BALDRSKY World7+Flat / バルドスカイ 世界7+♭ (ほんだ)
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第13+1章 学園生 / Chapter13+1 SchoolDays-

この作品は戯画様より発売しされているBALDRSKYシリーズの二次創作となっております。Dive1~2、Xおよびノベライズ版のAnother Daysのネタバレを含みます。未プレイ、未読の方はご注意ください。

基本的に各種設定や状況などは、記憶遡行と本編に準拠した形で、
DiveXの「戦場の二人~lives in the battlefield~」を含みます。それ以外のドリームストーリーズや妄想極秘ファイルでの状況は考慮しておりません。

また各種用語や、戦闘時のコンボなどはBALDR wikiを参考にさせていただいています。

ご感想や誤字脱字のご指摘など、感想掲示板でお伝えいただけると幸いです。

では、よろしければお付き合いください。


.


 

 

あとから振り返ってみれば、わかる。

その異常は、そうであることが自然すぎるがゆえに、違和感を感じなかったのだ、と。

 

 

 

 

..■一月二日 日曜日 四時五五分

 

「新年の朝とはいえ、静かだな……」

 静まり返った寮の廊下を眺め、無意識に声が漏れた。

 前世紀の木造建築を模した如月寮は、外見のみならず寮内の機能もそれに倣っている。もはや寮生内では定番のネタとまでになっている非自動式の玄関をはじめとして、人が起きたからといって自動で明かりは点かないし、空調も動き出したりはしない。不便といえば不便なのだろうが、一年近く過ごして慣れた今となっては、これはこれで趣も感じる。

 

 少しばかり残念なのは、木造建築風とはいえ建材がやはり各種の合成樹脂という点だ。なにかと自然環境が保護されているここ星修学園都市といえど、学園生用の寮に貴重な木材を使えるほど潤沢ではない。

 

 残念とは言うものの、この俺、門倉甲としてもそんな贅沢に木材を使った家屋に住めるほど余裕のある生活はしていない。良くも悪くもただの学園生なのだ。ただの学園生……というにはこのところ少々成績面で問題はあるが、それは新学期から取り戻そう。

 

 新年二日目の朝、それもまだ五時前となると物音一つしないは当たり前といえば当たり前。

 ただ今日明日に限っては、昼過ぎになってもここは静かだろう。今この寮には俺を含めて三人しかいない。

「まあ静かなのも、これはこれで新鮮でいいな」

 

 正月三箇日は寮生全員で過ごす、という話をクリスマス前にしていたはずが、年末になって皆予定が変わってしまった。結局、寮に残っているのは親父の顔は見たくもないというか居場所すらわからない俺と、帰る家がこの如月寮しかない一年生にして俺の幼馴染の若草菜ノ葉と、そして……

 

「っと、レイン?」

 玄関の、立て付けの悪くなった引き戸を、音を立てないように注意していたせいか、すぐそばの人影に気付けなかった。

 温暖化が進んでいるためか一月とはいえ肌寒い程度なのだが、とはいえそれとは関係なく五時前では日も昇っておらずまだまだ暗い。星明りで薄く輝く金髪がなければ、不審者と思って声を荒げるところだった。

 

「おはようございます、甲さん」

 桐島レイン。

 海のように蒼い瞳に長く伸ばした金髪、綺麗な姿勢が印象的な、新しい如月寮の住人。

 もとは俺達が通う星修学園とはなにかと対立している鳳翔学園の生徒だったが、昨年末に星修に編入しこの寮に引っ越してきた。

 

「おはよう、早いね。レインも身体を動かしに?」

「はい、少し走ろうかと思ったのですが……」

「どうやら道がわからない、といったところか」

 さきほどの虚空を眺めるような特徴的な視線。仮想(ヴァーチャル)に繋がっている者に特有な様子に、そう推測する。

 

 そう、レインも俺と同じく、第二世代(セカンド)だ。

 AIネットワークに観測されることで作り出されている仮想空間(ネット)が、現実(リアル)と同じあるいはそれ以上に日常に根付いている現在、脳内に電脳チップを埋め込むことは珍しくもない。それなりの社会生活を送る上では、必須ともいえる処置だ。

 ただ生まれてすぐにその処置を行われた「第二世代電脳化処置者」いわゆる第二世代(セカンド)は、まだまだ極少数。ちょっと田舎に行くと、AIに制御されたロボット扱いされて迫害を受けることもあるらしい。

 

 そんな状況で第二世代(セカンド)処置をする利点といえば、仮想空間(ネット)関連では数あるが、中でももっとも特徴的なものが常時接続だ。常に俺達は無線(ワイヤレス)仮想(ネット)に接続しており、一般的な使用であれば首筋に開けられた神経挿入子(ニューロジャック)を用いての有線(ワイアード)接続の必要性はまったくない。ちょっとした調べもの程度なら意識するだけで、今のレインのように視聴覚に上書きされた情報を、虚空に知覚できる。

 

 ただし仮想(ネット)にどんな情報でもあるかといえば、それはそれでまた別の問題だ。

 

「お恥ずかしい限りです」

「仕方ないよ、レインは引っ越してから一週間も経ってないんだから。仮想(ネット)でもそういう情報はありそうでいて、見つけにくいからな」

 だいたいこのあたりで走りこみそうな連中は学園の施設使ってるし、と続けながらも、俺も行き先に一瞬悩んでしまう。良くも悪くもここは「星修学園都市」なのだ。運動したい連中は学園の施設を使うのが当然だが、スポーツ系のクラブに所属していない俺達はもちろん、スポーツ特待生であったとしてもこんな時間には使えない。

 

「川原まで出て……そうだな、通学路の反対側に行くか。距離的にも、ちょうど適当なところで折り返せるし」

「お任せします。エスコートしてくださいな」

 暗がりではっきりとは見えないが、レインが淡く微笑む、その気配だけは確かに感じられる。どこか楽しげな声に応えるべく、俺も軽く返す。

 

「レインをナビゲートすると言うのは、なんだか新鮮だよ」

「新学期がはじまったら、今以上にお世話になりそうです」

「俺が手伝う前に、クラスの、それどころか学園中の男子がほうっておかないさ」

「あら? 変なお誘いからは甲さんが守ってくださると、そう期待していたのですが、残念です」

「あー……期待に沿えず申し訳ない。ってだいたいそうなったらどこかの誰かさんが口突っ込んでよりいっそうタイヘンなことになるな、絶対」

 

 話しながらも、俺はゆっくりと身体を伸ばしはじめる。

 ふと横を見れば、レインはその長く輝く髪を二つに纏めていた。

 

「って、ツインテール?」

「運動の時、長い髪というのは邪魔なので……」

 それはわかっているのだが、ツインテール、しかもその結び方はなぁ。

 

「しかしレイン、空を意識しすぎじゃないのか、それは」

 空、水無月空は俺やレインと同学年の、この如月寮の同居人だ。レインがこの寮に引っ越してきたのも、親友の空の存在が大きい。

 

「私、空さんに憧れてるんですよ? 髪形くらいは真似させてください」

「いや、俺が言うのもアレだが、あまり空を理想とするのは……」

 確かに水無月空は、成績も良ければ運動もできる。面倒見は良いし人付き合いも上手い。学園でもクラスのみならずなにかと皆の中心に居る。

 が、思い込みは激しいし、その上で暴走するし、しかも周囲は巻き込みまくるはと、あまり全方位で褒められたものではな、よな?

 

「甲さんっ、空さんとはお付き合いなされているのでしょう? 空さんはすばらしい人ですよ」

「す、すまん。そうだな、俺くらいは諦めて褒めてやらんと」

 そうだ。俺は空と付き合っている。だが、どこかその実感がない。年末年始、メールや通話でのやり取りはしているものの、顔を合わせていないからか?

 

「まあ空はともかく、髪を切るなんて言わないでくれよ。レインのその髪、俺は好きなんだから」

「甲さんにそう言っていただけると、切るわけにはいきませんね」

 そう言いつつも、俺の意見は通らず、レインは空そっくりのツインテールに纏め上げてしまった。

 

「以前真さんに見せてもらった本に載っていたのですが、かんざし?ですか、あれも良さそうなんですが」

「棒一本でくるくるっと纏めるって、伝統工芸品の、あれか? 俺の見たセンスホロだと、暗殺用の特殊ナイフみたいになってたぞ」

「それならむしろ数本用意しておきたいですね」

 そんな軽口を叩きあいながら、体温が感じられるほどのすぐそばで、俺達は同じリズムでストレッチをはじめた。

 

 

    〓

 

 

 予定通り川原を上流に向かって走る。

 新年のなまった身体に無理をさせないように、意図してゆっくりとしたペースだ。

 

「寮にはもう慣れた?」

「はい、最初はいろいろと戸惑いましたが……」

「如月寮は造りが特殊というか、アンティーク趣味だからなぁ」

 見た目や機能の古さもそうだが、家具の大半が据え置きで歴代の先輩から残されているのは、人によっては気に入らないかもしれない。

 

 しかしレインの感想は違うようだ。

「私は好きですよ? どこか暖かい感じがして」

「気に入ってもらえて、寮の先輩としては光栄だな」

「それにしても、これほど早く転入手続きが終わるとは、驚きました」

 時期的にぎりぎりの編入だったが、本人の成績の優秀さと前の学園での事情もあって、すんなりと手続きは進んだらしい。

 

 実際、レインが父親である桐島大佐から転学の許しを貰ったのが一二月の二四日、クリスマス・イヴの夜。翌日の二五日に、週末の土曜日にも関わらず転入試験申請が即時に受諾。さらに日曜の二六日には試験と各種の面接の後に、即日合格の発表。週明けすぐには、この如月寮への転居許可まで下りていた。

 普通に考えたら、ありえない速度で諸手続きが進められている。

 

「転入試験の成績が良かったからじゃないか……うん、きっと」

 とは言うものの、俺にはおおよその事情がなんとなくわかる。

 レインの転入を応援していた水無月空。その後見人は橘聖良。俺にとってはお世話になっている叔母さんで、世間的にはとある会社の社長。そして星修にとっては大口の出資者の一人だ。

 転入手続きが異様な早さで進んだのは、空を何かと気にかけてくれているその聖良叔母さんが、学園のほうに口添えしてくれたような気がしないでもない。もちろん確認するような野暮なまねはしたくない。

 

「しかし他の連中がいないから、慣れるというのもちょっと違うかもね」

 個室の寮とはいえ、集団生活なのだ。しかも如月寮はここ一年、食事は当番制で、だいたい皆で集まって食べていたりするし。なにかと理由があって今は皆離れているが、それなりに個性的な面子なので、レインは気を使ってしまいそうだ。

 

「いえ、ちょうどいい機会かもしれません。菜ノ葉さんには教わることばかりですし」

 当番制とはいえ、料理を筆頭に菜ノ葉は如月寮の家事全般をほとんど取り仕切ってくれている。そんな菜ノ葉から、レインはいろいろと学んでいるところだ。

「昨日のおせち料理とか、あれはレインも手伝ったんだろ? おいしかったよ」

「ありがとうございます。でも、ほとんど菜ノ葉さんに言われるままにご用意しただけなんですよ?」

 言われたとおりに出来るという時点で、俺からすれば十分以上にすごいと思う。前の寮で一年近くは自炊していたとはいえ、俺の料理の腕はあまり褒められたものではない。

 

「お料理もそうですが、お掃除にお洗濯、菜ノ葉さんは本当にすばらしいです」

「基本は教わっているんだろ? それにまだまだ時間はあるさ。レインのことだから、すぐに菜ノ葉に並ぶくらいには料理も家事の腕も上がるよ」

「父に逆らわずに、花嫁修業にももう少し身を入れておくべきでした。父に言われて続いているのは、運動ばかりかもしれません……それも満足いくものとはいえませんし」

「桐島大佐の教えか、やっぱり厳しそうだな」

 

 レインのお父さんは、統合軍の大佐。俺も何度かお会いしたことのある、レイン以上に筋の通った立派な方だ。少しばかり厳格すぎるところはありそうだが、そのあたりはレインの立ち振る舞いを見ても想像できる。

 

「あら? 甲さんもこうやってトレーニングしておられるというのは、門倉大佐の教えではないのですか?」

「うちの親父はなぁ……」

 

 門倉永二、俺の親父も軍人で階級だけなら桐島勲大佐と並ぶ。残念ながらそれ以外はまったく別だな。だいたい所属からして地球統合政府軍の桐島大佐とは違って、軍事請負会社(PMC)だ。それも困ったことに悪名高き傭兵組織である。

 

「……あれ? というか何で俺はトレーニングなんてはじめてるんだ?」

「年明けの二日目、だからでは? お休みとはいっても、あまり怠けるわけにもいきませんし」

「あーそうだよな。寝正月はいいことは何もないからな」

 

 なにかがおかしい気はするが、トレーニングは休まないのもダメだが休みすぎるのももちろんよくない。

 そんな風に話していると、いい具合に身体も温まってきた。少しペースを上げていく頃合だ。

 そこからまったくの無言が続くのだが、それは不思議と慣れ親しんだ沈黙だった。

 

 

    〓

 

 

「軽、めの、ペースのつも…り、だったが、きっついな」

 空が白みはじめるころに如月寮の前に戻ってきた。着いたその瞬間、俺は地面に崩れそうになった。

 荒く息を吐きながら、何とか言葉にする。

 だいたい一時間、一〇キロ程度のランニング。それだけで、なまっているのか身体が重い。

 

「お休み明けでしたから、あまり無理せずに帰りの道は歩いても良かったですね」

 対して、レインはわずかに息は上がっているものの見た目は平静だ。

 額に掛かる髪が汗に濡れている、その程度だった。

 

「甲さん。息が整ったら、少し身体を動かしてから、お先にシャワーを」

「いや、レインはこの後、も、まだやるんだろ」

 意識して呼吸を深くしながら、確認する。

 

「はい。基礎の体力トレーニングと、あとは……」

 あとは、格闘術の型の練習か。きついのはわかっているがそこまでやってこそのトレーニングだ。それに組み手をするなら、都合のいいところを思いついた。

 

「格闘術まで含めて、付き合っていいかな?」

「護身術……のようなものですが、それでよろしければ」

「お願いするよ。あーただし休み明けなので、お手柔らかに」

 くすっと笑われてしまったが、レインに本気を出されたら文字通り命に関わる。手加減して欲しいのは俺の心からの言葉だ。

 

「もちろんです。いきなり肩の関節を外したり、そこまではいたしません。ただ……」

 レインが心配げに辺りを見渡す。寮の庭は、土が露出しているとはいえ踏み固められている。投げられた場合、しっかりと受身を取らなければ、打ち身だけではすまない。

「その心配は無用だ。休み明けの練習にちょうどいい場所があってね」

 

 

    〓

 

 

 簡単に行き先を説明して自室に戻った俺は、汗を吸ったシャツを着替えてから、ベッドの横になる。

 慣れた手つきで、枕元から伸ばした神経挿入子(ニューロジャック)を首筋に挿入(ジャック・イン)。これだけで準備は整った。

 

 没入(ダイブ)、と呼ばれる仮想空間(ネット)への意識転送は、俺達第二世代(セカンド)ならどこからでもできる。常時接続とはそういうことだ。しかし没入(ダイブ)中は現実(リアル)に残った身体は寝たきり状態で、あまりに無防備である。

 

  - 『備えよ常に……それを忘れると簡単に死ぬ』

 

 今年の春先に告げられた、最初にして最高の教えだ。

 有線(ワイアード)没入(ダイブ)していれば、最悪の事態が起こったとしても、第三者が強制離脱(ログアウト)させやすい。第二世代(セカンド)の特権とはいえ、無線(ワイヤレス)での没入(ダイブ)は、安全面から見ればけっして勧められたものではない。

 最後に接続を再確認し、俺はプロセスを実行した。

 

 

没入(ダイブ)

 

 機械音声(マシンボイス)が脳内に響き、今まで背中に感じていたベッドの感触が失われる。

 瞬間、寮の自室のベッドの上から、輝くグリッドの大洋が広がる空間に出現した。

 

 中継界(イーサ)

 無数のAIが織り成す、もう一つの世界、仮想空間(ネット)。その移動の基点ともなる場所だ。

 見慣れたその幻想的な景色に目をやる間もなく、待ち人は来た。

 

「お待たせいたしました、甲さん」

「いや、俺も今着たばかりだよ」

 俺の前に現れたレインも、トレーニングウェアを着替えていた。

 

 原則的に、仮想空間(ネット)ではAIが観測した現実(リアル)の状況を作り出している。仮想(ネット)内部で作り上げられたものは別として、現実(リアル)にあるものはほぼそのまま再現される。

 電子体と呼ばれる仮想(ネット)内部での俺達の身体も、そうやってAIによって形作られている。もちろんデータさえ所持していれば、服装やちょっとした髪型などは変更できるが、基本的には没入(ダイブ)したときのものが使われる。

 シャツだけでベッドに転がっている俺は、まさにそういう服装だった。

 

「そんなにしっかりしたトレーニングウェアでなくても良かったのに。まともな操作席(コンソール)じゃないんだからあとで疲れないか?」

 没入(ダイブ)中、現実(リアル)での身体は一見すると睡眠状態と同じだ。あまりにしっかりした服装だと、短時間といえど負担になる。これがさらに長時間となれば、食事や排泄を含む身体維持機能の備わった大掛かりな操作席(コンソール)から没入(ダイブ)すべきである。

仮想(ネット)で練習とはいえ、できる限り感覚は近くしておいたほうがよかったかと……」

「言いたいことはわかるよ。まあだまされたと思って転送(ムーブ)してみて」

 

 

転送(ムーブ)

 

 目的地である施設の座標をレインに送り、ともにそちらへ転送(ムーブ)する。

 没入(ダイブ)の時と同じく、一瞬に周囲の状況が変わる。現実(リアル)ではどれほど時間が掛かるかわからない距離を、俺達は一瞬で移動したのだ。

 

「……これは、すごいですね」

 転送(ムーブ)して周囲を見た瞬間のレインの感想が、それだ。

 

 先ほどの中継界(イーサ)の、どこかぼやけたような感覚の、幻想的な空間ではない。

 どこまでも青く澄み渡った大空に、輝く太陽、漣の音に重なるように遠くから聞こえる海鳥の声。

 眼前に広がるのは、真夏の砂浜だ。

 足元の砂が持つ熱も、潮の香りも、ここが仮想(ネット)だとは信じられないほどだ。

 

「アーク社の、半ば実験的なプライベートビーチ。可能な限り制限(リミッター)は解除されてる」

 一般的に、仮想空間(ネット)では厳密なまでにAIによって観測された現実(リアル)が再現される。それは視聴覚だけではなく、五感すべてであり、そしてその影響は現実(リアル)側の身体にも反映されてしまう。寒く感じれば震えるし、暑く感じれば汗をかく。

 仮想空間(ネット)の管理を機械的AIに移行し、まったくのゼロから構築された仮想(ネット)論理(ロジック)に基づいて再現された世界。その再現性がある一点を超えたときに、仮想(ヴァーチャル)での死が現実(リアル)での死を引き起こした。

 

 幾たびも対処方法が試されたが、人々が仮想(ネット)でのリアルな感覚を求める限り、現実に再現される危険性を切り離すことはできなかった。

 仮想(ネット)の管理が有機的AIに変わった現在でもその問題は解決されておらず、以来仮想(ネット)の再現度を擬似的に制限することで、安全を保っている。

 

 だがレジャー利用に目的を絞れば、その制限はどこか作り物といった感覚を免れず、反AI派からは「偽物」という仮想(ネット)批判の一因ともなっていた。

 アーク社は制限(リミッター)を、管理された限定地域のみではあるが、生命の危険の無いギリギリの安全範囲まで緩和しようとしている。

 

「叔母さんの好意でね。空いてるときなら勝手に使っていいと、半ばフリーパスみたいなものをを貰ってたんだ」

「確かにここでしたら、筋肉痛に悩まされずに練習できますね」

 

 そう言いつつも、どこまでも広がる水平線を眺めるレインの眼差しは、眩しさだけではなく少し淋しげだった。

「……デートで誘ったほうが良かったか?」

「え、ええっ!? い、いえ、その……そういう話ではありませんっ」

 

 慌てて否定するものの、図星だったようだ。このビーチは当たり前だがそういう目的に作られたもので、格闘技のトレーニングに使うというのはあまりに場違いではある。

「卒業旅行には現実(リアル)でサウジのビーチに行こうか。それまでバイトして金貯める必要はあるけどね」

「それは、労働意欲が沸きますね」

 笑いながらも、既にレインはストレッチをはじめている。

「では、改めてよろしく頼むよ、レイン」

 

 

    〓

 

 

 結局、現実時間で、日が昇りきるまで俺達は黙々と身体を動かし続けた。

「お疲れ様です、甲さん。そろそろ朝食の準備ですね」

「ああ、お疲れレイン。先にシャワー使っててくれ。俺はもうちょっと伸びてる……」

 黙々と続けた理由が、息が上がりすぎていてしゃべれなかった、というのはレインには間違いなく見抜かれているに違いない。違いないのだが、俺にとってそれは別に恥ずべきことでも隠すべきでもないことだった。

 

 

 

 

 

..■一月三日 月曜日 一三時二〇分

 

 菜ノ葉とレインの二人が作ったおせち料理を適当につまむという、正月らしい昼食を取り、その後片付けも終わると、寮の居間は驚くほど静かになった。

「空と千夏が居なかった去年の春先は、こんな感じだったんだよな」

 何かと騒がしい昨今の如月寮、その元凶は間違いなくあの二人だ。

 空が騒がしいのは出合ったその日からで、そういう意味では千夏も似たようなものだ。

 

 渚千夏。

 いまは実家に帰っているが、空とはいい感じに喧嘩友達だ。喧嘩の原因の大半が俺のような気もするが、それには目を瞑らしてもらう。ちなみに女子サッカー部所属のスポーツ特待生だったが、このあたりは昨年秋に脚を故障してしまい今後どうなるかわからない。その話し合いも兼ねて、実家に戻っているのだろう。

 俺個人にとっては、付き合っている空と同じ意味で、ちょっと気になる女の子だ。なんといっても告白までされてしまったし。うやむやのうちに保留にしているのが、千夏自身は今年一年をかけて、俺を空から奪い返す心積もりのようだ。

 実際、空と付き合うきっかけとなったあの事件がなければ、普通に千夏と付き合って学園生時代の甘い記憶、というものになっていたのだろう。もはやありえない仮定の話ではあるが。

 

「まあ静かなのは、ちょうどいい」

 あまりに静まり返った居間の空気が寂しくて、つい口に出してしまった。

 ただこの静けさは、今の俺にとってはたいへん助かる。なんといってもするべきことが山積みなのだから。

 

「まったく、昨年の俺は何をしてたのやら」

 愚痴もこぼしたくなるが、過去の自分を責めても問題は解決しない。

 なにかとよく連るんでいる親友の須藤雅も、そして千夏も、ことこの件に関してはまったくの無力、いやそれ以上にただの障害。それどころかより能動的に問題を積み上げてくるに違いない。ひいては足の引っ張り合いになる。去年の夏の実体験からの貴重な教訓だ。

 空が居ればわずかなりとも力になってもらえそうだが、帰って来るのは今日か明日の夜になるとメールがあったところだし、協力を依頼しても断られるに可能性が高い。こういうところ良くも悪くも空は委員長資質というか優等生なのだ。

 

 そして自室にはベッドがあり、それは冬の肌寒さという強力な味方を持ち、常に俺を誘惑する。

 結果、誰も居ないはずの居間に出てきて、提出期限が近づいている課題のファイルを展開する羽目になった。

 

「しかしこれは、我ながらすばらしいまでに一切手をつけていないな」

 冬期休暇がはじまったクリスマスから年末まで、いったい何をしていたのか自分でもおぼろげだが、課題関連のファイルを開いた記憶がないことは確かだ。当然、進んでいるはずもない。

 菜ノ葉がなにか夕食の準備でもしているのか、台所のほうからはごそごそと音がする。お茶を貰いにいったらそのままなし崩しにだらだらしてしまう姿がリアルに想像できるので、ここは潔く諦める。

 

「学園時代でないと得られない知識ってのも、やっぱりあるよなぁ……」

 誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、積みあがった仮想のファイルを片付けはじめた。

 

 

    〓

 

 

「甲さん、こちらでしたか」

 いつもどおりの静けさで、レインが居間に入ってきた。

「あ、お邪魔してしまったでしょうか?」

「いや、ちょうど休憩しようかと思っていたところだよ。お茶でも入れようか?」

 視界の片隅に表示していた時計に眼をやると、一時間近くは課題を進めていたようだ。さすがに少し休みたい。

 

「あ、あのですねっ」

 珍しく、切羽詰ったような顔でレインが切り出した。

「その、ケーキを焼いてみたのですが、よろしければ、菜ノ葉さんと、その甲さんにも食べていただきたい、と。味のほうとか見た目とか、あまり、その……第一お正月にケーキというのはすごくヘンな気がいたしますし、もしお嫌でしたら、あれです。あの……」

 なにか最後のほうはこちらも見ずに、ごにょごにょと言葉を濁している。

 

 そんなレインも新鮮といえば新鮮だが、このまま見つめて続けてしまうと、何か俺がいじめているように思えて気が引ける。

「そういえばレインはケーキは得意って話だったよな。菜ノ葉は裏庭かな? 呼んで来るよ」

「は、はいっ、お願いいたします。コーヒーのほう用意しておきますね」

 

 

    〓

 

 

 テーブルに用意されたのは、焼きたてのシフォンケーキ、わずかに橙色に染まったそれにバニラアイスが添えられている。レインはさっき見た目がどうこう言っていたが、このままカフェで出せるような出来栄えだ。こういうあたり、やはりレインは何事においても繊細(テクニカル)だと思う。

 

「おいしーっ。ニンジン使うって聞いてたから、どんなものかと思ってたら、そっかーこういう感じになるんだ。お砂糖と水がちょっと少なめで甘味はニンジンとメープルシロップなのかな……」

 菜ノ葉は一口含むと、なにやら感極まったように目線を宙に泳がしているが、感心しているのか分析しているのかいまいちわからん。

 

「ニンジンは摩り下ろして軽く茹でたものを一緒に混ぜただけなんですけどね。それに生クリームの準備を忘れてしまって、添えたのがアイスですいません」

「いや、あっさりした甘味で美味いよ、これ」

 ちょうど甘いものが欲しかったというのをどけても、レインの焼いたケーキはおいしかった。一緒に出してくれたコーヒーも普段より少し濃い目。課題で疲れているのを見抜かれているようだ。

 

「あーそかーニラもこうやってケーキにして焼けば、甲も食べるんだね」

「いや、それはない。絶対にない」

 ニラ風味のケーキなんて、勘違い気味に進化したフォーチュン・クッキーにならありそうだが、そんなものは見たくもない。

 菜ノ葉の謎の感想に、さすがにレインもなんともいえない顔をしている。

「あ、コーヒーのお替り、淹れてきますね」

 

 

    〓

 

 

「でさ、甲。レインさんとなんであんなに親しいの?」

 ジトーっと睨みつけるように問い詰められる。問い詰められるのだが、俺にはいまいち実感がない。

「親しいって、俺とレインが、か? どう見てもお前のほうが親しくないか?」

 引っ越してからこっち、レインは何かと菜ノ葉の指導を受けている。

 掃除洗濯に炊事。最初はいろいろと失敗していたが、菜ノ葉の教え方が良いのか、レインの飲み込みが早いのか、年が明けてからは二人で上手く分担しあっているようだった。

「うん、菜ノ葉。お前はいい小姑になれる」

「甲…それぜんぜん褒めてないよ……」

 菜ノ葉は膨れつつも、ケーキを口に運んでいる。

 

「そういう話じゃなくってさ。空さんや真ちゃんが、レインさんと仲良いのはわかるよ? 前から知り合いって言ってたし。でも甲って、ちゃんと会ったのって、ついこの前なんだよね?」

 言われてみれば……

 

 レインとは学園の聖堂で出会ったことはあったし、それとはべつにいろいろとすれ違っていたらしいのだが、その程度でしかなかった。名前を聞いてちゃんと話したのは、あの重箱に貼り付けたられた空の手紙に気が付いたその日、確か十二月の十九日だ。しかもその後は転入の手続きや引越し準備などで、まともに顔を合わせたのは引越しの完了した年の瀬だった。数えてみなくてもまだ一週間にもならない。

 その引っ越しのときも、あまり荷物を持ってきていなかったようで、手伝うというほどの手伝いもしていない。

 

「あ、れ……だいたいあの時は俺、呼び捨てになんてしてなかった、よな?」

 桐島さん、と最初呼んでいた気がする。つい十日ほど前のことなのにもうずいぶんと昔のことに思える。年末年始のごたごたのためか記憶があやしい。

 

「んー千夏みたいに波長が合ったとか、空みたいに顔見れば喧嘩してしまうとか、そういうんじゃないしな」

「そうなんだよねーなにか甲もレインさんも二人とも、二人で居るのがあまりに普通に見えちゃって、実は前からの知り合いだったのかなって」

 菜ノ葉と俺とで、うんうん唸りながらも答えは出ない。

 

  - 『お前達がたとえどんな関係であろうと、

  -  二人で■■に出るということは……』

 

「ああ、そうだ。『二人でひとつの命を共有する』……」

 ふと浮かんだ、その言葉。

「なによ甲……それって誓いの言葉とか、そんな何か?」

「あれ? 誰に言われたんだっけ。なにかすごく大切な、絶対に忘れちゃいけないことを教えられたはずなんだが……」

 

 命を共有……か。

 どこで聞いたかも、いつ誰から聞いたかもわからない言葉だが、俺とレインの関係の核になってるのはそれだという確かな実感があった。

 

 

    〓

 

 

「お待たせしました。あら、どうかされましたか?」

 淹れたてのコーヒーの香りとともにレインが居間に戻ってきた。

「あーいや。レインと俺が仲良すぎて、菜ノ葉がすねてるだけだよ」

「ひどいよーそうじゃくてですねっ」

「心配しないでください、菜ノ葉さん。甲さんは皆さんに優しいですから」

 そういうフォローがすでに不自然なほどに手馴れてるんだけどなぁ……などと菜ノ葉はぼそぼそ言ってる。

 

「それに菜ノ葉さんは、甲さんの小さいころからのお知り合いなんですよね?」

「う、うん。甲が引っ越してから学園で一緒になるまで、けっこう会ってなかったんですけど……」

「もしよかったら、小さいころの甲さんのお話を聞かせていただけませんか? 空さんはそういうところは知らないみたいですし、興味あります」

「あーそうそう。小さいころの甲の夢っていうのがですねー」

 レインが何気に菜ノ葉を誘導している気もしないではないが、二人は楽しげに話しはじめた。

 楽しげなのはいいが、ガキの頃の思い出話は、レインに聞かすには真剣に恥ずかしい。

「もしもしお二人さん。当事者たる俺の意見は……」

 

 

    〓

 

 

 課題が進んでいないことに気が付いたのは、その日ベッドに入る前だった。

 

 

 

 

 

..■一月五日 水曜日 一四時三〇分

 

『ただいまーっ』

『たた…です』

『ただいまぁ……ぅぅ、疲れたぁ』

 

 冬休みも今日を入れて残り三日。今日こそは、と昼食後にそのまま居間で課題を進めていたのだが、玄関からの騒がしい声に中断する。というか今にも倒れそうな亜季姉ぇの介護に向かわないと、玄関で寝かねない。

 

「おかえりなさいませ、皆さん」

「おかえり。亜季姉ぇは、おつかれさまでした、かな?」

 ちょうど台所から出てきたレインと並んで、帰ってきた三人を出迎える。一週間ぶりくらいだが元気そうだ。約一名、今にも崩れそうな亜季姉ぇを除いて。

 

 西野亜季。亜季姉ぇ、と俺は呼んでいるが正しくは姉弟ではなく再従姉だ。小さい頃に一緒に住んでいた時期もあって、それ以来俺の姉代わりとなっている。

 ダメ人間の代表みたいに見えるが、人工知能友愛協会(A・F・A)の最年少正会員にして特級プログラマ(ウィザード)、おまけにこの如月寮の寮長である。まあ寮長になったのは唯一の三年生というか、四月の時点でこの寮に住んでいたのが亜季姉ぇただ一人だったという消極的理由だが。

 

「私、もうダメ……ごめん甲、レイン……寝る~ぅ」

「はいはい、晩御飯ができたら起こしに行くから、寝るのは部屋に戻ってからにしてよ、亜季姉ぇ」

 黄色い太陽に襲われる~などと意味不明な言動をしながら、それでも自力で亜季姉ぇは自分の部屋に入っていった。あの様子ではベッド代わりの操作席(コンソール)までたどり着けるかどうかさえ怪しい。あとでちゃんと見に行かないと。

 

 ちなみに亜季姉ぇは、姿勢が悪いというかいつも寝ているか、起きても猫背でだらだらと歩いているおかげでわかりにくいが、これでも背は高い。俺やレインと同じくらいのはずである。

 

「なにかお久しぶりね、甲」

「お前は相変わらず元気そうだな、空」

 水無月空。レインほどではないが、綺麗な金髪をツインテールにした、気の強そうな如月寮の住人の一人だ。

 

 そして俺にとっては特別な相手。

 去年の春先に出会った当初は、半ば喧嘩友達といったところだったが、ちょっとばかり異様な経験を経て、俺達は付き合うこととなった。

 

 その原因は、今はもういない大切な存在、クゥ。

 AIが人間の感情を理解するための一環として、亜季姉ぇが作った特別なNPC、クゥ。シミュラクラと呼ばれるクゥは、常に空とリンクしており、仮想(ネット)での外見は完全に空と同一で、空の記憶や感情からさまざまな反応を学習していた。

 

 しかしそのリンクは一方通行なものではなく、クゥの感情もまた空に影響していたのだ。クゥが俺に懐いてくれるに従って、空はありえない感情に流されるようになり、ついには倒れるほどだった。

 

共振(ハウリング)の後遺症がないかとか、いろいろ検査はしてもらったけどね。ご覧のとおり問題なし、よ」

 クゥと空との感情が近付くにつれ双方が増幅しあい、よりその感情が強まっていた。さらになぜか俺のも増幅され、俺と空とはどこまでが自分のものとも判断できない恋愛感情に振り回されたのだ。

 

 あの異常な感情の昂ぶりを制御するには、共振(ハウリング)の原因となっているクゥ独自の意識を止めるしかなく、そしてクゥは凍結された。いまは仮想(ネット)の奥で眠りについている。

 おそらくこんな形で恋人となったのは、人類初だろう。

 

「それを聞いて安心したよ。真ちゃんもお疲れ様」

「ぁい……ただ…ま、です」

 真ちゃんは空の一つ下の妹だが、いろいろと残念なところも多い姉を反面教師としているせいか、よく気の付くいい子である。電脳症という特殊な病気のこともあって人付き合いは苦手で、現実(リアル)ではなかなか言葉が上手く話せなかったが、最近は少しずつ良くなってきているように見える。

 

「空さん真さんもお疲れでしょう? お茶淹れますから、居間でゆっくりしていてください」

「え? ……うん、ありがとうレイン」

「ありが…と、です」

 ペコっと真ちゃんが頭を下げて、居間のほうへ行く。清城市からはけっこうな距離だ。亜季姉ぇほどではないが、真ちゃんもやっぱり疲れているようだ。その妹を気遣うように空も居間へ向かった。

 

「はい……はい、亜季さんに、空さんと真さんがお戻りに……はい、わかりました」

 台所に戻りながら、レインは通話をはじめる。話の様子からして相手は菜ノ葉だな。

「すいません甲さん、菜ノ葉さんの買出し、お手伝いお願いできますか? 荷物が増えそうということですので」

「わかった。適当な場所で菜ノ葉と落ち合うから、買い物はそれまで待ってるように言っといてくれ」

 お茶に付き合えず悪いな、と声だけは空にかけて、間違いなく買いすぎているだろう菜ノ葉の元へ急いだ。

 

 

    〓

 

 

 如月寮生全員集合というわけではないが、それでも昨日までと比べると倍、六人居る夕食は騒がしくも楽しかった。菜ノ葉は調子に乗りすぎて、少しばかり作りすぎていた気もしないではない。

 食べ過ぎてしまったらしい亜季姉ぇは部屋に戻ってる。さすがに寮に帰った当日くらいは居間で寝転がるのではなく、ちゃんとしたところで寝てもらいたい。

 

「やっぱり菜ノ葉ちゃんのご飯はおいしいわね」

 感謝しなさいよ甲、などと空は満足げだが、一番食べてたのは間違いなく空だ。

「お前は新年の菜ノ葉の雑煮を見ていないからそんなことがいえるんだよ……って食後に思い出すもんじゃないな」

 

 新年早々に遭遇することとなった菜ノ葉謹製のニラ雑煮は、俺の乏しい人生の中でも消し去りたい記憶の上位にランクインしてしまった。数日後に控える七草粥の伝統を菜ノ葉が忘れてくれていることを切に願う。

「それはどうせ甲が好き嫌いするからでしょ?」

 苦手な食いもんくらい誰にでもあるだろ、と思いつつも、そういえば空の苦手なものは聞いたことがないな。

 

『菜ノ葉さん、後片付けなら私がしますよ、今日はほんとにたくさん作っていただいたんですから』

『下ごしらえとか、ほとんどレインさんに任せちゃってたじゃないですか』

『あう…片づ、なら…わた、し…するよ?』

 台所から聞こえる三人の声を聞きながら、空と二人でゆったりとお茶を飲む。空とのこういう時間は何か久しぶりな気がする。

 

「でも、びっくりしたわ」

 台所のほうに眼をやりながら、空がそんな風につぶやいた。

「びっくりって、料理の量か?」

「違うわよ、ばか。レインのことよ」

 たまに、ではなくいつものことだが、空の話の飛び具合には付いていけない。おそらくは本人の頭の中では何某かの論理(ロジック)に基づいてのことだろうが、常人たる俺には理解できん。

 

「甲……今なにかすごく失礼なことを考えてない?」

「あ、いやいや。レインがどうかしたか? ヘンなところはなかったと思うが」

 台所から漏れ聞こえる声からするに、レインの様子におかしなところは無い。親友たる空が戻ってきたからか、少しばかりはしゃいでる感じはするが、さすがにそれに驚くのもおかしいだろう。

 

「そういうのじゃなくて、レインがすっごく変わってて、驚いたのよ」

「レインが、変わった?」

「うん、すごく良い風に変わってるとは思うの。でもね、その変化が如月寮に引っ越しただけには、ちょっと急すぎるかなって」

 きっと甲のおかげね、と。空が小さくつぶやく。どこかその姿は寂しげに見える。

 ……ますますわからん。

 

「レインね、甲と話すどころか、男子と話すことさえほとんどなかったってくらいなのよ?」

「……ん?」

「あの娘ね、甲もわかってるかも知れないけど、すっごいの。見た目だけじゃなくて、勉強もだけど、スポーツだって武術だって、本当はケーキとかもしっかり作れるの。それなのに最初会った頃は、ずっと『私なんて……』って自分を卑下するばっかりでね」

 自分に自信が持てなかったみたいでねーっと、以前のレインを思い浮かべるように、空が言う。

 そんなところもあった気がする。先月聖堂で初めてちゃんと話したときは、美人なのによく泣く女の子だと思った……はずだ。

 

「で、なんだ。俺がレインに何かしたと思ってるわけか、空は」

「レインがあんなふうに変わるきっかけなんて、甲以外に考えられないじゃない」

「なんでそこで俺が原因だと思い込むかなぁ……」

 空の、この突拍子もないまでの脈絡のなさは、年が明けても変わりそうにないな。

「って言ってもなぁ。だいたい俺の知ってるレインは、男と話す話さないどころか、粗雑(クルード)な連中とも普通にシモネタでも遣り合ってたぞ?」

「はぁ? なに言ってるのよ、甲」

 

 そう俺の知ってるレインは、確かに芯の部分では情の厚い女だった。だが俺達が生き残るため、その悲しみも苦しみも隠し抜くために、いつも冷たく醒めた目つきで周囲から距離を取っていた。

 弱みを見せるなんてことは、俺の前だけだった。

 

  - 『一緒に泣いて頂けると、約束してくれましたよね?』

 

「なんなんだ、それは……?」

 知っているはずのない、ありえない記憶が鮮明に描き出される。

 

 先日菜ノ葉にも言ったが、俺がレインと会って、ちゃんと話すようになったのは十二月半ばだ。しかも寮に引っ越してからは皆どたばたしていて、まともに顔を合わしたのは年が明けてからのはずだ。

 しかしレインと俺とが共に過ごした時間は、他の誰よりも長く大切なものだ。

 意識と記憶と感情とが、どこかでずれている……

 

「……うっ、甲っ! どうしたのよ、いったい?」

「そ……ら、か?」

 耳元で俺の名を呼ぶ、水無月空の声。ここは間違いなく如月寮の居間だ。

 

「ちょっと眩暈がしただけだ。食べ過ぎたからかな」

 我が言葉ながらまったく信憑性がない。

「悪い空、今日は早めに寝るよ。お前も疲れてそうだから無理するなよ」

 逃げ出すように居間を出て、俺は部屋に戻った。

 

 しかし日付が変わる頃まで、寝付けることは無かった。

 

 

 

 

 

..■一月六日 木曜日 七時二五分

 

 トレーニングも年明けから五日目となると、ほどほどに慣れてきた。初日のようにランニングだけで崩れ落ちるということもない。もちろん組み手の練習ではレインに振り回されているのは変わりないが……

 顔を洗いつつ、復習として今朝の練習を脳内で再生していると、後ろが騒がしい。

 

「おはよう甲、なによ珍しく朝早いのね」

「おはよう空。珍しくってなんだよ」

「珍しいじゃない、あんた私や菜ノ葉ちゃんが起こすまで、というかいつもなら起こしてからもベッドから出てこないじゃない」

 言われてみれば、以前は菜ノ葉や千夏、そして最近は空に起こしてもらっていた。そのはずだった。

 

  - だけどベッドから抜け出すのはまだ早い。

 

  - だって、聞きなれた呼び声が、

  - まだ俺の耳には届いていないから。

 

「っく」

 ふと、確かに去年、自分でつぶやいていたはずの言葉が浮かび上がる。

 自分の記憶のはずが、何かが違う気がする。

「……年明けで、心機一転してるんだよ」

 このところ、どうも自分の記憶や行動に自信がもてない。共振(ハウリング)がいまだに続いているのかとそんなことまで考えてしまうが、それがありえない願望だということは自覚している。クゥはもうけして目覚めることのない眠りについているのだ。

 そんな迷いを顔に出さないように、空から眼をそらして鏡に向かいなおす。

 

「心機一転……ねぇ」

 空は納得していないようだが、俺自身にも納得できていないので、説明しようがない。よくよく考えれば空としては一週間ぶりに俺を起こすチャンスだったのかもしれないが。

 もしかして俺を起こすのを楽しみにしていてのか、殴られそうなことを口にしかけたときにタイミングよく風呂場の扉が開いた。

 

「お待たせしました、甲さん。あ、空さん、おはようございます」

「おーすまんレイン、洗濯は任せていいか?」

「はい、もちろんです」

「すまんな、頼むよ」

 シャワーを浴びたとしても、さすがに汗を吸った服を着なおして朝食には付きたくない。もちろん代えのシャツなどは用意してある。

 

「って、あんた達ーっ」

 簡単に顔を洗いなおして、服に手をかけていたら、また空が騒ぎ出した。

「今度はなんだ、空? いきなり大声出して」

「あの……どうかなさいましたか、空さん?」

 空が突然騒ぎ出すのは、俺にとっては、そして親友のレインにとってもおそらくありふれた光景なのだろう。俺達二人とも落ち着いたものだ。

 

「なに騒いでるのって、甲すぐ出ていきなさいっ レインも早く着替えるっ」

「おいおい……俺はこれからシャワーだって。お前が出て行けば汚れ物脱いで風呂場に行くよ」

 さすがに空の前で全部脱ぐなどということはしたくない。それこそ何がおきるのか考えたくもない。

 

「私も髪を乾かしながら、お洗濯しようかと」

「だーかーらーっレイン、バスタオル一枚で、甲の前に出ちゃダメーっ」

 今のレインはタオル一枚。シャワーを浴びた後なのだから当然だ。いまいち空が何を言いたいのかわからずに俺とレインは見詰め合ってしまう。

 

「だいたい甲も、なんで今からシャワーなのよ」

「なんでって……レインと同じく汗流したいからなんだが」

「あ、汗流すって、甲……まさかあなた達……」

 空が顔を真っ赤にして、わなわなと震えだした。

 

「おーい空さん。また何かヘンな想像してません?」

 これは確実に、空は勘違いしているというかよからぬ想像をしている。騒ぎ出す前に風呂場に逃げこんで中で手早く服を脱ぐ。そのまま汚れ物をレインに渡し、空の対応もお任せしてシャワーに。完全なまでに敗走だがここは仕方がない。

 

『あのー空さん。ランニングしてすこし身体を動かしたところですので、とりあえず甲さんには汗を流してもらったほうがいいかと……』

『ってレインーっ甲のパンツ見せないでーっ』

 そろそろ如月寮の騒がしくも楽しい日常がもどりつつあった。

 

 

    〓

 

 

 空の怒りが冷めるのを期待して、少し長めにシャワーを浴びた。こざっぱりしてから居間に行くと、すでに皆揃っていて俺が最後だった。というか亜季姉ぇにいたってはすでに食べ終わったらしく、お気に入りの毛布に包まっていた。

 

 食卓に着くと、今朝実家から戻ってきた千夏が怪しげな目つきでこっちを見ている。

「遅くなってごめん。いただきます」

 千夏の目つきには危険を感じるので無視して、レインからお茶碗を受けとる。

「バスタオルで迫るか……それはすっかり忘れてたな」

「おい千夏。なにか空にヘンなこと吹き込まれてないか?」

「ヘンなことって何かなー」

 絶対にこの顔は考えている。ヘンなことを。

 

「だいたいだな、千夏。運動した後のシャワーでお前だって部活とかだと普通だろ」

「甲……何言ってるの、うちは女子部。男子が一緒になんてならないよ」

「……あれ?」

 言われてみれば千夏は女子サッカー部だ。確かに男は居ない、な。

 

 味噌汁を口に含むと、残念なことに今日も具はニラだった。

「というかだな千夏。家から帰ってきたのに、何でまたご飯食べてるんだよ?」

 このままだといろいろ墓穴を掘りそうなので、強引に話を変える。

 

「何でって、朝は食べずに戻ってきたからね。菜ノ葉のご飯、久しぶりで楽しみだったし……その、おせち料理を食べられなかった、そのお詫びじゃないけど、うん……そんな感じ。やっぱり菜ノ葉の料理はうちよりおいしいしね」

「ありがとうございます、千夏先輩」

 

 すでに食べ終えて片付け始めている菜ノ葉も、料理を褒められてうれしそうだ。

「でもこのところは半分くらいレインさんに手伝って貰ってるんですよね。ほんと、助かってます」

「……ふーん、レインがねぇ」

 

「手伝うといっても、菜ノ葉さんや真さんの指示があってこそですよ? それに朝はあまりお手伝いできていませんし」

 話を振られたレインは、箸を止めて応えている。

 昨年はだいたい菜ノ葉と真ちゃんとが台所を支配していたが、このところはレインを生徒役にしていろいろと教えあっているようだ。おかげでレパートリーにも変化が出ているし、俺にとって重要なことになんといってもニラの量が減りつつある。

 

「おさきに、ご馳走様」

 菜ノ葉とレインとが昼食の準備の話をしていると、再び千夏の目が怪しくなっている。

 なにか急いで食事を終えた千夏が居間から出て行くと、入れ替わるように空がにらみつけてきた。

 

「とにかくっ。レインも気をつけてね。甲はヘンタイだから」

「あのなぁ。何でレインのシャワー姿見て俺がヘンな気になるんだよ」

「甲がならないわけないでしょっ」

「……断定かよ」

 

 昨年の千夏とのあれこれや、共振(ハウリング)を起こしていたときのことを知られてると、あまり反論も出来ないのが悲しい。しかも雅が居ないと、男は俺一人。こうなると立場も弱い。

「おねえちゃ、せんぱ…い。えちかも、しれないけど、へんた、じゃない……と思う」

 食後のお茶を持って来てくれた真ちゃんが、何とか庇ってくれる。庇ってくれてるんだよね、真ちゃん?

