絢の軌跡 (ゆーゆ)
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プロローグ

1204年 3月30日 夜

 

 

記念すべき19回目の誕生日の夜、アヤ・ウォーゼルはグラスを片手に窓の外の景色を眺めていた。ミディアムショートに切り揃えた黒髪を弄りながら、ふと壁に掛けられている時計に目を向ける。時計の針は、午後8時過ぎを指していた。

 

(……あれからもう、3年も経つんだ)

 

私にとって3月30日という日付は、誕生日の他にも色々と縁があるように思えた。

お父さんが病でこの世を去ったのは、私の8歳の誕生日だった。本格的に武術をお母さんから教わり始めたのは、10歳の誕生日からだったか。

そして、私が二つ目の故郷を手に入れたのが・・・・・・ちょうど3年前の、16回目の誕生日。

 

「アヤ、いるか」

 

不意に、ドアの向こうから聞きなれた声を耳にする。

 

「あ、うん。ちょっと待って。今開けるから」

 

ドアを開けると、長身で浅黒い肌の男性が立っていた。

ガイウス・ウォーゼル。私の弟・・・・・・と言っても、血が繋がっているわけではない。

 

「……飲んでいたのか?」

 

テーブルに置かれたグラスを眺めながら、彼は大きな溜息をつく。

 

「いやいや、これノンアルコールだから。お酒じゃないって」

 

嘘は言っていない。マスターにそれとなく頼んでみたら、サービスで出してもらったものだ。

 

「ならいいんだが。明日からはお互い、忙しくなりそうだからな」

「分かってるって。ガイウスこそ、ちゃんと明日の準備しときなよ」

 

トリスタの駅から程近い場所にある喫茶宿場「キルシェ」に、私達2人は宿を取っていた。

 

朝一にゼンダー門を出発、アイゼンガルド連峰を貫くトンネルをいくつも通り、鋼都ルーレ・帝都ヘイムダルを経由しながら―――トリスタ駅に着いた頃には、既に日が暮れかけていた。移動だけで丸1日掛かってしまうことは、事前に分かっていたことだった。こうして現地に前乗りし、滞りなく宿を取れたのも、学院側の配慮によるものだ。

 

「ねぇ、ちょっと外に出ない?」

「今から、か?」

「こっちに着いてからバタバタしっ放しだったから。少し、風にあたりたいしね」

「……そうだな。そういうことなら、付き合おう」

 

一旦自分の部屋に鍵をかけ、ガイウスの部屋に向かい同様に施錠をする。「鍵を掛ける必要があるのか?」という彼の台詞に対し、「当然でしょ」と少々強めの口調で返す。こういった部分は、開放的なノルドの地では身に付かない習慣なのだろう。ノルドの外で暮らすために必要なことは、私が面倒を見てあげなければいけない。

 

それから2人で1階の喫茶スペースに降り、カウンターのマスターに声を掛ける。

 

「すいません、ちょっと外に出てもいいですか?」

「ん?ああ、構わねえが・・・・・・もうどこの店も閉まってるぜ?」

「少し、散歩してくるだけですから」

「ならいいけど・・・・・・あぁ、ちょっと待ってろ!今行くって!」

 

テーブル席に座る酔っ払いの客達の催促に怒鳴り返しながら、マスターは渋々オーダーを取りに足を運ぶ。

 

「随分賑わっているな」

「夜の酒場なんて、いつだってどこだってこうだよ。まだまだこれからが本番って感じ」

「そうなのか・・・」

 

学院側からは喫茶店を兼ねた宿屋、と聞いていたが、むしろ食事処や酒場として利用されているように見えた。

 

「・・・・・・ほら、早く行こ。ボーっとしてると絡まれちゃうって」

「あ、ああ」

 

気が付けば、周囲から好奇な視線が注がれていた。宿泊客とはいえ、今私達が身に着けているのは、紛れもない士官学院の制服だ。唯でさえガイウスの異国風の出で立ちは周囲の目を引くのだ。夜の酒場となれば、尚更であった。

 

______________________________________

 

「んー。何ていうか、落ち着くね」

「そうだな。いい風が吹いている」

 

私たちは今、公園のベンチに座り、夜のトリスタを堪能している。時刻は午後8時半過ぎ、中央公園広場は深い静寂に包まれていた。導力灯と月明かりに照らされたライノの花が、深い情緒を感じさせる。

 

「トリスタに来るのは、初めてではないと言っていたな」

「まぁね。でも随分前のことだし、もうあんまり覚えてないかも」

 

ガイウスの言葉に、私は星空を眺めながら返す。事実、余り覚えていない。もう何年も前のことだ。

それでも、ハッキリと覚えていることがある。

 

あの時もこうしてベンチに座り、遠目に士官学院の校舎を見やりながら―――私は、士官学院へ向かう学生達を眺めていた。彼らには笑顔が溢れ、将来への光と希望に溢れていた。

それに比べ、あの頃の私には、何も無かった。大切な家族も。居場所も。未来への希望も。生への執着心すらも薄れていたかもしれない。私と彼らとの間に感じる、絶望的なまでの差。

全てはあの日。7年前の、3月30日―――

 

「アヤ?」

「・・・・・・ごめん、ちょっとボーっとしてた」

 

心配そうなガイウスの表情から察するに、表情に出てしまっていたのかもしれない。

 

「長旅で疲れているんだろう。そろそろ宿に戻らないか?」

 

そう言って彼は立ち上がり、私に手を差し伸べる。

思わず、笑みがこぼれる。

 

3年前もそうだった。

あの日も私は、彼が差し伸べてくれた手に救われた。今の私には、帰る場所がある。そして、愛すべき家族がいる。

 

弟の手を取りながら、私は遠目にトールズ士官学院の校舎を見やる。夜が更けた今となっては、暗闇しか目に映らない。それでも今の私には、光が溢れているように思えた。




はじめまして。ゆーゆと申します。
初投稿になりますので、読みにくい部分が多々あるかと思います。

基本的には原作のストーリーをなぞりながら、独自の設定をその都度入れていく予定です。

拙い文章ではありますが、よろしくお願いします。


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序章
新たな門出


「いい風だ。新たな門出にはもってこいといったところか」

「うん、晴れてくれて何よりだね」

 

昨夜から宿泊していた「キルシェ」で遅めの朝食をとり一休みした後、2人は駅前広場周辺を散策していた。理由は単純、起床の時間が早すぎたため、時間を持て余しているからだ。ノルドの民の朝は早い。入学式の時間に合わせて目覚まし時計をセットしたものの―――自然と目が覚めてしまっていた。ガイウスに至っては、アヤが目を覚ました頃、身支度を終えていたほどだ。

 

「じゃあ、私はベンチで休んでるから」

 

昨晩に見つけたベンチに腰を掛けながら、アヤはガイウスに向かって言う。

 

「すまない、すぐに戻る」

「ゆっくりでいいって。時間はあるんだし」

 

ガイウスが向かった先は、橋を越えた先にあるトリスタ礼拝堂。橋を越えたすぐ先に礼拝堂があることは、チェックアウトの際にキルシェのマスターが教えてくれた。

一方の私は、ベンチに座りながら目を閉じ、眉間にしわを寄せていた。

 

(落ち着かないなぁ)

 

ノルドでの生活が長かったせいだろうか。僅か一晩とはいえ、「物」で溢れる周囲の環境に、違和感を抱いてしまう。過去に慣れ親しんだ筈の環境なのだが、どこかしっくりこない。その影響なのだろう。十二分に睡眠をとったはずが、気怠さを感じる。

私でさえこれなのだ。表情には出さないが、彼も一種のストレスを感じているのかもしれない。礼拝堂での一時が、少しでも癒しになってくれればいいのだが。

 

「野太刀・・・・・・いや、長巻か。珍しいな」

 

長巻という言葉に思わず反応し目を開けると、前方には私と同じ制服に身を包んだ男子が立っていた。彼の興味深げな視線の先にあるのは、私が抱きかかえるように手にしていた「得物」。

 

「あ―――すまない。起こしてしまったか」

「ううん、眠ってたわけじゃないから。気にしないで」

 

ばつが悪そうに頭を下げる彼に対し、いいからいいからと勢いよく手を振る。

 

「えーと。お互い士官学院の新入生、で合ってるよね?」

「ああ。リィン・シュバルツァーだ。よろしくな」

「私はアヤ・ウォーゼル。こちらこそよろしく」

 

お互いに名を名乗りあった後、私とリィンは軽く握手を交わす。

差し出された手に思わず反応してしまったが、不快感は少しも無かった。

 

「でも、これが長巻だってよく分かったね?麻袋で包んでるのに」

「そのことか。最初は野太刀か槍かと思ったんだが、重心に違和感があったからな」

「なるほど。お互い、東方の剣術や武具の心得があるってわけか」

 

言いながら、私は彼が背負う紫色の包みに視線を向ける。長さから察するに、おそらく太刀の部類だろう。

 

「君も俺と同じ色の制服なんだな。少し安心したよ」

「・・・・・・やっぱりこれ、気のせいじゃなかったんだ」

 

そう。そうなのだ。

ちらほらと同じ新入生と思われる生徒は見かけるものの、その誰もが緑色の制服を着ている。たまに純白の制服を目にしたが、私とガイウスのように紅色の制服を着ている生徒を見たのは、目の前にいるリィンが初めてだった。留学生用の特別仕様、という可能性も考えていたが、どうもそれも違うようだ。

 

「いずれにせよ、アヤとはまた入学式で会うことになる気がするよ」

「それには同感。もしかしたら、同じクラスなのかも」

「そうだな。その時はよろしくな」

 

「それじゃあ、また」と軽く手を振りながら、リィンは士官学院の方に歩き出していった。それと入れ違うように、ガイウスがこちらに向かって歩いてくる。

 

「もういいの?」

「ああ。今のは?」

「同じ士官学院の新入生みたい・・・・・・さて、私達もそろそろ行かないと」

「もうそんな時間か」

 

気付けば、そろそろいい時間帯になっていた。

私達は足早に、士官学院を目指して歩き始めた。

 

__________________________________

 

「―――ご入学、おめでとーございます!」

 

校門を抜けた先で突然向けられた言葉に反応し、足が止まる。

私たちを出迎えてくれたのは、緑色の制服を着た女子生徒と、整備屋のような服装の男性だった。

 

「えーと。ガイウス・ウォーゼル君と、アヤ・ウォーゼルさんでいいんだよね?」

「あ、はい。どうも初めまして」

 

私達の名を知っているということは、受付係か何かだろうか。案内書には、直接入学式の場である講堂に向かうようにとあったはずだが。いずれにせよ、少なくとも制服を着た女子生徒の方は、おそらく先輩に当たるのだろう。

 

「2人とも、遠いところからご苦労さま。昨晩はよく眠れたかな?」

 

思わず、私とガイウスの視線が交差する。女子生徒の言葉が意味するところは、私とガイウスの事情を知っているということだ。

 

「さすがにノルドは遠すぎるからね。それを配慮して、宿泊の手続きや申請をしてくれたのは彼女なんだ。お礼を言っておくといい」

「そうだったんですか。ありがとうございます」

「感謝します。助かりました」

 

私とガイウスの言葉に、女子生徒は「いいよいいよ」と謙遜の言葉を繰り返す。

 

「それが申請した品かい?いったん預からせてもらうよ。」

 

整備屋姿の男性が、私とガイウスの得物を肩に担ぐ。失礼ながら、初めは学院の教職員かと思ってしまっていたが、彼も女子生徒同様、私達の先輩なのだろう。

 

「入学式はあちらの講堂であるから、このまま真っ直ぐどうぞ」

 

____________________________________

 

「さすがに広いな。それにすごい人数だ。俺たちはここで授業を受けるのか」

「なわけないでしょ。ここは講堂。授業は各クラスの教室でやるの」

 

弟の無自覚なボケに突っ込みを入れながら、自分の席を探す。

案内書によれば席順はあらかじめ決まっており、私とガイウスの席はかなり離れているようだ。

 

「そろそろ始まるようだな。席についた方がいいんじゃないか?」

「そうだね。じゃあ、私の席は向こうだから」

「俺の席は・・・・・・あれか」

 

ガイウスが自分の席へと向かう。無意識に、目線が彼の背中を追ってしまう。

ただの入学式だ。心配性にも程がある。そろそろ、自分の心配をしてもいい頃だ。

 

(今日から私も士官学院生か・・・・・・うん、気合入れていかなくちゃ)

 

今日この日から、新しい地での新しい生活が始まるのだ。気を引き締めていかないと。



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特科クラス《Ⅶ組》

入学式開催前、アヤは周囲の生徒を見渡していた。

やはりというか、ほとんどの生徒が緑色か白色の制服を着ている。ポーラと名乗る、隣の席に座る女子生徒も、例外なく緑色の制服に身を包んでいた。

 

「ホントだ・・・・・・あなた以外にも、その色の生徒がいるわね」

「でしょ?無駄に目立つから、困るんだよね」

 

ポーラが言うように、紅色の制服の生徒もいるにはいるのだが、極少数のようだ。その中には、公園で会ったリィン・シュバルツァーの姿もあった。

 

「もしかして、成績優秀者上位10名は特別待遇!みたいなやつじゃない?」

「え、そう見える?」

「・・・・・・あんまり」

「・・・・・・」

 

先程から感じてはいたが、このポーラという女子生徒は初対面だというのに容赦がない。変に気を使わずに済む分、こちらとしてはありがたいのだが。

 

「やっぱりクラス分け的な意味合いがあるんじゃないの?」

「それは真っ先に考えたけど、人数が少なすぎるでしょ」

「・・・・・・それもそうね。ちなみにアヤは何組なの?私はⅤ組だけど」

「は?」

「え?」

 

ポーラの言葉に驚き、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

どういうことだろう。クラス分けは当日に発表、と案内書には記されていたはずだ。ガイウスと一緒に確認したのだ。見間違いであるはずがない。にも関わらず、彼女は自分が何組に所属することになるのかを知っていた。

 

「何で知ってるの?」

「何でって、一体何の―――」

 

『これより第215回、トールズ士官学院、入学式を開催致します』

 

「っと。また後でね」

「あ、うん」

 

入学式開催のアナウンスが流れる。

色々と気になるところだが、今は目の前の入学式に集中しよう。

 

___________________________________

 

 

『―――以降は入学案内書に従い、指定されたクラスへ移動すること。学院におけるカリキュラムや規則の説明はその場で行います。以上、解散』

 

(指定された、クラス?)

 

檀上に立つ男性は、確かにそう言った。その言葉に従うように、周囲の生徒は何の迷いも無く、講堂の外へ向かっている。

 

「本当に知らないんだ。何かワケ有りみたいね」

「・・・・・・そうみたい」

「私も行かなくちゃ。クラスが分かったら、今度教えてよ。私はⅤ組だからね」

「うん、また今度」

 

Ⅴ組という言葉を、しっかりと頭に刻み込む。彼女とはいい関係になれそうな気がした。

講堂の出口に向かうポーラを見送った後、私と同じように困り果てているガイウスと合流する。

 

「アヤ、これは一体・・・・・・」

「ごめん、私にも分かんない」

 

ポーラの言う通り、何か事情があるのだろう。実際に数えてみると―――私とガイウスを含め、10人の生徒が取り残されており、皆例外なく同じ色の制服を着ているようだ。

 

「はは、やっぱりまた会ったな」

 

聞き覚えのある声がした方に目を向けると、公園で会ったリィンが立っていた。

 

「だね。それよりこの状況・・・・・・何か聞いてる?」

「俺もてっきり、ここでクラス分けが発表されると思っていたが―――」

「はいはーい。赤い制服の子達は注目~!」

 

やけに楽しげな声と共に現れたのは、コートを羽織った特徴的な髪形の女性。

やっとクラス分けの発表か―――と思いきや、彼女から発せられた言葉は、予想だにしないものだった。

 

「実は、ちょっと事情があってね。君たちにはこれから【特別オリエンテーリング】に参加してもらいます」

 

_____________________________________

 

「ほう、ここに俺達の教室があるのか」

「なわけないでしょ・・・・・・って言いたいところだけど、自信無い。もう何が何やら」

 

先程の女性に連れてこられたのは、本校舎の裏手にある古びた建物。薄暗い上に、どこか怪しげな雰囲気すら漂っている。ガイウス曰く、「気味の悪い風」が吹いているそうだ。

 

「―――サラ・バレスタイン。今日から君たち《Ⅶ組》の担任を務めさせてもらうわ。よろしくお願いするわね

 

(・・・・・・え?Ⅶ組?)

 

教官の言葉に、誰もが同様の疑問を抱いているようだ。それもそのはず、1学年のクラスは5つ。案内書にもそう記されていた。皆の胸中を代弁するかのように、前に立っていた女子生徒が疑問を投げ掛ける。

 

「あ、あの・・・・・・サラ教官?この学院の1学年のクラス数は、5つだったと記憶していますが」

「お、さすが主席入学。よく調べているじゃない」

 

待ってましたと言わんばかりに、ややドヤ顔気味にサラ教官は続ける。

 

彼女によると、確かに『去年』までは5つのクラスがあり、貴族と平民で区別されていたらしい。しかし今年度から、新たに1つのクラスが立ち上げられたという。

 

「すなわち君たち――身分に関係なく選ばれた・・・・・・特科クラス《Ⅶ組》が」

 

特科クラス《Ⅶ組》。

事情は大方呑み込めたものの、そもそもの目的が分からない。説明不足にも程があるが、どうやら横で怒鳴り声を上げている男子にとっては、重要なのはそこではなかったらしい。

それにしても―――

 

「自分はとても納得しかねます!まさか貴族風情と、一緒のクラスでやって行けって言うんですか!?」」

「うーん、そう言われてもねぇ」

 

(自分が何を言ってるのか、分かってるのかな・・・・・・?)

 

驚きを通り越して、呆れすら通り越しそうな感覚に襲われる。察するに、彼の身分は当然平民なのだろうが、まさか貴族様を貴族風情呼ばわりとは。

 

「俺にはよく分からないが、彼は何に対して怒っているんだ?」

 

ガイウスが腕を組みながら、小声で私に疑問を投げ掛ける。

 

「私に聞かれてもね・・・・・・何か事情があるのかも」

「そうか」

 

ガイウスとやり取りしてる間に、いつの間にか周囲の視線は金髪の男子に注がれていた。

 

「ユーシス・アルバレア。貴族風情の名前ごとき、覚えてもらわなくても構わんが」

「「し、四大名門・・・・・・!?」」

 

今日一番の驚きだった。クロイツェン州を治める《アルバレア公爵家》、大貴族の中の大貴族だ。

そんな雲の上のような存在が、まさかこんな身近にいるとは。サラ教官の「身分に関係なく選ばれた」という言葉の意味を、今更ながらに自覚する。一同が驚きの表情を見せる一方で、銀髪の小柄な少女は大きな欠伸をしていた。

 

「だ、だからどうした!?その大層な家名に、誰もが怯むと思ったら大間違いだぞ!」

 

(・・・・・・ああ、もう)

 

このままでは埒があかない。それ以上に、もう無視できなかった。

 

「ねぇ、そのへんにしておいた方がいいんじゃない?」

「な、何?」

 

私はマキアス・レーグニッツと名乗った男子生徒に向けて言う。

 

「公爵家の御子息に、無礼が過ぎるよ。それに―――今はもっと、大事なことがあると思うんだけど」

 

自然と、一同の視線が壇上に立つサラ教官へと注がれる。

 

「色々あるとは思うけど、文句は後で聞かせてもらうわ。そろそろオリエンテーリングを始めないといけないしね」

 

サラ教官は笑いながらそう言うと、後方にある柱をちらと見やる。

 

「それじゃ、さっそく始めましょうか♪」

「始めるって、何を―――」

 

瞬間、天井が引っくり返るかのような感覚に襲われ―――私達は、地下に飲み込まれた。



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特別オリエンテーリング

「その、助けようとしたんでしょ?一応」

「はは、他意はなかったんだが・・・・・・はぁ」

「・・・・・・そのうちいい風が吹くよ」

 

平手打ちの跡が残る頬を擦りながら笑うリィンに、アヤは同情の目線を送る。

突然地下に落とされた一同は、所持していた次世代型戦術オーブメント《ARCUS》を介したサラの指示に従い、各自正門で預けた得物と、マスタークォーツを受け取っていた。

 

『それじゃあ、さっそく始めましょうか』

 

その言葉と同時に、出口と思われる扉が自動的に開いていく。彼女の説明によれば、そこから先のエリアはダンジョン区画となっているらしい。かなり入り組んだ構造らしく、魔獣の類も徘徊しているという。

 

『―――それではこれより、士官学院特科クラス《Ⅶ組》の特別オリエンテーリングを開始する。各自、ダンジョン区画を抜けて旧校舎一階まで戻ってくること。文句があったらその後に受け付けてあげるわ』

 

「ちょ、ちょっと待ってください」

 

サラの言葉に、思わずアヤは声を上げる。

 

「魔獣が徘徊って・・・・・・戦闘をしろってことですか?」

『それは各自の判断に任せるわ。《ARCUS》もあるし、オーバルアーツも含めて上手いこと活用しなさい。使い方はテキストで読んだでしょ?』

 

実際に《Ⅶ組》メンバーの入学案内書には、戦術オーブメントの活用方法が記されたテキストが同封されており、目を通すようにとの案内はあった。あったのだが、誰もが勿論「読んだだけ」だ。一般市民にとって、戦術オーブメントやオーバルアーツの類は、無縁の存在である。唯一、この中でアヤのみに使用経験があったが、あえてそれを口にすることは無かった。

 

『さっきも言ったけど、文句は後で受け付けるわ。以上、通信終了!』

 

その言葉と共に、ブツッと通信が切れたような音が響く。

 

「え、えっと」

「・・・・・・どうやら冗談という訳でもなさそうね」

 

突如として開始された特別オリエンテーリングに、皆戸惑いの表情を浮かべている。

 

「フン・・・・・・」

 

最初に動いたのはユーシスだ。

 

(嘘、1人で行く気?)

 

一人でダンジョンエリアに向かおうとするユーシスに、マキアスが先程と同様に突っかかり、ユーシスが挑発的に返す。サラ教官の言葉が本当なら、この先は魔獣が徘徊する入り組んだ迷路だ。単独で行動するのは好ましくない。こんな時ぐらい、私情を抜きにして手を取り合えないのだろうか。

 

「もういい!だったら先に行くまでだ!旧態依然とした貴族などより上であることを証明してやる!」

「・・・・・・フン」

 

結局、マキアスに続きユーシスも、単独でダンジョンの内部に入ってしまった。

止めようという気は起きたものの、到底私の説得には応じてくれないだろう。

 

「―――とにかく、我々も動くしかあるまい。念のため数名で行動することにしよう」

 

身の丈ほどの大剣を携えた女子の提案に、誰しもが頷く。

 

「女子ばかりになるが・・・・・・そなた達、私と共に来る気はないか?」

 

視線の先には、先程リィンと一騒動あった女子と、教官曰く主席入学の女子、そして私だ。

 

「え、ええ。別に構わないけれど」

「私も・・・・・・正直助かります」

「そなたはどうする?」

「・・・・・・」

 

即断した2人に続きたいところだが、やはり心配だ。

マキアスとユーシスが先行して足を踏み入れた、ダンジョンの内部に視線を向ける。

 

「ガイウス、どう?感じる?」

「・・・・・・悪い風だ。大きな脅威は感じないが、魔獣が徘徊しているという教官の言葉は本当のようだな」

 

その言葉に、赤毛の小柄な男子が「わ、分かるの?」と驚きの声を上げる。

ガイウスの研ぎ澄まされた五感と、第六感のような鋭い勘には信頼を置いている。彼はそれを「風」として感じるそうだが、本人にしか分からない感覚だろう。

 

「ごめん。やっぱり、先に行った2人が心配だから。今からなら、まだ合流できると思う」

 

2人が先行してまだ間もないとはいえ、どれぐらい入り組んだ構造なのかは想像もつかない。急いで合流しないと、間に合わなくなる。

 

「ふむ。確かに心配ではあるが、そなた1人で向かう気か?」

「これ以上戦力が分散するのも考え物だしね。大丈夫、すぐ追いつくから」

 

立ち振る舞いから察するに、戦闘経験がほとんどないようなメンバーもいるようだ。

2人と合流するだけなら、私1人で事足りる。

 

「行かせてやってくれ。彼女の性分なんだ。剣の腕は俺が保証する」

 

ガイウスの言葉に、皆が怪訝そうな表情を浮かべる。

私とガイウスの関係に対するものだろうが、今は説明している時間がない。

 

「ごめんガイウス、先に行くね」

「ああ。風と女神の導きを」

 

2人の男子と合流すべく、私は単身暗い通路の中に足を踏み入れた。

 

____________________________________

 

アヤはマキアスとユーシスの2人と合流すべく、ダンジョン内を進んでいた。

 

(思った以上に広い・・・・・・追いつけるかな)

 

サラ教官の言葉通り、内部はかなり入り組んだ構造になっていた。楽観視していたわけではないが、これは予想以上だ。もしかしたら、もうガイウス達の方が先行しているのかもしれない。

唯一救いなのは、今のところ低級な魔獣としか遭遇していないことぐらいか。それでも中には、物理攻撃が効きづらい魔獣の類も見られた。アーツの扱いに慣れていない場合、苦戦する可能性がある。

 

(貴族風情、かぁ)

 

歩を進めながら、私はマキアスの言葉を思い出す。

貴族の何たるかを私に教えてくれたのは、お母さんだ。

 

『貴族様ってのは、たくさんの民の生活を支えなきゃいけないんだ。自分ことだけ考えてりゃいい、あたし達平民と違ってね。無駄に偉そうって陰口叩く奴らもいるけど、実際に偉いんだよ。立派な人達さ』

 

(こんな感じだったっけ?)

 

心の中で、お母さんの口調を真似てみる。うん、中々に似ている。

 

母親の物真似に90点の自己評価を付けたところで、アヤは足を止める。昔を思い出し、無意識のうちに浮かべていた笑顔は消え、戦士としての顔に変化する。

剣撃・・・・・・近い。20アージュもないだろう。私は音の発生源の方向に急いだ。

 

(いた!)

 

目に飛び込んできたのは、魔獣の群れに囲まれたユーシスの姿だった。10体近くはいるだろうか。

 

「はぁ!」

 

気合一閃、ユーシスは独特の構えから次々に薙ぎ払いを繰り出す。相手が低級とはいえ、確実に一撃で魔獣を葬り去っていく剣捌きは見事なものだった。助太刀無用のように思えたが、数が数なだけに傍観しているわけにもいかない。

私は気配を殺しながら右手に長巻を構え、ユーシスに気をとられている飛び猫に二段突きを放つ。

 

「お前は・・・・・・」

「話は後で。こちらの3体はお任せ下さい」

「フン、好きにするがいい」

 

背中を合わせるようにユーシスの背に立ち、私は魔獣に剣を向けた。



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共に歩む仲間

「―――それで、一体何の用だ?」

 

苦も無く魔獣を殲滅した後、ユーシス・アルバレアは刀身を拭いながらアヤに問いかける。

 

「いえ・・・・・・用というわけでは。その、ユーシス様」

「何だ」

「・・・・・・えーと」

 

しまった、とアヤは思った。

こうしてユーシスと合流できたはいいものの、その先のことを全く考えていなかった。馬鹿正直に「心配だから助けに来ました。これからマキアスとも合流しましょう」と言ってみるか?

あり得ない。そんな選択肢は無い。

 

「フッ」と鼻で笑いながら、ユーシスはこちらを見透かしたような視線を向けてくる。

 

「マキアス・レーグニッツなら、他の男子3人と合流していたようだが」

「え・・・・・・ほ、本当ですか?」

 

彼の話によると、数区画前でガイウス達4人の集団と遭遇したそうだ。その中にはリィンもいるはずだ。得物を見ただけで、彼の剣の腕前は想像がつく。戦力的には十分だろう。

ほっと胸を撫で下ろす。

 

「見たところ、剣の腕は立つようだな。同行させてもらうぞ」

「えっ」

「低俗な魔獣の相手をするのに飽き飽きしていたところだ・・・・・・フン、大方そのつもりで来たんだろう?」

 

願ってもないユーシスの提案に、驚きを隠せない。先程のマキアスの件もそうだが、こちらの思惑は全てお見通しなのだろう。それでいてこの展開だ。彼のことを、少し誤解していたのかもしれない。

 

「いえ・・・・・・はい。ご配慮いただき、ありがとうございます」

「それに、無用に畏まるな。身分はどうあれ、士官学院生はあくまで対等―――学院の規則を忘れたとは言わせんぞ」

「・・・・・・じゃあ、ユーシス。そろそろ行こっか」

 

私とユーシスは、出口を探すべく歩を進めた。

 

____________________________________

 

それから私とユーシスは度々魔獣との戦闘を繰り返しながら、ダンジョンの奥へとさらに進んでいった。お互い単独行動の時間が長かったせいか、会話に飢えていたのかもしれない。話題が途切れて気まずくなるようなこともなかった。

 

「確かに、お前とあの男では似ても似つかんな」

「でしょ。だから姉弟っていうといつも驚かれてね」

「血の繋がりがないと言えば済む話だろう」

「・・・・・・自分から言うのって、気が進まなくて。何か、自分で本当の家族じゃないって言ってるような感じがして」

 

本当に、ただそれだけの話なのだ。気持ちの問題だが、これは言葉では言い表せない感覚だろう。

 

「・・・・・・フン、分からんでもない」

 

ユーシスはそう言うと、どこか遠くを見つめるような表情を浮かべた。何か思うところがあるのだろうか。

そんなユーシスの顔が、途端に険しいものに変化する。

 

「今のは何だ」

「魔獣の咆哮・・・・・・大きい。大型魔獣かも」

 

耳を澄ますと、戦闘音のようなものも聞こえる。もしかしたら―――

 

「急ぐぞ」

「うん」

 

私とユーシスは、音の発生源に向かって駆け出す。程なくして、開けた大きな部屋が見えてきた。

そこに待っていたのは案の定、大型の異形な魔獣だった。魔獣を取り囲むようにして対峙しているのは、思った通り《Ⅶ組》の面子だ。ガイウスの姿も確認できた。

 

足を止めず、状況を瞬時に判断する。数の利はあるものの、戦況は劣勢。

このままではジリ貧だ。

 

「私は右から、ユーシスは左をお願い!」

「いいだろう!」

「―――じゃあ、私は上から」

 

(・・・・・・上?)

 

振り返ると、いつの間にか銀髪の少女が、凄まじいスピードで後方から向かってくる。立ち止まれないし、もう迷っている暇はない。

ユーシスが一気に魔獣との距離を詰めると同時に、多段突きを繰り出す。虚をつかれユーシスに気をとられた隙に、今度は私が右前方の足を薙ぎ払う。そこへ追い打ちを掛けるように―――文字通り、上空を舞った少女が、魔獣の後方に降り立つと同時に鋭い斬撃をお見舞いする。

目の前の巨体が、大きくグラついた。

 

「勝機だ、一気に行くぞ!」

 

リィンが叫ぶのと同時に、全員が魔獣に向けて武器を構える。

 

その瞬間頭に浮かんだのは、各《Ⅶ組》メンバーが手にする得物。

太刀、槍、大剣、両刃剣、双剣銃、導力銃、導力弓、魔導杖、そして私の長巻。

 

見知らぬ単語が脳裏をよぎる。だが、威力や間合いは理解できる。

どうすれば目の前の魔獣を倒せる。一番有効な手を考えろ。初撃はどれだ。とどめは大剣による一刀両断だ。ならば、そこに至るまでの最良のルートを導き出せ。初撃は遠距離からの牽制。それなら、私とガイウスは得物の長さを活かした、追撃。

気付いた時には、魔獣の首がはね飛ばされ―――魔獣は完全に沈黙していた。

 

______________________________________

 

「よかった、これで・・・・・・」

「ああ、一安心のようだ」

 

目の前の脅威が消え去り、誰もが安堵の溜息をついていた。

 

「それにしても、フィー。いつから後ろにいたの?」

「結構前から。多分、二人が合流して間もなく」

「そんな前から・・・・・・気配なんて全然感じなかったけど」

 

奇襲の寸前で追いつかれた以上、かなり近い距離に潜んでいたに違いない。

ガイウス程ではないが、気配を感じ取る術には自信があった分、ショックが大きい。

 

「まぁ、私も気配を殺すのは―――」

 

得意。そう言いたかったのは、文脈から察せられる。

 

「どうしたの?」

「私の名前、誰から聞いたの」

「誰って、それは勿論―――」

 

初めての感覚だった。

思い出せない。が、知っている。頭に浮かぶのは、自己紹介をするフィーの姿。

 

『フィー・クラウゼル。フィーでいいよ』

 

そうだ。彼女は確かにそう言ったはずだ。

だが、いつかが分からない。場所すらも記憶にない。そもそもこれは記憶ではない、知識だ。

何の感情も、経験すらも伴わずに獲得した知識。

 

(何なの、これ)

 

他者の記憶の一部が、いつの間にか頭の中に入り込んでいた。言い換えれば、そんな感覚だった。

 

「大丈夫?」

 

いつの間にか、壁に背をつけ、もたれ掛かっていたらしい。心配そうに私の顔を覗き込むフィー。

 

「・・・・・・うん、ちょっと目眩がしただけ」

 

平静を保ちながら、壁に預けていた体を起こす。

 

「名前は、さっき誰かがあなたをそう呼んでたから」

「ん。そっか」

 

今は、そういうことにしておこう。考えても仕方がない。

私とフィー以外のメンバーは、戦闘の最後に起きた不可思議な現象について議論を交わしていた。無理もない、と私は思う。

 

「フィーも感じた?」

「まぁね。戦の素人を含めたデコボコの寄せ集めメンバーにしては、プロ顔負けの10連撃だったし」

 

・・・・・・褒めているのか貶しているのか。いずれにせよ、フィーが言う『プロ顔負けの10連撃』は結果にすぎない。問題はそれを可能にした『現象』の方だ。

 

「もしかしたら、さっきのような力が―――」

「―――そう。ARCUSの真価ってワケね」

 

リィンの言葉に続くようにして、階段を降りてきたのはサラ教官だった。このタイミングで姿を現したということは、これで全てが終わったのだろう。予想通り、彼女の口から特別オリエンテーリングの終了が宣言される。

 

「なによ君達。もっと喜んでもいいんじゃ―――」

「サラ教官、少しいいですか」

「あら、何?」

 

サラ教官の言葉を遮り、一歩前に出る。

沸々と沸き起こる感情に身を任せ、私はまくし立てるように言った。

 

「目的は分かりません。でも、万が一のことがあったら、どうする気だったんですか」

「万が一が無いよう、配慮はしていたわよ」

「ですが・・・・・・何の説明もなく、突然魔獣が徘徊する迷路に放り込むなんて。度が過ぎています」

「でも、どうにかなったでしょう?」

「結果論でものを言わないで下さい!!」

 

飄々とした態度の教官に、思わず語気を荒げてしまう。

 

「落ち着け、アヤ」

 

皆の視線が私に注がれている。それはそうだろう。急に教官に対し怒鳴り散らしたのだ。

 

「安全を配慮していたのは本当よ。君達の行動は、逐一観察させてもらっていたからね。マジでヤバそうだったら、あたしが直接出向こうと思ってたし」

「・・・・・・そう、だったんですか」

「説明不足だったのは謝るわ。でも、あなたが言った『目的』・・・・・・特科クラス《Ⅶ組》設立の目的を理解してもらうためには、ああするしかなかったのよ」

 

そう言って、サラ教官は次世代型戦術オーブメントARCUSの説明を始めた。

要するに、ARCUSの真価は私達が経験したあの感覚―――『戦術リンク』という機能にあるそうだ。その機能がもたらす恩恵は理解できる。ARCUSには適性に個人差がある、という部分はよく分からなかったが、実際にここにいる10名は、つい今し方『戦術リンク』の作動に成功している。

 

「さて。以上のことを覚悟してもらった上で、《Ⅶ組》に参加するかどうか―――改めて聞かせてもらいましょうか?」

 

サラ教官の問いかけに対し、最初に参加の意思を表明したのはリィンだった。

リィンの真っ直ぐな言葉に続くように、続々と他のメンバーも参加を決意していく。

 

「―――俺も同じく。異郷の地から訪れた以上、やり甲斐がある道を選びたい」

 

(ガイウス・・・・・・)

 

「さて、これで残すところは・・・・・・アヤ、あなただけね」

 

サラ教官の言葉に対し、私は気まずそうに視線を落とす。

 

「その、先程は失礼しました。私、何も知らずに」

 

事情はどうあれ、この特別オリエンテーリングは、サラ教官にとっては苦渋の決断であったに違いない。全ては私達、《Ⅶ組》メンバーに対し、真摯に向き合おうとした結果なのだろう。

 

「いいのよ、気にしないで。というかあなたの場合、既に参加するって言ったようなものかもね」

「・・・・・・え、どういう意味ですか?」

 

言葉の意味が理解できず、サラ教官に問い返す。

 

「さっきのあなたの怒りは本物だったわ。大切な仲間を想うその感情・・・・・・あなたはもう、ここにいる全員をそう捉えているんでしょう?」

「あ―――」

 

周囲を見渡すと、皆どこか照れたような表情を浮かべている。

まだお互い、直接話したこともないメンバーもいる。初日からいがみ合っているメンバーもいる。だが不思議と、皆とはうまくやっていける、そんな気がする。

それが戦術リンクによる効果なのかどうかは、私には分からない。

 

「で、どうするの?」

 

迷いは無い。答えなど決まっている。

 

「アヤ・ウォーゼル。特科クラス《Ⅶ組》に参加します」

 

___________________________________

 

「ガイウス、入るよ」

 

ドアを軽くノックした後、私はガイウスの部屋に足を踏み入れる。ここは第3学生寮、私達《Ⅶ組》専用の寮だ。

 

「どう、片付いた?」

「ああ。一通りな」

 

特別オリエンテーリング終了後、私達は各メンバーにあてがわれた自室に籠り、荷物の整理に勤しんでいた。明日からは本格的に授業が始まるのだ。早いうちに環境を整えておくのに越したことはない。

 

「それにしても・・・・・・やはり広いな。帝国ではこれが普通なのか?」

「あはは、そのうち慣れるって」

 

確かに、一人部屋にしてはやや広めの設計かもしれない。ガイウスからすれば、一家族が暮らすスペースと同等か、それ以上だろう。私はベッドの上に座り、大きく背伸びをする。

 

「それにしても、特科クラス《Ⅶ組》か。明日からはまた、忙しくなりそうだな」

「そうだね・・・・・・ねぇ、ガイウス」

「何だ?」

「・・・・・・ううん、何でもない。よいしょ、っと」

 

反動をつけて、勢いよくベッドから立ち上がる。

 

「今日は疲れたし、もう休もうかな」

「そうか。確かに、心地いい疲労感だな」

「ん。じゃあ、また明日ね。おやすみ」

「ああ。いい夢を」

 

ガイウスの部屋を後にし、私は自室のベッドに倒れこむようにして寝転がる。

 

『異郷の地から訪れた以上、やり甲斐がある道を選びたい』

 

力強い声で、そう言った。

彼には、明確な目的がある。全ては、故郷を守らんとする確固たる使命感。

 

(見つかるかな・・・・・・私の道。私の生きる、道)

 

自分自身に問いかけながら、私は目を閉じ、襲いくる睡魔に身を任せた。




独自設定の中でも特に際立つのは、『戦術リンク』の恩恵に対する、副作用のようなもの、でしょうか。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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第1章
アヤ・ウォーゼル


4月17日。時刻は朝の6時半過ぎ。

近郊都市トリスタの天気は快晴。

街中の人影はまだまばらで、駅の周辺では列車の走行音が鳴り響いている。

 

そんなトリスタの街はずれ、街道を出てすぐの開けた地で、アヤは長巻を振るっていた。

 

「せぃあっ!」

 

槍や太刀とも異なる、独特の重量感と刀身長。槍のようにリーチの長さを活かすことは難しいとされる得物を、アヤは独特の操法をもって軽々と振るう。亡き母から託されたそれは、常に彼女と共にあったものだ。

 

「―――お見事。まるで剣舞を見ているみたいだ」

 

後方から掛けられた声に、アヤは手を止め振り返る。声の主はリィン・シュバルツァー。同じ《Ⅶ組》に所属する生徒だ。

 

「おはよう、アヤ。朝から精が出るな」

「おはようリィン。そっちこそ随分と早いじゃん」

 

見れば、彼の額には汗が浮かんでおり、呼吸も少し荒い。

彼が言うには、最近座学ばかりで体がなまっていたため、軽く走り込んでいたそうだ。

 

「分かる分かる。でも正直、授業があんなに大変だとは思わなかったかな」

「はは、アヤは勉強は苦手って言ってたな。少し意外だったよ」

「・・・・・・入学式初日に正反対の反応をした女子がいたけどね」

 

学院生活が始まってまだ日が浅いものの、日々の予復習はガイウスにお世話になりっぱなしである。

彼にも苦手な分野はあるようだが、勉学となると弟には頭が上がらない。

もちろん、それには私の過去が関係しているのだが、言い訳はしたくなかった。

 

「私はそろそろ切り上げるけど、リィンはどうする?」

「俺はもう少ししたら戻るよ。先に戻ってくれ」

「じゃあ、また教室でね」

 

そう言ってリィンは街道の方に駆け出していく。おそらく、彼も体を動かすことで気分転換できる人間なんだろう。

リィンを見送った後、私はトリスタの方角へ歩き始めた。

 

________________________________

 

第3学生寮に戻ると、ちょうどガイウスが1階に降りてくるのが見えた。

 

「戻ったか」

「うん。食事は今から?」

「ああ。10分程待ってくれ」

 

ガイウスはそう言うと、腕を捲りながら厨房がある部屋へと入っていく。

 

学院内に学生食堂はあるものの、私達は自炊を基本とした生活を送っていた。

そもそもガイウスには、外食という概念がほとんど無かった。お互いに昼は学生食堂を利用しているが、朝晩は自分達で用意することがほとんどだ。

とはいえ、ガイウスは帝国とノルドの食材の違いに、まだ慣れていないらしい。

ちなみに今日の朝食は、ガイウスが作る番。

 

自室に戻り軽く汗を拭いた後、身支度を整え再び1階に降りる。

食堂に入ると、そこには意外にもアリサにエマ、フィーの姿があった。

 

「おはようみんな。珍しいね、3人で朝ご飯?」

「ええ。たまには皆でどうかって、エマが用意してくれたの」

 

私の問いに、アリサが返す。

テーブルの上には、綺麗に盛り付けられた料理の数々。

 

「有り合わせで用意しただけですから、お口に合うかどうか」

 

有り合わせで用意できるあたり、料理の腕は相当だろう。

フィーが黙々と料理を口に運んでいるのを見る限り、味も確かなはずだ。

 

「ごめんなさい、本当はアヤさんとラウラさんにも声を掛けたかったんですが、お二人とも朝の鍛錬に向かわれた後でして」

「ああ、気にしないで」

 

ラウラも外に出ていたのか。どうりでこの場にいないはずだ。

 

「朝の鍛錬ねぇ。私は5分でも長く寝ていたいぐらいなのに。感心するわ」

「まぁ、ノルドじゃもっと早かったぐらいだし・・・・・・そういえば、街道でリィンにも会ったっけ」

 

途端に、空気が変わる。

アリサの方角から、悪い風がビュンビュンと吹き荒れる。

風速20アージュといったところか。

 

(まだあの時のこと根にもってるの?)

