奇術師達のアルカディア (チャイマン)
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始まりの出逢い
過去を想う①


 

異世界。

私達の住む世界とは、理さえも異なる世界。

この世ならざる異形が闊歩する世界。

瞬く星の様に、無数に存在する世界。

命は軽く、語られる英雄達が息づく世界。

そして、未知満ちる旅路で満ち溢れた世界。

 

今では使い古された、空想の一つ。

壁を隔てたその世界に、それでも人々は尚魅せられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな異世界の何処か。

廃墟となった城跡に、奇妙な出立ちの男が一人。

 

「………」

 

兵どもが夢の跡。人気のないその場所で、瓦礫の上に腰を下ろす男はシルクハットにスーツを着用している。喪服の様に黒く染め上げられたそれらと共に、右手には杖、背にはマント。手持ち無沙汰な左手は、瓦礫の上で暇を持て余す。

 

くるり、と男が杖を天に掲げる。そして一振り。風切り音が微かに聞こえ、そして再びの静寂。行き場を失った杖の先は、やがて地面をこつんと叩く。何が起こるという訳でもなく、男はそんな事を数回繰り返す。

 

鳥の(さえず)り、吹き抜ける風、葉の擦れ合う音。のどかな音色とは裏腹に、廃墟の荒廃は出来事の凄惨さを物語る。崩れ去った城壁、黒ずんだ血の跡、そして注視しなければ分からない程、原型を留めていない玉座。まじまじと見ると、確かに人気が無いのも頷ける。

 

「失礼、お邪魔しております。」

 

不意に立ち上がり、男はそう言って静寂を破った。続けて丁寧に一礼。しかし、男の先には誰もいない。広がるのは城の残骸と、人の痕跡を示さない青々とした草原のみ。

 

この可笑しな光景を目の当たりにした人がいたのならば、考える事は様々であろう。誰に向かって話している?何をしている?どうしてそんな恰好をしている?しかし少なくとも、この世界の人間ならばこう思う。

 

「……只者では無いな、貴様。」

 

空気が重くなる。比喩では無く、物理的に。穏やかな空気は消え去り、空間に暗黒が集まっていく。数刻とせず固まり、形を為したそれは悍ましい気配を放つ。一言で表すならば、屍。或いは人骨。廃墟の中心にて悠然と自立するそれは魑魅魍魎(ちみもうりょう)。この地に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する「魔物」と呼ばれる生物種である。

 

しかし、不自然。そも動く人骨という魔物は、「魔物」というカテゴリの中でもポピュラーな部類に入る。この世で人が一生を生きるのであれば、生涯で数度は目にするだろう。或いは魔物狩りを生業(なりわい)とする者であれば、数えるのも億劫になるほど剣を交える相手である。無論、生涯で一度も会わない幸運の持ち主もいないとは言い切れない。

 

が、不自然なのはその在り方にあった。一に魔物は群を為し、二に魔物は言葉を解さず、三に魔物は不規則に現れる。全ての魔物がこの限りでは無いが、個であり、言葉を発し、人の気配に応じて現れるというのは、少なくともこの世界においては異常と言っても過言では無い。

 

「何故、我輩の姿を捉えられた。」

 

低い声で人骨は尋ねる。その言葉は質問ではなく脅迫。一言一言に言霊が宿るかの様に、口をつく言葉が地面を揺らす。只者では無いと男を評価した人骨だが、無論この存在も只者では無かった。

 

「いえ、視えてしまったものですから。」

 

しかしその中でも、男は平然とそう答えた。至極丁寧に、当然のように。

 

「折角でしたら見ていきませんか、私のマジック・ショー。お好みでなければ少しお話でもいかがでしょう?」

 

これこそが旅の始まり。神出鬼没、世界を旅する奇術師、そして不死不朽、亡びた国の王者との馴れ初めである。

 

 



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過去を想う②

 

異世界、つまり異なる世界。

一言で表してはいるが、その在り方は非常に多岐に渡る。何せ私たちが住む世界でなければ、それは異世界と呼称されるのだから。

勇者が現れ、魔王を倒すような世界。

脅威など何もなく、ただ平和なだけの世界。

袋小路に突き当たり、終わりを待つだけの世界。

 

広がる世界の総数は、今や誰にも分からない。

どれも正しく異世界で、そして全てが等しい価値を持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジック?」

 

「マジックですよマジック。ご存知ありませんか?」

 

「……。」

 

人骨と男は顔を見合わせる。つまるところ、人骨は目の前の男が何を言っているのか理解出来ず、また男は目の前の存在がマジックを知らないであろう事を理解したといった具合であった。尤も、こうした経験は男にとって初めてのものでは無かったが。

 

「マジックというのはですね……」

 

刹那、人骨が拳を放ち空間が(えぐ)れる。轟音が鳴り響き、大地が削れた。流水の如き動きから放たれた一撃は、その直線上にあった物を残骸に変えるには十分な威力だったと窺い知れる。

 

その力こそ魔力。世界の法則を無視し、力学に囚われる事のない力。しかし実際には魔力が世界の理を壊す事はない。そこには『魔法』という別の理が存在するだけである。世界の理が私達が知り得る以上に強固で頑強であるという情報は、この場においては無用の長物だろう。

 

また、この世界の『魔法』には特色がある。彼等はこうした力学を無視する力を『魔法』と大まかに定義した為、魔力間の細かな違いを特色による物だと扱っている。実際には起源が異なっていたり、そもそも『魔法』にまで至っていない物をそう誤認していたりと様々な問題があるが、それを彼等が知る由は無い。

 

「こういうものを言うのですよ。」

 

閑話休題。人骨から見て右前方から淡々と話す声が聞こえる。(ひるがえ)るマントの影に、その男の姿が見える。つまりその拳は空を衝き、男の身体を捉えてはいなかったという事になる。頭蓋は声に反応する様にゆっくりと声の方向を向き直り、そしてまた沈黙が辺りを満たす。

 

(……何故、当たらぬ?)

 

虚となった心の中で、人骨は静かに疑問を覚える。この人外は自身の拳の性質を知っている。その上で瞬間的な動作で避けられるような代物では無い事も、また知っていた。ならば、これは何を意味するか。

 

そもそもありとあらゆる『魔法』の行使には、知覚という前提を必要とする。こうした理由から、『魔法』が常時発動しているという状態は存在し得ない。前もって行使した物であっても、それには必ず持続時間というものが存在する。『魔法』を以って結界を張っても、それが一日以上持続する事はまず無い。つまり、男が『魔法』を使う暇は無かったということになる。ということは──

 

「無意味である。」

 

そう、人骨は結論付けた。

 

「……なんですって?」

 

「無意味である、と言った。我輩が貴様のした事について推理する事も、貴様と我輩が拳を交える事も、貴様が我輩に何か為そうとする事も、全て無意味で無駄である。」

 

そう、無意味。

 

「何せ、我輩は不滅(・・)である故。」

 

その死者の名はベルズ。

かつてこの地で栄えた王国『ベルベット』の最後の王であり、この地にて遥かなる時を縛られし怨霊の名である。

 

 



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過去を想う③

 

不滅。

不朽であり、生者にとっての不死。

これを探し求める者は数あれど、終ぞ手にする者は現れず。

物語であればかぐや姫が残した不老不死の薬を時の帝は手に入れたが、それは富士の山に投げ入れられた。

曰く「彼女が居ない世界を生きる意味はない」と。

 

そう。不滅である事は、人に益など(もたら)さない。

ただ終わるという機会を犠牲に、無限の機会を得るだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我が名はベルズ、不滅にして不朽の王者。故に小細工を弄すは無意味と知れ。」

 

今は昔の話である。とある地にベルベットという王国があった。この国は一つの血筋である王を継承し続けていたが、その誰もが善政を敷く素晴らしい王であった。故にその国は栄え続け、平和であり続けながら未来永劫有り続けるのだと誰もが考えていた。

 

しかし、永遠などありはしなかった。ベルベットは正体不明の侵略者に攻撃され、その栄華の歴史に幕を閉じる事となる。ところが国は亡べども、その国の王の意志は滅びる事なく存続した。侵略者を裁き、ベルベットの地を守護し、そしてその歴史を誰しもが忘れる事の無いように、と。

かくして、悪霊『ベルズ』は誕生した。

 

「不滅であるから、私が何をしようとも無駄に終わる。戦っても自身が負ける事はない。だから無駄だと、そう言いたいのですか?」

 

「分かっているなら疾く失せよ。此処は我等の地、侵す者は(ことごと)く滅すのみ。如何に貴様が強かろうと、最後に勝つのは我輩だ。」

 

そう言い切ると、黒々しい波紋がベルズから溢れる。この世ならざる異形の力が、他者に見えるほどの形を得る。憎悪、絶望といったベルズの持つ感情がその力を増幅させる。

 

「では、こうしましょう。私が貴方に勝ったら、私の言う事を一つ聞いて頂きます。負けたら私はこの地を去りましょう。」

 

朗らかに男はそう提案する。しかしその瞬間、黒々とした波紋が大きくうねり、空間を飲み込む。そうして生まれた黒に覆われた世界で、ベルズと男は対峙する。

 

「忠告はした。逃げれば追いはしなかったが、無駄口を叩くのならば消え失せろ。そして、自身の稚拙な判断を後悔しながら死ぬが良い!」

 

「……想定とは少し異なりますが、まぁ良いでしょう。約束、忘れないで下さいね?」

 

最早手遅れとなった状況で、男は最後にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……とまぁ、そんな事があった訳です。」

 

『ふむ、それは興味深い!それで続きはどうなったのですか?』

 

とある宿屋の一室。黒く染め上げたスーツにマントを羽織った男と、銀と赤で彩飾された鎧の形をした機械が話をしている。そして──

 

「……我輩が此処にいる事が答えである。」

 

亡国の王、ベルズ。全身を覆い隠すような大きさのローブに身を包んだその王は、居心地が悪そうにそう答えた。

 

『まぁ、ベルズ卿がアノン殿に実力で負けたという事はないでしょう!大方、アノン殿の手品で煙に巻かれたというところではないですか?』

 

「普通に酷くないですか、その評価。」

 

「……が、否定はしないか。」

 

「まぁ事実ですから。あと十戦やれば、十戦とも私が負けるでしょう。手品というのはタネが明かされるまでが勝負ですので。」

 

『しかし勝ちは勝ちです!誇っても良いでしょうね!』

 

「遠慮しておきます。再戦を申し込まれても面倒でしょう?」

 

冗談を交えた会話を繰り広げながら、アノンは過去を想う。そして、現在に目を向ける。そしてこれからの計画をゆっくりと立て始める。

 

「再戦など申し込まん。が、代わりにだ。」

 

ベルズはアノンを指し、口を開く。

 

「何です?」

 

「酒を持って来い。今日はそのような気分である故。」

 

「……ええ、仰せのままに。」

 

亡国の王、ベルズ。世界を旅する男と共に旅をする者。これはその切っ掛けの物語。

 

 



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幕間・酒場の怪

 

幕間、或いは余談。

その旅路とて日常を歩む。

 

これはその記憶の一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういえば、だ。」

 

昼下がり、奇術師一行が拠点とする宿屋の一室。ベルズは思い出した様に奇術師・アノンの方を向き直る。

 

「如何しましたか、ベルズ?」

 

反射的にそう返したアノンに対し、いや何……とベルズは続ける。

 

「少し奇妙な事があったが、報告し忘れていた事を思い出したのだ。三日程前の事だったか……」

 

 

 

 

───────────────────────

 

 

 

 

宿屋から程近い酒場。

我輩はそこで酒を飲んでいた。黄昏(たそがれ)ていた訳では無いが、感傷に浸りたい気分であった故な。静かに一人酒を嗜んでいたのだ。

 

そんな事を頻繁にしているのか、だと?しているとも。酒は我輩の数少ない嗜好の一つである。以前掛けられた認識阻害で顔を見られる事もなく、酒を飲んでも影響が出る体でもない故、問題は無かろうよ……と、そんな事はどうでも良い、とにかく話を続けるぞ。

 

「ちょっとそこのキミ!この後俺と一緒にどう?」

 

我輩はそこにいた男に話しかけられたのだ。顔は紅潮、間違いなく酒に飲まれておったな。まぁそれ自体は問題では無い。酒を飲んでいるのだから、酒に飲まれる事もあるだろうよ。

 

「……ほら、キミだよキミ、黒いフード被ってお酒飲んでるキミ!」

 

ただ、男は絡み酒であってな。我輩とて平和な国で正体が明かされ、(いさか)いの種となるのは本意では無い。故にこのように黒いローブを着ている訳だ。なればこそ、悪目立ちは避けるべきであった。

 

……何、嫌味のように聞こえる?何処にそう感じたのかは知らぬが、少なくとも黒いローブを着るのも本意ではないとだけ言っておこう。とはいえ我輩が堂々と歩ける世になれとも言えぬな。

 

「……私に言っているのか。」

 

我輩はそう小さく返した。一人称を我輩、と呼ぶ訳にはいかなかったとはいえ、違和感を感じざるを得ん。

 

「そうそう!で、この後一緒にどう?」

 

「断る、他を当たれ。」

 

今思えば少々当たりが強かったのかも知れぬ。尤も、こうした手合いがあっさり諦めるか否かは相手の性格次第である。我輩が言い方を変えようと、結末は変わらなかったと思うが。

 

「まぁまぁそう言わずに──ぐぇッ!?」

 

軽く襟元を掴んだだけだが、千の言葉よりは雄弁であった。お灸を据えた、とも言える。

 

「二度言わねば分からぬのか?他を当たれ、と言ったのだが。」

 

「わる、悪がった!離してぐれっ!」

 

我輩は無言で手を離した。男は逃げる様にその場を去ったが、客の目線が痛くてな。我輩も直ぐに酒場を後にしたのだ。

 

 

───────────────────────

 

「それで、だ。」

 

「……え、終わりですか?」

 

「あぁ、終わりだ。」

 

「私の聞く限りでは不審な点は見当たりませんでしたが。一体何処を奇妙だと考えたのですか?」

 

アノンは首を傾げながら言った。

 

「男が我輩に声をかけてきた事だ。我輩は亡霊、故に視える者と視えぬ者がいる。だがあの時に限っては、我輩が何か行動を起こさぬ限り誰かに認識される事は無い。」

 

ベルズは元々亡霊である。一連の騒動でアノンについて行くにあたり、ある程度その存在は改変されたが、大元は変わっていない。

霊の性質の一つとして、才覚が無い人間から干渉されず、またそうした人間に対して干渉できないというものがある。それでもベルズが城跡の地域を守り続ける事が出来たのは、単純にベルズがそれだけ埒外の存在であったという事を示していた。

 

そんなベルズが気配を消せば、霊感を持つ者でさえ捉える事は難しい。少なくとも、ただの酔っ払いに補足する事は不可能だろう。

 

 

 

さて、この時点で既に答えは出ていた。機械鎧が演算し、答えを求めるのにそう時間はかからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ならば単純な事です、ベルズ卿!貴方が目立っていたから、男にバレたのでしょう!』

 

唐突に口を開いた機械鎧の声に合わせてぴくり、とアノンの肩が動く。

 

「……何?どういう事だ。」

 

『簡潔に申しますと、原因はアノン殿がかけた認識阻害でしょう!』

 

ゆっくりと部屋を出て行こうとするアノンの肩をベルズが掴む。アノンは諦めたように部屋の中に戻った。

 

『私の機構では卿が生物にどのように映っているかは分かりかねますが、少なくとも認識阻害は卿が人骨に見える事を防ぐ為のものです!

とはいえここは人間社会!顔が認識出来ないというのも、不自然極まりない!となれば答えは一つ、木は森の中に隠した(・・・・・・・・・)という事でしょう!』

 

骨そのものも確かに目立つが、正体不明、認識不能な顔である事もまた目立つ。となると残された選択肢は一つ。

 

「……成る程。つまり骨ではなく普通の顔に見えていたからこそ目立った、故に気配を消しきれなかった訳か。ならば我輩は一体どんな顔に見られておるのだ?」

 

美女(・・)でしょうね!男から言い寄られているのですから、まず間違いありません!』

 

「……バレましたか。」

 

そう、ベルズの姿は他者からは美女に視えるように阻害されていた。ブロンドの長髪に碧い瞳、尖った耳と美しい顔立ち。所謂『エルフ』と呼ばれる種族に酷似していたのだ。エルフとて魔物に数えられる場合もあるが、地域によっては人間に間違われる事も少なくは無い種族である。

 

『悪戯と実益を兼ねた、と言ったところでしょうか?まぁアノン殿の性格から考えれば、その点は演算の必要も無いでしょうね!』

 

「……一応聞いておこう。弁明はあるか?」

 

分かりやすく怒りを含んだベルズの一言。答えを間違えようものなら怒りの大噴火、地獄絵図は必至である。そこまで考えた上で、アノンはとても良い顔で一言。

 

「まぁ、反省はしていません!」

 

 

 

 

その日、宿屋に大きな損害が出た事は語るべくも無い。

 

だが風の噂で、それが痴話喧嘩を元にしたものであったと広まってしまったのはそう遠い未来の話ではなかったりするのだが、それはまた別の話である。

 

 



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勇者の路
誕生の幕開け


 

異世界、それは架空の世界。

私達は架空の世界を考え、それに想いを馳せる事でその世界を観測している。

しかし架空の世界に生きる彼らが、観測されている事を知覚しているかどうかを証明する術はない。

また、私達が観測されているかどうかについても証明する術はない。

 

観る者は観られ、観られる者は観ている。それすらも疑えば、一体どの立ち位置に私達はいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついに……」「どんな方……」

「きっと……」「いや……」

 

(そびえ)え立つ城、そして城下町で(ざわ)めく群衆。大きな武器を担ぐ男性、恰幅の良い商人、赤子を抱えた女性、手に木の棒を持った子供、裏路地からひっそりと顔を出す浮浪者。この国の全ての人々が、城の方をじっと見上げながら言葉を交わす。

 

「静粛に!王の御言葉である!」

 

城のテラスから、鉄の装備に身を包んだ騎士が声を上げる。波の如く伝播(でんぱ)し、一瞬で広がる静寂。城の警護を行う兵士達は市民の暴走を警戒しつつも、何処か浮ついた様子でいる。

 

そして、ついにその時がやって来る。

王冠を着けた男、この国の王たる者が騎士の近くに近づき、手に何かを添えた。

 

「……皆よ、遂にこの時がやってきた。」

 

曰く、この世界に絶望が舞い降りた。

そして誰もが、恐怖した。

曰く、この世界に希望が生まれ落ちた。

そして誰もが、期待した。

曰く、この世界はやがて救われる事となる。

そして誰もが、喜悦した。

曰く。

 

「──此処に勇者(・・)の誕生を宣言する!」

 

曰く、英雄が魔王を討ち滅ぼさんと。

そして誰もが、喝采を上げる。彼の者に祝福を、彼の者に栄光を。

 

 

 

 

 

 

 

 

王の間にて、剣を携える一人。その喧騒を聞きながら思うのみ。

 

「終わらせてみせる、私が……。」

 

 

駐屯所にて、鎧を着ける一人。その喧騒を聞きながら眠るのみ。

 

「……。」

 

 

教会にて、願いを捧げる一人。その喧騒を聞きながら祈るのみ。

 

「我等の旅路に祝福を、どうか……。」

 

 

王の間にて、杖を携える一人。その喧騒を聞きながら恐るのみ。

 

「私は……やり遂げて見せます……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして宿屋の屋上。屋根の上に喝采を上げぬ三人。その喧騒を眺めながら語るのみ。

 

『本当に、大変な騒ぎですね!』

 

機械鎧・レグルス。終末の担い手にして心持つ機械。

 

「しかし実に良い時期に来たものだな。」

 

亡国の王・ベルズ。不滅の護り手にして命無き怨霊。

 

「偶然ですけれどね。いつもこんな風に上手くは行きませんよ。」

 

奇術師・アノン。軽薄な観測者にして世を渡る奇術師。

 

境遇も在り方も、その全てが異なる三人は笑い合う。

 

『ですが、良い旅になりそうですね!』

 

「無論である。戻らぬ時に後悔を残さぬ様にするのは当然だ。」

 

「また分かりにくい言い回しですねぇ。まぁ何でも良いですが、得る物がある事を望みましょう。」

 

全ての思惑が絡み合い、交差する。

結果に待つのは如何なるものか。それは誰にも分からない。

 

 



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勇者の旅路①

 

「勇者、か。」

 

勇者を選定した国、その郊外に位置する小さな森。旅路の中でベルズは小さく呟いた。

 

『ベルズ卿、何か覚えがあるのですか?』

 

「いや、覚えは無い。そもそも我輩の世界には魔王など存在しておらん。」

 

魔王、魔を統べる王者。魔物の頂点に立つ者の総称でもあるが、必ずしも魔物の中に魔王が存在する訳では無い。そうした事でさえ、異世界それぞれに細やかな違いが存在する。

 

ベルズが存在した世界には、確かに魔王は存在しなかった。そしてこの世界には確かに魔王が存在している。それは単純な違いであり、世界の在り方を隔てる純然たる壁でもある。

 

「貴方が魔王だった、或いは死んだ後に実は魔王が現れた。この辺りはどうです?」

 

「前者は無い、後者は知りようも無い。が、少なくとも魔物は遥か過去から存在していた。魔たる王とて朽ち果てていよう。」

 

『ではベルズ卿もいつかは、という様に受け取ってもよろしいのですか?』

 

「無論だ、この世に永遠などありはせん。」

 

少しの沈黙。それは事実確認に過ぎない。旅には始まりもあれば、終わりもある。それらに差異はあれど、無いという事は無い。

 

「……失礼、話の腰を折ってしまいましたね。勇者がどうかしましたか?」

 

アノンが沈黙を破る。目を背けている訳では無く、彼らはこの事実を既に受け止めていた。

 

「何、憐憫(れんびん)を感じただけに過ぎん。」

 

『憐憫……ですか。』

 

「左様、我輩達は選ばれた。だがそれは決して選んだ訳では無い(・・・・・・・・)。そしてそれは奴らも同じ。選ばずして宿命を背負う者達だ。ならばこれを憐れと言わず何と言う?」

 

「いいえ、それは彼らの境遇を知らねば分からぬ事でしょう。ですから私達は──」

 

『お静かに、雑談は此処までにしましょう。』

 

珍しく、レグルスが小さな声で静止する。そして数人分の足音。これこそが彼らの目標であり、歩まんとする旅路の道標。

 

「ねぇシンシア、疲れない……?」

 

「全然大丈夫、大丈夫!」

 

「シンシア、多分彼女の方が疲れてるんですよ……」

 

「ええっ!?」

 

「一時間もこのペースで歩いてりゃ、まぁ普通は疲れるんだがなぁ……」

 

シンシアと呼ばれ剣と軽鎧に身を包んだ女性、重鎧を身につけながら軽々と歩く男性、簡易化された法衣に身を包む少年、そして杖を片手に息も絶え絶えな女性。

 

この四人がこの世界における選ばれし者。勇者一行である。

 

『彼らを尾けていく(・・・・・)、という事でよろしいですね?』

 

「端的に言えばそういう事です。過干渉はいつもの様に禁止で行きましょう。」

 

「……下らぬが、まぁこの言葉は旅の終わりに取っておくとしようか。」

 

三人はひそひそと木の影で企みを話す。自然の音に掻き消され、勇者達にその声は届かない。だがしかし、ここで一つの誤算があった。

 

「……何ですか、これ。」

 

「どうした坊主、青い顔して。」

 

「います……南東に1体!とてつもない化け物が!」

 

少年がそう叫ぶと、勇者の一行が一斉に臨戦態勢で南東の方を向く。其方はアノン達が隠れ潜む森の方角。

 

『……バレていませんか、これ?』

 

「バレてますねぇ。」

 

「バレバレ、であるな。」

 

それは見誤り。アノン達が尾行出来ると甘く見ていた彼らは、決して力持たぬ弱者ではなく……

 

「言葉が分かるなら出てこい!来ないのならば焼き払うのみ!」

 

文字通り、英雄達であったのだ。

 

 



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勇者の旅路②

 

状況は一触即発。重鎧の男の言葉は冗談ではないと、この場の誰もが理解している。

 

言語を解す魔物は、やはりこの世界でも珍しい。そうした魔物は己のことを『魔族』と呼称し、魔物と同じ存在として扱われる事を嫌う。それもその筈、『魔族』と『魔物』は別種ではないかと疑われるほど、強さに差がある。

 

しかし、言葉を解すと言ってもそれは人と会話を楽しむ為のものではない。それは人を(あざむ)き、操り、(たばか)り、最後には滅ぼす為の一種の武器である。根本的な思考形態は『魔族』も『魔物』も変わらない。魔に属するのならば奪い、殺し、支配するのは当然だという様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さて、如何致しましょう?』

 

レグルスがひっそりとそう発す。その言葉に焦りや恐れはないが、それが機械音声だからなのかどうかは彼らのみが知る所である。

 

「……勇者を」

 

「ベルズ。」

 

「冗談である。」

 

(ちな)みにここでベルズが何を言おうとしたのかも、彼らのみが知る所である。

 

「まぁ……」

 

アノンがマントを翻し。

 

「ならば……」

 

ベルズが足首を鳴らし。

 

『逃げ、一択ですね!』

 

そしてレグルスの背から無数のブースターが現れたその瞬間。

 

「【燃え盛れ!】」

 

杖から炎が(ほとばし)る。大地を灼き、空間を飲み込む火炎が木々を燃やし尽くして行く。一瞬にして杖の先から放射線状の森はその先々まで灰色の大地へと姿を変えた。

 

炎を生む魔法。詠唱の仕方こそ多様に存在する中で、圧倒的な火力を誇る彼女の一撃。そしてその魔法を操りし者こそは、いずれ伝説の魔法使いとして呼ばれる者の一人である。

 

「……倒したか?」

 

鎧の男のその言葉に、しかし魔法使いは顔を真っ青にしながら返答する。

 

「ひっ!ご、ごめんなさい!」

 

「あ、謝らなくて良いんだよ!倒せたか倒せてないかだけ、教えてくれる?」

 

魔法使いの反応に落ち込む鎧の男をよそに、わたわたしながらシンシアが魔法使いにそう尋ねる。魔法使いは安心しながら、深呼吸と共にゆっくりと落ち着きを取り戻していく。

 

「……た、多分倒せてないと思います。」

 

「フィネさんの言う通りです。むしろ、倒せなくて良かったのかもしれません。」

 

彼女の言葉を補足する様に、法衣の少年が声を上げる。

 

「つまり、逃がしたって事か?」

 

「それは分かりません。ですが、どちらかと言うとこんな小さな森、ましてや王国の近辺にあれほどの力を持った魔族が現れた事の方を危険視すべきだと思います。」

 

「魔物って事はないの?」

 

シンシアの言葉に、少年は首を横に振る。

 

「それはあり得ません。あの力で魔物ならば、こんな場所に用事なんてないでしょうから。」

 

「……そんなにか?」

 

「はい。恐らくですが四人で戦っても、負ける確率の方が遥かに高かったと思います。」

 

勇者達に悪寒が走る。心の何処かに抱えていた、目標の魔王に向けて自身が段階的に強くなっていくだろうという慢心。そして旅の始まり、自身が知りつくした地域から出ていないという安心感から生まれた、何処かでボタンを掛け違えていたらあっさり全滅していたという事実。

 

「それでも、戦わないと!」

 

勇者、選定されし者。ベルズはその境遇から彼女を憐れんだ。しかし勇者は選ばれるだけではなく、その意思で勇者として選ばれる事を認めなければならない。より簡潔に言うならば、この地における勇者は選ばれる事を選んだ(・・・・・・・・・)存在であった。

 

シンシアの心は折れない。たとえ如何なる困難が道を塞ごうと、誰よりも誠実にその壁に向き合う。それが勇者としての彼女の素質。

 

「シンシア、ちょっと落ち着いて下さい。」

 

「落ち着いてるよ、とってもね!」

 

「いーや、落ち着いてないね。今にも猪みたいに駆け出して行きそうじゃねぇか?」

 

「いのっ……酷すぎない!?」

 

「き、急に走りだすのだけはやめてね……?」

 

「フィネまで!もー!」

 

快活、純真、そして猪突猛進(ちょもつもうしん)。勇者シンシアは騒がしくその言葉に抗議するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方。

 

激しく(くう)を切る音が森の中から響く。その音が森から出た瞬間、(そら)からも轟音が響く。

 

「チッ……同着か。」

 

『相変わらず生物とは思えない速さですね!やはり精進の甲斐があるというものです!』

 

森の中を駆けて来たベルズ、そして空から飛来したレグルス。ほぼ同時に、その二人は森の外れの地に足をつける。その地点は王国とは真逆、森を抜けて先へと続く一本道が続く場所。

 

「いえ、厳密に言えばベルズは一度死んでいますから生物ではありませんよ、レグルス。」

 

「……今更インチキだのズルだのと言うつもりはないが、たまには自力で走ろうとする努力くらいは見せたらどうだ?」

 

そしてその場には、既にアノンが木を背にしながら立っていた。ベルズとレグルスがこの場所に集まった理由はただ一つ。最も早く目的地に着けるアノンがここに来たからに過ぎない。

 

『せめて飛ぶ努力をして頂きたいですね!アノン殿ならそれくらいは出来るのですから!』

 

「短距離なら考えますが、この距離ですからねぇ。」

 

距離にして凡そ三キロメートル。探知から外れる為にしてはかなり大袈裟に距離をとったと言える。人間であれば歩いて凡そ三十分程度の距離だが、時間にして五分。彼等が集合する為にかかった時間はこの程度である。

 

「どちらにせよ、方針は道中で決めましょうか。歩きながら話しましょう。」

 

『了解しました!』

 

「全く……また奴らに見つかってしまっては敵わん。キビキビ歩くぞ。」

 

そんな事を意にも止めないように彼ら三人は、次なる目的地を目指して歩き始めるのだった。

 

 



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勇者の旅路③

 

此処は平野に位置する村。名前があるような大きな町ではなく、地図に名前も載らないような小さな農村。冒険者の間では森を抜けた先の最初の村と呼ばれたり、町の北に道具屋がある事やその近くに宿屋がある事を指して認識される事が多い。

 

そして、そんな村の宿屋の一室。

 

「………」

 

魔法使い・フィネは、げっそりとした顔をしながら布団にくるまっていた。

 

「いやぁ……凄い歓迎ムードだったね……」

 

勇者一行は森を抜け、道なりに進み続けるとこの町にたどり着いた。王国からも程近いこの地では、当然のように勇者の選定についての話が広まっていた。国が認めた戦士達、希望を(もたら)す英雄の話は人々に希望を与え、誰もが彼らの勝利を願っていた。

 

その英雄達が初めてやってくる町が此処だと言うのだから、町中が大いに湧いたのだろう。気合を入れ勇者一行をもてなそうというオーラで町中が包まれ、人見知りのフィネはそれに当てられノックアウト寸前の状態となり、敢えなく一回休みとなったのであった。

 

「……でも、シンシアが居てくれてよかったです。一人だったらと思うと……あれ……吐き気が……」

 

うっぷ、とフィネが口を手で覆う。

 

「わーわー!抑えて抑えて!」

 

シンシアが布団を立ち、慌てて布袋を探し始める。これは勇者達の二面性、選ばれし者達も部屋ではただの人間。勇者一行らしからぬ、情け無い姿を晒す彼女達の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、その隣の部屋。

 

「いやぁ、本当にすいませんね。騒がしいとは思うけど、よろしくお願いしますわ。」

 

「いえいえ。勇者一行の皆様との相部屋なら文句もありませんよ。」

 

この町の宿屋は、部屋が二つしかない。その分一部屋は大きな造りになっているのだが、そうした訳で勇者一行・重鎧の男と法衣の少年は先に泊まっていた男性と相部屋となっていた。

 

宿屋曰く、部屋が二つしかないのは泊まる人が稀だから。小さな農村の為に見るものもなく、王国に近い為に態々(わざわざ)此処に泊まる必要性も薄い。今までであればそれで十分に事足りたが、しかしその日は偶然にも客が飽和する事態になってしまった。

 

勇者一行が泊まりに来た時点で、宿屋側は先客に立ち退きを要求した。野宿ならいざ知らず、二部屋あるのだから男女を分けるのは当然。勇者様がいらっしゃったのだから貴方も気を利かせて欲しい、というのが宿屋側の理論だった。返金は行われるようだったが、それに気を病んだ勇者一行は相部屋を提案し、妥協策とした。

 

そして時は現在。

 

「本当に申し訳ありません……私達のせいでご迷惑を……」

 

「二人では広すぎる部屋だと思っていたのです。ですから本当に構いませんよ。」

 

深々と頭を下げる少年に、男性は少し驚いた様子を見せながらそう返す。

 

「部屋から追い出された訳でもないですし、相部屋だけなら迷惑という事でもないでしょう。」

 

「とまぁ、そういう訳だ。何事も程度が行き過ぎていれば毒ってもんだぞ、坊主。」

 

「ですが……」

 

飄々と話す重鎧の男に対し、法衣の少年はそれでも後ろめたさを隠しきれない様子だった。それも当然、宿屋の主人は実は男を立ち退かせるために荷物を外に出したり、無理矢理追い出そうとしつこく声をかけたりしていたのたから。勇者一行が口を挟まなければ、そのまま追い出されていた事は想像に難くない。

 

しかし男からしてみれば、宿屋から追い出されようとしていた所を勇者一行に助けられた事になる。男が宿屋の主人を恨む事があったとしても、勇者一行を恨むという事は有り得ないのだが、少年はそれに気づいていない様子だった。

 

「……では何かして頂けるのであれば、互いに自己紹介をしていくというのはどうでしょう。」

 

「自己紹介?」

 

想定していなかった返答に、少年が素っ頓狂な声をあげる。

 

「袖振り合うも多少の縁。折角勇者一行の皆様とご縁があったのですし、私としては皆様の事を知りたいと思うのです。

勿論それだけで十分名誉な事ですし、そちらの方が宜しければで良いのですが。」

 

「私は構いませんが……」

 

「ま、穏便に済むなら何でも良いけどな。」

 

重鎧の男は、何となく彼の目的を察してはいた。勇者達との知り合いという箔。金では買えない地位であり、益を得るために利用する事が出来るもの。そうした繋がりを得る機会が欲しかったのだろう、と。

 

しかしそれでも口は挟まない。彼の物言い、穏便に済むなら何でも良いというのは本心でもあった。何せ本当の相手は魔王、少なくとも人ではないのだから。

 

「じゃあ俺から行くか。名前はハロルド、見た目通り戦士だ。酒好き賭場好き女好き……まぁ、嫌いなもんはあんまりねぇな!という訳でよろしく頼む!」

 

「……」

 

一瞬、法衣の少年が非難の視線をハロルドに向ける。が、すぐに向き直る。

 

「私はニコラと申します。職業は神に仕えし者、聖職者です。得意な事は回復魔法ですので、お怪我をなさった時は遠慮なく仰って下さい。」

 

ぺこり、とニコラは恭しく一礼した。

 

「自己紹介、ありがとうございます。では次は……」

 

「なぁ、一つ聞いてもいいか?」

 

男の声を遮る様にハロルドが声を上げる。

 

「はい、何でしょう?」

 

「聞き間違いじゃなけりゃ、さっきアンタ二人(・・)って言わなかったか?もう一人は一体どこにいるんだ?」

 

「ああ、その事ですか。そろそろ帰ってくる頃だと思いますよ。」

 

その瞬間、豪快に扉が開け放たれる。

 

『お待たせしました、アノン卿(・・・・)!』

 

「という訳です。皆さん揃ったことですし、自己紹介の続きと参りましょう。」

 

そうして男、アノンは不敵に笑った。

 

 



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勇者の旅路④

 

「私はアノン、国を渡るしがない旅芸人でございます。このような時世ですが、一つの地に留まって活動するのがどうしても性に合いませんでしたので、用心棒を雇い旅を続けております。」

 

レグルスが部屋に入り座ったのを見ると、アノンはすぐに自己紹介をする。しかし、勇者一行の目がアノンを向く事はない。

 

「……皆さん、聞いておられますか?」

 

無理もない。彼等の部屋に入ってきた鎧、一見すれば魔物とも見違えるそれが、圧倒的な存在を放ちこの部屋の空気を掌握していた。しかし彼らは武器を構えない、というより構えられない。

 

その先進的デザイン。流線型のフォルムの中にも、機械であり金属であるという無骨さを漂わせる為に設計された、武者の鎧を彷彿(ほうふつ)とさせる様な外見。

 

オーバーテクノロジー。内骨格が見え隠れしている時点で中に人がいない事は彼らの目にも明らかだったが、その機構も未知。様々な配線が鎧の間から光を通している事だけが辛うじてわかる。

 

