龍が如く×バキ 範馬道偽典 ー哭け、鬼神の娘ー (贋海王)
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序 賽の川原へ


 

 私は父親の顔を知らない。

 名前も知らない。

 

 会ったことも──

 写真で見たことも無い。

 一切合切、私は父親の事を知らない。

 

 生きているのか

 死んでいるのか──

 

 母は何も教えてくれない──

 ……くれなかった。

 

 そんな母は、私を一人残して死んだ。

 

 まだ若い人だった。

 母ともっと何か話したい事があったと思う。

 父親の事だけじゃない。

 

 母を喪うのは、9歳の小娘には耐え難く辛い事だった。

 

 四畳半一間の安アパート、暖房器具の無い寒々しい部屋で私は泣いた。

 

 

1

 と或る年の真冬日だった聖夜 ──

 朝から深々と雪が舞っていた。

 街を行く誰もが厚着だ。

 コートを羽織る者、首周りには厚い布のマフラーを巻き、幾重もの重ね着の末に着膨れしている者もそこかしこに見られる様な真冬日。

 

 そんな中で──

 

 その少女は、まともな精神の者ならば、皆目を疑う薄着だった。

 

 白い薄手の半袖ブラウス。

 膝上丈で短めな濃紺一色のプリーツスカートに、黒色のソフトナイロン製ニーソックス。

 制服なのか普段着なのか、どちらとも取れるような服装だが、明らかにこの寒空の下には不釣り合いな代物だ。

 髪は長く、無造作と言って良いほどに伸ばされている。

 年の頃なら10に満たないだろう。

 半袖ブラウスから伸びる白い腕、ミニスカートとニーソックスの間に見える太ももは非常に細く、110㎝程度の小柄な体躯はともすれば見た目より幼く見せているかも知れない。

 そんな年齢の少女にしては髪型も何処か乱雑で、無頓着なのか身嗜みを知らぬように見える。

 

 しかも、その髪は異様なまでに真っ白い──

 肌も白い。

 髪も肌も日本人のそれとはかけ離れた、すっかり漂白された様な奇妙な白さだった。

 まるで、今、深々と降っている雪が固まり人になったような白い少女だ。

 

 雪女──

 いや、雪女は普通黒髪だが、この雪の舞う街中、この少女を見ると、ふと、そう思ってしまう者も多いだろう。

 だが、そんな白い少女であるが、一点、色があった。

 目が紅い。

 泣き腫らし充血しているとか、そう言う訳ではない。

 本来日本人なら黒目である筈の瞳が紅いのだ。

 

 先天性色素欠乏症(アルビノ)──

 恐らく少女はそうした症状なのだろう。

 

 白いブラウスは多少透けており、下着を身に着けておらず、注意深いものなら、ほぼ白一色の少女の体から薄紅色が確認出来るかも知れない。

 好き好んで見たがる者はそうは居ないだろう慎ましい物であるから、下着未着用を周囲に気付くものはいないようだが、好き者が気づけば目の毒である。

 

 神室町──

 

 この夜の街で少女は引っ越しの最中だった。

 手荷物1つ無い引っ越し。

 荷物は、自分自身と現在身に付けている物、僅かな額が入った小銭入れのみ。

 

 少女は先日、母を喪った。

 母は家賃を滞納しており、母が死んだ翌日、大家はこの身寄りの無い幼い娘をアパートから叩き出したのだ。

 

 今夜は、話に聞いている神室町に存在するらしいホームレスの巣窟、西公園にでも泊まろう。

 少女はそんな、あまりにも無謀で無防備な事を考えていた。

 どう考えても正気の沙汰では無い。

 ホームレス相手だ。

 うら若い娘など何をされるか分かったものでは無いだろうに。

 

 虚ろな目で、神室町を闊歩し出してどれくらい経ったのか。

 過ぎた時間も、少女は特に気にすること無く、ただうろうろと西公園を探していた。

 

 西公園

 通称、賽の河原──

 

 少女はその名前を聞いた事があるし、大体の概要は把握している。

 が、詳しい場所までは知らない。

 知っているのはホームレスのたまり場で在ること。

 それくらいだ。

 もっとも、それは西公園に関して一般人が知りうる限りの全てだ。

 西公園に立ち入れば四方八方、ホームレスばかりである。

 

 人生の終点──

 

 奈落の底──

 

 それだけの場所だ。

 

 とは言え、少女は盛大に、重要な事を勘違いしていた。

 西公園がある区画は、神室町で公園前通りと呼ばれている。

 そこは概ね神室町の北東である。

 

 しかし、少女は『西公園』の名前からか神室町の西側を探していたのだ。

 神室町にさして馴染みが無く、西公園に用のある者が陥るよく見る間違いだった。

 

 公園前通りではなく、少女は七福通り西を散策していた。

 見付かる筈もない。

 確かに公園はあった。

 振り子の椅子が二つ揺れるブランコが1台とジュースの自販機が2台、簡素なベンチが3基、公衆便所があるだけのごく小さな公園だった。

 ホームレスもいたのだが、たまり場と言うには数も少ない。

 とてもここで生活している訳では無いだろう。

 西側にあるが西公園ではないこの公園を、神室町の人間は児童公園と呼んでいる。

 

(寒い、な──)

 

 自販機が目に入る。

 何か、温かい物でも飲んでみたい。

 

 母が存命の頃から、住居のガスはほぼほぼ止められていることの方が多かった。

 冬場も、水道から出るのは冷水だった。

 洗顔も洗髪も冷水。

 風邪はいつの頃からか引くことは無かった。

 腐ったものや、黴の生えた物を食べても、それに中ることも無かったかと思う。

 

 それでも、こんなにも寒い夜である。

 自販機の見本に見入ってしまう。

 温かい珈琲や紅茶の缶、口にしたことは無いがポタージュスープやお汁粉などの見本にも目が行く。

 

 小銭入れには合計で638円。

 

 買えない訳じゃない。

 どのみち、明日とも知れない身の上である。

 だが、少女は自販機から目を逸らし、歩き出した。 

 

 七福通り西から東側──

 

 コンビニエンスストア等も見掛けたがそこを通り越す。

 このまま北側に進めば見えてくるのはバッティングセンターだが、そこに用はない。

 暖はある程度取れるかも知れないが、入場に金を取られてしまう恐れがあるのだ。

 センターに単に入るだけなら、実は金を払う必要もないのだが少女は知らない。

 

 暫く歩き、それでも西公園が見付からない場合……

 

 その際には、最悪今夜は先程の公園に寝泊まりしよう。

 彼処にはベンチも有ったし、公衆便所の個室が1つ。

 トイレの個室で寝るのはどうかと思われるが、野晒しのベンチよりは、鍵を掛けられる分、安全かも知れないのだ。

 普通の9歳の少女とは明らかに一線を画している思考だが、それは仕方無い。

 彼女の人生は正しく底辺その物だったのだから。

 

 そしてちょうど、バッティングセンターの先に向かう様になると、不思議とカップルが多くなってきた。

 それもその筈──

 この先の区画はホテル街と呼ばれる区域なのだ。

 いかがわしいラブホテルから極々普通のビジネスホテル、見るからに治安の良くないカプセルホテル等々。

 格安の粗悪な簡易施設から、それなりの設備が整った宿泊施設まで様々なホテルが建ち並んでいる。

 とは言っても、勿論、彼女が用のある場所ではない。

 仮に体で金を稼ぎ、いかがわしいホテルに泊まる事になるなんて、真っ平御免である。

 幾ら日本有数の歓楽街と言われる神室町であったとしても、9つの娘が体を商売に使うことは流石に無理だろうが(少なくとも表向きは──)

 

 そんな折りの事──

 

 乱暴な怒声が聞こえた。

 複数人の男性の声だった。

 何がそんなに彼等を怒りに駆り立てているのか甚だ疑問だが、こうした手合いに真っ当な理屈は通用しない物である──

 

 そして更なる怒号に、少女は、無意識に視線をそちらへと向けてしまう。

 

 ほんの数瞬──

 

 その短い時間で直ぐに少女は目を逸らすのだが、一人の男と目が合ってしまっていた。

 



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POPPO七福通り西店アルバイトの証言

 

 ん?あぁ、青木さん、お久し振りですね。

 お元気でした?

 

 え?クリスマスの夜もバイトしてたか?ですって?

 えぇ、前のクリスマスの事っすよね?

 入ってましたよ、POPPO七福通り西店(ここ)でレジ打ち。

 

 いやぁ、あの夜ね──

 ビビりましたよー。

 

 チンピラ何人かとね、しんしんかい……

 神心

 かみこころって書いて

 神心会でしたっけ?

 

 空手か何かの有名な──

 館長が虎殺しか何かで有名らしいですよね、おろち何とか。

 

 そうそう、愚地独歩──

 

 そこの門下生がうちに買い物に来てたみたいなんですけどね──

 チンピラが絡んだんですよ──

 最初はアチョーアチョーとか、

 変な動きしてたっけなぁ……。

 

 門下生の人らの方を見て、ね。

 あのチンピラ連中、バッティングセンターらへんで、何て言うか──

 当たり屋?

 そんな感じの事やってる奴等でして、

 うちの客とかバイトも迷惑してたんすよね。

 

 当たり屋で儲けた金で、酒とか買ってくれたりもしてるんで、文句も言いにくいんすけど、へへへ

 

 ん?あぁ、そんなことも有りましたね、グレースーツの堅気か、やくざか知りませんけど、その人にボコられてたなぁ。

 

 でも、懲りてなかったんだなぁ。

 直ぐに当たり屋再開してましたよ。

 

 そうそう、それからその神心会の人らにちょっかい出し始めましてね──

 

 神心会の人は三人いたかな。

 当たり屋のチンピラは五人組──

 

 幾ら虎殺しの門下生相手でも数の上で勝ってる当たり屋連中、気が大きくなってたんでしょうね。

 

 馬鹿みたいにちょっかい出してましたよ。

 無視してる門下生の人らに、俺は何たらとか、何かの空手か柔道の名前出したりして──

 

 それでも、神心会の人らは相手にもしない

 やっぱり、偉い人の所の門下生だなぁって思ってたんすよ──

 

 でもね、チンピラ連中、

 門下生の人らが、買い物済ませて店出たら、追いかけてってね。

 

 一人が怒鳴り付けたんすよ。

 

 ん?その辺りの話が一番知りたいですって?

 

 ん~

 ……あぁ、青木さん、もしかして、白い少女に興味あって聞いてきたんすか?

 青木さん、もしかして、ロリコン……

 ちょ、怒らないで──

 ……じょ、冗談ですって。

 

 そう、白い少女がちょうどバッティングセンター近くにいたんですよ。

 俺?ええ、俺も見ましたよ、白い少女。

 白い少女ねぇ、白い少女っつうか……少女よりも幼女って年齢じゃないっすかね?

 見た感じだと、多分ですけど、10歳にもなってないんじゃないかなぁ。

 

 印象?

 白い少女──

 雪女──

 幽霊──

 

 そんな感じっすね、俺は。

 その真っ白の見た目なのに、目がね。

 真っ赤っか何すよ、あれは、気持ち悪かったなぁ。

 ほんと、幽霊に見えた。

 

 でね、当たり屋の一人がその女の子と目が合ったみたいなんすね。

 白い少女に、そんな、小さい娘に怒鳴り付けたんすよ、大人げない。

 

 で、何かね、白い少女が向こうの公園に……児童公園だろうね、多分。

 西公園がどうとか聞いてて──

 

 そう、どっか行っちゃったんすよ、当たり屋連れて。

 神心会の人らも暫く見てたみたいで、心配してたんすけど

 

 え?それから?

 知らないっすよ、俺は。

 

 えぇ?そこからどうなったか詳しく知りたかったって?

 

 青木さん、あんた、やっぱりロリコン……

 幼女のレイプもんとか好きっしょ……キッショ

 

 ちょ、ちょっ!冗談です!ごめんなさい!

 

 児童公園の方なら、詳しく見てた人居たかも知れませんよ──

 




当二次創作に於ける時系列の矛盾について

グラップラー刃牙の時系列は今のところ、西暦何年に起きているお話かぼかされています。
逆に龍が如くは時系列がはっきりとした作品です。
グラップラー刃牙で最後に西暦が判明したのは恐らく、
ジェフがオリバにやられた最初の事例、1978年マンハッタンの惨劇でしょう。
それから24年間、ジェフは様々な用意をし、決行します。
つまり、オリバが初登場し、最初の戦闘となるバキ11巻89話です。
これを踏まえると刃牙が17,8の時は2002年と考えられます。
しかし、刃牙が17歳の時点で1992年と考えられる場合もあります。

拙作はこの辺りの刃牙の正しいと思われる時系列を当て嵌めることは、いたしません。
非常に刃牙ファンの方にご迷惑をお掛けし怒りを買うことになって申し訳ないのですが、刃牙17歳時点の時系列を龍が如くの3から4辺りの時間軸と致します。
申し訳ありません。
また、拙作、序は龍が如く1辺りかと思います。
拙作本編では白い少女ももう少し年齢を上げて、龍が如く4,5辺りの時間軸で登場し、その頃に刃牙18歳となると想定しています。(恐らく現時点のバキ道、拙作はその前後も描くかも知れません)
また、白い少女が龍が如くのサブストーリーを行う場合もありますが、そのサブストーリー、例えば龍が如くでは2の時系列に起きて居たものでありながら、後の時間軸で起きたことになる可能性もあることを先にお詫びして置こうと思います。

バキ道、龍が如く
ある程度時系列に気を付けて拙作と照らし合わせ描くようにしたいとは思っていますが、バキ道とのすり合わせは完全に不可能です、申し訳ありません。
時系列のおかしなところは後書きなどで書きたいと思っています。


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序ノ二 当たり屋達

 少女の紅い瞳に、恐怖の色は無い。

 しかし、視線は男から咄嗟に逸らされた。

 

 単にかかわり合いになりたくない。

 少女の心に有ったのはそれだけである。

 

 怒声を張り上げ、周囲を威嚇するかのような男達は五人いた。

 少女は、五人以外にも胴着を着た三人組の存在が有ることにも気付いている。

 胴着を着た者達が先にコンビニエンスストアから出てきて、別の五人組に怒鳴られたのだろう。

 

 具体的な状況は把握しては居ない。

 

「おい!クソガキ!何見てるんじゃ!?あぁ!?」

 

 大人げない──

 そんな怒声だ。

 

 コンビニエンスストア店内にいるバイト二人、数人の客も、この光景を見ていた。

 元々、コンビニエンスストアPOPPO内で、この五人組は胴着を着た三人に絡んでいたのをバイトも含め大抵が知っている。

 白い少女はバッティングセンターの周辺やホテル街方面をうろうろとしていただけで、POPPOへは一瞥したばかりで、中での出来事にまで気が回ってはいなかった。

 

 白い少女は、怒声にも動じる事なく、小さく息を吐いた。

 そして、五人組の──

 先程、自分に怒鳴り付けて来た男ではなく、胴着を着た三人組の胴着へと視線を向ける。

 

 白い少女の紅い瞳──

 

 その紅玉のような瞳に──

 白い少女に見られると、胴着を着た男の一人が息を飲んだ。

 

 幽鬼──

 見られた瞬間、悪寒が走ったのだ。

 白い少女の周囲を舞う雪がどこか異様に、歪んだ空間に消えていく──

 寒さが単なる冬の寒さでなく、氷の刃が、氷の隕石が降るような冷たい錯覚──

 アスファルトの、硬い安定した場所に立っていながら、両足は薄氷の上に居るような感覚さえも脳裏に過る。

 薄氷が氷の隕石に砕かれ、薄氷の下の冷たい氷水に浸かってしまう──

 尋常ならざる幻想を、心象風景を、白い少女の紅い瞳から、彼の心理は抱いてしまった。

 

 見目だけではない。

 人ならざるものの恐怖を、その紅玉の瞳に感じられた。

 

(本部神心会)

 本部は横書き

 神心会は縦書き──

 上衣の左胸部辺りにその文字が見受けられた。

 

 聞いた事がある。

 空手道神心会──

 

(強いのはこっち、かな)

 

 戦力を計る。

 白い少女の脳内で、見掛けからは想像だに出来ない様な思考と判断が繰り広げられているなど、五人組も神心会門下生の方も気付いてはいなかった。

 気付く筈も無いだろう。

 

「シカトこいてんじゃねぇぞ!」

 

 しかし、門下生の一人は、白い少女の姿に不気味な錯覚を覚え、何かを察しかけてはいたが、白い少女に怒鳴り付けた当たり屋達の一人には何も察せず──

 

 そうして、門下生に絡む者と白い少女に絡む者に分かれていた。

 

 五人組が何故にこうも猛っているのか。

 数日前の事だ。

 

 彼等は所謂、当たり屋だ。

 

 肩などがぶつかると、おう痛ぇじゃねぇか!肩が外れたぞ!慰謝料出せや、それで勘弁してやる── 

 などと宣う輩である。

 

 そして、この男達は現在の五人組から三人組──

 複数名でそうした当たり屋行為を行う連中だ。

 

 数日前にもPOPPOからバッティングセンター周辺にて、当たり屋行為で稼いでいたのだが、ある晩に不運が訪れた。

 

 猿芝居──

 当たり屋達に絡まれた男がそうあっさりと切り捨て、金を払うことなく、彼らをあっさりとのしてしまったのだ。

 

 最初は三人、その後五人で掛かろうと、更に騙し討ちをしようと、その男──

 グレーのスーツを着た極道風の堅気に返り討ちにされたのだった。

 

 日がどれだけ経っても逆恨みとしか言いようがないその怒りは治まらず、当たり屋達は今日も今日とて当たり屋に精を出しては、誰かれ構わず喧嘩を吹っ掛けて居たのだ。

 

 その時に丁度良く当たり屋達の目に入ってきたのが、件の神心会の文字だ。

 有名な空手の達人。

 彼らを数の暴力の上なら問題なく痛め付けられるだろうとの浅知恵だった。

 



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序ノ三 白い少女と平和主義者

 神室町の北西──

 七福通り西にある児童公園

 

 深々と雪が降る肌寒い聖夜だった。

 児童公園と言っても、夜は児童ではなくホームレスの姿がその公園にも何人か見られた。

 

 神室町は日本有数の歓楽街であり、多くの人で賑わう華やかな街である。

 しかしだ。

 だからこそ多くの闇が存在している。

 

 その中の代表格に、まず、ホームレスが挙げられるだろう。

 彼らが暖を取れる様にか、夜の児童公園にはドラム缶の焚き火が用意されている。

 その焚き火に当たるホームレスの一人が、児童公園にやって来た者達に気付いた。

 

 神室町は危険な街でもある。

 当然、そんな街で生きるホームレス──

 何となくであっても危うきを事前に感じる力があった。

 

 彼は現れた五人組にどこか嫌な予感を覚えた。

 

 明らかにチンピラ然とした男達だ。

 相手が老人であったとしても、ホームレス狩りを何の良心の呵責も無しにやってのける様な連中だろう──

 

 そして、男達の他にもう一人。

 白い、少女だ。

 少女……いや、女児と言った方が適切なくらいに幼い見目である。

 そんな少女を連れているチンピラ連中だ。

 どう考えても、ろくな物ではない。

 ホームレスは早々に此処を離れたいと言う焦りと、チンピラへの恐怖、少女に起きている不幸への同情心に(さいな)まれ──

 

 しかも、離れたくとも、児童公園の出入口は、男達の現れた方向に一つあるだけなのだ。

 ここから離れようにも、逃げ出す行動を起こすのは難しいだろう。

 幾つかの渦巻く思考の中で、ホームレスは慎重に、様子を窺い続けた。

 

2.  

 

 白い少女の紅い瞳──

 それと一瞬、刹那、視線が合った。

 

 長い髪は真っ白だ。

 紅い瞳が栄える白い肌に、髪。

 何処か虚ろな人形のような目は、自分の視線とが交わるや咄嗟に逸らされたのだ。

 

 何故か、それは非常に癪に障った。

 

 男は別段ロリータ趣味では無い。

 しかし、どういう訳か白い少女には不思議と興味が湧いていた。

 

 この当たり屋達は、実の所、金銭目的だけの当たり屋と言う訳ではない。

 例えばホームレスを襲うときは金を巻き上げる為ではなく、ただ暴力を奮いたいから、当たり屋をする。

 

 今回、神心会の門下生達に絡んだのはこの暴力を奮いたいと言うどうしようもない妙な欲求からだ。

 神心会門下生は強い──

 その事をこの当たり屋達だって知っている。

 

 会員数日本全国合わせて100万人──

 

 勿論、それだけ居れば、実力はピンからキリまでとなる。

 絡んだ三人が実力者(ピン)一般人(キリ)どちらに近いかは分からない。

 

 だが、日本最大の空手道集団の三人である。

 ある程度の実力は持っている筈だ。

 そんな男達を数の暴力で圧倒し、痛め付け、叩きのめす。

 この当たり屋達にしてみれば、かなりの快感となるだろう。

 数日前、当たり屋達はグレーのスーツを着た極道の様な堅気に、こてんぱんに負けた。

 その時の鬱憤を晴らしたい。

 そんな暗い欲望が、一層、暴力を奮うための当たり屋稼業に精を出す事となっていた──

 

 その極道風堅気に意趣返しをしたいと言う思いも有るにはあるが、彼に対しては、それは無理と完全に心が折れているのだ。

 故に、自分達より弱い者、数で劣る者へ拳を向ける──

 その小物臭さこそ、彼らがチンピラと呼称される所以だろう。

 

「おいおい、千葉ちゃん、何よ?こいつ、このおちびちゃん、なんかやらかした?」

 

 白い少女に怒声を浴びせていたのが千葉ちゃんと呼ばれた男だ。

 千葉に声をかけてきた眼鏡の男は白い少女を見て、首を傾げつつ、彼女を指差した。

 

 この当たり屋達の目的なのだが──

 金銭、暴力

 その二つの他にもう1つあった。

 

 それは彼らが当たり屋をホテル街近くで行っている理由となる。

 ホテル街には経営不振で廃ビルとなった建物も幾つか存在している。

 その付近は彼らのテリトリーである。

 

 当たり屋達はラブホテル街周辺のカップルを品定めし、好みの女が居れば当たり屋稼業の始まりだ。

 男にぶつかり、因縁をつける。

 そして、反抗すれば痛め付ける。

 女を置いて逃げればそれで男は勘弁してやる。

 後は、廃墟で好きなように女を強姦するだけだ。

 

 今夜は神心会門下生相手に暴力で鬱憤晴らしの予定だ。

 

 だが、千葉と呼ばれた男の興味は白い少女に向いたようだった。

 

「……ねぇ、あの、あっちの公園は西公園ですか」

 

 白い少女が、まるで幽霊の様なか細い声を出した。

 蚊の鳴く様な──

 

 当たり屋達はそれほどこの言葉が適切な声は初めて聞いた気がする。

 容姿そのもの、見目が幽霊なら声も幽霊だった。

 

「……どこの公園だい?」

 

 近くの公園

 西公園と勘違いしてるとするなら、児童公園だ──

 

 神室町に明るい彼は、白い少女が言う公園がどこを指すか直ぐに察した。

 

 彼処(あそこ)は夜は薄暗く、案外人気も少ない。

 居てもホームレスが数人。

 

 いつも強姦(レイプ)は廃ビルだが、たまには公園も乙なものではないか?

 しかも、幼女を“児童”公園でレイプ等と洒落が利いていて中々面白い趣向ではないか?

 

 千葉の頭の中は、白い少女を強姦することだけが、現在多くを占めていた。

 神心会門下生へ暴力を奮いたい欲求など彼は既に失っていた──

 

「なぁ、松井、俺達平和主義だからさ、空手マンと喧嘩するより、女の子を公園にエスコートしてやろうや?」

 

 西公園──

 ではなく児童公園へ──

 

 悪夢が開始(はじ)まる。

 



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序ノ四 しろいうじむし

 

 降雪量が多くなってきた──

 寒風(さむかぜ)に踊るそれは、白い少女の髪や肌に落ちて、幽鬼や雪女と見紛う白い彼女を、より異様で、それでいて一層美しく飾っている。

 

 雪──

 白い少女を一目見ると誰もが幽霊や雪女を連想する。

 冬──

 白い少女の見目は白、雪、冬と寒さを思い起こさせる物で形作られているだろう。

 

 まふゆ

 真の冬と書いて真冬──

 それがこの白い少女の名前だ。

 

 見目そのままを名付けられた先天性色素欠乏症(アルビノ)、それがこの少女である。

 真冬に降りしきる白い雪は彼女そのもの。

 

 そして、彼女と言う娘は産みの親である母親の中でも冷たく寒い、真冬その物の様な存在だったのだ。

 

 最初は『しろ』といい加減な名前で届け出をしようと思った様だが、母親の生活保護を担当するケースワーカーに止められた。

 そこで真冬と名付けたのである。

 白い少女、真冬の今までの人生は、母親の愛情など感じたことの無い九年間である──

 

 愛情の、欠片一つとて無いのだと解りやすい例として、衣服がまず挙げられる。

 真冬が着る服は今現在身に付けているものだけだ。

 この制服なのか普段着なのか、一見しどちらとも受け取れる薄手の半袖ブラウスと濃紺のプリーツスカート。

 プリーツスカートがミニスカートに見えるのは丈が若干合っていないからだ。

 上着の下に肌着も下着も身に付けていない。

 今時の九歳にしても慎ましい乳房故に特に誰の目にも気に止められる事はないのだが──

 短めのスカートの下にも何も着用していないために、この風の強い冬の季節、人混みの中でスカートが木枯しに悪戯でもされようものなら、周囲の視線を引くことになりかねない。

 

 また、投げ掛けられる言葉の暴力もあった。

 

“お前が娘じゃなければね”

“あの方は娘なんかに用は無かったの”

“娘は要らないのよ”

“しろ、あんたは本当に蛆虫みたいに白いわね”

 

“あんたじゃなかったら、息子だったら”

“雪だったら解けるのに、蛆虫は湧いたままね”

 

 何度も言われたのがそれだ。

 

 あの方って──?

 

 その問い掛けに母親からの返答は無かったが、真冬は恐らく父親だろうなと推測している。

 父親の存在については、全く、一つとして聞かされた事が無いからか、余計にそう推測してしまうのだ。

 

 母親の生前でも、真冬が会ったことはない祖父母や親類縁者──

 母も、自身の父母を『あの方』と称する事などは流石にないだろう。

 

 しかし何にせよ、母親はもう、この世に居ない。

 

 真冬は孤独(ひと)りだ。

 いや──

 

 母が居ても、真冬が孤独であることに変わりは無かったろう。

 

 

1. 和風海鮮居酒屋ひの綺 常連客の目撃談

 

 はいはい、そうです。

 僕ね、見てたんですわ、二階のお座敷でね。

 ちょうど、真ん前でしょ、公園。

 児童公園── 

 

 何かね、(たち)の悪そうな輩がね、五人も揃ってね。

 公園に入って行くんですわ。

 

 何やろ~?喧嘩でもするんかね?とちょっとワクワクしながら眺めてたんですね。

 

 いや~、青木さんだって好きでしょ?チンピラとかね、やくざ者の喧嘩──

 

 でもね、何か、様子変だなぁって、よくよく見たらね。

 

 えぇ、えぇ、居ましたよ、青木さんの言ってる白い少女がね。

 最初、僕ね、ビックリしましたよ。何なの?あの白いのはってね。

 

 アルビノですわ、そう、青木さんと話して思い出した。

 色素の薄いやつ。

 蛇とかでよく居るよね。

 

 そのね、白いアルビノを取り囲むみたいに連れてるのよ、質の悪そうな連中が──

 

 ヤバい

 これは不味い、事件かと思いましたよ、夜の公園にね、短いスカート履いた少女連れてる質の悪そうな奴なんてね──

 

 児童公園、入り口に、あれ、何て言うかな車とか入らないようにする防護柵みたいな、半円形のパイプ。

 

 あれが、二つ並んでて、間って大人一人くらい通れるくらいの間隔しかないよね?

 そこの間に一人立ってね、アルビノは他の四人と公園の中央くらいに行ったのね。

 

 公園には先客のルンペンもいたんだけどね、焚き火に当たってたのに可哀想に追い払われてねぇ──

 まぁ、ルンペンは逃げられて安心──

 みたいな顔してたから結果オーライだったかもね、彼等にしたら。

 

 しかし、まぁ、ここから、僕ね、ちょっと期待したのよ。

 青木さん、生レイプ、しかも、幼女の……

 そんなのが見れるかもってね。

 

 いやいやいや

 誰だって期待するんじゃない?

 そう見れるもんじゃないもんね──

 

 アルビノってちょっと見てたら結構綺麗もんでねぇ。

 しかも、かなりの美少女なのよ、そのアルビノ。

 

 まぁ、野暮ったさはあるんだけどね、毛もちょいとボサボサで。

 マジもんのロリータ趣味なら、ありゃあ、どストライクじゃないかね?

 

 でもね、いや……ほんと、びっくりだったねぇ──

 

 何がって、あのアルビノ、全然怖がってる感じが無かったんだよね。

 ルンペン何て、輩五人に怒鳴られたら青冷めて逃げてったもん。

 

 ……青木さんが知りたいの、こっからでしょ?

 アルビノが何やったか──

 



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序ノ五 道具

1.

 当たり屋五人組──

 

 その中の一人、松井は公園内を見回した。

 入って直ぐに目に入るのは、左奥の公衆便所や自販機だ。

 そして──

 右側に長ベンチ

 左側にブランコ、水飲み場やベンチ──

 奥にはごみ捨て場、中央付近には先程までホームレスがあたっていたドラム缶の焚き火がある。

 

 この白い少女を連れ込むのなら公衆便所が適切だろうか。

 ブランコの椅子を吊り下げている鎖で自由を奪うのも面白いかも知れない。

 やり終えたらあのポリ袋が幾つか置いてあるごみ捨て場に打ち捨てるのも趣あるな、など鬼畜な思考に浸る。

 

 白い少女を取り囲む様にそれぞれの仲間が立っている。

 この仲間達だが、恐らく幼女趣味は無かったかと思う。

 

 しかし、妙に仲間の一人である千葉はその気になっているのが、ひしひし伝わって来ている。

 

 白い少女からは怯えの色が見えないのが、何故か気にはなっているのだが──

 実のところ公園に向かうように提案したのはこの白い少女である。

 児童公園には公衆便所が有ることを松井は知っていたので、そこで強姦(レイプ)しようかと考え、白い少女から言われるままに連れて来たのだ。

 

 他の仲間も神心会門下生との喧嘩が流れたのだが、特に文句を言うものも居らず、公園にやって来た。

 

 松井と千葉──

 残りのメンバーの名前だが、それぞれ、清水、畑、萩野だ。

 

 入り口で陣取り、白い少女の逃走防止、及び第三者の介入や警察などの登場に警戒し見張りに立っているのは清水である。

 

 彼の見掛けとしては、非常に人相が悪いものがある。

 一見、極道もかくやと言うほどに強面の人相であり、彼が入り口にいたら、一般人や、公園内に有るドラム缶の焚き火目当てに暖をとろうとやって来たホームレスも直ぐに立ち去るだろう。

 その事を清水自身自覚してるからか、誰が言わずとも自ら見張りをかって出たのだ。

 

「ここは、西公園では──ないの、でしょうか」

「はぁ?」

 

 西公園かどうかとなると勿論違う。

 はぁ?とすっとんきょうな疑問の声を上げたのは畑だ。

 

「嬢ちゃん、西公園行きたいのか?」

 

 別に聞く必要もないが、千葉が問うた。

「はい、今夜そこに泊まろうかな、と」

 

「おいおい──なんだ、このガキ。なぁ、こいつ、何かおかしくね?」

 西公園と言えばホームレスの溜まり場だ。

 少なくとも、こんな幼い少女が寝泊まりする場所では無いことは、この当たり屋達の様な常識の外に居るような輩にも分かる。

 

「真っ白白痴の知恵遅れなおチビちゃんって、ところだな?」

 口が非常に悪い事で定評のある萩野が下品に笑いながら、洒落を交えた暴言を吐く。

 

「ひでぇッッ!」

 拍手しつつ、畑は笑い声を張り上げる。

 

 萩野は白い少女を取り囲むメンバーの中では、彼女の右後ろにいた。

 彼からは少女の背中側が見えている。

 

 白い髪は背中を隠している。

 本当に長髪だ。

 これで黒髪なら完全に幽霊のそれだろうなと、萩野はぼんやりと考えていた。

 

 白い髪は解けた雪の水分で濡れている。

 半袖のブラウスも体に引っ付き、白い肌が白い布に透けて見えるような気がした。

 真正面からなら胸元も透けて見えるか?などとふと、思う。

 

 サクッ

 ザックッッ

 

 ヒュッッ──

 

 見えるか?

 脳裏に過った、口には出していない言葉。

 ほぼ、ほぼ、それと同時だった。

 白い少女を見ていたが、突然に視界が真っ赤になる。

 その後、暗転した。

 萩野は、一瞬何が起きたのか理解に追い付かない。

 

 夜の暗さではない──

 

 何かが刺さるような音が二回と、何かが空気を裂くような音も聞こえていた気がする。

 

「萩野!」

 

 次に聞こえたのは、当たり屋仲間である誰かの自分を呼ぶ声だった。

 

 そう叫んだのは畑だ。

 

 畑や、他の当たり屋が見たもの、それは木製の棒が萩野の両眼よりいつの間にか生えていると言う異様な光景である。

 

 生えている──

 そんな筈はない。

 

 大抵の者は小学生時代に図画工作の時間にて馴染みがあるだろう。

 

 彼らが木製の棒だと思ったのは彫刻刀の柄である。

 彫刻刀の金属部分は深々と、萩野の眼球に突き刺さっている。

 これは、失明を免れないかも知れない程だった。

 

 彫刻刀──

 それを、まるで手裏剣や鏢などの投擲武器を打つように、白い少女は投げ、そして見事に両眼に命中させたのだ。

 使ったのは、剣先と言う種類の刃の部分が、文字通り剣の尖端の様な形状の彫刻刀と、錐だ。

 

 白い少女はプリーツスカートのポケット内に何本か彫刻刀を携帯していた。

 手荷物は無い、身に付けているものと自分自身だけの身軽な引っ越しの最中。

 

 この彫刻刀はポケット内に忍ばせ身に付けていたちょっとした荷物である。

 他、裁縫針やまち針、糸もポケットに隠匿されているが、今回“武器”として彫刻刀が使われたのだ。

 

 白い少女にとって彫刻刀は、特殊な意味合いを持つ道具であった。

 

 この場にいる者達の誰一人として、いつそれを取りだし、投げたのか気付いた者はいなかった。

 更にだ──

 

 白い少女は身を翻し、翔んだ。

 それにも咄嗟に気付けた者は無かった。

 



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序ノ六 道具 其の弐 鎖

 

 彫刻刀を投擲武器として扱う。

 それは差し詰め暗器に似る。

 

 所謂隠し武器。

 一般的な道具に偽装された武器だ。

 しかし、白い少女は単に版画などを彫るための道具でしかない彫刻刀を、棒手裏剣代わりに、武器として投擲したのだ。

 

 ある程度、手投げ武器は、形状や重量共に投擲に適切な物となっているだろう。

 だが、ただの彫刻刀である──

 当然、投擲武器としてのバランスなどは皆無だ。

 刃の部分とて、下手に扱えば怪我もするだろうが、殺傷に適した物とは到底いえない。

 白い少女は、それを人の両眼に、しかも黒目部分に命中させたのだ。

 

 その技術の恐ろしさを、更に物語る所としては、的となった人間、萩野が彼女の背後にいた事だ。

 勿論、彼の姿など白い少女には見えていなかっただろう。

 背後に立っている、見えていない的の瞳孔という極々面積の狭い部位へ、武器として投擲するにはバランスの悪い彫刻刀を二本、同時に命中させてしまう技量。

 

 もし、白い少女が鏢や飛刀、手裏剣などを扱えば、それはもはや近代兵器と比肩するだろう。

 

1. ブランコチェーン

 

 彫刻刀の投擲と共に身を翻し、白い少女、真冬は地面を蹴った。

 その速業──

 彼女の尋常では無い体捌きに、目で追える者は、少なくともこの場には居なかった。

 

 土や砂を固めた地面は、少女の小さい足で踏みしめた範囲よりも広く抉れ、クレーターの様になっていた。

 単純な衝撃と、少女のその軽い体重からは想像できない圧力が地面に与えられたことを、そのクレーターは無言で表しているのだ。

 

 ……トン──

 跳躍した彼女は羽毛のような軽さで宙空を舞い、そして、殆ど音もなく、そこに降り立った。

 ブランコの梁部となるパイプである。

 

「あ、あの、その人の言葉に、酷いと言ってくれた貴方、ありがとうございました。嬉しかったです」

 

 梁部にて、深く、深く真冬は一礼する。

 その礼を述べる声に、当たり屋達は声が聞こえたブランコの方へと視線を向け──

 ゆっくりと視線を上げていく。

 

 ブランコの前か後ろ。

 居ると思った場所に真冬は居ない。

 

 当たり屋達は皆、まさかとは思いつつも、視線を上げ、ブランコの上部へと視線を移す。

 

 居た。

 しかも、お辞儀をしている。

 どれ程の身体能力、平衡感覚があれば、其処に立ち、お辞儀までやってのけるのだろう。

 

 人間じゃない──

 幽霊──

 

 それに、何のお礼を言っているのか、咄嗟に彼らは理解出来なかった。

 ひでぇ!

 それは、煽りに近い発言だった筈だ。

 

 何が嬉しいのか、何故、礼を言うのか。

 そんな、ブランコの梁部で──

 

 焦燥、恐怖、動揺──

 萩野が重傷を負わされた事に対する怒り──

 それら渦巻く様々な感情や思考は、先程までは彼らにあった幼女への暗い欲望を失わせていた。

 

 明らかに丈の合っているとは思えない短いプリーツスカートは冬の風に靡かされている。

 しかも、白い少女はブランコの上だ。

 

 視線を上げている彼らには当然スカートの中が見えている。

 下着を履いていないそこを見ても、性欲が湧くことなど無かった程に、彼らの心は乱れ、狂っていた。

 

 真冬はそのまま梁の上でしゃがみ、ブランコの振り子となる鎖と梁を繋ぐ止め金具と丸環をコツコツと軽く叩いた。

 

 その奇妙な行動にまた疑問符を浮かべる当たり屋達だったが、松井が一人、いち早く我に帰る。

 

「お、お前!お前、萩野に!」

「鎖、良いですよね」

 

 話が早々に噛み合わない気味の悪さ──

 

 軽く──

 聞こえた音だけでも少女の小さい指が、丸環を叩いたか弾いていただけの様なものだった。

 しかし──

 金属性の丸環はそれだけで砕けていた。

 

 ジャラリ

 

 真冬が立ち上がると同時に、丸環から外れ、自由となったブランコチェーンの一本が蛇の様な動きを見せる。

 そして、然したる勢いも無かったろうに、鎖は踊り、座面となる椅子のもう片方を繋ぐ止め金具が千切れた。

 

 ひゅるひゅると、ブランコチェーンがのたうつように、梁部で踊る。

 その先には鎖分銅の如く、座面も舞っていた。

 

 ブランコチェーンの座面分銅──

 あえて表現するならそんな所だろうか。

 

 鎖鎌の鎌代わりにブランコの椅子が鎖の先にあるような、そのようにも見えるかも知れない。

 

 長さにして凡そ2米突(メートル)はあろうかと言う鎖を操作し、梁の上に立っている──

 もはや、その平衡感覚の異常さに驚くことも無いだろう。

 

「お、降りて来やがれ!クソガキ!」

 

 そう叫んだのは畑だった。

 先刻、礼を言われたのがどうにも気持ち悪く、つい、そう怒鳴ってしまった。

 

「ところで、ここ、西公園でないのでしたら、西公園の場所、教えてくれますか」

 

 ゆっくり、右足を梁から離す。

 バランスをとっているようでも実際の所、真冬はバランスをとるように動いている訳ではない。

 

 梁より、ほぼ平行に前へと跳んだ。

 滞空が、長い──

 

 1米突(メートル)程空中にて幅跳び。

 本来ならそのまま地上へ降りるのが常だろう。

 然し、当たり屋達の目にも空中に居ることがはっきり見えるほどに滞空していた。

 

 無論、空を飛んだり、浮遊するなど有りえはしない。

 だが、どういう理屈か原理か、まるで月面など真空にて跳躍したのかと錯覚してしまうような滞空時間であった。

 

「あ、貴方、右肩と右の鎖骨痛くないですか」

 

 ヒュル

 風切り音と共に真冬は畑に問い掛けた。

 心配するように、そんな優しい口調で──

 

「大丈夫ですか」

 

 風切り音はブランコチェーンが薙ぎられた事で生じたものだ。

 鎖は連続で畑の右肩、鎖骨、加えて顔面を打ち付けた───

 

 肩や鎖骨、それは数日前、グレーのスーツを着た極道風の堅気にのされた際に、傷めた部位であった──

 

 



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序ノ七 鞭打

 

 傷めていた肩や鎖骨に加えて、顔面にもブランコチェーンを打ち付けられた畑は意識を刈り取られ、その場に崩れていた──

 錆びも見られるこの鎖は、先程の彫刻刀同様に、到底武器と呼べる代物ではなかっただろう。

 

 仰向けに転倒する畑──

 

「ふっ、げふ」

 その畑の顔を覗き見た松井は口を押さえ、えづきはするも、何とか嘔吐は抑え込めた。

 ブランコチェーンが畑の鼻梁を砕くと、鼻はひしゃげ、千切れかけていたのだ。

 夥しい鮮血が見てとれる。

 

「肩とか傷めてましたね、あまり無理しない方が、あ、あと貴方、これ、鎖」

 

 ブランコチェーンの先端、座面が回転し、そちらを注視しても、視界におさめるのは困難だろう。

 達人ならば、先端は見えなくても操作する手の機微によりその起動を把握してしまうという。

 恐らく、万力鎖や鎖鞭であってもそうなのだ。

 この、間に合わせの鎖分銅、元は単なるブランコチェーンだ。

 達人に通用するか否かは分からないが、この当たり屋達の目では追うことすら不可能だった。

 

 分銅代わりに動く座面の角が、止めとばかりにまたもや、砕かれた鼻を強打。

 倒れた彼の鼻に、座面が降り下ろされたのだ。

 

 そして、それとほぼ同時に、松井へとブランコチェーンは投げられた。

 

「へ?」

 

「鎖──」

 

 突然、軽く放り投げられたブランコチェーンは空中でカチャカチャ踊りながら松井の方へと弧を描く。

 

 顔が上に向けられ、彼の目は鎖へと向いた為に白い少女からは視線が逸らされた。

 受けとるか──

 無視するか──

 無視するとなると避けないと──

 

 一瞬、纏まらない思考が脳裏に過る。

 そもそも、何で投げた──

 パスされた──?何故?

 攻撃された訳ではない──?

 

 一方、見張り役だった清水は、腰を下ろしていた防護柵のパイプから咄嗟に立ち上がった。

 この異様な異常事態に、いち早く対応、順応出来たのか、臨戦態勢に入り、立ち上がりながらポケットからナイフを取り出していた。

 折り畳み式の小型ナイフ──

 片刃で、刃渡りは凡そ五センチ程度。

 

 清水が折り畳み式ナイフを構えた姿を見た千葉も、同じくナイフを出し、白い少女の次の動きに備える。

 

 ブランコチェーンに注意が逸れた松井は、それを避けようとしたのだが、蛇が躍動し、のたうつような動きで落下してくる為に、鎖の長さも相まって、避けたくとも避けるのは非常に困難であった。

 

 鎖は松井の頭部や肩に落下し、跳ねた座面は彼の眼鏡を弾き飛ばす。

 衝撃自体は軽いものだが、金属製の鎖である。

 じんじんと込み上げる痛みに涙が出る。

 

「鎖、欲しかったのでは無いんですか?さっき……公園に入ったとき見てましたよね」

 

 虚ろな目のまま、小首を傾げる真冬。

 

 見てましたよねと、言い終わるより早いか、同時か、ナイフを握る清水の右手が突きだされる。

 

 数歩、距離を詰めての一撃だ。

 それは殺す覚悟を決めた、躊躇い1つ無いものであった。

 強姦したいだのと、既にそんな考えは微塵も無かった。

 そんな思考を持つ余裕など、有りはしないのだ。

 

 清水も千葉も、今までにナイフを使い殺人を犯したことは当然無い。

 大抵はナイフを脅迫に使う。

 適当にちらつかせ、“刺すぞ”やら“殺すぞ”などと脅せば、概ね、言うことを聞くものだ。

 

 然し、今回ばかりは勝手が違う。

 本当に殺す気なのだ。

 

 突き出された。

 柄には渾身の握力を込め、全体重を一撃に乗せる。

 

 怒りの中に不可思議な高揚感めいたものがあった──

 人を刺せる──

 

 今回のこれを上手くやれたなら、今度はあのグレーのスーツを着た極道風の堅気だってやれる。

 

 真冬の白い髪に隠れた小さな背中。

 “刺した”と清水は思った。

 

 だが──

 殺す覚悟を決めた清水が、今夜、最後に見たものは、寒風に靡き、雪に濡れた白い少女の髪だった。

 

 一秒にも満たなかったかも知れない──

 刺した、などと言う幻想を、脳裏に過らせた清水の折り畳み式ナイフが宙を待っていた。

 ぶらんと手首が異様な曲がりかたで揺れた──

 あらぬ方向に曲がった手首の骨は、明らかに折れている。

 

 背後から迫るナイフを握る清水の手を、真冬は平手で打った。

 ただの平手打ち──

 その一発で、清水の手首は折れた。

 

 だが、この瞬間、真冬の平手打ちはこの一発で終わってはいなかった。

 折り畳み式ナイフの腹を打ち、上空へ──

 

 手首が折れたことに苦悶する暇を与えず、ナイフの腹を打った逆の掌が清水の顎を打ち付ける。

 顎を打たれた清水の脳は振動し、有り体に言えば脳震盪を起こしたのだった。

 

 真冬はこの刹那の間に、あるイメージを思い浮かべていた。

 骨の無い腕──

 全身は液体──

 

 腕は、重い、重い熔けた鉛──

 

 全身はまさしく脱力し、打ち付ける一瞬のみ高速の振りと重い衝撃を伴う。

 

 腕は熔けた、液体のようなどろどろの金属──

 

 そのイメージにより、真冬はある妙技を炸裂させた。

 鞭打──

 

 全身の一切の緊張を打消し、完璧な脱力の果てに扱える、人体に多大な激痛を与える技術(わざ)だ。

 とは言え、これは誰かに師事し学んだ物ではない。

 いつの頃か、自然に身に付いたものであった。

 

 千葉はこの清水が崩れるまでの一連の流れを見ていた筈なのだが、起きた出来事をまるで理解出来ずにいた。

 彼の目には突然清水が倒れたかのように映っていたからだ。

 

 地面に清水が持っていたナイフが落ちるのを合図にしたかのように、千葉は雄叫びを上げ、自分も抜いたナイフを振りかぶった。

 

 千葉が持っているナイフは清水の折り畳み式ナイフよりも刃渡りは約7センチと長く、そして幾分か重い。

 

 しかし、そんな武器を携えていたとしても、千葉も、末路は同じだった。

 



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序ノ八 白い少女を見た印象

今回、龍が如く(無印や極1)の、エンディングのワンシーンに言及する箇所があり、一部ネタバレとなっております。
未プレイの方は御注意ください。


 

 2005年12月25日

 聖夜──

 

 白い少女──真冬にとって、クリスマスと言う物は、なんの意味も価値も無かった。

 いや、クリスマスそのものに意識を向けたことはない。

 そうした行事が有ることは、流石に知ってはいるが。

 

 真冬は今年で九歳になった。

 小学生である。

 大抵の小学四年生なら、クリスマスのプレゼントを親から貰える時間を心待ちにしている筈だ。

 キリスト教徒の家庭でなくても、ケーキや、チキンを食べるなりして、簡単にでもクリスマスを楽しみ祝うだろう。

 

 だが、真冬はそうした聖夜の過ごし方を知らない。

 

 一目会ったことすらない父親──

 母にも愛されなかった彼女に、幸せなクリスマスなんて有りはしなかった。

 今年が例年と違うのは、母がこの世を去り、いよいよもって孤独さに拍車がかかったことだろうか。

 

 いや、母が居ようと居まいと、何1つとして変わりはしない。

 常に孤独さが、“真冬”の厳しい寒さのように白い少女の心を凍り付かせるのだ。

 

1. 賽の川原のホームレス モグサが見た印象

 

 最初はね、私があの子とコンタクト取った訳じゃ無いんですよ。

 児童公園からチンピラ五人に追い出されたホームレスの亀さんと平目さん。

 児童公園で焚き火にあたって、談笑してた所にチンピラ五人がやって来た様でして──

 そいつらが、あの子……真冬ちゃんも連れていましてねぇ。

 

 亀さん達も何かヤバそうな雰囲気を覚えたみたいなんですけど、チンピラ五人は怖いですよね。

 ヤバそうな上にヤバさを積み重ねた、そんな状況。

 

 で、私に連絡してきた。

 私らホームレスもね、まぁ、普通に携帯を持ってる奴が居るんですよ。

 一応、仕事に使うしね。

 ホームレスだって、仕事してるんですよ、意外でした?──あ、そうでもない?

 

 それに、この街って危険でしょ?

 町の不良とか、最近じゃ、ほら、カラーギャングでしたっけ。

 赤い服とか青い服着た奴等、皆でお揃いの色の服着て、結構な悪どい事やってる若い連中──

 そう言うのに絡まれて金奪われるだけじゃなくて怪我したりとかね、するんですよ。

 そんなときに仲間内に連絡したりする。

 その連絡受けとるためにもね、携帯電話、必要なんですよ、私ら。

 

 ホームレス仲間には、やたら強いじいさんも居るしね、運が良いときだったら未遂に終わらせる場合もあるし、怪我してるんなら早めに助けに行って、手当てする必要もありますから。

 

 あ、そうだそうだ、そのじいさんですけど、真冬ちゃんの事気に入っちゃってね、その辺のあれこれも、また機会あれば話しますね──

 

 で、話戻しまして──

 児童公園に居た亀さんから連絡来まして、何人か仲間呼んで来てくれ言われたんです。

 私はちょうど近くに居たもんでね、直ぐに駆け付けられましたよ。

  

 劇場前広場あるでしょ?

 あそこでね、犬探してたんですよ。

 あ、そうだ、青木さん、犬見てません?

 ほら、遥ちゃんと桐生さんが連れてた仔犬。

 その仔犬ね、遥ちゃんが何やかんやあってから保護して、世話してたんですけどね──

 

 何を思ったか、桐生さんと神室町出るとき劇場前広場にね……言い方悪いけど捨てて行ったんですよ。

 あ、言い直します、置いていきまして──

 

 それをね、伊達さん……って刑事が桐生さん達の見送りしてたから、車の中で見ててね、まさか置いていくと思ってなかったらしくて驚いてね……伊達さん、仔犬を保護しようと車降りていったんですけど──

 

 伊達さんには慣れてないから、仔犬……怖がって逃げちゃったんですよ。

 でも、暫くうちらホームレスが世話してた事もあるから仔犬がなついてないかって事で、伊達さんに仔犬探すよう頼まれちゃって、私、その夜、劇場前広場で仔犬探してまして……児童公園のすぐ側にいたんですよ。

 

 亀さんから連絡来たから、そこで犬探しは一時中断して、急いだんですけど……急ぐ必要は無かった。

 

 酷い有り様でしたよ。

 チンピラの方がね。

 

 真冬ちゃんの強さねぇ──

 女の子とは思えない──以前の問題じゃ無いですかねぇ。

 人間とは思えない。

 まともな精神は持ってないと思いますよ。

 精神面も化け物みたいに強い。

 普通ね、彫刻刀、人の目に刺せますか?って話で──

 

 ブランコチェーンの留め金具、どうやったのか引き千切ったみたいですし──

 

 何かビンタって言うかな──

 それで手首を折っちゃったって、いや、自分も手首へし折れてるチンピラ見ましたもん、ありゃ、とんでもなくヤバい……

 鞭──

 えぇ、鞭みたいな感じで、ビンタ打ってたみたいですよ。

 真冬ちゃんの腕がね、人の腕とは思えない、“しなり”かたをしてたらしい──

 やたら強いじいさんがいるって言ったでしょ?

 その人、古牧さんが言うには“鞭打(べんだ)”って技術(わざ)何ですってね。

 

 五人も居たチンピラが九歳の幼女の前でズタボロですよ、ほんと、信じられないもの見ましたねぇ。

 それに、真冬ちゃんの目がね、怖かった。

 虚ろって言うか、もう、人間を見る目じゃなかった──

 

 私が到着した時は、眼鏡かけた男にね、淡々と尋ねてたんですが──あ、えぇ、西公園ってどこですか?って。

 

 その眼鏡のチンピラねぇ、話せる訳無い……何故って、顎が外れてた。

 あれねぇ、外れてるどころか顎関節が多分粉砕されてる。

 

 ブランコチェーンの留め金具外したって言ってたでしょ?それをね、そのチンピラに投げたらしくて。

 しかもね、“要らないんですか?欲しかったのではないのですか?”って執拗に訊ねてから、落ちてる鎖を拾ってね、その鎖の先に付いてるブランコの椅子でチンピラの顎を打ったらしい──

 

 で、私が着いたときには、西公園の場所を聞いてる、と。

 亀さん達は離れて一部始終見てたからね……えらい怖がり様でしたよ。

 

 その後は、私が到着した事を確認した亀さんらが慌てて真冬ちゃんを止めてね、西公園行きたいのかー?って。

 

 そしたらね、こっちの言うこと疑わないし、怪しまない。

 変なチンピラに絡まれたのか公園に連れ込まれて、しかもこんな大立回り演じてるのに、ホームレスの言葉を疑わないんですよ。

 あっさり西公園に案内されるって、危うい感じがしましたよ。

 心配になるよね、この娘──

 

 私が見た真冬ちゃんの印象はねぇ──

 化け物、でも心配になる危うい、優しい女の子──

 何だかね、優しくもあるんですよ、私の体の調子の悪いところ気にかけてくれたりね。

 

 あの子ね、一目で、人が体調崩してるところを見付けるんですよ。

 それで、“痛くないですか?気持ち悪くないですか?大丈夫ですか?”って聞いてくれる。

 怪我とか疲労してると分かると、ことぶき薬局とかまでね、薬買うため、お使いに行ってくれたりもね、するから、いい子ですよ。

 

 え?何で見ただけで悪いところが分かるのかって……。

 あぁ、考えた事なかったなぁ、確かに、ちょっと怖いですね。

 でも、あの子が来てくれて、良かったですよ。

 賽の川原のホームレス達も前より楽しそうにしてますしね。

 

 特に古牧さんがね。

 

 え?古牧さんと真冬ちゃんの話?

 ここから、まだ聞きます?

 

 じゃあ、そろそろ食事にしませんか?

 話がてら、韓来ででも、晩飯にしましょうよ──

 あそこのカルビ美味しいらしいですよ──

 

 




龍が如くやって個人的に一番モヤったぽちたろ置いてけぼり……。
モグサさんが保護して賽の川原で飼われるようになった経緯は不明なのですが……
置いてかれるぽちたろを多分見てた伊達さんがモグサさんに連絡したのかなぁって言う自己解釈の設定です(笑)
タグにある原作改変の大きな1つがぽちたろ関連になるかもしれません……。


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登場人物紹介
登場人物


當之(たぎの) 真冬(まふゆ)

生年月日:西暦1996年6月6日 双子座

身長:120㎝ 体重:35㎏ 年齢:九歳

血液型:B型

母親から一切の愛情を受けることなく生きてきた白い肌と髪、紅い瞳が印象的な少女。

白い髪はあまり手入れはされておらず伸び放題になっておりたまに纏めたり編んだときは、それを鞭のように扱い相手の目などを打ったりする。

生き物の弱っている箇所を、一目で見抜く事が出来る奇妙な力を持つ。

それは例えば傷跡であったり、病巣であったりもする。

古傷を集中的に叩き痛め付ける様な戦いかたを得意としている。

様々な道具を暗器の様に扱い、投擲武器に長ける。

暗闇での戦闘をいつの間にか習得しており、聴覚と嗅覚にも優れる。

相手を見ずに投擲した彫刻刀をその両眼に突き刺した事がある。

戦闘のスイッチが入ると自動的に脳内にエンドルフィンが溢れ、危険にならない程度に痛みを感じることが無くなり、身体能力も爆発的に向上する。

例えば、腹に日本刀を突き刺されたり、雷に打たれたりしたとしてもその状態なら間違いなく動きを止める事は無い。

独学ないし空想の上で自然に幾つかの殺法を身に付けており、ある古武道の達人は彼女を指して武術家、武道家ではなく殺法家と称している。

腐った物や毒物を口にしても影響がない胃と血液の持ち主で、仮に水銀を飲んでも恐らく咳き込む程度である。

ウイルス等にも比較的強く、ウイルス性の病気にかかることはほぼ無いと考えられている。

母と暮らしていた頃はまともな食事を与えられた事は無く虫やアパートのゴミ捨て場の残飯などを食べていた為に、神室町に来てからは赤牛丸の牛丼と、ホームレスのたまり場である賽の川原のとあるホームレスの老婆が作るスープの味に感動し好物になった。

比較的肉料理の美味しさに目覚め、神室町では赤牛丸や韓来の常連になり、店員たちに可愛がられる事になる。

賽の川原の古武道の達人は真冬を気に入り、幾つかの達人の技術(わざ)や道を教え、真冬もそれを吸収し、独学でしかなかった殺法を大きく越える能力が開花していく。

真冬の当面の目的は賽の川原の安全を守り、自身と彼らの生活を豊かにしていこうと言う物だが、いつかは自分と母を棄てた父親に会いたいと願っている。

会ってからどうしたいのか、真冬自身まだ纏まっていないが単純な復讐心のような物は特に無い。

彼女自身気付いて居ないが内臓や経穴が普通の人間とは逆に位置している。

分かりやすい所では心臓が左寄りではなく、右よりとなっている。

経穴が逆のために点穴を破壊するような術を惑わせる事になる。

爪が常人より硬く、その爪でコンクリート程度なら引っ掻き、容易く穿ち抉りだすことも可能。

以降、年齢が進むにつれ開花する能力や技術は多く残されている。



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範馬道偽典年表 バキ道本編との年齢的な矛盾

バキ世界の本編では、最後に確定された年代としてはオリバ対ジェフの1978年マンハッタンから24年後……

つまり、2002年です。

こう考えると、刃牙は2002年で、17歳です。

しかし、当二次創作『範馬道偽典』で2002年が舞台だと不都合があります。

当二次創作での年表は、龍が如くを基本として、バキ道本編側に矛盾が生じることになります。

バキ道本編は現在年月が不明な……所謂サザエさん時空、ドラえもん時空になっています。

そのため、バキ道本編の時間軸や年齢に思い入れのある方には非常に申し訳ありませんが、こう言う年表にさせて頂きたいと考えています。

また、バキ道世界の大統領や総理大臣を現実に合わせた擦り合わせも多少考えた矛盾設定を、範馬道偽典の年表に取り入れています。

 

 

2005年: 當之真冬9歳 範馬刃牙12歳 花山薫14歳 桐生一馬37歳 

2005年は龍が如く無印及び極の時代となり、範馬道偽典は、極本編後の物語となります。

また、範馬道偽典では、バキ幼年編の一年前となります。

 

2006年: 龍が如くでは極2、範馬道偽典のバキ道時間軸としては幼年編となります。

 

2009年: 龍が如くでは3、範馬道偽典のバキ道時間軸としては、地下闘技場編となります。

刃牙の年齢は16となりますが、ここが原作との矛盾点になります。

刃牙は、このタイミングで司馬さん達と試合し、また、恐らく原作では語られていない数多くの試合をこなしています。

真冬は、13歳です。個人的に真冬の年齢で一番書きたいと考えてる年代となります。

真冬版幼年編として、現時点よりもバキ道よりの物語となります。

 

2010年: 龍が如くでは4、範馬道偽典のバキ道時間軸としては最大トーナメント編の時代となります。

 

2011年: 龍が如くではクロヒョウ後の時間軸となり、範馬道偽典のバキ道時間軸としては最強死刑囚編となります。

オリバ対ジェフの矛盾点、そして刃牙の年齢に矛盾が生じることになってしまいます。

オリバには恐らく、1987年マンハッタンと、当二次創作では言い換えて貰う事になります。

 

2012年: 龍が如く5、クロヒョウ2、範馬道偽典のバキ道時間軸ととしはブラックペンタゴン編となります。

疵面はこの辺りの話になるかと思います。

刃牙の年齢が19となってしまい、原作との矛盾がここからドンドン広がっていきます。 

真冬は16歳です。翠や未登場のヒロイン達との恋愛話が書きたい年齢かも知れません。

 

2013年: 範馬道偽典におけるバキ道時間軸としては、ピクル及び最強の親子喧嘩編となります。

真冬は17歳、刃牙は遂に二十歳になっています。

刃牙には成人を迎える前に親子喧嘩を行って貰いたいですが、そこを当二次創作で詳しく描くことは恐らくありませんが……真冬が勇次郎との関係を考える切っ掛けになる大きなエピソードにはなるかと思います(ネットのライブ映像とかで見る……?)。

まだその辺は未定ですが。

真冬SAGAはこのくらいでしょうか……。翠や未登場のヒロイン達、誰と結ばれるかの決着はこのくらいで着けたいですね。実のところ闘えるヒロインを増やすかは悩んでいるところです。

 

2017年: 龍が如く6の一年後、バキ道時間軸としては、宮本武蔵編となります。

当二次創作で、宮本武蔵と戦う頃には、刃牙は24となっています。範馬道偽典に刃牙に出演してもらうことになっても、あえて、年齢は明言しないかも知れませんね……。

 

2019年: 龍が如く7、ジャッジアイズ

真冬は22歳です。八神と会えば真冬の名前被りに色々とネタになりそうですね。

九十九とはもっと前に会わせたいと考えています……。

 

2021年: ロストジャッジメント、当二次創作におけるバキ道時間軸としては、宿禰編となります。

刃牙は28歳です。

真冬は24歳で、猪狩回はこの頃かと思います。

 



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第一章 仔犬探し
第一章 しろいむすめ


“仔犬──?”