(・・・・・・そうみたいですね)

(ぶっちゃけうっとうしい)

 

「ちょっとそこの3人、視線で会話しないでくれる?」

 

声には出していないものの、アリサには心の声が聞こえていたらしい。

特別オリエンテーリングから2週間以上が経過した今でも、リィンとアリサの関係はご覧の有様だった。

 

「できたぞ、アヤ」

「お、待ってました」

 

話題を変えるように、ガイウスが用意した朝食を受け取る。

私はガイウスの料理が好きだ。

男性らしい、豪快で単純な味付けや盛り付けが、私には合っているらしい。

 

「アヤ、一つ訊いていい?」

 

一口目を頬張ろうとしていたところで、怪訝そうな表情のフィーが言う。

 

「何?」

「それ、1人分?」

「そうだけど」

 

女性陣3名の視線が、アヤの食事に注がれる。

豪快にちぎられた野菜は山盛りにされ、豪快に切られた燻製肉に、複数個の卵。

アヤが昨日購入したハーフサイズの直焼きパンは、2つ重なっている。

もはやハーフサイズの意味がない。

 

「あ、あはは・・・・・・それにしても、お二人は仲がいいんですね」

 

理解し難い目の前の現実から目を逸らすように、エマが話題を変える。

 

「そ、そうね。いつも2人で一緒にいるのを見かけるし」

「喧嘩したりしたことはあるんですか?」

 

エマの問いかけに、ガイウスは食事の手を止め、考え込む。

一方のアヤは食事の手を止めず、「あったっけ?」と言いたげな視線をガイウスに送る。

 

「喧嘩か・・・・・・一度意識を飛ばされたことはあったが、あれは喧嘩なのか?」

「あぁ、あれ?あれは喧嘩じゃないでしょ。ガイウスが悪いんだから」

 

さらりと驚愕な発言がなされたことに、3人の女性陣は目を丸くする。

 

「誤ってアヤの分の食事に手を付けてしまった時だな」

 

ガイウスは腕を組み、目を閉じながら続ける。

 

「顎に―――寸勁といったか。それをくらってな。脳を揺らされて意識が飛んだのはあれが初めてだ」

「貴重な体験だったでしょ。感謝しなさい」

「ああ」

「・・・・・・」

 

特別オリエンテーリングのあの日。

彼女は仲間の安否を気遣い、魔獣が徘徊する迷路へ単身乗り込んでいった。

危険に晒された仲間を想うあまり、教官に対し怒りを露わにした。

 

あの時の感動はどこへやら。

 

食材を保管する棚や冷蔵庫に「アヤ専用」スペースが設置されたのは、翌日のことであった。

 

____________________________________

 

「おはよう、アヤちゃん」

「あ、おはようございます。今日は早いんですね」

 

学院へ向かう道すがら、私に声を掛けたのは喫茶宿場『キルシェ』のウェイトレス、ドリーさんだ。

 

「今日は弟君と一緒じゃないの?」

「ガイウスなら、同じクラスの男子と一緒に出ましたから。相変わらず忙しそうですね」

「そうでもないわよ?まぁ、時間によっては猫の手でも借りたいぐらいだけどね」

 

キルシェはマスターであるフレッドさんと、ドリーさんの二人で切り盛りしている。

トールズ士官学院やトリスタ駅からは最寄の飲食店だ。

立地の良さも相まって、曜日や時間帯によっては常連客でごった返すのだ。

 

実は、私はその時間帯の忙しさを身をもって知っている。

 

話は2日前に遡る。

 

たまには外食もいいだろうと、私はガイウスを誘いキルシェに足を運んだ。

理由はもう一つ。店主であるフレッドさんやドリーさんに、改めてお礼を言いたかったからだ。

入学式の前夜に、キルシェに宿泊した時のことだ。

フレッドさんからは、本来ならサービスには含まれていない食事や飲み物を用意してもらった。

ドリーさんはトリスタの立地や各施設の詳細を教えてくれたし、好意で地図まで用意してくれたのだ。

見知らぬ地での新生活に対し、それなりに不安を抱いていた私にとって、2人の心遣いは本当に嬉しかった。

 

そんな経緯もあり、キルシェを訪ねてみたものの―――はっきり言って、話しかける間さえ無かった。

理由は単純。客足が多すぎて、きりきり舞いだったからだ。

そんな2人を見るに見かね、お礼の意を込めて手伝いに入ったのが―――2日前の出来事だ。

 

「あの時は本当に助かったわー」

「あはは、洗い物ぐらい誰だってできますよ。ヘルプが必要な時は、また言ってください」

「本当?正直なところ、毎日来てほしいぐらいだけど」

「・・・・・・それは、さすがにちょっと」

 

これでも士官学院に身を置く立場だ。

本業を疎かにはできない。

それにまだ入部はしていないものの、興味があるクラブもある。

学業とクラブ活動を両立させながらキルシェにも通うとなると、時間がいくらあっても足りない。

 

「冗談だってば。でも、手伝ってくれたらお礼はさせてね?美味しいピザを御馳走してあげるから」

「えっ」

「さすがにバイト代となると、そっちも許可書とか申請とか必要になるだろうし―――」

 

言葉を遮るようにして、私はドリーさんに詰め寄る。

 

「な、何?」

「今の話、本当ですか」

「お礼のこと?ま、まぁフレッドさんにお願いすれば、それぐらいはしてくれると思うけど」

 

腹が減っては戦はできぬ、とは誰の言葉であったか。

士官学院での生活は、まさに戦だ。

常に健康体であれ、とベアトリクス教官も言っていたではないか。

そう、これは士官学院生としての義務だ。

 

「少しでもお力になれることがあれば、いつでも言ってください。すぐ駆けつけます」

 

強い意志を込めて、ドリーさんの手を取る。

 

「あ、ありがとう・・・・・・ねぇ、そろそろ行かなくていいの?」

「・・・・・・あっ」

 

気付けば、時刻は7時50分を回っていた。



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士官学院での生活

4月18日 昼休みの教室

 

ここトールズ士官学院は優秀な人材が集う名門校として名高い一方で、クラブ活動が盛んである点でも有名だ。文学系と運動系のクラブがいくつも存在しており、放課後や自由行動日には多くの生徒がクラブ活動に励んでいる。

アヤもその例外ではなく、自分に合ったクラブを探していた。いたのだが―――少々、他の生徒とは事情が違っていた。

 

「迷ってるって・・・・・・昨日は水泳部か馬術部に入りたいって言ってなかったっけ?」

「そうなんだけど。ちょっと事情があって」

 

アヤの隣、ガイウスの席に座るエリオット・クレイグは、頭上に疑問符を浮かべながらアヤに言う。

 

「他に入りたいクラブでも見つけたの?」

「・・・・・・ってわけでもないんだよね」

 

エリオットの問いに対し、曖昧な返答で口を濁す。

その返答が意味するのは、クラブ活動以外の選択。

きっかけは朝方―――喫茶宿場『キルシェ』でのドリーとのやり取りにあった。

 

(どうしよっかなぁ)

 

朝方はついつい『お礼』に食いついてしまったが、あれから真剣に考えて出した結論。

2人の力になりたい。この思いは本物だと、胸を張って言える。

それに、あれはあれで新鮮な体験であった。興味本位の思いつきというわけではない。

 

だが一方で、クラブ活動に興味があるのも確かだ。サラ教官が言うには、来週からは新しいカリキュラムも始まるらしい。

 

要するに―――両方を選ぶには、あまりにも時間的な余裕が少ないように思えたのだ。

 

教官からの説明によれば、クラブへの入部は必須ではないそうだ。

学業や他の活動に注力するために、無所属を通す生徒もいるらしい。

 

ちなみに、エリオットは吹奏楽部。バイオリン担当になるとのことだ。実に彼らしい選択だと思う。

 

「バイオリンかぁ。うん、似合ってる似合ってる」

「そ、そうかな?」

「ピアノとかも上手そう。部屋の本棚とか楽譜で埋め尽くされてそうなイメージかな」

 

―――ガタタンッ!!

 

椅子の前足を浮かせて座っていたエリオットは、唐突にバランスを崩し盛大に転んだ。

 

「ちょ、大丈夫?どうしたの?」

「う、うん・・・・・・あはは、何でもない。何でもないよ」

「?」

 

いずれにせよ、決断を急ぐ必要はない。今日の放課後は、とりあえず水泳部の見学に行くとしよう。

 

____________________________________

 

「あれ、ラウラ?」

 

ギムナジウム内にある水練場に足を踏み入れると、そこにはラウラの姿があった。

彼女の隣にいるのは、おそらく水泳部に所属する先輩だろう。

 

「アヤか。そなたも水泳部を見に来たのか?」

「まぁね。じゃあ、ラウラもそうなんだ」

「お、君も入部希望者か?歓迎するぜ」

 

クレインと名乗るその先輩は、水泳部の活動についての詳細を話してくれた。屋内に設置されたプールは噂以上の規模であり、年中一定の水温を保っているらしい。

 

クレイン先輩からの話を聞き終えた私達は、2階から水泳部の活動を見学していた。

 

「ふむ。確かに悩ましい選択ではある」

 

一通りの事情を、私はラウラに打ち明けていた。

 

「知恩報恩、か。よい心掛けだ。それに、本業を疎かにしたくはないというそなたの思いも理解できる」

「うん・・・・・・でも、時間は有限だから。私、欲張りかな」

「そうでもない。だがこの場合、二者択一というわけでもないであろう」

「え?」

 

ラウラは1階のプールを見下ろしながら続ける。

 

「自ら選択肢を狭めようとする姿勢には感心できぬ、と言っているのだ」

 

真剣な眼差しと口調をもって、私に問いかける。付き合いは浅いものの、彼女が本音で真っ向から語り合ってくれているのは、理解できた。

 

「両立できるか否かはそなたの努力次第だ。いずれかを見限るのは、今である必要はない」

「・・・・・・そっか。うん、そうだよね」

 

ラウラの言葉が意味するのは、第3の選択。

もしかしたら、誰かに背中を押してほしかっただけなのかもしれない。

らしくない、と私は思う。

 

「でも水泳部は年中本格的に活動してるみたいだし、さすがに両立は難しいかな」

「そうか。そなたとは共に高め合えると思ったのだが、仕方あるまい」

 

察するに、ラウラは既に水泳部への入部を決めているということだろう。

 

「この水泳部なら、色々と得るものがありそうだ」

 

ラウラはこれからのクラブ活動を想像しているのか、目を閉じながら笑みを浮かべていた。前々から思っていたが、常に自らを高めようとする彼女の向上心は、《Ⅶ組》の中でも群を抜いている。

 

「さてと。じゃあ私、他のクラブを見学しに行くね」

「ああ。お互い、充実した学院生活を送りたいものだな」

「ありがとうラウラ。風と女神の導きを!」

 

私は弟の口癖を真似てラウラに礼を言い、ギムナジウムを後にした。

 

______________________________________

 

「―――決めました。私、馬術部に入部します」

 

夕暮れ時、時刻は17時前。

私は今、グラウンドにある馬舎にいる。

 

そのグラウンドでは、馬術部の部長であるランベルト先輩が、愛馬に乗り軽やかに疾走している。

ノルドには馬の育成を生業としている民が数多く存在する。というより、共に生きる家族のような存在と言った方がいいだろう。馬術部が管理する馬も、全て純ノルド産だそうだ。

そんな背景もあり、私が入部を希望したことに対し、先輩は心の底から喜んでくれて―――というより、興奮しているようだ。

グラウンドをぐるぐると疾走していた先輩が、ゆっくりと馬舎に戻ってくる。

 

「ふう。柄にもなくはしゃいでしまった。見っとも無い姿を見せてしまったかな」

「いえ、そんな。私の方こそ、ありがとうございます」

 

私は先輩に、事情を一から説明した。

ノルド出身で、馬との生活は日常であったこと。馬術部に興味があること。キルシェの手伝いも優先したいため、積極的に活動には参加できないこと。

そんな私を、先輩は快く歓迎してくれた。

 

馬の管理には大変な労力を伴う。適切なコンディションを維持するためには、正しい知識と経験も必要だ。現状は一部の教官や用務員のガイラーさんが持ち回りで手を貸してくれているそうだが、特に馬術部員の負担は大きいようだ。

人手は多いほどいい。時間がある時には、世話を手伝う。それが私の主な活動になりそうだ。

 

私は先輩が乗っていた馬の背を優しく撫でると、「ぶるるっ」と力強く息を吐いた。

 

「マッハ号も君を気に入ったようだね。君から故郷の匂いでも感じたのかな?」

 

マッハ号。

先輩とは今日が初対面だが、彼らしいネーミングセンスに思わず苦笑してしまう。

 

「ランベルト先輩、これからも宜しくお願いします」

「大歓迎さ。今度、君の故郷の話を聞かせてくれたまえ」

 

_____________________________________

 

4月23日。時刻は夜の8時前。

私は今、明日の特別実習に向けて自室で荷造りの最中だ。

時が経つのはあっという間で、あれから1週間近くが過ぎた。予想通り、というより覚悟していた通り、私の学院生活はたちまち忙しさを増した。

 

フレッドさんもドリーさんも、私の申し出に対し心の底から喜んでくれたようだ。とはいえ、まだまだ覚えなくてはいけないことは山積みである。本格的に2人の力になるには、もう少し時間が掛かりそうだ。

 

そんな私に苦言を呈したのは、《Ⅶ組》の副委員長、マキアス。

「念のため課外活動の申請はしておけ」と言う彼に対し、「アルバイトとは違うし必要無いんじゃない?」と忙しさにかまけて放置していた結果、大激怒されたのが昨日だ。実際彼が言うように、もし私がキルシェで怪我でもした場合、責任の所在も含めて困るのはフレッドさんである。

もっとも、マキアスは成績が芳しくない私が課外活動をすること自体、快く思っていないようだ。

これ以上彼に余計な気苦労を掛けないためにも、もっとしっかりしなくては。

 

馬術部の方では嬉しい出来事あった。

《Ⅴ組》のポーラと、同じ《Ⅶ組》のユーシス、2人が馬術部への入部を決めたことだ。特にポーラとは入学式以来話す機会が無かった分、グラウンドで再会した時には手を取って喜びを分かち合った。その一方で、ポーラとユーシスの仲は初日から険悪ムード真っ只中である。

・・・・・・リィンにアリサ、マキアスとユーシスといい、もう少し歩み寄ってくれないものだろうか。

 

そんなこんなで、私にはキルシェと馬術部という、新たな2つの居場所ができた。

少しずつではあるが、私の学院生活も軌道に乗りつつあるようだ。

 

「アヤー、ちょっといいかしら」

「あ、はい。今行きます」

 

この1週間の出来事を振り返っていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。

ドアの向こうにいたのは、どこか疲れ切った表情のサラ教官。

 

「何かありましたか」

「1階に行けば分かるわ。ガイウスにも声は掛けたから」

「はぁ」

 

サラ教官と一緒に1階へ降りると、そこには確かにガイウスの姿もあった。その横には、大きな布袋に包まれた大荷物。

 

「ガイウス、何それ」

「アヤと俺宛ての荷物だそうだ。先程サラ教官から預かったものだ」

「サラ教官から?」

「ここまで運んでくるのに苦労したんだから。感謝しなさい」

 

サラ教官はそう言いながら、ガイウスに封筒を手渡す。

 

「これは?」

「ノルドから学院宛てに届いたものよ。その荷物と一緒にね」

 

ノルドから。

サラ教官の言葉に、心が躍る。ガイウスも私と同様のようで、いそいそと封筒の中から便箋を取り出していた。私もさっそく、荷物の包みを解きにかかる、

 

「わぁ・・・・・・すごい、こんなにたくさん」

 

中には衣料品を始めとした雑貨に、日持ちする食料品や嗜好品の数々。これだけでも、当分は生活に困ることは無さそうだ。その中には、私の大好物の姿もあった。

 

「あ、チーズもある!これってもしかして、キルテおばさんから?」

「ああ。どれも皆が持ち寄ってくれたそうだ。手紙はトーマが書いたようだな」

 

ガイウスはそう言うと、再び手紙に視線を落とす。

夢中になって手紙を読む彼の姿に、思わず笑みがこぼれる。

 

「へぇ、いい香りね。美味しそうじゃない。ワインに合いそう」

 

一方のサラ教官は、私が手にするチーズに興味津々のようだ。

 

「羊乳から作ったチーズなんです。脂肪分が高くて濃厚だから、合うと思いますよ?あげませんけど」

「・・・・・・ぐぬぬ」

「・・・・・・冗談です。荷物を運んでくれたお礼もしたいですから」

 

私の言葉に、サラ教官は「ひゃっほーう♪」と歓喜の声を上げながら食堂に入っていった。

年甲斐もなくはしゃぐ彼女の姿に大きく溜息をついた後、私はガイウスに歩み寄る。

 

「どう?みんな元気そう?」

「ああ、変わりないそうだ。と言っても、まだ一月も経っていないからな。当然と言えば当然だろう」

 

既に読み終えたらしく、ガイウスは私に手紙を手渡してきた。

 

「今度返事を書いてあげないとね」

「そうだな。さて、今日のうちに片しておくか。明日には発たないといけないしな」

 

明日は実技テストに引き続き、特科クラス《Ⅶ組》の特別カリキュラム、特別実習初日だ。目的も実習内容も明かされていない分、多少なりとも緊張感を抱いていたが、いい意味ですっかり和んでしまった。きっとガイウスも同様だろう。

 

「班は別々だけど、頼んだからね。ユーシスとマキアスのこと」

「やるだけやってみる・・・・・・あまり、自信はないがな」

「あはは、いい風が吹くといいね」

 

荷を一通り片した後、私達は故郷を想いながら、早めに寝床に入るのであった。



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初めての特別実習

4月24日、朝9時過ぎ。

 

私達A班の5人は交易街ケルディックを目指し、大陸横断鉄道を駆け抜ける列車に身を揺られていた。

クロスベル自治州の玄関口であるクロスベル駅が完成し、帝都ヘイムダルが大陸横断鉄道で繋がったのは、ちょうど私が生まれた頃の話だ。その10年以上前には、帝都と主要4州都は既に鉄道路線で繋がっていたというのだから、驚きだ。現在でもその技術の進歩は目覚ましく、導力式の自動改札機などというものまで存在する。鋼都ルーレでの乗り換えの際、勝手が分からず戸惑っていた弟の姿はまだ記憶に新しい。

 

トリスタの駅を発ったのが、約1時間前。間もなく目的地に着くはずだ。

昨晩、ガイウスから渡された手紙に視線を落とす。

彼が言うように、皆変わりなく元気にやっているようで何よりだ。私の愛馬であるイルファも相変わらず気分屋だそうで、シーダが苦労しているらしい。

 

「随分と機嫌がよいようだな」

 

目の前に座席に座るラウラが、私の顔を覗き込むようにして問う。

 

「まぁね。ちょっと嬉しいことがあってさ」

「初の課外実習なだけに、私もそれなりに気を張っていたのだが・・・・・・ふふ、頼もしい限りだ」

 

そう言って笑うラウラは、同性の私から見ても大変に魅力的だった。

思わず見惚れてしまいそうになる自分を落ち着かせ、平静を装う。

 

「それは私も同じだよ。それに、そういうのはアリサに言ったら?」

 

私は隣の座席、リィンと『ブレード』に夢中になっているアリサに視線を送る。突然引き合いに出されたことに対し、「な、なんのことよ」と顔を赤くしながら返す彼女は、実に分かりやすい。今までの反動がある分、リィンとアリサのやり取りを見ていると、いい意味で気が解れる。

 

ちなみに通路を挟んだ反対側の座席には、サラ教官が気持ちよさそうに寝息を立てている。

こうして見ると、何とも可愛らしい寝顔だ。普段の教官からは想像できない。

 

「でもケルディックってのんびりした雰囲気の町だし、それを考えると自然に気が緩むんだよね」

「そうか。そなたは初めてではないと言っていたな」

「・・・・・・私がノルドに行く前の話だね」

 

車窓から風景を眺めながら呟いた私の言葉に、周囲の空気が微妙に変化したのを感じ取る。

視線を車内に戻すと、特に変わった様子はないものの、ラウラはどこか気まずそうな様子だ。

 

(・・・・・・当然、気になるよね)

 

特別意識していたわけではない。だが、私が進んで過去について語ることは、今まで一度も無かった。

ラウラの反応は、ある意味で当然と言える。

 

「・・・・・・気を悪くしたのなら、すまない。私もまだまだ未熟のようだ」

 

気付けば、ラウラは先程とは異なる、ばつが悪そうな表情を浮かべていた。

今度はこちらが心境を悟られてしまったようだ。

 

「ううん、こっちこそ。もしかして、顔に出てた?」

「ふむ。そなたも修行が足らぬようだな」

「あはは、お互い分かりやすい性格みたいだね」

 

その言葉に、私とラウラは思わず苦笑し合う。お互いに不器用な性分なんだろう。

 

「2人とも、そろそろ着くみたいだよ」

 

エリオットが『ブレード』を片しながら言うと同時に、車内アナウンスがケルディック駅に間もなく到着する旨を告げた。

 

_______________________________________

 

「へぇ・・・・・・ここがケルディックかぁ」

「のんびりした雰囲気だけど、結構人通りが多いんだな」

 

巨大な風車を中心として、木造建築を主軸とした町並みが醸し出す独特の雰囲気。出身によっては、新鮮味溢れる風景だろう。私の横では、アリサが大きく背伸びをしながら深呼吸を繰り返していた。

 

サラ教官曰く、特産品はライ麦を使った地ビールだそうだ。

ちなみにノルドでは、酒と言えばもっぱら乳酒―――馬や羊の乳から作られた、動物由来の酒のことを指す。一方で、帝国人との交流が少なからずあることもあり、帝国産のワインを始めとした酒類が入ることも珍しくはない。近年はそういった交流が増加している傾向にあり、特に帝国軍の監視塔が建てられて以降はそれが顕著のようだ。

 

酒に縁のない学生にとっては、特に興味も沸かない話題だろう。

 

「知ってる?ライ麦から作ったパンって独特の酸味と風味があって、これがまたお酒に合うの。ワインもいいけど、やっぱりビールとの相性は抜群ね。かるーくトーストすると香ばしさが際立つし、他の食材と合わせてもいいわね。スモークしたサモーナと合わせたり、しゃっきり玉ねぎでマリネを作って一緒に食べるのも最高よ。私はシンプルに熟成バターで食べるのが一番のお気に入りだけど・・・・・・うんうん、テンション上がってきたわ!あ、でも君達は学生だから飲んじゃダメだけどねー」

「・・・・・・」

 

捲し立てるように熱弁をふるうサラ教官に対し、案の定私以外の4人は何の興味も沸いていないようだ。

むしろドン引きだった。

それもそのはず、士官学院生の飲酒は校則で禁止されている。そもそも、未成年の飲酒自体が帝国法違反なのだ。酒の何たるかを説いたところで、心に響くはずもない。

 

「いや、勝ち誇られても」

「別に悔しくありませんけど」

 

当然ながら、リィンとアリサの心は全く動じていないようだ。

当たり前だ。私達は誇り高きトールズ士官学院生。

学生なのだ。

 

「そう?約1名はそうでもないみたいだけど」

「「え?」」

 

4人の視線が、その約1名に注がれる。

 

サラ教官の言葉に、熱々のライ麦パンを頬張った後、地ビールでそれを流し込み、特有の旨味とコク、喉越しを堪能する様を想像するも、士官学院生という立場である以上、それが叶わぬことであるという現実を受け入れられず、下唇を噛みながら耐えんとする女子学生がいた。

 

「・・・・・・こっち見ないでよ」

 

アヤ・ウォーゼル19歳。私だった。

 

_____________________________________

 

私達はサラ教官が紹介してくれた宿酒場『風見亭』の女将、マゴットさんが用意してくれた部屋で、荷物の整理をしていた。

2階が宿泊スペースとなっており、1階が酒場となっているあたり、トリスタのキルシェを連想させる。

 

「別に隠していたわけじゃないんだけどね。話すきっかけがなかっただけっていうか」

「私達より2つ上・・・・・・あ、エリオットは3つ上になるのね」

 

アリサの言う通り、私は今年で19歳。1年以上前に、成人の仲間入りを果たしている。サラ教官ほどではないにせよ、酒を嗜む心はあるのだ。

とはいえ、それはあくまで帝国法に基づいた概念だ。彼らと同年齢のガイウスも、ノルドでは既に成人として認められている。

 

「はは・・・・・・でも、合点がいったよ。アヤからは、どこか大人びた雰囲気を感じていたからな」

「あ、それは分かるよ。やっぱり僕だけじゃなかったんだね」

「嘘、私ってそんな目で見られてたの?」

「私は別段、意識してはいなかったが・・・・・・」

「私もラウラと一緒ね。言われるまで気付かなかったぐらいだし」

 

どこか納得のいったような表情の男子に対し、女子は特に思うところはないようだ。

もしかしたら、その違いはガイウスの存在に起因しているのかもしれない。

 

「さてと。エリオット、準備はいいか?」

「うん。それじゃあ、僕達は先に行くね」

 

2人はそう言うと、私達3人を残し部屋を後にした。

 

「・・・・・・はぁー。それにしても、まさか同室とはね。気が重いわ」

 

アリサは大きく溜息をつき、天井をみながらぼやく。

 

「仕方あるまい。これも訓練の一環と考えれば、気が楽になる」

「そうかもしれないけど、そう簡単には割り切れないわよ」

「そんなに嫌?私はそこまで抵抗ないけど」

「嫌に決まってるじゃない!すっぴんで寝起きの寝間着姿を見られるなんて!」

 

そういうものだろうか。

同じ女性の身でありながら、私と彼女らとでは感覚に大きな違いがあるようだ。

ガイウスの前では常識人ぶっているものの、もしかしたら私も相当ズレているのかもしれない。

 

「とりあえず、そろそろ出た方がいいんじゃない?待たせちゃ悪いしさ」

「ああ。今も気を遣って先に出てくれたのだろう。我々も早く身支度を済ませてしまうべきだ」

「わ、分かってるわよ」

 

マゴットさんから手渡された文書によれば、実習内容は3つ。

事の詳細は分からないが、こうして何気なく過ごしている間にも、残された時間は刻々と過ぎ去っていく。相変わらず説明不足な分、特別実習の最中であることを忘れてしまいそうになる。

私達3人はリィンとエリオットの後を追い、サラ教官がいる1階に降り立った。

 

____________________________________

 

「ぷっっはあああああッ!!この一杯のために生きてるわねぇ!」

「随分安っぽい人生ですね」

「お、落ち着きなよアヤ。言い過ぎだよ」

 

1階に降りてみれば、既にほろ酔い気分のサラ教官の姿があった。

言ってしまえば、勤務中の飲酒である。今この場にハインリッヒ教頭でもいようものなら、ただでは済まされないだろう。

 

「はぁ・・・・・・それで、あの内容は何なんですか?実習の意図が全然見えてきませんけど」

「んー、まぁそうね。とりあえず、必須のもの以外は別にやらなくてもいいわよ?全部君達に任せるから、あとは好きにするといいわ」

「「・・・・・・」」

 

ますます分からない。やらなくてもいいと言われ、はいそうですかと返すわけにはいかない。

真意を伏せようとするサラ教官の態度は『特別オリエンテーリング』を連想させる。私だけではなく、誰もが彼女の言わんとすることを図りかねているようだ。

 

「―――もしかして、そうした判断も含めての、特別実習というわけですか?」

 

そんな膠着状態の中、一つの可能性を導き出したのはリィンだった。

その言葉の真意を汲み取ることはできないものの、これもあの時と同じだ。

誰よりも先んじて《Ⅶ組》への参加を決意した彼の姿を思い出す。

 

「・・・・・・うふふん。やっぱり『君』か。結構なことね」

 

リィンの問いに対し、サラ教官は満足気に頷く。

 

「A班は近場だから明日の夜にはトリスタに戻ってもらうわ。それまでの間、自分たちがどんな風に時間を過ごすのか。せいぜい話し合ってみることね」

 

そう言い終えるやいなや、教官は再び木製ジョッキを口に運ぶ。あとは自分達で考えなさい、ということだろうか。

 

「ふむ。そなたには思い当たる節があるようだな」

「とりあえず一旦外に出よう。ここじゃ他の客の邪魔になるからな」

 

リィンの言葉に従い出口に向かおうとした矢先、私は「アヤ、ちょっといいかしら」とサラ教官に呼び止められた。

 

「ごめん、先に行ってて」

「ああ、宿の前で待ってるよ」

 

4人を見送った後、私はサラ教官に向き直る。

わざわざ私以外の4人を外したのだ。ここから先は、真面目な話に違いない。

 

「それで、何ですか?」

「そうね―――単刀直入に訊くわ。リィンのこと、あなたはどう思う?」

「・・・・・・はぁ?」

 

突然何を言い出すんだこの人は。酔っ払った勢いで生徒に絡むつもりだろうか。

 

「ちょっと、勘違いしないでよ。彼の人となりを聞いてるの。色恋沙汰に興味はないわ」

「なら最初からそう言って下さい・・・・・・そうですね」

 

気を取り直して、私はリィンと共に過ごした1か月間を振り返る。

付き合いは短いものの、私は思うがままに自分の目に映るリィン・シュバルツァーという存在を語った。

 

「優しいし、気配りができるし・・・・・・いつの間にか、みんなの中心にいるような感じです。本人は無自覚だと思いますけど、それがリィンの魅力なんだと思います」

「なるほどね。まぁ概ね同感だわ。じゃあ、アヤは?」

「私、ですか?」

 

戸惑いに似た色が、かすかに浮かぶ。

 

「《Ⅶ組》という試みは無謀だと言えるわ。『身分や出身に囚われないクラス』なんて、聞こえはいいけどね。その中でも『出身』って意味じゃ、あなたは特別だわ。それは認めるわね?」

「それは・・・・・・はい。私もそう思います」

 

おそらく、教官の言うことは正しい。

《Ⅶ組》全員の事情を知っているわけではないが、その中でも自分の生い立ちはとりわけ異質のはずだ。

 

「帝国という枠に収まらないあなたは、《Ⅶ組》にとって重要な存在なのよ。リィンとは違う意味合いでね」

「・・・・・・買いかぶり過ぎです。それに、言っている意味がよく理解できません」

「でしょうね。正直、あなたの出身はどうだっていいのよ」

「ええ?」

 

余計に頭がこんがらがってきた。それでは最初の話と繋がらない。彼女は一体何を言わんとしているのだろうか。

そう思っていると、入り口の方からアリサの声が聞こえた。

 

「ちょっとアヤ、まだ掛かるの?」

「あ、ごめん。今行くから・・・・・・サラ教官、もういいですか?」

「ルイセちゃーん、ビールのおかわりおねがーい♪」

 

これだ。散々思わせぶりなことを言っておいて、この人は。

 

「・・・・・・ああもう。あまり飲みすぎないで下さいよ、サラ教官」

「はいはい」

 

アヤは踵を返し、皆のもとに向かう。

そんな彼女の背中を見つめるサラの目は、教え子を想うそれに他ならなかった。



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そういう人間

スケイリーダイナ。

縄張りを乱す存在を許さない、獰猛な気性をもつ中型の蜥蜴魔獣である。中型とはいえ、全長はゆうに3アージュ以上ある。民間人の手には負えるはずもなく、討伐を依頼するのも無理ないだろう。

 

戦闘開始直後は戸惑いの表情を浮かべていたエリオットだったが、魔獣から目を逸らすことなく冷静に対応している。アリサも目の前の脅威に臆することなく、しっかりと間合いを取りながら対峙している。

魔獣との戦闘経験は浅いはずの2人であるが、それを感じさせない程の堂々たる立ち振る舞いだ。特別オリエンテーリングの大型魔獣戦や、実技テストの経験も活きているのだろう。

 

何より、私達には『切り札』がある。

 

「ARCUS駆動・・・・・・!」

 

私のリンク先のアリサが、アーツの詠唱を開始する。アリサのアーツの活用法は独特だ。これは彼女の才能の1つと言えるだろう。

アリサの思惑が私の頭の中へ流れ込む。私はリィンに目で合図を送り、リンク先を彼に移す。

 

「喰らいなさい!フランベルジュ!」

 

アリサが放った矢は、ファイアボルトのエネルギーを纏いながら標的に襲いかかる。通常のアーツとは比較にならない射速と命中精度をもつ一撃は、的確にスケイリーダイナの顔面を捉えた。アーツの炎で顔を焼かれた影響で、一瞬私達の存在を見失ったようだ。

 

「四の型、『紅葉切り』」

「三の舞、『弧月』」

 

私とリィンの斬撃が、スケイリーダイナの両足を目掛けて放たれる。リィンの居合抜きは右足の根元を、遠心力を活かした私の回転切りは左足のそれを鋭く切り裂いた。耳をつんざくような雄叫びを上げたスケイリーダイナは、今にもバランスを崩し倒れ込みそうな様子だ。

このまま押し切れるかと思いきや、スケイリーダイナは倒れ込む勢いを利用し、長い尻尾を使い尾撃を繰り出してきた。目を焼かれた割には、その尾撃は的確にリィンを捉えていた。

まともに喰らえば唯では済まないが、回避できなくもない距離だ。しかしそれでは、同線上にいるアリサに危険が及ぶ。

問題は無いだろう。既にリィンのリンク先はエリオットに移っており、驚くべき速度でアーツの詠唱を終えていた。

 

「アースランス!」

 

直撃の間際、リィンのすぐ前方に巨大な石柱がそびえ立つ。尾撃はその石柱に阻まれ、彼に到達することはなかった。

これが最後の抵抗か。勝敗は決した―――と思われたが、驚いたことにスケイリーダイナは再び立ち上がり、私達に牙を向けてくる。見た目以上にタフのようだ。

 

「我が渾身の一撃―――喰らうがよい」

 

後方から急激な気の高まりを感じる。

立ち上がったとはいえ、両足を損傷しているせいか足取りは重い。おそらく、これが決め手になるはずだ。

 

「―――奥義、洸刃乱舞!!」

 

ラウラが放った光の剣技を全弾まともに受けたスケイリーダイナは、力なく倒れ込んだ。

リィンとラウラは剣を収めることなく残心を取りながら、隙無くその様子を窺う。

 

「―――よし、やったか」

「ああ、我らの勝利だ」

「よ、よかったぁ・・・・・・」

 

2人の言葉を聞くが早いか、エリオットはその場に座り込んでしまった。アリサの方も大きく溜息をつきながら、安堵の表情を浮かべている。かなり無理をしていたのだろう。

 

「おつかれさま、エリオット、アリサ。アーツの連発で疲れたでしょ?」

「正直クタクタよ・・・・・・それにしても、やっぱり凄いわね。3人とも、同じ学生とは思えないわ」

 

アリサが言う3人とは、私とリィン、ラウラのことを指しているのだろう。

私から言わせれば、この短期間でアーツを自在に使いこなす2人の方が流石だ。

 

「あとは報告を済ませれば、一通りの依頼は終了だ。すぐに向かうか?」

 

ラウラの言葉に、私を含めた4人の視線がごく自然にリィンへ向く。

 

「いや、小休憩をとろう。しばらくは魔獣も寄ってこないだろうしな」

 

リィンが言うように、スケイリーダイナが居座っていた影響か、魔獣や動物の気配は一切無い。今なら周囲への警戒を解いても問題はないだろう。リィンの提案に従い、私達は周辺の小岩に腰を下ろし、しばし休息を取ることとなった。

 

ここは小高い丘となっているようで、周辺の平原や山々を見渡せる位置にある。今までは風景を楽しむ余裕は無かったが、こうして見れば中々の絶景だ。

 

「綺麗ねー。空気も美味しいわ」

「そうだね。今度は観光で来たいかも」

 

そろそろ日が落ちてくる時間帯だ。ここから眺める夕焼けは見事なものだろう。

 

「もうB班はパルムに着いたかな?」

「そうだな・・・・・・実習の内容を聞かされている頃かもしれないな」

 

エリオットとリィンのやり取りを耳にした私は、B班のガイウスのことを思う。

考えてみれば、こうして彼と離れ離れになるのはいつ以来のことだろう。3年前に生活を共にするようになり、士官学院ではクラスも学生寮も一緒。私の隣には、常に彼がいた。もしかしたら、これが初めての経験かもしれない。

 

「ガイウスのことでも考えてた?」

 

隣に座るアリサの言葉に、私は目を丸くする。

 

「ふふ、アヤって物思いにふけったり考え事をしてる時、髪の毛を弄る癖があるでしょう?」

「あー・・・・・・」

 

彼女が言うように、私の右人差し指には髪の毛がグルグルと巻き付いている。昔からの癖なのだ。ちなみにその巻き付き具合に違和感を覚えた頃が、散髪のタイミングだ。

 

「あれ、でも何でガイウスのことを考えてるって分かったの?」

「何となくかしら。それに、寂しそうな顔してたしね」

「寂しいって・・・・・・それは気のせいじゃないかな」

「してたわよ。ふふ、可愛いとこあるじゃない。少し意外ね」

 

アリサには何やら思うところがあったようで、どこか含みのある笑みを浮かべている。

寂しい。私はそう感じているのだろうか。自問自答しても、答えは出ない。

アリサはアリサで「ほらまた」とやたらと食いついてくる。私を弄るネタができたのがよほど嬉しい様だ。

 

「ああもう。リィン、そろそろ行かない?」

「ああ、そうだな。報告を済ませたら、宿に戻ろう」

 

今から戻れば、日が沈む前には町に戻れるだろう。実習のレポートも書かなくてはいけないのだ。あまりゆっくりはしていられない。

 

_______________________________________

 

町に戻った後、私達は出店許可書を巡るいざこざに巻き込まれた。

その場を治めた大市の元締め、オットーさんから明かされた背景―――大幅な増税と混乱、公爵家との確執。そのどれもが、私には別世界の出来事のように思えた。それも無理はないのかもしれない。

 

考えてみれば、私はこのエレボニアという国での生活を、真に理解してはいない。

目の前の今日を生きること、力を欲すること、それが全てであった私の『4年間』。私が帝国で過ごした日々は、それだけだった。

『民を想い、民の生活を支える』。お母さんの言葉を思い出す。私の中の貴族様像は、経験ではなく知識からくるものだ。

 

「どうしたんだ、アヤ。もう食べないのか?」

「え?」

 

リィンの声に、今が食事中であったことを思いだす。私の指には、やっぱり髪の毛が巻き付いていた。

 

「ごめん、ちょっとボーっとしちゃってただけ。流石に疲れてるのかも」

「はは、無理もないさ。でも食欲はある分、大丈夫そうだな」

「あ、相変わらずよく食べるわね・・・・・・」

 

時刻は6時半。レポートを書くことも考慮に入れ、私達は早めの夕食をとっていた。どうやら疲れているのは本当のようで、食後特有の眠気が襲ってくる。体力的にはそれ程でもないが、今日は色々と考えさせられることが多すぎた。

食後に一息ついた後、私達の話題はこの特別実習に込められた真意、転じてトールズ士官学院への志望理由へと移っていた。

 

「ふむ―――私の場合は単純だ。目標としている人物に近づくため、といったところか」

 

ラウラの目標。それが誰かは語ってはくれなかったが、きっとその存在が彼女の向上心の原動力となっていることは容易に想像がつく。

 

「色々あるんだけど『自立』したかったからかな。ちょっと実家と上手くいってないのもあるし」

 

実家と上手くいってない。アリサの言わんとしている意味は、よく理解できなかった。

自立の言う言葉から察するに、両親と不仲ということだろうか。

 

「その意味では僕は少数派なのかな・・・・・・元々、士官学院とは全然違う進路を希望してたんだよね」

「たしか、音楽系の進路だったか?」

「え、そうだったの?」

「うん、アヤに前言われたでしょ?音楽が似合ってるって。あの時はちょっと驚いちゃったよ」

 

実際に音楽の道に進もうと考えていたとは、驚きだ。私は別に、そこまで深い意味で言ったわけではなかったのだが。

 

「あはは、まあそこまで本気じゃなかったけどね・・・・・・リ、リィンはどうなの?そういえば今まで聞いたことなかったけど」

 

次はリィンか。この流れだと、私にも回ってくるだろう。

志望理由か。何とも言葉にし辛い。

 

「俺は・・・・・・そうだな・・・・・・。『自分』を―――見つけるためかもしれない」

 

リィンが口にした志望理由は、あまりにも抽象的なものだった。いや、それより―――

 

(ラウラ・・・・・・?)

