SCAPEGOAT~他者の命を踏みにじることでしか能力を使えない~ (アフロマリモ)
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第1話 咎人
1-1 背負われる者


人々の信仰が薄れた時、地の底の悪魔から悪霊が放たれた。地上に溢れた悪霊は人々の魂に侵食し歪ませていく。歪な魂となった者たちは、強大な力と引き換えに他者を想いやる心を失ってしまう。

 いつしかその者達は業魔と呼ばれるようになった。

母親に背負われながら、ライアンは夜闇を進んでいた。母の背中からは不安と恐怖が伝わってくる。周りを歩く群衆も同じ気持ちだろう。後ろを振り返ると群衆の頭の隙間から、遠方にいる恐怖の元凶が見えた。夜闇よりも暗い毛並みを纏いながら、天にも届かんばかりの巨体を1歩ずつ進ませていた。おぞましい。ライアンは子供ながらにそう感じた。いったい何人の犠牲の上に、あの巨体は成り立っているのだろう。巨体は徐に両手持ち上げ、地面にたたきつける。遥か彼方から地面が崩壊する爆音が聞こえた。

 ライアンは、これから来るであろう衝撃に備えて固く目をつむり、母の背中にしがみついた。

 

 ライアンの後頭部に衝撃が襲う。

 

「痛っ!」

 後ろを振り返ると、呆れた顔をした長髪の男がいた。しかしその長髪は整えられたものではなく、ただ切るのが面倒だからそのままにしてある。と言いたげだった。おまけに顎には無精ひげが。その見た目から、その人物は物事に無頓着な印象を受けるだろう。

「ライアン、お前の仕事は寝ることなのか?」

「っ! す、すみません! フリード隊長!」

「はぁ……だから素直に休んでおけと言っただろ。昨日の朝から今日まで、行方不明者の探索で寝てないんだろ?」

「はい……」

「いや、怒ってるわけじゃないぞ! ……仕事のし過ぎには怒ってるけど……」

「?」

「あぁ…… なんというか……すまん、なんでもない」

 フリードはカチャカチャと鎧を鳴らしながら腕を組み、教会の壁に寄りかかる。ライアンもそれに習うように、壁に寄りかかる。

 教会の中央では、短く揃えられた白髪に、黒い祭服で身を包んだ大司教様の下に背中に大きく穴の空いた服を着た子供たちが集められている。そしてそれを心配そうに見つめる両親達は長椅子に座っていた。

 大司教様は子供の背中を確認した後、子供の右手の甲を自身の左手で覆い、呪文を唱える。大司教様が手をどけるとそこには人権印と呼ばれる独特な紋様が刻まれていた。

「成人の儀式の監視なんて退屈だろ」

 

 フリードが突然話しかけてくる。

 

「いえ、そんなことはありません。この儀式を通して初めて人として生きられる。ある意味第2の出生と言われるだけあって、感慨深く、いつ見ても飽きないです。それに我々異端審問官の大切な任務ですしね」

 ライアンはそう言う。決してフリードに気を使ったとかではない。心からの感想だった。

 業魔は10歳になると背中に模様が浮かび上がり、能力を十二分に発揮できるようになる。その性質を利用して、10歳になった子供たちは大都市の教会に集められ、人と業魔を選り分けるための儀式を行う。

「任務ねえ。"業魔だと判断された者は捕らえた後、処刑する" 生きたまま捕まえるって意外と骨の折れる仕事だよ。いざとなったら殺すという選択も視野に入れなきゃならないし… …子供を切り殺すのはなかなかキツいよ」

 ライアンに視線を向けながらフリードは答えた。

 ライアンは恐る恐る問いかける。

「こんなこと、質問するべきではないかもしれませんが……、 隊長は……殺したことがあるんですか?」

「子供の業魔?」

「はい」

「もちろんあるよ」

 フリードは、あっけらかんと答える。

「まぁ成人の儀式の時じゃないけどね。成人の儀式に業魔が来ることはないから、殺されに来るようなもんだし」

 フリードの言い分は正しかった。片田舎の教会のならともかく、大都市のど真ん中にある教会で行われる。しかもそこにいるのは精鋭の異端審問官達。業魔化されたとしても逃げ切れるはずがない。

 しかし人権印がなければ仕事はおろか、捕らえられ、処刑されるだろう。だからこそ業魔はどうしても人権印が欲しいはず。それに…

「"人間基準で業魔の行動を測るな。業魔は自分の快楽を満たすためならどんなリスクあっても行動する。" それが最も厄介なところである。と騎士学校で習いましたよ」

「…もし儀式に参加することで、快楽が満たせるならどんなにリスクがあっても参加するかもって、言いたいわけだな」

 フリードは少し考えるような動作をした後、

「まぁ、20年間この仕事してるけど1度もそんなことなかったから大丈夫!」

 

 余りにも適当すぎる回答に、ライアンは思わずため息をこぼしそうになる。

「お前は真面目過ぎるんだよ。自分のことを犠牲にし過ぎ。あんまりやり過ぎるといつか身を滅ぼすからな。程々でいいんよ」

 フリードの忠告に、ライアンは反論する。

 

「でも俺は、たとえこの身が滅んだとしても業魔を滅ぼし、多くの人が救えれば……悔いはないと思ってます」

 

 自分の命一つで、多くの人を救うことができるのならば、喜んで投げ捨てる。

 ライアンは本気でそう思っていた。

「そうじゃなくてだな……」

 ライアンの、覚悟の炎が灯った瞳を見てフリードは、反論を飲み込んだ。

 会話に間が生まれ、自分の意識は儀式の方に戻る。

 儀式が終わり両親の元へ駆け寄る子供の足音や、大司教様のボソボソと唱える呪文が聞こえる。子供の数も減り、そろそろ儀式も終わろうかという時、教会の扉が勢いよく開け放たれ、1人の異端審問官が入ってきた。教会の中を見渡し目が合ったかと思うと、息を切らしながらこちらに駆け寄ってくる。

「た、隊長! こちらにいらしたんですね!」

「どうした?」

「変死体が街の外で見つかりました。それも3人」

「身元は?」

「3人とも女性で、そのうち2人の身元は不明です。ですが1人は最近この街で行方不明になった方です」

「……!」

「カレン隊が先に到着していて、調査を始めています」

「分かった。現場へ案内してくれ」

 ライアンは、驚愕という感情に振り回され、一瞬身体が動かなかったがすぐにハッとし、フリードの背中を追う。

「俺も行きます!」

「お前は休んでおけ」

 

「いえ、元々行方不明者の捜索は俺の仕事でした。最後の最後までやりきりたいんです」

「あのなぁ……」

 フリードが振り返りながら立ち止まる。色々と言いたいことがあっただろうが、ライアンと目を合わせ、少し唸ったあと、勝手にしろと言いながら教会を後にする。

「ただし! 無茶はするなよ。 ヤバくなったら任務より自分の命優先だ。分かったな!」

「はい!」

 



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1-2 不穏な眼腔

 現場は街から少し離れたろくに整備もされていないような森の中で、 既に20名近くの異端審問官が現場を囲っていた。

 

「カレン!」

 

 フリードはその中の1人に声をかけると、カレンと呼ばれた女性は振り向きもせず反応する。

 

「遅いですフリード! もう少ししたら始めるところ……って、ライアンも連れてきたんですか」

 

 ライアンの姉であるカレンは、少し不機嫌になりながら振り向く。

 その目は、独特な模様の布に覆われていた。

 

「俺もやめとけって言ったんだが、熱意に負けてね。こいつの頑固さは姉であるお前がよく知ってるだろ」

 

 フリードは、答える。

 

「ですが、この事件には業魔が関わっていると考えています。戦闘になった時、まともに自分の"奇跡"も使えない新兵の世話をしてる暇はありません」

 

 ライアンは、カレンの厳しい発言に、悔しさと怒りのようなものを感じた。

 その感情に背中を押され、衝動的に反論する。

 

「俺は!」

 

「俺は未熟かもしれないけど、異端審問官です。 あんたに心配してもらう為になった訳じゃない。業魔を倒し、人々を救うために異端審問官になったんだ!」

 

 カレンは俺の言葉に反論しようと口を開こうとするが、割って入るようにフリードが口を挟む。

 

「まぁまぁ、2人とも熱くならないで」

 

 フリードはカレンの方を向き、諭すような口調で続ける。

 

「カレンちゃんさ、心配なのも分かるが、経験を積ませるためだと思って協力してくれや。それに俺たちの主力は王都に主張中だ。人手が増えることに越したことはないだろ?」

 

 カレンは不服そうだったが、分かりました。と呟くと遺体へ俺たちを案内し始めた。

 

 現場に近づくと、存在を主張するかのように強烈な腐敗臭がライアンの肺に潜り込んできた。悶えながらその場所を覗き込むと、それはあった。それはとても人とは呼べなかった。

 ライアンは思わず目を背ける。

 

「こりゃ酷いな」

 

 フリードがまじまじと見ながら口にする。

 

