[終了]葉隠透オリ主短編集 (高鹿)
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▽男性・同級生/中学時代/青春恋愛
見えない君に、恋をした


雨の続く日が切れ始めた朝。教室へ入った時、妙な違和感があった。首の後ろがざわざわするけれど取り立てて目に見えて妙なことはない。みんな髪の毛の長さは昨日と大して変わっちゃいない。であるならば、理由は一人だろう。

 

「葉隠、おまえ髪切った?」

 

"透明"という個性を持っているらしい、服が浮いているようにしか見えない同級生に近付いてそう声をかけた。一年の頃は大分いろいろと言われてたみたいだけど、二年になった今じゃもう全員慣れきったもんだ。

 

「は? 髪前何言ってんの?」

「葉隠ちゃん見えないんだからテキトー言わないでよ」

「いや、お前らに訊いてねーし」

 

葉隠と話していた女子二人に責められるがそんなことはどうだっていい。俺にとって重要なのはこの教室から『髪の毛の絶対量が昨日より確実に減っている』ということだけだ。

 

「えっと、ごめん二人とも。実は昨日自分で切ったんだ」

「まじ? 髪前当たってんの!?」

「マジヤバイ!」

 

葉隠のシャツの袖が少し上に向いたから、前髪でも触ったんだろう。気に入っているのかいないのかさすがにその仕草じゃ分からない。

 

「おぉ、やっぱか! 夏だもんな。たぶん似合ってるぜ! って見えてねーからムセキニンかもだけど」

 

それにしても美容師に頼むのは難しいだろうけど、年頃の女の子が自分出来るってかなりデキる奴だな。わりと自分のことは自分でやるタイプなんだろうか。いやそうでもないと生きていけなかったのかもしれんけど。

 

「ありがとう! でも見えてないのにわかったんだ?」

 

ことりと襟の部分が傾げられ、何だかちょっと可愛い。

 

「んん、勘みたいなもんだよ。俺の個性、髪の毛操るってやつだから髪に関しては人一倍敏感なんだ。空間内の髪量が昨日と変わってんのに誰も切ったように見えないからさ、たぶん葉隠だろうなって」

「へぇー。そういうのもわかるんだ!」

 

すごいね!、と言ってくれる葉隠はきっと笑ってるんだろうと思う。明るい声でそんなこと言われたら、ちょっと調子に乗りそうになっちまうぞ。

 

「あ、そうそう。夏なら切るのもいいけど簪もオススメしとくぜ。葉隠なら透明風鈴タイプのやつとか似合いそう。色はやっぱ青とか水色かな」

 

普段持ってる小物とかをみると、寒色系が好きなんだろう。明るい元気な女子に水色は結構似合うし、夏みたいな葉隠には抜ける青はぴったりだろう。

 

「似合いそうなんて初めて言われた」

「お?まじ? 髪飾りに関してはアテにしてくれよー。あとロングにするのもショートにするのもお手のものってな」

 

そんな風に笑ってるとHRの鐘の音が鳴り、慌てて「じゃあな」って自分の席に戻ると葉隠は手を振ってくれていた。

 

 

 

 

彼女のことを目で追うようになったのはそれからだ。

 

 

 

 

葉隠は個性こそ変わってるけど、良い奴だと思う。可愛い声だし、明るいし、体育祭とか文化祭ですげー楽しそうにやるからみんなも引っ張られる、そういう奴。

見えないのに表情が見えそうなぐらい笑って、大きい仕草で全身から感情を表現していって、周りに友達が絶えない。……ちょっと、いや、だいぶ下世話だけど、わりと胸が大きい。体育のホットパンツが割ときわどい。

 

だけど一年と二年で同じクラスだった俺がやっとこさっと葉隠の髪の毛に気が付いたってことは、もしかしたらかなり髪の毛がロングだったのかもと思い至る。しまったな。切る前に触らせてもらえばよかった。……いや、セクハラか。セクハラになるな。たぶん。

 

今の席の関係上、右斜め前の方に葉隠が見える。カリカリとノートを几帳面に取って行くペンは、割とシックにグレーだった。

 

 

 

 

 

 

 

日々が過ぎてクーラーもない教室では誰もかれもが熱い茹だると言って、髪の毛の空間絶対量もわかりやすく減りつつある。そんな中で、夏休み前最後の席替えをして、青い空が見える窓側の席の葉隠が、暑いねと机に腰を預けて喋りながらタオルで顔を拭いているのがみえた。

 

入道雲みたいな硬い雲と青い空が見える窓のフレームを背負って蝉の声がじーわじーわと響くいつもの世界で、紺のリボンと白い半袖のシャツだけが浮いたその光景。

 

何だか、それが、すっげぇ────。

 

 

 

 

あの後、ぼんやりとした熱に浮かされたまま、いつの間にか授業も掃除も終わって俺は家に帰っていた。ノートをちゃんと取れていたんだろうか。わからない。確認する気も起きない。

 

 

 

 

青い空を背景に友達と笑う白いシャツ。たったそれだけ。去年だって見ていただろう光景。それなのに今年はやけに際立った。綺麗な一枚の絵みたいだったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

俺がぼんやりしていても日々は過ぎていくわけで、とうとう期末一週間前になった。成績上位の葉隠は友達に教えるためにかいつも遅くまで教室に残って勉強を見てやったりしていて、面倒見がいいなと思った。俺も出来るだけ頑張らねば。

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、お疲れ―」

「期末終わったぁぁぁ!」

「やったー夏休みー!」

 

担任の声とクラスメイトの声がざわざわと混じる中、とりあえず成績上位は確保できただろうとほっと胸を撫でおろしていた。机の上の筆記用具を仕舞って鞄の中を整理する。今回は英語が最終日に縺れこんでブーイングの嵐だったけれど、次の中間はどうなるか。出来れば初日に終わって欲しいもんだ。

 

担任の適当なHRも終わり、あとは数日の登校日で晴れて夏休みになる。夏休み前にテストは返却されるわけだが、数日で返却用に採点をする教師陣の苦労を考えると、正直有り難さしかない。

 

さて帰るか、と席を立ちあがったところで、目の前にシャツが浮いていた。黒いリボンをふわふわと弄っているのが何となく可愛い。

 

「どした、葉隠」

「ちょっと、お願い事があって」

 

恥ずかしそうに小さく笑う声。なんだろう。

 

「俺に出来る事ならいいけど」

「あの、今度、夏祭り行くから簪選んで貰いたいんだ。ついでに髪も伸ばしたいんだけど」

 

簪。梅雨が明けて夏に入り始めのころにそんな会話をしたような気がする。うん、確かにした。

 

あ、これ、買い物のお誘いか。

 

じわじわとそのことが頭に届いて何だかどきどきしてきた。いやどう考えても単なる用事であってデートではないだろうけど!それでも嬉しいもんは嬉しい!

 

「やっとその気になってくれたんだな」

 

それにしても浴衣に合わせた簪選びは楽しいもんだと思う。女子の髪の毛でゆらゆらと揺れているああいった小物は綺麗だし、それをつけて女子が笑っているのはいい。すこぶるいい。だいすきだ。それを好きな女子がつけてくれるってんなら俺は協力を惜しまない!

 

「そんじゃ連絡先交換しようぜ」

「うん」

 

端末出してQRコードでお互いのプロフィールを交換する。ハガクレ・トオル、と。よし、登録完了。連絡先ゲット。

 

「いつ行く? 期末終わったしある程度は暇だけど」

「髪前くんって、家どっち方面だっけ」

「俺? 糸巻町のほう。微妙にこの学校の学区なんだよな」

「私とは反対だね」

「じゃあ今日行っちまうか?」

「そっちの方がいいかなー」

「昼にもなってないしそうしようぜ」

「ん、じゃあお願い!」

「オッケー、任せとけって」

 

早速行くか、ってスクールバッグを手に声かけて俺たちは教室を後にした。

 

 

 

 

「浴衣はもう決めてるのか?」

「うん。お母さんと一緒に買いに行ったんだ」

 

駅の方の賑わってる方へ歩きながら訊いてみたら、そんな答えが返ってきた。決まってるなら浴衣に合わせる方向だろうけどどんな色柄か教えてもらわんと、って考えていたらスマフォを渡された。んん?

 

「これこれ」

 

と、画面をコツコツ叩かれ見てみると鏡を前にしただろう浴衣が宙に浮いてる写真が見える。可愛い。黒地に金色と赤の金魚が流線的に泳いでいるおとなしめの柄は、いつも元気な葉隠のイメージとは少し違ったけどそれでもなんでだか似合ってると思った。可愛い。すげぇいい。

 

「ん、こういう感じか」

 

だけど素直に可愛いって口に出せれば多くの男子中学生は苦労してないだろうと思うしご多分に漏れず俺も言えない。恥ずかしい。でも葉隠が可愛くて最高に神様有難う。

 

「それならシャラシャラつけるよりは一本差しでビシッと決めた方が引き締まるかな。前言ってた風鈴よりは珊瑚のやつとかさ」

 

いろいろついた花のやつもすげぇ可愛いとは思うし、浴衣が辛めだから逆にアリかもしれないけど、まぁ初めてならオーソドックスに行くのが良い気がする。あとシンプルなもんなら普段使いも出来るわけだし。

 

「珊瑚? 高くない?」

「ピンからキリまでだよ。あとまぁイメージだし」

 

あ、そういや予算聞いてなかった。

 

「簪の予算、どれくらいか訊いてもいいか?」

「2~3000円ぐらいなんだけど、大丈夫?」

「じゅーぶんじゅーぶん」

 

もう七月中旬入ってる今なら丁度セールも始まってるぐらいだから、案外安く手に入る気もするし。

 

「似合うの見つけようぜ」

「うん!」

 

勢いよく頷く葉隠がやっぱり可愛くって仕方なかった。

 

 

 

 

「やー、男一人だと入り辛いんだよなこういうところ」

「でも慣れてるね?」

「まぁ入り辛いだけだからな」

「……他の女の子と一緒に来たりとか?」

「は? いや、こねーって。姉ちゃんに連れられたりはするけどよ」

「そっかー」

 

 

 

 

そうして視線の端をそれが横切った。

紅い透き通った玉と、涙滴状カットのパーツが付いたモノ。控えめだけど可愛らしさは決して忘れてない。

 

「葉隠」

 

簪専門店の中を物珍しそうに眺めていた相手を呼びとめて、簪をかざして一緒に風景の中に収める。さっき見た浴衣を思い出して重ねていく。

 

「……見え、ないんだよね」

「おう」

 

葉隠は首を傾げたのか、すこしスクールバックが肩からずり落ちた。

 

「でも、何となく雰囲気とか、見えるもんあるだろ」

 

うん、きっとこれが似合うと思う。値段はセールで1300円。

しゃらりと葉隠の手を促して乗せると、わぁ、と嬉しそうな声。

 

「かわいい」

「それぐらいの飾りなら、学校に付けてきても大丈夫だと思うしさ」

「え、そこまで考えてくれてたの。ありがとう!」

 

ぱぁっ、と笑った顔が、見えたような気がした。

 

「これ買って来るね!」

 

パタパタとレジに向かう葉隠を見送って、簪台に視線を落とす。

 

────駄目だ、葉隠可愛すぎる。

 

 

 

 

とりあえず昼ちょい過ぎたしそろそろ帰るか、って話になり、ヘアメイクとか髪伸ばすとかの日程は後日話そうってことになり解散した。

 

簪が入った袋を丁寧に鞄に入れる葉隠は可愛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏祭り当日。連日付けて簪の感覚を掴むのもいいけど、人ごみだからってことでヘアメイクをさせてもらうことになった。というかぶっちゃけ女子の髪の毛って触るの初めてなんだけど大丈夫か。姉ちゃんはノーカン。

 

「いらっしゃい!」

 

出迎えてくれた葉隠はもう既に着付けたみたいでめちゃくちゃ可愛くて可愛くて仕方がなかった。やばい。どうしよう。心臓痛い。手汗かく。

 

そんな風にぐるぐるしながら家に入ったら、クーラーがわりとガンガンに効いてて安心した。

 

手を洗ったり何だりして、リビングの椅子に腰かけた葉隠の後ろに立って、よし、と頷いて両手を上げた。

 

「そんじゃ髪にさわるけど、葉隠ちょっと俺の手を案内してくれよ。下手なところ触ったら悪いし」

 

襟もとでわかるっちゃわかるけど、一応、念のため。

 

差し出した両手に触れた透明な手はそれでもちゃんと体温があって、あぁここにいてくれてるんだな、なんて当たり前のことをぼんやり考えてしまった。

 

「頭はここ」

 

ふわり、指先が葉隠の髪の毛にふれる。さらさら、つやつや。思ってたよりわりと短い。

 

「……」

「な、何か変?」

 

あ、やばい。無言だった。

 

「いや、綺麗な髪の毛だなって思ってよ。さらさらだしよく手入れもされてる栄養だってたっぷりだ。これならロングにするのも手間かかんねーよ。おっと、あんまり無駄に触るとセクハラか! すまん!」

「ううん、いいよ」

「じゃ、髪の毛伸ばすぞ。前髪はある方がいいか?」

 

そんな風に要望を訊きながら、つむじ側の髪を片手で挟んで、もう片手は毛先を挟んで丁寧に伸ばしていく。見えないから難しいけど、見えないからこそ指先の感覚が冴えていく気さえした。

 

 

 

 

整え終えて、葉隠の髪はうなじ辺りだったのが、肩甲骨の少し上辺りまでの長さになった。よしよし。

 

「すごい、手で梳いてもさらっさら!」

「それは俺の個性じゃなくて葉隠が自分の髪の毛大事にしてるからだよ」

「そっかな。ありがとう!」

 

にこにことありがとうをよく言う葉隠。そういうところが本当に好きだなって、思う。でも好きって私情を乗せるのはよくない。だって葉隠は可愛くなりたいだけなんだから、俺の感情は二の次だ。

 

「じゃあ髪まとめるな」

 

さらりと髪束を纏めていって、ねじる。痛くないかと問えば、大丈夫、と。他人の簪で何が難しいってここの力の調整だ。力を入れなけりゃすぐ崩れるけど、入れすぎても肩が凝ったり頭痛がしたりと面倒なことになる。

 

「簪くれ」

 

渡された簪はやっぱり浴衣を目の前にしても、うん、いい。差してぐるりと回転させて突き刺す。長さを出したからさらりと落ちてるけど、大人っぽさが出てる筈だ。……たぶん。

 

「崩れないように黒ピンでも止めちまうな」

 

ポケットに入れてたケースから、指で数本はさんでちくちくと差していく。簪初心者だから、なるたけ負担はない方がいいし気兼ねなく遊んで欲しい。

 

透明な頭部は確かに難しいけど、触れてしまえば普通の女の子だ。ずっとどっかは触ってないと形が把握し辛いのは、まぁ、申し訳ないとしか言いようがなかったけど。俺にサーモグラフィー的な視界があれば違ったのかもしれない。

 

「うっし、出来た」

 

宙に浮く簪は、それでも葉隠の髪を纏めている。

 

「わ、ありがとう!」

「ちょっとやそっとじゃ外れないと思うし、祭りに行って帰ってくるぐらいなら大丈夫だと思うぜ」

 

わー、と感激した声で簪とかを触ってるだろう葉隠が無性に幼く見えて、しっかりしてるようでこういうところがあるんだよな、って笑いがこぼれた。

 

「それにしても、髪前くんすごい技術持ってるね」

 

すごいなぁ、と落とされた言葉は本当に嬉しい。

 

「ありがとな。……実はさ、いつかヘアメイク専門でやりたいって思ってるから、ほんと嬉しいわ」

 

きっと葉隠なら笑わないって思って、口に出してみた。

 

「美容院とかで髪の毛切られ過ぎたとか、そういう失敗談ちょいちょい聞くんだよ。俺の個性ならそういう人達の受け皿になれるかなって思うし、そうじゃなくたってその時だけ長くしたいってきっとあるだろ」

 

なんてな、ってちょっと恥ずかしくなって笑ったら、俺に背を向けてたはずの葉隠は、こっちを見ていた。

 

「────」

 

あ、いま、視線あった。

 

透明なのにそんな気がして、思わず胸元、心臓部分の服を掴んで、荒れそうになる息を抑え込む。

 

「髪前くんは、ほんと凄いと思うよ。自信持って!」

 

立ち上がった葉隠は夏休みで伸びた俺よりちょっと小さくて、それでも心意気がでっかくって、お前の方が凄いよって言えたらどれだけ良かっただろう。臆病者め。

 

 

 

 

お礼は今度するね、と意気込む葉隠を宥めながら一緒に家を出ると、夏とはいえすこし日が傾いてきている様子が見えた。可愛らしい籠バックを持った葉隠がかちりと鍵をかける。

 

「祭り、誰と行くんだ?」

「いつもの友達とだよ」

 

その言葉にほっとする。クラスの男子とかだったら、さすがに妬いてたわ。

 

「楽しんでこいよ」

「ありがとう」

 

一軒家特有の門を抜けて、じゃあな、って言おうかどうかというところで、ねぇ、と葉隠の声。

 

「ん?」

「糸巻町の夏祭りの日、21日だよね。髪前くん空いてる?」

「21か……おう、空いてる。そっちも行くのか? 良かったら手伝うよ」

 

端末操作してスケジュール見ても、夏期講習とかは入ってない完全なフリーの日だった。

 

「ありがとう。それで、出来れば、一緒に行きたいなって」

 

……。うん?

 

「……俺と一緒に?」

「うん。一緒に」

「みんなで?」

「ふたりで」

 

一緒に、ふたりで。

 

「えっ、あ、」

 

ぶわっと体温が顔に駆け抜けていった様な気がして、思わず口許を片手で押さえる。え、なにこれ、夢?夢なのか?

 

「あっ、嫌だった!? 大丈夫、断っていいから!」

「ち、違っ。違くて、スッゲー嬉しいの! 葉隠から誘ってもらえるなんて思ってなくて!」

 

慌てて否定すると、籠バックを握りしめて、緊張してるのが丸わかりだった葉隠から肩の力が抜けたのが見える。

 

「じゃあ」

「ん、8月21日な。よろしく。詳しいことはこっちでだいじょぶか?」

 

手に持ってた端末を振ると、うん!、と元気な声。

 

「ありがとう!」

「こっちの台詞だよ。っと、そろそろ待ち合わせ時間だろ。……ちょー可愛い葉隠の浴衣姿見せつけてこいよ」

「! もー!」

 

きっと真っ赤になってるだろう葉隠にぽかっと一発軽く殴られて、じゃあな、って今度こそ言って俺は駅の方に足を向ける。角を曲がって葉隠から完全に見えなくなったところで、俺は走り始めた。走らないでいられるか!

 

「あー、もう葉隠ほんと可愛い死ぬ!」

 

思わず叫んだ声が、誰にも聞こえてませんように、ってのは都合が良すぎるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「姉ちゃん」

「んー、どした?」

「じょ、女子から祭りに誘われたんだけどどうしたらいいのかわかんねぇから教えてください」

「……おぉ、お前が……。とりあえずいつも通りでいいんじゃないの?」

「それが出来たら苦労しねーわ!」

「あはっ、それもそーだわ」

「ったく、人が恥を忍んで訊いてるっつーのに……」

「じゃあとっておきを教えてあげよう」

「え、まじ?」

 

 

 

 

 

 

 

そうして、当日。

 

ヘアメイクしに行こうかと訊ねたら、自分で頑張ってみる!、と返ってきてちょっとしょんぼりしたのは誰にも内緒だ。

 

屋台が集まる神社の前、そわそわしすぎて早く来すぎたかもしれねぇと落ち着かないのを落ち着かせようと端末をポケットから出したり入れたり出したり入れたり、

 

「髪前?」

「! ……!!!!」

 

ひょい、と覗かれて驚いたせいで思いっきり一歩退いて縁石に踵ぶつけてクソいてぇ。

 

「うっわ、大丈夫!?」

 

蹲った俺の背中を葉隠がさすってくれて何か嬉しいやら情けないやらこいつはやべぇ。精神的余裕がまるでないぞ……。

 

見上げた葉隠は前に見た浴衣に、あの時選んだ簪をしゃらりと綺麗に付けてくれていて、それだけでもう胸の辺りがまた一杯になって痛い。

 

「大丈夫、ちょっとぶつけただけだ」

 

笑いながら立ち上がって、行こうぜ、と境内の方を指差せば葉隠も、うん!、と元気よく頷いてくれたので一緒に歩きはじめた。

 

……さっき呼び捨てにされてたの気のせいじゃないよな。

 

 

 

 

「うわー、いろんな屋台あるね!」

「腹減るにおいがすげーする」

「そうだねー」

 

たこ焼きじゃがバタお好み焼き焼きそばチョコバナナにイチゴ飴でド定番のかき氷。甘いもんはまぁ後にするにしてもたこ焼きがお好み焼きか……。

 

「たこ焼き食べたいって顔してる」

「え、マジかよ!」

 

顔に出てたか。

 

「ごめん本当にそうだとは思わなかった私が食べたいだけだった」

 

てへ、と首を傾げる葉隠に、まったくよー、と笑って少し頭を叩いてみる。簪があるから今日は頭部がわかりやすい。よしそれならと手近なところにあった屋台に足を進める。

 

「おじさん、たこ焼き1パック!」

「あいよ、400円な」

「爪楊枝二本ね」

 

ちゃりんと払って、手招きした葉隠と一緒にベンチに座る。

 

「食べようぜ」

「えっ、いいの?」

「いーの。ほら、爪楊枝」

 

一本渡して、とりあえず最初の一口。……あっつ!いただきます、と言ってたこ焼きを食べ始める葉隠を止める間もなく、たこ焼きは透明空間に、消えて。

 

「あっつ!」

「あっ、あっついよなこれ!」

「あふっ、あつ……っ」

 

あふあふしてる葉隠最高に可愛い。ちらつく袂から伸びる手は、口を押えてるんだろう。暫く口の中の火傷と戦いながら食べきって、ふぅと一息ついたのが重なった。

 

「出来たてだったんだね」

「びっくりしたわ。もうちょい冷めてるかと」

 

そうして二人でたこ焼きを熱い熱い言いながら食べてると、参道の方を見るとじわじわと人が増えだしたように見えて、端末を確認するともうちょいで花火の時間だ。丁度食べ終わったし、いい時間だ。

 

「もうちょっとで花火みたいだな」

「ほんとだ」

「……姉ちゃんに穴場スポット教えてもらったんだけどさ、どうする?」

「え、行く行く!」

 

嬉しそうに声を弾ませる葉隠は、俺の手からパックのごみを取ってさらっとゴミ箱に捨てにいく。

 

「さ、行こっ」

 

靡いた袂が彼女の元気さを表していて、敵わないなー、何てことを考えながら、そんな急ぐなってと宥めながらまた歩きはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

歩いていると人ごみの中で小さな葉隠が、どん、とぶつかられたり何だりでハラハラするもんだから、わるい、と前置きしてから手を握ろうとして……すかった。袂があるからある程度分かるはずなのにすかるって恥ずかしいな!ちくしょう!

