアウトした。消える寸前のモニターには、ド・ダイ改から飛び降りつつクレイバズーカの銃口を向けるマラサイが映し出されていた。

「うぐぅううっ!!!」

 たとえカメラが死んでも、彼女には強化人間の直感がある。ニュータイプとして覚醒を始めたジェリドの気配は捉えられる。サイコミュの反応速度で放たれる頭部ビーム砲をかわすことなどできない。彼女はそう思った。

 次の瞬間、彼女は浮遊感に襲われた。一般のモビルスーツで言えば胴体ほどのサイズの頭部は、その首関節部分をビームサーベルに切断され、落ちようというところをMk-Ⅱにキャッチされる。

「ううっ! うううっ!! ううああああ!!」

 頭部にはジェネレータはない。額のビーム砲は、何の反応も示さなくなった。目に涙を浮かべて、彼女は操縦桿をでたらめに動かした。

 接触回線で、フォウの怨嗟の声が聞こえてくる。ジェリドの胸の内に、暗い罪悪感が広がっていった。

 首から上を失ったサイコガンダムは、右腕を伸ばした格好のまま、まるで時間が止まったように立ち尽くしている。

 サイコガンダムの頭部の重量にバランスを崩しかけたが、地面に着地したジェリドはまた通信回線を開く。

「カラバ!  ……協力に感謝する」

 そう言って、彼は額の血を拭った。サイコガンダムを破壊すれば、ホンコンの街に被害が出るだろう。ジェリドはサイコガンダムを置いて撤退するつもりだ。

「アムロ大尉」

「……やめておこう。街中だ」

 サイコガンダムの頭が斬り落とされた瞬間、彼らの間には奇妙な達成感があった。それはそのまま、彼らの戦意を削いだ。ジェリドが撤退するであろうことは、彼も直感でわかっていた。

 フォウの声は、次第にすすり泣く程度に変わっていった。

「ロザミア! 貴様も撤退だ」

 ジェリドが低く命令すると、上空を旋回していたロザミアはスードリへ向かった。サイコガンダムの首を落とした時から、彼女はギャプランを上昇させ、戦闘行為はしていなかった。

 戦闘が収まったと思ったのか、隠れていたホンコン市民が顔を出した。憎悪のこもった目で、彼らはモビルスーツ達を見上げる。

 街は破壊されていた。倒壊したビルもある。拡散メガ粒子砲の被害は幅広い。サイコガンダムの重さでアスファルトはボロボロだ。モビルスーツが足場に使ったビルも、屋上が潰れているものもあった。

 泣いている子供。呆然とへたり込んでいる老人。いったい何人の命が奪われたことだろう。

 フォウのすすり泣く声をジェリドは聞いた。記憶という言葉が時折聞き取れる。太陽の光が、彼のMk-Ⅱの影を大きく映していた。

 

 

 

 頭に包帯を巻いたジェリドは、カクリコンと並んでスードリのブリッジに立っていた。

 向かい合うのは、キャプテンシートにふんぞり返ったウッダーだ。

「ジェリド、カクリコン。……申し開きはあるか」

「こっちの台詞だ」

 顔をしかめたままジェリドが言い返した。ウッダーが身を乗り出す。

「貴様は俺の命令を無視した!」

「街を破壊するのが貴様の命令か!?」

 ジェリドは声を張り上げて威圧する。見ていたカクリコンも、その剣幕に目を丸くしている。怯んだウッダーにジェリドはたたみかけた。

「作戦の目的がホンコン市に圧力を掛けるためならサイコガンダムはうってつけだろうが、暴れさせる必要はない」

「貴様が決めることではない」

「そこの女に吹き込まれたか!」

 ブリッジの隅にいたコーネルがびくりと肩を震わせる。ジェリドの目が据わっていた。彼は間をおかず続ける。

「そうだろうな、サイコガンダムの攻撃力やフォウの能力を測るには、ホンコンのような大きな街が一番だ。だから貴様に命じてフォウを出撃させた!」

「俺の意思だ!」

「なら十分だろう! 街があれだけ叩かれればアウドムラもホンコン市には長居できん!」

 ウッダーも、街を破壊することが望みではなかった。しかし、オークランド研究所所属の彼にとってムラサメ研との関係悪化は避けたいものだったし、サイコガンダムとフォウの力を見ておきたいという判断もあった。

「貴様の命令違反は」

「俺は二人の支援をしただけだ」

 クルー達が固唾を呑んで見守っている。フォウの行動は、スードリのクルー達の間にも不穏な空気を漂わせていた。もともと約半分はジャブローでジェリドと共にスードリに来たジェリド派だ。

 ウッダーはもう一度ふんぞり返って、小さく言った。

「……わかった」

 結果に囚われていたウッダーにとっても、今日の出撃の結果は想定外だった。彼は強化人間の危険性をみくびっていた。

「行っていいぞ」

 不快そうに目を閉じたウッダーは、シートに背を預けた。ジェリドは去り際に吐き捨てる。

「ティターンズの面汚しめ」

 それを聞いて、ウッダーが目を開けて体を起こす。間に割り込んだマウアーが、背中を押すようにしてジェリドをブリッジから連れ出す。

「個人的な感情だけで動いていては上にはいけないと言ったはずよ」

 通路に出て、マウアーはジェリドの正面に回り込んだ。咎め立てるような口調にジェリドはむっとして言い返す。

「ホンコンを放っておけばよかったってのか!?」

 だが、彼女の八の字に歪んだ眉を見るとその気持ちは消えてしまった。怒鳴りつけたジェリドは、申し訳なさそうにうつむく。

「あなたのホンコンでの行動は誇らしいものだと思っている。でもジェリド、いつでもあなたの主張が通るわけじゃない」

 幸いにも今回はスードリの半分がジェリド派だったために不問に処されたが、もしウッダーが強硬な姿勢をとれば、スードリの中で内乱ということにもなりかねなかった。

「上官との無駄な争いは避けるのよ。いつかは、ティターンズだってあなたのものにするんでしょ?」

 マウアーが話している間、ジェリドは素直に聞いていた。感情に任せて怒鳴った負い目もあるのだろうが、小さく身をかがめているジェリドの顔は、いつもよりマウアーに近かった。

「それに……」

 マウアーの手が伸びた。ジェリドの頬に手を当て、額に巻かれた包帯を、やさしく親指で撫でる。

「こんなケガはしないでほしい」

 二人はそのまま見つめあった。マウアーの切れ長の目が、潤んで見える。ジェリドの手が、マウアーの肩に回された。

「見つけた! ジェリド中尉!」

 二人の空間を、その声が破った。ジェリドは慌てて、マウアーを引き寄せてしまう。マウアーは何事もなかったようにジェリドの手を払った。

「ロザミア少尉か……」

 彼女はホンコンでの破壊活動の張本人の一人である。ジェリドの表情が険しくなる。

 長髪を揺らし、ロザミアは笑いかけた。

「ありがとうございます、ジェリド中尉」

「ありがとうだと?」

 ジェリドは眉を寄せた。

「ありがとうとはどういうことだ。ホンコンをフォウ少尉と一緒に襲撃したのは本意じゃないとでも言うつもりか?」

 苛立ちが混じった声でジェリドはロザミアを詰った。

「いえ、サイコガンダムを破壊してくれたことに、私は感謝しています」

 ロザミアの答えに、ジェリドはますます眉間の皺を濃くする。

「サイコガンダムを俺が壊したことがどうしてありがたい! フォウ少尉は出撃できなくなって、記憶も取り戻せないんだぞ!」

「あのマシンは不愉快です」

「はあ?」

「あのマシンは不愉快です。フォウもそう感じています」

 まるで要領を得ないその口ぶりに、ジェリドは苛立ちを隠さない。しかし、彼の言葉をマウアーが遮った。

「サイコミュのことか」

「サイコミュ?」

 ジェリドが聞き返した。マウアーはロザミアに視線を向けたまま答える。

「一年戦争の時にジオンが開発した、ニュータイプの強い脳波を機体の制御に役立てるシステムだ。サイコガンダムにも使われている」

「そいつが不愉快か」

「連邦のサイコミュ技術は負荷が大きいと聞いている」

 フォウが友軍であるジェリド達に攻撃した時、彼はわかるはずのない攻撃をかわすようにカクリコンに指示した。サイコガンダムから不気味な感覚を感じ取っていたのだ。

 ジェリドは歯軋りした。拳は、痛いほど強く握りしめられている。

 そんなことが言い訳になるものか。そう怒鳴りつけたい気持ちもジェリドにはあった。彼女達がホンコンの街を破壊して、何の罪もない市民達に大きな被害を出したことは紛れもない事実だ。

 だが、フォウは記憶を人質に取られ、危険なマシンに無理矢理乗せられているのだ。ロザミアもおそらく強化の影響と見られる精神の混濁がある。コロニー落としへの異常な恐怖と、エゥーゴへの憎しみが、彼女には刷り込まれていた。彼女は彼女なりに、心を許せる友人であるフォウを助けようとしただけだ。

 それを責める権利は、連邦軍の一員である自分にはない。ジェリドの脳裏に、フォウのすすり泣きが響いた。

「ありがとうございます、中尉。サイコガンダムを破壊してくださって」

 礼を述べるロザミアに、ジェリドは腕を振って追い返す。

「……わかった……。いいから、放っておいてくれ」

 ロザミアを押し除けるようにして、ジェリドは通路をずんずんと歩いて行く。マウアーはそれを追いかけた。

 ジェリドは限界だった。通路の壁を殴り、包帯を巻かれた頭を叩きつける。その痛みが、今のジェリドには心地よく感じられた。

「ジェリド!」

 目を丸くして、マウアーがジェリドの肩を押さえる。

「戦争に市民が巻き込まれるのも、強化人間が使い潰されていくのも……」

 ジェリドはかつてエマを殺した。それは曲がりなりにも、ティターンズにも正義があると考えたからだった。

「俺は……! くそっ!」

 やり場のない怒りに、彼は震えていた。

 

 



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黒雨を抜けて(前)

「触るなよ」

「わかってますって」

 スイッチを入れると、全天周モニターが点灯する。ジェリドは満足げに頷き、整備士の方へ振り返った。

「よし、終わりか」

「はい。中尉に手伝っていただけると整備が早く済みます」

「いや、こいつをボロボロにしちまったのは俺だからな」

 コクピットから出て、ジェリドはMk-Ⅱを見上げた。何度も跳ね飛ばされたおかげで、フレームにも装甲にも歪みが出ていた。額の汗を拭おうとして、包帯に手が当たる。

「中尉の出撃は間違っていませんよ」

「ああ?」

 声をかけられて、ジェリドはまた整備士に振り返った。

「そうでしょう? 地球のあんな街中で戦闘をやるなんて、私には信じられません」

 整備士は口を尖らせている。

「お前さん、確か……」

「オークランド研究所です。でも、ウッダー大尉のやり方は、私は許容できません!」

 声を荒げた整備士は、その憤りを隠さない。ジェリドはなだめるように言った。

「よせよ」

「ブラン隊長の敵討ちにしたって、あんな所で戦闘をしなくちゃいけないなんて間違っています!」

「やめろ」

「強化人間のせいだなんて、言い訳ですよ! ウッダー大尉には失望しました!」

 ジェリドに否定をされ続け、整備士の声はますます大きくなる。顔を赤くしたその整備士の横をすり抜けるように、ジェリドは歩き出した。

「ちょっと、中尉……。あっ!」

 整備士はジェリドを目で追って、自分の背後にいた人間に気づいた。ジェリドはきつい目つきのまま、その人物へ言葉を投げかける。

「どういう風の吹き回しだ、お前さんの方から俺に会いに来るなんてのは」

 不機嫌そうな表情を浮かべたウッダーが、そこに立っていた。

 整備士は素早く敬礼はしたものの、睨むべきか、取り繕うべきか決めかねて、ジェリドの方へ目をやっている。

 ウッダーは整備士を一瞥して、ジェリドに言った。

「ルオ商会で貴様はアムロ・レイに会ったらしいな」

「貴様のせいで何人の人間が死んだと思っている!」

 ジェリドはかっとなって怒鳴った。詫びに来たとは思っていなかった。だが、その悪びれもしない態度が許せなかった。

「ウッダー! 貴様だって、フォウ達を出せばどうなるか、わからなかったわけじゃあるまい!」

「黙れ!」

 ウッダーの拳が、ジェリドの右の頬を捉えた。ジェリドは整備ハンガーの手すりにもたれかかる。

「貴様! 先に手を出した!」

 顔を上げたジェリドが殴りかかった。ウッダーの右ストレートをくぐってかわし、相手の右腕に被せるように左フックを顔面に打ち込む。

「この人殺しが!」

 ジェリドはさらに右の拳でウッダーの顎を跳ね上げると、前蹴りで胴体を蹴り飛ばした。今度はウッダーが手すりにもたれる。

「ティターンズがあ!」

 ウッダーは左の拳を振りかぶりつつ立ち上がろうとする。だが素早く間合いを詰めたジェリドは、その左拳より早くウッダーの髪を掴んだ。

 がつん。包帯を巻いたままの額を、ジェリドはウッダーの顔面に叩きつけた。ウッダーの鼻から血が溢れる。間髪いれず、ジェリドはもう一発頭突きする。吹き出した血には、ジェリドの額の傷口はからのものもあった。

「おおお!」

 三発目を振りかぶった時、ウッダーの両手がジェリドの頭を掴んだ。打ち付けるジェリドの額に、自分の額を合わせる。顔面よりも固い額の骨同士が衝突した。

 表情を歪めたのはジェリドだ。ウッダーは髪を掴んでいるジェリドの手を振り払って、体重を乗せた拳で顔面を殴り抜いた。

 ジェリドは倒れなかった。息は上がっているが、両手を構えて力強く睨みつける。

 ウッダーの頭が後方へ揺れた。鋭い左のジャブからの右ストレート。ガードをすり抜けた二発の打撃の直後、ジェリドは左のローキックを振り抜く。

「がああっ!」

 ウッダーは痛みにうめいた。今の一撃で、完全に意識が下に向いている。ジェリドは一歩踏み出した。腰を入れたハイキックが、ウッダーの側頭部を刈った。

 整備ハンガーの床へ崩れ落ちるウッダーはジェリドを睨んだ。手すりに体重をかけ。ふらつく足で立ち上がろうとする。鼻は血で塞がっている。荒い呼吸を繰り返しながら、ウッダーは絞り出した。

「俺だって……わかっている……!」

 低くうめくような声だった。どうにか両足で立ったウッダーを前にしても、ジェリドは拳を構えたままだ。言うことを聞かない足に鞭打って、ウッダーが突っ掛ける。

「やめてください! 二人とも!」

 突然、格納庫にいた兵士達が割り込んできた。その中には、ジェリドとMk-Ⅱの整備をしていた整備士の姿もある。ウッダーとジェリドを羽交い締めにし、強引に引き剥がした。

「来いよ! どうしたウッダー!」

「なめるな! 新参者のティターンズが!!」

 二人は取り押さえられながらも、互いに怒鳴り続けた。

 

 

 

「ジェリド!」

 マウアーの手がジェリドの頬を打った。不服そうな顔のジェリドは、スードリの艦内通路に出した椅子に座っている。

「なぜあなたはいつも……」

 ジェリドは表情を変えず、通路の壁を見ている。呆れたように、マウアーが救急箱を開けた。

 本来ならジェリドも医務室に入るべきなのだが、ウッダーと同時に医務室に入れれば揉め事は避けられないだろう。そこで、より重傷のウッダーを医務室に入れ、ジェリドは通路で手当てをすることになった。

「じっとしてなさい」

 額の包帯を解き、新しい包帯をジェリドの額に力強く巻く。額が締め付けられ、ジェリドはわずかに顔をしかめた。

 結び目をきつく縛っている時、ジェリドがぼそりと言った。

「ウッダーは、そんなに悪い奴じゃない」

「……え?」

 マウアーは思わずジェリドの顔を見た。

「ブラン少佐の敵討ちとか、ティターンズへの対抗心とか、そういうことにこだわって、あいつは視野が狭かった」

 淡々と話すジェリドからは、憎しみは感じられない。マウアーは尋ねる。

「それで、ホンコンの件は許すの?」

「許せやしないさ。だが、連邦やティターンズが、みんなあいつみたいな人間だったとしたら……」

 ジェリドは考え込むようにうつむく。ウッダーがフォウ達を出撃させたことを悔いていることはわかった。そうでなければ、ジェリドを上官への反抗を名目に処分することもできたはずだ。

 ぶつかり合っただけ、ジェリドはウッダーのことを理解できた。そんな感覚があった。

 マウアーはその顔を上げさせ、頬に絆創膏を貼る。

「いいわね、男同士って」

「え?」

「ああして殴り合ったら、お互いのことがわかったような気になれるんでしょう?」

 気恥ずかしくなって、ジェリドは黙った。一通りの手当が終わる頃、壁に目をやったまま彼は口を開く。

「すまん、マウアー。昨日の今日で……」

 それは率直な謝罪の言葉だった。ホンコンでの破壊活動や強化人間の実態を知ってしまったために、マウアーもジェリドの気持ちはわかっているつもりだ。だが、それにしても、ジェリドの行動は過激すぎる。

「何かあったの?」

 立ち上がってマウアーは、座っているジェリドに目線を合わせるように、膝に手をつく。

「何かって……」

「連邦が……いえ、ティターンズが信じられなくなるようなことが、ジャブローの他にも」

 ジェリドは口をつぐんだ。唾を飲み、マウアーを見上げる。マウアーの目は、ジェリドが目を逸らしたくなるほどまっすぐで、優しかった。言うべきか、言わないべきか。ジェリドは迷った。

「……すまん、マウアー」

 結局、ジェリドは床に視線を落とした。

「ジェリド……」

「俺は……まだお前を、信じられん」

 苦虫を噛み潰したような顔で、ジェリドは言った。マウアーは、かける言葉が見つからなかった。

 

 

 遠くの空が紅く染まっていた。海のある東側の空はすっかり暗い紺色で、ちらほらと星が見える。

 運び込まれる大量の食料や日用品を、時に格納庫に、時に厨房へ持っていくのは、並大抵の仕事ではない。

 だが、日が沈む頃となると、業者も少なくなる。カツはアウドムラの格納庫の隅に腰を下ろした。

 リック・ディアスはまたもや片腕になってしまったが、ともかく、ホンコンに現れたサイコガンダムの脅威は去った。

 カツは結局モビルスーツに乗って出撃しなかった。頭の傷の大事をとってということだったが、今ではすっかり良くなっている。

 それが悔しかった。もしも自分が出撃していれば、ホンコンの被害は抑えられたのではないか。

 彼は座り込んだ床を睨んだ。ふとその床が、影で暗くなる。

「おい、カツ」

 カツはその男を見上げて、すぐさま立ち上がった。慌てて敬礼の姿勢を取る。

「ロ……ロベルト中尉!」

「ああ。どうだった、ルオ商会は」

 ロベルトも忙しくて、ルオ商会の件は聞いていないらしい。アムロはハヤトに報告のためにブリッジへ上がったきりだから、彼はカツに聞くしかなかった。

「はい……それが」

 カツが口籠る。ロベルトは眉間に皺を寄せた。

「なんだ、はっきり言え」

「その、アムロさんが、ルオ・ウーミンはいるかって聞いたんですよ。そしたら、黒服達が一斉にアムロさんに殴りかかって……」

 ロベルトは呆れたように言う。

「なんだそれは」

「そうなんですよ。そうとしか言えないんですけど、そうなんです」

 弁明するようなカツの口ぶりに、ロベルトは口ひげの下で思わず笑ってしまった。

「そうか……ルオ商会とは接触できなかったか」

 カツが背を預けていた壁に、ロベルトももたれかかった。カツは怯えたようにロベルトへ体を向ける。

 二人の間に流れたのは沈黙だった。それに耐えきれず、カツは口を開く。

「あの、すみませんでした」

 ロベルトが目だけでカツを見たその時、格納庫の入り口で大声が上がる。

「待てよ! あんたのとことは取引してないぞ!」

 入ってきたのは一台の古ぼけた車だ。警備の兵士に詰め寄られながら、車のドアを開けて運転手が降りてくる。作業着を着て帽子を目深に被ったその出立ちは不審だ。

 彼女は帽子を脱いだ。

「私はステファニー・ルオと言います。ルオ商会から参りました」

 ルオ商会。その言葉を聞いて、ロベルトまでも身を固くした。ステファニーの目が一度カツに止まって、また外れる。

「この部隊のリーダーに取り次ぎなさい」

 彼女は、作業着の下のハイヒールを鳴らして言った。

 

 

 

 談話室に通されたステファニーは、すでにスーツ姿だった。乗りつけた車には着替えも乗せてあった。ソファに腰掛けて、相手を待つ。

 木製の触り心地のいい机も海千山千の商売人である彼女の眼鏡にはかなわなかったようで、一撫でするとまた膝の上に手を戻した。

 ドアが開き、入ってきたのはがっしりした体つきの小男と、くせっ毛の青年だ。アムロとハヤトは席につく前に、ステファニーに右手を差し出す。

「あなたが、ステファニー・ルオ?」

「ルオ・ウーミンの代理とお考えください」

 彼女は握手を返しながらそう答える。ルオ・ウーミンという名が出たことに、アムロ達は表情を固くした。

「ルオ商会は我々カラバの支援をしてくださる、ということでよろしいですね?」

 口火を切ったのはハヤトだ。話がどう転がるにしろ、悠長な前置きをしている時間はない。

「はい。十分な量のド・ダイ改を明日の朝にでも搬入しますわ」

「それはありがたい」

 ハヤトが礼を言った。

「どうぞ」

 横からコーヒーを三人の前に差し出したのはベルトーチカだ。ステファニーは目礼してまた話を続ける。

「モビルスーツのパーツについては、もし月とのルオ商会のルートを使ってアナハイムと協力しても、一週間近くかかるとお考えください」

「一週間、ですか……」

 ハヤトの声が淀んだ。ステファニーは、組んでいた足を解いた。

「どうなさるおつもりですか、ハヤト艦長」

「今の戦力でニューギニア基地を叩くのは無理だろう」

「だがハヤト、一週間経てばニューギニア基地の戦力も揃ってしまうぞ。引っ越しから間もない今しかニューギニアを制圧することはできないはずだ。そうでもしなければ、エゥーゴの存在はアピールできん」

 口を挟んだアムロにハヤトが言い返す。

「ならどうする。今の戦力で戦うつもりか」

「時間をかければかけるだけ不利になるんだ。ぐずぐずしていると、今度はスードリの部隊が直接ここを叩くぞ」

 二人の話し合いは決して平行線ではない。だが、背負っているものが大きいだけ、彼らの口調は激しくなっていく。

 ステファニーが手を挙げて、二人の言い合いを中断させた。

「私からも。例の大型ガンダムについてはルオ商会ができる範囲で回収を遅らせています」

「道路を封鎖したのか?」

「いえ。我々のトラックを使って渋滞を」

 さすがだ、と言ってアムロが笑った。

「ですから、ティターンズがあの大型ガンダムを回収するまではそれなりの時間がかかります。モビルスーツの補給を待たないのであれば……」

「スードリはサイコガンダムを置き去りにするしかないわけか」

 コーヒーのカップに一番最初に手を伸ばしたのはアムロだった。すすった熱い液体は口の中へ流れ込んで、豆の香りが鼻へと抜ける。ステファニーがじろりとアムロを見る。

「ルオ商会としても、できる限りエゥーゴを支援するつもりです。ですが、アムロ大尉がルオ商会に接触しようとしているのをティターンズの士官に目撃されてしまいました」

「あ……!」

 アムロは思わず声を漏らした。カラバがルオ商会に接触を図っていたことは誰の目にも明らかだ。

「ホンコン・シティにいては敵がどこにいるかわかりません。ルオ・ウーミンの名は、気軽に口にしてはいけないのです」

「だからあの黒服は俺を……」

 うつむき、アムロは自分の浅慮を恥じた。アムロからハヤトへと、ステファニーは視線を移す。

「あれだけの戦闘を起こされた以上、一刻も早くカラバにもティターンズにも出ていってもらいたい」

「それは、ルオ商会としての言葉でしょうか」

「ホンコンに住むものとしての言葉です。ルオ商会は出資者に過ぎませんから、カラバの方針に従います」

「ううむ……」

 ハヤトは唸って、黙り込んだ。眉間の深い皺は、彼の苦悩の大きさを表している。

 ティターンズの力は大きい。だからこそ、ティターンズに対して秘かに反感を抱いている者は多いはずだ。そういった人々からの支持を受けるためにも、エゥーゴはティターンズとも戦える力を持った組織であることを示さなければならない。

 ホンコンに長く居座り戦闘を行えば、カラバはティターンズの同類と思われてしまうかもしれない。ハヤトはもう一度、低く唸る。

 カップのコーヒーは、もう湯気を立てなくなっていた。

 

 

 

 顔中に湿布や絆創膏を貼り付けたウッダーは、仏頂面でキャプテンシートに座っている。頬杖をついて、痛みに顔をしかめた。

 窓の外の空には、分厚い雲が被っていた。台風が近づいているという報告がウッダーの元には届いている。

 ドアが開く。ジェリドがブリッジに足を踏み入れた。ウッダーは睨むように視線をやったが、ジェリドが窓の外を見つめているのを見て、また視線を外した。ジェリドの顔も傷だらけだ。

 同じく仏頂面で、ジェリドはウッダーの隣へと歩く。目線は窓の外にやったままだ。

「ルオ商会について、聞きたがってたろ」

 その言葉に驚いて、ウッダーはジェリドを見た。ジェリドの目は窓から離れない。ウッダーは、机の上の資料を手に取りつつ、答える。

「アムロ・レイはルオ・ウーミンの名を言っていたのだな?」

 彼らは目を合わせない。合わせればまた殴り合ってしまう自信があった。なにせ、彼らが殴り合ったのはつい前日のことだ。

「……ああ。間違いなく、ルオ商会は黒だ。だが、ルオ商会はそうそうしっぽは出さんだろう。俺はルオ商会の連中に顔を見られた」

「そうか……。なら、アウドムラの出港は間違いないな」

「なぜだ?」

 ウッダーは意味もなく書類の束をめくる。

「物的証拠がなくとも、ルオ商会とカラバのつながりはまず間違いなくなった。奴らはそう連邦が睨んでいることもわかっているから、これ以上ボロを出さんためにもアウドムラを追い出すしかない」

 ルオ商会と連邦の微妙な力関係は、どちらかが不用意な手を打った途端に崩壊する。現に、ルオ商会がシャトルのチケットを不法に捌いていることは黙認されていた。ルオ商会の財力と経済界への影響力は、到底無視できるものではない。

 だが、ルオ商会がエゥーゴと繋がっている決定的な証拠さえ掴めば、ティターンズはルオ商会を潰すことができる。

 ジェリドはアナハイム・エレクトロニクスを思い出して、言った。

「ルオ商会はそれほど強力な出資者か?」

「アウドムラを追い出さんようなら、増員した連邦の捜査官がルオ商会を摘発するだろうよ」

 ふむ、とジェリドは唸った。窓の外の雲は、暗く海に影を落としている。

 サイコガンダムの攻撃が、ホンコン市民への強力な圧力になっていたこともまた事実だ。それを口に出さなかったのは、ウッダーなりにフォウ達を出撃させたことを恥じていたからでもあった。

「この天気でもか」

「むしろ有利だろう」

 風の影響を受けやすいのはスードリもアウドムラも同じだ。SFSに乗ったモビルスーツは、より強力に風の影響を受ける。

 攻撃のためにSFSを接近させなければならないスードリの方が、わずかにだが不利と言えた。

「……アウドムラを落とすぞ」

 ウッダーが小さく言った。独り言のような声量だったが、ジェリドを鼓舞するようにも聞こえた。

 しばらくの間沈黙して、ジェリドはブリッジから出て行った。

 

 

 

 アウドムラの食堂は広く、大きい。新型であるだけあって、厨房の設備も揃っている。

 トレイの上には、ワンタン入りのスープと、肉や野菜の炊き込みご飯。小皿に載った新鮮な茹でエビが独特の香りを放っている。

 口の中の炊き込みご飯を飲み込んで、カツが目を輝かせた。

「おいしいんですね、ホンコンって」

「うん」

 アムロはスープを一口飲んで、頷く。

「こうして港にいる時でないと、新鮮な食材は手に入らないからな」

 茹でエビにソースを絡めて、アムロは口に放り込んだ。新鮮なエビの跳ねるような食感が弾け、ソースとエビの香りが口の中に広がる。弾力が歯を押し返すような心地よい感覚は噛み切った瞬間に消え、表面のソースに使われた唐辛子の刺激に、エビの濃い旨みと甘味が入り混じる。

 アムロとカツが着いているテーブルには、他に誰も座っていない。カツはまだ、アウドムラのメンバーに受け入れられたわけではなかった。

「なんだか懐かしいや。アムロと一緒に、軍艦で食事するなんて」

「そうだな」

 一年戦争から七年が経った。だが人は、まだ戦いをやめていない。

 わずかに過去に浸った二人に、女が声をかけた。

「いいかしら」

 その声に驚いて、カツもアムロも顔をあげる。

「……レコア少尉か」

 アムロの声は低い。若干の警戒心がその声にはあった。カツは怯え切って、声を出すこともできない。

 レコアはカツに向けて、微笑んでみせた

「いいわ。もう、あなたを恨んでない」

 レコアは食事の入ったトレイをテーブルに置いて、席に着く。

「あ……あの……」

「食堂に来るのは久しぶりだからかしら。座る席が見当たらなくて」

 レコアはスープをかき混ぜた。誰も着いていないテーブルはいくつもあった。

 彼女はここのところ、部屋で塞ぎ込んでいた。正式な人員でもなく、またアウドムラの運営にも支障はなかったために、誰かが連れ出すということもない。クルーが持ち回りで食事を運び、ほとんど手をつけられていないままのトレイを持ち帰る。彼女とクルーとの関わりは、ただそれだけだった。

 レコアがカップに口をつけた。

「クワトロ大尉って、どんな人だったんです?」

 落ち着いた声音だった。アムロが顔を上げた。カツは焦って食事を口に押し込むばかりだ。

「……俺だって、詳しくない」

「シャア・アズナブルを知っているのはあなただけでしょう?」

 レコアの口調は詰るようでもあり、すがるようでもあった。アムロは黙り込む。

「お願いです、アムロ大尉」

 レコアの目から逃れるように、アムロは目を閉じて、うつむいた。カツは成り行きを見守るように時折り目を上げては、また食事に戻る。

 わずかな間の後、アムロが喋り出した。

「俺がシャアと初めて会ったのはサイド6に寄った時だった」

 テーブルの空気が緊張した。レコアもカツも、この話には興味をそそられている。

「その時、シャアはララァというニュータイプを連れていた」

「ララァ……」

 レコアがその名を反芻するように口にする。カツが水餃子を急いで飲み込んで、尋ねた。

「女性ですか」

「十六くらいの子供だった。シャアは惚れ込んでいたよ。だが、俺が殺した」

 アムロの表情がかげった。声色からか、あるいはニュータイプとしての勘だろうか。カツは、アムロのララァへの好意を感じ取った。

「シャアは寂しい男だった。だからララァのような自分をわかってくれる女性を欲したんだろう」

 アムロはシャアについて詳しくない。直接会っていた時間は合計にしても、わずか半日にも満たないだろう。

 だが、アムロの論評はレコアにとっても納得がいくものだった。それだけ、彼らが過ごした時間は濃密だった。

 ジオン軍の仮面の大エースであり、その正体は、ザビ家への復讐のために戦うジオン・ズム・ダイクンの遺児。

 アムロが話し終えると、誰も口を聞かなかった。カツは黙々と食事を続け、アムロも水餃子を齧った。

「クワトロ大尉は……キスの時も、サングラスを外してくださらなかった」

 レコアは最後にそう漏らして席を立った。トレイの上の食事は、ほとんど減っていなかった。

 

 

 

「ナミカー! なぜサイコガンダムを回収しない!」

 フォウは胸ぐらを掴んでコーネルに詰め寄った。顔を見るなり怒鳴りつけられ、コーネルは完全に呑まれてしまっている。

「答えろ!」

「そ、それは……すぐにアウドムラが出港するはずだと艦長が……」

 コーネルは鼻声で絞り出す。鼻に貼られた絆創膏が、フォウに揺すられるたびに震えていた。

「ウッダーめ!」

 サイコガンダムが無ければ、記憶は返ってこない。

 フォウはコーネルを突き飛ばして、通路を駆け出した。彼女の目的地は格納庫だ。

「まっ、待ちなさい! フォウ!」

 ナミカーの声が通路にこだまする。格納庫に走り込んだ勢いで、フォウは兵士を突き飛ばした。空いているハイザックへ彼女は向かった。

「待て! フォウ少尉!」

 行手に立ち塞がっているのは帽子の軍人。カクリコンだ。

 フォウは彼の顔を見て、ますます表情を歪める。

「お前は……!」

 ホンコンで邪魔をしたガンダムのパイロット。フォウの表情が敵意に満ちる。

「どうする気だ、少尉!」

「サイコガンダムを回収するんだ、私が!」

「ウッダーの考えには筋が通ってる。アウドムラの出港に間に合わんことをするのはごめんだ」

 フォウは駆け出した。その腕を掴んで、カクリコンが止める。

「お前のためにアウドムラを逃すわけにはいかん!」

「なら私だけホンコンに下ろせ!」

「馬鹿を言うな!」

 カクリコンは鍛えられた軍人だ。フォウは強化人間で訓練を受けているとはいえ、所詮女の細腕では逃れられるはずもない。彼女はロザミアのような身体能力への強化は受けていなかった。

 背後から両腕を掴まれたフォウは逃げられないことを悟ると、両目から涙を流し始めた。

「う……うっうぅう……!」

「な……泣いてるのか、お前さん」

 カクリコンはフォウの横顔を見て、驚いた。フォウはまた暴れる。

「どうして私をいじめるんだ、お前達は!!」

 フォウの後頭部が頭突きのようにカクリコンの顔に当たった。帽子が落ちる。顔をしかめたカクリコンだが、手の力は緩めない。

「ホンコンでもお前達は……! 私は……記憶が欲しいだけなのにぃ……!」

「おおっ!?」

 掴み合いの最中、カクリコンは帽子を踏んでバランスを崩す。フォウはカクリコンを振り払おうと腕を振った。

「やめろ、フォウ!」

 よく通る声がフォウの手を止める。ロザミアがそこには立っていた。腕の関節を極められて、コーネルも無理やり連れてこられている。

「ロザミア!」

「フォウ。記憶が欲しければ私の言うことを聞くんだよ」

 その口ぶりに、フォウは顔を赤くして睨みつける。取り押さえているカクリコンはそのフォウを刺激するような発言に慌てていた。

「フォウの代わりに私が戦うんだ」

「何を!」

「私がアウドムラを沈めれば記憶を返すってさ」

 フォウの口が止まる。ロザミアがコーネルの腕をさらに深く極めた。コーネルの右腕を片手で握っているだけだが、彼女の強化された筋肉では十分すぎる力が出る。

「そうだろ?」

「はっ、はいっ!」

 眼鏡の奥でコーネルは両眼を強くつぶる。

「本当? 本当なの、コーネル!」

 カクリコンに腕を掴まれたまま、フォウが叫んだ。疑いと喜びの入り混じった表情だ。ロザミアがコーネルを引き寄せ、睨みつけた。鼻をへし折られた恐怖から、コーネルが悲鳴のように声を張り上げる。

「ほっ、本当よ、フォウ! だっ、だから……っ!」

 彼女はロザミアに目線をやった。ロザミアの視線は、ずっとフォウに向いている。

「ロザミア。放してやって」

 解放されたコーネルは、掴まれていた手首をさする。ロザミアの手の跡が着いていた。そんなコーネルの髪を掴んで、ロザミアは顔を近づけた。

「ひっ……」

「もし嘘だったら、お前、許さないからね」

 ロザミアに睨みつけられ、コーネルはもうほとんど口が聞けなかった。鼻を折られた時から、彼女はロザミアに怯えている。首をただひたすらに縦に振った。

 フォウも後ろのカクリコンを睨む。どうやらフォウも落ち着いたようだ。カクリコンも手を放した。

「ロザミア!」

 フォウがロザミアに抱きついた。ロザミアの肩に顎を乗せたフォウの目は、また涙ぐんでいる。

「フォウ……」

 ロザミアは優しくその背中を撫でる。愛おしむような目つきは、まるで強化人間には見えなかった。カクリコンは床にへたり込んだコーネルを一瞥して、ロザミアに話しかけた。

「フォウ少尉に優しくするのは、同じ強化人間だからか?」

 一度睨むような目つきで見た後、ロザミアはフォウの背中に目を落として微笑んだ。

「記憶があるから私は強化人間の訓練にだって耐えられた。家族の……お父さんやお母さんの思い出」

 しゃくりあげるフォウをあやすように、ロザミアは彼女の髪を手で撫でた。撫で下ろした手が、フォウの背中で握り締められる。

「カクリコン中尉。私は、アウドムラを落とします」

 ロザミアはより強く、フォウを抱き返した。

 

 

 

「やはり出たか」

 ジェリドはそうつぶやきながらコクピットへ上がる。格納庫の外から暴風が吹き込み、大粒の雨粒を音を立てて打ち付ける。ニューホンコンを襲った台風は、わずか十メートル先すら見えなくなるほどの嵐だった。

 接近した台風に乗じて、アウドムラはホンコンを出港した。引っ越ししたばかりの新しい連邦本部、ニューギニア基地を叩くつもりだ。

 シートに体を預け、ジェリドは全天周囲モニターを点ける。鼓動が早くなっていく。しかし、焦りはない。戦闘準備を済ませた体は、出撃を今か今かと待っているようだった。

「ジェリド!」

 カクリコンからの通信だ。ジェリドはモニターにそれを映す。

「どうしたよ」

「アウドムラはロザミア少尉に譲ってやれんか」

「ああ?」

 首を傾げるジェリドに、カクリコンは事情を話した。

「ロザミアがアウドムラを沈めれば、フォウは記憶を戻してもらえるらしい」

「本当か!」

 ジェリドが目を丸くして驚く。カクリコンが頷いた。

「ああ。あのインストラクターの女が約束した。ロザミアに脅されてな」

「そうか……ロザミア少尉が」

 ジェリドはまた背もたれに体重を預けた。意図せず口元が緩む。フォウが記憶を取り戻すチャンスを奪ったのはジェリド達だ。ホンコンの街のためとはいえ、罪悪感は大きい。

 声を落としてジェリドが言った。

「余裕があれば、だぞ」

「わかってるさ」

 カクリコンが口角を吊り上げて笑った。

 ウッダーの艦内放送が響く。

「ここを逃せば連中はニューギニア基地へ向かう! 我らの手でカラバを討つ最後のチャンスと思え!」

「政治家のつもりか、あいつは」

 ヘルメットの中でジェリドは毒づいた。うっすらと浮かべた笑みは、嘲笑ではない。絆創膏を貼った頬がつっぱった。

「第一戦闘配置! モビルスーツはベースジャバーに乗って待機だ!」

 格納庫の入り口近くには、うんざりするほどの水溜りができていた。雨の向こうに光が見えた。

「モビルスーツ隊、出撃だ!」

 ウッダーが受話器に怒鳴った。ジェリドは操縦桿を握り直す。

「やってやるさ……」

 発進準備はできた。ニューギニア基地に行かせる訳にはいかない。ティターンズで力を得るためには、ニューギニア基地を攻撃しようとするカラバを叩きのめすのが一番の近道だ。

「ジェリド・メサ、ガンダムMk-Ⅱ! 出る!!」

 Mk-Ⅱがベースジャバーの上で身をかがめる。同時に、ジェリドの体にも強いGがかかる。ベースジャバーのジェット噴射が、彼らを嵐の空へ押し出した。

 

 

 



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黒雨を抜けて(後)

 激しい雨が機体の表面を伝う。暴風はサブフライトシステムを震わせ、彼らの進行を妨げた。

 雨の中に見える光は、アウドムラ。南シナ海は今、台風の土砂降りの中にあった。

「ええい、この雨では視界が……!」

 ジェリドが悪態を付く。ミノフスキー粒子散布下での有視界戦闘において、この雨は致命的だった。

「そこか!」

 雨を突っ切った一筋のビームを、ジェリドはかわした。ぞっとするほど正確な狙いは自己紹介も同然だった。

「アムロか、この距離でよく撃つ!」

 驚いたのはアムロも同様だった。ほとんど視界の利かない中での射撃を実行したアムロも凄腕だが、それを察知してかわしたジェリドもまた常識の外にある。

「ジェリド……強くなっているのか!」

 反撃のビームは雨粒を蒸発させながら突き進む。アムロは舌打ちした。

 ド・ダイ改に乗ったカラバのモビルスーツ部隊は、艦の外で待ち構える。同型の艦であるゆえに、一度距離ができればそれは縮まらない。

「よし……作戦通り行くぞ! 遅れるな!」

 ジェリドのベースジャバーが、勢いよくアウドムラへ突っ込んでいく。アウドムラに随伴するモビルスーツたちが一斉に弾幕を張った。

「これでは、居場所を教えているようなものだ!」

 アムロはジェリドのMk-Ⅱへド・ダイ改を走らせる。カラバのモビルスーツの武器は、ほとんどビームが主体だ。雨の中でも目立つビームは、その発射地点を割り出すことも容易だった。

 すぐにスードリの方向からのビームがモビルスーツ部隊を襲う。もとより数ではカラバが不利だ。ネモが一機落とされる。

「アムロさん!」

 カツの呼びかけにも応じず、アムロはジェリドとの一騎討ちに臨む。ビームをくぐり抜けながら、ジェリドもアムロのマラサイを見やった。

「来い、アムロ!」

 アムロのマラサイにもスードリのモビルスーツ隊からの援護射撃は襲いかかる。余裕はない。一撃でMk-Ⅱを仕留めるつもりで、アムロはマラサイのビームライフルを構えた。

 ビームが交差した。アムロはド・ダイに掠めさせ、ジェリドはシールドで防ぐ。耐ビーム・コーティングがなされているとはいえ、受け方を誤れば貫通することすらありうる。

「ちっ!」

 同時に舌打ちした二人は、ビームサーベルへ手を伸ばす。シールドの裏にマウントされたマラサイのサーベルを、アムロは油断なく抜き放つ。形成された高温の刃が触れた雨粒を蒸気へ変えた。

