名脇役の貴公子 (カツラ二エース)
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第一話 6月14日 くちなし賞

 日本ダービーが終わり落ち着きを取り戻した東京レース場。

 そこに一人のウマ娘がターフへと熱い目を注いでいた。三日月のような白い前髪が風に揺れる。その姿を見れば周囲のファンならすぐに誰かわかったが誰も声をかけることはできなかった。彼女から醸し出される高貴な雰囲気がそうさせるのか周囲の空気からは荘厳さが感じられた。

 彼女、シンボリルドルフの目線は、自然と一人のウマ娘、アイルトンシンボリへと向けられていた。

 

 

 

 アイルトンシンボリ。その名通りシンボリ軍団の一門に属するウマ娘である。

 シンボリ軍団とは、あのメジロ家に並ぶとも劣らない名門であり、無敗三冠、そして七冠ウマ娘を達成したシンボリルドルフを初め、当時では珍しい欧州遠征を敢行した老雄・スピードシンボリや日本ダービーを制したシリウスシンボリを輩出したウマ娘界の強豪である。

 その中で彼女はシンボリルドルフが期待のウマ娘としての太鼓判を押した一人であった。ルドルフとは、同郷出身ということもあり幼いころから面倒を見ていた師弟のような関係でもあった。彼女の目は確かであり、前年には、注目のウマ娘として無敗の二冠ウマ娘となったトウカイテイオーを挙げていたのであった。

 

 そんな名軍団に属する彼女も華々しい経歴を、と思うがそうはうまくいかなかった。デビューは遅れに遅れて5月3日。クラシックの一冠目、皐月賞はミホノブルボンの楽勝によって終わっていた後であった。その結果も4番人気に推されたが10着。その三週間後の5月24日には、ダートの1600mに出走した。彼女の適正は、芝向きなうえにマイルに向かないのは明らかであった。しかしここでどうにか初勝利を挙げたのであった。

 そして現在ルドルフが観戦する6月14日の第9レース、くちなし賞にてアイルトンシンボリは、再び芝レースを走ることになったのである。距離は2400m。先日ミホノブルボンが圧倒的勝利を迎えた日本ダービーと同じ舞台である。

 

 

 

 レースを迎えたアイルトンであったが、その様子は落ち着かない様子であった。気合は十分であるものの相当気が立っており、どこか焦りのようなものが見て取れた。観客席のルドルフの存在にも気づいていないようであった。

 彼女の容姿は、ルドルフとよく似ている。よくルドルフがトウカイテイオーと話している様子を見て、二人が親子か姉妹のようだと称されるが、見た目でいえば、テイオーよりかアイルトンの方が似ている。三日月ではないが、前髪に白髪が混じっており、髪の長さもルドルフと比べ短髪であるものの同じ髪色であることがよりその印象を感じさせる。同じ出身であることや幼少期からの面識もあり特に雰囲気という点で言えば、一挙手一投足から気品が感じられ、ルドルフと並べば、度々姉妹と間違えられることもあった。 

 ルドルフに似た容姿ということもあり、ファンからの期待は高いものであった。このレースも10人中2番人気。ファンは、その容貌にルドルフを重ね合わせていた。圧倒的成績を残した七冠ウマ娘の推薦にファンは、アイルトンもその期待に応えてくれると思っていたのであろう。

 

 しかしこのレースで彼女はその期待応えることはできなかった。ゲートが開くとともに2番手の好位を追走したものの最終コーナーでは、全くのびず結果は5着であった。

 

 レースが終了し、一人一人地下バ道へと帰っていく。アイルトンもそこへと向かっていく。耳は後ろへと伏せっていた。足どりも重く機嫌がよくはないのであろう。ただ地下バ道に入る直前、足を止めスタンドの方へと向き直ると深々と頭を下げたのであった。その様子は、さすがシンボリの一門に属するだけあって綺麗なお辞儀であったがそれが皮肉にも余計哀愁を感じさせるのだった。

 

 アイルトンが地下バ道へと戻ると彼女のトレーナーが駆け寄ってきた。その手には彼女のためにタオルが用意されていた。

 

「お疲れさま、アイルトッ——」

 

 彼女はトレーナーが言い切る前にひったくるようにタオルを取ると彼に言い放った。

 

「ただちに次のレースに登録だっ! 時間がない。早く登録するんだっ!」

 

 トレーナーは、動揺を隠せなかった。

 

「だっ、だけどデビューからここまで一か月に三戦。これ以上は体の負担が大きすぎる! ここは夏の間はしっかり休養を取るべきだと…」

「それでは遅すぎるっ! 君の指図を受けるつもりはないよ。もはや私に時間は残されていない。次の菊花賞に間に合わせるには、もう数レースは勝利しなければならない」

 

 彼女の激しい剣幕に終始圧されていたトレーナーだが決して意見を曲げなかった。

 

「無茶だ! ここまでも無理なローテーションで来たんだ。これ以上の出走はトレーナーとして認められない! もしそれでも出走したというならトレーナー契約は続けられないぞ!」

 

 そう言うとトレーナーは契約破棄という最後通牒を突きつけたのだった。

 

「ならばもう結構だ! 君との契約関係は破棄させてもら——」

「ずいぶんな物言いだな。アイルトン」

 

冷たく鋭い声音が響いた。その声を聞いたアイルトンの耳はピンと立ったが、すぐに萎れ、イラつかせブンブンと振っていた尻尾も力なく垂れ下がる。

 

「ルッ、ルドルフさん……、なぜここに?」

「今日君のレースがあると聞いて足を運んだんだが……、一体どういうつもりだアイルトン!」

「すっ、すいません。こんなレースを見せてしまって」

「レースのことなどはどうでもいい。それよりも私が怒っているのは、君のトレーナーへの態度だ」

 

 ルドルフの冷たいまなざしがアイルトンを貫く。普段は優し気に生徒たちを見守る彼女の目は、今はとても厳しいものであった。

 

「我々ウマ娘とトレーナーはまさに一心同体。我々はトレーナーの力なくては、レースを走ることもできない。それにも関わらず今の態度はなんだ。君を諌めようとした彼に対してそんな態度をとることが許されると思っているのか?」

 

 さっきまでの怒りは何処へやら、冷や水を浴びせたようにアイルトンは縮こまっていった。彼女がルドルフに頭を下げ、申し訳ないですと口にすると、ルドルフは私に謝るのではないと言う。そう聞いたアイルトンは、トレーナーの方へと向き直って深々と頭を下げた。

 

「いくらレースに負けてイラついていたからといって、君に八つ当たりしたのは間違いだった。本当に申し訳ない」

「そんなっ! 謝るのはこっちのほうだ。私が不甲斐ないばかりに君をレースに勝たすことができなかったんだ。頭を下げるならこちらだ。……ルドルフ会長もそこまでにしてやってください。彼女がこんな態度を取った原因も私にあります。どうかその怒りを静めてくれませんか?」

 

 トレーナーの言葉を聞いたルドルフはようやく気を静めた。

 

「今回は、これで不問に処す。だが次にこんな事態になった場合にはただではおかないからな」

 

 アイルトンはこの件に関しては首肯した。しかしもう一つのことにいまだ承服できず、恐る恐る口に出した。

 

「確かにトレーナーへの態度は私に非があると認めます。しかしレースの件は認められません。私は菊花賞にどうしても出たいんです! 出走して自分のスタミナを試してみたいんです!」

 

 

 

 菊花賞はクラシック級最後の一冠である。皐月賞・日本ダービーと比べ、その最も特徴的な点は、その3000mという多くのクラシック級のウマ娘たちが初体験する距離にある。皐月賞では弥生賞、日本ダービーでは青葉賞といったように本番と同じ、または少々距離が違うだけのトライアルレースが存在する。しかし菊花賞ではトライアルである神戸新聞杯ですら2400m。クラシック級が出走できるレースで最も長くても2600mまでである。全てのウマ娘とって本番で初めて経験する長距離なのだ。このレースを制するには、長距離を走るためのスタミナ・レースを走りきるための精神力が必要とされ、このレースが「最も強い馬が勝つ」と評される所以であった。

 

 ではアイルトンどうであろうか。結果を言えば彼女のスタミナは絶大なものである。先ほどのレースは、2400mでありクラシック級のウマ娘にとって、相当な体力を必要とする。しかし彼女は負けこそすれど、息を切らした様子もなく、汗もそれほどかいたわけではなかった。この高いスタミナは、ルドルフが推薦した要因でもある。デビュー前の時点で重賞レベルのシニア級のウマ娘と比較しても遜色がなかった。

 

「君のスタミナは間違いなく一級品だ。だがこれ以上の出走は、君の選手生命にかかわる。確かに君の本来の実力であれば、今日のレースを勝つことは容易だっただろう。しかし最後に伸びを欠いたように度重なるレースで君も十分に疲労が取れていないんじゃないか?」

 

 ルドルフからの指摘にアイルトンは、バツが悪そうな面持ちを浮かべた。彼女の指摘のとおりにここ一か月近くのハードワークによってアイルトンの身体は、節々で悲鳴を上げていた。

 

「……確かに最近疲労がとれないと感じていました。だけど――」

「トウカイテイオーがなし得なかった菊花賞制覇を目指したい、か」

 

 そう指摘されるとアイルトンは目を見開いた。

 

「君が強くテイオーのことを意識しているのには気づいていたよ。だが君は君。テイオーはテイオーだ。君がテイオーに成りかわることはできない」

 

 アイルトンは唇を強く噛みしめた。彼女自身がテイオーになどになれないことはとうにわかっていた。彼女は一つずつ整理しながら言葉を選んでいった。

 

「私が彼女の代わりは到底務まらないのはわかっています!ですがもし……、私が菊花賞に勝てば彼女は再び闘志を……もとの『無敵のテイオー』へと戻ってくれるのではと思うのです」

 

 トウカイテイオーは、メジロマックイーンとの敗北、そして二度目のケガにより変わってしまった。表面上はもとの明るいテイオーであるが、その内面はある種の空虚となっていた。無敗の三冠ウマ娘にもなれず、ならば無敗のウマ娘にと目指していたがその夢もマックイーンに破られた。次の目標を失った彼女は以前のような負けず嫌いのテイオー様の鳴りを潜めてしまった。

 アイルトン自身は強く彼女のことを意識していた。同じルドルフの推薦を受けた身として事あるごとに比較されてきたためにコンプレックスを感じるほどであった。だが一方で憧れを感じてきたのも事実であった。

 

「天才はいる。悔しいが」

 

 誰かがテイオーに対して言ったことだ。その言葉の通り、彼女の才能に魅了されてしまう自分がいることにアイルトンは気付いていた。彼女のように自分も。何バ身、いや何十バ身も先に行っているテイオーに自分も少しでも近づきたい。そうアイルトンは目標としていたのであった。

 

 

 

「彼女は私にとって目標であり、ライバルでした。そのライバルにもう一度走ってほしい。前に立ちはだかってほしいと思います」

「今の彼女に欠けるものは目標です。ならば……私は、テイオーを脅かす存在になりたいと思います。テイオーの成し得なかった菊花賞に優勝できれば、テイオーと対等とならなくとも、せめて危機感を彼女に植えつけることができれば、……彼女はもう一度その闘志を取り戻してくれるのではと思うのです」

 

 そうポツリポツリとアイルトンは自分の思いをこぼしていった。ルドルフはそれを黙って受け止めていくとその口を開いた。

 

「……君の気持ちはよくわかった。勝手に君の気持ちを決めつけてしまいすまなかった」

 

 彼女自身テイオーについては、心を悩まし、またそれに対する解決策を見出せなかった自分に対して強く不甲斐なさを感じていた。それに対してアイルトンは、どうにか自分なりに不器用であるが、取り組もうとしたのである。ルドルフは、その気持ちをただの対抗心と決めつけてしまった自分を恥じたのであった。

 

「確かに君の実力なら今から菊花賞も目指せるだろう」

「なら——」

「だが君の出走は認められない」

 

 そう言われアイルトンは不満気な目を向ける。その眼をルドルフは真正面から見つめかえして言った。

 

「無理をすれば君は、菊花賞には出場できるだろう。しかしそれ以上に君の体はもたないだろいう。……君はまだ未熟だ。体もまだ成長途中といってもいい。今後の競争人生を考えたら間違いなく休むべきだ。……確かに君のスタミナがあれば、あのミホノブルボンにだって対抗できるかもしれない。そうすればテイオーに発破もかけられるだろう。」

「だがそれ以上に君に負担を強いることになる。君の才をこんなところで台無しにはしたくない。アイルトン、私の夢はすべてのウマ娘の幸福であることだ。確かにテイオーは戻るかもしれない。だがそれで君を失ってしまえば本末転倒だ。だからお願いだ今回の菊花賞は諦めてくれ」

 

 そう言うとルドルフは深々と頭を下げたのであった。先ほどのアイルトンと同じか、それ以上であろうか。学園トップであり、すべてのウマ娘の頂点に立つものが今目の前で頭を下げている状況にアイルトンは衝撃を覚えた。

 

「そんなっ、頭を上げてください。私なんかのために頭を下げるなんてとんでもないです」

「いやっ、これは私の理想のために頭をさげているんだ。……すべてのウマ娘の幸福という私の理想のためにさげているにすぎない。ただ単に私のエゴにすぎないことだ」

 

