孤独な世界に響く夜天の調べ (国産茶葉)
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プロローグ

 多次元宇宙という考え方がある。

 

 存在する宇宙は、無限ないし多くの次元を持つ空間(バルク)に浮かぶたったの三次元の(ブレイン)であり、空間(バルク)内に複数の(ブレイン)があることを許容するというものだ。

 

 その多次元宇宙の存在を証明し、膜を越えての移動を可能にした者達はある時こう呼び始めた。世界を内包する空間を『次元空間』、世界や次元空間を含めて『次元世界』と。

 

 ここは数ある世界のひとつ。次元空間――通称、『次元の海』を行き来する者達から呼ばれる名は第三十八無人世界『ラナート』。その現地惑星『エーク』のとある場所だった。

 

 空は太陽の光を通さない程の黒く厚い雲に覆われ、人が真っ直ぐに歩く事が困難なほどの強風が吹き荒れる。上空はさらに強い風が吹き荒れているのか、走り抜けるように流れていく暗雲。遠くから轟く雷鳴が嵐の到来を告げており、雨が降り出すのもそう遠くの事ではない。

 

 そんな状況の中で強風が吹き荒れる地上約八〇メートルの危険な場所――幅が三十センチも満たない鉄骨の上に立つ一人の青年がいた。

 

 年齢は二十代半ば。すっきりと通った鼻筋に切れ長な緑碧の双眸、腰まで届く長い亜麻色の髪を編み込んで前面に垂らす華奢な体付きは、女性の衣服に身を包めば誰しもがスレンダーな美女と勘違いしてしまう。もっとも今は白のシャツを身に纏い、黒のスラックスを穿く姿は辛うじて男性だと周囲に知らしめるが、それでも同性も惑わす色香が漂よっている。

 

 立っているのはかつて発電所から都市を結び、インフラの要とも云うべき電気を送電していた鉄塔だった。

 

 建造されてから既に一〇〇年以上は経過しており、支えていた子供の腕の太さ程もある架空電線は断裂して垂れ下がっている。鉄塔自体も茶色や黒といった腐食による錆で覆われ、さらに木々を薙ぎ倒すほどの強風に煽られて鉄骨にひずみが加わる。金属を擦り合わせる悲鳴の様な音が鉄塔の各所から聞こえていた。

 

 常人なら高さに、転落に、そして倒壊に恐れて肝を冷やし身体を震わせている。例え高所の綱渡りで金銭を稼ぐ軽業師だとしても十秒も立っていられない劣悪の場所。

 

 だが青年は平然と風に煽られることなく遥か遠くを眺めている。正気(まとも)な神経ではないのは確実であり、本当に人間なのかと眼を疑うような光景だった。

 

 青年の視線の先は鈍色(にびいろ)の空と深緑(ふかみどり)の森林で殆どを埋め尽くされている。

 

 樹齢一〇〇年を越す樹木が多く、上からでは地面を見ることは出来ない程に生い茂り生命力溢れる森林。もし人によって植林された場所ならばこれほど生命の営みが満ちたりせず、多種多様な樹木が生えることはない。

 

 そして森林を良く観察すれば所々に自然界ではありえない巨大な物が緑の中に埋没していることに気づく。どれも半壊しており、長い年月がたって薄汚れたコンクリートや煉瓦で造られた人工物――建造物の成れの果て。

 

 ここはかつて人々が暮らしていた都市が滅び、自然に飲み込まれた場所。そして人間という種がいなくなり、人類文明が終わってしまった世界。故に『無人』世界という扱いを受けていた。

 

 そんな世界に彼は存在し、鉄塔の上から飽きる事無く眺めていたが――何を思ったのか躊躇(ため)うことなく鉄骨の上から一歩踏み出した。

 

 その先は子供でも分かることだ。足場のない場所に一歩踏み出せば、透明な足場でもない限りは足を付けることなど出来るはずがない。

 

 踏み出した足は足場の感触を伝えてくることはなく、青年の身体は重力に逆らうことなく落下していく。

 

 その現状に青年は慌てる事無く落下に身を任せる。枝葉に隠れた地面を透視するかのように黙って下を見つめ、数秒後には大地に叩きつけられる未来が待っているというのに、眉をぴくりとも動かさない。

 

 やがて青年の身体は緑の海を突きぬけ、上から姿を視認することは出来なくなる。だが幾ら待てども固い物が砕ける音や、水分を多く含む果実が潰れるような音が下から聞こえてくる事はなかった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

 『異形』という言葉がある。『普通』とは違った形という意味だが、彼らの前に立つ生物はその言葉が見事に当て(はま)る。

 

 顔が三つに腕が四つ――という姿はしていない。胴体には頭や手足の四本が繋がり、『人形(ひとがた)』と呼べる姿。

 

 だが胴は直径二メートルを越える球体、その上に二周りは小さい球体頭部が首のない状態でのっており、繋がる手足も痩せ衰えた老人よりも細い――それでどうやって巨体を支えているのか疑問に思うほどに。また頭部に顔の部品は存在するが、鼻や耳は黒い穴が開いてるだけで、眼は黒曜石のような(つぶ)らな瞳。何よりもそれらに対比して異様に大きな口が閉じた状態で、横に弧を描くように存在している。

 

 外見的特徴は子供が一度は作る雪だるまに足を生やした姿そのものだが、雪ではなく肉で構成された生物として実物を直視すると、吐き気を(もよお)す。雪だるまが自然界の精霊とするなら、その存在は受肉し堕落した魔物以外の何者でもなかった。

 

「退避完了はまだか!!」

 

 肉だるまと対峙しながら魔導師が使う杖――デバイスを構えた護衛担当のレイル・スクライアは腰に付けた通信機に向かって叫ぶ。しかし手間取っているのか返事はこない。

 

 彼の着ている服は貫頭衣だった物を時代と共に変形・洗練し、胸に緑色で一族の象徴(シンボル)が縫われた物だ。その上には外套を羽織っており、彼の左右にデバイスを構え並び立つ人間も細部の衣装は異なるが、同じ装いをしている。

 

 彼ら三人はスクライア一族。

 

 次元の世界を渡り歩いて遺跡発掘を生業にし、滅び無人となった世界に訪れて残存している遺跡などから出土品を回収し売ることによって生計を立ている。また発掘と同時に学術調査も行う為に考古学者集団という側面もある。

 

 この場所にも時空管理局に発掘申請を行ってから来ており、発掘を始めてから三ヶ月近く経過。まもなく一回目の発掘終了の目処(めど)が立とうとしていた日の出来事だった。

 

「おいちおいちおいちいいいいーい。ほっぺおちちゃーう。あは、ははは」

 

 肉だるま――化物の口が開くと整然と並んだ鮫に似た三角の鋭く尖った歯が露出。枯れ枝のような腕で肉だるまは頬に当たる箇所を押さえ、喜びを(あらわ)にする。言葉を肯定するかのように、頬には赤みがさしていた。

 

「ちくしょう。化物が」

 

 腕が無意識に震え、喉までせり上がる酸味を抑えレイルは呟く。

 

 自然界の生物が捕食する獲物を生きたまま丸呑みする事は珍しくないが、自分達がその立場になると想像する事は難しい。何より昨日まで寝食を共にして育った友人や仲間が何人も丸呑みされるのを目撃。そしてどう言った体の構造をしているのか、体の前面が半透明なった箇所から消化する過程――衣服と人肌は一瞬で溶かされ筋肉や脂肪が()き出しになり、激しくもがいていた者が動くのを止め、瞬く間に白骨となるのを見せ付けれては平静でいられない。

 

 何よりも――

 

「《Cross Fire Shoot》」

 

 呪文を唱え周囲に黄色の魔力スフィアを五つ形成。全弾が不規則な軌道を描かせながら肉だるまに向かって飛び交い――直撃したかに思えたが。

 

「あは、はははははああああああーあっあっ。きれーだー。もっともっと!」

 

 一定距離に近づくと肉だるまの声に打ち消されるように魔力弾は消失する――まるで存在を許さないと拒絶するように。この幾度となく繰り返され、肉だるまが機嫌良く笑い踊る光景に諦観の思いがレイルの胸中に渦巻く。

 

 化物が現れ仲間を喰われてから非殺傷設定の魔法で何度も攻撃を繰り返し、撃退を試みた。だが肉だるまのAMF(Anti Magilink-Field)に似た能力は魔力攻撃を無効化し、違法と理解しながら非殺傷設定を解除して攻撃するも意味を成さない。

 