「3人とも、拷問を受け、目をくり抜かれてますね」

 

 カレンは遺体に近づきながら説明を続ける。

 

「遺体は最近ここに埋められたみたいですが、浅かったようで野良犬に掘り返され、発見されました」

 

「最近ってどのくらい?」

 

「なんとも言えないですが、1 日か 2 日くらい前ですかね。近くに焚き火の跡があったので夜に埋めたのかと」

 

 フリードは質問を続ける。

 

「遺体3つも運ぶの大変だろ。馬車かなんかで運んだ跡とかあった感じ?」

 

「近くに馬車が通れる道がありますが。日常的に馬車が通ってるので跡を追えるかどうかなんとも言えません」

 

「ふーん」

 

 フリードは少し考えた後、ライアンに質問する。

 

「これどっちだと思う?」

 

 その質問の意図が汲み取れず、ライアンは聞き返す。

 

「というと?」

 

「人がやったか、業魔やったか」

 

 その質問がライアンの頭の中でまわる。あまりに無惨な犯行。どう考えても業魔だろう。

 10年前と一緒だ。自分の快楽のために俺たちの故郷と父を踏みにじったあの黒い業魔と……。

 ライアンの心に憎悪が渦巻く。

 

「ライアン、行方不明の子、どこで行方不明になったっけ?」

 

 業魔に対する怒りに熱くなっていたライアンに、不意に質問という冷水がかけられた。

 

「街中ですね。買い物中に行方不明に……」

 

 ライアンはハッとした。街には囲うように外壁が築かれている。それを出入りするためには人権印が必須だった。人権印を持たない業魔に、その出入りは不可能だ。いくつかの可能性が頭の中に浮かび上がる。

 

「ここに数名残して一旦街へ戻ろう。確認したいことができた」

 

 フリードの発言に、カレンは頷くと数名残る者を選び、残りは着いてくるように指示を出す。

 ライアンは困惑しながらフリードの背中を追う。

 近くの馬車道を進んでいくと、街の外壁が見えてくる。早足に進んでいるフリードに、走って追いつき横に並び、疑問をぶつける。

 

「隊長、この事件の犯人もしかして人間なんですか?」

 

「その可能性もある」

 

「もって…… 他の可能性もあるんですか?」

 

「あぁ、可能性は3つある。1つ目は犯人が人間の可能性。これなら街の出入りは自由だ。2つ目は業魔が10 歳になる以前から隠れ住んでいて、それを世話してる人間がいること。そして3つ目は……」

 

 フリードは言葉に詰まる。

 

「3つ目は?」

 

 ライアンは、言葉の先を促す。

 

「3つ目は……、絶対にあってはならない可能性だ。この国のシステムが根底から崩れ去ることになる」

 

 フリードのいつになく真剣な瞳が、ライアンの不安そうな顔を映していた。

 



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1-3 調査

 異端審問官達は外壁の門に到着する。フリードは横にある受付へ質問をぶつけた。

 

「人の出入りの記録は」

 

「あーちょっと待ってくださいね……。どうぞこれが出立の記録です」

 

 フリードは記録を貰うと。記録を確認しながら質問をぶつける。

 

「1日2日前の深夜に警備を担当してたのは?」

 

「あっ……はい、えーと一昨日の晩から昨日の朝方まで警備したのは私です。その前の晩は別の方ですけど」

 

「そいつ呼べるか?」

 

「へ? あーまぁ呼べると思います」

 

「じゃあ一通り質問するから、それが終わったら呼んできてくれ」

 

 フリードは、その指示に門兵が頷くのを横目で確認し、記録を見ながら質問を続ける。

 

「お前が担当した晩にここを通った馬車は3台らしいが、それぞれの詳細は覚えてるか」

 

「いやー、なんとも言えませんね。あまり記憶力には自信がなくて……、 へへ」

 

「どんな事でもいい、少しでも怪しいと感じたことはなかったか?」

 

 フリードは食い下がる。門兵は少し考えると、あぁ! と声を漏らす。思い当たる節があるようだ。

 

「そういえば久々に面白い人と再会したくらいですかね」

 

「どんな奴だ」

 

「1週間くらい前も私が受付をしていたんですが、明らかに挙動不審だったんです。でもちゃんと人権印は刻まれているし……、まぁ流石に怪しすぎるんで積荷を確認して、話をしたんですが、これがとても面白い方でかれこれ1時間くらい話し込んでしまったんですよね」

 

 話を遮るようにカレンが質問する。

 

「挙動不審で怪しい、と言いますが具体的にはどのような感じでしたか?」

 

「あぁ、いや何、一切目を合わせてくれないし、その人を見ようとすると手で顔を隠してしまうんですよね。なんでも極度の視線恐怖症らしくて……見られたくないとか。珍しいですよねぇ」

 

 笑いながら門兵は答える。

 

「目かぁ」

 

 あの遺体たちの真っ黒な眼腔がよぎる。気になる関連性がそいつへの疑いを濃くする。

 

「この街に入った時の積荷は?」

 

「いくつかの家具と食料ぐらいですね。あと御家族が2人」

 

「家族?」

 

「妹が2人、荷車に乗っていましたね。その時は寝息を立てて寝てましたけど」

 

 遺体は3名その内2名は街の女性ではなかった……。

 

「出ていく時は?」

 

「その時も特にこれといった怪しい積荷はありませんでしたね。仕事で使うと言っていた道具くらい……、あと不機嫌そうな青年が乗ってましたね。仕事仲間とかなんとかって言ってました」

 

 明らかに怪しく、状況証拠のようなものばかり目に付いてしまう。遺体が見つからなかった理由も、荷台にカラクリがあり遺体を隠せるスペースがあるとか、適当に言ってしまえば犯人にできてしまいそうだ。

 

「明らかに怪しいけど、状況証拠ばっかりなんだよなぁ。決めつけも視野を狭めてしまうし」

 

 フリードはため息をつきながら、頭を掻く。

 

「そうですね。仮に犯人だとしても、もう街を出ている可能性があります」

 

 カレンのその言葉に門兵が反応する。

 

「いえ、その人朝日が昇る前あたりにこの街に帰ってきてるんですよね」

 

「まだこの街にいるのか!?」

 

「はい、また仕事がしたくなったとかで」

 

 犯人だとしたら明らかにおかしな行動だ。なぜリスクを取ってまでこの街に戻ってくる必要があるんだ?

 思わずライアンは質問する。

 

「行きと帰りで何か変わった様子は?」

 

「そうですね…… あー、ちょっと暗くてよく見えなかったんですけど、少し汚れてたような気がしますね。それと青年と言い争うような声もこの門に着く前に聞こえたような気がします。積荷の内容は変わってなかったです」

 

 ライアンはフリードの方を見る。思考を巡らせているようだった。

 ライアンは意を決して話しかける。

 

「隊長、もう1人の門兵に事情聴取する前に1度こいつに会うべきでは? 疑問もいくつかありますが……、会えば解決すると思います。それに次、この街から出ていったら戻ってこないと思います」

 

「……そうだな。そいつの風貌と住んでる場所分かるか?」

 

 フリードは納得したようで、門兵に問いかけた。

 

「住んでる場所は……確か街の南の方に一軒家を持ってるとか言ってましたね。風貌は身長 160cm くらいで顔は……」

 

 門兵の言う特徴を書きまとめ、街の南へ向かった。

 

 

 煉瓦造りの住宅が並ぶ中、ひたすら聞き込みをしていた。

 聞き込みによって住んでると思われる場所を見つけた時には、太陽は頂点過ぎ、これから沈むための準備をしていた。

 

「近隣住民へ避難の要請と念の為、少し離れたところに魔法団を配備しておいてくれ、あと俺の剣と"ハチ針"数本持ってきて」

 

 フリードは忙しなく他の審問官に指示を飛ばしていた。一軒家は不思議なほど静かで、実はもう誰もいないのではと錯覚してしまいそうだった。カレンも程なくして到着する。

 

「おうカレン。あの家の中、お前の奇跡で見える?」

 

 フリードが指を指した方にカレンは顔を向ける。

 

「いえ、少し遠いので見えないですね。もう少し近づかないと……」

 

 その時は背後からガラガラとタイヤを転がす音が聞こえ、振り向くと

 

「フリード隊長! 周辺の住民の避難終わりました。それと剣とハチ針です」

 

 フリードの指示した物資が馬車によって運ばれてきていた。

 

「ありがとさん。魔法団は?」

 

「配置には時間はかからないそうなので、程なくしたら行けるとのことです」

 

「そっか。じゃあぼちぼち準備するか」

 

 フリードはそういうと、馬車から荷物を下ろし、数十本の剣とハチ針と言われる特殊な剣を数本出した。

 フリードはその剣一つ一つに触れていく。すると剣たちは人の手を借りずに、勝手に空中へ浮かび上がり、フリード隊長の周りを整列するかのように漂いだした。これがフリードの"奇跡" 。