 アイルトンの必死の願いにも関わらずルドルフは下げるのをやめなかった。そんな状況で折れたのはアイルトンであった。

 

「わかりました! ……わかりましたから、菊花賞は諦めて休養にはいりますから! どうかその頭をあげてください」

 

 その言葉をきいてようやくルドルフは頭をあげた。その表情は、嬉しそうに笑みを浮かべるのだった。

 

「ルドルフさん、ありがとうございました。……私だけでは彼女を止めることはできませんでしたから。本当にありがとうございました」

 

 トレーナーも安堵の表情をしてルドルフへ感謝をする。

 

「いや、なんてことはないよ。気にしないでくれ。……アイルトンは走る。私が保証する。だから大事にしてほしい」

「はい、肝に銘じておきます」

 

 そう返事をするトレーナーを見て、ルドルフを安心しその場を後にした。

 

 

 

 レース後のライブや反省会などを終えて、アイルトンが自室に帰ったのは夜になってからであった。

 

「ただいま。タンホイザ」

「あっ、おかえりアイルトン!」

 

 部屋に入って出迎えくれたのは、ルームメイトで同世代のマチカネタンホイザである。まさにほんわかとした雰囲気と可愛らしい見た目からとても人気の高いウマ娘である一方でレースでも高い能力示し、ここまで皐月賞・日本ダービーに出場し7着、4着となかなか成績を修めている。

 

「今日のレースは残念だったね。……この後もレースに出るつもりなの?最近アイルトン凄く疲れてるように見えるから少し休んだほうがいいと思うよ」

 

 そう言って彼女は心配して体を気遣ってくれた。

 

「いや、もう夏の間は休養に充てようと思っているよ」

「ほんと? よかったぁ。最近アイルトンは気負ってたから大丈夫か不安だったんだ。でも菊花賞はいいの?」

「ああ、別に気にしてはいないよ。ルドルフさんから言われたんだ君の才を台無しにするわけにいかないとね。だから菊花賞はいいんだ。……菊花賞はいいはずなんだ。……いいはずっ」

 

 もうけじめをつけたつもりであった。しかし自室に戻り、再び断念を口にしたときアイルトンの胸中には悲しみ、悔しさが戻りつつあった。そうこうしてるとポロポロと涙がこぼれはじめていた。

 

「くっ、すまない……泣くつもりはなかったんだ。もう済んだことだから……」

 

 そういいながらも涙は止まらなかった。するとタンホイザは、自分の枕元にあったティッシュを箱ごと渡してくれた。彼女はよく鼻血を出すからだろうか。とても触り心地のよいティッシュであった。

 

「……悔しいよね。気持ちわかるよ。私もダービー負けたときは悔しかったから」

 

 そういって彼女は優しく背中をさすってくれる。

 

「泣きたかったら泣いてもいいと思うよ。泣いて、また明日から頑張ろうよ」

 

 彼女の言葉にただうなずきかえすのが必死だった。レースの疲労かそれとも泣きつかれたのかいつしかアイルトンは意識を手放し眠りにつくのであった。

 

 

 

 翌朝アイルトンは物音を聞きつけ目を覚ました。

 

「あっ、アイルトン、おはよ~」

 

 すでにジャージに着替えたタンホイザが手を振ってくれた。昨夜のことを思い出すと顔から火が出そうなほどアイルトンは気恥ずかしかったが、彼女は全く気にしていない様子だった。つとめて冷静にアイルトンも返す。

 

「おはよう、タンホイザ。……タンホイザはもう朝練かい?」

「うん、そうだよ。……えへへ、他のウマ娘に追いつくためにももっと頑張らなきゃと思って」

 

 そういって努力する姿は今のアイルトンにはまぶしかった。その姿を見て沸きたつものもあった。部屋を出ようとするタンホイザに声を掛ける。

 

「待ってくれ! ……私もついていっていいか?」

 

 そう聞くと彼女は笑顔を見せて返事をしてくれた。

 

 

 

 朝の河川敷はまだ人が少なく、周りにはアイルトンとタンホイザの二人のみであった。シンとした朝の空気に二人の話し声が響く。

 

「昨日レースだったから起こさなかったけどほんとうに大丈夫?」

「大丈夫だよ。……君のおかげで吹っ切れたしね。本当にありがとう」

 

 そういって頭を下げるアイルトンにタンホイザは慌てた。

 

「あわわッ、そんなっありがとうなんて、ただ私は話を聞いてあげただけだよ」

 

 そんな慌てた様子のタンホイザを見て、アイルトンは笑みを浮かべた。そんなアイルトンにつられてタンホイザーも笑う。

 

「その様子だとだいぶ吹っ切れたみたいでよかった」

「ああ、君の言う通りまた明日から頑張ろうと思えたから。……別にもう走れなくなったわけじゃない。まだ自分には別のチャンスがあるって思えるようになったんだ」

 

 そういって前をまっすぐ見つめるアイルトンにタンホイザは安堵した。

 

「そっか……じゃあまたこれからも頑張ろう! レースで一番をとろうよ!」

 

 笑顔を向けるタンホイザに静かにアイルトンは頷くのであった。

 

(ただ今は、自分のできることをこなしていこう。テイオーはテイオー。私は私だ。ただ自分の道を行くのみだ)

 季節は、梅雨に入りつつあった。長い雨が終われば、次は暑い夏が始まる。トレセン学園恒例の合宿もある。決意に新たにしつつアイルトンは歩みつづけるのであった。




 あらすじにあるようにウイポシリーズでお世話になった馬でした。ダビスタやウイポなど多くの競馬ゲームに登場しており知っている方も多いのではないでしょうか。実際に本馬を見ることはかないませんでしたが忠実に描いていければと思います。


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第二話 夏合宿・前編

 前話からだいぶ間が空いてしまいました。閲覧してくださった方はありがとうございます。今後も定期的に投稿していきたいと思います。
 今回の話からアイルトンシンボリ視点としました。話の展開次第では変わるかもしれませんがどうぞよろしくお願いいたします。


 暑い日差しが目に刺さる。喉は水分を求め渇ききっており、体力に自信がある自分でもおぼつかない足取りになりつつあった。

 

「そこまでだ。アイルトン。少し休憩しよう。水分補給してこい」

 

 トレーナーの指示を聞き、日陰となる場所へと移動するとスポーツドリンクを口へと流しこむ。カラカラに渇いた体に水分がいきわたる。ようやく人心地ついた気分であった。

 

 今私は砂浜にいた。トレセン学園恒例の夏合宿に参加するためである。夏の間学園の生徒は基本この合宿所でトレーニングを行う。たまに夏開催の新潟や函館、札幌といったローカルのレースに参加するもの以外は、秋に向けての強化トレーニングにいそしむのである。

 砂浜のトレーニングはなかなかにハードである。砂に足が取られ自由に身動きできず、体力が奪われる。体幹や筋力が鍛えられる良いトレーニングであるが普段の学園の環境に慣れている身としてはなかなかにキツイ。現に周辺で走っていたウマ娘が「むぅり~」と言いながら倒れこんでいた。

 

「あっ、アイルトン! こんなところにいたぁ」

 

 そう言って隣に座ったのはマチカネタンホイザであった。私のルームメイトで同世代。今年のクラシックをにぎわすライバルの一人だ。

 

「タンホイザ。やっぱりここの暑さはたまらないよ」

「そうだねぇ。だけどここでのトレーニングは秋へのスタートダッシュになるからね。頑張らなきゃ!」

 

 そういって気合を入れるためか「えい、えい、むん!」と声をあげた。いまいちえい、えい、むんとは何か疑問に感じるが彼女の可愛らしい姿に和んだのであった。

 

「それに私だけじゃなくてブルボンちゃんにライスちゃんも頑張っているからねぇ。気合いをいれなきゃ!」

「ブルボンにライス……」

 

 その二人の名を聞き私の脳裏に浮かんだのは、合宿で見かけたトレーニング風景であった。

 

 

 

 ミホノブルボンのスパルタトレーニングは、学内でも有名であった。「鍛えて最強ウマ娘をつくる」という方針のトレーナーの下で毎日ハードなトレーニングの日々を送る彼女は、この夏も当然激しい練習を行っていた。長距離レースである菊花賞制覇に向けて、弱点のスタミナ強化に取り組んでいた。毎日のように遠泳を行う姿を見かけたがもはや何キロ泳いだかも見当がつかなかった。みるみるうちに彼女はスタミナをつけ、長い距離でも好タイムをたたき出しつつあった。三冠へ向けて邁進していく姿に死角はないと思われた。

 

 それよりも恐ろしかったのが昨夜のライスシャワーであった。合宿と言えど夜になれば皆休息を取る。私も休んでいたが、満月の夜であったため気晴らしに砂浜へと散歩に出かけた。あいにく雲がかかってしまい月が隠れてしまったが海のさざ波に耳向けるとそれだけでもなかなか乙なものであった。しかし波の音に紛れて何かがザクザクと歩く音がする。後方からだろうか。誰もいないはずではと思ったが自主トレに励んでいてもおかしくはない。そちらの方へと目を向けると目を疑った。

 

 そこには鬼火があった。ゆらゆらと揺れ青白く燃え盛る鬼火である。しかしそれだけではない。何かの圧、まるで猛虎が獲物に狙いさだめるかのような殺気が発せられおり、それが徐々に私の方へと近づいてくる。ウマ娘の自慢の足ならそこいらの者には、追いつくことができるはずがない。

 

(早く逃げなくては)

 そう頭で理解はしていても足がすくんでしまう。鬼火といった奇怪な現象に遭遇したことよりえもいわれぬ圧力に足が動かすことができなかった。

 そうこうしているうちに炎はどんどん近くに来る。それと同時であろうか先程まで雲隠れしていた月が顔を出しはじめ、あたりを照らしだした。

 月明かりがすぐ目の前にまで近づく鬼火をついに照らすとその正体を暴く。

 

「ラッ、……ライスさん?」

「……あっ、アイルトンさん、こんばんは……」

 

 現れたのは先ほどまでイメージした恐ろし気な化け物とは、程遠い色白の可憐な顔つき、ジャージこそ泥まみれになってしまっているが愛らしい見た目はライスシャワーに違いなかった。気づけば、見えていた鬼火も消えてしまっている。疲れたたまったがためにみた幻か、それとも……。怪訝な表情が出ていたのか、ライスシャワーはすぐに頭を下げる。

 

「ごっ、ごめんなさい! ライス、トレーニングで夢中で……、ぶつかりそうなっちゃった……、本当にごめんなさい」

「いやっ、いいんだ。……こんな時間までトレーニング?精が出るね」

 

 そう彼女の後ろを見ると延々と足跡が続いている。朝練習に出る姿を見かけたが、もしやそれからずっとトレーニングに励んでいたのだろうか。

 

「うん……、ライス、ダメな子だから……、もっと頑張らなくちゃ。……頑張って……ブルボンさんにおいつくためにも」

 

 そう語る彼女の顔は普段の可愛らしい小動物のような印象とは裏腹にまるで獲物を食いちぎらんとする気配を醸しだしていた。その気配は間違いなくさっきまで受けていた圧力に違いなく、背筋が凍る不気味さすら感じた。

 後々に聞いた話であるがライスは、ブルボンと同様かそれ以上のトレーニングに励んでいるらしい。その姿を見た他のトレーナーの中には、「レースの前にライスシャワーが潰れてしまう」と忠告するものもいたという。

 

 

 

「タンホイザは……、今年のクラシックはブルボンが三冠を達成すると思うか?」

 

 口に出してハッとした。彼女自身は未だクラシック戦線で戦い続けているのだ。その気持ちも考えず決めつけることを言ってしまった自分に嫌悪感を持った。

 

「あっ、すまない……失礼な質問だったな」

「ううん、いいんだよ。気にしないで。……確かにブルボンちゃんは凄くトレーニングを積んでるし、ライスちゃんもそれに負けないくらい追いこんでる。2人とも強い! ……すーっごく強い!」

「普通に頑張るだけじゃ、ぜんぜん勝てないだよねぇ。けど奇跡は起こるかもしれないし! 神さまなむなむ~!」

「そんな今の時点で神頼みなんて……」

 

 そう言った瞬間気づく。自分は、ライスとブルボンという圧倒的な敵に諦念を抱いていた。一方でタンホイザは、勝利を諦めていない。レースでは何が起こるかはわからない。もしかしたらということもある。気のせいだろうか彼女の顔はたしかにあの二人には、劣らない意志が感じられたのであった。

 

「よーし!秋に向けて頑張るぞ――ぶはっっっ! ……りっ、力んだら鼻血が……」

 

 ……やはり私の気のせいかもしれない。

 

 急いでティッシュを持ってくるとタンホイザは鼻をおさえた。幸い軽度だったのかすぐに治まった。

 

「うう~~、ありがと~。アイルトン~。すんすん。もう大丈夫! ……だいぶ時間が経っちゃった。早く戻らなきゃ……」

 

 そう言ってるとどこからか彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「タンホイザーー! ――あーっタンホイザいたー!」

「タンホイザさん、ここにいましたか。アイルトンさんも一緒でしたか」

 

 見ると彼女のチームメイトのツインターボとイクノディクタスであった。どうやら休憩が終わってもタンホイザが戻ってこないので探していたらしい。

 