 それに数日で何事も無く終わると高を(くく)って油断していた。魔力素の薄いこの世界では睡眠を取っても魔法の力の源である魔力は回復せず、次元の海で停泊しているスクライアの船内に戻って回復に努めず地上で過ごしてしまう。その結果、戦闘の影響もあるが、魔力が尽き掛けるという事態に直面している。

 

 自身も丸呑みされる運命がどうしようもなく頭にちらつき焦りが生まれる。

 

「何で! 何で! 何でこんな化物が結界を侵入して来られるんだよ!」

 

 恐怖を振り払うような仲間の声を聞いて、現実逃避するかのように思考に没頭するレイル。

 

 発掘の前には必ず事前調査を済ませ、危険生物がいない事を確認する。そして調査段階に居らずとも発掘中に出てくる可能性を考慮して結界を張るのだ――人間以外が出入りすることの出来ない結界を。

 

 レイルの記憶にある限り、超大型の生物に結界を力技で破られた例外を除いて、結界を抜けられた記憶は一度としてない。細い手足で太い樹木を打ち倒すほどの力を肉だるまが発揮するのを何度も眼にしてきたが、今も結界は正常に動作している。

 

 そこまで考えた所で嫌な考えが湧き上がり、不快な汗が首筋を流れ落ちる。

 

 『人間以外は出入りできない』とはつまり『人間なら自由に出入りできる』ということだ。人と形容できる部分は何一つ無く、人間を好んで獲物にする狂気の生物とも言える化物が自身と同類だとしたら……。

 

 目の前にいる化物がこの世界の『人間』。

 

 否定したい思いに駆られるが、人語を操り美味しい食べ物――人間を美味しい食べ物と表現する事に忌避感がわくが――を食べて喜ぶ所作(しょさ)は人間に似ている。芸でも仕込まない限り他の生物が取る行動ではない。

 

「嘘……だろ。まさか……人げ」

 

 張り付く喉を動かし狂気に犯された思考で無意識に言葉を紡ごうとする。だが腰に付けた通信機の声に我に返った。

 

『退避完了しました! 転移魔法で撤退して下さい!』

 

 考えを棚上げすると、すぐにレイルは魔力残量の計算を始める。

 

 転移魔法はその名の通り瞬間的に移動を可能とする魔法だ。同一世界内だけでなく次元の壁を越え、別の世界や次元の海に転移することができるのだが、人数や距離に比例して必要魔力量や制御能力は高くなる。一族の仲間を逃がす為に殿(しんがり)を務めた三人は転移魔法を使えるが――

 

「俺は魔力が足りなくて使えない! 二人はどうだ?」

『っ!?』

 

 通信機からは息を飲むような音が漏れた。

 

「お前と同じように足りん」

「空戦魔導師なら飛んで逃げられるってのによ! ついてねーぜ」

 

 スクライア一族から見れば三人は魔導師として優秀である。だが管理局の魔導師平均ランクと比較すると、少しばかり平均より高い程度でしかない。魔法は個人の魔法資質に左右され、飛行魔法が存在しても適正や訓練をしなければ行使することは出来ない。そして運悪く三人にその適正はなく、訓練もしていなかった。

 

 嫌な空気が三人を包むが、それを破るように通信機から静かに声が響く。

 

『……南西200メートルの地点に転送ゲート構築の準備をします。そこまで走って逃げて下さい』

「了解。化物も一緒に転移させないでくれよ」

「当たり前です! ……レイル、必ず無事に戻ってきて」

「ああ。必ず帰る」

 

 次元航行船のオペレーター席に座る恋人の声にレイルは力強く答える。

 

 スクライア一族は次元の海を行き来する次元航行船を一隻所持しており、小規模なら定期航路を回る船に便乗して近隣世界から転移する。しかし、今回の発掘は大規模とあって所持する航行船で来ており、世界《ラナート》近くの次元の海に停泊させてあった。

 

 スクライアの航行船には、転移機能を持つ扉――転送ポートを備えている。港のある定期航路を回るだけの船には必要のない装置であるが、港のない世界を目的地にすることが基本のスクライアの船には非魔導師を転移させる為にあってしかるべき物だ。

 

 ただし魔導師が魔法を使う際の要となる器官『リンカーコア』の能力を機械的に処理しているのだが、時空管理局の最新式に比べれば遥かに劣る旧式である為に、転移ゲートを構築するのに十数秒を要する。また一度に多人数を転送する事ができず、それ故戦闘の出来ない仲間を先に逃がす時間を稼ぐ為に三人が殿(しんがり)を務めていた。

 

 三人は何時でも走って逃げ出せるように、肉だるまの踊る姿を注意深く観察する。

 

「(後ろを向いたら一気に逃げるぞ)」

「(了解した)」

「(わーったよ)」

 

 肉だるまを刺激しないよう念話で意思の疎通をとってタイミングを見計らい、ついにそのタイミングが訪れ後ろ姿を見せる。

 

「(行く……まずい!?)」

 

 スタートの合図を出そうとしたその時、肉だるまが歌いだす。

 

「まちーがうままる、しろろろいおはははな、ひひひろろばはまっしろ――」

 

 歌に連動するように肉だるまの周囲に長さ三十センチほどの氷柱(つらら)が浮かぶ。一つや二つといった少数ではない、隙間を埋め尽くさんばかりに浮かんでいるのだ。

 

 魔法が効かないと判明してからは魔力温存の為、牽制に専念していた三人。だがこの肉だるまの攻撃は雨霰(あめあられ)とばかりに回避不能なほど氷柱を打ち出してくるので防御魔法を展開するしかない。そして着弾すればするほど削られたシールドを維持する為に魔力が目減りしていく。三人の魔力が尽き掛けている一番の要因だった。

 

「ああいすすす、あああげげげるーーーーーー!」

 

 振り向いた肉だるまが声と同時に氷柱を順次高速射出してくる。鋭く尖った先端は空気を切り裂き三人に向かって飛翔。その威力は鉄板を容易く貫通する程で、何もしなければ人の形が残らない程に破壊尽くされる未来が待っていた。

 

「「「《Round Shield》」」」

 

 レイル達は防御魔法を唱えると、二メートル程の二重同心円の魔法陣に似た魔力壁を三枚重ねで展開させる。

 

 魔力量が十分なら一枚でも防ぎきる堅牢さを備えている。しかし間断なく防御魔法を(えぐ)り魔力消費を強要してくる敵の攻撃は、残りの魔力を間違いなく食い尽くす。故に破られることを前提に考え出した苦肉の策であった。

 

 氷柱が次々と着弾して粉々に砕けながらも魔力壁の魔力を削ってゆく。一枚目が破られ。二枚目が破られ。そしてレイルの三枚目が残るのみとなった。

 

「レイル! あと少しだ! 踏ん張りやがれ!」

 

 残り僅かとなった氷柱に、魔力枯渇で倦怠感に犯されながらも口の悪い仲間が励ましの声を送る。

 

 

 残りの氷柱、二十一。

 

 十八。

 

 

 十五。

 

 

 十一。

 

 

 九。

 

 

 時間にして後一秒、いや数瞬耐え切れば無事に攻撃を乗り切れたはずだった。しかし幸運の女神は彼らに微笑まない。

 

 レイルは自身の魔力が尽きるのを自覚して顔を悔しそうに歪める。

 

 硝子(ガラス)が砕ける様な音を立てながら魔力壁は破られ、最終防壁である魔力で編まれたバリアジャケットが消失。軌道がずれていた氷柱は背後に通り過ぎていったが、数本がレイル達に突き刺さる。仲間の一人は幸いにも無傷であったが、もう一人は肩の付け根に刺さり、レイルも腹部と腿に食い込む。

 

 立っていられなくなったレイルは膝を突き、悲鳴をあげようとする本能を奥歯が砕ける程に噛み締めて自身の状態を確認する。

 

 腹や足を貫いた氷柱は幸いにも臓器や太い血管を傷つけずに反対側の皮膚を突き破って止まっていた。もしこれが反対側まで抜けていたら傷口は大きくなり、臓器を引きずって外に飛び出していたかもしれない。勿論治療しなければ死に至るが、処置なしでもすぐには死にそうにはない。だが――

 

「俺を置いて逃げろ! 走れ!」

 

 仲間の状態を確認すると残酷な願いをレイルは口にする。

 

 即死していないからといって何の慰めにならない。走れなければ意味がないのだ。腹と足に氷柱が刺さった状態では満足に歩く事もできず、支えられて逃げることも考えたが、すぐに追いつかれて全滅するのは目に見えている。

 

 肉だるまがゆっくり歩く姿はその巨体からひどく鈍重そうに思える。しかし逃げる人間を追いかけた時に見せた走る速さは人間のそれに等しい。もしかしたらその速度すら本気ではなく、さらに速く走れるのかもしれない。