 我々異端審問官は、異端審問官に就任する前に必ず洗礼を受ける。洗礼を受けた際、体に障害が出たり、最悪死亡したりする場合があるが、常人が生涯鍛錬を積んだとしても手に入らない身体能力や、奇跡と呼ばれる能力が発現することがある。

 ライアンももちろん洗礼を受けたが……、 まともな能力は手に入らなかった。けれど倍率の高い大都市に就任できたのは、カレンの実績のおかげだろう。

 カレンは自分の束ねている部隊に指示を出していた。その凛とした背中には隊長の証であるマントがたなびいている。故郷と父を失ったあの日から、カレンは家族全員の家計を、業魔への怒りを、全てあの背中に背負って異端審問官となった。ライアンはは少しでもその背負ってくれたものを軽くしてあげたいと、カレンの後を追った。

 俺は姉の負担を少しでも軽くできているのだろうか、またあの日のように背負われているだけになっていないだろうか。

 ライアンは自分の心に問いかける。

 

「ほいっ」

 

 フリードがこちらに何かを放り投げる。それを落とす寸前でキャッチする。

 

「あぶっ……これは?」

 

「ハチ針だよ。使い方わかるよね」

 

 ハチ針、一種の魔法誘導器具と言われている。 剣の部分がハチの針のように尖っているのでハチ針と呼ばれていると習ったが、実物は初めて持った。

 柄の部分は円柱が2つ直列に繋がっていて、それぞれを逆の方向に回転させることで、剣と分離する仕組みになっている。対象が業魔化した際、このハチ針を刺し、剣を分離させ、業魔の体内に留置することで、遠距離からでも業魔を認知し、魔法を命中させることが出来る。

 異端審問官のような身体能力のなく前線にでることの出来ない魔法団も遠距離から火力が出せるというものだ。逆にいつまでも刺すことが出来なければ、魔法団からの支援は無いと考えた方がいい。

 故に重要。

 

「俺なんかでいいんですか」

 

 ライアンは不安そうな顔をしていた。だが同時に期待も心の底から溢れてくる。

 カレンの……姉さんの役に立てるのではと。

 

「無理に刺そうとしなくて大丈夫よ。俺も刺すし」

 

 フリードは、複数あるハチ針の1本に触れ、宙を漂う剣の隊列に加えながら言う。

 

「じゃあそろそろ行こうか」

 

 20名近くいる異端審問官が、フリードの司令に呼応し、一軒家に歩み出す。

 

「カレン、中の様子は?」

 

「2人、中にいます。1人は男でもう1人は女性のようです。 男が女性に対して馬乗りになっているように見えます」

 

 まだ一軒家まで10m近くにあるが、カレンには中の様子は筒抜けであるようだった。

 これがカレンの奇跡。盲目になる代わりに手に入れた能力。

 カレンが言うには、説明するのは難しいが強いて言うなら目が見えた頃より良く見えるらしい。

 一軒家にどんどん近いていく。 フリードがハンドシグナルで数名に裏口へ回るように指揮する。

 ライアンは、その指示に従い裏口へ向かう。

 裏口の扉前までつくと、自分の鼓動が激しくなるのを、ライアンは感じた。緊張をかみしめながら、いつでも踏み込めるように構える。

 表の扉が蹴破られる破壊音が聞こえたと同時に、ライアンも裏口を蹴り飛ばし中に踏み込む。そこからは一瞬だった。

 

 



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1-4 対決

 扉に蹴りを入れ、中に入ると部屋の中央には女に馬乗りになった半裸の男がいた。

 表口からはカレンが突入していた。

 そして男の背中には、トカゲのような生物が目玉をしゃぶっているような、奇怪な模様が漆黒で描かれていた。

 

「姉さん! 男が業魔だ! 」

 

 ライアンはカレンに向かって叫ぶ。

 

 男は扉が壊された音に反応し、ライアンとカレンを交互に見比べていた。

 

「なんだテメェら!」

 

 そう叫ぶ男、しかしそんなことお構いなしで、カレンは、常人では反応できないようなスピードで間合いを詰め斬りかかろうとするが、

 

「こっち来んな!」

 

 ギリギリのところで男は女性を盾にするように自分の前に持ってくる。

 女性の眼は空洞だった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 女性は混乱し、ただ懇願していた。男は女性の背後に隠れ、こちらと目を合わせないようチラチラと周りの様子を伺っていた。

 

「最悪だぁ、いいところなのにぃ、クソぉ」

 

 悪態をつきながらキョドっている。男と女の素肌は触れ合っていた。

 女性もろとも殺すしかない……このままでは業魔化する。ライアンがそう結論を出したとき、カレンはすでに行動していた。

 カレンはもう一度踏み込み、剣を女性の心臓目がけて突き立てようとする。が

 

「いやあああ」

 

 カレンの踏み込み音に驚いた女性が暴れたため、狙いは心臓から外れ右胸を貫き、裏の男まで届くが殺し損ねてしまう。

 

「いっっってええ、"アマルティアァァ"」

 

 男は、激痛に悶えながら呪文を唱えた。

 

「まずい!」

 

 カレンは後ろへ飛び退く。ライアンも急いで裏口から脱出する。

 女の体はデロデロに溶け男を包み込むと、風船のように一気に膨らんだ。

 

 

 

「業魔とは、どういった能力を持っているか知っていますか?」

 

 板書書き終えた先生が、振り返り生徒達に質問する。体力訓練の後で俺を含め多くの生徒がクタクタになっている中、優等生風の女生徒が手を挙げ答える。

 

「簡単ですわ! 業魔は業魔化しなければ人と同じ身体能力ですけど、他者と素肌で触れ合い呪文を唱えることでその者の命を犠牲にし、業魔化、巨体の化け物になることができるんですわ!」

 

「そうその通り、 そして犠牲となってしまった人間が多ければ多いほど、より大きくより強大になることができますね」

 

 疲労による睡魔と戦いながらライアンはその話を聞いていた。将来は業魔と戦うために鍛錬を重ね知識をつけ、いつか対面した業魔を撃破することを夢見て。

 

 

 ライアンは急いで、裏口から飛び出す。

 表口の方からカレンの叫び声が聞こえる。

 

「クソッ、仕留め損ねた! 中の男は業魔だ! 業魔化した!」

 

 それと同時に家屋の天井を押しのけ、肉風船が膨れ上がった。一瞬で大人6~7人近くの大きさになると、瞬く間に形状を変える。

 トカゲのような見た目、肌は青々とした緑色で、身体中に目玉が点在していた。

 これが業魔!

 ライアンは、初めて対面するその巨躯が放つプレッシャーに押しつぶされそうになる。

 業魔は全身の目玉をギョロギョロとさせ、周りを伺ったかと思うと次の瞬間、街の外壁へと走り出した。

 

「逃げる気か!」

 

 フリードがいち早く反応し、追いかけ始める。ライアンとカレンを含め他の異端審問官も遅れてそれに続いた。

 業魔は、その巨体からは想像もつかないほど身軽に屋根を伝い、外壁へと猛進していく。フリードは業魔と併走しながら、空中へ浮かせた剣たちでその巨体を斬りつけようとする。

 しかし業魔は全身の目玉でその剣たちを把握出来るのか、上手く躱しながら逃走を続ける。

 フリードは浮かせた剣を大げさに動かす。剣を囮に何としてもハチ針を刺そうとしているように、ライアンには見えた。

 一瞬でも隙を見せれば、フリードは確実にハチ針刺すだろう。

 フリードが攻撃を続ける中、業魔は一瞬、ほんの少しだけスピードを抑え、逃走ではなく別のことに動作を割こうしているように見えた、次の瞬間、業魔はいきなり目の前の家屋に突っ込み倒壊させた。

 倒壊した家がもうもうと砂埃をあげ、フリードの目の前に立ち昇る。フリードの後方をつけていたライアンや他の審問官は、何が起きたのかすぐには理解できなかった。

 一人を除いて。

 ライアンと並走するカレンが叫ぶ 。

 

「フリード避けろ! 反転して攻撃する気だ!」

 

 カレンには何か見えているようだったが、ライアンには何も見えなかった。

 がその瞬間、埃の中から不可視の攻撃がフリードを捉える。

 

「隊長!」

 

 フリードが吹き飛ばされ、家屋に突っ込む。すぐにまた、カレンが叫ぶ。

 

「こっちに向かってくるぞ! 散開しろ!」

 

 砂埃を突き抜け何かが近づいてくるような気配を感じる。が誰の目にも映ることはなかった。

 不可視の攻撃が目の前の屋根に立っていた異端審問官を捉え、叩き潰す。カレンの声に反応したライアンと数名はその場から離れるように回避するが、反応に遅れた者たちが次々と見えない何かに殺されていく。

 

 ライアンはカレンに向かって叫ぶ。

 

「姉さん! 何も見えない! 業魔がいるのか目の前に!」

 

「あぁ! 目の前にいる! 見えないのか!?」

 

 この業魔は、透明化しているようで、その姿はカレンにしか見えていなかった。ライアンはカレンを見る。カレンはただ静かに覚悟を固めているように見えた。

 カレンは右手に剣を構え、左手にハチ針を持ち叫ぶ。

 

