魔法先生ツインズ+1 (スターゲイザー)
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第一章 運命編 第1話 ツインズ+1、来たる

意見や質問などありましたら宜しくお願いします。


 

 イギリスはウェールズのペンブルック州にある、のどかな田舎町にその建物はあった。緑に囲まれた静かで穏やかな街の一画に、一般人には知られずにある教育機関がある。歴史を感じさせる格調高き伝統的な建築物。その中心に聳える講堂の中でローブを着た人達が集まって慌ただしく動いていた。

 

「遂に彼らが卒業ですか」

「感慨深いものがありますね」

 

 作業する人達の中で壇上から遠い場所にいる大人二人が感慨深げに準備が勧められる会場を眺める。慌ただしく彼らと同じローブを纏った人達が急ピッチで設営を行なっているのは、これから行われる卒業式の準備の為であった。

 彼らは自分の担当分の準備が終わったので開始まで少し時間があり、卒業式を間近に控えていることもあって感傷に突き動かされて駄弁っていた。

 

「どうですかそこら辺、一昨年の担任としてなにか一言」

「ようやくという気持ちもありますし、もうという気持ちもあります。苦労させられましたがそれだけの甲斐はありました。特に二年前の各魔法学校対抗戦は盛り上がりましたよね。あの三人が中心になってここ十年は遠ざかっていた優勝トロフィーを手にした時はもう」

 

 ぐっと当時のことを思い出して今年卒業する生徒たちの一昨年の担任は拳をギュッと握った。

 

「特にアメリカのジョンソン魔法学校との激戦は歴史に残るやつでした。あの時からでしたっけ? あの三人に渾名がついたのって」

「間違いなくあの時からです。言い得て妙な渾名って思いましたよ」

 

 駄弁る彼らと同じように自分が担当する作業を終わらせた一人が近づいてきた。

 

「魔法学校対抗戦で優勝したのって、教職員揃って万歳三唱したやつでしょ。ほら、あそこに飾ってある」

 

 と、作業をしながら話を聞いていたのか言いながら指差した先には一つのトロフィーがあった。

 指差した先に飾られたトロフィーは飾ることを決めた人間の気持ちを反映するように目立つ場所に置かれていて、輝かしい功績を称えるようにステンドグラスから入った太陽の光に反射して燦然と輝いている。

 黄金に輝いているトロフィーを見る三人の顔は揃ってにやけていた。

 

「こう見ると誇らしいですけど、私はその後の校長先生が喜びすぎて逝きかけた印象が強すぎて」

「自分もです。みんな優勝を喜びすぎて気づかなくて、ドネットさんが蘇生処置しなかったら危なかったって」

 

 あはははは、と乾いた笑みを漏らした三人は噂をしていた当人が近づいてくるのを見て口を噤んだ。

 

「ちょっとそこの三人。サボらないで下さい」

 

 校長の秘書兼パートナーであるドネット・マクギネスは腰に手を当てて、サボって雑談している三人を視線だけで咎めた。美人なのだが実はアラフォー独身のドネットは高嶺の華扱いされている才女である。普段は優しいのだが怒ると怖いのが偶に傷という女性であった。

 

「ドネットさん、ちゃんと自分の作業は終わらせてます」

「空いた時間に感傷に浸るぐらいは許して下さいよ」

「トラブルメーカーたちの被害を遭わされた被害者の会の最後の会合なんです。見逃して下さい」

「気持ちは分かりますが、他の人の作業はまだ終わっていないんですから端の方でやって下さい。ハッキリ言いますが邪魔です」

 

 ご尤もとドネットの言に頷いた三人は、周りから手伝えコールを送られるのを敢えて無視して会場の端へと行くことにした。

 すると、そこには先客がいた。

 

「おや、先生と司書もサボりですか?」

 

 う~んう~ん、と眉間に皺を寄せて紙とペンを手にした教師と腕を組んでいた司書は乱入者に顔を上げた。

 

「違います。卒業生に贈る言葉を考えてるんですよ」

「儂は付き合いじゃ。向こうの準備を手伝うには老骨に肉体労働はキツイからの」

 

 送辞を考えている教師はともかく、矍鑠としている司書はサボりだなと教師たちは思った。

 

「送辞を今考えてって遅くないですか? そういうのって事前に決めておくものじゃ」

「そうなんですけど、この前起こった山火事の後始末とこの卒業式に向けた準備で時間なんて取れませんでした」

「ああ、卒業試験でやったアレですか」

「あれは凄かったのう。学校の裏庭の森を焼いた火は図書室からもよう見えたわい」

「最後までやってくれましたよ。お蔭で送辞を考える時間も本当に無くて」

「ご苦労様」

 

 最後の犠牲者に全員が慰めの言葉をかけつつ、自分にお鉢が回って来ないことにホッとしていた。

 

「そういえば司書もなにかありますか? 今期の卒業生に対して」

「儂か?」

 

 ズーンと肩を落として沈み込んでいる今年の担任から視線を外した一昨年の担任は司書に話題を向けた。

 

「ほら、ここにいるのって今期の卒業生に振り回された被害者の会じゃないですか。司書にも何かエピソードはないかなって」

 

 司書は思い出すように視線を中空に向けて、次の瞬間には長い長い溜息を漏らした。

 

「あるわい、山ほどにな。あの三人は生徒の入室が禁じられている禁呪書庫侵入の常習者じゃぞ。儂がどれだけ侵入されないように策を弄したことか」

 

 年に似合わない哀愁を漂わせて司書は眉を下げた。

 

「大変でしたね」

「昼夜関係なく侵入してくるから大変なんてものじゃないわい。まあ、最近はあれだけ骨のある子も珍しかったがの。楽しかったのは否定せんわい」

 

 前年度の担任に言いながら満足そうに、そしてどこか寂しげに司書は微笑んだ。

 

「と、司書は言ってますが今年の担任としては彼らのことはどう思っています?」

 

 どれだけ苦労したかを老人らしく延々と前年度の担任に語る司書らを無視して、一昨年の担任と最初から一緒にいた教師が今年度の担任に嘴を向けた。

 

「僕も苦労させられたなんてものじゃありませんよ。彼らが仕出かした悪戯の為にどれだけ校長や他の教師に頭を下げたことか」

「の割には嬉しそうじゃないか、君」

 

 今年度の担任が身振り手振りを交えて強い口調で語りながらも口元が綻んでいるのを一昨年の担任は見逃さなかった。

 

「仕方ないじゃないですか。あの二人が入学してから毎日がお祭りのようでした。色んな騒ぎがありましたけど思い返してみると楽しかったと思えるんです。よく手間のかかる子ほど可愛いって言いますけど、良くも悪くも彼らのお蔭で楽しかったのは事実ですから」

 

 視線を準備が終わりつつある会場に向けた今年度の担任は、卒業生よりも先に会場入りして用意された席についていく在学生を捉えていた。

 

「連日の型破り。規則の違反。挙げれば枚挙に暇がありません。でも、彼らは迷惑をかけることがあっても人を傷つけたり悲しませたりすることは決してやりませんでした。何時だって巻き起こす騒動は皆を笑わせてくれましたし、泣いている人がいたら手を差し伸べ、落ち込んでいる子がいたら励ましています。彼らは僕の誇りです」

「いなくなると思うと寂しくなるな」

「本当に」

 

 たった数年だったが楽しかった時間を思い起こして、その時間が二度と戻って来ないことに郷愁を抱きつつも、教師達と司書の目には喜びがあった。学生達はここで育ち、巣立っていく雛鳥である。雛鳥たちが幼い翼で大きな世界に旅立っていくことを喜びこそすれ、悲しむことなどありえない。今が羽ばたきの時であることは何年も教師をやっていれば分かる。

 

「先生たちもそろそろ準備して下さい。もう直ぐ卒業式が始まりますよ」

 

 大の大人の男達が揃って今日巣立っていく若鳥達を見送る親鳥の気分にいたところへ、現場指揮を執っていたドネットがやってきて告げる。

 

「あ、送辞出来てない」

「ドンマイ」

「アドリブでどうにかなるさ」

「そんなぁ」

 

 ゾロゾロと移動しながら泣き言を漏らす今年度の担任を皆で笑いつつ、司書も含めて全員が所定の位置につく。

 この日の為に来ていた来賓が会場入りし、卒業生の家族達も次々と入って来る。数分かけて全員が所定の位置につき、最初はざわついていた在校生たちも周りの大人達の厳かな空気に触発されたように静かになっていく。

 そして遂に卒業式が始まる。

 腹に響く様な鐘の音の直後、大聖堂を思わせる大広間の入り口がゆっくりと開けられていく。

 外から入る光で扉の向こうにいる人物の姿は影になって見えない。

 先頭にいるのは影になって見間違えない特徴的なシルエットをした、このメルディアナ魔法学校校長。が、今回の主役は彼ではない。その後ろにいる小さな影たちだ。

 

「来たぞ。我らがメルディアナ魔法学校が誇る黄金三人組(ゴールデン・トリオ)人間台風(ヒューマノイドサイクロン)雷小僧(サンダーボーイ)火の玉少女(ファイヤーガール)のご登場だ」

 

 誰かが小さな声で言った。校長の後ろを歩くのは、人間台風(ヒューマノイドサイクロン)と言われた今年度の主席である赤髪に小さな丸眼鏡をした線の細い少年。次いで歩くのは太陽に輝く短い金髪を天に逆立てた、見るからに運動が得意と分かる体格をした雷小僧(サンダーボーイ)。三人目は頭の左右で髪を纏めた生気に溢れた勝ち気な目をした火の玉少女(ファイヤーガール)

 メルディアナ魔法学校のトラブルメーカーこと、黄金三人組(ゴールデン・トリオ)は足音も高く会場へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 一つの儀式が執り行われていた。今日はメルディアナ魔法学校にある大聖堂を思わせる広間で卒業式を行っており、そこには厳粛な空気が張り詰めている。

 頭までローブにスッポリと覆われ、杖を持った大勢の者達が見守る中で、ローブにトンガリ帽子と言う如何にも魔法使いな格好をした少年少女達が数人いる。そんな少年少女の彼らから見て、正面の少し高くなった演台の向こうにいるのは、この場所の責任者である校長。この場で最も多くの視線を集めているその人物は、背後のガラス越しに差し込む光によって、その威厳をより高めているかのようであった。

 魔法を以って人知れず社会に貢献する人物を目指す子供たちが、この地を出立しようとしていた。今年度の卒業生の数は六人、男の子は深い緑色のローブ、女の子は紺色のローブに三角帽と、それぞれ新米魔法使いらしさを匂わす服装で顔に緊張を滲ませて立っている。

 

「卒業証書授与、この七年間よくがんばってきた。だが、これからの修行が本番だ。気を抜くでないぞ」

 

 低く、それでいて良く通る声が反響しながら講堂中に響き渡り、少年少女達に僅かな緊張が走る。胸の下まで伸びた立派な白髭に、年季の入った豪奢なローブという高位の魔法使い然としたメルディアナ魔法学校校長が、壇上の下に並ぶ今年度の卒業生達に祝福の言葉を贈っていた。

 いよいよ明かされる彼らの未来への第一歩。立派な魔法使い(マギステル・マギ)になるべくこれから修行を始める彼らに取って、この時は緊張の一瞬なのだろう。

 これから巣立っていく教え子達へ、人生の先輩としての訓示が述べられる。卒業式開始と同時に続いていた訓辞がようやく終わり、ついに卒業証書の授与に移る。いよいよ始まる卒業証書の授与。講堂に静かな緊張が走る。

 

「これより卒業証書の授与を行う。メルディアナ魔法学校卒業生代表! ネギ・スプリングフィールド! 前へ」

「ハイ!」

 

 電球は使われず、明かりは蝋燭のみで照らされている薄暗いホールの中に、少年少女達の中で真ん中にいた幼い顔つきの如何にも魔法使いチックな白いローブを頭まで被った赤毛の少年ネギ・スプリングフィールドの声が響き渡る。

 ネギ・スプリングフィールドと呼ばれた少年は芯の通る声で返事をしてから、ゆっくりと前に踏み出す。壇上へと進み出て校長から手渡される卒業証書、それを両手でしっかりと受け取り、返礼をして壇上から元の位置に戻る。

 

「次に、アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ君」

「はい!」

 

 先ほどの少年と同じ様な赤毛の元気のいい少女が次に呼ばれて前に出る。同様に卒業証書を受け取り一礼してから元の場所へと戻る。

 同様に次々と卒業生の名前が呼ばれ、壇上に上って卒業証書を受け取って戻っていく。

 

「うぅっ…………ネギ、アーニャ、アスカも立派になって」

 

 堂々とした足取りで校長の前まで歩み、「おめでとう」という祝福の言葉とともに卒業証書を渡されるネギとアーニャの姿に、二人の姉貴分であるネカネ・スプリングフィールドが二人の成長を感じ取ったのか感極まって、口元を押さえて泣いていた。

 

「これこれネカネ。あの子達の折角の晴れ舞台に泣くもんじゃないわい」

「ですけど、スタンさん。あの子達が無事に卒業出来るなんて、うぅ」

 

 隣にいた老人スタンは泣き止みそうにないネカネにハンカチを渡しながらも彼もまた晴れやかに孫分達の晴れ姿に目を細めた。

 四人目が終わって残り二人となったところで、ネギはふと隣にいる双子の弟を見た。特に意図した行動があったわけではない。どんな事にも怖気づくということを知らない双子の弟だがこういう厳かな式が心底苦手なのにも関わらず、静かにしていることが気になったのだった。

 視線を向けると当の本人が目を開けて立ったまま器用に寝ていた。分かりにくいが双子の兄であるネギには寝ているのがはっきりと分かった。

 

「……っ!?」

 

 心配は案の定だった。思わず双子の弟に視線を向けたネギは驚きながらもなんとか驚愕の叫びだけは上げるのを抑えることに成功した。

 アスカを挟んで反対側にいる幼馴染のアーニャに背中から手を回して知らせる。すると、迷惑そうにネギを見たアーニャも隣にいるアスカの状態に気づいて驚愕の相を作った。

 

《なんで寝てんのよ、このボケアスカは!》

《知らないよ。どうしよう、アーニャ》

 

 厳かな式が続いているので下手に口に出して喋ることは出来ない。出来るのは念話を使っての会話だけだった。

 

《どうするったって起こすしかないでしょ》

《下手に起こしたら暴れない?》

《卒業証書を受け取らなきゃなんないでしょうが。てか、あんたは自分の双子の弟のことどう思ってのよ》

《えと、その場のノリと勢いで生きるバカ》

《なにげに酷いわね、アンタ。て、もう時間無いじゃない》

 

 アーニャは双子の兄であるネギのアスカへの評価にげんなりとするが、5人目が卒業証書を受け取って戻って来ていたので雑談を止めて策を考えなければならなかった。

 

《どうする?》

《起こすしかないでしょ》

《方法よ方法。この状況で起こす方法なんて限られるじゃない》

《うーん》

 

 結構焦っているので良い手段が思いつかない。考え込む二人を校長や教師たちが凄い目で見ているのだが気づいていなかった。なんの防御策も施されずに焦って繋いだ念話が周りに筒抜けになっていたのだ。

 卒業生や在校生は下を向いてクスクスと笑い、来賓は微笑ましい物を見るように三人を眺めていたりした。

 

「最後に、アスカ・スプリングフィールド君」

 

 長い髭で隠れている唇の端をヒクヒクと震わせた校長は、怒りと情けなさやらがない交ぜになった強い口調で呼んだ。

 遂に呼ばれてしまった双子の弟にネギとアーニャが取れる手段は少なかった。二人は自分が起こさなければと使命感に駆られて、全く同時に肘をアスカの両脇に叩き込む。くはっ、と息を漏らしたアスカは一瞬で目覚め、口を大きく開けた。

 

「はい! 寝てません! ちゃんと授業を聞いてます!」

 

 普段の様子が垣間見える叫びに、会場にいる全員がこけた。

 

「あれ?」

 

 あちゃー、と天を仰いだネギと手で顔を覆ったアーニャの間で一人首を傾げたアスカは壇上にいる校長を見た。笑いを堪えている大半と違って、壇上で一人はっきりと怒りを湛えている校長を見たアスカは決心を固めた目をした。

 

「廊下で立ってた方がいいですか?」

「馬鹿なことを言っとらんとさっさと卒業証書を取りに来んか!」

 

 一人勝手に頷いて動こうとした孫に校長が真っ先にしたことは、持っている杖を大馬鹿者に投げつけることであった。

 杖がアスカの額に命中してカコーンと良い音が講堂に鳴り響いた。直後、講堂を爆笑が覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業式が終わった直後、場所は変わって講堂につながる外廊下に少年少女達がワイワイと騒ぎながら歩いていた。湿っぽく終わらず、笑いのままに終わった卒業式。だが、一人の少年にとっては苦難の始まりであった。

 

「酷いなスタンのじっちゃんも。なにも殴らなくたって」 

「馬鹿もん、一発ですんで有難いと思わんか。もう恥ずかしくて仕方なかったわい。顔から火が出ると思ったぞ。もう一発いっておこうか」

 

 今まさに拳骨を振り下ろされた頭を痛そうに擦るアスカに、スタンは怒りが収まらんとばかりにもう一発いかんとばかりに意気込む。

 

「まあまあ、スタンさんも落ち着いて」

 

 校長に投げつけられた杖が命中した額を赤く腫らし、更にスタンからも愛を注入されて涙目になっている双子の弟を守ろうとするようにネギが間に入って取り成そうとした。だが、矛先はアスカだけにあらず。咎める視線はネギにも向けられた。

 

「お前もじゃ、ネギ。普段から甘いからアスカがつけあがるんじゃ。お前も愛の一発いっておくか?」

「もう、アスカも卒業式に寝たら駄目だよ」

「裏切ったな、ネギめ」

 

 あっさりと手の平を返してスタン側に回ったネギを恨めしげに睨むアスカ。だが、悪いのはアスカなのと直情傾向で口が回らないので言い返す言葉が出て来ない。ふふん、と勝ち誇るネギと言い返せず悔しそうなアスカ。兄弟仲は良好のようであった。

 

「二人ともつまんないことやってないで卒業証書は開けた?」

 

 双子より一歳年上のアーニャは時々二人を自然と見下す。それを二人の前では年上振りたいだけだと知っているネカネは子供達のやり取りを微笑ましげに眺めている。知らぬは本人だけであった。

 

「開けるってなんで? 卒業証書って卒業しましたって書いてあるだけじゃないの?」

 

 敗色濃厚な兄弟喧嘩を避けたアスカが首を捻る。本当に理解できてないアスカにアーニャは聞き間違いかと耳をかっぽじりたくなった。

 

「あんた馬鹿? 卒業した後の修行の場所と内容が書いてあるって授業で言ってたじゃないの」

「寝てて知らなかった。へぇ、そんな書いてあるんだ」

「ん? じゃあアスカは卒業した後はどうするつもりだったのさ」

「武者修行でもしようかなって。親父もしてたらしいしさ。強い相手と戦ってみたかったのに」

 

 ネギの問いに不平不満そうに唇を尖らせたアスカにネカネとスタンは震撼した。

 この子はやると、偶に訪れるタカミチ・T・高畑相手に幾度も戦いを挑むバトルマニアなところがあるアスカなら本気で卒業後は武者修行をするつもりだったのと悟る。

 

「三人で一斉に開けましょう」

「いいよ」

「強い相手と戦える修行でありますように」

「「「せーの」」」

 

 どうかまともな修行内容でありますようにと祈る二人が上から見下ろす中で、三人は向かい合って一斉に卒業証書を縛っている紐を解いて開いた。

 

「……お」

 

 開いた最初は右端に卒業年月日と名前だけが書かれている真っ白な卒業証書だったが、徐々にインクが滲み出るように光る文字が浮かび上がっていく。

 

< 日本で教師をする >

< 日本で教師をする >

< 日本で生徒をする >

 

 上からネギ・アーニャ・アスカの順である。三人と一人は浮かび上がってきた文章が信じられず、疲れているのかなと目元を解してから念のためもう一度読み返すが、やはり文字に変化はない。裏返して、角度を変えて、折り曲げてみたりしたが浮かび上がってきた文字は変わらなかった。

 スタンだけは面白そうに笑っていることに少年少女は気付かなかった。

 

「「「「ええ――――っ!!??」」」」

 

 四人の驚きの声が唱和して放たれて廊下にいた他の卒業生やその家族、在校生たちが思わず肩を驚かせる程度には大きかった。

 

「何事じゃ、騒々しい」

 

 丁度、タイミング良く。まるで計ったかのように校長が現れた。

 

「校長先生! アスカが生徒っていうのはともかく、ネギとアーニャが先生ってどういう事ですか!?」

 

 何時ものお淑やかな姿を脱ぎ捨てて、ネカネは二人から借りた卒業証書を校長に向かって突きつけた。

 

「ほう……「先生」か……」

 

 詰め寄られている校長は怖い形相になっているネカネから努めて顔を逸らしながら、豊かに伸ばした髭を触りつつ手渡されたネギとアーニャの卒業証書を見つめる。

 

「何かの間違いなのではないですか? 十歳で先生など無理です!」

「俺もまた生徒なんてメンドイ。魔法世界で拳闘士とかにしてよ」

「アスカは黙ってなさい! 今は私が話してるのよ!」

「は~い」

 

 詰め寄るネカネの後ろで頭の後ろで腕を組んだアスカが不満を漏らしたがネカネの形相に渋々と引き下がった。

 

「しかし課題に関しては、卒業証書に書いてあるのなら決まった事じゃ。❘立派な魔法使い《マギステル・マギ》になるためにはがんばって修行してくるしかないのう」

「あ、ああ……」

 

 既に決定事項と断言されてネカネは今にも倒れそうな様子で頭を抱えている。彼女にとって、二人は大切な妹弟でまだ十歳だから異国の地で教師など心配で堪らない。

 ましてや一番のトラブルメーカーであるアスカも異国に渡るのだ。魔法学校で一番苦労していた彼女がこの事態に抱える心労は察して然るべき。

 

「ふむ、安心せい。修行先の学園長はワシの友人じゃからの。ま、頑張りなさい。それにネカネ。お前さんにも日本に渡ってもらうぞ」

「え? 私も?」

 

 今にも倒れそうだったネカネは意外な提案に目を瞬かせた。

 教師や生徒なんて面倒だと思ったが、お目付け役がいなくて好き勝手に出来ると思ってハイタッチをしていた三人は思わぬ風向きに動きを止めた。

 

「この三人を修行の為とはいえ、野放しに出来るわけが無かろう。お目付け役は必要じゃよ」

「スタンの言う通りじゃ。というか、手綱を失くした猛獣共ほど手に負えんものはない。任せたぞ、ネカネ」

「ハイ! 三人の子とは私に任せて下さい!」

「「「ぶーぶー」」」

 

 ネカネがぐっと校長の言葉に頷いて元気な声で返事を上げる後ろで、結局は修行といっても環境が変わるだけだと気づいてしまった三人は非難轟々の嵐だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは雑踏と喧騒に支配された建物の内部。多くの人々は重量のありそうなスーツケースや旅行鞄を持ち、軽い外出感覚で居るわけではないと判断できるが独特の騒々しさがある。行き交う人々の会話もあるが、独特のタービン音も聴こえる。まるで広範囲に撒き散らすかのような、独特の騒音。自動四輪や自動二輪のエンジン音では無い。これはもっと大きな機械――――――乗り物の作動音。

 行き交う人々は、そんな騒音を気にも留めていない。まるで聴こえて当然と思っているかのような、そんな態度。

 建物内部に所狭しと人が居るが、皆それぞれ目的を持って歩いている。一つはこの建物内部に入り込んで行く者。もう一つはこの建物内部から出て行こうとする者達の二種類。其々が、全く別のベクトルを持って動いている。

 この建物は接続している。出て行こうとする者と、入って行こうとする者。この二つを接続するためだけの存在。此処は謂わば端末。ターミナルであった。

 大きな旅行鞄を押している観光客やスーツケースを抱えたビジネスマンに混じって、子供に見える、というか子供が三人歩いていた。

 その顔は揃ったように奇妙なほど晴れ晴れしている。

 それには理由があった。

 

「残念だったよね、ネカネ姉さんも」

「変わりの人の都合が悪くて一緒にいけないなんて、タイミングが悪いわよね」

「これで羽目が外せるってもんだ、うんうん」

 

 ニシシ、と三人で顔を近づけて笑い合う。会話は聞こえない距離だが近くにいるこれから旅行に行くらしい老夫婦が微笑ましい物を見るように三人を眺めていた。

 本当ならネカネも一緒に日本に行くはずだったのだが仕事の引継ぎが上手くいかず、代わりの人が見つかるまでメルディアナ魔法学校を離れられない。

 月単位でネカネの渡航が遅れるので好き勝手出来ると三人は喜んでいた。

 

「あ、ネカネ姉さんが戻って来た」

 

 無駄に高性能な感覚器官を持っているアスカが人混みの向こうにいるネカネの姿を感じ取った。

 言った数秒後に搭乗手続きをしていたネカネがチケット片手に戻って来た。

 

「手続きは終わったから…………アーニャが持っててね」

「うん。このボケ双子に持たして失くしたら大変だもんね」

「「えー」」

 

 ネカネがアーニャにチケットを纏めて渡したのを不満に思った双子が唇を尖らせる。

 

「なに? なんか文句あるかしら」

「ありません、サー」

「私は女なんだからマムでしょ。私は男っぽいって言いたいわけ?」

「「ノー、マム!!」」

 

 凄みをかけたアーニャに、最初はやる気のなかった双子は直立不動で敬礼する。

 何時もの通りの調子の三人にネカネは笑みを零しつつも、自分が一緒に行けないことに大きな不安を感じていた。

 

「本当に大丈夫、三人とも? ネギは三食きっちりとってしっかりと寝なさいよ。アスカは誰構わず喧嘩を吹っかけたら駄目なんだからね。アーニャも拳で物事を解決しちゃだめよ」

「信用ないなぁ」

「俺ってそんなに喧嘩吹っかけてる?」

「私はそんなに野蛮じゃないもん」

 

 不安だった。返って来た返答が物凄くネカネを不安にさせた。

 

 << ○○○○○便に御搭乗のお客様はCゲートより搭乗してください >>

 

 搭乗を呼びかけるアナウンスが流れたので、切り替えの早さでは歴代魔法学校一という有難くない称号を冠された三人は、あっさりとネカネの不安を横にやってそれぞれに荷物を抱えた。

 

「ネカネお姉ちゃんもスタンさんやみんなに宜しく言っといて」

「酒を飲み過ぎないようにともね」

「俺達は俺達で上手くやるからさ。心配しないでいいって」

 

 そそくさとネカネの前に並んだ三人は最初から言うべきことを決めていたのだろう、笑顔で言い切った。

 

「分かったわ。くれぐれも、くれぐれも無茶だけは絶対にしないように」

 

 これだけはと強く念を押したネカネは、旅立つ三人を順に抱きしめて言い含める。

 

「じゃ」

「「「行ってきます!」」」

 

 ネギが音頭を取って、三人で声を合わせる。

 事前に何度も言い含めたように搭乗口へといく三人をネカネは何時までも見守っていた。

 

「飛行機に乗るの始めてだから緊張してきた」

「実は僕も」

「情けないわね、アンタ達」

「そういうアーニャだって顔が強張ってる」

「うっ」

 

 大きな荷物を預けて身軽になった三人は喋りながら飛行機を目指して歩く。

 魔法使いの隠れ里で育った三人は海外に出たことはない。なので飛行機に乗るのも初めて。緊張は隠しきれない。

 

「日本に行ったら天麩羅に寿司、刺身を食べてみたいな」

「俺は京都に行って近衛詠春と戦ってみたい。行っちゃ駄目なのか?」

「食べ物はいいけど、京都にはいけないわよ。行くのは麻帆良学園都市なんだから」

「麻帆良に強い奴いるかなぁ」

「タカミチもいるんだから大丈夫だよ。僕は蔵書が山ほどあるっていう図書館島に行ってみたい」

「アンタ達、即物的すぎるわよ」

 

 アスカは純粋に欲に忠実であり、ネギは実現可能な範囲での欲を優先するのアーニャはお姉さん振って「このお子様たちは」と腰に手を当てて言いながらも楽しさを隠しきれていなかった。

 

「浮かれて私達の目的を忘れていないでしょね」

 

 先を歩くアーニャが振り返りながらの発言に、ネギとアスカは顔を見合わせた。

 

「勿論。俺達の目的はなんたって最強になって英雄の親父を見つけることと」

「強くなって村を襲った悪魔を倒して石化を解かせることなんだから」

「忘れてないならいいわ。なんたって」

 

 一度区切ったアーニャは立ち止って拳を握り、腕を真上に突き出した。ネギとアスカもそれに倣う。

 

「私達に」「僕達に」「俺達に」

「「「出来ない事なんてない!!」」」

 

 子供が囚われる幻想と言われようとも、困難な道を選んだ三人は拳を掲げあって六年前からの誓いを新たにした。

 ネカネが見送る中で三人が乗る飛行機は日本へ向けて飛び立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市は、明治中期に創設され、幼等部から大学部までのあらゆる学術機関が集まってできた都市。これらの学術機関を総称して「麻帆良学園」と呼ぶ。一帯には各学校が複数ずつ存在し、大学部の研究所なども同じ敷地内にあるため、敷地面積はとても広い。年度初めには迷子が出るとのこと。元々魔法使い達によって建設されたと考えられており現在も学園長・近衛近右衛門を始めとして多くの魔法使いが教師・生徒として在籍し、修行や学園の治安維持に従事している。

 

「はむ」

 

 東京から埼玉に麻帆良学園都市に向かっている電車の中で、座席に座るアンナ・ユーリエウナ・ココロウァは欠伸を噛み殺した。

 

「一人だけ座って欠伸を掻かないでよ、アーニャ。僕達まで眠くなってきたじゃないか」

「仕方ないじゃない。欠伸は人間の生理よ。勝手に出るんだから止められるわけないじゃない」

 

 移り欠伸とでもいうべきか。堪えたネギと違って盛大に大口を開けて欠伸を掻くアスカの横で手摺で体を支えるネギの文句に、見るんじゃないわよと口ほどに語る眼光を放ちながら踏ん反り変えるアーニャ。

 アーニャの眼光に負けてあっさりと視線を外したネギの横でアスカが目の端に浮かんでいた涙を拭う。

 

「漫画とかテレビで知ってたけど時差ボケって本当にあったんだ」

「本当だよね。夜になっても全然寝られなかったもん」

 

 目をしょぼつかせるアスカに同意したアーニャも昨夜のことを思い出していた。

 真っ先に思い浮かんだのは食べた物である。三人はまだ十歳が一人と数えで十歳が二人。色気よりも食い気であった。

 

「昨日、食べた天麩羅はおいしかったわよね」

「変わった味だったけどあれは上手かった」

「また食べに行こうよ。今度は寿司がいいな」

「「賛成」」

 

 あれが食べたい、これが食べたいと話していると揺れている電車内で天井から吊り下がる吊り輪や手摺も持たずに二本の足だけで体を支えているアスカが鼻を掻いていた。

 

「どうかした?」

 

 鼻が痒いにしてはずっと掻いているアスカに、座っていて正面にいるアーニャが問いかけた。

 直後、曲がり角にでも差し掛かったのか車内が僅かに傾き、中にいる乗客が傾いた方向に寄っていく。特に手摺や吊り革を持てずに体を支えられない乗客が動く。

 

「あうう~」

 

 あっさりと乗客の流れに巻き込まれたネギが悲鳴を上げる。反対にアスカは車体が傾く寸前に体を前掲させて傾きとは逆の方向、つまりはアーニャに近づくことで難を回避していた。

 

「何? あの子達?」

「外国人?」

 

 そんな会話が周りで起こっていることを完全に意識の外に追いやっているアスカはゆっくりと口を開いた。

 

「ここ、臭い」

 

 アスカが齎した一言に、ピシリと車内の空気が凍った。

 

「え? そう?」

 

 くんくん、と車内の空気を嗅いだアーニャにはアスカが言うほどに臭いとは思えなかったようだった。

 

「うん。これはあれだ。ネカネ姉さんも使った化粧とかの臭い」

「つまり、ケバイと」

 

 匂いの原因を言ったアスカに、ネギがもっと分かりやすく一言で纏めてしまった。

 

「ああ……あんたって犬並みの嗅覚してるもんね。そりゃ、これだけ女が集まってたら盛大に匂うでしょうよ」

 

 この目の前にいる腐れ縁の金髪の少年が匂いといった五感を感じ取る能力が常人を優に超えていることを良く知っているアーニャは、女の身として子供とはいえども「臭い」とは言われたくないので口にはしなかった。

 アスカはネカネが化粧を覚え始めた当初は近づきもしなかったし、ここ二年ぐらいでようやく慣れたのだがこれだけの集団が集まれば我慢の限度を超えるのも仕方ない。だが、それでもアーニャは未だ若輩な子供と言えども一言申さぬぬわけにはいかない。

 

「空気を読みなさい」

「?」

「分かんないって首を捻ってんじゃないわよ。ネギもよ。常から言っているけどアンタ達にはデリカシーってものがないのかしら」

 

 毎度のことながら理解していない馬鹿兄弟にアーニャは深い溜息を漏らした。何度も何度も懇々と言い聞かせた話をこのような周りの目があるところでする気にもなれない。

 アーニャにはこの電車に乗っているのは中学生から高校生ぐらいの年代に見えた。それぐらいの年代になれば化粧の一つや二つはするだろうし、学校の校則で禁止されていようともナチュラルメイクの一つや二つはしているだろう。この車両だけでも二十人以上の学生が乗っていれば犬並みの嗅覚を持っているアスカなら、一人一人は程度が低くても集団となれば匂いも大きくもなって耐えられなくても仕方ない。

 

「周りに謝んなさい。アスカだけじゃないわよ、ネギも」

 

 二人の「臭い」「ケバイ」発言を気にしている人数が座っているアーニャの視界から見える大半の人間であることから、面倒事と乙女心の両面から判断して二人に指示を出す。

 

「なんで?」

「いいから謝れつってんでしょうが」

 

 筋の通らないことには意地でも頭を下げることを良しとしない兄弟を代表して、アスカが少しきつい目で問いかけたが返ってきたのは問答無用の座った目であった。

 

(どうする?)

(謝っといた方が無難なんじゃないか。ご機嫌を損ねられるのは困る)

 

 念話ではなく視線でアイコンタクトを交わした兄弟は、揃って後ろを振り返った。

 

「「ごめんなさい?」」

 

 謝る理由を当人が分かっていないので謝罪は何故か疑問形であった。

 車内にいる女学生達は兄弟と顔を合せられない。というか、三人がいる場所を中心としてエアポケットのように空間が開いていた。狭い車内なのにギュウギュウ詰めになりながら距離を開けようとする女性達を見て顔を見合わせて首を捻り合う兄弟に溜息を吐くアーニャ。

 

『次は――――麻帆良学園中央駅―――――』

 

 特定の人間だけが気まずい空間を打ち破ったのは車内アナウンスだった。体感で緩やかに速度が落ちていき完全に止まる。駅についたようだ。

 アーニャ達がいる場所とは反対側の扉が開いて女生徒達が沈黙のまま我先にと飛び出して行き、数秒で瞬く間に誰もいなくなった車両に取り残される三人。

 

「なにをあんなに焦ってたんだろ?」

「時間がやばくて遅刻しそうだとか」

「馬っ鹿みたい。行くわよ、アンタ達」

 

 女生徒達が足早に社内から出て行った理由を理解できていない兄弟に悪態をつきつつ、膝に抱えていたリュックサックを背負ったアーニャが動く。遅れて兄弟も付いて歩き、三人は自動改札機を通って麻帆良の街へと足を踏み出した。

 

「ここが、麻帆良か……」

「本当にここは日本なのかしら? 街並みが明らかに異国情緒に溢れすぎなんですけど」

 

 はぁ~、と息を吐き出して目の前に広がる麻帆良学園都市の光景に少し圧倒されているアスカに次いで、アーニャが誰に聞かせるでもなく呟く。二人の麻帆良での第一声だった。

 

「木造建築じゃないんだ」

「あんたは何時の時代の街並みを想像してんのよ。まさか侍が刀を以て蔓延してるとか想像してんじゃないでしょうね」

 

 ふと漏らしたネギの言葉を聞き咎めたアーニャの問い詰めに、ネギは汗を垂らして顔を逸らした。誤魔化すのが苦手な少年である。

 

「まさか図星だったなんて」

「ほら、ネギって変なとこで夢見がちだから」

「いいじゃないか、別に」

 

 絶句したアーニャにフォローになっていないフォローをするアスカ。不貞腐れたネギはふんと強く鼻息を出して一人で歩き出した。

 

「そういえば誰が迎えに来るんだっけ?」

 

 大きなリュックを背負っているネギの背中で目立つ杖を見つつ、少女の分の荷物も持っているアスカが隣を歩くアーニャに聞いた。

 

「高畑さんよ。あんた、話聞いてないんじゃないの」

「忘れてただけだって。でも、タカミチか」

「会って即戦いたいってナシだからね」

「え~」

「駄目ッたら駄目。馬鹿の一つ覚えみたいに戦いのことばっか考えてんじゃないわよ。これだからバトルジャンキーって奴は」

 

 無精髭に眼鏡をかけた三十代後半ぐらいの年齢のスーツを着た男性の姿を探しつつ、迎えが来ることなんて忘れて一人で歩いているネギの後ろを二人で歩く。

 一分ほど歩いて誰の姿も見えないことに流石にネギとアーニャの二人は焦りを覚え始めていた。

 

『学園生徒のみなさん、こちらは生活指導委員会です。今週は遅刻者0週間、始業ベルまで十分を切りました。急ぎましょう。今週遅刻した人には当委員会よりイエローカードが進呈されます。余裕を持った登校を…………』

「遅刻!?」

 

 突如として鳴り響いたアナウンスに破天荒な行動が多いながらも優等生気質なところがあるアーニャが体をビクリと震わせた。逆にマイペースを地で行くスプリングフィールド兄弟はやるべきことやしたいことがあれば授業を平気でサボるので焦るどころか眉一つ動かしていない。

 

「行くわよ! 遅刻なんて許されないわ!」

「メンドイ」

「いいよ、もう。ゆっくり行こ」

「あぁっ!」

「ごめんなさい。俺達が間違ってました」

「遅刻は駄目だよね」

 

 本音がダダ漏れな二人をメンチで負かしたアーニャの主導で三人は走り出した。

 三人とも見習いといえども魔法使いの端くれ。運動神経が切れているネギを頭の中身が切れているアスカが背負いつつ、ただ前だけを目指す。魔力で身体強化なんてことが出来るので、見た目以上の能力を発揮できる三人は瞬く間に先を行く最後尾へと追いついた。

 

「イェイ!」

「やっほう!」

 

 体を動かしているだけで楽しいタイプのアスカの気持ちを、逆に机上でこそ喜びを発揮できるタイプなのでネギは永遠に理解できそうになかった。とはいえ、アスカに背負われていても風を切って突き進む感触が嫌いなわけじゃない。アスカが叫びを上げるのに便乗して声を出してしまうのはもはや癖みたいなものだ。

 

「どこへ行くの?」

「この街で一番偉い人の所! 話をつけられるでしょ!」

 

 二人が目的もなしに走っていると思ったネギだが、何も考えていないのは走りながら笑っているアスカだけで並走しているアーニャはしっかりと考えていたようだった。バイクの二人乗りをしながら肉まんを売る者やインラインスケートなどを履いて路面電車につかまっている者等を瞬く間に追い越す。

 

「当の一番偉い人はどこにいるのさ」

「あ」

「その辺の人に聞いたら分かるって。誰か知ってるだろ」

 

 考えているようでどこか抜けているのがアーニャである。意外にその穴を埋めるのが直感で動いているアスカなのだから人生とは分からないものである。

 

「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

 

 自分の荷物とネギ+荷物を背負いながらも余裕綽々のアスカはすぐ先を走っている二人の少女に目を付けた。

 目をつけられた少女―――――神楽坂明日菜は少し焦っていた。

 

「やばい、寝過ごしたー!!」

「あははは、にしても明日菜足速いよねー。私コレやのに」

 

 他の生徒を次々に追い抜く速度で疾走しながら息を乱す事無く叫ぶ明日菜に、並走する近衛木乃香は笑って地面を滑るローラスケートを指差す。彼女達は息を乱すことなくそのハイスピードの走りの中で会話していた。

 

「悪かったわね、体力バカで。ん?」

 

 運動神経しか取り得がないと馬鹿にされた気がするので、幾ら事実とはいえ不貞腐れて返事をする明日菜だったが巻いているマフラーがふわっと浮き、自身の左横に風の流れを感じた。

 自然の風ではなかったので何かと首を左横に向けると、何時の間にか見るからにここにいるべきではない年齢の少年少女がいた。正確には明日菜の視界は視線の高さにいる少年の顔が入り、次いで下げた視界に前に自身の荷物を抱え背中に少年を背負っている金髪の青い目をした子供に驚いた。

 自分も体力馬鹿の自覚はあるのだが、金髪の少年のように線が細そうとはいえ同年代の人間を荷物付きで背負うことは出来るかは試してみなければならない。

 明日菜の下げた視線と少年――――アスカの上げた視線が交わる。

 

(懐かしい……?)

 

 視線を合わせた瞬間、『懐かしい』と脈絡もなく感じた。これらが見詰め合った時間は二、三秒にも満たなかったが二人の初対面に抱いた相手への感想だった。

 

「あの――――あなた失恋の相が出てますよ」

 

 オッドアイとブルーの瞳から発せられる視線が混じり合い、不思議な郷愁を覚えた明日菜を現実に引き戻したのは背負われている少年――――ネギの失言だった。

 

「え"……」

 

 空気が凍った。明日菜の隣にいる木乃香とアスカの隣にいるアーニャは感じ取った。

 

「な……し……しつ……って」

 

 言葉を飲み込み、足を止めた明日菜に吊られて全員が止まる。

 そして明日菜が爆発する前にアーニャが飛んだ。

 

「アスカ!」

「ん?」

 

 アーニャの叫びに疑問形ながらも反応したアスカは背負っているネギを如何なる動きによってか真上に放り投げた。

 事態を飲み込めないネギは投げられるままに空中を漂い、重力に従って落下する。

 頭を下にして落下していくネギの真下に潜り込んだアーニャは、顔を寄せて肩にネギの首を乗せて両手を真上に伸ばして両腿を掴んだ。

 

「あれはまさか筋肉バスター!?」

 

 往年の漫画で披露した伝説の技に、近くを通りかかったプロレス研究会の大学生が驚愕した。

 

「アーニャバスター!」

 

 逃れようのないままアーニャはネギを背負ったまま地面に激突。ボキボキ、と何かが砕ける音が聞こえた。

 両腿を掴んでいた手を離したことでネギがゆっくりと仰向けに倒れる。

 

「何時も言ってるでしょ。乙女心を読めって。これはその報いよ」

「……ぼ、僕…………男なんだから、乙女心なんて……分から」

「死ね」

 

 ポンポンとお尻についた砂を払ったアーニャは、痛みで動けずに虫の息で弱々と反論したネギの鳩尾に踵を落してフィニッシュを下す。捕らえられた獲物が首を絞められて上げる断末魔の叫びのようなものを上げて、上がっていた手がパタリと落ちた。

 獲物を仕留めたアーニャは腐った汚物を見るようにネギを見た後、一瞬で表情を申し訳なさそうに変えて明日菜を見た。

 

「ごめんなさいね。この馬鹿はこっちでシメといたから」

「死んでないの?」

「大丈夫、ああ見えてもネギは頑丈だから。少ししたら目を覚ますわ」

 

 そこらで落ちていた木の枝でつんつんとネギが死んだかを確認しているかのように動作をしているアスカと、ピクリとも動かないネギに明日菜は怒りの向けどころを失っていた。

 上げた手を所在なさげに下ろしながら、この三人はやばいと明日菜の本能が警鐘を鳴らしている。動物的直感に優れている明日菜は『触らぬ神に祟りなし』という言葉を理解していなくても実践して突っ込まなかった。

 そんな明日菜の横でアーニャは人柄で接しやすいと判断した木乃香に向き直っている。

 

「ちょっと聞きたいんだけどいい?」

「ええよ。なんでも聞いて」

「ここってどこなの? 駅から当てもなく走ったから場所が分からなくなっちゃって」

「ここは女子校エリアやよ。三人とも初等部の子やろ? 初等部があるんは前の駅やで」

「私達は生徒じゃないわよ。アスカは別だけど」

 

 なにやら仲良さげに話している木乃香とアーニャの話に割り込み辛いものを感じた明日菜は、とりあえずアスカにネギの無事を確かめることにした。

 

「大丈夫なの、その子?」

「平気平気。アーニャの鉄拳制裁は慣れてるから直ぐに目を覚ますはず」

 

 枝でつつくのにも飽きたのか、明日菜の方を振り向いたアスカの瞳にまた明日菜は不思議な郷愁を覚えた。

 眼の前の少年と会ったことはない。だが、彼に似た誰かに会ったことがあるような既視感。我知らずに注視していた明日菜は立ち上がったアスカの胸元から零れた細いながらも頑丈そうな鎖に繋がれた水晶のアクセサリーに目を奪われた。

 

『アスナ』

「痛っ」

 

 バックに夕焼けがある誰かのシルエットが脳裏を過った明日菜だったが、突然走った頭痛に一度は湧き上がったイメージが薄闇と消えていった。

 

「?」

 

 なにか大事なことを思い出しかけたことに明日菜は首を捻った。数秒後には思い出しかけたことすらも手の平か零れ落ちる砂のように抜け落ちていったことも忘れてしまう。一度零れ落ちた何かは元に戻らない。

 首を捻っている明日菜に木乃香が顔を向ける。

 

「明日菜ぁ、高畑先生がどこにいるか知っている?」

「え? 高畑先生がどうしたの?」

「この子達って高畑先生と待ち合わせしてたみたいやねん。今どこにいるか知ってる?」

「今日は出勤するって聞いたから多分職員室にいると思うけど」

 

 この珍妙なコントをした三人の子供が高畑にどのような用があるのかと内心で首を捻りながら、聞かれたことにそのまま答える。

 

「おーい」

 

 直後、頭上から少年の高い声と違う喉太い大人の男性の声が掛かった。五人以外の声の主は女子中等部校舎の二階の窓から五人を見下ろしていて、その声にびっくりした明日菜は上を見上げた。

 そこにはスーツ姿に眼鏡と短い白髪と顎には無精ヒゲを生やして、左手中指に指輪をした三十代後半ぐらいの男性がいる。

 

「高畑先生!? お、おはよーございま……!」

「おはよーございまーす」

 

 自分達の担任の姿を見つけて明日菜はしおらしく、木乃香は普段通りに挨拶する。この明日菜の反応を見れば大抵の人はどういう感情を持っているのか理解できるだろう。

 

「ははん、もしかして明日菜って」

「アーニャちゃんの考えてる通りや。初対面の人もバレるなんてほんまに明日菜は分かりやすいな」

 

 案の定、アーニャにも悟られていた。何時の間にか明日菜の名前を教えている辺り木乃香は確信犯的な要素が多分にある。当然、二人がなんのことを言っているのかとアスカは首を捻っていたが。

 

「おー、久しぶりタカミチーッ」

 

 彼女達の朝の挨拶に続いてアスカも当然のように、しかも一回り以上年上なのに敬語もなしに彼女達の担任に声を掛けた。

 

「!?……っし、知り合い…………!?」

 

 誰でも明らかな年の差があるのにフランクに交わされた事に明日菜は酷く驚いて思い切り下がった。

 明日菜の大好きな男性を下の名前で呼ぶなど単なる知り合いではないし、久しぶりということは知り合いなのか、と思考がこんがらがった末に更に爆弾発言が思い人より投下された。

 

「ようこそ麻帆良学園へ。歓迎するよ」

 

 明日菜の驚きなど知らぬ高畑は葉巻が似合うニヒルな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下りて来た高畑が先導して向かった先は学園長室。成り行きで三人に付いて行った明日菜は道中で伝えられた情報に知ることとなった。

 

「学園長先生、こんな子供達が先生って一体どういうことなんですか? しかも私達のクラスを担当するって」

 

 責任者である学園長と対面した開口一番、明日菜が机まで詰め寄って静かに問うた。

 

「まあまあ明日菜ちゃんや。なるほどのぉ、修行のために日本に…………そりゃ大変な課題をもろうたのぉ」

 

 見事に明日菜の言葉を聞いていなかったのかの如くスルーして話し始める学園長。激情ではないといっても瞳の奥に棘を隠した明日菜をスルーするとは学園長は良い根性している、と気絶したネギを引き摺ってきたアスカに変な方向に感心を覚えさせるものだった。

 取りあえず、いい加減にネギを起こさないとネギの背中に回って両肩を持ち、ぐっと力を入れる。

 

「はぅ」

 

 気絶していたネギは口の奥から息を吐き出し、ゆっくりと目を開けた。

 

「あれ、ここどこ? なんか体が痛い」

 

 立ち上がって節々が痛む体を擦りながら首を捻るネギ。

 

「急に倒れてびっくりしたわよ。体が痛いのは倒れた時に打ったのじゃない。ねぇ、アスカ」

「…………時差ボケで疲れてたんだろ。来る日を間違えたぐらいだし」

「一日早かったんだって、急いで損しちゃった」

「うーん、そうなのかな」

 

 思いきり話を逸らしたアーニャに強い視線で同意を求められたアスカは渋々と追従する。イマイチ納得がいってなさそうなネギだったが二人がそういうならそうなのだろうと納得せざるをえなかった。

 こいつら誤魔化しやがったと明日菜が震撼し、木乃香がポヤポヤと逆に他人に考えを読ませない笑みで二人を見る。

 

「しかし、ネギ君とアーニャ君は教育実習と言う事になるかのう。今日から三月までじゃ………」

「俺は?」

「アスカ君は明日菜ちゃんたちと同じクラスじゃ。話は良く聞いておる。ちゃんと勉学に励むのじゃぞ」

 

 げぇ、と学園長から顔を背けて今にも吐きそうなアスカに勉強嫌いの同類を見つけた明日菜は少し受け入れる方に心が傾いたりもした。

 

「ところで、ネギ君とアスカ君には彼女はおるのか? どうじゃな、うちの孫娘なぞ?」

「ややわ、じいちゃん。うちにはまだ早いえ」

 

 木乃香がどこからか出した金槌でガスッと学園長の頭に突っ込みを入れる。ダクダクと学園長の頭から血が流れてるのだけど誰も気にしない。過剰ツッコミはウェールズ組は何時もの事なのでそれが彼らの芸風なのだと理解し、当たり前の風景として認識した。

 

「ちょっと待ってくださいってば! いきなり高畑先生と変わって担任だなんて!!」

「いや、そこまでは言っておらんよ。ネギ君とアーニャ君はあくまで高畑君の補佐。高畑君は出張が多いからの。名義上の担任はあくまで前のままじゃ」

「あ、それなら……」

 

 明日菜としては高畑が担任から降りる事を気にしていたわけだが、別に今までと変わりないのならそれでいいかと天秤が急速に傾いてしまった。

 

「フォフォフォ。この修行は恐らく大変じゃぞ。駄目だったら故郷に帰らねばならん。二度とチャンスはないがその覚悟があるのじゃな?」

 

 頭から血をダクダク流しながらも、結局最後まで明日菜をスルーして話を纏めようとする学園長。

 視線を向けられた三人は顔を見合わせ、直ぐに満面の笑みを浮かべた。

 

「「「やります!」」」

「いい返事じゃ。若者はこれぐらい元気がなくてはの」

 

 ふぉふぉふぉと笑った学園長は長い髭を擦りながら、少年少女の元気な姿に好々爺の如く目を細める。

 

「うむ、本来ならば明日からじゃが、顔見せだけはやっておこうかの。指導教員のしずな先生を紹介しよう。しずな君」

「はい」

 

 学園長の言葉にその声と共に扉が開き、入り口から1人の女性が入ってきた。

 その人はメガネをかけ、パッと見ただけで母性溢れるといえそうな女性でネギがそっちを向くとその大きな胸に顔を埋めた。

 

「む"」

「あら、ごめんなさい」

 

 タイミング良くしずなの胸に振り向いたネギの顔が挟まれた。グッドなタイミングに実は狙ってやったんじゃないかと思われるほどだった。狙ってやったとしたらタイミングを合わせて振り向いたネギか、振り向いただけで胸に顔が埋まるような近距離まで近づいたしずなか。

 少なくともネギと同じ事を大人がやればビンタは間違いないだろう。狙ってやっていたらそれはそれで問題だが。

 

「分からない事があったら彼女に聞くといい」

「源しずなよ。よろしくね」

「あ、ハイ……」

 

 ウィンクしながら笑顔でそう言うしずなにネギは惚けていた。大人の魅力に誑かされたらしい。そんなネギを見てペッと唾を吐き捨てるアーニャと少し羨ましそうなアスカ。学園長もネギが羨ましかったのだが孫娘の手前上は意地でも顔には出さなかった。

 そんなこんなで、学園長との話も終わり教室へ向かうことに。

 

「そうそうもう一つ、このかとアスナちゃん。出会ったのも何かの縁じゃ。しばらく三人をお前達の部屋に泊めてもらえんかの。まだ住むとこが決まっとらんのじゃよ」

「え……」

「ん~、うちは別にええよ」

 

 学園長から告げられた言葉に予想もしていなかった明日菜がふと声を漏らした。木乃香は少し考える素振りを見せてから了承した。彼女にとっては近所の年下の子を預かる感覚に似ていた。

 

「もうっ! そんな何から何まで学園長っ!?」

 

 明日菜は自分の預かり知らないところで勝手に決められるのは恩があるといっても不快だった。何でもかんでも勝手に決められれば世話になっているといっても不機嫌にもなろう。

 

「本当は彼らの保護者も一緒に来るはずじゃったんだが都合が悪くなって月単位で遅れることになっての。何分、それが分かったのが数日までは手の施しようがないのじゃ。住居はあっても子供達だけで住まわせるわけにはいかんし、急すぎて他に頼むことも出来ん。なんとか引き受けてもらえんか?」

「う……」

 

 険を明らかにして詰め寄って抗議する明日菜を学園長はやんわりと説得する。

 ただでさえ子育ては大人でも難しいのに多感な女子中学生に任せるのは如何なものか、との意見も当然ある。学園長が強権を発揮すれば多少の無理は聞く。孫娘である木乃香の部屋なら子供三人ぐらいは入るだろうと楽観し、明日菜らには悪いとは思うが強権を発動して軋轢を作ることもない。

 

「俺達は野宿でも構わないけどな。慣れてるし」

「タカミチと一緒にキャンプとかやったよね。三人で眺めた夜空は綺麗だった」

「私は嫌よ。一日二日はともかく一ヶ月も野宿なんて」

 

 聞きわけが良いというか無駄にバイタリティに溢れている前者二人はともかく、嫌がっていて女の子のアーニャを野宿させることは明日菜も気が咎める。同室の木乃香が許可を出しており、保護者である学園長の頼みはやはり断り難い。結論として、明日菜は肩を落として受け入れざるをえなかった。

 

「分かりました。でも、うちの部屋に三人も入るかしら?」

「そうやな。二人なら大丈夫やけど、三人はちょっと微妙やね」

 

 明日菜達の部屋は普通の二人部屋に比べれば大きい方だが一番広いクラス委員長である雪広あやかの部屋に比べれば狭い。そもそもあやかの部屋は三人部屋で二人部屋の明日菜達の部屋と比べるのは間違いかもしれないが、子供とはいえども三人も足して五人で寝食を共に出来るかは微妙だった。

 

「なら、私は別で入れてくれる部屋を探すわ。この二人を別々の部屋にしたらどんなことになるか分かったものじゃないし」

 

 三人は無理でも二人なら何とかなるだろうと、アーニャの案でスプリングフィールド兄弟が明日菜達の部屋に居候することが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホームルームの時間が迫っているので先に教室に向かった明日菜達が退出した学園長室に入室者が一人。

 一度部屋を出て麻帆良女子中等部を男用に変えた制服を見に纏ったアスカ・スプリングフィールドの姿に、アンナ・ユーリエウナ・ココロウァは珍しいことに幼馴染を見て驚いたように目を丸くした。

 

「へぇ、ネギもそうだけどネクタイ姿が意外と似合ってるじゃない」

「意外とってなんだよ」

「馬子に衣装ってことよ。意味は後で辞書でも引いて調べなさい」

 

 隣にいる特注したスーツ姿に身を包んでいるネギ・スプリングフィールドは忌憚がなさすぎるアーニャに文句を言うが、おしゃまな女の子に口で勝つのは天才少年でも難しい。1言えば10の文句が返って来ることは今までの経験から分かっているので、それ以上の追及はせずに大人しく引き下がる。ネギ少年は大人なのだ。

 

「どうかのう? 下をスカートからズボンに変えただけで基本は女子用の制服をそのまま使っておるのじゃが、なにか不具合とかはあるかの?」

 

 学園長席に座ったままの学園長が頷きつつ問いかける。

 

「ん、むぅ。首が鬱陶しい」

「ネクタイに慣れてないんでしょうね。最初は違和感を感じるでしょうけど直に慣れるわ」

 

 注目の的であるアスカは首周りをしきりに気にしているが、源しずなは言いつつ袖や裾を気にする。

 上半身は女子の物と変わらないブレザーに、下はチェックのスカートがズボンに代わっただけの特別に作られた男子用の制服全体の状態を確認する。変なところがないことを確認して学園長に問題ないことを示す。

 当のアスカは直に慣れると言われてもネクタイが気に入らないのか外しだした。

 

「苦しいからネクタイ入らない」

「あっ、こら」

 

 アーニャが注意する間もなくあっさりとネクタイを外したアスカは次いでボタンも上二つを開けて鎖骨が見えるぐらいに開く。

 

「ふぅ、さっぱり」

「じゃないわよ」

「あてっ」

 

 ぽいっとネクタイを放り捨てて満足げに頷いたアスカの頭をどつくアーニャ。

 部屋の隅に投げ捨てられたネクタイをネギが律儀にも取りに行く。

 

「悪いが校則でネクタイはしてもらわんとならん。外すのはなしじゃ」

「え~」

「ほら、アスカ」

 

 露骨に嫌そうな顔をするアスカに拾ったネクタイを渡したネギは双子の弟の性格上、このようなきっちりとした体裁を取る必要がある物を身に着けるのを嫌がることを知っているので笑顔であった。

 人が苦しんでいるのを喜んでいるネギに後で仕返ししてやると心に決めたアスカは受け取ったネクタイを手の中で弄ぶ。

 

「別にいいじゃん。校則なんて破る為にあるんだからさ」

「そういうわけにもいかないのよ。それに校則は守る為にあるのよ」

 

 心底面倒そうに呟いたアスカに注意するしずなを見て学園長はウェールズにいる旧友の校長の教育方針を疑いたくなった。この三人の悪評というか異名は十分に理解したつもりだったが甘かったことを自覚する。

 

「今度は自分でネクタイ結べる?」

「やるよ。やるから大丈夫だって」

 

 元から世話焼きの気質があるしずなは着替えも手伝っていた。今までネクタイを結んだことのないアスカが仕方なくつけ出したのを見て手を出したそうだった。

 しずながいい加減に手を出すかと動き出す前にアーニャが足を踏み出した。

 

「しっかり結びなさいよ。こら、そんな巻き方したら」

「初めてなんだから仕方ないだろ」

「私がやってあげるから貸しなさい。もう、ネギといいアンタ達兄弟は私がいないと駄目なんだから」

 

 ネクタイを結び慣れてない誰もが通る道を順当に進み出していたアスカをアーニャが止める。

 ネクタイの結び方の正しい手順なんて一回で覚えられないアスカは文句を言いつつ悪戦苦闘していることは誰の目にも明らか。直ぐに見ていられなくなったアーニャがネクタイを奪い取り、グチグチと言いながらも慣れた仕草でちゃっちゃと結んでいく。

 

(慣れておるの)

(きっとこの時の為に練習したんですよ。あの楽しそうな笑顔を見たら一目瞭然じゃないですか)

 

 念話や言葉を使わなくても目だけで会話をした学園長としずなは目を細めた。

 ネギと同じく特注のスーツ姿のアーニャはネクタイではなく細いリボンである。アーニャの家族がどうなったかを知っている学園長は彼女の周りにネクタイを習慣的に結ぶ男がいないことを知っているので、スプリングフィールド兄弟の為に練習したのだと分かった。

 しずなはアーニャの環境を知らないが女心は学園長の何百倍も理解している。このような雑事に疎い兄弟の為に何度も練習したことは直ぐに察しがついた。

 

「はい、これでいいわ。うん、我ながら完璧」

 

 瞬く間にネクタイを結び終えたアーニャは一歩下がって出来栄えに満足する。

 だが、当のアスカはやはりネクタイで首が絞めつけられるのが気に食わないのか不満そうだった。その様子を見ていたネギはふと思いついたように口を開いた。

 

「苦しいなら緩めたら?」

「あ、この馬鹿っ」

 

 アーニャが咎める視線をネギに送るがもう遅い。成程、と頷いたアスカはアーニャの気持ちなどあっさりと振り解いてネクタイを緩める。

 

「外さなきゃいいんだろ」

 

 先程と同じように第二ボタンまで開けてその下までネクタイを下ろす。もはやネクタイは付けているだけの風情になってしまった。

 

「そういうもんじゃないでしょうが! ネギも余計なことを言わない!」

「そうは言っても堅苦しいのが嫌いなアスカだよ? あのままじゃ、直に暴走してたって」

「う!? そうだけどさ……」

 

 ネギの言い分も尤もな部分があったのでアーニャは途端に勢いを失くした。

 色んな面でフリーダムなアスカに変に強制しても、溜め込んだエネルギーを盛大に暴走させることは過去の経験からアーニャも良く知っている。

 バトルマニアなのと天然以外は至って普通なアスカも、こと拘りに対しては異様なほどの執着を見せる。怒りや憤りといった感情がないようなこういう手合いが意外に暴走したら惨事を引き起こすのだ。

 主に火消しを自分とネギでやってきたアーニャは両者を天秤にかけて急速に受容に傾いていた。

 窺うようにこの街の最高意思決定を司る学園長を見る。

 

「まあ、いいじゃろ。おいおい慣れていけばよい」

 

 アスカは勝手に自己解釈しているが校則では着用を義務付けられているだけではない。首元まできっちりと締めろとまでは言わないが見苦しくない程度が望ましい。学園長の目から見てもアスカが本気で嫌がっているのは良く解ったので、慣れていないからこその行動であると考えて寛容的に受け入れることを決めた。

 後々に改めていけばいいと教育者としての面を面に出した学園長は頷いた。

 

「それじゃ、準備が出来たところで教室に行きましょうか」

 

 そうしてしずなに連れられて学園長室を出て行く三人を見送った学園長は顎髭を擦った。

 

「うむ、成人女性にスーツ姿の少年少女と制服を着崩した少年。見事なほど意味不明な集団じゃな」

 

 自分で決めたことながら三人を牽引しているしずなとも相まって摩訶不思議な一行にひっそりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始業の時間まで後数分というところで教室の扉が開けられて、友人と喋っていてまだ席についていなかった何人かが入り口に目を向けた。

 

「なんだ、明日菜か」

「なんだってなによ、失礼ね。て、何してんのよ、アンタ達」

 

 教卓付近で本当に中学生かと疑いたくなる鳴滝姉妹となにかの作業をしていた春日美空は来訪者に固まらせていた緊張を糸を解す。なんだ扱いをされた明日菜は後ろに木乃香を控えさせたまま、何故か水の入ったバケツを持っている美空に訝し気な視線を向けた。

 

「朝倉から明日来るっていう新任教師がもう来てるって聞いて悪戯の準備」

「なのだ」

「今回は自信作なんだよ」

 

 ニヒヒ、と美空は一緒に準備をしている鳴滝姉妹と笑い合って作業を続ける。

 

「怪我のない程度にしときなさいよ」

「了~解」

 

 本当にこいつは解ってるのだろうかと思いつつ、明日菜は悪戯に巻き込まれないように足下を気にしつつ教室に入った。後ろの木乃香に同じ場所を通るように言いながら横を通り過ぎる。

 明日菜達の席は教卓の前の列の真ん中辺り。一つの机を二人で使うので廊下側の木乃香と同じ通路を使うと通行が面倒になる。少し距離がかかるが教卓の前を通って窓際の列の朝倉和美と教卓前の列の雪広あやかの席の間を通るのが何時もの明日菜の行動だった。

 この日は明日菜は何時もの行動をした自分の間違いを悔やむことになる。

 

「ちょっと、明日菜。新任の先生と会ったんだって?」

 

 通りかかったところでデジタルカメラが普及し始めているにも関わらず、一眼レフを持っている朝倉和美に声をかけられて足を止める。

 

「情報早いわね。会ったけど」

「噂では美形だって話だったけど本当?」

「美形…………ではあったわね、確かに。この後、来るって話だから好きに聞いたら」

「マジ? ようし、やる気出て来た。最初に会ったアンタらの話も貴重だから後で聞かせてね」

 

 食いついてくる距離分だけ和美から引きつつ、「子供だけど」とは心の中で呟いた明日菜は適当に頷いて隣を通って自分の席を目指す。

 鞄を机に置いて席に座り、入っている教科書らを適当に机の中に入れる。その行動の乱雑さから通路を挟んで席にいる柿崎美沙は後ろの席の早乙女ハルナとのお喋りを中断した。

 

「どうしたの明日菜? なんかご機嫌斜めじゃん」

「ちょっとね」

「もしかして今日はアレの日かな?」

「違うわよ!」

 

 手の届かないところで色んなところが決まってしまったフラストレーションを抱えていて、もしかしたら高畑と接する機会が減るのではないかとアンニュイな気分でいたところではハルナのデリカシーのない発言を適当にあしらうことも出来ずに叫んだ。

 明日菜の後ろの席で読書をしていた綾瀬夕映が顔を上げる程度には大きな声だった。

 

「明日菜な、朝から色んなことがあったからちょっとナーバスなってんねん」

「ナーバスってもしかして高畑先生関連? また出張とか」

「高畑先生関連は当たらずとも遠からずやな。全くの無関係ではないんやけど、今日はちょっと違うねん」

「まき絵と並んで能天気な明日菜がナーバスって珍し。しかも高畑先生関連じゃないなんて」

 

 うんうんと訳知り顔で口を出しながら重く頷く木乃香の近くで「私って何時も高畑先生で悩んでるのかしら?」と明日菜が落ち込んでいたりいなかったり。最初から話す気の少なかった気持ちが皆無に落ち込んだ明日菜はホームルームが始まるまで不貞寝を決め込むことにした。

 明日菜が不貞寝を決め込んだ頃、ナーバスにさせている当の子供三人組は2-Aの教室の近くまで来ていた。

 

「はい、これクラス名簿」

 

 しずなからクラス名簿を受け取っているネギをアーニャが不満に睨む。

 

「未だに納得いかないわ。ネギの方が立場が上なんて」

「成績順で決まったんだから仕方ないじゃん」

「僕にはどうしてアーニャがそこまで上に立ちたがるのが理解できないよ」

「納得がいかないのよ。ボケネギのクセに私の上に立とうなんて一億飛んで二千万年早いわ」

 

 腕を組んで鼻息をボヒューと漏らし、どこまでも唯我独尊なアーニャにスプリングフィールド兄弟は諦めたように息をついた。

 アーニャが上に立ちたがるのは今に始まったことでもなし、年上の挟持を保ちたいだけだと一方的に納得して兄弟が矛を収めるのが常である。もう慣れの領域であった。

 

「仲いいわね、あなた達」

 

 微笑ましさすら覚える三人のやり取りにしずなはおっとりと笑った。

 

「伊達にこのボケ兄弟が生まれた時から付き合ってませんから」

「そんなに昔からだっけ?」

「叔父さんの話だと、アーニャがあまりに元気すぎてアーニャのおばさんが育児疲れした時に叔母さんが代わりに面倒見てた頃からの付き合いらしいから間違ってないと思う」

 

 鼻をピクピクさせて「私がこの二人の面倒見て上げてんのよ」と自慢げだったアーニャの鼻っ柱は、首を傾げたアスカの問いに答えたネギにぽっきりと折られた。

 

「このボケネギが!」

「本当のことじゃないか!」

 

 知らない人の前で見栄を張りたい年頃であったアーニャは見事に鼻っ柱を叩き折ってくれたネギを強襲する。ネギも何時もやられてばかりではない。掴みかかって来たアーニャに負けじと頭の両端に伸びる髪を掴んだ。頬と髪を引っ張り合う二人の横でアスカが、ふわぁっと欠伸を漏らした。じゃれ合いをしながらも足は止めないことにしずなは楽しそうな子達だと笑わずにはいられなかった。 

 

「さあ、ついたわよ」

 

 しずなが目的地である教室の前で足を止めながら言うと、ピタリと掴み合いをしていたネギとアーニャが動きを止めた。そして二人してギクシャクとした動きで教室に向かい合う。

 

「ほら、ここがあなた達のクラスよ」

 

 じゃれ合いをしていたのは緊張を解す為だったのかと得心したしずなは、二人の様子を微笑ましく感じながら窓の向こうを指し示す。

 

「げっ……い、いっぱい……」

 

 学校なのだから一杯いるのは仕方ないが現実を直視して気後れしてしまったようで、ネギはやっていく自信が薄れたのか俯いてしまった。アーニャも同様である。全員自分より年上の人の顔と名前を見たら気後れするのが普通の反応だろう。魔法学校では一学年十人にも満たないから余計に多く感じるのかもしれない。

 

「早くみんなの顔と名前を覚えられるといいわね」

「はうっ……」

 

 追い打ちをかけられて実はこう見えてプレッシャーに弱いアーニャがよろけた。

 

「あ……う…………ちょ、ちょっとキンチョーしてきた」

「わ、私も。緊張を解すには手の平に人って漢字を書いて呑み込めばいいのよね」

「人、人と」

「呑み込む…………って、これでどうやって緊張が解れるのかしら?」

「さあ?」

 

 手の平に人を書いては呑み込んでいたが些細な疑問にぶち当たってしまい、緊張していたはずなのにネギとアーニャは二人で顔を見合わせて首を捻り合う。

 

「馬鹿じゃん。いいから、さっさと行こうぜ」

 

 転入生として心配なんて欠片もしていない超ウルトラマイペースのアスカが二人の状況を端的に表現しながら、しずなが止める間もなく教室へと入って行く。

 ノックすらせず、中にいるのが女生徒で自分が男であることなんて欠片もない気にしない堂々たる仕草で扉を全開に開いた。

 

「あ」

 

 後ろにいたネギやアーニャにはアスカが扉を開いた直後、上から黒板消しが落ちて来るのが見えた。スパーンと開かれた扉に生徒たちが驚きの目を向ける中で、黒板消しは重力に従って真下にいるアスカの頭に向かって落ちていく。この悪戯を仕掛けた美空達が会心の笑みを浮かべるぐらいに避けようのないタイミング。

 

「なんだこれ?」

 

 後少しで頭に落ちる前にアスカの右腕が霞み、気が付いた時には黒板消しは掴まれていた。

 頭の上から黒板消しが降ってきたことに首を捻るアスカが更に一歩踏み出すと、足元の縄が引っ掛かった。足元でなにかが引っ掛かった感触にアスカが下を見下ろした瞬間に、ミスリードさせたこの瞬間を待っていたとばかりに水の入っているバケツが落ちて来た。

 

「あん?」

 

 下を見たままアスカは左手を上に上げてバケツを受け止め、追い打ちをかけるように教室入り口の天井に仕掛けられた先が吸盤になった矢が次々と飛来する。

 左手はバケツを持っているので塞がれており、アスカは仕方なく黒板消しを持っている右手で矢を掴んでいく。合計三本飛来する矢を、親指と人差し指で黒板消しで掴みながら人差し指から小指の間に一本ずつ掴むという妙技で。その間、一度も足を止めることなく。

 

「あらあら」

 

 遂に教壇に辿り着いたアスカに罠が全部発動したことを感じ取ったしずなは感心しながら後ろの二人を連れて進む。

 黒板消しを置き、教壇にバケツと吸盤付き矢三本を乗せたアスカの後から壇に上ったしずなは、披露された妙技に口を開けて唖然としている大半の生徒たちを前にして嫣然と微笑んだ。

 

「新しい先生とお友達に手荒い歓迎ね。自分から名乗り出るなら罪は軽いわよ?」

 

 男を魅了せずにはいられない笑みなのに威圧すら感じさせるしずなに、美空と鳴滝姉妹は十三階段を上げる死刑囚の面持ちで立ち上がるのだった。

 しずなより放課後の裏庭の雑草抜きを命じられ、しくしくと涙を流しながら座って悪戯三人組を誰も気にすることなく、生徒たちの全意識は壇上に向けられていた。

 

「ええとあ………あの……。ボク………ボク………今日から、いや正確には明日からですけど、この学校で教師をやることになりましたネギ・スプリングフィールドです。3学期の間だけですけど、よろしくお願いします」

「同じくアンナ・ユーリエウナ・ココロウァです。私達は主に出張などで不在になる高畑先生の補佐をすることになります。何分、若輩者ですがどうかよろしくお願いします」

「アスカ・スプリングフィールド。生徒なんで適当によろしく」

 

 緊張しながらも言うべきことはしっかりと伝えたネギ、外面用に仮面をしっかりと被って猫被りモードなアーニャ。前者二人に比べて言う通り適当な自己紹介をするアスカであった。挨拶一つとっても性格が滲み出る物である。

 

「なによ、その挨拶は」

「僕も流石にどうかと思う」

「いいじゃん。俺の挨拶なんだから勝手にさせろ」

 

 アスカの挨拶の適当さに小声で二人が注意するが当の本人は全く気にしない。こういう性格なことは思い知らされているが、この風雲児の学生生活が心配になった保護者の二人だった。

 保護者二人がマイペース過ぎる被保護者に溜息をついた瞬間、最初は呆然と壇上に視線を向ける生徒達の時間が動き出した。

 

「「「「「「「「「「「キャアアアッ! か、かわいいいーーーーーっ!」」」」」」」」」」」

 

 学校を揺らすかのような大歓声と共に生徒達は立ち上がって一斉に立ち上がりあっという間に三人を殺到して囲み、もみくちゃにしはじめる。完全に愛玩動物扱いだった。

 

「何歳なの~~?」「えうっ!? 僕達は数えで十歳でアーニャが十歳です」「どっから来たの!?何人!?」「ウェールズの山奥よ」「ウェールズってどこ?」「イギリスの片田舎って言ったら分かるかしら」「今どこに住んでるの!?」「ええい! 鬱陶しい!」

 

 生徒達から矢継ぎ早に告げられる質問にネギは困りながらも、次の質問を上げられてもアーニャは余裕を以て答えていく。纏わりつく生徒たちに特にもみくちゃにされているアスカも流石に生徒に怪我をさせるわけにはいかないので無理矢理に振り解くことも出来ず、言葉では逆らないながらも下手な動きが出来ず翻弄されていた。

 

「ねえ、君ってば頭いいの!?」

「い、一応大学卒業程度の語学力は」

「スゴ――イ!!」

「わわ―――」

「変なところ触らないでったら!」

 

 ネギは今もハルナの中学生らしからぬ胸に抱きしめられ、可愛いもの好きの何人かに捕まったアーニャは全身をかい繰り回されていた。

 

「こんなかわいい子もらっちゃっていいの!?」

「こらこら上げたんじゃないのよ。食べちゃダメ」

 

 美沙・円・桜子他数名に集られたアスカは悲鳴すら上げることもなくあちこちから手を伸ばされてしっちゃかめっちゃかに弄繰り回され、遂に我慢の限界が訪れた。

 

「…………い……い……加減に離れろ!」

 

 ドンと床を強く踏み切って地震が襲ったのかと勘違いするほどの揺れを引き起こし、纏わりつく生徒たちを引き剥がす。どんなに運動神経が切れていようとも踏鞴を踏む程度の揺れに生徒は目をパチクリとさせて動きを止めた。

 

「はいはい、みんな。時間も押してるし、授業しますよ」

 

 その間隙を見逃さずに手を叩いて注目を集めたしずなは、次いで新任教師と乱れた制服を直しているアスカを見た。

 

「ネギ先生とアーニャ先生、お願いします。アスカ君の席は廊下側の席の一番後ろ、エヴァンジェリンさんの隣だから」

「エヴァンジェリン?」

 

 ぞろぞろと自分の席へと動き出した生徒の中で取り残されていたアスカは、しずなに示された席にいる一人の少女に目を向けた。

 記憶に引っ掛かるものがあるのか首を捻りながら指定された席へと向かって歩き出す。件の少女―――――エヴァンジェリンは、先程までのくだらない騒ぎに興味がなかったのか机に伏せて寝ていたがアスカが近づいていくと顔を上げた。

 交わる視線。徐々に近づいていく距離。

 四番目の古菲の席の横を通り過ぎると前の席にいる絡繰茶々丸が腰を浮かしかけたのをエヴァンジェリンは静止した。

 相手の出方が分からず、これだけの衆人環視の中で取れる行動の少なさがあったからだ。スプリングフィールドの血族という相手が相手であるだけにエヴァンジェリンは慎重策を取った。つまりは様子を見ようとしたのである。

 

「今日の授業は高畑先生よりプリントを預かっています」

「これでアンタ達の今の実力を見せてもらうわよ」

 

 アスカはそのまま五番目の不平を漏らす明石祐奈の席を通り過ぎ、六番目の席の廊下側に座っているエヴァンジェリンとなんの障害物のない二メートルもない距離で向かい合う。

 ジロジロとした遠慮のない視線でエヴァンジェリンを見たアスカは途端に気の抜けた顔で口を開いた。

 

「ダークエヴァンジェルかと思ったらただのガキか」

「お前もガキだろうが!」

 

 期待外れとばかりに小声で呟かれた言葉に反応して、思わず机の上に置かれていた筆箱を掴んでアスカの顔面に投げつけたエヴァンジェリンは悪くないはずだった。

 



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第2話 俺と僕と私は魔法使い

 終業のチャイムが鳴り響く中、教師という初めての経験と見知らぬ環境に心身ともに疲れながらネギとアーニャは校舎を出た。放課後は朝の大混雑とは違って下校する生徒の姿がちらほらと見えるのみだ。何処かに行く宛てもなく、人の通りの少ないベンチに並んで座る。

 

「ふ――、やっと一段落だ」

「流石に疲れたわね」

 

 荷物を下ろして今日の出来事を思い出しながらリュックから水筒を取り出して飲んでいるネギの横で首を鳴らすアーニャ。

 

「プリントの結果はどうだった?」

「見てみる? 凄いわよ。見た時から規格外なクラスかと思ったら成績まで極端だったわ」

 

 アーニャは言いながら取り出したプリントの束を広げた。水筒を下ろし、横からプリントの点数を見たネギは苦い野菜を食べたかのように渋くした。

 

「うわぁ。出来てる人は完璧だけど出来てない人は酷い」

 

 分かりやすいように点数順に並べられたプリントの端と端を見比べると点数差は一目瞭然。

 

「時間もあったから二学期以前の成績を見せてもらったけど、もう極端すぎるわこのクラス」

 

 プリントの束を広げているアーニャは手元を周りに見えないようにしながら魔法を展開し、なんともいえない表情をするアーニャに顔を寄せたネギは眉間に何重もの皺を作る。二人の気持ちは同じだった。悪い方向に。

 

「学年トップクラスが何人もいるのに最下位近くが五人もいる」

「逆にバランスがいいっていえばそれまでだけど、24もクラスがあるんだから普通はもう少しバラつかせないかしら」

 

 今後の展望の先行きさ不透明にネギとアーニャはガックリと肩を落とした。

 

「なんたってアスカもいるからね」

 

 ネギの声でアーニャが顔を上げれば、一緒に来た当のアスカはブレザーの上を脱いでYシャツの袖を肘まで捲り上げてイメージトレーニングをしていた。

 二人の悩みなんて考えもしていないだろうアスカは、ボクシングのシャドーのように拳を振るっていたがイメージトレーニングの相手は恒例の高畑らしく、直ぐに防戦一方になって回避行動ばかりが増えていく。

 

「同年代と比べてもバカなのにあれでよくネギと一緒に飛び級出来たわよね」

「アスカの場合は実技が抜群だったから。後、テストの山勘が冴えすぎて点だけは取れたから運良く」

「なにその羨ましいの」

 

 アスカの山勘は魔法学校では有名だったのが兄弟に負けじと必死に勉強していたアーニャは知らなかったようだ。普段は勉強できないのにテストの点数は良かったことに不審を覚えていたが、長年の謎は解けて万々歳とは言えない。ネギ達に置いていかれないようにアーニャがどれだけ努力してきたことか。

 学生最大の最難関を突破する都合の良い能力を持っているアスカに嫉妬の視線を向けた。 

 

「で、どうする? 下位陣のこの点数と成績は早めにテコ入れしておいた方がいいと思うけど」

「高畑先生が偶に小テストをして、あまりにも得点の低い生徒に放課後に居残り授業をしていたからそれを継続したらいいわ。これがしずな先生に貰った居残りリスト」

 

 アスカ関連のことでは切り替えが早いアーニャは、準備よく鞄から取り出した顔写真入りのリストを取り出してネギに渡した。

 渡されたリストをパラパラと捲ったネギは予想通りのメンバーに頷く。

 

「成績下位五人組とプラスアルファか」

「その成績下位五人組をバカレンジャーなんて呼んでるらしいわよ」

「アーニャは情報早いなぁ」

 

 水筒を片付けてクラス名簿を取り出し、渡された顔写真入りのリストと成績表の三つを照合していたネギは行動が早いアーニャに感嘆する。

 

「クラスにずっといたアンタと違って私は英語の授業以外はフリーだったから色々と動いてたのよ。新任だからみんな親切に教えてくれたお蔭ね」

 

 言葉は殊勝ながらも「私を敬え」とばかりに鼻をピクピクと震わせるアーニャに、面倒だからネギは突っ込まずにさっさと話を進めることにした。

 

「居残り授業のメンバーはバカレンジャーとアスカは外せないとして」

「後、何人かも加えておきましょうか。そうね、500位以下のこの四人がいいかしら」

「合わせて十人か。ちょっと多くない?」

 

 十人を二人で見るのは苦しくないかと思うネギに対して先を見ているアーニャの意見は対立するとまではいかなくて少し異なる。

 

「少しずつクラスの意識を変えていかないと意味ないじゃない。無理そうなら次回からはバカレンジャーとアスカだけにすればいいし。実習生だからって赤点をとるような生徒がいると困るじゃない」

 

 クラスに溶け込もうとするネギと、教師と話をして内情を調べて来たアーニャでは根本から意識が違う。この場合はどちらが間違っているというわけでもない。

 

「大変よね、教師って」

「本当」

 

 考えなければいけないこと、しなければいけないことが多すぎて二人は疲れたようにため息を吐いた。視線の先ではイメージトレーニング相手の高畑に殴られたのか、首を大きく振ったアスカがゆっくりと地面に倒れていく。

 Yシャツのままでアスファルトの地面に背中から倒れた瞬間にアーニャが口を大きく開けた。

 

「ああ!? なにやってんのよボケアスカ! 誰が洗うと思ってんのよアンタは!」

 

 ネギがあっと思った時には隣のアーニャが立ち上がり、怒声に息を荒げている横になったままアスカが顔だけをこちらへと向けた。ドシドシと足音がしそうなほど強い足取りでアスカを説教しに行ったアーニャの背中を見送ったネギは、一人で息をひっそりと吐いた。二人のことは意識からあっさりと弾き出し、別のことを考える。悩みは教師としてだけではない。他にも懸念はあった。

 

「まさか父さんが退治した闇の福音が生きてたなんて」

 

 ホームルーム直後にアスカが引き起こしたごたごたで、退治されたはずのクラス内に闇の大魔法使いの存在を知ったネギは頭を抱えた。超高位魔法使い身近に、それも自分が教える生徒の中にいるなんて想像もしていなかった。想定外の事態に強いアスカとは反対に弱いネギは悩みの中にあった。

 

「生きてるってことは父さんは退治しなかった。生徒として通ってるってことは最低でも学園長は知ってるってことだよね」

 

 うーん、と唸りながら明かされていない情報に頭を働かせる。エヴァンジェリンを退治しなかったことも、学園側が何らかの意図を以て生徒として通わせていることもネギとしては本音を言えばどうでもいい。問題はエヴァンジェリンがスプリングフィールド兄弟に向ける殺気混じりの視線にあった。

 

「なんか僕まで睨まれてるし、絶対父さん何かやったな」

 

 アスカだけなら初対面でのいざこざから理解出来るものの、碌に会話すらしていないネギまで廊下ですれ違った時に殺気混じりの視線を受ける道理はない。

 

「毎度毎度アンタは懲りるってことを知らないの!」

 

 腕を組んで首を捻るネギの視線の先では、アスファルトの上で正座させられて仁王立ちしたアーニャにガミガミと説教されていた。やれ、何時も何時も汚して誰が洗濯すると思っているのだとか、普段から考えて行動する癖を身に付けろだとか、もはや今回の一件には関係のない説教に突入しているが、ネギは全くこれっぽっちもアスカを助ける気にはならない。下手に助けを出せば今度はネギの方に嘴が来ると分かっている経験からだった。

 

「本人に問い質すか、学園長に助けを求めるか」

 

 エヴァンジェリンには魔力を殆ど感じなかったので、もし戦うことになっても三人なら負けはないと思うが下手なリスクは取らない方が賢明と、言いながらネギは後者の選択を選ぶことに決めた。

 

「あ~、酷い目にあった」

 

 説教が終わったらしくブレザーを肩に背負ったアスカが首をコキコキと鳴らしながらネギの下へとやってくる。そういうことを言うから後ろにいる般若顔のアーニャを怒らせるのだと分かっていない双子の弟に、深く長い溜息を吐きながら直した水筒を取り出して放り投げる。

 「サンキュ」と言いながら危なげなくキャッチしたアスカは、イメージトレーニングで喉が渇いていたのだろう水筒を傾けてゴクゴクと呑み込む。環境や状況が変わろうとも何時も通りのアスカの姿に逆に安心感を覚えたらしいアーニャも怒りを収めたようだった。

 

「まどろっこしいことを考えてそうな面してんな。エヴァンジェリンのことだろ?」

 

 水筒の中身を呑み込んだアスカは手の中で空瓶を弄びながら悪戯っぽい笑みを浮かべた。双子の弟の勘の良さは今に始まったことでもないので、ネギは自分がまどっろこしいことを考えている面をしているのかと顔を触りながらも素直に頷いた。

 

「下手の考え休むに似たり。ネギは顔に出やすいぞ」

「アスカが難しいことを言ってる?!」

 

 カラカラと笑いながら忠告してくるアスカだったがネギは別のことに震撼していた。

 

「お前は誰だ! アスカのニセモノだな! 本物をどこにやった!」

 

 脊髄反射で生きているアスカが諺やらを知っているがはずがない。ネギは即座に目の前にいるのは偽物だと断定した。

 

「どうせどっかで聞きかじったことを言ってるだけでしょ」

「そうとも言うな!」

 

 立ち上がって指を突きつけるネギに呆れるアーニャの横で貶されたアスカは何故か笑っていた。難しいことを言えるはずがないと自分でも理解しているらしい。

 

「折角、強い奴が近くにいるんだから俺達の目的の為に利用してやろうぜ」

「利用って具体的には?」

()るか、教えを乞うかに決まってるじゃないか」

「決まっているじゃないわよ、このアンポンタンが」

「なぁ、世に名だたる大魔法使い様なんだ。当たって砕けろとは言わねぇが聞く分にはタダなんだから利用しなきゃ勿体ないだろ」

 

 うむ、とネギは無駄に自信満々のアスカの意見に黙考した。論理的ではないが悪いアイデアではないと結論付ける。リスクはあるが、どんなことであっても大なり小なりのリスクはあるものだ。学園長に助けを求めたとしても望んだ通りの結果が得られるとは限らない。で、あるながらば自分達の目的を達成するために最善と思える行動を取るのが当然のこと。

 

「悪くないアイデアだと思う。駄目なら学園長に助けを求めればいいし、アーニャはどう?」

「いいんじゃない。確か六百年は生きてるんでしょ。味方になってくれればこれほど頼もしい相手もいないわ。対立すらなら怖い相手だけど、悶着起こっても逃げ場があるなら私も文句は言わない」

「なら、決まりだな。善は急げだ。早速()りに行こうぜ」

 

 妙にアスカが「当たって砕けろ」「善は急げ」などの諺を使おうとするのは、今学期一杯で定年退職予定の国語の老年教師が言っていたことを真似しているのだ。どうも意味合いとフレーズが気に入ったらしい。

 拳を握って戦う気満々のアスカに教えを乞う気があるのかどうか、そこはかとない不安を覚えたネギだったが、その時になれば自分とアーニャで止めるしかないと諦めて立ち上がった。

 

「この時間だともう家に帰ってるんじゃないかしら。家知ってるの?」

 

 広場にいれば下校する生徒たちの姿も見えたので何時までも学校にいるとは限らない。

 時間はもう夕方。部活動をやっていないとすれば既に帰宅していても不思議はない。

 

「知らねぇ。これから調べたらいいだろ」

「思い付きで行動してるからアスカって計画性ないよね」

 

 提案者のくせして能天気なアスカに、三人で並んで歩きながら嘆息するネギ。

 

「生徒の家って教えて貰えるのかしら?」

「良く授業をサボってみたいだから家庭訪問をするって理由をつければ大丈夫だと思う。やる気のある新任教師の行動だと見えるように努力しないといけないけど」

「出来んの?」

「多分」

「大丈夫だって。いざとなれば俺に任せろ」

「その根拠のない自信にあやかりたいよ」

 

 小首を傾げたアーニャに自信なさげに顔を下げるネギとは反対にどこまでもアスカは自信満々だった。

 

「ん?」

 

 学校に戻る為に鐘を鳴らす女子普通科付属礼拝堂を通り過ぎて、西欧文化の流れを汲んだ石像を中心に置いた広場に到着した時、ふいにアスカが何かに気づいたように顔を動かした。アスカの動きに吊られて視線の先を見た二人は、今まさに階段を下りようとしている一人の少女を見つけた。

 

「あれ……あれは27番の宮崎のどかさんだったかな」

「たくさん本持って危ないわね」

 

 見覚えのある少女にクラス名簿を取り出して確認するネギ。その横でアーニャが不安を帯びた顔をした。

 三人の視線の先で宮崎のどかは手すりの無い階段を大量の本を持ってヨロヨロフラフラと危なっかしく階段を下り始めた。

 

「ん? あれ、あいつは」

 

 階段を下りるのどかと広場にいる三人の対角線上で、両者を視界に入れる位置にペットボトルが入った袋を持った神楽坂明日菜がいた。

 

「あっ」

「!! やっぱし!」

 

 三人の危惧通り、足を踏み外したらしく大きく本が散らばり姿勢を崩したのどかが階段の外側に落ちた。手摺がないので十メートル近い高さから真っ逆さまに落ちていく。

 

「アスカ!」

 

 アーニャが隣にいるアスカの顔を見ずに大声を上げた。その前に既にアスカは踏み込んでいて、のどかが階段の外側に落ちた瞬間には体が前へと動いていた。

 肩に乗っけていたブレザーを置き去りにして、普通の人には一瞬にも思える時間でのどかまでの距離をぐんぐん縮めるアスカだったが、同時に致命的なまでの事実にも気が付いてしまった。

 

(間に合わない!)