 

 ならば逃げ出す事の出来ない自らが囮になり、走ることの出来る二人を逃がすのは悪い方法ではない。二人の心に仲間を見捨てたと傷を残すことになるが、仕方がなかった。

 

「お前を置いていくなんてできるか!」

 

 友人の温かい言葉に胸中で笑みが浮かぶが――話し合う時間はない。今も肉だるまはゆっくりこちらに近づいている。

 

「それしかないんだ! 行け!」

 

 (感情)では否定していても、(理性)ではそれが正しいと理解できてしまうのだろう。逡巡するも、どうしようもない未来に悪態を()いて行動を起こす。

 

「クソッタレが!!」

「すまん」

 

 走り去っていく後ろ姿にレイルは安堵の息を漏らす。

 

 二人はきっと助かる。でなければ犠牲になる自分が浮かばれない。そもそも必要最低限の魔法以外は攻撃魔法一辺倒だったから化物に対応できなかったのだ。結界魔法を自由自在に操れたら戦わなくても済んだかも知れない。もし自分に子供が出来たら防御魔法や補助魔法をまずは教えよう。いや、その前に子供の名前を何にしようか。

 

 と、そこまで思考が及んだ所でレイルは苦笑する。子供以前に結婚も、プロポーズもしていないのだ。ましてこれから未来を閉ざされる自分に子供など出来るはずがなかった。

 

 レイルの頭上から大きな声が降りてくる。

 

「まっかっかはすととろべりりり、あああままくておいちー。なああめなめしよよよかかかか、ちゅうううちゅうううしよよよかなななな」

 

 目の前に立つ肉だるまを見上げ、レイルは表情と身体の動かし方を忘れたように硬直する。やがて化物が腕を伸ばしてくるのを眼にして耳障りな――カタカタ、カタカタと小刻みに固い物を打ち合わせる音に気付いた。

 

 視線を周囲に走らせてても音の発生源は見つからず、かなり近くから聞こえるはずなのに音源を探せないのが不思議でならない。

 

 だが震えた手で口に触れると漸く悟る。

 

 鳴っていたのは無意識に恐怖から震わせる自分の歯だ。自覚してしまえば思いは止まる事なく走り出す。

 

 怖い。怖い。怖い。死ぬのが怖い。死ぬのは嫌だ。幸せな日々だった。刺激が少なく退屈な日常。それでも仲間と笑い、語り合うのは楽しかった。そして彼女の声を聞くことがもう出来ないなんて嫌だ。心や身体を何度も重ねあった。彼女の温もりが欲しい。生きたい。帰りたい。助けて。

 

 だが肉だるまはレイルの感情を無視して体を鷲掴みして頭の上へ持ち上げる。枯れ枝のような腕をしていながら込められる力は熊にも等しく、耐え切れなくなった肋骨が何本も折れ、通信機が圧壊する。

 

「ぐっ……がっ」

 

 レイルが苦痛の声を上げても化物は気にしない。(むし)ろ喜びさらに苦痛を味あわせるように力に強弱をつけ弄び、折れる骨が増えていく。

 

「ははは、たのちちちい。でえええもたあああべちゃああああうう」

「ひっ!?」

 

 ぽっかりと開く口にレイルは悲鳴を漏らす。

 

 開いた口から鋭い歯が覗き、胃の中に溜まっている透明な胃液まで見る事ができる。何より悲鳴を上げさせたのは沈下している複数の白骨死体。蛋白質や化学繊維を瞬時に分解することは出来ても金属は出来ないのか、骸や金物がそのままの状態で残っていた。

 

 もう駄目だとレイルが瞳を閉じたとき、塞ぐことの出来ない耳から聞き覚えのない声が滑り込む。極限状態でありながら、何故かはっきりと聞き取る事ができた。

 

「《ハック》――(イグジスト)!」

 

 レイルは数瞬の浮遊感を感じ、三メートル近い所から無造作に地面に落とされる。そして次に襲ってきたのは足や腹から全身に広がるショック死しそうなほどの激痛だった。

 

 正直、痛みに悶えながらも新たな傷を負わなかったのだから運が良い。これがひ弱な人間なら足の骨を骨折するか、最悪ショック死してもおかしくはない。

 

 身体を丸めて痛みに耐えるレイル。やがて痛みが抜けて目蓋を開けると、飛び込んできた光景に息を呑む。

 

 有らん限りの力を振るい、狂気を撒き散らし、スクライアの仲間達を恐怖に陥れた肉だるま。魔法攻撃では髪一筋の傷も負わせられず、殺すことは出来ないと思われた化物が呆気なく死んでいた。

 

 肉だるまは地面に立ったままだったが、両腕は半ばから切断され、頭部が胴体の向こう側に転がっている。切断面は恐ろしい程に滑らかで、レイルの使える魔法ではどうやっても実現できそうにない。

 

 声が聞こえた方に顔を向けると、レイルの居る場所に一人の人間が歩いてくる。

 

 この滅びた世界では不相応な格好だったが、黒のスラックスに白いシャツと平凡とも言える身なり。だがその容姿は亜麻色の髪に緑碧眼と目の覚めるような美貌。美人は何を着ても様になると体現している。

 

 だがその姿に見惚れることなく、レイルの死に瀕して活性化した本能が叫ぶ――油断するな。警戒しろと。

 

 なぜそう感じるのか分からないが、分かることもある――化物を容易く(ほふ)れる者も化物と大差がない事を。寧ろ理性的に力を振るうのだから危険度は上がる。過去の争いの歴史の中――目の前の存在がそうであるから分からないが――たった一人で戦況をひっくり返した魔導師の記述は残っている。もし現実に目の前にしたらこんな感情を抱くのかもしれないとレイルは考えていた。

 

 警戒している事に気付いているのかいないのか、歩みを止めることなく近づいてきて青年は言う。

 

「少しでも魔族(メレヴェレント)から離れた方が良いと思うよ。まだ死んでないからね」

 

 意味を理解できずにレイルは眉を寄せる。『魔族(メレヴェレント)』が化物の事を指すのは何となく理解したが、『死んでない』という言葉に胸中で首を捻る。

 

 昆虫の類では頭部を切り落としても餓死するまで動き続けることがある。と言うのも体躯を制御するニューロンの容量が頭部に納まらず、四肢の動きを各部位に存在する神経節に委ねることで半自動的に動かせるようにしているからだ。

 

 逆に一定以上の大きさのある生物はニューロン――脳を頭部におくのは、納めるだけの容量があるのも理由の一つだが、頭部に口が存在するからと言われている。生物が生きる為に栄養を摂取するのに口が必要で、口の周りの視界を確保し音を聞き取ることが出来ればそれだけ獲物を捕らえ易くなる。そして感覚器の集まる部位に処理する脳があるほうが合理的だからだ。

 

 無作為に暴れるのかと不安になってレイルは肉だるま――魔族を見上げ、青年の言う意味を理解して驚愕する。

 

 切り落とされた腕や頭は確認した位置からまったく動いていない。だが胴体に繋がる腕は切り落とされる前の状態を取り戻しており、既に調子を確認するように動き出している。そして胴体からぶくぶくと泡立ち新しい頭部を再生しつつあった。

 

 異常な早さの回復速度に、例え回復魔法でも同じことは出来ないとレイルは考える。

 

 なぜなら回復魔法は細胞分裂を促す魔法だからだ。細胞分裂に必要なエネルギーや物質を魔力で補なう事しかできず、時間が経過すれば自然に完治する外傷しか効果はない。失った腕や頭部を完全再生する魔族は常識の範疇を越えている。

 

「でたらめ……だ。ありえない……だろ」

 

 レイルが発言する間に修復を終えた魔族は生まれたばかりの口を開き、下から仰ぐレイルには歯も当然の如く再生されているのを眼にする。

 

「いたかったのおおおお。だああああれだああああああ」

 

 レイルに興味をなくし身体の向きを変えた魔族は振り向きながら氷柱を作り、青年に向かって打ち出す。その動きに負傷前と変化はなく、完全に元通りだ。

 

「《ディフレイド》――(イグジスト)!」

 

 青年が手を開き突き出し先の空間が歪む。小石を投げ込んだ水面のように空間に波紋が広がり、それに直撃した氷柱は次々と砕ける。

 

 腕をそのままにして倒れるように一歩目を踏み出す青年。数歩で風を切るような速さに加速し、回り込むように魔族に走り寄る。

 

 走る大地には多少の起伏や(こぶし)程度の石が転がっていたりするのだが、青年は足を取られることなく肩の高さを一定にして駆ける。それを可能にしているのは柔軟な足腰を持っているからか。