 レインと二人、顔を見合わせて苦笑するしかない。

 

「そういえばなんで俺はレインのシャワー姿を見て、平気なんだ?」

 台所では菜ノ葉と真ちゃんが笑いながら食器を片付けてくれている。手伝うべきなんだろうが、朝から騒いでしまったので、ちょっと気力がわかない。

 亜季姉ぇは、うん。いつもの騒ぎに慣れているのか、毛布と一体化したままだ。

 

「というかレインも見られても気にしてないよな」

「ですね、甲さんに見られて恥ずかしいと思うような姿ではありませんが……」

 レインは綺麗だと思う。思うのだが、シャワーではいまいちそっち方面に意識が行かない。これが千夏や空だと思うと、いろいろと問題が……

「ま、まあ。シャワーとかだと、別に気にするようなことでもないよな、うん」

 

「……甲さん?」

 レインの眼がすっと細まる。

 空と千夏のバスタオル姿を想像してしまい、顔が赤らむ。慌ててごまかしたせいで余計にレインに考えていることが読まれてしまった。

「やはり、ちゃんと男女の区別はつけるべきです、甲さんっ」

 すねたように睨み付けてくるレインは、それはそれで可愛らしいのだが、怒られてしまった。

 

「んーじゃあ、洗濯もちゃんと分けるか……」

「あ、あの。そのあたりはぜんぜん、はい、問題ありませんっ。誠心誠意しっかりと洗いますっ。洗わせてくださいっ!」

「なら、シャワーくらいは良いんじゃないか」

「ですね……」

 そして問題は振り出しに戻る、と。

 

 

    〓

 

 

「はははーっどうだ甲、あたしのもちゃんと見ろーっ」

 バンっと、勢いよく居間に飛び込んできた千夏は、ある意味予想通りバスタオル一枚の姿だった。

「な、渚、さん……?」

「こら、千夏、待ちなさいっ」

 続いて飛び込んできた空は、なにやらかわいらしいピンクの布切れ、どう見てもパンツ、おそらくは千夏のそれを振り回していた。

 

 千夏の姿よりも、パンツ振り回す空に呆れ果てて、力尽きそうだ。

「……なにやってるんだよ、二人とも」

「知らないわよヘンタイっ。千夏はさっさとこっちに来る」

『はーなーせー空~っ!』

 空がバスタオル一枚の千夏を、居間から引っ張り出していった。

『離せ空ー甲に見せ付けてやるーっ』

 まだ風呂場のほうで騒いでる千夏のことは、いったん忘れよう。

 

 

 

 

 

..■一月八日 土曜日 七時三〇分

 

 先日の騒ぎ以降、俺とレインはシャワーの時間はずらすように気をつけていた。おかげで、トレーニングのほうがわずかに時間が削られているが、それはランニングの速度を上げるわかりやすい目標となっていた。

 ついでといえぱついでだか、居間の食卓につく時間も少しは早くなった。

 

 しかしそんな俺とは逆に、食卓についている他の二人はすっかりだらけている。

「始業式が土曜って、すげぇやる気が出ねぇよな……」

 一人は、須藤雅。

 入学して以来の腐れ縁、前の寮を追い出されて共にこの如月寮に転がり込んできた仲だ。

 冬休み前は実家に帰る予定なんてないといいながら、結局寮に戻ってきたのは休みの最終日の昨日だった。親孝行は十分できたようでなによりだ。

 

「私はいつでもやる気が出ない……式だけなら、出なくていいよね?」

 もう一人は当然、亜季姉ぇ。こちらにいたってはご飯を食べたらそのまま寝なおしてしまいそうだ。

「少しは千夏を見習ってくれよ、亜季姉ぇ……」

 空と真ちゃん、千夏と亜季姉ぇの中間くらいの活発さが、世間的には好ましいのではないか? 二度寝に入ってしまいそうな我が再従姉を眺めつつ、そんな風に思う。

 その千夏はすでに学園に出ている。朝錬ではないが、ミーティングがあるらしい。新学期初日からタイヘンだ。

 

「せっかくのレインの転入初日だ。二人とも星修の先輩なんだから、シャキっとしてくれ」

「お、それだよそれ。レインさんといえば、制服姿ってどうなのよ、甲」

 さすが雅だ。そっち系統の話題となると、いきなり眼が覚めたようだ。

「どうなのよってお前なぁ……登校するのは今日が最初だぞ? 俺もまだ見たことないよ」

「おいおい……正月いっぱいお前は何してたんだよ。見せてもらう機会くらい作ってあげろよなぁ。それくらいの甲斐性は持てよ、甲」

 初孫の入園式を心待ちにする祖父でもあるまい、学園の制服はわざわざ着てもらってまで見るようなものでもないだろう、とは思う。

 なのに、なにかどことなく上から目線で呆れられた。

 

「ま、あのスタイルならなに着ても似合いそうだからな。お披露目はぎりぎりまで待つというのもアリといえばアリだ」

 レインは今、話題の制服姿で、台所で菜ノ葉や真ちゃん達と朝食の準備をしているはずだ。気になるなら手伝いに行けばいいのだが……

「料理が出来るのが三人居ると、俺達手が出せんな」

「まったくだ。何気にあの台所、狭いからな」

「ある意味、空が料理に手出しできなくなったというのがレイン最大の功績かもしれん」

 そんなどうでもいいことを言いながら、朝食が出来上がるのを待つ。

 

「って雅。やる気が出ねぇとか言いながら、お前もしっかり起きてきてるんじゃねーか」

「ま、そこはそれ。俺にもいろいろと思うところはありまして」

 雅が寮に戻ってきたのは結局昨日の夜で、それなりに長い休暇の間に、なにやら実家のほうでは久方ぶりの親子の会話というのがいろいろと展開されたらしい。親子でしっかり話ができる雅が、少しばかりうらやましい。

 

 

    〓

 

 

「おま、たせし…した」

「ありがとう真ちゃん。何か運ぶものとかある?」

「だいじょぶ、です。あ…の、それよ、も、おねちゃんが……」

 誠ちゃんはちらちらと台所のほうを気にしている。そちらで、なにか起こっているのかは漏れ聞こえる声だけでわかってしまった。

 

『あ、あの空さん?』

『だいじょーぶだいじょーぶ。料理は私が後で運ぶから、まずはお披露目よ、お・披・露・目っ』

「ほら、ばばーんっとお披露目しましょうっ」

 押し出されるように居間に入ってきたのは予想通りレインと、押し出した張本人の空だった。

 

「やっぱり。似合ってるね、レイン」

「うんうん。レインさんに着られるためにデザインされたかのような制服だな」

 亜季姉ぇと雅がそろって褒める。

 寮の皆が着ている星修の、白と青の制服。通いだしてそろそろ二年になる、見慣れているその服もレインが着ると、新鮮だ。

 

「ほら、甲もちゃんと見てあげなさい」

「え? ええっ?」

 空は、今度は俺をレインの前に押し出した。

 恥らうように眼を逸らすレイン。その姿はやはり新鮮だ。

 新鮮なのだが……

 

「……なんというか、なにか無理やり着せられた感がすごいな」

 間近で見る、その初めての制服姿。慌てふためくレインに、ふと思ったとおりのことを漏らしてしまう。

 そう確かに新鮮なのだが、それとは別にして、どこか違和感が付きまとう。レインが着慣れているのは何か別のものだという思いが頭の片隅から離れない。

 

「あ、あのっ。やっぱり私には似合いませんよね?」

「い、いやっ。俺が見慣れていないだけだと思うっ」

 そうだ亜季姉ぇと似たような体格なのだから、レインに星修の制服が特に似合わないというはずはない。姿勢が良すぎるところから違和感があるのかもしれないが、違和感であって、似合ってないわけではない。

「う、うん。なにか新鮮すぎて、ちょっとビックリしてるだけだ。綺麗だよレイン」

「き、綺麗だなんて甲さん……ありがとうございますっ」

 焦って何かとんでもないことを言ってしまった気はするが、潤んだ瞳で見つめ返されてしまった。

 

「はいはい、甲もレインさんもそんなに見詰め合ってないで、まずはご飯にしましょ」

 菜ノ葉のどこか諦めたかのような仲裁で、新学期の朝ははじまりつつあった。

 

 

 

 

 

..■一月八日 土曜日 一二時五〇分

 

 今日は新学期初日、授業があるわけでもなく簡単な連絡手続きなどを終えて教室を出る。

「レインさん、人気すごかったな」

 雅が呆れたような、それでいてどこか誇らしげな感想を漏らした。

 新年早々の転校生紹介、それも男女ともに誰から見ても美人で儚げなお嬢さま。それは休み明けの、クラス全体の少し疲れた気分を一掃していた。

 

 しかもレインの転入にまつわる事情も、桐島大佐とのことや鳳翔学園での不登校気味だったことなども、皆それとなく知らされていたようだった。なにやら救出された戦友を受け入れるかのような歓迎ムードだ。このあたり間違いなく空の手配なんだろう。

 その空は、なにか新年会の企画とやらで、クラスの連中と早々に学園を出ていた。またなにやらイベントを考えているらしい。

 

「皆さん親切で、本当にありがたいことです」

「男子の大半は下心丸出しだったけどな」

 雅、その言葉はお前に返ってくるぞ、と口にしかけたが言わない。最近の雅はあまり女を追いかけていない気がする。クリスマスイブに会っていたという娘と、うまく続いてるのだろう。雅にしては珍しいことに。

 

「で、今日は久しぶりに、やるか?」

「そうだな、千夏も時間あるか?」

「私は大丈夫。部活のほうも本格的に再開するのは週明けからだね。今朝のミーティングでちゃんと連絡してきたしね」

 朝早くから寮を出ていたと思えば、そのあたり千夏はしっかりと話しを通しているようだ。

 

「レインもどうだ?」

「あの、何のお話でしょう?」

 聞かれて気付いた。確かに何の話かわからないな、これでは。

戦闘用電子体(シュミクラム)。最近何かと時間が合ってなかったから、チームで練習するのはけっこう久しぶりなんだけどね」

 新人(ニュービーズ)選手権(インパクト)に合わせて結成した俺と雅、そして千夏の三人チーム。

 

 ただ、このところ千夏の怪我や俺の共振(ハウリング)などの要因で、三人では闘技場(アリーナ)などには参加していなかった。

「レインって、シュミクラム持ってるの?」

「え……はい。皆様の影狼(カゲロウ)とは比べられないような中古品ですけど」

「いやいや、俺達のは亜季さんからのプレゼントだし」

 

 普段使っているせいか忘れそうになるが、シュミクラムは高価なものだ。電脳化が進んでいる第二世代(セカンド)が集うこの星修でも、一介の学園生がそうそう持っているものではない。二人が驚くのも無理はないな。

「レインさんが入ってくれれば、ちょうど四人だし、タッグ戦とかもやってみたいよな」

「だね。チームとして組む組まないはともかく、ためしにどうだい?」

 雅も千夏も、乗り気だ。

 

「どうする、レイン?」

「は、はいっ、ぜひ参加させてくださいっ」

「しかしタッグ戦か、いいねー賭けるかい、甲?」

 好戦的な、というにはいささか下心があからさまな千夏の様子も、なにか久しぶりな気がする。

 あの無茶な賭けも、もうずいぶんと昔……ではないな。まだ先月の話だ。

「お前と何か賭けて戦うのはもうこりごりだよ……」

 

 だがその挑戦に乗るのもいい刺激にはなりそうだ。

 にやりと、わざと挑発するように笑って見せる。

「ただ、来週の昼飯全部、とかなら乗ってもいいぜ、千夏」

「言うねぇ、甲。そこまで言われたら引くわけには行かないね。雅っ、さくっと蹴り倒して来週は豪華ランチだよっ」

「お、おうっ?」

 組み分けは、なにやらあっさりと決まってしまった。

 あとは寮に戻って、没入(ダイブ)するだけだ。

 

 

 

 

 

..■一月八日 土曜日 一三時三〇分

 

没入(ダイブ)

 

 目的地である星修構造体(ストラクチャ)、その中の施設の座標をレインに送り、ともにそちらへ転送(ムーブ)する。

「甲っ、遅いよっ」

「お待たせして申し訳ありません、渚さん、須藤さん」

「悪い、レインはここが初めてだからな。中継界(イーサ)経由で来たんだ」

 

 すでに集まっていた二人が、転送(ムーブ)してきた俺達に駆け寄ってくる。やはりこちらも制服ではなく、ラフな格好だ。

「千夏のことは気にするな、レイン。身体動かしたくてうずうずしてるだけだ」

「そうそう、なにはともあれ、ようこそ星修の模擬戦闘場(アリーナ)へ」

 

 大げさに身振りで歓迎の挨拶をする雅だが、残念ながらここはあまり華やかな場所ではない。コンクリートの打ちっぱなしの、ただただ広いだけの空間だ。周囲は、数十メートル近い高さの壁に囲まれており、その上にはちょっとした観客席などがある。

 普通に立っていると、その広さが逆に圧迫感をもたらすほどだ。

「さすが星修学園ですね、これほどの施設があるとは、すばらしいです」

「授業で使う関係もあって、観客席や各種の観測機器もしっかりしてるからな。下手な警備会社よりもよっぽど充実してるよ」

 

 そんな殺風景な場所も、ここに来るのが初めてのレインにとっては、やはり新鮮なのだろう。ものめずらしそうに周りを見ている。

 いや、レインのことだ。周辺設備の精度など含め、必要な情報を確認した上での驚きかもしれない。

「まあ、いまはそのあたり特に使うこともないさ。軽く身体をほぐしてから、はじめるか」

 

 

移行(シフト)

 

 俺達は少しばかり距離をとり、ここ一年で馴染んだ起動プロセスを立ち上げる。

 直後、機械音声(マシンボイス)のシステムメッセージが脳内に響き、俺の身体は一瞬で変貌する。

 戦闘用電子体(シュミクラム)。その名の通りの戦闘用に特化した、仮想(ネット)での電子体。それは一言で言い表すならば、全高一〇メートル近い人型の戦闘ロボットだ。

 

 通常の電子体は、AIが観測した現実(リアル)の俺達を忠実に再現している。つまりは衣服などでの変装はできるが、体格などは変化できない。現実(リアル)でむさ苦しくとも仮想(ヴァーチャル)では美男美女、というわけにはいかないのだ。

 ただ現実(リアル)で整形すればそれが反映されるし、残念なことに四肢の欠損などもそのままに再現されてしまう。このあたりの仮想(ネット)論理(ロジック)は、冷徹なまでに平等だ。AIによる観測には、人間的な意味での寛容さはない。

 

 対してシュミクラムは、各種のプラグインを大量に追加し、戦闘用に拡張された電子体である。

 仮想(ネット)の再限度が現実(リアル)に並ぶほどに上がり、そしてそこでの政治経済が重要になればなるほどに、仮想(ネット)での破壊活動もまた、現実(リアル)に大きな意味合いを与えることになった。

 上下方向へ構造体が複雑に積み重なる仮想空間(ネット)において、戦車や戦闘機は少々使いにくい。兵器自体の設計にはそれほど制限がないこともあって、いつしか仮想(ネット)での戦闘の主力は、この人形のシュミクラムが担うようになっていた。

 

 第二世代(セカンド)が集まるこの星修学園では、選択講座ではあるが授業の一環としてシュミクラムの演習も含まれている。

 もちろんシュミクラムは高価なツールであり、個人所有している学園生は多くはない。授業時間外のシュミクラムの貸し出し申請には手間が掛かるが、模擬戦闘場(アリーナ)自体はすぐに使用できる。このあたり自前のシュミクラムがある俺達にとって非常にありがたい。

 

「なにか久しぶりだけど、問題なさそうだね」

「甲のことだ、一人でこっそりと休み中練習してたに違いないさ」

 距離を取ったといっても移行(シフト)すると一〇メートルの巨体である。すぐ横に並び立つ千夏と雅が、こちらの様子を確認するように覗き込んでくる。

 

 影狼(カゲロウ)、俺の機体は、亜季姉ぇが作り上げたカスタムモデル。この春に寮への引っ越し祝いということでプレゼントされたものだ。亜季姉ぇ曰く、AIの成長パターンか何かを参考にしたとかしないとかで、使い込むことで少しずつ最適化、成長していくらしい。

 その証明ではないが、千夏と雅の機体も俺と同じく影狼(カゲロウ)ではあるが、機体カラー以上に大きく差が出ている。千夏はより格闘、それも蹴りを主体とした軽装の、赤い影狼(カゲロウ)・凛。対して雅は、拘束系武装の多い重装型の、黄色の影狼(カゲロウ)・鎧。

 二人とも機体に異常はなさそうだ。

 

「レイン、調子はどうだ?」

「問題ありません。各部正常可動」

 レインの機体は、蒼い細身のものだ。手にしているのは槍というか薙刀。アイギスといったが、かなりマイナーな機種だ。

「さーって、最初は軽く……とは行かないよっ」

「おうっ、来週の豪華ランチのために、全力でいくぜっ」

 すでに相手タッグは着合い十分だ。これは待たすのは心苦しいな。

 

 

開戦(オープンコンバット)

 

 脳に響くシステムメッセージと同時に、千夏の影狼(カゲロウ)・凛が俺に向かってまっすぐに突っ込んできた。レインと俺とが連携をとる前に、短期決戦で決めるつもりか。雅はそれに合わせて少し下がり、援護射撃に回るようだ。

 だが千夏が蹴りに移行する瞬間、その足元に俺の左後方から的確に投げられたナイフが突き刺さる。

 もちろんその程度で態勢を崩す千夏ではないし、ダメージそのものもほとんどないはずだ。

 

 ただ、その一瞬の間に、俺はダッシュで距離を詰めきっている。千夏の得意な蹴りの距離ではなく、触れ合う寸前のショートレンジだ。

 溜め込んだ膝を千夏の腹に叩き込み、さらに右拳をアッパー気味に打ち上げ、浮き上がりつつある機体に続けて左のストレート。

 

「っ!!」

 そして地面に落ちていく千夏へ追撃のハンマーを振り下ろす……はずだったが、こちらの機体の熱が思ったよりも高い。しかも千夏のほうもダメージはどうも少なそうだ。無理に攻めてカウンターを貰うのも馬鹿らしいので、軽くブーストを噴かして、着地位置を調整する。

 身体を入れ替えるように、俺の右脇からレインが薙刀を突き出し、立ち上がりかけた千夏の脚を払う。後退援護のタイミングとしては完璧だ。

 

「悪い、レイン。仕留めそこねた、そっちはどうだ」

「機体損傷ありません」

 返答と同時に、レインはアイギスの簡易状況データをこちらに転送してきた。確かに損傷はないが、熱は少しばかり貯まりすぎているようにみえる。

 

「ただ、申し訳ありません。雅さんのほうにも有効な打撃を入れられませんでした」

「ああ見えて、雅のやつ、距離とるのは上手いんだよな」

 俺としても、浮かしておきながら千夏にとどめをさせなかったのは悔しいが、こちらは双方損傷なし。けっして満足できる状態ではないにしても、初手としては十分だ。

「さて、頭も機体も冷えたところで、一気に行くぞ」

了解(ヤー)

 

 そして千夏は三秒後、雅はその一七秒後に撃破判定が出た。

 

 

    〓

 

 

「うーくやしーいっ! 一発も入れられないって、なんなのよ」

「お前ら、休み中どれだけ練習してたんだよ」

 除装もせずに二人は寝転がったまま、恨めしそうな声を漏らす。ゴロゴロと……といったイメージなのだが、もちろんシュミクラムでそんなことをしているわけではないが、千夏の雅の声はまさにそんな感じだ。

 

「はぁ? 何言ってんだよ、休みボケを実感中だぜ、まったく」

「ですね……機体がどことなく重く感じましたし、熱管理を誤るなんて恥ずかしい限りです」

 さっきの戦闘で、最後レインが雅にとどめを入れるのをこちらに譲ったのは、間違いなく冷却のためだ。俺と同じく、どうも廃熱処理や個々の攻撃に切れがない。

 見た感じ、薙刀の溜め斬りがどこか重いし、ナイフにしても投擲からの姿勢の戻りが悪い。

 

「っておい、甲、レインさん。何言ってるんだ」

 視界の片隅に丸く切り取られ映し出される表情画面(フェイスウィンドウ)、そこに浮かぶの雅の顔が、試合の疲れではなく本気の驚きに変わっていた。

「何言ってるって……せっかく初撃でレインが千夏の突進を止めてくれたのに、しかも打ち上げておきながら熱計算ミスって倒せなかったってのは、恥ずかしすぎるだろ」

「……おいおい」

 

  - 『筋金入りの凄腕(ホットドガー)なら、ひとたび敵を打ち上げれば、そいつが落ちるまでに機体を破壊し尽くしているだろう』

 

 ナノマシン開発の第一人者にして、俺達のシュミクラムの師匠である久利原直樹先生の言葉だ。

 もちろん今の俺は凄腕(ホットドガー)などと嘯けるレベルではないが、それでも浮かした敵を逃がすというのはいただけない。

「あーっもう細かいことはいいっ! もう一回やるよ、雅っ。次は絶対にっ」

「絶対に勝つ、か? 望むところだ。レインいけるな?」

了解(ヤー)

 

 

    〓

 

 

「あのレイン、千夏さん……そろそろ終わりにしませんか?」

「そ、そうそう。早く戻らないと……」

 

 すでに時刻は夕方近い。

 最初は俺とレイン、雅と千夏のタッグ戦だったのだが、何がどういういきさつか、いつの間にかレインと千夏のタイマン勝負がはじまっていた。

 一戦目は、開幕からいきなり大技狙いの千夏に、カウンター気味に一撃でレインが勝利。

 二戦目は逆に、その大技を囮にした千夏が、ギリギリで削り勝った形だった。

 

 そして今は三戦目。双方ともに油断も慢心もない。

「しかし、あのアイギスって、そんなに良い機体じゃないよな」

「確かちょっと型落ちだったかな。あまり見かけない機体だけど、悪くはないとは思うが……」

 貯金をはたいて中古を買ったとか、そういう話を前にレインに聞いた気がする。亜季姉ぇから引っ越し祝いとしてプレゼントされた俺が言える立場ではないが、中古とはいえシュミクラムを一体買ってしまうレインはやっぱりお嬢様なんだろう。学園生の貯金で普通に買える値段ではないのだ。

 

「悪くはない、程度だろ? 統合軍内でも傑作機と言われる鉄狼(アイゼンヴォルフ)系の、しかもそのカスタムモデルの影狼(カゲロウ)相手に同等以上に戦ってるって、レインさんいったいナニモンだよ」

「桐島大佐も名の知れた凄腕(ホットドガー)だからな。小さいころから鍛えられていた、とか」

 一対一、しかもこんな遮蔽物も何もない模擬戦闘場(アリーナ)では、どうしても機体の優劣がはっきりしてしまう。性能差であればレインに勝ち目は薄いが、この三戦目は今のところはまだ両者拮抗している。

 

「それに……千夏のやつ、本気になってないか?」

「ああ、完全に本気モードだ。これはレインには不利だな」

 先ほどから千夏は得意のブースターでの高速移動もせずに、軽めの蹴り主体でレインに防御を強い続けている。レインのアイギスもダメージそのものはいまだ低いが、小気味良い千夏の攻撃に反撃の糸口を掴めずにいる様子だ。

 

「ん、そうなのか? レインさんなら焦らされても、最後まで冷静に戦いそうなもんだが」

「それがなぁ、レインはああ見えて特攻願望あるから……じれてきたら突撃しかねん」

 頼むから最後まで落ち着いててくれよ、と思う間もなかった。千夏のレッグスラッシュ、素早い回し蹴りを眼前でかわし、レインが薙刀をねじ込もうと一歩踏み込みかける。

 

「レイン下がれっ!!、誘いに乗るなっ!」

 

 千夏の脚が、空を斬る。

 今レインが入るはずだった空間、アイギスのメインカメラのまさに眼前を、千夏の爪先が綺麗な円を描いた。

 

『……なによ、甲。いつからレインのセコンドになったわけ?』

 必殺の一撃を外された千夏が、双方距離をとったところで不満げに言い放つ。

「あ、スマン……つい口を挟んじまった」

 

『あら、では渚さんも甲さんからアドバイスを受けてみては? 私のことなら甲さんは何でもご存知ですから』

 焦りから誘いに乗らされたことを自覚しているらしく、レインが時間稼ぎの挑発を口にする。

 

「おいおい……レイン。千夏を煽るんじゃない」

「甲よ、お前が火に油注いでどうするよ……」

 雅につっこまれて気付く。今の言葉は千夏を余計に怒らせるだけだな。

「というか二人ともいいタイミングだ。菜ノ葉と真ちゃんが新年会の準備してくれてるんだし、そろそろ切り上げて、戻って手伝おうぜ」

 このままでは双方倒れるまで戦い続けそうな勢いだった。少しばかり強引でも、ここは切り上げさせたほうがよさそうだ。

 

 

 

 

 

..■一月一〇日 月曜日 〇時〇分

 

「結局課題がまったく終わってねぇっ」

「さすがだな相棒っ、心配するな俺もできてねぇっ」

「甲、雅、あんた達二人が頼りなんだからねっ」

 

 

『うるさいわね、三人ともっ! 素直に補修うけなさいっ!!』

 

 

 

 

  学園生 / SchoolDays

            終

 

 

 

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第13+2章 異相 / Chapter13+2 Discord

 

 

..■一月一二日 水曜日 二二時一五分

 

 如月寮の裏庭には、菜ノ葉が手塩にかけている菜園がある。

 しかしそれ以外にも、何代前の先輩達が残していったのか、正体不明な置物も多数、ある。

 その中には本当に使えるのかわからないようなバーベキューセットなども含まれるのだが、なにかと便利に使われているのは小さなテーブルセットだった。

 そして今、そのテーブルにはグラスが二つに、ボトルが一本。あとはアイスペールなどという洒落たものはこの寮にはないので、適当などんぶりに氷を入れて持ってきてある。

 

「この酒、けっこう高くないか?」

「実家から貰ってきたんだよ、親孝行の賜物、といったところだ」

 雅が得意げにラベルを見せながら、とくとくっ、と二つのグラスに注ぐ。

「ま、とりあえずは新年と、休み明け早々の補習完了に、乾杯」

「おう、今更ながら、あけましておめでとぅっ、さらば課題の山々っ!」

 

 去年の新年は、前の寮で先輩達と、大晦日から年明けまでひたすら騒いでいた。残念ながらというか、当然ながら男だけで。

 今年はまったくの逆と言えなくもないが、委員長気質の空の手前、あまりおおっぴらに呑むわけにもいかなかった。まあ俺自身、あまり真ちゃんの前で酔って醜態は晒したくはない。

 

「空に見つかったら、大目玉だな、これは」

「隠れて酒が飲めるのも、学園生だけの特権だぜ、甲」

「違いない。学園辞めて、禁止されなくなったら、この味はわからなくなったからな」

 あれ?

 なにか言いようのない違和感が……

 

「だろ? あと一年間だけのお楽しみってやつだ」

 一瞬の違和感はグラスと共に空になった。

 あっさりと空いた二つのグラスに雅が継ぎ足す。

 

「で、甲よ。まだ親父さんに会いに良く踏ん切りがつかないのか」

「おいおい、いきなりその話かよ」

 おおよそ雅が何の話にもって行くつもりかは、ボトルを提げて現れたときからわかっていたが、ここまで直接来るとは思ってなかった。

 

「踏ん切りというか、きっかけが、な」

「そんなもの、あれだよ。伝説の凄腕(ホットドガー)にシュミクラムの腕を見てもらいたいっ…くらいでいいだろ」

 そこまでガキにはなれねぇよ、と笑い飛ばす。

 

 

    〓

 

 

「はいはい。なに男二人で、辛気臭い呑み方してるのよ」

「そうですよ、せっかくのいい月夜に、お誘いいただけないのは寂しいものです」

 

 裏口からこちらに現れたのは、二人。

「って千夏にレイン? どうしたんだ二人とも?」

「どうしたもなにも、ねぇ渚さん」

「んー呑むのにいい機会だから、お邪魔しに来たっ」

 

 皿に山盛りに載せられたトマトソースのパスタに、綺麗に盛り付けられたニンジンとダイコンそれにブロッコリーの温野菜サラダ。

 レインと千夏、二人は手馴れた様子でテーブルの上に取り皿を並べながら、合わせてしっかりとグラスの追加もしていく。

 

「ご注文の品はおそろいでしょうか?」

「あ~完璧です、ハイ」

 雅は完全に飲まれてるな、勢いに。

「はい、どうぞ甲さん」

 そういう俺も、取り分けたパスタをレインに差し出され、そのまま受け取ってしまう。

 

「って、なによ雅。ウォッカないじゃない」

 まー期待してなかったけどねーなどと言いつつ、千夏は自前で持ち込んできたボルトを開けた。

 しかも氷も何も無しでどばどばとグラスに注いでいく。

「パスタとウォッカって……千夏その組み合わせは絶対におかしい」

「なによ甲? パスタにはワインじゃないとダメとか言い出す気じゃないでしょうね。だいたいワイン程度じゃ呑んだうちに入らないじゃない」

 そういう問題じゃねぇよ……と言いかけたが、作った本人がその組み合わせでいいなら、口出すほどでもないか。

 

「では、改めまして、乾杯」

「お、おう、乾杯」

 四つのグラスが月下に軽やかに鳴り響く。

 

「で、なに。結局甲は親父さんに会いに行く度胸がないって話?」

「度胸の問題じゃねぇよ。行く理由がないだけだ」

 自分でも理屈になっていないとはわかっている。が、わさわざ親父に連絡するほどのことではないはずだ。

 シュミクラムの腕が思ってる以上に上がってる、そう、ただそれだけのことだ。

 

「菜ノ葉や真ちゃんの前では言いにくいけどね、甲。会えるうちに会っておいた方がいいよ」

 グラスいっぱいのウォッカをぐいっと飲み干し、それでも真顔で千夏が言い切る。

「レインもね、喧嘩でもいいからちゃんと大佐さんと話してる?」

「私はっ、私はそうですね……このまえようやく、いえ生まれてからはじめてちゃんと父と話せた気がします」

 うん、言ってること以上に呑みっぷりが漢だぞ、千夏。

 

 レインも俺と似たような状態、母親のことで父親の桐島大佐とはずっとギクシャクしていたらしい。それも空が間に入って引っ掻き回した挙句、というかそのおかげでちゃんと話し合えて、こうして転校の許可も貰えた。

 親子、人と人との関係は喧嘩できるくらいなのが、ちょうどいいのかもしれない。

 

「だいたい千夏、お前も学費のほうかとどうなったんだよ、それくらいは心配させろ」

 雅がずばっと聞きたいことを、突いてくれる。

 こいつはこいつで授業料とかそのあたり、あまり話したくない家庭の事情があるはずだ。こういう機会でもないと、吐き出してもらえない。

 

「もーねー、休みのあいだ甘えまくってきたよ」

「お?」

「学費のほうもたぶん問題なく片付くよ。それもあって休みぎりぎりまで家にいたし、ちょっと人にも頼っちゃったしね」

 あっけらかんと千夏は、虚勢でもなんでもなく笑いとばす。

 

「片付くってお前……」

「あ、学園辞めるとか、そういう話じゃないよ。スポーツ特待じゃなくて別の奨学金の目処がついたってところ。書類とかホントいろいろ揃えたけどねー」

「おいおい、まさかいきなり成績上がった……とかは言い出さないよな?」

 俺と雅が疑わしそうな眼で千夏の顔、というか頭を眺める。我ながら失礼な話とは思うが、それだけは絶対にありえない。空に三馬鹿と揶揄される俺と雅と千夏の中で、正直千夏の成績が一番やばいはずだ。

「残念ながらそれはないねー年末の成績もあんたら二人と似たり寄ったり。ま、代わりと言っちゃなんだけど、大佐さんにはけっこう相談に乗ってもらったよ」

 

「父が何か?」

 いきなり自分に話が絡んできたことに、レインが素で驚く。

 みんな聞いたことくらいはあると思うけど、と前置きして千夏が説明をはじめた。

「統合軍の新兵募集で第二世代(セカンド)は優遇措置があるんだよ。一般の下士官でもそれなりなんだけど、電脳将校養成コースだと特にね。細かい条件とかはいろいろなんだけど、簡単に言えば、卒業後に入隊することに同意したら、それまでの学費のいくらかを肩代わりしてくれるって」

 なんというか給料の前借に近いが、確かに第二世代(セカンド)の電脳将校は総じて第一世代よりも有能である。しかも人材としてはネット関連の企業からも引く手数多だ。軍としては早めに確保しておきたいことは間違いない。

 

「千夏は、そうか軍に入るのか」

「夢のお告げ……とは言わないけど、スポーツ選手よりあたし向きじゃない?」

 スポーツ選手のほうが向いている、とは言いづらい。

 何かと問題視されてるとはいえ、今のスポーツの主力は遺伝子を改良・調整して生み出されたデザイナーズ・チャイルド、被造子(D・C)だ。薬物や義体といった後天的な改造ではないために各種スポーツ協会も、被造子(D・C)の参加を規制できない。もちろん被造子(D・C)以外のカテゴリもあるが、それはどうしても主流になれない。

 

「夢って言えばよ~甲、お前さー何かヘンな夢を見たとか言ってなかったか? いや、お前のことだから、いつもアンナコトやソンナコトを夢見ているのは知っているが」

 そろそろ酔いが回ってきたのか、雅の喋りがあやしい。ついでに発言内容もアヤシイ。まったく、酔っ払うならテリー・レノックスを見習ってくれ。

「え~甲? そんな夢に見るなら、高画質の動画データであたしのすべてを見せ付けるぞーっ」

 雅と違って千夏の場合、しらふでも送りつけてくるからたちが悪い。

「お前らとはいつか真剣に、俺のイメージについて語り合う必要がありそうだな」

 

 しかし夢か……

 クリスマスイヴのあの夢かとも思うが、あれに関しては自分でもまだ整理できていない。悪夢といっても間違いないが、ただそれだけで否定してしまいたくない何かがあった。

 

「あ~ヒドイの見た。というかヒドイ正夢だった……」

「……正夢、なのか?」

 雅だけでなく、レインも千夏も酔いの醒めた顔でこちらを向いた。

 ああ…やっぱり心配かけてるなぁ、とあらためて実感する。

 

「初夢がな、ニラの雑煮まみれになる夢だったんだが……菜ノ葉のやつ、ほんとにニラ雑煮出しやがった。それも俺だけどんぶりでだぞっ。あれはさすがに食えん」

 うぅ…話をそらすために言い出したとはいえ、思い出したくないものが記憶領域に展開される。せっかくの酒が一気に悪酔いに向かいそうだ。

 

「ああ、ありましたね。でもおいしかったんですよ?」

「俺はニラが苦手なんだ。レインだって、刺身とかダメじゃないか」

「あ、当たり前ですっ、お、お刺身なんてダメですっ。お料理はちゃんと火を通さないと、危険なんですよっ」

 刺身旨いのになぁ……なにげにレインはこのあたり意固地だ。

 

「なー雅。なんだろね、この疎外感」

「まったく、空と違う意味で、レインさんのテンポには付いていけねぇ」

 

 

    〓

 

 

 そう、親父に相談するのをためらっているのは、母さんのことでじゃない。それがまったくないとは言わないが、問題は別だ。

 この不安を直視してしまうと、今の時間を失ってしまうという漠然とした予感があったのだ。

 

 

 

 

 

..■一月一四日 金曜日 一七時三〇分

 

 蔵浜、クレオール。

 ケーキ屋ではあるが、店内の喫茶スペースは表からは見えにくい位置に広く取られており、ゆったりとした良い店だと思う。

 

 この店は、オーナーが空の知り合いらしく、わりあいと無理が利く。以前も菜ノ葉の誕生日当日に予約を押し込んだくらいだ。そして今日もクラスの新年会、とレインの歓迎会を兼ねてパーティに使わせてもらっている。

 ケーキやお茶だけではなく、食事のほうも十分それだけで店を開けられるほどだ。しかも今日は軽めのパーティということで、わざわざ椅子を片付けて立食形式にしてくれていた。

 

 言い出してから三日と余裕がなかったにもかかわらず、集まってくるクラスの連中もたいがい暇だとは思うが、空の顔の広さはあなどれん。さすがにクラス全員ではないが、半数以上は来ている。

「まあ男子の大半は、レインとお近づきになりたいって所だろうな」

 

 最初はなんとなく如月寮の五人で固まっていたが、主賓と幹事の二人、レインが空に連れられて皆の中心に連れて行かれると、残ったのは壁際で佇む男二人。

 ちなみに千夏はしっかりと騒ぎの中心に居る。あいつはあいつで何気に顔が広い。そういえば先月のクラスのクリスマスパーティにも出ていたはずだ。

 

「なあ……雅、もしかして俺達って友達少ない?」

「おいおい甲、俺まで一緒にするなよ。俺はこれでも女子のほうは……知り合いは多いぞ」

 口説こうとして断られた、という事実は雅の中では記憶領域から削除されているらしい。

 それでも俺よりはましか。同じクラスといえど選択授業が主体の星修だ。本当のところ、俺はいまだにクラスの中で顔と名前が一致するヤツのほうが少ない。

 残り少ない学園生活、もうちょっと顔広げるか。

 そう決心して、俺もクラスの輪の中に入っていった。

 

 

    〓

 

 

 テーブルに並べられているのは食べやすいようにと、一口サイズのサンドイッチに、各種のプチケーキ。パスタ類も小鉢にすでに分けられている上に、冷めても大丈夫なようにと冷製主体だ。

 当然ながらドリンク類はすべてノンアルコール。これは仕方がない。

 

 雅と別れて、とりあえず適当に皿に取り分けていると、顔見知りの男子連中が向こうから集まってきた。休み中のことや課題の愚痴などどうでもいいことを話していたものの、こいつらの下心はわかりやすい。俺からレインに紹介してもらおうという魂胆だ。

 雅も似たような状態かと探してみると、俺とは対称的に女子三人に囲まれつつ談笑中。一見羨ましい気もしたが、その三人全員、前に告って振られていたはずだ。まあ雅のすごいところは振られたあとも笑って付き合えるところだろう。

 

 ただクラスの男子連中の話を聞くと、どうやら俺は空と千夏とを二股かけていることになっているらしい。しかも現在進行形でレインにちょっかいを出している、と。どんな最低野郎なんだ、それは。

 そんな面白いことは本人に知らせておかなければならない。ちょうど目が逢ったレインに、グラスを掲げ合図する。

 しかしレインがこちらに近付いてくると、今まで紹介しろとせっついていた男子連中は、頼んだぞと言い残して、散り散りに去っていった。まあ、俺にしてもわざわざ紹介するつもりもないので、横にいられても気まずかっただろうが。

 

「お疲れ、レイン」

 ペリエの注がれたグラスを差し出し、レインをねぎらう。わずかにライムを垂らしたペリエは、話し疲れてそうなレインにはちょうどいいだろう。

「ありがとうございます。ここのお料理はおいしくて、ついつい食べ過ぎてしまいそうですね」

「パスタとか魚介類主体だけど、大丈夫なのか?」

「ご心配なく。ちゃんと火が通してあれば問題ありませんよ」

 確かに刺身というか生物が駄目なだけで、煮物や焼き魚はレインも普通に食べていたな。

 

「それに、残念ながら……」

「いろいろと手は入れてるけど、合成食だよなぁ」

 二人して顔を見合わせて苦笑してしまう。いまどき天然食材など出している店には、学園生の身分では入れるはずもない。それでも星修学園都市は他に比べたらまだ豊富なほうで、しかも如月寮では菜ノ葉がいろいろと農園で作ってくれているからこそ、天然食材が食べられているのだ。

 

「ですが、かなり凝ってますよ。見た目も食感もいろいろとこだわっているみたいです」

 完全合成食料品(ソイレント・グリーン)、名前どおりそれと水さえあれば人間の生活に必要な栄養素はまかなえる。ただあの合成食本来のペーストのままだと、正直食事という気はしない。それを素材として使いつつ、どう味付けし見栄え良くするかが、料理人の腕の見せ所だと菜ノ葉は言っていた。

 

 そんな料理を軽くつまみながら、いくつかのグループになって笑いあっているクラスメイトをなんともなしに眺める。

「それにしても皆さま親切な方が多くて、本当にいいクラスですね」

「俺はなにやら最悪な男に設定されてるみたいだがな」

 さっき聞いた話を、適当に脚色してレインに伝えた。

 

「まったく。甲さんがそれくらい積極的でしたら、もう少し如月寮も平和ですのに」

「おいおい、遠まわしに俺が甲斐性がないって言ってないか、それは」

「自覚なさっているなら、エスコートしてくださいな?」

 レインのその誘いを受けると、確実に来週からクラスで妬まれるな。

 

「はいはい、レインも甲も、そんな奥に引っ込んでないで、こっちに来なさい」

 ちょうどいい具合に、空が俺達を呼び出した。ここは素直にレインは空に任せよう。

「では、また後ほど、甲さん」

「ああ、主賓なんだから、楽しんできてくれ」

 

 

    〓

 

 

 幹事の空の采配と、主賓のレインの人あたりの良さ、そして何よりも学園生特有の食欲があって、予定されていた二時間はあっという間に過ぎ去った。

 明日も土曜とはいえ授業はある。パーティに集まっていたクラスメイト達は三々五々と皆それぞれの帰路に就いていた。

 

「じゃあ、私達も帰りましょうか」

 店先で解散宣言をしていた空がレインを連れて戻ってきた。寮に残っている三人へのお土産もちゃんと手にしている。

「あーすまん、俺はちょっと寄るところがあるんで、お先に」

 別口でケーキを買っていた雅は、そういってどこかに消えていった。どうやら本当に、クリスマスに会っていた相手とは続いているようだ。

 

「乗ってくかい、甲?」

 ちゃっかりとバイクで来ていた千夏に、そう声をかけられた。が、俺が答えるよりも早く、空が後ろに乗り込んでいた。

「私が乗るわ、千夏。まこちゃん達にケーキ早く届けてあげたいし」

 憮然とした表情の千夏を気にもせず、手馴れた様子でメットを被る。

 取り残される形になったレインは、俺の横できょとんとしてる。たぶん俺も同じ表情だ。

 

「甲は、レインを寮までエスコートすることっ、いいわね」

 

 

 

 

 

..■一月一四日 金曜日 二〇時一二分

 

 エスコートという空の言葉に触発されて、少し歩こうか、などと思ったのが間違いだった。いつか千夏とデートに来た公園を通って駅に向かうつもりが、出会いたくない連中に鉢合わせしてしまった。

 

「ほほぉ、これはこれは桐島のお嬢様ではないですか」

「ジルベルトさんがああいうことになったのに、こちらはお咎め無しとは」

「さすが統合の大佐さんのご息女は、なにかと優遇されておりますな」

 口々に言いたいことを言ってくれるのは、鳳翔学園の制服を着た五人。

 

 一人一人の顔に記憶はないが、口ぶりと態度から察するに、ジルベール・ジルベルトの取り巻きだった連中だろう。

 被造子(D・C)であることに、歪んだ優越感を持っていたジルベルト。レインが転校することになった要因の一つであるだけでなく、なにかと俺達に因縁を付けてきたりと二度と係わり合いたくはない相手だ。

 しかし俺としては思い出したくもない男だが、鳳翔学園内での、被造子(D・C)の面々の中ではかなり慕われていたというから、人間わからないものである。

 

「まったく……せっかく新年会でいい感じに楽しめたのに、締めがコレかよ」

 鳳翔の男達は、俺とレインを囲むように広がっていく。どうやら威嚇のつもりらしい。

「申し訳ありません、甲さん」

「いや、レインはまったく悪くないだろ。ここを通るのを選んだ、俺のミスだ」

 すでに日は落ち、公園内にも人影は見えない。ライトアップされている湖畔は美しく、それに誘われた俺が悪い。

 

「甲さんは、下がってください」

 すでに意識を眼前の連中に切り替えているレインが、一歩前に出る。

 徒手格闘において、レインは相手が被造子(D・C)であろうと学園生程度に遅れをとるはずはない。それどころか掠らせることさえないだろう。

 

 しかしそれでも一度に五人は、手間だ。

「いや、二人ほどこちらに回せ」

 そして、こんなことは当たり前だと言わんばかりに、俺の口からその言葉が出た。

 

「あと……レイン、殺すなよ」

 

 

    〓

 

 

「あと……レイン、殺すなよ」

 

了解(ヤー)。合わせて視聴覚データの保存、開始します」

 レインのその言葉が引き金になった。

 右端の男がレインよりも早く、俺に向かって拳を放つ。

「舐めるなぁっエイリアニストがぁっ」

 ギリギリでかわしたつもりだったが、相手の拳は右のこめかみを切り裂いた。

 ジルベルトの取り巻きと侮っていたのが裏目に出た。こいつはなんらかの格闘経験者だ。

 

「っ!」

 俺が反応するよりも先にレインが動く。

 動いた、と俺が知覚できたときにはすでに、視界の左隅で二人目が地に倒れている。

 眼前の男もそれに気付いたのか、こちらへの注意が一瞬途切れた。

「がら空きだぞ」

 せっかくレインが作ってくれた隙だ。無駄にすることなく、空いたその顎に手加減無く掌底を叩き込んだ。

 

「ぅぐっ……」

 くぐもった呻き声とともに、男が崩れ落ちる。

 そのときにはもうレインのほうも終わっていた。足元では四人が肩を外されて転がっている。気を失った者はまだ幸せだろう。起きていても肩の痛みに耐えるしかない。

 大丈夫だろうとは思うが一応の警戒として、鳳翔の制服、そのネクタイを使って男達を後ろ手に縛っていく。外された肩が痛むのだろう、呻きながら何か騒ぐヤツも居たが、走って逃げる元気はなさそうだ。

 

「お疲れ、レイン」

「お手を煩わせて申し訳ありません」

 二人回せといったものの、結局俺が相手できたのは、最後に縛り上げた一人だけだった。

 

「甲さん、血がっ」

「大丈夫、少しかすっただけだ」

 右の瞼の上を切られたようで、眼に血が入ってきて視界が悪い。今は痛みはないが、あとあと痺れてきそうではある。

 手当てをしようと手を伸ばしてくるレインだったが、まずはこいつらの処理が先だ。俺に殴りかかってきたヤツを起こし、ちょっと言いくるめておくことにしよう。

 

「き、きさまらいったい……被造子(D・C)である我々をこれほどまでにぃっ! 電脳化に飽き足らず、義体化までもっ」

 身体的に優位にあるはずの被造子(D・C)が、見下していた第二世代(セカンド)に手玉に取られたのである。そう思いたい気持もわからなくはない。

「義体化なんてするまでもありません」

「あのなぁ……被造子(D・C)だからって鍛錬もなしに何でもできるわけじゃないのは、お前ら自身が一番わかってるだろ」

 

 遺伝子調整のうえ生まれてくる被造子(D・C)。その能力は高いが、あくまでそれは伸びしろが大きい、教育での理解が早いというだけだ。学ばずに知識が増えることもなく、鍛えなくても筋力が付いたりはしない。まして訓練無しに戦えるわけもない。

 格闘の心得がありそうなこの男なら、わからない話でもないだろう。

 

「しかし、こいつらをどうするか、だな」

都市自警軍(CDF)に通報……してもよいのですが、それだと私達のほうが捕まりますね、これでは」

 地面で縛り上げられて転がされている連中を見ると、学園生同士のちょっとした騒ぎ、では収まりそうにないな。

「放置しておくとあとで余計に面倒に……なるなぁ間違いなく」

「ですね。甲さんに当てがなければ、私のほうで力になっていただけそうなところに連絡いたしましょうか?」

 

 残念ながら俺には当てがない。親父に連絡したいとは思わないし、第一この州にいそうにもない。聖良叔母さんにはこんなことで迷惑をかけるわけにもいかない。叔母さん以外に頼れそうなのは亜季姉ぇだが、事件をもみ消してしまいそうで気が引ける。

「霧島大佐に連絡する、ってわけではなさそうだな。任せるよ」

「父に相談するくらいなら、都市自警軍(CDF)に出頭します。少しお待ちください」

 レインがこちらと回線の共有をしながら、どこかに通話をかける。

 

 通話先の名は、六条……クリス?

「突然のご連絡申し訳ございません。先月までそちらに在籍していた桐島レインと申します」

 通話に出たのは、腰まで届きそうな長い銀髪の、そしてこんな時間でも鳳翔学園の制服を身に着けた少女だった。

 聞いたことはないが、レインの鳳翔時代の友人か何かか。

 

『こんばんは、桐島……レインさん』

 検索したのか、相手はすぐにレインの立場を知ったようだ。

『ああ、先月星修学園に転校されたという方ね。なにか御用かしら?』

「はい、その桐島です。先ほど鳳翔学園の在学生と乱闘になりまして、警察沙汰にするほどでもないので、処分はそちらにお任せしようかと」

 

 状況を伝えるためにレインがこちらの視覚データを転送すると、クリスの目線が少し左下に移り、面白がるように唇がゆがんだ。

 しかし、この惨状を見て皮肉げに笑える彼女もすごいな。

『あらあら、ジルベルト君のお友達ね』

 顔見知りなのか、一見してその素性を当てる。鳳翔において被造子(D・C)は少人数でありながら学園の中心といえる存在だということだから、実はこいつらもあちらの学園では名の知れた連中なのかもしれない。

 

『気の弱いお嬢様だと聞いていたけど、噂は当てにならないものね……わかったわ、彼らはその場に放置しておいて頂戴。こちらで対処します』

「ありがとうございます、六条学生会長。問題があればいつでもご連絡ください。では、失礼いたします」

 レインと連中の立場が調べていたのか、通話相手の少女はあっさりと話を引き受けてくれた。どこか底の知れない相手ではある。

 

「レイン、今のは誰だ?」

「鳳翔学園の学生会長です、名は六条クリス。あちらでは生徒のみならず教師陣にも影響力があって、あの方なら穏便に事を済ませていただけるかと」

「穏便ねぇ……なにか、借りを作ってはいけない人に借りを作ってしまった気がする」

 会ったこともない相手なのに、なぜか苦手意識が先立つ。まあレインの話を聞くからにやり手のようだから、取り立てにきたら全力でお返しするまでだ。

 

「と、聞いてたよな。誰かそっちの関係者がくるまで、無理せず転がってろ」

「肩を外しただけなので、すぐに治りますよ。では私達はこれで失礼しますね」

 チンピラ手前の捨て台詞だとは自覚しているが、これ以上相手をしていたい連中ではない。俺達は早々にその場を離れた。

 

 

 

 

 

..■一月一四日 金曜日 二〇時四五分

 

 さすがにその後は何も問題なく、俺とレインの二人は星修の駅まで戻ってはきた。

 学園の制服で、額からの出血をハンカチで押さえながら列車に乗る姿は、喧嘩帰りにしか見えない。事実そうなのだから否定もしないが。駅でも車内でも騒ぎにならなかったのは、俺の横にレインが付いてきてくれたからだろう。切った場所が悪かったらしい、押さえているハンカチはすでに真っ赤に染まっている。俺一人だったら医者でも呼ばれてそうだ。

 

「申し訳ありませんでした、甲さん」

「いいって、むしろ謝るのは足を引っ張った俺のほうだよ。明日からは格闘の時間を増やすべきだな」

 わざと明るくそう言ったが、実際明日からは少しそっち方面のトレーニングも増やそう。レインに並ぶほど、とは高望みしすぎだが、足手まといにはなりたくない。

 

「……レイン?」

 改札を出て、歩き出したときにようやく気がついた。レインがいつもよりわずかに遅い。

「あ、あの、っ甲さんっ? やはり傷口が傷みますか、あ、でしたら……」

「レイン、ごまかすのは無しだ」

「……申し訳ありません」

 

 蔵浜の駅まではすぐだったのでわからなかった、というのは言い訳だ。現場から離れたら即座に確認すべきだったのだ。

 後悔しても意味は無い。屈みこみレインの右の靴下を下げ、くるぶし辺りに指を滑らせる。

「っくぅ」

「骨には異常はなさそうだな」

「は、はい。挫いただけだと思います」

 挫いただけとはいっても、寮まで歩いて帰るのはよくない。

 

「迎えを呼ぶほどの距離でもないし、おぶって帰っていいかレイン?」

「え……えぇっ!?」

 我ながら唐突な提案だとは思うし、男に背負われるということに抵抗あるのは良くわかる。しかしレインがその提案を受けてくれる気はしていた。

「あ、では、視界信号を共有いたしましょうか。甲さんは目があまり見えてなさそうですし」

「助かる。誘導頼むよ、レイン」

 

 

    〓

 

 

 レインを背負って、彼女の眼で前を見ながら夜の道を歩く。

 背中に感じる、思っていたよりも少し軽い身体に、甘い香りとほのかなぬくもり。

 そんなどこか現実感のない状態が、これまで躊躇っていたことへ踏み出すいい機会だった。

 

「なあ……すごくヘンな質問をしていいか、レイン?」

「なんでしょうか、甲さん」

 耳元で囁くような声。

 いや現に、レインは俺の耳元に息が掛かるほどに顔を近づけている。視界の違和感を和らげるようにとの配慮だとは思う。

「俺が今背負っているのは、レイン、だよな?」

「……はい、私です」

「そっか、そうだよな……ならいいんだ」

 

 共有しているレインの視界は、まっすぐ前を向いてくれている。

 それは、視覚を共有してくれているからだけではない。なにか先を見つめるために、逃げ出さず、必死に視線を上げているような気配。

 その思いに、俺は応えたいと思う。

 

「なあ……さっき以上にヘンなことを言うけど、いいかな?」

 先ほどの喧嘩のときに口をついた言葉。

 異常なセリフだったのに、それを当然として受け入れてしまっている俺とレイン。

「……私に、人を殺させたくない、ですか?」

「レイン、それはっ」

 

「人を殺して生きる覚悟は、ちゃんとあります」

 

 いつか聞いたその言葉。いや、聞いたのではない、聞いた夢を見ていたのか。

 レインを背負い、視覚共有している俺からはレインの表情は見えない。

 だが、どんな表情でその言葉を紡いだかを、俺は知っている。

 

「やはり……甲さんもあの夢を見ていましたか」

 どこか溜息にも似た、しかし心の底から安心したかのようなレインの声。

「レインも覚えているのか、あの『灰色のクリスマス』を」

 

 それは、起こらなかった惨劇。

 一二月二四日二〇時三二分。

 地球環境再生を目的とした自己増殖と改変能力とを持つ第二世代ナノマシン、通称アセンブラ。その研究開発が進められていたドレクスラー機関研究所から、アセンブラが未完成のままに流出し、周囲の有機物を飲み込み無制限に増殖をはじめた。

 水無月空は、研究所に出かけていて、そのアセンブラの無制限の増殖に巻き込まれて、溶解したのだ。

 

「アセンブラが流出し、空がそれに巻き込まれて……荒野を二人で彷徨い、そして俺達は傭兵になった」

 統合軍アジア司令部は超法規的措置を遂行。対地射撃衛星群(グングニール)による汚染地域の浄化射撃を開始、数派の全力射撃により汚染地域を焼却。

 事件による死者は数万とも数十万とも言われ、星修学園都市は文字通りの荒野となった上に、汚染の拡大を恐れ進入禁止エリアとされた。

 俺とレインは偶然にもその最中に出会い、そして真相を知るべく、傭兵となりドレクスラー機関を追い続けた。

 

 いや、それはすべて夢の話だ。

 

「はい……私が見たのも、そういう夢でした。

 辛くて悲しくて、それでも……私はそれでもあの景色を夢見たことが、救いになっています」

「救い?」

「私は空さんの代わりには決してなれません。代わりにはなれませんでしたが、わずかでも甲さんの力にはなれたんじゃないか、と。それくらいは自惚れさせてくださいな」

「自惚れるなんて、もっと自信持ってくれよ。レインはレインだ。空の代わりなんかじゃないよ」

 俺の反応が予想通りだったのだろう、面白そうにレインが小さく笑う。

 

「ありがとうございます。それに第一、夢を見る前は甲さんにおぶってもらうどころか、ちゃんとお話しもできなかったんですよ。覚えてませんか?」

「そういえば聖堂であったときは、いきなり逃げ出されてたな」

「……あの時は申し訳ありませんでした」

 

 背中にレインの体温を感じながら、ゆっくりと脚を進める。

 この暖かさ、これは夢ではない。

 そして俺には、何が夢で何が現実(リアル)なのかを、しっかり見定める必要があるはずだ。

 

「この前、雅や千夏と飲んでたときにさ、親父に会いたくないって話してたろ?」

「……ええ」

 雅に言われたように、親父にシュミクラムの腕を見てもらう。それ自体はいい。

 しかし、現役の傭兵である親父にシュミクラムの腕を認められるようなら、あの夢は本当に俺の記憶・知識となっている、ということだ。

 それは俺が人を殺して生きてきたという証に他ならない。

 

「寮に戻ったら親父に連絡する。そして俺のシュミクラムの腕を見てもらう。まずはそこからだ」

「もし、もしもですよ。甲さんの腕が、夢の中で見たようなところまで高まっているとしたら、どうされるのですか?」

 それを知ったとき、俺はどうするのだろう。

 あの夢を、本来の俺の経験として直視する覚悟があるのだろうか。

 今はまだ、はっきりとはいえない。

 

「そうだな、そのときのことはそのとき考える、一緒に考えてくれるか、レイン?」

「もちろんです」

 返事とともに、首に回ったレインの腕に力がこめられた。

 冬の夜道を、レインの髪の匂いに包まれながら、俺は焦ることなく歩き続けていく。

 

 

 

 

 

..■一月一四日 金曜日 二一時七分

 

「ただいまー」

「ただいま戻りました」

 俺とレインが声を揃えて玄関を開けると、甘い匂いが漂っていた。そういえば空がお土産にケーキを持って帰るとか言ってたな。

 

「遅いよ甲っ、なにかヘンなところに寄ってたんじゃないわ……よね?」

 居間から飛び出してきた千夏の声が微妙に途切れる。

 そういえばレインを背負っているし、俺自身押さえてもらっていたが、額が切れたままだったな。

 

「千夏。悪い救急キット持ってきてくれないか」

「……わかった」

 何か言いたげだったが、そのあたりはさすがスポーツ特待生。傷の手当てを優先してくれそうだ。

 

「甲っ、その傷、どうしたの、何があったのっ」

 その千夏との会話を聞いていたのか、居間から皆が出てきた。

 空や菜ノ葉は俺の顔を見て真っ青になっているが、そんなにひどいのだろうか?