 

だけど、ふふっ、と笑った声が聴こえたと思ったら、するりと別の人間の体温が手に絡んで来て少し強張った。その緊張が葉隠にも伝わったのか、すこし強めに握られて、それに返事をするように俺も握り返した。……手、ちっせぇな。

 

思っていた以上に、ちいさくて、華奢で、でも背筋がピンとしてて存在が大きくてあんまりか弱そうには見えない。

それが、俺の好きな女の子。

 

心臓がすげぇ痛くて、俺も浴衣着てくれば良かったかななんて場違いなことに脳のリソース使って冷静さを促したかったけれどこんな状態で冷静でいられる要素がまるでなかった。くそ、手が熱い。手汗かく。葉隠嫌じゃないかな。そんなことが気になって気になって仕方がない。でも自分からは放せなかった。

 

石階段を昇って、ちょっとした林を抜けて、姉ちゃんに教えてもらった人が来ないけど絶景のスポットを目指して歩いて行くと、不意に喧騒が遠くなる。じわじわといった蝉の鳴き声も何でだか遠い。

 

林を抜けて街並みを見下ろせる開けた場所に出た。ここからなら空が目いっぱいに広がってて、花火が一望出来るらしい。

 

「……なぁ、葉隠」

「どうしたの?」

 

林を抜ける間、手が持った熱を逃がすことも出来ずにずっと喋れなかったけど、足を止めたら何とか余裕が出てきた。喉がからからする。やべぇ。

 

「俺、葉隠のこと」

 

パァン、と花火の音がする。光が襟の中に入り込んで、すこし中が見えた。それがなんかどうしようもなくエロくって泣きたくなった。つーかこれもしかしてもしかしなくても花火に掻き消されたか。泣きそう。

 

だけど葉隠は未だつないだままだった手を引っ張ってきて、私も、と耳元で囁いてくれた。思わぬ声の近さにぞくっとして、駄目だキャパシティオーバーになる。やばい。さっきからやばいしか言えてねぇ。

 

「聴こえて、」

「聴こえたよ」

「あ、ありがと、な」

「それ私の台詞だって」

 

 

 

 

そう笑った彼女が、本当に綺麗だったんだ。

 

 

 

 

葉隠透は、俺に応えてくれた人です。

 



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▽女性・盲目幼馴染/高校時代/友情、のような何か
石に花は象りを


「やっほー!」

 

その言葉とともにカチリと音が鳴る。たぶん、いつも通り透が灯りをつけたのだろう。とさりと目の前で音がして、両手を中空へ差し出せばそっとその手をやさしく取られる。

 

「おかえり」

「うん、ただいま」

 

自分の頬へ私の両の手を持って行き、じゃれつくようにすり寄って来る。ふにふにとしたほっぺたが気持ちいい。

 

そうして頬から始まり、上へ動かし耳骨、こめかみ、髪の毛の生え際、さらさらの髪の毛に手を通して、頬へ戻り、いつものように断りを入れてから、唇に。すこし乾燥しているみたいだから、あとでリップクリームを勧めよう。そこから鼻の隆起、目元の僅かな窪み、閉じた瞼の暖かさ、眉の凛々しさに、そっと息をつく。

 

「うん、今日も元気みたいだね」

「元気だよー」

 

そんな言葉を一言二言交わして、また、両手で頬を包むように輪郭を今度は下へたどる。首の血管を指先で感じながら、学生服のシャツの襟に肌への接触を阻まれ、そのまま肩を撫で、上腕に至ったところで。

 

「夏服?」

「今日から衣替えだったんだ。絶対じゃないけどね」

 

透の注釈は、なるほど、あの雄英らしいと納得するしかない。 生徒の思想を尊重し、その在り方を肯定する、それが己が背負う看板に何を齎すのか。それを考えさせる。だから、衣替えというのもある種の区切りでしかなく、肌を晒すことを苦手とする人はそのまま長袖を着ているのだろう。そういうところに透が入って、本当に良かったと思う。

 

シャツと肌のあわいに到着したところで、そのまま私は手を彼女から離した。

 

「いつも来てくれてありがとう、透」

「私が来たいから来てるんだよ」

「……うん、そうだった」

 

くすくすと二人で笑う。

 

「それで、今日は何を作ってたの?」

「今日は、とある人の彫像。頭から爪先までの大きなやつ」

 

ここは、私の造形工房。仕事場。盲目の自分が何を出来るのか考えた時、ここに行き着いた。────というのは表向きで、私にとっては、彼女と自分の秘密基地だ。

 

石で出来た地下アトリエ。空調を入れなければ夏は暑く、冬は寒い。あまりにも人間がいる環境としては適していないのは明白だけれど、私にとってこの素材は命綱なのだ。

 

「そっかぁ。見たら……いけないね」

「顧客の情報は守らないといけないから」

 

透は私の作品をとても愛してくれる。

私の"個性"でつくられる石細工たちを。

 

「あぁ、でもね、この間連れて行ってくれたうさぎパークのうさぎさんの置物なら、出来上がったから」

「見る! 見たい!」

 

半ば食い気味に言葉を出す透に、私は笑いながら、じゃあちょっと待ってて、と立ち上がる。随分昔は、こうした少しの移動も助けてくれようとした彼女だけど、今はもう手放しで待っていてくれる。それは、彼女が私を理解してくれているからの行い。

 

そう、たとえ視覚がなくともわかる。

やろうと思えば石で覆われたこの部屋の中なら、誰よりも世界を知覚できる。

 

棚に触れ、影に置いていたせいかひんやりとつめたい手のひら大のそれを数個手に取り、重みをしっかりと両手で胸に預け、来た道を戻る。

 

「はい」

 

実物のうさぎをそのまま作ってしまうととても重いし場所を取るので、サイズを小さく、中は強度を損なわない程度に中空に。そして一匹だと寂しいと思ってしまって、ころころと仲間を作ってしまった。パークにいた彼らは、みんな仲が良さそうだったから。

 

「わっ、かわいい!」

 

透の声を聞きながら、片手で椅子の背凭れに触れ、座る。

可愛い声。あたたかい陽差しを思わせる声。素直に想いを伝えてくれる彼女のそれが、私はとても好きだ。

 

「すごいなぁ。本当に生きてるみたい」

「それが私の個性だからね」

「それは石を操れるってだけで、製作はセンスと努力でしょ!」

 

────"石模"。

 

それが、家族が私につけてくれた"個性"の名前。

 

 

 

 

生まれた時から、私は目が見えないらしい。

らしい、というのは、そもそも『目が見える』という現象がよくわからないからだ。

 

そんな私を両親は根気よく育ててくれて、そして、こんな素敵な幼馴染に出会わせてくれた世界に、私はとても感謝している。大袈裟だと思われるかもしれないけれど、世界が狭いということは、そういうことでもあると思う。小さなことに感動し、身近なものに依存する。

 

私は、きっと誰よりも透の姿を知っている。透明という、誰にも見えない概念個性をまとう彼女だとしてもそれは私には元より関係のないこと。そこにいて、温度を持っていて、形がある。ならば、それは私の世界には確かに存在していることが知覚できる。

 

やわらかな頬を知っている。

風の音のような髪の毛にふれたことがある。

うなじの裏に小さくふっくりとした黒子があることなんて、きっと私しか知らない。

 

その小さな優越感が大半を占めて、私の世界は構築をされている。

 

 

 

 

 

 

透が学校へ行っている間、私は仕事をする。それは自分の作品であったり、頼まれたものであったり。様々だけれど、石を触っているということに変わりはない。

 

自分の作品を褒められることは純粋に嬉しい。たまにさわれる個展を開いて、おなじような方からメッセージを頂いたりもする。そういう時、本当に良かったなと思うのだ。

 

ふ、とため息をついて、実物から1/10スケールの人物立像を作ってくれという依頼に一区切りを入れる。まれに死体を担ぎ込まれることもあるけれど(急死した人物があまりにも忘れがたいという依頼だった)、今回はそんなこともなく、生きている人が工房に姿を現してくれたので大変捗っている。

 

ヒーロー。そう呼ばれる人だそうで、下着のみの姿で数度全体を触り、その上からスーツを着た状態でもう何度か。そうして、お話をさせていただきどういった方なのか、どのような立像が欲しいのか。

メールで頂いていた内容によると依頼人の方とその来てくださった方は別人で、ヒーローのファンである男の子の保護者の方から頼まれたのだとか(最近は私のように目が見えなくても機械端末を介した文字によるコミュニケーションがとれるのだから、技術の進歩には感謝するばかりだ)。

 

私と同じように目が見えないその子は、たまたまラジオから聴こえてきた声に、勇気をもらい手術の決断をした。そうして保護者から感謝を伝えられ、いたく感動したヒーローはたまたまテレビで個展のニュースを見て、『依頼で人物像を作る人間』──つまり私を知ったのだと。そうして彼の保護者にコンタクトを取り、ここに至るらしい。あまり得意ではないけれど、メディアには露出してみるものだなとぼんやり思った。

 

そういうえば、随分前に、(おそらく)重量が変わらないのに話している最中に体積が増減した人がいた。声も心なしか変わっていたけれど、あの人は一体どういう人だったのだろう。そういう"個性"だったのだろうか。バンプアップ的な。

 

まぁいいか、と緩んだ気を引き締め、再度指先に集中する。まず、素体の動きを作って、その上からヒーロースーツを被せる。風を操る"個性"を持つその人は、外套を翻し空を舞うと聞いた。触らせてもらった軽いマントはしかし生地がしっかりしており、有事の際はそのマントで要救助者をくるんだり、空からの目印としたり、いろいろ使用用途があるらしい。ヒーローのマントというものがどういう意図なのか、恥ずかしながらそこで知った。

 

とにかく、触って、楽しいものを。格好いいものを。

 

石という素材の性質上、印象としては冷たいものになりがちだ。しかしそうではいけない。ヒーローは市民に安寧を与える。特に、その男の子にとっては誰よりもどんなものよりも希望の象徴だろう。あるいは……神様かもしれない。

 

自分の道の先にいるのか、自分が見上げる先にいるのか。

似ているようで随分と違うこの辺りは、もう、保護者の方とヒーローから伝え聞いた人物像と声音から判断し、己で決定するしかない。己と関わったことのない人間の声を聞いて、今まで受け入れていた不安を跳ね除ける。

 

「────うん」

 

安定感のある声。語り。聴かせてもらった"個性"の音。

ヒーローであろうとする人間の肉体。安心を伝播させる衣装。

私が受け取った世界の形は。

 

 

 

 

「……」

「あ、起きた?」

 

どうやら作業場で眠ってしまっていたようで、意識が浮上した時には傍に透がいた。もうそんな時間らしい。

 

「起き……た、と、思う。たぶん」

 

人間一人の像を作るのは、とても疲れることだ。人生を、思想を、在り方を。それはある種、人間をつくる行いなのかもしれないと、たまに思う。もちろん生命を産み出すということではなく。そんな大それたことではなく。

 

「はい、いつもの」

 

声をかけられて、手を差し出せばころんと1.5cmぐらいものが掌に。そのまま口に含めば、じわりと頭に響く甘さ。部屋に常備している固形蜂蜜だ。

 

「仕事に没頭するのもいいけど、自分の体も大切にしないと私、怒るよ」

「……うん、ごめんなさい」

 

大切にしていないわけではないのだけれど、しかしこれは透にとっては大切にしていないことになる。大切な人が、私を大切にしてくれと私に頼んでくる。それは、幸福というのだろう。

 

「透、いつもありがとう」

「もー、またそれ! 私が来たいから来てるんだよ」

 

そう笑ってくれるあなたが、本当に愛おしい。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

学校帰り、元気な足音が入ってくる。だけど今日は平均より歩幅が小さめだ。趣味の石細工から手を離し、そっとウェットティッシュで拭う。すっと、両手を構えると、いつも通り目の前に座ってくれた透はその手を取りつつも直ぐにはいつものようにしてくれなかった。しかしそれも、コンマ2秒とかその辺りだろう。

 

「何かあった?」

 

案の定、触れた肌が、いつもと少し違う。

すこし引きつった筋肉。強張った顔。触れた肌の冷たさ。

そう、透はポーカーフェイスが下手なのだ。

 

「……お見通しだねぇ」

 

透のことなら何でもわかる、とは流石に他人である以上言えないけれど(そもそも自分のことも完全にわかっているとは言い難いのが現状だろう)、大概のことはわかりたいと思っている。それが受容できなくとも、理解はしたい。

 

「ちょっとさ、凹むことがあって」

 

それを皮切りに、ぽつぽつとゆっくり、透は話し始めてくれた。

 

曰く、体育祭とやらで活躍ができなかった、と。

 

「騎馬戦で透明人間が騎手になって存在感を隠すっていうの結構いい案だと思ったんだけど、こすーっと誰かに取られちゃってそのまんま」

 

ぽすん、と肩に頭らしきものが預けられる。そっと手を伸ばしてみると、さらさらと指通りのいい髪の毛が落ちて行く。落ち込んでいる透。すこし可愛いと思う自分がいる。肩に預けられた頭に、首を傾げて自分のを少し重量をかけてみる。ぐりぐり。

 

「透はさー、そういうところを伸ばしていけばいいと思うよ」

「そういうー?」

「誰にも知られないことを、ね」

 

騎馬の人が邪魔だったとは思わない。機動性があって何ぼのものなのだろう。だけどいわゆる目が見える人たちは、『見える』ものに固執する。いや、固執しているわけではないのだろう。私からはそう見えるというだけで。

 

「だから、どんな体勢かを見破られないように、どんな体勢からでも音なく着地ができるしなかやさを持てるように、どんな地面でも耐えられる分厚い足の裏の皮になるように」

 

徹底的に己の存在を殺すことに長けたらいい。というより、そうするべきなのだと思う。

 

「それでも私は透がわかるし、透のことを見つけるから」

「なぁに、それ。遠回しに透明人間失格じゃん……」

 

脇腹を小突いてくる透は、それでもすこしだけ楽しそうに笑う。

 

「駄目かなぁ」

 

見つけられることはアイデンティティの崩壊であり、

見つけられないことは自己の認識の崩壊となる。

二律背反。

 

ならばそれを私は支えよう。彼女の自己認識を。

元々、彼女の"透明である"という個性は私の前では無意味なのだから、他の人に見つけられないようにとこれからを切磋琢磨していくのであれば、私は必ず彼女を見つけよう。

 

「ううん、それがいいな」

 

それでいいよ、ではなく、それがいいな。耳聡く思われるかもしれないけれど、ここには透と私しかいないのだから、まぁそれでもいいだろう。うん。

 

 

 

 

そうして、すこし月日が経ち、七月も下旬に差し掛かった。

 

空調をかけ損ねていたせいで汗が滴ってしまった石から指を離す。そのまま両手を絡ませ上にやり、すこし体を伸ばした。どうにもこうにも明らかに肩が凝ってる。自分の携帯端末に話しかければ、時刻とメールの有無を答えてくれた。時刻は夕方。メールはゼロ件。

 

「透、どうしちゃったのかな」

 

ぽつり、独り言がこぼれる。

 

透が林間合宿に行くというのは、もちろん知っている。クラスのみんなとお買い物に行くんだと楽しそうに話してくれて、どんなものを買ったのか私の手を取って触らせてくれたのは二~三週間ほど前の日曜日だ。山に行くからとすこし良い靴を買って、にこにこしていた。

 

それで、今週、三泊四日の林間合宿に行って、帰ってくる。

その帰宅の予定を超えているのに、お土産話楽しみにしててねと言ったのに、透の足音は未だこの家に鳴りひびかない。電話をかけても留守番電話。この留守番電話の音声が、いつか電源が切れてかからなくなって、果てはそのまま。

 

その思考にかぶりを振る。それは、今までの日々を疑う行為だ。

私から離れるんだとしても、それが彼女の能動的な行動であるのならば挨拶ぐらいは、きっとしてくれる。そんなことわかってる。じゃあ、それなら、能動的ではない行動ならば?

 

────たとえば、事故とか。

 

そっと背筋が寒くなる。そうだ。彼女は透明だ。ヒーローになるための学校。そこで訓練をするというのだから彼女は服を脱いで訓練に勤しんで然るべきで。その状態で崖崩れとかに巻き込まれたら……。誰にも彼女がわからないのでは?