 

 氷柱が途切れるのを見計らって青年は《ディフレイド》で発生させた防御力場平面を解除すると腰のホルダーに保持していた物を取り出す。

 

 レイルは一瞬それが拳銃型デバイスに思えたが、鼓膜を叩く二発の轟音によって否定され、無意識に耳を押さえ呟く。

 

「……質量兵器」

 

 発掘や博物館などで見ることはあっても、使用されるのを見た事がなかった為にレイルは酷く驚く。

 

 時空管理局の管理を受けいれた世界は質量兵器――火薬や化学など魔力によらず大量破壊を生み出す兵器の製造を禁止され、製造された物も徐々に破棄されている。管理局が創設された年に質量兵器を禁止する取り決めがなされ、四十年が経過した今では裏で出回る以外は博物館でしか見ることは出来ない。

 

 打ち出した弾丸は一発目は魔族の肉体に食い込み、二発目は空中で高速回転しながら進む事無く静止している。

 

 高速で飛翔する弾丸に対して瞬時に対応できる魔族の理不尽な力を確認してレイルはもはや言葉もない。

 

 レイル達の使う魔法は事象や法則をプログラム化し、任意に書き換え書き加えたり、消去した物に魔力を通すことで望んだ作用を起こす。故に防御魔法で弾丸を弾くだけなら魔力壁を形成するだけの簡単なプログラムで済む。

 

 しかし魔族がやった事はそれとはまったく異なる。弾丸を空中に維持しながら回転力を残し、推進力だけを奪うなどレイル達の魔法でも不可能ではないが、プログラムの複雑化と制御能力を無駄に求めるだけだ。

 

「ほっほおおおおおおお」

 

 魔族の叫びと共に食い込んだ弾丸は体外に排出され、傷は瞬時に消えうせる。次いで二つの弾丸は銃を撃った青年へと高速で撃ち返される。

 

 しかし慌てることなく身を(よじ)ることで避ける青年。曲芸のように魔族の足元へと滑り込むと弾丸を再び撃ち込みながらレイルの襟元を掴み、魔族の膝裏に蹴りを叩き込む。その反動で二人一緒に足元から抜け出し立ち上がるとレイルを引きずったまま距離をとった。

 

 物理的に考えて巨体を支える足に人間が攻撃を加えても普通は倒れたりしない。それが膝裏だとしても支える力は尋常ではないのだ。無意味な行為になるはずであった。

 

 だが巨体は見事に傾いていき、後ろ倒れに転んだ。

 

「あら? ほあら?」

 

 魔族も驚いているのか転んだまま驚いていた。

 

 その結果を少し離れた場所から見ていた青年は銃を構え、二連射する。しかし当然の事ながら弾丸は二発とも空中に縫い付けれてしまうが問題はない。そんな結果は魔族を処理し続けてきた青年には想定済みであり、気を逸らす準備に過ぎない。

 

 そして青年は呟く――必滅の言葉を。

 

「《ヴォルテックス》――(イグジスト)!」

 

 その言葉をトリガーにして魔族を中心に展開されていた不可視の力が円球状の紅いフィールドとなって視認化。見えない力に拮抗するように明滅していたが決着が訪れた。

 

「うぎっがあああああ」

 

 断末魔の叫びを上げて魔族の身体は雑巾を絞るように捻られ萎んでいく。やがて力に耐え切れなくなったのか、表皮が連鎖するように破れ血をしぶく。だかそれすらも逃がさないとばかりに不可視の力さらに渦巻き、骨格を破壊して縮小。そして細胞一つすら残らずすり潰す。

 

 数秒後、『ヴォルテックス』の効果が切れ、魔族を拘束していた渦動状の力は消失するもそこには何も残されていない。

 

 レイルはその圧倒的な力に震えるが、隣に立つ青年は自身の引き起こした力の大きさが欠片も気にならないのか表情ひとつ変えない。

 

 青年は地面に座りこむレイルに顔を向けると、今まで命のやり取りをしていた事を感じさせない口調で話しかけてくる。レイルにとっての非日常(殺し合い)は青年にとっての日常と言わんばかりに。

 

「仲間の助けはすぐに来るのかい?」

「あ……ああ。通信機は……壊れても……サーチャーで……見ている……はずだ。…………あんたは……一体……どうやって……魔法を……使っているんだ?」

 

 折れた肋骨が喋る度に痛みを訴えてくるが、レイルは苦痛を我慢しながら話す。

 

 魔法陣も出さずに戦う青年が不思議でならなかった。どの魔法技術体系にしろ、簡単な魔法ならいざ知らず、あれほどの威力を出す魔法には魔力を安定的に操作するのに魔法陣が必要だ。もし無ければ良くて無発動。悪くて手元で魔力が暴発する。それはSランクオーバーと呼ばれる魔導師でも変わらない。

 

 レイルは隣に立つ人物のことを魔導師と思い込んでいたが、数多くある従来の魔法技術体系とはまったく異なる魔法体系ではないかと思い始めていた。冷静に観察すれば青年にはリンカーコアがなく、発動した魔法に魔力を感じれない事も根拠になっている。

 

「質問を受け付ける気はないよ。僕が君達に伝えたい事はただ一つ。この世界から立ち去り二度と足を踏み入れない事をお勧めする。幸運が続くと思わないほうが良い。それだけだよ」

 

 そう告げるともう用はないとばかりに青年はホルダーに銃を戻すと、レイルをその場に置いて森へと歩み去っていく。

 

 だが――

 

「……待てよ」

 

 レイルの怒りの込められた言葉に青年は立ち止まり、顔だけを振り返る。

 

「助けて……くれた事は……感謝している。だが……幸運が……続くだと? そんなもの……どこにある。仲間が……五人も……喰われたんだぞ」

 

 青年には純粋に感謝していたが、その言葉だけは許せなかった。だが謝罪を求めて声を掛けた訳ではなく、ただの八つ当たりだ。本当に幸運があれば誰も死なず無事に帰れたはずなのだ。死んだ者達は誰しもが帰りを待つ人々がいたと言うのに。そして青年が助ける義務がないとしても、もっと早く来てくれていれば。

 

 青年は改めてレイルと対峙すると、彼の怒りを気にもせず涼しい顔で言う。

 

「僕は十分に幸運だと思うけどね。君たちが何時からここにいるかは知らない。けれども今日の遭遇まで一度も襲われた事はないんだろ。ここに一週間も滞在していれば一度は遭ってもおかしくないから奇跡的と言っても良い。まあ君達が展開した特殊な『場』によって魔族の注意を引かなかったのが幸いしたんだろうけど。それとあの魔族の強さを六つの等級で表現した場合、君はあの魔族の強さが上から何番目か当てることができるかい?」

 

 青年の思わぬ言葉にレイルは若干怒りを抑え、考え込む。

 

 彼の言う事実にどれだけ正確さがあるかは分からない。しかし魔族との手際の良い戦闘を見る限り、相応の知識を備えていると判断はできる。ならば遭遇率がそれなりに高い事と、安全の為に展開していた結界魔法――青年は結界魔法を知らないらしく、特殊な『場』と表現したが――が役立っていたことを知り、幸運が続くという言葉にも少しは納得する。

 

 次に思ったのは魔族の強さのことだ。

 

 六つの等級で聞いてきたという事は、青年は魔族をそのように分類しているという事だろう。一体にしか遭遇していないから比較対象として、時空管理局の平均魔導師ランクが複数でも勝てないことや、魔族の異能や回復速度から答えを導きだす。

 

「あれだけ……強かったんだ。上から……二番目か……三番目くらい……だろ」

 

 レイルの答えに青年は笑みを深める。

 

「その根拠は?」

「俺達の攻撃が……まったく……通じなかった事。そして……あの異常な……回復力だ」

 

 興味深い意見を聞いたとばかりに青年はなるほどと頷く。

 

「それで……どうなんだ?」

「二番目だよ。――ただし、下から数えてだけどね。ちなみに君の上げた二点はどの等級も程度の差はあれ、持っているからその厄介さは想像できるんじゃないかい?」

 

 予想以上に悪い情報を聞かされレイルの顔は出血以外の理由で青褪める。

 

 聞かされた話が本当なら、魔族は『魔導師殺し』とも言うべき存在だ。この世界では魔力を回復することも出来ず、全ての魔法の無効化が可能ならば魔導師は非魔導師と同じ非力な身に落とされる。つまり戦う術を持たず逃げ回るしかないということだ。

 