 

「こい! 業魔! 私が相手だ! 私には貴様の醜い姿が見えているぞ!」

 

 透明な視線が突き刺さり、不気味な業魔の声がどこからか聞こえる。

 

「俺の事が見えてるのか? 俺の事を見てるのか?」

 

 カレンに近づく気配を感じる。

 

「見られたくないのにぃ。どいつもこいつも、俺のことを見て瞳の奥で軽蔑してるんだぁ」

 

 業魔の怒りが大気を震わす。

 

「目玉をくり抜かなきゃ……、その時だけだよぉ。安息を享受できるのはぁ!」

 

 業魔が意味の分からない文言を叫んでいる。カレンがそれと同時へ後ろに飛び退くと、カレンがもといた場所は、見えない衝撃に粉砕された。

 

 

 殺された者たちの血によって、屋根が赤々と染められていく中、ライアンはただ見えない恐怖に震えていた。

 数十m先では、カレンが不可視の怪物と対峙している。

 目に見えない攻撃を回避しながら、カレンも負けじと斬りつけているが、浅い。業魔のとてつもない再生力に打ち消されていく。

 致命打が……、 魔法が必要だ。そう思うがライアンにはなかった、この状況を打開できる力も奇跡も何も

 無力感に打ちのめされながら、カレンの戦いを眺めることしかできなかった。

(また背負われるのか…… 少しでも姉さんの手助けをしたかったのに……また背負われるのか!)

 ライアンは不意に出てきた涙を拭いながら、戦いを見つめ続ける。

(俺にも何か……何かできるはずだ、俺にも)

 そしてライアンの瞳は捉えた。不可視の怪物に刺さっているハチ針を。

 

(フリード隊長が、あの一瞬で刺したんだ! 起動はしていないが刺さっている!)

 

 ライアンは走り出した。不安や恐怖も置いて。カレンがこちらに向かって叫んでいるが何も聞こえなかった。

 ライアンはハチ針の柄に飛び付き、回転させ起動させる。

 

「よし!」

 

 ライアンの心が高揚で満たされていく。

 

「姉さん! やったよ! 俺!」

 

 子供のようにカレンの方を見て叫ぶライアン。きっと姉も喜んでいだろうと。そのライアンの思いとは裏腹にカレンは泣いていた。

 次の瞬間、ライアンの体を見えない何かが貫いた。

 そしてゴミのように投げ捨てられた。

 

「ライアン!」

 

 カレンの悲痛な叫び声が聞こえた。

 

 

 

 爆音を2度聞いた。もう何も見えないが、あの業魔の叫び声が聞こえる。

 貫かれた体から止めどなく血が流れ、死を身近に感じた。

 

(直接見たかった……なぁ)

 

 薄れゆく意識の中、ライアンはこちらに誰かが近づいてくる気配を感じた。そいつはライアンに近づき素肌に触れる。

 

「ごめん、俺…… 俺もこんなことしたくない。けど…… これしか…… 父さんを救うためには……」

 

 知らない声だった。けれどその口調は優しかった。

 そいつは泣いていた、ただ嘆いていた。何故かは分からなかった。ただ一言、こう呟いた。

 

「“アマルティア”」

 

 次の瞬間、ライアンの体は溶け、そいつを包み込んだ。

 



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1-5 カレンの視界 1-6 蝘蜓(カメレオン)の眼孔

1-5はカレンの視点で、1-6からはトカゲの業魔の視点です。分かりにくくてすみません。


1-6 カレンの視界

 

「ライアン!」

 私は叫んだ。私の弟であるライアンが、体を貫かれた投げ飛ばされる。その様子が目から離れなかった。また失うのか。強烈な喪失感に一瞬、体が硬直してしまう中、巨大な火球がトカゲのような業魔を襲った。強烈な爆音とともに、私は吹き飛ばされ、屋根から転げ落ちる。

「あ"づい"い"い"あ"あ"あ"あ"あ"ううう"あ"あ"あ"あ"あ"」

 業魔の断末魔が響く。

 激痛で透明化が解除されているようで、見るなアアア !とも聞き取れる叫びを繰り返しながらもまだ再生しようと肉体を修復している。そこへ容赦なく2発目の火球が命中し、業魔は崩れ去った。

 

 朦朧とする意識の中、私はライアンを探す。

 

「ライアン……ライアンまで…… 失いたく……」

 私は思うように動かない体を引きずりながら、ライアンが吹き飛ばされたであろうところに向かった。

(まだ……助かるはず…… あの怪我なら……すぐに、大司教様に見せて…治療魔法さえ……)

 そうきっと助かる。そしたらめいっぱい怒って、めいっぱい抱きしめるの。心配したんだからと、よくやったと。

 何とか辿り着いた。そこには、血まみれのライアンと知らない男がいた。

「ライ……アン」

 私はただ眺めることしか出来なかった。ライアンは溶け、その男を包んだ。

 瞬く間に、黒ヤギのような業魔に変貌する。

 私は一瞬理解出来なかった。その状況を、希望が目の前で打ち砕かれたこと

 

 

 

1-6 蝘蜓(カメレオン)の眼孔

 

 

火炎に焼かれ、肉体の再生限界を超えた俺は、業魔化を保てなくなり人間の状態に戻ってしまった。

 

「ぢぐじょお! なんでだよぉ! あとすごじだったのにぃ!」

 

 俺は吠えた。

 クソ異端審問官が取り抑えようと近づいてくるのが見える。

「クッソ! クソクソクソクソ!」

 材料として使ってやった女が、一瞬人の形に戻るがすぐにドロドロに溶ける。業魔化のために使った人間は、どいつもこいつもこうなる。

 まぁ、二度と俺を視界に入れない点に関しては最高だが、この状況は最悪だった。

「こっち見るんじゃねぇ! こっちに来るんじゃねぇ!」

 いくら叫ぼうと容赦なくこのクソ共は近づき、この俺を捕まえようとしてくる。だが俺は叫ぶ。1つの可能性に賭けて…

「"黒ヤギ"! 近くにいるんだろ! 倍額はらう! 助けろ! 俺が死んだら仕事全部の報酬は無くなるぞ!」

 虚しい叫びが無人の街にこだまする。誰もが無意味な行為、異常な行動だと思っただろう。

 だがその叫びに呼応するかのように、少し離れた場所で巨大な肉風船が膨れ上がった。

 巨大な肉風船は一瞬で、形を作り出した。

 漆黒の毛で覆われた二足歩行の巨人。その顔はヤギを連想させ、漆黒の角が渦を巻いていた。腰からは丸太のように太い尾が生え、胸と背中には円錐状の黒い骨が突き出ていた。

「 "黒ヤギィ!”」

 俺は叫ぶ。呼ばれた業魔は躊躇いなく突っ込み、迷わず俺を掴み上げる。

 

 周りにいた異端審問官は突然のことに驚き、避けることに全力を尽くす。

 業魔は外壁を軽々飛び越え森の中へと消えていく。誰もが満身創痍だった。

 

 

 



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1-7 業を背負う者

 太陽が紅染まりながら、地平へと消えていく中、僕はただ泣きながら素手で穴を掘っていた。

 近くには、座ったまま何もしない半裸の男、背中には気味の悪いトカゲの模様。そいつはだるそうに俺に話しかけてくる。

 

「"黒ヤギ"くんさぁ、もう良くない? 適当に捨てておけばいいじゃん、そんなゴミなんてさ」

 

 俺はそいつを睨みつける。その男はこっちを見んじゃねぇ! と叫びながら手で自分の顔を覆う。まともに取り合うのも馬鹿らしい。俺は土で汚れていた手でも構わず、涙を拭い作業を続ける。

 

「でも本当に初めだったのか? 業魔化したの」

 

 無視して作業を続ける。

 

「人殺して罪悪感に苛まれて泣くとか、ハハッ、マジで面白いね。ほんとに業魔? 君」

 

「むしろお前らが異常なんだよ! なんの躊躇いもなく他人の命を踏みにじり! 自分の快楽に浸るお前ら業魔が!」

 

 憤りが頂点に達し思わず反論する。

 

「俺の仕事は、遺体処理の手伝いだけのはずだったろ! それなのに報酬は無いだのほざきやがって……」

 

「そもそも異端審問官に見つかった時、お前の能力なら逃げきれただろ! 何故逃げなかった! そうすれば俺が……俺が」

 

 ドロドロに溶けた肉塊に目をやる。覚悟は出来ているつもりだった。父を救うためにはどんなこともすると、人も殺すと……

 だがこんなにも ……苦しい、ただ苦しい。罪悪感に押し潰されそうだった。

 

「俺が人を殺める必要もなかったのに!」

 

 心からの叫びだった。そいつを睨みつける。そいつは顔を隠しながら悪びれる様子もなくこう答える。

 

「いやぁ、せっかく業魔化したのに勿体ないしそれに……あいつらの目玉を潰せるチャンスだって考えたら…… ねぇ?」

 