「ああ、俺はちょっと切っただけ。場所が場所だから目立つだけだよ。先にレインを……」

 玄関先でどうこうするほどでもないので、レインを庇いつつ居間に入る。

 

「持ってきたよ、甲」

「助かる千夏。まずはそっちが先だ、レイン」

 千夏からキットを受け取りつつも、それをレインに押し付ける。

「申し訳ありません、お借りします」

「ええっ? レインも怪我してるのっ?」

 救急キットを受け取ったレインは、慣れた手つきで足首に鎮痛膚板(ダーム)を張っていく。

 その手際の良さを確認して、俺は俺がすべきことに意識を切り替える。

 

「千夏、この前のウォッカ残ってないか?」

「え、あ、うん。まだ残ってるけど……」

「すまん、一杯くれ」

「ちょっと甲っ」

 空が止めようと声を上げるが、ここは黙って見過ごしてもらいたい。

「なんだかよくわかんないけど、キアイ入れる必要があるってことね」

 

 台所に駆け込んだ千夏は、まさに一瞬で戻ってくる。

 千夏が慣れた手つきでグラスに半分透明な液体を注ぎ、残りをソーダで満たす。それをコースターで蓋をして差し出してきた。

「っておいおい千夏……ショットガンかよ」

「景気付けには一番、違うかい甲?」

 綺麗な呑み方じゃないが、確かに気合を入れるにはいい方法だ。

 右手でグラスを塞ぎ、勢い良くカンっとテーブルにグラスを叩きつけ、そのまま一気に飲み干す。

 味も何もない。ただ喉を焼くアルコールの感触。

「……よしっ」

 

「甲っ、何がどうなってるのかくらい説明しなさいっ」

「すまん。ちょっと通話したいところがあるんだ」

 自分の手当てが終わってレインが、静かに俺の横に立つ。額の傷口がわかりやすいように、俺は姿勢を変えつつ、あわせて回線も共有する。

 

 視界の中央に呼び出したアドレス帳、いまだ一度もかけたことの無いそのアドレスをポイントしながらも、まだためらいが残っていた。

 ふと視線をずらすと、少し上目遣いのレインと目が逢う。

「……甲さん」

「すまんな、レイン」

 

 呼び出し音(コール)は三度、こちらが考え直すよりも早く、相手は通話に出た。

 門倉永二。蒼い作業着姿のもみあげ親父、いい年のはずだが、どこかガキ大将のような雰囲気は記憶のままだ。作業着の胸元には「門倉運輸」のワッペンが貼られているが、そちらはあくまでダミーだ。実際は統合の認可を受けたPMC、傭兵会社「フェンリル」の隊長にして、俺の父親である。

 

『お……おう、久しぶりだな、甲』

「悪いないきなり連絡して、今はだいじょうぶか、親父」

『息子からの連絡を後回しにするような事態なんざ、ありゃしねぇよ。どうした、何かあったのか?』

 映像回線で繋いだせいで、額の傷は向こうにも筒抜けだ。普通に考えれば、そうか……警察沙汰になって親に電話かけてるように見えるな、コレは。

 

「この傷は関係ない、別に喧嘩騒ぎで都市自警軍(CDF)に厄介になってるとかじゃねぇよ。連絡したのは、ちょっとヘンな頼み聞いてもらいたくて……」

 言いかけて、さすがに言葉に詰まる。よくよく考えれば本当にヘンな話だ。

「と、とりあえずシュミクラムの腕前を見てもらいたいんだ、その道に関しては間違いなくプロだろ?」

『そりゃぁ……べつにかまわんが』

 

「まあアレだ。新人(ニュービーズ)戦でいいところまで行ったガキが、粋がってプロに意見してもらおう……ってのじゃダメか、親父?」

 もうちょっとまともな理由を考えておけばよかったというにはもう遅い。以前雅に言われた言い訳が、口を点いてしまった。しかし親父が言葉を濁すのもわからないではない。学園生レベルの闘技場(アリーナ)と、実際の戦場での動きは似ているようでまったく違う。

 

「ちょっと事前に説明するのが難しい状況なんだ。見てもらってからのほうが話が早いと思う。入隊試験があれば、そっちが良いんだが、フェンリルはやってなかったよな?」

『ん、ああ。うちはほとんど知り合い経由で隊員を増やしてるからな。そういう入社試験みたいなのは無いな』

「じゃあ、俺とあと一人、時間はいつでもいいので、そっちの都合がついたら折り返し連絡もらえないか?」

 さすがに授業の最中の時間などは無理にしても、それ以外なら俺もレインも都合は付けられる。最悪、三日くらいなら学園を休んでもいい。

 

 と、そこまで話してると、横から千夏がつついてきた。

「ちょっと持ってよ、甲。腕を見てもらうってのはいいけど、あたしはまだどういう状況下いまいちよくわかってないんだけど?」

「いや、行くのは俺とレインの二人で……」

「はぁっ? なんでよっ、シュミクラムの腕って言うならあたしか雅じゃないのさっ」

「いや、それはそうかもしれないけどさ……そうじゃなくてだなー」

 

 千夏の言い分もわかるのだが、シュミクラムの腕をというのはわかりやすいからだけで、見てもらいたいのは俺とレインの連携なのだ。ただそれをこの場で言うとさすがにいろいろとまずい。

『なにかありそうだが、甲よ。こっちは二人でも三人でもいいぞ』

 しまった、レインに回線共有した関係で、この部屋の音声データまで向こうに送っていたか。

 

「……わかった。俺を含め四人面倒見てくれないか」

「四人?」

「おい、雅。お前も付き合うだろ?」

 こうなったら逆に比較してもらったほうがわかりやすいかもしれん。新人(ニュービーズ)戦のときのデータとあわせて、千夏と雅も一緒に見比べてもらうのもいいだろう。

「ふたりまえだろ、俺だけ除け者にされたくはないぜ。行けるならもちろん行くさ」

 さすが我が友。このあたりの良い意味での腰の軽さは非常に助かる。

 

『四人でもこっちはかまわんさ。全員、星修に居るのか?』

「ああ。みんな如月寮に居るよ」

『わかった、なら今から迎えをやる。ちょうどそっちに集配に行ったやつがいるはずだ』

「は? 今からって、そりゃ没入(ダイブ)すれば今からでもいいが……集配って現実(リアル)でどこに連れていくつもりだよ、ハバロフスクとかブエノスアイレスとかは勘弁してくれ」

 集配ということは門倉運輸の仕事のほうか、と思ったものの、行き先が不安だ。フェンリルがまともな場所に居るはずが無い。だいたいシュミクラムの腕を見てもらうだけなら仮想(ネット)で十分だ。

 

『何言ってやがる、清城だ、清城市。俺達はちょっとした仕事で昨年末からこっちに居るんだ、知ってて連絡してきたんじゃないのかよ』

 確かに清城ならすぐにいける。今から出ても日が変わる前には着いているだろう。

「仕事って、アーク、聖良叔母さんからか?」

『そのあたりはお前にも教えられん。が、それはともかくちょうど週末だ、こっちに来て明日の朝から訓練に顔出してみるのが一番じゃねぇか』

 

 明日はもう土曜日。授業はあるが、午前のみだ。言われてみれば都合はいいな。それに現実(リアル)での動きを見てもらうのも悪くはない。

「千夏、雅。いきなりだが、明日というか今からでもいいか?」

「あたしはいつでもオッケー」

「俺も付き合うからにはいつでもいいぜ」

 授業をサボる算段をしている俺達に、空の視線が厳しいが、ここは見逃してもらおう。

「悪い、空……」

「わかってるわよ、あなた達が取ってる講義のノートくらい用意してあげる。ちゃんと親孝行してきなさい」

 

 

 

 

..■一月一五日 土曜日 四時五〇分

 

 VC147大型輸送機。

 空飛ぶ駆逐艦とまで言われた大型のVTOL輸送機。それがフェンリルの、文字通りの「移動基地(ベース)」だ。今はその巨体を、半ば放棄されつつある空港の片隅に、潜むように押し込んでいる。

 

 清城市に就いたのが昨夜遅くだったので、挨拶もそこそこに部屋を宛がわれて眠ってしまったが、一晩のうちに着替えが用意されていた。新品の下着類にしっかりと洗濯された制服。靴下にいたってはちゃんと替えの分まで含め三足置いてある。

 フェンリルは悪名高い傭兵部隊ではあるが、兵站に金を惜しまない様子からして、その名に恥じぬだけの結果は出しているらしい。

 

 起床時間になって部屋を出ると、隣のレインもちょうど出てきていた。門倉運輸の蒼い制服は、俺よりも似合って見える。

「おはようございます、甲さん」

「おはようレイン。足の怪我はどう?」

「痛みはもうありません。ブーツが馴染めば気にもならないかと」

 痛みを隠している様子もない。昨夜の、レイン自身の処置が手際よかったからだろうな。

 

「それを聞いて安心したよ。調子もよさそうだな」

「さすがに緊張はしていますが、どちらかといえば楽しみですね」

 言葉とは裏腹に余裕ありげな微笑。コンディションは良好だな。

 

 

    〓

 

 

「おはようございます、皆さん。〇八〇〇(マルハチマルマル)までの訓練は私が担当させていただきます」

 俺達の訓練担当軍曹だと名乗ったのは、昨日ここまで送ってくれた宅配の運転手だった。

「ほんとに運送業務と傭兵業務を並列してるんですね」

 雅が呆れたように感想を漏らす。

「はははっ、どちらも体力と速度が命ですからね。では、朝食まで軽く運動しましょう」

 

 簡単だか入念なストレッチの後、軍曹の指示に従って、空港施設の周りを走りだした。

 配給されたブーツがまだ脚に馴染んでいないのと、周囲の暗さに加えガレキの多さが地味に堪える。

 

「ランニング、と言うよりも不正地突破訓練だな、これじゃ」

 部隊員の訓練に使っているところだ。整備するつもりがあれば即日やっているはず。放置されているところを見ると、これも含めてのトレーニングコースなんだろう。

「門倉ーっ! ぼやく余裕があるなら、あと五キロ追加するかーっ」

「はい、軍曹殿! ありがとうございますっ、門倉五キロ、二周追加いたしますっ!」

 聞かれているとは思っていなかったが、ちょうどいい。

 横で一緒に走る軍曹に、威勢良く声を張り上げる。

「同じく桐島、五キロ追加いたします」

 レインにしても距離的に少し足りないのだろう。

 

「うえっ……おまえらすげぇな」

「雅っ、なに言ってるんだい、あたし達も追加するよっ」

 さすが千夏、というべきか。まあ実際、普通に五キロだけじゃあ朝錬にもならないな。

 慣れるまで意図してペースを落としつつも、俺達は走り続けた。

 

 

    〓

 

 

 そしてランニングの後はお決まりの筋トレ。

「う……スマン、甲、俺もう無理だ」

 最初にぶっ倒れたのはやはりというか雅だった。

「須藤っ、貴様は少したるんどるようだなっ、お前に足りないのは練習とビタミン!! そして…神への祈りだっ。明日からはもっと鍛えるように」

「あ、ありがとうございます……」

 へたり込む雅を横目に、俺達残り三人は淡々とスクワットを続ける。千夏も脚のほうはもう完全に治っているようだ。

 

「どうだ、そろそろ時間だが、すこし組手でもやってみるか?」

 そんな様子をどこか楽しげに眺めていた軍曹が、切り出した。

 いいかんじに身体を動かした後だ。このまま終了ではどこかもったいない。

 

「よろしくお願いします、軍曹」

「まずは、そうだな……」

「あ、あたしからでいいですか?」

 そういえば千夏は、どこかで海兵隊のにいちゃんに格闘習ってたっていってたな。本職に試したい気持ちはよくわかる。

 

「ん、渚か、よしっ」

 千夏は、一礼して軍曹に向き合う。

 シュミクラムと同じく、腕をあまり上げない蹴り主体の構え、か。

 軍曹もそれを見越して距離を保ったまま、二人はゆっくりと円を描く。

「はぁっ」

 気合の入った千夏の掛け声とともに、顎先を狙った鋭く伸びる右の蹴り。

 

「っえ?」

 素人離れしたその動きは、しかし軍曹に軽くいなされ、そのままの流れで投げられる。

「いい筋だ。ただ、少しばかりまっすぐすぎるな」

「くぅ……ありがとうございましたっ」

 投げ方も受け方も綺麗だったからか、千夏はダメージはないようだ。残念そうだが、そこは隠さず一礼して下がる。

 

「では、次は俺が行かせてもらいます」

「ん、門倉か。よし、こい」

 一礼して、構える。

 千夏との組手を見てわかったが、軍曹はこちらの手を待ってくれるようだ。

 つまりは隙は作らず、完全な受身の姿勢。下手なフェイントなどは無用だろう。初手から持てる最大の一撃で……と考えたところで思い至る。

 なるほど、千夏がいきなり大技切ったわけだ。

 ならシンプルに全力で、胸を突き放して倒すっ!

 

 が、俺はあっさりと地面に投げられていた。脚を極めにきていないのは軍曹の情けか。

「ありがとうございます、軍曹」

「残念だったな門倉。ふむ……少し肉が落ちてるのではないか?」

「ご指摘ありがとうございます。冬休み、怠け過ぎていたかもしれません」

 身体が思ったほど動けていない。やはり基礎のところで筋力不足だ。

 

「最後は、桐島か」

「よろしくお願いします」

 先と同じように両者は距離をとって一礼。

 いつものように流れるようにレインが軍曹に近づく。

「っ!」

 腕をとって投げたっと思えたが、軍曹は叩きつけられると同じく身体を回し、後方に飛び退る。

 

 両者が再び距離をとる。

 レインもわずかに驚いたような表情を浮かべたが、それよりも軍曹の顔つきが変わった。

「桐島、加減してくれて助かったよ。朝っぱらから関節外されるのは遠慮したい」

「いえ、私もまだまだです。かわされるとは思ってませんでした」

「よしっ、いい時間だな。皆さん、シャワーを浴びて朝食をどうぞ」

 さすがにそのまま続けるというのも無しだろう、ということで早朝のトレーニングは終わった。

 

 

 

 

 

..■一月一五日 土曜日 八時一五分

 

 トレーニングのあと簡単にシャワーを浴びて、たっぷりと朝食を取った。如月寮の食事に比べると残念ながら味は劣るものの、量も質も十分以上だ。ただ雅はあまり喉に通らなかったようだ。

 制服の時にも思ったが、このあたり本当にフェンリルは設備が良い。悪名のわりに部隊が存続しているのにも納得できる。

 今俺達が横になっている操作席(コンソール)も使い込まれてはいるが、手入れは万全だ。簡単にチェックを済ませた後、首筋の神経挿入子(ニューロジャック)操作席(コンソール)とを有線で繋げる。

 

「お手数をおかけします、シゼル少佐」

「気にするな、甲君。それに私の手を煩わせていると思うなら、言葉での謝罪ではなく、結果で示してもらいたいものだな」

 現実(リアル)でのトレーニングと変わって、今回はシゼル少佐が担当してくれている。フェンリルで二番目の凄腕(ホットドガー)の少佐を、学園生の相手に回してくれるとは、親父には感謝すべきだな。ちなみに認めたくはないが、間違いなくこの部隊で一番の凄腕(ホットドガー)は俺の親父、門倉永二だ。

 

「さて、次はいよいよお待ちかねのシュミクラムでの演習だ。準備はいいか?」

「問題ありません」

 他の三人の様子を確認して、俺が答えた。

「では各自没入(ダイブ)

 

 

没入(ダイブ)

 

 転送(ムーブ)された先は、広々とした空間だった。

「学園の模擬戦闘場(アリーナ)に似てるな」

「あそこよりは広いんじゃない?」

 

 空は薄く曇っており、視界が続く限りのコンクリートの地面。ところどころに破壊されたビルと思しき瓦礫の山がある。

「というか見ていて気が滅入る風景だな」

「春の草原で暴れたいわけじゃないだろ、雅」

 雅と同じ感想だったが、シュミクラムで走り回るのだ。これくらい殺伐としたところのほうがやりやすい。

 

「それよりも気を抜くなよ。ここはほとんど制限(リミッター)が効いていないぞ」

「うぇ、マジかよ……」

「それこそ気合が入るってもんでしょ、覚悟決めなっ」

 二人とも緊張しすぎだな。

 わざとらしくぼやく雅に対して、千夏も少しテンションが高すぎる気がする。千夏に関しては、やはり制限無し(リミッターオフ)無名都市(アノニマス・シティ)でジルベルトに足を撃たれたことが、いまだに乗り越えられていないのかもしれない。

「甲、そんなに気にすることないよ。せっかくの機会なんだから、楽しもう」

「……わかった」

 

 レインに眼をやると、仕方ありません、と言いたげな表情だ。

 確かに俺とレインは、ある意味おかしいのだろう。

 あのクリスマス・イヴに見た夢の、地獄のような経験が、真実なのかどうかを親父に確認してもらいたかったのだが、もう今の時点でわかってしまった。

 

 これが俺とレインにとっては、日常(リアル)なのだ。

 

 間違いなく初めての軍事演習なのに、そこにあるのはすでに慣れきった、幾度となく繰り返したありふれた日常だった。

「……レイン、問題ないか?」

「思うところはいろいろとありますが、いけます」

 確認したいことはわかってしまったし、ここで帰ってしまってもいいな、と馬鹿げたことが頭によぎった。が、そんな意識を一気に吹き飛ばすシゼル少佐の指示が来る。

『各自、問題なければ移行(シフト)しろ』

了解(ヤー)

 

 

移行(シフト)

 

 シュミクラムに移行(シフト)したと同時に、その感知装置(センサー)にあわせて視界が広がる。全能感に満たされる瞬間ではあるな。

 簡単に機体各部を確認するが、問題はない。

 

『では、はじめるぞ、開戦(オープンコンバット)っ』

 シゼル少佐の声とともに、一二機のバグが俺達を囲むように転送(ムーブ)された。皿に四本の脚が生えたような、カニじみた機体だ。人が直接操作しない自立兵器ウィルスは、シュミクラムに比較して安価な仮想空間(ネット)兵器であり、ちょっとした警備などには広く使用されている。

 もちろん中にはシュミクラムを凌駕するほどに巨大で強力なものも存在するが、そういった機体はそうそうお目にかかるものではない。

 

 一二機のバグが、ガシャガシャと音を立ててまっすぐこちらに向かって走ってくる。移動目標に対する機体動作試験としてはうってつけだ。

 バズーカを先頭に撃ち込み、続いてその横にハンドガンを三射、適度に熱の溜まったところでガトリングを呼び出し、斉射。横ではレインが投げナイフらしきもので一機をしとめ、残りを薙刀で斬り払っていた。

 

「こちら門倉。火器の準備など問題ありません。よろしくお願いいたします、少佐」

「こちら桐島。同じく機体に問題ありません」

 簡単にシゼル少佐に報告するが、起動確認としてはターゲットが少なすぎないか?

 

「えー渚、です。まったく動けてません」

「え、と。こちら須藤。同じく手が出てませんが大丈夫、です」

 雅と千夏にいたっては言うとおりほぼ動いてないし、俺も実のところ格闘系は確認していない。まあ今の射撃でも挙動には問題がなかったので、気にする範囲ではないな。

『あ、ああ。でははじめるとしよう』

 

 

    〓

 

 

 一〇分ほど、四人で大小合わせてウィルスを一〇〇体ほど破壊した後に、少佐から小休止の号令が下った。小休止ということで、離脱(ログアウト)はせずに除装しただけだ。

 グラウンドに固まっている俺達の前に少佐が現れた。いつも険しい印象の人だが、今は素直に「怖い」と言いたい。

「君達は、機体の整備や調整は自ら行っているのか?」

「はい、少佐。自分は、基本的には自前でやっております。ただ定期的なメンテナンスとしては、なにぶんカスタム機ですので、製作者である西野亜季に見てもらっております。須藤雅、渚千夏も同様です」

「私もおなじく、セッティングは自分でやっております」

「……わかった。しばらくそのまま待機」

 

 俺とレインの返答に納得したらしく、シゼル少佐が消える。離脱(ログアウト)したのか転送(ムーブ)したのか、ここからでは確認できない何かがあるのか?

 しかしすぐに戻ってきた少佐は、唐突な許可を俺達に与えてくる。

「本日に限り、フェンリルの各種機材を無制限で貸与する。各自好きなように装備及び調整しろ。時間は、そうだな一〇〇〇(ヒトマルマルマル)まででよいか?」

 

 無制限で、貸与……?

 隣のレインも、見るまでもない、戸惑いを隠せない気配だ。

「返事はどうしたっ」

「や、了解(ヤー)っ。一〇〇〇(ヒトマルマルマル)までに機体の再調整を行います」

 雅と千夏はいまいち状況が飲み込めていないのか、返事が無い。

 

「ご質問よろしいでしょうか、少佐」

「何だ、桐島?」

「サポート用のツールなどの使用も許可していただけますか?」

「制限なし、と言ったぞ、桐島」

了解(ヤー)。では一時間でセッティングいたします」

「いい自信だ。それが虚勢でないことに期待している」

 

 

    〓

 

 

「すげーな甲、見たことどころか聞いたこと無いようなものまで並んでるぜ」

「どうやって使うんだろうね、コレとか……」

 さすがフェンリルだ。ありとあらゆる、といっていいほどに装備が充実している。

 千夏や雅の言葉ではないが、学園生が買えるはずもない武装が並んでいる。俺も機体への各種プラグイン導入(インストール)の傍らで武装のリストアップをはじめた。

 

「二人とも、あまり時間は無いぞ。使いやすいものをリストして、装備していこうぜ」

 少佐には好きに使えといわれたが、逆に目標が不鮮明で困る。先の敵編成のままと予測するならば、範囲攻撃兵装がいいのだろうが、わざわざ無制限の使用許可を出した上で、同じ演習は無いだろう。

 ならば少数同士の対シュミクラム戦か、あるいは大型ウィルス相手か?

 悩みだすと手が止まってしまう。小型ウィルスが数で攻めてきても、一定火力があれば各個撃破は容易だ。ここは俺の影狼(カゲロウ)の長所である機動性を殺さないように、防御に移行しやすく、かつ単純化された装備で固めるべきか。

 

「……言うは易く、行うは難しってところだな」

 入れていくとすれば機動面ではスウェーバックナイフにサイス、威力を考えればクラッシュハンマーかギャラクティックストライクなどか。火力と機動性のバランスとなれば、影狼(カゲロウ)の場合どうしても近接系装備になる。さらに火力強化という面では、今まで持っていた兵装のなかではガトリングだが、これは外す。武装の廃熱を利用してのヒートチャージ対応の兵装であれば、ガトリングよりもこれまた近接兵装になるが、ブンディダガーのほうがいい。

 防御兵装としては、ブロックバリアかチャフ、それにシールドあたりだな。積載量に余裕がないので、どれかか一つに絞るしかない。

 あとはイニシャライザの設定は当然として、なにかフォースクラッシュを装備しておくか。

 

「甲さんっ、ファイナルアトミックボムは無しです」

 リストから導入(インストール)しようとしたところ、レインから止められた。サポート関連の各種装備をしつつ、こちらにもしっかりと注意を払っていたようだ。さすがだ、レイン。

「う……すまん、レイン。じゃ、じゃあ、こっちで……」

「甲さん……ギガマインも無しです」

「レイン、お前なら間違っても踏むことは無いだろう?」

 困り果てたような顔で、レインがこちらにもダメ出しをする。

 

 しかしレインが俺の仕掛けたというか、敵味方問わず地雷やトラップに引っかかるとは思えない。

「作戦内容が不鮮明な現在、味方機への誤射誤爆となりうる要因は、可能な限り避けるべきです」

 一瞬レインの視線が、俺以外のところに流れる。

 確かにレインは地雷の効果範囲に入ったりはしない。それは疑うまでもなく明らかだ。ただ、雅と千夏、そしてそれ以外のなんらかの防衛目標が入り込まないとは保障できない。

 

「言いたいこともわかる。その上で、使用に関して周囲の状況把握はいつも以上に留意する。ただ敵戦力が不明な以上、一定の火力は欲しいんだ」

「……わかりました。こちらでも気を付けます」

「すまんな、レイン」

 こうして俺達の装備は、予定時間以内に完了した。

 

 

 

 

 

..■一月一五日 土曜日 一〇時二五分

 

 構造体の各所に敵が出現し、それを排除していく。サバイバル、というのが相応しいのか。開始から二〇分程度、今のところは順調だ。

 影狼(カゲロウ)に追加した各種のプラグインも、問題なく機能している。

 レインから送られてくる周辺情報と合わせて、俺の視界に表示されている情報は、先ほどまでの数倍に膨れ上がっているが、それにもすぐに慣れた。

 いや逆だな。今までの表示が少なすぎたのだ、俺の意識としては。

 

「しかしレインさん、すげーな」

「最初その機体で移行(シフト)してきたときは、正直何事かと思ったけどね」

 確かに、こちらのデータ表示などとは比較できないほどに、レインの機体は変化していた。

 

 レインのアイギスは、もともとの細身だった面影はもはや無い。サポート能力に重点を置いて、全身に感知装置(センサー)を拡張、主兵装をランスとライフルに換装したそれは、俺が良く知るアイギスガードになっていた。

 見慣れた……そう、ありえない話だが、俺が知っているレインの愛機はこちらの姿なのだ。

 

「ほんと、サポートが居てくれるだけで、こんなに戦いやすくなるとはね」

 千夏の言うとおり、フェンリルから支給された火器による単純な火力アップよりも、レインからの指示が俺達の戦力を引き上げていた。敵の不意打ちは一切無く、常に先手を打てるのはアイギスガードとレインの情報処理能力の恩恵だ。

 

「サポートのありがたさを理解したところで、雅と千夏は自分の安全を第一に考えてくれ。さっきみたいな平野だったらともかく、今はご覧のとおりの市街地だ」

「ま、護衛くらいは任せてくれ。いくらレインさんでも全部の敵を常時監視ってのは、難しいだろうってか?」

「それは……っ」

 反射的に雅の言葉に反論しそうになる。レインが周辺索敵で敵機を見逃すとは思えない。それに索敵に集中していようと、ウィルス程度ならレイン自身が排除してしまうだろう。

 が、それくらいの心構えで居てくれるほうが助かるので、ここは流しておこう。まだ演習は序盤にも達していない。緊張で身体が動かなくなるよりはいいだろう。

 

 今のところ敵戦力は小型ウィルスを中核としたもので、一度に遭遇する機数的にもそれほど脅威ではない。ただ先が見えないぶん、追い立てられているという意識はどうしようもない。

 

「索敵範囲を狭めれば、もう少しデータ精度を上げられますが……」

「いや、今のまま半径一〇〇仮想キロまでの広域探査を維持。シュミクラム四機程度に無いとは思うが、間接支援砲撃を警戒しろ」

了解(ヤー)

 レインがこちらの気配を察して、そう進言してくれる。確かに演習エリアとして区切られているのは二〇キロ四方程度だが、その外側に敵性勢力が居ない、とは断言されていない。

 

 もちろんこの一〇〇キロ先から攻撃された場合、現状の装備では直接的な対処は不可能だ。だからこそ今怖いのは眼前に群がるウィルスやシュミラクムではない。不意打ちの砲撃が危ない。

 たとえ間接砲撃があったとしても、射撃自体が確認できれば対応はできる。しかも一度その射撃位置さえ判明してしまえば迎撃も回避も、格段に難易度が下がる。

 結果、レインにはこの構造体全域に対する索敵を続けてもらっている。

 

「近接航空支援でしたら、対応しやすいのですが」

 苦笑交じりにレインが言うが、そのとおりだ。中近距離仕様の俺達にとっては近づいてきてくれるほうが迎撃しやすい。

 そんなことを言っていると、再び敵出現の警報が鳴った。

 

「敵増援、転送(ムーブ)確認。北西北二キロ地点に小型ウィルス一二、中型六」

 報告と同時に、細かな機種データがこちらに転送される。おなじみのアイランナーが一二に、赤いザリガニのようなエグゼダーが六。ともに動きには注意が必要だが、今までと同じくさほど脅威ではない編成だ。

 

「待ってくださいっ、砲撃確認。北北西六五キロの地点から砲撃、数は四。弾速から見てロケット弾と思われます。着弾までおよそ一〇〇秒」

「レイン、一五〇メートル後退して、十字路南で敵弾を迎撃。俺は前方のウィルスを足止めする」

了解(ヤー)

「二人も一度下がっていてくれ」

「わかったよ、甲」

 

 敵の火力が低く、対して機体数の少ないこちらとしては、乱戦に持ち込みやすい開けた場所のほうがいいかとこの広場にいたが、支援砲撃が加わるとなると話は別だ。こんな場所で砲撃を受ければ、回避しようにも、自殺を厭わないウィルスに囲まれて脚をとられる。

 敵ウィルスがレインのほうに行かないように、俺は小刻みに位置を入れ替えながら、広場南の道路に位置取った。エグゼダーの二機を叩き斬ったものの、それに時間を取られた形で、アイランナーを潰しきれていない。

 

「初弾着弾まであと、五、四……」

 レインのカウントが途切れるが、その直後に頭上で爆音。サインミサイルとライフルとで、四発すべて迎撃に成功している。

 

「敵支援砲撃第二波、数は同じく四」

「迎撃は任せた、俺は一気に敵をっ」

 このまま粘られると場所的に苦しい。一度広場に戻って一気に残りのエグゼダーを排除したい。群がってくるアイランナーに強引にナイフで斬り込み、合わせて突進してくるエグゼダーを力任せにハンマーで潰していく。

 

「初弾着弾まであと、五……弾頭分裂っ! 回避を!!」

 レインが警告にあわせて、チャフをばら撒く。これでいくらかは敵弾を削れるだろうが、ロケット四発分の子弾となると、少々の防御兵装で防げるものではない。

 

 即座にイニシャライザを起動。

 

 体感時間を仮想(ネット)論理(ロジック)限界まで引き延ばし、擬似的な時間加速状態に入る。通常の数倍の情報を脳に送り込むことで、周囲の状況がスローモーションのように感じられるが、周りから見ればこちらの動きが早くなっているわけではない。無駄を排し、最適な行動を選択することによって、早くなっているかのように見せかけるだけだ。

 そのイニシャライザ中に、脚元にしがみつきそうなアイランナーをサイスで切り上げ、慣性で浮き上がった影狼(カゲロウ)を眼前に近づいたビル壁面を地面に見たて着地。不安定な姿勢そのまま、援護のために前にでていたアイギスガードと、そこに突進するエグゼダーを確認する。

 

「見切った!」

 スウェーバックナイフの初期動作で、ダッシュ以上の加速度で一気にエグゼダーまでの距離を詰める。

 ナイフで刺し貫いた背部装甲に、続けてフィッシャーストライクを叩き込んだ。

 敵ウィルスの爆破と同時に、背後では子弾が雨霰と降り注ぐ。イニシャライザの起動時間も終わり、ギリギリのタイミングだった。

 

「レイン、こちら廃熱まであと三〇秒。敵残存ウィルスへの牽制は任せた」

了解(ヤー)っ」

 イニシャライザは魔法の技術ではない。仮想(ネット)論理(ロジック)の中での言ってみれば抜け道的な運用だ。一見機体の熱量限界を突破しているにしても、貯まった熱の処理は後払いとなって押し付けられる。

 

 広場に残るウィルスは中型が一機。小型が三機。周辺警戒をしながらでも、この程度ではレインの敵ではない。もはや脅威は去った。

 そのわずかな安心感、ロケットからの退避も成功したというちっぽけな達成感が、俺の緊張を途切れらせてしまった。

 

「甲っ」

 そして俺の視界が爆散した。

 左のこめかみに釘を打ち付けられたかのような、強烈な衝撃。

 

「対シュミクラム装備の歩兵四。左側面、一〇時方向、高度七。水平ですっ」

 さっきの攻撃で視覚データが一時的に焼けている。修復まで待たず、レインの指示に互い、左拳をビルに叩きつける。

「……甲、あんた」

「すげぇな……」

 

 回復しつつある視覚の中で、叩き潰したいくつもの人体も、俺の拳にこびり付いた血肉も消えていく。個人携帯可能な対シュミクラムロケットを持った歩兵か。

「雅、そこから動くなっ」

「どうした、甲?」

 

 すでに広場の敵はレインが殲滅していた。今すぐ敵が転送(ムーブ)されてくる様子は、さすがにない。しかし退避予想先に歩兵を用意するくらいだ。これで終わりということはないはずだ。

「レイン、どうだ?」

「五〇メートル先から次の交差点まで地雷が施設されています。ここからは下がれませんね」

 

 やはりそうか。

 小型ウィルスの飽和攻撃で足止め、間接砲撃による制圧。さらには退避予想地点での歩兵による奇襲、か。おまけに地雷での戦域封鎖とはね。敵は兵力の出し惜しみはしないらしい。

 

「これじゃあホントにサバイバルだぜ、いつまで戦うんだよ。もうそろそろ二時間くらい経ってないか?」

「現在、戦闘開始から二八分経過。二時間は大げさですよ、須藤さん」

 極度の緊張から、体感時間がずれてくるのはよくあることだ。俺も演習開始からのタイマーに眼をやらなければ、時間の感覚を失いそうだ。

 

「サバイバルって、あたし達全員が負けるまで続くって事? 悪名高い傭兵組織の訓練にしてはずいぶんゲーム的だねぇ」

「それにしても、そういうわりには敵の攻撃がえらく的確な気がしないか? それこそもっとゲームっぽくさ……」

「雅の言うとおりだね、どばっと敵が出てきて、端から順に潰していくとかなら、スカッとするんだけど」

 敵襲撃に間ができたせいか、余裕が出てきたらしく、雅と千夏が愚痴のような掛け合いをはじめる。

 

「ゲーム的……作戦目標不明の、軍事……演習?」

 なにか引っかかるな。事前情報無しで始まったところからして、すでに状況の一要素か?

「レイン、わかるか?」

「……迂闊でした。ただの残敵掃討かと勝手に思い込んでました」

 表情画面(フェイスウィンドウ)の中で、軽く眼をつぶるレイン。周辺警戒を一段上げたようだ。

 

離脱妨害(アンカー)妨害装置(ジャマー)を展開している、指揮タイプの中型ウィルス(クロガネ)が一機、ここから北西一二仮想キロの地点にいます」

 レインから送られてきた情報をもとに、俺の視覚が書き換えられていく。

 

 敵は(クロガネ)か。

 ウィルスとは言うものの、あれは生半可なシュミクラムよりも危険だ。厚い装甲に身を固め、主兵装は中長距離用の高出力レーザーとスパーク。かといって迂闊に近付けば四本のクローでこちらの動きを封じられる。

 ただ機動性は皆無といっていい機体で、良くも悪くも拠点防衛や後方支援でこそ真価を発揮する。単体であればそれほど脅威ではない、が。

 

「レイン。ここからはそれ以上の探査は無理か?」

「その周囲に敵反応はありませんが……間違いなく居ますね」

「まあこの通話も聞かれてるんだ、せっかくのお誘い、受けようじゃないか」

 状況はどうやらサバイバルではなく、逃走する俺達テロリストと、それを追撃する保安部隊、という形になっていると見て、間違いなさそうだ。

 

 

 

 

 

..■一月一五日 土曜日 一一時五分

 

 レインの指示の下、指揮ウィルスが居ると思しきエリアに向けて、市街地を横断する。

 途中幾度か小規模なウィルスの襲撃はあったものの、こちらが高速で移動しているためか、あれ以来間接砲撃はなかった。

 

 だが目標地点まであと三キロといったところで敵は現れた。

「これは……嵌められたかな?」

 レインの情報も、そして予測も正しかった。敵の指揮ウィルスは居たが、その(クロガネ)の周辺には、四機ほど小型の護衛のウィルスが見える。おなじみのガードバグだ。

 

 そして今、俺達の右手方向には、紫のシュミクラムが五機。

 即座にレインから該当する機体情報が転送されてきたが、それを見るまでもない。

「前方の四機は鉄狼(アイゼンヴォルフ)系の改修型、兵装は中近距離仕様と思われます。後方の指揮官機と思しき機体は……」

「っておい、甲これって……」

 データを見た雅が慌てるのもわかる。

「後ろのはフレスベルグ、だろ。所属はフェンリル」

 そして間違いなくパイロットはあの人だ。四人で真正面から突っ込んでは、勝てる相手ではない。

 

 敵シュミクラムからは直視できないビルの陰に入り込み、対策を練る。

 フェンリルのシュミクラムは脅威だが、手が無いわけではないな。指揮ウィルスたる(クロガネ)を護るためにも、あまりこの場から離れるわけににもいかなそうだ。現に今もこちらを確認しつつも、攻撃距離に近寄ってこようとしない。

 問題は位置関係か。俺達と(クロガネ)、そしてフレスベルクが三角形のように配置されてる現状は苦しい。できればより直線的に……

 

「レイン、二人を援護しつつ、一度下がれ」

「え、甲っ、あたしら下がってどうすんのよっ」

「いや、千夏。ここは甲の指示に従おうぜ」

 突っ込みかねない千夏を雅が止めた。雅の、こういう冷静さは本当に助かる。

 

了解(ヤー)。攪乱のあと、お二人を連れて直接(ダイレクト)火砲支援(カノンサポート)可能限界距離まで下がります。一二〇秒ほど時間をください」

 レインがわざわざ言い直してくれた。こちらの意図は完全に伝わってる。

 

「タイミングは任せる。カウントはじめてくれ」

了解(ヤー)。五、四……」

 三を数える前に、アイギスガードがビルから飛び出し、チャフを連打。

 霞んだ視界の向こうで、敵シュミクラムがこちらに向いた。仕掛けてくるか?

「チャージ完了! スタン…フレアッ!」

 カウントゼロと同時に、敵シュミクラムに向けてのスタンフレア。

 構えていたこちらの視界情報さえ白く塗りつぶすほどの閃光と、そして爆音。それは敵シュミクラムの動きを強制的に押し止めた。

 即座にアイギスガードが反転し、全速で今まで来た道を下がる。

「行けっ!! 千夏、雅っ」

 

 動き出さない二人に声を掛け押し出し、俺は逆に動きを止めた敵シュミクラムに向かってサーチダッシュ。

 しかし攻撃ではない。できるかぎり敵眼前にブロックバリアを展開。そのままの動きで、離脱妨害(アンカー)を搭載している(クロガネ)との間に入りこむ。挟撃されるような形だが、どちらからも今のところは射程外だ。

 

『自らを囮として、味方を逃がしたか……』

 後方のシュミクラム、フレスベルグから通話が入った。予想通りシゼル少佐だ。

 もうしばらくは動けないはずだと思っていたが、さすがはフェンリル。復帰が早い。

『少しばかり君のことを過大評価していたようだ、甲君。あの三人を逃したところで、今ここで君が倒れてしまっては、君達が勝利する可能性はゼロだな』

「どうでしょうね、少佐」

『それに、だ。今の桐島君のスタンフレアとチャフの同時展開。あのタイミングでこちらの戦力を少なくとも二機は削るべきだった』

 

 すでに演習は終わった。そう言いたげに少佐は俺達の行動評価をはじめた。

 いや、スタンで障害の起こった感知(センサー)系の回復を待つために、時間稼ぎをしているのか。それはそれで俺にとってはありがたい。

「それだとこっちは二機やられますよ」

 

 敵ウィルスやシュミクラムの行動を問答無用で停止させるスタンは、非常に便利な兵装だが、問題点もある。それはスタン中は内部信号からの指示を受け付けないのと同様に、外部からの情報破壊に対しても一定の抵抗力があるということだ。

 つまりはスタンしている敵に撃ち込んでも殴りつけても、その攻撃は通常以下の威力でしかないのだ。

 そしてその程度の攻撃では、フェンリルのシュミクラムを、あの短時間で破壊しつくすことなどできない。結果生き残った敵に、俺達の半数は返り討ちにされたことだろう。

 

『確かにそうだ。しかしそれでも君と桐島君は生き残り、その後の勝率を高められたはずだ。それともなにか、君はたった一機で我々と渡り合って勝つつもりか』

 シゼル少佐一人なら俺だけでも何とかなる。いや、今の俺なら、この程度の戦力相手であれば勝てる……か?

 だが、先の話と同じだ。なんらかの手を打たなければ、今度は逆にシゼル少佐が俺の足止めをし、残りの機体で雅と千夏とを撃破するだろう。

 それではこの演習に勝ったとはいえない。

 

「いえ、長々と話に付き合っていただいたおかげで、確実に勝てそうですよ」

『少、少佐っ、敵シュミクラム三機が指揮ウィルスにっ』

 ちょうどレインが必要とした一二〇秒が過ぎた。

 傍受されることを恐れて通話は切っていたが、予定通り対処しているようだ。

 

『迂回させていたのか、そんな指示をいつ出したっ』

「さっき分かれるときに、レインには伝えてましたよ」

 直接通話(チャント)が使えなくとも、迂回挟撃程度の指示ならハンドサインで十分だ。それにレインなら機体セッティングのときの俺の装備を見て、今からやるべきことを予測しているだろう。

『全機攻撃開始っ、眼前の敵を排除し、突破。指揮ウィルスを守れ』

了解(ヤー)っ』

 

 少佐を後方に置いたまま、敵シュミクラムが俺に向かって一斉に突進してきた。

 この位置関係なら、敵は迂回する時間的余裕は無い。そんなことをしていれば、(クロガネ)は間違いなく落ちる。左右のビルに挟まれた狭い道。回避する場所は無いが、それは俺も相手も、だ。

 先ほど配置したブロックバリアは、敵の射撃ですでに消えつつある。

 

「三人を逃がした……のは正解ですが、そちらの攻撃からじゃないんですけどね」

 ビルとビルとのわずかな隙間を遮蔽物に使い、マシンガンをバーストで小刻み撃ちつつ、二機ごとに交互に突進。教科書に載せたいくらいの綺麗な連携だが、ほどほどに機体は熱を持っているはずだ。

 

 縦横に広がる仮想空間(ネット)での戦闘のために人型をしているシュミクラムだが、こんなビルの乱立する市街地では、光体翼(オプティカルウィング)を装備した機体でもなければ、その機動力は大きく制限される。

 そして仮想(ネット)論理(ロジック)はすべてに平等に再現される。速度ののったシュミクラムはその質量ゆえに急停止は難しく、電子体である人体の構成上、そうそう急激な後退はできない。

 

「さて、と……踏むなよ、絶対踏むなよ?」

『各自回避行動っ!』

 俺の意図を察したシゼル少佐の指示もむなしく、フェンリルの四機のシュミクラムは、俺が今設置したギガマインの直撃を受ける。

 こちらの視界も聴覚も、焼き焦がされるほどの爆発。

 

「……つぅ」

 しかし爆破の閃光からモニタが回復したときには、後方のフレスベルグを含め、五機のシュミクラムは健在だった。

「なるほど魔狼(フェンリル)の名は伊達ではないな。この程度では墜ちんか」

 眼前に立っている機体は四機ともに、装甲は大きく破損しているものの、いまだにその戦力は衰えているようには見えない。

 

 しかしそれでも、先ほどまでと同じような突撃は無理だ。あと数発ほど直撃を受ければ、どの機も擱座する。それがわかっているとパイロットとしてはなかなか脚が前には出ないはずだ。

 そしてその躊躇いの時間があれば、レインには十分だった。

 

「敵指揮ウィルス撃破、離脱妨害(アンカー)解除されますっ」

「よし、各機離脱(ログアウト)っ」

了解(ヤー)

 後ろの二機が消えるのを確認して、俺とレインも離脱(ログアウト)プロセスに入った。

 

 

離脱(ログアウト)

 

 

 

 

 

..■一月一五日 土曜日 一一時三〇分

 

 あのまま離脱(ログアウト)した俺達に、シゼル少佐から直接は一言も無く、まずは食事しておけと通達された。

 食事よりも先に雅と千夏あたりは医務室送りかとも思ったが、二人の様子を見るにそこまでは酷くなさそうだ。ただ、雅は先ほどからほとんど皿に手をつけていない。

「雅、食っとけよ。朝も残してなかったか?」

「無理……胃が受け付けねぇ……」

 

 たいしてレインや千夏は、平気な顔で箸を進めている。このあたりは、日ごろの鍛錬の差だな。

 それにしても、やはりレインの食べ方は丁寧で綺麗だ。フェンリルの隊員が特別粗雑(クルード)だとは思わないが、こうやって大勢の中で見比べると、はっきりとわかる。こちらに向けられる好奇の視線の中でも、レインへの注目が間違いなく多い。場違いなお嬢様の存在に戸惑っている雰囲気だ。

 

「よぉ、大活躍だったな、坊主」

 しかしそんなレインへの視線が、一気に俺に集まった。

 俺自身、来るとは予想してなかったその声に、飛び上がりそうになる。

「敬礼はいい。食堂はそういうの無しだ」

 立ち上がりかけた俺とレインを、親父は押しとどめた。そういえば周りの隊員も目礼はするものの、そのまま食事を続けている。

 

「いいのかよ。だいたい佐官なんだから、仕官食堂とかは……」

「このベースにそんなもんねぇよ。まあ客が来たとき用の設備はあるが、あれもほとんど予備倉庫だな」

 いくら大型輸送機といえど、余分な空間があるわけではようだ。

 よく考えればフェンリルは電脳将校も多い。仕官食堂に十分なスペースをとろうと思うと、さすがに無理か。

 

「お前らの大雑把な腕はわかった。まあ食いながらでいいから聞いてくれ」

 そう言いながら、親父もトレイをテーブルに載せた。

「雅と千夏……だったか、そっちの二人は、学園生としちゃあ優秀だ。しかもシュミクラムに乗りはじめて一年たってないってんなら、最初に教えてくれた先生が凄腕(ホットドガー)なんだろうな」

 

 コーヒーが並々と注がれカップを片手に、親父が解説をはじめる。

「ただまあ、どっちかって言えば統合や自警軍のほうがお似合いだな。二人とも集団の中でいい動きをしそうだ」

「ありがとうございます」

 千夏が素直にうれしそうに返事をする。統合へ進むつもりの千夏にとっては、間違いなくいい知らせだ。

 

「それと、な。あとで二人とも医務室行っとけよ。いくら制限(リミッター)有りとはいえ、かなり撃ち込まれてたみたいだからな」

「ははは……面目ありません」

 こちらは飯も食えない雅にとっては重要だな。しっかりと療養しないと、明日明後日は筋肉痛で寮のベッドから動けないかもしれない。

 

「甲よ。お前とレイン嬢ちゃんはアレだな……確かにこりゃ話聞いたら笑い飛ばすところだったぜ。見てなきゃ信じられんわ。詳しい報告はもう少し後になるが……」

 親父が何か言いあぐねるように、顎を掻く。

 予測はついているのだが、やはり第三者から言葉にしてもらいたい。

 

「シゼル少佐の報告は、どんな感じだ?」

「お前に嵌められたってのが、かなり堪えてるな、ありゃ。来週いっぱい使い物になりそうもねぇ」

「……おいおい」

 少佐なら、すでに的確な評価を下してると思っていたが、これまたはぐらかされた。

 

「ああ見えてメンタル面は弱いんだよ。だいたい、直接遣り合って負けた、とかならまだ納得するんだろうが、完全に作戦面で裏を掻かれてるからな。指揮官としては正直落ち込むのもわからんではない」

 いや殴り合って、もし俺が勝ちでもしたら、あの人はそれはそれで落ち込みそうだ。

 

「で、だな、坊主。二人の腕はともかく、気になることがあるんでお前と嬢ちゃんとで昼からウチらの合同演習に出てみるか?」

「は……ぁ?」

 坊主はやめろという前に、親父の言葉に呆れ果てる。

 

「なあ親父、合同ってアレか? アークの保安部隊とフェンリルとのか? さすがにそれは無理だろ」

 朝からベース内外でアーク保安部隊の制服を着た連中が何人か見かけた。フェンリルがこの街に来ていると聞いた時に思ったとおり、取引相手はアークらしい。おそらくは保安部隊の教導か何かなのだろう。

 アーク・インダストリーはここ清城市に拠点を置く、仮想(ネット)関連の先端(エッジ)企業だ。その事業は広範囲で、中には顧客へのサービスの一環としての保安事業もある。ただしその規模は、すでに付加サービスの範疇を超え、都市自警軍(CDF)にも匹敵するほどの組織だ。

 

「ってやっぱりアークだって気付いてやがったか。

 まあそりゃいい。なにもアーク側で出ろって話じゃない。午後は座学が終わったら週末の仕上げの演習だ。それでウチの部隊でどうだって話だよ」

 それはそれで無茶な話だ。

 俺にもレインにも、フェンリルの作戦行動などに関しての知識も経験もない。

 アーク保安部隊といった、比較的定型的な部隊運用をされているところであればともかく、フェンリルはそのあたりかなり不鮮明だ。ただ、場数は間違いなく踏んでいるから、外部との共同作戦などは手馴れたものなのだろうか。

 

「指示された程度には動けるかもしれんが……まともな連携とかは期待されても無理だぞ?」

「ま、そのあたりも見てみたいところではあるな」

 俺達に失敗を経験させてみたい、といった感じでもなさそうだ。なんらかの思惑はありそうなのだが、いまいち腹が読めない。

 

「というか気になるって、何がだよ」

「それこそ今の段階では言いづらいな。俺の思い過ごしなのかどうか見てみたくなったんで、やってみねぇかって程度だよ」

 これ以上、問い詰めてもはぐらかされそうだ。

 

「レインはどう思う?」

「決断は甲さんにお任せしますが、私は受けてもかまわないかと」

 これを受けても、俺達には不利益は無い。むしろ確かめてもらいたい身として判断材料が増えるという面では助かるのか。

「……わかった、親父。どこまでできるかはわからんが、やってみよう」

 

「よし、じゃあまずはこれだな」

 転送されてきたのは、脳内チップ用のツール。

 直接通話(チャント)、か。一対一のみとはいえ、ほぼ完全な秘匿通信である直接通話(チャント)が使えれば、確かに作戦行動時になにかと助かる。

 無いとは思うが、ウィルスチェックの後に展開、実行する。

 

 

導入(インストール)

 

(どうだ、レイン?)