 右手にライフルを構えたまま、ジェリドもビームサーベルを抜いた。左肩越しに抜いたビームサーベルは、独特の赤い光を放っている。

 加速とともに、機体の前面に雨が叩きつけられる。すれ違いざまの鍔迫り合い。ビームサーベルが激突し、弾けた粒子が互いの装甲を削る。

「なにいっ!?」

 アムロは驚いた。ジェリドのMk-Ⅱは、ビームライフルを手放していた。空いた右手は、バックパックのビームサーベルを抜刀する。二刀流だ。

 ここで相手を落とすつもりならばそれが最善かもしれない。しかし、この後にアウドムラを攻撃することを考えれば悪手だ。アムロは経験故に、ジェリドに虚をつかれた。

 ド・ダイ改の進行方向を変えつつ、アムロは機体を傾けた。ジェリドの二本目のビームサーベルが振り下ろされる。

「落ちろ!」

 ビームサーベルを握ったまま、マラサイの左腕が宙に舞う。だが、アムロの目は、未だ勝利を睨んでいた。

 一瞬の攻防を乗り越えて、彼らはすれ違う。アムロのマラサイは振り返ると同時に、左脇越しにMk-Ⅱを狙う。

「おおおっ!」

 Mk-Ⅱのシールドが、再びそれを防いだ。右手で切りつけたために、体がマラサイの方を向いていた。シールドの装備された左腕は、すれ違って背後へ回ったマラサイへ向くことになる。

 ジェリドは二本目のビームサーベルでアムロを落とすつもりだった。このシールドによる防御は単なる幸運だ。

「ちいっ!」

 アムロのマラサイは二発目を撃とうとする。そこへ飛び込んだのはマウアーのハイザックだ。

「アムロ・レイ! 死んでもらう!」

 乱射されたザクマシンガン改は決定打にはならない。左腕の増設シールドを構えたままザクマシンガンを捨て、腰のビームサーベルに手を伸ばす。同時に、腰のミサイルポッドからミサイルが発射された。

 ド・ダイ改の上で素早くステップを踏み、アムロはミサイルをかわす。たとえ片腕でも、マラサイは優秀なモビルスーツだ。アムロは落ち着いていた。

 ミサイルポッドが付いているのはハイザックの左腰だけだった。右腰のミサイルポッドは、ビームサーベルを素早く抜刀するために外されている。つまり、もうミサイルはない。ビーム兵器を同時に一つしか使えないハイザックがミサイルとマシンガンを捨てたということは、残った武器はビームサーベルだけということになる。

 アムロはマウアーがビームサーベルを抜くまでにそう判断し、マラサイの上体を軽く前傾させつつ、スタンスを広く取る。

 マウアーは居合のようにビームサーベルを抜く。上体を反らし、マラサイはかわす。同時に、マラサイのビームライフルが、ハイザックの胴体に突き付けられた。

「マウアー!!」

 ジェリドが叫んだ。Mk-Ⅱは反転し、アムロとマウアー目掛けて加速する。

「なめるな!」

 マウアーは鋭く言い放つ。マラサイの手首が斬り落とされた。ハイザックの左手から煌めくのは、逆手に握ったヒートホークの刃だった。

 彼女は逆手に握ったヒートホークを、シールドの裏に隠していたのだ。

「おおおおっ!」

 雄叫びを上げ、マウアーのハイザックはビームサーベルを突き出す。狙いはマラサイの胴体だ。

 マラサイの手首の切断面が、ハイザックの頭部を揺らす。手首を落とされながらも素早く振り抜いた右腕が、サーベルの刺突より一瞬早く着弾したのだ。

 バランスを崩したハイザックに突き放すような横蹴りを加え、アムロのマラサイが距離を取る。ベースジャバーとド・ダイ改の間はすでに遠い。

 追いかけようとするマウアーだが、すでに射撃武器はない。追えばアウドムラのモビルスーツ部隊の攻撃にさらされることになる。

 アムロのマラサイが退いた。それを見て、ウッダーが号令を下す。

「モビルスーツ隊! 突撃だ!」

 ベースジャバーが一斉に加速する。好機だ。カラバのモビルスーツ隊はエースの撤退に浮き足立っているだろう。

 ジェリドはマウアーへ通信を飛ばす。

「マウアー! 下がれ!」

「まだ戦える!」

「よくやってくれた!」

 モニターに映ったジェリドは優しく笑っていた。マウアーはその顔を見て、たまらなくなった。

「補給を済ませたら、すぐに!」

「ああ!」

 後退するマウアーを満足げに見送ったジェリドに、また別の通信が鳴った。

「ジェリド!」

「おう!」

 カクリコンのMk-Ⅱが追い抜く間際にビームライフルを差し出す。ジェリドは事前に二刀流の戦法をカクリコンに伝えていた。カクリコンのMk-Ⅱは予備を加えて、二挺のライフルを持って出撃したのだ。

 サーベルを戻し、ジェリドはビームライフルを両手で構える。

「よし……行くぞ、カクリコン!」

 一気に乱戦に持ち込もうとするスードリのモビルスーツ部隊に、アウドムラのモビルスーツ隊は懸命に前線を維持していた。

「く、来る!?」

 ネモに乗ったカツはまだ新兵だ。慌てる彼のネモに、リック・ディアスが触れる。接触回線だ。

「ロ、ロベルト中尉……」

「落ち着け、突っ込んできただけだ」

 そう言って、彼はリック・ディアスのクレイバズーカを構えた。ド・ダイ改の軌道を小刻みに変えつつ、突撃してくる連邦カラーのハイザックを銃撃する。

 シールドごと穴だらけになったハイザックは、ベースジャバー上で爆発した。

 その爆発の背後から、もう一機ハイザックが飛び出す。ロベルトはわずかに焦った。

 だが、ハイザックの頭部が撃ち抜かれる。後方へ揺れて倒れたその機体は、首から煙を吹きながらベースジャバーから落ちていく。

「カツ!」

「はい!」

 二機目のハイザックを仕留めたのはカツだ。彼は落ち着いて、次の敵へ照準を定める。次の敵は、ガンダム。黒いガンダムだ。

「カクリコン! コンビネーションで行くぞ!」

「わかっている!」

 並走していたジェリド機とカクリコン機が一瞬で散開する。リック・ディアスとネモを前に、二機のMk-Ⅱがビームライフルを発射した。

 

 

 

 アウドムラの窓には大量の雨粒が付いていた。ワイパーを高速で稼働させているが、まるで滝のように窓を伝っている。

「アムロ大尉のマラサイ、撤退するようです!」

「くそっ、アムロがやられるとは……!」

 ハヤトが呟いた。敵モビルスーツはアウドムラには接近していないが、それも時間の問題だろう、モビルスーツ部隊は頑張ってくれている。

 もしも支援できるならば主砲でもなんでも撃ち込みたいところだったが、あいにくアウドムラの兵装は護身用の機銃とミサイル発射管がせいぜいだ。

 ハヤトが奥歯を噛む。アウドムラが大きく揺れた。

「何だ!?」

「こっ、攻撃です! ええと……五番エンジン、六番エンジンがやられました!」

 戦慄がブリッジに走る。馬鹿な。モビルスーツ部隊を突っ切って来たというのか。サブフライトシステムをはるかに凌駕する機動力など。ハヤトは舌打ちした。

「これは……あの可変モビルアーマーです!」

「ふふふ、もらったよ、カラバ!!」

 ロザミアのギャプランは、次々とメガ粒子砲を撃ち込んでいく。そのスピードは対空機銃など問題にしない。どしゃ降りに視界を封じられたアウドムラはまな板の鯉も同然だった。

「モビルスーツ部隊が踏ん張ってくれているんだ! 落とせ!」

 ハヤトが指示を飛ばす。だが、装甲は無情にも削られていく。クルーが全員ベストを尽くしていることはわかっている。鼓舞することしかできない自分が恨めしかった。

 

 

 

 量において、アウドムラのモビルスーツ隊は大きく劣っていた。ハイザックのザクマシンガン改が火を吹く。それを受けたネモのシールドは、もう穴だらけだ。

「もっと下がれ! 落とされちゃならんぞ!」

 ロベルトが檄を飛ばす。疲弊したネモの隊列が後退し、スードリの部隊と一度距離を取った。アムロ機の中破で浮き足立っていたパイロットたちが、ようやく落ち着いたところだ。

 ヘルメットのバイザーを開け、カツが額の汗を拭った。

「まずいぞ、これは……」

 落ち着いたとはいえ、これ以上下がればアウドムラを攻撃に晒すことになる。そのうえ戦力差は以前にも増して大きくなっていた。カツは唇を舐め、まなじりを決した。

「ロベルト中尉! 僕が囮になります!」

「カツ!? あの馬鹿!」

 カツのド・ダイ改が急加速する。散発的な射撃をしつつ、ネモはハイザック部隊の中央へ飛び込んだ。浴びせかけられる集中砲火は、シールドで受け止める。ネモのシールドは、常時の取り回しの良さと使用時の防御力を両立できるスライド展開式だ。

「ビームライフルは、あいつとあいつ!」

 シールド表面に次々に浴びせられるザクマシンガン。カツはビームライフルを持ったハイザックに目星をつけていた。

「そこっ!」

 盾さえあれば、ザクマシンガン改は怖くない。もとよりガンダリウム合金製の機体だ。盾に耐ビームコーティングがされているとはいえ、最も恐ろしいのはやはりビームライフルだった。

 カツのネモが放ったビームが、ハイザックのベースジャバーに掠めた。スードリのモビルスーツ部隊の攻撃はますますカツに集中する。

「ええい、カツを援護しろ!」

 追い立てられるようにロベルトが叫ぶと、ネモ隊も負けじとビームを撃つ。カツに気を取られていたハイザックが、ビームを浴びて倒れた。

「やった!」

 カツは快哉の声を上げた。捨て身とも言えるその戦術が功を奏して、カツは得意になっていた。

「あの時の小僧が!」

 ジェリドのMk-Ⅱが引き金を引く。発射されたビームが、カツのド・ダイ改に直撃した。

「うわあっ! ド・ダイが!」

 素早い回避運動で直撃を避けていたカツだったが、その動きはジェリドから見れば拙い。だがカツは、歯を食いしばった。

「負けるもんか!!」

 狙いを定めたカツがスイッチを押し込むと、ネモが引き金を引いた。煙を吹いたド・ダイ改は大きく減速し、傾いている。雨水が反射剤になって、ビームの光を映した。

 そのビームの向かう先はハイザック。だがそのハイザックは、シールドを構えて防いだ。

「まだっ!!」

 続けざまに、二発。計三発のビームはシールドを貫通し、ハイザックの胴体を撃ち貫いた。

 カクリコンのMk-Ⅱがビームライフルをカツに向けた。揺れるド・ダイ改の動きを見定め、狙い撃つ。

「落ちろっ!!」

「どけっ! カツ!!」

 ロベルトのリック・ディアスが射線に割って入った。ド・ダイ改から飛びつくように、そのリック・ディアスはネモを庇った。

 ビームの直撃を胴体に受け、リック・ディアスは硬直する。機体各部から火花が散った。

「おおおおおっ!!」

 頭部の脱出ポッドが外れる。その直後、リック・ディアスは爆発した。

「ろ……ロベルト中尉!!」

 カツは手を伸ばしたが、脱出ポッドには手が届かない。嵐の中では、その小さなポッドを目で追えるはずもなかった。カツは素早くリック・ディアスのド・ダイ改に乗り移る。

「嘘だ……!」

 ロベルトが撃破された。隊長機の撃破を確認して、ジェリドは号令をかける。

「今だ! 一気に押し込めーっ!!」

 スードリのモビルスーツ隊はさらなる熱気を帯びて突撃を開始する。アウドムラは目の前だ。指揮をとっていたロベルトが落とされ、ネモ隊は平静を失っている。

 ネモは後でも落とせる。先に落とすべきはアウドムラだ。モビルスーツ隊は一挙にアウドムラへと押し寄せた。

 

 

 

「か……艦長! モビルスーツ部隊が突破されました!!」

「何だと!」

 ブリッジが激しく揺れた。スードリのハイザック隊のビームが次々とアウドムラに突き刺さる。

「エンジンの出力が上がりません!」

「Hブロックで火災発生! 消火の手が足りないそうです!」

 被害報告が続々と飛び込んでくる。

 敗因はやはりモビルスーツ隊の数だった。モビルスーツは連戦によって消耗し、両手の指で数えられるほどになっていた。対するスードリはムラサメ研究所のモビルスーツ隊の支援も受け、万全以上の態勢だ。台風に乗じた出発も読まれていたアウドムラにとって、かなり不利な戦いになることは、出撃前からわかっていたことだ。

「く……ダメだ、持たない!」

 ハヤトが苦渋の決断を下す。すでにアウドムラは、いつ落ちてもおかしくない。

「お前たちは脱出しろ!」

 艦長の突然の指示に、ブリッジクルーがざわめく。

「アウドムラをスードリにぶつけてやる。その隙にモビルスーツ隊にもクルーにも逃げさせる!」

「無茶です!」

「アウドムラを連邦に返すわけにも、モビルスーツ隊を無駄死にさせるわけにもいかんだろ!」

 有無を言わせぬ口調で怒鳴りつけられて、クルーは口を閉じた。ハヤトは本気だ。そしてその手を取れば、ハヤトが無事では済まないこともわかっている。

 ハヤトはモビルスーツ部隊に通信を繋げる。

「これよりカラバはアウドムラを放棄する! 乗員は直ちに離脱せよ! モビルスーツ隊はかねての手はず通り、合流地点で待て!」

 彼はそのまま舵輪へ走った。両足で床を踏みしめて、舵輪を固く握る。

「そんな、艦長!」

「行け! あとはぶつけるだけだ、俺一人でできる!」

「お供いたします!」

 ブリッジのクルーが、ハヤトに負けじと声を張り上げた。その数人はブリッジに仁王立ちし、ハヤトを見つめている。

「艦長一人にそんな真似はさせられません!」

「お前達が生き延びることが、カラバのためになるというんだ!」

「あなたがカラバのリーダーでしょう!」

 押し問答が続く。そうこうしているうちにも、ギャプランがアウドムラを攻め立てる。翼が黒煙を吐いていた。

「艦長!」

「……すまん!」

 根負けしたのはハヤトだった。ひたむきに呼びかけ続けたクルー達は顔を明るくして、それぞれのシートへ着く。

「敵モビルスーツを近づけるな! スードリにぶつけるんだぞ!」

 クルーはてきぱきと準備を進める。今更通信士などいらない。彼らは火器管制や機体制御に集中した。

 仲間達の血路を開くため、彼らはアウドムラと自身の命を捨てるのだ。

 アウドムラは進路を変えた。その行く先は、スードリ。誰が見ても、その狙いは明らかだった。ジェリドが呟く。

「まさか特攻か!」

 隊列を突破されたネモたちは、せめて脱出する仲間達を援護しようとアウドムラへ加速する。ジェリドとカクリコンはネモ隊の足止めを買って出た。

「そこっ!」

 安易に加速したネモが一機、撃ち落とされた。カツはその後ろで、眉間の皺を深くした。ハヤトの特攻は、このままでは失敗する。彼は考えを巡らせた。

「父さんは自分を囮にして……!」

 合点が行き、彼は歯噛みした。ガルダ級は貴重な艦だ。奪われたアウドムラだけならともかく、スードリまで破壊されれば大きな痛手となる。現にスードリのモビルスーツたちは、アウドムラ攻撃に向かっている。カラバのモビルスーツや脱出者たちへの攻撃の手を緩めさせることがハヤトの狙いだった。

 理屈ではわかる。だが、自分の父親が自殺同然の行動を取るなど、彼は信じたくなかった。血が繋がっていないとはいえ、ハヤトにはカツを含めて三人の子供がいる。その上、妻であるフラウは妊娠中だ。カツは長男だからこそ、ハヤトの偉大さと、家族にとっての重要さを理解しているつもりだ。

 カツは歯軋りした。自分は、何もできていない。

 

 

 

「かねての手はず通り……!」

 格納庫でアムロがつぶやいた。彼の目の前のマラサイは未だ修理中だった。

 合流地点というのは、敵に傍受された時のためのフェイクだ。こういう時のために、どう逃げるかについては打ち合わせてあった。カラバ、つまりエゥーゴの協力者は、地球にも少なくない。ルオ商会のような力を持っているものはわずかだが、構成員を匿う程度のことはできる。

 そういった協力者達の情報は、カラバの一員ならば持っている。アウドムラが沈むという情報を聞けば、近くの海域で密かに回収作業も行うはずだ。

「くそっ!」

 アムロは悪態をついた。油断がなかったとはいえない。ジェリドと強化人間にさえ気をつければいい、という甘さが彼の中にあった。

 格納庫はすでに慌ただしく脱出に向けて動いている。

「おい、まだ終わらないのか!」

 アムロは焦ったくなって、マラサイを修理する整備士に声をかける。

「手首の軸受けがダメになってるんです! 時間がかかるって言ったでしょ!」

 怒鳴り声が帰ってきた。アムロが必死ならば整備士も必死だ。

 アムロは悔しがりながら、横目で格納庫の様子を見る。

「早く乗れ! 死ぬぞ!!」

「おい、パイロットがいないぞ!」

 ド・ダイ改のコクピットは小さいが、暴風の中では一般機では墜落の恐れもある。機体が大きく推力の大きいド・ダイ改に乗り込みたがるのも道理だ。

「コンテナを載せる! これに入っておけ!」

 メイン格納庫にはド・ダイ改やモビルスーツ用以外の物資も多く格納されていた。

 貨物用コンテナをド・ダイ改の上に載せ、その中に次々にクルーが飛び込んでいく。コンテナはウインチで固定されているが、荒い操縦をすればコンテナの中は洗濯機のようにかき混ぜられることだろう。

 格納庫に続々とクルーが駆け込んでくる。その中には、レコアの姿もあった。

「レコア少尉か!」

 アムロが呼びかける。レコアの息は上がっていた。

「アムロ……大尉……」

「脱出だ。マラサイの修理が終われば、俺が護衛になって離脱する」

 アムロはレコアが心配だった。覗き込むその目を嫌がるように、レコアが首を振る。

「わかっています。ですが……」

 再びアウドムラが揺れた。よろめいたレコアを支えようとアムロが手を伸ばす。

 レコアはその手を掴まなかった。踏みとどまりきれず壁に手をついたが、彼女は気丈にもすぐに立ち上がってみせた。

「わあっ! まだ出るな!!」

 ハッチが開き始めた。一機のド・ダイ改が加速し、半開きのハッチをくぐって離陸する。

「誰だ、ハッチを開けたのは!」

 アムロが叫んだ。だがその叫びに答えるものはいない。初めの一機に追従するように、ド・ダイ改がジェットエンジンに点火する。

 初めの一機が、上からのビームに撃ち抜かれる。出て行ったド・ダイ改が、モグラ叩きのように撃ち落とされていく。

 ノズル光をたなびかせ、そのモビルアーマーはハッチの内側へ飛び込んだ。

「落としてやるよ、アウドムラ! 腹の中からね!」

 半変形して足を出したギャプランは、強引に格納庫内でへ着地する。床との摩擦で火花が散った。続けてギャプランはモビルスーツ形態へ変形し、サーベルを抜く。足元のド・ダイ改が切り裂かれた。爆発が兵士たちを吹き飛ばし、格納庫を火の海へ変える。

「う……うわああああ!!」

「あ……ああ……!」

 アウドムラの乗員たちはその多くがこの格納庫へ脱出のために集まっている。脱出のチャンスを失った彼らは、目の前で暴れ続ける巨人を止めることができなかった。

「アハハハハハハ! 落ちろ!!」

 ギャプランは格納庫の中でメガ粒子砲を乱射する。降り込んでくる豪雨も、その火の勢いを止めることはできない。ロザミアはさらに攻撃を続ける。モビルスーツハンガーを斬り倒し、せり出した通路を撃ち砕く。ブリッジの方向目掛けて何発もビームを撃ち、荷物を積み込むド・ダイ改を蹴飛ばした。

 彼女は止まらない。このままではアウドムラは、スードリにぶつけることすら叶わず沈んでしまう。それどころか、この格納庫にいる全員が殺される。

 レコアの方にアムロは向き直る。

「ド・ダイを動かせるのか?」

「え? ええ……」

「なら早くド・ダイに乗れ! 僕がマラサイに乗る!」

 アムロはマラサイを見上げた。レコアは一瞬目を伏せ、ド・ダイ改へと走っていく。整備士は頑張っているが、アムロは舌打ちしてハンガーの梯子を登った。

「左腕は動くんだろう!」

「片腕ですよ!」

「いいから脱出しろ!」

 アムロは整備士を押し退けて、マラサイのコクピットのハッチを開けた。

「くそ……何をやってるんだ、ハヤトは!」

 苛立ちながらアムロはコクピットシートに体を押し込んだ。ハヤトはアムロの数少ない友人の一人だ。格納庫にやってくるクルーの中に、彼の姿はない。

 マラサイの全天周囲モニターが点灯する。その正面には、ロザミアのギャプランが見えた。

「モビルスーツ! 残っていたのか!」

 わずかな殺気を感じたのか、それとも偶然か。ロザミアはマラサイに気づいた。それまで無秩序な破壊行動を行なっていたギャプランが、油断なく体をマラサイへと向けた。

 マラサイが起動する。サーベルの補給も済んでいない。武器は右のシールドの裏にサーベルが一本。そして右腕は、手首から先がない。

 アムロはマラサイの足元を見た。まだ脱出ができていないクルーがたくさんいる。もしもギャプランを爆発させれば、ハヤトが命をかけて脱出させようとする彼らを殺すことになる。

 ギャプランがマラサイに注意を向けたことで、ド・ダイ改はノーマークだ。出撃後のことはわからないが、少なくとも格納庫から出ることはできる。次々にド・ダイ改が発進する。

 ロザミアはマラサイのパイロットがニュータイプであることを直感で感じ取った。表情を歪めて、ギャプランのメガ粒子砲を構える。

「落ちろ!」

 格納庫の隅のマラサイは、一見したところ逃げ場がない。だがアムロはマラサイのスラスターを吹かし、壁を蹴った。

 三角跳びのような動きでギャプランの頭上を超えたアムロは、そのままギャプランの背後へ着地する。着地点のすぐそばにいたクルーが驚いて悲鳴をあげる。

「おおおっ!」

 アムロは雄叫びを上げ、背後からギャプランめがけてビームサーベルを振り下ろす。

 音を立てて、格納庫の床にギャプランの左腕が落ちた。

「コクピットだけをやる!」

 アムロはそのままギャプランに組み付く。右腕で相手の右腕を封じつつ、左手のビームサーベルを構えた。

 コクピットはどこだ。胸のあたりか。アムロは焦りながら、ギャプランのコクピットを探る。

「鬱陶しいんだよ!」

 ギャプランはそのままブースターに点火する。強力なジェット噴射が、マラサイを振り払った。しりもちをつけば、カラバのパイロットを潰してしまう。バランスを取ろうとするアムロのマラサイを嘲笑うように、ギャプランはビームサーベルを振るう。

 二本のビームサーベルがぶつかり合った。アムロは鍔迫り合いのまま、相手を引き込みサーベルを下へ押し込んで体勢を崩す。だがロザミアは笑っていた。

 ギャプランのムーバブル・シールド・バインダーが動いた。ぐるりと回転し、それは発進前のド・ダイ改を撃つ。

「こいつ!」

 アムロは焦った。さらにギャプランは背面のスラスターを噴射し、体当たりでマラサイを吹き飛ばす。壁に叩きつけられたマラサイは、大きな隙を晒している。

 ギャプランのメガ粒子砲の砲口が、再びマラサイを捉えた。

「死ねっ!」

 ロザミアが引き金を引こうとしたその瞬間、ギャプランの体にド・ダイ改が激突した。高速で横から割り込んだド・ダイ改が、ギャプランを弾き飛ばす。

「おおおおおっ!!」

 ド・ダイ改のコクピットでレコアが叫ぶ。さらに加速したド・ダイ改は、ギャプランを自身ごと格納庫の壁へ叩きつけた。激しい衝撃が二機を襲う。壁についた大きな傷跡が、その威力を物語る。

「馬鹿な! 動かないというのか!?」

 ロザミアが叫ぶ。操縦桿を何度も動かすが、壁にぶつかったまま滑り落ちたギャプランは動かない。可変モビルアーマーゆえの脆いフレームが裏目に出た。モビルアーマー形態ならばともかく、不安定なモビルスーツ形態の時に可変部分である腰を狙われれば、機体全体に大きな歪みが出てしまうのも無理はない。

 アムロのマラサイが、ビームサーベルを携えて距離を詰める。

「お母さん……お母さん……は……!」

 祈るようにロザミアは操縦桿を動かし続ける。その姿はまるで、幼児のようにも見える。マラサイが近づいた。マラサイは、サーベルを握ったままのギャプランの右腕を踏みつける。ロザミアの目に涙が浮かんだ。

「ああーっ!!」

 マラサイのビームサーベルが、ギャプランのコクピットを灼いた。

「レコア少尉!」

 アムロはマラサイの手でド・ダイ改を探った。壁に激突したド・ダイ改は、とても動くようには見えない。マラサイの指で強引に、ド・ダイ改のコクピットをこじ開ける。

「く……!」

 死体を目にして、アムロはマラサイを立ち上がらせた。マラサイの指には血がついていた。ビームライフルを拾い、ウィンチで固定されたコンテナに触れないように、マラサイは出発しようとするド・ダイ改の上に乗る。

「乗せてもらう!」

「ありがたいです、大尉!」

 一刻の猶予もない。ド・ダイ改が加速し、空へ舞う。アムロの的確な射撃が、スードリのモビルスーツを後退させる。

 後退したハイザックが、ビームに貫かれた。カツのネモだ。アムロはつぶやき通信をつなげる。

 アムロの的確な射撃で相手は隙を晒しているが、離脱のチャンスは今しかない。

「カツ! 離脱するぞ!」

「嫌ですよ! 父さんが! ロベルト中尉だって!」

「死ぬぞ!」

「殺してくださいよ!」

「カツ!!」

 マラサイがネモにビームライフルを撃った。それは頭部のカメラアイからわずか数メートルの間も開けずに通過する。それだけのことをされてようやく落ち着いたのか、カツはアムロの乗るド・ダイ改に追従する。

「スードリにぶつけさせるな! アウドムラに攻撃を集中させろ!!」

 ジェリドの命令に従い、ハイザックとアクトザク達はアウドムラに攻撃を集中する。ネモ達を見逃すことにはなるが、その当のネモ達も離脱を目的に加速している。アムロ達も、その混乱に乗じて離脱した。

「おおお!! 止めろーっ!!」

 モビルスーツ隊の一斉射が、アウドムラの主翼へと飛んでいく。機体の各部から火花と黒煙を噴きながら、アウドムラは止まらない。

「ブリッジだ!」

 ジェリドはビームライフルのエネルギーパックを付け替えて叫んだ。ガルダ級は貴重な機体だ。ましてやスードリのクルーを死なせるつもりなどジェリドにはない。ビームライフルのサイトを覗き込む。

 狙い澄ました一撃が、アウドムラのブリッジを撃ち抜いた。おそらく制御もそこでしていたのだろう、方向転換が甘くなった。

 スードリは揚力を機体いっぱいに受け、上昇する。それとは対照的に、アウドムラの高度はどんどんと落ちていく。次々に翼に撃ち込まれるビーム。一時はぶつかるかに思えた二隻の超大型輸送機は、滝のような豪雨の中、一方がもう一方を見下ろしている。

 風に煽られたのだろうか。アウドムラは、最後の一瞬だけ機首を上げた。自身を落とした兄弟を見上げた後、力を使い果たしたかのように、海へと墜落していった。

 

 

 

「待ちなさい、フォウ! フォウ!!」

 コーネルの声が通路に響く。彼女の踵の高い靴ではフォウに追いつけない。フォウは後ろを振り向く様子もなく走り続けた。

 格納庫には、使われていないジムⅡが一機ある。スードリの広い格納庫に出たフォウは、一際大きく床を踏みしめて止まり、ジムⅡへとまた駆け出した。

 彼女の足が止まる。細腕を力強く握るのはスードリの兵士だった。

「放せ!! 放せえっ!!」

「艦長の命令です。あなたの出撃は……」

「いやだっ!!」

 フォウは顔を背けて叫び声をあげる。コーネルが追いついた。

「フォウ! なぜ急に駆け出したのです!?」

 ふと、フォウの抵抗が弱くなった。彼女はコーネルの声に応えることなく、表情を歪める。

「ロザミア……ロザミア……!」

 掴まれていない方の手で額を抑え、睨みつけるような目つきで彼女は何かを見た。視線の先はただの壁だ。彼女は今、ロザミアと通じ合っているのだ。

「あ……」

 兵士に腕を掴まれたまま、フォウは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。力なく倒れ込もうとする彼女は、腕を掴む兵士の手にぶら下げられて、なんとか座り込んでいるような状態だ。

「ロザミア……」

 フォウ焦点の合わない目で床を見つめ、そう呟く。記憶を奪われた彼女の唯一の友人は、檻のような狭苦しいコクピットの中で焼き殺され、その死体は、鉄の鳥の腹の中で嵐の海へ沈んでいく。フォウの頬を雫が伝い、床へ落ちる。彼女は今、ロザミアと同じ悲しみの海にいた。

 

 

 

 戦闘が後方へと流れていく。攻撃もない。カツのネモはは片腕のマラサイをフォローするように右側に並走する形だ。アムロが訊いた。

「ロベルト中尉も落とされたのか?」

「……はい。僕を庇って」

 打ち付けるような雨がモビルスーツの全身を濡らす。雨の冷たさがコクピットまで伝わるようで、カツは不愉快だった。

「レコア少尉も死んだよ、カツ」

「え?」

「……死んだんだ」

 アムロはそこまで言うと、一旦口を閉ざした。激しい雨の音が彼らを包む。アムロはまた口を開き、ド・ダイ改のパイロットに尋ねた。

「レコア少尉、だったのだろ?」

「あのド・ダイ改は……そうですよ」

「そうか……」

 カツは、遠慮がちに口を開く。

「父さんは、脱出できたんですか」

「ハヤト艦長はアウドムラと……」

「……わかりました」

 カツはド・ダイ改のパイロットの言葉を遮った。それ以上聞きたくない。カツは声を震わせて、うめく。

「う……ううぅうっ……!! 僕が……僕がっ!!」

 カツは深い自己嫌悪に陥った。ハヤトも、レコアも、ロベルトも死んだ。耐えきれなくなって、カツはヘルメットごとモニターに頭を叩きつける。

 カツの嗚咽が、通信を通して一同に聞こえる。ド・ダイ改のパイロットは、カツとの通信を切った。

 雨がモビルスーツの表面を洗い流す。マラサイの左手の指についた血も、いつのまにか消えていた。

 アムロはマラサイの指を見たまま、目を閉じて声を張り上げる。

「自惚れるな、カツ!」

「え……」

「お前一人が活躍したとか死んだとかで勝てるほど、戦争は甘いもんじゃない!」

 怒鳴るようなその声は、自分自身を責めているようにも聞こえた。沈黙が流れる。アムロは背中をシートに預けた。

「その時に、ベストを尽くすしかない」

 吐き出す息にのせて、アムロはつぶやくように言う。

「人間なんて、そのくらいのことしかできないんだ」

 嵐は止む気配を見せない。敵の追跡はかわせるが、仲間達との合流は望めないだろう。ド・ダイ改の上の水溜りは、空気抵抗と慣性で後方へ流れ飛んでいく。

「くっ……ううう……っ! ううううっ!」 

 カツは目を閉じた。何度拭っても、涙が溢れ出してくる。ド・ダイ改の上に乗った二機のモビルスーツの背中を、雨が覆い隠していた。

 

 



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休息

 台風一過のニューギニアの空は、水平線の端まで晴れ渡って見えた。

 滑走路の上で、大きな輸送機がその緑の機体を晒している。傷こそないが、スードリも長い戦いを続けてきた。今はひとときの休息だろう。

 ジェリドがぼんやりと肩越しにスードリを見ていると、ジープが動き出した。目線を前に戻す。

「見たところ、引っ越しは終わったようだな」

 運転手はニューギニア基地の人間だ。彼は笑い飛ばす。

「外側だけですよ、ハリボテです。カラバが来たら酷い目に遭ったでしょうね」

 ニューギニア基地への入口は、地下へと続いていた。ジープが近づくと、そのトンネルにライトが点いた。オレンジ色の光が彼らを照らす。

「それにしても、どうして俺だけなんだ?」

「そういうご命令なんですよ。私も詳しくは知りませんが、さる高官のご希望だそうで」

 兵士は快活に答えながら、道路の先を見ている。トンネルは思いのほか短く、沈黙が負担になる前に、地下のニューギニア基地へ出た。上を見上げれば硬い岩盤と、それに取り付けられたライト。トンネルの道はそのまま、施設を見下ろす高架に繋がっている。

「ほう……地下にこんな施設を」

 地下の空洞は広い。ジャブロー基地にも負けていないように見える。この広さから考えると、おそらく海底の下まで基地は続いているだろう。

 無事に明るいところへ出て安心したのか、兵士が口を開いた。

「しかし、英雄の中尉に会えて幸せですよ」

「なに?」

「ジャブローから友軍を率いて脱出した、新たなガンダムパイロット! いやあ、英雄ですよ」

 地下に空けた空洞にビルを建てるのは、ジャブロー基地と同じやり方だ。

「有名なのか?」

「はい。テレビでも新聞でも取り上げてますよ。ご覧にはなってないんですか?」

「ずっとスードリの上だったからな」

 吐息と共にそう言って、ジェリドは座席に深く身を預ける。込み上げた笑いを抑えきれず、頬が緩んでいる。

 しばらく走ると、車は一つの大きなビルの下に到着した。広い地下空洞の上まで届きそうな大きなビルだ。

「ここか?」

「ここの待合室にお連れするのが命令です」

 二人は自動ドアをくぐりながら進む。警備の男がジェリドを見て敬礼する。

「失礼ながら、ジェリド・メサ中尉とお見受けいたします」

 厳格そうな男だ。への字の口と鋭い目に、がっしりした大きな体格は、見るものに威圧感を与える。

「……お前は?」

「その……ファンでありまして、サインを……」

 ジェリドは顔が緩むのを抑えて、努めて厳しく答える。

「任務中だろう。……帰りに渡してやる」

 待合室に着くまでに、そんなやりとりが何度もあった。

「さ、こちらでお待ちください」

 ジープの兵士と別れて、ジェリドは待合室のソファに腰を下ろす。軍隊であるだけ殺風景だが、清潔で快適な部屋だ。何気なく見回すと、隅の方に新聞がいくつか置いてあった。

 ジェリドは先程の話を思い出し、新聞に手を伸ばす。

「こいつは……。なるほど、捨てられんというわけか」

 ジェリドはにやけてしまった。待合室にあったのは今日の各社の新聞だけでなく、ジェリドがジャブローを脱出した記事が載った新聞まで残っていたのだ。

 一面を飾るのはエゥーゴによるジャブロー襲撃という点。その中で彼は、エゥーゴが仕掛けた核爆弾の起爆から、友軍を率いて脱出した英雄として紹介されていた。

「……なんだと!?」

 ジェリドは新聞を目に近づけ読み直す。彼はその違和感に顔を歪ませ、新聞をソファに置いた。

「エゥーゴが核爆弾を仕掛けた? バカな……!」

 彼がジャブローを脱出した時、確かに核が爆発した。しかし、それはジャブローに元々埋められていた核をジャブローの基地司令が自爆のために起動したものであって、エゥーゴが仕掛けたものでは断じてないはずだ。

 ジェリドの頭に浮かんだ疑いは、彼の胸にしこりとなって残る。

「ジェリド中尉。こちらへ来ていただきます」

 声の方へとジェリドは振り向いた。三十過ぎの男が、待合室の入り口に立っている。表情の乏しい男だ。ジェリドは立ち上がった。

「ようやく、俺を呼んだ高官とやらと会うってわけか?」

「はい。ですがくれぐれも、粗相のないよう」

 二人はエレベーターへ乗り込んだ。ジェリドは内心不快だった。この男が信用できないのだ。

「誰が呼んだか言えんのか」

「言ってまずいことになるとは思いません。ですが、ご命令です」

 何度かエレベーターを乗り継いで、男はあるドアの前で立ち止まった。

「こちらです」

 入るよう手で促しつつ、疑うような目で男はジェリドを見た。ジェリドも男に礼も言わず、ドアをノックする。

「ジェリド・メサ中尉であります。お呼び出しに従い、参上いたしました!」

 間を置いて、低い声が返ってくる。

「入りたまえ」

 威厳のある声だ。ジェリドはドアを開ける。そこは執務室だった。白髪の老人が、机の前で書類に目を通している。顔中に刻まれた皺は、深い。

「……よく来てくれたな、ジェリド・メサ中尉」

 ジェリドは目を見開いた。その人物は、ティターンズの創設者であり総帥、ジャミトフ・ハイマン大将その人だ。

 すぐさま敬礼し、ジェリドは唾を飲む。これは僥倖だ。ジャミトフに近づくためにティターンズでのし上がっていくつもりだったが、その機会が早くもやってきたのだ。

「ありがたいお言葉です」

「楽にしていいぞ、中尉」

 ジャミトフはゆっくりと話す。ジェリドの緊張をほぐすためだろう。

「さて、私も忙しい。手早く行こう」

 引き出しからジャミトフは何かを取り出し、無造作に差し出す。それは辞令だった。ジェリドは慌てて、両手でそれを手に取った。礼式も何もないが、正式な辞令だ。

「ジェリド・メサ。友軍を救助してのジャブロー脱出、およびカラバ撃滅の功績から、君を大尉にすることが決まった。これからもより一層、奮起するように」

「は……はっ! ありがとうございます」

 頭を下げて、ジェリドは辞令を受け取る。彼はそのまま一歩踏み出し、声を落として言った。

「私から、閣下のお耳に入れたいことがございます」

 真剣な面持ちと、声。ジャミトフは片眉を上げてジェリドの顔を見た。

「……ほう」

 すでに火蓋は切ってしまった。ジェリドは緊張の表情のまま、語り出す。

「閣下は、30バンチ事件というのをご存知ですか」

 ジャミトフの目つきが鋭くなる。ジェリドも、ジャミトフの目を見返す。ふん、と鼻を鳴らして、ジャミトフが背を椅子に預ける。

「どこまで知っているのだね」

「は……毒ガス、それから、バスク・オム」

 ジャミトフは観念したのか、机の上のシガーボックスに手を伸ばす。葉巻とシガーカッターをまとめて片手で取り上げると、カッターをもう一方の手に持ち替えて吸い口を作った。切られた葉巻の先が机の上に転がる。

 吸い口を咥えた彼は、ポケットから取り出したマッチを擦り、葉巻の先を炙る。葉巻をゆっくりと回転させながら吸って火をつけると、彼は目線を上げた。

「誰からだ?」

「……追跡中、アーガマがサイド1の30バンチに寄りました」

 ジェリドは内心、不安だった。ジャミトフは30バンチ事件を知っている。つまり彼は、バスクの虐殺を黙認しているということだ。

「バスクを更迭しろというのだな」

 ジェリドは重々しく頷く。

「はい。他にも、人質や……」

「いい。これはひとえに、私の力不足だ」

 ジャミトフはジェリドの言葉を遮って、また葉巻を咥える。

「力不足、ですか?」

 ジェリドが訊いた。頷くでもなく、ジャミトフは葉巻の煙を吐いた。紫煙が天井へと立ち上る。

「30バンチ事件については私も聞き及んでいる。だが、バスクは力を付けすぎた。迂闊に手を出せば、奴は私にすら反旗を翻すだろう」

「そんな……」

 ジャミトフの力でも、バスクを裁くことはできない。ジェリドは徒労感に打ちのめされる。

「しかし、好都合だな」

 葉巻の先の灰は、数センチほどの長さになっていた。ジャミトフのその言葉に、ジェリドが眉根を寄せる。

「どういうことです?」

「君をわざわざここへ呼んだのは、ある男の下で働いてもらいたいからだ」

 ジャミトフは机の上の書類の山から、一つの資料を取り出す。

「地上のエゥーゴ勢力は君たちのおかげで掃討できた。これは実にありがたいことだ。これから戦場は宇宙(そら)、月へ移っていくことになる」

 ジェリドは資料に目を通して顔を上げた。

「パプテマス・シロッコ……。木星帰りですか」

 満足げに頷いて、ジャミトフは続ける。

「うむ。私もバスクのやり方はやりすぎだと考えている。そこで、だ」

 ジェリドはシロッコの資料の略歴に、ごく最近ティターンズに入り、さらに少佐に昇進したという記述を見つけた。

「シロッコをバスクにぶつけるつもりですか」

 ジャミトフは葉巻を口へ持っていく手を止めて、笑った。

「その通りだ。君の活躍もあって、今バスクは勢いに乗っている。だからシロッコを使って、バスクを牽制する」

「そして、私がシロッコの補佐をする」

「少し違うな。君にはシロッコの監視をやってもらいたい」

 怪訝な表情を浮かべたジェリドに、ジャミトフがにやりと笑った。

「監視ですか?」

「審査と言った方がいいかもしれんな。シロッコは優秀だが、どこか得体の知れんところがある」

 ジャミトフはここまで話すつもりはなかった。それを覆したのはバスクへのジェリドの反感だ。シロッコの監視はバスク派には任せられない。ジェリドが反バスクである以上は、裏切りはないということだ。

「シロッコは今、ティターンズの旗艦であるドゴス・ギアの指揮をとっている。君たちへの正式な命令書は、すでにスードリに行っているはずだ。何か質問はあるかね」

 シロッコというバスクの対抗馬と手を組めれば、間違いなくバスクを追い落とせる。そうなれば、ティターンズは健全化し、地球圏も平和になる。ジェリドは飛び上がって喜びたいほどだった。