 

 広場のアスカ達がいた場所とのどかが落ちた階段まではかなりの距離がある。しかものどかは数冊の本を抱えたままなので重量によって落下速度が速い。のどかが落ちた瞬間には動き出したといっても常人ならば絶対に間に合わないタイミングであったが、覆すのが魔法使いたる彼らならば可能である。

 制約によって全力を封じられていても、オリンピックの金メダリストよりも遥かに速い速度で駆けられても、間に合わないものは間に合わない。それはのどかの危機に気づいで走り出そうとした明日菜も同様だった。

 

風よ(ウェンテ)!」

 

 アスカが走り出したようにネギが咄嗟に手に取った杖が集中と同時に先端の布が解けていき、魔法を発動して風を生み出した。駆けるアスカの足先を文字通り風が走り抜け、のどかが落下す真下から上昇気流となって彼女の落下スピードを遅らせる。

 これを好機と見て更にアスカの駆ける速度が増したが、どうしても後一歩分の距離が足りない――――――と、考えていたアスカの背中に一条の炎の矢がぶち当たった。アーニャが無詠唱で放った魔法の射手・火の一矢である。 

 

「だあああああああああああっっっっ!!」

 

 最後の助力を得て体を前進させたアスカはのどかを見事に受け止めた。肩とスカートの下の剥き出しの太腿を抱き留め、走る勢いを止める為に足を踏ん張ってブレーキをかける。

 靴裏で地面に二筋の轍を数メートルも作りながら、ようやく停止する。

 

「あっちぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!」

 

 助けたのどかを地面に下ろして膝をついたアスカが痛みに悶える。完全に意識外にあった背中に魔法の射手・火の一矢を受けた背中は、恒常的な障壁を張っていないアスカでは被弾した箇所のYシャツが燃えて軽度の火傷を負うことは避けられない。

 土下座の近い姿勢で震えるアスカの近くで、のどかは落ちた精神的衝撃で気絶しているのか目を閉じたまま起き上がらない。 そこへようやく追いついたネギがのどかが気絶していることを確認して治癒魔法をかける。

 

「緊急事態だから仕方ないけど、やりすぎだよ」

 

 アーニャ、とゆっくりと足音を立てて近づいてい来る下手人の名前を呼ぼうと治癒魔法をかけながら振り返ったネギの顔は、そこにいるはずのない人間がいて絶句した。

 

「あ……アンタ達……」

 

 ここにいてはらならない神楽坂明日菜は火傷を癒したネギの手と痛みが引いて顔を上げたアスカ達の前で、タイミングが良いのか悪いのか驚愕の色を浮かべながら立っていた。

 

「あ……いや、あの……その」

 

 明日菜の後ろにいるアーニャが天を仰いで「あちゃー」と手で顔を覆っているのはともかく、当事者であるアスカが「これはマズった」と少しも気にした様子がないのは、どうやって状況を打開するべきか全開で頭脳を働かせているネギの癪に障ったが現実はどうしようも出来なかった。

 

「ぅ……うぅ」

 

 ネギと明日菜は互いに動かなくなったまま見つめ合いが続いていたが、気が付いたらしいのどかの声が状況を動かす。動いた明日菜がアスカの襟首を掴み、反対の手でネギを抱えて走り出した。

 明日菜に見られたことでまだ固まっていたネギは上手く抵抗することが出来ず、アスカは色々と諦めた風情で攫われて行ってしまった。

 

「あ~あ、どうしましょう」

「せ……先生?」

 

 アーニャは視界外にいたお蔭で気付かなかったらしい。明日菜によって連れられた二人を見送って、のどかが起きたのを見ながらこちらもどうしようかと悪知恵を働かせなければならないアーニャだった。

 子供二人を抱えて全力疾走するという力技を成し遂げた明日菜は、木々が生い茂る場所で二人を放した。

 

「子供が教師なんておかしいと思ったけど、ああああんた達は超能力者だったのね!!」

「い、いやちがっ」

 

 放り出されてゴロゴロと転がって木にぶつかりがながらも律儀に答えるネギと、受け身を取ってYシャツの背中部分を肩越しに見ているアスカの二人を見比べ、明日菜は前者を詰問することに決めた。押しに弱そうなのはどう見てもネギの方である。

 

「誤魔化したって駄目よ。目撃したわよ。現行犯よ!! 答えなさい。みんなを操って何が目的よ!」

「あうう~~~っ」

 

 明日菜はネギのコートの襟元を掴んで感情が高ぶってきたのか涙目で詰問する。

 

「白状なさい。超能力者なのね!」

「ボ、ボク達は魔法使いで……」

「どっちだって同じよ!!」

 

 ネギを振り回して白状させようとした時に、明日菜は吐かれた言葉に重大な事実が潜んでいることに気が付いた。

 

「え、魔法使い?」

 

 Yシャツの背中側の真ん中に開いた穴の端から焼け焦げた部分を毟っていたアスカは、うっかり漏らしたネギの失言にポカンと口を開けている明日菜に色々と諦めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前後不覚になったネギや、もうすっかり諦めて不貞寝モードになったアスカではなく、後から来たアーニャが明日菜への説明を行なっていた。

 

「つまり、アンタ達は魔法使いの卵だってこと?」

 

 あまり頭の良い方ではない明日菜は難しい話をされても分からない。込み入った話もあってこんがらがりながらもなんとか要点だけを捉えていた。

 

「見習い魔法使いの方でもいいわよ。一人前って認められるのは修行を終えた後だから」

「へぇ、魔法を使えたら魔法使いってわけじゃないんだ」

 

 感心した様子で頷いた明日菜の直ぐ横で似たような髪型をしているアーニャの髪の毛が揺れる。

 

「でも、なんで魔法使いの修行で教師とか生徒をやってるの? 修行ってファンタジー的に考えて竜を倒すとか、金銀財宝を見つけるとかじゃないの」

 

 校外から下駄箱に入って靴を履き代えながらの明日菜の問いにアーニャは鼻を鳴らした。

 

「漫画とかの読み過ぎよ、明日菜」

 

 先に靴を履き代えたアーニャは歩みを進め、髪を靡かせながら笑う。

 

「現代の魔法使いは普通の人達に混じって生活してるわ。この修行も魔法の世界から離れて普通の人の中で暮らす術を見に付けろってことでしょ。それでなんで教師なのかは理解に苦しむけどね」

 

 明日菜が足を進めれば二人の身長は大きいので簡単にアーニャに追いつく。追いついた後は足を進めるスピードを緩めなければならないが苦痛に感じるほどではない。ガサツに見られることの多い明日菜だが気の利かせられる女なのだ。

 

「じゃあ、もし今回みたいに魔法がバレちゃったらどうするの?」

「普通なら今は仮免期間中みたいなものだから強制送還。酷い時は刑務所行きかしら」

「え"」

「勿論、明日菜は私達の未来の為に黙っていてくれるわよね。ねぇ、あ・す・な」

 

 絶句した明日菜の前に出たアーニャは嫣然と笑って近づき、明日菜の名を呼びながら顔を近づける。小悪魔的な魅力を全開するアーニャが脅しをかけているのだと気づいた明日菜は唾をゴックンと呑み込んだ。その呑み込む音がいやに大きく響いた気がして羞恥を覚えたが、足を止めた明日菜の後ろでネギが一度解かれたはずの杖の布を解き、アスカが拳を握ってポキポキと骨を鳴らしていることに気が付いて戦慄した。

 前にはアーニャ、後ろにはネギとアスカ。三人とも魔法使いで、明日菜には助けることの出来なかったのどかを助ける能力を持っている。抗える状況ではなかった。

 

「…………勿論、黙っているに決まってるじゃない! もうやだな、アーニャちゃんは」

 

 アハハハハ、と頭を掻いて虚ろに笑う明日菜は全力でヒヨッた。理不尽な暴力には抗うタイプであっても敗色濃厚な戦いに身を投じる猪ではない。彼らの未来の為と言い訳をして、明日菜は反抗心を心のドブの底へと押し込めた。

 神楽坂明日菜十四歳、魔法使いに身も心も屈した瞬間であった。

 

「平和的な手段で解決して嬉しいわ。ねぇ、アンタ達」

「うん、良かったぁ」

「え~」

「そこのボケアスカは黙ってなさい。なんで残念そうなのよ」

 

 普通に安心してるネギと違って暴れるられることを期待していたアスカに突っ込みを入れつつ、アーニャは無理矢理に明日菜を手を握って友好をアピールする。握手するアーニャの笑顔の背後に悪魔を見た明日菜は抵抗も出来なかった。振り回される任せて握手を続ける。

 

「で、アンタ達ってどんな魔法を使えるの?」

 

 歩みを再開した三人に明日菜は先の恐怖を忘れる為に問いかけた。純粋な興味が混じっていたことは否定できないが。

 問いかけにアーニャは顎に手を当てた。

 

「修行中の身だからあんまり多くないわよ。特にアスカなんて数えるほどだし、私も平均よりちょっと多い程度。ネギはアホみたいに多いけどアイツは例外中の例外。参考にはならないわね」

「惚れ薬とかないの?」

「あるけど、持っているだけで犯罪よ。人の心を操る魔法とか薬品系は常識的に考えて禁止されるに決まってるじゃない」

 

 先を歩く二人の後ろで、ネギがアスカの背中のYシャツの空き具合に気が付いてちょっかいを出していた。

 背中をつぅと擦すられた実はくすぐったがりのアスカが身を悶えさせ、ちょっかいを出したネギに頭に拳骨を落していた。

 

「ううっ…………お金のなる木とかないの!?」

「意味わかんないわよ。金のなる木はともかくとして、特定の国のお金がなる木なんてあったら逆に引くわ」

 

 拳骨を落されたネギは頭を擦りながら「何時までも背中の開いたYシャツを着ているのはマズいよ」と真っ当な意見を出していた。それもそうだと頷いたアスカだがどこに制服を貰いに行けばいいのかと首を捻り、二人で取りあえず事務室に行くことを決めてとっとと離れて行った。

 あっという間に姿が見えなくなった二人を見送ったアーニャ達は階段の踊り場に到着した。

 踊り場の窓から夕陽が照らし出され、世界は一時だけ幻想染みた世界へと移り変わる。

 

「魔法だからって万能じゃないわ。死んだ人を生き返らせることなんて出来ないし、過去へと戻ることも出来ない」

 

 言ったアーニャの顔が夕陽に照らされて、逆光になって明日菜からはよく見えなかった。一瞬だけ見えた表情はどこかアーニャらしくないものに見えた気がしたが見間違いだと気にしなかった。

 

「これはうちの学校の校長先生が言ってたことなんだけど」

 

 一度言葉を切ったアーニャの顔は笑っていた。

 

「『儂らの魔法は万能じゃない。僅かな勇気が本当の魔法』。高畑先生を振り向かせたいなら魔法なんて物に頼らず、自分で告白することね。魔法で好きになってもらっても嬉しくないでしょ?」 

 

 生意気でこまっしゃくれた少女は悪戯っぽく笑っている。高畑に振り向いてほしいがそれが魔法であったならばやはり自分は悩むことになるだろう。明日菜は胸を突かれた思いだった。

 

「アーニャちゃんって本当に魔法使いみたい」

「馬鹿ね。私は元から魔法使いよ」

 

 どうしようもなく胸の奥から笑いが込み上げて来て、アーニャと二人で笑い合った。

 

「アーニャちゃんにはいないの? 好きな人とか」

「いないわ。今はやることがあるから恋愛なんてしてる暇なんてないし」

「さっきの二人とかどうなの。幼馴染なんでしょ?」

「あの二人が恋愛対象になるわけじゃない。ガキよガキ。どんだけ頭良かろうが、どんだけ運動神経が良かろうが、あの二人だけは絶対にないわ」

 

 幼き頃に淡い想いを抱きもしたが、今ではそれは小さな子供の過ちだったと自覚しているアーニャは言わなかった。

 

「どうなってるの?」

「さあ?」

 

 仲良く話をする二人を、運良く早く制服を入手できたネギとアスカが物陰から覗きながら顔を見合わせていた。団子のように上下に並んで顔を出す二人は全然隠れていない。真っ先にアーニャが気づいた。

 

「あ、こらアスカ。またネクタイちゃんとしてないじゃない」

「げっ」

「ほら、逃げないの」

 

 見咎めたアーニャが足早に上っていた階段を下りて来るから逃げようとしたアスカの襟首をネギがしっかりと捕まえる。彼我の身体能力差なら十分に振り解けるが逃げたところで意味はないと知っているアスカは大人しくアーニャに捕まってネクタイを締められる。当然、出来た後には緩めるが。

 

「仲いいわね」

 

 ギャーギャーと集まって姦しい三人を明日菜は微笑ましく思えて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギャーギャーと言い合う三人を先導しつつ、明日菜は2-Aの教室へと辿り着いた。

 

「ほら、アンタ達で開けなさい」

 

 うっかりと自分で開けそうになった明日菜は寸前で留まって、後ろにいる三人組に問いかけた。

 自分で開ければいいのに譲った明日菜に不審も露わにするネギとアーニャだったが、こういう時に決まって真っ先に行動するアスカが気にせず朝のようにスパーンと扉を開けてしまった。

 

『ようこそネギ先生&アーニャ先生&アスカ君――――ッ!!』

 

 開けた瞬間、中からクラッカーが幾つもならされて巻き上がった紙吹雪や紙テープがアスカの髪の毛や肩に舞い降りる。

 

「さあさあ、主役達は真ん中に行った行った」

 

 朝倉和美が言いながらアスカの背中を押し、雪広あやかと那波千鶴がネギとアーニャの手を引っ張ってクラスの中心へと座らせる。

 ポカンとしている前者二人は為すがままだった。

 

「ふ~ん、明日菜は私達を連れて来る役だったのね」

 

 二人と違ってクラスの人間の性格を同性として感じ取っていたアーニャは大凡の流れを掴んだ。

 椎名桜子に紙コップを渡されて和泉亜子にジュースを注がれているネギと、超鈴音と四葉五月から特製肉まんを振る舞われて食べているアスカを見て、クラス全体の準備の良さから状況を推察したアーニャは近衛木乃香に問いかけた。

 

「本当はうちらが呼びに行く予定やったんやけど、のどかが先生らに会ったて聞いて明日菜も一緒にいるいうから頼んでん」

「私達の為にご苦労なことだわ。ありがとうと言っておくわ」

「ふふ、どう致しまして」

 

 改めてクラス全体を見渡したアーニャは、エヴァンジェリンを始めとして何人かの姿がないことに気が付いた。

 

「全員がいるわけじゃないのね」

「こういう場が苦手な子もどうしてもおるからな。勘弁したってや」

「気にしてないわ。こういう会を開いてくれただけも感謝しないと罰が当たるもの。文句を言うつもりはないわよ」

 

 騒がしいネギやアスカのいる席周辺に比べれば、木乃香と話していることもあってアーニャの周りはまだ静かな方だった。

 性格的なものをいえばアーニャも騒がしい場の方が好みだが、だからといって静かな場が嫌いというわけでもない。木乃香が話し上手で聞き上手なこともあって思い外、会話は楽しく感じていた。

 

「ん?」

 

 他愛もないことを木乃香に加えて綾瀬夕映や早乙女ハルナも交えて話していたアーニャは、話している三人以外に見られていることに気づいて首を巡らせた。他人の視線や気配に逸早く気づくのはアスカの専売特許だが、今回は自分に向けられたこともあってアーニャも気づいた。

 巡らせた顔の先でアーニャを見ていたのは、何故か片手に木刀のようなものを持っている鋭い目をした少女だった。顔を向けると少女は自然と一度は合った視線をずらされた。歓迎会の主役に注目が集まるのは当然。勘違いと言ってしまえばそれまでだが見ていただけというには少女の視線には感情が籠り過ぎていた。

 アーニャには以前にも似たような視線を向けられた記憶があった。魔法学校時代に顔だけは良いネギとアスカと親しくしていたアーニャに向けられていた嫉妬。少女に向けられた視線にはそれに似た感じがあった。

 

「どうしたの?」

 

 ハルナに声をかけられて、木刀を持った少女に嫉妬に近い感情を向けられる理由が分からなかったアーニャは顔を戻した。

 

「ねぇ、あの子って」

 

 クラス名簿はネギが持っているので、接する時間が短かったアーニャでは生徒全員の顔と名前の一致が出来ない方が多い。このような場では以外に周りの目を気にするアーニャではクラス名簿を広げるなんてことは出来なかっただろうが。

 

「あの子って…………せっ、桜咲さんがどうかしたん?」

「どうってわけじゃないけど」

 

 逆に木乃香に問われて答える言葉を持たなかったアーニャは窮した。まさか嫉妬に似た視線を向けられてなんでだろうとは聞けない。アーニャの勘違いかもしれないし、間違えていたら恥ずかしい。

 

「桜咲さんが木刀を持ってるのは剣道部だからですよ。寡黙な人ですが無暗に暴力を振るうタイプではないので安心して下さい」

「そうなの? 良かったわ。就任直後で問題児発覚なんて洒落にならないから」

 

 どうして先程、木乃香は刹那の事を呼ぶ時に詰まったのかと別方向の思考に飛んでいたアーニャは、気を利かせたつもりで実は勘違いしている夕映に問題のない返答を返す。

 ふと、クラス名簿の刹那の欄になにか気になることが書いてあったことを思い出したアーニャは、今夜の寝宿について考えなければならないこともあって宮崎のどかから何かを受け取っているネギを見た。

 

「ネギ! 鞄持ってこっちに来なさい!」

 

 のどかから何かを渡されて戸惑っているネギは渡りに船とばかりに席を立ち、足早に鞄を持ってアーニャの下へと困惑も露わに詰め寄る。

 

「ちょっとアーニャ。宮崎さんに何を言ったのさ。なんか僕が彼女を助けたことになってて図書券をお礼だって渡されたんだけど」

「顔が近い…………ああ、そういえば言ってなかったけどアンタが助けたことにしたんだっけ」

「助けたのは僕達三人でじゃないか。なんで僕一人が助けたことになってるんだよ」

 

 周りに話せない話だったので顔を寄せて来たネギを手で遠ざけつつ、ごめんごめんと適当に謝るアーニャだった。

 

「私はネギ()助けたって言っただけで、他に助けた人物がいないなんて言ってないわ。彼女が勝手に勘違いしてるのよ。アンタが助けたのも事実だし、本当のことを言えないんだから黙って感謝を受け取っておきなさい」

「だからなんで僕なんだよ。アーニャでもアスカでもいいじゃないか」

「アスカは下手うちそうだから却下。私も面倒。アンタ達は明日菜に拉致されてたし、残った私がどう伝えようが勝手でしょが。文句があるなら明日菜に言いなさい。それよりいいからクラス名簿」

 

 さっさと寄越せと手を差しだすアーニャに言いたいことの百や二千はあったが、やがてネギは諦めて鞄を差し出した。クラス名簿を取り出して渡さなかったのはせめてもの意趣返しである。結局、クラス名簿を取り出したアーニャが用済みとばかりに鞄を放り捨てたことで逆に意趣返しされたが。

 

「神鳴流ね。流石に同地同名の武門があるわけないわよね。なら、決まりね」

 

 仲いいね、と言ってくるハルナらに、あいつらは私の奴隷兼下僕と返しつつ、今夜の寝宿の当てを決めたアーニャは立ち上がった。

 アーニャが立ち上がって桜咲刹那に近寄っていくのを見たアスカは、肉まんを呑み込んで次のを貰う。ブラックホールに消えていくが如くことに面白がって勧めて来る柿崎美沙・釘宮円・椎名桜子から受け取った肉まんを口一杯に頬張っていた。

 

「良い食べっぷりアル」

 

 刹那に何かを話しかけているアーニャを見ていたアスカは、不意に話しかけられて顔を上げた。顔を上げた先にいたのはエキゾチックな肌をした片言気味の日本語を放つ少女――――古菲である。

 二人の視線が混じり合った瞬間、口の中の肉まんをごくりと呑み込んだアスカが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

 

「な、なに?」

 

 近くにいた明石祐奈、大河内アキラ、佐々木まき絵の三人が思わず何かあったと思う態度の急変。その間にもアスカは古菲と視線を合わせ続ける。

 一秒か、十秒か。それとももっと長くか。実際には短い時間だったがそれで十分だった。二人が相手のことを理解するのは。

 

「「友よ!」」

 

 手を差し出して二人は固く固く握り合った。なにか二人だけで通じ合うものがあったらしい。

 置いてけぼりをくらった周りを視線の中心で、甘い意味では断じてない近い距離で椅子に並んで座った二人はなにやら熱く語り合っていた。近くにいた長瀬楓がうんうんと何度も頷きながら話に相槌を打っていることが余計に周りの置いてけぼり感を強くした。

 

「あれだけ二人とも近いのにラブ臭がしないのよね。それどころか熱血スポコン漫画のライバル的な空気を感じるわ」

 

 他者の恋愛感情に反応する頭のアホ毛をしなびらせながら、そんなことを言う早乙女ハルナがいたりいなかったり。アスカは何時も通りだな、と恐らくバトルマニア的な同類が見つかってしまったことに軽く戦慄するネギ。

 アーニャが置いていったクラス名簿を放り捨てられた鞄を取ってくれたザジ・レイニーデイにお礼を言いながら直したところで、近くに古くからの知り合いが座っていることに気が付いた。

 

「やあ、ネギ君お疲れ様」

「タカミチ、しずな先生も」

 

 生徒達が盛り上がっているところを邪魔しないクラスの中心から離れた場所にいる高畑としずな。ネギは二人で並んで座っている席へと向かった。一番後ろの端の席にいる二人の対面の席に座ると、早速とばかりに高畑がコップにジュースを注いでくれる。

 高畑達が飲んでいるのと同じオレンジジュースだった。流石に学生がいる場で酒は用意されていなかったようだ。

 

「ありがとう。僕も入れるよ」

「いいよ。この場は君達が主役なんだ。初日で疲れているだろうから気にしなくていい」

 

 お返しとして注ぎ返そうとしたらやんわりと手で押し留められた。気を使ってくれるなら有難く受け取っておこうとネギは自分のジュースを飲んだ。

 座って一息ついたところでしずながネギを労わるように見た。

 

「クラスの方はどうだった? いい子達ばかりでしょ」

「はい、みなさん元気一杯で困ってしまうぐらいです」

「ははは、元気印が取り柄のクラスだからね。大変だとは思うけどよろしく頼むよ」

 

 しずなの笑顔の問いかけに、授業態度や休み時間の様子がクラスのあり方を大体推察したネギは苦笑を浮かべつつも悪い印象は持っていないことを努めながら返した。正直な感想に高畑が笑う。その顔を見てネギはアーニャ達と三人で話していた懸案事項の一つをここで解決しようと決めた。

 立ち上がり、高畑の下へ行ってその袖を引っ張りながら耳元で囁く。

 

「聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

 周りに聞かれては困るとネギに雰囲気から悟ったのだろう。高畑はネギに引かれるままに教室の隅へと行く。

 

「なんだい? もしかして魔法関係のことかな?」

「違うよ。実はエヴァンジェリンさんの家がどこか教えてほしいんだ」

「エヴァの?」

 

 本来なら敵対していても不思議ではない超高位魔法使いの名前を略称で呼んでいることから、高畑がエヴァンジェリンとかなり親しい間柄にあることは察することが出来た。

 訝しげながらも疑問ではなく疑念の声音に、ネギ達がエヴァンジェリンに接することが望ましくない事態であることもまた同様に感じ取った。

 

「うん、彼女ってよく授業をサボっているみたいだから家庭訪問をしてなにか理由があるか探ってみようと思って」

 

 部屋の隅に行ってもネギ達が注目されないのは、視線を合わせた瞬間に同類を見つけあったアスカと古菲が廊下に出て試合を始めてしまったからだ。

 あの馬鹿弟は、と思いながらも表向きの理由で裏などないと表明しながらネギは高畑の表情を窺う。

 

「初日で良くそこまで調べたね。気付くとしたらもう少し後だと思ってたのに」

 

 感心した様子の高畑の表情からそれ以外の感情も考えも読み取れない。こういうのは本来ならアーニャの役目のように思えるが彼女はアスカに負けず劣らず直情傾向にある。二人とも腹の探り合いには向いていない人間なのでネギがやるしかない。

 

「アーニャがやってくれたんだ。クラス内に問題があるなら早めに取り掛かるに越したことはないからね」

 

 若輩者のネギに比べて相手は大人で、幾百の戦場を渡り歩いている猛者である。容易く読み取らせてくれるほど生易しい相手ではなかった。敗北感を感じても悲観はしない。

 学園側に属する高畑にこちらの目的を話しておくことはデメリットにはなりえないが、エヴァンジェリンの交渉のカードの為にも黙っておいても損にはならない。秘密で話をしに行ったというのは相手の機嫌を上げる可能性もある。目的の為には手段を選ばないのがネギであった。

 

「分かった。彼女の家は奥まった区画にあるから口頭で伝えるよりも地図を書いた方がいいだろう。ちょっと待ってて」

 

 そう言って高畑は近くにいた村上夏美に声をかけ、借りたペンと紙でスラスラと地図を書いていく。

 

「一報は入れておくから、頑張ってくれ」

 

 あっさりと地図を渡しながら言う高畑の意図を、ネギは最後まで推し量ることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓迎会も盛り上がつつも終わった後、ネギ達は女子寮へと帰る生徒たちは違う方向へと歩いていた。

 

「アーニャの部屋は出席番号15番桜咲刹那さんの所に決まったんだ」

「ええ、同室者も関係者らしいから気兼ねしなくていいわ」

 

 暗い夜道を怖がることなく歩く小学校中学年の子供数人は一般人の目かすれば奇異にも映るだろうが、この三人は魔法使いであるので平然と進み続ける。

 

「彼女、やっぱり神鳴流の遣い手らしいわよ」

「マジで? 近衛詠春が使ってたあの」

「そっ。詳しい話を聞く時間はなかったけど、木乃香の護衛の為にこっちに派遣されたんだって言ってたわ」

 

 頭の後ろで腕を組みながら歩いていたアスカが動物の耳がピンと立ったであろうとリアクションをするのに一々突っ込む気のないアーニャは、川の上にかかった橋を渡りながら人を寄せ付かせない鳥のように警戒心の強い刹那とのことを思い出していた。

 

「木乃香さんの護衛ってなんで?」

「アンタ、馬鹿ぁ? 木乃香って関東魔法協会理事の一人の学園長の孫で、関西呪術協会の長の娘でもあるのよ。日本を二分する二大勢力に関わりのある重要人物に護衛の一人や二人付けるのは当たり前でしょうが」

 

 ご尤も、と問うたネギは納得した。何故か罵倒されたような気もしたが大人しく納得することにしたネギだった。

 

「木乃香の魔力って俺達超えてるし、そんな重要人物の孫にして娘ならえらいサラブレットじゃねえの」

 

 父親である近衛詠春は魔法世界の英雄の一人でもあるのだから、似たような立場にいるのにあっさりと異国に送り出されたネギとアスカとでは凄い違いである。

 

「父さんは魔法世界の英雄で有名人、爺ちゃんは魔法学校の校長でイギリス魔法協会の理事の一人なのにこの違いはなんなんだろう」

 

 言葉はともかくとして、特に気にした風でもないネギがアスカと笑い合う。メルディアナ魔法学校は悪い場所ではないが、彼らの才に対して世界が狭すぎた。広い世界に足を踏み出したのに制約がつくのは面白くないと考える二人である。この双子は、とアーニャは考えながらも護衛が付いている姿が想像できなくて、無言で足を進めることにした。

 

「そろそろ着くんじゃないの? あまり遅い時間に帰ると色んな所に迷惑がかかし」

「タカミチの地図によると、もう着くはずだと思うけど…………あっ、あそこかな?」

 

 高畑に書いてもらった地図に目を落していたネギが指し示した先には、吸血鬼の居城というには不似合いなログハウスだった。

 

「普通だな」

「吸血鬼だから墓場とかに住んでるのかと思ったけど」

「馬鹿ね。郷に入っては郷に従えなんて諺がある日本で暮らしてるんだから、墓場なんてありえないでしょうが」

 

 前者二人は素直な感想を漏らし、アーニャだけは違うように見えて実は内心で同じことを思っていたりする。

 

「うし。さあ、行くぞ」

 

 心の準備なぞ、なんのその。流石に怖気づいた様子で足を止めたネギとアーニャを置いて、アスカは逆に足早にログハウスへと歩いて行ってしまう。変わらず折れず曲がらずのアスカの背中に溜息を吐きながらも勇気づけられた二人も後を追う。

 玄関前に立ち止まったアスカはドアノブを捻った。

 

「あ、鍵かかってねぇや」

 

 カチャリとあっさり開いたドアに頓着せず、アスカはログハウス内に足を踏み入れた。

 

「誰かいませんか――」

 

 暗闇の所為でベルが分からず、遠慮の欠片も無いアスカの後ろにつきつつ呼びかけたのはネギ。さっさと室内に入ってしまったアスカに呆れつつ追従したアーニャと共に絶句した。

 ログハウス内は外観はともかく内装こそはおどろしい物であると想像をまたもや裏切り、ソファーやテーブルの上に人形が散乱している実にファンシーな装いである。想像を悉く覆す光景の連続に感性が麻痺してしまったようだった。

 

「うわぁ、人形で一杯」

 

 ネギが言うようにエヴァンジェリン邸はちょっとした人形屋敷だった。

 目の前に人形、テーブルの上にも、並べられたソファの上にも、床の上にも、タンスの上テレビの上にも、とにかく大小様々なたくさんの可愛らしい人形たちが思い思いに座って所狭しと飾られているので、まるで大量のぬいぐるみを詰め込んだ玩具箱のようである。壁面には大きな暖炉が備えられており、その中の炭と置かれた薪が、それがただの飾りではなく実際に使用されていることがわかる。

 よく整理された食器に、整えられた調度品。居間に据えられた木製のテーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられ、四脚の椅子がそれぞれ並べられている。その内の二つの上にも、他と比べて少しだけ大きい人形が腰掛けられていた。

 しかし、人形が雑多にあっても何らかの均衡が保たれているのか、不思議と散らかっているという印象は受けない。態とそう配置しているのが分かる、その証拠に人が動く生活動線は十分以上に確保している上、目に騒がしくない様な配置がされているのかもしれない。

 トントントン、と誰かが階段を下りて来る足音に三人は揃って顔を上げた。

 

「――――これは皆様、ようこそいらっしゃいました」

 

 階段を下りて来たのは黒と白のツートンカラーのメイド服を着た絡繰茶々丸。それもそこらの量販店で売っているような安物ではない。一見しただけでも上質な生地を使っていることがよくわかる。縫い目をしっかりとしており袖口やスカートの裾のフリルなどには、細かな意匠が施されている。オーダーメイド………………それも一級の技術を持った職人が手ずからに作った職人芸によって編まれたメイド服であろう。

 

「家庭訪問に来たのだけれど、ドアが開いてたから勝手に入らせてもらったわ。エヴァンジェリンはいるかしら?」

「こちらにいらっしゃいます。どうぞ、マスターがお待ちです」

 

 不法侵入を釈明すらしないアーニャに茶々丸は気にした様子もなく、三人を主の下へと案内すべく先を立って歩き出した。

 階段を上って二階に来た三人を待っていたのは童姿の魔王がソファーの上でふんぞり返っていた。

 

「よく来たな、先生達」

「お邪魔しています。エヴャンジェリンさん」

 

 長いプラチナブロンドの髪が印象的なこの家の主たる少女――――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 確かに見かけは普通の少女に違いない。彼女はネギが担任を勤めるクラスの一員だが、クラスの中でも鳴滝姉妹に次ぐ背の低い方。数えで十歳であるネギとアスカとほぼ同じ背丈であるという事は、女子中学生――それも中学三年生――となれば、かなり低いと言えるだろう。実際、クラスの大半はネギ達よりも頭一つ以上高い者で占められていたのだから。しかし、彼女がその見かけを大きく裏切る内面の持ち主である事を、目を見れば良く解った。

 「童姿の闇の魔王」「悪しき音信」「禍音の使徒」「闇の福音」と呼ばれる多額の賞金を懸けられた魔法使い。ナギが15年前に封印した間違いなく世界最高の位にいる存在。そんな様々な異名で語られる少女はぬいぐるみ達に抱きしめられるように、ソファに全身を預けていた。

 

「さて、就任直後で家庭訪問とは何事だ? 鍵が開いているからといって勝手に入って来る不作法者も同行していることも気になる。さあ、答えろ」

 

 一般的な吸血鬼の住処のイメージとは天地ほどかけ離れたファンシーさに、思わず警戒心が緩んだところに抉り込むように言葉のボディブローが放たれた。

 キッ、と原因であるアスカを睨んだネギとアーニャだったが当の本人はそっぽを向いて口笛を吹いていた。

 

「お願いがあって来ました。教師としてではなく魔法使いとしてです」

 

 茶々丸の勧めに従ってエヴァンジェリンの対面に配置されたソファーに腰掛けた三人を代表してネギは早速、本題を話し出した。

 

「頼む相手が間違っているのではないか?」

「いいえ、僕達が頼みに来たのは闇の福音と呼ばれる大魔法使いであるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさん。あなたで間違いありません」

「ほぅ、兄の方は弟と違って礼儀を弁えているようだ」

 

 と、エヴァンジェリンが見た先では頼みに来たのにソファーにふんぞり返って足を組んでいるアスカの姿。隣に座るアーニャが肘で突いているが、対峙している相手が相手だけに勢いは弱かった。

 

「ところで」

 

 お願いがあって訪ねて来たにも関わらず、無駄に態度の大きいアスカに唇の端をヒクつかせたエヴァンジェリンの前でネギが思いついたように口を開いた。

 

「どうして闇の福音ともあろうお人が中学生なんかしてるんですか?」

「お前達の父親が登校地獄というふざけた呪いを私に掛けたからだろうが!!」

 

 エヴァンジェリンは勘違いをしていた。ネギは確かに礼儀は弁えている。だが、本質はアスカと何ら変わらない。オブラートというか、礼儀を慇懃の上に巻いているだけに過ぎない。

 一度噴き出した怒りは止まらない。

 

「十五年だぞ十五年! サウザンドマスターに敗れて以来、魔力も極限まで封じられ、十五年もあの教室で日本の能天気な女子中学生と一緒にお勉強させられてるんだよ!!」

「え………そんな………僕、知らな……ゲホ、ゴホッ」

 

 よほど屈辱だったのか金髪の女性は腕をワナワナと震わせ、キッと目を鋭くしてネギの胸倉を掴み上げて理不尽な怒りをぶつける。理不尽とも呼べる憤りをぶつけられたネギは困惑して必須に弁解するも、怒髪天になったエヴァンジェリンの怒りは止まりそうにもなかった

 助けを求めようとアスカとアーニャを見たが絶望した。

 

「登校地獄って学生を無理矢理学校に通わせるアレか?」

「サボってたアスカに校長先生がかけたやつでしょ。でも、あれって十五年も持続するはずがないけど」

「親父がそれだけ出鱈目だってことじゃねえの」

「変な方向に突き抜けすぎでしょ、アンタの父親は」

「俺に言われたってしゃあねぇべ。文句なら親父に言えよ親父に」

 

 ネギから顔を背け、人によっては睦言を囁き合っているかのような距離で顔を突きあわせて二人にはネギを助ける気なんて更々なさそうだった。

 そうしている間にエヴァンジェリンは更にヒートしていく。

 

「三年経てば解きに来るとか言いながらナギは来なかった。しかも十年前に奴が死んでせいでこの呪いは未だに解けん。この馬鹿げた呪いを解くには、奴の血縁たるお前達の血が大量に必要なんだ。だが、なのに……っ!!」

 

 くっ、と歯を食い縛ったエヴァンジェリンの口元には吸血鬼の特徴の一つでもある尖った犬歯が普通の人と変わらなかった。

 

「魔力だけじゃなくて吸血鬼としての能力も封じられているわけね。血を吸えなければ意味なんかないわけか」

 

 締め上げられている横にいたアーニャが頷くと、テーブルに湯気を上げるティーカップが置かれた。次いでアーニャ、ネギと同じ種類のカップが置かれ、エヴァンジェリンが座っていたソファーの後ろに下がったのはメイド服の少女――――絡繰茶々丸だった。

 

「はい。今のマスターは満月にならなければ普通の人間と変わりありません」

「茶々丸!? 敵を前にして迂闊に情報を漏らすやつがあるか!」

 

 ネギをソファーに押し付け、茶々丸を振り返りながら怒鳴ったエヴァンジェリンが掴みかかろうとした。だが、その動きを止めたのは何気ないアスカの一言だった。

 

「親父は生きてんだから待ってりゃいいじゃん」

「なん……だと……?」

「親父は生きてるって言ってんだよ、なあ」

「世間的には十年前に死んだということになっていますが僕達は六年前に会っています。その時に受け取ったこの杖と」

「これが証拠だ」

 

 ネギが六年前に父から受け取った杖を机の上に置き、アスカが同じときに受け取った水晶のアクセサリーを首から外さずに指で持ち上げる。

 

「寄越せ!」

 

 首に巻いたままのアクセサリーよりも取りやすい杖を奪ったエヴァンジェリンは、暗黒に満たされた世界で見つけた一筋の光に希望を託すように奪い取った杖を見聞する。

 手に取って杖を触り、角度を変え、極小の魔力であったが流して調子を窺う。

 

「確かにナギの杖だ。そんな…………奴が………サウザンドマスターが生きているだと?」 

「六年前の時点では間違いなく」

 

 生まれた希望が費えるのを見たくなくて目を逸らしながらも絶望したくないと思っている。だけど、今度こそは、と希望から目の奥が揺れているのを自覚しながらも、エヴァンジェリンは信じられないように問いかける。

 エヴァンジェリンは十五年前にナギの杖を見て知っている。

 極大な魔力を誇ったナギの杖は魔法発動媒体として極上。魔法世界では知らぬ者のいない有名人なので、まほネットにレプリカが幾つも出回っているが本物と遜色ない物を今までエヴァンジェリンでも見たことが無い。

 そしてアスカの着けているアクセサリーは記憶を掘り返せばナギが着けていた物と酷似していた。

 魔法剣士であるナギは杖を手放して徒手空拳で戦うことも多いから、杖とは別に常に身に付けられるタイプの最高級の魔法発動媒体を所持していたことも知っている。

 これほどの物的証拠。疑う余地はあるが鼻から信じない理由も、またない。

 

「フ……フフ、ハハハハ、そうか奴は生きているか。そいつはユカイだ。ハ………殺しても死なんような奴だとは思っていたが、そうかあのバカ。まあまだ生きていると決まった訳じゃないがな」

 

 いきなりエヴァンジェリンは思い切り笑いだした。

 前後の話しを知らない人間がこの場面だけを聞いたら狂ってるとか思いそうだな、と見当違いのことをネギは思った。だが、仕方のないことかもしれないと同時に考えた。二人の間に何があったかをネギ達は知らないが十五年の間にあった思いはそれほどに強く、そして重い。

 

「嬉しそうね、エヴァンジェリン」

「ハイ。ここまで嬉しそうなマスターは初めて見ました」

 

 エヴァンジェリンが笑いっぱなしなので、アーニャが茶々丸に話しかけると機械仕掛けだけど何処と無く嬉しそうに見えた。それが本当に人間らしく見えたのでアスカは一瞬であったが見惚れてしまった。

 充分に堪能してから笑いの衝動を抑えたエヴァンジェリンは機嫌の良い顔で足を組んだ。

 

「今の私が気分が良い。言え。貴様らのお願いとやらも内容次第では聞いてやらんでもない」

 

 ここからが本番だと腰を据え、ネギは気持ちを新たにして口を開いた。

 

「僕達を弟子にして下さい」

「何? 私の弟子にだと? アホか貴様」

 

 居住まいを正したネギが弟子にしてくれと言うと返ってきたのはエヴァンジェリンの呆れたような言葉だった。

 

「戦い方などタカミチにでも習えば良かろう。お前達は知り合いらしいじゃないか、そっちに頼むのが普通だろう。私は十五年もこの地に封印してくれたサウザンドマスターに恨みがある。その息子達であるお前らの血を吸えば呪いも解けるのだ。ナギのことも呪いを解いた後に探せばいいのだからな。つまり、私は呪いを解くために貴様らといずれ敵になる」

 

 と、ここで言葉を切ったエヴァンジェリンは一息ついた。

 

「だいたい私は弟子など取らんし面倒くさい」

 

 言っていることは最もなのだが、最後が一番の本音っぽいのは何故だろうか。

 

「敵対関係にあるのは承知の上で来ました」

 

 最後の言葉は聞かなかったことにしてネギは話を進めた。

 

「タイプの似ているアスカはともかく、魔法使いとしての位階を上げるならタカミチは向いていません」

「確かにあいつは生まれつき呪文詠唱ができない体質だ。なにより戦士タイプのタカミチに魔法使いの指導は出来んな」

「そうです。それにタカミチは海外に行ってることが多いと聞きました。時間を十分に取れないのであれば、一時の指導を受けるならともかく師とするには忙しすぎる人ですから」

 

 ネギの声音に若干の申し訳なさが混じっているのは、少ない時間ながらも戦い方を教えてくれた師である高畑に対する罪悪感か。

 

「代価として血を望むなら日常生活に支障がない範囲なら提供も出来ます。どうかお願いします」

「悪名高い悪の魔法使いの薫陶を受けようとも構わないのか?」

 

 誰かに弟子入りを志願する多くの人は、まず自信を失くしている。だから志願するのだが、習得においては謙虚さは都合がいい。ただ発揮する時には邪魔になるが。

 謙虚さを表に出してエヴァンジェリンを持ち上げるその言動は嫌いではない。

 

「構わねぇさ。俺達は強くならなきゃいけねぇ。親父がいる場所に辿り着くまでの力が」

「父さんに並ぶ超高位魔法使いであるエヴァンジェリン以上に優れるだろう師はいそうにありませんから」

 

 謙虚と不遜を垣間見せるネギとアスカの心意気と、その強さを求める背景がナギにあることを察したエヴァンジェリンの琴線を刺激する。あくまでも本気の様子を見せる真剣な表情の嘗ての想い人の息子達の言葉に、ピクリとエヴァンジェリンの鼻が動いた。褒められて悪い気がする人はいないだろう。それも想い人の面影を持つネギがいるなら尚更。

 

(条件は悪くない)

 

 エヴァンジェリンは示された好条件に、表面上は足を組んで紅茶を一口飲みながら思考する。

 どうやらネギ達の目的は強くなってナギを探し出すことにあるようだと当たりをつけ、それは例え呪いから解放されたとしても元高額賞金首で真祖の吸血鬼であることから制約の多いエヴァンジェリンには魅力的に映った。

 微量ながらもナギをも上回りかねない魔力量を誇る二人の血液が大した苦労もなく手に入れられるかもしれないと判れば心が揺れずにはいられない。

 

「宜しくお願いします! 弟子入りを認めて頂けるなら、出来る限りなんでもします!!」

 

 なんでもする、というネギの無防備な一言にいい響きを感じ取って思わずエヴァンジェリンの口の端がニヤリと吊り上ってしまう。土下座までしかねない勢いのネギを見つつ、ソファにもたれ掛って足を組み直す。

 

「ふふふ………そうかそうか、本気だな?」

「はいっ!」

 

 エヴァンジェリンを言葉の限りに煽てるネギ。

 その横でどこか浮かない表情のアーニャに気になったエヴァンジェリンだったが、ここで今までとは違う笑みを浮かべる。

 

「ふん、よかろう。そこまで言うならな。ただし! 忘れているようだが、私は悪い魔法使いだ。悪い魔法使いにモノを頼む時はそれなりの代償が必要だぞ?」

 

 「よかろう」と言われて思わず顔を綻ばせるネギだが、次のエヴァンジェリンの言葉でその顔が不安そうに歪む。

 

「まずは足を舐めろ。我が下僕として永遠の忠誠を誓え。話はそれからだ」

 

 己の失策を悟ったアーニャが何かを言う前に、エヴァンジェリンの見た目の年齢相応の小さな足が緩やかに動き、スカートの裾から伸びる白く細い太ももがゆっくりと露になり、ネギの前に差し出され、見下ろして笑みを浮かべて一言言い放つ。

 くくくっと漏れるエヴァンジェリンの笑い声に、ネギの顔も引き攣っている。まさかのアダルトな要求にアーニャの顔も引き攣っていた。

 ふわぁ、とアスカが欠伸をする声が馬鹿みたいに響いた。

 



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第3話 うっかり娘、爆誕

 

 放課後、暖かな春の日差しの中で窓の外に桜が舞い散るのが見える教室前の廊下、壮年のスーツを着てポケットに両手を入れた男性と鈴の髪飾りをつけたツインテールの少女が向き合っていた。

 少女――――神楽坂明日菜の後ろには、まだあどけない笑顔を浮かべた少年二人がハートマークが大量に付いて、何故か煙を上げる奇妙なバケツを持っている。明日菜は頬を赤らめて俯いており、目の前の男性を見ないことから余程鈍感でなければ恋をしていると誰でも気付くだろう。

 少々カップル、と言うには年齢の差が気になる二人だが、明日菜の瞳に浮かぶ陶然とした熱は間違いなく恋する乙女のそれだった。何故か窓は閉まっているのに廊下にも桜が舞っているのは突っ込んではいけないのかもしれない。

 

「高畑先生…………あの、おいしいお茶が入ったんですが飲んでいただけませんか?」

 

 そう言って明日菜は壮年の男性――――タカミチ・T・高畑に両手に持っていた湯気を立ててハートマークに「ホレ」と書かれたコップを差し出した。 なんじゃそれ、と突っ込める人間がこの場にいないことが悔やまれる。

 

「ふふ、コレはホレ薬だろ? こんなもの必要ないさ」

 

 高畑は目を閉じ、右手でスッとコップを取り上げて年上の魅力を全面に出し、ニヒルに笑って少女に答える。妙に格好をつけすぎでなければ決まるのが高畑という男の魅力なのであるが、絶対に本人が言わなさそうなシュチエーションだと明日菜は何故か気が付かなかった。

 

「え……どういうことですか……?」

 

 コップを取り上げられた明日菜は空いた両手を胸の前に持ってきて、高畑の笑顔にハートを打ち抜かれながら言葉の意味を問うた。何時の間にか後ろにいた筈の少年達がいなくなっているが、心を打ち抜かれた明日菜は気付いていない。

 

「はっはっはっはっ。何故なら元々、僕は君の事を愛しているからさ」

「ええっ!?」

 

 腕を広げて笑いながら少女の問いに答える高畑の言葉に驚きの声を上げて、先程よりも頬を赤らめる明日菜。そしていつの間にかいなくなった少年達と同じように高畑が持っていたコップが無くなっているのにも明日菜は気付かない。恋は盲目とはよく言ったものである。

 

「あ……」

 

 高畑は一歩、明日菜に近寄って左手をそっと伸ばして頬に添える。この動作が示すものはたった一つ――――キスだけだ。こんなシュチエーションを何度も夢見た明日菜に分からぬはずがない。

 

「明日菜君、目を瞑ってくれるかい」

 

 桜が二人の間を舞いちり、高畑は明日菜にキスをしようとぐぐっと顔を寄せていく。

 

「は、はい、高畑先生」

 

 憧れの人にキスをされると悟った明日菜は、早鐘のように鼓動を鳴らす心臓が高畑に聞こえるんじゃないかと思いながら、目を瞑ってその時を待つ。だが、何時まで経っても唇が降りて来ることはなかった。何故なら―――――これは現実ではないのだから。

 現実に高畑が明日菜にキスしようとすることはなく、さっきまでのは最初から最後まで彼女が見ていた夢である。

 

「私も先生のことが……」

 

 現実の明日菜は寝相が悪いのかうつ伏せの姿勢だった。パジャマの上着は前のボタンが全部開いて、寝る時には下着をつけていない胸が見えている。しかも、パジャマのズポンが太股ぐらいまでに擦り下りて、下着が露出している。殆ど半裸と大差ない有様だった。

 

「高畑セン……セ……」

 

 夢の影響か恋の相手である担任の名前を口にしながら、唇を突き出してキスをしようとする。そこで本来なら相手もいないので枕か布団にキスするだけで済むのだが、今回に限り違った。何故かそこにネギがいて明日菜に抱きしめられており、明日菜が右手でネギの頭を押さえてその額にキスをしていた。

 夢の影響であれ、明日菜がネギに圧し掛かっているようにも見えた。

 

「んん……」

 

 明日菜の抱きしめる腕が苦しいのか、またはキスをされる感触に違和感を感じているのかどちらか分からないが、寝ながら苦しそうな声を漏らす。

 

「……!?」

 

 そのネギの声に明日菜はピクピクと瞼を震わせてゆっくりと目を開けて、目の前のネギを寝起き特有の動きの鈍い頭で認識した。

 

「キャ――――ッ!?」

 

 ネギが自分の布団にいることに気付いた明日菜は、早朝の麻帆良学園女子寮に響き渡るほどの大声で悲鳴が上げた。その声にようやくネギが目を開ける。

 

「ちょっ、ちょっとあんた。何で私のベッドで寝てるのよっ!」

 

 明日菜は飛び上がって起きて電気を付けると、前がはだけて胸が露出してズボンがズレて下着が見えている格好に気付いて、涙目で目の前の少年を睨みながら毛布で体を隠す。

 

「えう………お姉ちゃ……あ!?」

 

 明日菜の声で目を覚まして甘えるような声を出しながら姿勢を起こして、左手で目を擦ってどうしたのかと姉を呼んで、涙目で自分を睨みながら毛布で体を隠す明日菜を見て、ようやく自分が姉と一緒に寝たのではないことに気付いた。

 そして自分の悪癖が目の前の少女に被害を与えたことにもまた。

 

「ア、アスナさん!? すすす、すいません! 僕、何時もお姉ちゃんと一緒に寝てたのでつい……」

「な、何よそれ!? 自分の布団があるんだからそこで寝てなさいよ!」

「ごめんなさい!」

 

 ネギは慌てて手を振りながら謝り、明日菜は人の布団に勝手に入っていい理由にもならない。ネギの子供らしい言い訳を聞きながら叫び返す。まだ何か言っているネギの言葉を無視してふと自身の足元の時計に目をやると、時刻は既に五時を指していた。

 

「わっ!! もう五時じゃない。……………行ってくるね、木乃香ぁ――っ!」

 

 寝過ごした事に気付いた明日菜は二段ベッドを降り、ドタバタと急いで着替えてネギの問いかけの声を無視し、途中で起きて来た寝ぼけ眼の木乃香に声を掛けていく。

 

「アスナさん、どこへ?」

「バイト!」

 

 ネギの問いに答ながらバイト先に向かって慌しく部屋を出て行った。

 

「ネギ君。朝御飯作ってあげるよ。目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちがええ?」

 

 寝起きのしょぼついた目を擦りながら起き上がった木乃香は欠伸を一つした。頬を叩いて気分を入れ替え、寝巻きのままでマイエプロンを付けながらネギに聞く。

 

「あ、じゃあ目玉焼きで」

 

 そんな事は露知らずに後ろ髪に寝ている時は外しているゴムを括りながら少しの間だけ考えて、スクランブルエッグと違って食べたことがない目玉焼きを選択する。

 

「了解~」

 

 ネギが考えている間に木乃香はまだ眠いのか目を擦りながら冷蔵庫から卵を取り出して、返答を聞いて料理に取り掛かる。それを横目に見ながらネギはようやく日が昇り始めたが、まだ暗い窓の外の麻帆良市を窓から見つめ、昨日の出来事を振り返る。

 

(そうだった………。僕、先生をやるために日本の麻帆良学園って所に来て、昨日は明日菜さんと木乃香さんの部屋に泊めてもらったんだった)

 

 ネギは昨日の事を思い出して溜息をつく。気合を入れるように握り拳を作って頑張ろうと心に決めたのだった。そうしている間に朝食を作り終えた木乃香がテーブルに皿を並べる。

 

「出来上がったでぇ。アスカ君はどうしようか、まだ寝かしとく?」

「アスカならこの時間は」

 

 木乃香がロフトにいるアスカの寝顔を見ようと上がるも、既にそこには綺麗に畳まれて誰もいなくなった布団があるだけだった。

 

 

 

 

 

「じゃ、行ってきます!」

「よろしくね、明日菜ちゃん」

 

 なんとか時間ギリギリにバイトに間に合った明日菜は、中学生に上がってから雇ってくれている毎朝新聞の事業所で今日の配達分の新聞を受け取り、出かけようとしているところであった。最初は辛かった早朝に起きるのも慣れてしまえばなんのその。勤続二年になる明日菜に事業所の所長一家も優しくしてくれるので仕事場としては最高だった。

 

「ちょっと、アンタ。大山君が風邪で起きれないって」

 

 鳥が目覚めで鳴いている中、他の人が自転車やバイクで次々に事業所を出発していくのに続こうとした明日菜は、所長一家の会話を耳にして進みかけていた足を止めた。

 

「あちゃー、流行ってるからな。替えのバイトもいないってのにどうすんだ」

「私が代わりに行きますよ」

 

 何時も良くしてくれてバイト代まで優遇してくれる所長一家が困っているなら言わざるをえない。

 恩返しのつもりで言った提案だったが、所長一家は顔を渋くした。だが、インフルエンザや風邪が流行っている時期だけに所長一家も現場に出ているので代替要員はいない。

 先に折れたのは所長一家の方だった。

 

「いや、でも凄い量だよ。平気かい? 明日菜ちゃん中学生だし、女の子だしよ」 

「大丈夫です。私、体力だけは自信ありますから任せて下さい」

 

 休みの人の分の荷物を持って指を立てた明日菜は、少しでも所長一家の為になれば心配を振り払うために笑顔で親指を立て、時間もないので足早に走り出した。

 

「とと……やっぱちょっと重かったかな」

 

 少し走った明日菜は両肩にズシリと圧し掛かる新聞の束の重さに体をよろめかせながら、張り切って仕事を受け持ったことを若干後悔していた。

 普段の担当区分に足して追加分も回らなければならないので、この重さは想定以上といわざるをえない。体力は大丈夫だとしても、この重さでは速度が出せないので時間以内に回りきれない恐れがある。

 

「今更、無理って言うのもな」

 

 言ったことを翻したくはないし、信じてくれた所長一家の為に報いたいとも思う。だが、仕事をこなせなければもっと意味がない。携帯は持って来ていないので連絡は出来ない。戻るとなれば更に時間を取られてしまう。このまま無理をしてリスクを取るか、戻って相談するか。社会人としてなら正しいのは後者だ。しかし、明日菜はまだ子供で恩義に報いたいという気持ちを捨てきれない。

 どちらも選ぶことが出来ず、流れのままに進んでいた明日菜は後ろから軽快な足音が近づいているのに気が付いた。

 重い荷物を背負っていても明日菜の走る速度はかなり早い。老齢のランナーが叶う速度ではなく生半可な競技系の部活の生徒よりもまだ早い。

 

「あれ、明日菜じゃん」

 

 追いつかれまいと考えていた明日菜は名前を呼ばれて、呼んだ相手が直ぐに隣に並んだことに目を丸くした。

 

「アスカ」

 

 目を丸くして見た先にいるのは金色の短い髪の毛が逆立っているアスカ・スプリングフィールドである。

 黒いジャージに身を包んだアスカは、自転車には及ばないもののかなりの速度で走っている明日菜に余裕を以て並走してきた。

 

「なにやってんのよ」

「走ってる。朝のランニングは日課だからな。そっちこそなにやってんだ? 荷物運びか?」

「バイトよ。新聞配達のバイト。知らないの?」

「今まで寮暮らしだったから新聞なんてよほどの物好き以外は読まねぇ。へぇ、これが新聞配達か」

 

 何故か感心したように明日菜を眺めるアスカの遠慮のない視線に恥ずかしくなった。

 着替えるのが面倒なので制服の短いスカートなので太腿が露出している。見られているのはあくまで新聞紙が入ったバックであって、アスカの視線からは色事やそういう風な感じは欠片もないが、こうもぶしつけに見られると羞恥も覚える。

 アスカはやがて興味が薄れたのか、視線を明日菜の顔に戻した。

 

「こんな朝からバイトなんてご苦労なことで」

「同じように走ってるアンタに言われたくないわよ。もしかして毎日走ってるの?」

「よほどのことがなけりゃな」

 

 継続は力なり、という言葉を明日菜は不意に思い出した。誇るでもなく当然のことのように言ったアスカが昨日の歓迎会の時に古菲のガチでバトルして引き分けに終わったのだから、その力は明日菜では計り知ることが出来ない。

 感心を覚えていると、当のアスカは隣で首を捻っていた。

 

「やっぱ俺も始めてこっちに緊張してんのかね。真っ暗な内に目が覚めちまってよ。ずっと走ってんだが、ここはどこだ?」

 

 話を信じるならかなりの時間を走っていることになる。直ぐに脱落すると思ったアスカだったが百メートルを走ってもまだまだ余裕そうだった。結構な汗を掻いてそれなりに息は弾んでいるが、まだまだ余力を残していそうだ。それどころか明日菜の方が荷物もあって少し辛い。

 

「何時から走ってんのよ」

「最低でも一時間以上。適当に走ってるから時間も分かんねぇや」

 

 二月の寒い時期もあって外は寒い。朝ともなれば肌も切るような冷たさである。その中で頬を伝って流れて行く汗を見れば、アスカが運動を始めた時間が十分やそこらでないことは頭の悪い明日菜でも分かった。もしかして道に迷って帰れないだけではないかと思いもしたが、ツッコミをわざわざ入れるほど狭量ではなかった。

 私って良い人、と自画自賛していた明日菜に伸びる手が一つ。

 

「重そうじゃないか。手伝ってやるよ」

「そんな、いいわよ」

「これも一宿一飯の恩義ってやつだ。重さがあった方がいい鍛錬になるから気にすんなって」

「あ、もう」

 

 言っている間に新聞紙の束が入ったバックの一つを奪われ、肩にかけてしまった。今日休みになった人の分が入ったバックなので自分の担当区分を優先しているから一つも消費できていない。正直ありがたい面もあったので、奪い返す手は伸びかけたところで彷徨う。

 新聞紙は一つならともかく数があればかなりの重量になる。初心者ならよろけるところなのに何も荷物を持っていないかのようにアスカは走っていた。大丈夫かな、と並走しながら揺るがない走り姿を見て、安心して任せようという気持ちになった。

 

「一宿一飯の恩義って難しい言葉を知ってるわね」

 

 走って配るなんてやっているのは明日菜ぐらいで、同じような勤労学生であっても自転車を使う。それほどに荷物を持って走るのはしんどいことなのだ。何件かの家に新聞を配った明日菜は、予定の時間内に間に合わせるためにかなりの速度で数百メートルを走ったにも関わらず、規則正しい息を吸って吐くアスカの体力に驚きながら話しかけた。

 

「国語の恩田先生の言葉ってなんか胸に来るものがあんだよ。妙に使いたくなるっていうか」

 

 定年間近の国語教師は授業の中で諺や古語を引用することがあり、昨日もそんなことを言っていたことを思い出した明日菜は外国人には感じる物があるのだろうと気にしないことにした。正確には一ヶ月ぐらい寝食を共にするので「一宿一飯の恩義」では正しくないのだが、昨夜の夕食と泊まったことだけを考えれば間違いでもない。

 

「それよりもアンタの兄貴の寝相。あれはどういうことよ」

「あの寝ている時の抱き付き癖のことか。もしかして被害にあったか?」

 

 朝に起きた時の痴態を思い出して意地で顔には出さなかった明日菜とは反対に、アスカは何が面白いのかクツクツと楽しそうに笑った。

 

「あったわよ。起きたらあんな……っ!!」

 

 ギリッ、と起きた時の恥ずかしさを思い出して明日菜は歯を食い縛った。裸を見られるにしても心の準備があるのとないのとでは全然違う。今回は準備なんて欠片も出来ていないので怒りは大きかった。

 怒りの熱に押されたように顔を逸らしたアスカだったが、普通なら逃げ出してもおかしくない怒気を発する明日菜から距離を取ることもなく口を開いた。

 

「俺達はずっと姉ちゃんと暮らしてたんだが、一時期あることがあって姉ちゃんは誰かが傍にいなきゃ寝られない様になってな。俺とアーニャがどんくさかったネギを押し付けたんだ。暫くすれば収まったんだが今度はネギが誰かと一緒じゃないと寝られなくなっちまってな」

 

 当時のことを思い出したのか、彼にとっては笑い事らしく心底楽しそうな笑みで続ける。

 

「しかも、なんでか人肌を求めてるみたいで服を脱がすんだよ、アイツ」

「なにその迷惑な癖」

「そうだろ。何度姉さんが面白いことになったか。そのくせして男には絶対抱き付かないし」

 

 近くの家のポストに新聞紙を入れつつ、頷くアスカの横で典型的な優等生という感じがしていた担任補佐の異性に対する傍迷惑な癖に顔を引き攣らせた明日菜だった。

 

「解決策はないの? あるんでしょ、言いなさい」

「あるにはあるが完全に力技だぞ。っていうかその様子からしてかなり悲惨な被害にあったか」

「いいから言いなさい」

 

 へいへい、と明日菜に迫られながらも受け取った新聞紙を手近な家のポストに入れるアスカは魔法学校時代のことを思い出す。

 

「一番良いのはネギが寝たら布団ごと縛ることだ。ネカネ姉さんは何時もそうしてた」 

「でも、昨日は様子から見て、あいつってバイトがあるから早く寝る私より遅く起きてたのよね。ガキの癖に。そういうアンタは早いわよね。ご飯食べたら直ぐに寝っちゃたし」

「ネギは夜型だからな。俺は腹が一杯になったら眠くなんだよ。しゃあねえじゃん」

 

 仏頂面になったアスカは早寝早起きがガキっぽいと感じているでようで、そのことを気にしているようだった。

 

「縛るのが無理なら後は物理的に遠い部屋で寝ることだな。でも、寝ぼけて後を追いかけることもあるから注意が必要だぞ」

「あそこは私の部屋だし、無理なことに変わりないじゃない。はぁ、木乃香にでも頼もうかしら」

 

 ふと気が付けば明日菜の手持ちの新聞はすっからかんになっていた。喋りながら配っている間に全部配り終えたのだ。何時もよりかなり早い。空模様を見ればまだ太陽は上がっていない。空の彼方に端っこぐらいは見えるが、まだ朝と呼ばれる時間にはまだまだ時間がかかりそうだった。

 

「そっちは終わったんなら次はこっちか。もうちょいスピード上げね?」

「へぇ、言うじゃない。いいわ、やってやろうじゃない」

 

 負けず嫌いの気がある明日菜はアスカの挑発に簡単に乗った。

 

「じゃ、行くぞ」

「あ、ずるいっ」

 

 先にスピードを上げたアスカに追いつかんと明日菜も遅れながら足を速めた。

 

「ははは、追いついてみろよ」

 

 ぐんぐんとスピードを上げていくアスカに負けてやるものかと明日菜も足の回転を上げていったのだった。

 

 

 

 

 

 猛スピードで競争しながら新聞を配っていく少年少女を巡回中の警官が目撃してから十数分後。張り切り過ぎてフラフラの明日菜が部屋の玄関を開けて転がり込んだ。

 

「うぅ……負けた。十歳の子供に体力で負けたぁ」

「俺、大勝利」

 

 何事かと玄関に慌ててやってきた木乃香とネギの前で、四つん這いになって敗北感に打ちひしがれる明日菜とVサインで勝利をアピールするアスカがいた。

 

「朝っぱらかなにやってるの二人とも」

「元気やなぁ」

 

 太陽がようやくしっかりと顔を出した時間帯なのに全力運動をしてきた二人に突っ込みを入れたネギは決して悪くない。感心している木乃香がおかしいのだと、ネギは自分の常識を守ろうと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふがっ」

 

 布団の中で微睡んでいたアンナ・ユーリエウナ・ココロウァは、乙女としてはどうかと思う声を上げて目を覚ました。

 変な声が出てしまった口を咄嗟に抑え、見慣れていない天井を気恥ずかしさから睨み付ける。木目が人の顔を作ったりする魔法学校の寮とは違う無地の天井に内心で「ここはどこだっけ?」と理解が及ばずに首を捻って、誰も先の変な声を聞いていないことを願って体を起こした。

 アーニャの願いは何時だって叶わない。

 体を起こした視線の先に、床に敷いたアーニャの布団の足下辺りを今まさに通り抜けようとしていた制服姿の桜咲刹那がいた。

 

「刹那、なにやってのよ」

 

 刹那がこちらに顔を背けていることに不審を感じて問うた。

 問いを放った瞬間に顔を精一杯背けている刹那が肩を一瞬震わせたのを見逃さなかったアーニャは、先程自分が放った変な声を聴いたのだと察した。

 

「聞いたわね、アンタ」

「…………いえ、聞いていません」

 

 同室の龍宮真名がまだ寝ているので二人の声は極小さなものだった。

 問いではなく断定のアーニャに対して、反応が遅れた刹那は否定するも既に時は遅し。

 

「覚悟なさい。乙女の秘密を知った女郎にはきっと報いが下るわ。私が下す、私からの罰がね」

 

 立ち上がり、パジャマを豪快に脱ぎながらアーニャの瞳は怒りに満ちていた。

 

「理不尽です」

 

 はだけられた下着をつけるほどもでない胸に視線を送ってしまった刹那は、自分のことでもないのに逆に羞恥を覚えながらも言い返す。

 

「私が法で私が裁判官よ。愚民は大人しく敬い、ひれ伏しない」

 

 パジャマのズボンも躊躇いなく脱いだアーニャはパンツ一枚になりながら、枕の上に置いておいた愛用のジャージを手に取る。カーテンの向こうが側から太陽の光が室内に零れ落ち、微かな光源に照らされたアーニャの肌が刹那には異様に艶めかしく映った。

 刹那の視線の先で幻想的な光景が繰り広げられている。

 

「いい? 私が正しいと言えばなんだって正しいの。刹那は最も聞いてはならない物を聞いたのだから罰は受けるべきよ」

「そんな」

 

 真っ白なスポーツ用の汗を良く吸うシャツを纏ったアーニャに、一瞬でも幼い少女の裸身に欲情にも近い感情を抱いてしまった自分が信じられなくて話を良く聞いていなかった。話を良く聞いていないので抗弁する声には力が無い。

 

「条件次第では罰を与えないで上げてもいいわよ」

 

 分かっているのか分かっていないのか、蠱惑的に笑ったアーニャはシャツを纏って赤いジャージズボンを履く。

 

「条件、とは?」

 

 最早、刹那はアーニャの言いなりだった。アーニャの言い分は言いがかりに過ぎず、変な声を聞いてしまった罪悪感はあれど普段の刹那なら一顧だにしなかっただろう。良くも悪くもアンナ・ユーリエウナ・ココロウァという少女の空気が刹那を従わせていたのだ。

 

「まずはさっきのことを誰にも言わないこと。そして、私の訓練に付き合って」

 

 最後に上のジャージを羽織ったアーニャは今度は挑戦的に勇ましく笑った。

 

「一人でやるよりも相手がいる方がやりやすいしね」

 

 日本式に布団をしっかりと畳んだアーニャは少し恥ずかしげに顔を逸らしながら早口に言った。

 今までの流れは刹那にそれを頼むものであると分かって、思いを通す為に相手を脅すような真似をする少女の素直じゃない言動の数々がおかしく思えて笑いが込み上げて来た。

 

「アーニャさんって素直じゃないって言われませんか」

「何か言った?」

 

 本音を言うと、目だけは笑っていない物凄くイイ笑顔を向けて来るアーニャに刹那は必死に首を横に振った。

 

「まあ、いいわ。ところで神鳴流って本当にそんな長い刀が必要になるの?」

 

 二人で並んで部屋の入り口に向かって歩き始め出したところで、アーニャは刹那が持つ得物に着目した。刹那の身の丈の半分を超える武器は刀という領域を超えて、武器に関しては門外漢なアーニャにしても振り回しがし難いと感じたからの問いだった。

 

「これは正確には刀ではなく野太刀です。神鳴流は魔物や怨霊を退治する剣の流派。図体のデカイ魔物と戦うことから、これぐらいの得物の大きさが必要だったのです」

 

 靴を履くアーニャに手に持つ野太刀を示しながら、この夕凪を与えられた意味を反芻する。いくら同年代や数世代上にも負けなかった刹那といえど、長から直々に愛刀を譲られるほど実力が無条件で認められたわけではない。与えられたお役目が重要であるからこその信頼の証であり、木乃香を身命に賭して守るという証明なのである。

 

「じゃあ、神鳴流の人はみんなその野太刀ってやつを使ってるんだ」

「神鳴流は武器を選ばず。体術も豊富にあり、野太刀でなくても敗北はありえません」

 

 む、とアーニャの言葉に若干の侮りを感じ取った刹那はムキになって反論する。

 

「勘違いしているみたいだけど違うわよ。ネギ達のお父さんと同じ団体にいた近衛詠春が二十年前のビデオメモリーで同じ武器を使っていたから気になっただけよ」

 

 決してアーニャは神鳴流や刹那を侮ったわけではなく、純粋な疑問といった個人的な感情故である。

 同じく靴を履いていた刹那は、柔らかい否定に自身の勘違いに気づいて顔を紅くするよりも先に気になる単語があった。

 

「ビデオメモリーとは? そもそもネギ先生達のお父様と長が同じ団体にいたというのも初耳なのですが」

「刹那って情報に疎いのね。それともこっちじゃそんなに有名じゃないのかしら」

 

 首を捻ったアーニャは別段気にすることでもないと気持ちを切り替えた。

 

「魔法世界のことは知ってるわね。魔法世界で起こった二十年前での戦争の時に一緒の団体にいたみたいよ。ビデオメモリーは戦後に発売されたドキュメンタリー映像」

 

 見たい、と刹那は真剣に思った。現在は現役最強の座を刹那の師であり神鳴流の歴史の中でも一、二を争うほど強いと謳われている青山鶴子に譲ったが、当時は旧姓青山詠春こそが当代最強であったと言われている。

 刹那が知っている近衛詠春は、命の恩人であり木乃香の父である。知り合った時には関西呪術協会の長に就任して現場には出なくなっていたので、鍛錬する姿なら見たことがあっても実戦で剣を振っている姿は一度も見たことが無い。

 先達が戦っている姿はそれだけ刺激になり、この上ない参考になる。見たいという欲求は抑えきれないと、欲求が顔に出たのかアーニャが自身の顔の前で手を振る。

 

「残念だけどこっちに持って来てないから見れないわよ」

「なんで持って来てないんですか!」

 

 期待を裏切られた刹那は小声で詰問するという器用なことをしていた。ドアノブに手をかけたアーニャは悪びれもせずに肩を竦めた。アーニャには責められる謂れはなかったからだ。

 

「しょうがないじゃない。ネギとアスカは持って来たがったけど、あのビデオメモリーを見るには魔法具である映写機が必要で、こっちにその設備があるとは思えなかったんだから仕方ないじゃない」

「映写機ごと持ってくるとか、やりようはいくらでもあったでしょ」

「どんだけ嵩張ると思ってるのよ。それに映写機は学校の備品なんだから持ち出せなかったのよ」

 

 刹那の言い分は映画を見る為に映画館から映写機を持って来いと言っているようなものだ。見たい。とてつもなく見たいが自分が理不尽なことを言っていると分かってしまったので、如何な刹那も大いに納得のいかないものがあったが納得せざるをえなかった。

 残念だと肩をガックリと落とした刹那に苦笑したアーニャが握っていたドアノブを回して押す。

 開いたドアから光が零れる。天窓がガラス戸なので朝日に照らされて明るい廊下を光に慣れていない目を細めて足を踏み出した。

 

「学園長に映写機があるか聞いてみるからそんなに肩を落とさないの。あれば一ヶ月後にお姉ちゃんが来る時にビデオメモリーを持って来てくれるように頼んであげるから」

「本当ですかっ!」

 

 餌を与えられた犬の如く顔を喜色満面にした刹那はアーニャの後を追って廊下へと出て行く。

 ゆっくりと締められていくドア。

 パタン、と小さな音を立てて締められたドアの内側で、刹那が上段を使っている二段ベットの下段で布団に包まっていた龍宮真名は目を開けた。

 本人達は静かにしているつもりでも寝ている人間を十分に起こすだけの会話をしていれば真名が起きるのも当然。だが、実は今回はあまりそのことは関係ない。

 学生という傍らで副業として傭兵をやっている真名の眠りは、慣れない人間が近くにいると警戒心が先に立って深くない。物音を立てれば直ぐに起きてしまう。一種の職業病みたいなものだ。

 刹那が起き出した頃から目が覚めていた真名は、寝たふりをして二人の会話を聞いていた。

 

「年下に言いように振り回され過ぎだぞ、刹那」

 

 最初から最後まで手綱を握られていた級友の情けなさに苦笑を浮かべながら、本来の起きる時間までまだ暫くあることもあって二度寝を敢行する真名だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左手にチョークと右手に教科書を持ったネギが英文を読みながら教壇を生徒達から見て左から右へと歩いていく。

 

「~~~、~~~~~~~~、~~~~~、~~~~~~~~~」

 

 スラスラと本文を読むネギに生徒達は学力の高さに感心していた。よく考えれば母国語なのだから上手くて当然なのだが、立場があるといっても見た目は彼女らよりも年下なのだ。感心の一つや二つはする。

 

「何書いてんのアーニャちゃん?」

 

 窓際にいるアーニャも同じように教科書を持っているが、それは空席の机の上に置かれていた。名前はあるのに人物を誰も見たことがない出席番号1番相坂さよの席の前で椅子に座って、机に置かれた教科書を時折見つつ手元の手帳に何かを書き込んでいた。

 アーニャが教科書を置いている机を使っている朝倉和美などは、手帳に何を書きこんでいるのかが気になって仕方がなかった。

 

「黙って授業を受けなさい。後、私は先生。次、ちゃん付けしたらアンタにだけ課題出すわよ」

「分かった。分かったから勘弁して」

 

 と、ネギが廊下側に行った時を見計らってアーニャに小声で声をかけるも、けんもほろほろに追い払われた和美は空席の相坂さよの後ろの席である村上夏美の方を窺う。

 視線を向けた夏美も首を横に振った。和美と同じく位置的にアーニャの手元は見えないようだった。

 

(駄目かぁ)

 

 気になる。分からないとなったらどうしても気になって仕方がなかった。報道部に所属して「麻帆良のパパラッチ」なんて自称するぐらいに、和美は人が隠し事をすると知りたくなる性分である。その秘密が他人に明かしてはならない類いの物であるなら胸の裡に秘めることはするが、解き明かさないという選択肢は和美の中ではない。

 どうやってでも覗き見てやると密かに考えを練っていた和美に、数メートルも離れていないアーニャが気づかぬはずがない。ギラギラとした目をアーニャに向けすぎであった。そんな目で見られれば赤ん坊でも気づく。

 

《和美が授業を聞いていないわ。懲らしめてあげなさい》

 

 念話なんて便利なものがあるので周りに気づかれずにネギを呼び、和美が授業に集中していないことを教える。

 

「では、次を朝倉さん読んで下さい」

「えっ……あ、はい。え~と」

 

 意識の埒外にあったネギから英文の翻訳を指名された和美は慌てて立ち上がりながら教科書を持つが、授業を聞いていなかったのでどこを読めばいいのか分からない。

 和美の成績は七百人以上いる中で百位以内の二桁の位置にいる。多少、授業を聞いていなかったところで成績に影響はないにしても今現在の苦境は打破してくれない。まさか正直に授業を聞いていなかったなんて言えない。だが、分からないのに何時までももたついていることも不自然だ。

 クラスの全員が和美の頭の良さを知っている。このレベルで躓くなんてことはありえないことは知っているので、誰かがそのことを突っ込めば忽ち和美の立場は悪くなる。

 どうするどうする、と背中に冷や汗を掻いて内心で混乱していた和美を助けてくれたのは意外な人物だった。

 

「75ページの下から2行」

 

 和美を見ることなくポツリとアーニャが呟いた。まるで独り言のようだが頭が良い和美は直ぐにそれがネギが読むように言った箇所であると当たりをつけた。読む場所さえ分かれば後は問題はない。和美の学力なら教科書レベルの英文を訳すぐらいなら出来る。

 

「私の庭にゴミを捨てたのはあなたかしらジョージ? 違う、ミランダ。これはゴミじゃない、俺が君に宛てたラブレターだ。どうして君は俺の気持ちを理解しようとしてくれない? 当然じゃない。私は貴方のような下級の人間じゃないわ。私に人間として認めてもらいたいならそれなりの立場になりなさい」

「はい、ありがとうございます。座って貰って構いません」

 

 ゆっくりと翻訳しながら読み切った和美は、笑顔のネギに何故かプレッシャーを感じながら席に座った。

 

「この章ではスラム街の人間であるジョージが高音の花であるミランダに恋をし、彼女に認められる男になろうと決意するお話でした。それでは皆さん、次はテキスト76ページを開いてください。次の章である苦難編に入ります」

 

 息を吐いて肩の荷を下ろした和美の周りでは教科書を捲る音が続いた。

 パラパラとページを開く音が教室に満ちる。和美も遅れじと次のページへと教科書を捲った。ネギは全体を見渡して全員が開き終ったのを確認し、再び英文を歩きながら読む。

 

「~~~~~~~~~~~、~~~~~、~~~~、~~~~~~~~~.」

 

 初日はプリントだけで主導する授業はしなかったので、今日が実質のネギの初授業だった。

 大半の生徒がネギとアーニャががどんな授業をするのかという、そういった好奇の視線を向けていたが時間の経過と共にそんな余裕もなくなりつつあった。

 

「それでは長瀬楓さん。この章の序盤で面接官にスラム街の出身であることを指摘され、本当に働けるのかと揶揄されたジョージの気持ちになったつもりで答えて下さい」

「ござっ!?」

「勿論、英文でお願いします」

 

 ネギはスパルタであった。分かろうが分からなかろうが問答無用で指名してくる。頭の良い悪いも関係なく満遍なくである。

 教科書の内容を一辺通りにやるのではない。生徒に授業を聞かせるだけではなく考えることもさせるやり方だった。

 指名された楓の学力はお世辞を言っても高い物ではない。それどころかクラス内でも格段に悪い部類に入る。そんな彼女に教科書内の話の中で登場人物の心情を英語に直して話せとは無理がある。

 答えに窮した楓に助け舟を出したのはまたアーニャだった。

 

「楓、ジョージの目的はなに? 日本語で構わないから答えて」

 

 立ち上がったアーニャが長身の楓を下から見上げるように見つめる、

 

「ミランダに認められる男になる、でござろう」

 

 テストの点数が悪くても楓は頭の回転が遅いわけではない。先の話から頭の中で状況を整理し、纏めて推測するだけの能力は十分に持っている。

 

「ええ、そうよ。この場合はそのまま答えればいいの。単語が分からなければネギに聞きなさい。後は単語を並べて文章にすればいいわ。質問に答えないほどネギも鬼じゃないから」

 

 言いたいことを言い切ってアーニャは座った。

 楓は少し悩んだ様子だったが、やがて分からない単語をポツリポツリと聞いていく。ネギはそれに答える。

 最後にはちゃんとした文章にして言い切り、疲れたように席に座った。

 

「面接官に認められ、これでジョージも仕事を得ることが出来ました。ですが、ジョージが大変なのはこれからです。部下をいびる上司の下に配属され、同僚は周りの足を引っ張ることしか考えていない。向上心豊かで環境に恵まれた他の同期達を押し退けて上に上がる為には進み続けるしかありません」

 

 そこで一度言葉を止めたネギは、息を吸い込んだ。

 

「ミランダに認められたい一心で仕事をこなしたジョージに遂に大口の仕事が舞い込んできました。ですが、直属の上司と同僚は敵ばかり。失敗すれば即クビが宣告され、元のスラム街に戻らざるをえなくなるジョージが取った乾坤一擲の作戦が次に記されています。さて、次は誰に訳してもらいましょうか」

 

 クラス全体を見渡したネギと視線を合わせられるのは極少数だった。

 成績が良く、英語の訳も分かる成績上位者の超やあやか等はネギに視線を向けられても、答えられる自信があるので視線を外さない。反対に自身の学力に自信の無い者や、ネギが言った英語を訳す事ができない生徒はネギが視線を向けると、顔ごと視線を外して目を合わせようとしない。

 全体的に後者の視線を外す生徒が多いのが、如実にクラスの学力を表していた。まさか視線を合わせた生徒と外した生徒のリストをアーニャが手帳に書き込んでいるとは思いもしまい。

 

《誰に当てようか?》

《絶対に視線を合わせないようにしてるまき絵か、私には無理ですってアピールしてる古菲ってのも面白いわね》

 

 ネギから視線を逸らす生徒の中で、特に度合いが酷い二人。

 斜め下を向いて絶対にネギと目を合わせないようにしているまき絵と、クルクルと手の中でペンを回して必死に当てられないようにしている古菲にアーニャの視線が止まったようだった。

 

《二人に一回当ててるから、不公平感を失くすためにまだ当ててない人がいいと思う》

《となると、教科書をガン見してる夕映か、当てられたら絶対に答えられないって顔をしている刹那か》

 

 授業時間はもう半分以上経過している。先の調子で既にクラスの半数を当てているので指名できる人員は限られる。

 

《その前に当てる人がいるでしょ》

《アスカの奇行に巻き込まれてたみたいだから少しは見逃してあげたいんだけど》

《不公平感を失くすんでしょ。個人的な感情で判断しない》

 

 う~ん、とクラスの真ん中より少し後ろで机に伏せている少女を見遣ったネギは、迷いを捨てきれていなかったようだったがアーニャの指摘に心を決めたようだった。

 

「次は明日菜さんにお願いします。明日菜さん?」

 

 呼びかけても反応があらず、明日菜が寝ていることに今気づいたかのように演技しながらネギは机の間を通って席へと向かう。

 

「明日菜さん、明日菜さん起きて下さい」

 

 神楽坂明日菜は教科書を立てて壁にしながら爆睡していた。ネギが近くで呼びかけても起きず、朝から運動をして疲れていることを知っている木乃香が隣で苦笑している。

 強めに肩を揺らすと、瞼が痙攣してゆっくりと開いていく。左右で色違いの瞳は見ていて美しいと素直にネギは思う。父譲りらしい茶系の瞳の色をしているネギは、良く晴れた空の色のような瞳をしているアスカの目を見るのが好きだった。明日菜の目はアスカに負けず劣らず見ていて飽きない。

 

「なぁにぃよぉ…………眠いんだからぁもう少し寝かせてぇ」

「授業中なんですから、そういうわけにはいきません」

 

 魔法学校でアスカに体力勝負で張り合った者達と同じ末路を晒している明日菜に同情の気持ちはあれど、何時までも特別扱いは出来ない。起きたようで起きていない明日菜の肩を強く揺さぶり、意地でも寝ようとするのを止める。

 寝起きの虎ほど危険な物はない。熟睡していたところを邪魔された明日菜はネギの手を払い、また元の姿勢に戻る。

 

「明日菜ってば、よほど眠いみたいね。バイトでそんなに疲れたの?」

 

 通路を挟んで隣の席に座る美沙が半ば意固地になっているようにも見える明日菜に呆れた視線を向ける。

 

「バイトでアスカ君と勝負して体力負けしたみたいやねん。ヘトヘトで帰って来て、それからずっとこんな調子でな」

 

 困ったわぁ、と頬に手を当てた木乃香の発言に何人かが廊下側最後尾の席にいるアスカを見た。

 アスカは背筋を真っ直ぐに伸ばして支給されたばかりの教科書を両手に持っていた。その目は真っ直ぐに教科書を見ている。もしも授業姿勢を評価するとしたら満点を与えられるほど見事な態度であった。

 この事態にも動じず、一心不乱に教科書を見つめているアスカに大半が天は二物を与えないのだと思ったが幼馴染の二人だけは違った。

 

「あのアホは」

 

 立ち上がったアーニャが視線も鋭くアスカを睨み、足音を可能な限り決して教室の後ろへと回る。

 アスカの後ろに来たアーニャは持っている教科書を振り上げた。

 

「寝てんじゃないわよボケアスカ!」

「あがっ!?」

 

 振り上げた手を下ろして教科書の角で首の付け根を殴打すると、キチリとした姿勢だった目が飛び出そうな奇妙な声がアスカの口から出た。

 アスカは殴られた首の付け根を両手で押さえ、「ぬぉぉぉ――っ」と痛みに悶える。

 

「痛ってぇな! なにしやがる!」

「無駄に良い姿勢で授業中に堂々と寝るんじゃないわよ! 目を開けて寝るなんて芸が懲りすぎなのよ!」

 

 痛みで若干涙目なアスカは振り返りつつ叫んだが、アーニャの怒りの方が遥かに上だった。叩いた当人の方こそ頭が痛いとばかりに眉間を抑え、アスカを睨み付ける。

 

「ようやく先生たちの気持ちが分かったわ。厄介な生徒を受け持つとこんな気持ちになっていたって」

「当時は面倒事がなくて良いと思ったけど立場が変わると感じることも違うもんだね」

 

 近くにやってきたネギがアーニャの気持ちに強く深く同意して頷く。

 食う・寝る・戦うの三原則で生きているアスカが魔法学校の授業をまとも聞いていられるはずがない。しかし、如何なアスカといえども毎回毎回サボれるわけがない。教師陣によって捕獲され、強制的に授業を受けなければならなかった時もあった。

 そこでアスカは如何に時間を有意義に使えるかを考えた。まともに授業を受ける気がないところがアスカらしい。

 最初に閃いたのが寝ることだったが、それも直ぐに頓挫する。机の上に被さっていれば寝ていることは丸分かり。

 アスカは考えた。無駄に熱を入れて考えた。

 如何に教師の目を欺いて寝るかを主眼に置いて、もっと別のことに頭を費やせと言いたくなる思考の末に導き出した答えが、この無駄に良い姿勢で目を開けながら寝ることであった。

 話しかければ起き、悪意(起こす気)を持って近づいても起きる。もはや芸の領域の技術を手に入れたアスカに気づかれずに近づけるのはネギとアーニャのみ。一体、どれだけの教師が授業中に堂々と寝るアスカに煮え湯を飲まされてきたか。アーニャ達は自分達が教師の立場になって始めて彼らの気持ちを理解できたのである。

 

「いいこと? 私達の授業で寝ることは許さないから覚悟しておきなさい」

「ぐっ、分かった」

 

 鼻先に指を突きつけられたアスカには否と言える権利は与えられてはいない。アスカは苦渋を呑み込んで頷くしかなかった。

 頷きを得たアーニャは勝ち誇った顔で悠然と席を離れる。だが、流石のアーニャもこの後にアスカの「授業聞いた振り」が様々なバリエーションを生み出して悪戦苦闘されることになるとは、まだこの時は欠片も予想していなかった。

 

「明日菜の代わりにアンタが答えなさい。テキストは76ページ。ジョージが取った乾坤一擲の作戦とは何?」

「そんなの決まってるじゃないか」

 

 教科書を見ることなく、何故かアスかは腕を組んでふんぞり返りながら自信満々だった。

 

「全員と戦って敵をけちらした、だ」

「この脳内お天気バトルマニアが!」

「がふっ!?」

 

 話を聞いていないので分かるはずがないと予想していたネギの想像通りの答えが返され、思わず手に持っていたチョークを投げつけた。チョークにはネギの激情を示すように風の精霊が纏わりつき、完全に油断していたアスカの額に直撃した。

 直撃したチョークが粉々に砕けるほどの威力に流石のアスカも堪えたようで、打った額を両手で押さえながら机に伏せた。

 

「はん」

 

 無様な姿を曝すアスカを横で鼻で笑ったのはエヴァンジェリン。

 

「それに明日菜も」

 

 紳士たれと自身を戒めているネギでは元より女性に強く出られないことを知っているアーニャは、この騒ぎにもまだ寝ている明日菜の席まで来て耳元に口を近づけた。明日菜を揺り動かす言葉を既にアーニャは知っている。

 

「起きないと高畑先生にアンタが子供っぽいクマパンを履いていることをバラすわよ」

「な……っ!?」

 

 囁かれた言葉は睡眠を続けて鈍っていた明日菜の脳を一瞬で覚醒させた。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった明日菜は脳は覚醒しても思考が付いていっていないので、状況を呑み込むまでに時間を要した。

 

「ア、アアアアーニャちゃん一体何を言っているのでございますでありますですわよ!?」

「言語が崩壊してるで、明日菜」

 

 状況を呑み込んでも明日菜の脳は回っていなかったようだった。普段はぽややんとしていながらも関西出身だからツッコムところは突っ込む木乃香が明日菜の状態を的確に表現している。

 

「同じことだけど、もう一度言うわ。授業中に寝てんじゃないわよ。また寝たら今言ったことを実行に移すからね」

 

 正論であった。正論であるが故に明日菜は反論できない。直後、丸伸びしたチャイムが鳴り響いて、ネギは続けようとした授業をここで一端止めることにした。

 

「今日はここまでとします。ジョージの作戦については次の授業までの宿題とします。誰かに当てますのでしっかりと予習しておいて下さい」

 

 教壇に戻ったネギは教科書とクラス名簿をトントンと整えて言い切る。

 クラスのなんともいえない空気を感じ取りながら、去る前に言わねばならないことがあった。

 

「今日の放課後は以前から行っていた居残り授業を僕達が引き継いで行います。今から言う人は参加するように」

「神楽坂明日菜、佐々木まき絵――――」

 

 アーニャに名前を言われて居残り授業への参加を強制された者達の悲哀の声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は放課後。部活に向かう者や友達と遊びに向かう者が散乱する中で教室に残っている者達がいた。

 

「十点満点の小テストです。八点以上取れるまで帰れませんから頑張って下さい」

 

 教壇に立つネギから見て中央の列を開け、廊下側にバカレンジャーと呼ばれる神楽坂明日菜、佐々木まき絵、長瀬楓、綾瀬夕映、古菲が座っている。反対に窓側には桜咲刹那、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、アスカ・スプリングフィールド、絡繰茶々丸、ザジ・レイニーデイが二人ずつ座っていた。

 

「なんで私が居残り授業などに参加せねばならん」

 

 バカグリーンと表札が置かれた机の上でふんぞり返っていたエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、不名誉な渾名に顔を紅潮させていた。隣に座る異国の少女の正体を知っている桜咲刹那としては気が気ではなかったが、気持ちとしてはエヴァンジェリンと同じだった。

 

「成績が悪いからよ。このバカレンジャー予備軍共」

 

 クラス内での蔑称でもあり、ある意味で愛称でもある渾名を付けられた刹那は、バカホワイトと書かれた表札を手に取って肩を落とした。

 バカレンジャーの面々の前にはそれぞれレッド・ピンク・ブラック・ブルー・イエローの表札が置かれており、アーニャによってバカレンジャー予備軍と言われた面々の前にも、エヴァンジェリンと刹那の所為の前にグリーンとホワイトの表札が置かれているように、アスカの前にはゴールド、ザジの前にはパープル、茶々丸の前にはグレーが置かれていた。