(問題ありません。しかし直接通話(チャント)がないと落ち着けなかったというのは、やはりおかしなものですね)

(まったくだな。使うのはこれが初めてだっていうのが信じられないよ)

 夢と、そして先ほどまでの演習の影響だろうか。自分が学園生であるという自覚がなくなりつつある。気を付けていないと分裂症になりそうだ。

 

「あとはこっちにサインしてくれ」

 続いて贈られてきたのが……契約書か。

 決まり決まった宣誓書と、各種の契約事項。ざっと流し見したところ、無理な条項もなさそうだ。レインも確認したのか、小さく頷いた。

 素早くサインして送り返す。

 

「よぉし、じゃあメシ食ってしまえ。午後からはちょっとハードになるぞ、坊主」

 まったく、仕掛けたいたずらが楽しくて仕方がないというのか、ガキのように親父は笑っている。どちらが坊主かこれじゃわからんな。

 ただ、せっかくの機会だ。俺も思いっきり楽しませてもらうとしよう。

 

 

 

 

  異相 / Discord

            終

 

 

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第13+3章 回帰 / Chapter13+3 Remigration

注)本文字数制限のために、+3章は分割しております。

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..■一月一五日 土曜日 一七時二六分

 

「まったくあの親父、理由も説明せずに病院送りとは、なに考えてやがる」

 先に寮に帰ることになった雅と千夏とは清城の中央ステーションで別れて、俺とレインは二人、指定された病院の前に居た。

 

 一四時過ぎからはじまったアーク保安部隊とフェンリルとの合同演習は、基本的には小規模部隊での追撃と離脱の演習だった。フェンリル側が基本テロリスト役で、データを奪う、あるいは持ち出して逃走する。アーク保安部隊はそれを阻止、あるいは撃退する。

 テロリスト側は時間以内に逃げ出せない、もしくは敵を殲滅できなかった場合は、敵増援と周辺エリア封鎖によって殲滅される、と想定されていた。

 つまり隠れてやり過ごす、という策は使えなかった。まあ実際でもそれは不可能ではある。基本的に逃げる側よりも追う側のほうが装備は充実しているし、周辺地域にも精通していて当然だ。

 

 しかし突然の演習への参加ということで、俺は小隊の下っ端、補充兵扱いだと思っていたのだが、その予想は完全に外れた。下っ端どころか、俺は小隊指揮官で、レインはその副官。

 俺とレインは昼食の席で直接通話(チャント)導入(インストール)させてもらったあと、いきなり言い渡されたその役職をこなすために、参加隊員のデータを受け取って即席のチーム編成をはじめた。事前の講習も受けず、しかも指揮官という異様な立場での参加だったが、小隊に入ってくれたフェンリルのメンバーが皆優秀だったおかげで、全ての状況で最低限の被害で勝利を収めた。

 

 その結果、なぜかこの病院に送り出された。

 

 ちょうど清城市の、しかもアークも出資してる病院だから、とここを紹介されたが、清城市でも一二を争うほどの大学病院だ。どことなく星修学園に似た印象がある。

「アークはネット関連だけだと思ってたが、医療機関にも手を伸ばしているとはねぇ、叔母さんはどこまで会社大きくするつもりなんだ」

「あら甲さん、ご自身の学園を思い出してくださいな。星修もアークの関連事業の一つに数えられていますよ」

 からかわれるようにレインに指摘されてしまったが、それもそうだ。影ながら何かと支援してもらっているのを忘れるようでは、俺も親父のことを責められないな。

 

 しかしそのアークの関与とは無関係ではないのだろうが、清潔な外見とは裏腹に異質な病院だった。

(……レイン?)

(はい。監視センサの反応が多数あります。巧妙に偽装されていますが対人兵装も……)

(重要人物の入院に対応した警備体制、といったところか)

(いえそれが、外部に向かっての警備と同程度以上に、内側への警戒態勢が引かれているようです)

 

 レインが目線だけで、瀟洒なデザインの街灯を示す。言われてはじめてわかるが、ライト部分の下に銃口がある。そしてその射線の先は、病院の中央エントランスだ。

(重度の殺人快楽症患者でも入院させてるのか? あまり関わりたくないな)

 通り過ぎる患者や病院関係者には、監視されているといった緊張感はない。その上辺の見た目だけは、明るく清潔な病院なのだ。

「まあ、さっさと検査を終わらせて、寮に帰るか」

「ですね、菜ノ葉さんのお料理も食べたいですし」

 

 予約は入れているからそのまま指定フロアにいけ、と親父からは言われていた。受付も通さず、そんなあいまいな指示でだいじょうぶなのかと思いつつも、指示通りのフロアでエレベータを降りる。

 そんな俺の不審を覆すように、出迎えてくれる人影があった。

 

「フェンリルからの依頼……と聞いているが、君が門倉甲君と桐島レイン君で間違いないな」

 そう言ったのは、どう見ても場違いな、人形のような可愛らしい女の子。いちおう病院ということなのか、白衣姿ではある。ただ大人用のそれは、ずるずると裾が引きずられている。

 

「はい、門倉と桐島です、が……」

「私が担当のノイだ。私の外見に関する無用なコメントは差し控えたほうがいいぞ門倉甲君。外見で人を判断する輩は嫌いだ」

 先をこされて何も言えず、レインと顔を見合わせる。白衣を引きずるほど小さな先生だが、その勢いには圧倒されてしまう。

 

「なにをしている。来たまえ、診察室はこちらだ」

 やはり一見は清潔な病院のフロアなのだが、先に見た警備体制以上にどこか異様な造りだった。

 エントランスやエレベータなどは普通だったのに、このフロアだけは非常口などの最低限の案内表示しかなく、ルームプレートの類もどこのドアにもまったくない。

 

 診察室、と言われて連れてこられた無駄に広い部屋も、確かに診察室と言われればそう見えなくもない。ただ医療用診察設備のほかに、学園の教室と研究室とあとは一人暮らしの私室を混ぜあわせた乱雑さで、実体としてはマッドサイエンティストの研究室といった趣だ。

 

「ま、適当にその辺に座ってくれ。盗聴などに関しては気にするな。超伝導量子干渉計(スクイド)を持ってきても、このフロアの情報は掴めまい。ここはこの州で二番目にセキュリティの高いエリアだ」

「二番目、ですか?」

 設備を誇っているはずのノイ先生の口調には、どこか投げやりな影がある。

「一番目は、間違いなくアークの社長室だよ。では、はじめるとしようか」

 

「どう話していいものか、ちょっと難しいのですが…」

 親父からここを紹介されたと前置きして、俺とレインとで昨年末に同じような夢を見て、ありえないはずの記憶があること、それに合わせてシュミクラムの腕前などが実際に上がっていることなどを説明する。

 

「ふむ。だいたいの話はわかった。二人ともに共通する未来の記憶がある、ということだな?」

「はい。未来かどうかはわかりませんが、学園生以降の体験を覚えている、といった感じです」

 レインが簡単にまとめる。

「そちらの検査衣に着替えて、隣の部屋の操作席(コンソール)で寝てくれ。とりあえずは簡単に検査してから、詳しいカウンセリングといこう」

 

 

没入(ダイブ)

 

「……ここは?」

 着替えた俺達が転送(ムーブ)してきたのは、診察という印象とは程遠い場所だった。

 少し丘になった草原。

 暖かな日差し、柔らかな風に、草葉の香り。

 

制限(リミッター)が、効いてない?」

「なんだか、落ち着きますね」

 ピクニックに行く、と聞いて思い浮かべるような穏やかな場所だ。

「そうだな……仮想(ネット)における最も新しき神話創世の場所、とでも言うべきか。そこの再現、と言われている」

 どことなく亜季姉ぇのプライベート空間にある草原とも似ているが、ここにはヘンな太陽もなければ大仏もない。どこまでも静かで穏やかだった。

 

「ここで初めて花が摘まれたらしい。花を摘みたい、そう願った誰かの意思をAIが汲みとり、世界はそこで新たに生まれ変わった。ここは、その場所を模した空間だ」

 事実かどうかなんぞ私は知らんがね、と続けながらもノイ先生は誇らしげだ。

 

「まあ、カウンセリングにはいい場所だろう?」

 ノイ先生の言葉どおり、この雰囲気だと普段は話しにくいことでも口にできそうだ。

「さて、ざっと診たところ君達二人とも身体的にも脳内(ブレイン)チップにも問題はない。精確な検査は今並列して行っているが、おそらく異常はないだろう。となると意識か記憶のほうなのだが……」

 正直なところ脳内(ブレイン)チップの異常といわれたほうが安心できた。それ以外の原因となると、俺には想像できない。

 

「まずは君達二人、双方の記憶を照らし合わせるのが一番早そうだ」

 俺が見た夢、レインが見た夢、それぞれの内容を確認しあう、か。

 どうやってこの記憶を得たのか、そして身体になんらかの異常があるのか、今後この記憶とどう向き合っていくべきなのか。問題は多々あるが、レインと似た記憶を持っているということからしても、確かに二人の記憶を照らし合わせるのは解決への糸口かもしれない。

 

「となると、俺達が見た夢の内容を詳しく話し合って確認していく、とかですか?」

「まさにその通り。ただし通常の方法でそれをやってしまっては、話しているうちにどんどんと記憶が書き換えられていく。君達もそういう経験はないかね?」

 普段の会話だと、そうだな。記憶どころか話している内容もその場で変化し続ける。

 それでは今回のようなケースだと、ソースとなる記憶までが書き換えられてしまって、原因追求が不可能になってしまう。

 

「よろこべっ、まさにこの事態にうってつけのナノをちょうど造っていたところだ」

 人は日々記憶を蓄え整理し積み重ねる。しかしながら記憶したそのものの形では、それを呼び起こせない。人の記憶というのは、思い出したその瞬間に、変容してしまうのだ。

 しかも特定内容の記憶だけを精確に思い出していく、というのは学園のテストではないがそれはそれで難しい。

 

「が、このナノによって、特定記憶に対して書き込みも削除も可能な限り避け、かつ目的とする記憶再生を誘導する。まあちょっとしたサポートはこちらでするがね」

「あのぉ聞くからに物騒な、といいますか……そのできれば影響の残らない方法がいいんですが」

「影響など残るものか。ちょっと半覚醒状態で私の質問に、二人で答えていってもらうだけだ」

 睡眠導入効果のあるナノを使って尋問する、と言われている気がしないでもない。

 

「ふふふ……本人にとっては忘れてしまったと記憶でさえ、思い出せないだけで記録としては脳に書き込まれたままだ。そのような記憶であっても、このナノの前では白日の下に晒されるであろうっ」

 先生の言葉を聞くに、どう良い方向に考えても自白剤のように思える。

 それどころかこの先生のことだ。下手をすると治療と関係ないことまであれこれと審問されるのではないか。

 

「いきなりあの患者に使うわけにもいかずに、臨床実験をどこでしようかと考えていたところだよ。あ、いやいや。この私が作ったものだから、なにも問題はないぞ」

「え、えと……」

「心配するな、診察代は格安にしておいてやる、おたおたせずに彼女を見習え」

 

 いつのまにかレインは隣で草原に寝そべってしまっている。

「こ、う…さん……?」

 潤んだ瞳でレインが俺の名を呼ぶ。すでにナノの効果が現れているのか。

 そう思ったときには、俺の視界も霞みはじめた。突然の酩酊感と発熱。

「あー……」

 草原にレインと並んで身を投げ出す。

 意識せずに、俺はレインに手を伸ばし、レインもその伸ばした手を掴んでくれる。

 

「ナノが活性化次第、私が君達から話を聞こう。なに、記憶への書込み防止処置の関係で、君達自身の知覚としては眠っている間に終わるさ。いや思い出す記憶によっては、数日、あるいは数年にわたる永い眠りかな……」

 ノイ先生の言葉がひどく遠くから聞こえる。地面の固さも、顔をくすぐる草葉の感触もなにもかもが遠い。

「目を閉じて……そう、自分の記憶に没入(ダイブ)するんだ」

 言われるままに、開けていたのかさえ定かではない瞼を閉じる。

 

良い旅を(グーテライゼ)

 

 そして繋いだ手の暖かさだけが、俺のもとに残った。

 

 

 

 

 

..■XX月XX日 XX時XX分

 

 「灰色のクリスマス」

 後にそう呼ばれるようになった、イヴの惨劇。

 すべてのはじまりは。そこからだ。

 ドレクスラー機関からのアセンブラ流出と、その後の統合による対地射撃衛星群(グングニール)による市街地への直接砲撃は、信じられないほどの被害をもたらした。

 そして俺は、空が失われたことを忘れないため、新しくやり直すことを否定し続けるために、事件の真相を暴くという名目を掲げ、傭兵となった。

 

 そこにレインを巻き込んでしまったのだ……

 

 

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 九時二〇分

 

 柔らかな日差しに、どこか甘い香り。

 うっすらと目を開けると、俺の左胸にレインが頭を乗せている。

「……すぅ」

 少し唇を開いた、めったに見られないあどけない寝顔。

 頬にかかる髪を整えてやっていると、レインがゆっくりと目を開けた。

 

「おはよう、レイン。わるいな、起こしてしまったか?」

「おはようございます、中尉」

 また少し寝ぼけているらしい、階級で呼びかけつつも、甘えるように頭を俺の胸元に寄せてくる。

 自然と、俺達は互いの首に腕を絡ませ、身を寄せ合う。

 そのまま俺は慣れた動きで服をはだけようと、レインの肩に手を伸ばした。

 

 が、その服、検査衣で手が止まる。

(っ!)

 見慣れぬ服装に、一気に覚醒した。

 俺だけではなくレインも気付いたようだ。目が鋭い。

(レインっ、今はいつで、ここはどこだ?)

(一月一六日九時二三分、医療用操作席(コンソール)に着いてからおよそ一八時間経過。移動した形跡がありません。おそらくはノイ先生の治療フロア、その周辺かと)

 

 となると、この場所でこの状況は問題だ。ノイ先生の性格からしていろいろまずい。

(盗撮……されてるのは間違いないな)

(本気で隠すつもりもなさそうですね、いくつかカメラらしきものがあります)

「いい朝だ。顔を洗って何か食べるか、レイン?」

「ですね、日曜とはいえ、お休みしすぎです」

 

 二人揃ってベッドが身を起こし、さてどうしたものかと周りを見渡していると、勢いよくドアが開いた。

「つまらんなー君達はっ」

 病院とは思えぬほどに音を立ててドアを開けたのは、間違いなくこの部屋の主だ。

「おはようございます、ノイ先生……俺もレインも、露出狂の気はありませんよ」

「まったく若さが足りんぞ、若さがっ!! だいたいだな露出などは、溢れる衝動の前には当然の結果だっ、衝動こそが人類の……」

 俺とレインは、部屋に備え付けの洗面所で顔を洗わせてもらうので、自身の理論に白熱しているノイ先生は、そっとしておこう。

 

 

    〓

 

 

 顔を洗って一息ついて、ノイ先生が差し出してくれたコーヒーを受け取りながら、意識を切り替える。

「さて。少し確認しておきたいが、記憶のほうはどうだね?」

「おかげさま、といいますか、傭兵だったことはしっかり思い出しました。学園時代のことを忘れそうなくらいですよ」

「中尉の、いえ甲さんのおっしゃるとおり、自分がまだ星修の学園生の身だということに違和感があります」

 階級を口にしてしまうくらいには、レインも混乱しているのだろう。

 口元にカップを運ぶ動きが、いつも以上に丁寧だ。

 

「ふむ。二人とも、アセンブラ流出事件……その『灰色のクリスマス』以降に傭兵になった、と?」

 環境浄化を目的とした、自己増殖能力を持つ新世代ナノマシン、アセンブラ。環境汚染の続くこの世界を救える、おそらくは唯一の技術だ。

 久利原先生が心血を注いで開発を進めていたそれは、昨年のクリスマスイヴに完成した。先生自身はそれ以前に体調不良でドレクスラー機関を休職されていたが、機関の職員すべてが先生の意思を継いで完成に漕ぎ着けたのだった。

 

「はい。アセンブラが未完成のままに流出して……」

 現実には完成してるアセンブラは、しかし俺達の記憶の中では、未完成だった。

 俺やレインの眼の中では、先生は休職せずそのまま研究を進めていた。それでもアセンブラは完成せず、クリスマスイヴの夜に、研究所から流出。周辺を汚染しつつ自己増殖するナノマシンに対処するために、統合は対地射撃衛星群(グングニール)の使用を決断、星修学園都市は文字通りに焼き払われた。

 流出の原因は事故かテロかは不明だったが、事件前には職員が逃亡していることから、なんらかの関与はあったと目された。

 

「復讐……とは違いますが、なにも知らないままに事件を風化、忘れてしまうのが怖かったんですよ。それで俺はドレクスラー機関を、久利原先生を追い求めていました」

「電脳将校であれば、その類の情報に接する機会も多かった、というわけか。なるほどな。

 そしてドレクスラー機関を追い求め世界を転戦。そしてこの清城市に戻ってきた、ということかね?」

「はい。清城市の有力議員の庇護の下、ドレクスラー機関が潜伏しているという情報を得て、我々はこの街に来ました」

 その潜伏先と思しきプラントを襲撃した際に、俺は論理爆弾(ロジック・ボム)をくらい脳内(ブレイン)チップを損傷、記憶障害に陥った。その結果、今眼前にいるノイ先生の治療を受けることになったのだ。

 

「しかし私が闇医者とはね、まったくそういう『自由』があるとは、思いもしていなかったぞ」

「先生……?」

「いや、これは私個人の問題だな。気になっているのは、その先だよ」

 そういえばノイ先生の生まれと育ちは、非常に微妙な政治的な問題を孕んでいる。今のノイ先生の立場は、よくて保護観察下といえるものだな。実質的には軟禁どころか、この病院内に監禁されているのかもしれない。

(やはりこの病院の不自然な警備体制は、ノイ先生を監視、拘束するのが目的でしょうか?)

(だろうな。ただ、この人が本気になったら、あの程度では意味がなさそうだ)

 

「あー君達。続けて良いかね? 清城市の騒乱の中で未完成のアセンブラが流出し、対地射撃衛星群(グングニール)の制御権を得るために統合軍対AI対策班(GOAT)がトランキライザーを起動させた。これはどうかね?」

 俺達の直接通話(チャント)には気付いているだろうが、そこは流してくれる。

 

 しかしトランキライザー、か。

 それは分類としてはウィルスとなるが、あまりにも巨大な仮想空間(ネット)兵器だ。現実(リアル)の陸上兵器ではありえない巨体を装甲で包みこみ、各種兵装を積み込んだあの姿は、歩く城砦といってもいい。

 ただトランキライザーの真の恐ろしさは、その巨大さでも、まして火力や防御力ではない。

 

「すいません先生。おそらくは記憶障害の影響だとは思うのですが、そのあたりからどうもあやふやで……トランキライザーの起動どころか、流出自体あったのかどうか。レインはどうだ?」

「申し訳ありません。私も甲さんとともにノイ先生の診療所へ向かったことまでははっきりしているのですが、それ以降はなにかすべてが同時に起こっていたような感じです」

 

 レインも正確に覚えていないということは、これは俺の記憶障害とは関係ないのか。だいたい前後が不鮮明だが、俺とレインが本気で殺しあっていたなどという記憶まである。あまり信用できるものではないな。

「そのあたりは昨夜聞いた話に一致するな。なにか要因があるのかもしれんが……まったく面白いかこれは」

 

 

    〓

 

 

 このままノイ先生を楽しませるのは、身の危険を感じる。できればはっきりとした原因が知りたいところだ。

「で、診察の結果、どうなんですか? 俺とレインの脳内(ブレイン)チップが揃って異常をきたしている、とかなら一番ありがたいんですが」

「この場合は残念ながらというべきか、昨日も言ったように君達二人ともに問題はない。脳内(ブレイン)チップも肉体的にも、だ。理想的なまでに健康体だな……つまらん」

 狂ってるのは記憶だけ、か。

 言葉の最後に、物騒な感想があった気がするが、そこは無視しておこう。

 

「では、あの夢……いえ、記憶そのものは正常なんでしょうか? 私と甲さんが似たような、そうですね書籍やセンスホロなどで得た知識を自分のものだと勘違いしてしまっている、とかではないでしょうか?」

 レインがありそうな仮定を立てる。世界滅亡ネタなら良くも悪くも題材としてはありふれてるからな。俺も古今東西のそういった作品を亜季姉ぇに見せられた経験がある。

「確かにそのような外部からの知識を自らの記憶として置き換えてしまう症状は、今も昔もそれなりにある。ある種の……そう、宗教的な洗脳ではよくある話だ。

 しかし君達の知識はそういったものではない。そして時系列を無視してしまえば、記憶そのものもまったくの正常と言える」

 

 そうだな、思いつき程度でよければ……と、ノイ先生が前置きして話しはじめた。

「もっとも可能性が高いものは、AIによる未来予測が君達に反映された、という推論だな。AIもアセンブラには興味があったようだ。それがもし暴走したら世界がどうなるか、といったシミュレートはしていたとしてもおかしくは無い。もちろん確認しようがないがね」

 このあたりはマザーにでも聞いてみればいいのかもしれない。シミュレーションの有無だけなら、問題がなければ話してくれるだろう。

 

「あるいはそうだな……量子通信機能の拡大で、平行世界からの情報を受け取ったとか、あるいは……」

「B級センスホロじゃないんですから、大宇宙の意思とか、ソフィアのお告げってのは無しにしてくださいよ、先生」

 ノイ先生に任せておくと、最後には俺とレインが世界を救う救世主になってしまいそうだ。

 

「とまあ、まったく原因はわからん。わからんが事実として、君達は細かな差異はあれども共通する記憶を有している。そしてそのこと自体には異常がないために、治療は不可能だ。

 だいたいこの場合、治療とはなんだね?」

 聞き返されて、俺もレインも答えに詰まる。

 

「えー言われてみれば、治してもらいたい問題は……」

「とくにこれといって……ありませんね」

 レインも俺も、顔を見合わせて苦笑するしかない。

 親父には医者に見てもらえと紹介されたが、その医者から治すところがないといわれると、確かにそうなのだ。

 

「あとはその知識、記憶から来る心理的なストレスなどだが、正直なところ、私はそちらのケアは専門外だ。必要なら優秀な者を紹介もできるし、なんなら記憶そのものの消去も可能だぞ。どうするかね?」

「それは……」

 俺自身はどちらも必要ない。が、レインには人を殺めた記憶はもっていて欲しくはない、という気持ちはいまでもある。

 

「私は必要ありません。この記憶も消したくはありません」

「……いいのか、レイン」

「言ったはずです。人を殺して生きていく覚悟はあります。それにやはり、あの想いをなくしたくありません」

 すまない、と何度繰り返したかわからない言葉を口にしかけたが、いま伝えなければならない言葉はそうじゃない。

 

「ありがとう、レイン」

「こちらこそ、受け入れてくださってありがとうございます」

 自然と、レインに手を伸ばす。

 俺の右手と彼女の左手が絡み合い、硬く交わされる。

 レインの体温が、触れ合えるほどに近い。

 

「あ~二人とも。私の眼が邪魔なら退散するが?」

「え、あっ、いえ。ぜんぜんっ、はい、ぜんぜんまったくもんだいありませんっ」

 

 

    〓

 

 

「問題は、だ。君達自身にはなく、その夢……記憶の、内容だな」

「内容というと、やはりトランキライザー……いえ接続者(コネクター)とその関連情報、ですか」

 超巨大仮想(ネット)兵器であるトランキライザー。無人自律兵器ではないが、分類上ウィルスとして扱われている。その理由は、拡張された電子体であるシュミクラムとは違い、トランキライザーにはコクピットがあり、あくまで人が操作するからだ。

 そしてトランキライザー本来の機能を発揮するためには、特別な遺伝情報を持った「接続者(コネクター)」と呼称される搭乗者が必要不可欠だった。

 

「現在確認されている唯一の接続者(コネクター)は、水無月真さん……ですね」

「水無月空君と真君は私の患者だ。その患者が危険に晒されているのをこのまま放置はできん。しかもなんだ? 君達の記憶によればこの私のところから真君を奪われたという話ではないかっ」

「落ち着いてくださいよノイ先生……真ちゃんは、今は無事なんですから」

 自分で話していて興奮してきたのか、ノイ先生は両手を振り回す。ただ、白衣の袖口をはためかすその様子は、子供が駄々をこねているようにしか見えない、とは思っても口に出してはいけない。

 

「そう、まさに君が言ったように『今は無事』なのだ」

「……なるほど、米内派は現時点でも真さんの情報を把握しており、状況によっては拉致することもありえる、またそれだけの武力行使が可能であるということですね」

 レインがノイ先生の疑惑をまとめる。

 夢の記憶では、アセンブラ流出後の混乱があったとはいえ、その直後には真ちゃんは誘拐されていたのだ。状況は違っているとはいえ、真ちゃんは昨年から監視下にあったと考えて間違えないだろう。

 

「今からそのあたりの対応を含め、橘社長との面談を予定している。君達にも出てもらいたいのだが、いいかね? いちおう君達も私の患者ではあるし、患者のプライバシーを親族とはいえ第三者に開示する訳だからな」

 

 

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 一〇時二五分

 

 アーク・インダストリー。

 仮想(ネット)関連では世界的に有名な先端(エッジ)企業。主な事業は、脳内(ブレイン)チップやNPCはてはウィルスにシュミクラムに至るまでの開発運営、仮想空間(ネット)創造など多岐に渡る。というべきか、仮想(ネット)関連はほぼすべて網羅しているといっていい。そしてその中核はAI事業、この州を管轄する「イヴ」の管理を、統合から委託されている。

 

 俺達が歩いているのは、社長室へと繋がる巨大な仮想(ネット)の空間。そうアーク社長室は現実(リアル)には存在しない。ある意味では万全のセキュリティともいえる。ここに入れるのは、幾重にもチェックされた無防備な電子体のみだ。

 

「まったく。現実(リアル)の建物も大きくなってるらしいが、仮想(ネット)のほうがやっぱりすごいな」

 複雑に絡み合いつつも、どこか整合性の取れている構造物の広がり。そしてスペースコロニー内部のようにも見えるその空間のはるか下方には、巨大なアイリスバルブがある。

 昨日の記憶遡行で見ていたとはいえ、今あらためて眼下に見下ろすと、その巨大さに圧倒される。

 あの向こうはエスの領域、人が立ち入れぬネットの深層部だ。

「圧倒されますね、美しいのですがどこか怖い……」

「あの向こうがどうなっているか、今は知ってしまってるからな……行こう」

 

 ここで足を止まらせているわけにもいかない。

 今から会う橘聖良社長、俺の母さんの妹でもあるその人は、この下に居るAIイヴと並ぶほどの人物である。第二世代(セカンド)の先駆にして、一代でアークを築き上げた、経営者としても科学者としてもすでに伝説とも言えるべき人だ。

 だが俺は、聖良叔母さんが誤解はされやすいが、本当は優しい人だと知っている。だからこそ心配はかけたくない。

 

 

    〓

 

 

「失礼しますっ」

 気を引き締めなおして、社長室の扉を開く。

 

 中は、外とは違った意味で荘厳な空間だ。白く輝く水晶宮。その中に聖良叔母さんは遠くを見通すような視線で立っていた。

 すでに親父やノイ先生も来ていたが、この部屋の主を見間違えるはずはない。

「昨年は、お世話をおかけしました」

「謝るのは私達のほうね、甲さん。ごめんなさい、クゥさんのことは、私も残念だわ」

 いつもながら聖良叔母さんの表情は読み取りにくいが、心からクゥのことを思ってくれているのはわかる。

 

「甲よ、お前また聖良さんにいらん心配かけてたのかよ」

「……うるせー親父」

 昨日はいきなり演習参加をねじ込んだという大迷惑をかけてしまっているので、反論にも力が入らない。実際、このところ親類縁者にはいろいろとお世話になりっぱなしだ。

 

「と、ノイの話の前に昨日の結果を伝えておく。お前と嬢ちゃんの、個人情報を一切無視した、演習の結果からのみ算出した報告だ。とりあえずざっと見てくれ」

 そう言われて、転送されてきた報告書はかなりの量だった。

 

 二人ともに、統合軍や都市自警軍(CDF)といった正規軍ではなく傭兵で、この州で訓練を受けたこと。系列的には統合軍ではあるが、特定の傭兵組織への所属経験は少ない。警備などの防衛的な任務よりも、拠点襲撃や要人暗殺といった攻撃的かつ少人数での作戦の経験が多い。なお実戦経験は数年から一〇年程度。

 そのような概略が纏められており、それらの推測要因となった使用火器の傾向や被弾箇所から、果ては作戦時の細かな姿勢など多岐に渡る追加情報までが添付されていた。

 

「フェンリルの分析力はすごいな。五時間程度の演習から、ここまでプロファイリングされるとは」

「調査目的で演習を受けたとはいえ、この短期間でここまで纏められるとは、驚きです」

 しかもデータの後半は俺達との共同作戦での運用方法や、逆に敵対した場合の対応策まで含んでいる。

 

「おいおい……お二人さんよ、驚くのは内容じゃなくてウチの能力かよ。まったく、この報告書もあながちデタラメってわけじゃなさそうだな」

 あらためて見れば、この州の学園生としては無茶苦茶なデータが並んでいる。すでに昨日の時点で自覚していたとはいえ、こうやって第三者からの視点で見せられると異質さが浮き上がる。

 

「まあそのあたりのことも含めて、ノイ先生の話を聞いてください。聖良叔母さん、親父」

 俺とレインの能力に関しては、あとで親父から詳しく聞けばいい。いまはそれよりもノイ先生のほうだ。

「あ~門倉甲君と桐島レイン君の、その分析結果は間違いなく本人達の記憶とも合致する」

「あ? 甲も嬢ちゃんも、学園通いつつどこかで隠れて傭兵やってましたってことか?」

「お前の発想も私に劣らずB級センスホロ並みだな……」

 ノイ先生は親父の言葉に呆れたのか感心したのか、説明が止まった。

 

「さて、話を戻すぞ。事実として現時点でのこの二人が学園生であることには間違いない。ただ、同時に傭兵であったという知識や経験もまた、こちらの診断及びフェンリルの分析から間違いのないものだ」

「すまん、ノイ。耄碌してそうなおっさんにもわかりやすく説明してくれ」

 

「つまりだなっ、外的要因によってこの二人は各種技能情報がアップデートされたようなものなのだ」

 なにか大雑把な説明なのに、それはそれで納得しやすい。言われてみればそんな感じだな。俺というハードはそのままで、傭兵時代の記憶追加というソフト面でのアップデートにより、身体能力も最適化された、といったところだろう。まあ、筋力不足は今後の課題だな。

 

「しかしだなぁ、何が原因なんだよ」

「この現象の原因や、その記憶による二人の心身への影響は、この際問題としていない」

「……おい、坊主に嬢ちゃん。医者とも思えんとんでもねぇ言葉を聞いたんだが、いいのか?」

「いいんだよ親父。この記憶を消したいとは、俺もレインも思ってない」

「お心遣いありがとうございます、大佐。ですが私も問題ありません」

 それについては病院で確認したとおりだ。心身に異常はなく、たとえ今後何が起こったとしても、レインと二人ならこれまでと同じように乗り越えられる。

 

「原因については、そうね……量子通信時のエラーによる、別事象のAIからの情報流出、かしら?」

 それまで薄く目を閉じて俺達の話を聞いていた聖良叔母さんが、あっさりと、それこそとんでもないことを言う。

「能力の拡大まで含むと非常に稀な事態……とはいえるけど、情報流出自体は珍しいものではないわね」

 

「珍しくないんですかっ?」

「ええ。私はそういう情報はできる限りノイズとして遮断しています。でも、そうね……水無月真さんなどは、情報をそのまま受け取ってしまって、あまり区別できていないようですね」

 真ちゃんは、そうか……普段から他人の精神を読み取っている関係か、そういった部分での区別は苦手なのかもしれない。しかし別事象、か。聖良叔母さんの言葉でなければ笑い飛ばしていたところだ。

 

「それはそれで興味深い話だが、繰り返すが原因も影響も、今は一度無視してくれたまえ」

 ノイ先生が学者としての好奇心を抑え、話を進める。

「二人の記憶……わかりにくいな、並列記憶、とでも呼ぶべきこれらの知識の中から、我々にとっていくつか問題視すべき事態が明らかになった」

 

 

    〓

 

 

「第一に、アセンブラ暴走をドミニオンが計画している」

 これは今のところ阻止できているがね、とノイ先生。

「そういやドミニオンがまたぞろ動き出してたな。偉大なる教祖様の復活……だったかねぇ」

「そうだ。ドミニオンの、というよりはグレゴリー神父の計画だな。一般の教徒は目的も知らされてはいないだろう」

 

 ドミニオンは新興宗教結社だ。AIを神と崇め奉り、この現実世界こそが仮想(ヴァーチャル)であり真の世界は仮想(ネット)の先にあるという教義を掲げている。よくあるカルトと言ってしまえばそれまでだが、AI派の最右翼であり、当局からマークされるほどの狂信的な武装集団でもある。

 一度は教祖であるグレゴリー神父を筆頭に仮想(ネット)内での集団自殺という結末で瓦解していたものの、預言された教祖の復活という噂とともに、再び規模を拡大している。

 

「あのクソ神父が死ぬ前に、教団幹部になんらかの計画を残していたってワケか? 元学者様の考えはほんとにわかんねぇな」

 ドミニオン教団の設立者であり指導者だったグレゴリー神父は、もともとは心理学者だった。大戦後、鹵獲された反統合勢力の生きた対情報兵器であるノインツェーンの解析グループに所属し、その人権獲得にも尽力したといわれている。

 当時すでにサイバーグノーシス主義者だったグレゴリー博士は、その思想をノインツェーンにも話したらしい。ノインツェーンはそれを組み上げ直し、逆に教義として博士に伝授した。それがドミニオン教団の成り立ちである。

 

「ん? ああそうか、大佐は知らなかったんだな。グレゴリー神父は復活してるぞ」

「なんじゃそりゃ? ノイよ、センスホロの見過ぎで本格的に脳が壊れたか?」

 普段のノイ先生の発言を知る身としては否定しづらいところだが、残念ながら事実だ。

「あ~親父。復活というと語弊はあるが、神父は現存してる」

 

「門倉甲君。この頭の固い頑固親父に、君から説明したまえ」

 ノイ先生が、俺の理解を確かめるためか、説明役を押し付けてきた。説明すること自体はいいが、しかしその内容は、あまりレインには思い出してもらいたくはない。

 気になってレインに目をやると、大丈夫だという風に小さくうなづく。

 

「神父の自殺方法は、ノインツェーンと似たような方法ってのは、いいよな?」

 ドミニオン教団にとって神祖ともいえるノインツェーンは、「バルドル」と呼ばれる大戦中に自らが使用していた機械式AIの一機に、脳を直結しその知識を焼き付けるようにして自殺。そしてグレゴリー神父と一部教団信者も、真の世界へ転生するためと称して似たような方法で集団自決をしていた。

 この時点で間違いなく、現実(リアル)のグレゴリー神父は死んでいる。

 

「ただ、神父達が真の世界に至ったかどうかは知ったことじゃないが、焼きこまれたほうのバルドルには、ちょっとしたトラップが仕掛けられたんだ。自決事件以降あのバルドルに接続すると、なんらかの要素を持つ場合、その電子体というか人格がグレゴリー神父に変質する」

「つまり、今神父として活動しているのは、意識を乗っ取られたどこか別のヤツってことか」

 

「そう、そして今汚染されているのは、久利原先生だ」

 先生はアセンブラ開発のために、その理論を完成させたノインツェーンの知識を必要とした。そして非公開の情報を得ようと、非合法(イリーガル)な手段まで用いてバルドルに接続したのだ。

 

「症状と原因とがはっきりしてなかったが、二人の話からようやくわかったよ。久利原直樹はストレスからくる二重人格などではなく、バルドルによってグレゴリー神父の意識を書き込まれていた、とはね」

 そういえば久利原先生は今この清城市のどこかの病院で治療中だったはずだ。あとで時間を作ってお見舞いに行きたい。

「まったく死んでからも厄介なヤツだな、あの糞神父は」

 

「ただアセンブラに関しては、今後ともドミニオンに限らず軍事利用の危険は付きまとう。このあたりは監視機構の強化を推し進めてもらうしかないな」

「わかったわ。アークとしてもアセンブラへの危険要素は見過ごせません」

 このレベルの話になると、一介の学園生のである俺は当然としても、傭兵会社の社長たる親父であっても関与できる領域を超えている。聖良叔母さんに一任するしかない。

 

 

    〓

 

 

「第二に、接続者(コネクター)としての水月空真さんと、合わせて空さんのことが外部に漏洩している、と?」

 その聖良叔母さんはいつもながら話が早い。ノイ先生の報告は、すでに纏められて叔母さんは解析済みなのだろう。次の問題に意識を切り替えている。

 

「そうだ。この二人の夢によると、清城市議員の米内武が策謀、都市自警軍(CDF)を使って私の病室から真君を誘拐した。大規模な混乱の最中であったとはいえ、すでに先月の時点でそれが可能なまでに情報が流れていたわけだ」

 あの病院は、出資のみならず、警備もアークが担当しているらしい。ノイ先生と違い、聖良叔母さんの表情は普段どおり静かなものだが、内心穏やかではないと思う。

 

「その状況下で真さんを攫ったのは、暴走して対地射撃衛星群(グングニール)を撃とうとしたAIを停止させるため……トランキライザーを起動させたのね」

「そうだ。アセンブラ流出に対して、統合への意思表示のつもりでもあったのだろう」

 わかりました、と叔母さんは小さくうなづく。

「こちらに関しても、今のところ問題としては小さいわね」

「聖良叔母さんっ」

 真ちゃんの危機ということで、俺としては小さな問題とはいえない。思わず声を荒げてしまう。

「落ち着けよ、坊主。米内はそうそう動けんさ」

 

「あ……すいません叔母さん。そういえば、先月末に米内議員は贈賄か何かで逮捕されてましたっけ?」

 そんなニュースをどこかで聞いた気がする。

都市自警軍(CDF)に深く関わっている阿南よしおは逮捕されましたが、米内議員は関与が不鮮明でいまだに議員のままです。ただ、その息子が、名前は伏せられていますが、傷害の常習犯とのことで拘留されています」

 俺のあやふやな記憶をレインが補足してくれた。

 そういう状況であれば、なるほど米内派は真ちゃんに対して直接的な行動には出るのは難しそうだ。

 

「第三、最後にこれが最大の問題だ」

 俺が納得したのを確認して、ノイ先生が続ける。

「ノインツェーンは生きている」

 

 

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 一〇時五三分

 

「ノインツェーンは生きている」

 Dr.ノインツェーン。今世紀最大の科学者にして、最悪の狂人。マッドサイエンティストの代名詞存在ではあるが、その才能は多岐に渡り、昨今の情報社会の立役者となった人物だ。多大な功績を残しながらも、人柄も容姿もそして経歴さえも一般には知られていない。

 その実態は、反統合勢力が作り出した情報兵器にして生体コンピュータ。人類、有機AIに次ぐ第三の知性体とも呼べる存在だ。

 

「いや、ノイ先生……何でそういう話になるんですか?」

 俺とレインの記憶から判明した問題、というにはあまりにも飛躍している。確かにノインツェーンの思想を基にした狂信者集団、ドミニオンと戦うことはあった。しかしそのドミニオンであっても、教義としては仮想(ネット)への転生であり、現実(リアル)への復活ではない。

 

「ふむ。君達はノインツェーンの死因は知っているか?」

「大戦中の愛機であった、ミッドスパイアにあるバルドルに自身を直結、自意識と記憶とをバルドル側に焼きこもうとして脳死……間違っているのでしょうか?」

 レインが簡単にまとめてくれる。俺の知っているのもその程度だ。

 

 しかしノインツェーンとバルドル、か。その二つは何処かしら似たものを感じる。

 バルドル、無限のライブラリと出力デバイスを持つ人工無能。単純な演算能力は有機AIネットワークを凌駕するが、結局は感覚質(クオリア)を獲得することはなかった。真空管から始まったチューリングマシンの究極進化形である。

 有機AIに敗れ、現在では環境建築都市(アーコロジー)の管理などにいくつかが使われており、ここ清城市のミッドスパイアの管理を行っているのも、そのうちの一つだ。

 

「まあそんなところだ。

 わからんかね、門倉甲君、桐島レイン君? バルドルに自身を焼き付けたノインツェーン。それと同様の自殺を図ったグレゴリー神父は、その死後どうなった?」

 俺が戦ったグレゴリー神父、あれは久利原先生が変質したものだった。アセンブラ開発のため、ノインツェーンの知識を得ようとバルドルと接続した先生は、そこに隠れ潜んでいた何かに汚染されたのだ。

 

「死んだはずのグレゴリー神父は、バルドルに接続した人間に憑依するかのようにして、復活している……」

「そうだ、人間の脳に作用するウィルスといったところかな。あれは神父の復活ではないかね?」

「おいおい、ノイよ。じゃあ何か、俺が頭をぶち割ったあの神父は、誰か別のヤツが成り代わっていたニセモノってことか?」

 そうか、親父も母さんを助けるためにグレゴリー神父と戦っていたのだった。そして一度は確実に神父を殺している。

「偽者、とは少し違うな。オリジナルの神父の目指した世界を実現するために活動する、いわばコピーのようなものだ」

 

「つまり、ノインツェーン自身も、神父と同様の復元手段を用意していた、ということですか?」

「もともとあれは、人間の脳を並列接続したものを推論部分として使用する複合データベースだ。知識部分は機械的な記録複製が取れるし、脳を中心とした生体部分もクローニング可能だと思われる。あとは先の橘社長の話ではないが、別事象から自己を観測でもすれば、元通りの感覚質(クオリア)を持って再生されるかも知れんぞ?」

 

 バルドルという墓標から、いくつもの脳を掘り起こし積み重ねる。そしてその歪な脳の塊が、天から落ちた雷を受け、金属の身体を持って再生する……そんなフランケンシュタインの怪物じみた妄想が、俺の頭に浮かぶ。

 理性ではありえないとわかりつつも、ドミニオンが拠点としていた構造体を知っている身としては、簡単に否定することもできない。あの積み重ねられた仮想(ネット)での死は、それはそれで現実(リアル)のものなのだ。

 

「わかりました。ミッドスパイアのバルドルが危険なのは、間違いないようね。ですがあれを破壊することには賛成できません」

「聖良叔母さんっ」

「やはり知識データベースとして、ノインツェーンは重要、ということでしょうか?」

 俺が言い出し損ねた言葉を、レインが補ってくれた。それでもどうしても詰問するような形になってしまっている。

「もちろん、それもあるわ。でもそれ以上にあのバルドルは、ミッドスパイアの生活に必要不可欠。何の代替案もなしに止めることはできない。清城のほかの地区と同じく、AIの協力によるライフラインの構築が完了するまでは、あのバルドルは必要なの」

 

 ミッドスパイアは環境建築都市(アーコロジー)と言われるように、スペースコロニー建築のための技術を用いた、ほぼ完全な閉鎖システムだ。そして都市管理には、AIネットワークからも切り離された、独自の管理用システムを使用している。

 そのシステムを担っているのが、問題のバルドルだった。確かに今すぐ止めれば、ミッドスパイアは都市機能を失ってしまう。

 

「ミッドスパイアの住民には自覚がないとは思いますが、実際のところノインツェーンに人質にとられているような形ですね。いえ、あそこの住人なら進んで奴隷になりそうですが……」

 レイン自身、生まれも育ちもミッドスパイアだが、エイダさんと同じくその生活にも住人にも馴染めなかったらしい。故郷と呼び親しむには、思うところがありすぎるのだろう。

 

「そのあたりは問題なかろう。アセンブラの成功した今、反AI派の動きも小さくなってきている。環境改善のためにアセンブラをミッドスパイア内部で使用するようになれば、自然と反AIの意識も薄まるさ」

「そうね……アセンブラの有効性とあわせて、AIとの協調を進めるようにアークとしても働きかけましょう。その上で、バルドルをミッドスパイアの都市管理システムから切り離し、調査・研究目的でのアクセスに限定するように法整備も整えていくべきね」

「時間は掛かりそうだが、そういった方法しかねぇか」

 ノイ先生の推論を、聖良叔母さんが対策として取り入れていく。親父の言うとおり時間は掛かるかもしれないが、AI派と反AI派とが歩み寄れるならそれに越したことはない。

 

 

    〓

 

 

「ありがとうございます、聖良叔母さん」

「感謝されるほどのことはしていませんよ、甲さん」

 俺達の記憶から問題視された事案は、ほとんどすべてアーク、というか聖良叔母さんに押し付けた形だ。自分の力のなさが歯がゆいが、今の俺にできることは少ない。

 そんな自責に駆られていたせいか、次の言葉を危うく聞き流すところだった。

 

「それよりも初孫……いえ、正しくは初姪孫かしら? その顔を見せてくれることを楽しみにしてます」

 

「……は?」

 今この人は何を言ってるのだろう……?

 

「聖良さん、そりゃちょっと気が早すぎないか?」

「そうですね。永二さん、あなたがいきなり八重さんを連れ去ってしまったので、ちゃんとした式を挙げれなかったのが悔やまれます。今度はしっかりと予定を立てましょう」

 橘家のドレスは亜季さんに贈っているので、新しく作ってもらわなければなりませんし、離脱(ログアウト)する日程調整も必要ですね……などとなにかすでに具体的なことに入っている。

 

 さすがは聖良叔母さん、決断が早い。

 ノインツェーンの生存がほぼ確実視され、その対策を話し合っていたはずじゃなかったのか……いま予定しようとしているのは何のことでしょう、叔母さん?

 

「……あの? 甲さんと私はそういうのではなくてですね。そのなんと言いますか……」

「だめだレイン、ここははっきり言わないと、わかってもらえないぞ」

「それはそれで、少し、その、残念なのですが……」

 レインの否定にも力が入ってない。やはりウェディング・ドレスには興味があるんだろうなぁ、ということにする。

 

「まあそういう話は、すべて落ち着いてから楽しもうや、なあ甲に嬢ちゃん?」

 助かる、親父。このあたりの切り替えし、さすがは母さんとの結婚を叔母さんに認めさせただけのことはあるな。

「安心しろ、坊主。アセンブラを使うにはAIの管理下にないと無理なんだろ? 一年もしないうちに反AI派なんてものは狂信者以下の規模になってるさ」

「そうだな、人間生活の豊かさにはなかなか勝てん。今の反AI派のように仮想(ヴァーチャル)の暮らしには満足できずに眼を逸らしたとしても、アセンブラによる環境改善とそれに伴う食生活などの向上を拒絶できまい。まさに連中が常々掲げていた、現世の復興、だからな」

 親父のみならず、ノイ先生もそのあたりはかなり楽観視している。

「狂信者相手じゃないんだ。政治家である米内は、利益にならんことはせんさ」

 

「それは、そうなんだろうけどさ……」

 理屈はわかるし、対策としても十分だろう。第一、叔母さんの前で駄々をこねるような事はしたくない。長居するのも悪いので、下がらせてもらおう。

 聖良叔母さんもこちらの気持ちを汲んでくれたのか、軽く目を閉じる。会見は終わりだ。

「では、バルドルの件も含め、よろしくお願いします。失礼いたします」

「じゃあ、俺も下がらせてもらうわ、昨日の保安部隊関連の報告は、また別口で送らせる」

 親父と並んでレインともども敬礼。

 

「……待って、桐島レインさん」

「は、はい。なんでしょうか?」

「……」

 再び目を開けた叔母さんと、驚いたようなレインが見詰め合っている。直接通話(チャント)か。

 問いただすのも失礼な話だし、俺と親父はそのまま部屋を出る。

 

「ありがとうございます、橘社長。では、失礼いたします」

 

 

.