そして何より人のように振る舞うその在り方。唖然、心ここに在らず。彼らは言葉を失うほかなかった。

 

『私、レグルスと申します!ご紹介にあったように、アノン卿の用心棒を務めさせて頂いております!短い間ですが、どうぞ宜しくお願いします!』

 

レグルスの機械音声が部屋に響く。ハロルド、ニコラの両名はその聞き慣れない音に驚き、少したじろいで正気を取り戻した。

 

「レグルスさんは、何者なのですか?」

 

「……」

 

たまらずニコラがそう尋ねる。口を挟みかけたハロルドも、本心ではニコラと同じ気持ちだったのだろう。言葉が紡がれる事はない。

 

『何者、と申しますと?』

 

「いえ、その……」

 

口籠るニコラ。レグルスから感じる威圧感はないが、どうしても機械音声が彼らには馴染みがない様だった。

 

「ニコラさんの疑問もごもっともです。私から説明させて頂きます。……それとレグルス、皆さんをあまり困らせないで下さい。いつもはそんな話し方ではないでしょうに。」

 

『おや、私渾身のボケなのですが。話し方は変わっていませんが、もう少し皆様が聞きやすい様に努力はした方が良いですかね?』

 

そう話すレグルスの声は確かに機械音声だが、人の言葉を模倣する様に音程が調整されていた。

 

「ありがとうございます、レグルス。簡潔に申し上げますと、レグルスは『ゴーレム(・・・・)』の一種なのです。」

 

「ゴーレム!?」

 

たまらずニコラが飛び退く。ハロルドに至っては武器を構えるだけに飽き足らず、鎧を着ようと悪戦苦闘する始末であった。

 

ゴーレム、それは魔力によって命を吹き込まれた人形。素材は土がメジャーだが、金属であったり植物でできたゴーレムも存在する。一つの共通点を挙げるとするならば、彼らは屈強で倒し難い敵であるという点。

 

ゴーレムには痛覚も疲労も存在しない。そもそも命持たざる者たちにとっては当然な事で、それは現代におけるロボットに近しい。しかし原理が分からぬとなれば、それは大きな脅威として彼らには映る。

 

「ゴーレムといっても、皆さんが想像しているような魔物の一種ではありません。レグルスは私の指令に忠実に従うゴーレムであり、いわば使用人のようなものです。」

 

『使用人のつもりはありませんがねぇ。』

 

アノンが語れど状況は変わらず。むしろハロルドが鎧を着込み、完全に臨戦態勢に入っている時点で悪化したとも言える。

 

『ははは!アノン卿、これは貴方も苦労しそうですね!』

 

「いやまぁ……想定内といえば想定内なんですけれど……」

 

それでも少し頭を抱えたような仕草をするアノン。がっくりと肩を下ろしたようなその様子は、わざとらしさを感じさせるものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うるさいですね……隣の部屋。」

 

「私達も行った方がいいかな……?」

 

布団を被り、恨めしそうに呟くフィネ。そしてそわそわとしながら、隣の部屋の様子が気になるシンシア。

 

「え?シンシア、もしかして男部屋行きたいの?」

 

「そういう訳じゃなくて!盛り上がってるから、こう、私も行ってみたいなーなんて思ってるだけ!」

 

シンシアはフィネの言葉を否定するかのようにそう捲し立てたが、そもそも否定にはなっていない事に彼女達は気づかない。

 

「ふふ、でもダメだよ……私、シンシアがいなかったらどうなっちゃうか分かんないよ……?」

 

「この調子じゃ、フィネもまだダメかなぁ……」

 

酒乱の様な言葉を残し布団の中に消えるフィネに、此方もがっくり来たようなシンシアであった。

 

 



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勇者の旅路⑤

 

『それで、先日は何故あの様な事をなさったのですか、アノン卿。』

 

村での勇者一行遭遇から数日後、アノンとレグルスは荒野を歩いていた。当てもなく歩いている訳ではなく、目的は勇者一行の尾行で最初から変わっていない。やはり、その道の先には勇者一行の後ろ姿が見える。

 

「さて、何の事でしょう?」

 

『私をレグルスとして他人に見せた事です。今までは、(かたく)なに生物では無いと通してきたではありませんか。』

 

王国などに滞在する際、レグルスは今までただの全身鎧としてアノン達の荷物として扱われていた。それでも目立つ事は変わらなかったが、ゴーレムと紹介するよりかは幾分か目立たなかったのは事実であった。

 

結局レグルスをゴーレムと説明した後、アノンはハロルドとニコラに説明を繰り返す事小一時間。疑惑を完全に晴らす事はできなかったものの、レグルスが何も危害を加えてこない事が決め手となって彼らは警戒を解くことになった。

 

そして何事も無く夜が明けた。魔物が村に襲いかかったり、或いは勇者一行が被害を受ける様な出来事(イベント)など何一つ起こる事はなかった。勇者一行は村人達からとめどない歓待を受けながら村を去り、一方アノン達は特に何の歓待を受ける訳でもなく村を去った。

 

「まぁ余人であればそれで事足りましたが、彼ら相手にはきっかけを作っておきたいと考えていましたので。」

 

『きっかけ、ですか?』

 

レグルスが首を捻ると、金属が擦れ合う様な音が鳴る。

 

「えぇ。レグルス、貴方は運命というものを信じますか?」

 

『いいえ、信じません!何事にも因果という物がありますから、運命などという言葉は思考停止でしかないでしょう!』

 

即答。限りなく滑らかに、かつ明瞭にレグルスはそう答えた。アノンが人差し指を口に添えると、レグルスは小声で注意します、とだけ呟く。

 

「……まぁ後半はともかく、要は前半が私の言いたかった事です。」

 

『ではつまり、()となるような()を作りたかったという事ですか!』

 

レグルスの言い回しに、アノンはにやりと笑った。

 

「そういうことになります。ところで私も貴方に一つ聞きたい事があったのですが……」

 

『はい?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうだったの?」

 

「どうだった、って何だよ。」

 

一方、勇者一行は快調に道を進んでいた。地図を確認しながら時々現れる魔物を討伐し、魔王の待つ城に少しずつ近づいていく。そして村を出て数日、次の王国まであと半分といったところでシンシアはそう尋ねた。

 

「あのゴーレム?を連れてたっていう人!どんな人だったの?」

 

俯きながら歩くフィネが、その言葉に反応して不意に顔を上げた。

 

「どんな人だったのって……シンシア、あの人と会わなかったの?」

 

実はあの後、フィネはアノンに遭遇している。フィネが階下に降りようとした時、偶然部屋に戻る最中のアノンとすれ違ったのだ。

 

……だが忘れるなかれ、フィネは大の人見知りである。軽く自己紹介をするアノンを直視できず、そそくさとその場を後にした彼女と彼に果たして面識があるかと言われると少々疑問であった。尤もすぐに俯いたフィネがこの話を誰かにしない限り、真相は闇の中であるのだが。

 

「会おうとして探しはしたんだけど……結局見つけられなかったんだよねー。なんでだろ?」

 

「まぁ、旅芸人ってよりは魔法道具の発明をしていて、逃避行の最中ですって言われた方が信じられたかもしれん。そんな奴だったよ。」

 

「……私達の部屋にはいらっしゃいましたし、此方の部屋に挨拶に来れば良かったのではないですか?」

 

後ろからニコラがそう言うと、シンシアは勢いよくニコラの方を振り向いた。一瞬足が止まるニコラだが、また歩き続ける。

 

「でもさ、態々部屋に押しかけて『私が勇者です!』なんて、ちょっと恩着せがましいって思わない?」

 

「そこは一理あるな。ま、探してた時点で恩着せがましいも何も無いとは思うが。」

 

さらりと毒を吐くハロルド。しかしシンシアからの抗議の声が飛んでくることは無い。不思議に思ったハロルドがシンシアの方を見ると、シンシアは何故か流し目で彼の事を見ていた。

 

「……何だよその目。」

 

「……ねぇ、ハロルドってもしかして私の事好き?」

 

「ぶっ!」

 

俯いていたフィネが吹き出す。ハロルドも流石にこの言葉は予想していなかったのか、シンシアの顔を直視できない。

 

「いや、好きな人には意地悪したくなるって言うし、そうなのかなって。」

 

「……」

 

「どうなの?」

 

一同を包む、いつにもなく真面目な沈黙。シンシアは少し頬を赤らめ、ハロルドは少し考え込む様に目を瞑り、ニコラはその成り行きを静かに見守り、そしてフィネはまた吹き出しそうになるのを必死で抑えていた。

 

暫くして、ハロルドが一言。

 

「いや、真面目に無いな。お前と付き合うならまだフィネの方が──うおっと!?」

 

ハロルドの顔を拳が掠める。それは乙女の純情を弄ばれ、少し涙ぐんだシンシアの右ストレート。

 

「──バカっ!バカハロルドっ!」

 

そしてすかさず左アッパー。死角から放たれたその一撃はハロルドの顎にクリーンヒットした。デリカシーの無い魔物は鎧ごと少し宙に舞い、その場に倒れ伏したのであった。

 

「ハロルド、今回ばかりは治療しませんからね。」

 

ちなみにやけに静かなフィネは笑いすぎて腹を痛め、その場にうずくまっていた。パーティの半分が再起不能となった勇者一行。それでも彼らの旅は続くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、どうして彼らは仲間割れをしているんでしょうか?」

 

『痴話喧嘩ですね!あの時の宿屋の事を思い出します!』

 

「思い出さなくて結構です。」

 

 



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勇者の帰路①

 

帰路。

終着点からの旅路にして、出発点への回帰。

振り返り、過去を思い出す為の(みち)

それこそ旅路のもう一つの側面。

そう、もう一つ。

この世界は多面体、表があれば裏もある。

 

されど表と裏は対称では無い。

照応する面など、世界にありはせず。

故にその道は、既に知る道では無い。

既に見た道は一つの方向からの視点である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはまるで予定調和だった。

そう、彼らは遂に魔王を倒した(・・・・・・・・)のだ。その旅路には様々な苦悩があり、様々な壁もあった。しかし彼らはそれらに立ち向かい、そして乗り越えて見せたのだ。

 

魔法使いフィネは様々な魔法を会得した。炎を放ち、氷を生み出し、風を操り、大地を穿つ。多彩な魔法を自在に操る姿は、彼女がいずれ伝説の魔法使いとして名を馳せる礎となった。

 

僧侶ニコラは仲間を支援する存在となった。傷を癒やし、呪いを祓い、死者を召す。敬虔な神の信仰者としての在り方は様々な人々の助けとなり、その少年は感謝と共に広く認知される事となった。

 

戦士ハロルドは仲間の危機を幾度となく救った。剣を受け、魔法を弾き、最後まで皆を守り続けた。勇者のそばに立ち続け、その悩みを聞き判断を手助けしていた事は彼らのみが知る事である。

 

そして勇者シンシアは勇者としてあり続けた。雷光を落とす魔法を知り、聖別された剣を手に入れ、苦しむ人々に向き合い続けた。彼女のその懸命な姿に誰もが救われ、そして魔王を討伐したのも彼女だった。

 

そして彼らは誰一人いなくなった魔王の城を後にする。

 

「そうか……まだこの道があるのか……」

 

ハロルドがぼやく。返り血や破損が目立つ鎧は、つい先程までの鮮烈な戦いを想起させる。無論、それは彼だけではない。彼ら全員が激しい戦いを乗り越えてきた事は、その姿を一目見れば誰もが分かることだった。

 

そう、帰り道までが魔王討伐の道。行きに通ってきた道を、彼らは帰り道として歩いてゆかねばならない。

 

「……流石に帰り道の事考えると、私も憂鬱になりそうかも……」

 

「えっ!?シンシアが!?」

 

フィネがガバッと顔を上げて驚いた顔をすると、シンシアは無言でフィネの頭をぺちりと叩いた。

 

「……歩かないと帰れませんし、ゆっくりでも歩いていくしかないでしょうね。」

 

「それもそうだねー。それじゃ、切り替えて歩いて行こうか!」

 

「まぁ、そういう事だわな。サクサク歩いて行くか。」

 

「あれ、おかしいな……もしかして私だけアウェイな雰囲気?」

 

そう、彼らは勇者一行。如何なる壁が立ちはだかろうとそれを超えてきた存在。魔王を倒した後でもその事実だけは変わりはしない。全員はゆっくりと歩みを進める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして帰路の途中、彼らは会話を交わす。

 

「それで、ハロルドは帰ったらどうするんですか?」

 

「別にどうもしねぇよ。褒賞も貰えるし、騎士団の一員として働く事も出来んだろ?」

 

「え、ハロルドって騎士になりたかったの?」

 

「……まぁ、俺はどうでも良いだろ。坊主はそのまま聖職者の道か?」

 

「勿論です。」

 

「聞くまでも無いね……ちなみに私は王国お抱えの魔法使いになれたらな……って思ってるかな。シンシアは?」

 

「私?あんまり考えた事もなかったなー。」

 

「勇者としての使命は終わったんだ。だったら好きなように生きて、幸せに過ごすのが一番だろ。」

 

「じゃ、ハロルドに養って貰おっかなー!」

 

「お断りだ。」

 

他愛無い話題で彼らは盛り上がる。魔王を倒したからと言って、世界が平和になったわけではない。魔物は存在し、人々の争いが絶えるわけでもない。

 

しかし彼らは確信していた。これからは、彼らがこうして他愛の無い話をする事ができる世界がやってくると。全ての争いは無くなれども、それ以上に様々な人々を救う事が出来たのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、思っていた。その時までは。

 

「……嘘。」

 

王国は(・・・)燃えていた(・・・・・)

城下の町は残骸と化し、命などもう何処にも残ってはいない。炎が血を炙り、焦げ臭い香りと生臭い香りが辺りを充満させている。空は赤く燃え上がるような色を写し、王国は文字通りの地獄と化していた。

 

誰も、声すら上げる事が出来ない。怒りも、悲しみも、恐怖も、もはや声を上げて出る事はない。

 

「これはまた凄惨な事ですねぇ。」

 

『私から言わせればまだまだですね!とはいえ二度とは見たくない光景と感じざるを得ません!』

 

彼らの前に立ちはだかるのは見知った顔。かつて村で出会い、寝食を共にした二人。

 

「何をやっている、お前ら……」

 

アノン、そしてレグルスは勇者一行を見据える。ニコラは驚き戸惑ったような顔を、ハロルドは怒りに染まった顔を、フィネは悲しみと恐怖に染まった顔を。

そしてシンシアは、無表情で彼らを見据える。

 

「残念ですが、まだ何もしていません。お初にお目にかかる方もいらっしゃるので、正しく自己紹介と参りましょう。」

 

アノンはゆっくりと一礼をする。

 

「私は奇術師アノン……顛末を眺める為に世界を巡り、より良き未来を模索する夢見人です。」

 

彼らの前に最後の壁が立ちはだかる。

帰るべき場所がない彼らにとって、帰路はまだ終わってなどいない。

結末は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 



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勇者の帰路②

 

「では、始めから説明して行きましょう。」

 

その瞬間、アノンの前方で凄まじい金属音が響いた。重鎧を纏った状態とは思えない速度で飛びかかり、アノンを叩き斬ろうとしたハロルド。そしてそれに反応し、剣を阻んだレグルスの両名が(つば)を競り合う。

 

ハロルドの手に握られる鉄色の剣と、レグルスの右腕の機構から伸びる黄色の刃が火花を散らす。しかし、アノンは特に気にする事もないように其方を向こうとはしない。

 

『失礼。アノン卿が話されている最中ですので、この剣を収めて頂けませんか?』

 

「ふざ、けるな……!お前達さえいなければ……!」

 

至極冷静に響くレグルスの機械音声に対し、ハロルドは興奮した様子でそう呟いた。一層剣にかかる力が強くなるが、剣の位置は互いに動かない。

 

『分からない人ですねぇ。その誤解を今から解くとアノン卿が仰っているのです。剣を抜くのは説明を聞いた後でも構わないのではないですか?』

 

「ハロルド、引いて。」

 

冷たい声で、シンシアが言い放つ。ハロルドは驚いたようにシンシアの方を振り向いた。

 

「だが!」

 

「引きなさい、勇者として命じます。」

 

その言葉を聞いたハロルドの剣から少し力が抜け、その瞬間レグルスが剣を振り払った。互いに大きく後方へ弾き飛ばされ、凡そ状況は初めと同じ様相を呈する。

 

「……チッ、分かったよ。」

 

『では、お話の続きをどうぞ!』

 

「……まぁこの辺りは前座ですし、簡潔に行きましょう。という訳でベルズ、出てきても構いませんよ。」

 

アノンがそう言った次の瞬間、黒く渦巻くような魔力がアノンのマントから放たれた。それがゆっくりと凝縮し固まり、白骨の姿を為していく。最後におまけのように黒いローブが白骨に纏われる。

 

勇者達はこの光景を見ても物怖じはしない。この程度の魔力であれば、魔族の中には何体もいた。魔王であればこれを軽く凌駕していた。故に彼らが驚く道理は無い。

 

「やっとか。全く、今回は何とも不自由な旅路であったな。」

 

「この気配……!」

 

しかし、ニコラは別の要因で驚いたように声を上げる。そう、これもまた彼にとっては初めての遭遇ではない。

 

「その反応、という事はやはり我輩で間違いなかった訳か。」

 

「というわけで、勇者一行の皆様。こちらはベルズ、最初の森でニコラさんに見つけられたので、以降は私が隠していた人物です。」

 

名前が上がると、ベルズは口許を歪める。勇者達にはまるで威嚇している様に映ったが、アノンとレグルスはそれがかの王の昂りを示すサインであるという事を知っていた。

 

「紹介にあった通りだ。我輩の名はベルズ、魔物か魔族か或いは死人か……どれでも、各々が好きなように呼ぶが良い。」

 

『これで(ようや)く、アノン()をアノン殿()と呼べる訳ですね!』

 

「もう少し柔軟に対応して頂きたいものですが……まぁこれは今後の課題としましょうか。」

 

アノン達が談笑を交わしても、勇者達の目はベルズから離れない。

 

「なら、お前達は宿屋で会う以前から……!」

 

「ええ、皆様の事は存じ上げておりました。というより、旅路は最初から最後まで観測させて頂いております。今は亡き魔王城の主人様とも、少しお話をさせて頂きました。」

 

シンシアが少し身震いする。魔王の名が出てきてもおかしくはないと予想はしていた。しかし、それでもその名は彼女を震わせる。

 

「い、一体何が目的でそんな事を……?」

 

フィネが怯えたようにそう言う。まるで目の前の存在を理解不能な化け物として扱うかのようなその瞳を、彼らは見据える。

 

「目的……とわざわざ聞き直す必要があるのでしょうか?勇者が魔王を倒す旅ですよ?でしたら、直で見ること自体が目的にならない訳もないでしょう。」

 

アノンはさらりとそう言った。

 

「……本当にそれだけなのですか?」

 

「無論だ。魔王を倒す貴様らの邪魔をするにしても、我輩達がこの場で貶める事に意味はない。

何にせよ全てはこの時点で終わった話故に。」

 

ベルズも同調する。不思議とその言葉に偽りを感じる事はない。

 

「じゃあ、どうして王国がこんな事になっているの……?」

 

「そんなもの、魔物に襲われて滅びた(・・・・・・・・・・)に決まっているではないですか。」

 

空気が凍りつく。ただの言葉である筈なのに、勇者達の心が締め付けられるように痛む。目の前の存在が発する言葉が真実であるという不思議な確信と、それを何でもなさそうに淡々と伝える男のギャップがその空間を支配していた。

 

「だが、魔王は……」

 

『確かに魔王はいません、しかし魔族はまだいるでしょう?彼らの長である魔王が倒されたのですから、報復か弔い合戦かでこの国が滅びたのは自明の理でしょうね!』

 

「そんな、まさか……」

 

絶望感。ニコラは薄々気がついていたのかもしれない。この燃え盛る国のそこらかしこに魔物が持つ邪悪な魔力が残滓(ざんし)の様に残っていだのだから、気づけぬ筈は無かったのだ。

 

彼らは段々と現実を飲み込み始める。ニコラが魔力を感知したように、彼らもまた死体の山の中に何処かで見たことがある羽や牙を見ていた。一人冷静だったシンシアは、恐らくこの事実に誰よりも早く気づいていたのだろう。

 

「お前達は先にここに着いていたんだろう!何をしていたんだ!」

 

それでも、アノン達の疑いが晴れる事はない。彼らが魔物を手引きした可能性は確かにまだ残っている。が、そんな証明しようのない蓋然性(がいぜんせい)は最早意味を持たない。

 

「何もしておらんとアノンが最初に言ったではないか。貴様には聞こえなかったのか?」

 

そう、彼らは全てを語り終えた。故に彼らにとって疑いは言い掛かり、怒りは的外れ、哀しみは他人事でしかない。

 

『という訳です!そろそろ構いませんか?』

 

「ええ、長々と説明した説明は終わりです。そろそろ、新たな幕を開けましょう!」

 

 



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勇者の帰路③

 

「此処は……一体?」

 

アノンが指を鳴らした瞬間、周りの風景が一変した。天地が逆転した様な感覚をその場の誰もが感じると、虹色とも無色とも取れる淀みの広がる空間が彼方まで広がっていた。

 

「ニコラ!」

 

「フィネさん!皆さんは!?」

 

「分からない……何が起きたかも分からないけど、あの男が指を鳴らしたら……」

 

しかし、その地にはフィネとニコラしかいない。シンシアとハロルド、滅びゆく王国、目の前に立ちはだかる三体の敵。その誰もがその不思議な空間には存在しない。

 

「然り、あの男の名は奇術師アノン。であれば、奇術を使うのは名が表す通りである。」

 

否、一体だけが存在した。

 

「貴方は!」

 

「ベルズとか呼ばれてた……魔族!」

 

名を呼ばれ、ベルズは不敵に笑う。

 

「この我輩をベルズと呼ぶのは、アノン達以外だと貴様が初めてだ、魔法使いの小娘。魔王を倒しただけの事はあると考えても良いのかね?」

 

「貴方より、人の方がよっぽど怖いもの!」

 

一瞬の沈黙。

 

「……それは盲点であった、一理ある。学ぶ事があったという事は、やはりアノンの言い分は正しかったという訳であるな。」

 

「此処は一体何処なのですか!?」

 

感心する様に言葉を反芻(はんすう)するベルズに、ニコラが大きな声で叫ぶ。ベルズはその喧しい声に、少し不愉快そうに顔を歪めた。

 

「アノンが作った異空間である。尤も名前こそ大層だが、実際は次元が歪んでおるだけに過ぎぬ故、空間として定着はせぬが。」

 

「時空が歪む……?」

 

フィネの言葉を聞くと、ベルズはゆっくりと腰を下ろす。すると何処からともなく黒い霧の様なものが集まり、腰を下ろした先に玉座の様な椅子が現れ、ベルズはそこに腰掛けた。」

 

「どの道貴様らには理解出来ぬだろうが……確かニコラとフィネといったな。時間が過ぎるまで我輩に問うなり、そこで暇を持て余すなり好きにするが良い。」

 

「どういう事?」

 

「何、この隔絶された世界で軽く貴様らの力量を測る予定であったのだが、興が削がれた。我輩に戦う意義はないという事だ。」

 

「……私は貴方を倒すくらい訳ないけど?」

 

フィネは反射的にそう言った。ニコラも逃げるつもりは毛頭無い。そもそも彼らにとっての敵はベルズだけではなく、彼らにとっての目的は敵を倒すことだけではない。

 

「では打ち込んで来るが良い。さすれば今すぐにでも戦いを始めてやろう。ただし……」

 

空気が重くなる。ベルズが持つ魔力は変わらないが、威圧感がその空間を押し潰さんとし、黒々しい魔力が実体を持ったかの様にベルズの周りを漂い始める。

 

悍ましいオーラを放つその存在は、かつてアノンの前に現れた亡国の王者、そして不滅の男。そして今や奇術師と旅をし、幾多の世界を見届けた者。

 

「選択を誤るなよ?何事にも、取り返しのつかぬ事は存在する故に。」

 

ニコラとフィネの心臓が早鐘を打つ。目の前の存在は、魔力の質も量も変わらない。しかし目の前の存在から感じる気配、世界に存在する事さえも拒まれる異質感。或いは魔王を凌ぐほど……

 

「……では、質問します。何故、今になって私達に正体を明かしたのですか?」

 

震えを必死に抑えながら、ニコラは質問をする。戦う意思が折れた訳ではない、しかしそれは一人ではなく四人で戦う事を前提としていたのだ。

 

「貴様、やはり(さと)いな。我輩が何処まで答えるか、凡そ予想をつけて質問を投げかけておるという訳か。」

 

少し考え、ベルズは答える。

 

「貴様らが役割に縛られ役目を持っていた時点では、我輩達には少々都合が悪かった、それだけの話だ。これ以上は答えられぬな。」

 

「じゃあどうして王国の人々を……!」

 

「助けなかったのか、とでも言うつもりか?では何故、我輩が助けねばならぬ?」

 

感情的に返すフィネにも、ベルズは冷静にそう返す。しかしそれは決して冷酷な一言ではなかった。

 

「そ、それはそうする事が……!」

 

「確かに我輩には力がある、だがそれはあの王国を救う為に得た力ではない。貴様らが他者を救わんとするのは勝手だが、それを見も知らぬ我輩に押し付ける道理はなかろう。」

 

ベルズは続ける。

 

「貴様らは崇高過ぎる。それ故、他者に理想を求めるのだろうが……結局はな、何事も極端であれば毒にもなりうるのだ。我が国の政策も経済も国民も、その何もかもがそうであった様にな。」

 

「……」

 

「ではまた、何かを思いついたら呼ぶが良い。」

 

「最後に一言、良い?」

 

フィネがそう声を上げる。戦意がない事をベルズが察すると、ベルズはフィネに目を向けた。

 

貴女(・・)、魔物とはいえもう少し言葉遣いは直した方が良いわよ?」

 

「……全く、あの愚か者めが!」

 

そう言い残すと、ベルズは虚空へと姿を消した。ニコラとフィネは顔を見合わせ、その空間の在り方を確かめるかの様に歩き始めた。

 

 



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勇者の帰路④

 

同刻、ニコラ達がいる場所とは別の異空間。

 

ハロルドが構えた右手の剣で深く突く。それはレグルスの鎧の間に伸びる配線を狙った一撃。

レグルスが軽く体を捩ると、剣は金属鎧に当たり滑るように軌道を変える。けたたましく鳴り響く甲高い金属音、激しく飛び散る赤い火花。

 

その瞬間、ハロルドの左右に銀と金の二色の閃光。レグルスの振るう二対の刀が迫る。

瞬間的に一歩引き、ハロルドが構えたのは左手の大盾。剣は盾に阻まれ、鳴り響くのは先程よりも大きな金属音。全身に力を込め、ハロルドが剣ごとレグルスを後方に弾く。

 

しかしレグルスの背中から現れたのは無数のブースター。噴出音が鳴ると同時に一瞬で距離を詰め、すかさず二対の刀で左右上空から切り下ろす。

 

「ッ!」

 

辛うじて盾を両手に持ち防ぐも、動きを封じられるハロルド。押し戻そうと試みるが、歴戦の戦士でさえも圧倒的な推進力に勝つ事は出来ない。強い負荷が掛かり、嫌な音を立てる盾と重鎧。

 

『……素晴らしい!これは剣術の使い手というより、盾術の使い手と呼ぶべきですね!』

 

「レグルス……お前は此処で倒す!」

 

『その心意気です!貴方の本気を見せて下さい!』

 

「黙れ!」

 

その瞬間ハロルドは盾から右手を離し、片手に剣を構えた。当然レグルスはその隙を見逃さず、刀で盾を切り払おうとする。

 

(……おや、動きませんか!)

 

しかし、予想外にも刀は盾と力を釣り合わせたまま微塵も動く様子はない。そして迫るはハロルドの剣。先程と同じく狙いは鎧の間、無数に伸びるレグルスの配線。

 

「!」

 

レグルスは刀に加える力を弱め、大きく背後に飛び退いた。ハロルドの剣は虚空を突く。そのままレグルスの刀は鎧の中に収納された。

 

『そう、戦いとはこうでなくてはなりません!ただぶつかるだけではなく、戦略を以って相手を打ち倒すも味というものです!』

 

「……」

 

答えはない。ハロルドはただレグルスを見つめ、レグルスは首を傾げる様な仕草をする。

 

『あまり乗り気ではありませんね!戦士である貴方がその様な態度を取るとは、些かおかしな話ではありませんか?』

 

「戦いなんて無いに越した事はない……分からないのか?」

 

『分かりはしますが、好みはしません!理想を掲げるのなら、貴方がその体現者になるべきでしょう!でなければ、その理想はただの夢物語で終わりますよ!』

 

ハロルドが剣をレグルスに向ける。

 

「ならば打ち倒すまで。その方が手っ取り早いだろ?」

 

『同感です!話し合うよりも圧倒的に現実的ですからね!』

 

そう言いながら片手を伸ばすと、鎧の間から刀が排出される。しかしその長さは先程の刀の長さと比べて約二倍。レグルスは銀と金の双の刀ではなく、銀と金の二色を持つ一本の長刀を構える。

 

「刀を繋げて長刀に……?」

 

『空に輝く星を点と見るか、それらを繋げて線と見るか、或いはその空全てを夜空と見るか。何事も解釈次第でしょうが、必要なのは見方を変える柔軟性です!』

 

「何が言いたい。」

 

『大した事ではありません!単純に……』

 

「……ッ!?」

 

悪寒。反射的にハロルドが盾を前に突き出すと、盾が文字通り横真っ二つに両断される。振われたのは獅子の一刀。音すらも置き去りにし、全てを断ち斬る神速の刃。

 

『貴方が私の刀を受けるのは、もう叶わないというだけです。万事休すですね?』

 

長刀を軽々と片手で構え、そう宣言するレグルス。最早使い物にならない盾を捨て、片手剣を構えるハロルド。その間に流れるは長い沈黙。しかし一瞬でも気を抜けば、互いに斬り払われるという事実。

 

そして次の瞬間、互いの刀が振われた。

 

 



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勇者の帰路⑤

 

異空間にて、シンシアとアノンが対峙する。

 

「ねぇ、一つ聞いても良い?」

 

しかし、意外にも互いに敵意はない。アノンにそう声をかけるシンシアが剣に手をかけていない事はその証でもあった。その姿を見てもアノンは別段驚いた様子を見せない。いつの間にか、彼もまた杖を握ってはいなかった。

 

「勿論構いませんが、むしろ一つで宜しいのですか?此処まで我々も中々無茶をしていますので、三つ程あっても構いませんよ?」

 

「答えを聞いても信憑性がある訳じゃない。だったらそんなに聞きたい事はないの。」

 

アノンは肩をすくめる。

 

「左様ですか、それでも構わずに聞きたい事というのは?」

 

「貴方の本当の目的よ。」

 

シンシアは真っ直ぐアノンを見据える。その目が逸らされる事はない。

 

「本当の目的、とは?」

 

「骸骨の魔物が言う言葉に偽りは無かった。確かに魔族の雰囲気はあるけど、あれは他者を騙す悪意というよりも他者を嫌う敵意。

鎧の魔物もそう、あの身体にどんな技術が使われているかなんて想像もつかないけど……でも少なくとも嘘つきの在り方じゃない。」

 

シンシアの直感は優れている。それは勇者としてではなく、シンシアという個人が単純に勘が鋭いだけ。よく当たるこの性質は彼女の性格と合わさり、物事を的確に解決する素晴らしき勇者シンシアという人間像を生み出していた。

 

「でも貴方は違う。真実を言わないのはまだ良いの、でも貴方だけは嘘をついているのかどうか分からない。何処を見ているのかが分からない。ねぇ、貴方──」

 

少し間を開け、シンシアは言った。

 

どうして(・・・・)仮面なんてつけてるの(・・・・・・・・・・)?」

 

アノンの表情は読めず、アノンの視線は何処を見ているか分からない。何故なら、彼は仮面をつけているから。

 

「……些事ですよ、そんな事は。」

 

「答えられない?」

 

「答える事は出来ますが、嘘をつく事も出来ます。ですから貴女には力を示して頂きたいのです、私が誠実である為に。」

 

アノンが指を鳴らす。その瞬間黒い渦が現れ、そこから出てきた杖をアノンが掴む。そしてそのまま杖の先端をシンシアへと向けた。

 

「……今更、選択権なんてないでしょ?」

 

そう言いながら、彼女も遂に剣に指をかけた。先程までの穏やかな気配は消え、剣呑な雰囲気が辺りを支配する。

 

「仰る通りです、では始めましょう。」

 

そう言うと、アノンは突然振りかぶる。そして次の瞬間、彼は杖を投擲(・・)した。

 

「なっ……!」

 

虚を突かれたシンシア。弾こうとして剣を振るが、反応が遅すぎる。投擲(とうてき)された杖は彼女の右腕に当たり、鈍い音をたてた。

 

「……ッ!」

 

苦悶の表情を浮かべるシンシア。重力に従い落ちた杖は音もなく現れた黒い空間に呑まれていく。そしてまたアノンが指を鳴らすと、杖が虚空から彼の手元へと落ちてきた。

 

「杖を持っていたから魔法使いだろう、と考えていたのでしょうね。しかしそうした考えに囚われると、足元を掬われますよ?」

 

彼が言い終わるや否や、シンシアが一瞬で距離を詰める。ベルズ程ではないが、その速度は十分に人外の域。

 

「貴方の方こそ……!!」

 

上から下へと斬り払われる聖剣。魔を滅ぼす輝光こそ携えてはいないが、生半可な鎧であれば易々と貫くその刃が、アノンの体を──

 

「!」

 

キィン!と金属音。アノンの手に握られた杖の隙間から顔を見せる銀色の刃、それがシンシアの剣を阻む。そのまま拮抗する二人。

 

「貴女と手合わせるのであれば、やはり剣でしょう。」

 

そのままゆっくりと、杖の()が姿を消していく。次の瞬間には杖の姿は跡形もなく、アノンの手には剣が握られている。見た目は仕込み杖だが、実際にそうなのかは分からない。

 

「……ハァッ!!」

 

シンシアが大きな声を上げ、剣を無理やり振り抜いた。押し出されるアノン。レグルス達の時と同様に、互いの距離が離れる。あの時と違うのは奇妙な音。致命的に取り返しのつかない音、つまるところ。

 

「……」

 

「……」

 

それはアノンの剣が折れた音。一瞬訪れる沈黙。

 

「……やはり剣だけでは無理ですか。華麗に相手を打ち負かすにはまだ遠いですねぇ。」

 

アノンがそう言いながら残された杖の握りを強く振る。すると握りの部分から柄が遠心力で現れたかの様に伸び、くるりと回転させる頃には杖は元の姿を取り戻していた。

 

「貴方は一体……」

 

「夢見人ですよ、シンシア。もっと大仰(おおぎょう)に申し上げるのであれば……理想を現実にする現実主義者、ですかね?」

 

「……答えになってない。」

 

そう、直感とは万能ではない。何故ならそれは答えを出すものではないから。シンシアは致命傷を避ける事が出来る。では怪我をしないかと言えばそんな事はない。行動が伴わない、つまり反応できない物には意味を為さない。

 

またアノンは仮面を隠す為、認識阻害をかけていた。シンシアはそれを直感で看破できたが、アノンの顔までは認識出来なかった。彼女に見えるのは当然仮面だけであり、表情を窺い知る事は出来ない。

 

「……そう、結局貴女は答えを出せていないのですよ。勇者としての貴女の物語は、魔王を倒した時点でとっくに終わっています。しかしそれでもそれに縋り付くしかない、何故なら貴女は勇者としての生き方しか知らないから。」

 

流れる様にアノンは言い切る。

 

「何を知った風に……!」

 

「知った風ではなく、知っているのですよ。貴女以上に私は貴女の在り方を見てきたのですから。」

 

「違う、私達は物語なんかじゃない!貴方に見られる為に、みんな生きている訳じゃない!誰かが求めるのなら、その為に私は何度でも立ち上がるだけ!」

 

勇者、その意思は折れる事がない。アノンですらもその高潔を言葉で汚す事は出来ても、足を折るために心を砕く事は出来ない。

 

「やはり貴女は理想的過ぎる、正直辟易します。命は断てませんが……その心、傷くらいはつけておくとしましょうか。」

 

「貴方は現実的過ぎるし、好きになれない!打ち倒して……少しは改心させてあげる!」

 

二人はまたも、武器を構える。

 

 



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勇者の帰路⑥

 

二人の剣がぶつかり合い、金属音を辺りに響かせる。シンシアの剣戟は攻め立てる様に、それをアノンは弾き返す様に剣を振るう。散る火花、剣の軌跡、舞う血飛沫。

 

二人とも、無傷ではない。如何にシンシアが攻め立てようとも、反撃に振られる剣がシンシアの体を傷つける。アノンも同じく如何に防御を固めようと、捌き切れない斬撃が、振われる剣圧が、徐々に彼の体を蝕んでいく。

 

シンシアが大きく距離を取る。魔力が膨れ上がり、それが視覚化出来る程に空間を覆い尽くす。

 

「【裁きの光よ!】」

 

シンシアは武器を持たない腕を構え、詠唱する。次の瞬間、無数の青色の雷がアノンを目掛け降り注ぐ。飛来する稲光の裁き、此れこそが勇者の魔法。

 

「〈我が道は拓かれる。〉」

 

しかし魔法を唱えたのはアノンも同じ。轟音と共に地を砕く雷の嵐は彼には届かない。まるで彼の立つ場所に傘があるかの様に、雷は散らされていく。

 

「魔法!?」

 

シンシアは驚いた様に声を上げる。彼女にとっての驚き、それは魔法を使われた事にはなく、また自身の魔法を防がれた事でもない。

 

(何あの言語、聞いた事もない……!)