“見付からないんですか”

“可哀想ですね、分かりました。私も探します”

 

 西公園

 通称、賽の川原──

 ホームレス達のたまり場だ。

 そこに1人、ホームレスと呼ぶには不似合いな少女が居た。

 

 白い髪に白い肌──

 虚ろな紅い瞳が印象的な少女である。

 

 年齢は九歳ほどの少女がホームレスのたまり場に居ると言う不思議──

 

 ホームレスと聞けば、多くは男性をイメージするのだが、女性も存在する。

 この賽の川原でも長く滞在したら、何人かの女性ホームレスの姿を見掛ける事だろう。

 初めて賽の川原でこの白い少女を見ると、そうした女性ホームレスのうちの誰かしらの娘なのかと思うかも知れない。

 

 しかし、それは違う──

 

 白い少女──真冬は、たった一人でこのホームレスのたまり場へ訪れ、つい先日から住み着き始めたばかりである。

 

 

1. 

 

 寒いな──

 真冬は神室町の劇場前広場にいた。

 昨夜と違い、雪は降っていないが、底冷えするような肌寒さを覚えていた。

 当たり屋達との一件の後、彼女はモグサ達に連れられ、西公園内にあるホームレス達のたまり場、賽の川原に到着した。

 そこで、一晩過ごしたのだ。

 

 いつもの真冬なら、これくらいの寒さ、別段、苦にも思わないだろう。

 母と二人暮らしだったアパートに暖房器具は無かったから、寒さにも慣れたものだ。

 暖房だけではない。

 ガスなどもほぼ毎月止められたままだった。

 熱い風呂にも浸かった記憶が無い。

 洗顔や洗髪も冷水にて行っていた──

 水道を止められているときは、近場の公園に向かう事になる。

 まともな生活を送っている同年代や年齢の近しい子供達の明るい声を聞きながら、公園の水道を使う。

 普通の精神の持ち主なら、既に精神も心も破綻し狂っていた筈だ。

 

 温かい食事も知らなかった。

 

“蛆虫なら、ゴミでも食べてなさい”

 それは、母の口癖だ──

 

 アパートのゴミ捨て場が、真冬にとって、食べ物を得られる場所であり、食堂だ。

 年齢一桁の少女が、ごきぶりの(たか)っていた残飯を口にする。

 それは、とてもおぞましい光景だったろう。

 アパートに住む住人はそれを目撃していた。

 毎日の話である。

 だが、誰一人として救いの手など伸ばしはしない。

 真冬が母と暮らしていたアパートの住人達も貧しい者達ばかりなのだ。

 

 彼らは皆、助けたくとも助けられない、そして、殆どの者は、他人を助けようとする心など持ってはいない。

  

 アパートの住人達は、ヒステリックに叫ぶ真冬の母の声を毎日の様に聞いているから尚更だった。

 安アパートの薄い壁では、彼女の声を遮る事は難しい。

 

“ねぇ、しろ、害虫って偉いわよね。冬になったら死ぬんだから。お前も早く死ねよ”

 

 母は真冬とは呼ばない。

『しろ』

 肌も、髪も真っ白いから“しろ”だ。

 役所へ命名の届け出さえ、最初は“しろ”で登録するつもりだったのだ。

 娘への愛情など無かったのだと、それだけでもはっきりと理解できる。

 真冬と言う名前も自分にとって寒い冬のような存在だから、そう名付けられたのだ。

 『白い』なら『雪』雪と言えば『冬』そうした連想ゲームの様な意味合いもあった。

 勿論、様々な願いが込められ、真冬と名付けられた者もいるだろう。

 まず、殆どがそうだ。

 透明感のある“真冬”と言う言葉から、純粋や真実などの意味合いや願いを以て名付けられる。

 そして“真”と言う漢字は『愛情』の意味を持っている。

 母からの愛情を何一つ知らぬ真冬に、その漢字が与えられているのは、どうにも皮肉なものだった。

 

 では、蛆虫──

 その呼び方を最初に言い放ったのは、真冬の実の父親である。

 真冬が産まれ、母子ともにまだ病院にいた時の事だ。

 二人の前に父親が姿を見せた。

 真冬の母は未婚だった。

 真冬にとって父親である男は、真冬の母の夫ではない。

 愛人と言う訳でも無い。

 両親が顔を合わせたのは、ほんの数度。

 片手で数えられる程度だ。

 

“お前ぇ、この子供(ガキ)女かよ”

“俺は娘なんざ要らねぇんだ”

當麻塵滅流(たいまじんめつりゅう)宗家當之(たぎの)家の(おんな)だから、折角俺の種をくれてやったのによ。娘を産むとはな、役に立たねぇ、女だぜ、お前はよ”

“しかも、なんだこりゃ?随分真っ白だな、こいつ蛆虫かよ”

“俺のガキじゃなく、蠅の子供だな”

“これなら、江珠(あいつ)とのガキの方がまだましだぜ”

“お前ぇも、この子供(ガキ)も俺には必要ねぇ。二度と俺に(つら)、見せるな”

 

 病院での会話はこれだけだ。

 そして、それ以降、真冬の父親は彼女らの前に姿を現すことは無かった。

 娘を産んだ女。

 それ故に、真冬の母はあっさりと棄てられたのだ。

 真冬の父親が蛆虫と呼んだ娘。

 母が“しろ”か“蛆虫”と呼ぶのはこの時の会話が原因だ。

 真冬の母にとって、彼に棄てられる事になった疫病神、それが蛆虫のしろである。

 

 真冬は父親の名前を知らない──

 写真なども母の手元に無い故に、当然として顔も見たことはない。

 

 真冬の誕生日は、真冬の母は自身の命日だと言った事がある。

 娘にとってどれだけ傷付ける言葉であっても彼女は平気で吐いたし、肉体を傷付けることもあった。

 

 母の手料理を食べた事がないが、母が作ったホウ酸団子を食べさせられた事はある。

“しろ、害虫なんだからこれでも食べなさい”

 

 そんな真冬が昨夜、ホームレスのたまり場で食べた肉入りのスープと雑炊──

 

 その美味しさと温かさは、真冬が、つい泣いてしまう程だった。

 彼女にスープを与えた老婆のホームレスは突然の涙にさぞ驚いた事だろう。

 

(仔犬、どこにいるんだろう……)

 

 仔犬を探しながら、思い出すのは昨夜のスープの味。

 スープの具であった肉は、実はホームレス達が食用で飼っている赤犬だ。

 犬の味を思い出しつつ探す仔犬。

 何とも、笑い話にもならない。

 

 勿論、探している仔犬が食用になることは流石に無いだろうが……。

 



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第一章 其の二 仔犬探し

 

 両手を口許にあて、一息吐く──

 肌寒さの強い夜、さして暖かくなる訳ではないが、少なくとも掌は僅かに暖かい。

 白い少女の白い吐息。

 端の目から見れば雪女の冷気の様に映るかも知れない。

 

 雪女の様な白い和服は着ていない。

 賽の川原に辿り着くまでに着ていた衣服は、そこで暮らしているホームレスの老婆──本名は不明だがモグサからは“おミチさん”と紹介された──が洗濯してくれ、現在は昨晩真冬がおミチさんと寝泊まりしていたブルーシートのテント付近に干されている。

 

 この寒い季節に着るような服ではなく、下着も履いていなかった事にミチは驚き、洗濯の前に新しい服と下着を買いに行った。

 ミチは口にこそ出さなかったが、驚きと共に、真冬の母に対して憤慨していた。

 九つの幼い少女へ親子の愛情が全く向けられていない事が理解出来たからだ。

 何の肉かは秘密にしたまま振る舞った犬肉スープと、具は菜っ葉が入っている程度の、湯で(かさ)増しされただけのまさに昔ながらの増水と書いた方が適切な雑炊。

 そんなものを美味しいと言い、涙すら流していた真冬の姿を見たミチの胸は、激しく痛んだものだ。

 

 その夜の内に、ミチは真冬を連れて子供服を探しに向かった。

 流石に賽の川原に子供服を持っているものはいない。

 そして、神室町は歓楽街だ。

 子供用の衣服を探すのは骨が折れる。

 そう思ったが、案外簡単に見付かった。

 

 中道通りを真っ直ぐ南へ、昭和通りに向かう角に大型の総合ディスカウントショップがある。 

 食料品や酒は言うに及ばず、アダルトグッズや電化製品、衣料品なども安く手に入るのだ。

 

 現在、真冬はそのディスカウントショップでミチに買って貰った衣服を着ている。

 気に入った服があれば、どれでも良いよとミチは言ってくれた。

 その言葉に甘えるのもどうかと真冬は思ったが、ミチに押しきられた。

 

 案外、服を探し回るのは楽しかった。

 こんな楽しさを覚えたのは初めてである。

 虚ろな紅い瞳に、年相応の無邪気な光が宿っていた。

 

 真冬が選んだのは、パーティグッズかアダルトグッズか、ミチから見てコスプレ服としか思えない代物だった。

 それはどうかと思うものの、どれでも良いと言った手前、反対はしなかったが。

 真冬自身はその衣服に一目惚れだった。

 至極普通に、自然な感想でただただ可愛い、真冬はそれを見てそう感じたから選んだのだ。

 

 ゴスロリ服を──

 

 コスプレ衣装なのだろうが、安っぽさは特に無い。

 生地も裁縫の仕立ても悪くは無いだろう。

 だが、全体的なデザインは、メイド喫茶などのメイドが着るようなコスプレ感の溢れるものだった。

 

 メイド服とゴスロリ服とは別物だと言う。

 しかし、こうした商品は似たり寄ったりな所があるものだ。

 

 白いフリルにレース、主だった布は黒。

 黒いヘッドドレスなども付属している。

 

 防寒具としては、ゴスロリ風のケープなども購入した。

 スカートは短めになるが、今まで履いていた丈の合ってないものと比べれば、幾分もましである。

 

 ゴスロリ服なら下着はドロワーズにしたい所だが、ミチも真冬もその辺にこだわりは無く、ごく普通の白い女子用のショーツと黒いタイツを買い、今はそれを履いている。

 足元は黒いリボンシューズ。

 肩にはショルダーストラップが鎖製である小さな黒いポシェットを掛けていた。

 

 黒と白のコントラストが奏でられたゴスロリ衣装を身に纏う、白い少女。

 驚く程の美少女がそこにいた。

 蛆虫など、もういない。

 いや、元から、そんな者はいないのだ──

 

 

2.

 神室町劇場前広場

 

 ゲームセンターやクラブハウス、巨大な劇場、幾つかの店舗が目に入る。

 少し離れた所にはボーリング場もある。

 特別、真冬に用は無い場所が殆どだが、仔犬の目撃者が居ないか、ゲームセンターなどで聞いてみるのも良いかも知れない。 

 クラブハウスのデボラには入店は出来ないだろう。

 

 劇場前広場は老若男女、大勢の人でごった返し、年末故か人混みはかなりの激しさだった。

 聞き込みには向いているであろうが、とてもではないが、ここに野良犬となった仔犬は居ない──と考えられた。

 飲食店のごみ捨て場などで餌を得ようとしていることも考えられるが、店主が余程の動物好きでもなければ追い払われる筈だ。

 

 それでも、真冬は仔犬を探し出して、保護したい。

 その為には労力を惜しまない腹積もりである。

 仔犬は遥と言う少女が数日間保護していた野良犬だとモグサから聞いた。

 しかし、彼女はこの神室町を去る時に、その仔犬を連れていく事はなく、劇場前広場に置いていったらしい。

 

 一度、人の手から餌を与えられ、暖かい場所で過ごした犬が野良に戻り、自分で餌を獲るのは難しい。 

 野性動物が怪我などを負った為、人に保護され、治療のあと自然に還されるのとでは訳が違う。

 彼らは産まれながらの野生なのだ。

 

 真冬は仔犬を自身に重ねてしまっている。

 ミチと言う暖かい存在に触れてしまったからか。

 遥と言う少女は、仔犬がはぐれている母犬と再会出来るようにと考え置いていったらしい──だが、真冬の考えは全く違った。

 

 母犬と仔犬が仮に再会出来たとしても、暫く離れていた母犬は自分の子供で在ることに気付かない。

 仔犬の方も然りだ。

 犬は比較的頭が良いとは言え、あくまで動物である。

 人が考えるよりも、親子の情も希薄であり、何よりそこまでの記憶力は無いに等しい。

 親子なのだと認識しているのは、常に側にいるからである。

 

 また、真冬が特に気になるのは、仔犬(ぽちたろ)は、野良犬が産んだ仔犬だったのか、と言う事である。

 本来は飼い主がいたのだが、何らかの理由で飼い主とはぐれた。

 で、あるなら、母犬の存在は神室町にあるとは考えにくい。

 そして、真冬本人は知らないことで、これは彼女の想像だったのだが、実は当たらずとも遠からずの可能性がある。

 遥と仔犬(ぽちたろ)が出会ったとき仔犬は、首輪をしていたのだ。

 神室町に棲む野良犬が母犬で、彼女が産んだとしたら、首輪をしているのは不自然なのである。

 まず、母犬とはぐれたのではなく、人間の飼い主が棄てたか、或いははぐれたのだろう。

 

 更に恐ろしい可能性がある。

 仔犬は元々、何らかの動物保護施設の出身で、引き取り手を待っていた。

 そして、名乗りを挙げた引き取り手こそ、仔犬を虐待していた“よっちゃん”達だった──

 動物を愛する人間には想像も出来ず信じがたい事であるが、虐待を行いがために保護施設から動物を引き取る様な人間も、また確かに存在するのだ。

 この可能性が真実だとすると、他の可能性と同じく母犬の存在が神室町にあるとは思えないだろう。

 

 広場にあるごみ捨て場を見て回る。

 しかしながら、当然仔犬の姿は無い。

 

 周囲の人の波──

 彼らは、真冬と言う、稀に見る美少女に目を引かれ、すれ違えば振り返り、遠目に眺める者、わざわざ近くに見に来る者も居たほどだ。

 背は年齢よりも低く、線も細い。

 だが、どこか大人びた艶もある。

 その艶っぽいとも言える不思議なオーラが、彼女を一層美しく際立たせているのだ。

 真冬は、自身の稀な美しさ、可憐さに気付いていない。

 しかし、人が向けてくる視線には気付いている。

 

 以前の服と同様にゴスロリ服には幾つかの道具(ぶき)を仕込んでいた。

 ミニスカートの内側、左太股にはナイフを帯刀したベルト。

 黒いリボンシューズの踵には左右にまち針と縫い針を四本づつ。

 シューズのリボンの結び目には剃刀が。

 肩から提げた小さなポシェット内には彫刻刀五本と錐一本、そして、デザインナイフ二本と替刃25枚入りを1ケースだ。

 ショルダーストラップの鎖も彼女が振るえば、充分に暗器となりうるだろう。

 

 好意の視線が殆どであるが、真冬はその視線を警戒し、いつでも武器を取り出せる準備を、全身に命令していた。

 

 



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第一章 其の三 カツアゲ坊主

3. カツアゲ坊主

 

 肌に突き刺さる様な寒さを覚える神室町の夜、少年は白い少女を目撃した──

 

 メイド?

 第一印象はそれだった。

 当然疑問符が浮かぶ。

 メイド喫茶か何かのバイトだろうか。

 流石に本物のメイドがこの歓楽街にいるとは思えない。

 

 年齢は幾つ位か。

 随分小柄な少女だった。

 外見だけで、白い少女──真冬の年齢を推し測るのは意外に難しい。

 顔立ちから大人びた印象も受けるが、小柄な為に幼くも見えるからだ。 

 

 少年──

 江頭(えがしら)剛志(ごうし)は11歳だ。

 自分より少女は年下だろうと、彼は思った。

 実際のところ、剛志も少年と呼ぶには幼い年齢だ。

 児童と呼ぶのが適切だろう。

 

 しかし、児童と言うよりも少年──

 大抵は彼を見て、児童と思わない筈だ。 

 

 まず何より、児童と呼ぶには判断に困るくらいの長身だった──180センチ以上はある。

 身長の高さだけではない。

 どうやればこれ程鍛えられるのか……肉の圧力が凄まじい。

 人間ドラム缶、或いは土管と言った所か。

 筋肉量が桁違いなのだ。

 樹齢100年の大木にベアハッグでもかけたなら、十中八九それをへし折ってしまいそうな太い腕。

 野生の獣の様な脚と異常に膨れ上がった頸部。

 分厚く、太く、巨大──

 しかしながら、肥満ではない。

 とんでもない小学生である。

 

 薄茶色のジャージ、白いTシャツ──

 裏側に薄い鉄板で補強し、爪先にも重い鉄を仕込んだ革靴を履いていた。

 それは、足を守る為だけでなく、キックの威力も上げ、更には重い靴は足腰を鍛えるのにも役立つのだ。

 丸坊主の頭部にはバンダナを巻いている。

 

 少年とも思われないかも知れない。

 とは言え、彼は11歳、まだまだ成長期なのだ。

 成人したときの肉体が如何様になっているのか、そら恐ろしい物があるだろう。

 

 この人間離れした少年の父親は、1988年頃に神室町を騒がせた“カツアゲくん”の一人、江頭宏哉だ。

 地上最強の生物を目指し、強者と思われる人物に喧嘩を吹っ掛け、金を奪う。

 その金は修行の為に様々な場所へ向かう旅費などに使われた。

 剛志もまた、父の意思を継ぎ、地上最強の生物となるべく、神室町でカツアゲの日々を送っている。

 通称──“カツアゲ坊主”である。

 

 剛志の父親は地上最強の生物を目指してはいたが、残念ながらその夢は既に断たれている。

 どうしようもない程の、厚く、高い壁と出会ってしまったからだ。

 神室町でカツアゲをしていた1988年頃も桐生一馬と言う極道風の堅気に何度も敗れていたが、いつかは彼を越える為に修行を怠りはしなかった。

 だが、神室町を発ち、出会ってしまった巨凶。

 その男こそが地上最強の生物であろう。

 白熊やライオン、虎、イリエワニだろうが──

 鯱やシロナガスクジラ、鮫だろうが──

 仮に巨大な甲虫やカマキリが現れても──

 或いは太古の恐竜、空想の産物とされるドラゴンや悪魔であっても──その男には絶対に勝てない。

 そう思わせる鬼神だった。

 それは、オーガ──

 

 “範馬勇次郎”その人である。

 

 剛志の目標となる存在だ。

 だが、オーガに近付く為にはまだ多くの試練や壁が残っているだろう。

 少年は、父親の戦闘能力に未だ劣る。

 オーガに敗れて、自身の修行は怠っており、実力自体鈍っているであろうにもかかわらず、だ──

 江頭がどう足掻いても及ばなかったオーガに勝つには、まず父親を越えなくては話にならないだろう。

 

 それに──

 地上最強の生物に近いものはまだまだ多く存在している。

 この神室町にやってきて、カツアゲ坊主として喧嘩を繰り返す内にそれが良く分かったのだ。

 

 先日、一人の少年と殴りあった。

 年齢は剛志よりも僅かに上の13歳。

 その少年とは喧嘩師“花山薫”だ。

 

 500円硬貨をねじ曲げ、本気で拳を固めたなら自身の力で拳を壊しかねないと言われる超人的な握力──トランプの束を摘まみ、引きちぎる程のピンチ力の持ち主である。

 

 実のところ“殴りあった”と言うには語弊があろう。

 最初のうちは剛志が一方的に殴り付けていた。

 殴り、掴み、蹴る──

 一方的な連打を続けた物だ。

 

 しかし、たった一発のパンチ──

 

 花山薫は、一方的な攻撃を食らいながらも、徐々に徐々に身を屈めていった。

 背は剛志に向けている。

 それは、一切の防御、迎撃を考慮しない──

 より強く、より重く、より速く──

 攻撃だけに特化した、花山薫ならではの超攻撃偏重型と言える姿勢である。

 

 花山薫の頭が下がっていた。

 その頭部にだめ押しとばかりの一撃を入れるが花山薫はびくともせず──

 

 たった一発のパンチを放った。

 

 それで、剛志の意識はあっさりと断ち切られてしまった。

 

 恐ろしく強い超雄(おとこ)である。

 剛志は、自分にとって花山薫は越えるべき最初の壁だと感じ──こうして、花山薫こそ彼の目標となったのだ。

 

 そんな江頭剛志だが、現在彼の目は一人のメイドに釘付けとなっていた。

 メイドの様な白い少女──

 白く長い髪に映える黒いヘッドドレス──

 レースとフリルで装飾され、左端には黒百合が表現されている。

 ロングケープを含めてスリーピースのゴスロリ服の胸元に彩られるフリルは白。

 全体的には漆黒の生地が美しい。

 少女自身は凡そ日本人らしからぬ肌の白さだ。

 黒と白──

 だが、虹彩と瞳孔だけは鮮血の様に紅い。

 

 彼女が遺伝子疾患である先天性色素欠乏症(アルビノ)と呼ばれる者だとは知らない。

 そもそも、そんな言葉自体知らないのだから仕方無いだろう。

 分かるのは、その少女があまりにも美しいという事である。

 

 だが、彼の心の内に在るものは、異性への好意ではない。

 例えば、観音菩薩像や聖母マリア像を見たら、男女問わず、等しく、それらを美しいと感じるだろう。

 剛志が真冬へ感じた好感はそれと同じだ。

 

 そして、真冬への興味は、その外見的な物だけに惹かれた訳では無かった。

 

 強い──

 何よりも、興味はそこにあった。

 



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第一章 其の四 暗器のような

 真冬は自身に向けられている多くの視線が好意的なものである事は理解出来た。

 殺気やら、敵意、そう言ったものは感じられない。

 

 奇異な目で見られることも多かった。

 それは、産まれながらの白い髪と紅い虹彩のせいだ。

 肌の色も日本人離れした白さである。

 特に今は着ている衣服が、メイド服の様なゴスロリ衣装だ。

 ゴスロリアルビノ美少女……目立たない方が不思議だろう──

 

1.

 

 劇場前広場では仔犬の姿を見付けられ無かった為、そのまま、劇場前通りを南下し泰平通りへと向かった。

 泰平通り沿いに進むと見えてくるのはミレニアムタワーだ。

 この神室町の象徴とも言える超高層ビルに、つい最近謎の爆発事故が起きた。

 

 その際は大量の札が神室町に降ったという。

 季節柄、サンタクロースから贈られた万札の雪と言うプレゼントか。

 尤も、爆発事故の原因や、札の出所を知ったら、無邪気に喜べないし、それを拾おうとは思わないだろうが……。

 

 真冬はその事故が起きた夜には、まだ神室町へ来ていなかったため、万札の降雪と出会ってはいない。

 

 泰平通りへと曲がらず劇場前通りから更に南に行けば天下一通りに入る。

 神室町がテレビや雑誌などで紹介された物で、神室町の入り口として天下一通りの名前が書かれた赤いネオンのきらびやかな看板を、目にすることがある筈だ。

 その天下一通りである。

 

 劇場前通りからやってきた場合、まず目にするのは、たこ焼き屋と、向かって右手にある赤牛丸と言う牛丼屋だろう。

 真冬が特に惹かれたのは牛丼屋だ。

 黄色い看板に青い文字で赤牛丸と書かれていた。

 のぼりには『大正十三年創業 牛飯丼ぶり 安い早い美味い』とある。

 これはまさしく牛丼一筋81年、安いの早いの美味いの言える牛丼屋だろう。

 そんな、比較的安価で結構腹持ちも良い牛丼──

 一度、食べてみたかったのだ。

 この店舗の並盛りなら、400円だ。

 手持ちの小銭で充分足りる。

 

 天下一通りの方へ、歩を進めた折りの事だ。

「食い逃げだーッッ!」

 

 男の声が聞こえ、赤牛丸の方から、かなりの勢いを伴って走る男がいた。

 食い逃げ犯──

 今時、そんな犯罪を行うものが居るのかと思うが、神室町では意外と見られる犯行だ。

 

 男の姿を目に止めるや──

 

 真冬はしゃがみこむ。

 そして、リボンシューズの踵に仕込んだまち針を両手に二本。

 それは、ほぼ同時に行われ、まち針は食い逃げ犯の両足のアキレス腱、脹ら脛(ふくらはぎ)に一本づつ放たれた。

 

 四本のまち針は、どれ1つとして逸れることなく、かなりのスピードで走る食い逃げ犯のアキレス腱と脹ら脛に突き刺さる。

 食い逃げ犯は、両足が突然利かなくなり、倒れこんだ。

 アキレス腱は両方とも断裂していた。

 容赦など1つとして無い残酷な仕打ちだが、真冬にとって食い逃げなど見過ごせる犯行ではなかった。

 自分は手持ちにある心許ない小銭を払うのに……と、かなりセコい怒りであるが。

 

 ──この針を投擲する技術(わざ)は、ある種の中国武術だ。

 勿論、真冬は中国武術を学んだことはない。

 昔、漫画を古本屋で立ち読みしたとき、針を投げるキャラクターが描かれていた。

 それを真似たのだ。

 

 真冬は不思議な事に武術に関連することを想像したり手本となる物を見て真似することで、それを実践してやってのけることが可能だ。

 だからと言って、手からオーラを発射するような漫画の技術(わざ)を模倣することは流石に出来ないが──

 その気になれば、オーラを発射するのではなく、微弱な空気の震動などを扱い、遠当(とうあ)て紛いの事は可能かも知れない。

 

 模倣出来る範囲となると、例えば“花山薫”が行う様な超握力を以てして可能な“握撃”だが、これも模倣することは不可能だろう。

 花山薫に匹敵する握力が彼女には備わっていないからだ。

 だが、やりようさえ変えれば、似たような事は不可能ではない。

 産まれながらに備わったアスファルトやコンクリートですら抉ってしまう彼女の超硬度を誇る爪を扱い、握撃の様に両手で敵の四肢を握り、爪を突き刺し肉を穿つのだ。

 

 仮に地下闘技場に参戦する正戦士の技を模倣するとして、彼女のその爪を踏まえて考えたなら“鎬昂昇”の“斬撃拳”等とは相性が良いかも知れない。

 爪で紐切りを行うのだ。

 

 彼女が以前に行った鞭打も、空想の産物の末に扱える様になった技術(わざ)である。

 

 真冬がまち針を投擲し、食い逃げ犯の足を破壊した一連の動作は余りにも速く、赤牛丸の店主も、食い逃げ犯もその攻撃に気付いていない。

 現に突如倒れこみ、立ち上がる事さえ出来なくなっている食い逃げ犯に追い付いた店主は不思議そうにしていた。

 

 しかし、一人だけ、彼女の投擲に気付いていた者がいた。

 彼女に視線を向ける者は多くそこにいたが、気付いたのは彼一人だ。

 

 通称“カツアゲ坊主”

 地上最強の生物を目指す少年、江頭剛志(えがしらこうし)である。

 剛志は強い者が好きだ──

 食い逃げ犯のアキレス腱と脹ら脛に向けて針を投擲し、そこに寸分違わず命中させた美少女。

 彼が認める“強者”に十二分に合格だろう。

 

 その真冬の一連の動作を見て、彼は笑った。

 こう言う相手を潰したい。

 

 先日、剛志は喧嘩師花山薫と拳を交えた。

 だが、花山薫の力の前では、何一つ出来なかったと言っても良いくらいの敗北を喫したのだ。

 もっと強くならないと、地上最強の生物など、遠い存在だ。

 だから、この真冬の様な強い相手と戦いたい。

 そして、倒したい──

 

 相手が幼い女だろうが、どうでもいい。

 あの尋常ならざる戦闘力を目にしたら、彼にしてみれば、年齢や性差など取るに足らない事なのだ。

 



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第一章 其の五 殺法少女を語る

2. 武術家は見た 古牧宗太郎(こまきそうたろう)の目撃証言

 

 うむ、出来ることなら、初っぱなから見たいと思わせた喧嘩じゃったよ。

 身の丈にして凡そ六尺一寸五厘──

 目方は恐らく優に二拾六貫を越えていようか。

 

 片方はかなりの立派な体躯を誇る少年じゃったよ。

 

 無論、六尺を越える者など、今時の日本になら多く見られようものじゃが、驚くべきは肉の厚みじゃな。

 何処を見ても太い。

 首も腕も脚も胴も胸部もな──

 

 其奴、まるでドラム缶の様な体躯でのう。

 暴れ牛と力比べで勝ちそうな腕をしておったわ。

 そして、特筆すべきはその首回りか──

 

 例えば、そこいらの力自慢が其奴の顎を金づちか何かで殴り付けたとしよう。

 しかし、その重い一撃をいとも容易く吸収してしまうであろう頸椎──

 間違いなく、奴は、その一撃を食らったとしても揺らぎ一つせんじゃろうて。

 

 弟子に迎えたい、そう思わせる少年だったのう。

 いや、儂自身が立ち会いを挑み拳を交えたくなる相手でもあったわい。

 

 うむ、戦国期より伝わる我が古牧流古武術は戦場(いくさば)に身を置き、実戦を繰り返し磨かれていくものじゃからな。

 師と弟子が立ち会うのも互いの修行の一貫となるのじゃよ。

 

 儂には愛弟子が居ってな。

 うむうむ、お主もよく知っておるじゃろう、“堂島の龍”こと“桐生一馬”じゃ。

 桐生とあやつが立ち会い、どう転ぶかは分からぬが、会わせてみたいのう。

 何にせよ、(すこぶ)る見応えのある立ち会いとなろうな。

 

 片方は、そう、お主が知りたがっとる白い少女じゃよ。

 真冬ちゃんじゃ。

 

 ──む、何じゃ、その気味の悪い者を見るような目で見おってからに。

 何?“ちゃん”付けで呼ぶとは思わなかった?

 

 か、構わんじゃろう。

 あれほどの幼い()()、呼び捨てにするのも忍びなかろうが。

 そ──それにじゃ、儂には宗介と言う孫がおるんじゃが、生意気な男でのう──

 欲しかったもんじゃ、真冬ちゃんの様な可愛いらしい孫娘が……。

 ──まぁ、それは、置いておけ。

 

 真冬ちゃんは、誰がどう見ても幼く、その年齢の中であっても小柄な四尺にも満たぬ背丈で、目方のほうも九貫程度と武術家として心許ない軽さじゃ。

 

 そんな二人が拳を交えとる。

 普通、勝負など端から見えておる。

 お話にもなりゃせんじゃろう。

 

 しかし、な。

 真冬ちゃん──ありゃあ、化けもんじゃよ。

 うむ、儂が出来る全ての武を、あの子に伝えたい。

 そう思わせる娘じゃった。

 

 桐生を暫く見ておらんからのう。

 そろそろ新しい弟子が欲しかったんじゃよ。

 そこで、見付けたのがあの二人じゃ。

 

 真冬ちゃんを弟子に、そう思わせる最大の理由もあってな。

 あんな技、どこで覚えたのやら。

 

 じゃが、あの子の事を考えるに、儂の古牧流よりももっと適した流派もあろうなぁ。

 ん?どういう意味じゃと?

 

 うむ、真冬ちゃんのそれは、まさしく、殺法と言うべきものじゃろう。

 

 ──その技術をより一層磨く為、強いて言うならば

 

 ん?空手道神心会館……?

 うむ、彼処なら真冬ちゃんも、格闘士としての更なる研鑽を積むことが出来よう。

 じゃが、真冬ちゃんは無手の技術だけではその身に眠る真価を発揮できんじゃろうな。

 

 故に──

 マスター国松の──“大日本武術空道”

 本部以蔵の“本部流実戦柔術”

 鎬昂昇の“斬撃空手”

 

 空道と本部流はな──

 刀や槍は言うに及ばず、鎖、鎌、棍などなど

 更に西洋の武具や忍の暗器、果ては煙玉や火縄などの火薬や火器類まで──

 そこに、素手の格闘術を加えた流派じゃよ。 

 鎬の斬撃空手は、読んで字のごとく、素手で相手を切り裂く流派じゃ。

 真冬ちゃんの場合、色々面白い切り裂き方を見せてくれそうじゃわ……。

 ──あの子が使う空掌や紐切りを見てみたいのう。

 

 だが……この現代の世の中、流石に、そうそう武具を持ち歩く訳にも行くまい。

 ならば、あの子が見せたあの技──

 無手の技術にこだわり、あれを踏まえて鑑みるなら……。

 

 須久根流なども良さそうかも知れんの。

 尤も、彼処が真冬ちゃんを弟子として迎え入れてくれるわけは無いだろうが、な。

 



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第一章 其の六 刃物

1. 

 

 赤牛丸の店舗付近──

 真冬は剛志の姿を見て取るや、自分の(かたわ)らへと、山がゆっくり歩み寄ってきた──

 そう、錯覚してしまった。

 

 その男の背丈は確かに高い。

 街でも見掛ける程度の身長の高さではあるが、120センチ程度の真冬にしてみれば、巨人の様な男かも知れない。

 

 だが、それでも、180センチを僅かに越える程度の男を山と錯覚してしまうのは不自然だろう。

 彼女が剛志を山と見紛ったのは何も彼の身長や、筋肉の厚みからだけではない。

 

 見抜いたのだ。

 彼のただならぬ戦闘能力を──

 

 真冬は、一歩、半歩と後ずさった。

“まずい──”

 下がってしまった。

 故に、まずいと心のうちで一人ごちた。

 後退した、それは心の上で負けた事を意味するからだ。

 

「あんた、強いな。なぁ、金出せ」

 

 その山──剛志の言葉。

 意味が分からなかった。

 

 “強い”と“金を出せ”──

 それらの言葉の繋がりや意味合いが余りにも理解不能だったのだ。

 この男は何を伝えたいのだろうか。

 

 だが、不思議な事に、敵意がこの男から向けられていないのである。

 ただ、純粋そのものな闘争心めいたものは感じられるのだが。

 

 恐らく、この男は私の事が好きなのだ──と、

 それは理解出来た。

 自分が彼の戦闘能力を見抜いたように、この男も、自身の内にある戦闘能力を見抜いている。

 どうやら彼は、真冬が内包している、その高度な戦闘能力が好きなのだろう。

 

“私は貴方の戦闘力、嫌いですが──”

 真冬は何も闘争が好きなわけではない。

 勿論、強者と出逢ったとしても沸き上がる様な高揚感を覚えることは無い。

 剛志達の様な格闘士と異なり、嬉しくも何とも無いのだ。

 

「……お金、ですか?どういう意味でしょう──」

 

 冷たい汗が背筋に、頬に、額につたう。

 怖気(おぞけ)立つ心境を隠し、真っ向から真冬は剛志の目を見据えた。

 

「有り金全部置いていけ。だがッッ!俺に勝てたら、逆に俺の金を全額くれてやる」

 

「……え?いらないです」

 

 そう言う真冬の手に、いつの間にやら、デザインナイフが出現していた。

 出現したデザインナイフは掌の内側に隠匿され、剛志の目には捉えられていない。

 小さなポシェットから“抜く”瞬間すら気付かれてはいなかっただろう──

 常軌を逸した速度と技術である。

 技術と言える代物ではないかも知れないが──

 

 デザインナイフは、幾人ものプラモデル愛好家の血を吸ってきた魔剣だ。

 誤って自分の指などを切ったとしても、痛みをすぐに感じない程に、切れ味は鋭い。

 勿論、深く切ると当然出血もそれなりにしてしまう。

 真冬がデザインナイフを気に入った理由の一つとして柄の持ちやすさにある。

 本来の用途と異なるとは言え、デザインナイフは切ったり削ったりするための道具である。

 ドラマや漫画における──昔の不良が携帯し、武器として扱っていた様な、剃刀の替刃などよりも、持ち手に馴染み易いのだ。

 確かに殺傷能力を求める武器としては物足りなく、心許ない刃物だが、喧嘩の上で、相手の心情的な物を脅かす分には充分な道具になる筈だろう。

 

 虚ろな紅い瞳──

 幽霊を思わせる、囁くような「いらない」と答える声──

 

「あの……ごめんなさい、行って良いですか。用があって……忙しいのです──」

 

 最初のデザインナイフは右手に。

 左手にも、もう一本のデザインナイフを取り、同じ様に掌の内側に隠すように柄を持った。

 

 剛志の一人怒鳴る声に何かしらの危機感めいたものを覚えたのか、周囲にいる神室町の人間がざわめき出していた。

 彼らは概ね、こうした様な“厄介事”に敏感で、それを好む妙な性質がある。

 普通なら近くで喧嘩でもあれば、飛び火を警戒し、ソッとその場を離れる物だが、彼らは違う。

 周りで見物するのだ。

 ある種の修羅の街──

 歓楽街のもう一つの顔だ。

 

「行く前に俺と喧嘩して、金を置いていけ。」

「……あの、言いにくいのですが……大人げない……とは思いませんか?私のような子供に……」

 

 真冬のそれは、煽りのような返答だが、そうした思惑は無い。

 単なる本音だ。

 真冬は、この巨漢が未成年──しかも小学生とは思ってなかった。

 

 戦いたがっている事は理解出来た。

 しかし、何故そこまで戦いたいのか、真冬には理解出来ない。

 

「……俺は小5だ」

「……え」

 

 それでも、年上には変わらない。

 大人がカツアゲしてくるよりは、まだましではあるが。

 

 剛志の“小5だ”と「だ」を言い終わるか、ほぼ同時──

 真冬の五感は、剛志の筋肉が動いたのを捉えた。

 

 もはや、問答無用とばかりに、剛志は仕掛けた。

 アスファルトを蹴り──

 腰を落とし、勢いよく突進する。

 

 小柄な真冬相手である──より、低姿勢でのタックルとなった。

 

 真冬が立つ半歩前──

 そこまで剛志のタックルが迫った、その刹那だ。

 真冬は、右手のデザインナイフを横薙ぎ──

 そして、左手に持たれていたデザインナイフは剛志の右目に投擲された。

 

 横薙ぎのデザインナイフが狙うのは剛志の左頸動脈──

 真冬自身、実のところそこが頸動脈と言う血管であることは知らない。

 ただ、そこに人体の急所がある──それが見えているだけなのだ。

 しかし、右手のデザインナイフは(くう)を斬った。

 

 半歩前──

 そこで、剛志は更に身を屈め、一瞬僅かに下がったのだ。

 投擲されたデザインナイフは剛志からほんの少し逸れ、赤牛丸の立て看板へと突き刺さる。

 

 赤牛丸側にいた野次馬から悲鳴があがった。

 

 恐らく、剛志の目には突然にしてデザインナイフが真冬の手に現れ、薙ぎり、投擲されたように見えただろう。

 心底嬉しそうな剛志の笑みが溢れる。

 喧嘩を避けようとする、そんな発言をしていたと言うのに、ちゃっかりと真冬は攻撃の準備をしており、不意討ち気味に行ったタックルに合わせて来たのだ。

 

 そして──僅かに下がったとは言え、そこはまだ、剛志の攻撃範囲であった──

 

 剛志は裏地が薄い鉄板で補強されている革靴を履いている。

 防御の意味合いと、蹴りの威力を増すため、そして重い靴を履いていることでの足腰の鍛練、三つの目的がその鉄で補強された革靴にはある。

 

 爪先部分は特に重く、強固な鉄が仕込まれているのだ──

 

 剛志は軽く息を吐き、低姿勢から、立ち上がり気味に右脚を振り上げた。

 冬の冷たい空気が裂かれる。

 かなりの速度で地面から離れた──その一撃は、鉄で重くなった靴を履いているとは思えない速さだった。

 そして、爪先が狙うのは少女の下腹部だ。

 

 真冬は、その蹴りを避けようともせず甘んじて食らい、右手のデザインナイフを剛志の胸元に投擲する。

 

 両者──

 ほんの一瞬だが、真冬の投擲の方が速い。

 しかし、真冬の下腹部を抉るように剛志の爪先が突き刺さっていた。

 

 



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第一章 其の七 闘争

 

”うっわ、け、蹴ったぞッッ!”

“幼女死んだんじゃね?”

“おいっ!警察呼べ!警察”

“馬鹿、特撮かなんかの撮影だろ、撮影”

“あのハゲ、カツアゲ坊主じゃねぇか、俺、あいつにカツアゲされたことあるわ、クソ”

“俺もだ”

“俺もされたぞ。おいっ!ゴスロリメイドの幼女頑張れー!”

 

2.

 

 鉄で補強され重くなった靴。

 その靴を履いた爪先が真冬の下腹部に突き刺さっていた。

 剛志の攻撃は、それだけで終わらず──

 投擲されたデザインナイフの鋭利な切っ先が胸元に刺さっていることにも気にも止めず、僅かに崩れた真冬の鼻っ柱に膝蹴りを見舞う。

 

 両腕で下腹部を抱き抱える様に前のめりに崩れかけた真冬の顎は上に跳ね上がった──

 

 プシィッッ──

 その擬音は、二つの状況を意味している──

 一つは文字通りの擬音、もう一つは実際に聞こえたかも知れない。

 

 真冬の鼻からは(おびただ)しい量の血が吹き出され──

 そして下腹部を蹴られたことにより、膀胱にダメージが入ったのか失禁したのだ。

 

 剛志の厚い大胸筋はデザインナイフの鋭利な刃先を防ぎ、流血一つしていない。

 刃が食い込んではいても、筋肉を突き破る事は無かったようで、剛志の手はデザインナイフを掴み、投げ棄てた。

 

 砕けんばかりに歯を噛み締め、真冬の跳ね上がった顔は起き上がり、虚ろだが、鋭い光を宿した瞳が剛志を見据える。

 敗者の目ではない。

 転倒する事は無く、真冬の小さな足は未だアスファルトの地面を強く踏み締めていた。

 

 下腹部には爪先を用いた前蹴りを入れられ、顎には膝蹴りを食らい、それでも、尚、倒れぬ真冬の姿に、野次馬から歓声が上がった──

 身長120センチ程度の真冬と180センチを越える剛志である──この体格差の相手に蹴られたなら即死する可能性だって考えられる。

 

 かたや体格で明らかに劣り、尚且つ幼く、何よりも美少女である真冬──

 かたや、巨漢であり、カツアゲされたことを根に持つものも多く、カツアゲ坊主として知られている剛志──

 

 周囲の野次馬達からは真冬を応援する流れとなっていった。

 

 真冬にとって、一連の攻撃で最大のダメージとしては、前蹴りや膝蹴りで被った肉体的な物ではなかった。

 

 失禁してしまった──その精神的なダメージである。

 恐らく誰も気付いてはいないだろう。

 溢れる鼻血が目立つ。

 多くはそちらに目が行っている筈だ。

 気付かれ難いと言う点ではタイツを履いていたのも功を奏しただろうが、流れた尿によって太股辺りが滲んでしまっている。

 ミニスカートなのは失敗だったかも知れない。

 人前での失禁、初めてのこの経験は真冬の精神に多大なダメージを与えていた。

 そして、ミチに買って貰ったショーツやタイツ、スカートを汚してしまったことが何より辛かった。

 誰かに、自分だけの物を買って貰えた事が初めての事であった。

 それ故に、真冬にとってこれらの衣服はかけがえのない物になっていたのだ。

 やはり、避ければ良かった、と後悔するがもはや遅い。

 下腹部への攻撃を食らい膀胱にダメージが入り、失禁してしまうとは予想していなかった──

 今後、ミチに貰った衣服を着ているときに闘争に巻き込まれたならば、より慎重に闘う必要がある──と、固く誓う。

 

 多少の苛立ちと、羞恥が入り交じる中、右手にポシェットから取り出し錐を持つ。

 

 真冬が錐を取り出し瞬間より若干遅れ、再びタックルをするべく剛志が動いた。

 真冬は最初、剛志の姿を見た時、山を連想した──更に、突進してくるこの姿には、活火山の噴火を見た。

 

 だが、この肉体の凄まじい圧力を受けながらも、真冬は全く動じる事無く、そして、その噴火の如き突進を前にすると、いつしか苛立ちや羞恥の感情もなりを潜めて行った。

 

 錐は投擲しない。

 剛志の尋常ではない筋肉に対して、殺傷のための武器ではない道具ではまず、間違いなく通用しない。

 

 下腹部、鼻っ柱への打撃──夥しい鼻血を見る限り、倒れ伏していない現状でも、そのダメージは大きい筈だ、と剛志は判断していた。

 だが、それは誤りだ。

 真冬から痛みは既に遥か彼方に消えているのだ。

 

 剛志の右腕が真冬の左太股に絡まり、左腕は腰回りを抱え込んだ。

 小柄な真冬を捕らえるのは案外容易であった。

 見て分かる通り、剛志の野太い腕は万力の様相を呈している。

 

 掴まった──

 だが、その瞬間に真冬は、剛志の次の行動を封じるべく、迷う事無く、ある攻撃に撃って出たのだ。

 錐で刺す訳でもない──

 

 まるで、火竜が鼻腔より炎の息を打ち出すように、血を噴射したのだ。

 狙うのは剛志の右目だった。

 

“え~……”

 

 野次馬は唖然とする。

 鼻血が噴射される様は滑稽過ぎたのだ。

 

 だが、効果はあった。

 突然眼球に血液を射たれた剛志は、咄嗟に目を庇うように押さえてしまった。

 テイクダウン、或いは脚の関節を狙っていたが、真冬から離れてしまう。

 

 すかさず、頭上にある剛志の顔面の中心部──鼻孔に錐を射し込んだ。

 錐の持ち手となる木製の柄、その先端部を左掌底で打ち、更に奥へと突き刺す。

 凄まじい激痛がだめ押しとなった様で、剛志の体は完全に真冬から離れた。

 

 しかし、真冬はまだ、止まらなかった。

 全身を翻し回し蹴り気味に、再び錐の柄、先端部へと打ち込む。

 

 だが──

 真冬が常人を遥かに凌駕した者である様に、剛志もまた、同じくして、ただならぬ存在なのだ。

 鼻孔に錐が突き刺さったと言う激痛の中で、彼は嗤っていた──

 鼻から流れ込んだ血が嗤った口から滴り落ちる。

 

 真冬の回し蹴りは錐から逸れた。

 いや、命中する寸での所で、真冬の左脚は剛志の両腕に抱えられたのだ。

 

 抱え込むと同時に上げられた剛志の雄叫びに、野次馬達は耳を塞いだ。

 怒声とも取れる雄叫びである。

 

 左脚を抱え、剛志は走った。

 回し蹴りを封じられ、勢いに負けた真冬の体は、軸足とした一本脚で踏み止まるべくアスファルトを踏みつけたものの力及ばず、その場に止まる事が出来ず押しやられてしまった。

 この勝負だが、体重や体格に差がありすぎた。

 流石に、どうしようもない。

 

 その先、彼女の背後にはブロック壁だ──

 

 背面はブロック壁に激突し、左脚はほぼ垂直に抱え上げられ前面と共に、剛志の巨躯に押し潰された。

 

 轟音が響く──

 それは──

 赤牛丸のちょっとした駐輪スペース。

 その北側にある洋食も食べられるドリンクバー、“レストランじゃんぷー”の壁が大きく陥没する音だった。

 



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第一章 其の八 陽炎の様に幽霊の様に

  

 陥没したブロック壁の中に押し当てられ、未だその左脚を抱え込まれている真冬──

 今しがたの威力には、勝利を確信させるような手応えがあったと剛志は感じた。

 とは言え、ここで止めるつもりは無い。

 

 油断による敗北程、下らないものはない。

 完全な勝利の上にカツアゲをしたいのだ。

 

 垂直に抱えられた脚のせいで、真冬のミニスカートは完全に捲れてしまい、それに気付いた野次馬達の目が、僅かに卑猥な色へと染まり、淫靡な情欲の熱を帯びつつあった。

 ミニスカートの奥から覗く彼女のナイロン製の黒タイツ。

 薄いナイロンのそれは黒く透けている──

 当然、薄い布地にはその下の白いショーツが見て取れた。

 剛志の体が邪魔になり、それを見られない者は兎も角、偶然にもはっきりと彼女のミニスカートの奥を目撃した者は携帯電話のカメラを向けた。

 

 今しがたまではカツアゲされた恨みから、まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのように、真冬に声援を送っていたにもかかわらず、手のひらを返した幾人かは剛志の次なる攻撃に期待の眼差しを向けていた。

 流石にこの場所で強姦は始まらないだろうが、そうした期待が彼らの中には在るのだろう。

 強姦では無くても、ちょっとした性的な暴行──そんな物が見たいのだ──

 

 1988年頃、劇場前通りの雑居ビルにキャットファイトを催している特殊な賭場があった。

 真冬がセクハラ行為をされることに期待している様な男達が、その賭場に足繁く通っていたのだ。

 いつの世にも似たような趣味嗜好の持ち主は居る。

 しかし、そのキャットファイトの賭場にはいれる者は極々一部の富裕層だけであった。

 そして、更に──その賭場にはもう一つの顔が有ったことを知るものは少ない。

 富裕層の中でも限られた権力者や、富豪のみが立ち入ることが許されたミックスマッチを観戦できる闘技場である。

 キャットファイトで人気が出た女性がそちらに送られ、試合をする。

 当事、堂島の龍こと桐生一馬もたまにキャットファイトの賭場に顔を出していたが、そのミックスマッチの闘技場の存在を知ったなら、そこは閉鎖の憂き目にあったかも知れない。

 ミックスマッチを催しているその闘技場では、敗者となった女性はそこで強姦されてしまうからだ。

 確実にその闘技場は、桐生一馬の怒りを買ってしまうだろう。

 だが、実は今もこのミックスマッチ専門の闘技場は現存している。

 そこでは、賽の河原地下闘技場において出場資格のない女性でも参戦できるのだ。

 骨が軋み、腱が千切れ、鮮血が飛び散る賽の河原地下闘技場──

 毎夜毎夜、美しい女性の悲鳴と嬌声、嗚咽が途切れる事無く、響き、聞こえるミックスマッチ専門闘技場──

 主催者、そして観客の目的は、それぞれ地下闘技場と言う共通の場所でありながら、全くの別物である。

 

 真冬の背後にはブロック壁──正面には肉の壁。

 しかも、剛志は左脚を抱え離そうとしない。

 一撃、二撃──

 真冬はこの明らかに不利な体勢から、肘で剛志の腕を打つ。

 だが、逃れる為の攻撃に移るにしても、ブロックと肉の壁に挟まれたそこはあまりに狭い。

 肘打ちにも威力がどうしても乗らなかった。

 

 剛志は真冬の左脚を更に彼女の胴体と密着させ、同時に抱え上げた。

 そして、そのまま、真冬の後頭部をブロック壁へと叩き付ける。

 さしもの真冬も息を吐き、呻き、目を見開いた。

 カヒュっと、奇妙な嗚咽を洩らした真冬は、一瞬、呼吸が止まったかと錯覚した。

 

 刹那にも充たないだろう──だが、確かに真冬の意識はその時、脳の外へと飛んでいた。

 

 嗚咽は剛志の耳にも届いていた。

 漸く彼女の左脚と胴体とを解放する。

 が──

 突然の解放に、真冬の身体は先程の意識を失った一瞬も災いし僅かに揺らぐ。

 その彼女の隙を突くように、剛志の額が、真冬の顔面中央に落ちてきた。

 

 遥か上空から岩石が降ってきた。

 そんな想像が適切な、頭突きだった。

 

 鼻骨へのダメージだけでなく、前歯が数本粉砕されてしまっていた。

 美少女の顔面へと向けられる、容赦が全く無い攻撃を目の当たりにした周囲の野次馬から、言葉が失われる。

 

 普通なら、多少の躊躇もあろうと言うものだ。

 無論、その美少女も剛志の鼻孔に錐を突き刺しているのである。

 少女とて、まともな精神の持ち主では無いのは明白だ。

 

 よろめきながらも真冬は体勢を整え、左手をブロック壁に添え、何とか身体を支える。

 

「まだ……やるか?金出したら許してやるぜ」

「……お金……無いですから、出せません」

 

 ユラリ、と

 陽炎の様な、幽霊の様な、水のような──

 何処か捉えどころが無い感覚が、真冬から見えた。

 冷気と霊気──

 真冬の冷たい闘氣が冬の大気をも凍てつかせる、そう、思わせた。

 

「そうかい、まだ、遊べそうだなッッ」

 

 心底嬉しそうに、牙を剥くような破顔──

 剛志はまだ、壊しても壊れないこの少女を痛め付け、そして、自身の力を奮える事がただ純粋に愉しかった。

 



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第一章 其の九 鋼の爪

 

 剛志は、破顔を見せるやいなや拳を固め、ブロック壁に掌を添え自身を支えている真冬の腹部──鳩尾へと的を絞り、拳を振り抜いた──

 

 それよりも幾ばくか先に、真冬の身体が、体勢を崩したかの様に一瞬沈んでいた。

 この場に居る者──剛志も含め、皆、彼女が蓄積されたダメージ故か膝を突いたと思った筈だ。

 

 だが直ぐに、目の前で描かれた異常な光景に気付く事となった。

 

 

3. 

 

 真冬の左手が添えられていたブロック壁に、抉れ、深く彫りこまれた無数の引っ掻き傷の溝が出来ていたのだ。

 何度も繰り返し、掘り返された様な傷である。

 

 体勢を崩し、身体が沈み膝を突いたように見えた真冬だったが、実際は違っていた。

 姿勢を低くすると同時に、左手の五本指に備わった“爪”でブロック壁を引っ掻いては抉り、削り出していたのだ。

 指の力なのか。

 爪の硬度もまた、凄まじい物があるだろう。

 概ね、普通の人間の爪ではない、と、この壁の傷を見た者は直ぐに理解出来た筈だ。

 しかし、この異様なまでの現実に、まともな理解に及ぶ者の方が少なかった。

 真冬は暗器のように彫刻刀を扱うが、この爪は凡そ彫刻刀の鋭さを遥かに凌いでいるだろう。

 

 まるで音も無く、とてつもないスピードで削られたブロック壁の破片は、真冬の左手に有った。

 そして──

 破片は無数の礫となり、散弾の如く剛志の顔面に撃ち込まれる。

 

 鳩尾を狙ったボディブローが真冬に届くよりも、ブロック壁の破片による散弾が剛志に降り注ぐ方が速かった。

 

 礫──

 真冬の放ったこの散弾は、ダメージを与える目的が有って撃たれたわけではない。

 ある種のフェイントや目眩ましだ。

 一瞬でも、視線を逸らせることが出来たのなら御の字であった。

 

 そして、続けて真冬は、口内にある折れた数本の前歯を噛み砕く。

 一本の歯だけは噛み砕く事はせずに、舌の内側へと隠す。

 礫を放つのと折れた前歯を噛み砕くのはほぼ同時だ。

 

 鼻梁にダメージを受け、夥しく流れていた鼻血を、催涙スプレーか何かを思わせる様に、剛志の右目へと噴射したが──それで剛志の視力を奪えていたか、真冬自身には判断するのは難しい──筈だ。

 普通ならそうだろうが、真冬は違う。

 

 真冬は、人体の弱点やダメージを受けている箇所、本来なら目には見えない疲労や古傷なども“見る”事が可能なのである。

 その真冬の特異な視覚は、剛志の右目から視力を奪えていない事実を判別していた。

 “視覚に障害が発生しているのが見えない”

 つまり、それは、ダメージが無かった事を表しているのだ。

 

 礫は顔面全体を──

 噛み砕き、微細な欠片となった前歯は剛志の右目に狙いを定め吹き出した。

 

 ブロック壁の破片は、散弾銃の様相を呈していた。

 もはや、近代兵器の領域にあるかの様に──

 幾つかは、目に、鼻に、嗤った口に当たり、僅かなりとも刺さる破片さえ有った程だ。

 

 だが、それで尚、怯まない剛志だったが、そこで何かしらの防御的な行動に出ていた方が良かったかも知れない。

 ワンテンポ遅れて吹き出された前歯の欠片が、右目へと命中したからだ。

 その右目へのダメージが影響したか、剛志の豪腕は突風の様に奮われはしたが、本来狙っていた鳩尾からは大きく外れた。

 

 真冬は親指を曲げ、残りの四指は揃えて伸ばし、右手を手刀の様な状態にする。

 

 真冬自身もダメージは大きい。

 特に最初に下腹部へと受けた爪先による前蹴りで、膀胱や、子宮にダメージが響いている。

 そろそろ、終わらせたい──と言うのが正直な所だ。

 だが、だからと言ってカツアゲされて、金を差し出すのは違う──と、真冬は考えている。

 実際、カツアゲ坊主が満足する様な額は持ち合わせてはいないだろうが、重視するべきはそこではない。

 九歳の少女が、山や岩石を連想させてしまう程の大男に絡まれ、考える様な事では無いが──“金を出すのは癪に障る”──

 真冬の脳内が、この件に関して概ね広く占めるのは、この思いだった。

 

 剛志の拳が逸れて、彼のバランスの取れた平衡感覚も多少乱れた。

 それを見逃す真冬ではなかった。

 

 爪だ。

 

 手刀を振るうのではない。

 ブロック壁やコンクリート、アスファルトを抉り削り出してしまう硬度を誇る爪で、手刀の様に“斬る”のだ。

 

 大振りにスイングされた剛志の右腕、肘関節辺りを左手の掌底で弾く様に軽く触れた。

 その緩やかな打撃とも言えぬ一撃だが、剛志は平衡感覚を更に崩したかのようによろめく。

 爪はナイフの鋭さを以てして、よろめいた剛志の腹を斬りつけた。

 

 傍目には手刀を振るった様に見えただろう。

 そして、手刀が剛志のシャツを裂いて肉を斬った──

 ブロック壁を穿っただけでなく、幼い少女の手刀が人体を斬った……その妙技を目の当たりにした野次馬達は歓声を上げた。

 人間技では無いのは、一般人でも理解できる。

 勿論、手刀で行われた一撃では無いのだが、爪が、ナイフのように人体を斬ったのだ。

 

 速度もあった。

 斬られた──この状況に於いて尚も咄嗟にそう判断できた剛志は、腹筋を固めた。

 何で斬られたかは分からなかったが、腹筋で、その“刃物”を呑み込み、僅かな時間なりともその次なる動作を抑えようと考えたのだ。

 

 そこいらの破落戸(ごろつき)や極道者をカツアゲした際にも匕首やらで斬られた経験がある。

 大抵は、腹筋を固めたならば、刃を内臓まで通される事はおろか、筋肉を裂かれる事も無かった。

 それなりに腕に覚えのある刃物の使い手なら、多少の傷を負わされた事もあったが、今回の様に腹筋で刃を呑み込み、腕の動きを封じるや、反撃の一発を喰らわせたものだ。

 

 だが、真冬の爪による斬撃のスピードはとてつもなく迅速(はや)く、腹筋を固める間もなく振り抜かれたのだ。

 

 尤も、傷は浅い──

 

 しかし、それで、終わりではない。

 真冬は爪で腹を斬りつけるや、間髪措かずに、剛志の肘を弾いた左手を下げ、片膝を突くと同時、剛志の股間を掌で打ち上げたのだ。

 

 しゃがみ込み、立ち上がりと共に睾丸へ掌底──

 

 それは一秒にも満たない、刹那の行動であった。

 



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第一章 其の十 無寸勁

4. 