自分の勝手な想像にぞっとするだなんて馬鹿げているけれど、馬鹿馬鹿しいと放り捨てられるほどピースが揃っていないわけじゃない。私は透の家族だけれど、肉親じゃない。連絡は来ない。当たり前だ。

 

真夏の工房だというのに、末端から徐々に冷えて行く。

 

そこに、足音が一人分。母屋からこちらへ向かってくる。透じゃない。それは確実。けれど私はこのリズムを知っている。椅子から立ち上がり、階段を昇って玄関へ。該当の人がドアベルを鳴らす前に私は扉を開けた。そこには人らしきものがひとつ。ぽかんと立っている。

 

「透の、お母さん……ですか?」

「えぇ、そう。よくわかりますね」

「何度か、聴いているので」

 

違う。そんな世間話をしに来たのではないだろう。

ざわざわと予感が背骨を締め上げる。痛い。

 

「透が、林間学校で」

 

りんかんがっこう、で。

 

「ヴィランの襲撃にやられ、昏睡状態に陥りました」

 

 

 

 

そこから、なんて返答したのか、どうやって工房へ戻ったのか、記憶が怪しい。

とにかく、作らなければならないと思った。完成させなければと。

 

10年前からずぅっと、作っては壊しを繰り返し続けた石像を。

だってモデルが成長するんだ。仕方ない。だけど、駄目だ。それじゃ駄目なんだ。

 

じゃれついてくるようなやわらかな曲線の頬。抵抗のない髪の毛。眼球が向こう側にある閉じた瞼。ほっそりとした首筋に、うなじのほくろ。やさしく名前を呼んでくれるあの子の唇。華奢な肩に、最近筋肉がつき始めた上腕。そうして、そっと、どこか問いかけるような指先。

 

石へ手を伸ばし、ありったけの素材を使って、ありったけの記憶を辿って、私はそうするしかなかった。そうすることしか出来なかった。

 

────彼女を、この世に留めておけるのならば、石人形が供物になればいいのにと。

 

そう欲望(ねが)いながら。

 

 

 

 

「やっほー……ってあれ、珍しい。おっきなやつが置いてある」

 

あれから、透は無事に目が覚めて、こうしてまた顔を見せてくれるようになった。けれど八月の中旬、雄英は急遽全寮制となり、彼女は私の隣の家を出て行く。全寮制で雄英に居続けることでご家族と色々あったみたいで、日に何度も話し合いからここに来た透の話を聞いていた。

 

もちろん、私だって反対だと言いたかったけれど。ヒーローになって、いろんなひとを助けるんだと、自分の夢を語ってくれた日々のことを知っている私がそれをしてはいけないと心に決めていたから。だから、みっともないところを見せないで済んだ。幼馴染の虚勢を張り切れた。

 

今日は、それまでの猶予期間の一日だ。

 

「あぁ、それ? ずっと作ってるやつなんだけど、そろそろ表に出してもいいかなって」

 

10年間作り続けて、完成していなかった石像。この間、一度だけ完成した石像。まぁ結局、どうしてか自壊してしまったから、いま透が気がついたのはそれをまた捏ね直して作ったものだ。何度作っても、飽きることなんてない。

自分とおなじ身長だろう石像に触れ、へぇ、と声が漏れ聞こえる。

 

「そうなんだ。見たことない人だけど、依頼じゃないんだね」

「うん。私が勝手に作ってるだけのものだから。いつもの趣味のやつ」

「……あ、もしかして、こういう人が好みとか? 空想も作れないわけじゃないし」

 

透のその言葉に、すこし、胸がじくりと疼く。

好み。そう、そうかもしれない。でもそんなことはお首にも出さず。

 

「さぁ、どうだろう」

 

なんて返してみた。

 

「あ、教えてくれないんだー。ちぇー」

 

不貞腐れたようなかわいい声を出す透を宥めて、「そうだ今日はすこしいいお菓子をもらったから紅茶でも飲みに食卓へ行こうか」と口に出せば「それほんと?!」と私の手を取って歩き出す。嘘じゃないけど、嘘だっていったらどんな声を出すんだろう。気になって、気にするだけに留めておく。私とても偉い。"

 

透に引っ張られながら、工房へ残された石像に想いを馳せる。

 

彼女は知らない。

否、誰にもわからない。

あの石像が誰なのか。誰を象ったものなのか。

世界でただ一人、私を除いて。

 

「────ねぇ、透」

 

明暗という概念も知らない私だけれど、きっと透は、光の色をしているのだと、そう思うのだ。

 

「大好きだよ」

「えっ。なにいきなり! 私も大好きだよ!」

 

 

 

 

葉隠透は、光である。



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▽男性・他校生/高校時代/友情
キミと、鼓動と、あふれる強さ


もう二度とこの門をくぐる事なんてないと思っていた。見上げたゲートは堅く堅く他者を拒むような威圧感を放っていて、どうにもこうにも受験の時のあのやるせなさを思い出す。

 

自分の心臓の音が痛いぐらい体の中で反響して、具合が悪くなりそうだ。

 

「何してんだ、早くいこーぜ」

 

そうクラスメイトに促されて、あぁ、と敷地内に踏み出す。春先に流れたニュースのような警報は鳴らない。それはそうだ。新幹線の中で引率の教師から渡されたIDカードはしっかりと首に掛けている。これをつけていないと学校中のあらゆる防護壁が作動するらしく、その作動金額なんて聞きたくないレベルだろうから絶対に肌身離すことのないようにと心に堅く誓った。

 

俺は今日、雄英生との演習交流会に来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

俺達が来た頃、雄英の方はまだ登校者もまばらだったところから簡単に分かる通り、まだ誰も来ていないようで更衣室はガランとしていた。これ幸いと広々とした場所で持参したコスチュームに腕を通し、渡された地図に書かれている指定区域までぞろぞろと連れ立った。

 

受験した時にも思ったけれど、でかい。演習場というより演習街だ。これがいくつもあるっていうんだからくらくらする。うちの高校だって小さいわけじゃないが、雄英と比べるとどうしても見劣りしてしまうのが現状。国立で最高峰の場所と比べること自体が間違っているとはいえ、だ。

 

そんな風に団体行動を乱さない程度に雄英の見学をしていると、俺達が来た方からまたぞろぞろと人影が現れた。どうやらあれが雄英生らしい。

 

「2、4……19人か? なんか半端だな。誰か休んだかね」

 

そうクラスの奴が言うモノだから、訂正を入れる。

 

「いや、20人だ」

 

胴着の帯をぎゅっと締めている奴の横に、見えはしないが一人いる。わりと騒がしいタイプみたいで、その気配が少しうるさい。

 

「ってことは透明化個性か」

「あぁ。合流してから人数数えて今に至るまで姿が見えねぇってことは、息を止めてる間だけ、みたいなチンケなもんじゃないのは確かだな」

 

透明。そんな個性でどうやってここに入ったんだ。

ぎしりと心臓が軋んだような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、君らもわかっているとは思うが、今日は朝から一日かけて京都名状高校の生徒との演習交流会だ。名状のみなさん、どうぞ宜しく。俺はこいつらの担任、相澤消太です」

 

包帯のような拘束具のようなよくわからん細長い布を巻きつけた雄英の教師がそう喋る。暗いと言うよりは黒い。ただただ黒い。

 

「チーム分けは、雄英と名状の一人ずつペアとする」

 

事前説明で聞いていたとはいえ、雄英の奴とペアか。辛いな。だってあいつら、全員戦闘個性持ちだろ?ほんともうやだ。見るからに強そうなやつたくさんいんじゃん。ちくしょうが。

 

するとうちの担任が前に進み出る。

 

「ただし、こちら、名状は十人が戦闘個性、もう十人は支援特化個性となっていますが、今一度よろしいでしょうか?」

「えぇ、大丈夫です」

 

そう、名状の人間は全員が全員、戦闘特化ってわけじゃない。前衛ヒーロー科と後衛ヒーロー科のそれぞれ上位十人が選ばれてこの特殊演習に連れてこられた。まぁ攻撃個性が多いからって、後込みして終わるつもりなんかさらさらない。むしろ相手が攻撃個性ペアであったって、そんなん支援で覆せるって、証明してみせる。そのために俺はここに来た。

 

「今回、ヒーローチーム、ヴィランチームなどはお互いが接敵するまで相手が誰か分からない形を取る」

「講評はどうされるのでしょうか?」

 

かなりやばいぐらいにきわどいコスのポニテ女子が手を上げて質問をすると、雄英の担任は、あぁそのことか、と頷いた。どうでもいいけど雄英のサポート会社こわ。女子にあれを着せるとか関東こわ。そしてそれを平然と着るのもこわい。

 

「各所にあるカメラロボが余さず録画するからそれを使う。いいか、これは同時多発襲撃だ。刻々と事態は変化していく。それを覚えとけ」

 

その言葉に雄英の奴らの顔つきが変わる。あー、春先にあった事件を模した的な感じか?正直土壇場の経験値が違い過ぎる。

 

「ヒーロー側もヴィラン側も演習開始の合図と共に各立場ごとで連絡を取りあっていい。全体とチームメイトへの連絡を使い分けてうまくやれ」

 

つまり自分の相手がいち早く誰なのか把握して、穴を埋めていきゃいいわけだ。

 

「他に質問なけりゃ始めるぞ」

「はい」

 

手を上げると促されるので口を開く。

 

「対戦相手の個性など既知の情報は"知っている"前提で動いていいんでしょうか」

「あぁ。ヴィランがお前らの個性を知らないとも限らねぇからな」

「ありがとうございます」

 

なるほど、それならこの勝負は俺に限って言えばほとんどもらったようなものだ。

 

「じゃ、さっさと始めるぞ」

 

傍らに用意されていた箱から順に引いて行って、該当するアルファベットでペアを組むことになった。

 

 

 

 

「Eの奴ー」

「おーい、Fこっちこっち」

「LL! L!」

 

くじを引いて至る所から自分のペアを探す声が飛び交う。俺の手元にある赤いボールにはQと書かれていた。きゅー、きゅーか。

 

「Qの人いませんかねー」

 

ボールを掲げながらやたらと大柄な奴らの間を抜けていくと、ふと髪が逆立った赤い奴と視線がかち合った。何を示し合わせたか同時にボールをバケモントレーナーよろしく向け合うと、そいつが持っているのは間違いなく黒のQ。俺のペアの相手だ。

 

「よう、Qってお前か!」

「あぁ」

 

頷いて名乗ると、握手を求められ応じる。

 

「俺は切島鋭次郎、よろしく!」

「よろしく。個性の話は……あんた声でかそうだから後でな」

 

そう茶化しはしたが、周り全員が組分けによる挨拶をしながらじわじわと張り詰めているのがわかった。誰が誰と組んだのか。片方がわかればもう片方も決定するこの形を暗記しようと必死に。

 

 

 

 

それから1チームずつバスに乗せられ各演習場に連れていってもらえるらしい。すごいな雄英。バス完備かよ。とりあえず席が向かい合わせになってるところで横に並んで座った。

 

「そうだ、個性話してなかったな。俺は硬化。切り裂くことも出来るぜ」

「へぇ、カッコいいじゃん」

 

グググ、とナイフみたいになって行く手を見て口の端が歪んだ気がする。いかにもヒーローって感じの個性だ。

 

「お前は?」

「俺はライフセンサー。全力出せば半径3kmにいる生物の心音を視ることが出来る」

「心音を……みる?」

「あぁ、今もお前の心臓を中心に鼓動の波が広がっていってるのが視える」

 

普段もある程度は視えるけれど、集中すると辺りは暗くなり、視界に映るモノの輪郭線だけが白く浮かび上がる。そしてその中に異常なまでに鮮烈な赤い波が現れる。それが心音。生きている以上誰も隠すことの出来ない代物。

 

「つまり、支援特化だ」

「……」

 

切島は目を丸くして俺を見ている。地味だとでも思ったか。まったくこれだから攻撃特化の雄英は。 と思ったところで、肩を掴まれる。

 

「すっげぇな! お前がいれば相手が葉隠でも関係ねぇのか!」

「……葉隠?」

「あぁ、個性が透明のやつでさ、偵察が主体なんだ」

 

あぁ、あいつかと頷く。あのやたらとうるさい心臓の持ち主だ。偵察主体、か。

 

「俺の相手がそいつならいいんだけどさ」

「そう都合よくはいかないだろうなー」

「だよなぁ」

 

そんなことを言いながら、バラバラの時にどこに敵がいるかを教える符丁などをすり合わせていたらいつの間にか会場であるコンクリビルの前に着いた。

 

 

 

 

バスを下りた後、外で待機しろと命じられたことから、俺たちがヒーロー側ってことだろう。ガードレールに腰掛けて心臓を落ち着け、演習が始まるまで、なるべく個性は抑えておく。何階にいるかぐらいはわかっちまうけど、なるべく情報取得は他のチームと合わせておきたい。

 

「あぁ、そうだ。先に言っておく。俺はある程度は戦えるけど、ある程度までだ。前衛特化したお前らと長時間渡り合える訳じゃねぇ。いざとなったら俺は一人連れて逃げ回って、最悪の2対2の形にならないようにする」

「わかった。それでいいぜ」

 

そう切島が頷いてくれた瞬間、ノイズがマイクに入り込むのがわかってガードレールから腰を浮かし、

 

『演習開始!』

 

その宣言と共に一気に該当ビルの窓から見えない物陰に滑り込む。感覚を解放して足元からずわり、各地へ。まずこのビルの中は────今日の俺は最高にツイてる。

 

「中にいるのは風個性の風洞って奴と、いるぜ、葉隠」

「お、そうか」

「ちょっと待ってくれな」

 

じわじわと感覚を伸ばしていくと近隣にある二つの会場も補足する。ん、視えるのはここまでか。耳元のマイクを全体に切り替え声を吹き込む。

 

「こちらQチーム。相手は風洞と葉隠。宰野と蛙女子、お前らの相手は要柱と口模様コスの奴。二人とも五階。旗立と金髪メッシュ野郎、お前らはご愁傷さまの首割と轟だ。それぞれ五階と二階」

 

この演習では全員を直前に視ていたおかげで、認識できた心音の持ち主が誰なのかかなり正確に把握出来た。だからこそ演習前に訊いたんだ。"既知情報を使っていいのか"って。

 

それにしても首割と轟の心音は二人揃ってあほみたいに気持ち悪いな。どんだけ平静なんだよ。本当に人間なのか?

 

「あとの7チームは悪いが自力で捕捉してくれ。Qからは以上」

『十分だって!』

 

音声吹き込みボタンから手を離すと、名状の奴らの声と一緒に雄英らしき聴き覚えのないやつの声もちらほら返ってくる。支援特化の力を思いしれこんちくしょうが。

そうして、接敵前にチーム名と名前が短く続いていく。つまり誰が敵にいるかはこれでわかった。体育祭優勝野郎はこっちっかわか。

 

「じゃ、行くぜ」

 

切島が腕を硬化させながらにやりと笑ってそう言った。

 

 

 

 

俺たちはバラバラに中へ入る。何たって誰が何処にいるのかなんてわかりきっているし、万が一にも葉隠に切島が確保されるわけにはいかない。そんなことになったら敗けが確実になる。

ただ葉隠はおそらく九割程度の確率で自分が不意打ち出来ると信じてる。たぶん支援特化が実際にいる演習はしたことがねぇはずだ。

 

────この曲がり角、向こうにいる。背中を取ってる形だ。

 

息をゆるめ、相手の心音と自分のを重ねていくことで自分の存在を希薄に、認識しづらくしていく。

 

「……」

 

切島の方も敵を発見できたみたいだ。いつでもいいぞ、という合図で三秒間こちらのマイクをオンにする。切島ならマイクの微かな雑音で理解してくれただろう。なんたってこっちは絶対に音を立てられねぇ。雄英に合格する透明人間だぞ。見つかる前に、やる。

 

そしてやるなら、同時奇襲。

 

『3……2……1』

 

カウント。

 

『0』

 

曲がり角を飛び出し一気に葉隠へ距離を詰めれば、相手は俺の存在に気が付き動揺した鼓動を視せる。やっぱりお前、見つかることには慣れてねぇだろ!

 

いいさこのまま心臓正確に掌底で打ち抜いて終わりにしてやる────!

 

 

 

 

 

 

 

雄英の入試は、案の定落ちた。少なからず体は鍛えていたとはいえ、他の戦闘系に比べたらないも同然だ。普通科でも体育祭から持ち上がるやつがいるのは知ってる。でも毎年恒例の最終種目でのサシ勝負なんて無茶だ。期待を持つことすら無理だ。つーか、予選通過すら危ういだろう。

 

だから、滑り止めとは表現されちまうが、ほぼ本命同然の支援特科のある学校に入ったんだ。雄英には勝てない永遠の二番手校と揶揄されていてもそれでもいい。支援でトップを目指す。そう決めた。その為にはまずヒーローにならなくちゃいけない。

 

攻撃型個性じゃなくても、

それでも、

俺は、

 

ヒーローになりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

心臓を正確に打ち抜かれてどうともならねえの何てガチの筋肉バカぐらいだ。そこに掌底をぶちこめば必ずそいつに隙が生まれる!

 

触れた掌。やわらかい。人の肌。体温。あたたかい。やわらかい。

 

「────!」

 

入った掌底は相手の体制を崩させはしたけれど、驚いて俺も一歩退いちまって対峙の形になっちまう。でもしょうがねえだろ、だって!

 

「おまえ、何も着てねぇのかよ! 全裸か!」

「さ、触ったね!?」

 

今まで掌底でも声を出さないようにしてたんだろう相手が、心音の歪み的に胸の前に手を重ねながら慌てた声を出す。声の高さからしても、触れた肌の感覚からしても、どう考えても、女子。女子だ。女子の胸を触っちまった。

 

ギリギリレオタード女子がいると思ったら今度は全裸女子とか雄英怖すぎだろ!

 

「うるせぇ痴女かよ! なんてとこだ!」

「ちっ、痴女じゃないよ!」

 

そう透明女子が叫んで背中を向けて走り出した瞬間、上階にいる奴が凄い勢いで動き出す。

 

「おい、四・ホク・階!」

 

四階、北、階段に向かってる。符号を叫べば耳元で声。

 

『オッケー!』

 

吹き込みながらこっちも追いかける。合流したいんだろうけど、合流に一番近い階段は俺が取ってる。遠回りせざるを得ない筈だ。

 

それに全裸ってことは、つまり武器とかを自分の延長線上として隠せるわけじゃないってこと。徒手空拳だ。

 

追いつけるかあるいは逃げても無駄だと思わせたら、俺の勝ちだ。

 

 

 

 

ぺたぺたぺたぺたと裸足の音が廊下に響く。

 

透明個性。明らかな後衛支援個性。この走りからして体だって特に鍛えてあるようには思えねえ。だけどわかってる。不意打ちが出来るってのがどれだけ恵まれたことか。俺の個性は完全に対生物だ。機械相手には意味がねえ。雄英の試験結果は、正直受ける前からわかってたさ。それでも諦められなかった。

 

相手は引きはがせない俺に諦めたのか、くるりとこっちを向く。どう見たって小柄で、華奢で、それこそ不意打ちでなけりゃ支援特化の俺すらも倒せない。

 

────ちくしょう、ちくしょう!

 

「なんで、何でお前みてぇなのがここのヒーロー科にいるんだよ!」

 

踏み出し一歩、もう躊躇わねぇ!ここにいるってことは、つまりそういうことだろ!

 

「三ナン廊!」

『移動していくなぁ! ────見つけた!』

「場所、バレて」

 

掌底を打ち込む瞬間、ほぼ真上に移動してきた心音位置を叫びながら懐に入り込んで、ドン、と揺らいだ心臓を殊更に強く穿った。

 

「……っ」

 

心臓がそこにあるってことは、ふらついた人間の首と腕と足は、ここ!形は変則だけど小内刈り!

 

「嘘!?」

「だらっしゃあ!」

 

まさか自分が柔道技をかけられるなんて思ってなかったんだろ。個性に驕ったな!

 

頭を打たねえようにしっかりと首元を抑えて受身を取らせ、直ぐ首に手首から隠してた確保テープを出してするりと上腕から上腕に掛けて巻く。テープだけが浮いたように見えるそれは、だけど確実に葉隠に巻いたんだと言うことを知らしめた。

 

「透明確保! そっちに向かう!」

『いや、こっちも終わったぜ』

 

思わず上を向けば、心音の速い二人が視える。それでも、立ってるのは切島で。

 

「「……っし!」」

 

……ん?何だ今の。

 

俺がガッツポーズしてちょっと口から勢いが零れた瞬間に、くしゃみが聴こえたような……。

 

音の方向を視れば座った葉隠。テープだけが浮いている。よく見れば小型マイクも。

 

いまは秋口だ。そして葉隠は、全裸。

 

「……」

 

ため息を吐いて俺は着こんでたジャケットを脱いでかけてやる。先生からの宣言がない以上、テープを外してやることは出来ないけど、せめてもの気休めだ。風邪引かれても寝覚めがわりぃ。

 

「あ、ありがとう……」

 

まさか敵チームからそんなことをされると思ってなかったんだろう。戸惑った声。うるせぇ。俺だって戸惑ってるわ。

 

 

 

 

 

 

 

そうして、刻々と事態は変化していくと脅されたあれは、実は全部の会場を俯瞰して見ると歪な3-4-3の形だったらしく、隣り合ったビルを同じチームが取ればそこでラインが作られ一ポイント換算されると言う、いかに連携して相手を追いつめられるかが肝だったらしい。

 

そうして制覇拠点数は同数だったにもかかわらず、ヒーローチームは、負けた。一ポイント差で。

 

 

 

 

講評は全部のチームの映像を見ながらいろいろ意見を言い合う形で、最後の方で顔だしてくれたオールマイトや他の奴らにそこそこ褒められはした。だけど、「あの"ご愁傷様"だけは本当に頂けなかったな」と窘められもした。士気を下げてどうするってことらしい。……確かに、演習だと舐め切った発言だった。

 

あー、生オールマイト視たってのに気分が上がらねぇ。というか、なんか、オールマイトの心音ちょっと変だったな。大丈夫なのか?

妙に心筋が弱くなってるような音だ。それこそ"どうして今こうして立っているのか不思議なぐらい"レベルの心臓。オールマイトほどのヒーローなら専属の医者ぐらいいそうなもんだけど、誰も止めてねぇのかなと少し不安になった。俺の気のせいならいいんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ」

 

更衣室に帰ろうとしたところで、聴きなれない女子の声に呼びとめられて振り返れば中空に水色の手袋が浮いてた。見れば今は靴もはいてやがる。そりゃジャケットは講評前に返されたけど、どんだけマニアックな格好してんだ。

 

「透明の奴か」

「うん」

「何か用か」

 

とはいえ、何の用かなんて分かりきってる話だ。

 

「何で、私の位置が正確に分かったの? 驚いてたし、見えてたわけじゃないんだよね?」

 

ほらな。透明になれる奴は絶対に俺にこういうことを訊いてくる。支援科にも葉隠ほどじゃないけど、透明になれる奴はいた。お前ら完全に透明になって自分が存在感消せてるとでも思ってんのか。

 

「俺の個性だ」

「それはわかってるって」

 

察しろ!言いたくねえんだよ!