「もう! 遅いよー! タンホイザ!」

「また鼻血ですかタンホイザさん」

「えへへ、ごめんね~。止まったからもう大丈夫。練習に戻ろう!」

「よーし! タンホイザも戻ったし、打倒スピカに向けてがんばるぞー!!」

「「おぉーー!!」」

「じゃあ、トレーナーのところまで競争だぁー!」

 

 そう言い放つやツインターボが勢いよく飛びだした。

 

「なっ、抜け駆けはずるいですよ。ターボさん!」

「あっ、まっ、待ってー二人ともー! じゃあねアイルトン、ティッシュありがとー!」

 

 ツインターボに続き、タンホイザもイクノディクタスも追いかける。あとには、アイルトン一人だけ。遠くからトレーニングするウマ娘の掛け声が聞こえてくるが近くの波音が大きく、先ほどまでの喧騒が嘘のようであった。どこかに一人残されてしまった。そんな錯覚を覚える。

 

(いや……私は歩みを止めたわけではない。いずれ彼女たちにも……)

 

 もう休憩も十分であった。秋への飛躍に向けて自分もトレーニングへと戻っていくのであった。




 今回も閲読ありがとうございます。執筆自体慣れないのでなかなか話が進みません。今回でアイルトンシンボリを描きたかったですが、同世代のライバルについて書くとそっちにばかり比重が寄ってしまいました。
 次回は、あの帝王とともにアイルトンについて描写できればと思います。


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第三話 夏合宿・後編

 日は傾き、海へと沈んでいく。広がっていた青空も黒く染まり、星が瞬く。休憩後は、夕方まで休みなくトレーニングを続け、全身の疲労感はぬぐえなかった。夕食後は、風呂に入りしっかりと体を休ませていった。入浴後はその火照った体を冷ましたいと思い、夜風にあたりに近くの砂浜へと訪れた。以前のような怪しい気配も鬼火が浮かびあがることもなく、波音のみが聞こえる静かな夜であった。しかしその静謐を破ったのは、鶴の一声ならぬ帝王の一声であった。

 

「あれっ、アイルトン?」

「ムッ、……テイオーか」

 

 そこに立つのは、トウカイテイオーであった。テイオーも風呂に入った直後であろうか。髪は湿り気を帯びており、近付いてくるとシャンプーの匂いが香った。

 

「何してるのこんなところで?」

「少し湯冷めしようと思ってな。……テイオーこそ何を。チームのメンバーと一緒じゃないのか?」

「みんなよりも先にお風呂出てきちゃったんだ。……そこまで汗もかいてなかったから」

 

 そういうと海へと目を向けた。彼女の足は、天皇賞春のあとに骨折が発覚していた。この夏合宿の間も序盤には、上半身を中心に鍛えており、ようやく最近になって砂浜で足元の負荷の少ない特訓に励んでいるらしかった。

 だが彼女は空虚であった。以前のケガの際には、いつ走るのかとやきもきしていたが、今回は、その走りに覇気が感じられなかった。三冠ウマ娘、無敗ウマ娘、そのどちらも夢破れ、以前のような天真爛漫、唯我独尊といった面は、鳴りを潜めていた。

 

(やはり、以前と全く雰囲気が違う)

 

 そう思うと初めて会ったときの衝撃を思い出すのだった。

 

 

 

 私がトウカイテイオーと出会ったのは、トレセン学園に入学して間もない頃だった。

 

「キミがアイルトンシンボリ?」

 

 学年も違うクラスに堂々と入り、彼女は私の机の前に立つ。まさに堂々たる姿は、クラシックに出場前であっても王者の風格といってよかった。

 

「そういう君は、……トウカイテイオーか」

「へー、ボクのこと知ってるんだ」

 

 知っているもなにもまさに当時テイオーは時の人と言ってよかった。クラシック最有力候補であり、事実テイオーが入ってきた瞬間に教室の雰囲気が一変した。遠巻きにクラスメイトがこちらをうかがう。ブルボンやライスもこちらに目をやっていた。

 そんな皆をよそにテイオーは私を見た。まるで名物を目利きする鑑定士のようにジロジロとへー、ほー、といいながら私を値踏みするのだった。

 

「当然だ。君を知らないとすればトレセン学園ではモグリだ」

「えへへ、そんなにホメないでよ~。……今日はキミにお願いがあってきたんだ。ボクと走ってよ」

 

 自身満々に彼女が言い放った内容に教室内がざわめいた。デビュー前のウマ娘に現役ウマ娘が対戦を指名することは少ない。ましてや相手は、クラシックの最右翼。周りの雰囲気が否が応でもあがった。

 

「……私は、まだデビュー前ですよ。こんな若輩者には――」

 しかし私が言いきる前にテイオーは遮るように言葉を重ねる。

「まさか断られないよね~。同じカイチョーのお墨付きを受けてるんだから!」

 

 彼女はニヤニヤとこちらを挑発するように笑う。そのニヤケ面を見ると自分の中に何か闘志が湧きたってくる。いささか彼女の相手をするには、分が悪いといってよかった。しかしもし彼女をここで倒したらどうだろうか。まさしく来年のクラシック戦線は私が主役だと言っても過言ではない。

 この時点では、テイオーの走りに私は疑念を抱いていた。強い走りではあるが、ここまで重賞を避けたローテーションを組んでいた。ただ相手が弱かっただけのまがい物であれば私にも付け入る隙があるのでは。そんな野心めいた気持ちが私の口を動かした。

 

「……いいだろう。お相手しよう。グラウンドに移動しようじゃないか」

 

 そう言うとテイオーの目を真正面から睨みつける。しかし彼女は全く余裕綽々と言った面持ちを崩さないのであった。

 

「もう、おそいよー! 待ちくたびれちゃった~」

「すいません、すこし着替えに手間取ってしまって」

 

 体操着に着替え、グラウンドに出るとすでにテイオーは待っていた。周りには話を聞きつけたのか観衆ができあがっていた。

 

「じゃあ早く走ろうよ! 距離はどうする?キミが決めていいよ!」

「いいえ。そちらの指定で大丈夫ですよ」

「へぇ……じゃあ2400mでどう?」

「わかりました。ではその条件でいきましょう」

 

 条件を定め、ゴールを用意するとスタート位置につく。適当に近くにいて指名されたスターターが声をあげる。

 

「では位置についてよーい……ドン!」

 

 スタートから約半分が過ぎた。どちらも並んだスタートから現在テイオーが先行し、少し離れて私がついていくといった状態であった。さすがに最初から全くついてこれないわけではないがやはり上級生との対決は流れが速く感じた。だが自分には、ルドルフさんも認めたスタミナがある。そうして第三コーナーから第四コーナーに入った時に勝負をかけた。一気に差を縮めるとテイオーの外から追い抜こうと試みた。ずっと背中を追いかけていたがついにその顔を拝んでやろう。そんな思いでちらと彼女の顔を見た。

 

 テイオーは笑っていた。まるでまだまだこれからといったようにこちらに向かって不敵な笑みを浮かべるのであった。そこから彼女は加速した。土がえぐれるように強く踏みこみ、スピードを上げる。まさに一陣の風といわんばかりの勢いである。私は必死に彼女に食いつこうとするが全く歯が立たなかった。第四コーナーを回って直線に入るともうそこは、もうテイオーの独壇場であった。

 

 自分の才には、自身があった。あのルドルフさんにも認められるほどだ。いずれはウマ娘の頂点だって目指してやると意気込んでいたが、テイオーの走りの前にそんな思いは、崩れ去った。一歩一歩踏みしめていくごとに差が広がっていく。そんな状況に私の胸中に去来したのは、絶望であった。しかしそれとは別の感情が生まれつつあった。

 たしかに圧倒的才能の前にやぶれさる。これほど屈辱的なことはなかった。だがそれ以上に彼女の走りをもっと見たいとおもった。これほど楽しそう走るウマ娘を今まで見たことはない。横に並んだ時間は一瞬であった。だがその瞬時のうち私は彼女に魅了されていたのだろう。

 生まれもった柔軟性、ストライドを活かした走り、自らの才を存分に発揮する姿に私は、彼女の走りを見たい、その一心で彼女の背を追っていた。

 

(――もっと近くで。もっとそばで!)

 

 その思いとは裏腹にテイオーの姿は遠ざかっていく。そして彼女は見事大差をつけてヒシアマゾンのゴール板を駆け抜けた。

 

「いえーい! ホップ、ステップ、大勝利!」

 

 あらん限りの観客の拍手を身に受けてテイオーは、喜色満面といった笑みを浮かべ、勝利を噛みしめていた。

 一方で私は肩で息するのがやっとであった。走っている間は夢中であったがレースが終わってからそのツケがきていた。自らの限界を超える走りで追いすがろうとしていたことに気付かされたのであった。

 

「ふふーん、ボクの勝ちだね」

「はぁはぁ……あぁ、さすがトウカイテイオー。完敗だ」

 

 そう私が漏らすとテイオーは誇らしげに胸をはった。

 

「えっへん、カイチョーから君の話を聞いたときは、どんな子かと思ったけど。やっぱりボクが勝っちゃうよね~」

 

 その言葉が私の自尊心を刺激したがそれ以上にルドルフさんからの期待を裏切ってしまったことに申し訳なさがたった。それとともに観衆から聞こえた会話が追い打ちをかけた。

 

「やっぱり今年のクラシックはテイオーで決まりかなぁ」

「だねぇ。相手はデビュー前だけどタイムも凄いしこれは決まりだね」

「ねぇ~。このアイルトンって子もテイオー相手によく頑張ってたけど、思った以上じゃなかったね。わざわざテイオーが挑戦するからどれだけ強いのかと思ったから拍子抜けしちゃった」

 

 たしかに勝負中は、テイオーに呑まれ圧倒された。彼女の走りに対して憧れに近い感情を覚えてしまっていた。だがレースを終えて改めて生じたのは悔しさが一番であった。どんな素晴らしい走りでも、どんなに圧倒的な才能を前にしても、勝負を挑み走った以上は、やはり勝利したいというのが常であろう。

 一瞬でも勝負を忘れてしまった己を恥じるとともに、テイオーの喜ぶ姿を見るとふつふつと湧きたつものがあった。

 

「いや~。やっぱりボクが一番なんだよねぇ。ウマ娘の一番も、カイチョーの一番もボクがなっちゃうもんね~」

 

 そういって有頂天になる彼女に私の闘争心に火がついた。

 

「…00mだ」

「えっ、なに? なにか言った? あっ、もしかして再戦したい? いいよ~! でも次もボクが一着とっちゃうけどね。次は何で走る? 今度こそ君が決めていいよ」

「4000mだ……」

「えっ」

「次は、4000mで勝負してくれ。まさか無敵のテイオー様だ。断りはしないよな」

 

 そう言って彼女をにらみつけるのであった。

 

 日本で最も長い距離で施行されるのが3600mのステイヤーズステークスである。かつては、日本最長距離ステークスという凖オープンクラスの4000mのレースもあったがいまや廃止されてしまっている。海外には、4000mでG1のカドラン賞、それをわずかに超える世界最長の4014mのイギリスのゴールドカップというものもある。

 4000mは、日本のウマ娘であれば絶対走ることもない距離である。ましてやテイオーといえどクラシック級。超長距離を走る機会などあるわけがない。

 

「もうむぅりぃ~!!」

 

 当然走ってもスタミナが持つわけがない。

 前に先行し、スタミナが切れてヘロヘロになった彼女を私は、差し切り勝利した。テイオーは、ゴール後倒れ大の字となっていた。

 

「はぁはぁ……私の勝利だ。トウカイテイオー」

「うぐぅ……ボクが負けるなんて~! それに4000mなんてズルいじゃん! そんな距離のレースなんてないもん」

 

 意地をはり、負け惜しみを言う彼女の顔には、先ほどのドヤ顔はなく、苦しそうに息を整える。そんな彼女に追い打ちをかけるべく、できる限りの嫌味ったらしい笑みを浮かべる。

 

「無敵のテイオー様が挑まれたレースに言い訳をするなんて! ……ルドルフさんならそんなことは言わないだろうな」

 

 痛いところを突かれたと言わんばかりに彼女は、苦々しい表情を浮かべる。今だ体力が戻らないのかテイオーは、小鹿のようにプルプルと起き上がる。

 

「くぅぅ……こっ、今回は負けたけど次は、ボクが勝つもんね! 絶対負けないから!」

 

 そう言いながら彼女はこの場を立ち去って行った。

 

「アイルトン! またボクと勝負だ!!」

 

 数日後また私の前に来たかと思うと開口一番に勝負を持ち掛けてきた。

 

「勝負って……この前受けたではないか」

「だって負けたままだもん! そんなのボクが納得できないし!」

「だが――」

「それともまた負けるのが怖いの~? やっぱりこの前のはキミのまぐれ

だったってことかな」

「……いいだろう。何回だって相手しよう」

 

 ……我ながらずいぶんと煽り耐性がないものである。だが我が物顔でいるテイオーを見るとその顔に吠え面をかかせてやりたいという思いが湧き上がってくるのだ。

 

「よーし! じゃあこの前と同じ4000mね! 今度こそボクが勝つから!」

「いいだろう。……だがこの競争が終わったら、また中距離でも走ってくれないか?」

「えー、この前勝てなかったのにー? ……まあいいよ。何回やってもボクが勝っちゃうから!」

「その言葉、長距離であればそっくり返そう。何度やっても勝つのは私だ」

「言ったなー! じゃあ早く勝負しようよ! 今度こそ無敵のテイオー様の実力見せてあげる!」

 

