少女歌劇レヴュースタァライト バロック・ザ・ジャム (桜椛)
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アバン
終わりは始まり


 

 

 壊れたライト、砕け散ったセット、舞い散る薔薇は血染めの雪のよう。

 

 

 

 否────それは舞台少女の血か。

 

 

 

「はぁ……っ……何で、…………分かんない、分かんないよ……」

 

 

 

 地響きが鳴り止まない。何処からともなく溢れる水流、爆ぜる火花。

 

 今にも壊れそうな世界で彼女達は歌って、踊っていた。

 

 

 花道は赤く、紅く、染まっている。

 

 上掛け、衣装、星のボタン。

 

 その中心で膝をつき項垂れる少女。

 

 

「ばなな……クロちゃん……まひるちゃん……っ……」

 

 

 視線の先で倒れている少女達。まるで人形のようにピクリとも動かない。

 

 声を抑えながら少女は確かめるように手を、顔を触っていく。

 

 だがその行為が余計に目の前の現実を突きつけてくる。

 

 段々と、少女の瞳から生気がなくなっていく。

 

 そうして剣を握る手すら力が入らず上手く掴めていない。

 

 

 

「みーんな、()()()()()()()

 

 

 

 その先、階段を登った先に1人の少女が佇んでいる。

 

 無地の白い衣装に身を纏い、華美な赤い上掛けを微かに翻す。

 

 その少女の瞳には全てが写っていて、全てが映っていない。

 

 

 

「あの時のキラめきは凄かったなぁ……」

 

 

 

 懐かしむように天を仰ぐ。その一つ一つの動きや言葉が、画になっている。

 

 薄水色の髪の毛から覗く、ガーネットのような瞳に、光がキラキラと反射する。

 

 

 

「やめて……もう、やめようよ……」

 

 

 

 その間も世界の崩壊は止まらない。

 

 

 

「……今の貴方はつまらない」

 

 

 

 今にも泣き出しそうな少女とは裏腹に、苛立ちすら覚え眉を顰めている。

 

 そうして固く口を結ぶと、深く、長く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 静寂─────────

 

 

 

 

 

 そして意を決して手にしていた杖を強く地面へ打ち鳴らす。

 

 

 

「もっと演じてよ! もっとキラめいてよ! 死んでる場合かっ!────愛城華恋(あいじょうかれん)ッッ!!」

 

 

 

 直後、劇場の椅子が大きく舞い上がる。

 

 水が、薔薇が、ライトが、爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる。

 

 少女の叫びに呼応するかのように杖に付いている宝石が妖しく光を増す。

 

 愛城華恋はよろめきながらも立ち上がり、剣を少女へと向けた。

 震えている。立っているのすらままならない。とても見れたものではない。

 だが彼女は立たずにはいられなかった。

 

 

 

「ぜーんぶっわっかんない! ちゃんと説明してよ……またみんなで笑おうよ! もっとしゃべってよ! いちじく!!」

 

 

 

 有栖川無花果(ありすがわいちじく)、彼女は杖を大きく振り回しながら階下にいる華恋へ迫った。

 

 愛城華恋もそれに応えるように、走り、剣を、大きく振り下ろした。

 

 

 

 両者の激突と共に、劇場は爆音に飲み込まれた。




「ブラーーーボッーー!! 素晴らしい! 何て退廃的で破滅的な劇なんだ!!」

「舞台少女のキラめき! 急いだ甲斐がありましたーー!」

「もっと魅せてください!! この先は? 続きのセリフは? さぁ! さぁっ!」

「歌って、踊って、狂い合いましょう!!!!」


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第1幕 新たなる舞台
1場 聖翔の朝


「聖翔音楽学園第99期生出席番号1番、愛城華恋(あいじょうかれん)入ります!」

 

 

 高らかな宣言と共に白いレオタードに身を包んだ少女は、気を引き締めるように背筋をしゃんと伸ばして部屋の中央へ歩を進める。

 

 

「出席番号17番、露崎(つゆざき)まひる、入ります」

 

 

 ぴょこぴょこと髪の毛を跳ねさせながら後へ続く。

 

 

 

「Bonjour、あら、華恋珍しく早いじゃない」

 

 

 華恋達が一番乗り、と思いきや既に先約がいた。

 2人の少女がストレッチをしていたのだが、華恋とまひるは思わず息を呑む。たったそれだけのことなのに、まるで絵画のような美しさでこの部屋を彩っていた。

 

 

「おはよう天堂さん! クロちゃん!」

 

 

「おはようございます愛城さん、露崎さん」

 

 

 ピンクのレオタードにブロンドの綺麗な髪をしている西城(さいじょう)クロディーヌ。父親が日本人で母親がフランス人のハーフということもあり、聖翔音楽学園の中だけでもなくかなり目を引く美しい存在だ。そしてその隣、青いレオタードに黒く長い髪の毛が特徴の天堂真矢(てんどうまや)。父親が有名な舞台俳優、母親はプリマドンナという生れながらにして才能や境遇に恵まれている言わずと知れた聖翔音楽学園のトップスタァ。二人は互いに仲間でありライバルである。

 

 

「華恋ちゃんいつもはお寝坊さんなのに今日は私より早かったんだよね」

 

 

 えっへんと誇らしげに胸を張る華恋。言いながら信じられないけど何処か嬉しそうなまひる。

 

 

C'est vrai(ほんと)!? これは春に吹雪くかもしれないわね……」

 

 

「桜吹雪!? 綺麗だよねぇ~!」

 

 

「そういうことじゃないよ華恋ちゃん……」

 

 

 違うの!? と頭をポリポリかく華恋。

 

 

「ですが愛城さん、かなり大きな1歩と言えるでしょう。我々は3年生、これから羽ばたく未来のため、そして未来有望な後輩達の為にもスタァとはどういうものかを見せる必要があります」

 

 

 天堂真矢はそう言うとにっこりと微笑みながら、膝を腰の高さまであげると、爪先を軸足の膝につけ両手を広げる。そして挙げていた足を後方へ伸ばし腰を反る。腕は真横と上へと伸ばす。ルティレ、アティテュードと呼ばれるポーズだ。

 あまりにも綺麗なポージングに拍手が起こる。

 

 

「そうよ天堂真矢! あんたと私、どっちがスタァとしてキラめいているか見せる必要があるわ!」

 

 

 対抗するようにポージングを取るクロディーヌ。

 

 

「すごいすっご~い! ねぇまひるちゃん! 私達もやろ!」

 

 

「う、うん! 負けないよ!」

 

 

 そう言うと2人も負けじと色々なポージングを取る。

 

 

「どう天堂さん!」

 

 

「先程褒めたのは撤回した方が良いですかね? もっと背筋を伸ばす! 手足の爪先1つまで気を抜かない! 顎を引く!」

 

 

 天堂真矢の厳しい声に懸命に応えようとする華恋。

 

 

「こう?」

 

「違いますこうです! もっと凛々しく!」

 

 

 あーじゃないこーじゃないとポーズを取り合う2人。

 

 

「は! ねぇねぇ新しいポーズ思いついちゃった~」

 

 

 華恋はそう言うと踵を落として肘を肩の位置まで挙げると手を真上へと伸ばす。

 皆が疑問符を頭に浮かべていると。

 

 

「カニハニワのポーズ!」

 

 

 思わずまひるは吹き出した。

 

 

「真面目にやりなさいよ……」

 

 

「出席番号25番、星見純那(ほしみじゅんな)入りま……ってどういう状況?」

 

 

 と華恋がふざけ始めたところで、99期生の生徒達がぞろぞろと集まってくる。

 

 

 聖翔音楽学園、100年の歴史を持つ国内有数の演劇学校。

 舞台演劇の所謂裏方として勉強していく『舞台創造科』

 舞台演劇の表に立つ役者として勉強する『俳優育成科』

 この2つに分かれている。

 愛城華恋らは舞台少女として生きる為、俳優育成科で2年間勉強をしてきた。

 今は3年生の春。今年が、聖翔音楽学園で過ごす最後の年だ。

 




「はぁ、はぁ……ん~~~~! 遂に! 遂にっ! 来ちゃったわ……聖翔音楽学園!! どうも、よろしくお願いしますっ!!」


 キャリーケースをガラガラと引きながら、聖翔音楽学園の正門前で、一人の少女が大きな声でお辞儀をしていた。
 


 ………………長いお辞儀である。



 ガバッと顔を上げると大~~きく伸びをして1歩足を踏み出した。
 求めていた新たなる世界への1歩。瞬間、()()()()()と確信する。興奮で全身に鳥肌が立つ。
 これから先、彼女は沢山の舞台少女に出逢うだろう。沢山の劇に触れ、沢山の役に触れ、そうして沢山の人を魅了するだろう。例えそれが、()()()()()()()()()()()()()()


 彼女の瞳には、確かな情熱とキラめきが灯されていた。


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2場 春に舞い込む新たな風/才能

 

 春の爽やかな風が吹く教室。今日は快晴、生徒達の顔も何処か晴れやかに見える。

 聖翔音楽学園俳優育成科3年A組、クラス替えという概念が無いこの学校、3年目ともなるとお互いかなり打ち解けて誰もがみな仲が良い。HR(ホームルーム)が始まるまでの間、常にあっちでこっちでわちゃわちゃと取り留めの無い会話が繰り広げられる。

 

 

「……でね~その時まひるちゃんなんて言ったと思う?」

 

 

「わ、私なんて言ったんだろう? もうやめて恥ずかしいよ華恋ちゃん……っ」

 

 

 頭の触覚をぴょこぴょこさせながらあわあわしているまひる。

 純粋な疑問で会話を聞いてる純那。みんなのその様子を見てにこにこと笑顔なのが、髪型が特徴的な、ばななこと大場(だいば)なな。

 

 

「へっへ~ん! 『待っててね~華恋ちゃんのために、まひる芋のクッション作るから~』だって~!」

 

 

 顔から火が出るほど真っ赤なまひるは思わず顔を覆い蹲った。

 

 

「もう楽しみでしょうがなくて~! だってあのまひる芋だよ! クッションでふかふか~お腹空いたらパクっと食べれるんだよ! すっごい発明だよまひるちゃん~~」

 

 

「ちょっと待ってそう言う話だった!? 寝言でおかしな事言ってて面白かったーって話じゃ無かったの」

 

 

 予想していなかったオチに突っ込まずに居られなかった純那。

 華恋は疑問符を浮かべながら首を傾げている。

 

 

「まひるちゃんがおかしな事言うわけないじゃん! それに、まひるちゃんはいつでも面白いよ~~全くじゅんじゅんったら変な事言っちゃって~あっはは~」

 

「え、何これ私が悪いの?」

 

「か、かかか華恋、ちゃん……」

 

 

 まひるは先程とは違う意味で顔を真っ赤にすると胸を押さえながらそのまま倒れ込んだ。

 

 

「ま、まひるちゃーーーーん!? どうしたの大丈夫!?」

 

 

 え? 私が、私がおかしいの……? と頭を抱える純那。倒れたまひるを起こそうと肩を掴んで揺らしている華恋。そしてその光景を見て微笑むばなな。

 

 

「まひるちゃん、私には全部わかってるわ♪」

 

 

 と皆のやり取りを横目に机に突っ伏すのは花柳香子(はなやぎかおるこ)

 

 

「相変わらず元気やなぁ、おちおち寝てもいられへん」

 

 

 ぷくーっと頬を膨らませると足をバタバタさせる。

 その姿はまさに駄々をこねる子供のよう。日本舞踊……千花流の家元の孫娘である彼女は、今この時ばかりはその面影は一切ない。

 

 

「こら香子!おーきーろー!」

 

 

隣でゆすっているのは石動双葉(いするぎふたば)。派手な赤い短髪、男勝りな性格やその口調とは裏腹に、私生活がだらしない香子の面倒を見るお姉さん的な立場を取っている。尚香子はそんな双葉のことを分かって、自分のために付いてきてくれている彼女の事を信頼しているし、わざと甘えている時もある。

 

 

「双葉はんの背中ならどんなにやかましくてもよう眠れるんやけど」

 

 

そう言う香子の顔は小悪魔っぽいいじらしい顔をしていた。

 

 

「なっ……ばっ……かじゃねーのか!?こっちは振り落とされないかいつもヒヤヒヤしてんだぞ!」

 

 

香子はいつも双葉が運転するバイクの後ろに乗って登校している。なんでも自分で歩きたくないからという理由らしい。双葉はそのために免許まで取ったのだ。

 

 

「大体いつもお前はなぁ────」

 

 

 それぞれの会話がひとしきり盛り上がった所で、教室の扉が開く。担任である櫻木麗(さくらぎれい)先生だ。スラっとした手足に短く整えられた髪の毛。歩く時の姿勢や発せられる声の美しさは、聖翔音楽学園の担任として充分すぎる説得力を持っていた。

 生徒達は自分の席へと静かに座り始める。全員が座ったのを確認すると、先生は教壇にバインダーを置いてチョークを手に取った。

 

 

「みんなおはよう。早速だが、転校生を紹介する」

 

 

 転校生という言葉に皆ざわざわと騒ぐ。どんな子だろうと色めき立つ者もいれば、なぜこの時期にと不審に思う者もいる。ただ愛城華恋にとってはそのどちらでもなかった。

 

 

「さー入れー」

 

 

 合図と共に開く扉。華恋は脈打つ鼓動を感じながらそこから目が離せなかった。だが、教室へ入ってきた人物を見てそれも馬鹿げたことだと実感させられる。

 

 艶やかな水色の髪の毛を靡かせながら、少女は満面の笑みで教壇の前へと立った。

 ふふんと楽しそうに鼻を鳴らし、背を少し伸ばし胸を張る。

 