 

無言でその場を離れようとしたところでグイと横から首に腕が絡んで来て、コイツの個性はライフセンサーだからな、と得意げに答える同級生の声が聴こえてきた。おいおいおいおい、と勢いよく体を反転させてそいつの片襟を掴む。

 

「な・ん・で、人の個性についてお前が答えてんだ」

「いや、だって答える気なかっただろ?」

「……」

 

当たり前だ。相手に手の内を見せる何てこたしたくねえ。それが雄英なら猶更だ。バレたって誰にもどうしようもない個性ではあるがそれはそれだ。

 

「いやー、ごめんな、コイツ雄英コンプ激しくてさ」

「……うるせぇ、悪かったな」

 

そんなクソみてえな煽り文句が聴こえてきて、緩慢に腕の中から抜け出して歩き出す。

 

「……」

 

それでも透明女子は隣を付いてくる。何も言わず。とことことことこ。このままだと更衣室の中まで入ってきそうだな。つーか何で透明なのにそんな存在感あるんだよ。

 

はぁ、とため息を吐いて立ち止まる。

 

「俺は、人の心音が視えるんだよ」

 

とんとん、と自分の胸を突っつきながらそう言った。

 

「心音……あっ」

 

俺が真っ先に胸(正確には心臓)目掛けて掌底したことを思い出したのか、手袋が心臓を隠すように重ねられた。いや、隠せてねえよ。

 

「悪かった、何て言わねえぞ」

 

戦闘に全裸で出てる以上、ああいった状況だってこいつは飲み込んで出てきてるわけだ。胸を触っちまったとしてそんなん事故にもなりゃしねえ。

 

「言われたら怒るよ。私だって真剣だもん」

 

だけど、意外な言葉が飛んで来た。

 

「……そうか、悪い」

「えっ、そこで謝るの!?」

「今の悪いは、お前を女子だって侮ってたことだ。さっきの件についてはぜってぇ頭下げねえから安心しろ」

 

そう発言したところで男子更衣室に着く。女子更衣室は隣、演習場側の方に併設されてる。だって言うのに葉隠は俺についてきて男子更衣室の前まで来ちまってた。

 

じゃあな、こっち入ってくんなよ、と言って相手が怒ったところで俺は扉を開けた。視界の端でさっき俺の個性をバラした奴がにやにやして立ってたから後で殴ろう。

 

 

 

 

中にはいると名状と雄英がぞろぞろ着替えててくっそうるせえ。

 

「お、Qチームのやつか!」

 

自分の荷物を預けたロッカーを開けたところで雷って言葉に色がついてたらこんなんだろうな、みたいな髪の毛の奴が声をかけてきた。

 

「あぁ、メッシュ野郎か」

「上鳴電気だ、よろしくな」

「……」

 

よろしくするつもりはないが、相手が名乗ったのにこっちが名乗らなきゃ一方的に礼儀がなってねえみたいじゃねえか。俺の素行が悪いのはともかく学校側の評判が下がることだけは避けたい。故に名乗っておくだけはおこう。

 

「開始直後の通信助かったぜ!」

「負けてたじゃねえか」

「そうだけどよー!」

 

まぁあの轟と首割の共同戦線なんて恐ろしすぎて俺は戦いたくなかったけどな。

 

「あ、葉隠と戦ってたやつだよな。VTRの戦闘シーン、解説入れてもらったけど全然わかんねえな!」

「そうだろうな」

「シャドーボクシングみたいな感じになってたぞ」

「どうやって見分けてんだ?」

 

ずい、と他のやつも入ってきて、雄英の人懐っこさと心音の密度にくらくらする。あぁ、クソ、馬鹿馬鹿しくなってきた。わかってるんだこいつらが悪いワケじゃないって。俺の努力が足りなかった、だから届かなかった。それだけのことだ。

 

「……心音、視えるんだ。演習の後の更衣室とかほんと最悪だわ」

 

視界がうるせえったらありゃしねえ。

 

「なるほどな。じゃああれは心臓に向かって攻撃してたわけだ」

「ってことはバレてたのおまえの個性か」

「あぁ。どっちもそーだよ」

 

肯定しながら脱いだジャケットを折り畳んでケースに仕舞い込む。ズボンを制服に履き直して上を着替えようとしたところで、裾が引っ張られる感覚。

 

「なぁ」

「ん?」

 

声につられて視線を下ろすと何かやたらとブドウっぽい奴が俺の足元に居た。

 

「心臓に対して攻撃するに加えて途中のあの反応って、もしかしておっぱい触ったのか!?」

「なっ……!」

 

誰も突っ込んでこなかったからそのままスルーしようとしたのに最後の最後で何訊いてきてんだこいつ!

 

「その反応は触ったんだな!お願いだ感触教えてくれよ!」

「うるせぇ、なんだお前!!」

 

足にまとわりついてくるそいつは離れる気配がない。

 

「おい、お前らのクラスメイトだろ、どうにかしろよ!」

「スマン、峰田はこういう奴なんだ」

 

六本腕?あるいは触手を持つ顔を半分隠した奴が受け取りに来た。どうでもいいけどこいつたぶん苦労人だ。

 

「葉隠の透明オッパイの感触教えてくれよおおおおお!」

「あぁもうお前らの心音うるせぇ!時蕎麦は耳そばだてんなあと特に隣の葉隠うるせーぞ!」

 

名状の前衛ヒーロー科の奴の名前を叫んでから、さっきから話題に上がってるせいで特に目に入ってくる心音の持ち主に叫ぶ。

 

「私のせいじゃないのに酷くない!?」

「クッソ、そんな風に足にまとわりついてきたって俺は喋んねぇからな!離れろ!」

 

ブドウ頭が足にくっついちまって離れる気配がまるでない。なんだこの執念。

 

ほんと雄英は怖いところだな!!!!

 

 

 

 

ぐったりするような演習交流会が終わって、俺は半分屍になりながら授業終了後の集合場所になっていた講堂を出た。

 

「ねぇ!」

 

もう今日だけで何度聞いたのかわからねぇ声がして、そっちを向いてみれば制服が浮かんでた。……そうか、そうだよな。演習じゃなけりゃ服着てるよな。よかった。

 

「なんだよ、まだ何か用か?」

 

俺はもう地元に帰りてえんだよ。土曜日だってことで後泊するやつもいるみてえだけど正直気が知れない。

 

「アドレス教えてよ!」

 

その手にある端末を少し振りながら、葉隠はそう言った。

 

「────」

 

なんで、そんなことを言うのか、言えるのか、俺にはまるでわからなかった。だって俺、態度悪かっただろ。ずっとしかめっ面で、わかりようのねえことだったとはいえお前の胸触っちまって。

 

「なんで」

「え? だって、すごいなって思ったし、いろいろ教えてもらいたくって」

 

偵察ってことから前衛支援になることが多いだろうけど、後衛支援のこと知ってたらもっと動けるようになると思うんだ! そう溌剌とした声で言う葉隠が、すげぇいい笑顔だってのが見えなくても、心音を視ようとしなくても、わかっちまって、どうしようもないぐらい自分の心音がうるさくなるのがわかった。

 

「……わかった。その代わり、どんな授業やってるかお前も教えてくれよ」

「うん、いいよ!」

 

画面に表示させたコードを読み合わせて、アドレス帳に登録する。はがくれとおる。すげえ名前だな。ぴったりじゃん。

 

「お、連絡先交換してんのか? 俺も俺も!」

 

今日散々耳元で聞いた声が飛んできて、ほんと雄英には敵わねえなぁなんて、一人笑っちまった。葉隠も切島も不思議そうにしてたけど、あぁたぶん俺、お前らのこときっと好きになると思うんだよ。きっとな。

 

「ありがとな」

「え、どうしたの?」

「いや、何となく言いたくなった」

 

そんでいつかお前らと一緒に戦えたらいいなって、思う。

 

 

 

 

葉隠透は、今は(・・)敵わないヤツだ。



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▽男性・"個性"研究者/高校時代/研究者と被験者
透明に触れたるや


透明、とは何か。

まずその定義から始めなければならない。

 

簡単に表現するのであれば、『光がその物質に遮られず、向こう側がよく透き通って見えること』とでも言うのだろうか。それでいうのであれば、光の屈折もなく・本体の影もなく・本体だけであれば何を遮ることもない彼女はたしかに、透明と言うのだろう。

 

────葉隠透。

 

それが、今現在の私の研究対象だ。

 

 

 

 

「こんにちは。今日も透明だね」

「こんにちは、先生」

 

高校の制服を着て、彼女は挨拶をしてくれる。

彼女が通う雄英高校から電車で一本のところにある大学病院。そこで私は"個性"が起因となる治療の困難さをテーマとして研究をしていた。"個性"が原因で適切な治療が受けられない人は、この"個性"社会ではごく当たり前に、何処ででも起きている。つまり主要な社会問題として取り上げられるべきなのだが、今のところそういった気配はない。当たり前だ。その適切な治療をする医者の手が足りておらず、また、そもそも個人の個性がなんであるかという研究さえ遅々として進んでいないのが現状なのだから。

 

"個性"がなんであるのか。それは、炎を出す、風を起こす、六本腕がある、羽根が生えている。そういった言葉で表現される。それは確かに"個性"を表現する言葉ではあるのだろう。否定はしない。しかし結果であるだけで、体内で何が起きているのかは表現をしていないことに着目をしてほしい。

炎を起こすという個性にも種類があり、人間の体内で灼熱を起こすのか、それとも皮膚の表面が原理としては火打ち石となり気化する汗が燃焼源となるのか、様々だ。また、今では前時代で概念的な言葉となった五体満足という単語の本来の意味から逸脱した、それらとは異なる人体を持つ人々(ここではわかりやすさを優先し、以後異形型個性と呼称する)は、当たり前だが人体構造が大多数の人間と異なっている。そうした人々は怪我をした時、筋肉・神経・血管などがおおよそ教科書にある人体とは別の場所にあり、処置が遅れ、結果として命を落としたという話も、少なくはない。

 

その点で言うのであれば、目の前にいる彼女はその最たるものだと、私は思う。

 

「さて、それじゃあ今日はどうするの?」

 

あるニュースで流れた彼女の姿は明らかに他者と異なり、そしてそれは医療従事者に衝撃を走らせた。完全なる透明。それは、一体どのようにして治療をすればいいのか。血液は見えるのか、皮膚をメスで切った時に内臓は見えるのか。もし救急車で自らがいる病院へ運ばれて来た際に、治療を拒んでもよいのか。そういったことを言外に迫る事件だった。

 

「あぁ、今回はね」

 

そうして、私たちの対話は今日も始まる。

 

 

 

 

◆ケース1

 

「先月はありがとう」

「うん」

 

研究室にある冷蔵庫から、一つのシャーレを取り出す。外気温との差で曇ったガラスを開くと、そこには何もなかった。否、何もないように見えた。

 

「これは前に君から提供いただいた血液サンプルから細胞を培養したものだ」

「触っていいの?」

「もちろん」

 

そっとシャーレを渡すと、不思議そうな顔でその中へ指を入れる。シャーレ内の底につく前に指は止まり、そこに"何か"があることを物理的に示している。

いま葉隠さんが持っているシャーレに入っているものは培養したもののの一部であり、それを触っても特に問題はない。透明なものを培養する、それは想像以上に骨の折れる作業だった。そもそも癌細胞に比べ正常細胞は培養自体が難しいものであることは誰もが知っていることだろう。それでも私はやらなければならなかった。

 

「透明だ」

「あぁ。文句のつけようがないほどに透明だね」

 

採取した血液も透明だったことから、おそらく臓器も透明であろうと言う推測が立てられる。そもそも口を開いた時、彼女の口腔内は目に映らない。食べ物を食べる際は、空中で物が噛みちぎられ、恐らく喉と思われる部分で存在が視界から消失する。

 

「これで一つ否定ができるのは、君と言う存在が生命エネルギーを行使して"透明"という状態を維持しているわけではない、ということだね」

「……えっと」

「個性はパッシヴであり、オンオフが出来る類のものではない、と言えばいいのかな」

 

まぁそれは血液を採取した段階である程度わかっていたことではあるのだけれど。

 

「あー、やっぱりそうなんだ」

「個性のスイッチを本人が自覚できていないことも他の事例ではあったからね。君には感覚的にわかっていた話かもしれないけれど」

「ううん、実験での切り分けは大事だよ。私も学校の化学の実験でノートにきっちり分けてるもん」

 

こういう時、この人はやはりあの偏差値79前後を維持する国立雄英高校の生徒だと改めて感じる。一つ一つ丁寧に可能性を潰していく。それを嫌がる人は、まぁわりといたりする。それこそ血液をサンプルとして差し出すというのも、実験動物であるという雰囲気が出てしまい、抵抗感が起きるというのも無理からぬ話ではある。しかしモルモットでない人間などこの世にいるのだろうか。社会に生きているだけで誰も彼も経済学のモルモットだ。

 

「じゃあ、先生が前に言ってた『反射できない物質である』っていう可能性は否定されないんだね」

「うん」

 

そう、葉隠透が見えない理由、ということに大雑把な仮説を三つほど出したことがある。そのうちの一つが、今の発言内容だ。

 

「物質とは光を反射することによって色がつく、というのは小学生か中学生でやっている話だろうけれど、それを考えると『光を反射しないものに色はつかない』というのと同義だ」

「吸収、じゃないよね。私、真っ黒じゃないし」

「その通り。光……厳密に言えば赤外線などで姿を確認できるから可視光、それを吸収するならば君は真っ黒でなければならない。こんな風にね」

 

机の引き出しから文鎮のようなものを引っ張り出し、彼女が持っていたシャーレと交換をした。真っ黒なそれは光を反射しないばかりに立体感は失われ、平面がそこにあるように見える。重さだけが確かなものとなってしまっているのだ。

 

「えっ、な、なに、これ」

 

随分と昔に米国で光を99%以上吸収をする物質が開発をされ、当時はかなり話題にもなったし色々と権利の独占などあったせいで高価であったようだけれど、今はそれなりに容易に手に入るようになっている。

 

「ベンタブラックブロック。面白いよね」

「自分が何を……どんな形のものを持ってるのかすら分からないんだけど」

「光を反射しないからね」

 

そう、光を反射せずに吸収をする。それは眼球に届くものがないということ。

 

「だけど君は真っ黒じゃない。だから、少なくとも吸収はしていない。培養した皮膚だってこの通りだ。研究者によっては、君の身柄に億単位の金をつけるだろうね」

 

月に一回のこの対話には謝礼を出しているとはいえ、それ以上を出して引き抜かれることも一応考慮はしている。義理と人情を大切にしてくれるだろうヒーロー志望がお金だけで先約を切るとは思わないが、一応、心構えはしておくものだ。

 

「……せんせー、ちょっと目が笑ってないよ」

「あぁ、申し訳ない」

 

いけないいけない。まだ存在もしない研究者に敵愾心を燃やしても生産性のないこと。今回の研究内容を考えると、対象者に怯えられてはいけないだろう。

 

「だけど貰ったサンプルからいろいろ分かったことに、君の身体は特に人体構造から逸脱はしていなかった。質感も、細胞の中身も、透明であるということ以外に特異性が見当たらなかった。MRIの撮影結果を見ても、特殊な器官が作られているようには見えない。その辺りを考えないとまだ結論は下せないだろうね」

 

PCに映し出したノートへ所見を書き込んでいく。これまでに何十枚と書いたけれど、未だに彼女の個性がどのようなものなのか。私には分からなかった。

 

「あれ、それなら光学迷彩路線は否定出来たりするの?」

「それもまだ決定づけられない。次はその話をしようか。今日はもう時間だから」

「えー、来月までお預け?」

「学生の時間を月に何度も貰うわけにはいかないからなぁ」

 

学校を通して彼女のご両親にコンタクトを取り、透がいいなら、と承諾をくれた彼らが出した条件は、彼女の意に反することはしない・生命倫理に則る・必要以上に傷をつけない・サンプルを摂取しないなど多岐に渡るけれど、その中でも物理的にこちらの行動を制限してくるのが月に一回という縛りだ。

話を聞くところによると、雄英高校ヒーロー科は他の科とは異なり一日で四十五分授業を七限目まで行なっているらしく、16時までは確実に学校に拘束される。そこから30分ほどかけてこちらに来て、ストレートにことが運んだとしても到着は17時前。ここでいろいろなことを試したり話したりして、軽く1時間。そこから文房具を買うなどで買い物をしたら寮に帰るのは19時を越える日もあるだろう。土曜や日曜は予定を入れることも多いらしく、平日にするとなるとこうなってしまう。私が車で送ろうにも最近はそういうことに煩く、あまりいい顔をされなかったので諦めた。

 

まぁ長々と語ってしまったけれど、とにかく、時間がない。という一言に尽きる話だ。

 

「先生と話すの楽しいけど、宿題もあるししょうがないかぁ」

 

それでも彼女は私との話を楽しみにしてくれている。だからこそ、この2時間に満たないなかで情報の純度を上げつつもわかりやすく説明しようと考えるのだけれど、それは自分の考えをまとめるのにも一役買ってくれている。どこからどう考えても、彼女には感謝しかない。

 

二人で帰り支度をし、研究室を出て、駅まで歩いていく。流石に夜道を女子高生一人で歩かせるわけにはいかないと言った結果、ここがお互いの妥協点だった。

 

「そういえばね、今日は担任の先生にしてやられたんだー」

 

他愛ない話をしながら帰路につく。彼女が語る高校生活は自分がもう遥か昔に置いて来たもの。彼女が通っている雄英高校は尖ったカリキュラムを実施していることも多く、面白い話が多い。とはいえそれはカリキュラムだけの問題だけじゃなく、日常の受け取り方に彩りがあるということの方が重要だと私は思う。無彩色にしようと思えば、いくらでもできるのだから。

 

近づいて来る駅の光。私の路線はまた別のところにあるから、改札の前でお別れだ。

 

「それじゃ、またね、先生」

「夜道を気を付けて」

「はーい」

 

改札に吸い込まれ、雑踏に消えていく透明人間。頭部部分が見えないせいで、他の人よりも飛び抜けて外見上の身長が低く、見失うのも早い。さて、それじゃあ私も帰ろうか。

 

 

 

 

◆ケース2

 

「せんせー、今日は光学迷彩の話とかしてくれるんだよね!」

 

入って来るなりそう切り出して来た彼女に、私は嗜めるよりも前に笑いを零してしまった。入るときにはノックをしなさいとか、そういったことを言うべきなのだろうけれど、それよりも彼女が今日の話を楽しみにしてくれていたのがありありとわかる登場で、それがとても嬉しかったのだ。

 

「えっ、笑うところあった!?」

「いやいや、今日も元気だなと思っただけさ。それじゃ、今日はその線で話を進めてみよう」

 

対面の椅子を手で勧め、私はそう切り出した。

 

「とはいえ、光学迷彩といってもいろいろあってね」

「あ、そうなんだ」

「簡単に言うと二通りあると言われているんだ」

「あ、割と少ない?」

「さて、それじゃあ一つ一つ紐解いていこう」

 

予め待機させていたホワイトボードに近付き、ボードマーカーを手に私は彼女に笑いかける。

 

「まず一つ目、いわゆるカメレオン型」

 

きゅっと丸を描き、周りを斜線で囲う。その後に、丸の中にも斜線を。

 

「周りの色に合わせるって言うやつだね」

「そう、周囲の色を認識し、合わせていく。それにより外敵に捕捉されにくくなり、生命を維持することに長けている。仮にこれならば、恐ろしいほどの演算がなされていると思われる」

 

服の色に左右されず、空間の揺らぎもない、完全なる透明。それを人間の体内で起きていると言うのはあまりに荒唐無稽にすぎるけれど、この"個性"社会でそんなことは言っていられない。けれど、周囲の色と同化する、という意味ではこちらはすこし考えにくい。

 

「二つ目は、光の屈折を操る方法。透過・回折とも言われる方法だ」

 

この説明は図を三つ。

二つの並行した縦線をえがき、そこに斜めに入射し貫通する矢印を添える。

その横に、一つの縦線、斜めの入射する線をその表面で止め、描いた線を辿るように戻る。

またその横に、今度は立方体を描き、その表面をなぞり反対側へ抜けていく入射を描く。

 

「さて、これらは何を意味するだろう」

 

マーカーにキャップをはめ、振り返ると懸命にボードを見ている姿が目に映る。いや、これは彼女は透明で見えないのだから不適切な表現かもしれないが。

 

「えっと、最初のは完全に光を透過してる図で、次のは光が光の方向に返っていってて、最後のが回折ってやつ……?」

「全て正解。じゃあ解説していこう。……あ、そういう冗談ではなく」

 

うっかり駄洒落になってしまってそう注釈を入れたけれど、ぽかんとした一瞬後に笑われてしまい、あぁこれは言い損だったなと反省をする。

 

「ええい、もう喋るよ。笑っていて聞いていなかったとかは言わないでくれ」

「はいはーい」

 