「ジャブローの核は、エゥーゴが仕掛けたものではありません」

 ジャミトフが眉を顰め、沈黙する。

「ここに来る途中の新聞では、エゥーゴが仕掛けたものだと出ておりましたので」

「そうか……。広報部のミスだろうな。私から言っておこう。下がっていい。くれぐれも、内密にな」

 薄く笑って、ジャミトフはそう言った。ジェリドは敬礼し、部屋を出る。

 ドアが閉じた部屋で、ジャミトフはゆっくりと葉巻を一服した。

「駒にしては、考え過ぎるかもしれんな」

 長く伸びた灰を、彼は灰皿へ落とした。

 

 

「そうか、日本へ帰るのか」

 ウッダーは組んだ手を机に乗せた。彼の視線の先にいるのは、ムラサメ研究所のコーネルとフォウだ。彼女たちはニューギニア基地から小型機に乗ってムラサメ研究所へ向かう。

 奪われたアウドムラを落とした今、スードリ隊は半ば解散に近い。ジェリド達ティターンズに、ブランやウッダーのオークランド研究所、ロザミアのオーガスタ研究所、さらにはフォウとコーネルのムラサメ研究所と、地球をほとんど半周する間に寄せ集め同然の組織になってしまったのだ。

 スードリの運用はひとまずはオークランド研究所に任されることに決まり、いずれにしても、日本へ戻るフォウ達にとって、長居する必要はなくなっていた。

「ええ、お世話になりました。共同研究の件はぜひ」

「こちらも世話になった。感謝している」

 ウッダーは微笑んでみせた。コーネルもにこやかに応えるが、フォウは顔を顰めてそっぽを向いている。

「ほら、行きますよ、フォウ」

「触るな!」

 腕を引こうとしたコーネルの手を払って、フォウは歩き出した。コーネルは心配そうにその背中を追いかける。フォウにとって、スードリでの思い出は嫌なことばかりだった。

「……強化人間、か」

 ブリッジから二人が出た後、ウッダーは一人つぶやいた。

 

 

 

「ジェリド! お前だけ昇進か! ええ、おい!」

 格納庫では、基地から戻ったジェリドがカクリコンからの手厚い歓待を受けていた。強く背中を叩かれるジェリドも、にやけた笑顔を隠していない。

 大荷物を持ったコーネルとフォウが、そこに通りかかった。フォウは敵意にも似た視線をジェリド達に向ける。

 ジェリドがそれに気づいた。肩を叩いていたカクリコンも、ジェリドに釣られてフォウの方を見る。

 フォウが足を止めた。荷物を持ったまま、二人を睨む。

「……艦を降りるのか、少尉」

「ロザミアが死んだ」

 鋭い語調でフォウが言った。ジェリドは表情を変えず、彼女の顔を見返す。

「知ってるさ」

 フォウが目を見開いた。手に持った荷物をジェリド達へ投げつける。カクリコンの胸板に当たって、バッグが落ちた。

「お前達が邪魔しなければ、私はホンコンで記憶を返してもらえていたんだ!!」

 ジェリドとカクリコンの目は、冷ややかにも見える。それは憐みだった。フォウは激昂し、カクリコンの胸ぐらを掴む。

「ロザミアは私の記憶のためにアウドムラに突っ込んだぞ! お前達が……」

 フォウはそこまで言って、とうとう泣き出してしまった。胸ぐらを掴む手は、むしろ縋るようにも見える。

「うう……! お前達がぁ……!!」

 八つ当たりであることは、誰よりもフォウが理解していた。しかし彼女は、他に感情の行き場を持っていない。記憶の中の唯一の友人を失った悲しみを、受け止めきれずにいた。思い出に逃げることもできない。自分という証明さえ、彼女はできない。

 ジェリドは視線を上げて、コーネルを見た。遠巻きに見ていた彼女は肩を震わせる。

「アウドムラを落としたのは誰だ」

「ガンダムMk-Ⅱのジェリド中尉が……」

 ジェリドはコーネルに詰め寄る。長身のジェリドに見下ろされて、彼女は情けない声を上げた。手を上げられれば、ひとたまりもないだろう。

「ロザミア少尉が格納庫に押し入ってくれたおかげで、アウドムラは落とせた。違うか?」

 コーネルは顔を伏せて黙り込んだ。唇を噛み締めて、彼女は目を閉じる。

「フォウの記憶を戻してやってくれ」

 沈黙が続く。コーネルは眉間にきつく皺を寄せて、答えた。

「……わかりました」

 彼女はそう言って、曖昧な気持ちを押しつぶした。上げたその顔は決意に満ち、両目が鋭くジェリドを見つめている。

 彼女以外の三人の表情が固まった。正直なところ、ジェリドもカクリコンも彼女がこうも素直にこの申し出を受け入れるとは思っていなかった。

 フォウがコーネルに駆け寄る。追いかけるように、カクリコンも詰め寄った。

「ほ、本当か、ナミカー!」

「できるのか、記憶を戻すなんて」

 コーネルの表情が曇る。

「記憶というのは、そう簡単に消したり戻したりできるようなものではありません」

 その言葉を聞いて、フォウが表情を歪める。コーネルは怯むことなく、彼女を正面から見据えた。

「だから、フォウ。時間はかかるかも知れません。でも、必ず、私があなたの記憶を戻します」

 強い調子で彼女は言った。顎を引き口元を引き締めた彼女は、かつてロザミアに怯えていた頃の姿とは似ても似つかない。

「ナミカー……」

 フォウが鼻を啜る。震えた声で名前を呼ぶ彼女に、ナミカーは笑みを作った。その背中に、ジェリドが質問を投げかける。

「コーネルさんよ、どうして急に……」

「私が冷血な人間だと、そう思っているでしょうね」

 コーネルは苦笑した。眼鏡の下で細めた目は、申し訳なさそうにも見える。

「ロザミア少尉がフォウのために死んだ時から、決めていました。ぬか喜びさせないために、今までは黙っていたんです」

 絆創膏が取れたばかりの鼻を撫でた彼女は、つぶやく。

「被験体に情が移っては、ムラサメ研の鼻つまみ者かも知れません」

 どこか高慢な雰囲気に満ちていた彼女は、今までに見せたことがない柔和な表情で笑っていた。

 

 

 

「顎引いて! はい、そのままこっちに目線を……撮りますよー」

 カメラのフラッシュが焚かれる。歯を見せた笑顔を続けていて、すっかり頬の筋肉がくたくたになってしまった。戦闘でもないのにノーマルスーツを着たジェリドは、ヘルメットを脇に抱えて写真を撮らされている。

「マウアー少尉。なんだこの騒ぎは」

 遅れて格納庫にやってきたカクリコンが、マウアーに尋ねる。大きなレフ板とカメラを持った彼らは、どうにも軍人らしく見えない。

「広報部ですって。ジェリドは英雄だから、と」

「ちぇっ、俺にはお呼びがかからんか」

 カクリコンは口を尖らせてひがんでみせた。実際、ジェリドが男前であることは、彼も認めるところだ。

「じゃあ最後に、ガンダムと!」

 広報部の男が言う。ジェリドを連れて、彼らはコクピットの前、ガンダムの顔が見える辺りまでハンガーを上る。

「よしっ! 撮りますよー!」

 シャッター音がうるさく聞こえる。ジェリドはうんざりしたものを胸の内に抱えながら、撮影を終えた。ハンガーの下から声がかけられたのは、広報部が機材を片付ける最中だった。

「おい! まだ終わらないのか!」

 広報部と一緒に、ジェリドが顔を出して下を見る。作業服の集団の先頭に、冴えない中年の男が立っていた。

「今終わったところだ! ……ん?」

 声を張り上げて、ジェリドはその人物に気づく。

「あんたは確か……フランクリン博士か?」

「ん……そうか、ジェリド中尉か!」

 フランクリン・ビダンは、顔を綻ばせた。

 ジェリドがハンガーから降りると、技師達がガンダムMk-Ⅱの作業に取り掛かり始める。装甲を外しているようだ。

「お久しぶりです、フランクリン博士」

「うむ。君のおかげで助かっているよ」

 口角を上げたフランクリンを見て、ジェリドは頭に疑問符を浮かべる。彼は確か、ティターンズの主義や戦況にはまるで興味のない男だったはずだ。その疑問を知ってか知らずか、フランクリンは喋り続ける。

「Mk-Ⅱなど私にとってはどうでもいい機体だったがな、君が活躍をしてくれたおかげで、このニューギニア基地で新量産機計画にも一枚噛めた」

「新量産機?」

「ああ。Mk-Ⅱの量産機と言ったら上層部がどっさり金を出してくれたよ。バーザムという機体だ」

 ジェリドの知らない機体だ。

「もうロールアウト済みのはずだが、まだ知らんのも無理はない。宇宙(そら)に優先して配備しているはずだからな」

 フランクリンの早口が収まったところで、ジェリドは先ほどから抱えていた疑問を口にする。

「今Mk-Ⅱの装甲を剥がしているのは、何のためなんです?」

「ああ、中尉……おっと、今は大尉になったのか?」

 フランクリンはようやくジェリドの階級章に気づいた。

「君の大活躍を受けて、上層部はMk-Ⅱをプロパガンダに使うつもりだ。だからオーバーホールして、その上で装甲材くらいは最新のものにして活躍をしてもらう」

 フランクリンは捲したてる。

「君達がエゥーゴのリック・ディアスを捕獲したろう? あれに使われていたガンダリウムγを用いた新材質らしい」

「らしいというのは?」

「装甲材質は私の専門ではないからさ。それを使えばほとんどバランスや機体重量を変えずに、Mk-Ⅱの装甲を一線級まで強化できるというのだ。全く、大した技術だよ」

 純粋に感心しているようだ。それどころか、自慢げにも見える。

 横目で見た技師達の手際はいいが、それなりに時間がかかりそうだ。出発は明後日の昼。まだ夕方だから、余裕があると言えば余裕があるだろう。

 Mk-Ⅱの換装が済めば、予備パーツごとスードリで成層圏まで運び、そこからシャトルで宇宙へ打ち出す予定になっている。

「それだけじゃないぞ。もうじき私はオーガスタ研に異動するが、オーガスタで研究中の新型ガンダムの開発だって、私が担当することになった。しかも今度は予算も技術も制限なしだ」

 新型には君が乗るかもしれんな、と言ってフランクリンは笑った。異動と聞いて、ジェリドはある疑問を思いつく。

「確か博士はグリプスで研究なさっていたはずでは? なぜ地球でたらい回しにされているんですか?」

「たらい回しとは、言ってくれる」

 フランクリンは苦笑すると、Mk-Ⅱを見上げた。

「まあ、なんだ。この間ハイスクールに入ったばかりの息子が事件を起こしたんだ。左遷のようなものさ」

「事件……。今、息子さんは?」

「行方不明だ。捕まっていたはずだが、エゥーゴの協力者が逃がして、それきり消息がつかめん」

 一瞬だけ、彼の表情が暗くなる。しかしそれは本当に一瞬だった。

「大尉はまた宇宙(そら)に上がるんだろう? もしも会ったら気を遣ってやってくれ」

 冗談めかしてフランクリンは笑った。実の息子が失踪していると言うのに冗談にできるのは、よほどの研究バカか、よほどの冷血漢だろう。

「ええ、もしも会ったら。息子さんのお名前は?」

「カミーユだ。……あまり真に受けるなよ」

 ジェリドの返答に真剣さを感じて、フランクリンは釘を刺した。むっとしたようにジェリドは言い返す。

「実のお子さんの命がかかっているのですから、真面目にもなります」

「……恥ずかしい話だがな、私は父親失格なのだよ。愛人を作り、家には帰らず……。カミーユが事件を起こしてから、妻と久しぶりに話し合ったよ。近いうち離婚もする予定だ」

 その話の内容とは対照的に、フランクリンは笑っていた。自嘲するような乾いた笑いが溢れる。

「だから私に息子を心配する資格はない。今私が大事なのは、グリプスにいる愛人とモビルスーツだけというわけだ」

 技師たちが手招きしている。フランクリンを呼んでいるようだ。彼はMk-Ⅱへと向かった。

「資格というのは、妙な話です」

「君も所帯を持てばわかるさ」

 肩越しに振り返って、フランクリンは答えた。

 

 

 

「グラナダ行き、709便。間も無く発射いたします。席につき、シートベルトをお締めください」

 アナウンスを聞いて、座席に座った少年が隣に座っているサングラスの男に声をかける。

「出ますよ、アムロさん」

 椅子に座ったまま、サングラスの男は少年の脛を軽く蹴る。痛みに顔を顰めて、少年は名を呼び直した。

「……じゃなくて、アルマークさん」

「そうだ。IDカードだって偽造させたんだぞ」

 アムロ・レイは有名人だ。顔を見られただけでも騒ぎになりかねない。出入国においてはブラックリストに入っていてもおかしくない。

「こんなにすぐにチケットが取れるんですね」

「さすがはルオ商会だな」

 アムロは夕陽に染まった窓を見る。発射前のシャトルの窓からは、広い発射場と宇宙港の棟の景色が広がっている。

「しかし、これ以上は期待できないな」

「……マシンや物資の援助ですか?」

 カツは声を落として聞いた。アムロは頷く。

「ルオ商会はしばらくは大人しくするつもりだ。だから闇のチケットをおおっぴらに捌けなくなって、俺たちに譲ってくれたというわけだな」

 ティターンズの前で、アムロはルオ・ウーミンの名を呼んでしまった。ルオ商会とエゥーゴの繋がりが明るみに出れば、連邦軍は大手を振ってルオ商会に捜査のメスを入れられる。警戒を強められたルオ商会は、ひとまず違法性の高い業務を減らすことにした。

 従って裏のチケットの販売もなりをひそめ、余ったチケットがカツとアムロに回されたというわけだった。

「いいんですか?」

 カツが心配そうに尋ねる。

「何がだ」

「…… 宇宙(そら)に上がっても、いいんですか?」

 アウドムラでは、アムロは確かに、宇宙に上がることを恐れていた。アムロは腹の上で両手を組む。

「怖いさ」

 伏し目がちに、彼は窓の外へ視線を逃す。

「しかし、シャアが死んだ。……ハヤトも死んだ」

「敵討ちですか?」

「地球にも悪霊ができてしまったのさ」

 アムロはそううそぶいた。連邦は、今のままでは駄目だ。そう思っていながら、彼は自分が政治的な能力に欠けていると認識していた。

「……僕は、敵討ちです」

 カツはシートベルトを強く握りしめた。前の座席の背もたれを睨みつけ、彼はつぶやく。

「クワトロ大尉も父さんも、レコア少尉も、ロベルト中尉も、アウドムラのみんなも……」

「カツ……」

「わかってます、言われたことは。だけど……」

 カツの手は震えていた。

 ジェットエンジンが点火した。体にかかるGは次第に強くなっていく。マスドライバーのレールのわずかな振動が腹へと響く。

 振動がなくなった。アムロは窓の外を一瞥する。宇宙港の建物が小さく見えた。シャトルは夕陽に腹を向けて、星の海へと駆け上がっていった。

 

 

 

「どうだった? はじめてのニタ研は」

「退屈なもんだ。あんな妙なシミュレーターに乗せやがって」

 基地内移動用のジープが道路を走る。助手席のマウアーの髪が風に靡いた。彼らが今出てきた建物は、ニュータイプ研究所がある棟だった。二人はニュータイプ適性の高さを見込んで、検査を受けるよう命令されたのだ。

「丸一日だぜ? カクリコンが羨ましいくらいさ」

「ふふ……検査の結果は後日出るそうね」

「全く、俺たちは明日の今頃には宇宙(そら)にいるんだぞ」

 二人は明日、スードリで空へ上がり、さらにシャトルを使って宇宙へ出る。ティターンズの旗艦であるドゴス・ギアへの異動だ。

「ニタ研は、どこか平和ボケしているものね」

 マウアーは元はジャブローのニュータイプ研究所の所属だった。

「……確かに平和だよ、ここは」

 ジープは高架を走り、地下空洞の上部にある、地上へ続く長いトンネルへと入った。エンジンの音が響く。

「……また、戦場か」

 マウアーのつぶやきは、トンネルに反響したエンジンの音にかき消されてしまった。走り続ける車は、すぐに地上へ出る。

 滑走路にはスードリ。密林の緑に紛れるには大きすぎる艦だ。そのままジープでスードリの格納庫まで乗り入れると、手の空いている兵士たちが敬礼で出迎える。

「おう、夜までご苦労だな」

 車を止めて、ジェリドが声をかけた。格納庫の兵士は笑う。

「フランクリン大尉の改修班が張り切ってますんでね。カクリコン中尉のMk-Ⅱまで、明日には終わらせてやるって」

「そんなにか?」

 世間話をするジェリドの制服の裾を、マウアーが引っ張る。

「カクリコン中尉は、宇宙(そら)へは上がらないの?」

 首を傾げると、その艶やかな髪が重力に従って垂れる。普段は隠れている、彼女の白い首筋が晒された。

「ああ。あいつはアレキサンドリアに戻るらしいぜ」

 軽く整備士に手を振って、ジェリドはマウアーに手招きした。二人はそのまま、通路の方へ歩いていく。

「地球に降りる前に居たっていう?」

「いい艦だぜ、アレキサンドリアは」

 連れ立って歩く二人を、兵士が呼び止める。手に包みを持った兵士だ。

「ジェリド中尉!」

「大尉だ」

「あっ……失礼いたしました!」

 背筋を伸ばして敬礼し、兵士は詫びる。ジェリドはその兵士に歩み寄った。

「それで、どうしたんだ」

「中尉……もとい! 大尉への届け物とかで」

「届け物?」

 ジェリドは怪訝な顔だ。差し出された包みは一度開けられている。当然だ。爆発物の可能性もある。

「はっ! ニューギニア基地へ今日、届いた品物らしいのですが……」

 緩衝材が使われた包みから、彼はその品物を取り出した。茶褐色の透き通ったボトルに、ちゃぷちゃぷと音がする。貼ってあったラベルは、ジェリドも見たことがあるものだった。

「酒……」

 バーボンだ。それも、ジェリドの給料では少し手が届きにくい高級品。

 ジェリドはもう一度包みを見た。発送者は酒蔵。そして注文者は、カクリコン・カクーラー。

「あっ!」

 ジェリドはあることを思い出した。マウアーが声をかける。

「どうしたの?」

「いや……。あいつ、ホンコンで注文したのか」

 ニューギニア基地に行くことは、半ば決まっていた。スードリは早くからアウドムラの目的はニューギニア基地への攻撃だとあたりをつけていた。通信販売を利用して、この酒をニューギニア基地に届けるのは発想さえあれば難しくない。

「おい、カクリコンは?」

「アレキサンドリアがランデブーポイントにくるのはだいぶ先になるとかで、中尉は一週間ほど休暇を……」

 ジェリドはため息をついた。カクリコンのことだ。休暇を取って、婚約者のもとへ行く気だろう。

「あいつが出て行ったのはいつだ?」

「昼過ぎに……」

 ニューギニア基地近くの空港から、もう飛行機に乗っていると考えていいだろう。問い詰めることも礼を言うこともできない。

 ジェリドはボトルを持ち上げた。ハーフボトルサイズ。宇宙には持っていけないが、一晩で飲むには少しきつい量だ。

「参ったな……」

 せっかくのいいバーボンを捨てるのは惜しい。マウアーが口を開いた。

「ねえ、ジェリド」

「うん?」

 ジェリドが肩越しに振り返る。マウアーは、口角を少し上げた。

「……付き合うわよ、そのお酒」

 

 




次回、恋愛編?
カットしているエピソードも多いのに話が全然進まないのが最近の悩みです。書くの楽しいからいいけど。


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再会

 光は空からわずかに降るばかり。快晴の夜の空は、まるで海底のように静かだった。

「待たせたな」

 スードリの窓からマウアーは振り返った。わずかに迫り出した窓の下の縁に肘をかけて、彼女は空を見上げていた。

「グラスは準備できてるわ」

「ああ、ありがとう」

 ここはスードリのジェリドの自室だ。ジェリドはドアを閉め、手に提げた袋をテーブルに置いた。

 次々と彼はその中身を取り出していく。天然水のボトル。クラッカーの袋。カップ入りのアイスクリーム。スモークチーズ。ジンジャーエール。テーブルにそれらを並べて、ジェリドは笑った。

「ツイてたぜ、こんなにある」

 テーブルの上にどっかりと腰を下ろすバーボンは、ただそれらを見下ろしている。

「よし、始めるか」

「そうね」

 ジェリドがバーボンの瓶を開け、二つのグラスに注いだ。黄金色のその液体はグラスの凹凸と部屋の照明を黄金色の影にしてテーブルに落とす。

 水で割ったトワイスアップ。向かい合って座ったジェリドとマウアーは、それぞれのグラスを持ち上げた。視線を合わせて笑うと、二人はそのグラスを傾ける。

 立ち上るのは、強烈な香りだった。焦がしたカラメルのような香ばしさとトウモロコシの風味が鼻へ抜ける。アルコールの熱い喉越しの後に、しっとりした甘みが残る。

「ん……」

 ガツンとくる香りと味。ジェリドは懐かしさに頬を緩ませた。

「いいお酒ね」

 好みの分かれる酒ではあったが、マウアーは笑みをこぼす。ジェリドはジンジャーエールのボトルを持ち上げた。

「癖が強いからな。こいつがチェイサーだ」

 マウアーはクラッカーを手に取って齧った。サクサクとした軽い歯触りと乾いた塩味がバーボンの残り香と混じり合った。楽しそうにジェリドは語る。

「クラッカーにはチーズを乗せて食っても美味い。それから……」

「アイスクリームにバーボンを注ぐ?」

「そういうわけだ」

 ジェリドはまたグラスをあおった。一口を飲み込んで、喉から吐息を絞り出す。酒の後味を口や鼻で味わうのだ。

「この酒は、もう飲めなくなるかもしれないんだ」

「え?」

「コロニー落としがあったろ? 酒蔵は無事だったんだが、畑がやられたそうだ。……地球の水と土と空気で育てたから、こいつはこんなに豊かな香りがある」

 食通の間では、やはり地球産の食物の方がランクが高いという風潮は根強い。狭苦しいコロニーの合成土に押し込められて作られた野菜などが、地球の本物の環境で育った野菜より美味いはずがないという考え方だ。

「少なくとも、これまで通りの八年ものが飲めるのは来年までってことだ」

「そう……。なら、カクリコン中尉には感謝しないとね、ジェリド」

「ん……そうだな」

 ジェリドの答えは歯切れが悪い。彼は光を揺らす酒の表面を眺めて、黙り込んだ。

「ジェリド?」

 マウアーが問いかける。ジェリドはグラスを揺らして、話し出した。

「この酒はな……本当は別の女と飲むための酒だったんだ」

 マウアーは表情を変えない。グラスに口をつけ、視線で次を促す。ジェリドはスモークチーズを口に放り込んだ。

「その女はライラといって、俺のモビルスーツの師匠だった。そいつと酒を飲む約束をして、俺は月で、カクリコンに酒を仕入れてくれって頼んだんだ」

 月、という言葉にマウアーが反応した。ジェリドが月にいた頃から考えると、今更酒を届けさせるというのは不可解だ。

「月で……。それで、ライラという人は?」

 ジェリドは沈黙した。口に油をさすように、彼はまたバーボンを喉に流し込む。チーズの香りがバーボンに溶けた。

「死んだよ、月で。俺を庇って、シャアに殺された」

 マウアーは何も言わない。この話をしたことを後悔して、ジェリドはおどけてみせた。

「……だから、今になってこんな酒を寄越しやがったカクリコンを問い詰めたかったのさ」

「シャアを狙っていたのも、そのため?」

 ジェリドの顔から気の抜けた笑みが消えた。マウアーは、ライラへの彼の好意を感じ取っていた。そしてその感情が今は彼女に向けられているからこそ、カクリコンはその酒を、ニューギニア基地に届けさせた。そう確信した切長の目は、曇りなくジェリドを見つめる。

「……違うな、それは」

 ジェリドはグラスを飲み干して視線を伏せた。ホンコン・シティでフォウを止めた後、ジェリドはマウアーの質問に答えられなかった。空のグラスが、テーブルに触れてごとりと音を立てた。

「……俺は、サイド1の30バンチに行った」

 夜の闇を映して、窓の外の海原は真っ黒だった。

「……30バンチ事件……」

 マウアーの口をついた言葉に、ジェリドは頷く。ティターンズが毒ガスを撒いたという噂は、マウアーも知っている。

 少し間を置いてから、ジェリドは言った。

「順を追って話そう。Mk-Ⅱのテストパイロットは、俺と、カクリコンと、もう一人。同期のエマって女がいた」

 マウアーはグラスを置き、耳を傾けている。

「バスクはエゥーゴの捕虜を人質にして、カプセルに入れて宇宙(そら)に打ち出した。……それも戦闘中にな」

 ジェリドはわずかに表情を歪めた。

「それを知って、エマは俺に相談してくれたんだ。エゥーゴに入るつもりだって」

 ボトルを手に取って、ジェリドは自分のグラスになみなみと注いだ。音を立てて、その黄金色の液体はグラスを満たす。割られていない、ストレートのままのバーボンだ。

「バスクの人質作戦を知ってたのは、パイロットじゃあ俺とエマだけだった。俺はエマを拒絶して……その次の戦闘で、エマは裏切った」

 ジェリドはそのまま一息に、酒を喉に流し込む。半分ほどまで飲むと、またグラスをテーブルに置いた。

「30バンチに行ったのはその後だ。ライラと一緒に俺は、30バンチの惨状を見た」

 声を震わせ、視線をテーブルの上に落とした。ジェリドはこの話を始めてから、ほとんどマウアーの顔を見られなかった。

 毒ガスで、一つのコロニーに住むすべての人命が奪われた。何の罪もない住民たちは、ティターンズの圧政に殺された。

「俺だって、バスクのやり方は間違っていると思った! だが、そう簡単に宗旨替えするのは男じゃないと、俺はそう思っていた」

 くだらんプライドだよ、とジェリドは自嘲した。エゥーゴがジオンの残党とアナハイム・エレクトロニクスの私兵で構成されていることは周知の事実だ。ジオンに対する憎しみが、ジェリドをティターンズに縛りつけた。

「30バンチから出て……そのすぐ後、俺は、エマのモビルスーツを落とした」

 そう言って、ジェリドはまた口を閉ざす。マウアーのグラスは、先程から一滴も減っていなかった。

 長い沈黙の後、ジェリドはまた語り出した。

「何を憎めばいいのかわからなかった。虐殺をしたバスクは許せん。シャアがグリプスに攻め込んでこなければ、エマが寝返ることも……俺が、エマを殺すこともなかった」

 ジェリドの声色は、段々と落ち着いてきていた。ストレートのバーボンを一口だけなめ、話を続ける。

「……敵のパイロットだったシャアが、まず真っ先に標的になった。がむしゃらに突っ込んだ俺を庇って、ライラが死んだ。俺はなおさら、シャアが許せなくなった」

「それで地上で、あなたはシャアを殺した」

 マウアーがようやく口を開いた。

「そうだ。……だが、本当に倒すべき敵は、シャアじゃなかった」

 ジェリドは視線をバーボンの水面に泳がせている。

「ようやくわかった。倒すべきはバスクだ。やはり俺は、バスクがティターンズの権力を握っている現状を正さねばならん。でなければ、俺は……!」

 再びジェリドの声に熱がこもった。彼は憔悴したように喋り続ける。今はまだ動くわけにはいかない。だからこそ、ジェリドは歯痒い。

 背中と肩に重みを感じて、ジェリドの言葉は収まった。制服越しに伝わってくるのは、体温と鼓動。マウアーのさらさらの髪が、しっとりと頬を撫でる。背中に柔らかいものが当たっていた。

「……それが、エマとライラへの弔いになる」

 胸の前で交差するマウアーの両手を握って、ジェリドは言った。

 バスクを排除し、できることならば戦争を終わらせる。それがジェリドの目的だ。

「すまん、マウアー。……格好の悪いところばかり、見せちまってるな」

 感情的になりすぎたことを恥じて、ジェリドは苦笑いした。マウアーは抱きついたまま、囁く。

「そうね。あなたはいつも感情的になってばかり」

 彼女は片手でジェリドのグラスを持ち上げ、一口飲んだ。唇についたバーボンを舐めとって、続ける。

「ジャブローでみんなを助けた時のあなたを見て、私は惚れ込んだのよ。……あなたには、世界をいい方向に持っていく力があるって」

「今はどうだ?」

「バカね」

 二人の頬が触れ合う。横目に、二人の目が合った。

「あなたのことがわかって、うれしい」

 マウアーの手は軍人とはいえ、女の手だった。細く、しなやかで、柔らかい。ジェリドは優しくその手を取りつつ、ゆっくりと立ち上がった。

 身長差のために、自然にマウアーの腕が解かれる。振り返りながら、今度はジェリドがマウアーを抱きしめた。

「……ありがとう、マウアー」

「他の女のことばかり話すのも、今だけは許してあげる」

 冗談めかしてマウアーが微笑むと、ジェリドも釣られて笑う。見つめ合う二人の顔が、どんどんと近づいていく。

 混じり合うように、溶け合うように、二人は甘く香ばしいキスを交わす。

「今度は、俺が教えてもらう番だ」

 どちらからともなく、二人はベッドに腰掛ける。吐息が互いにかかった。マウアーは制服のホックを開けた。

「……教えてあげるわ、私のこと」

 彼女はジェリドの手をその中へ導く。二人はまた、キスを交わした。

 

 

 

 窓に顔を近づけて下を覗き込むと、散らばった白い雲が見えた。

 スードリの脇に取り付けられたシャトルは、母鳥の翼に抱かれる小鳥のようにも見える。

 このシャトルは、改修されたMk-Ⅱと、その予備パーツにペイロードを割いている。モビルスーツを宇宙に打ち上げるだけのパワーがあるのだ。

「貴様とは、最後まで馬が合わなかったな」

 シャトルのコクピット内のモニターに映っているのは、仏頂面のウッダーだ。

「だが、ブラン隊長の仇を取れたのもアウドムラを沈められたのも貴様のおかげだ」

 ウッダーは不機嫌そうに言った。ジェリドが遮る。

「なら、一つ頼めるか?」

 その言葉を聞いて、ウッダーは眉を上げた。わずかに口角を上げて、答える。

「言ってみろ」

「ジャブローの司令が今どうしてるのか、だ」

「そんなことか?」

 想像よりも地味な話だ。ウッダーは怪訝な顔でジェリドを見つめ返す。

「いいか?」

「任せておけ。……達者でな」

「ああ。ちゃんとロックを外してくれよ?」

 モニター越しに二人は敬礼を交わす。ジェリドはコクピットのレバーを引いた。

「出るぞ」

「ああ。行け」

 臨界に達していたエンジンの圧力が、ノズルから吹き出す。シャトルを支えるスードリのジョイントが外れた。

 光と煙の尾を引いて、シャトルはほとんど真横へ飛び出す。成層圏プラットフォームとして開発されたガルダ級としての本領を、スードリが発揮したのだ。

 体がきつくシートに押しつけられる。ジェリドの隣のシートでは、マウアーが歯を食いしばってGに耐えている。

 数分の加速の後、シャトル内のGは収まった。すでに窓の外は青空ではなく、宇宙の黒に染まっている。マウアーが確かめるように呟く。

「これから、ドゴス・ギアに行くのね」

「ああ。……シロッコには気をつけろよ」

 ジェリドが釘を刺すと、マウアーは微笑んだ。

「ふふ……ジャミトフ・ハイマンの密命だものね」

「ああ。……手伝ってくれるなら、ありがたい」

 二人は手を伸ばし、互いに握り合った。

 

 

 

「よく来てくれたな、ジェリド大尉にマウアー少尉」

 ブリーフィングルームで待っていたその男は、不思議な余裕を感じさせる男だった。軍人とも政治家とも違う、特異な雰囲気。感じるプレッシャーに、ジェリドは身を固くする。

「私がドゴス・ギアの指揮を任されているパプテマス・シロッコ少佐だ」

「はっ!」

 敬礼するジェリドとマウアーに、シロッコは微笑む。

「そう固くなるな。私たちはこれからともに戦っていくのだからな……あのMk-Ⅱは改修されたと聞いたが?」

「見た目は変えたくないんでしょう。……自分はプロパガンダに使われているようで」

「ははは、いいことだろう。アムロ・レイがエゥーゴについたというのだから、ティターンズもガンダムのパイロットを英雄にしたいわけか」

 英雄、アムロ・レイ。彼がエゥーゴについたという情報は、すでに連邦軍内でも広まっている。ジェリドを英雄に祭り上げる目的は、連邦軍のエゥーゴ化を防ぐことでもあった。

 一年戦争を勝利に導いた、連邦地球の象徴。それがガンダムだ。

 そしてガンダムMk-Ⅱは当然ながらRX-78-2、ガンダムに酷似した外見を持つモビルスーツである。ガンダム神話をティターンズの物にするために、外見を変えるわけにはいかなかった。

「しかし、つまらんな。ガンダムMk-Ⅱの開発者が改修するというからどうなるかと思えば、見た目すらも変わらんとは」

「ずいぶんお詳しいご様子だ」

「趣味でモビルスーツの開発も行なっている。大尉の戦闘データもMk-Ⅱのムーバブル・フレームの論文も実に興味深かった。……君のための機体も用意しているよ、マウアー少尉」

「さようですか」

 マウアーは無愛想に返した。その外見から男に言い寄られることは多かったが、ジェリドの前で口説かれてはたまったものではない。

「気を悪くさせたならすまない。モビルスーツデッキに出しているガブスレイという機体だ。使ってくれると嬉しい」

 やや芝居がかった謝り方が、なおのことマウアーをいら立たせる。ジェリドが口を挟んだ。

「さっさと本題に入ってもらいたいもんです」

「……挨拶だけではない、ということがわかっているようだな」

 シロッコの声が鋭くなった。強い威圧感をより強く感じたのはジェリドだった。眉間に皺を寄せて、シロッコを睨み続ける。

「ふふ、やはりジェリド大尉はニュータイプか」

 威圧感が消える。シロッコは壁に備え付けのモニターのボタンを押し、どこかへ連絡を入れる。

「入ってこい」

 雰囲気の緊張は解けていない。ジェリドの表情は険しいままだ。シロッコはモニターから視線を戻して、また超然とした笑みを浮かべた。

「ジェリド大尉には、私の子飼いの部下を任せたい。やや変則的だが、四機で一小隊だ。任せられるな?」

 ジェリドが答えようとしたとき、ブリーフィングルームのドアが開いた。ティターンズの制服を着た小柄な三人組が入って来る。

 ジェリドは目を疑った。子供だ。マウアーも表情に疑念を宿す。

 三人はシロッコとジェリド達の間に並び、ジェリドへ敬礼した。

「ガキじゃありませんか」

「私が選んだニュータイプ候補生だ」

「ガキには変わりあるまい!」

 ジェリドは怒りを隠さない。どう見ても、そこらにいるような少女達だ。戦場にいていいものではない。

 少女達はじっとジェリドを見ている。シロッコが紹介した。

「彼女達が君の部下になる。こちらから順に、サラ曹長、シドレ曹長、カミーユ曹長だ」

「ん?」

 カミーユ。カミーユ曹長。カミーユ・ビダン。

「……あっ!!」

 グリーンオアシスで殴りかかってきた子供。フランクリン・ビダンの息子。

「どうかしたかね」

 シロッコが尋ねる。ジェリドは取り繕った。

「いえ。子供の頃の友人に似ていたものですから」

 よく見るまでもなく、カミーユだ。しかしそうだとすれば、辻褄が合わない。彼はティターンズを嫌っていたはずだ。

 ジェリドはまじまじと見つめたくなるのを抑えた。

「どうだね、ジェリド」

「……ご命令とあれば」

 不本意そうにジェリドは答えた。これは演技だ。あれだけティターンズを嫌っていた少年を引き込んだことには、裏がある。それも、両親が軍の関係者とはいえ民間人だ。シロッコの監視という密命は、シロッコの失脚という形で終わるかもしれない。

 いずれにせよ、シロッコを監視するにあたってカミーユは鍵になる。ジェリドはそう踏んだ。

「嬉しいよ、ジェリド」

 シロッコはそう笑うと、三人組に話しかける。

「いいか、彼がジェリド・メサ大尉だ。言うことをよく聞くように」

「はっ!」

 敬礼した三人は、幼い。ジェリドは罪悪感を覚えながら、敬礼で応えた。

「それでは少佐、実機での訓練の許可を願います」

「うむ、許可する。実戦経験という意味では、君は私よりはるかに上だ。期待しているぞ」

 ジェリドの手招きに応じて、ジェリド隊とマウアーはブリーフィングルームを出て行く。ドアが閉まった部屋で、シロッコは顎に手をやった。

「ジェリド……何か勘づいているのか? 目を離す訳にはいかんな」

 彼はそうつぶやき、また笑みを浮かべた。

 

 

 

 ノーマルスーツに着替えるため、ジェリド達はロッカールームへ向かう。ドゴス・ギアは大型戦艦だが、四人で移動するとなると、通路はやや手狭に感じる。

「ジェリド大尉って、あのジャブロー脱出の英雄の、ジェリド・メサさんですよね」

 ジェリドは肩越しに振り返った。目を輝かせて話しかけているのはシドレだった。

「ああ? ……ああ、そうだが」

 そう答えると、彼女は両手を口元に当てる。

「わーっ、やっぱりだ! ね、本物ですよ、サラ曹長!」

 シドレは隣のサラの肩を掴んで揺さぶる。ミーハーなところがあるのだろうか。

「じゃあじゃあ、地上で赤い彗星を落としたとか! アムロ・レイと戦ったとか!」

「ああ、俺だ」

「本物だぁ……! すごいですよね、サラ曹長!」

 声は弾んでいるが、同意を求められているサラの方は困惑気味だ。背後のカミーユに至っては恨みがましくこちらを見ている。だが、そんなことにも気づかないほど、シドレは浮かれていた。子供なのだ。

 ジェリドは顔を前に戻し、表情を曇らせる。利用される側だった彼は、子供が利用される現状を見過ごせない。

「……ジェリド隊長?」

「ついてないぜ、せっかく宇宙(そら)に上がったってのに、お前たちのようなガキのお守りをさせられるなんてな」

 シドレの表情が凍りついた。サラが口を尖らせて言い返す。

「子供といって侮られるのは心外です」

「ここは戦場だ。人殺しができるのかよ」

「自分は人殺しは致しません」

「戦場だと言っている! 死ぬのは貴様らだぞ」

 ジェリドが声を荒げると、サラは萎縮したように黙る。後ろからシドレが声を上げた。

「無駄に命を奪いたくないのです」

「ふん……志だけは立派なようだな。シロッコに吹き込まれたのかい」

 二人の少女はジェリドを睨んだ。嘲笑うように、ジェリドは大仰に手を振った。

「おおっと、怒るなよ。お前さん達はみんなシロッコが大好きなんだな。抱かれたか」

「いい加減にしてください!」

 サラとシドレが口を揃えて怒鳴った。ジェリドはまだ、にやついたままだ。

「すまん。しかし、女の子を三人も集めていちゃあ、邪推もされるさ」

 呆気に取られたように沈黙する二人。サラとシドレが顔を見合わせる。ジェリドはにやりと笑った。

「ん? なんだ、男か」

 ジェリドのこの言葉は、符牒だった。ジェリドはプロパガンダに使われるほどの英雄である。カミーユがグリプスの時のことを覚えていれば、間違いなくジェリド本人だと気づいているはずだ。それを確かめるために、あえてこの言葉を使った。

 カミーユは表情を歪めはしたが、殴りかかってはこない。

 よく躾けたな、シロッコめ。ジェリドは内心軽蔑と感心を覚えつつ、彼があのグリーン・ノア1のカミーユであることを確信した。

 ちょうど、ロッカールームの前に差し掛かった。

「よし、なめられたくなければ訓練で力を示せよ。いいな!」

 それまでの浮ついた様子とはうって変わって、ジェリドの表情が厳しくなる。張り上げられた声に、ジェリド隊の三人は応えた。

「はっ!」

 

 

 

 ドゴス・ギアのカタパルトから打ち出されて、ジェリドは振り返った。

 バーミンガム級を元に設計されたドゴス・ギアは、その大きな二つのモビルスーツ発進用カタパルトが特徴的な巨大戦艦だ。アレキサンドリア級の二倍近い巨体を誇り、それを守れるだけのモビルスーツを運用できる。

 ジェリドのMk-Ⅱに遅れて、バーザムが発進する。

「ほう……あれがバーザムか」

 ジェリドは呟く。自分が乗っているMk-Ⅱの流れを汲む量産機となれば、彼の興味が惹かれるのも当然だ。

 ジム系ではなく、ジオンのモビルスーツを彷彿とさせるモノアイ。大きな肩と、全体的に脇を広く開けるシルエット。腰もない。ただでさえMk-Ⅱよりひとまわり大きい体も、頭頂部の伸びたトサカのせいで実際以上に大きく見える。おまけにビームライフルも、順手ではなく腕の外側で、逆手に持つようになっていた。

「……全然違うじゃないか」

 つい、ジェリドはそう漏らした。発進したバーザム達が、Mk-Ⅱに近づいていく。

「よし、慣熟訓練だと思って俺についてこい。宇宙(そら)での戦闘は機動が全てだ!」

「はっ!」

 ジェリドがフットペダルを踏み込んだ。遅れて、ジェリド隊も加速した。

 メインスラスターを最大限に活かしたMk-Ⅱの機動は、やはり素早い。無駄のないターンをして、ジェリドはその違和感のなさに気づいた。Mk-Ⅱのバランスがほとんど変わっていないというのは本当のことらしい。

「ほう……なかなかうまいじゃないか」

 ドゴス・ギアをぐるりと回ると、ジェリドはそう言った。もちろんジェリドのMk-Ⅱには遅れているが、サラ、シドレ、カミーユ共に、パイロットとしての能力も鍛えられているようだ。