 

「初めまして、有栖川無花果(ありすがわいちじく)です! みんなと、スタァライトしに来ました!」

 

 

 天真爛漫という言葉が服を着たような、溌溂とした声とその見た目で、この場にいる全員の注目を一気に引き付けた。

 

 

✯✩✯✩✯✩✯✩✯✩✯✩✯✩✯

 

 

 真っ赤な燃えるような瞳に視線を奪われる。

 目がチカチカとする。眩しい。少女の満面の笑みに、この場にいる全員が魅了されていた。

 

 

「スタァ……ライト……?」

 

 

 華恋の中で戸惑いや期待など様々な感情が溢れ出した。或いはそれはまだ彼女の中で認識するに至らない感情か。

 華恋と似たような感情を抱く者はもう1人いた。

 

 

「…………」

 

 

 その者は少女の一挙手一投足を見逃さず情報を得ようとしていた。

 

 

「という訳だ、皆今日からよろしくな。後輩の指導もあって大変だと思うが仲良くしろよー」

 

 

 櫻木先生はそう言うと、有栖川(ありすがわ)に向かって華恋の後ろの席を指さした。

 

 

「有栖川、あそこの席が空いてる、そこへ座れ」

 

 

「あっ……そこは……」

 

 

 まひるの口から漏れ出たとても小さな声だったが、教室にいる全員に聴こえていた。一瞬で場が沈黙する。まるで腫れ物に触れたかのような空気だ。まひるは空いている席と華恋を見てそれから有栖川へ視線だけを向ける。

 当の有栖川はその空気を気にも留めず言われた通り華恋の後ろの席へと座った。

 

 

「あ、そうそう。今日の授業、101期生第6班が見学する。愛城、しっかり先輩しろよ」

 

 

 返事が無い。華恋はぼーっとしていて先生の言葉が入ってきていない。視線が華恋へと注がれる。

 

 

「愛城? 聞いてるかー」

 

 

「はぇっ!? あ、ごめんなさ~い!」

 

 

「たくしっかりしてくれよ?」

 

 

 本当に大丈夫か? と心配そうにしていた先生だったが、いつまでも彼女らを生徒として甘やかしている立場では無い。信頼をして任せるのも教師としての仕事のひとつと言えるだろう。

 

 今日のHRはそこで終わった。最初の授業はバレエレッスンだ。転校生である有栖川無花果(ありすがわいちじく)に話しかけたい思いを一旦抑え、生徒達は準備の為教室を後にする。

 

 

「愛城華恋、さん。初めまして! どうぞこれからよろしくお願いします」

 

 

 屈託の無い笑顔に華恋も思わず笑みがこぼれる。

 

 

「う、うん! よろしくね、有栖川さん」

 

 

「無花果でいいよ? 堅苦しいの苦手だし」

 

 

「じゃあ、いちじく! よろしくね!」

 

 

 戸惑いは拭えないがこれから一緒に学び一緒に戦う仲間でありライバルとなる。華恋はそっと手を差し出した。

 差し伸べられた手を、産まれたてのひよこを抱くように包み込むと、激しくブンブンと振った。

 

 

「よ! ろ! し! く! 私も華恋って呼んでいい?」

 

 

「うん! 新しいお友達、嬉しいなぁ~」

 

 

 手を取り合いながら微笑む華恋と有栖川。その隣でまひるは、新たなライバルの出現? とあわあわしていた。

 

 

 

 

 バレエの授業の為教室を移動する途中、華恋は1人だけ正面玄関へと向かっていた。

 そこには4名、まだぎこちなく、制服を着てるのではなく着られている少女達がいた。

 肩に力が入っている者、何処かぽけーっとしている者、四者の佇まいに既に人となりが出ていた。

 

 

「おはようございます! 私が第6班を担当します愛城華恋です」

 

 

「「お、おはようございます!」」

 

 

 ハウリングしたスピーカーのように上擦った声で返事された。

 驚いた6班の面々はその犯人へ静かに視線を投げる。

 粗相をして怒られた子供が如く顔を真っ赤にして震えていた。

 

 

「あはっ、緊張しなくてだいじょぶ、だいじょぶ~♪」

 

 

 華恋がそう言って笑いかけたことで、後輩達は何処か硬かった身体の力がふっと抜けた。

 

 

「まずは、バレエのレッスンから見に行きたいと思います。今日は一日よろしくお願いします」

 

 

 全員その場で礼をして、99期生がレッスン中の教室へと向かった。

 

 その後一日を通して実際にレッスン、見学といった形を過ごす。後輩である101期生らはただひたすらに感嘆の息を漏らすばかりだった。

 

 

 

 

 

 

『表を上げなさい、バートレー。貴方は私にとってかけがえのない友です。それは今までもこれからも変わることはありません』

 

 

『フリージア様、私にはあまりに勿体なきお言葉』

 

 

 オリジナルの台本を使って実技レッスンをする授業。

 公爵家令嬢のフリージアと、召使いであるバートレーの愛情、友情を描く物語。今はフリージアを天堂真矢、バートレーを星見純那が演じていた。

 

 

『何を謙遜なさっているの、もっと胸を張ってください。気高く、強く生きねばなりません』

 

 

『っ…………』

 

 

 あまりの気迫に息を飲む。バートレーは召使いという立場でありながらフリージアに恋をしてしまった。身分の違いもあって気持ちに正直になる訳には行かない。一方フリージアはバートレーの事を友人として慕っていた。その両者のすれ違いをどう表現するかがこの台本の肝だ。

 天堂真矢は流石の実力。101期生は勿論、同期ですら一瞬で世界に引きずり込まれる。

 だが星見純那だって負けていない。

 恋心を伝えたい淡い感情、立場の差という現実的な思考、そしてあくまでこの関係を友情とだけ見ているフリージアへのもどかしさ。それをどこまで観客に見せてしまうのか、微妙な塩梅が必要とされるが彼女はその逡巡を魅せるのが上手だった。

 そしてこの後はバートレーが想いを隠したままフリージアへの手へ忠誠のキスをする。

 バートレーがフリージアの手をそっと手に取ろうとした、その瞬間────

 

 

『フリージア! フリージア! 少しお話したいことが────あら、丁度良かった』

 

 

 2人の空間に新たな来訪者が現れた。

 

 

「なっ、貴方は……」

 

 

「ちょ、あいつ何やってんだぁ?」

 

 

 突然の事に思わず素に戻る真矢。純那もまた同じように目を丸くしていた。

 場がざわざわと騒ぎ出す。教師は注意をしようとしたがその口を噤んだ。

 

 

『フリージア、好い加減この男を特別扱いするのはよしなさい。勘違いされては困るのよ、下僕の分際で何を、何をしようとしているのよぉお!!』

 

 

 空気がビリビリと震えた。

 突然現れた水色の髪をした少女……いや、現れたのは少女ではない、妙齢の淑女だ。

 

 

「……『訂正してください』」

 

 

 真矢は初め驚きと同時に怒りを覚えたが、グッと堪えて言葉を紡いだ。

 

 

「天堂はんら何してはるの? こんなん台本には書いてへんで……?」

 

 

 そう、台本には書いていない。この場にいる全員が困惑するのは当然の事だった。ただ唯一、有栖川無花果(ありすがわいちぢく)を除いて。

 

 

『なんて仰ったの? もう少し明瞭に喋って頂けませんかフリージア?』

 

 

 見える。背景が見える。いや、見させられている。

 彼女のその演技で、今この場が豪奢な屋敷の中で、華美な衣服に身を纏っているのだと思わせられる。

 飲まれまいとキッと顔を上げると、真矢は高らかに叫んだ。

 

 

『訂正してくださいお母様! バートレーは下僕ではなく召使い! そして召使いである前に、私の、友人です! そうでしょ? 貴方も何か言いなさい』

 

 

 有栖川が演じているのはフリージアの母親だ。確かに何処か意地悪い性格という設定で出てくる予定だがこのシーンでは無い。

 朝の自己紹介で無邪気や天真爛漫といったイメージが付いていた有栖川が、今ではその影を潜め意地悪でありながら気品のある夫人そのものになっていた。

 

 

「え? あ、っと……?」

 

 

 未だ状況が掴めず戸惑い、言葉が出てこない純那。その顔は先程までのバートレーの迷いとは違い、素の彼女の顔だった。

 

 苛立たしげに足を鳴らす夫人。畳まれた扇が掌を何度も打ち付けている、そんなように見える。

 パン、パンパンパン。

 段々高まる音と共に純那の焦りも募るが、彼女は身体を夫人へと向けると、こうセリフを吐いた。

 

 

『わ、私は……唯この身を以て、誠心誠意フリージア様にお仕えする……それだけを悦びとし、またそれ以上の事は、何一つ……望みません……』

 

 

 本来であれば夫人に決意を語るシーンは何処にも無い。最後のシーン、フリージアが死ぬ時に初めてバートレーの隠していた気持ちを明かす。偽りの宣誓は忠誠の口付けで説明するはずだった。それを、有栖川はこの場で夫人として出てくることで流れを、展開を変えてしまった。

 

 

『ふんっ……分かればいいんです。フリージア、貴方もです。友人、などという存在は、必要ありません。貴方が関わる人物は私が決めます。貴方は私の娘なのですから』

 

 

 そう言うと夫人は部屋を出ていった。

 

 徐々に背景が元の世界へ戻っていく。

 バートレーは顔を伏せたまま起き上がれない。フリージアは夫人の横暴な物言いに不満のある顔をしていた。

 

 

 ────誰かが唾を飲む音が聞こえた。

 

 現実へ引き戻される。まだ経験の浅い101期生だけでない、99期生ですら自分の意志でない見方をさせられていた。

 

 

「はい、そこまで」

 

 

 パンパンと先生が手を叩く。終了の合図だ。

 真矢はふぅと肩を下ろす。純那はそのままピクリとも動かない。

 

 

「有栖川、お疲れ様、大変真に迫った夫人役だった」

 

 

 有栖川は背筋を伸ばすと深々とお辞儀をした。

 

 

「ありがとうございますっ!」

 

 

 にこにこと先ほどまでの気迫も何処へやら、そこにはただ無邪気な無垢な少女しかいなかった。

 

 

「ただ────」

 

 

 にこやかに微笑んだ櫻木麗先生。

 101期生、そして有栖川を除いた全員がその笑顔を見て悪寒が走る。笑っているが笑っていない。

 思わずみんな顔を見合わせる。そうして先生は表情を消した。

 

 

「これがエチュードの授業ならば、な」

 

 

「へ?」

 

 

「今は決められた設定、セリフを自分たちでどう解釈して演じるかという授業だ! 好き勝手やりたいなら聖翔じゃなくてどっかの劇団でも入るんだな!」

 

 

 特大の雷が落ちた。

 まるで自分達が怒られているかのような気分だ。何故か本人だけがいまいちぴんと来ていない。

 

 

「へっへ~その方が面白いかなって思って~」

 

 

 場が凍る。あろうことか反論してみせた。

 先生に注意された時、反省をし謝る、それ以外の選択肢は無い。

 ここは演劇学校。上下関係が厳しい芸能界へ羽ばたく未来のトップスタァ育成学校だ。演技を学ぶだけではない、社会人としてのマナーも学ぶ所だ。そして何よりこの後起こる結末を99期生は理解していた。

 

 

「────罰として︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎伝説のしごき"︎︎ !!」

 

 

 恐怖の6文字だ。皆一様に身震いをしていた。

 

 そこで今日の授業は終わり。

 最初こそ素晴らしい演技に興奮していた101期生達も、怯える先輩達を見て不安を覚える他なかった。

 有栖川は伝説のしごきがどういうものなのか寧ろ気になると言った感じでソワソワしていた。

 

 

「流石は天堂真矢、って言ったところね。突然のアドリブにも完璧に対応するなんて」

 

 

 皆がレッスン室を出て行く最中、クロディーヌは真矢へ声を掛けた。しかし真矢は何処か浮かない表情のまま踵を返した。

 

 

「……ばけもの」

 

 

「え?」

 

 

 そう呟いて出ていってしまった。見送ったその背中は、天堂真矢の物とはとても思えないほど自信の無い疲弊しきったものだった。

 

 

「おい星見ーー立てるか? 早く帰ろうぜ」

 

 

 純那はといえば変わらず動けずにいた。心配で声を掛けた双葉の肩には気だるそうな香子の顔が乗っかっている。

 差し伸べられた手が純那の視界に入るが反応は特に無かった。

 

 

「何も……何も、出来なかった……っ」

 

 

 震えている、悔しそうに拳を握りしめ地面を殴った。

 

 

「芸術が目指すのは、ものの外見ではなく、内にある本質である……アリストテレス……」

 

 

「アリはんがどないしたって?」

 

 

 純那は眼鏡を掛け直すとやっとの思いで立ち上がり、フラフラしながらその場を後にする。

 双葉も香子も声を掛けれなかった。それは1番彼女のことが心配であろう大場ななも同じだった。そうして静かに目線を移す。

 

 

「いちじくちゃん! 伝説のしごき、頑張ってね……!」

 

「なんかみんな怯えちゃって余計に気になって来たよ!」

 

「うへ~あれはね~いわ、いい?……ん?」

 

「言い表せない?」

 

「そうそれ! 言い表せない!」

 

 

 まひると華恋は上京する娘を見送る母のようにただただ有栖川へ手を振るしかなかった。

 

 

「しごかれに行ってきまーーす!」

 

 

 まるで反省しているとは思えない態度である。

 