 

アリサとエリオットが照れた表情のリィンを茶化している傍ら、ラウラは真剣な面持ちでリィンに見入っている。睨んでいる、と誤解されかねない表情だ。

一体どうしたのだろう。リィンの言葉に、何か思うところがあるのだろうか。

 

「それで、アヤはどうなの?」

 

アリサの声にハッとする。そうだ、今はそれどころではない。

 

「うーん・・・・・・キッカケは、ガイウスが士官学院を志望したからなんだけどね」

「へぇ・・・・・・先にガイウスが?」

「うん。まぁ理由は本人から聞いてよ。で、私なんだけど」

 

やはり言葉にすることは難しい。そもそも私自身がよく分かっていないのだ。もしかしたら、リィンのそれが一番近いのかもしれない。

 

色々な考えが頭に浮かんでは消える。とはいえ、もともと選択肢は限られている。

 

「・・・・・・やっぱりそれしかないか」

 

皆の頭の上にはいい感じに疑問符が浮かんでいる。それはそうだろう、今のはひとりごちただけだ。

 

「ちょっとアヤ、何のことを―――」

「私のお母さんね、カルバードの遊撃士だったんだ」

 

アリサの言葉を遮るように私が言うと、周囲の雰囲気が豹変したのを感じる。

 

「お父さんは、ここエレボニアの正規軍人・・・・・・私が生まれた頃には、軍を抜けてたけどね。ちなみに生まれ故郷は、クロスベル。今は知っての通り、ノルドで暮らす遊牧民の一員」

 

捲し立てるように私は自身の生い立ちを語る。私の思惑通り、皆置いてけぼりをくらっているようだ。詳細は語らない。聞かれても答えることはできない。

 

「要するに、私はそういう人間ってわけ。どう?驚いた?」

 

一旦間を置いて、私は皆の様子を窺う。誰もが呆気にとられた面持ちで私を見ている。

書き入れ時だというのに、いつの間にか1階には私達以外の人影がない。厨房から聞こえてくる調理音がやけに大きく感じられる。

 

そんな中、エリオットの口から出た言葉は意外なものだった。

 

「はは・・・・・・ねぇアヤ。誰にだって明かしたくはない過去の1つや2つ、あるんじゃないかな?」

「え?」

 

エリオットの言葉に「そうだな」とリィンが続く。

 

「無理に話してくれなくてもいい。話したくなったら、いつでも言ってくれ。それに・・・・・・どんな事情があるにせよ、アヤはアヤだ」

「そうね。私達の目に映るのは、一番食い意地が張ってて、一番の仲間想い。あなたはそういう人間よ。何も変わらないじゃない」

「・・・・・・あはは、その・・・・・・ごめん、みんな」

 

私は自らの言動を恥じた。

多分、私は皆を試したのだ。もし私が抱えるものを知られたら、私の居場所が、皆との関係がどうなるのかを。

これでは3年前と同じだ。何も変わってはいないではないか。

焦る必要も、疑う必要も無い。絆はこれから深め合っていけばいい。

 

「誤る必要は無かろう、そなた自身の問題だ・・・・・・ふむ。だがそなたの生い立ちが、そのまま志望理由に繋がるといったところか」

「・・・・・・うん。私って、今まで流されるがままに生きてきたからさ。リィンっぽく言うなら・・・・・・道を探すため、かな?その一歩目が、トールズ士官学院への入学」

 

こうして言葉にしてみれば、何とも大それた志望理由だ。リィンが照れるのも無理はない。

だが、道は案外すぐに見つかるかもしれない。私には、共に探してくれる仲間がいるのだから。

 

「だから、えーと。これからも、宜しくお願いします?」

「疑問形で宜しくしないで」

 

アリサの返しに、皆が自然と笑みを浮かべる。

いつの間にか、店内は来店客で賑わっていた。



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追跡

(どうして本気を出さない、かぁ)

 

『風見亭』の裏地、時刻は夜の7時半ぐらいだろうか。私は横で剣を振るうラウラに目をやる。

ラウラ・S・アルゼイド。ヴァンダールと双璧を成す武の名門であり、帝国の騎士剣術の総本山『アルゼイド流』を修めた少女。武人と呼ぶに相応しい凛とした佇まいは、彼女が私より年下であることを忘れさせる。

ちなみに身長は私とほぼ変わらない。彼女とは自然と視線が合うことが多い。

 

「・・・・・・・剣を振るっても雑念は拭えぬ、か」

「え?」

「いや、こちらの話だ。付き合わせてしまいすまなかったな。一息付いたら、我々も部屋に戻ろう」

「そうだね。そろそろ切り上げよっか」

 

私とラウラは『風見亭』の表に回り、通り沿いのベンチに腰を掛ける。窓明かりがある分それなりに視界は良好で、夜のケルディックを見渡すことができた。

一方のラウラは、抱え込むように手にしていた大剣の腹を指でなぞりながら、静かに口を開いた。

 

「アヤ、そなたに1つ問いたい」

「小難しいのは勘弁してね」

「心配ない。そなたにとって、剣の道とは何だ?」

 

・・・・・・私の前置きを聞いていなかったのか。随分スケールの大きい問いだ。

だがラウラも興味本位で聞いているわけではないだろう。私はラウラと同じように、長巻を抱きかかえながら返す。

 

「お母さん」

「え?」

「お母さんから貰った、数少ない宝物。それが私の剣」

 

私は膝を抱えるようにベンチに座り直し、鞘に彫られた文字を見詰める。

鞘は勿論のこと、柄も刀身も当然ながら何度も交換した。だが鞘だけは、交換の度に同じ文字を刻んできた。

 

「私、お父さんを小さい頃に亡くしてさ。それからお母さんが女手一つで育ててくれたんだ」

「共和国の遊撃士、だったか。察するに、そなたの流派は母君の?」

「流派って程のものじゃないよ。剣術の基礎と技を教えてくれたのはお母さんだけど、大分我流が入ってるし。それに、2年ぐらいしか習ってないんだ」

 

その言葉の意味を察したのか、ラウラは戸惑いの色を浮かべる。

 

「・・・・・・すまない。無配慮過ぎたようだ」

「いいよ。私が好きで話してるんだから。それに、私も1つ訊いてもいい?」

 

私はラウラに向き直り、彼女の目を見る。

 

「ラウラにとって、八葉一刀流って何?」

「・・・・・・やはりそなたも知っていたか」

「名前と存在ぐらいはね。でもこんな身近に使い手がいたなんて、びっくりだよ」

 

剣の世界に身を置く者であれば、誰もが一度は耳にする東方剣術。その使い手は帝国に限らず、ごく僅かと聞いている。リィンが振るう繊細にして雄大な太刀筋。あれがそうであると言われれば納得がいく。

一方のラウラは、彼に対し思うところがあるようで―――それが何であるか、ある程度想像がついていた。

 

「ふむ。どうやらそなたに隠し事は無駄のようだ」

「ふふん、これでも2年は人生の先輩だからね」

 

ラウラはベンチから立ち上がると、観念したかのような様子で語り始めた。

 

「父上からずっと聞かされてきた。皆伝に至った者は理に通ずる達人として認められるという八葉の剣。私は自身でも気付かぬうちに・・・・・・その神秘的な魅力に憑りつかれていたのだろう」

「幻想を抱いていたってこと?」

「かもしれぬな」

「そっか。でも、リィンはリィンだよ。八葉一刀流じゃない」

「そなたの言う通りだ。私もまだまだ未熟だな」

 

ラウラはそう言うと、『風見亭』の2階に目を向ける。

その先にあるのは、私達A班が宿泊する部屋だ。今頃リィン達はレポートをまとめている頃だろう。

 

「だが、それとは話が別だ。『限界』などという言葉を軽はずみに口に出すべきではない」

「何か事情があるんだろうね。人のこと言えないけど」

「ああ・・・・・・そろそろ戻るとしよう。これ以上3人を待たせるわけにはいかないからな」

 

ラウラの言葉にハッとする。大分話し込んでしまったようだ。

気付けば、さっきよりも窓明かりの数が減っているように思えた。

 

「そなたに感謝を。おかげで私はリィンと正面から向き合えそうだ」

「こっちこそ。思い出させてくれてありがとう」

「・・・・・・何の話だ?」

「何でもないよ」

 

私は再び鞘に彫られた文字に視線を落とす。

ラン・シャンファ。私が振るう剣に流派名を付けるとすれば、シャンファ流長巻術。

中々いい感じだ。名前というものの重要性を思いながら、私は宿に戻るのであった。

 

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4月25日。午後13時前。

 

「ぃよっふぁあい?」

「うん、酔っ払い。あと飲み込んでから喋ろうよ」

 

エリオットの言葉に、私はマゴットさんが出してくれたふわとろオムレツを頬張りながら返す。

 

朝方に発覚した屋台の襲撃と盗難事件。それを巡る喧嘩沙汰と領邦軍の目に余る対応。私達A班は一連の騒動の真相を掴むべく、調査に乗り出していた。

発端はリィンの一声だ。彼の言葉は不思議なもので、その1つ1つが心の奥の方へストンと落ちてくるような感覚を抱かせる。

ラウラもリィンの真っ直ぐな目に応え、事件への調査に同意した。思った通り、2人には何の心配もないようだ。むしろ以前よりも絆は深まったように思える。

そんなわけで、私達は男女二手に分かれて実施した聞き込み調査の成果をまとめるべく、一度『風見亭』に戻り軽食をとっていた。

 

「それで、その酔っ払いがどうしたのよ」

「あ、ああ。何人か町の人にその男性のことを聞いてみたんだけど、どうやらこの辺りじゃ見ない顔らしいんだ」

 

アリサの催促に、リィンが返す。

 

「ふむ。それで、本人は何と?」

「それがね・・・・・・かなり酔っ払っちゃってて、要領を得ないっていうか」

「すまない。結局何も聞き出せてはいないんだ」

 

リィンとエリオットの言葉に、女性陣は落胆の色を隠せない。

とはいえ、こちらもこちらで有益な情報を得られていない以上、責めることはできない。

 

「どうしよう、他に手掛かりらしい手掛かりは無いんだよね」

「ああ。もし本当に領邦軍が加担しているとすれば、午前中の接触で何か手を打たれているのかもしれない」

「ひぉっほあっへぉ、あは―――」

「食べながら話さないの」

 

アリサに叱られた私は、とりあえず口の中身を飲み込む。

その間にも「ていうかどこが軽食よ?」とアリサの突っ込みが聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。

 

「・・・・・・ふぅ。手掛かりはまだあるでしょ。その酔っ払いの男性」

 

私がそう言うと、皆が怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「まともに話すらできないんだよ?」

「まともに話そうとするから駄目なんだってば。酔っ払いの視線に立たなきゃ」

 

リィンとエリオットが「無茶を言うな」と言わんばかりの顔を向けてくる。

実際、彼らには到底無理な話だ。

 

「まぁ、酔いが醒めるのを待つって手もあるけど、それじゃ時間が掛かり過ぎるし。もう一度掛け合ってみようよ」

「アヤに賛成だ。他に手掛かりが無い以上、可能性が残されているならば動くしかなかろう。それに、何か策があると見えるが?」

 

ラウラに続くように、再び皆の視線が私に注がれる。

そこまで期待されても困るのだが。それに策と呼べるようなものがあるわけではない。

 

「とりあえず行ってみるか。場所は西の街道への出口前だ」

 

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「・・・・・・うぅ、うぇぇ・・・・・・ヒック」

「さ、酒くさっ」

「何かさっきより酷くなってない?」

「ああ・・・・・・少なくとも、泣いてはいなかったな」

 

目の前の泥酔した男性をまじまじと見詰める。

なるほど、泣き酒か。ノルドで言えば、お義父さんやアムルさんのようなものだろう。

お義母さんやサンさんタイプだったら私の手には負えないと危惧していたが、その心配はないようだ。

 

「それで、どうするのだ?」

「どうもこうもないよ。普通に話すだけ」

 

アヤは膝を抱えるようにしてしゃがみ込み、男性の顔を覗き込む。

 

「どうしたの、おじさん」

「ぅぅ~・・・・・・ぁねえよ。らぁ・・・・・・」

「それ、もうお酒入ってないじゃん。ほら、新しいの持ってきたから」

 

マゴットさんが特別に持たせてくれた酒瓶を取り出す。

これ以上飲ませるのは得策ではないが、度数の低い酒を薄めたものならば問題ないだろう。

 

「お酒だけじゃ口が寂しいでしょ?干し肉も持ってきたよ」

 

(随分と手慣れているようだな)

(はは・・・・・・ここはアヤに任せよう)

 

アヤは繰り返し、且つ拒絶されない程度に何度も声を掛ける。その甲斐あってか、相変わらず会話は成り立っていないものの、いくつかの単語は聞き取れるようになっていった。

もう少しだ。アヤはそう意気込むと、男性と同じように胡坐をかいて地べたに座り込む。

 

(ちょちょ、ちょっとアヤ!見えてる、見えてるって!)

(邪魔しないでよ、今いいところなんだから)

 

アリサの制止を振りほどき、アヤは男性に向き直る。

 

「そっか。ひどい話だね。そんなに頑張ってたのに」

 

アヤは男性の頭を撫でながら、献身的に接する。

その後方ではラウラが男性陣の視力を奪いに掛かり、ついでにHPの大部分を奪われる悲劇が起きていたが、アヤの知るところではなかった。

 

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ルナリア自然公園。

延々続くかと思われた田園風景の中から突如として現れたそれは、トンネルを抜けた先の風景を連想させる。ラウラの説明によれば、精霊を鎮めるための『鎮守の森』に近いそうだ。魔獣の潜入を防ぐためとはいえ、入り口が鉄格子というのは雰囲気に合っていないような気がする。

 

「それがこんな所に転がっているってことは・・・・・・」

「ああ。犯人達がこの中に潜んでいる可能性は高そうだな」

 

アリサの手には、商人のハインツさんの品物と思われるブレスレット。リィンが言うように、十中八九犯人達はここを通ったに違いない。

 

「アヤ、出入り口はここだけなのか?」

「・・・・・・いくつかあるみたいだけど、道順を考えてもここから入るのが一番じゃないかな」

 

私はルナリア自然公園の管理人、ジョンソンさんから託された園内の地図を見る。

正面の出入り口以外は、ここからでは遠すぎる。

 

「そうか。ならば―――」

「いや・・・・・・俺がやろう。その大剣よりも静かにできるはずだ」

 

そう言ってラウラの前に出たのは、リィンだった。

心配ないだろう。リィン程の腕があれば、斬鉄ぐらいやってのける。あとは心の問題だ。

 

私は手にしていた園内の地図を再び見下ろす。

ボロボロに使い古されたその地図には、ありとあらゆる情報が細かく手書きで記されていた。おかげで迷うこともないだろう。ジョンソンさんは酒に溺れながらも、肌身離さずこれを持ち歩いていたのだ。おそらくは私に手渡したことさえ覚えていない。

 

私は今一度、一連の騒動を振り返る。

私に政治経済の事情は理解できない。程度の差はあれど、増税が悪とは限らないのかもしれない。

だが、それを正当化するために他人の人生を利用するなど、あってはならない。

ジョンソンさんだけではない。オットーさんも、ハインツさんも、マルコさんも。

 

金属の落下音が聞こえる。道は拓けたようだ。

 

「時間もない。犯人達の追跡を始めよう」

 

リィンに従い、私達は園内へと歩を進めた。



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強がりな自分

「所詮はガキどもだ!一気にブチのめしてやれ!」

「じゃあ遠慮はいらないわね」

 

次の瞬間、4人の偽管理人の前方に巨大な火柱が立ち上がる。アリサも大分場馴れしてきたようで、容赦がない。

 

「なななな、何だぁ!?」

「こいつらまさか、戦術オーブメントを―――」

 

こんな奴らに付き合っている暇はないと言わんばかりに、リィンとラウラははじかれたように飛び出す。

両端に位置する2人の後方に回り込むと、リィンは柄で脇腹を、ラウラは膝蹴りを的確に当て、手にしていた導力銃を奪い取った。

中央に陣取っていた残りの2人は、エリオットの導力杖の波動をまともに喰らい、既に昏倒している。

時間にして僅か10秒足らずの出来事だ。

 

「ちょっとアヤ。あなた今何もしていないじゃない」

「・・・・・・ごめん、出遅れた」

 

実際のところ、敵のその後を考えない手法を取れば、もっと迅速に殲滅できていたはずだ。

銃口を向けられた程度では、もう誰もが臆することはない。素晴らしい手際の良さだ。

 

「勝負はあった。投降して、大市の人たちにきちんと謝罪してもらうぞ」

「そちらの盗難品も全て回収するわ」

「それと・・・・・・『誰に』頼まれたかも話してもらう必要がありそうだな?」

 

とにもかくにも、これで一安心だろう。あとはラウラが言うように、黒幕を引きずり出せば万事解決―――

 

そう思った次の瞬間。

身の毛がよだつ程の咆哮が、周囲に鳴り響いた。

 

「こ、これって・・・・・・」

「大型の獣か・・・・・・!?」

 

魔獣の咆哮と、一定の間隔で鳴り響く地響き。異常な速さでその振動は増していき、間隔は狭まっていく。

一際大きな振動と共に、頭上高くに飛び上がったそれは、ついに姿を現した。

 

立ち塞がったのは、巨大なヒヒ。しかも異常なまでに興奮している。

呼吸は荒く、鼻口からは体液が流れ出しており、はち切れんばかりに浮かび上がる血管は私の手首よりも太い。

その圧力は尋常ではなかった。

 

「あ、あわわ・・・・・・」

「ひいいぃぃぃ・・・・・・ッ!?」

 

だがこれ位の境地、初めてではないはずだ。

焦るな。見た目に惑わされるな。気をしっかりと保て。今考えるべきことは―――この場にいる全員の生還。

 

「動かないでっ!!!」

 

私の叫び声に、背を向けて逃げ出そうとしていた4人の偽管理人は、足を止めてくれたようだ。

 

「分かるでしょ。獣に一度でも背を向けたら、絶対に助からない。獲物を狩るまでどこまでも追ってくる」

 

私は魔獣から目を逸らさないようにしながら、後方に位置する彼らに語りかける。

その甲斐あってか、4人は僅かながら落ち着きを取り戻してくれたようだ。

 

「お願いだから、じっとしてて。こいつは私達が何とかするから。そうでしょ、リィン」

「ああ。ここで彼らを放り出すわけにもいかない」

 

リィンはそう言うと、目の前の脅威に臆することなく私達の一歩前に歩み出る。

 

「みんな、何とか撃退するぞ!」

「了解!」

「承知!」

「わ、分かったわ!」

「女神様、どうかご加護を・・・・・・!」

 

巨大なヒヒ―――グルノージャは興奮の頂点に達したのか、いきり立ちながら私達に襲いかかった。

 

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戦闘が始まってから、どれぐらい時間が経っただろうか。

 

グルノージャは全身を焼かれ、いくつもの裂傷を負い、明らかに動きは鈍っている。

こちらの戦術に隙はない。リィンとエリオットが左翼、私とアリサが右翼に陣取り、ラウラは中央。4人の偽管理人は中央の後方。ラウラと常に一定の距離を保っている。戦術リンクがあってこその連携だ。

とはいえ、このままではジリ貧だ。特に後方の2人は体力の限界が近い。

決め手がなければ、どこかで一気に崩れかねない。

 

不意に、誰かの視線を強く感じる。その方角に目をやると、リィンが何かを訴えるように右手で合図をしている。

 

(リィン・・・・・・?)

 

私はアリサとのリンクを一旦切り、一瞬だけリィンとリンクを繋ぎ直す。

それは1秒にも満たないものだったが、それだけでリィンの意図は把握できた。

 

彼には決め手がある。私達は時間を稼ぎ、その隙を作ればいい。

私を介してアリサに、そしてラウラとも意識を共有する。

 

残された時間は少ない。私達は新たな陣形を組み直し、グルノージャの視界からリィンを外すよう仕向ける。

 

「焔よ、我が剣に集え・・・・・・!」

 

リィンの体内の気が高まり、刀身が真紅の炎を纏い始めようとした、その時。

恐れていた事態が起きた。

 

「・・・・・・ひ、ひいぃぃっっ!!」

 

魔獣の圧力に耐え切れなくなったのか、気付いた時には偽管理人の1人が背を向け、後方に駆け出していた。

 

「ば、馬鹿者!何をして―――」

「グオオォォォッッ!!!」

 

高々と鳴り響く魔獣の咆哮に、ラウラの制止の声は届くことはなかった。

逃れようとする獲物を追う、獣としての野性的な本能。グルノージャのそれは痛覚を勝り、瞬く間に背を向けた獲物に飛び掛かった。

 

「ぐっ・・・・・・!!」

 

ラウラは庇うようにして大剣の腹を魔獣に向け、咄嗟に防御の体制を取る。

薙ぎ払うようにして放たれた右腕の一撃はラウラを直撃し、偽管理人もろともはるか後方に吹き飛ばされた。

魔獣は返すようにして、もう片方の腕を振り回し、今度はエリオット目掛けて薙ぎ払いを放つ。

 

「く、クレスト!」

 

咄嗟に唱えた防御アーツにより直撃は免れたものの、彼の体は宙を舞い、ラウラ同様戦域の外へと押しのけられた。

 

全てが一瞬の出来事だった。

吹き飛ばされた2人に意識はあったが、全身を襲う痛みで満足に立ち上がることさえできない。

陣形は乱れ、均衡は崩れた。ここからは一気に押し切られる―――。

 

「リィン!!技を止めないで!!」

 

周囲に鳴り響いたアヤの声に、リィンとアリサは現実に引き戻される。

絶対に諦めない。リンクを介さずとも、その揺るぎない意志は表情から読み取れた。

 

「アリサ、気をしっかり持って。時間を稼げばリィンが何とかしてくれる」

「で、でも私達だけ・・・・じゃ・・・・・・っ」

 

目を疑った。

アヤは笑っていた。こんな極限状態の中で、彼女は自信と優しさに満ち溢れた笑みを浮かべている。

 

「ほら、来るよ。構えて」

 

途端に、狭まっていた視界が開けた。風景が変わった気がする。

アヤの言う通りだ。もともと諦めるなどという選択肢は無い。

 

グルノージャは勢いをつけて私とアヤ目掛けて突進してくる。

どこにも逃げ場は無いように思えたが、リンクを介してアヤが退路を示してくれた。

 

『上』

 

「う、上?」

「アースランス!」

 

アヤは地面から現れた石槍の先端を右手で掴むと、私を左腕で抱きかかえたまま、勢いよく上昇した。

 

「きゃあああああ!?」

 

絶対に間違ってる。これはそういうアーツではない。

エリオットといい彼女といい、どうしたらそんな発想が出てくるのか。

アヤは空中で身を翻し、アリサを両腕で抱えたまま地面に着地した。

突然標的を見失ったグルノージャは、周辺の石碑を巻き込みながら倒れ込んでいた。

 

「軽すぎでしょ。ご飯食べてるの?」

「あなたの3分の1ぐらいわね」

 

アヤはアリサを下ろしながら、視界の隅に映るリィンの様子を窺う。

グルノージャにさとられない様に、彼は静かに技の完成を待っていた。

いい調子だ。心の乱れは気の乱れに繋がる。

 

再びグルノージャの方へ向き直る。怒りの感情は読み取れるものの、足取りは目に見えて重い。

同じ手は2度通用しないだろうが、疲労の影響か直線的な動きが多くなっている。

 

「く、来るわよ。次はどうするの?」

「落ち着いて。目を凝らせば、アリサにだって・・・・・・っ!?」

 

グルノージャはゆっくりと歩み寄ってくる。

その両の手には、大小入り混じる小岩。おそらく、先程薙ぎ倒した石碑のものだろう。

 

「ま、まさか」

「オオオオォォォッッ!!!」

 

咆哮と共に、私達はおびただしい数の小岩に襲われた。

私は咄嗟に身を屈め、飛来する小岩から最低限の急所を防ぎながら耐える。

そんな中、私とアリサの戦術リンクが、突然途切れた。

 

(アリサ!?)

 

気付いた時には、アリサは左足の太腿から血を流しうずくまっていた。鋭利な破片に切られたのかもしれない。

 

「アリサ!!」

 

彼女の元に駆け寄るのと同時に、私達の前にはグルノージャの大きな巨体が立ち塞がった。

手負いの獲物を前にして舌なめずりをするかのように、気味の悪い笑みを浮かべている。

今度こそ逃げ場は無い。隣にはアリサがいる。

 

「・・・・・・あ、アヤ?」

 

私はゆっくりと立ち上がり、アリサと魔獣の間に立つ。

 

脳裏をよぎるのは7年前。私の体に掛けられた呪い。

黒いサングラスの男は言った。『全てはお前が弱いせいだ』と。

 

(違う。そうじゃない)

 

そんなことは今どうだっていい。

何が呪いだ。悲劇ぶるのも大概にしろ。もう二度と、大切なものを失ってたまるか。

 

「駄目よアヤ!!逃げて!!」

 

グルノージャの握り拳が、私達目掛けて容赦なく振り下ろされた。

 

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信じ難い光景だった。

恐る恐る目を開けた先に映るのは、アヤの背中。

無風にも関わらず、彼女の髪やスカートの裾はひらひらとはためいていた。

それに、目の錯覚だろうか。金色の何かが、彼女から発せられているように見える。

 

「・・・・・・嘘」

 

振り下ろされたはずの握り拳は、根元の手首が半分以上切断されており、力なくぶら下がっている。

当のグルノージャも何が起きたのかが分からないといった様子で、自身の右手首を呆然と見つめていた。

 

「アリサ、狙って!!」

「・・・・・・っARCUS、駆動!」

 

アヤの声に反応するように、アーツの詠唱を開始する。

身じろぎ一つとる度に左足に激痛が走るが、今はそれどころではない。

 

「二の舞、『円月』!!」

「ヒートウェイブ!!」

 

アヤは股下に潜り込み円を描くように両の膝へ斬撃を放ち、アリサはありったけのEPを顔面に叩き込んだ。

スケイリーダイナ戦同様、視界を奪われバランスを崩した巨体に、大きな隙ができる。

機は今しかない―――

 

「「リィン!!」」

「ああ、掴んだ!!」

 

2人のはるか前方に位置していたリィンは、瞬時に距離を詰めグルノージャの背後から斬りかかる。

 

「はあああっ!斬!!」

 

長い時間を掛けて練り上げられた剣気を叩き込まれ、グルノージャは瞬く間に業火の渦に包まれた。

その勢いは衰えることを知らず、アヤ達が勝利を確信するまで薄暗い園内を照らし続けた。

 

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第3学生寮。

時刻は夜の12時を過ぎており、既に日付が変わっていた。

 

(・・・・・・何でだろ。全然眠くない)

 

疲労感はそれなりにある。いつもの調子なら、ベッドに入った瞬間に意識を失う自信がある。

多分、しばらくは無理だ。眠ろうとする意志と眠気は、いつも対立関係にある。

 

私は音をたてないよう慎重にドアを開け、周囲の様子を窺う。

ラウラとアリサの部屋は既に消灯しているようで、静寂に包まれていた。時刻を考えれば当然だろう。

 

特別実習の対グルノージャ戦。撃退に成功しつつも満身創痍であった私達は、鉄道憲兵隊の方々から手厚い看護を受けた。

特に外傷が目立つラウラとアリサ、エリオットには即効性のある軍用の回復薬を処方された。その効果はてき面で、アリサの左足の傷は既に目立たない程度にまで回復している。反面、副作用として長時間の睡眠を強いられるらしい。

名目上、明日は特別実習の予備日となっていたが、サラ教官曰く「好きにしなさい」だそうだ。3人ともゆっくり休めるだろう。

一方で、実習地が離れているB班メンバーはまだパルムに滞在中だ。少し彼らには申し訳なく感じる。

 

2階に降り立つと、私は無意識のうちにとある部屋の前に向かっていた。

 

「・・・・・・何で開いてるの」

 

鍵が掛かっていない。あれだけ外出時は施錠するよう言っておいたというのに。

私は卓上の小さな灯を点けると、静かにベッドに腰を掛け、そのまま仰向けに寝転がる。

 

私は何をしているのだろう。自分自身に問いかけても、理由は分からない。

目蓋が急に重くなる。少し気が引けたが、私は睡魔に身を任せ目を閉じた。

 

 

 

夢を見ていた。

驚いたことに、私は男の子のようだ。隣には可愛らしい黒髪の少女が立っている。多分、この子の妹だ。

辺りを見渡すと、一面の雪景色。見慣れない光景だ。比較的高緯度に位置するノルドでも、ここまでの積雪は見たことがない。

 

『―――兄様』

 

妹が私を呼ぶ。名前を呼ばれた気がするが、うまく聞き取れない。彼女は何と言ったか。

 

 

 

「―――ヤ。起きろ、アヤ」

 

目を開けると、天井には見慣れない木の模様があった。

 

「・・・・・・あれ、ガイウス?何で?」

「俺に聞かれてもな」

 

ベッドから起き上がり、気を落ち着かせる。

そうだ、昨日私はガイウスの部屋に入り、そのままベッドに寝転がって。

卓上の時計に目を向けると、短針は2時を指している。窓から日の光が差し込んでいるから、当然昼の2時だ。

 

「嘘、私ずっと寝てたの?」

「よく分からないが、俺が聞きたいぐらいだ」

「・・・・・・あはは。その、ごめん。鍵、開いてたから」

 

開いていたから何なのだ。私は咄嗟に話題を変える。

 

「特別実習は?もう終わったの?」

「ああ。散々な結果に終わったがな」

「そう・・・・・・ねぇガイウス」

「何だ?」

 

自分から話しかけておきながら、次の言葉が出てこない。

どうも昨晩から調子がおかしい。私は弟の部屋で何をしているのだ。

 

「私・・・・・・私ね」

 

視界が滲んでいく。堪えようとすればするほど、意図に反してそれは溢れていく。

 

「大まかなの経緯は、先程リィンから聞いた」

 

不意に、頭の上にふわっとした感触を覚える。

浅黒く大きい右手が、ベッドに座る私の頭を覆っていた。

 

「大変だったみたいだな」

「・・・っ・・・・・・う、うぅ」

 

怖かった。本当は怖かった。

失うのが怖かった。大切な仲間が危険に晒された時、生きた心地がしなかった。

ラウラが、エリオットが魔獣の手に掛かった時、本当は全てを投げ出して駆けつけたかった。

血を流すアリサを目にした時、庇ってやれなかった自分を許せなかった。

 

唸るような嗚咽の声が、ガイウスの部屋に響き渡る。

 

「アヤ」

「・・・・・・なに」

「髪、切ってやろうか。大分伸びてきただろう」

 

特別実習の時から、違和感はあった。そろそろ切ってもいい頃合いだ。

 

私の髪を触るガイウスの手を、そっと握り返す。

2日振りの彼の手に、私は胸が軽くなるのを感じた。



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第2章
5月16日、早朝


早寝早起きは私の自慢の1つだ。3階の中では一番消灯時間が早いし、朝は皆の寝ぼけ顔を見る立場にある。

ただ、フィーは部屋の明かりを消さずに就寝することが度々あるそうだ。言葉の綾だが、前者は少し怪しいかもしれない。

 

「―――ほら、たくさん食べなよ」

 

私の横では、馬達がバケツに盛られた餌を黙々と食べている。窓枠から差し込む朝の陽光が毛並みを照らす様は、いつ見ても私の心を落ち着かせてくれる。

額の汗を手首で拭いながら厩舎の外に出る。昼夜の寒暖差が激しいノルドと違い、早朝でも体を動かせば問答無用に汗が浮かんでいた。

 

足元にあるゴム製のホースに目をやる。先程まで使っていたそれは、厩舎に備え付けられた水道の蛇口へと繋がっている。

今なら大丈夫だろう。自由行動日の早朝なだけに、辺りに人影は無い。

蛇口からホースを抜き、栓を捻って勢いよく水を出す。息を止め後頭部を蛇口の下に潜り込ませると、火照った頭が一気に冷やされていく。

 

「・・・・・・っぷはぁ!」

「朝から精が出るのう」

「え?」

 

勢いよく頭を上げ髪の水気を切りながら、軽く目を擦る。

 

「・・・・・・が、学院長!?」

 

目に飛び込んできたのは、2アージュを超えるであろう巨躯。トールズ士官学院の長、ヴァンダイク老学院長だった。

まさか人に会うとは思ってもいなかったが、それにしても想定の範囲外過ぎる。

慌ててタオルで顔を拭きながら、今の自分の身なりを思い出す。作業用の長靴とジャージは仕方ないにしろ、Tシャツの袖は肩まで捲り上げられている。これは流石にはしたない。

 

「何、そう畏まらんでもよい。馬を見に来ただけじゃからな」

「馬、ですか?」

 

学院長は慣れた足取りで厩舎を回りながら話してくれた。

聞けば、時折こうして馬の様子を見に来ることがあるそうだ。人手が足りない時期には世話を買って出ることもあるという。

それにしても、わざわざ自由行動日の早朝に足を運ぶとは。頭が上がらないとはまさにこの事だ。

 

「どうかね、士官学院での生活は。《Ⅶ組》ならではの苦労もあるじゃろう」

 

当然のように私が所属するクラスを言い当てられ、思わず目を丸くしてしまう。

 

「《Ⅶ組》のアヤ・ウォーゼル君じゃろう?無論知っておるよ」

「・・・・・・光栄です」

 

もしかしたら、この人は学院全生徒の名前を言えたりするのだろうか。

こうして話しているだけでも、それが冗談とは思えなくなる。不思議な人だ。

 

「苦労も多いですが、その分毎日が充実しています・・・・・・ただ」

「ただ?」

「その、座学には毎日苦戦しています。嫌いではないんですけど」

 

苦笑いを浮かべながらそう言うと、学院長はしわがれた大きな笑い声を上げた。

 

「入学してまだ一月半しか経っておらん。徐々に慣れていけばよい」

「でも周りが優秀な人達ばかりで、少し気後れしてしまうんです」

「・・・・・・ふむ。あれは20年以上前じゃったかの」

 

学院長は遠くを見つめるような目で空を見上げながら続ける。

 

「君のように、勉学が不得手な女子生徒がおってのう。入学試験の成績は下から2番目じゃった」

 

下から2番目。突然引き合いに出された女子生徒の成績に不安を覚える。

下から数えた方が早いという自覚はあるが、学院長にはそう見えるのだろうか。

 

「じゃがある時期を境に、急に成績が伸び始めた。武術や実技は相変わらずじゃったが、それ以外の科目は主席で卒業しおった」

「主席で・・・・・・すごい。何があったんですか?」

「本人にしか分からんよ」

 

何かキッカケがあったのかもしれない。今の私には知る由も無い。

だが、彼女が積み重ねたものの大きさは想像できる。要するに、学院長が言いたいことはそれだろう。

 

「焦ることはない。学院での生活も始まったばかりじゃ」

「ありがとうございます。少し気が楽になりました」

「そうかそうか。・・・・・・それにしても、君は朝が早いのう。流石はノルド出身といったところか」

「慣れたものです。それに、今日は理由があって―――」

 

そう。自由行動日だというのに、普段よりも朝が早いのには理由がある。

私がその理由を話すと、流石の学院長も意外そうな色を浮かべた。無理もない。

このトリスタで同様の反応を見せないのは、多分ガイウスぐらいだ。

 

「はい。弟に髪を切ってもらうんです」

 

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髪の毛は早朝に切る。特徴的なノルドの風習の1つだ。早朝以外に髪を切ると親の死に目に合わない、というのが理由だそうだが、まるで説明になっていない。

とはいえ、古くから伝わる慣わしを悪戯に破るのも気が引ける。私はこれでもノルドの民の一員だ。

 

「―――よいしょっと」

 

第3学生寮の3階にある談話スペースには、年季の入ったソファーやテーブル、本棚が設置してある。使い古しとはいえ作りはしっかりしており、《Ⅶ組》の女子専用と考えれば勿体無いぐらいだ。アリサやエマが利用しているのをよく見かける。

私はそのソファーやらを隅に追いやり、部屋から持ってきた椅子をスペースの中央に置いた。

 

「準備はいいか?」

「うん、お願い」

 

私は椅子に腰掛け、正面を真っ直ぐに見据える。

私の後ろでは、ガイウスが慣れた手つきで櫛を入れていた。当然だが、ガイウスに髪を切ってもらうのは初めてではない。

 

「初めて切ってもらったのっていつだっけ」

「覚えてないな。アヤがノルドに来て、間もない頃じゃなかったか」

「あの頃はすごい長かったよね」

「あれはあれで似合っていたぞ」

「・・・・・・ふーん」

 

長髪は戦いの場で不利に働くだけだ。

だからというわけではないが、乾かすのに時間が掛かりすぎるのはいただけない。

髪を短くした後、その違いに驚かされたのを覚えている。

 

「・・・・・・あ、おはようございます。アヤさん、ガイウスさん」

 

声がした方に振り返ろうとするが、今が散髪中ということもあり、私は前を向いたまま返す。

 

「おはよ、エマ」

「おはよう、委員長」

「・・・・・・ガイウス、さん?」

 

エマの声に違和感を抱き、私はガイウスが持つハサミに注意しながら振り返る。

そこに立っていたのは、寝間着姿でやや寝ぼけ気味のエマの姿があった。

察するに、顔を洗いに行く途中だろう。

 

「ええっと、その、しし失礼します!」

 

エマはそう言うと、足早に洗面所へ駆けていった。

 

「・・・・・・何だ。随分と慌てていたが」

「さあ・・・・・・?」

 

完全に油断しきった寝起き姿を同年代の異性に見られれば、エマの反応も無理はなかった。が、同じ女性の身でありながら、アヤにはそれが理解できなかった。

 

話題は今日の予定へと変わる。

 

「午前中は勉強かな。午後からはキルシェ。そっちは?」

「俺は今日も部活だ」

「ふーん。リンデとはうまくやってる?」

「ああ。彼女の指南は分かりやすくて助かる」

「そう。今度キルシェに連れてきなよ」

 

後方からスリッパのペタンペタンという音が聞こえる。

声からそれがアリサであるということは分かったが、以降はエマと全く同じ流れで足早に姿を消したのだった。

 

「・・・・・・察するに、帝国では散髪は他人に見せるべきではない、恥じらいのある行為なのか」

「そんなはずないんだけどなぁ」

 

エマ同様、アリサの反応は年頃の女性としては当然の反応であったのだが、アヤには到底理解できないものだった。

 

話題はアヤのクラブ活動へと変わる。

 

「馬術部の方はどうなんだ?」

「ユーシスとポーラなら相変わらずだよ。ユーシスはあんまり顔を見せてないみたいだし。人のこと言えないんだけどね」

「あまり本腰を入れていないようだな」

「よく分かんない。馬は好きみたいだけど、その辺のことはあまり話してくれないから」

 

ユーシスは決して悪い人間ではない。それは何となく分かる。

だからこそもう少し歩み寄りたいのだが、如何せん彼は敵を作るような態度が目立つ。

 

「何してるの」

「・・・・・・え、フィー?」

 

珍しいこともあったものだ。自由行動日のこの時間帯に、フィーの姿を見ることは滅多に無い。

 

「お腹空いたから起きちゃった」

「そう。なら後で一緒に食べる?」

「そうする・・・・・・ガイウス。髪、切れるの?」

 

フィーは意外そうな表情を浮かべながら聞いてくる。

 

「故郷では妹達の髪を切ったこともある」

「ふーん。今度お願いしてもいい?」

「お安い御用だ」

「やった」

 

フィーは軽い足取りで下の階へと降りていく。

ごく自然な会話が初めて成り立ったことに、アヤもガイウスもどこか嬉しげな色を浮かべていた。

 

話題はアヤが抱いた違和感へと変わる。

 

「ねえガイウス」

「何だ?」

「気のせいかもしれないけど、何かいつもより手つきが変じゃない?」

「・・・・・・その、ハサミがな。やけに切れ味が鋭い、というか」

「あー、はいはい」

 

ノルドで使用していたハサミは用途を選ばず、ありとあらゆるものを切断してきた大型のものだった。ガイウスはそれを器用に使いこなしていたが、今彼が手にしているのは現地で購入した新品だ。おそらくはその違いだろう。

 

「ふむ、朝から散髪とは精が出るな」

 

凛とした声の主はラウラだ。見れば、彼女は大剣を携えており、身支度も済ませている様子だ。

ラウラによれば、リィンと一緒に朝稽古をする約束をしていたらしい。そう語るラウラの表情は、どこか嬉しげだ。

今では慣れたものだが、ラウラは貴族という身分に属する。入学当初はやや戸惑いがあったものの、こうして自然と会話できるようになったのは、やはりユーシスのおかげだろう。

 

『士官学院生はあくまで対等―――学院の規則を忘れたとは言わせんぞ』

 

じゃあポーラへの態度は何なの?