 この一件以来テイオーと私は、お互い長距離と中距離で挑みあった。中距離では、私は全く歯が立たなかった。しかし長距離であれば五分五分と言ったところであろうか。彼女がケガを負った時期を除き、幾度も走りあったのだった。

 

 

 

 最後に勝負したのは、天皇賞春の直前であったか。この頃になると彼女は、自身のスタミナを補うために持久力を高めるトレーニングを集中的に行っていた。長距離であってもここ数戦は、私が負け越していた。彼女の状態は、仕上がってきていると言ってよかった。無敗のウマ娘目指して、まさに飛躍を見せると私も信じてやまなかった。だがその思いもむなしく一敗地に塗れた彼女は、変わってしまった。敗北を経験して精神面が大人しくなったと言えば聞こえがいいが、以前のような感情をむき出しに明るかった彼女はいなくなってしまった。

 

「そういえばテイオー……菊花賞は回避することにしたよ」

 

 私がそう言うと彼女は驚きの表情を浮かべた。

 

「どっ、どうしてさ。ずっと菊花賞を目指してたじゃん。この前だって、皐月とダービーに間に合わなかったから菊花賞こそは言ってたのに……」

 

 極力本音をださないようにしつつ、自慢話をするかのようにとうとうと話す。

 

「無理すれば行けないことはないんだがな。ルドルフさんに止められたんだ。君の才能は無駄にするもんじゃないってね」

「そっか……」

「だから秋は、とりあえず重賞を目指すという感じだ。目標としては、12月のステイヤーズステークスかな。そういうテイオーは秋はどうするんだ」

 

 そう聞くと彼女は、今気づいたというように考えこんでしまった。

 

「えっ、ボクはどうだろう……」

「どうだろうって、秋の目標とかないのかG1を取るとかそういうものは――」

「そういうのは……今はないかな」

 

 その言葉にやっぱりと思ってしまう。以前であれば、常にカイチョーを超えると高みを目指していた彼女の姿勢からそんな言葉がでることが考えられなかった。

 

「テイオー……君は変わったな。前なら絶対そんなことはなかったのに」

「……急にどうしたのさ」

 

 私の言葉に怪訝そうな様子でこちらを見る。その目線にはどこか不快そうな雰囲気が漂っている。

 

「どうしたもなにも……以前の君なら目標に向かって全力を尽くしていただろう。それが今はどうだ。何が目標かも答えられない」

 

 彼女はうつむき、押し黙ってしまった。そのまま私は言葉をつづける。

 

「夢破れたのがそんなに悔しいか。負けたのがそんなに悔しいか。まったく情けない! 今まで幾度も勝負してきたやつがそんなことでへこたれるなんて!」

「そんなこと……、キミに何がわかるっていうのさ!」

 

 今までだんまりを決め込んでいたテイオーは、面を上げ、こちらをにらみつけた。それは、ここ最近の彼女からは、感じられなかった激情の混じったものであった。

 

「ボクはね、カイチョーを超えるウマ娘になりたかった! その夢に向かって全力を尽くしてきた! だけど三冠ウマ娘にも、無敗のウマ娘にもなれなかった。……もうボクの夢はかなわないんだ。それじゃあボクは何で走るのさ。一体何のために走ればいいのさ!」

 

 そう言い切るとこちらに強いまなざしを向けた。その眼には涙が混じりつつあった。

 

「……たしかに君の三冠も無敗も潰えた。だがルドルフさんを超えるという夢はまだ不可能じゃない」

「……えっ、どういうこと」

「シンボリ軍団が何を目標にしているか知っているか」

 

 テイオーは首を振る。

 

「それはな、海外に通用するウマ娘を目指すことだ」

 

 言い切ると私は彼女の目をしっかりと見つめる。

 

「今だに海外では、日本のウマ娘の評価は低い。本場の欧州では、まだまだお遊びレベルだと言いたいんだろう。その評価を打破することがシンボリ軍団の夢であり、ルドルフさんの目標でもあった」

「カイチョーの目標……?」

「ああ、ルドルフさんだけじゃない。スピードシンボリさんに、シリウスだってそうだ」

「だが現実はそう甘くない。いずれも海外遠征で敗れた。あのルドルフさんだってそうだ。テイオーだって知っているだろう。サンルイレイステークスの走りを」

「うん……知らないわけないよ。だってカイチョーの最後の走りだったんだもん」

 

 ルドルフさんの最後のレースとなったのがサンルイレイステークスであった。アメリカのG1であり当時日本最強であった彼女がどこまで通用するか大きな期待を寄せられていた。しかし結果は、6着。その上、競走中に故障を発生していたのだった。しばらく治療に専念することもあり、彼女はこのレースを最後にトゥインクルシリーズからドリームトロフィーリーグへと移籍することになった。

 

「ああ、あの人は、そこで引退することになった。史上最強の七冠ウマ娘であろうと歩みを止めてしまえば、そこからは進めない。ルドルフさんのトゥインクルシリーズはそこで終わってしまったんだ」

 

 脳裏にあの時のルドルフさんの表情が目に浮かぶ。その忸怩たる思いは、如何ほどであるか私には想像もつかなかった。テイオーもあの時のことを思い出しているのか、どこか遠いところに思いはせるように、空へと目を向けていた。おそらく私よりテイオーの方がよりルドルフさんのことが理解できるだろう。一度は、同世代の頂点、そして現役ウマ娘の頂点とマックイーンと並び称された彼女なら、どこか通じるものがあるのではと思う。しかしテイオーとあの人は、決定的に違う。

 

「だがな、テイオー。君は違うだろう。君のトゥインクルシリーズはまだ終わっていない。走っているんだ。たしかに三冠ウマ娘にも、無敗のウマ娘にもなれなかった。だが別の事であの皇帝を超えることはまだできるだろう」

「……別のこと?」

「そうだ。例えば海外への挑戦だ。あの人が叶わなかった海外G1制覇、凱旋門賞やBCクラシックでも制覇すれば、間違いなく皆が認めるだろう。あの帝王が皇帝を超えたと!」

「海外なんてそんな……」

「無謀か。ルドルフさんができなかったから。……それじゃあいつまでもあの人を超えることはできない」

 

 テイオーが空からこちらに目を向けた。今だ何処か空虚に感じられた双眸からなにかギラつくものが感じられた。

 

「そんなことはないもん。ボクは無敵のテイオーだよ。海外G1だってどんとこいさ」

 

 弱弱しかった語気であったが、彼女が強がりを言ってきたことを嬉しく感じた。

 

「なら手始めにジャパンカップを目標にすればいい」

 

 ジャパンカップは、国際招待競走で日本初の国際G1である。世界のウマ娘が出場するレースであり、世界に挑戦する足掛かりにふさわしい舞台である。

 

「ジャパンカップは、ルドルフさんが勝って以来日本ウマ娘は勝てていないからな。その実力を試すには、ちょうどいい」

 

 ジャパンカップを、創設から10年の間で勝ったウマ娘は2人だけである。1人は、ルドルフさんとミスターシービーの三冠ウマ娘の二人を同時に破った三冠ウマ娘キラー・カツラギエース、そしてその次年に雪辱を期して挑んだルドルフさんのみである。それ以外はすべて海外ウマ娘が勝利し、それ以来は日本ウマ娘は、一人も勝っていない状態が続いていた。

 

「それにクラシック三冠は無理でも秋シニア三冠であれば、まだ目指せるだろう」

「ジャパンカップに、秋シニア三冠か……」

 

 そうポツリと漏らすテイオーは、少し気が晴れたのか先ほどの思い悩んでいた表情が和らいだように見えた。

 

「後は、ルドルフさん以外に目標にする人物を持て。他に目標する奴がいれば少しは揺らぐことがなくなるだろう」

 

 夜も更け、月も散歩始めより高くなっていた。裏の山からであろうか、梟の声が聞こえてくる。

 

「だいぶ、話し込んでしまったな。そろそろ合宿所に戻ろう。なあテイオー。道は一つじゃない。ルドルフさん超えるって言ったって他にも色々ある。それを君は選ぶことができる。だからこんなところで立ち止まらないでくれ」

「アイルトン……。ありがとう。君のおかげでボクが走る理由が少し見えて気がするよ」

 

 そういうと彼女は、こちらに手を差し伸べてきた。その手をしっかりとつかんだ。どこかその手は熱く感じられる。風呂上がりとは違う、熱がそこにあった。

 だんだんと気恥ずかしくなってきて、手をはなす。赤くなった顔を見せないようにテイオーに背を向ける。

 

「早く戻ろう。明日も朝早いんだから」

「そうだね。あっ、そういえばさぁ」

 

 チラとテイオーを見るとニヤニヤとした笑顔を浮かべている。

 

「アイルトンが目標にしている人ってだれ? ボクに教えてほしいなぁ~」

 

 彼女を無視して、合宿所へと帰っていった。後ろから「待ってよぉ」と声をあげている。目の前にいて、言えるほど私は素直じゃなかった。




 閲読ありがとうございます。今回も投稿が遅くなって申し訳ないです。やはり技量が足りないと痛感するばかりです。
 今回トウカイテイオーとアイルトンシンボリが共に走る場面がありますが実際には、一度も一緒のレースを走ったことはないです。だから結果は、ウイポの適正距離から考え、一番アイルトンが勝利できそうな4000mに指定しました。一概には言えませんが、天皇賞春ではアイルトンがテイオーより早い走破タイムを出しているので長距離であればチャンスがあるのではと思います。またアイルトンのキャラ付けとしてシンボリルドルフとエアグルーヴを足して2で割った感じで書いています。同じルドルフ産駒のテイオーと比べ、堅実でかつ少し気取った性格を想定してますがイメージとしては、逆転裁判の御剣に似た感じでしょうか。
 ストーリーとしては、今後は菊花賞、ジャパンカップと重点を置いていこうと思います。特にジャパンカップは、アニメではカットされているので独自設定ではありますが描いていきたいです。


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第四話 天皇賞秋、菊花賞前日譚

 大分間が空いてしまって申し訳ないです。短いですが第4話です。
 一応レース施行日は当時のものに則って描いてます。いまいち未実装のカノープスの人物描写がわかっていませんがお楽しみいただければ幸いです。


「勝ったのは、なんとびっくりレッツゴーターキン!! そして二着にムービースター! レッツゴーターキン、大外一気に駆け抜けた! 1分58秒6!」

 

 勝ったレッツゴーターキンは、11番人気とまさに穴ウマ娘。東京競バ場は、まさに熱狂から一転どよめき包まれた。私もその一員である。ゴール後撃沈して地面に突っ伏すウマ娘5人を見て呟いた。

 

「どうしてこうなった」

 

 

 

 トウカイテイオーの秋初戦は天皇賞秋。半年ぶりの本番であったが一番人気であった。二番人気は、ナイスネイチャ。テイオーとは同世代の実力ウマ娘として打倒テイオーの対抗に挙げられていた。三番人気には、短距離で実績を挙げているダイタクヘリオスであった。実力は休み明けでもテイオーが抜けている。ファンはそう判断し、テイオーを一番人気に挙げた。しかし天皇賞秋には魔物がいると言われている。昨年も一番人気メジロマックイーンが斜行し失格。あの皇帝すら日本国内で一敗喫したのがこの秋の盾であった。

 

「ウチが」「いや、私が」「ウチが」「私が」

 

 なんとレースは、メジロパーマー、ダイタクヘリオスの逃げコンビがまさかの爆逃げ。二人は競りに競り合い、狂気のハイペースを刻み、なんと1000mは、57.5。60秒で平均ペースと考えるととんでもないペースである。当然そんな逃げをすれば持つわけがなく、パーマーは逆噴射し17着、ヘリオスも粘るが8着と沈む。

 このハイペースの被害者というべきなのが先行グループにいたトウカイテイオー、ナイスネイチャ、イクノディクタスであった。逃げる二人を追走しハイペースに巻き込まれ、スタミナを切らしレッツゴーターキンら後続集団に一気に吞まれていった。テイオーは7着、イクノは、9着、最先着のネイチャでも4着であった。

 こうしてテイオーの秋シニア三冠の夢は儚く砕け散るのであった。

 

 ウイニングライブ終了後にテイオーの控室へと向かった。彼女は、まさに意気消沈といった様子で椅子に腰掛けていた。

 

「一体君は何してたんだ!」

 

 叱咤激励した身としては、口を出さずにはいられなかった。前回は、メジロマックイーンというステイヤーの王者に敗北であった。しかし今回は、テイオーの適正距離のうえ、勝ち目のある勝負といってもよかった。

 

「しょうがないじゃん!風邪ひいて調整が遅れちゃったんだもん!それに前のパーマーたちについていっちゃったんだよ。あれじゃあもたないよ~」

「言い訳するんじゃない! 展開を予想すれば、これくらい想像できるはずだ。私ならこれくらい予想はつくがね」

 

 そうテイオーに咎めるような視線を向ける。口惜しいのか彼女の目は恨めしそうであった。

 

「まだ重賞レースも出たことないのによく言うよ」

 

 そういって小声でぼそりと言う彼女の心のナイフが私の心に突き刺さった。

 