 こうして、編入1日目にして『伝説のしごき』を受けた無法者として大きな印象を与えるのだった。



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3場 聖翔に来た理由

 壁や床など、全体がピンクで統一された部屋。

 シャーーーっと水が流れる音、立ち込める湯気がこの部屋の中をスモークが如く充満していた。その中央、7つ仕切りがありそこでシャワーを浴びている者とその前で空くのを待つ2人がいた。

 

 

「あぁっ~~~~~もう無理ぃいい~~~~~伝説のしごきってなんなのよ~~~…………早くベッドに横になりたい~~」

 

 

 言い表せない、まさにその通りだと痛感した有栖川は今後あの先生の機嫌を損なうことはしないように気を付けよう、そう心に誓った。

 

 

「いやぁ~有栖川はん根性あるわぁ~うちなら伝説のしごきの後一歩も動けへんのに」

 

「ほんとだよなまったく。ま、香子は普段から自分で歩かないけどな」

 

「確かに、言えてるわね」

 

「ちょ、クロはんまで!? ほんまひどいわぁ」

 

 

 星光館、聖翔に通う生徒のほとんどが住む寮だ。その一角、今日一日の疲れと汗を流すためシャワールームにいた。その日の出来事など、誰かがひとつ口を開けば人越しで会話をするなんてのはここでの日常だ。

 そして今日の話題はもちろん、転校生の有栖川無花果についてだった。

 

 

「にしても凄かったよね、今日のいちじくちゃん。引き込まれちゃったな」

 

 

 まひるはトレードマークの触覚をほどきシャンプーを手に取りわしゃわしゃと洗い始める。

 

 

「うんうん! いちじくちゃんじゃなかったみたい!」

 

 

 華恋は思い出しながら全身にシャワーを浴びる。その隣で真矢は優雅に体を洗いながら微笑んでいた。

 

 

「私も驚かされました。有栖川さん、去年まではどこの学校にいらしたのですか?」

 

「うん、それ私も気になるな。いちじくちゃんがどこで舞台を学んだのか」

 

 

 真矢のその言葉に反応したばなな。軽く伸びをしてから髪留めを外すと優しく手櫛でほぐしていた。

 

 水に溶けてしまいそうな淡い髪の毛を揉みこみながら、有栖川はきょとんとした顔で答えた。

 

 

「私この間まで普通の学校に通ってたよ? 演劇科には所属してたけどねー」

 

 

 その言葉にみな驚き、思わず仕切りから顔を出して有栖川を見る。視線を感じてシャワーを止めると、戸に手をかけ右、左と見た。

 

 

「なんか変なこと言った?」

 

 

 益々この少女が不思議に見えてしょうがない。こうやって話している時はまるで小動物、無垢な少女そのものなのに、あの場で割り込んできた時は役そのもの……いや、彼女が世界を作っていたといっても過言ではない。それはあれを見ていた全員が思っていること。ましてや相手をしていた二人なら尚更そう思うのも当然なわけで。

 

 

「う、嘘よっ! まともに勉強してこなかった人の演技では無いわ! 本当はどこか劇団とか入っていたんでしょう?」

 

 

 眼鏡を外してあまり目の前が見えていない純那。おかげで非常に人相が悪い。有栖川は凄まれたと思い少し肩を竦める。

 

 

「ほ、本当だよ? 昔から本は好きで、ずーーっと空想ばかりしてて……例えば、今ここの排水口が詰まって水が流れなくなって、部屋の水位が上がってきたら~とか」

 

 

 そう語る有栖川の目は何処かキラキラと輝いているように見えた。

 空想、そんなことばかり考えていないで勉強しろと言われるのが世の常だろう。だがこと舞台少女において、この空想がどれだけ大事か、その話を聞いて少しだが腑に落ちた面々であった。

 

 

「それで? どうするのよ、そうなったら」

 

 

 手持ち無沙汰に髪の毛をいじるクロディーヌ。綺麗な顔だなーと思いながら有栖川は答える。

 

 

「んーー? いっぱいあるなーーでも楽しそうなのは、いっそ魚になっちゃってここで暮らすとか」

 

「なんだそれぇ? 現実的じゃなさすぎるだろ」

 

 

 あまりに突拍子の無い答えに双葉は笑った。なぁ香子? と声を掛けると、香子は頬を膨らませてむにむにしていた。

 

 

「有栖川はんは骨が多そうでいややわぁ」

 

「食べるつもりか!?」

 

「香子ちゃんは(ぶり)みたいで美味しそうだね!」

 

「有栖川ぁっ!?」

 

 

 ぜーはーと突っ込みで疲れ肩で息をしている双葉。変な所で波長が合ったようで、二人は互いに心の中で握手を交わした。

 

 

 

 それぞれ寝間着に着替えて居間で髪の毛を乾かしたりパックやマッサージ等をしていた。

 舞台少女、彼女らは演劇人。芸能人。こういう少しの努力も欠かせなかった。というのもあるが年頃の女の子というのも大きいだろう。

 

 

「有栖川さんが本を読むのが好きってのは分かったわ、今度ゆっくりお話しましょ? ただやっぱり気になるのは」

 

 

 純那はばななの髪の毛にクリームを塗っていた。床にあぐらをかいてソファに凭れるばななは嬉しそうに微笑んでから有栖川へと視線を向ける。

 

 

「それだけで聖翔へ来たの……? 自分で言うのも烏滸がましいかもしれないけれど、聖翔は並大抵の覚悟や技量で来れるところでは無い……ましてや普通科高校からの編入だなんて有り得ないわ」

 

 

 それに関しては皆同感だった。聖翔と言えば全国的にも有名な演劇に特化した学校。入学の倍率は50倍と超難関校だ。それに専門的な知識を3年間学んでいくためそもそも編入自体が珍しい。ましてや普通科高校からともなればこの疑問が生ずるのも当然の帰結であった。

 だが当の本人はいまいちピンと来てない顔でココアを飲んでいた。

 

 

「有り得ないって言葉、あまり好きじゃないかな。だって有り得ちゃってるし」

 

 

「そ、そうだけど……」

 

 

「起きてる事実を自分の理屈と摺合(すりあわ)せて腑に落としたいってことでしょ?」

 

 

 有栖川はそう言うと考えるように天を仰いだ。暫し沈黙の時間が流れる。

 コツコツと針が時を進める音だけが木霊する。

 

 

「スタァライト」

 

 

「え……?」

 

 

 沈黙を破ったのは有栖川、ではなくクロディーヌだった。

 

 

「無花果、今朝の自己紹介でそう言ったでしょ?」

 

 

 

 

『初めまして、有栖川無花果(ありすがわいちじく)です! みんなと、スタァライトしに来ました!』

 

 

 

 

 確かにこう言っていた。聖翔、スタァライト、結びつく答えとして簡単ではあるが……。

 有栖川は目を欄欄と輝かせてソファの上で正座になる。

 

 

「そう! スタァライト! 私この前の聖翔祭観てもう感激! 胸を刺す衝撃ってまさにあれのことよ!」

 

 

 うっとりと、身体をよじらせながら一人一人の顔を見る有栖川。

 

 

「戯曲スタァライト、必ず悲劇で終わる定められた物語の、その続きを演っちゃうなんて最高にロックだわ!!」

 

 

 有栖川の興奮に圧倒されていた。あの時感じていた熱、キラめき。演じていた彼女達ですら第100回聖翔祭があの時出来た自分達の最高傑作だと信じていた。実際にこうやってお客さんの反応を知れるのは貴重な機会であると同時に、やっぱり凄かったんだと認識でき何処かちょっと誇らしい気持ちすらある。

 

 

「特にフローラとクレール! もう、あの時のキラめきは最高だったよ華恋!」

 

 

 手をガっと掴まれ縦に大きく振られる華恋。それに揺られながらありがとうと感謝を告げる。

 

 

「それで! あのクレールをやってた神楽(かぐら)ひかりさんって何処にいるの!! もう話したいこといっぱいあるんだけど!」

 

 

 その言葉に場が凍った。華恋は沈鬱な表情で顔を伏せてしまった。それぞれが目線だけでやり取りをする。だが何と言ったらいいものか分からず様子を伺ってしまった。それが余計に良くないと、まひるは答えようとしたが……

 

 

「ひ、ひかりちゃんはっ──」

 

「ひかりちゃんは、ロンドン」

 

「ロンドン……?」

 

 

 華恋は有栖川の手を優しく握ると、儚く、消えそうな、水彩画のような笑顔を浮かべた。有栖川はこの笑顔の意味を見出そうとしたが分からなかった。

 

 

「ふぅん、そっか。ま、そのうち会えるよね、楽しみにしとこー」

 

 

 その後有栖川は星光館の空き部屋を紹介された。玄関に置いていたキャリーケースを持って階段を上がったため疲労度がかなり高い。荷解きは明日以降でもいつでも出来るでしょうとそのままベッドに倒れ込んだ。夢へ落ちたのは一瞬のこと、明日から、楽しい日々が始まる……。



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4場 朝は低血圧

 回る、廻る、まわる。

 

 天と地が分からないくらい世界がぐるぐるしている。

 私は誰……? 此処は何処……?

 自我の認識も出来ないままゆっくりと身体が地面へ溶け込んでいく。足が何かに絡め捕られ動けない。徐々に徐々に、肩まで沈み、やがて飲み込まれた。

 

 

 景色が変わる。

 

 

 砂漠。まとわりつく熱気が鬱陶しい。日差しも眩しい。辺りを見回しても何も無い。

 私は何処から来て何処へ向かうのか。

 何も分からなかった。何も考えられなかった。だが止まる事も出来なかった。

 あてもなく歩き続けたその時、何やら上から降ってくる。

 大きく土煙を上げながらそれが地面へと突き刺さった。

 思わず目を覆う。視界が晴れるとそれは現れた。

 

 

 本だ。

 

 

 人の大きさを優に超えるそれは一人で開こうと思うもビクともしない。

 諦めてその場を離れようとした直後、独りでに本が勢い良くめくれ上がる。

 激しく風が舞い上がると同時に、幾つもの本が空から降ってくる。

 そして本が怪しく光り始める。

 傍に人のシルエットが見えた。逆光で顔までは見えない。だが長い髪の毛が大きく靡いているのが分かる。

 誰……? 星の、髪飾り……?

 シャラン、と鈴のような軽やかな音が響く。小さい、剣のようなものが揺れている。

 気付けば身体が導かれるようにページへ手を伸ばしていた。

指先が触れた瞬間一気に本へ吸い込まれる。

 

 

 

 

 

 

「はっ! ……っ……ゆ、夢……?」

 

 

 見慣れない天井、まだ固い枕、何も飾られていない質素な部屋。 

 上体だけを起こして辺りを二度三度見回す。動きを止めた後欠伸をしながら頭をぽりぽりと掻く。最早目は開いていない。ゆっくりと体が覚醒するのを待つ間にうっすらと意識を認識し始める。

 

 あ、そっか。私お引越ししたのか、聖翔に。

 

 有栖川無花果は朝は低血圧なのだ。水夫のオールが激しく動くのを何とか止めまいと念を飛ばすが、健闘空しく大きく倒れ込む。そうして穏やかな眠りの世界へ身を投じるのであった……。

 

 

「だーーー……めよぉ……起きる! 起きるよ私! はい! 起きたもう起きたからね!」

 

 

 威勢だけはいいが、依然膝を抱えてベッドに横たわったままだ。

 

 

「うさぎが一匹……うさぎが二匹……」

 

 

 何やらぼそぼそと呟いていた。

 よく、寝れないときには羊を数えると言うが、うさぎは聞いたことがない。どちらにせよこれから起きようとしている人がとる行動ではないと思う。

 身体をもじもじとさせながらゆっくりと伸びをしていく。

 

 

「うさぎが三匹…………集まってみんなでブレイクダンス……」

 

 

 折角覚醒しかけた身体も夢の中へ落ちているかもしれない。

 足だけ床へ降ろして徐々に徐々に、まるで軟体動物のように身体も床へ降ろしていく。

 そして大の字。

 

 

「毎朝身支度してくれる妙齢な執事が欲しい!!!!!! 有難う、じいや(少女漫画のようなキラキラおめめ)とか言いたい!!!!!」

 

 

 うわーーーー! と叫びながらその反動を利用して立ち上がる。

 ふしゅぅううと息を吐いて目をかっぴらく。

 

 

「よし、顔を洗おう」

 

 

 随分独特な起床を終えた有栖川は身支度を整えて鞄を背負った。

 だがそこではたと気付く。

 ここから学校まで行き方を知らない。いやそんなに遠くはなかったけど如何せん昨日はそれどこじゃなくて導かれるままだったので覚えるとかそういう話ではなかった。

 ま、何とかなるか! そう考えた有栖川は部屋を後にした。

 

 

「かーれーんちゃーん! おーきーてー! 何で、昨日あんなに早く起きれたじゃん、ほら頑張って?」

 

 

 とそこで何やらまひるの奮闘する声が聞こえてきた。良かったまだ誰かいたと安心した有栖川は声のする方へ向かった。開け放たれた扉の近くには鞄が一つ置いてあった。中を覗くと、まだベッドで寝ている華恋とそれを必死に起こそうと触角をピコピコさせているまひるの姿があった。

 

 

「昨日がんばった分……今日寝るの……おやすみまひるちゃん……」

 

 

「おやすみじゃないよー! 遅刻しちゃうよー!」

 

 

 まひるは時計と、まだ寝間着姿の華恋を見てあわあわしていた。

 とそこで有栖川と目が合う。

 

 

「あ、おはよういちじくちゃん」

 

 

「おはよーまひるちゃん。華恋、全然起きないじゃん」

 

 

「そうなの、いつもお寝坊さんだから慣れてはいるんだけど……」

 