そう心の中で怒鳴っていると、後ろから大きな溜息が聞こえた。

 

「よし、終わったぞ」

 

ラウラが階段を降り始めたのと同時に、ガイウスはハサミを置いた。

恐る恐る手鏡を覗き込むと、そこにはいつも通りの自分。うん、中々の仕上がりだ。

私は少し不安そうな表情のガイウスにお礼を言いながら、肩に掛かった髪の毛を払う。

 

「後片付けは私がやっておくから」

「ああ。俺は朝餉の支度をしてくる。フィーも待っているだろうしな」

 

ガイウスは首と肩を鳴らしながら、2階へと降りていく。

慣れないハサミ故に、気を遣ってくれたのが窺える。

 

私は再び手鏡を覗き込み、髪先を弄る。

 

「・・・・・・少し、伸ばしてみようかな」

 

誰にも聞こえない程度の声で、私はそう呟いた。



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広がる世界

5月23日、14時過ぎ。

 

想像はしていたが、やはりキルシェの利用客は士官学院の生徒が大半を占めているようだ。

裏方が主とはいえ、少しずつ仕事の幅は広がってきている。指導役のドリーさんのおかげだ。

困っていることがあるとすれば、知り合いへの接し方ぐらいか。お客さんとしてもてなせばいいのか、友人として気さくに応じればいいのか、戸惑う時がある。

とはいえ、フレッドさんは「細かいこたぁいいんだよ」と言ってくれている。悩む必要もないだろう。

カウンター席に座る目の前の彼にも、自然に接すればいい。

 

「お待たせ。焙煎コーヒー」

「ああ、ありがとう」

 

マキアスは淹れたてのコーヒーを一口啜ると、再び手元の本へと視線を落とした。

《Ⅶ組》男子の中でも1人で行動することが多い彼は、先月の実習以来その傾向が強まってきている気がする。

 

時と場所を選ばない彼の頑なな態度には、度々やきもきさせられることがある。

だが普段は責任感が強く面倒見もいい、頼れる副委員長だ。多分、それが彼の本質なんだろう。

それに先月の特別実習、私は様々な現実を突き付けられた。彼の姿勢を一方的に否定するには、私は余りにも無知すぎる。

 

「それ、チェスの本?」

 

あれこれ悩んでも仕方ない。私は切り替える様にして、マキアスの手元を見ながら言った。

 

「ああ、これか。毎月買っている月刊誌でね。僕の愛読書だ」

 

そう語る彼の右手は、前後左右に忙しく動かされている。頭の中で敵のキングを追い詰めている最中のようだ。

 

「詳しいルールは知らないけど、相手のキングを取っちゃえば勝ちなんでしょ?」

「か、簡単に言うんだな・・・・・・いいか、チェスは戦術の上に重ねられた戦術が生み出す戦略が―――」

 

たっぷり15分の時間を掛けて語られた彼のチェス論は、私の頭では到底理解できないものだった。

というか、これでも私は仕事中だ。手を止めないようにしながら相槌を打つだけでも一苦労なのだが。

とりあえず、マキアスが相当なチェス愛好家だということだけは確認できた。

 

「ま、まぁ私も調子がいい時は先の先ぐらいまでは読めるよ。剣ならね」

「どうして剣の話になる・・・・・・まぁいい。それにしても、随分余裕そうだな」

「え?」

「昨日サラ教官が言っていただろう。来月には中間試験があるんだぞ」

「いらっしゃいませー」

「誰も来ていないじゃないか!」

 

中間試験。不吉な意味を持つ4文字熟語のように思えてくる。

帝国史や政治経済、軍事学。実践技術に関しては少し自信があるものの、暗記が伴う科目はそれだけで抵抗感がある。

見て読んで書けば自然と頭に入りますよ、とはエマの言葉だったか。私の場合、自然に頭から抜けていってしまうのだが。

 

「試験まではまだ時間がある。今のうちから試験範囲の復習を心掛けておきたまえ」

「肝に銘じておきます、副委員長」

 

やはり彼は、何だかんだで面倒見がいい。

彼の忠告通り、今のうちから準備を怠らないようにしよう。

 

___________________________________

 

「いらっしゃい―――」

 

―――ませ。ドアチャイムの音色に反応して口からこぼれた言葉を飲み込み、気配を消す。

 

「・・・・・・何やってんだ?」

 

突然カウンターの陰にしゃがみ込んだ私に、厨房にいたフレッドさんが怪訝そうな視線を送ってくる。

とりあえず、今は居ないことにしてほしいのだが。

 

「コンマ1秒で気配を殺すとは、はにかみ屋な子猫ちゃんだね」

「・・・・・・いらっしゃいませ」

 

アンゼリカ・ログナー先輩。四大名門の1つ、ノルティア州を治めるログナー侯爵家の皇女である。

彼女もまた、私の中の貴族という概念を十二分に引っ掻き回してくれた。

 

初めて声を掛けられてのは、つい昨日のことだ。

突然首筋に鼻を当てられ、匂いを嗅がれた。驚きの余り思わず放った掌打は、見事に受け流された。

 

色々な意味で衝撃的な出会いだった。

 

「どうだい、これから帝都辺りまでタンデムでひとっ走り」

「仕事中です」

「つれないな、昨日はあんなに愛を深め合った仲だというのに」

 

彼女の言葉に、周囲の男性客から視線が注がれるのを感じる。

私の背後ではフレッドさんが「ま、マジかよ」と目が点になっていた。いい加減にしてほしい。

 

「ああもう。とりあえず何か注文して下さい。あとあそこにいる先輩方にもそう言って下さい」

「・・・・・・ああ、クロウか」

 

端のテーブル席には、子供達とカードゲームに夢中になる男子生徒の姿があった。

「変な先輩に50ミラを騙し取られた」とリィンがぼやいていたことがあったが、その先輩とやらと特徴が一致している。

 

「あれと一緒にされるのもなんだ、アイスコーヒーをもらおうか」

「はい。フレッドさん、お願いします」

「・・・・・・あ、ああ。アイスを1つな」

 

フレッドさんはぎこちない様子で、コーヒーを淹れ始める。

早めに誤解を解いておいた方がいいかもしれない。このままではフレッドさんを介して迷惑な噂が広がりかねない。

 

「・・・・・・ふむ、それにしても」

 

アンゼリカ先輩はカウンター席に腰を下ろしながら、私―――というより、私の中の何かを覗き込むような、そんな視線を送ってくる。

 

「昨日も感じてはいたが―――君は随分と厄介なものを抱えているようだね」

 

思わず身構えてしまう。先程のような飄々とした態度から一変して、彼女の目は真剣そのものだ。

私が抱えるもの。当然、心当たりはある。

 

「あの、何のことを言ってるんですか?」

「ふふ、隠さなくてもいい。こういうことさ―――」

 

次の瞬間、アンゼリカ先輩の両の目が大きく見開いた。

彼女の体から発せられたものが、私の中へと叩き込まれる。驚きの余り、思わず背を壁に預けてしまった。

―――何ていう気当たりだ。

 

「・・・・・・お、驚かさないで下さい。急に何ですか」

「うんうん、君の普通ではない表情はそそられるね。思った通りだ」

「あ、あのですね」

 

アンゼリカ先輩は満足気に頷きながら、踵を返し出入り口へ向かって歩き出した。

 

「私にも多少の心得があるってことさ。相談事があれば、いつでも来るといい。力になれるかもしれないよ」

 

彼女はそう言ってキルシェを後にした。

 

突然の展開に声も出ない。昨日のやり取りから考えて只者でないと感じてはいたが、これは想像以上だ。

 

「アヤちゃん、交代の時間よ」

 

その声にはっとする。いつの間にか、ウェイトレス姿のドリーさんがカウンターに立っていた。

もうそんな時間か。彼女の言う通り、今日の私の出番はここまでのようだ。

 

「それで、このアイスコーヒーはどちらまで?」

「え?・・・・・・あっ」

 

カウンターの上には、今し方フレッドさんが淹れてくれたアイスコーヒーが置かれていた。

 

「・・・・・・えーと。私のです」

 

____________________________________

 

店内の時計に目をやると、午後の3時を指している。

私はフレッドさんが焼いてくれたピザを頬張りながら、これからの予定を考えていた。

 

今日もリィンは生徒会の依頼とやらに時間を取られているはずだ。その手伝いをしてもいいかと思っていたが、彼が今どこで何をしているのかが分からない。

 

「あれ、アヤ?」

 

ドアチャイムが鳴るのと同時に、慣れ親しんだ明るい声が聞こえた。

声の主は、同じ馬術部のポーラ。その隣には、驚いたことにランベルト先輩の姿があった。珍しいこともあったものだ。

 

「もうアルバイトは終わりなの?折角アヤのウェイトレス姿を見に来たのに」

「アルバイトじゃないってば・・・・・・でも珍しいね。ランベルト先輩まで」

「先輩が奢ってくれるっていうからさ」

「はっはっは!全く記憶に無いが、おそらく気のせいだろう。遠慮は要らないよ」

 

何やら気になる発言もあったが、多分先輩の言うように気のせいなのだろう。

ポーラによれば、今日も2人は部活動に励んでいたそうだ。部員が少ない分、積極的に参加できないことに2人には少し申し訳なく感じる。

ちなみに、ユーシスも今日は顔を見せていないらしい。

 

「彼も悪い人間ではないさ。私はそう思うよ・・・・・・ふむ、ノルドの伝統料理『カバブ』はあるかね?」

「できればメニューにあるものの中から選んで下さい・・・・・・まぁ、それには同意です」

 

私とランベルト先輩のやり取りを聞いたポーラは、不機嫌そうな様子で勢いよくアイスコーヒーを啜っていた。

 

「知らないわよあんなやつ。馬に蹴られちゃえばいいのに」

「うーん・・・・・・ってポーラ、それ私のコーヒーなんだけど」

 

私が言うのと同時に、周囲にベルのような機械音が鳴り響いた。

それは私の腰元―――ARCUSから発せられていた。

自然と周囲の視線が私へと注がれる。今日はやけに悪目立ちする日のようだ。

 

一旦店外に出て通信ボタンを押すと、ARCUSから聞こえてきたのはリィンの声だった。

 

(そっか。私達にはこれがあったか)

 

私用で使うことは控えるように言われていたが、生徒会の依頼絡みなら問題無いだろう。

リィンによれば、これから旧校舎探索に向かうところのようだ。

一月前の旧校舎探索。ガイウスとエリオットとからも、事の詳細は聞かされていた。

 

「じゃあ今から向かうよ。10分後には着けると思う」

『ああ。助かるよアヤ』

 

私は通信を切ると、急いで店内に戻り2人が待つテーブルへと向かう。

 

「ごめん、ちょっと急用が入ったから、私もう行くね」

「え、じゃあこれ貰っちゃってもいい?」

 

ポーラが指す『これ』に目を向ける。

 

「あはは、そんなわけないでしょ」

 

私は大皿に残った3切れのピザを綺麗に重ね、たっぷりと味わいながらキルシェを後にした。

 

___________________________________

 

 

(つ、疲れた・・・・・・)

 

サラ教官から渡されたレポート用紙をきっちり最後の行まで埋め、私はベッドへ崩れるように身を預けた。

 

話には聞いていたが、まさかあそこまで奇想天外な事態になっているとは想像もしていなかった。

それは先月の探索に参加したガイウス達も同様だったようだ。

旧校舎の地下は前回を上回る規模で『改変』されていたらしく、徘徊する魔獣は手強さを増し、ダンジョン区画はより複雑に入り組んでいた。あの特別オリエンテーリングも真っ青の難易度だ。

結局、探索を終えた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。

次回の探索時は時間に余裕をもって挑もう。そう決めた私達を待っていたのが、今回の探索に関する報告書である。

必要性は理解できるが、サラ教官も容赦がない。

 

「アヤさん、いますか?」

 

コンコンとドアをノックする音が響く。声でそれがエマだと分かる。

 

「なにー?」

 

私はベッドに横たわったまま返す。立ち上がる気力が沸いてこない。

 

「お風呂が空きましたよ」

「・・・・・・入らなきゃ駄目?」

「うふふ、言っている意味が解りませんよ、アヤさん」

 

エマの言うように、流石にその選択肢は無いだろう。ノルドでも水浴びは欠かさなかった。

手早く支度を済ませドアを開けると、そこにはエマの姿があった。

 

「あれ、待っててくれたの?」

「少し様子が気になったので・・・・・・話は聞きました。大分お疲れのようですね」

「まぁね・・・・・・立ち仕事の後に相当歩き回ったから。足が変な疲れ方しちゃってるみたい」

 

今思えば、今日は1日中立ちっ放しだ。両足が悲鳴を上げるのも無理はない。

 

「ふふ、アヤさんは働き者ですね。それなら、入浴の後で私の部屋に来てもらえますか?」

「え゛」

「・・・・・・あの、変な勘違いをしないで下さい」

 

彼女が言うには、筋肉疲労によく効く塗り薬を持っているそうだ。

田舎から持ってきた特製のものだそうで、彼女もよく使用しているらしい。

 

「・・・・・・ごめん。多分、昼間に会った変質者のせいだね」

「はぁ・・・・・・?」

 

私は逃げるように部屋を後にし、入浴を済ませた後、約束通りエマの部屋を訪れた。

余りに早い私の来訪に、彼女は案の定「も、もう入ってきたんですか?」と驚きの色を浮かべていた。

私から言わせれば、30以上入浴に費やすエマの方が異常に思える。アリサに至っては1時間は風呂場から出てこない。

 

「じゃあ、そこの椅子に座って下さい。今用意します」

「塗り薬でしょ?渡してくれれば自分でやるよ」

「・・・・・・えーと、その、塗り方にコツがあるんですよ、これ」

 

心なしか動揺しているような気がする。

・・・・・・変に意識してしまうのは、全部アンゼリカ先輩のせいだ。どうしてくれる。

 

心を落ち着かせて、エマに両足を任せる。彼女がふくらはぎに塗り薬とやらを塗り始めると、辺りに心地よい香りが広がった。

 

「柑橘系、かな?いい匂いだね」

「はい。数種類の薬草やハーブを調合したものなんです」

「ふーん」

 

ハーブの効果だろうか、薬を塗った肌がヒンヤリとしてくるのが分かる。これは確かに気持ちがいい。

天井を見上げながら身を預けていると、不意に彼女の手が止まった。

 

(え?)

 

「どうかしましたか?」

「・・・・・・あ、ううん。何でもない」

 

一瞬、彼女の両手がぼんやりと光ったかのような思えたが、気のせいだろうか。

目の錯覚だとしたら、大分疲れが溜まっているのかもしれない。

 

「ふふ、もう終わりましたよ。具合はどうですか?」

「ありがと。よいしょっと」

 

ゆっくりと両足を床に下ろし、立ち上がる。

驚いたことに、少しも疲労感が残っていない。そればかりか、体がやけに軽い。今日1日の疲れが吹き飛んだかのような感覚だ。

 

「嘘・・・・・・すごい。これ、全部その薬の効果?そんなに即効性があるの?」

「あ、あはは。塗り方がよかったのかもしれないですね」

 

そこにどれだけの違いがあるのかは分からないが、これは想像以上だ。

私はエマにお礼を言い、彼女の部屋を後にした。今日はすぐに就寝しようと思っていたが、もう少し頑張れそうだ。

 

自室に戻り、今日1日を振り返る。思えば、今日はたくさんの人と話をしたような気がする。

日を追うごとに、少しずつ私の世界が広がっていく。今までにない感覚だ。

壁に掛けられたカレンダーに目をやる。来週の今頃は、2回目の特別自習の最中だ。

いや、その前に実技テストがあったか。サラ教官のことだ、また得体の知れない相手と対峙させられるのだろう。

望むところだ。きっといい風が吹いてくれるに違いない。不思議とそう思えてくる。

 

「・・・・・・よしっと」

 

私は小さく気合を入れ直し、学習机に教科書を広げるのであった。



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2回目の実技テスト①

「今回の実技テストは以上。続けて今週末に行う特別実習の発表をするわよ・・・・・・リィン」

「はい」

 

サラ教官は軽く目配せをした後、茶色の封筒をリィンに手渡す。前回同様、あの中に今回の実習の詳細が記されているのだろう。

リィンは中身を取り出し確認すると、それを1枚ずつ各《Ⅶ組》メンバーに配り始めた。

 

私達《Ⅶ組》の代表といえば、当然クラス委員長であるエマだ。クラス内で何かを議論したり決め事をする際には、彼女が先頭に立ってその場を取り仕切るのが常である。

だがサラ教官はリィンをよく名指しするし、当のリィンも自然に応じる。エマもエマで、それを当然のように捉えているように見える。

言葉では表せないが、2人にはそれぞれの役割があるのだろう。

 

私の背後では、エリオットが右手の掌を擦りながら肩を落としていた。

今の実技テストで負った傷だ。気にならない程度の軽症だが、軽く皮を擦り剥いてしまったようだ。

 

「手、大丈夫?」

「うん、軽い掠り傷だから・・・・・・あはは、ダメダメだったね」

「見ていて気の毒になるぐらいダメダメだったね」

「き、キツイなぁ」

 

今回の実技テストは前回と同様、対『動くカカシみたいなもの』。今回は5人ずつ、2班に分かれて実施された。その第2班―――マキアス、ユーシス、エリオット、エマ、フィー。

戦術リンクどころか、それを抜きにしてもまるで連携が取れていなかった。

多対一というよりは、一対一の集まりとでもいったところか。

フィーの個人技に目が止まったぐらいで、それ以外はエリオットが言うように、ダメダメな結果だった。

サラ教官が言うように、責任の大半は彼ら『2人』にある。それは誰の目から見ても明らかだった。

 

「ありがとう、ガイウス」

「何のことだ?」

「前回の実習、無事に帰ってきてくれてありがとう」

「・・・・・・漸く俺の苦労が理解できたようだな」

 

大きく溜息をつきながら、リィンが手渡してくれた用紙に視線を落とす。

それによると、私は今回B班。アリサ、ラウラ、エリオット、ガイウス、そして私の5人編成のようだ。

 

「あ、私達一緒の班だよ」

「同じ班か。いい風が吹いたようだ」

 

私とガイウスが声を上げ、視線を交わしながら笑顔を浮かべる。

それと同時に、皆の視線が瞬時に私達2人に向けられた。誰しもが『今は黙っていてくれ』とでも言いたげな表情だ。

 

「・・・・・・失礼」

「・・・・・・失礼した」

 

無理もない。皆の関心は今『A班』の方に向いている。

 

「冗談じゃない!」

 

その当事者であるマキアスが声を荒げて続けた。

 

「サラ教官!いい加減にして下さい!何か僕達に恨みでもあるんですか!?」

「茶番だな。こんな班分けは認めない、再検討をしてもらおうか」

 

マキアスに同調するように、ユーシスも意義を唱える。

 

「入学当初を思い出すな」

「・・・・・・そうだね」

 

ガイウスの言う通り、あの時も今回と似たやり取りがあったことを思いだす。

たった2ヶ月間前の出来事だというのに、それが遠い昔の出来事のように思えてくる。それだけ濃密な日々を過ごしてきたという証だ。

 

その一方で、目の前のこの2人。マキアスとユーシスはあの時と何も変わってはいない。

何かいいキッカケがあればいいのだが。

 

(ああ、だからか)

 

多分、そういうことなのだろう。決して単なる思い付きではないはずだ。

班分けだけではない。A班の実習地にも、きっとサラ教官の思惑が込められているに違いない。

 

「あたしは軍人じゃないし、命令が絶対だなんて言わない。ただ、『Ⅶ組の担任』として君達を適切に導く使命がある」

 

そう語る彼女はいつもと同じ、こちらを見透かしたような余裕のある笑みを浮かべている。

だが、言葉は真剣そのものだ。普段は軽口が目立つ分、その重みを一層感じることができる。

 

「それに異議があるならいいわ。2人がかりでもいいから・・・・・・力ずくで言うことを聞かせてみる?」

「・・・・・・面白い」

 

(前言撤回)

 

どうしてそうなるのだ。多分、あれは単なる思い付きだ。

 

男のプライドとやらに障ったのか、マキアスとユーシスはいきり立ちながらサラ教官の前へ歩を進める。

リィンやエリオットの制止の声も、もはや耳に入っていない様子だ。あれではもう引き下がれない。

 

「フフ、そこまで言われたら男の子なら引き下がれないか。そういうのは、嫌いじゃないわ」

 

サラ教官もまた不敵な笑みを浮かべながら、躊躇なく2人の前へと歩み出る。

と思いきや、身構える2人を無視するかのように、彼らの間を通り抜けてしまった。

 

(え?)

 

彼女はそのままこちらへ向かって歩を進め、私の前で足を止めた。

 

「出番よ、アヤ」

「はい?」

「だから、あなたが2人の相手をしてあげなさい」

「・・・・・・」

 

「「ええっ!!?」」

 

周囲に私を含めた《Ⅶ組》全員の声が響き渡った。

 

「な、何で私が・・・・・・無理ですよそんなの」

「そう?私にはそうは思えないけど。それに愚弟の面倒は長女が見るべきでしょう」

「勝手に弟を増やさないで下さい!」

 

本気なのか冗談なのか。表情から察するに、おそらく前者だろう。

理解できない。自分で彼らをそそのかしておいて、どうして私が巻き込まれる。

サラ教官の理不尽な振りに納得できない一方で、私以外のメンバーは別のところに意識が向いていた。

 

「ふざけるのも大概にするがいい!!」

「この男の言う通りだ!!どれだけ僕達を侮辱すれば気が済むんですか!!」

 

ユーシスとマキアスは隠そうともせず、感情に身を任せて怒りを露わにしていた。

彼らの反応は当然だろう。場の勢いとはいえ、2人がかりで教官に食って掛かった先に待っていたのが、私だなんて。

 

サラ教官は彼らの言葉を無視するようにして、私の顔を覗き込んでくる。

 

「ちょ、近い、近いです」

「それに、そうやっていつまでも目を背けているわけにはいかないでしょ?」

「えっ・・・・・・」

 

既にサラ教官の顔は、私の目と鼻の先にまで近付けられている。

おでこ同士が接触し、互いの熱を測りあうような体勢だ。

 

「大まかな事情は聞いてるわ。私も知っておきたいのよ、あなたの担任としてね」

「そう、言われても」

「とはいえ、アヤにも思うところがあるだろうし。この場は任せるわ」

 

サラ教官は私から顔を離すと、私を見守るような面持ちで続けた。

 

「どう?やれる?」

「・・・・・・私は」

 

周囲の様子を窺う。私とサラ教官のやり取りに、皆戸惑いの色を隠せないようだ。

唯一、ガイウスだけが皆とは別の意味合いで、少し不安げな視線を送ってくる。

 

サラ教官の言う通りかもしれない。多分これは、私にとって避けては通れない道だろう。

 

「・・・・・・分かりました。立ち合います」

「フフ、決まりね。リィン、ついでに君も入りなさい」

「りょ、了解です・・・・・・どちら側にですか?」

「あっちに決まってるじゃない」

 

サラ教官は溜息をつきながら、ユーシスとマキアスの方角へ指を向けた。

周囲にどよめきに近い声が上がる。

ダメ押しと言わんばかりのリィン参戦に、既に2人の怒りも限界点に達しているようだ。

 

「アヤ、無理はしないでくれ」

「大丈夫。ただ、危なくなったらお願いね」

 

ガイウスと小声でやり取りをしていると、リィン達3人は既に開始線の前に立っていた。

私も遅れて反対側に位置する開始線を目指しながら、考える。

 

まともにやり合えば勿論勝ち目はない。

だが『制限無し』なら、やりようによってはいけるだろう。

幸いにも、3人中2人は浮足立っている。付け入る隙はいくらでもある。

 

「フン、さっさとこの茶番を終わらせるぞ。それで全て解決だ」

「言われるまでもない。アヤ君、悪く思わないでくれ」

 

ユーシスとマキアスが、剣先と銃口を私に向けた。

刃を落とした訓練用の刀剣に、殺傷力を抑えた訓練弾。訓練用とはいえ、どちらもまともに受ければ無事では済まない。

 

私のことはどうだっていい。本来ならこの場に立っているのはサラ教官だ。

元凶は彼女の挑発だし、勢いと流れに乗っただけとはいえ、彼らは自分の意志でこの場に立っている。

何か特別な事情があるのは理解できる。もしかしたら、凄惨な過去があるのかもしれない。

だからといって教官に刃向っていい理由にはならない。

先月の特別実習に、今回の実技テスト。巻き込まれた側のことを考えているのだろうか。

 

段々とイライラしてきた。余りにも2人は周りが見えていない。

 

「あのさ。何か事情があるのは分かるんだけど、少しは周りのことを考えたら?」

「・・・・・・何だと?」

「迷惑だって言ってるの。身分の違いの前に、人となりを見ようよ。貴族だから何だっていうの?」

 

私はマキアスに問いかける。膨れ上がった風船を針で突いたかのように、彼は反発してきた。

 

「君に僕の何が分かるっていうんだ!!!」

「分かるはずないでしょ。何も話してくれないんだから当たり前じゃん」

 

私は捲し立てるように続けた。

 

「歩み寄ろうともしないくせに、自分が抱えるものを私達に理解しろって言うの?無茶言わないで。身勝手にも程があるよ」

「・・・・・・そ、それは」

 

口ごもるマキアスの隣、ユーシスに目を向ける。

 

「ユーシスもだよ。『身分はどうあれ、士官学院生はあくまで対等』。自分で言ったことでしょ。もう忘れたの?」

「言っている意味が分からんな。だからこうして茶番に付き合ってやっているのだろう」

「・・・・・・ああ、そう。もういいよ」

 

私は開始線の前に立ち、長巻の鞘を払って勢いよく投げ捨てる。

その先にいたガイウスが鞘を受け取ったのを確認し、2人に鋭い視線を向けた。

 

「1つだけ言わせて。エリオットの右手の傷、気付いてる?」

 

突然名を挙げられたエリオットは、誤魔化すようにして右手を後ろ手にして隠した。

 

「これ以上、戦いの場に私情を持ち込まないで。次は掠り傷じゃ済まないかもしれない。自覚してよ、お願いだから」

 

胸の奥がズキリと痛む。まるで自分自身に言い聞かせているようだ。

だが、誰かが言わねばならない。事が起こってからでは遅い。後悔するのは彼ら自身だ。

 

「抜きなよ、リィン。まとめて相手をしてあげる」

「・・・・・・ああ。本気なんだな」

「ふふ、そろそろ始めるわよ。両者、構えて―――」

 

サラ教官の合図を待ちながら、目を閉じ呼吸を整える。

意識して全身を弛緩させ、『枷』を外す。

サラ教官が言うように、存在を否定しても意味が無い。そろそろ正面から向き合ってもいい頃だ。

 

「・・・・・・あ、あれは」

 

私の変化に初めて気付いたのはリィンのようだ。

私達を見守るラウラ、フィーの顔色も変わった。先の特別実習で一度だけ目の当たりにしたアリサも後に続いた。

 

「―――始め!!」

「一の舞、『飛燕』!!」

 

サラ教官の合図とともに、やや下方に向けて袈裟切りを放つ。

その斬撃はリィン達の足元に向かって飛来し、地面の土砂を頭上高く巻き上げた。

 

「な―――」

 

いい具合に視界を遮ってくれたようだ。私が3人の頭を飛び越えるようにして背後に回った今でも、後方に位置するマキアスの視線は前方に向かれたままだ。

 

「1人目」

 

私はマキアスの後頭部を軽く剣の腹で叩く。

彼はその意味を理解できていないようだが、今はどうだっていい。

 

リィンとユーシスがこちらへ振り返るのと同時に、合わせるようにしてユーシスの左方へと回り込む。

彼の手元に向けて力任せに長巻を振り下ろすと、両刃剣は彼の手を離れ地面に叩きつけられた。

 

「2人目ね」

 

長巻の先端をユーシスの首筋に当てると、彼は呆気にとられた表情で私を見詰めていた。

これで数の利は無くなった。残すところはリィン1人だ。

 

「っ・・・・・・はあああっ!!」

 

躊躇ないリィンの連撃が私に襲いかかり、辺りに剣戟の音が鳴り響く。

相変わらず見事な太刀筋だ。

多分、技は互角だろう。差があるとすれば、それは身体能力の違いに他ならない。

 

「たぁっ!!」

 

リィンの薙ぎ払いを刀身で受け止め、返すように逆側から中段蹴りをお見舞いする。

呻き声を上げながら地に膝をついたリィンの頭を、手刀で軽く小突きながら言った。

 

「3人目。文句ある?」

「・・・・・・ま、参った。降参だ」

 

力なく呟いたリィンの言葉に、サラ教官が満足気に立ち合いの終了を宣告した。

再び周囲にどよめきが起こる。さて、この事態を皆にどう説明すればいいのやら。

 

考えを巡らせようとした矢先、1人の女子生徒―――ラウラが、私とリィンの間に立ちはだかった。

 

「サラ教官。この場を少しお借りしてもよいだろうか」

 

ラウラは私の目を真っ直ぐに見据えながら、力強く言った。

 

「アヤ、そなたと手合せ願いたい」

 

その顔に浮かぶのは、覚悟と緊張感。

そして得体の知れない『何か』を目の当たりにしたかのような、戸惑いと畏怖に他ならなかった。



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2回目の実技テスト②

辺りに午前の部終了のチャイムが鳴り響くとともに、学院全体がガヤガヤと騒ぎ出す。

教室や中庭のベンチ、屋上に学生食堂。そこかしこで皆が昼食をとりながら、1日の折り返し地点である昼休みの時間を満喫していた。

 

今日のお昼ご飯は遅くなりそうだ。アヤは心の中で一人ごちながら、目の前の少女を見詰めた。

 

「アヤ、受けてもらえないだろうか」

 

サラ教官に視線を送り、判断を委ねる。

数分前にチャイムは鳴り終えているし、時間外にグラウンドで私闘ともなれば色々な面で大問題だ。

 

「君達の好きにしなさい。全てを実技テストの補修として認めるわ」

 

ラウラはほっと胸を撫で下ろしたようで、再び私に向き直る。

別段断る理由もない。彼女の意思を尊重するまでだ。

 

「私も構わないよ」

「・・・・・・そなたに、感謝を」

 

私がラウラの申し出を受けると、棒立ち状態だったユーシスとマキアスは、ガイウス達が立つ位置へと引き下がった。

彼らからすれば、悪戯にプライドを踏みにじられただけと言っても過言ではない。

それに、先程は私も言葉が過ぎたかもしれない。後で2人には非礼を詫びよう。

 

「正々堂々、1対1と言いたいところではあるが・・・・・・到底敵わぬであろうことは承知している」

「そうかな。じゃあ、どうするの?」

「先程と同じだ。リィン、立てるか」

 

ラウラが手を差し伸べると、リィンは苦笑しながら彼女の手を取り、尻の砂を掃いながら立ち上がった。

 

「ああ、何とか・・・・・・はは、油断したなんて言い訳はできないな。正直、驚いたよ」

「私とて同じだ」

 

予想はしていたが、2人には思い当たるところがあるようだ。

 

「『気』を操作して身体能力を向上させる術技だな。我がアルゼイド流にも伝わる発想だ」

「ああ。俺もユン老師から指南を受けたが・・・・・・今の俺には、とても。練度が違い過ぎる」

 

私も自分なりにこの力の正体を調べたことがあった。

気を利用する技術というのは、流派を問わず存在すること。

その中でも体の『外』ではなく『内』へと気を向ける技術は、大変な危険が伴うこと。

扱いに長けた熟練者にしか到達できない領域であること。

調べれば調べるほど、自分が普通ではないことを突き付けられたかのようだった。

 

「練度が違う、か。リィン、それはちょっと違うと思う」

「え?」

「それ、鍛錬を積み重ねた程度を示す言葉でしょ。私は何もしてないよ」

「な、何もって・・・・・・そんなはずないだろう」

「信じられないかもしれないけど、気付いた時にはこうなってたんだ」

 

嘘は言っていない。ある日を境にして、突然与えられた力。

気の操作法なんて知らない。扱い方も分からない。

私が知っているのは、必死の思いで見出した、溢れ出る力を抑える術だけだ。

 

「私は・・・・・・」

 

次の言葉が出てこない。途端に、途方もない孤独感に襲われる。

 

「アヤ?」

 

リィンとラウラが怪訝そうな表情で私を見ている。

2人だけではない。ガイウスを除いた《Ⅶ組》全員の視線が、私に注がれていた。

 

多分、私は怖いんだ。皆から奇異の目で見られることに、耐える自信がないだけだ。

・・・・・・我ながら情けなくなってくる。何度足踏みをすれば気が済むんだろう。

 

(成長しないなぁ、私)

 

目を閉じ、深呼吸を2つ半繰り返した後、息を軽く止める。

右の握り拳を額の数リジュ前に構え―――力の限り、拳打を叩き込んだ。

 

「あ、アヤ!?」

「っ・・・・・・大丈夫。気が触れたわけじゃないから」

 

ケルディックの『風見亭』でのやり取り。あの時の二の舞を演じてどうする。

何を疑う必要がある。躊躇う必要がどこにある。私の二の舞は『円月』で間に合っている。

リィンとアリサの言葉を信じよう。どんな事情があるにせよ、私は私。一番食い意地が張ってて、一番―――

 

「・・・・・・アリサ、何だっけ?」

「何のことよ。ああもう、あなたさっきからワケが分からないわよ」

 

アリサ同様、皆何が何だか分からないといったような面持ちで私を見ていた。

1人であれやこれやと考え込むのはもうやめだ。私らしくもない。

 

「ごめん、ちょっと気合を入れ直しただけだから。そろそろ始めよっか。ラウラ、リィン」

「・・・・・・その前に、1つ訊いてもいいか」

 

リィンは左手を胸に当てながら、私に問いかける。

その表情には先程のラウラ同様、様々な感情が入り混じったかのように、複雑な色が浮かんでいた。

彼のこんな顔を見るのは初めてかもしれない。

 

「察するに君のそれは、望んで手に入れたものじゃないんだろう」

「そうだね。さっき言った通りだよ。それで?」

「それでって・・・・・・その力に、何か思うところがあるんじゃないのか?」

「それはそうだけど、それを全部ひっくるめて私だから」

 

つい今し方、自分を見失いかけたことは伏せておこう。

2歳分の虚勢を張りたいだけかもしれないが、それでも構わない。

 

「それにこの力のおかげで、守ることができた人だっているんだよ」

 

ノルドでは大切な家族を。先月の特別実習では、アリサを。

 

「私が力を振るうことが、みんなのためになるなら・・・・・・迷う必要なんてどこにもない。全部、私だよ」

 

私は足元の開始線を見下ろす。

文字通り、漸くスタートラインに立てた気がする。

私の過去も、今の私も、全部私だ。全てを受け入れて歩を進めよう。

これからが本番だ。入り口を見つけることよりも、そこからの道のりを探すことの方が遥かに難しいはずだ。

 

「・・・・・・自分自身以外のために剣を振るう、か。そなたのことが、少し理解できたような気がするな」

 

目の前に映るのは、いつものラウラ。

見惚れてしまいそうになる彼女の真っ直ぐな瞳も、いつも通りだ。

 

「唐突に力の差を見せつけられ、面食らってしまったが・・・・・私はそなたの剣が好きのようだ。少し、安心した」

「ああ。全部ひっくるめて私、か・・・・・・アヤは強いんだな」

 

リィンもリィンで、どこか清々しい顔付きだ。

何か思うところがあったのだろうか。

 

「君が《Ⅶ組》にいてくれてよかったよ。ありがとう、アヤ」

「・・・・・・あ、うん。その・・・・・・え?」

「・・・・・・リィン」

 

私が言葉を詰まらせていると、パンパンと両の掌を叩く音が鳴り響いた。

 

「ほらほら君達、いつまで話し込んでる気?やるならさっさと構えなさい」

 

腰元のARCUSを見れば、既に昼休みの時間は半分しか残されていなかった。

学生食堂は夕方まで開いてはいるが、サラ教官の言う通りぐずぐずはしていられない。

 

「リィン、手を貸してもらえるか」

「勿論だ。負けっ放しでいられるほど、俺も達観しちゃいないさ」

 

2人にとって、この立ち合いはどんな意味を持つのだろう。

そもそものキッカケすら曖昧になりつつある気がするが、こうなっては私も引くに引けない。

 

先程のように奇襲を仕掛ける隙はない。

それに、2人は既に戦術リンクで繋がっている。その効果を存分に活かしてくるはずだ。

相手にとって不足は無い。そんな私の予想を、彼らがいい意味で裏切ることになるとは、思ってもいなかった。

 

_______________________________

 

アヤ・ウォーゼル。19歳。女性。旧姓、旧名共に公の文書からは既に抹消されている。

 

7年前に大陸横断鉄道を介してクロスベル自治州より入国。

その際の入国申請書を最後にして消息を絶つ。

同時期に発生したとある事件の重要参考人として捜索が進められていたものの、足取りは掴めず。

彼女の生存が確認されたのは、その約6年後。

但し、これも公式なものではない。

 

既に彼女は全くの別人として、ノルドの民「アヤ・ウォーゼル」として、第2の人生を歩んでいる。

 

《Ⅶ組》の担任として、私がアヤについて聞かされていたのは、ざっとこんなところだろうか。

正確に言えば、個人的なツテを頼ってかき集めた情報も混ざってはいる。彼女が抱え込む力についてもそうだ。

フィーもそうだが、彼女の生い立ちも相当ワケ有りと言えるだろう。

 

(・・・・・・それで、あんな真っ直ぐに育つものかしら)

 

アヤがどういった経緯でノルドの地に至ったのか、私には知る由もない。

だが彼女の人生の中で、それが大きな転機になったことは容易に想像がつく。

私の目に映るのは、必死になって何かを見つけようともがく少女に他ならない。

何かを失うことを過剰に恐れているように見えるが、それもきっと時間が解決してくれる。

 

「さてと、ちょうどいい機会だわ」

 

予想していた通り、彼女の力は本物だ。

まだまだ荒が目立つが、その分育てがいがあるというものだ。

むしろ彼女と対峙する2人。こちらは正直、想像以上だ。

 

「す、すごいや。2人を同時に相手にするだなんて」

「そうですね。で、でもこの場合・・・・・・」

「2人とも、息合いすぎ」

「ああ。あれが2人のリンクの力なんだろう」

「ガイウスの言う通りよ」

 

こうして客観的に見て、初めて理解できることもあるだろう。

 

「アヤの腕は本物だし、中々頑張ってるけど・・・・・・あれが君達が持つ可能性よ。私に挑むつもりなら、あれぐらい使いこなせるようになってからにしなさい」

「ぐっ・・・・・・」

「フン」

 

立ち合いに目を奪われていたユーシスとマキアスに声を掛ける。

この2人も何かと抱え込んでいるものがあるようだが、私にできることは限られている。

あとは彼ら自身が道を切り拓くしかない。

 

「フフ、精々悩んで考えることね。君達には、それだけの時間があるんだから」

 

________________________________

 

速いし、それに重い。何より手が読めない。

どう捌こうとも思うように間合いが取れない上に、互いの体をすり抜ける様にして斬撃が襲ってくる。

こうして対峙してみて、初めて理解した。これは脅威だ。

力技でどうこうできるレベルではない。

 

「「はあああっ!!」」

 

戦術リンクを抜きにしても2人は腕が立つし、息が合っている。

それも相まって、戦術リンクをより確固たるものにしている。押し切られるのは時間の問題だ。

 

「せぃあっ!!」

 

ありったけの力を込めて地面に長巻を叩きつける。

その衝撃に合わせてリィンとラウラは後方に引き下がり、漸く手が止まった。

 

「はぁ、はぁ・・・・・・っど、どうしたリィン。もう限界か」

「ら、ラウラこそ・・・・・・はは、まだまだこれからさ」

 

肩で息をしながらも構えには隙が無い。まさかここまで苦戦するとは思ってもいなかった。

しかも2人は笑みを浮かべている。少々ハイになっているようだ。

 

(わ、笑えない)

 

そう思うやいなや、ラウラの大剣の刀身が青白く輝き始めた。

あれは前にも見たことがある。ここでその技を出されてはひとたまりもない。

 

「させない!」

 

私はラウラに向けて『飛燕』の斬撃を繰り出す。

次の瞬間、大剣から輝きが消え、ラウラは不敵に笑いながらそれを上段に構えた。

 

「え―――」

「『地裂斬』!!」

 

振り下ろされた大剣の先から、地を這うようにして衝撃波が走り始めた。

私と2人の間で衝撃波同士が激突し、辺りに砂埃が舞い上がる。

 

不利な展開だ。視界が遮られ、途端に2人の姿を見失ってしまう。

それはあちらも同様のはずだが、少なくとも2人はリンク介して互いの位置を把握し合っているはずだ。

 

視界を広げるため後方に飛び距離を取ろうとした矢先、左右の砂煙が静かに揺らいだ。

私が後方へ着地するのを待たずして、その中から2人が同時に襲い掛かってきた。

 

(や、やば)

 

何通りかの捌き方が頭に浮かんだが、そこで考えるのを止めた。

全く同じタイミングで来られては、躱しようがない。これは流石にお手上げだ。

 

「そこまで!!」

 

サラ教官の合図と同時に、私は剣先を下げ構えを解いた。

リィンとラウラも同様にして技を止めたが、ラウラは反動で足がもつれてしまったようだ。

 

「っとと。大丈夫?」

「・・・・・・心配ない」

 

ラウラは体勢を立て直すと、呼吸を整えようともしないうちに喋り始めた。

 

「そなたに感謝を、アヤ。こんな感覚、初めての経験だ」

 

興奮覚めやらぬ様子のラウラは、全身が砂と泥だらけ。

顔にはびっしょりと汗が浮かんでおり、額には髪の毛が無造作にまとわりついている。

そしてその瞳は、相も変わらず純粋無垢で真っ直ぐだ。

 

「っ・・・・・・あ、あはは。リィン、パス」

「え?わわっ」

 

私が男性だったら、と思うとぞっとする。

というより、そんな事を考えてしまう時点で非常に不味い気が―――

 

(あ、あれ?)