涙を拭う仕草をする彼女が視界に入り、あぁやはり涙も透明で、浮くことなどないのかと頭の中のメモに殴り書いた。

 

「最初の図は先月言っていたこととほぼおなじ。光が反射せず、直接突き抜ける。反射するのはその向こうにある物質だけ。地面で反射した光は阻害されず目に至るってわけだ」

「あ、そっか。だからこの間の話で否定しなかったんだ」

「うん。そして次は光が再帰しているのを表した図だ。一見反射しているけれど、これじゃあ光は目に入らない。それと同時に物質の向こう側にあるものを表面に投影することによって迷彩が維持される」

 

光の入射反射だけではなく、体の表面に景色を映し出す。それが出来てこその光学迷彩と言える方法だ。もしかしたらその表面への投影は、他の物から反射した光を感じ取り映し出しているのかもしれない。結果としては最初の図と同じだけれど、過程が少し異なる。人体部分で止まっているのか否か。

 

「最後に描いたやつは、もう一つ図を追加しよう」

 

そう言ってから描きだしたのは、横は実線、縦は点線の、入射反射を勉強する際のスタンダードな十字線だ。そこから右下斜め方向に入射線を描き、縦と横の交点に触れたところで折り返す。『逆くの字』といえばわかりやすいだろうか。

 

「……先生、その図っておかしくない?」

「そう、指摘通り自然界的にはおかしいものを描いている」

 

光というのは入射した際、基本的に正の方向へ抜ける。図で言えば縦の点線より向こう側へ行くべきだ。

 

「少し前の研究で負の屈折率を持つ人工物が作られたんだけれど、それを、自然界の存在である君の体で起きている可能性がある、ということさ」

 

メタマテリアル。人間の手によって作られた物質。特に、自然界ではあり得ない挙動をするものを指すことが多い。

 

「結構、いろいろあるんだ。びっくりした。二種類って言ってたのに」

「大まかには二種類で間違いはないよ。個人的には屈折系統の後者二つよりも、一つ目が可能性としては高いと思っていた」

「過去形?」

 

襟の僅かなひしゃげ具合から、首を傾げたことがわかる。こうした些細な挙動を見逃さないようにしなければいけない。

 

「うん。例えば、君はご飯を食べた時に、その物質がまだ完全に溶けきっていないのにそれを透過させる。これは細胞自体が光を透過する場合には全て見えて然るべき反応だ」

「……たしかに!」

「けれど、光源再帰は同じことが起きるし、一番最後であれば口より体内へ入ったラインを超えた瞬間に見えなくなる筈だ、とも言える」

「うーん、それならやっぱり光学迷彩の線はないの?」

「とも言い切れない」

 

困ったように肩を竦めると目の前の彼女は、何でー、と抗議をするように自分の膝を叩き始める。

 

「今まで話していたのは、一つの体でこれらが複合せず、一つの現象のみが起きている、と仮定した上での話だからだよ」

「……」

 

そう、何も彼女は人工物じゃない。人間から十月十日で生み出されているのだから人工物だろうという詭弁は捨て置いて、その外見がどうであれ自然の摂理に反した存在ではないことだけは確かだ。だからこそ、一つの性質しか持たない・持てない、ということもないだろう。

 

「細胞というのはすべてのデータが一つに詰まっている、というのは聞いたことがあるだろう?」

「うん。中学校の頃に習ったよ」

「だが結果として皮膚に歯は生えてこないし、筋肉は露出しない。それは他の箇所のデータがロックされていて読み込めないからだ。そのロックを外し、別の箇所に書き換え培養した時、光の屈折に何が起きるのか。それを紐解くまでは、まだ結論としては早いだろうね」

「それって何ヶ月単位の話なんじゃ」

「おまけに君のはそもそもそのロックを外す作業からして恐ろしく成功率が低いんだよ。培養もうまく行くとは限らないし」

「えっ、やばそう」

「これが御察しの通りやばい」

 

そういったことが自分の専門であるわけではないので外注するしかないのだけれど、外注先から何度も「何だこれは」と言われたのは一度や二度じゃない。そうした中で、出所を教えろと言われたのも一度や二度じゃない。

 

「あ、そういえば、光学迷彩って言われて直ぐ思いつく、こう、空間を捻じ曲げたやつは? 私のイメージってそれだったんだけど」

「あぁ、いわゆるSF作品で描かれる空間歪曲も、今は光の回折の一つだと目されているね。物質の特性か、エネルギーを使用するかというだけで、数字的には現象として等しいと言われている」

 

何より空間歪曲の場合、恐ろしいほどのエネルギーを使うだろうから、彼女が生命エネルギーでそれを維持する場合は自然と多くの食物を摂取していているのが妥当だ。よって、回折の中でもこれは可能性として低いと思っていいだろう。

 

「さて、今日の話はここまでだ」

 

時計に目線を滑らせると、すでに18時を回りそうな気配がある。

 

「来月は、荒唐無稽な話をしようか」

 

白衣を脱ぐ代わりに上着に腕を通し、デスクトップの横に出していたノートPCを鞄に入れ、周囲を片付けて行く。

 

 

「……先生がそうまで言うのって珍しいね」

「まぁ、聞いてくれたらわかると思うよ」

 

どうあがいても検証すら出来ないものを、話そうと言うのだからそうと言いたくもなるだろう。それでも検証できないが故に一蹴することも出来ない。そんな話だ。

 

 

 

 

◆ケース3

 

「荒唐無稽な話をしよう」

 

再度、彼女の前で私は笑う。いつもなら葉隠さんが笑っているというのに、今回は全く反対だ。しかしこれが笑わないでいられるだろうか。というより、正気で話せるものなのだろうか。

 

「先月も先生それ言ってたけど、そんなに?」

「うん」

 

疑問を呈するのは大事なことだ。そういうことを言えるようになったからこそ、私もこの可能性を差し出すことができるとも言える。

 

「君の"個性"は、色に於いてのみ空間がズレているのかもしれない」

 

そう言葉を落とした瞬間の君の表情は、どんなものだったのか。

世界の誰も知らないのだろう。

 

「……空間が、ずれてる」

「あるいは、高次元の存在となっているか」

 

混乱していることを理解しつつも、それを横に避けたまま別の可能性を口にすると更に混乱した気配が伝わってくる。見えない頭の上に疑問符が飛んでいそうなほどだ。

 

「すまないすまない。噛み砕いた説明はここから始めよう」

「先生いじわるー」

「かもしれないなぁ」

 

そんな軽口を叩きながら、用意していた二枚の透明フィルムを取り出した。

ひとつは、輪郭線のみの正方形。

もうひとつは、その正方形の大きさで描かれたただの黄色。

重ね合わせると両者はぴたりとハマる。

 

「自分のような人間は、可視光に当たるとこうした形で姿が顕になる。実体としての三次元的な存在と、色という平面的な存在は乖離したりしない。ここまではいいかな」

「えーっと、うん。たぶん。完成したぬり絵みたいな、ってことだよね」

「そう」

 

頷きながら徐々にフィルムをずらしていき、最終的に輪郭線のみのフィルムと黄色が塗られたフィルムは完全に分離する。この説で言えば私たちが平素触れている彼女は、この輪郭線のフィルムのみなのではないか、と。

 

「だが君の体ではこういうことが起きているかもしれないってはなしさ」

「……それが空間のズレ、っていうの?」

「うん。だから、君の色はもしかしたらこの世に存在しているかもしれない、ということだね」

「私の、色が?」

 

また素直に首を傾げてくれるものだから、私も直ぐに応じる。

 

「そう。未だ私たちが認識をしていないだけであって、ずれた位相、あるいは高次元な場所に君の色は投影されているんじゃないか、と」

 

何度か検査のために触れさせてもらい培養などもさせてもらった彼女の肌は、物質の構成としては他の人間となんら変わりはなかった。反射をしない特殊な皮膚というわけでもなく、ただ単に、本当に、色だけがない、といった風情。

だからこそ直ぐに、ならば何故可視光を反射しないのか、ということに思い至る。そこで発想を逆転し、反射をしている光がどこかへ消えてしまっている、と考えることも不可能じゃない。いや、そこまでいうならば当たる光がないことになって結局真っ黒になるか。

 

「有るけど認識ができない、から、無いように見える……」

「あぁ、いま口に出したことを引っ張るけれど、似たような話として、ずらしているのは位相じゃなく、他人の認識って考えもあったけど、これは君のところの担任……イレイザーヘッドさんが止められないって段階で精神介入系ではないと判断をしてる」

 

他者に働きかけるものではなく、空間に働きをかけている。そっちの方が可能性としてはあり得るだろう。

 

「ねぇ、先生」

「うん?」

 

何かを考え込んでいた彼女は、ぱっと顔を上げ、問いかけてくる。

 

「それなら、私の個性は、鍛えれば自分の顔が見えたりするのかな」

「……」

「自分の"個性"なんだから、自分にぐらいはそのズレたものを見られるようになったりとか……は、ない、かなぁ」

 

なるほど。例えば空間1をこの現実と言われる空間とするのならば、空間2にあるものを同時に重ねて見られないこともないだろう。存在すると認識が出来たのなら、それも可能かもしれない。存在しないと確固たる認識をしていたら、見えるものも見えないだろう。

 

「って、どうやって鍛えるのかって話だし。やっぱり今の」

「いや、盲点だった。もしかしたらそういう未来もあるかもしれない」

 

己の"個性"であるのならば、もしかしたら今は個性が制御できていないだけ、ということもあるということだ。聞くところによると彼女のクラスメイトには己のパワーに振り回されている少年がいるらしい。それなら、己と"個性"をチューニングし、合わせていくことによって出会うことも、もしかしたら。

 

「もしそうなったら、君はどうする?」

「えっ?」

「自分に自分が見えるとしたら」

 

何気ない質問として投げかけたそれは、しかし、踏み込み過ぎていたと思う。他人のアイデンティティに土足で上がり込んだようなものだ。

よくよく考えれば当たり前な話に押し黙った彼女を前にして、ようやくそのことに思い至った。

 

「こわい、かも」

 

申し訳ないと口を開こうとしたところで、音が。

 

「だって17年だよ。誰も見たことないし、自分でも見たことないし……3Dとかで凹凸から身体データを作ろうって話もあったけど、何やかんやで断っちゃってたし」

 

彼女の細胞を培養して完全に見えないスーツを作ろうという話になった場合、そのデータは取ることになるだろうし、いずれはそういう話になることは明白だ。第二の皮膚である衣服は、それがただの綿であっても想像以上に人間を保護する。

それでも今はそういったものを作ることなく、身ひとつで学校に通い、ヒーローになろうとしてるというのは、そういうことも関係しているんだろう。何せ思春期だ。思うところがあってもおかしくはない。

 

「でも、もし見られるなら、見てみたい。それぐらいの強さを持ちたい」

 

そうしっかりと自分の言葉で言い切る彼女は、強い人だと思う。きっと学校や家で接してきた大人や友人が彼女の真ん中を支えているんだろう。

 

「うん、そうか」

「でも本当にそれが科学的に証明できたら、私のって身体系個性じゃなく、特殊異空間型個性の扱いになるんだろうし、役所への変更届けも考えないといけないよね」

 

うん、と頷いて両のこぶしをにぎる姿に、あぁこんな日々が続けばいいなと、研究者にあるまじきことを考えてしまった。彼女は巣立つ人間だというのに、愚かな話だ。

 

 

 

 

 

 

 

そうして季節は過ぎていき、ある冬の帰り道。

 

「ねぇ、先生」

「うん?」

 

下り坂の中腹、すこしだけ前へ出た彼女が振り向いた。街灯や家々の光に背後から照らされ、逆光気味で私を見る君は、いったいどんな表情をしているのだろう。

 

「少し前から考えてたんだけど、私が死んだ時は、この身体は先生にあげるね」

 

腕を広げにこやかな声で言われた言葉に反応ができず、立ち止まってしまう。

街灯のノイズがやたらと煩くきこえた。

 

「……なに、を」

「私はヒーローになるから、そういう可能性も他の人より高いもん」

「違う、そういう話ではなく」

「先生にはたくさん貰ったから。お返しだよ」

 

ざぁっと、強い夜風が吹いていき、私たちの間で完全に世界が停止する。

 

────たくさん貰った。

 

それが、金銭の授受についてではないことぐらいわかる。しかし彼女について私が調べ、可能性を切り捨て、一体身体で何が起きているのかを明かそうとして行く。それが、年端もいかない少女にそう言わせてしまうほどのものだったのだろうか。

私は自分の研究のために彼女について調べていたにすぎないと言うのに。

 

「私は生まれた時から透明人間で、いろんな人を困らせた。お母さんや、お父さんや、学校の先生、友だちとか、街にいる知らない人とかにも」

 

見えない手を重ね合わせ、己の胸に当てる。

いけない。これ以上は、いけない。成人に近くとも遠い学生の内面をこんな場所で、こんな人間に吐露するものではないと、そう、大人として声をあげるべきだというのに。どうしてだか喉が張り付いてか細い音すら出てくれない。

 

「でもね、先生は、自分でも知らなかった私の世界に踏み込んで教えてくれたんだ」

 

そんなことが、まるで尊いことのように。

宝物であるかのように。

 

「だから、私が死んで遺体が残った時は先生にあげる。大切にしてね」

 

私は、何か思い違いをしていたのかもしれない。

 

葉隠透は透明で、天真爛漫な少女だとそう錯覚していた。いいや、それは間違いではない。おそらく、彼女の一側面ではあるのだろう。だが、それは。

 

「先生。約束だよ」

 

 

 

 

葉隠透は、生命として、性質として、透明すぎた。



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▽男性・カメラマン/プロ時代/仕事仲間
写し紙


光透き通るその身を

 

 

 

 

 

ファインダーを通して切り取る世界は、自分の眼球が写し取る現実よりもうつくしかったり、あるいは残酷だったり、切り取る瞬間・角度によってあらゆる表情を見せる。主体性をどこに持たせるのか。

 

光の角度を指示する。服の影が移り変わり、印象が変わっていく。ニットのやわらかな素材感が露わになりそれを切り取っていく。

モデルの肌の色は透けず、生地固有の色。まぁ今は夏だが、冬物の撮影ってのはこういう時期に行われるもんだ。

 

────インビジブルガール

 

完全無色彩の人間。物体がある以上、反射した色の波長によって色は生まれる。ガラスだって無彩色とはいかないというのに、胸から背中にかけての厚みがゆうに15cmは超えていようとも緑になるどころか、彼女はすべてを透過する。いや、すべての光は彼女を透過する、と言うべきだろうか。つまるところ、可視という限定的な条件のもとではあるが、地球に届く光・発生させることのできる光では今の人類に彼女を視覚的に捉えることは不可能ということ(個性によっては赤外線も可視光なんだろうが、まだそれはイレギュラーに分類をしてもいいだろう)。

 

そんな人間が、いまオレの目の前でとあるブランドの新作の服を着てポーズを取っている。最初にこの系統の仕事を打診したやつは最高に頭がいい。透明である彼女は誰にでもなれるが、誰も彼女にはなれず、彼女自体も誰にもなれない。矛盾している。

『服のみを見栄えさせる』という点で、彼女に勝るモデルはいないだろう(もちろん、モデルの方々がそういうったことだけで服を着ているわけじゃないと言うのは、重々承知していることだ)。

 

「ご機嫌ですねぇ」

 

床に座って写真を確認していると、よく仕事場がかぶるスタイリストが話しかけて来た。

 

「彼女を撮ってて楽しくない奴も……まぁいるだろうが、オレは最高に楽しいんですよ」

 

カメラは捉える。その肉感を。その存在を。透明だと言ったというのに矛盾だろうか。いいや、カメラならそれが出来るってだけだ。あいつは好き勝手動くタイプのモデルだ。じっとしてられんらしい。だが、それが、一瞬を切り取ることのできる機械ならではと言えんこともない。

 

「なーんの話、ですか!」

 

どん、と両肩に手をつかれる感覚。もう誰かなんてわかりきってるからカメラのモニターから目線は外さず答える。

 

「お前さんの写真を撮るのは楽しいって話だよ」

「やったー。いつもありがとうございます!」

 

おいおいおいおいおい、人の両肩に手をついたまま跳ねるな跳ねるな。

がくがくとぶれる視界の中、デジカメの液晶モニターにうつる写真のそいつは、たしかに笑っていた。

 

 

 

 

個人的には、インビジブルガールにはその名を脱いでもらい、本名である葉隠透であったり、もしくはまた別の芸名をつけるなりしてこちらの活動へ重きを、いやもっと言うのなら専念して欲しいとさえ考えている。あれほどまでに内から輝く人間を俺は知らない。

 

これからも撮りたいと思う。とびきりの機材で、とびきりの"表情"を。

 

とはいえ、ここしばらくは彼女が撮影に姿を見せることは今までの経験則からいって殆どないだろう。二足の草鞋をし、スケジュールが掴みにくい人間というのは、関わり合いが必須となる業界ではかなり忌避される。それでもそれを補って余りあるポテンシャルゆえに今でも仕事を得ているというわけだ。

つまり、ヒーローの動向というのは基本的に箝口令が敷かれる類のものである。いつ、誰が、どこで仕事をしているのか、していないのか。その情報は人によっては億単位で取引されるだろう。だから、インビジブルガールの仕事は一気に撮影をして、小出しにされている。定期的に現れたり現れないことによって、オレ達にもその不在を知らせない。徹底した情報管理。

 

個性からして、表舞台に立つ人間じゃない。一番誰かに見られているといえば、この仕事関連での話だ。表でなければ仕事に意味がないと、そんなことを言うつもりは毛頭ない。それは自分の仕事の否定でもあるし、そうでなくとも表に出ることを歓迎する人間ばかりでもないことを知っている。けれど、彼女は表舞台に立てる素質がある。それ一本で食っていくことも可能だろう。

 

「なぁンで、ヒーローなんだろうな」

 

雑誌に載った服飾モデルとしてのインビジブルガールの写真を見て、オレはそうひとりごちた。

 

 

 

 

「あ、カメラマンさん」

「お」

 

ある日、ぷらぷらと当て所もなく歩いていると街中でインビジブルガールに出会ってしまった。隣には男性がいて、明らかに非番中のデート。さすがに執心を自覚しているとはいえモデルの私生活に首を突っ込む趣味はないため、軽い会釈で通り過ぎる予定だったのだが。

 

「ちょうどよかった! ちょっと話したいことがあるんですけど」

「透、もうすぐ窓口閉まっちゃうよ」

「あっ」

 

そのやりとりに、あぁもうすぐ15時かとぼんやり理解する。

 

「すみません、私と10分ほど待っていて貰えませんか」

「あー、その」

 

面倒ごとは勘弁だと断ろうとして、いや、とそれを否定する。もしかしたら、インビジブルガールがヒーローを続けているのはこの人の助けがあってなんじゃないかと、そう思考する。つまり。

 

「そうですね、じゃあ待ってます」

 

インビジブルガールの方へそう言うと、やったー、と相変わらずのテンションで銀行の方へ向かっていった。しかしあの見た目は銀行の人を驚かせてたりしないんだろうか。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ。あ、私は普段彼女を撮らせていただいているカメラマンの、こういうものです」

 

二人で壁際に移動してから、名刺を取り出し差し出すと受け取られ、相手のも返ってくる。会社員。あぁこれは本当に、そういう関係なのだろう。無防備すぎやしないかとも思うが、ヒーローも人間だ。そういうこともあって然るべきだろう。

 

「すみません、お時間頂いてしまって」

「いえ」

 

壁に凭れ掛かり、世間話を始める。 天気のこととか、軽い仕事の話とか、インビジブルガールの話とか。不意に、一瞬だけ沈黙が落ちる。さして珍しくもないそれだけれど、今の自分にとっては逃すまいと掴みたい沈黙だった。

 

「……あの」

「はい」

「初対面で不躾なことだとは思うので、答えることが難しければその旨をお伝え頂ければいいのですが」

 

そのオレの言葉に、相手が、どうぞ、と頷いてくれる。どうも慣れている様子だ。透明人間のパートナーということで、何かを聞かれることが多かったりするのかもしれない。

 

「その、自分のパートナーがああいう職業についているということは、もう受け入れていらっしゃるんですか」

 

そう、問いかけた。自分よりもずっと近くにいて、もしかしたら結婚すらしているのかもしれない。苗字は違ったけれど、夫婦別姓なんて珍しくもなく、また戸籍上の名前と仕事上の名前を別にしているということもわりとあったりする。何よりヒーローの伴侶とわかる情報が多ければ多いほど狙われやすくなるのだから。

 

「そう、ですね……」

 

下唇をすこしだけ噛む仕草が目に入る。職業上、他人のそういうことには目敏くなってしまった。10秒ほどの沈黙ののちに、深い呼吸が一つ。

 

「彼女は、この世界で善行とされることを為そうとしています」

「はい」

「善行を為そうとしている者を止める、というのはつまりこの話で言えば悪行に加担をしている、と私は考えています」

 