「……冗談……だよな?」

「残念ながら嘘は一つも()いてない。そして一番遭遇率が高いのが一等級上の魔族『伯爵(カウント)級』。君達が戦った『子爵(ヴィスコント)級』とは一線を画した強さを備えているから全滅したとしても不思議じゃない。それに元々子爵級や特に一番下の『男爵(バロネージ)級』は殆どいないはずだから、次に遭うとしたらほぼ間違いなく伯爵級以上だ。――理解したかい? 如何に君達が幸運続きだったかを」

 

 黙り込んでしまったレイルを青年は静かに見下ろしていたが、彼の足元に光が湧き出し、魔法陣が構成されていくのに気付く。

 

「お迎えが来たようだね。折角だからもう一つ忠告しておくよ」

 

 その言葉を受けて青い顔色のままレイルは青年を仰ぐ。

 

「この世界のように滅亡したくなければ発掘した物は解析せずに処分したほうが良い。あれは世に出して良い物じゃない」

 

 言い終わると同時に青年の前よりレイルの姿は掻き消える。何か言おうとしていたが、青年の耳に届くことはなかった。

 

 青年はレイルの座り込んでいた場所を少しだけ見つめていたが、再び森に向かって歩き出すのだった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

「随分優しいじゃないか。レディオス。なぜ助けた?」

 

 森の中を歩く青年――レディオス・ラナハルトは足を止めると声が聞こえた後ろへと振り向く。そこには年老いた女が木の傍に静かに立っていた。

 

 背中に垂らした髪は白く、顔には数多くの皺があるも凜とした表情で人を何処か緊張させる。外見年齢は明らかに年老いたという表現が合うが、背筋が伸びてすらりとした立ち姿は年を重ねたことをまったく感じさせない。

 

 着ている物は黒い長袖のワンピース。足首まで隠す長いスカートで装飾のないシンプルなデザインをしている。言葉は悪いが喪服と表現しても差し支えはない。そして何よりも人と隔絶した雰囲気を漂わせているのが特徴的だった。

 

「『誰か助けて』って叫んでいた人が居たからね。待ち合わせの時間まで余裕もあったし、やることも特になかったからだよ。ルシール」

 

 レディオスにゆっくりと歩み寄りながらルシールは言う。

 

「そうかい。それでその人間は助けられたのかい?」

 

 その言葉を否定するように肩を竦めるレディオス。

 

「急いだけど間に合わなかったよ。鉄塔の上で見ていた時点で魔族に丸呑みされる直前の事だから仕方ないんだけど」

 

 朗らかに微笑を浮かべながら言う姿には、悲愴な思いや罪悪感といったものは一切感じられない。仮にも助けに向かった人物が死んだことを口にするのに浮かべてよい表情ではなかった。彼にとって他人の生死とは感心に値しないのかもしれない。

 

 咎めることもせず溜め息をつくようにルシールは言う。

 

「相変らず奇特な奴だ。長い(とき)を過ごしても変わらないとわな」

「それは愚問じゃないかい。会った時からあなたには伝えていたはずだよ。僕は欲しい物をどれだけ掛かろうとも必ず手に入れるってね」

「ふん。確かにな」

 

 笑みを深くするレディオスを見て、ルシールは苦い思いを胸中に浮かべながら鼻で笑う。

 

 出会った時からこの男はまったく変わらない。自身より遥かに才能があり、スポンジが水を吸うように(わざ)を習得して創意工夫を生み出していく。しかし究めようとは決してせず、水面に映る月を掴むように無駄な努力を続けるのだ。道を究めようと日々努力しながら遅々として進まない者が苦く思うのも仕方がない。

 

「それで弟弟子を伝言役にしてまで呼び出した用件は何だい?」

 

 笑みを仕舞い真剣な表情で聞いてくるレディオス。

 

 ルシールは黙って見つめていたが、やがて口を開く。

 

「まだ我々に続く者は見つかっているのか?」

「ここ数年は一人も見つかっていないよ。まあ、自殺の介錯(かいしゃく)は数え切れないほどしたけれどね」

 

 真剣な表情を崩し、苦笑するようにレディオスは言う。

 

「死は苦痛に満ちた世界からの解放……か」

 

 ルシールの呟きをきっかけにして、森に天からの雫の音が響き渡る。ついに暗雲から雨が降り始めたのだ。滝のように降る雨は周囲を雨音で満たす。

 

 雨に撃たれながらも彫像のように固まるルシールを、レディオスは何も言わずに待ち続ける。そして――

 

「レディオス。お前に頼んだ役目は終わりだ。後は好きにしろ」

 

 再び動き出したルシールは背を向けゆっくりと離れていく。その後ろ姿にレディオスは声を掛けた。

 

「どちらに行かれるで?」

 

 いつもなら気ままに現れ、姿を消す彼女だから行く先を気にする事はない。けれども今日は何時もと違う物を感じ声を掛けた。

 

 ルシールは立ち止まり沈黙を保つ。やがて内に秘めた物を吐き出すように言葉を出した。

 

「…………私も漸く踏ん切りが着いた。今までやってきた事、そしてやろうとしている事は新たな世界を生み出す事に繋がるのかと悩んでいたんだがね。新たな世界がの(いしずえ)となるのならば、到達する見込みのない私にはましな生き方かもしれない」

 

 緑の隙間から空を仰ぐ後ろ姿には哀愁が漂う。見つめる先には削ぎ落した過去が映っているのかもしれない。そして思い出したかのように顔を向け、威嚇するような鋭い眼光で告げる。

 

「お前の目的の為に俗世に関わるのも、力を使うのも構わない。いつまでも世界に留まり続けるのもね。――けれどもお前は世界を歪めることは慎め。良いな」

 

 その眼光に萎縮した訳ではないだろうが、青年は少しだけ居住まいを正すと微笑む。

 

「胆に命じておく。それと、祈っておくよ。あなたが新たな世界の苗床とならん事を」

 

 特殊な態度の青年に小馬鹿にするような笑みを浮かべ鼻で笑う。だが、隠し切れてない親愛のような物がそこにはあった。

 

「別れだ。馬鹿弟子」

 

 顔を前に向けルシールは森の奥深くへと消えていく。

 

 やがて姿が見えなくなるまで瞳に納め続けたレディオスは、ポケットに両手を入れながら誰に言うでもなく呟く。

 

「さて、どこに行こうかな。世界は広大だ」

 

 その言葉を最後に、レディオスは世界から姿を消すのであった。




ストジャ関係の話が再び出てくるのは残念ながら後々の話になる事を告知しておきます。ストジャの話を期待した方々、本当に申し訳ない。


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第一話 魔法との邂逅(前編)

 

 それは不思議な夢だった。

 

 鬱蒼(うっそう)とした森の中の開けた場所で、腕に負った傷を押さえている見覚えのない男の子。

 

 鮮血が指の間から絶えず溢れ、垂れ下がる腕の指先から血の雫となって地面へと落ちる姿は痛々しく、夢と自覚していながらも思わず顔を(しか)めてしまう。例え自身が激しい練習で怪我をする事に多少は慣れていたとしてもだ。

 

 短く整えられた淡い栗色の髪に優しく大人しげな顔立ちは、図書室で机に座り本を読んでいる姿の方がよっぽど似合っていると、そんな事も脳裏に(よぎ)った。

 

 着ている物は見たこともない民族衣装――というよりも、ファンタジー小説で登場する冒険者のような格好に見える。緑の刻印が描かれた服に、上に纏う外套(マント)が使い込まれてぼろぼろなのがその印象をより与えている。

 

 男の子が顔を緊張感に強張らせながら仕切りに周囲へと視線を動かしていると、離れた草むらを掻き分けて黒い大きな塊が姿を現した。

 

 瞳孔が縦に割れた一対の瞳は赤く輝き、大きな毛玉の生物。体躯は2m近く、輪郭を炎のように揺らめかせる生物は地球上にはいない。

 

 その獣の存在に気づいたのだろう。男の子は身体を正面に対峙させ懐から赤い宝石を取り出し、獣に向かって構え言葉を紡ぐ。

 

「――――――――」

 

 言葉を聞き取ることは出来なかったが、何をしたのはすぐに分かった。緑色に輝く魔法陣が空中に現れたからだ。半径の違う二重の輪の中にはアルファベットに似た文字が所々に描かれ、円の中心を基点にして回転方向が違う二つの正方形が緩やかに回転している。

 

 それを警戒したのか獣は草むらから飛び出し、足のない体とは思えない速さで地面を駆けると大きく飛翔するように高く飛び上がる。その高さは木々の頂点に届く程で、最高点に達した後は少年のいる手前へ着地し一気に襲いかかった。

 

 だが僅差で少年の方が早い。

 

 出来上がった魔法陣と獣は衝突し辺りに光を放出。やがて獣はトラックに衝突されたかの様に撥ね飛ばされ、周囲に泥のような体の一部を撒き散らして地面に落下する。

 