 俺は呆れる。どこまでもバカで愚かで自己中だ、業魔ってやつは。 どいつも こいつも、他者の命を玩具としか認知していない。強烈な嫌悪感が湧き出る。

 そう思いつつも俺は感じていた……

 背中に刻まれた決して消えることのない、呪いの模様。血の涙を流す不気味な黒いヤギの存在を…… 俺は両手で溶けた肉塊をすくい上げ、墓に入れていく。

 

「じゃあ俺そろそろ行くから、同じ業魔同士、これからも仲良くしようね」

 

 おちゃらけた言い方が、逆鱗に触れた。

 

「お前らと同じにするな! 俺はお前ら業魔とは違う! 自分のために他人を好き好んで傷つけたりしない!」

 

 返事は無い。男の方をチラリと見ると、バカにしたように墓を指さす。

 

「これは! これは父さんを助けるためだ! 自分のためじゃない!」

 

「OK、OK分かった。悪かったって」

 

 ニヤニヤしながらそう言うと男は立ち上がり

 

「あっ、そうそう。報酬は後日ちゃんと送るから」

 

 そう言い、歩き出そうとするが少し止まって言葉をつけ加える。

 

「あとね。パパのため~とか理由付けしたり、墓作ったりしても、お前の罪が赦されることはないと思うよぉ。アハハハ! お互い業魔ライフを楽しもうね!」

 

 男を睨みつけようと振り返るが、もうそこにはいなかった。

 

 月夜に照らされる墓標と自分の汚れた手を呆然と眺める。 その右手の甲には、人の証たる人権印が刻まれていた。




ここまで読んでいただきありがとうございます。
ここで第1話は終了です。
第2話からは、この黒ヤギくん視点でお送りしていきます。
好評でも批判でも遠慮なく感想に書き込んでいただけるとありがたいです。
これからもよろしくお願いします


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第2話 蠢く罪悪
2-1 罪悪に微睡む


 夜闇と微睡みに浸っていた私は、今まで体感したことのない衝撃で現へと引き戻された。夫と共に外に出て、衝撃の原因を探す。

 町の住民のほとんどが、同じように驚き外に出て、同じ方向を見ていた。

 地平の向こうには山脈と錯覚するほど、巨大な漆黒がうごめいてる。その夜、不安が町を支配し、誰の一人も眠ることを許さなかった。

 夜闇の化け物は、日の出とともに消えていた。まるで長い夢を見ていたのだというように。

 数日後、町には逃れてきた群衆が押し寄せ、町民に助けを求めている。私の家にも、記憶の無い“子ヤギ”が一人転がり込んできた。その小さな背中に抱えきれぬほどの罪を背負って。

 

 俺は、呆然と土で汚れた手と、墓標を眺めていた。墓標の中から、名も知らぬ肉塊が問いかけてくる。何故俺を殺したのかと。

 声の出せない俺は、心の中で言い訳を募らせる。必要な犠牲だったと、仕方なかったのだと。肉塊は構わず問いかけを繰り返す。何故俺を殺したのかと。

 墓標からは憎悪に満ちた血が滲みだし、逃れようにも体は苦悩と罪悪が重くのしかかる。呼吸は乱れ、赦しを乞うかのように涙が溢れる、拭おうとするその手は鮮やかな赤色に染められていた。

 

 俺は目を覚ます。悪夢に蝕まれた体は、汗でぐしゃぐしゃになってしまっていた。

(またこの夢だ)

 疲れの取り切れていないからだを、無理やり起こしベッドに腰掛ける。

 あの日以来まともに眠れたためしがない。初めて業魔化したおぞましい日、初めて人を殺めてしまった最悪の日から。あの日から俺の中の何か歪んだ。そしてその歪みが全身を蝕み、その影響が身体や精神に表れ始めていた。一つは悪夢でまともに寝れなくなったこと、もう一つは……

 部屋を見渡すとそれは部屋の隅で膝を抱えていた。白いワンピースを着た少女、しかし顔はヤギの頭蓋骨で覆われ、表情や顔つきは見ることが出来ず、触れることもできない。何度も声をかけたが反応はなく、かわりにどこへ行っても自分の周囲に存在し続けた。

 気味が悪い。この一言に尽きる。まともに会話できないんじゃ、何者かわかるはずもなく。俺の見解では、“こいつは睡眠不足による幻覚”に落ち着いている。

 俺はため息をつきながら、立ち上がり汗で汚れた服たちを取り換えていく。取り換え終え、1階へ向かう。細い階段を下る最中、食欲をくすぐるにおいが下から香ってくる。

 空腹を感じながら、一階へたどり着くと下腹部に二つの衝撃が来る。

 

「くふっ!」

 

 不意打ちに、驚きながら二つの衝撃に目をやると、それらは上目づかいで

 

「「カインお兄ちゃん、おはよう!」」

 

 と声を張り上げるのだった。無垢な瞳と声に、心のモヤが薄れていく。俺は負けじと答える。

 

「おはよう! アネッタ、ロイ! 久しぶりだな。見ない間に大きくなったんじゃないのか」

 

 そう言い頭をくしゃくしゃとなでてやると、とても楽しそうにキャッキャと笑う。

 

「たった一週間やそこらで、大きくなるわけないでしょ~。ほらっ! 子供とじゃれてないでカインは手伝って!」

 

 台所の方から母さんが食事を運びながら声をかけてくる。

 

「母さん、おはよう。そこまで言うなら仕方ないなぁ。並べるの手伝うよ」

 

「あらっ。親孝行できるいい子ねぇ。ご褒美に頭なでてあげようか?」

 

 他愛もない会話をしながら、体に引っ付いて離れない弟、妹を引きはがし、母から受け取った食事を並べていく。

 

「それでカイン……仕事はどうだったの?」

 

「え?」

 

 突然の質問に心臓が跳ねる。溶けた肉塊が頭をよぎった。

 

「ほら、一週間前大都市に仕事に行くって言って、すぐ出てっちゃったじゃない!」

 

「あ……あぁ、そういえばそうだった」

 

「お兄ちゃん、おみやげは?」

 

 アネッタが、目をキラキラさせながらこちらを見上げている。ロイも思い出したかのように、おみやげ! おみやげ! と同調し始める。

 

「ごめんな、二人とも。仕事が忙しすぎてそれどころじゃなかったんだ」

 

「「えぇ──ー!!」」

 

 二人は頬を膨らませ、ブーブー言いながら自分たちの席へ向かう。

 

「それでどんな内容だったの? 仕事」

 

「ちょっとした肉体労働って感じかな」

 

 当たり障りのない返しをする。家族に嘘をつくたびに心に暗い影が差す。まともな仕事だったらどんなに心が軽かっただろう。俺は胸を張りながら自分のした仕事について説明したに違いない。

 悟られてはいけない、心の内を……知られたくない、犯した罪を……

 

「なんで働いてきた本人がはっきり覚えてないのよぉ。これで2回目じゃない、その秘密の仕事。変な仕事じゃないわよね?」

 

 怪訝そうに俺の目を見る。

 

「別にそんなんじゃないって、そもそもそんなことできるような人間じゃないって」

 

 俺は作り笑う。部屋の隅で膝を抱える少女が鼻で笑う。

(あいつ今、笑った?)

 俺は視線をちらりとそちらに向ける。しかしそれを妨げるように、視界に母さんが入り込んでくる。

 

「カイン……あなた無理してない? 本当に大丈夫?」

 

 母の青い瞳が、俺の黒い瞳を見据える。何もかも見透かされていると感じるほどまっすぐ。

 思わず目を反らしてしまう。正直、全てしゃべってしまいたかった。この犯してしまった罪を、罪悪の苦痛も、全部ぶちまけてしまいたかった。それほどまでに俺の覚悟は揺らぎ始めていた。

 俺は喉まで出かかった懺悔を、飲み込み母と目を合わせなおす。

 

「そんなことないよ。もしかしたら慣れない肉体労働で疲れがでてるのかもね」

 

「そう……」

 

 母さんはこれ以上追求しなかった。

 食器を4人分、食卓に並び終えた。しかしキッチンには、まだ一人前の朝食が残っている。

 

「その朝食、父さんの?」

 

「ええ、そうよ」

 

 母さんは思い出したかのように手をたたくと。

 

「そうだ、カイン持って行ってあげてくれない? 父さん、カインと話したがってたのよ」

 

 一体どんな話だろうか。疑問や動揺が心に浮かんでくるが、断る理由もない。

 

「分かった持ってくよ。母さんたちは先食べ始めてていいよ。アネッタもロイも、もう我慢の限界そうだし」

 

 二人の方に目をやると、ホカホカの朝食に今にも飛びかからんばかりだった。

 母さんは、そうねと、笑いながら頷き、自分の食事の前に座り、アネッタとロイに、

 

「はいはい、まずは感謝のお祈りからよ。ほら手をつないで!」

 

 と諭している。その様子をしり目に、俺は朝食を両手に持ち、父さんの寝室へ向かった。



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2-2 揺らぐ覚悟

 寝室に入ると、父さんはベッドで横になっている。そして入ってきた俺に気がつくと、こちらを見て微笑んだ。

 