「うぐっ、まっ、まぁ私はこの前のレースで勝ったし、今年中には重賞だって勝利するさ」

「ホントかなぁ」

「重賞レース出たかどうかなんて関係ない。私ならあんな間抜けた負け方はしないと言っているんだ」

「へぇ~、じゃあアイルトンが逃げウマ娘のせいで負けたら土下座して謝ってもらうから」

「いいとも。私が逃げウマ娘に負けるはずがない」

 

 そういって彼女と約束する。いくら負けるにしてもあんな負け方はしないだろう。

 一通り言いたいことをいったおかげかテイオーの表情もすっきりとしていた。彼女の控室を訪れたのは、なにも敗戦を責めにきただけではない。今後について尋ねるためであった。

 

「次のレースは、……変わらずジャパンカップか?」

「うん、そのつもり。もともとジャパンカップを目標に調整してたから」

 

 そういって今後について語る彼女の姿に以前のような陰を含んだ感じはなかった。また負けたことで無気力に陥っていたらと思ったが、とりあえずは大丈夫であろう。

 

 

 

「あっ、もうこんな時間だ! すまない、つい話し込んでしまった」

「本当だ。だいぶ話しちゃったね」

 

 時計を見ると入室からだいぶ回っていた。早く戻らなければ、そろそろ門限ギリギリになってしまう。そう思っていると急にノック音が聞こえてきた。テイオーがどーぞと声をかけるとドアが開かれた。

 

「やっ、テイオーまだいる?」

 

 そういって顔を見したのはナイスネイチャとカノープスのメンバーだ。タンホイザもいる。

ぞろぞろと部屋に入ってきて、にわかに騒がしくなった。

 

「あっ、アイルトンもいたんだ~。また勝負しようとしてたの?」

「まぁ、そんなところだよ」

 

 テイオーを慮り、また激励しにきたというのも私にとって気恥ずかしく、適当にタンホイザに返した。

 するとツインターボがテイオーの前に出た。

 

「えっと、あっダブルジェット。どうしたの?」

「ダブルジェットじゃなくてツインターボ! ……今日は、カノープスの勝ちだぞテイオー! うちのネイチャの方が上だったからな!」

「あのぉ、勝ったって言っても、4着だからそんな大声で誇れることじゃないんですけど」

 

 声を張りテイオーに言うツインターボに対して、少し恥ずかしそうにナイスネイチャが赤面して止めるが聞く耳を持たない。

 

「来週には、タンホイザの菊花賞もあるし、そのあとこそターボと勝負だ!」

「その前にターボさんは、体調を整えて、11月のOP戦ですよ。長期休養明けなんですからしっかりしてください」

「えぇーー! ターボ、テイオーと走りたいー!!」

 

 駄々こねるターボをイクノが諌める。そんな様子をネイチャとタンホイザは、あははと苦笑をうかべていた。

 

 

 

 この後は、テイオーと私はカノープスのメンバーとともに帰宅の途についた。秋らしく陽が沈むと肌寒い風が吹く。

 

「ううー、寒くなってきたねぇ。寒くなってくるとくしゃみが――ハッ、ハクション!!」

 

 隣のタンホイザがくしゃみをした。そんな情けない姿を見かねて、私はポケットからティッシュを差しだす。タンホイザは勢いよく鼻をかんだ。落ち着いてきたと思えたタイミングで私は彼女に声をかけた。

 

「次は君の番か、タンホイザ」

「うん、そうだよー。だけどブルボンちゃんもライスちゃんもいるからどうなるかなぁ」

「今頃弱気でどうする……まぁ、そういっても君の事だ。何か手はあるんだろう」

「いやぁ、私なんて平凡なウマ娘だから。そんな手なんてこれっぽっちもないよ~」

 

 そういってのほほんと笑うタンホイザを見れば、普通ならば、本番が近くても緊張感がないと感じられる。だが私は知っている。彼女の手帳の中身を。

 

 

 

 いつだったろうか、彼女の手帳を見たのは。いつも肌身離さず持っているそれに何が記されているか気になった私は、中を見せてくれないかと尋ねたことがあった。

 

「別にいいけど……そんな大したものじゃないよぉ。ちょっと気になったことやトレーニングメニューなんかが書いてあるだけだよ」

「ふむ……、なっ、なんだこれは……」

 

 そういって見せてもらった手帳には、びっしりと書き込みがあった。本人は、ぐちゃぐちゃで恥ずかしいといっていたがそんなことはどうでもよかった。『レース前特訓メニュー』『早起きランニング』『イクノおすすめ部位別ジムトレ曜日リスト』などどともに対戦相手の情報や幾度も書かれている「頑張ろう」という文字。どこか一種の狂気を感じるようなメニューがぎっしりと書いてあった。

 

「これ、全てこなしているのか……」

「うん、そうだよ~。だけどまた今度スタミナを強化するメニューを組まなきゃいけないから変えなきゃだけどぉ」

 

 そういっていつものようにのほほんとした様子で事もなげに言った。自らを平凡と語る姿が恐ろしく感じられた。常人では到底こなせないメニュー、これを平然とした様子で行っていたとは思いもみなかった。

 だがより一層恐ろしいのは、このマチカネタンホイザですら凡人と感じるほどのトレセン学園の層の厚さであった。これをルドルフさんやテイオーといったトップのウマ娘が行っていれば理解もできる。これが強さの源かと納得がいく部分がある。だがこれだけ努力をしてもいまだタンホイザはG1勝利には手が届かない。その事実に戦慄を覚えるのだった。

 

「えへへ、やっぱり私は、平凡なウマ娘だから」

 

 いつも言っていった言葉が急に重苦しいものに感じられた。

 

 だが菊花賞は、タンホイザにとっても絶好の舞台であった。彼女のルームメイトとして併走したこともある身としては、彼女の走りは長距離向きと見た。まさに3000mはうってつけと言って違いなかった。今こそ努力が実を結ぶのでは。そんな思いを抱いていた。

 

「……そういいながら体調はよさそうじゃないか。それならいい線いくんじゃないのか」

「いやぁ、どうだろうねぇ~」

 

 普段のように頼りなさそうな返事を返しているが、彼女から一回も勝てない、無理だといった言葉を口をしたことがなかった。

 

「タンホイザ、私はすでに菊花賞を諦めた身だ。だから勝ちようがない。だが出場する身である、君なら、いや君の実力ならブルボンにもライスにも負けないはずだ」

 

 そう言った私を見て、彼女は、意外そうな表情を浮かべた。

 

「アイルトン……大丈夫?風邪でもひいちゃった?」

「そんなことはない!全く人がせっかく励ましてやろうと思ったのに」

 

 タンホイザは、少し申し訳なさそうにごめんとこちらに手を合わせて謝る。

 

「あはは、ごめんねぇ。珍しいから、ついからかっちゃった。……だけどありがとう、励ましてくれて。みんなもうブルボンちゃんの三冠は間違いない! っていってせめて善戦しようとか、二着を目指そうって応援が多かったからとっても嬉しかったんだぁ」

 

 そう言いながら、タンホイザは、前方にいるターボたちに暖かい目を向けていた。またはしゃぐターボとそれに振りまわされるテイオー、それをなだめているネイチャ、イクノ。騒いでいるうちにどんどん前の方に行って、少し私たちは,前列と距離が離れてしまっていた。

 

「勝利のために応援してくれたのは、カノープスのみんなとファンの人ぐらいだったから。だからとっても、とっっても、とっっっても! うれしいんだ!」

 

 そういいながら「自分はこんなにうれしいんだ!」といわんばかりに手をあげ、大きく体を広げる。

 

「……だから勝つよ。アイルトン。応援してくれる皆のためにも、絶対!」

 

 私は、彼女を目を見た。普段では考えられない闘志にあふれた目。誰かが言っていた。

 

「勝ちたいという本能に逆らえるウマ娘はいない」

 

(やはり彼女もウマ娘なのだ。貪欲に勝利を求めて努力する。そんなウマ娘の一人なのだ)

 

 やはりG1に出るウマ娘だけはある。その風格は、やはりブルボンにも、ライスにも劣らない一流の物であった。

 

「タンホイザー! アイルトーン! 遅いよー! なにしてるのー!!」

 前からターボが青いツインテールをせわしなく動かして呼んでくる。見ればターボたちから大分離れてしまっていた。テイオーも隣から声を上げている。

 

「もぉー! はやくしないと置いてっちゃうよー!」

「ごめん、ごめんすぐにそっちに行くよ!」

 

 タンホイザとともにテイオーたちの下へとかけていく。もう日はとうに沈み、彼女たちの顔は、街頭が照らしていた。ひんやりとした夜風が迫りくる菊の舞台を感じさせた。




 前回には、ジャパンカップ、菊花賞を描いていきたいと書きましたが無理でした。小説って難しいなと思います。物書きって大変だなと痛感するばかりです。
 次回こそ菊花賞を書いていきたいと思います。マチカネタンホイザや大逃げを見せたあの馬についても書いていけたらと思っています。


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第五話 菊花賞――激闘の行方

 菊花賞を迎えた京都レース場。一冠目の皐月賞は、雨天による決戦であったが一転して最後の三冠目は、まっさらな晴天、良馬場。絶好のレース日和であった。会場も観客が押し合いへし合いして熱気に包まれていた。

 私は、その熱気から離れるようにウマ娘が出走準備を行っている控室へと足を進める。こちらは表とは違い、係員や出走するウマ娘が行ったり来たりでせわしない雰囲気であった。そうこうしてタンホイザの名札の部屋を見つけるとそのドアをノックした。

 

「どうぞ~」

 

 いつもの間延びした返事を聞いて扉を開けるとタンホイザは、衣装チェックをしていたのか部屋の鏡の前で座っていた。

 

「やぁ、タンホイザ。調子はどうだ」

「あぁー! アイルトン! 来てくれたんだ~。うれしいなぁ!」

 

 タンホイザのいつものほんわかとした笑顔にこちらも顔が緩む。いつもの制服とは違い、勝負服に身を包んでいる。

 

「勝負服は久々だな。ちゃんと着れてるのか?」

「もう! 大丈夫だよ。さっきしっかりネイチャとイクノと一緒に準備したもん」

 

 彼女はふくれっ面を浮かべた。普段から抜けているところがあるから心配だったが余計なお世話だったらしい。

 

「ネイチャさんとイクノさんも来ているのか」

「うん! ターボとトレーナーさんは、福島のレースがあって来れなかったけど、次のマイルチャンピオンシップの下見も兼ねて、ネイチャとディクタスが来てくれたんだー」

「へぇ、ネイチャさんは次にマイルか。それにしてもディクタスさんはタフだな。今年の2月から休みなしだろう。てっきりもう休養かと」

「まだまだ走るんだって。マイルチャンピオンシップの後はジャパンカップも出るらしいけど……」

「えっ、ジャ、ジャパンカップ?」

 

 耳を疑った。ジャパンカップは、マイルチャンピオンシップの次週、つまり連闘だ。それにレース場も京都から東京へと移動が必要だ。過去にオグリキャップもそのローテーションを組んだことがあるが、その年はケガの影響もあり秋のオールカマーの始動であった。春から休みなく走り続ける彼女の頑丈さに驚きを隠せない。

 

「イクノは、出れるレースは出るって言ってたけど、元気だよね~。私も見習わなきゃ!」

「いやっ、それは別に見習わなくていいと思う」

 

 

 

 部屋に備え付けのテレビからは、第7レースが終わっていた。菊花賞が近づくにつれ、タンホイザにもぎこちなさが出てきた。普段のほほんとした彼女も今回ばかりは、ひどく緊張しているようだった。

 

「あっ、そうだっさっきネイチャとイクノが陣中見舞いって言っておまんじゅう持ってきてくれたんだ~。一緒に食べよ――、あばっ!」

 

 私の方へ饅頭を持ってこようとして、椅子に蹴躓いて転びかける。私は間一髪どうにか彼女を支えることができた。

 

「――あっ、危ない! ……まったく気をつけたまえ。レース前にまた鼻血を出す気か」

「えっ、えへへ~。ありがとう」

 

 タンホイザを椅子に座らせると私は、レースとは関係ない話を始めた。トレーニング、食堂のメニュー、最近話題のおいしいスイーツ等々他愛ない話題に最初は、少し緊張のせいか表情に硬かったが、だんだんと話に乗るにつれてコロコロと笑っていた。

 

「あはは、おかしいって、あれっ? もう2時半だ! お話に夢中になってたら、こんな時間になっちゃった」

「ああ、だがだいぶ緊張はほぐれてきたな。いい笑顔だ」

「えっ、あっ、そっかアイルトン。私が緊張しないために……」

 

 私は、席を立った。さすがにレース直前まで話しているわけにはいかない。動きにぎこちなさは見られなくなった。この様子だともう大丈夫だろう。

 

「もう時間だ。そろそろ私は行くよ」

「うん、ありがとう。 レース楽しみしててね」

「あぁ、だがレースだけじゃなくてライブもしっかりしろよ。ルドルフさんもウインニグライブをおざなりにするなって言ってたからな」

「もちろん! しっかり練習してるから安心して!」

「なら安心だ。……センターで踊るところ楽しみにしてるからな」

「っ、……うん。だからライブも楽しみにしてて!」

 

 控室を出てからどこで観戦するか考えていなかったことに気づいた。菊花賞となると観客も多く、席は取れたものではない。レースの見やすい最前となるともう人が密集していて今からでは、難しいだろう。

(友人が応援に来てたはずだから連絡……いやっ、ネイチャさんとイクノさんがいるからそちらと合流するのも手か?)