 

 激痛が走った──

 如何なる巨漢でも、強靭な頑丈さを誇った肉体を以てしても、免れる事の叶わない、圧倒的な激痛が押し寄せた。

 

 真冬の振り上げる様に放たれた掌底は、剛志の睾丸へ撃ち込まれたのだ。

 

(いっだ)ぁー”

 

 野次馬の中の男性達は、幼い少女が容赦無く繰り出した急所への打ち込みを目の当たりにし、顔面蒼白になっていた。

 自らが打ち込まれた訳ではない。

 しかし、幻痛に(かぶ)る様な痛みが、野次馬達自身の股間に、脳に、腹に響き渡ると言う不思議な感覚に囚われたのである。

 想像や空想とは恐ろしい物だ。

 より強く共感できる現象、感覚であれば、そこに──空想の中でさえ現実感(リアル)として実感出来てしまうのだ。

 

 しかも、打ち込まれた掌底は、更なる一撃へと変化する。

 掌底でのインパクトが、瞬時にして剛志へと激痛をもたらせた。

 だが、その“瞬間的な打撃”が、命中した“刹那的な瞬間”──

 また、異なる衝撃が寸分違わず、激痛の発生源となっている睾丸に走る。

 

 ──寸勁

 真冬は完全な零距離の射程にて、その掌底より派生した一撃として、更に撃ち込んだのだ。

 誰かに習った訳でも、模倣した訳でもない。

 真冬自身が空想の上に思い付いたそれが、所謂ワンインチパンチや寸勁に繋がったのである。

 

 剛志の……この巨漢の体重は幾ら位だろうか、野次馬達はふと考えた。

 

 剛志の身長は180センチメートルを越えている。

 体重は、異様なまでに発達した筋肉量ゆえに相当な物だろう。

 まず、100キログラムを下回る事は無い筈だ。

 対して真冬は、幽霊の様な見目をしており、何処か外見的に希薄な印象さえ見るものに与える。

 身長は120センチメートル、体重など35キログラムである──恐らく同年代の大抵の少女よりも儚く、脆い──そんな肉体なのだ。

 

 そんな少女の掌底で、巨漢が浮いた。

 寸勁で打たれた一撃に気付いた者以外は、掌底だけで、儚げな幽鬼の如き小さな白い少女が巨漢を浮かせたように思えただろう。

 先程まで、腹や顔面に一切の躊躇いの無い攻撃を受けていた少女が──と、そこまでにも考えが行き着いた野次馬は更に戦慄したものだ。

 

 だが、もう一つの現実に戦慄している野次馬達もいた。

 礫を顔面に見舞われ、右目には砕け破片となった前歯の噴射を受け、更に睾丸を打たれた剛志が──

 未だ、嗤っているのだから。

 

 その笑みに気付いた真冬は、追撃を躊躇した。

 大地を踏み締めていない故、まず、防御が手薄になっている剛志への追撃に、出たかった筈である。

 それなのに、次の行動に移らなかったのは、その笑顔に尋常ではない物を感じたからだ。

 

 並の相手なら睾丸を打たれたなら、そのまま膝を突く事もあるだろう。

 闘志は直ぐ様に削がれ、失われた闘志はその表情からも推測出来るだろう──

 

 剛志にとって、確かにこの真冬が放った睾丸打ちは、とてつもないダメージを与えてきたと思える物だった。

 潰れた──

 そう、自覚出来る物であった。

 実際には潰されてはいない。

 真冬が、敢えて潰さなかったからだ。

 

 そうであっても、甚大なダメージである。

 それでも、剛志は嗤えた。

 心底愉しい──

 

 そして、このダメージも先日の敗北の際に受けた一撃に比べれば、どうと言う物では無いと、剛志は思った。

 

“喧嘩師 花山薫”

 

 カツアゲ坊主に、初めて敗北と言う辛酸を舐めさせた超雄(おとこ)だ。

 本気で拳を握れば、自分の握力で自分の拳を壊してしまうという超握力で放たれる花山薫のパンチ──

 それは、一切の防御が防御の意味を為さないと言う。

 腕で受ければ腕が壊れる。

 防御は貫かれ、真芯を砕かれるのだ。

 この、14歳の天才少年の化物の様な拳から繰り出されたハリケーンの如きパンチと比べたら、真冬の睾丸打ちや寸勁など、そよ風の様な物でしかない。

 花山薫に殴られ、敗北したあの瞬間は、無駄ではなかった。

 

 だから、嗤えた──

 この戦いも、明日の闘争、花山薫との再戦に活きるかも知れない。

 

 剛志は、自分が宙に浮かされた事に気付いている──そして、追撃が来ない好運。

 

 花山薫には遠く及ばないが、剛志の握力もまた、人智を越えた常軌を逸するものだ。

 右拳を固め、左手は、右拳を包むように添えられた。

 筋肉の膨張の音が、まるで聞こえるかのようだ。

 目に見えて、彼の鍛えられた両腕の筋肉が膨れ上がった。

 鍛えあげられた──

 寧ろ、搭載されたと表現するべきかも知れない筋肉だ。

 それは、戦車の装甲であり砲搭でもある。

 

 宙に浮いた剛志は、落下と共にダブルスレッジハンマーを真冬の脳天に叩き付けた。

 

“また、反撃(やりかえ)したッッ!?”

 

 勝負が着いたと思っていた野次馬達が大多数だった。

 しかし、地に足付かぬ態勢から、剛志は心が折れる事なく反撃したのだ。

 

 肉が骨を打つ──

 

 真冬の紅い瞳が、その時映したのは赤い世界だった。

 それと同時に閃光か、火花も見た。

 火薬が炸裂するような衝撃が火花を見せたのだ。

 それは、瞳で見たのか──

 脳が揺れて、脳が幻視したのか──

 

 どちらにせよ、勝負は、決した。

 

 脳が甘く痺れる。

 痛みは既に感じない──

 脳内に炸裂していた火花が消えると、真冬自身、自分に起きている現象が理解出来てはいなかったのだ。

 

 ドグゥンと、心臓が哭いた。

 真冬の心音は、右側から聞こえている。

 

 野次馬達が見る真冬の姿は幽鬼そのものだった。

 先程のダブルスレッジハンマーは、真冬の前頭骨の縫合を外し、ひび割れさえ発生させていた。

 涙の様に、両眼からは血が流れており──

 だらんと、両腕は下がり、ゆらゆらと、全身が揺らいでいる。

 元々虚ろだった紅い瞳は、何処を見ているのか、傍目には判断し難い。

 

 剛志は、ダブルスレッジハンマーの形を崩さず、横殴りに、真冬の下顎へと振るった。

 その時だ──

 

 その一撃に合わせたかのように、真冬の全身は剛志がダブルスレッジハンマーを振り抜いた方向へと一回転したのだ。

 

 しかも、未だにゆらゆらと不安定な重心でありながら、回転の後も、足はアスファルトについていた。

 

 剛志の脳裏に過った奇妙な違和感。

 両手に伝わった気持ち悪さ。

 

 ──まるで、羽毛を殴ったような……?

 そんな違和感が、剛志の手に残っていた。

 



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第一章 其の十一 羽毛

5.  

 

 両手に違和感を残したまま、剛志は右拳に被せた左掌を外し、ダブルスレッジハンマーの形をやめ、両手を離して行く。

 羽毛を殴った……いや、物体として余りに希薄な物を殴ったとも言えるだろうか。

 人間の肉体を殴った感覚では無かった。

 そして、見たところ二発目のダブルスレッジハンマーでは真冬にダメージが入っていない。

 

 剛志は、先程真冬が爪を振るった時の様に、四指を伸ばし、あたかも手を刃物に見立てたかのように形作る。

 しかし、真冬がそうして爪を使ったのとは異なり、剛志が放つのは手刀……チョップだ。

 プロレスリングに明るくない者であっても、誰もが知る往年の名プロレスラー“マウント斗羽”が得意とした、所謂、斗羽チョップ……『脳天唐竹割り』の如く手刀をもってして、またも真冬の頭部を狙う。

 と、思わせたが、狙ったのは実は脳天ではなく、真冬の耳だった──

 

 嘗てマウント斗羽が海外のレスラーに放った耳削ぎチョップである。

 鍛えようが無いと思われる耳。

 アメリカにおいて、ジャイアント・デビルと渾名され恐れられたマウント斗羽の殺人技であった。

 

 だが、耳への手刀さえ、幽霊の様な希薄さ、羽毛の様な軽さとなっている真冬──その衝撃を受け流す奇妙な技術の前に無力化してしまっていた。

 手刀が真上から降り下ろされ耳へのインパクトの刹那、真冬はほんの数ミリメートル背後に跳び、またも全身を前に一回転させていた。

 

 ──何が起きているッッ!?

 剛志、そして野次馬達の心に浮かぶのはそれだ。

 明らかに死に体となっているとしか思えない真冬の姿を目の前にしたら、この不可思議な状況が一層、理解できないだろう。

 

「脱力じゃな……しかも、異常なまでに洗練された脱力……。まるで……『剣豪 宮本武蔵』の自画像に描かれてあるそれを、見ておるような、のぅ……」

 いつの間にか野次馬達の中に現れた、一人の老人がそう語った。

 如何にも、達人然とした姿格好、そんな見目の老人だった。

 和服を着ている──

 腕を組み、真っ直ぐ前を見据えた鋭い眼光──

 日本人なら、時代劇や劇画から抜け出てきたような達人を想像してしまう……そんな風体の老人である。

 身長こそ人並みだが、それが寧ろ、達人、師匠、老師……とそんな言葉を当て嵌めてみたくなるだろう。

 

「少年よ、ほれ、それかこれ、その娘に投げ付けてみい」

 老人は指でそれぞれを指しながらそう言った。

 

 剛志と真冬が拳を交えているのは赤牛丸の駐輪場である。

 自転車やバイク、スクーターなどが数台駐輪されている。

 それとは自転車で、これとは中型のバイクのことだった。

 

“何だ、その煽り──?”

 

 野次馬達はそう思いながらも、次の剛志の行動に期待した。

 本当に投げるのか?

 投げるのなら……どっちだ。

 そもそも、バイクを持ち上げるのか……?

 そんな期待だ。

 

 剛志は老人の言葉に従うつもりは無いが、確かに面白そうだ……とは思った。

 剛志は地上最強の生物を目指している。

 そうした目的の持ち主なら、武器やらを使わないのではと考えてしまいがちだが、彼は武器や道具を使う事を恥とは思っていない。

 必要なら刃物だって飛び道具だろうと使うし、使わせる。

 飛躍した例えとなるが、核爆弾の使用だって彼は容認する。

 自分も使える状況にあり、必要に迫られたなら使うだろう。

 だが、そうした兵器などは、実のところ使っても面白くないから、喧嘩やカツアゲの為には使わない筈だ。

 しかし、この場にある二輪車を投げてみる、だが──これについては、その攻撃に真冬の技術はどう対処してくるか……それは見てみたいし、体験するには愉しい道具の使い方なのだ。

 

 自転車やバイクが停められているのは、真冬や剛志の立っている場所から2メートルも離れてはいない。

 それでも、わざわざ、それらの元に行くのはリスクがある。

 自転車やバイクを投げろと言われ、それを手にするために向かおうとしているものがいたら、普通なら何らかの方法で邪魔をし、阻もうとするだろうし、手にしようと移動するものにも大きな隙が生じる筈だ。

 その隙につけこまれる事もあり得るだろう。

 

 だが、剛志はバイクの元へ向かうし、真冬の方も何の行動にも出なかった。

 真冬はただ、陽炎の様に全身を揺らめかせ、虚ろな目で前を見ているだけだった。

 

 剛志の手がバイクのハンドルを握る。

 0.2トンが、みちみちと筋肉が膨れ上がった豪腕によって、宙を舞った。

 僅かに浮いて、滑るように流れて、バイクは何の労力も無いようにして、剛志に投げられたのだ。

 

 小柄な真冬の前に投げられたバイク──

 真冬の前では明らかに巨大な物体だ。

 

“本当に投げたッッ”

“嘘だろ!?”

“化け物だッッ?”

 野次馬達の声が口々に上がった。

 

“ひぃっ”

 野次馬の小さな、悲鳴とほぼ同時に──

 小柄な真冬と対比してより巨大に見えるバイクが、真冬に衝突する。

 闘争(けんか)と言うより、交通事故じゃねぇかと、一人の野次馬からジョークが聞こえたが、他の野次馬達は彼のその言葉には無視を決め込んだ。

 

 大きく横回転しながら投げられたバイクのちょうど後輪が真冬の首もとに当たる。

 

 が、またも──真冬は、命中の際にとんと軽く跳び、背後に倒れ、全身で受け流し、先程のバイクと異なり縦に回転してみせた。

 

 バイクは真冬の後方へ飛んで行き、レストランじゃんぷーのブロック壁を粉砕し、バイクもまた、大きく損壊した。

 

 トっと、軽い音と共に真冬の身体は、元に戻り、何事もなかったかのように、そこに立っていた。

 

“おぉ~”

“こ、こっちも化け物かよ!”

「やはりな、あれこそ、脱力の究極系──」

 

 感嘆の声を挙げる野次馬と一人納得し頷く老人。

 

「どこでいつ、学び修めたか、中国武術の極意……消力(シャオリー)じゃッッ!」

 

 達人然としている筈の老人だが、その声は、沈着冷静なイメージが付きまとう達人とはかけ離れたような、興奮の色が全く隠されていないものだった。

 



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第一章 其の十ニ エンドルフィン

 

“何だろう?これ?頭の中が、甘い?甘くてとても美味しい”

“火花が散って、光って、急に甘いので充たされた”

“この人で、甘い……”

“あぁ、そうだ──この人の戦闘力、嫌いだけど、この人に殴られたら、急に甘くって、美味しくなったんだ”

“だったら、キラいじゃないかな、この戦闘力も”

“甘くなるのって、あの時と同じだから──”

“──そうですよね?ねぇ、お母さん──”

 

 脳内の甘い痺れが気持ちいい。

 不思議な快楽が、真冬の脳内を満たしている。

 痛みも、疲れも押し殺してくれる快楽に、真冬は身を委ねた。

 

 そうすると、まだ動けるし、戦える。

 生への執着も何故か増した。

 

 心臓の鼓動も、血流も速くなっている。

 胸が、熱かった。

 疼いていると言っても良いかも知れない。

 その疼きも、心地良い。

 

 真冬を充たしているその正体は、ランナーズハイの際に分泌されると言う、所謂、脳内麻薬と呼ばれる物である──

 

 脳内麻薬、β-エンドルフィン──

 地上最強の生物である範馬勇次郎曰く、

『運動を長く続けていると、脳がこれ以上運動を続ける事は危険であるとサインを出す』

 本来、通常の競技者であるならば、ここで休憩を取ることになるのだが、格闘士、特に表社会にて武を競っている訳では無いような武術家達の人体はそこで終わらず、更にその先の境地に達する必要がある。

 人体が要求している苦痛のサインがどれだけ送られようとも無視をし続け、運動を続けるのだ。

『すると脳ってやつは面白い事を始める。苦痛を取りさっちまうんだ』

 そうすると、競技者達は死ぬまで動き続ける事が出来るようになる。

 それを可能とするのが、脳内に分泌される神経伝達物──エンドルフィンである。

 

 強力な鎮痛効果を有しており、単純に体力をも増し、精神に強烈な多幸感や高揚感をもたらせると言う。

 

 真冬もまた、このエンドルフィンが脳内を満たしたなら、痛みや疲れを感じる事は無くなり、強力な身体能力を得ることになるのだ。

 前頭骨の縫合を外した剛志のダブルスレッジハンマー。

 頭骨へ甚大なダメージを被る事で、真冬の脳内はエンドルフィンを分泌──

 エンドルフィンで満たされた真冬はほぼ無敵だ。

 痛みは無くなり無尽蔵の体力を得る。

 つまり、あの、ダブルスレッジハンマーを受けた時点で、勝負は決したと言えるのだ。

 脳内麻薬で満たされた真冬に、敗北はまず、有り得ないだろう。

 

 

6.

 真冬の身体と脳に充ちる多幸感──

 それをもたらせる物の正体はエンドルフィンだ。

 もはや、痛みはない。

 そして、目に見えて真冬の身体にも変化が有った。

 

 ──爪だ。

 

 ブロック壁を、まるで粘土か何かの様に容易く抉り穿った鋼鉄の如く強靭な爪が、僅かに伸びだしたのだ。

 伸びた爪は真冬にとって武器となる。

 更にアルビノの白い肌から透けて見えるような血管は膨張していた。

 脳内麻薬が分泌された事によりもたらされた、尋常為らざる新陳代謝の結果である。

 

「……馬鹿な、爪が伸びておるのが、はっきりと目に見えるだと……」

 達人然とした老人も、その異様な新陳代謝に驚嘆の声を挙げていた。

 

「面白いじゃねぇか、バイク、真っ正面からぶっつけられて、何ともねぇのか!」

 消力と脳内麻薬──

 真冬が見せたその技術と能力を、剛志もまた賞賛し驚嘆する。

 しかし、そこに恐怖の色は全くなく、寧ろ嬉しそうだった。

 今もなお、剛志は笑い続けていた。

 牙を剥く獣の表情のような嗤い顔である。

 そして、大きく腕を広げた。

 威嚇する熊の様な、彼の父である江頭宏哉と同じ構えだ。

 

「嬢ちゃん、何て名前だ?俺は、江頭剛志……いずれ、地上最強の生物と呼ばれる様になる男だッッ!」

 

「……當之(たぎの)

 白い少女は僅かにそこで、一呼吸ほどの間、言葉を止め──

「……真冬です」

 名乗った。

 

 脳内麻薬により恍惚とするような多幸感に在っても、真冬の神経は一層研ぎ澄まされ、声にも澱みは一切無かった。

 

“中国武術の極意である消力に、脳内麻薬の操作、制御された尋常ではない代謝──こんな幼い子供が如何にして、どの様な、どれだけの修練を重ねたと言うのか……?欲しい、これ程の逸材などそうはない、我が古牧流に欲しいものじゃ”

 

 武術家──古牧宗太郎……達人然とした老人は震えていた。

 素晴らしい才能の塊を前にして喜びに打ち震えているのだ。

 弟子に迎えたい。

 そして、もしくはいずれ拳を交えたい……とも。

 彼の古武術古牧流は戦場術である。

 戦場(いくさば)に身を起き磨かれる技術なのだ。

 真冬の様な才能に技を伝える事に意味があり、そして、その才能と拳を交えてこそ、古牧宗太郎自身の技術もより磨かれ冴えて行く事になるだろう。

 

 真冬は両掌を開手のままに、何らかの構えを取ることもなく、ただ、両腕を下ろしている。

 だが、陽炎の様な揺らめきが彼女から見える。

 周囲の空間が捻れているような、ひりひりと感じる冷たい霊気が真冬から発せられていることに、剛志も古牧も気付いていた。

 

 しかも、単なる野次馬達の目にさえ、真冬の周りが吹雪いているような、そんな錯覚や幻想が見える程の霊気が、真冬の冷気として映っていた。

 自分達が、薄氷の上に立ちすくんでいる様な、そんな恐怖さえ感じる寒さだった。

 



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第一章 其の十三 遊技

 

 投げられたバイクが真正面から衝突──

 それによって、本来なら被る筈のダメージを吸収してしまう真冬の技術(わざ)──

 

 恐らく、単に身体が頑丈なだけではないだろうと、剛志は考えていた。

 この技術を破るのが、今回の勝敗の鍵となる。

 出来るなら真っ向勝負……小細工無しで、勝利を納めたいと言うのが本音だ。

 

 剛よく柔を断つ──

 

 技術を力で破ってこそ地上最強の生物と呼ばれるに値する超雄(おとこ)だろうからだ。

 剛志──

 父親から与えられた剛を志す意味を持った名前。

 地上最強の生物を目指す為に、自分は生まれ落ちたのだ。

 

 だが、それだけに拘りすぎても、勝利を得るのは難しいことを剛志は知っている。

 花山薫のような存在ならそれでも良いだろう。

 恐らく花山薫なら、真冬のあの奇妙な技術を前にしても異形の拳を見舞うだけで終わらせる……と剛志は思う。

 

 いずれは、自分もそうなりたい物だが今はまだ無理だ。

 

 剛志は決して、自信過剰な男では無い。

 自分を過小評価はしないが、慎重な面もある。

 自らを過大評価せず、そして、貪欲なまでの向上心を持ち合わせているのだ。

 

 何より、真冬との勝負は想像以上に楽しかった。

 いい加減なやり方で、この技術を破りたいとは思わない。

 上から下、隅々まで──この技や、真冬が持っている、引き出しの中身すべてを堪能して行きたい──そう、考えていた。

 

 殺すつもりで行くが、間違いなく、真冬は壊れないだろう。

 自分に、そう確信させてしまう真冬との喧嘩が素晴らしく楽しい。

 今夜の楽しい時間は終わっても、近い将来、また別の続きが出来る筈だ。

 

 ──だが、当然、勝って今夜の勝負は終わらせたい。

 

 見てくれは脆く儚い少女だと言うのに、ここまで楽しくさせてくれるとは、世の中、分からない物だ。

 

 特別構える事無く、真冬は、だらりと腕を下ろしてゆらゆらしている──それが剛志の目にも不気味で奇妙に映っているのだった。

 何をしてくるか、分からない。

 肉体による打撃──あの少女が得意としているのは、恐らくそうした物では無くて暗器の様な物や、何らかの道具だ。

 だが、自分自身の血液や爪、歯なども武器にしてしまうし、寸勁の様な高等な技までも使ってくる、故に何が飛び出すか想像するのが難しく、読みにくい相手なのだ。

 一瞬の油断もしてはいけない──元より、微塵も油断などするつもりは無いが。

 この真冬は、幼い少女の外見をした化け物なのだ。

 そもそも、まち針でアキレス腱を貫いた姿を見て惚れ込んだ少女の戦闘力である。

 

 油断無く、間合いを詰める。

 周囲を、そちらには顔を向けずに確かめる。

 

 赤牛丸は店内が外からも見えるガラス張りだ。

 自分の背後にはたこ焼き屋──

 

 ガラス張りはそこにぶつければガラスでダメージを与えられるかも知れないし、たこ焼き屋の鉄板なども武器になる。

 どちらにとっても、有効な武器だろう。

 

 剛志は、少し間合いを詰めて行く。

 一歩、歩幅程には詰めては行かない。

 

 真冬の出方を窺っていた。

 しかし、真冬からは動く様子は無いようだ。

 あの技術は、防御の物だろう。

 となれば、真冬からの攻撃は無いのだろうか……。

 

 その時だ──

 揺らめき、風に晒される草の様だった真冬の身体は、突然に動いた。

 空気を破裂させた。

 炸裂音──

 

 それは、異様にしなり、鞭の様に──関節など存在しないかの如くに曲がりくねった真冬の両腕が撃ち込まれた後に鳴った。

 音が遅れてやって来たのだ。

 ──つまり、真冬の腕は音より速くに撃ち込まれたのだ。

 

 右手は掌で剛志の喉仏を打ち、左手は爪で背中を一閃し切り裂いた。

 

 爪は背中の肉を抉っていた。

 真冬の五本の指の爪の間に衣服の繊維と剛志の皮と筋肉、血がこびりついている。

 

 明らかに、射程範囲の物理的な距離感がおかしい。

 どういう原理で扱われている技術なのか、どんな腕をしているのか理解出来ず、剛志は一瞬動揺し、冷や汗が頬につたうのを感じた。

 

 真冬のしなる腕は、次の攻撃に移ることはなく、ただ、縦横無尽に恐るべき速度で動いていた。

 ──が、ピタリと止まり、またもゆらゆらと緩やかな揺らぎに戻った。

 

 両腕による鞭打──

 そして、左手で打たれたそれは、中国発祥の武器、縄鏢に似る。

 本来の縄鏢ならば、縄の先に付いている鏢の本数は一つだ。

 しかし、爪は指五本分の五枚である。

 それは、正しく五本の鏢が搭載された縄鏢となるのだ。

 

 差し詰め、『縄鏢掌』とでも名付けられようか、真冬の強固な爪があってこそ可能な技術(わざ)である。

 

 消力をも可能とする真冬の脱力──鞭打もまた、真冬が得意とする技術だ。

 これは、真冬にとって数少ない娯楽……ちょっとした遊びから修得された。

 真冬は、ガラス瓶を鞭打で破壊出来る。

 いや、ただ破壊するだけではない。

 

 固定されていないビール瓶などの栓を、まず、鞭打で弾き、その栓だけを抜くことになる。

 その際に、瓶は全く微動だにしない。

 中身が溢れる事すら無いのだ。

 そして、逆達磨落としとでも言えば良いだろうか、順々に上部から粉砕して行く。

 それでもなお、中身は無事であり、瓶は動かない。

 底の付近ぎりぎりまで粉砕すると、中身は無くなっているが、瓶は当然そこまでやっても倒れないのだ。

 真冬は、ゴミ捨て場でビール瓶を拾い、中身には公園の水飲み場の水道水を入れて、こんな遊びを今より幼い頃から行っていたのである。

 

 常軌を逸した恐ろしい遊びをする幼女……それが、真冬なのだ。

 ──遊びがそのままに、武の修行となっている、そんな生活だった。

 



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第一章 其の十四 修羅百合姫

7. 無野(弟)の白い少女目撃談

 

 あぁ、白い少女──

 おっさんが言ってるロリ、知ってるぜ。

 

 あの子のこと、俺らは『修羅百合姫』って渾名付けてるんだけどよ──

 修羅百合姫ちゃん──

 あ、真冬ちゃんってのがほんとの名前なの?

 

 俺が、そう、赤牛丸んとこで、でかい……ダンプカーみてえな奴と修羅百合姫ちゃんが喧嘩してるの見始めたのはだな──

 

 修羅百合姫……真冬ちゃんで良いか、そっちの方が話しやすいしな。

 真冬ちゃんがダンプカー野郎の首に平手打ちした辺りからだよ。

 あぁ、なに?鞭打?

 知らねぇよ、え?そんな名前の技なの?

 

 その、鞭打?エグいよな、真冬ちゃん。

 喉仏んとこ、直撃してたよ、あれ、普通の奴なら死んでるんじゃね?

 あの、ダンプカー野郎の野太い首、あのやべえムキムキの筋肉だから咳き込むくらいで済んでるんだろうな。

 首の骨もよっぽど頑丈(タフ)なんだと思うぜ。

 普通、喉仏っていや急所だろ?

 それなのに、大して効いてるようには見えないんだな、これが。

 ほら──

 あいつ、あれ、だろ?カツアゲ坊主──

 あぁ、知ってるぜ、色んな奴に喧嘩吹っ掛けて、ボコしたあと金をパクるカツアゲ坊主、強いらしいよな。

 俺?俺はあんなのとタイマンはりたくねぇな。

 兄貴呼んで、兄貴と二人がかりならヤっても良いけどな。

 

 喉仏、ぶっ叩かれて、いつの間に喰らってたのか、あいつ、背中にもすげぇ、引っ掻き傷が出来てたっけ。

 真冬ちゃんの指先、爪の所からカツアゲ坊主の血が滴ってるんだもんな。

 どんな爪だよって──

 ありゃ、本当、カツアゲ坊主の背中、熊に爪でヤられたみたいだったね。

 肉、抉り取られてたんじゃね?

 真冬ちゃんの爪はよ、あれだ、コンクリートブロックとかアスファルトもほじくりかえしちまうらしいんだよな。

 粘土じゃあるまいし、とんでも無い爪だよ。

 

 ん?俺らはその時喧嘩してる真冬ちゃんが初見じゃねぇよ。

 真冬ちゃんを初めて知ったのは前の日、クリスマスの夜だったな。

 児童公園で、5人組とやりあってるのを公園前にある天野ビルって廃墟ビルで見てたんだよ。

 その時に兄貴がね、修羅と白百合を混ぜて、真冬ちゃんにそんな渾名付けたんだ。

 

 ほら、真冬ちゃんって髪の毛も肌も真っ白だろ?

 白百合って感じしねえ?

 で、修羅みてえに強い。

 白い可憐な百合の花で、修羅の様なロリ──

 良いネーミングじゃね?

 可愛いのに化けもん染みた強さのあの子にピッタリとは思わない?

 

 ──うん、そうだろ?思うよな、可愛いよな。

 マジでさ、ゲームのヒロインみたいな、ロリだよ。

 俺らは16bitってチーム名だろ?

 ゲーム好き何だよ、俺ら。

 カラーギャングチームに16bitなんて名前、つけちまうくらいにさ。

 そうそう、俺らのチームね、その天野ビルをアジトにしてるんよ──だから、その夜も、天野ビルでダベってたから、そん時、ちょうど運良く真冬ちゃんの喧嘩を見れたんだな。

 

 そりゃ、そんなゲーム好きな俺らが真冬ちゃんみてえな、格ゲーヒロインっぽいロリ目撃したら、萌えるのも当然だろ? 

 初見の時なんかさ、一瞬で五人もやっちまうんだぜ?

 

 そのまんま、ゲームから飛び出してきたみてぇな娘何だよ、あの子はな。

 

 今回の赤牛丸横での喧嘩もよ?相手はダンプカーか、大型のトラックみたいなカツアゲ坊主とやってるんだからなぁ。

 しかも、ゴスロリだぜ?

 ──ゴスロリ服なんか着てるのよ。

 あんな可愛いロリのアルビノゴスロリヒロイン。

 喧嘩魔法少女修羅百合姫真冬ちゃんって呼びたくなるよな?

 課金してぇよなぁ、真冬ちゃんに衣裳。

 

 ん?容姿の事ばっかり言ってる目撃者も珍しい?

 何?他の奴等にも聞いてるの?

 へぇ、他の奴は真冬ちゃんの戦闘力の事ばかり解説、ね。

 ゴスロリ服着て喧嘩する幼女の取材とか、おっさんもいい趣味だよな。

 へぇ、神室町でイキの良い奴の記事を書くのが仕事か。

 え?おっさん、記者で情報屋なの、凄いね。

 

 じゃ、続けるぜ、携帯に写真も撮ってるから、それも買ってくれる?

 写真のデキによるだって?

 

 まぁ、いいや、でよ──

 喉仏、打った後は、なんかこう、ゆらゆらと全身揺れてたよ、真冬ちゃん。

 

 ──ふうん、あれ、脱力って言うんだ。

 よくわかんね。

 でもな、目の前で見てるとあのゆらゆら、何でもねぇ筈なのにすげぇ、手を出しにくさってのが分かるんだよ。

 俺だって、不良だぜ?喧嘩の場数はそれなりにあるから、分かるんだよな。

 なんか、やべえって。

 

 理由とか理屈はわからねぇけど、ヤバさは分かるんだよ。

 

 でも、カツアゲ坊主の喧嘩の場数は俺ら何かと比べ物にならないんだろうな。

 喧嘩の質も違うと思うぜ。

 あのゆらゆらを前にして、しかも背中と喉仏にダメージあるのに、すげえ勢いで、180センチ以上はある肉の塊が真冬ちゃんに突進したんだ。

 ヤバいのに、行く。

 それが、カツアゲ坊主みたいな喧嘩野郎何だよ。

  

 真冬ちゃんってさ、俺が見始める前に、バイク投げつけられたらしいよな。

 でも、平気だった。

 そんな真冬ちゃんに向かって、100キロ越えてる180センチの大男の体当たりだ。

 まぁ、バイクにぶち当たっても平気だったんだから、大丈夫だろ。

 

 カツアゲ坊主の肉弾が正面衝突──

 

 かと、思ったら真冬ちゃんの体が空中に一瞬浮いて、上半身が、仰け反った──で、回転したんだよ。

 半回転くらいか。

 

 バイクぶつけられた時は一回転してたらしいよな?

 でも、そんときは半回転。

 本当は一回転するつもりだったんだろうけど、カツアゲ坊主の両手が地面を蹴って跳ね上がるはずだった脚を掴まえたんだ。

 

 細くて、綺麗な脚何だよ、真冬ちゃん。

 薄手の黒いタイツが、なんつうか、良い感じでよ?

 触りたいよなぁ。

 で──

 その細い足首と脹ら脛辺りをがっしり掴まれたから、一回転出来なかったんだ。

 体当たりのダメージは無さそうだったよ。

 

 真冬ちゃんは特に表情に変化は無かったな。

 掴まっても動揺とかしてなかったんじゃないかな?

 

 でも、ポッキリ折れそうな細い足首をバカデカイ手が掴んでるからさ、傍目にはヤバイとしか思えなかったな。

 ギリギリって骨が軋んでる、そんな音が届きそうな錯覚もあったよ。

 

 んで、すげえのは、此処からよ。

 足首掴んで、そのまま、真冬ちゃんを引っこ抜く勢いみたいに振り上げたんだ。

 

 こっちには真冬ちゃんの頭頂部が一瞬見えたよ。

 レースで花……百合かな?黒百合をモチーフにしたので飾られてるヘッドドレスがずれて外れかけてよ、それはそれでなんかエロかった──

 

 で、その勢い崩さず真冬ちゃんを降り下ろした。

 何だろ、人間で素振りやった感じか?

 で、真冬ちゃんはアスファルトに叩き付けられたんだ──

 

 

 



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第一章 其の十五 写真

 

 冗談抜きでよ、驚いたよ、マジ。

 赤牛丸の駐輪場が、真冬ちゃんの後頭部で、陥没しちまってたんだよ、うん。

 たった一発でだぜ?

 化けもんだよ、カツアゲ坊主──

 

 陥没したアスファルトとかよ、こんなの見たら絶対飛び降り自殺は、したくねぇって思ったな。

 見てるだけで全身が痛くなったよ、あれ。

 

 で──この一発は、まぁ、さっき言った様に人間の体での素振りだ。

 でも、これだけでカツアゲ坊主は止まらなかった。

 何度も何度も、同じ様に真冬ちゃんの体を振り上げては、アスファルトに叩き付けやがった。

 こいつは、素振りじゃねぇ。

 

 真冬ちゃんの体がツルハシか掘削機みたいになってたよ。

 アスファルトが陥没を繰り返して、クレーターが出来てたよ。

 野次馬連中、悲鳴も、声一つ出せ無かったな。

 みんな、ドン引きしてたわ。

 

 あ、これ、そんときの写真ね──

 アスファルトに大穴出来て、ほら、穴の周辺、亀裂も走ってんだわ。

 なぁ、おっさん、この写真の真冬ちゃんのスカートの捲れてるの良い感じだろ?

 

 へ?そんな写真じゃない?

 いやいや、真冬ちゃんみてぇな可愛い女の子の喧嘩だぜ。

 真剣な喧嘩なのに、そんな合間に見えてしまってるパンチラが良いもんなんじゃねぇの?

 

 黒いゴスロリスカートが捲れて、その下から見えてる白いフリルのパニエもそそるよな?

 真冬ちゃんの太股、全然肉付いて無いんだよな。

 細すぎる。

 

 次の写真、これ見てみろよ、おっさん。

 

 タイツの中心部分の縫い目と重なる真冬ちゃんのパンチラ写真だ。

 何度目かの叩き付けでよ、ちょうどこのセンターシームが見えるエロい写真が撮れたんだ。

 タイツ履いてる時のパンチラって、この縫い目が良いんだよな、分かるよな、おっさんも。

 

 あ?それでどうなったかって?

 後頭部でアスファルト掘るみてえに叩き付けられたんだ、普通、もう終わりだよな。

 でも、よ──

 

 そこは、真冬ちゃんだぜ?

 受け身も取れてねぇ筈だ。

 空いてる筈の両手で頭庇ったりも出来ただろうに、それもしてねぇ。

 

 でも、な。

 真冬ちゃんの意識はまだまだ、はっきりしてたんだわ、これが。

 

 カツアゲ坊主も気付いてたんだろうな。

 すげぇ、嗤ってたよ。

 ん?いや、カツアゲ坊主はビビりもせずによ、意識のある真冬ちゃんの顔を見ては嬉しそうなんだよな。

 

 ありゃ、あいつも、とことん真冬ちゃんに惚れ込んでるぜ。

 あいつの場合は、真冬ちゃん……の戦闘力にベタ惚れって所だけどな。

 女の子としては、見てねぇんだよ、あいつ。

 タイツが破れて真っ白い真冬ちゃんの足が見えてるのに、そっちには全然視線向いて無かったしな。

 

 俺だったら、真冬ちゃんと喧嘩してても、そっちに目を向けてしまうだろうけどね。

 わざと破ったりしても良いよな。

 俺も真冬ちゃんに一回喧嘩吹っ掛けてみるかね。

 兄貴と、16bitのメンバー何人か引き連れてさ。

 

 カツアゲ坊主には、エロい考え何か全然無いんだろうな。

 俺ならタイツ越しに色々触りたいけど──

 あいつは次に真冬ちゃんの膝を捻切るみてえに力任せな……なんつうか──

 

 関節技をかけるみたいに、捻りも加えながら、膝関節の逆方向へ自分の体重を乗せていきやがったんだ。

 真冬ちゃんの細い骨何か、あの糞重たそうなカツアゲ坊主の体重に耐えれる訳、ねぇよな。

 

 足首もねじって、膝関節を砕く──

 

 でも、そんな目論見も真冬ちゃんには通じなかった。

 

 掴まれていない方の脚がな──

 異様にしなって──

 そう、おっさん、さっき言ってた鞭打?

 鞭打のベンは“むち”って漢字何だっけ?

 足が、鞭になってたよ。

 

 脚でも鞭打って奴になるのか?

 俺は知らねえけどさ、あの時の真冬ちゃんの足はマジで鞭だったよ。

 

 すげぇ音鳴ってさ。

 痛かったんだろうよ、流石のカツアゲ坊主でも。

 直ぐに離れてたよ。

 それから真冬ちゃん、右手で地面を叩いたかと思ったらいつの間にか立ち上がってるんだわ。

 

 立ち上がった──

 と、思ったら、真冬ちゃんが見せたのは飛び膝蹴りだった。

 しかも、折られそうだった膝で飛び膝蹴りだよ。

 意趣返しみてえで、面白かったね。

 何かさ、プロレス的なんだよね。

 

 ん?カツアゲ坊主も、プロレスみたいなことやってた?

 あぁ、そっちはプロレスの技なのね。

 マウント斗羽の耳削ぎチョップ?エグいな、決まってたら真冬ちゃんでもヤバそうだよな。

 

 ──そうして繰り出された真冬ちゃんの飛び膝蹴りだったんだけど、あんまし効いてる感じはしなかったな。

 でも、どういう訳か、膝がカツアゲ坊主に当たってた筈なのに、今度は真冬ちゃんの踵がカツアゲ坊主の脳天に叩き込まれてるのを俺は見たんだ。

 

 脳天に──

 額に──

 

 真冬ちゃんの踵が連続で叩き込まれてた。

 しかもだ──

 そんな連続の蹴撃も、単なる前振りでしかなかったんだな、すげぇよ、あの子は。

 

 額から、次は鼻。

 カツアゲ坊主も堪らず、遂に顔面庇うために腕を防御に回してた。

 

 引っ込められた左腕に、真冬ちゃんの右腕が絡まった……。

 その瞬間だ。

 

 ──左腕を軸に、真冬ちゃんの勢いを付けた膝蹴りがカツアゲ坊主の顎に当たった──

 嫌な音が響いてたよ。

 顎、砕けてたかもな。

 でもな、やべぇのは、それじゃねぇんだ。

 

 あれは、どういう技何だろうな。

 

 俺の目にもとんでもねぇタフネスを誇ってるように映ってたカツアゲ坊主が、あっさりぶっ倒れたのよ。

 



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第一章 其の十六 無寸雷神

 

 真冬の膝が剛志の顎を砕いた。

 その際に響いた嫌な音を、剛志も、野次馬達も聞いていた。

 剛志は息が出来なかった。

 あまりの激痛に両目から涙も滲む。

 

 砕かれたのは顎骨だけではなく、奥歯もだ。 

 苦痛の声を上げる一瞬の猶予も与えられない、連撃に次ぐ連撃のだめ押しに放たれた膝蹴りは、かなりのダメージだった。

 

 初撃となった脳天への踵落とし。

 額へと、もう片方の足による踵落とし。

 そして、またも踵は鼻へと落とされた。

 

 それは刹那の出来事だ──

 だとしても、滞空時間が異様な長さである。

 滞空時間と飛距離の長さに定評がある技に“真空飛び膝蹴り”と呼ばれる物があるが、この真冬の連撃は古牧宗太郎の脳裏に、正しくそれを連想させる物だった。

 

 そして、連撃は顎への膝蹴りで締めくくられた。

 

 脳天への踵落としは間違いなく、そこいらの格闘家に放ったのなら、首を引っ込める途中の亀の様に、首が胴体にめり込んでいただろう。

 本来は連撃を行う必要の無い威力を持った踵落としであった。

 連撃へと移ることになったのは剛志という化け物相手だからだ。

 

 鼻への踵落としも、鼻の骨が潰れる感触も無かった。

 そんな少しの気持ち悪さを真冬は感じだ。

 軟骨が潰れていない……潰れる感触を覚えないことが気持ち悪い。

 潰れた感触を味合うことの方が、普通の精神の持ち主なら気持ち悪さを覚える筈なのだが、やはり真冬の精神はどこかおかしい。

 

 グラリとよろめき、倒れ込むかと思われた剛志だったが、地面を強く踏み締め踏ん張る事でその巨体をアスファルトへと投げ出す事は無かった。

 ある種の意地だった。

 そして、恥じていた。

 一瞬だが、防御に回ってしまった事を、剛志は恥じているのだ。

 

 顎を砕く膝蹴りを喰らった時の事だ──

 剛志の脳裏に浮かび、網膜は真冬の姿ではなく脳裏の中にある幻想を映し出していた。

 

 幻視されたものは一人の超雄(おとこ)の姿である。

 喧嘩師 花山薫──

 

 先日、剛志をたった一発のパンチで沈めた異形の拳を持った男だ。

 不良や極道、裏社会に生きる格闘家にとって、花山薫との喧嘩は一種のステータスとも言える憧れなのだ。

 花山薫に殴られる事は一生の幸福であり、誇りとなる……そこまで言ってしまうものも居るほどだ。

 

 剛志にとっても当然そうだ。

 花山薫に殴られた──

 あの拳を経験したのなら他の拳など恐れる物ではない。

 地上最強の生物を目指している剛志だが、今はまだ花山薫の実力に比べると、大きく遅れをとっている。

 今、目指すべきは花山薫だ。

 そして、そんな花山薫と拳を交えたのだ。

 他の誰の拳を恐れる必要などあるものか。

 

 剛志はそう考えていた。

「まだ、やるか?お前の踵落としも膝蹴りも……花山薫の拳と比べちゃ何でも無いぜ」

 

 未だに、剛志は嗤っていた。

 

“お母さん、貴女が下さった甘さで頭の中が今も充たされています。この人の戦うことで今も貴女を感じられます”

 真冬の両目から涙が零れた。

 

 頭骨へのダメージで血の涙の様な流血が両目から溢れていたが、それに加えて血に混じった涙が零れていた。

 

 剛志は真冬を透して花山薫の姿を……そして、真冬の脳内には剛志ではなく母の姿があった──

 此処に来て、両者は互いを見据えながらも、互いを見ることなく、その後ろにいる別の幻影(すがた)を見詰めていた。

 

 真冬は、剛志の分厚い胸板を蹴った。

 ダメージを与えるつもりはない。

 キックの反動で背後に跳んだのだ。

 

 剛志がまたも足を掴む、そう読んだから故の行動だった。

 現に、剛志の両手は空を掴んでいた。

 

 背後に跳んだと同時に真冬は別の一撃も入れていた。

 先程立ち上がるときにアスファルトを叩いた際、五指の爪でアスファルトを抉っており、砂塵の様なアスファルトの破片を爪の間に隠し持って居たのだ。

 恐らくこの行動に気付けたものはいなかっただろう。

 

 その破片を隠し持った腕をしならせ、アスファルトの破片を『縄鏢掌』(鞭打の応用となる技で、しならせた腕を鞭の様に打ち付け、爪で切り裂くと言う真冬特有の鞭打)で抉った背面の傷口にねじ込んでいたのだ。

 傷口を更にアスファルトで傷付ける……残虐な技だった。

 

 背後に跳んだ真冬であったが、直ぐに仕掛けた。

 突然に真っ向から突っ込んだのだ。

 その真冬を迎撃するために、剛志は脚を振り上げた。

 それは真冬のスピードを考慮したタイミングを計った物だった。

 剛志の考えでは、顎を蹴り上げられるタイミングだった筈だ。

 

 しかし、寸でで、真冬の全身は下に落ちた。

 蓄積されたダメージが今になって出てきて崩れ落ちた……訳ではない。

 血の涙が、一瞬真冬の高さに残っている、そんな速度で真冬は全身を沈めていた。

 真冬の白い後ろ髪は逆立つように舞っている。

 氷柱か雪か、寒さや冷たさを思い起こさせるそんな髪の毛の舞いだった。

 左の掌はアスファルトに、右手は僅かに浮いている。

 右足は片膝を立て、左足は膝を折っていた。

 何処と無く地面を這う蜥蜴の様でもある、その姿を保ったのは刹那──

 

 飛び掛かった。

 拡がり舞っている髪の毛で、剛志の顔面を打った。

 生きている様に舞っている髪の毛が打ち込まれた、その奇妙さに、剛志は一瞬怯む事になってしまい、その隙を見逃す真冬ではない。

 

 飛び掛かると真冬の右掌は左胸側に左掌は背中へ。

 両手は挟むように、回された左手は抱き込むようにも見える。

 

 巨体である剛志の胸板を、挟み込むのは小柄な真冬には難しいだろうが、一瞬、鞭打の如く距離感を無視した様に腕がしなり、左掌は背面に回されていた。

 

 その瞬間、剛志は音もなく、アスファルトに倒れ込んだのだった。

 

 何が起きたのか──

 無数の野次馬達が集まるこの場で理解出来たものはただ一人──古牧宗太郎だけだった。

 

“……無寸雷神ッッ”

 

 古牧は心中で今しがた真冬が行った技の名称を叫び、

「勝負あり、じゃな──」

 ピクリとも動かぬ、が、死んではいない剛志と血塗れになりながらもその場に立つ真冬の元へと古牧は歩んだ。

 



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第一章 其の十七 また、喧嘩したい

 先日から賽の河原に住み着き出した真冬の存在を、古牧宗太郎(こまきそうたろう)も知っている。

 こんな幼い娘がホームレスの巣窟で暮らしていけるのか、危険では無いのか──

 ……当初はそう考えていたが、今の喧嘩を目の当たりにしてみれば、そんな心配など杞憂でしか無いだろうと改めて理解出来た。

 

「鞭打や、よもやの無寸雷神……良いものを見させて貰ったぞい」

 野次馬達は既に解散していた。

 彼らの前で“無寸雷神”の名を出すのは憚れる物があったが、真冬と、意識が遥か彼方にある剛志だけが居る現状なら問題は無いだろうとの判断だった。

 

 武術家、特に表舞台で拳を奮わない、そうした裏の格闘士の様な存在は人目に秘伝を触れさせるのは嫌う物だ。

 

 特殊な武術家は、一般的な大会はおろか、地下で行われる様な武舞台にさえ立つことはない。

 そこには観客の姿があるからだ。

 観客の前で武を披露すると言うことは、自身の技を見られる事になってしまうと言うことを意味している。

 すると、隙や弱点まで知られることになる。

 最悪、観客を通して他の武術家にまで知れ渡りかねない。

 それは、避けたい物なのだ。

 自身が扱うその技術の名称を、知られる事程度であっても忌避されるだろう。

 古牧なりの配慮もあったのだ。

 無寸雷神──その名を野次馬の前では出さず、心中にて叫んだのはそうした理由からだ。

 

 だが、その名前を聞いても真冬は不思議そうに疑問符を浮かべる様な表情だった。

 元々虚ろな目で何を考えているのか、表情からは読み取りづらい真冬だが、古牧が告げた技の名前を理解していない事ははっきりと古牧にも伝わった。

 

 無寸雷神──

 この非常に高度で扱うには困難な技術(わざ)は、所謂ワンインチパンチや、中国拳法で言う所の寸勁だ。

 そして、それらが、より高みに洗練され、進化した技術である。

 大抵は相手の頭部を左右の掌の間に挟み、両掌をほぼ同時に打ち込む。

 同時に打ち込むのではなく、僅かな時間差が重要となるのだ。

 先に打ち込んだ掌で人体内部に波を発生させ、後から打ち込んだ掌でその波を打ち返す。

 これを頭部で行えば相手は脳震盪のような状態になってしまう。

 

 人体は水──

 そうした理念から生まれた技術だ。

 

 真冬は今回、頭部ではなく心臓を狙ったが、作用自体は同じだ。

 剛志の心臓は激しく震動し、恐らく心臓を直接殴られた様な衝撃を受けていただろう。

 並みの格闘家なら鼓動が停止していてもおかしくはない。

 いや、真冬が剛志を殺すつもりだったのなら、あるいは……とも古牧は考えていた。

 

「昔……お椀や鍋に水を張って遊んでいた時に……思い付いたんです」

 

 剛志の意識を奪った技術の名前だと古牧に教えられた真冬は、暫し記憶を掘り起こし、そう、告げた。

 

 真冬は母から玩具などを買い与えられた事が一度もない。

 玩具代わりになった物と言えば、ゴミ捨て場にあった物を拾い独自の視点で遊びを思い付き、それで時間を潰していたのだ。

 ある日、ゴミ捨て場にあったお椀と鍋。

 真冬の住居は水道が止められていたので、公園の水飲み場の水を家でも飲むためにその鍋に水を張って持ち帰っていた。

 水を並々と張った鍋に波紋を見付けた時、波紋を自分で発生させては反対から打ち込み波紋を打ち返す──そんな無為な遊びを思い付き連日連夜行っていたのだ。

 

 そして、それだけではなく、水を張ってある鍋の中に僅かに水を入れたお椀を浮かべた。

 鍋の水には波紋を発生させる事なく、お椀の水だけに波紋を起こしてみよう。

 そんなゲームを一人でやっていた。

 いつしか、真冬はそれを可能にした。

 それどころか、鍋に張ってある水に波紋を発生させ打ち返す事で、お椀を粉砕出来ることに気づいたのだ。

 これにて、若干五歳のある日、真冬流の無寸雷神が完成した。

 

 次は片手でやってみよう。

 爪先でやってみよう。

 保育園等にも通っていない真冬──彼女の思い付きは、それからも続き、新たな技術を編み出していった。

 

 

8.

 古牧が真冬を見付け、彼女に声を掛けたのは偶然ではない。

 ──古牧も真冬同様に賽の河原で暮らしているホームレス仲間だ。

 彼は“ゲンさん”と言う老ホームレスに頼まれて真冬を探していたところ、剛志との喧嘩を目撃し野次馬に混じって見物していたのである。

 そのゲンさんは大の犬好きな老人で、仔犬(ぽちたろ)を探している真冬に協力したがっているらしい。

 遥と言う少女がある事件の際に賽の河原で匿われていた時にも、ゲンさんはぽちたろの世話を焼いていたと言う。

 

「ポスター?ですか」

 

「うむ、ゲンさんが言うには闇雲に探すだけでなく、適切な所に仔犬の情報を書いたポスターを貼ってみてはどうか──との事じゃ」

 

 古牧はゲンさんが作ったそのポスターの原本とカラーコピー代を真冬に届けに来たのだ。

 ポスターの原本には仔犬の特徴が事細かく書かれ、見付けた際の連絡先、仔犬の写真まで載ってあった。

 連絡先はゲンさんとモグサの携帯電話だ。

 真冬はホームレス仲間共用の携帯電話を預かっているため、その番号も付け加える事を提案した。

 

 カラーコピーは近くのコンビニで出来るだろう。

 

 真冬達は現在、神室町の中で泰平通り西と呼ばれる区画にいる。

 一番近いコンビニは、天下一通りのPOPPOだ。

 歩いてもここからなら、五分とかからない目と鼻の先にある。

 

 だが、コンビニに向かうのは少し先になりそうだ。

 剛志は赤牛丸の駐輪場で、その巨躯を横たえており、真冬は彼が意識を取り戻すのを待っていた。

 剛志がカツアゲ坊主として、多くの神室町住人から怨みを買っている事を、喧嘩の間にも聞こえていた野次馬達の会話から知っている。

 もし、この場に意識が無い彼を放っていけば、そんな神室町住人達から何かしらの制裁を受けてしまうかも知れないのだ。

 意識がある状態でなら構わないだろう。

 しかし、無抵抗の状態となっている剛志が襲われ、被害を被るのは、どうにも気分が悪い。

 不思議な事だが、真冬は彼に感謝していた。

 剛志との喧嘩で、久し振りに脳内が甘くなった。

 それは母がくれたたった一つの現象(もの)である。

 今しがたの喧嘩は、そんな母との唯一の繋がりを思い出せたのだ。

 

 また、喧嘩したいかな、と言うそんな奇妙な想いが真冬の心中に生まれていた。

 だからだろう──剛志が覚醒するまで見守ろうと考えたのは──

 

 そして──

 剛志が意識を取り戻したのは案外早かった。

 

 心臓を直接殴られた様な衝撃を受けながらのその回復力──

 恐るべき頑丈さだと、古牧が嘆息する程であった。

 



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第二章 コンビニ危機一髪
第二章 神室町の住人達


 クリスマス一色だった神室町の街並みは、すっかりその姿を変えていた。

 時節の移り変わりは随分と早い。

 

 コンビニでもそうした様子が見てとれた。

 クリスマスケーキやチキンなどは姿を消して、年越し蕎麦のセールや正月用の餅、おせち料理の予約が始まっている。

 

 真冬は、仔犬の情報を求める為のポスターをコピーするべく、POPPO天下一通り店へ向かっていた。

 天下一通りは神室町の表通りと言われるだけあり、多くの人で賑わっている。

 ティッシュ配りやら客引きやらもそこかしこに見られるが、彼らも流石に真冬へと声をかけることは無いようだ。

 真冬が未成年──小学生女児だから、と言う事もあるが、彼らが真冬を遠巻きに見ながらも近寄り難いのには他にも理由があった。

 

 我が目を疑う程の真冬の酷い身なりだ──

 

 先程の剛志との喧嘩で、見るからに事件に巻き込まれたような状態になっているからだ。

 先天性色素欠乏症(アルビノ)の白い肌は血に汚れ、ゴスロリ服やタイツは所々ほつれ、破れ乱れている。

 幽霊や雪女を彷彿とさせる長く白い髪に飾られた黒い百合の装飾であしらわれたレースが美しいヘッドドレスは、付け直されてはいたが、やはり損傷が見られた。

 元々、感情が読み取れない虚ろな紅い瞳も、彼女を知らない人間からすれば、何らかの事件の被害者が心を壊してしまっているかの様に思えてしまうのだ。

 

 神室町は、構成員二万五千人を越える関東最大の広域指定暴力団『東城会』のお膝元である。

 東城会絡みの犯罪に巻き込まれた少女なのでは──等と考えたら、誰もが関わり合いを持ちたがらないし、警察に通報する事さえも二の脚を踏むのだった。

 単に面倒であると考えるものも居れば、報復を恐れるものもいる。

 そして、神室町の住人誰もが、そんな被害者に関わり合いを持とうとしないことも、彼らは皆理解している。

 

 自動ドアをくぐりPOPPOに来店した真冬の姿を見たバイト店員の男性も、外の住人達と同じ様に驚きつつも直ぐに目を逸らし、見てみぬふりを決め込むのだった。

 

 真冬の目当てはカラーコピー機だ。

 POPPOの店内に入り左手がわにコピー機が設置されている。

 コピー代は老ホームレスのゲンさんから預かっている。

 だが真冬はそこからコピー代を出すつもりはなかった。

 神室町にやって来たときの所持金は600円ほどだったが、現在真冬は、彼女にとって人生初めての大金を手にしているからだ。

 

 カツアゲ坊主こと江頭剛志との喧嘩に勝利した際に彼から押し付けられた金である。

 カツアゲ坊主は自分が勝てば喧嘩相手の手持ちの金を全額カツアゲするのだが、負けたなら相手に全額カツアゲされる事を決めている。

 そうしたリスクが無ければ強くなれない、彼も、元祖カツアゲくんである彼の父親もそんな心構えだったのだ。

 

 真冬は、正直な所、全額を受け取る気は無かったのだが、古牧宗太郎からも説得された為、数分間の押し問答の末に、最終的には折れて受け取ってしまった。

 こうして、カツアゲくんならぬカツアゲちゃんが神室町に誕生したのである。

 

 お札を持っている──

 そんな事に真冬は、何処か緊張していた。

 表情が無い、無感情の様な彼女の顔から緊張の色は見えないが、確かに心中では大金を手にしている事に緊張しているのだ。

 一万円札と千円札──それぞれ数枚──

 小銭も合計すると、38,683円──

 

 緊張の中にも、どうしてか不思議な高揚感も覚えている事に、真冬は気付いていた。

 ワクワクしていると言った方がより適切かも知れない。

 

 頭蓋骨の縫合が外れ、脳のダメージもそれなりにある。

 そんな状態であって、高揚感を楽しんでいるのだ。

 

 まずは、仔犬捜索の為にポスターをコピーすることが最優先だ。

 だが、初めて手にした、自分が自由にしても良い大金──

 

 真冬は、賽の河原で老婆のホームレスであるミチの手料理で食事の楽しみを知ってしまった。

 ミチに、何か美味しい物を買ってお礼がしたい。

 一緒に美味しい物を食べたい。

 そんな思いが真冬の脳裏を占有していた。

 さっき、剛志と喧嘩したのは牛丼屋の駐輪場──

 牛丼を土産にしようか──

 道路を挟んで牛丼屋の向かいにあったたこ焼き屋でたこ焼きを買うのも良いかも──

 

 POPPOに入店したら目に飛び込んで来る多くの菓子類の中でならミチは何が好きだろう。

 冬場のコンビニで売られている温かいおでんも美味しそうだし、寒空の下で暮らしているミチが喜んでくれそうだ。

 そうした事を考えていたら、今までの人生で得た事の無い多幸感に包まれるのである。

 

 真冬が母と暮らしていた時は、連日連夜、食事を共にするのはゴミ捨て場の鼠や蜚蠊だけだった。

 食事とは到底呼べない代物であった残飯やゴミを、それに集る蜚蠊にも与えつつ、自分も口に運ぶ。

 野良猫や野良犬がゴミ捨て場で餌を求めて漁っている時にかち合ったなら、彼らに譲り、真冬は公園の水を腹に溜めた。

 そんな日には、食べられる食べられない関係無く雑草を食んだこともある。

 そんな生活だったのだ。

 ミチとの食事に幸福を感じてしまうのも無理からぬことであった。

 

 ゲンさんから預かったコピー代で大体50枚はコピー出来る。

 その金はゲンさんへの何か土産に使おうと考えた。

 コピー代は、ゲンさんからの厚意でもある。

 それを使わないのも失礼になるのではと、真冬は思った。

 なら、その代金はゲンさんの為に使うのが良いだろう。

 

 だが、ここに来て問題が起きた。

 古牧か剛志に着いてきて貰った方が良かっただろう。

 

 コピー機の使い方が分からないのだ。

 そもそも使ったことが無いのだから仕方無い。

 

 勿論、コピー機に小銭を投入するくらいは分かる。

 コピー機の前で使い方を思案していた、その時だ。

 

「おい、あんた!どうしたんだ!?──大丈夫か!?」

 

 慌てた様にPOPPOに飛び込んで来たのは、髪を金髪に染め、小豆色のスーツを着ている一人のホスト風の男だった。

 真冬は突然大丈夫か等と言われ、不思議そうに小首を傾げた。

 ──相変わらず男に向けられる虚ろな視線。

 

 何が大丈夫かなんだろう?あぁ、コピー機の使い方を教えてくれるのかな、真冬はそう解釈するも当然違う。

 どこか、ずれているのも相変わらずだ。

 

 真冬の身なりから犯罪の臭いを感じた神室町の住人はみんな見てみぬふりをしていた。

 だが、そんな神室町の住人の中で、このホストは真冬の姿に不穏な気配を覚え、POPPOに入っていく真冬を心配のあまり追って来て声をかけたのだ。

 

「はい、コピー機の使い方がわかりません」

 

 真冬のその言葉に、ホスト風の男はキョトンとした。

 想像だにしていなかった返答に、息を切らせて走ってきたホストはすぐに真冬の言葉を理解出来ずにいた──

 



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第二章 其の二 スターダスト元店長が語る白い少女

 真冬ちゃんと初めて会ったのは、2005年の暮れでした。

 懐かしいな、あの頃はまだ、スターダストで働いてましたからね、俺。

 11年前になるのか──もう、かなり真冬ちゃんの顔を見てないな……。

 今年二十歳(ハタチ)何ですよね──綺麗な女性になってるだろうなぁ……。

 え、生傷絶えない生活続けてるし、ファッションに気を使ってる様子はない?