「母さんかと思ったが、カインか。どうした?」

 

 上体を起こそうと、しているが弱り切った体にはそれすらも重労働だった。その様子を見て、ベッドの横にある小さな机に朝食を置き、急いで父さんを支える。

 

「そんな無理して起きなくても……、朝ごはん持ってきたよ」

 

「あぁ、ありがとう。感謝の祈りは母さんとしてしまったか?」

 

「ううん、俺はまだ」

 

「そうか、じゃあ一緒に祈ろうか」

 

 毛布の下から、出てきた手を握る。その手はあまりにも弱々しく、少し力をいれるだけで折れてしまいそうなほどは細くなっていた。元気だった頃とは、想像もつかないほど父さんは確実に衰弱している。頬はやつれ、声もしゃがれていた。誰が見てもこう思うだろう。時間が差し迫っていると、

(早く治療を受けないと、もう本当に時間が……)

 焦る俺とは反対に、父さんは落ち着ているように見える。すべてを受け入れるかのように。

 祈りに向けて目を瞑る。

 

「天にまします。我らの神、エレツィアよ。

 あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。

 あなたが愛を持って自らの血肉を裂き、私たちを創られたように、

 私たちも、愛を持って自らを他者へ捧げられるような、強き心を授けたまえ。

 国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり。

 エレツィアの祝福あれ」

 

 祝福か……。とうとう人を殺めた俺に、神様からの祝福はとてもじゃないがもらえないだろう。

(だけどエレツィア様、どうか……どうか父さんだけは……)

 心の中で懇願する。

 

「エレツィアの祝福あれ」

 

 俺も父さんに続く。祈りを終え、目を開ける。

 

「それで、話して何? 母さんが言ってたよ、俺に話があるとか……」

 

「あぁ……別に大した話じゃないさ。ただ最近、こうやって面と向かって話すことが減ったような気がしてな」

 

 父さんは照れくさそうにしながらそう言った。

 確かに話す機会は、父さんが元気だったころよりは、確実に減っただろう。

 父さんのために新しい仕事を始めたという理由もあるが、それ以上に俺自身が父さんと顔を合わせることを無意識のうちに避けているのかもしれない。

 日に日に衰弱していく父さんを見るのが……すごく……すごく怖くて。

 このまま父さんに何も返せず終わってしまうんじゃないかって。ここまで育ててくれた……記憶のない10年前の俺を、業魔だと知りながらここまで育ててくれた恩も返せずに。

 

「カインもうすぐ誕生日だろ、もう何歳になるんだ?」

 

「もうすぐで20になるよ」

 

「もう20かぁ。早いよなぁ月日が経つのは。私も立派なおじさんになってしまったよ。ははは……ゴッホゴホゴホゴホ!」

 

 激しく咳きこむ、こっちまで苦しさが伝搬するようだった。父さんの背中をさすろうと、近寄るが、手で制される。

 

「大丈夫、大丈夫だから、このぐらい心配いらないよ」

 

 そう言い、微笑む。

 

「そういえば絵は、最近は描いてるのか?」

 

「いや……、最近はあんまり……」

 

「そうか、カインの絵また見たくてな。父さんなお前の絵の大ファンだからな」

 

「知ってるよ。俺が初めて描いた絵を、礼拝の説教で自慢するくらいだからね」

 

 今でも覚えている。確か家族の絵を描いた。父さんに母さん、アネッタと生まれたばかりのロイ。

 子供が描いた絵だ。お世辞にも上手いとは言えなかった。けれどみんなに見せた時、父さんは大喜び。次の日の礼拝に、その絵を持っていくと、この町の司祭である父さんが、神の教えを説く時間である説教であろうことか息子の絵を自慢しほめちぎり始めたのだ。

 

「あれ、ホントに恥ずかしかったよ」

 

 けど同時にうれしかった。その嬉しさが忘れられないから、今も絵を描くことを好きでい続けている。

 

「いやぁ、あの時は嬉しすぎてな、ついつい」

 

 父さんが笑う。あぁ、こんな時間がずっと続けばいいのに……いや、続けられるように俺が……。

 

「仕事のせいか? 絵が描けないのは」

 

 急に仕事の話を振られ、心が揺さぶられる。

 

「まあ、それもあるかも」

 

「どんな仕事なんだ?」

 

 質問を重ねてくる。なるほど話の本命はこっちか。心に仮面をする。

 

「肉体労働みたいなもんだよ」

 

「なぜ、曖昧に答える? 正直に話してくれ」

 

 父さんは切実な目でこちらを見ている。話せるわけがない。業魔に人権印を配ってるような悪趣味な野郎からもらった仕事をこなしているなんて。

 

「大した仕事じゃないからだよ。そこまで話せるほどの内容じゃないから」

 

「……そうか。父さん、母さんと話したんだ。最近のお前の様子について……、無理してお金稼ぎに奔走してるかもって。危ないことに巻き込まれてるんじゃないかって」

 

 違うよ、父さん。確かに大っ嫌いな業魔と関わる仕事なんて絶対にやらないつもりだった。

 でも短時間で大金を稼ぐにはそれしかないって。これは俺にしかできない。そう思った時、こうも思ったんだ、やっと父さんに恩返しできるって、何を犠牲にしてでも救って見せるって。嬉しさと覚悟が湧き出てきたんだ。

 

「危ない事なんてしてないよ。そんなことする勇気ないって」

 

 笑いながら言う。

 忘れてたこの覚悟を。人一人殺したからって動揺してる場合じゃない。これは父さんを救うための正当な犠牲、俺は悪じゃない。

 心を蝕んでいた罪悪感が別の何かに変化していくのを感じる。

 

「そうか……」

 

 父さんは悲しそうに、うつむく。しばらくして覚悟を決めたようにこちらを見る。

 

「……分かった、カインを信じるよ。けどもし……、私に嘘をついているとしたら……本当は私のせいで危ない仕事をしていて、その過程で多くの犠牲を払っているのだとしたら、聞いて欲しい。父さんはその犠牲の上で救われることは……、一切望んでいない。私のせいで、多くの人やカインが不幸になるのを、望んでいない。それは……悪だ。私を悪人にしないでくれ。カイン……悪人にならないでくれ」

 

 衰弱しているとは思えないほどはっきりと、力強く言い切った。思わず目をそらす。この言葉に、鼓動が加速する。

 気づいている。何から何まで知っているわけではないと思う。けれど、少なくとも俺が良くないことをしていることに気がついている。

 俺は悪なのか? 大切な人のために犠牲を積み上げるのは悪なのか? 

 心に湧き出る疑念を振り払う。

 例え……例え父さんが望んでなくても、それしか方法がないんだ! なかったんだ! それに

 

「もう……後に引けるわけないじゃないか」

 

 そう呟き、俺は家を飛び出した。



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2-3 静かな説教

 俺はひたすら、閑散とした教会で一人、苦悩していた。

 もう何にも分からなくなってきた。何が正しいのか、何が悪なのか。これから何をするべきなのかわからない。けどすることは決まっている。決意が揺らぎ、思考が巡る。

 顔を上げる。そこにはエレツィア様の石像があった。

 中央でエレツィア様が膝を抱え丸くなり、その後ろを十字が通っている。

 

(エレツィア様、俺はどうすれば……)

 

 答えが返ってくるはずもなく。相変わらず静寂がこの教会を支配していた。

 一番前の長椅子の、一番真ん中。この場所に座っていると、元気だったころの父さんが、礼拝の説教している記憶が蘇る。

 ここが好きだった。カッコイイ父さんが良く見えるから。

 

 急に後ろの扉が開かれる。振り返るとそこには見知った顔がいた。

 その人物はこちらに気づくと笑顔になり、こちらに手を振り、近づいてくる。

 

「カイン君! 礼拝のない日に教会に来るなんて、珍しいじゃん」

 

「少し祈りたい気分で……」

 

「さすがイサイヤさんの息子! 信心深いね」

 

 イサイヤは父さんの名前だ。彼女は長髪の金髪を揺らしながら頷いている。

 

「ははは……、ところで、エマさんは何を?」

 

「私は、ちょっと恥ずかしいんだけど……次の礼拝の説教の練習しようと思って……大勢の前でしゃべるの、まだ慣れなくてね」

 

 エマさんは、司祭助手という立場で、簡単に言うと司祭である父さんの手伝いさんだ。病気で教会に来れない父さんに代わって、礼拝を進行することになっている。

 

「意外ですね、エマさん人と話すの得意そうじゃないですか」

 

「人とおしゃべりするのと、大勢の前で話すは全然違うよ! もう緊張しちゃって噛みまくっちゃったよ」

 

 ため息をつきながら、俺の隣に座る。

 

「ダンさん達にお願いして、練習手伝ってもらおうと思ってたんだけど、明日まで任務だって言って、魔法団も連れて全員出てっちゃったんだよね」

 