 

 とはいえ時間に追われるのが嫌だというのも頷けた。あの先生の事だからどんな雷を落とすか分からないし……と、昨日の今日でこりた有栖川。ならばと、ふんすと袖をまくった。

 

 

「任せてまひる、こういう時はいっそ着替えさせちゃえばいいのよ」

 

 

「え、どうやって……?」

 

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべた有栖川は華恋のベッドに乗っかり、そしてその上に跨った。

 

 

「こうするのよ」

 

 

 そう言って有栖川は白く細い指をするすると華恋の服の下に忍ばせた。

 

 

「ひゃぅん!」

 

 

 突如お腹に触れる感触に変な声が出た華恋だったが、未だ夢見心地のようであり身体を起こす気配はない。両手を同じように忍ばせた有栖川は、よいしょーー! という掛け声とともに華恋のパジャマを脱がしてしまった。

 

 

「いち、いちじくちゃん!?!?」

 

 

 突如、露になった華恋の下着姿。薄いピンクに小さいリボンがあしらえたナイトブラだった。まひるは手で顔を覆うがちら、っと指の隙間から覗いては顔を朱に染めていた。

 

 

「おぉお……仰向けでこの大きさと谷間……華恋は着痩せするタイプなのね……」

 

 

 どこか鼻息荒く手をわしわしさせてる有栖川。そうしてその手を華恋の胸へと伸ばし、そして揉んだ。

 

 

 

「ん、ふぅ……っ」

 

 

 悩ましい吐息が漏れている。

 

 

「おぉ……これはなかなか……癖になりそうね」

 

 

 楽しそうに胸を揉んでいる。弾力を確かめるように、ふにふにと優しく揉んでいる。そう、動物に触れるのと同じような感じである決してやましい気持ちなどではない、癒しを求めているだけなのだ。

 

 

「まひるちゃんも一緒にどう?」

 

 

 うっとりと幸せな表情の有栖川。全くもって悪意の無い純粋な表情だ。

 

 

「だ、だだだ、ダメぇーーーーーー!!!!」

 

 

 まひるは揉みしだく有栖川を思い切り突き飛ばしていた。突然のことに抵抗できず吹き飛ぶ有栖川。まひるは勢い余って躓いてしまった。そしてそのままベッドへ倒れこむと、ふにっと顔に柔らかいものが当たる。

 それが何なのか理解するのに時間がかかった。ふにふに、と顔だけでなく掌でも感じる。そろりと顔を上げるとそこには、華恋の寝顔があった。そう、まひるは華恋の胸へとダイブしてしまったのだ。

 

 

「うひゃーーーーーーーー!?!?」

 

 

 事態を認識したまひるは飛び上がりながら傍にあったクッションを思い切り投げた。

 

 

「いてて、いきなり突き飛ばさなくt……ばひゅん!?」

 

 

 そして起き上がった有栖川の顔面へクリーンヒットした。

 

 

「ま、まひるちゃん何で……」

 

 

 ばたっと倒れる。平時のまひるなら謝ったり心配したりとするだろうが、とてもじゃないがそんな精神状態ではなさそうだ。いてもいられなかったか、叫びながら部屋を出て行ってしまった。

 流石にこの騒動で目が覚める華恋。

 

 

「あれ、私パジャマ脱いだっけ……って、いちじくちゃーーーん!?」

 

 

 状況があまり呑み込めないがおかげで華恋の目はすっかり覚めたようだ。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「まひるちゃんって人畜無害な顔してその実バーサーカーだよね……」

 

 

 まだ少し赤らいだ鼻をさすりながら有栖川はまひるを横目で見る。

 

 

「もうやめてぇ~~ごめんねいちじくちゃん……」

 

 

 いろんな感情があふれてまともに顔を見れず手で隠しながら歩いていた。一方華恋は頭を抱えながら唸っていた。

 

 

「パジャマ……覚えが……」

 

 

 そんな華恋の肩をポンと有栖川が叩いた。

 

 

「もっと、自信持っていこう」

 

 

「いちじくちゃん!!」

 

 

「あはは、ごめんってもうしないよ~」

 

 

 

「?……分かんないけど分かったよ! 愛城華恋は日々進化中! 自信持って行きますよ~」

 

 

 そういうや華恋は二人を置いていく勢いで走り出した。発破をかけられた気持ちでまひるの手をひっぱり後を追いかけるのであった。

 

 

 

 

 

 HRの時間。櫻木先生がプリント用紙を生徒へと配る。全員に行き渡ったのを確認すると説明を始めた。

 

 

「101回聖翔祭のことは勿論だが、それと同じ……いや、それ以上に大事なものがある。一年なんてあっという間だったろーしっかり考えるんだ。来週までに提出するように、以上」

 

 

 皆一様にその紙へ視線を落とす。

 進路希望調査。

 そう、彼女達は舞台少女であるが、聖翔にいつまでもいれるわけではない。あくまでここは通過点、これから先、何処へ往くのか、選ばなければいけない。ある程度決めている者もいるだろう。だが迷っていたりそもそも何も思い浮かばない者も……

 

 

 

 

「私は楽しければそれでいいかなぁ~今は聖翔でスタァライトを! 目標としてるわけだし」

 

 

 いただきますと言ってサンドイッチを喰らう。シャキシャキのレタスが口腔内で踊り始める。ハムスターのような顔でもきゅもきゅと食べる有栖川の隣で、華恋は唐揚げを頬張っていた。

 

 

「私達の舞台を観て、そこまで思ってくれる人がいるなんて、何だか嬉しいな……ありがとう、いちじくちゃん」

 

 

 まひるもまた、サンドイッチを食べながら有栖川へ微笑んだ。

 

 

 お昼休憩、有栖川達は中庭のテーブルでばななが作ってくれた豪勢な料理を堪能していた。

 

 

 

「にしても美味しいわねこのサンドイッチ。どうしよう止まらないわ」

 

 

 有栖川はスナック菓子のようにパクパクとサンドイッチを平らげていく。

 

 

「ありがとう、いちじくちゃん♪ いっぱいあるから気にせず食べてね」

 

 

 ばななはそう言うや、何処から取り出したかバスケットをドンッとテーブルに置いた。開けるとそこには追加のサンドイッチだけでなく、お菓子まで入っていた。

 

 

「うわぁーーー! すっごーい!! これ全部一人で作ったの!?」

 

 

「一人で作ることも多いけど、今日は純那ちゃんと、一緒に、作ったんだ~♪ ありがとう、純那ちゃん♪」

 

 

 幸せそうに顔を緩めたばななは、バナナスコーンを純那へと手渡した。照れくさそうにそれを受け取ると、眼鏡の位置を正した。

 

 

「べ、別に、いつも作ってもらってばっかだから……たまには、と思って」

 

 

「ん~~じゅんじゅんかっわいい~~」

「うん、かわいいね」

「かわいいわね」

「かわいいでしょ、純那ちゃん♪」

 

 

「か、からかわないで! かわいくなんか(パシャッ)ないわよ!」

 

 

 にやにやと見られる、この扱いに居てもいられなかったか、スコーンを口に放り込むとそのまま走り去ってしまった。顔だけでなく耳まで真っ赤だったことを、この場の誰もが見逃していない。

 

 

「あぁーあ、行っちゃった」

 

 

 面白かったのになぁと少し寂しそうに手を振る有栖川。照れ顔をばっちりカメラに収めたばななはどこ満足気であった。

 

 

「有栖川さん」

 

「おわぁっ!?……真矢ちゃん? もう、いきなり現れないでよ~」

 

 

 音も無く、忍びが如く有栖川の背後を取っていた真矢。驚かせるつもりはなかったのですが、と謝ると、こう言葉を続けた。

 

 

「いや、こうやって会えたのも何かの縁ですから、明日はオフですので歓迎パーティーでも、どうかと思いまして」

 

 

「歓迎パーティー!!!! え、え、いいの? いいの?」

 

 

 今にも飛び跳ねん勢いで喜色満面の有栖川。落ち着きなく皆の顔をぐるっと見てしまった。

 

 

「とか言って、アンタ本当はばななの料理が食べたいだけじゃないの?」

 

 

 すると今度はクロディーヌが音もなく現れた。突如顔の良い二人が現れたことによって、有栖川はもう拝むほか無かった。

 

 

「ち、違います……! 私はただ、これから一緒に戦うライバル、仲間として……」

 

 

「真矢ちゃん、はいどうぞ♪」

 

 

 ばなながお菓子のバスケットを差し出すと、横目に中を確認してからバナナマフィンを手に取った。

 

 

「ありがとうございます大場さん、いただきます」

 

 

「ほーらやっぱり。ばなな、私も頂くわ」

 

 

 

 二人のやり取りを見ながら、有栖川の頭はパーティーでいっぱいだった。

 

 

「パーティーかぁ、飾り付けとか気合い入れなきゃだね」

 

 

「パーティー! パーティー! パーティーと言ったらケーキ♪」

 

 

 華恋もまた、パーティーのことで……いや、食べることで頭がいっぱいであった。それも無理からぬことで、今この場にもあるように、ばななが作った料理はとにかく豪勢且つ美味しい。一度その味を知ってしまえばまたと求めてしまう、そんな魔力が秘められていた。ましてやただのお昼休みでこれだ。パーティーといったお祝い事ともなれば一層気合の入った一品が堪能できるに違いない。

 

 

「その為には、買い出しが必要ですね。今日の授業終わりと明日に分けて行くのはどうでしょうか?」

 

 

「買出し! いいねーー! 楽しそう!」

 

 

「って、無花果は主役なんだから……まぁでも、仲を深めるっていう意味ではそれもアリかもね」

 

 

わーいやったー! と子供のようにはしゃぐ有栖川。明日のパーティーに向けて、胸を高鳴らせるのであった。



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5場 買い出しちゃんとできるかな

 聖翔音楽学園では、寮の門限があるほか、外出するにも許可が必要だ。余程変な理由でなければ断られることもないし、許可を貰わずに出てった時の方がよっぽど面倒な事になるのを99期生は理解していた。

 

 

「あまりハメを外しすぎるなよ?」

 

「任せてください!」

 

 

 ドンッと胸を張ると浮かれ気分でスキップしながら有栖川は部屋を後にした。その後姿を見送りながら櫻木先生は何処か嬉しそうに口元を緩ませた。

 

 

 晴れて外出許可をもらえた有栖川達は何を買いに行こうという話になった。

 

 

「飾り付けするなら、私はお部屋を掃除しようかな? みんなすぐそこら辺に物置いちゃうから」

 

「なら私も手伝うわ露崎さん」

 

「私は今日のご飯作って待ってるね♪」

 

 

 との事だったので、他のメンバーで行くことにした。

 

 

「とは言え今日はあまり時間がありませんので、細々したものは明日ということで」

 

 

 真矢のその提案に皆賛成し、今日はスーパーで食品の買い出しに決まった。

 

 

 

 

 

「おっ買い物~みんなと一緒におっ買い物~♪」

 

「楽しそうね、無花果と華恋」

 

 

 今にも踊り出しそうなはしゃぎっぷりの2人にクロディーヌは思わず笑みがこぼれた。

 

 

「西條さん、つかぬ事をお伺いしたいのですが」

 

「oui、何よ改まって。天堂真矢らしくないじゃない」

 

 

 真矢はもじもじと言葉を出すのを躊躇いながらちらとクロディーヌの顔を覗いた。ぷっくりと厚い唇を微かに震わせながらいつもの堂々とした発声ではなく小さく聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

 

 

「その……スーパーには、ひ、ひよこ饅頭……はあるのでしょうか……?」

 

「アンタって本当……無いわよ」

 

「なっ……!?」

 

 

 青天の霹靂とでも言わんばかりの衝撃を受けている。受験に落ちた学生並に落ち込んでいる真矢を見兼ねて、クロディーヌは必死に言葉を探した。

 

 

「あぁ~あ、駅ビルの百貨店にはあるんじゃない?」

 

「行きましょう今すぐ」

 

「立ち直りが早いわね!? スーパーが先よ」

 

 

 

 

 初夏にはまだ早い春の夕方、綺麗に世界をオレンジに染めている。駅前では帰宅途中の学生や社会人、買い物袋を下げた主婦など、様々な生が往来していた。

 

 

「覚悟を決めろよ有栖川?」

 

「へ? 急に何双葉ちゃん」

 

「これから私達は、戦地へ赴く」

 

 

 そう語る双葉の目はメラメラと燃えていた。スーパーに買い物に行くだけでは? と思っていた有栖川はその考えをすぐに改めることになる。

 

 

「This is 地獄……」

 

「Oh! là là ! これが戦場(タイムセール)ね」

 

「ひょ、ひょぇ~~」

 

 

 夕方、駅前のスーパーともなればゴールドラッシュよろしく血眼になった主婦達の戦場だ。絶え間ないレジ打ちの音、溢れる人、補充そしてシールを張る店員さんの間隙を縫って伸びる無数の手。おそらくこの地で何年、何十年と戦ってきた者達だ、面構えが違う。

 

 

「なんやこの、人! 人! 人ーー! ほんまにこん中行くの? お菓子、お菓子だけ買いまひょ?」

 

「そうだよ双葉ちゃん、ね?」

 

 

 双葉の両腕に香子と華恋がひっつく。縋るような二人の視線を受けながら、双葉は引っぺがして二人をくっつけた。

 

 

「お菓子はまた今度な! 今日はメインの食材を買うってそう話したろ?」

 

 

「お菓子買ってくれなここ一歩も動かへん~~!!」

「だってぇぇええ~~あの中こぉわぁあいぃい~~」

 

「あ、あのなぁ……?」

 