 

 ──ファッションより美味しい食べ物優先……か。

 ゴスロリ趣味は相変わらず?

 変わらないんだなぁ、真冬ちゃんは。

 

 ──あ、全然変わってない懐かしい顔と言えば桐生さんですけど、つい先日に偶然神室町で再会しましたよ。

 

 真冬ちゃんは今も神室町に?

 え……あぁ、そう、何ですか──今は中国の……白林寺って中国拳法の総本山に行ってる。

 ちょっと前まではインドにエジプト、ギリシャ、タイにも行ってた?

 何でまた、中国やギリシャとかに?

 

 ──へぇ、そりゃ、また、あの子らしいって言うか、何て言うか。

 エジプトやギリシャは仕事で……。

 仕事してんだ、真冬ちゃんも。

 蒼天掘にある龍虎飯店ってラーメン屋の店長飛虎(フェイフウ)さんから依頼を受けて武具やらを探すエージェントをたまにやってる?

 で、アトランティスに伝わるオリハルコンの探索依頼を受けてギリシャに向かった──?

 

 え?オリハルコン。

 

 ──てか、オリハルコンって、『アラクレクエスト』ってゲームに出てくるアイテムの素材か何かで架空のものじゃ……?

 え?実在してる──らしいって?

 

 中国には、へぇ──

 

 ──中国武術省ですっけ?困ったでしょうねぇ。

 普通、そんな事、女の子がやらないですから。

 やっぱり面白いね、真冬ちゃんは。

 

 ──なるほど、それで青木さん、真冬ちゃんの記事を。

 そういや、当時から青木さんは真冬ちゃんの取材をよくしてましたもんね。

 ほら、以前にも俺、青木さんに何回か真冬ちゃんの目撃談の取材受けましたよ。

 あの子、神室町……他にも蒼天掘、伊勢佐木異人町とかで色々やってましたからね。

 色々って言うか、色々な奴との喧嘩でしたけど。

 

 ──じゃあ、俺が真冬ちゃんと出会った時の事、話しますね。 

 あの夜ね、真冬ちゃんを見掛けて、正直ギョッとしたのを覚えてますよ。

 

 

1.

 確か、赤牛丸の方から歩いて来てたかな、真冬ちゃん。

 最初はね、あの子がネットカフェの前を歩いてる所を見たんですよ。

 道路を挟んでPOPPOの斜め前にあるネットカフェのジャングルボーイ。

 ──俺は一輝さんに頼まれてホスト仲間の夜食を買い出しに行く途中だったかな。

 普段ならスターダスト内で営業中ですからね。

 店内にいたら真冬ちゃんとは会えてなかったんだから、縁ってあるんだなって思いますよ、ホント。

 

 何かね、真冬ちゃん、スゴいボロボロだった。

 ほら、あの頃って、錦山組の神田強が起こしてた婦女暴行事件の話題があったじゃないですか。

 スターダストに来てくれる女の子達も神田の事件を怖がっていてね、よく聞かされていたんですよ。

 その頃にはもう、神田は逮捕されていたんですけど、神田の仲間が色々やってたらしくて。

 女児関連のポルノ……とか、もね。

 真冬ちゃんが、それの被害者に見えてしまったんすよ、俺は。

 服とかスカート、タイツも破れてましたしズタボロで、顔なんか血塗れだった。

 ゴスロリ服も、真冬ちゃんの趣味だってその時は知らないから、AV撮影用に着せられてたコスチュームかなって思いましたし。

 だから、心配になって、POPPOに入っていく真冬ちゃんを追い掛けて、つい、声をかけちゃったんですよ。

 大丈夫かって、ね。

 

 目も虚ろで焦点も合ってない感じで。

 一目見ただけで心配になる、そんな様子でした。

 

 で、大きな声じゃ言えないけど、当時からすっごい美少女何ですよね真冬ちゃん。

 いやいや、俺、ロリコンじゃないですよ。

 そんな俺でも目を奪われる程の美少女、そんな娘がボロボロになってるんですから、そりゃ、犯罪に巻き込まれてると思ってしまいますって。

 だから、余計に周りは誰も真冬ちゃんに声をかけない。

 見てみぬフリ。

 神田の事件が記憶に新しい時期なんでね、仕方無いっちゃ仕方ない。

 POPPOの店員も、入店してきた真冬ちゃんの方なんて見てませんでしたよ。

 真冬ちゃんの様子見てすっかりビビった、そんな雰囲気でした。

 

 で、当の真冬ちゃんはPOPPOで何をしてたかと言うと、コピー機の前にいた。

 

 コピー機の使い方が分からずに悩んでたんですね。

 俺の大丈夫かとの問い掛けも、コピー機で悩んでる事について──だと思ったらしくて、使い方を聞いてきた。

 変な犯罪に巻き込まれてる、そんな雰囲気なのに、実際はそう言う訳でも無かった。

 でも、怪我してるのは確かなんで、怪我について尋ねてみたんですよ。

 

 喧嘩で負った怪我だったらしくて──

 

 神田は関係無いけど、当時神室町を騒がせてたカツアゲ坊主と喧嘩したみたいでね。

 それはそれで、驚きましたよ、俺。

 カツアゲ坊主はね、ホスト仲間や、昔の友人から噂を聞いてましたからね。

 ──喧嘩が強い奴に喧嘩を売っては叩きのめして、金を巻き上げるとんでもない奴だって。

 しかも、未成年らしいから始末に負えない。

 

 桐生さんが神室町を去って入れ替わるように噂が立ってきましたからね。

 桐生さんがいたら、お灸据えてくれたんだろうにな。

 

 真冬ちゃんね──

 あの子程の美少女が、そんな奴と喧嘩をするんだから、驚くしかない。

 いやあ、コンビニの明るい所で、改めて見た真冬ちゃんの可愛さがね。

 到底、喧嘩をするような娘には見えない。

 

 ゴスロリメイドがよく似合う、白い髪と肌。

 アルビノね。

 こんな言い方、不謹慎だけどアルビノって綺麗何ですよね。

 特に真冬ちゃんみたいな美少女がアルビノだと、神秘的っつうか、美少女っぷりにも研きがかかってる。

 

 でね、一応、コピー機の使い方、教えましたよ。

 居なくなった仔犬の行方を尋ねるポスターをカラーコピー。

 ポスターをコピーしながら、カツアゲ坊主との喧嘩のあらましを聞いてたんですよ。

 見たところ、やっぱり怪我が酷い。

 ほら、真冬ちゃんの黒目……うーん、黒目じゃないか──そうそう、光彩ね、真冬ちゃんの光彩はアルビノだからか、元々紅いけど、白眼の部分も凄い充血してた。

 後から聞いたんすけど、頭蓋骨の繋ぎめ、外れて脳味噌もダメージ受けてたらしいですよ。

 それで、眼球にもダメージ行ってたみたいで。

 

 俺、柄本診療所の柄本先生と知り合いだから、そこに行こうって真冬ちゃんを誘ったんです。

 真冬ちゃんね、仔犬を探さなきゃいけないし、お腹空いてるから病院は結構です……とか言って一度断って来たんですよ。

 いやいや、お腹空いてるからって断られるとは思わなくってね。

 流石に面食らいましたよ。

 真冬ちゃんと会って、そんなに時間も経ってないのに、随分驚かされる事が多くてね。

 

 まぁ、ご飯はその後で良いじゃないかって──

 先に診療所行こうって、説得してた。

 

 コピーに結構時間食ったから、説得する時間は充分有ったしね。

 ほっとけないからさ、一輝さんに電話して、買い出しから帰るの遅くなるって伝えたんですね。

 じゃあ、とりあえず病院まで連れて行ってやれって一輝さんも了承してくれた。

 

 で、その後ね、コピーもある程度終わりかけた時、やっぱり神室町は物騒だなぁって事が起きた。

 

 青木さんも知ってますよね?

 あの時期、POPPOとかMストアで息巻いてるチンピラみたいなガキ共がいたの。

 ──そうそう、宮田って言う奴がリーダーのチームね。

 みんなバットやら警棒やらで武装した質の悪い連中。

 

 宮田の手下の何人かがね、POPPOに入ってきて、商品を物色し出したんですよ。

 

 



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第二章 其の三 二人目?

  

 自動ドアが開き、POPPO天下一通り店に六人組みの男達が入って来た。

 見るからに、物騒さを絵に描いた様な男達であった。

 全員、金属バットを手にしており、どう考えてもコンビニに来店する様な格好ではない。

 態度や仕草、それら全てが横柄で横暴、粗暴と言ったふるまいである。

 へこみや傷だらけのバットを肩に担ぎ、威嚇するような視線と、肩で風を切るように、大股で歩いての入店だ。

 手に携えたバットは野球をするための物ではない。

 ここ、神室町に暮らすものなら、一目でそれが理解できる。

 間違いなく、その男達は人をバットで殴ることに慣れている。

 ──そう理解させるには充分な“気配”を男達は醸し出しているのだ。

 

 POPPOのレジ打ちをしている店員は、彼らを見てとり、呻くような悲鳴を小さく洩らした。

 

 店内には、真冬と彼女に話しかけて来たホストの他に、客は男性二名、女性が一名いる。

 男性客の一人は仕事帰りか、背広を着た何処か頼り無さげな印象を持たせる眼鏡の青年。

 もう一人は高校生か中学生くらいの細面の少年。

 どことなく険のある顔立ちだが、暴力沙汰を好む不良学生──と言ったそんな印象は無い。

 そして、レジにて支払い中の年若いキャバクラ勤めであろう派手目な女性だ。

 POPPOはそれほど広い店舗ではない。

 客は皆、不審な輩が現れた事に直ぐ様気付いた。

 店員や客達も、恐らく喧嘩慣れ自体してはいないだろう。

 それでも危険な空気を感じ取れる……そんな(すべ)には長けているようで──流石は神室町の住人と言った所である。

 

 ホストの男性は舌打ちした。

 早く真冬を病院に連れて行きたいと思っていた矢先に、面倒そうな輩がやって来たからだ。

 彼もまた神室町の住人だ。

 多くの極道やギャング連中を見ており──

 当然、危ない目にも遭ってきている。

 神室町は東日本最大の広域指定暴力団である東城会が取り仕切っているのだ。

 このホストの男性……ホストクラブスターダスト店長ユウヤは、東城会の直系団体である嶋野組の構成員とは何度もいさかいを起こしていて、乱闘騒ぎにまで発展することだって少なくなかった。

 ユウヤはそんな男だ。

 

 POPPOに現れたこの連中にも心当たりがあった。

 

 最近、神室町で……特にコンビニで揉め事を起こしているギャングチーム『神室町罸徒衆(バットメン)』のメンバーだ。

 神室町のコンビニで商品の万引きに始まり、メンバーは全員金属バットで武装し、店員や客には喧嘩を吹っ掛けては乱暴、女性相手なら痴漢紛いの行為を働くと言う迷惑極まりないチンピラの集まりである。

 神室町のギャングと言えば、今年の12月の半ば頃にホームレスのたまり場である西公園を襲撃したカラーギャングの『ブラッディアイズ』や『ホワイトエッジ』等が知られている。

 この『神室町罸徒衆(バットメン)』は、それらのカラーギャングがある男に壊滅寸前に追いやられてから頭角を現してきた新規のギャングチームだった。

 

 ──真冬は、この厄介なギャングチームのメンバーが現れた事に関して特に気にした様子もなく、ユウヤに教えられた通りにコピー機を操作し、刷られていく尋ね犬のポスターを眺めていた。

 POPPO店内に設置されているコピー機を使用していると出入り口の方向へ向いているので、真冬も罸徒衆(バットメン)のメンバーに気付いている筈だ。

 だが、視線を彼らへと向けることはなかった。

 普通なら無法者と思われる危険人物が現れたなら、自然にそちらを見てしまうだろう。

 興味など無くても、一瞬の動揺が視線を向けさせてしまうものだ。

 しかし、真冬にはギャング達へと向ける恐怖や嘲り、或いは好意や興味も無い。

 真冬の、常日頃から変わらぬ虚ろな目からも、感情を推し測れる要素は何一つとしてなかった。

 

 真冬にとって、このコンビニ内で興味を惹かれるのは入店した際、最初に目についたポップに書いてあるカレーまんや肉まんを買うと3つ付いてくると言う餡まんと、コピー機の使い方に悩んでいたときに気付いた雑誌売り場に貼ってあるメガ盛りスイーツの広告ポスターだ。

 フルーツごろごろと言う文言に惹かれる物がある。

 果物を口にした記憶は殆どない。

 ──ごみ捨て場にあった乾ききった蜜柑の皮なら今よりも幼い頃にゴミ袋からあさりよく食べたが……。

 398円、この神室町に、来る前なら途方もない高額な値段に感じただろうが、今なら問題ない。

 カツアゲ坊主に感謝である。

 また喧嘩をしたいなと思ってしまう。

 寒空の下を歩いていたときから一度食べてみたいと思っていたコンビニおでんにも視線が行く。

 

 ──そして、入店した時から気になっているもう一つは細面の中学生か高校生だ。

 

“随分と重そうな服……”

 

 真冬が彼に感じた第一印象はそれだった。

 彼が着ている服は極々普通の学生服だ。

 不良学生が好むような変形や改造された物ではなく、既製品の標準制服だ。 

 大抵の者ならこれを見ても「随分と重そう」等とは思わないだろう。

 しかし、真冬は一目見て重い服だと考えたのだ。

 外見からはごく普通の学生服なのだが、色々と仕込まれている、と真冬は感じた。

 

 入店した際にも、あの少年は真冬に一瞬目を向けた事に真冬も気付いている。

 だが、少年は真冬を見ながらも、視線そのものは真冬が持っている暗器に向いていた筈だと真冬は察している。

 少年の視線の先にあったのは黒いリボン靴や、ポシェットに隠匿された針やデザインナイフ、だ。

 

“あの人もカツアゲ坊主かな”

 

 重そうな服を身に付けた少年の存在。

 ──真冬は不思議と気分が高揚していた。

 



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第二章 其の四 ミレニアムタワー

 無数のモニターが、神室町の至るところを映し出している。

 飲食店や風俗店、交通路は勿論、公園や裏路地に至るまで、神室町で撮影されていない場所は無いかと思われる。

 それぞれがリアルタイムの映像だ。

 当然、過去に遡っての映像を映すことも可能だ。

 

 ──神室町には警視庁がテロ防止などを名目に50台の防犯カメラが設置されている。

 しかし、このモニターに映し出されている映像は、その警視庁が設置した防犯カメラの物ではない。

 神室町随一の情報屋“サイの花屋”が取り仕切る賽の河原が設置した、1万台の監視カメラが情報収集のために撮している映像である。

 無数のモニターが並ぶ中央には、映画館のスクリーンもかくやと言う程の巨大なモニターがあり、それは神室町のと或コンビニのリアルタイム映像を流していた。

 

 ──POPPO天下一通り店だ。

 態々、一番大きなモニターに映し出しているのには理由がある。

 このモニタールームのボスである“サイの花屋”が現在興味を持っている白い少女……當之(たぎの)真冬がそこに居るからだ。

 “花屋”は、真冬が神室町にやって来たクリスマスの夜の映像も巨大モニター以外の幾つかで再生していた。

 例の児童公園での当たり屋達との乱闘の映像や、神室町をさ迷っている真冬の姿が、様々な角度や状態を切り替え映し出されている。

 カツアゲ坊主との喧嘩も先程まではライブカメラの映像が観られたが、今は再生と巻き戻し、一時停止が繰り返され、花屋の手下となるホームレスが観察していた。

 

「ボス、コマ送りでも確認出来ない箇所が幾つもありますね……あの娘、化けもんでさ」

 鞭打を放っているシーンや、ブランコのチェーンを振るっている映像などだ。

 

「良いのが賽の河原に来てくれたもんだぜ、なぁ」

 花屋は真冬を連れてきたホームレスのモグサに言った。

 

 花屋や、彼の手下であるホームレス達には真冬を使っての思惑があった。

 賽の河原は長年ホームレスの溜まり場となっているのだが、もうじきある事情により立ち退きの日が迫っていた。

 警察や極道も介入出来ないと言われていた賽の河原だったが、再開発の話が舞い込んで来たのである。

 

 ここで問題となるのは追い出される事となる大勢のホームレス達の行き場であった。

 賽の河原に住んでいるホームレス達が一斉に神室町に雪崩れ込むのだ。

 まるで、難民の様相となるだろう。

 混乱や争いの火種になるのは確実だった。

 そこで花屋はホームレス達の次の住みかとして考えたのが神室町には多く存在している廃ビルや、下水道のような地下だ。

 しかし、廃ビルは廃ビルでギャングやチーマーのような反グレ達のアジトとして利用されている。

 一部の東城会が秘密裏に使用している場所もあった。

 そうした場所の掃除──

 それを真冬にやらせようと花屋は考えていた。

 

 仔犬の捜索も、真冬を引き込むための算段の一つである。

 真冬の人柄は既に調査済みだ。

 彼女の過去も一通り調べている。

 母親と暮らしていた頃──ゴミ捨て場を漁って食べ物を探していた真冬は、野良猫や野良犬、ごきぶり等が居ると自分よりも彼らを優先し、それらに食べ物を譲るほどの生き物好きである。

 真冬が起こしたと思われた小動物を護るための暴力事件──枚挙にいとまが無い程に真冬の過去を洗えば見つかったのだ。

 

 真冬自らが保護した仔犬の住みかとなる場所の危機──ともなれば必ず動くと、花屋は確信していた。 

 そして、ミチと言う老婆のホームレスの存在だ。

 真冬は賽の河原に住み着いてから、彼女に非常になついている──利用しない手はない。

 尋常ならざる戦闘力を持ってはいるが御し易い背後関係があり、場合によっては蜥蜴の尻尾として切り捨てる事になっても問題ない存在──花屋や、彼の手下であるホームレスにとって真冬の出現は何よりも都合が良かった。

 

「ありました、モニターに出します」

 中央の大型モニターがライブ映像から記録映像へと切り替わった。

 コンビニでのライブ映像の方は別の小さなモニターに映し出している。

 一瞬モニターは暗転するが直ぐに映像が現れた。

 

「ミレニアムタワー女児落下事故──事故とは言われてるが、ある種の都市伝説的未解決事件の映像だ」

 

 映像は2002年6月5日深夜11時50分から始まっている。

 監視カメラが捉えたのはミレニアムタワーの屋上にいる若い男性と女児だ。

 幾つかの監視カメラが記録している様で、巨大なモニター以外のモニターにも異なる角度の彼らを映し出している。

 異様に白い肌と髪の女児だ。

 真冬だろう事は明らかである。

 6月の深夜帯、五歳の幼女は若い男性に荷物か何かの様に運ばれていた。

 男性が掴んでいるのは真冬の首だ──異常な光景としか言い様が無い。

 真冬は薄手の白いインナーシャツと小学校の制服と思われる紺のプリーツスカート、白のロングソックスを身に付けている。

 靴は履いていないのが余計に異様さを高めている。

 しかも、インナーシャツは胸元が切り裂かれ、血で汚れている。

 乾いており、黒く変色している為に、血が付いたのはついさっき、と言う訳では無さそうだ。

 しかし、彼女の胸元にはざっくりとナイフか包丁で切られた様な傷痕が残っている。

 まともな精神ならば目を背けたくなる……そんな切り傷の痕だった。

 ロングソックスは洗濯された様子は無く薄汚れている。

 

 若い男性は暴力そのものが形を成したような、そんな男だった。

 怒髪と呼ぶに相応しい長い髪は、獅子の鬣の様に風に靡いている。

 黒い半袖の拳法着から伸びた二の腕の隆々たる筋肉に走る太い血管は、尋常ではない新陳代謝を物語っていた。

 3年前の映像に映るその男は、モニターの向こうから、そして時間を超越してまで見るものを威圧している様だ。

 百戦錬磨の極道や、龍に例えられる男と出会い、渡り合ってきたサイの花屋さえ、居すくまる程の存在感であった。

 悪魔

 鬼

 悪鬼羅刹

 そんな例えですら、生温いだろう男は、真冬の首を掴み、引き摺り、ミレニアムタワーの屋上から神室町を見下ろしていた。

 真冬、五歳の夜──

 彼女が自分の意思でないにせよ、初めて神室町にやって来た夜の事だ。

 

 そして──

 日付は丁度、6月6日

 男は動いた。

 真冬の首を掴んだまま、彼女の体を振り上げる。

「誕生日おめでとうッッ!バースデープレゼントだ。受け取れッッ」

 

 放り投げられた真冬の体は宙を舞った──

「モノにしな!死に際の集中力をよッッ」

 

 夜の空気を歪ませ、切り裂く男の笑い声が木霊する。

 その映像に、過去の出来事だと理解してはいるが、モグサやホームレス達は言葉を失い、息を飲んだ。

 

 虚ろな真冬の目は何を映してるのだろう。

 生きてきた僅か5年。

 

 その全てを、見ていた。

 

 そして、更にその先も。

 真冬の体は宙を舞いながら、どうしようもないとしか思えない落下の重力を受けながらも、死に反抗していた。

 神室町最大の高層ビルの屋上からの落下だ。

 

 普通なら途中で意識を手放すだろう。

 だが、真冬の意識はより鮮明になっていた。

 

 ミレニアムタワーの壁を蹴る。

 衝撃を全身に浴びても、緩和する様に弾いていく。

 見えるのだ。

 異様な集中力が真冬の脳を支配していた。

 

 甘い脳の痺れを越えた快楽が意識を占めている。

 落下速度が、緩やかに、スローモーションの様だと真冬は思った。

 

 

「これが……當之……いや」

 ──範馬真冬だ。

 

 利用するには都合が良かった、それだけではない──真冬の存在は、ホームレス達の未来を任せられる、そうサイの花屋に確信させる物なのであった。

 

 リアルタイム映像の方では、3年前、高層ビルの屋上からの落下より生存した真冬が、バットを持ったギャングと対峙している──そんな温い現在が映されているのだった。



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第二章 其の五 コンビニ危機一髪

 ユウヤはPOPPOに現れた“神室町罸徒衆(バットメン)”のメンバーの動向を窺い、警戒していた。

 ──六人組が真冬に絡んで来るであろうことは容易に想像できたからだ。

 

 深夜と言うほどでは無いが、夜のコンビニにホストと並んでコピー機を使っている幼い少女。

 明らかに妙な絵面であるし、目立っている。

 しかもその少女は、髪や肌が異様に白く、年相応とは言えないゴスロリ服やヘッドドレスで着飾っており、血塗れなのだ。

 どうしても目に止まる筈だ。

 コピーも終わり、これから江本診療所へ案内しようとしていた矢先に付いていない。

 

 POPPO天下一通り店の出入り口は一ヶ所のみだ。

 それほど広くないこの店舗で、複数の危険人物が現れては、すぐに逃げ出すのは困難だろう。

 

2.

 

 コンビニの自動ドアを潜った一人目と二人目。

 彼らは真冬とユウヤがいるコピー機付近は直ぐに通り過ぎた。

 恐らくキャバ嬢と思われる年若い女性客の元へと足早に向かったのだろう。

 “罸徒衆(バットメン)”の(タチ)が悪い所は、こうした女性客を見付けるや彼女らにも絡み、痴漢紛いのセクハラを働く所にある。

 

 公衆の面前での痴漢だが、案外誰もが黙認するものだ。

 見るからに危険人物のそれと分かる者を咎める事ができる人間はそうはいない。

 

「真冬ちゃん、このコンビニ出て右手に、スターダストって言う店がある。何とか逃げられる隙を作るから応援を呼んできてくれ」

「そこ、ユウヤさんのお店なんですよね?ポスター、貼って戴けるのですか?」

 

 尋ね犬のポスターの事だ。

 今しがたのユウヤの言葉の何処を聞いてそう解釈したのだろうか……。

 現在、真冬の脳裏を占めている割合の多くは仔犬の事だった。

 その為に、こうしたピントのずれた解釈に行き着いたのである。

 

「え、いや」

 

 カラーコピーの最中に、真冬がカツアゲ坊主と喧嘩したと言う話は聞いている。

 見た目とは裏腹に高い戦闘力を持ち合わせているのだろう。

 だが、それでも真冬が罸徒衆(バットメン)を脅威に感じている様には到底見えない素振りには理解しがたい物があった。

 

 三人目は店員に絡みだした。

 真冬はコピーが完了したポスターを纏めていたが、そこで、視線をそちらに向けた。

 

 “随分と重そうな制服”を着た少年の動きを感じたからだ。

 真冬も、彼ら罸徒衆(バットメン)は誰もが躊躇うこと無く人を金属バットで殴打できるタイプの危険な輩であると見抜いている。

 しかし、あの少年の危険さは、根本的に違う。

 必要があればクロスボウを他人に向け、引き金を落とせる──刃物を抜くことにも躊躇が無い。

 殺傷に恐怖を感じる事がない、そんな男であると、真冬は一目見て悟っていた。

 

「お、ホストの兄ちゃん、メイド幼女と同伴かい?」

 ユウヤが危惧した通り、案の定絡んできた。

 

 その瞬間──

 

 真冬は右手でヘッドドレスを外し──それを振るった。

 それと同時、膝を折った状態で左足を上げ、左手はシューズのリボンに仕込んでいた剃刀を二枚取り出した。

 人指し指と中指、薬指と小指に、それぞれ一枚ずつ挟み込む。

 

 ヘッドドレスが、まるで鞭の様相だ。

 レースで形作られた黒い百合の装飾が美しいヘッドドレスが、その素材からあり得ない程の“しなり”を見せる。

 ──そして、そのヘッドドレスは剃刀を打った。

 

 剃刀は二枚、いつの間にか宙にあり、それをヘッドドレスで打ったのだ。

 

 一枚は、ユウヤに絡んで来た男の右手に──

 もう一枚は、女性客に絡んでいる男の背後から、彼の耳を──

 それぞれ切り裂いていた。

 ただの剃刀でありながら、それは概ね手裏剣として機能しているのだ。

 

 右足で床を蹴り──続いては、折られていた左足を振り上げ、コピー機の上部を蹴った。

 そして、その反動を利用した勢いは威力を増し、ガラス張りの壁に、頭部から肩、上半身で激突し突き破る。

 激しくガラス張りの壁を粉砕し、真冬はPOPPOの外へと飛び出した。

 僅かに受け身気味に地面を回り、店側へと向き直る。

 

 喧嘩をするにしても、店舗内では迷惑がかかる……と踏んでの行動だ。

 が、勿論、壁を壊してしまっては元も子もないのだが、そこまで頭が回る真冬ではない。

 

 ヘッドドレスはまだ右手にある。

 飛び出し様に左手はガラス片を掴んでいた。

 多少、ガラス片は彼女の手や指を傷付けるが物ともしない。

 それは、明らかに異常な精神の持ち主である、と、ユウヤの目に映った。

 

「やべぇ……何だこの()

 

 だが、それでユウヤに火が点いた。

 長らく神室町で過ごしている彼も、大の男と真っ向から喧嘩をしようとする幼女など見たことはない。

 ──当然だ。

 

 しかし、真冬はそんな常識の外にいる。

 それでも、ガラス壁に激突したからか、真冬の額や頬にガラス片が傷を付け、細かい欠片が突き刺さっていた。

 

 視力に優れる者なら、眼球にもガラスの粒子や極々細かい破片が刺さっていることに気付けるだろう。

 だが、真冬は眼球にガラス片が突き刺さった際にも瞬きすることなく、今もなお、傷付いた箇所を被うことも拭う事もしなかった。

 そんな姿を見せられ、何の行動も起こさないユウヤでは無いだろう。

 

 ──真冬が罸徒衆(バットメン)に仕掛けた理由は二つだ。

 一つは、ユウヤに絡んで来たから。

 もう一つは──

 

 “重そうな制服”の少年が、敵なのか、味方でないにしても、このギャング側では無いのかを確認出来たから──だ。

 

 一瞬、動いた彼から流れる空気は、自分達ではなく、確かに、罸徒衆(バットメン)へと吹いたのだ。

 真冬はそう、感じた。

 



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第二章 其の六 コックローチ シンドローム

  

 神室町の地下深く──

 その、日本最大と言われる歓楽街の、有りとあらゆる情報が集められた場所が存在している。

 

 ──賽の河原だ。

 監視カメラ1万台が、記録し映像を送り続けるこの賽の河原最奥にて、地下の主“サイの花屋”が現在注視するモニターには、真冬がギャングチーム“神室町罸徒衆(バットメン)”のメンバーと相対する様子が映し出されていた。

 

「始まりました、ボス!例の娘がまた()ってまさぁッッ」

 

 真冬がPOPPOのガラス壁を突き破った──

 それは、POPPO天下一通り店の向かいにある漫画喫茶JUNGLE BOYに仕掛けられている監視カメラが捉えたライブ映像だ。

 

「凄いな」

 サイの花屋は感嘆めいた様な、そして、呆れた様な溜め息を一つ吐いた。

「ガラスに額から突っ込んでやがる」

 

 保存されたアーカイブ映像を再生し、一時停止。

 それは丁度、真冬がガラス張りの壁に、上半身で激突した瞬間だ。

 

 空手道神心會館長 武神 “愚地独歩”曰く、ベアナックル(素手)時代の拳闘に於いて、額で拳を受け、防御するのは基本的な技術であった。

 つまり額とは、人体の中でそれに耐えうる強固な部位として考えられるだろう。

 

 ──とは言え、勿論真冬にそんな知識は無い。

 ただガラス壁を突き破る、それだけを考えての行動だった。

 額で粉砕し、上半身をぶつけ、外へ飛び出す、真冬が思い描いたものは、そんな単純な発想でしかなかった。

 

 そして、その際に割れたガラス片を束にし、掴んでいる姿も記録されている。

 それは、スロー再生で漸く見ることが出来る早業だった。

 ガラス片を素手で掴む真冬の姿を見て、モグサは息を飲まずにはいられなかった。

 血がポタポタと滴っている──

 その傷に痛みを感じていない様な虚ろな双眸が、あまりに不気味だったからだ。

 

 姿勢は低く腰を落とし、右足の片膝を立ててはいるがまるで這うような体勢で、真冬はPOPPOへ向き直る。

 ヘッドドレスを持った右手はアスファルトの地面に置いている。

 ヘッドドレスを掴んでいるためにアスファルトに接地しているのは手首だ。

 ガラス片の束を持つ左手は、地面には着いていない。

 小刀を逆手で構える創作物の忍者の様に、ガラス片を握っていた。

 

 ゆらり──ゆらり──と白い髪が靡いている。

 強い風が吹いているのだろうか。

 それにしては、不自然な靡き方の様に花屋には見えた。

 寒い年末の夜だ。

 確かに風も吹いてはいるだろうが、髪の靡きに対して衣服やスカートはそれほど揺れていないのだ。

 不自然さはそれだった。

 それはまるで、髪が意識を持っているようだ──と花屋も、モグサ以下、手下のホームレス達も、そんな有り得ない想像をしてしまう。

 

 しかし、そんな有り得ない想像を更に越える物を、彼らは幻視する。

 

 地面に接地された存在しない二本の腕が、真冬にあった。

 存在しないのに、有る。

 脳が破綻しそうな矛盾が“見えた”のだ。

 

 爬虫類が這っているような姿勢──

 その腕を幻視しなければ、真冬の今の体勢はそう表現出来た。

 だが、その腕が見えた現状では、昆虫の様な姿だと思ったのだ。

 

 モニターを通して真冬を見ている彼らだが、肉眼で真冬を捉えている者は果たして如何なる物を見ているのだろう。

 賽の河原の男達は押し黙り、ただモニターを凝視していた。

 

3.

 制服の少年は、真冬が外へと飛び出した瞬間よりほんの少し遅れて動いた。

 上着の裏側に隠匿していた短い棒がいつの間にか両手に握られ、店員に絡む罸徒衆(バットメン)の肩を背後から強打したのだ。

 

 少年──井森洸一(いもりこういち)は更に追い討ちをかける様に棒を振るう。

 

 その棒はインドネシアの武術、“エスクリマ”で扱われる“オリシ”或いは“カリスティック”と呼ばれる短杖よりも、短めに作られている。

 本来の物なら60センチから70センチだが、これは約35センチ程度だ。

 携帯に適する様に作られたショートカリスティックである。

 激痛に堪えかね、蹲った男のこめかみを、両手のカリスティックで同時に殴打する。

 下手をすれば死にかねない不意討ちだ。

 そんな攻撃を、表情一つ変えずに、井森はやってのけた。

 

 真冬は、井森がそんな行動に出ることを察知した上で、動いたのだった。

 実のところ、真冬はこの少年を警戒していた。

 ギャング側なのか──

 ギャングに敵対する者なのか──

 単なる傍観者にはならないだろう、と言うことは理解していた。

 井森が仕掛ける相手がギャングだと、空気の流れで読んだのか、又は気配を感じたのか、井森が動く前に真冬は井森の行動に気付いたのである。

 

 まるで予知能力だ。

 闘争にしか意味の無い予知能力だろうが。

 

 突然始まった流血沙汰に動揺した他の罸徒衆(バットメン)がPOPPO内に慌てて雪崩れ込む。

 

 だが、ガラスが割れる音が響いたかと思うと、真冬が外にいるのだ。

 展開の異常さに、罸徒衆(バットメン)は理解が追い付かず、明らかに浮き足だっていた。

 

 しかも雪崩れ込んだ1人は、打ち下ろす様に放たれたユウヤの拳を顔面に喰らってしまう。

「真冬ちゃん、怪我ねぇか!?」

 

 ユウヤは真冬の安否を確かめるべく、自動ドアをくぐる。

 ユウヤの目に映ったガラスで傷付いた真冬はあまり無事とは言いがたい物だったが、真冬自身は平気そうだったので安堵する。

 

 が──

 

「真冬──ちゃん……?」

 

 真冬の白い髪が舞い踊っている。

 ユウヤは真冬の姿が徐々に歪に見え始め──

 そして、真冬が居るそこには、巨大な──

 人間程の大きな白い蜚蠊が這っていた。

 ──いや、錯覚か幻だ。

 

 ユウヤは真冬の姿が、そう見えたのだ。

 



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第二章 其の七 死に際の集中力

  

 賽の河原のモニターに映る真冬の姿──

 彼女が現在交戦中の映像以外、件の“ミレニアムタワー女児落下事故”の様子も流されていた。

 アーカイブに残る一連の映像が終了すると、最初から何度も流れ始める。

 そしてそれらは遠近様々な角度で映されているのだ。

 

 だが、どうしても記録出来ないものがある。

 当然だが真冬の視点である。

 真冬の視線となる方向を撮しているカメラから、真冬が見ているであろう大まかな光景や物は映像に出来るだろうが、真冬が実際に視認している物は撮しようがない。

 

“モノにしな!死に際の集中力をよッッ”

 

 暴力そのものを具現化した様な悪鬼の如く男が、真冬をミレニアムタワーの屋上から投げ棄てた。

 真冬の身体は、神室町最大の高層ビルから空中に放り出され、地上へと吸い込まれていく。

 

 その時──

 真冬が見たものは、所謂、走馬灯の様にと形容される光景なのか五年程度の自身の短い一生──

 そして、一人の男性の姿であった。

 ──幽霊だろうか。

 その男は空中に浮いていた。

 異様なまでに膨れ上がった筋肉が印象的である。

 上半身は何も纏っておらず裸体だ。

 故に、その太く厚い肉の鎧が余すことなく見てとれた。

 どうすればこれ程までに鍛え上げる事が出来るのか。

 幽霊──大多数の日本人が想像するような幽霊とは、かけ離れた姿だが、少なくとも実体のある存在ではないだろう。

 

 眠たげな双眸が、真冬を愛しそうに見詰めている。

 それは、真冬が自身に向けられた、初めての優しい視線だったかも知れない。

 

“孫ってのは可愛いもんだって聞くけどな、孫娘ともなれば、一際可愛い物なんだなぁ。ついつい出て来ちまったわ”

“なぁ、名前なんだっけ?”

 

「──母は“しろ”や“蛆虫”、“害虫”と……他には、真冬と呼ぶ人もいます」

 

 不思議な事に、この『幽霊』と会話していると時の流れが止まっているかのように真冬は思えていた。

 ミレニアムタワーから地面まで──どれだけの高所であっても、落下し地面に衝突するまでは何秒もかからないだろうが、一向に全身が固いアスファルトへと投げ出されない。

 その視覚は、凄まじい集中力の成せる技だ。

 

“……そうかぁ、なら、俺は俺で好きに呼んでいいかい”

 

 幽霊は視線を動かし、微笑の様なものを口許に湛えつつ──

“勇子とかどうだ……って……安易かなぁ”

“まぁ、いいか。なぁ、勇子。死に際の集中力、ったってお前にゃ、まだ、早いわな。だからな?助言、聞いてくれるか?”

 

「助言……ですか」

“あぁ、あの馬鹿高い建物から落っこちたら無事に済まないだろ。死に際の集中力を身に付けるにしたって、お前がそんなもんに挑戦するのはもう少し先の話だ。流石にお前、そんな領域には居ないからな”

「……申し訳ないですけど、助言は要りません。こう言う遊び……やったことなかったですから、ちょっと」

 

 ──愉しいんです。

 

 幽霊は、真冬のそんな答えに呆れた様に笑う。

 想像していなかった返答だ。

 しかし、心のどこかで望んでいた返答でもあった。

 ──常人なら免れる事の叶わない高所からの落下、そんな確実に待つ筈の死に抵抗している彼女を見守った。

 

“……お前は、やっぱりあいつの娘なんだな、勇子。脳内麻薬、死に際の集中力──お前なら絶対、その先にも行けるぜ”

 

 

3.

 真冬が、ガラス壁を突き破った事で、天下一通りでは軽いパニックが起きていた。

 何かの爆発と勘違いした者や、極道の抗争かと考えた者などから、悲鳴があがっている。

 つい先日あったミレニアムタワーの爆破事件が記憶に新しい神室町だ。

 爆発と結び付けてしまうのも無理らしからぬ事だった。

 

 真冬の痛ましい姿に恐怖を覚え、見て見ぬふりを決め込んでいた漫画喫茶付近のキャッチやティッシュ配りは、今度は野次馬として遠巻きに真冬の姿を眺めていた。

 ユウヤが見たような真冬の姿──彼らも見えた様だ。

 人間大の白い蜚蠊が這っている──彼らは、その異様な様相が理解できず、呆然と立ち竦む他なかった。

 

 突然始まった異常事態に、直ぐ様対応出来ず右往左往する罰徒衆(バットメン)のメンバーの中で、そのうち一人は自動ドアより半歩程、店舗の外側にいた。

 真冬の紅い瞳が彼を獲物と見定めるや、間髪置かず、音もなくアスファルトを蹴った。

 這っていた真冬が、男の背なに飛び掛かる。

 

 蜚蠊が翔んだ。

 

 実際にアスファルトを蹴ったのは脚だ。

 しかし、真冬の脳裏に描かれたイメージでは、地面に接地されていると彼女が想像していた三本目と四本目の手がアスファルトを叩き、それを加えて跳ぶ勢いを増しているのだ。

 その想像は、幻想でしか無いのだが、確かにより力強く真冬は跳べていた。

 

 グチリ──

 

 不気味な音が聞こえた。

 真冬の安否を確かめようとしていたユウヤも、その音の出所、そして音が発せられた理由に気付き、顔面蒼白となる。

 ──飛び付いた真冬が、罰徒衆(バットメン)の耳に噛み付いていたのだ。

 

 カツアゲ坊主との喧嘩で幾本か砕けはしたが、残る歯で噛み付いたまま、ぶらりとぶら下がる真冬。

 男の耳は真冬の体重を支える事になってしまう。

 真冬の体重は凡そ35キログラムだ。

 軽いとは言え、その重量を耳が支える事など出来る筈もない。

 メリメリと聞こえる様な、そんな錯覚を伴い、耳が千切れていく。

 

 千切れた──と同時に真冬は、その背中に膝蹴りを叩き込んだ。

 

 



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第二章 其の八 武器マニア

 

 真冬から膝蹴りを受けた男の胸椎がメキリと悲鳴を上げた。

 膝蹴りを放った左膝が男の背に食い込んだ状態のまま、真冬は右脚を振り上げる。

 ──とてつもなく柔軟な身体だ。

 体操選手にでもなれば、今すぐにでもメダリストに名を列ねるだろう。

 そして、人外の平衡感覚だった。

 

 苦痛に呻く男の肩胛骨に向けて、その体勢のまま、踵を落としたのだ。

 踵を落とした衝撃を利用し真冬は上空へと跳ぶ。

 跳んだ──とほぼ同時に、店内にいる、先程、剃刀で手を裂いた男へとガラス片の束を投擲する。

 ──ガラスの礫だ。

 それは、より鋭利に割れた尖端が向いて、彼に襲い掛かった。

 狙うは顔面である。

 投擲の際には一欠片だけをより細かく握り潰し、ガラスの目眩ましとしても仕上げている。

 

 だが、真冬はヒヤリとしたものを感じた。

 精神的に生じた物ではない。

 脚を振り上げた時、冬の冷気で生乾きとなった下着が擦れた為に嫌な冷たさを覚えたからだった。

 先刻、カツアゲ坊主と喧嘩をした際、下腹部を蹴られ、膀胱へとダメージを喰らい、不覚にも失禁してしまいパンツやタイツを濡らしてしまったのだ。

 訪ね犬のポスターをコピーした後で履き替えようとは思っていたが、罰徒衆(バットメン)といつのまにやら喧嘩となり、その機会を失ったのである。

 冷たくて気持ち悪い──

 神室町に来るまでなら、金銭に恵まれていない真冬は、そうそう新しい衣服や下着による着替えなどは考えた事が無かった。

 しかし、今はある程度余裕があるのだ。

 ──とは言え、下着も、タイツも今身に付けている衣服は、老婆のホームレス、ミチに買って貰った物だ。

 タイツも随分と汚れ、破れてしまっている。

 “これをミチさんが見たらどう思うだろう──悲しむかな──”などと想像すると真冬は強い胸の痛みを覚えた。

 

「あの、ユウヤさん。一つお聞きしたいんですけど──この近くに安く下着を買えて、履き替える事が出来る所ってありますか」

 

 出来る事なら洗濯もしたいとも思う。

「え?あ、下着?」

 

 突然の真冬からの質問にユウヤは動揺を隠せなかった。

 今、この状況でしてくる質問ではない。

 ユウヤは当然ロリコンではないのだが、真冬のような可憐な少女に投げ掛けられると気恥ずかしさを覚えてしまう──そんな部類に入る質問だった。

 

「後で、案内して頂けたら助かります」

「え、あ、あぁ」

 

 ユウヤは、一旦それで会話を中断する。

 気恥ずかしさを逸らす為でもあり、そして無傷の残る罰徒衆(バットメン)が金属バットを大きく振り上げ殴りかかってきたからだ。

 人の頭部を粉砕する事にかけてはホームラン王だろう。

 罰徒衆(バットメン)のフルスイングがユウヤ目掛けて振るわれた。

 

 POPPO店内もまた、似たような光景だった。

 真冬の剃刀に耳を切られた男が気合いを入れ直し、バットのグリップを強く握り締め、雄叫びを上げた。

 そして、井森洸一に狙いを定めたのだ。

 バットが降り下ろされる。

 それは、バットを振るう動作ではなく、まるで小剣か何かで斬りつける様な一撃だった。

 井森の涼やかな眸は薄氷の刃を思わせる冷酷さを秘めており、口許には嘲笑めいたものが浮かべられ、そのバットを事もあろうに前腕にて受け止めてしまう。

 

 金属と金属とがぶつかり合う、高い衝撃音が聞こえた。

 生身ではないのか──

 その異常さに罰徒衆(バットメン)の男は戦慄した。

 人体を殴り慣れているが、その肉や骨を打った手応えではなかったのだ。

 

 正体は籠手だった。

 学生服の袖下に隠れた超々ジュラルミン製の籠手が、バットの威力を殺し、井森の前腕を保護しているのである。

 しかも袖裏に編み込まれた細く強靭な鎖は特殊な形状と製法で作られた鎖籠手として機能していた。

 籠手を身に付けている事を隠蔽したいが為に、ガントレットや剣道の小手などの様な手甲の部分は無く、前腕だけを覆っている。

 幾つかの仕込まれた武器や、制服の下に着込んだ防具類。

 ──それらの武器防具こそ、彼の制服を見た真冬が“随分と重そうだ”と考える事になった所以だった。

 

 籠手など何処で入手しているのだろうか。

 現代日本で手に入る物なのか甚だ疑問である。

 見た目だけにはごく普通の、既製品の制服としか見えないにも関わらず、防具的に改造された制服もだ。

 だが、そうした現代の日本で扱われていないと考えられるような物さえも手に入る事は、神室町の物騒さ、危険さ、そして深淵の如く深い鷹揚さを物語っているのだ。

 

 井森は、神室町で武器を取り扱う裏マーケットに顔が利く。

 大抵は天下一通りの裏路地でそうした商いを営む男と取り引きし、彼の心に燻る武器マニアの欲望を満たしているのだ。

 井森はワークス上山と呼ばれる武器商人の良い顧客である。

 上山は武器や防具の販売のみならずそれらを改良し日用品を武器に改造する仕事などもやってくれる。

 井森と付き合いのある武器商人は他にもいる。

 例えばbeamというエロビデオ屋の裏の顔は武器ショップだ。

 特別な合言葉を知るものだけが利用できる。

 

 そしてもう一ヶ所──今回、井森がこのコンビニの襲撃者たちとやりあう切っ掛けとなった依頼をしてきた場所だ。

 それは、劇場前広場にあるデボラと言うクラブを表の顔にしているが真の顔は傭兵斡旋を生業としている組織だ。

 そこは金や様々な物品を報酬として依頼を行う。

 井森はそうした場所からも依頼を受け、数多くの武具を入手しているのだ。

 

 井森は不良ややくざなどを嫌う。

 そして、素手での喧嘩など現代人のすることではないと嘲笑い、武器を手にするのである──

 

 ユウヤが罰徒衆のフルスイングを上体を反らしかわした。

 そして、腰を落としタックルを狙う。

 バットの振りを避けられ、体勢が僅かに狂った男の胴体に両手を回す。

 ベアハッグの様な体勢になるが、そこから気合いの雄叫びと共に罰徒衆の男を持ち上げた。

 罰徒衆の男は脚をばたつかせ、抵抗の意思を見せたが、直ぐ様ユウヤは動いた。

 ユウヤは男を持ち上げたまま、避けた時と同じ様に上体を反らしていく。

 そして、罰徒衆の後頭部を自らの後方のアスファルトへと落とした。

 ユウヤのぶっこ抜きのフロントスープレックスが決まった瞬間だった。

 ──とほぼ同時に井森は剃刀で傷付いた罰徒衆の耳にカリ・スティックを振るった。

 



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第二章 其の九 デボラ

 神室町の玄関口と言われる天下一通りを北へ進み、泰平通りより更に北側に位置している劇場前通り──そこは、神室シアタービル、神室劇場ニュー天宝シネマ、大手ゲームメーカー経営のゲームセンター、他にはパチスロ店やボーリング場、ネットカフェなどが存在し、老若男女問わず多くの人で賑わう大通りである。

 劇場前広場は1980年代中頃に一世を風靡したバンドグループ“横浜シルバーズ”が、路上ライブをしたことでも有名だ。

 そうした過去もある為か、明日のスターを夢見る若いストリートミュージシャンが、この劇場前広場でストリートライブをしている光景を、今でも見られるだろう。

 

 そして、劇場前広場の神室イルミネーションシアタービル地下で営業されているクラブ“デボラ”へと、真冬は井森に連れられ、やって来ていた。

 先程まで、ギャングチーム罰徒衆相手に共闘していたスターダストのホストであるユウヤは、先に柄本医院に向かっている。

 柄本医院は泰平通り西の雑居ビルで開院している個人病院だ。

 柄本は闇医者ではないが、極道やホームレス、不法滞在者などであっても診療することで、アンダーグラウンドの者達から、その名を知られている。

 例えば、銃創の弾丸摘出を必要とするような訳ありの患者にも対応してくれるのだ。

 真偽は不明だが、東城会直系二次団体風間組の組長であった今は亡き『風間新太郎』や、或いは五代目藤木組内花山組の先代組長『花山景三』と交流があり、生前の彼らから多大な援助を受けていたからそうした闇の仕事も請け負うのだ─などとの噂が真しやかに囁かれている。

 彼等と所縁がある桐生一馬や、花山薫の姿が、稀にこの医院で見られる事も、その噂の真実味を増しているのだった。

 

 ──柄本医院の本来の診察時間の受付は午前なら八時三十分から十二時三十分、午後は十六時三十分から二十一時三十分までだ。

 今の時間帯なら診察も終了しているが、真冬の怪我を診察して貰う様な場合は、一般の患者の目が無くなっている方が柄本にも、真冬にとっても都合が良いだろう。

 

1. 

 イルミネーションシアターの入場券売場近くの地下へと続く階段を下りるとデボラがある。

 ゲートを潜ると、カラーギャング“ブラッディアイズ”が溜まり場にしていた事でも有名な、ダンスホールがすぐに見える。

 ダンスホールから数段上がると幾つかのテーブルや椅子、奥にはカウンターがあり、そこでは酒などの飲料を提供している。

 カウンターにはサングラスをかけたスキンヘッドの男が立っており、井森が真冬をここに連れてきた理由は、真冬を彼に紹介する為だ。

 

 マスターとおぼしきその人物は、厳つい大男だ。

 真冬の目からも、一介のクラブのマスターでは無い、只ならぬ雰囲気を醸し出している男であると見て取れた程だった。

 身長は180センチを越えているくらいだろうか。

 しかし、身長以上に大男に見えるのは、その筋量故か。

 黒いウェストコートにトラウザーズ、無地のシャツといった出で立ちだが、その衣服の上からもはちきれんばかりの厚い筋肉が明確に分かるのだ。

 井森は、そうした普通なら声をかけるのも躊躇したくなるような男へ、気軽な様子で話し掛けていた。

 

 カウンターの前で、タキシード姿の外国人が一人カクテルグラスを傾けている。

 確かにマスターも只ならぬ人物であろう。

 だが、一際、真冬の目が引かれたのはこの男の方であった。

 マスターに負けず劣らずの巨漢だ。

 身長181センチ、体重129キログラム──

 身長は僅かにマスターよりも低い。

 しかし、その筋肉の凄まじさはマスターのそれを遥かに凌駕している様だった。

 

 彼を見詰め、真冬は、震えを抑えられずにいた。

 カツアゲ坊主が岩石なら、この男は鉄の塊だ。

 ただの鉄の塊ではない──巨大重機の鉄球なのだ。

 

「リチャード、テストしてくれねぇか?」

 と、マスターが言った。

 

 真冬が、ユウヤや井森と共に罰徒衆の六人を蹴散らした後、ここに連れて来られたのには理由がある。

 井森が真冬の高い戦闘力を気に入ったからだ。

 クラブ“デボラ”の裏の顔、用心棒の斡旋所に真冬を推薦するために連れてきたのだ。

 真冬程の強い人物と仕事を共にすれば、報酬の武具を集めやすい──井森には、そんな思惑があった。

 

 POPPOからの道すがら、真冬は井森からここデボラが依頼する用心棒の仕事について聞かされていた。

 武具だけでなく、金銭も報酬として貰える。

 いつまでも、賽の河原で過ごす訳にもいかない。

 それに、金銭を受け取れるなら、ミチやモグサへ恩返しが出来るだろう。

 そう考えると、井森の話に乗らない手は無かったのだ。

 

 とは言え、真冬を用心棒稼業に推薦されたとして、裏社会の者であっても大抵の人間は話半分に聞いて相手にしないだろう。

 

 九歳の幼女が用心棒になるとは誰も思わない。

 

 しかし、デボラのマスターは一目で、真冬もまた並々ならぬ人物であると見抜いたのだ。

 彼は多くの荒事に身を置き、様々な強者を目にして来た。

 故に理解できたのだ。

 

 通常なら、このマスターが持つ戦闘力への優秀な審美眼が見極め、適性有りと判断したなら用心棒稼業の採用がそれだけで決まる。

 井森の時もそうだった。

 井森の、他人を傷付ける事に躊躇いの無さや、熟練された武具の扱いは、多いに価値があると判断されたのだ。

 

 だからか、井森も多少驚いた。

 テストをすると言う事は初めて聞いたのだ。

 真冬の力を疑っているのか──とも考えたが、それは違うと思い直した。

 寧ろ、真冬の戦闘力を感じ取ったからこそ、それを直に見たいのだろう、と井森は思った。

 

「構わんが──マスター、その前にもう少し酒を貰おうか」

 

 タキシードの男──リチャード・フィルスはそう言い放ち、真冬達がやってくるまでに呑んでいた物を合わせ、カクテルグラスにして11杯を飲みほしたのだ。

 

「適量にゃ程遠いが、これくらいで良いだろう。さて、やるかい?嬢ちゃん」

 

 真冬の震えが増した。

 じわじわと心の奥底から燻り、やがて燃えて来る、強者を前にする愉しさ。

 

 それは、歓喜の震えだった。



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第二章 其の十 幼き打岩

大財閥当主が語る白い少女の話

 

 ──うん、名前も素性も知らなんだよ。

 初めて会ったときは。

 

 本邸ではなく、この別邸に()った時じゃな。

 あの子は毎晩、何処からか忍び込んで来よった。

 最初は護衛にも気付かれることなく庭で遊んでおったみたいでな。

 尤も何度も何度もやってくるもんじゃから、しまいには、うちの警備頭をやっとる加納に見付かってしまいおった。

 奇妙だったのは、監視カメラには映るんじゃが、肉眼では見付け難くてのう。

 なんちゅうか──

 時代劇の忍者みたいな娘じゃったわ。

 

 加納の奴も、侵入者が七つか八つの娘じゃし、処遇に困っておった。

 しかしな、情けない事にだぁれも、あの娘を捕まえられんのじゃよ。

 別段悪事を働く訳でも無いしな。

 儂らは一先ず、様子見がてらほったらかしにすることを決めたんじゃ。

 たまに、ほれ、向こうの池──

 あそこで、儂と一緒に鯉に餌やりとかやっておったよ。

 楽しそうにしとったのう。

 

 庭と言えば──

 ほれ、見てみい、見事な石庭じゃろ。

 

 この別邸自慢の枯山水じゃよ。

 あの子は、あれ、あのおっきな庭石が気に入っておってな。

 

 うん?

 ──そう、あの“丸っこい岩”じゃよ。

 石庭を飾る石には見えんのう?

 窮めて真球に近い岩──

 

 お前さん、打岩って知っとるか?

 うん、そうそう、中国武術の古い鍛練法じゃが──よく知っとったのう、打岩なんぞ。

 

 素手で岩を打ち、砕き、割っては、角を削って球体に近付けて行く、あれじゃ。

 素手でなら拳だろうが、蹴りだろうが、肘打ち、頭突き何でも構わん。

 

 しかしな、相手は堅い岩石。

 そんなもんを素手で打てば皮膚は破れるし肉は抉れて只では済まん。

 並大抵の修行者では、それを成し得る事など一生かかっても出来んらしい。

 

 儂が中国から招いた中国武術の雄、魔拳『烈海王』は黒曜石の打岩を完成させたんじゃが、あれは見事なものじゃったよ。

 完全な真球。

 角なんぞ一切無い。

 

 あの娘の打岩は、まぁそれと比べては出来が良いとは言えんだろうな。

 しかしな?

 

 この幼き打岩──

 僅か三日三晩で成し得たもの──だとしたら、お前さんどう思う?

 

 信じがたいじゃろ。

 でもな、あの娘はそれをやってのけおったのじゃよ。

 

 センスの無いものなら一生かかっても出来ん。

 天才的な才能の有るものでも三年はかかる打岩。

 庭石でやったもんとは言っても、果たしてこれを三日三晩で出来る奴など、どれだけ居るじゃろうなあ?