 そうスマホを片手に頭を悩ませていた時だった。

 

「アイルトンッ!」

 

 凛とした声が響く。ピンと耳が立ち、背筋が伸びる。声の方へと振り向くとそこには、皇帝が鎮座していた。

 

 

 

「やはり君も来ていたか」

「はい。同居人のタンホイザが出走するので……、さっき陣中見舞いを兼ねて会ってきました」

「うん、いい心がけだ。友人は大切にするべきだ。特にルームメイトは肝胆相照の仲であるのが好ましいからな」

「もちろんです。やはりルドルフさんは、生徒会関係でこちらに?」

「それもあるが、やはり前三冠ウマ娘として……、本音を言えば一ウマ娘として三冠ウマ娘が誕生するか否か……、それをこの目で見届けたいんだ」

 

 そう口にするとルドルフさんは、ターフの方へと目を向けた。その眼はどこか物懐かしさを醸していた。その脳裏に浮かぶは、三冠を達成のときであろうか。三冠を得たときは、どんな感情がこみ上げてくるのか。私には及びもつかなかった。

 

「そうだ。もう君はどこで観戦するか決めているのか?」

「いいえ、まだです。タンホイザの応援で頭がいっぱいで、実は観戦のことまで考えてなくて……」

「なら、ちょうどよかった。これから観覧席に向かうんだが、君も一緒にどうだろうか」

「えっ、いいんですか!」

 

 まさに渡りに船とはこのことか。私は、ルドルフさんの提案に二つ返事し、小躍りせんばかりに喜び、彼女についていったのだった。

 

 会場の熱は高まりつつあった。菊花賞の発走30分前になり、観客もパドックに大勢いるらしいが、それでもG1の観戦ということもあり、眼下では多くの人がスタンドに押しかけて、ごった返していた。

 

「普段は、学園や報道関係者、生徒会の者ぐらいしか通せないんだ。あとはマルゼンスキーやシービーぐらいかな」

 

 ルドルフさんが連れてきてくれたのは、スタンドの上層部にある観覧席であった。下の熱気溢れるスタンドとは、記者や学園の職員が忙しなく駆け回っており、また一味違った雰囲気があった。

 

「そうなんですか。でも私なんか連れていいんですか?」

「あぁ、生徒会長特権で特別な。あまり公私混同はよくないと言われるかもしれんが、たまにはいいだろう」

 

 ルドルフさんは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。それにつられ私も秘密を共有できたこと、彼女からの特別という言葉から気分が高まりつつあった。テイオーに自慢してやりたい。彼女がどんだけ羨ましがるだろうかとほくそ笑むのだった。

 

 

 

 出走時刻が刻々と迫る。ルドルフさんは三冠ウマ娘としてインタビューがあるために解説席へと向かい、一人になった私は、いったん室内へと戻りモニター前の席に腰掛けていた。画面には、パドックが映し出され、皆思い思いの勝負服に身を包んだ姿を披露していた。私は、机に購入していた新聞を広げ、画面のウマ娘とその紙面のコメントを照らして読みこんでいく。その中で一人のウマ娘のコメントが目につき、それと同時にモニターに映し出されていた。

 

「11番人気は、神戸新聞杯など重賞2勝! 今日はブルボンには楽に逃げさせないと堂々の逃げ宣言! キョウエイボーガンです!」

 

 他のウマ娘に比較して一回り小さい体形に印象的であった。彼女については、学園のクラスが同じであったこともあって見覚えがあった。春のクラシックこそケガの影響で出場できなかったが、夏に初の重賞勝利を挙げると、秋にはその勢いのまま神戸新聞杯に勝利、まさに「夏の上がりウマ娘」として話題になっていた。戦法は主に逃げである。そんなボーガンがなぜブルボンに執着するのか。それは、前走の京都新聞杯にて大敗を喫したからであった。実力ウマ娘として話題となったボーガンは、京都新聞杯にてブルボンと初対戦ながら3番人気に押された。しかし結果は、10頭中9着の大惨敗。ブルボンにハナを譲り、二番手で追走したものの自らのペースを乱し、実力が発揮できなかったためだ。

 数日前のニュース番組にて菊花賞が特集されており、ボーガンもインタビューを受けていた。

 

「前走は、逃げを打てず自分の走りができませんでした。ですが今回はそうはいきません! ブルボンに鈴をつけてやります!」

 

 「鈴をつける」とは、レースの用語で逃げ馬に競りかけることでそのペースを乱すことを意味する。ペースを狂わせることで余分にスタミナを使い逃げウマ娘の本来の実力を発揮させないのである。今回で言えば、ブルボンに競りかけるということだがこの戦法を行えば、ボーガンも相当なスタミナを消費する。まして菊花賞3000m、この戦法では、勝利は至難の業であり間違いなくボーガンも潰れるであろう。そんな玉砕めいたことをするだろうか。

 今までブルボンは逃げで競りかけられたことはない。ハナに立つとそのまま先頭のままゴールする。冷静なレース運びであり、正確なラップを刻むことからサイボーグの異名を持つ彼女である。競りかけられたとしても容易に対処するかもしれない。だがもしもということもある。私はジッと画面に映しだされたブルボンを眺めていた。

 

 

 

「待たせたな。そろそろ出走時刻だ。誰が勝者となるか、見届けようじゃないか」

 

 インタビューが終了したルドルフさんとともに観覧席へと向かう。上からの眺めは、まさに絶景であった。多くの観客が今かいまかとレースの始まりを待ちわびていた。

 熱狂する観客の熱にあてられ、まるでレース前のような高ぶりが私の胸に宿りつつあった。だがそれとは対照的に菊花賞が始まらないでほしいという思いもあった。一度は目標として志した菊花賞。もう一年先であれば、いや半年先であれば、私の出走も……。どこかそんな幼稚めいた考えがもたげる。

 

「……やはり菊花賞を断念したことを悔いているか。アイルトン」

 

 いまだ諦めきれない思いが表情に出ていたか、ルドルフさんが問いかけてきた。

 

「正直に言えば……、まだ割り切れないところはあります」

 

 私の言葉を聞いてルドルフさんは言葉を選びつつ口を開いた。

 

「そうか……。君に菊花賞を断念させたとき私は君によかれと思っていた。だが一人になって立ちかえってみると私の胸中に渦巻くものがあった。君の意見を無下にしてしまったのでは、私の独断専行であったのではないかと」

 

 横目で彼女を伺う。どこか憂いを秘めた眼をターフへと向けていた。思いつめた表情に後悔の念がにじみ出ていた。

 

「私の理想はウマ娘の誰もが幸福であることだ。だが本当にあの選択が正解だったのか。私のエゴを押しつけただけじゃないのか。私自身が君の幸福を潰してしまっ――」

「そんなことはないです!」

 

 彼女の言葉を遮った。それ以上ルドルフさんに口にさせるわけにいかなかった。

 

「たしかにあなたの言葉で私は、菊花賞を諦めました。ですがそれは結局は私が取った選択です。……もしあの時私がルドルフさんの意見を聞きいれず菊花賞を目指していたらどうしていましたか?」

「それでも目指すというなら止めはしなかった。……君の選択を尊重していたよ」

「……あなたならそう言うと思っていました。私が無理を通せば受けいれてくれたでしょう。それをわかったうえで私は菊花賞を諦めたんです」

「それに言ったでしょう。『アイルトンは走る』と、その言葉を信じることにしたんです。たしかに今はその選択が正しかったと断言できないかもしれません。けど私自身の走りでこれから正解にすることはできるはずです。まぁ出走を止めるために出まかせを言ったのなら別ですが」

「……そんなことはないよ。君は間違いなく走るはずさ。いや、走る」

 

 ルドルフさんはこちらへと向き口にした。その眼には間違いなく噓偽りはなかった。私の心中に誇り高い気持ちがこみ上げてくる。自分の目標とするウマ娘が自らの才を保証してくれる。これほど心強いことはなかった。

 

「……なら安心しました。あなたに恥じぬレースを見せるだけです」

 

 

 

 ルドルフさんと話している間に、出走はすぐ目の前だ。すでにスターターがリフトアップして旗を振った。ブラスバンドによって高らかに関西のG1ファンファーレが奏でられる。演奏が終わると同時に観客から地鳴りのような大歓声が巻きおこり、会場の熱気は最高潮となった。

 

「ルドルフさんは……ブルボンが三冠を達成すると思いますか?」

「可能性はあると思うよ。だがレースは走ってみなければわからない。誰もがこの一生に一度の舞台、勝負を諦めている者はいないだろう。ならば何が起こってもおかしくはない」

 

 ターフへと目を向ける。すでに大型ビジョンには、ゲート入りが完了しようとしていた。18人のウマ娘。ついに最後の一冠をかけた戦いの幕が上がった。

 

 

 

 ゲートが開き一斉にウマ娘が飛びだす。逃げのブルボンが先頭かと思いきや、外から勢いよく飛びだす小さな体、キョウエイボーガンが一気に1番手へと躍りでた。

 

(やった! 本当にやったぞ)

 

 そのままボーガンは2番手についたブルボンから2,3バ身つけて先頭を行く。だがそれだけではダメだ。前にウマ娘を見る形ではあるがブルボンの次の3番手はさらに数馬身。ほぼブルボンが逃げを打っている状態と同じである。

 だが1週目の第4コーナーを回り状況が一変した。

 

『キョウエイボーガンが先頭! ミホノブルボンが2番手。ポツン、ポツン、ポツンと後続が続いている! これから一周目の第4コーナーに向かっていきます! マチカネタンホイザは4番手、おおっと、ミホノブルボンが差を詰めてきました。敢然といったキョウエイボーガン先頭!』

 

 場内の放送から解説の声が聞こえてくる。最初のホームストレッチにウマ娘たちが入ってくるとさらに一際大きな歓声が上がってきた。今一番三冠ウマ娘に近い走りがファンの目の前を過ぎていった。1000mは59から60秒のまずまずといったペース。18人が縦に長いレース展開であった。

 直線に入ってブルボンとボーガンの2、3馬身の差は、1コーナーで1馬身に縮んでいた。肉眼で見えなくなったところで場内のターフビジョンに目を移した。コーナーを曲がるボーガンが映され、つづいてブルボンの走る姿が現れた。

 

「まずいな。ブルボンが行きたがっている」

 

 ルドルフさんはポツリと呟いた。私は、ビジョンに映るブルボンの顔をよく確かめた。たしかにブルボンは普段から無表情だ。しかしよく見るとその顔には、汗が見られ、口を通常よりか頻繁に開き呼吸も少し荒いかもしれなかった。間近で見ているわけでないし、ルドルフさんが言わなければ、気付かないような変化だ。

 

「まさか、掛かっているんですか」

「確証があるわけではないが……、これはもしかするかもしれないな」

 

 向こう正面に入っても展開は変わらない。先頭ボーガン、2番手ブルボン、ポツンと、ポツンと離れ、4番手にタンホイザ、5番手ライス、さらにそこから少し離れて後続集団が続いている状態。非常に縦に長いレース展開と言ってよかった。

 向こう正面も半ばとなって各ウマ娘は淀の坂に差しかかっていく。別名「心臓破りの丘」とも称されるこれを上がっていく。

 

『18人が縮まった山の上! しかしミホノブルボンは2番手、満を持してといった感じか!』

 

 ブルボンがコーナーの半分でボーガンに体を併せていく。ボーガンも小柄な体を動かして必死に耐えようとするがもう限界であった。ボーガンは後ろへと下がっていく。

 ついに先頭に立ったブルボンだったが後続からも別のウマ娘が強襲してきた。しかしそのウマ娘もそこまで。直線へと向かう。

 

『ミホノブルボン先頭で第4コーナーカーブする! あと400m! どっからでも、何でも来いという感じかミホノブルボン!』

 

 直線でもはやブルボンの勝利のパターンへと入ったかに見えた。しかし後ろを見て背筋凍った。この席にいても、あの夏に見た殺気が突きささって蘇るようであった。それと同時に上がってくる同居人を見てて声を上げた。

 

『ライスシャワーが襲いかかってくる! 外からライスシャワー、外からライスシャワー! 横にはマチカネ、横にはマチカネタンホイザ! さあミホノブルボン逃げる、逃げる!』

 

 タンホイザは、必死にブルボンの内から食らいつこうとしていた。200mのハロン棒を超えて4番手以下とは差ができていく。もはや優勝はブルボン、ライス、タンホイザのいずれかであった。

 

「行っけぇぇー!! タンホイザ! ゴールは目前だ!!」

 

 力をふり絞り大声を腹から出す。少しでもタンホイザに聞こえるように、少しでも応援が伝わるように会場の声援に呑まれぬように声を張りあげた。

 内から追うタンホイザ。先頭で粘るブルボン。だがその外から来る漆黒の影が二人を覆っていった。

 

『外からライスシャワー! ライスシャワーかわしたか、ライスシャワーかわしたか! 内からマチカネ! 内からマチカネ!』

 