 

 完全に駄々っ子を引き連れたお母さんである。有栖川はそれを見て、双葉ママとか言い出すもんだから場は混乱を極めた。

 

 

「早く行かないと売り切れるわよ、双葉ママ?」

 

「だからママじゃないっ──」

 

「This is 石動ママ」

 

「天堂までやめろーーーーー!?」

 

 

 ぜーはーと肩で息をしていた双葉の視界に、目をうるうるとさせる香子と華恋の姿が映った。

 

 

「うっ…………」

 

 

 そこはかとない罪悪感が胸に突き刺さる。ぱちくりぱちくり、大きな目が覗いている。

 己が良心の呵責に苛まれている姿を一通り見せた後、薄目でちらと二人を見た。

 

 

「ひ、一人一個までだぞ……?」

 

 

 この世の終わりかのような顔をしていた二人は一転、人生の最良期と呼べるほど笑顔になると、ハイタッチをした。そして声を揃えて。

 

 

「「ありがとう、双葉ママ!!」」

 

「お礼が言えて偉いですねぇっ!?!?」

 

 

 ここまでくると面白くて腹を抱えるしかないクロディーヌ。面白がってママと連呼する真矢と有栖川であった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、星光館では、まひると純那が部屋の片付けを、ばななが料理の下拵えをしていた。

 

 

「こうやって改めて見ると、汚いわね」

 

 

 飲み終わったカップ、誰のとも分からない薄手のブランケット、開かれたままの雑誌等々……リビングという共有のスペースなのにまるで自分の部屋かのような乱雑さだ。気付けば皆ここで時間を過ごしていることが多いためそれも無理からぬことではあるのかもしれない。とりあえず純那はカップを洗ってしまおうと台所へ向かった。

 そこでは既にエプロンを身に付けたばななが、袖を捲って気合を入れていた。そして大きな鍋を取り出し水を注いだ。

 

 

「おつかれなな、今日は何を作るの?」

 

「ふふ、おつかれ純那ちゃん♪カレーを作ろうかなって。まひるちゃんの実家から届いたまひる芋もあるし、一週間頑張ったご褒美に皆いっぱい食べたいでしょ?」

 

 

 そして冷蔵庫から食材をどさどさっととりだす。その横で純那はコップを洗い始める。

 

 

「これは華恋ちゃんの……これは……華恋ちゃん……これも華恋ちゃん」

 

 

 慣れた手つきで散らかった物を仕分けしていくまひる。

 特にこれといった不安もなく、着々とそれぞれの仕事がこなされていく。

 

 

「にしても不思議な感覚ね。今まで辞めて去っていく人はいたけれど、また新たに新入生だなんて」

 

「うん、そうだよね。いちじくちゃん……スタァライトをするために聖翔に……」

 

「普通では、ないわよね。ま、それだけ私達のスタァライトが人の心を動かしたってのは誇るべきだわ」

 

 

 これは誰の? それはクロちゃんの、一緒に回しちゃおっか。料理の音をBGMに二人は片付けを進め、汚かった部屋も今ではすっかり新居同然だ。

 

 

「それに、楽しみではあるわよね。有栖川さんだったら、どんなフローラとクレールを演じるのか」

 

「うん、確かに。いちじくちゃんの演技、凄かったもんね。惹き込まれちゃったなぁ」

 

「えぇ、悔しいけど本当に何も出来なかった。やっぱり上には上がいるんだなって、改めて思い知らされたわ」

 

「で、でも純那ちゃんも凄いよ! 突然のアドリブにあそこまで返せてたんだもん……私だったら固まっちゃって何も出来なかったかも」

 

「あれは天堂さんがいたから場が大きく崩れなかっただけ。私一人だったら……」

 

「そ、そんな事ないと思うけどな。ねぇ、ばななちゃんはどう思──」

 

 

 ダンッッッッ!!!!!!

 

 

 激しい音が響き場が一瞬静まる。突然の事に驚き、二人はその方向へ顔を向ける。

 そこには、包丁を持ったばななが顔に影を落とし佇んでいた。

 

 

「な、……なな?」

 

 

 

 

「ごめん、まひる芋、硬くて」

 

 

 

 



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6場 歓迎パーティー

 

 

いちじくちゃん せいしょうへ ようこそ!

 

 

 

 カラフルなペンで、様々な独特なイラストと共に書かれた横断幕が庭に繋がる引き戸に掛けられていた。

 そして折り紙で作られた輪っかの飾りが部屋を縦横駆け巡っていた。他にもバルーンや造花等々普段のリビングが華々しく彩られている。

 部屋の中央、大きなテーブルの上には皆で作ったスペアリブやポテトサラダ、そして昨日ばななが作ったカレーにナン、エビフライと様々な料理で大賑わいだ。

 

 

「それじゃあ、みんな準備できた?」

 

 

 三角帽を被り意気揚々とグラスを掲げる純那。

 思い思いにグラスを掲げると今か今かとそわそわし始める。

 

 

「えー、この度は、有栖川無花果さんの聖翔音楽学園の編入を記念、そして3年生という新たな一年の始まりを祝してパーティ、を行いたいと思います。有栖川さんにおかれてはまだ入ったばっかりで右も左もわ」

 

「かんぱーーーーーーい!!!!」

 

 我慢出来なくなった華恋が純那を遮って天高くグラスを掲げた。それを皮切りに乾杯と声を上げグラスを打ち鳴らす面々。

 

 

「ちょ、まだ喋ってるとちゅ……」

 

 

 カンッと純那のグラスをノックしたのはばななだった。にこにこと楽しそうに微笑んでいるのを見て、何も言えなくなった純那は大人しく座って注がれたコーラを口に含んだ。

 

 

「えーーー! もうほんとありがとうございますーー! こんな温かく迎えてもらえて私は感激ですよーー!」

 

 

 今にも踊り出しそうな勢いで有栖川はお辞儀をした。

 

 

「今日はいちじく、アンタに主役を譲ってあげるわ、存分に楽しみなさい!」

 

 

 そういうとクロディーヌはスペアリブを手に取り、真矢のことを見ながら一口齧った。真矢はというと、そんな視線も気にも留めずにポテトサラダに夢中になっていた。

 

 

「西條さん知っていますか? 巷にはポテトで作ったバウムクーヘンがあることを」

 

C'est vrai(ほんとう)!? アンタの欲張りセットじゃない」

 

「今度大場さんと一緒にお店に行く約束をしました」

 

「ふ、ふぅ~ん、それは良かったじゃない……」

 

 

 そっぽを向きながらスペアリブを食べるクロディーヌの横顔を見ながら、真矢はポテトサラダを掬って差し出した。

 

 

「良ければ一緒に行きますか?」

 

「なっ……」

 

 

 顔を真っ赤にして葛藤した後、ふるふると震えながらパクっと食べてまたそっぽを向く。それが答えと微笑んだ真矢は、クロディーヌが咥えきれなかったポテトサラダをぺろりと頂いた。

 そんな二人の様子を眺めていた有栖川。

 

 

「な、なによっ」

 

「ふふん♪なんでもぉ~~?」

 

 

 にやにやが隠せない締まりのない顔で有栖川はオレンジジュースを飲んでいた。

 

 

「ちょ、言いなさいよ!! そしてアンタも、スペアリブ食べなさい!」

 

「えっへへ~たべてますよーケーキも美味しくいただいています! ありがとうねばななちゃん!」

 

 

 当然ばなな特製のお菓子は外せない、バナナケーキは勿論バナナベースのお菓子が5種類くらい沢山用意されていた。おかげでスーパーのバナナの売り上げにかなり貢献しているだろう。

 

 

「どういたしまして♪みんなで仲良く食べてね♪」

 

 

 その隣で華恋もバナナスイーツに目が無かった。お宝を目の前に目を輝かせる海賊のようであった。

 

 

「すっごいよねこのバナパフェ! バナナ3本も使ってるんだもん! ほぼバナナだよ!」

 

 

 華恋が食べていたのはバナナパフェ。ホイップやチョコソースは使っているが、フレークなどで笠増しをするところを、すべてバナナで埋め尽くしている。グラスの上にもバナナアイス、そして半分程度の長さのバナナをそのまま突き刺している。何処から手を付けても倒れてきそうなパフェだ。

 

 

「あ、華恋ちゃん、口についてるよ」

 

 

 そんなこともお構いなしに食べられるところからぱくぱく食べていた華恋の口元にクリームが付いていた。まひるはティッシュでそれを拭った。

 

 

「まひるちゃんってお姉ちゃんみたいだね」

 

 

 むしゃりむしゃりエビフライの尻尾を口からはみ出した有栖川が華恋の隣へ座った。まひるはにっこりと微笑むとこう答えた。

 

 

「だって、お姉ちゃんだもん」

 

 

 その隣では、双葉と香子が膝を揃えて座っていた。

 

 

「和菓子も作れるなんて、ばななはんは天才やわぁ。双葉はん、ばなな羊羹」

 

「あのなぁ? 目の前なんだからそれくらい自分で、取れよな」

 

 

 口ではそう言いながらテキパキと羊羹を切り分けて香子の皿へ盛る。ちゃんと大きすぎず小さすぎず違和感なく歯ごたえも楽しめるベストサイズだ。そして香子の口元へ運んだ。

 

 

「ほらな? うちは信じてんねん」

 

「か、体が勝手に動いただけだ!」

 

 

 双葉は膝を抱えてばなな羊羹をパクパクと食べる。

 

 あっちでわいわいこっちでわいわい、笑いやトラブルが絶えない楽しい空間だなと、有栖川はこれからの生活に対して安心感を覚えた。

 

 

「あ、そうそう! 今年のスタァライト! みんなはどの役やりたいとかあるの?」

 

 

 前触れもなく突然有栖川が尋ねると、騒いでいた空気も、演劇学校に通う舞台少女ならではの真面目なものへと変わった。

 

 

「勿論、私と天堂真矢がフローラとクレールをやるのにふさわしいわ」

 

 

 ふふんと誇らしげに胸を張るクロディーヌ。そこで異を唱えたのが香子だった。

 

 

「クロはんらは一年の時で充分やろ。今年こそはうちが選ばれるに決まってるわぁ、後輩の面倒でも見てなはれ?」

 

 

 食べる手を止めず、香子は満面の笑みで佇んでいた。その横で双葉は何も言えず膝を握りしめていた。

 

 

「有栖川さんはどうなの? 私は有栖川さんがどんなフローラとクレールを演じるのか見てみたいわ」

 

 

 純粋に、その瞳には少しながらの憧れすらも見えるような視線で有栖川のことを見る純那。それを受けてどんっと胸を張ると大きく宣言をした。

 

 

「目指すは主役! ポジションゼロ! その方が絶対楽しいわ! 熱く輝く、キラめきを!」

 

 

 何故かその宣誓にみな魅了されていた。片鱗とはいえ彼女の実力を見たというのもあるが、彼女なら、本当にものにしてしまいそう……そして純那の言う通り見てみたいという気持ちもあった。

 だが、そんな気持ちで負けてはいられない、目指すはトップスタァ、皆その為にこの学校に通っているんだ。

 

 

「そういう純那こそ、本当はやりたいんでしょう? 遠慮することないじゃない、私達は全員ライバルでもあるんだし」

 

 

 クロディーヌはからかうように投げかけると、純那は照れ隠しに眼鏡をいじっていた。

 

 

「と、当然目指すわよ? でも、この二年で感じたわ、今の私にはまだ全然足りないってことに……」

 

「随分、謙虚になりましたね、星見さん」

 

 

 真矢はグラスを上品に口元へ運ぶと、ゆっくりと純那へ顔を向ける。顔こそ笑ってはいるが、その腹では何を考えているのか、醸し出ている空気で少し察してしまう。

 

 

「き、勤勉さと謙虚さを兼ね備えた人物に乗り越えられない壁などない……この一年必死に勉強して、大学行ってさらに知見を──」

 

「大学……? 純那ちゃん、演劇辞めちゃうの?」

 

 

 その一言に場の空気が止まる。まひるは思わず聞かずにはいられなかった。

 将来、トップスタァを目指してがむしゃら走ってきた舞台少女、数ある劇団に入りその才能を咲かせていく……そういうものだと思っていたばかりに、純那のその発言は驚きを隠せなかった。勿論、聖翔に通う中で志半ば諦める子はいたが、純那はそうじゃないと誰もが思っていた。

 

 

「ち、違うって!………だから、聖翔で学べること以上に、今の私にはもっと色々な知識が必要で…………生まれながらにして偉大な者もいれば、努力して偉大になる者もいる……」

 

 

「……ウィリアム・シェイクスピア」

 

 

「………………………」

 

 

 納得したように真矢は微笑みお茶を置いた。暫く沈黙の空気が流れている。さっきまでの楽しいパーティとは真逆の気まずく重苦しい空気だ。

 

 

「そっかーー皆色々考えてるんだね。スタァライトのその次、か……」

 

 

 純那だけでない、当然この場にいる全員が考えていた。それぞれの歩むべき道、今は同じなれどその先は……

 

 

「ま、私は前も言ったけど楽しければそれでいいや! そうやってここまで来たし! 今は目の前のスタァライト!! あぁ~~待ち遠しい……」

 

 

 うっとり、とグラスに頬ずりした有栖川はその場でくるくると回り出した。そして何か思い立ったようにピタッと止まり皆のことを見回した。

 

 

「オーディション、っていつから始まるの?」

 

 

「「っ──!」」

 

 

 先程までとは全く違う緊張感が走った。

 誰もが口を噤み顔を伏せてしまう。普通のことを聞いただけなのに、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうかと有栖川は首を傾げる。

 誰かが平静を取り戻し口を開こうとしたその瞬間。

 

 

「もう、始まってるんとちゃいます?」

 

 

 香子だった。

 グラスを握りしめ眉を顰めて、悔しそうに歯噛みしている。絞り出した掠れた声は、決して大きくは無いこの部屋に木霊した。

 

 

「か、香子……?」

 

 

「始まってるって、どういう事? 私何も聞いていないよ?」

 

 

 有栖川の当然の疑問だった。編入生といえどまだ三年生として始まったばかり。聖翔祭の配役オーディションが始まっているのならば知らされているべきだ。

 

 

 

 そう、それが普通のオーディションならば────

 

 

 

「トップスタァを目指して歌い、踊り、血と熱を滾らせ奪い合う、オーディション」

 

 

 淡々と語る真矢を不思議そうな目で見る有栖川。自分の想像するオーディション、皆が話すオーディション、どうやら同じようで同じでないようだと悟る。

 

 

「うちの知らんところで! トップスタァを目指してオーディションが行われてるんとちゃうん!?」

 

 

 バンッッとテーブルを叩き立ち上がった香子はそのまま俯いて言葉を発さない。だがその両の拳は強く、爪の跡が残るほどに握られていた。

 皆の視線が集まっているのを感じ、その場を足早で去ろうとした、その時だった。

 

 

♬~~~~~~♫~~~~~♪

 

 

「「っ────!?」」

 

 

 それは星光館のチャイムが流れるスピーカーから聞こえた。来訪者では無い、響き渡る長く甲高い電子音、不規則なメロディ。聞いた事のない突然の事態に戦慄が走る。

 オーディションへ招待する着信音…………ともまた違う。余計不信感が募る。

 すると点いていないはずのテレビの画面いっぱいに、シルエットのウサギが走りだした。

 

 

 そしてそこにはこうも書かれていた。

 

物語は必ず終わりを告げる。では舞台は? 貴方達は?