 

否、原理が違う。シンシアは魔法を防がれた時点でそれが魔法による防御であると直感で理解出来た。またそれが違う言語による事も。しかし彼女、ひいてはこの世界の人々にはその魔法は理解できない。

 

「……使わない方が良かったかも知れませんね。とはいえこうしないと防げないので、黒焦げにならないためにはこうするしかないのですが。」

 

それは異界の魔法、理が違うのならば理解出来る筈もない。

 

「貴方、本当に何者……?」

 

「勇敢でありながら目敏(めざと)い、それ故に細かい事を無視できないのが貴女の弱みですね。」

 

アノンが杖を左から右へと横に振る。振り終えた杖の先からは、まるで最初からあったかの様に長い刃が接続されていた。

 

(鎌……!)

 

シンシアは身構える。死神が持つ様な大鎌、武器としては扱いづらいだろうが、アノンが持つ武器はそもそも杖。収納が自由で振りかぶる動作を必要としなければ、重みで十分に剣と打ち合える。彼女達が倒した魔族の中にもそういった手合いがいた。

 

しかしアノンは動かない。真横に携える大鎌の刃がゆっくりとその重みに従い、真下を向く。そして続く沈黙、やはりシンシアは身構えたまま動かない。

 

(……どう来る?)

 

シンシアにとって、アノンは未知の存在。無論彼女が今まで倒してきたのは魔物、未知の存在といえばそうなのだが、それでも魔物というカテゴリには入っている。

 

直感に従うのであれば。アノンは魔物ではなく、魔族ではない、しかしそれだけ。人である事をその直(・・・・・・・・・)感は証明しない(・・・・・・・)。仮面が表情を隠すから、視線を隠すから。そんな些事ではなく、人にあらざる可能性を(はら)んだ直感。彼女は相手の出方を見ざるを得ない。

 

「……使いづらいですね、やはりやめておきますか。」

 

突然そう言い、杖を下に振るアノン。鎌の刃は最初から無かったように消え去る。そして続けて一言。

 

「魔法も見れましたし、もう私は終わっても良いですが……どうします?」

 

「え?」

 

間の抜けた声を出すシンシア。緊張が緩んだ訳ではないが、張り詰めた空気はその場から消え去る。

 

「……本気、なの?」

 

「……いや、それはこちらの台詞ですが。嘘がついているかどうか分からないのに、私を信じるのですか?」

 

アノンも少し驚いた様子でそう返す。

 

「信じてるって訳じゃないけど、ここから帰してくれるなら別に構わない。直感だけど貴方、少なくとも殺意はないでしょ?」

 

「……そう一括りにされてしまうのも良い気分はしませんが、まぁ構いません。では手合わせは此処までという事にしましょう。」

 

少し複雑そうな様子で、アノンはそう繋ぐ。シンシアもようやく人心地ついた様に溜め息を漏らす。剣を納め、しかし警戒は解かない。アノンが指を鳴らす為の姿勢を取る。

 

「ですが次があれば、もう少し本気でやれると良いですね?」

 

最後の一言と共に、異空間は消え去った。

 

 



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想起の幕引き

 

異世界、それは架空の世界。

私達は架空の世界を考え、それに想いを馳せる事でその世界を観測しています。

しかし架空の世界に生きる彼らが、観測されている事を知覚しているかどうかを証明する術はありません。

また、私達が観測されているかどうかについても証明する術はありません。

 

ですが、これは単なる詭弁。その前提には「世界を渡る者の不在」という仮定が存在するのです。

ただし前提の否定、「世界を渡る存在の証明」が困難な課題である事は確かでしょう。何せ世界を渡る存在が稀有、仮にいたとしても一方通行の者が多いのですから。偶発性に依るのであれば、証明に使えぬのは道理です。

 

私達の立ち位置は単純、世界に属する者でしょう。如何に要素が変わろうとも、秩序に、法則に、世界は縛られているのです。そして縛られた世界でしか、私達は生きていく事が出来ないのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……長々と何が言いたい?」

 

「詩の様な物です、どう受け止めるかは各々次第でしょうがね。ともかく総括と参りましょう。」

 

三人の来訪者は廃城にて語り合う。その地は幾多の魔物の総本山、今は亡き魔王の治めた地、名を魔王城。

 

その荘厳にして邪悪な佇まいは、しかし残骸と成り果てた城には残ってはいない。尤もベルズの城のように風化し、城があった事だけを想起させる様な瓦礫だけが並ぶ地では無い。魔王と勇者が衝突した時に壊れた故に、城はまだその有り様を辛うじて残していた。

 

『アノン殿、勇者一行は王国に送り返したのですか?』

 

「ええ、彼らには彼らの旅路がまだあるでしょう。旅路は一時交わったに過ぎませんので。」

 

アノンの服や杖には損傷がなく、先程の戦いの爪痕は残っていない。しかしベルズに無言で軽く叩かれた痕はシルクハットの歪みとして現れている。

 

「総括というのなら、貴様らは奴らと相対して何を感じた?」

 

『ハロルド殿ですか?頑固であった事は間違いありません!しかし戦士であるのですから頑なで、固まったその在り方は相応しいと言っても過言はないでしょう!そういう意味でも強敵でしたね!』

 

興奮するようにそう捲し立てるレグルス。鎧の中の配線に光が駆け巡り、周りが少し明るくなる。

 

「我輩の相手はニコラとフィネ……だが戦ってはおらん。」

 

「そうなのですか?」

 

「魔法使いと僧侶を相手に、近接戦で戦うのは無粋であろう。命を賭けた試合であればまだしも、単なる手合わせでそれは公平ではあるまいよ。」

 

対してベルズは落ち着きながらそう話す。片手に持っていた壊れた王冠を眺め、それを瓦礫の上にゆっくりと置いた。

 

『律儀ですね!』

 

「少なくとも、未熟者では無かった。芯に殺意さえ持っていれば、我輩といえども屠られていたかもしれぬな。それ以上言う事はないが……ところでアノン、貴様よりにもよって認識阻害を解除しておらんかったな?」

 

少し空気が震える。但し含まれていたのは怒りというより呆れが大半。威圧というよりは疑問の延長線上の様な気配。

 

「まぁその話は追々。シンシアさんはそうですね……勇者であったのならば勝ちの目は無し、あの状況でも試合が続けばいずれ負けていたでしょうね。」

 

レグルスが首をかくん、と横に傾ける。

 

『……私は瀕死で抑えたので、ほぼ勝ちでしたよ?』

 

意訳すると、貴方ともあろう方が勇者シンシアに負けかけたのですか?となる。その様子を見て、ベルズも思い出し同調するかの様に尋ねる。

 

「忘れていたぞ、何故勇者の旅路に積極的に介入しなかったのかが疑問だったのだ。道中でも、敵としてなら立ちはだかれたであろう?あのタイミングで挑んだ理由は何だ?貴様は役目が如何とか言っておったが……」

 

「物語が終わっていたから、ですよ。」

 

『物語?』

 

アノンが片手に持った杖をくるりと回す。こつん、と杖が地面にぶつかり軽く音を立てると、彼の言葉を捕捉するかの様に絵が現れる。

 

「この世界における物語は、『勇者が魔王を打ち倒す』です。ですから魔王を倒した時点で、勇者シンシアは勇者ではなくただのシンシアという一人の女性になっていた訳です。」

 

「……それは唯の言葉遊びであろう。」

 

ベルズは即座に否定した。彼の言う通り、称号というのは言葉遊び。在り方から規定されるものであり、在り方を規定するものではない、と。

 

「ですが真に恐ろしいのはそこです、良いですか?『勇者が魔王を打ち倒す(・・・・・・・・・・)物語は(・・・)他の全てに優先(・・・・・・・)されます(・・・・)。ですから逆説的に、勇者が勇者である時に挑む相手は例外なく敗北するのですよ。」

 

『冗談ですか?』

 

「であればあそこまで面倒な手順は取りません。勇者が道中で敗れる事は無い、何故なら魔王を倒すのは勇者だから。まるでゲームの中の世界ですね。」

 

レグルスは首を振る。″理解不能″というより、″理解拒否″。訳が分からないではなく、訳が分かりたくないという事だろう。

 

「ではその『物語』はどう判別した?勇者の『物語』が終わったという保証は何処にあったというのだ?」

 

「状況証拠です。勇者が魔王を倒すのはまぁそういうものだ、と受け入れられます。ですがそれが数百回と続けられてきたとしたら?」

 

アノンはこの世界の歴史を紐解いて行く内に、一つの答えを見つけた。魔王を倒す勇者の物語が継続してきたのだとしたら、勇者が敗北した事はなかったのか?

 

『……あり得ませんね。』

 

そう、あり得ない。しかし結論から言えば。

 

「あり得たのですよ、この世界では。そしてその後、英雄達は気ままに生き死んで行く。だからこそあのタイミングの手合わせとなった訳です。しかしそれでもシンシアは強かった。……物語だったからではなく、彼女は本当に強かったのでしょうね。」

 

アノンはしみじみとそう呟く。勇者シンシア。快活、純真、猪突猛進な英雄。運命に規定され、それでも運命に従うのではなく運命を選び取った少女。

 

「……そう、か。」

 

「質問は終わりましたか?問題が無ければ軽く休憩を済ませ、次なる世界へと参りましょう。」

 

立ち上がったアノンにベルズが人差し指を指す。

 

「最後に一つ。」

 

「何でしょう?」

 

少し間を開け、ベルズは尋ねた。

 

「魔王は……魔王の敗北は、役割に沿ったものだ。ならば、お前は魔王が行なってきた全てが無駄だったと思うか?どうせ負けるのなら努力は無意味だったと、そう思うか?」

 

一瞬の沈黙。

 

「──思いません、決して。物語も、役割もこの世界にはある。或いは魔王という存在は引き立て役で、全ては無意味だったのかもしれません。」

 

「しかしそれでも、彼の王は存在しました。忌み嫌われ役割に囚われた王の物語は、私達が引き継ぎます。決して忘れる事のないように、理想郷(アルカディア)へと紡いでいくのです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ベルズ。もう出発しますが、よろしいのですか?」

 

「何がだ?」

 

「彼の王への手向けの言葉です。あそこに居たのでしょう?」

 

「さてな、だがどちらでも変わるまい。我輩達が忘れなければ良い、それだけだろう。」

 

「……野暮な質問でしたね、では行きましょうか。」

 

勇者の旅路。

シンシアが、ハロルドが、ニコラが、フィネが歩み、紡ぎ、踏み進めてきた(みち)

 

三人の来訪者はその旅路を追憶する。彼らの結末は未だ訪れず、未来はどう広がるか分からない。

 

だが、一つ言える。

世界は平和になったのだ。

 

ハッピーエンドであったのだろう。

 

 

 

 

 

 

そして、三人の旅路は続く。

 

 



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幕間・勇者の岐路

 

岐路、それは旅路における分かれ道。

何も知っていなければ、右か左かを決める事は簡単だろう。

 

しかし、それが重大な選択であると知ったら?

どちらかに遊んで暮らせる程の金があったら?

どちらかに世界を救う為の鍵が隠されていたら?

片方が当たりで、もう片方が外れだと知らされれば?

 

そう、或いは同じ道でも迷いに迷う。

不思議な事に選択の手助けとなる制約が、逆に選択を重いものとする。

 

ともかく、旅道は振り返る事ができても戻る為の道はない。

過去を振り返る意味はあれど、過去に囚われる事は意義を持たぬように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、旅路だけではなく何事も選択からなるものです。」

 

『その通りだとは思いますが……この場で言わなければならない事なのですか?』

 

少し過去の話、此処は聖剣の森。勇者達を追い続けるアノンとレグルスだったが、彼らはそこで勇者達を見失っていた。

 

聖剣の森、その濃霧に包まれた森は迷いの森や別れの森とも呼ばれる。かつての勇者は魔王を打ち倒した後、その剣を聖なる森へと返し、次代の勇者がこれを受け継ぐ。こうして一振りの聖剣が長い世代継承されてきたという話は、この地に住まう者であれば誰もが知っていた。

 

『迷いの森、とはよく言ったものですね。まさか私の機構が使えない場所があるとは……』

 

「磁場が狂っているのか、方向感覚をあやふやにする何かがあるのか、或いはそのどちらでもないのか……興味は尽きませんね。」

 

彼らが立つは森の三叉路。一つは今まで歩んで来た道、そして残りの二つは未知の道。看板も足跡も木々の違いでさえも、手掛かりになるようなものは何一つない。

 

「おや、ベルズが怒っていますね。『とっとと見つけろ』だそうです。」

 

『簡単に仰いますが、どうするのです?演算で答えが導ける程、この場に情報はありませんよ?』

 

彼らが勇者達を追う理由は一つ、彼らを観測する為である。故にこの場で待ち続ければいずれ答えは向こう側からやってくるが、それでは勇者が聖剣を手に取る瞬間を目撃する事が出来ない。彼らにとっての問題はそれだった。

 

「二手に別れられるのならば、話は早いのですがねぇ。」

 

そう、彼らは二手に別れる事が出来ない。正確には別れる事に問題はないが、観測は彼ら全員で行うものであるというところに本質があった。

 

『さて、本格的にどうしましょうか?物理的に傷をつけても修復され、魔力の残滓は濃霧によって拡散されるようですし……』

 

「そうだ、少し思いつきました。ベルズ、一度出てきて下さい。」

 

「……何用だ。」

 

ベルズはアノンのマントから現れると、不機嫌そうにそう言った。

 

『卿はいつも不機嫌そうですねぇ。』

 

「何故奴らを見失えるのか理解に苦しむ。レグルス、貴様がいながら……」

 

「小言は後にして下さい、それより少し魔力を放っていただけませんか?」

 

手で静止しながら、会話に割り込んだアノン。ベルズは頷くと、黒々しい波動を放つ。木々がざわめき、霧は少し形を変える。

 

「……これで構わぬか?」

 

「ええ、では着いてきて下さい。」

 

迷わず右へと歩みを進めるアノン。ベルズとレグルスは無言でそれに着いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右、左、左、右と道を進んで行く途中でベルズが不意にアノンの方を向く。

 

「一体何をしたのだ?」

 

『私も気になっていました!どういう事なのですか!?』

 

レグルスの回路の発光が一層強くなる。

 

「そうですね……勇者達の心境を考えてみたのです。」

 

「何?」

 

「仮定として、単純に二股の道が続いていくとしましょう。勇者達が聖剣を探すのであれば、どういった手段を取るでしょう?」

 

パチリと指を鳴らすと、アノンはレグルスに向かって指を指す。指名されたレグルスの回路が軽く光った。

 

『しらみ潰しに探せば良いのではないですか?』

 

「まぁそれで見つかれば良いのですが……物理も魔力もその痕跡を許さない森です、しらみ潰しなどという古典的な手は対策してあってもおかしくないでしょう。」

 

「では勇者が聖剣に反応するというのはどうだ。仮定だが、十分にあり得るだろう。」

 

「それもあり得ますが、少し現実味に欠けます。方向が分かっただけで二股の道を歩き続けていけるものでしょうか?」

 

少し沈黙が続き、続けてレグルスがこう言う。

 

『……では、現実性のある手を取ったと?』

 

「そういうことです。歩いてきた道にパンを残す事が出来ないなら、パンを投げて跳ね返って来るかどうかで道を判別する事は出来るでしょう?」

 

「つまり反響(・・)、魔力が帰ってくるかどうかで道を探していると?だがそれで我輩が見つかったらどうするつもりだ?」

 

「それはあり得ません、森全体の魔力が濃すぎるのです。知らなければ検知出来るものではないでしょう。」

 

レグルスの回路が激しく光る。眩しそうにベルズが視線を逸らした。

 

『ではアノン殿はどのように検知しているのですか?』

 

「どのようにもなにも、普通に検知出来ますよ?森の魔力が幾ら濃かろうと、前もってベルズが魔力を放つ事を知っていれば流石に分かります。」

 

少し間を開け、アノンは続ける。

 

「単純な話ですが、道は切り拓いて行くことも出来るのです。帰り道の為に痕跡を残させる森ではないでしょうが、そもそも聖剣を隠す森。誰も彼もを拒む仕掛けがあるわけでは無いのですから。」

 

「……貴様の推理は大当たりだ、丁度盛り上がっている所だぞ。」

 

いつの間にか、彼らの目の前には洞窟が広がっていた。奥には四人分の人影と、辺りを照らす光を放つ剣が地に刺さっている。

 

「では、ゆっくり拝見させて頂くとしましょうか。」

 

彼ら三人は、その様子をゆっくりと観察するのであった。

 

 



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来訪者は共に
夜空を想う①


 

願い。

誰かを救い、誰かに救われたいという願い。

全てを壊し尽くしたいという願い。

ただ幸せに生きたいという願い。

 

いずれにせよ、願いが持つは一つの方向。

選ぶのではなく、選ばれる事こそが願望。

故に人々は祈る、神に、星に。

そこに、真理は一つ。

 

祈りの為に願うのではなく。

ただ、願いの為に祈ること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある異世界、街並みの中。

物陰に人の気配。

 

「此処は……」

 

シルクハットとスーツを身に纏い、杖を携える男。アノンは散乱する金属片を踏み散らしながら、建物の影から現れる。不気味な静寂の中に足音だけが広がっていく。

 

「……何だ、この世界は?」

 

そしてそれに追従する様に現れたもう一つの人影。只ならぬ様子を醸し出すその存在は、黒々しい波動に身を包む亡骸。金属片が骨と擦れ、妙な音を奏でる。

 

彼らの目の前に広がるのは未来都市。ビル群が立ち並び、その間を縫うように車両走行用空中道路(見知らぬ何か)が回路のように貼り巡らされている。しかし、彼らの目を奪ったのはそこではない。

 

「廃れていますね……」

 

そう、廃れている。ビル群に光は無く、道路に車は無く、飛翔体が空を飛ぶ事も無い。アノン達が踏んだ金属片の様なものがそこら中に散らばり、砕かれたガラスが放置されている所を見るに、この都市を管理する者が長くいないであろう事は彼らにも明白だった。

 

「アノン、我輩はまだ世界を渡った経験が少ない故に一つ聞いておきたい。こうした世界に巡り会うのは良くある事なのか?」

 

ベルズはアノンの背中を見ながら質問した。それに対し、アノンは振り返らず答える。

 

「……貴方の言う『こうした世界』が何を指しているかによります。

『文明が高度に発展した世界』を指すなら頻繁ではありませんが経験はありますし、『人がいない世界』は稀ではありますが未経験ではありません。」

 

「ならば……」

 

その瞬間、アノンはくるりと振り向いた。そしてベルズの鼻先に杖の先端を向けて続ける。

 

「落ち着いて下さい、問題は『人が排された世界』である場合です。此処まで文明を発展させてきた人類が一人もいない。経験則ですがこういう場合には……」

 

一瞬の間。アノンが杖を下げ、元の方向を向き直る。静寂と残骸のみが広がる空間を見据え、アノンは杖を構えた。

 

「最大級の警戒を。人を退け得る強敵か難題か、どちらが襲ってくるか分かりません。」

 

ベルズから黒い波動が迸る。互いに警戒態勢に入った次の瞬間。

 

「ッ!!」

 

アノン達の目の前で鳴り響いたのは巨大な爆音。まるで大地が沈んだかの様にずっしりとした重低音。静寂は地面と共に砕かれ、土埃と砂煙が金属片と共に辺りを舞う。

 

刹那、音もなくベルズが拳を放つ。激しい衝撃、そして轟音が遅れてやってくる。風圧で視界が明瞭になると同時に、放たれた拳は金属製の物体に弾かれ虚空を貫いた。

 

「……!」

 

目の前に現れたのは、金の刀。そしてそれを持つ銀と赤色の機械人形。武者鎧を彷彿とさせつつも、先進的であるという事を表す無駄のないフォルム。ベルズは勿論、アノンでさえも驚きを隠せずその場で静止する。

 

『ストップ、攻撃の停止を求めます。』

 

明瞭なトーンで響く機械音声。少し遅れてベルズはアノンの方を振り返る。アノンが構えた杖を地面へ投げ捨てると、ベルズも観念した様に拳を引き、少し距離を取る。

 

『感謝します、来訪者の皆様。私はレグルス、この世界最後の生き残り(・・・・・・・・・・・)です。まずは現状から説明させて頂いても宜しいでしょうか?』

 

これこそが物語の始まり。神出鬼没、世界を旅する旅芸人。不死不朽、亡びた国の王者。そして機々械々、結末を担った兵器の初めての遭遇であった。

 

 



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夜空を想う②

 

静寂のみが広がる都市を、星灯りが照らす。そんな静寂を足音で破りながら動くのは二人と一体。来訪者であるアノンとベルズは自身を最後の生き残りと名乗る、レグルスの後ろに着いて進んでいく。

 

『最初に結論から申し上げますと、この世界に私以外の人類・動く機械は存在しません。私が全て滅ぼしました。』

 

歩きながらレグルスは独特の機械音声でそう発した。アノン達の方はちらりと見たきり、そのまま前を注視して進んで行く。

 

「……何故、滅ぼしたのですか?」

 

『何故。それは上位存在からの命令でした。私は他者を滅ぼす為に生み出された自律兵器。私は命令を実行し、そして世界から人類と機械は消失しました。

何時。249年158日10時間34分前、それが彼らが滅び去った時間です。私が命令を受理してからおよそ半年後の出来事でした。

何処。この星における全ての場所です。私の生命探知、視界共有を利用すれば全ての場所を把握するのは容易い事でした。貴方達を見つけたのもそうした機能のおかげです。』

 

ただ無慈悲に言葉が述べられる。そこに感情は無く、情報としての意味のみを持った言葉。目の前の存在が世界を滅ぼしたと言われても、疑問すら抱き得ない程の圧倒的な気配。

 

「我輩達に刃を向けぬのは貴様の意思か?それとも単純に命令の対象外だからか?」

 

『理由。端的に言えば前者です。上位存在の命令ゆえに私は全てを滅ぼしました。その時点で命令は遂行されましたので、現在の私は自身の意思で行動しています。』

 

レグルスが語り終えると、沈黙が訪れる。語り終えた訳ではなく、彼らにも問いが無くなった訳では無い。ただ静かさが充満した故に、彼らの口は噤まれる。

 

しばらく無言で歩くだけの時間が続く。周りには破壊された機械が辺りに散乱している。立ち向かう様に止まった物、逃げ出そうと背を向けた物、そして一目見ただけでは其れとは分からぬ程に粉砕された物。それを見ても、二人は言葉を発さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

数刻が経った。都市部からは随分と離れたが、金属質の何かが地面の代替であるかの様に地を覆っている。その様な大地にアノンは疑問を抱きつつも、足音と共に響く金属音の中に問いを霧散させていく。

 

突然、レグルスがその平野で歩みを止める。アノンとベルズもつられるようにして足を止めた。

 

「……で、長々と歩かせて貴様は一体何処に連れて来たかったというのだ?」

 

『此処です。私にとっては意味があり、他者にとっては意味がない場所。貴方達にとってはどうでしょうか。』

 

そう言い、レグルスは足元を指さす。そこには小さな金属の柱が残骸の様に立っていた。そして横たわる様に置かれていたのは刀。

 

アノンもベルズも、それが何なのかを一瞬で理解する。金属製の残骸には仰々しく、こう刻まれていた。

 

 

 

      来訪者アズマ

      此処に眠る

 

 

 

「来訪者、アズマ……」

 

『凡そ130年前の事です。来訪者アズマはこの地に現れ、心を私に授けました。』

 

「来訪者とは、何だ?」

 

ベルズがそう聞くと、レグルスは淡々と答える。

 

『来訪者、それは異世界からの迷い人、或いは宇宙(ソラ)からの到達者。共通するのはこの地に起源を持たぬ点。私がこの地を滅ぼしたのですから、この地に現れた新たな生命は全て来訪者です。』

 

アノンとベルズは顔を見合わせる。彼らにとって異世界は来訪する場所。無論来訪者という呼ばれ方は間違っていないが、来訪した時点で場所を特定され、しかもたった一体の機械に滅ぼされた世界などというのは未経験、イレギュラーの集合体の様な状態下だった。

 

『そして来訪者アズマ、彼は私が最後に滅ぼした存在であり、私が私という自己を得る切っ掛けとなった人物です。』

 

「どうしてこの場所に私たちを案内したのですか?」

 

『理由。一つは来訪者という意味を正しく捉えて頂く為。私が千の言葉を以って貴方方に説明をするよりも、一つの事実に言葉を少し加える方が的確で早いと判断しました。もう一つは……』

 

少しの間が空く。ノイズの様な機械音声が鳴り、レグルスは続けた。

 

『アズマという存在を、ただ知って欲しかった。私だけが知るのではなく、来訪者である貴方達に。アズマという存在はただの情報でしかありませんが、滅ぼす事しか出来ない私が残す事の出来た最後の記録です。故に彼を遺す為の墓標を作りました。』

 

アノンにはそう話す機械人形が、決して殺戮兵器には見えなかった。彼がアズマの事について話す時、そこには感情が込められていた。心を私に授けた、とレグルスは言っていた。冗談でも何でもなく、機械の彼の身体には心が宿っていたのだろうと、彼は心の中で確信する。

 

「それで、貴方はこれからどうするのですか?」

 

『……自分にも分かりかねますが、アズマの墓を守ってゆきます。これからも貴方方の様に訪れる来訪者の墓を作る使命が残されていますので。』

 

「……ん?」

 

間の抜けた様な声を上げるベルズ。それをアノンは手で制止する。

 

「では一つ頼んでも構いませんか?」

 

『私に出来ることであれば。』

 

間を空ける事はしない。すぐにアノンはこう言った。

 

「少し、戦いましょう。」

 

 



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夜空を想う③

 

想い。

無意識であり、思いよりも直情的な概念。

これを語る者は数あれど、ただ断ち切る事は難しい。

想起し、回想し、思想し、空想し。人々は凡ゆる事を想うことが出来る故に。

されどそれは単なる想い。頭を巡れど世界は動かず、歩みが進むこともない。

 

何かを想う事は人に益などもたらさない。

それ即ち、囚われる為の過去と進みゆく為の未来を換えるのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『確認、本当に構わないのですね?』

 

地平線の彼方に、彼らが出逢った都市が広がる平原。広がる草木はただの一つもなく、ただ風の音だけが通り過ぎて行く。

 

そこに相対するは来訪者達と最後の機械。アノンは杖を軽く構え、ベルズは燃え盛る様な黒い闘気を発し、レグルスは様子が変わる事もなくアノン達に尋ねる。

 

「ええ、二言はありません。」

 

アノンの提案は戦闘。それに如何なる思惑があるのかは彼以外知る由もないが、しかしその言葉に揺るぎが無いのは確かだった。

 

『であればせめて、お二人共同時にどうぞ。』

 

静かな返答。感情が排された声に感情を乗せ、レグルスは来訪者を傷つけたくないという本心を伝える。

 

「……本気で言っておるのか?」

 

『それは世界を滅ぼした機械に投げかける言葉では無いかと存じますが。』

 

結局、この場に於いては互いが互いを知らないという事実が全て。レグルスが滅ぼした世界がどれ程広いのかという事をベルズは認識出来ず、一方でレグルスは動く人骨という存在を理解出来ずに強さを測る事が出来ずにいた。

 

「ではお言葉に甘えて参りましょうか。ベルズ、決して手は抜かないようにお願いします。」

 

「は!久しく無かった強敵である、手を抜くなど有り得るはずも無かろう?」

 

ならばこの場における共通項はただ一つ、相手に無礼がない様に全力で挑む事。命を奪う事は極力避けようという意思は誰もが持っていたが、それで心を鈍らせることは無い。

 

『では……よろしくお願いします。』

 

言い切ると同時にレグルスの両肩が駆動し、腕に二丁の刀が装填される。銀と金に輝くその刃は文明の終着点。薄く一定の強度を持ちながらも、砕ける際は粉の様に散っていく。〈タラクシカム〉と呼ばれるそれは彼の弾丸の一つ。

 

対してアノンは杖の握りを持ち換え、柄を剣の様に構える。そして軽く振り抜いた次の瞬間、杖であったそれは剣へと姿を変えた。紫の杖は不可思議の集合体。振り抜く度に姿を変える故に、正体を見破る事はできない。〈七節(ナナフシ)〉と呼ばれるそれは彼の偽装の一つ。

 

「ハァッッッ!!」

 

雄叫びと共にベルズは拳を放った。音速に達さんとするその拳は、しかし何の変哲も無いただの拳。感情に呼応し、死から蘇った王の鉄腕に名は無い。

 

放たれた拳に、レグルスは刃をぶつける。破砕音。無論、砕け散ったのはレグルスの刃。返す刀で脚を抜き払うベルズ。空気が燃える様な音。音の原因は蹴りではなく、ブースターの燃焼。一瞬の内に飛翔したレグルスを捉えきれず、蹴りは空を切る。そして場違いな金属音。

 

「通りませんか……!」

 

それはアノンの一撃。宙を舞うレグルスの背後を狙った斬撃は装甲を貫くことが出来ない。背後を振り返る事もなく、レグルスは刃を両腕に装填。ふわりと浮いたまま、アノンは警戒を緩めずに次の攻め手を思考する。

 

刹那、アノンは悪寒を感じる。本能的に身を引くと、その跡に刃が通り過ぎる。否、通り過ぎた事をアノンは認識出来ていなかった。ただ目の前のレグルスが刀を振り払った体勢を取っていたという事実から、恐らく刀が振り払われたのであろうという推論を立てたに過ぎない。

 

「ぐっ……!」

 

推論が現実へと変わったのは次の瞬間。アノンの右半身から血が噴き出る。そしてそのまま地に落ち倒れ伏す。レグルスが一瞬の内に放ったのは二つの斬撃。右に斬り払う一撃と上から斬り下ろす一撃。致命傷となったのは後者。

 

『満足頂けましたか?』

 

レグルスはベルズを視界に捉えながらも、倒れ伏すアノンにそう呼びかける。急所は外してある一撃、レグルスにはあったのはアノンが死んでいないという確証。

 

「まぁ正直、私では無理だろうとは思っていたんですよ。」

 

むくり、と当然のようにアノンは起き上がる。先ほど斬られた筈の傷跡は消え去り、噴き出した筈の血の跡も全く残ってはいない。加えていうならば、地に散った血痕すらも残すことなく全てが消え失せていた。

 

『……まだ続けますか?』

 

傷つけていないという結果を以って、理解不能を抑え込み尋ねるレグルス。しかしアノンはきょとんとした様子で彼方を指を指す。

 

「続けるも何も、まだ終わってはいないでしょう?」

 

視界に写る残像。何かがめり込む様な嫌な音と共に、レグルスの視界は明滅する。ぶつり、と致命的な物が消える音。レグルスの意識はそこで途切れた。

 

 



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夜空を想う④

 

『……』

 

低い電子音が鳴る。辺りは先程までの暗い世界とは打って変わり、照明が部屋を隅々まで照らしている。定期的に響くのは機械の駆動音、そして主人を失った都市の鼓動。

 

レグルスの視覚機能が程なくして復活すると、そこは研究室。この世界の最先端であり人の叡智の終着点。そして彼にとっての始まりの場所であり忌避の象徴。

 

「おはようございます。寝覚めは如何ですか?」

 

声をかけられ、レグルスは驚いて背後を振り返る。声の主、来訪者アノンは白い椅子に座りながらレグルスを見据えていた。そして机を挟んで座っていたのは来訪者ベルズ。忙しなく辺りを見渡す様は滑稽に見える。

 

『悪くはありませんが……確かベルズ殿でしたか。あれは隠し球でしょうか。』

 

それは彼を屠った拳、しかし初めに受けた拳とは明確に違う。端的に言えばベルズをしっかりと捉えていた彼でも反応出来ない、残像を伴うような加速。そして合金の鎧を軽々と砕き割る剛力。それらを伴った一撃。

 

「そう大それた物ではなく、緩急をつけていたに過ぎん。全力を以って勝つ為ならば、策の一つも弄さねば無謀であろう?」

 

そう言いながら、ベルズは機械の駆動音にリズムを合わせて関節を鳴らす。リズムは合っていない。それに反応してアノンはベルズの方を向き直った。

 

「何にせよやり過ぎです。レグルスは完全に破壊されていましたし、実際にそのつもりで拳を振るったでしょう?」

 

「生憎だが我輩は手加減が苦手でな。それに貴様が止めなかったという事は、結局こうなる事が分かっていたという事であろう?」

 

アノンの背後から金属音が鳴った。ふらつく脚でレグルスは立ち上がり、アノンの肩を機械腕で掴む。

 

『分かっていたのですか?私がこの様に破壊されても直されるという事が。』

 

その言葉に凄みは無い。衝撃に突き動かされた機械は冷静さを失っていた。

 

「……まぁそうですね。種明かしは出来かねますし、予知では無いので確信にも至れませんが。」

 

肩を掴む腕から力が抜ける。ゆっくりとアノンの肩から腕を離し、レグルスはベルズとアノンから等距離の場所へと移動した。

 

『……ですが、いっそ完全に壊れて仕舞えば良かったのかもしれません。』

 

そして、深刻そうに呟く。

 

『私はこの地にいる限り、壊れれば直されるのです。エネルギーは半永久的に生産され、眠る事すら許されません。孤独には慣れましたが虚無には慣れません。役目を終えた機械に、一体どんな価値があるでしょうか?』

 

それは絶望の叫び。滅亡した世界で不滅であり続けなければならない機械。来訪者に心を与えられ、凡そ人の一生に当たる時を過ごしたそれは、最早永遠を望まなくなった。或いは初めからそんな物は望んでいなかったのかもしれない。気づきを得た機械には、それは残酷過ぎた。

 

「では、貴様は価値が欲しいのか?」

 

ベルズははっきりと問う。

 

『……』

 

レグルスは答えられない。根本的に機械であり、人の為にある故に価値を求めるのか。或いは心を持った自身は、既に誰かの為の価値になる必要はないのか。

 

「我輩に言わせれば、等しく価値があるのは命である。生にあるのは価値ではなく意味であろうな。人の生には価値などない故に。」

 

『……何を仰りたいのか分かりかねます。』

 

「生きる為には意味を見つけねばならん。それはしたい事や欲しい物、つまりは目標とも呼べる。いずれにせよその価値は自分自身が決める事。他者に評されるべきではなく、見つける事を諦めるべきでもなかろう。

故に、この世に生まれたという真実が平等だ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。歩む道は違えど起源は一つ。命あっての物種とは良く言ったものである。」

 

それは永年を生きる王の心からの言葉。復讐心は、ついに死者たるベルズを甦らせた。それは生きる為に強い心が必要であるという証左に他ならない。

 

そして、ベルズはびしりとアノンを指し示す。はっきりと白い指の骨が動いている所は、やはり誰の目にも奇妙に見えていた。

 

「故に、貴様にはこの男が役に立つ。」

 

「簡潔に言いましょう。私達は他の世界からやって来ましたが、また別の世界へと移って行きます。」

 

指し示されたアノンは言葉を述べる。求められれば、それを拒みはしない。

 

「移って行くというよりは移らねばならないというのが正しい所ですが……どうでしょう。貴方が生きる意味を見出せないのであれば、それを探しに行くというのは。」

 

少しの沈黙、レグルスの理解が及ぶ範囲は既に超えていた。しかし彼の思考回路は動き続ける。大きな決断をする為に。

 

『私は──』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の出した結論は、書き記すまでもない。

 

ただ最後に、アノンはこう語る。

 

「私達は理想郷(アルカディア)を目指すのです。誰の為でもない、私達の為だけの理想郷を。」

 

残像の様に、記憶は巡る。

果たして次はどんな世界が待っているのだろうか。

 

 



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幕間・来訪者の記憶

 

来訪者。それは異世界からの迷い人、或いは宇宙(ソラ)からの到達者。

 