 ジェリドは満足そうに笑い、Mk-Ⅱを減速させる。

「よし、今から俺が貴様らに攻撃をする。ニュータイプなら感じてみせろ」

「感じる?」

 シドレが首を傾げる。

「気を宇宙に発散させるんだ。そうして敵の殺気を感じ取る!」

「気を……?」

 サラもシドレも理解し切れていない様子だ。カミーユに至っては返事すらしない。

「やれるか?」

「やってみます!」

 元気のいい返事が返ってきた。

「素直なもんだ……。俺が初めて聞いた時は半信半疑だったぜ」

 当時のことを思い出して、ジェリドはつぶやいた。ライラから教わったことを自分が部下に教えると思うと、どこか不思議な気分だ。

 ジェリドは推進剤のことを考えず、三機の周囲を飛び回る。反応できずにいる三機へ、突然サーベルを抜いて飛びかかった。

 振り抜いたサーベルは、何も切っていない。ビームを発振させていないのだから当然だ。

 だがその一太刀は、もしビームが出ていれば、シドレのバーザムを真っ二つにしていた。その勢いのまま、ジェリドは二機目のバーザムを狙う。

「はあっ!」

 ジェリドのMk-Ⅱが組み止められた。目を丸くしたジェリドは操作を止め、そのバーザムのコクピットと通信を繋げる。本気ではないとはいえ、組み止めたのは見事だ。

「やるじゃないか、カミーユ・ビダン」

 カミーユは返事をすることなく、Mk-Ⅱを蹴飛ばすようにして振り払った。振動にジェリドがうめく。

「跳ねっ返りが……」

 コクピットの中で毒づくと、Mk-Ⅱのすぐ側を旋回する機影が見えた。ジェリドの表情が明るくなる。

「マウアーか!」

 三機のバーザムの間を縫うようにして飛び回ると、そのモビルアーマーは、Mk-Ⅱの目の前でモビルスーツ形態に変形した。

 褐色のその機体は、両肩には一門ずつのメガ粒子砲が配され、手にフェダーインライフルと呼ばれる大型ビームライフルを携えていた。両足はスマートだが、両腕部や腰のスカート部の広がった装甲は、どことなくフリルを思わせる。

「ガブスレイ。良い機体だ」

 マウアーはそう言って、フェダーインライフルをデブリへ向けて撃った。一撃でデブリが破壊される。

「シロッコの作った機体は悪くないようだな!」

「はい、大尉」

 任務中だからか、マウアーは少尉として話す。それがこそばゆく、一方で愛おしい。

 ジェリドはバーザムとの通信回線を開く。

「シドレ曹長、実戦ならば死んでいたぞ。視野を広く持て。サラ曹長は動きが大きすぎる! 死なんことは死なんだろうが、攻撃ができなきゃ戦争にならん」

「はっ!」

「カミーユ曹長は腕がいいな。経験者か?」

 カミーユは答えなかった。ジェリドが無機質に告げる。

「訓練の後で俺の部屋に来い」

 修正だ。サラとシドレは、ひっそりとバーザムの顔を見合わせた。ニュータイプ候補生として特別扱いを受けていた彼女達は、軍の修正という文化を噂でしか聞いたことがなかった。

「今から俺はマウアー少尉と軽く模擬戦闘をやる! 貴様らはデブリ帯まで離れて、フォーメーションの練習だ。実機感覚を掴めよ!」

 事前にフォーメーションについては伝えてある。隊列を乱されれば、敵に付け入る隙を与えることになる。

 シドレが声を上げた。

「見学したいです、隊長!」

「なに? ……デブリ帯まで離れておけ。流れ弾に当たるぞ」

 ぶっきらぼうにそう言って、ジェリドはガブスレイに向き直る。

 これから先マウアーがガブスレイに乗るとすれば、お互いの機体の感覚を掴んでおくことは重要だ。

「いいな、マウアー」

「……行くわよ」

 ガブスレイはすぐさま変形し、機動力でMk-Ⅱを翻弄する。フェダーインライフルは真正面にしか撃てないが、両肩部のメガ粒子砲はかなりの射角を持っている。

 Mk-Ⅱのそばをメガ粒子が通過した。スラスターを噴射し、バーニアと手足を使って高速の方向転換。小回りという面ではMk-Ⅱが一歩先を行っているものの、直線を含めた総合的な機動力ではガブスレイに大きく水を空けられていた。

「すごい……」

 シドレが感嘆のため息を漏らした。ジェリドはすでに、アムロ・レイと渡り合えるほどのパイロットだ。マウアーもエースと言っていい実力を持っている。

 幾度かのビームの交差の末、ガブスレイがMk-Ⅱへ機首を向けた。フェダーインライフルが火を吹く。

 Mk-Ⅱがそのビームをかいくぐって加速した。近づいて変形させてしまえば、相手の機動力に翻弄されることはない。

 脳裏に予感が走った。ジェリドはシールドを前に突き出す。

 ガブスレイのクローが、そのシールドを力強く掴む。その力に、シールドが歪む。同時にガブスレイは変形し、モビルスーツ形態を取った。モビルアーマーの時のクローはモビルスーツ形態では膝頭へ繋がっている。相手の片腕を封じたガブスレイは、手に持ち替えたフェダーインライフルをMk-Ⅱへ向けた。

「いない!?」

 ジェリドは、盾を敢えてむしりとらせた。自らシールドとのジョイントを外し、ガブスレイの後ろに回れば、肩のメガ粒子砲は届かない。ビームライフルの銃口を、ガブスレイの背中に突きつけた。

「敵わないわね」

 ガブスレイはフェダーインライフルを手放した。決着だ。

「盾を掴まれた時はひやっとしたぜ」

「ええ。モビルスーツの接近戦でも、上手く使えそうよ」

「離れればそのライフルだろう? いいマシンだ」

 ジェリドは素直に感心して頷く。そこへ、聞き慣れない声が飛び込んだ。

「どうだね、ガブスレイの調子は」

 通信の主は、異形のモビルアーマーに乗っている。

「パプティマス様のメッサーラ!」

 サラとシドレが声を合わせた。二門の大きなメガ粒子砲を両肩に持つ大型可変モビルアーマー、メッサーラ。

「ええ……良好です、少佐」

「ならいい。……しかし、ジェリドには一本取られたようだな」

 シロッコは値踏みするようにMk-Ⅱとガブスレイを見る。

「パプティマス様が模擬戦を……?」

 サラとシドレが固唾を呑んで見守る。二人はすでに、ジェリドの腕前に尊敬を覚えていた。カミーユも、わずかにシートから身を乗り出した。

「Mk-Ⅱに興味がお有りですか」

 ジェリドが挑発的に笑う。指揮能力だけでなく、開発者やパイロットとしても非凡な才能を見せるシロッコ。彼という男を知るには、悪くないだろう。

「いいのかね?」

「こっちも新しい部下にはたっぷりいいところを見せたいもので」

 そううそぶくと、シロッコは笑い出した。

「いいだろう。カミーユ、サラ、シドレ。よく見ておくんだ」

 そう言うと、彼は模擬戦用にコクピット内の設定をいじる。ビーム系の兵器は発射されず、代わりに発射スイッチを押した時に相手が射線上にいれば撃墜として扱う設定だ。

 Mk-Ⅱは優しくガブスレイを押し退け、同じように設定を変えた。ジェリドは呼吸を整えた。可変モビルアーマーとの戦い方はすでに掴んでいる。

 二人の模擬戦は、合図もなく始まった。

 

 

 




今回も全体的にセリフばっかりで申し訳ありません。あと恋愛描写難しかったです。
ジェリドの目的がなんかふわふわしているような気がしたのでしっかり書いてみました。エマを殺してしまったこととかそれが遠因になってライラが死んだとかがあったので無駄な虐殺をする奴は許せないと考えている、ということです。

プロット的には一応は折り返し地点だと思います。前期opともお別れですね。シャアがいないので後半の展開はかなりカットしつつ、独自展開にもつれ込む予定です。

・ガンダムMk-Ⅱについて
感想欄でご質問がありましたが、Mk-Ⅱに見た目上の変化はありません。装甲材質をガンダリウムγにしただけです。Mk-Ⅱのバリエーションがアナハイム製ばっかりで困る。乗り換えはもうちょっと先になります。

・カミーユについて
今回の原稿を書くまで女装してジェリド隊に加入させるか迷ってました。
女装カミングアウトをした時のサラやシドレやファの反応を考えるとカミーユがあまりにも可哀想だったので没。


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カミーユの眼

 スラスターが激しく光る。高速で旋回するメッサーラの軌道の中心には、ジェリドのMk-Ⅱがあった。

 模擬戦だ。ビームは出ないように設定されており、引き金を引いた瞬間に射線上に敵機があれば勝利となる。ジェリドはモニターのメッサーラに意識を集中し、シロッコは強いGに顔を歪める。

 何度目かの往復の時、サラがマウアーに通信を繋げた。

「マウアー少尉」

「どうした、サラ曹長」

「その……今はどちらが有利なのでしょう?」

「私も聞きたいです、少尉」

 シドレまで参加してきた。

 ジェリドを信頼しているのか、それともシロッコを崇拝しているのか。少女達は、会って間もないとはいえ、実戦経験のあるマウアーに問いかけた。

「そうね……。さっきの私とジェリドの模擬戦でもそうだったけれど、可変モビルアーマーの機動力は一般機とは比較にならないわ。といっても、小回りの面ではモビルスーツに分がある……。決着がつくとすれば、メッサーラがMk-Ⅱに正面を向けた時」

 正面を向ける。それは真っ直ぐに突っ込むため、相手からの攻撃も当たりやすい。だが同時に、メッサーラの必殺のメガ粒子砲を当てる好機でもある。

 メッサーラのメガ粒子砲は、モビルアーマー形態では射角が狭い。先程のマウアーとジェリドの対決と同じように、戦いの主導権こそモビルアーマーが握ってはいるが、形勢としては互角だった。

 Mk-Ⅱがビームライフルを構え、引き金を引く。ビームは発射されないが、メッサーラはその射線上から素早く身をかわす。

「シロッコ……これほどか」

 マウアーの表情が険しくなった。ジェリドとマウアーの模擬戦はある程度相手の実力がわかっていたからこそ実弾を使った、いわばじゃれあいに近い物だった。

 しかし、今回は違う。ビームこそ発射されていないが、ジェリドもシロッコも本気だ。

「……ジェリド大尉か」

 バーザムのコクピットで、カミーユが呟いた。

 シロッコの表情が変わった。彼は深呼吸ののち、操縦桿を引いて向きを大きく変えた。

「来る!」

 Mk-Ⅱがビームライフルを構える。距離は十分ある。シロッコがメガ粒子砲の引き金を引いた。

 射線上にMk-Ⅱはいない。メッサーラの腹側へ体をずらしてかわしたのだ。メッサーラにビームライフルを向ける。それと同時に、メッサーラの多連装ミサイルランチャーがその口を開けた。

「ジェリド!!」

 マウアーは叫んだ。彼女の不安は的中していた。戦闘の主流がビームに移ったためのこの模擬戦用設定だが、実弾系の武装の発射が封じられるわけではなかった。

 Mk-Ⅱは素早く進路を変え、頭部のバルカン砲でミサイルを迎撃する。

「おおおっ!」

 ミサイルを全て撃ち落としたMk-Ⅱ。しかし、その視界にメッサーラの姿はない。背後から来る。ジェリドは直感し、ビームサーベルに手を伸ばす。

 読み通りに、メッサーラは背後から襲いかかった。メッサーラの三十メートル級の体は、その大型スラスターによって弱点ではなく武器になる。モビルスーツ形態に変形したメッサーラは、ビームサーベルを振り下ろす。

「おおおおお!!」

「はああああっ!!」

 その圧倒的なスピードと大質量から生まれるパワーは、Mk-Ⅱのビームサーベルを大きく弾き飛ばす。直後に、メッサーラはその両肩のメガ粒子砲をMk-Ⅱへ向けた。

「決まったな、ジェリド大尉」

 シロッコは引き金を引かず、あえて語りかけた。一方のジェリドは舌打ちし、Mk-Ⅱのビームライフルを下げる。

「やられたよ。勝負ありだ」

 その通信を聞き、サラとシドレは顔を明るくする。

「やった!!」

「パプティマス様の勝利ですね!」

 彼女達は無邪気にシロッコの勝利を喜んでいる。その陰で、マウアーは眉を顰めた。

「私との模擬戦の時、ジェリドはシールドを失っていた。シールドがあれば、あのミサイルが発射された時にも下がらずに……」

 メッサーラが体勢を崩したMk-Ⅱに手を差し出す。

「見事だったよ、ジェリド」

「負けた身としては、皮肉にしか聞こえませんね」

 ジェリドはそう言いつつ、メッサーラの手をMk-Ⅱに握らせた。

「それはすまない。だが、実にいい模擬戦だった」

「このメッサーラも、少佐の設計したマシンか」

「ああ。何か改善点があったかね」

「いや……俺は専門家じゃないが、可変機というのは恐ろしいな」

 それを聞いて、シロッコは頬を緩める。

「ふっふっふ……ならばいい。私は帰艦するが、どうする?」

 シロッコについて知るためには、これは大きなチャンスだ。ジェリドはジェリド隊の三人に通信を繋ぐ。

「三十分ほどフォーメーションの練習をしていろ。渡したリストの上から順にだ」

「はいっ」

 サラとシドレの元気な声が帰ってきた。

「さて……お供します、少佐」

「うむ」

 モビルアーマー形態のメッサーラを、ジェリドのMk-Ⅱと、マウアーのガブスレイが追いかけた。

 

 

 

 パイロットスーツから着替えたジェリドがロッカールームを出ると、通路脇の休憩スペースにシロッコが腰掛けていた。

「やあ、ジェリド大尉」

「ノーマルスーツを着用されないんですね」

 シロッコに手招きされ、ジェリドはその向いに座る。

「落とされるつもりはない。それよりジェリド。彼女達は君の部下としてやっていけそうか」

 ほどなくして、マウアーもロッカールームから出てきた。ジェリドとシロッコに気付いて、彼女もジェリドの隣に腰掛ける。

「失礼します」

 マウアーを一瞥してから、ジェリドは答えた。

「上々ですよ。特にカミーユ、でしたか。いったいどこで拾ったんです」

「ふふ、ニュータイプ候補生だよ」

 シロッコははぐらかした。これ以上踏み込んでも、かわされてしまうだろう。ジェリドも追求をやめた。生じた一瞬の沈黙に、マウアーが口を開いた。

「無礼を承知でお聞きします。シロッコ少佐は何が狙いで?」

 ジェリドは驚いてマウアーを見た。単刀直入すぎるように感じたのだ。彼女の両目は、しっかりとシロッコを捉えていた。腹を決め、ジェリドも追従する。

「自分も気になっていました。木星船団にいたあんたが、今度はジャミトフの下について戦争をする。不可解といえば不可解です」

 シロッコは口の中で笑って、答えた。

「そうだな……。私の使命は、重力に魂を引かれた人々の解放だ。そのために、私はティターンズに入った」

「それではエゥーゴに入った方が自然でしょう」

 怪訝な顔でジェリドが問いただす。だがシロッコは笑みを崩さない。

「違うな。エゥーゴも地球環境を考えて人類を宇宙(そら)に上げようと騒ぎ立てているが、そうして地球中心の考え方をする人間こそ、重力に魂を縛られていると言えるだろう」

 シロッコは机の上で手を組んだ。

「だいたい本当に地球の重力から解放された人間は、地球圏になどとどまるはずがない。宇宙は本当の意味で無限なのだ」

「ではなぜティターンズに?」

「ジャミトフ・ハイマンが地球上の人々を根絶やしにしようとしているからさ」

 シロッコの口から飛び出した言葉は、想定を超えていた。ジェリドは耳を疑った。

「……今、何と?」

「戦争によって地球の経済を徹底的に疲弊させれば、地球の人間は餓死をしていなくなる。それこそが地球再生の道だと考えているのだよ、ジャミトフは」

 まず呆気に取られ、次にジェリドは笑った。

「ははは、陰謀論ってやつですか」

「バスクという俗物をティターンズの実質的なトップに据えているのも、戦争のきっかけを作るためだ。現にエゥーゴが蜂起している」

 シロッコは余裕の表情のまま続ける。こうして否定されることをわかった上で、彼は話しているのだ。

「戦争を続けるために、ジャミトフはいくつか仕掛けをしている。わかりやすいのが君のプロパガンダだ」

 ジェリドは言葉が出なかった。シロッコは冗談を言っているようには見えない。

「地球をこれ以上汚染させないように戦場を宇宙に移し、アースノイドの戦意を高めることで戦費を捻出させる。そうして連邦が疲弊してから、高官の抹殺に動くだろうな」

「証拠は?」

「あくまで推測だ。だが、戦争を続けるための仕掛けに心当たりがあるのなら、真実かもしれんな」

 シロッコは唇を歪める。ジェリドは、ジャブローの核自爆を思い出してしまった。

 マウアーが口を挟んだ。

「しかし、地球から人々を追い出すのなら、エゥーゴに入っても同じでしょう」

「問題はその後だよ、マウアー。地球から人がいなくなったところで、人類の支配者次第で地球圏はどうにでもなってしまう」

 その細い眉を寄せてマウアーは尋ねる。

「あなたが、その支配者に?」

「ふ……戦後の地球を支配するのは、女であるべきだ。私はそう思っているよ」

 

 

 

 ドゴス・ギアの士官用の部屋も、それなりに広かった。ジェリドはベッドの上に寝そべって、天井を眺めていた。

 パプテマス・シロッコという男は、確かに優秀だろう。シールドさえあれば勝負はわからなかったが、パイロットとしての実力も、ジェリドと同等と見ていい。

 しかし、子供を実戦に駆り出し、ましてや自身をパプティマス様と呼ばせる点は危険としか考えられない。

 なにより、シロッコの推理するジャミトフの目的がジェリドを迷わせた。ニューギニア基地でジャミトフと話した時に抱いた不信感が、シロッコの言葉によって解けるような感覚。

 シロッコを信用できないことはまず間違いないが、ジャミトフにも信用が置けない可能性が、より色濃く現れたのだ。

 ドアが開いた。訓練を終えたカミーユが、ティターンズの黒い制服を着て立っている。ジェリドがベッドから身を起こした。

「よう、カミーユ。なんで呼ばれたかわかってるんだろ」

 カミーユは顔を背ける。

「修正するんでしょ、反抗的だとかいって。軍人なんてその程度のことしかできないんですよ」

「修正ってのは軍人相手にやるもんだ、グリーン・ノアのカミーユくん」

 カミーユは黙った。不機嫌そうにジェリドを睨む。

「覚えてるとは思うが、空港で君が殴りかかったのが俺だ」

「だったらなんだっていうんです!」

「ティターンズ嫌いだっただろう君が、なぜシロッコの部下になってる?」

「関係ないでしょ、あんたには」

「スペースノイドのご両親はどう思うだろうな」

 一歩踏み出して、カミーユは捲したてた。

「生憎ですね、俺の両親は軍の技術者ですよ。あんたを殴ったのは単純にあんたが嫌いだったからだ。親のやってることに子供が憧れるのは当然でしょ」

 だが、ジェリドは落ち着いている。少しだけ間を置いて、正面からカミーユを見つめ返した。

「フランクリン・ビダン博士から聞いている。君がご両親を嫌ってることも、反ティターンズ運動に参加して逮捕されて、他の逮捕者と脱走してから行方不明だともな」

 カミーユはまた口を閉ざした。

「なんで嘘をついた」

 答えは返ってこない。

「不本意なんだろ、ティターンズにいるのは。だったら事情を話してみろ。協力してやる」

 模擬戦の前にシロッコの陰口を叩いた時もそうだった。サラとシドレは怒ったものの、カミーユは反応を示さなかった。カミーユはシロッコに心酔しているわけではない。ティターンズへの考え方は変わっていないはずだ。

「……俺がこんなになったのはあんたのせいです。今になって味方ぶられたって、不愉快なだけだ」

 ジェリドはむっとした。確かにジェリドにも関係はあるが、殴りかかったカミーユに非があるはずだ。

「殴らんだけ成長したようだな」

「あんたにあの時会わなければ、俺だってこんなところにいる必要はなかった!」

「じゃあ話せ!」

「いやです!」

 それはカミーユのプライドだった。二人の口調は激しさを増していく。

「だいたい模擬戦でシロッコのメッサーラに負けたあんたが、どうしてシロッコを止められるっていうんです!」

「貴様!」

 とうとうジェリドの堪忍袋の尾が切れた。彼は立ち上がってカミーユを見下ろす。カミーユも負けじと睨み返した。

「俺は貴様の味方だと言ってるんだ!」

「話は終わりですか? じゃあ帰らせてもらいます!」

 カミーユは言い終わるが早いか駆け出していった。

「待て、カミーユ! ……くそっ!」

 追いかけようとしたジェリドは、通路に出たところで悪態をついて立ち止まった。カミーユへの執着を表立たせては、シロッコに怪しまれる。

「しかし……奴にとってもシロッコは敵か」

 たとえ密告されても構わないように、彼はシロッコの事は口に出さなかった。シロッコの名を出したのはカミーユの方だった。

 ジェリドがカミーユを追いかけなかった理由の一つもそれだ。おそらくカミーユは、シロッコを敵視している。確証はないが、ジェリドの動きをシロッコに密告することはないはずだ。

 通路で口をへの字に曲げるジェリドだったが、その前にマウアーが通りかかった。

「ジェリド。さっき、カミーユ曹長があっちへ……」

「知ってる」

 苦々しく告げるジェリドを見て、マウアーは大体のあらましを察したようだ。

「彼、何かあったんでしょう?」

「ああ。後で話すが……」

 ジェリドは額に手を当て、天井を仰いだ。

「隊長ってのは、難しいもんだな」

 

 

 

 モビルスーツハンガーへ、三人組がやってきた。一人は少年のようだが、後の二人は成人男性だ。

「これが新型か」

 くせっ毛の男が顎に手を当てる。彼らが眺めるモビルスーツは、人型とは大きく離れている。一般のモビルスーツより小柄な体はやや前傾姿勢をとっており、背中には大きな衝角のようなものを背負っている。

 もう一人の男が答えた。

「新型といったってZ計画の実験機ですよ、アムロ大尉。戦闘にも耐えられますが、あまり期待はしない方が……」

「してないさ。機動性と変形機構は大したものだがな」

 アムロはあっさりと苦言を呈した。上半身と下半身はパイプで繋がれただけの機体だ。整備性を重視したとはいえ、杜撰と言ってもいい。

「でも、アムロ大尉をアーガマに連れていくなら、このメタスが良いんでしょ?」

 少年が口を挟む。カツだ。

「しかしな、カツ。俺はこの手のマシンは好みじゃないぞ」

「いいじゃないですか。アムロ大尉のモビルスーツはあっちのでしょ?」

 カツが言い返すと、三人目の男が笑った。

「我々アナハイム・エレクトロニクスとしては、あのマシンを出す件については揉めましたがね」

「研究用に使っていたんだろう? Z計画に支障が出ると困るが……」

「いえいえ、もう一機組み上げましたから。予備パーツだって余ってるので、安心して使ってもらいたいもんです」

 アナハイム・エレクトロニクスは、地上でのカラバの敗北を受けてエゥーゴへの支援を強めた。実戦投入した一号機、実験用にアナハイムがストックしていた二号機に加え、新たに三号機を作り上げる余裕が生じたのだ。

「そうか……ありがたい」

「はは、じゃあ大尉のモビルスーツの説明をいたしましょうか」

 アナハイムの職員を先頭にして、彼らはもう一機のモビルスーツへ移動する。

「チューニングは一号機と同じ仕様です。かなり動かしにくいとは思いますが、大尉なら……」

「しかし、複雑だな。あいつの機体に乗るというのは」

 アムロはぼやいて、その金色の機体を見上げた。

「僕はいいと思いますよ。このモビルスーツ、ガンダムに似てるし」

 そう言ってカツはにんまりと笑う。

「なんだか、昔のアムロに戻ったみたいだ」

 アムロが羽織っているのは、青いジャケットだった。ホワイトベースの頃を思い出して、カツは懐かしく感じていた。

「そうか?」

「そうです」

 カツがうなずくと、アムロは困ったように笑った。

「なら、このモビルスーツじゃ片手落ちだな」

 彼が見上げたモビルスーツは、百式。ガンダムの名を手に入れ損なったモビルスーツだった。

 

 

 

 Mk-Ⅱが手を離すと、その円筒形の物体ははみるみるうちに膨らんでいく。およそ十八メートルの、緑の手足に深緑の胴体。ハイザックだ。

「これがダミーバルーン……」

「ああ、そうだ。今回の訓練はかなり実戦に近いぞ」

 ジェリドはMk-Ⅱを振り返らせた。その視界の先には三機のバーザムが佇んでいる。

「実機で実弾を標的に向かって撃つチャンスは貴重だ。ダミーバルーンだってタダじゃないからな」

 近くにはハイザックのダミーバルーンが何機も無造作に浮かんでいる。今使っているものより再現度の高いダミーバルーンもあるが、今回は敵を欺く必要もないために、小型の低精度のものを使っている。

 Mk-Ⅱのシールドの裏にマウントされた未使用のダミーバルーンを確かめて、ジェリドが言った。

「さて、誰からやる? 全部落としたら次のダミーバルーンをばら撒くぞ」

「はいっ!」

 サラのバーザムが手を挙げた。

「サラ曹長か、いいだろう。タイムも計るからな、俺が合図をしたらスタートだ」

 サラ以外のバーザムが身を翻す。ジェリドもMk-Ⅱのスラスターをわずかに吹かして移動を始めた。

「そうだな、タイムの一番良かったやつには、酒保で一つ好きなものを買ってやる。気合い入れろよ」

「はーい」

 サラもシドレも気のない返事だ。ジェリドは苦笑いした。

「なかなかうまくいかんな、子守ってのは」

 そう小声で呟いた時、カミーユが声を上げた。

「待ってください」

「どうした、カミーユ」

「何か……来るような」

「来る、だと?」

 カミーユのバーザムが指差す。ジェリドは半信半疑だった。彼は何も感じないが、カミーユはシロッコがわざわざスカウトしたほどのニュータイプだ。

「……感じるか、サラ曹長」

「……いえ」

「シドレ曹長」

「わかりません」

 ジェリドは顔をしかめて息を吐いた。信憑性は低い。もしも、カミーユの言っていることが本当ならば。彼は目を閉じた。

「隊長?」

 サラが心配そうに尋ねる。数秒経って、ジェリドは目を開けた。

「……ジェリド隊、出るぞ!」

 サラとシドレが慌てた。

「いっ、いいんですか!?」

「あくまで訓練のために出たはずでは……」

 ジェリドは毅然として言った。

「索敵も忘れるな、とシロッコは言っていた。なら索敵のために足を伸ばしたって文句は言われまい!」

 隊長から命令をされては、サラもシドレも逆らうわけにはいかない。Mk-Ⅱと三機のバーザムは、スラスターの光を靡かせて飛んで行った。

 

 

 

「アムロさん。何か感じませんか?」

 輸送機と並行して飛ぶメタスの中で、カツが訊く。アムロが聞き返した。

「感じる? ……そうか、カツは俺より敏感なのかもな」

「……あいつです。あの時、ホンコンで会ったあいつがいるような感じがするんです」

「ジェリドが?」

 アムロの百式はメタスにしがみついている。予備パーツを積んだ輸送機の護衛だ。

「はい……Mk-Ⅱの、ジェリドです」

 カツが重々しく言った直後、アムロの眉がわずかに動いた。

「……来るぞ、カツ。ジェリドだけじゃないな」

 百式が力強くビームライフルを握る。カツも口を固く結んで、シートに座り直した。

 Mk-Ⅱを先頭に、ジェリド隊が飛んでくる。ジェリドの目に百式が止まった。その瞬間、彼はアムロを感じた。

「金ピカの……!? アムロが乗ってるのか!」

「隊長! 今、アムロって……」

 シドレが尋ねる。カミーユは硬い表情で、モニターを見ていた。

「隊長、あの機体は初めて見る機体です」

 サラが指差したのはメタスだ。ティターンズのデータベースにはない。

 アムロ・レイがいるとは思っていなかった。ここでアムロを落としておけば来たるアポロ作戦での不安要素が消える。アポロ作戦の指揮を取るシロッコには、もう少し勢力を伸ばしてもらう必要があった。

「アポロ作戦のことを考えると、ここで落とす方が確実か……!」

 ジェリドは振り返った。カミーユ達の動きは訓練をつけるたびに良くなっていた。そこらのパイロットには負けることもないはずだ。

「行くぞ、ジェリド隊。俺があの金ピカを叩く。お前達はあの戦闘機を足止めしろ!」

「足止めですか?」

 サラが聞いた。こちらの戦力は、サラとシドレとカミーユの三機。新型とはいえわずか一機の戦闘機を相手に足止めを命じられるのは、彼女にとって不可解だった。

「あの新型のパイロットもニュータイプだ! 無茶はするな!」

「はいっ!」

 ジェリド隊に気づいたアムロ達は進路を変えた。輸送機を離脱させるための足止めだ。百式とMk-Ⅱが、有効射程の外側から撃ち合った。ビームの応酬の最中、バーザム三機が素早くメタスの腹側へ取りつこうと加速する。

「アムロさん!」

「任せるぞ!」

 百式がメタスを踏み台にして、Mk-Ⅱへ飛びかかった。接近に伴って、ビームはより精度を増す。

「おお!」

 百式の表面装甲が、射角の浅いビームを弾く。次いで撃たれた百式のビームが、Mk-Ⅱのシールドを掠めた。

 一方のメタスは、バーザム隊の間を縫って飛び回る。ビームライフルを構えて、カミーユは苛立った。

「ダメだ、これじゃあ!」

 構えたライフルの射線は、すぐに他のバーザムに阻まれる。カツのメタスは、常に敵機を盾にするように立ち回っているのだ。時折撃たれるビームガンが的確にバーザムの動きを制限し、生じたバーザム同士の死角へ飛び移る。

「サラ曹長! どいて!」

「ああっ! シドレ曹長!」

 カツの巧みな操縦が、バーザム達の連携を乱す。乱された連携はますます付け入る隙を与えていた。

 百式とMk-Ⅱが、ビームサーベルを構えて衝突する。ピンクと黄の二色のサーベルが、激しく光った。その光を飲み込む黒。その光を反射する金。二機のモビルスーツは、ビームサーベルを挟んで対照的だった。

「アムロ・レイ!!」

「ジェリド!!」

 彼らは激しい気合いとともに、何合も打ち合った。

「貴様とまた会うとはな!」

「邪魔をするな!」

 サーベルを打ち払った百式の腹部を、すぐさまMk-Ⅱが蹴り飛ばす。ジェリドはカミーユ達に目をやった。

「あの時の坊主! 実戦慣れしている!」

 アムロのビームライフルをかわして、ジェリドはもう一度距離を詰める。接近戦ならば、味方へ攻撃されることはない。

 メタスのビームガンが、ついにバーザムを捉えた。左脚を吹き飛ばされ、サラがうめく。

「サラ曹長!」

 シドレが放ったビームは、カツにあっさりとかわされる。サラのバーザムの真横をすり抜ける間際、メタスはモビルスーツ形態へ変形した。慣性に従って宇宙を滑るそのメタスは、変形と同時に両腕をサラのバーザムへと向ける。

 サラは死の恐怖に怯えた。

「いやっ!!」

「女の子……!?」

 脳裏に響いた悲鳴に、カツは手を止めてしまった。バーザムのコクピットの中でサラは震えていた。

「おおお!!」

 同時にメタスにバーザムが体をぶつける。カミーユのバーザムだ。彼はそのままサーベルを抜き、振り下ろす。

「こいつっ!」

 メタスは両手にビームガンを握ったままだ。振り下ろされるバーザムのビームサーベル。瞬間、ビームの粒子がほとばしった。

「うおっ!?」

 悲鳴を上げたのはカミーユだった。ビームサーベルを振り上げたまま、その奇妙な感覚に操作の手を止めてしまう。メタスはビームガンで、バーザムのビームサーベルの刀身を撃ったのだ。衝撃と飛び散ったビームが、カミーユを怯ませた。

「そうか……!」

 カツは合点が入ったように呟いた。しかし、サラとシドレのバーザムが彼のメタスを狙う。

「こういうことだろ!」

 カツはメタスの両足からサーベルを抜いて両手に構えると、強引に加速してカミーユのバーザムへ飛びかかる。

「うおおっ!」

 二刀流に追われて距離を取るカミーユ。だがカツはその二本のビームサーベルを、サラとシドレに向かって投げつけた。

「何を……!」

 シドレが目を丸くした。宇宙を進む二本のサーベルに向け、カツはそれぞれ両手のビームガンを発射する。

「きゃあああっ!!」

「何なの、これは!?」

 拡散したビームの膜がサラとシドレを襲った。貫通力はないため目眩し止まりだが、彼女たちは怯んでしまう。

 カツの正面のカミーユが、再びサーベルを振るう。メタスは三本目のビームサーベルを抜いて受け止めた。

「ならっ!」

 カミーユのバーザムは鍔迫り合いにまぎれてメタスの胴体を蹴りつける。

「うああっ!!」

 メタスの構造上、コクピットが激しく揺れる。その隙に、二発目の蹴りがサーベルを握るメタスの手を襲った。メタスはサーベルを手放してしまう。

「これでっ!」

 サーベルをカミーユが振りかぶった時、バーザムのモニターには、ビームサーベルを両手に持ったメタスが映っていた。

「馬鹿な!」

 一太刀目を受け止める。そしてもう片方のサーベルが、バーザムの右腕を切り落とした。カミーユが冷や汗を垂らして表情を歪めた。

「なんでサーベルがこんなにあるんだ!?」

「そんなこと知るもんか!」

 メタスはまたビームサーベルを投げた。後退したカミーユと、未だ健在のシドレのバーザムへ飛んでいく二本のサーベル。またビームガンに撃ち抜かれ、そのサーベル達は光を爆ぜさせる。

「うわああっ!!」

 その拡散したビームを至近距離で受けてしまったカミーユが悲鳴を上げた。シドレは遠い。サラはすでに腰が引けている。邪魔立てされることはない。

「もらった!」

 メタスが両手のビームガンを構える。その銃口は、カミーユのバーザムを狙っていた。

 やられる。死の予感がカミーユの背筋を舐めた。

「うっ!?」

 突然の直感が、カツを後退させた。それは殺気。飛んできたビームが、メタスの左腕を撃ち抜く。カミーユは自身を救った人間が誰なのか、直感的に理解していた。

「ジェリド大尉……!」

「ジェリド隊、撤退だ!!」

 Mk-Ⅱはそのままメタスへ何発もビームを撃つ。直撃はないが、カツは攻撃に移れない。シドレはサラのバーザムを抱えて後退した。カミーユもそれに続く。

「ぐ!」

 Mk-ⅡのV字アンテナの先が切り落とされた。百式だ。だがジェリドはアムロに反撃せず、メタスを撃ち続ける。百式はビームサーベルを振りかぶった。

「ジェリド大尉! 撤退してください!」

「わかっている!」

 部下達の撤退を見届けて、ジェリドもアムロの百式の右横をすり抜けようと加速する。百式の膝蹴りがコクピットを襲った。

「ぐ……おおおっ!!」

 衝撃でMk-Ⅱが一回転する。続けて横薙ぎに追撃のビームサーベルが振るわれた。

「ちぃっ!」

 アムロは舌打ちした。百式のビームサーベルは、加速したMk-Ⅱの片脚を斬り落としたのみに終わっていた。

 Mk-Ⅱはシールドの裏に手を伸ばす。ばら撒かれた緑色の円筒。その直後、大量のダミーバルーンが百式の視界を遮った。アムロは足を止める。

「アムロさん!」

「ダメだ、カツ。深追いはできない」

 元々の目的は、輸送機と共にアーガマへ向かうことだ。それに今の状態でジェリド達を追いかけようにも、百式の足では距離を縮められない。メタスだけが追いかけても、集中砲火に遭って撃墜されるだけだろう。

「……ニュータイプか」

 アムロはそうこぼした。ジェリドの部下らしき三人はニュータイプだった。この場で戦った五人は、全員がニュータイプだ。

「カツ、変形はできるか?」

「はい。急ぎましょう」

 変形したメタスは百式を乗せて、輸送機の方へ加速していく。彼らの行き先は、エゥーゴの旗艦アーガマだった。

 

 

 

「すみませんでした。私たちのせいで……」

 シドレの謝罪がジェリドの耳に届いた。

 宇宙空間では、加速しているのかどうかすらあやふやに感じる。ジェリドはヘルメットを脱いで、隊の全員に通信を繋げた。

「いや、今回は俺のミスだ。新型のパイロットの腕を、見誤った」

 ジェリド以外の全員が、言葉を失った。ジェリドのヘルメットはバイザーの上部が割れ、彼自身の額からは血が流れ出ている。

「たっ、隊長!」

「問題はない。金ピカの膝蹴りでやっちまったのさ。それより、お前達は?」

 ガーゼで額の傷を押さえながら、ジェリドは訊いた。呼吸は荒いが、操縦に不備はない。

「怪我はありません」

「私もです。……カミーユ曹長は?」

 サラとシドレが口々に答える中、カミーユだけが黙っていた。

「カミーユ、お前は?」

 ジェリドに声をかけられて、ようやく彼は我に返った。

「……大丈夫です」

「そうか……。なら良かった。訓練で部下を失っちゃあ、俺がシロッコにどやされるからな」

 そう言って、ジェリドは弱々しく笑う。今の発言が本気でないことは、サラよりもシドレよりも、カミーユが一番よくわかっていた。

 追い詰められたカミーユ達のために、ジェリドは彼自身を危険に晒してまで撤退を支援した。それは保身だけのためにできる行動ではない。

「また、あなたは……!」

 カミーユは、助けられた。グリーン・ノアで殴りかかった時もそうだった。彼はモニターに映るジェリドの顔を、まっすぐに見ることができなかった。

 

 

 



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ムーン・アタック(前)

「ジェリド大尉。無事で何よりだ」

 ジェリドの傷の応急処置を済ませたジェリド隊は、シロッコに呼び出されていた。彼らは、つい先ほど出撃から帰ってきたばかりだ。

「訓練中にエゥーゴのモビルスーツ二機と遭遇し、撤退。モビルスーツの損害も大きい。妙な話だな、大尉」

 シロッコは腰掛けたまま視線を上げた。机を挟んで、ジェリド隊の面々が立っている。サラとシドレは申し訳なさそうに身を縮めた。口を開いたのはジェリドだ。

「……責任は自分にあります。本来なら接触せずに済んだところを、自分の判断で戦闘をしました」

「交戦時の映像記録を送ってもらった。これだろう?」

 壁に備え付けのモニターに、戦闘時の映像が流れる。メタスと百式が映っていた。

「見たところ、これは新型の可変モビルアーマーだな。そしてもう一方の金色の機体……」

 シロッコは机の上で手を組んで続ける。

「パイロットに心当たりはあるかね、大尉」

「……金ピカの方はアムロ・レイです。もう一人も地上で会ったことがあります。おそらく、ニュータイプかと」

 ジェリドが答えると、シロッコは笑い出した。

「はっはっはっは、アムロ・レイか。なら、新兵同然の三人を連れてよくやった、というべきだろうな」

「ありがとうございます」

 ジェリドは小さく頭を下げた。シロッコの視線は、その包帯に引き付けられる。

「部下を守るための名誉の負傷だな、大尉。部下は大切にしてくれ」

「……子供ですから」

 子供という言葉に、全員が反応した。シロッコが椅子に体重を預ける。

「子供と言っても個人差があるだろう。私は三人を一人の人間として尊敬している」

 ジェリドは毅然として言い返した。

「戦場に出すというのは解せません」

「戦場という場でこそニュータイプ能力は開花する。そして彼らこそが、未来の人類を導いていくべきではないかね」

「そのためなら、判断能力のないガキを戦場に放り込んで死なせてもいいと?」

「死なせんようにするのが君の仕事だろう、大尉」

 二人の論戦にサラとシドレはますます身を縮めた。カミーユはジェリドの横顔に視線を送る。

 シロッコは、顔を悲しそうに歪めた。

「そうだな。戦場に出すというのは危険なことだ。だからこそ、君を頼ったのだ」

 ジェリドはたまらない不快感を覚えた。しかし、言い返すことはしない。これ以上は、シロッコに危険視される。

「……了解しました」

「部下を思うが故の発言だろう。責めることはせんよ」

 シロッコは微笑んでみせる。シドレとサラは、その顔を尊敬の眼差しで見つめていた。

 ジェリドはカミーユを一瞥した。目が合って、ジェリドはすぐに視線を戻す。

「少佐。我々はこれで……」

「ああ、よく休めよ。アポロ作戦での君の働きに期待している」

「はっ。失礼します」

 敬礼し、ジェリド隊は出ていく。シロッコは、モニターの交戦記録を巻き戻して見返した。

 金色のモビルスーツが、アムロ・レイ。シロッコは、その冷たい笑みを深くする。

「ふっふっふ……アムロ・レイはジェリドを相手に互角。やはり時代は、私を必要としているようだ」

 

 

 

 アーガマのブリッジのモニターに地図が表示される。グリプス、フォン・ブラウン、グラナダの文字が映っていた。

「来てもらって早速だが、アーガマはこれから、月へ戻ることになる。グリプスから発進したティターンズの艦艇は、月面、それも表側近くに集結している。フォン・ブラウン市を制圧させるわけにはいかん」