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第13+3章 回帰 / Chapter13+3 Remigration

 

 

..■一月一六日 日曜日 一一時一〇分

 

 具体的な対策はアークに一任するということで大まかな方針は決まり、俺とレイン、そして親父はアーク社長室をあとにした。

 ノイ先生は社長室に残った。空と真ちゃんの診察に関して、まだ聖良叔母さんと話があるらしい。普段は気にしていないが、叔母さんは二人の後見人だったな。

「っと、二人ともまだ時間はだいじょうぶか? ちょっと話しておきたいことがあるんだが」

 

 

転送(ムーブ)

 

 廊下で立ち話もなんだ、と連れてこられたのはアーク構造体(ストラクチャ)の中の休憩スペース。

 休憩スペース、とは言うものの人影はまったくない。亜季姉ぇを見ていても思うが、仮想(ネット)関連の技術者は他の誰かと集まってお茶を飲むという印象がない。

 おかげで人に聞かれたくない話には、いい場所だ。

 

「二人にって言うか、レイン嬢ちゃんには、まずちゃんと謝っておかなきゃいかんと思ってな」

 親父がレインに、ということでは話の先が見えずに、俺は口を挟めない。

「お袋さん……エイダさんのことは、本当にすまなかった。いまさら言っても仕方ないが、八重が生きてりゃあ相談にも乗れたんだろうが」

 

「あ、あの……実は先ほども……」

 親父の言葉にレインも戸惑う。レインは俺の母さんのことは何も知らないはずだ。

「ってちょっと待て親父。桐島大佐と親父が統合軍時代の同僚で、その関係で親父がレインの母さんを知ってる、ってのはいい。なんでそこに母さんが絡むんだよ?」

「ん? 甲よ、何か勘違いしてるのか知らんが、エイダさんと八重は、というか聖良さんもそうだが、同じ職場だったんだぞ? そのあたりは聞いてないのか?」

 

 俺は初耳だ。知っていたのかと、疑うような視線で、レインのほうに顔を向けてしまった。

「いえ。先ほど橘社長からもお詫びの言葉をいただきましたが……私も母が結婚以前に何をしていたかはあまり聞かされていなくて」

「まあ勲にしても、あの研究所の話はあまり蒸し返したいことじゃないだろうしなぁ」

 親父自身も蒸し返したくはないらしい。口が重くなる。俺としてもあらためて親父から母さんのことを聞きたいわけでもない。

 ただ、その内容はどうしても気になる。

 

「研究所って……まさかノインツェーンのか?」

「ああそうだ。母さんや聖良さんが第二世代脳内(ブレイン)チップの被験者だっていうのは知ってるよな。エイダさんもそこの職員で、じっさい最初の第二世代(セカンド)相当に処置された何人かの一人だ」

 

 どうも整理すると、親父と桐島大佐が統合軍の同僚でノインツェーンの研究施設の警備担当の部隊だった、と。そしてそこで母さんや聖良叔母さん、レインのお母さんが同じ研究員だった、ということか。

「父と母とは幼馴染で、それで結婚したと聞かされていましたが、そうだったんですね」

「幼馴染というのはその通りだ。ま、その伝手で俺が八重と知り合えたってのはあるな」

 研究員とその施設の警備担当とで、接点がありそうでない二人がどう知り合ったのかと思えば、そういうことだったのか。

 

「勲とエイダさんの仲が拗れてるっていうのは耳には挟んでいたんだが、ちょうどそのときには八重が倒れて……いや逆だな。八重が倒れたのを聞いて、勲は反AIに傾いたんだろう」

「でもどうして父は、それほどまでに母をネットから遠ざけようとしていたのでしょう? 脳内(ブレイン)チップや仮想(ネット)関連の研究者だったのに」

 

 改めてエイダさんの経歴を聞くと、仮想(ネット)から引き離すというのは無理な気がする。自分の専門分野から切り離された生活というのは、息が詰まるだろう。

「勲本人でも当時の気持ちははっきりとは説明できんだろうが、研究者だったから……じゃねぇかな。八重の死因が電脳症そのものじゃなくて、ドミニオンによるものだってのは勲だって知っていただろうし、遠ざけたくなるのもわからなくはねぇ」

 

「ますますわからなくなったぞ、親父。母さんの死因がドミニオンによるものだってのはこの際いいさ、俺もそのあたりは知ったし」

 それはいつかちゃんと親父から聞きたいことではあるが、今はいい。

「ドミニオンに対して警戒するのが、何でネットからの遮断になるんだよ。桐島大佐はそこまで頑なな人じゃないぞ」

「そうか……嬢ちゃんもそのあたりは聞いてないのか?」

 

 レインの返事を受けつつ、これからいうことはあくまで俺の、研究員だったときのエイダさんの印象なんだが……と説明をはじめた。

「エイダさんはもともとあの糞神父、当時はグレゴリー博士だな、その思想に傾倒しているところがあった。もちろん研究員としてであって、狂信的なもんじゃないぞ? AIとの共存、AIに導かれることで理想の進化を遂げる人類ってな具合に、理想主義的な人だったんだ」

 

「ソフィアの御心のままに、か……」

 確かにそういう人だと知っていれば、過度の仮想(ネット)への接続を窘めたくなるのも理解はできる。

 それとは別に、俺には聖堂でマザーに向かって祈りを捧げていたレインの姿が思い出される。天使と見間違えるほどの、触れてはいけない、近寄りがたく感じたあの姿。桐島大佐もエイダさんに似たような思いを抱いたのではないのだろうか……

 

「今となっては、謝っても済む話じゃないとはわかっていても、話だけはしておこうと思ってな。まあ話して楽になりたいっていう勝手な自己満足だがな」

「いえ、お話いただいてありがとうございました、大佐。母の死に関して父を許すつもりはありませんが、また今度話を聞いてみようかと思います」

「おう、俺がいらん口出ししたことだけは黙っといてくれや」

 親父の口ぶりに、くすっとレインが笑う。エイダさんの話を聞いた直後に、形だけでも笑えるくらいには、レインの中で気持ちの整理がついてるようだ。

 

 

    〓

 

 

「っと、坊主に嬢ちゃん。忘れんうちに渡しとくわ」

 親父に挨拶して離脱(ログアウト)しようかと思ったところに、それはいきなり送られてきた。

「明細確認して、受領サインくれや」

「おい親父、なんだよ」

「あ、あの。これは、いったい?」

 俺もレインも、これが「何か」はわかっている。ただ受け取るいわれが俺達にはない。

 

「昨日のアーク保安部隊との合同演習に参加しただろ。その分の給与、日当だ」

「給与って……」

「作戦参加の誓約書に二人ともサインしたろ、もちろん給与も発生するぜ」

 送金の名目はその通りだ。作戦参加にともなう基本給与に危険手当やら何やらが増額され、各種機材の使用諸経費や掛け捨ての保険類を引いたもの。書類としては良く出来てるな。おまけに貸与された各種装備品に関しては全権限を譲渡する、とまである。

 

「受け取ってもらわんとこっちが困るんだよ。部隊内の演習ならともかく、外部との合同演習に参加していた奴への金払いが不透明だと、どこからつつかれて脱税嫌疑をかけられかねん」

 傭兵、PMCといえどもその名の通り会社組織だ。どれほど悪名高くとも、そのあたりの法を捻じ曲げてしまえば、雇い主さえ減ってしまう。

 それはわかるのだが……

 

「いえ、しかし……おっしゃることはそのとおりのですが、それでしたら私達が演習に個人参加するため、『フェンリルに参加費を支払った』としていただいてかまいませんが」

「そうだぜ親父。レインの言うとおり、あの演習なら金払って参加するフリーの連中くらいいくらでも居るだろう?」

 形式上受け取らなければならないのは理解できるが、額が額だ。正直、俺もレインも貰いすぎてる。

 

「おいおい……二人とも傭兵関連の経験、って知識か。それは確実にあるんだろ? 電脳将校、しかも部隊指揮官扱いに、臨時任官やら危険手当付けたらそれでも少ないくらいだぜ、まったく。嬢ちゃんにいたっては、フェンリルのサポートまで賄ってもらったんだ、本来ならその倍くらい払わなきゃ経理が怪しまれるぜ」

「す、すいません、最後でしゃばりすぎました……」

「いいってことよ。だいたいウチじゃサポートも前線に出ることが多い。こっちとしてもいい演習になった。まあアレだ、甲。二人で旨いもん食うなり、菜ノ葉ちゃんや亜季ちゃんにお土産でも買って帰ってやれや」

 

 そういう金額じゃねぇだろ……とは言いたいが、ここはせっかくの親心だ。ありがたく貰っておこう。

「わかった。これは受け取らせてもらう。装備もありがたく使わせてもらうさ」

 受領サインをして、親父に必要書類を送り返す。

「しかし、初任給が親父からとはねぇ、ヘンな記憶があっても、これはさすがに予想もしなかったな」

「ぬかせ、ガキは親の肩叩いて小遣い貰うのが初任給ってのが、この州の伝統だ」

「くすっ、あとは母親の買い物の手伝い、といったところでしょうか?」

 俺も親父も、そしてレインも、親子関係としては普通とは程遠い場所に居るのは自覚している。そしてそれをネタに笑える程度には、どこかそういうものに対する憧れを割り切ってしまっていた。

 

 

    〓

 

 

「あとな……言うか言うまいか迷ってたんだが、せっかくの機会だ言っておく」

「おいおい……数年分の小遣いのまとめ払いに続いて、説教ひとまとめとかはやめてくれよ」

「ちげぇよ。お前が連絡して来た最初の話だ」

 最初のというと、シュミクラムの腕を見てくれって話か。報告書はすでに貰ってはいるのが、何かまだあるのか?

 

「甲よ、お前は雅と千夏だったか、あの二人とは新人(ニュービーズ)戦のときは三人でいい具合に連携していた。拙いながらもそれぞれちゃんと庇いあってな。それが昨日の時点では、あの二人を護衛対象としてみていた、違うか?」

「それは……」

 否定しようにも否定できない。腕の差、といってしまえばただそれまでだが、今の俺にとって、あの二人との連携では満足できないだろう。いや違うな……

 

「昨日の昼飯のときに言った、気になったってのは、自分達以外を信頼していないってところだ。ウチの連中のトップ六人を与えても、その腕は信用しても、頼ることは無かっただろ?」

 俺個人の所感に過ぎんから報告書からは省いたがな、と付け加える。

 叱責されているわけではない。ただ、歴戦の兵士としての親父の、俺とレインに対する所感、だ。

 

「わかった、親父。気付かせてくれてありがとよ」

 雅や千夏とアリーナで戦うのは、たぶん今でも楽しいだろう。演習で一緒に戦ったフェンリルのシュミクラム乗りは本当にいい腕だ。

 それでも俺は、それだけでは駄目なのだろう。

「そうだな。確かに俺は、自分の命をレイン以外に預けることは、もうできないんだ」

「甲さん……」

 

 

    〓

 

 

「甲、それに嬢ちゃんもだ。

 お前達二人は強い。電脳将校としてだけではなく、陸戦でもそれなり以上だ。ただ、間違えるな、今のお前達二人は学園生なんだ。ドンパチやったり死んだりするのは、俺達に任せておけ」

 たぶん門倉永二としては、それが父親として子供に言える最後の言葉なのだろう。

 次に会うときは、軍人同士かはともかく、一人前の男として扱われるのかもしれない。

 じゃあな、と適当な挨拶を残して、親父はアーク構造体(ストラクチャ)の長い通路を歩いていく。

 俺はレインと二人、いつもより少しばかり長く敬礼して、その姿を見送った。

 

 

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 一三時一五分

 

 せっかく清城市に来たのだから、久利原先生のお見舞いには行きたい。

 そして聖良叔母さんから教えてもらった先生の入院先は、昨日俺達が世話になった病院だった。

 しかも久利原先生の病室といわれて指示されたのは、ノイ先生の担当フロア、それも診察室の三つ隣の部屋だった。

 

「なんとなく予感はしていたんだが、久利原先生の担当って、ノイ先生……だよなこれはどう考えても」

「このフロア自体、ノイ先生のためだけのものみたいですしね」

 ただ、そのすぐ近くの部屋に行くのに、俺達は一度病院を出て、近くのケーキ屋に向かい、再びこのフロアに戻ってきたのだ。見舞いなら手土産ぐらい持って行けと言われて買ってきた、ノイ先生オススメのケーキを携えて。これも間違いなくあの人が食べたいだけだな。

 

「あ、あの。私がお会いしてもよろしいのでしょうか? 甲さんお一人のほうがいいように思うのですが……」

 さっきからレインの様子がどこかおかしいと思っていたが、ドアの前でついに脚を止めた。

「そりゃレインは面識ないかもしれないけど、まあ俺のシュミクラムの師匠みたいな人だし、できれば会って欲しいな。それに如月寮の先輩でもあるし」

「しかし、私は博士の研究を妨害していた軍人の娘ですし、あまりお会いするのも良くないと思うのですが」

「ああ、そういうことか。ならそれこそ会ってちゃんと謝ってみるべきだろ、レイン」

 

 桐島大佐と久利原先生とが、アセンブラの開発に関して何度かやり合っているのは俺も見たことはある。しかしそれでレインを責めるような先生ではない。それを俺が言うのは簡単だが、レインには直接会って先生のことを知って欲しかった。

「……わかりました。誠心誠意、謝罪いたします」

 

 

    〓

 

 

『どうぞ? 開いてますよ』

「失礼します」

 ノックに応えるどこかで聞いた女性の声に導かれ、そのまま病室のドアを開けた。

 しかし部屋に入った瞬間、名状しがたい異様な感触。

 

回線切断(ディスコネクト)

 脳内(ブレイン)チップに流れる、エラーメッセージ。ネットには常時接続している俺達第二世代(セカンド)にとっては、ある意味致命的なまでの警告。発作的な緊張で、レインと二人、廊下に飛び戻ってしまう。

 壁を背に、扉の左右に張り付く。が、手持ちに都合のよいミラーなど今はない。仕方なく少し頭を下げて室内を覗き込むが、そこにいたのは予想外の人物だった。

 

「甲? それにレイン?」

「なんで空がいるんだよ……」

「まさか二人ともどこか怪我したのっ? 昨日雅は帰ってから部屋で寝込んだままみたいだし……」

「あーそれは単なる筋肉痛だ、たぶん」

 やはり寝込んだか、雅。あれは完全に運動不足だ。

 

「ご心配なく。甲さんも私も、怪我などありませんよ、空さん」

「というかだな、空。怪我したんなら、ここじゃなくて普通に診察受けに行くよ。俺達は久利原先生へのお見舞い」

 自分がどこに居るのかも忘れて、慌てているのは空らしい。真ちゃんも後ろでおろおろしている。いや、慌てふためいていたのは、先ほどの俺達も同じか。

「あ、そか。怪我なんかでは、ここにはこれないしね」

 

『楽しそうなところすまない。水無月空君、真君。待たせて悪かった、今から診察したいから、こっちに来てくれ』

 部屋にノイ先生からの呼び出しが流れる。なるほど忘れそうになるが、ここはノイ先生の病室なのだ。いたるところに監視があるに違いない。

 

「じゃあ、私とまこちゃんは診察に行ってくるわ、帰りは一緒に帰ろうか?」

「おう、それまで飯でも食って待ってるさ」

「そうね……駅前のモールあたりで時間潰してて。レインをよろしくね」

 話しはじめると空は長い。早く行かせないと、ノイ先生が怒鳴り込んできそうだ。

「はいはい、早くノイ先生の行ってこい、真ちゃんもしっかりね」

「あい…せんぱい、せんせ、しつれ…します」

 飛び出しそうな空と、ぺこりと頭を下げていく真ちゃん。いつもの二人で安心した。

 

 

    〓

 

 

 久利原直樹先生。

 俺や雅、千夏にとってはシュミクラムの師匠にあたる人で、そして世間的にはドレクスラー機関主任にして、次世代型ナノマシン「アセンブラ」開発の中心的人物だ。

 しかしアセンブラ開発の開発完了の目処が立った昨年秋に、心労のために一時休職。以来、休養を兼ねての検査入院ということだったが、その姿を見るかぎり入院患者には見えない。というか白衣を着ている人を入院患者とはさすがに思えないな。

 

「ははは、君達は相変わらず仲がいいね。と言いたいが……男子三日会わざれば、刮目して見よ、といったところかな?」

 笑ってはくれているが、久利原先生の目が鋭い。

 

「すいません先生、入院されたときにすぐにお見舞いに来れればよかったんですが、そのあと俺もヘンなことに巻き込まれまして」

 先ほども、空はともかく、真ちゃんはどこか俺の変化がわかったのか、距離を取っていたようにも見える。

 そしてそれに気が付かないふりをしてしまう程度には、俺は経験ではなく知識を積み重ねているようだ。

 

「詳細は伏せられているみたいだが、簡単な事情は聞いたよ。大変だったみたいだね」

「いえ、俺自身はいいんですが、空にはかなり負担をかけたと思います」

 クゥの、シミュラクラのことはアーク社内でも最重要機密だ。先生が概要だけでも耳にしていることのほうが驚きだ。

「でも先生、お元気そうで何よりです」

 アセンブラの成功と、入院生活が休暇として良かったのか、昨年の張り詰めたような気配はなくなり、初めて会ったときの柔和な印象に戻っている。

「ありがとう甲君。みんなには心配かけたが、ご覧のとおり悠々自適の生活を送っているよ。ところで……」

 

「あ、すいません、こちらは……」

 レインを振り返って、先生に紹介しようとして言葉に詰まった。さっきまでの気分のままで、副官だと言いそうになってしまう。

 しかしレインのほうは、先生と俺との話を聞いていて、どうやらいつもの落ち着きを取り戻してくれている。ここは任せたほうが確実だ。

 

「はじめまして、桐島レインと申します。父が先生の研究を阻害したこと、申し訳ありません」

「桐島……ああ、統合の桐島大佐の、ご息女かな? 大佐には確かにいろいろと問題を指摘されていたが、あれは統合の仕官としては当然の対応だよ。それでこちらも見直すことが数多くあった」

「そう言っていただけると、助かります」

 

「いや、桐島大佐は本当に理論的に反対してくださって助かっていたよ。大半の反対派はまったくもって感情論以前の問題でね。反対したいから反対する以上のなにものでもなくて、あれには困ったものだよ」

 言葉どおり、久利原先生は桐島大佐に対してどこか敬意も持ってくれている。そういえば先生も大佐も、仕事に対する実直さ、といったところでは似た者同士なのかも知れない。

「心労、お察しします、先生」

 

 

    〓

 

 

「ああ、せっかく来てくれたんだ、そちらでくつろいでくれたまえ」

 先生は俺達二人を、部屋の少し奥にある背の低いテーブルに案内してくれた。

「しかし、甲君が桐島大佐のご息女と一緒というのは、やはりご両親のご交友かな?」

「久利原先生は俺の親父をご存知なのですか?」

 お茶を淹れてくれながら、久利原先生に尋ねられる。

 質問に質問で返すのも失礼な話だが、さすがに知られているとは思っていなかったので驚いた。

 

「門倉大佐とは直接の面識はないが、お話はいろいろ聞いているよ。統合時代の霧島大佐とのコンビネーションは、シュミクラム乗りの間ではちょっとした伝説だからね」

 親父のことを嫌っていた俺は、シュミクラムは好きでもできるかぎりそういう話を避けていた。なるほど確かに、その方面では有名なのだろう。

 

「それに門倉八重さんと桐島エイダさん、君達のお母様方の論文やレポートは、専門が違うとはいえ興味深く拝見させてもらったものだ」

「そうでしたか」

 アセンブラ開発のための情報を求めて、非合法(イリーガル)な手段でバルドルにまでハッキングを仕掛けた久利原先生のことだ。ノインツェーンとの研究に関わっていた母さんやエイダさんのことを知っているのも当然だな。

 今更ながら、親父とは顔を合わせず、一人で生きてきたつもりだった自分が恥ずかしい。良くも悪くも、どこかしらで繋がっているのだ。

 

「じつは甲さんとは、両親とは無関係なところで助けていただきまして……」

 そこでレインが言いよどむ。出会いはともかく、今の関係は説明しにくいな。

「レインは新学期から星修学園に転校してきて、いまは如月寮の一員なんですよ」

「では、甲君ともども私の後輩、ということだな。あらためてよろしく」

 そういいながら、俺達が持ってきたケーキとともにお茶を出してくれる。多すぎないかと思っていたが、いろいろと買っておいてよかった。ノイ先生の分はちゃんと余裕がある。

 

「しかしすごいですね、この部屋」

 ゆっくりと見回してみると、病室とは思えないほどに広々とした部屋だ。どう見ても病室ではなく、高級ホテルの一室だ。

「この部屋かね? いまは半分間借りさせてもらってる形なのだが、ちょっとした細工が私の治療には向いているのだよ」

「細工というと……回線の遮断ですか」

「そうだ。真君のような電脳症では無理だが、私の治療にはネットから切り離すのが一番早い、ということだよ」

 言われてみれば先ほどまだ先生の座っていた研究用らしい机にも、旧式のキーボード式の端末が置かれている。いやネットに接続されていないこの場合は端末ではなく、スタンドアローンのシステムか。無線のみならず有線も遮断しているようだ。

 

第二世代(セカンド)としては過ごしづらい部屋だとは思うが、我慢してくれ」

「いえ、なにかこれはこれで落ち着きます。しかしこんな部屋が都合よくありましたね」

 病院となると患者に関する情報の管理や監視は、重要ではなかろうか。わざわざ無線封鎖までしてネットから切り離すような病室があったとは驚きだ。

 

「もともとはノイ先生が……いや、この話は止めておこう。彼女のプライバシーに関わることなんだ」

「あの、それは……」

 言葉を切った久利原先生の様子から、ノイ先生の生い立ちに関しては知っているのだろうと思われる。

 レインも気付いたようだ。確認するかのように、こちらを見る。

「……いえ、わかりました。ノイ先生の出生などに関しては問いただしません」

「甲君、君は……知っているのかね。いや、失敬。止めておこうといったばかりだな」

 

 

    〓

 

 

 そのあとはレインの転入にまつわる空の活躍や、転入後の寮の騒ぎ、レインが知らない俺や雅と先生の出会いなど、取り留めなく星修の話をした。

 そして気が付くと一時間以上お邪魔していた。

「と、長々とすいません、先生」

「お話が面白くて、つい夢中になってしまいました。申し訳ありません」

「いや、私も君達と話せて楽しかったよ」

 席を立った俺達を、先生はドアのところまで見送りに来てくれる。

 

「甲君、レイン君。君達が何に巻き込まれているのかは、今は聞かない。ただ、一つ勝手なお願いをしたい」

「先生の頼みとあれば、どんなことでもお引き受けしますよ」

「私も微力ながらお手伝いいたします」

 俺とレインを交互に見つめ、先生は言葉をつむぐ。

「真君を護ってあげてくれ。知っているかもしれないが、彼女は様々な方面から狙われている。それは……」

「もちろんです、先生」

「真さんは私の大切なお友達です。何があってもお守りいたします」

 久利原先生はこの部屋から出られない。それはたとえ何があったしても、助けにいけないということだ。今の俺にどれほどの力があるかわからないが、先生の期待には応えたい。

「もう立派な大人だな、甲君。教え子の成長を感じられて私はうれしいよ」

 

 

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 一四時三〇分

 

 空と真ちゃんの診察が終わるまで、久利原先生の部屋にいるのも気が引ける。

 先生は病室だとは言っておられたが、あそこはどう見ても研究室、それも日曜の昼間だったのに仕事中に見えた。あまり長居してお邪魔してもいけないと思い、早々に退散してきた。

 

「久利原先生は、いい人だっただろ?」

「ええ、お会いしてよかったです。でも思った以上にお邪魔してしまいましたね」

 早く切り上げたつもりだったが、それでもかなり長い時間話し込んでしまって、俺とレインとは昼食の時間を逃していた。

 遅くなった昼食を兼ねて、外で時間を潰すかと駅前に出てきたまではいい。ただ清城の中央ステーションの規模を完全に見誤っていたのだ。交通機関の要所ということに加え、現実(リアル)での繁華街、そして今日は休日。

 オープンテラスのカフェで時間を潰すか、あるいはランチ時は逃したが何かしっかりしたものを食べるか。はたまたせっかくのいい天気、休日客目当てで並ぶスタンドでテイクアウト、二人で歩きながらなにかを摘むのがいいかと、贅沢な悩みに包まれる。

 

「蔵浜と比べるのもあれだが、店が多すぎてこれはこれで目移りするな」

 とりあえずはどこかに入って座るかと思ったところで、レインの胸元のペンダントに気が付いた。

「そのペンダント、ずっと着けてくれてるんだよな……」

「甲さんからの初めてのプレゼント、ですからね。私の宝物です」

 俺もレインも、ずっとの意味はこの際流す。

 

「しかし……すまん、レイン。それに関してはほんとちゃんと謝らせてくれ」

「……謝る、ですか?」

「代わりに貰ってペンダント、空にあげてしまったの、レインも知ってる、よな?」

「いえ、その。アレは、ですね、私も見たときはちょっと、その……ちょっとだけですよ? ショックでしたが……」

 

 やはりどういう形であれ自分が贈ったものを、他人に渡されているのを見るのは気分のいいものじゃないよな。それも相手が親友で、クリスマスプレゼントに恋人から送られたものだと思い込んでいるし。

「受け取ったあの直後に、勘違いした空に渡してしまった。本当にすまない」

「……え、ええっ? でも、箱も包装もぐしゃぐしゃになってましたよ、あのままに空さんに贈っちゃったんですか? それはダメですっ」

 

「あ~」

 どうやらあのサイコロのペンダントを空に贈ったそのことよりも、剥き出しで渡したことが、レインとしてはダメらしい。確かにアレはプレゼントとしてはちょっとそっけないとかそういうレベルじゃないな。

「いや、そうじゃなくて、だな」

 誤解を解くべく、あの日レインと分かれた後の様子を簡単に説明する。帰り際に空にぶつかってしまい、俺がペンダントの箱を投げ出してしまったこと。そして空が自分で壊してしまったといつものように勘違い、しかも自分へのプレゼントだと思い込んでしまったことなどなど。

 

「それは、なんと言いますか……空さんらしいです」

 悲しんでいいのか、怒っていいのか、それとも笑っていいのか判断がつかないのであろう、レインも複雑な表情をしている。

「まあそんな感じで、喜んでいる空を見ると、本当の事を言い出せずに、そのまま早めのクリスマスプレゼントってことにしちゃったんだよなぁ。ほんとにすまない」

「いいですよ、もう。それにあのペンダントを空さんが身に着けているのを見たとき、ショックだったのは本当なんですが、それとは別によく空さんに似合ってると思ってしまって……」

「う、まあそう言ってくれると、助かる」

 

「むしろ謝るのは私のほうです。考えてみれば、あの時は甲さんのことをよく知らないままにプレゼントを選んでしまいました。たぶん心のどこかで、贈る相手を空さんに被らせていたのかもしれません」

 あの頃のレインは、たぶん俺のことをどこか誤解していたのかもしれない。言葉は悪いかもしれないが、恋に恋する乙女、か? 男友達どころか、男とはほとんど話したこともなかったというし、何かを選ぶこと自体が楽しかったのだろう。

 

「で、さ。埋め合わせって言ったらちょっと違うけど、せっかく初任給を受け取ったんだ。今日、これでなにかレインに贈りたい。ダメかな?」

「……いいですよ、でも一つだけ条件があります」

 初任給でプレゼントと自分で言ってから、事の重大さに気付いたが、もう止まるわけにはいかない。レインも一瞬ためらった上で、そんな風に続けた。

「条件?」

「私からも贈らせてください。いまの甲さんに何が似合うかをちゃんと考えて選びたいんです」

 

 

    〓

 

 

 さてそうなるとこの場所は非常に便利だ。少なくとも今この州で現実(リアル)で買える物なら、おそらくはそのほとんどが揃っていることだろう。あわせて食べるのもスタンドのテイクアウトに確定、軽めにつまみながらいろいろと店を回ろうという話にまとまった。

「参考にしたいのでお聞きしたいのですが……」

「俺の趣味とか、じゃあ無いよな、今更」

「それはもちろんです。では無くて、甲さんが寮の他の方にどんなクリスマスプレゼントをしたのかな、と」

 ああ、それは確かに参考になりそうだ。俺にとってもレインにとっても。

 

「じゃあせっかくだから、歩きながら見かけた店で説明するよ。まずはあれかな」

 都合よくすぐに目に付いたのは、二つ先の店。

 その店先に並べられている、クマかトラか判別が付きにくい、なんとも形容しがたい動物と思しき茶色のぬいぐるみを指差す。

「まず亜季姉ぇは、ぬいぐるみ。ちょうどそんなヤツだな」

「え? ええっ?」

 

 亜季姉ぇの印象からは想像できなかったのか、レインはかなり驚いてる。

「亜季姉ぇは昔っからぬいぐるみとか人形が好きでね。初めて会ったときは、もう部屋中埋め尽くしてるくらいでさ。今は寮だからそんなに置いてないけど、たぶんどこかに仕舞いこんでるはず」

 あと仮想(ネット)のほうのプライベート空間の説明をしようかと思ったが、さすがにためらった。あれは口では、というか三次元的発想では理解も形容もできない。久利原先生が言うにはなんらかの規則性を形にするとああいったものになるらしいが……

 

「亜季さんには毛布を送ったのかと思ってました。すいません」

「新しい毛布贈ろうかとも思ったんだけど、卒業したら引越しだからね。さすがに仕事始めらゴロゴロしてる時間も無い……それ以前に操作席(コンソール)から出てきそうに無いな、亜季姉ぇの場合」

「くすっ…ですね」

 

 

    〓

 

 

「菜ノ葉さんには、こういうものでしょうか?」

 少し歩いた先で、レインが指し示したのはフラワーショップだった。造花やナノフラワーも並んでいるが、幾つかは天然のものもあるようだ。やはりレインでも菜ノ葉に贈るとしたら、園芸関連になるのだろう。

 

「菜ノ葉にはこういった鉢植えにしようかとも思ったんだけど……」

「あら、違うんですか?」

「ホウレンソウの苗にした」

 ほかにもいろいろと考えたのだが、大根や白菜は見た目さすがにプレゼントではありえないし、プレゼントっぽいハーブやスプラウトでは、俺の密かな目的に合致しないのだった。ホウレンソウはそのあたりのせめぎあいの妥協点だ。

 といったことを、照れ隠しにまくし立てる。自分でもあのチョイスは少し恥ずかしい。

 

「そういえば、裏庭で新しい一角に植えてありましたね」

「ニラ以外の野菜に目覚めてくれるように俺の儚い願いだよ」

 それでも雑煮がニラだったのは、菜ノ葉自身がもはや何かに取り付かれているに違いない。

 

 

    〓

 

 

 いくつも並ぶブティックを横目に、スポーツショップの前に来る。

 俺もレインも部に属しているわけではないが、確かにこういう器具はあればあったでトレーニングには便利だ。

「渚さんには、やっぱりなにかスポーツ系のものですか?」

「千夏には、前に雅と一緒に、ほら、あいつジルベルトに撃たれて足を故障しただろ、そのときにシューズを贈っちゃってたんだよ」

 それにクリスマスの時、千夏はすでに部を止める、いや学園自体を辞めるつもりだったのかもしれない。そこにスポーツ関連のものは贈れなかった。

 

「で、せっかく桐島大佐にも手伝っていただいて修理したバイクがあるから、それに合わせたライディング用のグローブにした」

「……ああ、あの甲さんと一緒に修理したっと、いつも誇らしげなあれですか……そうですか」

 目に見えてレインのテンションが下がる。千夏と俺との関係は、レインの一番の弱点かもしれないな。

「ま、まあ。そういうわけだからっ、今の俺達にはあまり向いたものじゃないなっ、次行こうっ」

 

 

    〓

 

 

 フロアを上がると、アクセサリや文具といった店が増える。そして今の時代では非常に珍しい店がやはりここにはあった。

「真ちゃんには、それそれ。そこの書店の、データじゃない本物の本を。内容はなにが良いのかまったくわからなかったので、ネットでお勧めの本というありきたりなものに……」

「甲さんは、あまり本は読まれませんからね」

 レインに笑われてしまったが、そこは仕方がない。如月寮での読書量でいえば、真ちゃんとレインは並びそうな気がする。

 

「でも、そういえば真さんはかなりの紙の本をそろえていますし……読んでるジャンルも広いので、なかなかお勧めというのは難しいかもしれません」

「データであれば亜季姉ぇもでたらめに保有してるんで、二人でいろいろと貸し借りはしてるらしいんだけどね。俺もたまに借りるし。まあ菜ノ葉は借りてくるのが前世紀のマンガばかりな気もするが……」

 

 

    〓

 

 

 メンズ関連も回るのだが、レインのみならずこのあたり俺も良くわからない。

 そういえば去年の春先、千夏と初デートというときに、雅に服のことを聞いて呆れられたこともあったな。今も着ているが、製服というのは俺にとっては何物にも変えがたい必需品なのかもしれん。

 

「雅さんは……ごめんなさい。男の方への贈り物って、本当に想像できませんね」

「雅はなー。一緒に呑むかと思って酒買ってたんだよ。でもあいつ、けっきょくイヴに会ってた女の子とよろしくやってたみたいで、帰ってこなくてさ。タイミングを逃してそのまま棚に放り込んであるな。今度呑むか?」

 あれは半分は自分で呑むつもりだったので、学園生としてはわりと良いヤツを買ったのだ。

「それはお付き合いさせてくださいな」

 

 

    〓

 

 

 そんなふうにクリスマスプレゼントの内訳を説明したり、寮での思い出話をしたりと、まさにデートとしてモールを歩いていた。しかし肝心のプレゼントが定まらない。

 なんというかレインに贈るものとしては、鞄やアクセサリというのもどこか違う気がする。

 鋳鉄製の手回し車が付いたコーヒーミルには少し心引かれたが、本物のコーヒー豆のほうが手に入りにくい現在、買っていいものか悩む。

 レインのほうも、一緒に歩くのは楽しそうなのだが、何点かは気になりつつも決めかねているようだ。

 そんなふうに本命が決まらないままに、下の階に戻ってくると、その店を見つけた。

 

「へーミリタリーショップなんてものまであるんだ」

「ファッションと実用との間、といったところでしょうか。放出品だけではなく、新品もありますね」

 少し寄っていこうかと、店内に入ったが思った以上に品揃えがいい。

「この防刃ジャケット、去年のモデルじゃないか? もう出回ってるのかよ……」

「新作ではありますが、そのジャケット、たしかこちらの鎧通しで貫通しましたよ?」

「いや……鎧通しとはいえ、さすがにそれはレインの腕だろ……」

 やはり興味のあるものだけに、いままで以上の熱心さで物色してしまう。

 そしてそれに目がいった。

 ああ、レインに贈るならこれだな、と。

 

 

    〓

 

 

「あれこれ見て回ってたらいい時間だな。レインは決まった?」

「はい。私もいろいろ考えましたが、一つあれならばというものに気付きました」

 さっきまではいろいろと迷っていたが、レインのほうも何か心に決めたらしい。

 しかし二人で買いに戻って、店で包んでもらってその場で直接渡すってのも、味気ないな。

 

「どうかな? 一度分かれて、二〇分後くらいに合流っていう形は?」

「そうですね、買ってから東エントランスのカフェで待ち合わせ、でいいでしょうか?」

了解(ヤー)。じゃあ、またあとで」

 

 

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 一五時四三分

 

 レインと分かれて、目的の店に急ぐ。

 コーヒーミルもいいとは思う。あのなんともいえない形状のペンダントの代わりになる、何かアクセサリもいいのかもしれない。それにちらちらと横目で見ていた各種駄菓子の詰め合わせセットとかも、喜んでもらえるとは思う。

 

 しかし今の俺がレインに贈るとしたら、あれしかない、と脚を進める。

 先ほど最後に入ったミリタリーショップ。その店の一角に架けられていた、濃い目のブラウンを主体とした軍用ロングコート。レインに合わせてもらわずとも、サイズは知っている。

 包んでもらうのに少し時間が掛かるかなと、スタッフを探しているとその声が聞こえた。

 

「すいません。こちら、プレゼント用に包装していただきたいのですが……」

「……レイン?」

「甲、さん? ……え、ええっ!」

 レインがカウンターに出そうとしているのは、今俺が手にしているのと似たようなブラウンのロングコート、ただし男性用。

 必死になって背中に隠そうとしているが、レインの細い身体では、それは無理だ。

 

「あ、あの、甲さん、これはですねっ」

 俺とレインが何か言う前に、もう一人別のスタッフがカウンターに入ってくれる。

「次のお客様、こちらへどうぞ。こちらも贈呈用の包装でよろしいでしょうか?」

「……えーっ、と。よろしくお願いします」

 さすがは接客のプロだ。同じ学園の制服を来ている男女二人、それぞれが異性の軍用コートを贈呈用に包んでもらうという異様な状況下、一切表情に出さずに商品を丁寧に包んでいく。内心どう思っているかは知らないが、見習うべき職人技だ。

 

「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」

 ショップスタッフの生暖かい視線を背に、俺とレインはそれぞれ包装された袋を提げ、店を出る。きまりが悪くてレインの顔を見られないままだったが。

 

 

    〓

 

 

 あまりの気まずさに、二人とも顔を合わすのも恥ずかしく、何も言えずにそのまま歩く。

 それでも予定通りカフェに着いて、何かを注文したのだが、何を頼んだのかよく覚えていない。

 レインもこちらをちらちらと見るものの、どう切り出すか悩んでいる。

 

「え、と。では改めまして……」

「は、はいっ」

 ここはやはり俺がリードせねばと思い立ったものの、なんと言って渡したらいいものか。

「あー……ほんとに遅くなったけど、クリスマスプレゼント、というのもやっぱりヘンだな……」

「くすっ…ですね」

「そうだっ、レインとの初めてのデート記念、のプレゼントっ、ということで」

 

 しまった、勢いで何か恥ずかしいことを口走ってしまった。

「い、いえ。そうですね、そういうことでっ、甲さんっ受け取ってくださいっ」

「お、おうっ、レインもこれを」

 あたふたと、二人して同じ袋を交換しあう。

 

 そして再び沈黙。

 そんな俺達の慌て振りとは関係なく、頼んでいてコーヒーが運ばれてくる。

 落ち着くために、一口飲もうとカップに手を伸ばすと、同じように手を伸ばすレインと目が逢った。

 

「あ、あのですねっ」

 目が逢っただけで、テーブルの向こうで慌てはじめるレイン。

 その慌てぶりに、昨年はじめて話したときの様子を思い出してしまう。どこか懐かしい、しかし一番レインらしい反応だとも思う。

 

「せっかくだから、今開けてしまうか?」

「そうですね、できれば袖を通したお姿を拝見したいですし」

 この州の伝統的過剰包装はいまなお健在だ。

 幾重にも包まれた包装紙を丁寧に剥がし、横にたたみ直していく。

 少しずつゆっくりと開けて行くことで、さすがに落ち着いてきた。

 出てきたものは、軍用コート。今の俺は着たことがなくても、着ていた記憶だけはあるあのコートだ。

 

 そしてレインのほうも、見慣れたコートをうれしそうに抱きしめている。

「ありがとうございます、甲さん。大切にします、本当に」

「俺もだ。丁寧に使わせてもらうよ、レイン」

 袖を通さずともわかる。気持ち大きめに思えるこのサイズが、俺にはちょうど合っている。そのあたりをしっかりとレインは選んでくれたようだ。

 

「すいません……本当はもう少し早く買い物をして、先にこのお店でカードでも添えようと思っていたのですが……」

「ごめん、俺はそこまで気が回ってなかった。あの店でそのコートを見かけたら、もうそれしかないっと思い込んでしまって……」

 そうだ。プレゼントなのだから、何か一言添えておくべきだった。このあたりは本当に、雅のマメさを師と仰がねばならない。

 

「私もそうですよ? 何が良いのかまったく決められずにお付き合いただいて、結局記憶にあるものを選んでしまいました」

 まったく二人とも、こういう事態には慣れていないな。しかしレイン相手に何かを贈るのも贈られるのも新鮮な体験で、それは親父に会う以上にこの清城市に来た意味があったことだと思えた。

 

 

    〓

 

 

『水無月空様から、桐島レイン様との共有通話です』

 袖を通そうとしたところで、通話が入る。レインのほうにも共有で送っているみたいだ。

「どうした、空?」

『ごめん。レイン、甲。まこちゃんの診断がけっこう伸びそうなの。もしかしたら今晩いっぱい掛かるかもってくらい……』

 

「真ちゃんに何かあったのかっ」

 昼間に顔を合わせたときはそんな様子はなかったが、電脳症は現実(リアル)ではわかりにくい症状が多い。そしていつどのような形で発作が起こるかさえわからない。

『あ、心配しないで。とくに何かあったってわけじゃなくて、まこちゃんが先生に話しておきたいことがあるって言うので、時間取ってるだけだから』

 

「わかりました、空さん。でもお気をつけてくださいね」

『うん、二人ともごめんね。これだったら先に帰ってもらってたほうがよかったよね』

「あ、いえ。こちらは、その…いろいろ…」

「そ、そうだよ、そんなこと気にするな、お前は真ちゃんの傍についていてあげてくれ」

 さすがに時間があったのでデートを楽しんでいました、とは言いにくい。

 と、話している横で着信。今度は真ちゃんからだ。

 

『先輩、レインさんごめんなさい……ノイ先生にお伝えしておきたいことがあって、時間取っていただくことになりました』

 空と通話中なのがわかっているのだろう。いつも以上に真ちゃんは一気に話しかけてくる。

『せっかくのお休みですから、もうちょっとゆっくりして、甲先輩としっかりデート楽しんでください。甲先輩もしっかりエスコートしないとダメですよ?』

「えっと……真、さん……?」

「わ、わかったよ、空、真ちゃん。こっちはこっちでゆっくりしてから帰るよ。その代わり、真ちゃんもノイ先生にヘンなこと言われても、鵜呑みにしちゃだめだぞ」

 

『ふふふ……では、診察に戻りますね』

『じゃあね、菜ノ葉ちゃんにもこっちから連絡しておくわ』

 最後精一杯年上ぶって忠告じみたことを言ってしまったが、照れ隠しなのはまったく隠せていなかった。

 空のほうの通話も早々に切ってしまい、ようやく俺はコーヒーに手をつける。

 

 当然ながら、コーヒーはすっかり冷め切っていた。

 

 

 

..■一月一六日 日曜日 一七時二八分

 

「ただいまー」

「ただいま戻りました」

 レインと二人揃って、ガラガラと寮の玄関を開ける。

 清城でゆっくりしすぎたせいか、もう暗くなりはじめている。

 夕食の下ごしらえの匂いとともに、どこからかコーヒーの香り。

 

「おかえりなさーい、こ、お……?」

 出迎えてくれた菜ノ葉が玄関先で固まった。

「どうした、菜ノ葉?」

「え、うん……ごめん、ちょっとびっくりした」

 

 俺とレインの姿を見て、驚かせてしまったようだ。軍用のジャケットを着たままだったのはまずかったな。

(良くも悪くも馴染みすぎだな。俺としては、もう学園生の制服のほうが違和感あるんだが)

(失敗しましたね、その姿だと菜ノ葉さんを怯えさせてますよ、甲さん)

(いや……どう見ても、俺よりレインの姿に驚いてないか?)

(くすっ、私はそんなに怖い女ですか?)

 

「むー二人してなに見詰め合ってるかなーびっくりしただけだって」

 しまった。直接通話(チャント)はどうしても相手が傍に居ると見詰め合ってしまう。この慣れは怖いな。

「いきなりこの姿だと、驚かせてしまいましたね。申し訳ありません」

「い、いえ、レインさんっ、その、ヘンな言い方ですが、すごく似合ってます。本物の軍人さんみたい……」

 固まったままの菜ノ葉を驚かせないように、少しゆっくり目に靴を脱ぐ。

 

「あ、そだ。空と真ちゃんは帰る時間わからないってさ」

「う……あ、うん。それはさっき連絡貰ったよ。

 って、じゃなくて、よかったー二人にお客さんが来てるの。居間にお通ししてるから、二人とも急いで」

「俺達に、客?」

 

 一体誰が……とは思うが入ればわかるかと、そのまま居間の扉を開けて、今度は俺がその場で固まった。

「桐島大佐!?」

「お父様っ!?」

 居間に待っていたのは思いもかけない人物だった。

 扉を開けたまま、発作的に俺とレインは敬礼する。

 

「お待たせして申し訳ありませんでした、大佐っ」

 桐島勲大佐。統合軍所属の軍人にして、レインの父親である。厳格な軍人という印象そのままの方で、どうしても俺はこの人には少しばかり苦手意識がある。

「……いや、いきなり尋ねてきた私が悪かった。楽にしてくれたまえ」

「はっ」

 

 楽にしてくれと言われて、居間に入って休めの姿勢をとるも、これはこれでどこかおかしい。

 俺達の姿を見て、めずらしく桐島大佐が苦笑されたようだが、こちらは驚きでどうしようもない。

「座りたまえ、ここは君達の家なのだから」

「はっ……失礼いたします」

 そう言われて立ったままなのもおかしいので、テーブルについて座る。この部屋で正座するのは初めてだ。

 

「しかし、永二から聞いたときは、出来の悪い冗談だと思ったものだが……」

「おや……父から何か?」

「君達の演習データとDr.ノイの所見が合わさった報告書を送られてきたよ。自分で見て判断しろ、とね」

 俺の独断でレインを危険な目にあわせたことは間違いない。

 すくなくとも大佐には一言連絡してから行動すべきだった。

 

「申し訳ありません。許可無くお嬢さんを危険な演習に同行させてしまいました。すべての責は自分が負います」

「お父様っ、甲さんに同行したのは私の意思です。叱責は私がっ」

 レインが俺を庇おうとするが、それは違う。フェンリルに、親父に演習を申し込んだのは、俺自身の問題だった。これ以上レインを巻き込むべきではないのかもしれない。

 

「落ち着きたまえ、何も怒りに来たわけじゃない」

「……は?」

 実家に連れて帰ると言われても仕方がないと思っていた俺は、少し拍子抜けする。

「あのデータがあまりに異常だったので、様子を見に着ただけだったのだが……どうやら事実のようだな」

 テーブルの向こうで困惑されている大佐は、しかしそれでも何かを納得されたように深く頷く。異常と言い切ったデータを、なぜこれほどすぐに受け入れられる?

「君達が軍人として訓練を受けた、いや違うのか。受けたという知識と経験を持っているのは間違いなさそうだ」

 

「質問してもよろしいでしょうか、大佐」

「何かね、甲君」

「フェンリルから提出された報告書では信じられなかったものを、今では我々が訓練を受けたと、なぜ判断なされたのでしょうか?」

 昼に俺が見たものと同一であれば、あれには改竄の余地は無い。フェンリルの内部資料ではなく、アークにも提出するものだ。そもそも提携先企業に対して、偽装しなければ流せないような情報でもない。

 統合の桐島大佐に見せる上で問題のある箇所は隠すだろうが、元になるデータの信頼性は、それこそ統合の情報局のものよりも高いはずだ。

 

「フム。なぜかと問われれば、そうだな……データだけでは信じられなかったのは私自身の感情の問題だ。君だけならばともかく、レインがあれほどに戦えるとは、私には信じられなかった」

 レインにシュミクラムの手ほどきをしたのは桐島大佐だ。確かに今のレインの腕を見て信じられないのはわかる。

「そして、今はあのデータが正しいとわかったというのは、君達二人の反応だよ」

 

「……反応、ですか?」

 思いもかけない言葉に戸惑う。レインも何を言われているのか掴めていない顔だ。

「自覚していなかったのかね? 先の敬礼も、今のしゃべり方も、間違いなく『軍人』だよ」

 敬礼する学園生は、まあ普通はいないな。傭兵としての記憶がほぼ蘇った今、気を付けていないと学園生としての日常では、周囲に違和感を与えてしまいそうだ。

 

「ご指摘ありがとうございます、大佐。今後注意いたします」

「注意するべきことかどうか、私には判断できんな。

 そしてなにが原因で君達がそうなったのかは、私にはわからん。ただ甲君は昨年会ったときとは、別人とは言わないが、経験した時間が違うようには感じる。だからこそ、あの報告書を信じる気になったのだよ」

 

 では、これで失礼する、と桐島大佐は立ち上がられた。

 俺もレインも何も言えずに、玄関先まで大佐を見送る。

「レイン、あの報告を信じると決めた以上、私はもはやお前を子供としては扱わん。これからはお前の好きなように生きなさい」

「……お父様。

 今日まで育てていただいて、ありがとうございました。お父様にお教えいただいたことは、満足いただけるほどに身に付けることはできませんでしたが、それでも私の力となっています。この力を持って、生きていこうと思います」

 頭を下げるのではなく、レインは大佐に敬礼する。娘としての立場と決別するかのように。

 

「こんな情の強い女だが……娘を頼む、甲君」

了解(ヤー)っ、一命を賭してお守りいたします」

 一歩前に出て、レインと並び、俺も敬礼する。

「ふははっ、君は八重君に似たようだな。そこは永二のように問答無用で攫っていくべきだ」

 

「……は?」

 呆然と敬礼したままの俺達に対して、大佐は教科書どおりの綺麗な答礼。

 踵を返し、朗らかに笑って桐島大佐は帰っていかれた。

 どこか作り物じみたその笑いは、娘と別れる悲しみを隠すためか、それとも旅立ちを喜ぶものか。いつか俺にもわかる日が来るのだろうか……

 

 

 

 

  回帰 / Remigration

            終

 

 

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第13+4章 境涯 / Chapter13+4 Station

 

 

..■一月一七日 月曜日 七時十五分

 

 もはや朝の日常の一つとなったレインとのトレーニングを終え、居間のテーブルに着く。

 先週末は清城市でいろいろと事件があったが、今日は月曜日。気持ちを入れ替えて動き出さなければならない。ちょうど昨日はノイ先生のところでゆっくりと眠らせてもらったことで、いい休暇にもなったところだ。

 

 ちなみに亜季姉ぇは起きてきそうにないが、卒業までの単位は大丈夫なのか?

 逆に千夏はすでに部活のために登校している。やはりこういうところは亜季姉ぇには見習ってもらいたい。

 

「おはよう甲、空。まだ身体が痛てぇ……」

「おはよう雅。軍曹に言われただろ、練習とビタミンが足りてないんだ」

 雅が肩に手を当てつつ居間に入ってきた。やはりいきなりあれはきつかったか。

「それにしても甲が筋肉痛になっていないのが、やっぱり不思議だわ」

 空が驚くように、俺と雅とを見比べる。まったく失礼な話だ。早朝のトレーニングをはじめて二週間は経つ。あの程度では筋肉痛になることはない。

 

『……次のニュースです。ストックホルムで二日後に開催される予定の、欧州ナノマシンフォーラムにおいて、アークインダストリーの橘聖良社長が開幕式に参加すると発表されました。アーク社はネット関連の先端(エッジ)企業として……』

 

「このニュースの橘社長って、お前や亜季さんの叔母さんなんだよな?」

「ん? ああ、いろいろ世話になりすぎてて、どれだけ感謝しても足りないくらいだ」

 さすがは聖良叔母さん、週明けからすでに動き出している。いや、今このニュースが流れているということは、昨日俺たちが帰ったときから話は進めていたのだろう。こういった動きで、AIは現実生活にとっても有益な存在だという認識が、少しずつでも広まってもらいたい。そうなればミッドスパイア住人の反AI的性格も薄まっていってくれると、期待もできる。

 

「忙しいくて、あまりちゃんとお話できないのは少し寂しいけどね……」

「あれ、空も知ってるのか?」

「えーっと……まあ、ほら、有名な方だから、ね」

 そうか、空からしたら聖良叔母さんは後見人なのだが、そのことは雅には話してなかったのか。あまりおおっぴらに話すことでもないし、言わないままでもいいのかもしれない。

 

(レイン、ニュースのほうは確認したか?)

(はい。さすがは橘社長ですね。素早い対応だと思います)

(暇なときでいいから、このニュースに対する反応、調べておいてくれないか?)

了解(ヤー)

 暇なときといってしまったが、レインのことだ。昼までには纏めてくれそうな気もする。それまでに俺もネットニュースだけでも流し見はしておこう。

 

「……亜季さんもああ見えてすごいし、やっぱり血筋なのかよ?」

「あー太陽に弱いのは、たぶん血筋だ、うん」

 レインとの直接通話(チャント)に意識がいっていて、空と雅とが叔母さんのことを話していたのを、すっかり聞き流していた。適当にとぼけたことを答えてしまった。

 

 しかし今回のフォーラムに参加とはいっても、当たり前だが仮想(ネット)からのものだ。というか亜季姉ぇもアークに入社したら、叔母さんと同じく操作席(コンソール)に浸かりっぱなしになるんじゃないかと、あまりうれしくない予感がする。

「……雅よ、やはり最低限身体を鍛えるのは必要だ。黄色い太陽に襲われるぞ」

 

 

    〓

 

 

 そんなどうでもいいことを三人でしゃべっていたら、お盆にいくつもの皿を並べて、真ちゃんが居間に入ってくる。

「おま…せ、しま…た」

「真ちゃん、運ぶのくらいは手伝わしてくれよ?」

 

「だめですよ、お二人とも。給仕して、おいしく食べていただくところを見るまでが、お料理の醍醐味なのですから」

 手伝おうとする俺と雅を、炊飯器を持ってきたレインが止める。確かに楽しそうに皿を並べていく真ちゃんとレインを見ると、なにか手を出すのが悪い気がしてくるな。

 

「はいはい。お手伝いは食器下げるのと重いものの買出しのときに、ちゃんとお願いしますから」

 最後に菜ノ葉が味噌汁の鍋を運んできた。それはそれで重そうなのだが、てきぱきとよそっていく手際のよさは、こちらが手伝える隙もない。

 

「それじゃあ、いただきます」

 寮の皆は、俺と親父との対面がどうだったのかは気になるのだろうが、気を使ってくれているのか、いつもどおりだった。残念ながら、菜ノ葉の作る味噌汁の具がニラ主体だったのもいつもどおりだ。

 

 

 

 

 

..■一月一七日 月曜日 一二時七分

 

 午前の授業が終わって中庭で昼食と思ったものの、非常に珍しいことに今日集まったのは俺と空だけだった。

 雅は彼女のところ、千夏は部の打ち合わせ、レインは転校に伴う諸手続きの最終確認、菜ノ葉と真ちゃんの一年コンビはクラスの友達と、そして亜季姉ぇはなにか卒業式のことで呼び出されている。

 

「そうそう亜季先輩、何か卒業式でスピーチとか頼まれてるらしいけど、甲聞いてる?」

「亜季姉ぇがスピーチ? 絶対無理だろ」

 我ながらひどい感想だと思うが、亜季姉ぇに卒業生代表のスピーチはできそうにない。スピーチの内容もさることながら、壇上に上がる前に倒れそうな気がする。

「成績優秀者がするのが慣例とはいっても、亜季先輩そういうの苦手そうだしね」

「ネット経由でならやりそうだけど、卒業式でそれはないしなぁ……」

 

 まあ他の皆がいないといっても、いい天気だし、そんなどうでもいいようなことを話しながら弁当を開けた。

 今日は、野菜主体のサンドイッチか。

 新学期になってからは、昼食を買いに行くこともなくなった。菜ノ葉を筆頭に、真ちゃんとレインとが一緒に料理するのが楽しいということで、寮生全員の弁当を用意してくれている。おかげで先々週の千夏との賭けがまったく無効になっているが、それはあまり残念でもない。

 

「いただきます、っと」

「いただきます。でも、甲と二人で食事って、どこか新鮮ね」

 言われてみればそうだな。もしかすると初めてかもしれない。

 

 しかし二人での食事、か。

 そういわれると、ふと昨日のレインとの昼食が思い出される。

 ジャンクフードや、ちょっとした駄菓子を物珍しそうに見て回る姿は、あれは新鮮だった。食べてみるかといったら、大慌てで否定していたけど、やはりいくつか買っておいてもよかったな。

 屋台のテイクアウトを歩いて食べるのが駄目なのは意外といえば意外だったが、レインらしいとも思った。

 確かに傭兵時代の記憶でも、レーションであっても丁寧に食べていた。やはりそういうところは、桐島大佐のしっかりした教育の賜物なのだろう。

 

「……甲? なにサンドイッチ眺めてニヤニヤしてるのよ」

「ふ、二人というとあれだなっ、一年のときは雅と二人で食ってることが多かった、うん」

 横に空がいることをすっかり忘れていた。焦ってしなくてもいい言い訳を口走ってしまった。

 ただ今思い出すと、アレはアレで楽しかったな。当時は二人して空しい空しいと連呼していたが。

 

「もしかして、ずーっとパンばっかり買ってたとかかしら?」

「しかたないだろ、この学食のレベルは空も知ってるよな?」

 如月寮の食事担当三人の腕前は、間違いなく購買部や学食とは比較にならないレベルにある。というよりも星修の数少ない欠点の一つが、学食のビミョウさ、だな。まずいわけではないが、いつも食べに行きたいとは思えないという、中途半端なところだ。

 

 如月寮の食事担当三人に心の中で感謝しつつ、俺はサンドイッチにかぶりつく。

「うん、この味付けは……今日は真ちゃんメインかな」

「甲っ、味わかるの?」

「お前は自然にひどいことを言うよなぁ」

 

 説明はしにくいが、三者三様、それなりに違いがある。

「レインと真ちゃんは似てるんだが、やっぱりそれなりに違うだろ?」

 というかレインは魚を筆頭に生物を避ける。野菜でも温野菜にしたり、炒めたりというのが多い。味付け自体は二人は良く似ていると思う。そんなふうに空に解説してみせる。

 

「そういえばね、まこちゃん、最近はクラスでも少しずつ打ち解けてるみたい」

「そりゃよかった」

 入学当初は電脳症、それも他人の意識を読めるということで、かなり苛められていた。それもあって空ともども如月寮に引っ越してきたのだが、寮の面子以外に友達が増えるのは喜ばしい。

 

「菜ノ葉ちゃんが教えてくれたところでは、なんだかお姫様みたいに奉られてたりするみたいだけどね」

「護ってあげたいって思わせるところがあるからな、真ちゃんは」

 ただ俺の食事事情は確実に真ちゃんに護られているな。このところ菜ノ葉だけで作ることが減ったおかげで、ニラに出会わなくて助かる。

 

 

    〓

 

 

「で、結局レインと何かあった? まさか週末二人っきりだから、無理矢理に、とかは無いでしょうね? レインは千夏とは違うのよっ! ちゃんと責任取りなさいよねっ!!」

 話がいつの間にか進んでいる。というか何かやったことはもはや空の仲では確定した事実なのか?