 しかし獣はそれでも横だえた身体を弱々しく起こし戦う姿勢を崩さない。荒い息を付きながら油断なく構えていた男の子は赤い宝石を構えていた逆の手を突き出して何かを出現させる。

 

 それは一見とてもシンプルな自動小銃にも見える。銃床から銃口にあたる部分までが半メートルもある長方形の形をしており、銃床の三分の一当たりに銃把(じゅうは)があるのだから。だが引き金や銃口が存在しないことから、武器に相当しても一般的な銃とは違うのだろう。

 

 獣に向かって構えた所で、男の子は何時の間にか自分の頭上だけ月明かりが遮られている事に気付く。慌てて上を見上げると大型の鳥が空から襲いかかろうとしていた。

 

 鳥と獣は形こそ違えど、瞳や輪郭が炎の様に揺らめかせており同種の生物だとすぐに分かる。鷲などの猛禽類によく似ており、大きさは胴体のみを見れば獣よりは小さいが、翼開長は四メートル近い。鋭い鉤爪を向けて急降下してくる視覚的威圧感は毛玉の獣の比ではなかった。

 

 表情に焦りが生まれ、慌てて武器を鳥に向けて叫ぶ男の子。

 

「《――》――!」

 

 声に撃発され、武器の先端から少し空間を空けて黒い光の奔流が放たれる。狙いも良くつけずに撃たれた一撃だが、距離が数メートルもないほどに近づかれていた事が幸いだった。

 

 黒い濁流に避ける事も抗う事も出来ずに鳥は飲み込まれる。そして流れが途切れたそこには鳥の残骸と分かるような物は一欠けらもなく、ただ蒼い菱形の宝石が浮いているだけだった。

 

 窮地を抜けて安堵の息を出していたが、獣と対峙していた事を思い出す。隙を見せた事で襲撃されるのを警戒し、すぐに周りに気を配るが獣が襲っては来なかった。

 

 男の子が怪訝そうに顔を歪め、獣が今まで居た所に視線を移動させるがそこには獣の姿はない。そこで漸く獣が逃げ出しと悟り、悔しそうにする。

 

 それも溜息一つ吐く事で気分を入れ替えたのか、手品のように武器を消すと、浮いている蒼い宝石に向かって赤い宝石を向け呪文を唱える。

 

 赤い宝石から伸ばされた幾本もの碧の帯が宝石を包み込み、仕上げとばかりに大きく光を放ち闇夜を切り裂く。光が収まると蒼い宝石はゆっくり落ちてきて男の子の手の中に着地し、近づけた赤い宝石に吸収されるように消えてしまった。

 

 赤い宝石を懐に仕舞った男の子は歩き出そうとするが、身体がふらつき傍にあった木に手を着いてしまう。自分でも事態を把握出来ないのか困惑に表情を染めても、そんな事は知らないとばかりに身体はそのまま木にもたれ掛かりずるずると地面にしゃがみ込んでしまった。

 

 戦闘の緊張感から身体の不調に気付かなかったようだが、解放された事で身体が言う事を聞かなくなったのだろう。意志は立ち上がろうとしているのに身体は地面に倒れこんでしまった。そして緑の光が彼の体を包み、男の子はフェレットに似た小動物に変化する。

 

 それが人化が解けた結果なのか。それとも何らかの理由で獣化した結果なのか。そんな事が頭の片隅に引っかかりながらも夢の続きが気になった。けれども身体を揺する動きで夢は唐突に終わる。

 

「おはよう。はやて」

 

 瞼を開けた瞳に映るのは、優しい笑みを浮かべた男性の姿だった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

 男性が部屋から退出し、自室に一人となった少女はベッドから出ると、ベッドの脇に用意していた運動着に着替え姿見の前に立つ。そこに映っているのは今年で九歳になる少女の姿――八神はやての全身像だった。

 

 肩の上辺りで整えられた柔らかく濃い茶髪に、南国の海のような蒼海の瞳。雰囲気として子供らしくない落ち着きもあるが、笑顔を浮かべると周りを自然と笑顔にさせる様な朗らかさを感じさせる少女――と言ったところか。

 

 軽く付いた寝ぐせを手櫛(てぐし)で直したはやては、こめかみ辺りの髪の一房に黄色の髪留めを二つ交差するように付けると、運動用のジャージに着替えてスポーツバッグと聖祥大学付属小学校指定の学生鞄の二つを持って部屋を出る。

 

 二階から木目の階段を下りてリビングに顔を出せばソファーでテレビを見ている先程の男性――八神玲(やがみれい)の姿があった。

 

 透き通るような碧眼に緩やかに下がる目尻は優しげな印象を与え、男性らしい無骨さがない顔立ち。まっすぐに垂らせば腰まで届く丁寧に編みこまれたで茶色の髪と、はやてを中性的に成長させたような面立ちが初対面の人間に女性とよく間違えられる原因だとはやては知っている。

 

「おまたせ。玲兄ぃ」

 

 ちなみにはやては彼の事を『玲兄ぃ』と呼んでいるが、実際は母親の弟で叔父に当たると聞いている。両親を事故で亡くしてからの彼女の保護者であり、一緒に暮らすようになって4年が経過していた。

 

 玲がはやての顔を見た後、テレビのニュースが示す時刻を確認する。

 

 時計は五時三十分過ぎを示しており、小学三年生の起床時間としてはかなり早いが、小学校に入学する前からの習慣なのではやては苦にしない――もちろん、最初の頃は起きるのに苦労していたが。

 

「それじゃ行こうか」

「うん」

 

 はやては頷くとジョギングをするには邪魔な荷物を、テレビを消して立ち上がった玲に渡し一緒に家を出る。はやての物とは別に荷物を持っている玲がゆっくり走り出すのに合わせ、はやても走り出した。

 

 まだ陽も上がって間もない時間だ。電気が点いてる家が散見できるとはいえ、多くは窓のカーテンが閉じられており、住宅街はまだ静けさが支配している。どこからともなく音が聞こえる日中の喧騒と比べれば侘しい。

 

 だがはやてはこの時間が好きだった。

 

 玲と共有する二人だけの時間。響くのは二つの足音と息遣い。まるで世界が二人の為だけに存在するかのように錯覚してしまう。時折思い出したように会話が生まれ、それ以外は沈黙が包むとしても。

 

 そんな時間も表札に『高町』とある一軒家に到着することで終わりを迎える。

 

 呼び鈴も押さずに木製の門扉(もんぴ)を開け中に入る玲に、はやても迷わず後に続く。

 

 知らない家なら無作法に慌てたかもしれないが、はやてにとって勝手知ったる幼馴染の家。毎日のように訪れていれば我が家のように振る舞う事はなくとも、多少の遠慮はなくなる。それに二人が来る事を高町家の人間も承知していた。

 

 母屋には向かわずに庭に建てられた離れ家へと足を向け、扉を開けて中に入るはやて達。

 

 使い込まれ磨かれた床の板張りに、漆喰の壁に飾られているは幾つもの木刀。奥の天井付近の壁には神棚も設置されている。

 

 そこは小さいながらも立派な練武場だった。

 

 はやてが練武場内を見渡せば四つの姿が確認でき、壁際にてはやての同年代の少女の型稽古を見ている男性が、はやて達の存在に気づき声を掛けてくる。

 

「おはよう。玲君。はやてちゃん」

 

 挨拶をしてきたのは高町家の大黒柱である高町士郎。濡羽色の髪に高い身長と鼻筋の通った顔立ちをしており、夫婦で経営している喫茶『翠屋』のマスターである。

 

 稽古に集中していて二人が入って来たことに気づいていなかった少女も、彼の声で二人が来た事に気が付いた。素振りを止めてはやて達に顔を向けて声を掛けてくる。

 

「あっ。はやてちゃん。玲さん。おはよう」

 

 挨拶をしてきたのははやての幼馴染である高町なのはだ。

 

 ツインテールに結われた栗色の髪に陽が上る直前の鮮やかな青に少しだけ紫を溶かし込んだような瞳。はやてと色違いのジャージを着ており、今までしっかりと素振りをして身体が温まっているのか、うっすらと汗を掻いた額に前髪が張り付いていた。

 

「おはよう。士郎さん。なのはちゃん。また後でな」

「うん」

 

 挨拶を返したはやてはなのはが素振りを再開するのを見届けると玲に近寄る。

 

「はいどうぞ」

「ありがとう」

 

 スポーツバッグを部屋の隅に置いた玲が竹刀袋から取り出した物をはやては受け取る。

 