 道理で街中、異端審問官の誰とも会わなかったわけだ。この町は小さい、どうやったって鎧を着た集団は目立つから、見かけると印象に残る。

 

「イサイヤさんみたいにカッコよく、バシッ! と出来るようになりたいなぁ」

 

「イサイヤさん……どう病気?」

 

 心配そうな顔でこちらを見る。

 

「良くはないです。日に日に悪くなっています。医者の言った通りでした。時間がないと。早く水の国イェルマイムにいる医者に治療を受けろと」

 

 水の国は、とある大司教のおかげで、ここ数十年のうちに急激に医療が発展したらしく、大勢の人々を毎日救っていて、腕は確からしい。が、どの医者も高額な治療費を要求してくるといっていた。治療費がどれくらいかかるかも聞いたが、とても払える額でも、1,2年で稼げるような額でもない。それに水の国への渡航費もばかにならない。けれど時間は待ってくれない。

 

「時間、無いのかぁ……そっか」

 

 悲しそうな顔で、エレツィア様の像を見上げていた。

 

「イサイヤさんにね、言ったんだ。町の人に協力をお願いしようって、イサイヤさんのためならきっと助けてくれるって。けどね、断られちゃった。みんなからお金を集めても足りない額だから、それに私のせいでみんなに苦しい思いをさせられないって」

 

 父さんはいつもこうだ。どんな人にも分け隔てなく、自分の身を裂いて人助けするのに、自分に対する誰かの自己犠牲は嫌がる。その人に苦労を掛けたくないと。

 俺はそんな父さんのことを尊敬している。

 

「父さんらしいです」

 

 少し間をおいて話す。

 

「俺、ここに来たのは、父さんと、もめたというか何というか……とにかく苦しくて家を出てきちゃったみたいなのが、本当の理由なんです」

 

「俺、どうしたらいいのか分かんなくて……何が正しいのか分からなくなって」

 

 ポロポロと心からこぼれたものが言葉になって口から溢れ出す。

 エマさんを見据える。

 

「エマさん、大切な人のために誰かを犠牲にすることって悪だと思いますか?」

 

 子供っぽい質問だっただろうか、そんなの悪いことだよ! と一蹴されてしまうだろうか。

 エマさんは、少し考えた後、こう答えた。

 

「それは、見方によるよね。自分からすると大切な人のためだし、しょうがないって思う。けど犠牲にされる側からすると納得いかないよね。正しい正しくないは視点が変われば、一緒に変わる」

 

「私は、そこで大切になってくるのが、その大切な人や、犠牲になる人がそれを望んでいたか、だと思うの。どちらかが望んでなかったら、大切な人への救いは自己中心的で自己満足なものになってしまう。それでもお構いなしに救いを与えようとするのって……」

 

「それって、業魔とやってる事同じのように感じる」

 

 罪悪感が、体の隅々まで広がる。頭が真っ白になり、呼吸がうまくできない。苦しい。心臓が暴れだす。俺はどんな犠牲を払っても、救いたいと思っている。けど父さんは望んでなかった。殺めてしまった異端審問官も。

 俺は業魔だけど心は人であると思っていた。自分のために誰かの命を踏みにじり、その命を軽んじる。おぞましい業魔達とは違う存在だと。

 けど俺のしてきたことはそいつらと何にも変わらないんじゃないか? 

 俺はどこまでも業魔だった。背中の黒ヤギが嗤う。

 

「お! なんかバシッと説教できたっぽくなかった? ……ってねぇ! カインくんどこ行くの? ねぇ!」

 

 俺は無言で教会を出る。認めるわけにはいかなかった。俺の中にいる怪物の存在を。

 そろそろ時間だ、あいつも来ているだろう。

 動揺を押さえつけながら俺はいつもの場所へ向う。



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2-4 沈む太陽

 町から出てすぐの小高い丘に座りながら、ぼーっと夕焼けを眺めている1人の青年がいた。

 そいつはこちらに気がつくと、一際長い犬歯を見せながらニコッと笑った。

 

「どうも“黒ヤギ”くん。“黒ヤギ”くんは時間守ってくれるからありがたいよ。ほかのやつらじゃこうはいかないよね。この前なんて2時間も待たさr」

 

「“黒犬”、世間話はいいから」

 

 話を遮る。こいつはしゃべりだすと延々としゃべり続ける。

 

「はいはい、冷たいなぁ君は」

 

 “黒犬”と呼んでいるこいつも、業魔だ。

 俺に人権印を刻んだ野郎に仕事が欲しいと連絡した日から、こいつは現れるようになった。仕事とその報酬を携えて。

 “黒犬”は左手で短い黒髪を触りながら立ち上がると、近くに置いてあった袋右手で掴み、俺に手渡す。

 その右手の甲には当然のように人権印が刻まれている。

 渡された袋から、ずっしりとした重みを感じる。中をのぞくと、いっぱいに金貨が詰め込まれていた。

 

「全額しっかり入ってるよ。俺、確認したんだ」

 

 それは本当のようで、追加の報酬も全額しっかりと入っていた。

 

(もうすぐだ。あと何回か仕事を受ければ……医療費まで届く! あと少し、あと少しなんだ)

 

 父さんが望んでいようといまいと関係ない。治療さえ受けてくれればそれで……。俺の中から溢れ出そうとする罪の意識を、無理やり押さえつける。

 

「“パパ”も仕事熱心で嬉しいって、仕事をあげた甲斐があるって言ってたよ」

 

 ニコニコと、首に下げている沢山の白い装飾のついたネックレスをいじりながら、話しかけてくる。

 黒い服を着ていると白い装飾は、いやでも目立つ。その装飾品をよく見ると、それは“歯”だった。

 

「お! “黒ヤギ”くんも興味ある? これエミリアって子の下顎の歯なんだけど、その子とっても歯が綺麗d」

 

 気色の悪い趣味だ。憤りを噛み殺し、話を遮る。

 

「仕事はあるのか? すぐ受けられるやつ」

 

 “黒犬”はニコッと笑う。

 

「あるよ。今日の夜、この町のすぐ近くで、荷物の護衛だって。ほかの業魔もいるから楽だと思うよ」

 

「どうする? やる?」

 

 迷ってる時間なんてなかった。俺のやっていることは、自己満足なのかもしれない、自己中的なのかもしれない。けどそれを苦悩する過程にもういないのだ。もう後戻りできないところまで来ているんだ。

 自分に言い聞かせる。迷う暇を与えないように、

 

「……受ける。詳しい場所を教えろ」

 

「そう来なくちゃ」

 

 

 夜まで適当に時間を潰し、黒犬の指定した場所へ向かう。家には一度も帰らなかった。次覚悟が揺らいだら、もう進めないような気がしたから。

 町の門をくぐり、ひたすら道を進み続ける。しばらく歩くと平原が森へと変わり、もう少し進むと左右に道の分かれる場所につく。

(ここら辺のはずなんだけど……)

 右左を見渡すと左の方に、馬車が止まっているのが見える。馬車につるされたランタンが、その馬車の近くに佇む二つの人影を映していた。一人は背が高く筋肉質な男、もう一人は俺より背が低く小太りな男だった。

 その二人に近づく。二人はこちらを無言で見つめる。

 

「俺は“黒ヤギ”って呼ばれてる。仕事に来た」

 

 そう、一言だけ言うと、背の高い男はニタニタと笑いながら返事をする。

 

「よろしくだ。俺は“鎧鼠”って呼ばれてるし、呼ばせてる。このデブのおっさんは……おっさんだ!」

 

 小太りの男はため息をつく。

 

「いい加減名前覚えてくださいよ。私はティモと申します」

 

「あぁ、そうだそうだキモだ! 思い出した」

 

「……ティモです。全然思い出せてないじゃないですか。まぁ、自己紹介はこんなところにしときましょう。早速出発しますので馬車に乗ってください」

 

 ティモはそういうと御者台へ上り、馬の手綱を握る。“鎧鼠”と自称した男は、俺の前をズカズカと通り、荷車の幌をめくり、後ろからに乗り込む。俺もそれに続く。

 幌馬車には、自分たちの他に人間が、9人ほど乗っていた。大人8人、子供1人。質素の服を着ていて、足枷や手錠で自由を奪われていた。荷物ってまさか! 驚く俺に気がついた“鎧鼠”は笑う。

 

「これが俺たちの運ぶ“荷物”。つまみ食いは禁止だからな」

 

 左右に分かれ真ん中に道を作る“荷物”たち、“鎧鼠”はその道をふざけたことを言いながら、容赦なく歩き、荷車の前、御者台のすぐ近くにドカッと腰を下ろすと、動けなくなっている俺に、

 

「何止まってんだ。早くここ座れよ」

 

 と自分の目の前の空いている場所を指さす。

 最悪な夜が始まる。

 

 

 