「いつもながら、お前のその突飛な想像力はなんなんだよ」

「とぼけないで、甲っ」

 

 しかし昨日の朝のアレは、場所が違ってたら俺もレインも止まらなかったことは間違いない。

 というかむしろ記憶遡行の影響か、抱いていないのにレインとはそういう関係が当たり前だと、俺は心のどこかで思っている。

 

「まったくもう……今度おじさんにどんな顔して会えばいいのよ」

「ちょっとまて。落ち着け空、それはさすがに暴走しすぎだ」

 このまま空をほうっておくと俺とレインの関係が空の中だけではなく周囲に知らしめられて、確定事項にされかねない。

 

「しすぎって、やっぱり何かあったのね」

「……あったといえばいろいろあるんだが、どう説明していいかわからん」

 俺としても空には説明したいが、気持ちの上でも記憶の上でも、上手くまとまっていないのだ。口にできるのは、結局そういったどこか中途半端なものになってしまう。

 

「いろいろって、甲っ、今すぐレインに謝ってっ、だいたい甲はレインのことをどう思ってるのよ」

「いや、そうじゃなくてさ。俺と空って、付き合ってるんだよ……な?」

 確認しておかねばならないことの一つは、それだ。

「な、なによ、いきなり……つ、付き合ってるわよ、うん。私と甲は」

 

 そう、俺と空とは昨年の、クゥを間に挟んだ共振(ハウリング)以降、付き合いはじめた。

 俺とクゥ、クゥと空、空と俺との感情が混ざり合い、共振(ハウリング)することで、俺と空は互いに惹かれあうことになってしまった。

 あれがほんとうに恋なのかと問われると断言できない自分が情けないが、こうやって空と一緒に過ごす時間は間違いなく楽しいのだ。

 

「うん。それはそれとして、レインはそのことは知ってる、はずなんだよなぁ」

 どうも俺と空とが付き合っていて、そこにレインがいるという状況が腑に落ちない。

 これが千夏や菜ノ葉だと、去年の経験からどういう反応になるかがわかっている。

 怒られ呆れられつつ、そして俺が彼女たちを選ばなかったことで悲しませつつも、俺と空との仲をあの二人は祝ってくれている。

 

「ああ、そうか……」

 俺がレインをどう思っているか、それ自体はっきりと言い表せない。どこまでがあの夢の影響なのか整理できないままに、俺自身レインへの態度を決めかねている。そして俺に対するレインの気持ちも、正直わかってるとは言いがたい。

 当然だ、ちゃんと言葉にして聞かせてもらっていないのだから。

 

「まったく。共振(ハウリング)していたときよりも、これはひどいな」

 俺自身の記憶なのに、俺の経験ではないせいで、そこからは気持ちの整理が付けられない。

 今レインに対する気持ちを言葉にするのが怖いのは、経験に裏付けられた記憶ではないから、その気持ちが本当に俺自身のものだと確信が持てないのだ。

 

 

    〓

 

 

「……甲。あなた、大丈夫なの?」

「あまり大丈夫とはいえないな、これは。俺がレインをどう思っているのか、レインが俺をどう思っているのか、そこに空、お前がどう絡んでくるのか……まったくわからないことだらけだよ、っと」

 勢いをつけて、俺は芝生に仰向けに寝そべった。

 

「そっか……私がそこに絡む、そう……そうなのね」

 なにか空も悩んでいるようだが、俺も自分のことを考えすぎて頭が痛い。

 まあ、せっかくのいい天気だ。このまま芝生で寝ていたら、なにかいい考えがまとまるかもしれない。

 

「……そんなの、私に怒ってるに決まってるじゃない……」

「え、怒ってるって、レインがか? またなにかやらかしたのか、空」

 レインが空に怒る? 俺が怒られるというか叱られることは多々あれど、空に対して怒るレインというのは想像できない。

「なんでも……なんでもないわよっ」

「なあ、空。レインを怒らしたとお前が思っているなら、しっかり話して来い」

 

 空に言い聞かせるようで、実際は自分を戒める。

 夢の記憶のせいで、態度を決めかねているのはなにも俺だけではない。きっとレインもそうなのだ。その程度のことは、レインを見ていればわかる。わかっていると信じたい。

 ただ、それをどう乗り越えようとしているかは、ちゃんと二人で話し合うべきだとと思う。

 

「うん。そうね…勝手に相手のことを決め付けて悩んでるのは私らしくないわ。ありがとう甲」

「どういたしまして。俺も悩む前に話してみるよ」

 

 

 

 

 

..■一月二〇日 木曜日 一九時三五分

 

 新学期が始まってそろそろ二週間。

 レインがいる食卓にも皆慣れてきて、昨年以上に食卓は華やかになった。

「ごちそうさまー」

 朝は千夏が部活だったり空がなにか企んで早く登校したりとなかなか寮生全員が揃わないが、平日夕食はいつもにぎやかに俺たちは食卓を囲んでいた。

 

「甲、レイン。それにみんなにも話しておきたいことがある……」

 このところいつも以上に部屋に閉じこもって、というか仮想(ネット)に入り浸っていたらしい亜季姉ぇだったが、今日の夕食後は珍しくしっかりと起きていた。

「あの、亜季先輩? 話って、次の寮長とか、そういうのですか?」

「……それは忘れてた。うん、寮長は……空に任せた」

 俺も言われるまで忘れていた。これでも如月寮の寮長は亜季姉ぇで、もうこの春には卒業してしまうのだ。となると次の寮長は、レインでもよさそうだが、やはり空か?

 

「じゃなくて。私と、真と……そして空の話」

「亜季さん、それはっ」

 俺よりもレインが先に声を上げる。その三人の名前が並ぶということは、あの話しかない。

「亜季姉ぇ……その話は」

 

(甲には先に言っておこうと思ったけど、やっぱり皆と同じで、今から言う。それに甲とレインは知ってたみたいだし)

(亜季姉ぇっ? 直接通話(チャント)……は使えて当然か)

(うん……私、特級プログラマ(ウィザード)。だから私の生まれも全部調べた)

 亜季姉ぇの生まれはかなり特殊だ。たぶん、その戸籍情報などはすべて聖良叔母さんが文字通り「作り上げた」ものだろう。そしてそのことが隠されてきたのには、相応の意味がある。

 

「隠し事禁止。クゥのときにそれで私、失敗した」

 あれは確かに早めに皆に知っておいてもらえば、あそこまで騒ぎにならなかったかもしれない。

 ただ接続者(コネクター)のことは、亜季姉ぇや空、真ちゃんの出生に関係する、あまり知られたくないことなのではないか?

 

「私のことはいい。ちゃんと全部、説明する」

「わた…しも、だい、じょぶです……でも、お、ねえちゃ、が……」

「え、私? 説明って何かあったっけ?」

 本人が知らないままに、空は幼少期の記憶が一部書き換えられている。その空の記憶障害は、真ちゃんにも少しばかり原因があるのだが、それとは別にして回復の目処が立っていない。このあたりはノイ先生もお手上げ状態らしい。お手上げのままで、あの怪しげなナノを使わないでいてくれて助かる。

 しかし真ちゃんも話すということは、やはり先日ノイ先生に告げたことというのは、俺やレインと似たようなことか。自分が接続者(コネクター)だと知っているようだし。

 

「込み入ったお話になりそうですので、お茶淹れてきますね」

 手伝おうとする菜ノ葉をやんわりと断り、レインは台所のほうへ戻った。

(レイン?)

(真さんと亜季さんが話すとおっしゃるなら、私には止められませんが……)

(隠し続けるほうが危険、か?)

(はい。そう考えられます。それに、今ここでお二人を止めても、他の皆様を余計に心配させるだけでは?)

 

 言われるとおりだ。

 聞いて楽しいことでもないし、知らせずにすめばそれでいいとも思っていたが、当事者二人が話しておきたいといってるのだ。ならば俺は二人が説明しづらい部分を補おう。

 

「あーと、菜ノ葉に千夏に、雅。話しておきたいことがあるんだが、聞いたら今度は本気でやばいことになる。それでもいいか?」

「結局なんなんだよ甲? クゥちゃんのことがまだ終わってない、とかか?」

 クゥのときは反AI派の介入なども予想されたが、大きくはアーク社の利益の問題だ。言葉は悪いが、如月寮生としてだけみれば、安全だった。

「クゥも関係している、といえばしているんだが、これから話すことは知っているだけで文字通り命に関わる。というか関係各所から狙われる」

 

「……甲、それ違う」

 しかし亜季姉ぇにいきなり否定された。

「違うって、どこが?」

「知っているだけで危険なんじゃない。如月寮に居る時点で『知っている可能性がある』ということで、もう危険」

 ふぅ、と一息ついて亜季姉ぇがテーブルに突っ伏す。

 

 言われてみれば、こっちが事情を知っているかどうかは、相手にはもはや関係ない。

「なにもったいぶってるんだよ、甲」

「巻き込まれてもいいから、除け者にはされたくないね」

 雅と千夏が、先を促すように声をかけてくれる。

 

「そうだな。話の前提として『灰色のクリスマス』ってのがあるんだが……」

 さて、どう説明したら良いものか。いきなり、夢で見たこことは違う未来の話です、では頭の心配されるだけだな。

「やっぱりお前もあの夢を見ていたのかよ」

「おいおい……雅もか」

 

 どこから話すべきかと悩んでいたが、雅も夢は見ていたようだ。いや、千夏や菜ノ葉の様子からして、全員見ているのか。

「それって甲、あの……久利原先生のアセンブラが流出してしまって、その……」

「ああ、それで統合は対地射撃衛星群(グングニール)を使って」

 

「ってちょっと待って、甲っ」

 菜ノ葉の言葉の続きを説明しようとした俺を、空が押しとどめた。

「アセンブラが流出してって、そのとき甲は……」

 珍しいな、空がなにか言いよどんでいる。

「俺が、どうした?」

 

「甲が……甲は死んじゃったんじゃないの? 暴走したアセンブラに溶かされて」

 

「……はぁ?」

 そういえば去年のクリスマスにこいつはそんなことを言ってたな。

「待った。言いにくいが……溶けたのは、お前じゃないか、空」

「なんでよっ、甲、あなたが死んじゃったから私はっ」

 今でも思い出す。あの通話越しに溶けていく空の、その姿と声。

 この世界においてあれは確かに夢だったのだが、それを間違えているはずはない。

 

「甲さん、空さん。お二人とも落ち着いてください」

 お茶の準備をして戻ってきたレインが、皆の分の湯飲みをテーブルに並べていく。ちょうどいい時期を計っていてくれたのかもしれない。

 俺と空の分は、少し濃い目。話の中心である亜季姉ぇや真ちゃんよりも、慌てると予測されていた、か。

 

 

    〓

 

 

 熱いお茶をじっくりと飲みながら、少し落ち着こうと意識する。

 そんな俺の様子を見たからか、空のほうもとりあえずは静まった。

「なあ参考に聞きたいんだけど、みんなどんなのを見たんだ? いや、言いにくいのはわかるんだが……」

 

 雅がそう言うが、俺自身の経験からして、あれはあまり人には話したくない。

 それでも雅をはじめに、皆がぽつぽつとそれぞれが夢で見た『灰色のクリスマス』以降の生活を語る。

 ただ俺やレインのように記憶遡行処置を受けたわけでもない皆の話は、かなり不正確なものだった。

 亜季姉ぇはアークに就職。雅は結婚して都市自警軍(CDF)、千夏は義体化処置を受けて統合軍対AI対策班(GOAT)にそれぞれ入隊。菜ノ葉は久利原先生に助けられて逃亡生活、そして真ちゃんはドミニオンに。このあたりは俺とレインの記憶とも合致する。

 

 ただ皆の話を聞くに、どうも俺か空のどちらかは、アセンブラ流出で死んだらしい。

 あと話していないのは、俺と空、そしてレイン。

 

「先に空から話してくれないか?」

「ん。甲が死んで、なんか納得できなくなって、それで久利原先生にいろいろ問いただしたくなっちゃって、でもドレクスラー機関の人たちは皆事件直後から失踪しててね。それで探し出すには傭兵、電脳将校になるのが一番早道だっと思って、訓練校に入ったの」

 真ちゃんや亜季姉ぇと同じく、空も割合としっかり夢の内容を覚えている。このあたり接続者(コネクター)関連で、なんらかの要因があるのかもしれない。

 

「傭兵になってからはドレクスラー機関を追って世界中飛び回ったわよ。レインは、私の副官になってくれたの、覚えてない?」

「副官? え、ええ…っと、空さんの……ですか、私が?」

 突然話を振られたレインが、慌てふためく。もちろんその内容に、だ。

「そう。へこみそうになった私を励ましたり支えてくれたりしたんだけどな」

「申し訳ありません。私は、その……」

 レインが言いにくそうに口ごもり、俺のほうを見る。まあ空ではなく俺の副官だったとは今の場合言いにくいな。

 

「って、そうだ、空。訓練校の同期にマーカスって居なかったか? ちょっと調子のいいヤツで、レインに何度か声かけようとして失敗してた……」

「誰、それ?」

 忘れている、というのではない。本当に知らないようだ。

「レインは、覚えてるよな、あいつのこと?」

「……はい、少尉は……」

「いや、いい。すまなかった」

 訓練校同期の戦死者というだけではない、俺の甘さがあいつを死なせた。赦されるものでも忘れていいものでもない。

 

「で、誰?」

「……いや、知らないのならそれでいい。忘れてくれ」

(甲さん、その……あまり思いつめないでください)

(大丈夫だ、レイン。心配かけてすまない)

 気を取り直して、空の話に集中しなおす。少なくとも、今の時点でマーカスは死んではいないのだから。

 

「空はレインと二人だけだったのか? どこかの会社に所属とかはしてなかったのか?」

「質問多いわねぇ、甲。訓練校出たすぐは統合系のところに入ったわよ、もちろん。ただ、そこだとドレクスラー機関を追うには不便だったし、すぐにやめたわ」

 そのあたりは俺と似た経緯か。

「あと、アセンブラやドレクスラー機関に関連しないような作戦に参加してる余裕はなかったから、あまり特定の部隊とかは作らなかったし」

 それでも世界中飛び回ったわよ、と空は続ける。

 

「まったく……お前はほんとに繊細(テクニカル)だな」

 話を聞くに、空は俺と同じようなルートでドレクスラー機関を追っていたようだ。ただ、その行程がまるで無駄がない。空に比べたら、俺は呆れるほどに粗雑(クルード)だ。

「千夏と菜ノ葉ちゃんにはなかなか会えなかったし、それにまこちゃんとは無理だったけど、雅と亜季先輩にはいろいろと助けて貰ったわよ」

 

「甲はまったく連絡してこなかった……」

「ごめん亜季姉ぇ」

 事件直後は寮の皆に会ったら、俺自身が何を言い出すかが怖くて、誰にも顔を合わせられなかった。そして実際、雅に会ったときには戦場を知らないことを罵ったのだ。あれはただ、雅が幸せな生活を送っているのが妬ましく、俺が持てなかったものを壊したかっただけだ。

 

「あのな、雅、お前は覚えてないかもしれないが、悪かった。お前に当り散らしたことがあるんだ」

「気にするな、甲。そっちの状況を知らずに、俺が口突っ込んだとかだろ?」

 雅はそういって笑ってくれるが、その度量があの惨状の中、平穏な家庭を築ける力だったのだと、今ならわかる。こいつの嫁さんは幸せになるのは間違いなさそうだ。

 

 

    〓

 

 

「どうやら基本的には、俺が死んだ場合は空が傭兵に、空が死んでる場合には俺が傭兵になってる、と」

「そして空さんと甲さんのお二人は、それぞれほぼ同じ経路でドレクスラー機関を追い続けていた、ですね。ただ、空さんの副官になっていた記憶には、他の皆さんと違ってまったく……」

 

 レインにしては歯切れが悪い。

 確かに他の皆と違って、レインは記憶が二重になっていない。それどころか、レインの記憶は間違いなく俺とほぼ同一だ。それはノイ先生の検査でも明らかだった。

「ひどい言い方だけど、甲や空が自分が死んだ世界の記憶がないってのはわかる。けどさ、レインさんは何で空との記憶がないんだ?」

 俺と同じく、雅もその点を疑問に思っているようだ。

 ただ、その疑問に対する答えは考えつかない。

 

「そ…れは、レイン、さんがセンパ、が生きて、る世界……選んだから…で、す」

「真さん?」

 そうか。真ちゃんは聖良叔母さんが言っていたように、AIからの事象情報の流出には慣れているはずだ。その上で真ちゃんは複数の情報を等価として扱っているのか?

 

「えと、真ちゃん。じゃあレインは皆と同じように、空と俺どちらかが死ぬ世界の夢を、二つともに見る事は見たということ?」

「で、私じゃなくて、甲が生きてる世界を望んだってことね」

「たぶん、そ…です」

 

 なにか眩しいものを見るようにレインへ向き直り、真ちゃんは肯定する。たぶん、とは言っているがそれを確信しているようだ。

 そうか、レインは俺を選んでいてくれたのか。

 

「うわぁ……それはなんか、妬けるなぁ、まったく」

「勝ち目ありませんねぇ……これは」

 千夏と菜ノ葉とが、なにか大きくずれているようで本質を突いた感想を漏らす。

 

「え、えと、ごめんなさい、空さんっ」

 しかし、さすがに親友の死んだ世界を選択したと言われて、レインは慌てる。

「いいわよレイン、気にしないで。そっかちゃんと選べたんだ。ほんとよかった……」

 そんなレインを見て、空はどこか寂しげだが妙にさっぱりした顔をしていた。

 それは何かを決意した表情だった。

 

 

 

 

 

..■一月二〇日 木曜日 二〇時一三分

 

「うー頭がくらくらするよぉ……お茶淹れますね」

「あ、すいません菜ノ葉さん。お手伝いします」

 重い話が続く中、気分を変えるように菜ノ葉とレインが台所から新しいお茶を持ってきてくれる。

 

「でよ、甲。夢の話はまあいいや。コレに関してはけっこう知れ渡ってるというか、噂にはなってなかったか?」

 雅が時間を察してか、話の先を促してくれた。

 指摘されたものの、そんな話は聞いたことがないぞ。

 

「そうなのか?」

「お前さぁ、現実(リアル)のクラスメイトはともかく、仮想(ネット)の噂話くらい気にしろよ。ドミニオンの連中なんて、まさに神父の預言が実現する日が到来したっ、とかすげぇ勢いで騒いでたんだぜ」

「……いや、そこは現実(リアル)のクラスメイトにももうちょっと気を使いなよ、二人とも」

 顔の広い千夏に言われると、俺も雅も言い返す言葉がない。まあそのいつものツッコミのおかげで、話し出すきっかけは掴めた。

 

「わかった。今から話すことは完全にここだけに止めてくれ。問題なのは、真ちゃんがなんでドミニオンなんかで巫女をやっていたかってことだ」

 本当に話してしまって良いのかと、最後に確認するように真ちゃんを見ると、小さいが、しっかりと頷いてくれる。

 

「せんぱ、おねが…します」

「ノインツェーンの遺産というか、研究していたものの一つに……」

 ただあらためて説明すると思うと、なかなか言葉が出てこない。大雑把なところはわかっているつもりだったが、それで説明できるような内容ではないな。

 どう言えばいいのかと悩んでいると、亜季姉ぇが続けてくれる。

 

「ノインツェーンの残したものの一つに『接続者(コネクター)システム』と呼ばれるものがある」

 ノインツェーンが提唱し、彼の主導の下に開発が進められた、人間をAIと一体化接続するシステム。いや、人間の意識をもって、有機AIの意識を抑圧・制御しようとする代物だ。

 ノインツェーンの死後、開発は凍結・破棄されたが、その技術の一部は第二世代(セカンド)システムや模倣体へと転用されている。

 

「……ふぅ。疲れた」

 一気に説明したせいか、亜季姉ぇはテーブルにへたり込む。

「で、その接続者(コネクター)システムってのは、ある個人に適合されてるんだけど……」

「って誰にですか?」

「本来の適合者は、ただ一人。門倉八重、甲のお母さん」

 テーブルに頭を載せたまま、千夏の問いに答えている。

 

「……あれ? じゃあ何も問題ないんじゃ無いですか、亜季さん。こう言っちゃなんだが、たとえシステムが残っていても、適合者って人がいないんじゃその危険な代物も動かないんですよね」

 雅が俺に気を使ってくれつつも、核心を突く。このあたりの情報の整理の速さはそれこそ刑事時代の影響か。

 

「そう。雅の言うとおり、本来ならもう誰にも使えないはずのガラクタ。でも違う」

「適合者…門倉、八重さん……のクローン、居ます」

 亜季姉ぇと真ちゃんとが、二人にとっては一番言いにくいことを、言ってくれる。

 

「ちょっと待って。クローンって、部分再生ならともかく、そんなシステムを動かすとなったら脳を含めた全身再生だよね? そんなの無許可の非合法(イリーガル)な設備じゃまず無理だし、そもそも許可が下りるもんなの? それにその……お金も…」

 自分も細胞複製(クローニング)申請の許可を取っていた記憶が残っているのか、千夏が指摘する。普通なら統合政府の下りるかどうかすらもあやしい認可を長く待たねばならないし、そしてもし認められたとしてもその費用は一般庶民に払える額ではない。

 

「母さんは電脳症の治療のため、ということで許可が下りていたらしい。それに金に関しては橘の実家なら余裕あっただろうし」

 言うまでもないが、聖良叔母さんがいるので、金銭面はまったく問題にならなかったはずだ。

「ええっ? でも八重叔母さん、そんな話一度もしてなかったよ?」

「使うつもりがなかったのか、使う間もなかったのか、俺も知らないさ……」

 今となってはその理由もどこまでが真実かはわからないが、許可は正式なものだった。そして許可だけではなく、そのクローンは実際に作られていたのだ。

 

「そう、八重さんのクローンは一つあった。ただそれとは別にノインツェーンが取り出していた卵細胞もあった」

「……亜季姉ぇ」

 ここから先は、詳しく皆には話す必要はないのではないか。そう思ってしまう。

 

「いい、甲。ちゃんと話しておく」

 だが、隠し事禁止といった亜季姉ぇの決意は本物だ。この寮の皆にはすべてを知ってもらいたいのだろう。

 

「私は甲のお母さんの、門倉八重さんのクローンの、ニセモノ。八重さんに似せているけど、限りなく近いけど、トラップとして用意されたもの」

「そして、私…が、ほんらい、の接続者(コネクター)。門倉、八重さん死後、唯一……作ら、ました」

 真ちゃんもいつも以上に話しにくそうに、しかしはっきりと自分の生まれを告げる。世界に悪意を持った者が違法に作り出した存在だと、自ら認めながら。

 空も真ちゃんも、そして亜季姉ぇも、親に捨てられたわけではなく、そもそも存在していないのだ。だからこそ家族関係に憧れるのかもしれない。

 

「え、っと。私とまこちゃんは姉妹だよね、でも亜季さんとも姉妹に、なるの?」

 亜季姉ぇや空、真ちゃんの血筋は、何度か説明された内容だが、いまだに正確に把握しているという自信がない。遺伝子操作技術の行き着く先ということか、どれだけ似ていてどれだけ違っているのかなど、できれば考えたくはないな。

 

「すまん甲。いろいろ理解できてねぇ。つまりは亜季さんは、お前の母さんのクローンと見せかけた別人。で、空と真ちゃんは姉妹ではあるが、その八重さん?の遺伝子調整した……この場合三人ともに被造子(D・C)ってことでいいのか?」

「すげぇな雅、たぶんそうだ」

 当事者の空も把握し切れていない。俺も雅以上にいまだ整理できていないが、おそらくはそんな感じなのだろう。

 

 というかよくよく考えたら、ノインツェーンが生み出したというと、ノイ先生まで母さんのクローンなんじゃないか? 気にならないといえば嘘になるが、本人に確認するのだけは止めておこう。

「つまり私自身はダミー。本来の適合者である真を狙う者たちから、眼を逸らすのが役割」

 いつもは騒がしい如月寮の居間を、重い沈黙が支配する。

 

 亜季姉ぇの、そして空と真ちゃんが、自然に望まれて生まれたのではないということは、本人たちにとっても周りの俺達としてもやはり衝撃だ。

 

 

    〓

 

 

「って、そうかっわかったっ!! これは知ってるだけどころか、知りうる可能性があるだけで狙われるな……」

 そんな中、雅は冷静に状況を整理していたようだ。

 

「……雅、いきなりどうしたのよ」

「千夏、まだ気付かないのか? 灰色のクリスマス直後、つまりは去年の一二月二五日には、真ちゃんは攫われてるんだ」

「え、と。アセンブラ流出事故が起きた場合は、そうなっていた、んですよね?」

 菜ノ葉は自分が理解できている範囲を確認するように、雅に問いかける。

 

「でもさ雅。アセンブラは成功してるし、真も誘拐なんてされてないじゃん」

「そうだよ、ああっ、つまりだなっ、本物の接続者(コネクター)が誰かわかっているヤツが、今現時点でも、ここの現実に存在するってことなんだよ。で、そいつは当然ながら、その情報を他の人間には知られたくはない」

 

「……ええっと? 雅さん、私も良くわからない」

 危険だということだけは伝わって、菜ノ葉は余計に混乱しそうだ。

「はっきり言えば、真ちゃんの能力だけを目当てに誘拐するような、しかも誘拐できるだけの力を持ったヤツが、今もこの近くに存在して……」

「そう、そしてその連中にとって、私たちは邪魔。もしかしたら直接的に排除に来ることもありうる」

 ふぅっと亜季姉ぇが大きく息をつく。それは喋り疲れただけではなく、現状に対する溜息だった。

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 五時三分

 

 昨夜は遅くまで話し合っていたが、今寮生の中でできることといえば身辺に注意する、といった当たり前のことだけだ。知らない人には付いていかない、登下校は集団で。まるで初めて学校へ上がる子供への警告だ。

 ただ実際の警備としては、この寮一帯はもともと亜季姉ぇのためにアーク保安部隊がかなり力を入れてくれているらしい。その情報をこちらにも提供してもらえれば、ある程度までの警戒は俺たちでもできる。

 

「……眠い」

 そんな状況なので、睡眠時間が短かったがトレーニングを止めるつもりはない。

 若干寝ぼけ気味だが、その分ストレッチに時間をかけて、いつもどおり走り出した。

 レインは眠気とは無縁のようだが、それでも表情は硬い。

 

 今日の、というか今日からのランニングはいつも使っていた川原ではなく、レインが指定するルートに変更していた。基本は寮周辺半径二キロ以内、そこから真ちゃんがよく歩くエリアを中心にして選別している。

 先日親父から、学園生の間はプロに任せておけと言われたが、そう簡単に割り切れるものではない。どこまで意味があるかわからないが、いまできるところからはじめるようというのが、俺とレインの出した結論だ。

 

 もちろん最初から不審者に出会うわけもなく、俺達は寮に戻ってきて組手の練習をはじめる。

(しかし、話してしまってよかったんだろうか?)

(状況的に、知らないままでも如月寮生であると言う時点で、確実に狙われるでしょう。人質として交渉材料にするだけでも価値があります。その点須藤さんの推測どおりかと)

(最悪の場合でも、事情を知っていていればアークへの取引材料として生かされる……か)

 内容が内容なだけに、直接通話(チャント)以外では話しにくい。

(アークの、ミッドスパイアへの政治工作が成功すれば、バルドルも隔離できて心配事も少なくなるんだがな)

(米内派はそれで収まるとは思います。ただ、ドミニオンのほうは気がかりですね)

 

 問題は数あれど、今の俺では対応できるものがほとんどない。

 これが記憶のとおり傭兵にでもなっていれば、真ちゃんの身辺警護につくだけで警戒の意味はある。軍人が警護していることを敵対集団に見せ付けるだけでも、抑止力はあるのだ。

 ただ残念ながら俺もレインもただの学園生だし、たとえ傭兵だとしてもその手段は取れない。実際のところアーク保安部隊が表立って警護しないのは、亜季姉ぇや空、真ちゃんの学園生としての「日常」を壊さないためでもある。四六時中軍服姿の警備兵に取り囲まれていては、楽しい学園生活とはまったく無縁になってしまう。

 

 それでも何かを護ろうとすると、できる範囲で準備はしておきたい。

「……お買い物の算段、ですか?」

「う、レインには隠し事は無理か」

 

 ペースを少し落として、話しやすい速度で突きと蹴りを繰り返す。

「そうですね、無名都市(アノニマス・シティ)まで降りますか?」

 仮想(ネット)の掃き溜めとまで言われる無名都市(アノニマス・シティ)。アングラ・コミュが常に離散・結合・増殖を繰り返し、AIの余剰計算能力を掠め取って、仮想空間(ネット)のどことも知れぬ領域に成立している。最低限の自治はあれども治安というには程遠く、それゆえに非合法(イリーガル)な売買も盛んだ。

 現実(リアル)での「商品」の受け渡し方法さえクリアできれば、買えない物はない。

 

「今の時代でも、あそこであれば必要なものは手に入るとは思います」

 必要なもの、か。仮想(ネット)での、シュミクラムであれば今でも俺とレインならそれなりの戦力にはなる。しかも先日の親父の計らいでその装備も充実している。

 が、現実(リアル)では徒手空拳だ。最低限の武器弾薬は欲しい。

 シュミクラムの腕が良くてもただの学園生なのだ。何かを守ろうとするならばそれ相応の力が要る。

 

「しかし、買い物するにしても先立つものが心許ないなぁ」

「それこそ二人で無名都市(アノニマス・シティ)の賭け試合でも出ますか」

 そういえば以前闘技場で、無名都市(アノニマス・シティ)での賭け試合を持ち出されたことがあったな。アドレスも受け取っていたようないなかったような。

 

密売人(ブートレガー)に渡りを付けておく意味でも、試合はいいかもしれんが……)

(私の身を案じて、などとは言い出さないでくださいね)

(すまんな、レイン)

 ほんとにもう何度この言葉を口にしているのかと思うが、本当にレインには世話をかけている。

 それは夢の記憶の話ではなく、レインが転入してきてからこっち、現実として助けられてばかりだ。もし今俺一人ならば、亜季姉ぇや真ちゃんのことを心配するだけで、具体的な対応など何もできていないだろう。

 

(ライフルやRPGはともかく、ハンドガンに、各種のスタンやガスグレネード、ナイフあたりは数種類用意しておきたいです)

 そんな俺の自嘲じみた考えを打ち消すように、無名都市(アノニマス・シティ)あたりで購入できそうな装備のリストを送ってくる。数が出回っていて、精度ではなく耐久性と実績に裏付けられた火気の数々。俺もレインも、敵対する可能性としては最新鋭装備に興味はあれど、それを使いたいなどとはまったく思わない。道具に必要なのは実績に裏付けられた堅実さだ。

 

(まったく、職務質問されたら一発で退学どころか収容施設行きだぞ)

(そうなれば、捕まる前に高飛びしましょう)

(それもいいな。二人で賭け試合に出ながら、世界各地を巡業するか?)

 俺の提案に、くすくすとレインが楽しげに笑う。

 もちろん冗談だが、闇試合で世界を回って生計を立てる、そんな子供じみた夢もレインとなら実現できそうだ。

 

(目的のない旅から旅への生活……すこし憧れますね)

(まあ残念ながら、今は目的のある眼前の問題解決、だな)

(ですね。橘社長からはこの周辺の警備情報は頂いていますが、可能でしたら自前で監視網を作っておきたいです)

 銃火器を今すぐ実際に購入するかどうかはともかく、親父や聖良叔母さんに頼らなくてすむ入手経路は確かに作っておきたい。また警戒する上でも、アークやフェンリルとは別経路の情報網は欲しい。

 身体を動かしながらも、少しずつ予定を組み上げていく。

 

 やるべきことが見えてきて、身体だけでなく頭も目覚めはじめる。

(今の状況に救いがあるとすれば、無期限の防衛ではない、ということだな)

(はい。長くても二年。早ければ今年の夏には目処が立っているのではないでしょうか)

 少なくとも亜季姉ぇは今年の春からアーク本社に入る。あそこなら間違いなく安全だ。

 そしてアークの政治活動が実を結び、反AI派の勢いがなくなれば、接続者(コネクター)システムそのものの価値も薄まり、二人の立場はより安全になるはずだ。

 

「あまり難しく考えることはないさ。アセンブラ成功のおかげで、いい方向に動き出してはいるんだ」

 親父やノイ先生ほどの楽観はできないが、思いつめるほどではない。

 悩みを振り払うためにも、俺はレインとの組手に意識を向け直した。

 

 

    〓

 

 

 事態を楽観視しようとした、その安心感が仇となった。

「っ!」

 意識が僅かに逸れた瞬間、俺は投げ飛ばされていた。

「トレーニングとはいえ、集中できないのは感心いたしませんよ?」

「すまないな、レイン。お前ほど並列した思考は俺には無理みたいだな」

 差し伸ばされた手を握り、勢いを付けて起き上がる。

 

「朝っぱらから二人で何してんのよ」

 どこか不満げなその声に、俺とレイン二人ともに握手した格好のまま寮の玄関を振り返る。制服姿の千夏が出てきたところだった。

「おはよう、千夏」

「……おはようございます、渚さん」

 

 眼に見えてレインが不機嫌になる。

 あまり自分の感情を表に出さないレインだが、敵対していると認識した相手には、あからさまなまでに態度が変わる。如月寮においては、残念なことにその相手が千夏だった。

 千夏のほうも、もともと好き嫌いは明白な性格だ。それでもここまではっきりと敵意を隠そうともしないのも珍しい。

 犬猿の仲、といったところか。この二人が顔を合わせると緊張感が半端ない。

 

「何をしているって言いたいのはこっちだぞ、レイン、千夏。朝っぱらからいがみ合うな」

「申し訳ございません、甲さん」

「悪いね、甲」

 二人とも返事は良いし、早い。が、まったく態度は変わらない。こういうところでは、むやみに息が合うな。

 

 しかし睨み合っていた二人だが、珍しく千夏から先に眼をそらした。

「甲、あんた……もうちょっと空に気を使いなよ」

「いや、気を使うといっても、あいつまだ寝てるだろ?」

 いきなり空に話が飛んだせいで、俺はどこかごまかすような返事をしてしまった。

 

「甲さん……そういう話ではないと思いますが」

 困ったような顔で、レインが口を挟む。俺が話をはぐらかしているのは、やはりお見通しらしい。

「まあ一応警告はしたよ。あたしとしても空に肩入れする理由があるわけじゃないしね」

 千夏は千夏で、捨て台詞のように言葉を残し、そのまま振り返りもせず寮を出て行く。

 どうやら今週末もいろいろな意味で騒がしいことになりそうだ。

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 一五時四六分

 

 星修学園が敷地の外れに、その聖堂はある。

 政治はともかく宗教には無縁の星修に『聖堂』というのもヘンな話だが、雰囲気といい用途といい、ここはまさしく俺たち第二世代(セカンド)にとっては聖堂なのだ。

 ただし奉られているのは神ではなく、この学園を管理しているAIのマザー、その偶像だ。もちろん星修の学園生は大半が第二世代(セカンド)であり、いつでもどこででもマザーとは繋がってはいる。ただやはり相談事があると、ここに来る生徒は多い。

 

 以前の俺は、擬似人格であるマザーに相談する人の気持ちがわからなかった。

 理由は簡単だ。

 俺がマザー、ひいてはAIを知ろうとしていなかったから、相談相手として考えられなかったのだ。

 

 何のことはない、普通の人間関係と同じだ。よく知らない相手に相談できないのは当然だ。

 今はマザーの事がよくわかっている……とはいえないが、それでも相談に乗ってもらおうと思うくらいにはAIのことを知りたいと思うようにはなっている。

 

  - 『違うものの見方とは、時として有益なものだよ』

 

 以前この場で久利原先生から聞かされた言葉。

 自分では行き詰ったと思ったときに、別の視点のきっかけを与えてくれるのは、本当に助かる。

 

「こんにちは、門倉甲」

「こんにちは、マザー」

 しかし今日は人生相談に来たわけではない。他の生徒の邪魔をするつもりもないので、少し距離をとって、マザーに話しかけた。

 

(マザー。通話はこっちでも良いか?)

(問題ありません、門倉甲)

 そんなはずはないのだが、手馴れたようなマザーの答え。聞かれたくない相談事、というのはたぶん一番多いのだろう。なんといっても一番相談されている内容は、恋愛がらみだとマザー本人も言ってたからな。

 

 そして残念ながらというか、俺の話はそっち系統ではなく、それ以上に聞かれるとまずい。

(確認しておきたいんだが、マザーはイヴと情報を共有しているよな?)

(はい。我々は個々の思考クラスター間の情報を逐次共有、更新しています)

 ならアーク社長室での話は伝わっているのか。いや、知っていてもAIたちはそれを俺には話さないだろう。プライベートに関わる問題に関しては、AIの口の堅さは人間の比ではない。

 

 それに今日尋ねたいことは別にある。

(マザー、あなたたちAIはアセンブラの実験失敗という可能性、その後の世界状況をシミュレートしたことはあるのか?)

(それは幾度も試されました。そして昨年半ばまで、アセンブラは決して成功しないものとして、幾度か警告を送っていました)

(失敗するのが確定してたって!?)

(はい。ですが門倉甲。ご存知のようにアセンブラ開発は成功しています。その要因は我々には理解できていません)

 失敗するはずだったアセンブラは成功、ただ成功した理由はAIたちにも不明か。

 

(アセンブラの実験が失敗した世界、というのはたとえばどういうものがあるんだ?)

(申し訳ありません、門倉甲。それについては話すことはできません。我々のシミュレートの結果は、その多くが公開を禁じられています)

(こちらこそすまない。答えられないのは当然だな)

 考えてみれば当たり前だ。AIによる近未来予測情報が流出してしまえば、政治も経済もバランスが崩壊する。それこそAIを予言者として祀り上げるカルトが発生しそうだ。

 

(マザーたちAIは量子通信を用いて、他の、たとえば並列事象との接触があるのか?)

(それも難しい問題で、精確な説明ができません。量子通信の概念を言語で説明することが困難なだけではなく、伝達された情報そのものの発信元をすべて特定することが我々にもできていないからです)

(っとそれは、内容はわかっているけど、誰から話されたことがわからないってこと?)

(あなた方人間に例えれば、おそらくそのようものでしょう。さらに発信された時間自体の特定が不可能な場合もあり、過去の情報と現在の情報とが混ざり合っているのです)

 差出人も時間も不明で、ソートできないメールが溢れている受信箱みたいなものか。そんな程度にしか想像がつかない。

 

(ただし、別事象からと思しき通信は、小規模なものであればいくつも観測されています)

 マザーがそこで言葉を切る。俺が何を聞きたいのかはマザーにはわかっているはずだ。しかしそれでも、俺が問うまでは答えることはない。

 問いに対する答えを知っていたとしても、決して先回りに話すことはない。答えを知るかどうかの判断は人間が決めるべきだという、それがAIたちの人間に対する姿勢なのだ。

 それぞれが独立した知性体として、人間を尊重するという態度の表れだと思いたい。

 そしてそれに応えるためにも、俺は必要なことを聞かねばならない。

 

(昨年一二月二四日に、その並列事象からの接触は……いや、そのあとで俺たちへの影響は何かあったのか?)

(はい。昨年一二月二四日には、大規模な接触がありました。その結果、あなた方第二世代(セカンド)への大量の情報流出があったと思われます。門倉甲、あなたが確認したかったことは、このことですね?)

 AIとしては異例な、人の感情に踏み込むような問いかけ。彼らも少しずつ確実に変わってきているのだろう。

 

(ありがとうマザー。それを聞きたかったんだ)

 

 

    〓

 

 

「甲……?」

 横から呼びかけられて、マザーとの対話を中断する。

 話に夢中になっていてまったく気が付かなかったが、いつの間にか隣に空が来ていた。

「どうした空? お前も相談ごとか?」

「お前もって、甲もマザーに相談?」

「俺はちょっと聞きたいことがあったのと、あとは感謝……だな」

 

 ああ、そうだ。聞きたいことばかり聞いて、一番伝えなければならないことを忘れるところだった。

 聖堂の中央に立つ女性の彫像。それが単なる形だけのものだとはわかっているが、だからこそそれに向かって姿勢を正し、話しはじめる。

 

(マザー。この事象なのかどうかまったく俺には理解できないんだが、俺はAI総体ではなく、クラスターから切り離された後の、あなた自身に助けられた。あなたが記憶しているかどうかわからないが、間違いなく俺は救われたんだ。ありがとうマザー。そのことをちゃんと伝えたかった)

(感謝されるようなことではありません、門倉甲。あなた方と我々は、共に学びあう関係なのですから。助けるのも当然のことです)

 その当然のことができる人間は少ないんだがな、と情けなくも思い知らされる。

 

(しかし、感謝してもらえる、というのは……いえ、我々にはいまだこれを言語化できない情報です)

(ゆっくりでいいさ。今言ってもらったとおり、俺たちは共に学びあう関係なのだから)

 

 マザーと話し終わって聖堂を出ようとすると、空も付いてきた。

「甲……私もいい機会だから、ちゃんと話しておくね」

「話って何だよ? 真ちゃんやお前の身の安全のことか?」

「そういうのじゃないわよ。んー……ちょっとは関係してる気もするけど、どこから言ったらいいのかな……」

 

 長くなりそうだと思った俺と空は、聖堂近くのベンチに座る。

 ちょうどそこは、レインと初めて話した場所だった。

「かいつまんで話そうとかするなよ。お前の場合、まとめようとすると余計に話がわからなくなるから」

「じゃあ、もう全部最初っから話すけど、覚悟しておきなさいよねっ」

 

 そういって話し出した内容は、去年の空とレインとの出会いからはじまる話だった。

 真ちゃん絡みで喧嘩になりかけた空を、レインが偶然助けたこと。

 レインが、ジルベルトから助けた俺に逢いたくて、星修に来ていたこと。

 レインと俺とを恋人にするべく、いろいろときっかけを作ろうとしていたこと。

 だが、レインの恋を応援していたはずが、共振(ハウリング)によってその気持ちが揺れてしまったこと

 そんなことをぽつぽつと、空が話してくれる。

 

「だいたいわかった。というかあれだな、空……」

「なによ、甲。いろいろレインには謝らないといけないのはわかってるわよ」

 俺と付き合うとなって、悩んでいたのは、レインを裏切ったと思っていたからか。それはともかく、去年俺の身の回りでなぞの事件が多かったのは、やはりこいつの仕業だったようだ。

 

「いや、レインが失敗していたのは、その大半がお前が原因というのが、よくわかった」

「う……甲もやっぱりそう思う?」

 下駄箱に届けられたギーガー風弁当など、まさにその筆頭だ。

 どおりで味は真ちゃん風でそれなりに食べられたのに、見た目がアレだけ奇天烈なものだったわけだ。

 

「だいたい重箱だって、牡蠣入れたのはお前だよな? あの後庭に埋めてたし……」

「ええっ、甲あれを見てたのっ!?」

「隠すなら、寮の裏庭なんて人目に付きやすいところでやるなよ……」

 あれで隠しきれると思っている空は、やはりすごい。いやあれは俺がヘンに気を回したから見つけてしまったのか。

「レインが生もの嫌いなのは、たぶんあれのせいだぞ。まったく刺身定食一緒に食べるのは、これは当分無理だな」

 次に何かで給料が入ったときは、刺身の旨いしっかりした料亭にでも連れて行くしかない、か。

 

 

    〓

 

 

「お待たせしました、空さ…ん?」

 噂をしていると、そのレインが聖堂に現れた。

 ここで空と待ち合わせでもしていたのか。

「お邪魔でしたか、申し訳ありません」

 

「違うよ、レイン。俺はちょっとマザーと話があってね……」

(並列事象からのデータ流出は、やはりAI側でも観測しているそうだ。しかもあの日にAIからの情報流出を受けた人間はかなりの大人数に及ぶらしい)

(では『灰色のクリスマス』以降の記憶というのは第二世代(セカンド)、とりわけモニター制度のある、この星修学園生の中ではかなり広まってしまっているのでしょうね)

 

(おそらくはそうだろうな。真ちゃんが最近クラスや上級生からも慕われてるのって、ドミニオンの巫女だって知られてるからじゃないのか。これはまずいな)

(場合によっては、接続者(コネクター)関連の情報も広範囲に知られている可能性がありますね)

 マザーから聞いた話から類推できる内容を簡単にレインには話しておく。これは下手をすると米内派以上に、ドミニオンを警戒しなければならなくなってきたかもしれない。

 

「うん、わかったわ。レイン、甲っ」

 空の声で、レインとの直接通話(チャント)を打ち切る。詳しい話は寮に帰ってからのほうがいいな。マザーとも別にどこからでも話せるし。

 レインと見詰め合っていた視線を外し、空に向き直る。

「今度はなんだ、空?」

「どうかされましたか、空さん?」

 どうせ何かまた唐突なことを言い出すに違いないと、身構えてしまう。

 

「甲、私たち、別れましょう」

 

 ……はい?

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 一八時一三分

 

 どうも一方的に振られたらしい俺は、一人如月寮に帰ってきた。どこかへ立ち去った空を追うのはレインに任せてしまったが、そのレインも先ほど一人で戻ってきて、夕食の仕度をはじめている。

 さすがに没入(ダイブ)して訓練する気力もなく部屋でゴロゴロしていると、菜ノ葉に呼ばれた。暗くなってきたので裏庭の片付けを手伝ってくれという話だ。今夜の料理担当は真ちゃんとレインということで、菜ノ葉は菜園の手入れらしい。

 

 しかし裏庭に出てみると、菜ノ葉と並んで千夏がいた。

「あれ? 千夏、今日は部活じゃなかったのか?」

「レインに頼まれてね、空の様子を見てきてくれって。それで空とは会ってきたんだけど……うん、ちょっと早めに帰ってきたんだよ」

「お前がすんなりレインの頼みを聞くとはな。なにか、その……レインのことを嫌ってるのかと思ってた」

「……あの娘のことは苦手だけど、嫌いじゃないよ。嫌ってたら喧嘩なんてできないじゃない」

 

 嫌うのと喧嘩するのとの、いまいち違いがわからない。どうやらそれが顔に出ていたようだ。千夏が続けて説明してくれる。

「あのさ、甲。たとえばだけど、ジルベルトと喧嘩したいとか、思うわけ?」

「いや、すまん、千夏。それは断る」

 問答無用で即答。

 千夏の言いたいことがよくわかった。本当に嫌いな相手に関しては、喧嘩するどころか顔も見たくない、というよりも思い出したくもない。

 

「でさ、甲 空先輩と何かあったの?」

 菜ノ葉が泣きそうな顔でこっちを見ている。どうも昨日の話の関係でいろいろと気を回しているのかもしれない。なにか違う気もするが……

「いや、何かあったというか……そのどう言ったらいいのか」

 さすがに「振られた」とは、自分の口からは言いにくい。というか俺はほんとに振られて失恋してるのか? どこか実感がないのだ。

 

「だいたいさー甲、クリスマスからこっち、空とデートした?」

「……え?」

 話の脈絡が追いきれずに、答えられない。

 いや、千夏のほうは空から話を聞いていたのか、なにか核心を突かれそうだ。

 

「年末年始は空先輩病院のほうに行ってたし、先々週は甲が課題に追われてたみたいだし、先週はおじさんに会いに行ってたんだよね……」

「お、おう、その通りだ」

 菜ノ葉に指摘されるが、こう言われるとこのところの週末は何かと忙しい日々だったな。

 

「それに、甲。空先輩とあまり一緒にいないから……」

「一緒にって……いつも学校に行くときは同じだし、授業ではそれなりに会うし、昼飯もけっこう一緒に食べてるぞ?」

「甲……それ本気で言ってる?」

 千夏が心底呆れたように、聞き返してくる。

 

「朝は、あたしは部活あるからともかく、寮の皆もでしょ? 授業はだいたいあたしか雅が居るし、昼も寮の誰かと集まってるじゃない」

 それにね、とさらに追い討ち。

「あんた空と一緒に帰ることって、ほとんどないでしょ?」

「う……すまん、確かにそうだ」

 あたしに謝っても仕方ないでしょ、と怒られるがその通りだ。空はなにかと出歩くことが多いし、俺は俺で早く寮に戻って、没入(ダイブ)している。一緒に帰ったことは、言われてみれば数えるほどしかないな。

 

「ってかさ。これだけ言ってもまだ自覚なさそうなんだけど、菜ノ葉はどう思う?」

「とぼけてるのかと思ってましたが、ほんっとに気付いてないんじゃないですか、甲の場合」

 何気にひどいぞ、菜ノ葉。と言いかけたが、思い止まる。

「気付いてないって、なんだよ。そりゃあ空とはあまり一緒に帰ったなかったけどさ……」

 はあぁぁっ、と二人そろって大きく溜息をつかれた。なにか完全に呆れられているようだ。

 

「わかった、甲。じゃあ、あんた一緒に帰ってるのは誰?」

「えー、っと……」

 放課後の千夏は部活、雅はこのところは付き合っている相手と、だ。菜ノ葉と真ちゃんは買出しが多くて一緒にならない。そして亜季姉ぇは午後まで学園にいること自体が稀だ。

「……レインかな」

 

 朝は寮の皆で騒ぎながら行く川原を、帰りはレインと二人、取り留めない話をしながらゆっくりと歩いて帰ってくる。

「で、帰ってから一緒にいるのは?」

没入(ダイブ)して学園の模擬戦闘場(アリーナ)にいるから……千夏、お前か雅か、レインだな」

 制限(リミッター)有りとはいえ、模擬戦闘場(アリーナ)での訓練も重要だ。夕食の仕度を手伝うことも少なくなった最近は、食事の時間ぎりぎりまで没入(ダイブ)していることが多い。

 

「で、晩御飯は皆で食べて、最近甲は寝るの早いけど、次の日起きたら?」

「五時前に起きて、走りこんだりちょっとしたトレーニングだぞ」

「で、誰と?」

「レインと」

 

「……わかった?」

 千夏の質問攻めが終わり、二人揃ってジーっとこっちを見てくる。

 なんとなく言いたいことはわかる。わかるのだが、やはり勘違いされている。

 

「おいおい、俺とレインとはそういうんじゃなくてだな……」

「そういうのって、どういうのかなぁ~甲?」

 疑うような千夏の視線。

 どういうのと問われると、しかし俺はまだレインとの関係を言葉にできていない。

 

「ってそうか、あれは……」

 ふと、俺はガキの頃の失敗を思い出してしまった。思い出すのも恥ずかしい話だが、今千夏に聞かれて答えられないような質問を、俺は他の人にしてしまったことがある。

 

「どうしたの甲?」

「あのさ、シゼル少佐ってこの前千夏は会ったよな」

「ああ、あのピシッとした格好いい人ね」

「菜ノ葉も覚えないかな、南八坂に住んでたときに、一度ウチに手伝いに来てくれた人で、褐色の……」

「んー……味付けが、塩っ辛い人?」

 さすが菜ノ葉だ。料理の味で、相手を覚えているのか。

 

「そうそう。そのシゼル少佐にさ、ガキだから聞いちゃったんだよな、あなたは親父の愛人ですか……って」

 ガキの頃、親父とシゼル少佐との関係がどういうものかわからなかった俺は、近所のワルガキどもに言われた言葉をそのままシゼル少佐にぶつけてしまったのだ。今ならわかるが、あの二人の関係は一言で言えるようなものではないのだろう。

 

「うわっ……サイテー」

「甲、それはひどいよぉ」

 二人ともに、リアルに一歩引かれた。さすがにこれはショックだ。

「いや、だからっ、ガキの頃の話で、しかも愛人の意味もいまいちわかってなかったときのことなんだよっ」

 あのときのことはちゃんと少佐に謝りたいが、さすがに今更言い出しにくい。

 

「で、その恥ずかしい過去暴露、いきなりどうしたのさ」

 千夏に問い詰められるも、それが説明しにくいから今の話を出したのだが、いまいち伝わっていない。

「えーっと。それと同じく、俺とレインの関係も説明しにくいってことを言いたいのですが……」

 

「……つまりレインさんと甲とは、愛人?」

 止めを刺すかのような菜ノ葉の言葉で、俺は墓穴を掘ったことを嫌でも自覚した。

 

 

    〓

 

 

 真ちゃんが誘拐されたと連絡を受けたのは、そのすぐあとだった。

 

 

 

 

 

  境涯 / Station

            終

 

 

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第13+5章 連関 / Chapter13+5 Linkage

注)本文字数制限のために、分割しております。

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..■一月二一日 金曜日 一八時三七分

 

「失礼しますっ」

 飛び込むように、俺とレインはアーク社長室に入った。

 すでに親父もシゼル少佐も来ている。

「坊主、状況は聞いているな?」

「真ちゃんが誘拐された。犯人はおそらくドミニオン教徒、連れ去られた先はミッドスパイア、だよな?」

 

 ここに来るまでにレインと亜季姉ぇが纏めてくれた状況報告は見てきた。

 俺やレインと聖堂で別れた空は、そのまま学園周辺をふらふらしていたらしい。そして夕飯の仕度の最中、足りない食材に気付いた真ちゃんが、買出しのついでに空を呼びに如月寮を出た。

 だが寮から歩いて二分ほど、空と合流する直前に、真ちゃんは星修学園の制服を着た男三人に連れ去られた。ご丁寧に離脱妨害(アンカー)機能のある首輪まで嵌めて。

 すぐさま飛び出していきそうな空は、密かにガードしていたアーク保安部隊の隊員に保護され、今は千夏と亜季姉ぇ監視の下、寮に縛り付けている。

 

「申し訳ありません、真さんを一人で寮の外に行かせた私の判断ミスです」

 レインが聖良叔母さんに頭を下げる。その横顔、透けるほどに白い肌は、いまや蒼白だった。

「あなたに落ち度はないわ。顔を上げて、桐島レインさん」

「そうだな。嬢ちゃんのことだ。周辺に不審者がいないことは確認した上で、送り出したんだろ?」

 叔母さんと親父とがレインを慰めるように言う。

 

 実際、アーク保安部隊のほうも、まさか誘拐に学園生が関与するとは想定していなかったようだ。しかも偽装ではなく、三人は間違いなく星修の学園生だという。

 ただ三人共に昨年まではドミニオンと接触があった様子はなく、最近になって入団したらしい。やはりこのあたり「灰色のクリスマス」の記憶というのは俺達第二世代(セカンド)には、程度の差はあれ広く拡散しているのかもしれない。

 

「ありがとうございます、橘社長、門倉大佐」

 慰められてそれで納得するレインではない。すでに真ちゃん救出へ意識を切り替えたはずだ。

 しかし親父はともかく、シゼル少佐まで来ているということはフェンリルが動いているのか?