 ヘンケンの声が響く。厳しい顔の彼の後ろに、ブレックスが立っていた。ブレックス・フォーラ。エゥーゴの指導者だ。

「だから、アーガマは他の艦と合流し、フォン・ブラウン市を防衛する。わかるな?」

 ヘンケンに見つめられて、彼の正面の二人はうなずく。アムロとカツの二人だ。

「ふふ、また月へ逆戻りだな、カツ」

 アムロがカツに笑いかける。

「いいでしょう? 僕はこの艦、気に入ってます」

「見た目だろ、ホワイトベースに似てるから」

 ブレックスは、カツを上から下までじろじろと見つめる。おそらく十代の半ばほどか。彼は眉を寄せて、訊いた。

「アムロ・レイ大尉はわかるが、こんな子供がパイロットをやれるのかね」

 それは当然の疑問だった。アムロは毅然として答える。

「一年戦争の頃の俺と変わりません」

「ん……それもそうだが」

 擁護を聞いても、ブレックスは今一つ納得できないようだ。アムロが微笑む。

「腕は保証します。アーガマに来る時も、三機の新型を相手に切り抜けましたから」

「新型……バーザムというやつだな」

 ヘンケンが相槌を打った。

「はい。その時、ガンダムMk-Ⅱとも戦いました」

「ガンダムMk-Ⅱ!」

 ブレックスとヘンケンが口を揃えた。その反応を見て、アムロが訊いた。

「パイロットはジェリド・メサでした。ご存知ですか?」

 ヘンケンは苦い顔で頷く。有名人だ。

「ヤツが地球に降りるまでの間、何度か戦ったよ。ガンダムMk-Ⅱのパイロットだとティターンズから寝返った士官から訊いた。それに、30バンチ事件の跡地のコロニーにも侵入したとか」

 彼はアムロが知らないであろう情報を話した。ジャブローを脱出したなどという話はする必要がない。

「そういえば、ニュータイプの素質があるとクワトロ大尉は言っていたな」

 さらにそう付け加えると、ブレックスとアムロの表情が変わった。

「クワトロ大尉か……」

 ブレックスが遠い目で言うと、カツが肩を縮めた。それに気づいて、慌ててヘンケンが取りなした。

「いや、二人を責めるつもりではなかった。な、准将」

 ヘンケンに問いかけられたブレックスは、窓の外に目をやった。

「ああ。……しかし、クワトロ大尉が亡くなったのだから、私も慎重にならねばならんな」

「当たり前でしょう」

 ヘンケンが声の調子を強めるが、ブレックスは宇宙を見つめたままだ。その顔に覇気はない。

「彼には、私の代わりにエゥーゴを率いて欲しかった。ダカールの連邦議会にも連れて行っておきたかったが……」

「准将が死んではエゥーゴは戦えません」

 ブレックスの言葉をヘンケンが遮る。指導者たるブレックスが弱音を吐いていては士気に影響が出る。

 窓から視線を戻して、ブレックスはヘンケンに向き直った。

「わかっているよ。しかし、こうしてダイクンの血が消えてしまっては、いつまで経ってもスペースノイドの時代は来ないような気がしてな」

 ブレックスはため息をついて、アムロを見た。アムロは笑う。

「パイロットとしてなら努力もしてみせますが、俺にシャアの代わりはできませんよ」

「いや、そうだな。すまなかった」

 苦笑いして応える彼は、少し老け込んで見えた。

 

 

 

「遅い!」

「嘘っ、嘘嘘嘘ーっ!」

 シドレが叫ぶ。彼女は三機目だった。すでにカミーユ機とサラ機は撃破されている。モニターに模擬戦の敗北を告げる文言が表示された。

 Mk-Ⅱのコクピットで、ジェリドが声を張り上げる。

「そんなことじゃあアポロ作戦を生き残れんぞ! この前のように、アムロ・レイのところの坊主にやられたいのか!」

 ジェリド隊は今、模擬戦形式での訓練を行なっていた。

 模擬戦用設定では、発射スイッチを押したときに敵機が射線上にいれば撃墜として扱う。弾速が極めて速いビームでは、ほとんど実戦と変わらない。

 そのルールにおいて、ジェリドはバーザム三機を瞬く間に撃墜してみせた。カミーユたちは呆然としている。

「シドレ曹長はデブリに気を取られすぎだ! カミーユはもっと間合いを詰めろ!」

「は、はい!」

 彼らは、それなりに自信を持っていた。カミーユはジュニア・モビルスーツの大会で成績を残していたし、サラもシドレも、ニュータイプとしてだけではなく、パイロットとしての訓練も積んできたつもりだ。

 だが、その自信はまたしても打ち砕かれた。三機がかりでありながら、エゥーゴの新型可変モビルアーマー、メタスに追い詰められ、さらには、ジェリドのMk-Ⅱにあっという間に全機撃墜されてしまった。

「貴様らのニュータイプとしての才能は大したもんだ。だが、パイロットとしては俺の足元にも及ばん。アムロ・レイは俺より強いぞ」

 ジェリドはアムロとも渡り合えるパイロットに成長していた。つまり、連邦最強のパイロットと肩を並べる存在だ。その彼が本気を出せば、こうなるのは当然だろう。

「昨日の戦闘は少し間違えれば全滅していた。それは俺の采配ミスだ。だが、間違いなくアムロ・レイとその相棒はアポロ作戦の妨害に来る。その時もまた同じようにやられたんじゃ話にならん」

 アムロ・レイと並べて語られているのはカツ・コバヤシだ。メタスに乗って、カミーユ、サラ、シドレの三人を追い詰めた。

「力がなくちゃ何もできんのだ。生き残ることもな」

「はい!」

 彼らの模擬戦は、推進剤が切れるまで続いた。

 

 

「お疲れ様。上手くなったわね、三人とも」

 モビルスーツから降りたジェリド隊を、マウアーが出迎えた。格納庫の通路から、彼女はドリンクを持って跳んだ。

「マウアー」

「はい、差し入れ」

 手には四種のジュースのチューブが握られている。ジェリドが隊員を呼んだ。

「おい、お前たち! マウアーが差し入れだ!」

 隊員たちがあっという間に集まってくる。

「ありがとうございます、マウアー少尉!」

 サラは屈託なく礼を述べた。シドレとカミーユもそれに続く。カミーユが取ったオレンジフレーバーのジュースに、サラの手がかかった。

「なんだよ」

「ケチなんだから」

 サラは少しだけむくれてオレンジのジュースから手を離すと、マウアーからグレープフレーバーのジュースを受け取った。

 マウアーが、残ったチューブをジェリドに差し出した。

「ジェリドは?」

「もらっとく。ありがとな」

 ジェリドは受け取って、マウアーに微笑む。よっと、と掛け声を出して彼は格納庫の床へ降りた。Mk-Ⅱの整備だ。

 通路から下へ、マウアーが呼んだ。

「忙しいの?」

「ああ、模擬戦を何度もする予定だからな。何もかも整備士に任せっぱなしじゃあ俺の顔が立たん」

 見れば、カミーユとサラもチューブを手にして自機の整備に向かっていた。シドレだけは、マウアーの横で美味しそうにジュースを味わっている。

 模擬戦は非常に体力を消耗する。その上で機体の整備を行い、またすぐに模擬戦を行うことは、軍人にとっても酷なことだ。ましてや、カミーユたち三人は子供だ。マウアーはシドレに訊いた。

「つらくないの? 仕事ばかりで」

「つらいですよ?」

 振り返ったシドレは、もうジュースを飲み干してしまっていた。彼女はそのまま通路の壁を蹴って、バーザムの整備に向かう。マウアーは通路から身を乗り出した。

「じゃあなぜ……!」

「生き残りたいですからー!」

 シドレは肩越しに振り返って答えると、バーザムの整備に取りかかった。

「……そうね、ジェリド。あなたが正しいわ」

 マウアーは呟いた。間違っているのは、子供たちが戦場に出ていることだ。子供たちを死なせないために、ジェリドは模擬戦を決意したのだろう。

 彼女はカミーユを見た。他の二人と比べると、彼のバーザムは動きがよかった。カミーユはバーザムの整備をしながら声を張り上げる。

「ジェリド大尉! 俺のバーザム、わからないところがあって」

「わかった、後で行く!」

 整備士たちも手伝っているが、主力はジェリド隊だ。マウアーはヘアゴムで髪を纏めると、格納庫のMk-Ⅱへ跳んだ。

「私も手伝うわ、ジェリド」

「マウアー!」

 無重力の格納庫に浮いた彼女を、ジェリドは抱き止めた。Mk-Ⅱの陰になって、カミーユ達からは見えない。

「二人でやった方が早いでしょ?」

「そりゃそうさ。……」

 ジェリドはマウアーを抱きしめて、唇を重ねた。マウアーが小さく声を漏らす。カミーユ達が機体を整備する音が聞こえる。

「ありがとな、マウアー」

「忙しくなるんでしょう?」

 マウアーに発言を先回りされて、ジェリドははにかんだ。

「ああ。あいつらに稽古をつけてやらないと……」

 今度はマウアーの方からキスをした。ジェリドの手が、彼女の背中を強く抱く。

「ジェリド、覚えておいてね。あなたの隣には、私がいるって」

「……頼らせてもらう」

 もう一度二人は抱き合う。短いが固く強い抱擁を交わし、二人は整備に着手した。

 

 

 

 ケーブルと工具を担いで、カクリコンが跳んだ。Mk-Ⅱの肩関節の整備を終え、彼は格納庫の床に降りる。アレキサンドリアの格納庫は無重力だ。

「精が出るな、カクリコン!」

 彼に男が声をかけた。振り向くと、金髪を逆立てた目つきの鋭い男が通路から飛び降りてきている。

「ヤザン大尉か。仕方ないのさ、Mk-Ⅱは共用パーツがあるとはいえ、こっちじゃ俺しか乗ってないんでね」

「そうだったな。……例の援軍ってのはどこだ」

 ヤザンが声を落として聞く。カクリコンが親指で示した先には、オーガスタ研究所の可変モビルアーマー、ギャプランがあった。彼のギャプランを見る目は、複雑な感情を抱えている。

「あれだ。オーガスタ研だな、ありゃあ」

「……強化人間か」

 オーガスタと聞いて、ヤザンが不服そうに顔を顰めた。カクリコンは顔を引き締めて言い返した。

「強化人間ってのは人形だと思ってんでしょう?」

「違うか?」

「俺は地上で会いましたよ、二人ね」

「人形は人形だ。アポロ作戦のためとはいえ、バスクのやり方は気に入らんな」

 ヤザンは床を蹴って、ギャプランの方へ向かう。足を止めて、彼はその機体を眺めながら声を上げた。

「パイロットは?」

「ジャマイカンに挨拶に行ってるって……どうしたんです?」

 ヤザンの目は獲物を見つけた獣のように爛々と輝いている。口元に笑みが浮かんだ。

「なあに。俺のマシンがいつまでもバーザムじゃあ気に入らんのさ」

 ギャプランを見下ろす二人の背後に、一人の男が近づいていった。

「ギャプランが気になるか」

 振り向いた二人の視界には、若い男。他の人間とは雰囲気が違う。ヤザンもカクリコンも、顔を固くする。

「オーガスタ研から来た。ゲーツ・キャパだ」

 敬礼と共に自己紹介をしたその男が、オーガスタからの援軍だった。

「ほう、貴様がこのモビルアーマーのパイロットか」

 ヤザンが好戦的な笑みを浮かべてそう言った。ゲーツはそれを無視し、訊く。

「カクリコン中尉というのは?」

 相手はオーガスタ研究所の強化人間だ。カクリコンは小さく答えた。

「……俺に何の用だい、ゲーツ・キャパ大尉」

「あんた、ロザミアと会ったんだろ」

 想像よりも砕けた口調の男だ。強化人間にしては、追い詰められている感じがない、とカクリコンは思った。

「なあ、どうだったんだ、ロザミアは」

「どうって……」

 カクリコンが口ごもると同時に、ヤザンがせせら笑った。

「戦闘人形のお仲間か?」

 ヤザンをゲーツが睨んだ。ヤザンはにんまりと笑ったまま、その目を見返す。殺気の衝突の末、ゲーツがカクリコンに視線を戻した。

「俺はね、ロザミアと同じで孤児だったんだ。オーガスタ研に拾われて、兄弟同然に育った。だから……知っておきたいんだよ、ロザミアのことを」

 気恥ずかしそうに下にぶれた彼の目に、嘘はない。

「ゲーツ大尉ー!」

 眼鏡の男がゲーツを呼びながら、格納庫の床に降りてきた。

「ああ、ローレン中尉」

「まったく……投薬の時間というのに」

 ローレンと呼ばれた冴えない眼鏡の男は、軍人にしてはひょろっとした体つきだ。ヤザンが聞こえよがしに吹き出す。

「はあっはっはっは! 投薬だとよ、聞いたか? カクリコン!」

「何が悪い!」

 ゲーツがついに噛み付いた。ヤザンが心底楽しそうに笑った。

「いやあ、戦闘人形が人間らしく振る舞ってたからな」

「人工ニュータイプはスペースノイドとアースノイドの溝を埋める崇高な研究だ。貴様が侮辱するな!」

「侮辱だと? くくく、脳みそをいじられてる連中は言うことが違う!」

 ゲーツが床を蹴った。勢いに乗せて拳を振るう。しかし、それよりも早くヤザンの蹴りがゲーツの胴体に命中していた。ゲーツの体を足場にして、その場から離れるための前蹴りだ。無重力でパンチが空振りしたゲーツは、大きくバランスを崩している。

「ゲーツ!」

 カクリコンが手を伸ばして、ゲーツの体を支えた。ヤザンは高笑いをあげて、格納庫の通路へ戻っていく。ゲーツはカクリコンを振り払って、通路へ向かって跳んだ。

「なんて力だ……!」

 カクリコンがつぶやく。強化人間は肉体も強化されている。ゲーツを見下ろしたヤザンは、そばを通っていた整備士の手から工具箱をひったくった。

「あっ、大尉!」

「借りるだけだ、そらよ!」

 ひったくった勢いのまま、ヤザンは壁を足場にしてゲーツに工具箱を投げつける。

「うおっ!?」

 無重力の空中では、ほとんど自由が効かない。ゲーツは避けることもできず、工具箱を受けて進路を大きくずらす。ヤザンが鼻で笑った。

「力はあってもケンカはできんようだな」

 ヤザンは悠々と格納庫から出て行く。天井にぶつかって、ようやくゲーツは止まった。

「あんな奴に……あんな奴に、ロザミアの死を侮辱されてたまるか……!!」

 表情を歪めたゲーツ。憎々しく吐き捨てた彼を、ローレンは冷たく見つめていた。

 

 

 

 アポロ作戦。それは、月の表側にある月面都市フォン・ブラウン市の制圧を目的とした作戦である。

 ドゴス・ギアのブリーフィングルームにジェリドが入ると、カミーユ、サラ、シドレの三人が振り返った。

「ジェリド隊長!」

「ふふ、元気がいいな、お前さんたちは」

 ジェリドが笑う。ブリーフィングルームには、ドゴス・ギアのモビルスーツパイロット達も集まっている。マウアーは、ジェリドを見て微笑む。ジェリドも同じように視線を返した。

「怪我はいいんですか?」

「ああ、もうすっかりな」

 カミーユの問いに、ジェリドは額を指で撫でて答えた。前のドアからシロッコが部屋に入ってくる。それを見て、ジェリドはカミーユの肩を軽く叩いて最前列の席へ向かった。

「うむ。全員揃っているな」

 前方のモニターの前に立ったシロッコは、指示棒を手にしている。モニターに図が映った。

「では早速始めよう。我が軍は、アポロ作戦を実行に移す」

 やはりか。わかっていたことではあるが、パイロットたちの間に緊張が走った。

「カミーユ曹長。アポロ作戦とはなんだ」

 シロッコは、ブリーフィングルームの後ろでサラやシドレとも距離を取って立っているカミーユに問いかけた。カミーユはシロッコに視線をやることもなく答える。

「フォン・ブラウン市を制圧する。違いますか」

「その答えでは満点をやれんな。フォン・ブラウン市を抑えれば、月に対しても、各サイドに対しても強い影響力を持つことができる。フォン・ブラウン市を制するものは地球圏を制する。エゥーゴの本拠地であるグラナダを攻略するにあたって、この街は重要な意味を持つことだろう」

 シロッコがリモコンを操作すると、モニターに月の地図が映し出される。

「エゥーゴも、フォン・ブラウンをやすやすとは渡さん。だからこそ、ティターンズも艦隊を組織して、このアポロ作戦を実行する。艦隊戦だな」

 ごくりと音がした。誰かが唾を飲み込んだ音だ。

「安心してくれ。アポロ作戦の指揮を取るのは私だが、モビルスーツ隊の指揮をおろそかにはしない。君たちに気をつけてほしいのは、フォン・ブラウン市の中心部を傷つけんことだけだ」

 シロッコが説明した内容は簡素な物だった。月面へ降下していき、フォン・ブラウンを制圧する。攻撃を加えてくるエゥーゴ艦隊には反撃をする。エゥーゴの出方がわからないとはいえ、作戦というには不確定要素が多すぎる。

「第一戦隊がジェリド隊、第二戦隊はマウアー隊だ。くれぐれも、先走った行動のないように。以上だ」

「質問があります」

 ジェリドが手を挙げた。

「なんだね」

「せめてどうフォン・ブラウンの制圧をするかくらいは教えてもらいたい」

「君たちは実戦の中で私の指示に従えばいい。それだけのことだ」

 ジェリドは、問い詰めたい気持ちを押し殺した。やはり、信用はできない。

「了解しました」

「他に質問があるものは?」

 ブリーフィングルームのパイロットたちは険しい表情で黙っている。カミーユがシロッコを睨みつけていた。

「ならいい。機体を万全にしておけ。解散だ」

 シロッコがそう言うと、パイロットたちが動き出した。大きな戦いになる。機体も体調も万全にしなければならない。

 ドアに手を掛けたシロッコは、ジェリドに声をかけるカミーユを横目で捉えて、部屋を出た。

「ジェリド大尉」

 カミーユはジェリドのことを隊長とは呼ばなかった。彼なりの一線の引き方だった。席を立ったジェリドは、カミーユに振り返った。

「どうした?」

「僕のバーザムの調子、おかしいんです。ちょっと見てもらいたくて」

 わずかに引きつった口元を、ジェリドは見逃さなかった。

「そんなことか? いいさ、付き合ってやる」

 ジェリドがそう答えると、カミーユは安心したように笑って、格納庫へのハンドグリップを掴んだ。

 

 

 

 ジェリドはバーザムの装甲を蹴って、格納庫の床に着地した。

「よし、動かしてみろ」

「はい!」

 ハッチが開いたままのコクピットから、カミーユが答える。バーザムのモノアイが点灯し、立ち上がった。軽く右腕を振り回して、指を開いて閉じる。

「……やっぱり、何か変ですよ。異音とかしませんか?」

「俺からは聞こえないな」

 コクピットのカミーユにそう大声で答えたジェリドは、腕を組んで考え込んだ。モビルスーツに異常は見られない。彼は無重力の床を蹴って、バーザムのコクピットへ跳んだ。

 開いたままのハッチを掴んで、コクピットの中へ体を押し込む。

「あまり整備士たちを困らせるなよ?」

「でも、変なんですよ、これ!」

 カミーユの声が震えていた。ハッチを手で押して、ジェリドはコクピットのシートに座るカミーユまで一気に近づいた。

 驚いて、カミーユはジェリドの顔を見上げる。

「怖いか、アポロ作戦が」

「……そりゃ、怖いですよ。人殺しだって、しなくちゃいけないんです」

 カミーユは、言葉に目を伏せる。ジェリドは声を落として答えた。

「……戦争だからな。殺さなきゃ殺されるんだ」

「人殺しになれっていうんですか」

 上目遣いにカミーユはジェリドを見た。

 ジェリドの中の確信が、より強くなった。こうして戦場に怯えていても、カミーユはサラやシドレはもちろん、シロッコにも頼らなかった。シロッコの一派とは、確実に距離を取りたがっているのだ。

 さらに声を落として、ジェリドは訊いた。

「シロッコに脅されてるんだろ」

 カミーユが目を見開く。シートの上で、ジェリドを突き飛ばした。

 無重力の空中に突き飛ばされたジェリドだったが、開いたままのコクピットハッチに手をかけてその慣性を止める。カミーユが怒鳴りつけた。

「なんであなたは、そう嘴を突っ込むんです!」

 体勢を変えて、ジェリドがカミーユと目を合わせた。

「俺にだってやれることはある」

 ファが人質になっている。カミーユはその言葉を言えなかった。

 もしその秘密を他人に話せばファの命の保証もない、とシロッコは言っていた。ジェリドがシロッコを抑え込める立場にあるとは到底思えない。

 カミーユは目を逸らした。操縦桿のスイッチを意味もなく撫でながら、彼は口を開いた。

「……シロッコはね、ドゴス・ギア以外を全部、囮に使うつもりなんです。他の艦も、モビルスーツ隊も」

「え?」

 ジェリドが聞き返す。

「囮で時間を稼いでおいて、ドゴス・ギア単独でフォン・ブラウンに降下して制圧するのがシロッコの狙いです」

「なんでそんなことを……」

「シロッコに気に入られてるんですよ、俺は」

「そうじゃない。なぜ俺に話したんだ」

 そう言われて、カミーユはジェリドを見上げた。ジェリドはまだ、カミーユの目を見つめている。カミーユは顔を背け、バーザムのハッチを閉じた。ジェリドは締め出され、コクピットに残っているのはカミーユだけだ。

「カミーユ! カミーユ! ……くそっ」

 何度も呼びかけるが、答えはない。ジェリドは悪態をついた。

 暗いコクピットの中で、カミーユは一人、膝を抱えていた。

 

 

 

 シドレは水を飲んで、喉を潤した。彼女を突き動かしているのは、渇きだけではない。もう一口水を飲んで、彼女は椅子に背を預けた。

 ここはドゴス・ギアの休憩スペースだ。彼女は時計を見上げる。本来なら、もう寝なくてはいけない時間だ。

「シドレか」

 声の方へ振り向くと、立っていたのはシロッコだった。立ち上がって敬礼したシドレを、シロッコは叱りつけた。

「早く休みたまえ。明日のアポロ作戦に支障が出るぞ」

 相手は尊敬するシロッコだ。シドレは立ち上がって敬礼し、答える。

「眠れないんです。緊張して」

 そう言ってから、シドレは後悔した。こんなことでシロッコの気を煩わせてはいけない。シロッコはしばし沈黙した後、口を開いた。

「なら、少し私と話そうか。シドレ」

 シロッコはシドレの向かいに座った。目を丸くする彼女に、シロッコは微笑んで、座るよう手で示した。

「よろしいのですか?」

 シドレは訊いた。彼女の視線の先には、シロッコが脇に抱えていたファイルの束がある。彼は笑って首を振った。

「艦長としての仕事は慣れている。少なくとも戦闘よりはな」

 彼はそう言ってファイルを机に置いた。シドレは恐縮しながらしばらくシロッコの様子をうかがって、ようやく腰を下ろした。

「失礼します!」

 敬礼して着席したシドレに、シロッコは目を細めた。

「どうだ、ジェリド隊は」

「は! 良好であります!」

 シドレははきはきと答えた。

「ふむ……。ジェリドはどうだ」

「ジェリド隊長は凄腕です」

「パイロットとしてはそうだろうな。隊長としては?」

「……隊員のことを考えてくれています。負傷してまで、私たちを守ってくれました」

 シドレは少しはにかんでいた。シロッコはその感情の動きを見逃さなかったが、追求はしなかった。

「立派な隊長だ。他の隊員たちの様子は?」

「サラ曹長は職務にも熱心です。カミーユ曹長は……その、反抗的と言いますか」

「ジェリドにも反抗的か」

「いえ、そうではなく……。ジェリド隊長に対しては、どうにも心を開いているような感じです」

 答えたシドレが顔を上げると、シロッコは顎をさすって考え込んでいた。

「何か、ありましたか?」

 心配そうに彼女は尋ねる。自分の話に、何か不機嫌にさせる要素があったのだろうか。

「いや、いい傾向だと思ったまでだ。カミーユの能力をよく伸ばしてくれれば嬉しいがな」

 シロッコは笑った。シドレは、まだ不安を払拭しきれていないようだ。

「大丈夫だよ、シドレ」

 立ち上がり、シロッコはその手をシドレの頬へ伸ばす。彼女はその手に自分の手を重ねて、頬擦りした。

「パプティマス様……」

 シドレは目を閉じて、落ち着いた笑みを浮かべる。その一方で、シロッコは空いている手で密かにファイルを捲る。彼は乗員名簿のジェリド・メサの名を、冷酷に見下ろした。

 

 

 



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ムーン・アタック(後)

 

 

「すごいですね、アーガマって」

 カツははしゃいだ。休憩スペースの自動販売機に、彼は目を輝かせている。

「ああ。ホワイトベースとは全然違う」

 アムロは椅子に腰掛け、コーヒーのカップを傾ける。カツは小銭を出して、何を飲むか迷っているようだ。

「……この前、ジェリドと戦ったろう」

 二人の間に沈黙が流れた。自販機が小さく音を立てる。平静を装って、カツがアムロの声に振り返った。

「はい。それが?」

「撃たなかったな」

 アムロの言葉は鋭い。カツは、何を言われているか理解した。

「……すごいな、アムロさんは。何でもお見通しか」

 観念したようにそう言って、カツは自販機の小窓から紙コップを手に取った。

「なぜだ? ティターンズは憎いだろう?」

 カツはストローでジュースを一口飲むと、アムロの向かいに座った。視線を机の上に落として、彼は答えた。

「……女の子が、怯えてたんです。撃たなきゃいけなかったのは、わかってます」

 女。アムロの脳裏に、一年戦争での出来事が蘇る。

「相手は、お前のことを」

「多分、知りません。僕が一方的に感じただけなので」

 アムロの表情が翳った。カツはもう一口、ストローを吸う。

「……地上で言ってましたね、アムロさんも……」

「ニュータイプというのは、いいことばかりじゃない」

 アムロが不安を抱いたのは、カツのニュータイプ能力に対してだ。殺すはずの敵の感情を感じ取ってしまうことは、パイロットとしては負担になる。

 なにより、自分の二の舞を演じさせたくはない。アムロはハヤトからカツを託されているのだ。

 目を閉じて、彼はコーヒーを飲み干した。カップを下ろしたとき、アムロは笑みを浮かべていた。

「しかしカツ、ここではケーキも食べられるらしいぞ」

 カツが意外そうに顔を上げた。アムロの表情を見て、彼も笑う。

「楽しみですね」

「ああ……」

 そう言いつつ、アムロの視線は宙に漂っていた。

 明日には、ティターンズがフォン・ブラウンを攻撃する。大規模な戦闘が始まるのだ。

 

 

 

 月のはるか上空で、艦隊戦の戦端が開かれようとしていた。

 フォン・ブラウン市制圧を狙うティターンズ艦隊と、それを阻止せんとするエゥーゴ艦隊。軍艦はずらりと並び、その内に熱を湛えている。

 全長三百メートル前後の艦が並ぶ様は、一年戦争を思い起こさせた。

 後方のアレキサンドリアのブリッジでジャマイカンはつぶやいた。

「エゥーゴのスポンサーはまた支援を強めたようだな」

 報告では、エゥーゴの戦力は以前以上に増している。ガディがキャプテンシートで相槌を打った。

「地上ではもう上がり目がないと見たんでしょう。このアポロ作戦は双方にとって重大です」

「連邦政府の総会の直前だからな。ここでフォン・ブラウンを叩ければ、ジャミトフ閣下も議会で動きやすくなる」

「しかし、この作戦の指揮を任されているのは……」

「ふん、奴の手並みを見せてもらうさ」

 ジャマイカンは苦々しさを滲ませた。フォン・ブラウン市を制圧するアポロ作戦の指揮を任されているのは、彼ではなかった。

「パプテマス・シロッコ……木星帰りの男か」

 ガディは遠い前方のドゴス・ギアを見て、そう漏らした。

 

 

 

 アポロ作戦を任されたシロッコは、彼の実力を彼自身に示すチャンスに密かに沸いていた。互いの射程の外に広く配置したエゥーゴの艦隊は、フォン・ブラウン市を狙うティターンズ艦隊を待ち構えている。

「艦隊の配置は?」

「戦闘配置、完了しています!」

 オペレーターが答えた。僅かに上ずった声は緊張の証だ。

 シロッコは立ち上がった。艦隊によって一気にフォン・ブラウン市を制圧する。

「フォン・ブラウン市周辺へ威嚇射撃! 続いてドゴス・ギアを除く全艦、モビルスーツ発進させよ!」

 無数のミサイルとビームが月面を抉る。低重力の月面で、砂塵は高く舞い上がった。

 フォン・ブラウン市にも警報が出される。攻撃の遠い振動を受け、住民は恐慌状態だ。

「ドゴス・ギアのモビルスーツは発進させない……。カミーユの情報は確かなようだな」

 ドゴス・ギアのモビルスーツ格納庫で、ジェリドは呟いた。彼はガンダムMk-Ⅱのシートに身を預けている。パイロットは皆コクピット内で待機中だ。ジェリドは自分の隊に通信を繋げた。

「月面での戦闘は勝手が違う。シミュレーションを忘れるなよ」

 サラもシドレも、表情が硬い。艦隊戦の経験は、彼らにはなかった。

「模擬戦じゃあ俺だって落としただろう。固くなりすぎるな」

 見かねたジェリドが言葉を投げるが、彼女達は押し黙ったままだった。

「それに、俺たちが出撃するのは……」

 ジェリドはその言葉を飲み込んだ。彼は、カミーユからシロッコの狙いを聞いていた。他の艦もジェリド隊も、ドゴス・ギアが単艦でフォン・ブラウンへ降下するための囮だ。それを考えれば、ジェリド達を含むドゴス・ギアのモビルスーツ隊を発進させるのは、フォン・ブラウンに接近してからだろう。

「さて、どう出るシロッコさんよ」

 ジェリドは密かに、そう呟いた。

 

 

 

 百式のビームライフルが、瞬く間にハイザックを落とす。引き連れたマラサイとネモの群れが散開し、艦隊への攻撃を開始した。

「ドゴス・ギアからの報告があった! あの金ピカがアムロ・レイか!」

 ヤザンは舌なめずりをして叫ぶ。敵は一年戦争の英雄、アムロ・レイ。

「バーザムとこいつの力を試すいい機会だ。遅れるなよ!」

 ヤザンは部下に呼びかけた。ハイザックたちはハンドサインを返し、ヤザンのバーザムはフェダーインライフルを構える。

「墜ちろ!」

 続けざまに二発発射したビームは、百式と、その進行方向を狙っている。加速しただけでは逃れられない攻撃だ。

 だが、百式には当たらなかった。フレキシブル・バインダーによるAMBACが機体の向きを変え、さらに加速してビームをよける。

「そこか!」

 アムロの反撃のビームライフル。ヤザンには当たらなかったが、僚機のハイザックに命中した。体勢を崩したところに、さらに二発目。動力部を撃ち抜かれ、ハイザックは爆散する。

「うわあああ!!」

「アドル! くそっ! 腕のいいパイロットだ!」

 ヤザンは舌打ちした。激しくビームを撃ち合う二機に、ネモが強引に割り込んだ。

 ビームライフルを撃ちながら接近したネモはビームサーベルを抜いた。振り下ろされる光刃に、ヤザンはフェダーインライフルを突き出した。ライフルのストックから展開したビーム刃が、ビームサーベルを受け止める。

 そのままヤザンはサーベルをいなし、ライフル後部のビーム刃でネモの胴体を刺し貫く。

「まだあっ!!」

 フェダーインライフルをほとんど前後逆に持ったバーザムは、その砲身を脇に挟み、親指で引き金を押すように絞った。

 近接戦闘から間をおかず、背後への二連射。エゥーゴのマラサイがその餌食になる。

「しまった!」

 ヤザンがつぶやく。マラサイの爆発に紛れて、百式はバーザムの側面に回り込んでいた。撃たれれば当たる。そう確信したヤザンだったが、アムロは引き金を引くことなく急上昇した。その百式を追って、ビームが宇宙を走る。

「Mk-Ⅱ……ジェリドではない?」

 ビームの主へ視線をやり、彼はそう呟いた。アムロがヤザンを仕留めなかったのは、ガンダムMk-Ⅱの接近に気づいたからだった。

 Mk-Ⅱのコクピットからの通信がバーザムに届く。カクリコンだ。

「ヤザン大尉! アムロ・レイはそこらのパイロットじゃない!」

「手を貸せ、カクリコン!」

 ライフルを構え直したヤザンのバーザムが、百式を狙う。威力も精度も有効射程も、フェダーインライフルは百式のライフルを大きく上回っている。運動性を活かして接近しようとする百式を、カクリコンのMk-Ⅱが阻んだ。

 アムロの額を冷や汗が伝う。彼の脳裏に、もう一つ、近づいてくる気配があった。

 見えた機影には覚えがある。地上で戦った可変モビルアーマー、ギャプラン。

「これは……強化人間か!?」

「アムロ・レイ! ロザミアの苦しみ、寸分でも思い知れ!」

 ギャプランの操縦桿を握るのはゲーツ・キャパ。ロザミアの仇を討つため、彼はアムロを狙っていた。

 ギャプランのメガ粒子砲の狙いは正確だ。逃れたところを、カクリコンのMk-Ⅱのビームサーベルが襲う。三機のエースパイロットの攻撃を前に、アムロも次第に追い詰められていく。

 ビームの連射が戦場を通過した。アムロはやや安堵した表情で、そのエゥーゴの可変モビルアーマーを見る。

「アムロさん!」

「カツか!」

 メタスが敵の視界を飛び回る。バーザム、Mk-Ⅱ、ギャプラン。アムロといえど、これほどの敵を相手するのは厳しい。カツのメタスは加速して、ギャプランの後ろを取った。可変モビルアーマーの相手は、やはり可変モビルアーマーがするべきだ。

「邪魔をするか!」

 ゲーツが表情を歪める。宇宙空間でのドッグファイトは、モビルスーツの発明以前の戦闘を思い起こさせる。アムロとヤザン達のすぐそばを、その二機のモビルアーマーは高速で飛び回った。

「ぐぅううう!」

 カツがGにうめいた。メタスの後ろを取っているのはギャプランだ。カツも操縦桿を操作するが、ゲーツは振り切れない。

 フレキシブル・シールド・バインダーによる高速の方向転換は、耐G性能を高めた強化人間だからこそできる芸当だ。

 勝利を確信したゲーツの目前で、メタスがモビルスーツ形態へ変形する。

「何!?」

「それっ!」

 メタスはそのまま両手のビームガンをギャプランに向ける。ギャプランは咄嗟にブースターを下に向け噴射するが、かわしきることはできない。数発のビームが着弾し、ゲーツは表情を歪めた。

「モビルスーツの使い方もわからんのか!」

「黙れ!」

 通信越しに飛び込んだヤザンの野次に反論しつつ、ゲーツはメタスを睨んだ。

 

 

 

 窓の外の宇宙では、激しい戦闘が繰り広げられている。シロッコはにやりと笑った。

 すでに彼の座乗艦ドゴス・ギアは戦闘を抜け出すように、エゥーゴの攻撃を突っ切ってフォン・ブラウンへ向かっていた。

「ジェリド隊を発進させろ。ドゴス・ギアの速度は緩めるな!」

「はっ!」

 クルーが応えた。そのまま、シロッコは通信士の席へ向かう。

「あっ、少佐……」

「借りるぞ」

 彼はヘッドセットの一つを奪い取ると、それを耳に当てる。これは盗聴だ。

「さて……ジェリド。本当に君が邪魔者か、確かめさせてもらおう」

 シロッコはそう笑う。彼のヘッドセットから、ジェリド隊の通信内容が流れ出した。

「出撃命令だ! ジェリド隊、遅れるなよ!」

 ハンドサインと共に、ジェリドのMk-Ⅱが両足をカタパルトにセットする。通信を繋げたが、未だにサラとシドレの表情は、戦場に怯えているようだ。

 わずかに顔を顰めたジェリドは、小声で彼女達に伝える。

「俺たちの任務はフォン・ブラウンの制圧でも敵艦への攻撃でもない」

「えっ?」

 サラとシドレが声を合わせて驚いた。ジェリドは笑顔を作ってみせる。

「フォン・ブラウンへはドゴス・ギアが降下する。俺たちはモビルスーツ隊の足止めをすりゃあいい」

「それって……」

「モビルスーツの相手なら、もう散々やったろ?」

「はっ、はい!」

 二人の少女は顔を緩ませた。彼女達が怯えていたのは大規模な戦場だ。砲火が飛び交う中に飛び出すのは、やはり恐ろしい。しかし、今の目的は降下するドゴス・ギアの防衛。戦場の中心から離れたところでモビルスーツの相手だけをしていればいいことがわかったのだ。

「ジェリド・メサ! ガンダムMk-Ⅱ! 出るぞ!」

 カタパルトでの加速を受けて、ジェリドのMk-Ⅱは宇宙へ飛び出した。ジェリド隊のモビルスーツがそれに続く。シロッコはその音声を聞きながら、冷たい目で戦場を俯瞰していた。

 

 

 

「ドゴス・ギアがフォン・ブラウンへ向かおうとしています!」

「アーガマのモビルスーツ隊を向かわせろ! 市内に降下させるな!」

 ヘンケンが怒鳴った。シートから体を起こしてブレックスが訊く。

「いいのか、艦長。この艦は……」

「僚艦があります。それに、グラナダからの増援も来ることに……」

 アーガマが揺れた。ヤザンのバーザムが、フェダーインライフルを構えている。

「後退はするなよ! 前方のサラミス級に攻撃を集中! メガ粒子砲、チャージまだか!」

 立ち上がって指示を出すヘンケンに、ブレックスが声を張り上げる。

「持つのかね、艦長!」

「フォン・ブラウンが制圧されないためには、アーガマが敵の気を引いてやらなきゃならんのです! メガ粒子砲、撃て!!」

 ヘンケンは険しい表情で戦場を睨む。サラミス改級が真っ二つに破壊される中、メタスと百式が、強引に敵の囲いを突破していった。それを追いかけて、ギャプランが加速する。

 ドゴス・ギアは単艦でフォン・ブラウン市へ降下するつもりだ。もしドゴス・ギアが市内に入り込んでしまっては、エゥーゴは攻撃ができない。間違いなく、フォン・ブラウン市にも少なくない被害が出る。

 それを止めるために、ヘンケンはアムロ達をドゴス・ギアへの攻撃に向かわせたのだった。

 カクリコンがMk-Ⅱのコクピットで尋ねる。

「追わないのか、ヤザン大尉!」

「アーガマを叩けば戻ってくる!」

「ゲーツ大尉が行った!」

「ならアーガマを沈める手柄をもらうまでだ。どうせヤツにはアムロ・レイは落とせん」

 ヤザンはゲーツを軽んじていた。アーガマの攻撃をやすやすとかわし、さらに反撃のビームを浴びせる。

「向こうにはジェリドもいる。……シロッコめ、手柄を独り占めする気か」

 小さくカクリコンがつぶやく。彼はアーガマとつかず離れずの位置で、確実にダメージを与えていた。

「おっと!」

 背後からネモが接近していた。カクリコンは減速しつつ、振り向き様にネモの片腕を蹴り上げた。がら空きになったその胴体に銃口を押し当てるようにして、Mk-Ⅱはライフルを撃つ。

 爆発の光が、カクリコンのバイザーに反射した。

 

 

 

「今さらジムⅡなど!」

 引き金を引いた数だけ、敵のモビルスーツが火の玉になって落ちた。ジェリドはそのあっけなさに罪悪感を覚える。

 フォン・ブラウンから直接発進したわずかばかりのジムⅡ隊は、ジェリド隊と接触すると同時に全滅した。

「ジェリド隊長!」

「わかっている!」

 ジェリドはカミーユの呼びかけに応える。ドゴス・ギアがフォン・ブラウン市への単独降下に出た以上、その阻止のために敵が来ることはわかっていた。Mk-Ⅱは肩越しに振り返って、その敵をモニターに収める。

 メタスと百式。アムロとカツだ。

 ジェリドのMk-Ⅱが集合のハンドサインを出した。バーザムたちは、Mk-Ⅱの背に手を置く。接触回線を使うつもりだ。

「金色のは俺が引きつける。あの戦闘機は任せるぞ」

「この前の復讐戦というわけですね」

 シドレの威勢のいい返事が聞こえた。緊張は取れてはいないが、雰囲気に呑まれているわけではないようだ。

「ふん、足手まといがいちゃあアムロとは闘えんだけさ。行け!」

 憎まれ口を叩くと同時に、敵のメタスが動いた。

 メタスは百式と別れ、モビルアーマー形態のままドゴス・ギアへ向かうようだ。バーザムたちもそれを追う。

「ご無事で、ジェリド大尉」

 別れ際のカミーユの一言に、ジェリドは短く返事を返した。

「貴様達もな」

 カミーユが頷く。バーザムの三機編隊が、メタスの背を追いかけていった。

 ジェリドはもう、動くわけにはなかった。アムロの百式との睨み合いだ。迂闊な動きをすれば落とされる。

「汚名挽回の機会をやったんだ……。死ぬなよ」

 ジェリドは百式を睨みつけながらつぶやく。互いが射程に収まると同時に、Mk-Ⅱと百式は弾かれるように加速した。

「よくよく縁があるな、アムロ!」

「どけ!」

 アムロが吠えた。ドゴス・ギアがフォン・ブラウンに降下すれば、街を盾に取られてしまう。その結果エゥーゴ艦隊が撤退する流れも、ジェリドには見えていた。

 ビームが宇宙の漆黒に奔った。

「私たちの役目はパプティマス様のための足止め……!」

「この前のようには行かないってところを見せてやりましょうよ、曹長!」

 気負った様子のサラに、シドレはさらに発破をかける。三機のバーザムは、メタスを前にして優勢だった。

「この前より動きがいい……? くっ!」

 バーザムのビームが機体を掠め、カツは舌打ちした。モビルスーツ本体とライフルをケーブルで繋げるバーザムは、出力調整も柔軟だ。薙ぎ払うようにビームを撃つこともできる。

 寄せては引き、引いては寄せる。相手の呼吸を読み取って、敵の望まないことをする。単純なことだが、カミーユ達は戦闘のやり方を身につけていた。

「ぐおおっ!」

 一方で、ビームがジェリドのMk-Ⅱの左腕を吹き飛ばした。ジェリドはその射手を睨む。アーガマのモビルスーツは、百式とメタスだけではない。アムロの側に援軍が来たのだ。

「アムロ大尉! 加勢します!」

 ネモが二機と、マラサイが一機。三機編成の小隊がアムロに加勢した。ジェリドは包囲されないよう距離を取るが、それを予測したアムロのビームライフルが的確に逃げ道を塞ぐ。ネモの放ったビームが、Mk-Ⅱのシールドに突き刺さった。