アノンとベルズ。世界を渡り、理想郷(アルカディア)を目指す二人の奇人。

そしてもう一人、来訪者アズマ。今は昔に死せし男。この物語はレグルスしか知り得ぬ、彼と来訪者の出会いの物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬ?」

 

アズマは目を覚ます。着流しのままの格好だが、脇には愛用の刀が一本。手のひらに伝わる地面の感触はひんやりと硬く、目を落とすと金属で出来た平原が地平線の彼方まで広がっている。

 

「ふむ。よもや、黄泉の国ではあるまいが……」

 

そう、独りごちる。返答を期待した発言では無く、過去の記憶を想起するアズマ。が、頭の中に過去のビジョンは現れない。自身が何者で何処で何をしていたかは流石に思い返すまでも無いが、ここに至るまでの記憶はやはり無い。

 

無い無い尽くしのアズマの耳に微かに聞こえたのは風切り音。それも何か物が飛んでくる様な音。アズマは刀を構え、音のする方向を見る。数刻としないうちに鳴り響く衝突音。着弾点と思わしき場所から塵が大きく舞い上がり、ぼやけた輪郭をはっきりとさせながら人影が現れる。

 

『対象を発見。反応……人間。』

 

冷たく感情を持たない声。アズマは刀から手を離す。対話が可能であればそうしたいと望んでいたのだろうか。

 

「うむ、その通り。拙者、紛れも無く人間で御座る。してお主は何者か?」

 

少しの間。流れる緊張感を他所に、機械鎧の中からは駆動音が漏れ聞こえる。

 

『……命令承認、当機体名称・自律兵装レオニス。当機体は前任者の命令に従い行動しています。命令を解除する場合は強制命令コードを宣言して下さい。』

 

「……よく分からぬが、れおにす。此処は何処だ?何か食べ物は持っておらぬか?それか食べ物がありそうな場所は知っておらぬか?」

 

捲し立てる様に話すアズマ。

それはただ、知りたいことを知ろうと尋ねる行為。

 

『解答、此処は東地区・平原エリアです。現在当機体は食品を保有していません。また中央地区・食料生産エリアは稼働しておらず、それまでに生産された食品は中央地区・保管庫エリアに保存されています。以上……前任者の命令を実行します。』

 

レグルスの武器が機械腕から露出する。瞬間、ブースターが火を吹く。一瞬で間合いを詰め、人智の終着点である刃が振り抜かれる。金属音。

そう、終わってみれば呆気ない結果。横一文字に(・・・・・)レグルスは両断されていた(・・・・・・・・・・・・・)。音も無く抜刀された刃は、するりとアズマの鞘に納刀される。が、すぐにしまったという顔をするアズマ。

 

「む、つい斬ってしまった。……されど抜かねば拙者の命が危うし、致し方あるまい。」

 

金属片が散り、両断されたレグルスは動かない。命のない絡繰であるとはアズマにも何となく分かっていたが、それでも罪悪感を感じざるは得ない。されどこの世は諸行無常、あゝ仕方なし、仕方なし。

 

「……まぁ良い、取り敢えず希望は持てた!倉庫、とんと場所は分からぬが何処かにあるのだ。探せばそのうち見つかるで御座ろう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『対象を確認。』

 

数日後。静かに瞑想をするアズマの耳に聞き覚えのある機械音声。目を開くとやはり目の前にいたのは機械鎧。

 

「む、れおにすか。壮健なようで何より、ただし斬った事は謝らぬぞ?剣を抜けば死ぬ覚悟をする物だ、貴様も武士なら理解せよ。」

 

威圧感は無い。なにせ、アズマにとってそれはただ純然たる摂理。剣を抜けば何者にも容赦はしない、それだけの単純な話でしかない。

 

『……否定、当機体は分類:武士ではありません。』

 

「だが刀は持っておる、なれば武士の心持ちをせよ!さもなくば、刃は己を傷つける事も御座ろう!」

 

上気しながら言い切るアズマ。しかし、無情にもその声を掻き消すように機械音が鳴り響く。

 

『理解不能。前任者の命令を実行します。』

 

「まだ武の道は早い、か。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『対象を発見。』

 

「レオニス、そういう時は『こんにちは』と言うと良い!挨拶は基本で御座る!」

 

『命令承認。』

 

数週間後。機械鎧は来る日も両断され、それが十回を超えようとした頃。アズマは目の前の存在が何となく人の言う事を聞く存在であると斬り合いの中で理解していた。

 

「ところで拙者、辺りに人を探せど全く見つからなんだ。何処に居るか知らぬか?」

 

『解答、当機体開発者以外の人類は星外へと移動。前任者:開発者は当機体開発後、死亡しました。』

 

「星の外へと、何とも夢のある話!であればこの星に人が居らぬのも道理で御座るな!」

 

それは本心からの一言だったのであろう、アズマは笑いながら答える。

 

『前任者の命令を実行します。』

 

少し悲しそうな顔をするアズマ、しかしすぐにいつもの調子に戻り口を開く。

 

「……それではせめて『よろしくお願い致す』というと良い。果たし合いの前こそ、挨拶は(あだ)や疎かにしてはならぬ!」

 

『簡易命令の為、承認。よろしくお願い致します。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こんにちは、アズマ。』

 

「レオニス、調子は如何か?」

 

数年後。機械鎧は両断され続け、それが悠に百回を超えた頃。少し流暢な様子でレオニスは話す。

 

『解答、問題はありません。例え粉砕されても替えの身体がありますので。アズマ、其方の調子は如何ですか?』

 

「無論快調!ここは素晴らしき国である!見た事のない物に豊富な食べ物、毎日が発見の連続で御座るな!」

 

少し痩せ細った身体で、アズマはそう言った。食べ物も栄養も申し分なくあった。年齢とて若い方という自負もあった。無かったのは人間社会という枠組みの外に放り出された、自身の脆さに対する理解のみ。

 

『そうですか、では本日もよろしくお願い致します。』

 

「またか……お主も懲りぬな。」

 

『命令ですので。』

 

刀に手をかけるアズマ。柄の感触を確かめながら、静かに尋ねる。

 

「やめろと言ったらどうする?」

 

『命令コードを頂ければ今すぐにでも。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アズマ、調子は如何ですか?』

 

「……良くは無い、だがまぁ問題は無かろう!お主に斬られる程弱っては御座らん。」

 

数十年後。機械鎧は両断され続け、最早数を数えるのも億劫になってきた頃。

アズマは歳を取った。人間寄る年波には勝てぬと言うが、それでも尚アズマはレオニスを両断出来るだけの技量と腕前を持ち続けていた。

 

無論、圧勝はない。全てが辛勝、身体の痛みに剣が鈍れば負けそうな試合もある。正体も分からぬ病に血反吐を吐く事もあるが、それでも尚アズマは一度も黒星をつけなかった。

 

『……私が言うのもおかしな話ですが、ご自愛下さい。』

 

「………ははは!確かにお主が言う事では御座らんな!だがお主が言わねば誰も言ってはくれぬ故、感謝はしておく事にしよう!」

 

少し驚きながらも、いつもの調子で笑うアズマ。

 

『……』

 

レオニスは少し沈黙する。何を感じ、或いは何を思ったか。機械故に何も感じられはしなかったかもしれないが、少なくとも彼の沈黙は暫く続いた。

 

「如何した?」

 

『よろしく……お願い致します。』

 

「うむ、よろしくお願い致す。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アズマ……』

 

墓の前。簡素な作りのそれに添えられているのは一本の刀。曰く、それはただの一度も黒星をつける事なく生涯を終えた男の墓。

 

『……』

 

吹き抜ける風が、感情もなく流れてゆく。レオニスの手に握られていたのはアズマの遺した小さな紙屑。立ち上がり、決心を決めた様に一言。

 

『……強制命令コード《Nemea》。抹殺命令:人類、機械人類を解除します。』

 

鎧の内部の駆動音が一層大きな音を立てる。何かを処理し、何かを書き換え、何か大切な物を守る為の最後の働きが、その身体の中で行われていた。

 

『感謝します、アズマ。言葉、心、そして最後に自由。私は貴方に沢山の物を頂きました、とても返しきれぬ恩です。

貴方の様な方がもう一度いらっしゃったら、私は貴方の様に笑う事が出来るのでしょうか?』

 

駆動音が止む。静かに流れゆく時の中、心を手に入れた機械鎧は背後を振り返る。流れ去った時を想起し、そしてもう一度前を向く。

 

『私の名はレグルス。(たましい)はなく……されど(こころ)は我が身の中に。』

 

(アズマ)から現れた星。

新たに名を冠したその星は、漆黒の夜空に孤高に輝き続ける。

鋼の平原に置かれた、たった一本の刀を照らしながら。

 

 



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篤き信仰の国
雑談の幕開け


 

異世界、それは未知の世界。

私達は文化や規則を遵守すると同時に、それに守られながら生きていく。

しかし異世界の文化やルールは、言うまでもなくその地に根付く過去の歴史や風土に基づいて広がっている。

それは或いは、私達が当たり前だと考えている事でさえも容易に塗り替える。

 

守るべき規則も、元を辿れば作り手は私達。それすらも疑えば、一体私達は何を信じて生きていけば良いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬車の中。進む毎に揺れる中世の乗り物、閉塞された空間の中にいるのは三人。

 

スーツとシルクハットに杖を携え、移ろい行く景色を眺める者、奇術師・アノン。

黒いローブに身を包み、存在感を無くそうと隅に身を寄せる者、亡国の王・ベルズ。

そして直立し、まるで揺れを感じないかのように背を向ける者、機動鎧・レグルス。

 

空間の中で言葉は交わされず、髭を生やした御者は長閑(のどか)な草原の旅路に欠伸を漏らす。目的地まではまだ少し遠く、盗賊や獣を除けば馬車を襲う存在は殆ど居ない。

長く馬車を操る彼さえ、襲われた事は一度だけ。それも客の荷物を狙った物盗りで、終ぞ盗まれる事は無かった。気は緩んでいたが、染み付いた技術で馬達を捌く。

 

「アノン。」

 

唐突にベルズが声をかけた瞬間、アノンが指を鳴らす。周りに変化は無いが、御者はその音にも気づかない様に前を向いている。

 

その音に反応し、レグルスは背後を振り向く。これは三人に於ける一種の合図……という訳では無い。アノンは不都合を残さない様に行動し、その中には不可解な動きも含まれる。

 

ベルズやレグルスにも何をしているか分からない場合もあるが兎も角、彼がアクションを起こしたという事は都合は付いた事になる。沈黙を保っていたベルズは、重い口を開く。

 

「……暇過ぎる。」

 

少しの沈黙の後、レグルスが肩を竦める。アノンは少し溜息を吐いたが、ベルズの言葉にも理を感じたのだろうか。少し考え込む様な仕草を見せる。

 

『では是非アノン殿の事について知りたいですね。無論、話せる物だけで結構ですが。』

 

「……そういえばあの忌まわしき認識阻害、あれにはルールでもあるのか?」

 

認識阻害。アノンの持つ技能であり、他者からの認識を変動させる奇術の一つ。

 

「認識阻害ですか。」

 

良いでしょう、と言うとアノンは体を話しやすい体勢に変える。そして流れる様に口を開く。

 

「認識阻害を正しく言い換えると、『対象を捉える人間の認識を阻害する』となります。メリットは多人数の人間に捉えられても問題が無い点、デメリットは人以外にはそもそも効果が無い点と、認識は阻害出来ても対象の姿は必ず捉えられるという点です。」

 

『後者はデメリットなのですか?』

 

「そうですね、例えば透明にしても『透明な何か』として相手に認識されてしまいます。確かに認識は阻害されていますが……草原や砂漠の様に何もない場所で使うと不自然過ぎるのが問題でしょう。」

 

ベルズがふむ、と合いの手を入れながらも、会話は続く。

 

「次に、対象物により掛けやすさが違います。人間以外には基本的に掛けにくく、これは見た目や音色の変え具合にも影響しています。貴方を人間に見せようとすると美女になるのもこれが要因で、対象をあまりにもかけ離れた物に見せるのも不可能です。」

 

「待て、我輩のアレは悪戯では無かったのか。」

 

そう言いながら、少し黒い波動を漏らすベルズ。感情に呼応する様に脈動するそれを背に、御者は又も欠伸を漏らした。

 

「頑張れば男として見せることも可能ですが……掛けやすいという事は対象が持つ本質に近いという事です。実益も兼ねていますので、基本的にはアレで我慢して下さい。」

 

諭す様な口調でそう言うアノン。存外真面目なその様子に、ベルズも毒気が抜かれた様に冷静になったのだろうか。

 

「………せめて幼児(おさなご)には見られぬ様にせよ。酒を飲めぬ事があっては敵わん。」

 

そう言いながらベルズは続きを促した。アノンは最後に、と前置きをして口を開く。

 

「掛けた術は看破しなければ永続しますが……これは自分自身を認識する時に気をつけなければなりません。自分で聞いて看破してしまいますから、声音の偽装は難しいですね。

効き目が悪い貴方達も気をつける様にして下さい。鏡で自己看破してしまうと、掛け直すのが面倒ですので。」

 

『鏡を見てはいけないという事ですか?』

 

「まぁ本質に近い姿ですし、レグルスは問題ないかもしれませんね。ベルズはアウトです、水面にも気をつけて下さいね?」

 

『了解しました!』

 

「まぁバレたらその時であるな。」

 

なんとも前向きかつ後ろ向きなベルズの発言で、会話は打ち切られる。そしてアノンが指を鳴らすと、御者が背後を振り向いた。指を鳴らした音であると分かったのか、御者は直ぐに前を向く。

 

幾ばくかの沈黙。しかしそれも長く続く事はない。やがて馬車が止まり、御者が一言。

 

「……着きましたよ、お客さん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白く大きな神殿、それを囲む様に広がる町。

神殿の上に立つ女神像が、まるでその全てを見つめる様に鎮座する。

 

その地の誰もが祈りを捧げる。

神は確かにそこに居る、そう確信を持って願い続ける。

 

信仰と共に生きるその国の名はエンテイル。

曰く、祈りより生まれた国。

曰く、素晴らしく美しき国。

曰く、神の降り立つ国(・・・・・・・)

その地に降り立つ、波乱巻き起こす三人。

 

人々の願いがせめぎ合い、紡がれる。

最後に残るは如何なる意味か、それは神にも分からない。

 

 



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芯なる願望①

 

願望、其々が持つ芯にして真。

欲望と言えば(いや)しくも感じるが、そも人間とは望みがなければ生きてはいけぬ。

望み、即ち希望(のぞみ)

 

まぁ何にせよ、そんな物は叶わぬ方が良い。叶えばそれで消え失せる、その後は一体どうやって生きていくつもりなのだろうな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神の降り立つ国、エンテイル。国に着き真っ先にやらねばならぬ事があった故、奴らを置き一人知らぬ道を歩く。人々が行き交い、活気溢れる市街。立ち並ぶ屋台が売っているのは、民族的な意匠が凝らされた服。見た事もない様な果実や魚。そして食欲を刺激する香りを放つ様々な料理。

 

その中を、我輩は黒いローブを(たなび)かせながら進む。だが周囲の目を集める事はない。我輩から話しかければその限りではないが、この場の誰もは我輩に気づけない。

いや尤も、如何な障害が立ちはだかろうと決して我輩を止める事は出来ないが。それは足を止める理由にはならぬ故。

 

そして我輩は扉に手を掛ける。その先に待つ、栄光を手にする為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酒を頼む。」

 

ぎょっと驚いた様に店主が此方へと振り向いた。毎回の事だが少し相手が気の毒に感じる。とはいえ所詮は見知らぬ誰か、寿命が削れていない事を祈るばかりである。

 

「お客さん、酒って言っても色々種類があるんだが……」

 

店主は切り替えた様にそう聞いてきた。どうやら客であると認識された故、黒いフードを脱いで顔を出す。

 

「知っているが、生憎この国には来たばかりでな。何があるかは知らぬ故、其方で適当に見繕って貰いたい。」

 

「……成程、そういう事なら適当に酒に合う食事もお出しして構わないかい?」

 

全く以って素晴らしい。一体どんな顔に見られておるかは知らぬが、厄介者に出くわさなければ認識阻害も役には立つものだ。奇術師が愉しんでいる事を考えなければ、だが。

 

「無論だ、宜しく頼む。」

 

店主が奥へと消えると、(ようや)く人心地ついた気分になる。周囲の状況を見ると、酒場故に喧騒こそあるが、上品とは行かぬまでも混沌とした空気を感じはしない。清潔感があるというべきか、或いは楽しむというより愉しんでいるというべきか。

 

何処かから聞こえる笑い声にも、いつもなら多分に含まれている筈の下品さが無い。外観や内観は普通だが、存外良い酒場であったか?或いは、単純に昼間から酒を飲む者の品格が高いだけか。

 

暫くして、店主が酒と料理の乗った皿を持ってやって来た。鮮血の様に赤く輝く洋酒、そしてしっかりと焼き色のついた謎の肉。隣には揚げ芋が添えられている。

 

「エンテイルは初めてかい?」

 

グラスに手を掛けると、店主が砕けた様子で話しかけて来た。我輩はこくりと頷く。

 

「噂で聞いたが、この国は神が降りてくるらしいな。」

 

「エンテイル神様の事だろう?私は二度ほど拝見したけど、そろそろご再臨なさるかも知れないね。」

 

神を拝見……つまり見たと。まさか、と笑い飛ばす事は出来ん。我輩もそれだけの物を見てきた故に。

 

「再臨……神が本当にいるとでも?」

 

「そう疑って、実際に神様を見たら信じざるを得なかったっていう旅人なら良くいたけどね。まぁ、信じるも信じないも自由さ。」

 

そう言うと、店主は店の奥へと引っ込んだ。信じるも何も、決めるのは我輩では無い。そこにあるものが現実、無いのならば虚構。現実の物事であれば、如何にあり得ずとも信じ得る。

 

肉を喰らい、酒で流し込む。虚空である筈の我輩の骨格の中へ、肉も酒も消えていく。舌も無いが味はする。これは現実、そして我輩が人骨である事もまた現実。なれば相反する事は無い。

 

「……」

 

ふと、辺りが(いや)に静かである事に気づいた。今までが騒がしかった訳では無いが、それにしても異常な程の無音。思わず背後を振り返る。

 

二人で食事を楽しむ夫婦は、祈っていた。

一人で静かに酒を飲む男も、祈っていた。

先程まで話していた店主も、祈っていた。

 

扉の向こうに見える人々も、祈っていた。

元気よく走り回っていた子供達も、噂話をしている婦人達も、忙しなく物を売る男も、散歩をする老人も、市街を行き交う全ての人が、祈っていた。

 

異常だが、現実であった。酒と食事を腹に流し込み、金を置いて店を出るとフードを被り直す。祈りは終わって、街は先程までの活気を取り戻していた。気分は悪いが、これで奴らに対する土産話も出来た。

 

エンテイル神、か。この調子だと、酒は宿屋の自室で飲んだ方が良いかも知れぬな。

 

 



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芯なる願望②

 

願望、其々が持つ理想の姿。

往々にして、人は悪い出来事に対する印象が強く残りがちです!

不幸で、気に食わない事があって、思い通りに行かないと感じて、ですから人は理想を追い求めるのでしょう!

そしてそれは思いが強い程素晴らしい!

 

ですが、理想というのは届かぬからこそ価値があるものです。

届いてしまった理想は色褪せて行き、見返してみれば大した事は無かったと思ってしまう。

ましてや叶う事が分かっている理想など、価値があろう筈もありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

燦々と輝く太陽!美しき青空!そして活気あふれる街並み!素晴らしい、と大声で叫んでしまいたくなる衝動を抑えます。目立たぬ事は旅路の基本、アノン殿が日頃からよく言っている事です。

 

本日は自由行動、私が見たい物を見る事が可能です。決まったのは先程で、ベルズ卿が一人市街に消えていった後でした。苦笑しながらアノン殿が個人行動を提案したのです。

 

「直感に任せても見つけられる物はあるでしょうし、いっそそうしませんか?」

 

『構いませんよ!』

 

かくして、私は目的地を目指しています。入り組んだ路地を右へ、左へ、右へ。何処に繋がっているかは検討もつきませんが、目的地はただ一つ。よく目立つ建造物ですから、遠ざからなければ問題はありません!

 

道の角を曲がると、不意に現れたのは大通り。皆さん、女神像の方を向いて祈っておられます。老若男女、この場にいる誰もが一心に祈る光景。なんともこの国の方々は敬虔でいらっしゃるようです。となると、皆さんが祈っておられる方角へ進んでも目的地には着きそうです。

 

そう、目的地とはその女神像の足元にある神殿。立地的に少し高い場所にあるのでしょうか、此処からでもその全容が見て取れます。とても荘厳な作りで、私の世界の建造物とは大きく趣きが異なっています。一体中はどんな作りになっているのでしょうか。とても興味深いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩き始めて二十三分と数秒。少々勾配がきつい坂もありましたが、苦になる事もなく歩き続けて神殿は目と鼻の先と言った所ですね。後ろを振り返ると、私が追い抜いて来た息も絶え絶えな参拝者の背後に、街並みが広がっています。

 

……しかしその風景に少し、違和感を覚えます。何かがおかしい、しかし何がおかしいのか分からない。昔であれば再起動してエラーを処理しなければならなかったのでしょうが、私はその疑問を思考領域から外して心の奥に仕舞い込みます。こういう疑問はアノン殿に解決して頂くのが早いと、私達はよく知っています。

 

「ちょっと、そこの君。」

 

背中から声をかけられました。呼ばれた方を振り返るとそこには鎧を着た男性が一人、胸のところには紋章がついています。神殿の方からいらっしゃったのでしょうか。

 

「神殿に入るなら、鎧を脱いで貰わなければならない。其方に預け入れの施設があるからそこで……」

 

話しぶりからするに、神殿の警備を務めていらっしゃる方のようです。そしてどうやら私は相手から鎧を着た男性に見えている様ですね。全身機械ですから、中身さえ見なければ確かに本質とはかけ離れてはいないと言えます。

 

『あの。申し訳ありませんが、これは着脱出来る鎧ではありません。そういった場合はどうすれば宜しいのですか?』

 

実際は着脱が可能です。しかし脱いだ所で中身も機械、また鎧を脱いでくれと言われてしまっては敵いません。

 

「着脱出来ないって、何ふざけた事を……?あぁ、つまりそういう事か。」

 

『そういう事、とは?』

 

なるほど、と頷く男性につい聞き返してしまいます。実は脱げない鎧を着た別の方がいらっしゃった、という事でもあったのでしょうか?

 

ご愁傷様(・・・・)って事だろ?だが心配はいらない、この国で祈っていれば脱げない鎧だって脱げる様になるさ。だがまぁ、今日の所は神殿に入るのは諦めてくれ。」

 

……よく分かりませんが、とりあえず神殿には入れなさそうですね。残念ではありますが、気持ちを切り替えて少しでも情報を集めなければなりません。

 

『はぁ。祈り……というのはこの国の皆さんがしていらっしゃる物ですよね。何か作法や決まりはあるのですか?』

 

男性は少し考えてから答えます。

 

「特に無いが……強いて言うなら心から祈る事だな。それでも願いが叶わなければ、案外切羽詰まってないとも考えられるかもな。とにかく、心のままに祈ればいい。」

 

『では何時、どれだけ祈れば良いのですか?』

 

私が言葉を言い終えると、男性は突然笑い始めます。周りの方々の注目が集まりますが、私には何が笑えるのかさっぱり分かりません。

 

「おかしな事を言う人だな!何時ってのは周りを見てればその内分かるから気にしなくて良いにしても、どれだけって事はないだろう!祈りなんだから叶うまで、当然だろう?」

 

『……なるほど、了解しました!』

 

私は神殿に背を向け、来た道を戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言えば、神殿に入るか入らないかは問題ではありませんでした。無論入れたに越した事はありませんが、色々と測定させて頂いたので最低目標は達成出来ました。が……

 

[この国の人間……数十万人。

この国の文明レベル……中世。

この国の人々の経済格差……有り。

国内に怪しげな気配、流れ……無し。]

 

[神殿内の人間……数万と数千人。

神殿内に怪しげな気配、流れ……無し。

そして神の存在……測定不能(エラー)。]

 

想像以上に普通で、分からない事が多すぎます。やはり機を待つしかないのでしょうか?その辺りはアノン殿に聞くしかなさそうです。

 

まぁ、待つのは苦手ではありません。

ベルズ卿がこの国の酒を制覇するまでには、転機があると良いのですが。

 

 



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芯なる願望③

 

願望、其々が持つ期待の果て。

得難いけれどどうしても得たい物、各々に待つ不定の未来、誰に頼んでも解決しない事柄。

神というのはそうした祈りの請負人です。

 

良い事は神様のお陰、悪い事は神様の罰。実際は偶然に過ぎぬ出来事が、全知全能の第三者の行いという言葉で説明される。つまり人々は、根源的に理不尽に理由を求めるのでしょう。

 

ですから意外と、人々は神に期待してはいないのかもしれません。結果とは自分の行いという原因から返ってくるという事を、皆さん心の奥底で理解していらっしゃいますから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルズが酒場へと引き寄せられる様に消え、レグルスと二人で行動する意味も無かったので、個人行動を提案してから数分後。私は市街地を歩いていました。

 

格好はいつもの通り……ではなく、マントだけを脱ぎ去っています。これさえ外せば、この国でも目立つ様な格好ではありません。それでもたまに視線は感じますが、奇術師を自称する身です。造作もありません。

 

何となく、道を左に曲がります。暗がりの先に道が続いていて、通行人は殆どいません。神様が降りて来る国だというのに、意外とディープな場所もあるのですね。興味が湧き、先へと進んで見たいと感じます。

 

「待ちなよ、お兄さん。」

 

その暗がりに足を踏み入れた瞬間、右前方から声が聞こえました。声の主はどうやら少年。目を凝らして見てみると、往来の人々に比べて明らかに貧相な風体(ふうてい)をしています。

 

「……私ですか?」

 

少年が頷きます。どうやら潜んでいたというより、最初からいたのに私が気づかなかっただけというのが正しそうですね。

 

「こっから先、スラムなんだけど。知ってる?」

 

「おや、そうなのですか。」

 

面白い事実です。スラムというと貧民街の事ですが、神の座す地にそんな場所があるものなのですね。どうやらこの国の神様は、平等主義者では無さそうです。

 

「知らなかったなら、まぁ入んない方が良いよ。身ぐるみ剥がされたいとか、僕達の仲間入りしたいとかだったら止めないけど。」

 

素晴らしい忠告です。根が優しい方なのでしょうか?

 

「意外ですね。私が知らずに此処に入れば、貴方も含めたスラムの皆様が得をしていたとは考えなかったのですか?」

 

それを聞くと、少年は口元を歪めます。私を馬鹿にしている風ではありませんが、何かおかしな事を言ってしまったのでしょうか?

 

「ふーん。お兄さん、旅人?」

 

「そうですね。」

 

「やっぱり。じゃあ知らないのも無理ないけど、この国に神様が降りて来るって話くらいは聞いた事あるでしょ?」

 

神様が降りて来る。比喩では無く、本当に神がやって来るという奇跡。加えて神様は人々の願いを叶えて下さるとか。それも伝承や噂の類いではなく、単純に事実として。

 

「ええ、まだ信じ切れてはいませんが。」

 

「その神様っていうのは、みんなの願いを叶えてくれるんだ。だったら、わざわざ他人から盗む必要なんてないとは思わない?」

 

「そこです。みんなの願いを叶えて下さる神様がいらっしゃるのに何故スラムがあって、何故スラムに入れば私は身ぐるみを剥がされるのですか?」

 

私は少年に思った疑問をそのままぶつけてみます。少年は私の無知を馬鹿にする事なく、少し考え込みます。それは正しい意味の言葉を、彼の語彙から探し出している様にも見えました。暫くして彼が口を開きます。

 

「……願いを叶えて貰えなかった人は悪い人だから、かな?」

 

「つまり、スラムには願いを叶えて貰えなかった人々がいると?」

 

「うん、神様は『善い神様』だから、『悪いお願い』は叶えてくれない。そんな『悪いお願い』をした人は危険だからスラム行きって感じ。」

 

成る程、『悪いお願い』と来ましたか。では目の前の彼も、神様に『悪いお願い』をしてしまったという事なのでしょうか?

 

「なるほど。それでは貴方はどんな願いを叶えて欲しかったのですか?」

 

「あ、そうそう。それもダメだよ。」

 

「ダメ?」

 

「『祈りとは神との対話、願いとはその言葉。』……だっけ。よく分かんないけど、とにかく願いを言いふらすのは重罪。」

 

「……なるほど。」

 

確かに願い事は口にすると叶わない、と聞いた事はあります。ですがその逆も然り。信じているのは前者である、という事でしょう。

 

「ですがそんな事、分かるものなのですか?」

 

「不思議と願いを言っちゃった人は、神様が願いを叶えてくれないんだ。だから結局スラム行き。神様は見てるって事なのかな。」

 

何とも闇の深い国ですね。しかし、こうなると俄然(がぜん)神様に会いたくなります。今回の旅路の目的は『神様と話す』としましょう、と心の中で決めます。

 

「他に聞きたい事ある?」

 

「……一つ大きな疑問が。貴方は何故、そんな事を私に教えて下さるのですか?」

 

話を聞いて分かったのは、どうやらスラムは治安が悪く、神様がいらっしゃっても存在し続けているという事。そうなると何故私をスラムに招き入れなかったのか、という最初の疑問が解決しない事になります。少年は軽く考える様な仕草をした後、口を開きます。

 

「そうだなぁ……一つは、お兄さんみたいな旅人が知らずにスラムに入って餌になるっていうの、良くあるんだよね。まぁ目の前でそういう事起こると寝覚めが悪いって思ったから。もう一つは……はい。」

 

そう言うと、少年は手を差し出します。掌の中には何もありません。

 

「僕、色々教えて役に立ったでしょ?だから対価。」

 

「……今日の説明の中で、最も納得出来た気がしますよ。」

 

この少年、私から金をせびるとは。未来では大成しそうな予感がしますね。

ですが相応に、私にも得るものがありました。

 

……まぁとりあえず、スラムに入るのはベルズに任せましょう。面白そうですしね?

 

 

 



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芯なる願望④

 

「む、来たか。」

 

その日の夜。エンテイル国内、とある宿屋の一室。アノンが扉を開けると、室内から聞こえたのはベルズの声。部屋に入ると、近くの机の上には所狭しと並ぶ酒。それらをアノンは一瞥し、苦笑した。

 

「……わざわざ買い込んで来たのですか?」

 

「うむ、良い酒であった故。問題はなかろう?」

 

『えぇ、全くもってありませんね!』

 

アノンの背後から声をあげたのはレグルス。アノンが近場のベッドに腰掛けると、レグルスは部屋に入り扉を閉める。彼らの定位置が確保された所で、アノンは指を鳴らした。

 

「確かに本題ではありませんね。本題は今日の情報整理……という訳で始めましょうか。では、ベルズからお願いします。」

 

指名されたベルズは、手に持つ酒を床に置き口を開く。

 

「そうだな……手始めに崇拝されし神の名は、国の名と同じくエンテイルである。酒場の主人曰く、再臨も近いそうだ。」

 

『再臨……そもそも神様はどのように顕現なさるのでしょうか?』

 

レグルスが首を捻るが、答えは返って来ない。神の降臨の詳細については誰も知らない、という答えが彼らの中で共有された。

 

「加えて祈りについてだが、あれは定期的に行われておるな。レグルスが測ればはっきりするが、恐らく八時間おきであろうな。」

 

「なるほど……他には何かありませんか?」

 

少し考え込むような姿勢を取るベルズ。唐突に床に置いた酒を手にして一口。そして流れるように口を開く。

 

「強いて言うなら、それ以外が普通で平穏過ぎる。祈りに超自然的な力(スピリチュアル)を感じる事も無く、されど神はやって来るという。」

 

『そうですね!私も観測した限りでは異常な点は見当たりませんでした!神の降臨が異常といえば異常ですが……』

 

「それがこの世界の常識だとしたら、疑う意味はありません。」

 

『そういう事です!それをこの世界の個性と捉えるか、異常性と捉えるかは私達次第という事でしょうね!』

 

つまり世界を渡る彼らにとって、法則というのは不変では無い。故に何を異常と捉え、調べるのかは彼らに依存する。疑う意味の無いような前提は、調べるに値しないのだろう。

 

「レグルス、他に気づいた事はありませんか?」

 

アノンの言葉に、レグルスは間髪を入れずに答える。

 

『私は神殿に向かいましたが、入場する事は出来ませんでした!衛士の方曰く、鎧を装着したまま入場する事は許されないそうです!』

 

「当然であるな。そんな物を持ち込ませず、危険分子を入場の段階で弾くのはむしろ良い判断であると言えよう。」

 

『私もそう思いました!という訳で此方にはアノン殿に行って頂きたいと考えています!』

 

「えぇ、構いませんよ。」

 

「ちなみに何故我輩では無くアノンなのだ?」

 

純粋な疑問からベルズがそう静かに尋ねると、レグルスは変わらない調子で即座にその質問へと回答する。

 

『消去法です!ベルズ卿には、別に行って頂きたい場所があるそうですから!』

 

「えぇ、ベルズにはスラムに向かって貰おうと考えています。」

 

至極真面目にいうアノン。いつも通りの理由もなければ説明もなし。いつもならば若干の沈黙と共に、微妙な空気が漂う流れだが……

 

「スラムがあったのか……良かろう。其方には我輩が向かうとしよう。」

 

さらりとベルズはそう答えた。しかし、それはそれで流れる微妙な空気。

 

『あ、アノン殿は何かありませんか?』

 

珍しく狼狽えるレグルスの機械音声が、彼らにはいつもよりも少し歪んだ様に聞こえた。

 

「順番が前後してしまいましたが、まずはスラムがある事ですね。この国の神様は平等を重んじる方では無いようです。」

 

「他には?」

 

「悪いお願いは叶えて貰えないだとか、願いを他者に言ってはならないとかですかね?詳しくはスラムの方で情報収集して頂きたいです。」

 

それを聞いたベルズは胸をドンと叩き、一言。

 

「任せておけ。」

 

そして早々とベルズは部屋を出て行った。訪れる沈黙、そして残された大量の酒。

 

『ベルズ卿、本日はかなり聞き分けが良かったですね?』

 

「酒が美味しかったからでは無いですか?」

 

一瞬交わされる会話、しかしまたも訪れる沈黙。そう、本日の王はハイテンション。アノンの想像は大当たりだが、それに答えを返す者はいない。酒を飲んでいる時の方が威厳と包容力を取り戻せる不思議な王がそこにはいた。

 

そんなベルズは翌朝、見知らぬ場所で目を覚ます事になる。

 

 



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真なる願望①

 

(かつ)て、地獄を見た。

悲鳴、怒声、声にならぬ絶叫。それらが、我輩の国を満たしていた。

そう、栄華の終わりは唐突に訪れたのだ。

 

全てが奪われていく。我輩の築いた国が、民の平穏な時が、国が紡いできた歴史が。見も知らぬ「敵」に、奪われていく。

 

我輩は無力であった。

王とは、決して一騎当千の力を持つ者ではない。我輩に力があればと、どれほど悔やんだ事か。

我が命はそこで潰えた、だがその呪いのみが我輩を突き動かし続ける。

あの時から悪夢が醒める事は無い。

 

故に祈るべき願いなど無い。我輩が祈りを捧げるに値する神なぞ、きっとあの時に死んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がつくと、見知らぬ場所にいた。

 

記憶はある。宿でアノン達と現状整理をし、我輩はスラムへ行く事を引き受けた。そしてそのまま夜中に奔走した我輩はスラムを見つけ、適当に見繕った場所で眠りについた。どうやらその地はスラムの路地であった様だ。

 

「……」

 

陽の光が差し、夜には捉えられなかったスラムの景色を認識する。澱んだ空気の中に、汚れた建物が所狭しと佇んでいる。一人が通るにも狭い我輩の路地からは、通りを行き交う人々が見える。

 

だが、一目見ただけでもこの地はスラムとは呼べぬ。何せこの場所は清潔過ぎる。無念に縛られた魂も、憎悪に燃える魂もこの地には全くない。行き交う人々の中にも、心に余裕がある者が混ざっている。

 

「……まぁ良い。」

 

どちらにせよ此処で考えても、真実が見つかる訳では無い。ならば取り敢えず動くしかあるまい。我輩は狭い路地を飛び出し、大通りを進む。我輩を視る者はいない。

 

……やはり認識阻害は要らぬのではないか?次の機会にアノンに打診するとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜まで人混みに揉まれていると、様々な声が聞こえた。願いはもう叶わないのか、どうすれば叶えて頂けたのだろうか、子供はどうにか助からないか、次の神の降臨はまだなのか──

 

曰く、この国では願いが叶う。

但し叶わなければ、スラムという名の場所に隔離される。但し叶えるのかどうかは神が決める。そして神が降臨するのは数年に一度。

 

単純な話であった。神は数年に一度しか現れぬ、故に願いを叶えられぬ者は神の介入していた社会から数年隔離される。此処に働き口は少ない、故に金を稼ぐ事は難しい。数年に一度の願いを頼り生きていく事は、願いを拒絶された彼らには不可能だ。いわばここは吹き溜まり、神に見捨てられた場所。

 

神が願いを選定する、故に人々は何もかもを欲しはしない。神はいつでも彼らを見ている、故に犯罪は起こしにくい。神から見捨てられた危険な人々、故に誰も関わりを持とうとはしない。だがそれでは生きていく事は出来ない……

 

神に依存し(・・・・・)進む事を辞めた人々が集まる地(・・・・・・・・・・・・・・)。それこそがこの国の本質。執念に囚われた魂などある筈もない、何故ならそこまでの強い想いを持つだけの意思が彼らにはないのだから。

 

「……馬鹿げている。」

 

神が現れた時点で、この国は止まっている(終わっている)。中世という時代、それは何年続いている?それは本当に「過程」か、それともやはり「行き止まり」なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我輩はスラムから大通りへと進む。何せあの場所には酒を飲める場所が無い。この国は終わっているが、酒は美味い。

 

「待ちなよ、お姉さん。」

 

呼び止められる。大通りへと続く道に、少年が佇んでいた。お姉さんという言葉に反応出来たのは、我輩の外見が女性である事を思い出せた後であった。

 

「……そうか、我輩の事か。」

 

「……もしかしてお姉さん、スラムに入って出てきたの?」

 

つい溜め息が出る。この少年は此方側、吹き溜まりの人物であると直感で分かる。罪人の子を人が許せぬのはまだ分かる。だがそれすらも神は許さない。実にふざけた話だ。

 

「凄い怖い顔してるけど、事件とか起こさないよね?」

 

少し不安そうな顔で、少年は尋ねる。

 

「……無論だ、そう怯えるな。」

 

本当に事件を起こす人物ならば、少年の呼びかけは煩わしく感じたかもしれぬ。或いは凶行に走るほどに。それでも少年は声を上げた、勇気ある行いである。

 

「ベルズだ。」

 

「え?」

 

「我輩の名である、貴様が本当に危ない時はその名を叫ぶが良い。気休めではあるがな。」

 

少年はきょとんとしている。我輩も知らぬ人物からそう言われれば、同じ顔をしていたに違いない。

 

少年の横を通り抜け、一歩大通りへと歩み出す。アノンに報告する事は決まった、ならば軽く酒を飲むとしよう。この悪い気分を洗い流す為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……いやしかし、何か違和感が残っている。我輩の気の所為であろうか?