 

途端に、視界が狭まる。膝の力が抜け、地面が傾いていくような錯覚に陥る。

 

「あ―――」

「無理をするなと言っただろう」

 

聞きなれた声に、ほっとする。

視界と意識がぼんやりとしているせいで、自分が今どんな体勢なのかすら判断できない。

 

「立てるか?」

「・・・・・・ダメ。飛びそう」

「仕方ないな」

 

既に全身に力が入らない。耳鳴りのせいで、周囲の声も耳に入らなくなってきている。

皆に余計な心配は掛けたくないが、今はそうも言っていられない。

 

「もう喋らなくていい」

 

昔からそうだ。頼んでもいないのに、私が彼を必要とする時には必ずそこに居てくれる。

私には、勿体無い男性だ。

そこまで考えて、私は深い眠りに入っていった。



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白亜の旧都

「ジョルジュ先輩、できましたよ」

「ああ、悪いね」

 

熱々のコーヒーが注がれたカップを、溢さないよう慎重にデスクの隅に置く。

出来立てとはいえ、粉末をお湯で溶かした即席のコーヒーだ。子供だってできる。

 

「君の分はいいのかい?遠慮しないでくれよ」

「いえ、お構いなく。それに私、コーヒーってちょっと苦手で」

 

正直に言えば、ちょっと苦手を通り越して大の苦手だ。

じゃあ何が好きかと訊かれれば、私は迷わず『グリーンティー』と答える。

ノルドハーブを使ったお茶も好きだが、1番は譲れない。

そのどれもが私の両親、2つの愛すべき両親の影響に他ならないが、ジョルジュ先輩には知る由もない。

 

本校舎の北北東に位置する技術棟。

内部を見渡すと、様々な工具に専門書籍、そして必要最低限の生活雑貨がそこかしこに散乱している。

随分と生活感溢れる空間だ。

 

「ああ、ここか。これならすぐ直せるよ」

 

私がここを訪ねた理由は『ARCUS』の修理だ。

修理と言っても、外れてしまった表面のカバーをつけ直してもらうだけで済むはずだ。素人目にもそれぐらいは分かる。

どうやらカバーを止めていた部分の一部が欠けてしまっているようで、ジョルジュ先輩はそれを器用に修復している最中だ。

 

「ARCUSは多機能で複雑な分、耐久性に難があるからね。これからも定期的に持ってきてもらうと僕も助かるよ」

 

・・・・・・机から落っことした拍子にカバーが壊れました、と言ったら先輩はどんな顔をするだろうか。

これからはもう少し大事に扱うよう心掛けよう。余計な手間を取らせるわけにはいかない。

 

「アンの指導はどうだい?詳しい事情は聞いていないけど、何か教えてもらってるんだろう?」

「そうですね。その、力の使い方というか。それを少し」

「ふーん」

 

3日前の実技テストの『補修』。

あの後に私がサラ教官から課せられた宿題は、『力』の扱い方と操る術を覚えることだった。

サラ教官曰く、「基本が出来ていないくせに限度を知らないから危なっかしいにも程がある」だそうだ。

皆の前で気を失ってしまった以上、反論の余地が無い。

サラ教官の言うことは最もだ。今まで目を背けてきた分、私はこの力の何たるかを知らなかった。

『気の流れ』などと言われてもまるでピンとこない。リィンやラウラの方がまだ理解しているように思える。

 

そんなわけで、私の指導役に抜擢されたのがアンゼリカ先輩だった。

多分、私にとって彼女は大変に優秀な先生だ。まだ一度しか指南を受けていないものの、十分すぎる程の手応えを感じることができた。

やたらとボディタッチが伴うことは授業料と考えれば安いものだ。

 

それにしても、私が忌み嫌っていた力が「危なっかしい」の一言で済まされるとは思ってもいなかった。

リィンとラウラに至っては、「負けていられない」とアンゼリカ先輩の指導に進んで参加してきたほどだ。

私は特科クラス《Ⅶ組》の女子生徒、アヤ・ウォーゼル。それ以上でも以下でもないのだ。

それがやっと分かった気がする。

 

「よしっと。お待たせ、終わったよ」

「ありがとうございます。こんな朝早くからすみません」

「構わないさ。特別実習の日程は聞いてるしね。出発前は何かと準備がいるだろう?」

 

いい人だ。途方もなく。

何かと個性的な面々が目立つトールズ士官学院の中で、ジョルジュ先輩はある意味で異質だ。

普通にいい人だ。

 

先輩は一度大きく背伸びをした後、再びデスクに座り導力端末のパネルを叩き始めた。

ディスプレイには様々な数値に数式やグラフ、そして何かの図面のようなものが映っていた。

 

「これって表に停めてあった・・・・・・導力バイク、でしたっけ?」

「そうだね。こうやって定期的にデータをまとめて、レポートをルーレ工科大へ送ってるんだよ」

「ルーレ工科大学かぁ・・・・・・ジョルジュ先輩、大学ってどんなところなんですか?」

「む、難しい質問だなぁ」

 

大学。学術研究と教育の最高峰と言われる機関である。私からすれば、別次元の世界だ。

興味本位で訊いてみただけだったのだが、ジョルジュ先輩は腕を組みながら考え込んでしまった。

 

「あの、別にそんな。少し気になったから訊いてみただけですよ」

「・・・・・・そうだなぁ。君の今回の実習地は、確かセントアークだろう?」

 

何の前置きもなく今回の特別実習地を言い当てられてしまい、思わず戸惑ってしまう。

サラ教官から聞かされていたのだろうか。

 

「あ、はい。そうですけど・・・・・・それが何か?」

「やっぱり実際に見てみるのが一番早いんじゃないかって思ってね。時間があったら、是非立ち寄ってみるといい」

 

___________________________________

 

今回の実習地であるセントアークに向かうには、帝都ヘイムダル経由の直通列車でも5時間以上は掛かる。

往復の移動だけで丸1日近く費やすとは、ある意味で贅沢な実習だ。

 

私達B班は朝一の直通列車に揺られながら、同じくバリアハート行きの列車に乗っているだろうA班―――もっと言えば、マキアスとユーシス、2人について話をしていた。

 

「前回の実習の評価が『E』でしょう?流石にあの2人もかなり堪えたんじゃないかしら」

「どうだろうな。少なからず後悔はあると思うが・・・・・・それで歩み寄れる程、彼らの溝が浅くはないのも事実だろう」

「・・・・・・それもそうね」

 

実技テストの後、マキアスとユーシスに声を掛けようとした私を止めたのは、ガイウスだった。

私は自身の行き過ぎた言動を謝ろうと思っただけだったのだが、「今はそっとしておいてやれ」というガイウスの言葉に従い、その日は一度も言葉を交わすことはなかった。

 

あの日以来、彼らとは会話らしい会話をしていない気がする。

言葉のやり取りは勿論あるが、感情が伴っていない。

それに、日を追うごとに掛ける言葉が少なくなっていく感覚だ。

同じ馬術部のユーシスとは、気まずいの一言に尽きる。活動に積極的ではない彼の姿勢が、今だけはありがたいと感じてしまう。

 

「うーん。でもさ、今は僕らが考えても仕方がないんじゃないかな」

「へ?」

 

思考がすっかり2人のことへ向いてしまっていた分、エリオットの言葉に間抜けな声を上げてしまった。

 

「ふむ。確かにA班の心配をする程、我々に余裕があるとも思えぬしな」

「・・・・・・そっか。そうだよね」

 

エリオットが言うように、今は目の前の特別実習に集中すべきだ。

前回の実習同様、今回も一筋縄ではいかない困難が待ち受けているのかもしれない。

 

「セントアークかぁ。みんな今回が初めてなんだよね」

「ええ、そうね」

 

私達B班が目指すのは、白亜の旧都セントアーク。足を運ぶのは皆今回の実習が初めてと聞いていた。

 

「『白亜の旧都』か。俺も耳にしたことはあるが、そう呼ばれる由来までは知らないな」

「あ、それ私も気になってた」

 

私とガイウスが言うと、3人はきょとんとした表情を浮かべていた。

 

「帝国じゃ結構有名な話だと思うけど・・・・・・まぁ2人が知らないのは無理もないか」

「七曜暦が始まって間もない頃の話だから、伝承みたいなものね」

 

アリサの説明によれば、今から千年以上前のことだそうだ。

暗黒時代と呼ばれる混乱期の真っ只中、『暗黒竜』が放った瘴気によって帝都ヘイムダルが死の都へと変貌した際に、セントアークへ遷都したとのことだった。

 

「いや、そこまでは私も知ってるんだけど・・・・・・ああ、そういうこと?」

「察するに、色の対比になっているようだな」

 

暗黒時代に暗黒竜、死の都。その時代に帝都に何が起きたのかは想像もつかないが、色彩で表現するなら黒一色だ。

ガイウスが言うように、黒に対しての白なのだろう。思っていた以上にシンプルな由来だ。

 

「諸説あるみたいだけど、それが1つの理由ね。もう1つは、私も写真でしか見たことがないわ」

「私もだ。確か、車窓から見渡すことができると聞いていたが」

「うん、そのはずだよ。えへへ、結構楽しみにしてたんだよね」

「・・・・・・何の話?」

 

どうやら『白亜』の由来は1つではないようで、先と同じくアリサにラウラ、エリオットはそれを知っている様子だ。

だが私とガイウスが訊ねても、3人は「言葉では表現しづらいから見れば分かる」の一点張りだ。

そんな風に勿体ぶられると、余計気になってしまうのだが。

何れにせよ、5時間後には明らかになることだ。無理に問いただすこともないだろう。

 

「それにしても、あと5時間も掛かるんだね。長いなぁ」

「初めてトリスタに来た時は8時間以上掛かったな」

 

それはそうだが、あの時は半分以上眠っていたような気がする。

どうも私は長時間列車に揺られていると、眠くなる体質のようだ。

今回もそれは例外ではなく、発車したばかりだというのに目蓋が重くなってくる。

 

「休める時には休んでおいた方がよい。戦場では、時と場所を選ばずに分刻みで睡眠をとる場合もあると聞くしな」

「それはちょっと違う気が・・・・・・でもまぁ、お言葉に甘えようかな」

 

ラウラの言葉に従い、私は襲い来る睡魔に身を任せ目を閉じた。

できれば到着の30分前ぐらいまでは起きないでいてほしい。自覚していなかったが、大分疲れも溜まっているようだ―――

 

_______________________________________________________

 

「あっという間に寝ちゃったわね」

「サラ教官並の早寝術だな。私も見習いたいものだ」

「あはは。多分、疲れもあったんじゃない?いつも忙しそうにしてるしさ」

 

アリサ達3人の目の前には、静かに寝息をたてるアヤの姿があった。

彼女の頭は今、隣に座るガイウスの肩に預けられている。

 

エリオットが言うように、アヤには自身が思っている以上の疲労が蓄積していた。

クラブ活動にキルシェのヘルプ。勉学が苦手な分、日々の予復習には人一倍時間を費やしている。

それでいて《Ⅶ組》の中ではガイウス同様、誰よりも朝が早いのだ。

 

「・・・・・・男子3人を相手取ったとは思えぬな。こうして見れば、唯の女子生徒だ」

「ふふ、そうね。それにやっぱり、年上ってことで特別な目で見ちゃうことがあるみたい。同じクラスだっていうのにね」

「ガイウスもいるからね・・・・・・ガイウス?」

 

ガイウスは車窓の枠に肘を置き、目を細めながら外の風景に視線を向けていた。今し方掛けたエリオットの声も、彼には届いていない。

 

どうも様子がおかしい、と3人は思った。

見れば、額には大粒の汗が浮かんでいる。外の風景を眺めているように思えたが、焦点が合っていない。

一見してリラックスしているように見えるものの、よくよく見れば全身が妙に強張っている。

 

―――まさかとは思うが。3人は確かめ合うように視線を交わすと、アリサが恐る恐る口を開いた。

 

「・・・・・・照れてるの?」

 

ガイウスは大きく目を見開いた後、アヤの頭が乗った肩を動かさないようたっぷりと時間を掛けて、視線を3人へと移した。

 

「何のことだ」

 

シラを切っても、答えは顔に書いてあった。

アリサ達3人はぽかんとした表情で再び視線を交わし、目の前の2人に目をやる。

途端に、周囲に大きな笑い声が響き渡った。

 

「笑われる理由が見当たらないが」

「い、いやガイウス、もう遅いって・・・・・・あはは、ごめんごめん」

「そうだな・・・・・・ふふっ。何、そなたも男子なのだな。姉とはいえ無理もない」

「ええ。それに事情を知らない人が見たら、あなた達どう見ても―――」

 

アリサが言い終わる前に、眠っていたアヤが「んー」と小さな唸り声を上げた。

少し騒ぎ過ぎたか。4人は一旦口を閉ざし、小さく身じろぎをするアヤの姿を見守った。

しかしそのせいで、肩に置かれていた彼女の頭はするするとずり落ちていき―――ガイウスの膝元へと落ち着いた。

 

「・・・・・・勘弁してくれないか」

 

勘弁してほしいのはこちらの方だと言わんばかりに、アリサ達3人は口に手をやりながら声を出さずに笑い転げていた。

 

3人にとって、目の前の光景は素直に嬉しかった。

エリオットにとっては、ガイウスも自分と同じ男子なんだという事実。

アリサとラウラは、彼だって異性を意識することがある男性なんだという当たり前のことを。

 

穏やかな寝顔を浮かべるアヤには知る由もない時間と空間を、4人は確かに共有し合っていた。

 

_________________________________

 

目を開けると、ガタンガタンという音と振動でここが列車内であること、そして今が特別実習の初日であることを思い出す。

 

「・・・・・・あれ、今どの辺?」

「おはようアヤ。ちょうどいい頃合いね」

 

ARCUSを見ると、時計は昼の12時過ぎを示していた。

かなり長い時間眠っていたようだ。アリサが言うように、間もなくセントアークに到着する頃合いだ。

 

「そろそろ見えてくると思うよ。朝言ってたもう1つの理由がね」

「あ、そうだったね。どこを見ればいいの?」

「方角的にはこっちの車窓から見えるはずだよ」

 

車窓に視線を移すと、隣ではガイウスも同様にして外の風景に目を向けていた。

長時間列車に揺られていたせいだろうか。顔が疲れているように見える。

 

「大丈夫?何か疲れてない?」

「心配ない・・・・・・なるほど。あれがそうか」

「え、どこ?」

 

目を凝らして遠くを見やる。

そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。

 

「・・・・・・何、あれ」

 

雪景色とも違う。氷とも違う。そもそも今の季節、こんな地域で見れるはずがない。

だが目の前には、白く光り輝く台地の数々。

太陽に照らされたそれは、余りにも神秘的で形容のしようがなかった。

3人の言う通りだ。どんな言葉を並べ連ねたところで、この光景に比べれば安っぽいものになってしまうだろう。

 

「見事なものだな。写真で見た以上だ」

「そうね・・・・・・言葉にならないわ」

 

私を含めた誰しもが目を奪われていると、車内アナウンスが周囲に響き渡った。

白亜の旧都セントアーク。第2回目の特別実習の幕が開けようとしていた。



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白衣の先輩

駅に置いてあった観光案内によれば、あの純白の台地は「石灰棚」と呼ばれるものだそうだ。

特に神秘的な何かがあるわけでもなく、その正体は学術的にしっかりと研究がなされているらしい。

とはいえ、ああいった地形は途方もなく長い年月を掛けて形成されるそうだ。

それはそれで感慨深いものがある。

セントアークは観光業も盛んである聞いていたが、間違いはないだろう。

あの光景は確かに一見の価値があるはずだ。

 

「へぇ・・・・・・雰囲気は帝都に似てるね。何だか落ち着くなぁ」

 

セントアーク駅前の広場に降り立った私達は、周囲の街並みを見渡していた。

エリオットが言うように、五大都市の1つであるセントアークは帝都ヘイムダルに近い様相を呈していた。

緋色を基調とした帝都に比べ、白色の建造物が多い点は特徴の1つと言えるだろう。

天気は快晴だし、気温もトリスタと大差無い。過ごし易い環境だ。

 

「すごい人だかりだな。少々息が詰まる感覚だ」

 

ガイウスの反応は・・・・・・無理もない。ここまで大きな都市を訪れるのは、彼にとって初めての経験だ。

 

「ふむ。まずは今回の実習の案内人を訪ねる必要があるな」

「んー、ちょうど昼時だけど・・・・・・どうしよっか?」

 

私は後方を振り返り、誰もいない空間に視線を向けた。

ガイウスを除いた他の3人も同様にして、4人の視線が一点に集まる。

やはり誰の姿もなかった。それもそのはず、お目当ての人物は直線距離でも2,000セルジュ以上離れた遠地にいるのだ。

ガイウスだけが、怪訝そうな表情を浮かべていた。

 

「・・・・・・先が思いやられるわね」

「・・・・・・同感だ」

 

先月の特別実習。先頭に立っていたリィンの存在感を、今更ながらに理解した。

何て情けない。初っ端からこれでは、アリサが言うように先が思いやられる。

 

「なるほどな。なら今のうちに、リーダー役を決めておけばいいんじゃないか」

 

私達はガイウスの提案に賛同し、今回の実習のリーダー役を決めることとなった。

必須ではないだろうが、皆の意見を取りまとめる存在がいた方が、何かとスムーズに事が進むはずだ。

 

「じゃあ、誰がやろうか」

 

エリオットが皆に投げ掛けると、自然に4人の視線が私に集まってきた。

どうしてそうなる。余りにも安易すぎるだろう。

 

「ちょ、ちょっと。タイムタイム」

 

私は両の腕でTの字を作り、戸惑いながら異を唱える。

 

「今絶対に年齢で決めたでしょ。それは少し違うと思うな」

「・・・・・・言われてみれば」

「・・・・・・思慮が浅かったようだ」

 

再び振り出しに戻る。

誰もが決めかねている様子だったが、私からすれば1人しか適任者はいないように思えた。

 

「アリサ、あなたがやれば?」

「わ、私?」

 

視野の広さと皆を気遣う姿勢。冷静な判断力。

彼女の人となりは理解しているつもりだ。この中で皆の中心になれるとしたら、アリサしかいないはずだ。

 

「うん、私に異存はない」

「俺もだ」

「僕もだよ。どうかな、アリサ」

 

少し間を置いてから、アリサは戸惑いながらも承諾してくれた。

彼女にも思うところはあるだろうが、別に彼女に頼り切るつもりは毛頭ない。

それは私以外の3人も同じだろう。

 

「じゃあ、まずは案内人を訪ねましょう。先に今日の実習内容も把握しておきたいわ」

「リーダー、私お腹減ったよ」

「我慢しなさい。えーと、5番の停留所でバスに乗って・・・・・・そのまま終点へ向かえばいいみたいね」

 

サラ教官から渡された案内書を見ながら、アリサは先頭に立って歩を進めた。

私の冗談を軽く受け流すあたり、心配はないようだ。

 

「あれかな?ちょうどバスが来てるみたいだよ」

 

エリオットが言うように、目的の停留所には中型の車両が停まっていた。幸先いいスタートだ。

遠くから見た感じでは、中も空いているように思えた。

 

「・・・・・・え?」

 

バスの入り口に向かって歩き始めたと思いきや、突然足を止めたアリサに思わずぶつかりそうになる。

 

「っとと。どうしたの?」

「ほら、これ」

 

アリサが指差す方向に目を向けると、停留所の一覧と路線図が張り出されたポールが立っていた。

それによれば、この停留所のバスは東の街道を出てから途中の三叉路を左、北側の外れに向かうようだ。

その先にある終点が目的地であるはずなのだが―――

 

「・・・・・・セントアーク理科大学、行き?」

 

______________________________________

 

バスに揺られること約40分。

三叉路を曲がる頃には都心部からかなり離れており、周囲には街道らしいのどかな風景が広がっていた。

 

「ふむ。アリサ、ここで間違いないのだな」

「え、ええ。そのはずよ」

「美しい建造物だな。士官学院とも趣が違うようだ」

 

そんな街道の外れに、目的地は確かにあった。

目の前には、石造りの巨大な建物。美しく壮大で、外壁を覆うテラコッタタイルには様々な動植物像が刻まれている。

見た目だけなら美術館や博物館と勘違いしてしまうことだろう。

ルーレ工科大学を知っている分、ここが同じ大学であると言われてもにわかには信じがたい。

 

「せ、セントアークに大学があることは知ってたけど、まさか特別実習で来ることになるとは思ってもいなかったよ」

「私も・・・・・・ジョルジュ先輩が言ってたのは、ここのことだったんだ」

 

時間があれば訪ねてみる、どころの話ではなかった。

案内人がいる以上、私達の特別自習はここが中心となるはずだ。

 

「と、とりあえず正面の建物に入りましょう。多分ここが本校舎のようなものだと思うわ」

 

困ったことに、敷地内のどこに向かえばいいのかまでは案内書に記されていなかった。

アリサに従い正面玄関から建物内に足を踏み入れると、外見との違いに再度驚かされた。

 

中は士官学院以上に現代的で、導力式の設備がそこかしこに目立っている。

まるで時間旅行をしているかのような感覚だ。

エントランスホールは最上階まで吹き抜けになっているようで、開放感に溢れていた。

 

「もしかして、君達が士官学院から来たっていう生徒かい?」

 

正面玄関の前で立ち尽くしていると、後方から男性の声が聞こえた。

振り向くと、そこにはラフな出で立ちの男性が立っていた。

紅色の長髪が特徴的で、それが大雑把に後ろでまとめられている。

髪の毛だけで言うなら、エリオットとガイウスを足して2で割ったような男性だった。

 

アリサがトールズ士官学院から来た旨を説明すると、男性に連れられて入り口に程近い小部屋へと案内された。

 

「今教授を呼んでくるから、ここで少し待っていてもらえる?」

「はい。ありがとうございます」

 

男性が部屋を後にすると、私達は机を囲むように用意されていた椅子にそれぞれ腰を下ろした。

 

「・・・・・・今、教授って言ったよね?」

「そうね。多分、その人が今回の案内人に間違いないと思うわ」

 

あの男性が案内人かとも思ったが、彼が言った『教授』とやらがそうなのだろう。

それにしても、色々と予想の斜め上をいく展開だ。

もしかしたら都心部の旧宮廷を見学できるかもしれないと思っていたが、そうもいかないようだ。

 

「入るわよ」

 

ドアをノックする音と共に、女性の声が耳に入ってきた。

ドアの先から現れたのは、純白の白衣を身に纏った女性。

30代前半ぐらいだろうか。線が細く、整った顔立ちからは溢れんばかりの知性が感じ取れる。

真っ直ぐな琥珀色のショートヘアが、その端整な小顔を縁取っていた。

 

「初めまして、テンペランス・アレイよ。今回の実習であなた達の案内役を務めさせてもらうわ」

「こちらこそ初めまして。アリサ・Rです。宜しくお願いします、アレイ教授」

「テンペランスでいいわよ。そう畏まらないで?」

 

アリサに続き私達も一通り自己紹介を終えると、テンペランスと名乗った女性に連れられて一旦学外へと足を運んだ。

石造りの建物の裏側。向かった先には、大きなアパルトメントのような建物があった。

 

「ここはこの大学の学生寮、あなた達の滞在先よ。1階に来客用の部屋を用意してあるから、一旦荷物を下ろしてくるといいわ・・・・・・昼食はまだかしら?」

「はい!!」

「ちょ、ちょっとアヤ」

「ふふ、ならあそこの建物で待ってるから。食事をとりながら話すとしましょう」

 

__________________________________

 

一旦荷を下ろした私達は、食堂で食事をとりながら敷地内の設備、実習の注意点等の説明を受けていた。

 

「―――導力式の武具は勿論、ARCUSの調整もそこで可能よ」

「2階の工学エリアですね。分かりました」

 

案内役である以上当然かもしれないが、こちらの事情は大方把握している様子だ。

説明も細部に渡って無駄がなく理解しやすい。時間が限られているこちらとしては大変助かる。

 

テンペランスさんによれば、この大学は士官学院同様、石造りの建物―――メインの研究棟を囲うようにして、食堂や学生寮といった設備が点在しているそうだ。

位置関係までもが似通っており、すんなりと頭に入れることができた。

 

「さて、大体のことは説明したと思うけど。何か質問はあるかしら」

「「・・・・・・」」

 

質問のしようがない。知りたい情報は全て受け取っている。

あるとすれば、実務的な情報以外だ。それを今聞いてもいいものだろうか。

 

「ふふ。当然、気になるわよね・・・・・・ヴァンダイク先生に変わりはないかしら?」

 

・・・・・・思考が追いつかない。こちらの思惑を見抜かれ、先回りされているような感覚だ。

それは私だけではないようで、誰も彼女の質問に答えることができないでいた。

 

「今は学院長をされているそうね。私がいた頃は、まだ軍を退役していなかったわ」

「じゃ、じゃあテンペランスさんは」

「1179年度卒、元トールズ士官学院生よ。今回の実習の件は、恩師であるヴァンダイク先生から相談されていたの」

 

今日1番の驚きだ。だが、これで合点がいった。

紛れもない私達の大先輩だ。それが彼女が選ばれた理由なのだろう。

私達の案内人としては打って付けの女性のはずだ。

 

「士官学院も随分と様変わりしたと聞いているわ。と言っても、あなた達には知る由もないわね」

 

もう20年以上前、私達が生まれる前の話だ。

設立当初とは比較にならないだろうが、その頃は卒業生の多くが軍の道を選んでいたと聞いている。

 

「・・・・・・ガイウス、どうしたの?」

 

隣に座るガイウスに目を向けると、彼は眉間に皺を寄せながら、指を折って何かを数えるような仕草をしていた。

 

「いや、とても見えないと思ってな」

「何が?」

「1179年度卒だろう。今が1204年だから、少なくともよんじっ―――!?」

 

私は右から、アリサが左から。

とんでもなく失礼なことを口走ろうとしていた弟の脇を小突き、全力で阻止する。

『くの字』の先が私を向いているあたり、アリサの容赦のなさが窺える。

 

「どうかした?」

「いえ、何でも。テンペランスさん、そろそろ実習の内容を聞かせてもらえますか?」

 

アリサの言う通り、そろそろ実習の内容を把握しておきたいところだ。

もっと色々な話を聞いてみたいところではあるが、それが今である必要はないだろう。

 

________________________________

 

私達が今日課せられた課題は2つ。

『東サザーランド街道の手配魔獣の討伐』、そして『とある学生への事情調査』だった。

 

前者については、領邦軍に勤める友人のツテを利用して回してもらった案件と聞いていた。

穏健派として有名なハイアームズ侯爵家の本拠地ということもあり、領邦軍と領民の間には良好な関係が築かれているようである。

エリオットは「やっぱり手配魔獣がいるんだね」と肩を落としていたのだが。

 

そして後者は、テンペランスさん直々の依頼だ。

彼女の研究室に所属する学生の1人が音信不通となっており、もう1ヶ月以上大学へ姿を見せていないらしい。ライアンという男子学生だそうだ。

年齢も近い分話しやすいだろうし、可能であれば一度私の前に連れてきてほしい。それが依頼の内容だった。

 

私達は手配魔獣の討伐を後回しにし、一旦バスで街道の入り口に戻り、そこから程近い場所にある建物を訪れていた。

 

「アパルトメント『ガーデン』・・・・・・207号室だから、ここの2階ね」

「へぇ、1階は喫茶店になってるんだね」

 

エリオットが言うように2階から上が居住スペースで、1階にはお洒落なカフェテリアが存在していた。何とも羨ましい環境だ。

 

私達は階段を上がり、通路を向かった先の突き当り。207号室の前に立っていた。

 

「御免下さい、ライアンさん。いらっしゃいますか」

 

アリサが呼び鈴を鳴らし、ドアをノックしながら声を掛ける。

たっぷり30秒は待ってみたものの、反応は無かった。

 

「変ね、外出しているのかしら」

「ふむ。もしそうなら、最悪の展開だ。手掛かりが無い以上、旧都中を探し回ることになるな」

「・・・・・・安心するといい。確かに気配は感じるぞ」

 

ガイウスの言葉に、皆が安堵の色を浮かべた。

要するに、居留守を使っているのだろう。

 

「あの、ライアンさん。私達アレイ教授の使いで来た者です。少し話を聞かせてもらえませんか」

 

アリサが再びドアをノックしながら声を掛ける。

たっぷり1分間は待ってみたものの、やはり反応は無かった。

 

「これぐらいなら一太刀で壊せると思うよ?」

「物騒なこと言わないでアヤ・・・・・・でも、どうしよう」

 

勿論、強硬策は冗談だ。だがこのままでは埒が明かない。

1ヶ月も大学に顔を出さない以上、何か事情があることは察せられる。

こうして居留守を決め込むことにも、何か理由があるはずだ。

 

「あのー、ライアンさん」

 

考えを巡らせていると、今度はエリオットがドアの向かって声を掛けていた。

何か策があるのだろうか。

 

「これ以上欠席が重なると、退学扱いになってしまうそうなんです。何か事情があるなら、話だけでも聞かせてもらえませんか。力になれるかもしれません」

 

前半部分は口から出任せだろう。

だがこのままではそう遠くないうちに、現実となってしまうであろうこともまた事実のはずだ。

 

固唾を飲んで見守っていると、ガチャリと鍵を外す音がドアの向こうから聞こえた。

これで一歩前進だ―――そう思っていた私達を待ち受けていたのは、大きな挫折感に他ならなかった。



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そう遠くない未来

「―――報告は、以上になります」

 

5月29日、特別実習初日の19時前。場所は研究棟の4階。

私達は今日1日の実習結果を報告すべく、テンペランスさんのオフィスを訪れていた。

周りを見渡せば、壁に掛けられた数々の写真。そのどれもが花や果実、草木で統一されていた。

考えてみれば、彼女がこの大学でどんな研究をしているのか、私達は知らされていなかった。

おそらくはこういった分野がテンペランスさんの専門なのだろう。

 

「なるほど。うちの学生が色々と苦労をかけたみたいね。少し考えが浅かったかしら」

「いいえ、私の責任でもあります。・・・・・・失敗は、失敗です」

 

ライアンさんと対面することに成功した私達は、立ち話もなんだろうと1階の喫茶店に彼を誘い、詳しい事情を聞くことになった。

大学に行かなくなってしまった理由は、一言で言えば自信の喪失だという。

 

2年前からテンペランスさんの研究室に配属されたライアンさんは、寝る間を惜しんで日々研究に没頭してきたらしい。

だが努力が必ずしも成果に結びつく程甘い世界ではないようで、費やした時間とは裏腹に、何ら結果を残せなかったそうだ。

 

一通りの話を聞き終えた後、アリサとエリオットが中心となり説得を試みた。

せめてテンペランスさんと一度話をしてみてはどうか

何度そう説いても、彼は頑なに首を縦には振らなかった。

次第にアリサが声を荒げる場面が多くなり、それが気に障ったのか、ライアンさんは再び自室へ戻ってしまったのだ。

時間が限られている以上、アリサにも焦りがあったのだろう。

その後も思い付く限りの言葉を並び立ててみたものの、彼の心を動かすことはできなかった。

 

私達はすぐに後回しにしていた手配魔獣の捜索に取り掛かったが、残されていた時間は余りにも少なかった。

というより、誰もが時間に対し無頓着過ぎたのだ。

結局魔獣を発見する前に日が暮れてしまい―――今に至る。

 

要するに今日、私達B班は何の成果も挙げられていないのだ。

 

「それにしても・・・・・・目に余る光景ね。見ているこちらが憂鬱になりそうだわ」

 

ひどい言われようだが、返す言葉もなかった。

特別実習初日から散々な結果に終わってしまったことに対し、誰もが気を落としてしまっていた。

特にアリサはリーダー役として責任を感じているのだろう。すっかり自信を無くしてしまっているように見える。

他の3人も気丈に振る舞ってはいるが、無理をしているのは目に見えて明らかだった。

それは私だって同じだ。食欲が失せるこの感覚は久しぶりだ。

こんな雰囲気で、明日を迎えてはいけない気がする。

 

「詳細はレポートの方にまとめておきなさい。明日の実習内容は早朝に渡すわ。何か質問は?」

「あ、それなら」

「何?」

 

・・・・・・しまった。「何か質問は」という言葉に思わず反応してしまった。

訊いておきたいことは確かにある。とはいえそれは、余りにも場違いな質問な気がする。

 

「いえ、その・・・・・・うーん。こんな時に訊いていいものかどうか」

「訊かないと分かるわけないでしょう。私は超能力者じゃないのよ」

 

昼間に話をした時から、どうしても気になっていたことがあった。

それは多分、私だけではないはずだ。

 

「・・・・・・テンペランスさんは、士官学院を卒業して、どうして大学に入ったんですか?」

「は?」

 

初めて見る表情だ。この人の呆けた顔を見れただけでも得をしたような気分になる。

案の定、皆が「こんな時に何を言ってるんだ」と言いたげな視線を送ってきた。

やっぱり、余りにも場違いすぎるだろうか。

 

「随分と唐突な質問ね」

 

それでも、20年以上前。卒業生のほとんどが軍の道を選ぶ中。

どうして彼女は、この『大学』という道に進んだのか。

昼間はそれを訊く時間が無かったが、知っておきたかったのは事実だ。

 

「まぁいいわ。立ち話もなんだし、ついて来なさい」

 

テンペランスさんはデスクの導力端末を閉じながら言うと、私達をソファーとテーブルが置かれた一角へと招いてくれた。

応接間のようなところなのだろう。手際よく私達に人数分のコーヒーを用意してくれた。

失礼にあたる気がして「嫌いだから結構です」とは言い出せなかった。我慢して少ぐらいは口をつけておこう。

 

「そうね・・・・・・一言で言えば、あれが理由ね」

 

テンペランスさんの視線の先には、棚の上に置かれた手のひらサイズの小さなプランター。

プランターには緑色の植物が生えており、蕾らしきものは確認できたものの、花は咲いていなかった。

彼女はそれを手に取り、目の前のテーブルの上に置いた。

 

「これは・・・・・・凍っているのか?」

 

ガイウスが言うように、葉の表面にはキラキラと輝く氷の粒のようなものが確認できた。

冷凍庫で凍らせていたものを取り出した直後のように見える。

 

「いや、冷えてはおらぬようだが・・・・・・何とも不可思議な植物だ」

「クリスタルリーフ、と呼ばれているわ。食べてみる?」

 

テンペランスさんは葉の1枚をちぎり取り、私達の前に差し出してきた。

至極当然のように、4人の視線が私に集まる。

 

「ねぇ、昼間の時以上に納得がいかないんだけど。何で私なの?」

「あはは、僕お腹減ってないし」

「適材適所というものだ。そなたの出番だろう」

「ぐっ・・・・・・テンペランスさん、これ食べられるんですよね?」

「安心しなさい。毒は無いわ」

 

問題はそこじゃない。だが、そう言うからには何か理由があるのだろう。

私は恐る恐る葉を口に入れ、ゆっくりと噛み締めた。

途端に、独特の触感が感じられ―――私はその正体に行き当たった。

 

「・・・・・・これ、塩だ」

「「塩?」」

「正解よ。この結晶のようなものは、簡単に言えば塩粒みたいなものね」

 

テンペランスさんの言う通りだ。はっきりと私の舌は、塩気を感じ取っていた。

どういうことだろう。葉っぱから塩気を感じることもそうだが、まるで話の意図が汲み取れない。

これが大学の志望理由にどう繋がるというのか。

 

「あの、テンペランスさん。話が見えないんですが」

「1178年、7月1日の午前5時45分」

 

一瞬にして、皆の表情が様変わりした。少し遅れて、私とガイウスもそれに続いた。

1178年といえば、やはり私達が生まれる前のことだ。

それでも、その年に何が起こったのか。実際に体験していない私達にも、それはすぐに思い当たった。

 

「よく覚えてるわ。初めての中間試験が終わって、散々の成績に肩を落としていた時のことよ」

 

『塩の杭事件』。

旧ノーザンブリア大公国、公都ハリアスクを始めとした3つの行政区が、一瞬にして塩の海と化した悲劇。

その被害規模は甚大で、全人口の3分の1が犠牲となった未曾有の大惨事だ。

 

あの災厄については、実はつい最近帝国史の授業で詳細を聞かされたばかりだった。

たった3日間で国土の大部分が塩と化したことで、ノーザンブリアのあらゆる社会基盤が崩壊。

その混乱は国内に留まらず、ここ帝国にも様々な面で影響を及ぼしたそうだ。

 

「士官学院にも、ノーザンブリアと関わりを持つ生徒が何人かいたわ。直接の被害は無くても、私達は混乱の渦中に巻き込まれたの」

 

テンペランスさんは目を閉じながら、思い出すように話してくれた。

 

数えきれない程多くの人々が犠牲になり、日を追うごとに被害規模が拡大していったこと。

居ても立ってもいられなくなり、休学届けを出してまで現地に赴いたこと。

そこには―――想像していた以上の地獄絵図が広がっていたこと。

 

「わ、わざわざノーザンブリアまで足を運んだんですか?」

 

アリサが信じられないといった様子で口を開いた。

 

「若気の至りと言えるかもしれないわね。入国規制は勿論あったけど、まさか国境を徒歩で越えられるとは思ってもいなかったわ。混乱の程が窺えるでしょう」

 

規制も何もあったものじゃない。授業で聞かされることはなかった、生々しい話だ。

 

「帝国に戻ってから、私は無我夢中になって探したわ。自分にできることは何かないのかって・・・・・・どうしてあの時、植物図鑑なんてものを手に取ったのか。今でも分からない」

 

テンペランスさんは先程葉をむしった部分をやさしく撫でながら、優しげな色を浮かべていた。

 

「この子はね、塩害にとても強いのよ。普通の植物には耐えられないような土地でも、こうして塩を汲み上げて元気に育つことができる」

「じゃあ、テンペランスさんは・・・・・・」

「まぁそういうことね。ノーザンブリアを救えるとしたら、可能性はこの子にある」

 

おぼろげながら、話の先が見えてきた気がする。

 

塩に浸食された土壌では生物が育つはずもなく、ノーザンブリアには草1つ生えない不毛の大地が今も広まっている。

授業で一例として挙げられたのは「ライ麦」だったか。

昔はノーザンブリアからの輸入物も少なくなかったそうだが、今ではライ麦といえば誰だってケルディックの大穀倉地帯を連想する。要するに国産物だ。

亜寒帯に属するノーザンブリアでの農耕は、今では被害が無かった一部の地域に限定されているらしい。

それなりに授業の内容が頭に入っていることに、少し安心する。

 

「ノーザンブリアには、今も塩害に苦しんでいる人達が大勢いる。それはこれから先何十年も続くわ。私の夢は、あの地に緑を咲かすことなの」

「・・・・・・それでこの大学に?科学院の方が環境は整っているって聞きますけど」

 

アリサの口から聞きなれない単語が飛び出してきた。

 

(かがくいん?)

 

私は小声で隣のエリオットに問いかける。

 

(帝国科学院のことだよ。公的な専門教育機関の1つ。音楽院とか、聞いたことない?)