 樫の木刀で刃の長さは子供用であったが、刀剣の分類として野太刀と呼ばれる物である。ただしその木刀には一般的でない特徴があった。柄が異様に長いのだ。どれほど長いかというと、刃と柄の比率がほぼ等しいのだから異様さが分かるだろう。それは長大な野太刀をより扱い易く振るい易いように、柄を長く伸ばされた『長巻野太刀』である。

 

 はやては長巻を戸惑うことなく水平に構えると、一振り一振り丁寧に素振りをして型稽古を始めるのだった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

「将来かぁ」

 

 なのはの溢した呟きに、はやては弁当を突いていた箸を止めて彼女へと視線を向ける。朝稽古を終えたはやてとなのはが九歳という年齢に相応しい聖祥小学校に登校し、午前の授業を終えて屋上で昼食を取っている最中のことだ。

 

「午前中の授業の事?」

 

 いの一番に反応したのは、はやて達と和を囲んでいた親友である月村すずかであった。腰まである菫色(すみれいろ)の髪にカチューシャを付け、穏やかな桔梗の瞳をぱちくりとしている。

 

「うん。わたしは将来何をやってるんだろうって思ったの」

 

 深刻さはないが今まで考えもしなかった事を急に突き付けられたかのように、困惑する雰囲気をなのはは漏らす。

 

「パティシエで翠屋二号店の店長じゃないの?」

 

 そんななのはに答えたのは同じく和を囲んでいたアリサ・バニングスだ。陽を鮮やかに反射する金髪にエメラルドの瞳を持つ少女は、なのはの言う事が理解出来ないと顔を怪訝そうにしている。

 

 というのもパティシエの母親が居り、連日賑わいをみせる翠屋の娘なのだ。本人もお菓子作りを趣味にしており、なのはの作った物をここにいる三人は何度も口にしている。本職には劣るが、大量生産の市販品よりは断然美味しいと思っていた。アリサが出場を勧めた事もある小学生パティシエコンテストに出ていたら、優勝するかどうかは分からないが高評価を得るだろうというのがみんなの評価だ。

 

「わたしもそうなふうに今までは思ってたんだけど、改めて考えてみる他にやりたい事があるんじゃないかっておもっちゃったの。アリサちゃんとすずかちゃんは、もう結構きまってるんだよね?」

「まぁ、パパもママも会社経営をしているから、一杯勉強して後を継ごうとは思ってるわよ」

「わたしはお姉ちゃんが家や会社は継ぐから好きな道に進んで良いって言ってくれるけど、機械系が好きだから工学系に進んで技術者になってお手伝いしたいなって」

「そっか~。はやてちゃんはお医者さんだっけ?」

 

 話を振られたはやては口の中のご飯を飲み込み頷く。

 

「そうや。昔はようお世話になったから、お医者さんは本当に有難(ありがた)かったんや。だから病気で苦しんでいる人を助けてあげられる、石田先生みたいなお医者さんになりたいんよ」

 

 そう言って無意識に足を(さす)るはやてに三人の視線が集中し、アリサが白い目で言葉を口にしてくる。

 

「何よはやて。何時の時代の人間かって言いたくなるくらいに、なのはとちゃんばらしてる健康優良児のあんたが医者の世話になるなんて、昔は病弱だったわけ?」

 

 アリサのその物言いに苦笑するはやて。

 

 はやて達が古武道を習っていると知ってアリサがすずかを連れて、なのはとの相対稽古を見学した事があるのだ。小学生が行うには激し過ぎる剣戟にアリサは度胆を抜かれた事を未だに根に持っているらしい。

 

「病弱ではなかったなぁ。ただ、なのはちゃんにも詳しくは言っとらんと思うんやけどね。物心ついた時には既に足が動かんかったから、ずっと車椅子で生活してお医者の世話になってたんやで」

「「「…………ええ~~~~!?」」」

 

 はやての衝撃の告白に三人は大声を上げてしまい、屋上にいた他の生徒の注目を浴びた事に気づいて頬を染める。

 

「わたし、はやてちゃんが車椅子に乗ってる所なんて見た事ないんだけど……」

「車椅子はなくても、なのはちゃんと知り合ったぐらいに松葉杖を使ってる姿は見た事あるやろ」

 

 具体的な時期を示されなのはは、幼い記憶を掘り起して思い出す。

 

 はやてと知り合ったのはなのはが四歳の時だ。当時、翠屋はオープンしたばかりであり、父親である士郎はマスターの仕事が副業で、本業はボディーガードであった。

 

 と言うのもなのはの習う古流武術『小太刀二刀御神流』の源流は忍で、かつては大名などの護衛や不穏組織の殲滅などを担っていた。時代は流れ権力との関わりは薄れていっても、護衛の腕は必要とされ、御神流の分家筋である士郎がボディーガードという仕事に就くのも可笑しな話ではない。

 

 ただ士郎もなのはが生まれ、翠屋が開店した事で引退への段取りを立てていた。そんな折りに不幸が起こる――士郎が仕事中にテロに巻き込まれ意識不明の重体となったのだ。

 

 母親である桃子は家事に、店に、見舞いに追われ、兄姉達も母親を支える為に彼らなりに頑張った。そうなると幼少であるなのはが出来る事は少ない。故に彼らの手を煩わせないようする事が最善と思い込み、淋しさを押し殺して大人しく自室に引きこもっていた。

 

 それでも甘えたい時期に一人で過ごす事は辛く、ある時気分転換に公園で寂しさを紛らわしている時に出会ったのが、松葉杖を突いているはやてであった。

 

「ああ、そうだったかも。あの時は色々と大変だったから、忘れてたみたい」

 

 昔を思い出した事で湧き上がる寂寥感を誤魔化すように、なのはは照れ隠しに頬を掻く。

 そんななのはの心情を何となく察し、はやては忘れていた事を責めもせずに穏やかに見つめる。

 

「それで、足のほうはもう大丈夫なの?」

 

 元気に生活しているので完治していると想像できるのだが、若干不安そうに聞いてくるすずか。

 はやては安心させるように微笑む。

 

「もちろんや。詳しいことはよう分からんけど、治ってるって太鼓判を押してもろうとるから」

 

 その言葉を聞きすずかが安心すると、はやて達は会話を何気ない明るい話題に変えて昼食を続けるのだった。



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第一話 魔法との邂逅(中編)

 

 青かった空も茜色に染まり、街灯に命が吹き込まれるにはまだ早い夕暮れ時。

 授業を終えたはやて達四人は、学校から歩いて行ける距離にある塾へと向かっていた。

 

「う~~ん…………どこやったかな?」

 

 無意識に軽く眉を潜め誰に問う訳でもなく、ぽつりとはやてが口に出したのは、アリサが発見した塾への近道となる林道を歩いている時だった。

 

 普段、塾へと向かうときは街の中に大きく敷地をとった公園内の綺麗に整地されそれなりに人通りと道幅がある道を使う。

 

 けれどもアリサが見つけてきた道は幅は狭く、足を躓くような物は取り除かれていが、道は凸凹(でこぼこ)で、伸びた枝が空を軽く遮っているので薄暗い。雨が降れば数日は泥濘(ぬかる)むような、お世辞にも良い道とは言えない――そんな場所に既視感(デジャビュ)を感じたからだ。

 

「あ、はやてちゃんもそう思う?」

 

 そんなはやての声に反応したのはなのはだった。

 

 他人が聞いても何を意図しているのか分からず首を傾げる呟きだが、幼馴染であるなのはに分かったのは、はやてと同じように感じていたからだろう。

 

「なのはちゃんも感じてるんや? 週末に行く山は――」

「違うと思う。平坦な道なんて見た事ないから」

「そうやよね。でも最近のことだと思うんや」

「うん。わたしもそう思うな」

 

 う~んと考え込んで二人は立ち止まってしまう。

 

 週末で長時間修練に時間を掛けれる日は、海鳴市を囲む山々で頂上まで登山やキャンプをする場合がある。はやてはそこの事を口にしたのだが、なのはに否定されて簡単に納得出来るのは本人も多分違うだろうと判断していたからだ。

 

 ちなみに山に行くのは足腰や五感を鍛えるという理由の他にも、植物の知識やサバイバル技術を教える為という理由もあるが、純粋に自然と親しんで情緒を育てたいという思惑が士郎達にはあった。

 

「二人とも何してんのよ。置いて行くわよ」

「あっ、ごめん」

 

 そう言ってはやて達は先を歩くアリサ達に追いつく。

 

「それで、二人とも急に立ち止まってどうしたの?」

 

 歩きながら訪ねてきたすずか。

 

「この道通ったことは一度もないんやけど、何か見覚えがあるような気がして気になったんよ」

「わたしもなの。絶対にどこかで見たと思うんだけど………………あっ!?」

 

 突然何かに気づいたとばかりに声を上げたなのはが走り始め、釣られるように三人は慌てて後を付いて行く。

 

 道を少し進んだ所で脇にそれ、草むらを掻き分けるように入る。人がまったく踏み入らない事を示すように雑草に覆われた地面。

 

 その光景がはやての記憶を刺激した。

 

(この先には!!)