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2-5 現の悪夢

 ガタガタと揺れる馬車の中、ひたすら目の前の男はしゃべり続けていた。

 今まで何人殺したかとか、その中でも一番楽しかった殺しとか、事細かく。

 その話を通して、ひたすら自分が優れていること、自分がどれほど業魔として最強かを自慢し尽くしていた。

 俺は、ほとんどを聞き流していた。まともに聞いていたら不快感と怒りで吐き散らしていただろう。それに荷物呼ばわりされたこの人たちのことが、気になって仕方なかった。

 

「それでよぉ。俺のこと追ってきた異端審問官30人全員を殺したってわけ。しかもそいつらは大都市屈指の精鋭で……何? どうした? 荷物なんかチラチラみて、誰か欲しいの?」

 

 自慢話を聞いてもらえないのが不愉快なのか、不満そうに問いかけてくる。

 

「大事な商品なんで、勝手に盗らないでくださいよ」

 

 ティモが、こちらに振り返り言う。

 

「……この人たちは、これからどうなる?」

 

 質問をぶつけると、大笑いしながら“鎧鼠”は答える。

 

「アハハハハハ! おまwお前顔に似合わず鬼畜だな! これからどうなるかこいつらに聞かせるのかよ。いいぜ、詳細に語ってやるよ!」

 

「こいつらは商品だ、人間に向けてじゃねぇ、各地の業魔に向けて売られる。俺らみたいなね」

 

 ヒラヒラと右手の甲を左右に振る。当たり前のように人権印が刻まれている。

 

「そんでもって、そいつらの“趣味”に使ってもらうってわけだ。俺は買ったことねぇけど。俺は現地調達派だからな!」

 

 聞くんじゃなっかった。最悪だ。俺は最悪なことに加担している。押さえつけていた罪悪感が溢れそうになる。

 

「ホント、業魔ってのは、どいつもこいつも粋な“趣味”持ってるからな! かくいう俺もだな……」

 

 また自分の話をしようとし始めていた。話を遮り、思わず口をはさむ。

 

「なぜお前は、自分が業魔であることをそんなに嬉々として話せる?」

 

 前々から抱いていた質問だった。

 俺は、自分が業魔だと知った時から一度も業魔であることに正の感情を抱いたことが無い。負の感情しか抱かなかった。

 だが会う業魔、会う業魔、全員が業魔に生まれたことに対して一切の後悔や疑問を抱いていなようだった。それどころか謳歌している。他人の人生を踏みにじれることに。

 

「まさか、お前、業魔に生まれたことを悔いてる系? 珍しい“業魔”だなぁ」

 

 興味深そうに驚き、顔を緩ませながら皮肉を込めて返される。

 

「俺は業魔に生まれたことを悔いている。人の命を踏みにじらなきゃ、使うことの赦されないこの力を憎んでいる!」

 

「そして他人の命を、物のように消費するお前ら業魔を嫌悪している!」

 

 俺は強い口調でまくし立てる。だが“鎧鼠”はそのニタニタと顔を緩ませるのをやめなかった。

 

「ずいぶんな物言いだね。つまり俺らみたいな自己中心の塊の業魔が大っ嫌いってわけだ。けどさ、それって業魔だけじゃないと思うんだよね。人間もそうだと思うんだけど」

 

「それは違う、人は他人を思いやって行動することが出来る!」

 

「いやいや、人は誰しも心の中では自分が一番大切だし、自分の快楽のために他人を犠牲にするぜ。そういう自己中心さが人間の本質だと思うけどな、キンモもそう思うだろ?」

 

「……ティモです。まぁ私も常々そう感じますね」

 

 "鎧鼠"の問いに、ティモはため息交じりに同意する。

 

「そう考えるとさぁ、ある意味、業魔は人間よりも“人間らしい”と思うんだよね」

 

 業魔が人間らしいだと!? 怒りで腸が煮えくり返る。

 

「違う! 人は他人を愛し、その人のために自分を犠牲にできる。お前ら業魔とは違う!」

 

 俺は立ち上がり大声で反論する。その反論に“鎧鼠”は不思議そうな顔をする。

 

「お前ら、お前らって……何? 自分は業魔じゃないっていうのか? お前も業魔だろ? 自分の目的のために他人を犠牲にできるそうだろ?」

 

「違う!」

 

 俺は……、心だけは人なんだ! 人であり続けるんだ。

 

「じゃあ、なんで"黒ヤギ"くんはさ、この仕事受けてんだ? 自分の目的のためだろ? こいつら犠牲にしてさ」

 

 後ろの9人を指している。どれもが衰弱し、絶望した顔をしていた。これからの地獄を想像して。

 俺は……俺は……

 

「俺は……、業魔なんかじゃ……」

 

 瞬間馬車が急に止まり、転びそうになる。

 

「どうしたキンモ!」

 

 突然の急停止に、驚いた“鎧鼠”はティモに確認をとろうとする。

 

「どうして異端審問官が……」

 

 幌をめくり、前を覗く。森を抜け、平原に入るところだった。平原には多くの明りと、それに照らされる異端審問官たちがいた。しかも彼らは自分の良く知る顔たちだった。

(ダンさんたちの部隊!? なんでここに?)

 昼間のエマさんの会話を思い出いし合点がいく。おそらくこの仕事のことが筒抜けだったんだ。でもなぜ? 俺と同じように“鎧鼠”も覗き込むと満面の笑みをこぼす。

 

「お! やっとお出ましか! かなりの数いるなぁ、こりゃチクった甲斐があったぜ! キンモ何人まで使っていい?」

 

「まさか“鎧鼠”あなたまた! ……はぁ、もういいです。二人までです。それが限界です。あと私の名前はティモです」

 

「はいはい、分かった分かった。さてと」

 

 振り返り品定めしようとする“鎧鼠”の前に立ち塞がり、強い口調で疑問をぶつける。

 

「どういうことだ、何が起こってる!? 異端審問官を殺すきか!?」

 

「当たり前じゃん、そのために呼んだんだし」

 

 あっけらかんと"鎧鼠"は答える。あきれながらティモは補足するように言葉を付け加える。

 

「その人が、自分で異端審問官にチクったんですよ。自分の力に浸るために。これで3度目ですよ、3度目! 一緒に仕事する度にこんなことするんですよ! もう勘弁してほしいです」

 

「そうそう、これが俺の粋な“趣味”ってわけだ。てことでどいてくんね?」

 

 その言葉を無視して、立ちふさがり続ける。

 

「意味が分からない! なぜこんなことをするんだ!」

 

「気持ちいもん、人殺すの」

 

 まともに話すのも馬鹿らしい。

 ダンさんと殺し合いなんかさせる訳にはいかない。俺はひたすら叫んだ。

 

「今からでも遅くない。別の道から行くべきだ! 異端審問官とやりあうなんてリスクが高すぎる!」

 

 ひたすら聞こえの言い代案を並べる。

 何とかしなければ……、ダンさん達が傷ついたり、殺されたりするのなんて絶対見たくない! そんなこと起きてはならない! 

 “鎧鼠”は少し考えた後、ニコッと笑う。

 

「確かにそうだな、危険かもしれん。それにそもそも俺たちの目的は荷物の護衛だしな! 別の道から迂回するか。俺が間違ってたよ」

 

 俺の両肩に両手を乗せる。こいつ分かってくれ……

 

「って言うわけねぇだろ! この俺様がよぉ!」

 

 そう言い放ち、両手で俺を引き寄せ、みぞおちに膝蹴りが食い込ませてくる。

 

「かはっ!」

 

 腹部を襲う激痛に悶え、崩れ落ちる。内臓がひっくり返るようだった。

 苦しむ俺に容赦なく蹴りを加え続ける。

 

「俺の! 楽しみを! 奪うんじゃ! ねぇ! クソが! よ!」

 

 ひとしきり蹴り続けた後、息をふーっと吐くと、膝を曲げ俺の顔を覗き込む。

 

「俺様は最強なんだ。ここで安心して、よーく見とけ、この平原が異端審問官の臓物で飾られていく様をよぉ」

 

(やめ……ろ、お願いだ、やめてくれ)

 

 痛みで声の出ない俺をよそに、“鎧鼠”はおびえる荷物の品定めを再開する。そして子供を抱き寄せる女性の前まで行く。

 

「この子供にするか」

 

 女性から子供を奪い取る。女性は懇願し"鎧鼠"の足に縋りつく。

 

「お願いします! 息子だけは息子だけはどうか」

 

 “鎧鼠”はわざとらしく考えると、あっ! と何かを閃いたようなそぶりを見せた後、ニタニタと笑う。

 

「そうだね。“子供だけ”じゃ、かわいそうだから、君とこの子にするね!」

 

 女性の腕をつかみズルズルと引きずり、馬車を降りる。馬車の外から子供と女性の泣き叫ぶ声が聞こえる。

 

「"アマルティア"」

 

 幌の向こうから肉が溶け合い、ボコボコとその形を変えていく音だけが聞こえる。

 

 悪夢が始まる。




ここまで読んでいただきありがとうございます。これで2話目は終了です。第3話は濃厚な戦闘を見せれるように頑張ります。
好評でも批判でも遠慮なく感想に書き込んでいただけるとありがたいです。
これからもよろしくお願いします。


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