 

 ん?あれも気になるかい?

 庭石が輪っかになっとるの。

 うん、時価530万円のフラフープじゃ。

 

 打岩をやり終わったあの娘にちょいと意地悪を言ったんじゃよ。

 石を丸になんぞ誰でも出来るっての。

 ──いや、出来んけどの。

“わし、石の輪を見てみたいのう”

 

 そんなことをあの娘に言ってみたんじゃよ。

 永い長い中国武術の歴史──岩で輪を作ったとされる逸話もある──

 

 伝説の打輪じゃよ。

 打岩を成した者が次に挑戦する鍛練法なんじゃが、これを完成させた者は少ない。

 

 球体にするより当然難しいのは理解出来るじゃろ。

 儂が意地悪なのは、倒れたら失敗とからかったことじゃよ。

 球体を更に削って抉ってゆくから、打撃を受けた庭先は折れやすく、倒れやすくなる。

 とんでもない正確さ、速さ、タイミングが要求されるんじゃ。

 

 で、倒したらゲームオーバー。

 流石にあの娘も手こずりおったな。

 半年くらい掛かりおったかな。

 

 この530万円のフラフープを作るまでに。

 いやな、倒した奴も勿体無いと、倒れてからも削っておったんじゃよ。

 思えば折った事は無かったのだから大したものじゃよ。

 だから半年かかった。

 成功例の奴だけなら、うーん、二週間程かの。

 

 でな、儂はあの娘の拳をもっともっと見てみたい、そう思ってしまったんじゃ。

 だから、言ったよ。

 

 細長い石の棒は作れないじゃろ?ってな。

 

 打針じゃよ。

 それをやらせる為に、儂は1200万円の庭石を取り寄せた。

 作るのは直径二センチの石の棒じゃ。

 球体や輪を作るより難しい、打岩の究極系、打針。

 烈海王でさえも、こいつはやっておらんと思うぞ。

 話では黄海王のオリジナルの鍛練法らしいからの。

 中国武術四千年の歴史のなかでも類を見ない途方もない超技術じゃて。

 

 ──これな、折ったら失敗なのは当然じゃ。

 折らない様に、大きな岩を細く細く削って行く。

 当然素手でな。

 

 ──で、折ったら1200万円弁償して貰うぞいってあの娘に言ってみたんじゃよ。

 いや、勝手に庭先を取り寄せて、打針をやってみる様に提案したのは儂なんだがな。

 ──それでもあの娘、気負う様な素振りは全く見せなんだ。

 寧ろ、失敗してはいけない状況にワクワクした様子じゃったよ。

 

 そして、あれじゃよ、見ての通りにあの娘は打針もやってのけおった。

 

 打岩──

 打輪──

 打針──

 

 良いじゃろう?これ程の石庭は無かろうて。

 範馬の娘がこしらえた打岩の石庭じゃ。

 

 これ以上の枯山水は他に無いぞい。

 儂の自慢の石庭じゃ。

 

 岩を砕く小さな拳──

 あの娘ならば、如何なる鋼の肉体でも打ち抜いてしまうじゃろうなぁ。

 

 ──儂ならどんな相手とマッチメイクさせてみるか……じゃと?

 そうじゃな、幾ら強かろうが地下闘技場に呼ぶわけにもいかんが……差し詰め、地球一のタフガイ……リチャード・フィルス辺りとやってみて欲しいかのう?

 

 ──なぬ?神室町でとうの昔にやっとる!?

 

 見てみたかったのう。

 



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第二章 其の十一 真冬日に

“何か面白い事が起きないかな──”

 

 幼い少女は、変化を待ち望んでいた。

 どれほど高価な欲しい物でも、苦労せず、好きなだけ手に入る事が当たり前な毎日であれば、寧ろ何一つとして充たされないものなのかも知れない。

 

 大人達から、かしずかれる。

 大人達は“お嬢”と自分を呼ぶ。

 だから、少女は自分が、所謂『御嬢様』などと言われる存在なのだと漠然と感じるようになっていた。

 

 同年代の誰よりも、高価な物を身に付けている。

 それは衣服でもあるし、他の小物類まで様々だ。

 通学鞄も外国の有名ブランドか何からしい。

 制服ではなく私服通学故に、身に纏う衣服は、他の児童のそれとは明らかに違うきらびやかさが見て取れた。

 

 しかも、学校への送り迎えは、自家用車だ。

 運転手までいる。

 少なくとも、彼女が通う小学校に、自分以外そんな生徒はいなかった。

 勿論、羨望の眼差しを向ける生徒は多かった。

 やっかむ者も居るだろうが、それ以上に、もて囃す者の方が多くいた。

 しかし、そうした友人達の誰一人として、自身を充たす事は無かった。

 

 城之内(じょうのうち)(みどり)

 彼女が十歳の頃、とある真冬の時期に──今まで見てきた誰とも違う、興味深い不思議な冷気の槍と出逢うのだった。

 

2. 西暦2003年

 翠は、母親と二人暮らしだ。

 父親の顔は知っているが、暮らす家は別だった。

 母親は未婚の母である。

 それでも、恵まれた裕福な生活を送れているのは、母親の実家自体が非常に裕福な家柄だった事にも起因する。

 住居も、邸宅と呼んで差し支えの無い高級住宅だろう。

 “御嬢様”である事に、間違いは無いのだ。

 

 ただ、多少は特異な事もあった。

 

 父親は関西最大の広域指定暴力団である東城会の三次団体“風間組”の若頭らしい。

 十歳当時は、そうした暴力団という存在が何なのか、翠は理解出来ておらず、ただ父親は偉い役職に就いている人物何だろう──そう考えていた。

 堂島組傘下風間組若頭、柏木修──

 それが翠の実の父親である。

 母は入籍していない、柏木の内縁の妻と言ったところだ。

 

 自家用車の運転手は、護衛──そうした意味合いを持った人物でもある。

 柏木は風間組内で重要なポストにいる人物だ。

 翠は、そんな極道の娘である。

 内縁の妻との娘とは言え、その身に危険が迫ることも考えられると、故あっての処置なのだろう。

 

 運転手は髪を短く刈り上げ、深い剃りこみを入れた強面の男であり、児童が彼を見たら、確実に泣き出してしまうだろう。

 恐らく、上級生達、あるいは同級生であっても勘の良い者なら、そんな運転手に送り迎えされている翠が“普通”の御嬢様では無いことに気付いている筈だ。

 明らかに翠は異質な存在だった。

 子供同士であっても、異質な存在は排除したがる物だ。

 だが、その異質さに、更に恐怖が上乗せされたなら話は変わる。

 

 翠は、子供達の中心的な立場にあった。

 周りの子供は、翠に媚びを売っている──様にも見えるほどだった。

 そして、そうした立ち位置に居るなら、大抵は天狗になる。

 だが、翠は、概ね性根がひねくれているのか、寧ろ周囲の態度に心底辟易し、しかも、傷付いた様相だったのだ。

 

 ──そんな折に触れて、ある下校時、翠は自分を待つ車に乗ることなく、一人で、ふらりと街へと脚を伸ばした。

 いつもなら自家用車の中で暖房の温もりに包まれているが、冬の冷気が肌を刺した。

 吐いた息も真っ白だ。

 しかし、それが心地好かった。

 

 一人歩きを始めたのも、冬の寒さに不思議な気持ちよさを覚えたからだ。

 何故か、身体も軽く感じる。

 伸び伸びとした、解放感とも言えるだろうか。

 

 深呼吸の様に、目一杯空気を肺に溜め、吐き出した吐息はやはり、白い。

 澄んだ空気、空間は冷気が充ちて透明な白さに見えてくる。

 

 だが、そんな清んだ世界を壊すように携帯電話が鳴った。

 翠の姿が見当たらない事に心配した護衛兼、運転手の男──山乃が電話をしてきたのだ。

 翠は直ぐに──電源を切った。

 ──邪魔されたくないと、思ったのだ。

 

 何か、予感めいたものが在ったのかも知れない。

 もう少しこの“散歩”を続けたかった。

 

 小学校を離れ、見馴れない景色が広がっている。

 車で来ることも無ければ、当然自分の足で訪れた事もなかった。

 

 見たことが無い、或いは気に留めていなかっただけか、知らない制服を着た学童が行き交っている。

 中学生か──

 小学生でも学区が異なる地区の子供だろう。

 翠の学校は私服通学故、制服と言うものを着てみたい……とも彼女は思う。

 

 擦れ違う何人かは、翠に興味を持ったか、不躾にジロジロと見てくる者もいた。

 この辺りで、見掛けた事が無い少女だからか──

 それもあるが、翠が稀に見る美少女だと言うことが大きいのだろう。

 

 母親の趣味で、翠は、今よりも幼い頃からずっと髪を長く伸ばしており、今では美しい黒髪が背中迄に流れている。

 前髪は目より少し上、頬に添った左右の髪は顎辺りで綺麗に切り揃えられ、翠を現代的な御嬢様とより良く見せる髪型となっている。

 少し大人びた、つり目がちな眸から猫の様な印象を与えている。

 伝統的な和装──と言うよりも現代的にアレンジしたような和服が似合いそうだ。

 今は金糸で花模様の刺繍をあしらった紺色のワンピースに白と黒のレースで飾られたケープを身に付けている。

 ケープを留めるブローチは控え目な品だが、見るものが見たら高価な物だと気付けるだろう。

 

 視線には無視を貫き、暫く歩いていると、肌寒さが僅かに辛くなってきた。

 何か、温かい飲み物が欲しい。

 ──と、自販機を探す。

 

 少し戻ればコンビニのPOPPOがあった。

 そこまで戻るか──と思いつつ──

 

“戻らなくて良かった──”

 

 二階建てのアパートか、或いは文化住宅か……

 昭和から取り残されたような建物の脇に自販機が二基、設置されていた。

 

 しかし、翠が戻らなくて良かったと、心底思ったのは、自販機を見付けたからではない。

 その自販機が設置されている場所から奥まった先には、金網で囲われたゴミ捨て場があった。

 このアパートの、共用のゴミ捨て場ではない。

 

 恐らく単なる空き地に不法投棄されたゴミ群が山となり、ゴミ捨て場の様相を呈しているだけだ。

 

 ──様々な粗大ゴミが見える。

 

 大型の冷蔵庫が目立っていた。

 野晒しにされ、雨露で錆びたフレームが一部剥き出しになった事故車両も二台、金網の外にも一台ある。

 自転車やバイク、何の機械か翠には分からない金属などとが打ち捨てられている。

 

 金属の墓場──

 翠が、その不法投棄されてゴミ捨て場と化した空き地を見て受けた印象だ。

 しかし、そんな負の空間に──

 真冬の空気の如くに清んでいて、透明で、真っ白な──

 綺麗な、鋭利な“槍”が輝く姿を見付けた。

 



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第二章 其の十二 西暦2003年のとある夕刻

 

 人類最古にして最良の武器

 それは──

 ──ハンマーとなり

 ──刃となり

 槍となる──

 

3.

 或、真冬日の夕刻の事だ。

 西陽が、金属の墓場を照らしている。

 逢魔が刻と言われる時刻、冬の寒さから雪女を連想させる様な白い少女がそこにいた。

 10歳の翠より、少し幼い──七つか八つくらいだろうか。

 髪も肌も真っ白だった。

 だが、虚ろな眸は血のように紅い。

 身に付けている白いインナーシャツは薄汚れており、胸元には赤黒い染みが付いている。

 翠の目にも、それは血の跡だと見てとる事が出来た。

 神秘的な様で、儚く、脆そうな印象も受ける。

 しかし、そんな少女を見た翠は“槍”が、少女の姿と重なった。

 その少女は、まるで、鋭く冷たい刃物だった──

 

 ──前述した人類最古にして最良の武器を表すあのフレーズは、言わずと知れた、曰く地上最強の生物、曰くオーガ、巨凶と呼ばれる範馬勇次郎の言葉だ。

 翠がその言葉を知ることなど当然無い。

 

 しかし、白い少女が現在行っている様を見て、槍を想像したのだ。

 少女は、左右の手の親指以外の四指を伸ばし、自動車のフレームを突き、打ち、穿っていたのである。

 

 貫手だ。

 何のために、固い自動車のフレームなどを指で突いているのだろう。

 翠は疑問に思ったが、単に貫手の訓練を行っているのだ。

 実のところ、白い少女にとっては、それは訓練を行っていると言う意識は無い。

 遊んでいるのだ。

 指を鍛えるゲームだった。

 

 何度も何度も繰り返し、両手で放たれる貫手。

 よくよく見れば、白い少女の手は紅く血で濡れている。

 夕刻の陽光よりも赤い。

 車体を指で突いているのだ。

 当然、傷だらけになるだろう。

 脱臼、骨折……普通だったら、そんな危険性もある筈だ。

 

 かの空手道『神心会』の館長、武神“愚地独歩”も束ねた竹に貫手を打ち込む訓練の辛さを物語る。

 彼でさえ、その訓練には正しく手を焼いたのだ。

 指がいっそ無くなれば良いと思ってしまう程の荒行だ。

 

 そんな荒行と似たような事を、この白い少女はおよそ0.9㎜の鋼板で行っているのだ。

 翠は……その尋常ならざる姿に感動を覚え、この少女がとても面白い人物に見えていた。

 

 一心不乱に貫手を打ち込む白い少女に向けて、ついつい翠は歓声と共に拍手を送った。

 だが、白い少女は気にする様子も見せずただ、貫手を続けていた。

 

 白い少女は、実はこの技術(わざ)が貫手、あるいは角手と呼ばれる物であることは知らずに行っている。

 拳を打ち込むのでは無く、指で鋼板を貫けたら愉しいかも──そう、考えての遊びだった。

 拳よりも指で打つと痛い。

 痛くなくなるまでやってみよう。

 それが、最初に貫手を始めた切っ掛けだった。

 

 いつしか、痛くなくなった。

 次は指で貫けたら面白いかも。

 

 その単純明快で、そして、気が触れているとしか思えない思考から貫手の訓練を続けているのだ。

 拳で岩を削ぐのも愉しい。

 鋼板を指で貫くのも愉しい。

 手刀でタイヤを断ち切るのも愉しい。

 

 白い少女にとって、このゴミ捨て場は、おもちゃ箱のようだった。

 硬いものは車だけではない。

 ここは金属や巨大な物の宝庫なのだ。

 

 ──そして、貫手が止まった。

 白い少女が動きを止めると、何故か周囲が静寂に包まれた様だと、翠は思った。

 

 木枯らしが吹いた。

 空気が振動している。

 刹那──

 白い少女は、掌を車体に打ち込む。

 

 車体は微動だにしない。

 フレームに僅かなりとも、へこみが生じたりもしない。

 何かしら、ダメージを与える物だと思った翠は、首をかしげた。

 普通は少女の掌底が鋼板をへこませたりする筈も無いのだが、翠の思考も、多少歪みが生じており、常識的な事を忘れさせていたのだろう。

 

 しかし、数秒──

 経った。

 すると、割れてはいるが、残っていた車の窓ガラスが全て、弾け飛んだのだった。

 

 一体、何が起こったのか。

 余りにも奇妙な現象に、翠の理解は追い付かない。

 この白い少女を見付けてから、興味深い事が尽きないでいた。

 

 片手で、無機物に対してある種の“無寸勁”を放ったのだ。

 白い少女──當之真冬は去年の誕生日の夜に、神室町の超高層ビルの屋上から落下した。

 悪鬼羅刹ですら生温い、そんな鬼神の如く男に、放り投げられたからだ。

 真冬はその男が何者か知らない。

 落下の際に恐怖も確かにあったが、それ以上に精神が研ぎ清まされ、そして愉しかった事を記憶している。

 あの男にまた会ってみたいとも思える程だ。

 真冬は、父親を知らないが、あんな男がお父さんだったらなと、あの事件のあと、考えていた。

 

 その、神室町ミレニアムタワー女児落下事故に見舞われた際に思い付いたのが、この物体に対して行う、無寸勁だ。

 全身を打つような物体の衝撃を殺すために、無寸勁を体の一部で打てないか、そう考えたのだ。

 それを、攻撃にも使ってみようと、更に連想し完成させたのが、今しがた車の窓ガラスを粉砕した無寸勁……名付けて“無寸勁・破砕連振”である。

 

「スゴいッッ!どうやってるの、それ!」

 

 翠はつい、真冬に叫んだ。

 声をかけたい。

 何故かそう思ったのだ。

 会話の取っ掛かりは何でも良い。

 そして、この白い少女と、少女が行った謎の技術、二つに興味が有るのだから、会話の取っ掛かりに今の技術の事を訊ねるのは自然の流れだった。

 

 だが、真冬に届いた声は、翠のそれ!と言う言葉と重なる様に翠が発した悲鳴だった。

 



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第二章 其の十三 真冬のとある出来事

5.

 

 悲鳴──?

 2メートル強はある背の高い金網フェンスの向こう側から聞こえて来た甲高い声に、真冬は、訝しむような表情を浮かべた。

 その悲鳴は、先程から自分の一人遊びを眺めていた少女の物だろう。

 

 ──それは、不思議な視線だった。

 少女からの、その視線に込められた物は何なのだろう。

 自分の一人遊びを見る者は今までも多くいた。

 この辺りは、人の通りも少なくなっているとは言え、アパートに近い。

 住民の目がある。

 彼らからは嘲笑され、好奇や奇異、侮蔑と言ったマイナス面の印象しか見受けられなかった。

 

 だが、少女から受けた視線は恐らく──好意だ。

 一緒に遊んでくれるのかな──と、ふと、考えてしまう程に暖かさを感じた。

 

 そんな少女の悲鳴だ。

 ──何が、起きたのだろう。

 

 見知った顔ではない少女だった。

 そして、彼女を囲む顔触れも知らない。

 四人組の男達だ。

 その内一人は、事もあろうに、少女の腕を乱暴に掴んでいた。

 少女──翠の腕を掴む男を含め、三人は白いスーツ姿だ。

 スーツの襟には皆、円形のバッジを付けている。

 円形の中央には源王(げんのう)の二文字──

 真冬も翠も知らない事だが、それは源王会と呼ばれる極道組織の代紋を象った襟章である。

 

 もう一人は代紋を付けていない。

 源王会の組員達も大柄な男達だが、その代紋を持たない男は更に巨漢だ。

 身長は190センチに近い。

 背丈も並みでは無いが肉の分厚さが、鍛えた極道のそれと比べても桁違いなのだ。

 ──肉の鎧を身に纏っている様な、脂肪と筋肉である。

 翠は大相撲に興味は無いので、テレビで取組の中継を視聴した事はなかったが、この男は知っている。

 有名な力士だ。

 髷を結っていないし、一目で誰かとは直ぐに気付け無いが、何度かニュース等でこの男の顔は見ているので、よくよく見れば思い出せる筈だ。

 

 ──横綱“蒙将龍”だ。

 稀代の名横綱“金竜山”や“零鵬”古くは“龍金剛”とも並ぶ大横綱と言われては居るが、度重なる暴行による傷害、メディアや一般人への暴言、器物破損、更には取組での反則行為など様々な不祥事で問題視もされるモンゴル人力士である。

 裏社会との黒い噂も絶えないが、こうして源王会の構成員と並んで居るところを見るに、それは単なる噂の域に留まらないだろう。

 

 金竜山曰く、大相撲の腐敗──

 

 その腐敗の温床が『源王会』や『近江連合』と言った暴力団との癒着である。

 それらとの太いパイプの一つが代打ちと称される賭け試合だった。

 億単位の金銭や不動産を賭け、双方の代表者の代わりに闘技場へ上がる賭け試合だ。

 蒙将龍は源王会の構成員ではないが、様々な代打ちや用心棒も経験している。

 土俵の上では金竜山から二度の黒星を喫してはいるが、そうした闇の試合では、恐らく十回やれば十回、蒙将龍に軍配が上がるだろう。

 

 今回彼が源王会から受けた仕事は、東城会風間組の若頭である柏木修の娘誘拐の手助けだった。

 柏木が内縁の妻との間に作った娘である城之内翠には、風間組組員の護衛が側にいる。

 翠誘拐の障害となるであろう、そうした手練れと考えられる護衛の排除が蒙将龍に課せられた役目である。

 しかし、翠誘拐の機会を窺っていた彼らに、絶好の機会が巡って来たのだった。

 なぜか今日に限って翠は、護衛がいつも送り迎えする自家用車には乗らず、一人で町に出ていったのだ。

 しかも、人通りも疎らな所で足を止めた。

 不法投棄された空き地や、近くには安アパートが建っているくらいだ。

 

 少し離れた先には、運転手役の源王会組員が一人乗っているワゴン車が停められている。

 だが、それぞれのフロントガラスにはミラーフィルムが貼られており、車内の様子は分からない。

 

 誘拐は、万全の状態での決行と相成った。

 だが、源王会の誰一人として、想像だにしていなかった最大の誤算──

 

 翠の腕を掴む男が、悲鳴を上げた彼女を黙らせる為に、もう片方の手を振りかざした。

 頬を叩く──

 が、その手が翠の頬を打つことは無かった。

 それどころか、掴んでいた腕も離してしまう。

 

 ──それは、一瞬の出来事である。

 翠の腕を掴む男が振り上げた手と、彼の顔面に、ガラスが突き刺さったのだ。

 そのガラスは、さっき真冬が無寸勁で粉砕した廃車の窓ガラスだ。

 

 粉砕され、飛び散るガラスを宙で手に取り、翠を叩くよりも、幾ぶんか──刹那ほど速くに真冬は命中させたのである。

 男は突然の襲撃に動揺し、同時に襲ってきた恐ろしい痛みに思わず顔を押さえた。

 

 真冬のそれは、尋常ではない反応速度だった。

 ミレニアムタワーの屋上からし、生還した“死に際の集中力”の賜物である。

 男が翠を叩く前に、真冬はその行動を察知していた。

 それは、超能力者の予知能力を思い起こさせる。

 

 武神“愚地独歩”曰く──

『脳の命令があり動作が始まる──その常識は間違いだ。脳は命令の0.5秒前に信号を発している』

 

 今回の場合、翠を叩く──

 それが、脳の起こりであり、仕掛ける初動となる。

 真冬は、男の初動──頬を叩くと言う起こりを脳が命令した信号の0.5秒前よりも、先に察知し、ガラス片を投擲したのだ。

 

 恐らく他の極道や翠は何が起きたか理解出来ていないだろう。

 もしかしたら、翠の悲鳴とほぼ同時の襲撃になっていたのでは無いだろうか。

 真冬自身、翠の危機を知るよりも速くに、動いていたのだ。

 

 そして、真冬は跳んだ。

 踏み出し、走り、地面を蹴った。

 真冬は金網フェンスの上部胴縁に立っていた。

 



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第二章 其の十四 角力

 

 東城会直系堂島組傘下 風間組 舎弟頭“山乃惣一”はある都市伝説を思い出していた。

 

 ──山乃は、風間組若頭“柏木修”が内縁の妻との間に作った一人娘“城之内翠”を護衛する任に就いている。

 翠はほぼ毎日大体3時半頃に下校する。

 山乃は翠が通う小学校の授業行程となる時間割りを全て頭に叩き込んでいた。

 今日も、校門の側に車を停めておけばすぐに翠を車に乗せて送迎出来る……筈だった。

 

 しかし、いつも通りにはならなかった。

 翠が姿を現さなかったのである。

 電話を直ぐに掛けたが無視され、電源が落とされてしまった。

 明らかに異常事態ではないだろうか、山乃はそう、判断した。

 

 そして、奇妙な事が、更に起きていたのだ。

 カーナビや翠の携帯に搭載された位置情報を教えるGPSが狂っていた。

 最初に気付いたのはカーナビの大幅なズレだった。

 70メートル程度の誤差が生じていた。

 

 そこで、思い出した都市伝説がある。

 まともな大人であれば、一笑に付してしまうような都市伝説だ。

 

“軍事用の人工衛星による衛星偵察の監視対象となっている三名の男の話”

 

 “範馬勇次郎”

 “ビスケット・オリバ”

 “純・ゲバル”

 

 その三名の内、誰か一人でも時速四キロ以上のスピードで動いたなら、軍事用の人工衛星半数が緊急作動を強いられ、彼の動向を監視するのだと言う。

 その為に軍事衛星を使用する位置情報システムを用いたカーナビやGPSは大きく……70メートル以上ズレると言われているのだ。

 何らかの闘争に関係するものなら民間の人工衛星も動員されるのだろう。

 今回は携帯電話のGPS機能まで狂っているのである。

 

 山乃が思い至った都市伝説だ。

 確かに一般人なら大人どころか子供でも笑い話と笑い飛ばしかねない。

 しかし、山乃の様な裏社会の人間ならば、然もありなんと、寧ろ事実であると信じてしまうであろう都市伝説なのだ。

 

 翠の行方不明と件の三名の動きは関係するものなのか。

 恐らく直接的な関係は無い筈だと、山乃は考えた。

 彼らが翠に害を為してくるとしたらどんな理由があるだろうか。

 まず、何一つ無いからだ。

 それよりも、考えられるのはごく最近、関西近江連合と杯を交わした七代目源王会である。

 七代目源王会は現在極道社会の一本化を大義名分に、勢力の拡大を図り幾つかの抗争を企てている、と山乃も聞いていた。

 下手をすれば、東西の最大派閥東城会や近江連合を巻き込んだ一大戦争になりかねないのだ。

 そんな中で、そうした抗争を好と思わぬ七代目源王会傘下五代目藤木組内花山組の組長が、東城会風間組に接触して来たと言う話がある。

 花山組と風間組が、手を組まれる事になるのをよく思わないであろう源王会があの手この手で何かしらを仕掛けてくる事は明白なのだ。

 その中で風間組若頭の娘が狙われる可能性は大いに考えられた。

 何にせよ、GPSが役に立たない現状、翠を捜索する事は多少の骨が折れそうだ。

 ──山乃は、車を出した。

 

6.

 真冬が、金網フェンスの胴縁上部に立っている事に直ぐ様気付けた者は居なかった。

 そもそも、真冬がガラス片を投擲してきた事に気付いた者がいなかったのだ。

 数秒遅れて、ガラス片で傷付いた男以外の二人が、懐より其々、一振りの短刀を取り出し、抜いた。

 それでも、仲間の組員が何かしらの襲撃を受けたことに関しては理解できた為に、その行動は速いものである。

 

 その短刀は匕首などとも呼ばれる30センチメートル程の日本刀だ。

 白木の鞘に柄と、極道映画のそれを思わせる物である。

 

 しかし──

 「お前らは退けッッ」

 

 叫んだのは“蒙将龍”だった。

 そして、彼は金網フェンスに突進する。

 

 彼らの目的は城之内翠の誘拐だ。

 だが、未知の+アルファの介入があり、最初の一手からして、失敗してしまったのだ。

 “光り物を使ってしまうのも不味い”

 蒙将龍はそう考えた。

 このままでは拳銃(チャカ)まで抜きかねないと判断したのだ。

 ここいらは人気も少なく、人の目も疎らだ。

 だが、近くにはアパートもある。

 目撃されるリスクはそれなりに考えられ、面倒だ。

 

 そして、蒙将龍のみ、真冬と言う未知の+アルファの存在に気付けた故に、金網フェンスに全身をぶち当て、他の極道達には退却を命じたのである。

 一人運転手が車に残っているのは、誘拐後の逃走を容易にするためでもあり、こうした失敗を考慮しての側面もある。

 失敗した場合もまた、直ぐに発車出来るのは都合がいい。

 

 蒙将龍の言葉に従い、無傷の組員二人は車に走る。

 それに遅れて、痛みに呻きながらガラス片を投擲された男も車へと急いだ。

 

 蒙将龍の実力が信用されているからこその、他の極道達の行動であった。

 

 真冬は既に、金網フェンスの上にいなかった。

 金網フェンスに蒙将龍が衝突する寸でで、宙に舞っていたのだ。

 男達が逃げた先に停車している車に仕掛けよう──としたが、それは、止めていた。

 

 蒙将龍の突進が凄まじいの一言に尽きたからだ。

 トラックかダンプカーが衝突してきたのかと思うほどに、金網は歪んでいた。

 地面から抜き出て折れ曲がっている支柱も見られた。

 

 ──とっ

 

 突進した際には中腰だった蒙将龍が立ち上がり、金網から離れると、軽い音が聞こえた。

 地面に降り立つ音だ。

 

 瞬間、ぶわりと、蒙将龍の顔から汗が吹き出した。

“背後ッ!?”

 

 異様な錯覚だった。

 突き刺さるような、気配が背後にあった。



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第二章 其の十五 腕力自慢

 

 蒙将龍は咄嗟に、右方向へと跳んだ。

 ──それは明らかに回避行動であり、しかも、見るものが見たなら、その動きは全くもって相撲的には思えないものだった。

 土俵の上での取組だけで、力を奮ってきた力士では無い事が見て取れただろう。

 そんな動きであった。

 

 その横への跳躍で、背後から繰り出された真冬の貫手を避けていた。

 殺気が鋭い刃となって突き出された──と、幻視にも関わらず、蒙将龍の脳裏にはその白刃による刺突が鮮明に映っていた為に全身で避けてしまったのである。

 

 ──息が荒い

 蒙将龍は呼吸を整えていく。

 息が上がっているのは疲れからではなく、真冬から発せられた人外の殺気に、一瞬気圧されたからだった。

 

 振り返ると、そこに殺気の(ヌシ)がいた。

 今しがたの殺気は、幼い少女から発せられた物とは思えない常軌を逸した鋭いものだったが、それはそれ、そう言う物なのだと、現実として受け入れる。

 

 組員達が乗り込んだ車も無事に発車していた。

 しかし、風間組若頭の娘を誘拐することに失敗してしまったのだ。

 次に好機が巡ってくるのはいつか分からない。

 向こうの警戒が、より強固に高まってしまうだろう。

 誘拐対象となっている城之内翠の護衛が、厄介な極道だとは予め聞かされていた。

 その護衛が側にいない今がこれ以上ない絶好の機会だったことは言うまでもない。

 

 また、これが切っ掛けで源王(げんのう)会と風間組が敵対する事にもなりかねない──しかし、それについては問題ない。

 問題があるとしたら、この誘拐失敗が原因となり、花山組が、風間組と繋がる切っ掛けになってしまう可能性が考えられることだ。

 五代目藤木組内花山組──

 目下、源王会が対処を間違えてはいけない下部団体がそこだ。

 藤木組は源王会の傘下にあるが、近々源王会が始めようと画策する抗争に関して、反目しているのが花山組の組長“花山景三”なのだ。

 恐らく、花山組が源王会へ反旗を翻す為に取り入る先は、東城会風間組が有力候補として挙げられるだろう。

 

 蒙将龍は、パシィッと、自らの顔面を両手で叩いた。

 気圧されはしたが、改めて気合いを入れ直す。

 そんな動作であった。

 実際に意味や効果がある訳ではないが、気合いを入れ直した……そうした心の持ち様を示すことも必要である。

 

 眼前の少女は、未知の不穏分子だ。

 今回の計画を失敗に導いてしまった、予測を越えた先に居る存在なのだ。

 何より、強い──

 蒙将龍はそれを、自身の細胞全てで感じていた。

 

 不気味だ──と蒙将龍は思った。

 真冬は半身で、背を彼に向けている。

 何より不気味なのは、視線が、蒙将龍には向けられていないことが一番に挙げられる。

 真冬が見ているのは翠だった。

 彼女が巻き込まれないか、更なる伏兵が潜んでおり彼女に害を成して来ないだろうか──と、それを警戒しているのである。

 

 先程の貫手──

“俺を目視する事無く仕掛けて来たのか──”

 避けなければ、只では済まなかった──そう、確信できる程の一撃だった。

 だが、そんな恐ろしい想像をしても今回は冷たい汗が吹き出す事も無く──蒙将龍は、ゆっくりと股を割り、腰を落としていった。

 大相撲に明るく無いものであったとしても、恐らく“お相撲さんのあのポーズ”と言われたなら日本人であれば誰もが思い浮かべる筈だ。

 所謂、蹲踞(そんきょ)と呼ばれる姿勢である。

 

 翠は、この蒙将龍と言う男が、角界において最高峰に位置する横綱の一人である事を知らない。

 横綱と聞かされてもピンと来ないだろう。

 翠もまた、大相撲に明るく無い今時の少女だった。

 だが、その圧倒的なまでに巨大な肉の塊がそこに在る──そんな、肉の圧力への恐怖感は、並大抵の物では無いことは理解出来ていた。

 

 ──身長185センチメートル

 ──体重168キログラム

 

 搭載された脂肪と筋肉は本来の身長以上に、彼を巨大に見せて居るだろう。

 このまま四股でも踏み出したならば、ここら一帯は震源地にでもなってしまいそうだ。

 いや、現に先程の金網フェンスとの衝突で、確かに大気も大地も鳴動していたのだ。

 

 対して、この頃の真冬は未だ七歳──

 ──身長106センチメートル

 ──体重22キログラム

 少女である事もさることながら、身体は当然出来ておらず、年相応よりも明らかに小柄なのだ。

 

 翠は10歳と僅かに年上だが、並べば真冬のその小柄さは一目瞭然だろう。

 しかも、日本人らしからぬ程に白い肌と紅い瞳、白い髪。

 

 先天性色素欠乏症(アルビノ)

 儚さと脆さが形を成したような少女と──

 力、それそのものの権化の如く男が立ち会おうとしているのだ。

 体格にして凡そ八倍もの開きがある。

 明らかに、異様な情景だった。

 

 チワワと土佐犬──

 仔猫とライオン──

 始祖獣と恐竜──

 

 力の化身と考えるなら、まさに、そこにいるのは龍かも知れない。

 翠が蒙将龍に見たものは龍──怪獣だった。

 怪獣のなかの怪獣──

 怪獣王レッドキングだ。

 

 火を吐かない、空も飛ばない、超能力も持たない、余計な戦略は無用の腕力自慢の怪獣王レッドキング。

 小細工など必要としない、力そのものが(てい)を成したような怪獣である。

 間違いなく、最も漢らしい骨太さを誇る怪獣なのだ。

 翠の中で、蒙将龍がそれと重なった。

 ならば、真冬の存在は、レッドキングに遇えなく潰された珍獣ピグモンだろうか。

 

 恐らく違う。

 翠は幻想の中で、架空の存在である怪獣王レッドキングと蒙将龍とを重ねて見ていたが──

 

 いつしか、それは消えていき、真冬の中にある力の軌跡だけを、見るようになっていった。

 



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第二章 其の十六 闇相撲の横綱

“好きになった相手がたまたま女の子だった──

そんな話を稀に聞いた──

私の場合は──

──そう言う訳じゃ無い

まずあの子が女の子じゃなければ、私が彼女に興味を惹かれることはなかった──

可愛い女の子が──真っ白で雪のような少女が、鋼を刃のような手刀(貫手)で穿ってる──

それは、女の子であることが重要だった──

そんなことが出来る女の子何て、普通は絶対にいないからだ──

強い男性なら何人か知っている。

でも、彼らに特別な興味を抱いたこと何て無かった。

多分彼女の行動に興味を惹かれたあの瞬間から、私の真冬(あのこ)への恋は始まっていた──”

 

七.

 蹲踞(そんきょ)の姿勢を保ったまま、蒙将龍の相眸は真冬へと見据えられている。

 真冬は未だ半身(はんみ)で、背中側を蒙将龍に向けていた。

 彼女は蒙将龍を見ていなかった。

 真冬の視線は翠に向けられているのだ。

 

 しかし──

(くび)は大丈夫ですか?軽く捻挫してるみたいですけど」

 幽霊が囁く様な声で真冬は言った。

 

 翠を見ているから、翠は自分に言われたのかと思い、何の話だろうかと疑問符を浮かべた。

「え?首?え、別に大丈……」

 捻挫の覚えなんて無いからだ。

 他に怪我をするとしたら先程手を掴まれたが、それも別に痛くはない。

 頬を打たれかけたが、それは、真冬が男へとガラスを投擲し守ったから、怪我以前の話だ。

 

「な、何故知っているっ!?」

 蒙将龍は、翠とほぼ同時に半ば叫んだ。 

 無表情だった蒙将龍だが、驚愕の為か僅かに目を見開いていた。

 今の真冬の問い掛けは、蒙将龍に投げ掛けられた言葉であると察したからだ。

 

 頚の捻挫──

 それが、大相撲の本場所などで被った物であるなら、眼前にいる少女でも知っていておかしくはない。

 ニュース等で話される事もあるだろう。

 しかし、確かに頚部を捻挫していた。

 だが、それは、大相撲の取組でも、稽古で受けた傷でも無いのだ。

 普通の少女が知っている筈もない場所で受けた傷である。

 

 闇相撲──

 裏社会での賭け相撲だ。

 対戦相手は力士に限らないが、稀に相撲限定のトーナメントが開催される事もある。

 モンゴル相撲等とやりあう場合もあり、蒙将龍は幾度かそうした闇相撲トーナメントで優勝している。

 蒙将龍は、表の大相撲横綱であり、同時に闇相撲の横綱でもあるのだ。

 つい先日、そうした闇相撲の試合で、柔道家との異種格闘技戦の際にて頚を痛めていた事を思い出した。

 あの試合の決着は相撲と異なっていた。

 倒れても、手を付いても良い。

 行司もいない。

 決着は、意識を失うか……死ぬかだけだ。

 降参することも許されない、闇の相撲だ。

 それは、大相撲の源流……古代相撲──當麻蹴速と野見宿禰の大一番に似る。

 試合の舞台も土俵の上では無い。

 水を抜いたプールだった。

 周囲は四角いプールの底のため、追い詰められたら壁がある。

 土俵ではないため、転落しても負けではないが、壁に囲まれたその試合場では逃げることは出来ない。

 裏社会においての、闇相撲──危なくなれば逃げたくなってしまう者だっている。

 そうした逃走防止の意味合いも含まれた試合場である。

 プール本来備え付けられている様なタラップはなく、脚立の梯子で登り降りするため、完全な決着まで誰も外には出られないのだ。

 そんな過酷な試合場での闇相撲を先日行った。

 八人でのトーナメント、試合数は三回。

 当然優勝した。

 一回戦はレスラー、二回戦は力士、決勝はその頚にダメージを与えてきた柔道家とだった。

 件のトーナメントは一日で終わる。

 関係者以外は知らない闇の相撲である。

 観客も日本の極道十数名と、今回のトーナメントでは残念ながら当たらなかったモンゴル相撲を連れて来た中国マフィアの何人かだけであった。

 外部に試合内容や選手の名前が持ち出される事は普通有り得ない。

 

 故に、真冬が頚の捻挫を知っている筈が無いのである。

 

 あまりの奇妙さに、何処か不気味さを蒙将龍は感じた。

 湿布等を貼っていたら見掛けから判断を出来るかも知れないが、そんな事は無い。

 頚の捻挫を悟られる要素は外見からも見当たらない筈だった。

 

 この不気味な少女との立ち合いは、恐らく不要だ。

 何の得も無いと考えていい。

 確かに、この少女を黙らせれば、本来の目的だった風間組若頭の娘を誘拐できるだろう。

 雇い主だった他の組員は逃がすことができた。

 彼等に危害が及ぶ事は既にない。

 後は機を見て、蒙将龍自身もこの場を離れるだけだ。

 最初は嘗めていた所もある。

 ガラスの投擲は見たが、幼女一人どうとでもなるだろうと高を括ったものだ。

 

 しかし、この少女を前にして、彼女のその言動、立ち居振舞い……その全てが底知れぬ不気味さが醸し出されているのだ。

 

 だが──

 闇相撲の横綱として、背を向けたくない相手でもある。

 幼女相手に、何を、考えている──蒙将龍は自分に問い掛けるが、そう思ってしまう程に、少女は得体が知れず、そして、彼女からは強い氣が発せられているのだ。

 表の大相撲では出会えない相手だ。

 闇相撲であっても果たしてこれほどの存在と立ち合えるだろうかと考え得る水準(レベル)に達している戦闘力なのだ。

 闇相撲の対戦相手とて、並の者などいないにも関わらず、である。

 

「いや、まぁな。何でも良いか」

 

 蒙将龍は蹲踞の姿勢のまま、左手を開く。

 

 ──ゾブ

 そして、アスファルトに蒙将龍の指が潜り、それは毟られ、手の内いっぱいに握り込まれた。

 蹲踞から、腰を上げる。

 真冬はそれでも、まだ、翠を見ていた。

 アスファルトを毟る。

 その異常を見ていない。

 

 ──翠は見ていた。

 だが、アスファルトを毟り握り潰す、その力を見ても翠の胸は高まらない。

 真冬の貫手を見たときのような高揚感は何一つ無かった。

 

「塩代わりにしては黒いけどな」

 軽く笑い声を上げながら、砂塵と化したアスファルトを撒いた。

 浄めの塩を真似たジョークなのだが、真冬はさして興味も持たない。

 

 暫しの間を置くが──

 先に動いたのは蒙将龍だ。

 168キログラムの肉が動いた。

 速い──

 翠は愕然とした。

 脳裏に過ったのは、口が悪いかも知れないが“デブなのに速いっ”である。

 恐らく誰もがそう思うだろうが、170キログラム近い体格が動いたと考えて、素人目には信じがたい速度だったのだ。

 

 真冬は、まだ、翠を見ていた。

 



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第二章 其の十七 破局噴火

 蹲踞の姿勢で互いが互いに睨み─

 見合って、はっきよいのこった──

 

 表の大相撲でも裏の闇相撲でも、立ち合いの始まりは同じだ。

 睨み逢う両者は呼吸を合わせて、一気に試合を開始する。

 闇相撲では蹲踞の姿勢を取るかどうかはその時々で変わるし、口上を宣う行司はいない。

 そんな違いは有っても、顔を合わせ睨み合うことに違いはない。

 そして、真っ正面からぶつかり合うのだ。

 

“はっきよいのこった”

 蒙将龍の脳内で今回の一番を開始する掛け声が響いた。

 嘘か真か、はっきよいのこった──には、古代ヘブライ語にて『投げて、やっつけろ!ぶちかませ!』の意味がある──と、そんな都市伝説が語られている。

 それが真実ならば、つまり行司は、眼前の敵を討ち滅ぼせと力士に告げているのだ。

 表の大相撲とて、敵が再起不能に陥るまで続けられる古代相撲の血は確かに受け継がれている……そう、思わせる都市伝説である。

 

 自分だけに聞こえた敵を倒せとの合図に従い、蒙将龍は、現在の対戦相手となる──真冬へと突進した。

 その恐るべき肉の弾丸超特急は、大地を震動させた──かのように、翠は錯覚する。

 

 真冬は考えていた。

 車に貫手を打ち込む姿を褒めてくれた少女が、今度はどうすれば、また──喜んでくれるだろうか……と。

 真冬は少女に褒められた事が純粋に嬉しかった。

 真冬の人生の中で、誰かに褒められる様な経験など何一つとして無かったからだ。

 翠がただ凄いと言ってくれたその一言が、嬉しくて仕方なかったのである。

 普通なら、真冬くらいの年齢なら、母親や肉親がどんなつまらない事でも褒めてあげるだろう。

 しかし、真冬は母親に常に罵倒されるだけだった。

 存在そのものを否定される、母親からは常にそんな態度で接せられてきたのだ。

 

 父親も祖父母の顔も知らないし、会ったことも無い。

 ──実は父親と父方の祖父(の亡霊?)と出会った事はあるのだが、彼等が血の繋がる肉親と言う事実を、真冬は知らないでいた。

 

 真冬は、翠から視線を逸らす事なく、そして僅かに微笑んだ。

 虚ろな紅い瞳が、幽かに細められる。

 それは、笑みを作り慣れない少女が浮かべる、とても笑顔に見えない代物だった。

 

 その、戦闘の最中にありながら弛い穏やかな心持ちとなっている真冬へと、地鳴りの様な気配が迫る。

 蒙将龍の瞬発力は、凄まじい爆発音を生み出した。

 

 ──空気の破裂音

 ──アスファルトが砕ける音

 

 突進する初動の際に踏みつけられたアスファルトは砕け、砂塵となり舞い上がる。

 それは、2メートル近い蒙将龍の身長よりも高く舞っていた。

 まるで噴火したマグマのようだ。

 横綱の瞬発力、突進力はスーパーボルケーノの力強さである。

 鬼界カルデラの超巨大噴火──

 嘗て、九州の縄文人を壊滅させた破局噴火を思わせる。

 

 マグマの熱力を孕んだ様な闘氣が真冬に迫った。

 現在の真冬は半身(はんみ)とは言え蒙将龍へ背を向けている──振り返り行動する為にはワンテンポの遅れた動作が必要となる。

 力士が立ち合いの直後に行うぶちかましの速度は、後のオリンピック金メダリスト、天才短距離走者にしてボクシング世界チャンピオンであるウィルバー・ボルトが100メートルを走る際のスタートダッシュよりも速いらしい。

 とすると、この真冬の体勢は、余りにも不利なハンデと言える状態だ。

 

 蒙将龍は小柄な真冬へのぶちかましを決めるためか、通常のぶちかましよりもかなり体勢は低い。

 そして、頭頂部から突っ込んでいく。

 本来の相撲の立ち合いなら、互いに額と額がぶつかり合う。

 だが、蒙将龍が狙うのは真冬の胴体だった。

 

 しかし──

 真冬は地面を蹴った。

 そして、蒙将龍の額……前髪の生え際辺りへと後頭部からぶつかって行ったのだ。

 ──自殺行為としか考えられない行動であった。

 自身の八倍もの体重を誇っている蒙将龍とぶつかり合おうとしているのだ。

 

 翠は小さく、悲鳴を洩らす。

 だが、これは翠を喜ばせようとしての行動なのだ。

 

 衝突の瞬間、真冬は跳躍中でありながら、数ミリ前進した。

 蒙将龍側から見ては後退となる。

 衝突の刹那、真冬は地面を踏んだ。

 

 額と後頭部がぶつかった。

 瞬間、真冬の頚と背筋が数ミリ伸びたが、蒙将龍も翠もそれに気付けてはいなかった。

 

 蒙将龍は、まさか真冬の方からも向かって来るとは思ってもいなかったが、その行動に対して動揺もなく、躊躇う事もしなかった。

 瞬間的にはウィルバー・ボルトを上回る速度に加え、160キログラムを誇る質量との衝突──

 怪獣が小動物を踏み潰す様な結果になるのは明白だろう。

 

 だが、蒙将龍の勢いは殺され、あまつさえ割れたのは蒙将龍の額の方だった。

 夥しい鮮血が溢れ、真冬の白い髪を赤く濡らした。

 

「……え」

 翠は、その異常な光景に動転し間の抜けた声を出した。

 

 そして、さしもの蒙将龍も、この異常と言える荒唐無稽な結果に驚愕し目を見開いている。

 土俵の上で立ち合う際も、ぶつかり稽古の際も額が割れる事態に陥った事は無い。

 それが、こんな幼女を相手に皮膚は破れ、肉が抉れ血が吹き出しているのだ。

 

 真冬の足下のアスファルトは陥没している。

 それは彼女が凄まじい爆発的な衝撃を受けたことを物語っていた。

 

「……何が、起きた」

 

 蒙将龍は当然の疑問をつい洩らしてしまった。

 だが、真冬は答えず、そして漸く蒙将龍へと向き合った。

 

 ──磯村露風、と言う男がいる。

 趣味が世界征服と宣う変人である。

 世界征服──それは、特撮ドラマに出てくる悪の秘密結社の様な存在が掲げる目標では無い。

 世界中の強いと言われる人物を格闘技で倒していくこと。

 ──それが磯村露風が言うところの世界征服となる。

 彼が扱う武術に、“無寸止め”なる技術(わざ)がある。

 今、真冬が扱った奇妙な現象は、その技に近い。

 この無寸止めは、木刀や棒などを振り下ろされた時に頭上……頭蓋骨で受け止めダメージを無効にする技術である。

 

 真冬は、蒙将龍の突進してきた頭頂部をそうした木刀や棒などに見立て件の無寸止めに近しい事をやってのけたのだ。

 

 真冬は磯村露風と会ったことはなく、その存在を耳にしたことすら無い。

 当然、無寸止めを学んではいない。

 この無寸止めに似た技術は、ミレニアムタワーの屋上から鬼神の如く男に放り投げられ落下した際に思い付いたのだ。

 

「……化けもんか……」

 

 一言吐き捨てると、蒙将龍は上着を脱ぎ、額の流血をそれで拭った。

 筋肉の鎧、それを覆う脂肪の重りが搭載された上半身が真冬の前に現れた。

 蒙将龍は改めて戦闘体勢に入ったのだ。

 



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第二章 其の十八 重り

 真冬の眼前に横綱と言う重戦車がいる。

 その重戦車も、近代の戦車に見られる複合装甲だった。

 本来の複合装甲は、異なる素材を積み重ねる事で装甲を強固にした物だ。

 

 翠は脳裏で、蒙将龍をデブと称した。

 しかし、力士は単なるデブではない

 

 力士の複合装甲とは、筋肉とそれを覆う脂肪である。

 脂肪は重りとなり、力士の重量を増すのだ。

 より重く、より巨大に──

 力士の複合装甲は攻撃と防御を兼ね備えているのだろう。

 

 ──脂肪と筋肉の複合装甲を搭載した戦車、それが力士だ。

 

“素手だと流石に部が悪いかな”

 と、真冬は考えていた。

 先程のぶつかり合いの結果から見たら、そうした考えに至った事が不可解だろう。

“でも、素手でやった方があの子は喜んでくれそう”

 

 その思考に及んだ事も、決して蒙将龍を侮っているからではない。

 ただ、翠が喜ぶような戦闘を、彼女に見せたい。

 それだけが、現在の真冬にとって大きなウエイトを占めているのだ。

 勿論、敗北すれば翠が危険な目に遭うだろうとも理解している。

 最悪な状況に追い込まれる……と考えられたならば、その時は、色々使うつもりではあった。

 

 真冬は、蒙将龍がシャツで流血を拭い、長い髪を総髪に纏め、そして靴を脱ぐのを待っていた。

 待たずとも仕掛ければいい──

 いつもの真冬ならそうしたかも知れない。

 だが、今日はしなかった。

 

 そして──蒙将龍は血を拭ったシャツを落とした。

 それが、勝負を再開する合図の様になったのか、シャツがアスファルトに落ちる前に蒙将龍は突進した。

 靴を脱ぐと、蒙将龍は裸足だった。

 裸足でアスファルトを蹴る様にして前に出る。

 

 真冬まではそんなに離れては居ない。

 ほんの数歩、駆けた。

 

 右の掌底を放つ。

 狙うのは真冬の顔面だ。

 真正面からそれは、打たれた。

 真冬の顔よりも掌の方が巨大だ。

 大袈裟に言うでもなく、顔面が消し飛びかねない張り手だった。

 

 真冬は、全身をゆらゆらと陽炎のように揺らめかせ、待っていた。

 そして、張り手が撃ち込まれる瞬間、一歩半、踏み込んだ。

 寸でで張り手を躱し、左腕を曲げ、肘を下方から蒙将龍の股間へと打ち付けた。

 容赦も慈悲もない睾丸への肘打ちだ。

 真冬は不思議なことに、人体の急所が見える。

 先程、蒙将龍が頸を捻挫している事を言い当てたのもこの能力の為だ。

 当然、睾丸も急所であると、視覚で捉えている。

 しかし、肘を打ち込んだ際に、真冬は脳裏で首を傾げた。

 奇妙な事に、蒙将龍の睾丸が急所として見えなくなってしまっていたからだ。

 普通、睾丸を打たれたならどんな大男であっても耐え難い激痛に苛まれ、苦痛に呻いては苦悶し、最悪、意識を失うだろう。

 

 ──だが、蒙将龍は平気な顔をしていたのだ。

 蒙将龍の細い目が一層細くなる。

 嗤っていた──

 

 力士は、廻しを締める時、睾丸が傷まない様に、腹腔にそれを納めると言う。

 その技術は、古流武術の“釣り鐘隠し”や琉球空手の“骨掛け”に似る。

 現在、蒙将龍が見せたものは正しく骨掛けその物であった。

 骨掛けなどは恥骨の奥に収めるとされている為、違いはそれの収まる部位と言った所か。

 打たれた刹那、蒙将龍は睾丸を腹腔に押し上げ隠したのである。

 とんでもない速業だ。

 

 嗤った──その刹那、蒙将龍の右手が真冬の左腕に迫る。

 腕を捕ったかに見えたが、蒙将龍の右手は(くう)を切った。

 真冬は、咄嗟に背後へ跳び、逃れたのだ。

 だが、蒙将龍は更に追うようにして、間合いを詰めていく。

 

 そして──

 跳躍中で、未だ宙にいる真冬がアスファルトの地面に足を着くよりも早く、蒙将龍の両腕が彼女の背後に伸び、抱き込む様に回され、上着の後ろ身頃を両手で掴んだのだった。

 

“掴まったッッ”

 翠は声にならない悲鳴をあげた。

 

 ──投げるか!?

 ──倒すか!?

 ──絞めるか!?

 蒙将龍は逡巡した。

 その逡巡は一瞬の物だったが、次の一手は余りに重要な物になるのだ。

 投げれば、地面は固いアスファルトである故に、大きなダメージを見込めるだろう。

 しかし、一旦離してしまえば、この恐るべき少女の事だ。

 何が飛び出すかわからないのである。

 

 とは言え、現状は、宙で捕らえた為、抱え上げるような体勢になっている。

 身長185センチメートルの蒙将龍が106センチの真冬を抱え上げているのだ。

 簡単に、投げて離してしまうよりは、捕らえたまま行える攻撃に打って出るのが得策だろう。

 

 そして、更に真冬の身体を引き付け、より密着させた。

 万力の様な──熊が両手で抱き付く様な──そんな凄まじい腕力である。

 右腕で胴体を抱え、左腕を右太股の裏側に潜り込ませた。

 それら一連の動作は一瞬で行った。

 

 その体勢のまま、全身を真冬へと落下させるかの様に覆い被さった状態で蒙将龍は前方へと倒れていき、真冬の身体を地面に押し付けた。

 八倍の体格を前に、さしもの真冬も跳ね返す事は出来無かったのか、押し潰される様に彼女は崩れたのだ。

 

 七歳の少女の腹の上に、分厚く、太い168キロの肉の塊がのし掛かっている。

 もし、上空からこの二人の現状を見たとしたら、真冬の身体は蒙将龍に隠れて確認出来ないだろう。

 

 だが、この危機的状況にあってなお、真冬の表情に変化は無い。

 眸は虚ろで、幽鬼の様に光は灯っていないが、それは、いつも通りの双眸だ──感情が全く揺れ動いていない証拠であった。

 



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第二章 其の十九 鋼板を穿てるなら

 これが相撲の取組であったなら、既に勝負は決している。

 決まり手は“足取り”と言った所だろうか。

 前頭時代から蒙将龍が得意としていた技だ。

 

 しかし、蒙将龍は、当然の様に今回のこれを勝利だとは考えていない。

 この勝負は相撲ではないのだ。

 仮に相撲だとしても、裏相撲か、はたまた古代相撲である。

 表の相撲における様な決着は有り得ないのだ。

 相手を叩きのめし、再起不能に追いやる事で漸く決着となるのだった。

 裏社会との太いパイプがあり、闇の賭け試合に幾度となく出場している蒙将龍だからこその心構えだ。

 

 とは言え相手は幼い少女である。

 普通なら躊躇いも生まれるはずだ。

 しかし蒙将龍は、手心を加えるつもり等、毛頭無かった。

 真冬の恐るべき戦闘力を、肌で感じ取っているからだ。

 この幼い少女を“強敵”として認識しているのである。

 ともすれば、脅威を感じ、恐れているのかも知れない。

 

 蒙将龍の左腕は、真冬の右太股を抱えたままだ。

 こうした状態になっていても、緊張が拭い切れていないのだ。

 張り詰めた気は、警戒の色に染まっている。

 有利と思える筈の蒙将龍に、緊張と警戒が途切れていない事には理由がある。

 

 ──アスファルトへは、後頭部から落とした。

 右太股と胴体をしっかりと捕らえており、受け身はさせなかった。

 頭頂骨から後頭骨にかけて砕かれ、脳へのダメージもある筈なのだ。

 

 ──激痛で呼吸が出来なくなっている。

 そんな可能性も考えられる──だろう。

 しかし、蒙将龍の目から見ても、真冬は明らかに無事な様子であった。

 ──それが、不気味で、警戒を解く事が出来ずにいる理由なのだ。

 尤も、警戒しているだけでは勝ちは拾えない。

 

 警戒もそこそこに、蒙将龍は直ぐ様、真冬の顔面へと張り手を打ち下ろす様に放った。

 これも、本来の相撲では有り得ない体勢からの攻撃だ。

 だが、これもまた、蒙将龍にとっては、やり馴れない攻撃ではないのである。

 

 横綱“金竜山”相手に、大相撲本場所では概ね負け越している蒙将龍だが、例えば徳川光成の地下闘技場や、サイの花屋の(凶器を用いる事さえ可能な)地下闘技場、闇の賭け試合“闘人市場”や、果ては“ゆうえんち”などで命の削りあいを行ったなら、蒙将龍に軍配が上がるだろう。

 

 翠が絶叫した。

 蒙将龍の張り手が真冬の顔を潰す……そんな未来を想像したからだ。

 真冬の双眸は、蒙将龍の巨大な(たなごころ)が迫るのを映した。

 その張り手を、真冬は額で迎える。

 衝撃が起きる瞬間、真冬は頚を動かし、頭を起こした。

 そして、額を蒙将龍の掌にぶつけた。

 ──無寸受けである。

 しかし、それは通常の無寸受けと多少異なる。

 自身の被るであろうダメージを殺すだけでなく、相手にダメージを与える攻撃的な無寸受けだった。

 蒙将龍の腕が跳ね上がる。

 まるで、弾き返されてしまったかのように見えた筈だ。

 張り手……掌底で良かったのだ、拳で打っていたなら、蒙将龍の拳の骨は砕けていただろう。

 

 先程、真冬が後頭部で蒙将龍の額を割った技術と同じ流れを汲む技術(わざ)だ。

 蒙将龍は、何が起きたのか、一瞬理解出来ずにきょとんとした表情になっていた。

 有り体に言えば、無寸受けと額を用いての頭突きだ。

 例えば、空手道神心會館長“愚地独歩”が見せる額で防御し、打ってきた部位を逆に破壊する技に近い。

 真冬の場合、そうした技術も無寸受けも、知識としては知らないが、空想の先に──自然に扱っている。

 

 現在(本文中2003年)よりも先の話、真冬がコンビニエンスストアPOPPOのガラス壁に額から突っ込み粉砕していたが、あれも、実戦の中で“練習”しているのだ。

 制止している物体を無寸受けで破壊する練習だ。

 それは、真冬にとって、悪く言えば“遊んで”いる事に等しい。

 勿論、実戦を侮っている訳ではない。

 ごく自然に、武を武と知らず武を“遊び”そして、楽しんでいるのだ。

 その先の目的意識すら存在しない遊びである。

 

『頑張ることも、耐えることも、日常の全てが遊び』

『丸一日、“武”の中で“遊ぶ”』

『楽しむ者には絶対に勝てない』

 これは──行住坐臥を旨とする本部流実戦柔術“本部以蔵”が、ある少年を話題にしていた際に出した言葉だ。

 それは、真冬にも当てはまる言葉であった。

 件の少年とは、範馬刃牙──

 真冬は、彼女自身、名も存在も知らぬ……しかし、決して縁が無い訳ではない……その少年と、奇しくも同じ道筋を歩んでいるのだ。

 

 先程拭ったものの、今もなお額から流血している蒙将龍の夥しい鮮血が、無寸受けの反動と衝撃が蒙将龍の上半身を大きく揺らした為、真冬に降りかかる。

 白い髪、白い肌に染まる赤い血液──

 真冬の紅い瞳も血のように紅く虚ろだ。

 それを、その──血に濡れた白い少女が持つ紅い瞳を、蒙将龍はまざまざと見てしまい、余りの気味の悪さに戦慄を覚える。

 更に──

 自身の血液が、真冬の小さな口許にボタボタと滴り落ちるのを見た。

 しかも、口を開けることはせず、真冬の口唇に隙間を割って舌が伸び、その血液を絡めとる様に舐めたのだ。

 一瞬、蒙将龍は我が目を疑った。

 異様な舌だった。

 細長い舌が二本ある様に見えたのだ。

 無論、舌が二本ある訳ではない。

 その舌は、縦に、二つに切られているのだ。

 その異質な舌が自分の血液を舐める不気味さに、蒙将龍はヒュッと、小さく悲鳴の様な息を洩らした。

 

 その悲鳴と共に、またも張り手を放つ。

 攻撃──と言うよりも防衛本能に近い手だった。

 

 だが──

 真冬はその張り手に合わせた。

 何を、か──?