 

 



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真なる願望②

 

今まで様々な物を見てきましたが、人間が相反する在り方をしている事に気がついたのはいつ頃だったでしょうか?

価値観という曖昧な基準は世界を経る毎に移り変わり、全てを受け入れる事は不可能に違いありません!

理解し得ぬ物も、その中には無数にあったように感じます!

 

一方で、私は無知でした。

死が救いになる事もありますし、生が拷問になる事もあるのでしょう。嘗て壊し尽くしたあの命の中にも、或いは救われた者がいたのかもしれません。

しかし主観を除けば私はただの殺戮者です。そこだけは事実で、変わりようはありません。

 

私に祈るべき願いなどありません。殺戮者が都合よく何かを望むなど、きっと烏滸(おこ)がましいでしょうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アノン殿が神殿へと向かうと、いよいよ私は手持ち無沙汰になってしまいました。ベルズ卿の様に酒を嗜む機能は持ち合わせておらず、剣を振るう相手もこの世界にはいる気配がありません。平和です。

 

『退屈ですね……』

 

戦乱を求めている訳ではありませんが、やはり役目がないと落ち着きません。性分というのは中々変えられない物です。

 

……そういえば昨日、ベルズ卿に意識が向いていて伝え忘れた事がありました。神殿に向かう途中の景色、その違和感。時間もありますし、アノン殿を迎えに行きつつ少し考えても良さそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神殿の前に辿り着き、(くだん)の場所であの時と同じ様に風景を眺めます。ええ、やはり違和感が拭えません。暫く眺めていれば何か発見があるでしょうか?

 

……国の端の方に、活気のないエリアがありますね。恐らくあれがアノン殿の言っていたスラムでしょう。広さとしては国全体の数%程でしょうか?

にしても市街地のすぐ側にあるのに警戒されている様子がありません。人々が流出する恐れがあると思いますが、どう対策しているのでしょうか?

 

少し違和感を……あ、いえ。私が気になっていたのはこの事ではありません。気を取られる事のない様に、もう少ししっかりと見てみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……むぅ。』

 

小一時間ほど眺めてみましたが、成果はありません。此処まで来ると違和感に対する気持ち悪さは何処かへ失せ、好奇心だけが心の中で渦巻いています。端的に言えば……こう、もやっとします。

 

「おや、レグルスではありませんか。」

 

突然、聞き覚えのある声が聞こえます。なんと素晴らしいタイミングでしょうか!

 

『アノン殿!』

 

最初からこの方に聞けば早かったのかもしれませんが、この際そんな事を悔やむ必要はないでしょう!

 

『一つお聞きしたい事があったのです!この風景に違和感を持っているのですが、何がおかしいのか私には分かりません!』

 

ですから力をお貸し下さい、と捲し立てる様に伝えます。つい感情が乗ってしまいました。どうやら自身の想像以上に、この違和感について執着していた様です。

 

「……成る程。因みに違和感というのはどの様な物ですか?」

 

『と仰いますと?』

 

アノン殿が杖を指します。その先にはこの国、エンテイルの街並みが広がっています。

 

「何かが足りない、何かが多い、見覚えがない様な気がする、歪んで見える。風景の違和感ですから、その辺りを確かめておきたいのです。直感で構いませんよ。」

 

直感……と来ましたか。機械である私には少し難しい質問ですが、この景色を長く眺めてきたのは紛れもなく私です。少し考え、私は答えを導き出します。

 

『……そうですね、何かが足りないと思います。自信はありませんが。』

 

「ふむ……」

 

そう呟き、アノン殿も景色を眺めます。風がそよぎ街を巡り、穏やかに流れる時の中で蠢く違和感が、私には見えません。

 

「正解です、レグルス。この国にはあって然るべきものが無い、つまりは足りません。」

 

数分後、アノン殿がそう仰います。そう、これこそがアノン殿の強さ。不可思議の塊の様な方ですが、違和感や謎を解き明かす事については群を抜いていらっしゃいます。

 

「足りないのは()です。言い換えるならば、この国には墓地がない。郊外にもありませんし、何より死の気配というものがありません。」

 

……成る程、分からない訳です。全てが終わった後の、まるで墓場の様な世界に住んでいた私には、難し過ぎた設問だったかもしれません。ですがそれはそれで、新たな疑問が浮上して来ます。

 

『……皆さん不死身という事ですか?』

 

「それはないでしょうね。この世界が何年続いてきたのかは分かりませんが、不死身になり得るのならこの程度の人口で済むはずがありません。」

 

『では、一体どういう事なのでしょう?』

 

「死の痕跡が残らない……何の為に?いえ、誰かの為に?それとも偶然でしょうか?」

 

そう。アノン殿を以ってしても、このように問題が解決しない事もあります。解明という行為は何とも難しく、異なる世界がそれだけかけ離れていることを指し示していると言えましょう。

 

「……お手上げです。これは神様に伺った方が良いかもしれませんね。」

 

アノン殿は意味深な事を呟き、道を歩き出します。

 

「戻りますよ、レグルス。」

 

『了解しました。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓地……そういえば、ベルズ卿は気付いていてもおかしくなさそうですが、あの方は今何をなさっているのでしょうか?

 

 



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真なる願望③

 

私の終わりは理想郷(アルカディア)にあります。

では私は、何処から始まったのでしょう。

時にしても場所にしても、遥か彼方の場所である事は間違い無いとは思いますが。

生まれた瞬間の事は覚えています。

しかし必ずしも、生まれる事と始まる事は同義ではありません。

 

私とは何処にあるのでしょうか。

悩みの種ではありませんが、忘れてはならない事であるとも感じます。

それが見つかれば、私は理想郷に辿り着けるのでしょうか?

それともそれを見つける為に、私は理想郷を目指すのでしょうか?

 

いずれにせよ、祈るべき願いというものはありません。願いは私達の手で叶えます。理想郷は誰でもない、私達が手を伸ばし届かねばならない場所ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言ってしまえば、神殿の中身は呆気ない程にあっさりとしていました。中心に置かれた偶像に対し、老若男女問わずかなりの数の人が祈り続けている光景。

 

この国に来ていきなりこれを見せられれば驚いただろうとは思いましたが、何せ祈りの相手は本当に願いを叶えてくれる神。真剣さがあって当然、文字通り信心深さから来る神頼みという事でしょうと理解出来ます。

 

しかし今考えると、彼らは願いを叶えて貰えない事に恐怖していたのかもしれません。スラムに入れられる事は良いにしても、神様から見捨てられるという事は耐えられない。理由はどうあれ、そうなると彼らは自分自身に価値を見出せなくなるかもしれません。

 

ですから、彼らは祈りを捧げる自分自身に陶酔しているのです。祈っている事を他者に見せつけ、さも敬虔で勤勉な信徒であるかの様に振る舞う。それで彼らは安心を得ているのでしょうが、おかしな話です。『祈りとは神との対話』、であれば彼らは一体誰に向かって話しているのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神殿の入り口付近で佇んでいたレグルスと共に、私は宿へと戻りました。部屋の扉を開けますが、ベルズの姿はありません。彼の王の足取りは掴めませんが、取り敢えず近場の椅子に腰掛けます。

 

『次は何を調べましょうか?』

 

レグルスが私に尋ねます。私の方針はベルズにも伝えておきたい事ですが、別に勿体つけておく必要はありません。彼には先に伝えておきましょう。

 

「もう調べる必要は無いです。先程も言いましたがいっそこの国の神、エンテイル神に直接聞いてしまいましょう。」

 

言い合えるや否や、レグルスの配線が明滅します。理解不能(エラー)、確かに彼の気持ちも分からないでもありません。

 

「何をするにしても、この国の神とは会話をしておきたいと思っていましたからね。分からない事があるのなら、ついでに聞いてしまえば早いでしょう?」

 

『それはそうですが……』

 

レグルスにしては珍しく歯切れが悪いですね。

 

「何か不安が?」

 

『不安という程ではありません!ですが、慎重に行動するに越した事は無いのもまた事実でしょう?』

 

弱気……というよりは乗り気では無い様子です。彼なりに思う所があるのでしょう、成長したとも言えますね。ですが方針は変わりません。

 

「それを踏まえても、神には会わなくてはなりません。何故ならこの世界において、ここは神という歯車によって運営される国だからです。こんな希少な状況を見逃す手はありません。」

 

『理想郷の為に……ですか?』

 

「その通りですよ。」

 

そう、理想郷の為に。私達は勿論異なる考え方を持ちますし、時には衝突する事もあります。ですが目的だけは不変です。その為であれば、私達は如何なる苦難をも乗り越えます。例え他者を害する事になったとしても、です。

 

『であれば異論はありません!但し、危険が迫れば排除する事はお許し下さい!』

 

「私にそれを止める権利はありませんよ。貴方の好きになさって下さい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は観測者。世界を渡り、それを記憶する者。

 

渡り歩く世界で大きな爪痕を残すような事はありません。私達の目的地は最初から決まっています。道中での行いなど些事でしょうが、その世界で生きる者がいるのも事実です。徒らにそれを塗り替える事は悪辣でしょう。

 

渡り歩く世界で無意味に他者を殺す様な事もありません。無論、そうせざるを得ないならばそうしますが、少なくとも理想郷は死を尊ぶ様な世界ではありません。故に私達は生きながらその地を探し、私達もまた理想としてあろうとするのです。

 

渡り歩く世界を支配する事もありません。支配した上で作り変える事も、或いは可能かもしれません。ですがそんな理想は、きっとそうなさりたい方々にとっての理想でしょう。ベルズが聞いたら激昂して滅ぼし尽くすでしょうし、私も許容は出来ません。

 

ですから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キミ(・・)力をあげようか(・・・・・・・)?」

 

いずれ其方に伺いますが、私は決して貴女の様にはなりませんよ?

 

 



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真なる願望④

 

閃光が如き剣戟、人の命を容易く奪う殺戮の双刃。一呼吸の内に放たれる絶技、使い手に取っては単なる斬撃。人の身では捉え得ぬそれが波打つ様に、一人の存在に幾度と無く振われる。

 

音も無く、空に舞い散ったのは鮮血。切り刻まれたその男から、夥しい量の血が溢れ出る。と、同時に風が切られ鮮血の霧の中から振り払われたのは、見覚えのある紫の杖。

 

金属音。振り払われた瞬間に剣に姿を変えた杖は、しかし堅牢な装甲に弾かれる。そして辺りに響いたのはジェット音。音を置き去りにし、装甲の持ち主は大空へと飛び去る。

 

雨の様に降り注ぐ鮮血の中、杖を銃の様に構える男。それを捕捉し、天より急襲する機械鎧。右手に構えられていた銀の刃は、左手の金の刃と混じり合い一つの長刀の形を成す。空気が燃え盛る様な音と共に、神速の一刀が男に迫る。

 

男は微動だにしない。ただそれを見据えながら、一言呟く。

 

「〈我が身は砕けず。〉」

 

次の瞬間、凄まじい爆音と共に辺りは砂塵に包まれた。

 

そしてこの国の郊外には、暫くの間荒々しき戦いの爪痕が残される事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、結果は?」

 

『私の勝ちですね!』

 

エンテイル国内、とある宿屋の一室。先程までの戦いがまるで嘘のように、そう爽やかに宣言するレグルス。そして受けた傷など無かったかのように、しかしぐったりとした様子で座り込むアノン。そして指の上で金貨を回しながら持て余すベルズ。

 

「やはり難しい……貴方に勝とうと思うと……小手先に頼らなければなりませんが……安易な手段では……通用しませんからね……」

 

ベルズは金貨をレグルスに放り投げる。放物線を描き投射されたそれは、レグルスの装甲に跳ね返り甲高い音を奏でた。そして力無く落ちる金貨をレグルスは難なく掴みとる。

 

「賭けが成立せぬ故、偶には勝つが良い。」

 

ぴしりと指を指しながら、ベルズはそう言いつける。指された男は微動だにしない。反応する気力が無い、という感じに首を振った。

 

「……無茶を言わないで下さい。」

 

絞り出すようにそう呟く。そして少しの間沈黙が訪れた。

 

あの日から数日が経った。終ぞアノンとレグルスに墓が無い理由は分からなかった。かの王にも魂の無い理由は分かったが、墓が無い理由については判別が付かなかった。

 

魂の存在は、つまり「いる」か「いない」かの二択となる。ベルズ曰く、「いてもいなくても問題にはならぬ。問題になるのはいる筈なのにいない、或いはその逆のみだ。故にいない世界にいないのは当然である。」だそうだ。それを聞いた二人は曖昧に頷いた。

 

しかし墓とは実物である。透明になる事も見えなくなる事も無い。結論から言えば、この国の人々は墓という言葉の存在を知らなかった。

 

『それで……出立は本日ですよね?』

 

「そうであるな。故に今日、神が現れなければ全てご破産となる訳だが……」

 

そう言いながらベルズはアノンの方を向く。つられるようにレグルスも向くと、アノンは漸く元気を取り戻した様に彼らの顔を一瞥(いちべつ)しながら答えた。

 

「じきに分かるでしょうが、問題はありませんよ。助っ人を一人呼んであります。」

 

『助っ人?』

 

「えぇ、そろそろ来るとは思うのですが……」

 

彼らも彼らなりに、この数日間を過ごしてきた。未知を解き明かし、謎を解明しようと様々な事を調べもした。しかし転機というのは突然訪れ、それまでの努力を嘲笑(あざわら)うかの様に全てを変えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──いや、外を見ろ!」

 

ベルズがそう言うと同時に、神殿から神々しい光が放たれる。国が揺れた。人々が沸き立ち、一瞬で通りが人で一杯になる。熱狂、足音、叫び声、その全てがこの国を満たし、数秒前に彼らが過ごしてきた国とは別の国では無いのかと錯覚させる程の恐ろしさが、そこに渦巻き始めていた。

 

『……私達も向かいますか?』

 

レグルスの呟きに答を返す者はいない。困惑がその部屋を満たしていく。

 

「その必要は無いよ。」

 

否、答を返す者はいた。開かれた扉に寄りかかる少年が、明瞭な口調でそう言うと、ベルズは驚いた様に彼を見る。

 

「……助っ人とは貴様の事だったのか。」

 

「おや、面識があるのですか?」

 

そう、彼はスラムに向かうアノンを止め、スラムから出て行くベルズに問いを投げかけた少年。アノンはこの国の土地勘や風習に詳しい彼を助っ人として呼んでいたのだった。

 

数日振りの再会、しかしベルズは声を荒げる。

 

「その事は良い。必要無いとはどういう了見だ?」

 

「神様に会いたいんでしょ?だったら会わせてあげるよ、ついてきて。」

 

そう言いながら、扉から離れて行く少年。すぐに階段を降りる音が聞こえ、彼が宿屋から出て行こうとしている事をこの場の誰もが理解する。

 

『……どうしますか?』

 

「どうもこうもないだろう。」

 

「ええ、どうもこうもありませんね。」

 

神に会えるのであれば、何でもいい。意見を合致させた三人は、少年を追いかける様に部屋を出て、階段を駆け降りて行く。

この国の全てを知る者に会う為に。

 

 



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神なる顔貌

 

宿屋を出て、神殿のある町の中心とは逆の方向へ歩む少年。そしてそれを追いかける三人。遠くに聞こえる喧騒が、だんだんと小さくなってゆく。彼らが少年を見逃す事はない、例え少年が走り出したとしても彼らはそれを追い続ける事が出来ただろう。

 

時折、少年は道を曲がる。明るい道も暗い道も構わず不規則に曲がる。何処に向かっているのかは分からない。しかし追う道行で彼らが感じていたのは緊張でも不安でも無く、明らかになるであろう真実に対する期待と、この世界を去る事に対する未練だけだった。

 

進む道はどんどん暗くなってゆく。当然、人気(ひとけ)は無い。しかしその静かさが一時的では無いという事を彼らに確信させる様な、そんな道。この国の深淵へと近づいているという錯覚さえも感じてしまう暗がりを、彼らは沈黙を保ちながら進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩き続けてどれほどの時間が経っただろうか、突然アノンが足を止めた。

 

『アノン殿?』

 

背後を歩いていたレグルスは不思議そうにその背中に問いを投げかける。

 

「此処なら大丈夫でしょう!もう人目を気にする必要はありませんよ!」

 

背を向ける事なく、彼は大声を出す。いち早く反応したのは目の前の少年。ゆっくりと振り返り、アノンをしっかりと見据えながら口を開いた。

 

「……突然どうしたの、お兄さん。」

 

「分かるのですよ。その人目を気にする在り方、正体を偽装するやり口、そして目標を達成する為には手段を選ばない強い意志。エンテイル神、間違いなく貴方は私達と同族です。」

 

そう言い切ると、アノンは指を指す。その先にいるのは少年。ベルズは少し動揺した様子で、レグルスはいつもと変わらない様子でその少年を見つめる。

 

「ですが、もう良いでしょう。過分に警戒する気持ちは分かりますが、流石に時間の無駄でしょう。早く本題に入りませんか?」

 

沈黙はそう長く続かない。

 

「ふぅん。じゃあもう良いかな?」

 

非常に軽い口調とは裏腹に、アノン達はその声に強い威厳を感じる。特にたじろいだのはベルズ。かの王でさえ、寧ろ王であったからこそ、その一声が如何に重いものであるかを感じ取れたのかもしれない。

 

『という事は、貴方が……』

 

「うん。お察しの通り、私がエンテイルだ(・・・・・・・・)。でも今更だし、君達が呼び易い様に呼んでくれて構わないよ。特にアノン君とベルズ君とはちょっとした付き合いもあるしね?」

 

少年はにっこりとしながら、しかしその中に隠しきれない異質さを見せる。まるで人間を自身と平等とは見ていない。蔑むでも尊ぶでもなく、ただ違うものとして区分する。そんな瞳が三人を見透かす様に映す。

 

「それにしても、まさか見破られるとは思わなかったな。アノン君、勘が良いね。」

 

「ありがとうございます、ですが……」

 

「そうだね、君達には知りたい事がある。勿論良いよ?言いふらしたりしないなら遠慮無く聞いてくれて構わない。」

 

少年の姿をしたそれは、誰の目にも少年としては映っていない。そこにいるのは純然たる神、エンテイルという名を持つ存在。しかし少年としての在り方は神としての貌を覆い隠す。

 

『……では今、神殿には何がいるのですか?』

 

「何もいないね。ああやって仰々しく光らせているのは、私の降臨を示す為だ。私が現れたって光り輝いたりはしないし、そうしておかないと彼らには分かりづらいだろう?」

 

質問したレグルスに、エンテイルは即座に返答する。感情の排されていないその声は、その存在が人間味を帯びている事を表しているのだろうか。

 

アノンが軽く手を挙げる。

 

「では私からも。貴方は私達の目の前にいる少年という認識で間違いありませんか?」

 

「いや、私はこの子の体を借り受けているに過ぎないんだ。ただ私には本体も実体も無いから、私の一部が少年であるという認識は間違いじゃないかな。」

 

そう言いながら、少年は一回転して見せる。

 

「一部、とはどういう意味だ?借り受けているだけなら分かるが、その上で少年のどこに貴様の一部がある?」

 

声を上げたのはベルズ。不遜にも神を貴様と呼ぶ彼の有り様は、砕け折れる事の無い彼そのものを表している。威圧を感じながらも、ベルズはそれに立ち向かう。

 

意外にも、エンテイルは不機嫌そうな顔をする事はなかった。むしろ嬉しそうに、彼は口を開く。

 

「……その表現だと語弊があるね!正確に言い直そう、私の正体は人々の集合意識だ(・・・・・・・・・・・・・)。だから私の一部は少年にあると言っても間違いはない。この身体も彼に借り受けているだけに過ぎないという訳さ。」

 

「何ですって?」

 

驚いた様な声を上げるアノン。その背後で不思議そうに少年を見つめる二人。

 

すると突然、エンテイルは自身の手を叩いた。甲高い音が鳴り、ぽかんとそれを見つめる彼らに向かって、一言。

 

「この言葉だけだと分かりにくいだろう?だから、私は君達に過去を語ろう。私の生まれた過去をね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は無に近いモノだった。

自我は無かったし、生きているとも言えなかった。ただそこに在っただけの存在だった。

 

そんな私がいた場所はとある集落だった。

小さな集落でね、農作業をして暮らしていた静かなところだったよ。

 

しかし、突然ある時から集落には雨が降らなくなった。

偶然だったのかどうか、私には分からない。

だがそんな事は彼らにはどうでも良かった。問題なのはそれで作物が育たなくなり、彼らの食べる物が失われていった事だった。

 

飢餓の中で、彼らは一心に祈り続けた。

雨を降らせて下さい、私達にお恵みを、と。

その時、奇跡が起きた。

彼らの願いが通じたのか、何とその集落に雨が降り始めたんだ。

恵みの雨だって彼らは喜び合ってたね。

でも、それは偶然でも何でもなかった。

 

だって、それは彼らが起こした奇跡だから。

彼らは祈り続けていたんだ。数十人の心が完全に一つになるくらい、必死にね?

その必死な祈りは私に影響を与えた。

 

無に近い私は一つの指向性を与えられたんだ。

それは「人の願いを叶える」事。

故に私はあの時から願いを叶え続けている。一生懸命に祈る人々の願いを叶える為の力を、私はあの時に得たのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強く願う気持ちが、世界を歪ませようとして生まれた存在。人が人の望みを叶える為に生み出した、神という偶像を代理する存在。それがこの私、エンテイル神の正体だ。」

 

 



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禁足の幕引き

 

異世界、それは未知の世界。

私達は文化や規則を遵守すると同時に、それに守られながら生きています。

しかし異世界の文化やルールは、言うまでもなくその地に根付く過去の歴史や風土に基づいて広がっています。

それは或いは、私達が当たり前だと考えている事でさえも容易に塗り替えるでしょう。

 

ですが、これは単なる期待。その前提には「理解し得ぬ文化の実在」という仮定が存在するのです。

理解し難い文化や規則の中には、案外見方を変えれば納得出来るものが多いのです。理解し難い文化や規則を生み出すのも、文化や規則の違いという壁を作ってそれらを隔てるのも、結局は作り手である私達なのですから。

 

私達は、秩序と法則に縛られた世界で生きて行かねばなりません。それを窮屈と感じるか、幸福と感じるか。一人一人の感覚は異なるのですから、きっと信ずるべきは自分の心なのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は神としてあり続けた。ただし、私は願う者にとっての神でしかない。

つまり君達の様に私に願わない者は、私と繋がる事はない。全ては知らないが、繋がる者達の記憶から君達の事は教えてもらったけどね。」

 

アノン達の姿が揺らぐ。身体が薄まり、部位によってはまるで活気が失われた様に色褪せて行く。その尋常ならざる様子に、しかし誰も驚く様子はない。

 

「……そう、君達は世界を渡る。つまりこの世界から消え失せる存在だ。君達が何を知ろうが、世界に知る者は残らない。それならこの世界が揺らぐ事はないよね?」

 

『合理的な判断ですね!』

 

「うん、だから君達の知りたい事は全て教えよう。その代わりにこの世界には戻って来ないで欲しいんだけど、約束してくれる?」

 

懇願ではなく、提案する様にそう口にするエンテイル。話し合うまでも無いと、ベルズが返答する。

 

「言われるまでも無い。どの道この世界には二度と来んよ。」

 

「それを聞いて安心したよ!ならどんどん質問して……と言いたいところだけど。」

 

世界から消えゆくアノン達を眺め、エンテイルは笑う。嘲笑(ちょうしょう)でも冷笑でもなく、ただ笑顔で旅立ちを見送る様に。その表情にはどんな想いが込められているのだろうか。

 

「時間は無さそうだね。あと一人一つずつくらいなら大丈夫そうかな?」

 

「私はもう構いません。ベルズとレグルスで一つずつどうぞ?」

 

そう言いながら、アノンは身を引く。代わりに前に出てきたのはベルズとレグルス。

 

「では貴様は、如何なる手段で人々の願いを叶える?」

 

先に神に質問したのはベルズ。それを聞いたエンテイルは目を丸くし、程なくして首を傾げる。

 

「そんな事で良いのかい?

単純な話だよ。そもそも私の降臨とは、『願いを持って祈る人々全てを導く』事だ。

人々が強く願い祈り、私は信仰という名の力を蓄える。

そしてその力を利用して繋がる彼らを操作し、なるべく多くの人々の願いが叶う様に世界を動かす。これで答えになったかな?」

 

一瞬、ベルズが(おぞ)ましい物を見る目でエンテイルを見た。が、すぐにいつもの調子に戻り口を開く。

 

「……つまり人に叶えられぬ願いを叶える事はできない、と?」

 

「正確に言うなら『人が都合良く動けば叶う願い』は叶えられるけど、『人を介さない純粋な奇跡』を叶える事は難しい、かな?」

 

「……そうか、感謝する。」

 

そう述べ、ベルズも後ろへと下がる。それは普段の彼にしては珍しく、不気味な程に静かに行われる。

 

「……じゃあ次の質問で最後かな?」

 

『そうなります!では、この世界で死んだ人間はどうなるのですか?』

 

少しの間の後、エンテイルは答えた。

 

「燃やしているよ。残った骨は粉にして建材に使ったりしているんじゃ無いかな。」

 

成る程、とレグルスは小さく呟く。しかしそうではない、という風に続けてこう述べる。

 

『それは正直構わないのですが、私が気になったのはその理由です。

何故この国には、死者を(とむら)うという文化が無いのですか?』

 

「死者を弔う……つまり(まつ)るって事?それに何の意味があるんだい?」

 

まるで理解が出来ないというかの様に、神はそう答えた。想像していた答えとは違っていたのか、彼らの間に奇妙な空気が流れる。

 

『意味……ですか?』

 

「だってそうだろう?彼らが祈るのは私だけで良(・・・・・・・・・・・・) ()。そうしないと私は、彼らの願いを叶える事が出来ないじゃないか。

死んだ者に祈って、彼らの願いは叶うのかい?私は一人でも多くの人々の願いを叶えなければならないのだからね。」

 

アノンがレグルスの肩を叩き、そして首を横に振る。

 

『その……通りですね。ありがとうございます……』

 

意気消沈したように身を引くレグルス。そして一層三人の身体が薄くなって行く。

 

「感謝します、エンテイル神。貴方の国が永遠に栄える事を心より祈っております。」

 

「ありがとう、私も君達の道行に幸運がある事を願ってるよ!」

 

数秒後、この国にやってきた三人の身体は完全に消滅した。

彼らは無事に次なる世界への旅路を踏み出したのだろう。

神は最後まで笑いながら、その旅路を見送る。まるで、他人事のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして次なる世界にて、彼らは暫し佇む。

 

「という訳で少し遅いですが、総括と参りましょう。どうでしたか、エンテイル国は?」

 

その瞬間、怒気が形になったような黒い波紋が辺りを満たす。面倒そうにアノンはその源から目線を逸らした。

 

「……少なくとも、我輩はあれを神とは認めぬ。」

 

「と、言いますと?」

 

右から聞こえる声に、アノンは声だけで相槌を打つ。

 

「長々と言っていたが、つまり奴に叶えられぬ願いが『悪い願い』であり、奴はそれに優劣をつけていた。

人の願いを叶える為に生まれた神。つまり叶えられない願いを祈る者など、奴には不要なのであろう。馬鹿げている。」

 

『同意します。祈りを取られない為に死者を弔わないとは、恐ろしい神がいたものです。私が知る限りですが、死者は神の元に召されるのではないのですか?』

 

「まさに『世界観が違う』のでしょうね。

ですが私は皆さんが言う程、あの神がおかしいとは思いませんでしたよ?」

 

「……」

 

じっとりとした視線を感じるアノン。

 

「気でも触れたか?という目で見るのはやめて下さい。

そも神とは気紛れな存在でしょう。本来、彼らに願いを叶える義務なんてものはありません。エンテイル神も自身の事をこう言っていたではありませんか。『神という偶像を代理する存在(・・・・・・・・・・・・・)』と。」

 

アノンを除く二人は思考する。

自身を神と自称していたあの存在は、果たしてそれを認めていたのだろうか。

全能の神もいれば、そうでない神もいる。エンテイル神は、自身をどちらと認識していたのであろうか。

 

「ですからあれで良いのです。向上心と呼んで良いかは分かりませんが、エンテイル神は神の中では良い神の部類でしょうね?」

 

『そんな……ものですか。』

 

残念そうに呟くレグルスに、アノンは人差し指を突きつけた。不思議そうにその指を見つめるレグルスに、アノンはこう宣言する。

 

「ただし、彼はこうも言っていました。そも彼の神の誕生は、人々の必死な祈り故だと。

あの国は周りからやって来る人々も拒んではいないようでした。そんな状態で、人々の祈りは本当に一つになっていると言えるのでしょうか?

尤もこれも憶測でしかありません。ですが、あの国が永劫に続くとはとても思えませんね。」

 

「……理想は遠いな。」

 

「そんなものですよ。ですから私達が目指す価値があるのです。」

 

篤き信仰の国。

信仰により生まれたエンテイルが、信仰を求め、人々を管理し、願いを叶え続ける世界。

 

三人の来訪者はその旅路を追憶する。国の結末は未だ訪れず、神の心は誰にも分からず。

 

しかし意味のある訪問であったと、誰もが思う。

 

 

 

そして彼らの旅路は続く。

 

 



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幕間・忘憂の日々

 

某日、寂れた酒場。

 

いつも客の入りが多いとはいえないその酒場は、昼間という事もあって客は片手で数える程しかいない。しかしそこに広がるのは、大仰に言えば異端と呼ばれる様な者達が静かに酒を楽しんでいるという、不思議な光景。

 

例えばカウンターの席に座る男性。彼は神に祈る願いを持たず、自らの手でそれを得ようとする不信者達の頭目。特に理由も無く、彼はいつもの様に静かに酒を飲む。

 

例えばテーブルを一人で占拠する男性。恰幅の良さから窺える様に、その男はこの国でも随一の富豪。ここの食事と酒が一番美味いからと、彼はこんな場末に足を運ぶ。

 

例えば……

 

「貴様が此処にやって来るとは、どういう風の吹き回しだ?」

 

『おや、そんなに意外でしたか?』

 

酒場の一番奥の席で目立たない様に酒を嗜む、黒いローブのベルズ。

そして遅れて入店するや否や、何の躊躇いもなくその隣に座った、機械鎧のレグルス。

そう、例外なく異端である。世界を旅する彼らもまた、尋常な存在では無いのだから。

 

()のように酒を飲む事は出来んのだろう?ならば……」

 

『ふふっ……』

 

明後日の方向を向き、レグルスは小さく笑った。認識阻害に合わせた口調の変化、そうせざるを得ないとはいえ、彼にとって面白いものはやはり面白いらしい。

 

わざとらしく咳払いをして、レグルスはベルズの方を向き直った。

 

『失礼しました!』

 

「後で覚えておけ……しかし、本当に何の用だ。貴様は用事も無いのにこんな所まで来はしないだろう?」

 

『仰る通りですね、ですから今日は用事があって参ったのですよ。

実は興味深い噂話を小耳に挟みまして。早くお伝えしなくてはと思い、急いで此方へとやってきた次第です。』

 

そう聞いて、ベルズは怪訝そうな表情をする。

 

「噂話?」

 

『ええ、やはりご存じありませんか?町外れの幽霊屋敷の噂を。』

 

「……」

 

幽霊屋敷という言葉を聞き、ベルズの表情は心なしか険しくなった。

そしてまるで興味を失ったかの様に虚空を見つめる彼の王を、レグルスは不思議そうに眺める。

 

『……聞いておられますか、ベルズ卿?』

 

「しっかり聞いている、故に卿と呼ぶな。

ともかくその題名だけでは推測も出来ん。内容を聞かせるが良い、そこから判断する。

……正直、聞く意味はないと思うが。」

 

『内容ですか?無人のはずなのに人気がするだとか、夜に明かりが灯っていただとか、何かの唸り声が聞こえただとか……幽霊屋敷という名に相応しいものばかりでしたね。その他にも色々ございますが、お聞きになりますか?』

 

首を傾げながらも詳細を説明し終えるレグルスを、ベルズは終始覇気無さげに見つめていた。

 

「いや、もう構わん……少なくとも今のところ、その噂話に興味は全く湧かん。何が興味深いというのだ?」

 

その瞬間、曲がっていたレグルスの首が真っ直ぐになる。発条(バネ)が反発した時のような擬音が音もなく、しかししっかりと周囲に響き渡った。

 

『何を仰るのですか!?幽霊ですよ!?』

 

そしてカウンターに身を乗り出し、機械音声を若干上擦らせながらそう断言する。

対照的に周囲の人々が突き刺す目線は、奇妙な物でも見たかの様に冷ややかだった。

 

「喧しい。興奮するな、声量を抑えろ。」

 

ベルズはそんな機械鎧を片手でそう静止しながら、酒を一息で飲み干した。

静止されたレグルスは周囲を静かに見回しながら、ゆっくりと滑らかな動作で前傾姿勢を戻して行く。

 

「そもそも、だ。前にも言ったがこの世界に魂は存在しない。

故に当然、幽霊など存在し得ぬのが道理。噂は確かめるまでもなく虚言であろうよ……」

 

相変わらず覇気無さげに呟くベルズ。無気力、失望、無感情。まるで黄昏ているかの様なそんな様子は、彼にしては珍しい。

 

『無論、そんな事は承知の上です!

重要なのは、墓場を知らない国で(・・・・・・・・・)幽霊という単語が(・・・・・・・・)周知されている事(・・・・・・・・)でしょう!』

 

「……ほう?」

 

ところがいつもの調子で力説するレグルスに少し興味を惹かれたのか、ベルズの瞳の奥に光が灯る。

少し考える様に顎に手を当て、暫くして口を開いた。

 

「つまり何か。噂話はどうでも良いが、幽霊という言葉そのものに引っかかると?」

 

『仰る通りです!』

 

そして大正解!と言わんばかりにレグルスの目がチカチカと発光した。

ベルズがやんわりとそれを手で抑えるも、レグルスの勢いは止まらない。

 

『実在しないモノが、言葉として通じると言うのは些かおかしな話です!