 

「そのへんてこな渾名をつけるな。私は成績が悪いのではない。やる気がないだけだ」

「一番性質が悪いわよ。言われたくなかったら結果を出しなさいバカグリーン」

「ぬぅっ」

 

 言い返していたエヴァンジェリンが口詰まった。十五年も中学校生活を繰り返してきて授業など聞き飽きていたので頻繁にサボっていたが、十五年もあれば授業内容はガラリと変わる。授業内容は時の経過と共に多少なりとも変わり、何年も頻繁にサボってやる気など欠片もなかったエヴァンジェリンの頭の中から色々と抜け落ちていた。

 エヴァンジェリンは憎たらしいアーニャから視線を手元に落した。居残り授業の課題である小テストは依然として空欄を埋め切れていない。

 

「あの、私達はどうして予備軍扱いなのでしょうか?」

 

 友達を待っているハルナ・のどか・木乃香の中で特に木乃香の視線を気にしながら、おずおずと刹那は手を上げた。

 

「簡単よ。バカレンジャーに近い五人、もしくはバカレンジャーになってもおかしくない人だからよ」

 

 アーニャに指摘されて刹那は残されたメンバーを改めてみる。そして納得してしまった。

 メンバーを見てみれば内実にも納得がいってしまう。バカレンジャー予備軍扱いされて気にしているのはエヴァンジェリンと刹那のみだけで、ザジと茶々丸は黙々と小テストを行っていた。

 

「出来ました」

 

 真っ先に小テストを終わらせたのは茶々丸だった。

 

「えっ、もうですか!?」

 

 始まったのはつい先ほど。全問を埋めるにしても即答しなければ不可能な速さだった。渡された小テストを教壇で採点したネギは更に驚く結果となった。

 

「満点、合格です。最初だから基礎問題にしましたけど、これでどうしてテストの成績が悪いんですか?」

「文章から作者の心情を把握するような問題は苦手ですが、このレベルのテストならば問題ありません。普段のテストではマスターに合わせていましたので」

「なにっ!?」

 

 従者の鏡とも言える茶々丸であったが、まさか自身に合わせる為にテストの成績が振るわなかったことを初めて知ったエヴァンジェリンは仰天した。名高い真祖の吸血鬼の面目が、まさか己が従者に潰されるとは思っていなかったエヴァンジェリンにクリティカルヒットしたようである。

 せめて二番は譲ってなるものかと一念発起したエヴァンジェリンは薄れた記憶の知識を必死に掘り返し、ペンを持っていないもう片方の手で髪の毛を掻き毟りながら小テストに向き合う。

 全員が小テストに集中したのを確認したネギは、ホッと一息をついた。

 

「あの、ネギ先生…………」

「え……あ、はいっ!」

 

 気を抜いていた時なので、第三者に話しかけられたので思わず大きな声が出てしまった。

 ネギが呼ばれた声の方を向くと、三人の女の子が立っていた。

 

「スミマセン。ネギ先生、朝の授業について質問が」

 

 一人は居候させてもらっている部屋の住人である近衛木乃香。もう一人が昨日魔法で助けた少女――――宮崎のどかであることにも気が付いた。 何か言おうとしていた様子ののどかの横から、三人の中で残った一人である最も体格が良い早乙女ハルナがネギに声を掛けてきた。

 

「はいはい、いいですよ。えと……14番早乙女ハルナさん」

「あ、私じゃなくてこっちの子なんですけど」

「は、はい」

 

 両脇のハルナと木乃香に背を押されて、三人の真ん中にいるのどかがおずおずと一歩前に踏み出した。実は初授業を終えて上手くできたか自信が無かったので他人の評価が気になっていたのだ。そんな自信があるとは言えない授業でも質問をしに来てくれた事がネギには嬉しかった。

 彼女達の質問に答える為、ネギはのどかに視線を集中した。

 

「…………あれ?」

「え?」

 

 質問する為に顔を近づけてきたのどかの髪型を見て、ネギはある変化に気がつく。よく見れば、髪で隠されていたのどかの眼が以前よりもはっきり見えていた。

 

「宮崎さん、髪型変えたんですね。似合ってますよ」

 

 ネギがのどかの髪型の変化に気付いて褒める。ナチュラルに褒めるネギの将来は絶対に女たらしだとアーニャは後方からテストを行っている面々を見ながら思った。

 

「でしょでしょ!? かわいーと思うでしょ!?」

 

 ハルナがテンション高く喋りながら木乃香と二人でのどかの前髪を分けて、隠されていた素顔を披露した。中にあったのどかの可愛らしい顔は驚いて目を見開き、みるみる顔が赤くなっていく。

 

「えっ……あ……」

「この子かわいーのに顔出さないのよねー」

 

 ただでさえ恥ずかしがりやののどかは、ネギという少し意識している異性に隠していた素顔を見られ、顔を真っ赤に染めて走り去ってしまう。

 

「あ!? 宮崎さん」

「あん。ちょっとのどか! ゴメンネ、せんせ!」

「あ……」

 

 そしてハルナも走り去ってしまったのどかを追う為、ネギを置いて行ってしまった。

 ネギにはどうしてのどかが走り去ってしまったのかが解らず、質問をしにやって来た当人が走り去ってしまって途方に暮れるしかなかった。恋や思春期の特有の心の揺れを感じ取れないのは数えで十歳では仕方のないことだろう。

 のどかの行動に驚いたネギは、残った木乃香に理由を聞こうと顔を向けた。

 

「行ってもうたな。気にせんといてな、ネギ君。のどかも恥ずかしがってるだけやから」

「はぁ、質問はいいんでしょうか?」

「また聞きに来るやろうから、ええと思うで」

 

 ニコニコとした木乃香の笑顔の意味を理解できないネギは首を捻った。

 

「出来ましたです」

「あ、はい…………綾瀬夕映さん、九点。合格です。普段からこれぐらい頑張って下さい」

「勉強嫌いです。それでは私はのどかの後を追いますです」

 

 と、採点している時からソワソワしていて落ち着かない様子だった夕映は鞄を持って慌ただしく教室を出て行った。言う通り、のどかの後を追いに行ったのだろう。昨日の歓迎会の時も夕映とのどか、ハルナは一緒に行動していたから仲が良いのだろうと心のメモに記しておく。

 

「別に勉強なんて出来なくてもエスカレーター式で高校までは行けるんだからいいじゃない」

 

 グチグチと言いながらも明日菜は必死に小テストを行っていた。

 アーニャにサボったりすれば高畑にクマパンのことをバラすと脅されてはやるしかないのだった。

 

 

 

 

 

 三番目になったが、めでたく目標得点を取ってエヴァンジェリンが茶々丸を連れて出て行き、ザジが続き、バカレンジャーの殆どもいなくなった教室。

 

「もういいわよ。私は馬鹿なんだから」

 

 回数分の小テストを机の上に広げ、机の上に伏せて盛大に泣き言を漏らしていた。後少しで二桁に上る小テストを繰り返した明日菜は元から対して持っていなかった自信を喪失していた。

 

「……………」

 

 明日菜よりは点数はいいが、英語は本当に苦手らしく努力は実っていなかった。

 同じように小テストを繰り返している刹那はバカホワイトの異名通り、全身を真っ白に煤けさせていた。

 

「なんでアンタまで残ってんの」

「日本の英語の勉強って分かりにくいんだよ」

 

 英語圏の生まれのくせして未だに合格点に届かないアスカだが、こちらはどちらかというと頭や知識よりも別に問題があるようだった。頭の後ろで腕を組んでペンを咥え、欠伸までしている姿にはやる気は欠片も見えない。

 

「ん~」

 

 これ以上ないほどに丁寧にじっくりと教え、いい加減にやりようがなくなったネギが困り果てていると廊下側の窓が開いた。

 

「おーい、調子はどうだいネギ君」

 

 開かれた窓から顔を出したのは担任であるタカミチ・T・高畑であった。

 高畑を見た瞬間、アーニャの脳裏に天恵が降って来た。

 

「ねぇ、アスカ」

「ん?」

 

 アスカに呼びかけると当の本人は机の上に足を乗せていた。行儀の悪さに口の端をひくつかせたアーニャだったが彼女にはとっておきの秘策がある。物凄く他人任せだが。

 

「高畑先生が満点とったら今度戦ってくれるって」

「なにっ!?」

「おいおい、勝手に人を景品にしないでくれ」

 

 実に他人任せな秘策だったが高畑は注意を入れながらも否定はしなかった。

 アスカの目の色が変わった。茫洋としていた目の奥に確かな意思の光が輝き、机に乗せていた足を下ろして咥えていたペンで小テストに取りかかり始めた。アスカの底力というか、欲に対しては忠実で底知れない力を発揮するので、極上のご褒美を用意すれば後は勝手にゴールまで突っ走るだろうことは良く知っている。

 

「バトルマニアはこれでいいとして」

 

 最終手段を使ったことにネギが呆れているのを無視しながら、木乃香に勉強を教えられて身を限界まで縮こませている刹那に意識を移す。

 

「どう見ても木乃香が原因よね。木乃香、ちょっとこっちに来て明日菜の方を手伝って」

「? はいな」

 

 まだ付き合いが一日程度しかないので良く解らないが、刹那は木乃香が近くにいると舞い上がってしまうらしい。となれば刹那に物を教えるのに現状では木乃香は不適格ということになる・

 原因である木乃香は呼べば思いのほか簡単に釣り出されて、刹那が傍で見ていれば分かるほど安心していた。本当にこの二人はなんなのだろうか、と疑問に思いながら木乃香に高畑への伝言を頼む。

 伝言を伝えに行った木乃香の背中を見送り、アーニャは代わりに刹那の下へ向かう。

 

「なぁなぁ、高畑先生。明日菜に言ってほしいことがあるんやけど」

 

 高畑の下へやってきた木乃香は耳元でアーニャからの伝言を伝えた。

 そんなことでいいのか、と聞いてくる高畑に頷きつつ、前の席に座ってアーニャに教わっている刹那に切なげな視線を送る木乃香であった。

 

「明日菜君」

「たっ……た、高畑先生。これはその」

 

 教室内に足を踏み入れて明日菜の席までやってきた高畑は机の上に広げられた小テストの山を見て苦笑を浮かべた。明日菜が英語が出来ないことは良く知っているので今更特別になにかを思うことはないが、それでも自分が担当している教科だけに気にもする。取りあえず今はアーニャから伝えられたらしい木乃香に聞いた伝言を言うために口を開いた。

 

「君が満点を取ってくれると僕はとても嬉しい。頑張ってくれ」

「は、はい!」

 

 甘く囁くように言えというアドバイスを忠実に守ると明日菜のやる気メーターが限界を天元突破した。

 三人が合格点を取るにはそれほど長い時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 居残り授業が長引いて駅を降りた時には外はもう真っ暗だった。

 

「もう、真っ暗じゃない」

 

 電車から降りて改札機を通ったアーニャが学校を出た時にはまだ夕焼けが残っていた空が真っ暗になっていることに気づいた。

 

「こっちは星が見えないんですね」

 

 ぽつり、と駅から女子寮に向かっている道中でネギが夜空を見上げて呟いた。その言葉に勉強で疲れながらも明日菜も同じように都市の灯りで星が見えない空を見る。

 

「イギリスは違うの?」

「田舎ですから空気も汚染されていないので満点の星空です。だから、僕達にとっては星が見えない空は本当に不思議です」

「ええなぁ。うちも小さい頃は良く見てたんやけど、最近は見渡す限りの星空ってないわ」

 

 最後まで残ったメンバーは全員が女子寮住まいである。刹那だけは離れようとしたが、アーニャに教師権限で逃げたら課題満載と言い含められてしまっては逃げるに逃げられなかった。理由あって木乃香に近づけないのでこれだけの近距離はかなりマズい。

 この事態を解決したのはアスカだった。

 最後の三人の中で一番初めに満点を取って高畑と戦える権利を手に入れてご満悦のアスカは、刹那にとっては運良く神鳴流のことを聞いて来て、ネギやアーニャが気を利かせたことで集団から少し離れた位置で歩くことが出来た。

 

「アーニャって、ああいう人を動かすことだけは昔から得意だよね」

「人聞きが悪いことを言うわね、ネギ。私ほど純情で可憐でお淑やかな子はいないわ」

「何言ってるのさ。僕達がどれだけ苦労したと思ってるんだよ」

 

 真っ当に勉強させたいネギとしてはアーニャのやり方は邪道も邪道すぎる。ネギなりの理想を持ってはいるがアーニャのやり方も効率という点では正しい。問題はアーニャの、困ると人を動かして解決を図ろうとする悪癖にあった。

 

「二年前の学校対抗戦の時もアーニャの作戦の所為で滅茶苦茶になっちゃうし、卒業試験も参加者を利用した所為で裏の森が焼けて大問題になったじゃないか」

「うっ」

 

 記憶にも新しい騒動の数々を上げたネギの指摘に、傲岸不遜を地で行くようなアーニャであっても罪の意識はあったのか、抗弁しようとせず口を噤んだ。直ぐに気を取り直したように胸を張ったが。

 

「結果的には上手くいってるじゃない。誰もがネギみたいな天才じゃないのよ」

「僕は天才なんかじゃない」

「あら、世界的に見ても難しいと言われる日本語を片手間で三週間でマスターしたのはどこのどなたでしったけ」

 

 あっという間に言い負かされてしまった。ネギではアーニャに口で勝つことは難しい。

 アーニャは教師の勉強の為に地元の学校で見学をさせてもらうなどしながらだったので、日本語を完全に習得したのは渡航ギリギリだったりする。

 

「確かこの近くに郵便ポストがあったわよね」

 

 ネギを言い負かしたアーニャは勝ち誇るも長続きはせず、そわそわとした仕草で鞄を触りながら明日菜に聞いた。

 

「ポストなんてその辺に一杯あるじゃない」

「明日菜、それはちょっと不親切やて。ポストやったらそこの角を曲がった直ぐのとこにあるで」

 

 朝の運動で体が、居残り授業で頭を酷使してフラフラと歩く明日菜が投げやりに答える。適当すぎる明日菜の返答に注意を入れながら、彼女を支えながら歩く木乃香がポストがある場所を説明する。

 ありがとう、と珍しく素直に礼を言ったアーニャは鞄から手紙を二通取り出して足早に去ろうとした。

 

「あ、アーニャちゃん。それってエアメールちゃうん」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「やったらポストは無理やわ。エアメールって郵便局で手続きしないと遅れへんて聞いたことがあるわ」

 

 げ、と郵便局に行かなければならないことに面倒そうに顔を顰めたアーニャは無念そうに手紙を鞄に直した。

 

「お姉ちゃんに?」

「と、ナナリーにね」

 

 ネギは手紙を送る相手に予想がついていたのか驚きはしなかった。

 

「ナナリー?」

「私達の同期よ。ナナリー・ミルケイン。今はハワイで占い師をやっているはず」

「アーニャちゃんはその子と仲ええみたいやな」

 

 そのナナリーの名を呼ぶ時に込められた親愛の情がアーニャが相手をどう思っているかを明日菜と木乃香に雄弁に語っていた。

 

「うちの学校は生徒が少なかったら同性で同い年はナナリーだけだったのよ。そりゃ、仲良くもなるわ」

 

 と、素っ気ない言い方をしていても言葉の端々に喜びがあるのだからアーニャは素直ではないと二人は思った。

 

「青い髪の毛の、何時もアーニャの背中に隠れてた引っ込み思案の子だったけ。僕は、あんまり話をした記憶ないな」

「そういえば、あの子は男が苦手だったからアンタと碌に話をしたことなかったわね」

 

 記憶を掘り返していたネギは首を捻っていたが理由を聞けば納得もする。そういえば、ナナリーと今日ネギに授業のことを質問してきた宮崎のどかは彼女と反応が似ていたと思い出した。

 

「お姉ちゃんが来るまでは住所が分からないってことで手紙を出すのを諦めてたけど、学園長が私達宛ての荷物を一括で受け取って渡してくれるって言ってくれたから早速出そうと思ったのよ」

「仲が良いのは知ってたけど、連絡を取り合うのには早くない?」

「あんなに引っ込み思案な子が客商売みたいな占い師をやってるのよ。上手くやれてるか気になって仕方がないの」

 

 アスカやネギに対しては絞めるところ以外は放任気味なところがあるアーニャが、まるで子供を余所にやった母親のようにナナリーの心配をしていた。お母さんみたいや、と木乃香は思いもしたが口には出さなかった。

 

「食の細い子なのに、ちゃんとご飯を食べてるかしら。もう、なんだって卒業後の課題がハワイで占い師なのよ。最低でもハワイじゃなくて日本にしなさいよ」

 

 心配を始めたら際限なく気になって来るのか、徐々にアーニャは落ち着きを失くしていった。ぶつぶつと呟きながら、決まって既に動き出している事態にまで文句を言い出したアーニャを止められる者はいない。

 

「アーニャ、まるで母親みたいだよ」

「うっさいわねボケネギが!」

 

 木乃香が思ったことを口に出してしまったネギに、まさしく子供の心配をする母親の如き心情だったアーニャは簡単にキレた。余計な言葉を言ったネギに鉄拳制裁を下さんと拳を振り上げた。これは何時ものことなのだが、この時はアーニャの感情は激していた。

 アーニャの得意属性は「火」である。そして彼女には一つだけ欠点があった。

 火の特性は「烈火」という文字の如く感情の変化に作用されることがある。つまり、術者当人の感情に反応して時に意に反して現象が発現しうることがあるのだ。アーニャはこの傾向が人の何倍も大きい。精霊との感応能力が高いのか、それとも単純に魔力の制御が緩いのか。アーニャの渾名である火の玉少女(ファイヤーガール)は、時に感情によって自身が放つ現象を制御しきれない彼女を皮肉った一面もあった。

 

「あ……」

 

 ネギは恒常的に魔法障壁を張っている。肉体派であるアスカに比べて知性派であるネギの体の耐久力は低い。その面を補うために魔法障壁を張っているのだ。

 恒常的に張っているといっても常時障壁を展開し続けたら魔力が持たない。この魔法障壁は悪意による攻撃や術者に危険が迫っていると判断したら自動的に展開されるタイプだった。そしてここでアーニャへと目を移すと、その拳はネギに当たる数センチで不自然に止まっている。それだけならばアーニャが途中で手を止めていると勘違いする。その拳が燃え盛り、ネギが張っている障壁を可視化さえしていなければだ。

 

「……っ!?」

 

 現実を認識したアーニャは一瞬で拳から火を消し、ネギも障壁を解いた。そして必死な形相で二人で辺りを見渡した。

 真っ先に目に入ったのは固まっている明日菜と木乃香。そして後方に少し離れた所で目を剥いている刹那とのほほんとしているアスカ。その他には人の姿は見えず、ネギが探索魔法で周囲に人がいないかを徹底的に探る。

 数秒して、ネギは安心したように杖に縋りつきながら長い溜息を吐いた。

 

「良かったあ。近くには人の反応はない。どうやら誰にも見られずにすんだらしい」

「まさかこんなところで魔法がバレて強制送還なんて洒落にならないものね。この場にいるのが事情を知っている明日菜と関係者の木乃香で良かったわ」

 

 探索魔法の結果にネギは額に浮かんだ冷や汗を拭い、アーニャは安心しながら未だに固まっている明日菜と木乃香たちを見る。

 

「アーニャ、まだ感情で魔法が出ちゃう癖治ってないの?」

「悪かったわよ。魔力の制御はちゃんと出来てるはずなのに、なんか出ちゃうのよ」

 

 ネギに謝ったアーニャは、普段は制御できている炎を薄らと拳に纏わせたり消したりしながら、未だに固まっている明日菜と木乃香を完全に安心しきった目で見る。

 

「明日菜には昨日バレっちゃたっし、木乃香は最初からこちら側だもんね。失敗失敗。こちら側の人間だけと思ってすっかり安心しちゃってたわ」

「あ……あなたたちは!!」

「なに、どうしたの?」

 

 理解していないアーニャに詰め寄った刹那は彼女達の致命的な勘違いに気づいた。

 

「アーニャちゃんの手が燃えてた? ネギ君の前にも薄い壁があったし。今のが魔法?」

 

 信じられない物を見てしまったように目を見開いている木乃香の、魔法らに関わっている人間ならありえない反応に遅まきながらもアーニャやネギも自分達が勘違いしていることに気が付いた。

 

「お嬢様は何もご存じではないんです…………」

「え……、もしかして……………………私、またやっちゃった?」

 

 アスカが見上げた夜空で流れ星が彼方から此方へと落ちて行った。

 




実はアスカの魔法の始動キーを全く考えていませんでした。どうしよう。


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第4話 先生は大変です

 

 昼休み。それは勉学に勤しむ学生にとっては授業という名の牢獄から開放され、学校の中で暫しの間、自由を満喫する事が出来る数少ない遊び時である。それはここ、麻帆良学園でも例外ではない。

 広大な敷地を誇る中等部から大学部まで含めた女子学部の中庭では、昼食を取ったり、談笑をしたり、遊戯を行ったりと数多くの生徒達で溢れている。様々な行動で昼休みを謳歌する学生の中には2-Aの生徒達もいて亜子、アキラ、まき絵、裕奈の4人は、食後の運動に落とさないようにするだけの簡易バレーボールをしていた。

 

「ねー、ネギ君達が来て五日経ったけど、みんなは三人の事どう思う?」

 

 順番通りに回ってきたバレーボールを器用におでこで返しながら、脈絡無く亜子は他のクラスメイト達にそう尋ねた。

 

「ん………いいんじゃないかな? 子供先生って侮ってたけどちゃんと授業してたし」

 

 サッカー部のマネージャーをしている亜子がヘディングで回したボールはアキラへと渡り、やってきたボールを更に返しつつ、アキラはそう答えた。

 

「そうだね。二人とも教育実習生として授業も頑張ってるしね。出来ればもう少し優しくしてくれると私としてはありがたいにゃー」

「そうだよー」

 

 アキラの意見に賛成した裕奈が弱音を吐き、クラスの中で成績がかなり悪いまき絵が追従する。

 

「アスカ君は超フリーダムやね。ほら、あそこで寝てる」

 

 アキラからまき絵に渡り、まき絵から渡って一巡してきたボールをトスしてアキラに回した亜子は、中庭の端の木陰で寝ているアスカを指差した。

 木乃香が作った弁当を食べて、木陰で有意義にもシエスタを敢行している。特定の分野以外では緩み切っている表情で分かりにくいが、アスカの顔もネギと同様に十分に見れた顔である。寝ていれば天使とは正にこのことで、噂の少年を五日経ってもまだ見たことのない女生徒数人が遠くから眺めていた。他にも気になるのか、周辺で時折視線を向ける者達もいる。

 

「女ばっかで気まずいかなとって思ってけど全然そんなことなかった」

「気にしなさすぎるから逆にこっちが気を使ったしにゃー」

「体育の授業でさっさと教室で着替えて行っちゃったもんね。遠慮が無さ過ぎるからこっちが待ってから着替えるって感じになっちゃてるよ」

 

 また順番にトスを回しながら会話を続ける。

 アスカは性差など欠片も気にしていないのか、女子がいようが平気で着替えるし、目の前でふざけた祐奈が脱ぐふりをした時も平然としていた。

 

「スタイルに自信なくしたにゃー。最近は自信あったのに」

「祐奈でそうやったらうちらはどうしてらええの」

「あれ、私も?」

 

 前の席で話す機会の多い祐奈などはふざけて誘惑などしてみたが微塵も相手にされず、現在進行形で急速成長中の胸に自信を喪失かけていた。ついこの前まで平均並みだった祐奈の急成長に置いて行かれた亜子は気落ちしていた。亜子に同類扱いされているまき絵は首を捻っていたが。

 

「明日菜は体力勝負で負けたって話だし、古ちゃんも最初以外は勝ったり負けたりしてるって言ってた」

「勉強はともかく運動は出来るんだよね」

 

 アキラのトスがコースを外れたのを足で蹴り上げた亜子は数日前の体育の授業の事を思い出していた。これはバカレンジャーの大半にも共通していることだが頭の悪い面々は逆に運動面に優れていることが多い。アスカもその典型だった。

 

「運動が苦手なネギ先生と正反対だってアーニャ先生が言ってたよ」

 

 アーニャは生徒全員とまんべんなく話をしていて、まき絵がトスを上げつつ聞いた話を披露する。

 

「エヴァンジェリンさんと一緒に授業をサボって屋上で寝てたのを新田先生に見つかったぐらいやしな」

「二人でバケツを持って廊下で立たされていたのはちょっと笑っちゃったよ。仲良いにゃー、あの二人」

 

 まき絵からのトスを受けてレシーブでボールを上げた祐奈は数日前の珍事を思い出して笑った。

 

「そういえばこの前、街で長谷川が不良に絡まれてたのを助けたって神楽坂さんが言ってた」

 

 まき絵からのトスをレシーブで受ける姿勢を作ったアキラは次にボールを渡す相手を探す。

 

「うちも美沙達と偶々、その時そこにいたんやけど凄かったで。何人もいたのに全然負けなかったから。ドラマ見てるみたいやった」

「だから、千雨ちゃんとも話してたんだ。でも、なんで教室でいきなり殴られたんだろ?」

「また何かしたんじゃない。アスカ君って天然なところあるし」

 

 会話は続いたがパスは続かずにボールは、ぼふっと音をたてて芝生の上に落下したが、元々時間潰しの様な物なので気にせず話題を変えて話が続行される。

 

「ウチら来年は高校受験やし、やっぱり子供が先生じゃ、ちょっと頼りなくない? 高畑先生は二人が来てから偶にしか顔を出さないし」

 

 しゃがんで落ちたボールを拾い再び空中に放って、亜子が少し不安そうに言った。

 

「受験てあんた、私たち大学までエスカレーターじゃん」

 

 不安気な亜子にお気楽な調子で裕奈がそう返した。確かに麻帆良学園は大学までエスカレーター式ではあるが、学園内には多くの学校がある為、成績によって通える高校、大学がある程度選別される為、このメンバー内でも成績の良い生徒と、成績の悪い生徒は違う学校に進学する可能性が高いのだが、言っている本人はそこまで深く考えていない。

 

「やっぱネギ君やアーニャちゃんは十歳だし、大人の高畑先生と違って悩み事なんて相談できないよねー。逆に私達が聞いてあげないと」

 

 高畑のような大人の男性ならばいざ知らず、例えどれだけネギやアーニャが精神的に大人で頼りになったとしても、感情が抑制をかけて相談しようと言う気にはならない。

 

「アーニャ先生なら『アンタ達如きに聞く程度ならしずな先生に聞くわよ』って言いそうだけど」

 

 ご尤もなアキラの意見に想像が出来てしまった亜子のトスが乱れた。

 

「もう、ちゃんとトス上げてよね」

 

 ころころと転がっていくボールを追いかけていくまき絵。そしてまき絵が追いかけるボールは、誰かの足に当たって停止した。

 

「ちょっと、あなた達?」

「え?」

 

 頭上から、声がしたのでまき絵はボールから視線を上げると、そこには女子高生の一団が腕を組んでまき絵を見下ろしていた。

 

「「「あ………、あなた達は……!!」」」

 

 騒動を予感させる生徒達とは別に、ネギ達は職員室にいた。昼休みの職員室で大半の先生が昼食を終えてリラックスした雰囲気が流れる中、隣同士の席のネギとアーニャは仕事の話をしていた。

 

「学期末試験まで後一ヶ月ぐらいしかないのに、このままで大丈夫なのかな」

「ペースは悪くないはずよ。生徒達もやる気を見せてくれてるし、現状はこのままでいいと私は思う」

 

 主となって授業をするネギは不安を口にするが、調整役のアーニャが現状維持を認める。

 

「しずな先生はどう思いますか? 今はここまで来てて、今週中にはここまで終わらせようと思ってるんですけど。このペースで学期末の試験に間に合いますか?」

 

 アーニャだけでは頼りなかったのか、ここはやはり本職に聞くのが望ましいと判断してネギはアーニャとは反対隣りにいる源しずなに聞いた。

 食後のお茶を飲んでいたしずなは、ネギが言った範囲を見て頷いた。

 

「ええ、十分に間に合うと思いますよ。二人とも、もう十分に先生とやっていけそうな感じですね」

「いえ、まだまだです。何もかもが思考錯誤ですから」

「先生なんて皆そんなものですよ」

 

 しずなの褒め言葉を否定したアーニャだったが、ふと魔法学校の先生方もそうだったのかと考えた。ここでこうやって頭を悩ませていることがその答えのような気がした。

 

「当面はこのペースを維持して、寮で私は刹那を」

「僕が明日菜さんとアスカを個人的に勉強を教える形をとっていれば多少なりとも今後の展望が開ける、開けたらいいな、開いてほしい」

 

 最初は自信を持っていたネギが最後に行くほどに自信を喪失して行った。寮での勉強具合はあまりよろしくないらしい。

 

「何事も積み重ねよ。一朝一夕で全てが上手くいくなら先生なんていらないわ」

 

 そう言いながらアーニャが座りながら背伸びをすると、ゴキッと身体の骨がなった。存外に教師生活は精神的にだけではなく、肉体的にも負担を覚えているようだった。

 身体の違和感がなくなったので、机に置いていた水筒のカップに口を付けてお茶を飲む。

 ネギが午後からの授業内容の見直しを行っている横で、アーニャがお茶を飲んでのんびりしている最中、職員室の扉が勢いよく開かれた。

 

「うわあああ~~ん。先生~!!」

「ネギ先生~、アーニャ先生~~っ!」

 

 職員室中の教師の視線が扉に集中し、大声と共に亜子とまき絵が職員室に泣きながら入って来た。

 

「………はい?」

 

 ネギは驚き、呼ばれたのでアーニャがつい零した返事と言うか疑問の声に、二人は慌てた様子でこちらにやってくる。

 

「こ、校内で暴行が……!」

「見てください、この傷ッ! 助けて先生っ!」

 

 かなりパニックに陥っており、目には涙を溜めて額や手の甲に負った小さな傷を見せてくる。

 

「え、ええ!? そんなひどいことを、誰が……!?」

「何があったの?」

 

 単純なネギが憤慨している横で、アーニャは慌てず騒がずに何があったのかとまき絵よりかは落ち着いている亜子に話を聞いていた。

 

 

 

 

 

 中庭には裕奈、アキラと対峙するウルスラ女学院の一団の姿があったが、ネギとアーニャの姿はまだない。まだ到着していないのだ。

 ネギ達よりも先に到着する者がいた。

 

「いい加減におよしなさい。おばサマ方!!」

「ぶ!!?」

 

 制服から見てウルスラ女子高等学校の生徒の一人が、裕奈をその場から退けようと襟首を持ってずるずると引っ張っている時に、あやかの言葉と共に明日菜が力任せに投げて高速で飛来したバレーボールが後頭部を直撃した為に出た悲鳴である。

 

「な、何だとコラァ!!」

 

 年頃の女子高生としては言われたくない言葉を言われた為に、不穏当な言葉を吐いて高等部の学生達はボールが飛んできた方向に、憤怒に染まった視線を向ける。

 場の雰囲気が加速度的に悪くなっていく。

 

「「アスナ、いいんちょ!!」」

 

 高等部の学生達が視線を向けた先には明日菜とあやかが立っており、その姿を見た裕奈、アキラがその名を呼んだ。その後ろには、シエスタを途中で起こされて木乃香に腕を引っ張られてやってきたアスカが欠伸をしていた。

 

「ここは何時も2-Aの乙女が使っている場所です。高等部の年増の方々はお引き取り願えます? あまり運動するとお体にも毒でしょうし、おばサマには……」

 

 あやかは手にバレーボールを持ち、右手を口元に当ててそう言う背後には百合の花でも咲き乱れそうな優雅さで、神経を逆撫でるように挑発する。

 年若さを強調する発言に、高等部の学生達の頭に血が上り、全員がはっきりと見える青筋をピキピキと立てた。

 

「なっ、何ですって~!?」

 

 高等部の学生達の彼女たちは十分若いのだが、これぐらいの年代で一歳の違いは大きい。

 

「とにかく皆さんは帰ってください。先輩だからって力で追い出すなんて、ちょっとひどいんじゃないですか!?」

 

 続いた明日菜の言葉は敬語で、それは至極真っ当な事で正論なのだが、前のボールを投げるのとあやかの暴言さえなければ、まだよかったのだが相手もそれでは収まらない。

 

「ふん、言うじゃない。ミルク臭い子供のくせに。知っているわよ? 神楽坂明日菜と雪広あやかね。中等部のくせに色々出しゃばって有名らしいけど……先輩の言うことにはおとなしく従うことね。子供は子供らしく隅で遊んでなさい、神楽坂明日菜」

 

 高等部の学生達のリーダー格の子供、という言葉に明日菜がカチンと頭に来たのが誰でも分かることだった。

 

「そうそう確か貴方達のクラスの担任は可愛い子供達だったわね。可愛い男の子もいるっていうし、両方とも私たちに譲らない?」

 

 正確には担任補佐なのだが勘違いしているらしい女子高生の言葉に、ブチンと真性ショタコン雪広あやかがキレたのが隣にいた明日菜には分かった。

 

「誰が譲りますか、この産業廃棄物ババァッ共が!!」

「今時、先輩風吹かせて物事通そうなんて頭悪いでしょ、あんた達!!」

「なによやる気、このガキーっ!」

 

 ウルスラ側の激昂にも堂々とした態度の明日菜とあやかだが、相手側の挑発にあっさりと沸点を越える。

 女達の叫び声にビックリしたらしいアスカが目をパチクリと明けた。

 

「喧嘩か!」

「なんで嬉しそうなん?」

 

 喜色満面で飛び出したアスカの背中に木乃香は声をかけたが、当の本人は今まさに飛んだところだった。言葉通り、アスカは地を蹴って空を飛んだのである。

 

「俺も混ぜろ――っ!」

「ぐえっ?!」

「アスカ!?」

 

 取っ組み合いの喧嘩が始まろうとしたところで、横合いからリーダーの女子高生の脇腹に飛び蹴りが決まった。明日菜に掴みかかろうとしたリーダーは見事に吹っ飛ばされ、味方に激突して倒れる。

 痛みに呻きながら立ち上がったリーダーは軍隊を指揮する指揮官のように勇ましく吠えた。

 

「よ、よくも……子供だからって容赦はしません。やっておしまい!」

「おら、かかって来いや!」

 

 さっきまで寝ぼけ眼だったアスカは突然の乱入に唖然とする周りのことなど知らず、啖呵を切って向かってくる女子高生グループに突撃して行った。

 

「あぁ…………地獄だ」

 

 まき絵と亜子に連れられて中庭にやってきたネギ達が見たのは一つの惨劇の現場だった。

 

「助けて!」

 

 最初は子供と侮っていた女子高生達が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 流石のアスカも手加減しているのか女子高生も目立った怪我はしていないが、転んで汚れたりスカートが乱れてパンツが丸見え状態になっている状態である。部外者になってしまった明日菜達が気の毒に思ってしまう状況だった。

 逃げ惑うグループの中で果敢にアスカに挑み続けている、ある意味でこの地獄を作りだしているリーダーも髪の毛が乱れに乱れ、首元のネクタイが解けていてかなりの状態だった。

 

「負ける、もんですか!」

 

 それでも年上としての挟持があるのか、意地としても退かずアスカに向かって行った。

 向かって来られるアスカは彼女らのあまりの歯応えのなさに既にやる気を失っており、シエスタを途中で中断したこともあって眠そうだった。

 アスカは戦うのが好きであっても弱い者虐めをするのは好まない。突撃してくるリーダーをあっさりと避けて、残していた足でリーダーの足を引っ掛ける。

 

「キャーッ!」

 

 向かってくるリーダーを転がせ、それに巻き込まれたグループの一人が悲鳴を上げる。さっきからこれの連続であった。

 人が激突してくるのはかなり痛い。死屍累々となった彼女達をこうした原因の半分はリーダーの無謀な突撃にあった。

 

「どういう状況なの?」

 

 ある意味で惨状になっている現場を一目見たアーニャは、聞いていた話よりも意味不明なことになっているので、近くにいた刹那の腕を掴んでいる木乃香に問いかけた。

 

「委員長が向こうを年増扱いして挑発して、向こうもこっちを子供扱いして、大好きなネギ君を寄越せって言われた委員長がキレたところにアスカ君が乱入したんやけど、強すぎたみたいやな。あっという間に向こう側が戦意喪失したんやけど、あっちのリーダーさんが諦めてなくて今みたいなった、かなぁ」

「良く解る説明をありがとう」

 

 簡潔に纏めて説明してくれた木乃香に礼を言いながら、乱入しながらこの事態をどうしたらいいものかと味方を巻き込んで倒れながらも立ち上がってくるリーダーに困って頭を掻いているアスカへとアーニャは走った。

 十分な助走を取ってからアスカまで数メートルの距離で踏み切る。全ての怒りと事態のアホらしさを込めて、元凶へとぶつける為にアーニャは飛んだ。

 

「ようは全部アンタの所為かこのボケアスカ!」

「ひでぶっ!?」

 

 見事な飛び蹴り――――アーニャドロップバスターキックが後頭部に決まったアスカが変な奇声を上げて道の脇にある葉のオブジェへと突っ込んで行った。

 

「何時も何時も騒ぎを大きくする無自覚トラブルメーカはそこで頭を冷やしなさい」

 

 頭から突っ込んで行って足だけが見えているというアスカに、二人目の乱入を果たしたアーニャは飛び蹴りから着地しながら鼻を鳴らした。そして周りを見渡して場の空気を掌握したことを予想通りだと確信する。

 

「もう昼休みも終わるから教室に戻りなさい。文句があるなら私が聞くわ。授業に遅れるわよ!」

 

 なんともいえない空気の現場が立ち直る前に、アーニャはさっさと締めにかかった。更に視線をちょっとずらして、高畑がやってくるのを教えられれば高校生たちの腹は決まった。

 

「英子、このままじゃ不味いって」

「…………ふんっ、アンタ達覚えておきなさい」

 

 納得のいっていない様子で戻っていく高等部の生徒達。今後も何かいちゃもんつけて来る可能性は高そうだ、とアーニャは心のメモに記しておく。後で彼女達の事を調べておこうと心に決める。

 高等部の生徒達を見送ると、オブジェに上半身を突っ込ませたまま動かないアスカを気にしている2-Aの生徒達が残っていた。

 

「雪広さん」

 

 アーニャとは別口で話を聞いていたネギがあやかに声をかけた。

 

「僕達のことを想ってくれるのは嬉しいですけど、ボールをぶつけたりするのは良くないです」

「ネギ先生……」

「わざと体にボールをぶつけてしまっては、始まりがどうであろうとそれはただの暴力でしかありません。ですが、その思いは尊いものです。今回は間違えましたけど、次は間違い得ないように心において生かしてください」

「はい。以後、気を付けます」

 

 俯いているあやかに語りかけて、励ますように背中をポンと叩いて促す。

 

「さあ、皆さんも教室に戻りましょう」

 

 先導して歩き出したネギに遅れて動き出した皆の視線の先では、アーニャによって足を引っ張り出されて上半身を見せたアスカであった。気絶しているのか、ぐったりとしたまま動かない。ちょっとやり過ぎたかと思ったアーニャは気にしないことにしたらしく、アスカの足を持った引きずり出した。

 アーニャが動き出したので吊られて動き出した明日菜は、彼らが初日に気絶したネギを引き摺って校長室に向かったのを思い出して顔を引き攣らせた。ネギが全く双子の弟のことを気にしていないのといい、この三人は互いの扱いがゾンザイすぎる。これで関係が険悪かと思えばそうでもなく、隙を見せるのが悪いと考えている節すらあった。

 

「ああ、それとあやか」

 

 ガン、ゴンとあちこちに気絶しているアスカをぶつけながら引き摺っているアーニャを極力見ないようにしている生徒達。余計な騒ぎを引き起こしたアスカに壮絶な怒りを抱いているアーニャに余計な茶々を入れられるほど勇気のある者はその場にいなかった。

 

「はい、何でございましょうか?」

 

 人が立ててはいけない音を立てて引き摺られているアスカを助けるために勇気を振り絞って声をかけるべきかと思案していたあやかは、なにかを思い出しように話しかけてきたアーニャに話のとっかかり見い出した。

 

「さっき高等部の人達に年増とか言ってたらしいけど、アンタ達も後一年ちょっとで同じ立場でしょ。私から見たらどっちもどっちなんだけど」

 

 世界が凍った、と言わんばかりにその場にいた全員(理解して苦笑している高畑と何のことか分かっていないネギと引き摺られているアスカを除いて)が固まった。

 

「それとあの場に私以外の女の先生がいたら、一体どんな反応をするでしょうね」

 

 あやかがだらだらと冷や汗を掻き、他の生徒達はそんな彼女を気の毒そうに見ている。

 

「挑発するなら、もう少し周りや自分達に被害がいかない言葉を選んだ方がいいわよ」

「…………たった今、骨身に染みて理解しましたわ」

 

 校舎に入って教師陣と別れて、教室に向かうあやかの後ろ姿は、とても沈んでいたとだけ言っておこう。

 放置されてボロボロになったアスカをどうしようかと頭を悩ませる面々と合わせて、とても奇妙なメンバーであったことは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒達と別れて職員室に戻り、ネギ達は学年主任である新田に騒ぎが収拾した事を伝えた。

 

「高畑先生、さっきの彼女たちのこと知ってますか?」

「ああ、ウルスラの子達のことなら知っているよ」

 

 新田への報告をネギに任せたアーニャが高畑に問題を起こした生徒を知っているかと聞くと、まだ麻帆良に来て五日目のアーニャ達は知らなかったが彼女らは特定の分野で有名人らしくクラスと名前を教えてもらった。

 教えてもらった情報を元にプライバシーに引っ掛からない程度に調べる。スリーサイズとかを調べたわけではないので得た情報は、リーダーの子がドッチボール部に所属していて関東大会で優勝している事と担任の名前ぐらい。

 

「ネギ先生、アーニャ先生、申し訳ありませんが体育の先生が急用で帰られてしまったので 代わりに監督してくれませんか?」

 

 丁度二人とも五時間目は授業がないので空いている。新田もそれが分かっているから頼んだのだろう。時間の空いている二人に断る理由はない。

 

「あ、はい。分かりました」

「少し遅れますけど構いませんか?」

「別に構いませんよ。それではお願いします」

 

 新田の頼みにネギは直ぐに頷いたが、アーニャは万が一の事を考えて、急ぎ高等部への電話番号を調べておきたいので遅れる事を言うが、それでもOKが出た。学校が違えば校舎も違うのであれば電話番号も当然違うので調べないといけない。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 二人で授業内容を聞き、ネギは一足早く自習を行う屋上へ向かった。アーニャも高等部の電話番号を調べてから少し遅れて職員室を出た。で、階段を登って屋上の前まで来たのだが…………さて、目の前の状況を何と言ったらいいかと内心で首を捻ったアーニャだった。

 

「あんた達の方がガキじゃないのよ―――っ!」

「やる気!? かかって来なさいよこの中坊―――!!」

「ネギ先生をお放しなさ―い!!」

 

 屋上特設コートの入り口で2-A生徒達の後ろに立ち、昼休みのように取っ組み合いに発展しかけている彼女達の様子を伺う。

 

「一体、何があったの?」

「高等部の生徒が自習で先に来ていて、同じバレーボールということでダブルブッキングしてしまったようです」

「で、ネギ先生が彼女達に捕まってしまったということさ」

 

 一番近くにいた刹那に聞き、刹那の横にいた真名が後を引き継いだ。

 何時か仕返しに来ると思っていたが、高等部の生徒達はアーニャの思惑よりも早く動いたようだ。と言うか、何で捕まってるのかとネギに突っ込みたいアーニャであった。

 

「痛ぇっ……。なんでこんなにあっちこっち痛いんだ?」

 

 アーニャの後ろから階段の昇って来たアスカが痛む全身に首を捻りながら聞いてきたがアーニャは無視した。

 

「遅刻よ」

「仕方ないだろ。気が付いたら保健室で寝てたんだ。なんで俺は寝てたんだ?」

「知らないわ。どうせ昼寝して起きないから誰かが気を利かせて運んでくれたんじゃないの」

「そうか?」

 

 納得がいっていないらしいアスカはしきりに首を捻っていたがアーニャは知らぬ存ぜぬを貫き通した。分からないなら分からないでいいか、と気にしないことにしたらしいアスカを横目で見た刹那は一人で震撼していた。

 昼休みの話は教室で一杯されていたので経緯は刹那も知っている。アスカがしたこともアーニャがしたことも知っているので、知らぬ存ぜぬを貫き通して罪の意識を欠片も感じさせないアーニャの面の皮の厚さに一人で震えていた。

 

「あ、あの!!」

 

 高等部の生徒の一人に抱き締められたままのネギが、中学生組と高校生組の間に流れる不穏な空気を感じ取ったのか大きな声を上げる。

 

「…………で、ではこうしたらどうでしょう? 両クラス対抗でスポーツで争って勝負を決めるんです。爽やかに汗を流せばいがみ合いもなくなると思うんですけど」

「いいわよ、面白いじゃない。私たち高等部が負けたら大人しくこのコートを出て行くし、今後昼休みもあんた達の邪魔はしないわ。それでどう?」

 

 ポカンとしていた女子高生達は、正当性は本来中学生組みにあるのに、ネギの案に乗って高圧的に出てきた。

 

「そ、そんなこと言ったって年齢も体格も全然違うじゃん!!」

 

 バレーボールだと体格の差が諸に出るからな。幾らこちらに中学生とは思えない身長の生徒がいるとしても、平均的に見たらトントンだから不利。

 

「ふん、確かにバレーではちょっと相手にならないわね。じゃあ、ハンデを上げるわ。種目は…………ドッチボールでどう? こっちは全部で十一人、そっちは倍の二十二人で掛かって来ていいわよ。ただし、私たちが勝ったらネギ先生を教生として譲ってもらうわ。いいわね?」

「な……!」

「え~~~~~~っ!?」

「…………!」

 

 ネギを譲れ発言にあやかやまき絵、のどか等のネギ大好き人間が抗議の声を上げる。

 

「始めからこれが狙いかしらね」

「なにがですか?」

「あいつらの狙いは最初からドッチボールをやることにあるんじゃないかって話」

 

 ドッチボールを競技として選んできたことに、アーニャは理解できなかったらしい刹那を無視して一人で黙考した。

 しかも、このコートの広さでは倍に増えても逃げる範囲が狭くなるだけで、足枷にしかならないのは分かっている筈だ。中学生と馬鹿にしながらもその中学生相手にズルをするとは、やっていることはかなりせこい。放っておけば明日菜辺りが挑発に乗って人数差を理解しないまま条件を認めてしまいそうなことが分かったので、アーニャは人垣を掻き分けて前に進んだ。

 

「分かっ」

「待った!」

 

 予想通り認めかけた明日菜の言葉を途中で遮る。

 睨んでくる高等部の生徒達を無視して、胸を張ってアーニャは彼女達の前に出た。

 

「二十二人もいらないわ。こっちは一人で十分よ」

「なんですってっ!?」

「こんな狭いコートで大人数がいても動きにくくなるだけじゃない。小狡い手を使ってくる卑怯者の相手は一人で十分って言ったのよ」

 

 胸に前で腕を組んで傲岸不遜に笑ったアーニャの前で高校生組が怒りを露わにしたが、ハンデを与えると言いながら真実を言い当てられて一瞬怯んだ。

 

「ちょっとアーニャちゃん。そんなこと言って大丈夫なの?」

「流石に一人は無理やで」

 

 高校生組と因縁のある明日菜が言い、木乃香が心配してくる。他の2-Aの生徒も同様のようだった。

 

「大丈夫よ」

 

 だが、アーニャには秘策があった。負けない秘策が。

 

「…………言うじゃない。そこまで言うなら十一対一でどこまでやれるか見せてもらおうじゃない。誰が出るのかしら? 神楽坂明日菜? それとも雪広あやかかしら。まさかあなたなんて言わないわよね」

 

 真っ先に復帰したリーダーが獰猛に笑いながら挑発する。

 アーニャは安い挑発するリーダーを鼻で笑った。そして後ろにいるこういう勝負事には無類の強さを発揮する男が呼ぶ。

 

「アスカ」

「おう、なんか良く解んねぇけど荒事なら任せろ」

 

 アーニャが自分を含めた三人ではなくアスカの名を呼ぶと、当の本人は戦いと知ってやる気満々で出て来た。

 

「あなた……!」

 

 進み出たアスカに鋭い視線を向ける者がいた。昼休みの騒ぎで足蹴りされ、翻弄されたリーダーである。

 

「ここで会ったが百年目。昼休みの借りはここで返してくれるわ!」

「アンタ、誰?」

 

 ポーズを取って指まで指したリーダーの視線の先でアスカは首を捻っていた。本当に分からないらしい。後頭部をアーニャに蹴られて記憶が完全に飛んでいるようだった。そんなことを知らないリーダーは自分のことを覚える値しない人物であると認識されていて、屈辱にアスカを指したままの指を震わさせた。

 

「…………ここまで私を虚仮にしてくれたのは貴方が始めてだわ。私達はドッチボール関西大会優勝チームなのよ。泣いたって許してあげないんだから!」

 

 指先だけではなく全身を震わせたリーダーは、ちょっと涙目になりながら宣戦布告をして去って行った。

 言いたいことだけを言って去って行くリーダーの背中を見送ったアスカは更に首を捻った。

 

「なんなんだ、一体?」

「いいから、アンタも位置につきない。ゲームが開始したら投げられたボールを落さずに相手にぶつけたらいいから。くれぐれも怪我だけはさせないように」

「了解」

 

 納得しなくても戦うことが出来ることを知っているアスカは戦いに赴いていった。色々としっちゃかめっちゃかになってしまった現状を纏めようとネギもアーニャとは別に動く。

 

「皆さんは壁側に寄って下さい。あ、綾瀬さん、宮崎さん。申し訳有りませんが審判をお願いできますか?」

「は、はい」 

「分かりましたです」

 

 生徒達をコート外へと誘導し、審判の事を思い出して夕映とのどかへとお願いすると快く承諾してくれたことに笑顔を浮かべる。

 高校生組が制服を脱ぎ去ってユニフォーム姿になり準備が終わった。茶々丸がどこからか持ってきた花火を持って打ち上げ、それが合図となって試合が始まった。

 

「茶々丸、そんな物どこから取り出したんだ?」

「これはお約束、と言うものです。マスター」

 

 横で制服から着替えてすらいないエヴァンジェリンが茶々丸に尋ねるが、返ってきた言葉は意味不明である。様式美という奴だろうか。努めて気にしないことにしたエヴァンジェリンは、のどか達と一緒に審判の場所にいるネギを残して即製の観客席を見て口の端を上げた。

 

「ご苦労だったな、アーニャ先生(・・)

「先生が当て擦りにしか聞こえないわよ」

 

 やってくる場所を間違えたと顔を顰めたアーニャは、薄らと笑いながらからかってくるエヴァンジェリンから逃げたと思われたくなくて移動することは出来なかった。

 万全の観戦体勢のエヴァンジェリンの横に座ってポケットから携帯とメモを取り出し、メモの電話番号に電話を掛ける。

 

「~~先生ですか? 実はそちらのクラスの生徒が……」

 

 数回のコールの後に電話に出た相手に用件を伝えると、慌てた様子で謝罪と共に電話が切れた。一連の行動を見ていたエヴァンジェリンが心底楽しそう笑う。

 

「くくく、中々に手口が悪辣だな」

「使えるものは使う主義だから。でないと勿体無いでしょ?」

「違いない」

 

 その間にも目の前の状況は動いている。

 始まった試合は一方的だった。数の差は一目瞭然。たった一人で戦い、外野の人員すらいないのでは圧倒的になって当然かと思えば然にあらず。

 

「まあ、順当な結果でしょ」

 

 切った携帯電話をポケットに直しながら嘯くアーニャに集まる戦慄の眼差し。

 試合は一方的だった。数で勝る高校生をたった一人のアスカが圧倒していたのである。

 

「運動能力の違いは、どのスポーツでも大きいというわけだ」

 

 順当すぎて面白くないとばかりの言い方のエヴァンジェリンにアーニャも頷く。

 外野を経由して素早くボールを回しても、アスカの目はボールから離れない。太陽を背にして投げようとも同じだ。

 向かってくるボールを正面からキャッチし、軽く投げた球が剛速球となって高校生の一人に当たる。投げて来る剛速球を風船を受け止めるように片手でいともあっさりと捕球する敵が相手では、如何に関東大会優勝チームであっても旗色が悪い。

 

「この間は大変だったそうじゃないか。爺に聞いたぞ。近衛木乃香に魔法をバラしたんだってな。私と()り合う前に不戦勝になるかと思ったぞ」

 

 中学生組から声援を受けながら早くも半数を撃破したアスカを見ながら、エヴァンジェリンはふと思い出したようにアーニャを見ずに言った。

 

「なんで知ってるのよ」

「爺とは囲碁仲間だが試合の途中でポロッと零した。見事な土下座だったらしいじゃないか」

「あの耄碌爺が……っ!?」

 

 くくく、とこれ以上ない愉悦を感じさせる笑みのエヴァンジェリンに、傍で見ている茶々丸に分かるほどアーニャの顔が引き攣っていた。

 

「父親や祖父が組織の重鎮だからといって近衛木乃香も関係者だと勘違いしたのは無理からぬ話だが早計だったな。奴は父親の意向でこっち関係の話は教えられていない」

「聞いたわよ。聞かされてれば対処のしようもあったものの」

「言い訳はするな。同室の神楽坂明日菜が知らなかったことを考えれば察しはついたはずだ。事前に爺に確認しておけば良かっただけの話。バレてしまった今となっては後の祭りにしかならんが」

 

 学園長に責任転嫁しようとしたアーニャの言い分を言い訳と切って捨てた。

 先のスポーツをすることで両者を諌めようとしたネギの詰めの甘さがあったがフォローしたアーニャも肝心なところで抜けている。子供といえばそれまでだが、敵にも近い相手の不始末を笑わざるえないのがエヴァンジェリンという少女の悪徳だった。

 そこでエヴァンジェリンは視線をアーニャから横にずらした。

 

「ま、当の本人にとってはこの結果は喜ばしいことのようだがな」

「私もまさかこんな結果になるとは思いもしなかったわ。魔法バレして感謝されるなんてね」

 

 二人の視線の先では木乃香が刹那に攻勢をかけていた。

 別に何かの勝負をしているわけではない。魔法を理由にして護衛でありながらも直近に近づかなかったことを知らされた木乃香が感動して、実は他の理由があるのだとは今更口が裂けても言えない刹那は迫られるに任せるしかない。

 逃げようとすれば木乃香が「うちが嫌いなん?」と泣くのだから、刹那個人の理由では大義がなく足を留めさせられている。何時の間にか「離れる=嫌い」という図式を作り上げられた刹那に逃げ場はない。

 中学進学と同時に麻帆良に来た刹那に、一度完璧に懐まで潜り込んできた木乃香を振り解ける気概も度胸も無い。事情を知った明日菜は木乃香の味方で、言わなくても本当のことを知っている真名は面白がって笑って見ているだけ。刹那に逃げ場はなかった。今も木乃香に捕まって、おろおろと動揺している姿が丸分かりだった。

 

「木乃香には感謝してるわよ。理由はどうあれ、私達のことを庇ってくれたんだから」

「神楽坂明日菜にも、だろ。宮崎のどかにバレた件に対して学園の設備不備を指摘したそうじゃないか」

「お蔭で強制送還も罰もないんだから、二人には足を向けて寝られないわ」

 

 言いながらも、明日菜と木乃香に迫られてやむなく受け入れたように見えた学園長の真意をアーニャは見抜けていない。魔法使いの掟は身内の懇願程度で許されるほど生易しい物ではないのだ。特に魔女狩りの悲劇が色濃く刻まれている旧世界の魔法協会が定めた掟は絶対遵守が基本。

 明日菜にバレたのは学園設備の不備が招き、木乃香には成人か十八歳に頃には明かされると決められていたことということで、今回は学園長が一存で握り潰したようだが果たして彼の望みがなんであるかは欠片すらアーニャには見えない。

 

(それだけの価値があの二人にあるってことでしょうけど)

 

 英雄の息子であるネギとアスカ。あの双子に関わりがあるのは間違いないとアーニャは断定する。英雄に関わりのあるエヴァンジェリンに仲間の娘である木乃香もいるのだ。疑いは濃い。

 

(私は精々がオマケでしょうけど、今回のことはこちらにもメリットがあるから黙っているのが吉か)

 

 アーニャ自身には何の後ろ盾も碌な力もない。そのことを理解しながら口を噤むことを選んだ。

 

「お、決着が着くか」

 

 エヴァンジェリンの言葉に顔を上げれば、試合は最後の一人を当てて勝利した瞬間だった。

 

「やった―――ッ!」

「勝った――ッ!!」

「バ、バカな……」

「私たちが負けるなんて……」

 

 まき絵や裕奈が勝ち鬨の声を上げ、負けた高等部の生徒達は地面にへたり込み落ち込んでいる。最後に当てられて俯いていたリーダー格の少女が何かを言おうと口を開いた瞬間、突然屋上のドアを開けた主を見て声を詰まらせた。

 

「コラァア、お前達。何をやっとるかあああぁぁぁ!!」

「「「ヒィィ!」」」

 

 やってきたのは彼女達の担任の先生で、怒り心頭の怒声に身を竦ませる高等部の生徒達。2-Aの生徒も比較的気の弱い数人の生徒が、巻き添えをくらって竦んでいる。

 事情を理解できない2-Aの生徒達は混乱している。ただ一人、事情を知っているエヴァンジェリンだけが一人腹を抱えて爆笑していた。

 

「済みません、アーニャ先生。私の生徒が迷惑を掛けてしまって」

「いえ、先生の所為ではありませんよ。ですが、またこんなことがあると困るのでくれぐれもご指導を願いします」

 

 急いでやってきたのか、息を切らしてペコペコと頭を下げて謝ってくる彼女達の担任の先生に、アーニャは次はないと釘を指すのを忘れない。

 慌てて頷いた担任の先生はリーダー格の少女を捕まえ、他の生徒達を連れて屋上から去って行った。連れて行った教師の様子を見ればそのまま説教に意向するのだろうと容易く予想できた。同じように予想できた生徒たちも「南無………」と言わんばかりの表情で手を合わせていた。

 

「さあ、邪魔者はいなくなったわよ。授業を始めましょう」

 

 出て行った人たちを見送って生徒達に振り返ってにこやかに微笑んで言うアーニャに恐怖を感じて、皆は恐れるように必死に頷く。

 

「ははは、怖がられてやんの」

「自業自得だよ」

 

 今回の立役者であるアスカが上機嫌に笑い、根回しが良さそうで詰めの甘いアーニャに呆れるネギがいた。

 

「私、頑張ったじゃない。みんなの為に頑張ったじゃない。なのに、この扱いはなんなのよ」

 

 怖がられていることを自覚して傷ついたアーニャは座り込んで地面に「の」の字を書く。流石に気が咎めた少女達がアーニャをよいしょして復活するまでに後数分の時間が必要だった。

 



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第5話 挑め、期末試験

夜勤明けで帰って来て直ぐの投稿。これから寝ます。


 

 暖かな陽気が昼食後でお腹が一杯になって生徒達が甘美なる誘惑である睡魔と戦っている頃、学園長室に二つの人影があった。

 

「そうか。なかなかうまくやっとるのか、ネギ君とアーニャ君は」

「はい、学園長先生。生徒達と打ち解けていますし、授業内容も申し分ありません。二人共とても10歳とは思えません。この分なら指導教員の私としても合格点を出してもいいと思っていますが………」

 

 学園長室にて、ネギとアーニャの指導教員であるしずなが学園長に二人の報告をしていた。

 ネギとアーニャが麻帆良学園に赴任して見てきたことを学園長に伝えている。最後に言葉を濁した理由を知っていながら学園長は笑みを崩さない。

 

「フォフォフォそうか、結構結構。では四月からは正式な教員として採用できるかのう。アスカ君の方はどうじゃ?」

「彼の場合は学園長の方が良くご存じでしょう」

「そうじゃの。教師からの苦情や物を壊されたと被害が出ておる。が、それを上回るほどに皆に好かれているようじゃな」

「どうか憎めないところがありますから彼には」

 

 噂の当人が今この瞬間に学園長室の外でくしゃみをしたのが聞こえて二人で笑い合う。

 

「問題はあるが破天荒な所が魅力と言うものもおる。彼は暫く現状維持じゃな。報告、ご苦労じゃった、しずな先生。おや? どこじゃ?」

 

 しずなからの評価を聞き、学園長は白く長い髭を片手で弄りながら、好々爺然とした笑みでコクコクと頷き、立ち上がってしずな先生と握手を交わしながら何故か狙ったように豊満な胸に顔を埋めた。

 

「上ですわ、学園長先生」

 

 しずなは何時もの穏やかな表情のまま、自身の胸に顔を埋めたままの学園長の長い頭に手加減抜きの拳を落とした。セクハラ爺への鉄拳が振り落とされる。

 

「ただし、もう一つ」

 

 学園長は殴られた額から血を流しながらふらふらと席に戻り、何事も無かった様に左手の人差し指を立て片目を開けてしずなに告げる。

 

「は?」

 

 殴られたことにも、殴った方にも反応が薄いのはこれが常態と成ったからか。

 

「彼らにはもう一つ、課題をクリアしてもらおうかの。なに、未来ある若者には苦難を与えろじゃ」

 

 しずなは退出を命じられ、学園長は廊下に待っている三人に入室を命じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園長室の帰り。教室へと戻る帰り道でネギ達は他のクラスの様子を窺っていた。

 

「他のクラスの人達はピリピリしてるね」

「学期末が近いもの。呑気にしてるのはうちのクラスだけよ」

 

 通り掛った時に見えるクラス全てでホームルーム前の開いた時間にも関わらず、切羽詰った顔でガリガリとシャーペンを動かしたり、ピリピリとした雰囲気で友人に教え請う生徒の姿を見て自分達のクラスの違いに憮然となった。

 

「テストはもう来週の月曜からなのに」

 

 他の生徒達とは違って暢気にしている2-Aの状況に余裕があり過ぎる生徒達に肩を落とした。

 

「エスカレーター式だからって怠け過ぎなのよ。ずっと学年最下位でも気にしないんだから弊害もあったもんだわ」

 

 どうせ教師をやるのなら真面目な者が多いクラスの方が良かったという考えが脳裏を過ったが、二人の後ろを歩きながら大きく欠伸をするアスカも同じクラスに入ると思うと今の方が良かったと思えてしまうアーニャだった。

 

「あのお花みたいなトロフィーが学年トップになったクラスに貰えるんだよね。欲しいなぁ」

 

 ふとネギが足を止めたクラスにある花の形をしたトロフィーを物欲しそうに見る。そんなネギを横目に、後方から知っている気配がやって来るのを感じてアスカは後ろを振り返った。

 やってきたのは白いセーターに紺のスカートの大人の魅力あふれるしずなで手に二つの手紙のような物を持っており、珍しくどこか焦っているような感じが見受けられた。

 

「ネギ先生、アーニャ先生、それとアスカ君」

「どうしたんですか?」

「学園長先生が渡し忘れたからって貴方達にって…………」

 

 アーニャがその深刻な顔に何かあったのかと聞くと、手に持っている封がされた手紙を三人に差し出した。

 

「え、何ですか。深刻な顔して」

 

 どうしたのかと聞いているネギを置いておいて、アーニャは嫌な予感を感じて先に渡された白いしゃれっ気も何も無い手紙を受け取って繁々と眺める。

 裏は蝋で留めてあり、蝋には学園の校章が押されていて表には『アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ 教育実習生 最終課題』と書いてある。

 

「最終課題ですか……」

「えっ!? 最終課題!?」

 

 アーニャの言葉を聞いたネギも急いでしずなから手紙を受け取る。興味のなさそうだったアスカも一番最後に手紙を受け取った。

 ネギが手紙を持って目を牛乳のピンゾコのようにぐるぐると回しているのを見るに、どんな課題なのかと考えているのだろう。

 

「ドラゴン退治なら喜んでやるぞ、俺は」

「そんなの望むのはアンタだけでしょうが。普通に考えてこの世界にそんなドラゴンがいるわけないじゃない」

「じゃあ、攻撃魔法二百個習得とか」

「見習いに出来ることじゃないでしょ、ネギ。身の程を知りなさ…………アンタなら何時かやるかもしれないわね」

 

 一瞬でも二人の意見に同調しなかったわけではないが、教師という役職とこの時期を考えれば精々期末で2-Aを最下位脱出ぐらいしか思いつかないアーニャだった。

 アーニャが封を指で破りながら中の便箋を取り出して目を通す。それにはこう書かれていた。

 

『  アーニャ君へ

 

 次の期末テストで2-Aが最下位を脱出できたら、実現可能なことを叶えてあげる                   

 

 麻帆良学園学園長 近衛近右衛門 』

 

 ネギは丁寧に封を切り、アーニャに少し遅れて中の便箋を取り出して目を丸くする。

 

『  ネギ君へ

 

 次の期末テストで2-Aが最下位を脱出できたら、申請していた図書館島にある魔法書の一部閲覧を許可してあげる                   

 

 麻帆良学園学園長 近衛近右衛門 』

 

 アスカはビリビリと乱暴に封を破り捨てて、一番最後に便箋を取り出して闘志に燃えた。

 

『  アスカ君へ

 

 次の期末テストで2-Aが最下位を脱出できたら、近衛詠春と戦わせてあげる                   

 

 麻帆良学園学園長 近衛近右衛門 』

 

 後者のやる気が地球を突破して宇宙にまで到達したのをしずなは目撃した。

 

「やるよ、アスカ!」

「応! やってやるぜ!」

 

 やる気を全身から分かるほど漲らせる腕を組み合った二人を見たアーニャは一人で静かに溜息を吐くのだった。学園長は実によく二人の気質を見抜いて利用しようとしていた。他人から見れば課題に他に書き方は無かったのだろうか。あまりにも軽すぎる。なんとも軽いノリの文章ではあるが、内容は決して軽くない。そして最も二人が望んでいるものを与えてくれようとしていた。だが、同時に自分にとっても悪い条件ではないと認めざるをえない。脳をフル回転させて考える。もう、グイングインと蒸気が上がるほど猛烈に。

 

「頑張ってね」

 

 学園長は2-Aが今のクラスになってから2年間、ずっと最下位を取り続けている事を理解しているアーニャの肩を軽く叩くしずな。

 2-Aの生徒達は決して頭が悪い生徒の集まりというわけではない。通称『バカレンジャー』と不名誉極まりない呼び名で呼ばれる5人は最下位を競っていると言っても、クラスには学年1、2位がいるので、学年最下位になるのは一重に真面目に勉強する人が少ないためだ。

 クラスの大半が無駄に楽天的で成績に興味がなく、試験前でも切羽詰って勉強する人は少ないので全体的に平均点が低い。もちろん勉強が一番大事だとは思わないが、幾ら何でもこれはないんじゃないかと思っても無理は無い。

 

「ネギを旗印としてなんとかやってみます」

 

 クラスのマスコットであるネギの進退が関わってくれば、生徒達もやる気を出す可能性があるので一概に無理だとは思わないが、一体どんな意図を持ってこんな試験を出したんだろうかとアーニャは訝しげに内心で首を捻った。

 

(高畑先生のことはいいのかしら?)

 

 現状、2-Aの担任はネギとアーニャで兼任しているようなものだと周りは認識している。その中で例え最下位を脱出した場合、本職の教師である高畑でもできなかったことを教育実習生が出来てしまえば、高畑の教師としての適正が問われるのではなかろうかとの懸念がアーニャにはあった。

 

「やるぞ――――っ!」

「ファイト・オー!」

 

 完全に二人が熱血モードに突入しているのを見たアーニャは、まず落ち着かせるべく鉄拳制裁を下す為に袖を捲り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん聞いてください! 今日のHRは大・勉強会にしたいと思います。次の期末テストはもうすぐそこに迫ってきています!」

 

 頭に大きなたん瘤を作って教室に入って来た二人に注目が集まるのもそこそこに、教壇に上がったネギは高らかに言った。

 いつにも増して張り切りながら勉強会の開催を宣言するもネギの張り切りようとは対照的にクラスの喧騒は一瞬にして沈黙へと変わってしまった。クラスの大半は、「で、何をどうするの?」といった空気が占めている。しかし、その空気を打ち破る歴戦の猛者が一人。

 

「勉強あるのみ!」 

 

 サボりと居眠りの常習者であるアスカが額に鉢巻なんぞを巻いて、期末試験の教科の教科書を机の上に置いてネギに負けず劣らずのやる気を示せば事態は変わる。

 

「二人の背中にやる気の炎が見えるようだわ」

 

 二人の今の状態を的確に表現した明日菜は、たん瘤が出来ていることからどこかで頭を打ったかと考えた。

 突然の宣言に騒ぐ生徒達の中で、あやか一人だけが「お二人とも、素晴らしいご提案ですわ」とハートマークを振舞っているのが印象的だ。あやかの隠された本音が分かってしまった数名の生徒が騒然としたクラスの中で溜息をもらしてしまうのは何故だろうか。自分に正直なことを突っ込むべきか。

 

「はーい♪ 提案提案」

「はい! 椎名さん!」

 

 無駄にカリスマすら発しだしたネギは手を上げた桜子の名前を呼ぶ。

 しかし、立ち上がった桜子の笑顔に不審なものを感じたのは二人のやる気に置いてけぼりの感があるアーニャだけだろうか。何故か嫌な予感がした。

 

「では!! お題は『英単語野球拳』がいーと思いまーすっ!!」

 

 その桜子のあまりの言葉を聞いた明日菜は、豪快な音を立てて机に頭を打ち付けた。あまりにも強く打ち付けた肉体的ダメージと不意打ちの一撃に明日菜のライフが一気に低下した。

 

「おお~~~~っ」「あはは、それだーっ」

「なっ、ちょっ!? 皆さん!?」

 

 明日菜は誰かが否定してくれると願ったが、それを聞いた生徒の半分が声や態度で賛成を表明する。周りが意見に賛成してはしゃぎ立てて、止めようとしたあやかの言葉を聞く生徒はいない。

 ノリが良かったり、負けても別に構わないと思っている生徒達が賛成している中で、表立って『英単語野球拳』を否定しているのはあやかぐらいだ。それも人数差に負けて結局『英単語野球拳』をやる流れになってしまっている。

 

「え、と、椎名さん。『英単語野球拳』って何ですか?」

 

 聞き覚えの無い単語が何なのかしばらく考えていたネギ。隣にいるアーニャも首を傾げている。

 名前的に考えて英単語が関わる勉強法かと思ったが、分からないまま生徒の自主性に任せて採用するのは不味いと考えて素直に訊ねた。

 ネギはまだ2-Aというものを理解できていなかった。2-Aの人間で自分から勉強をしようとする真面目な人間は少数派である。特に悪ノリをしてしまう傾向が多い。『英単語野球拳』を提案した椎名桜子や了承した生徒達を考えれば分かるというもの。

 こればかりは接した時間が多い方が理解出来てしまうのは当然。まだ一ヶ月も経っていない二人に生徒達の性格とクラスの特色を完璧に理解しろとは言えない。なので、分からないままで放置せずに素直に聞いたのは英断。何もせずに採用するようだったら止めようと考えていた明日菜も様子を見ようと引き下がった。

 

「英単語を答えられなかった人が脱いでいくんだよ。野球拳だもん」

「……………」

 

 桜子の説明を聞いたネギの顔は何というべきか。口を大きく開けて目の焦点は合わず、分かり易い唖然とした表情だった。 

 

「え、と…………ドンマイ?」

 

 そこまで常識で2-Aの面々に期待していないのとやる気がネギほどではないアーニャの方が復活は早かった。近づいてネギの肩に手をかけて励ましたのが悪かったのか。傍目に分かるほどネギが落ち込んだ。

 濃い陰影を背負って、教室の隅に向かって三角座りを始めてしまった。

 ネギは桜子を信頼したからこそ『英単語野球拳』を選択肢に入れたわけで、裏切られたといえなくもない心情を計ることは余人には出来ない。流石に今のネギの様子を見て『英単語野球拳』をしようとするほど生徒達も人の心が判らぬはずがない。

 

「え~、あ~、プリントを持ってきたのでそれをやってもらいます。構わないわよね、ネギ」

「…………あ、うん。お願い」

 

 まだショックが抜け切っていないようで、三角座りをしたまま壁を見つめて顔を向けすらしない。

 ネギのあまりの落ち込みようにクラスの空気も比例して重くなる。未だ教師として未熟な身なれど、一生懸命な姿を見せるネギがどれだけの情熱を持っているか知らぬはずがない。アーニャは自分はこんな役ばかりだと思いながら重くなった空気を変えるためテスト対策用に作って持ってきたプリントを見せる。他の教科の先生方にネギと二人で頭を下げて作った代物である。

 アーニャにはこれ以上の言葉をネギにかけられず、許可は貰ったのでさっさと配ってやってもらい、HRが終わる前に答えのプリントを配り終わった時に終了のチャイムが鳴る。

 

「桜子、来なさい。新田先生に説教してもらうわ」

「流石にネギ君に悪いことしちゃったかなぁ。後で謝っておかないと」

 

 桜子もネギのあまりの落ち込みように罪悪感を抱いていた。肩を落として教室を去っていくネギの後姿には年に似合わぬ哀愁が漂っていて、まともな感性の者ならば同情を持ってしまうほどに。

 発端となった桜子には、プリントをやっている間や今も級友達の若干の非難の視線が向いていた。若干なのは同意した生徒もいたので我が身を振り返っていたから。

 

「なら、私が言いたいことも分かるわよね? もし、『英単語野球拳』なんてやってることが外部にバレたら貴女だけじゃなく、みんなや私達にも責任が降りかかってくるのよ」

 

 万が一、こんなことをしていることが表に出れば、生徒達は退学、アスカやネギには管理責任を問われて実習資格を剥奪も在り得る。

 自分の処罰自体にそれほどの興味のないアーニャだが、一ヶ月麻帆良に滞在して愛着も涌いているから余程の理由がない限り離れる気はないし、生徒達やネギに何らかの処罰が下されるのも避けたい。

 桜子が頷くのを確認して、

 

「行動に移す前に止めたからいいけど、もっとよく考えてから行動しなさい」

 

 周りにも言い聞かせるように言う。この言葉はアーニャの本心だ。このクラスは特に後先考えずに行動する生徒が多いが、それは麻帆良だからこそ許されている面も多いし、麻帆良を出てから問題を起こしても遅いのだからそれを理解して欲しい。

 

「新田先生には事情は説明しておくから存分に怒られてきなさい」

「う……! 出来ればそれは……」

 

 謝罪と反省の気持ちはあるが進んで「鬼の新田」の説教を食らいたくはない。なんとか回避しようとするも、そうは問屋が下ろさない。

 

「因果応報。今回はそれだけのことをしようとしたのよ。流石に見過ごせないわ。大人しく怒られてきなさい」

「はい……」

 

 肩を落とす桜子をクラスメイト達は気の毒に見ている中、申し訳ないが新田に事情を説明して怒ってもらおうと決める。アーニャ達では怒っても年下な分だけ反発心を招く恐れもあるので新田の方が生徒のためになる。

 こういう何でも楽しめることはいいことではあるが、やっていい事と悪い事は区別はつけて欲しいから社会に出る前に分からせておくべきだろう。

 

「よっしゃぁ! 帰って勉強すんべ!」

「アスカは平常運転ねぇ」

 

 物凄い集中力で休み時間まで勉強していたアスカの、ある意味では普段とは変わらないマイペース振りに癒された明日菜とクラスメイト達であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後、部屋に戻って来てからも勉強熱が冷めないアスカに巻き込まれ、異様な熱意を見せて明日からの授業のカリキュラムを組むネギに教えてもらった勉強で疲れた頭を冷やすために、明日菜は大浴場『涼風』に入っていた。

 珍しく木乃香はおらず、なにやら祖父である学園長の下へ行っているらしく、この場にはいなかった。

 明日菜と同じように今まで試験勉強をしていたのだろう、ふやけた頭をしたバカレンジャー全員が『涼風』に勢ぞろいしていた。

 

「明日菜、明日菜。大変や~」

「な~に~? こ~の~か」

 

 そう叫びながら同じ図書館島探検部の夕映、ハルナ、のどかと一緒に木乃香が大浴場『涼風』に駆け込んできて、湯船に浸かりながら試験勉強で疲れた頭と体を癒して茹蛸のように茹っていた明日菜が振り返って延び延びの声で聞いた。

 

「お、ちょうどバカレンジャー揃っとるな。反省会か? 実はな、噂なんやけど次の期末で最下位を取ったクラスは解散なんやて!」

「えーっ! 最下位のクラスは解散~!?」

 

 木乃香から噂の内容を聞き驚いた明日菜は湯船から思わず立ち上がる。バカレンジャーのレッドとも呼ばれ、クラスの順位を下に引っ張っている自覚があるだけにその話題は看過出来なかった。

 

「で、でも、そんな無茶なコト……」

「ウチの学校はクラス替えなしのハズだよ」

 

 麻帆良はクラス替えなどないから、そんな噂は信じられないと消極的に明日菜たちは反論する。

 

「詳しいコトわからんのやけど、何かおじ…………学園長が本気で怒っとるらしいんや。ほら、うちらずっと最下位やし」

 

 二年間も最下位ならおかしいことではないと彼女たちの頭脳でも理解できた。そんなことは普通はあり得ないと事実も、普段の学園長を知っているのであり得ることだと考えてしまう。一般常識よりも重い学園長の奇行の数々が木乃香の荒唐無稽な話に説得力を持たせる。

 

「そのうえ特に悪かった人は留年!!どころか小学校からやり直しとか……!!」

「え!?」

 

 しかし、嘘をつかない木乃香の言葉と万年最下位という事実が噂の信憑性を高め、あり得るかもと不安に思ったところで、木乃香の言葉を継いだハルナの言葉に固まるバカレンジャー五人。バカレンジャーの脳裏にはランドセルを背負ってみんな仲良く集団登校する絵が浮かんでいる。

 

「ちょ、ちょっと待ってよーッ!」

「そんなの嘘よーっ!」

 

 想像もしたくない未来に悲鳴を上げる明日菜達。否定の言葉を発する明日菜とまき絵だが、明日菜の脳裏にはHRでネギが言っていた「大変な事」とはコレの事ではないかと考える。ネギとアスカが異様なやる気を見せていたのも気になる。

 騒ぎを聞きつけて、風呂にいたほかの生徒達もぞくぞくと集まってくる。

 

「今のクラスけっこう面白いしバラバラになんのイヤやわー、明日菜ー」

 

 と、木乃香が自分に対しても当てはまると思って、湯船に浸かりながら心配そうに明日菜を見る。

 

「んー」

「ま、まずいね。はっきり言ってクラスの足引っ張ってるのは私たち五人だし……」

「今から死ぬ気で勉強しても月曜には間に合わないアル」

 

 まき絵がおろおろと楓に向かってどうしようとうろたえて、古菲も今から必死に勉強しても間に合わないと深刻な表情を浮かべる。

 何とかしたいと考えていても唯でさえ勉強が苦手な上に、もうテストまで残り数日と時間が無いのである。と、いってもほかに手が無いのもまた事実。こうしている間にも時間は無常に過ぎていく。

 学年トップクラスが三人もいるのに2-Aが最下位を突っ走っているのは、自分たち成績下位組みが原因だと二年もあれば頭の悪い彼女達でも理解できてしまう。誰かに責められたことがあるわけではなくても自然と理解できてしまったのだ。

 自室でアスカと共に行われるネギの勉強会で明日菜も最近は少し成績が上がっているが、平均点には遠く及ばない。それにクラスで自分が一番足引っ張ってる自覚があるため必死に考える。

 ネギ達なら頭がよくなる魔法を知ってるかもと思った明日菜だったが、さっきまでの熱意を見せていたネギを考えるに難しそうだし、アーニャに至ってはそんなことを許しもしないだろう。こと勉学において妥協という言葉を知らないからそんなことをしたらどんな目に合うか。考えるだけで恐ろしい。

 

「ここはやはり…………『アレ』を探すしかないかもです……」

 

 もはや手はない。そんな状況で夕映がぽつりと呟いたその一言にバカレンジャーだけでなく、そこにいた全員の視線が一斉に彼女に集まる。

 

「夕映!? アレってまさか……」

 

 なにか心当たりがあるのか、ハルナが夕映に驚きを含めた視線を向ける。

 

「何かいい方法があるの!?」

 

 夕映の発言に続いてハルナも意味深な言葉を言うので、この壊滅的な状況を打破できるならと藁にもすがる気持ちで明日菜は夕映に問いかける。

 

「『図書館島』は知っていますよね? 我が図書館探検部の活動の場ですが」

「う、うん」

「一応ね。あの湖に浮いているでっかい建物でしょ? 結構危険な所だって聞くけど」

 

 同じバカレンジャーの四人に向き合い、夕映の図書館島を知っているかと問いに、同室の木乃香が図書館探検部なので話を聞いた事がある明日菜が答える。勉強嫌いとは言わなくても頭が悪いので微妙に苦手意識があってあまり頻繁に利用はしなくても話は聞いている。

 

「実はその最深部に読めば頭が良くなるという『魔法の本』があるらしいのです」

 

 一同はその突拍子もない単語に驚きの表情を浮かべるが、魔法と聞いてこんな反応をするのは当たり前である。魔法などという御伽噺の中にしか存在しないものが、実在すると夕映が言い切るのだから。楓だけは夕映の飲んでいる「抹茶コーラ」に驚いているが。

 

「まあ大方出来のいい参考書の類だとは思うのですが、それでも手に入れば強力な武器になります」

 

 夕映も魔法があるとは信じておらず、試験まで残り数日となった段階で焦った自分たちではそのようなものがあればラッキーぐらいの認識を持っていた。

 

「もー夕映ってば、アレは単なる都市伝説だし」

「ウチのクラスも変な人たち多いけどさすがに魔法なんてこの世に存在しないよねー」

「あー、アスナはそーゆーの全然信じないんだっけ」

 

 シーンと一同は沈黙する。皆、魔法の本が信じられなかったのだ。その沈黙をのどかが破り、まき絵も2-Aを引き合いに出して魔法の存在を否定し、ハルナが明日菜を見て夕映の話を笑い飛ばす。

 

「いや……待って…………」

 

 みんなが笑いながら思い思いのことを言う中、明日菜はその話を完全に否定できなかった。

 ネギ達という魔法使いがいるのだから、もしかしたら本当に魔法の本があってもおかしくないと明日菜は考えた。同じように魔法を知った木乃香に視線を向ければ彼女も頷いた。

 魔法が現実にあると知ってしまった二人は魔法の本が実在する可能性が高いことを認めざるをえない。これ以上皆に迷惑は掛けられない。手段を選んでいる時間はない。故に僅かな可能性にも賭けてみようという思考に明日菜はなった。例えその存在が魔法でなくとも、夕映の言う通り勉強が捗る参考書なら力になる。

 

「明日菜、どうするん?」

 

 考え込んでしまい黙った明日菜に木乃香が尋ねる。

 彼女もまた図書館島探検部の一員。木乃香は魔法の本なんて物が本当にあるのか、知りたいという欲求を抑えきれなかった。木乃香は魔法の実在を伝えられても、他のことはまだ何も知らされてないのだ。純粋な好奇心が木乃香を迷わせ、同類の明日菜に判断を委ねた。

 

「もう一度、小学生なんて嫌」

 

 ニ度、小学生をやっている自分を想像してしまった明日菜は決断した。

 決断した明日菜はくるりと皆の方を振り向くと満面の笑顔で力強く宣言した。

 

「行こう! 図書館島へ!」

 

 こうして、図書館島へ行くことが決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紆余曲折があったが、今晩早速図書館島に行く事に決めたバカレンジャー+図書館探検部所属の木乃香、地上連絡係ののどかとハルナ。行くと決めたのなら善は急げとばかりに、割とさくさく話が決まり八人は速攻で寮に戻り支度を始めた。

 

「図書館島に魔法の本を探しに行くだって?」

 

 時刻はまだ八時前だったのと試験勉強の為に起きていたアスカに話を振った明日菜は頷いた。

 

「そ。一緒に行かない?」

 

 誘いながら明日菜の中では打算があった。図書館島探検部のメンバーが何人かいるが、これから向かう場所は中学生部員は立ち入り禁止で危険なトラップがあるとかで、楓や古菲を信用していないとは言わないが魔法使いがいてくれるのは何かと心強い。

 学校での出来事然りで、反対される可能性が高い生真面目なネギとこういう手合いを嫌いそうなアーニャを除外すると残っているのがアスカだったいう理屈であった。

 

「面白そうだな。乗った」

 

 数秒の黙考の後に、笑みと共に頷いたアスカに楽観的過ぎることに一抹の不安を覚えながらも明日菜達は図書館島に向かった。

 

「水、冷たっ!」

「この裏手に私達図書館探検部しか知らない秘密の入り口があるです」

 

 図書館島の裏手から侵入するには周りが水に浸かった場所を通る必要があり、まだ春には少し早い時期もあって靴に染み込んでくる水は冷たい。

 

「これが図書館島…………」

 

 バカレンジャーのように頭が悪い人間はあまり図書館島には近寄らない傾向があるらしい。

 

「でも……大丈夫かな―。下の階は中学生部員立ち入り禁止で危険なトラップとかあるらしいけど……」

「なんで図書館にそんなものが………」

 

 図書館探検部なら下の階は未熟な中学生部員立ち入り禁止で危険なトラップがあることを知っている。当然、所属していない者が知るはずもなく、ただ島になるぐらいに大きいだけの図書館という印象を持っていた、普段図書館島によりつかない生徒にとって驚きの事実であった。

 この中では一番大きい楓よりも更に大きいドアが音を立てて開いていく。

 

「この図書館は明治の中ごろ、学園創立と共に建設された世界でも最大規模の図書館です。二度の大戦の戦火を避けるべく世界各地から貴重書が集められ、蔵書の増加に伴い地下に向かって改築が繰り返され、今ではもはや全貌を知るものはいません。そこでその調査を行うために麻帆良大学の提唱で発足したのが―――」

 

 夕映が図書館島の解説をしながら、薄暗いレンガ造りの螺旋階段を七つの人影がゆっくりと降りてゆく。夜の図書館に怯えるまき絵、楽しげな古菲やアスカなど、反応はそれぞれだ。

 

「我々『図書館探検部』なのです!」

 

 中を進みながら説明をしていた夕映が一際大きな木製のドアを押しながら最後の言葉を紡ぐ。

 

「中・高・大、合同サークルなんや♪」

 

 どこか弾んだ声の夕映の言葉を引き継ぎ、木乃香が合同サークルであることを告げる。

 ドアを開けて視界が開けると、かなり広いホールがあり、中世のダンスホールを思わせるような階段が遠くに見える。果てが見えないような広大なフロアには何故か樹木があちこちに生えており、その合間に本棚が群れるように林立するように立っている。

 

「うあ~~~っ」

 

 明日菜がその威容に感心したような声を上げ、図書館島探検部である木乃香と夕映以外も似たような反応を示した。

 一体どうやって本を取り出すのか分からない高さの本棚がまるで壁のように立ちはだかっており、数多ある本棚には世界にこれほど本があったのかと思う程に見渡す限りの本がある。しかも驚くことにほとんどの本棚が固定されているようには見えない。今にもこちらに倒れてきそうで恐ろしいことこの上ない。

 至る所に梯子やら階段やらが無目的にかけられている為、更に混沌とした様相を示していた。

 

「ゲームの迷宮みたいアルね」

 

 本棚の間から響く風が竜の唸り声のように響く地下。これで最下層に本当に隠された財宝を守る門番の竜でもいれば古菲の言う通りゲームそのものである。

 

「ここが図書館島地下三階…………。私達中学生が入っていいのはここまでです」

「へ~、なんでまた?」

 

 表層の一階ぐらいなら木乃香に付き合って入ったことはあっても地下は明日菜にとって完全に未知の領域。中学生が入っていいのが地下三階までの基準が分からない。

 

「論より証拠です」

 

 奇怪な名前のパックジュースを飲みながら夕映が本棚に歩み寄り、中にある一冊の本を無造作に引っ張った。すると、カチッという音と共に、本棚の隙間から一本の仕掛け矢が射線から退避していた夕映の横を抜けて、無防備な明日菜目掛けて飛んでいく。

 

「うひゃ!?」

 

 警戒していたなら持ち前の並外れた反射神経を発揮して避けることも出来たが、説明を聞いていて無防備だった。

 あわや、矢の鋼鉄の鏃が明日菜を貫通するかと思われたその瞬間、傍に居たアスカが難なく仕掛け矢を手で受け止めそのままパキッと折る。

 

「貴重書狙いの盗掘者を避けるために、罠がたくさん仕掛けられていますから気をつけてくださいね」

 

 夕映が淡々として、学校の図書館にそんな物を作っていいいのかと突っ込みたくなるとんでもないことを、さらりと言ってのける。

 

「うそー!」

「って、危ないわね?! 死ぬわよ、それー! ホンモノ!?」

 

 その話にまき絵が驚愕の叫びを上げ、真剣に命の危機を回避できた明日菜は半分涙目になりながら突っ込みを入れる。

 現にアスカが仕掛け矢を止めなければ明日菜の頭に風穴が開いていたかもしれない。そんなものが学園の中にあるとは明日菜の埒外であった。

 

「へぇ、うちの学校の禁呪書庫よりしっかりしてんじゃん」

 

 木乃香がわざとトラップを作動させて防いでいるアスカがふと漏らした言葉を聞き逃さなかった。

 

「やっぱり魔法学校ってそんなんがあるんや」

「ああ、ネギが入りたがってアーニャが良く手引きしてた」

「アスカ君は?」

「忍び込むのに付き合って中で寝てた。本に囲まれると眠たくなる体質なんだ俺」

「今と変わらんやん」

「違いねぇ」

 

 二人で笑い合っているがアスカがわざと罠を作動させているので矢が射られたり盥が落ちたりと危険が降りかかっていた。明日菜は気が気ではなかったがアスカが発動したトラップを見もせずに全て防いでいるのでしまいには気にしないことにした。全てに一々反応していたら最後まで持たない。

 

「ねぇ、夕映ちゃん。後どれくらい歩くの?」

「はい。内緒で部室から持ってきた地図によると、今いるのはここで………地下十一階まで降り、地下道を進んだ先に目的の本があるようです。往復でおよそ四時間。今はまだ夜の七時ですから…………」

 

 詳しい目的地までの距離を知らないまき絵の問いに、夕映は荷物から地図を取り出して開いて分かり易く指で指し示しながら説明する。

 

「ちゃんと帰って寝れるねー。良かった、明日も授業あるし」

 

 夕映の説明に明日も授業があるので、まき絵は徹夜せずに済んだとほっとした表情でコメントを入れる。

 