「きついぞ……これは!」

 

 

 

「ジェリド……!!」

 ドゴス・ギアの格納庫で、マウアーはうめく。彼女のガブスレイには、出撃許可は出ていない。コクピットの中で、彼女は焦らされている。

「出撃許可はまだか!」

 彼女は管制官に通信越しに怒鳴りつけた。

「少佐がマウアー隊はまだ出撃させるなと……」

 舌打ちして、マウアーは通信を切り替える。

「少佐! マウアー少尉が出撃許可を求めています!」

 ブリッジの通信士が、シロッコに呼びかけた。シロッコはその通信士の席へ向かう。

「代われ。私が話そう」

 インカムを受け取り、彼は微笑んだ。

「出撃許可は出せんよ、マウアー」

「ドゴス・ギアに敵が向かってきている!」

 マウアーは怒鳴るように言った。彼女の言う通り、すでにジェリド隊は敵モビルスーツに対して劣勢だ。

「君たちの力はフォン・ブラウン市へ降下したあと、市内の制圧に振るってもらいたい」

「艦が墜とされては!」

「ジェリドがそんなに好きかね」

 シロッコに遮られ、マウアーは言葉を失った。彼女は、モニターに映るヘアバンドの男を睨みつける。

「シロッコ……!」

「ふふふ、そう怒るな。ジェリドが私以上の男なら、この程度のことで死にはせんよ」

 マウアーの反論を、シロッコは通信を切って遮断した。

「よろしいのですか?」

 通信士がシロッコに訊く。

「フォン・ブラウンに降下はできても制圧に失敗すれば私の顔が立たん。ジェリドならば最悪の結果は避けてくれるはずだ」

 シロッコは戦闘の様子を見てほくそ笑んだ。やはりジェリドは部下達に負担をかけないよう、敵モビルスーツの注意を引きつけようとしている。

 訓練中に敵のモビルスーツと接触した時、ジェリドは部下を庇って戦い負傷した。この戦いにおいても、部下を死なせることはないだろう。もしジェリドが落とされても、その時になってからマウアー隊を発進させればカミーユたちは無事なはずだ。

「せいぜい利用させてもらおうか、ジェリド・メサ」

 シロッコはその言葉を、胸の内で呟いた。

 

 

 

「おおお!!」

 ジェリドの反撃のビームライフルがネモの右脚を撃ち抜いた。推力のバランスを崩し揺れるネモの胴体に、もう一発。

 しかし、残ったマラサイとネモがMk-Ⅱを挟み討ちの形に捉えた。強引に加速して逃れたジェリドを、アムロの百式の射撃が襲う。

「ぐおあっ!!」

 胴体にビームが当たり、Mk-Ⅱは大きく揺れる。だが、射角が浅かったのか爆発はしていない。歯を食いしばり、ジェリドはすぐさまビームライフルを撃つ。そのビームはマラサイの動力部を深く貫き、爆発させる。

 ネモとマラサイを一機ずつ落としたジェリドだったが、その代償は大きかった。

「く……パワーが上がらない!?」

 操縦桿を何度も動かしながら、ジェリドは眉根を寄せる。Mk-Ⅱの動力系に何か支障が出たのだろうか、機体の動きが不安定だ。

 アムロはネモに命令を下す。

「ドゴス・ギアに行け! Mk-Ⅱは俺が!」

「了解!」

 加速していくネモ。ジェリドはコクピットで悪態を吐いた。

「く……くそおっ!!」

「墜ちろ!」

 回避運動を取るMk-Ⅱは、精彩を欠いている。アムロはビームライフルの狙いを定める。

「うおおおお!!」

 突然のビームの連射が、メタスの方面へ加速していたネモを撃ち抜いた。ネモの残骸越しにアムロが見たものは、モビルスーツの影。

 アムロはビームライフルを撃つが、咄嗟ゆえの狙いの甘さが出たか、ネモを撃墜したそのモビルスーツは身を沈めるようにしてかわす。流れるように接近し、モビルスーツはサーベルで斬りかかった。

 アムロもビームサーベルを抜いた。モビルスーツのパイロットは雄叫びをあげる。サーベルの光刃が激突した。

「おおおお!!」

「このバーザム……子供が乗っているのか!」

 バーザムのパイロットは、カミーユ。アムロとカミーユの鍔迫り合いは、ジェリドの援護射撃によって中断される。

 勢いに気圧されて、アムロの百式がわずかに後退する。その隙に加速したMk-Ⅱが、カミーユのバーザムの肩を掴む。ジェリドはカミーユに怒鳴った。

「カミーユ! 俺はあのモビルアーマーの相手を命令したはずだ!」

「僕のおかげで助かったんでしょ!」

「生意気を言うな。相手はアムロ・レイだぞ!」

「知ってますよ! ガンダムのパイロットで最強のニュータイプ!」

 百式の射撃を、二機はかわした。幸いMk-Ⅱのパワーダウンも一時的なものだったようで、出力は安定してきていた。

「じゃあなぜ来た!? サラ曹長達の方にいれば!」

「あなたを死なせたくないって言ってんですよ!」

 ジェリドは舌打ちしつつ、内心では少し嬉しかった。カミーユを叱りつける時にちらりと見やった限りでは、サラとシドレはメタスを相手にして優勢だった。しかし、相手の方が足が速いため、逃げに徹されては決定打を与えるのは難しい。その意味では、カミーユのバーザムがジェリドの援護に来たのは合理的な判断と言えた。

 片方の口角を上げ、ジェリドは言う。

「へらず口を叩くだけの腕はある! 行くぞ!」

「はい!」

 会話を交わしながら、二人は百式にビームライフルを撃った。

「ニュータイプか……!」

 アムロはつぶやいた。子供でありながら、あれだけの強さ。感じるプレッシャーも、それを裏付けている。

 カツも苦戦しているようだ。メタスの機動性を活かして時折ドゴス・ギアに攻撃を加えてはいるが、弾幕とバーザム二機の連携に押されて有効打は与えられていない。

 ジェリドのMk-Ⅱが突撃する。ライフルをかわし、サーベルをサーベルで受け止める。

「今だ、カミーユ!」

「はいっ!」

 Mk-Ⅱが百式の胴体に回し蹴りを打ち込んだ。体勢を立て直すために振られた百式の左足が、バーザムのビームライフルに撃ち抜かれる。

「いいぞ、カミーユ!」

 ジェリドが賞賛した。

 その時、エゥーゴカラーのジムⅡ達が視界に入る。月面から上昇してくる二機を見て、アムロは笑う。

「第二波か!」

 フォン・ブラウンからの第二波。つまりは、エゥーゴへの増援。ジムⅡ達はドゴス・ギアへ直進している。

 ジェリドは冷や汗を垂らし、サラ達に目をやる。メタス一機を相手にして優勢のようだが、増援を前にしてその優位性を保てるかわからない。

 しかし援軍は、エゥーゴ側だけのものではなかった。百式がMk-Ⅱと距離を取る。彼は、新たに接近してきた気配に備えたのだ。

「逃がさんぞ! アムロ・レイ!」

 可変モビルアーマー、ギャプラン。パイロットはゲーツ・キャパだ。ほぼ全てのスラスターを真後ろへ向けたモビルアーマー形態で、高速で突進する。

「ギャプランか! 誰が?」

 ロザミアは死んだはずだ。ジェリドの疑問に答えることなく、ゲーツはアムロを追撃する。

 メガ粒子砲を撃ちつつ接近し、ゲーツはギャプランを変形させてビームサーベルを抜いた。アムロもビームサーベルを構える。

「くっ!?」

「俺とロザミアのギャプランをなめるな!!」

 ギャプランの大推力で、百式は一気に月面へと落とされる。ジェリド達への警戒のために、ビームライフルを手放せなかったことも響いた。

「ぐああっ!!」

 月面との衝突にアムロがうめく。ギャプランは百式が舞い上げた砂の上空でメガ粒子砲を構えた。

「死ね! アムロ・レイ!」

 月の低重力で高く舞い上がった砂埃の中へ、メガ粒子が雨霰と撃ち込まれた。有視界戦闘が基本であるモビルスーツ戦闘では、視界を封じられることは死に直結する。

 ギャプランは位置を変えながら砲撃を続ける。しかし、ゲーツの顔に笑みは生まれなかった。

「爆発がない……? バカな!」

 攻撃が命中していれば、百式は爆発しているはずだ。彼が警戒を強めたその時、ドゴス・ギアの広域通信が、この宙域全てのモビルスーツのスピーカーを揺らした。

「ティターンズ旗艦ドゴス・ギアは、フォン・ブラウン市内に着陸した。エゥーゴは停戦せよ。もしこれを受け入れないのであれば、フォン・ブラウン市を攻撃、全面破壊する」

 シロッコは繰り返した。ドゴス・ギアはフォン・ブラウン市への強行着陸に成功したのだ。エゥーゴのモビルスーツ達の足が鈍る。

 アーガマのブリッジも、その通信に歯噛みした。

「間に合わなかったか!」

 ブレックスが悔しげに吐き捨てる。キャプテンシートのヘンケンは、窓の外のティターンズを睨んでいる。またアーガマが大きく揺れた。

「第七ブロック被弾! このままではアーガマは持ちません!」

「艦長! フォン・ブラウン市が港を開放したと……」

 通信士の席からトーレスが振り返った。ヘンケンは小さく頷き、立ち上がった。

「モビルスーツ隊を引き上げさせろ! エゥーゴ艦隊は後退する!」

「撤退するのかね、ヘンケン艦長!」

「裏をかかれました。撤退します!」

 ビームがまたアーガマに撃ち込まれる。その主は、フェダーインライフルを構えたバーザム。コクピットでヤザンが笑った。

「はーっはっはっはっは! 墜ちろっ!!」

 高出力のビームは装甲を深々と撃ち抜く。カクリコンのMk-Ⅱからの通信が、バーザムに届いた。

「大尉! アムロ・レイが戻ってきたぞ!」

「ふっふっふ、待っていたぞ!」

 ヤザンのバーザムが振り向く。彼の視界の先には、メタスに曳かれた百式がいた。

 百式はライフルを構える。アムロが顔をしかめた。

「く……アーガマに当たるか!」

「突っ込みます! 掴まって!」

 カツがフットペダルを踏み込むと、さらにメタスは加速する。

 紙一重でフェダーインライフルの射撃をかわす百式とメタス。カツがどう動くか、アムロにはわかっている。百式はメタスと呼吸を合わせて加速した。

「おおおお!!」

「ぐおおっ! 貴様っ!!」

 百式か、メタスか。どちらかのビームがバーザムの脇腹を掠める。

「アムロさん!」

「ああ!」

 突如メタスが変形し、ブースターを使って減速する。慣性に乗って、百式は前方へ投げ出されるようにバーザムと距離を詰めた。

 変形によって向きを反転させたメタスとカツ。彼が正面に捉えたのは、追撃してきたギャプランだ。

「よくよく逃げ足の早いアムロ・レイ!」

「来るなら来い! 僕はアーガマを助けなきゃならないんだ!!」

「邪魔をするなよ! 出来損ないのモビルスーツが!」

 変形した両者はサーベルを打ちつけ合う。カツは歯を食いしばった。

 百式のサーベルが、フェダーインライフルの砲身を叩き切る。ヤザンが舌打ちした。

「ええい! こんな物!」

 肩から懸架されたビームライフルを構えつつ、バーザムはサーベルを抜いた。刃を振り回して百式を後退させると、すかさずライフルで追撃する。

 アムロの百式はライフルを構えながら、反撃する様子はない。

「弾切れだろうなあ、金色!」

 ヤザンは叫び、ビームサーベルを振りかぶらせる。百式もサーベルを構えて突っ込んだ。

 あとわずかで間合いに入る。その瞬間、ヤザンはバーザムにライフルを構えさせる。

「くそっ!」

 悪態をつきながら、アムロはライフルを投げつける。バーザムはかわすことなく直進した。ライフルを構えたヤザンは叫ぶ。

「目眩しを!」

 投げられた百式のビームライフルが、二本のビームに貫かれた。

 バーザムのライフルから放たれたビームは、宙に舞う百式のライフルを撃ち抜く。だが百式のビームサーベルは、ライフル越しにバーザムのビームライフルを深々と貫いていた。

 火花を散らし、二つのビームライフルが煙を吐く。

 互いにライフルはない。だが、バーザムの左腕はすでにビームサーベルを握っていた。

 横薙ぎの一撃が、百式の右腕を切り落とした。

「ふっふっふ……。いいぞ、アムロ・レイ! そうこなくちゃつまらん!」

「戦いを楽しんでいるのか……!」

 アムロは左腕で握ったサーベルを、より強く握り直した。

 カクリコンのMk-Ⅱは、未だにアーガマを攻め立てている。頭部のバルカンポッドが機銃を潰した。

「アーガマを落としたとなりゃ、俺だって英雄だろうが!」

 Mk-Ⅱは対空攻撃をかいくぐると、アーガマに次々とビームを浴びせた。

「カクリコン隊! 大戦果を上げるぞ!」

 カクリコンの号令に、隊員たちが応える。ハイザックの銃撃が、アーガマに直撃した。

「艦長! このままでは……!」

「ラーディッシュを盾にしろ! アーガマが無事ならそれでいい!」

 アーガマのダメージは甚大だ。頼みの綱のアムロやカツも、敵のエース機に足止めされている。

「ブレックス准将は脱出の準備を」

「何をたわけたことを!」

「万が一です。対空砲火! ラーディッシュと連携しろ!」

 アーガマは必死で抵抗するが、カクリコンは一流のパイロットに成長していた。流れるように射撃をかわし、返す刀でアーガマにビームを撃つ。

「アムロ・レイを殺す俺が、貴様に手間取っていられん!」

 一方で、ゲーツはビームサーベルを二刀流に構えた。シールドバインダーの加速を利した連続攻撃が、メタスを防御の上から傷付ける。

「くそっ!! 早く……アーガマに行かないと!!」

 カツが悲痛な声を上げた。アムロもヤザンに手こずっている。このままでは、アウドムラと同じように、アーガマまで落とされてしまう。カクリコンのMk-Ⅱの射撃を受け、アーガマは黒煙を吐いていた。

 何も守れない。レコアやハヤトやロベルトを失ったあの戦いのように。カツは自分の無力さを恥じた。

 その時、カクリコンの視界の隅に、モビルスーツでも軍艦でもない何かが映った。それは高速で、月の地平線からこちらに飛来してくる。

「何だ、あの戦闘機は! うおっ!!」

 ビームをシールドで受け止めたカクリコンは驚愕の声を上げる。

 その戦闘機は、変形した。黒と赤を基調にした宇宙戦闘機から、白いモビルスーツへ変形する。機首をシールドに、後部は両足に。

 特徴的なデュアルカメラと、V字アンテナ。カクリコンは思わず、その名を呼んでしまった。

「が……ガンダム! エゥーゴのガンダムか!」

 前腕部からグレネードが発射される。シールドで受け止めたカクリコンのMk-Ⅱを、そのガンダムはシールドごとビームサーベルで切りつける。続け様にビームライフルを構え直し、Mk-Ⅱのシールドの内側へ撃ち込んだ。

「ぐおおっ!? こっ、これがガンダムのパワーってやつなのか!?」

 右肩が爆発し、Mk-Ⅱは後方へ回転する。ビームライフルを失ったMk-Ⅱに戦闘能力はほとんどない。そのエゥーゴのガンダムはまた変形した。狙いはゲーツのギャプランだ。

「ギャプランがそんなものに!!」

 ゲーツは叫んだ。ギャプランをモビルアーマー形態に変形させ、その新型ガンダムへと突き進む。

 交差した一瞬の後、ギャプランが煙を吹いた。新型ガンダムのビームガンを連続して撃ち込まれたのだ。

「が……ガンダム! ガンダムだ!」

 カツはその名を呼んだ。目を丸くする彼に、その新型ガンダムから通信がつながった。

「頑張ったな、カツ」

「え……」

 その髭面は、かつて死んだはずの男の顔だった。カツは目を点にして、口をぱくぱくと開閉させる。

「ろ……ロベルト中尉!!」

「ああ……。それでこいつが、エゥーゴの新型ガンダム」

 ロベルトは、カツに笑ってみせた。

「Zガンダムだ」

 戦闘は収まってきていた。エゥーゴ艦隊は後退し、モビルスーツの回収も進んでいる。

「ちっ……潮時か!」

 後退するカクリコンとゲーツを見て、ヤザンは顔を顰める。バーザムが身を翻した。

「あばよ、アムロ・レイ!」

 届いた通信に、アムロは奥歯を噛んだ。ヤザンのバーザムを撃墜することは叶わなかったからだ。

 フォン・ブラウン市上空で行われたこの戦闘は、ティターンズの艦隊にダメージを与えながらも、エゥーゴの敗北に終わった。

「フォン・ブラウン市を制するものは、地球圏を制する……」

 カツはつぶやいた。

 Zガンダムと、ロベルト。その新戦力を加えてもなお、エゥーゴの見通しは暗かった。

 

 

 

「大佐! ご報告いたします!」

「……何だ」

 士官は、机に向かい合っている男の雰囲気に威圧されていた。大柄な体と、重厚な声。何より苛烈な人格。ゴーグルの下の視線は、書類仕事を進めているようにも、士官を睨みつけているようにも見える。

「ドゴス・ギアが、フォン・ブラウン市を制圧……。アポロ作戦に成功したとのことです」

 バスクは立ち上がった。士官は怯えて、一歩後ずさってしまった。

「……シロッコか」

「は……アポロ作戦の指揮はパプテマス・シロッコ少佐がとっていたそうです」

「ドゴス・ギアが奴の艦だ」

「はっ、はいっ!」

 ジャミトフに突然重用されたシロッコは、バスクにとってライバルと言っていい。しかし、バスクは落ち着いているようにも見えた。

 バスクの雷といえば、ティターンズ内でも有名だ。諫言した将校が殴り飛ばされることも少なくない。少なくとも不機嫌になった彼に八つ当たりされることは避けられたようで、士官はほっと息を吐いた。

「あの青二才が!!」

 その雷鳴のような野太い怒鳴り声に、士官は飛び上がった。続いて、バスクは拳をガラス窓に叩きつける。窓の向こうには、円柱状のスペースコロニーの底面が見えた。

 手袋はガラスの破片で引き裂かれ、拳の傷口からは血が滴っている。士官は唾を飲み込んだ。遠く離れている士官にまで歯軋りが聞こえそうなバスクの形相も、その怒りを表現するには足りない。

「ジャマイカンを呼び出せ!! グラナダまでシロッコごとき若造の思うようにやらせるか!」

「は……はっ!!」

 士官は敬礼し、逃げるように部屋を後にした。

「ジャミトフ閣下は何を考えているのだ。シロッコのようなスペースノイドに力を持たせようなどと……!」

 狭苦しい密閉型コロニーには空はない。その窓に背を向けたバスクは椅子に座り、拳を握りしめる。傷口からぼたぼたと血液が垂れた。

 血の滴が、机の上の書類に赤い足跡を残す。グリプス2の改装計画書だ。バスクは、再びそれを睨む。

「シロッコめ……貴様の天下など来ると思うな!」

 計画書には、コロニーレーザーの字が記されている。スペースコロニーや月面都市を標的とした、強力な大量破壊兵器だ。バスクはその計画書を、怒りに任せて握りつぶした。

「もうグリプス2の改装など待ってはおれん……私自らが、グラナダを攻め滅ぼしてくれる!」

 

 



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ハーフムーン・ラブ

 

 

 

「それじゃあ、あの戦いのあと救助されたのか」

「リック・ディアスの脱出ポッドは地上ではあまり頼れませんから不安でしたが、どうにかね。下が海で助かりましたよ」

「あの嵐でよく無事だったものだ」

 アムロの言葉に、ロベルトは苦笑いした。彼らは、アーガマの格納庫に駐車している月面車の後ろで足を止めた。月面車の周りには数人の人だかりができている。アムロとロベルトは、その見送りに来たのだ。

 ロベルトが声をかけた。

「行くのか、カツ」

 月面車に乗り込もうとしていた少年が振り返る。彼は屈託なく笑った。

「心配いりませんよ。フォン・ブラウンの様子と、できればティターンズの戦力を見てくるだけですから」

 カツはそう言って偽造身分証を見せる。エゥーゴには地下組織としての側面もある。こういった偽装工作はお手のものだ。

「気をつけろよ。敵の口の中に飛び込むようなものだ」

「僕をこの任務に推薦してくれたのはアムロさんでしょ?」

 アムロは心配そうに声をかけるが、カツは動じていない。警戒されにくい子供ということもあって、フォン・ブラウン市内への偵察には彼が選ばれていた。ティターンズからフォン・ブラウン市を奪い返す前準備である。

 月面車の背中を見送って、アムロはつぶやく。

「カツ……」

「大丈夫ですよ」

 アムロは、ロベルトの声に振り向いた。

「成長してます、あいつは」

 

 

 

「あははっ! サラ曹長、縁談ありですって!」

「やめてよ、シドレ。……あっ、ジェリド隊長!」

 部屋に入ってきたジェリドが見たのは、機械を手にはしゃいでいるサラとシドレと、その奥でむすっとしているカミーユだった。

「おい、何やってるんだ」

「この機械、占いができるんですよ」

「カミーユもやったんです、大凶ですって!」

「占い?」

 ジェリドは怪訝な顔だ。シドレがその手のひらよりいくらか大きい機械を手に、ジェリドに詰め寄る。

「ジェリド隊長の生年月日は?」

「よせよ、そんなのでたらめだ」

「手相も調べられるんですよ、ほら!」

 強引に彼女はジェリドの手を取って、その機械へ押し付ける。

「やめろよ、バカなことは」

 カミーユが口を尖らせて言った。案外、カミーユはサラとシドレには心を開いているらしいとジェリドは思った。

 シドレが目尻を下げて笑う。

「自分が大凶だからってひがんでるんですよ、カミーユ曹長は」

「結果が出たわ、シドレ」

 サラはひったくるように機械を取って、ジェリドの手相の結果を見る。

「あははっ! ジェリド隊長、三重生命線ですって!」

「三重!? 二重じゃなくて!?」

 サラとシドレが甲高い声をあげる。彼女達は、まだ十代半ばの少女だ。むくれたカミーユが、話題を変えようとジェリドに訊く。

「それで、ジェリド大尉は何のために来たんです?」

 場の雰囲気に流されていたジェリドも、目的を思い出した。

「半舷上陸だろ? 気晴らしにフォン・ブラウンに出ようかと思ってな」

 サラとシドレの黄色い声が、いっそう大きくなった。

 

 

 

 ジャマイカンは表情を歪めて、ドゴス・ギアの移動用グリップを掴んだ。

「シロッコめ……!」

 握る手に力がこもる。ジャマイカンは苛立っていた。すれ違う兵の敬礼すら不快に感じるほどだ。

 目的地は、ドゴス・ギアのブリッジだ。ジャマイカンが気密ドアを開けると、シロッコが振り向いて彼を迎えた。

「これはジャマイカン少佐。アポロ作戦では見事な……」

 ジャマイカンの拳が振るわれる。目を見開きはしたが、シロッコは上体を反らしてかわした。

 床を蹴って距離を取り、シロッコはジャマイカンを見つめる。

「……穏やかではありませんな」

「いい気になるなよ、シロッコ!」

 ジャマイカンはシロッコを怒鳴りつける。

「フォン・ブラウン市への強行着陸! もしエゥーゴが兵を引かなければどうなっていたと思っているのだ! 勝手なマネをしおって!」

「支援者の多いフォン・ブラウンを破壊させるつもりなどエゥーゴにはありませんよ。月の支持者の多くを失えばエゥーゴの存続すら危うい」

「……ほう。そうか。そういう態度を取るつもりか」

 ジャマイカンは口の端を吊り上げて見せながらも、その目元には怒りが滲んでいる。彼に逆らうということは、すなわちバスクに逆らうということだ。政敵となるなら容赦はしないと、ジャマイカンは言外に威嚇しているのだ。

 シロッコは毅然として、真っ向から向かい合う。

「取引をしましょう、ジャマイカン少佐」

「取引だと?」

 ジャマイカンが疑いの目で聞き返す。シロッコは微笑んでいた。

「ええ、どちらにも得のある取引です」

 得のある取引という言葉に、ジャマイカンはわずかに表情を変えた。シロッコがアポロ作戦を成功させた今、未だ目立った戦果のないジャマイカンは焦っている。シロッコは確信し、ゆっくりと続ける。

「ええ。フォン・ブラウン市の管理は私に任せてもらう。その代わり……」

 ジャマイカンは、シロッコの次の言葉を待った。そのわずかな沈黙すら、シロッコにとってはジャマイカンの焦りを裏付ける証拠になる。

「ジェリド・メサを貸し出しましょう」

 シロッコは、その整った顔に、冷たい笑みを宿らせた。

 

 

 

 丸い天窓から見えるのは宇宙。角度の都合か、地球は見えない。それどころか、月の居住区の明かりのせいで、星の光もほとんど目立たなかった。

 オフィス街というには明るいが、繁華街というには静かな街だ。もしもティターンズがこの街を制圧しなければ、このアームストロング広場は利用者で溢れかえっていただろう。

 そのアームストロング広場に、ティターンズの制服を着た五人組が足を踏み入れた。男女二人組と、十代半ばほどの少年少女の五人組だ。

 カミーユが隣のジェリドに話しかける。

「それにしても、大尉がこんなところに来たがるなんて意外でした」

「せっかくの半舷上陸だ。それに、ティターンズをフォン・ブラウン市に馴染ませる目的もある」

 フォン・ブラウン市は人類が初めて月に着陸した場所に建設された。このアームストロング広場の名称も、人類初の月面着陸を成功させた船長の名にちなんでいる。広場のど真ん中にはその着陸船が設置され、豊かな緑地もその周りに広がっている。

 サラはその緑地をうっとりと見つめて息を吐いた。

「いいじゃない、カミーユ。私、こういうところ好きよ」

「綺麗な広場ですよね。フォン・ブラウンなんて私も初めてだし」

 シドレがそれに続く。二人はあどけない笑みを浮かべていた。

 表に出ているわずかばかりの住民が、じろじろとティターンズの五人組を見る。ジェリドが視線を返した途端、彼らは怯えて目を逸らした。

「ジェリド。人通りの少ないところは……」

「わかってる」

 マウアーの耳打ちに、ジェリドは頷く。人通りの少ないところは避けるのが無難だろう。やはり、月の住民のティターンズへの反感は大きい。ジェリドはわずかに表情を曇らせた。

「お前たち、俺から逸れるなよ」

 ジェリドの言葉に、返事が返ってこなかった。サラとシドレが、二人でぺちゃくちゃとしゃべっている。ジェリドは振り向いてもう一度声を張り上げた。

「逸れるなよ!」

「はっ、はい!」

 ふと、マウアーはサラの視線に気づいた。彼女の目は、アイスクリームの屋台に釘付けになっている。

「サラ曹長?」

「はっ!? いえ、なんでも……」

「食べたいのね」

 誤魔化そうとするサラに、マウアーは微笑んだ。ジェリドもそれを見て、ポケットに手を伸ばす。

「こいつで買ってこい。五人分な」

 差し出された二枚の紙幣に、サラは目を丸くした。彼女の肩越しに、シドレも目を輝かせている。

「よろしいのですか?」

「ティターンズの大尉だぜ? 安月給じゃないんだよ」

 ジェリドの紙幣を受け取って、二人は満面の笑みを浮かべた。

「行って参ります!」

「ほら、カミーユも!」

「何で俺も……」

 カミーユの腕を引きながら駆けていく二人を見て、ジェリドとマウアーは目を細めた。屋台に身を乗り出すようにして、サラとシドレが注文している。

「すまんな、マウアー。せっかくの半舷上陸に子守に付き合わせて」

 期せずして二人きりになって、ジェリドは言った。

「三人は子供よ。特に、カミーユには裏があるんでしょ?」

 気にしていないようにマウアーが微笑む。ジェリドはますます申し訳なくなって、足元に目を落とす。

「シロッコが絡んでることは間違いないはずだが……」

「時間の問題でしょう? カミーユも、あなたには心を開いてきてるようだし」

「……そうだな」

 三人が屋台から戻ってきた。カミーユはもうアイスクリームを舐めている。ジェリドとマウアーに駆け寄ったシドレが、両手に持ったアイスクリームを差し出した。

「どうぞ!」

「おう。ありがとな」

「ありがとう、シドレ」

 シドレは顔を緩ませながらサラからアイスクリームを受け取った。

 五人は歩き出した。サラとシドレは満面の笑みでアイスクリームに味わっている。

「うまいか、二人とも」

「はっ、はい!」

「私、こうして街で遊ぶのなんて初めてですから」

 答えたサラとシドレに、カミーユが口を挟んだ。

「へえ、貧しい青春なんだ」

「カミーユ」

 ジェリドがきつい声で諌めるが、カミーユは構わずに続ける。

「大尉も庇うんですか? こいつらは、シロッコの人形です。気を回す必要なんて……」

 サラとシドレは互いに視線を交わした。小さく頷き、サラが口を開く。

「私たち、一年戦争の孤児なんです。スペースノイドの」

 その言葉を、ジェリドは繰り返した。

「孤児か……」

 一年戦争は、総人口の半分を死に至らしめたとも言われている。それから現在までわずか七年。孤児というのも、そう珍しいことではない。未だ復興の真っ最中である人類にとって、孤児への支援は後回しになってしまうのが実情だ。

「ハンバーガーショップで働いたりもしました。シドレも、似たようなものです」

 サラの後ろでシドレがしきりに頷く。カミーユはばつが悪そうに視線を足元へ落としていた。

「それで、ティターンズにニュータイプ候補生として拾われて……」

「パプティマス様に見出していただいたのです」

 サラの言をシドレが継いだ。彼女達の目は、ここにはいないシロッコを見ていた。

 すでに公園からは離れて、一行は繁華街へ差し掛かっている。派手で垢抜けた店が立ち並ぶその繁華街は、月の裕福さを映す鏡でもある。

「だから、シロッコを尊敬してるって訳か……」

 ジェリドはため息を漏らし、そう言った。

「カミーユ曹長はどうなんですか?」

「そうね、私も聞きたい」

 シドレとサラがカミーユに水を向けた。

「関係ないだろ」

「いいじゃない、カミーユ」

 ぶっきらぼうに答えたカミーユに、サラが食い下がった。

 二人の押し問答にシドレまで口を挟んだところで、マウアーは一人歩調を早めた。先頭を歩くジェリドの横に並んで声をかける。

「ジェリド」

 アイコンタクトだけで彼女の意思を読み取ったジェリドは、サラ達に聞き取られないよう、小声で答える。

「あんな子供が戦わされるなんてな」

「……それがシロッコのやり方よ」

 二人の小声の会話は、繁華街の喧騒にかき消されている。棘のある言い方だ。ジェリドは顔を近づけ、さらに声を潜める。

「何かあったのか?」

「……アポロ作戦の時、シロッコはあなたを見捨てるつもりだった。私の隊が出撃できなかったのも、シロッコの差金よ」

「シロッコめ……! 俺の隊をなんだと思ってやがる……!」

 ジェリドは思わず舌打ちした。フォン・ブラウン市を制圧するためのアポロ作戦で、ジェリド隊はアムロとカツのコンビに苦戦を強いられていた。もしもマウアーの隊が出ていれば、戦況は有利になっていたはずだ。

 密かに伸びたマウアーの手が、ジェリドの手を握った。手を引いて、ほとんど囁くような声で尋ねる。

「……サラ曹長達も、騙されていると思う?」

 すでにジェリドとマウアーにとって、シロッコがカミーユを無理やり戦わせていることは確定的となっている。

「さあな。だが、俺はあいつらの隊長で、シロッコの監視役だ」

 ジェリドは笑う。

「片がつくまでは、やらせてもらうさ」

 マウアーが目を細めた。ジェリドがこう答えるだろうことは、彼女にはわかっている。

 少しだけ背伸びをして、彼女はジェリドの頬に口づけした。頬に触れるしっとりとした柔らかな暖かさに、ジェリドは顔を緩ませた。

 思わず抱き締めそうになって、彼は我に返る。カミーユ達に見られていないだろうか。

 振り向くと、そこにはついてきているはずの三人の姿はなかった。

「な……!」

 ジェリドとマウアーは目を丸くする。

「はぐれた!? ……いや、これは……!」

 マウアーが顎に手を当て、表情を歪める。ジェリドも眉を寄せた。

 フォン・ブラウン市にとってティターンズは侵略者だ。人数が多ければともかく、ティターンズの制服を着た子供が三人では、襲われる危険性もある。

「まずいな……。探すぞ!」

「ええ!」

 二人の目つきは、すでに軍人のものになっていた。

 

 

 

 サラとシドレが足を止めたのは、あるブティックの前だった。ショーウインドウの中では、着飾ったマネキンが自身の美しさを誇っている。

「おい、何やってるんだよ!」

 カミーユが、二人を咎め立てた。先頭を行くジェリドとマウアーは、カミーユ達の遅れに気づいていないようだ。

「ほら、はぐれたら……」

 二人の顔を覗き込むようにして、カミーユは言葉を失った。二人は目を輝かせて、そのショーウインドウに釘付けになっている。

 貧しい青春。カミーユは先ほどの自分の言葉が恥ずかしくなった。

 彼自身、親子仲が良好という訳ではなかったが、それでも両親が居た。軍に技術士官として招かれるほど優秀だった両親のおかげで、金銭的な不自由はほとんどなかった。何かを買うと両親に伝えれば、長くとも数日のうちには、家に帰ってきた母親がテーブルの上に十分な額の金を置いてくれていた。

 しかし、サラとシドレは違う。いい親だったとは言えないまでも、カミーユが持っていた両親は、彼女達にはない。一年戦争に両親を奪われた彼女たちは生きるのに必死で、同じ年頃の女の子のように着飾ることもできない。

 カミーユは前方を見た。ジェリド達の背中は遠い。マウアーとジェリドは、何事か囁き合っている。

「……へえ、やっぱり」

 恋人同士ということか。カミーユは小さく笑って、足を止めた。

 周囲を見回しても、怪しい姿はない。歩いているのは買い物客ばかりだ。その買い物客も、カミーユ達のティターンズの制服を見て距離を取る。

 カミーユは、サラ達の肩に手を置いた。驚いて振り返った彼女達の手をカミーユは引いた。

「入りたいんだろ、この店」

「カミーユ……」

「いいんだよ。時間までに港に戻れば、ジェリド大尉も文句は言えないだろ」

 サラとシドレは二人で顔を見合わせる。二人の手を取ったまま、カミーユはその店に入ってしまった。

「いらっしゃいませー」

 挨拶をした女店員は、すぐさま顔を逸らす。フォン・ブラウン市において、ティターンズの制服は異物だ。彼女はカミーユ達を刺激しないよう、遠巻きに観察している。

「……ほら、好きなもの、買えばいいじゃないか」

 サラとシドレは恐る恐る、店内を見回す。彼女達はおしゃれに憧れていながら、こういった店に入った経験はほとんどない。勢いと心の準備さえあればどうにでもなっただろうが、カミーユに無理やり押し込められた形だ。

 シドレに至っては怯えているようで、カミーユの袖口を掴んで放さない。

「……こういう時に服を買っても、怒られないのでしょうか」

「知るかよ、そんなこと。もし怒られたら、軍人なんて辞めてしまえばいいんだ」

 カミーユはそう言い切ってしまった。手持ち無沙汰なようにまごついているシドレの隣で、サラはハンガーにかかっているコート類へ手を伸ばした。シドレが驚いて彼女を見る。

「サラ曹長!?」

「カミーユの言う通りね。私たち、軍人だもの。半舷上陸で遊んじゃいけないなんてこと、あると思う?」

「それは……でも……」

 サラはしどろもどろのシドレの腕に絡みつき、陳列棚へ引っ張っていく。

 恐る恐る一着のコートを手に取った彼女は、サラと一緒にはしゃぎ出した。

 カミーユにとって、これは鬱憤晴らしだった。自分よりも年下の孤児が戦争に利用され、満足に遊ぶこともできていない。せめてサラとシドレには、普通の女の子らしい楽しみを味わって欲しかった。

 だが、サラ達を見ても気分は晴れなかった。ファは未だシロッコに囚われている。その事実は重い鎖となって、カミーユの心に十重二十重に絡みついていた。

 

 

 

 三十分後、三人は店を出た。サラは紙袋を携えてほくほく顔だ。いろいろ見て回ったものの、結局金銭的な都合で一つしか買えなかった。

「ね、カミーユ。パプティマス様、喜んでくださるかしら」

「さあね。マフラーなんて、艦に乗ってたらつける機会もないだろ?」

「でも、パプティマス様の白い制服に合うように選んだんですよ?」

 シドレが口を尖らせた。紙袋の中のマフラーは、シロッコのためにサラとシドレが二人で買ったものだ。

「お前たち、そんなにシロッコが好きなのかよ」

 カミーユにとって、シロッコは許し難い相手だ。拳を握りしめた彼は足を止めて、体の内から絞り出すように言った。怒りのにじんだ低い声だ。

「……私たちの勝手でしょう?」

 サラが言い返した。彼女も足を止め、カミーユに振り返った。店の前に険悪な雰囲気が漂う。

 しかし、その雰囲気も長くは続かなかった。サラもカミーユも、自分達を取り囲む不穏な気配に気付いたからだ。

 歩道の前後を固める五人ほどの男達。カミーユ達を取り囲むように、男達は輪を縮める。

「……なんですか、あんたたちは」

 男達は下品に笑った。にやにやと笑いながら、カミーユ達を舐め回すように見る。

 シドレがサラの背に隠れて訊く。

「サラ曹長、これって……」

「ええ。フォン・ブラウンの市民……特に、ティターンズに反感を持っている連中よ」

 サラは弱みを見せまいと睨み返す。とうとう、男達は手を伸ばせばカミーユ達に届くほどにまで近づいた。

 カミーユがサラ達を庇うように腕を伸ばした。

「僕たちはティターンズです。そこ、通してもらえますか」

 毅然とした態度だ。五人に囲まれているというのに、声に怯えは見られない。

 先頭の男は大きな声で笑い出した。酒臭い息が広がる。カミーユは、思わずサラ達を庇ったまま後ずさった。男の手が、カミーユの胸ぐらを掴んだ。鼻先がぶつかり合いそうな距離まで引き寄せて、挑発する。

「へっへっへ。ティターンズ? 俺はまた、ハイスクールの生徒かと思ったぜ。女三人でショッピングってな」

 リーダーがもう一度笑うと、他の男達も釣られて笑い出した。相手はガキが三人、殴りかかってくることはないだろうとたかを括っているのだ。

 次の瞬間、カミーユの拳が、リーダーの男の顔面を打ち抜いた。鼻血を垂らして男は尻餅をつく。胸ぐらを掴んでいた手も外れ、カミーユの襟のホックが外れた。

「こっ、このガキ……!」

「カミーユ!」

 慌てたサラ達がカミーユを咎めるが、彼は整った顔を怒りに歪めたままだ。

「どうしたんだよ。喧嘩を売ってきたのはそっちだろ!」

 突然の反撃に、男達は面食らっているようだ。彼らは互いに視線を交わし合い、まごついている。

「やるじゃねえか、兄ちゃんよ……」

 カミーユに殴られたリーダーの男が立ち上がった。その男は、懐から折りたたみナイフを取り出していた。

 カミーユ達に戦慄が走った。サラは怯えたシドレの手を握る。

「やっちまおうぜ! なあ!」

 リーダーの男がそう呼びかけると、周りの男達も同調した。群集心理にあてられて、彼らは気が大きくなっている。

「やめろ! お前たち……ティターンズに逆らったらタダじゃ済まないぞ!」

 ナイフが光を反射して妖しく光る。リーダーの男は、折れた前歯を見せつけるように笑う。

「ははははは! てめえ、相手がナイフ取り出したらそのザマか! みっともねえなあ!」

 カミーユは腕に覚えがある。いざとなればナイフを持っている相手でも、素人ならば制圧できる能力と自信があった。しかし、男たち全員を相手にするとなれば話は違う。

 取り囲んでいる男の一人が、サラに手を伸ばした。腕を掴まれ、彼女は慌てる。

「はっ、放して!」

 男達は二人がかりでサラを取り押さえる。両腕を掴み、喉元にナイフを突きつけた。冷たいナイフが細い首筋に触れた。白い肌に、赤い点が浮く。表皮をわずかに切っただけだが、その血の球はみるみるうちに大きくなって、首筋を垂れていく。

 カミーユが叫んだ。

「貴様! サラを放せ!」

「じゃあ俺の前歯を治してくれよぉ」

 リーダーの男は取り合うつもりもない。ナイフをちらつかせ、折れた前歯を見せつけるように笑った。

「やめろ……今ティターンズを相手に事件を起こしたら、二、三日の勾留じゃ済まないんだぞ!」

「フォン・ブラウンでティターンズがデカい面をしているなんて気に入らないんだよ!」

 カミーユは言い返す術もなく、黙り込む。ティターンズは悪だ。男はさらに怒りを込めて怒鳴った。

「ティターンズは地球を汚し尽くす悪魔の集団だろうが! この街から出て行け!」

 リーダーから、カミーユ達を挟んで反対側で、男達がざわめいた。思わず、カミーユも振り向く。

 そこにあったのは、拳銃だった。シドレは、サラを取り押さえる男達に拳銃を突きつけていた。

「やめて、シドレ!」

「うっ、撃つぞ! お前たち!」

 ここで頭を下げれば、無事なまま帰れた可能性はあった。カミーユがリーダーの男を殴った以上、二、三発は殴られるかもしれないが、死にはしない。しかし、シドレが取り出した拳銃は、そんな想定を吹き飛ばした。

 もしそれを撃てば、男達も黙ってはいない。サラかシドレは間違いなく死ぬ。その事件が引き金になって、フォン・ブラウン市全体がティターンズの無差別攻撃に晒されるかもしれない。何の罪もない市民達が死ぬ。それはカミーユにとって最悪の結果だった。