 

 ──貫手だ。

 

 脚を捕らえられ、腹の上に170キログラムを乗せていても、彼女は冷静さを失っていない。

 ズブリ、と、真冬の指が蒙将龍の掌に吸い込まれる様に突き刺さった。

 掌と指だ。

 しかもその掌は、張り手を打っている。

 普通なら、勢いのある掌を突いたとしたら、指の方がダメージを受けるだろう。

 骨が折れるか、脱臼するか……である。

 

 蒙将龍は、咄嗟に張り手を放った右手を引っ込めた。

 恐ろしい激痛が走ったのだ。

 手を引っ込める瞬間よりもほんの刹那前に、真冬は掌側を上へ(かえ)し、貫手を放った中指で蒙将龍の掌を裂いていた。

 蒙将龍の掌の中心辺りに突き刺さっていた真冬の中指が“くの字”に曲げられるや、蒙将龍の中指と薬指の間を広くしてしまったのだ。

 

 堪らず蒙将龍は脚を離してしまう。

 更に、蒙将龍は背中に激痛を感じた。

 

 不自然な激痛だった。

 真冬の腕が伸びたとしか思えない。

 真冬の掌が背中を打ったのだ。

 張り手……を、やり返された。

 いや、確かに張り手だが、これは所謂鞭打である。

 

 鞭打を放つ際に必要なのは脱力だ。

 全身を水とイメージし、脱力の果てに腕が鞭となる。

 貫手から間髪入れず、脱力が必須な鞭打だ。

 緊張と弛緩。

 それを瞬時に切り替えているのだ。

 並大抵の精神では無いだろう。

 

 そして、腕を振るった。

 爪が、蒙将龍の頚を裂いた。

 

 それは、最初に真冬が言っていた彼が捻挫を負っている箇所と寸分違わない位置であった。



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第二章 其の二十 急所

 

 それはまるで、鎌鼬(かまいたち)による裂傷だった。

 いつ、切られたのか、何に斬られたのか……蒙将龍は認識出来ていなかったのだ。

 

 傍目で見ていた翠でさえも、その一撃を捉える事は出来ずにいた。

 この場合の鎌鼬とは、両手が鎌で三体一対の妖怪か、外気の影響で肌が急激に冷やされ、或いは、真空が発生し裂傷を負う現象の事か──

 

 恐らく、蒙将龍は現象の方をイメージした。

 だが、翠は妖怪の鎌鼬をイメージしていた。

 

 そして、敢えて言うならば、妖怪の鎌鼬に“近い”ものが蒙将龍の頚を切り裂いたのだ。

 ──真冬の爪である。

 妖怪“鎌鼬”が手の先にある鎌で肌を裂くように、真冬は爪で蒙将龍を切り裂いていた。

 

 蒙将龍は突然の事に驚愕し、目を丸くした。

 斬られた事は分かったが、最初は痛みは無かったからだ。

 しかし──恐ろしい痛みが、急激に襲ってきた。

 

 加えて驚愕すべきは──

 斬られた──と認識してからは後、そして、激痛が押し寄せてくるよりは刹那程の前の事になるが、ヒュンと空気が切り裂かれる様な音と、破裂音の様な物も聞こえてきたのだ。

 斬撃に遅れて、音がやってきた。

 

 その事に、翠も気付いた。

 今しがたの“鎌鼬”の様な現象は、音より速い。

 音速にて生じた現象(もの)である。

 

 しかし、音速の壁を越える音であると、果たして認識出来ただろうか。

 音速に達する何か──それが人体で可能で有るなどと考えられる者はこの場にはいなかった。

 人間が音速に達する事が出来るとしたら、鞭を振るう場合だ。

 振るわれた鞭の先端は音速に達する。

 

 蒙将龍は、自身の頚を斬った物は、何かと考えた。

 すぐに導き出した現実的な解答としては、小型のナイフだった。

 そこに、音速で振るわれた爪や、鞭あるいは鎌鼬などは考慮の内に入らない。

 だが、ナイフだとしても、疑問があった。

 ナイフの長さ程度では頚には届かない筈だ。

 

 蒙将龍がそこで咄嗟に出た行動は、真冬の両腕を捕ることだった。

 何にせよ、腕を制し、攻撃を封じる。

 それが最善だ。

 攻撃を受けてから、判断し行動に移るまで、一秒もかかっていないだろう。

 

 体重を乗せて覆い被さり、真冬の両手首を捕るや握り、万力の様な握力で締め上げる。

 そして、未だ流血する額を、真冬の鼻っ柱に落とした。

 ナイフを隠し持っていたとしても両腕を封じた。

 八倍もの体重をのし掛かられては抜け出す事も不可能だ。

 反撃も、防御も出来ないだろうとの算段であった。

 

 真冬は、間近に迫る蒙将龍を待っていた。

 虚ろな紅い眸が巨大な姿を捉えている。

 蒙将龍が放つぶちかましは速いが、真冬はその一連の動作すべてを捉えているのだ。

 ミシリと、手首の骨が悲鳴を上げている。

 さしもの真冬も、両手首に痛みを感じており、僅かに、額や首筋から冷たい汗を流していた。

 傍目には絶望的な状況にある──その虚ろな眸から感情を推し量る事が蒙将龍には出来なかったが、しかし、真冬は戦意を失ってはいない。

 

 だが──

 降ってくる──と真冬が考えていた額は落ちて来なかった。

 ぶちかましは僅差で止まり、一瞬蒙将龍が跳ね上がった様に浮いたかと真冬が思うや、陰部に激しい衝撃を受けた。

 蒙将龍の膝頭が突き刺さったのである。

 

 真冬は、目を見開いた。

 余りの激痛に、真冬は初めて絶叫する。

 翠が思わず耳を抑えてしまう程の悲鳴を真冬は上げたのだ。

 

 額を落とす動作はあくまでフェイントであった。

 上から来ると思わせ、実のところ蒙将龍が狙っていたのは下半身だった。

 男性には睾丸が有るためか、どうしても股間は男性の急所と思われがちだが、女性にとっても股間は急所である。

 細く脆い恥骨は折れ、砕けやすく、また、大きなダメージが内臓にも響くのだ。

 骨掛を使い凌いだとは言え、先程股間を打たれた返礼とばかりに、蒙将龍は真冬の陰部に膝蹴りを入れたのだ。

 

 息を飲み、苦痛に悶えながらも堪えようとする声が真冬の口から洩れた。

 

 翠は両耳を塞ぎ、踞った。

 恐怖やら、怒りやら──様々な感情がない交ぜになっており、ガチガチと歯を鳴らし、翠は震えていた。

 

 握っていた真冬の手首から力が失せた──その手首は振りほどこうと僅かな力が込められていたが、今の膝蹴りを受け、抵抗の意思を無くしたのか、真冬の両手から力が抜けていると、蒙将龍は察した。

 だが、蒙将龍は執拗なほどに油断なく、真冬の右手首は掴んだまま自身の右腕を自由にする。

 

「……ごめんなさい」

 

 ぼそりと幽霊が囁く様な声で真冬が言った。

 その声は翠には届いていないが、蒙将龍は確かに聴いた。

 

“謝ってる……?”

 

 誰に?

 俺にか──?

 

 明らかに奇妙だが、然もありなんと蒙将龍は考えていた。

 如何に化け物染みた戦闘力を持っていても年端もいかぬ幼女である。

 今も股間は激しい痛みに襲われているだろう。

 手で抑えたくても押さえられないのは、より苦痛を大きくしている筈だ。

 涙ながらに許しを乞うてくるのも当然ではないか。

 

「ごめんなさい……ちょっと、無理でした」

 誰に詫びているのか?

 

「貴女に楽しんで貰える戦いは出来そうにありません」

 真冬は、翠に詫びていた。

 

 蒙将龍は自分に謝っている──と考えていた。

 しかし、そんな泣いて謝る幼女に容赦なく、再び陰部に膝蹴りをぶつけ、ほぼ同時に掌を顔面に落として来た。

 

 真冬は、悲鳴と共に大きく口を開いた。

 その悲鳴に暫し遅れて、蒙将龍からも苦痛の声が轟いたのだった。

 堪らず蒙将龍はもう片方の手も離してしまう。

 

 そして、その離した掌で、先程張り手を打った右手を庇うように覆った。

 庇った右手からはドクドクと血が溢れている。

 

 その手には、力士の命とも言える小指が、無かった。



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第二章 其の二一 恐竜の様に噛み付いた

 蒙将龍の右手の小指は、根元から、丸々欠損していた。

 それは、余りに恐ろしく痛々しい姿であった。

 極道者が不始末の際にけじめを付けるため、指を詰めた時の様に、蒙将龍の小指が失われているのだ。

 

「糞餓鬼……てめぇ、何、しやがった……ッッ」

 “わなわな”と全身を震わせ、蒙将龍の息が上がっていた。

 息も絶え絶え──とまではいかないが、それでも狼狽と疲弊の色は隠し切れない。

 未だ、真冬の腹の上にのし掛かり、見下ろしている──そんな状況に在りながら、追い詰められているのは蒙将龍の方だった。

 少なくとも蒙将龍は、この負傷を被った事で、そう、錯覚してしまっていた。

 

 真冬を、怨みが込められた双眸で射抜いているだけ、まだ、闘争心は失われていない事が分かるだろう。

 

「……て……てめぇ──ふざけんな」

 蒙将龍の視線は、真冬の小さな口へと注がれていた。

 薄い、色素が全くない白い唇だ。

 しかし、その白い唇は紅く染まっている。

 

 ──血液で紅く汚れているのだ。

 そして、真冬の唇の隙間から突き出ているものがあった。

 まるで、これ見よがし──を装う様に突き出ているそれは、蒙将龍の小指である。

 しかも、切断面が覗いているのではない。

 爪が──指先が、蒙将龍へと向けられていた。

 

 つまり、一旦口内に含んだ指の向きを、態々変えたのだ。

 その所業からは、正に真冬の精神的な異常性が窺い知れるだろう。

 

 それにしても、人間の指を噛み千切った真冬の咬筋力だが、尋常ではない。

 並大抵の人間業では無かった。

 

 翠へ詫びた言葉となる“楽しんで貰える戦いは出来そうにありません”とは、こうした戦闘スタイルに移行する旨を告げていたのだ。

 当初が竹刀を用いた剣道であるならば、今は本身を抜いた決闘である。

 そうした様に、戦闘へ向ける意識の在りようが変わったのだ。

 つまり──殺人に及ぶ結果を念頭においている、と言う事であった。

 そして、真冬の内にある殺傷本能が文字通り牙を剥き、獣が、恐竜が獲物に食らい付くかの様に、蒙将龍の小指に噛み付き、引き千切ったのだ。

 

 ──フッと軽い音が鳴った。

 それは、尋常ならざる加速を伴い、放たれた。

 真冬の口に咥えられていた蒙将龍の小指が、まるで吹き矢の如く放たれたのである。

 しかもそれは、蒙将龍の右目に吸い込まれる様に突き刺さった。

 恐るべき正確さだ。

 照準を合わせるスコープを持たぬと言うのに、スナイパーもかくやという程である。

 これもまた、ミレニアムタワーの屋上から落下した際に身に付けた、死に際の集中力の賜物だろう。

 

 右目に小指が突き刺さった蒙将龍は仰け反り、反射的に立ち上がってしまい、真冬から離れて後方へ下がろうとした。

 ──だが、動揺のためか、動きが鈍い。

 潰れていない左目も無意識に閉じて、歯を食いしばり、苦痛で顔を歪ませた。

 足が(もつ)れる。

 

 その瞬間、まだ仰向けに倒れている真冬が下半身のみ90度ほど回転させ、刈りとる様に蹴り付け、脚払いを見舞う。

 更に、その脚払いとほぼ同時か刹那のあと、地面から離れ転倒する蒙将龍の脚に脹ら脛を絡めた。

 それを軸とし、真冬の全身は回転しその反動を利用し宙に舞った。

 

 ジャンプした真冬が、今度は蒙将龍を見下ろす。

 そして、右手の五本指全てをまるで熊手の様な形状に曲げ、蒙将龍が完全に伏せるよりも早く──恐ろしく速い動作で襲い掛かった。

 

 そこで、翠の目にさえ見える異常が起きた。

 ビキビキビキと音が聞こえるかと思えるほどに、真冬の手の爪が伸びていくのだ。

 白い髪も伸び、蠢く様に靡いた。

 意思が有るように見える髪の動きであった。

 

 熊手の様な指が、その爪が蒙将龍の額に突き刺さる。

 その衝撃も上乗せされ、蒙将龍の後頭部はアスファルトに叩き付けられた。

 爪がアスファルトと挟むように、更に頭蓋骨の奥深くへと突き刺された。

 

 ──それはまさしく

 真冬の爪が上顎──

 アスファルトが下顎──

 宛ら恐竜の如く、爪とアスファルトが蒙将龍に噛み付き、その頭部を噛み砕いたのだった。

 

 玄武岩を削り、鋼板を穿てる真冬の爪が有ってこその技だろう。

 名付けて──真冬式嚙道“咬龍”である。

 

 そしてそこから、中指を突起させ他の四指でそれを握り込んだ左拳で、先程吹き矢の様に打った指を狙い、一本拳を叩き込んだのだ。

 蒙将龍の指は半ば潰れながら、より右目に潜り込んで行き一本拳は完全に目を破壊した。

 指はともすれば脳にまで達したかも知れない。

 

 間違いなく咬龍だけでも蒙将龍の意識は既に断たれていたが、だめ押しとなったその一本拳で完璧に勝負は決していた。

 

 見ると、蒙将龍の後頭部が落ちたアスファルトは大きくクレーターの様にへこみ亀裂が走っていた。

 とてつもない、人ならざる者が発生させた衝撃がそこにはあった。

 

 

1.

 ──そして、2005年

 神室町劇場前広場地下、クラブデボラだ。

 そう過去にあったそんな出来事を思い出している少女がいた。

 城之内翠だ。

 

 偶然とは言え、翠が誘拐から救われる事になり風間組と花山組は恙無く杯を交わせた。

 東西の極道間の抗争を目論み、関西近江連合をバッグに動いていた源王会とそれを阻止しようとする花山組の抗争は、東城会を後ろ楯にした花山組の勝利に終わり、東西の抗争も回避されたのだ。

 翠を誘拐し、風間組の若頭柏木修を揺さぶろうと考えた源王会だったが、その企みを阻止した功績がある少女の事を知るものは少ない。

 

 その少女──

 真冬がデボラにいた。

 久し振りに逢う姿だった。

 しかし、雪女のような美しい白い髪と肌、そして紅い眸。

 間違う事など無いだろう。

 二年ぶりに見る想い人の姿なのだ。

 

 その真冬が、あの時戦っていた力士よりも巨大に思えるほどの男と対峙しているのである。

 

 當之真冬とリチャード・フィルス──

 翠は、真冬の新たな闘う姿を見るのだった。

 



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第二章 其の二二 あの()だッッ!

1.

 クラブ“デボラ”のダンスホールがざわめいていた。

 奥のバーカウンターからダンスホール中央へ、一人の男が向かって来たからだ。

 髪を短く刈り上げた(いか)つい男だった。

 タキシードが凄く似合っている。

 しかし、洗練されたジェントルマンと言う様な風貌ではない。

 似合うとは言え、それは、百戦錬磨のギャング等は礼服が似合う……そうした方向での意味合いで、だ。

 眉間に皺を寄せたその表情と、睨みを効かせている様な鋭い眼光──彼を見た者は誰もが射竦んでしまう筈だ。

 

 リチャード・フィルス

 シカゴのクラブで用心棒(バウンサー)稼業を営む男である。

 

 階段を上がり、吹き抜けになっているVIPルームからも、彼の姿が見て取れた。

 このデボラは、ついぞ先日までカラーギャングの“ブラッディアイ”の溜まり場にされていた。

 しかし、彼等は、とあるグレーのスーツの男によって壊滅状態に陥った。

 その後、多くのメンバーはチームを抜けたが、リーダー格だった赤井兄弟はしつこくデボラに居座りチームを再結成しようと目論んでいた。

 だが、用心棒として来日したリチャード・フィルスが赤井兄弟を完膚無きまでに叩きのめしたのである。

 その際に大立回りを演じたリチャードの勇姿を知っている客は多く、そんな彼らが特に注目し、今回もその時と同様に大喧嘩の様子を見られるのかと騒いでいるのだった。

 

 VIPルームの個室から下階のダンスホールを見る客に翠もいた。

 騒いでいる客達に興味を持ったようだ。

 身を乗り出し、下の階を見下ろすと、そこで、城之内翠は真冬の姿を見付けた。

「騒がしいな。どうしたんだ?」

 翠に問い掛ける男。

 彼女の父親で、東城会風間組若頭の柏木修である。

 鼻筋に走る斜め横一文字の傷から、歴戦の極道であろう事が窺える。

 だが、単なる強面ではなく、何処と無く気品さも併せ持つ不思議な人物だ。

 彼は今年のクリスマスには組長(おやじ)に屈強なプレゼントを埠頭に届けると言う大役があった。

 その為に娘とクリスマスを過ごす事が出来ず、翠からは顰蹙を買ったのだ。

 今夜は、その際の埋め合わせをする為に、このデボラへと翠を連れて来たのである。

 翠は十二才の未成年だ。

 当然、クラブであるデボラには本来入店は難しい。

 しかし、翠は父親の仕事場がある神室町に来たがった。

 そして、劇場前広場や神室劇場などを見て回った後、神室町らしい遊び場に行ってみたいと柏木にせがんだのである。

 そこで柏木は比較的健全で神室町らしさもあるデボラに連れてやって来たと言う訳だった。

 案外柏木は娘には甘いものだ。

 組員や若い衆には鬼と恐れられる柏木も娘の前では形無しである。

 恐らく、好物の冷麺を勝手に食われても、それが娘なら許してしまうだろう。

 

「ん?あいつは──」

 柏木はリチャード・フィルスに気付いた。

 シカゴのクラブで用心棒をしているリチャードは、日本の裏社会でも顔の知られた人物だ。

 強い奴等と喧嘩をしたいから用心棒となった──と宣うとんでもない男である。

 喧嘩の際は相手の攻撃を避ける事もしない。

 殴られ蹴られてもそれを耐え凌ぎ、負け知らずの彼を、現地の人間は、尊敬と畏怖を込めて“地球一のタフガイ”と呼んでいる。

 

「あの()だッッ!」

 柏木が“あいつは”と言うのとほぼ同時に翠は叫んでいた。

 翠の視線の先にあるのはリチャードではない。

「あの子?」

 柏木は怪訝な顔をする。

 娘が、リチャード・フィルスを知っているのかと勘違いしたからだ。

 それに“あの子”呼ばわりとは……。

 随分な物言いに笑みが溢れる柏木。 

 翠の脳裏に、二年前に出逢った頃の思い出がありありと甦った。

 あの出逢いの後は二度程顔を合わせたが、それっきりだった。

 花山組と源王(げんのう)会の抗争が激化した為、再び源王会に狙われる事を危惧した山乃や柏木が護衛体制を強化した。

 その為に勝手に出歩く事が、一層出来なくなったからだ。

 真冬ともっと逢いたいと思っても中々許される事は無かったのである。

 しかし、逢いたくても逢えない。

 そのもどかしさが、真冬を忘れられず、より想いが強くなる切っ掛けになったのだろう。

 来年、中学生になる翠だったが、今も尚、真冬に対しての強い恋慕を持ち続けていた。

 

「ほら、あの娘よ、あの子が私を源王会の連中から助けてくれたって言う真冬ちゃん」

 

 二年前より、可愛くなってる──翠はそう思った。

 髪が結構伸びているなと言うのが第一印象だった。

 驚いたのは服装だ。

 胸元がどす黒く血に汚れ、清潔とは言い難くいつ洗濯したのか分からない程に薄汚れていた白いインナーシャツと裾が(ほつ)れ破れも目立っていた紺色のプリーツスカートを毎回着ていたあの頃の真冬。

 しかし、今は白と黒とのコントラストが美しいメイド服風のゴスロリ衣装で着飾っているのだ。

 レースとリボンがあしらわれたポシェットなど肩から下げているのも女の子らしい可愛さだなと、翠は顔を綻ばせる。

 

「……あの娘……が!?」

 柏木も、翠を源王会の刺客から救った少女の話を聞かされてはいたが、多少半信半疑だった所がある。

 当然だろう。

「真冬ちゃん……まさか、あのギャングみたいな人と喧嘩をするのかしら……」

 胸が高鳴った。

 熱い物が込み上げて来るような気がした。

 

 真冬がリチャードと対峙した、その時だ。

 翠は走り出した。

 ──近くで真冬の闘う姿を見たい。

 

「ありがとう!お父さん、最高のクリスマスプレゼントだわ!」

 

 遅いクリスマスプレゼントだ。

 だが、それで良かった。

 本来のクリスマスの日なら真冬と再会は叶わなかったのだ。

 

 ──柏木修、2005年のクリスマス、奇しくも二回目の屈強な戦士の喧嘩をプレゼントである。



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第二章 其の二三 花田純一が語る白い少女

1. 本部流柔術花田純一

 

 お、取材の方っスか。

 記者の青木さんっスよね。

 ははは、俺も取材慣れしてきたっスからね、何でも聞いて下さいよ。

 ん?

 えぇ、ちょっと前も別んところの方から、別の人の取材受けましてね。

 そん時は、小説家さんからの取材だったかな。

 神奈村狂太の取材受けたんです。

 

 今回も神室町での話何すよね。

 神奈村さんの話題も神室町での出来事だったんで、神室町ってほんと話題尽きない所だなぁって思いますよ。

 

 ──白い少女ね。

 真冬ちゃんっスよね。

 知ってますよ、勿論。

 

 神奈村さんの件より結構後の話ですね。

 あの()を見たのは。

 ノムラ君──

 あ、ノムラ君と言うのは、うちの本部流柔術の門下の人でね。

 本部先生の弟子の中じゃ、多分一番腕の立つ人っスね。

 その、ノムラ君は自衛隊の人何ですけどね、非番の日でね、道場に顔出してたから、たまの息抜きがてら、神室町での夜遊びに誘って、二人して神室町まで行ったんですよ。

 

 デボラってクラブハウスでの話です。

 デボラは知ってますか?

 劇場前広場にある。

 

 ──あぁ、青木さん、神室町の事なら、俺よりよっぽど詳しいですもんね。

 それは説明するまでも無いか。

 

 ノムラ君とね、デボラに居たんです。

 そこで、真冬ちゃんを初めて見た。

 

 ──印象?

 俺ね、一応最初に言っときますけど、ロリコンじゃないっスよ。

 でもね、可愛い娘だなってのが、第一印象。

 儚げなね。

 全体的に細くて、髪も長いのに野暮ったくなくて。

 あの時、十歳くらいだったかな。

 十代後半にでもなったら、皆ほっとかないだろうなって一目見て思うほどの美少女だった。

 今は真冬ちゃん、13くらい?

 え?写真あるの?

 

 ──おっ、今も可愛いね。

 

 いや、それは置いといて。

 可愛いとは思ったけどね、俺は別にあの子から、とんでもない戦闘力とかは微塵も感じなかった。

 そりゃあ、そうっスよね?

 普通、あの子を見て、そんな殴る蹴る何て言うもんは連想出来ない。

 

 でも、ノムラ君はね。

 顔が強張ってた。

 あの時、多分ノムラ君は、ノムラ君じゃなかったんじゃないかな。

 あぁ、ノムラ君はね、多重人格何スよ。

 もうひとつ、ガイアって言う、主に戦闘的な物を担う人格があるんスけどね。

 そっちの人格が出始めてた。

 

 ノムラ君は一目で真冬ちゃんの戦闘力の高さを読み取っていたんだろうね。

 ノムラ君、たまに道場で先生(おやじ)と──本部先生とね、結構マジなやり取りするんスけどね。

 先生相手でもガイアの人格が出ることなんて無いって言っても良い。

 そんなノムラ君の裏人格を引き出そうってもんだから、ヤバイっすよね、真冬ちゃん。

 多分、ノムラ君も真冬ちゃんと()りたいとか思ったんじゃないかなぁ。

 

 あ、でね──

 デボラのダンスホール中央で、一人の外人と向かい合っている真冬ちゃん。

 その姿だけで、ノムラ君は真冬ちゃんから何か、ヤバイ物を感じたんだろうね。

 

 俺も、真冬ちゃんを見掛けた頃にはもうプロレスやってたんすけど、ノムラ君みたいに真冬ちゃんの戦闘力は見抜け無かった。

 

 ──えぇ、真冬ちゃんと対峙してた外人ね。

 そいつの事は、当時から知ってましたよ。

 俺ね、デボラの常連だったっスから。

 デボラの用心棒のリチャード・フィルス。

 デボラに出入りしてるとね、神室町あんな街でしょ?

 結構な頻度でヤバイ客が来るんスよ。

 そんなヤバイ客相手にね、豪腕奮ってるのをね、よく見ましたよ。

 

 リチャード・フィルス、元々はシカゴのバーやクラブで用心棒やってた男でね。

 デボラで見る前から噂は聞いてたっスよ。

 噂でも聞いて、実際の殴り合いも目撃した。

 そんな奴と向かい合ってるんスよね、真冬ちゃん。

 リチャード・フィルスの事は、俺以外の客もよく知ってる。

 だからね、リチャードがダンスホール中央にやって来た時は、デボラ店内、騒ぎになってたなぁ。 

 バウンサーが喧嘩を始めるぞって。

 

 でもね、じゃあ、その相手って誰だ?ってなるっスよね?

 ノムラ君だけじゃないかな。

 おっぱじまる前から、リチャード・フィルスの喧嘩相手がこいつだなって──それが、真冬ちゃんだって──小さな女の子とやりあうんだろって気付いてたのは。

 

 そもそもね、何で二人がやり合うことになったかって、そんなの誰も、俺だって、普通に想像も出来ない。

 

 で──

 ゴングも鳴らない

 行司もいない

 誰も開始の合図は出さない──

 そんな、喧嘩が、いきなり始まった。

 

 何て言うかね。

 俺とノムラ君ね──

 そろそろ、デボラ出て、シャイン──キャバクラにでも行こうかなって思ってた所だった。

 でもね、デボラを出るのが少し遅れて良かったっすよ。

 この真冬ちゃんの喧嘩、見ることが出来たからね。

 

 よーいどんの合図も無しに、それでも示し合わせた様に二人は同時に動いた。

 ノムラ君、その瞬間、両手の拳を握り締めててね、興奮の熱気が隣から伝わって来たっスからね。

 

 リチャード・フィルスは真っ向から殴りかかった。

 技術なんかありゃしない、テレフォンパンチって奴。

 

 リチャードって男は格闘技を学んだ事は無いらしいっすね。

 全部、実戦の中でだけ鍛えた肉体。

 それで殴る。蹴る。掴む。

 

 あれね、単純なフィジカルやタフネスは多分、プロレスラーのマウント斗羽さんや、横綱の零鵬を凌いでるんじゃ無いかなぁ。

 打たれる覚悟をしたレスラーや力士は倒れない。

 でもね、あの男はそれどころじゃない。

 

 多分、刺されても撃たれても倒れない。

 シカゴの喧嘩師──用心棒──

 そんな所でそんな仕事してたら、相手は刃物どころじゃない、拳銃(チャカ)抜く奴もざらでしょ?

 リチャード・フィルスはそんな連中相手に、素手で喧嘩するんスよ。

 

 記者さん、知ってるよね?

 東京ドーム地下闘技場で開催された徳川さんのトーナメント。

 その時の選手控え室でね、リチャードのそんなタフネス加減の片鱗を窺い知れる様なパフォーマンスを、俺も見たんスよ。

 筋骨隆々な手下達に、バットで殴らせるってね。

 それでもリチャード・フィルスはノーダメージ、逆にバットがへし折れちまったんだよ。

 

 そんなとんでもないフィジカル野郎だから出来る、防御何て考えてない攻撃一辺倒のテレフォンパンチ。

 

 驚いたのはね、年齢一桁の女の子がね、そんな奴に殴り掛かられてるのに全然ビビった様子が無いところだった。

 時期的には例のトーナメントの前の話だけどね。

 どう見てもリチャードがヤバいって、その女の子も気付いてる筈なのに、ね。

 

 リチャードの拳が振り抜かれたのとほぼ同時に、真冬ちゃんも動いた。

 ゆらゆらと全身を揺らめかしてた真冬ちゃんは、ゆっくりと右手を上げたんスよ。

 

 ──何?

 と、思ったら右手でリチャードの拳を受けた。

 受けたのは掌で、だった。

 後でノムラ君に聞いたらね、掌で受けたと同時、真冬ちゃんは肘を曲げた──と、そして、ほんの少し手首の(すじ)が伸ばされたそうなんスよ。

 そして、手の甲を自分の額で押した。

 

 真冬ちゃんの足元ね、でっかいクレーター出来てたのにも驚いたね。

 床ね、何の素材かは知らないけど相当固い。

 真冬ちゃんの脚ってどうなってるだろうね……。

 

 で、リチャードの拳は……腕が大きく弾き返されていた。

 どういう技術(わざ)なんか、さっぱり理解出来ない。

 

 そうだ、記者さん、一回ね、渋川先生とこにも取材行ったらどうかな?

 渋川先生もね、多分、真冬ちゃんの戦闘を見てるからさ。

 

 でね、この時のリチャード対真冬の喧嘩はそこまでだった。

 喧嘩──じゃなかったからね。

 なんかさ、合格だのなんだの言ってたからね。

 テストか何かだったんだろうね。

 

 でもさ、本気でヤバいのは真冬ちゃんスよ。

 打った筈の、リチャードの拳がね、血塗れだったっスから。

 その正体不明の真冬ちゃんの攻撃も、合格の理由の1つ何だろうね。

 

 ──あぁ、うん、二人の本格的な死闘は別の日だったよ、確か。

 その時の話もいつかまた、しようかな?




連載が滞っており、申し訳ありません。


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その他
龍が如く8×真冬 小ネタ


龍が如く8のあるコンテンツの名称に関するネタバレと、龍が如く極2のサブストーリーのネタバレと結末改変、龍が如く3のとある設定に関しての改変が、この話に含まれています。
ご注意下さい。


 ──横浜・伊勢崎市異人町

 浪漫通りの東側の角にあるアダルトグッズ専門店「LOVE MAGIC」前──

 

(ん?メイド服か)

 ──桐生一馬は、その店先に飾られたマネキンにふと目をやった。

 そして、ある出会いを思い出す。

 

(確か……神室町にもこんなアダルトショップがあったな)

(そうそう、メイワ堂だ。ショーケースのなかにセーラー服やメイド服が飾られており、コスプレ衣装なども販売していた)

(俺はコスプレ何てものに縁は無かったが、メイド服を見ると思い出す娘がいる) 

 

 ──當之真冬

 

(遥と同い年の少女だ)

(真っ白の髪と肌、そして、紅い瞳の幽鬼の様な娘)

(──もう何年前になるか、あいつと出会ったのは、前に世話した犬を探してホームレスのもぐさに連絡した時のことだ)

 

(もぐさが犬を連れてくる話だったが、現れたのはもぐさじゃなく、あいつだった)

(紅く虚ろな双眸を今でも覚えている)

(真冬は、あの犬をホームレス達と大切に育てていた)

 

(養護施設ひまわりの少年に犬を贈ろうと考えていたが、きっぱりと真冬に断られちまったんだ)

 

 ──人間の勝手でこの子の生活を乱さないでください。

 

(確かにそうだ、一度手放した犬を、また連れていこうとしてるんだからな)

(ホームレス達も、そして何よりも真冬が犬を大切にしていたんだ)

(だが、理由を説明したら、真冬は代替案を出してくれた)

(あいつが、ひまわりの為にペットを用意するとの話だった)

 

(……有り難い事に、真冬はその後、神室町で用の有った俺の代わりに犬を用意しひまわりに連れていってくれた)

 

(そうそう、アサガオで飼っているマメだが)

(あれは、真冬が育てたぽちたろの子供だ。アサガオに犬好きがいる話をしたら、産まれたばかりの仔犬を譲ってくれたんだったな)

 

(真冬……初めて見たときはメイド服姿に面食らったが、寒そうな名前に似合わない熱い心の娘だったぜ)

 

 エンディングノート

 追憶ダイアリー 異人町

 No.51 犬とメイド服少女

 実はメイド服ではなくて、あいつが着ていたのはゴスロリ服と言う名前らしい。

 今一違いが良く分からねぇが、あれは真冬の拘りの服装だそうだ。

 真冬には、あの後も何度か会ったが、あいつの戦闘能力は中々の物だった。

 今は異人町で暮らしているらしく、春日も真冬の戦闘能力に助けられた……とか言ってたな。デリバリーヘルプだったか?もしかしたら、これからも真冬は、俺や春日の助けになるかもな。

 よろしく頼むぜ、地上最強の生物の娘。

 

 覚醒度

 技 +50

 




いつになるか……分かりませんが、この辺も本編で書いていきたいです。


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第三章 下水道の大掃除
第三章 亜天使


 

 年末年始──

 柄本医院での治療を余儀無くされた真冬だったが、その姿は現在、賽の川原……西公園にあった。

 

 西暦2006年一月三日

 

「お餅、美味しいです。ミチさん」

 

 寒空の下、暖かい七輪で餅が焼かれている。

 パチパチと、餅と練炭が鳴る音を聞きながら、真冬は餅を口に運んでいた。

 餅に絡ませる、醤油に溶けた砂糖のとろみが舌に優しくて、涙が零れる。

 砂糖醤油のあまじょっぱさは、初めて味わう美味しさだった。

 ミチはいつも、知らない新しい美味しさを教えてくれる──それは、実の母親が最後まで教えてくれなかった物だ。

 餅を、正月に食べるのも初めての経験であった。 

 そもそも、正月らしい食事も真冬は知らない。

 ──去年の今頃、何を食べていただろう。

 真冬は思い出せなかった。

 

「真冬ちゃん、ミカン食べるかい?」

 ホームレスの男性が声をかけてきた。

 昨年末、西公園に真冬を連れて来たモグサと呼ばれる人物だ。

 

 西公園はホームレスの溜まり場である。

 周囲には多くのホームレス達で賑わっていた。

 真冬は、彼らが用意した椅子代わりの黄色いビールケースに座り、すっかりとホームレス達に混じり馴染んでいた。

 

「ありがとう、モグサさん」

 萎びた蜜柑を手渡された。

 皮に白い点々が見られるのだが、黴が生えている様だ。

 それでも、真冬にとっては嬉しい贈り物である。

 果物自体、この西公園に来るまでは口にする事など殆ど無かったからだ。

 同じく黴の生えた蜜柑の皮なら、アパートのごみ捨て場で、蜚蠊や鼠と一緒に食べてはいた。

 しかし、果実の甘さは知らないのだ。

 ホームレスから貰う、カビた、味が薄く水っぽい萎びた蜜柑でも、真冬にしてみればとても美味しいご馳走だった。

 

 そんな蜜柑を嬉しそうに頬張る真冬の姿に、ミチは胸を痛めていた。

 一体、どんな人生を歩んで来たのだろう、と──

 幼い子供の姿とは思えない。

 これくらいの年齢の少女が喜ぶような食べ物で無いのは、明らかである。

 

「あ、真冬ちゃん、皮は食べたら駄目やよ」

 剥いた皮まで食べ出した真冬をミチは止める。

「え?はい」

 

 そして、焼き上がった餅を真冬の皿に乗せた。

 

「真冬ちゃん、朝飯食ったらチャンピオン街に向かってくれないかい?ぽちたろの目撃情報があったんだ」

 

 年末にコピーした失せ犬探しのポスターが、どうやら役に立ったらしい。

 ポスターにはモグサと真冬、そして犬好きの老ホームレスであるゲンさんの連絡先が書いてあった。

 そのゲンさんの携帯電話に、仔犬の画像が添付されたメールが届いたのだ。

 

 ゲンさんは、以前にもぽちたろの世話をしていた。

 一時期、長くは無いがぽちたろは、西公園──賽の川原に滞在していた頃がある。

 その際にゲンさんは特にぽちたろの世話を焼き、可愛がっていた。

 そんなゲンさんの目だから分かるのだが、添付された画像の仔犬がぽちたろであることは確実だった。

 

「はい、行ってきます」

 神室町にやって来て数日暮らした真冬──チャンピオン街を含め、神室町の地理は既に概ね把握している。

 保護するなら早い方が良い。

 

「お餅美味しかったです。ご馳走さまでした」

 もう少し食べていたかった真冬だが、仔犬の保護が優先されるべき事柄である。

 

1.

 チャンピオン街は、狭い区画に多くの飲み屋でごった返していると言う、神室町の中でも一際異質な区画になっており、殆どの店が昭和の時代から取り残されたような古いスナックやキャバレーなどの飲み屋である。

 

 西公園から見て、公園前通り裏を南に抜けて、七福通り東の丁字路を更に南へ向かい、千両通り北に位置している飲み屋街で、千両通り北側に建てられた『神室チャンピオン街』とあるネオン看板が、チャンピオン街への入り口の目印だ。

 

 出入り口はもう一つ、泰平通り東の小さな駐車場前にもある。

 だが、そちらは看板を抜けて少し歩いた先、右手側に長年空き地となっている空間へと入る路地が伸びている。

 その空き地は、カラーギャング“ホワイトエッジ”の溜まり場なのだ。

 そう言った理由の為か、そちらの出入り口からチャンピオン街へ立ち入る事は、概ね敬遠される傾向にある。

 

 チャンピオン街と言う、ある種独特かつ特殊な空間に、昼前から九歳の幼女である真冬が歩く光景は、異質な世界をより異質にしていた。

 

 ゴスロリメイド服を身に纏った美少女だ。

 カツアゲ坊主達との死闘で破れ汚れた衣服から新調している。

 日中であっても日本最大の歓楽街の神室町には、多くの人通りで賑わい、行き交う雑多な人々が溢れていた。

 狭苦しい裏路地のようなチャンピオン街もまた例外ではなく、そうした空間に合わない程の人混みようであった。

 そんな彼らはメイド服の美少女に目を奪われていた。

 

 彼らが考えるのは真冬が何者か──と言うことだ。

 ゴスロリメイド服の美少女はあまりにも目立つ。

 年齢的にキャバクラ等で働く水商売の女性では無いだろう。

 

 そして──その多くの者の目を引いている少女に、声をかける者の姿があった。

 こちらはこちらで、目を引く存在だった。

 好意と言うよりも好奇で目を引く、奇異な人物だ。

 初めて見ると大抵の者がぎょっと驚嘆してしまうだろう。

 ──見る者へと強く印象に植え付ける程に髭の剃り残しが濃い、ボブカットの大柄な女性だ。

 真っ赤なワンピースがよく似合っている。

 女性──ニューハーフと言う方が適切なのだろうか。

 

 彼女は先日、ホストクラブ“スターダスト”で働いているユウヤから、ぽちたろのポスターを見せられ、見掛けたなら連絡する様に頼まれていたのである。

 

「真冬ちゃんね?ユウヤから聞いてるわ」

 手を振りながら気さくに真冬へと声をかける。

 

「このワンちゃんよね?」

 携帯電話で撮影した画像を真冬へと見せた。

 

 彼女は、去年までパレスと言うスナックバーだった店舗跡に新しいバーを開くため、空き店舗へと下見に来ていたのだが、その際、ぽちたろの姿を目撃した。

 ユウヤから予め失せ犬の話を聞いていたから直ぐに保護しようと思ったのだが、生憎逃げられてしまったらしい。

 

「野良のワンちゃんに餌をあげる犬好きの人がここらに居るのかもね。周辺、探したらどうかしら」

 

 女性──アコが見せた写真の画像には、件の空き地に通じる路地を歩くぽちたろの姿が、写っているのだった。



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第三章 其の二 新装備

 

 チャンピオン街と言う、何処か古めかしい昭和の残り香の匂い立つ様な空間には、似つかわしくない幼女がいた。

 ゴスロリメイド服を身に纏った美少女──當之(たぎの)真冬である。

 

 共に一切の色素を取り除いたかのような、長く白い髪と白い肌が特徴的だ。

 眸は紅い。

 一目見ては、雪女や、幽かな存在感、虚ろな紅い眸の視線から幽霊を連想してしまう者もいるだろう。

 しかし、ゴスロリ服がよく似合うこの美少女は、チャンピオン街で不思議な存在感を発揮していた。

 

 そして、このゴスロリ服が曲者なのである。

 衣服自体は、昭和通りと交差する中道通りの南口に建っている日本最大級のディスカウントストアや、公園前通りの大人のおもちゃを売る店で購入した格安のコスプレ衣裳である。

 とは言え、布も本格的な物で見た目の上ではそれほど安っぽくはなく、余程の拘りのある人物で無ければ安物感は覚えないであろう代物だ。

 

 彼女が纏うこのゴスロリメイド服を曲者と評した所以だが──

 それは、各部位に様々な暗器とも言える隠し武器を仕込んで有るからだ。

 

 彼女の長く白い髪に着飾れたボンネット。

 全体は黒く、つばの部分には白い刺繍の様なレース。

 左右には白いリボンがあしらわれ、同じく白いリボンが顎下で結ばれている。

 真っ白のフリルとレースで装飾された襟首から胸元にかけて目立つのは、中央に白い花飾り、段々に拡がるレースの飾りそして、イミテーションではない宝石が輝いたジャボだ。

 この胸元に飾り付けられたジャボはディスカウントストア等で購入した物ではなく、翠が神室町の中でも高級店として名高い“ル・マルシェ”で購入しプレゼントして来た決して安くは無い代物である。

 しかし、裾に黒いレースと白いフリルで装飾されたスカートはかなり際どい短さであり、それが何処と無くコスプレ感を拭えないでいる。 

 長袖のブラウスもミニスカートも黒く、全体的に黒い衣裳が真っ白な少女を包み込んでいる。

 ブラウスの袖はふわりと膨らみ袖がフリルの様になっている。

 足元は黒いリボンシューズで、白いフリルがふんだんにあしらわれた黒いニーソックスを履いている。

 白と黒で彩られた衣服に飾られた白い人形──真冬の余りの愛らしさに、その姿を目にした城之内翠は心底身悶えたものだった。

 

 そして──暗器だが。

 今までは、彫刻刀や針などの日常品を暗器のように扱って来た彼女だが、最近知り合った武器マニアである少年“井森洸一”からの紹介で『殺傷の為の武器』を得ることが可能となったのだ。

 神室町は歓楽街の顔の他に、闇社会の顔がある。

 当然、そうした世界には闇の取引所が存在しているのだ。

 井森が紹介したのは“beam”と言う店と、個人が取引している“ワークス上山”であった。

 “beam”は表向きは、ピンク通り北の雑居ビル地下でアダルトビデオや写真、雑誌を扱う店だが、裏の顔として武器の密売を行っている。

 ワークス上山は、主に天下一通りの裏路地にある一角にて個人で武器の密売を商う妖しげな小肥りの男だ。

 彼が作製した物が販売されており、比較的、近接用の武器が多い。

 頼めばオーダーメイドも請け負ってくれると言うのが、真冬には有り難い話であった。

 

 beamで購入した暗器は肩に掛けたポシェットに入れている。

 “手の内”や“寸鉄”或いは“娥媚刺”と呼ばれる隠し武器を六本忍ばせているのだ。

 勿論彫刻刀も忘れてはいない。

 ポシェット自体は以前からの物と変わらないが、これにも一つだけ変更点がある。

 鎖がより強固な金属製の物へと変更されたのだ。

 この鎖もbeamで購入した物である。

 特殊な暗器はボンネットの左右のリボンに仕込まれた剃刀だ。

 この剃刀は通常の剃刀より薄く、そして小型である。

 髭を剃るには適してはいないが、罠や、暗器として用いられるのだ。

 井森もちょっとした(トラップ)として愛用している。

 これはワークス上山の改造武器である。

 顎下で結ばれているリボンにも同じ物が隠匿されているが、これは真冬にとっても危険なので上山は改造中に何度か警告していた。

 また、この剃刀は襟元にも潜んでおり、掴みかかってきた敵の手を迎え撃つのだ。

 ブラウスの袖下には革のベルトが巻かれている。

 長袖で隠されてはいるが、ふわりとラッパ状になっている袖はこれを機能させる為にある。

 ベルトには複数の小型の矢が仕掛けられ、手首側に設置されたバネから発射される。

 発射装置は中指に繋がる細い糸だ。

 この糸は、アラミド繊維とチタニウムを焼結させた超最先端技術の結晶であり、ワークス上山でも滅多に取り扱えない代物である。

 後々、更に改良が重ねられたものを、アメリカのドリアンや、本部以蔵も使用している程に優秀な代物なのだ。

 現在は暗器“袖箭”の発射装置として利用されているが、使い様によってはこの“糸”こそが暗器として扱い得るだろう。

 袖箭を隠しているのは左手だ。

 勿論右手の袖にも隠された暗器がある。

 小さな刃それぞれが輪で繋がり、連なって、牙の様に形を為している刃物だ。

 インドの隠し武器“バグナウ”と呼ばれる物である。

 輪に指を入れて、握り混むと刃が拳側へと向き、その刃の拳で撃ち斬り付ける隠し武器だ。

 それを先程の糸で操作し、袖口に仕掛けてあったそのバグナウが真冬の手元に下りると言う仕掛けが施されているのだ。

 リボンシューズには、今まで同様、針などを仕込んでいた。

 

 そうした様々な改造隠し武器を真冬はワークス上山に製造を依頼した。

 それはデボラのマスターや井森の口利きがあったからでもある。

 だが、ワークス上山もまた、真冬の尋常ならざる暗器技術を見抜いているのだ。

 故に、喜んで真冬へと武器を製造依頼を受けたのだ。

 

 ワークス上山にとって、真冬が良い顧客になってくれる事は間違いないだろう。

 

 ──そして

 そうした新たな暗器を手にした真冬は、チャンピオン街でぽちたろの捜索を始める事となる。



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第三章 其の三 真冬の特撮出演

 チャンピオン街を南側から抜け、真冬は四階建のソープランド“桃源郷”を眺めていた。

 ギリシャ神殿を思わせる一階部分の柱。

 二階以降の外壁には、雷紋が目立っている。

 入会料に最低でも100万円は必要だと言われた高級ソープ店である。

 客層も有名芸能人や国会議員、財界の大物などで、一般庶民にはそうそう立ち入れる場所では無い。

 だったのだが、ネオン看板は消灯して久しい。

 

 午後10時を回り、神室町がより賑わう時刻で在りながら、桃源郷はひっそりと静まり返っている。

 昨年末、ダンプカーが門を突き破る事故が起きて以来、桃源郷は営業を停止しているからだ。

 ヤクザの抗争による事件とも言われており、すっかりとこの建物は事故物件となってしまったのだ。

 

 嘗ての優雅だった外観は見る影も無く、随所はまるで廃墟の様相を呈しているのだった。

 

 門は閉ざされ、立ち入りは禁止されている。

 警察の手により閉鎖されており、侵入は困難かと思われた。

 しかし、『keep out』の黄色テープを取り除き、真冬を手招きする三人の男の姿があった。

 皆、人相が悪く、どう見ても堅気では無さそうな三人組だ。

 

 特に、真冬に手招きしている男は──胡散臭い──そんな言葉が人の形を成したような人物である。

 何処で焼いているのか、浅黒く光る肌。

 丸坊主の頭には、奇妙な幾何学模様の入れ墨。

 にこやかに笑ってはいるのだが、どこか厭らしく下卑た笑みだ。

 そして、目は笑っていない。

 眸の奥に、暗い闇が潜んでいる様だった。

 かなりの巨漢で、身長は190センチメートルを越えている。

 しかも、単に背が高いだけではなく、筋肉の量も相当だ。

 鍛え込んでいる事は、誰の目にも明白だろう。

 

 後の二人は、ビデオカメラを手にしているパンチパーマの男と、写真機を首にぶら下げ、撮影用の照明器具を持った髪を無造作に伸ばした男だ。

 彼らも、丸坊主の男程ではないが、盛り上がった筋肉が服の上からも見て取れる。

 

 真っ当な人間には到底思えない男達が、立ち入り禁止の元ソープランドに立ち入ろうとしている。

 真冬に手招きし、ソープランドの跡地に誘い込んでいる彼らの姿を目撃している人間は多く居たが、誰も止めようとはしなかった。

 神室町は日本一の歓楽街であり、東日本最大の極道組織“東城会”のお膝元である。

 最悪、この三人組が東城会の関係者である線も考えられるからだ。

 面倒な事に首を突っ込みたがる者などいないのだ。

 

 ──真冬が、この怪しげな三人組と出会った切っ掛けだが、ほんの少し時間を遡る。

 

2.  

 後々オカマバー“亜天使”のママとなるアコから、ぽちたろの話を聞いた真冬は、チャンピオン街南口側にある空き地にいた。

 ここは、チャンピオン街の一画で、長らく手付かずとなっている、ぽっかりと空白となっている場所だ。

 チャンピオン街の裏通りと言って良いかも知れないこの場所は、カラーギャング“ホワイトエッジ”の溜まり場である。

 チャンピオン街に足繁く通い詰め、毎夜の様に訪れる者であっても、ここに近付く事は決して無い、そんな危険な区画となっている。

 

 ぽちたろは、ごく最近、そんなチャンピオン街の一画でも目撃されているらしい。

 チャンピオン街で店を構えるバーのマスターやママから餌を与えられていることが考えられるが、そうした危険な場所にいると思うと、真冬は気が気で無かったのだ。

 しかし、件の空き地に入ってみるも、カラーギャングの姿は見られ無かった。

 ドラム缶の焚き火がパチパチ音を立てて燃えていた。

 人の出入りは有るようだ。

 空き地は四方、何らかの雑居ビルで囲まれている。

 ここに、犬を虐待しようと考える様な輩が、ぽちたろを追い詰めたとしたら、逃げられないだろう。

 真冬は、ぽちたろの境遇を聞いている。

 この神室町で半グレのような輩に虐待されていた野良犬だ。

 だからこそ、余計に早く保護したいと、真冬は思うのであった。

 

 そして、南口へと向かい空き地に入って行く真冬の姿を、三人組は偶然見掛けていた。

 チャンピオン街にあるオカマバー『大女優』の常連でもある彼らは、丁度酒を飲み、店を出たところ、真冬の姿を見付けたのである。

 

 ゴスロリ服を身に纏っている美しく、愛らしい幼女──「この幼女の映像を撮りたい」──真冬を見た彼らの第一印象であり、三人が三人共に考えた事だ。

 

 彼らは何者なのか──

 

 神室町のピンク通りの北側に“BEAM”と言うアダルトビデオショップがある。

 彼らは、そのショップで販売されるビデオの中でロリータ専門──かつ素人物のアダルトビデオを撮影する事で有名なクリエイター達だ。

 その筋の好き者達からは非常に人気があり、BEAMの客層の中で一定以上の需要があるのだ。

 四十八手(しじゅうはって)章治郎(しょうじろう)の名前がクレジットにあるだけでビデオを購入する者がいるくらいの人気具合だった。

 

「おーい、お嬢ちゃん」

 丸坊主の浅黒い男が真冬を呼んだ。

 普通の少女だったら逃げ出すだろう、そうした強面(こわもて)の男であった。

 いつもなら、彼らも神室町で“スカウト”はしない。

 神室町には、彼らが撮影対象とするような少女はいないからだ。

 四十八手章治郎が撮影する少女は、幼女と言って差し支えのない年齢の少女となる。

 未成年どころではない。

 女児だ──

 そして、彼らの“スカウト”とは、言葉通りのスカウトとは異なる故に、質が悪い。

 ──とどのつまり、誘拐である。

 女児を連れ去り、当然合意を得る事もなく、撮影に及ぶのだ。

 

 彼らのアダルトビデオが人気なのは、そう言う行為のリアルさに在る。

 リアルさとは、真に迫る女児への強姦だ。

 BEAMで取り扱うそれらのビデオは、完全な裏ビデオとなる。

 単なる裏ビデオではなく、一定の信頼の措ける客にのみ販売される裏中の裏ビデオだ。

 闇ビデオと言って良いだろう。

 当然、彼らのそれは犯罪だ。

 しかし、彼らが検挙されることなく、彼らの犯罪が明るみに出ない事には理由がある。

 その秘密は彼らの背後組織、そして顧客が関係している。

 四十八手章治郎──

 そもそも、その名前は丸坊主の男の名前ではなく、彼らロリータ専門アダルトビデオ制作チームの名称となっている。

 そして、四十八手章治郎の背後に存在する組織こそ、広域指定暴力団、七代目“源王会”であった。

 源王会は以前、日本の暴力団統一化を掲げ、神室町に進出し、東城会と近江連合の全面戦争を目論んだ。

 しかし、内部の藤木組との抗争に敗れ、神室町を撤退した筈であった。

 が、東城会錦山組の神田強の後ろ楯を得て、この四十八手章治郎は神室町で活動しているのだ。

 本来は四十八手章治郎のしのぎは、神田強の懐にも入る筈だったのだが、彼は強姦罪で服役した為に、現時点、四十八手章治郎のしのぎは源王会への資金源となっていた。

 神田が逮捕されたのは、源王会に取って、神室町への再度進出に向けての良い追い風になっただろう。

 

 また、このアダルトビデオの客層である。

 顧客リストに列なる名には、財政界の大物から、医者や弁護士などと言った名士の名前が見受けられるのだ。

 それら、ビデオの客層こそ、四十八手章治郎のアダルトビデオファン達なのだ。

 下手にマスコミや警察も探りを入れる訳にはいかなかった。

 つついた藪から蛇が現れる所ではない、危険な場所になっているからだ。

 

 勿論、そうした客層にのみ提供される訳ではない、比較的ライトな物もあり、そうしたものは店舗内にも陳列され、一般層も陳列棚にその商品が見られるだろう。

 

「……はい?何ですか」

 

 物怖じする姿を見せない真冬に、一瞬面喰らう丸坊主の男だったが、笑みを作り、話を進める。

 こんな場所にいる少女だ──商売女の娘か、外国人の少女だろうか。

 頭のネジも弛そうだ──丸坊主の男は、そう考えた。

 

「お嬢ちゃん、こんな処で、何やってんの?危ないぜ」

「迷い犬を捜しています」

 

 丸坊主の男に追い付いた他の男二人も、真冬の言葉にポカンとした呆けた様な表情を浮かべた。

「へぇ、わんちゃん。お嬢ちゃんの犬かい」

「……そう言う訳では無いですが……」

 

 真冬は、携帯電話に収められたぽちたろの画像を開き丸坊主の男に見せた。

 

「この子です。この辺りにいたみたいなので」

「あぁ、このわんちゃんね。桃源郷の方で見たかなぁ」

 勿論、嘘だ。

 

「角の廃墟ですよね?見に行こうと思ってます」

「……お嬢ちゃん、あそこは警察が立ち入り禁止にしててなぁ」

「……はい」

 

 チャンピオン街の空き地に続く路地から、桃源郷の方を指差す丸坊主の男。

「一緒に行ってやろうか?大人となら入って良いだろう」

 

「そうそう、でね、お嬢ちゃん、ちょっとだけ映画にも出てみないかい?」

 パンチパーマの男がにやつきながら真冬に言った。

 

「僕たちね、特撮ビデオを撮影してるんだよ」

「そうそう、特刑ウインペニスターとか、特急指令プ即レイプン、特精巣セクシーマラフト──聞いたこと無い?あるよね」

 

「いえ、知りませんが……」

 

 真冬は、小首を傾げる。

 明らかなパチモノではあるが、それぞれの元ネタであろう特撮も西暦で言えば1990年から1993年のものだ。

 真冬は、1996年生まれだし、そもそもテレビを母親と暮らしていた頃に視聴した事さえ無いのだ。

 

「出演料も払うよ」

 

 パンチパーマの男が言ったそれは、確かにありがたい話ではあった。

 ぽちたろを保護した後、彼を養うためにはお金が必要だし、ゲンさんや、ミチさん、モグサに何か買いたい思いが強い。

 

 ロン毛の男が何処かしらに電話しているのに気付いたが、真冬は、彼らの申し出をこうして受けたのだった。



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第三章 其の四 撮影開始

 

 嘗ての高級ソープランドは、今や見る影も無く荒れ果て、すっかりと寂れ切っていた。

 

 ──桃源郷

 

 真冬と、丸坊主、パンチパーマ、ロン毛の男達は“keep out”と書かれた黄色いテープを越え、板張りの扉を抜ける。

 扉も元々は豪奢で、頑丈そうな代物だったが、昨年末に起きた極道の抗争によりダンプカーが突っ込み、完全に破壊されてしまい、今では単なる板張りで簡素に閉ざされているだけであった。

 

 内部の荒廃具合も、酷い有り様である。

 埃っぽい。

 埃や黴のすえた、嫌な臭いが真冬の鼻をついた。

 

 どこから立ち入ったのか、ホームレスなども居着いているのだろう。

 酒瓶やビール缶、残飯などもそこかしこに散らばっている。

 

「やぁ、来たかい」

 砕けた石膏の像が目立つ受付ロビーのカウンターに座った一人の男が、真冬を出迎えた。

 奇妙な出で立ちである。

 全身黒タイツ、目出し帽の様な覆面──

 恐らく、四十八手 (しじゅうはって)章治郎(しょうじろう)の特撮ビデオに出演する人物だ。

 他にも二人、彼と同じ格好の男がいた。

 彼らのその姿は、古い特撮に見られる戦闘員のパロディだ。

 

 その内一人は何やら怪しげな器具の点検をしており、もう一人は注射器を弄っている。

 真冬は知らないが、公園前通りにもある様な店に売っている、所謂大人のおもちゃだ。

 ピンクローターやら、電マ等と呼ばれる物である。

 注射器には何の薬物が仕込まれているのだろうか。

 ──媚薬やら、違法薬物などであった。

 

「私は何をしたらいいのですか?」

 真冬は、小首を傾げ丸坊主の男に尋ねた。

「真冬ちゃんには、僕達のね、新作特撮ビデオ、仮面《マ》ライダー リパイズリのヒロインをやってもらおうと思ってるんだ。直ぐに終わるから、その後、ワンちゃんを探そうか」

 

「よ~し、真冬ちゃん、まず写真一枚撮るよぉ」

 ロン毛の男が、真冬に有無を言わさずシャッターを切った。

 