素晴らしい!非日常!退屈からの解放です!

どうでしょう、先ほどよりは関心を持たれましたか?』

 

ニヤリと微笑むベルズ。その心には既にいつもの様に精力的な炎が燃える。

 

「……そうだな、そういう話なら面白そうだ。して、それをどう解明するつもりだ?」

 

『では手始めに……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……という訳で、我輩達は幽霊屋敷に行っていた訳だ。」

 

「なるほど。それで顛末はどうなったのですか?」

 

そんな会話があったその日の夜。

エンテイル国内、いつもの宿屋の一室。そこには二人から事後報告を受けるアノンの姿。

 

「やはりというべきか、屋敷の中にいたのは盗人であったそうだ。」

 

淡々と話すベルズ。そして適度に相槌を打ちながら聞いていたアノンは、ふと顔を上げる。

 

「あったそうだ、とはまるで伝聞情報の様な言い方をしますね?」

 

「何の事はない、その盗人が捕まったという話を聞いた故に。とはいえ所詮は余談、どうでも良い事である。」

 

どうでも良いと聞くや否や、アノンは「へぇ」と言った風に顔を下ろした。

 

「アノン、貴様はどう思う?」

 

「へ、何がですか?」

 

が、名前を呼ばれたアノンはすぐにまた顔を上げた。抑揚の無い声でベルズは続ける。

 

「幽霊が偽物だったというのは主題ではない。問題はレグルスが言った様に幽霊という単語が存在している点だ。

魂も無ければ墓も無い、故にあり得ざるその概念が言葉として通じるのはおかしいと思わぬか?」

 

そう言われ、少し考える様子を見せるアノン。そして幾許かの静寂の後。

 

「……そうですか?別にそこまで不思議な話でも無いと思いますが。」

 

さらりとそう言ったアノンに注目が集まる。

ベルズは目を丸くして、レグルスは瞬きながら。アノンは少し居心地が悪そうに視線を逸らす。

 

『何故です?』

 

しかしそんな行為を許すつもりはないと言わんばかりに、レグルスはアノンの視線の先に立ち塞がる。軽く溜め息を吐き、アノンは口を開いた。

 

「……言葉というのは多義ですからね。

一言に幽霊と言っても霊魂から成る存在、解明不能な未知の現象、虚構の象徴と意味は様々ある訳です。

その中で魂に関連した意味だけが存在しなければ、言葉として広まっていても矛盾はしないでしょう?」

 

そして訪れる静寂。各々がその意味を噛み砕き、理解する為のわずかな時間。

 

『……さらりと仰いますが、その仮説は少し厳しくはありませんか?』

 

数秒と経たないうちにレグルスは問いかける。アノンは大袈裟に肩を竦めた。

 

「まぁ何の証拠もありませんし、想像の域を出ない推理ですからね。間違いないだなんて決して言い切れませんよ。

ですから、この国の神に色々と聞ける機会を狙っているのですが……」

 

「出立は近いが、間に合うのであろうな?」

 

「それこそ『神のみぞ知る』と言ったところでしょうが……上手く行けば会えると思いますよ。」

 

そう言いながらアノンはベッドに横になる。

ベルズとレグルスも、それ以上の追求は諦めた様に各々の時間を過ごし始める。

 

その日が来るまであと七日。忘憂の日々は続く。

 

 



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幻想協奏館
前奏の幕開け


 

異世界、それは無尽の世界。

私達の世界は悠久の時を経て、内包する全てと共に終わりを迎える。

しかし異世界はこの瞬間にも滅び、そして生まれ続けている。

私達の世界と平行に、垂直に、或いはねじれた位置に無数の世界は存在し続ける。

 

私達には視えない異なる世界の存在。それすらも疑えば、一体私達はこの終わりゆく世界に、どんな希望を見出せば良いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬱蒼とした森の、不自然に開けた場所。鳥と虫の鳴く声が、まるで合唱の様にその空間を満たす。

空が曇っているのか、その場所に日が差す様子は無い。どんよりとしたその場所で、三人は立ち尽くしていた。

 

「我輩とて既に何度も世界を渡った身。故に同じ事を繰り返し言うのも憚られるが……」

 

そう言いながら、目の前の空間に拳を突きつける。腕を半分ほど伸ばした所で、その拳が何か硬い物に触れる。

 

誰が目を凝らしても、その目の前に広がるのは単なる森林。何か潜んでいるのでは無いかと思わせる様な暗がりだけが、その中に広がっている。

 

そして、右の拳が思い切り振り抜かれる。響き渡るのは大爆発の如き轟音と破壊音。

しかし次の瞬間に残ったのは、肘から下が消滅した右腕。砕け散った骨の破片が地面に降り注ぎ、薄紫の煙に変化しながらその腕を修復していく。

 

目の前の景色は少しも変わる事なく、まるで何の影響も無かったかの様にそこにあった。

 

「……何だ、この世界は?」

 

修復した腕の状態を確かめる様に、拳を開閉しながらそう問う者、亡国の王・ベルズ。

 

『私にも観測できません!物質では無さそうですが、どういう理屈なんでしょうか?』

 

既に試したのだろうか、砕けた剣の修復を待ちながら佇む者、機械鎧・レグルス。

 

「……かなり珍しいですね。これは『世界の果て』と呼ばれる境界線です。」

 

見えない壁の様なものを叩きながら、深刻そうにそう呟く者、奇術師・アノン。

 

「世界の果て?」

 

「ええ、文字通り一世界における果てです。世界は広いですから、そう易々と目にする事はないのですが……」

 

世界の果て。如何なる世界にも存在する、世界と世界とを隔てる境界線。その先に広がるのは世界では無く、世界に似せられた背景。或いは黒々しい無。

 

それを実際に見る者は少ない、何故なら世界の果ては人の生存可能領域を無視した辺境にのみ存在するから。

人間が生存出来る環境は、『世界全体』から見れば遥かに少ない。仮に見る事が出来たとしても、それが真実として広まるには信憑性が薄すぎるのだろう。

 

『ですが、目の前にあるのは世界の果てなのですよね?』

 

「そうですね。そしてその中心に位置しているのが……」

 

三人が振り返る。彼らの目の前に鎮座していたのは大きな館。

菫色(すみれいろ)の屋根、木で造られた外装。なるべく自然の色をそのまま残そうとした館は、優雅にして美麗と呼ぶに相応しかった。

 

しかしその美しい建造様式とは裏腹に、館を包むのは異様な雰囲気。いつからそこにあるのか、館の至る所に(つた)が絡まり、窓は閉め切られているがカーテンは開かれている。しかし中の様子を外から確認する事は出来ず、ただ暗闇のみが広がっている。

 

一言で言うならば、まるで魔女の棲家の様なその建物。その周辺を『世界の果て』が取り囲み、断絶された空間がそこにはあった。

 

「建物を中心とした、木々の生えていないこの場所。館と庭で完結した様なこの空間。

まず間違いなく、この世界は人為的に創られたものです。」

 

「……誰が、と聞くのは無粋であるな。」

 

『この世界の創り手が館の中にいらっしゃるのです。本人に会い、エンテイル国の時の様にお話を伺うのが早いでしょうね!』

 

「あまり楽観はしない様にして下さい。この世界の創り手から見て、私達は侵入者に当たります。

相手の機嫌次第では即刻戦闘もあり得ますから。」

 

そう言いながら、彼らは館の入り口へと近づいて行く。

直に扉へと辿り着くと、外観を眺めているだけでは分からなかった情報が一つ。

 

「……何か書いてありますね。」

 

扉の上に打ち付けられた木に、黒く文字が刻印されている。しげしげと辛うじて読めるそれを見つめ、ベルズが一言。

 

「幻想……協奏館?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の瞬間、彼らの目に写る景色が一瞬にして変わる。そして目の前に広がっていたのは大きな広間。

 

「幻想協奏館へようこそ、アノン御一行様。」

 

そして両脇から伸びる階段の上、二階の扉の前から声が聞こえる。

そこに立っていたのは一メートルに満たない程の背丈をした少女。小さな薔薇(バラ)の意匠が施された黒いゴスロリのファッションに身を包み、恭しく一礼をする様はまるで格式高い令嬢を彷彿とさせる。

 

移動と同時に抜刀していたレグルス、いつも通りの雰囲気で腕を組むベルズ、同じくいつも通りの雰囲気で杖をくるりと回すアノン。彼らが此処が先程見ていた館の中であるという事を察知するのに、そう時間はいらない。

 

「私、この館の案内人を務めさせて頂いております、メリーと申します。以後お見知りおき下さいませ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想協奏館、曰く全ての集う場所。

不安定な物、不自然な物、無意味な物、無価値な物。その全てが調和し、一つの音色を奏でる様に共生する。

 

全てが飲み込まれ、混ざり合う。

その館には如何なる真実が待つのだろうか。

それはきっと、たった一人にしか分からない。

 

 



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揃い得ぬ道行①

 

「メリー。これから訪れる三人の内、一番危険なのは誰だと思う?」

 

「いえ、私の意見など……」

 

「ああ、どうでも良いかもね。ではクイズだと思って答えてみなさい。」

 

「……では僭越ながら。やはり最も危険なのはアノン様かと存じます。」

 

「へぇ、その心は?」

 

「一人で他世界から二人を連れて来たのは紛れもなくアノン様です。であればあの方が危険となるのは当然だと存じますが……」

 

「それはちょっと違うかもねぇ。むしろアノンに関しては危険でも何でもないと断言出来るから。」

 

「……左様でございますか。では、一体どなたが危険なのですか?」

 

「それはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アノンの覇気が無い事に気づいたのは、その案内係を名乗る少女が現れてからであった。

……いや、二つ語弊があるな。

 

一つ、そもそもアノンは覇気のある男ではない。故に言い換えるならば、心ここに在らずといった所であろうか。

 

一つ、メリーは人ではない。見た目こそ人間に近いが、我輩に言わせれば構造が異なっている。人に似せ造られた存在である事は間違いない。

 

「貴女は、何故私の名前を知っているのですか?」

 

アノンが階段から降りて来たメリーにそう訊く。仮面の下の視線は見えぬが、その眼で貴様は本当に少女を捉えているのか、と聞きたくなる様子である。

 

「当館の主人は素晴らしく博識でございます。アノン様もベルズ様もレグルス様も、名前以外の様々な情報を主人から頂いております。」

 

少女の立ち振る舞いは、我輩を感心させる。気品を持つ、優雅であると言葉で表すと陳腐やも知れぬが、それ以外に適切な表現は無い。かなり格式高い家で育ったのか、まさか王族ではあるまいが。

 

「何故、貴様の様な人間が案内係などをしている?」

 

「……どういう意味でしょうか?」

 

衝動的に口走った質問であったが、案外見所は悪くなかった様だ、少女に焦りが見える。

 

「礼節を弁えておるのは良い。だがその気品を持って、使い走りをするのは不自然であろう。理由があれば知りたいものだが、それとも見て分からぬとでも思ったか?」

 

アノンは此方を一瞥し、そしてそのままそっぽを向く。レグルスはメリーの顔をしげしげと見、暫くしてから首を傾げた。

……冗談でも何でもなく、我輩が居らねば分からなかったのでは無いか?

 

「……素晴らしい洞察力でございますね、ベルズ様。ですが不自然という言葉は、此処では通用しないものと考えて頂いた方が良いかと存じます。」

 

「何だと?」

 

「此処は幻想協奏館、協奏とは調和を指します。泡沫(うたかた)の夢も強固な現実も、矛盾を許されながら協奏するのがこの館。

ですから、不自然という言葉は唱えるだけ無意味なのです。」

 

……言わんとする事は分かる。矛盾を飲み込み、現実としてあり続ける事で存在そのものを補強する。当然という言葉を無視した、我輩と同じような在り方である。

 

『話の腰を折るようで申し訳ありませんが、これから私達はどうすれば良いのでしょうか?』

 

隣から声を発すレグルス。そして思い出したかのように、行き場を失った刀がゆっくりと鎧の中に格納されていく。メリーはハッとしたように手を口に当てた。

 

「も、申し訳ありません、話に夢中になっておりました。

当館の主人は所用で出かけておりますので、主人がいらっしゃるまで当館でご自由にお過ごし下さい。」

 

周りを見渡すが、扉は我輩達が入って来た物とメリーが出てきたであろう物の二つしかない。という事は奥に何かしらあるのだろうか。

アノンが大仰に一礼する。

 

「お気遣い感謝します。因みに入ってはならない場所等はありますでしょうか?」

 

「特にはございません。では皆様、此方へどうぞ。」

 

そう言うと、メリーは階段を登り扉へと進んで行く。それに連れられ、我輩達も順に扉へと向かう。

そしてメリーは扉の前で立ち止まると、此方を振り返った。

 

「皆様、これは『開かずの扉』です。」

 

「開かずの扉?」

 

「作り手曰く『開く事に意義がある扉が、その意義を失えば芸術になる』そうです。」

 

……芸術かどうかは置いておいて、何故それを此処に設置したのだ?

どうやらこの館の主人は、我輩が思っている以上に独特な感性を持っているらしい。

 

『それではこの先へはどう進むのですか?』

 

「近づいて言葉を発せば、対応する場所へと移動する事が可能です。皆様もこの館に入る際に呟いたのではありませんか?」

 

という事は、入り口の扉も『開かずの扉』だったという訳か。あの時を思い出し、扉の上を見るとそこには文字が刻まれている。

 

「……順路は揃い得ぬ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

アノンがそう呟くと、既視感。一瞬にして全てが変わり、目の前に広がっていたのは小さな個室のような景色。

 

……そして、近くにいた筈のアノンとレグルスがいない。

成る程、順路は揃い得ぬとはそういう意味か。恐らく奴らも同じ様なことを思っているに違いない。

 

「ようこそいらっしゃいました。」

 

しかし突然声をかけられ、我輩は驚く。

驚いたのは声をかけられた事に、ではない。その声には聞き覚えがあった。

 

景色の中に溶け込んでいたかの様に、メリーが椅子に座っていた。そしてその前にはチェスのボードと、洋酒の入ったグラスが二つ。

 

「少しチェスを致しましょう、ベルズ様。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……此処から一体、どういう展開が待っているのだ?

 

 



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揃い得ぬ道行②

 

幻想協奏館。立地から薄々嫌な予感はしていましたが、入ってみればその異質さが明確に分かります。

デジャヴ。この場所をゆっくりと眺めていられる程、私の心は平静を保ってはいられません。

 

気づけば、私は一人になっていました。

目の前に広がるのは長い長い廊下。後ろを振り返っても前と同じ様な光景が広がるだけ。

 

私は静かに手を伸ばし、こう唱えます。

 

「“開け、繋属の門よ。”」

 

唱え終わると共に、目の前に現れたのは虚空を写す鏡。身体が倦怠感と喪失感で満たされます。

しかし、館に入った時から感じていた嫌悪感を拭い去る事はありません。

 

それすらも瑣末(さまつ)

少し衝動的過ぎる行動ではあるかもしれませんが、そうこう言っていられる状況でない事は館に入った時点で分かっています。

 

これ以上ない好機、であれば判断は迅速に。

私は、その門を潜ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんにちは。」

 

「ッ!?」

 

かなり大きな部屋。右手には大量の本が本棚に収められており、左手には開かずの扉。

扉の上の板には例の如くうっすらと文字が書いてあるが、アノンからは遠く読む事が出来ない。

 

その部屋の中央。驚いた様にアノンを注視するのは、机に向かって崩した姿勢で座っている女性。

ポニーテールに青っぽいスーツの様なゴシックドレスを身に纏うその女性は、しかし程なくして口元に笑みを浮かべた。

 

「お前が……アノンかぁ。」

 

感慨深そうにそう呟く女性。それにアノンは軽く会釈を返す。

 

「お初にお目にかかります、幻想協奏館館長様(・・・・・・・・)。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

「……くふっ!」

 

突然吹き出す女性。そしてそれを隠す様に右手で口を抑えるが、笑いが収まらないのだろうか。暫くの間、くすくすと笑い続ける。

 

「何がおかしいので?」

 

「いやいや……幻想協奏館館長ってのは長ったらしい称号だなと思っただけさ。

普通に館長とかで良いだろうに、面白い呼び方をしないでくれたまえよ。」

 

そう言い、女性は立ち上がる。そして自分を指差し一言。

 

「オスカー。この名前を他者に教えるのも、なんだか新鮮な気分だ。

それで、態々(わざわざ)順路を無視してまで私の元を訪れたのはどういう了見だい?」

 

「それは貴女もよく分かっているでしょう。私達を監視していたのに、事情を知らないという言い訳は通りませんよ?」

 

オスカーの机の上に置いてある水晶玉。その中にはアノンの仮面がぼんやりと映っていた。

 

「その通り、だが動機までは知らんね。

私は全能じゃないんだ、お前になら分かるだろう?」

 

「……ええ、そうですね。そしてもう結構、別に私は貴女と雑談をしに来た訳ではありません。」

 

アノンの杖の先が、オスカーに向けられる。アノンから感じられるのは明確な殺意。次の言葉に期待するかの様に、オスカーは笑顔のままアノンを見つめる。

 

「──オスカー、貴女の幻想協奏館は今日終わるのです。貴女は私に滅ぼされなさい。」

 

はっきりとそう告げるアノン。しかしオスカーは相変わらず笑みを絶やさない。

 

「へぇ。大きく出たねぇ、奇術師。

ベルズもレグルスもいないのに、その根拠の無い自信が一体何処から来るのか。

それとも実は無茶を通すタイプなのかい?そういうのは嫌いじゃないけど。」

 

「そこが貴女の弱点ですよ、オスカー。」

 

「……何?」

 

「全てを飲み込む幻想協奏館、そしてその創り手である貴女。全てを飲み込むが故に、貴女は全てを分かった気になる。

理解は出来ます、ですが改善すべき点でしょう?理解出来ようも無い人物、貴女は既に出会っているでしょうに。」

 

言葉の途中で、一瞬オスカーの顔から笑みが消える。しかしアノンが言い切る頃には、オスカーの顔にはまた笑みが浮かんでいた。

 

「……それはお前も同じことだろ、アノン?理想郷(アルカディア)なんて、それこそ夢物語だ。この幻想協奏館と同じ事なんだよ。

利口になれとは言わないけどね、自身の限界ってのは知っといた方がいいんじゃ無いかね?」

 

ぱちん、とオスカーが指を鳴らす。するとオスカーの両脇に二つの影が現れる。

右の影は重鎧。しかし頭部は無く、首元から白っぽい煙の様なものが常に溢れ出ている。

左の影は文字通りの影。まるで悪魔の様な形を模したそれは、黒い翼を羽ばたかせながら浮遊する。

 

「じゃ、お望み通りやろう。逃げたきゃ逃げても構わないが?」

 

その瞬間、アノンの隣に雷が落ちる。不意を突かれた様にたじろぐオスカー。そこには最初からいたかの様に一つの人影が立っている。

 

右手には剣、軽鎧に身を包む女性。顔は霞みがかったようにぼやけているが、剣には青色の雷が纏われている。その姿はまるで──

 

「それは此方の台詞です。」

 

アノンが杖を構えると同時に、その人影も剣を構える。

 

「皮肉なものですね。貴女は貴女の創り上げた物の所為で私に負けるのですから。

それでは参りましょう。手加減をするつもりはありませんが、本気で挑まれる事をお勧めしますよ?」

 

そして、アノンは仮面を投げ捨てた。

同時に水晶玉は透明になる。まるでその顔を映す事を拒否する様に。

 

 



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揃い得ぬ道行③

 

勧誘を受ける理由は無い。とはいえ積極的にそれを拒否する理由も我輩には無かった。

結論から言えば我輩はその誘いを受け、こうしてメリーとチェスを行っているのだが。

 

騎士(ナイト)は……どう動かすのだったか。」

 

「騎士はこのように決まった八箇所に動かすことが出来ます、ベルズ様。」

 

「そうか……」

 

尤も、ご覧の通りである。我輩は別段チェスが強い訳ではない。

所々でルールを確認しながら駒を打つのが精々。始めてから暫く経つがこの盤面が有利なのか不利なのか、其れすらも我輩には判断がつかない。

 

メリーが駒を動かす。何となく不利になっているような気がした故に、盤面の状況をじっくりと眺める。

そして彼女は我輩を急かす事もせず、此方を観察している。最初から何となく、視線が我輩の方を向いている様に感じてはいたが、気の所為では無かったようだ。

 

「……アノン様達の安否について、聞かれないのですね。」

 

突然メリーが口を開く。ちらりと其方を見るが、メリーの視線は盤面を向いたまま。

……取り敢えず歩兵(ポーン)を動かしておくか。

 

「聞く意味が無かろう。貴様の発言を誰が保証する?」

 

「……仰る通りでございます。」

 

しまった、強く言い過ぎたか。アノン達と話している時ならばこれくらいでも構わないだろうが、もう少し柔和に話すべきであった。

我輩は取り繕う様に口を開く。

 

「それに、だ。」

 

「?」

 

「どちらにせよ、理想郷(アルカディア)に至るまで我輩達は止まる事などない。

それは一人であろうと同じである。這ってでも我輩達は次へと進むだけだ。」

 

言い終えて、自身の言葉がやはり柔和では無かった事に気づく。優しく話す、たったそれだけの何と難しい事か。

だが思い直す。我輩と目の前の少女は対等である。ならば我輩に出来る事は誠実に答えを返す事である、と。

 

「……理想郷とは、何ですか?」

 

その言葉に釣られ、メリーの顔をまじまじと見つめる。我輩の視線から目を逸らす事なく、真顔で此方を見つめるその顔は少女である事を忘れさせる様な真剣さを持っていた。

我輩は溜息を吐き、一言一句に重みを乗せながら静かに答えた。

 

「残念だが、それについて貴様が知る必要はない。

本当にその地を求めるのなら別だが、少なくとも貴様はそうではあるまい?」

 

静寂が広がる。少女は残念そうに俯きながら、無言で駒を動かした。

……何故我輩はこの少女に気遣いながら過ごさねばならんのだ?別に苛つく程ではないが、何とも言えぬ理不尽さを感じるのはおかしい事なのであろうか?

 

「……我輩の話ばかりであるな。貴様は何か、得意な事はないのか?」

 

とはいえ、チェスはまだ終わらない。我輩は駒を動かしながら思いついた事を少女にそのまま投げかける。

 

「私の事など、皆様がご存知になるべき事は無いと存じますが。」

 

相変わらず俯きながら、少女はゆっくりと駒を動かす。騎士が取られ、我輩はまたも不利になる。

まだ五割ほど駒は残っているが、果たして何をどう動かせば良いのやら。

 

「そうか、まぁ無理にとは言わぬが。」

 

そう言いながら軽く酒を飲む。メリーのグラスには何処から用意したのか、冷たい紅茶が注がれている。確かに少女の身で酒を飲むのは推奨しかねるが。

 

「ベルズ様は……」

 

名を呼ばれ、盤上から視線を移す。メリーは軽く紅茶に口をつけ口を開く。

 

「ベルズ様はお優しいのですね。」

 

意外な事を言われた。拍子抜け……はしないが、毒気を抜かれた気分になる。

 

「そう言われたのは初めてだが。」

 

「私に気を遣っていらっしゃいますよね?その上で私の質問には敢えて厳しい答えもお返しになります。

どうでしょう、優しいと呼ばれても仕方ないとお思いになりませんか?」

 

「……ならば、少なからず貴様も優しいのだろうよ。そうでなければ我輩を優しいなどとは呼べまい。」

 

今の我輩には認識阻害が掛かっていない。この館に入るのが急であった為だが、メリーは我輩の顔を見ても驚きはしない。

その上で優しいと呼べるのであれば、この少女には偏見が無いのだろう。

 

「あ、ありがとうございます。」

 

頬を赤らめながらメリーは答える。どうやらこういう事は言われ慣れていないらしい。我輩は歩兵を適当に動かした。

 

「あ……」

 

「む、どうした?」

 

「ベルズ様、その動かし方をすると女王(クイーン)(キング)を取られてしまいますよ?」

 

そう言われ、盤上を見る。確かに歩兵が前に進んだ事により、メリーの女王は我輩の王を捉えていた。

 

「そうか、ならば我輩の負けで構わん。」

 

「ですが……」

 

「別にどうしてもチェスがしたかった訳ではなかろう。話がしたいのならばそちらに付き合おうと考えたが、不服かね?」

 

「……不器用なのですね、ベルズ様は。」

 

それは貴様もだろう、とは言わなかった。我輩と話す為だけに随分と回りくどい事をする少女は、好奇心を持った普通の少女にしか見えない。

 

色々と頭に思い浮かぶ考えは、少女の声によって霧散して行く。グラスの中に入った酒を飲み干し、我輩は少女と暫くの間語らうのであった。

 

 



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揃い得ぬ道行④

 

我輩は様々な事を語った。

我等が足を運んできた世界について、我等が出会った人々について、我輩は話せるだけの事を話した。

 

また、メリーも様々な事を語った。

幻想協奏館について、そこに住む者達について。彼女は至極楽しそうに会話をした。

 

曰く、この幻想協奏館を創り上げた女性の名はオスカー。一人でこの世界と館を支配し、他の世界からこの世界に移り住む様に勧誘を行なっている、と。

 

曰く、幻想協奏館は対立する全てを収める力を持つ。抑圧するのではなく、それすらも含んだ上で幻想協奏館としての在り方が確立されている、と。

 

曰く、昔からオスカーはアノンの事を知っていた。だが顔馴染みでは無く、メリーも我輩とレグルスについてはつい先程知ったばかりだった、と。

 

「別にそこまで内情を話す必要はないと思うが……」

 

「そうなのですか?」

 

話してみてよく分かったが、つまりこの少女は箱入り娘であるらしい。物事の丁度良い塩梅と言うものを知らぬ故、世間を知らぬ様に見えていたのかも知れぬ。

 

だがこの世界は、その丁度良い塩梅というものが存在しない世界である。極論でさえも受け入れてしまうこの世界は、つまりあらゆるものが平等に扱われているという事になるのであろう。

 

「それで、我輩はいつまで此処で貴様と話しておらねばならんのだ?」

 

「……それが、実はオスカー様はいらっしゃるのですが、少し時間を空けて伺って欲しいとの事でしたので……」

 

メリーはばつが悪そうにそう言った。要はオスカーは出掛けていた訳ではなく、時間稼ぎをする為の適当な理由付けとしてこの館を見せたという訳だろうか。

 

しかし我輩の聞きたい事はそんな事では無い。我輩はもう一度問いを投げかける。

 

「どれくらい待てば良いか、と聞いておるのだ。細かい事はどうでも良いが、せめて質問には明確な答えを返して貰おうか。」

 

「……そうですね、いずれレグルス様がこの部屋を訪れます。それからの訪問でも構いませんでしょうか?」

 

我輩は返事の代わりに首を縦に振る。どうせアノンは勝手に向かうから構わないと考えているのだろうか、まぁその考えは間違っていないが。

問題はレグルスの方だ。奴は興味があればどんな事にも首を突っ込む性質、果たして到着は何時になるのか想像もつかぬ。

 

そしてメリーの手には、何処から取り出したのかオセロの用意。期待しているのであろう少女の顔を、我輩は直視しない。だがその無言の主張が我輩には聞こえる。

 

……どちらにせよ今の我輩には、早くレグルスが来るよう祈る事しか出来ない。恨むぞ、顔も知らぬオスカーよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アノン、貴方はこの状況をあの二人にどう説明するつもり?」

 

足元にまるで残骸の様に散らばる、無惨に砕かれた鎧と白い煙の中に舞い散る黒い影を眺めながら、彼女は私に問います。

 

「そのまま伝えるだけですが、何か問題でもありますか?」

 

「無いなら一々質問なんてする訳がないでしょう?」

 

まぁご尤もなのですが、それを知った様に言われるのも何だか違う気がします。もどかしいと言いますか面倒と言いますか……

 

「主題をぼかさないで下さい、貴女は何を気にしていらっしゃるのですか?」

 

「さっき言った通り、どう伝えるつもりなのかを気にしているの。だって最悪の場合は彼ら二人と本気(・・・・・・・)で剣を交える可能性もある(・・・・・・・・・・・・)

それが分からない貴方ではないでしょう?」

 

「当然分かっていますよ。そして言葉を返す様ですが、それが分からない貴女では無いですよね?」

 

彼女は私を睨みます。面倒ですね、本当に。

 

「本気で彼らに剣を振れるの?」

 

「もう、貴女とも話す事はありません。消えるか黙るか出ていくか、お好きなものを選んで下さい。」

 

そして沈黙と共に、彼女は消えて行きます。

全くもって無駄な時間。床に落ちたオスカーの右腕をちらりと見、私は目を閉じます。

来るべき時はそう遠くない、私も覚悟をしなければならないかもしれませんね。

 

 

 



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唯、舞台袖故と

 

私の為の舞台はあっさりと幕を閉じた。

だから私は舞台袖、未練がましく言葉を連ねる為にある場所にいる。

 

尤も語るべき事など別に無いのだが、だからと言って早々と舞台袖を去ってしまうのも、それはそれで(おもむき)が無いだろう?

だから私は、思い付く限りの言葉を紡ぐ事にした。

この一人語りが、誰の満足に足るかは分からないがね?

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、私の始まりは少なくとも私の主観では実に緩慢だが劇的であった。

だが、始点は間違いなく一つだ。

その劇的な始まりっていうのは、私にとって重要じゃなかったのも確かだが。

その体験を経て、私の世界が文字通り色付いたという部分は重要なのかな?

 

いや、訂正しよう。『私にとっては』重要だ。他の誰かにとって重要になる事はおそらく無いだろうからね。

……いや、重要にならないとは言い切れないか。まぁ細かい所はどうでもいいから、次に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

奴等の事は知っていたよ。よく知っていたかどうかと聞かれたら強くは頷けないが、少し交流があった程度の人間よりは間違いなく知っていた事は多いだろうね。

 

例えば、奴等の本質について。

居場所を捨て、世界を渡る奇術師。

安寧を拒み、感情を燃やす不死者。

目的を失い、存在意義を探す機械。

そんな物は単なる一側面に過ぎない。

 

理想郷(アルカディア)

奴等の本質を語る上で鍵になるのは間違いなくこの言葉だろう。

そも、理想郷とはどんな場所を指すのか?

理想とは一体何を意味しているのか?

抽象的なその代名詞を紐解かぬ限り、奴等の本質を暴く事は出来ない。

そして少なくとも、私はそれについて知らなかった。

 

だけど何を知っていて何を知らないか、そんな事はどうでも良かった。

結局は、私の館がそれを受け入れるかどうか。

極論を言って仕舞えば、私の館が受け入れるのならば如何なる変人も狂人も、私は受け入れる事が出来るだろう。

私が物事を判断する基準は、そこにしか無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから訪れる三人の内、一番危険なのは誰だと思う?」

 

いつか、あの子にこんな話をした覚えがある。

その質問は、まだ計算していない数式の結果の様な物だった。そう、答えは明確に一つしか存在しない。

 

あの子は少し遠慮しながら、あっさりと答えた。誰と答えたんだったか……どうでも良くて忘れたが、少し驚いた記憶だけはある。

 

「答えは……誰もいない、だ。」

 

「……」

 

私の提示した答えに納得出来なかったのか、少し口を(すぼ)めたあの子の顔が今でも印象に残っている。あの子は分かりやすい子だったからね、表情を見れば考えている事は察しがつくものだったのさ。

 

「納得出来ないかい?」

 

「……えぇ。何故、誰も危険ではないのですか?」

 

「難しい話って訳じゃないんだけどね。

奴等は理想郷を目指している。見つけられるかどうかはさておき、そこに向かって共に進んでいるのは間違いない。

じゃあ、どうして共に目指せると思う?」

 

あの子は少し考え込む様に、明後日の方向を向いた。

答えを待ってやる必要は全くなかったので、矢継ぎ早に次の言葉を口に出す。

 

「それは単純に『理想が相反していないから』だ。

つまり奴等の目指す理想郷は、奴等の理想全てを内包する事が出来ている事になる。

そんな奴等の持つ理想が、相反したらどうなるだろうね?」

 

理想というのは、確かに強固だ。

人は理想の為に生き、或いはその理想を体現する為に全てを投げ打つ事が出来る者もいるだろう。

それくらいに、理想は強く人の方向性を定められる。

 

だが同じくらいに、理想は脆い。

それは目に見えて手を伸ばす事は出来ても、届かせる事が困難であるから。

全てを投げ打つ事が出来る程に価値を持つからこそ、人々はその理想を精査し続ける。

この理想は本当に私達が命を懸けるに値するのだろうか、とね?

 

「私より強くて、私に向かってくる相手こそが脅威だ。

私より弱ければ脅威にはならないし、私以外を狙う相手も脅威にはなり得ない。

信念や思想みたいにブレやすい物を指針にする時点で、脅威と呼ぶには相応しくないねぇ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんにちは。」

 

そして遂に、その男は私の世界を訪れた。

招き入れられた身であるにも関わらず、奴は横暴にも私の元に直接やって来た。

 

「お前が……アノンかぁ。」

 

格好だとか話し方だとか、或いは目的や信念なんて物はどうでも良かった。いや、それは今となっても変わらない。

 

だがそんな私でも、どうしようもなく歪んだその男を適当に扱う事は出来なかった。

顔を隠す様に覆う仮面は、何故か人の顔に見える様に認識を捻じ曲げられ、その身体が純粋で無いことは直ぐに見破れた。

あの時から私は、その取るに足らない男に少し興味が湧いた。

 

「お初にお目にかかります、幻想協奏館館長様。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

数奇な定めによって巡り合ったこの男は、一体どんな思考をしているのだろうか?

 

「……くふっ!」

 

そして、何故こいつは選ばれたのか?

私には見定める権利がある。

だから柄も無く、戦おうだなんて思ったのかもねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……正直、見くびってたよ。」

 

私の目の前に立つ奇術師アノン、そして少し離れた場所に佇む少女の様な残像。

 

床に転がった私の右腕を眺めながら、不思議な満足感と共に私は口を開く。

 

「命乞いですか?」

 

「まさか、私の命に価値なんて無いだろう?生憎、私はそんな無駄な物に下げる頭は持ち合わせていないよ。」

 

いやぁ、まさかあんな切り札が居たとはねぇ。

これはもしかすると、幻想協奏館始まって以来の間抜けな終わり方トップ3にカウントされるんじゃないだろうか?

 

「そうですか、ですが貴女と雑談をするつもりは無いと申し上げた筈ですが?」

 

そんな風に考えていると、アノンははっきりとそう言った。少女の方は……どうだろうね、顔はこっちを向いてる気がするけど、ぼやけていて視点の先は読めないかな。

 

「取り付く島もないねぇ。せめて今際の言葉くらいは聞いてくれても良いだろう?」

 

「言葉を返す様ですが、私もそんな無駄な物にかける時間は持ち合わせていません。」

 

さらりと出た言葉に少し笑ってしまう。

全くもってその通りだ。

 

「くふふっ!辛辣だが、現にお前は私と言葉を交わしている。

結局、悪虐にはなりきれないんだろう?」

 

すると、アノンは溜め息を吐いた。

流石に相手をするのが面倒になったのか、だが相変わらず仮面が表情を隠してその顔を拝む事は出来ない。

 

「片腕を飛ばした相手を悪虐と呼ばないのもどうかと思いますが……一つ訂正しておきましょう。」

 

「何だい?」

 

「私は貴女の同類ではありません。

ですから貴女がその類を相手に競いたいのであれば、別の方を狙うべきでしたね。」

 

……なんだか、この男も勘違いをしていそうだ。言葉を選ぶ為に少し頭を働かせる。

滴り落ちる血が気色悪い。正に、命が流れ出ているって感じだ。

 

「別にお前が同類じゃない事は知ってたよ。その上で私はお前と戦ったのさ。」

 

「……同類ではないと知っても、貴女は驚かなかったという事ですか?」

 

「驚く訳がないだろう?