「よせ! シドレ!」

「サラ曹長を放せ!」

 震えた声でシドレが叫ぶ。男達も怯えている。だが、退くわけにもいかない。ここで弱みを見せれば、ティターンズの、それもガキに屈服したことになる。

「う……撃ってみろよ! ティターンズのクズの弾が、人間様に当たるかよ!」

 サラを取り押さえている男の一人が虚勢を張った。もはや退けない。それを見て、他の男達もますます熱くなる。

 首筋を流れる血の線が太くなった。サラは奥歯を噛み締める。

「シドレ! 撃っては駄目!」

「このガキ! 暴れるんじゃねえよ!」

 ナイフの柄が、サラの頬を打つ。

「サラ曹長!」

 シドレは、引き金にかけた指に力を込めた。

 サラは目をつぶった。その惨状を想像し、彼女は震える。しかし、銃声も、男の悲鳴も、溢れ出る温かい血も、そこにはなかった。

 シドレ自身、驚いていた。いくら力をこめようと、引き金が引けない。彼女の拳銃は、安全装置が外されていなかったのだ。

 肩透かしを食ったように、全員唖然として硬直する。時間にして、わずか数秒にも満たない。

「そこのあんたたち! 全員、ちょっと待った!」

 その隙を利用する。突然の呼びかけに、一瞬ではあるが緊張の途切れた彼らは視線を向けた。

 そこにいたのは、十代半ばほどの少年。カツ・コバヤシだった。

 男が睨みつける。

「何だお前は!」

「誰だっていい! それより、みんな落ち着いて!」

 突然の乱入者は丸腰の少年。気の抜ける展開が続き、男達は呆気に取られている。カツはその感情の隙間に、論理を叩き込んだ。

「いいかい、あんた達がここで暴れてティターンズの兵隊を殺したら、ティターンズにこの街を弾圧する口実を与えることになるんだよ。そうなったら、この街の住人全員が死んだっておかしくない!」

 リーダーの男は気圧されたように口をひくつかせる。それを見て、カツはさらに声を張り上げた。

「あんた達だって、そんなことはわかってた! だけど、ティターンズの制服を見たら我慢ができない。それも子供が高い声で喚いてるんだ、頭にもくる!」

 声こそ大きいが、カツの口調は宥めるようだ。言いたいことを先に言われてしまった男達は、どうしたものかと思案し、たがいに目を合わせるばかりだ。

 彼らも、ティターンズを相手に喧嘩など、この状況では自殺行為だと分かっていた。しかし、酒の勢いと群集心理が、相手の少女達を軽んじさせた。

「大丈夫。すぐにエゥーゴが助けに来て、ティターンズを追い払ってくれる。本当のことさ」

 もともと男達はカミーユ達を少し怯えさせて、ほどほどにからかったら解放するつもりだった。しかし、先に手を出されたことでたがが外れてしまった。

 暴走した彼らの頭を冷やしたのはカツだ。この揉め事が互いにとって不利益であることは、すでにこの場の全員が理解していた。

「だから、みんな武器を下ろして……女の子も放してやってほしいんです」

 カツが頭を下げる。男達はナイフを構えた手を下ろし、シドレも銃をしまった。

 サラを掴んでいた男が、舌打ちして力を緩めた。彼女は首筋の傷口を押さえながら離れていく。シドレが彼女を抱き寄せた。

 男達は、まだカミーユ達を睨んでいる。彼らも戦いは望んでいないが、かといって、そうそう態度を変えるわけにもいかない。

 カツはカミーユ達に声をかけた。

「そこのティターンズも、ここで絡まれたこと、絶対に報告しないでくれ」

「ああ……わかってる」

 その返事を聞き、男達はひそかに胸を撫で下ろす。彼らにも生活がある。たった一度の過ちで、ティターンズに目をつけられてはたまったものではない。

 カミーユはサラとシドレの背中を押して、足早に歩き去ろうとする。カツは、その三人をじっと見つめた。

「待て!」

 思わず、カツは呼び止めてしまった。驚いて、カミーユ達が振り返る。

「あんた達、ティターンズなんだな?」

「……そうだ。もう行く」

 カミーユは言葉少なに答えた。男達の気が変わる可能性もある。サラとシドレを先に行かせ、彼も早足に歩いていく。

 カツは三人の背中を見送りながら、つぶやいた。

「あの感じ……バーザムの……?」

 

 

 

「お前達! 無事だったか!」

「ジェリド大尉!」

「ジェリド隊長!」

 三人がジェリドに駆け寄る。ジェリドとマウアーは、息が上がっているようだった。

 サラは自分の首筋を手で押さえていた。

「サラ、あなた、首のその傷」

「深くはありませんが……。あの、事故なんです」

「事故だと?」

「お、俺が話します!」

 カミーユが一歩進み出た。ジェリドは怪訝そうにカミーユを眺める。

「お前、その襟はどうした」

「あ……」

 カミーユは襟に視線を落とす。襟のホックが壊れる事故など思いつかない。うつむいた彼はやや上目遣いにジェリドを見る。

「……言えません。半舷上陸中のことなんて、報告の義務はありませんから」

 減らず口ではあったが、カミーユのその口ぶりは落ち着いていた。

「こいつ」

 ジェリドは笑って、カミーユの胸を小突いた。胸に拳をつけたまま、彼はカミーユの耳元に口を寄せる。

「サラ達を守ろうとしたんだろ?」

「……さあ、どうでしょうね」

「名誉の負傷だな、カミーユ」

 サラの首の傷は、まともに街を歩いていただけでつくはずがない。カミーユのホックが曲がったのも、胸ぐらを掴まれたと考えれば説明はつく。

「できたわ」

「ありがとうございます、少尉!」

 シドレとサラが、マウアーに頭を下げた。サラの首筋の傷には、よく見れば絆創膏が貼られているようだ。

「まあ、このくらいの傷なら軍医にかかる必要はないでしょう」

「助かりました、少尉が絆創膏を持ってて」

 礼を言うサラとシドレ。ジェリドは親指で、カミーユの襟を軽く弾いた。

「男なら、襟くらい開けて見せなくっちゃあな」

 そう言ってジェリドは笑った。彼が視線で示した先は、彼の制服の襟だ。上のホックを閉じずに中のスカーフが見えるよう着崩している。

「大尉とお揃いってことですか」

「まあな」

 カミーユは、襟を直さなかった。ジャケットの内側のスカーフを、誇らしげに覗かせた。

 

 

 

 

 シロッコはブリーフィングルームの椅子に座っていた。足を組み、目を閉じた彼は資料を手で弄ぶ。白い手袋越しの親指を、捲られた紙の端が撫でている。規則的な音と刺激を愉しみながら、彼は思索に耽っていた。

 ドアが開いた。シロッコは片目を開けて、そちらを見る。

「ジェリド・メサ大尉、サラ・ザビアロフ曹長、入ります」

 ジェリドとサラが敬礼していた。シロッコは微笑をたたえて訊く。

「半舷上陸はどうだったかね、ジェリド」

「フォン・ブラウンに来たのは初めてだがな、なかなかいいところだった」

「ふふ、カミーユも楽しんでいたかね」

「……ああ」

 言い淀んだその一瞬を、シロッコは見逃さない。ジェリドはやはり、カミーユとシロッコの間を分断しようとしている。

 サラの高い声が、ブリーフィングルームに響いた。

「パプティマス様は、なぜ私たちを呼んだのです?」

 シロッコが笑い声を漏らした。サラはやきもちを焼いているのだ。

「世間話はもういらんな。君たちにはしばしこの艦を離れてもらう。信頼しているからこそ、この重大な任務を任せる」

「重大な任務、ですか?」

 聞き返したのはサラだ。そんなものより、シロッコのそばにいたいとでも言いたげな様子だ。

「ああ。断っておくが、これは命令だ。君たちは従うほかない」

「……わかっています」

 口ではそう言いながら、サラの眉間には皺が寄っている。彼女は今日、カミーユと見知らぬ少年に救われた。自分の無力さを思い知ったのだ。カミーユに対抗心が芽生えるのも当然のことだ

「サラ、君は私にとって最も信頼がおける部下だ。だから、この任務を君に任せる」

「それで、任務というのは」

 痺れを切らしてジェリドが訊いた。彼はシロッコを信用していない。まだ分別のつかないサラを惑わし、利用しているようにしか見えなかった。

 シロッコの余裕は崩れない。

「このブリーフィングルームの周りは人払いをしておいた……わかるな?」

「密命、ということでしょうか」

 ジェリドはすぐに答えた。彼は幸か不幸か、これまでも何度か密命を受けていた。今シロッコの下にいるのも、彼の監視をジャミトフから密かに命じられているからだ。

 密命という言葉に、サラは唾を飲み込んだ。重大な任務だ。失敗すれば、シロッコの立場すら危うくなる任務かもしれない。

 シロッコは立ち上がった。緊張の面持ちのサラに笑いかけ、彼は言う。

「私が仕入れた情報によれば、ジャマイカンは、グラナダにコロニー落としをするつもりだ」

 サラとジェリドが目を丸くした。

「コロニー落とし……!」

 その衝撃に、思わずおうむ返しするジェリド。サラは声も上げられず、口元を手で押さえている。その反応を楽しむようにシロッコは続けた。

「コロニー落とし……。これは人類最大の愚行だ。かつてジオンは地球にコロニーを落とし、多くの人命を奪った。それはたとえ月へのものであろうと、許すわけにはいかない。君たちならばわかるはずだ」

 シロッコにフォン・ブラウンをあっさりと制圧され、ジャマイカンは功を焦っている。頷ける話だ。ジェリドは思った。しかし同時に、シロッコへの疑いも鎌首をもたげる。ジャマイカンに手柄を挙げられて困るのも、またシロッコだ。

「しかしこのコロニー落としを未然に防げば、ジャマイカンへの、ひいてはバスクへの強力な牽制になる」

 その言葉に、ジェリドは眉をうごめかせた。三十バンチ事件。捕虜を利した人質作戦。エマが裏切る要因を作ったバスクを、彼は許せない。

「サラ、ジェリド。力を貸してくれるな」

 横目に見たサラは、力強く頷く。自分は、人殺しはいたしません。初対面の時、サラがそう言っていたことをジェリドは思い出した。

「ジェリド、君は?」

 今は、ジャミトフの密命など気にしている場合ではない。コロニー落としは、断じて許してはならない。それがひいては、バスクの失脚にもつながる。

「……やってやるさ」

 眉間に皺を寄せ、ジェリドはそう答えた。

 

 

 

 



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コロニーが落ちる日(前)

 

「よく来てくれたな、ジェリド。やはりシロッコの下は性に合わんか」

 ジャマイカンは似合わない笑みを浮かべている。その違和感に片眉を吊り上げながら、ジェリドも答えた。

「ええ、お久しぶりです。やはりアレキサンドリアはいい」

 キャプテンシートの上で、ガディも笑い声を漏らした。ジャマイカンはジェリドの肩を引き寄せ、背中を叩いた。

「ふっふっふ。貴様を呼んだのは私だ。またアレキサンドリアで戦えるのだから、感謝するんだな」

「感謝してますよ」

「作戦内容を知れば、もっと感謝することになる。もし成功すれば二週間の有給休暇も出るし、ティターンズでも英雄だ」

 ジャマイカンは上機嫌だ。

「へえ。そりゃ、どんな作戦なんです?」

「コロニー落としだよ、グラナダを叩き潰すのだ」

「……なるほど」

 確信を得て、ジェリドは頷いた。コロニー落としの情報は当たりらしい。問題はどう阻止をするかだ。

 考えを巡らせるジェリドだったが、ブリッジによく通る低い声が響いた。

「そいつがジェリドか、ジャマイカン!」

「ヤザンか」

 仏頂面のジャマイカンを無視して、ヤザンはずんずんとジェリドに近づいていく。

 彼の三白眼にじろりと睨まれると、ジェリドも同じく視線をぶつける。ヤザンは口の端を吊り上げた。

「いい顔をしてる……気に入ったぜ」

「アポロ作戦でも大活躍だったらしいな、あんたは」

「アムロ・レイの金色とも戦った。……新型のガンダムはどう見る?」

 ヤザンの表情から笑みが消え、冷酷な戦士としての一面が顔を出す。彼が話しているのは、アーガマの窮地に現れた新型ガンダム、Zガンダムのことだ。

「大方、アナハイムの新型だろうが……この次、アムロはガンダムで来る」

 ジェリドはそう断定した。もう短い付き合いでもない。アムロなら多少操作感の違う機体であろうと乗りこなせるはずだ。一番の凄腕を一番性能のいい機体に回すとすれば、間違いなく新型に乗るのはアムロだ。

「なら、そいつは俺がもらう。いいな、ジェリド」

「やってみせろよ」

「言われんでもそうするさ」

 ヤザンは好戦的な笑みを浮かべた。

 

 

 

 開いたドアから、カミーユが駆け込んだ。肩で息をした彼は、その執務室の主であるシロッコを睨みつけた。

「ノックをしたらどうかね」

「……なぜジェリド大尉をアレキサンドリアにやったんです。サラだって、アレキサンドリアに行ったんでしょう!?」

 カミーユは今にも噛み付かんばかりの表情だ。シロッコの表情は変わらない。

「ジェリド隊の君には事後連絡になってしまい申し訳ない。しかし、重大な任務を帯びたアレキサンドリアの出港を遅らせるわけにもいかん。君達に挨拶もせずに出て行ったジェリドを恨まないでもらいたいな」

 シロッコの机に両手を叩きつけ、カミーユが叫んだ。

「お前だろ、お前が、ジェリド大尉を追い出そうとして!」

「立場をわきまえたまえ、カミーユ」

 シロッコはカミーユの言葉を遮って言った。ゆったりとした口調と余裕のある笑みに、カミーユはますます苛立った。

「貴様!」

「ジェリドも『彼女』も私の胸三寸だ」

 拳を振り上げたカミーユは、暴力衝動を抑え込んだ。怒りに震える瞳で、シロッコを睨む。

「勘違いしないでもらいたいな。私は、君の才能をより良く活かすために動いている」

「自分の都合を!」

「君は優れたニュータイプだ。だから、同じくニュータイプのジェリドに惹かれた……。君にしか伝えていないアポロ作戦の内容を、彼は知っていたようだからな」

「貴様……!」

 カミーユの歯軋りが、シロッコの耳に届いた。シロッコはこの場で初めて、真剣な表情を見せる。

「口止めはしておいたはずだ。これでは……ファ君のこともわからんな」

「待て! ファのことは、言っていない!」

 カミーユの声に、悲壮さが宿った。眉も八の字に歪み、彼は机に身を乗り出す。

「ふふふ、ならいい」

 おもむろに、シロッコは右手を伸ばす。彼のその掌が、カミーユの頬にそっと触れた。

「私は君のことを信じている。忘れるなよ、カミーユ」

 手袋の柔らかな生地が頬を撫でる。カミーユが目を伏せると、シロッコの右手に力がこもった。強引ではなかったが、その手はカミーユの顔をシロッコの顔の真正面へと導く。

 恥じらいも怯えもなく、シロッコの両目はカミーユの顔を覗き込んだ。波紋のない水面のようなその瞳に、カミーユは呑まれてしまった。シロッコを睨みつけていたはずの視線は、力なく机の上に漂っている。

「カミーユ」

 シロッコはカミーユの目を見つめながら、優しくそう呼びかけた。

「ジェリドは悪人ではないが、私との約束を破ってはいけない。わかるな?」

「……わかりました」

 シロッコが切れるカードは、ファだけではない。軍と権力を持った男の前で、少年は無力だった。

 肩を落として、カミーユは部屋を出た。

「カミーユ」

「マウアー少尉」

 通路で、マウアーが待っていた。カミーユは力なく答える。彼には爆発寸前の危うさもなく、むしろマウアーを見る目は、寄りかかる先を探しているようだった。

「そのボールペン、私のよ」

「あっ……。いつの間に」

 マウアーが示した先は、カミーユの胸ポケットだ。慌ててボールペンを取り出し、マウアーに差し出す。

「いいのよ、気にしないで」

 微笑んで受け取ったマウアーだったが、カミーユの返事はない。ボールペンを差し出した時の手のまま、固まっている。

「カミーユ?」

 呼びかけられて、彼はようやく我に返る。自嘲的な笑いが漏れた。

「はは……俺、どうしちゃったんですかね」

 痛々しいその姿に、マウアーの唇がこわばる。

「疲れてるのね。カミーユ。よく休みなさい」

 マウアーはカミーユの手を取った。移動用のリフトグリップを無理矢理に握らせると、カミーユは小さな声で言った。

「……すみません。でも、俺にはあんまり関わらない方が……」

 リフトグリップは動き出した。カミーユの後を追うように、マウアーもリフトグリップをつかんでいる。

「……ジェリドのこと?」

 カミーユは、振り向くことも、答えることもしなかった。マウアーとジェリドが親しい間柄であることは、カミーユもわかっていた。

 ジェリドが別れも告げずにアレキサンドリアに転属になったのは、自分のせいだ。もし親しくすれば、マウアーも同じように、危険な任務に出されるかもしれない。

 二人は無言だった。カミーユの耳に、リフトグリップの駆動音がうるさく響いた。

「ジェリドは帰ってくるわ。必ずね」

 カミーユの表情が歪む。噛んでいた唇を放して、答えた。

「そうでしょうか」

「そうでなければ惚れはしない」

 カミーユは振り返った。マウアーが湛える微笑には、若干の照れも見えた。

 二人は居住ブロックに到着していた。各々の個室へ別れる時だ。

「……すごいな、マウアー少尉は」

「ふふ、ありがとう。……あなたはまだ、アポロ作戦の疲れが抜けてないのよ」

 よく休め、とマウアーは釘を刺した。カミーユは自室のドアを開け、肩越しに振り返って答える。

「わかってます」

 シロッコの執務室から出てきた時よりは、幾分か明るい声だった。

 自室へ入ったマウアーは、カミーユから返してもらったボールペンを耳に当てる。

『ノックをしたらどうかね』『なぜジェリド大尉をアレキサンドリアにやったんです』『ジェリド隊の君には……』

 ボールペンの小さなスピーカーは、録音した内容を再生している。マウアーは、シロッコを問い詰めようとするカミーユの胸ポケットに、密かにこのボールペンを忍ばせておいたのだ。

 録音の内容を、彼女は早送りして聞いた。

「……人質をとっているのか、シロッコは」

 マウアーは、壁を睨みつけた。

 

 

 

「フォン・ブラウン市の人たちを見捨てるんですか!?」

 ヒステリックなカツの声が、アーガマのブリッジに響いた。彼の視線の先には、エゥーゴの指導者であるブレックス・フォーラがいた。

「そうは言っていない。ただ、今しばらくの間はフォン・ブラウンの奪還は見合わせるしかない」

「なんで……!」

 カツは食い下がった。彼はフォン・ブラウン奪還の延期を聞きつけ、ブリッジに直談判にやってきたのだ。ブレックスの横に控えていたアムロが口を挟んだ。

「落ち着け、カツ。カラバが壊滅状態の今、無理をして地球とのパイプであるフォン・ブラウン市を奪い返す必要はない。エゥーゴの本拠地はあくまでグラナダだ」

 アムロは宥めるようにそう言ったが、カツの怒りは収まらない。フォン・ブラウン市に侵入した時、彼は市民たちと約束したのだ。

「そんなの、理屈でしょ! 今だってフォン・ブラウンの人たちはティターンズに怯えてるんです!」

「黙れ!」

 ブレックスは怒鳴った。相手が子供にも関わらず、彼の表情は怒りに満ちていた。

 アムロが心配そうに振り向く。

「……准将……」

「私だって、ティターンズは憎い。一刻も早く、フォン・ブラウン市を救いたい。だが、そうはいかん。エゥーゴは私の感情一つで流される組織ではいけないのだ」

「その通りだな、准将」

 ブリッジの入り口に立っていたのはスーツの男。アナハイム・エレクトロニクスの幹部で、今はエゥーゴとの折衝を担当しているウォン・リーという男だ。

「ウォンさんか」

 彼の名を呼ぶブレックスの声は暗い。フォン・ブラウン奪還を後回しにしたのは、アナハイム・エレクトロニクスの注文だ。

「そこの小僧。今すぐにフォン・ブラウンを奪回しないのは、君たちエゥーゴのパイロットが不甲斐ないからだ」

「不甲斐ないですって!?」

 カツは素っ頓狂な声を上げた。

「月からティターンズの勢力を追い出したはいいが、続くジャブロー攻略戦は敵の自爆により失敗。カラバはティターンズの攻撃を受け壊滅し、今ではこうして重要拠点であるフォン・ブラウンまで奪われた。負け続けの軍隊をそうそう信用できるほど、アナハイムは甘くない」

 べらべらと喋り続けるウォンに、カツは詰め寄った。

「……取り消してください。僕たちは命懸けで戦ってるんです」

「いっぱしの口を叩きたいのなら戦果を上げろと言っているんだ、ガキ」

 カツはぎゅっと拳を握りしめた。殴りつけたい衝動を、彼は押さえ込む。

「……失礼します!」

 そう絞り出して、カツは駆け出していく。これ以上ここにいても、堪え切れる自信がなかったのだ。

「目上の人間への態度がなっていないようだな」

 ウォンはそう言いながら、じろりとブレックスを見た。

「全く、あんなガキが戦力になるのか」

「なりますよ、ウォンさん。優秀な戦力です」

 鼻を鳴らして、ウォンが口を尖らせる。

「あんな子供がかね」

 ブレックスがにやりと笑った。

「パイロットとしても工作員としても、彼は十分すぎる活躍をしているよ。おい、あの映像を映せるか?」

「あ、はい」

 険悪な空気に黙っていたブリッジクルーが、安心したように返事をした。程なくして、メインモニターに映像が映る。画質はやや荒いが、それはティターンズの艦船だった。

「ほお、この映像を取ったというのか、あの坊主が」

 ウォンの問いかけに、ブレックスは頷く。

「先日、彼をフォン・ブラウンに偵察に行かせた。市民達のティターンズへの感情と、ティターンズの戦力を調べて来させるつもりだったが」

 映像は、一際大きな濃紫の戦艦を捉えていた。ドゴス・ギアだ。

「……彼はその分、フォン・ブラウン寄りの考え方をしてしまうようになった。わかっていただきたいな、ウォンさん」

「……規律というものがなっておらんのは事実だろう。それで、グラナダに戻るのか?」

 ウォンは話題を変えた。彼も、罪悪感を覚えることはある。

「ああ、エゥーゴはそうするつもりだ。フォン・ブラウンの監視も兼ねてこの周辺に居座っていたが、ダメージも大きいしな。……しかし、ジャミトフめ」

 ブレックスは眉間に皺を寄せる。彼らの敗北は、フォン・ブラウンを奪われたことだけではなかった。

「うむ……。准将、悪く思わんでくれよ。今の我々の情報網と戦力では、ダカールに行った准将を守り切ることはできん」

 ダカールで開かれた連邦議会で、つい先ほどある法案が可決された。連邦軍の指揮権をティターンズに移譲する法案だ。

 その議会に、議員の一人でもあるブレックスは欠席した。彼が出席したところで、決定は覆らなかっただろう。ましてや、ティターンズが相手ともなれば暗殺の危険性もある。

 ブレックスは、ブリッジの窓から外を見ていた。彼はここのところ、宇宙を眺める時間が増えた。

「もしクワトロ大尉が生きていれば、彼を連れて私も行きたかったものだが……」

「連邦軍の指揮権をティターンズに委ねる法案などと。それが可決されるようでは、世も末だな」

「エゥーゴが力を示せば、議員どももこちらに鞍替えするさ。今日の都合で明日を売る連中だからな」

 横に並んだウォンに、ブレックスは笑いかけた。それは誰よりも、自分に言い聞かせているように見えた。

 

 

 

「やっぱりこっちにいたか、カツ」

 カツは嫌なことがあると、モビルスーツ格納庫に行く習慣ができていた。働いていれば、負の感情は消えてしまう。常に仕事で溢れるモビルスーツ格納庫は、カツのお気に入りだった。

「……どうしたんです、二人とも」

 彼はメタスのコクピットから顔を出す。乗るマシンの細かい調整は、やはりパイロットに委ねられている。

 アムロとロベルトが、格納庫の床からメタスのコクピットまで跳び上がった。スペースノイドの彼らは無重力での移動にも慣れたもので、コクピットハッチを掴んで移動を止めた。

「カツ、お前、百式に乗るつもりはないか?」

 単刀直入なアムロの言葉に、カツは眉を寄せる。

「僕が百式ですか?」

「そうだ」

「百式なら、ロベルト中尉が乗ればいいじゃないですか」

「ジムの頭は肌に合わん。百式はネモとも操作感は似ているらしいから、お前に……」

「……そりゃ、ありがたいですけど」

 カツは不服そうに口ごもった。その視線は、明らかにウォンに対する不満を表していた。ロベルトの目が鋭くなる。

「……カツ。ウォンさんは俺たちの出資者だ。エゥーゴにとっては俺なんかよりもよっぽど重要な人なんだぞ」

 低い声で諭されて、カツの勢いは鈍った。

「わかっているつもりです。……だけど」

「どうした?」

「……侮辱された気がしたんです。父さんとか、クワトロ大尉とか……死んでしまった人たちを」

「カツ……」

 アムロは、その少年の名を呼んだ。すみません、と一言謝って、カツは続ける。

「僕が勝手な行動をしたせいで、クワトロ大尉や、他のパイロットが死にました。もしその人たちが生きていたら、アウドムラだって墜ちなかったかもしれない。だから、カラバのみんなを責めるのは……」

 噴出した感情が、肩を震わせていた。ロベルトが、その肩に手を置く。

「よせ、カツ。ウォンさんだって悪気はないんだ。あの人は誰よりもエゥーゴを信じてる」

 カツはロベルトへ視線を上げた。ロベルトの発言を疑っているのだ。

「ふっ、本当だよ。アナハイムからたっぷり支援を引き出してくれるんだ。でなきゃ、艦隊なんて用意できんよ」

 カツはようやく、視線を落とした。握っていた拳は解かれている。

「……僕、ウォンさんに謝ってきます」

「やめとけよ。そんな暇があるなら百式に早く慣れておけって、ウォンさんに怒鳴られる」

 カツはウォンの顔とロベルトのセリフを並べて思い浮かべた。そのセリフを言うウォンの姿が、関わりの浅いカツにもすんなりと想像できて、彼自身可笑しな気分だった。

「悪い人じゃないんだが、ま、関わらずに済むなら関わりたくないな」

 ロベルトは少し意地悪く笑顔を作る。カツもそれに釣られた。

「聞いたら怒りますよ、あの人」

「こんな愚痴も言いたくなるさ。出資者だかなんだか知らんが、戦いはこっちに任せてくれればいい物を」

 二人は、声を合わせて笑った。

 

 

 

 ハイザックの全天周囲モニターに映る景色は、先ほどから変わらないように見える。黒い宇宙の闇にばら撒かれたはるか遠くの星の光を眺めて、サラは吐息を漏らす。

 メーターの表示だけが姿を変えるコクピットの中、彼女はこの命令を受けた時のことを思い出した。

「本気か、シロッコ!」

 ジェリドは、シロッコに詰め寄っていた。椅子に座ったシロッコは、その表情に少しの翳りも見せることなく、ジェリドの顔を見上げている。そしてサラは、それをどこか他人事のように見つめていた。

「潜入をこんな子供にやらせるのか!」

「アーガマに情報を流さなければ、コロニー落としは防げんよ。だからサラには投降を装ってアーガマに潜入してもらう」

「投降を偽装するなど、軍法会議ものだ」

「手は他にない」

 ジェリドは唸った。コロニー落としを止めるには彼ら自身が反旗を翻すか、この方法しかないように思えた。

「アーガマから脱出する方法はあるんだろうな」

「サラは優秀だ。脱出は彼女に任せればいい。コロニーさえ止まれば君がアーガマを拿捕してくれても私は構わんよ」

 シロッコがサラに視線を向ける。

「やれるな、サラ」

 サラは、少しの間だけ沈黙した。振り返ったジェリドが、彼女を心配そうに見る。

「……やります。アーガマにコロニー落としの情報を流して、脱出すればいいのですね?」

「そうだ。……お前はいい子だ、サラ」

 柔らかくシロッコは微笑みを浮かべる。ジェリドはばつが悪そうに、床に目を落としていた。

 電子音が、サラを記憶の中から引きずり戻した。彼女は慌てて、ハイザックの操縦桿を握り直す。

 アーガマにキャッチされたようだ。気を引き締めるように、彼女は軽く両頬を叩く。

 ハイザックの手には、白旗が掲げられている。彼女は通信回線を開き、言った。

「私はティターンズのサラ・ザビアロフ曹長! エゥーゴに有益な情報を持って来た、着艦許可願う!」

 白旗を持ったハイザックからの無線通信は、アーガマに届いている。

「こちらアーガマ、了解。しかし、着艦許可は出せない。こちらの指定したポイントで、コクピットから出るんだ」

「了解」

 彼女は深呼吸して、ヘルメットを被った。

 

 

 

 サラはコクピットを開けた。すでにアーガマも目と鼻の先だ。長いカタパルトが特徴的なその艦は、白い艦体を宇宙に晒している。しかし、その装甲には損傷が目立った。船外での修理作業の形跡もある。サラのハイザックの接近を知って、慌てて船内に引っ込んだのだろう。

 コクピットから出たサラのそばに、金色の機体が接近していた。害意はないようだが、もしハイザックで奇襲をかけても、パイロットがアムロ・レイならば勝ち目はないだろう。

「……いつもの金色と違う……?」

 サラは違和感を覚えた。機体に違いは見られない。動きが違うのだろうか。サラは疑問を抱きつつ、かぶりを振った。

「いけない、ナーバスになっている。パプティマス様の命令ならば、ちゃんとこなしてみせなければ……」

 サラは両の手のひらを見せた。カタパルトデッキの上には、ノーマルスーツを着たアーガマの乗組員が手に銃を持って待ち構えている。

 彼女はハイザックを踏み台にして、カタパルトデッキへ跳んだ。

 違和感を覚えていたのは、カツも同じだった。だが、確証もない。彼はその違和感を胸の内にしまい、自分の仕事をすることにした。

「よっと」

 カツの百式が、ハイザックの胴体を抱えた。開いたままのコクピットを壊さないように、彼はゆっくりとハイザックを持ち上げる。無重力の宇宙空間だからこそ、些細なミスでハイザックをどこかへぶつけてしまいかねない。

「カツ、そいつをカタパルトに設置したら戻ってこい」

「格納庫には入れないんですか?」

「チェックがまだ済んでないだろ!」

 オペレーターのぶっきらぼうな物言いに少し腹を立てながら、カツは、ハイザックから降りた小柄なティターンズの背中を目で追っていた。

 

 

 

 ヘンケン、ウォン、ブレックスの三人の視線の先は、一人の少女だった。彼ら三人の長椅子の後ろには、アムロやロベルトといったアーガマのパイロットたちが立っている。

 ここはアーガマの休憩室の一角だ。暖色系の光と壁に、観葉植物まで用意されている。ティターンズの制服を着ていても、相手は少女だ。エゥーゴなりに気を利かせて、なるべくリラックスできる場所を選んだつもりだった。

 その少女は改めて口を開いた。

「私はサラ・ザビアロフ。ティターンズのアレキサンドリアから来ました。」

 すでに一通りのことは聞いている。だが、幹部級のメンバーの前で話させることが重要でもある。小さく咳払いをして、ヘンケンが訊いた。

「それで、アレキサンドリアが、コロニー落としをやろうとしているというのだな」

「はい。アレキサンドリアのジャマイカン少佐が、グラナダへのコロニー落としを計画していました。サイド4の廃棄コロニーを使うという話です」

 やはり。テーブルに着いている者達が目配せを交わす。声にはならないざわめきが広がった。

「どう思われますか、お二人は」

 ヘンケンはそう言って、ウォンとブレックスの二人に水を向ける。

 ウォンが怪訝な顔で答える。

「我々を嵌めようとしているんじゃないのか?」

「どうでしょう……。以前にも、ティターンズからこちらへ協力してくれた女性もおりました」

「む……しかしな」

 不服そうなウォンだったが、壁に備え付けてある艦内通信用のモニターが鳴った。

「私だ」

 ヘンケンが立ち上がって、その通信に答える。

「は、グラナダからの連絡です。ティターンズの艦がサイド4にかかるのを確認できたそうです」

「ふむ、やはりか……。了解した」

 通信を切って、ヘンケンはウォンに向かって振り返った。

「どうやら、アレキサンドリアがサイド4で何かをするつもりなのは間違いありませんな」

 ウォンは不満げに答える。

「情報は確かかもしれん。しかし、このコロニー落としもなんらかの陽動かも知れんのだぞ」

「わかっているさ。しかし、もし敵の狙いがグラナダなら……」

 ブレックスが真剣な面持ちでウォンを見た。コロニーが直撃すれば、グラナダの被害は計り知れない。少なくとも、都市機能が完全に無力化されるであろうことは確かだ。

「ウォンさん。グラナダの市民の避難を」

 大きなため息を一つついて、ウォンは立ち上がる。

「わかった。通信室を借りるぞ。君たちはすぐにコロニー落とし阻止にかかるんだ。月面車も出してくれるな?」

「私もグラナダに戻る。月面車の方は安心してくれ」

 ブレックスに見送られ、ウォンは休憩室のドアへ向かう。

「ああっ!」

「うっ!?」

 彼がドアを開けると、ちょうどドアの前で敬礼していたカツと鉢合わせた。カツが気まずそうに愛想笑いを浮かべる。

「百式の調子はどうだ」

「はっ、えっ、はい! その、良好です」

「ならいい。君たちの仕事は戦うことだ」

 それだけ言うと、ウォンは通路のリフトグリップを掴んで行ってしまった。カツは呆気に取られて、少し崩れた敬礼の姿勢のまま見送っている。

「カツか」

 アムロが振り向いて、笑う。カツは敬礼を正して、声を張り上げた。

「カツ・コバヤシ、入ります!」

 開いたままのドアをくぐって、カツは休憩室に入った。休憩室という名にそぐわない緊張感を感じて、彼は唾を飲み込む。

 ヘンケンがカツを問いただした。

「何をしに来た?」

「ハイザックの固定が終わった報告を……。あっ!」

 カツとサラの目が合う。サラはカツの顔を見て、その大きな瞳を見開いた。

「あなた……確か。フォン・ブラウンにいた……!」

「やっぱり、君だったか」

 呟いたカツに、ブレックスが怪訝な顔で尋ねる。

「知り合いかね」

「フォン・ブラウンに潜入した時、偶然会ったんです」

 カツが答えると、ブレックスは表情を緩めた。

「そうか……なら、彼を同席させても構わないかね、サラ曹長」

「ええ、構いません」

 カツはブレックスの後ろ、アムロの隣に立った。サラに笑いかけられて、カツは目を逸らす。

 ヘンケンが尋問をする陰で、カツは声をひそめてアムロに言った。

「アムロさん、あの子、たぶんバーザムのパイロットですよ。ジェリドの部下の」

 アムロは思わず声をあげそうになるのを堪え、小さな声で聞き返す。

「ニュータイプの勘か?」

「はい。フォン・ブラウンで会った三人組からは、Mk-Ⅱと一緒にいたバーザムと同じプレッシャーがしたんです」

「彼女がその一人ということか……」

 アムロは表情をかげらせる。だとすれば、辻褄が合わないことがあった。

「アムロさん?」

 カツの呼びかけを無視して、アムロはサラをじっと見つめている。ヘンケンの尋問がひと段落したところで、アムロが訊いた。

「君は、ドゴス・ギアにいたのか?」

 これまでほとんど黙っていたアムロの突然の質問に、サラは面食らった。質問の内容は、完全に図星だった。モビルスーツ越しの気配を言い当てたというのだろうか。

「……どういう意図の質問か、わかりかねます」

「答えるんだ」

 ヘンケンとブレックスが顔を見合わせた。アムロの剣幕は、何か確証があってのことだと感じたのだ。

「ドゴス・ギアの所属でした。それが何か?」

「その時は、バーザムに乗っていた。ジェリドの部下だったんだろう?」

 平静を取り戻させる隙を与えず、アムロの詰問は続いた。サラは沈黙する。迂闊なことを口走らないためだ。

 口を閉じた彼女を見かねて、カツが口を出した。

「君がドゴス・ギアからアレキサンドリアに異動になって、バーザムでなくハイザックに乗っているってこと、不思議なんだよ。理由を教えてくれるかい?」

「……ジェリド隊長も、アレキサンドリアに転属になりました。私と同じです」

 パイロットたちの間に緊張が走った。カツは表情を固くする。

 アムロはつとめてゆっくりと息を吐いた。

「……わかった。とにかく、今は君を信じよう」

 アムロの目配せに応じて、何人かの兵士が立ち上がった。

「君はしばらく保護観察の身だ。わかるな?」

「はい」

「よし、彼らについて行け」

 たった一人の少女に何人もの男がついていくのはおかしな構図だが、これも当然のことだ。カツもその男たちと同じように休憩室を出て行く。

 アムロは目を閉じて腕を組んだ。

 ドアが閉じて、静寂が訪れる。ブレックスが長いため息をつき、背もたれに体重を預けた。

「コロニー落としの情報は、それなりに信用がおけるだろうな」

「しかし、彼女本人は信用ならない。そういうことですか」

 ヘンケンが訊くと、ブレックスは苦笑する。

「まあな。ハイザック一機ごときで、アレキサンドリアから逃げられるとは思えん。裏があると見た方がいいだろう」

「あんな少女がパイロットというのも、信じがたい話です」

 頷き合った二人の視線は、自然とアムロに向いた。

「どう見る、大尉。君が頼りだ」

「ニュータイプはエスパーじゃありませんよ」

 腕を組んだまま、アムロは目を開けた。

「もし彼女がジェリドの命令で潜入したとすれば、その目的はコロニー落としを阻止させるためかもしれない」

「……また、ジェリド・メサか」

 ヘンケンが呆れたように頭をかいた。ジェリドとは、Mk-Ⅱの奪取を失敗された時からの縁だ。

「ホンコンで会った限り、奴は信用できます」

「もしそうなら、あんな子供に危険な仕事をさせるのか?」

「そこがわからないから、俺も頭を抱えてるんです」

 三人は腕組みして、低く唸った。

 

 

 

 サラに与えられた個室は、ベッドがあるだけの殺風景な部屋だった。

「ねえ、カツ君。私やっぱり、疑われてるのかな」

「カツでいいよ。すぐ信じてくれるさ、みんなも」

 緊張をほぐすように、カツは笑う。同年代の相手と話す機会は久々だ。

「あなた、パイロットなの?」

「まあね。宇宙に上がってからはメタスに乗ってたけど、今度からはアムロ大尉の百式を使わせてもらえるって」

 カツは少し得意げだ。人差し指を立てて、解説を付け加える。

「メタスっていうのは、ほら、変形する黄色いモビルアーマーがあったろ? で、百式っていうのは、あの金色の」

「え……じゃああの、ビームサーベルにビームを当てる……」

「そう。……戦った相手とこんなこと話すの、なんだか変な気持ちだね」

 二人は苦笑した。サラのバーザムとの対決は二度経験している。

「フォン・ブラウンで会った時は、エゥーゴの人だなんて思わなかったわ」

「あっ、騙すつもりは……」

 慌てて言い訳するカツの姿に、サラは吹き出してしまった。

「ふふ、怒ってるわけじゃないの。あの時は助かったわ」

 カツがほっと息を吐いた。そんなカツの反応が面白くて、サラはすっかり気を抜いていた。

「あ、そういえば、君の首……」

「大丈夫よ。ほら」

 サラはホックを外して、首元を見せる。絆創膏が一つ貼ってあるだけの、華奢で綺麗な首筋だ。白い肌とインナーシャツ。首元のわずかな隙間から、鎖骨の端がちらりと見えた。カツは赤面した。

「そっ……それならいいんだ」

 視線を逸らし、カツは取り繕う。しばらくきょとんとしていたサラだが、カツの反応を見て、ようやく自分の行動に気づく。

「あ……」

 思わず襟を手で押さえ、彼女は床に目を落とす。彼女もハニートラップをするつもりはない。頬が熱くなる感覚が恥ずかしくて、彼女は顔を手で覆う。

「ごっ、ごめん」

「謝らないで!」

 カツを叱責して、サラは目を閉じる。カツへの警戒心が薄れてきているのだ。彼女は自身を責めた。

「あっ! そういえばさ、君と一緒にいた二人は、アレキサンドリアに来てるのかい?」

 気まずい空気を変えようと、強引にカツは話題を変えた。

「え……いえ、来てないわ。どうして?」

「手強いからさ。ニュータイプだろ、あいつらも」

「ああ、そう。ニュータイプ候補生よ」

「君たち、どうしてティターンズなんかに入ったんだよ。ニュータイプなら、エゥーゴの方が……」

「私たち、孤児だったのよ」

 カツの言葉を遮ったサラの声は高かった。

「孤児……」

「そう。スペースノイドだったけど、一年戦争で両親を亡くして……だから、仕方なかったのよ。責めないで」

「せ、責めてなんかいないよ! ただ気になっただけで……ごめん!」

 傷ついた演技をして見せると、カツは面白いように顔色を変える。サラは心の中でほくそ笑みながら、これ見よがしに表情を歪めた。

「ティターンズが酷いことをしていたってこと、知らなかった訳じゃないの。でも、私は孤児で、使える物は何もなかった。生活を保証してくれるティターンズに入るしかなかったのよ」

「サラ……」

 一度サラは顔を俯かせる。唇を噛み、上目遣いでカツを見る。

「謝っても、許されることじゃないでしょう?」

 君は悪くない、そう言って慌てて機嫌を取るカツを、サラは期待していた。

「カラバが壊滅したの、僕のせいなんだ」

「え……」

「僕が勝手に出撃したせいで、アウドムラの戦力はボロボロになった。艦長だった父さんは、僕たちが逃げる時間を作るために、スードリに特攻を掛けて、死んだ」

 淡々と話していたカツの声も、最後には震えていた。彼も、この過去を乗り越えたわけではない。しかし、目の前の少女の悲しみを払ってやることの方が、彼にとっては大切だった。