それは、極論ではないだろうか。たとえその考えが善行であろうとも、出来る力がなければただの理想論であり、それどころか他者の善行の邪魔にもなりうる。理想体現というのは、その内情として力なき者は目障りだろう世界だ。

 

「しかしですね、善行を為そうとしてもそれに見合った力がなければ他者に止められても仕方のないこと、でしょう」

 

相手の方は続けてそう仰った。そこまで言語化できている、ということは、見合った力があると認識しているということか。

 

「けれど彼女はあの、オールマイト崩壊時代の雄英高校生です」

 

そこまで言われて、ずぁっと記憶が呼び起こされる。あのオールマイトが引退するに至った事件を。ニュースを。人々が走る姿を。そして彼が受け持っていたと言われているクラス。

 

「────まさか、伝説の、58期A組」

 

一年でヒーローに至る第一関門の仮免を突破した人々。雄英卒業生だとはしっちゃいたが、まさかピンポイントでその学期生だとは思わなかった。

 

「えぇ。巷ではその名を冠して卒業をしています。そんな人を、私が止められる権利がありますかね。学校を卒業し、国から公式に免許を発行され、世間からの評判はお墨付きをもらうほどの力を持っているというのに」

 

力なき者は、他者から止められる。

つまり、それを為すことを可能だと思われる場合は止めることはできない。

止める者が止められる。

 

「心配かそうでないかであれば、それはもちろん、心配です」

 

苦笑がこぼされ、それはそうだろうと、頷いた。

 

「けれどそれは、私の感情であり、彼女がこれから助けられるであろう人たちより優先させて良いものではなく、また、自身としても優先させて欲しくはないと思っています」

 

それがこの人の信念であり、パートナーがヒーローである者の覚悟なのだろう。正直、浅く見積もっていた。己を恥じるしかない話だ。

 

「────いえ、誤解を恐れずにいうのであれば、それを優先させる彼女が現れた時、私はヒーローを狙う偽物だと疑い彼女を切ります。そうあってほしいという理想の話ではなく、彼女の身を守るために」

 

あぁ、この人は、既に覚悟を決め、それをとうに自己決定する範囲外においている。自分自身が揺るがすことすらも許さない。

ヒーローのプライベートなパートナーであること。それがどういったものなのか。それを精査し、対話をし、その上で、飲み込んだ。

 

「それと同時に、あのまま明るく、気高い心根であって欲しいという私の感情ももちろんありますけどね」

 

そうか。インビジブルガールは、ヒーローとして矜持を持っているからこそ、レンズ越しに覗いた時、あんなにも輝いている。インビジブルガールではない葉隠透が、同じ舞台であそこまで輝けるかと言ったら、それは、わからない。

彼女は彼女だからこそ今、うつくしい。

 

壁から背を離し、真っ直ぐに向き直る。

 

「……不躾なことを聞いてしまい、申し訳ありません。そしてありがとうございました」

 

オレも心を固めた。

彼女を、もちうる限りの技術で撮ろう。自分の腕が表現に追いつかないこともあるだろう。一瞬を撮り逃すことだって、あるだろう。それでも、世界で一番、インビジブルガールを撮るという場所には、自分が一番近い場所にいるはずだ。

 

「いや、そんな、謝らないでください。実を言うとこれは……弱音なので」

 

その言葉で、うっすら理解する。外から見れば、彼女はひっきりなしに仕事を貰ってくる人気モデルだ。その上で、うっかりそのことを知ってしまった人からはやっかまれることもあるだろう。もちろん、ご本人は気を置く必要のない相手以外へは知られることのないよう細心の注意を払われているのだろうが、パートナーが彼女だとこういう事態に陥ったりすることも少なくはないだろう。

 

「心中、お察しいたします……」

「いえ、私の弱音があなたの役に立てるのなら、嬉しいです。どうか恋人の方と仲良くしてください」

 

そこで、うん?、となる。これは、もしかして、ヒーローをパートナーに持つ人間からの助言として話して貰っていたのか?ちょっとまってくれ。オレはそんなつもりはなかったんだが。

 

「お待たせ! しました!」

「おかえり」

 

ちょうどいいところにインビジブルガールが戻ってきて、すこし空気が弛緩する。

 

「それで、話したいことって」

「あ、そうなんですよ。この間のことで……あ、時間があればちょっとお茶とかどうですか」

「えっ、いや、デート中の方々にそこまで関与するつもりは」

 

インビジブルガールの唐突な申し出に、ちらりとパートナーさんに助けを求めるつもりで視線を送ると、こちらの意に反してにこりと笑まれる。

 

「いやー、実はモデル業の彼女の仕事仲間の方に会ったことがなかったので、その辺の話を聞かせてもらえたら嬉しいですね」

 

そこまで聞いて、あぁ、なるほど。この人は本当に葉隠透透個人を好いていて、その上でインビジブルガールオタクなのだろうと何となく察する。

そしてお互いがお互いを見ていると信じて疑っていない。

その関係性に、めまいが起きそうだとも思いつつ、悪くないとも、思う。

 

「……じゃあ、お邪魔させていただきますね」

 

どうせ誤解は解いておきたい。それなら、早いに越したことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「かっめらまんさん!!!」

「おう、どうしたどうした」

 

次の現場で、わななくインビジブルガールを見るのが楽しみじゃなかったとは、言うまい。こういう反応を返してくれるからこそこいつは楽しいとも言える。

 

「どうした?、じゃないですよ! これ!」

 

びしっと眼前に突きつけられるそれは、雑誌の表紙。この間俺が撮ったやつ。

 

「何か気にいらねぇヤツでも使われてたか?」

 

雑誌を受け取って、ぱらりぱらりとめくっていく。表紙は新規だが、中のはインビジブルガール特集で今まで撮ったやつのとびきりいいやつを選んだつもりだったが。

 

「写真じゃなくて!この!かめらまんさんの!インタビュー内容です!」

 

オレが持ったままの雑誌から、ドッグイヤーがつけられたページが開かれ指先がとある一文を叩く。『「私が一番、彼女を撮っているでしょうし、その座を誰かに渡すつもりはありませんよ」そう笑う氏は、とても楽しそうだった。』と。

 

「実際そうだから仕方ないだろ」

「カメラマンさんってほんっとうに、そういうところがー!」

 

インビジブルガールのそんな叫びがスタジオに響き渡るぐらいには、今日は平和で、ああいい日だなとオレは一人笑うだけだった。

 

 

 

 

インビジブルガールは最高の被写体だ。



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▽男性・獣人ヒーロー/高校卒業直前/依頼人
迷える後輩に贈る花束


迷う人を導くのも、ヒーローという人種に課せられた使命の一つなのだと、私は思う。

 

 

「それで、この依頼を」

「はい」

 

雄英高校、応接室にて。事件のあらましが書かれている書類と、要請人員について記載したもの、加えてその契約書を差し出し、私はイレイザーヘッド……いや、ここでは教師としているのだから、相澤さんというべきか。ともかく彼と向かい合っていた。

 

「なるほど、確かに」

 

この作戦にはとある"個性"を持つ人間が居る場合はことが運びやすく、尚且つ現在協力を要請できる人間として個性と免許の両方が登録されているのは一人きりだった。協会と警察に個性照会の問い合わせをして調べたから間違いないだろう。

 

────インビジブルガール。

 

不可視の存在。世が世なら、畏怖と恐怖の対象であっただろう存在が、今の世の中ではヒーローとなる人間だと認識されそうあろうとしている。それは面白いことだと思うし、正直、自分が救われるところもあると、心の隅で感じる。

 

「先生、呼びましたか」

「葉隠。来たか」

 

がらりと扉をあけて入って来たのは、ヒーロー学科の制服を纏った女性。来春、ヒーロー免許を取得することがほぼ決まっている人材の一人だ。そっとソファに近寄ってくるのにタイミングを合わせ、相澤さんと私が立ち上がる。

 

「こちらのヒーローから、お前に要請があった」

「初めまして、影狼と申します。見た目通り、狼人間です」

「はじめまして、葉隠透、インビジブルガールです」

 

獣に似た手で握手を求めると、そっと袖が近付き、虚空で握られる感覚。本当に、どう足掻いても見ることが出来ない。加えて一部界隈でしかまだ出回っていない話だけれど、彼女の細胞から作られたスーツが熱を遮断することに成功し、光学的にも、赤外線的にも、全くの透明になることが出来るようになったと。本当に、ごく一部のヒーローしか知らないが、これは知られてはいけない話でもある。

 

そんなことを考えながら、お互い手を離し、ソファに腰を沈めた。

先程相澤さんとともに確認した書類を整え、インビジブルガールの前へ持っていく。

 

「まず初めに、貴方には断る権利があります」

「はい」

「次の春まで貴方は学生であり、学業を優先させたとしても誰も責めはしません」

 

そう、彼女を含め、今ここにいる大半の人間は彼らは学生だ。ヒーローとなるであろうと渇望されているとしても、今しか学べないこともあるだろう。それに断るということは正式にヒーローになったとしても必要なことではあるので、よしんばここで断られたとしても彼女の糧にはなるだろう。

 

「但し、受けると決めたならば、最後まで関わっていただくことになります。貴方の戦力を込みで戦略を立てます」

 

一度関わったならば、その責を負うことになる。

それも、ヒーローであるのならば持っていてほしいものだ。

 

「とはいえ、今すぐここで決めろという訳じゃありません。行動開始にはわずかではありますが余裕があります。そのことを覚えておいてください」

「分かりました」

「それと、わかっているとは思いますが、ここで聞いたことはヒーローが持つ守秘義務に該当します。要請を受ける受けないに関わらず、他言無用でお願いいたしますね」

 

ここまで一気に喋ってしまい、学生にはキツい言い方だっただろうか、と考えたところで、いやここまで研鑽を重ねて来た相手を『学生だ』とある種侮るのは失礼にあたるのではないだろうか。先程、彼女が来る前に相澤さんも「要請を出して頂けるのであれば、大人として接してほしいと思っています」と言っていた。ならばそう扱おう。

概要書を二人に手渡し、自分のものにも目を落としながら話を続ける。

 

「本来密偵というのは法に触れる恐れがあるので摘発案件には要請をしませんが、今回は薬物取引の裏を取るためのものです」

 

説明を進めていくたびに、時折、存在が不安定なようなにおいを覚えた。相澤さんからではなく、たしかにインビジブルガールから漂ってくるもの。不安、迷いに加え、恐怖……とは違うな、これは後悔?焦燥?複雑な精神状況だ。顔が見えない分、そちらの気配は濃厚で、ポーカーフェイスが苦手なんだろうと思った。

もちろん相澤さんは気に留めず、私もまた気にせずレジュメに説明を付け加えていく。これはそういう話だからだ。

 

「以上です。何か質問はありますか? もしくは後日聴いて頂いても大丈夫です」

「……あの、」

 

たまにテレビなどで見る彼女とは、すこし大人しい。メディア用にそういうペルソナを被っているのだろうかと考えたところで、あぁいや、と内心でかぶりを振る。卒業間近の三年生と不安を掛け合わせたならば、答えは目の間に出る。というか、答えは出ていた話だ。

 

「はい」

「すこし、考えさせてください」

「もちろんです。出来れば今週の土曜までにご連絡を。お待ちしております」

 

頷き、紐付きの書類封筒に紙束を入れて渡す。

願わくは、彼女の道の先がヒーローでありますようにと祈りを込めながら。

 

 

 

 

そんな会話をした数日後。

街の警邏を終え、事務所の前へ戻ってきた時、夕陽に影を好きにさせ佇んでいる人がいた。街中を歩く人々と似たような衣服の少女。顔を見たことはないけれど、その姿を見れば話したことがある相手だというのは一目瞭然だった。

 

「こんにちは、インビジブルガール……じゃ、ないみたいですね。今は葉隠さんですか」

「わか、るんですか」

「まぁ、なんというか、引かないで欲しいんですが……においに強いもので」

 

こつこつ、と自分の獣らしい獣部分である鼻をかるくつつく。

制服を着ておらず、雰囲気がごく個人のものとなっているのでそりゃわかるだろうと思うけれど、たぶん、そんなことに気を配っていられない精神状態なのだろうとも。

 

「まぁこんなところで立ち話もなんです、寄っていきますか?」

 

きっと彼女は偶然通りかかった訳じゃないんだろう。だからこそ、偶然を装って事務所へ招く。たぶんその方が入りやすいだろうから。

 

今日は事務の人は早引けし、自分だけのがらんとした事務所。あ、年下の異性をこういう風に招くのは良くなかったか、と一瞬だけ考えたけれど、あんな風に思いつめた雰囲気の少女をさいならと放り出す方が何倍も大人としてどうかしているだろう。

応接用の対面ソファを勧め、座ってきょろりきょろりとしている間に給湯室へお茶を淹れにいく。そっと静かに、丁寧に。彼女が話せるように、じっくりとぬるくなるお茶を。

 

「どうぞ」

 

湯呑みを置き、対面のソファに座る。恐らく頭を下げ、湯呑みに伸ばそうとした手を、すっと引っ込める。じわりと焦燥感が漂う。断るのだろうか。それも、まぁ、仕方のないことだ。断るのならば相澤さん経由でも良かったというのに律儀な人だと思った。

 

「あの」

「はい」

「なんで、私だったんですか」

 

それは夕陽に照らされ、客人用ソファに座る透明人間がいる自分の事務所という、すこし現実離れした風景の中で落とされた疑問。

 

「私なんて、ただ透明なだけで、他に取り柄もないし、ヒーローに、だって」

 

あぁ、やはり。彼女は悩んでいるのだ。ヒーローになることを。ヒーローという道を歩むことを。この個性社会と言えど、自分の特性を使わずに生きていことだって可能で、彼女はそれが少し人よりも難しいかもしれないけれど、決して不可能などではなくて。だからこそ、迷う。自分がその道を歩めるのかどうか。わからなくなってしまって。

ぎし、とソファに背中を預け、すこしだけ、対外用の口調を緩める。

 

「────すこし話をズラしますが、俺がなんでヒーローになったかっていうと」

 

だから、そんな話をしよう。迷う人がいるのなら、私が影になろう。影があるということは、光があるということだから。ゆえに、迷うことなんて何もないと言うために。

 

「世界を救いたかったんだ」

 

本当に、あの頃の自分は、徹頭徹尾、世界ってもんを救えるんだと思っていた。馬鹿らしい、子供の戯言だと思う。だいたい世界ってなんだよって言う話なわけで、いわゆる敵だって世界の一部だと言うのに、と。今はそう思う。でも。

 

「世界を救うために、ヒーローになろうと思った。散々馬鹿にされたし、何ならお前の顔は敵側だろって言われたりして、同級生と喧嘩して、先生からしこたま怒られた」

 

何の話をしているのだろうと、きょとんとした雰囲気の葉隠さんがこちらを見る。

 

「でも諦めきれなくて、今こうしてヒーローをやってる」

 

そこまで喋って、口調を戻す。

 

「その中で、インビジブルガール、貴方もそうなのではないかと。世界という大きなものを救おうとしている人だって。気のせいかもしれないけれど、見ているものの尺度が近いと」

 

突拍子も無いほどに大きな目標を掲げて、光であろとする。人々の前ではいつも笑い、活力を分け、爛漫という人物像を保っている。それは、確かなモノだ。

 

「もちろん、第一として、貴方のその"個性"がとんでもないもので、誰よりも力を貸して欲しいと思ったからというのは前提としてです」

 

『たかが透明』じゃない。それは、どれだけの人間が欲しいと思った"個性"なのか。とはいえ、数が問題なのではなく、彼女が彼女自身の個性に価値を見出さなければヒーローとして売りに出すことはできない。

己が己の価値を信じる、こう表現すると酷な仕事だと改めて感じる。

 

「世界……」

 

ぽつりと、輪郭を確かめるように呟かれる単語。世界。それそのものは形がないものだけれど、そうやって存在を確かめたくなるような、そんな外面だと、私も思う。

 

「救えると、思いますか」

「わかりません」

 

咥内にたまっていた唾液を嚥下する音が聴こえてしまう。あぁ、突き放した物言いになってしまったか。

 

「それは誰にもわからないことです。でも、どうか」

 

ソファから立ち上がり、極力目線を合わせてから、頭を下げる。

 

「私と一緒に世界を救ってください」

 

世界を救えるかどうかはわからない。あのオールマイトにでさえそんなことは出来なかった。それでも、誰も出来ていないからということが諦めることには繋がらない。目標を下ろす理由にはならない。

 

「────はい」

 

幾許かの沈黙の後、聞き間違えようのない承諾の言葉。

 

「私に、世界を救うお手伝いをさせて下さい。影狼さん」

 

そうハッキリと告げる彼女は、迷いを断ち切り、未来を見ていた。

 

 

 

 

それから、一ヶ月。

 

例のでかい案件を終え、事務所が入っている屋上で夜の空を見る。あの日を思い出す。

警察からの協力要請を受けた際、同席していた相澤さんが俺に持ってきた依頼。────この仕事に、インビジブルガールを使ってくれないか、と。

 

彼女が来る前にしていた書類の確認はそういうことだ。最初は鬼のイレイザーヘッドも丸くなったもんだと思ったが、いやしかし、今回接してわかった。どんな教師であれ、ヒーローであれ、あの"個性"を野に放つ選択はない。あれほどまでに汎用性が高い斥候が今までの歴史全てを込みに込みしたとして、一体何人いるんだか。当時の雄英の入学試験を鑑みれば、彼女が入学できたことさえ奇跡に等しい。だからこそ手放せなかったのだろう。

 

三年生になりヒーローブルーになりかけている人間なんてごまんといる。とはいえ、それが一時的なものだともわかっていたんだろう。戦意喪失し、戦えなくなった者を前線に放り込むほど人非人じゃない筈。自信を取り戻させたかった。それを他人に頼むのだから、不器用というか何というか。

 

「まぁ、ともかく、若人が喜んでいたらいいさ」

 

依頼はこれ以上にないほどにうまくいった。あとは、彼女次第。

 

 

 

 

葉隠透────いや、インビジブルガールは希望の芽だ。



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▽男性・一般社会人/プロ時代/同棲中/恋愛
棚いっぱいの


自宅に帰ってきて始めにやることは、録画していた地元テレビのニュース番組を見ることだ。同居している恋人の活躍が、もしかしたら、今日は見られるかもしれないと願いながら。

とはいえ、俺の恋人である葉隠透────インビジブルガールは、完全透明人間個性だ。その"個性"の特性や強さから言って、こういったテレビでフィーチャリングされるようなものじゃない。縁の下の力持ち。ヴィランの企みを後ろから刺す、偵察系ヒーローだ。

 

最近はその個性をモデル業に使って見ないかと言う打診があり、テレビではそちらで見ることが多いぐらいで。服のみを強調することに特化しているとインビジブルガールと彼女をとても買っているカメラマンとの対談で、そう評されていた。とはいえ、モデル業はあくまで副業。自分の体が空いている時だけ受ける、と事務所にハッキリと言っているようで、そういうところも、好きだなぁと思う。

 

うん、葉隠透が、俺は好きだ。

インビジブルガールも、好きだ。

 

プライベートである時間と、公的な場での時間。どちらの姿もとても好きで、今でもずぅっと恋に落ち続けていると、我ながらおもう。わからない。いつかこの想いが尽きてしまうのかと、いつか、彼女へ恋に落ちることがなくなるのかと、その日々が来てしまう可能性に、たまに背筋が寒くなる。こんなにも好きな感情が、無味乾燥なものとなる日が。

いま、未だ来てもいないしくる気配もないものを恐れるなんて馬鹿げているとは、うん確かにそうだ。それでもたまに脳裏をよぎる。

 

 

 

 

今日は絶対に残業をしない日だ。会社の意向とかそんなんじゃなくて、単に俺が、奇数月の第三金曜日は絶対に透よりも早く帰ると決めている(そんなことしなくても大体夜遅かったりするんだけど、念には念をだ!)。

マンションの扉をあけて、郵便ポストの規定の数のボタンを押す。かちゃりと開いたその中には真っ白で大きな分厚めの封筒が入っていた。

 

その他諸々も引っ掴んで、急いでエレベーターに乗る。早く着かないか早く着かないかと急く自分を抑えながら鞄から鍵を取り出し、開いたと同時に一目散に玄関へ扉へ。がちゃりがちゃりとここは丁寧に。馬鹿みたいに慌てると逆に鍵が回りにくいっていうのはもう何度も経験してわかってることだ。

扉が開いて、入る。踵でちょっと乱雑に靴を脱ぐ。一旦居間に行って机の上に置いてから、踵を返して洗面所へ。手の隅々まで。今日は紙で指を切ってるから、タオルで拭いたらすぐに傷口に絆創膏。罷り間違っても自分の血で汚すわけにはいかない。

 