「よし……私も、試験でバイト休みだし。手に入れるわよ「魔法の本」!!」

「やっぱりココ怖いよーやめた方が……」

「大丈夫、ベテランのウチらに任しときー」

「遠足気分アルねー。にょほほ♪」

「んー♪」

「では、出発です!」

「「「「「「「「「「お――――っ!」」」」」」」」

 

 そんなやり取りがあったりしたが、気を取り直して一行は図書館島の深部へと進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女子寮の自室で教師から直々に勉強を教われるという羨ましくないポジションにいる桜咲刹那は泣きそうな顔でノートに向き合っていた。正確には当人の望みとは関係なく向き合わされていた。

 

「いい。他の成績はまともなんだから刹那は頭が悪いわけじゃないの。日本人特有なのかもしれないけど英語の基本が出来ていないのよ」

 

 全部屋共通の机に向かい合っている刹那が開いているノートは英語の物だった。

 刹那は大半の日本人が抱く英語に対して苦手意識を持っている。育ちからして人間は日本人しかいない山奥なので、外の環境を知る術が限られていた刹那は麻帆良に来た当初英語の授業の壁にぶち当たった。

 最初のイメージが悪かったのか、心の奥深くに苦手意識が根付いてしまって、ぶっちゃけると中学一年生のレベルで止まってしまっている。そこから改善されていないのだから成績が振るわないのも当然だった。

 

「英語は所詮単語の羅列でしかないわ。日本語の方が遥かに難しいのよ。私だけじゃない、これは世界の共通認識」

 

 アーニャによる勉強会は居候してから数日して始まった。刹那は当然、文句を言った。だが、双子相手に身に着けた上から目線に、下っ端根性が骨の髄まで染みついている刹那には抗えなかった。

 一つの言葉を吐いたら百の言葉が返って来る相手に口で勝てるほど口達者でもない。木乃香の為、自身の鍛錬の為、と言い訳を作ろうともアーニャの弁論の前には張り子の虎も同然である。

 

「確かにそうだ。私も同じことを聞いたことがある」

 

 刹那の隣の机で同じように勉強する真名は何カ国語を使い分けるマルチリンガルである。その中には英語も入っており、真名自身決して頭も悪くない。それどころか、学年の上位とまではいかなくても本気を出せば簡単に成績を上げられる卑怯者であった。

 苦手な距離はないと豪語するだけあって、全教科に隙は無い。その中でも英語は大の得意だと嘯く女郎である。思わず「裏切り者!」と叫んだ刹那は悪くないはずだった。

 

『目立つのは私の信条に反する』

 

 と、どうして本気でやらないのかと理由を問うた刹那へ訳の分からないことを言って雲に巻いた真名である。英語で満点は取れるが目立ちたくない。成績も同様でクラスの中で埋没するのが望ましいのだそうだ。

 事実、真名の成績は学年トップの超鈴音らや底辺のバカレンジャーとは違って、クラスで丁度中間ぐらいをキープしている。純粋な実力でバカレンジャー予備軍扱いされている刹那とはえらい違いだ。

 

「真名のことはいいから。春休みに木乃香と一緒に京都に報告に行くんでしょ。赤点とって独りだけ置いてけぼりにはなるのは都合が悪いんじゃないの?」

 

 目の前の元凶が何を言っているのかと一瞬殺気を放ちかけた刹那だが、結果として木乃香が喜んでいるのでは怒りも窄んでいく。

 刹那は知らなかったが木乃香に魔法のことを話すのは以前から決められていたことらしかった。成人か十八歳までには話す予定で、家と本人の資質的に話さない選択肢はなかったと。今回は、それが若干前倒しにされただけで誰も責められいない。寧ろ本人が喜んでいるので良かったという風潮すらある。

 刹那が魔法がバレてはいけないことを理由にして近づけなかったと勘違いしている木乃香に真実を話せる勇気などないことは心苦しいが、泣いてまで喜んでくれた大切な人を振り払えるほどの気概も強さもない。

 離れたいが離れられない。それが今の刹那の心境だった。

 関西呪術協会がある場所は木乃香の生まれ故郷である。だが、嘗て政争に巻き込まれる可能性あるからと麻帆良に預けられたのだ。何があるか分からない関西呪術協会に単身で向かわせるほど刹那も耄碌していない。この時期にこのタイミングでまさか京都に帰るなどとは想像だにしていなかった刹那は、既に関西呪術協会には話が通っていて迎え入れる姿勢が出来ていると聞かされれば意地でも付いて行かないわけにはいかない。

 

「頑張ります」

「その意気よ。じゃ、次はこの文を訳してもらいましょうか」

 

 赤点を取って春休みを補習で潰さない為に張り切ったやる気が鼻から溜息となって抜けていく。英文の壁は、まだまだ今まで戦ったどんな敵よりも高く刹那の前に立ちふさがっていた。

 

「ん?」

 

 刹那が羨むほどスラスラとアーニャが出した問題を解いていた真名が何かに気づいたように顔を上げた。

 その直後だった。部屋の扉がノックもされずに開いたのは。

 

「アーニャ!」

 

 さっきまでシャワーでも浴びていたのか、濡れた髪も渇いていないまま部屋に転がり込んできたのはネギだった。

 

「なによ。こんな時間に騒々しいわね」

「ここここここれ」

「紙っきれ? こんなものがどうし」

 

 動揺も著しい幼馴染が差し出した紙を受け取ったアーニャの言葉が止まった。直後、紙切れを握りつぶして全身が火に包まれる。比喩ではなく本物の火である。アーニャの激情に精霊が反応したのだ。

 

「あの、ボケどもが!」

 

 この時のアーニャの顔を見れなかったのは刹那にとっても真名にとっても幸いだったのだろう。目撃してしまったネギが凶悪殺人者を前にした一般人のように尻餅をつきながら震えて怯えていたのだから。

 ちなみにアーニャが紙切れに書かれたのは『ちょっと図書館島で魔法の本を探して来ます。朝までには帰るので心配しないで下さい。明日菜・木乃香・アスカ』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元気一杯に出立した一行はその後、本棚から落ちたまき絵がリボンを手足のごとく操って戻るが、誤って罠を発動させてしまい、落ちてきた身長の十倍はあるだろう巨大な本棚を一撃で蹴り飛ばす古菲。本棚は古菲が蹴り飛ばしたが、楓が落ちてくる数十冊に及ぶ本を落ち着いた感じで回収。

 異常とも言える運動神経の持ち主が数人いるので、大学の図書館島探検部もびっくりの驚異的なスピードで全行程の半分ほどを踏破。

 予定していた休憩地点で休憩してまた目的地を目指していた。その途中でアスカは体に走った突然の寒気に身を震わせた。

 

「なにか嫌な感じがするな……」

「どうかしたの?」

「う~ん、竜の逆鱗に触れてしまったような気がする」

 

 第六感か、単純に偶に訪れる虫の知らせに似た悪い予感か。

 感じた悪寒から碌でもないことを予感しながらアスカは問いかけて来た明日菜に笑いかけて足を進めた。決してちょっとでも現実を先送りしようとする気持ちがなかったわけではない。

 湖を渡り、本棚をロッククライマーの如く道具を使って降りて、這わなければ進めないほど狭い通路を通る。ここまで来ると人外魔境と言いたいほどの様相を呈しており、本当に図書館なのか疑わしくなってくる。

 その果てにRPGのラスボスのような部屋に一行は辿り着いた。狭い穴から躍り出た一行は、ただただその威風に圧倒されている。

 

「す、す、凄すぎるーっ!? こんなのアリー!?」

「私こーゆーの見たことあるよ、弟のゲームで♪」

「ラスボスの間アル!」

「魔法の本の安置室です。とうとう着きましたね」

「こ、こんな場所が学校の地下に……ハハハ」

 

 皆が驚嘆の声を上げる中、夕映は拳を握り締めて達成感をしみじみと感じている。

 夕映の横では明日菜が、非常識さに冷や汗を垂らして空笑いを浮かべていた。はたしてもっとも現実的な反応をしているのは誰だろうか。魔法のことを知っていたし、もしかしたら魔法の本もあるのじゃないかと考えていたがこれは予想外だった。

 

「見て! あそこに本が!?」

 

 それぞれの反応の中、まき絵が祭壇に祭られた本のようなものを発見して指差す。

 

「あ、あそこに何かそれっぽい本があるよ!」

「確かに分かり易い感じに置かれています! 間違いありません。あれが魔法の本です!!」

 

 まき絵が指差した先にある安置されている本。それっぽい現代に出来た祭壇らしき台座の上に開かれた本の光景は、ここに来るまでに疲労していた少女達の眼には紛れもない本物の「魔法の本」に見えた。

 

「あれって本物なん?」

「っぽいけど、俺には分かんねぇ。こういうのはネギの領分だからな」

 

 木乃香が魔法使いであるアスカに小声で尋ねるが返って来た返答は頼りない物だった。

 

「やった――!!」

「これで最下位脱出よ!!」

 

 そこにいたアスカ・明日菜・木乃香以外の全員が感嘆の声をあげる。あるかどうかも疑わしかった魔法の書が、本物らしいとわかると各々の目の色が変わった。そもそも彼女たちが探しに来たのは『魔法書』なのだ。どんなものであれ、頭が良くなるならなんでも構わない。

 

「一番ノリある♪」

「あーあたしも!」

「あ、みんな待って!!」

 

 誰が号令を掛けるでもなく、コレまでの苦労が報われたと歓声をあげながら本に向かって一目散に駆け出していた。唯一、魔法の本が無くても成績の良いこととバカレンジャーほど運動神経のよくない木乃香だけが数歩出遅れた。しかし、彼女達は失念していた。こんなゲームのような場所で簡単に宝が手に入るはずがないと。

 

「キャーッ!」

 

 歓声が悲鳴に変かり、祭壇へと続く石橋が中央からぱっくりと二つに分かれて、追いかけた木乃香とアスカも纏めて全員落ちた。アスカ・楓・古菲の三人は何事もなかったかのように着地したが、幸運な事に落とし穴にはほとんど落差がなかったので受け身も取れなかった者も含めて全員に大きな怪我もないようだ。

 

「コレって……?」

「ツ、ツイスターゲーム?」

 

 上部に『☆英単語ツイスター☆』と書かれており、平仮名の描かれた円が無数に並んでいる変な文様の石版の上に落ちたようだ。明日菜とまき絵が足元の石版を見て、呆然とした声を上げる。

 ツイスターとは、アメリカのとある会社が発売している体を使ったゲームである。スピナーと呼ばれる、ルーレットのような指示板によって示された手や足を、シートの上に示された4色(赤・青・黄・緑)の○印の上に置いて行き、出来るだけ倒れない様にするゲームである。形としては大分違うがそれでもツイスターゲームであることには変わりなかった。

 

「フォッフォッフォ……」

 

 足元を不思議そうに見つめる一行に、突然しわがれた老人の声が頭の上から降ってきた。飾りとした感じで立っていた筈の石像が突如動き出した。

 

「この本が欲しくばわしの質問に答えるのじゃ、フォフォフォ♪」

 

 皆一斉に頭上を振り仰ぐと、そこには巨大な石像が二体、自分達を押し潰さんばかりに迫っていた。

 

「ななな、石像が動いたーっ!?」

「いやーん!」

「…………!?」

「おおおお!?」

 

 魔法書の左右にあったゴーレムの一体が動き、明日菜達の驚愕の叫びが部屋に響き渡る。まき絵が「あわわわ」と言い、ガクガクと震えて怯えるのも無理はない。

 驚く一行を余所に石像は勝手に話を進める。

 

「―――――では第一問。DIFFICULTの日本語訳は」

「ええ――――!?」「何ソレ――――!?」

 

 参加者たちは突然動き出した石像の言葉を聞いてパニックに陥っていた。しかも、頭の良い木乃香が石版に上がろうとすると、石像が威嚇して邪魔をする。

 木乃香と同じように石板に上がっていなかったアスカはジッと石像を見ている。

 

「み、みんな、落ち着いて!! 落ち着いて「DIFFICULT」の訳をツイスターゲームの要領で踏むのよ!」

「そうやで、流れ的にちゃんと問題に答えれば罠は解けるはずや!」

 

 石像の行動の意味するところを動物的直感で直ぐに理解した明日菜がすかさず全員を落ち着かせて指示を飛ばし、ゲームに参加できない木乃香がみんなの奮起を促す。

 

「ええーっ、そんなこと言っても」

「「ディフィコロト」よ。え~と…………」

 

 基礎的な英単語にも、四苦八苦なまき絵に聞かれて最近の勉強の成果からいいところまでいくが、それ以上に踏み込めない。

 

「ちなみに教えたら失格じゃぞ」

 

 思わず答えを教えようとした木乃香を石像が遮る。

 主にというか、片方しか喋らない石像を見ていたアスカは何かに気づいたように口を開いた。

 

「なにやってんの学園長?」

「「「「「「「は?」」」」」」」

 

 と、突然変なことを言い出したアスカに石像も含めて全員の頭の上に疑問符がついた。

 

「え、何言ってんのアスカ」 

「いや、声は変えてるけど喋り方が完璧に学園長だからこんなところで何やってんのかなって」

 

 全員の疑問を代表して明日菜が問えば、アスカは何がおかしいのか全くこれっぽちも分かっていない顔でぶっちゃけた。

 改めてアスカを言ったことを考えて全員が固まっている石像を見る。

 

「そう言えばフォフォフォとか、じゃって学園長が良く使ってますです」

「まさか本当に学園長なの?」

「ということは、これは麻帆良工学部が作り上げたロボットアルか。学園長なら権限を使って動かすことぐらいはどうにでも出来そうアル」

「良く出来てるでござるな」

 

 バカレンジャー+αの視線が「石像=学園長」の確定させて疑わしげな視線で見つめる。

 疑われた石像は器用にも汗を掻いて固まっていた。

 

「お爺ちゃん」

 

 ビクリ、と静かな怒りを込めた木乃香の呼びかけに石像が震えた。その反応こそが、石像が学園長・近衛近右衛門であることを何よりも雄弁に証明していた。

 木乃香の優秀な頭脳がここに至るまでの道程を作り上げる。元々、明日菜達が図書館島に来たのは木乃香が聞いた期末で最下位を取ったクラスは解散という噂が原因だった。しかも特に成績が悪かった者は留年だけに留まらず、小学生からやり直しと来ている。現代日本の教育制度では、どんなに成績が悪かろうと中学で留年はない。当然ながら小学生からやり直しなど出来るはずもない。

 

「大っ嫌い!」

 

 いーっ、と歯を見せて石像に言い捨てると踵を返した。

 

「帰ろ、みんな」 

「そうですね。学園長がいるなら魔法の本は所詮デマだったというわけですから」

 

 木乃香の後を追って一番意欲的だった明日菜が皆を促し、魔法の本があるという言い出した夕映が動き出したこの場の趨勢は決まった。肩を落として元来た道を戻っていく。

 床に開いた穴から部屋を出て行き、動かなくなった石像と共に残ったアスカは首を捻った。

 

「なんでみんな帰ったんだ? 魔法の本はあるのに」

 

 シクシク、と泣き出した石像を鬱陶しく思いながら、放つ魔力から本物らしい安置されている魔法の本を前にして首を傾げていた空気をどこまでも読まないアスカの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日菜達が図書館島に侵入した翌日、朝の教室に委員長あやかの叫びが木霊していた。

 

「何ですって!? 2-Aが最下位脱出しないとネギ先生達がクビに――っ!? ど、どーしてそんな大事な事言わなかったんですの桜子さん!!」

 

 HR前の他のクラスでは一分一秒が惜しいとばかりに勉強に励む中、2-Aではちゃんと席に座っている人間すら稀である。

 

「あぶぶぶっ、だって偶々新田先生が話しているのを立ち聞きしただけだから本当のことか分からなかったし~」

「クビだって、ネギ先生達が」

「む………」

「それはかわいそうやな~」

 

 教室中にあやかの詰問の声が響き渡り、桜子の話に耳を傾けていたクラスメイト達が最下位だとクビという事実に騒然となる。

 あやかに詰め寄られてユサユサと揺すられている桜子は、立ち聞きしただけで真実かどうか分からないと話すことでようやく離してもらえた。それぞれが反応を返す中、エヴァンジェリンは二人がこの地を離れるのは良いことではないので、今回に限り真面目にやるかと考え、茶々丸にもそれを後で伝えるかと思いついた。

 

「とにかくみなさん! テストまでちゃんと勉強して最下位脱出ですわよ。 その辺の普段真面目にやってない方々も」

 

 自他共に認めるネギ贔屓筆頭の委員長は早速、普段真面目にやってないクラスメイトに発破をかけてまわる。

 

「げ……」

「仕方ないなあ……」

 

 引き気味の千雨は少し嫌そうな声を出し、円は渋々気にやる気を出す。

 

「問題は明日菜さん達(バカレンジャー)ですわね。取り合えずテストに出て頂いて0点さえ取らなければ………」

「そう言えばさあ委員長、バカレンジャーはどうするの? まだ来てないみたいだけど」

「あれ~ほんとだ。HR前なのにね」

 

 ちょうどその時、教室のドアが開き何故か薄暗い雰囲気を醸し出している八人組を引き連れたアーニャと、ボロボロになって気絶してるらしいアスカの足を引き摺るネギが入ってきた。

 その八人組の様子と嘗てない王者の覇気を撒き散らすアーニャとイラツキを隠せていないネギに教室にいた全員が固まる。

 

「全員、着席」

 

 必要最小限のアーニャの言葉に、全員が何かを言う事もなく全速力で自分の席に座る。葬式のように静かな教室の中、粛々とHRが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期末試験から一週間経ち、運命を決める結果発表の日がやってきた。

 試験後、試験結果を表示する巨大スクリーンがある入口ホールには多くの生徒達が溢れ返り、落ち着かない雰囲気がそこかしこから感じられる。だが、そんな中で普段ならテストのことなど気にもとめない筈の2-Aが尋常ではない様子でスクリーンの前を陣取っていた。

 そのただならぬ気配に他所のクラスは近づくことも出来ず、少し距離を取って何事かと見守っている。だが、2-Aの生徒達はそれらに意識を割く余裕は全く無かった。彼女達の視線はこの場所に来た当初から何も表示されていないスクリーンを食い入るように見つめており、一切の私語がない。

 やがてテストの集計が終わり、アナウンスが流れて緊張の渦が高まっていく。

 

『2年生の学年平均点は75.9点でした! では第二学年のクラス成績を良い順に発表しましょう!』

 

 マイクとスピーカーを通してホール内に響いた声を聞き、そこに集まった生徒達はいよいよかと喉を鳴らす。

 

『な、なんと第一位は! 万年最下位の二年A組! 平均点は83.8点です!』

「「「「「「「「「「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~」」」」」」」」」」

 

 放送部員の司会の下、栄えある第一位が読み上げられた瞬間、2-Aが号泣と共に雄叫びを上げ、生徒数人が崩れ落ちる。

 

「良かった、良かったよ~」

「うう…………ぐすっ…………う………」

 

 万年最下位のクラスがトップに上がった事もだが、この2-Aの行動に他のクラスの生徒達から奇異の視線が向くが全員が気にすることもなく、思い思いの感情を爆発させる。中には言葉に成らず、嗚咽を漏らし続ける者もいた。

 何故ここまでの状態になったかというと、図書館島侵入の翌日から始まったアーニャ主導の下、寮の一室で行われた地獄の勉強会が原因である。

 HRで学園長から唆されたとは言え、バカレンジャー+αが読むだけで頭が良くなる「魔法の本」を求めて図書館島に入り、デマだと分かって引き返してきたことを教えられた。そんなに成績が良くなりたいなら教えてあげようと勉強会が開かれることになったのだ。出席は任意だが半ば強制なようなもので参加せざるをえない。アーニャとネギの怒りはそれほどまでに凄かったのだ。

 誰もが机にかじりついて勉強する。特に原因であるバカレンジャーと図書館島探検部ののめり込みようは凄まじかった。

 睡眠すらも削って勉強する様は狂気すら感じさせ、テストを寝不足で全員が血走った目で受けたので担当した教師が驚いていた。

 死ぬほどの勉強の結果としてその苦労は報われたので、歓喜を爆発させていたのだ。尚も成績発表は続いているが彼女達の耳には入ってなく、ただただ地獄から帰って来れた事を喜んでいる。だが、一部の生徒にはそれも許されなかった。

 

「…………神楽坂、近衛、綾瀬、長瀬、佐々木、古菲、宮崎、早乙女、アスカ君」

 

 突如騒がしいホールに決して大きくはないのに声が響き、2-Aの生徒どころか他の生徒の言葉すら奪ってしまった。

 司会が異様なプレッシャーを浴びて冷や汗を浮かべながらもプロ根性を発揮して成績発表を続ける。群集の最後尾から人々がモーゼの如く割れ、コツコツと靴音をさせながら一人の教師が現れた。学年主任の新田である。

 その後ろにはネギとアーニャが控えていたが、新田が醸し出す空気が恐ろしすぎて誰も見えていなかった。

 「鬼の新田」と呼ばれるほどの新田の顔は、この時は何の表情も浮かんでいない。そのことで周囲は本気で新田が怒っていると思った。

 新田に名前を呼ばれた生徒達は心では逃げたいと思いながら体が動かず、九人を残して他の2-Aの生徒達が巻き込まれる事を嫌って傍を離れる。新田が武道派ですら気圧されるプレッシャーを辺りに振りまきながら九人の前で静止するのを、周りは成績発表よりも注視していた。

 

「直ぐに生徒指導室に来なさい」

「「「「「「「「「「…………はい」」」」」」」」」」

 

 新田の拒否権の無い言葉全員が返事と同じく頷く。

 新田が先頭に立って歩き、その後を十三階段を登る死刑囚のように死相が出ている九人がついて行った。最後尾をまるで逃げないように見張るようにネギとアーニャがつく。後の地獄を想像し残った2-Aの生徒全員が胸で十字を切り、彼等の無事を祈った。後に2-Aの生徒達だけでなく、事件の概要を知った生徒達は一つの事を重く胸に誓った。

 

『どんなことがあっても鬼の新田だけは本気で怒らせてはいけない』

 

 この後に麻帆良学園都市に試験後出来た標語であったそうな。

 



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第6話 いざ、京都へ

副題:ラブストーリーは突然に


 春休みに突入して数日。ネギ達の姿は大宮駅にあった。

 大宮駅構内は、早朝ということもあって家から遠い会社に向かう勤労サラリーマンといった例外を除いて人影はそう多くない。その中にネギはアスカ達と共に午前7時という早い時間に麻帆良学園都市から離れた大宮駅にやってきていた。

 

「じゃ、全員いるしホームに行きましょうか」

 

 アーニャはネギとアスカ、明日菜・刹那・木乃香とこの旅行に参加している面々の顔を確かめて促したが一歩も動こうとしない。

 

「どうしたん?」

「私に日本の交通事情が分かるわけじゃない。アンタ達が先導してよ」

 

 木乃香が聞けばアーニャは恥ずかしさから僅かに朱に染めた顔を逸らす。

 

「それで良く麻帆良まで来れたわね」

 

 他力本願なアーニャを笑わなかった明日菜はよく子供だけで世界で最も複雑と言われる関東の電車を乗り継いで来られたものだと感心した。

 

「色んな人に聞いてやっとです。苦労しました」

「何度か迷ったけどな」

「いいから、さっさと行くわよ。さぁ、明日菜」

「はいはい」

 

 当時の苦労を思い出して強く頷くネギ、今となっては良い笑い話だと言わんばかりに気にしないアスカ。

 自分ばかりが恥ずかしがって話を進めたがっているアーニャに可愛いさを感じつつ、明日菜が先導してホームを目指す。

 

『JR新幹線、あさま506号。まもなく発車致します』

 

 駅構内にアナウンスが鳴り響く。明日菜達は無事に新幹線に乗り込んで、時間になり新幹線は大宮駅を出発した。途中、東京駅でひかり213号に乗り換えた後は目的地の京都駅につくまで悠々自適。それぞれが旅行の醍醐味の一つの移動時間を満喫中である。

 

「そういえば、なんで木乃香の実家に行くの?」

 

 三人掛けの席を反転させて、ウェールズ組と麻帆良組で別れて座っていた窓際の席で明日菜が目の前のアーニャからトランプの札を一枚抜き取りながら言った。ババ抜きをしているのだが引いた札では合わなかったらしく、一瞬眉を顰める。

 

「うちが魔法を知ったことを報告に行くんや。明日菜に言わんかったけ?」

 

 順番が回って来た木乃香が明日菜から札を抜き取ると、手持ちの札と合ったらしく抜き出した札と手持ちの札を抜き出して膝の上に置く。真ん中に捨て場など作れないので、札が合ったら各人の膝の上に置く決まりになっているのだ。

 

「聞いてないわよ。木乃香の実家に行くって聞いただけで、アンタがいなくなっちゃうとご飯がないから無理やりにでも付いてきたんじゃないの」

「そこは自分で作りなさいよ」

「木乃香のごはんが美味しいのが悪いのよ。学食じゃ、肥えちゃった舌が満足できないの」

 

 今度は通路側にいる刹那が木乃香の札を取り、こちらも手持ちの札と合ったらしい。膝の上に合った二枚を置いて、前の席にいるアスカへと手札を差し出す。

 

「確かに木乃香の飯は上手い。直にネカネ姉さんが来るのに満足できるのかって不安が出来るぐらいには上手い」

「お姉ちゃんって料理は得意じゃないからね」

 

 遊びであろうと勝負は勝負。勝つために刹那の表情を見ながらカードを選びながら言うアスカにネギも同意する。

 彼らの従兄であるネカネ・スプリングフィールドは良妻賢母の見本のような人物だが、ただ一点料理だけは得意ではないのだ。得意ではないだけで苦手ではないのだが、料理上手な木乃香と比べると流石に一段も二段も味は劣る。

 数日中に日本へやってくるネカネの下へ引っ越しが決まっているアスカ達にとって、食生活のレベルが落ちるのは成長期で良く食べるだけに死活問題だった。

 

「アンタ達がそんなことを言ってたってお姉ちゃんに言うわよ」

 

 ポーカーフェイスが苦手な刹那から見事に当たりを引いたアスカが悠々と膝に札を置いて、手札をアーニャに向けた瞬間に固まった。

 

「「ごめんなさい。後生だから言わないで下さい」」

「分かればよろし」

 

 二人で頭を下げた瞬間にアスカの手札を盗み見たアーニャは見事に掠め取る。合ったカードを捨てつつ、今度はネギの方を向いた。

 

「アンタ達のお姉さんって怖い人なの?」

 

 怯えている二人の様子から明日菜の脳裏では夜叉のような女の人が連想されていた。

 

「や、止めてお姉ちゃん。そんなところに太い棒は入らないよぉ。出すところで入れる所じゃないからぁ」

「爪の間にそんな器具は入らないってぇっ」

 

 ガクガクブルブル、と蹲って怯えている二人を見て、怖いお姉さんなんやなぁと呑気に言える木乃香が凄いと思った刹那だった。

 

「普段はおっとりした優しい人よ。でも、怒る時は本当に怖い」

 

 アーニャですら怯える人に明日菜の中では夜叉よりも恐ろしい人物像が膨らんでいく。本人が知れば本当に怒りそうなレベルであるとだけは記しておこう。

 

「ま、お姉ちゃんが来る前にこっちの用事を終わらせられそうなのは正直助かるわ。私の不注意で魔法がバレたなんて知られたらどんな折檻が待っているか」

 

 折檻を想像したのか、ブルリと全身を震わせたアーニャは窓の外に流れて行く景色をチラリと見た。

 

「怖いっていえば新田先生も怖かったわねぇ」

「俺は鬼の新田の真価を始めて知った」

 

 堪えていなさそうな木乃香は別にして、新田の説教を一身に受けた明日菜とアスカが煤けていた。

 

「補習と無料奉仕ですんで良かったじゃないか」

「この旅行以外は春休みが殆ど完全に潰れてるのによくそんなことが言えるな」

「自業自得よ」

 

 ネギとアスカの間で睨み合いが生まれかけたが、アーニャがバッサリと切って捨てたことでネギの勝利が認められた。

 

「ですが、今回の一件では学園長も関わっていたということで大事にならずにすんで良かったではありませんか」

 

 順番が回って来たので悔しがるアスカにババを引かせようと小狡いことを考えた刹那が伸びてきた手に、ピコンと出した該当のカードを近づける。しかし、アスカは刹那の策などに引っかからず、該当のカードの横のを取った。

 

「今回の一件で図書館島の警備や鍵のチェック管理体制も強化されることになったみたいやけどな」

「私としては木乃香に土下座までして必死に事情を説明する学園長の姿の方が印象に残ってるけどね」

 

 安易に魔法関係に近づかない為に試したという学園長の言い分を、深夜に寮を抜け出して進入禁止の区画へと入り込んだ負い目があった木乃香は受け入れた。本当なら学園長の方が立場は上のはずなのに、木乃香の方が上に立っているように見えたアーニャの目は決して節穴ではない。

 

「お、俺一番上がり」

 

 刹那の手札から一枚抜き取ったアスカがぶっちぎりの勝ち名乗りを上げる。

 

「もう、ですか。早いですね」

「アスカはこういうゲームでは無類の強さを誇りますから。負けたの見たことあったけ?」

「ないわね。無駄に強いんだから」

「なんとでも言え。最下位には驕ってもらうから頑張れ」

 

 ぬぬぬ、と悔しがる年少組はやる気を漲らせた。

 アスカが一抜けしたので次のアーニャは手札が減らず、ネギのを抜き取らなければならなかった。ネギの残りカードは五枚。全員が残りそれぐらいなので、アスカだけが早く上がり過ぎなのだ。ババ抜きのような一種勘も働かせるゲームでは無駄に鋭すぎる。今までのこういうゲームで一度もアスカに勝てた試しがないネギとアーニャだった。

 

「ほら、さっさと引いて」

 

 ああでもない、こうでもないと手を左右に彷徨わせていたアーニャを揺さぶるようにネギは真ん中の一枚を飛び出さしながら言った。これは罠か、とアーニャは心理作戦に出ているネギのやり口に厭らしさを感じつつ、選ぶべきか選ばざるかで迷う。

 

「ええい、ままよ」

 

 乗ってやろうじゃない、と真ん中の飛び出している一枚に飛びついたのだった。抜き取っていくと手札で口元を隠していたネギが笑みを浮かんでいるのが見えた。しまったと思った瞬間にはもうカードを抜き取ってしまっていた。

 ゆっくりと手を引きながら抜き取ったカードを見たアーニャの顔を引き攣った。

 

「ぐっ」

 

 ババだった。アーニャはネギの手の平で踊らされたのだ。

 

「アーニャは懲りないよね、昔っから。考えすぎて失敗する」

「うっさい」

 

 何時も何時も三人でゲームをすると、最下位になるのは大抵がアーニャだった。

 アスカはぶっちぎりのトップで、何時も二人は最下位争いをするがこういうゲームではネギの方が一枚上手である。ネカネが参加した時はアーニャを気遣ってくれるがそれも屈辱だったりする。

 怒りと屈辱に打ち震えるアーニャを置いてゲームは続いていく。

 

「あ、うちも上がりや」

「僕も」

 

 三順ほどして木乃香が上がり、次いでネギも上がった。

 

「残るは三人」

 

 ババを手放したアーニャは残る面子を見る。手札の枚数はアーニャと刹那が二枚ずつ、明日菜が三枚と明らかにババを持っているのが誰か分かる枚数であった。

 

「次は刹那さんの番ね」

 

 ババを持っていると思われる明日菜が刹那に手札を差し出す。

 刹那は迷いながらも右端のを取った。その顔が引き攣る。

 

「よし、ババは刹那さんに行ったわ」

「明日菜、そういうのを言うのは禁止やで」

 

 笑顔満面の明日菜が言うのをやんわりと木乃香が苦言を呈する。

 懲りた様子のない明日菜は適当の頷きつつ、ババをアーニャに押し付けようとしている刹那の拙い手口を見遣った。

 一巡後、勝敗は決した。

 

「え―――お弁当」

「お姉さん! こっちに駅弁よろしく」

 

 アスカが喜び勇んで後ろの車両からやってきたカートを押す売り子に早速注文する。

 

「あまり高くないので」

「ん~、この幕の内弁当で」

 

 やってきたカートから喜び勇んだアスカは何種類かある弁当を悩ましげに見て、懐事情が決して裕福なわけではない刹那の無言の懇願を無視し、よりにもよって一番高いのを選んだ。

 

「朝ごはんしっかり食べたのに、まだ食べんの?」

「頭使って腹減ったんだよ。これも勝者の特権」

 

 今にも涎を垂らさんばかりのアスカの健啖振りを知っていても体重が気になるお年頃の明日菜が言うも、当の本人は今が成長期だと言わんばかりに気にしなかった。

 

「千円なります」

「よろしく」

 

 得意満面の笑みで支払いを求めて来るアスカに悔しさを感じつつ、これも最下位になった者の宿命と諦めた刹那は財布を取り出して千円札を差し出した。

 

「毎度ぉ、おおきに」

 

 刹那が差し出した札を受け取った販売員は変わったイントネーションで言いながらカートを押して前の車両へと言った。

 

「あのお姉さん同郷なんやろうか」

「分かりません」

 

 明日菜のような例外を除いてバイトが出来ない女子中学生の一人である刹那に千円の出費は痛い。

 販売員の話し方のイントネーションから京都出身であることを訝しんだ木乃香に、刹那は実際には体感で殆ど分からないぐらいしか減っていない財布に頼りなさを失くしていたので返答は素っ気なかった。

 刹那の様子を見た木乃香は、幕の内弁当の封を開けているアスカがこちらを見ていないのを確認して財布を取り出して千円札を取り出して刹那に渡す。

 

「お嬢様」

「ええから受け取って。お爺ちゃんからお小遣いって大目に貰ってんねん」

 

 渡された千円札に目を丸くした刹那に木乃香は笑いかける。そのまま刹那の肩に頭を乗せた木乃香が嬉しそうに目を閉じるのを見たアーニャは真正面にいる明日菜と目を合わせた。

 

(木乃香って百合の気があるの?)

(ないはずだけど、刹那さん限定で今までのこともあってその反動が来てるみたい)

 

 アイコンタクトで会話をしている念話いらずの二人のずらした視線の先では桃色の空間を撒き散らす木乃香と刹那の二人。二人に百合の疑惑が立った瞬間だった。

 

「うわっ」

 

 ネギの驚いたような声に桃色空間の二人とアーニャ達が視線の下を辿った。

 視線の下であるアスカが今開けた弁当の箱の中身。本来ならば幕ノ内弁当の鮮やか具材とご飯が乗っているべき場所には別の存在が鎮座していた。

 緑色で妙な滑りを持った皮膚、愛らしくピョンピョコ跳ねる仕草だが一部女性に嫌われるカエルが「ゲコゲコ」と鳴いているのが見えた。

 

「カ、カエル~~~~~!?」

 

 がさつに見えても実は女の子らしく両生類が苦手な明日菜が思わず叫んだ瞬間、グシャと何かが潰れる音が車両に響いた。発生源は力一杯の拳を握り締めたアスカが拳を叩き下ろしてカエルを叩き潰した音であった。

 

「この恨み……」

 

 弁当箱ごと圧殺されたカエルが刹那以外では読めない文字が刻まれた紙へと変化する。

 先のカエルが陰陽道の一つである式神だと看破した刹那だが、怒りに打ち震えるアスカを目の前にして真実を告げる勇気はなかった。

 

「晴らさでおくべきか!」

 

 怒りで逆立っている髪の先で紫電をバチバチとさせながらアスカは宣言した。

 

「やっすい恨みね」

「たかがゲームで勝利して人のお金で買った景品を駄目にされたぐらいで大袈裟な」

 

 実にしょうもない理由で怒りに打ち震えるアスカを酷評したアーニャとネギに同意する明日菜であった。

 

「あ、お姉さん弁当大至急でよろしゅう」

 

 丁度通りかかった別の販売員に弁当を木乃香が注文することで、あっさりと怒りを収めた安い男であるアスカであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 珍事はあったもののその後は何事もなく京都駅に辿り着いた新幹線から降りた一行は一路観光と洒落込んでいた。これは京都の文化に興味あったネギの発案で、昼過ぎに関西呪術協会の総本山へ着けばいいのに朝早くから新幹線に乗ったのもこれが理由である。

 まず向かったのは京都駅からほど近く、京都を代表する歴史的建造物として選ばれたのは清水寺であった。

 今や国内外を問わず名が知れ渡ったユネスコ世界遺産にも登録されている寺院なので、毎年多くの学生達が修学旅行で訪れる場所であり、現代において修学旅行先にこの場所を選ぶのはもはや定番となりつつある。なので「京都」の代名詞として生徒に触れさせるにはもってこいの古刹であった。もっとも秋には紅葉の名所として知られる場所であったが、三月という春休みのシーズンだけあって人の気配は多い。

 本堂に差し掛かる頃にはネギの興奮は最高潮に到達していた。

 

「素晴らしい! これが京都!」

 

 快晴の青空の下で本堂から見える見晴らしの良い景色に、ネギの絶叫が京都の街へと響く。

 

「これが夢にまで見た彼の有名な清水の舞台!!」

 

 天気は良く、新緑に彩られた山には、命の躍動する生き生きとした魅力がある。風がそよぐと辺りの木々の枝がサワサワと音を奏で歩くものたちの心を和ませるのだが、完全に御上りさんよろしくとなったネギのはしゃぐ声が色々と台無しにしていた。

 

「なにネギのあのテンション」

「ネギは歴史マニアだからこういう年月を感じさせるのが大好きなのよ。定年退職した恩田先生から京都に行くなら清水寺は欠かせないって聞いた時から張り切ってたから」

 

 緩い喋り方で昼寝製造機と渾名された学期末で定年退職した恩田先生がこういうのが好きだったことを思い出した明日菜は、件の教諭から妙にシンパシー染みた物を感じ取っていたアスカへと視線を移した。

 

「なぁなぁ、本当にここから飛び降りても死なないのか」

「らしいけど、試しちゃ駄目よ。面倒事は引き起こさないで」

 

 身長の関係で欄干にぶら下がりながら首を出して真下を眺めるアスカの襟元をアーニャが掴んでいなければ本当に試していたことだろう。アーニャちゃんナイス、と明日菜は思った。

 

「ずっと山奥で暮らしてたから地元やのに来たことなかったわ」

「そうですね。でも、今私達は一緒に来られました」

「うん、こんなに嬉しいことはないで」

 

 寄り添いながら感慨深げに語り合う木乃香と刹那の様子に、既に熟年夫婦の空気が混ざっていることを感じ取った明日菜は唇の端を引き攣らせた。突っ込みが足りない、と京都の街並を見下ろしながら思った明日菜であった。

 高所故に眺めは絶景であったりする。清水寺の周囲に生い茂っている緑の数々の向こう側に、京都の街並みが全て見渡せる。その向こうには同じく緑に包まれた山々も連なり、抜けるような青空と囀る鳥の声、サワサワと風が木を揺らす音が、より一層の趣を添えていた。

 

「そうや、確かここから先に進むと、恋占いで女性に大人気の地主神社があるはずやで。明日菜もやってみたら?」

 

 木乃香しては何とはなしに口にしただけだったのだが、恋占いというフレーズが、明日菜に衝撃を走らせた。

 

「そ、そこまで言うなら仕方ないわね。行ってあげようじゃないの」

「誰もそこまで言ってないわよ」

 

 いきなりそわそわとし出した明日菜の妄言をアーニャが切って捨てたが当の本人には聞こえていないようだった。

 

「ちなみにな、そこの石段を下ると有名な『音羽の滝』もあるで。あの三筋水は飲むと、それぞれ健康・学業・縁結びが成就するとか」

「縁結び!? さあ、行くわよみんな――!」

 

 続いた下に縁結びの神社があるという木乃香の言葉に、明日菜は外聞も気にせずに一行を先導し出した。まだ神社仏閣に未練たらたらのネギをアスカが引き摺りつつ、音羽の滝に向かって歩く。

 

「木で作った古い建物ってのが凄くイイ」

「ネギって結構ジジイ趣味よね」

「今に始まったことじゃないだろ」

 

 魔法具のアンティーク物の収集癖といい、アスカに襟首を掴まれて引きずられながら恍惚とした声で呟くネギにアーニャは呆れていた。

 ゆっくりと石畳を進みながら、風情ある鳥居を通って石畳を上がって縁結びの神で有名な地主神社に着く。

 

「目を瞑ってこの意志からあの石まで辿り着ければ恋が成就するらしいわ」

「ちょっと十メートルくらいはない!?」

「簡単に出来たら意味はないってことやで」

 

 注連縄を張られた岩が十メートル程の間隔を開けて置かれた『恋占いの石』があった。木乃香の言うことは尤もだと感じ取った明日菜が意気込む。

 

「行くわ」

「頑張って下さい」

 

 色気よりも食い気の方が先行している子供三人組が食い物屋に突撃して行ったのを尻目に、刹那の応援を背に受けた明日菜が目を閉じて歩き出した。

 目を閉じてしまうと世界は真っ暗に閉ざされてしまう。日の光が瞼を通して感じられるが自分から視界を閉じたので一寸先も見えやしない。もしかしたら見当違いの方向を歩いていて、壁にぶつかるかもしれないと思って自然と両手が前方を探るように伸びる。

 一歩、二歩と足を進めながら明日菜は真っ直ぐ歩けているかどうか不安で仕方なかった。

 

「明日菜、右に曲がっとるで」

「左に方向修正して下さい」

 

 このままでは辿り着けないと思った木乃香達のアドバイスに従って軌道を修正する。今の明日菜にとっては木乃香達の声が頼りだった。

 

「ちゃうちゃう、左に行き過ぎや」

「そうです。直りました。そのまま真っ直ぐ」

 

 恋占いの石に辿り着くために人にアドバイスを受けた時には人の助けを借りて恋が成就すると言われている。元より明日菜の味方である木乃香は常日頃からアドバイスをしているし、これからは刹那もその仲間入りを果たすだろう。

 二人のアドバイスに従って明日菜の足はようやく岩と岩の中間にまで辿り着いた。そこで異変が起こった。

 

「!? きゃあっ!?」

 

 踏み出した足が地面を踏み抜いて体を傾いていくのを感じた明日菜は悲鳴を上げた。

 咄嗟に目を開けた明日菜の目に見えたのは、地面に開いた穴とその底にいる新幹線にいたのと同じ両生類の大軍。完全にバランスを崩して如何な明日菜といえど、穴に落ちるのは避けられないタイミング。

 待ち受けるゲコゲコと鳴き喚くカエルの集団に、明日菜は一度は開いた瞼をまた強く閉じた。

 

(高畑先生!)

 

 助けを求めたのは愛しい人の姿だった。だが、高畑はこの場にいない。海外に出張すると前日に出発を見送ったばかりである。早めに海外から戻って来たとしても京都の観光地にいるはずがなかった。刹那が飛び出したが間に合わない。

 チャレンジを微笑ましく見守っていた観光客は驚く間もなく、明日菜が穴に落ちて行く見ているしかなかった。しかし、その運命は覆される。

 

「?」

 

 衝撃は訪れなかった。カエルの滑った肌が体に触れることもない明日菜は片手が引っ張られている感触に訝しがりながら、目を開けると穴の底で両生類達がゲコゲコと鳴いている。彼我の距離はまだいくらかあった。

 誰かが手を引っ張ってくれたお蔭で明日菜は穴の底に落ちずにすんだようだった。

 

「大丈夫か、明日菜」

 

 声の主を明日菜は知っていた。良く知っていた。一ヶ月以上共に住んでいる者の声を明日菜が聞き間違えるわけがない。落ちないように引っ張ってくれている手は明日菜より小さくても力強かった。

 

「アスカ、いいから持ち上げて!」

 

 目前にカエルがいる状況は精神的によろしくない。明日菜はアスカに引っ張り上げてもらうように頼んだ。

 

「へいへい」

「きゃっ」

 

 掴んでいる手は片手だった。何時ものように緩んだ声で簡単に引っ張り上げられた手の思わぬ力強さに、あっという間に穴から引き揚げられた明日菜はカエルの恐怖と穴に落ちたショックで腰砕けになって、そのまま引っ張られるままに倒れ込む。

 

「なにやってんだよ、ったく」

 

 倒れ込むかと思われた体を支えたのは、またアスカだった。

 掴んだままの手を持ちながら、明日菜の背をもう反対の方の手で支える。明日菜の体は地面から少し離れた所で支えられ、背というよりは腰辺りに手を回されていることで、まるでダンスの一シーンのような格好になってしまった。

 身長差の所為で近くなった互いの距離に、明日菜は間近に見るアスカの顔にポッと顔を赤らめた。

 

『お~』

 

 危機に陥った少女を救った素早さと鮮やかな手並み、そして刺激的な体勢へと移行するのを見た観客達が揃って歓声を上げて拍手する。三十㎝以上ある身長差の所為で姉弟にしか見えないはずなのに、ドラマの一シーンのような光景に誰もが二人は恋人であると錯覚した。

 これで最後に二人がキスでもすれば万々歳で終わるが生憎と明日菜の好きな人はアスカではなく、アスカにそのような空気を感じ取れとは無理がある。

 

「ほれ、起きれるか」

「え、あ、うん、大丈夫」

 

 あっさりと顔を離して明日菜を立たせたアスカの空気ブレイカー振りに、期待していた場の空気が霧散した。顔を真っ赤にして未だ忘我の境地のまま頷いた明日菜に、場は完全に流れて行ってしまった。

 ラブストーリーが始まる気配がないことを確認した観客達は散って行く。

 

「しかし、危ないな。誰だこんなところに穴を掘ったのは」

「そ、そうよね。誰がやったのかしら」

 

 まだ心臓がドキドキバクバクと鳴り響いているのを感じながら明日菜の視線はアスカの柔らかそうな唇に釘付けであった。その様子を後ろから見ていた木乃香がニヤリと笑ったのを隣にいた刹那は見逃さなかった。

 

「明日菜ぁ、顔真っ赤やで」

「うるさい」

 

 明日菜はもう一度儀式にチャレンジはしなかった。それが全てだった。ちょっと惜しかったなとか、ドキッとなんかしてないとか、あの唇を味わってみたかったわけじゃない、とか心中で言い聞かせながら明日菜は真っ赤になった顔をそれ以上見られないように彼方を見た。

 ニシシ、と面白い物を見たとばかりに笑って明日菜をからかう木乃香には同調できなかった刹那だったが、先のアスカの動きには驚嘆していた。間違いなくアスカは刹那よりも遠くにいた。にも関わらず、早く反応して明日菜の下へ辿り着いた素早さに驚く。

 穴の縁から底を見下ろし、拾った石を投げて式のカエルにぶつけて紙に戻しているアスカを見る。年下と思って侮っていた面もあるが、能力は未だに未知数であると認めざるをえなかった。急務として刹那には別で考えることがあった。

 

(この式、やはり関西呪術協会の手の者か)

 

 新幹線のみならず、この場所でも手を出してきたことを考えれば確定で間違いない。やっていることが悪戯レベルなのはこちらをイラつかせるのが目的なのか、それとも別の目的があるのか。一兵卒が精々な刹那には読み切れなかった。

 騒ぎを聞きつけて戻って来たネギとアーニャを見ながら、どうすべきかを考える刹那だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新幹線に続いて二度目の悪戯が関西呪術協会の息がかかった手の者の仕業であるとの刹那の意見に、ネギ達は観光を切り上げて先に木乃香の家がある総本山へと向かうことにした。

 関西呪術協会の本山は、嵐山は桜や紅葉の名所である嵐山より少し離れた地点にあって清水寺から歩いていくにはかなり遠い。タクシーで行くには途中で襲われる危険性を考えると避けたい。最も人の目に付く交通手段はバスか電車。バスの交通網はそんなに大きくは無い。消去法で電車を選んで目的地を目指すことにした。

 昼時だったので途中で昼食を取り、昼も少し過ぎたぐらいの時間になった。道中予想された妨害もなく一行は無事に関西呪術協会の本山の入り口に辿り着いた。

 

「ここが関西呪術協会の本山か、でっけぇ」

「伏見神社に似てるかも」

 

 鳥居が何個も連なっている長い階段の下で、アスカとガイドブックを手にしたネギはその階段を見上げ、それぞれ感想を漏らす。

 関西呪術協会の本山の入り口は、如何にもといった様子だった。短い石段の先には大きな門が立っており、門の脇にある石碑に刻まれた名は『炫毘古社』と書かれている。

 小高い山が丸々敷地らしく、鳥居の後ろには鬱葱と生い茂った森を横断するように石畳の階段が伸びており、まるで人目から隠されているかの様になだらかな石畳の階段が終わるとひたすら奥へと道が続いている。その道を跨ぐように竹薮に囲まれた無数の朱色の鳥居で形作られたトンネルは、思わず吸い込まれてしまいそうに深く、長く、どこか別の世界へと繋がっているかと錯覚してしまうほどだ。辺りに人気は無く、風が吹く度にごおごおと不気味な音が辺りに響き渡る。

 興味本位で入ることが憚れるほどに、目の前の土地は異様な雰囲気を醸し出していた。一般人を寄せ付けないように人払いの結界が張られているためだ。それだけでなく妖怪悪霊の類を侵入させないための結界も張られている。

 

「うわー、何か出そうね」

「そんなことないで。十何年も暮らしててうちは全然魔法に気づかんかったし」

 

 おどろおどろしい光景に、ちょっと怯えていた明日菜。生まれ故郷故に悪く思われたくない木乃香が反論するも、現実は彼女をそういう異常や異形を彼女の父親である近衛詠春が近づかせないようにしていたと知っている刹那は苦笑した。

 

「行こうぜ」

 

 関西呪術協会も組織である以上は一枚岩ではない。新幹線や恋占いの石で妨害してきた術者もここに属する陰陽師と考えていている刹那が注意の一言も発する前にアスカが足を踏み出した。

 

「ちょっと待って下さい。途中で妨害もあったのですから、もう少し周囲を警戒しながらですね」

 

 足を踏み出したアスカを追いかけて刹那が走る。今の日本はアメリカの文化だけに留まらず、多種多様な文化が流れ込んでいる。裏の世界では魔法使いが分かりやすい凡例だった。

 西の関西と東の関東を二分した互いの組織の仲は決して良くない。

 古きを尊ぶ日本の文化を継承しようとする一派が関西呪術協会にもいて『東の魔法使い』を嫌っている。最近は和平の風潮が広まっているが、和平を求めている現在の長に対する対抗勢力は必然的に『東の魔法使い』を嫌っている。

 魔法使いであるアスカ達が木乃香を連れて訪問することは関西呪術協会内にも広まっていることが推測される。先の妨害の事を考えれば警戒して進んだ方が良いと刹那は言いたかった。

 

「この中なら周りの一般人の目はありません。襲撃に絶好の場所です。注意してしすぎることはありません」

 

 一般人に対してその存在を隠匿している関西呪術協会としては、白昼堂々と襲撃して、その姿を衆目に晒すと言うのはあまり褒められた事ではない。しかし、ここならば総本山の人払いの結界があるため、一般人の目を気にする事なく襲撃を仕掛ける事ができる。

 

「分かってるって」

 

 そう思ってアスカを注意するが当の本人の足は止まらない。本当に分かっているのかと言いたくなる衝動を抑えた刹那が静止するもアスカはどんどんと先へ進んでいく。

 

「なら、もっとゆっくり」

「大丈夫だって。襲撃があっても俺がぶっ倒すから」

 

 と、言いながらも自信満々な笑みを浮かべるアスカの足はさっさと進み続ける。

 吊られて動き出した一行の中でネギが刹那に顔を向けた。

 

「無駄ですって。アスカは襲撃があることを望んでるんですから逆効果ですよ」

 

 きちんと掃き清められた鳥居のある入り口を見つめるネギは神妙に頷くと、慎重な足取りで竹林の石段を進んでいくが台詞には半ば諦めが籠っていた。

 

「普段ならもう少し警戒ぐらいはするのに、私達がちょっと離れていた間になんか怒ってない?」

「うん、怒ってるかは微妙だけど行き場のない感情をぶつける相手を探しているみたいな感じがする」

 

 アーニャと首を捻り合っているネギの台詞に、刹那の目は自然と恋占いの石でトラップに嵌った明日菜を見た。二人の会話が聞こえてなかったらしい明日菜は刹那に見られて、何で自分に視線を向けられたのか分かっていない様子だったっが木乃香はバッチリと聞いていたようだ。

 

「愛されてるなぁ、明日菜」

「なんのことよ」

 

 少し猫なで声になっている木乃香を気持ち悪がった明日菜は更に首を捻っていた。

 

「二人とも互いに脈ありそうや」

「変にかき回さないで下さいよ、お嬢様」

「は~い」

 

 ズンズンと先を進むアスカに遅れないように足を進めながら、親友の恋模様に新たな波乱が訪れていることを喜ぶ木乃香を見て溜息を漏らした刹那だった。

 

 

 

 

 

 十分ぐらい緩やかな石段を登って幾つもの鳥居を潜り抜けたところで、黙って歩いていることに飽きた明日菜は思いついたように口を開いた。

 

「そういえば、木乃香の親ってどんな人なの?」

「なんやの、突然急に」

 

 その話は家族のいない孤児らしい明日菜のことを慮った木乃香が口に出すこともなかった話題で、明日菜も特段聞くこともなかったことだった。

 

「襲撃もないし、暇だなって」

 

 緊張感がないなと二人の会話を最後尾で聞いていて思った刹那だったが、予想された襲撃がないことに肩透かしを感を食らっているのは同じだった。

 

「んとな、お母様はうちを生んだ時に産後の肥立ちが悪かったらしくて死んでしもっとたらしいねん」

「…………ごめん、聞いちゃいけない事だった」

「ええよ。赤ん坊ことだったからよう知らんし、元々体の弱い人やったから覚悟してうちを生んだって話やから。この写真があればどれだけ愛してくれたか十分に分かる」

 

 項垂れた明日菜の頭を良い子良い子とばかりに頭を撫でた木乃香は、持っている鞄から一枚の写真を取り出した。

 明日菜に差し出された写真には、黒髪の女性が腕の中に赤ん坊を抱いて慈愛の瞳を向けている。その女性と赤ん坊を眼鏡を付けた優男風の男性が見つめていた。

 

「木乃香に似てる」

「うちが、お母様に似てんねん」

 

 クスッと、笑った木乃香につられる様に明日菜もまた笑みを浮かべた。そしてふと明日菜は、先頭を歩くアスカとその後ろを歩くネギが父親を探しているのだと以前に聞いたことを思い出し、二人の母親はどんな人なのだろうと疑問に思った。

 聞いてみようかと明日菜が口を開いたところで、アスカが前振りも無く突然立ち止まった。

 

「おかしい」

 

 習って足を止めた残りの五人の内、半分はアスカの言いたいことに気が付いたようだ。

 立ち止まって辺りを探っているアスカに変わってネギが刹那を見た。

 

「刹那さん、入り口から本山まではこんなにも歩くんですか?」

「本山までは結構な距離を歩かないといけないのですが、流石にこれはおかしいです。もっと変化があるはずです」

 

 行けども行けども本山にたどり着く様子が無く、延々と竹林に挟まれた石畳の通路が続いているのだ。どれだけ抜けている人間でも可笑しいと思う。

 子供の足といっても、十分近く歩いて目的地が欠片も見えないのはおかしい。襲撃者がいないか気を取られていたが、普通に考えてそんな不便すぎる土地に関西の魔法関係の総本山があるとは考えられない。

 

「景色が代わり映えしなさすぎるのよね。同じ場所を歩かされてるんじゃないかしら」

「そうなの? 全然気づかなかった」

「うちも」

 

 どっぷりとそちら関係に身を浸しているネギ達の間では違和感が強かったが、最近知ったばかりの二人にはそうでもないらしい。

 ネギ達はこの状況に一種の推測を立てた。推測を証明する手段をどうするか考えていたところで、アスカが一人で足を進めて行った。

 

「ちょっと待っててくれ。先を見てくる。三人は辺りの警戒と二人の護衛を」

「なら、私が」

「待ちなさい、刹那。これは流石におかしいわ。何かの罠かもしれない。そんな状況で護衛のあなたが木乃香から離れてどうするの」

 

 己の職分を全うしろとアーニャが諌めるが、もしかしたら内輪の問題かもしれないのに魔法使いである三人を巻き込むことは刹那には出来なかった。元より一人で抱え込む気質のある刹那は誰かに任せるよりも自分で行動した方が楽なのだ。

 

「ですが、私の方がここの土地勘があります。偵察なら私の方が適任のはずです」

「確かにそうね。でも、私達はあなたの力を知らない。反対にアスカのことは良く知っているわ。その上で言うわ。アスカに任せない」

 

 譲れない思いで睨み合う二人の後ろから、おずおずとネギが首を出した。

 

「あの、二人とも。アスカ行っちゃたけど」

「「え」」

 

 ネギが言う通り、睨み合っていた二人が視線を前に向けると鳥居の奥に進んでいるアスカの背中が随分と遠くなっていた。

 

「二人とも喧嘩はメっやで」

 

 木乃香の締めの言葉が場の空気を緩くした事実は否めないと苦笑を浮かべる明日菜。

 

「木乃香、二人は別に喧嘩してたわけじゃ」

「喧嘩してたのか?」

「きゃっ」

 

 木乃香に話しかけた明日菜は突如として後ろから湧いて出てきたように現れたアスカの声に飛び上がった。以外に女の子らしい可愛い悲鳴だった。

 

「あ、あれ!? 何でアスカが後ろから!?」

 

 心臓を飛び上がれながら振り返った先には前に向かって歩いていったはずのアスカの姿。

 前に向かって歩いて行ったはずのアスカが何故か真後ろにいるこの不思議と、触れるか触れないかぐらいの急接近に明日菜はパニックに陥った。

 

「前に来てたアスカが後ろに現れた。ネギ、上と後ろと横を試してみて」

 

 明日菜と違ってアスカの背後からの登場に驚くどころか半ば予想していたアーニャは腕を組んで何かを考えているネギを見る。

 視線を向けられたネギは頷き、杖に巻いていた包帯を解いて構えた。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 風精召喚!!」

「本当の魔法やぁ」

「うわぁ」

 

 ネギが呪文を唱え切ると、周囲にネギの姿を取った風の中位精霊が四体現れた。身近な魔法使い達は三人とも碌に魔法を見せてくないので、間近で始めて見るファンタジーに木乃香だけではなく明日菜も目を輝かせた。

 

「行け!」

 

 ネギの命令に従い、集団を中心に散り散りになって四方へ飛び去る風精達。

 行く末を眺めているネギ達の視線の先で一定の距離で風精達が消え、向きを真反対に変えて出現する。風精は自分達が元来た道を逆走していることに気づいたかのように急ブレーキをかけた。

 

「やっぱり、一定空間内でループしてる」

 

 此処に至ってネギは自分達が罠に嵌ったことに気づいて役割を終えた風精を解いた。役目を終えて解かれた風精が風と成って消えていくのを木乃香が名残惜しげに見つめていた。

 

「無限回廊の魔法の類じゃないかしら」

「恐らく無間方処の咒法と呼ばれる種類の呪術です。私達がいるのは大体半径五百メートル程の半球状のループ型結界の内部。つまり、この千本鳥居に閉じ込められてしまっています」

 

 似たような魔法を知識として知っていたアーニャに、該当する呪術を知っていた刹那が訂正・補足する。

 説明する刹那の声音に、一段と重い響きが含まれる。無限回廊、即ち永久ループの呪法はどれだけ進もうとも永遠に同じ場所を回り続けるという破る術がなければ出られない質の悪いものだ。

 

「前に進むのも駄目、後ろに戻るのも駄目、横に行くのも駄目、上も駄目だとすると完全に手詰まりか」

 

 辺りを見渡したアスカが事態ほどには困ったように見えない軽い声が呟いた。その声に呼応するかのように、周囲の竹が風に撫でられ不気味に騒めいた。そんな一行を高みから見下ろす影が二つ。

 

「へへへっ、あっさり罠にかかったわ」

 

 竹林の影に隠れて一行を監視していた学ラン姿の少年は笑った。

 少年は笑いを収め、少し不満げに隣にいる着物を着崩した女を見た。

 

「罠にかけんのはええけど、なんでわざわざこんな面倒くさいことしなあかんねん」

「これも奴ら魔法使いへの嫌がらせや。小太郎は黙って従い」

 

 悪戯で満足している隣の女性の懐の狭さに、これでも恩人で家族になってくれた人なので協力せざるをえない世知辛さを感じつつ少年――――犬上小太郎は本音を喋ることを厭わない。小太郎は退かず媚びず省みない性格だった。

 

「正面からガツンといけばええやん。新幹線の時や神社でのことといい、千草姉ちゃんは一々やることがまどろっこしいわ」

「アホやな。表だって問題起こすのはマズいやないか。うちにも立場っちゅうもんがあんねん」

「十分、問題起こしてると思うけどな俺は」

「うっさい」

 

 ボカリ、と千草と呼ばれた女性に脳天に拳骨を落されて痛みに震えた小太郎は理不尽さに世を呪った。

 

「気を込めて殴るんは止めてぇな。頭が割れるわ」

「あんさんの石頭が悪いねん。気を込めんかったらこっちの拳が壊れるわ」

「俺の頭が割れるのはええんかい」

「か弱い乙女の拳で割れるわけないやん」

 

 理不尽な理由で殴ったことを反省もしていない千草を見た小太郎は、「俺は大人や。こんなことで怒らへん」と心の中で何度も自分に言い聞かせることで込み上げた怒りを抑える。昨今の女性上位が世論に押される男の気持ちが良く解った小太郎だったが、牙を剥いても勝てるビジョンが浮かばない相手には挑まない主義だった。

 千草の料理は上手く、野良犬生活には二度と戻れそうにない小太郎には言うことを聞くしか道は残されていなかった。それが胃袋を掴まれたている養われ人の辛いところである。

 

「うちはアリバイ作りするから、アンタは適当な時間で術を解きや。くれぐれもうちがアリバイを作れるまで待ってからやで」

「はいはい」

「はい、は一回」

「は~い」

 

 呼び出した蜘蛛の式神に乗って離れて行く女性を見送った小太郎は、まだ痛む脳天を擦りながら罠に嵌められた一行を見下ろした。

 その時、一行の中でこちらを見上げている一人と目が合った。

 

「強そうな奴がおるやんけ。思ったより遊べそうやんか」

 

 どこかの誰かと似ている精神構造をしている少年の頭からは、先の女性からの言いつけがあっさりと抜け落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場に何時までも留まっている訳にはいかず、少し進むと鳥居の脇に時代劇に出てくるような和風作りの茶屋と自動販売機があった。明らかに怪しく罠かもしれないが、気を張りながら歩いて疲れている木乃香のことを慮って一行は一休みすることにした。

 

「ふぅー、一息ついた」

 

 縁台に座って自動販売機で買ったジュースに口をつけながら明日菜もようやく一息つけた。

 

「これはちょっとマズイわね」

「とにかく、まずは現状を把握してなんとか打破する方法を考えませんと」

「これって脱出するには結界の基点を破壊するしかないのかな」

 

 自販機があったので椅子に腰掛け、飲み物を買って飲みながら作戦会議を始めるネギとアーニャと刹那。西洋魔法、陰陽術の違いはあれど、結界を作る際には基点となる場所がある事に変わりはない。まずはその場所を探す事から始めようと考える。

 こういう場合、関わったばかりの明日菜と木乃香は話に加われない。黙って話の推移を見守るしかなかった。そこでふと明日菜は三人の話に加わっていないアスカが竹林の方を見ていることに気が付いた。

 

「でも、何処に基点があるんだろう……」

 

 ネギが言ったように問題はそこだった。半径五百メートル程ということは直径一kmになる。鳥居や柱、竹といった雑多にある中から基点を的確に探し出すのは不可能に近い。

 

「やっぱり、一番怪しい鳥居に基点があるんじゃないの」

「他にもないと壊すしかないのかな。壊したこと、後で謝ったら許してくれるといいけど」

「流石に長もそこまで非情な方ではありません。非常手段として認めて頂けるように私も掛け合いますので大丈夫です」

 

 周囲を見渡しながらアーニャが一番高そうな可能性を指摘すると、他に思いつかないネギが刹那の言葉に安心して鳥居を探ろうと足を運ぶ。

 

「おっと、そこまでにしといてもらうで」

 

 鳥居を探るというネギの行動を遮るように、その少年は唐突に現れた。年の頃はネギ達より少し上か、同じくらいといったところであろうか。頭にはニット帽を被って納まりきらずに溢れた髪を後ろで結んでおり、前を開いた学生服に身を包み、学ランの下には白いTシャツを着ている。

 

「生憎やけど此処から直ぐに出られるのは困るんや。つう事でちょっと遊んでやるわ」

 

 そう言って茶屋の屋根の上から飛び降りた少年は、鳥居がある通路に着地して拳を胸元に翳した。

 

「ようやく出て来たと思ったらやる気満々じゃねぇの、おい。罠仕掛けて高みの見物をしてた奴が偉そうだぞ」

 

 足を踏み出しネギを追い抜かして、好戦的に歪む唇をしたアスカは少年の存在に気づいていたのだと明日菜は分かった。恐らく、アスカのさっきの視線の先にはこの少年がいたのだ。

 

「はん、強い奴がいたら戦わないとあかんやろ、西洋魔術師。それに偉そうなのはお前の方や」

 

 二人は互いだけを見ていた。互いだけにしか眼中がなかった。同時に歩き、一足の間合いにまで距離を詰めたところで立ち止まる。

 

「おい、テメェの名前は」

「そっちはどうやねん」

 

 譲らない。どっちも譲らなかった。動作・口調共に相手への挑発を止めない。不倶戴天の敵であり、勝たなければならないライバルであると認識しているかのようだった。

 二人を見たネギが危機感を露わにした。

 

「ここは危ないです。下がりましょう」

「そうよ、珍しくアスカがマジだわ。巻き込まれた洒落にならない被害が出るわよ」

 

 鳥居の方に向いていた足を茶屋に戻したに言われるがままに明日菜達は下がらざるをえなかった。

 刹那としては関西呪術協会からの刺客と思しき少年の相手をアスカ一人に任せるのには気が引けたが、アーニャに強引に引っ張られてしまう。

 五人が下がった直後に、ピンと張りつめられていた糸が限界を迎えた。

 

「アスカ・スプリングフィールド」

「犬上小太郎」

 

 二人は同時に自身の名前を言い合い、膝を軽く曲げて腰を落した。

 

「「テメェを倒す敵の名前だ。憶えておきやがれ!!」」

 

 開戦の号砲を高らかに鳴らして、後に終生のライバルとなるアスカ・スプリングフィールドと犬上小太郎の戦いの幕が切って落とされた。

 飛び出したのは二人同時である。地面を勢いよく蹴りつけて、真っ直ぐに相手へと向かう。

 

「!?」

「へっ」

 

 初撃は、魔法使いであるはずなのに全く同時に飛び出したことに意表をつかれた小太郎の頬に拳をヒットさせたアスカに上がった。魔法使いは後衛でちまちまと攻撃するだけしか能がない臆病者だと思っていた小太郎に絶大な隙が生じたのだ。アスカはその隙を突いた。

 

「これで!」

 

 始まったばかりの戦いに早くも決着をつけんと、魔法を知っているだけで一般人と何も変わらない明日菜と木乃香の目にも分かるほどの強力な魔力の輝きが、振り上げたアスカの拳に灯る。

 可視化されるほどの強力な魔力に、頬を殴られて体勢を崩している小太郎はこのままでは自分が敗北すると予感した。

 回避は不可能。生半可な防御では持ちこたえられず、体勢を立て直す暇もない。

 小太郎は早くも切り札を切るべく、学生服のポケットに入っている数枚の呪符に気を通した。同時に、鉄腕の如き固められたアスカの拳打が放たれる。

 

「ハッ! 効かんわ、そんなん!」

 

 凄まじい突風がぶつかってニット帽を弾き飛ばしたが小太郎は無事だった。

 

「ちっ、障壁かなんかか」

「護りの呪符や。西洋魔術師と一緒にすんなや」

 

 衝撃で互いの距離を開けながら小太郎は体勢を立て直す。アスカも直ぐに追撃はしてこなかった。

 懐の感触から護りの呪符が全ておしゃかになったことを自覚しながら、殴られてジンジンと痛む頬に手を添えた。先の一撃で口を切ったのか、口の中が不快な錆びた匂いと味で一杯になり、ペッと口内に溜まった不快なモノを唾と一緒に血を吐き棄てる。

 僅かな粘性のある真っ赤な血が小さな音を立てて地面を跳ねた。吐き出す際に口元に流れた血を拭った小太郎が笑う。

 

「見立ては間違ってやなかった。お前は強い。やけどな」

 

 油断は確かにあった。だが、それよりも目の前の西洋魔術師が強いことを小太郎は認めざるをえなかった。 

 

「俺の方がもっと強い!」

 

 先に倍する速さで接近する小太郎にアスカの反応が遅れる。

 

「もらったぁっ!」

「ぐぅ!」

 

 アスカが咄嗟に反応して上げた防御の腕を掻い潜って左頬を強く打ち抜く。衝撃が貫いて、アスカが咄嗟に張った障壁も突破されて視界が急転し、石畳に勢いよくバウンドして右半身を強かにぶつける。

 

「へへっ、どや障壁抜いたで。今のは効いたやろ」

 

 歯を食いしばって立ち上がるアスカに小太郎は嘲笑を向けた。

 小太郎が千草の誘いに乗ったのは、西洋魔法使い相手に思う存分暴れたいという願いがあったからだ。いけ好かない西洋魔法使いを倒す事もそうだが、闘いを、特に強敵との闘いを渇望してやまない小太郎に願ってもないことだ。

 

「ハハハ、やっぱ西洋魔術師はアカンな、弱弱やチビ助」

「言ってくれるじゃねぇか、チビ犬が」

 

 その言葉が耳に届くと同時に、口元の血を拭っていたアスカは眉を吊り上げて怒りも露わに小太郎を見る。

 

「テメェ程度に負けるほど、俺は弱かねぇぞ!」

「弱い奴は俺に負けろやぁ!」

 

 共に入れた攻撃は一撃ずつ。相手を打ち負かす為にまた同時に二人は踏み込んだ。

 

「驚いた」

 

 目の前でバトル漫画のような展開が光景されている中で、ネギがぽつりと漏らした一言に明日菜も同意した。

 魔法使いは信じられない力を持っていると、初日にのどかを助けた手並みから予測していたが目の前で繰り広げられる戦いはそれ以上の衝撃を明日菜に与えていた。

 動体視力にはかなりの自信があった明日菜の目でも半分も攻防を捉えきれない。運動は苦手ではないが明日菜ほどに人間離れしていない木乃香などは、戦う二人の残影しか捉えきれていないようだった。

 

「まさか同年代でアスカとここまで互角に戦える奴がいるなんて初めて見たわ」

「そこっ!? 違うでしょ! ここは人間の動きを超えた戦いをしている二人に驚くところでしょ!」

 

 アーニャがしみじみと呟いた言葉に明日菜は突っ込まずにはいられなかった。

 

「なにを驚いているのよ」

「え!? ここで呆れられるのは私っておかしくない!?」

 

 分かっていないとばかりに呆れられて明日菜はもう一杯一杯だった。

 

「明日菜さん明日菜さん。僕達って魔法使いですよ? 普通の人間を超える力ぐらいは持ってますよ。ま、あの二人は異常ですけど」

 

 ネギは二人の戦いを意地でも見過ごさないとばかりに、目を皿のようにして明日菜を見ずに言った。

 移動しながらの乱打戦を行っている戦いは、ほぼ互角だった。魔法使いであるネギの目を以てしても全てを捉えることが出来ない。前衛系ではないので得意ではないと言ってしまえばそれまでだが、ネギが求めている境地を思えばそうも言ってられない。目の前の戦いから何かを得ようと必死だった。

 

「魔法使いってネギ君みたいに杖持って魔法で戦うもんなんちゃうの? 思いっ切り肉弾戦してるように見えるんけど、魔法使いってみんなあんなんなん?」

「あれは魔法剣士っていう分類のタイプです。普通の魔法使いは遠・中距離タイプですよ」

 

 大体戦闘スタイルは二つに分かれる。「相手が近寄れないようにして、遠・中距離の魔法で弾幕を張って撃墜」か、「自分自身の体に魔力等を付加して、身体を強化しての肉弾戦」だ。

 そしてネギのスタイルは前者の「魔法使い」で「魔法」を使用しての遠距離攻撃が基本だ。これは、呪文を詠唱する為にある程度の距離を稼がなくてはならないが故の「魔法使い」の戦い方として半ば必然的なものだ。詰まるところ。言い換えれば遠距離攻撃を凌がれ、呪文を唱える間もなく距離を詰められ、近距離攻撃を仕掛けられた場合、成す術が無くなってしまうのが「魔法使い」の弱点。その為に、前衛として「従者」の助けが必要不可欠になる。

 逆にアスカと小太郎のスタイルは見ての通り後者の「魔法剣士」タイプで近距離攻撃が基本だ。「魔法剣士」は近づいてなんぼのスタイルなので、ファンタジーに夢を持っているらしい木乃香の希望に添えるはずがない。

 

「狗神!」

 

 小太郎が叫ぶと足下から無数に狗を象った影が出現してアスカへと向かって駆ける。

 

「この程度でやれると思ったか!」

 

 左右から迫りくる狗神の群れを、アスカは足を止めて両手の裏拳で一体ずつ叩き潰し、前方への鋭い前蹴りで更に一体蹴り飛ばす。続いて背後に回りこんだ一体を見もせずに殴り飛ばして、時間差攻撃を仕掛けようとした残りの三体を力を溜めた拳の一撃で纏めて粉砕する。

 追撃を仕掛けようとした小太郎の出鼻を挫く瞬く間の出来事だった。

 

「強い強いでアスカ!」

「お前もな小太郎!」

 

 犬歯を剥き出しにして歓喜の声を上げる小太郎に、アスカもまた面白そうに笑いながらも止めていた足を進めて小太郎へと真っ直ぐに突っ込んで行く。二人の口角は吊り上がっている。闘いを愉しんでいるのだ。

 

「凄い……」

 

 本来なら止めるべき立場であるはずの刹那は目の前で繰り広げられる戦いに魅せられていた。

 正直に言えば二人の実力は刹那にまだまだ及ばない。

 二人とも我流の気が強すぎて、動きに粗が多すぎる。だが、目の前の二人は戦っている間にどんどんレベルを上げている。戦闘スタイルが近く、実力が近い者の同士との戦いで引き上げられているのだ。

 小太郎の、あの犬耳や狗神を使ったことから狗族とのハーフであることは察しがつく。妖怪やその類は総じて人間よりも基本能力が高い。犬上小太郎の能力の高さは半妖故との推察はついても、現在進行形で渡り合っているアスカの理由にはならない。

 

「がっ」

「ぐっ」

 

 互いの拳が顎に入って顔が跳ね上がる。

 しかし、次の瞬間にはそれすらも攻撃の予備動作であったかのように全力で相手に頭突きを叩きつけた。全く同時の頭突きに、見ているこちらが痛くなりそうな音が響いて、流石に効いたようでフラフラと二人の距離が開いた。

 

「痛ぇな!」

「こっちこそ痛いわ!」

 

 目の端に涙を浮かべながらも二人は戦いを止めようとしない。

 戦いを見ていて、刹那には一つだけ腑に落ちないことがあった。

 

「アスカさんは魔法を使わないのですか?」

 

 小太郎が狗神を使っているのに対して、アスカはさっきから距離が離れても一度も遠・中距離の魔法を一度も使っていない。離れてもその場合は必ず距離を詰めて、肉弾での攻撃を行っている。世間一般のスタイルとして認知されている魔法使いのスタイルとしては異例ではあるが、そもそも身体強化以外の魔法を使わないことの方が異様だった。

 

「使わないんじゃなくて使えないのよ」

「は?」

「アスカって遠・中距離の魔法が苦手で、発動までに時間がかかるんです。多分、小太郎君相手には致命的な遅れになるから敢えて使わないんだと思います」

「ようは使えないってことじゃない」

「言葉の意味が違うよ」

「日本語って難しいわ」

 

 アーニャの発言に目を丸くした刹那に補足するように、ネギが詳しい理由を説明する。近距離でしか攻撃オプションがないアスカと、たった今棒手裏剣を取り出して放ったように小太郎とでは手段に差がある。

 

「それじゃ、このままだと負けるんじゃ」

「助けに入った方がええんとちゃうの?」

「いえ、それはありえませんし必要ありません」

 

 不吉な予感に身を震わせた明日菜と木乃香の発言を、ネギは揺るがない自信を持って否定した。

 

「よく僕は天才だなんて言われますけど、本当の天才はあそこにいるアスカの方です」

「少なくとも私はアスカが同年代に負けるビジョンは思い描けそうにないわ」

 

 五人の視線の先では、足払いをかけた小太郎の一撃を自分から飛んで躱したアスカが手近にあった鳥居を蹴って防御の上から殴り飛ばしたところだった。

 

「ぬうっ」

 

 殴り飛ばした勢いもそのままに、アスカが猛攻を仕掛けんと迫る。迎え撃たんと小太郎が狗神を放つが、地面と平行になるほど身を沈めたアスカに躱された。

 このままでは小太郎の足に激突するかと思われたアスカが石畳に両手を突き、急ブレーキがかかった反動で足裏が跳ね上がった。足裏が向かう先は小太郎の顔である。大したダメージはないが顔を襲った衝撃によって小太郎の視界が一瞬だけ塞がれた。

 

「く……」

 

 視界を塞がれようとも気配でアスカの居場所を察知した小太郎は、倒立から腕だけでジャンプして落ちて来た踵落しを躱した。だが、次いで腹筋だけで体を折って放たれた拳までは避けることは出来なかった。

 首が横に捻られ、ようやく開いた視界にアスカの姿はない。やられる、と小太郎が思った瞬間に衝撃が走った。開いている小太郎の胴体に深々とアスカのボディーブローが突き刺さった。

 

「がっ、あ……かは……!」

 

 気を集中してある程度のダメージは緩和できたが、衝撃までは殺しきれずに小太郎の横隔膜に激しい衝撃が走って肺から根こそぎ空気が抜ける。

 アスカが先の一撃で身体が浮いた小太郎に向けて、空中にいるままギシギシと鳴らせた拳を間髪入れずに振り下ろした。容赦無く降り注いだアスカの拳により、小太郎はその身体を石畳を砕きながら沈み込ませた。

 

「…………俺、大勝利」

 

 砕かれた石畳に沈み込んだ小太郎を見下ろして、割とズタボロなアスカが手を上げて勝利宣言を上げる。

 

「ほらね」

 

 ネギが明日菜らを見るが、特に明日菜などは血を流して顔を腫らしたアスカを見て涙ぐんでいた。

 勝利に酔うように息を吐いてネギ達の下へ向かうアスカと、アスカの下へ涙ぐみながら向かう明日菜。アスカの前にやってきた明日菜は迸る感情を叩きつけた。

 

「この馬鹿っ! 勝つんならもっと早く勝ちなさいよ」

「小太郎は結構強いんだぞ。無茶言うなって」

「無茶も言うわよ。もう、ボロボロじゃないの」

 

 歩み寄って来るアスカに誰よりも早く駆け寄った明日菜は、流れている血を取り出したハンカチで拭う。

 

「痛ぇって。これぐらい舐めてれば治る。ネギ、いいから治癒魔法かけてくれよ」

「舐めてれば治るんでしょ。僕、いらないよね」

「お、おいって。じゃ、アーニャ」

「私ってば京都まで長旅で、ちょっと疲れちゃったみたい。今魔法は使えそうにないわ」

「なんだってんだよ、二人とも」

「こら、こっち向きなさい」

「へいへい。分かったから泣くなって。俺は大丈夫だからさ」

 

 ネギとアーニャにそっぽ向かれたアスカは、明日菜に言われて仕方なく血に塗れた顔を向けて拭かれるままに任せた。

 

「泣いてなんかないわよ!」

「イデェッ! もっと優しくしてくれ」

「あ、ごめん」

 

 ポロリと流れた涙に対する気恥ずかしさから手の動きが荒れ、痛がったアスカの言うことを素直に聞いた明日菜は赤ん坊を触るように優しく血が流れる傷を拭いていく。

 愛情すら感じさせる優しい手際を見た木乃香は深く頷いた。

 

「ん~、本当に脈ありそうやな。これは少し意外や」

「ですね。どこで意識したんでしょ」

「さっきの恋占いの石の時かな? にしては意識が早いし、土壌事態は前からあったんかもしれん」

 

 明日菜の変貌に驚きつつも、二人は事態を温かく見守ることにした。

 

「ま……待てやぁッ!!」

 

 突如として響き渡った怒声に、全員が振り返る。石畳に埋もれてもう動けないはずの小太郎がよろよろとしながらも懸命に立ち上がろうとしていた。

 戦意が消えていない小太郎の目に、勝利が確定したと思っていたネギとアーニャは眼を見張った。

 

「た……ただの人間にここまでやられたのは初めてや…………さっきのは……取り消すで…………アスカ……スプリングフィールド。だが……まだや! まだ俺は終わらへんで!!」

 

 小太郎が一言喋るたびに回りの空気が渦巻き、それに伴うかのように小太郎の姿がどんどん変わっていく。

 脱ぎ捨てられた学生服が舞い、シャツは小太郎自身の手で引き裂かれる。その下から現れたのは白銀の体毛で覆われた細く引き締まった獣の如き肉体。爪は伸び、黒髪は伸びて体毛同様白銀に染まり、髪に隠れていた獣耳は鋭角的な成長を遂げた。腕が太く、長くなっていき、足の形も獣の脚へと変化し、臀部からは犬や狐のような尻尾が垂れ下がる。その様は正に童話に聞く狼男と呼ぶべき姿で、放たれる力も先程よりも増していた。

 

「獣化!! 変身した?」

「がぁあああっ!!」

 

 驚く周りを余所に変化を終えると、雄たけびと共に獣人と化した小太郎はアスカに向けて拳を振るった。アスカは慌てて明日菜を突き飛ばすことは出来たが、格段にスピードを増していた一撃を避けることは出来なかった。

 

「がぁっ」

 

 アスカが殴り飛ばされ、何かの石碑にぶち当たってその身体が見えなくなった。突き飛ばされて距離が開いたはずの余波だけで明日菜の体が軽く宙に浮いていた。これほどの一撃を体に受けたアスカのことを思った明日菜の背に戦慄が奔った。

 だが、その戦慄を押し潰すほどの怒りが明日菜を支配した。相手が子供であるとか、自分を容易く殺せる相手だとかは関係ない。

 

「この……!」

 

 目の前の相手をぶん殴らなくては気が済まないこの激情の正体を、明日菜はまだ知らない。

 

「止めろ!」  

「…………っ!?」

 

 拳を振り上げた明日菜を静止する声。明日菜の眼前には小太郎の拳が止まっていた。声に止まったのか、それとも自分で止めたのか。もし、明日菜が振り上げた拳を止めなければ、後少し声が放たれるのが遅ければ、明日菜の顔は潰れていてもおかしくなかった。

 

「こっからが本番だろ。部外者に手を出してんじゃねぇよ」

 

 瓦礫を押し退けたアスカが体を起こした。その身体は傷ついているが、立ち上がった体にはまだ戦闘能力が残っている。へん、と笑った小太郎は明日菜を見て頭を下げた。

 

「悪ぃ姉ちゃん。つい、反応してもうた」

「下がっててくれ。ここは俺達の戦いの場所だ」

「あ……」

 

 痛む体を引き摺って小太郎の前に立ったアスカにかけられる言葉はなかった。明日菜は部外者だった。手を出す理由も、口を挟む理由も存在しないと思い知らされる。足が下がる。部外者と思い知らされた足は明日菜の意志に反して動いていた。

 

「明日菜さん」

「大丈夫、アンタ?」

 

 ふらふらと足が下がった明日菜を受け止めたのはネギとアーニャだった。

 

「下がるわよ。この戦いに私達が出来ることは何もないわ」

「アーニャちゃん」

「悔しくても我慢しなさい。我慢してるのがアンタだけなんて思わないで」

 

 アーニャの唇から血が流れていた。戦いの余波に巻き込まれたわけではない。自身で唇を噛み切った証だった。

 アーニャの視線の先で、戦っている二人は違う世界を作り上げていた。

 

「格好いいじゃねぇか、おい。それがお前のもう一つの姿か」

「はん、今まで誰にも見せたことのない奥の手や。存分に味わえ」

 

 遠かった。さっきまであんなに近くにいたアスカの姿が随分と遠くに見えた。自分はどうしてこんな遠い所にいるのだろう、と明日菜は思った。

 

「あれって狼男やんな。あれが小太郎君の本当の姿なんか」

「あれは彼が持つ狗族としての側面を表に出しただけでしょう。妖怪としての側面を面に出すことは消耗が激しいなどのリスクを背負う代わりに莫大な力を得ます。今までの彼と同じと思わない方がいいです」

 

 私のように、とは刹那は口には出さなかった。刹那は小太郎が羨ましかった。妖怪としての側面の姿を見たアスカは動揺の欠片も見せていない。それどころか格好良いと賞賛すらしてくれる。そんな相手に出会える幸運が刹那には羨ましくて仕方がなかった。

 

「やっぱお前は最高や、アスカ! だからこそ俺はお前に勝ちたい!」

 

 さっきは僅かな僅差でアスカが勝利したが、二人の力はほぼ拮抗していた。そこへ小太郎が獣人としての側面を面に出して能力を倍加させた相手に対して、アスカが勝てる道理はない。

 

「オラ、オラッ! 反撃してみんかい!!」

「ぐっ!」

 

 見えて反応出来ていても小太郎の動きに対応できず、展開している魔法障壁が衝撃を緩和してダメージを抑えているものの、拳のラッシュから逃げることができない。

 

「これはちょっとまずいかな」

 

 さして焦っていなさそうなネギに怒りをぶつけかけた明日菜だったが、目の前の戦いから視線を逸らすことは出来ない。

 風切り音が唸るように周囲に響き、幾つもの打撃音が明日菜の耳に入ってくる。アスカを殴り飛ばして岩に叩きつけると小太郎は彼の服を乱暴に引っつかみ、容赦ない拳打の嵐を見舞う。

 拳がアスカを捉える度に血が撒き散り、石畳を赤く染め上げていく。気によって強化された膂力が生み出す一撃一撃の破壊力は、容易く岩壁をも砕く程だ。それは魔力と変わらない。そして獣人になった小太郎の攻撃力は先の比ではない。 

 

「オラァァアアアア!!」

 

 小太郎は、攻撃の反動で背中を浮かせたアスカを鋭い回し蹴りで岩に貼り付ける。その衝撃にアスカの肺から強制的に空気を排出させ、もはや彼には意味の無い呻き声を出すしか出来ないでいた。もはやサンドバック状態だ。

 

「あ……う……」

 

 無数の打撃から蹴りへと繋がり、岩に背中をぶつけて意識を朦朧とさせるアスカを眼前に捉え、ここで決めるためにトドメの一撃を食らわせるべく小太郎は右腕を振りかぶる。

 

「勝ったで!! とどめぇ!!」

「アスカ!!」

 

 明日菜の悲鳴が響く中で、小太郎の大地を揺るがす力強い踏み込みで振るわれたトドメの一撃がアスカの顔面に肉薄する。意識が途切れかけたアスカは明日菜の声に反応したように自分から体を倒すことで、なんとかこの一撃を間一髪で躱した。

 

「っつは……」

 

 背後で岩を砕いた衝撃が背中を殴打しながらも、衝撃を利用して距離を取る。

 距離を取ったが立っていられなくて片膝をついた。小太郎は追撃に移らず、悠然とアスカを見下ろした。

 

「俺の勝ちや」

 

 高らかに小太郎が言い放つ。それは奇しくも先のアスカの勝利宣言の焼き写しのようである。ただし、違いを一つ上げるのならば見下ろされる者と見下ろす者が逆転していた。アスカもそれを理解しているので、悔しげに声を漏らす。

 

「…………やべぇ。このままじゃ、勝てる気がしねぇ」

「なんやと?」

 

 まるでまだ奥の手を隠しているようなアスカの発言に小太郎は訝しんだ。

 瞬間、ネギが持っている杖の先を揺らした。

 

「ネギ、頼む」

「分かった」

「なんや、今更加勢か」

 

 アスカが視線を向けたのはネギだった。

 ネギが歩み寄って来るのを見た小太郎は失望も露わにする。ここまで一対一の勝負であったのに負けそうになったら加勢を擁するなど、男と思えない所業に怒りすら込み上げていた。

 

「勘違いすんなって。戦うのは俺だけだ」

 

 小太郎の気持ちをこの場の誰よりも理解しているのはアスカだ。

 否定しながら近づいてくるネギを見て、痛む体を押して立ち上がり服の袖を捲り上げた。捲り上げられた右手の二の腕には、黒い線がぐるりと巻き付くように描かれている。刺青やその類の物ではない。これは制約。アスカにかけられたとある制約を課す為に縛られた鎖だった。

 

「底を見せていないのがそっちだけなんて思わない方がいいわよ」

 

 ネギが杖の先をアスカの二の腕に近づけていくのを見ながら、アーニャは高らかに言った。

 少年少女の余裕の証を今こそ解き放つ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 制約の黒い糸よ ネギ・スプリングフィールドの名において汝が鎖を解き放つ」

「開」

 

 ネギが魔法を唱え、アスカが開錠の合言葉を口にすると変化が訪れた。アスカの両手と両足の間を繋ぐ鎖のような可視化され、一瞬の後に破壊された。

 

「うおっ!?」

 

 小太郎は思わず驚いた顔を上げた。鎖が破壊されたアスカの全身からバチバチと電気が放出され、この事態を予測していたネギは障壁を張りながら距離を取ったが小太郎はそうはいかなかった。

 小太郎の全身を静電気が弾けたような衝撃が襲い、直ぐにそれを発した原因であるアスカを見た。

 

「成程、それがお前の本気ってわけかい」

 

 アスカから発せられる魔力が倍化したことに、獰猛に笑った小太郎は目の前の男が生涯のライバルになることを予感した。

 

「俺って魔力制御が下手でよ。普段からネギに封じて貰ってんだ」

 

 バチバチと全身から紫電を撒き散らせるアスカは、調子を確かめるように拳を握ったり開いたりを繰り返す。

 

「これがネギ君達に余裕があったわけなんや」

「ええ、あの制約によってアスカの魔力は半分に抑えられ、同時に負荷もかけていたんです。一種の魔力養成ギブスみたいなもんです。あれを解いたアスカは強いですよ、今までとは桁違いに」

「ハンデをつけて戦っていたというのですか、アレで」

 

 刹那は今度こそ本当に戦慄を隠せなかった。今のアスカが放つ魔力は十全にして完璧。放たれる圧力は先の比ではない。先程の動きにこれだけの圧力が加われば、間違いなく数倍の戦闘力を発揮するだろう。まだ自分には及ばないなど、とんでもない。年下の子供に既に超えられているかもしれなかった。

 