 

 果たして先行していたなのはが立ち止まる場所には、想像した通りの光景があった。

 

 小金色の体毛に覆われ、大きさは大人の猫程だが、体つきはそれよりも一回りは細い。肩の部分は血で汚れているフェレットらしき動物。

 

 そう、それは――

 

「「夢で出て来た……えっ!?」」

 

 お互い出した言葉になのはとはやては顔を突き合わせ、驚愕の表情で固まるのだった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

 自宅のベッドで上で大の字になりながら、携帯の向こうへとはやては話しかける。

 

「なぁ、どない思う?」

 

 湯上りの心地よさに弛緩した思考に、優しく身体を受け止めるベッドの抱擁。頭の中は半分夢の世界に入り込み、残りの半分も旅立ちたがっているが、それを押し留めるのは夕方の出来事だ。

 

 見つけたフェレットを見過ごす事も出来ず、取り敢えず動物病院へと運び込んだが、その後の面倒を誰が見るかについては答えは出ていない。

 

 アリサとすずかはフェレットを飼う事は出来るけれども、アリサは犬、すずかは猫を複数飼育しており環境的によろしくない。なのはにしても実家が喫茶店を経営してるので衛生面で反対される可能性が大きかった。

 

 ならはやてはどうかと言うと、実は問題になるようなことはない。

 

 保護者の玲に飼っても問題ないか帰宅した時に聞いてみたが、はやてが面倒をみるなら構わないと言葉を頂いている。

 

 ただ――

 

「人間さん……なのかなー?」

 

 携帯の向こうから返ってきたなのはの言葉が問題だった。

 

 夢で出てきた動物が現実に出てきたとしても、偶然の出来事にしか思わなかっただろう。しかし、なのはも同じ夢を見たのなら話は変わってくる。

 

 夢の内容をお互いに確認しあったところ、言葉で伝え合った内容の中に一部を除いて差違はない。

 

 二人の話を聞いていたアリサは、人が動物に変身するなんてありえないと言い。すずかはそれについては答えあぐねていたが、凄い偶然でしょの一言で片付けるアリサの言葉には同意していた。

 

 だが、はやての直観は――

 

「その可能性は高いと思うんよ。――士郎さんは何て言うたん?」

「わたしがちゃんと面倒をみるなら飼っても良いよって。はやてちゃんは?」

「……わたしは……ちょっと厳しい……かな」

 

 そう玲から貰った逆の答えを告げ、内心で大きな溜め息を漏らす。

 

 正直、あのフェレットを引き取ることに対して消極的だ。いや、はっきり言うなら関わりを持つのも、なのは達に持たせるのも否定的だった。

 

 はやてには無声映画だと思い込んでいたものが、なのはには発声映画だったらしく、夢の中で彼は言ったらしい、『力を貸して』と。

 

 『力を貸して』――つまり何かを成す為に助力が欲しい。『何か』――そんな物は多分、あの対峙(たいじ)していた生物を捕獲すると言ったところか。しかも『魔法』で。

 

 二人にだけ夢が見えたのはその『魔法』の才能があるからなのか。はやては思わずにはいられない。あれが何の変哲もないフェレットでありますように――と。

 

「…………あんな。あのフェレット引き取るつもりなん?」

 

 Noという答えが欲しい。可哀相だがあのフェレットとは、これい以上関わりたくない。今の平穏な一時ひとときを乱されたくない。

 

 しかし、無情にもその想いは裏切られる。

 

「うん。困っているなら助けてあげたいの。わたしに出来ることならだけど」

 

 その回答を聞き嘆かずにいられない。

 

 もともとお人好しの気質はあったのだろうけど、士郎の怪我でなのはが苦しかった時にはやて達によって助けられた経験が息づいているのだろう。恩送りとも言うべきか、困っている人を見つけたら迷わず手を差し伸べるのは称賛するが、この時ばかりは愚痴を溢さずにはいられない。

 

 道に迷っている人や、重たい荷物を持った老人の手助けくらいなら(やぶさ)かではないが、荒事になるような事には関わりたくないのが心情だ。

 

 荒事になった場合、習っている武術で対応すれば良いという考えがないでもないが、それは本来の趣旨から離れる。

 

 武術を習っているのは強くなりたいからではない。始まりは些細な事が切っ掛けだったが、今は突発的な事態に自分の身を守れるようにと護身術――些か稽古が激しすぎると指摘されるが――として続けているだけだ。

 

 危険に巻き込まれるのと、自分から首を突っ込むのとでは意味合いが違う。

 

 何事もない日常のままでいたい。そんな日常を友人達と心穏やかに過ごしていたいというのが、はやての細やかな願いだった。

 

 だから一度決めたら意外と頑固ななのはを説得するのは困難を極めるけれども、説き落そうと口を開く。

 

 だが、言葉が出る前に日常は非日常へと変移する――いや、もう夢を見た時点で変移していたのかもしれない。

 

『聞こえますか、僕の声が聞こえますか――」

 

 無理やり意識のチャンネルを調律(チューニング)されたかのように、脳を揺らされた後に聞こえたのは声変わりをまだ迎えていない男の子の声。

 

『聞いてください。僕の声が聞こえるあなた、お願いです――』

 

 耳から入ってくる音と違い、頭の中に直接木霊(こだま)するように入ってくる。聞き覚えのない声だが、多分あのフェレットの声なのだろう。

 

『僕に少しだけ力を貸して下さい――』

 

 止めてと叫びたい。大事な日常を壊さないでとも。しかし、呼び掛けは一方通行でこちらの声は向こうに届くことはない。

 

『お願い。僕のところへ。時間が。危険が、もう』

 

 切羽詰まった声が途切れると頭に感じていた違和感はなくなるが、今度は大きな声が耳を直撃する。

 

「今の声、夢と(おんな)じ! 多分、あのフェレットさんの声だ! わたし助けに言ってくる!」

「あっ!? ちょっ!? なのはちゃん!? ――ああ、もう!」

 

 切れた携帯にはやては悪態を()く。

 

 幾ら関わりを持つのが嫌で、なおかつなのはが声を掛けてこなかったとしても、見捨てる程少女は非情ではない。

 

 苛立たしげに寝巻きをベッドの上に脱ぎ捨てると、平服に着替えて部屋を飛び出す。そして階段を音を立てて駆け降りれば、何事(なにごと)かとリビングから顔を出していた玲と出くわしてしまう。

 

 常識に照らし合わせれば、子供一人での夜間外出は誉められことではないし、はやてもそれは承知している。

 

 これがコンビニに行くといった普遍的なものなら率直に言って同行でもしてもらえば良い。だが、なのはがフェレットにテレパシーのようなもので呼び出されて心配なので、様子を見に行くと口に出してしまうのは、何かよろしくない気がする。

 

「あぁ~……その……」

 

 しかし、上手い理由を考えようとしても咄嗟の出来事に焦り、思考が空回りして言葉が出てこない。まごついている間に、はやてよりも先に玲が口を開いてしまった。

 

「こんな遅い時間に外出するつもり?」

 

 寝間着から普段着に着替えているのを見て、外に出て行こうとしているのを察したのだろう。だた声の調子に咎める様子はなく、事実を確認するような口調だったことから素直に頷いてしまう。

 

「保護者としては歓迎できないんだけど」

 

 と頭を掻き溜め息を吐く姿に罪悪感が湧き思わず俯いてしまうが、リビングに取って返した玲が差し出してきた物を見て驚き、勢いよく顔を上げる。

 

「気を付けて行くんだよ。それと遅くなるようなら連絡を入れること。そしたら迎えにいってあげるから」

 

 そう言われ、はやての顔が綻ぶ。

 

 訳も言えず萎縮している時に、目的も問わず優しい笑顔で言われてしまえば、信頼されていると感じ胸に温かい物が宿ってしまうのは仕方がない。

 

「いってきます!」

 

 そう言って差し出されて物――多分、何かあった時に身を守れるようにと木刀の入った竹刀袋――を受け取り、はやては家を飛び出していくのだった。




プロローグからどんどん字数が減っていくのが悩みの種。
取り敢えず4000字を下回らないように気をつけるのと、もう少し更新頻度を上げるよう努力します。


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