ふぅ、と全ての支度を済ませて、居間の方のソファに座り、封筒の表を見る。俺宛。うむ。

レターナイフを滑らせ、しっかり開いたことを確認して、手袋をつける。中のものを傷付けないように慎重に机の上に出せば季節のお手紙と、『インビジブルガールFC限定隔月報』が入っていた。

 

俺がインビジブルガールのFC会員だということは、透には言ってない。もしかしたら事務所の方で見かけてしまっていたりするかもしれないけれど、とにもかくにもそれについて言及をされたことはないので、まぁたぶん知らないんだろう(仕事で知った情報は外に持ち出さないという情報秘匿義務もあるだろうけれど、そういうことを加味してもおそらく)。

 

まず手紙。季節のことや、話しても大丈夫そうな仕事のこと。大きな橋の支柱の部分に猫が迷い込んで降りられなくなっていたところを、透明を生かし気配を殺して確保したとかなんだとか。他のヒーローいなかったのかとか、むしろ警戒されるのではとか色々思ったけど、まぁ地面に降ろされてぽかんとした猫と一緒に写っている(らしき)写真はとても可愛らしいのでよかったよかった。

 

インビジブルガールはその個性の特異性から、案外FC会員が多いのだとか聞いたことがある。まずニュースで見ることはできないし、メディア的に目立つ活躍を見せたとしても映えはしない。それでも一定の根強いファンがいて、そこからSNSとかでじわじわファンが増えて今に至っているとかなんとか。フェチにはたまらんという意見も見たことがある。わからんではない。

 

インビジブルガールというヒーローは、自身が華ではあるが、"個性"には色がない。

いや異色なのだけれど。色はない。物理的に。

だからこそこういったことを事務所がやってくれるというのは大変ありがたいことだ。そうでなければ、ほとんど活躍を知ることなんて出来やしないし、そもそも隠密を主軸として動くヒーローとして世間に認知が広がるのはあまり好ましいことではないだろう。それでも。

 

「最近はグッズも出してくれるからすごいよなぁ」

 

FC会員限定とかじゃなくて、一般流通で、だ。透明下敷きに今までインビジブルガールが公式で着ていた衣装を印刷したものとか、彼女がつけていたリストバンドだとか。何の変哲も無い透明のシリコンケースをインビジブルガール非公式グッズだと端末につけていた最初期からは考えられなかった未来だ。

そもそも公式FCの存在がいまでもたまに夢なんじゃないかと思ってしまったりする。だけどそんな時は財布に入れている会員カードをみて、心を落ち着けるのだ。保護フィルムに入れたそれをとりだし、そっと番号を撫でる。

 

【No.052】

 

こういう最初の方の番号は本人とか、マネージャーとか、関係者で埋まるって聞いてたから、たぶん50は一般の中じゃ早い方だろう。透明なカードに、会員番号は彫り込み、その他の情報は銀色のインクで載せてあるという恐ろしく見辛いことこの上ないのだけれど、それがらしいなぁと俺は思う。ファンの中でも評判はいいらしい。

 

天井の灯りにかざし、傾けるときらきらするカードを眺める。今は何番ぐらいまでいってるんだろうか。何年か前に三千人突破したとか言っててこっそりケーキでお祝いをしたのは覚えてる。それから激減したってことはないだろうから、横這いなんだろうか。

 

彼女の頑張りを、多くの人が知ればいい。どれだけの人間を救っているのか。半年ぐらい前にヒーローの大規模捜査が入って壊滅させられたヴィランのアジトも、たぶん先鋒はインビジブルガールだ。

 

────そういった荒事の中で、家の中に彼女が帰ってこないのに平和な会報だけが、届いたことも、ある。当たり前だ。生きていると見せるだけでヴィランの動きは鈍くなる。今この瞬間も見られているんじゃないかと思うだけで、意味はある。

それでもあの時は、あぁ、ちょっと辛かった。君が生きていることをただひたすらに祈って、ヒーローのパートナーであることなんて同僚に言えているわけもなかったからそれでも仕事には向かって。その帰りに彼女のご両親の様子を見に行っていた。たぶん、誰かに会いに行くことで精神を保っていた。

 

「帰ってきてくれて、良かったなぁ」

「誰が?」

「……っ」

 

ぼけっとしていたらいつの間にか帰ってきていたようで背凭れ側からかけられた声に心臓が縮み上がる。

 

「あ、珍しい。わりと最初から私が急に現れても驚いた顔しなかったのに」

 

驚くというよりも心臓が冷えてる故というかとにかく机の上に注意を向けないようにしなければと思うが思うほどにボロが出てしまいそうでつまりもうボロが出ているんじゃないかと思うわけでしてつまり。

 

「あ、なんか落ちたね」

 

光にかざしていたせいでソファの後ろにおちてしまったらしい。フラグ回収早すぎだろう。頼む何も気がつかないでくれ。

 

「えっ、なんで!? えっ、あれ?! うそ、入ってるの!?」

 

まぁ気付かないわけないよな!そんながばがばの探索力で密偵なんて出来ないよな!自分のFCのカードデザインぐらい覚えてるよな!

穴があったら入りたいというのはこういう時に使うのだろうということを身を以て知った。ソファの座面に顔を向けて何とか抵抗をする俺の背中を、ぽかぽかぽかぽかと軽いいつもの透の拳が叩いてくる。いや、叩くって言葉ほどつよくはないが、まぁ弱連打みたいなもんだ。かわいい。でもその可愛さも今は見る事ができないちょっと待ってくれ本当に待ってくれ。

 

「もー、いい加減こっち見てよ」

 

いたずらっ子みたいな声で言われているとわかっているのに、その声にちらりと顔を上げ、天井側を見ると、そこに透が覆いかぶさってきていた。

 

「へっへっへ」

「……なんだよ」

「そんなに私のことが好きかー、かわいい」

 

にこにこ声で、絶対ににやにやしながら、髪の毛を撫でられる。駄目だこれかなり恥ずかしい。何プレイだ。そうそう出来ないぞこんなプレイ。やったな。やってねぇ。

 

 

 

 

「おはよ~」

 

ある日の午後、昨日きた会報を改めて読んでいると、珍しく土曜日が休みになったらしい透が起きてくる。最近はヘビィな仕事をしていたらしく、今日からしばらく休みらしい。よかった。

 

とすん、と隣に座られて、透の分の朝ごはん作るかなと会報を畳み始めたところでぐりぐりと頭を肩あたりに擦り付けられる。……これは構えっていう、そういう、あれか?

 

「あのさー」

「どうした?」

 

取り敢えず畳んだ紙を丁寧に机に置いて、頭を撫でる。さらさらとした指通りのいい髪の毛。透が四苦八苦しながらも髪の毛の手入れをしているのを見ているから、たまに俺もドライヤーをかけたりなんだりしている。かわいい。

 

「見えないかもしれないけど、実はここに透さんがいるんですね」

「……おう」

 

何か可愛いことを言い始める気配を感じて、心がすこし疼き始める。ぽんぽん、と寝間着を着た自分の胸を叩く透の動向をじっと見守る。

 

「それでですね、今ならハグし放題なんですよね」

 

じっと見られる。

 

「……それはハグしてもいいってことですか、透さん」

「そうですよー! インビジブルガールじゃないけど!」

 

あぁやっぱり。そういうところもすっげーかわいい。

今日も君に恋をするけどまぁ仕方ないよな!

 

 

 

 

そうして今日も今日とて帰宅して、手を洗って、家事をし始める前に地元テレビ局の録画をつける。ヘッドラインを見る限り今日もなさそうだと、理解する。それでも自分が住んでいる地域のヒーローが活躍しているっていうのは、気分が上がるもんだ。自分の住んでいる地域を守ろうとしてくれる人がいる、それだけで、ますます好きになれるようなそんな。

 

『────女性も、男性も、自分が望む姿で』

 

そんなナレーションが聴こえてきて、あぁCMに入ったのかとフローリングにワイパーをかけていた顔をあげた瞬間。

 

純白の衣装を着て、笑っている彼女が、そこに。

 

オフショルダーの、腰の後ろ回りにふんだんにレースが盛ってあって、彼女が元気に動くにつられて動く白い布たち。白い総レースの長手袋に、。胸はすっきりとし、体のラインがハッキリとわかる。他の人間が着たら、肌の色が透けてしまう薄い代物。それが全く下品じゃなくて、彼女が持つ魅力を増幅させる形に仕上げられているものであることは一目瞭然だった。

おそらく現時点の日本で、彼女だけが着こなせるウェディングドレス。それを、オーダーメイドのドレス・スーツの店のCMとして打ち出す覚悟。金さえあれば、全ての存在にこのサービスを行う用意はできている。そう言い切っているも同然のものだ。

 

────きれいだ。

 

ただ、ただひたすらにそう感じた。

 

膝が落ちる。ばたばたと落ちる涙に構うこともできず、眼前のテレビはもう既にそのCMを終えているというのに、脳内の映像がリフレインする。肌に色が落ちる人間であれば、所謂胸の先や秘所と呼ばれる箇所が見えてしまうデザイン。けれどだからこそ、彼女にしか着こなせない。そのドレスをCMに用いるある種の暴力性、メッセージ性。それを企画した、それにGOを出した、それを実際に作り上げた、すべてのひとに、感謝をする。こんなにうつくしい彼女を、彼女がこんなにうつくしいと、世間に知らしめてくれて、ありがとう。

 

一目惚れをした。笑顔が素敵な人だったから。

 

惚気を聞かれてそう答えると、彼女の姿を知っている人間は笑う。馬鹿なことを言うなと。お前はそういう"個性"じゃないだろうと。ちがうんだ。笑顔っていうのは、なにも物理的なことじゃない。そんな単純なことを、目の前で教えてくれたのが彼女だった。そうして内側を、外側を、知るたびにますます好きになっていって、耐えきれなくなって、これからヒーローになる人に、告白をし、告白をし返され、同棲を始めて、今に至る。

 

彼女はうつくしい人だ。かわいい人だ。

内も、外も。

 

「たっだいまー!」

 

玄関が開く音とともに、元気な声が聴こえてくる。それにハッとして落としていたフロアワイパーを拾って、よろりと立ち上がる。録画を流していたテレビ画面は既に沈黙し、自動的にセーフモードとして電源が落ちているようだと理解。洗面所で手を洗う音が聞こえて来て、ほどなくして目的の人が居間に入ってきた。

 

「おかえり、透」

 

透は帰ってきたばかりで、俺は半ば茫然自失としながらワイパーを持っていて、そんな場面じゃないと理性は殴ってくる。わかってる。わかってるんだ。もっと、こう、ちゃんとしたセッティングで言うべきだって。

 

「大事な話があります」

 

出た声は恐ろしく冷えていて、びっくりした。

 

「な、に?」

 

ほら、透もそれを理解したのか萎縮してる。ごめん。自分の余裕のなさを押し付けるなんてどうかしてる。ごめんなさい。あとで美味しいスープとか作るから、許してくれないだろうか。

 

「俺と結婚、してくれませんか」

 

ヒーローという職業上、彼女の事務所にはパートナーとして登録されている。緊急連絡先として俺の電話番号が使われたことは、何度もある。そしてヒーローのパートナーというのと、ヒーローの伴侶というのは、実のところ危険度として段違いだという統計が出ているほど(もちろん、パートナーという曖昧な定義ではあるので、そこを加味するとまだ信用できる話ではないのかもしれないがそれは承知している)。

加えて彼女の"個性"はパッシヴなもので、ON/OFFが出来るわけじゃない。つまるところ身バレがしやすい。彼女にパートナーがいるというのは、一般人でも知っている人間は知っているだろう。

 

だから、彼女は結婚という制度をそこまで重要視していない。俺もそうだった。だっていうのに、急激にあふれてしまった。隠せていたら、今までとなにも変わらずいられたのに。

 

「……泣くほど、悩んでたの?」

 

いつの間にか目の前に透がいて、俯けてしまっていた俺の表情を慮るように覗き込んできている。やさしい、やさしいやさしい、俺のいとしい人。

 

「わがままで、ごめん。葉隠の戸籍に、俺の名前を刻みたい」

 

あなたの人生に、俺がいたことを、法的に刻みたいと思ってしまうなんて、そんなのどうかしているだろう。ヒーローがどう言った存在なのか知らないわけじゃないのに。

 

「いいよ」

 

だと言うのに、ワイパーに多少体重を預け始めたところで、そんな都合のいい返答が聞こえて来た。聞き間違いかと強く視線を投げたところで、近付いてきた透が俺に手を伸ばしてくる。

 

「いいよ、結婚。しよっか」

 

もぎゅっと頬を両手で挟まれて、強制的に視線を繋げられる。

もちろん何も見えないけれど、それでも何かが見える気がした。

 

「あのさー、確かに君が思ってる通り、私は結婚にはあんまり興味がないよ」

 

そうハッキリと言われて、あぁやっぱりこれは俺のわがままなんだなと心に刻む。落胆じゃない。わかりきっていた事実だ。

 

「でも、君は私がヒーローをやってることを今まで一回も止めたことはないんだ」

 

ぽつりとこぼされる言葉。

 

「どんなに大怪我して、たまにこの個性で行方不明になったとしても、ただの一度も辞めてくれって言わなかった。お母さんとお父さんには、何回か言われちゃったのに。そりゃもちろん私が未熟だから起きたことだけど、ヒーローでありたい私を、信じてくれてる。私が正式にヒーローになる前から私のことを知ってるのに、葉隠透としてだけじゃなく、インビジブルガールも好いてくれてる。それってさ、本当に心の支えで、いつも感謝してる」

 

葉隠透としてだけじゃなく、インビジブルガールも好いて。

それは、そんなことは、俺にとって当たり前のことだ。ヒーローになりたい、じゃなくて、なるんだと笑った夏の日をよく覚えてる。太陽の光が強く、すこし薄暗く感じる教室の中で、窓の外の青い空を背負っていた君。

 

「そんな風に自分の真ん中を支えてくれて、しかもそんな可愛い申し出、叶えたくないわけ、ないじゃん」

 

あっけらかんとした声音で伝えられる言葉。そっと、フロアワイパーから手を離して、頬に添えられる手に自分のを重ね、静かに続きを。

 

「私は、ヒーローで、たぶんきっとこれからもヒーローで、そうあり続けたいと思ってる。だから君が危ない目に遭うこともあるかもしれない。でもさ、それ込みで言ってくれたんだって普段の君を知ってるからわかってる」

 

あぁそうか、俺が彼女を見ているってことは、彼女も俺を見ていて、自分の意思で一緒にいてくれているってことで。何でこんなに単純なことに気がついていなかったんだろう。自分だけが好きなつもりでいたのかと、そんなわけがないのに。

 

「そしてね、君が私のことを大好きで、大切にしたいって、尊重したいって考えてくれてるの知ってるよ。そして私も、君のことが大好きで、大切で、尊重したい。自分で叶えられる望みなら叶えたいんだよ」

 

にっこりと笑う。やさしく、太陽のように。俺が一等大好きな笑顔。

 

「────私に、その機会をくれてありがとう」

 

ありがとうだなんて、そんなの、俺が言いたいのに、君は先に言う。

 

「透」

「うん」

 

名前を呼んで、それに応えてくれる。それが嬉しい。

 

「ありがとう。これからも、一緒に歩いてくれるって、言ってくれて」

「私こそだよ! よろしくね!」

 

その反応に、勢いよく目の前の人を抱きしめる。お互いに笑い合う。ちいさい。物理的には俺が覆えてしまうぐらいなのに、ずっと大きくて、敵わないなぁって思って。でもそんな人生をこれからも彼女のそばで送ることができるっていう未来に、また涙が出そうだった。

 

 

 

 

 

「結婚指輪の代わり、どうしようか。透は付けづらいだろうし」

「あ、それなら食器にしよ! ペアの! そんで毎年作ろ! 食器棚いっぱいにしよ!」

「なるほど、そういうのもいいな」

 

 

 

 

葉隠透は、俺が愛した人、です。



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▽男性・後衛ヒーロー/プロ時代
君が歩んだ物語


・葉隠透の死亡が含まれます。


幼いころから、"幽霊"が見えた。

 

と、対外的に人には説明するけれど、実際のところ自分が何を視ているのかなんて正直わかっちゃいない。幽霊、魂の残滓、思念体、場に残ったエネルギー、あるいは強い人間の生命エネルギーによる想いの空間への焼きこみ、いろいろ言い方はあるけれど、"それ"がなんなのかはわからないままだ。だって機械で観測しようがないものを俺は認識して、それを情報源としている。それが、全て正確であったことが俺の個性を確固たるものとして証明をし続けてくれている。

 

とりあえず、俺はその"何か"と話して、遺体を探す役目を負った、完全後衛サポート系ヒーローだ。

 

 

 

 

────大規模な災害があった。

 

人間が時間単位で数百人死んでいく。

災害国家であるゆえにその辺りの整備は遅々としながらも確実に進んでいた。ヒーローの数だって一時は減ったけれど、今は平時であれば休暇が自由に取れる事務所だって増えている。それなのに、人が足りない。足りなさすぎる。ヒーローはもちろん、自衛隊や警察官だってフル稼働している。それでも、掌からこぼれていく命が目の前にあった。

 

雑然としたぐちゃぐちゃの、生活臭が薙ぎ倒された瓦礫の中、俺は自衛官の部隊とともに走っていく。

 

『たすけて』

 

いろんな人が視界の中、聴覚の中、訴えかけてきた。まだ自分が死んでいることに気がついていない人もいれば、自分は死んだが下に女性がいるから助けてほしいまだ息がある、と己がもう死んでいると自覚しながらも、自分の声が届く相手を信じて叫び続ける人もいた。生者の声と死者の声が混濁する。それでももうずっとこの"個性"と付き合って来たからわかる。

 

死者の声は、本当に申し訳ないけれど、無視せざるを得なかった。選択をしなければならなかった。それが自分の仕事。自分の個性が必要とされているワケ。レイヤーの異なる情報収集。カウンセラーから散々止められた。知り合いの医者からは、黒を置いていく気持ちをずっと味わいたいのかって笑われた。覚悟はしてる。それはもう過去において来たモノだ。いまの俺を揺るがすものじゃない。

 

いま、この場でどの声が必要なのか。

俺がどうして必要とされているのか。

 

それだけ分かっていれば、走ることは出来るんだ。

 

 

 

二週間後、あらかたの生者も死者も引きずり出し終わり、黙祷を捧げ、朝焼けで街が一望できる丘の上でベンチに座りながら完全な私服で煙草を吸っていた。もちろん禁煙区域ではないことは確認しているし、携帯灰皿だって持って来ている。普段吸わないそれは喉が痛いし、全然気分は良くならなかった。しかしそれでも、こういうものが必要な時があるっていうのがわかってしまったのは、良いことだったのだろうか。

 

見える街並みはあまりにも薙ぎ倒され過ぎていて、ここにあれだけの人が住んでいたのかと心臓が軋む。職業上、個性上、人の生き死にには膨大な量で触れて来たけれどどうしても心を麻痺させることだけは未だ成功していない。

 

人の営みがぽつりぽつりと点在するこの街が、いつか災害があったことが遠くなればいいと思う。

 

『────ねぇ』

 

不意に音が聴こえる。この感覚は、死者からのものだ。だけど不用意にそういったことを言って良いわけじゃない。出来ることならば、それは穏やかであってほしいという俺の我儘。

 

『私の声、聞こえてる?』

 

辺りを見回しながらその声を聞く。あぁ、ということはあんた、自分がどうなってるのかわかってるのか。極限状態を脱しているだろうこの状態で、受け入れざるを得ない状況でもないのに。

 

「あぁ、聞こえてる。どんな姿でも驚かない自信はあるから、出て来てくれないか」

 

周りには倒壊しなかった木立たちだけで、俺以外に人間の姿はない。自分の前に現れる姿はわりと千差万別で、死ぬ直前の姿であったり、死んだ時の姿であったり、年齢が若返っていたり、あるいは逆に、当人よりもずっと老けていることもあった。だから、今回もそういうことなんだろうと、そう。

 

女性の声はころころと笑う。まるで鈴の音のように、煌めいている。

 

「……笑うところか、いまの」

 

どうもペースが掴めない相手だ、と首の後ろを掻いたところで、また言葉が。

 

『実はね、目の前にいるんだよ』

 

そう言われて、毒気が抜かれていた感情が瞬間、引き絞られる。

 

『透明人間なんだ』

 

透明人間。目に見えない存在。皮膚が光学迷彩である"個性"であるのならば、言ってしまえば体液や内臓がはみ出たら発見はされるはずだ。あるいは、パッシヴだとしても生命エネルギーで維持していたのであれば、やはり生命活動が終わっているいま現在なら姿は認識ができるだろう。それでも、いま彼女がここにいて、わざわざ俺に話しかけて来ているのは。

 

「要救助者じゃないか」

 

ベンチから腰を浮かしながら急いで煙草を消して、灰皿を尻のポケットに突っ込む。踵を返し麓までの道へつま先を向けた時、慌てた制止を求める声。訝しんで、見えないけれど振り向けば、あのね、と。

 

『もう生きてないから、急がなくてもいいよ。疲れてるだろうし。実は遠いんだ、ここから』

 

そう言った彼女が、笑ったのがどうしてだかわかった。それが、へたくそな笑いだったのも、わかってしまった。

 

「そ、りゃ……俺が認識できてるなら、そうだろうさ。でも、じゃあこうして話してる貴方が、どうして生きていないって言えるんだ」

 

俺にとっては、いわゆる生者も死者も大して違いはない。いつか消える。それは、生きていても死んでいても起きることで、俺にとってはみんなのいう死の先に、もう一つ結末が待っている。

 

『やさしいね』

「いや、俺の、エゴだよ」

 

せめて誰にも知られないで死んでいく人が、いなくなればいいと。それだけ。死なないほうがいいなんてのはわかってる話だけど。

 

『ヒーローになる人なんて、みんなエゴばっかりだよ』

 

あっけらかんと言われたその言葉に思わず吹いて、たしかに、なんて笑ってしまった。自分の中にそう言ったものがなければ、ここまで来ることなんてできなかっただろう。

 

「で、どっち方面なんだ?」

 

言いながら地図を広げる。聴きながら歩いても良かったが、まぁきっちり目的地を定めた方がいいには決まってる。作戦用に使っていた地図はたった一週間だというのにぼろぼろになっていて、地図を大事に出来ないヤツは早死にするな、なんて不謹慎にも考えた。

 

『この地図だと……C-1かな』

 

現地点がG-9だから、今までの最長距離、直線距離で70km以上。なるほど、慌てるわけだ。それでも、俺はヒーローだから。

 

「わかった、行こう」

 

存在が不安定だからか、生物が持ちうる以上の速度のものには乗ることが出来ないというのは経験則でわかってる。だから、徒歩で。それを相手も理解しているのか、むずりとした雰囲気が漂う。

 

『私だけが歩いて、あとで合流するって手もあるけど……それ考える必要もないって顔だね』

 

当たり前だ。そんな遠い場所から、俺に助けを求めに来た。俺のことを知っていたのか、途中で知ったとか、あるいは見かけていた可能性すらある。ただ自分は死んでいるからと知らせることを躊躇ったとかも、もしかしたら。きっと彼女はやさしいひとだから。

 

「それなりに鍛えてるから平気さ。そっちはどうなんだ?」

 

自分で言ってから、自分が視えている存在にそういったものが存在するのか考えたことがなかった。それほど一緒にいることもなかったというのは、言い訳だ。知る機会なんていくらでもあったろうに。

 

『大丈夫。素足だけど、痛くもないし』

「……」

 

つまり、服まで透過するタイプじゃないらしい。ん?ということは?