 それと同時に、全身黒タイツの一人──注射器を弄っていた男が缶飲料のタブを開けた。

 プシュッと音が鳴る。

 缶ビールだ。

 真冬の視線がカメラに向いた隙に、その缶ビールに注射器の媚薬と同様の薬物を注入し── 

「お嬢ちゃん、喉渇いてねぇか?」

 ──ビールを注いだ紙コップを真冬に手渡した。

 

 周りの男達がにやつく中、真冬は、それを口にしてしまう。

 途端に真冬は、ビールの苦さに不味さを覚え、眉を顰めた。

 しかし、捨てたり吐いたりするのは申し訳無いと考え、真冬はコップ一杯のビールを飲み干した。

「もう一杯飲むかい?」

「いえ、いりません」

 だが、紙コップへ更に注がれ、飲まざるを得なくなる。

 

「よし、真冬ちゃん。取り敢えず上に行こうか」

 

 桃源郷は四階建てで、それぞれの階層に幾つかの個室が存在していた。

 現在は床が陥没し、半ば倒壊寸前のように見える。

 嫌々ながらも注がれたビールを飲み続け、真冬は、男達と共に上階へと向かっていく。

 

 ──階段は、瓦礫、瓶やらのガラス片でかなり危険な事になっている。

 ──しかし、男達はそんな足場にも慣れた様子であった。

 桃源郷が閉鎖されて以来、彼らはここで余程の数の“仕事”をこなして来たのだろう。

 

 ガラス片を踏む音が響く。

 ──男達の視線は真冬に向けられていた。

 

 彼らが撮影するポルノは、ロリータ専門アダルトビデオで、彼らの映像を愛するロリータ趣味の持ち主は数多く存在している。

 そして、彼ら全員が、ロリータ趣味を嗜好とする集団なのだ。

 真冬の様な美少女は彼らの格好の獲物となる。

 

 パキり──とガラスが割れると、真冬の脚が震えた。

 割れて響いたガラスの音が足に伝わり、そして脚に突き刺さり、体の真芯を震わせた。

 

 際どいミニスカートのフリルと、黒いニーソックスの間に覗く白い太ももが、僅かに赤みを射している。

 

「真冬ちゃん、期待してるよ」

 ぽんぽんとパンチパーマの男が肩を軽く、叩く。

 すると──

 真冬は、全身に走った異様な感覚に驚き、小さく声を上げた。

 脚の震えが激しくなり、一瞬、しゃがみこみそうになってしまう。

 脚の震えを抑える様に、強く足首に力を込めた。

 眩暈が、真冬に足場が揺らめいた様に錯覚させ、パンチパーマの男の方へと肩が傾いた。

 

 真冬のその様子を見たパンチパーマの男と、全身黒タイツの男達は下卑た笑顔を浮かべた。

 

「おっと、真冬ちゃん、大丈夫かい?どうしたんだい」

 

 真冬とパンチパーマの男はかなりの身長差がある。

 真冬は、120センチ──

 パンチパーマの男は凡そ190センチだ。

 真冬を支える為に男は僅かに腰を落とし、その細い肩を抱き抱え、背中に手を回した。

 

 ぞくりと背中に氷が押し込まれた様な感覚に、真冬は、反射的に仰け反った。

 息が上がっている様な、未知の感覚に戸惑う。

 疲れや、ダメージは無い──だが、それらと異なる明らかに不可思議な感覚が全身を襲っている。

 布越しに触れられているだけで、体の痺れと震えが治まらない。

 

“あぁ、そうか──”

 ──毒だ。

 

 二階の一室に入ると、窓は板で打ち付けられていた。

 外から見えないようにするためか、それとも窓から逃げ出させ無いようにする為か。

 

 桃源郷時代から使われていたが、打ち捨てられ薄汚れたベッドの上には、見るからに怪しい道具が散らばっている。

 その中で、真冬の知識の中に有るものは手錠だ。

 ベッドの横にある小さなテーブルの上には注射器と錠剤が入った瓶、薬包紙も見えた。

 

「それじゃあ、真冬ちゃん、電マ人間ローターックル軍団とゴスロリヒロインの撮影会といこうか」

 丸坊主の男が告げると、荒い息を吐く真冬の顔を、ロン毛の男はカメラに収める。

 普通なら、女児が見せない様な表情である──男達に取って最高の画がそこにあった。

 

「向こうに座ってねぇ」

 パンチパーマの男がベッドへと促す。

 全身黒タイツ男の一人がベッドの横に控えており、真冬がベッドに近寄るや、真冬へと右手を伸ばした。

 左手には手錠がある。

 

 下卑た笑みを隠すような猫撫で声で、優しげな顔を見せていた男達だったが、豹変した。

 黒タイツ男は乱暴に真冬の左手首を掴むのだった。

 

 ここに連れ込んでしまえば、逃げようが無い。

 優しい顔など不要なのだ。



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第三章 其の五 男優

 石炭の塊を金剛石(ダイヤモンド)に変えてしまう10万気圧の(と言われる?)握力──

 握力計では計れない、本気で固められたなら、拳がブラックホールと化してしまう(様な)超握力──

 青竹を簓にしてしまい、更には人体で素振りを可能とする人並み外れた握力──

 

 

 握力と聞いて、まず思い出すのが、この三つの生きた伝説だろう。

 そして、それは絵空事では無いのだから、超肉体の持ち主である化け物達は恐ろしい──

 言わずと知れた──

 二代目 野見宿禰

 花山組組長 花山薫

 稀代の超剣豪 宮本武蔵

 ──この三人の話だ。

 

 ──彼ら三者の握力を語らずして握力は語れない。

 そんな超握力を持つ三人の男が存在している。

 

 そして、この──ロリータ専門アダルトビデオ制作チーム“四十八手章治郎”の黒タイツ男『電マ人間ローターックル』の一人“ジェロニモン・富士岡”の握力は、確かにこのような超握力の化け物達と比べたなら、ちょっとした人外止まりであろう。

 とは言え、人間の枠組みで考えられる握力ではない。

 花山薫の握力は、握力計で計れない。

 ──のだが、それは富士岡の握力も同じである。

 

 富士岡は、人骨を肉体もろともに握り潰せるのだ。 

 その尋常ではない握力、ひいては腕力に彼が気付いたのは、いつだったか──

 

 ──富士岡は、沖縄琉球街の一角に存在する歓楽街、初町で生まれた。

 しかし、その出生がそもそも恵まれた物ではなかった。

 母親は日本人であるが、父親は在日米軍のアメリカ人だ。

 初町の安キャバレーに勤めていた母親は、ある夜、客として店にやってきた米軍兵の男と出会った。

 

 軍人と言っても、まともな人物では無いその男は、国では窃盗や傷害で何度も警察の世話になるような男だったのだ。

 女絡みでもだらしが無かった。

 

 初めは羽振りの良い上客を演じていた。

 高官を気取り、安キャバレーで働く女を巧みに口説いていく。

 しかし、当然遊びでしか無い。

 ジェロニモンを身籠った頃には、既にアメリカ軍人は、早々に国の方へと引き上げてしまっていた。

 いずれは共に国へ戻ろうと言ってはいたが、嘘偽りでしかない。

 そんな──父親が居ない状況で、ジェロニモンは産み落とされたのだ。

 

 貧しい暮らしを強いられるジェロニモンは、周囲の子供からも浮いていた。

 そんな生活の中で、11歳になる西暦1971年のある日、更なる苦境に立たされる事となったのだ。

 

 あだ名を付けられた。

 “ショッカー”と言うあだ名である。

 その年から放送が開始された、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』に登場する悪の秘密結社の名称だ。

 何故、ショッカーなのか──

 ジェロニモンの父親は黒人で、当然その血を引いたジェロニモンは日本人離れした黒い肌の色であった。

 ショッカーの戦闘員は全身を黒タイツで覆っている。

 ──つまりは、そう言う事だ。

 

 しかも不運なことに漢字こそ違うものの、ジェロニモンの名字が、仮面ライダーの主演俳優と同じ読み方だった。

 そうした事が重なり、クラスメート達はショッカー戦闘員を見て、ジェロニモンを連想してしまったのだ。

 正確にはショッカー戦闘員と呼ぶべきだろうが、それでは長すぎる。

 ショッカー辺りが呼びやすく、からかうのにも適切な短さとなる単語だった。

 

 最初は番組を観ていたごく少数が言い出しただけだ。

 だが、人気番組となった特撮テレビドラマは視聴していない子供の方が僅かとなり、当時の子供達の殆どが観る様になるにつれ、クラスメート中にそのあだ名は、パンデミックの如く拡がって行くのだ。

 この時分の子供なら、大概最初は、軽い冗談で付けたあだ名が虐めへと発展していくのだろうが、性質《たち》の悪い事に、ショッカーと呼び出した子供はジェロニモンを、最初から虐めのターゲットに仕立てるべく、あだ名した事だ。

 

 ──ライダーキック

 二人掛かりで、ジェロニモンを蹴りつける。

 まだ、仮面ライダーが1号2号と二人居ない時の話だった。

 それでも、悪役を一人用意する事で、ごっこ遊びの要領で虐めを助長出来たのだ。

 

 ジェロニモンは現在、身長が198センチメートルで、体重は105キログラムある。

 アメリカ人の血を引いている彼は、小学生の頃から他の児童よりも大柄だった。

 ジェロニモンへの虐めを焚き付けた少年──賢太郎はこの大柄なジェロニモンを一人で虐めることには手に余った。

 ──故に、大勢で虐める手段を思い付き、それに至ったのである。

 

 小学五年六年と虐めは続いた。

 そして、中学に上がる頃には多少の変化が見られた。

 ジェロニモンは、より背丈が高くなり、筋肉が厚くなり大きくなった。

 特別、何か運動や格闘技をやっていたわけではない、天性の物だったが、同学年の誰よりも、教師陣といった大人よりも余程巨大であった。

 

 男子生徒からは未だ虐めのターゲットだったが、その容姿から女子生徒達に人気が出始めたのだ。

 ショッカーと呼ぶ女子生徒は居なくなり、寧ろ、その外見的な黒人特有の格好よさが功を奏したのか、来日し日本で試合した事が記憶にも新しい、名プロボクサーである『モハメッド・アライ』と重ねられ、モハメッド二世等と呼ばれ出したのである。

 無論、モハメッド・アライとジェロニモンには何の関係もなく、後々来日し範馬刃牙や愚地独歩達と死闘を繰り広げるアライJr.との因果関係は存在せず、女子中学生達が好き勝手にあだ名を付けただけの話である。

 

 そして、女子に人気が出る。

 それは──ジェロニモンの周囲にとって良い変化であると同時に──男子からは一層煙たがられる要素となっていくのだった。




原作バキの西暦設定と矛盾がある西暦表示となっている可能性があります。
モハメッド・アライと、彼のモデルとなったプロボクサーが日本で初めて試合をした西暦や猪狩との試合をした西暦が必ずしもイコールではないかと思いますし、
今後、この二次創作に、もし、アライJr.が登場した場合、年齢設定に矛盾が生じます。
今後、刃牙の年齢等にも矛盾が出てくるかと思います。
申し訳ありません。


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第三章 其の六 過去

 

 琉球街──

 古めかしい商店街にある公設市場の二階──

 

 中学に上がると、ジェロニモンへの虐めは、加速度的により酷い物へとなっていった。

 その一番の切っ掛けは、女子から人気が出た事が原因として挙げられるのだが、それに加え、この現場を目撃されたからだ。

 

 何て事は無い。

 ──同学年で人気がある女子から告白されていたのだ。

 虐めのターゲットに向けて、更なる妬みの念が加わった瞬間である。

 

 そして──

 ジェロニモンの性的欲求が、歪にねじ曲がる要因へと進展してしまったのだ。

 いや、もしかしたら、ねじ曲がったのではなく──それこそが彼の本性だったのだろう。

 それまでは、心の奥底に在りながらも、異質で歪な蛇は、鎌首を擡げる事なく眠っていただけなのであった。

 

1.  ゴブリン春日、ジェロニモンを語る

 

 取材だぁ?

 俺はもう、プロレスラーでも無いんだぜ?

 そんな俺に何を聞きたいんだって。

 ──あぁん?ジェロニモン・富士岡?

 

 俺の事聞きたい訳じゃあ、ねぇのかよ。

 ……まぁ、良いさ。

 取材料、気を利かせてくれりゃあ、吝かじゃねぇぜ。

 ──ゆうえんちにまた入りてぇしよ。

 

 あぁ、ジェロニモンな。あいつは俺の後輩だったよ。

 勿論、プロレスの。

 俺が、極東(きょくとう)プロレス立ち上げる前、マウント斗羽の大日本プロレスん所に居たときの後輩だよ。

 まだまだガキみてえな(つら)してたっけな。

 故郷(くに)出たての芋臭ぇ奴だったよ。

 あいつを連れてきたのは大日本プロレスのスポンサーだった藤木組の極道(もん)でな。

 故郷の沖縄で色々やらかして、上京──

 その後、暫くは藤木組で世話になってたそうだぜ。

 

 外人の血を引いてるからか体格(ガタイ)の方もスゴくてな、パッと見、斗羽よりでかく見えちまったんだ。

 いや、勿論、ほんの少しばかりだが、斗羽の方が背は高いぜ。

 斗羽は209センチだからな。

 あいつはあいつで、200センチはあったか。

 ──でもなぁ、初顔合わせン時、それよりも、ずっとでかく見えたんだなぁ。

 

 ──故郷出てきた理由?

 

 奴さん、向こうでも極道者と関わりあってな。

 極道者と繋がる切っ掛けが傷害だったんだよ。

 

 ──自分の女、輪姦(マワ)した同級生を半殺しよ。

 虐めの一環だったみてえだな。

 夜に学校へと呼び出されてよ、強姦の真っ最中を見ちまったんだ。

 ──あぁ、わざわざ見せつけるため呼び出したんだよな。

 そんで──あいつはキレた。

 

 レイプ現場だった教室が、一気に惨劇の場所に早変わりだ。

 相手は八人いたそうだけどな──ジェロニモンにとっちゃ何人いようが関係無ぇ。

 教室にゃ、夥しい鮮血と一緒に肉片や骨が飛び散ってたそうだぜ。

 

 こいつは、奴さんが中1ン時の話だ。

 やべぇよな。

 で、補導──

 ──は、されなかった。

 匿われたんだよ、沖縄の極道組織『琉道(りゅうどう)一家』に。

 で、一年程度、琉道一家に世話になってから本州にやってきた。

 

 上京してからは藤木組に拾われて、斗羽ん所に紹介されたって訳だ。

 あいつも半分外人だけどよ、当時の大日本プロレスは言うことの聞かねぇ、跳ねっ返りの外人レスラーがいっぱい居てよ。

 俺はそいつらを制裁するポリス役をやってたんだ。

 ワケの分からねぇ輩が道場破りの真似事してくる事もわりとあってな──

 そんな輩や外人レスラーを叩きのめす番犬役として、藤木組の極道(もん)はジェロニモンを連れて来たんだよ。

 

 あいつは半分外人の癖に外人嫌いでよ──よく働いてくれたもんさ。

 ヤバかったよ。

 ブックのねぇ、あいつの試合、いや、喧嘩は──

 

 兄ちゃん、信じられるかい?

 ──掴んだ腕の骨ごと握り潰す握力

 辞書をつまんで引き千切るピンチ力を──

 そう。

 ──教室の肉片や骨片は、その化け物染みたクラッシュ力が為せる技だった訳だ。

 番犬になってからも、そいつは遺憾無く発揮されてたよ。

 

 身の上聞いてからは、俺も妙に情が湧いてな、可愛がったもんさ。

 ──でもな、あいつ大日本プロレスを追い出されちまった。

 女癖の悪さが目立ってな。

 いんや、単なる女癖の悪さ位じゃあ追い出されねぇよな。

 

 試合で外人レスラーぶちのめした時に限って、あいつは、妙に興奮しててよ。

 そんな時は街に繰り出すワケだ。

 神室町の風俗通いは日常だったんだがよ、興奮してどうしようもない夜は、あいつの性欲はヤバい方向に向けられちまう。

 中房ン時にてめえの女、レイプされてるの目撃してから、なんかやべえもんに目覚めたのか──

 あいつは、神室町で夜遊びする女や風俗女を強姦して回ってるんだよ。

 あれな──世話になってた琉道一家をな、出る切っ掛けも強姦事件だったくらいだした。

 しかもよ、犯っちまった女が東城会幹部の情婦(イロ)でな。

 藤木組としても、斗羽にしても置いておくわけにゃいかなくなった。

 ほらよ、あれだ。

 後々藤木組は源王会との抗争時に、近江連合から突っ突(つっつ)かれねぇ様、後ろ楯にする為、東城会と盃交わしてるだろ。

 神室町でも、藤木組と源王会の抗争がよく見られた時期があったよな。

 そんな抗争以前から藤木組は、東条会との仲を悪くしたくなかったんだろうな。

 

 ──それからあいつがどうなったかは、俺は知らねぇ。

 もしな、そんなことがなけりゃあ、俺の極東プロレスにも誘ったんだがなぁ。

 

 ──でもよ、兄ちゃん、何でジェロニモンの事なんか聞きたがったンだい?

 あ?當之(たぎの)真冬?

 そいつの伝記本執筆してる?

 そんで、そいつが九歳程度の頃からの、過去に対戦した相手の記録も追って、取材してると。

 ──オイオイオイ、誰だよ、そいつ。

 ──あ?武術省から海王相当に認められた中国拳法会初の女にして(オーガ)の娘だぁ?

 

 なんだそいつぁ、やべえな。



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第三章 其の七 怪人

 

 例えるなら──

 ──鉄球

 ──超一流の“ハンマー投げ”選手が

 ──金メダルを狙う勢いで、鉄球を振るいながら入室して来た様な

 ──身の危険

 

 そう静かに(うそぶ)いた男は、當麻蹴速(たいまのけはや)だ。

 勿論、遥か神話の域にある歴史の中に、名を残す()の人物の事ではない。

 現代日本に生きる蹴速である。

 そしてこれは、その目で──脳で──全細胞で感じ取り、凄まじい衝撃を覚えた人物、地上最強の生物についての印象を、徳川光成へと向けた返答だった。

 

1.

 真冬の細い腕を、口元も開いた黒い目出し帽を被った全身黒タイツの男が掴んでいる。

 嘗て“大日本プロレス”のプロレスラーであったジェロニモン・富士岡だ。

 宛ら、肉食獣が獲物に食らい付く、そんな速度でジェロニモン(以降零号)は、真冬の左手首を捕らえていた。

 

 無数のアナコンダを束ねたような太い腕が、真冬を引き抜く様に持ち上げた。

 真冬の体重は20キログラム程度だ。

 零号の腕力をもってすれば、重さを感じる体重では無い。

 

 真冬は小さく、呼気が洩れる様な悲鳴をあげた。

 廃墟の闇の中へと、悲鳴が溶けていく──

 それは、恐怖や苦痛からの悲鳴ではなかった。

 手首を掴まれる。

 肌の触覚に異常がある──と、真冬は考えた。

 ぞわりとした、奇妙な感覚に身体が震える。

 本来ならば掴まれた瞬間に──中指に繋がったアラミド繊維と連動している、バネ仕掛けの超小型の弓とも言える暗器“袖箭(しゅうせん)”を操作し発射していただろう。

 だが、ゴスロリ服の袖越しに掴まれた左手首……零号の握力に圧されそして、布が肌に触れ擦れ──真冬にとって、耐え難い不可解な感覚が手首から全身に波紋のように拡がり、腕から一切の力が失われ身体が痺れた。

 故に発射の操作が出来なかったのだ。

 

 一瞬、足が床から離れた真冬だったが、浮遊感を覚えたとほぼ同時に、背中からベッドに落とされた。

 ベッドは、今でこそ薄汚れダニでも湧いていそうな代物だったが、本来は質の良い物だ。

 故にベッドのマットは柔らかく、衝撃事態は痛みも無く大したことは無かった。

 

 しかし、荒くなりつつある呼吸のせいで、舞い上がった埃を吸い込んだ。

 すると、普段なら何でもないが、感覚が何倍も敏感に研ぎ澄まされているからか、それだけで咳き込んでしまった。

 

 衝撃は軽いとは言え、ベッドに放り投げられるかのように叩き付けられた為に、ゴスロリミニスカートが捲れてしまい、白いドロワーズと透明の様な血管が透けて見える程に白いアルビノ肌の太股が露となっていた。

 細く伸びた脚には白いフリルとレースがふんだんにあしらわれた黒いニーソックス。

 そこには白と黒のゴシック&ロリータの小さな花が咲いている様だった。

 

 故に、零号の情欲がそそられる。

 ──小さい花を踏みにじり散らしたい、そんな暗い炎が目に宿っていた。

 

 乱れたスカートの裾を直そうと上体を起こし、右手を伸ばそうとした真冬の左手を、零号が引っ張る。

 

 再び仰向けにベッドへと真冬が倒れると、彼女の右手を別の目出し帽タイツ男──電マ人間一号が掴んだ。

 零号と一号により両手を封じられる。

 

 続けて、もう一人の電マ人間二号はスカートを更に捲り、左足首を掴む。

 

 真冬がこの元高級ソープランド“桃源郷”の一室に足を踏み入れた際、注射器を弄りながら真冬に媚薬入りビールを飲ませたのが一号で、電動式マッサージ機やピンクローターなどの怪しげな器具を点検していたのが二号である。

 

 パンチパーマの男──森本はビデオカメラを構え、撮影を開始する。

 まずは足元、そして、ビデオカメラはゆっくりと真冬の脚を映していきニーソックスに包まれた膝元まで上がっていく。

 捲れたミニスカートとドロワーズをレンズは捉え、徐々に近付き、また引いていく。

 

 ロン毛のカメラマン──野木は持っているカメラのシャッターを切り続けていた。

 真冬は、こんな状況下にあっても、いつもの虚ろで幽霊のように気迫な表情と様子を崩していない。

 恐らく、真冬を知るものならいつも通りだと思い、真冬を知らない者なら“心を壊しているのか──恐怖を感じていないのか”と不気味に思うだろう。

 だが、野木は真冬の変化に気付いていた。

 緩やかながら、荒い息──

 薄く赤色よりも桃色に近い、紅潮した白い肌──

 ──見える範囲の肌は汗ばんでおり、熱を帯びている。

 瞳は潤み、真冬は自身の身体の変化に戸惑い、理解が追い付いていないのだと、野木にはレンズ越しにて、ハッキリと見て取れたのである。

 

 丸坊主の浅黒い男──石坂は軟膏の様な薬品を持ち出し、木製のヘラで小皿に移し練っていた。

 これも媚薬の一種であり、特殊な興奮剤だった。

 先端創薬開発センターと言う様々な最先端医療の薬品を開発する機関で開発された薬品である。

 日本で認可が下りず、研究資料や結果なども全て破棄される予定だったのだが、とある研究者が源王会等の広域指定暴力団に横流しした物だった。

 源王会を後ろ楯に、ロリータ専門アダルトビデオで稼ぎ、源王会が活動する資金源の、稼ぎ頭の一つとなっている彼らだからこそ、その薬品を与えられているのだ。

 

「よーし、電マ人間、撮影開始しようか。真冬ちゃんもね、自由に『演技』してね。シロートなんだから失敗とか気にせずノビノビとねッッ」

 

 石坂が声を張り上げた。



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第三章 其の八 闘士

 

 演技──

 石坂のその言葉に真冬は戸惑った。

 台本などもまだ、渡されていないのだ。

 自由に──等と言われても、真冬には何をすればいいのか、考えもつかないのだった。

 

 それに……

 恐らく、この戦闘員の様な男達に“攻撃をされているのだろう”と真冬は考えていた。

 身体の異変は“毒”だ。

 媚薬と言う存在を真冬は当然ながら知らない。

 

 “毒なら体から排出すればいいだけ”

 

 身体に異変や変調をもたらせる物は全て毒だ。

 真冬は、今よりも幼い頃、鼠やごきぶり等の真っ当な人間なら避けるべき対象となる生き物と過ごしていた。

 

 母親は真冬を疎ましく思っており、ほぼ放置されていた。

 真冬の食事はゴミ捨て場にある生ゴミや等だった。

 それを不潔極まりない生き物と分けあい、口にしていたのだ。

 腐った物もあれば、元より食べ物ではない物体もあった。

 雑草や、公園のベンチの脇に生えている正体不明の茸、果ては蟲なども食べた。

 毒の含まれた植物、茸、ムカデなど毒虫もあったろう。

 

 だが、尋常ならざる免疫力や代謝が、それらの危険を真冬から遠ざけていた。

 ──しかも真冬は、自分でも知らない内に、自然由来、科学的由来問わず多くの毒物、ウィルスなどを体外に排出する技術体系(わざ)を身に付けているのだ。

 

「あ、の……離して下さい」

 何かおかしい──

 真冬は、身体の異常だけでなく、心情的な物もいつもとかなり異なっていると、ありありと感じていた。

 

 羞恥がいつもより強く、カメラを下半身に向けられているのが、嫌で堪らないのだ。

 普段であっても当然羞恥心が真冬にもある。

 ゴミ捨て場での食事は生きるために必死であった頃からの日常で、それは何とも思わない。

 戦闘中に服が破れ、肌が露になろうと、それはそれである。

 ──しかし、例えば人混みの中で無意味に下着を晒せ、などと言われても従わないだろう。

 一般的な少女からはかなりズレた感性であったとしても、それなりの最低限の羞恥心は持ち合わせているのだ。

 

 現在も攻撃を受けていると認識しながらも──スカートの中を撮影されており、そして、それがあのカメラを持つ男の目的かと思えば羞恥心と不快感が沸き上がるのだ。

 これは本当に戦闘なのだろうか。

 そんな疑問もあった。

 

「離すわきゃあねーだろうがよォッッ」

 絶叫の様な笑い声と一緒に、真冬の頬に拳を振り抜く一号。

 喉が鳴るような呻きに交ざる息を、真冬は吐き出した。

 一号はその打拳とほぼ同時にベッドへと飛び乗り、膝を真冬の右腕に落とした。

 一号の体重は100キログラムに近い。

 ──膝を落とした後、その体重が真冬の右腕に乗りかかったのである。

 

 腕に激痛が走った──その刹那だ。

 

 脚を掴んでいた二号が、もう片方の手で太股の内側を撫で上げる。

 そして、撫でるのを止め、先程点検していた器具のスイッチを入れた。

 棒状の先端に丸みがあり振動している、一見すれば、機械的なコケシだろうか。

 ──電マ人間の名を冠するに相応しい、彼らの武器だ。

 それを、二号は石坂に投げ渡す。

 

 軟膏の様な薬品を練る石坂の視線はそちらに向いていた筈だが、ふいに投げられた電動こけしを、ヘラを持っている手で受け取った。

 目を見張る程の反射神経だ。

 単なるアダルトビデオのクリエイターではない、一方(ひとかた)ならぬ身体能力の持ち主なのだろう。

 ロリータ専門アダルトビデオ制作グループ“四十八手章治郎(しじゅうはってしょうじろう)”の背後には源王会が有るとは言え、石坂自身は一応カタギだ。

 勿論、真っ当な人間とは言えないのだが。

 ──蒼天堀川にある、闇社会の闘技場『無尽闘宴※1』で拳を奮う現役の闘士でもあった。

 

 石坂は、近江連合や源王会からの依頼で、代打ちと言う試合を行ったりもする。

 代打ちとは、つまり賭け試合に参加する代理の事だ。

 金銭や不動産、極道組織同士の利権を賭けて格闘試合を行うのだ。

 若い頃の愚地独歩もそうした賭け試合の代打ちを経験しているし、組長である花山薫などは本来は代打ちを手配する立場なのだが、代理を立てる事無く自らが賭け試合で拳を奮っている。

 

 石坂はそうした賭け試合を60戦、闘技場での通常の試合を80戦以上の参加経験があるベテランだ。

 プロの格闘家や極道の喧嘩自慢を相手にし、真冬が嘗て苦戦した、同じく代打ちのベテランとなる大相撲の横綱“蒙将龍(もうしょうりゅう)”、更には、件の若かりし頃の愚地独歩が試合した宗内厳とも、試合を行った事がある。

 まだ代打ちを始めて数戦の馴れていない頃の話とは言え、宗内が敗北した数である三回のうち一度は石坂との試合なのだ。

 この試合で石坂は源王会に神室町のビルを二棟もたらす事となり、源王会の幹部達の覚えも良くなったのだ。

 ──通常の試合での敗けは幾度かある。

 ──が、代打ちでの敗北は僅か二度。

 それらの事もあり、近江連合や源王会にとって信頼のおけるカタギであった。

 

 石坂はベッドへと歩み寄り、真冬を見下ろす。

 真冬は、両目を瞑り、深く息を吐いている。

 

 その吐いた息が石坂には“黒く”見えた。

 勿論、吐息に色など付いている筈が無い。

 しかし、その幻視は、石坂もまた恐るべき達人であるから見えたのだろう。

 

 ──確かに、真冬は黒い息を吐いている──そうしたイメージを真冬は、脳裏に描いていたからだ。




※1
『龍が如く 0』ゲーム本編での無尽闘宴は試合のルールの名前ですが、当二次創作では、闘技場の名称としています。


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第三章 其の九 黒い息

 パンチパーマの男、森本はその髪型からも想像出来るが極道者である。

 パンチパーマ即ち極道とは安直かも知れないが、森本自身極道に憧れ、源王会と盃を交わす前日に気合いを入れる意味合いも込めてでパンチパーマにしたものだ。

 若い頃から喧嘩自慢で、小学校の時に初めて補導された。

 中学時代は登校することは稀で、蒼天堀に脚繁く通っては、喧嘩に明け暮れたのである。

 

 転機が訪れたのは、1988年の頃となる。

 蒼天堀川に掛かる毘沙門橋を北に向かい、蒼天堀通り西にある高級店キャバレー『グランド』での出来事だ。

 

 ここで、グランドの支配人である眼帯の男に喧嘩を売り、人生初の敗北を知ったのだ。

 キャバレーの支配人とは言え、眼帯だ。

 見た目からしてカタギとは思えない。

 極道だろうと、森本は考えた。

 眼帯の男の強さに憧れた森本は、ただ街で闇雲に喧嘩をし、単純な暴力を奮うだけでなく、極道になり、より強者と拳を交えることが夢となった。

 ──その眼帯の男とは誰あろう“嶋野の狂犬”の異名で呼ばれる真島吾朗その人である。

 無論、真島吾朗と言えば東城会に所属している人物であったが、源王会あるいは近江連合の極道と勘違いした森本は、源王会の門戸を潜り、盃を交わす事になったのである。

 源王会入りし、真島吾朗とは会えず仕舞いだったとは言え、極道としての活躍も目覚ましかった。

 藤木組内花山組との抗争などで、幾人もの組員を打ち破った物だ。

 抗争当時の花山組組長“花山景三”とは残念ながら直接の対決は無かった。

 しかし、命こそ奪えてはいないものの藤木組の幹部を一人仕留めている。

 現在は、五代目藤木組No.5統括委員長であり、当時も藤木組の幹部だった長尾竜臣(ながおたつおみ)──

 顔面傷だらけの彼だが、特に目立つのは鼻が無い事だ。

 長尾竜臣のそれを奪ったのは、この森本である。

 無造作に、もぎ取ったと言うのだから、恐ろしい。

 

 ロン毛の男、野木は、極道ではない。

 この中では比較的若い部類に入る彼は、所謂“反グレ”である。

 野木は極道に入るのは面倒だと考えていた。

 極道には、多くの縛りがある──上下間のしがらみがある。

 それは彼にとって面倒事でしかない。

 極道者の使いっぱしりはする。

 極道と付かず離れず、そうしながらも甘い汁は吸わせて貰おうと考えているのだ。

 だが、そんな打算的で小狡い彼も、カタギでありながら腕力的にかなりの化け物だった。

 極道である森本やジェロニモン、源王会に覚えの良い石坂と極道社会に関係する者とつるんでいるだけあり、野木はカタギであっても、当然源王会に顔が利く。

 

 野木が極道者の間で名が広く知れ渡ったのは、源王会が近江連合とある酒宴があった時の事だ。

 元々、腕力自慢である程度知られていた彼は、その会合に、余興として呼ばれる事になった。

 彼を呼んだのは、“五代目近江連合直参千石組”組長『千石虎之介』である。

 近江四天王の一人で、西の極道組織の大物だ。

 

 酒宴の席での余興──

 それは、千石虎之介が用意した猛獣との試合だった。

 千石虎之介はペットとして虎を二頭飼育している。

 しかし、この時はその虎との試合では無かった。

 ──(ヒグマ)だ。

 しかもただの羆では無い。

 羆は、巨大な物でも3メートル弱だ。

 千石虎之介が北海道から取り寄せたこの羆は、体長5メートル体重1.5トンの化け物だったのだ。

 北海道には、ヤマオロシと言う名の人食い熊の伝説がある。

 千石が用意したこの羆も、そのヤマオロシには劣るものの恐るべき巨大熊であろう。

 

 野木はこの余興に参加する様に千石に命令された。

 普通ならこんな無理難題を吹っ掛けられてもどうしようもない。

 が、野木は羆を前にしながら事も無げに、倒したら幾らくれるのか──と、千石に言ってのけたのだ。

 千石はその野木の言葉に心底喜び、二千万円を提示した。

 ──そして、野木は見事に二千万円を手にしたのである。

 

 その二人、森本はビデオカメラの野木はカメラの──それぞれのレンズ越しに真冬の“黒い息”を目の当たりにした。

 その異様な光景に、レンズから目を離し肉眼で真冬を見る。

 それでもやはり、真冬の吐く息が黒い。

 呼気に色が付いている。

 冬に息が白くなることは誰にでもある。

 しかし、黒い息など聞いたこともない。

 

 いや──裏社会に身を置く者なら何度も耳にする男がいる。

 それは黒い漢だ。

 髪も肌も着ている服も靴も下着も全身が黒い。

 その男は声や思考、流れる血液さえ黒くても不思議ではない男で、息までも、見るものに黒く思わせた。

 

 暗器の重明──

 久我重明である。

 

 一見して、石坂、野木、森本は真冬の黒い息から、その名前を連想した。

 零号ことジェロニモンもだ。

 だが、現実問題として息が黒くなる筈が無かった。

 この現象は余りにも奇妙であった。

 見間違いか。

 二度三度とレンズ越しにと肉眼でと、見直すがやはり真冬の吐く息は黒かった。

 

 その時だ。

 黒い息が掻き消えたのだった。

 何が起きたのか。

 黒い息に気付いていない二号がドロワーズに手を伸ばしたのだ。

 

 ──なまじ、この奇妙さに気付いた故に、四人は、戸惑いを隠せず、動きが鈍ったのであるが、却って、この奇妙さに気付いていなかったことが二号の幸運だったのだろう。

 

 ドロワーズ越しに、真冬の陰部を探るように、二本の指でなぞり、擦り、掻いたのだ。

 この行為が、真冬の黒い呼気を打ち消したのである。

 勿論、まだ黒い息の正体が解らぬ彼らにその相互関係を意味することまでには思い至っていないのだが。

 

 黒い息の代わりに、真冬の口から吐き出されたのは嬌声だ。

 断続的に吐き出される吐息に混じり、九歳の幼女の嬌声が、ロリータ専門アダルトビデオのクリエイター達の耳に届いた。

 ──黒い息を阻んだのは偶然の産物だ。

 

 二号は真冬の左足首を掴み、ヘラヘラ嗤う。

「石坂さん、このロリ、良い声で鳴くっすねぇ」

 

 石坂もまた、気を取り直したのか、電マを真冬に近付けた。

 左足首を掴まれた真冬は、脚を広げられ逃れる術がない。

 振動音を立てながら迫るその脅威だが、真冬自身はそれが脅威なのか理解は出来ていなかった。

 

 ──それが、真冬の幼い陰部に宛がわれるまでは。



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第三章 其の十 荒い息

 

 ──ドロワーズと少女用の薄いショーツと言う、僅かな布二枚程度、それで隔てられていたとして、何ら守りになる訳でもなく、強烈な震動が真冬の陰部に襲い掛かった。 

 ドロワーズは本来下着であり、その下にショーツを履く様な事はない。

 だが、それはあくまでもドロワーズが婦人達に普及した時代の事で、真冬のようにゴシック&ロリータをある種のコスプレとして身に纏う場合は異なり、ショーツを履くこともある。

 特に真冬は、ドロワーズを履いてるのもあくまでゴスロリを着るときに、それが可愛らしいと思い身に付けただけで、詳しい着こなしを知っている訳ではないのだ。

 

 二号は先程ドロワーズ越しに陰部を弄り、真冬がドロワーズとショーツを二重に履いている事に気付いていた。

 

 真冬の両足がガクガクと震えた。

 だが左足首をがっしりと捕まれているため、強烈な衝撃を逸らしたくとも、逃す事が出来なかったのである。

 

 この衝撃は何だろうか──

 双眸が大きく見開かれ、真冬は、何度も何度も(かぶり)を振り絶叫する。

 声が、枯れんばかりの悲鳴だ。

 それが苦痛に依るものでは無いことに、うっすらと真冬も気付きつつあった。

 

 ザワザワと無数の虫が全身を這い回している、そんな錯覚が下腹部からじわりと拡がるのだ。

 痺れるように、おぞましくも甘い──

 

 痛みなら耐えられるだろう。

 耐え難い、下腹部に至る衝撃が真冬を恐怖させた。

 如何様に声を上げたとしても、それが外に漏れることは無い。

 ここは防音設備も行き届いた、嘗ての高級ソープランドなのだ。

 

 激しく、左右に仰け反る様に振られていた頭部だったが、それを零号の巨大な掌が押さえ付けた。

 (かぶり)を振るのも衝撃を散らしたいと言う、本能から行っていた事であったが、それさえも封じられ、陰部で暴れる衝撃が、防波堤を打ち砕き荒波の如く押し寄せて来るように真冬は感じた。

「いや……はなし……て……お願い」

 腕を動かそうと、必死に試みる。

 が、零号が左手首を締め上げる様に掴み、一号の全体重が右腕に乗り掛かり動かせない。

 単純な腕力で、真冬が勝てるわけが無いのだ。

 一対一ならばカツアゲ坊主との死闘の様に技術で勝り、互角以上に持ち込めた。

 しかし、この男達は皆がみな、化け物である。

 僅か九歳の幼女である真冬、そんな彼女が、一人一人が化け物と称される男達に複数掛かりで、一度組み敷かれてしまえば、後は絶望的な結末に陥るのは当然だったろう。

 まず、失敗は媚薬入りのビールを口にした事だ。

 

 恐らく真冬は油断していた。

 慢心とまでは行かないが、賽の川原で“他人から与えられる”事に甘えてしまったことが、こんな油断を生んでしまったのである。

 賽の川原でミチやモグサと出会う前の真冬ならば、他者からビールを貰うような事は間違ってもありえ無かった。

 優しさに触れてしまった事が、真冬の研ぎ澄まされていた天性の野性的勘を鈍らせてしまったのだろう。

 

 その中で真冬の口からひゅっと更に息が詰まるような、呼吸が溢れた。

 耳元に、零号の荒い息が届くや、それと同時に濡れた舌が、耳輪から耳朶をなぞり、耳甲介へと舌先が侵入したのだ。

 そして、歯を立てた。

 

 延々と続く振動と、突然襲い来る異なる刺激。

 押さえ付けられ、身動き一つ取れない真冬に出来ることは、絶叫と嗚咽だけだった。

 

 更に、振動が送られて来るだけでなく、電マを執拗に強く、抉り込む様に押し付けられ、真冬の腰が大きく跳ねた。

 動かせるのは腰だけだったからか。

 しかし、何れだけ腰を捻ろうと、避けようとしても意味が無かった。

 

 羽毛の軽さ──

 刃を羽毛に降り下ろしても斬られる事はない──

 真冬が得意とした消力(シャオリー)──

 そうした技術が、ここでは意味を為さない。

 回避も、受けも、受け身も関係無い。

 電マを陰部に押し当てられる──たったそれだけの事を強いられるだけで、真冬が築き上げて来た一切の防御技術は意味を失っており、ただ泣き叫ぶ事しか出来なかったのだ。

 

 零号と一号は、そこで真冬の腕から抵抗する力が弱まり、いつしか反発する様に微かな動きさえ止まった事に気付いた。

 それは二号も同じだ。

 

 石坂は、二号の目配せで一瞬真冬の陰部に宛がっていた電マを離した。

 それに合わせ、待っていたかの様に二号の右手がドロワーズに伸びる。

 そして、ゆっくり、ゆっくりと、ずり下ろして行くのだ。

 完全に脱がす事はせず、ドロワーズを掴んだまま、ショーツを露にするのであった。

 そんな真冬の姿を、ロン毛がカメラを向け何度もシャッターを切る。

 

 石坂は、ショーツ越しに真冬の秘裂を、太い指先で引っ掻く様に擦る。

 親指で探るのは真冬の幼い陰核だ。

 蕾よりも小さな、その突起だったが、それでも確かに石坂の親指は探り当てていた。

 態とらしく探るように蠢く指は、邪な蛇の舌が舐める様に、気味の悪い蛞蝓が這い回るように、真冬の陰核を撫で回した。

 指先でショーツ越しに弾く。

 

 それだけで、済ますことは無い。

 石坂は涙で濡れた真冬の顔を、薄ら笑いを浮かべながら眺め、一気にショーツを下ろした。

 ヘラで練られていた薬品が出番を待っていたが、ここで石坂は、それを人差し指と中指で掬い、その指を真冬の陰核、陰部へと近付けた。

 塗り込み、皮膚へと染み込ませる様に、入念に刷り込んでいく。

 ヒヤリとした感触と、全身が総毛立つ様な悪寒が真冬の全身に染み渡る。

「ぃ、ゃあ……ぁ、あ……お願いゆるし……やめ」

 

 それは、真冬を知るものなら、彼女が発した言葉とは思えない程に弱々しく、悲しく、そして淫靡な艶までもが見え隠れしていた。

 

 薬品を塗り立て、陰核を指で押さえ付ける。

 そこで、真冬の口から、今日一番の絶叫が木霊した。

 激痛でも無い。

 真冬自身は理解しがたいが、耐えられないこれは、圧倒的な快楽だった。

 そんな真冬の陰部に、更に、巨大な震動が叩き込まれた。

 電マ人間の誇る電マの最大出力である。

 

 そして──

 それにて、意識が絶たれた。

 眼前に想像を絶する火花が散るや、真冬の意識は暗く澱んだ闇の中に沈んでいったのだ。

 

 これは、真冬にとって明らかに敗北であった。

 意識が混濁し、斬り捨てられる様に分断されたのだ。

 数秒数分とは言えど、意識を失うことは死を意味する。

 つまりは、命を奪われる可能性が高いのである。

 しかし、命を奪われる訳ではない。

 石坂達にとっては真冬の命を脅かす事が目的では無いからだ。

 

 カメラは回っている。

 シャッターは世話しなく切られている。

 

 真冬にとって真の敗北は、これからだろう。

 

 意識が、真冬の内から外へと墜ちた事に、零号達は気付いており──

 零号は手首を離して、そして──

 ゴスロリの上着を脱がそうと、襟元を掴み胸元に手を掛けたのである。

 

 その時だ、零号は苦痛に呻き、舌打ちを漏らしたのだった──



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第三章 其の十一 ゴスロリ暗器

 

 日本最大の歓楽街で知られる『神室町』──その南部に位置している昭和通り。

 千両通りを南下し、昭和通り東に差し掛かる角には、高級ブランドショップ“ル・マルシェ”が店を構えている。

 ジュエリーやブティック、バッグ等、どれを取っても超一級品が揃っており、女に見栄を張りたい社長や役員、代議士、医者と言った社会的地位のある者から、果ては極道者や、ホスト、キャバ嬢など客層も様々である。

 

 西暦2005年──

 クリスマスが過ぎて、いよいよ年末に差し迫って来たある夜──

 “ル・マルシェ”に真冬の姿が在った。

 真冬本人からして、場違い感を否めないのか、何処と無く居心地が悪そうだ。

 いつものように虚ろで、幽鬼の様相を呈している視線なのだが、真冬をよく知る者だったなら、不思議とその目は所在無さげに、泳がせている様にも見受けられただろう。

 

 ──ショーケースに飾られている鞄や宝石類、どれを見ても桁外れの値段である。

 ル・マルシェは外国で人気筋の商品も取り揃えており、ひと昔前には、フランス製の高級な指輪なども店に並べられていた。

 真冬にしてみれば、数十万やら数百万だのと値段を付けられている高級ブランドに、それだけの価値は到底見出だせない心持ちなのであった。

 ──400円ほどで買える赤牛丸の牛丼(並)を貰った方が嬉しいし価値があるだろう。

 

 故に、ここに真冬を連れてきた一人の少女の袖口を軽く引っ張り、退店を促すのだった。

 

 自動ドアの硝子越しに外を見れば、白い雪が舞っている。

 ぽちたろを探さないと──

 ──雪が舞い散る寒空の下で、仔犬が凍えているかも知れないのだ。

 心の内で呟くが、もう一人の少女は、買い物を止める素振りが無い。

 

 少女──

 城之内(じょうのうち)(みどり)は、真冬への少し遅いクリスマスプレゼントを選んでいる真っ最中だった。

 横で見ていて、真冬の目にも彼女が愉しげな様子なのだと、ありありと理解できた。

 真冬もまた、翠の愉しそうな様子を見ていると悪い気はしないから、不思議なものであった。

 こうした気分は、今までの人生で無かった事だ。

 真冬は学校にまともに通っておらずその為同学年の友人はいない。

 そんな彼女にとって、比較的年齢の近い友人は、翠が初めてだったからであろう。

 

「ねぇ、真冬。これなんかどうかしら?真冬に似合うわよ、きっと」

 翠がにこやかに微笑みながら、ネックレスを指差す。

 高価そうなプラチナのネックレスだ。

 少なくとも小学生が手を出せる代物では無い。

「お金の事なら大丈夫よ、心配しないで」

「これは、武器になりますか?」

 

 ネックレスを見て、真冬が連想したのは鎖だ。

 武器にするには、恐らく脆い──

 それが、真冬の感想だ。

「あ、そっか……」

 

 ル・マルシェに来店する前に、真冬と翠はbeamにも寄っている。

 ──そこで真冬がbeamの武器屋から、衣服に武器の様なものを仕込んで貰っている所を、翠は目撃していた。 

 真冬は暗器の達人だ。

 

「こう言うのに、武器を隠してみる?」

 宝石が中心辺りに飾られた、レースのジャボタイを真冬に見せる。

 真冬がゴスロリ趣味なのは既に知っている。

 これなら、真冬の趣味にも、今も纏っている衣服にも合ってるし、暗器を仕込む事にも適切だと考えたのだ。

 

 ──そして、今度は天下一通りの裏通りにいるワークス上山の元に向かい、刃物をジャボに隠匿する様に改造して貰ったのだった。

 レース生地の裏に薄い剃刀。

 ただの剃刀ではない──これは、髭を剃るための物でなく、人体を斬り付ける為の刃だ。

 それは剃刀に擬装された、ある種の、ナイフである。

 チタンの刀身にカーボンでコーティングされている、その特殊なブレード部分のみを購入したのだ。

 それを六枚──

 段々になっているレースとフリルには、娥媚刺(がびし)のような細く長い針を五本一組を4セットをフリルごとにも縫い付けた。

 真冬が隠し持っている別の物よりも細い。

 非常に軽く、手に持ち刺す事も投擲にも適しているだろう。

 通常の娥媚刺と異なるのは、指を嵌めて手持ちとなるリングが無い点だ。

 ──ル・マルシェで購入したジャボタイよりもこれらの方が高くついた事は、真冬には秘密だった……。

 

 改造代は負けてくれたのは良心的である。

 上山としても、真冬は上客だ。

 そして、上山も、神室町の裏の界隈で武器商人を営む男である。

 翠の事も知っていた。

 表向きは隠されているが、彼女は、東城会の幹部『柏木修』とその愛人の間に産まれた娘だ。

 金払いは良いだろうし、懇意にすれば東城会の覚えも良くなると思ったのである。

 

「ゴ、ゴスロリ暗器のま……真冬ちゃん、と、い、言ったところですね」

 吃音気味の話し方で妙な渾名を上山は口にした。

「こ、今後とも、よ、ヨロシクです」

「ありがとう、上山さん」

 

 新しい暗器を手に入れて満足そうに笑う真冬に向けて、翠も嬉しそうに微笑みかけていた。

 

2.

 襟元と胸元

 そして、ジャボタイ──

 真冬がここに刃物を隠している理由は二つある。

 いざとなれば、手持ち武器として扱うために取り出し準備することが、隠匿しながらも容易に行えると言う点だ。

 

 もう一つは、暗器として急襲する際の意外性となる事だ。

 襟元に隠していたら、胸ぐらを掴まれた時にその刃が自動的に相手の掌を斬り付ける。

 そうなるように、衣服と刃を改造し、隠匿してあるのだ。

 例えばロシアの死刑囚『シコルスキー』も、剃刀を暗器として同じ様な扱いを(時系列としては未来の事だが)行っている。

 キックボクシングのチャンピオン、ロブ・ロビンソンが彼の襟首を掴み、手痛いダメージを受けていることからも、暗器として有用であり、虚を突く意外性としても優秀だと言う事が理解できるだろう。

 

 そして──

 真冬の胸元を脱がそうと襟元とジャボタイを掴んだ零号の手が、件のロブ同様にズタズタに切り裂かれていたのだ──

 

 零号の手から、滴り落ちた血が香る。

 真冬の鼻腔に、脳に、血の甘さが薫った。

 

 その時だった。

 ──真冬の髪が、零号達の目に見える様にして伸び出したのだ。

 真冬の血流が、速くなる。

 全身を巡る真冬の血液が、人間離れした速度の血流となる。

 まるで、血流の音が聞こえる程に。

 

 零号達は幻視した。

 尋常ならざる真冬の変化を前にして、真冬がまるで不思議なことに『鎗』の如く見えたのだ。

 

 痛みに呻き自身の掌を凝視する零号だったが、そこは切り裂かれているだけでなく、細長い針が突き刺さっていた。



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第三章 其の十二 悪魔的な脳

 

 零号が目にしたもの──

 それは、例えるなら──鎗。

 倒れ臥し、弱々しく息が絶える様に喘いでいた少女の姿は、もはや、そこに無かった──

 

 真冬から現在受ける衝撃、

 例えば、無数の長槍(パイク)を構え陣を組んでいる槍衾(やりぶすま)に、単騎で突撃する様な絶望感である──

 一歩でも近付けば、全身を貫かれる──そんな鋭い気配が真冬から発せられていた。

 

1. 柄本医院にて、ある少女のレントゲン写真を見る

 「やあ、よくお出で下さいました」

 泰平通り西に建つ雑居ビルで開業している、柄本医院。

 その医院の医師である柄本が、一人の男を招き入れた。

 患者の姿はなく、ここに居るのは柄本とその男性だけだ。

 

 診察室と待ち合い室があるが、彼らは診察室の方へと向かう。

 柄本が招き入れた男性は髪が女のように長い。

 一見、ニューハーフかと見紛う美貌だが、その美貌とは裏腹に、衣服を着ていてもその下にある凄まじい筋肉が見てとれた。

 

 如何なるアスリート、プロレスラー、プロボクサー、総合格闘家──それらを遥かに超越する程の筋肉量である。

 巨漢レスラーからして、自身より一回りも二回りも巨大だと、言わしめる程なのだ。

 

 彼の名前は、『(しのぎ)紅葉(くれは)』と言う。

 こう見えて彼は医者であり、柄本の知り合いであった。

 天才的な外科医で、その腕は世界に並ぶものは無いと言われている。

 歩けない者も彼の施術で完治した程だ。

 

「興味深いものって何です?柄本さん」

 鎬は、闇医者の“梅澤”経由で、面白く興味深いレントゲン写真があるから、是非見て欲しいと言われ、この神室町へとやって来たのだ。

 

 梅澤医師も写真を見るため、柄本医院に来たがっていたが、今回は不在だ。

 鎬も本来はとてつもなく忙しい。

 たまの休みさえ無いほどだ。

 しかし、このレントゲン写真は、そんな多事他端な毎日であっても合間を縫って見るべきであると、それほどの価値があるレントゲン写真だと、梅澤も柄本も言っていた。

 

「脳のレントゲン写真でしたっけ?そんなに面白い物なのですか」

「えぇ、これです」

 

 柄本はかなり、興奮気味に見えた。

 それもその筈だ。

 この脳のレントゲン写真は、明らかに異様で、脳外科医でなくても非常に興味がそそられる物だったのだ。

 

「……ふむ」

 

 柄本に促され、鎬は円形の椅子に座る。

 柄本もその隣に座り、シャウカステンを点灯させた。

 灯りの点いたプラスチック板には、既にとあるレントゲン写真が貼られていた。

 

 奇妙な脳のレントゲン写真であった。

 明らかに、人間の脳には見えない。

 それは、鎬も驚愕する脳の写真だった。

 

「どう、思いますか」

「……まるで……悪魔が嗤っているような……不気味な形状と言いましょうか」

 そう答える鎬の頬に冷や汗がつたう。

 この様な脳は、長く外科医をやっている鎬も始めて見る物だったのだ。

 将来的に、同じ様な脳と再び出会う事になるのだが、それはまだ先の話だ。

 

 そのレントゲン写真と比較するように、一般的な前頭葉の写真も貼られている。

 しかし、はっきりとその比較用の前頭葉と異なると理解できた。

 その異様な脳が形作る皺と襞の形状が、何かの顔の様に見えるのだ。

 

「先日、重傷の少女がうちに来まして、その時撮った彼女の脳のレントゲン写真です」

 カツアゲ坊主との死闘の後、柄本医院へと受診にやって来た真冬の写真だ。

 脳に多大なダメージを受けていた為、大事をとって、レントゲン写真も撮って貰っていた。

 

「……何者なのですか……その少女」

「鎬先生も気になるでしょう?」

「え、えぇ」

 

 その脳の持ち主は、若干九歳の少女だ。

「當之真冬と言う少女です。この写真だけでも奇妙な物ですけどね……どういう状況だったのか、骨にも損傷がありまして……」

 

 喧嘩の末に怪我をしたらしく、それの治療のために来たのだと、柄本は説明した。

 しかし、その怪我は、九歳の少女が喧嘩をして負うような物だとは、到底思えない程だったと言う。

 

 まるで、交通事故──

 と、柄本は表現した。

「骨格も内臓も、人のそれとは、全く異なる形状となっているんです」

 骨のレントゲン写真も撮ってある。

 損傷を受けていた内臓もだ。

 

 目を見張るべきは内臓もであった。

 形状──と言うよりはその配置された位置だ。

 心臓を含めて、何から何まで逆の位置、或いは向きなのだ。

 分かりやすい所では心臓は右側である。

 

 骨格も、少女のそれではない。

 小柄な少女でありながら、その体躯に見合った骨の太さではないからだ。

 頸椎は、まるで獣のそれだ。

 骨格もまた、形状からして人間離れした異様なものだった。

 産まれながらに、兵器となることを運命付けられた様な──そんな骨格だ。

 指の骨がまるで、刃物の様にも見える。

 関節も不思議なことに本来曲がるはずがない、まるで、逆関節のような接続でありながらも、一般的な関節も同時に共存してある。

 恐らく、まともな対人体を想定した関節技は、ほぼ無効にしてしまうのでは……と鎬は思えてしまうのだ。

 

 言うなれば

 ──天然戦闘用人体

 少女の肉体はそうとでも呼ぶしか無いような異常な物だったのである。

 

「……これは、確かに興味深い検体ですね……一度会ってみたいな。次に来院して来るのはいつになりますか?」

「三が日以降、正月明けにまた、来院するように言ってあるので、えぇと……六日に予約いれてますね。」

 

 鎬は、是非にと、真冬と会いたいと考えた。

 彼は、こうした超越的な肉体に投資する人物でもある。

 

 ──レックス

 例えば、戸倉竜士などが、彼が投資している例として挙がるだろう。

 鎬は、真冬に興味を抱き、その尋常ならざる肉体的な構造を調査したいと──彼の悪癖がふつふつと沸き上がっていた。

 

「悪魔的な脳──この少女の脳は、戦闘脳──と言うしかないかも知れませんね……」

 

 あらゆる状況下にあっても、即戦闘に対応出来る。

 

 ──そう、血の香りにて目覚めた真冬のそれは、まさしく鎬が語った『戦闘脳』と言うべき物であった事は、間違い無いだろう。



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第三章 其の十三 母がくれたから血は甘い

 

 鼻孔を擽り、脳へと染み渡る様に血が薫った。

 零号の掌を斬り裂いたジャボタイに仕込まれた剃刀。

 それは、翠が真冬にクリスマスプレゼントとして贈った物だ。

 

 ──剃刀で傷付き、零号の掌から流れる血の甘い香りが真冬に届く。

 

 突然掌が斬られた為に、動揺した零号は咄嗟に真冬の胸ぐらを離してしまう。

 その時だ。

 同じくジャボタイに隠匿していた針──

 極々細い娥媚刺(がびし)を抜き放ち零号の両の掌へと投擲する。

 真冬の胸元を脱がそうと、掴んでいた筈の彼女の手首を離したのも失敗だったろう。

 自由になった左手で抜いた娥媚刺二本を、同時に投擲したのだ。

 娥媚刺は零号の掌を貫通し、手の甲からはその尖端が突き出ていた。

 

 更に、真冬は左手の袖下に仕込まれている暗器──袖箭(しゅうせん)を操作していた。

 手首に巻かれたベルトにバネ仕掛けの小型の筒状の弓が付いており、それに連動している中指のアラミド繊維を引き絞ることで、発射のスイッチとなっている。

 矢は金属製で、鋲に近い釘状の物である。

 

 右手を掴む一号は、零号の呻きと共に、大気が鳴るような(くう)を切るビュッと言う音を聴いた。

 それは連続で耳に響いた。

 袖箭から発射された矢が、一号の眉間を襲う。

 真冬が着ているゴスロリの袖口はラッパ状に開いており、この袖箭を隠しながらも発射しやすい形状となっているのだ。

 崩れる事無くラッパ状の袖口として固定されているのは、袖の淵にアラミド繊維が組み込まれてあるからだ。

 右手を凄まじい怪力で掴んでいた一号だったが、眉間に突き刺さる金属製の鋲の痛みに耐えかね、真冬から逃げるように、その手を離してしまう。

 

 真冬が袖箭の発射と娥媚刺二本の投擲に要した時間──

 ──その速度、僅か0.015ミリ秒に過ぎない。

 

 両手が自由になった真冬が次に行った事は、その抜き打ちによる投擲の速度さえも些細な物と思わせる行動であり、彼らには到底理解の及ばない技術(わざ)であった。

 まず、突然ベッドが粉砕した様に彼らは見えた。

 真冬が横たわる部分が僅かに陥没し、粉塵を上げたのだ。

 

 ドロワーズだけでなくショーツまでも脱がし、陰部と陰核を直に触れては、掻き擦っていた石坂も、足首を掴み股を大きく開かせていた二号だったが、ベッドが突如として粉砕された事に驚き、後ずさった。

 二人は、目を見開き驚愕する。

 石坂でさえ、驚きの余り手が滑り、電マを落としてしまうのだった。

 ──陰部に塗り込まれた媚薬は、ともすれば少女の精神を焼き切ってしまうほどに強烈な物である。

 真冬も又、意識が刈り取られていた筈であった。

 ──だからこそ真冬のこれらの行動は、零号達に取って明らかに不意打ちとなっていた。

 