 タンホイザがブルボンを追い越した、そう思った瞬間であった。三冠への執念か、驚くべき勝負根性かブルボンがさらに伸び、再びライスシャワーに迫ろうとした。だが届かない。もはや二人を離していくライス。

 

『あぁ、ライスシャワー先頭に立った! ミホノブルボンは三冠にならず! ライスシャワーです! ライスシャワーです!』

 

 三冠の夢破れる。ライスシャワーは先頭で見事ゴール板を駆けぬけていった。

 

 

 

 会場は熱狂から一転してどよめきに包まれていた。その中で私はポツリと呟いた。

 

「やはりブルボンでも距離の克服は不可能だったか……」

「いや、そんなことはないよ。アイルトン」

 

 そう言ってルドルフさんは着順掲示板を指さした。それを見て私は衝撃を受ける。

 

「3分5秒0!?」

 

 レコードタイムだ。今からちょうど10年前に記録された従来のレコードが3分5秒4である。コンマ4秒だが、レースで着差にすると2~3バ身となる。その差の大きさがわかる。またブルボン・タンホイザとライスの差は1と4分の1バ身程度。当然タンホイザとブルボンも従来のレコードを超えていたのだ。

 

「ブルボンはたしかに距離を克服した、それは間違いない。自らの肉体を極限まで追いこむスパルタトレーニング結果だろう。だがそれ以上に長距離の才を持ち、かつブルボンと同様に身体を鍛えあげたライスシャワーがいた。それが最大が敗因だろう」

 

「タンホイザも同じだ。ブルボンもタンホイザもそれぞれ年が違えば、菊花賞を取ることができただろう。だからこそ二人を蹴散らして勝利したライスシャワーは見事だ。その獅子奮迅の走りはまさに驚嘆に値する!」

 

 ルドルフさんは音を立てて拍手を送った。当惑していた観客からもまばらではあるが、少しずつ拍手があげられていった。だが劇的な勝利と比べその歓声は少なかった。

 

 

 

 ウイニングライブも終わりを迎えた。まさに異質な空気と言わざるをえなかった。勝者をたたえる声もあるが、どこかブーイングめいた雰囲気がそこにはあった。センターに位置するライスもライブ中こそ必死に笑顔を浮かべ歌いきったものの、ライブ終了後はいたたまれなかったか、すぐに舞台裏へと帰っていった。

 

「あーあ、せっかくブルボンが三冠だと思ったのに」

「ブルボンの三冠制覇楽しみだったのに」

 

 観衆の中を歩いていても、どこからともなくそんな声が聞こえてくる。だがそれ以上に厳しい言葉もあった。

 

「ブルボンには明らかな不利があった、くだらないウマ娘が逃げたばっかりに……」

 

 前を歩くベレー帽をかぶった紳士が吐き捨てる。その言葉を聞いた瞬間組み付いてしまいたい気持ちに駆られたが必死に抑えこむ。

 ライスシャワー以上に批判の矛先が向いたのが、キョウエイボーガンであった。だがどんなウマ娘であろうと出走する限りは優勝を目指すのが、ウマ娘たる所以である。ボーガンにとって自分のベストの走りは逃げであった。その逃げを取るには、ブルボンに対して競りかけるしかなかったのだ。ベストを尽くして走ったウマ娘にくだらないという言葉に対して怒りがこみあげてきた。だが手をあげてはならない。昂った気持ちを抑えるためにその場を離れるのだった。

 いまだ多くの人が帰宅の途につく東京レース場。人ごみを移動するだけで一苦労だ。多くの人が移動する合間を縫っていく。

 

「あの子、とても小柄だったのにすごいわね!」

 

 ライスをたたえる声かと思っているとどうやら違うようだ。近くのご婦人――主婦の方であろうか――が連れの人と話しているようであった。

 

「あんなに小さいからだで必死に先頭を走っている姿はとっても立派だったわ。……それにボーガンって子、母親を亡くしてるって。雑誌でその話を見てから妙に気になっちゃって。本当に今日はよく頑張ったわ!」

 

 ……ボーガンに親がいないという話は知らなかった。だがどこか救われるような気持ちになった。恨む人もいれば、応援してくれる人がいる。そんな些細なことを再認識できた気がするのだった。

 

 

 

 タンホイザとともにトレセン学園へと戻ろうと彼女の控室へと向かった。ウイニングライブ後、そろそろ着替えも終わって頃合いであろう。控室前に来るとドアの前にナイスネイチャとイクノディクタスが前に立っていた。

 

「そんなところでなにを――」

 

 二人に問おうとしたときであった。ドアの向こうから泣き声が聞こえてきた。部屋の主からして誰が泣いているかは明白であった。いつも笑顔の彼女からは聞いたこともないような悔しさがにじむ声。

 

「あぁー、今ちょっとタンホイザは取り込み中だからさ。帰るんだったら先に帰んな」

「……わかりました。彼女によろしく伝えてください」

 

 私はドアに背を向け、来た道を戻って表へと出た。だいぶ少なくなった人波を追うようにトレセン学園への家路につくのだった。




 お久しぶりです。続きを待っていてくれた方には、本当に申し訳ありません。今後はもっと早く投稿できるように努めたいと思います。
 長らく投稿を明けていましたが、その間競馬界では色々ありました。日本馬によるBCF&Mターフ制覇、マルシュロレーヌによって日本馬初のBCディスタフ勝利、エフフォーリアの活躍、コントレイルのJC制覇、マカヒキさん復活等々目白押しでした。ただ年明けから度重なって訃報が続いているなど残念なこともありました。せめてこれからはもっと朗報が多い年になってくれればと願うばかりです。
 次話は、菊花賞の後日談的な話ですぐに投稿できると思います。今後も楽しんでいただけると幸いです。


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第六話 菊花賞後日談――追うべき背中

 菊花賞も終わった次の月曜日。トレセン学園もどこかどよめいているような雰囲気であった。だがそれも言っているうちだ。エリザベス女王杯、マイルチャンピオンシップ……今月もまだまだGIレースが続いていく。人の噂も七十五日の通り、この空気もいつの間にか薄れていくのだろう。そんな中私はトレーナーの用事によって休息日となったため、どう過ごすか思案していた。

 

「わっ!」

「きゃっ……、ごっ、ごめんなさい」

 

 ちょうど廊下の曲がり角で誰かとあたってしまった。ぶつかった弾みで相手の帽子が落ちた。

 

「あぁ、すまない。こちらもよそ見をして――」

 

 謝りつつ落下した帽子を拾おうとした。だがそこに落ちていたのは、青いバラのついたダービーハット。

 

「本当にごめんなさい……、ライス、ドジだから……また迷惑かけちゃって……」

 私がぶつかったのは、その噂の中心だった。

 

 

 

 食堂は、放課後ということもあり人もまばらであった。だが数少ない人々もライスを遠巻きに眺めていた。ライスは居心地の悪そうな様子であったが、私はそれをわざと気にせず、彼女の前にケーキとお茶をおいた。

 

「あっ、ありがとう……。でもいいの? ぶつかったのはライスのせいなのに……」

「いやっ、考えこんでて完全によそ見していたこちらが悪い。別にライスが気に病む必要はないよ。お詫びと言ってはなんだがいっぱい食べてくれ」

 

 ぶつかった後お詫びと称して彼女をお茶に誘った。最初は躊躇した様子であったが、いざ目の前に運ばれた純白のショートケーキと香りのよいお茶の運ばれると我慢できなかったようで舌鼓を打って楽しんでいた。リラックス効果があるというハーブティーを口に運びつつ彼女の様子を窺う。だいぶ和らいだ様子のライスをみて、タイミングと考え口を開いた。

 

「いや、お気に召してもらえたようでよかった。お詫びでとはいったが、君とは話したいと思っていたから。ちょうどよかった」

「えっ、話したいこと? ライスに何か? ……もしかしてまた何か迷惑かけちゃったかな?」

「そういうわけじゃないさ。ただ……君にお祝いの言葉をと思って。菊花賞は見事な走りだった。おめでとう」

 

 私が祝いの言葉を口にした瞬間ライスの顔は曇った。彼女の耳がキュッとしぼられた。

 

「ありがとう……、でもライスなんかが勝っちゃったから……ブルボンさんの三冠を望んでた人をがっかりさせちゃった」

「そんなことはない。勝負は時の運だ。勝つときもあれば負けるときもある。君が気に病むことはないだろう」

「ううん、ライスが勝っちゃったから……皆を不幸にしちゃった。……ライスはいらない子だから」

「誰がそんなことを……」

 

 ライスはポツリポツリと話しはじめた。昔からキラキラしたものに憧れていたこと、初レースで勝利して観客を笑顔にできたこと、こんな自分でもキラキラできると思ったこと。そしてブルボンに憧れたこと。

 

「ライスもいつかキラキラしたブルボンさんみたいになりたい。……憧れの背中に届きたい。それで……やっと菊花賞で……、でも誰もライスが勝つことなんて望んでなかった」

「ライスがブルボンさんたちの夢を壊して……皆悲しんで、誰も喜ばない。皆を不幸にしちゃう」

「……誰も望んでないは言い過ぎだ。たしかにブルボンの三冠達成を期待したファンは多くいるだろう。だが君の勝利を願い、祝福する人はいる。見たまえ」

 

 そういって私は学生カバンの中から新聞を取りだした。紙面には、『ライスシャワー悲願のGI獲得』と掲載されていた。

 今年の五大クラシックは、菊花賞以外はすべて栗東寮所属のウマ娘が勝利を収めていた。関東圏では美浦寮所属のほうが人気があり、今回の勝利を歓迎する声も多くあった。

 

「これ……」

「菊花賞の紙面だ。同じ美浦所属として誇らしく思うよ。ブルボンの三冠は残念だった……、心無い言葉もあるかもしれない。だが君がそれを責任を感じることはない」

 

 その紙面は、全くライスをけなすようなことなく、ただ勝者への賛辞が載せられていた。彼女は、その記事を穴が開くほどジッと見つめていた。

 

「いちいち外野の意見を気にする必要はない。ウマ娘は勝利を求める、その通りに走っただけ。どう言われようと先頭でゴールしたものが勝者だ」

「でもライスは……」

 

 何か口にしようとしたが結局発せられることはなかった。その時遠くからチャイムが聞こえた。窓からの景色も夕日に照らされ夕焼け色に染まりつつあった。

 

「そろそろお開きにしようか。だいぶ時間を取らしてすまなかったね。あとの片づけは私がやろう」

「……ううん。私も手伝う」

 

 

 

 二人で片づけを終え、食堂から出る。いまだ練習を続けているのかグラウンドの方からはウマ娘たちの掛け声が聞こえてきた。

 

「今日はありがとう……。ライスがぶつかっちゃったのに……ケーキまで御馳走になっちゃって」

「そのことは言いっこなしだろう。気にしないでくれ。こちらも無理やり誘ってしまったから迷惑かと思っていたんだ」

「迷惑なんてことはないよ! 今日はケーキもお茶もおいしくって……本当に嬉しかったから……あっ、ありがとうございます!」

「ははっ、そんな頭を下げなくても……そういってもらえると嬉しいよ、ありがとう」

 

 大きな耳のついた頭を勢いよく下げる彼女はおかしかった。本当にあの菊花賞のときと同じウマ娘なのかとチラと思ってしまった。

 しかしこの小さなバ体からは考えられない殺気を醸して走るウマ娘は間違いなく、この目の前の子なのだ。そのことを嚙みしめたうえでもう一つ言う事が私にあった。

 

「じゃあ、ライス、トレーナーさんに用があるから……」

「ではここでお別れだ。もうだいぶ暗くなってきている、気を付けたまえ」

「あっ、ありがとう……、じゃあまたね」

 

 トレーナー室の方へと彼女が足を向ける。このまま彼女はどんどん離れていく。その背中を見て、つい声をあげた。

 

「ライスシャワー!」

「はっ、はいっ!」

 

 いきなり大きな声で再び呼びとめられた彼女は思わず尻尾も逆立て振りかえった。

 

「……君に、ひとつ、一つ忠告だ。君はずっとブルボンの背を追ってきた。ついてく、ついてくと毎日、毎日その背中を追って、ついに菊花賞でブルボンを超えてみせた。これで君は、私たちの世代でブルボンにも勝るとも劣らないウマ娘となった」

「……だから次は君が追われる番だ。今までは、ブルボンという背を追いかければよかったが今度は、挑戦者を受ける身となるのだ。……ともに菊花賞に出走したタンホイザにボーガン、それだけじゃない、いずれは追っていたブルボンだって君に挑むだろう」

「だが君を倒すのはブルボンでも、タンホイザでもない。……この私だ。それまで首を洗って待っているといい」

 

 捨て台詞を残して私は、ライスに対して背を向ける。心臓がレースを走り切ったときのようにバクバクと早鐘を打っていた。いまだ重賞勝ちもない身で何を言うかと脳内の冷静な部分があきれていた。だがこれは私の宣戦布告だ。私の追うべき背に対しての宣言だった。しかし次の瞬間さらに驚かされる。

 

「アイルトンさん! ……ライスは! ライスは周りを不幸にする……だめな子だけど、ライスも、アイルトンさんと一緒に、えとレースを走りたい! だからその日を楽しみして待ってるね……」

 