「奥の手が使えるなら事前に使えばいいじゃない」

「そういうわけにもいかないのよ。さっき言ってたでしょ。アスカは魔力制御が下手なの。自分で自分の全開を抑えきれないからネギが封印しているのよ。下手な相手に全力でやったら殺しかねないわ。あの状態じゃ、手加減なんて出来ないのよアイツ」

 

 不満そうな明日菜にアーニャは仕方ないのだと鼻から息を吐いた。その目は決着をつけようとしている二人へと向けられていた。

 

「次で決着をつけようぜ」

「お互いに限界のようやしな、ええで」

 

 双方共にダメージが深く、互いに放てるのは後一撃のみ。単純なダメージならアスカの方が大きく、火事場の根性で無理に変身した小太郎にも無理が祟っていた。相手の状態を理解しているからこそ、二人は後一歩の距離まで歩み寄った。

 

「手加減なしの一撃や」

「恨みっこなしの一撃だ」

 

 同時に腰を落し、必殺のフィニッシュブローを放たんと拳に力を集める。

 

「雷華――」

 

 アスカは戦闘の中で攻撃魔法を放てない魔法使いとしては見習い以下の未熟者だ。未熟者だからこそ、自分に出来ることと出来ないことを弁えている。

 戦いに関することは別にして、アスカは魔法使いにも関わらず魔法が得意ではない。魔法学校で教わる唯一の攻撃魔法である魔法の射手すら思うように十全に扱うことが出来ない未熟者だ。誘導や追尾は下手だし、発動して一定時間待機させておくことも出来ない。発射の遅さも致命的で、まともにに出来たのは打撃に乗せて放つことだけだ。だからこそ、たった一つ出来たたことを極めた。

 魔法の射手・雷の一矢を拳に乗せることだけ。何度も何度も繰り返し、本来ならば乗せる本数を増やすことで威力を上げるという不文律を覆して、至高の一を作り上げた。己の愚直さを貫き通し、遂には師の背中に追いついた男の技。普段はテレて口が裂けても絶対に言わない男への憧れが、この技には込められていた。

 

「狗音――」

 

 小太郎の狗神は物心ついた時から共に在った盟友であり半身である。

 物心ついた時、小太郎には親がいなかった。捨てられたのか、それとも放逐されたのか。少なくとも数年前にとある人に出会うまでは、小太郎の世界は自分と狗神達かそれ以外で二分されていた。

 自分と共にあるのは狗神達だけ。幼き頃に魂の奥底まで刻み込まれた認識は、大切と思える家族が出来ても変わっていないのかもしれない。狗神達と共にある自分に敗北はない。究極の多の前に、他の全ては雑多な小へと成り下がる。

 

「――――豪殺拳!!」

「――――爆砕拳!!」

 

 雷華豪殺拳(至高の一)狗音爆砕拳(究極の多)がぶつかり合って全てを呑み込んだ。

 二人の激突地点を中心として数メートルが閃光に包まれ 衝撃が吹き荒れてネギ達がいる場所にも瞬く間に到達する。

 

「ネギ!」

「任せて!」

「私も!」

 

 ネギ・アーニャ・刹那が一般人と大差ない二人の前に出て障壁や護符を張った。打撃技とは思えない衝撃がぶち当たった三人が張った防御が軋ませる。

 

「きゃあっ」

 

 耳を劈くような金属音のような嫌な音が辺りに反響して響き渡り、粉塵が舞い上がって辺りを覆い尽くす。明日菜と木乃香は耳障りな音に慌てて耳を押さえて咄嗟の反応で目を閉じた。

 

「ふぅ」

 

 数秒後、ネギが安心したように息を漏らしたのが合図だった。

 三人が同時に防御を解き、「風よ」と辺りを覆い尽くしている粉塵をネギが吹き払った。

 

「へへ……」

 

 風が吹いて木の葉が舞った後に立っていたのは、たった一人だった。

 二人が最後の一撃を放った辺り数メートルが石畳を破壊しつくして素の地面を抉ってクレーターを作っている。そのクレーターの底で一人は倒れ、一人は立っていた。

 

「やっぱ俺の勝ちってな」

「…………今回は、負けを認めたる」

 

 ズタズタのボロボロだったが、地に伏している小太郎と違ってアスカは立っていた。

 

「また()ろうぜ、小太郎」

「言うたな。その言葉、覚えとれよ。次は負けへん」

「はっ、次も勝つのは俺だ」

 

 勝者は敗者に手を貸さない。

 敗者も勝者に手を求めない。

 対等である為に、対等であるからこそ、手を伸ばすなんてありえない。

 

「ぁ……」

 

 見ているだけしか出来なかった神楽坂明日菜は、幼くとも誰よりも誇り高い二人の姿に体に震えが走るのを抑えきれなかった。その身体を、その心を、視線に先にいる少年が掴んで離さない。

 あそこへ行きたい、あそこへ追いつきたい、あそこへ並びたい。自分を見てほしい。自分を知ってほしい。自分に触れてほしい。でも、明日菜にはあそこへ行ける手段が、まだ(・・)なかった。

 




始動キーのまともな案が出ないとか、どれだけアスカは脳筋なんだ。

小太郎、特に千草は性格は変わっていませんが色々と弄りまくっています。原作通りと思わない方がいいかと。


ぶっちゃけエヴァンジェリンは闇の魔法無くても強いよね?
ありでナギやラカンと同クラスだとしたらそれはそれで矛盾が。なしでも同クラスならぶっちぎりの最強キャラになる。


未だに始動キーが決まりません。案を一杯頂いたのですが、どうにもしっくっりとこなくて、まだ決まらない。どうしよう……


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第7話 関西呪術協会

キャラ崩壊あり。


 

 和風情緒溢れる石畳の道は関西呪術協会総本山へ続く道であり、何も知らない一般人の通る道ではない。それにも関わらず歩いている者達がいるとすれば必然的に関係者となる。その道を歩く男女の一団がいた。麻帆良からやって来たメンバーである。

 犬上小太郎との激闘によって負傷を負ったアスカ・スプリングフィールドの疲労と怪我は、未だ見習い魔法使いのレベルを超えない治癒魔法しか使えないネギやアーニャでは癒し切れない。なのに、進んでいるのは背負って歩いてもらっているからだ。

 

「歩けないなんて情けねぇよ、俺」

 

 小さな子供のように神楽坂明日菜に背負われたアスカは、微かに揺れる振動にすら痛みで顔を顰めても強気な姿勢を尚も崩さなかった。

 

「いいから、怪我人は大人しくしてなさい」

「うぇい」

「よろしい」

 

 妙に機嫌の良い明日菜は終始笑顔のままで背負ったアスカを揺らさないように歩く。

 

「ふふん。女に諌められるなんて情けないのう、アスカ」

「同じ状態のテメェが舐めた口きいてんじゃねぇよ、ま・け・い・ぬ君」

 

 明日菜に背負われたアスカのように、刹那に背負ってもらっている小太郎。明日菜と刹那は隣同士を歩いていたので、必然的に両者の背に背負われている二人の距離も近い。売り言葉に買い言葉で、小太郎は眉間にぶっとい青筋を立てた。

 

「なんやとオラぁ!」

「やんのかコラぁ!」

 

 口を合せれば噛み合うような二人は、怪我で碌に歩けもしないのに目の前の相手に喧嘩を売ることは忘れなかった。

 

「うるさいわねぇ。黙ってられないのかしら」

 

 先を歩く幼少組二人の耳にまで響く後ろからの言い合いに、アーニャが顔を顰める。

 

「はは、元気なことはいいことじゃないか」

「それはもう少し平気そうな顔をしてから言いなさい、ネギ。顔が盛大に引き攣ってるわよ」

「え、嘘」

「嘘よ。なに、もしかしてアスカが取られたと思って妬いてんの?」

「そそそそそそんなことないじゃあーりませんじゃあーりませんか」

「何語よ、それ」

 

 刹那と明日菜を二人に取られて実はちょっと嫉妬していたりした木乃香が二人の会話に癒されていたりいなかったり。

 ゴチン、と何か重い物が二つぐらい落ちた音が聞こえたが振り返らなかった。

 

「耳元で喚かないで下さい」

「次やったら落とすわよ」

「落してから言うなよ。俺ら怪我人だぞ」

「自業自得です」

「鬼や、姉ちゃん達鬼や」

 

 近くででがなり立てられた耳を抑えながら言う刹那と明日菜に、石畳に落されて痛みやらなんやらで悶えていたアスカの横で小太郎が「これやから関東もんは…………女はみんな鬼やったな」と悟りを開いたような顔で言い直していた。

 静かになった暴君達を改めて明日菜達は背負い直す。

 

「言い換えるわ。次もやったら落とすわよ」

「おいおい、言い換えればいいてもんじゃないだろ」

「シャラップ」

 

 ポツリと言った明日菜の言葉を暴君達は聞き逃さなかった。抗弁しても下手な英単語で切った明日菜に聞く気はなかったが。

 

「お前も苦労してるんやな」

 

 名前も知らないが背負っている女達がアスカ関連であることは知っている小太郎は、こんな女達に囲まれた日常を送っているアスカに同情の視線を送った。

 

「この女所帯での肩身の狭さがお前にも分かるか」

「分かる分かるで。うちでも姉ちゃんの権力が大きいし発言権も巨大すぎて、俺は犬小屋で暮らしているような気分や」

「犬小屋って……ぷっ」

「笑ったな! 今、笑ったな!」

 

 同士であることを理解しあったところで、いきなり苦労同盟は決裂した。今も小太郎の頭の上にある犬耳を見て、アスカは我慢しようとも出来ずに噴き出した。咄嗟にアスカは口元を抑えたが小太郎は見逃さない。

 

「や、だって犬小屋って……ぷくくく、ピッタリだとか決して思ってないから」

「なら、そのニヤケ面止めぇ!」

 

 喧嘩友達という単語がピッタリと似合う二人に明日菜は特大の爆弾を準備した。

 

「落すわよ」

「「はい、黙ります」」

 

 明日菜の一言で今度こそ石像のように黙ることを決意した暴君達は、揃って言いながら女の背中に丸まった。もう一度、石畳に落ちて痛みに悶えたくはなかったのだ。この瞬間から二人は長いものには巻かれる主義となって暴君を引退したのだった。口論ばかりで仲が悪そうに見えても、その実は二人とも気が合ってしょうがないのかもしれない。

 

「全くもう」

 

 と、困ったように言いながらも明日菜の表情は笑っていた。年相応に怒って笑って話すアスカに物凄く親近感が湧いたなんて口が裂けても言わなかったが、その表情がなによりも雄弁に隣にいる刹那に伝えているのだと気づかない辺りが明日菜らしい。

 

「あ! 見えて来たわよ。あれが入り口じゃないの?」

 

 森の中に開かれた石畳の道を抜けると、見えてきたのは歴史と人の想念の積み重なりがあり、宮殿の門のような煌びやかさはないが、重厚さと荘厳さを十二分に持つ木造建ての和風の門。門だけでも城や大きな神社のような、かなり大掛かりな造りのものだ。その奥に見える範囲でも何棟もの建物が建ち並び、大きな鳥居まである。構造から見てまだ見えない奥の方もかなり広そうだ。

 

「うわー、何か雰囲気がある」

 

 アーニャが指差した門を見て、歴史マニアの琴線に触れたネギが感動の声を上げた。

 もっとよく近くで見ようと、我知らずにネギの足は進んでいた。

 

「ああー!! ちょっと待ちなさい……!! 目的地の前で待ち伏せが定石ってもんでしょうが! 警戒しなさいよ!」

 

 アーニャは不用心なネギを守る為に拳を握って慌てて後を追う。木乃香が先行した二人を追って走って、当のネギは門の直前で立ち止まったために止まることが出来ずに向こう側まで躍り出てしまった。

 

「なんで一人だけ立ち止まってんのよ!?」

 

 門の向こう側にはアーニャの想像を良い面で反した展開が待ち構えていた。

 

「「「「「「「「「「お帰りなさいませ木乃香お嬢様―ッ」」」」」」」」」

 

 門の内側はまさに別世界だった。既に京都付近でも散ってしまった桜がそよ風に吹かれ舞い踊り、石畳は綺麗に整えられ、正面には朱色の鳥居。その先には神社の拝殿を思わせる建造物。その全てに手入れが施されていて、外と内の格差がとても広い。そして両側に並んだ十人前後の巫女服を着た女性達が、ポカンとしているアーニャの後ろからやってきた木乃香に向かって深々と頭を下げていた。

 

「うわぁ、やっぱり古いと肌触りからして違う」

 

 ネギはまだ門の外で巫女ではなく門の方に見惚れている。

 

「へ?」

 

 ずらっと両脇に並んだ巫女装束の女性達に想像していたのとはまるで違った盛大な歓迎に、心の準備が出来ていなかったアーニャは目が点になった。よくよく考えれば予想通りなのだが、アスカが小太郎と戦ったことが思ったよりも引き摺っているのか直ぐには目の前の光景を受け止め切れなかった。

 

「みんな~、ただいまぁ」

 

 巫女達に頭を下げられている木乃香は気後れすることなく笑顔で受け止めている。彼女にとってこれが割と当たり前の光景なのだろう。

 

「うっひゃ~~~、コレみんな木乃香のお屋敷の人なんか。家広いな」

「委員長さん並のお嬢様だったんですね」

 

 通路を抜けて本堂へと入るその道すがらに並ぶ巫女達。余りにも豪勢な展開にスプリングフィールド兄弟は驚いていた。春休み直後に訪れた委員長こと雪広あやかの家で多少は大きな家には慣れているとはいえ、和風の屋敷はまた別の凄みがあった。

 

「へ~、ここが木乃香の実家か」

 

 明日菜は予め説明を受けていたので驚くことはなかったが、興味深そうに周りを見回す。見る者が見れば東洋的な思想に基づいて厳密に計算され尽くした聖域といった感のある敷地であると気付くが、そんな知識のない明日菜に分かる筈もない。

 

「明日菜………ウチの実家おっきくてひいた?」

 

 そんな辺りを見渡す明日菜に、木乃香は気を悪くしたんじゃないかと心配して恐る恐る尋ねる。いかに郊外とはいえ、京都にこれ程広大な屋敷を持つなど金だけ有れば出来る様な事ではない。

 

「ううんっ、ちょっとビックリしたけどね」

 

 確かに少しは驚いたもののあやかの家で慣れている、と多少は面食らったものの明日菜は笑って答える。

 

「良かったぁ」

 

 心底安心したように笑って瞳の端に涙すら浮かべた木乃香に、刹那はそっと寄り添って手を握った。家の事情で刹那が距離を取るという行為に及んで、ちょっとショックだった木乃香は、中学からずっと一緒だった明日菜まで距離を取るのではないかと気になっていたのだ。今は刹那とも昔の関係に近づけても、家の事を知ったら離れるのではないかという恐怖があったが、明日菜の言葉と自分から触れてくれた刹那に木乃香も安心したように笑みを見せた。

 

「金がありそうな家やな」

「アンタ、色々と台無しよ」

 

 折角、良い話で終わりそうなところで俗物的な感想を正直に口に出した小太郎に、ようやく復活したアーニャは突っ込まずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカ達の治療を先に行い、使用人に本殿らしき建物の中へと案内されるままに入っていくと、辿り着いたのは数十メートル四方はある大広間。大広間には屋敷の中であろうと気にする事もなく、桜の花びらが宙を舞っており、微かに香木の香が漂う。天井は格天井で奥には御簾が掛けられている。側面にいる者達が奏でる和楽器の音色が流れ、風流の中に厳格な雰囲気を作り出す。

 大広間にも十数人の巫女がいて正座で待機する者が座り構え、正面の祭壇の脇には矢筒と和弓を携えた者が立ち構えており、まるで時代劇のワンシーンを思い出させるような雰囲気である。側面では琴・小太鼓・篳篥などを演奏して、大広間の造りや巫女姿の女性達や楽器のせいでネギ達は平安時代にタイムスリップしたように感じられた。

 大広間の中央には七枚の座布団が置かれている。前に四つ、後ろに三つが敷かれていた。前列に左からアスカ、ネギ、アーニャ、木乃香。後列に左から小太郎、明日菜、刹那。

 

「なんでお前までいんだよ」

「知らんがな。流れに任せたら座っとってん」

 

 治癒を受けて見た目の傷は全開しているアスカと、何故か同席している小太郎も一緒に座布団の上に座って、段から降りてくるだろう西の長を待っていた。

 

「部外者じゃん。ていうか反逆者だろ」

「ちゃうわい。俺はそう…………戦士や!」

「良いのが思いつかなくて適当に言っただけだろ」

「うん」

 

 周りの巫女達が笑ったので顔を紅く染めて身を縮めた小太郎だった。

 まもなく、正面の祭壇の御簾のかかった階段から誰かが降りてきた。ゆっくりと、一段一段足を踏みしめるたびに木がきしむ音が聞こえる。西の長その人だろう。

 

「お待たせ致しました」

 

 顔を表した男は皆を目にすると、柔らかく微笑む。

 

「ようこそ、明日菜君。木乃香のクラスメイトの皆さん、そして先生方」

 

 その人物は、四十過ぎの神社の神主のような格好をした男性であった。眼鏡の下からは柔和な色を湛えた瞳が覗いており、その温和な人となりを良く表している。お世辞にも美形とはいえず、長身なのと心労によるものか顔色が悪いので誰もが「ひょろ長い」と言った印象を受け、心なしか実年齢よりも老けて見えている。

 近衛詠春。二十年前の魔法世界での大戦を終結に導いた紅き翼の一員で旧姓、青山詠春。剣技では右に並ぶ者はいないとまで言われたサムライマスターの異名を持つ神鳴流剣士である。彼こそが関西呪術協会の長でもあり、木乃香の父である近衛詠春その人だ。多少、不健康そうな印象を受ける痩せた表情でありながら、一組織の頂点に立つ人物だけがもつことのできる鋭くも柔和な雰囲気によって、人に決して悪い印象だけは与えることはない。

 普通の人は細面に眼鏡をかけ、服装以外は特に目立ったところもない優しそうな中年男性だと思うだろう。

 

「やっべぇ、見た瞬間に鳥肌立った」

「強いわ、あのおっさん。あれで全盛期より衰えとるとか洒落にならんで」

 

 近衛詠春を見たアスカと小太郎は上げかけた腰をゆっくりと下ろす。戦人の雰囲気で立ち振る舞いに一切の隙が見当たらない。詠春の身のこなしや風格から佳境な戦線を乗り越えてきた人物なのだと分からされる。長と成った今は政治的部分に重さを置かなければならなくなった影響で色褪せてしまっても、未熟な二人には足下すら見えない遥かな高みにいる。それほどの戦士を前にして二人は身震いを隠せなかった。しかし、その身振るいは決して恐れからではない。

 

「…………()りてぇ」

「さっき戦ったばかりじゃないか。今は止めてよ。やるなら後で」

「分かってるって」

 

 ネギが諌めなければならないほど、アスカは心の底から嘗て父と同じ場所に立っていた目の前の男に挑戦したくて堪らなかった。

 

「遺伝子って不思議よね」

「確かに」

 

 何故あの祖父である学園長や父である詠春から、木乃香のような可愛い子が生まれるとは世の中摩訶不思議である。余程、母親の遺伝を引き継いでいるのだろうと考え、明日菜とアーニャは勝手に頷いた。

 

「お父様~♪ お久しぶりや~!!」

「ははは、これこれ木乃香」

 

 木乃香は久しぶりの親子の再会に感極まったらしく、微かに涙も滲ませて嬉しそうに詠春に思い切り飛びついて抱きつく。詠春も皆の前という事もあって少々苦笑い気味だが、久方振りに会う愛娘を優しく抱きとめた。

 そんな中、明日菜はストライクゾーンど真ん中の渋い中年の筈なのに、前のような激しい衝動が湧き上がってこない自分に頭を捻っていた。昂ぶりはするが通常の思考を妨げるほどのものではない。

 

「?????」

 

 明日菜の頭の中を疑問符が蝶のように幾つも乱舞していた。

 

「あの…………長」

 

 木乃香と詠春の感動の対面を見ていたアーニャは再会の抱擁が終わったのを見計らい、失礼と思いながらも親子の会話の間に口を挟む。

 

「申し訳ありませんでした! お嬢さんに魔法をバラしてしまったのは私です!」

「僕もです。大変申し訳ありませんでした!」

 

 二人に歩み寄って膝をつき、両手を床について勢いよく頭を下げた。今回の件に関わっているネギも、アーニャに倣うように歩み寄って土下座を行う。

 怒られ、処罰を受けても当然と頭を上げられない二人に歩み寄った詠春が手を伸ばして肩を掴んだ。

 

「いいのですよ。顔を上げて下さい」

 

 それでも慚愧の念に駆られて顔を上げられない二人に詠春は優しく微笑んだ。

 

「木乃香には普通の女の子として生活してもらいたいと秘密にしてきましたが、いずれにせよこうなる日は来たのかもしれません。今回の一件で刹那君とも仲直りしたようですし、二人が気にすることはありません」

「そうや、二人のお蔭でうちはせっちゃんと昔みたいに戻れたんやもん。そんなに気にされたら逆にこっちが悪いわぁ。ほら、顔を上げてぇな」

「木乃香……」

「木乃香さん……」

「ありがとう、うちに魔法を教えてくれて。二人のお蔭や」

 

 顔を上げた二人に木乃香は優しく微笑んだ。太陽のような笑顔とはまた違う。野原に咲く一輪の花のような向けられた者を自然と笑顔にする優しい表情だった。

 

「なんやえらい場違いな感じや」

「俺も」

「私も」

 

 感動して涙ぐんでいる刹那や前にいる四人の感動の渦から取り残された小太郎・アスカ・明日菜は、場違い感に身を小さくするのであった。

 

「少し早いですが夕食を用意させてもらっています。折角のご客人です。盛大に歓迎致しますよ」

「「メシ!?」」

「アンタ達、実は仲良いでしょ」

 

 詠春の提案に、明日菜は同時に腹を鳴らして声を揃えて喜色満面になった元暴君達に突っ込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を移して宴会場。今度は畳敷きの広間で、やはり広い。関西呪術協会の長である詠春の催した歓迎の宴は、それはそれは盛大なものだった。

 宴会場として設置された場には大きな机が並べられ、大量の高価な色とりどりの山海の美味、珍味の料理が所狭しと机に置かれていた。それらは全て食欲をそそるいい匂いをしており、戦って空腹だった少年二人と悩みから解放された少年少女のテンションは高く、巫女さん達も一緒になってのドンチャン騒ぎだ。

 

「どや、俺の舞は!」

「なってねぇ! この俺のダンスを見習え!」

 

 小太郎は日の丸の描かれた扇子を持った巫女達と楽しげに舞い踊り、何時の間にか侍女達の奏でる楽器達は厳粛な囃子から明るいテンポの戯曲に取って代わっているのにノッてアスカのダンスが繰り広げられる。

 ちゃんと皿がある机からは離れて踊っている二人だが目の前でやられたアーニャには堪ったものではない。

 

「食事の席で埃を立てるんじゃないわよ!」

 

 伊勢海老を美味しく味わっていたアーニャは、尻尾を口の端から出しながらフライングラリアットで二人の首を纏めて刈り取った。

 

「アーニャだって埃立ててるじゃないか!」

「私はアンタ達を止める為に仕方なくやってんのよ!」

「負けんで!」

「「なにすんだコラ!」」

 

 フライングラリアットを挑戦と受け取った小太郎がアーニャに躍りかかり、巻き込まれたアスカも合わせて三人が畳の上でプロレスをし始めた。そんな中で、両脇を巫女さんに固められてお酌されているネギは身動きがとれないでいた。

 

「ささ、先生。グィッとどうぞ」

「え? え?」

「良い呑みっぷりです。お注ぎします」

「は、はぁ」

 

 こんな状況の経験などないネギは、初めての宴会で上司に酒を勧められて断ることができない新入社員のように、促されるたびに一気飲みをして器を空けては注ぎ込まれるという無限ループに突入してどんどん飲まされていた。このペースで行けばネギが潰されるのは時間の問題だろう。

 

「ねえ、木乃香。これってお酒じゃないの?」

「らいじょーぶ」

 

 宴会が酣になってくると巫女達が飲んでいるのか漂い始めたアルコール臭によって、明日菜は自分が飲んでいる飲み物もお酒のような気がして木乃香に問いかける。

 明日菜は真面目とは言い切れなくても、真っ直ぐな性格なので宴会だからと言って中学生の身で自分から飲酒しようとは思わない。視線の先でプロレスごっこをする三人の顔が顔を真っ赤になっていて、巫女達に呑まされているネギは酔っぱらっているように見えるし、木乃香の返答も呂律が回っていない。

 

「お酒とちゃうよ~♪」

「すみません。お水と交換で」

 

 明らかに怪しいので明日菜は二人のコップを取り上げて、丁度配膳を行なっていた巫女さんに別の飲み物との交換を頼んだ。そこに宴を中座して部屋を出ていた刹那が戻ってきた。

 

「刹那君」

「こ、これは長! 私のような者にお声を!!」

 

 部屋に戻ってきても騒ぎの輪の中に入らず、これからのことで考える事が多すぎて浮かない顔をしていた刹那の下に、詠春が近づいて刹那に声をかけた。

 長に声を掛けられ、考え事をしていて反応が遅れた刹那は慌てて片膝をついて頭を下げる。

 

「ハハ、そうかしこまらずにいてください。昔からそうですね君は………この二年間、木乃香の護衛をありがとうございます。私の個人的な頼みに応え、よく頑張ってくれました。苦労をかけましたね」

 

 声を掛けられて慌てて畏まる刹那を、詠春はやんわりとそれを止める。責任感の強く真面目な刹那が気負い過ぎないようにする意味も込め、長は自分の責任を確認する。

 詠春は刹那が出自をコンプレックスとしてしまい、麻帆良に行く頃には周りと壁を作っていた事を思い返す。

 木乃香の安全を守るためとはいえ、魔法使いの拠点である麻帆良に行くなど良い顔をする者などそうは居ない。それを刹那は裏切り者扱いされると分かっていながら受け、木乃香に知られること無く勤めてくれた。

 詠春は一人の娘の父としてはもっと助けたかったが、西の長としての立場がそれを許さない。応援を送る事も出来ない中、刹那は本当に良くやってくれたと思っている。麻帆良に護衛として向かっていった時には木乃香と触れることで、刹那のその壁を溶かせればと思うもそれは叶わなかったが、最近は木乃香との旧交が再び温められて来たと聞いていた。それ以外にも以前に比べて大分、壁が感じられなくなっている。

 

「ハッ………このちゃん………いえ、お嬢様の護衛は元より私の望みなれば…………勿体無いお言葉です。しかし、申し訳ありません。結局、お嬢様に『こちら側』のことを………」

 

 長にそう言われるが、だからといって刹那は姿勢を崩す訳にはいかず、一転して表情を曇らせた。結果として失敗だったと思っている刹那は項垂れて頭を下げている。彼女としては木乃香を完全な平穏に置きたかったが、自分の過失ではないと言っても責任を感じてしまうのは責任感の強い刹那だからだろう。

 

「構わないと言いました。気が利くのは君の良いところではありますが、気に病み過ぎるのが悪いところでもあります」

 

 幼い頃から知る、良くも悪くも刀の様に真っ直ぐな刹那に詠春は笑いかけた。

 ようやく顔を上げた刹那から視線を移して明日菜に介抱されている木乃香を見た。

 

「これからも木乃香のことをよろしく頼みます。それがあの子の願いでもありますから」

「はっ、私の身命に賭して必ず」

 

 そこまで大袈裟に考えなくとも良いと詠春は思いもしたが、決意の深い刹那の覚悟に水を差すこともないと考えて口に出すことはなかった。

 次にどちらかが口を開く前に、二人の間に闖入者が紛れ込んできた。

 

「長~、勝負だぁ」

「俺も混ぜろぉ」

「おやおや」

 

 フラフラと千鳥足で向かってくる少年二人に詠春は苦笑を浮かべた。

 料理に含まれている酒分や場の雰囲気で酔っ払っている少年達が振り上げる拳を簡単に受け止めて、人生を全力で楽しんでいる二人に目を細めた。

 

「逃げるなぁ、小太郎ぉ」

「離せぇ、暴力女ぁ」

「誰が暴力女よぉ」

 

 アーニャに絡まれた小太郎が二人一緒に畳に倒れ込んだ。そのまま二人でゴロゴロ、ゴロゴロと畳の上を転がる。本人達としては戦っているつもりらしい。

 

「勝負勝負ぅ」

「ええ、後でしますよ」

 

 駄々っ子のように袴を引っ張って来るアスカの頭を、詠春は自然と撫でた。最早勝負を挑んでいるというよりじゃれついてくるに等しいアスカと接していると、木乃香が幼い頃に死別した妻との間に息子が出来ていればこんな感情を抱いただろうかと少しばかりの感傷を抱いた。

 女の子として生まれてきた木乃香が悪いわけではない。むしろばっち来いの気持ちなので文句の欠片も無い。しかし、男親としては息子と一緒に遊んで、叶うならば自身の剣を伝えたいという思いがある。今となっては永遠に叶わない願いではあるが、腐れ縁の友人の息子が甘えるようにしがみついてくる様は詠春の父性を刺激した。

 詠春は衝動に駆られてアスカを抱き上げた。

 

「んにゃう?」

 

 昼寝していた猫が突然飼い主に抱き上げられたような素っ頓狂な声を上げたアスカは、抱き上げられても嫌がってはいなかった。それどころか楽しそうに笑っていた。酔っていて正しい状況判断が出来ないのかもしれないが、迂闊な行動をしたと思った詠春の前で満面の笑みを見せられたら魅せられてしまう。

 小太郎との戦いを遠見で見ていたが実力も申し分ない。眼の前の子がナギのように人を惹きつけずにはいられない魂の持ち主であると、詠春は嘗ての経験とこの二十年で得た老獪さで行動に出る。

 

「アスカ君、木乃香と結婚して婿に来ませんか。いえ、来なさい」

「お父様!? いきなりアスカ君を抱き上げて何言うてんの!」

 

 ガタン、と実は注目されていた詠春から発せられた聞き捨てならない台詞に、木乃香が酔いではない理由で顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「確かにアスカ君は大きくなったらカッコよくなりそうやけど、うちはまだ十四でアスカはまだ十歳にもなってないのに将来のパートナー決めるなんて早すぎやで」

「有望株には早めに手を出しておくものですよ、木乃香」

「ほ、本気や…………趣味で見合いを勧めて来るお爺ちゃんとは違う本気の目や」

 

 極間近というか隣から漂ってくる冷気に震撼しながら勇気を振り絞った木乃香は、お見合いを勧めて来るのが半ば趣味と本気と書いてマジと読めそうなぐらいな目をした父に続く言葉を奪われた。

 

「木乃香?」

「ひぃっ、そのハイライトのなくなった目は止めてぇな明日菜!? せっちゃん! せっちゃ――――んっ!!」

 

 ピシリと持っているグラスに罅を入れた明日菜のオッドアイから光が消えて腐臭すら漂ってきそうな雰囲気に、木乃香は腰を抜かしながらも親友に助けを求めた。

 

「ごめん、このちゃん。うちには助けられそうにない」

 

 今の明日菜に関わることは死を意味すると感じ取った刹那は、助けを求めて来る木乃香を泣く泣く見捨てて周りを見た。酔い潰れかけているネギは巫女達に完全に玩具にされている。アーニャと小太郎はニャーニャーワンワンと猫化犬化して畳を転げまくっている。動けるのは自分だけだと色々と諦めた刹那が詠春を諌めなければならなかった。

 

「長、本気なのですか?」

「娘もいいのですが息子も欲しいと思っていたのです。妻を亡くして叶うことはないと諦めていたのですが、ならば気に入った子を婿にすれば義息子が出来ると今気づきました。アスカ君、うちに婿に来ませんか?」

「にゅこてつおいか?」

 

 婿って強いか、と言いたかったようである。アスカは婿の意味を分かっていないようだ。

 

「強くなれますよ。婿になれば私が神鳴流の全てを教えます」

「長っ!?」

 

 正気かと疑った刹那の目から見ても詠春の目は本気だった。当のアスカは眠いのか目をしょぼつかせ、もはや呂律すら怪しくなっていたので酔いが早く回りやすい体質なのかもしれない。

 

「どうですか?」

 

 九割九分九厘ぐらい本気な詠春の問いかけに返って来ること言葉はなかった。小太郎との戦いの疲労もあったのだろう。詠春の腕の中で規則正しい寝息を漏らしてアスカは瞼を閉じていた。

 

「おや、寝てしまいましたか。君、私の部屋に彼の布団を」

 

 近くにいた巫女に言いつけ、詠春は脇を抱えて持ち上げていたアスカの体を腕の中に抱え直した。元より親バカの気があった詠春の琴線に触れたらしいアスカを、既に息子扱いして自身の寝所に寝かせる気満々だった。

 腕の中で寝ているアスカが胸元を掴んだので、傍から見ても分かるほどに詠春は顔をだらしなく緩める。

 

「この状況、一体どうすれば……」

 

 周りの混沌具合に刹那はどうしようも出来なかった。明日菜に詰め寄られている木乃香、アスカと同じように眠り出したアーニャを煩わしげに払いのけて起き上がった小太郎、数人の巫女に人形宜しく次々と抱き抱えられているネギ、眠ってしまったアスカを自身の部屋に連れて行こうとする詠春。

 諦めの境地に達した刹那を救ったのは外部の人間だった。今まさに詠春が開けようとした障子が外から開けられた。

 

「なにしてはりますの、長」

 

 障子を開けたのは黒髪長身の袴を着た女性だった。着物を着ていれば外国人が思い描く古き日本女性を体現しているが今は袴姿だった。

 袴姿の女性は目の前でアスカを抱き抱えたまま固まっている詠春を呆れた視線で見ている。

 

「いや、これは」

「鶴子様!?」

 

 目を盛大に泳がせて言い訳を口にしようとした詠春の言葉に被せるように、現れた女性のことを良く知っていた刹那が仰天しながら名前を呼んだ。

 女性は、聞こえた声に目の前の詠春から刹那に視線を移して少し驚いたように目を瞬かせる。

 

「覚えのある気配を感じるなぁ思うたら刹那やないか。元気にしとったか」

 

 女性――――神鳴流の宗家である青山の娘である青山鶴子の問いに刹那は喜色を露わに頷いた。

 

「は、はい。ですが、どうして鶴子様が本山に? ご結婚されて現役から退いたはずでは」

 

 将来を嘱望されながらも何年も前に突如として結婚して現役を退いたことは刹那も良く知っている。鶴子の結婚式には一時的な弟子であった刹那も参加させてもらったのだ。分からぬはずがない。家庭に入ってからは本山にまで足を運ばなかった鶴子がやってきた。そこにはなにか理由があるはずと刹那は考えた。

 

「もしや、なにか」

「あったちゅうたら、あったんやけど今回のは別件や。気にせんでええ」

 

 気を揉んだ刹那の前で、厳しさと優しさの両方を備えた目で見て来る鶴子の言葉に安心した。現役を引退しても現在の神鳴流最強の看板を背負っている鶴子が動かなければならないほど事態など、想像するだけでも刹那の心胆を寒からしめる。

 

「関東から来た一行ってお嬢様と刹那達のことやったんやな」

「はい、そうですが……」

 

 何かを確かめるように頷いた鶴子の障子で隠れている右手側が何故か騒がしくなった。良く見れば外からの光で障子が透けて、鶴子の手の先に人の影が映っている。人影は逃げようとでもするように暴れてるが、恐らく手の位置的に首元を掴まれているのだろう果たせていなかった。掴んでいるのは神鳴流最強の戦士。片手だけで大半の相手を抑え込める化け物なのだ。

 

「来るまでに何回か妨害受けたそうやないか」

「ええ、殆どはただの悪戯だったのですが、本山への入り口で無間方処の咒法に嵌められた時は少し焦りました」

「ほほぅ」

 

 ギクギク、といった擬音が聞こえそうなぐらい障子の影に映った人影が固まった。

 人影の反応で刹那も鶴子が何を言いたいのか、大体の察しがついた。刹那が半分だけ開いている障子を開けきると、想像した通りの光景が広がっていた。

 

「――――どういうことや、千草」

 

 剣鬼と時に噂される鶴子の視線に晒されて、千草と呼ばれた女性――――天ヶ崎千草は力の限り首を横に振った。

 

「うちにはなんのことか分かりませんなぁ。鶴子姉さんも引退して目が曇ったんとちゃうか」

 

 目元を大きく覆う丸眼鏡をかけて流れるような黒髪を首の後ろで纏め、バニーガールのように胸元から背中まで露出して着崩した着物を纏った千草は目を盛大に泳がせながらもしらばっくれた。

 

「ここまできて、まだしらばっくれる気かいな」

「しらばっくれるもなにも、なんのことやらさっぱり。心当たりの欠片もありやしませんわ」

 

 後衛の陰陽師である千草は、圧倒的な威圧感で詰問してくる鶴子に負けじと腹に力を入れて答えた。

 

「認める気はないっちゅうことか」

「知らんことを認めるもなにもありませんわ。うちには人に秘するものはなにもありやしません」

 

 刹那の目には、千草が目を盛大に泳がせて冷や汗をダラダラと垂らして全身を震わせているので強がりが見え見えだった。だが、それでも鶴子の威圧感を前にして嘘を貫き通そうとしている千草の勇気に尊敬すら覚えた。

 鶴子の弟子である刹那は何度か彼女を怒らせたことがある。普通の人が抱くような怒りであっても鶴子の場合は威圧感が半端ではないのだ。怒らせて恐怖で失禁したことすらある刹那の魂には、鶴子に反抗の意志すら湧き上がらない絶対服従が刻み付けられている。

 嘘を貫き通そうとしている千草の行為は墓場に自分から喜んで突っ込んで行くようなものだったが、だからこそ自分には出来ないことをやってのけている人に尊敬の念を覚えずにはいられなかった。

 

「あ、千草姉ちゃん。さっき俺がバラしてもうたから隠そうとしたって無駄やで」

「小太郎ぉおおおおおおおおお!!」

 

 酔いが回るのが早ければ、抜けるのも早いのか。周りの少年少女達が潰れていく中で、小太郎は一人で皿の上の掃除を行なっていた。蟹の足を折って身を取り出していた身内(小太郎)の裏切りに千草は絶叫する。

 

「なんでやねん! 普通はそこは身内を庇うもんやろ!」

「くそっ、取れへんな。せやかて、遠見の術で全部見てた言われたら庇えるもんも庇えへんやん。お、ええのがあった」

 

 上手く身を取り出せずに悪戦苦闘していた小太郎は、蟹フォークが置いてあるのを見つけて手を伸ばした。

 身内の危機よりも食い気を優先する小太郎にカッとなって、理不尽にも鉄拳制裁を加えようとした千草を止めたのは後ろから肩を掴んだ鶴子の手だった。

 

「アンタが魔法使いへの嫌がらせの為に色々と動いてたのも、その子を利用してアリバイ工作をしようとしてたのを全部知ってるんやで。よう、こんな小狡い手を考えつくもんや」

「ひっ、ひ……ひっ……肩が、肩が砕けるぅ!?」

「大丈夫や。人間の骨はこの程度で砕けるほど柔やあらへん」

 

 ギシギシ、と万力のような力で掴まれた肩の骨が軋む音を立てる。人間の壊し方を良く知っている鶴子は、折れないギリギリの力で千草の肩を握り締める。やられる千草には堪ってものではなく、痛みに悶えようとするがそれすらも掴まれた手に抑え込まれていた。

 

「あ、あのー、出来ればその辺で」

 

 と、千草に助け舟を出したのは木乃香を気絶に追い込んだ明日菜であった。人が壊れる限界ギリギリで説教する鶴子の恐怖を知っている刹那は勇者を見るように明日菜を見た。

 

「ええんか? あんさんも被害にあったらしいやん。どうせやったら一発殴っとく?」

「いえ、結構です。大した被害でもなかったので」

 

 掴んだままの肩はそのままに、もう片方の手で千草の頭を固定して殴りやすいにした鶴子のバイオレンスな提案を明日菜は丁寧に謝辞した。

 成人の女性が本気の涙目でいるのを見れば殴る気があったとしても失せる。迷惑はしたが悪い事ばかりではなかったのは確かなので、僅かにあった小さな憤りもこの状況を見れば窄んで許してやろうと寛大な気持ちになっていた。

 

「この心の広いお人に感謝しときや」

 

 微妙に表情を変化させる明日菜の様子になにかを感じ取ったのか、鶴子は千草をポイッと捨てながら言い捨てた。

 

「うう、おおきに。あんさんはうちの命の恩人や」

「そんな大袈裟な」

 

 あんまりな扱いの中で差し伸べられた手を両手でしっかりと握った千草の涙ながらの感謝に、己が為したことを神鳴流剣士が知れば畏怖の目を向けてくることに明日菜は気付かなかった。それほどに鶴子の怒りを収めたことは凄い事なのだと刹那は良く知っている。

 何時の間にかアスカを連れていなくなっていた詠春がホクホク顔で戻って来たのを見て、再び神鳴流剣士に別の意味で恐れられる剣鬼の顔になった鶴子からそっと視線を逸らして溜息を吐いた刹那だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供達が眠りについて暫く経った時刻。関西呪術協会の重役は本山にある屋敷の奥まった一室に集まっていた。

 

「…………遅い」

 

 年配の男性が多い中で袴姿の女性が感情を感じさせない声で呟いた。女性――――青山鶴子の呟きに何十年も関西呪術協会の一員として過ごし、幹部として辣腕を振るってきた男達が揃って体を恐怖で震わせた。

 部屋の両脇に一列に並んだ中で、部屋の奥側の列の最後尾に坐した鶴子に大の男達が怯えていた。特に隣に座っている頭頂部が薄くなっている五十代ぐらいの幹部など、鶴子から放たれる威圧感に脂汗すら垂らしている。隣に座っている幹部の頭皮に順調にダメージを与えていることなど露とも知らない鶴子は、室内にいるただ一人の例外を見た。

 

「なあ、千草。長はなんでこんなに遅いんや?」

 

 幹部連中に囲まれて委縮して身を縮めていた天ヶ崎千草は、よりにもよって室内の存在感を一人で独占する鶴子に話しかけられれば黙っていることは出来ない。若手のホープなんて言われていても所詮は下っ端の身。世知辛い身分に千草は心の中で涙した。

 

「さあ、この会合のことを知らないとかでは」

「んな訳あるかいな。全員を集めたのは長本人やで」

「うちに言われましても」

 

 鶴子に連行された立場にある千草に自由行動など許されてはいなかったし、詠春と話したことなど今まで片手の数で数える程度しかない彼女に長の行動など分かるはずもない。その話した内容にしても長と一組織員としてなので、鶴子に問われたところで千草に答えられるわけがなかった。

 このまま鶴子の威圧感が増していけば隣にいる幹部の髪の毛が全滅するかと思われたが、廊下の向こうからトントンと規則正しい足音が聞こえて来たことで幹部の殆どがホッとした顔をした。千草も同じ気持ちだったので、詠春が到着すれば威圧感もマシになるだろうと肩から力を抜く。

 廊下を歩く人物は部屋の前で立ち止まり、室内にいる鶴子以外の全員の希望の目と共に障子を開いた。

 

「いや~、みなさん。すみません、お待たせしました」

 

 障子を開けたのは長である近衛詠春その人であった。問題はない。なにも問題はないはずだったが、自分で召集した幹部会に遅れたにも関わらず、緊張感の欠片も無い緩み切った表情をしていた。

 

「長、自分で呼び出しておいて遅刻ですか」

 

 鶴子から発せられる威圧感が更に増した。もはや物理的な圧力すら感じさせる威圧感は、流石は剣鬼と噂されるだけあると部外者ならば頷けるが、それだけの威圧感に身近に晒されている幹部達には堪ったものではない。特に隣にいる髪の薄い幹部は引き攣った顔して、その頭部から風も吹いていないのに失ってはいけないものが飛んでいく。同じように引き攣りながらも大半が男の集団は大切な物(髪の毛)を失っていく幹部に心の内で手を合わせた。

 

「子供の笑顔は天使とは良く言ったものですね。存分に堪能させて頂きました。やはりアスカ君には木乃香の婿になってもらわなければ」

 

 正に至福の時を堪能してきたかのように上気させた詠春は、鶴子の威圧感など毛ほども感じていなさそうだった。鶴子の方が実力は上と見られていたが実は詠春の方が上回っていたかといえばそうでもないだろう。ただ単純に親バカの範囲を広げただけの詠春は鶴子の威圧感を受け流しているのだ。

 

「お、長…………で、出来れば幹部を招集した理由を、教えて頂きたいのですが。主に私達の為に」

 

 鶴子から一番遠い席にいて最も被害が薄い最年長の幹部が詠春に話しかけた。

 

「む、それもそうですね。さっさと雑事を終わらせて寝顔の鑑賞に戻らなくては」

 

 長の次に権力を持っている幹部に言われて、仕事モードに気持ちを切り替えた詠春は自身の席へと向かった。

 最高権力者である詠春の席は当然ながら上座である。部屋の両脇に一列ずつ並んで座っている幹部達の上座側の真ん中の席に座った詠春は、向かい合うように座っている千草の顔を自然と見た。

 次いで視線を集まった幹部達に向け、鶴子の威圧感によってバーコードぐらいはあった頭頂部の髪の毛が数えられる程度になっていることに首を捻って、また千草に顔を向けた。

 

「まずは急な呼び出しにも関わらず、集まってもらった皆さんには感謝を」

 

 胡坐を掻いて座布団に座っている膝の上で両の手の平を組み合わせた詠春は、先程の緩んだ表情などなかったかのように薄く笑った。

 

「こんな時間です。さっさと本題に入りましょう。今回、集まってもらったのは他でもありません。既に予想されている方もいると思いますが、天ヶ崎千草の処遇について。詳細は鶴子君の方から」

 

 ゆっくりと話しながら詠春は幹部全員の顔を見て、最後に真意を感じさせない表情で真正面にいる千草に視線を止めた。続きは事情を良く知る鶴子に任された。

 

「木乃香お嬢様を連れた魔法使いを含む一行に対する複数の妨害工作が見られています。新幹線内での式神発動、京都地主神社で工作、本山入口通路での呪法の設置。いずれも被害は軽微ですが、主導・及び実行犯がそこにいる天ヶ崎千草です」

「なんと……」

 

 鶴子の報告に幹部の一人が信じられんとばかりに目を剥いて千草を見た。

 

「天ヶ崎千草。貴様は一連の行為を自分がしたと認めるのか?」

「…………認めます」

 

 雲の上のような存在である幹部連中に囲まれて生きた心地がしない千草は、証拠を鶴子に握られて身内(小太郎)にすら裏切られているので幹部の詰問に大人しく犯行を認めた。

 

「理由は? やっているのは子供の悪戯レベル。こんなことをした理由はなんだ?」

 

 出来る限り身を縮めて台風一過をやり過ごそうとしている千草に対する詰問は止まらない。

 

「魔法使いに対する嫌がらせです。奴らのテリトリーは東です。西に来て大きな顔をされるのは我慢なりません」

「気持ちは分からなくとも…………ゴホン、だからといってこんなことをする理由にはならん。これでは我ら関西呪術協会のいい面汚しだ」

 

 魔法使い嫌いの急先鋒である幹部の一人が千草に同調しかけたが、失言をしていることに気づいて咳払いをして逆に糾弾する。自身の失言を、千草を糾弾することで掻き消そうとしたのだ。

 そんな幹部を冷やりとした視線で見つめた詠春は、正座をして膝の上に置いた拳を強く握っている千草にやはり感情の読めない目を向けた。

 

「幸いにも相手方は今回のことを気にはしておられません。ですが、やはりこちらも示しはつけなければならないでしょう」

「ええ、確かに」

「関西呪術協会として罰を与えることで、関東からの批判を躱そうというわけですか」

 

 組み合わせた両手の平の上で親指を組み替えた詠春は今までと違う凄みのある笑みを浮かべた。

 

「それだけではありません。今回の魔法使いも伴った木乃香達の受け入れは組織として決定したことです。その決定に反して動いた彼女の行動は決して許されて良いものではありません」

 

 優しげな目元はそのままに、痩せこけた中年男の風情の欠片など存在しない風格を醸し出す詠春に幹部の誰もが呑まれた。

 周囲の輪を重んじる詠春の厳しすぎる判断に、下の方にまで噂が轟いていた人情派の長らしからぬ断定を受けた千草は生きた心地がしなかった。

 

「どのような処罰がいいですかな」

「被害の程度でいえば謹慎が適当かと」

「いや、周囲に与えた影響を考慮すれば協会からの除名も已む無しでは」

「下手をすれば両組織の戦争の発端になったのかもしれんのだぞ。除名では足りん」

「では、除名の後に国外追放ならば」

 

 与えられる処罰がどんどん重くなっていくことに、目の前で話し合いが為されている千草の顔色が加速度的に悪化していく。思わず助けを求められる立場ではないのに、旧知の間柄である鶴子へと懇願の視線を送った。

 視線を向けられた鶴子は気付きながらも黙殺し、見捨てられたと思った千草は泣きそうな顔で己が拳を見下ろした。

 

「それまで」

 

 パンパン、と詠春は手を叩いて広大になり過ぎた処罰を論じている幹部達を黙らせた。

 

「一連の騒ぎは我が娘の帰省に伴うもの。彼女の処罰は私に決めさせて頂きたいのですが、いかがでしょうか?」

 

 幹部達は詠春の伺いに顔を見合わせ、一瞬の内に視線の中に込められた各々の思惑や各派閥のあれやこれやが交錯した。最終的には長である詠春の意見を受け入れ、全員が頷きを返したがこういう面倒事が嫌いな鶴子は目を瞑って黙したままだった。

 

「皆さんの賛成も得られたことですし…………では、天ヶ崎千草に処分を言い渡す」

 

 気の良い中年男性と長としての風格を醸し出すという矛盾を同居させた詠春に、千草は閻魔大王に天国か地獄かの判決を下される死者のような気分で頭を垂れた。

 

「処分の前に一つだけ。君は最近、教員免許を取得したと聞きましたが相違ありませんか?」

「え、あ、はい。高校生の時に預かった子が人間と妖怪のハーフでして、耳を隠せへんので普通の学校に通えませんのです。せめて家で勉強を見てやろう思いまして大学を教育学部にしてそのまま」

 

 関係ないと思われることを聞いてくる詠春に内心で大いに首を捻った千草は正直に答えた。

 除名や国外追放になれば小太郎をどうしようかと遅まきながらに気が付いた。

 

「狗族の少年のことですね。良い心掛けです」

「いえ、そんな。うちはどんな処罰でも甘んじて受けます。ですが、小太郎はうちが強制的に引き込んだんです。どうか平にご容赦を」

 

 自分がしたことの不始末ならば自分で償うのが道理である。小太郎は千草が引き込んだようなものだ。強制的か望んでかは実際のところ違うのだが、まだ年若く将来のある小太郎の安否は守らねばならなかった。

 今更そんなことを思うのは筋違いなのかもしれないが、憎たらしいところがあっても両親を亡くしてから孤独だった千草のただ一人の家族を守らねばならなかった。千草は今ようやく自分が仕出かした事の、事の大きさを実感したのであった。

 

「小太郎君には貴女と同じ罰を受けてもらいます」

「そんな! どうかどうかご勘弁を」

「なりません」

 

 縋りつくような必死さを見せる千草の懇願を、しかし詠春は一辺の甘さすらも垣間見せることなく無表情のままに切り捨てる。穏やかな笑みがトレードマークとでもいうべき長の、今までとは真反対の非情な一面に幹部達は恐ろしげに見ていることしか出来なかった。ただ一人、瞼を閉じて黙した青山鶴子を除いて。

 

「改めて処分を言い渡す。天ヶ崎千草、犬上小太郎の両名を関東魔法協会麻帆良学園都市に留学とする」

「は?」

「既に先方とも話がついています。新学期からとのことです。それと木乃香に陰陽師として色々と教えてあげて下さい。頑張って下さい、天ヶ崎先生(・・)

 

 二重の意味で先生(・・)と呼ばれた千草は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、頭の中から一時的に小太郎のことが消えた。

 予想外も予想外過ぎる処罰に、幹部達ですら同じような顔をしていた。ブチ壊れた部屋の緊張感を潜り抜けるように、立ち上がった詠春が歩み寄って千草の前までやってきた片膝をついた。

 

「木乃香とアスカ君の仲を深めさせるには刹那君では少々心許ない。彼女では木乃香に逆らえませんからね。留学生としてくれぐれも、本当にくれぐれもよろしくお願いしますよ」

 

 本音と建前が逆になっている詠春に肩を掴まれた千草は色々なことを諦めた。

 

 

 

 

 

 心神耗弱状態に陥った千草を、呼んだ巫女達に連れて行かせて介抱を任せた詠春は幹部を招集した本当の議題に集中した。

 

「国外に逃亡した形跡があり、ですか」

「はい、『ひな』を持って」

 

 鶴子が本山を訪れた本当の理由である、とある調査報告に幹部の誰もが沈鬱に俯いた。そして幹部の一人が顔を上げ、鋭い視線で鶴子を睨んだ。

 

「由々しき事態であるぞ。神鳴流全剣士を絶滅の際にまで追いやられたという逸話を持っている妖刀『ひな』が持ち出されるなど。しかも、それを為したのは神鳴流の技を使う剣士というではないか。もし猛威を振るわれればどれほどの被害が出るか想像も出来ん」

 

 幹部は恐ろしき災厄を招いてしまったかのように鶴子を糾弾する。

 

「『ひな』の管理は神鳴流が行っていたはず。管理体制はどうなっているのだ」

「お言葉ですが、件のひなは研修用として関西呪術協会へ預けられていた時に奪われとります。管理体制の是非を問うならば神鳴流だけではないんでは?」

 

 糾弾に冷静に返した鶴子に別の幹部が激昂した。

 

「貴様! 言うにことかいて、こちらの不備であると言うのか!」

「そこまでは言うとりません。ですが、神鳴流に責任の全てを押し付けるんはおかしいのではないかと言いたいだけです」

 

 鶴子と幹部連中の舌戦に詠春は黙したまま何も言わなかったが、穏やかながらも強い口調で言い切った鶴子の言葉の直後に口を開いた。

 

「ひなの警備を行っていた神鳴流剣士二名を殺害、陰陽師一人が重傷。下手人は相当な手練れです。名前は…………月詠と言いましたか」

 

 渡された資料に張られている写真に写る木乃香とそう年が変わらない幼い子供が為した凶行に、詠春は眼鏡の奥の目を細めた。

 

「重傷を負った陰陽師は?」

「命は取り留めました。ですが、陰陽師として復帰することは不可能だと治癒術士より報告が上がっています」

「そうですか……」

 

 死者達に冥福を祈り、陰陽師の今後も考えねばならないと考えた詠春は、必ず下手人を捕まえると心に決めて深く黙祷していた。

 資料を作成したこの中では若い方の幹部は眼鏡をクイッと上げて報告を行う。

 

「下手人に親や親類係累はなし。天涯孤独の身です。分かっているのは、新興の時坂家に召使えられていたことだけです。また、その扱いは褒められたものではなかったようだとも」

「またあの時坂か」

「当代になってから大人しくなったもののの、能力も功績も評価するが家を興した先代の頃から黒い噂が多すぎる」

 

 この場にはいない、まだ年若い当代の時坂家当主の顔を思い浮かべた何人かの幹部達が顔を顰めた。

 

「報告では、住んでいる住居が神鳴流の鍛錬所が近く良く見学に訪れていたと。下手人の境遇を噂で知っていた師範が彼女を不憫に思って許可したようです」

 

 過去に神鳴流とコンビを組んで実戦に出ていた幹部の一人が状況のおかしさに気が付いた。

 師範が許可したのはあくまで見学までだと報告書にも記載されている。それは他の門下生からの証言でも明らか。にも関わらず、月詠は神鳴流を使ったのだという。

 

「まさか見取り稽古で技を覚えたというのか」

「俄かに信じ難いことですが、それ以外には考えられません」

 

 見取り稽古とは、直接教わるのではなく相手の技や呼吸やタイミング、動きなどなどを見て盗むことである。稽古の一つとしてどこにでもある変わったものではないが、正規の訓練を一度も受けずに技を盗んだ子供に誰もが震撼していた。

 

「だが、『ひな』の持ち運びは師範クラスが行う規定になっているはず。見取り稽古で覚えただけの俄かに殺されるはずが」

「殺害された神鳴流剣士二名はその鍛錬所の師範と師範代です。陰陽師の話によれば顔見知りであることを利用して近づいてきたところで真っ先に師範が殺され、予想外の事態に動揺した二人の隙を突いて凶行に及んだのとことです」

 

 顔見知りを利用しての犯行だとしても、見取り稽古で学んだだけの未熟者に殺されるほど神鳴流の師範は弱くない。誰もが同じ思いで次の報告を聞く。

 

「それとですが、もう一つ。陰陽師の話によれば下手人は弐の太刀を使ったとも」

「馬鹿な! 弐の太刀は宗家である青山家の人間か、宗家ゆかりの者にしか伝承されない決まりがあるはず」

 

 弐の太刀とは、敵との間に障害物があっても障害物を傷つけずに敵だけを攻撃することができる技。どのような障壁も鎧も突破する強力な技である。あまりにも強力故に限られた人間しか伝えられない技を、正規の訓練を受けていない下手人が使ったのだとすれば背後には神鳴流の影があると想像した幹部も多かった。

 

「あの鍛錬所は宗家の人間も出入りしとります。見て覚えたんでしょう。行為はともかく凄まじい剣才の持ち主です。単純な剣の才だけなれば、並ぶ者はいまへんかもしれませんな」

「鶴子君にも、ですか?」

「かも、しれまへんな。後々の禍根に至る前に引退したうちがしゃしゃり出てまで仕留めたかったんですが叶いませんでした」

 

 歴代の神鳴流においても一、二を争う鶴子をも上回るやもしれない才能の持ち主。それほどの才の持ち主が、ただの剣士に神鳴流を滅ぼすほどの力を与えた『ひな』を持ち出した。奇襲とはいえ師範と師範代を殺した恐るべき実力を秘めている月詠が『ひな』を持ち出したことで、現役を引退したはずの鶴子が動かなければならなければならなかった。だが、動くのが遅すぎたのか後一歩というところで国外逃亡を許し、月詠の行方はようとしれない。

 

「一体、何を思って行動しているのか、この少年(・・)は」

 

 闇が深まっていく部屋の中で、月詠の写真を見下ろして詠春はひっそりと口の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネギが目を覚ました時―――――そこは見知らぬ部屋だった。洋風独特の無機質な天井ではなく、木目調の飾り板が張られた暖かな天井であったからだ。

 静寂の中、居間の壁時計の秒針が動く硬質な音が響く。不規則な木目の並んだ天井に、和風建築特有の木の匂い、畳の上に敷かれた布団――――さして広くもない部屋にある調度品は全て和風な趣をしていた。

 

「ここは?」

 

 ぼやけた視界を拭いながら、目覚め切っていない頭で半身を起こして辺りを見回す。間違ってもウェールズにある自分の家ではない。かといって女子寮の明日菜達の部屋でもない。

 現在地を把握できずに呟き、自分は何でこんな所にいるのだろうと記憶を模索すると昨夜のことを思い出した。障子越しに見える日の光から考えて既に昨日の出来事だ。ネギには寝かされていた部屋に見覚えがないので、あのまま酔い潰れてしまって誰かが此処にまで運んでくれたのだろう。

 

「後でお礼言わなきゃ」

 

 寝過ぎによる脳の奥辺りに鈍痛を覚えながら、寝癖であちこちが跳ねている髪の毛を直しつつ起き出した。

 ネギが寝ていた部屋には他にも布団が二つあった。子供用のサイズの布団から考えてアスカとアーニャか、それとも小太郎用か。その二つともが綺麗に畳まれ、触った感じでは熱が冷めきっていて、少なくとも布団の主は十分以上前に起き出している可能性が高い。

 

「みんなどこにいるんだろ」

 

 人を探そうと至って障子を開け、屋敷の廊下を歩き出した。まだ朝も早いということは、アスカや高畑としたキャンプで太陽の昇り位置で時間を把握する術を知っていたネギには分かった。本山内部には巫女さん達に案内してもらったので現在地もどこへ向かえば人に会えるかも分からない。急ぐことでもないので、桜が咲き誇る庭園を眺めながらのんびりと廊下を歩く。

 当てもなく歩いていると廊下の先から複数の人の足音が聞こえて来た。音の発生源である曲がり角から真っ先に姿を現したのは関西呪術協会の長である近衛詠春その人であった。

 

「長さん」

「ネギ君、起きていたのかね? ちょうど良かった。今、起こしに行こうと思っていたところだよ」

 

 木刀を片手に持った詠春は、昨日の初対面時とは打って変わって爽やかな笑みを浮かべていた。

 

「やっと起きたの。相変わらず寝坊助ね」

「仕方ないわよ。あんな状態だったんだもの」

 

 詠春の後ろから姿を見せたアーニャと明日菜が寝癖で針山になっているネギの頭を笑ったり呆れたりしていた。

 三人の後ろからもガヤガヤと人の気配が複数。

 

「刹那、お嬢様の護衛にかまけて腕が上がったとらんで」

「申し訳ありません」

「まあまあ、勘弁したってや鶴子さん」

 

 詠春と同じように木刀を持った鶴子に注意を受けて身を縮込ませている刹那は何故かボロボロだった。寝起きで頭が回っていないネギが首を捻っていると、木乃香が刹那のフォローをしていた。そして、最後尾に肩を貸し合ったこれまたボロボロな少年二人が現れた。

 

「アスカ」

「ん? よう、ネギ」

 

 この中で一番ボロボロな有様をしているアスカは、ネギには理解できない事柄ながらも非常に満足そうであった。ニコニコと笑っている姿はボロボロな風体と相まって異様にも映るが、魔法学校時代から高畑と会う度に似たような状況になっていたので今更驚くこともない。

 

「皆さん、揃ってどうかしたんですか?」

 

 このメンバーがいる理由が解らずにネギは首を傾げた。改めて記憶を模索してみるが該当する用件はない。というか、成人女性に見覚えのなかったネギにはもっと分からなかった。

 ネギの問いに足を止めた詠春が道の脇に体を開きながら後ろを振り返って苦笑した。

 

「アスカ君からの申し出で試合をしていてね。今はその帰りだよ」

「ああ、あの」

 

 ようやく回り出した頭の中が詠春が言った意味を理解して、ネギは頷きと共に得心した。

 学期末に学年クラス最下位を回避するご褒美としてアスカに提示された条件。それが詠春との試合であった。大方、早くに就寝して目覚めたアスカが詠春に戦いを挑んだのだろうことは、生まれてからずっと傍にいるネギには容易に想像がついた。

 

「すみません。うちの愚弟がこんな朝早くからご迷惑をおかけしまして」

「ネギ、それは私も言ったわ」

 

 ここは謝るべきところだと今までの経験から深く頭を下げて謝辞を表明したが、アーニャに先を越されていたようだ。

 

「いえいえ、こちらとしても有意義な時間を過ごさせてもらいました」

 

 アスカに負けず劣らずの満面の笑みを見せる詠春は謝罪は良いと顔の前で手を振った。その詠春を恨めしげに見るのはアスカに肩を借りる小太郎だった。

 

「このおっさん洒落にならんで。アスカはともかく俺には容赦ナシや。差別や差別」

「小太郎の扱いは悪かったものね」

「差別ではありません。これは区別です。強くするために厳しくと天ヶ崎君から頼まれましたから手加減なんて出来ません」

「まったくお父様は」

 

 このメンバーの中でもかなりボロボロな小太郎を哀れに思ってか、明日菜が同意する一方でアーニャが横から治癒魔法をかける。後ろでどこからか取り出したハンマーで父を殴打する木乃香がいた。

 治癒魔法で一人で立てるようになった小太郎から離れたアスカが鼻息も荒くネギに近くやって来た。その手には詠春や鶴子、刹那と同じく木刀が握られていた。

 

「やっぱ親父と同じ場所に立ってた詠春は強かったぞ」

「そんなに?」

「昨日枷を外してからかけ直してないから全力で行ったのに一発も当てられなかったんだぞ。マジで強ぇ」

 

 そういえばと昨日のことを思い出して、取りあえず封印をかけておこうと杖で呪文を唱えながら話を聞いたネギは改めて父がいる場所の果てしなさを知ったようような気分だった。

 誰よりも身近でアスカを見てきたネギは、双子の弟の底すら見えない戦闘センスを知っている。正に戦うために生まれてきたようなアスカが全力で挑んで歯も立たない詠春の強さと、同じ場所にいる父の背中の遠さを改めて自覚する。

 

「そんなことはありませんよ。アスカ君なら厳しい修練と多くの実戦を経験すれば十年、早ければ五年もすれば私など追い越すでしょう。私が保証します」

「うちもそう思うわ。単純な才能ならこの中でも段違いのようやしな」

 

 アスカを絶賛する詠春と鶴子に、アーニャと刹那が目を剥き、明日菜と木乃香はよく解っていないような顔だった。

 褒められて鼻高々といったアスカに小太郎が噛みついた。

 

「負けんで」

「へん、負け犬君はほざていな」

「言ったな。ここで再戦や!」

「止めなさいってば」

 

 狭い廊下で何人もいる関わらず、やる気満々になっている二人に明日菜が拳骨を下ろした。出遅れた形になったアーニャが振り上げた拳のやりどころを失っていた。

 

「……………」

 

 アスカならばそう遠くない何時かに父の背中に届き得ると明言されたようで、起こされることなく寝かされていたネギは仲間外れになったような気分で面白くなった。

 我知らずに仏頂面になっていたネギに何かを感じとったのか、明日菜に叩かれた頭を抑えていたアスカが良いことを思いついたように木刀を肩に担いだ。

 

「俺ってば詠春に剣も教えて貰ったぞ。どうだ、羨ましいだろ」

「羨ましくない」

「教えて貰ったって剣の握り方とか振り方とか基本的なことだけじゃない」

 

 自慢げに借りたらしい木刀を見せびらかしてくるアスカに不機嫌になったネギが言うと、アーニャがフォローを入れるように言った。

 

「鶴子と刹那が使うのを見てたから技も使えるもんね」

「馬鹿ね。見ただけで使えるわけないじゃない」

「言ったな、見てろよ。確かこんな感じで」

 

 得意げな顔だったアスカは見栄を張りたいのか、アーニャの言葉に庭園側に向き直って木刀を振りかぶった。

 

「神鳴流――――」

 

 アスカが振りかぶった木刀に気の輝きが灯っていることに気づいたのは詠春と鶴子の二人だけだった。

 

「斬空閃!!」

 

 振るわれた木刀の軌跡に沿うように気の斬撃が飛んだ。アスカの気合に比例すように極太で巨大な気の斬撃は、上段から振り下ろされたこともあって縦一文字に直進していく。

 真っ先に被害にあったのは華麗な花を咲かす一つの桜の木だった。桜の木を包丁で豆腐を切るように切り裂き、障害物などないかのように直進する気の斬撃は次々と気を切り裂き、やがてはアスカの正面に見えていた屋敷を捉える。

 前に進むたびに巨大になっていく気の斬撃は、この時には既に屋敷の屋根付近にまで到達していた。各屋敷に防御結界でも仕込まれているのか、屋敷に触れる前に一瞬の停滞を引き起こしたが鏡が割れるような音と共に、先程の切り裂かれた桜の木のように気の斬撃が通過して行った。

 その先にはまた別の屋敷があって、一つが二つ、二つが三つ、三つが四つと、途中で悲鳴と怒号とを巻き上げながら、やがて気の斬撃はアスカ達の視界の及ばないところにまで達して消失する。

 

「……………」

 

 自分で成したことながら本当に技が出るとは及びもしていなかったアスカは、固まってしまった周りの空気と巻き込まれたらしい辺りから聞こえる怒号にバケツ一杯に溜められるのではないかと思うほどの冷や汗を流した。

 木刀を振り下ろした姿勢から振り返って、あんぐりと口を開けた一同を見たアスカは混乱の極致にありながら口を開いた。

 

「どうだ!」

「どうだ、じゃないわよ! この救いようのないド級のボケアスカが!!」

「あべしっ!?」

 

 アホなことをしてアホなことを叫んだアスカに向かって、炎を纏ったアーニャが殴り掛かった。

 アーニャにタコ殴りにされるアスカを見て、何故かさっきのことは許せそうになったネギは被害に顔を青から白へと顔色を変じている詠春に向け、ジャンプして膝と両手と頭を廊下につけながら愚弟が仕出かしたことを詫びる為に土下座を敢行したのだった。

 兄とは、弟の不始末を詫びねばならない辛い立場にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、タバコあかん」

 

 洋装に着替えた詠春が待ち合わせ場所である関西呪術協会の入り口でタバコを吸おうとすると、木乃香が駆け寄ってタバコを取り上げようとする。木乃香がタバコを嫌いというよりも、詠春の身体を思ってである。

 

「木乃香、今だけは、この一本だけは吸わせて下さい。現実を忘れる為に」

 

 何時もなら吸いたいなら避ければいいのでタバコをあっさり手放すと詠春だったが今回だけはそれを固辞した。立場から来るストレスで時々吸って癖になっていたが、木乃香が傍にいてくれる方が彼には良く効くもアスカが仕出かしたことの後始末を思い出すだけで胃がキリキリと痛むのを和らげるには煙草に逃げるしかない。

 

「しゃあないな。今回だけやで」

 

 アスカが放った斬空閃によって奇跡的に怪我人や死傷者は出なかったが、器物が損壊されたり結界呪具が壊れたりと損害は大きい。なんとかアスカに責任が回らないように朝っぱらから動き回っていた父の気持ちを慮って、今吸っている一本だけはと木乃香も許した。

 時刻は既に夕方。空は傾き始めていた。朝から動き続けた詠春は、それだけ頑張ったのである。

 煙草を吸いきった詠春は携帯灰皿に吸殻を捨てた。

 

「行きましょう。案内します」

「本当に父さんの別荘があるんですか?」

「ええ、この奥にあります」

 

 ナギの別荘がここ京都にあり、詠春が管理を任されていたと聞かされたネギは行きたいと珍しく駄々を捏ねた。朝の一件でかなり忙しい立場にあった詠春は、この時間を作る為に物凄く頑張ったことは言うまでもない。

 総本山から現地までは少し歩くので、ネギと詠春が先頭でその後は数人ずつの纏まりになって話をしながら一行は進んでいく。この中に小太郎はいない。別件で朝の時点で千草に連れて行かれている。

 別荘に向かう道すがらネギは詠春の横に並ぶと、気になっていた事を質問した。

 

「長さん、今回のことは……」

「大丈夫です。私達の管理不行届が原因と皆も解ってくれましたから君達に苦情がいくことはありません。年若い魔法使いの少年が見様見真似で神鳴流の技を使ったと知って、皆も納得してくれましたから」

 

 言い難そうに切り出してくるネギに詠春は疲れた笑みを見せながらも、安心させるように伝えた。この一件の裏で、ある妖刀を奪った下手人のとあることに対する信憑性が増したとして色々とあったことは詠春も伝えなかった。伝える必要もない。

 

「当のアスカ君が深く反省してますから、誰も責めはしません」

 

 この不始末を仕出かしたアスカはアーニャによって焼き達磨状態にされて謝罪行脚をしたことは記憶に新しい。今も最後尾で、「私は救いようのないド級のボケアスカです」とプラカードを持たされている。

 

「ほら、あの三階建ての狭い建物がそうですよ。十年の間に草木が茂ってしまいましたが、中は綺麗なものです」

 

 目的地に到着したので立ち止まり、詠春は右手の草木が茂り白い壁がほとんど見えなくなった天文台付きの家を示した。その建物は、敷地面積そのものは小さいが三階建てほどの高さがあり、外観はコンクリートそのままで、所々に窓があるようだが、十年の年月で自由に生い茂る草木によって隠されてしまっている。その所為で何処か隠れ家じみた様相を呈している。

 建物そのものは、コンクリートむき出しの武骨な外観の三階建ての建物だったが、屋根の一部分には金属製の半球が被さっており、本格的な天文台があるのが特徴的だった。個人の建物であれほどの設備をつけるとはかなりの趣味のようだ。下からはよく見えないが開閉可能らしく、星でも見ていたのだろうか。

 一言で言うなら天文台が備え付けられている洋風建築の一軒家。それが魔法界の英雄ナギ・スプリングフィールドの別荘だった。様々な理由で、彼らはこの家の内部に思いを馳せる。

 

「京都だからもっと和風かと思った」

 

 明日菜は京都にある隠れ家と言うことで、和風の屋敷をイメージしていたのだが、意外にもそこに建っていたのは、鉄筋コンクリート製の建造物であった。

 アーニャは中がキレイだと言う割には外の草木を放置しすぎではないかと首を傾げ、天文台なんて目立つものがあることに更に首を傾げる。天文台なんて本格的な施設を個人で所有しているのだから天文学に興味があるのかと、スタンから聞いていた事前の情報と合わない人物像と比較して重ねて疑問符を抱く。

 

「どうぞ、皆さん」

 

 詠春はポケットから鍵をとりだし、鍵穴に差し込んで玄関の鍵を開ける。扉を開けて彼らを招きいれた。

 詠春に促されてきょろきょろと、辺りを見渡しながら高鳴る興奮を抑えきれないネギを先頭に奥にある入口へと向かっていく。ネギを先頭にぞろぞろと中に入り、ドアを支えていた詠春は最後になった。

 

「わ―――」

 

 中に入っていくと其処は最後に主が去った時の姿のままで、皆が興味深げに見てネギの歓声が高い天井に吸い込まれていった。

 京都にありながら西洋風だった建物はモダンな内装が際立ち、中に入れば整頓されており中々に良いセンスをしていると伺える。間取りそのものは詠春が言ったように内部は綺麗なままで狭い三階建てだった。

 一階から三階までの中心に吹き抜けがある構造で、個室や区切られた部屋はほとんど存在しなかった。窓から入る光が明るく柔らかい雰囲気を演出しており、明かりをつけなくても十分明るい。吹き抜けになっているエリアの一面の壁には、天井まで届く巨大な本棚が据え付けられている。本棚の両側を挟む様に二階と三階が作られているが、各階層の天井は結構高い。

 不自然なほどに壁の少ない家は、空を飛べないと利用し難い造りになっており、魔法使いの隠れ家だったと納得させるものがある。梯子はあるが下から数段分にしか届かない。梯子が届かない場所にまで本が置いてあるのは、恐らく本棚の裏側にある階段側からも取れる様になっているからだろう。それならそっち側からも取れる様にしておくべきであろうがそこまで手が回らなかったのか。

 大量の本に囲まれたそこはまさに本好きにとってはこんな所に住みたいと思わせる佇まいだ。

 

「彼が最後に訪れた時のままにしてあります」

「ここに……昔、父さんが……」

 

 詠春の言葉に感動したように言葉を漏らすネギ。彼の持つサウザンドマスターの痕跡は、六年前の僅かな記憶と杖、その他はスタンから伝え聞いた話位。しかし、ココには確かにナギ・スプリングフィールドの過ごした月日が残っていた。

 目を輝かせて父が住んでいた家を見て回ったり、少しでも父の事を知るために、願わくば彼の足跡の手掛かりを得る為に本を調べたりしている。貯蔵された魔術書の量、それだけでネギは自分の父親の功績を感じているようだった。

 明日菜達もたくさんある本を興味深げに見て回っているし、アスカはナギが使っていたであろう家具などを手にとって見ている。アーニャは棚を見上げたまま、立ち位置を奥にずらしていく。

 

「英語にラテン語、こっちはギリシア語かしら」

 

 ざっとタイトルを眺めていくと様々な言語で書かれた魔法書がずらりと並べられていた。適当に手に取った本には難解な魔法理論や、アーニャが未だ踏み入れた事の無い魔法世界についての記述が書かれている。

 家具を触るのに飽きたらしいアスカがアーニャの真似をするように隣に並んで視線を動かす。

 

「変ね。聞いた話と人物像が合わない」

「何がだ?」

「アンタ達のお父さんって魔法学校中退で勉強嫌いだって話じゃない。スタンお爺ちゃんや高畑先生も進んで勉強するタイプじゃないってネギを見て良く言ってたのに、こんなに本が一杯あるなんておかしいと思わない?」

「俺と同じで本に囲まれたら眠たくなるらしいから、確かにアーニャの言う通りだ」

 

 アーニャの視線の先を追ったアスカに答えながら、事前に把握した人物像からはとても勉強をする人間には思えずに首を捻った。天文台の事といい、まるで何か目的(・・・・)があるかのような感じがアーニャは見受けられた。

 

「何かがあったんだろ。節を曲げてまでも成し遂げなきゃならない何かが」

 

 世界最強と呼ばれた男が世間的に死んだことになっているということは、それだけの何かがあったということ。ネギもアスカもそこに気づいているからこそ、自身の力を高めようとしている。

 

「どうですか、ネギ君?」

「見たいものや調べたいものがたくさんあって、時間がないのが残念です」

 

 三階の一室で資料を見ていたネギの所に詠春が登ってきて尋ねる。いろいろと探してみるが、如何せん本の量が多く、滞在期間中に調べ尽くすには時間が足りない。

 

「ハハ、またいつでも来ていいですよ。カギをお渡ししますので」

「あの……長さん……父さんのこと聞いていいですか」

 

 少し微笑んでここの資料について軽く話した後に本以上に知りたい事、ナギのことを教えてほしいと詠春に頼む。

 

「…………ふむ、そうですね。みんなこっちへ…………アスカ君と明日菜君も。あなた達にも色々話しておいた方がいいでしょう」

 

 ネギからの言葉も半ば予想していたため大した反応も見せず、詠春は顎に手を当てどの辺りからどの辺りまでを話すかを考える。

 少し考えて下にいる者達にも声を掛けた。

 声に応えてアスカ達二人と、明日菜達三人が何かと三階に上ってくる。

 

「この写真は?」

 

 面子が揃った所で詠春が指し示したデスク前のアクリル製のスタンドに収められていた一枚の写真を見て、アスカが疑問の声を上げる。

 

「サウザンドマスターの戦友たち…………黒い服が私です」

「戦友?」

「ええ、二十年前の写真です」 

 

 みんなが写真に目を移すと、写っているのはネギと同じ赤毛の少年―――――ナギ・スプリングフィールドを中央に六人の男が写っていた。

 今、皆の傍にいる近衛詠春、旧姓青山詠春の若かりし頃の姿もある。他にもタバコくわえたスーツ姿のガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。褐色の肌で巨大な剣を持っているジャック・ラカン。ローブ姿の男性とも女性ともとれるアルビレオ・イマ。ナギに頭に手を置かれている十歳ぐらいの子供、ゼクト。

 

「私の隣に居るのが十五歳のナギ。サウザンドマスターです」

「……父さん」

「……親父か」

 

 写真の中心にいるナギは幼さが残っているにも関らず、このメンバーの中心的存在だと分かる。顔がそっくりなネギに比べるとナギのほうは野性味が入っている。ネギが優等性タイプだとすると、こちらは人に憎まれない悪ガキタイプといった感じだろうか。

 ネギの見た目とアスカの中身を合せればナギになるのかもしれない、と詠春はふと思った。

 

「わひゃー。これ父様っ! わかーい♪」

 

 木乃香が覗き込んだのに続いて、他のメンバーもその写真に群がっていく。

 

「え……」

 

 木乃香達と一緒に写真を見ていた明日菜が不自然に動きを止めた。そしてまるで夢でも見ているかのように目がぼんやりとなる。

 

「明日菜さん? どうかしました?」

 

 刹那は他の者ほど熱心に写真を見ていなかったので明日菜の様子がおかしい事に気付き、気になって思わず声をかける

 

「え? ううん、何も」

 

 写真の中の人物を見た明日菜の頭の中に何かが浮かびかけたが、刹那に声を掛けられて霧散する。夢から覚めたような気持ちになって焦りが生まれた。何でもないと答えるが何かが明日菜の頭に引っかかり、その後も不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「私はかつての大戦で、まだ少年だったナギと共に戦った戦友でした………」

 

 一段落ついたところで、詠春の話が始まった。語りが始まると皆は自然と口を閉じる。その話によるとナギがサウザンドマスターと呼ばれるようになった英雄の話。そこで成した数々の活躍により彼は英雄、サウザンドマスターと呼ばれることになったという。

 その後も詠春の話は続くが締めは残念な事に兄弟の望んだものではなかった。

 

「しかし………彼は十年前、突然、姿を消す……………彼の最後の足取り、彼がどうなったかを知る者はいません。ただし公式の記録では1993年死亡。それ以上の事は私にも……すいません二人とも」

 

 詠春は申し訳なさそうにそう言って一息つき、情報を求めてきたネギとアスカの方へ向いて申し訳なさそうな表情で詫びる。

 

「い、いえ、そんな………ありがとうございます、長さん」

 

 詠春の謝罪にネギはお礼を言い、手摺を掴み改めて部屋を見渡す。ネギの顔は曇らない。その後に彼は父に会っているのだから。

 詠春に礼を言うとネギはアスカと並んで手すりに凭れる。

 

「結局、手掛かりなしか」

「ううん。そんなことないよ父さんの部屋を見れただけでも来た甲斐があった」

「違いねぇ」

 

 そして兄弟たちは顔を見合わせて笑い合った。

 吹き抜けになった空間を眺める。壁の一面を占める本棚。父の情報はなかったからアスカとネギは少し残念そうな色を浮かべているもののそこに絶望はなかった。残念と思ってはいるけど諦めてはいない。

 もしかしたらこの場所に父が嘗ていたのだと思えば、今後のやる気が見えて来る。

 

「やることは何も変わらない。強くなって親父を探し出す」

 

 アスカは言ってネギに拳を突き出した。

 ネギも拳を握って突き出し、軽くコンと当てた。

 

「強くなろう」

「ああ」

 

 ネギの意気込みにアスカも頷く。

 兄弟だけのやる気のサインの合図を交わす二人を、アーニャは寂しげに見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二泊三日の滞在を終え、詠春や鶴子ら(三日目に訪れた鶴子の妹である素子)に見送られて京都駅から新幹線に乗った一行は、乗り込んで十分もしない内に寝息が聞こえ出した。それから数十分たった今では旅の疲れが出て麻帆良組が眠りにつき、行きのような騒がしさは無い。

 

「やれやれ、三人とも寝ちゃったか」

 

 行きと同じく三人席を回転させて窓側に座ったアーニャは、前に座る明日菜・木乃香・刹那の三人が中央の木乃香に凭れかかるようにして寝たのを見て笑った。

 

「ほんと、アスカの所為で大変な旅行になっちゃったわ」

 

 寝ている三人を起こさないように気を利かせて声を顰めながらも隣に座るアスカを咎めるという器用なことをする。

 

「仕方ねぇだろ。俺だってまさか出来るとは思わなかった」

「流石はバグ」

「なんだ、バグって?」

「千雨さんに教えて貰ったんだ。アスカみたいなのをそう言うんだって。意味は教えてくれなかったけど」

「どうせ碌な事じゃないでしょ」

 

 意味も分からずに千雨から聞いたネギはアスカと顔を見合わせて首を捻った。

 コンピュータ関係の言葉らしいが、こういうのはウェールズで刑に服しているもう一人の仲間が詳しいのでアーニャにも分からない。分かるとすれば、コスプレ癖とネットアイドルであることを知られてから周りの目が無い時に限定して遠慮のない千雨の悪口だということだけだ。

 

「そういえば、なにか長に貰ってなかった?」

「ああ、あれか」

 

 駅で詠春からネギに手渡されていたのを思い出したアーニャが言うと、アスカが網棚に乗せてある荷物を見る。

 

「長さんが父さんの手掛かりだってくれたんだ」

「なんなんだろうな」

 

 早く中身を見てみたいという欲を隠そうとしないアスカに笑ったネギは、小さく欠伸を漏らした。つられる様にアスカも大きく口を開けて欠伸を掻く。昨夜はアスカだけでなくネギも参加して夜遅くまで詠春の自室でナギとの思い出話を聞いていたので寝るのが遅かった。

 朝は朝で鶴子の妹である素子がやってきて、強者に反応してバトルマニアの気が反省を超えて再燃したアスカに巻き込まれたネギも戦った。年下に負けるなとばかりに刹那も超人達のバトルに引き込まれていったのを、アーニャと明日菜は合唱して見送ったものである。

 

「いいわよ、アンタ達は寝てても。私は起きてるから」

「じゃあ、遠慮なく」

「ごめん、ぼくも限界」

 

 許しを得た二人はあっという間に寝入って、規則正しい寝息を立てた。

 みんなが寝てしまったので一人で起きとかなければならないアーニャは高速で流れて行く窓の外を眺めた。

 

「バカ……」

 

 さっさと寝た双子に悪態をつき、一言ではとても言えない感情をアーニャは抱いていた。

 

「私はアンタ達みたいに強くなれないのよ」

 

 その言葉はまるで、将来双子と別れる道を暗示しているようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハワイのとある町のストリートで一人の少女が泣きそうな顔で俯いていた。天然でウェーブの入った長い茶髪の髪の毛を垂らした少女は、顔を上げることも出来ない。原因は少女の目の前の人物にあった。

 

「ちょっとアンタ! この間の占い全然当たらなかったわよっ!」

 

 少し年がいった女性は怒鳴り、少女が座っている前に置かれている水晶が置かれた机をバンと強く叩いた。

 少女は人の怒りに敏感だった。怒りを向けられるだけで身が竦んで何も出来なくなる。以前ならば、少女の危機をどこからか感じ取ってかけつけてくれた男の子も、怒りを示す者に理論立てて反論してくれる男の子も、彼らと一緒に自分を救ってくれた少女はいない。今は一人で、孤独に奮えてることしか少女には出来なかった。

 

「なにか言ったらどうだい!」

 

 恐怖と情けなさで貝のように口を閉じている少女に、尚も女性の怒りは収まらない。少女はただ歯を食い縛って耐えることしか出来ない。

 

「ちっ、そんな的外れな占いしか出来ないならさっさと辞めちまいな!」

 

 何も言い返そうとしない少女に最後に吐き捨てて、女性は怒りを示すように足音も去って行く。

 女性の怒り具合を近くで見ていた少年二人が、慌てて道を譲るほどの様子だった。

 怒りを発していた女性がいなくなっても少女は目元に涙が流れないように歯を食い縛り続けた。

 

『卒業したんだからその直ぐに泣く癖も直しなさいよ』

 

 思い出すのは先に修行先に向かうためにウェールズを立たなければならないことが分かって、空港まで見送りに来てくれた親友の言葉だった。今の少女の心の支えは過去にしかなかった。

 

「やーい、嘘つき占い師」

「嘘つきはどっかに行っちゃえ」

 

 同年代ぐらいの少年達に馬鹿にされても、少女は泣かなかった。泣かないことだけが少女に残されたただ一つの意地だった。でも、意地を持っても辛いことに変わりはない。占い道具を片付けて逃げるようにストリートから去った。

 向かうのは居候先の魔法使いの屋敷。だが、そこに向かって歩いているはずの少女の足取りは軽快なものとはいかなかった。

 足取りも重く辿り着いた先にあったのは、ハワイには不釣り合いな洋風の豪奢な屋敷である。

 

「…………失礼します」

 

 何度も躊躇いを覚えながらも、二ヶ月以上経っても未だに慣れない屋敷の扉を開く。

 開いて真っ先に見えたのは、外観に似合った豪奢な内装だった。魔法使いの家系の生まれといっても一般家庭と生活レベルが変わらない少女にとっては、違和感どころか肌に合わない感じが甚だしい内装だった。

 

「……………」

 

 扉と称するのが相応しい玄関を開けたホールにはメイドの恰好をした女性が掃除を行なっていた。玄関から入って来たナナリーを見ると一瞬だけ手を止めたが、やがて興味を失ったかのように掃除の手を再開する。

 屋敷の主人が受け入れた見習い魔法使いに失望していることから、少女に対する風当たりは悪いどころかまるで存在しないかのように無視されていた。外では罵倒され、居候させてもらっている家ではいない者として扱われる。少女の心は限界だった。

 そんな少女に屋敷で話しかけるのはたった一人。その一人が階段の上に立っていた。

 

「あら、出来損ないの魔法使いじゃないの。今日もお早いお帰りね」

「…………お嬢様」

 

 階段の半ばで見下ろす同じく伸ばした茶髪にウェーブをかけたこの屋敷の娘に、同年代にも関わらず少女は畏まった。お嬢様に嫌味を言われているのは慣れている。

 

「相も変わらず暗い子。なんでこんな子が私と似ているのかしら」

 

 どうやらお嬢様は初対面時から少女のことが気に入らないらしく、ことあるごとに罵倒してくる。

 髪型や同年代なので体格が似るのは仕方ないが、顔立ちまでどこか似通ってしまうことで同族嫌悪にも似た感情を抱いているようだと少女は考えた。

 

「さっさとお国に帰ってほしいものだわ。あなたの陰気な顔を見ているとこっちまで気が滅入ってくる」

 

 この屋敷で唯一少女に話しかけてくる相手であるが、罵倒と無視のどちらが嫌かで比べるのはナンセンス。

 

「すみません。体調が優れないので失礼させてもらいます」

 

 少女は顔を伏せてお嬢様の顔を見ないようにしながら横を通り過ぎようとした。だが、階段の途中で立ち止まっているお嬢様は横を通り過ぎようとした少女の手を掴んだ。

 

「待ちなさいよ。このあたしが話しかけてあげているのにその態度はないんじゃないの」

「本当に体調が悪いんです。お願いですから手を離して下さい」

 

 頑として顔すら見せない拒絶に、お嬢様の目の奥の感情が揺れたが少女は気付かない。

 

「なら、日本から送られて来たっていうこのエアメールはいらないわね」

「え?」

 

 少女が顔を上げた先には、お嬢様が取り出した手紙があった。

 裏側になっているので宛名は見えないが送り主の名前は見えた。「アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ」「ネギ・スプリングフィールド」「アスカ・スプリングフィールド」と三人分の名前が書かれた奇妙な手紙は、少女がそれだけを心の支えにしていた大切な人達からの贈り物だった。

 

「一ヶ月も前に届いたこのエアメールを隠していたお父様から掠め取って来たのに、あんたはいらないのね」

 

 この屋敷の主がスプリングフィールド兄弟の受け入れを望んでいたことは、後になって目の前のこのお嬢様から知らされた。当初から少女への風当たりがきつかったのは目的の人物が来なかったことなのだと知ったのは、この地に来てから一ヶ月も後になってからだった。

 無理からぬ話だと、少女はお嬢様に言われてから強く思う。この十年で最高の成績で卒業したネギと成績最低ながらも抜群の戦闘センスのアスカ。この二人と比較してなんの特徴も無い自分が来て、屋敷の主人はさぞ落胆しただろうと申し訳なくすら感じていた。

 

「いります。下さいっ」

 

 少女の常にない強い語気に驚いたお嬢様は言われるがままにエアメールを差し出す。そして自分が少女の命令に従ってしまったことに耳を紅くして、顔を逸らした。

 

「ふん、確かに渡したから。うちの家名を穢すことだけはしないでよ」

 