 ベッドを粉砕した技術(わざ)──

 背中による『無寸雷神』と『無寸受け』である。

 ──これは、その二つを同時に行うと言う、それら両方の応用技となる。

 ベッドを一つの巨大な打撃と見立てた。

 そして、それに零距離にて背なで衝撃を与えた。

 ベッドの四本の脚が接地されたコンクリートの床と自らの背中。

 その間にあるベッドに衝撃が拡がった。

 

 更に──

 無寸受けにより殺された衝撃波は、再びベッドの脚へと伝わって行く。

 そこで、恐るべき事が起こった。

 徐々に拡がっていく衝撃は、まず、ベッドの脚と接地している床にヒビを入れた。

 そこから、コンクリートの床は割れていく。

 粉砕されたベッドと共に、この桃源郷の床までもが、粉砕されたのだ。

 

 ベッドの凡そ二倍程の面積が崩落する。

 当然──真冬、四十八手章治郎の面々は階下へと落下していく。

 真冬達は二階に居たので、落下した先は一階だ。

 ロビーのような大広間へと、彼らは落下する。

 男達は、情けない野太い声で悲鳴を上げていた。

 

 真冬は無言だ。

 それは、未だ意識が無いからである。

 これら全て、真冬は意識が無いままに行っていたのだ。

 血液の匂いが、真冬の全身を無意識のままに動かせたのだった。

 意思を持っているかの如くゆらゆらと揺らめく髪と、鋭い刃物のような爪は、まだ伸び続けている。

 尋常ならざる新陳代謝所以だろう。

 

 “──血が甘い”

 真冬の脳裏にその一言が過った。

 不思議な物だ。

 血は甘いと、真冬の脳は認識している。

 真冬の母──

 実際は、真冬に何も与えていない彼女から、真冬が与えられた物。

 それは、血液の味だ。

 物心もついていない程の幼い頃の話だ──

 記憶としては残っていない、真冬の母との想い出の話だ。

 

 産まれ落ちて、母から乳さえ与えられた事の無い娘だった真冬。

 母からある日、酷い虐待を受けた。

 

 真冬の舌の先端は、蛇の様に二又に割れている。

 これは当然だが、生まれながらの物ではない。

 母に、切られたのだ。

 舌の先端に鋏を入れ、ちょうど縦に切り裂いたのである。

 その時だ──

 真冬の口内は、血の味と香で満ち充ちた。

 幼いながら、母から与えられた初めての物となった。

 

 それは、痛みと、血の味である。

 故に、血は甘い。

 血の匂いが、真冬の脳へ甘く薫るのだ。

 母から向けられる憎悪が、真冬にとっては強い愛情だと感ぜられたのである。

 

 その想い出にある血の薫りが、今まさに脳を擽った。

 その尋常ならざる多幸感が全身に充ちて溢れだした。

 

 意識の無い真冬だったが、その多幸感故に、眠る闘争心が体を動かした。

 母との想い出、母への愛が、ここで命を終わらせまいと全身を自動的に動かしたのだった。

 

 その奇跡はまさしく──

 範馬の血も、また、作用しているのだ。

 

 階下へと落下する寸でに、真冬は覚醒した。

 零号達はそこに気を回せなかったが、先程の様に真冬の口からは黒い息が吐かれている。

 黒い澱みが、蚯蚓が這うかのように吐き出されていく。

 

 媚薬と言う毒を、吐き出しているのだ。

 これこそ、秘義『放華』であった──

 

 真冬の爪が、更に伸びた。

 翠の愛が、母への愛が、父の血が真冬を覚醒させた。

 

 ──反撃が始まる。



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第三章 其の十五 桃源郷

 

 真冬は、利用しなかった分の口内に残っている石坂の指を吐き出した。

 二本の指は、第一関節がない。

 白い幽鬼の様な幼女が行うその仕草は、明らかに異様で、不気味だった。

 

「お……お前、何だよ、何モンなんだ」

 

 零号は、地獄の様な光景に声を震わせた。

 驚愕と恐怖と、怒り、幾つもの感情が混ざりあっている──そんな声だった。

 

 四十八手(しじゅうはって)章治郎(しょうじろう)

 ──その名義で、極道を後ろ楯にして活動するレイプ物アダルトビデオ制作集団である零号達だが、彼等は彼ら内で仲間意識を持ち合わせている。

 それ故に、零号──仲間を半殺しにされたジェロニモン・富士岡の怒りは大きく凄まじい物だった。

 

 そうした感情は、真冬の想像を越える熱量で零号の中で燃え上がっている。

「あの……すみません。撮影の途中ですが、もう、帰りますね」 

 真冬は真冬で疲れを感じていた。

 自身の身に起きた異様な反応と感覚が、真冬の身体に大きな負担になったのは言うまでもない。

 

 媚薬は既に体外へと吐き出した。

 しかし、望まぬ快楽は未だに脳裏と体に傷痕として残っている。

 ある種の恐怖でもあっただろう。

 闘争ではない、苦痛を伴う虐待でもない。

 しかし、今しがたまで苛んでいた物は、それらの痛みにはない、圧倒的な恐怖があった。

 巨漢の指を噛み千切る少女が、実のところ、この場から速く“逃げたい”と考えているのだ。

 

 真冬は人成らざる戦闘能力を有しているかも知れない。

 

 遊びとして、岩を球体にする事もあれば金属に穴を空けようとすることもあった。

 遊びが巨凶の血をより濃くしていき、知らずの内に闘争の技術わざを磨いていた。

 ──だが、真冬は闘士ではない。

 恐怖心に押し潰されそうになれば、逃げたくもなる。

 神室町にやってきて、幾度か闘争を経験している。

 カツアゲ坊主の剛志との喧嘩は未だ癒えぬ傷も残っている程に苛烈な物だったが、彼とはまた喧嘩したいと思っている。

 ──そんな真冬が、この桃源郷での一件は恐怖その物だったのだ。

 

 しかし、その真冬の言葉に、零号の怒りが激しく、マグマの噴出の如く爆発した。

 

 脱がされた下着を正そうとする真冬だったが、叶わなかった。

 零号が僅かに真冬に向かって走り、寸前で両足を強靭なバネと化し飛び上がった。

 そして、勢いと体重が乗った両足を真冬へと見舞ったのだ。

 

 往年の名プロレスラー“マウント斗羽”仕込みのドロップキック……32文人間ロケット砲である。

 

 集中力が僅かに途切れていた真冬は、そのドロップキックをまともに喰らってしまう。

 小柄な幼女に命中させると言う、正確無比なドロップキック。

 105キロの人間ロケットが真冬の胸元に叩き込まれる。

 零号はドロップキックを放った際の仰向けのままに、背中から床に落ちて受け身を取る──事はしなかった。

 

 何と、器用にも両の脚で着地し、そのまま床を蹴り再び跳躍する。

 吹き飛ぶ前の真冬に追い付き、またもや、人間ロケット砲を喰らわせた。

 流石に二発目のドロップキックで、零号は背中で受身をとり、転倒する。

 

 ドロップキックをほぼ間を置かずに二度もまともに受けてしまい、真冬の身体は弾き飛ばされ、桃源郷の壁に叩き付けられる。

 硬い壁がひび割れ、恐ろしい事にその衝撃で、大きく陥没していた真冬は仰向けに倒れ臥し、ピクリとも動かなかった。

 

 消力(シャオリー)を使用出来ずに、元プロレスラーの全力のドロップキックをまともに喰らっては、彼女の小さな身体が無事な訳はないのである。

 

 集中力が途切れていた状態では、消力(シャオリー)を使用できなかった。

 零号は直ぐ様立ち上がっており、真冬の元へ歩みよる。

 

 ──集中力だけでなく、真冬の意識は完全に断たれていた。

 

 プロレスであろうと、総合格闘技であろうと、或いは裏の格闘試合であったとしても、意識が喪われたこの時点で、真冬の敗北となる事は必至だろう。

 だが、これは、プロレスでも格闘技でもない。

 ──誰も止める事はない。

 ──即ち、まだ、終わっていないのだ。

 

 この人間ロケットをまともに喰らってしまい、圧倒的な重い威力に容易く意識を刈り取られたのは、零号と真冬の心の有り様が鍵だったのだろ。

 ──燃えたぎる憎悪と怒りの感情を持った零号。

 ──苦痛と異なる肉体的反応に戸惑い恐怖していた真冬。

 

 そんな真冬の弱さが表面に現れた故に、常にある真冬ならば、闘争の最中に下着を正すことになど気を回さないだろう。

 それなのに今回は、晒され続ける下腹部に異様なまでの羞恥と恐怖を覚えてしまったのだ。

 

 しかし、意識を手離してしまうほどの衝撃と激痛。

 それが意識の無いままに、真冬に流れる巨凶の血は何を思っているのか。

 ──試合では無い路上の死闘。

 そうでなければ、真冬の精神と血は、疲労困憊した自らの身体に殺されていたかも知れない。

 

 足下に倒れる真冬を眺める零号は、徐に白いレースで装飾された黒いニーソックスを履いている真冬の細い右足首を掴んだ。

 そして、右手はドロワーズとショーツを掴み、一気に引き裂いた。

 嘗ての高級ソープランドの廃墟にて、布が裂ける音が無情にも鳴り響く。

 

 零号は、撮影の時に受けた剃刀の傷の恨みも忘れていない。

 二階での失敗、同じ徹は踏まぬ。

 半死半生の仲間を横に、憎悪と憤怒に充ちて異常な性的欲求も零号に沸き上がっていた。

 

 真冬のミニスカートを捲り上げる様に破り、幼い肢体の陰裂を完全にあらわとする。

 未だに意識を刈り取られている真冬を眺める零号は、特撮番組の戦闘員のようなタイツから、徐に自身の陰茎を剥き出しにするのだった。

 そして、真冬の両の太股を掴み、大きく脚を開かせた。

 

 零号の耳に、仲間達の苦痛の呻き声が聞こえる。

 それが、より強い怒りを植え付け、更に欲望までもが膨張した。

 

 悪意の塊は、真冬のそれに宛がう様に擦り付けられる。

 零号は真冬に覆い被さり、全身の体重を真冬に乗せた。

 仮に目覚めたとしても、この圧倒的な肉の重しに抗うすべなど有るわけがなく、加えてこの体勢ではどうしようもないだろうとの算段だ。

 

 幼い肢体へと、零号の悪意が戦闘ではない暴力として襲いかかった。

 

 ──しかし

 零号の両眼、鼻孔、耳孔から夥しい流血があった。

 刹那、常軌を逸した吐血。

 

 意識の無い真冬の内に巡る巨凶の目覚めだ。

 零号はそもそも、何故にベッドが粉砕され、二階部分が崩落したか理解していないのだ。

 

 ──全身で放つ無寸雷神

 無意識下にて、巨凶の血が、細胞が、魂が、肉体が、その真冬の技術(わざ)を撃ったのだ。

 

 零号の内部に拡がる振動と其れを打ち消す振動が、零号の脳とあらゆる臓器を破壊したのである。

 

 ──そして

 真冬の意識が真冬の内に帰ったとき、彼女の体の上で生きているのか死んでいるのか、動かぬ零号の体躯があり、余りの重量に困惑したが、真冬はもぞもぞと動き何とか抜け出したのだった。

 

 困った事は──スカートは襤褸の布切れ同然であり、しかも下着までが無い事で──帰るにせよ、仔犬の探索を続けるにせよ、非常に厄介な事態に陥っている事であった。



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第三章 其の十四 爪牙

 

 男達は、異様な光景を見ていた。

 彼等は崩落する瓦礫と共に、階下へと落下した。

 

 ジェロニモン・富士岡こと電マ人間“零号”と同じく電マ人間“二号”、そして、丸坊主の男“石坂”はからくも受け身を取る。

 転倒しては居るもののほぼ無傷だ。

 

 パンチパーマの男“森本”とロン毛の男“野木”電マ人間“一号”は突然の床の崩壊に瞬時に対処できず、一階の床に体を叩き付けてしまった。

 

 野木は強かに後頭部を床に打ち付けてしまい、苦痛に呻いている。

 森本は背中から落ち、一瞬呼吸が止まるかの様な衝撃を受け、そして激痛が全身を巡り、走り抜けてきた。

 

 一号は運が悪い事に、脚から落ちたのが行けなかった。

 全体重が先ず片足にのし掛かり、そして、一呼吸も措かずもう片方の脚にも衝撃と体重がのし掛かったのだ。

 骨までダメージが行ってはいないが、階下へと落ちた衝撃で両足を捻挫し、倒れ込んだ。

 

 ──男達と、そして真冬。

 ──ゆらゆらと言うべきか、ふわふわと言うべきか、あたかも彼女にだけ、重力が働いていないかの様に、真冬は落下していた。

 

 ──落ち葉?

 ──羽毛?

 ──あるいは、塵紙(ティッシュペーパー)

 まるで、宙を舞うそれらを彷彿とさせた。

 

 尋常ではない身体能力なのか。

 究極とも言って良い程の、人が成しえるとは思えぬ脱力が、この異常を可能としていた。

 恐らく中国武術の高等技術消力(シャオリー)に近いものだ。

 

 真冬の目は傍目にはいつもの虚ろな物だ。

 しかし、望まぬ快楽に襲われていた弱々しさは既に無かった。

 甘く優しい血の薫りが、真冬の紅い眸に力を与えていた。

 

「あっ」

 零号が声を上げた。

 いつの間に手に入れたのか、落葉の様に宙を舞い、降下してくる真冬の左手に40センチメートル程度の鉄筋が握られている事に気付いたからだ。

 真冬は、粉砕された二階の床の瓦礫から突き出ていた鉄筋を掴み、引き抜いていたのである。

 

 零号が声を上げた──その刹那、鉄筋が投擲された。

 それは激痛で呻き、のたうち回る野木に放たれていた。

 追い討ちにも程がある。

 

 当然、反応できる筈もない野木の眉間に鉄筋(それ)は、めり込んだ。

 野木は、双眸を大きく見開くと、グルリと白目を剥き、意識を手離した。

 床に後頭部を、眉間には真冬が投擲した鉄筋が。

 真冬の容赦の無さは、今しがたまで痴態を晒していた九歳と言う幼い娘の姿とは思えない物だった。

 

 投擲とほぼ同時刹那の間も措かず真冬は、僅か斜め上へと跳んだ。

 落下中の跳躍とは、人間業ではない。

 そして、その先には上階の床を補強していた鉄筋が突き出ている。

 真冬は鉄筋を右手で掴んだ。

 ぎしりと軋み鉄筋が鳴り、それに真冬は、ぶら下がっていた。

 そもそも人間業ではないが、鉄筋がそこにあると狙って跳んだのか──。

 

 ダメージの無かった零号、石坂は立ち上がり、真冬を見上げた。

 二号は片膝を付き頭を振りながら僅かに遅れて立ち上がる。

 

 ぎりぎりと鳴る金属の音を三人が聞いていると、真冬の手は鉄筋から滑り、掴んでは居るが少しずつ下がっていく。

 

 握力がもたないのか。

 ──いや、違った。

 三人は気付いていないが、真冬は落下することなく態と下がっているのだ。

 そして、ぎりぎりという金属音は──真冬の爪と金属が擦れ合う音だった。

 

 男達の注意力がどれだけ高かろうと、視力が良かろうと気付ける筈はない。

 人間業ではない、どころでなく、人間のそれではありえない事が起きていた。

 真冬の尋常ならざる代謝故か、彼女の爪が伸びていた。

 真冬は掌と薬指と小指で鉄筋を掴み、親指と人指し指、中指の爪を鉄筋に突き立て削っているのだ。

 

 零号を初めとして、男達は皆、理解が追い付かない。

 そもそも、何が起きているのだ。

 彼等は真冬が常人離れした戦闘能力を有している等と知る由もなく、真冬に声を掛けたのは、先天性色素欠乏症(アルビノ)である美しい幼女の真冬を一目で気に入り、ロリータのレイプ物アダルトビデオを撮影するためだった。

 その幼女が化け物の様な行動を取ってくるとは、ほんの僅かにでも脳裏には無かっただろう。

 

 するりと、真冬の手から鉄筋が離される。

 手が離された瞬間、真冬を見上げていた彼等の目に、真冬の右手の肘から先が消えたかの様に見えた。

 その時“ぎゃっ”と二号は呻き、両目を押さえもんどり打って倒れ込んだ。

 苦痛の声をあげながら、二号はゴロゴロと転がり続けた。

 

 ──金属片

 

 真冬は爪で削った鉄筋の破片を二号の両目に投げ付け、それが彼の目に突き刺さったのである。

 金属片の礫は、細かくも鋭利に削られており、即席の投擲武器とは思えぬ殺傷力を持ち合わせていた。

 

 そして、真冬は音もなく空中から降り立った。

 そこで、先んじて我に帰ったのは石坂だった。

 流石は、極道の『代打ち』で多くの地下闘技場にてその力を奮った男なだけはある。

 幼女をレイプする撮影を楽しんでいた男の目から、命の取り合いをする喧嘩師、或いは武術家の目に変わっていた。

 切り替えが速い。

 確かに、眼前に居るのは幼女である。

 が、尋常な人間ではない。

 長い極道との繋がりの中でも真冬の様な者は見たことが無い。

 しかし、真冬の危険性を感じとり、『獲物』から『敵』と見方を直ぐ様変える事が出来たのは、彼が並々ならぬ武術家の所以だろう。

 

 石坂は190センチメートルを大きく越える体躯を誇る。

 だが、大抵の人間の目には、それ以上の巨体に映るだろう。

 何故なら、先ずはその威圧的な風貌が挙げられる。

 日に焼けた色黒な肌に丸坊主。

 しかもその頭には奇妙な幾何学模様の刺青が入っている。

 そして、何より、異様に発達した筋肉量だ。

 太く、分厚い筋肉からは、例えば素手で熊の首をねじきってしまえる事が容易に想像できるのだ。

 

 その巨漢が突進した。

 当然、向かうは真冬へ、だ。

 見た目からまるで鉄の塊の突進。

 まるでそれは、鉄球クレーンの重錘が振るわれたかのようである。

 

 190センチメートル以上、正確に言うなら身長196センチメートル、体重116キログラム。

 その巨体が一瞬で間合いを詰め真冬に迫る。

 言語になっていない気焔の声が真冬に届くと、既に石坂は真冬の眼前にあった。

 身長差は76センチメートル、体重差に至っては81キログラム差となり真冬の体重35キロの凡そ三倍だ。

 

 そんな体格差ともなれば、掴みに掛かったものが、実質、覆い被さる様相であった。

 

 更に真冬は先程までのレイプ撮影のため、ドロワーズが脛辺りまで脱がされ、ショーツは膝先辺りまでずり下ろされている。

 布とは言え、完全に脱がされていないこの状態は、足枷の様になっていた。

 これでよく転倒せずに着地出来たものだが、掴み掛かってくる者を相手取るには明らかに不利だった。

 

 だが、またも異常な事が起きた。

 真冬に寸でで触れようとした石坂の右手から鮮血が迸ったのだ。

 

 前後左右、下がろうが、どこに避けようとも、石坂の掴みからは逃れられない筈だった。

 ボタボタと鮮血が真冬の白い髪を汚す。

 

 何があったか、それは血に塗れているのは真冬の白い髪だけでないことが物語る。

 薄く、髪と同じく白い真冬の唇も赤く染まっている。

 虚ろな、紅い眸に映し出されているのは、石坂の手、その末端だ。

 石坂の右手に本来ある筈の指が二本、薬指と小指が失われ流血していた。

 

 真冬の唇を赤く紅を差したように染める血は、そこから流れた物だ。

 

 ──噛み千切っていた。

 

 だが、そんな非常事態にも臆することなく、石坂は真冬の頭部に左腕を回した。

 そして、勢いをつけて、膝を顔面に叩き込む。

 そのつもりだった。

 

 そんな目算も、真冬の爪が、根本から千切れた指の付け根を抉り、更に真冬は噛み千切った指を口内で更に噛み千切り、第一関節部分を吹き矢の様に、いや、弾丸の様に石坂の左右の目に吹きかけた事で潰えたのである。

 恐らく弾丸となった指は、脳にまで到っているだろう。

 

 零号が動き出すまでの間に、石坂は崩れ落ちた。



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第三章 其の十五ノ弐 桃源郷 敗北 ifルート

これは、第三章 其の十五の仮想バッドエンドルートとなっております。
冒頭部分は正史ルートと同じものです。
ご注意下さい。


 

 真冬は、利用しなかった分の口内に残っている石坂の指を吐き出した。

 二本の指は、第一関節がない。

 白い幽鬼の様な幼女が行うその仕草は、明らかに異様で、不気味だった。

  

「お……お前、何だよ、何モンなんだ」

 零号は、地獄の様な光景に声を震わせた。

 驚愕と恐怖と、怒り、幾つもの感情が混ざりあっている──そんな声だった。

 

 四十八手(しじゅうはって)章治郎(しょうじろう)

 その名義で、極道を後ろ楯にして活動するレイプ物アダルトビデオ制作集団である零号達だが、彼等は彼ら内で仲間意識を持ち合わせている。

 

 それ故に、零号──仲間を半殺しにされたジェロニモン・富士岡の怒りは大きく凄まじい物だった。

 そうした感情は、真冬の想像を越える熱量で零号の中で燃え上がっている。

 

「あの……すみません。撮影の途中ですが、もう、帰りますね」 

 

 真冬は真冬で疲れを感じていた。

 自身の身に起きた異様な反応と感覚が、真冬の身体に大きな負担になったのは言うまでもない。

 媚薬は既に体外へと吐き出した。

 しかし、望まぬ快楽は未だに脳裏と体に傷痕として残っている。

 ある種の恐怖でもあっただろう。

 闘争ではない、苦痛を伴う虐待でもない。

 しかし、今しがたまで苛んでいた物は、それらの痛みにはない、圧倒的な恐怖があった。

 

 巨漢の指を噛み千切る少女が、実のところ、この場から速く“逃げたい”と考えているのだ。

 

 真冬は人成らざる戦闘能力を有しているかも知れない。

 遊びとして、岩を球体にする事もあれば金属に穴を空けようとすることもあった。

 遊びが巨凶の血をより濃くしていき、知らずの内に闘争の技術(わざ)を磨いていた。

 

 ──だが、真冬は闘士ではない。

 恐怖心に押し潰されそうになれば、逃げたくもなる。

 神室町にやってきて、幾度か闘争を経験している。

 カツアゲ坊主の剛志との喧嘩は未だ癒えぬ傷も残っている程に苛烈な物だったが、彼とはまた喧嘩したいと思っている。

 そんな真冬が、この桃源郷での一件は恐怖その物だったのだ。

 

 しかし、その真冬の言葉に、零号の怒りが激しく、マグマの噴出の如く爆発した。

 脱がされた下着を正そうとする真冬だったが、叶わなかった。

 零号が僅かに真冬に向かって走り、寸前で両足を強靭なバネと化し飛び上がった。

 そして、勢いと体重が乗った両足を真冬へと見舞ったのだ。

 往年の名プロレスラー“マウント斗羽”仕込みのドロップキック……32文人間ロケット砲である。

 

 集中力が僅かに途切れていた真冬は、そのドロップキックをまともに喰らってしまう。

 小柄な幼女に命中させる正確無比なドロップキック。

 105キロの人間ロケットが真冬の胸元に叩き込まれる。

 

 零号はドロップキックを放った際の仰向けのままに、背中から床に落ちて受け身を取る──事はしなかった。

 何と、器用にも両の脚で着地し、そのまま床を蹴り再び跳躍する。

 吹き飛ぶ前の真冬に追い付き、またもや、人間ロケット砲を喰らわせた。

 

 流石に今回のドロップキックで、零号は背中で受身をとり、転倒する。

 二度のドロップキックをほぼ間を置かずにまともに受けてしまい、真冬の身体は弾き飛ばされ、桃源郷の壁に叩き付けられる。

 硬い壁がひび割れ、恐ろしい事にその衝撃で、大きく陥没していた。

 

 真冬は仰向けに倒れ臥し、ピクリとも動かなかった。

 

 消力(シャオリー)を使用出来ずに、元プロレスラーの全力のドロップキックをまともに喰らっては、彼女の小さな身体が無事な訳はないのである。

 集中力が途切れていた状態で、消力は使用できなかった。

 

 零号は直ぐ様立ち上がっており、真冬の元へ歩みよる。

 集中力だけでなく、真冬の意識は完全に断たれていた。

 

 これがプロレスであろうと、総合格闘技であろうと、或いは裏の格闘試合であったとしても、意識が喪われたこの時点で、真冬の敗北となるだろう。

 だが、これは、プロレスでも格闘技でもない。

 まだ、終わっていないのだ。

 

 零号は、白いレースで装飾された黒いニーソックスを履いている真冬の細い右足首を掴んだ。

 そして、右手はドロワーズとショーツを掴み、一気に引き裂いた。

 嘗ての高級ソープランドの廃墟にて、布が裂ける音が無情にも鳴り響く。

 

 零号は、撮影の時に受けた剃刀の傷の恨みも忘れていない。

 二階での失敗、同じ徹は踏まぬ。

 半死半生の仲間を横に、憎悪と憤怒に充ちて異常な性的欲求も零号に沸き上がっていた。

 

 二階での撮影時には出来なかったが、再びブラウスをはだけさせる為に、手を伸ばす。

 

 暗器は不意討ちでこそ、活きてくる。

 ──だからこそ、既にネタは割れている現状、暗器は無力であった。

 剃刀が仕込まれている襟口とジャボタイは避けて、黒いブラウスの胸元を引き裂いた。

 

 仲間達の呻き声が聞こえるなかで、零号は、もはや隠すものが無くなり、露となった真冬の幼い肢体を眺める。 

 白いアルビノの肌に、引き裂かれたブラウスと、スカートが残っているとは言え、それは衣服の体など成していない。

 

 零号は、真冬へと覆い被さる。

 198センチメートルの巨体にのし掛かられてさえ、真冬の意識は、未だに手離されたままだ。

 

 真冬の身体は九歳にしても、幼く小さい。

 胸も膨らみなど見られず、年齢以下の成長具合である。

 その到底乳房などと呼べない真冬の胸元に顔を寄せて、その小さな先端に、おぞましい、蛞蝓のような舌を這わせる。

 そして、味わうかのように、舌でその突起を口内で転がせた。

 更にもう片方に手を伸ばし、その先端を摘まみ、つねり、押し潰す。

 幼い真冬の胸を乱暴に捏ねる様にいたぶっていた。

 

 未だ反応の無い真冬であるが、今の零号にとって些末な事である。

 ただ今は怒りと欲情をぶちまけたい。

 それだけが零号を支配しているのだ。

 

 唾液まみれになったその先端は、アルビノの肌でありながら、僅かに赤みが差していた。

 

 零号は血走った目を真冬の一筋に向けるや、徐に自身の陰茎を剥き出しにした。

 特撮番組の戦闘員のようなタイツ服だが、番組のそれと違い、女をレイプすることを念頭においた作りであるタイツ服である。

 一般的な外人の男性よりも巨大な、悪意が凝り固まったようなそれは、より膨張し、真冬の前に現れたのだ。

 

 零号は真冬の細い太股に指を食い込ませ、掴んだ。

 そして、露となっている陰裂をより顕著に晒すかのように、真冬の両脚を開いていく。

 

 真冬のそこに指を這わせ、零号は息を吐いた。

 右手にて真冬の髪を掴み、額を押さえ付ける。

 左手は真冬の内太股を掴んでいる。

 仮に目覚めたとしても、圧倒的な体格さ、そして腕力である。

 これで、真冬の動きなど完璧に封じてしまうだろう。

 

 零号は、真冬の一筋に、自身の欲望と悪意を塊にしたそれを宛がうように押し付けた。

 二階での撮影時に行っていた回りくどさなど微塵もない。

 零号のそれは、真冬の幼い扉を開くため一切の躊躇いなく、暴力的に突き破ろうとしていた。

 

 闘争ではない暴力もある。

 そんな暴力を知らぬ間に、真冬はその嵐に襲われた。

 

 零号は、幼い、何も知らぬ少女の一筋を、ただ、貫いたのだ。

 特大の鎗──

 一時は真冬に向けて幻視した鋭い鎗。

 だが、鎗は、真冬を貫いた。

 

 真冬は、意識の無いままに、己の内側で暴れる物に蹂躙され続けるのだ。

 

 格闘による傷ではない物が、ぎちぎちと音をたてながら真冬を裂いていく。

 時が過ぎたなら、いずれ意識も取り戻すだろう。

 だがその時こそ恐ろしい激痛が心身に襲いかかるのだ。

 しかし、真冬の不運は、そのいずれが、今まさに訪れた事であった。 

 

 何が起きているのか

 この痛みは何なのか

 額を押さえ付ける恐るべき圧力

 太股に伝わる熱量

 

 ──その全てが、九歳の幼女の理解を逸している。

 零号の息遣いが真冬の耳まで汚した。

 

 だが、恐怖が一気に津波のように押し寄せ、真冬は絶叫した。

 頭を降ろうとするも額を抑えられ、動かない。

 

 真冬の虚ろな紅い瞳から、真冬の気付かぬ内に涙が溢れた。

 絶叫は何度も何度もあがる。

 だが、このソープランドの廃墟に虚しく響くだけだ。

 

 両手を伸ばしはするが、力は入らない。

 究極の脱力などであっても、何の役にも立たぬ状況。

 

 絶叫が悲鳴になり、何度も打ち付けられる内に弱々しい呻きへと変わっていった。

 

 ──そして

 真冬の内側に、火薬の様な物が炸裂した。

 

 脚を開き倒れ臥した真冬の、淫らに空いた其処から溢れる物を満足げに見る零号。

 

 だが、まだ終わらない。

 泣き叫ぶ真冬にのし掛かり、悪夢を続けた。

 

 息はしているが、痙攣し、まるで動けぬ真冬に最早抗うすべなど、喪われていた。



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第三章 其の十六 神室町恐竜記アルビノ二頭

 

 ──暗い 

 僅かな静寂の中を進むと、次は激流の轟音も響く。

 神室町の地下に拡がっている、蜘蛛の巣状に繋がった広大な下水道。

 鼻を押さえたくなる様な臭いに耐えながら、そこを歩く幼い少女がいた。

 

 ──當之真冬だ。

 襤褸の様になった黒いゴスロリ衣装を身に纏い、髪と肌は白く、虚ろな紅い双眸の幼子が、暗がりで頼りになる灯りは、チカチカとたまに明滅する電灯だけが周囲を照らす光となっている地下下水道を、ゆらゆら歩いている。

 気の弱い者で無くとも、もしこの場で彼女に遭遇すれば幽鬼と見紛い恐怖を覚え、戦くだろう。

 

 ──呑み込まれたら命の保証はない汚水の激流

 下水道に足を踏み入れて気付いたが案外暖かい。

 それ故に棲息しやすいのかネズミなどの小動物や、蛇やトカゲと言った爬虫類も生息している。

 ──歩いていると不意に遭遇する元ペットなのか日本には存在する筈のない外来種の爬虫類

 さながら、暗闇の中の地下密林の様相だ。

 そんな危険にも真冬は然程恐怖を抱くこともなかった。

 

 真冬は桃源郷での闘争の後、そこから如何にして西公園に帰るか悩んでいた。

 

 衣服の問題だ。

 このホームレス等も多く闊歩する神室町なら、どんな襤褸服を纏っていたとしても、気にする者はいないだろう。

 だが、真冬自身が、スカートを破り捨てられ、ショーツも穿いていない、今の半裸の姿で街を歩きたくなかったのだ。

 

 元高級ソープランド桃源郷廃墟近辺のマンホールから地下に降り、西公園に向かっていた。

 神室町の地下にはまるで巨大迷宮の様な下水道が伸びており、神室町のいたる所と繋がっている。

 間違わなければ、西公園に帰ることも出来るだろう。

 

 ──西公園内に存在する“賽の河原”

 

 上手く進めばそこに出ることも可能なのだ。

 真冬の目的地はあくまでも西公園、ホームレス達のたまり場である。

 西公園に住む老婆のホームレス“ミチ”に真冬は世話になっており、彼女ならまた何かしらの衣服を貸してくれるだろう。

 ──仔犬捜しはそれからにしたい。 

 小動物は生息しているが、危険そうな爬虫類も多いこの下水道に、仔犬はいないと思われた。

 生きている動物だけではなく、死骸もある。

 これだけ多種多様な在来外来種問わず棲息しているのだ。

 捕食者となる生き物と被食者とされる生き物、地下には地下に生態系が特殊な形として出来上がっているのかも知れないと、真冬は考えた。

 

 地上では見掛けることもない異様に巨大な蜚蠊が、群がっている死骸がある。

 暗がりでは蜚蠊の群れは黒い塊にしか見えないが、随分とここにも、目が馴れてきたかはっきり見分けられる。

 今の所、視覚的に不便は無かった。

 寧ろ、明るい場所の方が昔から苦手だ。

 それは、アルビノの紅い虹彩が由来する物だが、暗闇に適性があるのは別の話である。

 

 真冬は、蜚蠊に近付いていく。

 真冬の白い髪がさわさわと、まるで別の生き物のように──髪を靡かせる風も無いのに、蠢いた。

 ──それは、まるで、触角……?

 

 “こんにちは、戦友”

 真冬は、蜚蠊の群れに向けて囁いた。

 今よりも幼い頃、まだ母が生きていた頃の話──母から食事をまともに与えられない真冬は、アパートのごみ捨て場で生ゴミや残飯を漁り、それを口にしていた。

 その生活の中で野良犬、野良猫、どぶねずみなど、そして蜚蠊の群れも食物を獲るための宿敵であり好敵手だった。

 彼等と肩を並べ、時には譲り、奪うことは無く、生きるため腐ったゴミをも喰らう。

 

 そして、蜚蠊という戦友にして、師匠がいた。

 居たと言っても当然個体ではない。

 真冬は、蜚蠊の群体を1と捉え、共に生きてきた。

 共に生きて、しかし“二人”の遊びとして命を奪ってしまう事もあった。

 

“戦友、久し振りに遊ぼう”

 無論、久し振りに……などと言っても、そんなわけはない。

 あくまでも『真冬の認識上で』の話だ。

 

 ──ざわり

 真冬の気配を察した蜚蠊達が一斉に走り、飛び、逃げ出した。

 しかし、その初速よりも速く、真冬は蜚蠊を捕らえた。

 一匹二匹三匹……

 

 幼い真冬の当時の愉しい“遊び”は蜚蠊との『鬼ごっこ』兼『かくれんぼ』だ。

 

 真冬の存在に気付き、初速にして時速200粁と言われる速度の彼らを捕まえる鬼ごっこ。

 凄まじい初速を移動速度ではなく、反応と反射の速度で上回り、初動が始まるよりも先んじて、彼らに追い付き捕まえると言う遊び。

 優しく、殺さない様に、真冬は手で包み込むように蜚蠊を捕らえていく。

 捕まえ、逃がすを繰り返す。

 

 離されて逃げる蜚蠊のどれもが、脚の一本挫かれず羽根も傷つけられてはいなかった。

 今の真冬が、彼らの命を奪う失敗などしよう筈もない。

 

 集中さえしていれば、蜚蠊の初動をも察知し捉える。

 それが、真冬の集中力。

 蜚蠊に因って養われた真冬の強さの一つである。

 

 感情を窺い知れない虚ろな紅い眸はいつものそれだが、頬を僅かに朱へと染めて、ほんの少し口角を上げる真冬はこの“遊び”を心底楽しんでいた。

 そんな時間に没頭する真冬だったが、さわさわと靡く髪に、何か、奇妙な気配が叩き付けられた。

 それは、真冬が独自に覚えた感覚だ。

 

 実際に──例えば『氣』のような物、何者かがそれをぶつけて来たわけではない。

 

 真冬自身もこの独特かつ特殊な感覚を言葉にするのは難しい。

 しかし、それは、ある種の感覚器官のようであり、周囲の状況を確認するレーダーの様な蜚蠊の触角に酷似しているのかも知れなかった。

 

 蜚蠊もいなくなっている。

 気配は、下水の中から感じられた。

 一時の安らぎの時間を終えた真冬は、下水の濁流へと紅い双眸を向けた。

 

 姿は見えない。

 しかし、汚水の流れの内に何か、居る

 泳いでいるのか。

 歩いているのか。

 深さはどれ程か気にはなったが、一歩、そちらへ歩む。

 

 その時だ。

 汚水がまるで膨れ上がるように、そして、突き出てきた者から流れる滝の如く。

 それは、まるで、怪獣映画さながら。

 海面や湖面から出現する大怪獣の場面を描いているようだった。

 

 現実に現れたゴジラ──そんな、言葉が流石に真冬に過る事は無いのだが、そんな言葉を当て嵌めたくなる状況であった。

 

 ──汚水の濁流から

 ──灯りの乏しい地下の下水道

 

 都市伝説の世界からそれは、現れた。

 ──巨大な白いワニ。

 

 だが、そのサイズが異常だ。

 怪獣か。

 いや、それは言い過ぎにしても恐竜……?

 

 例えば巨大な殺人ワニ……ナイルワニのギュスターヴというワニがいる。

 それは凡そ体長8メートルと言われる最大級のワニの一体。

 しかし、今まさに真冬が目にしたその白いワニは、ギュスターヴより明らかに規格外なのだ。

 まるで、古代からやってきた太古のワニだ。

 

 ──10メートルを越える、その、小さな恐竜が、真冬の眼前にて汚水から現れたのだ。

 ここに、二頭の白き者。

 

 闘争は避けられない。

 真冬は、新たな遊び相手に、笑い掛けた。



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第三章 其の十七 都市伝説の怪獣

 

 巨大な白いワニがいた。

 馬鹿げた程の大きさだ。

 小柄な真冬は当然にして、例えば身長240㎝体重310㎏と言う規格外の体躯を誇る元ボクサーにしてレスラーのアンドレアス・リーガンをも一飲みにしてしまうのではないか。

 

 汚水の中から現れたワニは、真冬が待つ道路側に上がって来た。

 ──地響き

 そのワニが歩むと地響きが辺りに発生している、そんな錯覚が真冬に過る。

 

 半開きの口内には、牙が見える。

 その顎からの噛み付きによる咬合力の恐ろしさは想像に難くない。

 背中で波打つ鱗板骨が内蔵されたオステオダームは、正しく甲冑の様相である。

 かの三百人以上の人間を殺したナイルワニのギュスターヴは、拳銃や機関銃の弾丸を受けても死ぬ事はなかった。

 鱗、皮膚、筋肉が強靭な筈だ。

 そして、この下水道に棲む白いワニも……。

 ──対物火器による大口径の弾丸であっても、その背鱗板で容易く衝撃を殺して弾いてしまうだろう。

 太く長い丸太のような尾にはごつごつとした突起が三列、規則的に並び鎧としても武器としても扱えるだろう。

 全長はどれくらいだろうか。

 恐らく一般的なナイルワニの2倍、12メートル程度は有るのではないか。

 それはまるで、太古から甦った古代のワニを思わせる巨大さだ。

 恐竜をも襲うことがあったと言うような古代のワニである。

 

 この白いワニの種類は何なのか……と言う疑問が流石に真冬にも湧いてくる。

 

 普通の子供なら、親に連れられて行った動物園で、実物のワニを目にする機会など幾らでもある。

 しかし、産まれ落ちてから、父を知らず、母からの愛など一切無く、虐待を受けていた真冬には、そんな機会は訪れなかった。

 

 故に、初めて見る実物のワニが、この白いワニであった。

 安全な動物園で出会う事になるワニと違い、すぐ目の前にいるこのワニは、柵もなく檻もない、そうした隔たりが一切無い危険な距離で出会ったワニなのだ。

 

 真冬が笑った。

 微笑と言うにも程遠い、少し口角を上げただけのものだが、確かに笑った。

 巨大なワニを見て、嬉しそうなのだ。

 知識では知っていても見たことのない生き物と出会う喜び。

 初めて動物園で猛獣を見る子供の様に、真冬は、はしゃいでいるのだろう。

 真冬とて、幼い……九歳の女児で有ることに変わりはない。

 だが、普通の女児ならば、こんな下水道で巨大なワニとの鉢合わせに喜ぶはずがないだろう。

 

 『ワニと遊びたいな』

 先程まで戦友にして師匠である蜚蠊と遊んでいた童心の延長──そんなところか。

 

 そして、ワニは真冬の前で歩みを止めると口吻を大きく開き、頭部を振るった。

 上顎と下顎が開くと、小型車くらいの全高なら問題なく噛み付ける程だった。

 

 さしもの真冬も、虚ろな眸に僅かな驚愕の色が浮かんだのだった。

 

 背後に

 左右に

 何処に避けても無駄だ。

 相手は大き過ぎる、そして、自身は小さすぎる。

 この噛み付きはどこまでも追い付いてきて、避けられない。

 

 ノーベル賞受賞者の“アルバート・ペイン”は危険な場所の例としてTレックスの口のなかを挙げている。

 何をバカなと言うのは簡単だ。

 しかし、もしも現代人が、このワニの顎が開き、自身を噛み砕こうとしている状況に直面したら、ペイン博士の言葉を何ら疑る事無く100%納得してしまう筈だ。

 

 真冬は、ワニの下顎を右肘で払う様に撃ち込んだ。

 しかし、ワニの牙は真冬が着ているラッパ状に拡がるゴスロリ衣装の袖口に引っ掛かり、引き裂いていた。

 真冬の肘打ちは、それが起きる前に完了していたが、それも衣装の袖口に引っ掛かり裂いてしまう原因だったかも知れない。

 

 だが、ワニの噛み付きも、真冬を傷付ける事が出来なかった。

 肘を打ち付けると、真冬は、それを軸にして跳んだのだ。

 そして更に、一回転し膝蹴りをワニの上顎の外鼻孔に叩き込んだ。

 

 ──堅い

 ニーソックスに包まれた膝に、血が滲んだ。

 擦り傷だ。

 

「格好いいですね、ワニさん。愉しいですか」

 

 心が踊った。

 声も、はしゃぎようを隠せず僅かに弾んだものだった。

 

 桃源郷での押し潰されそうな恐怖と苦痛が、さっきの蜚蠊との鬼ごっこを経て、更にこのワニと出逢った事で、既に過去の物として、忘却の彼方へと消えていた。

 ──とは言え、近い将来の話

 ──今は気付いていないが、あれが男性との性的接触に対する大きな傷痕として、潜在意識にトラウマとして刻まれており、男性との性行為が巨大な恐怖として残り、しかも、男性との闘争は戦闘中にも性的接触を行う相手もいるし、何よりも十代半ばになってからの敗北後はそうした望まぬ性的接触……いや、凌辱の場ともなってしまうことが幾度もあったからか、そうした事例を経験した結果、男性との恋愛“は”全く意識する事すらなく成長し、年齢を重ねる結果となってしまう未来が待っているのである。

  何にせよ、今の真冬にとってこの下水道での一件は、精神的に救われる物ではあったのだ。

 

 鼻孔を蹴った真冬だったが、地面に着地する寸前に、半回転して来たワニの尻尾が幾重にも束ねた鉄鞭の様に、彼女に打ちつけられた。

 

 その鉄鞭を両腕でブロックする。

 しかし、人間の受けが役に立つ事がない。

 一撃を防御した両腕の肉が潰れて、裂けた。

 更にまだ宙にいたバランスの悪い体勢での一撃だ、真冬は弾き飛ばされ、下水道の壁に叩き付けられる。

 壁が無ければどこまで飛ばされただろう。

 だが、それがダメージともなった。

 ──壁に激突した右肩が悲鳴を上げた。

 肩と両腕、膝が痛い。

 

 ──だから、愉しい。

 生きている実感が、心の奥底から湧いてくる。

 痛みが嬉しい。

 痛みに耐える事で、生きていく強さを得ていると感じられる。

 

 “娘なんて強いあの人の子供になれないの。弱い娘なんていらなかったのよ、蛆虫”

 母から聞いた辛い言葉だ。

 だから、少しでも、強くなってみたいと思った。

 金属を抉る爪が自分に有ることを知ったときは嬉しかった。

 しかし、母に教えたことは無かった。

 大人になって、母に自分の全てを見せたい、その時まで秘密にした方がお母さんは喜んでくれる。

 

 そう思った。

 

 巨大なワニとの闘争はその時の想いを叶えてくれる。

 ワニと遊び、傷つけられたその痛みが真冬になる。

 真冬になれば、母から真冬と呼んで貰える。

 

「ワニさん愉しいですね」

 

 笑った。

 破顔と呼ぶに相応しい笑顔だ。

 ワニはその笑顔から剥き出しになる真冬の歯に見惚れる様に釘つけとなった。

 

 ワニに果たしてどこまで思考能力があるかは分からないが、敢えて代弁して言うならば……

 ──こいつ、サーベルタイガーの末裔か

 

 彼の細胞が記憶しているのだろうか、真冬の歯を見て連想して紡がれたのは、面白い事にそうした言葉であった。



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第三章 其の十八 雌の強いんだ星人

 

 真冬は笑い掛けたあと、急に踵を返し走った。

 

 ここは、道幅が狭い。

 自分にも、そして、この巨大な白いワニにとっては動きづらいのではないか、との考えである。

 

 少し走ればもう少し広いスペースがある。

 資材置き場の様な場所で、ブルーシートが被された雑多な資材や作業道具が置かれていた。

 下水道のもと来た路へと引き返し、戻る事になるが、それは構わない。

 

 更に走りながら、真冬は右腕の引き裂かれた袖口を確認していた。

 真冬は右腕の袖に、バグナウと言う暗器を隠匿していた。

 それが先程の袖口のダメージで失われていないか、或いは壊れていないか確認したのだ。

 幸運にも、どちらでもなく、バグナウは無事だ。

 安堵しつつ、袖口裏側に備えられたバグナウを、右の掌に下ろし、更に左手で、裂けている袖口を肘関節辺りまで縦に裂いていく。

 それらは走りながら行っている。

 

 白いワニが追ってきた。

 

 ワニが陸上で走る速度は、人間に劣るらしい。

 だが、この白いワニ案外速い。

 しかし、彼はこの下水道の住人だ。

 真冬以上に下水道の地理を理解している。

 ──突然、汚水に飛び込んだのである。

 凄まじい水飛沫が、柱のように上がった。

 逃げた……のではない。

 真冬が向かった先の下水道の路は暫く一本道だ。

 ならば、陸上を走るより泳ぐ方が速く真冬に追い付けるし、ともすれば不意討ちも可能である。

 それに、道幅が狭く、自身の巨大な体躯では走ったとしてもどうしても動きが鈍る。

 ──ならば、水中に戻るだけだ。

 

 真冬は腕の耐え難い激痛が嬉しかった。

 昔を、母と過ごした頃を思い出せる。

 先程の、鉄鞭の様な尻尾を両腕で受けた際の前腕部のダメージが思いの外酷い。

 皮膚は破れ、肉が潰れ、尺骨と橈骨にダメージがある。

 折れていないが、広い範囲でヒビが入っているだろう。

 

 腕が使えない程の負傷ではない。

 しかし、骨の異常と、腕の傷。

 ──もっと、腕があれば良いのにな

 

1. 二度目の誕生日祝い

 2003年6月6日

 それは、丁度“ミレニアムタワー女児落下事故”から一年後の話だ。

 真冬はその日、七歳になった。

 相変わらず、母から虐待を受け、育児放棄は続いている。

 そろそろ暖かい時期になるとは言え、真冬はサイズが大きい薄手の白い半袖のインナーシャツ一枚を着ている。

 冬の寒い時期からそれだ。

 ほつれや、汚れも目立つ。

 ──まともな洗濯もされていない様だ。

 

 丈の長いサイズが大きいシャツを着ているのは、ワンピースの代替として、スカートやズボン代を浮かすためである。

 真冬に金を使いたくない故に、真冬の母はそれを着せていた。

 本来なら、そんなインナーシャツも買いたくない。

 ──害虫、虫は服なんて着ない。

 

 “服を着てる蛆虫なんているのかしら”

 

 生活保護のケースワーカーに、真冬の母はそう言った事がある。

 それを問題視した役所は真冬を施設に預けることを検討し、真冬の母から承諾を受け、引き取る。

 

 が、自動保護施設に預けられる事になっても、真冬は逃げ出した、そして、母の元に戻る。

 それの繰り返しだ。

 逃げ出した際に、ある大財閥の屋敷に逃げ込み、姿を眩ましたりもする。

 言わずと知れた徳川光成の屋敷だ。

 施設から、脱走した夜に姿を隠し、岩を打つ。

 そして、アパートに帰るのだ。

 無論母は激昂し、育児放棄、虐待は続くが、真冬は母から離れたいとは思わなかった。

 

 ──強くなれば、お母さんは喜んでくれる

 ──いつか、大人になり、強い自分を見せたら、お母さんはどれだけ喜んでくれるのかな

 ──金属をえぐったり、岩を砕いて球体を作ったり出来る私を見せたい

 ──でも、まだ駄目だ

 ──あの夜のあの人みたいな強い私になったらお母さんは喜んでくれるかな

 ──痛くなりたい、痛いのを耐えるのは強いから

 ──脳が甘いと痛みがなくなるから、強いよね

 ──あの夜の建物より高いところからまた落ちたいな、あんな高いところから落ちて死なないのは強いから

 ──いつか、名前も欲しい、お母さんが呼んでくれる様な

 ──大きい岩を輪に針に出来る私は強いよね、いつかそれも見せたい

 ──強いと出来ることを一気に見せたら、お母さんはきっと喜んでくれる

 ──だから

 ──まだ言わない、ただ側にいたい

 

 まだ、日も高い所にあった時刻。

 フェンスに囲まれたゴミ捨て場の様な空き地。

 そこは真冬が暮らすアパートの敷地で、本来はゴミ捨て場ではない。

 しかし、不法投棄された大型家電品、事故車両やバイクが集まる金属の墓場の様な空き地で、真冬は、遊んでいた。

 コンクリートブロックを幾つか積み上げ、そこに瓶を三本並べた。

 ブロックの高さは、瓶を真正面にして、丁度見やすくなる高さにした。

 瓶は固定されていない。

 小学校にも通わず何をしているのか。

 

 真冬は、積み上げられたブロックの前方、凡そ3メートル先に立って、瓶を見据えた。

 そして、右手の人差し指と中指だけを揃えて立てた。

 指を刀に見立てた刀印に似ているが、恐らく別物で、真冬にそうした知識は当然ながらない。

 

 ──素手をナイフのような形にしてみたい

 そうした考えからたどり着いたのが、この手の形だったのだ。

 母の前で、例えば何かしらの物体を切るとき、見栄えの良い切り方、斬っている様な姿ならもっと喜んでくれるのでは、と考えた結果である。

 

 先ず右脚で、踏み込んだ。

 二歩目で踏み切ると僅かに跳躍し、三本並べてある内真ん中の瓶にへと、指のナイフを縦に降り下ろした。

 すると、瓶は幹竹割りのように真っ二つになったのだ。

 

 他の二本は倒れる所か全く揺れもしていない。

 そして、真っ二つになったのを確認せず真冬から見て右側の瓶に向けて横に薙ぎった。

 すると今度は、瓶の首の部分を断ち切った。

 最後の一本は、指のナイフで中央部分を穿ち、穴を空けたのだった。

 断たれた真ん中以外は、二本とも倒れていない。

 固定されていないにもかかわらずだ。

 

 凄まじい技術である。

 

 その時だ。

 真冬は拍手の音を聞いた。

  

「良い児戯を見せて貰ったぜ。反撃されねぇのを良い事に、物への好き放題な斬撃拳……これ以上ねぇほど、まさに文字通りの女子供のお遊びだな、シロガキ」

 

 男の声が聞こえると、真冬の髪が、風も吹いていないのに、ぞわりと揺らいだ。



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第三章 其の十九 三本目の腕

 

 真冬は、咄嗟に拍手と声が聞こえた方へ振り返った。

 

 ──金網のフェンスを挟んだ向こう側

 そこに居たのは、見知った顔の男だった。

 誰であっても、この男を一度見たら忘れられないだろう。

 

 不思議な事に、彼の周囲だけ、大気が陽炎の様に揺らめいて見えた。

 それとも、空間が歪んでいるのか。

 男から発せられる並々ならぬ気迫が、そうした有り得ない現象を幻視させているのだろうか。

 

 半袖の黒いカンフー着、黒いカンフーシューズを身に付けた髪の長い男で、大きく開いた胸元、二の腕を見れば恐ろしい程に鍛え混んでいる事が窺える黒鉄の様な筋肉から、その身体に宿した凄まじい戦闘能力が容易く想像出来た。

 

 そして、真冬は想像だけではない、彼の凄まじい戦闘能力が如何程か知っている。

 

 何故なら昨年、身を持って教えられたからだ。

 徳川光成の別邸で岩へと貫手を撃ち込み、穿ち、削ぎ砕き、打岩を成していた夜に、彼と出会った。

 奇妙な挑発をされた。

 真冬は名前は知らないが、徳川光成その人は必死に止めようとしていた。

 その男を制止しているのか、それとも自分に言っているのか理解出来ない内に──真冬の元へと男は近寄って、ゆっくりと拳を突き付けて来たのだ。

 しかし、真冬はそれを攻撃と認識してしまった。

 のろのろとした、蝸牛の歩みよりも遅い拳の軌道を読み、真冬は着弾する寸でで避けようとした。

 そして、真冬は読み通りに身をかわし、男の懐に入り男の腹を抉る為に、貫手を放った。

 ──だが

 真冬が初めて、その爪で抉る事が出来なかった物が、この男の肉体である。

 しかも、たった一撃で意識を奪われたのだ。

 何が起きたのか今でも理解出来ていない。

 気が付いた時にはミレニアムタワーの屋上におり、そこから投げ捨てられたのである。 

 

 血と細胞が震える。

 また、逢いたかった。

 この一年、この男を忘れた日は無い程だ。

「シロガキ、今年も誕生日祝いだ、受け取れ」

 

 フッと、男の姿が消えた。

 そして、いつの間にか左腕を掴まれていた。 

 二人の間には金網のフェンスがあり、隔てられている。

 それにも拘わらずいつ、如何にして乗り越えたのか。

 突き破っていないのは明白であるので、跳躍したのか、しかし、何をしたのか真冬は見えていなかった。

 

 ゾワっと、血が凍り付く様な寒気に襲われる。

 再会の喜びを塗り替える、とてつもない恐怖が全身を駆け巡った。

「考えろ。片腕になったとき、お前はどう戦う」

 男がそう言った。

 自分を睨む、感情が全く読み取れない男の眼光。

 

 ──すると、肘の関節が、曲がるはずの無い方向へと曲がっていたのだ。

 

 男が左腕を離すと、真冬は何故か空が見えた。

 そして、倒れた真冬の左腕肘関節を踏みつけたのだ。

 あまりの激痛に上げてしまった真冬の絶叫を聞くと、男は不快そうに鼻を鳴らした。

 

「うまく調理しろ。旨そうならいつか喰ってやる」

 男はそれだけ言い残し、消えた。

 真冬は恐怖と、当時の彼女では理解不能な感情と痛みと心地好さに包まれながら、激しい呼吸を繰り返した。

 

2. 

 腕を増やす。

 その増えた腕を闘争に使う。

 何故か腕を折られても、彼に対して、怒りや憎悪は生まれなかった。

 恨むどころか、彼の言葉には不思議と従順となり、与えられた試練を乗り越えたいと思ったのだ。

 だからこそ、与えられた試練の答えを考えた。 

 悩みに悩み、悩み抜いて、結論を出した。

 そして、工夫し、完成させたのだ。

 三本目の腕。

 肘関節は破壊されても、肩関節は残っていた。

 二年前よりも、今の方が状況は余程マシだ。

 二年前は三本目の腕を使っても腕は二本。

 今回は三本目の腕を加え、三本の腕で戦える。

 

 “懐かしいな”

 その戦闘方法を思い付いた頃には、既に骨折は治りかけていた。

 だから、また、自分で折った。

 片腕になっていなければ、たどり着けない境地もある。

 

 マスター國松と言う名の、隻腕の殺法家がいる。

 真冬の考える片腕になったときの戦闘方法は、彼の技術(わざ)と、奇しくも非常に近しい物であった。

 

 三本目の腕とは、即ち衣服の袖である。

 非常に単純な発想だが、実のところ、それを如何にして腕のように扱うかが、単純な技術では無い。

 本当なら骨を折るだけではなく、これを完璧な物とする為に、真冬は()()()()()()()()()()()()程なのだ。

 切断しなかったのは、繋ぎ直す術が無いからだ。

 永遠に片腕なら、戦闘能力は流石にがた落ちである。

 今もあの時も、まだ、そうした繋ぎを行えそうな医師とは出会えていない。

 

 あの白いワニは、恐らくまだ水中だ。

 追って来ている事は、髪の毛に気配として伝わり察することが出来た。

 三本目の腕の準備は、走りながら既に完了させている。

 袖口から縦に肘関節辺りまで切り裂いた。 

 その切り込み部分から上部までを腕から垂らし、そして、裂いた袖口を袖箭の発射装置として利用していたアラミド繊維で口を綴じる様に縫い付ける。

 しかも、それだけではない。

 アラミド繊維を縫い合わせる際、袖口先端へバグナウをセットする。

 バグナウは、親指以外の指四本をリング状の持ち手があり、それに指を嵌めて握り混む。

 その四本のリングにアラミド繊維を絡め、袖口先端に縫い合わせるのだ。

 こうすることで、肘から二股に分かれる様にして、前腕が二本存在することになるのだ。

 

 隻腕のマスター國松は、特別な細工はされていない長袖の衣服を着ており、腕が失われている方の袖を腕の様に扱う。

 

 真冬の場合、まだマスター國松が繰り出す衣服の腕ほど洗練されていない。

 故に、バグナウを先端に縫い付けることで、威力を増しているのだ。

 マスター國松なら、袖を振るい鞭打を放つことが可能である。

 真冬も、不可能ではないが、実戦の場で行うにはまだ不安定な技術水準(レベル)なのだ。

 

 少し空いた路に出ると、記憶通り、様々な資材が置かれている。

 ブルーシートが掛けられ、積み上げられた木材やブロックの上に真冬は飛び乗る。

 

 そして、残る袖箭の矢を束ねて左手で持った。

 これは、投擲或いは、超小型の刺突ナイフとして扱うつもりだった。

 

 真冬は、再びワニが上陸してくるのを待つ。

 下水の濁流を正面に、背は下水道の壁に。

 

 ゴボゴボと水面が沸き立つように見えた。

 ──その刹那

 真冬は矢を二本投擲した。

 

 しかし、それは夥しい水飛沫が壁となりワニには届かない。

 ビキリと、固い下水道の床が悲鳴を上げる。

 ワニは凄まじい膂力によって水中から飛び出し、床を踏みしめたのだ。

 

 そして、真冬に突進し、積み上げられているブロックに全身でぶち当たった。

 コンクリートブロックが粉砕され、粉塵となり舞い上がる。

 真冬がそれを躱す様に、コンクリートブロックへ直撃する直前にて跳躍するが、後ろ足だけで突然立ち上がったワニが、打ち上げる様にして、背中を真冬の両足へとぶつけ掬った。

 

 強靭なオステオダームは堅牢な甲冑だ。

 しかし、こうしてぶつかれば、質量と硬度で相手を粉砕する、まるでシールドバッシュの様な一撃となるのだ。。

 

 凄まじい衝撃が真冬の両足へと伝わった。



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