 

 

 瞬き。

 転換。

 

 部屋に飾っていたバルーンや装飾は、装丁の分厚い本と、ガラス瓶に変わっていた。

 

 

 皆が戸惑っている中、尚も鳴り響くメロディーに乗せて、星光館のリビングがぐるぐると回転を始める。

 

 

 ありもしない事態とその感覚に耐えようと家具などに掴まったその瞬間。

 

 

 

 

 床がまるごと抜け落ちた。



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7場 遊戯

 

 突如全身を重力が襲う。また同時に浮力も感じていた。上を見れば真っ青な空、下は分厚い雲で何も見えない。風が吹き上げ臓物が本来の位置に定まらない……そう、彼女たちは今、落下していた。

 

 

 純那は眼鏡を抑えながら辺りを見回すと、同じように皆が空から落下しているのを確認した。

 さっきまで星光館のリビングでパーティーをしていたはずなのに、何処とも分からぬ空に放り出されている事実を誰も受け止められない。これは夢ですと言われた方がよっぽど信じるだろう。

 

 

「待って、一体どうなって……っきゃああ!?」

 

 

 そしてそのまま雲に落下していく。風に強く煽られ天地の違いも分からない。目も開けられずただ身を任せる他なかった。やがて突き抜けて視界が開けると、またその下にも雲が見えていた。

 

 

「どこまで、落ちる、のよ……えっ?」

 

 

 そこで目を見張る。違和感。身体に纒わり付く空気が変わった。

 それもそのはず、純那は先程まで着ていた私服ではなく、オーディションの時に着ていた衣装に身を包んでいたのだ。ブレザーの制服にも似た衣装は文字通り彼女達の戦闘服だ。

 そして純那だけでなく、一緒に落ちている皆も衣装を身に付けていた。

 戸惑いの中また大きな雲へ。

 息もまともに出来ないまま突き抜けると、今度は赤い上掛けが着けられていた。

 また一つ雲を抜けると宝石がチラと煌めく武器を手にしていた。

 

 誰もがこの格好をすることの意味を理解していた。いや、身体に覚えさせられていた。

 

 

 

「始まったんや……オーディションが!!」

 

 

 落ち行く中、香子は自身の武器である薙刀を握りしめて、敵を探していた。

 今までは1対1が常、タッグレヴューと呼ばれる2対2はあったがその宣言も無く突然始まった出来事に誰もが戸惑っている。そして何より終わらない落下、先の見えない地面、身動きもまともに取れず不安は増すばかりだ。

 

 

 唯、一人を除いて……………

 

 

「な、なな……?」

 

 

 皆が空中でもがいている中、大場ななだけは、重力に身を任せるように綺麗な姿勢のまま垂直に落下していた。その手には鞘に収められた武器を握り、そしてゆっくりと、冷たい視線を皆へ投げかけた。

 

 言葉を発さずゆっくりと頭上で鞘を抜き始めると、真っ青な空を反射して刀身がキラリと光った。

 

 そして彼女は刀を構え大きく身を屈めた。

 

 

 

{プロセニアム・ホリゾント}

 

 

 

~エチュード 1 幕目~

 

 

 

【虐殺のゲーム】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ばななは空中に浮かんだキノコを足場に、思い切り蹴って距離を一気に詰める。その勢いのまま横凪に香子へ切りつけた。

 

 

「なっ……くっ!……」

 

 

 激しく空を切り裂く音。遠慮も配慮も一切無い本気の一閃。咄嗟に薙刀を構えて防御すると、カンッと激しい音が響き火花が散る。お互いまだ空中だ、踏ん張りがきかずに香子はそのまま吹き飛ばされた。

 

 

la lalala lala lala la lalala lala lala

 

 

「香子ぉっ!?」

 

 

 香子は受け身も取れず落下速度だけを増していた。

 ばななはお構い無しにそのまま身体の向きを変えた。それに合わせるようにキノコが現れ一気に跳躍、双葉の眼前まで迫る。

 

 

「っ……くそっ!」

 

 

 真向に斧を振り下ろすが、ばななは刀を柄と斧の繋ぎ目に滑り込ませることで勢いを殺す。それだけでなく、そのまま突きを放った。双葉は紙一重で避けるもそこは刀身の範囲内、止まった的に過ぎない。ばななはすぐさま手を返して双葉を袈裟に斬り付けた。

 

 

はじまれば おわる おわれば はじまる 繰り返される 盤上の遊戯

 

 

 そして次の狙いは天堂真矢、西條クロディーヌだった。

 

 1個2個とキノコを踏みしめ肉薄していく。空中で徐々に迫る恐怖に流石の2人も剣を握る手に上手く力が入らない。

 感情の読めぬ顔で刀を側面から振りかぶるばなな。真矢はそれを剣で受け止めると耳を劈く金属の音と火花が散る。ぐっと更にばななの腕に力が入るが、真矢も押されまいと腕の筋肉だけで耐えている。

 

 

「大場さん、これは一体……?」

 

「これはオーディションに非ず」

 

 

 2人の鍔迫り合いが行われる中、その背後を狙うように矢が放たれた。あと数センチといったところで、ばななは見向きもせず鞘を後ろ手に持ち弾いてしまった。やけに物悲しく空虚で無力な矢はそのまま空に溶けた。

 

 

「っ……せめて、こっちを見なさいよ……!」

 

 

 一射、二射、純那の攻撃は止まらない。

 

 

そう それが 自然の 摂理なのね なのね なのね

 

 

 クロディーヌも負けじとばななへ斬りつける。

 それを察知していたか、ばななは腰を深く落とし攻撃を避ける。それだけに留まらず、勢いをつけて宙返りをした。サマーソルトキックと呼ばれる攻撃でクロディーヌを蹴り上げ、その最中に刀で矢を撃ち落とし、そして鞘で真矢の側頭部を攻撃した。

 

 

あなたなら 分かってる ねぇそうでしょ 聞いてる?

 

 

 為す術なく落ちる皆を睥睨したばななは、重力に身を投げていた。純那は震える手で弓を構えて狙うが、思うように指が引けなかった。怖い、今彼女を支配するのはその言葉に尽きる。

 

 地なぞ見えなかった上空からの落下も、気付けば巨大なキノコがクッションとなり地上へ下ろしてくれた。

 皆はそれぞれ態勢を整える。状況の把握、それが今の彼女らに必要だった。何が起きているのか、誰も分からないまま翻弄されている。

 周りを見るがばななの姿はまだない。上空を見ると、先の見えない大きな木で囲まれていた。森だ。落ちてきた空すらも高く遠く見える。

 その隙間からばななの姿を捉える。未だ落下に身を任せている。皆が着地をしたその瞬間を狙おうと緊張感を高めている中、不意に一匹のフラミンゴが現れた。

 ゆったりのったり、細い脚を動かし1歩1歩と歩いている。そしてピタッと立ち止まった。フラミンゴの目の前には日本刀が突き刺さっている。じっと見つめたかと思うと突如鳴き声を挙げて身体をくの字に曲げ、そのまま頭を思い切り柄の部分へぶつけた。日本刀は弾かれ綺麗に回転をしながら宙を舞っている。

 

 

「お待たせ」

 

 

死んでたら 何も はじまらない だから

 

 

 ばななは半身を翻して舞っている日本刀を掴むと、更に回転して地上にいる香子へ振り下ろす。

 薙刀で受け止めようと踏ん張るが、ばななの一撃はとても重い、そのまま弾き飛ばされる。地面を滑る香子の眼前に、既にばななの刀が迫っていた。

 

 

「ひっ……!」

 

 

 思わず目を瞑る。だが痛みも衝撃も何も無い、代わりに、上掛けがはらりと落とされていた。

 

 

やる気を出してよ 弱い 足りない

 

 

 ばななはスタスタと歩いていて余裕すら見せている。両側から挟むようにまひる、双葉が攻撃を仕掛けるが、ジャンプでそれを躱しゆっくりと着地する。それに合わせてパラパラッと二人の上掛け、ボタンが地面へ落ちた。一瞬の出来事、何をされたのかも分からないまま二人はただ落ちた上掛けを見つめることしかできなかった。

 

 

本性見せてよ 晒せ 届かないよ

 

 

 そしてばななは真矢、クロディーヌへ狙いを定める。その途中には純那もいるが目もくれようとしない。

 震える手で矢を放とうとするが、一閃、歩を止めることなく、見ることもなく、その一撃で純那の上掛けは落とされた。

 

 

「こ、こんななな……知らない……っ」

 

 

 恐怖から身を守るように自分の身体を抱きしめる純那。また、何も出来なかったと歯噛みする。

 

 

何で 何で 何だ 話に

 

 

「ならないよ」

 

 

 気づけばそこは書斎に変わっていた。ハードカバーばかりが収められたそこは、天高く何処までも伸びていた。右を見ても左を見ても本に囲まれている。その中でななは冷徹な、血の通っていない視線を皆へ投げた。

 

 

「物語は必ず終わりを告げる。では舞台は? 私達は?」

 

 

 

la lalala lala lala la lalala lala lala

 

 

「何? 何を言っているのよなな?」

 

 

「…………物語を始める為に、幕を下ろす……」

 

 

「天堂真矢……? どういうことか、説明、しなさいよ!」

 

 

 カンッッ……!

 

 

 振り被ったクロディーヌの剣は宙を舞いながら地面へ突き刺さった。同時、ボタンと上掛けがばさりと落ちる。

 

 

さぁ ゲームの はじまりだ 何の為? さぁ 今すぐ こたえてみせろ

 

 真矢とばなな、両者激突する。目にも止まらぬ激しい剣戟が繰り広げられる。今のばななは彼女本来の戦い方である本差と脇差の二刀流だ、真矢も攻め切れていない。

 力強い剣捌き、しなやかな身のこなし、そのどれをとっても天堂真矢は秀逸だった。ぶれない体幹溢れる気迫、99期生首席だけある。だが、だがそんな彼女すら簡単に勝たせてくれないのがこの大場ななだ。舞台に立っている時の彼女は普段とは全くの別人。役者には色々タイプがいるが、大場ななはまさしく憑依型役者と言えるだろう。

 

 二人の剣に合わせて設えている本が宙へ舞う。まるで鼓舞するように、歌い、踊る。

 

 

血を吐き吹き込め 命を もっともっともっと 狂ってみせろ

 

 

 真矢は上掛け目掛けて突きを繰り出す。ばななも刀を払う。両者交差する形に。

 

 

 

「…………」

 

 

 すたすたと数歩歩くと、ゆっくりと刀を地面へ突き刺した。そこには『T』と書かれた本の切れ端が落ちていた。

 

 

 

 舞台のセンターを示すバミリ、ポジションゼロ。舞台少女は、そこに立つべく日々切磋琢磨している。

 そして同時、真矢の上掛けがはらりと地へ落ちた。

 

 

 

「なんだか、激しく抱かれた夜みたい……」

 

 

「え……?」

 

 

 ぼそりとばななが何かを言ったが誰にも聞こえていなかった。

 

 

「なんだか、激しく抱かれた夜みたい」

 

 

「な、なな……?」

 

 

 今度は辛うじて聞こえたが、その意味はまるで分らなかった。

 

 

「だーかーらー、なんだか、激しく抱かれた夜みたい」

 

 

 更に声を張り上げ、ここにいる皆を、純那を見ていた。その表情からは何も受け取る事が出来ず、ただ意味が見出せない発言に戸惑う。

 

 

「は、激しくって……私達まだそんな経験……っへ?」

 

 

 直後、純那の視界が赤く染まった。

 

 

 

 溢れる液体、赤く、黒い液体。

 

 

 

「へっ……や、い……ぁあぁあっあああぁぁぁ!?」

 

 

 膝から崩れ落ちる。眼鏡も赤く染めあがっている。手も……血に塗れていた。

 純那だけではない、香子も、クロディーヌも皆、血塗れだった。

溢れ出る血を止めようと必死で押さえるが尚も溢れてくる。怖い、冷たい、暗い…………これが、死?