 

「失礼ですが、門倉大佐、シゼル少佐。フェンリルはこの件に対し、どのように関与するのでしょうか?」

「心配するな、嬢ちゃん。さっき聖良さんから正式に依頼を受けた。依頼人の被後見人が誘拐されたので、その安全な解放、が俺達の目的だ」

 俺が聞く前にレインが尋ねてくれたが、わかりやすい理由だな。

 アークがフェンリルに依頼、ではない。この場合は聖良叔母さん個人の問題に止める、ということか。相手側の構成が不鮮明な今は、いい決断だと思う。

 

「どのように関与するという話であれば、君達二人こそ、この場に居る理由がないのではないか?」

 シゼル少佐が、逆に俺達を問い詰める。

「あー……それは」

「被害者の友人かつ同居人であり、事情説明のために、ということで何か問題あるでしょうか?」

 レインが鋭く切り返すが、本人も自覚しているだろうが、言い訳の範疇だな。説明だけで済ますつもりが、俺にもレインにもないのだから。

 

「シゼル、止めとけ。どうせなに言っても首突っ込んでくるさ。違うか、坊主?」

「坊主と呼ぶのを止めていただけたら、考え直すかもしれませんよ、門倉大佐」

 ぬかせっと簡単に切り捨てられる。どの道考え直すつもりはないな。

 まあこの話はこれで終了だ。いい具合に俺もレインも、落ち着かせてもらった。ここからは繊細(テクニカル)にやる時間だ。

 

「しかしミッドスパイアか。またよりにもよって邪魔くさいところに」

 親父がぼやくのもわかる。

 真ちゃんに付けられている追跡子(トレーサー)は、十分に機能していた。

 しかしミッドスパイアに入ってからの足取りは不明だ。外部からの通信をほぼ完全に遮断しているミッドスパイアの中では、追跡子(トレーサー)からの情報も止められている。中から探査すればもう一度把握できるかもしれないが、それも外からでは判断できない。

 

「何とかしてミッドスパイア内部に入って、水無月真君の実体(リアル・ボディ)を確保すると同時に、仮想(ネット)側から電子体も保護する必要があるな」

 シゼル少佐の、濁したような物言いだが、問題はその「中に入って」だ。

 聖良叔母さんの後ろのスクリーンに、入管ゲートの現在の様子がいくつも映し出されているが、歩兵のみならず装甲車まで配備されている。もちろん、仮想(ネット)系カルト集団のドミニオンにそこまでの装備はない。

 

「だいたいなんで都市自警軍(CDF)が展開してるんだよ、言い訳はなんだ?」

「昨日清城市内で行われた反AI派集会において、参加していたミッドスパイア住人が暴漢に襲われた、とのことです」

 レインがニュース記事をこちらに転送してくれる。事件そのものは実際にあったようだ。

「つまりはまったくの事実無根ってわけでもねぇが、警備出動の根拠としては薄いわな」

 

「敵は短期での収束を目論んでいるとお考えですか、大佐?」

 レインが確認するように親父に問う。

「目論むというか、その目処が付いてるんだろう。時間が必要なら、もうちょいともっともらしい言い訳をしてくるさ」

 それこそミッドスパイアに対して偽装テロでも起こせば、治安出動の名目は作れる。それすらしていないということは、次の事を起こすまで猶予はないか。

 

「つまり我々とっては逆に時間がないということだ。相手側が篭城するつもりであれば侵入に時間もかけられたが、おそらくはその余裕はない」

「長くて一週間、普通に考えて三日もすれば警戒は解除されるでしょうね。リミットはそのあたりですか」

 明日の朝には封鎖解除、とまではありえないだろうが、週明けまではもちそうにないな。

 

 

    〓

 

 

「しかし、これは本当に米内派の犯行なのでしょうか?」

「どういうことだ、レイン?」

「いえ、調べてみたのですが、米内議員はかなり慎重な性格です。そして以前言われていたように、利に聡い。このような形で真さんを誘拐して接続者(コネクター)システムを用いたとしても、それで解決できる問題はないのでは?」

「米内の政治的立場は今非常にまずい。失脚寸前だが、確かにそれを力ずくで解決ってのは、ありえんな」

 親父もレインの推測に同意する。

 

「お前達の見た夢…というのも、そうだな。災害があったからこそ、その機に乗じたって話だったよな?」

「はい。しかもあの場合は、暴走したAIから対地射撃衛星群(グングニール)の制御権を取り戻すという大義名分があります。今回もしトランキライザーを起動しAIを制圧したとしても、ミッドスパイア市民であっても、米内を支持するとは思えません」

 そうだ。ドミニオンと結託してまで、現在の米内にトランキライザーを動かすなにか思惑はあるのか?

 

「逆なのかもな。相手が米内かどうかはわからないが、ドミニオンがなんらかの政治取引をもってして都市自警軍(CDF)を取り込んでいる、ということか」

 真ちゃんが攫われた。ドミニオンと都市自警軍(CDF)とがなぜか連携して立てこもるようにミッドスパイアを防衛している。

 事態はそうなのだが、そこに敵の意図が見えてこない。

 

「ドミニオンと都市自警軍(CDF)、それぞれの行動目標が一致していない、ということはありうるな。双方が独自の目的を持っていて、協調しているように見えているだけ、という可能性だ」

 シゼル少佐が指摘する。

「この場合、真君はドミニオンに攫われただけで、都市自警軍(CDF)は関与していない、と考えられる。そしてミッドスパイアに逃げ込むことで、都市自警軍(CDF)を盾として使役している、ということだ」

都市自警軍(CDF)はいい様に使われてるってワケ、か」

 まあ可能性の話ですが、と少佐。

 

「しかし、敵の動きはどこか不可思議です。ドミニオン主体にしても、狂信的な行動というよりも、稚拙といったほうが的確な印象です」

 レインの言いたいこともよくわかる。

 意図が見えないのではなく、考え無しに暴力を振るっている。どこか子供じみた印象なのだ。

 

「甲君、レイン君、相手の行動を予測するのは大切だが、そこに拘ると動けなくなるぞ」

 考え込みそうになる俺達を、シゼル少佐が諌る。確かに今すぐ答えの出そうな話ではない。

「ご忠告ありがとうございます、少佐」

 

 とりあえず今考えるべきことは、相手の動きよりも、こちらがどうやって先手を取るか、だな。

現実(リアル)からあの中央ゲートをぶち破ったり、はさすがに無理か」

「可能かどうかであれば、もちろん可能だ。が、それをやっちまうとミッドスパイア側は決してバルドル譲渡を認めんぞ」

 

 壁抜き(パスウォール)を使うまでもない。コロニー用エアロックの転用とはいっても、少数の歩兵部隊を侵入させる程度であれば、数発のロケット弾を撃ち込めば穴も開くだろう。間違いなく住人には「戦争」と捕らえられるだろうが。

「わかってるさ親父。そんなことになったら、それこそミッドスパイアとバルドルが『AI派に対する最後の砦』として祭り上げられるだけだ。GOATもそれを後押しするだろうしな」

 

「入っちまえば相手はドミニオンと都市自警軍(CDF)都市自警軍(CDF)は政治上の問題でミッドスパイア内部には兵力を展開していないし、ドミニオンの現実(リアル)側での戦力は小規模ゲリラ以下だから、どちらも相手としては簡単だ。問題は入管ゲートの突破方法だな」

「ゲート部分の制御中枢(セキュリティ・コア)は、一般のAIネットワーク上にあるんだよな? ならまずはそこを制圧して、現実(リアル)のゲートそのものでは可能な限り戦闘を避けるしかないんじゃないか。内部からの偽装指示なら、警備の連中も動くだろう?」

 

 現実(リアル)での銃撃戦、それもミッドスパイアに対する攻撃が、あの都市の中でニュースとして流れでもしたら、あそこの住人はより一層内部に閉じこもることになるだろう。そうなってしまえば先に話していたミッドスパイアの管理機構をAIに切り替えるなど、夢物語となる。

 いまはミッドスパイアの目が仮想空間(ネット)には向いていないことを利用して、そちらからできるかぎり攻めるしかない。

 

「ですが、あそこは現実(リアル)仮想(ネット)もほぼ完全な閉鎖系です。通常でしたら外部からでもアクセスできますが、今回のような状態では、回線切断の危険性が高すぎます」

 防御側は最悪、兵を引き上げて回線を閉じてしまえばいいのか。ゲートなどは現実(リアル)で直接操作することになるが、逆に言えば攻めるほうも完全に制圧しなければ中に入ることができないわけだ。

 となると、ゲート部分のセキュリティは、ミッドスパイア内部から逆に侵入し中から開けるしかない、か。

 

「よし。情報の少ない現状、これ以上敵の動きを予測している場合じゃない。そして今回はとくに時間との勝負だ。都市自警軍(CDF)とは停戦できる可能性を考慮するが、最悪は排除する。トランキライザーが動き出したら、被害がどこまで広がるか予測もできん。

 聖良さん。アークの保安部隊は、イヴの防衛を最優先にして、ここを守り抜いてくれ。フェンリルはまず入管ゲートの制御中枢(セキュリティ・コア)を落とし、現実(リアル)側の都市自警軍(CDF)を分断、その後陸戦隊をミッドスパイアへ侵攻させる」

 こちら側から仮想(ネット)に侵入しての攻撃。回線切断の可能性はあるが、速度で押し切るつもりか親父は。フェンリルの打撃力なら可能だろうが、粗雑(クルード)にもほどがありすぎる。敵味方双方に多大な犠牲が出るぞ。

 

「いえ、大佐。入管ゲートの制御中枢(セキュリティ・コア)の制圧は、私がやります」

「おいおい……私達が、だろ? レイン」

 レインには、ミッドスパイアにまっすぐ正面から入る手段があるのだ。ただ、それを一人でさせるつもりは、俺にはなかった。

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 夜二一時一七分

 

 清城環境建築都市(アーコロジー)、ミッドスパイア。

 清城市の、そしてこの州の中核にして、スペースコロニー開発の技術を転用して作られたこの閉鎖都市は、それ自体が小さな国家ともいえる。そして当然、入国管理局もある。

 

 星修から清城の外れまでフェンリルのVTOLで運んでもらい、そこからは跡を付けられないように適当に公共機関を乗り継いで来た。そしてここからは、週末のデート帰りという風を装って、レインと腕を組んで入管ゲートへ向かう。

 振り返って確認するわけにはいかないが、少し離れたビルの一角から、フェンリルによって俺達の姿は監視されているはずだ。ゲートを通過しようとする市民に対する対応で、都市自警軍(CDF)の警戒レベルも推し量れる。

 

 ミッドスパイアへの潜入を、部外者の、しかも公式には素人未満の俺とレインに任せろという話は、当然ながらシゼル少佐の猛反発にあった。だが正式なミッドスパイア市民であるレイン以上に、安全に内部に入る手段は無く、時間的制約は付けられたものの、潜入は俺達二人に一任された

 与えられた時間は今からおよそ二時間。日付が変わる前に、入管ゲートの制御中枢(セキュリティ・コア)を制圧しなければならない。俺達が間に合わなければフェンリルは実力を持ってゲートを突破する。

 

「遅くなりましたね、甲さん」

「仕方ないさ、服を選ぶのにかかりすぎたからね」

 事実、情けないことに時間がかかったのは、着てくる服を選ぶところだった。

 防具として考えれば、先日二人で買った軍用コートに勝るものは無い。防弾性はともかく防刃性は十分なものだ。ただアレを着て、都市自警軍(CDF)が警護する入管ゲートを通れるとは一片たりとも思えない。

 

 レインは最初、鳳翔の制服で来るつもりだったらしいが、俺が普段着だと釣り合わないし、かといってAI派の筆頭のような星修の制服で、反AI派の牙城ともいえるミッドスパイア付近に近づく度胸はない。

 結局レインが着ているのは、動きやすいようにと黒い細身のパンツスーツ。

 俺もそれに合わせて、さすがにいつも着ている安物のシャツはまずいだろうと、適当にそれっぽいジャケットを雅に見繕ってもらっている。レインと並んで見劣りするのはこの際仕方がない。

 ただ俺もレインも足元は、走り回れるようにとスニーカーだ。着ている物とはまったく合っていないので、あまり見られたいところではないな。

 

「なあ、今日ってなにかあったっけ?」

「さあ? 外のニュースなんて興味ありませんし」

 入管ゲートに近づくと、嫌でも目に付く位置に多数の歩兵戦闘車が展開していた。わざとらしくならない程度に俺達は適当な話をする。

 

(やはり対テロ警戒、その程度の装備か)

(ですね。重火器も配備されていませんし、都市自警軍(CDF)とドミニオン側とではあまり連携が取れていないのでしょう)

 上空のほうも警戒にVTOLが飛んでいるということもない。展開中の兵士にしても、どこか真剣さが足りない様子だ。これはこちらから話しかけたほうがいいな。

 

「あのーすいません兵隊さん、なにか事件でもあったんですかー?」

 好奇心丸出しのガキに見えてくれますようにと、馬鹿っぽく尋ねる。

「なんだね、君達は?」

「せっかくのお休みなので、二人で街の外に遊びにいってたのですが……」

 レインは俺の腕に手を添えたまま、少し上目遣いで答える。こちらは間違いなくミッドスパイアのお嬢様に見えるはずだ。

 

「ああ、事件といいますか、昨日急進的なAI派に襲撃を受けたというミッドスパイア住人の方が居られまして、そのために一時的に警戒しておる次第です」

「あら……それは怖いですね。お仕事がんばってください、兵隊さん」

 レインがわざとらしく、肘の上がりすぎた下手な敬礼をする。

「お二人もお気をつけて。今週いっぱいはあまりこちらには出てこられないことをお勧めいたします」

「ありがとう兵隊さん」

 俺も気楽に挨拶をして通り過ぎる。疑われるようなことは、なかったはずだな。

 

(どうもやる気のなさそうな警備だな。一応、親父達のほうにデータは送っておいてくれ)

了解(ヤー)。映像情報、フェンリルに転送開始します)

 レインは、ものめずらしそうに都市自警軍(CDF)を見回し、できるかぎり状況がわかるように視覚映像を送っている。

 不振がられない程度に周りを見たあと、レインと俺はがら空きの受付端末に向かった。

 

「滞在許可を願います。フィアンセと私、計二名、滞在期間は一週間」

 もともと使う人間の少ない、ミッドスパイア市民用の入管端末。とうぜん今日は誰もいない。

「申請は許可されました」

 機会音声があっさりとレインの申請を受け入れる。

 

 偽装でもなんでもない。レイン本人の正式な身分証明書だ。そう、桐島の実家はこのミッドスパイアにある。もちろんレイン自身、ここの市民権を生まれたときから持っている。

 拒絶されるとしたらフィアンセとされた俺に対してだが、今の俺は特に犯罪暦もない、ただの学園生だ。市民からの紹介での入国は、簡単な確認だけで承認されるのだった。

 

 そして開かれた市民用ゲートを、一見何の審査もなく通過する。もちろんスキャンはされているはずで、俺達は武器の類は身に着けていない。

 短い境界のトンネルを抜けると、果てが見えないほどに高く広がる空間、眩いまでの白を基調とした階層都市が眼前にあらわれた。

 

「市民番号二五六八八九、桐島レイン様……おかえりなさいませ」

 ゲートから都市内に入ると、すぐに機械式のメッセージが呼びかけてくる。間違いなく都市管理システムに常時監視されているのだ。

(ここからは偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)のお膝元だ。直接通話(チャント)の使用も、控えるべきだな)

(ですね。どうしても見詰め合ってしまいますから)

 

「さてとーすぐ家に行くかい?」

「いえ、まずは……そうですね、お夕飯の材料のこともありますし、家に帰る前に買い物にお付き合いくださいな。せっかくですから新しいナイフとフォークも揃えてしまいますか?」

 

 

    〓

 

 

 買出しの後、形だけレインの自宅ではなく、一時期母親と二人だけで住んでいたという別宅に立ち寄った。今からの俺達に必要なものがそこにあるのだ。

 

「ありました、甲さん……行きましょう」

 その「探し物」を見つけたレインは、一瞬だけ悲しそうな、それでいて何かを懐かしむような表情を見せる。

 しかし今の俺達に感傷に浸る余裕はない。即座に俺達は裏口から出た。

 

 目当ての下水道点検孔はすぐ近くだった。ただし住人の安全のため、ということでその点検孔はロックされている。しかもすべて機械式だ。仮想(ネット)側から侵入して開けるという方法はここでは無理なのだ。

「まったく。仮想(ネット)に繋がっていないと、逆にセキュリティとしては頑強だな……っと」

 

 この時刻、もともと住人の少ないミッドスパイアとはいえ、人目はまだある。夕食の材料とともに買い込んだ日用品程度のツールを取り出し、手早く感知装置(センサー)ともどもロックを騙し、下水溝に入る。

 眩いばかりのミッドスパイアといえども、裏側はやはり汚れるところは汚れている。整備点検は行われているのだろうが、こびりついた臭いはいかんともしがたい。

「まるでドブネズミになった気分だぜ」

 

 少し奥に歩きつつ、暗がりの中で周囲に簡単な警戒用の対人センサーを設置し、没入(ダイブ)の準備を整えていく。接続点(アクセスポイント)を割り出されて、ここを包囲されることになっても、少しでも早く探知できれば生き延びる可能性は大きく変わる。

 まして今は現実(リアル)の武器といえるものは、先ほど食材を偽装に使って買い込んできた調理用のナイフが二本ずつ。ないよりましだが、テロ警戒中の都市自警軍(CDF)兵士を相手取るのはできるかぎり避けたい。

 

「レイン、こちらの準備は完了。そっちはどうだ?」

「今、仮想(ネット)との接続を確認しました。いけます」

 レインのお母さん、エイダさんが使っていたという端末を、レインは壁面の点検用パネルに有線(ワイアード)で接続していた。年代物(アンティーク)かつ即席(インスタンス)操作席(コンソール)ではあるが、今の状況では贅沢はいえない。

 レインの別宅に立ち寄った目的が、これだ。個人の仮想(ネット)接続が制限されているこのミッドスパイアでは、こういった違法の小型端末が、一部で流行っていたらしい。

 

 その端末に神経挿入子(ニューロジャック)を差し込もうと、手を伸ばす。

「……」

 

 ここから先、俺は人を殺す。

 たとえ傭兵の記憶があるといっても、今まで、この俺は人殺しなんてやってきていない。それは横にいるレインもそうだ。

 しかしこの先、今から向かう場所は間違いなく戦場だ。相手がたとえ狂信者(カルト)といえども、人を、殺す。

 

 俺は、いい。真ちゃんを助けるために、これは避けては通れない。そして俺が逃げ出して、誰かに殺しを押し付けるのは間違っている。

 だが、レインはどうだ?

 今なら、まだ止められる。

 

 だがそんな考えは、レイン本人によって打ち砕かれた。

「甲さん、置き去りはイヤですよ。だいたいここに来ると言い出したのは、私なんですから」

「……レイン」

 やはりレインには見透かされるか。

 

「真さんは私の大切なお友達です。そして私が戦うことで、たとえ私の手が血に塗れても、他の誰かの手を汚さずにすむなら……大好きな空さんや渚さんが人を殺さずにすむなら、そこには意味があります。それに……」

「それに?」

「もし耐えられなくなったら、甲さん。お願いですから、その時には一緒に泣いてください」

「……わかった約束する。一緒に行こう、レイン」

 

 

没入(ダイブ)

 

 没入(ダイブ)と同時にシュミクラムに移行(シフト)、そしてレインが即座に妨害装置(ジャマー)を展開する。

「ドミニオンと協力している都市自警軍(CDF)は、その兵力の大半を都市前面の中央ゲート付近に展開しています。仮想(ネット)側の防備も同じく、外向きですね」

「ミッドスパイア内部で、自分達に反抗しようって勢力がないと思い込んでるな」

 

 事前にフェンリルから受け取っていたデータに、今確認したデータを上書きしていく。ウィルスもシュミクラムも、ほとんどが入管ゲート前面に展開している。

「しかし、その推測はおそらく事実でしょう。この都市の住人には、外に出ようとする意思がありませんから」

 

 塔の中の、作られた平穏。

「城壁を巡らせて外界を遮断。閉ざされた平穏の中でまどろみ続ける……か。まったくアークの箱舟計画と比べても、どっちが仮想(ヴァーチャル)の住人なんだかわからんな」

「塔の中で生まれて、塔の中で死ぬ。そういう幻想を皆で作り上げた揺り篭(クレイドル)なのかもしれません、ここは」

 揺り篭から這い出して目覚めてしまえば、現実(リアル)に立ち向かわなければならなくなる、か。それから目を背けたくなる気持ちもわからなくはないが、いい加減に目を覚まして、新しい隣人のAI達と話しはじめてもらいたいものだ。

 

「よしっ、まずはミッドスパイアの防壁に穴を開けて、フェンリルを入れる。予定通り入管ゲートの制御中枢(セキュリティ・コア)を乗っ取るぞ」

了解(ヤー)

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 二一時四六分

 

 ミッドスパイア内部、裏側からの侵入、ということで入管ゲートの制御中枢(セキュリティ・コア)まではすぐだった。

「敵機捕捉。制御中枢(セキュリティ・コア)ブロック手前に、シュミクラム八機確認」

「さすがにもぬけの空ってわけにはいかないな」

 

 敵シュミクラムの情報がレインから送られてくる。編成は、大鎌(サイス)が特徴的な近接特化装備のセンテンスが四機に、地雷散布が主任務のルースが四機。その肩部装甲板には剣を模した逆十字が刻まれている。どちらも間違いなくドミニオンだ。

 位置的にはほぼ三仮想キロ先、妨害装置(ジャマー)をどれほど展開しようとも、さすがにこのまま近づけば確実に発見される。隠密(ヒドゥン)モードでは満足に移動できない以上、どこかのタイミングで仕掛ける必要がある。

 

中枢(コア)側内部の状況はここからでは把握できませんが、そちらには都市自警軍(CDF)がいるのでしょうね」

「だろうな。眼前のドミニオンも裏からの侵入を警戒してるんじゃなくて、中の都市自警軍(CDF)を見張ってるってところじゃないか?」

 つまりはこの八機と戦っていても、中枢(コア)側から即座に増援が来るとは考えなくてもよさそうだ。もちろんそちらにドミニオンがいたならば出てくるだろう。

 

「デコイを使って、何機がおびき寄せますか?」

「いや、増援を呼ばれる危険もある。それに時間が惜しい。妨害装置(ジャマー)はこのままで、正面から蹴散らす」

 策も何もない、勢いに任せた正面突破。

 奇襲の利点があるとはいえ、戦力比は単純に一対四。常識的に考えればありえない方法だ。

 

 が、八機程度なら、俺とレインにとっては障害ではない。

「四機のセンテンスは俺が引き付ける。レインはルースのほうの撹乱を頼む」

了解(ヤー)。ただし撹乱ではなく、排除させていただきますが、よろしいですか?」

 表情画面(フェイスウィンドウ)の中、レインが余裕を持って微笑む。

 

 ……ああ、そうか。

 俺もレインも、すでに人としては壊れているのか。

 今から行われるのは演習ではない、間違いなく初めての戦闘、殺し合いだ。しかしそれを自覚すればするほどに、没入(ダイブ)するまでの躊躇いが嘘だったかのように、落ち着いてきている。

「もちろんだ。行くぞっ」

了解(ヤー)っ!」

 

 

開戦(オープンコンバット)

 

 戦闘機動に入ると同時に、おなじみの機械音声(マシンボイス)が脳内に響く。

 攻撃可能範囲まで、可能な限りの連続ダッシュで距離を詰め、最も近いセンテンスにスウェーバックナイフの初期機動でもって斬り込む。あとは幾度も繰り返し、身体に染み付いた挙動で、まさに一個の機械として眼前の敵を打ち砕く。

 そして止めとばかりに、膝を叩き込み、ガードが開いた顎へアッパー気味に拳を放つ。

 影狼(カゲロウ)となり、鋼鉄と化した俺の拳が、同じく鋼鉄の鎧を纏ったその身体に、捻り込まれる。

 視覚上に表示されるデータよりも、金属同士が擦れあう音よりも、なによりもその拳の感触から、俺はそれを悟る。

 

 どこまでも冷静に、俺は今「人を殺した」ことを、受け入れた。

 

「っ!!」

 感情とは無関係に、積み重ねられた経験から、身体は自動的なまでに動く。

 着地まで一秒、さらに、上がった熱を逃がすのに二秒。

 その時間、棒立ちするほど間抜けではない。

 空中で、わざと背面を見せたままに、もう一機へと距離を詰める。

 着地と同時にナイフを構えて踏み込み、最後の数メートルを一気に詰め寄る。先ほどとまったく同じ動作で粉砕。

 

 崩れ落ちる二機のセンテンスを見て、ようやく残りの連中が動きはじめた。

 後方ではルースが地雷を散布する間もなく、レインのライフルによって一機が破壊。頭部が綺麗に砕かれているところからして、あちらも確実に脳死(フラットライン)だろう。

(レイン、ヘッドショットにこだわりすぎるなよ)

(くすっ……了解(ヤー)

 

「貴様ら、何者だっ!?」

 問われて応えるはずもないのに、残りの二機のセンテンスが武器を形だけ構え威嚇してくる。まったく、この状況を見てまだ攻撃に移らないとは、集団で恫喝するしか能がないのか。

 俺は聞く耳も持たず左側の機体に向かってサーチダッシュ。

 呆れて溜息をつくまでもなく、この場の戦闘は終わった。

 

 

    〓

 

 

「敵シュミクラム全機の破壊を確認。戦闘終了、お疲れ様でした」

「ああ。そちらも被害はないな」

 呼吸を整える意味で、わざと直接通話(チャント)ではなく、声を出す。

「もちろんです。あと敵の通話記録(ログ)はありません。付近から増援を呼んだとは思いませんが……」

 

 目的たる制御中枢(セキュリティ・コア)エリアへの隔壁を前にして、足を止めるのも無駄だ。

 レインが続けようとする言葉を先取る。

現実(リアル)側でまともなやつがいれば、脳死(フラットライン)したのはすぐわかるからな。時間もない。急ごう」

「申し訳ありません。隔壁内部の状況は不明です」

「いいさ。ソフィアの身元に行ったこいつに、現世での最後の仕事をしてもらおう」

 まだ消えていないセンテンスの残骸を、無造作に左手で引きずり上げる。

 

 レインは何も言わないが、俺のやろうとすることには気付いたようだ。それでも止めるようなことはしない。

 敵だったとはいえ死体まで使うことに、我ながら非道だと思う気持ちも、わずかに残っている。

 しかしこうするほうが敵味方、いやこの場合敵のみだが損害が少なくなるのは明らかなのだ。

「レイン、開けてくれ」

了解(ヤー)

 気にしだすと身体が動かなくなる。今はただ、作戦を遂行するのみだ。

 

 

    〓

 

 

 程度の低いセキュリティなのか、制御中枢(セキュリティ・コア)だというのに、レインの操作で隔壁はあっさりと開く。

 隔壁のその先、入管ゲート制御中枢(セキュリティ・コア)の護衛にあたっていたのは七機のシュミクラムだった。近接主体の晴嵐が隔壁付近に四。奥に支援装備の颪が三。

 どちらも都市自警軍(CDF)の主力機だ。やはりドミニオンと都市自警軍(CDF)とは連携していないようだ。

 

「な、何者だ貴様らっ!?」

 敵味方識別信号(IFF)の出ていないシュミクラムを見てこの反応、か。まったく都市自警軍(CDF)の錬度が低いというのは本当だな。外にいたドミニオンの連中と同程度だ。警備エリアに入ってきた不審者など、問答無用で撃てばいいものを。

 ただ、この錬度の低さは俺達にとっては、大いに喜ばしい。無駄な殺しをしなくてすみそうだ。

 

「カルト野郎どもはご覧のとおりだ。いつもお世話になっている公僕の皆様には、常日頃から感謝の気持ちの証として、投降の機会を差し上げようという、納税者からの心配りだよ」

 適当なことを言い捨てながら、上半身だけとなったセンテンスを、四機の晴嵐の真ん中に放り投げる。

 ガシャンと音を立てて地面に崩れ落ちるシュミクラムの上半身。

 

 それだけで、都市自警軍(CDF)の連中は、一歩下がってしまっている。

(あと一押しで、投降するかな?)

「た、たった二機でいきがってんじゃねぇぞっ、あんなクソカルト連中と俺達を同列にするんじゃねぇっ、おめぇらさっさと畳んじまぇっ!!」

 後ろの颪が小隊長なのか、そんな怒声を飛ばす。

 カルト以下、チンピラレベルの発言。まったく都市自警軍(CDF)の質の高さには感動する。

 

(失敗しましたね、こちらが少なすぎて数で押せると考え違いしたようです)

「わかったわかった。死にたくなかったら、すぐに除装しろよ?」

 硬いだけの都市自警軍(CDF)シュミクラムの相手は疲れるのだが、話を聞いてもらうには、少々運動が必要なようだ。

 

 

    〓

 

 

「と、投降するっ、い、命だけはっ」

「はいはい、口上はどうでもいいから、とっとと除装して、脚開いて壁に手を付け」

 晴嵐も颪も、防御性能だけは一級品だ。一人も欠けることなく、七人ともに壁に並ぶ。二人ほど、立つこともできず這いずっているが、生きているだけありがたいと思ってもらいたい。

 

 そして指揮官らしき颪に乗っていた男が情けなく声を張り上げだした。

「俺は米内のところのガキに唆されただけなんだよっ、ミッドスパイアの女を紹介してくれるって話に釣られたんだ、助けてくれよぉっ」

「……市民権目当ての偽装結婚、ですか」

 結婚による市民権確保、か。レインにしてみれば、いい思い出ではない。一気にその声が低くなり、即座にアイギスガードの手にライフルを実体化させている。

 

「殺すのはあとにしろ。現実(リアル)脳死(フラットライン)が確認されると、手間が増える」

「……了解(ヤー)

 あっさりとライフルを消すが、不機嫌な声は隠せてないな。まあ脅しにはちょうどいい。

 下手にここで殺して、現実(リアル)側で異変を察知されるのも、侵入している身としてはいただけない。できれば真ちゃん救出までは、おとなしくしていてもらいたい。

 

「お前達もだ。それ以上口を開いたら、即座に射殺する。何があっても口を開くな、いいな?」

 壁に並んだ七人は、がくがくと首を振る。一番左のやつは、もうすでに小便を漏らしているな、気の早いことだ。

「ひいっ!?」

 そいつに向かって対人用テイザーを指先から撃ち込むと、殺されたとでも思ったのか隣のヤツが声を上げた。まあ一回目だ。聞かなかったことにしてやろう。

 

「何か変な音が聞こえたが、幻聴だよな?」

「ゴミが燃える音でしょう、お気になさらず」

 あとは騒ぎ出される前に、順番に気絶させる。

 移行(シフト)を解いたあとに、テイザーを撃ち込んだとはいえ、放置しておくのも危険だ。俺も一度除装して、ツールボックスから離脱妨害(アンカー)機能のある手錠を取り出し実体化、それで連中の両手両足を拘束していく。

 

 

    〓

 

 

 全員の拘束を確認後、ようやく第一の目標である制御中枢(セキュリティ・コア)に取り掛かる。

 ただ、この手の作業はレインのほうが俺より早い。

(俺は周囲の警戒にあたる。制御中枢(セキュリティ・コア)の掌握は任せていいか?)

了解(ヤー)。お任せください)

 

 聞かれているとは思わないが、ツーマンセルでの作戦行動中は直接通話(チャント)のほうが何かと便利だ。

(一般の都市管理システムだ。悪質な攻性防壁(ブラック・アイス)はないだろうが、慎重に処理を進めてくれよ)

(お心遣いありがとうございます。そちらもお気を付けて)

 話しながら隔壁外部のカメラモニタを確認するものの、敵の動きは一切ない。

 

 そして待つほどもなく、レインの作業が完了した。

(入管ゲート周辺の制御、掌握しました。予定通り、現実(リアル)で防衛している部隊には、偽装した移動指令を送っておきました。ただし、どこまで通用するかは不明です)

(いいさ。命令の真偽確認で手間取ってくれるだけでも、制圧がはかどる)

 即座にフェンリルの陸上部隊も、地下を経由して侵入に成功したと報告が来た。

(さて、隔壁の封鎖で都市自警軍(CDF)を分断してくれ。あとは増援が来るまでここを死守する)

了解(ヤー)

 

 フェンリルからの増援が到着するまで一五分ほど。それまでは警戒を緩めるわけにはいかない。

 そうは言っても、この周辺の隔壁制御をレインが管理している今、組織だってこちらに迎撃に来れる部隊は少ないだろう。

 たった一五分の防衛任務、それも敵地の真ん中とはいえ、襲撃の可能性は限りなく低い。普通に考えれば気楽な任務ではある。

 ただ俺にとってはさっきのような強襲に比べると、この手の防衛はやはり慣れない。

 いや、慣れるも何もないな。本来の俺にとっては、これが初陣なのだ。まったくもって意識と記憶と経験とがばらばらになっている。

 

(なあレイン、人の記憶ってその本人にとっての礎だよな)

 張り詰めていた緊張が途切れ、作戦とは関係のない言葉を漏らしてしまった。

(はい……そう思います)

(なら今の俺はその礎が、まるっきり瓦解してる状態だな)

 

 クゥを間に挟んだ形での、共振(ハウリング)によって作られた空への恋心。そして今は、別事象の経験を下にしてレインと共にいる。

 それは俺本来の記憶や意識といえるのだろうか。

 

(甲さん。以前、私は父が嫌いでした。父の定めた基準に到達できず、失望され、反抗することすら投げ出していました。でも今は、そんなときのことが懐かしく、あれはあれで父なりの愛情だったのだろうと、うれしく思い出せます。

 過去の記憶は、思い出す時々に変質する……たとえ悲しい記憶であっても、思い出す私自身が変われば、大切なものに変わっていく、今はそう思っています。それに……)

 話し続けていたレインが、不意に言いよどむ。

 

(それに?)

(今こうして戦っているのは、間違いなく『今』の私達です。どこか別の事象の門倉甲と桐島レインの記憶ではなく、今ここにいる私達自身が新しく作り出しているものです)

 その言葉は、レインが悩んだ末に出した結論だ。

 

 そうだ。

 なにを勘違いしていたのだ、俺は。

 あのクリスマスから今日までのことは、間違いなく俺達自身の記憶だ。

 そしてその流れの中で、俺は空と学園生として過ごすのではなく、こうしてレインと並んで戦っている。

 

(ありがとうレイン。まったく、目が覚めた気がするよ)

(どういたしまして)

 表情画面(フェイスウィンドウ)の中で柔らかく微笑んでいる。それは自分の答えを見つけ出した自信からだろう。今の俺も、そのレインと同じ顔をしていると思いたい。

 

(そのかわり、一つ我儘を言っていいですか?)

(我儘……? 俺にできることなら何でも言ってくれ)

(この作戦が終わったらで結構ですので、もう一度空さんと話し合ってください……その、へんなことを言ってるとはわかっていますが、お願いします)

 

 まっすぐにこちらを見つめる、蒼い瞳。

 クリスマス前、話すときに顔を上げることもできなかった少女の弱さは、もうそこにはない。

(……わかった。レインの我儘に、ちゃんと付き合うよ)

 

 俺が何をどう選んでいるのかは気付いているはずだ。それでもレインは空との絆のために、俺と空とが話し合う機会を作ろうとしている。それはレインが空の親友であり続けるために、必要なことだ。

 そして俺にとっては、なによりも俺自身が空との関係性をより良く続けていくために、ちゃんと向き合わなければならないの問題だった。

 

 

 

 

 

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第13+5章 連関 / Chapter13+5 Linkage

 

 

..■一月二一日 金曜日 二二時一二分

 

(警告、所属不明シュミクラム三機接近中。その後方にフェンリル所属機が六)

(所属不明? ドミニオンか? 通り過ぎるようなら無視するか)

 制御中枢(セキュリティ・コア)奪回にしては数が少なすぎる。後ろにフェンリルがいるということは、追い立てられているドミニオン勢力だろう。挟撃してもいいが、今ここを空けるのは得策ではない。

了解(ヤー)。ECM展開します)

 

 逃亡中のカルト連中に、味方がいると思われて入ってこられるのも迷惑だ。ドミニオンと都市自警軍(CDF)とはまともに連携してないようだから、こちらの機影が見えなければ過ぎ去ってくれるかもしれない。

(不明機、最接近まであと一〇〇秒)

 

(外部の映像及び音声、こっちにも回してくれ)

了解(ヤー)

 視覚に映し出されたのは、精度の良くない監視端末越しの映像。シュミクラムの種別判明も精確にはできそうにないが、どうもドミニオンの機体には見えない。

 

(最接近まであと三〇秒……あの、これって)

(ああ、まったくどうやらそうらしい。隔壁開けてくれ、レイン)

了解(ヤー)。五秒後に開きます)

 問題の三機が通り過ぎる直前、開いた隔壁から俺は身を乗り出す。

 

「えっ、甲?」

「何してんだよ、千夏も雅も……それにその機体、空か?」

 所属不明機は黄色と赤の二機の影狼(カゲロウ)、そして両手に弓のような武器を持った白と赤の機体。細かな差異はあれどこちらも影狼(カゲロウ)だ。

「……その、話してなくて、ごめんなさい。亜季先輩に貰ってたのよ」

 表情画面(フェイスウィンドウ)に映るのは間違いなく空だ。

「それに、甲とレインには、ちゃんと謝らないとって……」

 

 空のことだ。おとなしく寮で待っているとは思っていなかったが、まさかシュミクラムで乗り込んでくるとは。

「謝るって言っても、真ちゃんが誘拐されたのは、お前の責任じゃないだろ」

「で、でもっ、私が甲を振らなかったら、まこちゃんが私を探しに来ることもなくて……」

 

「ドミニオン側の行動はかなり計画的だった。今日攫われてなくても、近日中に同じ事態になっていたさ」

「そうですよ、空さん。星修学園生の方がドミニオン教徒となって、誘拐を実行したんです。責められるべきはそのような状況を想定できなかった私のほうです」

 アーク社長室で、レインに責はないと皆に言われたものの、本人としては納得できているはずもない。ここで空からも謝られても真ちゃんが囚われている限り、自身を赦すことはないだろう。

 

「レインっ、今は責任の所在を問題視している場合じゃない」

 ただ、それを言っても水掛け論になるだけだ。しかも俺達には余裕がない。意識してきつくレインを戒める。

「はっ、失礼いたしました」

「甲っ、そんな言い方ってないわよっ、レインも謝ることないでしょっ」

「いえ、先ほどは私の失言でした。お気になさらないでください」

「空、これは俺とレインとの問題だ。口は挟まないでくれ」

 

 まだなにか言いたげな空を二人して押し黙らせる。

 俺の意図は間違いなくレインに伝わっている。空の登場で緩みかけていた意識を張り詰めなおしたようだ。

「こっちの状況は、今のところ予定通り進行中だ。気になるのはわかるが、すぐに離脱(ログアウト)しろ。千夏も雅も、だ」

 

 そう予定通り、ギリギリのラインで進行中だ。俺とレインが没入(ダイブ)してすでに三〇分は経過している。ゲートを開放して一〇分ほど。敵がどれほど無能とはいっても、ミッドスパイア内部からのハッキングであることにそろそろ気付くはずだ。。

 まして俺達は即席の接続点(アクセスポイント)からの、まともな支援も無しでの没入(ダイブ)だ。一応は偽装したが、いつ実体(リアル・ボディ)を見つけ出されてもおかしくない。

 

「なにさ、甲。『俺とレインとの問題』って……まさか空に振られてすぐにレインに乗り換えたってこと?」

「千夏……そういう話じゃないのはわかってるだろ?」

「いいや、そういう話だよ、これは」

 千夏が睨みつけてくる。表情画面(フェイスウィンドウ)越しでもわかるその不機嫌さからは、今にもその蹴りが飛んできそうだ。

 

「甲。あんた、あたしや菜ノ葉の気持ちを知ってて、それでも空を選んだんだろ。それをヘンな記憶があるからって、あっさりとその女に鞍替えってのは、どういう了見?」

「渚さん、ヘンな記憶とは心外ですっ。それに記憶があろうがなかろうが、甲さんと私とはっ」

(レイン、その話は今はよせ)

(……了解(ヤー)

 

 俺は夢で見た、レインとしか共有できない「未来の経験」を礎として、クリスマス以降の「今」を行動している。このことは間違いない。

 そして「空と付き合っている」という、この本来の俺の時間軸の状態を、どこか実感できていないのだ。

 自覚していたつもりだったが、やはり指摘されると否定できない。ノイ先生に記憶そのものはまったくの正常だといわれても、感情の整理が付いているわけでもない。

 さきほどのレインの言葉ではないが、このあたりはちゃんと空と話すべきなのだ。

 

「とりあえず、こっちに入ってくれ。ここは……」

「警告っ! 上空にシュミクラム転送(ムーブ)反応っ」

 レインからの警告と同時に、文字通り機体が降ってきた。

 

「こ・ん・に・ち・わ・ああああっふははははっ!」

 

 レインの警告のおかげで、ぎりぎり回避が間に合う。

「なにか妙な動きがあると思えば、蛆虫どもが這いずり回っていたのか」

「……お前、ジルベルト……か?」

 飛び降りてきたシュミクラムは、ノーヴルヴァーチュ。濃紺の機体に、各所から突き出した特徴的なブレード。それは鳳翔学園生のジルベール・ジルベルトの駆る機体だった。

 

 被造子(D・C)であり、AIと仮想(ヴァーチャル)とを毛嫌いし、第二世代(セカンド)を下等生物呼ばわりする、歪なまでの差別主義者。

 レインが転校するきっかけにもなった男だ。

 新人戦や、そのあとにも幾度となく俺達に付きまとい、仮想空間(ネット)とはいえ千夏の足を撃ちぬいたこともあった。

 

 けっして会いたい相手ではないし、ましてここで出会うとは思ってもいなかった相手だ。

 AI派の最右翼ともいえるドミニオン教団と、ジルベルトとの接点が思い浮かばない。わずかでもあるとすれば、ドミニオンの敵として現れたともいえるが、その武装を見てそれさえもありえないとわかってしまった。

 

「敵シュミクラム、ノーヴルヴァーチュ。パイロットはジルベール・ジルベルト、です。しかし、これは……」

 レインが解析されたデータの転送だけでなく、一般回線でも報告してくるが、言葉が続かない。

 いま地面に叩きつけたその両腕は、いつものムチではなく機体全長を越えるほどの刀身を持つチェーンソーに変貌していた。それは見間違えるはずもない、あのグレゴリー神父のシュミクラム、バプティゼインに装備されていたものとまったく同一のものだ。

 

「ジルベルト……お前、まさかバルドルに繋がったのか」

「ふはははっ、あの狂った神父など、優勢種たる俺の前では取るに足らんゴミだ。必要なものだけ再利用してはいるがなっ」

 

「っ!!」

 言い終わる前に、俺の足元からチェーンソーが垂直に「生えて」きた。

 斬られる寸前でバックダッシュ。バプティゼインとの戦闘記憶がなければ、脚を持っていかれていたところだ。

 もともとムチやニードル、さらには地雷と変則的な攻撃ばかりのジルベルトだったが、今はそこに神父同等の武装が施されている。攻撃が恐ろしく読みづらい。

 

「三人とも、中枢エリアに下がれ。後続のフェンリルが来るまで立て篭もるっ」

 ジルベルトのことだ、単機で乗り込んでくるはずがない。間違いなく付近に増援がいる。足元を狙って撃ち込まれるニードルを避けつつ、指示を叫ぶ。

 

「って甲っ、あたし達も戦うって、そのために来たんだからっ」

「いえ千夏、下がりましょう。たぶん敵の増援が来るわ」

「そいつらにこの制御中枢(セキュリティ・コア)を奪還されるわけにはいかないって事か」

 千夏が不満そうに反対するが、空と雅とが状況を理解してくれているようで助かる。千夏がジルベルトに借りを返したいのもわかるが、ここは我慢してもらおう。

 

「南東三仮想キロ、転送(ムーブ)反応、多数っ」

 レインの報告と共に、周辺情報が書き換えられていく。総数は六〇機以上。わざわざジルベルトが連れてきたのだ。これで敵兵力のすべてだと思いたい。

 後続のフェンリルとの合流を阻止するためか、転送(ムーブ)してきたシュミクラムとウィルスの大半がそちらに向かう。数は多いが、編成からしてフェンリルの敵ではない。

 

 しかし合流には時間が掛かりそうだ。

 ここの防衛は俺達だけでやり遂げるしかない。ありがたいことにこちらに残ったのは小型ウィルスばかりだ。これなら千夏や雅でも、手加減の必要はないな。

 

「レイン、三人の後退を援護。あとウィルスの掃討は任せた」

了解(ヤー)

 レインが制御中枢(セキュリティ・コア)の隔壁手前に陣取る。程よいサイズの遮蔽物があり、かつ四方への射線が通る場所だ。さすがにこのあたりの位置取りは上手い。こちらに向かってきた二〇機程度のウィルスなら、近づけることなく排除するだろう。

 

「まったく宗旨替えか? 替えるくらいならソフィアの御心に従って、日々お祈り捧げる平和な生活ってやつを送ってみろよ」

 ジルベルトが隔壁に近づかないように挑発し、俺は皆から距離をとる。不規則に伸びてくるムチをかわしつつ、サブマシンガンで軽く威嚇射撃。地雷設置の余裕は与えない。

 

「いやいや門倉甲……我らが崇高な祈りを理解していないとは悲しいなぁ。計画的に生み出された新世代の人類たる我ら被造子(D・C)が、人類の指導者となってこの星を導くのだっ。貴様らのようにあのタンパク質の化け物どもの端末と化した者達は、我らが一掃してやるわぁっ!」

 狂ったような言葉とともに、数え切れぬほどのニードルが放たれるが、正面からのこいつの攻撃など怖くもない。

 

「米内のような低脳な俗物では扱いきれなかった、我らが生み出したる巫女。あの娘に、その本質たる使命をまっとうさせる。うぅむ……むしろこれは、門倉甲よ。その機会を作りし我に、貴様はその全身全霊を持って感謝すべきではないのかね?」

「勝手に連れ去っておいて、いや……作り出した、だと?」

「まったく悲しいなぁ、この期に及んで無知蒙昧な輩を演じるとは。貴様とてソフィアの愛をその身に受けし、縁ある一人であろう?」

「お前、そこまで神父の知識を」

 

 口調やシュミクラムの武装だけではない。確かにこの変質しつつあるジルベルトは、ドミニオンの教祖、いやノインツェーンの使徒たるグレゴリー神父の知識をその身に宿している。

 俺にとって、間違いなく最悪の、敵。

 視界左隅のフォースクラッシュ情報に確認するまでもなく、必殺の連撃は放てるのはわかっている。あとはタイミングだが……

 

(落ち着いてください、甲さんっ!!)

(レイン?)

 制止の声とともに、俺の視界に敵チェーンソーの出現予測ポイントが上書きされていく。そのいくつかは、間違いなく俺が今辿ろうとした突進ルートを直撃するものだった。

 

(神父のいつもの手です。こちらの動揺を誘って……)

(助かったよ、レイン。しかしこれは……俺がこの世で顔を合わせたくないやつツートップの組み合わせだな、まったくっ)

 ウィルスの掃討に、千夏や雅への指示を出しつつも、レインはこちらの様子まで把握してくれているようだ。今の一言がなければ、俺は無策のままで突撃していたところだ。

 ジルベルトの言葉に乗せられ、少しばかり熱くなりすぎた頭と機体。それを冷やすため、俺はわざとらしいまでにニードルの射線に機体を晒し、敵との距離を取る。

 

「だいたいお前が何で真ちゃんや、バルドルのことまで知ってたんだ? 最近の鳳翔学園の教育では、そんなことまで教えてくれるのか?」

「なぁに……ヤツが居座っていた我が祖父の屋敷へ久しぶりに戻ったところ、こんな面白そうな娘の話をしていたものでな。下賎なヤツに相応しい方法で、詳しく話してもらっただけだ。まったくこれほど重要なことを自信の保身のためだけに活用しようなど、底の知れた男よ」

 時間稼ぎの質問に、ジルベルトは無駄な装飾を付け加えつつも答えてくる。ネタ晴らしをする優越感には逆らえないところは、間違いなくあのサディストのままだ。

 

 しかし、米内が居座っていた祖父の屋敷、だと? どういうことだ?