 今までの言葉の裏を返せばお嬢様の言葉の意味も変わってくるのに、多方面から追い詰められている少女は気付かなかった。

 優雅に髪の毛を後ろに払って階段を降りて行くお嬢様の去り際の言葉に傷つきながら、少女は唯一の繋がりである手紙を持って与えられた二階の部屋を目指した。

 少女に与えられた部屋は二階の角部屋。本来ならば物置として使用されていた部屋を、急遽少女の部屋として改装された部屋である。自室の部屋のドアの前で、ここでもまた少女は重い溜息を漏らしてドアノブに手をかけた。

 ギィッと立てつけの悪い音と共に開いたドアの向こうから埃っぽい空気が漂ってきて少女は咽た。屋敷が綺麗に掃除されているだけに喉に来た。

 

「ゲホゲホ」

 

 開いた先の部屋は陰気だった。窓がなく換気していないのと、外の世界との関わりを極力失くしたい少女がドアを開けておくことはしないので空気も澱んでいて埃っぽい。 

 急造の電気スイッチを押してドアを閉めたが、天井から繋がっているランプの灯りは決して十分ではない。魔法で灯りを灯すぐらいならば少女でも出来るが、屋敷の主より使用を禁じられては従うしかない。

 

「アーニャからの手紙」

 

 何時もなら少女が足を伸ばして寝られて、脇に荷物を置くぐらいのスペースしか無い部屋に陰鬱な気分になるところだったが今日だけは違った。

 開けた形跡のあるエアメールから中の便箋を取り出した。薄暗い灯りでは読み難いが、読まないという選択肢はない。

 

『拝啓、ナナリー・ミルケイン様』

 

 少女――――ナナリーは、おしゃまな性格の親友アーニャに似合わない固い文言に顔を綻ばせた。改まって手紙を書くことに戸惑い、何度も何度も書き直した跡が僅かに残っている。ナナリーのことを思って頑張ってくれただけで嬉しかった。

 

『私達が日本に来て一日目が過ぎようとしている時にこの手紙を書いてます。そちらはハワイとのことですが、いかがお過ごしでしょうか』

 

 悪い事ばかりだが、こうやってアーニャと手紙を読むだけでハワイに来たなにもかもが些末なことのように思えた。今この時のこと限りだとしてもナナリーにはそれが全てだった。

 

『ボケ双子どもは相変わらずです。何時もの通りに騒動に巻き込まれ、私が火消しをしています。教師も大変で、早くも魔法学校時代が懐かしいです』

「私もあの頃に戻りたいよ」

 

 あの頃は宝石のように輝いていた、とナナリーは過去に思いを馳せた。懐かしいと書いているアーニャと戻りたいと願っているナナリーとでは想いが違うと分かっていても。

 

『過去を懐かしがるのはここまでにして、この手紙を書くことで未来に目を向けて行きたいと思います。ナナリーも同じ気持ちでいてくれた嬉しいかな』

 

 最後だけ言葉を崩したのはアーニャの茶目っ気か。過去に縋っているナナリーは同じ気持ちになることが出来ず、アーニャの手紙を読み続けた。

 

『そちらも大変だと思いますが、こちらも頑張っていきます。お互いに成長した姿でまた会えることを願って筆を置かせてもらいます。どうかお元気で』

 

 書いた主の性格を現す様に短い文章は、そこで終わっていた。豆電球の淡い灯りに照らされた下で何度も何度も手紙を読み返す。

 飽きるほどに、穴が開くかと思うほどに、何度も何度も読み返したナナリーは、やがて手紙を胸元に抱きしめた。

 

「アーニャ……」

 

 この手紙を読んだら頑張らざるをえない。

 せめて勇気が出るように手紙を胸に抱えることでナナリーは過去に縋り続けた。

 

「でも、辛いよ」

 

 未来に目を向けることが出来なくて、アーニャは昔から思い続けている少年の背中を思い浮かべた。何時だって危機をどこからか感じ取って駆けつけてくれた、ナナリーにとってのヒーロー。

 

「助けて、アスカ君…………」

 

 孤独に震える少女の傍に、太陽の輝きを持つヒーローはいなかった。

 




始動キー……。


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第8話 新学期パニック

『きゃあっ』

 

 とある少女が夕暮れに染まる町を歩いていると、突然吹いた風に長めのスカートが捲くられて悲鳴と共にスカートを抑えた。だが、直ぐ横を中学生ぐらいの男子二人が横を通りかかったのに見向きもしない。このぐらいの年齢なら老女のスカートであっても思わず視線が移ってしまうはずなのに、だ。

 

『うう…………』

 

 皆の周りに悪い子じゃないけどちょっと目立たないと言うか、存在感がないと言うか。いるのかいないのか分からない子っていないだろうか。大体いるだろう、クラスに一人くらいそういう子って。実は少女もそういうタイプの一人だった。

 なにせ…………幽霊だから。

 仕方ないと言えば仕方ないかもしれない。幽霊だから。

 少女―――――相坂さよは地縛霊を始めて60余年になる。だけど、幽霊の才能が余りないらしくてイマイチ存在感がないって言うか、あんまり気付いてもらない。あまりにも存在感がなさすぎて、どんな御払い師や霊能者にも見えない筋金入りである。

 

『ひっ………誰ですか!?』

 

 それに、カタンと机が鳴るだけで驚くぐらいにとっても怖がりで夜の学校は何か出そうで怖すぎるという理由で、最近は朝まで近所のコンビニやファミレスで過ごしたりしている。幽霊なのに夜の学校が怖いとはこれ如何に。地縛霊なのに学校の近くなら出歩けるという摩訶不思議。深夜のコンビニって何か安心しますよね、とは本人談。

 幽霊としても駄目駄目だと感じている彼女は、只今彼氏ならぬ友達募集中。本人としても相手を怖がらせるだけで、駄目だとは分かっている。性格は暗いし幽霊だし…………と考えながら、いくら幽霊でも何年も話し相手がいないとちょっと寂しかったりする。

 

『明日から新学期か』

 

 薄暗い教室である。窓の外は太陽が沈んでいき日没が近い。人気のない寂し気な明日から3-Aになる教室で、本来なら誰もいない学び舎に声ならぬ声が響く。

 

『誰か私に気づいてお友達になってくれないかな……?』

 

 寂くて変わりのない日常に小さな変化。夜の教室で一人呟く彼女の運命の分かれ道が迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春休みも終わって新学期になり、始業式とか諸々あったわけだがこれといって語るべき事もないので省く。

 京都から留学生として派遣された天ヶ崎千草は、2-A改め3-Aの担任を受け持つ事となった。そして初っ端から口の端を引き攣らせていた。

 

「3年!」「A組!!」『ネギ先生~っ! あ~~んど アーニャ先生ーっ!』

 

 鳴滝姉妹が昨日の夕方に再放送していた金○先生のマネをし、新学期最初の日と言う事もあってか異常な位にテンションの高すぎる生徒達が追従する。

 学年が上がってもクラス替えは一切行われていない。使用する教室も全く同じなので教室のプレートが取り替えられるだけだが、それでもお祭りのように盛り上がれるA組の生徒達のバイタリティには驚かされるというか、呆れるというか。クラスの後方にツッコミを内心でしている千雨と夕映が呆れ返っているが、千草以外に他に気づいた人はいないようだ。

 

「他のクラスの迷惑になるから、もう少し静かにしいや」

『はーい、天ヶ崎先生もよろしくお願いします!』

 

 騒いで新田に怒られるのは新任なのに担任を任された千草である、注意を促すと、生徒達も了承してくれたようで声を小さくして返事が返って来る。以外に素直な生徒にホッとした面もあったが、クラスの面々の多国籍振りと上と下の見た目の差の激しさに内心では動揺しまくりであった。

 

「引き続き担任補佐を任されたネギ・スプリングフィールドです。改めましてよろしくお願いします」

「同じくアンナ・ユーリエウナ・ココロウァよ。これから来年の三月まで一年間よろしく」

 

 しかも同じく教壇に上っているのが子供先生二人ときている。みんながそんなネギ達をニコニコと嬉しそうに笑っている中、特にあやかなどは余程ネギが続けてこのクラスに関わるのが嬉しいのかハートを撒き散らしている。

 学期末の二ヶ月をほぼ二人だけでクラスを纏めていたと聞けば、子供だけにクラス運営を任せる学園長の頭の中を覗きたい気分である。こういう利己的な面が自分は教師に向いていないのではないか、と千草は不意に思った。だが、こうなっては向き不向きは関係ない。

 教室を見渡して欠席がいないことを確認して、ネギが前の学期に持っていた通信簿に出席をつけて内心で溜息を吐いた。

 しかも事態はそれだけに留まらないのだ。教壇に上っているのは四人なのだ。後一人が挨拶していない。その最後の一人がしずしずと前に出た。

 

「副担任を任されましたネカネ・スプリングフィールドです。何人かと春休みの間に面識がありますが、どうか弟妹共々宜しくお願いします」

 

 今度こそ極め付けである。まさかの兄弟妹の保護者の登場であった。教室真ん中の最後尾で眼鏡をかけた少女が額を机に打ち付け、状況の信じられなさに打ち震えているのに同意したい千草だった。

 

「まずは――」

 

 何故かチョークを取り出したネカネは、その大人しげな所作とは裏腹に手裏剣を投げるような体勢に移行した。

 

「そこの居眠り生徒は目を覚ましなさいっ!」

「――っ!?」

 

 神速の速さで投げつけられたチョークは、目を開けて普通に話を聞いている様子だったアスカに向けて投げられて見事に命中した。

 チョークが当たったとは思えない音を三度響かせた直後、当たった張本人――――アスカ・スプリングフィールドは仰向けで床に倒れた。

 

「……い、痛ぇ!? 怪物の敵襲か!?」

「誰が怪物よ」

「おぎゃんさら!?」

 

 床に倒れたアスカが痛みに呻きつつ起き上がりながらの発言に眉をキュッと顰めたネカネから第二弾が放たれ、見事に命中した。

 倒れたアスカは、次は起きて来なかった。隣の席のエヴァンジェリンが床を見るとアスカは額を抑えて痛みに悶えていた。

 その運動能力と武力で武道四天王と並び称されていたアスカをたった二発でノックアウトしたネカネ。鍛えているアスカを直ぐに起き上がれなくさせるほどのチョークを投げたネカネの技量にクラスの殆どが震撼した。

 

「私がいる限り、サボリや授業中の居眠りは許しませんから皆さんもそのつもりで」

 

 ニッコリと微笑みつつ、どうやってか一瞬の内にさっきまでなかったはずの全ての指の間にチョークを挟んだネカネに、逆らう気概がある者はこの瞬間にいなくなった。エヴァンジェリンでさえ、封印が解ける僅かな間なのだからサボリや居眠りは自重しようと心に決めたほどだった。

 アスカが数発でノックダウンするほどのチョークを、今はひ弱な肉体で受けることは死を意味する。挟持より安全を取った真祖の吸血鬼であった。

 

「では、後はどうぞ天ヶ崎先生」

「この凍った空気をどうせえってちゅうねん」

 

 お前こそ担任やれよと突っ込みたかったが、ネカネは教員免許を持っていないので(これはネギとアーニャも同じだが)、文句を学園長室で既に却下されたことなので千草は今度こそ溜息を表に出しつつ気を引き締めた。

 

「今学期から担任を任されることになった天ヶ崎千草や。よろしゅう頼む」

 

 先のネカネのお蔭でクラスが静まり返っていることを喜ぶべきか恐れるべきか。千草は努めて気にしないことにして話を進めた。

 

「早速やけど、決めなあかんことがある」

 

 スーツに慣れていないながらも生来の度胸の良さを発揮する千草が完璧に教師に見えたことは、彼女にとっての不幸だろうか。

 

「4月22日にハワイへの修学旅行を控えてるのに、このクラスだけ班が決まってないらしいやんか。新学期恒例の身体測定やけど、他のクラスの先生方が気を使って最後の順番にしてくれたんやから感謝するように」

 

 麻帆良学園において、中等部の修学旅行は他の学校と違い三年生の春に行われる。普通の学校では修学旅行は二年生の時に行うのだが、麻帆良学園はエスカレーター式学校なので特別に受験のために時間を割く必要がなく、外部の学校を受験する生徒以外は高等部への進学は決まっているため三年の時期に行っても何の問題もない。また小等部や高等部の修学旅行と重ならないように4月という時節となる。

 もし、受験が重視されていれば新任の子供先生が三年の担任に選ばれることなどなかった筈だろう。それと中等部だけでも人数が多いので、クラスごとに数箇所の目的地から選択する方式が取られている。

 そんな中で目的地の候補は京都かハワイに絞られた。

 修学旅行の定番である京都が残された理由は幾つかある。3-Aには留学生、帰国子女が多く担任補佐、副担任補佐の先生も外国人ということで日本の観光名所である古都京都と奈良が選ばれたのだ。

 順当に行けば京都が選ばれる可能性が高かったが、ここは担任権限を使った千草が強制的に変えたのだ。

 

(なにが悲しゅうて出た所に戻らなあかんねん)

 

 という身も蓋もない理由でハワイに決定したことを生徒達は知らない。その裏で、ネギ達が春休みの間に京都に行ったことを知った生徒達が、ならハワイにしようと軽い気持ちで変遷したことを千草は知らなかったりする。更に更にその裏でアーニャが親友に会いに行く為に生徒達に裏工作をしてハワイを選ばさせたことは、ネカネだけが知っていたりする。

 

「今から各自で六人一組の作るように。班員構成は自由。身体測定までに決まらんかったら出席番号順やからな。はい開始」

 

 わー、と予告も無く始めたことなので生徒達が慌ただしく動く。

 全体的に仲の良いクラスであっても個々人で繋がりや仲の良さに差がある。あまり喋らないクラスメイトと折角の修学旅行を共にするのは、後々の思い出に残すのはあまりよろしくない。

 各自が仲の良い旧友と班を作ろうと、3-Aの教室は一斉に慌ただしくなった。

 

「やれやれ」

「ご苦労様です」

 

 せわしない女学生達の様子に在りし日の自分を思い起こしかけた千草は溜息と共に感傷を吐き出し、その様子が分からなくもないネカネが微笑を浮かべつつ労った。

 労ってくるネカネを上から下まで見た千草は一つの感想を抱いた。

 

「アンタ、スーツが壊滅的に似合わんな」

「そうですか? 私としてはまあまあかなと思うんですけど」

 

 年齢のこともあるだろうが、意外に様になっているネギを除けばアーニャとネカネはスーツに着られているような印象を受けた。今もくるりと回ってスーツの様子を確かめるネカネなど、高校卒業前で就職活動をするために買ったばかりの新品に腕を通したばかりだという印象そのものだ。

 年的に二十を超えたか超えてないかぐらいらしいので、日本人の常識が叩き込まれている千草には違和感の塊でしかなかった。近くにいたネギもアーニャも千草の意見に頷いているのだから、千草の見立てもあながち間違っていない。

 

「でも、なんでお姉ちゃんも教師なの?」

「しかも私達より立場上だし」

 

 純粋な疑問を浮かべるネギに対し、アーニャはお姉ちゃんが自分達よりも立場が上なことに若干の嫉妬の視線を向けていた。

 

「私としてはどんな仕事でも良かったんだけど、学園長がどうせなら教師をやってみないかって仰ってくれたの。あなた達のことも気になってたし、丁度良いかなって引き受けたの」

 

 そんな軽い理由で教師を引き受けるな、学園長も与えるな、と色々な方面に突っ込みたい突っ込みたい気持ちを無理矢理に封じ込めた千草は、最近増えた溜息をまた漏らした。ネギ達と関わってから不幸続きな千草だった。

 にこにことご機嫌なネカネから千草に顔を向けたネギが口を開いた。

 

「小太郎君はどうしたんですか? 一緒に暮らしてるって聞きましたけど彼もこっちに?」

「まだや。これが隠せんで、向こうに足止めや。来たがってたし、直に来るやろ」

「あの犬も来るの」

 

 耳元を指し示す千草に納得した様子のネギだったが、その横でアーニャは顔を顰めていた。どうもアーニャは小太郎がいるとアスカが悪乗りして被害が大きくなるので来てほしくないらしい。

 

「小太郎君って、アスカに似ているっていう?」

「外見じゃなくて中身がだけど」

 

 人物だけは聞いていたネカネに如何に二人の中身が似ているかを熱弁するべきかとアーニャが口を開いたところで、教室最後尾でアスカが首を起こした。

 

「くそ……、無駄に痛ぇ」

「自業自得だ。第一印象は後に響く。最初ぐらいは起きておくものだぞ」

「知るか、んなこと」

 

 椅子を支えにしてどうにか起き上がったアスカに、十五年の中学生生活を送って来たエヴァンジェリンがアドバイスするも今のアスカに受け入れる度量があるはずもない。

 腫れて赤くなっている額を擦りながら、ガクガクと震える膝を支えながら苦労して椅子に座る。はふー、と息を吐いたアスカは慌ただしく教室内に動き回る生徒達に今更気が付いた。

 

「なに騒いでんだ、みんな?」

 

 首を捻るアスカの横でエヴァンジェリンは周りの生徒達を気に入らなさそうに頬杖をつきながら見ていた。

 

「修学旅行の班決めだと。新担任にいいつけだ。早く行かないとお前も乗り遅れるぞ」

「エヴァはいいのか?」

「私はどうせ呪いの所為で行けん。班など、どうでもいい」

 

 班決めではなく修学旅行に行けないことを悔しがっているエヴァンジェリンはアスカの問いに機嫌悪そうに答えた。

 ふ~ん、と対して興味なさそうに隣に座る少年に更にイラツキが増す。

 

「大体、どうしてハワイなのだ。修学旅行といえば普通は京都だろ」

 

 あまりクラスに積極的に関わらないエヴァンジェリンでも、修学旅行先選定の段階で京都行きが圧倒的多数を占めていたことを知っていた。茶々丸は自分の傍にいて行けないので、超や葉加瀬辺りにお土産でも頼む気持ちだったのだがハワイでは風情がなさすぎる。

 何時の間にか修学旅行先がハワイになっていることが気に入らなかったようだった。

 

「俺達が春休みの間に京都に行ってたからじゃねぇの」

「なに?」

「アーニャが自分から吹聴して回ってたから、なら京都は止めてハワイみたいな感じになってんじゃないか」

 

 な、と同意を求められたところで、アスカ達が春休みの京都に行っていたこともアーニャが吹聴して回っていたこともエヴァンジェリンには全くの初耳だった。

 

「聞いていないぞ、私は」

「言う必要ないだろ。敵みたいなもんだろ俺達」

 

 そう返されてはエヴァンジェリンにはぐぅの音も返せない。弟子入りを求めて来たアスカ達を試すために一戦やらかすことを決めたのは彼女自身であったのだから。

 アスカは不思議なほど馬が合った(不良学生として)ので行動を共にすることはあっても、裏の関係では半ば敵みたいなものである。ネギとアーニャに至っては教師と生徒に過ぎず、一々近況を報告する仲でもない。

 教室にあまり居たがらないエヴァンジェリンはクラスの噂には疎い。アーニャはそこを分かった上で行動していたのだ。

 

「今からでも京都に変えろ。京都のどこかにはナギの奴が一時期住んでいた家があるはずだ。そこになにか手掛かりが」

「別荘には行ったし、詠春から手掛かりっぽいやつももらったぞ」

 

 せめてもの情報を出せば既に行った後の手に入れた後であった。勝負の後に勿体ぶりながら披露しようと考えていたネタをあっさりと先回りされて、ちょっと泣きそうになったエヴァンジェリンだった。

 

「アスカ、一緒の班になろ」

 

 葛藤を抱えていたエヴァンジェリンは明日菜の声に顔を上げた。そこにいたのは春休み後からグッとアスカと距離が近くなっている神楽坂明日菜。その後ろに満面の笑みを浮かべる近衛木乃香と苦笑を浮かべる桜咲刹那という対照的なコンビがいた。

 

「俺でいいのか? 図書館島探検部の三人と組むんじゃねぇの」

「あの三人と組んじゃうとアスカと組めなくなっちゃうから、ゴメンって謝って来た」

 

 アスカが視線を動かすと、ニヨニヨと気持ち悪い笑みを浮かべて頭の上の触覚染みた二本のアホ毛をピンと逆立てた早乙女ハルナがいた。

 

「ラブ臭よ。強烈なラブ臭がするわ。まさか女子校でラブロマンなんて夢がありすぎじゃない」

「なにを言ってるのですかハルナ」

「変なこと言っちゃ駄目だよ」

 

 興奮したチンパンジーの如きハルナを諌める綾瀬夕映と宮崎のどかを見たアスカは首を傾げつつ、正面の明日菜を見た。

 

「あの三人が納得してんなら俺はいいぞ」

「じゃあ、後二人ね」

 

 背景にお花畑が咲きそうな明日菜の様子に、そういう回路が錆び付いているようなエヴァンジェリンも流石に気が付いた。

 

「二人二人ね…………お、丁度いい二人組がいた」

「ん?」

 

 どうやって聞き出すかと思考を巡らせていたエヴァンジェリンは、アスカが良いことを思いついたばかりに自身を見ていることに気が付いた。

 

「エヴァと茶々丸、丁度二人じゃんか。お前ら俺の班に決定な」

 

 自身と前の席にいた茶々丸を指差しながらのアスカの決定に、当然のことながらエヴァンジェリンは不快を露わにした。

 

「勝手に決めるな。そもそも私達は修学旅行に行かん」

「いいのですかアスカさん、二人は」

「俺が決めた。行く行かない関係なしで、どうせ班員になってくれる奴もいねぇんだ。大人しく従っとけ」

「…………好きにしろ」

 

 アーニャから事のあらましを軽く聞いていた刹那が言いかけるが、上から封じるようにアスカは封殺した。傍若無人なアスカの決定に逆らうか怒るかすると思われたエヴァンジェリンは意外なほどあっさりと了承した。

 

「これで六人揃ったなぁ。茶々丸さんもよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします木乃香さん」

 

 天然な木乃香とロボット故の規定通りにしか動けない茶々丸が挨拶し合ったりしていたが、このやり取りに疑問符を抱いていたのは刹那だけではなかった。

 

「どうしたのエヴァちゃん? やけに素直じゃない」

「エヴァちゃん言うな。…………こっちにとって都合が良いだけだ」

 

 明日菜に言い返したエヴァンジェリンだが理由は言わなかった。単純に後になって余り者同士で班を組むのが、行かないとしても恥ずかしいと言えるはずもなかった。

 班が決まらなくて千草が出席番号順に班を作ると言い出したらクラス中の批判が向けられない。小娘の批判ぐらいどうということはないが、自分から下らないことで問題を起こして注目を浴びることは避けたい。

 アスカの命令口調は気に入らなくても都合が良いのは事実だった。

 

「ふん、礼は言わんぞ」

「気にすることでもねぇ」

 

 明日菜が不審に感じるほど、二人の間に流れる空気は陰険ではないが明るいものでもなかった。極自然と隣にいることを許し合っている空気という感じだが、そこまで明日菜に分かるはずもない。この二人に何かあるのだろうかと、後で事情を知っていそうな刹那を問い質そうと心に決めた明日菜だった。

 木乃香と二人掛かりになれば、刹那は木乃香に隠し事をしていたこともあって詰問されると申し出を断れないことを明日菜は知っていた。

 

「大体、班が決まったようですね」

 

 明日菜に問い質される未来を感じ取ったのか、体をブルリと震わせた刹那は辺りを見渡しつつ呟いた。

 刹那の言う通り、教室の中は六人毎に固まっていた。

 雪広あやか、那波千鶴、長谷川千雨、朝倉和美、村上夏美、ザジ・レイニーデイ。

 柿崎美沙、椎名桜子、釘宮円、春日美空、鳴滝風香、鳴滝史伽。

 超鈴音、葉加瀬聡美、四葉五月、長瀬楓、古菲、龍宮真名。

 大河内アキラ、和泉亜子、明石祐奈、佐々木まき絵、綾瀬夕映、宮崎のどか、早乙女ハルナ。

 神楽坂明日菜、近衛木乃香、桜咲刹那、アスカ・スプリングフィールド、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、絡繰茶々丸。

 一組だけ六人を超えているが、アスカも入っての人数だとそうなるので仕方ない。

 

「良かった。これならなんとかなりそう」

 

 心配された図書館島組三人も、同じバカレンジャーがいるまき絵がいる班なら問題なさそうだと明日菜は安心した。

 アキラや亜子にしても性格的にいえば大人しい方なのでのどかと衝突することもない。ハルナと祐奈はクラスを盛り上げるタイプでよく一緒に騒いでいるの仲も悪くない。順当な班員構成に明日菜はホッと胸を撫で下ろした。

 折角の修学旅行なので班員構成に問題があるようなら責任を取って行動しなければと思っていたのだが、そうせずにすみそうだ。

 これで決まりかとクラスの空気が固まりかけた中でアスカが動いた。

 

「相坂がまだ決まってないじゃないか。お~い、相坂」

 

 クラスの大半がアスカの突然の呼びかけに疑問符を浮かべ、誰のことだったのかと記憶を掘り返した。

 

『え? わ、私のこと見えるんですか?!』

「普通に見えるけど?」

 

 普通に見て会話していることだけなのに、慌てて飛んできた(誤字に非ず)さよがどうして驚いているのか分からず頭を捻るアスカ。

 

「アスカ、誰と話してるの?」

 

 近くにいた明日菜が誰もいない虚空に向かって一人で話しているアスカに気付いた。

 

「ん? ここにいる相坂に……」

 

 アスカとしては普通に見えて、普通に話しが出来て、ネギに見せてもらった名簿にも載っていたので全員が知っているものだと考えていた。

 

「どこ?」

「いやだから、ここに」

 

 丁度、さよがいるところに指を向けながらも、ようやく周りが明日菜と同じように自分に訝しげな視線を向けていることが分かった。

 

『あ、あの私って存在感なくてどんなお祓い師や霊能者にも見えなかったみたいで」

 

 さよの言葉を吟味してアスカもようやく答えに辿り着いた。よく見れば、彼女は地に足をつかないどころか根本的に足がない。なんとなく頭の左右の上辺りに人魂らしきものがあるような気がする。

 

「へぇ、つまりは幽霊ってことか。始めて見たな」

「「「「「「「「「「は?」」」」」」」」」」

 

 状況と見聞からさよの存在について推測が立ったので口に出すと、クラス全員の声が見事に唱和した。

 

「そう言えばウチの教室に出るって噂は昔からあったなぁ。ここ数年は全然なかったようやけど」

 

 アスカの推測を裏付けるように木乃香が噂を思い出すように顎に手を当てながら呟く。

 

『はい! 正確には地縛霊です!』

「地縛霊か。成る程、だから誰も見えてなかったのか。なんかのゲームかと思ってた」

 

 ようやく自分が見えて話せる人と出会えて興奮気味のさよが若干の訂正を加え、驚愕の事実を前に腕を組んで「これで納得がいった」とばかりに頷いているアスカ。

 周りはといえば、目が点になっていた。

 

「「「「「「「「「「ええっ~!!」」」」」」」」」」

「『ん?』」

 

 直後、驚天動地の大騒ぎになっていた。

 騒ぎ出した級友達が理解できずに頭を捻る二人の姿があり、アスカの新学期初日は今までの人生と同じように波乱に満ちた幕開けを迎えた。

 

「こら! 静かにしなさい」

「皆さんもう少し声を落して」

「もう嫌や、このクラス」

「まあまあ」

 

 幽霊騒ぎに爆発したクラスを沈める為に渦中のアスカに向けて突撃して行った子供先生とは裏腹に、こんな騒ぎに耐性のない千草は早くも上手くやっていく自信を無くして教壇に伏していた。

 そんな千草を慰めるネカネには動じた様子がない。流石はアスカの従姉弟だと騒ぎから抜け出したエヴァンジェリンは嬉し泣きしているさよを見ながら思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれ? ここ、どこ?)

 

 神楽坂明日菜は夢を見ていた。

 

「ん……」

 

 体は仰向けになっていた。眠っていたのだから当然だと、その時は思う。とはいえ、初めはそれが夢とは分からなかった。

 目は開いていて、最初に目に飛び込んできたのは満天の星空。こんな場所に来た記憶は無く、コレほどまでに綺麗な光景ならば記憶に残っているはず。となれば、やっとこれが夢だと理解した。

 今のところ、別段悪夢と言うわけではない。そんな時は、いつも早く目が覚めないかと念じるものだけれど、もうしばらく眺めていてもいいと思う。そう、夢とはドラマを見るような第三者の視点から見る感じと似ていた。

 

(砂漠?)

 

 今いる平らな岩の向こうは夜のために判別はしづらいものの砂の海、砂漠のように見えた。

 近くで、パチパチと何かの弾ける音が聞こえる。焚き火の中で木が爆ぜる音だろう。人の営みを感じさせる明るさと暖かさに上半身を起こしてそちらを見ると、そこに、灰色のスーツを来た男が座っていた。

 焚き火を眺めながら煙草を吸う彼の顔は、赤く染まっている。何かを考えている様子であったが、明日菜が出した声に気付いたらしく、彼はこちらに視線を向けた。自分の好みである渋い顔の彼は、同じく好みの渋い声を発した。

 

「よお、起きたか嬢ちゃん」

 

 自分好みドストライクの相手が直ぐ傍にいることに驚きつつ誰だろうと内心で首を捻ったつもりだったのだが、それに反して体は動かない。精神と肉体がそれぞれ別行動をとっている感じで、不思議な気分に襲われた。

 夢なので思い通りに動かないと言ってしまえばそれまでであるが、どうしても惜しい気がした。そう、何故かどうしても惜しい気がしたのだ。

 

「顔、洗うならあっちだ」

 

 渋い男性が咥えタバコのまま指差したのは、直ぐ近くにあった顔が洗える水場がある所。

 

「うん」

(あ、ちょっと何処行くのよ。もうちょっと見させてってばオジサマを!?)

 

 夢の中の明日菜は素直に頷き、脳内の明日菜の想いとは裏腹に男性の言葉に従って移動する。どうしてか懐かしい気がする彼の顔をもう少し見たかったけれど、体は勝手に水場へと向かうも何故か視点がいつもより低い気がする。

 向かった先には浅い水場があった。水を掬おうと膝をついた時に、夢の中の自分をはっきり見ることができた。

 

(ん? これ、私? 小さい頃の……私……?)

 

 水面に映ったのは、あまり昔の自分の姿というのは記憶に残っていないものだが、今と同じツインテールをした毎日見ている自分を幼くしたような姿だった。

 幼い時の自分、愛想の欠片もなかったころの自分が、そこにいた。着ている服は小学生の頃の制服に似た、上と下が一体化した服。今と違うのは鈴のついた髪留めがついていないことだろうか。

 

(キレイな星空……。何で私、こんな所にいるんだろ)

 

 水場で顔を洗った小さな明日菜は満点の星空を眺めていた。記憶にない出来事に混乱していたのもあるだろう。地上に光が少ないからか、麻帆良で見るそれより星の数はかなり多く感じる。

 

「帰ったぜー」

 

そろそろ夜明け前。空が白く、明るく。1日の始まりの光に照らされていく中で彼はやってきた。

 

「おっと、早かったな」 

「ネズミみたいなのが三匹取れた」

「みたいのって…………食うのかソレ?」

 

 遠くで、先程の渋い男性とは若い男性の声が響いた。徐々に朝日に塗り潰されていく夜空を見上げていた明日菜が視線を下ろすと、焚き火の側でその二人が何やら話しているのが見える。

 

「お♪ お早いお目覚めだな」

(あれ―――――私……この人、知ってる………)

 

 ネズミらしい生き物の尻尾を持ってプラーンとさせて食えるかどうか悩んでいる渋い男性は別にして、朝日の逆行で時間的に朝食を探しに行っていたらしい男性の表情は窺えないがどんな服装なのかは分かった。黒のインナーに、白いロングコートである。

 

「オハヨー、ナギ」

(でも、ちょっと待ってよ。何で私が知ってるの?)

 

 その彼がこちらに近づいてきたので、その顔をちゃんと見ることができた。ぼんやりと目をこすっていたけれど、顔をはっきり見た自分は何がどうなっているか、全くと言っていいほど分からない。だって、その顔は、あの家にあった写真立ての中でしか見たことがないはずなのだ。それに幼い自分の口から親しみのある慣れた口調で出た目の前の男性の名前を口にしたことが関係していることを表している。

 

「向こうの空見てみな、アスナ。夜明けがキレイだぜ」

 

 そう、まるでネギを大人にしてワイルドな成分を混ぜたような男―――――ネギとアスカの実父であるナギ・スプリングフィールドが自分に向かって笑みを浮かべていた。

 そこで、夢は途切れる。そしてその時にはもう、まるでまだ真実を知るときではないと謂わんばかりに夢の内容はぼやけてしまっていた。後に残ったのは一つ、可笑しな夢だという印象だけだった。

 

「ん、変な夢」

 

 心地の良い温もりだった。陽の光をたっぷりと吸った布団の中――――そこは、人にとって最も身近な楽園だ。柔らかな熱に包まれれば、誰もが少しだけ自分に甘くなる。神楽坂明日菜は、己の意識をまどろみに浮かべていた。

 睡眠と覚醒の狭間でぼんやりと見慣れた自室の天井を見上げて、ゆっくりと身体を起こしながら癖でロフトを見る。

 

「…………そっか、アスカ達はもういないんだっけ」

 

 ネギとアスカが寝泊まりしていたロフトには誰もいない。思わず癖で見てしまってから肩を落とす。

 

「今日は日曜日か……」

 

 幸い、今日は日曜日。お昼近くまで寝過ごしてしまっても罰は当たらないはずだ。うーん、と腕を伸ばして身体の筋を伸ばす。寝起きだと言うことを差し引いても、身体の芯に重さがこびりついているような気がする。

 思ったよりも寝過ぎて逆に疲れてしまったようだった。

 

「よしっ! 今日も元気にいきますか。まずは刹那さんを問い詰めないと」

 

 疲れた体に気合を入れるように声を出し、立ち上がる。

 

「でも、その前に昼ご飯を食べないとね」

 

 起きてから自己主張を繰り返して鳴らしまくるお腹を頬を紅くして押さえ、誰に言うでもなく言い訳のように呟くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶道部の部活動で学校に出て来た帰り。エヴァンジェリンは久しぶりの有意義な時間を過ごしてご満足であった。やはり自分は日本文化が好きなのだと自覚し、よりにもよってハワイ行きを推進したアスカ達に恨み骨髄である。推進したのはあくまでアーニャであって、なにもしていないネギとアスカは冤罪である。

 

「おーい、エヴァ」

 

 今度の決戦でどうやって料理してくれようかと考えていると、小走りの高畑に呼び止められて足を止める。

 

「何か用か、仕事はしているぞ」

「学園長がお呼びだ。一人で来いってさ」

 

 高畑が下っ端のようにメッセンジャーなのは他の人間では無視されると知っているからだろう。学園側の思惑を計りかねるエヴァンジェリンとしてはトップである学園長の呼び出しなら応じないわけにもいかない。

 

「―――――分かった。直ぐ行くと伝えろ。茶々丸、直ぐに戻る。必ず人目のあるところを歩くんだぞ」

 

 自分が離れて茶々丸を一人にすることに一抹の不安はあったが、アスカ達にはそんなことしないだろうと判断して高畑と一緒に学園長室に向かうことにした。

 

「何の話だよ? また悪さじゃないだろうな」

「万が一でも坊や共が襲ってこない様に気をつけろって話だ。この件は爺にも話が通ってるはずだが」

 

 まさか聞いていないことはあるまい、と続けると高畑は苦笑を浮かべた。

 

「アーニャ君なら闇討ちもあるだろうけど、アスカ君がいるなら襲ってくることはまずないよ。良くも悪くも彼は一本木が入ってるから」

 

 断言する高畑にエヴァンジェリンも気持ちは分かった。

 

「親子だからから奴は特にナギと良く似ている。忌々しいほどにな」

「僕も時たま話をしたりしているとナギと接しているような気分になる時がある。おっと、ネギ君にはこのことは内緒にしてくれ。彼はこのことを気にしているから」

「ふん、わざわざ言うものか」

 

 ふと、エヴァンジェリンは横を歩く男がネギ達と昔からの付き合いであることに思い出した。ネギらの話を統計すればウェールズまで良く訪れていたらしく、アスカと良く戦っていたと。

 

「お前の目から見てどうなんだ、アイツらは」

 

 さっきまで聞く気もなかったのに、エヴァンジェリンは衝動的に高畑に聞いていた。

 聞いてから失言だと気づいて口を閉じたが全てはもう遅い。吐き出した言葉は戻らない。

 

「強いよ。一度だけだけど負けたこともある」

「本気でやってか?」

「本気…………ではなかったけど文句のつけようがないぐらい完敗はした。エヴァも気をつけた方がいい。彼らの牙は油断していると君をも食い破りかねない」

 

 信じられない気持ちが言葉にありありと込められているのを感じ取ったのだろう。高畑は負けたことをまるで誇るように胸を張って、力の差が開き過ぎている弱者には油断することの多いエヴァンジェリンに注意した。

 

「ふん、負けたのは貴様が未熟なだけだ」

「それを言われると痛いけど、注意だけはした方がいい。彼らは、強いよ。その拳も心も」

 

 負けたのは嘘でも虚飾でもない真実だと、高畑は言い含めて足を止めたエヴァンジェリンのことにも気づかず歩き出した。

 直ぐに足を踏み出したエヴァンジェリンの裡にあったのは戦意だった。

 

「私は負けん。例え誰が敵であっても」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンと別れた後、茶々丸は脇に木や草といった緑が青々と生い茂った川沿いの道を、片手に沢山の缶詰が入っているレジ袋を提げて一定の速さで歩いていた。その茶々丸を見る三つの影。

 

「茶々丸が一人になったわ。チャンス! 一気にシメるわよ!」

「んなことしねぇって」

「今回は偵察だけだってあれほど自分で言い含めてたじゃないか……」

「折角のチャンスなのよ! 見逃さない手はないわ!」

「はいはい、気づかれるから大人しくな」

「ふがふがっ」

 

 茶々丸の25メートル後方の草むらの中に隠れている中で、尾行している目的を忘れて飛び出そうとするアーニャを羽交い絞めにするアスカ。

 アーニャの目的の為なら道理だって引っ込ませるバイタリティには感心するが、目的と手段をはき違えていることに頭痛を感じたネギの三人が茶々丸を尾行している。目的は戦力的に未知数な茶々丸の偵察である。

 これを言い出したのはアーニャなのに、二人に散々偵察と言い含めておきながら飛び出そうとする当たりイイ根性をしている。

 

「うぇ~ん! アタシの、アタシの風船が~」

 

 茶々丸が進む先に大きな木の下で泣いている、まだ小学校低学年ほどの小さな少女がいた。買い物袋を片手に持った茶々丸はその女の子の前で足を止め、風船が木に引っ掛かっているのを見て、背中の一部が文字通り開いてブースターのようなものを生やして飛び上がり、その風船を掴んで降りてくる。風船を掴むときに木に頭をぶつけていたのだが、どうやら痛みはあまり感じていないようだ。

「ありがとー! おねえちゃん!」

 

 空を飛んで風船を取ってくれた茶々丸に少女は嬉しそうに礼を言いながら元気に手を振って走り去り、また茶々丸も少女が見えなくなるまで手を振り返していた。

 その後も大きな道路を横断する為の歩道橋の階段で、苦労していたお婆さんを背中におぶって反対側まで渡り、人気があるのか幼稚園の子供達が囃し立てている。更に進むと、子ネコが入った箱がどぶ川に流されているのを見て自分の身を省みず川に飛び込んで救出、戻ってきた茶々丸の元に集まって来た人たちの拍手を一身に浴びていた様子から町の人気者と言うのが良く分かる。

 そして現在は、救助した子ネコを頭の上に乗せたまま人気の少ない教会に集まる猫たちに、聖母のような優しい笑みを浮かべた茶々丸が餌をやっている真っ最中だった。

 尾行していた一行は茶々丸の行動に感動し、ロボットであることには驚いたがこんないい人ならネギも変な行動はしないだろうと楽観視した。

 

「いい人だ」

「ああ」

「ちょ………ちょっと待ちなさい! ほら、ここなら人目もないし、チャンスよ! 心を鬼にして、一丁ポカーっと!」

 

 茶々丸の行動を隠れて見ていたネギとアスカは素直に感激して、やはり目先の欲に囚われたアーニャの意見は採用しなかった。

 真っ先にアスカが茶々丸の前へと姿を見せた。

 

「…………こんにちはアスカさん。一人になる所を狙われましたか、油断しました。でも、お相手はいたします」

 

 二人は向かい合い、茶々丸はアスカとその後ろにネギとアーニャがいるのを見て此処での戦闘が避けられないと後頭部のネジ回しを外す。

 茶々丸の近くにいたネコ達は二人の間に流れる剣呑な雰囲気を感じて離れて行った。

 

「俺も餌をやっていいか?」

 

 戦意を見せた茶々丸に向かって歩きながら、アスカは戦意を無いことを示す様に手を上げて近づいた。

 

「あ、僕も」

「ちょっと、アンタ達!」

「アーニャも猫に餌をやりたくないの?」

「…………ちょっと、やりたい」

 

 続いたネギを止めようとしたアーニャだったが、こちらも情に絆されたのと猫の愛らしさに屈服した。

 困惑している茶々丸から餌を受け取って怯えている猫たちにやっているアスカ達のところへ、ちょこちょこと嬉しげな歩き方で向かって行くのだった。

 血に拠って呪われた因果が足音を鳴らして迫ってきているのに、猫に笑いながら餌をやる三人の姿は呑気そのものだった。

 

「理解できません」

 

 論理的ではない行動をする三人を茶々丸は理解できずに困惑した視線で見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞いたわよ! エヴァちゃん!」

「ぶなっ」

 

 学園長との話し合いの後で、どこかに行った茶々丸が戻ってくるまで弁当を食べて屋上で有意義にシエスタを敢行していたエヴァンジェリンは、屋上に通じるドアを開けて開口一番に人の名前を大声で呼ぶ大馬鹿者の声に目を覚ました。

 

「騒々しい。なんのようだ神楽坂明日菜」

「アンタが真祖の吸血鬼なんだって刹那さんから聞いたのよ。しかもアスカ達と戦うってどういうことよ!」

 

 不機嫌な顔を向けるも親猫が子猫を守るかのように気勢を上げる明日菜に、面白い物を見つけたかのように顔を綻ばせた。邪悪な方向に。

 

「やけに坊や達のことを気にかけるじゃないか、ええ」

「!?」

「子供は嫌いじゃなかったのか? それとも心を奪われたか坊やに」

 

 揶揄するように問いかけられた明日菜は体を硬直させた。そして次いで顔を真っ赤に紅潮させた。

 

「わ、私はアスカに心を奪われたりなんか」

「私は『坊や』としか言っていないぞ。なんだ、アスカの方か」

 

 言質を取られた明日菜は言葉に詰まった。何かを言えば失言をしてしまうような気がして言葉を封じるために口を閉じることを選んだが、その所作こそが己が気持ちを雄弁に物語っているとエヴァンジェリンには丸分かりだった。

 

「ま、分からなくもない」

「え?」

 

 更なる追及をしようとしたエヴァンジェリンだったが、口から出たのは別の言葉だった。

 

「アスカは性格や考え方が英雄と呼ばれた父親そっくりだ。ああいうタイプの人間は否応なく人を惹きつける。お前が惹かれたのは無理からぬ話だ」

 

 在りしのナギに救われた時に引かれた腕を見下ろして自嘲した。魔法使いだからと恐れられ、遠ざけられた村が悪魔に襲われても「朝飯前の運動だ」と言って駆けて行った背中、子供を人質にされて悪魔に戦うことを禁じられても屈しなかった気高き心、最後には悪魔を倒して恐れられた村人達に感謝を向けられて満面の笑みになった顔。今でも覚えている。今でも忘れない。そんなナギにアスカは似ていた。そっと手を差し伸ばして相手を掬い上げる。そんなところが。

 

「だが、これは忠告だ。あいつは止めておけ」

「アンタにそんなことを言われる筋合いはない」

「これでも六百年は生きてるんだ。年長者からの老婆心と思って受け取っておけ。アイツとお前では住む世界が違う」

 

 ズキッと明日菜の心が痛んだ。実態もない心が痛むなんてありえないのに、明日菜は確かに心が痛んだ。以前にも京都で同じことを思ったからだ。

 

「アイツらが追っているのは英雄と呼ばれた父親だ。その為に力を得るために手段は選ばん。そして強くなっていくことだろう。ここにいるのはその通過点にすぎん」

 

 魔法使いのアスカ達と一般人の明日菜は住む世界が違う。今は少しだけ二つの道が重なっているが、直に別れることは前を見続けているアスカを見ていれば嫌でも分かる。今にも飛び出しそうな明日菜に刹那は懇切丁寧に説明してくれたことが、今になってその意味を理解させる。

 

「そんな……でも……。それとアンタとアスカ達が戦う理由にはならないわ」

 

 明日菜は逃げた。考えることを、未来を見据えることを拒否することで時間を先に伸ばそうとした。

 

「それは心外だな。私は吸血鬼という名の悪であり、坊や達は英雄の息子という名の正義だ。敵として出会ったならば戦うのが必然であろう」

 

 我が意を得たりと、したり顔で言い募る言葉を前に明日菜は言葉を返すことが出来なかった。

 エヴァンジェリンは今は解けたといっても指名手配されるほどの凶悪な賞金首だったのだ。本人もまた、「悪」を標榜しており、世間的に「正義」の看板を掲げられている英雄のその息子がそちらの分類に類されるのは自明の理。

 今までが異常で、本来なら敵対している状態が正常。正しい、エヴァンジェリンの言うことはどうしようもないほどに正論だった。

 

「今までが異常だったのさ。私達の関係は仲良しこよしでいられるものじゃない」

 

 望まぬ封印をされている者と、その封印を施した者の係累。確かにエヴァンジェリンの言う通り。敵対して当然の関係が今まで続いてきたのが不思議なくらい。一度変わってしまえば二度とは戻れぬ関係。

 小さな可能性に掛けて少しでもこの先へと進むことを回避したかった明日菜の望みは呆気なく崩れ落ちた。

 

「私は封印を解きたい。その為には坊や達の血がどうしても必要だ。安全など考慮出来ぬほどにな」

 

 エヴァンジェリンを十五年間も学園に縛り続けていた『登校地獄』を解くには、どちらか一人を致死量に及ぶほどの血を吸う必要がある。両方だとしても相当量の血を吸うことになる。

 

「坊や達は自分達の身を守りたい。血を望む私と敵対する理由としては十分だろう?」 

 

 向こうから求めて来た、最も安全で確実な策でエヴァンジェリンの十五年分の鬱憤を晴らす最善の方法。

 同世代では世界でも屈指の実力を持っていることを考えれば上等と言える。単純に世界最高の一角に名を並べるであろうエヴァンジェリンに対するには無謀過ぎるだけ。世界の過半数が同様なのだからネギ達に問題があるわけじゃない。

 

「分かんないわよ、私には」

 

 明日菜にはどうやったってエヴァンジェリンの気持ちも、無謀にも戦いを挑むアスカ達の気持ちも解らない。まるで理解できることこそが資格のようで、分からないことが悔しかった。

 

「分からないままでいい。部外者に過ぎない貴様が首を突っ込んでいい世界ではない。去れ。そして普通の世界で生きて普通の相手と結ばれ、子供を産んで年老いて死ね。それが普通の人間が生きるべき世界だ。部外者がこれ以上、首を突っ込むな」

 

 残酷とも思える言葉だけを残してエヴァンジェリンは俯いて拳を握っている明日菜の横を通り過ぎた。

 

「4月15日の午後20時に麻帆良大橋だ。学園都市がメンテのために停電になる。わざわざ停電の日に出かけるような酔狂な奴も少ないだろう。結界を張れば万に一つの可能性もなくなる。来れば貴様の命の保証はしない。それでも来るというなら覚悟しろ」

 

 通り過ぎた後ろで明日菜が振り向いたのに気づいてもエヴァンジェリンは前を向いて進み続けた。

 屋上のドアをそこにいた茶々丸が締める音がまるで世界を隔てる音のように思えてエヴァンジェリンは眉を顰めた。

 

「年は取りたくないものだな。説教臭くなってたまらん」

 

 エヴァンジェリンはそう言って自嘲した。茶々丸には分からぬ理由でエヴァンジェリンは疲れたようにため息を吐いた。

 

「―――――しかし良いのですか、マスター。あの様子では万が一にも戦いの場に来かねません。学園側から責任を求められるのはマスターとしても不本意なのでは……」

「おい、勘違いするなよ茶々丸。私は神楽坂明日菜のことなどどうでもいい」

 

 主の不可解な行動に苦言を呈そうとした茶々丸に対してエヴァンジェリンは唇を歪ませた。

 

「諦めをつけさせてやるのも年長者の務めだ。この程度で諦めるようなその程度の想いだったいうことだ」

 

 エヴァンジェリンは視線だけを動かして従者を見る。

 

「不満か?」

「…………いえ」

 

 揶揄するような言葉に、初めて茶々丸の表情がほんの僅かだけ揺れた。

 あまりにも端的過ぎる言葉。茶々丸も何をとは聞かない。端的過ぎる言葉であろうと二人は欠けている単語を知っているのだから。

 

「言ってみろ。怒りはしない」

 

 機械の肉体を持つガイノイドである茶々丸の場合、微妙な感情を表す表情は把握しづらい。エヴァンジェリンにそれが分かるのは己が従者のことを知らいでかという思いから彼女の表情を観察する癖がついているから。

 まるで母が子の他愛のない隠し事を聞き出すような温もりを持って重ねて問いかけると、微かな逡巡の後、茶々丸は口を開いた。

 

「不満…………はありません。ただ――――」

「ただ?」

 

 言いづらそうに戸惑った茶々丸に先を促す。

 

「マスターのご意向が、私には理解しかねます」

「―――――ふむ」

 

 暫し黙考するような態度を見せてから、エヴァンジェリンは語りだす。

 

「言いたいことは分かる。だがな、結果がどうなろうとどちらにしても私の手間は変わらん。ならば経過を楽しんでも構わんだろう?」

 

 言いながら彼女が浮かべたのは苦笑とかそういうものではない。自身の掌の上で脚本通りに踊る愚者を見るような、そんな笑み。

 

「私には…………分かりません」

 

 得々と語る主を見つめ、唇を震わせて、小さく、ゆっくりと言葉を紡いだ茶々丸はそれきり言葉を続けられずに沈黙してしまった。

 エヴァンジェリンは黙ってしまった彼女を静かに見つめる。その眼差しには、紛れもなく愛情に類するものが宿っていた。

 

「迷うがいい。悩むがいい。その経験がお前の心を成長させる」 

「……………………イエス、マスター。御意のままに」

 

 戸惑いながらも従順に、茶々丸は頷く。その人形染みた返事と対照的に困惑を宿した表情とのギャップは、殊の外エヴァンジェリンを満足させるものだった。

 

「む」

 

 ご満悦だったエヴァンジェリンの気分を邪魔するように感覚に引っ掛かるものがあった。

 

「何か来たな。結界を超えた者がいる。学園都市に入り込んだか」

 

 これも仕事だとエヴァンジェリンは勤労意欲もないままに歩き出した。

 屋上と違って階段は暗かった。その闇に向かって進むように階段を降りて行く。

 

『光に生きてみろ』

 

 まだナギとの約束は果たされそうになかった。

 

「私の光はお前自身だったんだよ、ナギ。お前がいなかったらどうやって光に生きろというんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネギは女子寮から引っ越して新たな住居となったログハウスに慣れだしてきたにも関わらず、眉間に皺を寄せていた。何故そんなにもネギが眉間に皺を寄せているかというと、それはもちろん彼女の生徒であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルについてである。

 決戦を数日後に控えて作戦を練っていたが、上手い勝ち筋が見えていなかったのだ。

 こういうことに関してアスカは意外なほどに役に立たない。アスカは突発的な事態に対応する能力はピカ一なのだが、一から作戦を立てるということはとてつもなく下手なのだ。結局は行き当たりばったりでどうにかなってしまう面もある所為だが。

 

「どうしよう………」

 

 もう何度目か分からない溜め息を吐くネギを見て、流石に哀れに思ったアスカが声を掛けようとするが、それよりも早く声をかける人がいた。

 

「景気の悪そうな顔してるじゃんか、大将。助けがいるかい?」

「だ、誰!?」

 

 悩み悶えるネギは突如どこからか聞こえてきた自分以外の声に慌て、俯かせていた顔を上げて辺りを見渡しても人は見当たらず、そこには影も形もない。

 

「そこじゃねぇよ、兄貴。下だよ下」

 

 自分の足下から聞こえてくる声に見下ろすと、いつの間にかネギの足元に一匹のオコジョが鎮座していた。

 

「あ―――――カ、カモくーん!」

「おうよ!!ネギの兄貴、恩を返しに来たぜ!!」

 

 そこにいたのはネギが昔ウェールズで罠に掛かっていた所を助けた、古くからの知り合いであるオコジョ妖精のアルベール・カモミールがいた。ちんけな友情を躱し合う一人と一匹を見つめる千草の頭の中は不満で一杯だった。

 

「なんであんさんらは、当たり前の顔してうちの家で寛いでるんや」

 

 憤り他、色々な感情がミックスされた顔で言った千草はエプロンをつけて食器を洗っていた。

 

「千草さんのご飯美味しすぎるのがいけないんです」

 

 千草が洗った食器を受け取って布巾で拭いたネカネが隣のアーニャへと渡す。

 食器を受け取ったアーニャが食器棚へと直すのを見たアスカは、ネカネの言う通りだと頷いた。

 

「ネカネ姉さんの飯は千草ほど上手くねぇからな。しゃあねぇべ」

「千草の料理って本当に美味しい。木乃香にも負けてないわ」

 

 ソファーに座ってテレビを見ていたアスカは早くも眠いのか、言いながら大きな欠伸をする。

 美味しいご飯を食べられてご満悦なアーニャがアスカに追従するのを聞いて、千草は額に青筋が浮かんだのを自覚した。

 

「百歩譲って飯食いに来るのは許そう。百歩譲ってや」

「そんなに強調しなくても」

「百歩譲ってや! でも、なんで寝る以外はずっとうちにいんねん!アンタらには隣に立派な家があるやないか!!」

 

 不満そうなアーニャに繰り返して指差した窓の向こうにあるログハウスは、千草が小太郎と暮らすためだけの広さしかないので隣の方が四人で暮らす分だけ会って倍近い大きさの差がある。

 

「しかもなんで隣やねん! 窓から手を伸ばしたら届く距離に隣家があるっておかしいやろ」

「小太郎君が来るまで千草さん一人じゃないですか。きっと学園長が寂しくない様に気をつかってくれたんですよ」

「いらん気遣いや! うちは家ぐらい大人しく過ごしたいねん。その隣に真祖の吸血鬼の家があるとか、どう考えても面倒な奴らは一ヵ所に纏めておこうって腹やないか」

 

 あまりの扱いにシクシクと泣き出した千草に自前のエプロンを身に纏っているネカネは手を拭いて、年上の女性の肩に手を置いた。

 

「私は嬉しいです。今までお姉さんっていなかったから、千草さんがお姉さんみたいに思えて」

 

 月日向のような笑みを浮かべているネカネに絶賛傷心中の千草の心が傾いた。

 

「なぁ、小太郎って何時来んの?」

「アスカは黙ってて」

「はい」

 

 傾いた瞬間にネカネから放たれたフォークがアスカの髪の毛を貸すめて壁に埋まったので、そんな気持ちは跡形もなく消え去った。

 そんな四人のことを視界と思考から弾き出したネギは、カモに当面のことを話していた。

 

「――――――――という訳なんだ」

 

 ネギは正直にカモに向かって包み隠さず話した。

 この家には魔法関係者しかいないので普通に話せた。エヴァンジェリンの事、呪いの事、戦うことも全てを話した。

 

「く、国へ帰らせましていただきます」

「コラ」

 

 その説明を受けたオコジョ妖精であるカモの顔色はどんどん悪くなり、600万ドルの賞金首だと知った時にはどこから取り出したのか帽子とカバンを持って何処かに行こうするが、アーニャに尻尾を掴まれた。

 

「ちゃんと刑期を終えて出てきたのは評価するけど、また同じことやったら丸焼きにしてアスカに食わせるから覚悟しておきなさい。逃げるのも許さないから」

「御慈悲を――――っ! 俺っちはちゃんと改心してまっさから丸焼きと食うのはご勘弁を」

「食っていいのか?」

「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 嘗てのネギがカモを助けた時に丸焼きにして食うと言い出したアスカが登場したことで、昔のトラウマを思い出してカモが前後不覚に陥っていた。本人(本獣?)が下着泥棒をしているのでアーニャに一切の情はない。乙女の下着を盗む不届き者は須らく極刑なのである。

 暫く立って落ち着き、ようやくカモは来日の目的を切り出した。

 

「パートナ選びっすよ。特にお二人はポテンシャルは高いんすから身内とだけじゃなくて、もっと広く相手を求めていいはずっす。ほら、この名簿に運命の相手がいるかもしれないっすよ」

 

 名簿を前にして小さな足で指し示したのが『出席番号8番神楽坂明日菜』であったことは、運命の皮肉だろうか。

 

「うう、また変なのが増えとる」

「まあまあ」

 

 カモの登場に完膚無きまでに打ちひしがれた千草を慰めるネカネ。ついこの前も似たようなやり取りを目撃した気がしたアーニャは思い出せずに首を捻った。

 




ネカネさんは天然です。そしてうちの千草さんは大体こんな感じ。


アーニャやネギには見えなくて、アスカにだけさよが見えるのには魔法使い以外に理由があります。分かった人は凄い。


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第9話 灯火

一身上の都合(明日夜勤なので)で今日投稿しました。


 

 突き刺すような冷たい空気に、月が鮮やかに映えている。細く鋭い日本刀のような三日月だ。月の光こそ弱いものの、学園都市が放つ光に照らされ、夜空はさほど暗くはない。

 

『こちらは放送部です。これより学園内は停電となります。学園生徒の皆さんは極力外出を控えるようにしてください。繰り返します…………』

 

 あちこちにあるスピーカーから麻帆良全体に響いているだろう声が、停電の始まりが近いことを告げる。

 

「始まるか」

 

 世界樹の根元に腰を下ろしていたアスカが閉じていた瞼を開いた。

 立ち上がったアスカの視界の先では、何時もならばまだ街中に明かりが灯っている時間帯にも関わらず、この日の麻帆良学園は少々異なる雰囲気に包まれていた。

 麻帆良全域に、重い闇が垂れ込めている。年に二度、機械の大規模メンテナンスのために行われるこの麻帆良大停電は街中から光を奪い、そこに住む人々に普段とは異なる細やかな興奮と恐怖を与えていた。

 人々とは違う緊張感を感じ取っていたアーニャは立ち上がったアスカを見つめる。

 

「時間よ。準備はいい?」

「勿論」

 

 アーニャの若干震えた呼びかけに瞑想していたネギが頷いたが、その背や全身には魔法具が重量過多と呼べるほどに纏っていた。そんなネギをアスカが呆れた視線で見つつ、歩み寄って背負っている鞄から姿を覗かせている剣をポイッと放り捨てた。

 

「アホか。重装備過ぎだ」

「あ、止めてってら」

「エヴァンジェリン相手に生半可な装備は重しになるだけだ。使い慣れた杖以外置いて行け」

 

 多種多様の剣や杖、試験管やアンティークの銃を身につけ、予備まで持って覚悟を決めていたネギから装備を引っ剥がされていく。

 ネギが装備を剥がす手を止めようとするが力で叶うはずもなく、アーニャに助けを求めても、こと戦いにおいてはアスカの意見はこの三人の中では絶対である。アスカがいらないと言うならそれが正しいと無視した。

 

「折角持ってきたのに」

 

 マントと父の杖以外の全てを剥がされたネギは不満たらたらでありがながらも、アスカの意見が最もなこともあって装備を取り返そうとはしなかった。名残惜しそうに見てはいたが。実際はただ使って見たかっただけなのかもしれない。

 理想的な戦闘状態である適度な緊張感を維持しているアスカと違って、指を咥えそうなネギの様子にアーニャの過度な緊張は僅かながらも解れた。

 

「感謝はしないわよ」

 

 この中で最もエヴァンジェリンを恐れているのはアーニャだ。逆に恐れていないのはアスカ。ネギはその中間ぐらいか。この双子は気を回し過ぎるところがあるのでアーニャの為を思った行動か。

 

「やっぱり持ってちゃ駄目かな?」

「駄目」

 

 やはり気の所為かとアーニャは少しはあった感動を心のゴミ箱に投げ捨てるのであった。

 

「んじゃ、何時ものやついくぞ」

 

 ようやく諦めたネギを連れて三人で円陣を組んだアスカが拳を握り、腕を真上に突き出した。ネギとアーニャもそれに倣う。

 

「俺達に」「僕達に」「私達に」

「「「出来ない事なんてない!!」」」

 

 乗り越えるべき困難に挑むために、三人は拳を掲げあって戦意も高らかに叫ぶ。

 確実に増した戦意の中で拳を下ろしたアーニャは、ふとオコジョ妖精のカモがいないことに気が付いた。

 

「そういえばカモは?」

「どっかで油売ってんだろ。その内に顔を出すさ」

 

 と、噂されていたカモの姿は何故か女子寮の明日菜達の部屋にあった。

 

「なんか不気味な空やね」

(どうしたら……なにか、なにか!)

 

 もう直ぐにアスカ達がエヴァンジェリンと戦う。何とかしなければという危機感がベッドに蹲っている明日菜は木乃香の言葉に応えられないほどの焦燥を得ていた。

 

「お困りかい、姉さん」

「誰!?」

「俺っちはオコジョ妖精のアルベール・カモミール。ネギの兄貴たちの仲間だ。姉さんに話があってきた」

 

 ベッドの柵によじ登っているオコジョは、明日菜の顔を見遣った。

 

「兄貴達がやばい。下手したら死ぬかもしれねぇんだ。手を貸しちゃくれねぇか」

 

 カモの意図せず放った一言が、厳重に閉じられた記憶の壁をこじ開けられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嵐の前触れを思わせる重い音を轟かせて風が夜闇を走る。誰もが停電のため外出を控える中、街の中央に聳え立つ時計塔の屋根の上に一人の人影があった。

 屋根の上に立つのは真祖の吸血鬼エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。常に行動を共にする茶々丸は学園側が結界を途中で張り直さないようにシステムを掌握てからの合流になるので今はいない。

 

「こうして見ると狭いものだな」

 

 闇の眷属であるエヴァンジェリンには暗闇の中でも学園の境界である今宵の決戦場である橋の影まで見えていた。今なら魔法で簡単にそこまで飛べる距離だが、十五年前からその先へ行くことができない。だが、その時はまだ今ほどには辛くはなかった。

 

『卒業する頃にはまた帰って来るからさ、光に生きてみろ。その時、お前の呪いも解いてやる』

 

 思い出すのはサウザントマスターによって呪いを掛けられ、この地に連れられてきた時のことだった。不貞腐れているエヴァンジェリンに苦笑しながらサウザントマスターが言った言葉は、今でもついさっきのことのようにはっきりと覚えている。

 三年経ち、卒業しても呪いを解きには来なかった。もしかして忘れているのかとも不安に思ったが、きっと来てくれるとサウザントマスターを信じた。

 五年経って死んだという噂を聞いて、そんなはずはないと否定した。

 九年経って、三度目の卒業式をボイコットしながら、サウザントマスターには二度と会えないのだと絶望した。

 十二年経って、五度目の入学式では茶々丸という従者ができ、今までとは変わったメンバーではあったが、心がどんどん朽ちていくのを感じた。

 真祖の吸血鬼である我が身は老いも死もない。このまま縛られたまま麻帆良という箱庭の中で永久に飼い殺しされる。そんな思いを常に抱き続けていた時、暗闇の中に一条の光明が差した。

 

『サウザンドマスターの息子達が麻帆良に来る』

 

 サウザントマスターが生きている事を知った時には天にも昇る気持ちだった。

 

「鈍ッタナ、御主人」

「悪いか、チャチャゼロ」

「サア、ナ」

 

 屋根の上に立つもう一人の影にして、エヴァンジェリンの初代従者であるチャチャゼロは良いとも悪いとも言わなかった。チャチャゼロが突きつけるのは何時だって事実のみ。

 

「弱クハナッタ。ナギノ野郎ニ出会ッテカラ、ズット」

「かもしれん」

 

 感傷を抱きつつ、エヴァンジェリンはその時間を待つ。久方ぶりの一人と一体となったことに不思議なむず痒さを感じながら瞼を閉じた。

 

『こちらは放送部です。これより学園内は停電となります。学園生徒の皆さんは極力外出を控えるようにしてください。繰り返します…………』

 

 思考している時にアナウンスが流れ、始まった停電と共に戻った莫大な魔力が全身へと駆け巡る。

 長年失っていた物を取り戻した充足感を感じ、久しぶりに甦った懐かしの感覚に笑みを浮かべながら開いた瞼の下で輝く黄金の瞳で自分の手の平を見つめる。

 

「ふむ。まあ、満月でもないし、この程度だろうな。やはり直ぐには全盛期とまではいかんか」

 

 十五年もの長い間、ほとんど魔力を封印されていたのでいきなり魔力が戻ったことで幾分か持て余し、その扱いきれない分が大気へと垂れ流されている。その垂れ流している魔力だけで見習い魔法使いレベルなら腰を抜かし、何もしなくても許しを乞うだろう。

 

「まぁ、その辺りは直に慣れるだろう」

 

 見習い魔法使いとしては目を見張るレベルにあるとはいえ、アスカ達が相手ならば多少魔力を持て余すぐらいはハンデにすらならない。少し戦えばすぐに当時の感覚を思い出すだろうと考え、ばさりと漆黒のマントを広げて飛び上がり、闇の中に沈む麻帆良を見る。

 夜こそが自分の時間という自分のような吸血鬼でも、暗いとそんな風に感じ入ってしまい闇に不気味さを感じて、そのおかしさに自嘲して笑う。自分は闇の種族、太陽が輝く昼ではなく暗黒に沈む夜を生き場にして、死なず老いず時間を呼吸しない種族のはず。なのに、そこまで自分は光の下に慣れてしまっていたのかと自嘲は苦笑に変わる。

 この戦いは彼女のナギに対する八つ当たりでしかない。終わった時、どんな形であれ気持ちに決着をつけなければならない。自身が望んで始めた戦いだ。終わらせるのもまた自身の役目。いまは戦いだけに集中し、難しいことは考えずにこれから始まるであろう、甘美にして殺伐たる時間に胸をときめかせながら空を飛ぶ。

 

「では、始めようか!」

 

 これより僅かな時間、最強の悪の魔法使いが甦る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな事をエヴァンジェリンが思っているとは露知らず、アスカ達は決戦場である麻帆良大橋に向かっていた。学園都市内の全体メンテナンスによる停電の時間は夜八時から深夜十二時まで、科学に頼った現代において実質的に都市機能の麻痺である。麻帆良大橋は念のため、学園長の手で人払いや防音の結界が張られており、周りを気にすることなく存分に戦える環境を作り出されている。舞台は既に整っており、後は役者を残すのみとなった。

 停電の為、明かり一つ無い道を歩いていると巨大な魔力が三人を貫いた。

 

「えっ!? これって……魔力!?」

「分からねぇけどかなりの大物だ……これがエヴァンジェリンの力……」

「えぇっ!? そんなまさかここまでの魔力をしてたっていうの」

 

 空間を震撼させるほどの予想を遥かに上回る魔力を前にして、狼狽を隠せずネギとアーニャは揃って右往左往している。アスカですら冷や汗が止まらない重圧。ただ余波として放たれているだけの魔力ですら正しく桁が違う。

 

「行くぞ」

 

 肌がビリビリと震える発生源へとアスカが足を踏み出す。その背中に安心を持って、ネギとアーニャも続いた。

 

「エヴァンジェリン!」

 

 アスカ達が麻帆良大橋の入り口に到着した時には、見る限り誰もいなかった。ネギはてっきり待ち構えているとばかり思っていただけに少々意表を突かれたが、もしかしたら罠かもしれないと、杖を握り締める。何時もなら絶大な安心感を与えてくれる父の杖もこの時ばかりは頼りなく感じた。

 

「いないの?」

 

 アスカの呼びかけに返事はなく、アーニャが周囲を見回しても僅かな月明かりしか光源がないために魔力を消して隠れでもされたら、目視しか捜す手段がなく見つけるのは難しい。やはり相手の出方を待つしかないのかとネギが声を上げようとした時だった、

 

「…………ここだよ、坊や達」

「「「っ!?」」」

 

 神経を張り巡らせていた状態だったから唐突に背後から響いたその声に橋の入り口に立った三人の足は凍りついたように止まった。エヴァンジェリンの声は呟いた程度の声の大きさだったのだが、その声はどんな大声よりも三人の耳に響いた。

 咄嗟に先程まで自分がいた筈の背後へと振り向くと、そこには空に浮かんで三人を見下ろすエヴァンジェリンと茶々丸、そして見覚えのない小さな人形の姿があった。

 

「ようこそ、我が主催の恐怖劇へ。勇敢な戦士たちを歓迎しよう」

「いらっしゃいませ」

「ヒヒヒ」

 

 薄い笑みを浮かべたエヴァンジェリンの後ろで茶々丸がメイド服を着て頭を下げ、人形――――エヴァンジェリンの初代従者であるチャチャゼロは体長を超える巨大な鉈染みた剣を持っていた。その剣が魔力を帯びた魔剣であることは魔法具コレクターであるネギには分かった。

 

「お招きに預かりまして光栄って答えた方がいいか。悪いがマナーなんてものにはとんと疎くてね。不作法を晒すかもしんねぇぞ」 

 

 今まで戦った誰よりも強いプレッシャーの持ち主を間近にして、口を開くことが出来ないネギやアーニャの代わりに応えたアスカですら余裕はない。エヴァンジェリンの姿を見た時から冷や汗が後から後から流れて行く。

 

「今の私は気分が良い。多少の不作法も許そう」

 

 エヴァンジェリンから発せられる魔力は邪悪にして妖艶。姿形は前と変わらぬながらも、男のみならず女をも取り込まずにはいられない魔性を振り撒いていた。気を一瞬でも抜けば膝を屈して永遠の忠誠を誓ってしまいそうになるのを堪えなければならなかった。

 

「なら、礼としてテメェをぶっ倒させてもらう!」

 

 魔性に呑み込まれまいと、アスカの全身から魔力が迸った。今回は事前に枷を外しての掛け値なしの全力。手加減して勝てる相手ではないことを良く知っている。単純な魔力総量ならエヴァンジェリンにも劣らぬはずなのに、圧力はエヴァンジェリンと比べればかなり落ちる。単純な制御能力の差であった。そのことを理解しながらもアスカは最強に戦いを挑む。

 

「気合を入れろよテメェら!」

「私に指図するなっての!」

「そうだ!」

 

 アスカに言い返しながらも二人は気合を入れた。最大の魔力量を誇るアスカと、ほぼ変わらないネギ。大分下がってアーニャの魔力。三人が戦意を魔力の迸りから挫けずに向かってくる気なのを感じ取ったエヴァンジェリンは、それでこそと薄い笑みを浮かべた。

 

「チャチャゼロ、貴様はアスカをやれ」

「ドイツダ?」

「金髪の方です」

 

 茶々丸が指差したアスカを見たチャチャゼロは、目の奥に得物を前にした肉食獣のような獰猛な輝きを宿す。持っていた鉈のような巨大な魔剣を肩に担ぎ直した。

 

「アイツカ、イイゼ。アノ中デハ一番歯応エガアリソウダ」

 

 アスカとチャチャゼロの視線が混じり合って火花を散らし合う。ここ百年でマシな部類な目をしているアスカにチャチャゼロの嗜虐心は粟立った。

 

「茶々丸はアーニャの小娘だ」

「了解です」

 

 茶々丸に相対するはアーニャ。機械ゆえの冷めた感情の感じられない視線がアーニャを貫いた。

 

「私はネギの坊やをやる。二人とも、私の従者として敗北は許さん。必ず勝て」

「誰ニ言ッテンダ」

「イエス・マスター」

 

 それぞれに相対する相手は決まった。エヴァンジェリンの声が聞こえていたアスカ達もそれぞれが相対する相手を睨む。その中でエヴァンジェリンは己が相対するネギを高みから見下ろした。

 

「さっさと勝負を決めて、坊や達の血を存分に吸わしてもらおう」

「そうはさせません。僕が勝たしてもらいます」

 

 エヴァンジェリンが宣言した言葉を跳ね除けるように、相対者であるネギは十メートル先にいる真祖の吸血鬼を睨み返しながらハッキリと抵抗の意を表した。怯えがないわけではない。今も立ち向かうことに膝が震え、恐怖で噛み合わない歯がガタガタと鳴っている。それでも戦うのは一人ではないと、ネギはなけなしの勇気を振り絞った。

 

「精々、抗って見せろ!」

 

 前衛であるアスカとチャチャゼロが同時に飛び出すのを見ながらエヴァンジェリンの心は躍った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カモの一言が放った影響は甚大だった。

 

「死ぬ? アスカ達が?」

 

 もしかしたらアスカ達が死ぬのではないかという思いが心的外傷による記憶再生のフラッシュバックを引き起こす。

 記憶の扉がこじ開けられたとのと同時に、ズキンと鋭い痛みが脳天を突き抜けた。思い出すことを拒んでいるかのように、頭が脈打つように痛む。身体が震えていた。

 

「お、おい姉さん!?」

 

 痛みが酷くてカモの声が聞こえない。

 世界は急速に暗くなり、内側から何かが染みだしてくる。開いた記憶の扉から、神楽坂明日菜には存在しえない記憶が染み出す。

 心の最深部に押し込められていた記憶が掘り起こされる。多量の記憶が湯水の如く溢れ出してきた。目の前に拡がり、やがて視界は記憶の映像に埋め尽くされていく。

 

『――――よぉタカミチ、火ぃくれねぇか。最後の一服……って奴だぜ』

 

 再生された記憶には、どこか高畑に似た壮年の男性が口から血を吐き、腹にも穴が空いているのか多量の血を流して岩場に凭れていた。その顔は泣いている自分を安心させるためにか笑顔だが、体から流れた血は致死量近くまで達しており死相が浮かんでいる。

 

『あー、うめぇ』

 

 右肩の部分が破れ、あちこちに汚れや煤が付いたワイシャツを着た若い男が煙草に火を点けると、壮年の男性は味を良く味わうように深く吸い込み、端から血を垂らした唇から紫煙を吐き出す。

 

「……ぁ……」

 

 明日菜の顔は苦悶で歪み、口からは声にならない言葉が紡ぎ出される。

 アスナはこの煙草の臭いが嫌いだった。明日菜はこの煙草の臭いが好きだった。その違いがどこから来るのか、アスナではない明日菜には分からない。

 

『さあ、行けや。ここは俺が何とかしとくから』

 

 鳩尾付近からワイシャツを紅く染め、それでも止まらずに流れ続ける血はズボンを伝って地面を朱に染める。

 

『…………何だよ、嬢ちゃん。泣いてんのかい? 涙見せるのは…………初めてだな』

 

 全身を瘧のように震わせ、会話の合間合間に血混じりの堰を吐きながらも痛みは欠片も見せない。大量に浮かんだ脂汗がなければ痛みを我慢していることにも気づかなかっただろう。

 

『へへ……嬉しいねぇ』

『師匠……』

 

 「タカミチ」と呼ばれた青年には分かっている。壮年の男性の顔色は青を通り越して真っ白になっている。流れ出た血液の量は致死量に達し、もはや師が助かることはない。もう、どんな名医も高名な治癒術士の魔法も彼の命を救ってくれないだろうと、理解してしまった。

 

『タカミチ……記憶のコトだけどよ。俺のトコだけ念入りに消してくれねぇか』

『な、何言ってんスか師匠!』

 

 タカミチは、師である男のあまりの言葉に叫んだ。師の今際の際の遺言であると分かっていても叫ばずにはいられなかった。

 

『これからの嬢ちゃんには必要ないモンだ』

 

 男はそれでも、頼むとタカミチに視線を送った。

 末期の言葉を拒否できるほど二人が積み重ねてきた信頼関係は薄くなく、また男の言葉に僅かなりとも共感を覚えてしまったタカミチの絶望だった。

 

『やだ……ナギもいなくなって……おじさんまで……やだ』

 

 小さなアスナは己の手で死に行くだけの男の手を握り締めた。その目元から涙を流しながら。

 ふわりと、頭の上に重さを感じた。男の手が、アスナの頭を優しく撫でる。弱々しく駄々を捏ねる少女の頭に手を乗せ、口の端から血を流しながらも男は笑っていた。

 それは封印されて忘れ去られた記憶の数々――――。堰を切るかのような勢いで押し寄せて来る情報の洪水に、処理しきれなくなった脳が加熱していく。頭痛は悪化の一途を辿り、口唇が歪んだ。

 

「ああっ……」

 

 明日菜は得体の知れない記憶に翻弄され、溺れていく彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。怖気を感じて身震いをする。冷水に足を浸したかのような悪寒が全身に伝播して、体がカタカタと震え始めた。もはや表出してくる記憶を堰き止める術はない。封印された記憶が現実味を帯び、映像となって脳内に展開していく。

 

「ガトウ、さん……」

「姉さん!?」

 

 パシッ、と頬を叩かれた衝撃が明日菜を現世に引き戻す。

 

「大丈夫かい? すまねぇ。様子がおかしかったから、つい叩いちまった」

「……………ありがとう。ごめん、ちょっと眩暈がしたみたい」

 

 頭を振るとまだ眩暈がする。

 先程まで何かを見ていたような気がするし、大切なことを思い出そうとした気がする。今はその全てが夢幻のように遠い。だけど、たった一つだけ覚えていることがあった。

 

『幸せになりな、嬢ちゃん。あんたにはその権利がある』

 

 それは今にも途切れそうなほどの弱々しい声音である。だがその声は間違いなく明日菜の心に響いていた。魂が揺さぶられ、全身が打ち震える。声に秘められた切なる願いが痛いほどに伝わってきた。

 明日菜には声の主が誰かは解らない。だが耳にしたことがあるような気がした。どこで聞いたのかは憶えてなかったが、望郷の念に駆られるかのような懐かしさが漂っている。

 

「今度は私が護る。誰も失わせなんてしない」

 

 その言葉に集約された感情に突き動かされて明日菜は動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上戦をするアスカ達と違って、ネギとエヴァンジェリンの戦いの場は空中だった。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 

 二つの始動キーが絡み合うように、唱和しながら夜空に響く。

 

「食らえ、魔法の射手・氷の29矢!」

「風の精霊97人! 魔法の射手、連弾・風の97矢!」

 

 氷と風、異なる属性の29と37の魔力の矢が二人の間で花火のような光と音を轟かせてぶつかり合う。

 的確なコントロールがなされたエヴァンジェリンの魔法の矢を、三倍のネギが放った魔法の矢が空中で激突し合って相殺する。同じ魔法にも関わらず三倍の数の差があってようやく互角ということは、それだけ彼我の魔法使いの格の差を現していた。そしてエヴァンジェリンはまだ実力の百分の一も出していない。

 

「ハハッ!! 中々やるじゃないか! だが、詠唱に時間が掛かり過ぎだぞ!! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。闇の精霊37柱!」

 

 空を飛びながら、初手の段階で既に一杯一杯のネギとは違い、言葉にも表情にも余裕がありありと見えるエヴァンジェリンが、ある意味アドバイスとも取れる事を言いながら次の魔法の詠唱に入った。

 楽しそうに上空を飛びながら笑い声を上げるエヴァに対して、ネギの表情は必死そのものだ。実戦経験が、潜り抜けた修羅場が、修練に費やしてきた時間が圧倒的に違う。ネギとて魔法の矢の術式は体に染み付いたと言っても、十年と六百年という生きた年月の時間の差がそのまま錬度の差となる。

 

「くっ!? ラ、ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 風の精霊101柱!」

 

 ネギの膨大な魔力は魔法学校でも比肩する者などほとんどいなかった。いたとしても校長などの数人の魔法教師だけで、魔法の撃ち合いで自身が負けたことは殆どない。

 

(す、凄い力。だ、駄目………打ち負ける)

 

 初めての経験でこのままでは負けると考えてしまったら、魔力発生の基点となっている右腕がガクガクと震え始めた。

 

(まだだ! 父さんは、アスカはこんな程度で逃げない!)

 

 諦めが胸中に漂うが、父とアスカならこんな程度で逃げないと、今までで最大の気迫を放つ心の言葉を持って恐怖を打ち払った。自身の体、後のことなど考えずに限界を超える程に魔力を注ぎ込む。

 

「えぇいっ!!」

 

 目一杯の魔力を杖に注ぎこんで詠唱を唱えきる。

 

「魔法の射手、連弾・闇の37矢!」

「魔法の射手、連弾・風の101矢!」

 

 倍近くに膨れ上がった精霊の数に驚くも、今度も素早く詠唱を完了させ、エヴァンジェリンに遅れる事無く魔法の射手を撃ち出した。

 さっきを超える数の矢が召喚され、再び宙でぶつかり合う。高威力の属性の魔法同士は相殺し、派手な爆煙をあげる。だが、エヴァンジェリンほどに数を増やせなかったネギの魔法の矢は幾本か突破してネギを掠める。しかも、相殺した魔法の射手の余波が、威力で劣ったネギに襲い掛かってきた。

 ただでさえ慣れない魔法戦闘、それも圧倒的強者との戦いで精神もすり減らし、更に無茶をした所為でネギは盛大に息を乱して膝から崩れ落ち、地に手をついた。

 

「はぁ、はぁ……」

「アハハ、いいぞ! よくついて来たな!!」

 

 ネギは地に着いていた手を離して片膝をつき、息を整えているが体に力が入らない。疲労で額には汗が浮かび、心臓は早鐘を打ったようにガンガンと鳴り響いていて、とても戦いを続けられる状態でない事は誰が見ても明らかであったが、体は動かなくとも闘志は今だ健在と眼だけが戦う意思を示していた。

 

(強い! これが父さんと同じ領域にいる人の力!!)