 ライスは私の渾身の宣言を受け止め、こちらに目を向けた。片方は前髪で隠れているが紫色の目がこちらを見つめていた。一瞬その眼に青い炎が灯ったかに見えた。私の大言壮語を笑うことなく真剣に受け入れてくれたのだ。その事実が嬉しく、心中から喜びが溢れてきた。口からも笑い声が漏れてくると思ったときには、私は大きな笑い声をあげていた。その様子を見てライスも思わずキョトンとしていた。

 

「あははっ、いやライスありがとう! 君にそう言ってもらえて嬉しいよ! ふふっ、待ってていてくれ。必ず君と一緒に走ろう! ライス!」

 

 夕焼け空のもと笑い声が響く。いつしかライスも私と顔を見合わせて笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 ライスと別れて部屋へ帰宅するとベットに飛びこむ。天井を見ながら、先ほどの会話を思い出す。

 少し悩みを話すだけで気晴らしになるという。ライスもその負い目を解消できれば良かったが……。

 

(だけどライスは割り切ることはできないだろう)

 

 彼女はとても優しい性格の持ち主だ。どんなに励ましたとしても負い目に感じるだろう。そこは彼女の長所であり短所でもある。長年培われた性格であり、なかなか抜けるものではない。衝撃的な出来事でもない限りは変わりようがないだろう。……それこそブルボンに何か言われでもしないかぎりは。

 

 さらに時を戻して菊花賞の風景を頭に浮かべる。粘るブルボン、内からのタンホイザ、その二頭を外からまとめて差し切ったライスシャワー。まさにライスの走りは私がステイヤーとして理想とすべき走りそのものであった。

 かつて夏合宿中にライスに抱いた恐怖。今思えば私は彼女に対して恐怖のみならず畏れを持ったのだ。ステイヤーとして極限まで身を削り鍛え上げた姿にまさに鬼が宿ったかに感じた。

 

 ライスシャワーこそ私が追うべき背であった。漆黒ドレスに身を包んだ小さい体。今はまだその背を追うスタート地点にすら立てていない。

 

 ライスと話してから体の高揚感が抑えられなかった。まるでレース前のように体が火照っている。

 

(休息日だったが……、やはり少し走りこんでくるか)

 

 制服を脱ぎすてて、ジャージへと着替える。寮長であるヒシアマゾンから許可をもらいランニングに出かける。日も沈み空気も冷えてきた。トレセン学園からほど近い土手沿いまで出て走りはじめた。

 

(ついてく……、ついてく……)

 

 心の中で唱えながら走る。ライスがブルボンの背を追うように、私も彼女を真似て走るのだった。




 一度操作ミスで間違って投稿してしまいました。申し訳ないです。また次話は早く投稿できると言っていましたが思った以上に時間がかかってしまいました。楽しみにしていた方には、すいませんでした。

 それに加え今回過去の投稿を再編集して表記を変えました。以前より余白が多くなり読みやすくなったと思います。良ければそちらも目を通していただければ幸いです。今後も読みやすい文章を目指して精進してまいります。

 次話はいよいよテイオーのジャパンカップに入ります。テイオーのベストレースとも評される走りをぜひお楽しみください。


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第七話 ジャパンカップ・前編

 今回からストーリーに関わる馬以外は、元の名前から連想して偽名をつけています。また不都合があれば、変更することもありますのでご了承ください。


 ジャパンカップは、東京レース場の2400mを舞台としたレースである。同距離、同コースを用いたレースとして日本ダービーがあり、まさに日本で国際レースを催すにはふさわしい舞台といって間違いなかった。

 

 これまで幾度となく開催されたジャパンカップであるが、日本代表で勝利を果たしたのは、シンボリルドルフを最後に皆無だ。タマモクロスにオグリキャップ、イナリワン、メジロマックイーン等々まさに日本が誇る名ウマ娘が挑んできたがいずれも苦杯をなめさせられることとなった。

 

 とくにオグリキャップは、壮絶なたたき合いのすえ南半球から来た怪物ウマ娘に敗れた。そのタイムは2分22秒2。当時の2400mの世界レコードであり、従来のレースレコードである2分24秒9を2秒7縮めるまさに常軌を逸したタイムはいまだこの東京レース場に刻まれている。

 

 

 

 そして今回も錚々たるメンバー、いや「レース史上最強」のメンバーがそろったと言ってよかった。

 

 イギリスにて二冠ティアラを達成し、凱旋門賞も二着のユーザビリティ。フランス重賞勝ちのヴェールアーモンド。そしてパースイートオブフェーム、デヴィアスパーソンの2人は、現役のイギリスダービー勝ちウマ娘であり、英国のダービーウマ娘の参戦は史上初であった。

 欧州以外の参戦も注目だ。オーストラリアでGI4勝をあげたエスケープオブラヴに同じく2勝のナチュラリスト。米国のアーリントンミリオン勝ちのマイヴィラブドクター。

 

 レース史上最高のメンバー。まさにそう評するにふさわしい。テイオーはそんなメンバーと対峙するのだった。

 

 

 

「テイオー、私が言うことはなにもない。ただ勇往邁進に全力を尽くせ」

「カイチョー……、うん! ボクの走りしっかり見ててよね!」

 

 笑みを浮かべるテイオーとルドルフさん。飾り気がない控室がまるで華やかに感じ、改めて二人の凄みを思い知る。いずれ私にもそんな格がつくのだろうか。そんなことが頭に浮かべているとテイオーがこちらへと向きなおる。

 

「アイルトンも! 無敵のテイオー様の走り見せてあげるから! 絶対、絶ーー対に見逃さないでよ!」

「たいした自信だな、テイオー。……だが期待してる」

 

 こちらをジッと見つめる青い瞳を私は、どこか小恥ずかしく彼女から目をそらした。その様子を見てテイオーはニシシっと笑うのだった。

 

 

 

「そろそろ時間だな。私はインタビューもあるから先に行くよ。アイルトン、今日も一緒に観戦しないか」

「ありがとうございます。ですがじつは先約があって……」

「そうか……、なら仕方ないな。では私はこれで、頑張ってくれ、テイオー」

 

 部屋から退室するルドルフさんを見送り、部屋にはテイオーと私の二人きりであった。だが少し彼女は不機嫌ようだった。

 

「今日も、ってことは前にも一緒にレースを観戦したってこと? ボクも一緒にレース観たいのに……」

 

 不満げにふくれっ面を浮かべるテイオーに苦笑しつつなだめていると、備え付けのテレビからはちょうどテイオーが映し出された。

 

『8枠14番トウカイテイオー。本日は海外ウマ娘集結のなか堂々の5番人気! 日本ウマ娘の人気最上位です!』

「5番人気か……」

「名実ともに『日本総大将』というわけだな。日本ウマ娘代表として恥じないレースをしなければな」

「うん。……それに断念したブルボンの分も頑張らなきゃ」

 

 ブルボンの故障発生は5日前、調教中であった。4本の坂路を終え、帰還したさいには、すでに足に異常が発生していた。筋肉の肉離れであったが、まともに歩くことも困難であり、ジャパンカップのみならず有馬記念も絶望的とのことであった。

 

 今レースは、テイオーとブルボンの新旧ダービー対決も目玉の一つであった。2人のダービーウマ娘が史上最強海外ウマ娘を迎え撃つ。それを楽しみにしていたファンからも断念の報はショックが大きかった。

 

 テイオーが神妙な面持ちを浮かべる。ブルボン故障の知らせを受けたときも同様であった。同じダービーウマ娘として、また故障から復帰を経験した身として思う部分があるのだろう。最近のテイオーは、故障以前よりもそんな顔を浮かべることが多くなった。

 

 

 

 どこか厳かな雰囲気はノック音によって中断された。テイオーが返事をすると「入るぞ」という声とともにドアが開いた。

 

「テイオー準備はいいか? おっ、アイルトンも来てたか」

 

 入ってきたのは、チームスピカを率いるトレーナーであった。男性ながら髪を束ね、左側のみ刈り上げるヘアースタイルに無精ひげ、つねに棒付きキャンディーを咥えている珍妙な見た目であるが、それとは裏腹に癖の強いウマ娘を勝利へと導く敏腕トレーナーとして名高かった。

 

「あっ、トレーナー。うん、準備はバッチリ! いつでも走りだせるよ!」

「よしっ! その様子なら大丈夫そうだな。そろそろ時間だ、いってこい!」

「うんっ! わかった! じゃ、アイルトンもまたあとでね!」

 

 にわかに明るくなった部屋の空気は、テイオーの退室によりまた静けさを取りもどした。だが先ほどと比べ、私自身はどこか気まずく感じていた。今日の先約相手は、他ならないスピカのトレーナーであった。テイオーの練習中に挨拶はしたことがあり、顔見知りであるものの、話した機会などなかった。成人男性とは、自身のトレーナーや父親以外と一対一で話したことなどほとんどない。ましてや相手もトレーナー、何の話かは想像もつかなかった。

 

「今日は来てもらって悪かったな。まっ、かけてくれ」

 

 私は椅子に腰かけるもリラックスした状況とは言い難かった。

 

「まあ、そんなに硬くならないでくれ。今日はお礼が言いたくてな」

「……お礼?」

「ああ……、テイオーが急に自分の実力が世界で通用するかなんて言いだしてな。何かと思えばアイルトンから世界に挑戦しないかと言われた、ってな。だからその前哨戦としてジャパンカップ、秋シニア三冠に挑戦したいってテイオーから言ってきたんだ」

「俺は嬉しくてな。ようやくあいつが走る気になってくれて……、だから本当にありがとう、アイルトン」

 

 トレーナーは深々と頭をさげた。

 

「そんなっ、私なんかのおかげでは」

「いやっ、お前はそれだけのことをしたよ。……俺はあいつに前を向いてほしかった。そのためにレースやトレーニングプランも練りに練った。だがあいつは普通にこなすだけだったんだ。……あいつの情熱はなくなっちゃいない。そう思ってはいたんだが……、俺にはできなかった」

「そんなことは……」

「……いや、俺はあいつに目標を示すことができなかった。本当は……トレーナーとして俺がやんなきゃだめなんだがな……俺は……トレーナー失格だ」

 

 トレーナーはこちらに俯きながらこちらを向いていた。双眸は前髪に隠れてその感情を窺い知ることはかなわなかったが一筋の液体がつうと頬をつたっていくのがわかった。

 

「トレーナーさん……。……一つ質問いいですか」

「ん、ああいいぞ」

「……テイオーが世界で通用するかと聞いたとき、トレーナーさんは何て言いましたか」

「……通用すると、答えた」

「それは、本心から?」

「ああ、あいつは間違いなく世界で通じる才能がある。具体的にどこのレースでとは、簡単には言えないが……、今回のジャパンカップ、このメンバーでも十分勝負になるとは思ってる」

 

 トレーナーは、顔を上げてこちらを見る。赤くした目を見るとそこには、動揺や疑念などなく、ただ純粋にテイオー信じていると言わんばかりに力強い眼力があった。

 

「それを聞いて安心しました。確かに走るのは本人次第です。ですがそれ以上にトレーナーがしっかりとトレーニングメニューやローテーションをしっかりと組む必要があります。私たちウマ娘は、トレーナーの力がなくては走ることは不可能です」

「それにあなたはテイオーの力を信じている。それが何よりも大切です。トレーナーさんが信頼しているからこそテイオーは、例えケガがあろうと、夢破れようと走ることができるようになったんです。テイオー自身もそれがわかっているはずです。……だからそんなに自分を卑下しないでください」

「アイルトン……」

 

 彼は、目元を隠すように袖で顔をぬぐった。

 

「全く情けないな……今日はお前にお礼を言うつもりだったのに、励まされちまうとはな……。だがありがとうアイルトン」

 

 彼のぬぐい終わった顔に笑顔が浮かぶ。話す前には、軽薄そうだと思っていたが今はとてもいい笑みに感じられた。

 

「おっと、そろそろ時間だ。急がないとレースが始まっちまうな。テイオーの功労者として一緒に見届けようぜ」

 

 彼が腕時計を確かめると急いでドアへと向かっていった。私も彼についていき部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

 すでにスタンドは大盛況、観客でごった返していた。私たちは人ごみをかき分けて進んでいくとトレーナーはようやく目的の人を見つけたのかおーいと声を上げて手を振った。

 

「あっ、トレーナーさん! ようやく来ましたわね。今まで一体どこにいらしたので――、あらっ、そちらの方は?」

 

 その人を見た瞬間に私はまるで全身の毛が逆立つような感覚をおぼえた。いや、実際に逆立っていたのかもしれない。彼女は、ケガの影響か車椅子に乗っており、近くには年を重ねた老爺が控えていた。おそらく彼女に仕える者なのだろう。

 

「おうっマックイーン、待たせて悪かったな。こいつはアイルトンシンボリだ! テイオーの奴からもよく話を聞いてるだろ」

「アイルトン……ああ、あの! テイオーからお噂はかねがね伺っておりますわ。いつも挑んでくるウマ娘いると。お会いできて光栄ですわ」

 

 そういって葦毛のウマ娘――メジロマックイーンは手を差し伸べてきた。




 だいぶ投稿が遅くなり、お久しぶりです。投稿しない間にタンホイザが実装され、新しくルドルフ産駒のツルマルツヨシが登場しました。もしやアイルトンシンボリも可能性があるのでは?

 次回こそは、ジャパンカップを終わらせ、アイルトンシンボリのステイヤーズステークスに突入できてばいいなと思います。


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