そんな事で一々驚いてたら、こんな不思議の館の管理者は務められないんでね。

それにまぁ、こうして戦ってみれば違うって事くらい嫌でも分かるさ。」

 

アノンはまじまじとこちらを見つめている……様な気がした。

いや案外、相手を見くびっていたのは私だけじゃなかったのかもしれないと思うと溜飲が下がった。

見る目がなかったのはお互い様だったね。

 

「お返しに、私も最後の言葉を残そう。」

 

左腕を上げる。指し示すは目の前の男。

 

「アノン、お前は絶対的な主役にはなれんよ。たとえ理想郷に辿り着いたとしてもね。」

 

私ははっきりとそう言った。

アノンの手に握られた杖が、ゆっくりと剣へと変貌していく。

 

私の人生もこれで終わりだ。

だがこうして迎えてみると、痛みというのもエッセンスの様に感じる。

まぁ、だが一つ心残りがあるとすれば……

 

「……私も、そう思いますよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……舞台袖から語るのはここまでだね。

彼らの道行がどう進んでいくのか、楽しく見物させてもらうとしよう。

 

 



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執り行うは奇想曲①

 

色々な物を見た。

 

安息を得て、静かに佇む竜の終わりを見た。

 

絶望から目を背け、夢の中に沈む人々を見た。

 

終わりゆく世界の中で、別世界に期待する瞳を見た。

 

目的は果たされたが、残酷な終わりを迎えた路を見た。

 

神という代役を以て、統治される国を見た。

 

至り得ぬ姿の為に、無意味な真似事を始めた者を見た。

 

持たざる事を羨み、自由に生きるあの人を見た。

 

続く定めに身を任せ、繰り返し続ける愚者の言葉を見た。

 

そして滅びを受け入れられず永き時を過ごした孤独を、二度見た。

 

様々な世界を、様々な人々を、それらが織りなす様々な奇跡を見た。

絶望の中に沈み、現実という足枷に囚われた幾つもの世界を見た。

薄く透明で、目を凝らさないと見つけられない無数の秘密を見た。

 

それでも、理想に足る事はない。

そしていずれ、私は見た物への対価を払わなければならない時が来る。

 

正直に言えば、恐ろしい。どう代償を払わされるのかは明確だ。

そしてその上で、失う事が怖い。壊れてしまう事が恐ろしい。

 

だが、向き合わなければならない。

その上で、何かが決定的に欠けてしまうとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分とかかりましたね、待ちくたびれましたよ。」

 

幻想協奏館、館長室。

館長の椅子に座るアノンは、音もなく現れた三人を横目に本を読んでいる。

 

だがまるで虚を突かれた様に、一人としてその場で声を上げる者はいない。

館長の椅子に腰掛けるアノン、そして血飛沫の中に転がる人の右腕と劣悪な香り。殺人現場の様なその場所。

ベルズとレグルスにさえも、この状況を正しく認識する事は出来なかった。

 

『惨状……ですね。アノン殿、これは貴方がなさったと認識して宜しいでしょうか?』

 

最も早く声を発したのはレグルス。

彼は顔をゆっくりと上げ、それと同時に手に持っていた本が虚空へと消え去ってゆく。

 

「幻想協奏館館長、オスカー。」

 

びくり、とメリーが肩を震わせる。

状況と言葉から連想される想定。それを必死に打ち消す様に言葉が巡る。

そんな考えは思い違いで、この惨状は……そう、何かの間違いに違いないと。

 

「私が倒した人物の名です。そこの少女の案内で来ているのですから、当然貴方達も名前くらいは聞いていますよね?」

 

そんな微かな希望を易々と踏み躙る無慈悲な宣告。メリーはまるで気を失ったかの様にゆっくりと膝から崩れ落ちる。

即座に支え、声をかけ続けるベルズ。その様子を淡々と見つめていたアノンに、痺れを切らした様にベルズが呟く。

 

「……そうか、貴様が。貴様は人を殺めぬと思っていたのだが。」

 

ベルズの言葉に、アノンは肩を竦める。

 

「……それは買い被り、というか勘違いですね。確かにそうする必要が無ければしません。

逆にしなければならない事ならば、躊躇(ためら)う事なくしますよ。例えそれが他者の命を奪う事であったとしても。」

 

「それは……」

 

『違います、アノン殿。』

 

ベルズを遮る様に、レグルスは声を上げる。

 

『貴方は殺す事を″選択した(・・・・)″のです。それは決して義務などでは無かった筈です。

ですから、ご自身の責任から逃げないで下さい。そして、目を背けないで下さい。』

 

「レグルス……」

 

機械音声、しかし感情の乗ったその言葉。

 

「そうですね、では今一度選択しましょう。

ベルズ、レグルス。メリーを殺して下さい。

貴方方が拒むのであれば、私がやります。」

 

そんな言葉もアノンには届かない。

すっくと立ち上がった彼の右手に持つ剣が、明らかな殺意を物語る。

幸いな事といえば、気絶したメリーがこうした言葉を聞かずに済んだ事だろうか。

 

「……理由を聞いても答えはしないだろうが、貴様は本当に正気なのか?」

 

『間違いなく正気ですよ、ベルズ卿。

体温も脈拍も、何も変わりありません。アノン殿はいつも通りの調子で、ただ為すべき事をなさろうとしています。』

 

肩の駆動音、それは抜刀音。

両碗に装填される、金と銀の刃。レグルスはただ悠然とアノンを見据え、タラクシカムを構える。

 

『──だからこそ!だからこそ、私は貴方を止めさせて頂きます!

何故ならそれが、貴方と共に旅路を行く者としての責任ですから!』

 

「そうですか。ベルズはどうしますか?」

 

その場から動かず、首だけを軽く向き直してアノンは尋ねる。

瞬間、空間を満たす黒々しい波動。迸る感情が具現化し、大気を震わせる。

 

「聞くまでもなかろう。

説明も無く、命を奪う。それは、我輩が最も嫌う所の理不尽である。

そんな事まで忘れたのならば、貴様の頭蓋を砕いて思い出させてくれようか?」

 

軽く溜め息を吐くアノン。

そして、彼らを眺め告げる。

 

「……誰も彼も言葉遊びですか。

まぁ良いでしょう。正直貴方達は説得するより、力を以て示す方が億倍楽ですからね。

但し──」

 

轟音が響く。

落雷、歪み、そして暴風。降り注ぐその天災から現れたのは三つの影(・・・・)

 

右手側には飛来する雷と共に現れた、剣と軽鎧に身を包む女性。青き雷を剣に纏い、その剣をレグルスに構える。

 

左手側には空間の歪みより現れた、青いゴシックスーツの女性。口許に右手を当て、左手で近くの空間を絶えず砕き、破裂音を鳴らしながらベルズを見つめる。

 

そして背後に現れたのは、分厚い鱗と鋭い牙を持つ巨竜。大木の様に太い尾と脚を地面に付け、目の前の矮小な存在を見下す様に鎮座する。

 

「理想郷に至る道のりを妨げるのです。

無事で済ませるつもりも、手加減するつもりもありません。

覚悟するように。」

 

『そんな事!』

 

「言われるまでも無いッ!」

 

幻想協奏館にて、三つの存在が対峙する。

そして次の瞬間、巨竜の咆哮と共に戦いの火蓋が切って落とされるのだった。

 

 



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執り行うは奇想曲②

 

ベルズがその場で拳を振り下ろす。遅れてやって来る轟音と、地を薙ぐ破壊の波動。

ほぼ同時に、剣を横に振り抜く勇者の残影。その軌跡から発生する無数の蒼雷、それらが槍の様にベルズ達に降り注ぐ。

 

直後に響き渡るのは無数の何かが砕ける様な甲高い音と、激しく噴き出す様な燃焼音。

 

残影が伸ばす左手から放たれた無数の白線がまるで糸の様に、ベルズが放った破壊を絡めとりながら空間に広がる。

燃焼音と共に飛び立つのはレグルス。ブースターを燃やし、左腕に気絶したメリーを抱えながら雷の間を縫う様に飛び去ってゆく。

そして、ベルズも同時に地を蹴り駆ける。

 

「へぇ……やるじゃないか。」

 

そう呟くと、残影は左手を前に軽く払う。

その手に合わせる様に空間は砕け、手を止めるとそこからヒビが無作為に前方を覆い尽くしてゆく。

 

『……こちらですか!』

 

左手が向く方向はレグルス。嫌な音を立てながら急速に崩れゆく空間が迫る。

 

「そら、早く反撃して見せるがいいさ!

それとも死ぬまで鬼ごっこを続けるか、好きな方を選ぶと──」

 

「我輩を忘れるなよ?」

 

言葉と同時に、一瞬にして姿を消すベルズ。地面を蹴る音が残影に聞こえた瞬間に、詰められた間合いから放たれるのは必殺の蹴り上げ。

凡そ人体ではあり得ない速度で、空気を切り裂く異常な音がその残影を捉える。

 

「当然、忘れてなどいませんよ。」

 

しかし、その蹴りは残影には届かない。

間に割って入ったアノンの杖が盾に変貌し、ベルズの蹴りを受け止める。

 

鳴り響く轟音。アノンは残影共々弾かれる様に後方に吹き飛び、壁に強く激突する。そして一瞬にして加速し、アノン達が吹き飛んだ先に走るベルズ。

 

刹那、壁際から無数の白線が広がる。当然の様にベルズには一本も当たる事はない。

だが、その発生源に辿り着く事も出来ない。隙間無く広がるそのヒビは、否応なくベルズを後方に押し下げてゆく。

 

「チッ……面倒な相手だ。」

 

そしてベルズがある程度離れると、白線は嘘の様に消え去った。

発生源から現れたのはアノン。先程までいた筈の残影は何処かに消え、二人だけがその場所で対峙する。

 

「貴方の相手は私です、ベルズ。」

 

「……貴様一人で我輩を止められると?相変わらずつまらん冗談であるな。」

 

迸る黒い波動。怒り、その感情だけがベルズを満たす。

 

「冗談?認識が甘いですね。

倒す事は出来ないでしょうが……止める事くらいなら私一人でも十分です。」

 

次の瞬間、黒々とした波紋がアノンとベルズのいる空間を飲み込んだ。そして生まれたのは外と内とを隔離する黒い空間。

いつかの様に、二人はその中で対峙する。

 

「もう良い、その口を開くな。虫唾が走る。殺されるまで黙っていろ。」

 

「それは此方の台詞です。その態度、少し改めさせてあげましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、空を駆けるレグルス。

雷の嵐、そして一瞬止んだ筈の空間の崩壊が四方八方から迫り来る。

 

『キリがありませんね……!』

 

そう呟きながらも、すんでのところでその攻撃を回避し続けるレグルス。

縦横無尽に動き回るレグルスを、その二つの攻撃は捉えきれない。

 

「くそっ……!」

 

「想像以上に速いねぇ。だが追い詰めているのは私達だ、そうだろう?」

 

「話し掛けないで!私、今すごく機嫌が悪いから!」

 

「……そうかい、そりゃ悪かったね!」

 

残影を眺めながら、レグルスは思考する。

メリーを抱えた状態でどう戦うか、あの二人を切断するならどれくらいの出力がいるか、そして暗闇の空間に閉ざされたアノンとベルズの現状はどうなっているのか。

 

そういえば、とレグルスは竜の方向を見る。しかし竜は微動だにせず、まるで石像の様に静かに佇んでいた。時折、気まぐれの様に奔る雷がその体に当たりはするが、そんな事すら意に解さない様にずっしりと構える竜から、レグルスは思考を逸らし次の行動を選択する。

 

『……取り敢えず、失礼します!』

 

そういうと突然、レグルスは右腕に装填されたタラクシカムを射出する。そして流れる様に、空いた右腕でメリーの頭を軽くこつんと叩いた。

 

「痛いっ!」

 

悲鳴を上げ、メリーが跳ね起きる。

 

『お休みの所申し訳ありませんが、緊急事態です!この館から退館する手段を、何かご存知ありませんか!?』

 

「えっ!?こ、ここ……きゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

レグルスが声を掛けるも虚しく、メリーは恐怖のあまり叫びながらレグルスの腕を振り解こうと暴れ出す。視界と身体が揺れる。

 

凄まじい速さで飛行するレグルス、そして周囲を奔る青い稲妻。絶えず鳴り響く雷音と風音、その状況は確かに絶叫体験と呼んで差し支えない。

 

『お、落ち着いて下さい、メリー様!貴方は必ず私がお守りします!ですから、落ち着いて暴れるのを止めて下さい!』

 

ぐらぐらと揺れながらそう言葉を発するレグルス。

その言葉を皮切りに、或いは落ちる事に対する恐怖を思い出したのか、ゆっくりとメリーの抵抗は収まってゆく。

 

「……メリーが目覚めたか!さっさと撃ち落としな、勇者!」

 

「今やってる!」

 

そんな会話も虚しく、レグルスは空を飛び去りながらメリーと会話を続ける。

 

『正直、この状態では戦いになりません!

退館ではなく退室でも構いませんから、取り敢えず貴女だけでもお逃げ下さい!』

 

「……で、ですがレグルス様とベルズ様はどうなさるのですか!?」

 

『良いから早く!出来る事を為すのが最善です!』

 

その言葉を聞くと、メリーは覚悟を決めた様に目を瞑って一言。

 

「……っ!『私は最後に目を醒ます!』」

 

次の瞬間、レグルスの左腕は抱えていた重さを失う。それと同時に両腕から抜刀される二対の刃。

 

「……来るっ!」

 

二人の残影は武器を構える。一人は剣、一人は左手。構えると同時にレグルスを追っていた災害は消え去り、静寂が辺りを満たす。

 

『さぁ、反撃させて頂きましょう!』

 

ブースターがより一層強く火を吹く、そして次の瞬間。

 

「……は?」

 

残影の一人、オスカーの胸は貫かれた。

 

 



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執り行うは奇想曲③

 

黒き空間で振るわれる打撃と斬撃。

一つはベルズの拳。一瞬にして無数に、何もかもを無差別に、そしてただ無慈悲に打ち砕いていく。

 

もう一つはアノンの剣。その純然たる破壊を流す様に、散らす様に、削ぐ様に剣を振るい続ける。

 

だが流され散らされ削がれても、執念深く放たれるベルズの拳が、アノンの身体を徐々にだが確実に蝕んでいく。

 

そして、一蹴。剣で受け切る事は出来ず、身体が嫌な音を立てると同時に、アノンは空間の端まで吹き飛んで行く。

 

「ぐっ……!」

 

激しい激突音、呻くアノン。

だが次の瞬間にはアノンの体は修復され、またも剣をベルズへと構える。

 

諦めの悪い弱者、肩透かし。それがアノンの様子から連想した、ベルズの感想。

 

「失望したぞ、アノン……」

 

肩で息をするアノンを見据え、憤りと蔑みを込めてベルズは呟く。

 

「自身の意思を主張はすれど、説明する事はなく。

我輩の拳に反応はすれど、反撃する事はなく。

貴様は一体何がしたい?」

 

アノンの乱れていた息が整えられる。それを眺めながら、ただアノンの返答を待つかの様に腕を組んで沈黙するベルズ。

やがてアノンが口を開く。

 

「……最初に足止めだと言ったでしょう?私には貴方を倒す事は出来ません。

ですがメリーを殺すのならば、私である必要はない。目的は明確でしょう。」

 

不思議と、ベルズの殺気が収まってゆく。

それでもしっかりと剣を構えるアノンには一部の隙もない。

 

「なるほど、目的は明確であるな。だが動機がない。」

 

「……」

 

沈黙。アノンの目的は時間稼ぎ。

或いはベルズに口を開かせるのも、策略の一つである可能性は否定出来ない。

だがその剣先が一瞬ブレるのを、ベルズは見逃さない。

 

「説明出来ない、秘密は誰にでもある。

反撃しない、時間稼ぎならそれも良かろう。

だがそのいずれも、貴様にとっては理想郷より優先すべき事ではない。

共に理想郷を目指す我輩達と戦う理由にはならぬ。」

 

静かにベルズを見つめるアノン。

続けてベルズは口を開く。

 

「貴様は執拗にメリーを狙う。

目的はオスカーではなかった、故に奴を殺せど貴様が止まる事はなかった。

そして我輩達と相対しても、それは変わる事がない。

つまりこれこそが、貴様にとって理想郷より優先すべき事になる。」

 

一瞬の間、二人の視線が交差する。

 

「……聞かせろ、アノン。貴様が何を内に秘めているか、敢えて聞く事は無かった。それでも理想に至れると信じていた故に。それを今更、間違いだったとは言わぬ。

だが今からは間違いだ。理想に至る為に、妥協するな。そして偶には、我輩達を信じるが良い。」

 

言葉は力に敵わない、だがベルズはこの場で言葉を選ぶ。

二度と失わない為に力を選んだ亡国の王は、そうして静かに友に語りかける。

 

「無駄ですよ。私の残影がメリーを殺せば……」

 

絞り出す様なか細い声で、アノンは呟く。

メリーがとっくに幻想協奏館から離れた事が、アノンには分かっていた。

それを見透かす様に、ベルズは鼻で笑う。

 

「レグルスを倒せる道理などなかろう。

奴は今ここにいる、ならば過ぎ去った残影が奴を倒せる訳がない。

何より、人の為に動く奴は強いぞ?」

 

信頼、それは信じ頼る事。アノンは彼らを信じていたが、頼る事が出来なかった。

ベルズとレグルスはアノンを頼ったが、逆に信じ切る事が出来なかった。

それはなんて事のないすれ違い。

 

杖の落ちる音。そしてそれが消え去ると、アノンは軽く両手を上に上げ一言。

 

「……分かりました、負けを認めます。

あの少女、メリーには手を出さない事をここに誓わせて頂きます。これで良いですか?」

 

「ついでに私も解放してくれないか?」

 

アノンの服のポケットから聞こえる女性の声。

ベルズは怪訝そうな表情をする。

 

「……誰だ?」

 

オスカー(・・・・)。メリーから聞いてるだろう、ベルズ君?」

 

訪れる沈黙。まじまじとポケットを見つめるベルズ、そして視線を上に動かして一言。

 

「アノン、これはどういう事だ……?」

 

そう言いながら、いつもの調子でアノンを睨みつけるベルズ。

ポケットの中から騒ぎ続ける、オスカーと名乗る人物。

そして目線を逸らしながら、溜め息をつくアノン。

 

「睨まないで下さい……取り敢えずレグルスと、あとメリーも呼んで来てもらいましょうか、オスカー。」

 

そう言いながらポケットに手を突っ込み、出てきたのは紫色の宝石の様な水晶体。掌程の大きさの正四面体には、よく見ると人影が写り込んでいる様に見える。

 

「じゃあ出してくれない?」

 

「お断りします。貴女ならレグルスと戦っている方を動かせるでしょう?それで十分事足りる筈ですよ。」

 

「……やられてるだろう、アレ。気づかないのかい?」

 

「は?」

 

素っ頓狂な声を上げるアノン、そして再び訪れる沈黙。

アノンがちらりとベルズの方を見る。

 

「……何だ?」

 

「説明しますから、取り敢えず呼んできてくれませんか?」

 

懇願する様なアノンの声。

ベルズは今日一番の、大きな溜め息をついた。

 

 



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執り行うは奇想曲④

 

幻想協奏館、館長室。

その中心に設置された、天板が大理石の大きな円卓。

そこに座るのは四人と一つ。

 

『……なんだかワクワクしますね!』

 

円卓の質感を確かめるように触る者。その心中をさらりと述べる、機械鎧レグルス。

 

「否定はせんが、言う程でも無かろうに。」

 

腕を組みながらそう話す功労者。ただ静かにその場を俯瞰(ふかん)する、亡国の王ベルズ。

 

「……」

 

ベルズとレグルスの間の席に座る少女。無言でアノンを見つめる、案内係メリー。

 

「皆さんお待ちかねだ。段取りは出来てるのかい、アノン?」

 

円卓のおよそ中心。紫色の水晶の中で座りながら声を上げる、館長オスカー。

 

「当然…‥というか貴女にアノンと呼ばれると癪なので、奇術師と呼んでくれませんか?」

 

そして最後の一人。不機嫌そうに、だが既に諦めたような様子の男、奇術師アノン。

 

「嫌だね!というか別に良いだろう?どうせ呼んで減るものじゃないしねぇ。」

 

「……さて、それではお話ししましょうか。」

 

オスカーの態度に辟易した様に、アノンはその軽口を無視して口を開く。

 

「ではまずはベルズが知りたがっていた『動機』ですが、これは単純。

オスカーに手を下したのは『私にとってオスカーは看過できない存在だったから。』

メリー……さんについても同様です。」

 

『質問です!』

 

言い終わるや否や、レグルスがびしりと手を挙げる。驚いたメリーが少し後退り、申し訳無さそうにレグルスの挙げた手が少しずつ降りていく。

 

『何故、館長殿を殺……いえ、命を奪わなかったのですか?

そして私達はアノン殿がそうなさったのだと勘違いして敵対した訳ですが、どうしてそれを説明して下さらなかったのですか?』

 

「それについては私の方から説明しよう。構わないね、アノン?」

 

手を挙げたまま話すレグルスに反応したのはオスカー。水晶の中から声が聞こえ、一気にその場の注目を集める。

 

「どうぞ。」

 

「まず一つ目の疑問だが……私が今置かれているこの状態。これは封印だ。」

 

「封印?」

 

ベルズが首を傾げる。レグルスとメリーも同様に首を傾げ、動かないのはアノンだけ。

 

「やっぱり知らないんだね。兎も角、私はこの石の中に封じられているって訳。原理は知らないけどね。

私にしてみれば、これは四肢をもがれた状態と変わらない。

それなら生かしておいた方がメリットがある……かもしれないだろう?」

 

『あるのですか?』

 

言葉を詰まらせたオスカーに追い討ちをかけるレグルス。少しの間、流れる沈黙。アノンは口を開かない。

 

「さぁねぇ……?だけどまぁ、説明しなかったのはもっと単純だろうね。

どの道メリーは狙うんだ。お前達がそれで敵対したなら、私が生きているかどうかなんて重要じゃないだろう?」

 

オスカーがそう言い終えると、メリーが石を手に取った。そして静かに涙を流しながら、それを撫で始める。

 

アノンを睨みつけるベルズ。いつもなら顔を背けるアノンは、それを受け止めるように顔を動かす事はない。

 

「……まぁ、この子にとっては重要らしいね。良かった良かった。」

 

「アノン、肝心な所をぼかすな。」

 

アノンを睨みつけたままの状態で、ベルズは口を開く。

 

「何故、オスカーとメリーは貴様にとって看過出来ぬ存在なのか。そこを詳しく話せと言っている。」

 

核心を突くようなその言葉。ベルズが、レグルスが、メリーが、アノンの言葉を待つ様に三者三様の表情で彼を見つめる。

 

長く続く沈黙。それでもベルズ達はただアノンの返答を待ち続ける。そして静かにアノンはこう呟いた。

 

「……それは私と彼女達が後継者(・・・)だからですよ、ベルズ。」

 

「後継者?」

 

アノンが姿勢を正す。それはこれから話す内容が、彼にとっても重要である事の証左。

(せき)を切った様に続けるアノン。

 

「正直、ここまで来ても躊躇(ためら)っています。これは貴方達が知る必要のない真実……いえ、私にとってもそうなのかも知れません。

そして知ればもう、引き返す事は出来ません。本当にそれでも良いのですか?」

 

その問いに、沈黙が訪れる事はない。

 

「……貴様は言ったな。我輩達の行いは『理想郷に至る道のりを妨げる』と。

ならば、我輩達には知る必要と義務がある。」

 

『ベルズ卿の言う通りです!その為に我々は此処までやってきたのですから!』

 

ベルズ、そしてレグルス。

理想郷を目指す奇術師と道を共にしてきた二人の意思は固い。

彼等の強い決意を感じたのだろうか、アノンも決意を固めたように息を吐く。

 

「……そうですか、それでは話しましょう。

後継者について。魔女について。そして、私の成り立ちについて。

この私が知る限りの事を、お教えしましょう。」

 

それは彼が知る真実。

そしてここは彼らがそれを知る事になる、一つの収束点。

いわば、結論ありきの物語。

 

 



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あり合わせの真実

 

「私の残影、認識阻害、世界移動、武器であるこの杖、私の持つ力の全て。

それらは、私が魔女から後継したとある力に起因します。」

 

返答も反応も無い。アノンは続ける。

 

「武器は一つの形を持たず、他者の認識は誤魔化され、世界という境界をすり抜ける。

私が戦った者達は残影となり、私の一部として記録される。そして何より──」

 

そう言いながらアノンは仮面を取った。

メリーは目を見開いたが、レグルスとベルズは反応が薄い。

 

仮面の下から出てきたのは、あるべき場所に目も鼻も口も無いのっぺらぼう。その顔があるべき場所に映っているのは、奇妙に捻れながら胎動する渦。アノンは仮面を付け直す。

 

「簡潔に言いましょう。私が継承した力は『曖昧』。境界が薄い故に新たな力を自分の物にしやすい、ただし私と言う自己も段々と薄まっていく。そんな呪われた力です。」

 

「私の力は『混沌』だ。因みに、呪われた力だと思った事はないけどねぇ。」

 

間髪入れずにオスカーも呟く。

曖昧と混沌。人格ではなく、個性や能力と呼ばれる様なそれ。先程まで確固たる意志で行動していた者達が放つ、想像以上に浮ついたその言葉。

沈黙に皆の困惑する様子が溶け込み、誰もがそれを感じ取っていた。

 

「……つまり、その力を与えた存在が『魔女』、その力を与えられた貴様らが『後継者』、という訳か。」

 

一言一言を自らに言い聞かせる様に、ゆっくりとベルズはアノンに尋ねる。軽く頷くアノン。

 

「そういう事です。」

 

「……『魔女』とは、どの様な方々なのですか?」

 

おずおずと尋ねるメリー。アノンに対する恐怖心はどうしても消えないのだろうか、手に持つオスカーを軽く握りしめる。

 

「……言うなれば、全知全能に限りなく近い存在。世界をまるで己が所有物と捉える、無法にして無秩序の権化。

間違いなく、世界にとっての害悪です。」

 

『世界にとっての……』

 

「害悪……」

 

彼らは想像する。無法、無秩序、或いは世界を侵す害悪。しかしアノンとオスカー以外の誰も、魔女の姿を想像するには至らない。

 

アノンの言う事がそれほど滑稽なのか、或いは魔女の埒外さ故にか。見計らった様に石の中から声が響く。

 

「ま、ほぼその通りだね。私から見ても、あの人達の価値観は滅茶苦茶だ。

なんというか……結果の為なら手段は問わないの究極形だね、アレは。」

 

「想像出来なくとも構いません。重要なのは私が魔女を、そして後継者を倒さなければならないと言う事です。」

 

「……何故だ?」

 

ベルズの目を見て、アノンははっきりと答えた。

 

「私が理想郷に至れば、間違いなく魔女に連なる者はその地を踏み荒らすから、です。

貴女達はそういう望ましくない希望だけは必ず叶える。そうですね?」

 

「否定は出来ないねぇ。」

 

後継者オスカーは答える。メリーはゆっくりとその石を机の上に戻した。

 

「というか、こんな状態でもなければお前達をここから逃すつもりは無かっただろうね。

まぁ負けは負け、別に未練はないがね?」

 

「……後は質問に答えていく形にしましょう。正直、その方が貴方達も納得しやすいでしょう?」

 

『でしたら一つ。残影とはどういう仕組みなのですか?』

 

その問いに対し、アノンは残影を出して答えようとする。しかし何か思い出した様にアノンは静かにため息をつき、全員に語りかける様に口を開く。

 

「残影は『物理的に私に混ざった相手の要素』と、『情報的に私が知る相手の要素』から成る存在です。

貴方達の世界に、貴方達の残影を置いて来た事は覚えていますね?」

 

「……あぁ、覚えている。」

 

かつて、アノンがベルズ達の世界に残した残影。それは彼ら自身の残影であり、守護者を失った場所に置かれた駒の様な存在。

 

「基本的に残影は劣化複製(デッドコピー)です。原典(オリジナル)を超える事は無いですし、私も無限に出せる訳ではありませんが、その存在は独立しています。

代わりに、自分から切り離すのが難しい。先程の様に三体も出すのはイレギュラーだと捉えて下さい。」

 

『ちなみにオスカー様の残影は切り刻んでしまいましたが……大丈夫でしたか?』

 

ベルズは暗黒の空間を抜け最初に見た光景を思い出す。斬り合うレグルスと勇者の残影、そして固まる竜の残影。思い返すと確かにオスカーの残影はいなかった。

 

「大丈夫ではありませんが、あれが自分に混ざるのも個人的には嫌なので問題はありません。

勇者も竜も、傷はついていましたが無事でしたしね。」

 

『そういえば、あの竜は最後まで反撃して来ませんでしたが……』

 

「恐らく寝ていたのでしょう。起きていれば強いのですが、人の言う事はあまり聞かないもので……」

 

そして少しの間、会話が途切れる。聞きたい事が無くなった、と言うよりは聞いた事を消化している様な、そんな間をアノンは静かに見つめる。

 

しばらくして今度はベルズが尋ねる。

 

「オスカーを狙った理由は分かったが、何故メリーを狙った?」

 

「貴方達はその少女に信頼を置き過ぎです。

その少女は幻想協奏館の運営が可能で、オスカーの『混沌』も継承しつつあるのですよ。」

 

「何だと?」

 

その言葉と同時に全員からの注目を一身に集めるメリー。

 

「そ、そんな筈ありません!私は何も出来ませんし、ただ皆様とのお話が楽しくて……」

 

「いや、よく見てるねぇ。その通りだよ、奇術師。やはり私は見る目がないねぇ。」

 

「……オスカー様?」

 

強く否定するメリーを遮る様に言葉を発すオスカー。メリーは予想外の発言者に、完全に言葉を失ってしまう。

 

「メリー。気づいて無いかもしれないが、お前は『混沌』の力が使えるんだよ。

加えて幻想協奏館の運営もそうだ。私は後継者としてお前を育てていた。」

 

そうして、オスカーは小さく呟いた。

 

「だからさ……私はもう、居なくてもいいんだよ。」

 

 



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四重奏の幕引き

 

異世界、それは無尽の世界。

私達の世界は悠久の時を経て、いずれ内包する全てと共に終わりを迎えるだろう。

しかし異世界はこの瞬間にも滅び、そして生まれ続けている。

私達の世界と平行に、垂直に、或いはねじれた位置に無数の世界は存在し続ける。

 

……だが、その殆どは無関係。私達やお前達が生きるのに、そんな物を思考する必要はない。

そんな事を想うのは、むしろ娯楽とすら呼べるだろうね。

 

だからまぁ、他の世界なんて御伽噺の事を考えている間は、お前達は容易く生きていけるだろう。

希望が無いなんて不都合は、都合よく忘れてしまうに限るんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……正直さ、最初は驚いたんだよ。」

 

「何がです?」

 

幻想協奏館、館外の庭。

一人立つアノンと、ポケットの中から聞こえるオスカーの話し声。

徐々に透けつつあるアノンに、オスカーはゆっくりと語り始める。

 

「噂には聞いていた。『魔女から逃げ、世界を旅する半端者の後継者』がいると。

だけどそれでも、何処か壊れてて何かが足りなくて、要はそれでもお前は魔女の後継者だと私は思っていたんだよ。」

 

「そうしたら、想像以上だ。私を殺さず、メリーを殺さず、そして仲間割れしても奴らを殺さず。しかも人並みに苦悩してるときた。

お前、一体何がしたいんだい?」

 

「理想郷を目指す。私の行動理念はそれだけですよ。」

 

さらりと、流す様にアノンは言う。それが当然であり、それ以外の回答はないというように。

 

「……ま、とやかくは言わんさ。どうせ、結局、やっぱり。お前が出す様な結果はそんなものだろう。」

 

熱を失った言葉を発すオスカー。

 

「……では私からも一つ。どうして貴女は、私に着いてくる事を決めたのですか?」

 

しかしそんなオスカーに、アノンは一つの質問を投げかける。

 

 

私はもう居なくてもいい。

オスカーはそんな言葉を全員の前で口にした後に、続けてこう言っていた。

 

「だから、勝手だが私は奇術師達に着いて行くことにするよ。幻想協奏館はお前に任せる事にする。頑張りなさい、メリー。」

 

わんわんと泣き出すメリー、慰める事も出来ずおたつくレグルス、静かに成り行きを見守るベルズとオスカー。

 

 

アノンにはそんな先程の出来事が想起される。

 

「そうだねぇ……ま、理由は色々あるとも。

お前が面白そうだから。私はもう幻想協奏館には不要だから。この石の中は暇だから。」

 

そして、一息ついて付け加える。

 

「だがまぁ、一番は成り行きだろうさ。運命とも言える。私はロマンチストだからね。」

 

「……左様ですか。」

 

そして言葉は続かない。

アノンは静かに幻想協奏館を眺める。その中で話す三人を待ちながら、ゆっくりと稀薄されていくアノンの姿を、幻想協奏館もまた眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、ございました……」

 

目を赤く腫らしたメリーは、絞り出す様にレグルスとベルズにそう伝える。

 

ベルズもレグルスも、返答はしない。

この少女が礼を言っているのは、オスカーがこの館から出て行くだけの理由づけに自分達がなったから。それを二人とも理解していた。

 

そしてその上で、言うべきことは何もない。

謝る事も感謝する事も慰める事も、ことこの場においては意味がない。

そんな軽薄な言葉は、何処の誰にも響かない。

 

「……預け物である、メリー。」

 

そう言いながら、ベルズはひょいと小さな石の様なものを投げた。

放物線を描きながらゆっくりと飛んでくるそれを、メリーは両手でしっかりと受け止める。

 

「……?」

 

「オスカーとの連絡装置、だそうだ。どういう原理でそう出来るのかは我輩にも分からぬが。渡しておけと、アノンから聞いている。」

 

静かにそう呟くベルズ。そして透けた右手を握りしめ、もう既に興味がない事の様に佇む。

 

『アノン殿らしいですね!』

 

「……」

 

メリーはその小さな石を見つめ、しっかりと握りしめる。

そして感謝を述べようと、顔を上げた。

 

しかし、そこには誰もいない。

まるで最初から何も居なかったかのように静かなその場所。

それでも幻想協奏館からは確かにオスカーが失われた事を、少女は認識する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さて、そろそろ出発ですが……』

 

薄くなりつつある身体を気にも留めず、アノンのポケットを凝視するレグルス。

 

「本当に着いてくるのだな……」

 

「冗談であんな事を言うわけがないだろう?これから宜しく頼むよ。」

 

オスカーはあっさりとそう言った。そしてそれを聞くのは、何とも言えない雰囲気の三人。

 

「……」

 

次の瞬間、幻想協奏館の庭から三人分の人影が消失する。それは彼らが次なる世界へと旅立った事の証。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして同刻、幻想協奏館館長室。

 

まるで最初からそうであったかのように、その手にあったのは紫色の水晶体。

 

「……やってくれたね、奇術師。」

 

「オスカー様!」

 

悪態をつくオスカーと、喜びを体全体で表現するメリー。

結局、幻想協奏館は何も変わらない。館長は石となったが、それを継ぐ者がその館を運営し続ける。

そうしてこれからも存続し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、我輩はあの世界をしっかりと見ることは出来なかった訳だが。」

 

「安心して下さい、それは私も同じです。」

 

『しっかりと見てきたのは私だけですね!それもアノン殿の秘密のお陰でインパクトは薄いですが!』

 

そんな風に雑談をしながら、アノン達は進む。いつもと変わらない彼ら、しかしそれでも確実に何かが変わっている。

 

幻想協奏館。

魔女の後継者オスカーが支配し、アノンも後継者である事が判明した世界。

 

秘密と対立。彼らはそれと同時に、彼女達の行く末を思考する。幻想は未だ終わらず、後継者の後継者は完全には至らず。

 

それでも、彼らの旅路は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、魔女は笑う。

何処か彼方の世界で、アノン達をしっかりと見据えている。

 

何か言葉を発した彼女は、笑う。

くすくすと、くすくすと。無邪気に。

 

 



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幕間・知識の刷新

 

魔女。

無法にして無秩序の権化。

容易く世界を渡り、あらゆる事を為し、そして秩序に混乱を齎しながら去ってゆく。

 

前提として、魔女は一人では無い。

私も複数人存在する事は知っているが、関わった事はなかった。

今思えば幸運な事だ。後継者とは言え、他の魔女に出会えばどうなるか保証はない。

 

魔女達は結果主義者だ。

何故なら、どんな過程も等価だから。

あらゆる事を為す為に労力は要らず、全ての過程は「容易い」行為に過ぎない。

無論、時間ですらあれを縛る事は出来ない。そもそもそんな物、あの存在は掃き捨てる程に持っている。

 

魔女達は快楽主義者だ。

何故なら、殆どの結果は等価だから。

あらゆる事を為せるが故に、得られる結果の殆どが「当然の」事でしかない。

 

だからこそ、あれは欲しいと思った物に固執し、切望する。得難いのは結果ではなく、「動機」である事をよく理解しているから。

 

そして後継者。

魔女より力を受け継いだ者。

例えば「曖昧」や「混沌」。その力は凡そ一つの名称で表せる。

 

私が知る限りだと、少なくとも私とアノンを含めて三人以上。

魔女それぞれに後継者がいるのならば、十数人いてもおかしくは無い。

 

一方で、後継者の在り方は十人十色だ。

それはあくまで力を継承した、という一点で括られた存在。つまり、戦闘能力や行動原理はそれぞれ違うという事を否定しない。

だから十人十色、場合によっては先の例の様に後継者同士が剣を交える事もあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本題はここから先に述べる事だ。

 

魔女は結果主義で快楽主義なのは、前述した通り。

だからこそ、根本的に魔女が後継者を取る事は不自然極まりない行為にあたる。

 

なにせそれは酷く画一的だ。結果も快楽も、当然価値観の数だけ存在する。

なのに、後継者は当然のように魔女それぞれに対応するように存在する。

つまりそれは魔女が行動原理を差し置いて為すべき事、という事になる。

 

その推論は凡そ合っている。

肝要なのは為すという事。つまり魔女にとって重要なのは「後継者」ではなく「後継する」という行為そのものだ。

何故ならそうしなければ、魔女は魔女たり得ないから。

 

魔女は後継を行う事で、後継者に与えた力とは逆方向の力に特化した存在となる。

それまでは「完全無欠の何か」、そしてそこからは「限りなく完全無欠に近い魔女」と定義される。

そう、魔女は不完全故に魔女なのだ。

 

何故を追求するなら、魔女はどうして自分から不完全になるのか。その程度だろう。

だがそんなものは考えるまでも無い。知っての通り、完全で不自由が無い事はつまらない。ならば理由を問うまでも無く、あれは楽しむ為にそうしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付け加えるならば、魔女の後継者は魔女の実子ではない。言うまでもなかっただろうか?