 

 魔法の衝突が生んだ余波の風を腕で顔を庇いながら、ネギは改めてエヴァンジェリンの恐ろしさを確認していた。

 まともに魔法を打ち合ったのは先程のたったの二回、それも初歩の魔法である魔法の射手だ。しかし、一矢に込められた魔力の純度は、それだけで相手の実力を伝えてくる。エヴァンジェリンの精緻にして大胆な術式の構成と、無限とも思えるほどの強大な魔力。既に限界ギリギリの自分とは違い、エヴァンジェリンは今も余裕に満ち満ちている。

 未だにネギが無傷でいられるのは、一重にエヴァンジェリンの戯れにすぎない。エヴァンジェリンは余裕を以って、ネギは必死を以って対峙する。

 

「やるじゃないか、坊や。まさか相殺されるとは思わなかったぞ。だが、まだ決着はついていないぞ」

 

 十五年ぶりの呪いという戒めからの解放が、魔法使いとしての戦いが、久しく忘れかけていた戦場の高揚がエヴァンジェリンの体内を駆け巡っていた。

 どれだけ力の差を感じさせようとも些かの戦意の衰えも見せず、必死で喰らいついてくるネギを称賛する。街にまで届きそうな程よく通る声で笑いつつ、ネギの評価を殊更に高め、エヴァンジェリンは次の一手を打つ。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。氷の精霊74頭。集い来りて敵を切り裂け、食らえッ! 魔法の射手、連弾・氷の74矢!」

 

 笑みを浮かべたエヴァンジェリンは魔法を放った。このままでは不味いと思ったネギは咄嗟に杖に跨り大地を蹴って杖に乗り、斜め上に飛び上がって避ける。

 避けられたことで急に目標を失った氷の矢はその殆どが大地を抉ったが、残った二十本の矢は直角に近い角度で急上昇しネギの後を追う。

 

「くっ! ラス・テル マ・スキル マギステル 風の精霊199人! 集い来たりて敵を穿て 魔法の射手、連弾・風の199矢!」

 

 ネギは追ってくる魔法の矢を見て、杖に乗りながら後ろを向いて呪文を唱え切った。飛びながらの狙撃ではあるため精度は悪いと考え、数を撃てば当たる論理で大量に撃つことにより、魔法の射手を全て撃ち落とす事に成功した。

 そしてネギは上昇から角度を変えてエヴァンジェリンを見る。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 風精召喚!! 剣を執る戦友!!」

 

 ネギの詠唱と共に、周りに白色に統一され、それぞれが何かしらの得物を所持しているネギを模ったモノが八体出現した。

 

「分身! いや、風の中位精霊による複製か」

 

 エヴァンジェリンはネギを見上げ、詠唱を聞いただけでその分身じみた術の正体を看破した。

 剣を執る戦友とはその名の通り、今回の場合は風の中位精霊を呼び出すためのもので難度的にはそこまで難しいものではない。本来ならばこれは決して十歳の見習い魔法使いが扱えるような魔法でもなく、また八体を同時に使役するなど甚だ不可能である事もまた事実である。

 

「行って!!」

 

 唯一実体を持つ本体であるネギが精霊たちに命令を下し、その指先がエヴァンジェリンを指した瞬間、八体の精霊が彼女の包囲を開始した。

 精霊たちは各々の軌道を描いて瞬く間に包囲して、執拗にその得物を向けて振るって捕縛しようとする得物に当たれば風で捕縛されるので、捕縛しようとするネギの作戦などお見通しなエヴァンジェリンは上昇と下降を繰り返して避け続ける。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック 氷の精霊8頭!! 集い来りて敵を切り裂け 魔法の射手・連弾・氷の8矢!!」

 

 回避行動を続けながら詠唱を唱え、近づいてきた精霊達に向けて氷の魔法射手でそれぞれ迎撃していく。

 ネギが風精一体に込めた魔力は、エヴァンジェリンが放った氷の一矢と比べると莫大であったはずだ。風精に込められた魔力と比較すればネギの方が遥かに大きいのに、最小限の魔力でいとも簡単に屠る。

 

「これが闇の福音の実力!? だけど、僕だって」

 

 呆気なくやられたがネギの中ではそれも想定の範囲内。迎撃された剣を執る戦友を目くらましにしつつ急加速し、エヴァンジェリンの側面へと回りこんで詠唱する。

 

大気の拳(エーテル・フィスト)!」

 

 ネギが作戦通りに側面に回りこんで魔法を放つ。魔法使いの格など関係のなくさせる込められるだけの魔力で放たれた、複数の風の拳がエヴァンジェリンに襲い掛かる。

 潤沢な魔力で放たれた大気の拳に気づいていたエヴァンジェリンは真正面から策も何もなく突っ込んで行った。

 

「その程度で私をやれると思ったか!」

「そんな!? ぐっ………ラス・テル・マ・スキル……!!」

 

 エヴァンジェリンは障壁によるゴリ押しで大気の拳を突破して距離を詰めて来る。

 ネギは追撃で唱えようとしていた中位魔法から、即座に取るべき手段を選択する。

 

「風花・風障壁!!!」

 

 ネギを護るように風の壁が攻撃を阻む。小柄ながらも異常な攻撃力と尋常ならざる力を持つであろう真祖の吸血鬼の攻撃を、物理的な損害から身を守ることができる風花・風障壁ならば凌げると判断した。

 

「慌てず防御壁を張れたのは褒めてやるが、それは最善手ではないぞ。確かに風障壁は10tトラックの衝突すら防ぎきれる優れた対物理防御魔法だが――――」

 

 見習いで出来る咄嗟の判断ではない。しかし、当のエヴァンジェリンはこの程度では満足しない。更に距離を詰めて、両手に魔力を漲らせる。

 視認できるほどの魔力を迸らせて、無謀にも風の壁に両手を突っ込んだ。

 

「効果は一瞬。連続しようも不可能という弱点があることを忘れるな。そして、何事にも例外があるということもな!」

 

 そして力任せに風の壁を、両開きの扉をこじ開けるように切り裂いた。その気になればトラックとの正面衝突も無傷で済ませる事ができるほどの物理的に破壊する事が出来ないはずの魔法障壁。しかし、それは理論上の話で、力量差によっては力尽くで突破される事も有り得ることである。エヴァンジェリンがやったのはまさにそれ。

 

「そんな風障壁を素手で!?」

 

 力尽くで切り拓かれる風障壁。魔法力による身体能力強化の賜物と言えよう。常識に捉われていてはエヴァンジェリンのような規格外に出会った時にこのような目に合うという実例を身を以って体感する。

 風花・風障壁が切り裂かれた瞬間、エヴァンジェリンの足がネギを蹴飛ばした。

 

「ぐわっっ!?」

 

 咄嗟に張った障壁を何枚も突破され、口の端から血を吐き出しながら吹き飛ぶネギ。しかし、やられているばかりではない。そのまま全速力で橋の向こう側へと飛んでいく。

 

「あの方向だと…………学園の外に逃げる気とは思えないから何らかの罠でも仕込んでいるか」

 

 エヴァンジェリンはすぐには追いかけず、ネギの向かった方向を確認し、眼下の戦いの状況を確認する。

 

「ほぼ互角か。茶々丸はともかくチャチャゼロめ、楽しんでるな」

 

 久方ぶりの戦闘と相まってチャチャゼロが本気を出さずに遊んでいることは、同じようにネギで遊んでいるエヴァンジェリンには直ぐに分かった。

 

「人のことは言えんか」

 

 身に纏う外套を蝙蝠の羽のように大きく広げ、我が物顔で夜空を進む。十五年分の鬱憤を吐き出すかのように大きく外套を羽ばたかせてネギを追いかける。

 急加速をして三秒で一心不乱に空を飛び続けていたネギを射程圏に捉えた。

 

「氷爆!」

 

 エヴァンジェリンによって作り出された氷の爆弾がネギの左後方で爆発し、凍気と爆風が同時にネギに襲い掛かる。

 

「あぐうっ!」

 

 咄嗟に伸ばした手の先で障壁を展開し、最低限地面に叩きつけられることだけは回避したが左半身の所々が氷付けになってしまった。

 

「ハハハ、どうした逃げるだけか? もっとも呪文を唱える隙もないだろうがな!」

 

 凍った体の箇所もそのままにすぐさま態勢を立て直し、再び今までと同じ方向へ飛び出した。その先には今日の為にネギが張った罠がある。

 ネギは自分が魔法使いとしての力量で大きく劣っているのを自覚しているので敵わない事など百も承知だった。勝つために罠の一つや二つは用意している。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック 来たれ氷精 大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を こおる大地!」

「わ――ッ!」

 

 一つ一つの氷が全長五メートルを楽に越すその氷山を間一髪で避けたネギだが、無理な動きをした代償に杖から放り投げられて、何度も跳ねながら悲鳴を上げて橋の上を転がる。

 手加減したとはいえ自分の魔法を避けたことに僅かに賞賛の眼差しを向けながら、橋に降り立ったエヴァンジェリンはネギの企みを看破した。

 

「ふ………なるほどな。この橋は学園都市の端だ。私は呪いで外には出られないから、ピンチになれば学園外へ逃げれば良い、か。意外にせこい作戦じゃないか。え? 先生」

 

 地面に這い蹲るネギを見て、エヴァンジェリンが腕を振るうとこおる大地が消え去る。

 真っ直ぐ過ぎたネギが多少なりとも努力した事を認めて歩を進めていく。ぐぅ、と唸りながらネギは近づいてくるエヴァンジェリンを、悔しげな表情でただ見ているだけのようではあるが、如何せん顔に出過ぎだった。

 真っ直ぐ過ぎる性格が仇になっていた。腹芸や罠を仕組むには性格的に難しかったのかもしれない。こういう罠はアーニャやカモの領分で、生真面目で気負いすぎるネギには少し早かったようだ。

 エヴァンジェリンにはネギの態度と間の地面から僅かに漏れる魔力で、何処に罠があるのかは分かっているが、それもまた一興だと気にせず進む。ネギは息を呑んでエヴァンジェリンがその場所へと足を踏み込むその時を待った。

 

「これは……!」

 

 その場所に一歩踏み入れた途端、アスファルトに刻まれた術式が起動する。

 これは陣が敷かれた上に、対象が足を踏み入れた時に発動する、対象を絡め取る結界。魔法円が浮かび上がり、そこから伸びる幾重もの光の縄がエヴァンジェリンの身体に巻きついて自由を奪っていく。

 罠に嵌った当のエヴァンジェリンは逃げ出そうという気配はなく、最初は驚いていたが僅かに感嘆の声音を漏らすなど落ち着いたものである。

 

「ほぉ、捕縛結界か。よく考えたな」

「や、やったー! 引っかかりましたね、エヴァンジェリンさん!」 

 

 完全にエヴァンジェリンが結界に捕らえられた事を確認すると、ネギはガッツポーズをして喜びを全身で表現し始めた。

 自分が張った捕縛結界ならば破られないと自信を持っていた。だが、ネギは極限に至りし魔法使いを知らない。破られるとしても時間がかかり、無防備な姿を晒しているのだから負けを認めると考えていた。 

 止めも刺さずに、そうしているのはネギがまだ十歳にも満たない少年であるが故に仕方のないことかもしれない。これが試合で審判でもいればネギの勝利が確定したであろうが、この戦いは試合でもなければ審判もいない。勝敗の判定は最後に立っていた者によって決まる。

 

「もう動けませんよ、エヴァンジェリンさん。これで僕の勝ちです! さぁ、大人しく観念して負けを認めて下さい!」

 

 ネギはこの時のために夕方に設置しておいた切り札である捕縛結界が上手くいったことに喜びながら自信満々に勝利を宣言して、今までの緊張が解き離れたようなハイテンションでエヴァンジェリンに捲くし立てる。

 

「やるなぁ、ぼうや。感心したよ。ふ、あは、アハハハ!」

 

 紡ぎだされた最初の言葉は罠に嵌めた事への純粋な賞賛。今まで未熟ばかりが露呈していたが、こと数えで十歳の少年が本気でないといっても伝説の相手に戦い、罠に嵌める知略を見せ付けた。

 束縛する捕縛結界を見ても、ネギが才気溢れる少年であり、魔法使いとして前途有望だと彼女自身も認める。しかし、後に続いた笑い声はさっさと止めを刺さないネギの甘さへの嘲笑。確かに真っ直ぐ過ぎた少年が罠を張り、自分を一瞬でも追い込んだ手際、見事と言えよう。

 年齢からの未熟か、人間としての未熟か、或いは己の力への過信か、極限に至った魔法使いに対する認識不足か、ここで直ぐにトドメを刺さなかったのは致命的であった。

 

「な、何が可笑しいんですか!? ご存知のように、その結界に捕らえられたら簡単には抜け出せないんですよ!」

 

 称賛と嘲笑。そのどちらにも、敗北を認めるような色は欠片も混じっていなかった。

 ネギにはエヴァンジェリンが理解できない。惜しむらくは、エヴァンジェリンの戦士としての実力を把握しきれなかったこと。

 

「坊や。貴様、まさかこの程度の罠で私が屈すると本気で思っているのか? サウザントマスターに負けたとはいえ、私は最強クラスの魔法使いだぞ?」

「え?」

 

 込められた嘲笑には気付かずとも、正の感情で笑われたことでない事を悟ったネギは問うが返って来た言葉を理解する前にエヴァンジェリンの身体から魔力の濁流が迸り、体を押さえつけている鎖がギシギシと軋む。ネギは自分で最大にして最後の勝機の時を失ってしまったのだ。

 

「私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。最強の『悪の魔法使い』だ!!」

 

 言葉の後に力のままパキンッ、とガラスが割れる様な硬質の音を響かせて鎖を引き千切った。

 

「……あ……」

 

 常識外れの力技を目にしたネギは唖然とするばかりで声にならない声が自然と零れ落ちる。そんな常識外れを成すのがエヴァンジェリンであり、英雄と言われたナギである。ネギはそれを実地で実感させられた。

 

「そ、そんな……っく!」

 

 内心で卑怯だと感情的な批判を浴びせながらも、再び捕らえようと詠唱を始めようとしたネギだったが、何時の間にか体を夜目ではほとんど見えない糸で拘束されていた。

 

「あ……っ!」

 

 拘束されてほとんど動けないネギに、近づいてきたエヴァンジェリンは簡単に杖を取り上げた。魔法使いは特殊な事がない限り、杖がなければ魔法が使えなくなる。糸で拘束されていることも合わせて既に死に体と言っていいだろう。

 

「フン、奴の杖か」

 

 ネギから奪い取った杖を、過去を連想させる忌々しさと郷愁から思い起こす僅かな懐かしさを混ぜた目で見つめること数秒。

 

「ああっ!?」

 

 ポーン、と子供が興味の失せた玩具を放る様に、或いは過去の未練を断ち切るように橋の下に広がる湖へ無造作に投げ捨てた。戦闘において敵の戦力を減らすのは常套手段。彼女がそれを成すのに果たして何を思ったのか。

 エヴァンジェリンの行動に杖の持ち主のネギは元より、遠くから見ていた学園長や高畑にさえその行動は予想外の事で、放物線を描いていく杖をただ呆然と見届けるだけだった。

 

「エヴァンジェリンさん! あ、あれは僕の何よりも大切な杖、あれがないと僕は…………」

 

 いま自身が口にした通り、自分が何よりも大切にしている杖を投げ捨てられて、ネギは完全にただの十歳の少年と成り果てる。

 父の杖を奪われたことで急速に戦意を失っていく。あの杖は六年前からどんなに寂しい時、辛い時でも共にあり続けた心の支柱であった。

 策はいとも簡単に打ち破られ、杖は奪われて失ってしまった。心の支柱を失ったネギの肉体からみるみる内に覇気が抜けていき、目から闘志の光が消えた。残ったのは戦う意思を無くした小さな子供だけ。 

 杖を投げ捨てた本人であるエヴァンジェリンは、杖がないだけで闘う意欲を失った情けない姿に苛立ちを感じていた。それと同時に自身がネギにサウザントマスターの影を重ねていたことにも気付かざるを得なかった。

 目の前にいる子供はただの十歳にも満たない見習い魔法使いにしか過ぎないのだと。ナギと同じ気概をネギにまで求めたのは間違いなのだと。

 

「あうっ!?」

 

 パシンッ、と乾いた音がネギの頬から響いた。苛立ちが限界に達したエヴァンジェリンの平手打ちが、ネギの頬を殴打したのだ。打たれた衝撃でネギの眼鏡が音を立てて橋の上に転がっていく。

 

「一度戦いを挑んだ男が簡単に諦めるな、馬鹿者! この程度でもう負けを認めるというのか!? お前の親父ならばこの程度の苦境、笑って乗り越えたものだぞ! アスカでも立ち向かおうとしただろうよ!」

 

 苛立ちから指を突きつけてエヴァンジェリンはネギを罵倒する。

 これが見習い魔法使いだとしてもサウザントマスターの息子がこんなものでどうするのだと、そんな思いが表面に出てきた。あの誰にも屈しなかった男の息子が、啖呵を切って来た双子の弟がいるのに、こいつだけがこんなにも弱いことを認められない。

 

「あ、ぅ……」

 

 ネギはエヴァンジェリンに気圧されたように力なく、糸に拘束されまま項垂れる。

 

「はっ! 所詮、奴の息子といえどこの程度か。最早血を吸う価値もない。いや、サウザントマスターや、兄がこの程度ならアスカも同様だということか」

 

 ネギの怯えた視線を受けて、ふと感情を荒げている自分に気づいたエヴァンジェリンは、冷静さを取り戻した後、改めてネギへの正しい評価を口にした。

 ネギも自分達の実力が違うのは初めから分かっていた。その差を埋めるための策を用意したとは言っても、負けるかもしれないという思いは少なからずあった。だが、エヴァンジェリンを罠に掛けた時に勝ったと慢心せず、止めを刺していれば結果は変わっていたかもしれない。今更にそんな思いがネギの胸中に広がるが、後の祭りであった。

 

「ちっ、これぐらいでもう心が折れたか。存外に脆かったな」

 

 ナギならば決して諦めず、例えどんな窮地に陥ようとも常に勝利を渇望し、そして勝ち取ってきた筈だ。そもそもこの考え自体がネギを見ていないのかもしれないが、今更変えるつもりも無い。元々大してネギに期待していたわけではないが、それでもやはりナギの息子がこの程度と言うことには一抹の失望を感じずにはいられない。

 糸を解いてネギの拘束を解き、踵を返した後ろで地面に落ちた音を無視して、ゆっくりと空を飛んでネギから離れていく。

 ネギは見逃された事に安堵の息を漏らすが、未熟な自分と違い尊敬する父をアスカを侮辱されることは何よりも許せなかった。

 

『お前の親父ならばこの程度の苦境、笑って乗り越えたものだぞ! アスカでも立ち向かおうとしただろうよ』

 

 エヴァンジェリンに言われた言葉が蘇って記憶にある父の姿が思い浮かぶ。ネギが絶望した時に現れ、どれだけの悪魔の群れに囲まれようとも負けなかった圧倒的な力を披露した背中。アスカには最初から分かっていたのだろう、エヴァンジェリンの巨大さを、強さを。それでも誰にも弱音を吐くことなく立ち向かおうとしていた。

 

『サウザントマスターや、双子の兄がこの程度ならアスカも同様だということか』

 

 その心底の失望を感じさせる言葉が、ネギの心に漂っていた暗い気持ちを吹き飛ばしていく。父への思いは、ネギ自身の中にあるどんな思いよりも優先される。双子の弟への侮辱は、父への思いに匹敵するほどの意志の強さをネギに与える。

 

「…………訂正してください」

 

 恐怖は怒りへ、諦めは闘志へ、ただ想いだけが折れていた心を繋ぎ合せ、伏せていた体を起こさせる原動力となった。震える体を鼓舞して立ち上がり、唯一残っていた子供用練習杖をポケットから取り出し、去って行くエヴァンジェリンの後姿を見据える。

 

「僕のことを言われるのはいい…………見ての通り、こんなにも情けない男です。でも、二人は、二人のことだけは訂正してください!」

 

 躊躇は一瞬、不安を吹き飛ばすように杖を掲げ、全身から放出した魔力が風となって竜巻を引き起こす。

 

「ぬっ、まだやる気が残っていたか」

 

 ネギから発生した風に体を煽られるも、エヴァンジェリンはすぐに体勢を立て直す。立ち直ったとしても戦力差は歴然、ゆっくり待てばいいとエヴァンジェリンは気楽に考える。心が折れたまま無様な抵抗を繰り返すのか、それとも……………。

 

「…………ふん」

 

 空中にいるため物理的にも、そして心情的にもネギを見下しながら、エヴァンジェリンは尊大に腕を組み、立ち上がった『魔法使い』を見やる。

 ネギの方は、まだ表情に緊張が見受けられ、足もガチガチに固まっていた。情けなくも震え、目は今にも逃げ出したいと叫んでいるのが見て取れた。決して恐怖を克服したわけではないが、二人への思いがネギの体を支えていた。

 それでも立ち上がったネギを、かつての愛しい仇敵の姿に重ね、エヴァンジェリンはキッと目を細めて見据える。

 確かにナギよりも圧倒的に弱い。アスカよりも遥かに弱い。自身よりも天と地ほどの差があるほどに弱い。その姿を見れば、恐ろしくて、怖くて、みっともなく逃げ出したいことは、どんな惨めな姿になっても許しを乞いたいことは分かった。

 痛い思いをしたくない、怖い思いに合いたくない。だけど、逃げ出さない。恐怖に抗い、命の危険に立ち向かって見せた。生まれたての小鹿のように全身を恐怖で震わしているいまのネギの姿は情けないだろう。だが、エヴァンジェリンは笑う気にはならない。

 どんな情けない姿でも抗って見せたのだ、このエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに。伝説に、闇の福音に、真祖の吸血鬼に。

 果たしてこの学園に本気となった自身に抗って見せようという気概のある者が何人いるだろうか。どんな動機であろうと、どうやっても勝てない力の差を理解した上で折れた心を抱えて抗う者を笑うことなど出来ようか。

 

「よく立った。ネギ・スプリングフィールド。先程までとは打って変わって、随分と良い顔をするようになったじゃないか。正直、見違えたぞ」

 

 ネギの行動を褒め、賞賛するようにエヴァンジェリンは言葉を紡ぐ。

 

「だがな、私にさっきの言葉を訂正させたいのなら実力でしてみせろ!」

 

 彼女は今こそ『ネギ・スプリングフィールド』という人間を認めた。自身が戦うに値する人間だと、『ナギ・スプリングフィールドの息子』としてではなく、『ネギ・スプリングフィールド』としてその存在を認めたのだ。

 封印を解く供物ではなく、この場において伝説の吸血鬼を前にしてネギは勇気を示し、いまなお立ち向かおうとしている。

 

「……はいっ!」

 

 言葉を放つエヴァンジェリンの姿は少女の姿をしていても、そこにいるのは何者にも媚びぬ覇者の風格を備えた最強の魔法使いだ。エヴァンジェリンの呼びかけに、ネギは圧倒されながらも、今までとは打って変わり強い意思を持って踏みとどまって叫び返した。

 自らの意思をはっきりと乗せた言葉で戦いの開幕を迎え入れたネギは、この勇気を与えてくれた父と弟に感謝の念を抱いた。

 辺りから音が消え去り、嵐の前の静けさを思わせる刹那の静寂が辺りを押し包む。子供用練習杖はエヴァンジェリンに投げ捨てられた父の杖に比べれば余りにも頼りないが、我侭は言っていられない。戦意は十分。勝機は薄く。だが、諦めなかったネギの下へとアーニャを抱えたアスカが滑り込んできた。

 

「良く言ったっ!」

 

 ネギの前で着地したアスカはボロボロだった。服のあちこちが切り裂かれ、チャチャゼロによって付けられた切り傷が全身を覆っている。

 

「言うじゃない、ネギの癖に」

 

 アーニャの身なりも酷いものだった。茶々丸に殴られたのか頬を大きく腫らし、立ち上がった立ち姿もどこかぎこちない。

 

「二人とも……」

「良い啖呵だったぜ。こっちまで聞こえて来た」

「そうよ。私の名前がなかったのは剛腹だったけどネギにしては上等なこと言うじゃない」

 

 ネギは二人と比べて怪我は殆どない。怪我の具合を見るだけでどれほどの激戦を行ってきたかが分かった。一番酷い怪我を追いながらも退く気など一切アスカはネギを横目で見た。

 

「やっぱエヴャは強かったか」

「うん、僕じゃ手も足も出ない」

 

 アスカの問いに答えながら、ネギは戦意も高くエヴァンジェリンと合流した向こうの従者二人を見据えた。

 

「茶々丸もあれは卑怯だわ。なによロケットパンチって」

 

 頬を殴られたのはそれなのか、向こうの陣営で若干申し訳なさそうに頬を撫でているアーニャを茶々丸が見ていた。

 

「そっちの方は勝てそう?」

「無理。完全に遊ばれてる。ちっこいくせに洒落にならねぇ強さだ」

「アスカがお手上げなら私達はどうにもならないわよ」

 

 この三人の最高戦力は文句なしでアスカだ。そのアスカが相対する敵を倒せないとなれば、当初の予定は大幅に狂ってしまう。

 警戒しながらも敵の前で作戦会議をしている三人に呆れを感じつつ、エヴァンジェリンは己が従者達を見た。

 

「どうだ、アイツらは?」

 

 ご機嫌なチャチャゼロを見れば分かるが敢えて聞いた。

 

「ヤルゼ、アノ金髪。他ノ二人モ見テタガ単体戦闘能力ハ、アノ中デハ最高ダロ。ダケド、マダマダナッチャイネ」

 

 チャチャゼロはエヴァンジェリンの最初の従者として、最も苛烈な時代を共に生きて来た。そのチャチャゼロの目から見ても才覚を感じさせるアスカだが、まだまだ未熟と断じる。

 

「アーニャさんは型破りなところがあります。信じられない攻撃をしてきました」

 

 服のあちこちを焦げさせた茶々丸は静かに己の所見を述べる。少なくとも、身に宿す魔力の量で言えば、ネギとアスカは自分と肩を並べる事ができる事をエヴァンジェリンは少しの苛立ちと共に認め、従者から聞いた話も合わせて三人の評価を大幅に改めた。

 

(自分ならば、三人をどう育てる?)

 

 心の強さを見せたネギ、初代従者に才能を認めさせたアスカ、茶々丸を驚かせた意外性のアーニャ。

 これだけの才能、自分で育成というのもしてみたくなったエヴァンジェリンである。いまの未熟さなど自身が鍛えれば簡単に叩き直せる。

 

「それもこの戦いの決着次第だ」

 

 奇しくも最初と同じ位置関係になった両組は戦意を高めて、再度の激突に備える。

 何かの切っ掛けでいつ崩れてもおかしく均衡を崩したのは、第三者の存在だった。

 

「こら、待ちなさい――っ!」 

 

 この戦いの最大のイレギュラーが紛れ込んで来た。

 



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第10話 ネギ+アスカ=?

 停電になった女子寮内を桜咲刹那は飛ぶように走っていた。一歩一歩が大きすぎて半ば半分飛んで目的の部屋に到着した刹那は、片手に携帯を持ちながらドアを開けた。

 

「お嬢様!」

 

 ドアを開けた先の部屋は停電中なので当然のことながら暗かった。室内にいるべき人間は二人でなければいけないのに、刹那が見つけたのは一人だけだった。

 

「せっちゃん」

 

 灯りもない室内で布団に包まっていた木乃香は、入って来た刹那がダイニングで携帯を開いた灯りで顔が見えたことに安心したようだった。

 布団から出て来て縋りついてきた木乃香をしっかりと受け止める。

 

「大丈夫ですか、お嬢様」

「明日菜が急に飛び出してって怖なってな。呼んで迷惑やった?」

「何時でも遠慮なく呼んでくださって結構です。寧ろ、呼んでください」

 

 ぎゅ、と強く抱き付いてくる木乃香に緩んだ顔をした刹那を見れば同室の真名も失望すること間違いなし。既に知っていて諦めているかもしれないが。

 

「明日菜さんはどうされたんですか?」

「分からんねん。布団のところで誰かと話してみてたみたいやねんけど誰も部屋には入ってきてないし、止める前にあっという間にどっかに行ってしもうてん」

「まさか……」

 

 刹那には心当たりがあった。この部屋に来る前にネギ達の知り合いというオコジョ妖精が助力を求めて来て、気持ち的には助けたいがアーニャから事前に助太刀無用と止められていたので断っていたのだ。

 一般人の明日菜にも同様に助力を求めに来たようだ。様子からして助力に応えて行ったのだろう。

 

「なにか知ってんの?」

「いえ、分かりません」

 

 刹那にはそうとしか言いようがなかった。

 

「やっぱアスカ君達のところに行ったんやろうか」

 

 刹那の表情の僅かな変化から明日菜の行き先を悟った木乃香は心配そうに窓の向こうを見た。月明かりを取り入れる為に開けられているカーテンのお蔭で、外の様子が良く見えた。

 

「恐らく」

 

 頷いた刹那にはアーニャに止められている以外に助太刀に行けない理由があった。それは木乃香も同じやった。

 

「大丈夫やろか。千草先生に止められてなかったらうちも行けたのに」

「天ヶ崎先生はお嬢様の身を案じておられるのです。自重して下さい」

「歯痒いなぁ。うちの立場なんてお父様やお爺ちゃんの血縁ってだけやのに」

 

 この新学期から関東魔法協会の支部の一つがある麻帆良学園都市に関西呪術協会から留学生としてやってきた天ヶ崎千草。彼女が麻帆良に送られれてきたのは、木乃香が己の立場と魔法を知ったことから家庭教師としての一面もある。

 半月で授業は始まっていて、彼女の家に出入りする木乃香に付き添っていた刹那は同じように千草の家に出入りしていたアスカ達がエヴァンジェリンと戦うのを聞いてしまったのである。明日菜に詰問されて割とあっさりとゲロッてしまったのは刹那の迂闊であった。

 

『エヴァンジェリン達の戦いに首突っ込んだら呪いかけるから。うんと苦しむようなやつな。女の尊厳奪う方向の』

 

 陰陽師の先生である千草に禁じられ、齧っただけの刹那では本職が本気で呪いをかけてきたら跳ね返すことは難しい。やると言ったらやる女であることは普通の教師生活や陰陽師の先生として見て来た刹那では逆らいようがない。普段はおっとりしている木乃香ですら逆らおうとはしないのだから大概である。

 あれで特定の人物には実は押しが弱いようだ。アスカとかネカネとか。特にネカネ。天然すぎて手に負えないらしい。

 

「無事に帰って来れる様に応援しましょう。今の私達に出来るのは、それだけです」

「みんなが無事に帰ってきますように」

 

 みんなが無事に帰ってくるように木乃香は胸の前で手の平を組んで祈りを捧げた。無宗教なので神には祈らない。戦いに赴いた年下の友達達と親友にこそ、木乃香は祈るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として現れたイレギュラーは、ここには来てはいけない人間だった。

 

「明日菜!?」

 

 橋の向こうから駆けて来る明日菜の姿にアスカが驚愕の声を上げた。

 

「やはり来たか、神楽坂明日菜――――茶々丸」

「申し訳ありません、明日菜さん」

 

 前に敵がいるにも関わらず、後ろを振り向いて明日菜がやってくるのを見たエヴァンジェリンは表情を崩し、一瞬で元に戻しながら茶々丸の名を呼ぶ。

 茶々丸は主の意を汲んで、明日菜を迎撃するために前に出て進路を塞いた。妨害を予測していた明日菜は肩に乗っているカモを信頼して更に加速する。

 

「カモ!」

「合点だ! 俺っちの力を見せてやるぜ! オコジョフラーッシュ!!」

「目晦まし!?」

「ゴメン、茶々丸さん」

 

 カモは叫びと共に手に持つマグネシウムをライターで燃やして化学反応で発生した即席の閃光弾を炸裂させた。即席の閃光弾はカメラのストロボよりも激しい光を生みだし、茶々丸のセンサーを僅かの間とはいえ狂わせ、その動きを止めさせた。

 茶々丸の横を明日菜は駆け抜けた。莫大な生徒数を誇る麻帆良学園都市の中で女子中等部一、二を誇る明日菜の健脚は瞬く間にエヴァンジェリンへと近づいていく。

 今のエヴァンジェリンに近づくのは自殺行為。それが分かっているからこそ動き出そうとしたアスカの前に立ち塞がる敵――――チャチャゼロ。

 

「そこをどけ!」

「サセネェッテ言ッテンダロ」

 

 真っ先に飛び出そうとしたアスカの進路を塞ぎ、かつアーニャとネギに持っていた大剣を投げつけることで牽制するチャチャゼロを確認したエヴァンジェリンは、迫る明日菜を見据える。

 十メートル、九メートル八メートル、七メートル、六メートルと徐々に近づいて来る明日菜を見据え続ける。

 瞬く間にエヴァンジェリンならば一足の間合いにまで踏み込んだ明日菜。そして距離をゼロにして、マイナスになろうともエヴァンジェリンは手を出さなかった。

 

「それが貴様の選んだ選択か」

 

 隣を通り過ぎた時、明日菜は確かにエヴァンジェリンの声を聞いた。

 

「下がれ、チャチャゼロ」

「御主人モ甘クナッタモンダ」 

「早くしろ」

「ヘイヘイ」

 

 妨害をしていたチャチャゼロが文句を言いながら下がったことで、明日菜の進路を塞ぐ者はいなくなった。

 

「兄貴! 時間が欲しい。障壁を」

「事情を説明してよ。ラス・テル・マ・スキル・マギステル 逆巻け春の嵐 我らに風の加護を 風花旋風・風障壁!!」

 

 カモの求めに応じて、状況を理解するために時間が必要と判断したネギは竜巻のような風の障壁を作った。もしかしたらエヴァンジェリンなら突破してくるかもしれないが、先程の様子を見てそれはないとネギは直感した。

 竜巻の周辺は激しい気流が流れており危険だが、その内部は台風の目のように静かである。しかし、雷の少年の怒りはそれどころではなかった。

 

「カモ! なんで明日菜を巻き込んだ!」

「く、苦し……」

 

 明日菜と共にやってきたカモを見た瞬間に全てを悟ったアスカの怒り様は、幼き頃からずっと一緒にいるネギですら見たことがなかったものだった。

 カモの首を絞めて詰問するアスカの怒り様に、ネギもアーニャも止められなかった。

 

「待って。切っ掛けはカモかも知れないけど、ここに来たのは私の意志なの。責めないで上げて」

 

 アスカの手を止めたのは明日菜だった。

 流石に明日菜の懇願に、アスカも今にもカモを縊り殺しそうな手を緩めた。アスカから逃げたカモはネギの体をよじ登って肩で息を吐く。

 

「はぁ~、殺されるかと思った」

「カモ君が明日菜さんを連れて来るからだよ。アスカじゃないけど、なんで連れて来たの?」

 

 気持ちの上では分からないまでもないネギがカモに非難の視線を込めながら問うた。絞り上げられた毛は短い手足では整えられないので、舌でやっていたカモはネギの問いに顔を上げた。

 

「戦力が足らねぇんだろ。関係者って話の何人かに当たってヒットしたのが明日菜姉さんだけだったんだ。話に聞いてたの以外にも強いのが何人かいたけど、関係者かどうか分かんなかったから姉さんに頼んだんだ」

「だからって明日菜を連れて来ることはないじゃない」

「自分達だけでやろうとするのは兄貴達の悪い癖だぜ。アーニャの姉さんだって変わらねぇ。三人で勝たないなら他から戦力を持ってくるのは常套手段。遥かな格上に挑もうっていうのに余裕を残すのはおかしいんじゃないか?」

 

 問うたアーニャにだけではない。カモはネギとアスカにも言っていた。助言者・知恵者として、目標としているナギに届くには三人の実力はまだまだで、こんなところで足を止めたくなければ明日菜を巻き込んでも進めと言っているのだ。

 己の役割を熟知しているカモの言葉は少年少女にとっては辛辣ですらあった

 

「テメェ……」

 

 言い返したいが言い返すだけの材料の言葉が見つからないアスカを見た明日菜が前に出た。

 

「私はアスカを助けたい」

 

 圧倒的に強いアスカに言うのは間違っていると、明日菜も分かっている。

 しかし、明日菜はこのままじゃいけないような気がした。このままでは置いていかれそうな……………そんな気がしてならない。それが嫌だ。傍にいたい。それを表に出さず、だけど明確な意思を持って願い出た。

 今も明日菜には覚悟も意志もないかもしれない。そう、胸にあるのは大事な人を喪ってしまって抱えた欠落だけだ。そしてその欠落からさえもずっと目を逸らして生きてきた。だけど何時までそうして生きる事はできないのだという予感がする。

 ここで置いていかれたら何もできない。それが自らを脅迫するように締め付けてくる。何故かは分からない。分からないけど、何も出来ないままなんて嫌だから。

 何も出来なかったから誰かが傷ついた。あの時だって、あの時のこととは何のことなのか? そのことには考えが至っていないが一種の強迫観念に似た何かが追い詰める。それが明日菜を動かす。今、動かなければ自分は後悔すると。

 

「私、頭が悪いから上手く言えないんだけど決めたの。このまま見て見ぬ振りをすれば、きっと後悔すると思う。私にはみんなみたいな戦う力は無いけど………後悔だけはしたくない! だから例えアスカが止めても関わっていくよ」

 

 明日菜の目には強い意志が宿っている。その目を見てアスカは止めても無駄だと悟ってしまった。

 

「ああ、もう!」

 

 頭をガシガシと乱暴に掻いたアスカがやがて諦めたようにため息を吐いた。

 アスカに溜息を吐かせたのは、その人生において明日菜が始めてであることは彼女は知らない。

 

「…………分かった。正直助かるのは事実だ」

「アスカ!?」

「認めろ。俺達は弱い。明日菜を巻き込まなきゃ進めない程にな」

 

 下を向いて大きく息を吐いたアスカは、アスカは拳を強く握って気持ちを切り替えるようにネギに言った。

 

「ちくしょう、強くなりてぇ」

 

 竜巻の向こうにいる強さの具現であるエヴァンジェリンを見つめるアスカの眼差しに、ネギもアーニャもそれ以上は何も言えるはずがなかった。

 話が纏まったとみたカモが時間を確認しながら小さな口を開いた。

 

「決まったなら仮契約だ。明日菜の姉さんにも戦う力が必要だ。魔力量からいって二人のどっちがする?」

 

 風花旋風・風障壁の持続時間も残り短い。話を進めるためにカモはネギとアスカを見た。

 

「「………………」」

 

 まさかの話に二人は顔を見合わせ、自分からネギが引いた。ネギ少年は、明日菜とアスカのやり取りを見て何も感じぬほど鈍感ではなかったのだ。

 

「んじゃ、行くぜ」

 

 なんのことか意味が分からない明日菜を放置して、アスカが前に出たのを見たカモはどこからか取り出したチョークらしき物で地面に魔法陣をあっという間に書き上げていく。自分を中心に複雑な魔法陣を秒単位で描いていくカモに明日菜が感嘆の息を漏らす。

 

「うしっ、完成!」

「おお、凄い早業っ」

 

 一分も経たずに書き上げられた魔法陣に一人だけの拍手が巻き起こる。その拍手は途中でアスカに遮られることになる。

 

「ま、あれだ。狗に噛まれたと思って諦めてくれ」

「えっ……んむ!?」

 

 頭を掻いて魔法陣に入って来たアスカが明日菜の首を掴んで引き下げ、近づいてきた顔に自分の顔を寄せて口づけをした。

 

仮契約(パクティオー)!!」

 

 二人が唇を合わせたのを確認したカモの声と同時に、魔法陣が光り輝いて一瞬でもネギ達の目を眩ませるほどの光を放つ。数秒して、消えていく魔法陣の光に合わせるようにアスカは唇を離した。

 

「ぁ……」

 

 恍惚の面持ちで流れ込んでくる何かに身を任せていた明日菜は、離れて行く唇を追おうとして状況に気づいて恥じらいに顔を紅くした。

 京都で思った通り、アスカの唇は思いの外柔らかくてキスの気持ちに良さにちょっと濡れてしまった明日菜であった。どこが濡れたのかは明日菜一生の秘密である。

 

「カモ、カード」

「へい」

 

 唇を抑えてプルプルと震える明日菜を頑として見ないアスカはカモからカードを受け取った。『傷ついた戦士』と称号が書かれている、身の丈ほどの大剣を持って軽鎧に身を包んで快活そうに微笑む明日菜の姿がプリントされたカードを見るともなしに見つめるアスカ。

 

「なによ、アイツったら」

「照れてるだけだよ。ほら、耳まで真っ赤」

 

 乙女の唇を了解もなく奪っておいて素っ気ないアスカの態度に気を悪くしたアーニャだったが、ネギの指摘を確認するために見ればその通りだったので納得した。

 アスカの耳が先まで真っ赤になっていて素っ気ない態度が照れ隠しだと気づいた明日菜は、もっと顔を紅くした。正直、キスをした相手と面と向かって顔を見れる度胸はない。

 

「もう風障壁が解ける。明日菜のフォローはカモに任せるぞ」

「姉さんを引き込んだのは俺っちだ。責任は持つさ」

 

 言ってカモが明日菜の肩に飛び乗るのを見たアスカは、次にネギを見て耳を触った。

 

「ネギ、あれをやるぞ」

「分かった」

 

 ネギが頷くのと同時に、風障壁が解けて竜巻に包まれていた風景が元に戻る。

 

「ふん、出て来たか」

 

 退屈そうに待っていたエヴァンジェリンは腕組みを解いた。

 

「ふふっ……どうした、お姉ちゃんが助けに来てくれてホッと一息か?」

「ほざけ」

 

 鼻息も荒く言い返したアスカはカモから受け取ったカードを前に掲げた。

 アスカが持つカードが仮契約をした証であることを知っているエヴァンジェリンは、後ろでオコジョ妖精から助言を受けている明日菜を見遣った。

 

「馬鹿者が」

「マスター?」

「なんでもない」

 

 チャチャゼロは何も言わない。甘くなった主人に言うべき言葉を、戦いの中で吐くなんてことは絶対にしない。

 

「契約執行無制限!! アスカの従者『神楽坂明日菜』」

 

 明日菜の体にアスカの白い魔力光が宿る。

 

「…………温かい」

 

 従者となって他者の魔力を身体に受けると、こそばいというか大なり小なりの違和感がある。羽毛で肌を軽く触られているような感覚がして落ち着かなかったが、同時にアスカに守られているような安心感を明日菜に与えた。

 アスカの行動はそれだけに留まらない。取り出したのは別のカード。ネギと契約した仮契約カードを。

 

「アデアット」

 

 アスカの両耳に真珠のようなアクセサリーがついた耳飾り――――銀のイヤリングが出現する。

 自己強化型のアーティファクトかと警戒したがアスカはそのイヤリングの片方を外してネギに向かって投げた。

 

「行くぜ、ネギ!」

「うん!」

 

 イヤリングを受け取ったネギは言いながら、アスカが着けている方とは逆の耳につけた。

 

「「合体っ!」」

 

 瞬間、まるで磁石に引かれた砂鉄のように二人の体が引き寄せられた。接触すると明日菜達が仮契約した時以上の光が辺りを覆った。

 光が晴れた時、そこにいたは一人の少年だった。ネギとアスカの両方の髪型や髪の色、雰囲気が混じり合って一つようになった男は、知性と野生という矛盾した要素が同居した静かな瞳でエヴァンジェリンを見ている。

 

「誰だ、お前は?」

 

 ゴクリ、とエヴァンジェリンは唾を呑み込んだ。件の男から発せられる魔力はネギようでアスカのようでもあり、どちらでもあってそのどちらでもない感じがする。

 摩訶不思議な現象に明日菜は瞬きを繰り返した。しかも、明らかに供給される魔力が跳ね上がって、体が羽毛のように軽い。全能感すら抱いて現れた少年を見る。

 

「…………俺は、ネギでもアスカでもない。そのどちらでもあって、どちらでもない存在。貴様を倒す者だ」

 

 声も二人の声が同時に聞こえるようで、違うような感じ。なのに、不思議と姿にフィットした声だった。

 

「『ネスカ』よ! 二人の名前を足して『ネスカ』! 二人が合体したら高畑先生を倒すぐらい凄っい強くなってるんだから!!」

「そうだぜ! アスカの兄貴のアーティファクト『絆の銀』で合体した二人の魔力は数倍に跳ねあがってんだ! それだけじゃねぇ。アスカの兄貴の戦闘センスと近接能力、ネギの兄貴の知能と遠距離能力が合わさった最強の戦士だ。真祖の吸血鬼にだって負けるはずがねぇ!」

「ほぅ、最強とはまた吠える」

 

 問うたネスカの後ろから首を出したアーニャがその名を叫び、明日菜の肩口に隠れながらのカモの興味深い話を聞いたエヴァンジェリンの顔に凶悪な笑みが浮かんだ。今もビリビリと放たれる『ネギ+アスカ=ネスカ』と呼ばれた男から放たれる桁違いの魔力に肌が震える。

 

「この合体は強力だが長くは続かない。時間切れが来る前に、さっさとやろう」

 

 ネスカは両手を握って拳を作って軽く腰を落すと、中心にして空気の圧力が生まれ、膨大な魔力の生み出す圧力が体内のみならず周囲にも漏れ出した。無色無形の波動。まるで突風だ。辺りが竜巻が起こったかのように大気が荒れ狂う。

 大気を荒れ狂わせ、大気摩擦で雷を生み出すほどのエネルギーに、さしものエヴァンジェリンは目を見開いた。

 

「……ふ……ふふ……ふふふふ……あははははははははは!!」

 

 ただ力を解放しただけでこの圧力。エヴァンジェリンは、ネスカの秘めた力のレベルに眼を見開いて笑う。単純な魔力の総量だけでもエヴァンジェリンの五倍。在り得ぬほどの力の上昇に、歓喜に身が震える。

 

「ヤベェ…………下ガレ、茶々丸。御主人ガマジモードダ」

「了解、姉さん」

 

 エヴァンジェリンの様子から危険を悟ったチャチャゼロの忠告に茶々丸が従って下がった直後だった。本気を出しうる相手だと判断したエヴァンジェリンを中心としてブリザードが吹き荒れ、近くにいるだけで骨まで凍えそうになる。ただの雪風ではない。地上の永久凍土を凌ぐ冷たさで、冥府に吹き荒れる風だ。

 

「川が凍って行く……!?」

 

 明日菜は橋下の川が真っ白な氷の塊になっていくのを驚愕の眼差しで見つめる。エヴァンジェリンを中心として川や橋が突如として凍り付いていく。誰の影響か考える必要もない。あまりにも信じがたい変化だったが、どうしようもなく現実の光景だった。

 

「っ…………ははははははは」

 

 全てが凍り付いた世界で、女王が愉快そうに笑う。体の底から湧いてくるものを一切留めずに、猛々しい笑い声として放出しているようにも思えた。氷の如き声音はそれ故に恐ろしく、如何なる者も膝を折らずにはおかぬ禍々しい響きさえ秘めている。

 

「ネスカといったか。貴様を本気で戦えるに値する男と認めてやろう」

 

 笑いを収めて目の前の敵に観察の目を注ぐ。

 ぞわっ、と見据えられて声が放たれただけで背筋が泡立つようなプレッシャーを浴びて、直接見られたわけでもないのにアーニャの全身に鳥肌が立った。

 

「なによ、この力は」

 

 氷の女王と化した吸血鬼の力が分からぬはずもない。未熟な魔法使いであれば、力の一端の放射だけで当てられて死んでしまいかねない絶後の領域。緊張に強張ったアーニャの頬を冷たい汗が一筋流れ落ちてすぐさま凍り付く。鼻の頭から頬へと白い冷気が滑り、鼻孔の粘膜を痺れさせた。

 

「ありえねぇ。こんなのは予想外だぜ」

 

 カモにとってエヴァンジェリンがここまでの力を隠しているとは考えていなかった。今のエヴァンジェリンは全てが凶器、そんな雰囲気である。だがそれ以上に解き放たれている激烈なプレッシャーの方が凶悪だ。ただそこに在るだけで気圧される。少しでも気を緩めれば戦うことなく勝敗は決してしまうだろう。オコジョ妖精としての本能が逃げろと警告を発している。力に物を言わせて蹂躙し、嬲り、慰み物にされるのは確かだ。

 アーニャ達が無事でいられるのは、ネスカが防波堤となってエヴァンジェリンから放たれる威圧感と雹風を跳ねのけているから。ネスカがいなければ既に失神しているか、下手をすれば恐怖で自ら死を選ぶかしているかもしれなかった。

 

「面白い。最強と謳われたその実力。打ち砕くに足るものだ」

「それは重畳。打ち砕けるものか、存分にその身で学ぶがいい」

 

 二人の会話は、長い時間を経た師弟のそれにも似ていた。しかし、最も異なるのは、その二人を繋ぐ意志であろう。相手を打倒せねばおけぬという、そういう決意の現れであった。

 怯える二人と一匹と違って、獰猛な笑みを浮かべて雹風を跳ね除けるネスカにますます楽しそうにエヴァンジェリンは笑う。少なくとも今のエヴァンジェリンと向き合って戦意を挫けないだけで、彼女にとっては珍しい事であった。

 

「場所を変えよう。ここだと周りを巻き込みかねない」

 

 己に牙剥くものに胸が躍る。闇夜に咆えるその咆哮は、獲物の枠にとらわれぬ、敵と認識できる者と出会えたことへの喜びの声。ふわりと杖もなしに浮かび上がったネスカが橋から凍った川の上に行くのを追いかける。

 麻帆良大橋から十分にとった二人は十メートルの距離を取って向かい合う。ピンと空間に緊張感が張りつめた。どちらも動かない。常人だとショック死しかねない対峙に、それを楽しむようにエヴァンジェリンの唇がユルリと綻んだ。

 

「行くぞ。私が生徒だという事は忘れ、本気で来るがいい」

「御託はいい。かかって来い、エヴァンジェリン」

「貴様も全力で来い。直ぐに終わってはつまらんからな」

 

 己の全てをぶつけようと思ったネスカの宣戦布告に返ってきたのは、どこまでも猛々しいエヴァンジェリンの王者の笑みだった。

 

「では、始めようか。形式に則って名乗らせてもらおう」

 

 言い放った直後、身に纏う威圧感が増してプレッシャーとなって襲ってくるのをネスカは感じ取った。ネスカが対峙するは姿形こそ十歳程度の少女だが、無邪気で可愛い女の子には見えない。そのように非力でも、人畜無害でもない。魔法世界にその名を轟かせる悪の魔法使い。ナマハゲ扱いされる「闇の福音」。

 

「我が名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。不死の吸血鬼なり」

 

 決闘の作法とはまず己が名を名乗ってから始めるのが礼儀であった。そこにいるだけで世界を凍りつかせる氷神の女王となったエヴァンジェリンが、己が名を名乗る。今のエヴァンジェリンに余計な構えは必要ない。氷の女王として君臨するだけでいい。王とは君臨するからこそ王なのだから。

 静かな闘志を総身に滾らせたまま、華奢な矮躯を威容と錯覚させるほどの気迫は、やがて輝く魔力を伴って、彼女の全身を包み込む。

 

「今の俺に性はない。ネスカ、ただのネスカだ」

 

 ネスカの全身が風で覆われて雷が纏わりつく。屈められた肉体がこれから発射する弾丸の弾を思わせる。全身の筋肉が収縮して、今にも飛び出しそうにスタートの時を待っていた。

 エヴァンジェリンとは対照的に、静かなほど魔力が全身に行き渡せて他者を威圧せんばかりの充足振りを見せる。

 

「いざ――」

 

 二人の超上の戦士の闘気が音もなく張り詰め、鬩ぎ合う。感受性の強い者ならば、その気迫に当てられただけでも実際の攻撃に等しいショックを受け、心臓麻痺を起こしていたかもしれない。感受性の低い者でも全身の細胞が必殺の予感に竦み、息どころか脈すらも滞らせるほどであっただろう。

 

「尋常に――」

 

 二人の間で空気が軋む。限界ギリギリまで膨らんだ風船みたいに、強烈な敵意が世界さえも変質させる。

 指一つ動かせば心臓が止まってもおかしくない凄絶なる前哨戦。殺意と殺意が絡まって、互いを蜘蛛の巣のように繋ぎ止めていく。その殺意の戦意には、互いの持つ力という鋭い針さえも混ざっている。迂闊に触れればそれだけで致命傷となる毒針だと誰でも分かる。

 

「「――――勝負!!」」

 

 小さな身体に<力>を漲らせた全身で雄叫びを上げて、声と共に両者が雷と氷を放出しながら突進して一気に距離を詰める。ほぼ中間地点で互いの意志をぶつけ合うかのように正面から激突して凄絶な爆光を散らす。

 アスカが雷と風が迸る右の拳を、エヴァンジェリンが氷を纏う左の拳で受け止めている。

 二人はどちらともが戦闘の主導権を奪うべく相手の拳を押し返そうとしているが、力は拮抗し、交え合う拳の向こから凄まじい閃光が麻帆良の空を彩った。最終ラウンドが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電気が消えたログハウスの家。三軒並んだ最も端のログハウスの窓から顔を出したネカネは耳を澄ました。

 

「もう、戦いは始まったんでしょうか」

 

 戦いの音が聞こえるかと耳を澄ましたが、聞こえるのは風の音のみ。不安になって室内でテーブルの上に今日勝って来たばかりの蝋燭に火を点けている天ヶ崎千草を見る。

 

「知らんがな。てか、なんであんさんはうちの家におんねん」

「こんな真っ暗の中に家で一人でいたら寂しいじゃないですか」 

「うちはあんさんがおらん方がええわ」

 

 大分この一行に毒されて諦めの境地になってきた千草は、ぼんやりとネカネが開けている窓から入って来る風に揺れる蝋燭の火を見つめた。

 

「そんなこと言わないで下さい。アスカ達のクラスに幽霊がいたって話で、家にやってきたら怖いんです」

「魔法使いやのに幽霊怖いってなんやねん」

 

 魔法使いでは幽霊は珍しいのか、と思いつつも力のない突っ込みを入れる。

 陰陽師なんて昔から悪霊とか悪鬼とかと戦う職業なので、千草は世間の女性のように幽霊を怖がることはしない。高校などではネカネのように頼りにされて、夏の風物詩である肝試しで意中の相手がいない同性に縋りつかれた物である。そう考えると、今と随分変わっていないような気がして地味にへこんだ千草だった。

 

「心配やったら一緒に行ったらよかったやん」

 

 その方が清々する、とまでは流石の千草も言わなかった。本当なら教師はこの停電の時間は学園内の見回りをするのだが、新任であることとこの地域を任された本当の意味を知っている千草は家から一歩も出ずにボーッとしていた。

 

「邪魔だから来んなってアスカに言われちゃいまして」

 

 てへ、と舌を出したネカネは可愛くなくもない。

 

「来んな、来るなよ、絶対だからなって、これは実は私に来てほしんでしょうか?」

「あの子は一日に一度はボケなあかん体質やから、多分言うてみただけやろ」

 

 ネタ提供は早乙女や明石辺りかな、と半月付き合って大体のクラスの面子の性格を読み切った千草は、うずうずとしてドアに向かおうとしたネカネの襟首を掴んだ。

 えー、と不満そうなネカネを引き摺ってダイニングに座らせる。

 

「しかし、アンタの弟妹は変な子やな。うちやったら大金積まれたって闇の福音と戦いたくなんてないわ」

 

 魔力開放状態のエヴァンジェリンと戦ってくる、と言ったアスカの熱を思わず測った千草は、聞いた当時の混乱と今でも理解できない心情に疑念を口にした。

 

「あの子達、というかアスカとネギだけですけど、二人には強くならないといけない理由があるんです。今回の戦うのもそれが理由の一つなんですよ」

 

 少ししんみりとした様子のネカネの表情は、蝋燭の火に照らされた儚げに見えた。

 いらんことを聞いたと、蝋燭の火だけが照らす暗闇の中だと口が軽くなってしまうことを自覚した千草だった。

 

「あ、長い昔話はどうでもええから端折って端折って」

 

 こんな暗い部屋で暗いと分かる話をされるのは気が滅入る。しかも、明らかに長そうな話をしそうな雰囲気をネカネが醸し出しているので、千草は巻きでお願いしますと頼んだ。

 

「…………千草さんにはわびさびが足りないと思います」

「まさか外国人にそんなことを言われるとは思いもせんかったわ」

 

 少し傷ついたネカネの切り返しに千草は胸を抑えた。半月も一緒にいて大分慣れたので直ぐに持ち直したが。

 

「五十字ぐらい纏めるか、五・七・五でもええで」

 

 無茶振りをして、実は聞く気のない千草だった。

 顎に手を当てたネカネは暫し考えるように風で揺れる蝋燭の火を眺めつつ口を開く。

 

「六年前に父・出会って助けられ・憧れました。小さなつは見逃して下さい」

「よう、纏めたな」

 

 まさか冗談で言った俳句バージョンで纏めて来るとは予想の範囲外過ぎて震撼した千草だった。

 逆にその短い単語から悟れとネカネの目から逃れるように顔を逸らしても纏わりついて来て、教師になって初めてというほどに頭を必死に回転させる。

 

「確かあの二人の父親って魔法世界の英雄やったな。十年前に行方不明になって死亡扱いになってるとか」

「ええ」

「ということは、実は生きてた父親に六年前に助けられてから憧れてるってところか」

 

 分かるとしたらそれぐらいだ。六年前に助けられるような何かがあったことは想像に難くない。が、千草は聞かない。

 

「今日の試合の結果で、高名な魔法使いであるエヴァンジェリンさんに弟子入りさせてもらうかが決まるんです。ナギさんに追いつくんだって、頑張って背中を追っている最中なんです」

「ふ~ん、ならアーニャの方はどうなん?」

「あの子はまた別で……」

「まあ、言い難いなら別に聞かんよ」

 

 仲の良さそうな三人組にも色々あるんだな、と思うだけで、人の家庭に首を突っ込むのは野暮と考えている千草は無理に問い質さなかった。

 十分に巻き込まれつつある気もするが、最後の一線は守ろうと必死な千草である。

 ふと、思いついたように開きっぱなしの窓の向こうから外を見て、今日来たばかりの子犬のことを思い出した。

 

「そういや、小太郎が遅れて出て行ったけど、何しに行ったんやろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネスカの視線の先でエヴァンジェリンは凄まじい勢いを得て荒れ狂っていた。彼女が跳ぶだけで地面が砕け、動くだけで風が割れた。一撃の重みは地球上に存在するあらゆる生物を凌駕し、動きの鋭さは如何なる想像の生物を超える。

 拳を、蹴りを、刃を交わす。大気を切り裂き、互いの魔力の煌めきが線となって空間に傷を刻む。対峙する二人は目まぐるしくお互いの位置を入れ替えながら移動を繰り返し、今は空中数百メートルの位置にいた。

 

「「…………ッ!」」

 

 お互いに無言。己が決めたことを成すべく体を動かすことのみに集中する。

 

「「っ!」」

 

 拳戟が交錯して、気合の咆哮が衝突する。互いに防御した腕の向こう側に険しい顔がある。気合いのぶつかり合いが空気の密度を変化させ、視界を歪ませる。

 戦況は、今のところ見た目は互角。

 経験と技量ではエヴァンジェリンが、魔力量による性能と手数でネスカがそれぞれ勝っている。だが、あくまで戦況に注視した状況である。二人の状態には明らかに差異があった。エヴァンジェリンの経験を、五倍もの魔力の差で切り抜けているが、何度となく交差し合う度にネスカの服が切り裂かれ破れ血飛沫が舞う。

 天秤がゆっくりと傾くようにネスカが劣勢に追い込まれていく。傷つくのは常にネスカの側で、エヴァンジェリンには一度たりとも有効な攻撃を加えられなかった。

 

「――――」

 

 顔を上げて身構える。先に次の行動に移るのが早かったのはネスカの方だった。

 拳を握り締めたネスカが弾丸となって走った。渾身の右ストレートというより、それはもう拳からぶつかっていくタックルみたいなものだった。超絶的なスピードと体重がそのまま破壊力になって、余裕を見せつけるように立っているエヴァンジェリンの鳩尾にめり込む―――――

 

「狙いはいい。何の躊躇もなく必殺の一撃を繰り出すのもまだいい」

「――――っ!?」

 

 拳に返る手応えがあった。腹を深々と抉っているにも関わらず、エヴァンジェリンには効いた様子がない。

 

「が、殺気が出過ぎるのは防ぎやすいぞ」 

 

 唐突に背後に沸いた気配にネスカは即座に振り返る。振り返った瞬間、左頬に強烈な右フックを受けた。氷を極限にまで固めたような感触が頬に残り、冷たい感触が心臓にまで走って、首が千切れる飛びそうなほどの衝撃に意識が遠退きかける。

 傾斜する身体を気力で支え、先程まで前だった背後を見た。

 背後にはネスカの拳が腹部に食い込んでいたエヴァンジェリンが瞬く間に色を失って氷柱と化し、拳がめり込んだ部分を起点に全体に罅が広がっていく奇妙な光景を。氷で作られた虚像、フェイクだ。

 間もなくネスカはこの絡繰りを理解した。実に単純、背後に倒れているのは偽物で、今ネスカを殴りつけた少女こそ、本物のエヴァンジェリンであるという答え。目と鼻の先の距離で戦いながら敵に入れ替わった瞬間を気づかせぬ妙技に、戦闘の最中であっても感嘆せずにはいられない。

 

「こうやって攻撃を読まれ、逆に利用されもする」

 

 エヴァンジェリンは右腕を戻す勢いのままに、回転を活かして腹部を抉り上げるようなアッパー気味を見舞う。体勢が崩れるのを気力で支えるのが精一杯だったネスカに回避や防御が出来るはずもない。

 無防備な腹部に小さな、されど絶大な破壊力を有した拳が深々と食い込み、ネスカの身体はくの字に折れ曲がる。

 

「――げ、っは――」

 

 鋼鉄にも勝る今のエヴァンジェリンの拳は、天然で最も高い物質であるダイヤモンドすら飴細工のように砕くことだろう。胃の中身どころか打たれた部分が千切れて消し飛んでしまったかのような振動が走る。痛みすらも越えて突き抜ける衝撃が下から突き上げる。

 

「利用されれば絶大な隙を生む」

 

 そこへエヴァンジェリンが短い呼気と共に拳から先が凍り付いた右腕を突き出し、撃ち放たれた拳銃の弾のように右頬に向かって発射された。ネスカは凄まじい速度で吹き飛び、眼下の氷河にめり込んだ。

 

「……うっ、く……」

 

 口から洩れる微かな呻きが、ネスカの生存を伝える。だが、ダメージが深すぎて氷河にめり込んだまま直ぐには動けそうになかった。

 絶好の隙を見せるネスカだがエヴァンジェリンは追撃をしなかった。ゆっくりと氷河へと降りて来る彼女の眼は前ではなく手元を見下ろしている。その手は氷が削れて一ミリ程度だけ地肌が見えていた。

 

「完全に防ぐのは難しいと見てダメージ軽減に務めた手際、今のには及第点をやろう。こんな状況に陥っている時点で合格点にはまだまだ遠いがな」

 

 あの一瞬で回避も防御も不可能と見たネスカは、少しでもダメージを和らげるために攻撃を受ける右頬にピンポイントに風を生み出した。エヴァンジェリンは自ら風に手を突っ込むように攻撃したのだ。その場凌ぎの風に氷を削り切るだけの威力はなく、氷が突き破ったが従来ほどの破壊力はなかった。まだネスカの首が折れていないのはそのお蔭だった。

 土壇場の機転で命を拾ったネスカに対するエヴァンジェリンの評価は辛い。

 

「それはどうも!!」

 

 ダメージを回復して氷河から抜け出たネスカの姿が掻き消えた。何重にもフェイントをかけて、間近に迫ってからの瞬動で視界の外からの強襲。

 エヴァンジェリンはネスカを見ていない。これは決まるかと思われたが。

 

「!?」

 

 一撃必殺の光景を脳裏に思い描いていたネスカの視界が不意に回転した。この至近距離から最高速のチータを凌ぐ速さで繰り出した一撃を、エヴァンジェリンのマタドールめいた紙一重の動きでいともあっさりと躱され、しかも伸ばしていた腕を搦め取られた。

 

「空?」

 

 如何なる妙技か、腕に羽毛が触れたと感じた瞬間には宙を舞っていた。視界が空を向いて始めて自分が投げ飛ばされていることに気がついた。心技体が高位次元で融合された技は達人の名に恥じない技量を示す。

 

「くっ?!」

 

 このままでは無様に顔を地面に付ける。その瞬間にネスカの敗北が決定する。それだけはならないと体を丸めて回転する。更に捻りも加えてエヴァンジェリンの背後を見るように両手を地面に着いて着地した。

 エヴァンジェリンが無様に背中を取らせるはずがないとのネスカの予測は正しかった。膝を伸ばす前からもう振り返りかけている。次の行動はこのままではエヴァンジェリンに先手を譲ることになる。

 回転を増したことで体は僅かに前のめりに。体重は氷河に着いた両手にかかっている。これは次の行動へ移るための布石。如何なる体勢になろうとも次の行動の先手を奪われると戦闘センスから導き出したネスカが出した答えは回避。四肢に力を込めて後方に跳躍。エヴァンジェリンから距離を空けようとした。ところが、五足は必要な距離を空けて着地したネスカの直ぐ目の前に、何時の間にかエヴァンジェリンが迫っていた。この行動すらもエヴァンジェリンは織り込み済みだったようだ。

 

「下策だぞ。もっと距離を取るか逆に攻撃に出るのが賢い選択だ。下手な距離は追撃の憂き目に合うと知れ」

 

 深く踏み込みながら鋭く右足を振り抜く。無造作かつ強烈な前蹴りが、ネスカの胴体を捉えた。

 

「ぐっ……!」

 

 ネスカの体が再度宙を飛ぶ。今度は宙を舞うのではなく、平行に滑空して砲弾のように飛ぶ。

 

「――ぐはッ! なんて馬鹿力……!?」

 

 数百メートルを一瞬で踏破して、氷河の上をゴムのボールか何かのように跳ね転がる。左の手で大地を叩いて勢いを殺し、そのままバネ仕掛けの人形のように無理矢理に身を起こす。

 

「失礼だぞ、こんな可憐な少女を捕まえて馬鹿力などと」

 

 身を起こしたネスカ目掛けて、間にあったネスカが削った氷河の欠片を気にもせず、飛来する金髪の悪魔エヴァンジェリン。障壁で自動的に弾き飛ばしてくれるといっても全く臆さない心根は驚嘆に値する。

 

「こんなことが出来る奴がほざくな!」

 

 皮肉を返しながら間一髪でその場を飛び退いた。直後、魔力が篭った蹴りで粉砕された氷河が爆砕する。多数の氷塊と氷の粉塵が舞い上がり、二人の視界を覆い隠す。瓦礫に巻き込まれないように距離を取ったネスカ目掛けて、粉塵を縫って氷の塊が飛んできた。時間差を考えてエヴァンジェリンが投げたと考えるのが自然か。

 避ける間もなく直撃した。防御したといってもかなり強烈な衝撃だった。経験したことはないが、生身でトラックにでも轢かれたら同じ感覚を味わえるかもしれない。今回は障壁で遮られたことで大半の威力を削がれたことで衝撃程度で済んだ。

 己に当たった氷塊が砕け、視界が戻る。粉塵も晴れてきたが、見えた物に思わずギョッとしてしまう。浮遊術で宙を浮くエヴァンジェリンの周りに浮かぶのはネスカの身長以上の大きさで二メートル、三メートルはありそうな氷塊の数々。魔力反応などは感じないので、氷塊に僅かに食い込む跡とエヴァンジェリンの持つ人形遣いの技能から岩石を浮かべているのは『糸』と予測した。

 

「ほらほら、次が行くぞ!」

 

 それらを行使して次々と宙を舞う岩石は凄まじい風切り音を立てて飛んでくる。間近に迫る氷塊は工事現場で見かけるクレーン車、あれが解体用の鉄球を振り回すような感じに思えた。防御もなく受けたところでダメージは殆どない。しかし、受けた衝撃で僅かな隙が生まれかねず、エヴァンジェリン相手では絶大な隙となりえる。

 ネスカが取った行動は回避と粉砕。平原を駆ける豹の如く走り、跳んで、避け続ける。鋼のように堅牢な肉体で氷塊を敢えて受け止め、逆に粉砕する。常人が当たれば容易く命を奪われる凶弾が実は石灰石製だと言わんばかりにあっけなく砕け散った。

 氷原で戦うのは不利だと、ネスカは大きく飛び上がって上昇する。

 

「ふふふ、誇るがいい。今の私とここまでやり合える奴は世界中を探してもそうはいないぞ」

 

 ネスカの後を追いながら、自分と対峙してここまで保つ魔法使いは数えるほどだとエヴァンジェリンの本心からの賞賛をする。

 

「やり合えるだけで負ける気は更々ないと、そう言いたいんだろ」

「傲慢になってこその最強だ」

 

 雲に突入し、視界が利かなくなる。ゾクッと身体が消えた瞬間、上空から近づいて来る気配を感じてネスカは顔を上げる。白一色に包まれた世界が直に元の色を取り戻した時にはエヴァンジェリンが急接近していた。

 逃げようもなく捕縛される。エヴァンジェリンがネスカを振り回した。細腕に似合わない吸血鬼の怪力だ。反撃の隙を窺うどころではない。目まぐるしく視界が回転し、衝撃に耐えるので精一杯。最後に一際力強く吹き飛ばされた。

 肉体への衝撃もさることながら、雲が弾き飛んで見上げる先にいるエヴァンジェリンとの厳然とした力の差が横たわっていることに慄然とせずにはいられない。

 

「だが、これも座興よ。少しは言葉で戯れるか」

 

 と、言葉で言いながらも全身から凍り付くような魔力を発してネスカを圧そうとする。

 

「ぬんっ!」

 

 負けじとネスカも全身から魔力を発して弾き返す。氷風と雷風が二人の中間点で勢力を奪い合うかのように、行ったり来たりを繰り返す。

 

「見事と言おう。例えアーティファクトの力であったとしても、若輩の身でありながらこれだけの強さを身に着けたことは賞賛に値する。先の前言は撤回しよう」

「謝罪は無いのか?」

 

 エヴァンジェリンが空中で腕を組んでいるだけ。なのに、存在するだけで世界を凍らせていく。今のエヴァンジェリンを語るには氷結の女神で十分。神話に登場する氷神が彼女であると言われても信じられよう。

 

「謝らせたいのなら私を這い蹲らせて見せろ。私に勝たずに命令するなど片腹痛いわ」

 

 前言撤回が最低限の譲歩のライン。傲岸不遜にどこまでもエヴァンジェリンは女王として君臨する。この場合ならば氷神としてか。

 

「改めて言おう。見事だ。この私がここまで手放しに賞賛することは滅多にないのだ。光栄に思うがいい」

 

 力比べを楽しむように互いの境界線でぶつかり合う氷風と雷風の趨勢を楽しそうに見遣り、視線をネスカの両耳で絶え間なく揺れている銀のイヤリングへと移す。

 

「絆の銀か。さしずめ、装着者を合体させて能力を強化・付加するタイプのアーティファクトと見た。能力の上がり具合から考えて、装着者達の相性や能力が近いほど上げ幅も大きい。違うか?」

「……………」

「双子という最も近い存在。戦闘適性が近接と遠近と別れていることも相まって、一人の時よりも遥かに戦闘力が上昇している。成程、大言を吐くだけの要素はあった」

 

 的確に見切られたことにネスカは沈黙を以て肯定する。

 エヴァンジェリンと違って、パッと見で分かるほど青筋を浮かべて力を溢れ出すネスカとの対比がより鮮明に浮き彫りに出る。時間をかければ、これだけで勝敗を決することも出来るがエヴァンジェリンの求める決着のつけ方ではない。

 

「力比べも面白いが、このまま決まっては面白みに欠ける」

 

 フッ、とエヴァンジェリンは自らの知識欲に一定の満足を与えると、言葉通り力比べを行っていた魔力放出を抑えた。当然、ネスカの雷風が迫るが闘牛士のように華麗に躱し、離れていた距離を真正面から詰めて来た。

 まさかの真正面からの特攻に、ネスカが力の放出を抑えた時には既に近づかれていた。迎え撃つしかない。

 

「勝手すぎるっ!」

 

 エヴァンジェリンの氷そのものの拳を迎撃するように、雷を纏った拳で迎え撃つ。

 

「それが私というものだ!」

 

 刀を持っているなら鍔迫り合いというべき最中にも、互いに寸余の間合いに適応した技の応酬がなされ、小さな衝突が火花となって二人を飾る。

 攻防が数十打を数えたところで、これでは埒が明かないと同時に考えた二人は一度その場を離れ、今度は遠間に対応した魔法の射手が放たれ、お互いに牽制をし合う。

 

「受けて見せろ!」

「やってみせる!」

 

 通常ならば回避できない一撃――――知覚すらできないそれをネスカは受ける。アスカが持っている直感能力をネギが頭脳が補強して、致命の一撃すら受けることを可能とする。だが、それまでだ。

 耐え切れずに吹き飛ばされて瓦礫の一つに着地し、踏み潰して跳ぶ。

 何度目かも分からない衝突。乱れ飛ぶ閃光。勢いのままに絡み合いながら吹っ飛び、その中で繰り広げられる火花散る応酬。繰り返し、繰り返し、そして繰り返す。

 

「っ、行くぞ!」

「来い、ネスカ!」

 

 ネスカの高速機動がトップスピードに乗り、エヴァンジェリンはあと一歩追いきれないので魔法の射手で牽制しつつ細かく攻撃を入れていた。

 人の頭程度しかなかった氷の矢は空気中の水分を吸収して、それらを瞬時に凍らせ、あっという間に巨大な氷塊の矢へと姿を変えていく。しかし、轟音を伴って飛ぶ氷塊の矢よりもトップスピードに乗ったネスカの方が早い。

 

「ちっ、向こうの方が早いか」

 

 氷塊の矢を、予め軌道を先読みしているように避けるネスカの背中にエヴァンジェリンは舌打ちをした。

 ネスカが天翔け、空中でステップを刻む。時にアクロバティックな曲芸飛行。時に最高速度を振り絞る全力飛行。様々な技巧を駆使して、エヴァンジェリンの攻撃を回避。音速を躱す異常な速さ。まさに神速と言おうか―――――単純なスピードではネスカが上だろう。

 距離が開くかといえばそうでもない。エヴァンジェリンが大威力魔法を使おうとすると、まるで予知していたように距離を詰めて来るのだ。

 遠距離では勝ち目がないことを悟っているネスカの素早い機動と回避機動がそれを許さず、遠間に離れきることをさせずに近・中距離の状況が続いていた。

 エヴァンジェリンの戦闘スタイルは「魔法使い」である。しかし、強くなってくればこの分け方もあまり関係がなくなってくる。得意なのが遠距離だからといって決して近・中距離が苦手だということはない。

 エヴァンジェリンにはネスカが未だ及ばない経験によって裏打ちされた熟達と練達は、近・中距離でもネスカを圧倒していた。確かに単発の大技ならば一瞬だけ圧倒出来るかもしれない。しかし、それで勝てるほど甘い相手でないことも、今のネスカには理解できていた。

 

「一点突破する」

 

 ネスカは両手をしっかりと握りこむと、自ら向かってくる氷塊の雨へと突っ込んで行った。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 風の精霊512人 集い来たりて…………魔法の射手 連弾・雷の512矢!!」

 

 放った魔法の射手が開けた間隙に飛びこんでいく。しかし、氷塊の雨の前に512程度では足りない。それでも怯まずにネスカは飛びこんで行った。

 自ら突っ込んだことで相対的に感じる物凄い速さで迫り来る氷塊を次々と打ち砕いていく。その度にガツンガツンと、全身に衝撃が走った。常人ならば………………魔法使いですらその一つすらまともに打ち砕くことなど出来ないだろう。

 もう少しで氷塊の矢の群れを突破しようとしたネスカの背に鳥肌が立った。ゾワリと戦慄が走り上を見上げた時、エヴァンジェリンは斜め上、前方の障害を打ち払って突き進むことに邁進していたネスカでは到達するのにワンクッション必要な位置にいた。

 

「目の前の事だけに気を取られていると直ぐに終わるぞ。もっと周りに気を配れ」

 

 紫色の燐光を放つ手を振るうと、空に広がった膜が一斉に波紋を広げた。ネスカが破壊した魔法の射手とは呼べない巨大な氷塊の矢の残骸が大気中の水分を付加して、空を埋め尽くさんばかりの氷晶の弾丸が形成される。

 二流は環境の変化に対応できない。一流は、それに逆らわない。そして、超一流は、それを利用する。いくら超高位魔法使いであろうとも環境を存分に使うのを見れば反則としか言いようがない。

 

「抗ってみせろよ、小僧。私を失望させてくれるな」

 

 何百何千という超高圧の氷晶の弾丸が、上空から爆発するように打ち下ろされた。元より前進に全力を込めていたので急角度の方向転換は出来ない。ならば発想の転換とばかりに愚直に突き進む。

 全身に雷風を纏って氷晶の雨の中を舞うように踊り狂う。進行方向にある氷晶の弾丸を拳で当たるを幸いと言わんばかりに超えていく。

 

「強い! これが闇の福音の実力……っ」

「まだまだこんなものではないぞ」

 

 砕けきれなかった氷晶の弾丸が身体を傷つける。全身に傷を負いながらも氷晶の弾丸を突破した先に、先回りしていたエヴァンジェリンが回り込んでいた。

 

「ちっ」

 

 舌打ちをしたところで事態は好転しないと分かっていてもしてしまう矛盾。再三の攻撃によって止まれるはずもなく、かといって弾き飛ばそうとするネスカの思惑通りに進むはずもない。放たれようとしている蹴りの動作を前にして、一か八かの賭けの行動に勝敗を託せるほど無謀でもなかった。

 

「ぐあっ」

 

 腕を掲げて辛うじて間に合った防御であったがダメージは大きい。全力で前方に突き進んだ運動エネルギーと今のエヴァンジェリンの攻撃力が合わさって、蹴りを受けた腕が捥げていないのが不思議なくらいだった。

 

「どうしたっ! ここは貴様の距離だろう!」

 

 エヴァンジェリンの叱咤が後ろ向きに空中を滑空しながら聞く。強大過ぎる存在感が全方位から押し寄せ、汗みずくの肌を冷たく刺激する。

 敵を見失うな。食らいつけ。追われる側ではなく、追う側に回らなければ勝ち目はない。ネスカは遠距離が本分であるはずのエヴァンジェリンを得意な距離なのに仕留めることができない。戦況を有利に進めるどころか少しでも気を抜けば負ける、と肌で感じていたからこそ、距離を離さず必死に食らいつく。

 二人の速度差が絶対的なものではなく、戦術で覆せる速度差であることも感じ取っていた。

 

「言われなくてもっ!」

 

 ネスカは空中を蹴ってエヴァンジェリンに向かって飛び掛かろうとした。

 当のエヴァンジェリンは空中で止まり、ネスカに向けて開いていた手の平を今まさに閉じようとしていた。その動作の意味が解らず、止まっているよりはマシだと判断しかけたネスカの背筋に盛大な悪寒が走り抜ける。

 

「っ!?」

 

 悪寒に従って急制動をかける。進みかけていた慣性を無理矢理に止めたことで、全身と停止に振り回された内臓がシェイクされる。腹の底から湧き上がった衝動を呑み込んだところで、エヴァンジェリンが手の平をグッと握った。すると空中の水分が瞬時に凍結して氷の矢を無数に生み出す。エヴァンジェリンまでの二十数メールまでを、ネスカを中心として形成される密集した包囲網。

 

「この網の中を超えて来られるか?」

 

 蟻が抜け出す隙間もないほど埋め尽くされたネスカに向けて嘯き、一度頭上に差し上げた手を大きく振るった。

 絶対の包囲網を形成する氷の矢達が一斉に動き出す。直接的に空中を駆け巡りながら、途中で鋭く方向を変えて前後左右上下、四方八方からネスカに襲い掛かった。凄まじい速度と威力を内に秘めた氷の矢に、障壁や防御など必死の行動の甲斐もなく、殆ど一瞬にして中心にいるネスカへと殺到する。

 逃げるでもなく受けるでもなく、全身に雷を纏ったネスカは足を止めて顔の前で腕をクロスさせた。

 

「はぁっ!!」

 

 気合一閃。全身から魔力を噴き出して乱気流を発生させ、氷の矢を打ち砕く。

 砕かれた氷の矢から生まれた噴煙が辺りを覆った。もうもうと舞う氷の細かい欠片を振り払いながら、粉塵の向こうにいるエヴァンジェリンを睨みつける。

 キィィン、と粉塵の向こうから間近で聞いたら耳が痛くなるような音が微かに聞こえた。はっ、と上空に気配を感じてそちらを見やると、粉塵を切り裂く紫色の魔力刃を纏った手刀を振り下ろすエヴァンジェリンの姿。

 

(なんだ……?)

 

 魔力刃を受け止めるために防御の構えを取ろうとしたネスカの脳裏に最大限の警鐘が鳴り響く。魔力刃が撒き散らす冷気が背筋に怖気を誘う。頭では受けようと考えていても鳴り響く警鐘に従って体が勝手に回避動作をした。

 斬、と魔力刃を纏った手刀が振り下ろされるのを飛び退いて躱す。整合性の取れない回避でははやり動きが鈍い。体勢を崩してしまった。そこに突きを打ち込まれる。右にも左にも前にも動けない。仕方なく後ろへ。背中から倒れこむようにして逃げる。

 氷原に仰向けに倒れたネスカと、手刀を突き出した格好のエヴァンジェリン。

 ネスカは倒れた体勢から足を繰り出した。ブラジルの格闘技カポエラのような、下からの蹴り技だった。狙いはエヴァンジェリンが手刀を繰り出した腕の肘。ここを砕くことが出来れば―――――その願いも虚しく咄嗟に腕を上げられてこの蹴りを外された。

 そしてすかさず、切り下ろしの一刀。慌てて無様にも氷に塗れながら横に転がり、避けた勢いのまま立ち上がるネスカ。

 

「断罪の剣か!」

 

 見たものは深々と地面を抉りながらも、突き刺さるのではなく地面を消し飛ばした跡。それだけでエヴァンジェリンの魔力刃の正体を看破した。

 

「正解だ。そして受けずに避けたのもな」

 

 断罪の剣――――ラテン語で「死刑を執り行う剣」を意味する言葉。物質を固体、液体から気体へと無理やりに相転移させることによって攻撃する魔法。エヴァンジェリンほど高位の術者でなければ、これ程の魔法を使いこなすことはできない。

 生物であれば魔法抵抗に失敗した時点で気化されてしまう魔法。無策のままで受けるには分が悪過ぎた。

 

「やるじゃないか、ほんとに………ここまで楽しめるとは正直思わなかったぞ。だが、この程度で終わっては詰まらん。私をもっと楽しませてくれよ?」

 

 間違いなく賞賛の笑みを浮かべたエヴァンジェリンの紫色の魔力刃を纏った手に注目していたネスカは悪寒を感じて飛び退いた。刹那、エヴァンジェリンが前に出た。動いた素振りもないのに、一瞬前までいた位置からネスカがたった今までいた場所を薙ぎ払うように手が振るわれる。

 

「くっ」

 

 ネスカの身体が、本能的に危険を察知して動く。単純な技だったが、単純なだけにネスカは完全に間合いを見切ることができなかった。うっすらと頬に薄赤い斜めの筋が浮かび上がる。

 

「このぉオオオオオオ!」

 

 ネスカも負けていなかった。瞬時に右手に生み出した風の剣を上段から振り下ろした。

 これは避けられたが、エヴァンジェリンが僅かに姿勢を乱した隙をついて、ネスカの右膝が相手の腹部目掛けて跳ね上がっていた。腕をクロスして防ごうとしたエヴァンジェリンは、しかし予想を超えるネスカのパワーに、そのまま後方へと吹っ飛ばされる。

 

「パワーは奴の方が上。忌々しいが認めるしかあるまい。しかし、戦いとはパワーだけで決まるものではない」

 

 そのままトンボを切って勢いを殺しながら、エヴァンジェリンはネスカに向けて無詠唱で魔法の射手・氷の17矢を放った。

 ネスカは魔法の射手・氷の17矢を横っ飛びで躱すと右手に魔力を集中し、エヴァンジェリンに向かって突撃する。

 

「うおおおおおおおお!」

「チッ」

 

 エヴァンジェリンは舌打ちすると、虚空瞬動で空を蹴ってネスカの攻撃を躱して距離を取った。

 

「ふっ」

 

 ネスカは鋭い呼気と共にエヴァンジェリンの追って宙を飛ぶ。早口で口の中で詠唱を唱えると、ネスカの姿は幾重にも連なる複製を作りだした。

 

「風で光の屈折を変えてオリジナルと遜色のない16体の風精を瞬く間に生み出すか。ネギ坊や単体よりも処理能力が上がっているが、なんとも芸が細かいことだ」

 

 目で追えない速さではなかったにも関わらず、エヴァンジェリンは即座に見破った。中堅なら確実に、上位の者でも高速戦闘中という条件下ならば偽物に引っ掛かるであろう完成度。ここにいるのは六百年の長きを生き、世界の最上位に位置する魔法使い。術の綻び、空気を切り裂く音加減、幾多の戦場を渡り歩いた経験から、どれが本物かエヴァンジェリンは一目で見抜く。

 偽物に踊らされず、本物のネスカに過たず肘打ちを咬ます。

 

「ぐわっ」

 

 ネスカの身体がくの字に折れて吹っ飛ばされると同時に風精が消し飛んだ。弾丸の勢いで吹っ飛ばされたネスカを追ったエヴァンジェリンが上空に掲げた右手に氷が収束して行く。

 氷神の戦槌――――巨大な氷塊を作り出し、相手にぶつけて攻撃する魔法氷塊を作り出し、操るというのは低温を扱う魔法としては単純なものであり扱う質量が大きいという点を除いて、さほど高位な法ではない。だが、決して無詠唱で発動できる魔法ではない。断罪の剣と同じく無詠唱で発動している時点でエヴァンジェリンの技量が窺える。

 

「それ、行くぞ!」

 

 未だに肘撃ちで吹っ飛ばされて滑空を続けるネスカに向けて、吸血鬼の怪力に任せて思いっきり投げつけた。

 

「っ?!」

 

 氷神の戦槌は、扱う質量が大きいという点を除いて、さほど高威力な魔法ではない。しかし、これだけの質量に押し潰されれば無事ではすまない。

氷石が自分に向かってくるのに気付いたネスカは、慌てて虚空瞬動で大きく右に弾んでそれを躱した。

 氷塊はギリギリでネスカの眼の前を通り抜けるも、エヴァンジェリンがネスカの体勢が崩れたところを狙って加速した。氷石を避けるために姿勢を崩したネスカは、完全にそれを躱すことができなかった。出来たのは少しでも致命打を避けようと体を捻ることだけ。

 

「ぐっ……」

 

 エヴァンジェリンの魔力が篭った拳が僅かに肩に掠め、ネスカは堪らず吹っ飛んでいた。と、空中を疾走するエヴァンジェリンに向かって飛来する魔法の射手があった。ただ避けたのではなく、ネスカは攻撃を受ける前に魔法の射手・風の37矢を放っていたのだ。

 

「……ふん」

 

 素早く目を動かしてその存在に気付いたものの、エヴァンジェリンは魔法の射手を躱そうとすらしなかった。なぜなら躱す必要などなかったからである。魔法の射手は、まるで見えない壁に阻まれたようにネスカに命中する寸前、全て出力を上げた障壁に弾き飛ばされた。

 

「チィッ!」

 

 体勢を整えてその光景を目にしたネスカは何度目かの舌打ちをした。牽制のつもりで放った魔法の射手だが、躱す素振りもないのでは放った意味すらなかった。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 氷の精霊1024頭 集い来たりて敵を切り裂け」

 

 何時の間に接近していたのか、エヴァンジェリンが詠唱すると周囲に氷の刃が幾つも現れる。

 

「魔法の射手・連弾・氷の1024矢――ッ!!」

 

 エヴァンジェリンがまるで軍団を指揮する将軍のように腕をネスカに向けて詠唱を終えると、標的に向かって魔法によって生み出された氷の矢が飛来する。

 魔法の射手は攻撃魔法としては最も基本的な技である。単純な、攻撃呪文としては初歩の初歩、最も簡易なそれでさえ、突き詰めれば絶大な破壊力を持つ。否、むしろ単純過ぎる程にシンプルな術であるからこそ、スペックの高さを活かせるのだ。

 基本の攻撃魔法でありながら予測のつかない動きでネスカを狙い、1024もの魔法の矢が鋭利な氷の刃となってで切り裂こうとまさに雨の如く降り注ぐ。

 

「風盾――ッ!」

 

 全ては躱しきれないと見るや、ネスカは蜂の巣になる寸前に突き出した掌から素早く風の盾を張った。音速に近い速さで殺到する無数の氷の矢は、その風に触れるや、一瞬の内に削り取られる。

 4分の1がネスカに襲い掛かり、残りが辺りを覆い尽くす。穿ちに来る氷の雨に対処する方法は一刻も早く去ってくれるようにと祈ることだけだった。

 

「ホラホラ、次行くぞ! 魔法の射手・連弾・氷の199矢、魔法の射手・連弾・闇の101矢、魔法の射手・連弾・氷の59矢、魔法の射手・連弾・闇の179矢、魔法の射手・連弾・氷の214矢、魔法の射手・連弾・闇の151矢!!」

 

 エヴァンジェリンの攻撃は際限のない雨だった。基本攻撃魔法とはいえ、ここまでくれば大魔法と変わらない。

 降り注ぐ氷弾は爆撃と何が違おう。その一撃一撃が必殺の威力を持つ魔法を、エヴァンジェリンは詠唱・無詠唱と氷・闇の別属性を織り交ぜて矢継ぎ早に、それこそ雨のように繰り出していく。それがどれほど桁外れなのか、曲がりなりにも魔法を使える以上、ネスカにだって理解できる。

 

「っ……!」

 

 これは受け切れぬと判断したネスカは、あらゆる方向から異なる軌道で迫る魔法の射手に対し、魔力を纏った双拳で的確に弾き、時には紙一重の機動で回避しながら空を疾走する。一切の容赦も情けも無い、殺す気で放たれる魔法の射手の弾幕は最早、嵐の時に振る雨の如く降り注ぐ。

 

「なんて反則っ!」

 

 逃げても逃げても追ってくるほどの優れた誘導性はなくても十分に脅威になる数が飛来してくる。例えるなら弾切れのない何丁ものガトリングガンに狙われているようなものだ。それも砲身が存在しないのでどこからどこへ弾が発射されるのか分からないという素敵仕様。エヴァンジェリンの背後にある数十のガトリンガンが無造作に自分に撃たれるのを想像すれば分かり易いだろう。

 まるで網の目のように激しく襲い掛かる氷と闇の光条の群れ、その悉くを鋭角的な動きで躱していく。ネスカは弾き、躱した魔法の矢が雲を抉り、凍らせて砕けていく。理不尽ではない最早反則の域に抗い続ける。

 ネスカほどの高速機動と神憑り染みた直感による回避能力があれば、捌き方はいくらでもある。だが、この数でなければの話で、どんなことにも限度がある。今は必死になって避けなければならない。

 ネスカはエヴァンジェリンが戦闘功者であることを一時的に失念していた。幾ら不意をついたからといって魔法の射手が牽制以上の意味があるはずがない。

 

「氷爆!!」

「っっ……!?」

 

 間髪を入れずにエヴァンジェリンは疾走するネスカの進行方向に現われて立て直させる暇を与えず、尚も大量の氷を出現、爆発させて攻め立てる。彼女の意図に気付いた時には時は既に遅く、ネスカは至近距離で発生した凍気と爆風で数メートル先まで吹き飛ばされた。

 防御した腕側の半身に霜が積もっている。一度握られた主導権を取り返すのは難しく、致命傷を負わぬようにするのが精一杯だった。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!! 来たれ氷精 大気に満ちよ 白夜の国の凍土と氷河を!! こおる大地!!」

 

 エヴァンジェリンが叫んで指先を向けるや、前方の地面を直線状に凍結させ、ネスカの回避方向に一斉に何本もの巨大で鋭い氷柱が出現した。敵を攻撃する呪文で地面にいる敵の足を凍結させ身動きを封じることも出来るので、飛べない者には避ける手段すらない。

 間一髪、ネスカはその攻撃を逃れて跳び退るが、氷柱はそれを追いかけて次々と立ち上がる。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 地を穿つ一陣の風 我が手に宿りて敵を撃て 風の鉄槌(ストライク・エア)!!」

 

 完全に避けることは出来ないと判断したネスカは、瞬時に先のエヴァンジェリンとの戦いでネギが使おうとした中位魔法を追いかけて来る氷柱に放って打ち砕く。

 状況は明らかに劣勢だった。単純な戦力だけを見れば、多彩な技と戦術や経験をもつエヴァンジェリンに明らかに押されていて攻勢に回る余裕など欠片もない。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!!」

 

 直上から降りて来たエヴァンジェリンが詠唱をしながらネスカを左足で蹴り落とした。

 

「契約に従い 我に従え 氷の女王 来たれとこしえの闇!」

 

 真っ逆さまに氷原に墜落したネスカを見下ろしてエヴァンジェリンは詠唱を完遂させる。

 

「えいえんのひょうが!!」

 

 魔法名が告げられる。詠唱から広範囲をほぼ絶対零度(-273.15℃)にし、対象を凍結させる高等呪文。足から着地したネスカに取れる手段は少ない。止めるのは不可能、範囲外に逃げるには遅すぎる。取れる手段―――――それは全力で防ぐしかない。 

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 逆巻け春の嵐 我らに風の加護を 風花旋風・風障壁!!」

 

 直径十数メートルにも及ぶ竜巻が出現する。しかし、その竜巻すらも無駄だとばかりに150フィート四方の空間を凍り付かせていく。

 これで勝負は決したかと思われた。が、エヴァンジェリンは容赦などしない。

 

「全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也」

 

 凡人ならば既に勝負は決まっていると言い、更なる追い討ちを重ねる彼女を罵倒するだろう。彼女が行おうとしているのは、数多の敵を殲滅してきたコンビネーション。低温空間を発生させる「えいえんのひょうが」の後に、極低温において凍結した対象を完全に粉砕する「おわるせかい」。

 

「おわるせかい」

 氷漬けになった各場所に罅が入り、竜巻の中心部にいるであろうネスカをも巻き込んで派手な爆発も無くぼろぼろと崩れ落ちていく。

 今度こそ勝負は決まったと思われた。効果範囲から逃げる時間は無く、今のエヴァンジェリンのコンビネーション魔法を完全に受けきることは高位魔法使いでも不可能だろう。

 受けてはならない。避けきるか、そもそも発動させる前に止めるべきな威力。それを真っ向から受けたネスカが生きているかどうかすらも怪しい。数多の強敵達を抵抗も許さずに屠った絶技。防ぐことなどありえない。

 

「……………ほぅ」

 

 だが、ネスカは見事に耐え切って見せた。勿論、決して無事とは言えない。服は破れ身体には無数の凍傷やそれによる裂傷。髪には霜が纏わりつき、凍傷やそれ以前に受けた裂傷があっても血が流れないのは凍りついたためか。

 防御の為に限界まで力を振り絞ったのだろう。息を大きく乱している。エヴァンジェリンの五倍もあった魔力も、その大半を失ってしまっていた。しかし、それでもエヴァンジェリンの得意とするコンビネーション魔法を防ぎきったのだ。それを見届けたエヴァンジェリンの声に混じるのは紛れもない賞賛の笑み。

 

「これだ! 戦いは簡単に終わってしまって面白くない」

 

 本気モードになった自分に向かってくる敵の存在は、彼女に久方ぶりの感情を伴わない興奮を呼んだ。熱くも寒くもない。ただフラットに伸びる連続。エスカレートした戦意の波に、彼女は長い吐息をついた。

 

「魂を奮わせろ! 考えることを怠るな! 全身を駆動させろ!!

 

 爆煙が薄らと晴れてきたところで二人は相手を睨みつけて相対した。また、二人は同時に飛び出して衝突する。

 

「そうだもっとだ! もっと私を楽しませろ! 魂の奥までこの私を感じさせてみろ!!」

 

 凍てついた双眸に幾つも凝縮された感情の中、そこに他者に対するサディスティック的な歓喜が支配していた。

 戦いの中、エヴァンジェリンは楽しくて堪らないと哄笑し続けた。

 

 

 

 

 

 戦争映画の一場面に取り込まれたのかと思った。アーニャは二人の戦いを見ながら、自分では生涯をかけても辿り着けない領域にいる幼馴染を見つめ続けた。

 一進一退の攻防。ネスカは致命傷こそ負ってはいないものの、無数の傷から流れる血で体は深紅に染まっている。その身体から噴出する血がまるで紅蓮の炎が噴き出しているかのように見えた。

 

「御主人モズルイゼ。一人ダケ愉シミヤガッテ。俺モ混ゼヤガレ」

 

 橋の欄干の上で、アーニャの隣にいるチャチャゼロは人形なので表情はピクリとも動かないが嫉妬にも似た感情を声に乗せていた。

 

「アンタは戦わないの? 私と」

 

 少し離れたところでチャンバラを繰り返す茶々丸と明日菜と比べて、二人は戦っていない。チャチャゼロには戦意すらなかった。

 

「弱イ奴ニ興味ハナイ。御主人達ノ戦イヲ見テイタ方ガ遥カニ有意義ダ」

 

 アーニャには興味すらないと、チャチャゼロはハッキリと言った。

 否定しないアーニャを意識にすら引っかけていないチャチャゼロが見ている先で白色の光軸が再び走り、空の上で閃光を雲越しに照らし出すや、今度は紫色の光軸がパッと膨れ上がるのが見えた。

 雷鳴に似た腹の底に響く重低音に続いて、風船を外側から一気に押しつぶしたような破裂音が轟き渡る。破裂音の正体は雲を穿って大きな穴を空けながら、全身に闇色の空に映える鮮烈な光を纏って背中から落下するネスカだった。

 目立つ光の持ち主であるネスカの姿をアーニャは網膜に焼き付けた。

 光の塊は雹風を引いて闇夜を滑り、地面へと落下してゆく。雹風を振り払うように光の塊が輝きを増し、天から堕ちて来た幾条もの氷乱の竜巻を放たれた雷が迎え撃った。

 両方の途方もないエネルギーが衝突したことで生まれた閃光にアーニャは思わず目を腕で覆った。

 

「アア、勿体ナイ。御主人トコレダケ戦エル奴ト、モット戦ッテオクンダッタ」

 

 隣から聞こえて来たチャチャゼロの声に、アーニャは目を覆った腕を外した。

 光によってまだ霞んで見える空一杯に、光芒が開いては帯となって乱舞する。時に上昇下降を繰り返し、時にすれ違って、時にはよじれるほど複雑に絡み合う。もはやそれは人が生み出しているとは思えない領域外の光景であった。 

 戦闘機同士が互いの射界に相手を捉えようとするドッグファイトめいた追撃戦が続く。二人は空気を切り裂き、光を交差させ、そして磁石で同じ極を近づけたように弾かれ、また接近する。白と紫のリボンを空中に形成しつつ、遠く離れたアーニャの視界からも一旦大きく外れながらも、直ぐにまた戻って唐突に動きを止めた。

 紫の光から幾重もの氷乱の暴風が吹き荒れ、白の光から雷の閃光が吐き出される。両者が激突すると世界が二色に染め上げられたような閃光が走る。

 アーニャは、ブルッと身体を震わせた。目の前の神話の如き光景を見て震えが止まらないことは間違いなかった。

 激しい攻防を繰り返しながら数㎞の距離を行き来する二つの光。遠く離れているからこそ視認できる神話の戦いのような光景を見て、彼女の胸に去来するものは、その闘いを見た誰もが抱くだろうものとは大きくかけ離れていた。

 

「遠いわよ……」

 

 アーニャは拳を握り締めて横向きに雷が走っているように見える空を注視した。

 

「どうして、私はこんなにも弱いのよ。どうして、私にはネギ達みたいな才能がないの…………どうして、どうしてなのよ」

 

 じゃれ合うように、会話をするように、光の乱舞は留まることを知らないかのように動き続ける。

 確かに威圧感に満ちているが他者を拒絶するような空気ではない。どこか戯れるように戦い続ける二人が生み出す空気は見ている側に高揚を生んだ。だが、自分は決してあそこに行けないのだとアーニャは遠い世界を見つめて嘆いた。

 




ようやく出て来たアスカのアーティファクト(ネギとキスしたのだろうか?)