(ああ、言われてみれば)

 

「あそこで自国のためにもならない個人の研究なんて到底無理よ。それがこっちを選んだ理由でもあるわね」

 

私には想像も付かない世界だ。

全てを察することはできないが、そういった複雑な事情も含めて決めた道なんだろう。

 

「とはいえ現段階じゃ夢物語だわ。でもそう遠くない未来にって、私は信じてる。夢を叶えるのは、別に私じゃなくてもいいもの」

 

今の話が全て事実であるとするなら、途方もない話だ。

 

1178年で初めての中間試験ということは、士官学院の一回生の頃の話だろう。

テンペランスさんは私達と同じ年齢で、同じ立場で、自分自身の生きる道を見つけたのだ。

彼女はそれを、今も歩み続けている。20年以上の時を掛けても、まるで先が見えない道を。

 

(生きる道、かぁ)

 

何て強い人なんだろう。明日を迎えることに不安を抱いていた自分が、とても小さく思える。

 

「そんなところかしら。参考になった?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

なったような、なっていないような。

正直に言えば、そんなところだ。話が余りにも大きすぎる。

 

「ふふ、そうだわ・・・・・・あなた達、少し付き合いなさい」

 

____________________________________

 

テンペランスさんに連れられて向かった先は、この研究棟の屋上。

外見からは屋上などというものが存在するとは思ってもいなかったが、確かにここは最上階の屋外だ。

 

「うわぁ・・・・・・」

「綺麗・・・・・・」

 

遠目には光り輝くセントアークの夜景に、サザーラント本線を駆ける列車のヘッドライトとテールライト。

雲一つないおかげで、夜空には宝石を散りばめたかのような夜景が広がっていた。

 

「ここはいい風が吹いているな」

「そうでしょう。気分転換にはもってこいの場所だわ・・・・・・アリサ、来なさい」

「は、はい」

 

名を呼ばれたアリサが、戸惑いながらもテンペランスさんの方へと駆け寄る。

考えてみれば、彼女が私達の誰かを名前で呼んだのはこれが初めてな気がする。

 

「気が変わったわ。受け取りなさい」

「・・・・・・え、これって」

「先輩からの大サービスよ。今日のうちに明日の振る舞い方を考えておきなさい」

 

テンペランスさんがアリサに手渡したのは、昼間にも目にした封筒。

あの中には明日の実習内容が記された紙が入っているに違いない。

 

「あなたは・・・・・・あなた達は、まだ学ぶ立場にある。その意味を精々理解しておくことね」

 

テンペランスさんはそう言うと、私達を残して屋上を後にした。

「学生寮に門限は無いからゆっくりしていきなさい」とのことだが、外部の人間である私達にもそれは当てはまるようだ。

 

 

 

言われるがままに、私達は屋上の手すりに身を預けながら、5人揃って上空の星空をぼんやりと見上げていた。

そのうちの1つがゆっくりとセントアークの方角目掛けて移動している。そういえば、セントアークにも空港があると聞いていた。

生まれてこの方、飛空艇の類には乗ったことがない。あそこから見下ろす風景など想像も付かなかった。

 

「選ばれた理由?」

「ああ。部屋でエリオットと話していたんだ。どうしてこのセントアーク理科大学が選ばれたのか。その理由だ」

 

ガイウスが言う理由とは、特別実習地の選定理由だろう。

A班の実習地にバリアハートが選ばれた理由は、何となくだが想像が付く。

 

「俺達の先人などいくらでもいる。だがその中で何故彼女が、何故この大学が選ばれたのか。それが分かった気がする」

「ふむ。いずれにせよ、私はこの大学の雰囲気が好きなようだ」

 

ラウラが手すりから覗き込むようにして、研究棟を見下ろす。

夜の8時半過ぎだというのに、大半の部屋には明かりが点いていた。

「よっしゃああ」と歓喜の声が上がったかと思えば、別の部屋からが「うわあああ」と悲痛な叫びが響き渡る。

忙しい人達だ。今も各部屋では、誰しもが研究に励んでいるであろうことが想像できる。

 

「剣とペンの違いに過ぎぬ。自身が選んだ道を歩み続ける様は、見ていて心地がよいものだな」

「専門性が高いところだからね。僕も・・・・・・色々と考えちゃうな」

 

再び上空に目をやる。先程同様、飛空艇と思われる光点がゆっくりと雲の中に隠れていく。

あそこからでは、私達を目視することはできないだろう。余りにも小さすぎる。

目の前のあれやこれやに思い悩む私達を無意識に比喩している自分に、笑いがこみ上げてきた。

 

「ねぇアリサ、明日の依頼の内容、見てみようよ」

「え?」

 

アリサも何かを考え込んでいたようだ。

私が声を掛けると、手すりに掛けていた肘を滑らせて姿勢を崩してしまった。

 

「考えるのは後回し。このままじゃ私達、B評価すら怪しいかも。今は明日のことを考えよう?」

「・・・・・・ええ、そうね。ちょっと待って」

 

アリサが封筒の中身を取り出し、依頼の内容が記された用紙を読み始める。

6件目の内容を読み始めた辺りで、皆の表情が険しいものへと変わっていった。

 

「・・・・・・任意の依頼が、今ので最後。必須の依頼が4つに、任意の依頼が4つね」

「いや、多くない!?」

 

丸1日分とはいえ、全部で8件。

全てを受ける必要はないが、今回に限って言えばそうも言っていられない。

私達はまだ1件も依頼を達成できていないのだ。

 

「ふむ。だがその分、腕が鳴るというものだ」

「そうだね。えへへ、何か気が高ぶってきた感じだよ」

「8件中、3件が手配魔獣の討伐か。俺の出る幕は多そうだな」

「それを言わないでよガイウス・・・・・・」

 

そのうちの1件は今日の依頼が繰り越されているあたり、自分達で撒いた種だ。

むしろその分、取り戻す余地があるかもしれない。

 

「みんな、ごめんなさい。私、1人で空回っちゃって。リーダー失格だわ」

「またそれ?アリサ1人の責任じゃないんだから、気にしないでって言ったでしょ」

「そうだな。俺達は5人でB班だろう。失敗は皆で取り戻せばいい」

「・・・・・・ありがとう、2人とも」

 

明日は長い1日になりそうだ。朝早くから動くことになるだろう。あまり長居もしていられない。

 

「目標は全件達成ね。特科クラス《Ⅶ組》B班、明日は気合を入れて頑張りましょう!」

「「おう!」」

 

屋上にB班一同の声が鳴り響く。

 

考えるのは後回しと言いつつも、やはり考えてしまう。

今回の実習を通して、私達が学ぶべきことはどこにあるのだろう。

サラ教官が、ヴァンダイク学院長が実習に込めた思い。

テンペランスさんが言った「学ぶ立場」、その真意とは。

 

(考えても仕方ない、か)

 

結局はそこか。私の足りない頭で考えても答えなど見つかるはずもない。

いずれにせよ、テンペランスさんと出会えてよかった。いつかは彼女のような強い女性になりたいと思う。

そのためにも、まずは私だけの生きる道を見つけよう。

私の士官学院生活は、まだまだ始まったばかりだ。



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初恋の思い出

9件中、7件。2日目の特別実習で、私達B班が達成した依頼の数だ。

任意を含めても全部で8件だった依頼は、午後一で急遽追加された必須の依頼により、そのえげつなさを増した。

幸いにも実習範囲は大学とセントアーク東部の一部に限られていたため、移動や捜索に費やす時間が少なかったことが救いだった。

それでも結局2件、緊急性の低い任意の依頼が手付かずになってしまったのだ。

 

目標は未達成。悔しいという思いは勿論ある。

だが悔やんでいる余裕など無かった。理由を一言で言えば―――疲れ切っていたのだ。考えることを止めたくなる程に。

 

(ね、眠い)

 

私達は大学前の停留所からバスに乗り、身を揺られながらセントアークを目指していた。

出発するやいなや、座席に腰を下ろしたアリサとエリオットは深い眠りに入ってしまった。

体力が最もあるであろうガイウスも、目を擦りながら欠伸を噛み殺しているようだ。

 

「いたっ」

 

「ゴツン」という音と共に、私の隣に立っていたラウラが小さく声を上げる。

一部始終を見ていたが、察するに一瞬眠りかけた拍子に、頭を窓にぶつけてしまったらしい。

悪気はないが、見てしまった以上は仕方ない。

 

「あはは。ラウラ、今のもう1回やって」

「断固拒否する。忘れるがよい」

「ちょっと可愛かったよ。『いたっ』って」

「・・・・・・忘れるがよい」

 

最近分かってきたことだが、ラウラはこう見えて表情がとても豊かだ。

時折こうして彼女の困り顔を引き出すことが最近の楽しみの1つでもある。

・・・・・・我ながら悪趣味だと思う。

 

「冗談だよ。そろそろ着く頃だね」

「むぅ・・・・・・ふむ。そのようだな」

「そろそろ起こしておくか。2人とも、起きるといい」

 

今日の実習のタイムリミットは午後の6時。

既に日は暮れかけ、車内には大学から帰路につく学生の姿がちらほらと目に付いた。

ラウラが声を掛けると、アリサとエリオットは目を擦りながらキョロキョロと辺りを見渡していた。

どうやら頭の中はまだ起きていないようだ。

 

「あれ、僕達・・・・・・」

「そろそろセントアークだよ。今7時過ぎぐらい」

「ああ、そっか」

 

エリオットが言うのと同時に、バスが停まる。

ここからは徒歩だ。前回は30分弱で着いたはずだから、約束の時間には間に合うはずだ。

 

事の経緯は、さかのぼること1時間前。

 

昨日同様、私達は実習の報告をするためにテンペランスさんのオフィスを訪れていた。

しかしそこに彼女の姿は無く、代わりに1枚のメモ用紙が扉に貼られていたのだ。

 

『実習が終わったら下記の住所に向かうこと。PM19:00までには来るように』

 

その住所には見覚えがあった。

初日に訪れた、ライアンさんのアパルトメント『ガーデン』の1階。あそこの1階には喫茶店があったはずである。

『来るように』ということは、今テンペランスさんはあの喫茶店にいるに違いない。

意図は分からないが、私達はその指示に従うしかなかった。

 

いずれにせよ足を運ぶのはこれで2回目。

停留所を後にした私達は特に迷うこともなく、目的地の前に辿り着いていた。

 

「やっと来たみたいだね。時間通りってところかな」

「あれ、リオンさん?」

 

私達を迎えてくれたのは、大学生のリオンさん。

実習の初日に初めて大学を訪れた際、テンペランスさんを呼んできてくれた男性だ。

彼は彼女の研究室の3回生だそうで、ちょうど今日の朝方にも声を掛けてくれたのだ。

 

「あの、私達テンペランスさんに呼ばれて―――」

「分かってるよ。ほら、中に入って。みんな待ってるから」

 

アリサが言う終わる前に、リオンさんは喫茶店の扉を開けながら私達を案内してくれた。

 

(・・・・・・『みんな』待ってるから?)

 

戸惑いながらも、喫茶店の中に足を運ぶ。

 

まず目に入ったのは、小さ目な店内のスペースの中央に並べられたテーブルと、その上に並べられた彩り豊かな料理の数々。

それに、15人ぐらいだろうか。テーブルを囲うようにして座っていた男性と女性達が、一斉に私達に視線を向けてきた。

 

「こ、これって・・・・・・」

「待ちくたびれたわよ」

 

声の方に振り返ると、テンペランスさんがワイングラスを片手で揺らしながらカウンター席に座っていた。

 

「彼らは皆私の研究室の学生なの。リオンが折角の機会だからってうるさくてね」

「そういうわけなんだ。昨日今日と大変だったって聞いたからね。僕らからのささやかな贈り物さ」

 

突然のサプライズに、皆驚きを隠せないでいた。

そしてこちらに向かってゆっくりと歩いてくる男性の姿に、私達は再度驚かされた。

 

「おっす。昨日はどうも」

「ら、ライアンさん!?」

 

最初に目を丸くして驚いていたのがアリサだ。

それもそのはず、彼とは昨日ここで3時間以上もああだこうだと話をしたばかりなのだ。

 

「その、一応礼は言っておく。アリサっていったっけ」

「え?」

「正直ムカついた。俺の苦労も知らない女の子に、何でそこまで言われなきゃならないんだよってな」

「・・・・・・ごめんなさい」

 

無理もない。大学に顔を出すようライアンさんを説得する中で、アリサに行き過ぎた言動があったことは確かだ。

アリサにも後悔はあったようだが、非礼を詫びたところでその事実は無くならない。

 

「でもまぁ、あの後考えさせられたよ。俺も研究者として自覚がぁ痛たたたたたたっ!?」

「1ヶ月以上研究をほったらかしにしたくせに何を偉そうに。こっちに来なさい」

 

テンペランスさんに髪の毛を引っ張られながら、ライアンさんはカウンター席の奥へと姿を消した。

・・・・・・多分、10本以上抜けたはずだ。想像したくない。

 

「俺からも礼を言うよ。あいつ、今日久しぶりに大学に来てさ」

「そうなんですか?」

「うん。口ではああ言ってるけど、君から説教されたおかげで心を入れ替えたみたいなんだ」

 

リオンさんの言うことが事実なら、結果オーライというやつだ。

要するに、彼のプライドに障ったアリサの言葉がいい方向に働いたのだろう。これでアリサも少しは気が楽になったはずだ。

依頼を達成できなかったこと以上に、彼を怒らせたことを悔やんでいるのは皆分かっていたことだ。

 

「さて、立ち話もなんだし座りなよ。お腹も減ってるだろうから、遠慮はいらないよ」

 

私達はお互いに視線を交わす。

空腹以上に疲労を解消したいところだが、こうなっては断るわけにもいかない。

何より私達のことを思ってのおもてなしだ。

 

「ありがとうございます。みんな、お言葉に甘えましょう・・・・・・って、あれ?アヤは?」

「あそこだ」

 

アリサの視線を背中に感じた頃、私は2切れ目のピザを口の中に頬張っていた。

 

______________________________________

 

「ほ、本当によく食べるなぁ。大丈夫かい?」

「リオンさん、『美味しいは正義』です」

「・・・・・・あ、そう」

 

私達を労ってくれる集いだから、『お疲れさま会』とかだろうか。

時刻は午後の8時半。お疲れさま会が始まってから、約1時間が経っていた。

 

初めはお互いのことを教え合いながら料理を口にする和やかな雰囲気だった。

・・・・・・だったのだが、大学生側のお酒が進むうちに、ややおかしな方向にシフトしかけていた。

 

「へぇ、1人っ子か。あ、俺?俺も1人っ子なんだ。奇遇だな」

「は、はぁ」

 

アリサはやたらとライアンさんが声を掛けてくることに対し、戸惑いの色を隠せないようだ。

彼はアリサのことが大分気になっているようだ。

同年代なら軽くあしらうところだろうが、相手が相手なだけにアリサも気を遣っているのかもしれない。

 

「むんっ」

「うぉぉ・・・・・・ま、マジで強いな君」

 

ラウラの方は心配ない。経緯はよく分からないが、彼女は腕相撲で男性陣と力比べをしていた。

「私より強い女性を知っている」と言いながらこちらを見てきたが、気付かない振りをしておこう。

私まで巻き込まないでほしい。

 

「あー、絶対お姉ちゃんがいると思った」

「分かる分かる。ていうか、髪サラサラね。羨ましい」

「あ、あはは・・・・・・あの、近い、近いです」

 

エリオットは女性陣に囲まれ、ただひたすらに弄られていた。

その外見も相まって、言ってしまえば大人気だ。エリオットには悪いが、見ていて少し楽しい。

助け舟を出そうかとも思ったが、如何せん出し方が分からなかった。とりあえず放っておこう。

 

「羊?羊なら1人で200匹は面倒を見ますが」

「すごい、200匹も?見てみたいなぁ」

「馬で有名って聞いてたけど、流石は遊牧民よね」

 

ガイウスも、おそらく心配はない。留学生という立場なだけあって、話題には事欠かないようだ。

女性ばかり群がっているのは・・・・・・まぁそういうことなんだろう。

ノルド出身とはいえ、外見には帝国人との間に大きな違いはない。

私が言うのもなんだが、ガイウスの整った顔立ちは間違いなく女性受けがいいはずだ。

 

4人の様子を一通り見渡していると、隣に座るリオンさんがバツが悪そうな表情を浮かべていた。

 

「悪く思わないでくれると助かるよ。みんな勉強に研究の毎日だから、こういう場は貴重なんだ」

「それは何となく分かります」

「・・・・・・何か不機嫌に見えるけど」

「そうですか?・・・・・・ああ、お酒を飲めないからかも。士官学院生は飲酒禁止なんです」

 

私はリオンさんとまったり会話をしながら、用意されていた料理の数々に舌鼓を打っていた。

欲を言えばお酒も欲しいところだが、立場上そういうわけにもいかない。

だというのに―――

 

「アヤ、あなた全然飲んでいないじゃない。19歳って書類にはあったわよ」

「人の話を聞いて下さいテンペランスさん。ていうか士官学院の卒業生ですよね?」

 

テンペランスさんはもう何杯目か分からないワインを口にしながら、私の肩に腕を回してきた。

彼女は酒が入ると性格が変わるタイプなんだろう。やたら顔を近づけながら言ってくる。

ある意味でサラ教官よりたちが悪い。

 

「なら男の1人や2人引っかけてきなさい。ウチの学生は結構人気があるのよ」

「な、何を・・・・・・イヤですよ。興味無いです」

 

何て面倒くさい人だ。昨日の私達の感動を返してほしい。

リオンさんにヘルプの視線を送るが、彼は首を横に振って「諦めて」と小声で囁いてきた。

 

「面白くないわね。あなたにも恋愛経験の1つや2つあるでしょうに」

「・・・・・・それは、まぁ。1つや2つぐらいは」

「男の子?女の子?」

「男に決まってるじゃないですか!」

 

突っ込むように言うと、4人の目がこちらに向いたのが分かった。

 

(や、やばっ)

 

私が「何でもない」という視線を皆に送ると、視線を逸らしつつもこちらに聞き耳を立てているのが丸分かりだった。

ガイウスまでもがこちらの様子を窺ってくる。

・・・・・・本当に、何て面倒くさい人だ。

 

______________________________________

 

「も、もう限界・・・・・・」

 

倒れ込むようにベッドに寝転がり、壁に掛けられた時計に目をやる。

もう夜の10時を過ぎている。いつもなら眠る準備を終えている時間だ。

これからお風呂に入って、今日の実習のレポートをまとめて―――

 

「・・・・・・2人とも、レポートは明日にしよ。さっさとお風呂に入って寝たい」

「賛成。今日はもう頭が回らないわ」

「ああ。心身ともに疲労困憊のようだ」

 

午後の9時半を回ったところで、私達のお疲れさま会は漸くお開きとなった。

リオンさん達には本当に感謝しているが、同時に残された体力の全てを持っていかれた感覚だ。

 

「ふむ。だがその前に」

「ええ。そうね」

 

枕に埋めていた顔を横に向けると、私と同じように寝転がりながら怪しげな笑みを浮かべたアリサにラウラ。

分かってはいたが、こうなると逃げ場がない。

 

あの後、テンペランスさんは私が言った『男の子』について詳細を聞き出すべく絡みまくってきた。

当然話すつもりなど無かったのだが、あまりのしつこさにある程度のことは話してしまったのだ。

聞き耳を立てていた2人にも、その会話は少なからず耳に入ってしまったのだろう。

 

「それで、何の話をしていたのかしら。恋愛だの初恋だの、色々聞こえてきたわよ」

「気のせい」

「甘く見ないでもらおう。我がアルゼイド流は五感を研ぎ澄ませ―――」

「あーもう分かった、分かったってば」

 

考えてみれば、この手の話題に触れたことは今までなかったように思える。

それはエマやフィーも同じだ。アリサはともかく、ラウラまで探りを入れてくるとは。

同じ女性なのだから、関心があるのは当然かもしれない。

 

「面白くも何ともない話だよ。小さい頃、仲が良かった男の子がいたってだけ」

「ほう。いつ頃の話なのだ?」

「私が12歳の頃かなぁ。あっちは確か1つ下で・・・・・・前に少し話したでしょ?クロスベルにいた時の話だよ」

 

クロスベル自治州の中心である大都市、クロスベル市。私の生まれ故郷だ。

帝国人と共和国人の血が流れる身でありながら、私という人間、人となりの根幹には、クロスベルで過ごした生活があるはずだ。

 

「でも他に仲がいい女の子だっていたし、期待するようなことは何も無かったよ」

「でも、アヤは違ったんでしょう?」

「どうだろ。あの頃は小さかったし、恋愛なんてよく分かんないし。今じゃただの思い出に過ぎないよ」

「思い出ね・・・・・・連絡を取り合ったりはしてないの?」

「できるわけないじゃん」

 

言ってからハッとした。恐る恐る2人の様子を窺ったが、特に変わった様子はないようだ。

 

「どうしたのだ?」

「ううん、別に何でもない」

「あ、何か誤魔化したわね」

「あはは、どうだろうね」

 

これ以上は話すべきじゃない。『できるわけない』理由を話してしまったら、2人に気を遣わせてしまう。

 

あの頃の私はもういない。『アヤ・ウォーゼル』でない私は、もういないのだ。

別に過去から目を背けているつもりはない。この2ヶ月間のおかげで、踏ん切りはついている。

でも、向き合い方が分からない。私を知るクロスベルの人達の中には、12歳の私しかいない。

 

「ほら、早くお風呂に行こうよ」

「続きはお風呂でってことかしら?」

「しつこいなぁ、もう」

 

いずれにせよ、道は1つしかない。それは分かっている。

でもそれは、私1人で決めることはできない。

止まった時計を動かすために、生まれ故郷を訪れる―――その覚悟は、もうできている。

それはきっと、そう遠くない出来事のはずだ。



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特別実習の総仕上げ

5月31日、午前9時前。

2日間の特別実習を無事終えた私達B班は、セントアーク駅改札前のホールで帝都方面行きの列車を待っていた。

早朝から大急ぎで実習のレポートを仕上げたせいか、まだ体から疲労が抜けきっていないようだ。

それでも、これはこれで心地いい疲労感だ。

前回のように複雑な事情が絡んだトラブルも無く、失敗はあったものの達成感に溢れていた。

 

「ヴァンダイク先生に宜しく伝えておいてくれるかしら」

「はい。短い間でしたが、本当にお世話になりました」

 

私達を見送りに来てくれたのは、テンペランスさん。

本当はリオンさん達にも挨拶をしたかったのだが、彼らは彼らで今日も忙しいそうだ。

少し名残惜しいが、別にこれが今生の別れというわけでもない。

 

程なくして、目的の列車が到着する旨を構内アナウンスが告げた。

私達と同様に列車待ちをしていた乗客達が、ぞろぞろと改札の方へと流れ出す。

 

「アリサ」

「あ、はい」

 

改札を出るために荷物に手を伸ばそうとしたところで、テンペランスさんがアリサを呼び止めた。

彼女は腕を組み、小さな笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「事情は分からないけど・・・・・・精々悩んで、考えなさい。でも焦る必要なんてない。あなたはきっと、立派な女性になるわ」

「・・・・・・ありがとうございます。私なんかには、勿体無い言葉です」

 

(かっこいいなぁ)

 

アリサが何かを抱えていることは、皆も承知のことだ。それが何かまでは分からない。

それを見透かした上での言葉なんだろう。何から何まで様になる人だ。

あれで酒癖の悪さが無ければ完璧なのだが。

 

「それに、アヤ」

「え、私?」

「先生から聞いたけど、あなた成績の方は芳しくないそうね」

「・・・・・・えぇー」

 

思わずズッコケそうになる。学院長はそんな情報まで教えていたのか。

 

「今のうちから努力しておくことね。その分だけ、あなたの未来の可能性は広がるわ」

「可能性・・・・・・でも私、テンペランスさんが想像する以上にダメダメですよ?」

「安心しなさい。私の方がダメダメだったわ」

「え?」

「言ったでしょう。初めての中間試験の成績が散々だったって。こう見えて、入学試験は下から2番目だったのよ」

 

下から2番目。どこかで聞いたことがあるフレーズだ。

あれは確か・・・・・・そうだ。ヴァンダイク学院長と厩舎の前で話をしていた時だ。

断片的にあの時の会話を思い出す。女子生徒。主席卒業。20年以上前―――

 

「も、もしかしてあの女子生徒って―――」

「あなた達は、まだ学ぶ立場にある」

 

先程よりも声を張って、テンペランスさんが言う。

既にそれは私だけではない、B班全員へ向けられているのだろう。

そしてそれは実習の初日、大学の屋上でも聞いた言葉だ。

 

「1つでも多くを学びなさい。懸命に学びなさい。失敗を恐れずに前を向いて、たくさんの経験を積みなさい。それがいつか、あなた達の糧となるはずよ。・・・・・・ふふ。また会いましょう、可愛い後輩さん達」

 

__________________________________

 

セントアークを発ってから3時間半ぐらいだろうか。

列車に揺られながら眠りもせずに3時間以上を過ごすなんて、私からすれば奇跡に近い。

ガイウスでさえ半刻前から静かに寝息を立てているというのに。

 

「無理しないでいいのよ?あなたも相当疲れているみたいだし」

「それはお互い様。アリサだってかなり目が赤いけど」

「何かあった時のために、1人ぐらいは起きておいた方がいいと思ってね。帝都で乗り換えだから、寝過ごすことはないでしょうけど」

 

思えば昨夜、セントアークに向かうバスの中でもアリサは必死に眠気を堪えていた。

あの時は結局崩れ落ちる様にして眠ってしまったが、その反動もあるのかもしれない。

自分のことは二の次で、周りへの気配りを忘れない。それが今の私が知る、一番のアリサの魅力だ。

 

「アリサ、テンペランスさんが最後に言ったこと、覚えてる?」

「ええ。あの人が言うからこその言葉ね」

「サラ教官が言ったら爆笑ものかも」

「失礼なこと言わないの。でも・・・・・・ふふ、ちょっと似合わないわね」

 

多分、私達は士官学院生の中でも大変に恵まれた生徒だ。

こうして遠地に赴いての実習など、《Ⅶ組》以外では考えられないことだろう。

なら、私達ができることは1つしかない。

テンペランスさんの言う通り、少しでも多くを感じ、学び取ることだ。

それが実習に関わってくれた協力者、そしてサラ教官への恩返しに繋がるはずだ。

 

「失礼、乗車券を拝見します」

「あ、はい」

 

私達に声を掛けた男性に、アリサが人数分の乗車券を手渡す。

その男性の出で立ちは軍人そのもの。特徴的な灰色の制服に身を纏い、黒光りする小銃を肩に掛けている。

列車内に目を光らせるその姿は、『鉄道憲兵隊』の1人に他ならなかった。

 

「はい、確かに。ご協力感謝します」

「お疲れ様です」

 

アリサが言うと、男性は私達が乗る先頭車両の後方、2番車両へと姿を消した。

 

「鉄道憲兵隊、だよね?何人かこの列車に乗ってるみたいだけど・・・・・・正規軍が乗車券確認なんてするの?」

「警備のついでじゃないかしら。列車内で見かけることは珍しくもないでしょう」

「・・・・・・それもそうか。仕事熱心だね」

 

銃器を携帯していることも、警備巡回中と考えれば別段おかしくもない。

それにしても、警備中とはいえ随分と険しい顔をしていたように思えた。

警戒心の表れなのだろうか。

 

窓枠に肘をつき流れ行く風景を眺めていると、ゴォーという音と共に窓枠からの光が閉ざされる。どうやらトンネルの中へ入ったようだ。

記憶が確かなら、トンネルを抜けて半刻もすれば帝都に着く頃合いだろう。

 

「・・・・・・変ね」

「え?」

 

唐突に、アリサが怪訝そうな表情で呟く。

 

「ほら、トンネルに入る時はいつも汽笛を鳴らすじゃない?でも今は何も聞こえなかったわ」

「・・・・・・言われてみれば。車掌さん、居眠りでもしてるのかな」

「怖いこと言わないでよ」

 

アリサの言う通り、確かに汽笛の音は聞こえなかったように思える。

よく気が付いたものだ。だが汽笛の1つや2つにそこまで気を向ける必要もないだろう。

 

その後もアリサは眉間に小さい皺を作りながら、窓枠から外の風景を眺めていた。

その表情からは、風景を楽しむ姿勢など微塵も感じられなかった。

 

「ねぇアリサ、少し考えすぎじゃ―――」

「やっぱりおかしい」

「え?」

 

先程とは打って変わって、確信のある物言いだった。

何か気になることでもあったのだろうか。

 

「おかしいって、何が?」

「信号よ。今通り過ぎた信号は間違いなく赤だったわ。停止信号よ」

「・・・・・・嘘?」

 

鉄道沿いに一定の間隔を置いて設置されている鉄道信号には、青と赤、黄色の3色が存在する。

鉄道に詳しくない私でも、「赤」が停止を意味することぐらいは知っている。

だというのに、列車は止まる気配を見せない。アリサが言うことが事実なら、確かに何かが起きているようだ。

 

「どうかしたのか?」

 

眠っていたはずのガイウスが、険しい表情で訊いてくる。

私とアリサの雰囲気を感じ取ったのか、ラウラとエリオットも同様に目が覚めていたようだ。

 

「お、おい。大丈夫かよ、あんた」

 

手早く3人に事情を説明するやいなや、男性の声と共に車両の前方が喧騒に包まれる。

ここは先頭車両だから、前方には運転台があるはずだ。

 

「ふむ。やはり何かあったようだな」

「ああ、行ってみよう」

 

足早に車両の前方に足を運ぶと、服装からこの列車の車掌と思われる男性、そして灰色の軍服の男性―――鉄道憲兵隊の1人が、床に寝かされていた。

 

「何があったんですか?」

 

アリサが2人の男性を取り巻く乗客の1人に声を掛ける。

 

「ふらついたかと思ったら、突然崩れ落ちる様に寝ちまったんだよ」

 

男性が言うには、運転台に立っていた車掌が、突然倒れ込むように意識を失ってしまったらしい。

その直後、車掌に駆け寄ろうとした鉄道憲兵隊の男性も、同様にして崩れ落ちてしまったそうだ。

 

「車掌さんが・・・・・・そ、それってかなりまずいんじゃ―――」

「落ち着いてエリオット。それにラウラ」

 

エリオットが言う終わる前に、アリサが冷静な口調で遮る。

 

「後端の運転台にも車掌と鉄道憲兵隊がいるはずだから、この場は彼らに任せましょう。2人とも、お願いできるかしら」

「承知した。任せるがよい」

「う、うん。分かったよ」

「余計な混乱を生みたくないから、周りの乗客には悟られないようにね。慌てる必要はないわ」

 

エリオットとラウラが後方の車両へ向かうと同時に、アリサは周囲に声を上げて呼びかけた。

 

「皆さんも一度席に戻って下さい。それと、医療関係者の方がいたら、手を貸して頂けませんか?」

 

ガタンコトンという列車の走行音だけが、周囲に鳴り響く。

と思いきや、1人の女性が手を上げ、戸惑いながらも名乗り出てきてくれた。

 

「一応、看護士をしているけど・・・・・・その、あなた達は?」

「トールズ士官学院の者です。こういったトラブルへの対処には心得がありますから、どうか落ち着いて下さい」

 

学生手帳を手にしながらアリサが言うと、周囲からは「ああ、士官学院の」「軍人の卵か」と声が上がった。

やや落ち着きを取り戻した乗客達は、不安げな色を浮かべながらもぞろぞろと席へ戻り始めていた。

看護士の女性は2人の腕を取りながら、容体を確認し始めたようだ。

 

「見事な手際だな」

 

ガイウスが言うように、時間にすれば2分間にも満たない出来事だ。

異常を察知してから今に至るまで、当然のようにこの場を治めてしまった。

 

「流石アリサ。私惚れ直しそう」

「私だって一杯一杯よ。それに・・・・・・嫌な予感がするわ。もしかしたら、相当まずい状況かも」

「・・・・・・そうなの?」

 

私がアリサに返すのと同時に、彼女の腰元、ARCUSが入ったホルダーからベル音が鳴り響いた。

 

「ちょっと待って」

 

アリサが額の汗をハンカチで拭い、軽く深呼吸をしてからARCUSの応答ボタンを押す。

スピーカーから漏れてくる声で、その相手がエリオットだと分かった。

 

「はい、アリサよ・・・・・・ええ、大丈夫。落ち着いて」

 

スピーカーの音量を上げてくれていたおかげだろうか。これなら私とガイウスにも会話の内容は把握できる。

エリオットの口調から察するに、相当取り乱しているようだ。

 

「・・・・・・やっぱりそうだったのね」

「え?」

 

聞き漏らさないように傾けていた耳に、信じられない会話が飛び込んできた。

聞き間違いでないとするなら、アリサが言うように相当にまずい状況だ。

 

「よく聞いて。ラウラと一緒に、乗客の中に鉄道関係者がいないか探してちょうだい。くれぐれも落ち着いて、取り乱さないように。何か聞かれたら、学生手帳を見せて適当に誤魔化しなさい。それと、ARCUSは絶対に手放さないでね」

『う、うん。探してみるよ』

 

エリオット曰く、後方の車両でも同様の事態に陥っているらしい。

この列車の操縦を担う、2人の車掌。乗り合わせた鉄道憲兵隊に、常駐する整備員でさえも。

その誰もが意識を失い、起きる気配を見せていないそうだ。

 

(・・・・・・もしかして、大ピンチ?)

 

つまりこの列車は、今や誰の手にも掛かっていないのだ。想像しただけで背筋が凍る思いだ。

 

アリサはARCUSをホルダーに戻し、制服の上着を脱ぎながら口を開いた。

 

「聞こえていたでしょう、2人とも。状況は最悪だわ」

「ま、待ってくれ。じゃあこの列車はどうやって動いているんだ?」

「自動運転装置が働いているおかげでしょう。私も詳しくないけど・・・・・・このままじゃ、大変なことになるかもしれない」

 

その自動装置とやらがどういった働きをしているかは分からない。

だがアリサの言う通り、最悪の可能性も考慮して行動するしかない。

 

「ガイウス、あなたもこちら側から鉄道関係者を探しながら後方へ向かって。さっき私が言ったことを忘れないでね」

「ああ、任せてくれ」

 

ガイウスが乗客達に聞いて回る姿を確認した後、私とアリサは床に横たわる2人の男性の様子を窺う。

看護士の女性曰く、どう見ても深い睡眠状態に陥っているとしか思えないそうだ。

その原因までは特定できていないらしい。

 

何が起きているのだろう。

間違いなく、これは何らかの作為的なものが働いて、起きるべくして起きた事態のはずだ。

一体誰が、何のために。

 

「どういうことだろ・・・・・・一服盛られたとかかな?」

「かもしれないわね。いずれにせよ原因は今重要じゃないわ。来て、アヤ」

 

アリサは小声で言うと、周りの乗客に悟られないようにして運転台がある小部屋へと足を運んだ。

私も後を追うようにして、アリサに続く。

列車の運転台など初めて目にしたが、思った以上にシンプルな見た目だ。

 

「ど、どうするの?もしかしてアリサ・・・・・・」

「できるわけないじゃない・・・・・・あなたも少し落ち着きなさい」

 

「実は列車の運転経験があるのよ」なんてあり得ない可能性が脳裏をよぎるあたり、確かに冷静ではないようだ。

今まで様々な境地を経験してきた私でも、目の前のこれは余りにも異質だ。

だからこそ、冷静にこの状況へ対処しているアリサが今は大変に心強い。

 

「列車無線で指示を仰ぐぐらいなら、私達でもできるはずよ」

 

アリサは操作盤のマイクを手に取り、一度コホンと咳を払ってからマイクに向かって喋り始めた。

 

「えーと、こちら第9095列車、トールズ士官学院の者です。応答願います」

『・・・・・・こちらヘイムダル運輸指令。第9095列車、もう一度復唱願います』

 

いい感じだ。こちらの状況を説明するのは難しいが、アリサに任せておけば問題ないだろう。

あとは鉄道関係者が乗客の中にいてくれれば―――

 

「「きゃあああ!?」」

 

車両内に耳をつんざくような悲鳴が鳴り響く。

声に反応して後方を振り返ると、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

半開きの車窓にへばり付いていたのは、背中に羽を生やした紫色の魔獣。

 

「と、飛び猫!?」

 

見間違うはずもなく、街道でも度々目にする魔獣だった。

しかもざっと目に付いただけで、3匹はこの車両の中を覗き込むようにして纏わりついていた。

 

(な、なんで?)

 

高速で移動する列車にあんな低級な魔獣が飛びつくなど、聞いたことがない。

半ば呆気にとられていると、飛び猫は自力で半開きの窓をこじ開け、今にも車両内に侵入しようとしていた。

驚き呆けている場合ではない。

 

「みんな、早く後ろの車両に逃げて!」

 

私が叫ぶより前に、乗客のほとんどは後方の車両へ我先にと避難していた。

同時に窓を全開にした飛び猫が、いきり立ちながら車両の中へと入りこんでくる。

 

「アリサ、看護士さんと2人をお願い」

「え、ええ。でもアヤ、あなた1人じゃ―――」

「大丈夫、アリサはそのまま連絡を取り合って。時間が無いんでしょ?」

 

問答無用だ。あいにくと私の長巻は座席に置いたままだが、あの程度の魔獣なら徒手空拳で十分事足りる。

 

「・・・・・・分かったわ。背中は任せたわよ」

「OK、リーダー」

 

前方に殺気を向けると、合計4匹の飛び猫が私に向かって飛び掛かってきた。

剣が無くとも問題はない。私の師であるお母さんは、元々はそっちの出なのだ。

 

「せいやぁ!」

 

足場が限られているため、敵が向かってくる反動を利用して続けざまに拳打を放つ。

相手が4匹だから、4発。それで終了だ。物足りなさすら感じる。

やはり私はこういう分かりやすいことの方が性に合っている。

 

「よいしょっと」

 

片手に2匹ずつ魔獣を抱え、侵入してきた車窓から勢いよく外に放り投げる。

念のため全ての車窓に鍵を掛けて回り、周囲の様子を窺う。もう魔獣の気配も感じられない。

 

再び運転台に向かうと、アリサは親指を立てて私に合図を送りながら、無線で連絡を取り続けていた。

 

『状況は分かりました。魔獣除けの導力装置がダウンしている可能性があります』

「魔獣除けの・・・・・・ああ、これですね。レバーを上げればいいんですか?」

 

なるほど。それが魔獣が寄ってきた原因か。

それならもう安心だ。あとはこの列車をどうにかさえすれば、何とかなるだろう。

最悪、無理やり列車を止めてしまえばいい。緊急用のブレーキの類ぐらいはあるはずだ。

 

そう思った次の瞬間、列車内にドスンという大きな衝撃が走った。

 

「な、何よ今の?」

 

看護士さんが慌てながら周囲を見渡す。

車窓からの風景は何ら変わりはない。

だが明らかにこれは魔獣の気配だ。それに、先程の飛び猫などとは比べ物にならない殺気を感じる。

 

再びドスンドスンという振動が鳴り響く。それで確信した。

 

「上・・・っ・・・みんな伏せて!!」

 

私が叫ぶのと同時に、鋭い巨大な何かが天井を突き破り襲いかかった。

幸いにもその先には誰もいなかった。もしいたら、間違いなく文字通り『串刺し』だ。

 

「く、嘴?」

「アリサ、この車両の上にいる!鳥科の大型魔獣だよ!」

 

合点がいった。もしかしたらこの魔獣は、人間を捕食するタイプかもしれない。

もしそうなら、この列車は餌が詰まった鉄の箱も同然だ。

 

「このままじゃ本当にヤバい・・・・・・アリサ、早く!!」

「分かったわ!!」

 

再びアリサが運転台に向き直る。

彼女にはそちらに集中してもらう必要がある。

 

(さて、どうしようかな)

 

考えうる中で最悪の展開は、後方の車両に魔獣の気が逸れることだ。そちらには多くの乗客が乗っている。

看護士さんには悪いが、こちらに注意を引いて時間を稼ぐしかない。

 

「さあ、来なさい鳥さん。餌はこっちだよ」

 

車両の上方に全感覚を集中させる。

先程の一撃で、タイミングは把握できた。

 

「クエエェッ!!」

 

魔獣の咆哮と共に、頭上の天井が突き破られる。

私は間一髪のところで身体を逸らし、何とか串刺しを免れた。

 

「アヤ!無事か!」

 

後方をちらと見ると、ガイウス達がこの車両に入り込んでくる姿が見て取れた。

何とも微妙なタイミングだ。今この車両に人数が増えるのは得策ではない。

 

と、次の瞬間列車内に車内アナウンスの音声が鳴り響いた。

 

『皆さん、この列車は今から緊急停止します!近くの物につかまって下さい!』

 

(あ、アリサ!?)