 

 

 

「目を凝らせっ!!」

 

 

 

 直後真矢の怒声が場に響き渡る。その声にハッと気づかされる。死、ではない、誰も傷口からの出血なぞしていない。ではこれは……?

 

 すると視界の端で手足の生えたトランプが、大きなバケツを持って歩いてきた。その中には並々と赤い液体が入っており、そしてそれをおもいきりぶちまけた。

 血糊だ。舞台におけるギミック、アンダーグラウンドな劇場で多用される血に似せた液体。今それが皆にかけられていた。

 

 

 

「燃えるような情熱も、弾けるような感動も、まるで何処かに置き去って……私達もう────」

 

 

「釣れないなぁ君も! こんな楽しそうな事、混ぜてくれたっていいじゃないか!!」

 

 

「っ!?──だ、誰……?」

 

 

 突如、明朗快活な声がばななの言葉を遮るように発せられた。皆が視線を向けるとそこには、聖翔の制服に身を包んだ有栖川無花果がいた。

 

 

「ひどいな忘れたのか? 僕だよ、あの日交わした熱は決して嘘ではないとこの身体が覚えているというのに!」

 

 

 大きな身振り、溌溂とした発声、告げられる言葉のどれもが現実離れしていた。そう、まるで舞台に立っているかのように。

 

 

 

「…………もうやめて……もう戻れないの。貴方とは、一緒にいられない」

 

 

 戸惑いながらもななから発せられた切なる声、大場ななとしてじゃない、有栖川と同じようにどこか現実離れしている。

 

 

「何……何なの……説明してよ、なな!」

 

 

 起きている事態の何も把握できず血塗れのままの純那がたまらずに叫ぶ。それに合わせるかのようにパンッと短く手を叩くような音が聞こえた。虚構と現実を分かつこの音に、張りつめた空気が少し弛緩する。それに合わせて有栖川も有栖川無花果としてこの場に現れた。

 

 

「なーんだ、折角面白かったのにもう終わりか」

 

 

 不貞腐れるように後ろ手に地を蹴る。遊びに誘われなかった子供のようであった。

 

 

「オーディション、とはまた違うみたいだけど、今度は私も混ぜてよ」

 

 

 直後大地が大きく揺れる。奥の方で本棚が倒れ、ハードカバーが宙を舞っている。

 有栖川は皆に背を向けると、そのまま歩いていく。

 誰もが声を掛ける事が出来なかった。

 本がバサりと落ちると有栖川の姿はもうそこになかった。

 

 

 そして世界が崩れ始める。




合間合間のフォントが違う部分は所謂レヴュー曲です。頭の中にメロディはあるんですが想像で聴いていただけたら!レヴューシーンは毎回入れていきます。


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8場 パーティーが終わり

 

 パーティーの後の星光館リビング。そこで華恋は1人、1冊のハードカバーを膝に置いて表紙をただ眺めていた。

 

THE

STAR LIGHT

GATHERER

 

 

 戯曲『スタァライト』の原典だ。虚ろなる目で開いては頁を捲り、そしてなぞる。

 

 

「星摘みは罪の赦し──お持ちなさいあなたの望んだその星を」

 

 

 何処からともなく現れたばななは、華恋と距離を開けて同じソファに座っていた。大きく足を組んで頬杖をついて、パーティーの名残を眺めている。

 

 

「スタァライトとの出会い、華恋ちゃんが華恋ちゃんとして生まれた日」

 

 

「えっ……?」

 

 

 華恋が顔を上げる。その瞳に映る生気はあまりに薄い。長い睫毛を瞬かせた先にはばななの横顔だ。二つに結われた特徴的な髪型が、今の表情とあまりに似合わない。

 

 

「物語は必ず終わりを告げる。では舞台は? 私達は?」

 

 

「ばななちゃん……?」

 

 

「ダメだよ、見つけなきゃ。意味を持たなきゃ」

 

 

 ゆっくりとばななが華恋の方へ身体を向ける。表情の読めなかった先程とは違う、確かな意思を持って華恋へ訴えかけている。華恋は少しの居たたまれなさを感じながら唾をごくりと飲む。

 

 

「意味を……持つ……?」

 

 

 直後、原典スタァライトがパラパラと勢い良くめくれ、眩く光り始めた。思わず顔を覆う華恋。

 やがて光が収まり目を開けると、そこは砂漠だった。

 

 

 辺り一面の砂、照り付ける太陽、ここには何も無い、が何処か遠くで時計の音がチッチチチと鳴っている気がする。

 訳も分からず、何かに追われるように華恋は走った。右を見ても左を見ても何も無い、果てなぞなくただ一面の砂の世界が広がるばかりだ。

 

 

「はぁ……ぁっ……! あ、あれは……!?」

 

 

 何も無かった砂漠にポツリと、だが確かに緑と水が見える。オアシスだ。そしてそこには大きく横たわって圧倒的な存在感を放っている、忘れもしない……

 

 

「キリン!?」

 

 

 木陰で長い首を背に預けてすやすやと眠っている。

 唯のキリン、ではない。選ばれた舞台少女だけが参加できる地下劇場でのオーディション、このキリンはその支配人とも呼べる存在であった。舞台少女のキラめき、まだ見ぬ物語への渇望、貪欲で、そして不可思議さは1度出会ってしまえば忘れようはずがない。

 華恋はオアシスを目指して走った。キリンなら、何かしらの答えを持っているかもしれない、その思いで駆けていた。だが走れども走れども一向に辿り着ける気配は無い。腕を振り脚を踏み出し、伝う汗を拭いながら。

 そして躓き倒れてしまう。口の中に入った砂を吐き出しながら顔を上げると。

 キリンが休む木の下、人影が見えた。遠くて、揺らいで、誰かは分からない。

 

 

「──ちは──の──」

 

 

「なんて言ってるの……? ねぇ────ちゃん?」

 

 

 少女の声は届かない。時計の音はどんどん大きく速くなっている。同時に風が一気に吹き上がり砂嵐が起こる。

 見えない、消えてく、オアシスが、キリンが……ザーーーとノイズにも似た音に変わり、そして突如カットアウト。

 

 

 

 

私達はもう、本の中

 

 

 

 

 

 

 またノイズが戻る。華恋の世界は砂に塗れそして暗転した。

 

 

 

 



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9場 静寂に漂う雨霧

 

 日も落ちて辺りは徐々に夜の暗さを思い出す頃、部屋で1人静かに本を読んでいる少女がいた。

 ふんふんと頷きながら上品な手付きで頁を捲る音だけが部屋に木霊する。中には図が大きく表されていたり、レイアウトが施されていて文字の情報は少ない方だ。

 

 

「あら、あんた自己啓発本なんか読むのね」

 

「さぁっ!? んっん……西條さん……人の部屋に入る時は──」

 

「したわよ、全然返事ないから中で死んでるのかと」

 

 

 突然の来客に素っ頓狂な声を上げてはじろりとクロディーヌの顔を見る真矢。

 ふぅんと息を漏らしながら肩を上下させると、真矢が抱える本に視線を落とした。

 クロディーヌはきっちりと決まった制服の時とは違い動きやすそうな、過ごしやすそうなジャージに身を包んでいる。彼女のラフな姿(学校のジャージとはまた違う素の部分)というのは星光館に通う者しか見れないのでかなり貴重である。ばななの携帯にも何枚かその姿は収められている。

 

 

「より高みへ行くにはやはり良い文学、思想や思考に触れるべきかと。昨日の私より少し賢いですよ?」

 

「その言い方はどうなのかしら……ふんっ私だって、よ、読んでるわよ? 負けないんだから!」

 

 

 そう言うクロディーヌは真矢の目を見ようとしない。その姿を見て薄く微笑むと、ぱたりと本を閉じてクロディーヌへ差し出した。

 

 

「な、読んでいる途中でしょ?」

 

「えぇ、ですので早く返して頂けると」

 

「っ~~! ヤな女!」

 

 

 言いながら本を受け取ると踵を返し部屋を後にするクロディーヌ。それを見送ると、また別の本を取り出し没頭するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 純那もまた、自室で本とノートを開いていた。演劇に関する勉強、ではない。大学受験に向けたものである。付箋なども色分けして沢山貼ってあるものの、丁寧に書かれたノートには今、ペンが走っていない。

 こめかみを抑えては深く長い溜息をつく。クレッシェンドで息から声に変わる。言葉というよりか叫びだった。最高潮に達した時、ダンっと勢い良く机を叩く。そのまま机に突っ伏して顔を横に向ける。そこには乱れたベッドとカラフルなバナナやカエルのグッズが散乱していた。

 純那は体を縮こませ体を抱きしめた。

 

 

「……お腹痛い……っ……」

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

 放課後、身体の赴くままに歩いていると、とある部屋に辿り着いた。そっと中に入ると、他には誰も見当たらずとても静かだ。

 何が目的という訳では無い、有栖川無花果はただ、導かれるように数ある蔵書の中を浸るように歩いていた。

 図書室、本を読む事が好きな有栖川ですら見たことの無い本ばかりで埋め尽くされとても興奮していた。気になり手を取ろうとしたその時、棚の向こう側から何やら声が聞こえた。動きを止めて耳を澄ます。

 

 

「だ、だめよっ……こんなところでっ……」

 

「ふっふふ~何を照れておる~ほら、その美しい顔をもっと見せてごらん?」

 

 

 

 何やら図書室という静かな場所では似つかわしくない秘め事が繰り広げられているようだ。

 

(はっ! こ、これは……っ! 放課後、夕暮れの図書室、誰もいないという最高のシチュエーションで繰り広げられるめくるめく花の! 楽園……!?)

 

 

 有栖川は興奮を必死に抑えようと顔を覆い息を潜める。並べられた本の隙間から2人の少女が見えた。

 前髪の短いほんわかした雰囲気の女の子が、ピンクの髪留めをしているツリ目の女の子の腕を取り弄らしそうに迫っていた。顔を真っ赤にして拒んでいるものの、何処か本心では受け入れてしまいそうな危うい感情の上を歩いているようだ。

 有栖川は思わずガッツポーズをする。隙間から見るそこはかとない背徳感というのもまた興奮を助長した。だがどうせならやはりしっかり見たいと、のぞき込める位置まで移動する。

 

 

「私は忍者……気付かれたら死よ……」

 

 

 ふぅと息を吐いて辺りを見回す。2人以外誰もいないのを確認すると、腰を落としてそろりと覗き込んだ。

 

 

「い、いい加減に、してぇえぇえ!……はぁ、はぁ……!? だ、誰!?」

 

 

 

 堪らずに叫んだ少女に驚き思わずその場に出てしまった有栖川。まずいと思ったか、何も見てませんよというアピールで下手な口笛を吹いてみせた。今時下手な誤魔化し方である、余計に怪しまれている。

 

 

「あ、いや、その、違うの、見てない私、なーんも知らない、お、お邪魔しましたぁ~~」

 

「?…………!? ま、待って待って待って待って!? ち、違うのよ! 貴方が考えているようなことは何も!?」

 

 

 折角の良い所を邪魔されては誰でも嫌だろうと、有栖川はその場を去ろうとしたのだが全力で止められてしまった。

 

 

「あっはは~ちょっと冗談が過ぎちゃったみたいだね」

 

 

 おっとりとした少女は本をぱたりと閉じると少し寂しそうに口を尖らせた。どうやら案外まんざらでもなかったようだ。

 

 

「だ、だから言ったんです! 誰かが来てからでは遅いと!」

 

「まぁまぁ、別にいいじゃない詩音ちゃん~」

 

 

 二人のやり取りを見て何だかほっこりする気持ちになる有栖川。どうやら本当にお邪魔だったみたい、と苦笑いする。

 

 

「というか貴方は誰ですか……? 制服は着ていますが見たことありませんね」

 

 

 そこで突然ツリ目の女の子の視線が鋭くなる。益々立場の悪いことと身を竦めていると。

 

 

「あ、ほらあれだよ~転入生! 初日に伝説のしごきを受けたっていう」

 

 

 そのワードに思わず苦い顔をする。もう身体がどれだけ嫌だったかを覚えてしまっているようだ。にしてももうその話出回ってるのねと女性社会の情報伝播力を実感する。

 

 

「あぁ……そういえばそんなこと言ってましたね……」

 

 

 コホンと咳払いをひとつ。

 

 

「聖翔音楽学園舞台創造科3年B組、雨宮詩音(あまみやしおん)です。どうぞ宜しくお願いします」

 

「同じくB組、眞井霧子(まさいきりこ)だよよろしくね」

 

 

 2人は礼儀正しく足を揃えてぺこりと頭を下げた。有栖川もそれに倣う。

 

 

「俳優育成科3年A組、有栖川無花果(ありすがわいちじく)です!スタァライトしに聖翔に来ました!! よろしくお願いします!!」

 

 

 深々と3秒お辞儀。ガバッと身体を起こして2人に微笑む。幼い少女のような端正な顔立ちにまるで宝石のような綺麗な赤い瞳に2人は思わず息を飲む。ただの挨拶、それだけで人を魅了する何かを有栖川は持ち得ていた。

 

 

「スタァライトを……? それじゃあ有栖川さん……はこの間の聖翔祭を?」

 

 

「うん! すっっごかった!! スタァライトってアツいけど結構暗いじゃん? 未来の無い別れで終わる悲しい物語。それをあんな風に続きを作っちゃうなんて! もう興奮よ興奮!!」

 