魔女は何処かの世界から後継者を見繕い、そして育て上げる。

 

(さら)う?

その表現には少し語弊がある。

後継者の側がそれを了承していなければ、どちらにせよ後継は行われない。

というより、了承しないような存在はそもそも後継者に選ばれる事はない。

力を求め、ただ魔女の目的の為に生まれたのが後継者と呼ばれる存在だ。

 

では、果たして後継者は無意味な存在なのかというと、別にそういう訳でも無い。

魔女と後継者は利用し合っている存在だと分かっていても、普通に仲は良い。

 

或いはその中から次代の魔女が輩出される場合もあるだろうが、それはそう高い確率の話ではない。

魔女は永く生きる、故に後継者が魔女の全てを真に後継する日など来はしない。

何を勘違いしたのか、現役の魔女を打倒して成り上がろうとした愚か者の末路が、輩出率の低さに拍車をかけているのは間違いないだろうがね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなものか。分かったかい、メリー?」

 

私の知る限りの知識は伝えた。石の中からその聞き手を見る。

 

「分かりました!」

 

そう言いながら少女、メリーはニコニコと私を見つめている……何だか知らないがこの子、幼児退行を起こしてないか?

仮にそうなら、原因の奴には今度文句を言っておく事にしよう。

 

「では何か質問をしてみると良い。知ろうとする努力もまた、お前には必要だからね。」

 

「質問、ですか……」

 

予想外といった風に少し考えるメリー。こういう所を治して貰いたいが、これがメリーの持ち味だとも言える。だから敢えて指摘するつもりはない。

少ししてから、彼女は問いを投げてきた。

 

「私は何と呼ばれるべきなのでしょうか?」

 

前言撤回。突拍子も無い事には弱いのに、こう突拍子も無い質問をしてくるとはやり手だねぇ。可愛いがやはり少し改善して貰おう。

それはそれとして。

 

「……と言うと?」

 

「魔女に対して後継者があるのは分かりました。ですが後継者に対しての後継者である私はどう呼ばれるべきなのか、気になりまして……」

 

なるほど、と腑に落ちた。

確かに私は魔女ではなく後継者だ。そして今まで後継者が後継者を取ったという話は聞いたことが無い。

つまり、当然の如く呼び名も無い。

 

「まぁ正確な呼び名はないね。弟子か、愛しの我が子って所でいいんじゃないか?」

 

そう言うと一層ニコニコするメリー。まぁ、泣いているよりは笑っている方が良いね。

 

「……私も自由主義者だから、ガミガミ言うのは性に合わないんだ。

でもまぁ、こうして機会を得たんだ。お前にはしっかりと幻想協奏館を運営して貰うから、覚悟するように。」

 

「勿論、オスカー様がいらっしゃるなら何でもやってみせます!」

 

小さな愛し子はそう言うと胸を張る。

……まぁ時間は相応にあるんだ。少しずつ、この子には館長に相応しい存在に成長していって貰おう。

 

そうして、私は遠くに意識を向ける。

別の世界へと旅立った三人。

恐らくだが奴らとはまだ繋がりがある。

だがそれも、言葉を聞いたり話したりするだけの間柄。

 

それでも私は最後に騙されたんだ、そこだけは根に持ってやろう。だからその旅路が精々波乱に満ち溢れているように、私は期待する事にするよ。

 

 



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衝かれた銀世界
未知の███


 

語るべき事はない。

それを理解する必要はないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは一面の銀世界。そう、文字通りに一「面」の。

人の営み、野生の息吹、大地の隆起、吹き抜ける風。その全てが失われた世界。

平らで真っ新、無地の紙の表面に雪がコーティングされただけの、そんな世界。

 

しんしんと降る雪の結晶。透明な水に水色の絵の具を一滴垂らした様な色をした結晶そのものが、ふわりふわりと落ちてくる。

白い大地に触れたそれは音もなく雪へと変わり、そうして大地はより一層白く染め上げられてゆく。

 

そこに集うのは奇人達。

積もる雪の彼方此方には、彼らが探索した際に付いた個性的な足跡。三種類のそれらが、彼らの通った道筋を端的に表している。

 

「……どうでしたか?」

 

「魂の気配も生活の痕跡も全く無い。人が存在したという証明は出来かねるな。」

 

『こちらも探知しましたが、生命反応はありませんでした!人以外の生物も存在していなさそうですね!』

 

各々が探索をした結果を報告する。しかし結果として彼らが得た情報は、生物の痕跡が存在しないと言う事だけ。

彼らが理解出来る範疇のみで、ではあるが。

 

「……さて、どうしましょうね。」

 

「あれを、登るしかないのではないか?」

 

肩を竦めるアノンを一瞥した後、ベルズは静かにそれに向かって指を差す。

 

正に、天を()する白き塔。

円柱の建物は直径を変える事なく雲を貫き、その頂上は雲に隠れて見る事は出来ない。

まるで大きなホールケーキを何十段も重ねたかの様にして在る建造物。

 

建物には継ぎ目も装飾も一切ない。

あるのは窓代わりなのか、塔の内と外とを繋げる扉型の穴。それが等間隔に配置されているだけ。

人が作ったとも自然に出来たとも言い難い神秘的なオーラを放ちながら、それは雪の平原の只中に(そび)え立つ。

 

『……登れますかね?』

 

「おい、アノン。我輩には貴様の顔に『登るとか本気ですか?』と書いてある様に見えるが?」

 

「顔はありませんが……概ねその通りです。一応聞いておきますが、本気ですか?」

 

塔の高さだけを見て登れるか試算する者、塔よりも仲間の反応を気にする者、そもそも塔に登るという前提に懐疑的な者。

足跡の形のようにばらついた三者三様の感想が、塔に投げかけられていく。

 

「本気も何も、見ずに帰るという訳にも行くまい?」

 

「……まぁ、そうですね。腹を括りますか……」

 

そう言うとアノンは、渋い顔をしながら塔へと進む。それを先頭に、ベルズとレグルスも雪を踏み鳴らしながら塔への道を歩んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さく、さく。さく、さく。

 

「因みにだが、何故塔に登るのを嫌がっている?」

 

「……まぁ、一つは直感ですね。『世界の果て』こそ見つかりませんでしたが、類は友を呼ぶ。

不自然で不可思議な世界には、得てしてそういう物が集まりやすいという経験則です。」

 

『一つは、と仰りましたが他にはどんな理由があるのですか?』

 

「塔って不吉なイメージがありませんか?

例えばアルカナの塔は『破綻』と言う意味を持っています。

その辺も加味して考えると、あまり登りたくはありませんよね。」

 

「そんなものか。」

 

「えぇ、そんなものです。」

 

会話が途切れると、踏み締める雪の音だけが辺りに響く。守られてきた静寂を破りながら、彼らは塔への道なき道を進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きなトラブルも問題もなく、そうして彼らは塔の麓にたどり着いた。

 

特に入り口となるような扉は見あたらない。まるで塔が人間を拒んでいるかのように、人が登るための塔ではないと主張しているかのように、それは造られていた。

 

『……この塔、少し陥没していますね。』

 

レグルスの言う通り、塔は少しだけ地面に埋もれていた。雪が積もっている為にそう見えただけ、と言うわけではない。

 

なにせ傾いてこそいないが、外壁に穿たれた穴が中途半端に地面に潜ってしまっている。あれでは雪も土も塔の中に入り放題になってしまう。欠陥構造でなければ、やはり塔は少し埋もれていた。

 

「倒れなければ問題ないでしょう。何処から入ります?」

 

「そこで良いだろう。」

 

一番近場の穴を目指し進む。塔の構造を見て情報を得ようとしていたレグルスは、首を向き直し其方についていく。

 

そして流れるように、ベルズは地上から一メートル程離れた穴の淵に手を掛ける。

 

「ちょっと待ってください。」

 

「む……」

 

出鼻を挫かれ、不機嫌そうに振り向くベルズ。

 

「なんだ。」

 

「……いえ、やはり良いです。失礼しました。」

 

「……アノン、お前はもう少し立ち位置をはっきりさせておけ。」

 

「はい?」

 

予想外の返答に、アノンはつい聞き直す。ベルズの不機嫌そうな表情は変わらない。

 

「即決即断するのは良いが、そこに至るまでのお前は浮ついている事が多い。

悪いとは言わぬが、なるべく早く覚悟を決めよ。」

 

「……そうですね、ありがとうございます。」

 

そしてそのままベルズは手に力をかけると、体を塔の中に滑らせて消えていった。

 

『では私も!』

 

燃焼音と共にブースターが火を吹く。周辺の雪を軽く溶かしながら、レグルスは塔へと迷い無く侵入した。

 

「……」

 

一人残されたアノンも、軽く息を吐くと意を決したようにその穴へと手を掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ。一体、誰に何が分かるというのか。

理解出来る事などありはしないというのに。

 



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バースデイ

 

塔の中は整然とした空間であった。

一片の曇りもない白い空間、人の痕跡は塔の外と同じように全くありはしない。

 

階層は塔の内部で区切られ、床と天井を繋ぐように螺旋階段が塔の内周に伸びている。

上の階層の様子は分からぬが、恐らくこの階と同じ構造になっているであろう事を直感で理解出来る。

 

「……」

 

不思議と違和感は無い。

この建物が人に建てられる物でない事も、だからといって自然に生み出された物でない事も、我輩には分かる。

 

しかしこの塔については所以を考えるよりも先に、この純白の世界に相応しいという感想が頭に思い浮かぶ。

そして次の瞬間には、塔の出所についての考えは頭から忘れ去られている。

然るべき所に当然のようにある塔。確かに違和感は無い、が。

 

「気色が悪いな。」

 

『何がです?』

 

背後から塔に入ってきたレグルスに質問される。丁度アノンも塔に入ってきたところが見えた。

 

「いや何、此方の話である。計器に何か変化はあったか?」

 

『特にはありませんね!生命反応もやはり感知出来ません!』

 

「秘密を知る為には、この塔がどのように生まれ、何の為に存在しているか。その辺りを紐解くのが理想ですが……」

 

アノンが言葉を濁す。無論知る事が出来ればそれに越した事はないが、今はその足がかりすら掴めていない状態。

そして理想、と奴は言った。言い淀むのも無理はない。その言葉の重みを、奴は誰よりも知っている。

 

「……どちらにせよ、進むしか無かろう。何があるのかは知らぬが、少なくともここで考えていても答えが見つかる筈はない。」

 

『ベルズ卿はいつも前向きですね!』

 

「は、貴様程ではあるまいよ。」

 

そんな軽口を交わしながら我輩達は階段を登る。この塔の果てに何が待つのか、期待も想像も必要はない。ただ心構えをするのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段を登り切り、階層が一段上がる。

上の階は予想通り、下の階と内装が全く変わりはしない。尤も内装と呼べるような物はどちらの階にも無い故に、味気ない空間と階段だけが存在するのみであるが。

 

「つまらんな。」

 

次の階段を目指し部屋を横断する。この作業が何度も繰り返される予感から、つい本音が漏れた。

 

「一階分登っただけで何か出てくるという事はないでしょう?」

 

「そういう話では無い。この先に何かを期待しているのではなく、この道行が退屈であるという話をしている。」

 

『……と仰られましても、一体何をなさりたいというのですか?』

 

整然と返すレグルス。呆けている訳では無さそうだが、聞かねばならぬ事を忘れているのであろうか。我輩は思っていた事を口に出す。

 

「追求である。アノン、あの時は深くは聞けなかったが、生憎時間は有り余っておる。

いくつか聞くが、構わんな?」

 

「あぁ、そういう……別に構いませんよ。」

 

階段に足をかけながら、此方を振り向いてアノンは答えた。

 

『アノン殿にとって、継承した力とはどの様な位置にあるのですか?』

 

では遠慮なく、と質問しようとした所で割り込んできたのはレグルス。

恐らく質問の事は忘れていたであろうに、その胆力には目を見張るものがある。

 

「どういう事です?」

 

『理想郷を踏み荒らす魔女から継承した力。アノン殿はこれを『呪われた力』と仰っていました。

ですがその力を、貴方は迷いなく使われる。ですから気になったのです。』

 

確かに言っていた。とはいえそれはアノンが持つ「曖昧」という力が「呪われた力」なのか、魔女から継承する力の全てが呪われているのかは定かではないが。

後で聞いても良いかも知れぬ。

 

「なるほど。ですがそれは貴方も同じ事でしょう、レグルス。」

 

一拍おいてアノンは続ける。

 

「勿論、貴方が世界を滅ぼした際に使用した武装は恐らく刀だけではありません。

ですが刀を使わなかったという保証はなく、未だ使っていない武装も使わざるを得ない時には使うでしょう。それと変わりありませんよ。」

 

『……納得しました!』

 

要は使える物だから使っているという事である。信念、というより考え方の芯にそういった割り切りが存在しているのであろう。奴らしいといえば奴らしい。

 

「貴様は何の為にオスカーを生かした?」

 

「何の為、ですか。」

 

「奴はメリットがあるから生かしたのだろうと推測はしていたが、貴様の口からは何も聞かされてはおらん。故に問わねばならぬのだ。」

 

オスカーを倒さなければならない理由は聞いた。だが生かした理由は憶測以上の情報がない。有耶無耶にしても構わぬといえばそうなのだが、この機会に我輩はそう尋ねる。

 

「メリットがあるのは事実ですね。

オスカーと連絡が取れる状態は今も維持されていますし、余計な反感を買う事もない。」

 

そういうアノンの言葉に重みはない。

嘘ではないが、本心でもないのであろう。またも少し置いて、アノンは続ける。

 

「……結局は気の迷いです。何となく殺さない方が良い気がしたから、そうしなかったに過ぎません。

偶々、それが良い方向に転がったのです。」

 

「そうか。」

 

我輩好みの答えであった。気紛れ、或いは情け。

それは人として当たり前の感性。我輩はアノンの人らしさという物を垣間見る。

 

階段を登る。まだまだ先は長い。

とはいえ聞きたい事もまだまだ在庫はある。

精々ゆっくりと聞かせてもらう事としよう。

 



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螺旋の主要道①

 

「ふぅ……」

 

十階層、段数にしておよそ三百段程の階段を登り切る。

過ぎてきた階層は、相変わらずただ広いだけの空間と次の階段だけが存在していた。

 

ここまで来て、アノンは流石に疲れた様に大きく息を吐く。

我輩とレグルスはそもそも息などしてはいない故に、乱れるも何も無いが。

 

「少し休むぞ。」

 

「分かり……ました……っと。」

 

白磁の床に腰を下ろすアノン。

人の尺度から最も近いところにいるのは間違いなくこの男である。故に最初の頃は、奴に休憩のタイミングを決めさせていた時もあった。尤も、今となれば流石に分かるが。

 

『壮観ですね……』

 

外を見ながらそう呟くレグルスにつられ、視線が塔の外の空間へと逸れる。

 

視界に広がるのは、一切の穢れなき白。地平線の彼方まで雪が世界を覆い尽くし、空さえも白い雪雲が延々と広がっている。

そしてやはり、そこには生命の痕跡がない。我輩達が残した足跡さえも、何も無いこの世界では十二分に目立って見えるほどに。

 

「やはり……」

 

気色が悪い、という感想を抱かざるを得ん。

 

この世界は酷くミスマッチだ(・・・・・・・・・・・・・)

この塔は人工物ではあり得ない神秘性を持っているが、塔というのはあくまで建造物。

その不可思議極まる塔が、生命の気配を全く感じさせない世界にただ一つ建っている。

 

何かの目的の為に在るこれを、我輩達は正しく捉える事が出来てはいない。

何が待っているのか空想する事さえも、この世界は許しはしない。

それに繋がる痕跡を、ただの一つも残していないが故に。

 

「……珍しく、難しい顔をしていますね。」

 

「む。」

 

アノンが座り込んだままそんな事を言う。

我輩がこの男を理解する様に、この男もまた我輩を理解している。

当然の様だが、重要な事である。

 

「……確かに、この役割は我輩向きでは無い。

だが今回は存外、貴様が何かを思案する様子がない故にその役目を負っているだけに過ぎぬ。

貴様は不安ではないのか?」

 

「不安ですよ。そもそも、この世界旅行を始めてから不安でなかった事など一度もありません。」

 

予想外の答えであった。飄々と過ごしているこの男に不安という感情があるのか。

否、そんな素振りもあったのだろうが、それを不安と捉えさせない様に振る舞うのが得意なのか。

 

「そうなのか?」

 

アノンは落ち着いた様子を崩さず、レグルスを一瞥する。

 

「『曖昧』であるという事がどんな状態か、想像した事はありますか?」

 

『ございません!』

 

元気よくレグルスが答える。そこに元気は要らぬ。

 

「簡潔に(たと)えるなら、それは純粋な水です。

液体であるから攻撃を受けてもすぐに元の状態に戻りますし、未知の技術も文字通り吸収する事である程度は会得出来る訳です。」

 

流れる様にアノンは語る。

それはいつも通りの男の姿であり、不安を感じている気配は微塵も存在していない様に見える。

 

「一方で、それは極端に脆い。

水は私という個でもあります。何かが混ざれば混ざるほど、全体を占める(じが)は小さくなっていく。

そして混ざってしまう事を止める事は出来ません。それは性質ですから変えようも無いのです。」

 

「故に呪われた力、であるか。」

 

『呪われた力を後継したアノン殿。復讐心から蘇ったベルズ卿。そして殺戮の果てに心が芽生えた私ですか。

何と言いますか、幸の薄いメンバーですね!』

 

レグルスが言葉にしてはたと気が付く。

我輩達は、性質を変えられないという点でよく似ているのだ。

継承した力は、燃え続ける感情は、機械に芽生えた心は、決して棄てる事が出来ない。

 

故に、我等は道を共にしているのか?同じ理想を目指しているのか?

……と、浮かんだ疑問を投げ捨てる。

繰り返すが、これは我輩の役回りでは無い。

 

「この身体は不安定ですから、不安な気持ちを拭う事も出来ません。仕方のない事ですがね。」

 

『問題はありません!不安は斬り払えば良いのですから!』

 

……自嘲気味に呟かれたその言葉に返ってきたのは、素晴らしい程に前向きな言葉。あの底無しの前向きが、レグルスの持ち味である。

少し勇気づけられた様に、アノンは立ち上がった。

 

「休憩は十分取れました。行きましょうか。」

 

我輩はその背をレグルスと共に眺める。

 

『……あの方も、人並みに悩む事があるのですね。』

 

人らしくあろうとするが故に、思い悩む事もある。

不必要に殺さず、侵しもしない。

どんな建前があるにせよ、それは人ならざる存在に堕ちる事を拒んでいる様にも見える。

 

「きっと、奴は自分自身を見失いたくないのであろうな。」

 

『……何にせよ、終着点はご自身にしか決められないでしょう。

その答えを、私はただ尊重するだけです。』

 

そう言うと、レグルスも階段を登っていく。

 

この世界で始まったばかりの旅路は、まるでこの塔の階段の様に螺旋を描く。

純白の世界はそんな我等を嘲笑うかの様に、ただ清くあり続けていた。

 



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螺旋の主要道②

 

休憩を挟みながら雑談と共に階段を登る事、実に数時間。

世界には夜の(とばり)が下り、明かりのない塔内は隅から隅まで暗闇に覆われる。

 

階層を数えると言う努力は途中でやめた。

我輩が数えずとも、レグルスが勝手に記録しているであろう事が理由の一つ。もう一つの理由は、何階層であるかを知る必要性が無い為。

 

どちらにせよ、頂上まで登らねばならぬ道のり。終着点の階層が分からぬのであれば、今が何階であるかという事実は気休めの効力すらも持たぬ。

 

「ここまでにしましょう……」

 

虫の息程に弱ったアノンは、絞り出す様に先導するレグルスにそう言うと、壁に寄り掛かるようにして床に座り込んだ。

 

ふと外を眺めるが、その光景は何時ぞやに見た外の光景とあまり変わってはいない。

正確には変わってはいるのであろうが、何せ何もない雪原。我輩達が違いを捉えるには、その光景は余りにも刺激が少ない。

 

「それにしても本当に高い塔ですね。終点に着くのは何時になるやら……」

 

『アノン殿はこれまでの世界で、こうした高い建造物をご覧になった事は無いのですか?』

 

小さく呟かれたアノンの言葉。それはおそらく独り言のつもりであったのだろう。

レグルスに問われるとアノンは軽く顔を上げ、そしてすぐに元に戻す。

 

「無論ありますが、ここまで高い物は流石にありませんね。ましてや登る事など……」

 

語るべくもありません、と言わんばかりに肩を竦めるアノン。

 

我輩達が旅路を共にする前まで、アノンは一人旅をしていた。その旅路について、我輩達は詳細を知りはしない。

何せ今まで、それを知る必要は無かった。だがこれからは知っていく必要があると、あの館で我輩達は学んだ訳だが……

 

ところで。

 

「アノン、例のものを寄越せ。」

 

我輩は手招きする様に右手を差し出す。

無言でアノンが指を鳴らすと、虚空から現れたのは一つの瓶。何の躊躇いもなく、奴はそれを此方に投げて寄越した。

 

掴み取る、落とす事などあり得ぬ。命より重い物……とまでは言わぬが、落とせば無駄になる物ではある故に。

無言でネックを切り落とし、中身を軽く味わう。

 

『本当に好きですねぇ……』

 

呆れた様なレグルスの声。構わぬ、言い返す気は無い。

寧ろこれを味わえぬ事に少しの憐れみすら感じる程である。

 

この世界の月は未だ見えない。全く、風情の無い世界であるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

程なくしてそれを飲み終え、瓶を粉砕する。塵になるまで粉々に、この世界にその断片すら残しはしない。

 

「レグルス、この塔の材質は分かりますか?」

 

『いえ……少なくとも、私のデータベースに存在する素材はございません。』

 

少し控えめな駆動音と共に、レグルスの手に装填される二対の剣。その片方で軽く床を叩くと、金属質では無いものの硬い音がする。

 

滑らかで、少しの汚れも許さない様な白い物質。塔を登っている途中に一度強く力を込めて叩いたが、『世界の果て』と同じ様にそれは絶対的な強度を持っていた。

 

「……まぁ、今気にしても仕方ありませんか。

眠ります、お休みなさい。」

 

アノンはそのまま顔を伏せる……と思いきや、一度顔を上げて思い出した様に指を鳴らした。

そして今度こそ、現れた掛け布団を体に被せて眠りにつく。

 

我輩とレグルスは寝ることが無い、というより出来はしない。周りを見ないように目を瞑るといった芸当は出来るが、意識は覚醒したままである。

眠るのはアノンだけで、我輩達は夜の中を起きていなければならぬ。

 

尤も、そんなものにはとっくの昔に慣れた。

そも我輩は一人の時から夜には起きていた。下賤な輩は寧ろ夜にやってくることの方が多い故に、この身体の機能は良く役に立ったとすら言える程である。

 

「それにしても、だ。」

 

『はい?』

 

「つくづく気が遠くなるような高さであるな。我輩達は、いつまでお行儀良くこの塔を登って行かねばならんのだ?」

 

レグルスが困った様に『と仰られましても……』と返した辺りで、我輩も馬鹿らしくなる。

この世界で外敵を警戒する我輩達の状態も、登り始めて一日目にして不満を言う我輩も、登れど登れど一切変わらない塔の内装も、その全てが我輩達に酷く時間を浪費させている様に感じる。

 

「……まぁ良い、我輩も少し休ませて貰うぞ。」

 

『え、えぇ。分かりました。』

 

少し困惑気味にレグルスは頷く。気が立っていた訳では無いのだが、少し言動が不安定ではあった。朝には詫びを入れねばならぬな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、それにしても本当に馬鹿らしい。

我輩達は理想郷を目指さねばならぬ。この旅路はその為の道のりである。

少なくともこの潔癖なだけの世界は理想的ではない。終着点に着かねば、我輩達が見たいものは見ることが出来ない。

 

要は時間の無駄である。脇道ですら無い、単なる足踏みとも言える。

我輩達は何処に進み、何を目指す?そして何を得ようとして歩き続ける?

我輩達の本質は、一体何であるのか?

 

 

 

……うむ、今日は少し調子が悪い様であるな。

少し経って、改善されると良いのだが。

 



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螺旋の主要道③

 

果たして、塔を登り始めてからどれ程の時が経ったでしょうか?

 

「……一度(・・)降りましょうか(・・・・・・・)。」

 

久しぶりに口を開いた私は、静かにそんな事を呟きました。

 

……ちらりと振り返りますが、二人の視線が突き刺さります。特にベルズの方は不味いですね。あれは不満を超えて、最早殺意まで行っています。

下手な事を言うと本当に殺されかねません。

 

『それは前向きな撤退と……』

 

「ふざけるな。」

 

ああ……言葉を遮られたレグルスが悲しそうな顔をしています。可哀想に。

尤も、私も他者の心配をしている場合ではありませんが。

 

「確かに今までもこれからも、険しい道である事は認めよう。だが、それでも来た道を戻る事はこの我輩が許さぬ。」

 

腕を組み立ち尽くす様は、正に仁王立ち。

さらに現在、位置関係は階段の上から私、レグルス、ベルズ。素直に階段を降りるという手段は使えそうにありません。

 

「降りると言っても私の″跳躍(ジャンプ)″を使いますから、一瞬で済みますよ?」

 

「そんな事は分かっている。だが貴様の跳躍は一世界で一度しか使う事は出来ぬのだろう?戻るという結果に変わりはあるまい。」

 

素直に階段を降りないという手段も却下されてしまいます。抜け道も使えないとなると、いよいよ厄介な話になって来ました。

 

「いつになく頑なですね。理由を聞いてもいいですか?」

 

「理由だと?一々言わねば分からぬか?」

 

早速言葉選びを間違えたのでしょうか、ベルズの周りを怪しい気配が漂います。

完全に臨戦体制ですね、文字通り雲行きが怪しくなってきました。

 

ですがここでたじろぐ訳には行きません。なるべく平静を装いながら、口を開きます。

 

「それは此方の台詞です。懇切丁寧に理由を説明しなければ、私に従う事はできませんか?」

 

グシャッ。肉が擦れ合う様な音と同時に、右腕の下部に激痛が走ります。

確認する必要はありません。何の躊躇いも無く拳を振り抜いた目の前の王者を見れば、何が起きたかなど自明でしょう。

 

数秒と経たない内に、滝の様に流れ出る血は段々と薄く霧散し始めます。

そして数十秒後にはまるで初めから何も無かったかの様に、抉れた部分の感覚は戻りました。

 

……相変わらず、この感覚には忌避を覚えます。便利な事には違いないので、我慢するしかないのですが。

 

『大丈夫ですか?』

 

「問題ありません。それより、目の前の状況を解決する事に手を貸して貰えませんか?」

 

『解決、と仰られましても……』

 

目の前に立ちはだかる男、ベルズ。

彼の最も嫌う事、それは結果を得ずして終わる事。

何故なら、それは無力な彼の終わりと等しいから。

 

とはいえ、ベルズとて無謀ではありません。

負けると分かっている戦いや、無駄だと分かっている行為を延々と続ける事が無意味である事は、彼自身良く理解しています。

 

しかし今は目的が悪い。理想郷を目指す為に、私達は出来る事を全力で行います。

故に撤退は基本的に許されない。こういう時のベルズを説得するのは、私の人生の中で最も厄介な事の三本指に入るくらいには面倒事なのです。

 

『では、こういうのは如何でしょうか?』

 

ピコーンという機械音と共に声を上げたのはレグルス。相変わらずユーモアに溢れていますね。

 

『取り敢えずベルズ卿には、アノン殿に従って頂きます!』

 

そしていきなりの爆弾発言。ベルズが黙っている筈もありません。すぐさま口を挟もうとして、しかしレグルスがそれを手で静止しました。

 

諦めて押し黙るベルズ。指を高らかに掲げながら、レグルスは続けます。

 

『ただし!後で皆様でアノン殿の行動の是非を評価致しましょう!

そこでやはりあそこはベルズ卿に従うべきだったとなれば……』

 

ああ、何と素晴らしい名案でしょうか。これは間違いなくベルズを説得出来るだろうと、私でさえ確信します。

……ええ、もしかすると私が犠牲になるかもしれないという点から目を背ければ、ですが。

 

レグルスが先ほどから此方をチラチラ見てきます。あれは明らかに『どうです?素晴らしい意見ではありませんか?』と言った感じですね。悪意が無いのが余計に私の空しさを加速させます。

 

「責任を取るという事ですね?いいでしょう、私はそれで構いませんよ?」

 

ですが、あれを超える以上の名案もないのもまた事実。せめてもの抵抗として、威厳と自信を保って返答します。

 

「……良かろう、取り敢えずこの場は我輩も引くとしよう。」

 

そう言うと、ベルズの闘気は収まります。最悪の事態にはならなかったので、よしとしましょう。そう考えるしかありません。

 

……さて、頭を切り替えましょうか。

 

「では早速跳躍します。準備は宜しいですか?」

 

「構わん。」

 

『いつでも大丈夫です!』

 

一瞬で、私達の姿はその階段から消え失せました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達の目の前に広がるのは白い大地。

ここは私達が塔を登り始めた始まりのフロア。一階と呼べるかは微妙ですね。

 

「さて。」

 

随分と落ち着くいた様子で、ベルズの瞳孔の中に潜む爛々とした光が此方を覗きます。

 

「聞かせてもらおうか。何故わざわざあのタイミングで塔を降りようなどと考えた?」

 

「そうですね、理由は二つありますが……まず一つ目はこれです。」

 

私はポケットの中に入っているそれを取り出し、ベルズとレグルスに差し出します。

 

『それは……確か、オスカー様との連絡石ですか?』

 

私の掌の中に収められている、小さな石。いつかベルズがメリーに渡し、世界を移動する際にオスカーを置き去りにするのに役立った連絡石と呼ばれるもの。

 

「ええ。幻想協奏館を出る時にオスカーの結晶と交換した物なのですが……現在、これが繋がらないのですよ。」

 

「どういう意味だ?」

 

「この石は世界の果て、つまり異なる世界を隔てても連絡を行う事が可能な代物です。

ですから事も何気に繋がらないとは言いましたが、そんな事は普通あり得ません。」

 

さらに問題なのが、この石は塔に入るまでは使えていた点。というのも二、三オスカーに聞きたいことがあったので聞いたのですが、塔に入って幾星霜。気づけばこの石はただの石となっていた訳ですから驚きです。

 

『……なるほど。それで二つ目は何でしょうか?』

 

さらりと問われます。ですから私も、この問いにはさらりと返す事にしましょう。

 

「……単純です。私、恐らく(・・・)この世界を(・・・・・)訪れた事が(・・・・・)あります(・・・・)。」

 



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螺旋の主要道④

記憶を辿る。曖昧な海の中に溶け去った糸を、海の中から逆再生させるかのように手繰り寄せ、撚り合わせる。

 

 

 

 

魔女。後継者。曖昧。

繋がらない。これだけでは足りないと、記憶の海がうねり波打つ。

 

 

 

 

幻想協奏館。混沌。オスカー。

繋がらない。溶け去った糸を再構成するために必要な情報ではないと断定される。

 

 

 

より深く、より薄い記憶を呼び起こそうとして。

 

「もっと深いところではなく、もっと浅いところを見るべきだ。

曖昧の化身であるアナタが、過去の記憶を完全に保持している訳がないだろう?」

 

誰かの声が聞こえた。

 

その声に従うように海の中から糸を手繰り寄せるのをやめ、手元の溶けた繊維を眺める。

 

 

 

アノン。ベルズ。レグルス。

繋がらない。私に関係があっても彼らには関係のない世界だ。的を外れている。

 

 

 

無人。白磁の塔。連絡石。

繋がらない。全てが結果であり、この世界の根源に辿り着くにはあまりにもか細い。

 

 

 

「もっと浅く。」

 

再び声が聞こえる。

 

「過去を見るのではなく、今を見るといい。」

 

 

今を見る。

過去でも未来でもなく、現在である今。

私は目線を上げて目の前の塔を見つめる。

 

………否。塔から目を外し、この世界全てを見つめる。

 

雪。白磁の塔。そして私の既視感。

繋がらない。

 

 

 

 

 

 

……が、手掛かりは得られたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アノン。」

 

唐突に投げかけられた声に、彼は現実へと引き戻される。

 

「貴様、何を呆けた顔をしている。」

 

「……いえ、既視感から色々と思い出すことがありまして。

というより呆けた顔も何も顔無しなんですけれどね、私。」

 

「殺すぞ。」

 

脅しでも口癖でもなく、声の主にはその行為に対する一切の躊躇は無い。

それは、相手がアノンであろうとなかろうと同じことでもある。

 

その者が迂遠な表現ではなく直情的に物を言う時は、それだけ言葉に重みを持たせている事を、彼ら二人は知っている。

 

『どうしましょうか、アノン殿。

いっそ責任をとってしまっても宜しいのでは?』

 

「全く宜しくありません……取り敢えず説明はさせて下さい。

ベルズ、それくらいの猶予は頂けますか?」

 

「……」

 

返答は無いが、同時にその王者は静かに雪に腰を下す。

詰まるところそれは、態度こそが言葉よりも雄弁であることを示していた。

 

「取り敢えず、簡潔に言いましょう。

この世界は『あらゆる世界に繋がる世界(・・・・・・・・・・・・)』であり、私が過去に訪れた世界の一つです。」

 

『あらゆる世界?』

 

「待て。」

 

ベルズが右手で静止する。

 

「我輩がするのは貴様の行動に対する評価である。それ以外の情報はこの場においては要らぬ。そうだな?」

 

話が横道に逸れないように、自らの立ち位置を明確にするために。ただ一言を持って、確認するようベルズは問う。

 

「……失礼、ではもう少し核心を突きましょう。」

 

軽くハットを被り直し、そして再び告げる。

 

「この世界は魔女の棲む世界に最も近い世界の一つであり、私が三番目に足を踏み入れた世界です(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。」

 

声は上がらない。

魔女という単語。聞き手である彼らにとって、果たしてこれは予想外だっただろうか。

無論、心の内まで知る術はない。

 

だが少なくとも語り手であるアノンには、ベルズもレグルスもそう驚いていない様には見えた。

アノンは続けて語る。

 

「私の出身の世界、魔女の棲む世界、この世界と数えて三番目に当たるのがこの世界です。」

 

「……訳がわからん。貴様の話では、同じ世界には二度と来れぬのではなかったのか?」

 

「言葉の綾こそありますが、概ねその通りです。

砂漠の中から拾った一粒の砂粒を、もう一度砂漠に投げ入れて拾うことは不可能でしょう?」

 

「………」

 

いつかのように沈黙が訪れる。

一つの謎が氷解しそうなのにも関わらず、果てしなく広がる雲が晴れる事も、静かに降りつもる雪が止む事も無いからだろうか。

 

否、少なくともこの場においては違う。

なぜなら結局の所。

 

「……少なくとも、その説明だけでは貴様の選択の是非は問えぬ。」

 

「まぁ、そうでしょうね。」

 

ベルズの答えに対し、アノンは事も無げに返答する。

この世界が何であろうと、奇術師の旅路がどうであろうと、あくまで必要なのは選択の是非のみ。

 

だからこそ、と彼は口を開く。

 

「だからこそ、ここで私から問いましょう。

貴方達は今、魔女と戦うのが時期尚早だと思いますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、この世界こそ分岐点。

 

 

██を統べる白磁の塔。

 

 

██に連なる無地の郷。

 

 

だから静かに待ちましょう。

彼らの悔いなき選択を。

 

 

ねぇ、アノン?

 



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