 

こちらも何てタイミングだ。

だが迷っている暇はない。私達はアリサの言葉に従い身を屈め、衝撃に備えた。

 

途端に、金属同士が擦れ合うけたたましい摩擦音が鳴り響いた。

身体全体が前方に押し出されるような、気味の悪い感覚に襲われる。

 

「わあああぁっ!?」

「クエエエェェェッッ!?」

 

魔獣と一緒に絶叫を上げるなど、これが最初で最後の経験だろう。

そのおかげか、目の前の現象を冷静に見ることができた。

 

おそらく魔獣も前方に身を投げ出されているのだろう。

だが車両に突き刺した嘴がつっかえてしまい、身動きが取れないでいるに違いない。

 

列車の速度が減少していくのを感じた後、停止を待たずに私達は身を起こした。

 

「みんな、無事!?」

「ああ、何とか」

「ぼ、僕も大丈夫」

「私もだ・・・・・・どうやら大型の魔獣のようだな」

 

列車が完全に停止すると、魔獣は嘴を引き抜き、再び上空へ舞い上がったようだ。

同時に運転台にいたアリサがこちらに駆け寄ってくる。彼女も大事ないようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「みんな、外に出ましょう。このままじゃ乗客全員が標的になるわ・・・・・・!」

 

アリサの言葉に、5人全員の視線が交わる。

他に道は無い。停止した今となっては、走行中以上にこの列車は無防備に晒されているはずだ。

 

急いで車両の扉をこじ開け、上空に気を払いながら外に出る。

どうやら魔獣はまだ上空を旋回しているようだ。

 

「厄介な相手だな。ああも自在に空を駆けられては手出しができぬ」

「直に鉄道憲兵隊が来てくれるはずだから、それまで時間を稼げればいいわ。深追いは禁物よ」

 

いつの間にか、帝都にかなり近いところまで来ていたようだ。

アリサが言うように、応援が駆けつけてくれるまでが踏ん張りどころだろう。

 

「特別実習の総仕上げってところかしらっ・・・・・・士官学院《Ⅶ組》B班、全力でこの列車を守り抜くわよ!」

「「おおっ!」」

 

帝都ヘイムダルから約70セルジュ離れた草原の中に、私達B班の声が響き渡った。



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もう1人の私

本校舎の北東に位置する本会議室は、1階のどの部屋よりも広い。

高級感溢れるダークブラウンの会議テーブルが中心を囲っているが、それでも周囲にはまだ大分スペースに余裕がある。

普段は教職員のみに使用が限られているせいか、こうして席についているだけで緊張してしまう。

それに・・・・・・若干タバコ臭い。

マカロフ教官は会議中まで喫煙しているのだろうか。

 

「ありがとうございます。調書取りの方は、これぐらいにしましょう」

 

勿論、この場にマカロフ教官はいない。

テーブルを挟んで私達B班の前に座るのは、鉄道憲兵隊の女性幹部、クレア・リーヴェルト大尉だ。

年齢はサラ教官と同程度だろうか。

女性の身でありながら幹部クラス、それでいて容姿端麗―――正直、前者がどうでもよくなる程に見惚れてしまいそうになる。

 

「ケルディックでの件といい、皆さんには助けられてばかりですね。流石は特科クラス《Ⅶ組》の生徒達です」

「い、いえいえそんな。先月は僕達の方こそありがとうございました」

 

「ケルディックでの件」とは先月の特別自習、ルナリア自然公園での一件だろう。

こちらからすれば、危うく不当に身柄を拘束され掛けたところを救ってくれたのが彼女達だ。

エリオットが言うように、助けられてばかり、というのは同意しかねる。

 

「流石は《Ⅶ組》の生徒、ね。それには同意だけど、それだけで済まそうってんじゃないわよね」

 

含みのある物言いで冷ややかな視線をクレア大尉に浴びせるのは、サラ教官。

その口調からハッキリと分かる。彼女は怒っている。

後ろでまとめられた赤髪が、心なしか逆立っているようにも見えた。

 

「あたしの生徒が『ちょっとしたゴタゴタに巻き込まれた』って言ってたわよね。どの辺がちょっとなのかしら。アンタどういうつもり?」

「・・・・・・申し訳ありません。サラさんには無用な心配を掛けたくなかったんです」

 

そもそも何故本校舎の会議室で調書取りが行われているかと言えば、それはサラ教官の計らい―――というより、超強引なゴリ押しによるものだ。

 

大型魔獣の襲撃に何とか耐えきった私達は、程なくして駆けつけた鉄道憲兵隊に保護され、魔獣も彼らの手により排除された。

列車内に取り残された乗客達も救護バスにより無事帝都まで送り届けられ、特に負傷者もなく事態は収束に向かっていった。

 

私達はといえば、ヘイムダルの運輸指令所と列車無線でやり取りをしていたこともあり、事情聴取のためヘイムダル駅での待機を命じられていた。

いたのだが、サラ教官からARCUSを介して直々に命令が下ったのだ。

 

『そんなの無視していいから早く帰ってきなさい。責任は全てあたしが持つ』

 

結局クレア大尉からも同様の指示があったようで、私達は戸惑いながらも2日振りの士官学院に足を運んだ。それが約2時間前の出来事だ。

振り回される方の身にもなってほしいが、クレア大尉のやり取りを聞いて、漸くサラ教官の胸中が垣間見えてきた。

根本には、彼女なりの優しさがある。これはこれで悪い気はしない。

 

「無用な心配って・・・・・・ふざけんじゃないわよ。一歩間違えれば大参事だったのよ?分かってるの!?」

「重々理解しています」

「鉄道憲兵隊ともあろう精鋭部隊がついていながら、あたしの生徒に何かあったらどう責任を―――」

「だから私が直接出向いたのです」

 

クレア大尉は席を立ち、軍帽を下ろしながらテーブルの前、私達の目の前に立った。

 

「代表して、感謝の意を表します。皆さんの冷静且つ機敏な行動により、最悪の事態を免れることができました。後日、軍からは正式に謝意表明があるでしょう・・・・・・どうか誇りに思って下さい」

 

(うわー・・・・・・)

 

身に余る光栄とはまさにこのことだ。

正規軍から直々にとなれば、一躍有名人になりかねない。

 

「何とも面映ゆいな」

「だね。私には勿体無いっていうか・・・・・・食べ物とかでいいんだけどな」

「あなたは少し黙ってなさい」

 

私達のやり取りを聞いていたクレア大尉が、口元に手をやりながらクスクスと笑う。

と思いきや、その表情は次第に真剣なそれへと変わり、再び軍帽を身に付けながら口を開いた。

 

「同時に、件の責任は私達鉄道憲兵隊にあります。それを真摯に受け止め、再発の防止に全力を尽くしましょう・・・・・・サラさん」

「何よ」

「いい生徒さんですね」

「知ってるわよ・・・・・・さっきは言葉が過ぎたわ。ほら、用が済んだらさっさと行きなさい。こっちも暇じゃないのよ」

 

サラ教官が右手をヒラヒラと動かしながら退室を促す。

確かにこの後には、特別実習の報告会が控えている。そこまで時間を取ることはできない。

 

「大尉殿、1つだけ宜しいでしょうか」

 

会議室を後にしようとしていたクレア大尉を、ラウラが呼び止める。

もしラウラがそうしなければ、私が呼び止めていたところだ。

 

「何ですか?」

「今回の一連の騒動・・・・・・真相は、一体どこにあるのだ?」

 

ラウラの一言で、緩み掛けたその場の空気が張り詰めた。

 

突然意識を失った列車の車掌に整備員、そして鉄道憲兵隊。

魔獣除けの導力機が作動していなかったことも含め、不可解な点が多すぎる。

まず間違いなく、今回の騒動には人為的な原因があり、そして『犯人』がいるはずなのだ。

 

「それをこれから調べるんでしょ。今問いただしたところで、何も出はしないわよ」

 

意外なことに、一番クレア大尉に詰め寄っていきそうなサラ教官が、半ば諦めたように言った。

結局クレア大尉は会議室を後にし、サラ教官は時計の針を確認しながら今後の予定を話し始めた。

 

「ゆっくりしてる時間は無いわね。16時から教室でA班の報告会、君達B班はその30分後にしましょう。何か質問は?」

「分かりました。・・・・・・その、サラ教官」

「何?」

「教官には、思い当たるところがあるんですか?」

 

アリサが単刀直入に問いただすと、サラ教官は「あくまで可能性に過ぎない」と前置きを置いてから言った。

教官曰く、それは私達でも考えれば必ず行き当たる存在だという。

そんなことを言われても、少なくとも私にはまったく心当たりがない。

列車の乗客全員の命を脅かすなんて、テロ行為とも呼べる大犯罪だ。

 

「そうね・・・・・・なら、君達もA班の報告会に参加しなさい」

「私達もですか?」

「彼らが経験した事態も、『本質的には同じ』なのよ。犯人達の目的を、よく考えてみることね」

 

サラ教官はそう言いながら会議室を後にし、私達B班だけが取り残された。

しばらくの間、誰もが眉間に皺を寄せながら口を開くことはなかった。

 

「犯人達の目的って・・・・・・何?列車を危険に晒すことじゃなかったの?」

 

結局のところ、私にはそれしか浮かばない。

列車の運行に関わる全員の意識を、何らかの方法で奪い去り混乱を生じさせる。

ついでに魔獣の脅威のダメ押しだ。私達が目にした現象は、それだけだった。

 

「待ってくれ。それなら、乗客の命を奪うつもりは無かったということか?」

「・・・・・・ガイウス、それどういう意味?」

「ふむ。要するに混乱を生じさせることが目的であって、命を奪うことまでは考えていなかったということか」

 

そう言われてみれば、同じことを言っているようでまるで異なる意味合いになる。

事実、今回の騒動で負傷者は1人も発生していないのだ。

とはいえ、相当際どい状況だったことも確かだ。

大型魔獣に襲われた時は、どう転んでもおかしくはなかったはずである。

 

「僕もそう思うけど・・・・・・もしかしたら、あれは犯人達も想定外だったんじゃない?あんな魔獣に列車を襲わせるなんて、人の手でできることじゃないはずだよ」

「じゃあやっぱり、ラウラが言うように混乱を引き起こすことが目的だったってこと?」

「目的じゃなくて、手段と言った方が分かりやすいかもしれないわね。一連の騒動の先にある何かが、おそらく犯人達の目的なんじゃないかしら」

「・・・・・・もう少し分かりやすく説明してよ」

「そこまで難しいこと言ってないじゃない・・・・・・」

 

アリサ曰く、今回の事件で最も不利益を被るであろう存在。

それが犯人達の標的であり、犯人を辿る大きな手掛かりになり得るそうだ。

 

「・・・・・・鉄道、憲兵隊?」

 

思うがままに、行き当たった存在を口にする。

先程のサラ教官とクレア大尉のやり取りを見れば、容易に想像はついた。

正規軍の精鋭部隊がついていながらも起きてしまった今回の騒動。

クレア大尉が言うように、責任の所在は当然鉄道憲兵隊へと向けられてしまう。

 

「なるほどな。事の大きさから考えて、今回の騒動が帝国中に広まることは回避できぬであろう」

「当然、鉄道憲兵隊への信用は少なからず失われてしまうってことね。一応辻褄は合うわ」

 

確かに辻褄は合うが、それでいくと犯人は鉄道憲兵隊と敵対する存在になる。

軍と相反する存在―――真っ先に思い浮かんだのは、猟兵団だ。

だがそれは考えにくい。『奴ら』があんなまどろっこしい手段を選ぶとは到底思えない。

 

「鉄道憲兵隊と・・・・・・」

 

クレア大尉の姿が頭に浮かぶ。

そういえば、彼女達と対峙する何者かの姿を、最近見たことが気がする。

あれは先月の特別実習、ルナリア自然公園で―――

 

「―――え?」

 

そんなわけがない。

そう思いながら4人の様子を窺うと、ガイウスを除いた3人、先月のA班メンバーと視線が交差した。

 

「いや・・・・・・でも、流石にそれはないよね」

「ぼ、僕もそう思うよ。だって手段が余りにも強引すぎるし」

「理屈は通るが、こじつけと言われればそれまでだろう」

「『貴族派』の陰謀、か。・・・・・・あくまで可能性に過ぎないわね」

 

もしかしたら、私達の推論はサラ教官のそれと同じなのかもしれない。

 

当たっていてほしくない、と切に思う。

いずれにせよ、考えるのはA班の報告を聞いてからだ。

サラ教官が言うことが正しいなら、そこに答えがあるはずだ。

 

壁に掛けられた時計の針は、午後の15時45分を指していた。

 

____________________________________

 

「―――以上で、俺達A班の報告を終わります」

「はい結構。お疲れ様」

 

時間にして約10分間程度で、リィンの報告は終わった。

要点が要領よくまとめられており、彼らが見聞きした全てが頭の中に思い浮かぶ感覚だ。

 

開いた口が塞がらなかった。

不当に身柄を拘束されたマキアスと、彼を奪還すべく牢獄に侵入したユーシスにA班一同。

そして大型魔獣との戦闘。

そこに思うところは勿論あるが―――それ以上に、突き付けられた現実を認めざるを得ない。

 

貴族派と革新派。

その対立の渦中に、私達B班も巻き込まれたのだ。確証はないが、確信はある。

サザーラント本線の帝都方面行き。当然、ハイアームズ侯爵家の家名が脳裏を過ぎる。

穏健派として名高い公爵家に疑いを持ちたくはないが、A班の話を聞く限り、貴族や領邦軍も一枚岩ではないようだ。

 

それに、別のところに真犯人がいる可能性だってある。

今回の事件を引き金にして、革新派への敵対心を煽る。あるいは、革新派への大胆な挑発と忠告。

いずれにせよキナ臭いことこの上ない。

 

この国は―――一体どこに向かっているのだろう。

 

「それで1つ質問なんだけど。この鉄扉の突破方法は何?」

 

サラ教官の声で我に返る。

彼女が言及したのは、リィンから配られた報告書の最後のページに記された項目だ。

そこには『爆薬による爆破で突破』と記されていた。

 

(ば、爆薬?)

 

流し読みしていたせいで気付かなかったが、確かにそこには爆薬という2文字があった。

 

「私がやった。それしか方法がなかったから」

 

抑揚のない声でサラ教官に返したのは、フィー。

 

「爆薬の携帯を許可した覚えはないんだけど」

「・・・・・・許可が必要なの?」

「あなたに認められているのは、双剣銃と閃光弾の類だけって言ったでしょう。・・・・・・リィン、ここだけ適当に修正しておきなさい。このままじゃ提出できないわ」

「りょ、了解です」

 

その立ち振る舞いから底が知れないとは前々から感じていたが、一体どこで爆薬の扱いなど学んだのか。

私と同じB班側の席に座るメンバーも怪訝な表情で―――ラウラだけが、皆とは少し違う色を浮かべていた。

 

「フィー君。彼らにも話しておいた方がいいんじゃないか」

「話すって、何を?」

「決まっているだろう。お前の過去についてだ」

 

フィーの両隣に座るマキアスとユーシスが、腕を組みながら声を掛ける。

何だかフィーを挟んで左右対称に見えてしまう。この2人の間には、既に以前のような険悪の雰囲気は鳴りを潜めていた。

 

「・・・・・・ん。そだね」

 

フィーは特に迷うような素振りも見せず、いつものように淡々とした声で告げた。

 

「こっちの4人にはもう話したけど、私以前、猟兵団にいたんだ」

 

(―――猟、兵?)

 

ドクン、と胸が激しく鼓動した。

突然、鼓膜が破裂したかのような感覚と耳鳴りに襲われる。

気付いた時には、腰を下ろしていた椅子を後ろに薙ぎ倒しながら―――壁に背中を預けていた。

 

「ど、どうしたのよアヤ」

 

聞こえていなかったのだろうか。フィーは今、確かに猟兵団と言っただろう。

 

「アヤ」

 

私を呼ぶ声で、耳鳴りが収まる。

吐き気を飲み込み、両目に浮かんだ涙を上着の裾で拭い平静を装う。

 

「ごめん、ガイウス。もう平気」

「・・・・・・俺は何も言わない。君自身の問題だ」

「うん、それでいい」

 

いつの間にか握られていたガイウスの手を離し、倒れていた椅子を起こす。

皆の視線が突き刺さるのを感じるが、今ならまだ誤魔化しが効くはずだ。

 

「みんなも、ごめん。ちょっと驚いちゃって」

 

私が笑みを浮かべながら言うと、張り詰めていた雰囲気が少しだけ和らいだようだ。

 

「あ、あはは・・・・・・無理もないよ、僕も驚いちゃったし。でもフィー、今の話本当なの?」

「ん。嘘は言ってないよ」

 

また胸がムカムカしてきた。

胃液が逆流するかのような感覚に襲われる。

 

「俺も驚いたよ。でも俺達にとって、フィーは大切な仲間の1人だ。そうだろう?」

 

何ていう甘さと軽さだ。

自分が言っていることの意味を理解しているのだろうか。

 

「僕が牢獄から脱出できたのは彼女のおかげだからな」

「フン、爆発に巻き込まれるのは御免だ。今後は控えてほしいものだが」

 

この2人もリィンと同じだ。

それで何が変わる。何も変わらないじゃないか。

 

「ええ。私達にとって、フィーちゃんはフィーちゃんです」

 

猟兵団は猟兵団だろう。

人殺しは―――人殺しだ。いい加減にしろ。

 

「冗談じゃないよ」

「・・・・・・アヤさん?どうしたんですか?」

「冗談じゃないよ!!」

 

どうしたもこうしたもない。

何も分かってない。何1つ分かっていない。

 

「みんな、本気で言ってるの?」

 

限界だった。多分、もう無理だ。

『もう1人の私』の声は、もう止まらない。

 

「猟兵団って、お金のために人を殺すような連中だよ。みんな、それを分かって言ってるの?わけ分かんない」

 

皆が呆気にとられた表情で私を見詰めてくる。

思った通りだ。誰も何も分かっていない。

それでよくさっきのような台詞を口にできたものだ。

 

「フィー、あなた人を手に掛けたことはないの?」

 

―――自制が効かない。フィーの無垢な視線が痛い。

胸がはち切れそうだ。お願いだから、さっさと収まってほしい。

 

「・・・・・・やめてください、アヤさん」

「それが生業でしょ。猟兵団ってそうでしょ。あんな奴らと一緒にいるだなんて考えたくもない」

「いい加減にしてください!!」

 

エマが大声を上げる姿など見たことがない。

眼鏡の先に映る彼女の目からは、紛れもない怒りの感情が見て取れた。

 

「何てことを・・・・・・どうしてそんな酷いことが言えるんですか!?」

「何それ?フィーの過去を見ない振りでもしたいわけ?」

「アヤさんこそ今のフィーちゃんを見てください!!」

「今がどうだろうと過去は変わらないよ!殺された人間は・・・・・・お母さんは生き返ったりしない!!」

 

エマが言葉を失い、口に手を当てながら後ずさる。

勘弁してほしい。話が逸れ掛けているし、もはや八つ当たりの域を超えている。

 

「何でみんな庇うの!?じゃあ返してよ!全部元通りにしてよ!!」

 

できるわけがない。死んだ人間は、生き返ったりはしない。

これは私じゃない。私はこんなこと言いたくない。

 

「返して!!お母さんを、伯父さんを、私を!!ユイを返して!!返してよっ!!」

 

いつの間にか、とめどなく溢れ出る涙で視界が塞がっていた。

 

「返してよっ・・・・・・返して。・・・・・・お母さん・・・っ・・・」

 

机に突っ伏す私の嗚咽だけが、教室に鳴り響く。

それが尻すぼみになるにつれ、居心地の悪い静寂だけが広がっていった。

 

漸く収まってきてくれた。傍から見れば二重人格だ。

相当に酷い顔をしているだろうが、その反面頭の中は冷静だ。

 

「・・・・・・B班の報告は10分後に聞くわ。アヤ、あなたはもういいわよ。先に寮へ戻ってなさい」

 

終始口を閉ざしていたサラ教官は、席を立ち一旦教室の外へと出て行ってしまった。

この場は私達に任せるということだろう。

 

なら、私もここにはいられない。もうこの教室にいてはいけない。

涙と鼻水を腕の袖で拭い、視線を合わせないようにして皆の前に立つ。

 

「・・・・・・ごめん、フィー。エマ・・・・・・みんな。私、先に行くね」

 

皆の顔を見るのが怖い。

この2ヶ月間で築いてきたものが、全て崩れ去ってしまった感覚だ。

 

足早に教室を去ろうとすると、アリサの声が後ろから聞こえた。

 

「待って、アヤ」

「何?」

「フィーも、アヤも・・・・・・何も変わらない。変わらないからね」

「・・・・・・そう」

 

アリサらしい。でも今は、優しい言葉を掛けられても返すことができない。

私なんかのために、彼女が気に病む必要などない。

後ろを振り向かずに、私は《Ⅶ組の》教室を後にした。

 

________________________________________

 

深く静まり返った教室の中で、誰もが身動き1つ取れずにいた。

そんな中、先程アヤが倒した椅子を立て直しながら、リィンがゆっくりと口を開いた。

 

「なぁ、ガイウス」

「何だ?」

「ガイウスは・・・・・・全部、知っているのか?」

 

3月31日の入学式。初めてこの教室に足を踏み入れたあの日から、ちょうど2ヶ月間が経つ。

その間に彼らが育んできた絆は決して浅くはない。

だが今となっては、誰もがそれを疑わざるを得なかった。

 

「俺の口から話すべきことじゃない。だが・・・・・・全て事実のはずだ」

 

アヤについて、リィン達が知ることは少ない。

帝国人と共和国人の両親から生を受け、クロスベル自治州で生まれ育つ。

そして3年前、彼女が16歳の時にウォーゼル家の養女となる。それだけだった。

 

「アヤが12歳の時と聞いている。母親と共に、父方の伯父を頼ってこの帝国を訪れた時の話だ」

 

そこから先を、ガイウスは敢えて語ろうとしなかった。

聞かずとも、アヤが発した断片的な言葉を繋ぎ合せれば、彼女の身に起きたであろう悲劇は容易に想像が付いた。

 

「ユイって、誰?」

 

それまで口を閉ざしていたフィーが、おずおずとした口調でガイウスに投げ掛ける。

 

「ユイは・・・・・・ユイ・シャンファは、アヤがその時に捨てた名だ。『アヤ』は母方の伯母の名を借りたと言っていた」

 

大切なのは今で、過去は関係無い。

聞こえはいいかもしれない。だが裏を返せば、全く別の意味合いになってしまう。

 

「気を悪くしないでくれ。これはアヤ自身の問題だ・・・・・・彼女ならきっと、乗り越えて戻ってくる。だからその時は―――」

 

迎えてやってくれ。ガイウスの言葉に返す者は、誰もいなかった。

《Ⅶ組》の最年長者が見せた、初めての顔。

後を追うことさえできない自分達の無力さに、誰もが苛まれていた。



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私と彼女と規則違反

自室の窓を開けると、やや湿っぽい風が肌に纏わりついてくる。

朝は快晴だったというのに、雲掛かった空からは今にも雨が降り出しそうな気配だ。

誰も傘なんて持っていなかったと記憶している。降り出す前に帰って来れればいいが。

 

(あっ)

 

今の自分の姿を思い出し、壊れんばかりの勢いで窓を閉める。

私以外誰もいないのをいいことに、下着しか身に付けていなかった。

 

一足先に寮へと戻った私は、汗を流すためにさっとシャワーを浴びた後、自室に籠っていた。

6月を迎えようとしているこの時期、トリスタでは半袖姿で街を歩く住民もちらほらと目に付くようになってきた。

今も肌には薄っすらと汗が浮かんでいる。熱が冷めるまではもう少しこのままでいたい。

 

ベッドに仰向けに倒れ込み、天井を見詰めながら胸の中央の辺りを指でなぞる。

ハッキリと残る、2つの銃創。7年が経った今でも、この傷痕が消えることは無い。

 

あの日、私は全てを奪われた。私に残されたのは、お母さんが今わの際に発した言葉と、剣。

そして意思とは無関係に溢れ出る『力』。それだけだった。

それに、私は一度死んだはずだ。だから私は名前を捨てた。

気付いた時には、私はお祖母ちゃんの名を借りていた。

お母さんがくれた東方風の名前が好きだったからかもしれない。

 

私のこの傷を知っているのは、ノルドのお義母さんと妹達、それに数人の女性に限られる。

男性でこれを見たことがあるのは、ガイウスだけだ。

彼は私のほとんどを知っている。

7年前の出来事も、私が帝国を彷徨い続けた4年間も、クロスベルの幼馴染も。

初恋の少年の存在も、その名前でさえも。

 

私が話したからだ。全部を知って欲しかった。おかげで私は自分を保っていられる。

ガイウスがいなかったら、私はどうなっていたんだろう。

 

(・・・・・・依存、なのかな)

 

この2ヶ月で分かったことがある。私は彼の優しさに甘えている。

私の過去で彼を縛っていると言った方がいいかもしれない。

そろそろ『本当の姉』になってあげてもいい頃だ。

ここ最近、何度もそう一人ごちているが、全く心が動いてくれない。

どうしてかが分からない。私はそんなに身勝手な人間だっただろうか。

きっとそうだ。だからこそ今日も、大切な仲間を傷付けてしまった。

 

普段は無意識のうちに年上振っているが、それはただの虚勢だ。

ガイウスに対してだけじゃない。《Ⅶ組》の皆に対してもそうなのだ。

私は本来自分勝手で、幼くて、小さい人間だ。クラス最年長が聞いて呆れる。

 

段々と寒気を感じてきた。湯冷めしないようにシャツと上着を羽織る。

ARCUSの時計は18時を示していた。そろそろ皆も戻ってくる時間だが、如何せん合わせる顔が無い。

実習の疲れがあるせいか、目を閉じればすぐにでも眠りにつけそうだ。

昼から何も食べていないし、就寝には早すぎる時間だというのに。それでも、今日はもう―――考えることすら億劫だ。

 

______________________________________

 

目を開ければ、見慣れた天井と導力灯が嫌でも目に入ってくる。

だというのに、今が何月何日の何時かが分からない。私は今眠っていたのだろうか。

 

「・・・・・・7時、半?」

 

壁の時計の短針は7と8の間を指している。一瞬朝かと思ったが、そんなはずがない。

窓の外は真っ暗で、ザーザーという雨音が静かに鳴り響いていた。

ARCUSも19時半を示している。段々と頭が冴えてきた。

 

2時間も眠っていないというのに、すっかり目が覚めてしまった。

無理もないかもしれない。明かりは点けっぱなしだし、ドアの向こうからは足音や会話が聞こえてくる。

 

(・・・・・・どうしよ)

 

喉がカラカラに渇いているが、あいにく水差しは空っぽだ。

今日はもう誰とも顔を合わせたくないというのに。

 

結局私はドアから周囲の様子を窺い、足音を潜めながら洗面所へと向かった。

・・・・・・我ながら情けなくなる。一体何をしているんだろう。

蛇口からコップに3杯目の水を注ぎ、一気に飲み干す。

そういえば、水差しにも水を汲んでおけばよかった。

 

一度部屋に戻って水差しを取ってこようか。そう思っていると、こちらに向かって誰かが歩いてくる気配がした。

 

(や、やばっ)

 

慌てて退路を探すが、当然そんなものはどこにもない。

何とか身を隠そうと、私は目の前の扉―――脱衣所へと繋がる扉を開け、すぐさま内側から扉を閉じた。

 

「ふぅ」

「あーさっぱりした」

「え?」

「は?」

 

もたれ掛かるように扉に背を預けると、目に飛び込んできたのは同性の裸体。

鍛え抜かれ引き締まった四肢に、胸元まで伸びた赤髪からは水滴が滴っている。

私達学生には決して纏うことができない、大人の魅力で溢れていた。

 

「綺麗・・・・・・」

「それはどうも。じゃなくて、他に言うことがあるんじゃない?」

「・・・・・・エロい?」

「褒め言葉と受け取っておくわ」

 

その後、私は自室に戻ることなく、サラ教官に連れられて彼女の部屋を訪れていた。

自室に戻ったところですることがないし、今まともに話ができそうなのは、彼女しかいない。

 

私は教官のベッドに腰を下ろし、部屋の中を見渡していた。

意外と小奇麗で、掃除も行き届いているようだ。そこかしこに放置されている酒瓶を除けば。

お母さんの部屋もこんな感じだった気がする。

 

「おっ待たせー♪」

 

ルンルン気分で部屋に戻ってきたサラ教官の手には、キンキンに冷えているであろう数本のビール瓶。

忘れていた。何て目に毒な光景だ。

私は意識的にサラ教官の手元から視線を外し、ついでに話題も逸らすことにした。

 

「お風呂に入った後なのに、また髪を上げちゃうんですか?」

 

だからかもしれない。

サラ教官が髪を下ろしている姿を目にしたのは、今日が始めてのことだった。

 

「いいじゃない。気に入ってるんだから」

「今だけでいいですから、また下ろしてもらえませんか」

「・・・・・・別に構わないけど。変な子ね」

 

右手でビール瓶をらっぱ飲みしながら、左手で器用にヘアゴムを外す。

直後に、色艶やかな髪がふわりと肩の上に被さった。

部屋だけじゃない。やっぱり似ている。

 

「は、母親?」

「はい。雰囲気だけですけど」

「あのねぇ。言っておくけど、私とアヤは6歳しか違わないのよ?」

「私は、31歳までのお母さんしか知らないんです。教官とも6つしか離れてないですよ」

 

言っておいて、少し後悔する。

わざわざサラ教官が気を遣ってしまいそうなことを言うべきじゃなかった。

 

「そう。どうやらあなたはお母さん子だったようね」

「お父さんのことも好きでしたよ。でも、小さい頃に亡くしたから思い出が少ないんです。だからかも」

 

言っておいて、今度は気恥ずかしさを覚えた。

この年で「お父さんが好き」なんて言葉にするものじゃない。

 

誤魔化すようにして体をベッドに預ける。

何だか変な感じだ。サラ教官のベッドに寝転がるなんて、これが最初で最後の経験になるんじゃないだろうか。

 

目を閉じてそんなことを考えていると、額がヒンヤリとした何かに覆われる。

目蓋を開くと、そこには教官の大きな右手が被さっていた。

先程までビール瓶を握っていたせいだろうか。火照った額に心地よい冷たさが広がっていく。

 

「な、何ですか」

「どうするの。このまま閉じこもっているわけにもいかないでしょう」

 

時間は待ってはくれない。眠りにつけば、嫌でも明日がやってくる。

それに、すべきことも分かっている。元々選択肢なんてものは無い。

過去に囚われて現実を捨てるなんて、耐えられない。できるわけがない。

 

「・・・・・・分かってます。でも私、みんなに・・・・・・フィーに、あんな酷いことを」

「誰もあなたを責められないわよ」

 

「ただ」と一旦間を置いた後、サラ教官は続けた。

 

「少し、勘違いをしているみたいね」

「勘違い?」

 

たっぷり3回、喉を鳴らしながらビールを流し込む。

本当に目に毒な光景だ―――そう思っていると、教官は内ポケットから何かを取り出し、それを私の胸の上置いた。

 

「何ですか、これ」

「いつ渡そうか迷っていたけど、私が持ち歩いていても仕方ないしね」

「・・・・・・こ、これって」

 

上半身を起こし、食い入るように手元のそれを見詰める。

学生手帳ではない。使い古された手帳の表紙には、『支える籠手』の紋章が刻まれていた。

 

「勿論面識はないわ。ただ、知り合いに関係者がいてね。クロスベル支部に保管されていたものを送ってもらったのよ」

 

何度も目にした記憶がある。不器用な文字にも見覚えがある。

私が10歳の時、お母さんが遊撃士協会を脱退したあの日から、一度も見ることはなかった。

これは―――お母さんの遊撃士手帳だ。

 

「嘘・・・・・・どうして、これを?」

「立派な遊撃士だったそうね。7年がたった今でも、彼女の話はすぐに聞けたわ」

 

あの日以来、この帝国で私達を知る人間と出会ったことがなかった。

サラ教官は私のことをどこまで知っていて、どうやって知ったのだろう。

 

「クロスベルには、彼女の意志を継いだ遊撃士がたくさんいる。彼らの中で、彼女は今も生き続けているのよ」

「生きてる?お母さん、が?」

「ええ。それはあなただって同じよ」

「・・・・・・どういう意味ですか」

「あなた勝手に諦めているでしょう、生まれ故郷であるクロスベルを」

 

当然だ。鉄道を使えば5時間にも満たない旅路であることは理解している。

それでも、帰ることなんてできない。気持ちだけの問題ではない。

それに私はアヤだ。もう、ユイじゃない。

 

「人ってのは、愛し愛されて生きていくものよ。みんながユイの帰りを待ち望んでいる限り・・・・・・彼女もまた生き続けるの。というより、あたしの目の前にいるじゃない」

 

サラ教官の表情を見て、思わず息を飲んだ。

こんな穏やかな顔は、初めて見る。これではまるで―――本当にお母さんと向き合っているようだ。

 

「辛いのは分かる。でも捨てる必要なんてない、忘れる必要なんてどこにもないのよ」

 

死んだと思っていた。今でもあの光景は脳裏に焼き付いている。

ユイは死んだ―――ずっとそう思っていた。

 

「考えてもみて。あなたには愛すべき故郷と家族が、2つもあるじゃない。そんな贅沢聞いたこともないわよ?」

「私・・・・・・私は・・・・・・っ」

 

いつの間にか、私の身体はサラ教官の両腕の中にすっぽりと収まっていた。

反則だ。普段の教官とのギャップを笑い飛ばしたいところなのに、意思に反して視界がぼやけていく。

 

同時に、頭の中にたくさんの人々の顔が思い浮かんでいく。

そのどれもがはっきりしない。故郷とはいえ、もう7年も経っている。

それでも、想わずにはいられない。

 

導力技士になることを夢見る幼馴染も。

兄の背中を見詰める、彼にも。

もう一度会いたい。私には―――忘れることなんてできない。

 

「彼女と一緒に生きていきなさい。その分だけ、あなたはきっと幸せになれるわ。少なくとも―――あたしはそう信じてる」

「うぅ・・・っ・・・みんなっ・・・・・・」

 

余り大声を上げると、外に声が漏れてしまうかもしれない。

それでも今は、胸元で思う存分泣かせてほしい。

この温もりと、お酒の匂いですらも。私にとっては、大切な大切な思い出に、そっくりだから。

 

______________________________________

 

たっぷり深呼吸を2つ半。目の前のドアを軽く3回ノックする。

 

「フィー、いる?」

 

気負う必要なんてどこにもない。年齢も関係ない。

特科クラス《Ⅶ組》という肩書さえも、今はどうだっていい。

1人の人間として、アヤ・ウォーゼルとして、私は今ここに立っている。

 

程無くして、ドアがガチャリと開いた。

 

「・・・・・・何?」

「ごめん、寝てた?」

「ううん、起きてた。まだすることがあるから」

「よかった。ねぇ、入ってもいい?」

 

私の問いに答える前に、フィーは私の手元に視線を落とす。

 

「ああ、これ?ノルドから送ってもらったチーズ。美味しいよ」

「そっちじゃなくて、こっち」

 

左手を上げてチーズの匂いを嗅がせようとすると、フィーは細い目で私の右手を指してきた。

ああ、こっちか。無理もない。

私の右手には、褐色の瓶が3本。中身入りとはいえ、気の恩恵が無くともこれぐらいなら片手でいける。

 

「サラ教官から買い上げた。信じられる?2000ミラだよ、2000ミラ。安物なのに生徒から金を取るなんて、あの人頭おかしいよ」

「突っ込んだ方がいい?」

「その前に部屋に入れてもらえると助かるかな。ちょっと右手が辛くなってきたから」

 

半ば押し入るようにして部屋の中に足を踏み入れ、テーブルの上にビール瓶を並べる。

彼女の部屋に入るのはこれが初めてだが、何とも殺風景な眺めだ。無機質と言った方がいいかもしれない。

 

フィーは床に腰を下ろすと、並べられた様々な道具を器用に操りながら―――よく分からない。何をしているのだろう。

 

「メンテナンスと補充。今回の実習で色々消費したから」

 

一目で銃火器の類と分かる物もあれば、歪な形をした刃物もある。

東方風に言えば暗器に属する武具かもしれない。これだけの量だ、手入れだけでも一苦労だろう。

 

「ふーん。大変だね」

「乙女の嗜み」

「突っ込んだ方がいい?」

「そこのスパナ取って」

「はいはい」

 

フィーの手元をぼんやりと見詰めながら、ビール瓶を傾けて中身を喉に流し込む。

サラ教官なら「ぷっはああああ」だの「このために生きてるなああ」だの騒ぐところだろうが、私はそんな見っともない真似はしない。

 

2ヶ月振りのお酒を甘く見ていた。味も然ることながら、一気に酔いが回ってくる。

勢いに身を任せ、たくさん話をしておきたい。

そう思っていると、フィーが工具を床に置きながら口を開いた。

 

「人を殺めたことは・・・・・・ない。でも同業者に、銃や剣を向けたことは何度もある」

「そう。私はあるよ」

 

フィーの4時間越しの答えと、私の告白。

彼女は余り感情を表に出さないが、大きく見開かれた琥珀色の瞳からは様々な感情が見て取れた。

場違いかもしれないが、それが何となく嬉しかった。

 

「っ・・・・・・7年前の、こと?」

「どうしても許せなかったから。人を斬ったのは、あれが最初で最後」

 

2つの銃創と同じように、決して消えることがない私の過去だ。

2人、斬った。私からすれば、魔獣を切り捨てることと何も変わらなかった。

同じ人間とは思えなかったからだ。

私がユイの名を捨てた理由は、そこにもある。人殺しの過去を背負ってまで生きたくはなかった。

 

「猟兵が少女に遅れを取るなんて、ちょっと信じられないけど」

「その時だよ、無理やり『力』を与えられたのは」

「・・・・・・そう」

 

それを最後に、会話は途切れた。

工具を操る金属音と、外から聞こえてくる雨音だけが耳に入ってくる。

間が持たず、2つ目の瓶を開けた。空きっ腹に久しぶりのお酒だ、明日は胸焼けに悩まされるに違いない。

 

フィーの方も作業が終了したようで、金属製の箱の中へ無造作に工具を放り込んでいく。

 

「もう終わり?」

「ん。大体は」

 

言いながら腰を上げ、右手で工具箱を持ち上げようとした途端―――けたたましい音と共に、床に工具が散らばった。

 

「ちょ、ちょっと。大丈夫?」

「・・・・・・不覚。手が滑った」

「手伝うよ」

 

私は床に膝を付き、フィーと一緒に箱の中身を拾い始めた。

少し彼女らしくない。そう思いながらフィーの手元を見ると―――すぐに違和感に気付いた。

 

「フィー、手首見せて」

「何でもない」

「いいから、ほら」

 

少々強引にフィーの両手首を取る。

一瞬だけだったが、彼女の表情が何かに耐えるようにして歪んだのが分かった。

やっぱりそうだ。彼女は手首の腱を痛めている。

私の胸中を察したのか、フィーは諦めたように大きな溜息をつきながら言った。

 

「リストの強さが自慢だったのに。ちょっと情けないかも」

 

片手で拳銃を操ること自体、離れ技であると同時に相当な負荷が掛かるに違いない。

そもそもフィーは運動能力がずば抜けているだけで、体格は年相応の少女と何ら変わりはないのだ。

こんな小さな身体と腕で二丁拳銃を連射すれば、当然の結果なのかもしれない。

 

「相当ひどいよ、これ。みんな知ってるの?」

「知らないと思う。そんな余裕は無かったし」

「で、でも無茶し過ぎだよ。こんな手で戦闘なんてできるわけないじゃん」

「迷ってる暇なんて無かった。それに、アヤだってそう言ってた」

 

私が―――言った?