 目を閉じて息を吐くと、カツはまた笑顔を作った。

「だからさ、あんまり、自分を責めないで欲しいんだ。そんなことに押し潰されたって、つまらないからね」

「……敵わないのかもね、私」

 つぶやくように、サラは言った。カツが聞き返す。

「えっ?」

「あなたのモビルアーマーに、いいようにやられてしまったもの」

「そ、そんなこと気にするなよ! それにさ、僕、自慢じゃないけど実戦は結構やってるんだぜ。君だってニュータイプなら、すぐに追いつけるさ」

 カツは少し顔を赤くして、サラを元気付ける。サラの胸が、刺すように痛んだ。

 



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コロニーが落ちる日(後)

 アレキサンドリアの待機室にはパイロット達がひしめいていた。コロニーへの核パルスエンジンの設置は済んでいる。あとはもう、コロニーがグラナダへ落ちるのを待つばかりだ。

 ヤザンを中心にしたパイロット達の輪から少し外れたところで、ゲーツは一人、壁に背を預けて目を閉じていた。

「ゲーツ・キャパ。強化人間だってな」

 ゲーツの横に、ジェリドが並んでいた。一瞬驚いたような顔をしたが、ゲーツはすぐにうなずく。

「……ああ。あんたも、ロザミアと会ったんだって? カクリコン中尉から聞いたよ」

 カクリコンから話を聞いていたのはジェリドも同じだ。ゲーツがロザミアの友人だったことは知っていた。

「……ロザミア少尉がいなければ、アウドムラは沈められなかった」

「俺はロザミアがオーガスタ研に来た時から知ってるんだ」

 そう言って笑うと、ゲーツは壁に手をつき、体の正面をジェリドに向けた。

「あんた、ニュータイプだろう? 俺にはわかる」

 まっすぐに見つめてくる目。自信に満ちたその目が、ジェリドは少し不安だった。

「はっきり言うが、俺は強化人間そのものに否定的だ」

 ジェリドの一言に、ゲーツの視線が揺らいだ。

「……そうかい」

「ムラサメ研の強化人間は、記憶と引き換えに戦わされていた。負荷のきついサイコガンダムという代物に乗せられてな」

 ジェリドは少し早口気味に話す。ゲーツは眉根を寄せ、言い返した。

「強化人間の研究は崇高なものなんだよ、ジェリド大尉。人工的にオールドタイプをニュータイプにできれば、二つの垣根はなくなる。眼鏡を掛けている人間を、裸眼の人間が差別しないのと同じだ」

「しかし、フォウ少尉は無理やり!」

 ジェリドの言葉を遮るように、ゲーツは拳をロッカーに叩きつけた。快音が鳴り響く。金属製のロッカーの戸がひしゃげ、彼の拳がそのクレーターの中心にめり込んでいた。ロッカールームが静まり返り、ゲーツに視線が集中する。だが彼は、まるで気づいていないかのように話し続けた。

「彼女を救うために、ロザミアが死んだんだろ。あいつは優しい女だ、そうするのも無理はない」

 ゲーツの感情は収まらない。顔を歪め、拳をロッカーの扉に押しつけ続ける。

「確かに、ムラサメ研究所は最低だろう。記憶は人格の一部だ。そんなものを弄り回すなど虫酸が走る!」

 ロッカーが、ばきん、と音を立てた。蝶番は壊れ、歪んだ扉はロッカーの内側へ押し込まれている。

「だけど、オーガスタ研は違う。俺達だって同意の上で研究に協力しているんだ」

 ロザミアの話をする前の、さわやかな笑顔がそこにあった。

 その時、電子音が鳴った。モニターに全員の注目が集まる。

「前方に敵艦をキャッチした。モビルスーツ隊は対モビルスーツ戦用意。この作戦に成功すれば、一週間の有給休暇が出る。各員の奮起を期待する」

 モニターのジャマイカンを睨みながら、ジェリドはつぶやく。

「やはり来たか」

 シロッコはサラをアーガマに送り込み、コロニー落としの情報をリークしようとしていた。サラは少なくとも、その任務の前半には成功したことになる。

 しかしもう半分のアーガマからの脱出について、シロッコからの指示はなかった。半ば使い捨てのような任務だ。ジェリドは、シロッコへの不信感を強めていた。

 サラを救出することも、ジェリドの目的の一つだ。だが、一番重視すべき目標は決まっていた。

「モビルスーツは敵モビルスーツ部隊の足止めにあたれ。いいな?」

 スピーカーから聞こえるジャマイカンの声を聞き流し、ジェリドは拳を握る。コロニー落としは、なんとしても阻止してみせる。最悪の場合、自分が反逆者と見做されても構わない。

 

 

 

 アーガマのブリッジには、真剣な面持ちのパイロットたちが並んでいる。張り詰めたその視線の集まる先で、ヘンケンが口を開いた。

「通常の軌道を外れたコロニーをキャッチした。元はサイド4の廃棄コロニーだ。このままの軌道では月に落ちるが、ティターンズのアレキサンドリアが随伴している。コロニー落としは奴らにとっても隠密行動だ、増援の類はないと見た」

 サラの情報は確かだった。コロニー落としの目標は、フォン・ブラウン市がティターンズに制圧されている今、グラナダしか考えられない。

「だが、増援は出せないとグラナダから通達があった。フォン・ブラウンを抑えられている以上、グラナダも迂闊に動けん」

 パイロットたちがざわめいた。代表するように、ロベルトが一歩進み出る。

「つまり、アーガマ一隻で敵のコロニー落としを防げということですか」

 ティターンズのアポロ作戦において、アーガマはかなりの損害を受けた。そのほとんどが、アレキサンドリアから出撃したモビルスーツ隊によるものだった。

「やらねばならん」

 ヘンケンは目を伏せた。アレキサンドリアに損傷はなく、それどころかモビルスーツ隊は精鋭揃いだ。傷だらけのアーガマ一隻でコロニー落としを防げるとは思えない。

 厳しい戦いになる。誰もがそう理解していた。重い沈黙が広がり、クルーたちの表情が曇る。

「グラナダにコロニーが落ちれば、人が何千万人と死ぬことになる」

 アムロの声が、ブリッジに響く。落ち着いた声だ。

「もしもグラナダが潰されれば、エゥーゴは組織としての力を維持できなくなる。……ティターンズの天下だ」

 グラナダはアナハイム・エレクトロニクスの一大拠点だ。その上、今はウォンとブレックスもグラナダに戻っている。言うなれば、負けられない戦いだ。

 ヘンケンが頷いた。

「グラナダに文句を言っても始まらん。今は、やれることをやるだけだ」

 ヘンケンの目配せに応えて、モニターにコロニーの図が表示された。円柱形のコロニーをアーガマから見た丸い正面図と、横から見た長方形の側面図。

「今回の作戦では、アーガマから向かってコロニーの左側部分を狙う。グラナダだが、ここで進路を変えれば、グラナダに当たることはない」

 モニターに映った正面図の左端で、光が点滅する。

「コロニーのベイ部分の左側を砲撃。アーガマの砲撃に加え、百式のメガ・バズーカ・ランチャーも使う。いいな?」

「はい!」

 カツが声を上げて答えた。

「よし。並行して、モビルスーツ隊はコロニーの核パルスエンジンを狙う。砲撃ポイントの対角のエンジンを作動させ、グラナダへの軌道から外すんだ。指揮はアムロ大尉に任せる」

「了解!」

 パイロット達は威勢よく答えた。ヘンケンはそれを見て、視線を窓の外へ移す。

「……アーガマ一隻にこの作戦を任せると言っているんだ、グラナダがどれほどこちらを信頼しているかわかるだろう」

 困ったものだ。内心で、ヘンケンはそうつぶやく。

「コロニーの軌道変更が確認でき次第、各機はアーガマに帰艦。しかるのち、本艦はこの宙域から離脱する。時間との戦いになるぞ」

 アレキサンドリアを相手に撃ち合える余裕は、今のアーガマにはほとんどない。だが、やるしかない。

「やるしかないんだ……」

 最後に、ヘンケンがそうこぼした。

 

 

 

 慌ただしい雰囲気がアーガマに満ちていた。それは保護観察中のサラにも伝わっている。戦いが始まる。それも、グラナダ市民の命が懸かった戦いだ。

 開いたドアの向こう側にいたのは、カツだった。彼はサラを見るなり、とびきりの笑顔を浮かべる。

「や、サラ」

「カツ」

 パイロットスーツを着込んだカツは、いつもより少し大きく見える。彼は着ている物とは別に、もう一つパイロットスーツを脇に抱えていた。

 すでに居住ブロックは回転をやめ、疑似重力の発生を止めている。無重力の空中を、パイロットスーツが滑った。

「ほら、これ。戦闘だからさ」

「ああ、そう……。こんなことをしていていいの? パイロットでしょう?」

「ははは、君の顔が見たかったからさ」

 そう言いつつ、カツはサラと視線を合わせていない。受け取ったパイロットスーツを持ち上げて、サラは首を傾げた。

「あら、これ、パイロット用でしょ? あなたのと同じ……」

「……うん」

 カツの視線は、部屋の床を泳いでいる。不審に思って、サラはカツの顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」

 ついに、目が合ってしまった。カツは観念したようにうつむいた。

「……サラには、もしアーガマがやられそうになった時、ハイザックを動かしてアーガマを守って欲しいんだ。みんなは信用してないみたいだけど、僕は信じるよ」

 それはサラにとって、願ってもない提案のはずだった。

「どっ、どうするの?」

「ここのスイッチを押すと、スモークフィルムが下りるんだ。そうしたら顔がわからないから、うまくハイザックに……」

 カツは目を逸らして、ノーマルスーツのヘルメットの側面に手をやる。サラは声を荒げた。

「あなたはどうするの、カツ!」

 彼女のその言葉の後、重い沈黙が流れる。自身も無事では済まない。カツの言葉の裏のその真意を、サラは感じ取っていた。

 二人の視線が交じり合った。サラのつぶらな瞳は、真剣そのものだ。カツは答えた。

「僕は……コロニー落としを止める。それで生き残ったら、今度はアレキサンドリアを追い返すために頑張るさ」

「カツ……」

 サラの細い眉が、悲しそうに歪む。カツは、死を覚悟していた。傷ついたアーガマ一隻では、アレキサンドリアの攻撃をかいくぐりコロニー落としを止めるのは並大抵のことではない。その中で、カツは自身を賭けのチップに差し出すつもりだ。

 まっすぐ見つめてくる彼女の目に、カツは耐えられなかった。

 サラの両腕ごと、カツは抱き締めていた。互いの顔を肩に乗せ、カツはサラの背を抱く。力強い抱擁だった。

「こういう時、守ってやるって言えれば格好いいんだけどね。僕……怖いんだ」

 カツはサラを力強く抱きしめて、目を瞑っていた。抱き締める腕に、力がこもる。

「死ぬのも怖い。それに、似てるんだよ。敵は凄腕ばっかりで、こっちの艦はボロボロで。僕が、父さんを、レコアさんを守れなかった時みたいで」

 サラの背中で、カツの拳が握られた。その手は、彼の声と同様に震えていた。

「だから……嘘なんだ、さっきの。本当は、せめて君だけでも、生き延びて欲しくて……」

「カツ、苦しい」

「あっ、ごめん!」

 カツは急いで両腕を解いた。サラは、そっけなくカツを押し退ける。顔を合わせたくないとでも言いたげにサラは背を向けた。

「……早く行って」

「サラ……」

「行って!」

「……ごめん。ここの鍵、開けておくから」

 何度謝っただろうか。カツは暗い顔で、部屋を出た。

 ドアが閉まる音を聞いて、サラはようやく、カツが出て行ったドアに振り向く。真っ赤に染まった頬が熱い。彼女は自分の胸に手を当てた。早鐘のように打ち続ける心臓が、その鼓動を掌に伝えていた。

 

 

 

 百式は、アーガマのカタパルトデッキに鎮座する大きな砲の後ろに立った。

「遅いよ、カツ!」

「すみません!」

「全く……。モビルスーツ隊、発進よろし!」

 トーレスが叱責するが、それを気にする様子もなく、カツはモニターを見つめる。

「わかってるな、カツ! 本当ならメガ・バズーカ・ランチャーは一発か二発でエネルギーが尽きちまう!」

「それをこのケーブルでアーガマと繋いでるんでしょ?」

「何発も撃てることは撃てるが、連射は効かない。無駄弾を撃つなよ!」

「わかってます!」

 百式はメガ・バズーカ・ランチャーのグリップを握った。メガ・バズーカ・ランチャーはモビルスーツ一機分近くの大きさがある巨大なメガ粒子砲だ。射程と威力はすさまじいものの、エネルギータンク役の随伴機がなければたった一発の発射でエネルギーが尽きてしまう。大きさゆえの取り回しの悪さもあって、メガ・バズーカ・ランチャーはこれまでアーガマでは活躍することなく、格納庫で眠っていた。

 本来ならカタパルトで射出して百式が受け取る形になるのだが、今回は作戦の都合上、外付けの主砲という形を取った。

 デッキにはサラが乗ってきたハイザックが立っている。結局、どかせなかったな。カツは内心でそう呟いた。

 アーガマの左右のカタパルトデッキから、次々にモビルスーツが出撃していく。

 リック・ディアス、マラサイ、ネモ。それらの最後に、アムロが駆るZガンダムがカタパルトデッキに姿を現した。

「カツ、百式は使えそうか?」

「はい、ばっちりです!」

「ならいい。アムロ・レイ、Zガンダム! 出る!」

 ビームライフルを両手で保持し、力強く身をかがめたZガンダムは、カタパルトの加速に合わせてスラスターを噴射した。瞬く間に、Zガンダムの姿は見えなくなる。尾を引くようなZガンダムのスラスターの光が、宇宙に一本の筋を作っていた。

「カツ! 有効射程に入るまで、あと一分を切った! 気を抜くなよ!」

「わかってますよ!」

 

 

 

 コロニーのベイ部分に、ミサイルとメガ粒子砲が撃ち込まれた。光と爆発がコロニーの先端部を染める。しかし、ジャマイカンは冷静だった。

「核パルスをやられん限り、軌道の変更はない。そうだったな」

 ジャマイカンが確認する。キャッチしたのはやはりアーガマ。彼は口髭を撫でた。

「ええ。質量が大きいのですから」

 ブリッジクルーが振り向かずに答える。戦争の趨勢を決めかねない重要な作戦とあって、彼らも緊張していた。

「ふん、ならばいい。本艦は前進。アーガマに攻撃を集中させる」

「敵モビルスーツは母艦の防衛とコロニーへの攻撃にかかりきりで、アレキサンドリアには手が回らんということですな」

 キャプテンシートのガディが立ち上がり、身を乗り出す。彼は窓の外を睨んだまま続ける。

「アーガマも砲火をコロニーに向ける。となれば、アレキサンドリアへの反撃は大したことではない」

「その通りだ、ガディ艦長。それに、アーガマの損傷は激しい」

「戦闘宙域から一刻も早く逃げ出すために、アーガマはコロニー落としの阻止を重視するしかない、か」

 ガディはキャプテンシートに腰を下ろした。戦闘を有利に運びながら、彼の表情は浮かなかった。

「目標、敵艦。全砲門、開け!」

 

 

 

 コロニーに向けて、ミサイルとメガ粒子が放たれた。コロニーの先端部で上がった爆発を見て、ヤザンが叫ぶ。

「光が見えた! 来るぞ!」

 彼のその声には、確かな喜びの色があった。接近してくるアーガマのモビルスーツ隊。その隊列を追い抜き、一機のウェイブライダーがティターンズの眼前に姿を見せた。

 会敵とほとんど同時に、Zガンダムが現れる。ティターンズのモビルスーツ隊のほとんどが、彼に目を奪われた。Zガンダムはウェイブライダー形態のまま、ティターンズのモビルスーツ隊の横をすり抜け、コロニーの核パルスエンジンを目指して突き進む。

「逃すものか!」

 ゲーツのギャプランが反転し、加速する。Zガンダムのスピードに追いつき、背後からメガ粒子砲を連射した。

「いいのか、ヤザン!」

 ジェリドの通信が、ヤザンのバーザムのコクピットに届く。

「構うな。どうせ奴ではアムロは落とせんのだ」

「核パルスエンジンの話だ!」

「こんな戦争のやり方は気に入らん」

 ヤザンはまるで気にしていない。彼のバーザムは滑らかに宇宙を飛び回り、マラサイの胴体にビームを命中させる。

 ジェリドもまた、この作戦は気に入らなかった。しかし、表立って邪魔をするわけにはいかない。彼が動くとすれば、本当に最後の最後、どうしようもなくなってからだった。

「ち……頼むぞ、アムロ!」

 呟いて、ジェリドのMk-Ⅱはビームライフルを構えた。

 

 

 

「右カタパルトデッキ被弾! 使用不能!」

「居住ブロックの火災、止まりません! 隔壁が降りない模様!」

「居住ブロックはB7隔壁を閉鎖! 消火中のクルーは銃座につけ! 対空砲火はアレキサンドリア! それ以外は全てコロニーを狙うんだぞ!」

 ヘンケンは苦い顔で指示を下す。辛い戦闘になることはわかっていたが、このままではアーガマが沈むことになる。アレキサンドリアの砲撃は的確だった。

 ただでさえ攻撃力にやや欠けるアーガマに対し、アレキサンドリアはやや上方の位置をとっている。射角の都合上、主砲も副砲も、メガ粒子砲も使えない。

 砲撃は、やはりコロニーの向きを変えるには力不足だ。ヘンケンは艦の振動によろめきながら叫んだ。

「ええい、百式を出撃させる! 回避運動、急げ!」

「了解! わかったな、カツ! モビルスーツ隊に合流して!」

「はい!」

 アーガマの装甲はボロボロだ。これ以上の戦闘には耐えられない。百式は、メガ・バズーカ・ランチャーから手を離す。バーニアを時折吹かしながら、素早くカタパルトに両足をセットした。

「カツ、百式、出ます!」

「撃ち方やめ! 百式が出る!」

 不規則に動く回避運動中のアーガマのカタパルトから、百式が打ち出された。直後、砲撃が再開される。百式は素早く体勢を立て直すと、ビームライフルを片手に構え、モビルスーツ隊に合流するため、スラスターを全開にした。

「おおお!!」

 百式のビームライフルの連射が、一機のハイザックの足を撃ち抜く。片足を失い、ハイザックは後退した。

「アーガマに手を出させるものか!」

 カツは、コクピットでそう吠えた。

 

 

 

 ギャプランの強みは、その大推力のスラスターだ。強化人間でなければ耐えられない加速によって、Zガンダムのウェイブライダーと距離を詰めていく。

 二つのモビルアーマーが接触するかに見えた瞬間、宇宙空間にビームの粒子が舞った。ビームサーベル同士のぶつかり合いだ。その反動で、二機のモビルスーツは遠ざかる。

 両者は進行方向に頭を向ける形で向かい合った。モビルアーマーからモビルスーツ形態へ姿を変えても、彼らの戦いは止まらない。コロニーの外壁を背にしたZガンダムは、変形によって宙を舞うビームライフルに手を伸ばす。

「ロザミアの仇を討たせてもらう!」

 ギャプランのメガ粒子砲がZガンダムに向いた。それは、変形の質と、武装の違いが生んだ好機だった。斬りかかるギャプランに対し瞬時に変形しつつビームサーベルを抜いたアムロは見事だったが、変形したZガンダムがライフルを構えるには一度体から離れたビームライフルを掴む必要がある。しかしギャプランは、両腕に取り付けられたメガ粒子砲を構えるだけでいい。

 間合いは近い。当てる自信がゲーツにはあった。

 しかし、彼のその勝利の笑みが凍りつく。

「消えた!?」

 ギャプランのメガ粒子砲は、コロニーの外壁に小さな穴を開けただけだった。並走するように浮かぶのは、Zガンダムのビームライフルだけ。ゲーツは全天周囲モニターを見回すが、そのどこにもZガンダムの姿は見られない。

 彼は叫び、ギャプランの姿勢制御バーニアを吹かせる。

「このモビルスーツの弱点を知っていたのか!」

「真下が死角ならば!」

 一瞬の隙を突いてギャプランの真下に回り込んだアムロのZガンダムは、腕部のグレネードランチャーを発射した。

 ギャプランは元々は地上用に設計されたマシンだ。宇宙戦用への換装に際して追加したバーニアの一つは、ギャプランのモニター用カメラに死角を生じさせていた。

 その位置は、真下。即座に逆方向へスラスターを向けることで急減速したZガンダムは、ギャプランの真下を取ることができた。

「うおお!?」

 移動も間に合わず、ギャプランの下半身が吹き飛ぶ。力なく宇宙を漂うギャプランを尻目に、Zガンダムはビームライフルを手に取って、再びウェイブライダー形態へと変形した。

「フォン・ブラウンでの戦いで、そのマシンの死角はわかっていたんだ」

「く……くそおおおっ!!」

 ゲーツはモニターを殴りつけた。

 

 

 

 パイロットスーツを着た小柄な人物が、何事かつぶやいた。その呟きの内容は、ヘルメットの内側でこだまするだけで、他の誰にも届かない。

「そこのお前! 通信を聞いてないのか!?」

 パイロットスーツの人物は、アーガマのモビルスーツデッキを移動していた。ノーマルスーツを着た整備士が通信越しに怒鳴りつけても、その人物は答えない。

「手の空いてるクルーは銃座に回れって……、おっ、おい! 戦闘中だぞ!」

 パイロットスーツは床を蹴って、カタパルトデッキへ出た。アーガマへの攻撃は激しい。そのパイロットスーツの人物も、たった一発の砲撃で宇宙のチリと化す可能性は理解していた。

 もう一度、床を蹴った。その目的地は、カタパルトデッキに係留されたままのハイザックだ。

 スイッチを押して、コクピットを開いた。パイロットスーツの人物は、そのシートに腰を下ろす。

 シートの感触は、馴染むようで馴染まない、不思議な感覚だ。着ているノーマルスーツが、このアーガマに来た時と違うものだからだろうか。

 モニターに灯りがつき、次に宇宙の闇が映される。アーガマの前方では、いくつもの光が激しく動いて、また別の光を放っている。

 ハイザックはカタパルトデッキを歩き出した。

「誰だ、ハイザックに乗ってるの!」

 ブリッジからの通信が、ハイザックに届いた。憔悴したオペレーターの顔がモニターに映る。

「私です! 保護観察中のサラ・ザビアロフです!」

「ええっ!」

 オペレーターが驚き、ヘンケンの方に振り返る。四角いモニターの向こうで、ヘンケンの髭面がオペレーターの肩越しに顔を出した。

「サラ曹長、誰がモビルスーツに乗っていいと言った!」

「メガ・バズーカ・ランチャーを、私のハイザックと一緒に射出してください!」

「バカを言うな! なぜ君を信じる必要がある!」

「カツの百式にメガ・バズーカ・ランチャーを届けられれば、戦況は変わります!」

 サラの口調は真に迫っていた。ハイザックは武装解除済みだし、メガ・バズーカ・ランチャーもハイザックには使えない。

「……いいだろう」

「艦長!」

「ティターンズの士官とはいえ、信じてみる価値は十分ある!」

 ヘンケンはオペレーターの反対を押し切って、命令を下す。

「右舷カタパルト! メガ・バズーカ・ランチャーを射出しろ!」

 戦闘宙域にメガ・バズーカ・ランチャーを射出するのは、とても危険な行為だ。操作の効かないメガ・バズーカ・ランチャーは、敵のいい的になってしまう。

 しかし、随伴機がいるのならば話は別だ。ランチャーの軌道を変えられるからだ。問題は、その随伴機が信用に値するかどうかだった。

 これはヘンケンにとって賭けだった。彼は、以前にティターンズから寝返ってきた女パイロットをサラに重ねてもいた。

 サラのハイザックが、メガ・バズーカ・ランチャーの上にまたがる。レーシングバイクのライダーのように身をかがめ、被弾面積を減らす。もし攻撃があっても、ハイザックのスラスターを使って敵の攻撃をかわせるはずだ。

「サラ曹長! 頼んだぞ!」

「はい!」

 カタパルトの加速に合わせ、ハイザックとメガ・バズーカ・ランチャーのスラスターが火を吹く。想定以上のGにサラは顔を歪める。

「カツ……」

 アーガマから離れたサラはつぶやいた。

 

 

 

 Zガンダムが、モビルスーツ形態へと変形する。両足を前方に突き出し、急減速。ノズル光をたなびかせ、Zガンダムはその視界の中心にコロニーの底面を捉えた。

「核パルスエンジン……これか!」

 大きなすり鉢状のノズルと、それに繋がる大きな直方体の炉心。コロニーをグラナダへと導く核パルスエンジンだ。

 Zガンダムが接近し、その操作盤に手を伸ばす。作業用のモビルスーツが一般化した現代では、モビルスーツの指で操作できるものも多い。

 Zガンダムのスピードに追いつける機体は、アレキサンドリアにはギャプラン以外にはない。したがって、コロニー付近のモビルスーツ隊のアムロへの追撃も、しばらくの間は来ないはずだ。

 いくつかのボタンを押すと、核パルスエンジンのノズルに小さな光が灯った。その小さな光はあっという間に、モビルスーツなど楽々と包み込んでしまえるほどの大きな光の球へと成長する。もし空気があれば、その振動は音という生やさしいものに留まらず、周辺を破壊し尽くしていただろう。アムロがそう推測するほど、核パルスエンジンの噴射は激しかった。

 アムロは全天周囲モニターの隅に、別の光を見た。彼は舌打ちし、操縦桿を倒す。

「まだ来る!」

 振り返ったZガンダム。下半身を失ってなお追い縋るのは、ゲーツのギャプランだった。

 音を立てるほど力強く操縦桿を握り締め、ゲーツは叫ぶ。

「見ていろロザミア!」

「エンジンにも当てさせずにやるしかない!」

 Zガンダムは核パルスエンジンから距離を取る。流れ弾が当たればエンジンが破壊され、コロニーの軌道を逸らすこともできなくなるかもしれない。

 アムロの正確な射撃に対し、ギャプランは激しくシールド・バインダーを動かしながらスラスターの噴射を繰り返す。ゲーツは目まぐるしく変わる慣性に歯を食いしばった。

「うおおおおおお!!」

 彼自身、自分がどこを向いているのかほとんどわからない。全身にかかったGに耐えながら、メガ粒子砲を乱射する。

 その一部は宇宙へと消え、また他の一部はコロニーの外壁を傷つける。エンジンが傷つくのも時間の問題だ。アムロは冷や汗を垂らす一方で、心を落ち着かせるように目を閉じた。

 上、右、下、右、奥、左、右。AMBACと可動式スラスターの高速機動を、彼は感じ取った。

「そこっ!」

 アムロの脳裏に閃光が走り、彼は操縦桿のスイッチを押す。

 放たれたビームは、ギャプランの右肩を捉えていた。

 ギャプランの傷口から爆煙が噴き出す。装甲の下でいくつもの小爆発が起きる中、ゲーツは脱出装置のスイッチに手を伸ばした。

「アムロ・レイ! 貴様は!」

 脱出ポッドが放たれるのとギャプランが爆発するのは、ほとんど同時だった。青い装甲板は内側の爆発の圧力に耐えきれず歪み、黒焦げになった内部を宇宙の冷たい闇に晒している。

 アムロは小さく息をつく。脱出したゲーツ本人を探す気はない。

「ふふふ……もう用済みだよ、アムロ・レイ」

 そう毒づきながら、ヤザンは操縦桿を倒す。狙いはアムロのZガンダム。にい、と口の端を吊り上げた。すでにコロニーの軌道は変わっている。コロニーの外壁へバーザムのビームライフルを構え、引き金を引いた。

「落ちろ!」

 放たれたビームは、外壁を貫通し、ウェイブライダー形態のZガンダムを掠める。

「やはり!」

 廃棄されたコロニーの外壁はボロボロで、モビルスーツの出入りできるサイズの穴もある。ヤザンはアーガマへ帰艦しようとするZに奇襲をかけるため、コロニーの内部にバーザムを潜ませていたのだ。

「よくコロニー落としを止めてくれた!」

「こいつ、あの時のバーザム!」

 ウェイブライダー形態では不利と見て、アムロはZガンダムをモビルスーツ形態に変形させる。遠間から放ったヤザンのビームは当たっていない。Zガンダムもビームライフルを握った。

 外壁に空いた穴から、コロニーの外へ飛び出るバーザム。バーニアやスラスターの光の軌道を追うように、ビームの光が飛び交った。骨身を削る撃ち合いではなく、牽制射の繰り返しだ。決定打の無さに苛立つ一方で、ヤザンはその笑みを深くする。

「それでこそやり甲斐がある!」

 バーザムの動きが変わった。Zガンダムの射撃をかわしつつ、再びコロニーの中へ隠れた。

「逃がすものか!」

 アムロはZガンダムにその後を追わせる。迂闊に背を向けていい相手ではないことは、アムロも理解していた。

 コロニーの内部は、暗い。本来は居住用のスペースコロニーだったここは今、擬似重力のための回転もなく、内側にあった土埃や瓦礫が宙に巻き上げられている。

 アムロは思考を巡らせた。視界の悪さは同じ。しかし、相手はこちらがどの穴からコロニー内部に入るか解っていたはず。この土埃さえ、敵のバーザムが誘い込む前提で巻き上げていたのかもしれない。

 彼はZガンダムを加速させる。その直後、ビームが発射された。宙を舞う土埃と瓦礫を蒸発させ、その光は宇宙へと伸びていった。

 Zガンダムはビームライフルを構える。先ほどの射撃で、位置はほとんど掴んだ。

 記憶と直感に任せた銃口の微調整を済ませ、アムロが引き金を引こうとした、その瞬間だった。

「死ねっ!」

 バーザムが、Zガンダムへと迫っていた。緩やかな渦を描くように接近していたバーザムは、ビームライフルを構えたZガンダムの右側面から襲いかかる。

 もらった。ヤザンは確信した。今からサーベルを抜いても間に合わない。Zガンダムのシールドは左腕にしかない。

 バーザムの右腕が、ビームサーベルを振りかぶる。そしてその右腕は、振りかぶった格好のまま、切り飛ばされた。バーザム頭部の鶏冠状のアンテナも、その中程で切断されている。

「なんだとっ!?」

 Zガンダムが振り抜いているのは、ビームライフル。しかしその銃口からは、ビームサーベルと同じ光刃が伸びていた。

「おおおっ!!」

 返す刀、いや、返す銃が、バーザムの左肩を切り裂いた。両足のスラスターを使い、大きく後退するバーザム。

「ええい、覚えていろ!」

 そう捨て台詞を残し、ヤザンのバーザムは土埃の中へ消えていく。追撃する時間的余裕は、今のアムロにはない。ましてや、第二第三の罠が仕掛けてある可能性もある。

「今はアーガマか……!」

 ヤザンを追っている暇はない。Zガンダムはウェイブライダー形態に変形し、コロニーの出口へと加速した。

 

 

 

「バカな、もう一度だ、もう一度計算しろ!」

「駄目です、少佐! このままでは、コロニーはグラナダへは落ちません!」

「……なんということだ……。このままでは、バスク大佐に申し訳が立たん」

 核パルスエンジンが起動した。モビルスーツ隊の攻撃を掻い潜り、敵のモビルスーツが核パルスエンジンを動かしたのだ。

 先ほどまでヒステリックに騒いでいたジャマイカンも、額に手を当ててシートに座り込む。グラナダへのコロニー落としは失敗した。バスクの怒鳴り声が思い出される。

「……やられましたな」

 苦々しげにガディがつぶやいた。

 ジャマイカンの手は、自身の顔を拭うようにゆっくりと下へ降りていった。眉間に皺を寄せ、彼はまなじりを決した。

「アーガマに攻撃を集中させろ。我々は手ぶらではゼダンの門に帰れんぞ!」

 

 

 

 コロニーの後ろで、何かが光った。事前の通達通りの位置だ。アムロのZガンダムが、核パルスエンジンを起動させたのだ。

 コロニー落とし阻止に全力を傾けたアーガマは、アレキサンドリアの攻撃に晒されている。モビルスーツ隊が援護に向かうのが筋だろうが、あいにくティターンズもそれを許すつもりはない。

 モビルスーツ隊がモビルスーツ隊の足止めをすることでこの戦場は成り立っていたのだ。

「コロニーの軌道修正を確認した! コロニーはグラナダには落ちない!」

 アーガマからの通信が百式に届く。しかしそれを喜ぶ余裕は、カツにはない。当のアーガマですら、艦の至るところに損傷が見受けられた。

 アーガマのやや上方に陣取ったアレキサンドリアは、一方的に攻撃を続けている。

 まだZガンダムは帰ってこない。このままでは、アーガマが墜とされる。それをわかっていながら、カツは敵のバーザムに手こずっていた。

「ええい、こいつ、こいつ!」

 すでに一機のハイザックを撃墜した百式のビームライフルはエネルギー残量も心許ない有様だ。

「え!?」

 カツはただ一人、そうつぶやく。敵との対決の最中、聞こえるはずのない声が聞こえたのだ。

「カツ! カツっ!!」

 百式に通信が届く。それは後方からの、サラの声だった。

「サラ?」

「カツ、受け取って!」

 近づいてきた「それ」に、バーザムは目を奪われる。明らかにアーガマの方向からやってきたのは、ティターンズカラーのハイザックだった。敵か、味方か。その隙を、カツは見逃さなかった。

 胴体の中央を撃ち抜かれ、バーザムは沈黙する。全身に火花が走ったかと思うと、その群青色の機体は爆発を残して消えていった。

 カツの百式は、戦場の中心から離れていく。飛んでいくメガ・バズーカ・ランチャーを追いかけるためだ。百式の手がランチャーのステップアームを掴んだ。

「サラ……なんでここに!」

「カツ! これ、メガ・バズーカ・ランチャー!」

「どうして!」

「早く撃って! アーガマの人たちからの命令よ!」

 有無を言わせぬサラの口調に、カツは急き立てられた。

「わ、わかった!」

 いずれにせよ、このままではアーガマは持たない。アレキサンドリアに大打撃を与える方法は、今はこれしかない。

 慣性を打ち消さず、一機のランチャーと二機のモビルスーツが宇宙を滑る。百式がグリップを握りしめ、ステップアームに足をかけた。照準システムが起動し、いくつもの円と、その中心のアレキサンドリアがメインモニターに映った。

 バイザーのガラス面に、モニターの光が反射する。カツの視界の隅で、モビルスーツ戦が繰り広げられている。カツは唾を飲み込んだ。

 狙いはアレキサンドリア。命中すれば、沈められはしなくとも大打撃を与えられるはずだ。

 エネルギーの収束は終わっている。あとは、引き金を引くだけだ。

 呼吸が荒くなる。たった一発。カツの人生で、最も重い引き金だった。

「当たれーっ!」

 カツは指に力を込め、叫んだ。メガ・バズーカ・ランチャーの砲口から、メガ粒子が溢れ出す。

 

 

 

「うおおおお!?」

 アレキサンドリアが揺れる。ジャマイカンが叫んだ。

「なっ、何事だ!」

「強化ランチャーによる攻撃です! 右下方から!」

 観測士の返答に、ジャマイカンはますます眉間の皺を深くする。

「ええい、なぜ撃たれるまで気づけんのだ! 損傷を報告しろ!」

「Kブロックが破壊されました。それから、機関部に損傷あり! エンジン出力、五十パーセントを下回る計算です!」

「ぬう……!」

 苦々しげに唸ったジャマイカンに、ガディが進言した。

「撤退するべきです、少佐」

「馬鹿を言うな!」

「このまま戦ってはゼダンの門へ帰れません!」

「コロニー落としに失敗し、アーガマも落とせんでは、それこそゼダンの門には帰れん!」

「しかし損傷は甚大です」

 ガディはジャマイカンを前にして一歩も引かなかった。しばし睨み合った末、ジャマイカンは自身のシートへ着席する。

「アーガマへの攻撃を続ける! ミサイルをありったけぶち込んでやれ!」

「少佐!」

 身を乗り出したガディに、ジャマイカンは一瞥もくれず答える。

「あの手の強化ランチャーは一発きりだ。何発も撃てるものなら、もっと有効に活用している」

 だからこそ、彼は強化ランチャーの発射点へモビルスーツを差し向けなかったのだ。ジャマイカンの読みは、半分だけ当たっていた。

 ほどなくして、もう一度アレキサンドリアが揺れた。

 ジャマイカンは苦虫を噛み潰したような顔で、肘掛けに拳を叩きつける。

「……先ほどの強化ランチャーと同じものかと」

「……わかった。撤退だ」

 ガディの一言を受け、ジャマイカンは撤退の指示を下した。

 

 

 

「やったわ、カツ! 二発目も命中よ!」

「よかった……」

 ほっと息を吐き、カツは操縦桿から手を離した。一発ごとに、彼の疲労は色濃くなっている。背中をシートに預けながら、彼は訊いた。

「サラ、ハイザックのエネルギーは?」

「いけるわ、もう一発くらいなら」

 カツの手が、操縦桿に伸びる。

「よし……。ここでアレキサンドリアを……!」

 その瞬間、カツとサラの脳裏に閃光が走った。予感というにはあまりに現実味を帯びたそれに、カツは歯を食い縛る。

 牽制のビームライフルに押されて、カツの百式はサラを連れてメガ・バズーカ・ランチャーから離れた。ビームの発射点に目をやれば、やはり、そこに予感の正体がいた。

 黒いガンダム。ニュータイプの勘が、パイロットの正体を告げている。カツは彼の名を呼んだ。

「ジェリド!」

「サラ! その金色から離れろ!」

 Mk-Ⅱの高い機動性を活かし、ジェリドはカツを翻弄する。メガ・バズーカ・ランチャーのためにビームライフルを捨ててしまった百式に取っては辛い相手だ。

 しかし、ジェリドのその指示にもサラは答えない。焦れたジェリドは、放置されたメガ・バズーカ・ランチャーに目をやった。

 百式を追い立てた一瞬、ジェリドのMk-Ⅱがメガ・バズーカ・ランチャーを百式めがけて蹴飛ばした。即座にビームライフルを構え、メガ・バズーカ・ランチャーに二連射。

 カツはメガ・バズーカ・ランチャーとの激突を避け、咄嗟に百式の身を翻す。しかし、そのジェネレーターをビームによって傷つけられたメガ・バズーカ・ランチャーは、大爆発を引き起こした。

「うわっ!」

 爆発の衝撃を受け、カツの百式は体勢を崩している。宇宙空間で虚しく回転する百式に、ジェリドは狙いを定めた。

「なんだと!?」

 ジェリドは驚愕する。射線上に割り込んだのは、緑のハイザック。機体の識別信号もニュータイプの勘も、彼女がサラ・ザビアロフであることを裏付けている。

「どけ! サラ曹長!」

 両手を広げて百式の前に立ったハイザックは、ジェリドを睨みつけたまま動かない。一方のジェリドも、この状況を前にして呆然としていた。

「うおおお!」

 体勢を立て直した百式が、Mk-Ⅱに食いついた。雄叫びを上げ、カツはビームサーベルを振り上げる。ジェリドがライフルを構えたままビームサーベルに手を伸ばしたところで、Mk-Ⅱのビームライフルが斬り裂かれた。

「やる気か、坊主!」

「サラをやらせるものか!」

 二本のビームサーベルが衝突した。勢いに乗った百式の攻撃を前に、Mk-Ⅱは押されていた。ビームライフルの残骸を手放しつつ、スラスターを使って後退する。しかし百式はそれを知っているかのように距離を詰める。互いに両手でビームサーベルを構え、激しく刃をぶつけ合う。

 カツの感覚は冴え渡っていた。最大の威力が出る間合いとフォームを確実に選択し、Mk-Ⅱの牙城を崩す。攻撃に耐えかねて、Mk-Ⅱは百式と距離を取る。

 後退と同時に、ジェリドは二本目のビームサーベルのジョイントを外した。慣性に従って機体の前方に流れるサーベルの発振器を、Mk-Ⅱのマニピュレータが掴む。

 まさに抜く手も見せない高速抜刀。袈裟懸けに振り下ろされた百式のサーベルを防ぎつつ、掴んだ二本目のビームサーベルで、百式の首を狙う。

 サーベルのビーム刃が形成される瞬間、手首関節のパーツが焼き切られた。二本目のサーベルを抜いていたのは、Mk-Ⅱだけではない。百式は、逆手に握ったサーベルを振り上げてジェリドの奇襲を破った。

 Mk-Ⅱの左腕を切り裂かれ、ジェリドの表情が驚愕に歪む。

「おおおおお!」

 カツが雄叫びを上げる。ビームサーベルの二刀流が次々にMk-Ⅱを攻め立てる。接触したサーベルがメガ粒子を散らし、シールドの耐ビームコート面を削る。

「バカな、こいつ……!」

「わああっ!!」

 百式の突き出したビームサーベルが、Mk-Ⅱの左肩を貫いた。溶け落ちた装甲の隙間から火花が散り、左の二の腕が宙に舞った。

 歯を剥きだし、顔を顰めるジェリド。追撃を狙うカツだったが、彼のモニターに光が映る。

「撤退信号!」

 アーガマは、沈んでいないことが不思議なほどの損傷を受けていた。撤退するチャンスは、アレキサンドリアがメガ・バズーカ・ランチャーにより沈黙している今しかない。少しでもまごつけば、応急修理を済ませたアレキサンドリアの砲撃でアーガマは沈められてしまう。

 しかし、あと少しでジェリドを墜とすことができる。カツは小さく唸って、操縦桿を引いた。

「サラ! アーガマに戻る! この宙域から引き上げるんだ!」

「わ、わかった!」

 帰艦を決めたカツの動きは鮮やかだった。ほとんどエネルギーが残っていないサラのハイザックを庇いつつ、隙を見せず速やかに帰艦する。

「サラが寝返ったか……!? くそっ!」

 ジェリドは、拳をモニターに叩きつけた。しばらく黙ったままうなだれた彼は、体重を背もたれに預け、天を仰いだ。

「……エマ……」

 それは偶然の一致に過ぎない。しかし、エマを殺した瞬間のその記憶は、強く、深く、ジェリドの心に焼き付いていた。

 

 

 



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