 

「わっっっっるい!」

 

どこに視線を向ければいいのかもわからないけれど、取り敢えず目を瞑る。

 

『えっ、裸だと思ってなかった? ごめん!』

「いや、最初に思い至るべきだった本当に申し訳ない!」

『いや、いいんだよ。だって手袋も何もつけてないのが私の作戦姿だから』

 

作戦。日常に似つかわしくない単語。ふと、目線を向ける。不思議と目線が合ったような気がした。

 

「ヒーローなのか」

『うん。作戦行動中で、巻き込まれて、そのまま即死』

 

何でもないことのように、そういう。行こう、と声をかけられて、それに促されるまま地図を畳んで、今度こそ麓への道を辿り始めた。

 

 

 

 

木立が揺れる。砂を踏む。鳥の声は聞こえない。他になんの音もない。

 

つまり、さっきまであれだけ喋っていた相手が、無言でいるということ。だから、俺は本当に隣に彼女がいるのかとか、彼女は極度の疲労状況の俺の幻覚じゃないのかとか、そんなことを考えてしまった。あぁそうだ。疲れてる。疲れていないはずがない。だからって、目の前の人を、しかも自分から助けてと言ってくれた人を後回しにできる筈もない。

 

『あのね、聞いてくれる?』

 

そんなことを考えていたら、窺うように口火を切られる。

 

「いいよ」

 

最期の言葉を聴くことができる自分は、いままで出会うこともなかった誰かの話を聴くことが多い。実を言うと、そういうのはわりと、好きだったりする。愛おしい人への言葉を預かったり、人生で誰にも言えなかった愚痴だったり、ダイイングメッセージを預かったり、どうしてという慟哭だったり、様々だ。

 

『実はさ、私、透明で見えないし、即死だったから自分がしんでるって、自覚するのに時間がかかったんだ』

 

己にも見えない、完全迷彩。ヒーローにならなくてもきっと生きづらいことも多かっただろう。あらゆる人生を考え、天秤にかけた、これは彼女の選んだ道の結果。だからそれをヒーローである自分が内実を知らずに勝手に悼むことは、侮辱になることだ。

 

『だってわかるわけないんだよ。自分が潰れてるところも見えないし。こうやって動けちゃうし。でも、一回気が付いちゃえば簡単だった。見える世界が一変してた。どうして不思議に思わなかったのか、おかしいぐらい』

 

声しか聞こえない彼女は、しかし声色が多彩で、おおよそどんな表情をしているのかわかる。きっと、そうあろうとしてきたんだろう。これは印象の押し付けかもしれないけれどたぶん、努力の人だ。

 

『それにしてもさ、自分がなってみてわかったけど、幽霊って本当にいるんだね』

「幽霊……なのかは厳密にはわからないけどな」

『そうなの?』

 

少し近くなった声。それにつられて、俺も隣を見る。空白だとしても存在はする。それは、もしいわゆる生者であれば俺にはどう写ったのだろう。

 

「そもそも、幽霊って何だと思う?」

『えっ。えーと、生き物の魂?』

「そう、そこなんだよ。実はいま何がどうして、どういった存在とコミュニケーションを取っているのか、定義されていないし、他の人間が定義できるほど情報もないんだ」

 

イギリスから端を発するSPR──心霊現象研究協会から何度か話を聞かせてくれと言われたことも検査に協力をしたこともあるが、結局のところ俺の脳内で起きて脳内で完結しているから『取得している情報が事実と相違がない』ということから研究は進んでいないと聞いた。

 

両親が他者感応系だから、その辺が複合した結果なんだろうとは個性研から言われちゃいるが、所詮それも確度の高い推測でしかない。

 

「だからまー、幽霊かもしれないけど、そもそも幽霊の定義って何だってところから始めないといけないんだよ」

『そっか、今までその辺が学問として進んでないから、そういうところからなんだね』

「そうそう」

 

理解が早くて助かる。

 

そんな他愛のない話をしながら、人影がたまにちらほらする街を歩いて行く。この辺りじゃもう俺の顔は知れ渡っているようで(ニュースでも大々的に流れたとか何とか)、傍から見たら盛大な独り言を言っている自分を気にする人は珍しくいない。

 

ふっと、会話が途切れる。お互い何か失言をしたとかじゃなく、自然な隙間。だからこそ考えてしまう。彼女のこと。彼女にまつわる周りのこと。

 

────二週間も、放っておかれてしまっていたことについて。

 

 

 

 

『ねぇ、そろそろ足、やばいことになってない?』

「えっ、あっ、とと」

 

淀みなく歩いている、つもりだったけれど、だいぶ足にキていたらしい。少しよろけて瓦礫にぶつかりかけた。言われるまで全然気づかんかったぞ。やばい。

 

『もー、時速5kmぐらいで10時間だよ。夕方だし、休も。ね、それぐらいわかっててあそこまで行ったから』

 

時速5km。まぁそんなもんだろうなと頷いて、適当にその辺の空き地を見つけて携帯ライトをつける。軽装とはいえ、まぁ野宿したって死なない季節だろうし、建物は倒壊を考えるとおいそれとは近付けない。

 

『でも、急いでくれてありがとう』

 

不甲斐ない俺に怒るでもなく、絶望するでもなく、彼女はそういう。

 

日が傾いていく赤から紫、そうして濃紺へ至る空を見上げながら、ぼんやりと時間を過ごす。人間の気配はない。ライト以外の灯りもない。微かに車の音が遠くから聴こえて、ごろりと寝転べばやけに星が綺麗に見えた。

 

そういえば、ここのところは起きてる時は救助活動に勤しんでいるか、災害前もトレーニングばっかりで、こんな風に何もしないことなんて殆どなかったなと思い出す。

 

「ライト、消していいか?」

『いいよ。寝るの?』

「まぁ、早めに寝落ちたらいいなって感じだ」

 

疲れてるせいか逆に眠くない。それでも灯りがついているよりは、ついていない方がまだ寝付きはいいだろう。

 

ぱちりとスイッチを切って、また寝っ転がる。微量の機械の稼働音が消えて、風の音だけが鮮明に。暗い中に、人間二人。傍からみたら一人だろうけれど、まぁそんなんは今の同行者を鑑みるとそう大して変わらないのかもしれない。いや、もちろん作戦行動外では服を着ていただろうけれど。……着てたよな。少し怖くなって、いや失礼だなと頭を振る。相手をなんだと思ってるんだ。

 

────完全な透明人間。他人はおろか自分にも視覚的な知覚をすることが許されない。それはつまり、髪の毛を培養すれば、透明なヒーロースーツを作ることが出来るってことなんだろうかとぼんやり考える。透明であるということは赤外線視覚とかを持つ人間が見れば裸も同然だろうけれど、それができる人間はごく僅かだ。

 

透明である、というアドバンテージ。

透明である、というデメリット。

 

それは、彼女が一人でいた時間に内包されている。

 

「なぁ、こっちから聞いていいか? 答えたくなかったらいいんだけど」

『うん? 答えられることなら、基本答えるよ』

 

そう言われて、今から自分が投げかける質問が残酷じゃないのかと自問する。そんなことをしたって結局はわからないわけなんだが。

 

「透明なら、GPSとか、発信機とか、チップとか、マイクとかそういうのは仕込んでなかったのか?」

 

完全隠密はわかる。

ただ体内埋込なら同化してしまえたりしないんだろうかと。

 

だって二週間。二週間だ。時間に直せば336時間。寝るのかも知らないけれど、もし寝ないのだとしたら満額だ。それだけの時間を透明であるこの相手は自我を崩壊させずに、一人きりでいた。

人々は見えるのに、自分は見えないどころか、衣服をまとっていない状態では大幅な表現手段だろう声だって届かない。最終手段の接触すら封じられて。それがどんなことなのか。存在に気がつかれないことに慣れているとしたって、そんなのあんまりだろう。

 

『うん、そうだね。でも今回に限っては、それは駄目だったんだ。生身だけの私が行くしかなかった。追跡用のマイクロチップはわざわざ摘出したぐらい』

 

そこまでがちがちに警戒して、潜入しなければならなかったところ。おそらくそこも壊滅しているんだろうが、何かの痕跡を探すとかであったならばせめて証拠が残っていればいいと思う。

 

『関わってる人がすっごい少ない案件だったから、そっちに救助要請出せなかったんだろうね』

 

笑う。世界を受け入れて笑う。

そんな彼女の表情が、たぶんいまこの世界でいちばん、直視できなかったのが俺だ。

 

 

 

 

 

『……て。おーきーてー!』

「?!」

 

耳元の大声で飛び起きて体勢を整えた瞬間、しぃっ、と音の指図が落とされ、先のと合わせて理解する。異常事態だ。

 

『声、出さないで』

 

首の動きだけで了承を伝え、なるべく呼吸をゆっくり、気取られにくい速度へ。

 

『この付近をちょろちょろ回ってるバンがあるみたいなんだけど、なんかどうもおかしい気がしない?』

 

腕時計に視線を落とすと、星明かりでうすらと見えるそれは夜中の三時を指している。業者だったとしても、一般人が自分の家をどうにかするにしても、昼の光がないこんな時間にやるべきことじゃないだろう。

 

『取り敢えず私が偵察してくる。ナンバーと人数伝えるためにおっきな声出すけど、大丈夫……だよね、たぶん』

 

相手の"個性"も不明な状態で大胆な行動だとは思うが、しかしまぁ、時間効率を考えると他に手はない。首肯をすると、いってくる、と落とされ、ふっと気配が消える。────気配?おかしなことを感じるもんだと、かぶりを振った。背筋にそっと冷たいものが這い寄っている。

 

取り敢えず寝る前に調べておいた瓦礫に隠れ車へ近付きつつ、光量を最低に落とした携帯端末で近くの警察署あてに現在地と不審者のアラートを投げておく。これで10分後に問題ナシの追加連絡をしない場合、警察車輌が流れてくる。

……警察官とヒーローがここまでスムーズに連携が取れる時代になるなんて、昔は思いもしなかった。

 

『車のナンバーと!人数ー!いっくよー!』

 

感慨に耽っているとすこし離れたところから声が聴こえる。ナンバー把握、アラートに追加送信。人数把握、3人。車両に一人、家捜しをしているのが二人。しかしまず本当に火事場泥棒なのかってことだが。

 

『割れた窓ガラスから中に入って、金目のものがないとかしけてるとか言ってるー!』

 

アウトじゃねえか真っ黒すぎるわお約束にもほどがある!

 

息を殺し、足音を消し、ゆっくりと目的地へ。車が見え、運転席にひとり。

 

『ドアは開いてるはずだよ』

 

存外近くでそんな声がして、声を噛み切りきった自分を誰か褒めて欲しい。いや、作戦行動中に気を抜くなという話ではあるのだけれど、それでもだ。

 

『制圧行動、いく?』

 

得意かどうかじゃなく、行くかどうか。あぁもちろん。後衛に属するヒーローだとしても、ヴィランと対峙する機会がないわけじゃない。誰かと何かと行動をともにするってことは、守らないといけないってことでもある。

 

落ちた瓦礫一つ、小石一つ、砂利一砂、それが自分がいま行おうとしていることを左右しかねない。けれど不思議と恐怖はなかった。一人でも戦場に赴くことはある。けれど今は一人じゃない。それが心強くないわけが、ないんだ。

 

 

 

 

「────っし」

 

最後の一人を投げ飛ばし、地面に押さえつけ意識を強制的に落とす。

作戦行動完了。ちょうど赤色回転灯やサイレンを鳴らさないパトカーも数台到着したみたいで、ぐるりと最後の窃盗犯を縛り上げ瓦礫に腰を下ろす。

 

ひやりとしたところもあったが、見えないチームアップ相手のお陰で何とか、だ。流石に後ろに目はついてないけど、目みたいなもんだな。あれだけ精度が高く、且つ信頼ができるってのは、今までがなせる技だろう。どっかに潜入したとしたってモノを書くわけにもいくまい。あの目は、そういう実地での奮闘の賜物だろう。

 

そんなことを考えていると、こっちで何度か顔を合わせた警官が挨拶をしに来てくれた。

 

「この後は宿までお送りいたしますよ。どうぞ乗ってください」

 

疲れたところにそんな言葉を言ってくれるとは、信頼関係を築けていたと言ってもいいんだろうか。それでも、それは。

 

「申し出はありがたいのですが、徒歩で行かないと行けない場所に向かっているので」

 

そう伝えると、俺の個性を知っている相手はそういうことか、と理解顔で頷き、窃盗犯を乗せたパトカーを引き連れ署へと戻って言った。

 

『うん、さいごに一仕事って感じ!』

 

その明るい声に、どうしてだか泣きだしそうになっちまって、ぐっと堪えた。

 

 

 

 

朝もやの中、道中で伝えられていた外見の建物が見えてきて、二人で足を止める。

 

「ここか?」

『うん、ここ』

 

完全に倒壊したビルの下を指差されて、すこし途方に暮れてしまう。あぁそうか。そういうことを考えて然るべきだった。有り得ないミスだ。応援を呼ぶべきか、どうか。

 

『あ、そんなに困んなくていいよ。そこの赤いラインが見える隙間だから』

 

隙間。覗いてみようとして、手をついたところに、目に見えない何かがあった。あぁ、ここにいる。目に見えなくたって、ざらついてても極端に乾いていても、確かに人間の皮膚で、上半身があるべき場所は完全に瓦礫に埋もれていた。

 

「ここにいたんだな」

 

一旦立ち上がってから周囲の安全確保をし、万が一に備えてまだ設置されている災害対策本部へ応援要請をする。それから、近くの瓦礫をどかして小さな空き地を作ってから長袖の上に着ていた上着を広げておき、よしと軍手をはめた。

 

隙間の前に膝をついて手を合わせ、ずるりと、思っていたよりもずっと簡単に彼女の体は引きずり出せた。下半身だけ。意外にも内臓は腐っておらず、だからこそ気づかれなかったんだろうと。

 

そっと遺体を運び、広げていた上着の上に。

 

『み、見えなくても汚れるよ!』

 

慌てた声に、いいんだよ、と返してからまた隙間に。出来るだけ拾えるものがないか、探してみよう。

 

 

 

 

「もうすぐお仲間も来るってさ」

 

他にもと思って探しては見たが、いかんせん誰にも見えないものを探すのは骨が折れ、相手にも再三諦めるように言われてしまい、今は要請をした応援と、そこからいった連絡で、元々ここで作戦行動を行うために動いていた連中を座って待っているところだ。もちろん、軍手は外して。

 

『そっか、みんな探してくれてたんだ。こんな"個性"だから、見つからないって言っても仕方ないのに』

 

"仕方ない"。俺たちは日々それを言わせないように動いていても、その性質上基本は後手に回っちまう。ヒーローだって、救われて然るべきだっていうのに。

 

「あと、伝言預かった」

『伝言?』

「"最後に伝えてくれた情報のおかげで、助けることができた"って」

 

部外者の俺を介するからか、そんな短い言葉だった。それでも、誰かが助かった。あの瞬間まで、ここにいた人間がいたからこそ。

 

それを聞いたのか、聞いていないのか、相手は押し黙って、俺もただ雲の向こうで明るくなっていく空をぼーっと見ているだけで、たまに鳥が鳴いて、それだけの時間がしばらく続いた。

 

『……あのさ、ありがとう』

 

その言葉に、阿呆面をしていただろう顔をすこし正して、顔を声の方へ向ける。

 

『そんなぼろぼろになっても見つけてくれて。体温も体液も殆どなくなった私を、見つけられる人がここに来てて良かった。同時に、君が見つけてくれてよかった』

 

そうやって、感謝を、屈託なく言える。俺は自分がその立場だったとして、こうして言えるだろうか。言えたらいいと、思う。でも。

 

「あのさ、すげぇ、見当違いなこと言い出してたら申し訳ないんだけど」

『うん?』

「泣いてもいい場面だと、思う」

 

どこか引っかかってたいことがようやく言語化される。喉の奥から出てくる。

そう、そうだ。そうなんだ。

 

彼女は、感情を隠し通すことに長けてしまっているんじゃないだろうか。だって声音さえ騙してしまえれば、泣いていることなんて誰にもバレない。それはどこでも泣き放題ってわけじゃなくて、感情を発露しないよう・己でも気付かないよう生きてきた可能性も、あるわけで。

 

「ヒーローは泣かないっていうけどさ、ヒーローであっても、俺の前じゃ今、要救助者なんだよ。だから」

 

だから。

 

『なん、で、君が泣いてるの』

 

指摘されて、あぁ、泣いてるなって、自覚する。歪んだ視界に気がつく。でも、泣くだろ。

 

「悪ぃ」

 

二の腕のシャツで顔をこすって、ぐっと、鼻に力を入れる。

 

『泣いて、くれるんだね』

「昔っから妙に涙脆くて。悪い、救けに来たっていうのに」

『ううん、ありがとう』

 

言って、少しずつ、漏れ聞こえてくる、滲んだ声。泣きたかったわけじゃないかもしれない。俺が泣いちまったから、つられて泣いただけかもしれない。

 

『い、生きたかった、なぁ』

 

そう言えたのなら。

 

『もっと、もっとたくさん、いろんな人に出会いたかった。もっとみんなといたかった。お母さんと、お父さんと、いたかった』

 

零れていく感情。ヒーローはヒーローであるわけだけれど、それと同時に人間でもある。誰に何と言われようとも、それを否定したら、俺たちはヒトじゃなくなってしまうんだ。

 

『────だけど』

 

逆接。

 

『最期までヒーローでいられて、本当に、よかった』

 

彼女が、ヒーローであることを心の底から後悔をしていない。それなら、俺もそう思おう。よかった。今回に限らず、彼女がヒーローを志したことで救われた命はたくさんあっただろう。なんせ完全な透明人間。事態を未然に防ぐために諜報活動をしたことは数え切れないはず。

 

「……お疲れさま、インビジブルガール」

 

お仲間から伝えられた名前でそう声をかけた時、彼女はすでに向こう側へ行っていた。

雲の切れ間からは太陽が覗き、まるでそこから昇っていったかのように見えたのは、あんまりにも感傷的すぎるだろうか。

 

あぁ、でもきっと、俺がそんなことを言ったら笑ってくれるんだろう。

 

 

 

 

インビジブルガールは、紛れもなくヒーローだ。



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