 

 目を子供のように爛々と輝かせて迫る有栖川に若干の距離を置きつつ、そうまでして聖翔に来てくれた、誰かの心にそこまで深く刺さった事に思わず目が潤む雨宮。そんな彼女を横目で見ては微笑む眞井。

 

 

「ありがとうね~そう言って貰えると私達も頑張った甲斐があるよね詩音ちゃん」

 

「えぇ……そうね……」

 

 

 対照的に浮かない顔をしている雨宮を不思議そうに見る有栖川。

 

 

「どうしたの? あまり嬉しそうじゃないけど……」

 

「ごめんね気にしないで~前の評価が良ければ良いほど今回のハードルが上がって苦しんでるだけだから~」

 

 

 笑顔でそう言ってのけた眞井の顔をまじまじと見て首を傾げた。

 

 

「聖翔って3年間同じ演目を演って戯曲に対する理解、完成度を深めようって場所でしょ……?」

 

「そう、同じ演目……だけど同じ内容ではやる意味が無い。1年生の時は本来の物語通りの結末にしたし、前回は見てもらった通り。あれは演者みんなの空気感や熱意、スタァライトに対する想いを見てそうしようかって詩音ちゃんと話したんだ」

 

 

 舞台は演者だけでは成立しない。板の上に立つためには衣装、小道具、照明に音響、そして何より台本が無ければ始まらない。2人がいる舞台創造科はまさに俳優育成科の面々を最大限輝かせる舞台装置であった。

 

 

「え、え、じゃあ2人があのスタァライトを……!?」

 

 

 その話を聞いて有栖川は興奮を抑えきれず小刻みにぴょんぴょん跳ねていた。

 

 

「うんそうだよ~皆から意見貰ったりしてるけど私達……主に詩音ちゃんが。ね?」

 

「うぅっっ~……そうです……前回を超えるアイディアが……変えようとしても陳腐になるし前とさほど変わらなかったりして……」

 

 

 強気な見た目とは裏腹に年相応の大人しそうな、可愛らしい悩みを抱えた純粋な少女の姿に思わず有栖川は胸がくすぐられるような感覚がした。

 

 

「だからこうやって調べ物して何か良いアイディアがないかな~って」

 

「そ、そしたら霧子が急にあんな風に迫ってくるから……っ!」

 

「えぇ~? だってほら役者さんの気持ちに立てば何か掴めるかもしれないじゃん? それに楽しそうだったし」

 

 

 (一見大人しそうな雰囲気の眞井さんの方がその雰囲気を活かして雨宮さんを丸め込んでいる……しかも雨宮さんって絶対人の事苗字で呼びそうな感じなのに、眞井さんを名前で呼んでいる……全く可愛いわねこの2人)

 

 有栖川は2人の手を取ると満面の笑顔でブンブン振って別れを告げた。

 

 

「今年も楽しみにしてます!! 私と一緒にスタァライト!! しましょ!!」

 

 

「え、えぇ……」

「よろしくね~」

 

 

 その背を見送った2人はゆっくりと目を見合せた。

 図書室にまた正しい時間が流れ始める。

 

 

「もうちょっと、頑張ろっか」

「うん……付き合ってくれてありがとう……」

 

 

 眞井は雨宮の両手を優しく包むと自分の胸へと当てた。トクン、トクンと小さいけれど1回1回確かに刻んでいる鼓動を感じた。

 

 

「えっ!?……な、なにっ……」

「ううん~詩音ちゃんは1人じゃないよって伝えたくて」

 

 

 その一言に顔を真っ赤にする雨宮。言葉自体の嬉しさと誰かに寄り添ってもらえる温かさにむず痒さを覚えた。

 

 

「あ、ありがとう……」

「良いんだよ、こちらこそいつもありがとうね」

 

 

 眞井は弱気になっている雨宮へ優しく微笑みかけた。

 気丈に振舞っているのは周りからそう思われているから、そういう自分を見せなきゃいけないと勝手に作り上げている……その側面があるとも言える。彼女だって人間なのだ。自分が信じた道を貫きたくとも周りの目はどうしても気になる。ましてや1年間の集大成という大事な演目の脚本を任されているのだ、役者も勿論一昨年よりも、去年よりも更に今年を期待されている。その期待がいつからか『挑戦』から『重圧』に変わっていた。いや、変わっていたと勘違いしたのはいつからだろうか。挑戦は常に続いていく、重圧もあるかもしれないが基本は目の前の壁を一つ一つ乗り越えていく作業だ。だが雨宮は目の前の大きすぎる壁の前に悩み時には目を閉ざし蹲っていた。超えたくても越えられない、越え方がわからない。1番苦しい時だろう。だが彼女の隣には必ず傍に眞井霧子という絶対的な味方が存在する。

 彼女自身もまた壁にぶつかり悩んでいる。だがその壁は1人だけでなく雨宮と2人……ひいては舞台創造科、俳優育成科全員で乗り越えるものだと分かっている。今はただ雨宮の傍で、雨宮が道に迷わないように……時には一緒に迷い、傷つき、でも孤独にはさせずに1歩ずつ、小さな、ほんの少しの1歩を踏み出すために一緒にいる。

 今はまだ、越えられない壁も、いつか────

 

 

 

 

 

 

 

 陽気にスキップしながら部屋を後にした有栖川の背を見送る人物がいた。図書室へ向かっていた所、すれ違う形となった。

 左右に特徴的に結われた髪の毛を跳ねさせながら、ばななは思案していた。有栖川は本を読むのが好きだと言っていたから何か好奇心を満たす新しい本にでも出会ったのだろうかと。

 扉に手をかけ開けようとしたがその手をピタリと止めた。

 扉の窓から、雨宮と眞井の姿が見えたのだ。役者としてだけでなく、裏方も経験したいということで舞台創造科とは繋がりのあるばななは普段であれば喜色満面で駆け寄ったのだが、今はそれを躊躇われた。2人の雰囲気がいつもと違ったからだ。

 思わずばななは携帯を取り出し2人の顔がしっかり入るようにズームをしてシャッターを押した。

 



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10場 華恋の提案

 

「僕と共に、行こう! まひる!」

 

「えっ!? か、かかか華恋……ちゃんっ……!?」

 

 

 くるりとターンをしてまひるの腰をグッと引き寄せると、強い目力で顔を覗く華恋。その余りの迫力と今自分がされている事を認識してまひるは顔を茹で上がらせる。そして糸が切れたようにそのまま華恋の腕に抱かれた。

 

 

「あぁあ~あぁ~あ……」

 

 

 少しバランスを崩したもののグッとこらえて優しく下ろして寝かせてあげた。

 

 

「ま、まひる……まひる……僕だけのまひる……」

 

 

 遠い目で多少の捏造をしながら幸せそうに呟いているまひるを、華恋は不思議そうにしながら正座し見守った。

 

 放課後レッスン室で2人はジャージに着替えてダンスレッスンをしていた。華恋は髪の毛を後ろに括りいつもよりどこか少年らしい印象を受けた。まひるからすればその姿だけで目が幸せだったが、先程のように迫られて昇天もやむなしと言った具合だ。

 でも何やらずっと華恋から視線を感じる、と問い質すとこう答えた。

 

 

「北海道物産展!!!!!! に行きたいです!!!!!」

 

「北海道物産展……?」

 

 

 寝転がりながらきょとんとするまひる。真剣に見つめる華恋。うん! と鼻を鳴らして首肯している。

 

 

「隣町の百貨店で北海道物産展が開催されるんだって!! 北海道の美味しいものがいっぱい並ぶし~何より北海道と言えばまひるちゃんだし!!」

 

 

 大きい目をぱちくりぱちくり。その眩しさに灰になりながらでも確かに触覚という生命線はビンビンしていた。

 

 

「任せて華恋ちゃん!! お魚は勿論、お野菜もお肉も全部美味しいから!! 私が!!!! 案内!!!! する!!!! よ!!!!」

 

 

 華恋の手を取りうっとりと顔を蕩けさせるまひる。だがその目は興奮でギラギラと漲っていた。流石まひるちゃん頼りになる! と華恋が抱き着いたその時。

 

 

「話は聞かせてもらったわーーーーーー!!!!」

 

 

 ダァーンと勢い良く扉が開けられる。2人は突然の事に驚き視線を向けると、仁王立ちする有栖川がそこにいた。イタズラをする子供のようなうきうきとした顔であった。

 

 

「い、いちじくちゃん!?」

 

「ふふん、まひるには悪いけど楽しそうな話ある所私有り、よ」

 

 

 無駄に綺麗なモデルウォークで2人へ近づきポーズを決める。

 久々に楽しい華恋とのお出掛けが、と落胆の色を見せながら崩れ去ったまひる。

 

 

「えーー! いちじくちゃんも行こうよー! 折角だから皆一緒の方が楽しいもん!」

 

 

 灰になったまひるを掻き集めながら無邪気な笑顔を有栖川へ向ける華恋。有栖川としては2人が……主にまひるが華恋に抱く感情をただすぐ側で見て楽しみたいという邪な思いに支配されていたのでここで他の面子もとなるとまひるは周りに合わせて遠慮するかもしれない、それは自分にとっても当然まひるにとっても上手い話ではない、と考えた。だが3人はそれはそれで監視されている感じを受けなくもない……まひるは賢い子だから見抜いてもおかしくはない……となるとあともう1人……もう1組いるくらいが丁度良いか……そこまでこの間1秒で考えニカッと笑った。

 

 

「待って華恋。私達9人もいるでしょ? 流石に物産展に行くには大所帯過ぎると思うわ。ここはそうねぇ……料理上手だしばななちゃんと、後はやっぱ純那にも来てもらわなきゃ。うん、そうよね」

 

 

 完璧な作戦だわと言わんばかりに満足気に一人頷いている。

 スライム状に形を成したまひるは、あの二人ならそこまで場をかき乱されることはないかと胸を撫で下ろした。

 

 

「ばなな! うんうん! 美味しいご飯いっぱい作ってもらわなきゃ!」

 

 

 想像しただけでヨダレが止まらないようでじゅるりと音が響いた。

 

 

「よし! そうと決まったら早速相談よ! さ、2人とも早く着替えて!」

 

 

 レッツゴー! と拳を掲げながら部屋を後にした有栖川。その背を見送りながら華恋はまひるを立ち上がらせて追いかけた。

 

 

 

 

 星光館に戻った3人は部屋着に着替えるより先に料理中のばななの元へ早速駆け寄った。

 今日は回鍋肉らしく中華鍋を取り出し今まさに火にかけようとしていたところだった。

 

 

「北海道物産展……?」

 

 

 ぴょこんと髪の毛を跳ねさせながらまひると同じ反応をした。

 

 

「そう! 北海道物産展! やっぱ普段買えないような美味しい食材いっぱいでしょ? ばなながいれば食卓も賑やか~になるかなって……」

 

 

 チラッチラッとあざとく様子を伺いながら目をぱちくりさせる華恋。その隣で同じように赤い瞳を瞬かす有栖川。なんだか似てるなと思いながらばななは笑顔を浮かべた。

 

 

「うん♪ 楽しそう! 料理のしがいがあるね!」

 

「さっすが! ばなナイス♪」

 

「ふふ、ばなナイス♪」

 

 

 華恋はばななの結われた髪を下から掬うようにもふもふし始めた。ばななも撫でられている犬かのように嬉しそうな顔をしていた。

 

 

「じゃあ今度のお休みに行きましょう! ねえばななちゃん、後で純那にも声掛けといてくれる?」

 

 

 ぴくっとばななは動きを止めて俯いてしまった。何か変な事でも言ったのだろうかと恐る恐る顔を覗き込もうとしたその時、ばななはゆっくりと顔を上げて薄く微笑んだ。

 

 

「うん、でもあまり期待しないで、最近純那ちゃん忙しいみたいで」

 

「忙しい……?」

 

「ほら、お勉強しなきゃだから」

 

「あぁ~……」

 

 

 大学受験。その言葉が皆の頭に過ぎった。

 

 

「そっか……じゅんじゅん大変だ……」

 

「……ま、でも一応本人に聞きましょ! ほら、気分転換とか必要だし!」

 

 

 何処と無く暗くなってしまった空気を察してか有栖川はばななの肩を優しく叩いた。そうだよねと微笑みを返すと、聞いておいてくれる? と残しコンロの火を点けた。

 

 3人は純那の部屋を向かおうとしたがその途中でふと有栖川が立ち止まった。

 

 

「いちじくちゃん? どうしたの?」

 

 

「うーん、冷静に全員で行くのはプレッシャーかなって」

 

 

 

 あぁ確かにと2人は首肯する。有栖川はよし! と大きく手を叩くとここは私に任せてとキメ顔を作る。

 

 

「お言葉に甘えようかな。明日に備えて今日はゆっくりしよ華恋ちゃん?」

 

「うんそうだね! シャワー♪シャワー♪ 回鍋肉も楽しみだね~またねいちじくちゃん~!!」

 

 

 ブンブンと激しく手を振る華恋とは対照的に控え目に手を振っているまひる。2人へ同じく手を振り返し見送ると、有栖川はばななと純那の部屋の前へ来た。

 短く扉をノックする。返事を待つ間手持ち無沙汰にしていた有栖川は踵へ重心を置きつま先をパタパタと地面へ何度も下ろしていた。寝ているのか余程集中しているのか、そのどちらでもこれ以上踏み込むのは違うかと有栖川は待つのをやめた。

 

 

「ま、ばななちゃんが誘ってくれるでしょう」

 

 

 踵を返し一旦部屋に戻る事にした。

 

 その夜、純那はご飯にも現れず部屋に籠りきりであった。



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