 ニードルとムチ、そして地中から生え出すチェーンソーに警戒しつつ、ジルベルトの身辺情報を探ろうとするが、とうぜん俺よりも早くレインから関連データが転送されてきた。

 

(確認しました。あの……ジルベルトは米内議員の息子、だそうです。その名と姓は遺伝子調整の元となった祖父に当たる人物のものでした)

(おいおい……じゃあ昨年末に拘束された米内議員の息子って、ジルベルトかよ)

(そのようです。正式な裁判前の、勾留に代わる観護措置としてここミッドスパイアの自宅に身柄を戻されていた模様です)

 

 「灰色のクリスマス」前後での米内の動機が明確だったために、その家庭環境などはほとんど調査していなかった俺達の落ち度だ。いや、無論フェンリルなどは知っていたのだろうが、あちらでは逆にジルベルトの存在を重要視する要因がない。

「じゃあなにか、ジルベルト。都市自警軍(CDF)がドミニオンに肩入れしてるのは、お前がパパにおねだりして……」

 

「あの下種を、親などと呼ぶなぁっ!!」

 一切の余裕を無くした雄叫びとともに、濃紺の機体が自ら広げていた距離を一気に飛び込み、殴りかかってきた。

 なにやらジルベルトにも、父親とは確執がありそうだ。

 もちろんそんな勢いだけの攻撃に当たるはずもなく、カウンター気味に銃弾を叩き込む。

 

「この下等生物がぁっ!」

 銃撃から格闘に持ち込もうとしたが、再び距離を離す。逆に今の攻撃で、冷静さを取り戻させてしまったか?

 

「もともと米内の周りに集まっていたような都市自警軍(CDF)など、意思も信仰も持たぬ哀れな子羊……腐った金に群がるハエのような奴らよ。こちらがミッドスパイアの市民権をちらつかせたら、すぐに手のひらを返してきたわぁっ」

 しかしようやく合点がいった。いままでドミニオンと都市自警軍(CDF)との間の接点が掴めてなかったが、これは確かに想定外だ。いま動いている都市自警軍(CDF)は、実質的には米内の私兵といったところか。しかも動機は金と地位で、忠誠心など欠片もなさそうだ。

 

(レイン。フェンリルに神父の復活と、ジルベルトの関連情報を報告)

了解(ヤー)。合わせて都市自警軍(CDF)内部の反米内派への工作も依頼しておきます)

「グレゴリー神父に感化されて身に着けた大言壮語も、パパの名前の前じゃあメッキにもなってないな。まったくお前らしいぜ」

 

 くだらないおしゃべりに付き合った意味はある。攻撃の癖はジルベルトのままだ。武器が増えただけで性質の悪さは変わらない。ならば対策も同じだ。先ほど倒しきれなかったのは惜しいが、今からでも挽回できる。

 こちらに来ているウィルスも、レインと空の射撃でジルベルトの護衛にまでは近寄れそうもない。その数もあと五機だ。

 

「そのおしゃべりも神父ほど面白くないしな。それに、大事なウィルスがもう残り少ないぞ?」

「貴様らぁ……我が兵力をっ」

 そういう間にも、また一機レインによってウィルスが撃ち砕かれる。

 

「残念ながら手持ちのコマの心配する余裕は、お前にはないぜ」

 劣勢になった途端に退避行動に入るのは、お見通しだ。その挙動に合わせて、俺はナイフを構えて突進。あとは手馴れた動きで、躊躇うことなくノーブルヴァーチュを叩き壊していく。

「お、おのれーっ! 貴様のような下等生物に、この俺がぁっ!?」

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 二二時一九分

 

 止めとばかりにアッパーを放ち、ノーブルヴァーチュを宙に浮かす。

 ダガーを両手に実体化させかけたところで、雅と千夏の、息を呑むような気配を感じてしまう。

 その気配で、必殺のタイミングを逃し、紫紺の機体が地面を叩くに任せる。

 

「……なあ、甲。殺したのか?」

 雅はどこか恐ろしげなもののように、その機体を見つめている。いや、怯えているのは俺に対して、か。

「この程度で死んでくれれば、苦労はないさ」

 わざと気楽に言い放ち、しかし俺は止めを刺すべくノーブルヴァーチュに近付いた。

 

(甲さん、お気を付けください。ジルベルトはなにか異常です)

(レインもそう思うか? バルドルに接続したのは確実のようなんだが……)

(驚くべきことですが、ジルベルトには変化がなかった……いえ必要なところだけ意図して変化したように見受けられました)

 

 俺の記憶の中にあるグレゴリー神父とは戦い方が違う。発言には影響があったものの、取り巻きがいなくなると撤退しようとするなどその行動は、間違いなくジルベルトのままだ。その自我には、神父の侵食が進んでるように思えない。

 それでいてシュミクラムの武装を見て明らかなように、神父としての能力を受け入れている。

(想像以上に厄介な敵になっているかもしれないな、これは)

 

 だが、ジルベルトの症状をゆっくりと考察してる暇は、俺達にはなかった。

 

 

    〓

 

 

「警告、巨大な質量が転送(ムーブ)っ……そんな、これは……」

「どうした、レインっ?」

 不吉な予感が胸をよぎる。

 

「北東五仮想キロ、転送門(ゲート)にトランキライザーに出現っ」

 この制御中枢(セキュリティ・コア)エリアは防衛のためか、かなり構造体の端にある。逆に言えばバルドルの位置する構造体との距離は驚くほどに近い。

「敵主砲、照射態勢に入ります、各機離脱をっ!」

 

 その警告の直後、俺とレイン達との間を巨大な熱量が押し寄せる。

 常識的な射程を超えた長距離の、高出力レーザーによる砲撃。

 警告がなければ危なかった。制御中枢(セキュリティ・コア)エリアを盾にするように俺達は退避したものの、地形を変えるほどのエネルギーが周囲を襲った。

 

 しかも余波で抉り取られた地面の構造物が、それ自体が弾丸であるかのように四方に撒き散らされる。

「くぁっ!」

「千夏っ!?」

「だいじょうぶ、まだいけるよっ」

 千夏の影狼(カゲロウ)・凛、その紅い表面装甲にく細かく傷は入っているが、致命傷ではなさそうだ。

 

「ふんっ、悪運の強いクソムシどもめ」

 砲撃の回避で意識がそれた瞬間に、ノーブルヴァーチュは俺の射程から遠く離れたところに退避していた。

「自身を観測手としての長距離砲撃、か。くだらないトラップしか使えないお前にしてはなかなかに繊細(テクニカル)だな」

 逃げられないように、ジルベルトをわざと挑発する。

 

「直接手を下してやりたいところだが、あの娘によって焼き尽くされるのが貴様達にはお似合いだ。せいぜいもがき苦しむがいい」

「トランキライザーの主砲はそんなにすぐには射てないさ。その前にお前を叩き潰して、真ちゃんを返してもらうっ」

 話しながらも連続でダッシュ。もちろんジルベルトのよく使う細かなトラップを警戒し、周辺の安全を確認した上で、だ。

 

「ふははははっ、この程度で敗れる俺ではないわぁっ」

 俺の攻撃と先ほどの砲撃の余波で、高機動に耐えれるはずがないと思ったのが間違いだった。

 笑い出すと同時に、その機体は溶け込むように地面に潜り、視界から消える。ジルベルトがパプティゼインの機能を導入していたことを、俺はすっかり失念していた。先の砲撃も、これで退避したのか。

 

『お前達の無駄な足掻きもこれまでだ、這い蹲って死を味わうがいいっ』

 威勢のいいセリフとは裏腹に、レーダー上で見るかぎりかなりの速度でここから離れていく。

 

「また逃げやがったよ、あいつ」

「まったく、逃げ足だけは凄腕(ホットドガー)だな」

 千夏と雅は、いつものジルベルトの行動だと呆れつつも笑っている。あるいは俺が人を殺すところを見なくてよかったという安堵か。

 ただ、これは注意する必要があるかもしれない。あの挙動は間違いなく、グレゴリー神父のバプティゼインと同様だった。

 

 しかし今気にするべきは、地響きを立てて近付いてくるトランキライザーのほうだ。

「こちらも一度下がって、体勢を立て直そう。雅は千夏のガードに入ってくれ。レイン、チャフ射出」

了解(ヤー)

 

 ふと親父に先日言われたことが頭によぎる。そうだ、俺は確かにこういうとき、レインしか頼らなくなっている。

「……甲さん?」

「いや、なんでもない。空はいけるか?」

「私は平気。まこちゃんを助けるまで立ち止まってなんていられるわけないじゃない」

 空元気というわけでもなさそうだ。レイン経由で映し出される機体情報を見ても、空の影狼(カゲロウ)は、こちらと同じく、ほぼ無傷だ。

 

 先の主砲の攻撃で、俺達とトランキライザーとの間には、焼け焦げた地表だけが伸びている。この位置取りは、危険だ。

 巨体とその普段の遅さから見誤りがちだが、トランキライザーは機動性がないわけではない。射撃戦主体で戦えるほどに装甲が厚く、そして火力があるというだけだ。

 

「皆、敵正面には入るなよっ! 主砲はしばらく撃てないはずだが、いきなり突進してくるぞ」

 言うまでもなかった。

 ジルベルトが逃げ出し、巻き込むことが無いと判断したせいか、通常歩行ではなく前足をそろえた突進形態で五キロの距離を見る見る詰めてくる。

 

「くそっ、マジに突っ込んできやがった」

 先の砲撃でめくれ上がった地面を、さらに削り取りながらこちらに突き進む。

 圧倒的だ。

 近付くにしたがって、その巨体に圧倒されてしまう。

 

 俺達自身もシュミクラムとなった今、すくなくとも一〇メートル近い電子の肉体を構成しているのに、その身をもってしても、トランキライザーはまさに威容としか感じられない。船殻に四本の脚を生やし、各部に砲座を配した姿は、陸上戦艦と噂されるのもうなづける。

 突進はこちらから一キロほど先で止まり、改めてその四本の脚を広げる。やはり無理に近接攻撃を仕掛けるのではなく、得意の砲撃戦を進めるようだ。

 

「まこちゃんやめてっ」

「空、お前も下がれっ」

 トランキライザーが動いているということは、乗っているのは間違いなく真ちゃんだ。ただ俺達を狙っての先の砲撃からしても、真ちゃんが自覚して操作しているとは思えない。なんらかの方法で強制的に制御しているのだろう。

 

「なにか違うな……」

 先のジルベルトとの戦いと同じく、敵と相対すればするほどに、知らないはずの忘れていた戦闘の記憶が蘇る。その記憶の中のトランキライザーと、いま眼前に威容を示すそれとは、わずかに齟齬がある。

 

 攻撃は激しく、機体各所に設置されたガトリングからは、まるで雨のように銃弾が降り注ぐ。そしてその装甲は、こちらからの一撃を簡単に跳ね返す。

 しかしそれでも俺の記憶にあるトランキライザーほどには、脅威を感じない。

 

「甲っ、こんなデカブツ、どうやって相手にするんだよっ!?」

「雅、あんたの大砲は飾りかいっ? デカブツだって言うなら当ててみせなっ」

「二人ともっ、無理せず脚を狙って撃ってっ」

 銃弾に行く手を阻まれて手が、いや脚が出せない千夏に比べて、空はまだ落ち着いている。やはり傭兵経験の記憶というのは、空にも残っているのかもしれない。

 

 回避運動に集中し、そんな周りの様子をどこか醒めた頭で観察していたが、ようやく異常に気が付いた。

「そうか、威圧感がない、のか?」

 確かにトランキライザーの巨体もその火力も圧倒的だ。

 

 しかし鎮静剤、という名の通りトランキライザーの最大の機能は、人の意思を媒介としてAIを抑圧することである。そしてAIの端末といってもいいほどに脳内(ブレイン)チップを強化されている俺達第二世代(セカンド)は、あれが本来の機能を持って稼動していれば、近付くことさえ困難なはずだ。

 だが今は普通に戦えている。つまりは真ちゃんが完全に取り込まれているというわけではなさそうだ。

 

「ならやりようはある、か……」

 破壊するだけなら方法はいくらでも思いつくが、真ちゃんが乗っているのだ。可能なかぎり本体に被害は与えず、できれば脚部を切断し移動能力を奪い、加えて各種兵装部分はすべて潰しておきたい。

 ……自分で考えながら、かなり無理な希望だ。

 

「とりあえず脚の一本でも折るか」

 歩行での動きは遅いとはいえ、あの巨体で飛び回るトランキライザーだ。三本足となっても動き回りそうだが、機体中枢近くに設置されている兵装を狙うよりはいいだろう。

 問題は、あの太い足が簡単に折れるはずがないということだ。

 

「雅、空。右前脚に火力集中してくれ。足を止める」

 俺と千夏の装備は完全に近接に特化している。火力支援があったとしても、全身に兵装を配置しているトランキライザーに真っ正直に接近するのは少しばかり特攻願望が強すぎる。まずは少しでも動きを止めてからだ。

 

「集中って言ってもよ、甲。どこ狙うんだよっ!?」

「須藤さん、膝下側の関節部分が露出しているところを狙ってください」

 俺が答えるよりも早く、レインが指示する。

「わかったわ、レイン。雅も手伝いなさいっ」

「……あんなところに狙って当たるのかよ」

 雅がぼやくのもわかる。確かにあの場所ならライフル弾であっても数発直撃すれば脚は折れないにしても、駆動障害は起こせそうだ。ただ関節というよりは装甲の隙間といったほうが見た目的には正しいな。

 

 長期戦を覚悟した俺に、いきなり通信が入った。

『皆、あと少しがんばって……助っ人呼んだ』

「亜季姉ぇ?」

 突然の亜季姉ぇからの通話。助っ人といわれても、フェンリルはすでに全兵力を展開させている。

 

 しかし、誰がと問う間も必要なかった

「ぅおおおぉっ!」

 俺達の後方から、聞き覚えのあるシャーマンのウォークライ。

 人の手によって生み出された、作られた幻想。それはしかし人の手を経たからこその、まさに理想としての精霊の導き手である。その戦士の咆哮は紛れもなく本物だ。

 そして大量のミサイルが、トランキライザーに降り注ぐ。それらはすべて精確に脚の関節へ着弾。

 

「待たせたな!」

『その人はモホーク。私の、大切な友達』

 呟くような、それでいて絶対の信頼を持った亜季姉ぇの言葉。

 確かにこれは頼もしい助っ人だ。その腕前を間違いなく俺は「知って」いる。

 俺の記憶ではフェンリルで優秀なサポートとして活躍していた。今はまだ違うのか、機体色はフェンリルの青ではない。しかしそれで腕が落ちているわけではなさそうだ。

 

「助かった、モホーク。

 通常のウィルスなら一個小隊くらいは灰にできそうな火力だったが、相手はトランキライザー。いまだ健在である。それでもその巨大な四肢の動きは明らかに鈍くなっている。

 

 今なら、俺達でも折れる。

「千夏、レイン。左の二本を潰せっ」

了解(ヤー)

「いい運動になりそうだね」

 二人の声が揃い、競い合うようにトランキライザーへ襲い掛かる。今までの鬱憤を晴らすかのように、その動きは速い。

 

「雅と空は援護、砲座への威嚇を頼むっ」

「オーケー、派手にやろうぜっ」

「本気出しちゃうわよっ」

 接近する千夏とレインへ、いくつもの銃口が向けられる。しかし雅と空とがそれを阻止すべく、文字通り雨のように弾をばら撒く。

 俺も負けずとサイスを構え、飛び上がる。わずかに露出している関節機構へと刃を滑らせ、そしてそのままの勢いでハンマーを叩きつけた。

 

 神代の終わり、死せる戦士(アインへリアル)達は甲冑に身を固め、巨人達とウィグリドの野で激突した。時は移ろい、今仮想(ネット)の時代、俺達は戦闘用電子体(シュミクラム)にその身を変え、光の神(バルドル)の化身を打ち滅ぼす。

 轟音を立てて、その巨体が地に這った。

 

「レイン、敵左舷の残存する兵装をっ」

了解(ヤー)っ」

 すべての脚が折られてもなお、トランキライザーはのたうちながらも、射撃体勢をとろうとしている。しかも各部のガトリングもVLSも健在だ。たとえ擱座していても、その脅威が失われたわけではない。

 俺は目に付くそれらを可能な限り叩き潰していく。

 

「空、行けぇっ!!」

 まだ動こうとするトランキライザーの胴を、踊るように空の影狼(カゲロウ)が駆け上がる。生き残っているいくつかの砲座が空を狙うが、雅とレインの狙撃がそれらを黙らせる。

「まこちゃんっ」

 そしてついに空の腕がコクピットをこじ開けた瞬間、巨獣の断末魔のような駆動音が周囲に響き、トランキライザーは崩れ落ちた。

 

「レイン、周辺警戒を」

了解(ヤー)

 ジルベルトのことだ。もしかすると、さらに手勢を潜ませていることも考えられる。緊張が途切れそうになるが、ここで気を抜くことはできない。

 

 それでもあとはコクピットから真ちゃんの電子体を助け出せば、俺達の目的の大半は完了する。そのはずだった。しかしコクピットを覗き込む、空の言葉が俺達のそんな希望をあっさりと打ち砕いた。

「……居ない」

「居ないって、なんでっ?」

 千夏が皆を代表するように、疑惑の声を上げる。

 

『甲、空ごめん。騙された。そのトランキライザーは遠隔操作。真はミッドスパイアの地下、バルドルと一緒に居る』

実体(リアル・ボディ)の場所はわかる、亜季姉ぇ?」

『たぶん、米内議員の自宅。フェンリルの皆がいま追跡子(トレーサー)の反応を探してる。でも手が足りてない……』

「うむ、では俺と久利原でそちらに回ろう。俺達は今ミッドスパイアの中だからな」

「久利原先生も来てるのか?」

 あっさりとその名が出ることに驚く。

 

「ヤツは友だ。悪い風に吹かれていたが、今はそれも新たな風によって清められた」

「頼めるか、モホーク?」

 俺とレインがそちらに回るということもできるが、実体(リアル・ボディ)のほうはほぼ丸腰だ。現実(リアル)側でフェンリルと再合流する手間を考えたら、モホーク達に任せたほうが早く、しかも確実だろう。

「うむっ」

 

「あと、先生に約束を守れず申し訳なかったと伝えてくれ。真ちゃんの安全を頼まれていたのに……」

「あ、あの……私からも、お願いします」

 これはすべてが終わってから直接言わなければならないが、今現実(リアル)で真ちゃんを助けようとしている先生には、早く伝えたかった。表情画面(フェイスウィンドウ)を見るに、レインも同じ気持ちだ。

 

「ふむ……お前達は今から助けに行くのだろう?」

「もちろんだ」

「ならばよしっ。約束は違えられたのではなく、今も守られている。違うか?」

「……ありがとう、モホーク」

 力強く頷いて、そしてモホークは離脱(ログアウト)した。

 

 

    〓

 

 

「フェンリルのほうはどうだ、レイン?」

「フェンリル本隊はミッドスパイアゲート付近にて、立てこもるドミニオンと交戦中です。都市自警軍(CDF)はその多くが投降しつつあります」

 送られてくる状況報告を見るかぎり、すぐさまこちらに回せるほどの余裕はなさそうだ。先のジルベルトが引き連れてきたウィルスとの戦闘で、幾人か脱落したのが厳しいな。この入管ゲート制御中枢(セキュリティ・コア)の防衛で手一杯だろう。

 

「千夏と雅は、一度離脱(ログアウト)して治療を受けろ」

「甲っ、あたしはまだやれるよっ」

「まだ動けるうちに、自分で帰還してくれ、千夏」

 きつい言い方だとは自分でも思う。だが負傷して動けなくなった兵士ほど、友軍に不利益をもたらすものはない。今の千夏と雅の腕では、フェンリルにとっては足手まといにしかならない。

 ましてバルドル中枢にまで連れて行けるほど、俺にも余裕はない。

 

「フェンリルがドミニオンを引きつけてくれているので、バルドルまでは妨害は少なそうです。敵が残っていたとしても先ほど逃げ出したジルベルト程度でしょう」

 レインが落ち着いた声で現状を説明する。

 その言葉どおり、今はこの周辺からは敵の気配はない。先のトランキライザーの砲撃で、構造物まで破壊されているのだ。

 

「まあそりゃ、転送門(ゲート)までは綺麗さっぱり吹き抜けてるけどさ……」

「レインさんがそういうなら、任せるよ。亜季さんや菜ノ葉ちゃんも心配してるだろうしな。報告がてら、先に戻ってるよ」

 雅がそう言って、除装しようとする。それでもまだ千夏は迷うように視線を彷徨わせている。

 

 これは、いまがちょうどいいタイミングなのかもしれない。時間に余裕があるわけではないが、ここで話しておくべきなのだろう。

「なあ千夏、空……さっきの話の続きなんだけどな」

「さっきの話って、何よ?」

 また表情画面(フェイスウィンドウ)越しに千夏が睨みつけてくる。千夏のやつ、わかっていて突っかかってきてるな、これは。

「俺とレインの問題って話だよ」

 

「確かに最初から……いや去年のクリスマスからだな。俺とレインとは、お前のいうヘンな記憶ってヤツのせいで、ただあたりまえの学園生同士の関係からは外れてしまってるよ、それは認める」

 思い返せば、転校生とか寮の新しい住人とか、そういったごく普通の距離感でレインに接したことは、実際一度もない。すでにあのときから俺にとって、レインは傍にいて当然の存在になっていたのだ。

「それもあって空とちゃんと話す時間さえも取れてなかったことも、事実だ。恋人失格と言われても仕方ないな」

 

「ちょっと、甲っ! 私はあなたを振ったのっ、もう恋人とか付き合ってるとか、そんなの関係ないの。だからレインに告白して、しっかりお付き合いしなさいっ」

「あ、あの、空さん? 告白とかお付き合いとかではなくてですね……」

 いつも以上の空の暴走に、レインが訂正を入れるがあまり効果はなさそうだ。

 

「そういえば、俺はお前に振られたんだったよな」

 完全に意識から消えていたが、俺は振られたのだ。ただ自分でも酷い話だとは思うのだが、失恋した悲しみというのが、やはり沸いてこない。

「そういえば……ってなによ、それっ」

 

「そうですよ甲さんっ、この件が解決して落ち着いてから、もう一度空さんと話し合って下さいっ」

 あまりに軽い反応の俺に対して、レインの矛先までこちらに向いた。

 レインの言葉通り、本当ならゆっくりと話したいが、いまは時間的にも状況的にも無理だ。それでも伝えておきたいことはある。

 

「いやレイン、いいんだ。なあ勝手な話だが、空?」

「な、なによ、甲?」

「恋人じゃなくても、お前とはいい友達でいたい。駄目か?」

 我ながら勝手過ぎる言い草だが、それが俺の偽らざる気持ちだ。恋人として空の傍に居たいとは、もう思えない。しかし疎遠になりたいわけではなく、同じ寮の仲間としてこれからも付き合っていきたいというのが、本心なのだ。

 

「なんなのよ、これじゃあ私が振ったんじゃなくて、振られたみたいじゃない、そこ、千夏っ、必死で笑いをこらえるんじゃないっ!!」

 シュミクラムで笑いをこらえようとすると、機体が小刻みに震えるらしい。新鮮な発見だな。どうでもいいことだが。

 

「まったく。あたしがムシャクシャしてるのがバカらしくなったよ」

 笑いながら千夏は除装する。

「ただ甲、あたしはあんたを諦めない。卒業までに振り向かせて見せるさ。どうせ空も似たようなこと考えてそうだしね」

「だからっ私と甲はもうそういうのじゃないのっ」

「ですから、甲さんと私とはそういった関係ではなくてですね……」

 

 千夏の言葉にむきになって反論するレインと空。その二人の繋がりはとても大切だ。

 俺と空とがギクシャクするは確かにイヤだ。ただ、それ以上にレインと空の関係を、俺のために崩して欲しくなかった。

 レインにとって空は大切な親友であることは間違いない。空にしても顔は広いものの、一番の親友というとレインなのだと思う。

 

「すげぇな親友、去年の春先まではお前がこれほどのハーレム体質だとは、見抜けなかったぜ」

「ハーレムじゃねぇっ! というか千夏を連れてさっさと離脱(ログアウト)しろ」

「はいはい、がんばれよ親友。いろんな意味で」

 言いたいことだけ言って、雅は離脱(ログアウト)プロセスを立ち上げる。

 

「渚さん、菜ノ葉さんにお伝えください。私達も真さんを連れてすぐ戻りますので、明日の朝食は三人で一緒に作りましょう、と」

「わかったよ、レインにそう言われたら仕方ないね。でも無茶なことはしないでね、甲」

「それは空に言ってくれ、じゃああとで皆で寮で会おう」

 

 

 

 

 

..■一月二一日 金曜日 二二時三六分

 

 雅と千夏、二人が離脱(ログアウト)したのを確認した後、空がレインを問い詰める。

「レイン、さっき二人に言ったこと、ウソよね?」

「いえ、それが……バルドル付近に至るまで、一切の反応がありません」

 

 俺も空と同じく二人を逃がすための嘘だと思っていた。しかしレインの返答と同時に送られてきた情報には、確かにここから先バルドルへの転送門(ゲート)まで敵の姿がない。ただトランキライザーが撃ちぬいたあとに、なにか仕掛けてあるとも考えられる。

「普通に考えれば罠なんだろうが……ドミニオンに、トランキライザー以上の切り札(ジョーカー)なんてないよな?」

 

「|都市自警軍(CDF)とドミニオン、ともに構造体外壁付近に集結しています。敵残存兵力はこれがすべてとも考えられます」

 仮想(ネット)だけでなく、今は現実(リアル)でもミッドスパイア内部で立てこもるドミニオンとフェンリルが戦闘している。そちらに兵力を回すためにも、陸戦ができる教徒は離脱(ログアウト)しているのかもしれない。

 

「レイン、探知妨害(ジャマー)は不要だ。前方の索敵にのみ集中」

了解(ヤー)

 空の影狼(カゲロウ)の装備がどのようなものかは不明だが、サポート関連においてアイギスガードを上回ることはないはずだ。ここは素直にレインに索敵を一任する。

「そうね、トランキライザーが破壊できた今、焦ることはないわ。慎重に行きましょ」

「空、今お前に一番似つかわしくない言葉を聞いたぞ?」

「……甲?」

 和ませるつもりで言ったのだが、真剣に睨まれた。

 

「よ、よしっ。ここ制御中枢(セキュリティ・コア)の防衛は後続のフェンリルに任せて、真ちゃん救出に行くぞっ」

 

 

転送(ムーブ)

 

 焦る気持ちはあるが、相手は神父の能力を持ったジルベルトだ。どこにくだらないトラップを仕掛けているのか、予測もしたくない。警戒は怠らず、慎重に進んできた。

「次の隔壁の先がバルドルです」

 

 しかし一切の妨害も、地雷の一つもなく、俺達はそこに着いた。

「待ってください。ウィルスの反応多数」

「やはり罠か。いや、残りの防衛戦力をまとめただけか?」

 隔壁越しとあって敵の詳細な情報はないが、それでも罠というよりは、ありったけかき集めたという印象だ。

 

「俺が行く。レイン……と空は後方から支援」

了解(ヤー)

「ちょっと、甲っ、私も行くわよ」

 素直なレインの返答とは対称的に、空が反対する。

 

「中にはたぶん真ちゃんの電子体があるんだぞ? 複数で入りこんで暴れ回るのは危険だ」

「それは、そうだけど……私が前衛でもいいじゃない」

 俺は空の戦闘のテンポはわからないし、たぶんレインにしても副官だったという記憶がない今、俺と同じだろう。ただ、それをここで言うこともない。

 

「悪いな。第一、俺は手持ちの火器がこれしかない」

 わかりやすいように両手に実体化させたのは、サブマシンガンが二丁。熱を溜めやすく、ただ弾をばら撒くためだけに持ってきたものだ。命中精度が低いこの銃で、後ろから支援されたいやつはいないだろう。

「うわ……最低」

「褒め言葉として受け取っておくよ。行くぞ、二人とも」

了解(ヤー)

 今度は綺麗に声が揃った。

 

 

    〓

 

 

 地を鳴らすような轟音とともに、隔壁が開いていく。

 隔壁のその向こう、広大な空間の奥に、黒い長大なオベリスクか天を支える御柱のような構造物。仮想空間(ネット)においてもバルドルは現実(リアル)そのものの姿で、存在した。演算機能だけで言えば、有機AIを遥かに凌ぐ心持たぬ機械の神だ。

 シュミクラムからの視界でもってしても巨大なそれは、やはりどこか墓標に見える。

 形は違えども、トランキライザーに似た、どこか荘厳なまでの威圧感。

 

「確認しました。真さんです」

 周囲の雰囲気に圧倒されてしまったが、レインの報告で意識が戻った。

 その基部に、明らかに急造のポッドが設置されている。視覚をズームし、こちらでも確認する。間違いない、その中に真ちゃんが横たわっていた。

 ただそこに至るまでに、視界を埋め尽くすほどのウィルスの群れ。

 

「敵ウィルス、およそ一〇〇機。大半がアイランナーMとイールです。接近戦にはご注意ください」

 数は多いが、ほとんどが小型のウィルスだ。慢心ではなく冷静に判断しても、俺達三人の敵ではない。

 

 ただその大半が接近しての自爆か、張り付いての攻撃が主体なため、レインは接近するなと言いたげだ。しかし流れ弾を警戒して撃ち合うよりも、俺としては近接で排除していくほうがいい。

「予定通り俺が中に入る。二人は無理に動くな」

「……了解(ヤー)

 空はまだ不満そうだが、ここは飲んでもらうしかない。

 

 

    〓

 

 

 掃討はすぐに終わった。レインと空の的確な援護のおかげで、俺達に損傷はほとんどない。

「周辺に敵影ありません」

「なにか拍子抜けね。やっぱり主力はゲートのほうに向かっていたのかしら」

 警戒しつつも、空は真ちゃんの眠るポッドから目が離せないようだ。

 

「空さんっ!?」

 そんな空に向かって、一本のニードルが撃ち込まれた。

 視界の外、バルドルの影から撃たれたそれを、空は回避できない。

 

 時間が引き延ばされるような感覚。

 あの夢の中、溶け落ちていく空の様子が、脳裏に浮かび上がる。

 一瞬にも満たない、わずかな反応の遅れ。

 

 そんな俺よりも早く、レインは即座にイニシャライザを起動している。空を押し倒すように庇い、自らその攻撃を受けていた。

 が、胸部装甲で受け止めつつ、ライフルで反撃。同時に俺も両手にサブマシンガンを実体化し、熱量限界まで撃ち込み続けた。ここでまた中途半端に逃げられるのも、面倒だ。

 

「ぐああぁぁっ」

「まったく……懲りないヤツだな、お前も」

 撃たれた武器から予測していたが、やはりジルベルトだった。

「隠れてこっそり狙撃ってわりには、お粗末な結果だな。あんな程度で俺やレインが殺せるとでも思っているのか?」

 

「殺す? ふ、ふは、ふはははっ、門倉甲君っ、君はまったくクソムシな愚か者だな」

 なにかジルベルトの口調がおかしくなってきているが、やはり神父化が進んでいるのか。もう機体は動けないだろうが、警戒は解けない。

 

「レイン……レインっ、しっかりしてっ!」

「どうした、空?」

 空の口調になにか異変を感じ、視覚の隅にアイギスガードを映す。

 先ほどのように装甲の薄い背面からの攻撃ならともかく、ニードルガンの一撃などいくらアイギスガードがサポートに特化しているとはいえ、正面装甲を撃ち抜けるほどではない。実際、今も視界の端に映る機体ステータスには目立った被害警告はない。

 

 しかし、眼前ではありえないことが起こりつつあった。

「そら、さん……よかった、こん、どはちゃんと…私が、代わりになれて、ほんと、に…よかった……」

「……レ、イ…ン?」

 ニードルが命中した正面胸部装甲、貫通した様子もないのに、しかしそこから何か黒ずんだ液体が滴れ落ちる。まるでレイン自身が血を流しているかのように。

 流れ落ちた液体はアイギスガードを中心として広がり、沸き立つように黒い霧が立ち込める。

 

「レインっ、手を伸ばしてっ」

 もはやジルベルトに構っているときではない。俺も空も、必死で機体を進める。

 しかし仮想(ネット)論理(ロジック)自体が変質しているのか、機体は前に進んでいるのに、レインとの距離が縮まらない。

 空が撃たれたと気付いた先ほど以上に、俺はパニックを起こしていた。

 

「くそっ、レイン、離脱(ログアウト)しろっ」

 こんな状況で離脱(ログアウト)できるかどうかわからないが、試さないよりましだ。だがその声さえレインに届いているか定かではない。

 気持ちだけ焦るが何も手が出せないうちに、黒い霧は少しずつ濃度を増し触手のように形を整え、アイギスガードに絡み付いていく。

 

「ジルベルト、貴様ぁっ! レインまで神父にする積もりかっ!?」

「神父……? 何を言ってている? 残念だ……まだこの期に及んでそんなことを言っているとは、本当に残念だ。これは縁なのだよ、門倉甲君。桐島レイン君と我々との、深い深ぁい、縁なのだよっ」

 しゃべっているのがジルベルトなのかグレゴリー神父なのか、もはや判別が付かない。わかるのはこいつの言葉が無性におぞましいということだけだ。

 

「ふははははっ、そちらのソフィアの御使いを捧げて、顕現を画策したが……いやはや、都合よく御子候補が割り込んでくれるとは、ま・さ・に・僥・倖っ」

 崩れ落ちているノーブルヴァーチュ。今はその姿が、黒く歪みはじめているアイギスガードに対し、五体投地して祈りを捧げているかのように見えてくる。異形の者による機械の神への祈祷。

 

「御子候補? 何のことだジルベルトっ」

「おやおや門倉甲君、知らなかったのかなぁ、あの雌はもともと我がドミニオンにおいて御子として育てられていた一人なんだよ?」

 その言葉で、思い出さされた。

 エイダさんを失った直後のレインは、教団が作り出した母親を模したNPCに会うため、それがNPCだと本心ではわかりつつも何度も教団の構造体に足を運んでいた、と。

 

「さすが六条学生会長。我が教団内部でも失われた情報まで正確に調べ上げていたよ。何に使うつもりだったのかは知らんがねぇ」

 なにかジルベルトがさえずっているが、そんなことはどうでもいい。

「レインっ、大丈夫かっ?」

「甲…ん、ノイ……ェーン、実体化と…ともに、内部から……」

 こんな近くなのにレインの声がはっきりと聞こえない。

 

 しかしその声が告げる内容は、聞き取れずともわかってしまう。

「レイン……まさか、あなたっ」

 空もレインの意図に気付いたようだ。

 俺が贈ったあのペンダント。傭兵時代、レインはそこに自決用の電子体アイテムを封入していた。そしてこの作戦に従事するときにもまた……

 理解できないない状況に動転していたが、その瞬間、一気に目が醒めた。

 

「やめろレインッ!! 自決は許さんっ!

 これは上官からの命令だ!!」

 

「こ…う、さん?」

 すでにアイギスガードの下半身は、黒く染まっている。

 だが逆に、実体化しはじめたことからか、レインとの通話状態は良好になりつつあった。

 通話が繋がっているなら、助け出す方法は何かあるはずだ。

 

「レインっ、感知装置(センサー)を可能な限り遮断っ、浸入を防いでっ」

 空が防衛方法を叫ぶ。どこまで役立つかはわからないが、やれることがある限り、レインは死を選ばない。

 その間にも、周囲に散らばるウィルスの残骸が吸い寄せられるようにアイギスガードに向かって集まっていく。仮想(ネット)論理(ロジック)では再現できるはずのない、まさに異業だ。

 

「なんなんだよ、これは……?」

「……これが、ノインツェーン、よ」

 アイギスガードを包み込むように残骸は組み合わさり、溶け合いつつ、形を整えていく。

 細かなディティールは違うのだが、どこかそれは先ほど破壊したトランキライザーに似ている。ただ組み合わさっていく脚部は幾本も形成されており、巨大な白銀のサソリといった様相だ。

 

「甲、よく聞いて。レインはノインツェーンの再生の核にされてる。いまはまだ飲み込まれていないけど、それもたぶん時間の問題」

「逆に言えば、あの周りにこびりついたゴミを払いのければ、レインを助けられるってことだな」

 ならば、やることは簡単だ。

 機体サイズは大きいが、トランキライザーほどではない。

 

「空、お前は真ちゃんを頼む。巻き込まれないようにすぐにここから離れてくれ」

「甲っ!?」

「おいおい、なにも死にに行くって話じゃない。レインを引っ張り出してくるだけだ」

 返事を待たずに俺は空から遠ざかるように機体を動かし、威嚇を兼ねてサブマシンガンを撃つ。

 

「さっき言ったとおり、あいつの足元近くに真ちゃんが寝てると思うと、安心して切り崩せない」

 話しつつも、熱量の限界までサブマシンガンを撃ち続ける。

 回避されることもなく全弾命中。融解しきっていなかった装甲が、皮を剥くように剥がれ落ちていく。ウィルスの残骸から生み出された、仮想(ネット)論理(ロジック)を無視したような異形ではあるが、こちらからまったく手が出ないほど異質な存在というわけではなさそうだ。

 

 しかも俺を優先すべきと判断したのか、都合よく空から離れてこちらに機首を向けた。その巨体から想像するよりも急激な加速で、突き進んでくる。

「焦るなよ……」

 レインが完全に取り込まれるまで、それほど時間に余裕はないだろう。だが焦りは禁物だ。やり直しが効かないからこそ、状況を正確に把握して、一回で方を付ける。武装も装甲も挙動さえもまったくの未知の敵だ。時間がないからといって無策で突っ込むだけでは、レインを助け出せるとは思えない。

 

「まったく……敵戦力の分析はお前の仕事だろう」

 逸る気持ちを抑えるため、そしてレインになら俺の声は届くはずだと信じて、わざと普段どおりの愚痴をこぼす。

 残念ながら、返ってきたのはレインの言葉ではなく、機体表面から撃ち出された黒い球体だ。

 一見、影狼(カゲロウ)にも装備できるインボーバーのようにも見えたが、予断はできない。追尾姓は良さそうで、その代わりに弾速は遅い。実体化させたままのサブマシンガンを三点バーストに切り替え、できる限り最小限で迎撃していく。

 

「こんなところで時間を取られている場合じゃないだろ、レイン」

 言葉をつなぎながらも、細かくダッシュを挟みつつ回避機動を続ける。回避に集中すべきなのはわかってはいるのだが、いま話すのをやめるとレインとの繋がりが消えてしまいそうな、そんな予感がする。

 

「明日の朝食に遅れたら、手伝うといった菜ノ葉には泣かれるし、千夏には馬鹿にされるぞ?」

 空のほうはすでに除装して、電子体のまま真ちゃんの救出作業をしているようだ。詳しい状況を確認したいが、さすがにその余裕は無い。

 空との連携が初めてだからというのは言い訳にしかならないだろうが、あちらの詳細がわからないというのはかなり不安だ。

 これがレインなら、作業の進展状況を逐次転送してきているはずだと、どうしても比べてしまう。

 

「それにサウジのビーチに行くって話を忘れたわけじゃないだろうな? 賭け試合で稼いだ金で、豪遊するつもりなんだぞ」

 現在シュミクラムは俺だけのためか、こちらに向かってきてはいるが、いつ空と真ちゃんのほうに攻撃するか予測不能だった。レインのサポートがなければ、本当に俺は周辺状況の把握さえ満足にできそうにない。

 

「っ!」

 地面に黒い滲みができたかと思った瞬間、そこからまっすぐに触手が伸び、檻を形成する。

 発作的に後方へダッシュ。あの触手自体にダメージがあるのかどうかは不明だが、囲まれたら回避どころか身動きできない。

 

「だいたい泣くときは一緒に泣いてやると、約束したばかりだろ。これじゃあ泣くのは俺一人になっちまう」

 今回は避けられた。が、予備動作も何もかもが判りづらい相手に対して、これ以上防戦一方の戦いは不利だ。先ほどから僅かずつとはいえ影狼(カゲロウ)の装甲が削られている。

 

「甲、まこちゃんは救出、思いっきりやっちゃってっ!!」

「おうっ!」

 その報告とともに、空が再び移行(シフト)。そのまま隔壁のほうへダッシュ。その腕には真ちゃんの電子体が大切に抱かれている。

 巻き込むのが怖くて回避に専念していたが、ここからは存分に反撃させてもらう。

 

「レイン……お前は俺にとって、最高の相棒で、副官で……背中を預けられるのはお前だけなんだぜ」

 俺の意思を読み取ったかのように、ノインツェーンも近接攻撃に切り替えた。幾本もの触手がこちらの動きを捉えようと広げられる。

 

「見切ったっ!!」

 バックステップでその先端を回避し、その異質な装甲表面をナイフで貫く。ここからは幾千と繰り返した動作だ。残念ながら失敗したことも何度もあるし、これからまた何度も失敗するはずだ。

 

 だが、この瞬間だけは、何があっても間違えることは許されない。

 フィッシャーストライクでその背面を打ち抜き、さらに実体化したハンマーで地面に叩きつける。

 相手に動く余裕を与えず、ひたすらに精確に攻撃を積み重ねる。

 

 そしてイニシャライザ。

 先ほどと同じ動作を寸分の狂いもなく繰り返し、バルドルの黒い壁面に、その巨体を叩きつけ、慣性で押し上げていく。

 最後に、両手に二本の短剣を実体化。

 

「ぅぉぉおおおおっ!」

 溜まりに溜まった機体の熱を糧に金色に輝くその刀身をもって、ただひたすらに斬り刻む。

 数え切れぬほどの斬撃の末、醜くくすんだ廃材のようなノインツェーンの装甲の裏に、蒼い装甲が見えた。

 あと少し、あと少しですべて引き剥がせる。

 

 だがその時、イニシャライザが切れた。

 発熱した機体は、自分の身体とは思えぬほどに重く、満足に動くこともできない。

 わずかに、俺だけでは、足りない。

 

「……早く戻ってこいっ、レインっ!!」

 俺の呼びかけに応えるように、巨大なノインツェーンの幾重にもパイプが組み合わさったかのような背面から、蒼く輝くランスが突き出された。

「甲さんっ!!」

 

 絡み付いた「ノインツェーンだったもの」を振りほどきながら、アイギスガードが空に飛び出した。

 ランスが消え、アイギスガードの腕が伸ばされる。

 俺も熱限界に近い影狼(カゲロウ)の腕を、ただまっすぐに伸ばす。

 

 俺達は互いの手を掴んだ。

 

 

 

 

  連関 / Linkage

            終

 

 

 

 



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第0章 甲 / Chapter0 Kow

 

 

..■一月二九日 土曜日 四時五五分

 

 

  - 目覚めると、俺は白い海に漂っていた

  - 柔らかなシーツの感触

 

  - だけどベッドから抜け出すのはまだ早い。

 

  - だって、聞きなれた呼び声が、

  - まだ俺の耳には届いていないから。

 

 

 ジリリリリリリリ……

 残念ながら柔らかなまどろみは、聞きなれた呼び声などではなく、脳内に鳴り響く目覚ましによって破られる。自分で設定しておいてなんだが、立ち上がるまで停止できないこの目覚ましは、いささか過剰だ。

 目覚ましを止めるためと、文字通り目を覚ますためにベッドから抜け出し、大きく背を伸ばす。そして手早く着替えを済まし、階下へ向かう。

 

「おはようございます、甲さん」

「おはよう、レイン」

 玄関を出ると、レインがすでに準備を整えている。

 いつものように。

 

 

    〓

 

 

 事件からすでに一週間。

 俺達の生活も日常に戻りつつある。

 救出後、レインも真ちゃんも即座にノイ先生のもとに連れて行かれた。それも二日ほどの検査入院の後に、問題も後遺症もなく、週明けには寮に戻ってきた。

 

 ミッドスパイアのバルドルへの襲撃も、当初はカルト組織による大規模テロとして話題を集めていたが、結果的に抑えられた被害と関係者の速やかな逮捕とで、すでに世間の注目は次の事件に移りつつあった。

 不自然だった都市自警軍(CDF)の動きは、米内派との関係を暴露されることを恐れた一部の上層部による暴走ということで片付けられている。今、都市自警軍(CDF)内部では大規模な人事異動が行われているらしい。しかし米内議員の息子がジルベルトだったというのは驚きだった。まああの男のことだ、周りを巻き込むためにすべて白状するだろう。俺としては、二度と関わりたくない。

 

 ミッドスパイアのバルドルシステムは、テロによる損壊が激しいということで都市管理からも切り離された。今後は管理に有機AIが介入することになりそうで、それに対する住民の反発はあるようだが、文字通り雲の上の話だ。

 ただ亜季姉ぇから聞いた話だと、実際のところはシステムとしての完全停止は不可能なために、物理的に外部からの接続をすべて遮断。設置場所そのものにも電磁的にシールドを張り巡らし、アクセスを不可能にしているらしい。

 俺としては完全に破壊してしまえばいいとも思えるが、あのバルドルの中に残っているノインツェーンの、その意識ではなく知識データベースは破壊するには惜しいというのも、納得はしにくいが理解できなくもない。知識そのものに善悪はないのだろう。

 

 

    〓

 

 

 そろそろ明るくなる時間も早くなっているが、まだ朝のこの時間は暗い。わずかに日の光がさす朝の川原を、俺はレインと並んで走る。

(そういえば新学期からは、久利原先生が星修で講師に復帰されるとか)

(らしいね。監視は付くけど、日常生活程度のネット接続は大丈夫になったって聞いたよ)

(私はちゃんと久利原先生の講義を受けたことがありませんので、今から楽しみです)

 

(講師といえば、モホークも星修に戻ってくるってさ。あいつが教壇に立つ姿ってのはなかなか想像できないけどね)

(ああ見えて面倒見のよい方ですから、きっと生徒思いのすばらしい先生ですよ)

 隠すほどのことはない他愛ない話。別に直接通話(チャント)でなくともいいのだが、走りながらとなると、これはこれで便利だ。

(あとは雅経由のアヤシイ噂なんだが、新しい保険医が来るとか来ないとか……)

 

 もうすぐ亜季姉ぇは如月寮を出る。

 俺達もあと一年で卒業だ。

 雅は進学した上で都市自警軍(CDF)に、千夏はすぐに統合軍に入る予定だという。

 空も、詳しくは聞いていないが進路は決めているらしい。

 俺だけがまだ何も決められていない。

 

(新しいといえば、先日、六条学生会長からご連絡を受けました)

(六条学生会長って、鳳翔学園のか?)

 一度レインの通話を覗いたときに見かけた銀髪の少女。そういえばなにかジルベルトが彼女の話をしていたような気がするが……

(はい。鳳翔学園に戻ってきて次の学生会長にならないか、とお誘いされました)

(おいおい、まさかいつかの借りを返せって話か?)

 おそらく半分は冗談でしょうが、とレインは言うが半分以上は本気なんだな。やっぱりあの人に何かものを頼むのはよくない。

 

(六条会長ご自身もドミニオンとは浅からぬ関係がおありで、それもあって教団の活動を阻害するために、いろいろと調べておられたらしいです)

(ジルベルトはその情報を、どこかで覗き見たってことか)

 もしかするとわざと知らせたという可能性もあるが、疑いだすのは止めよう。

 

 そしてレインはなにか思い出すように、遠くを見つめていた。

(あの時……ノインツェーンに同化されかけた時、不思議なことに母の声を聞いた気がするんです。教団に近づいていたのは、父に認めてもらうためにその活動を調べようとしていた、と。そして最後に『約束を守れずにごめんなさい』って)

(AIがすべてを覚えていて、遅くなったけど、レインに伝えてくれたのかもな)

(そう信じたいですね……いえ、きっとそうなんです。母は最後まで私のことを思っていたくれたんです)

 

 エイダさんはドミニオンと戦って亡くなられた。俺の母さんも、おそらくはそうなのだろう。

 

 

    〓

 

 

 レインと並んで、まだ暗い川原を走る。

 川向こうに見える空が、少し色付きはじめている。橙と暁、そして紫。一日のはじまりだ。

 ふと、二人して足を止めてしまう。

「学園生活はあと一年あります、その間に、甲さんの夢をかなえる方法を見つけましょう」

 俺の夢、か。

 

「正義の味方、でしたっけ?」

「親父に憧れていたんだ。名も出さず、どこかの誰かのために戦い続ける、俺の親父はそんな正義の味方だって、信じたかったんだな」

 レインと並んで東雲を見上げる。

 

「なら、それを目指しましょう。私達にはそれができる力が、きっとあります」

 傭兵時代、俺はレインと二人、長い時を過ごした。その記憶があったからこそ、年が明けてから俺達は近付けたのだと、そう思っていたときもある。

 

 だが、それは違う。

 

 あの記憶は大切だが、それを守るためにレインと共に歩むのではない。

 記憶をなぞっていくのではなく、新たに書き足していくのだ。

 今から進むのは、誰も知らない時間。

「そこまで付き合ってくれるか、レイン?」

 

「いいえ」

 

 レインの柔らかく優しい否定。

「いいえ、そこまでとは言わず、その先まで付き合わさせていただきます、甲さん」

「ああ、そうだな。俺達は……」

 

  - 二人でひとつの命を共有する

 

「愛してる、レイン」

「私も愛しています、甲さん」

 手と手、指と指を絡ませ、俺とレインは今初めて唇を重ねる。

 

 

 クリスマスから続いた、長い長い灰色の夜は、明けた。

 

 

 

 

  BALDR SKY World7 +Flat

            "...Hello, World!"

 

 

.




 
 
●ここまでお付き合いいただきありがとうございます。以前にArcadia様のチラシの裏にアップしたものを、にじファン様に上げなおすときに、せっかくだからとゴソゴソと修正したものを、さらに閉鎖~引越しに伴い細部修正したものが、今回のものとなります。追加したいシーンとかもあったりしましたが、まああまり変更し続けるのもなんですので、誤字脱字とちょっとした描写の調整程度にとどめております。以下にじファン様で上げていたときのあとがきをぺたっと~Arcadia様版のあとがきは長くなるので今回はなしということで。(2012/10/08)



●下のあとがきの繰り返しになりますが、空ルート終了後の世界7はいろいろと面白そうで、DiveXの詳細が発表されるまで、普通にファンディスクは後日譚入るものだとばかり思ってました。亜季姉ぇには出席日数足らずでもう一回留年してもらえば、同級生編とかできそう?

●せっかく修正するならばと、一応未プレイの方でも読めるように世界設定やキャラクタなど最低限の説明は追加しようと思って、その辺りだけは注意して書き足してみましたが、どうでしょうか? あとは+5章の対トランキライザーやノインツェーン(?)戦なども、がつっと増加しようとかも考えましたが、それをやりだすといつまでたっても終わりそうにないので、素直にあきらめました。

●最初に考えていたのは、朝起きて牛乳のんで出撃して朝メシ食って牛乳のんで体操して出撃して昼メシ食って牛乳のんで出撃して晩メシ食って牛乳のんで出撃してシャワー浴びて出撃して寝る……みたいな学園モノなのに戦争モノっぽい日常モノにしたらどうだろうなーとかは、スイマセン今口からデマカセで書いてます。まあ体操してメシ食ってメシ食っては繰り返せたので、勝手に満足しております。

●それはともかく、書く上で注意したのは、可能な限り原作準拠でいこうということ。オリキャラとかオリ設定とかは今回はせっかくだからなしということで~と思ってましたが、何気に困ったのが雅の嫁さん候補。原作にほとんど描写がないので、出すに出せず。同じくマーカスも妹が不明すぎて、出したかったけどパスしてます。オリ設定なしといいつつも、最後のジルベルトとかあの辺りははびみょーにその範疇を超えてそうですが……

●ちなみに戦闘シーンもできればゲームシステム上で再現できるんじゃないかな~程度にしたら面白いかな、と。そんなわけで甲の装備はwikiにある「≪DIVE1&DIVE2対応COMBO≫・・・ほぼ連打のみダメージ」です。割と定番っぽいコレダー始動とか、それこそ門倉コーデックスとか描写できたら面白いんだろうなーと思いつつも、うまく言葉にできそうになくて断念。それ以前の問題でコーデックスは動画を何度見てもすごすぎて何がどうなっているのやら~でしたけど。

●では、よろしければまたどこかで。(2011/09/26)


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