・『絆の銀』(元ネタ:ドラゴンボールのポタラ)

アーティファクトを呼び出した時にアスカの両耳に銀のイヤリングが現れ、片方を外して他人がつけて「合体」と叫ぶと融合する。
装着者同士が合体して能力をアップする。装着者同士の相性などが良ければ能力の上り幅が大きい。
融合は本人の意思によって解除可能。また時間制限もあり。
初使用はエヴァンジェリンと戦う一年前。相手は高畑。油断しきっていたところに合体に動揺したところをノックアウト。

アーニャのアーティファクトは何でしょうか?
小太郎が仮契約したとしたらアーティファクトは己の力を増す増幅系がいいかもしれない。


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第11話 光をこの手に

アスカのアーティファクトに悪い評価つかなくてなによりです。

さて、今話を読む時はサイヤ人編の悟空とベジータがフュージョンして、ゴジータになってフリーザに挑んでいるぐらいの気持ちでどうぞ(ゲス顔



 

 瞬動で距離を詰めて怒涛とも言える連打を続けるネスカの攻撃を軽々と余裕を以て捌き、時に痛恨の一撃を叩きこみながらエヴァンジェリンは思う。

 

(―――――これほど、とは。まだ未熟な二人が合体してこの強さ。単体で高位に至った二人が合体すれば一体どれほどの強さになるのか)

 

 ゾクゾク、と自分で描いた想像にエヴァンジェリンの背筋は粟立った。

 十の攻撃を捌きながら五の反撃を叩き込み、百の牽制を読み切って逆に罠にかけながら別の事を考える余裕があった。

 

(侮っていたつもりはなかったが……………つくづくこちらの予想を上回ってくれる。だが、だからこそ面白い)

 

 この一瞬の隙が命取りになる緊張感。全身をゾクゾクと駆け抜ける興奮。楽しい、そう感じさせるに足る戦いというのは、本当に何年ぶりだろうか。テンションのボルテージは上がる一方だ。

 

「これを受け切れるか!」

 

 中空の空気がギシギシと固まり、氷柱を生み出した。ネスカ目がけて降り注ごうとする。

 

「受け切ってみせる! ラス・テル・マ・スキル・マギステル 闇夜切り裂く一条の光 我が手に宿りて敵を喰らえ 白き雷!!」

 

 叫ぶと、ネスカの手の平か生まれた激しい雷撃が氷柱へと命中する。水晶が割れるみたいに、氷の礫は雷撃に焼かれて壊れる。だが、バラバラに砕けた氷柱は消えなかった。細かい針状となってネスカに襲い掛かった。

 腕を頭上に掲げたが、突き刺さった氷の針がネスカを無残な針鼠にした。白き雷の残滓が、それをゆっくりと溶かして流れる血と共に身体を伝い落ちた。

 

「ちっくしょうが」

 

 ネスカが牙を剥き、全身に魔力を纏った。全身に突き立ったままの氷がキラキラと結晶となって消えていく。

 

「まさかこの程度で諦めるなんて言ってくれるなよ!」

「舐めるな!!」

 

 ネスカ意識は常にないほど冴えている―――――自分の五感の他に、別の誰かが加わっているかのように。空間を支配し、敵の動きを全て読み取れる。

 視界の中で迫るエヴァンジェリンがスローモーションに見えたかと思うと、心臓の音が聞こえるほどに集中力が高まる。意識が周囲に拡散して、視覚だけではなく五感全てがドンドン広がっていく。

 ネスカは先程から、ある種のトランス状態にあると言ってもよかった。それが、自身よりも遥か上の強さを持つ相手と戦っていることで脳が脳内麻薬を過剰に分泌されて極度の興奮状態を引き起こしたのか分からないが、理性的な思考よりも本能的な反射の側により多く反映されていた。

 だからといって、ネスカの意識が本能の陰に隠れて休眠しているわけではない。彼の理性は冷静に戦いを見つめていた。だが、そこは透明で強固なガラスの壁で隔てられているように戦場の傍ではない。肉体から遊離したように己と敵の戦いを見下ろしている。余計な何もかもを排除し、今の自分に辿り着けるとは思えない遥かな高みへと至ろうとしていた。魂が至高の瞬間にまで昇り詰めていく。

 

「ここに来て更なる成長を見せるか!」

 

 戦っているエヴァンジェリンだからこそ分かる。間違いなくネスカは今少しずつではあるが強くなって、一方的にやられていたのが少しずつやり返せるようになってきている。

 己の全てを賭してでもなお上の相手と戦うには、今の自分を超えるしかない。歴戦の勇士であるエヴァンジェリンの戦い方を模倣し、取り込み、自分のものとして組み込んで新しい戦い方を生み出してゆく。

 面白い。何と面白い。戦っている間に強くなるなどフィクションのような世界の出来事を彼女は今まさに目の前で目撃していた。音が聞こえる。エヴァンジェリンやナギがいる領域に確実に一歩ずつ歩み寄っている足音が。

 

「私について来れるか、ネスカ!」

 

 今のネスカはエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルが、伝説の真祖の吸血鬼が本気を出すには実力が全然足りていない。だが、十合後はどうだ、百合後は、千合後ならどうだ。

 

「―――――ついて来れるか、じゃない」

 

 避けられなかった攻撃が避けられるようになり、防げなかった攻撃に耐えられるようになり、当てられなかった攻撃も当てられるようになってきている。徐々に思考と感覚が研ぎ澄まされ、代わりに余計な動作が無くなって行き、繰り出す攻撃は必然にも近いシンプルなものへと昇華されてゆく。

 

「直ぐに追い越してやる! ノロノロしてたら置いてくぞ――――っ!!」

 

 吼えたネスカの右脚が強かにエヴァンジェリンの腹部を打ち据えて弾き飛ばすも、氷の女神そのものである彼女にダメージらしいダメージを与えるには至っていない。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック 集え氷の精霊 槍もて迅雨となりて 敵を貫け」

 

 それでも衝撃までは殺しきれずにピンボールの球のように吹っ飛ばされたエヴァンジェリンは、くるくると回って体を制動して氷壁に着地。両腕を振り上げたと同時に、辺りの冷気が急激に強まり、彼女の周りにキラキラと輝く光の結晶のようなものが無数に出現した。

 

「氷槍弾雨!!」

 

 ダイヤモンドダストは寄り集まると、氷の槍の形を成した。氷で出来た数え切れぬほどの槍が得物に凶暴な牙を突き立てんと待ちわびている。それはその一つ一つが山を穿ち、川を裂き、天を突くエネルギーを備えていた。

 

「小僧が良くも吼えた。その言葉が大言壮語と成り果てないことを祈るんだな!!」

 

 どこまでも余裕を見せつけるように増えていく氷槍を背にしてエヴァンジェリンは冷然と笑う。

 やはりナギの息子だ。土壇場の気迫が良く似ている。どんなに絶望的な状況でも、根性で覆せてしまえそうな気迫。スプリングフィールドの血が喚起する気性が真っ直ぐにエヴァンジェリンを貫く。

 伝わってくる腹の底を震わせずにはいられない闘志が、女にしか分からない子宮の震えとなってエヴァンジェリンを歓喜させる。

 

「大言壮語か、その身を以って味わえ! ラス・テル・マ・スキル・マギステル 影の地 統ぶる者スカサハの我が手に授けん 三十の棘もつ愛しき槍を」

 

 姿勢制御を放棄して慣性のまま跳びながら迎え撃たんと、ネスカの背後に空気の引き裂ける音を立てながら驚くべき密度と圧力を持つ雷の槍が出現した。

 

「雷の投擲!!」

 

 どんどん大きさを増していく雷の槍から迸る雷によって周囲が圧力でビリビリと震える。空気を普通に感じ取る能力があれば、それがどれだけの威力を持つか、見ただけでハッキリと分かる。それほどの術だった。

 ただでさえ、脅威の威力を発揮しそうな雷の槍が更なる増大を見せた。際限なく魔力を込められ、ブルブルと小刻みに震えると、轟音と共に身の丈を遥かに超えて麻帆良大橋を覆い尽くすほどの大槍へと成長する。

 量ではなく質で勝るといわんばかりの巨大さの雷の投擲の切っ先を、エヴァンジェリンの周りを囲い込んでいる氷槍弾雨へと向けた。

 

「「行け!」」

 

 巨大な雷の投擲と、数えることすら億劫になる氷槍弾雨が同時に放たれた。

 中間点で激突したと同時に、ふわっとした感覚が周囲の空間を包んだ。氷と雷の槍の全てが溶解し、爆発せしめた。もし、誰かがいれば穏やか過ぎて、直後に隕石が衝突したような途方もない衝撃が来るまでそれが爆圧であることなど気付かなかったほどであろう。

 

「「!」」

 

 互いの魔法は相殺された。衝突した周囲数㎞が爆炎に覆われ、爆風に押されるように更に距離が空く。相殺した爆発だけで周囲の物を根こそぎ吹き飛ばし、空間に悲鳴を上げさせながら煙を割って二つの影が飛び出した。

 次々と轟く爆音が消えぬ間に二人とも動いている。氷結を撒き散らすエヴァンジェリンとほんのりと白く輝く流星となったネスカが急迫し、二人の右拳が間近で大砲が着弾したような音と共に衝突した。

 

「うううううぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 右腕を前に出せば、自然と反対側の腕が後ろに下がっている。その勢いと溜めた力を活かし、ネスカが喉から雄叫びを迸出しながら左手をエヴァンジェリンの胴部に向けて突き出した。 

 

「ぬうっ!」

 

 エヴァンジェリンは左手で受けた攻撃によって痺れるほどの衝撃を堪えて外に弾き飛ばして、引き戻した右腕を畳みながら捻った回転力で増した肘をネスカの側頭部に叩き込もうとする。ネスカは急速に体を後退させ、この攻撃を逃れた。

 そのまま爆発的に光量を噴射させて弾丸のようにエヴァンジェリンの下へと舞い上がった。そのまま螺旋を描くように周りを旋回する。と、ネスカが一周もしない内にエヴァンジェリンが後を追いかけ、接近してきた。

 空中を疾走する二人の光は、まるで白と紫の尾を引いた二つの流星が縺れ合いながらダンスを踊っているかのようだった。二つの流線が交差する度に、激しい轟音が響き、派手な閃光が散る。それが二度、三度、繰り返された時、流星が正面から激突しあった。これまでにない轟音によって世界が揺れるように空気が激震する。

 数瞬、二つの流星は力が拮抗したかのように空中で静止したが、互いに腕を動かした直後、爆発の煽りを食らったかのように左右に吹っ飛んだ。その左右に別れた二つの流星が互いにそうすることを分かっていたかのように旋回させ、再び正面から突進しあう。激突は必至だった。

 

「はあああああああああっっ!」

「うおおおおおおおおおっっ!」

 

 そして、二つの拳がぶつかり合った。拳の間から衝突したエネルギーに耐え切れぬかのように周辺にスパークが四散する。ギリギリと押し合いながら相手を睨みつけるかのように顔をにじり寄せた。

 拳が、肘が、脚が、膝が、頭突きが、氷が、雷が、ありとあらゆる攻撃を交し合いながら時に掠め、時に弾き合う。一撃一撃に思いを込め、まるで対話するように攻撃を交し合う。

 舞踏会のような戦いにも終わりがやってくる。特にネスカの方はボロボロである。服は殆ど原型を留めておらず、傷だらけで残りエネルギーも少ない。

 加速度的に消耗を重ねる精神でも支えきれぬほどに限界が迫っているのを感じる。高速戦闘の最中で呼吸をすることすら辛くなってきた。体中の筋肉が軋み、骨が筋の一本一本が軋みながら悲鳴を上げている。肉体が限界を超えて急激な熱に浮かされて、視界が揺れ出した。

 ネスカの体感時間では遥かに時間が経っている。合体の限界時間も近い。

 

(次が最後……!)

 

 これ以上の時間の浪費は許されない。残エネルギーを考えれば許されるのは一撃のみ。ネスカは大きく後方に跳んで距離を取った。

 

「――――決着を望むか」

 

 一瞬にして離れたのは距離にして約一㎞。それだけの間合いを離され、エヴァンジェリンは瞬時にネスカの狙いを悟る。間合いはエヴァンジェリンが得意とする遠距離戦の距離だった。

 敢えて自分から不利な距離を望んだということは、ネスカが求めているのは次なる一撃での決着。最大の力での衝突。それでなにもかも決しようとしている。ならば自身にできる迎撃手段は一つだけ。最大の攻撃には、最大の攻撃を以って応えるのみ。

 

「エヴァァァァアア…………………!!!!!」

 

 半身になったネスカの姿勢が両腕を抱えた状態で定まる。最低限の止血と防御の為に要する魔力すら使い、体に残る力その全てをかき集め、ただひたすらに光を高め続ける

 

「―――――来るがいい、ネスカ――――!」

 

 体内から発せられ、そして体外へと発せられる。胸の前で手を合わせるという自然な動きが、エヴァンジェリンの強固な意志力によって、ここまで眩く、胸を打つほどの美しさを備える。

 距離を取ったネスカ、意図を悟ったエヴァンジェリン。二人はほぼ同時に、集中に入って詠唱を開始した。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来たれ雷精、風の精!」

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 来たれ氷精、闇の精!」

 

 必勝の覚悟を決めて唱え始めたネスカの詠唱を聞き、瞬時に放たれる魔法を看破したエヴァンジェリンは驚きながらも詠唱を紡いだ。

 それは呼び出す属性の差はあれど、間違いなく同種の呪文。エヴァンジェリンの唱える呪文が、今の自分が使える最強の魔法と属性は違えど同じ魔法であることに気付いたネスカは驚きを隠せない。だが、萎えそうになる心を叱咤して呪文を唱え、術式を編む。

 

「雷を纏いて吹きすさべ、南洋の嵐!」

「闇を従え吹雪け、常世の吹雪!」

 

 全く同じ速度と調子で、二人の詠唱は紡がれていく。それぞれの手に、今までとは比べ物にならない魔力が集まり始めた。

 ネスカの足下に風が渦巻き、魔力が収束する右手は放電が起き始め、対するエヴァンジェリンは周りの温度が急低下し、吹雪のような冷徹さをもって手の中で渦巻いていく。両者のあまりに強すぎるエネルギーに、周囲の空間が歪む。

 水面に浮かべた絵の具がかき回され、排水溝に吸い込まれてゆくようだった。二人を中心とする空間が光の屈折率を変更したように歪む。一秒の後に襲い来るであろう敵が放つ光の波動を断ち切らんと魔法が展開される。

 互いの攻撃の吼え声が大気を渦巻かせ、轟かせていく。ただ一点に収束し、今にも解放されようと荒れ狂う。

 爆発的な、いや、それすらも生ぬるい光の本流が迸り、空を覆う。圧縮と膨張を繰り返しながら、今か今かと撃ち出されるのに耐えかねた空間の絶叫。空間が捻じ曲がり、それはまるで世界の終わりに歌う引き金の祝詞。

 破滅的な力の渦に、空間が戦慄き、大気が咆吼する。力の一端にでも触れれば跡形もなくなる絶対的な死の予感を前にして、なお戦士は引かず、眼前の死を更なる死で殺し尽くさんとばかりに、ただただ力を絞り出す。

 そして、解き放たれる前の一瞬の静寂。極限に高まった一対の業。苛烈なる光はそのままに不思議なほど空間に静寂が満ちた。まるで今から起こる出来事に備えるように。

 風雷の精霊と吹雪の精霊が、それぞれの手に集まる。そして、二人は同時に魔力を溜めた手を振りかぶる。

 

「――――雷の」

「――――闇の」

 

 拳銃の撃鉄が落ちるように魔法の名前が唱じられ、今か今かと待ちかねたエネルギーが解放される。

 

「暴風――――――!!!!!!!!!」

「吹雪――――――!!!!!!!!!」

 

 光が跳ねた。解き放たれた膨大すぎるエネルギーの激流は、何もかもの存在を許してはおかぬというように事象の全てを粉砕しながら迸る。それらが通る空気は奔騰し、荒れ狂い、もし間に形成すものがあったとしても悉く融解するだろう。

 そして触れる物を例外なく呑み込む雷の暴風と闇の吹雪という相反する力同士が激突した。

 激突した爆音は小さかった、というよりアーニャの耳が轟音の大半を拒否したのかもしれない。或いは、爆発の一瞬、気を失っていたのだとしても否定する気にはなれなかった。

 耳を弄する轟音、眼も開けていられない閃光、一瞬で吹き飛ばされそうになるほどに吹き荒れる烈風。世界を染め上げる二つの閃光が、己以外の光は要らぬと牙を剥き出しにして鬩ぎ合う。

 光が拮抗し、互いを喰らいあう。荒れ狂う閃光と灼熱。互いを力のみで押し合い、空間に境界線を作り上げる。鬩ぎ合うのは光と闇であり闇と光。雷霆の台風と漆黒の氷嵐。光は全てを呑み込み、膨大な熱と極寒の氷と矛盾した圧倒的な衝撃をばら撒き、渦を巻いてその場の全てを壊し尽くし、そして吹き飛ばす。

 

「きゃっ!?」

 

 轟音と光の眩しさに、茶々丸と戦っていた明日菜が悲鳴を上げた。

 吹き荒れる烈風は瓦礫を薙ぎ払い、ぶつかり合う閃火は爆発する太陽となって目蓋を焼く。閃光が視界を焼き、目前にある自身の手すらも分からなくなる。光も熱も区別できぬほどの、圧倒的なエネルギーが腕で目元を覆っても傍観者達の瞼の裏で弾ける。感じられるのは圧力だけだ。

 

「オ~、タマヤ~」

 

 これほどの凶事に巻き込まれているのに、呑気な口調で花火が上がったようにチャチャゼロは無邪気には笑う

 世界を二つに割るのではないか、と危惧するほどの拮抗した両者の奔流。僅か数瞬の拮抗は、永遠の戦いのようにも思われた。だがしかし、拮抗は数瞬で終わりを告げた。

 

「ガ―――――!」

 

 伸ばした右腕に伝わるその感触に、全てが宿っている。叩きつけられる剥き出しの力。エヴァンジェリンの魔法に押される勢いによってネスカの突き出した右腕がブレる。

 

「グ……ああ―――!」  

 

 押される。押される。押され続ける。なんとしても耐えなければならなかった。まだ止めるわけにはいかない。両者の光は未だギリギリのラインで拮抗している。ここで力を抜けば、一気に突破される。

 

「く……ぉ、あ……っ!」

 

 堪らず吼える。跳ね回る右腕を左手で必死に押さえつける。

 

「これに持ち堪えるとはな……驚きだぞっ!!」

 

 崖の淵で耐え凌いでいるネスカとは対照的に、エヴァンジェリンにはかなりの余裕が見て取れた。

 

「だが、これで終わりだ!」

 

 抗えることに驚きを示しつつ、末尾に混めた叫びと共に更なる力を込める。

 

「づ……………! あ、あ、あ―――――!」

 

 増大する力が奇跡ともいえるバランスで何とか拮抗していたエネルギーが急速にネスカの方へと傾く。

 徐々に勝利の天秤がエヴァンジェリンに傾くのと同時に、無数の氷片が混ざった凍れる風がネスカの方へ吹雪いて来た。生身で喰らえば生き物は無残に切り刻まれる。しかも、瞬く間に凍りつく。なのにネスカの全身を襲っているのは冷気ではなく灼熱感だった。余波でしかない冷気に晒された身体が、超低温を火傷のような痛みとして認識したのだろう。

 まさしく魔性の風。余波だけで世界が凍りつく。凄まじい氷結地獄。直撃を受けたら、きっと魂も残らない。

 

「―――――!」

 

 ガタガタと震える唇の端から泡が吹き零れる。今、ネスカの肉体は氷結させられる寸前だった。骨まで震えるどころではない。骨すらも凍りつきそうな冷気。余波だけでも容易く人を屠らん冷気に、それでも歯を食い縛り、力を注ぐの止めない。

 全身の皮膚の内側を凄まじい熱が蠢いている。ぞりぞりと皮膚と肉の間を鱗で削りながら、骨を啄ばみ、神経の一本ずつを舐め上げて毒を注ぎ込んで益々膨れ上がる毒蛇のよう。左腕も、左腕を押さえている右腕も、踏ん張っている両足も、抑えきれずにがくがくと大きく痙攣している。

 

「ぎ―――――あ、あア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――!」

 

 眼球が裏返りかけて意識が途切れるのを必死で引き止めるために、骨から脳髄までその感覚に冒されそうに鳴りながら吼えた。骨と筋肉を直接削ぐような熱と体内と体外の痛み、悶絶すら出来ぬ感覚に自分が失われていく恐怖を追い返さんと絶叫する。

 

「お前は良くやったよ。この私にここまでの戦いをした。誇るがいい。貴様の名は未来永劫、忘れはせん」

 

 だが、それもここまでだとエヴァンジェリン(強者)は言う。

 

「これでフィナーレだ!」

 

 エヴァンジェリンの左手に、無詠唱で生み出された別の闇の吹雪が生まれる。その数三つ。一つ一つは詠唱した物よりも威力も規模も遥かに劣るが、三つを合計すれば上回る。一つでも拮抗することが出来なくなっているのに、三つも受けることは出来ない。放たれればネスカの敗北は決まってしまう。

 エヴァンジェリンは目の前のことに集中していた。当然だ。彼女であってもネスカが放つ雷の暴風を受ければ無事では済まない。そして僅かであっても拮抗しているので意識を逸らすことなどありえない。

 

「小太郎!」

 

 この時を待っていたアーニャは唯一つの勝機を引き寄せるべく、事前に打っていた布石を今こそ動かす。

 

「狗神!」

「!?」

 

 エヴァンジェリンは背後から何かが近づき、しかし超絶の二つの魔法のパワーの余波だけで爆発するまで存在に気づかなかった。

 麻帆良大橋の上に立つ学ラン姿の少年から放たれた狗神は、結果として碌なダメージを与えられず、近づくだけで余波のエネルギーで消滅したに過ぎない。それでもエヴァンジェリンの意表を突くには十分だった。

 圧倒的強者であるが故の傲慢。その唯一の隙が生まれる時を見守るアーニャは待っていた。自身の想いも絶望も全て押し込め、アーニャは仮契約カードを取り出す。

 

「アデアット! 女王の冠よ、我が能力を主人へと貸し与えよ!」

 

 召喚されたアーティファクトはアーニャの頭に出現し、叫びに合わせて冠の中央にある宝玉が輝いた。

 アーニャのアーティファクトの効果が発動する。

 女王の冠は、被った者の能力を主人へと与えるという変わったアーティファクト。この場合の主人とは仮契約をしたネギであり、現在はアスカと合体しているネスカである。アーニャの能力、魔法適性と魔力がネスカへと貸し与えられる。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――ッッッッ!!!!」

 

 激痛に魂まで犯されながらも、アーニャから力が流れ込んでくるのを察したネスカは文字通り全てをかなぐり捨てた。魂すらも絞り作りして、己が身すらも顧みずにエネルギーを出し切る。

 雷の暴風にアーニャから借り受けた弱い火が混ざり、各々の属性が混ざって勢いを増していく。火によって風が勢いを増し、煽られた風が雷を生み出す。増殖していく雷同士が弾け合って火を強めていく。三つの属性は増幅し合って力を高める。僅かでも、一瞬でも意識を後ろに割いたエヴァンジェリンが増大したパワーに気づいた時には全てが遅い。

 

「しま……っ!?」

 

 世界を二つに割るのではないかと危惧するほどの拮抗した両者の奔流は、唐突に終わりを告げた。雷と火を纏う暴風は【雷火の嵐】となって傾いていた天秤を破壊して、闇の吹雪を呑み込んで世界を眩いばかりの閃光に染め上げた。閃光は、世界を沸騰させて色褪せた世界をそのまま洗い流す。 

 眩い閃光が綾なすと、右手を掲げて防御をするエヴァンジェリンの全身を揺さぶる衝撃が襲った。やがて光は明度を失い、世界は元の暗闇を取り戻す。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 息も絶え絶えに爆煙の向こうを見つめるネスカには、もう魔力が微かにしか残されておらず、戦闘能力は皆無にも等しい。

 あの雷火の嵐に呑み込まれては、如何な真祖の吸血鬼といえど無事ですむはずがない。勝敗は決したと、命令されて奇襲をした小太郎も、茶々丸との戦いを一旦止めた明日菜も、狙い通りに行って会心の笑みを浮かべるアーニャも疑わなかった。

 

「オイオイ、コノ程度デ御主人ガヤラレルヨウナラ今頃生キテチャイネェヨ。ヨク見ロ」

「え?」

 

 主人の敗北に慌ても騒ぎもしないチャチャゼロが言った呟きがアーニャの耳に届いた。

 爆煙が晴れていく。

 

「…………見事、見事と言う他あるまい」

 

 爆煙が晴れて先に、エヴァンジェリンは無傷でそこにいた。いや、無傷ではない。雷火の嵐を受け止めたであろう右手の手の平が焼け爛れている。だが、それだけだ。全力の全力、これ以上はない会心の状況で放たれたネスカ最強の魔法を受けて、たったそれだけの傷しか負わせることが出来なかった。

 やっとのことで与えたその負傷すらも瞬く間に治って行く。真祖の吸血鬼が持つ回復力は僅か数秒の時間で元の肌を取り戻す。

 

「ば、バカな…………た……大して、き、効いていないだと!?」

 

 目を見開いて震撼する。この戦いが始まって初めてネスカは戦慄していた。

 足元ぐらいには近づいたと思っていた。しかし、それはネスカの驕りであった。実際には足下どころか、その影すらも見えてなどいなかった。

 

「ほ、本気ではなかったというのか?」

「本気ではあった。本気で遊んでいたとも。兎がじゃれついてきた程度で獅子が死に物狂いになるわけがなかろう」

 

 本気は本気でも、ネスカとエヴァンジェリンとでは意味が違った。エヴァンジェリンは狼狽も深いネスカから視線を外し、麻帆良大橋の上で呆然とする犬上小太郎を見る。

 

「部外者の助太刀は予想外ではあった。横入りは剛腹だがあわやと思うスリルはあったぞ。褒めてやろう。一瞬とはいえ、この私を焦らせたのだ。誇るがいい」

 

 勝利を確信していたアーニャの、築き上げた全てが津波に流れて行ってしまったような顔へと視線を移す。そして最後に飛んでいることすら出来なくなって、麻帆良大橋に着地して膝から崩れ落ち、地に手をつくネスカを悠然と見下ろす。

 圧倒的強者との戦いで精神もすり減らし、更に無茶をした所為で制限時間を迎えた合体すらも解ける。

 

「「あ」」

 

 合体が解けた二人は地に伏した。限界まで力を使い果たした二人に、もう戦う力は一片も残っていないかった。

 

「ま、まだだ。俺は誰にも負けられねぇんだ」

 

 直ぐには起き上がれないネギの横で、アスカが体を起こした。盛大に息を乱して震える全身であっても片膝をつき、息を整えているが体に力が入らない。疲労で額には汗が浮かび、心臓は早鐘を打ったようにガンガンと鳴り響いていて、とても戦いを続けられる状態でない事は誰が見ても明らかであった。だが、体は動かなくとも闘志は今だ健在と、眼だけが戦う意思を示していた。

 尚も足掻こうとする魂の輝きに、エヴァンジェリンは笑みを深めた。

 

「そこそこは楽しめたよ、坊や達。血を吸いはしないが、今はただ自身の未熟を理解し、世界の広さを知れ。そして最強と呼ばれる者の力を知るがいい」

 

 エヴァンジェリンの手に再び闇の吹雪の塊が幾つも浮かび上がる。

 

「ち、ちくしょう……」

 

 立ち上がることすら出来ないアスカ、起き上がることすら出来ないネギ、せめて二人を守ろうと飛び出したアーニャと明日菜、代わりに戦おうと飛び降りた小太郎。その誰よりも早く、エヴァンジェリンは闇の吹雪を放とうとして――――。

 

「……!? いけない、マスター! 戻って!!」

 

 茶々丸が何かに気づいてエヴァンジェリンに呼びかけたが既に遅い。橋塔部に鎮座していた大型電飾が乾いた音と共に発光して今にも闇の吹雪を放とうとしてエヴァンジェリンを照らし出す。

 

「な……なに!?」

 

 次いで橋の電飾に次々と電気が灯って行くのを見たエヴァンジェリンは、己がミスを悟る。

 エヴァンジェリンの全開状態には制限があった。まるで舞踏会に出席したシンデレラの魔法が午前0時になったら解けるのと同じように、暗闇に沈んでいた麻帆良学園都市に電気が戻ると共にエヴァンジェリンに何かが繋がった。

 

「マスター!」

「きゃんっ!」

 

 エヴァンジェリンを光が撃った。同時に闇の吹雪が霧散する。光はエヴァンジェリンを呑み込み、彼女の中にあった魔力という名の全能感を奪い去る。

 吸血鬼の能力すらも失って、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに与えられた運命は、人の身に墜とされながら空に憧れて飛んだイカロスが太陽の熱に炙られて翼を失うが如く地に落ちて行くことだけ。

 

「ど、どうしたの!?」

「停電の復旧でマスターへの封印が復活したのです! 魔力がなくなればマスターはただの子供! このままでは氷の湖へ!」

 

 明日菜の問いに律儀に答えながら茶々丸は背部スラスターを吹かせて、主の下へ馳せ参じようとする。

 しかし、それよりも早く動いた者がいた。

 

「エヴァ!」

「!?」

 

 茶々丸よりも早くアスカが橋より身を躍らせた。

 

杖よ(メア・ウイルガ)!」

 

 そして一拍遅れてアーニャとネギが続く。

 

 

 

 

 

 轟々と風が逆しまに叩きつける中、背中に風が鞭となって食い込んでいくような痛みが走る。

 身体が落下していくのが分かる。目を見開いた先には空があった。星々を煌めかせる空をとても綺麗だと思った。橋の下はエヴァンジェリンの魔力によって氷結している。魔力を失って普通の十歳児と変わらないエヴァンジェリンが百数十メートル以上の高さから落ちれば、潰れたトマトのように死ぬしかない。

 地面は確実に迫りつつある。エヴァンジェリンは覚悟するようにすっと瞼を下ろした。

 ひどく身が軽くなっていた。報われない想いは終わり、後は何も感じなくなる。悲しむことも、苦しむことも、痛むこともない。空はどこまでも広がっていて、都市の光によって星が塗り潰されていく。光から遠ざかって落下していく感覚はひどく頼りないもので、永遠にどこでもない場所へ落ちていくのではないかと思われた。

 

「ああ……!」

 

 声が出てしまう。恐ろしさよりも心細さが強かった。

 

(嫌だ) 

 

 死の諦念に冷たく閉ざされかけたエヴァンジェリンの胸に一点だけ熱い灯火があった。それは意識しまいと目を閉じていたエヴァンジェリンの心にも強く輝いて、あっという間に胸を染め上げてしまう。

 

「……助けて」

 

 呟きは自然と唇から漏れた。

 ごおごお、と耳に風が流れていく音がする。落ちていく。夢破れて、どこまでも堕ちていく。しかし、空気を体で切り裂いて生まれる風の轟音が自分の声すらも耳に届けない。

 

「助けて」

 

 ただ、内臓が吐きそうなぐらい熱かった。グチャグチャと熱が蜷局を巻いて、内側から燃えてしまいそうだった。グツグツと煮え滾って腸から溶けていく感覚が恐ろしくてたまらない。口を開くごとに吐息の変わりに炎が噴き出しているような錯覚を覚える。 

 ごおごお、と風の音がする。でも、感覚は無い。熱と音だけだ。自分が上空何メートルにいて地面とどれだけの距離があるのかが分からない。恐怖だけがエヴァンジェリンを染め上げる。

 

「助けてっ」

 

 何て自分は虫がいいのだろう、とエヴァンジェリンは思った。多くの命を奪ってきて、助けてもらう価値なんて自分にはないと決めたはずなのに、最後の最期には助けを求めてしまうのだ。

 

「助けてっ、ナギ」

 

 何度も呟きながら、遂には観念するようにギュッと力強く目を閉じた。

 

「助けてっ、――――ナギっ!!!!」

 

 墜落していくエヴァンジェリンは、身の内にある光の方へ必死で手を伸ばした。

 

「エヴァっ!!」

 

 応える声に瞼を引き剥がす勢いで目を開いたエヴァンジェリンの目に、助けを求めた者の息子――――アスカ・スプリングフィールドの姿が見えた。

 

「――――手をっ!」

 

 魔力を使い果たして立つことすら出来なかったアスカが、喉も裂けよと叫びながらひたすらに手を伸ばしている。

 

「手を伸ばせ!」

 

 今まさに消えんとする蝋燭の輝きであったが、エヴァンジェリンにとっては絶えず求めていた光だった。温もりを求めずにはいられない手だった。

 

「来いっ!!」

 

 気がつくと、震える手がアスカの方へ伸びていた。

 

「くっ」

 

 どうしようもない落下の最中で、少しずつ二人の距離が近づいていく。

 秒が切り刻まれる。刹那が永遠に引き伸ばされる。果てしなく緩慢になった時間の中で、世界は二人だけのものだった。

 互いの指が、互いを求めて彷徨い、擦れ合う。アスカは落ちていくエヴァンジェリンに向かって、身を捩って伸ばされた手を何度目かの挑戦で遂に掴んだ。強く、強く、ありったけの力を込めて握った。

 

「……あああ…………あああああああああああっ!」

 

 アスカは吠えながら渾身の力でエヴァンジェリンを己が手の内に引き寄せた。

 引き寄せたエヴァンジェリンの体を両手で抱き抱え、無為に落ちるしかない状況で地面に落ちる衝突に耐えるように目を閉じた。一瞬、無重力状態のような浮遊感がしたが、次の瞬間には凄まじい勢いで落下していく。アスカが浮遊術を発動させたが魔力が足りない。

 二人で空から零れ落ちていく。アスカ一人なら落下速度を落とすことが出来るかもしれない。それでもこの手は離さない。離してはならないと自分に言い聞かせ、アスカは腕の中の温もりを全身で抱きすくめた。

 破滅の時、少年と少女は抱き合っていた。エヴァンジェリンはアスカの血の入り混じった匂いしかしないシャツの胸を、手が親を求める子のように縋るように捕まえていた。

 落下時特有の血も凍る感覚が身を包み、みるみる内に地面が近づいて来るのが分かる。凍り付いている地上に叩きつけられれば骨は砕け、内臓は破裂し、これだけの高所から落ちているのだから二人揃って原型も残さず確実に死ぬ。

 共に墜落しながら、エヴァンジェリンは抱いてくれるアスカの向こうにある遠くどこまでも高い夜空を見た。星は見えない。光からは遠ざかって行く。でも、この身を包んでくれる温もりがあれば、もう何も恐れるものはなかった。

 

「諦めるのは早ぇ。俺達は一人じゃない」

 

 残酷な運命に愛されたエヴァンジェリンを救ったのは人だった。投げ捨てたように見えたが実際には橋の裏に糸で吊るされていた杖を呼んで跨ったネギとアーニャが、氷原に落ちる前に二人の体を受け止める。

 

「くっ……!!」

 

 杖を操って二人分の落下速度を受け止めたネギのこめかみに浮かび上がっていた青筋から血を噴いた。同時に魔力切れと気力の限界で意識をプッツリと落とす。

 

「もう、限界」

 

 アーティファクトで能力委譲を行なったアーニャにも魔力は大して残っていない。四人分の体重を支える一瞬の静止と浮遊が精々。四人揃って落ちかけたところへ、スラスターを吹かした茶々丸が纏めて受け止めた。

 機械仕掛けの肉体の茶々丸だからこそ、魔力切れの心配もなく強大な力を持って四人を抱えたまま氷原へと降りる。

 

「マスター、良かった」

 

 茶々丸は表情を崩し、飛び降りることが出来ずに橋の上から見ていた明日菜はホッと息を漏らした。魔力切れやらで四人とも氷原に横になったところで、エヴァンジェリンは隣で今にも死にそうな顔をしているアスカを見た。

 エヴァンジェリンは己の迂闊さを悔いてはいたが、この失策は戦士として許されざれるミスであるので大人しく受け入れていた。

 

「私も驕ったな。闇の福音という綽名に溺れすぎたようだ」

 

 戦闘のために有効な真理は、基本的に相手を打倒しようとする強い意思にある。強い意志がなければ、ここぞという時に瞬発力は発揮できない。

 勝機の万全たる期して初めて戦いは勝つのであって、気力とか偶然による勝利などは早々あるものではない。相手が強者であるならば、その対処の仕方、作戦を立案して望まなければならない。力押しの戦いなぞは、よほどの力の差があってこそ成り立つ。それでも戦闘では、圧倒的な力の差が原因で墓穴を掘ることもある。「矛」と「盾」、その言葉が生んだ「矛盾」という概念こそ、戦闘の本質をついている。

 

「強かった。流石は真祖の吸血鬼。桁違いの力だった」

「よせ、勝者にかけられる賞賛などいらん。今の私は敗者に過ぎん。制限時間を忘れて熱中するなど情けない」

 

 エヴァンジェリンは何時でも彼女自身という王国を支配する女王だった。だが、今は影を帯びてひどく儚かった。

 

「俺は勝ったなんて思っちゃいない。あのまま戦っていたら万に一つの勝ち目すらなかった」

「謙遜するな。結果的に勝利を求めて勝ち取ったのお前達の手柄だ。誇るがいい。この私を敗者にしたのだ」

「違う。誰がなんと言おうとエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは敗者なんかじゃない」

 

 六百年を生きた真祖の吸血鬼。魔法世界では闇の福音・人形使い・不死の魔法使い・悪しき音信・禍音の使徒・童姿の闇の魔王などの様々な異名を持ち恐れられているだけの実力を我が身を感じた。本気でなかったとも戦った肌身が直感と共に悟らせている。

 

「現実を見ろ。お前の勝ちだ」

「本気で戦っていない相手に勝ったなんて法螺は吹けない」

 

 今のアスカでは仰ぎ見るだけで、とても頂点を見ることは叶わない。歴然とした差に愕然とした想いを抱けども、遥か彼方の高峰にいる姿に憧憬と尊敬を覚えずにはいられない。そんな彼女が自らを敗者に貶めることを許せるはずもない。

 

「これだけは絶対に譲らない」

「この頑固者め」

「褒め言葉をどうも」

「褒めてない」

 

 そして顔を見合わせて二人で笑い合う。

 

「気安くなったものだ。初めて会った時は警戒心剥き出しだったものを」

「そっちこそ。今にも飛び掛かりそうな野獣の目をしていた癖に」

 

 言葉のあちこちに相手をからかう意図を織り交ぜていても詰まることはない。始めて会った時のことを思えば、会話にジョークを混ぜられるほど随分とフレンドリーになったものだと懐古せずにはいられない。

 全力でぶつけあって、でも後々の遺恨にならないような決着の着き方だったから、今まで間を隔てていた心の壁が大分薄くなったように互いに感じていた。今までに溜まりきっていた互いへの愚痴をこの時とばかりに突き合う。

 

「さて、負けるのは何年ぶりだったか。ここ百年はなかったことだぞ」 

 

 いい加減に喋り疲れたところでエヴァンジェリンは過去を思い出すように言った。

 

「紅き翼とは戦わなかったのか?」

 

 魔法世界で英雄とも呼ばれている紅き翼とナマハゲ扱いされているエヴァンジェリンの相性が良いとは思わなかった。

 英雄とは正しさの象徴、正しいからこそ民意を得て英雄と呼ばれるのだ。逆にエヴァンジェリンは物語の中なら英雄に討たれる役回り。両者が出会えば戦いになっても不思議ではなかった。故にこその問い。

 

「じゃれ合い程度ならしたかもしれんが本気で戦ったことはないな。奴らとは不思議と馬が合った」

 

 もう十五年以上前のことを今のことようにエヴァンジェリンは正確に思い出せる。

 

「どちらが強い?」

「負けるとは言わんが確実に勝てるとも言えんな。奴らはそれぞれに尖った強さを持っていた。やってみないと勝敗は分からんが、それでも勝つのは私だ」

 

 ナギという太陽のような光に出会い、いずれも劣らぬ輝きを持つ者達との交流は楽しかったと断言できる。エヴァンジェリンにとって自分の正体を知っても恐れず臆さず、けれど敵意を持たなかった奴らは六百年を生きてきて極少数だった。

 怖いもの知らずではない。弱いからこその諦めでもない。強者に縋ろうとする卑屈さもない。同格で同じ立場に立ち、対等でいられる力を持った者達との交流は初めてだったと言っていい。幾分、想い人であったナギというフィルターを通した事や、数百年来の付き合いのあるアルビレオがいたことは関係していたかもしれないが。

 

「まだ遠いか」

 

 果てまでの道は見えず、高峰を仰ぎ見ることしか出来ない。それがどうしようもなくアスカには悔しかった。

 

「…………何故、私を助けた? 私達は敵のはずだ。命を賭けて助ける理由なんてないはずだ」

 

 エヴァンジェリンには分からなかった。あれだけの戦いをして、敵対関係にあったエヴァンジェリンを救う算段なんてないはずなのに命を賭けてまで行動した理由が分からなかった。

 

「うるせぇ。体が勝手に動いたんだ。理由なんてない」

「嘘をつくな」

「嘘ついたってしゃねえだろうが」

 

 隣にいるアスカは疲労でもう口を開いているのも辛そうだった。だが、エヴァンジェリンには信じられない。信じられるわけがなかった。

 

「脊髄反射で生きてるアスカが理由ありきで行動するわけないじゃない」

 

 更なる言葉を重ねようとしたエヴァンジェリンを封じるように、アスカの隣で横になっていたアーニャがようやく動かせるようになった体を起こしながら言った。

 

「危ないと思ったから体が勝手に動いた。大方そんなところでしょ。理由なんて期待しない方がいいわよ」 

 

 エヴァンジェリンは繋がれたままのアスカの手に意識を集中する。決して離すまいと握られた手は温かくて、それ以上の否定の言葉を口にすることは出来なかった。

 握られた手に力が込められた。視線をアスカの顔に向けると彼は笑っていた。

 

「親父のことなら心配すんな。時間がかかっても必ず見つけ出す」

 

 穏やかに、しかし力強く宣言したのは僅か十歳ばかりの少年。少年から男になろうとする者だけが持つ、澄み切った熱情があった。

 笑うアスカの顔にエヴァンジェリンは光を見い出した気がした。錯覚なのかもしれない。でも、もう一度だけならば信じられるような輝きだった。他の誰にも負けないアスカだけの光。

 

「眩しいな。本当にお前の光は眩しい」

 

 光を発する気質は終ぞエヴァンジェリンには得られなかった資質だ。彼女は何時までも待ち続ける。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは彼女にとっての光であるナギ・スプリングフィールドを待ち続ける。永遠を生きられるから、彼女は待ち続ける。傷つきたくないから、諦めてしまいたくないから、追うのではなく待つ側でいたいと望む。一瞬でもナギという光に照らされたエヴァンジェリンの弱さだった。

 

「違う。光は誰だって持ってる」

「いいや、私にはない。だから正直に言うなら少し羨ましい」

 

 自らが光となって誰かを照らすことは出来なかった彼女の本音だった。

 今までの彼女の人生は酷いものだった。善人では生きることは出来ず、きっと悪人にならなければ途中で狂っていたことだろう。人が当然と持つ心の光を捨てなければならない世界を生きて来た。無条件で守ってくれる親も、頼れる友もいない。生きる為に殺し、殺すために生きると錯覚するような時代を生き抜き、遂には人を殺しても何も感じない化け物へと堕ちた。

 やがてはそんな自分にも慣れて気にならなくなる。時間とは残酷で優しいのだと誰かが言っていたがその通りだ。女と子供を殺さないと決めたのは、本当の外道にならない為の一種の防波堤のようなものなのかもしれなかった。

 闇に生きる自分でも照らしてくれるナギが放つ光は心地良い。麻薬と一緒だ。一度知ってしまったら止められない中毒が光にはある。裏表なく良い意味で子供のまま大人に成ったようなナギと一緒にいれば、自分も救われるのだと錯覚した。英雄なのに人の輪の中で過ごしていられるナギが羨ましかったのだ。

 

「エヴァにだって光はある。この十五年の間、悪さをしていないじゃないか」

「十五年の間だけだ。私はお前達とは違う。あまりにも人を殺し、手を血に染めすぎた。もはや取り返しのつかんほどに。今更、光を求められんよ」

 

 全身を瘧のように震わせながらも肘を立てて体を起こしたアスカに驚きながらも、エヴァンジェリンは達観した笑みを浮かべる。

 

「私は悪の魔法使いだ。積み上げて来た多くの屍達の怨讐を前にしても誇ろう、私は闇の福音であると」

 

 人に害為す己が光であることは絶対に在り得ない。ならば、自分は人に仇名す悪であろうと名乗った。後悔はない。後悔なんて段階は当の昔に飛び越えている。

 

「じゃあ、どうして十五年も待ち続けた?」

「…………」

 

 答えられなかった。答えは分かっているのにエヴァンジェリンにはどうしても答えることが出来なかった。

 

「エヴァほどの魔法使いなら呪いだって解くことは出来たはずだ。なのに、待ち続けたのはナギ・スプリングフィールドを信じていたからじゃないのか」

 

 真に悪の魔法使いを標榜するなら人を、ナギを信じて待ち続けることはない。信じたのだ、ナギ・スプリングフィールドという男の言葉を。世間的には死んだとされていた男をずっと待ち続けた。

 エヴァンジェリンほどの超高位魔法使いであるならば、呪いを解くことだって出来たはずだ。少女染みた感傷だとしても、いじらしいとは言うまい。誇りを穢すことは決して出来ない。六百年の長きに渡り、孤独であっても生き抜いてきたのは彼女自身の力があってこそだ。最も辛い時代を自我を失わずに、決定的な人としての領域を最後まで乗り越えなかったのは彼女の強さ。

 

「悪の魔法使いだからとか、吸血鬼だからとか、そんな理由で救われたらいけないとか絶対にないはずだ」

 

 アスカの言葉は単なる綺麗事だ。残酷な現実に通じるはずもない。

 改めて、自分の事を再確認する。何のことはない。アスカ・スプリングフィールドが戦ってきたのは、けして勇敢だからでも善良だからでもなかった。我儘だからだ。自分の納得のいかない結果に、どうしても従えないからだ。

 現実はそんな行動を許容しないと分かっていても自分の言うことを嘘にしないためにこそ、アスカは馬鹿みたいな行動を繰り返している。

 

「求めてもいいんだ。願ってもいいんだ。じゃなきゃ、救われなさすぎる」

 

 小僧のアスカにエヴァンジェリンは絶対に理解できない。六百年だ。六百年の時を生きていないアスカにエヴァンジェリンの何が判ろう。例え同じ年数を生きようとも時代や辿って来た経緯が変われば、それどころか他人である以上は同じように生きようとも完全な理解はありえない。

 それでもアスカは願わずにはいられない。アスカが成りたいのは悪を倒す掃除屋ではない。悪をも救って見せる存在、全てを救うヒーロー。見果てぬ幻想そのものだ。アスカは信じたいのだ。この世に存在する全てを救うヒーローがいるのだと、悪でも救われてもいいのだと思いたいのだ。

 

『俺の息子達に手は出させねぇぞ!』

 

 あの日見た父の背中に追いつくために、アスカはエヴァンジェリンに手を差し伸べなければならない。

 

「何度でも言うが私は悪い悪い悪の魔法使いだ」

「…………」

 

 エヴァンジェリンの言葉をアスカは否定しない。彼女の生きて来た時間のどこを切り取っても、自身と他者の悲鳴と苦痛と涙に記憶は彩られている。

 

『――――光に生きてみろ』

 

 頭を撫でてくれたナギの言葉がエヴァンジェリンの中で木霊する。

 不死者であることも、悪の魔法使いであることにも、疑問も後悔もない。今更変えようとも思わないし、変えられるとも思っていない。なのに、脳裏に思い浮かぶ男の笑顔はどうしようもなく心の奥を疼かせる。

 

「五万と悪事を働いてきた。お前のような優しさは好ましいものだし、長き生の中では有難いと思うこともあったが、それだけでは割り切れぬものがあることを知れ」

「それでも俺が嫌なんだ。我慢できない」

 

 エゴイズムを全開にして、残酷な世界を受け入れられない子供のようにアスカは駄々を捏ねる。

 戦うとは即ち抗うこと。短い人生ながらも戦うことを選んだアスカ・スプリングフィールドは決断する。分かっていても、恥知らずでも、アスカは手を差し伸ばした。そうせずにはいられない。

 

「約束する」

 

 アスカにエヴァンジェリンは救えない。心の細波を起こせても変えることは出来ない。十にも満たないまだ何も知らない子供が六百年を生きた少女を救えるはずがない。当たり前で、分かりきっていたことだ。

 

「親父を見つけ出してエヴァの下に連れて来る」

 

 アスカにエヴァンジェリンを救えないなら、救える者を連れて来る。彼女の心身を縛る者、嘗ての英雄を此処へ。自分に出来ないのは剛腹だが。

 

「呪いの解呪にも全力を尽くす」

「お前はこの闇の福音を世界に解き放つと言うのか。そんなことをすれば将来に大きな禍根を残すぞ」

「悪を為さないと信じている」

 

 幸福が約束されない世界がないこの世で、他に何を言えるだろう。

 

「誰かに危害を加えたのなら俺が君を討とう。被害者たちに誠心誠意謝り、罪の代価に俺の死を望むならば代わりに命を捧げよう。それぐらいの覚悟もなしにこんな大それたことは言わない」

「この私を信じるというのか?」

「信じる。十五年の間、親父を待ち続けたエヴァなら信じられると思ったんだ」

「馬鹿め、それすらも私の策略かもしれんのだぞ」

「思わない」

 

 エヴァンジェリンは悪徳を積んでいても邪悪ではないと信じた。信じていたかった。エヴァンジェリンが十五年間もナギを求め続けたことは紛れもない光であると証明するために。

 

「闇の福音じゃない。不死の吸血鬼でもない。悪の魔法使いでもない。ただのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを信じる」

 

 どこまでもアスカは突き進む。助けて上げたいなどといった上から見た気持ちではない。ただ、見たかっただけである。きっと綺麗な、エヴァンジェリンの笑顔を。

 

「奇態な奴め」

 

 エヴァンジェリンは悪態をつきつつも、握っている手に力を込めた。触れている手は温かく、人肌の温もりはどうしようもない感傷を抱かせる。

 十五年の月日の中でナギの温もりは遠い思い出の中。でも、きっとこんな温もりであっただろうことは分かった。

 積み上げて来た罪は数知れず、築き上げてきた屍は数知れず、この手を突き放すべきなのか。答えを知る者はおらず、この場には手を握り合う二人しかいない。

 

「お前達親子は風のように自由に生き、風のように気ままに振る舞い、……………風のように、何時の間にか私の心深くに入り込んで来る。嫌になるぐらいに」

 

 信用に対する対価は信用でしか返せないことを知っていた。短いといっても共にいた時間がある。嘘はないと分かってしまう。ナギも、ネギも、アスカも、それぞれ生き方も在り方も違っても根元で繋がっている。流石は親子だと賞賛してしまうほどに。

 

「私は不死者だ。お前達が死ぬまで待ち続けよう」

 

 どんなに願っても想いは叶えられなくて、エヴァンジェリンの想いは何時だって届かなかった。幾つもの悲しいことがあった。辛いことがあった。苦しいことがあった。寂しい別れも一杯あった。だけど今、手の届く距離に受け入れてくれる光がある。

 エヴァンジェリンはこの十五年の間に弱くなったのかもしれない。甘くなったのかもしれない。それでも、彼女自身は今この想いを愛おしそうに抱きしめた。

 

「アスカ」

「エヴァ」

 

 相手の名前を呼ぶ。繋がった手が温もりを伝えてくれる。

 戦いながら触れ合って心をぶつけ合い、分かり合って名前を呼んで、言葉を交わして、温もりを伝え合う。二人は出逢って、少しずつ分かりあい、戦いながら触れ合って、伝え合って分かり合っていく。

 

「修学旅行にも行けるようにする。俺達に出来ないことはない。出来ないことは…………」

 

 ネギと同じく限界を超えて意識を保てなくなったのだろう。そこで言葉を途切れさせて、アスカの瞼は閉じた。

 規則正しい寝息を漏らすアスカの寝顔を見たエヴァンジェリンは、胸になにかが込み上げてくるのを自覚した。

 

「ナギは約束を守れなかった。でも」

 

 お前達が来てくれた、とエヴァンジェリンは胸の中で独白した。

 約束は果たされていない。それでも、エヴァンジェリンは今だけは寂しくはなかった。意識を失っても決して離さぬとばかりに繋がれた手から伝う温もりが今はとても愛おしい。

 

「お前は馬鹿だ。救いようのない馬鹿だよ」

 

 笑みの混じった言葉は眠っているアスカには届かない。負傷も疲労も治癒魔法で如何様にでも出来るが、傷ついた心身を癒すのに最良の方法は結局、眠ることなのだ。次の戦いに備えて、戦士は傷を癒すために静かに眠る。

 

「そんな馬鹿に親子二代に渡って振り回される私も同類か」

 

 少しだけ、本当に少しだけでもエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが救われたのかどうかは本人しか知る由はない。唯一つだけ言えることは、エヴァンジェリンは笑っていた。綺麗な、本当に美しい笑顔だった。それだけでアスカ・スプリングフィールドが人生を賭けられると思った笑みだった。

 

「あの、私達はどうすれば」

「今大事なところみたいなんだから放っておきなさい」

 

 気絶したネギを引っ張って二人っきりにしたアーニャと茶々丸がそんな会話をしたとかしていないとか。

 禍音は鳴らない。この時の世界には福音が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺たち完全に蚊帳の外やん」

 

 上から降りて来た小太郎が隣に降り立って並んで眼下を見下ろしながらの一言に、明日菜は深く同意した。

 明日菜の肩の上でカモは煙草に火をつける。

 

「上手くいったんからいいじゃねぇか。これも一つのハッピーエンドってな」

 

 カカカ、と笑うカモに明日菜は表情を暗くした。

 

「私って、いなくてもどうにかなったんじゃないの」

「そうでもないでさ。明日菜の姉さんがいてくれたからこそ、兄貴達は合体が出来たんだ。姉さんがいなきゃ、どっちの道じり貧。ま、エヴァンジェリンの実力が桁違い過ぎて同じ結果になったかもしれねぇが、姉さんがいなくても良かったことはならねぇよ」

 

 肩の上で恰好をつけながら煙草を吸っているカモの言葉に明日菜は容易く頷くことは出来なかった。茶々丸の相手をしていたが、彼女は明日菜の身を案じていると分かるほど積極的な攻撃はしてこなかった。戦力になれたと実感がない状況では、カモの慰めを受ける気にもなれない。

 

「それよか、なんやね。あの二人が合体したあれは」

 

 落ち込んでいる明日菜の気持ちなど知ったことではない小太郎は、事情を知っているカモを睨み付けた。

 

「麻帆良に来て早々、あのチビジャリに合図をしたら敵を攻撃しろって脅されるし、アスカとネギが合体しよるし、しかも、戦うのは真祖の吸血鬼とか意味が分からんわ」

 

 カモは小太郎を見ながら肺一杯にニコチンがたっぷりと詰まったガスを吸い込んで吐き出す。

 

「アスカの兄貴の『絆の銀』の効果だぜ。二人の装着者を合体させて能力を倍増させるアーティファクト。装着者同士の相性や力が近ければ近いほど莫大な力を得ることが出来る。二人が持つ最大に最後の切り札だ。ちなみにネスカってネーミングは俺っちが付けさせてもらったんだ」

 

 一度だけとはいえ、油断しきった高畑に土をつけた切り札。双子というこの世で最高の相性を持つ二人が合体して生まれたネスカですらエヴァンジェリンの足下にすら届いていないことに、三人の願いを知るカモは煙草の煙を吐き出しながら果てしなき頂きの高さを再確認する。

 

「ネスカ、やと。まだまだ先があるやないか」

 

 小太郎はブルリと体を震わせる。互いに底を見せ合ったと思ったアスカにはまだ先があったことに、武者震いにも似た震えが体を襲っていた。

 ネスカの力は隠形で身を隠しながら橋の上からずっと見ていた。もし、エヴァンジェリンではなく小太郎がネスカの相手であったなら恐らく傷一つつけることも出来ないだろう。或いは手を使わず足だけでもあしらわれることも出来たかも知れない。合体によって飛躍的に能力を向上させたネスカの力はそれほどのものだった。そのネスカを歯牙にもかけないエヴァンジェリンの底力。

 

「本当、世界は広いで」

 

 井の中しか知らなかった小太郎は世界の広さを思い知り、今は苦渋を耐え凌ぐ。

 そんな小太郎の横で、近づけたようで実際には互いの距離の遠さを思い知らされた明日菜が眼下で動かないアスカ達を思う。

 

「まだまだ遠いな……」

 

 戦える武器も力も手に入れて、少しは近づけたと思った。なのに、アスカからの魔力供給が途切れた明日菜に橋の下に降りる手段すらもない。借り物の力と与えられた力では、この距離は永遠に埋まらないのだと明日菜は知った。

 明日菜の呟きを肩の上で聞いてしまったカモは空を見上げた。

 世界は、耳が痛くなるほどの静けさだった。ありとあらゆる喧騒が絶え、砲声や人の声ばかりか、鳥や虫の泣き声も一切聴こえない。少し欠けた十六夜の月が蒼く世界を浮き立たせている。普段の街からは考え難いほどに月は蒼く澄んでいて、何かの啓示を与えているようでもあった。

 




弱いネギとアスカが合体したところで(サイヤ人編の悟空とベジータが合体したところで)、エヴァンジェリン(フリーザ)に勝てるわけないじゃないか、という内容でした。

ちなみに、小太郎のことを知っているのはアーニャのみ。アスカとネギだけではなくカモも知りません。
もし、小太郎のことをカモが知っていたら明日菜は待ちぼうけ。明日菜vs茶々丸が小太郎vs茶々丸になっていました




以下、その夜の後に


エヴァ「結界諸々とご苦労だった、ジジイ」
学園長「スッキリした顔をしおって」
エヴァ「まあ、な」
学園長「だが、この氷河を解くまでは帰さんからの」
エヴァ「え!?」

そしてエヴァンジェリンは居残りを命じられたのである。





次回 「バースデー・パニック」

舞台は原宿。そこで起きる事件とは果たして。


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第12話 バースデー・トラブル

閑話的なお話。


 

 修学旅行直前の週末、この街中を修学旅行に持っていくものを買い込むために3-Aの生徒三人が歩いていた。

 

「やっほ―――っ! 良い天気♪」

 

 活気溢れる原宿の街に、前髪をヘアピンで止めた椎名桜子が背筋を伸ばしながら、底抜けに明るい一際元気な声を放つ。まるで山彦を発生させようとしているような声はビル風にも負けずに周囲に散り、雑踏の音に紛れてすぐに消える。桜子の隣には同じくチアリーダーの二人、ジーパン姿の釘宮円と、キャップを被った柿崎美砂の姿もあった。普段から行動を共にすることの多い三人で修学旅行の為の買い物に来たのだ。

 

「ん―、ホント」

 

 桜子の言葉に、美砂もこういった天気が良い日はそうないだろうと同意して頷き、無言だが一緒に歩いている円も同じ気持ちだ。

 

「ほにゃらば、早速カラオケ行くよ――っ♪ 九時間耐久♪」

「よ――っし! 歌っちゃうよぉ、いくらでも!」

「こらこら違うでしょ。今日は明後日からの修学旅行に自由行動日で着る服を探しに来たんでしょ。予算も少ないんだから何時もみたいにテキトーに遊んでると…………」

 

 修学旅行だからといって事前に買出しをする必要はないと思うのはずぼらな男子だけで、女子ならばオシャレに気合を入れるのは当然の事である。四泊五日の旅行中には何度か班別の自由行動の機会があり、その時には私服行動も認められているので、この機に乗じて服を新調しようと思うのは、オシャレに熱心な女子中学生には当たり前の事で、中には下着にまで気合を入れる者もいるだろう。買い物だけなら麻帆良の中で十分に事足りるが、例え同じ品が置いてあったとしても、それぞれ街の空気が違う。普段と違う空気に触れることは、退屈が最大の敵の一つである少女たちにとって必要なことであった。

 あまりの気持ちの良さに目的を忘れて暴走しかけている友人達を止める為に円が真顔で突っ込む。

 

「ゴーヤクレープ一丁♪」

「あ、私もー」

「話し聞け―――ッ! そこの馬鹿二人!! もう怒った! 私も食べるっ!」

 

 最早遊ぶ気満々の二人には馬耳東風で全く話を聞かず、ブツブツ言う円を放って何時の間にか近場のクレープ屋に飛びつき、買い食いを始める始末。

 結局全く話を聞かない二人に切れた円も交えて、冗談で頼んだゴーヤクレープの苦さに驚き、ウィンドウショッピングで可愛い 服を見つけて騒ぎ、ナンパしてくる男を一刀両断しながら何時もの通り遊び始める。

 

「あ―ん、楽しい。私達普段は麻帆良の外に出ないからね―」

 

 麻帆良であれば大抵の買い物や娯楽があるので、このような機会でもなければ都市の外に出ることがない。今時の少女らしい言動のまま町を歩く三人は「女三人寄れば姦しい」と言う諺をそのまま体現するように、そのままワイワイと雑談を交えつつ順調に資金を減らしていく。当初の目的が頭の中に残っているのか怪しい。

 

「――――ん?」

 

 賑やかに街を歩く彼女達だったが、美砂が視界の中に留まったある一行を見て動きを止めた。

 

「どしたの、柿崎?」

 

 不思議そうに彼女を見た円がその視線の先を見ると、ピシリと彼女も固まった。

 

「ち、ちょっとあれ、アスカ君と木乃香じゃない!?」

「ホントだ―…………こんなところで何やってんだろ」

 

 驚いた三人だが、思わずアスカと木乃香に見つからないように、道端で新聞を立ち読みしているサラリーマンらしきスーツを着た男性の後ろに隠れて身を潜める。

 流石に迷惑そうにしていた男性に謝りながらそこを離れ、改めて電信柱と大きめのマスコットの裏に隠れて二人を視界に納める。三人の視界の先には私服姿の木乃香とアスカが楽しそうに話しながら洋服を選んでいた。

 

「なな、コレなんかどやろ、アスカ君」

「いいんじゃないか。木乃香に良く似合ってると思うぞ」

「あんもー、アスカ君たらちゃうてー」

 

 手に取った一着の服を両手に広げ、似合うかどうかを聞いてアスカが似合うと褒めた途端、木乃香の顔が嬉しそうに綻ぶ。その光景は人種の違いがなければ仲の良い姉弟と見えなくもないが、年長者を敬うことを知らない無駄にアスカの態度がふてぶてしい所為で、まるでデートのような様相をみせる二人に三人は一様に顔を付き合わせる。

 

「「「これって、もしかしてデートじゃないの…………?」」」

 

 三人共同じ事を思ったのか揃ってその単語を口にし、頭をつき合わせて事の真偽を話し合う。

 

「で、でもアスカ君十歳だし…………ちょっと姉弟感覚で買い物に来ただけじゃ」

「姉弟感覚で、わざわざ原宿までは出てくる?」

「最近、アスカ君は明日菜と怪しいところがあるし、ここ数日はエヴァちゃんが熱視線を送ってたじゃない」

「あ―わわわ、たた大変かも―! 女子校で男子生徒と付き合ったら木乃香でも退学になるんじゃ」

 

 驚きで天元突破した桜子が飛躍した言葉を口にしたので、色々と三人の頭の中に浮かんでくる恋愛模様を妄想しつつ、ワーワーギャーギャーと騒ぐ。

 

「と、とにかく当局に連絡しなくちゃ!!」

 

 妙にリアルにアスカが木乃香を押し倒すシーンを想像してしまった三人は、流石にそれは色々とマズイと美砂が携帯電話を取り出して電話をかける。

 

「ととっ、当局って!? 職員室!?」

「バカ! んなとこ連絡したら、即退学でしょ! 明日菜には連絡できないから木乃香の百合百合な相手の桜咲さんでしょ!」

「それはそれでマズいような」

 

 先程の驚きが残っているのかまたぶっ飛んだことを考えた桜子に返しつつ、実はこちらも混乱している美沙が電話をかけた相手は桜咲刹那らしい。美沙の中で木乃香の相手は刹那で、しかも二人は百合な関係だと認知されていることに一足早く冷静さを取り戻した円が首を捻ったが既に遅い。

 

『はい、桜咲です。どうかしましたか、柿崎さん』

「桜咲さん。いい、落ち着いて聞いてね。今、私達原宿にいるんだけど、なんと木乃香とアスカ君がデートしてるのを目撃しちゃったのよ!」

『………………』

 

 興奮しっぱなしの美沙は電話口に出た刹那に一気呵成に用件を伝えきった。しかし、予想した返事は返ってこないことに首を捻る。

 

『お二人が原宿に行かれていることは聞いています。それがどうかしたのですか?』

「へ?」

 

 これは修羅場かと思われた美沙の思惑を裏切って、いたく平然と返されたので逆に目が点になった。

 更に言葉を重ねる気配が電話口の向こうからドンドンとドアを叩くような音が聞こえた。

 

『こら、刹那! 何時までトイレでサボってるんや! 課題増やすで!』

『ひ!? 勘弁して下さい千草さん。これ以上は無理ですって』

 

 どうやらトイレに入って電話を受けたらしい刹那は、同じ部屋にいるらしい担任の天ヶ崎千草に急かされていた。

 

『千草姉ちゃん、俺腹減った』

『そこの肉でも食っとき!』

『生やんこれ』

『ああもう、焼くからちょっと待っとき! 刹那はさっさと戻ってやらんかい。うちだって偶の休日ぐらいは羽根を伸ばしたいのに、長の命令を聞かないあかん立場なんやで。はよ、向こうから出された』

『ちょ!? 今電話中です。それ以上は禁句です!!』

 

 と、ドタバタと騒がしい音の後に美沙には分からない理由で電話は切られた。恐らく禁句という言葉から美沙には聞かれたくない言葉を続けようとした刹那が電話を切ったのだろう。

 

「どうだったの?」

「う~ん、桜咲さんは知ってたみたい。天ヶ崎先生に課題出されてるみたいで怯えてた。電話を受けたのもトイレでみたい」

 

 首を捻って電話が切れた携帯を持った美沙は円の問いに答える。

 

「話を聞いている限りだと面白キャラになってきたよね、桜咲さんて」

「三学期というかアスカ君達が来てからだっけ。桜咲さんと木乃香が仲良くなってきたのって」

 

 美沙の携帯に耳を当てて通話を聞いていた桜子の感慨に、円も刹那の変化が起きたのがアスカ達が来てからだということを考える。その話の流れで美沙は、席も近いこともあって話すことの明日菜から以前に聞いた話を思い出した。

 

「ちょこっと聞いた話だけど、元々木乃香と桜咲さんって幼馴染だったんだって明日菜が前に言ってた。家のことや木乃香が麻帆良に来たことで疎遠になってたけど、アーニャ先生が桜咲さんの部屋で居候した関係で仲直りしたんだって」

「想い人を追いかけて麻帆良まで来るなんて桜咲さんもやるね」

「私は腐ってるアンタの考えの方がやると思う」

 

 うんうんと一人で頷く桜子に一人でそっと突っ込む円。桜子はどうしても木乃香と刹那が出来ている百合な関係にあることにしたいらしい。女子校なのでそういう同性間の恋愛もあるらしいことは小耳に挟んだことのある円であったが、3-Aの面々にはそういう毛はないと思っているので二人を擁護する意見を出す。

 

「あっ、二人が動き出した! 早くつけないと!」

 

 その間に二人は洋服屋を離れ、何も袋を持ってない事から服は買わなかったようで美沙が二人を急かして後を追うのだった。

 当然のことながらドタバタと後を追ってくる三人のことは当然のことながらアスカには大分前からバレていた。

 

「なにやってんだ、あの三人は」

「どうかしたん?」

「なんでもない。それより悪いな。折角の休日を潰しちまって」

 

 聞いてくる木乃香にアスカは若干申し訳なさげに頭を掻いた。珍しいアスカの態度に木乃香は笑みを深める。

 

「ええよ。うちも明日菜の誕生日プレゼント買わなって思ってたところやし」

「付き合わせてることには変わりねぇんだ。なんか知んねぇがアーニャ達から金貰ったし、今日は好きなもん奢ってやるよ」

「おっ、気前がええな」

「今の俺はちょっとした小金持ちだからな。遠慮しなくていい」

 

 木乃香としてもタイミングの良い誘いで、お嬢様といえど与えられる小遣いは一般家庭と変わらないので奢りの言葉に揺らぐものがあった。

 祖父の近衛近右衛門は孫に甘い部類に入るが、茶化すことはあっても躾け関係においては厳格な部類であった。裕福な家柄なのだからもう少しお小遣いを上げてくれてもいいのではないかと思いもするが、下手に抗弁するとお小遣いカットもありうるのが木乃香の悩みの種である。

 ふぅ、と溜息を漏らした木乃香にアスカは首を捻りつつ、気になっていることがあるのか口を開いた。

 

「刹那はどうしたんだ? 最近はずっと一緒にいるのに、今日はいないなんて珍しい」

「待ち合わせ場所に向かってる途中で千草先生に捕まってしもうてな。事情を話すとせっちゃんだけ陰陽術の課題やって連れてかれてもうてん」

「神鳴流って陰陽術も使えんのか?」

 

 そこで木乃香の分の課題はないのかと聞かない辺りがアスカらしい。目を輝かせて聞いてくるのは戦闘にどう関わってくるのかを考えているのだろうと、アスカの性格を読み切りつつある木乃香は突っ込みはしなかった。突っ込まれても返す言葉に困ったことだろうが。

 

(まさかお父様がうちとアスカ君をくっ付けるために、こういう時の為に千草先生に課題を持たせてせっちゃんを引き止めてるなんてとても言えん)

 

 自身の父が嬉々として動いていることなど、巻き込まれているとはいえ娘である木乃香の口から言えることではない。内心では覆いに冷や汗を掻きながら、曖昧に笑ってまだ新米だから分からないとしらばっくれるしかなかった。

 

「全然関わってないからそこら辺分かんねぇんだけど、陰陽師の修行はどうなんだ? 進歩してんのか」

 

 有難いことに木乃香が突かれたら痛い所には触れずにアスカの方から話題を変えてくれた。

 ほっ、と安堵の息を吐きつつも木乃香は肩を落とした。

 

「それがさっぱりやねん。魔力も気も全然感じ取れへんから初っ端から躓いてて、先に知識だけは詰め込んどるって状態や」

 

 一ヶ月近い時間が経過してもまともな成果を上げられないことに木乃香はさっきの安堵とは違う重い息を吐く。

 

「こういうのは普通は小さい頃から自然と覚えるもんだから、時間かかんのはしゃあねぇだろ。魔法学校にもいたぞ。そういう奴」

 

 教師役の千草が困った感じで悩んでいたのを気に病んでいた木乃香を慰めるように頷いたアスカは、魔法学校時代のことを思い出しているのか目を細めた。

 

「アスカ君の時はどうやったん?」

「俺は…………確か貰ったばかりの杖を適当に振ったら凄い火が出来たな。出会い頭に知り合いの爺さんを燃やしちまって、殺す気かってえらい怒られた」

「ああ、うん。アスカ君やもんな」

 

 幼き頃からアスカの常識外れ振りは尋常ではなかったようだ。現在の麻帆良学園都市で常識で縛ってはいけない男№1の称号を得ているアスカの所業に、聞くのではなかったと初歩の初歩で躓いている木乃香は遠い目をした。

 もし、これでネギやアーニャも似たようなことをしていたら精神崩壊するので、それ以上は聞かないことにした木乃香だった。

 

「そういえば、ネギ君とアーニャちゃんは? 今日来れなかったんは教師の仕事なんか?」

 

 アスカを誘えばネギとアーニャが、ネギとアーニャのどちらかを誘えばその残り二人がと、こちらこそ三人で行動することの多い一行なのでアスカを誘えば残りの二人がもれなくついてくると考えていた木乃香だった。

 

「そうとも言えるし、違うとも言える。二人はネカネ姉さんと恐山ってとこに行ってる。夕方には帰って来るって言ってたぞ」

「恐山に?」

「さよも修学旅行に行きたいらしくて、恐山には地縛霊を取り付けて移動できる藁人形があるらしいから取りに行くんだと」

 

 成程、と木乃香は頷いた。恐山は地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られていて、高野山・比叡山と並んで「日本三大霊山」と宣伝されている。口寄せを行う巫女で巫の一種であるイタコが恐山にいると学んだので、千草から何も話を聞いていないので関東魔法協会の伝手を頼って手に入れた情報なのだろうと納得した。

 

「うちも陰陽師になれたらさよちゃん見えるんやろか」

 

 クラスメイトなのだから見えて喋れるようになりたいと少し愚痴ってしまう木乃香だった。

 

「さあ? 刹那やネギでもよほど目を凝らさないと薄ぼんやりと見えないらしいし、クラスで存在をハッキリ見えてるの俺とエヴァともう一人ぐらい怪しいのがいるぐらいだからな。ま、頑張れ」

 

 隣の席の朝倉和美も存在のならば悪寒として感じることぐらいは出来るらしいが、エヴァンジェリンのことを知るまで木乃香の中では見えて喋れるとなるとアスカのみに限られていた。

 幼い頃に刹那も離れて一人だった時が長かった所為で友達はみんな仲良くが心情の木乃香としては、是非とも仲良くなりたいのだが見えず聞こえずでは間に誰かが入ってもらわなければ会話すらなりたたい。苦痛とまではいかないがまどっろこしいことは事実なので、なんとか自分で見て話してみたい木乃香だった。

 

「うう、自分は見えるからってアスカ君は薄情や」

「つってもな、なんで俺に見えてネギやアーニャには見えないのかサッパリ分かんねぇから、一端になれたからって見えるとは確約出来ねぇよ」

 

 出来ることは出来る、出来ないことは出来ないとハッキリと言うアスカに泣き真似をして同情を引こうとした木乃香は諦めた。

 ふと、さよの話題からエヴァンジェリンのことが出て来て、彼女とアスカ達が戦ったことを連想した。

 

「エヴァちゃんと戦って聞いたんやけど、やっぱ強かった?」

 

 聞くと、アスカは驚いたように目を丸くした。珍しい顔だなと木乃香は、普段は何が来ても泰然自若として受け入れるアスカの驚いた顔を見て思った。

 次いで、アスカはニヤリと嬉しそうに笑った。

 

「ああ、強かった」

「アスカ君よりも?」

「もっとずっとな。手も足も出なかったし、足元にすら届いちゃいねぇ。世界はまだまだ広かったぜ」

「の割には悔しそうに見えへんけど」

「そりゃ悔しいさ。でも、だからって何時までも立ち止まっている理由にはならねぇ。俺はもっともっと強くなる。強くなれると思ってる」

 

 拳を握って決意表明をするアスカの姿は、木乃香から見ても後を引き摺っているように見えなかった。

 

「あんだけ強いエヴァが弟子入りを認めてくれたんだ。対価は高かったけどよ」

「対価? お金とか?」

「いや、俺とネギの血。修学旅行に行きたいから血を寄越せって凄く吸われた」

 

 スプリングフィールド親子とエヴァンジェリンの諍いには、自身に課せられた陰陽術の勉強もあってあまり首を突っ込まなかった木乃香は首を捻った。

 そこで、ぐ~とアスカのお腹が鳴る音が響いた。 

 

「そろそろ昼だけど、どうするよ」

 

 原宿は日曜で人も多く、ショウケースからも活気が溢れているようで、その混沌とした力強さと洗練されたお洒落さが鬩ぎ合うこの街はとても新鮮なものだった。こんなにも沢山の人を見るのは生まれて初めてかもしれない、と周囲の人波を見ながらアスカは思った。それとも以前にも見たことがあるだろうか。考えたが、直ぐにどうでもよくなって考えることを止めた。

 

「明日菜の分は作って来たし、どっかで食べよ」

「ふ~ん」

 

 明日菜の話題になると、アスカは傍目で分かるほど様子がおかしくなった。木乃香の目がキュピーンと光る。

 

「明日菜のこと、気になんの?」

「そういうわけじゃなねぇんだけど、エヴァと戦った後からなんか考え込んでるみたいだからさ」

 

 それを気になるのではないかという野暮な突っ込みは、同じことを思っていた木乃香もしなかった。実際、明日菜は停電日に飛び出して行ってから思案していることが増えていて木乃香も気にしていたところだった。

 

「心当たりあるん?」

「あるような、ないような。多分、これのことじゃないか」

 

 原因が夜の停電の間であることは間違いない。その場にいたはずのアスカは微妙な顔をしながら一枚のカードを取り出した。そこには左手全体に肩当てと篭手を付け、洋装を纏って大剣を背中に掲げた明日菜が勇ましい笑みと共に映っている。

 

「ひゃー、明日菜の絵が綺麗に描かれてある♪ ええなぁ」

 

 占い研部長でタロットカードのような仮契約カードに木乃香の目が輝いた。

 

「仮契約カードって言ってな。仮契約の仕方に問題があったんじゃないかと俺は思うわけだ」

「仕方って?」

「一番簡単な方法がキスだ。他は物凄い手間と時間がかかる」

「キス?」

「またの名を口づけとも言うな。やっぱ不意打ちはマズかったかね」

 

 その単語がまさかの目の前の人物から放たれるとは思いもせず、木乃香は目を点にして唸るアスカを見つめるのであった。

 そして記憶を思い返す。少なくとも明日菜は後悔といった後ろ向きの感情を抱えているとは見えず、どちらかといえば内向きな思考に囚われていたと二年以上を共に過ごす木乃香は考えている。

 この話題は慎重に事を運ばなければならないと悟った木乃香は話題を逸らすために視線を動かした。

 

「これなんてどうやろか? 明日菜に似合うと思うんやけど」

「うーん………悪くないが、少し早い気がしねぇか? 口紅なんてネカネ姉さんも17、8ぐらいからし付けてなかったぞ。明日菜もそうでけど木乃香も美人なんだからそのままで充分だって」

「ややわぁ、照れるなー」

 

 服屋を出て目に付いた次の店に入り、目に付いた木乃香が指差す物は口紅だが、中学三年生では少し早い気がしたアスカは思った事を素直に言いながらも自覚なく褒め、美人だと褒められた木乃香は頬を赤く染めて照れる。

 当のアスカは照れる木乃香ではなく店外を見ていた。

 

(なにやってんだか………)

 

 刹那の代わりの護衛も兼ねているので辺りへの警戒も怠る事なく、何だかんだで服屋を出て歩いている途中で後ろから覚えのある気配と視線を感じたアスカは、自分のクラスの生徒のものだと感づいていたが危険もないだろうと無視する事にした。

 

「身に付ける物ならイヤリングとかなんだろうけど、明日菜はしてないから髪留めやリボン………は不味いか」

「明日菜がつけてる髪留めは想い人からの贈り物やからな。気が利くな、アスカ君も」

「こういうことはアーニャがやたらとうるさいかったからな。嫌でも身に着ける」

 

 口紅が売っている店から離れてアスカが何を買うべきかで髪留めやリボンでもと考えるが、明日菜がしている髪留めがどういう物なのかを思い出して除外して別の店に向かう。

 

「あ~、これなんかええかもな」

 

 幾つかの店を回り、そう言って木乃香が手に取ったのは今の流行りからは外れているが明日菜が好きな曲が流れているオルゴール。

 

「オルゴールか? 明日菜の趣味とは思えんが」

「これに明日菜の好きな曲が入ってんねん。どうかな?」

 

 オルゴールが明日菜の趣味とは思えなかったアスカが否定的な意見を出すが、木乃香の話を聞いてそう言えばとそうだと思い出す。

 値札を見ると中学生のお小遣いくらいでは厳しいものがあるが、一番今まででピンときた物のようで木乃香も悩んでいる。

 

「いいんじゃねぇか。高いなら俺も出すし、二人からのプレゼントということにしたらいいだろ」

「ええの?」

 

 折衷案と言うことでアスカもお金を出す事を伝えると修学旅行前なので全額を一人で支払うことに悩んでいた木乃香にとって在り難い話ではあるが、値段が値段だけに躊躇してしまう。

 

「一緒に住んでいた頃に世話になったお返しってことにしといてくれ」

「うん。ありがとな、アスカ君」

 

 笑うアスカに、木乃香は受け入れる理由を作ってくれた心遣いに感謝する。そんなどこの甘酸っぱい青春を謳歌しているのかと突っ込みたくなるような二人を見て、後をつけていた三人が砂糖を吐いていたのだがあまり関係の無い話である。

 それから費用を折半してオルゴールを買い、綺麗に包装されてアスカが持って歩く。

 

「…………ん?」

 

 そろそろ昼かなという時間、どこかでお昼御飯を食べようかと店を探していた時に、アスカがシャッターの閉まった店の前で露天を開いているアクセサリー屋に目を留めた。アクセサリー屋が並べている商品の一つに目線が釘付けになったようだった。

 アスカが露天に近づいていく。珍しい様子のアスカが気になって木乃香も付き従って露店の前に出た。

 

「いらっしゃい! おぉ、坊ちゃん、嬢ちゃんは恋人かい?」

 

 店を開いていた少しチャライ雰囲気はあるが、中々に男気のある若い男性がにこやかに笑って二人を迎え入れた。

 

「まさか、こんな麗しいお嬢様と一緒に歩けだけで幸せなのに恋人なんておこがましい」

「おや、そりゃ俺の目利きも外れたか」

 

 簡単に流したアスカは別にして、木乃香は言葉を理解する一瞬の間をおいて頬を赤く染める。そんな木乃香を見て笑う男性とアスカ。

 二人にからかわれた木乃香が膨れるのも無理は無かった。その様子ですら男性とアスカに微笑を浮かばせるほど可愛らしいものであったのは秘密である。

 

「こりゃ参った。少年、ご立腹のお嬢様のためになにか買って行くといい。サービスしとくぜ」

 

 男性の口の上手いチャライ雰囲気とは違い、並べられている商品の作りはかなりの上質であった。

 

「へぇ、お勧めとかはあるのか?」

「これなんてどうだい。お奨めだぜ」

 

 芝居がかった男性の商業精神に満ちた進めに敢えて乗ったアスカがお気に入りはあるかと問い、初めから決めていたように並べていた商品から一つのペアリングを差し出した。二つのシルバーの指輪は、宝石も付いていない簡素なデザインだが人の目を惹きつけて止まない不思議な引力を持っている。

 

「ほわぁ…………こっちのペンダント、綺麗や」 

 

 アスカがペアリングを見ている横で、木乃香はペアリングの近くあった細工が流麗なペンダントを大層気に入ったようだった。 

 

「おい、これって」

 

 木乃香が商品に見入っている横で、アスカが明らかに他と毛並みが違うペアリングを指差した。

 

「兄ちゃん、これだろ。知り合いから貰ったやつなんだ。安くするから頼むから黙っててくれよ」

 

 露天商は指先に魔力を灯らせて、自分が同世界の住人であることを示してアスカを近寄らせる。指一本分伸ばせば触れるぐらい距離に寄ったアスカの耳元に露天商が口を近づける。

 

「くれた知り合いの話じゃ、これは装着者の指に合わせて大きさが変わるだけの代物だ。他にも色々と機能があるらしいけどよ、一般の奴に売るわけにもいかねぇし、頼むから引き取ってくれよ」

「つってもな」

「姉ちゃんが欲しがってるペンダントには防御の力もあるんだ。一緒に買ってくれたら出血大サービスするから頼む」

 

 懇願するように両手を合わせて懇願してくる露天商の男にアスカは疑わしい視線を向けた。木乃香が魅入っているのと合わせても財布の中身を傷めるほどの値段にはならない。アスカの決断は早かった。

 

「じゃあ、それとこれを買おう」

「毎度あり♪ 御馳走様お二人さん」

 

 そんな二人をクスクスと眺めながら、男性はアスカからお金を受け取りながら後半部分を誰にも聞こえないような声でこんな事を呟いていた。全てアスカの耳には聞こえていたのだが、薮蛇になりそうなので突っ込むことは無かった。

 ペンダントは木乃香が、ペアリングはアスカがぞれぞれ受け取る。

 木乃香は受け取ったペンダントを大事そうに鞄に入れ、丁度昼の時間になったので近くの喫茶店に入った。

 

 

 

 

 

 露天商の男はアスカ達が去った後、あっという間に広げていた露店を片付けると路地裏に来ていた。人の通りが無い路地裏は陰鬱な空気が漂っているが男は気にした風も無く進む。そして奥まったところで足を止めた。

 

「やれやれ、ナギの息子は勘が鋭すぎていけませんね」

 

 先ほどまでアスカと話していた口調ではなく、そもそも声すらも明らかに変わっている。

 

「極東の姫君か魔法世界の姫君か、どちらの手に渡るにしてもみなさん過保護ですよ。ま、引き受ける私も私ですが」

 

 くつくつと笑った露天商の男の姿が変わる。どこにでもいる若者風情の姿がローブを全身に纏った物語に出て来そうな魔法使いの姿に。

 

「おっと、人形ではこれ以上の稼働は難しいですか。ふふ、それでは良いご加護を」

 

 そしてローブの人影はその場から跡形もなく消えた。

 全てを見ていた野良猫がニャーと不思議そうに鳴いた時には、もう誰もいなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の後を追って喫茶店に入り、木乃香が頼んでウェイトレスが持ってきたジュースを見た美砂はニヤッと笑って携帯を取り出して電話をかけた。今度の相手である神楽坂明日菜は、女子寮のロビーで昼食を取っていたところであったが盛大に飲んでいたお茶を噴き出した。

 

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」

 

 盛大に気管に入った明日菜が咽る足下に落ちた携帯には、美沙から送られて来た写真メールが映っていた。ウェイトレスが気を利かせたのか二人の間にジュースを置いて、二本の内の一本に木乃香が口をつけた瞬間という、何とも誤解を招きかねないタイミングで撮影して撮った写真である。

 

「どうしましたの、明日菜さん。そんなにお咽になって」

 

 と、これまた何故かタイミング良く通りかかった雪広あやかが盛大に咽ている明日菜の下へやってきた。

 咽ている明日菜の背中を甲斐甲斐しく擦ってあげながら、落としている携帯を拾おうと腰を屈めたところで動きを止まった。その目は開かれている携帯の画面を注視していた。そしてその写真の送り先が柿崎美沙であることを知ると、自分の携帯で美沙に連絡を取った。

 

「何ですのこれは~~~~~っ!」

『ひあっ!』

 

 美砂が突然携帯から響き渡ったあやかの大声に目を白黒させながらも、携帯を落とさなかったのは幸運と言える。

 

「3-Aクラス委員長として命じます! 不純異性交遊は絶・対・厳・禁! 断固阻止ですわ!! 学校に知られればネギ先生の立場が危うくなります!!」

 

 物凄く私利私欲な内容に電話の向こうで美沙はドン引きだった。

 

「柿崎さん、釘宮さん、桜子さん! あの二人が必要以上に接近しないように見張っててください!」

『え~~!?』

『そんなぁ~。応援するのが私達の役目なのに~~~』

 

 クラス委員長としてのあやかの命令に、チアリーダーとして二人の恋を応援する事を考えていたところなので不平不満を口にする桜子と美砂、円は何も言ってはいないがやはり不満そうな顔をしているだろうことは容易く想像がついた。ここら辺はお祭り好きの3-Aの気質が濃く出ているので、伊達に二年と少しの間あやかもクラス委員長をしているわけではない。

 明日菜の携帯で憤怒の表情を撮って円の携帯に送る。

 

「よ・ろ・し・いですわね!?」

『はふっ! り、了解いいんちょ!!』

「わたくしも直ぐに向かいます。それまではよろしくお願いしますわ」

 

 声の調子から円が美沙に携帯を見せたことを確認して、あやかも現場に向かう事を伝えて電話を切る。

 そして、ふと背中を擦ったままの明日菜が何も言わないことに気が付いて視線を落して唇の端を引き攣らせた。

 

「ねぇ、委員長……」

「は、はいぃぃぃ!?」

 

 能面のような無表情になっている明日菜に、あやかは盛大に膝ががくついた。在りしの情動が薄かったのとは違って、溢れ出る激情を無理矢理に押さえつけているが故の無表情。良くも悪くも直情的な明日菜を知るだけにあやかは恐怖心を感じていた。

 

「私も連れてってくれるわよね」

 

 疑問形ではなく命令されているような気持ちになったあやかだったが、今の明日菜に否と言えるほど気は強く持てていなかった。

 

 

 

 

 

「もう仕方ないなぁ」

「じゃあ正体がばれないように……」

 

 半ば脅されたとはいえ、お祭り好きであり恋愛話が大の好みである女子中学生としてはあやかに命令されたと言う大義名分もできたので、困ったと言いながらもその顔は緩んでおり、言うが早いが三人はパーティーグッズ売り場に駆け込んで着替える。

 

「「「チアリーダーの名に賭けて!いいんちょの私利私欲を応援よ!」」」

 

 数分後、一世代前に流行ったコギャルの如くセーラー服に身を包んで顔黒にした美砂と桜子、そして何故か一人だけ学ラン姿の円の姿があった。

 こうして勘違いしたチアリーダー三人娘による、デート妨害大作戦が始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食後、千草からの課題も終わっただろうと考えて刹那に合流するか電話で聞いてみたのだが、まだ終わっていないということで、その後も二人で遊ぶことになった。明日菜へのプレゼントはもう決まっているのだが、二人は目に付く店があれば覗き込み、何も買わず出てくるのを繰り返して今は立ち止まってショーウィンドウの中を覗き込む。

 

「なー、アスカ君。これなんかどやろ?」

「ペアルックは恥ずかしくないか。明日菜は嫌がるだろ」

「そん時はせっちゃんに着てもらうもん」

「あ~、頼まれたら刹那は断らんだろうが」

 

 二人が見ているのはデザインがほとんど同じなペアルックの洋服のようで、肩から太もも辺りまでのマネキンに着せられている。当然、アスカが着るはずもない。木乃香は同室で仲も良い明日菜や幼馴染で急接近中の刹那に着せようと考えているが流石に嫌がるだろう、最終的には押し切られるだろうが。

 

「あーっ! コレいいなー、買ってー釘男君!」

「ははは分ったよ。おーい店員さんこれ一組!」

「うひゃあ!」

 

 いきなりセーラー服を着た女子校生と昔風の学ランと学帽を着たカップルらしき二人組みが、木乃香を突き飛ばす。