まるで心当たりがない。フィーは一体何のことを言っているのだろう。

 

「『力を使うことがみんなのためになるなら、迷う必要なんてない』」

「・・・・・・そ、それって」

「アヤが教えてくれたことだよ」

 

あれは実技テストの時の話だ。確かに私は、リィンにそう言った。

でもあれは、私が『力』から目を背ける自分自身に言い聞かせた言葉だ。

そんな意味合いで言ったつもりはない。だというのに―――

 

「ん、違ったっけ?」

 

首を傾げながら、きょとんとした様子で私を覗き込んでくる。

そこには何の後悔の念も感じられなかった。

 

皆とは違う普通ではない生い立ちに、年不相応な力と戦闘能力。

もしかしたら、フィーにも少なからず戸惑いがあったのだろうか。

だから彼女は純粋に、思うがままに私の言葉に従ったのかもしれない。

自分のことを顧みず、ただ仲間を助けるために。

異質な過去を知られることになっても。

私がそうしたように―――仲間から拒絶されることになろうとも。

 

(一緒なわけ、ないのに)

 

何て純粋な目をしているのだろう。あいつらとは絶対に違う。

分かっていたはずなのに。エマが言うように、フィーはフィーだ。

あんな酷い言葉を浴びせても、私を見るフィーの目は何も変わらない。

 

「・・・・・・アヤ?どうしたの?」

 

酔いのせいで感情のコントロールが効かない。

サラ教官の胸元で出し尽くしたと思っていたのに、また視界が霞んでいく。これで今日3回目だ。

気付いた時には―――私はフィーの小さな身体を、後ろから抱きしめていた。

 

「あ、アヤ?」

「ごめん・・・・・・ごめんね。私、・・・・・・本当にごめんね」

 

あいつらを許すことなんてできない。それでいいと思う。そもそもが別問題だ。

私はフィーのことをまだ知らない。特別仲がいいわけでもないから当然だ。

 

なら、これから知っていけばいい。私はきっと、この純粋無垢な少女が大好きになれるはずだ。

お母さんもユイも、きっとそうしろって言ってくれている。

 

「むぐっ・・・・・・サラみたいな匂いがする。酒臭い」

「飲んでるもん。久々だから・・・・・・結構しんどい。このまま寝そう」

「眠るならベッドで寝て」

 

私はフィーの身体を抱いたまま立ち上がり、言葉に従いそのままベッドへと仰向けに倒れ込む。

 

「そうじゃなくて、自分のベッドで寝て」

「あはは、面倒くさい」

「むぅ・・・・・・変なアヤ」

 

フィーの言葉を無視して、目を閉じる。

怒ったり泣いたり、笑ったり。本当に忙しい1日だった。

 

士官学院に入学して以来、何だか行ったり来たりを繰り返している気がする。

私は前に進めているのだろうか。

 

「私は私だよ」

 

少なくとも、一歩ぐらいは前進できた気がする。今日はそれでよしとしよう。

明日からはまた忙しい学院生活が始まるのだ。一歩ずつ、着実に前に向かって歩いて行こう。

掛け替えのない仲間と一緒に。そして―――もう1人の私と共に。



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第3章
夕焼けの下で


昨晩のうちに月は変わり、はや6月。

眩しかった新緑の季節が過ぎ去っていくこの時期に、私は第3学生寮の3階、自室で自主学習に励んでいた。

 

3日間の寮謹慎。それが士官学院生でありながら、無断飲酒に走った私に下った処分だった。

サラ教官は見て見ぬ振りをするつもりだったようだが、それでは納得がいかない。これはけじめだ。

 

朝焼けがまだ眩しい早朝に教官室へと足を運んだ私は、誰よりも早く出勤していたハインリッヒ教頭に、事のあらましを説明した。

すぐにサラ教官も呼び出され―――ホームルームの時間まで有難いお説教をお見舞いされた。

 

私が勝手にしたことで、サラ教官には何の関係もない。

学生であり当事者である私が何度そう説いても、教頭の耳には入らなかった。当然の反応だ。

サラ教官は「気にしないで」と言ってくれたが、流石に無理がある。

 

―――とはいえ、ある意味で自業自得な部分もある。

「冷蔵庫にあったサラ教官のお酒を勝手に拝借した」と告白した瞬間、教頭の目の色が変わった。

その時に初めて知ったことだが、学生寮では立場に関係なく飲酒は厳禁だそうだ。

要するに、サラ教官は日常的に学生寮の規則を破っていたことになる。

何というか・・・・・・本当に極端な人だ。昨晩は母性溢れるその姿に涙したというのに。

迷惑を掛けたことは謝るが、その点に関しては「知りません」としか言いようがない。

 

「・・・・・・ふう」

 

エマが貸してくれた参考書にペンを置き、目元を擦る。

時計に目をやると、午前の11時を指していた。

 

(そろそろ3時限目が終わる頃かな)

 

私以外の《Ⅶ組》メンバーは、既にいつもと変わらない日常に戻っている。

第3学生寮には、私以外誰もいない。ある意味新鮮で、勉強が捗る環境だ。

 

昨晩、私がフィーと一緒に寝息をたて始めていた頃。

この第3学生寮は珍しく喧騒に包まれていた。

 

『アヤがどこにもいない』

 

きっかけはガイウスだ。

門限が過ぎても部屋に戻らない私を心配して、危うく騒動になり掛けていたそうだ。

フィーの部屋にいる可能性を見過ごすあたり、皆の焦り具合が窺える。

結局彼らがフィーの部屋に足を踏み入れ、目に飛び込んできたのがベッドですやすやと眠る私とフィーだったらしい。

 

あられもない姿でフィーに頬擦りをかましながら眠っていたそうで―――思い出したくもない。

昔から酔った勢いで眠ると、衣服を脱ぎ捨てる癖があった。理由はそれ以上でも以下でもない。

 

事情を理解した私は、昼間の件を含めて皆に謝罪し、皆もそれを受け入れてくれた。

予想はしていたが、お人好しと呼ぶには彼らは純粋に優しすぎる。

あれだけ迷惑と心配を掛けたというのに、以前よりも皆との絆は深まったようにすら思える。

それが、昨晩の出来事だ。

 

「・・・・・・もう少し頑張ろう」

 

昼時前ということもあり空腹感を覚え始めていたが、お昼ご飯にはまだ少々時間が早い。

皆もまだ授業中の身なのだ。私ももう少し、机に向かっておこう。

 

_______________________________________

 

昼の12時半。3階から階段を下っていき、そのままの勢いで2階の手すりに両手を掛ける。

 

「よいしょっと!」

 

勢いよく柵を飛び越え、衝撃を和らげるために全身を使ってつま先から着地する。

よし、100点満点―――そう自己評価していると、目の前から人の気配を感じた。

 

「あれ、マキアス?」

 

誰もいないと思いきや、1人いた。

眼鏡がやや傾き、呆気に取られた表情で頬を引き攣らせている。

いつからそこにいたのだろう。階段を下りる音で気付かなかったのだろうか。

 

「き、きき、君はまたそんな・・・・・・少しは恥じらいを持ちたまえ!」

「ごめんごめん、少し身体を動かしたかったからさ」

 

心なしか、顔が赤い。視線を合そうともしてくれない。

そこまで怒らなくたっていいだろうに。

 

「それで、どうしたの?忘れ物?」

「む、僕が忘れ物などするわけないだろう」

 

そう言ってマキアスが私に差し出したのは、数冊のノート。

表紙には、彼の名前が整った字で記されている。これは彼のノートに違いない。

 

「え、何?」

「午前中の分だ。中間試験まであと2週間しかないんだぞ?1日でも授業に遅れを取ると、君の場合致命的だろう」

 

察するに、午前中の授業で使ったノートなのだろう。

以前も見せてくれたことがあった。彼のノートは何も知らない他人が見ても、授業の内容をおさらいできる程の完成度を誇る。

「早く受け取りたまえ」というマキアスの言葉に従い、私はありがたくそのノートを受け取った。

 

「ありがとう。すごく助かる」

「汚さないでくれよ。くれぐれも物を食べながら使わないように。くれぐれも、な」

「わ、分かってるよ」

 

私にノートを手渡すと、マキアスは踵を返し寮を後にした。

これだけのために来てくれたのか。相変わらず面倒見のいい副委員長だ。

 

私は一旦部屋に戻り、マキアスのノートを学習机に置いてから再び2階に下りる。

・・・・・・さっきは中々気持ちがよかった。

だから、もう一度だけ。マキアスには悪いが、別に誰にも迷惑は掛からない。

 

勢いをつけて宙を舞い、再び1階へと華麗に着地する。

イエス、120点満点―――そう一人ごちていると、再度前方から人の気配を感じた。

 

「・・・・・・何してるの、アヤ」

「ぽ、ポーラ?」

 

腕を組みながら玄関の前に立っていたのは、同じ馬術部のポーラだった。

これは驚いた。彼女をこの第3学生寮で見るのは初めてのことだった。

 

「どうしたの、こんなところで」

「どうしたもこうしたもないわよ。謹慎中って聞いたから様子を見に来たんだけど・・・・・・ていうか丸見えだったわよ」

「何が?」

「まぁいいわ。意外に元気そうじゃない」

 

そう言ってポーラは腰に手をやりながら、大きく溜息をついた。多分、安堵の溜息だろう。

私が謹慎中の身であることを知っているのは、同じ《Ⅶ組》の生徒だけだと思っていたのだが。

彼女がそれをどうやって知ったかは分からないが、いずれにせよ無用な心配を掛けてしまったようだ。

 

「私は普段通りだよ。ごめん、変な心配させちゃって」

「いいわよ。それで、どうしてまた謹慎なんて―――」

 

ガチャリ。

ポーラが言い終わる前に、彼女の背後の玄関の扉が再び開かれた。

こんな時間にまた来客か。そう思っていると、そこから現れたのは―――これまた意外な人物だった。

 

「・・・・・・何故お前がここにいる」

「・・・・・・アンタこそ何してんのよ」

 

深々と溜息をつくユーシスと、腕を組みながら目を細めるポーラの間に険悪な空気が立ち込める。

相変わらずな仲がお悪いことで。こんなところで火花を散らさないでほしい。

 

「えっと、ユーシス?どうしたの?」

「フン、貴族の義務として頭が足りない民草に手を差し伸べようと思ってな」

 

突然何を言い出すんだ。よく分からないが、ひどく失礼なことを言われた気がする。

そう思っていると、ユーシスは無言で私に向かって何かを放り投げた。

 

「わわっと・・・・・・え?」

「俺達のクラスから赤点者など出すわけにもいかん」

「こ、これって―――」

 

表紙には、マキアス以上に達筆な文字で記された、ユーシスの名前。

冊数まで同じだ。間違いない、これは―――ユーシスのノートだ。

 

「・・・・・・あはっ」

「何?」

「あはは、あはははっ!」

 

ユーシスとポーラが怪訝な表情で見詰めてくる。

勘弁してほしい。これは何の冗談だ。

息が合いすぎている。何から何まで一緒じゃないか。

 

「おい、ノートを返せ」

「ご、ごめんごめん。ありがたく受け取るよ、うん。絶対参考にするから」

「わけが分からん・・・・・・」

 

こみ上げる笑いを堪え、じわりと目に浮かんだ涙を拭う。

ポーラはといえば、鳩が豆鉄砲を食ったような表情でユーシスを見詰めていた。

無理もない。普段のツンツンした彼を見慣れている彼女からすれば、到底信じられない光景だろう。

でも私には分かる。こっちが本当の、素のユーシスに違いない。

 

「あ、そうだ。ポーラ、ちょっと待ってて」

「え?」

 

私は急いで3階の部屋に戻り、棚の上に置いてあった袋を持って2階に下りる。

あまり待たせても悪い、そう思って私は三度柵を乗り越え、1階に降り立った。

 

「150点満点―――ん、文句なしだね!」

「あ、アンタねぇ。さっき言ったこと忘れたの?」

「何が?」

「ああもう。あいつがいたらどうするつもりだったのよ」

 

あいつ。ユーシスのことだろうか。

そういえば、いつの間にか彼の姿が見えない。

 

「あれ、ユーシスは?」

「アヤの後を追うように2階にいったわよ」

「嘘、全然気付かなかった」

「それで、何それ?」

 

ポーラは私の右手の袋を指差しながら言う。

そうだった。私はこれを取りに3階へ戻ったのだ。

 

「そうそう。これ、セントアークのお土産。部のみんなで分けてよ」

「あら、気が利くじゃない」

 

セントアーク駅の売り場で購入したものだった。

ホワイトラングドシャの詰め合わせ。白亜の旧都に因んだ純白の包装に目を惹かれて選んだものだった。

そこまで立派なものじゃないが、皆で分ける分には都合がいいだろう。

 

私がポーラに袋ごと手渡すと、2階から階段を下る足音が聞こえてきた。

 

「・・・・・・ねぇ、これアイツにも分けなきゃ駄目?」

「あ、あはは。できればそうしてほしいかな」

「何だ、それは」

「べっつに。あーあ、アンタにもこういう気遣いができれば私だって―――」

 

ポーラの言葉を遮るようにして、ユーシスが手にしていた書籍らしきもので彼女の頭をペシペシと叩いた。

 

「ちょ、ちょっと!何すんのよ!」

「そんな荒々しい気性では乗馬なんぞ到底無理だと思ってな」

 

余計なお世話よ。ポーラが言うと、ユーシスは手にしていた本を彼女の胸元に放った。

 

「・・・・・・何、これ」

「フン、俺が幼少の頃に使っていたものだ。お前にはお似合いだろう」

 

ポーラの手元を覗き込むと、表紙には『馬術指南書・初級編』の文字。

大分古びているように見える。幼少の頃に、という台詞と合わせれば、これはユーシスの私物なのだろう。

そういえば、特別実習中に彼は実家に足を運んだと聞いていた。

もしかしたらその時に持ってきたものなのかもしれない。

 

「へー。わざわざポーラのために?」

「勘違いするな。こいつに翻弄される馬が不憫で見ていられんだけだ」

 

ポーラはしばし目を丸くしたまま手元の本の中身を確認すると、少々納得がいかないような表情を浮かべながらも、ユーシスに向き直った。

 

「一応、お礼は言っておくわよ」

「いらん。勘違いするなと言っただろう」

「ていうか乙女の頭を叩くなんて最低、信じらんない」

「・・・・・・乙女だと?」

「何か文句あるの!?」

 

ありがとう、どういたしまして。

その一言二言で済ませてしまえばいいのに、この2人にはどうも無理そうだ。

結局、玄関の前で他愛もないやり取りを散々繰り広げた後、2人は第3学生寮を後にした。

 

思わず笑みが零れる。

《Ⅶ組》以外でああやってユーシスと気兼ねなく話せる存在は数少ない。

他意はないが、それでもポーラが彼と同じ馬術部に来てくれてよかった。

・・・・・・今のところは憎まれ口しか交わしていないが。

それでも、いつか分かり合える日が来ると私は思う。

 

「さてと、何食べよっかな」

 

本当ならキルシェにでも食べに行きたいところだが、あいにく私は謹慎中の身だ。

それに食堂を贅沢に独り占めできるのも、今日ぐらいのものだろう。

 

_____________________________________

 

第3学生寮の屋根上。体操座りをしながら、眼下に広がるトリスタの街並みを見下ろす。

考えてみれば、こうして自由行動日でもない『平日』のトリスタを味わったことは一度もなかった。

時刻は午後の17時半。眩しかった日差しが、暖かな赤みを帯びた夕焼けとなる時間帯だ。

 

キルシェの前では、ドリーさんが箒で店先の履き掃除をしていた。

中間試験が近いということもあり、先週から手伝いを自粛している。

試験が終わったら、また手を貸してあげよう。

 

ガーデニングショップの前に立つ女性は―――店主であるジェーンさんと、美術部のリンデだ。

ガイウスの言葉を信用するなら、彼と彼女はいい関係を築けているとのことだ。

今のところ、私が知る限りでは《Ⅶ組》以外でガイウスと親しい人間は彼女しかいない。

これからも弟を宜しくお願いしたいところだ。

 

中央広場に目をやると、ベンチの上で寝転がる銀髪の少女の姿があった。

遠目で見ても分かるぐらい、気持ち良さげな寝息を立てているのが分かる。

物は試しとばかりに、少々殺気立った視線を浴びせてみる。

途端にフィーは跳ね起きるようにして臨戦態勢を取り、鋭い視線をこちらに向けてきた。

その対象が私と分かるやいなや―――眉間に皺を寄せながら、不機嫌そうな表情で頬を膨らませていた。

少し遊び心が過ぎたようだ。後で彼女には謝っておこう。

 

「そんなところで何をしているんだ」

 

クスクスと小さい笑い声を上げていると、低く落ち着き払った声が下方から聞こえてきた。

 

「・・・・・・そっちこそ。そこ、私の部屋なんだけど」

「開いていたからな」

「勝手に入んないでよ」

「君は俺の部屋に勝手に入るだろう」

 

そのまま返さずに様子を窺っていると、屋根の軒先に両手を掛け、私がいる屋根上へとガイウスがよじ登ってきた。

 

「どうしてここにいるって分かったの?」

「下から見えたからだ。屋根の上に登れるとは思ってもいなかったぞ」

 

当然のことだが、屋根に繋がる道があるわけではない。

今し方ガイウスがしたように、窓から力任せに無理やりよじ登っただけだ。

謹慎中とはいえ、流石に部屋に閉じこもってばかりでは息が詰まる思いだった。

屋根の上がセーフかどうかは分からないが、少なくとも第3学生寮の敷地から出てはいない。

 

「士官学院の方はどうだった?」

「変わりない。試験が近いということもあり、少々張り詰めた雰囲気ではあるがな」

「そう」

 

ガイウスは私の横に腰を下ろしながら返す。

 

彼は私に何も訊かない。

昨日のことも、昨晩のことも。訊かずとも分かるということだろうか。

 

「いい風だな」

「うん・・・・・・ねぇ、ガイウス」

「何だ?」

「その、ごめんね」

 

なら、私から切り出すまでだ。

私が謝罪の言葉を口にすると、ガイウスは首を傾げながら苦笑いを浮かべていた。

 

「謝られる覚えはないんだが」

「ほら、昨晩は色々心配掛けちゃったみたいだし。それに・・・・・・」

「それに?」

「考えてみたら、さ。私、姉らしいこと1つもしてあげたこと、ないなぁって思って」

 

昨晩感じたことを、そのまま口にした。

元々は1人っ子だった身だ。姉らしさの何たるかが分かるわけではない。

シーダにリリ、トーマとはいい関係を築けているつもりだし、ガイウスとだってそれは同じだ。

それでも・・・・・・彼には、いつも気苦労ばかり掛けている気がする。士官学院に入学してからは特にそうだ。

 

「だから何ってわけじゃないけど、それが少し申し訳ないっていうか」

「・・・・・・フフッ」

「まぁ元々私が・・・・・・って、ガイウス?」

 

違和感を抱き、恐る恐る俯いていた視線を戻すと―――ガイウスは口元に手をやりながら、笑いを堪えていた。

すぐに彼は耐え切れなくなったようで、後ろ手に両手をつき、上空を見上げながら大きな笑い声を上げ始めていた。

 

(あ―――)

 

思わず目を奪われた。

彼がこんな風に感情に身を任せて笑い声を上げる姿なんて、普段は目にすることができない。

それが何だか新鮮で、嬉しくて―――名前の知らない感情がこみ上げてくる。

 

「ちょ、ちょっとぉ。何でそこで爆笑するの?」

 

困惑しながらも、それを悟られないようにしてガイウスに投げ掛ける。

彼も笑いのピークを過ぎたようで、目元に浮かんだ涙を拭いながら口を開いた。

 

「す、すまない。いや何、らしくないと思ってな。そんなことを考えていたのか?」

「・・・・・・そんなことって、アンタねぇ」

 

これでも真剣に悩んでいた身だ。

それを「そんなこと」で済まされては少々納得がいかない。

 

「なぁアヤ。俺達が初めて出会った日のことを、覚えているか?」

「え?」

 

勿論覚えている。忘れるわけがない。3年と2か月前の、あの日。

すぐにでも彼にそう返したかったが、口から出かかった言葉を飲み込み、代わりとなる答えを選んだ。

 

「胸触られてキスされた日のことでしょ。忘れるわけないじゃん」

 

これは先程のお返しだ。精々困り果ててしまえ。

私の狙い通り、彼は顔を赤らめながら明後日の方角を見て「変な言い掛かりはよしてくれ」と力なく呟いた。

 

彼の言うように、あれは不可抗力だ。命の恩人に掛ける言葉ではない。

 

「それで、それがどうかしたの?」

「・・・・・・あの時の君は、酷い顔をしていたな。まるでこの世の全てを呪っているかのようだった」

「死んでもいいって本気で思ってたからね」

「今もそうか?」

「冗談言わないでよ」

「なら、それでいい」

 

ガイウスの後頭部にぴったりと夕陽が重なり、後光が差しているかのような錯覚に襲われる。

そのせいで彼の顔が影になってしまい、表情を窺い知ることができない。

 

「これからも笑って生きてくれ。それだけで十分だ」

 

歯が浮くような台詞をこうも堂々と。笑い飛ばしてやろうか。

そんな悪戯心を抑えて、私はたった2文字の言葉を口にした後、屋根の上に寝そべった。

 

「うん」

 

笑って生きる―――私がそうすることで、彼は何を思うのだろう。

再び心の底から湧き上がってくる不思議な感情に蓋をして、私はトリスタの夕焼けをぼんやりと眺めていた。



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身に覚えのない記憶

「―――うん、その調子だ。大分掴めてきたようだね」

 

アンゼリカ先輩の言葉に従い、そのままの感覚を維持して呼吸を整える。

身体が軽い。まるで宙に浮かんでいるかのような錯覚だ。

 

「もう少しリラックスしてもいい・・・・・・目を閉じてごらん」

 

イメージは血流。その流れとは真逆に、力を全身に巡らせる。

決して逆らわず、流れに身を任せる様に。

 

「そうそう、それでいい。少し顔を上げてみようか」

 

全身を流れる体液の挙動が見えてくるかのようだ。

『気』の力とは、こんなにも静かなものだっただろうか。

 

「口は緩く開けて。そう、そのまま・・・・・・」

 

(あ―――)

 

唇に吐息が当たったのを感じたところで―――私は目を見開き、中段に全力で掌打を放った。

 

それをまともに受けたアンゼリカ先輩の身体が宙を舞い、3アージュ先の床に転がった。

 

「今何をしようとしたんですか!?」

「ぐっ・・・・・・夢中になって躱し損ねてしまったよ。こ、これはキツイな」

 

6月6日の日曜日、自由行動日の早朝。場所はギムナジウムの1階にある練武場。

私はアンゼリカ先輩の指導の下、『気』の扱い方を身に着けるべく鍛錬に励んでいた。

 

先月の実技テストの後に、サラ教官から課せられた宿題―――それがこうして先輩と2人で練武場にいる理由だ。

ちなみにこうして先輩から指導を受けるのは、これが3回目のことだった。

 

「それにしても惜しかったね。君のその健康的な唇を―――」

「奪わないで下さい。次は斬ります」

「フッ、冗談さ。それにしても、君は覚えが早いな。もう教えることは大分少なくなってきたよ」

 

その理由は至って単純。元々私は気を扱う術を身に付けていたからだ。

というより、それを知らないのに力を行使できたと言った方がいいかもしれない。

サラ教官も同じようなことを言っていたが、アンゼリカ先輩が言うには「基本をすっ飛ばして上級者の領域に足を突っ込んでいる」とのことだった。

そのせいなのか、確かに私は力の加減を知らなかった。

先月の実技テストのように、気の恩恵に与った後に気を失ってしまうことも珍しくはなかった。

 

「これからも定期的に基礎となる呼吸法を意識するといい。君の場合はそれだけでも違うはずだよ」

「ありがとうございます。その、こんな朝早くからすみません」

「構わないさ。こういった基礎鍛錬は朝一が最も向いているからね」

 

そうだったのか。

てっきり人が少ない時間帯を選んで、よからぬことを企んでいただけだと思っていたのだが。

 

「それにしても君は・・・・・・体術にもそれなりに心得があるようだね」

「え?ええ、まぁ。基本はお母さんが教えてくれましたから。それが何か?」

「いや、少し気になっただけだよ」

「はぁ」

 

加減したとはいえ、私の打撃をまともに喰っておいて既に平然としている。とんでもない功夫だ。

彼女が指南を受けたという女性も相当な使い手だったに違いない。

 

「今日のところはこれぐらいにしよう―――さて、一緒にシャワー室で汗でも流そうか」

「遠慮しておきます」

 

不敵な笑みを浮かべたアンゼリカ先輩の誘いを丁重にお断りし、私は逃げるようにしてギムナジウムを後にした。

 

_______________________________________

 

「あ、リィン。それにラウラも」

 

第3学生寮に戻る道すがら、街道の方角から歩いてくるリィンとラウラの姿が目に入った。

見れば2人とも汗だくで、肩で息をしているようだ。

 

「アヤか。相変わらず朝が早いんだな」

「お互い様だってば。また2人で朝稽古?」

「ああ。そなたのおかげでコツは掴めてきた」

 

『麒麟功』と『洸翼陣』。私の力を目の当たりにした2人は、その術をそう呼んでいた。

流派の違いはあれど、根本は一緒だ。

気の流れを利用して身体能力を向上させることに変わりはない。

 

私がアンゼリカ先輩から教わった基礎は、私を介して2人へと伝わっている。

元々2人は無意識の内に近いことをやってのけている。それは実技テストで剣を交えた私にも分かっていたことだった。

 

「そっか。2人に追い越されるのも時間の問題かな」

「はは、謙遜はよしてくれ」

「だがいつかはそなたの域に達してみせよう。そうだろう、リィン」

「ああ、そうだな」

 

相変わらず向上心が高い。

私と2人の剣の腕自体に差はない。ラウラに至っては私とリィンの一歩先をいっているのだ。

うかうかしていると、2人掛かりじゃなくても後れを取ってしまいそうだ。

 

3人で寮内に戻ると、ラウラは一足先に階段を上がり自室へと戻っていった。

一方のリィンは、郵便受けの中身を確認しながら―――遠のいていくラウラの背中を、どこか複雑な表情で眺めていた。

 

「・・・・・・どうしたの?」

「え?ああ、その。少し、気になってさ」

「気になるって・・・・・・ラウラが?」

「一応言っておくけど、他意は無いからな?ただ―――」

 

何か迷いがある。リィンはラウラと剣を交える中で、確かな違和感を覚えたらしい。

剣客同士は剣で会話する、とは誰の言葉だったか。

元々、剣の道を歩む2人だ。言葉を交わさずとも、そうやって剣を介してお互いの胸中を察することができても不思議ではない。

 

「ふーん・・・・・・確かに、最近少し口数が少ないとは思ってたけどさ」

「アヤ、君は何か知らないか?」

「心当たりは無いなぁ」

 

こうして言われるまで意識していなかったぐらいなのだから、あるはずもない。

もし何か悩みがあるなら、勿論聞いてあげたいところだ。

だが別段変わった様子も見受けられない以上、こちらから切り出すのも気が引ける。

最近、彼女が何か気に病むようなことがあっただろうか。

 

「俺の勘違いかもしれないし、あまり気にしないでくれ」

 

リィンは後頭部に手をやりながら小さく溜息をつくと、郵便受けに入った封筒を取り出そうとしていた。

 

「それ、また生徒会からの依頼?」

「ああ。そうみたいだな」

 

中間試験も近いというのに、こんな時でも依頼は来るのか。

クラブに所属していないとはいえ、彼はいつも忙しそうに走り回っている。

学院内にとどまらず、トリスタの街中までも。

 

「・・・・・・ねぇ、今日ぐらい手伝おっか?」

「いや、気にしないでくれ。それにアヤは中間試験の勉強もあるんだろ?」

「リィンだって同じでしょ。ちゃちゃっと2人で終わらせて、お互い勉強に集中する方が効率いいんじゃない?」

「それはそうだけど・・・・・・」

「とりあえず依頼の内容を見てみようよ」

 

以前旧校舎の探索に手を貸したことはあったが、それっきりだ。それ以外の依頼については内容すら聞いたことがない。

度々厄介な案件に苦労していることだけは知っていた。

こんな時期に、彼1人が時間を奪われる必要はどこにもない。

 

「あれ、今日の依頼は1件だけみたいだな」

「よかったじゃん。それで、どんな依頼なの?」

「ええと、依頼人は―――」

 

リィンが口にした依頼人の名は、私にとっては随分と身近な存在だった。

 

______________________________________

 

「客足が遠のいている、ですか?」

 

時刻は午後の14時。昼時のピークを過ぎ、店内が比較的空いてくる時間帯だ。

私とリィンは依頼書の指示通り、店内ががらんとするこの時間に『キルシェ』を訪れていた。

 

「そうなんだよ。先週ぐらいから学生客の数が随分と減っちまってな。困ってんだ」

 

リィンにそう返すのは、キルシェの店主であり今回の依頼人であるフレッドさん。

普段は細かいことを気にせず、自由気ままに店を切り盛りする彼だが、今だけはそうもいかないようだ。

 

私はフレッドさんが焼いてくれたピザを口に入れながら、店内を見回す。

別に普段と変わりないように見える。この時間帯に暇を持て余すのは珍しいことではないし、私とリィンを除いても学生の姿は確認できた。

いや、それよりも。

 

「リィン。1つ訊いていいかな」

「どうしたんだ?」

「これ、生徒会からの依頼で間違いないよね」

「・・・・・・間違いないはずだけど。それがどうかしたのか?」

 

どうかしたのか、じゃない。この件のどこに生徒会との繋がりがある。

辛うじて「学生の客足」の部分で関係するところはあるが、冗談抜きでそれだけだ。

士官学院生が喫茶店の儲かり具合を気に掛ける必要がどこにあるというのだ。

 

「き、君はいつもこんな依頼を受けていたのか?」

「あ、あはは・・・・・・その、私も少し驚いています」

 

私と同じように半ば呆れているのは、マキアスとエマだ。

リィンと2人でキルシェを訪れたのと同じ時間に、マキアスは客としてここに足を運んでいた。

エマの方は、フィーと一緒にここで勉強をする約束をしていたらしい。その割にはフィーの姿がどこにも見当たらないのだが。

いずれにせよ《Ⅶ組》きっての秀才である2人がここにいてくれるのは大変心強い。

 

「でもそんな話、今初めて聞きましたよ?」

「それはそうよ。アヤちゃんが最後に入ってくれた後の話だからね」

 

2階から階段を下る足音と共に、ドリーさんの声が頭上から聞こえてきた。

宿部屋の準備をしていたのだろう。両手でベッドシーツの束をよいしょよいしょと運んでいた。

 

「先月ぐらいから、やけに男性客が多いなぁって思ってたの。やっぱりアヤちゃんのおかげだったみたいね」

「顔を見せなくなった途端にこれだもんな。お前さんには改めて礼を言いたいよ」

 

先月から、男性客?それに、私?

脈絡もなく自分の名前を挙げられ戸惑ってしまう。

ドリーさんとフレッドさんは、一体何の話をしているんだだろう。

 

「あの、何の話ですか?」

「お客さんが減った理由よ。気付いてなかった?」

「気付くって・・・・・・」

 

気付くも何も、さっきから話がまるで見えてこない。

その一方で、リィン達は「ああ、なるほど」と合点がいったような表情で頷いていた。

 

「ねぇ、どういうこと?誰か説明してよ」

「ふふ、要するに―――アヤさん目当てのお客さんがいた、ということじゃないでしょうか」

 

エマ曰く『私目的』とやらの男性客がいたのでは、とのことだ。

一方の私は、先週から試験勉強に専念するためキルシェには顔を出さなくなっていた。

それが影響して、前述した客層が離れかけている―――そういうことだそうだ。

なるほど、理解はした。だが、到底納得はできなかった。

 

「ち、違う違う。絶対間違ってるよそれ」

「あら、アヤちゃんの評判は結構いいのよ?『つまみ食いする姿が可愛らしい』って」

「ば、バレてたんですか・・・・・・いや、そうじゃなくって!」

 

それはそれで問題だったが、今はそこに注目しないでほしい。

というか、恥ずかしいことこの上ない。どうしてそれが可愛いなどという評価に繋がる。

 

「ドリーさんの方がよっぽど可愛いよ。絶対そうに決まってる」

「うーん。でも俺の目から見ても、アヤのウェイトレス姿は可愛かったと思うぞ?」

「・・・・・・あ、そう」

 

反応に困った。こういう場合、どう返せばいいのだろう。

エマとマキアスの方を見やると、2人も若干気まずそうにして明後日の方向を向いていた。

リィンもリィンで、私達の反応に「何か悪いこと言ったか?」と額に汗を浮かべている。

少しは自覚を持ってほしい。

 

「と、とにかくだ。それが原因なら、僕達にできることは何もないんじゃないか」

「そ、そうですね。それにアヤさんだって、いつもキルシェに来られるわけではないですから」

 

マキアスとエマの言う通りだった。

百歩譲ってドリーさん達の推測が正しいなら、話はそう簡単ではない。

試験を控えるこの時期は当然として、私だって暇ではない。

最近は学業の忙しさが増してきているし、馬術部の活動も疎かにはできない。

 

「今まで通り、たまに手伝いに入るぐらいはできますけど。それじゃ駄目なんですか?」

「それだけで十分有難いんだけどよ・・・・・・ほら、知ってるだろ?『臨時課税法』の件」

 

以前、実習先でも耳にしたことがある帝国法だ。

今年から各州で施行されているそれは、あらゆる商取引にこれまでの2倍近い税を課している。

その影響力は凄まじく―――フレッドさんが言うには、このキルシェも例外ではないそうだ。

 

「資材の仕入れ値も随分と上がっちまってな。結構ウチもきついんだ」

「・・・・・・知りませんでした。その、商品を値上げしたりはしないんですか?」

「学生相手にできるかよ、そんなもん」

 

確かに、ここの客は大半が士官学院生占めている。

おいそれと値上げしては益々客足が遠のく可能性もあるし、フレッドさんにはそれ以上に譲れないものがあるのだろう。

 

「そんな事情もあって、客を引き込むいいアイデアがあったら聞いておきたいと思ってな」

「それを考えるのが店主の務めだと思いますけどね、フレッドさん」

 

ドリーさんに至極真っ当な突っ込みを入れられ、今度はフレッドさん気まずそうな表情を浮かべていた。

 

いずれにせよ、2人にはいつも世話になっている。

メインの客層である私達学生にアイデアを募るのも、ある意味で理に適っているのかもしれない。

 

「・・・・・・何かいい案、ある?」

 

私がリィン達に投げ掛けると―――案の定、3人とも考え込んでしまった。

無理もない。私達は唯の学生であって、客商売の知識などあるはずもないのだ。

 

「・・・・・・離れつつある客層を狙うなら、そういった方向性に的を絞ってみてはどうですか?」

 

そう初めに切り出したのはマキアスだった。

 

「離れつつある客層って、アヤさん目当てのお客さん達のことですか?」

「エマ、その言い方やめてよ。何かくすぐったい」

 

男性客に的を絞る、という意味合いだろうか。

もしそうなら、その方向性とやらの内容が気になるところだ。

 

「野郎共を引き込もうってことか。でも、どうやって?」

「そうですね・・・・・・例えばですが、もっと制服を男性の目を惹くデザインにする、というのはどうですか」

 

マキアスがドリーさんの着る制服を見詰めながら言う。

ここキルシェのウェイトレス制服は、女性の私から見ても十分可愛らしいと思える作りだ。

これをさらに、男性の目を惹くようなものに。ちょっと想像が付かない。

 

「なるほどな。思い切って過激なやつにしちまうか?」

「いや、あまり露骨なデザインでは逆に引かれる可能性もありますよ」

「・・・・・・難しいな。じゃあどんなのがいいんだ?」

「そうですね。ドリーさんが着るのですから、清楚感を保ちつつもう少し胸元を強調して・・・・・・はっ」

 

腕を組みながら顎に手をやり、ドリーさんの胸をまじまじと見詰めたところで―――マキアスは周囲の視線に気づいたようだ。

 

「マキアス君、私そんないやらしい恰好はしたくないよ」

「ご、誤解です。僕はただ制服のデザインをですね」

「マキアス、お前・・・・・・そんな性的な視線でドリーさんやアヤを見ていたのか」

「違う!どうしてそうなる!・・・・・・え、エマ君!?何ていう目で僕を見るんだ!」

「こちらを見ないでくださいマキアスさん」

 

マキアスのことは置いておいて。

制服のデザインを変更する、か。それはそれで有りなのかもしれない。

 

「でもまぁ、マキアスの言うことも一理あるんじゃない?」

「あら、アヤちゃんまで?」

「流石に下着で接客なんてマキアスの意見には賛同しかねるけど・・・・・・」

「僕がいつそんなことを言った!?」

「目新しさもあるし、やってみるに越したことはないんじゃないかな」

 

マキアスのことは置いておいて。

そういった見た目で分かりやすい変化があった方が、新鮮味があっていいかもしれないと思えた。

それに、制服を着るのはドリーさんだけではない。

私にだって、可愛らしい服装をしてみたいという乙女心はあるのだ。

 

________________________________________

 

結局制服のデザインを変更するというマキアスの案は採用され、私とリィンはブティック『ル・サージュ』を訪れていた。

誰がデザインを考えるのか。それはフレッドさんから直々に「そりゃターゲットである男子学生だろ」という指名が入り、自然にリィンの役目となった。

ちなみに制服の仕立ては、裁縫が得意であるエマの担当だ。

 

「ねぇリィン、そろそろ何か選んでよ」

「そ、そうだな」

 

初めは戸惑いを隠せないリィンだったが、「既製品の中からイメージに近いものを選んでみてはどうでしょう」というエマのアドバイスで、少しは気が楽になったようだ。

とはいえ、彼はさっきからジュリアさんが用意してくれたカタログをペラペラと捲るだけだ。

こういうことには慣れていないのだろうか。

 

「あの、店内にもそういった類の製品は何点かありますよ?」

 

私達を見兼ねたジュリアさんが、苦笑しながら教えてくれた。

そういえば、カタログにばかり目がいって店内の品物をチェックするのを忘れていた。

 

彼女のアドバイスに従い、店内をざっと見回る。

スペースの割には、随分と品揃えが豊かなように思える。

 

「私もこういうところは馴染みがないけど、色々あるんだね」

「そうだな。妹と一緒に店を回った時のことを思い出すよ」

「ああ、リィン妹がいたんだっけ」

 

アリサからの又聞きだが、リィンに妹がいることは知っていた。

「妹さんも大変ね」が最近のアリサの口癖だ。何となく彼女の言わんとしていることは理解できる。

 

「じゃあ、妹と買い物をする感覚で選んでみたら?」

「妹と、か。なるほど、それなら少し気が楽になるな・・・・・・エリゼ、これなんてどうだ?」

「な、名前まで変えるんだ」

 

エリゼ、という名前なのか。とりあえず今は気にしないでおこう。

 

リィンが一着の服を私の手前にあてがう。

今の制服と同じようなデザインで、緑色のストライプ柄が可愛らしい品だった。

 

「んー。いいとは思うけど、ちょっと目新しさは少ないかも」

「そうか。ならこっちは・・・・・・あれ、ただの色違いだな」

 

これは思った以上に手間取りそうだ。

それに、リィン1人に任せっきりにするわけにもいかない。

私もリィンの横に並び、回転式のハンガーラックをくるくると回す。

 

「うわー。すごい短いね、これ」

 

私が手に取ったのは、白と黒の落ち着いた色合いのドレス。

そのイメージとは真逆に、スカートの丈があまりにも短い。

士官学院の制服も相当なものだが、これはそれ以上だ。

 

「そ、それは・・・・・・はは。でもそれを着たアヤがキルシェにいたら、男性客で溢れかえるんじゃないか?」

「着てみよっか?」

「ええ!?」

「ふふっ、冗談ですよ。リィン兄様」

 

ガイウスが見たらドン引きしそうな光景だろう。

冗談めかして、リィンの妹を真似てしおらしく振る舞ってみた。

 

その途端―――リィンは一歩後ずさり、ポカンとした表情で私の顔を見詰めてきた。

 

「ちょ、ちょっと。冗談だよ、冗談」

「・・・・・・いや。そうじゃなくって・・・・・・驚いたよ。どうして知ってるんだ?」

「何が?」

「妹が、俺を『リィン兄様』って呼ぶことを―――」

「何してるのよ、あなた達」

 

背後から掛けられた声の方向に振り返る。

そこには、腕を組みながら冷ややかな視線を私達に向けるアリサの姿があった。

 

「あ、アリサ?いつからいたの?」

「あなたがその露出過多なドレスをあてがいながら普段とはかけ離れた清楚な声で『リィン兄様』って言ったあたりからかしら」

「・・・・・・あ、あはは」

 

何かとんでもない誤解を生みかねないあたりから見られていたらしい。

リィンもその気配を感じ取ったようで、即座にことのあらましを説明し始めていた。

 

「だ、だからこれはキルシェの依頼で―――」

「へぇ、そう。それでクラスメイトにいやらしい恰好をさせて『お兄ちゃん』て呼ばせるの?」

「『お兄ちゃん』じゃなくて『兄様』だ、アリサ」

「どっちだっていいのよそんなことは!」

 

本当にどっちでもいい。既にアリサの脳内では私がいやらしい恰好をしていることになっていた。

 

たっぷり時間を掛けて彼女の誤解を解いた後、私達は再び制服のデザイン選びに取り掛かった。

アリサが合流してくれたこともあり、何とか制服の方向性は定まった。

色合いは青と水色を基調とした、ハイウェストのチェック柄のエプロンとスカート。

それをベースにして、私とドリーさんのイメージに合うよう仕立てることで決まった。

 

「これでなんとかなりそうだな。ありがとうアリサ、助かったよ」

「どういたしまして、『リィン兄様』」

「はは・・・・・・はぁ」

 

誤解は解けたようだが、アリサの中ではまだ私の『リィン兄様』が尾を引いているようだ。

まぁ、アリサがリィンに対してやけに突っかかることは今に始まったことではない。

そのうち彼女も忘れるだろう。

 

(それにしても・・・・・・何でだろ?)

 

貴族子女が兄を『兄様』と呼ぶことは珍しくもない。

それでも、さっきは極自然にリィンのことをそう呼んだ。まるで聞いたことがあるかのように。

 

「どうかしたのか、アヤ?」

「ううん、何でもないよ」

 

既にリィンもそのことを気に掛けてはいないようだ。

考えても仕方がない、か。

私は先の件を頭の隅に追いやり、肩を並べて歩くリィンとアリサの背中を追った。



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翌月への想い

黒板の脇に掛けられた時計に目をやる。

残された時間はあと15分。大問はあと1つだから、いいペースだ。

 

数ある教科の中でも、一番苦手意識を感じていたのがこの数学だ。

数を学ぶためにXだのYだの、数字以外の文字が羅列される意味が分からなかった。

 

(えーと、辺AB上に点Cがある場合、もとの三角柱に組み立て直した時に・・・・・・)

 

この独特の言い回しも気に入らなかった。

図を書いてこことここ、と示してくれれば早い話だろうに。

私と同じように数学が苦手と言っていたエリオットも、同じような理由なのかもしれない。

 

だが今となっては、鮮明に頭の中に三角柱が浮かんでくる。

基本的な考え方や公式を頭に叩き込めば、あとはその応用だ。

やたらと暗記を伴う科目に比べれば、私はこの数学が好きになり始めていた。

 

「おーし、そこまでだ。ペンを置け」

 

マカロフ教官の気怠そうな指示に従い、答案用紙にペンを置く。

試験というのは不思議なもので、気付いた時には時計が一周してしまっている感覚だ。

普段の授業では終了のチャイムが鳴るまで時計と睨めっこしているというのに。

 

「あー、終わったぁ・・・・・・」

 

力なく机の上に突っ伏してしまう。

右隣の机に顔を向けると、私と同じようにしてフィーがこちらを見ながら机に頭を預けていた。

 

「どうだった?」

「聞かないで」

「あはは。目がヤバいよ、フィー」

 

いつもはあっちこっちにはねている銀髪の毛先が、今は力なく項垂れているように見える。

《Ⅶ組》では最年少の彼女だ。それだけでも人一倍苦労があったに違いない。

 

「そういえば・・・・・・平気そうにしてるからすっかり忘れてたけど、もう手首は大丈夫なの?」

「ん。エマが薬を塗ってくれたら治った」

「あー、あの万能特効薬」

 

勿論、私が勝手にそう名付けただけだ。

以前に一度、あの塗り薬のお世話になったことがあったが、そう呼びたくなる程の効果だった。

「つ、使いすぎると副作用がありまして」とエマは言っていたが、どんな副作用なのだろう。

 

「起立、礼、着席。以上」

 

マカロフ教官が1人で号令を終える。

当然、私達は席についたままである。相変わらず適当極まりない。

 

マカロフ教官が答案用紙を抱えて教室を後にすると、程なくして私達の担任であるサラ教官が軽い足取りで教室に入ってきた。

 

「いやー、4日間ホントご苦労様だったわねー♪」

 

何故か当事者である私達以上に清々しい声でサラ教官が言った。

他人事というわけでもないだろうに。

 

「ま、明日は自由行動日だし、精々鬱憤でも晴らしなさい。それと、試験の結果は来週の水曜日に返却されるわ・・・・・・そうそう、その日の午後には今月の実技テストもあるからね?」

「はぁ、それがありましたか」

「少しは空気を読んでもらいたいものだがな」

 

マキアスとユーシスが大きく溜息をつきながら愚痴をこぼした。

そういえば、その週の土曜日からは今月の特別実習が始まるはずだ。

漸く壁を乗り越えたかと思えば、また大きな壁が立ちはだかったかのような気分になる。

サラ教官が言うように、明日はゆっくりと気分転換をしたいところだ。

エマが仕立ててくれた新しいキルシェの制服に袖を通すのもいいかもしれない。

 

「それと、ガイウス。ホームルームが終わったら、学院長室に行きなさい」

「学院長室、ですか?」

「詳しい話は学院長から聞くといいわ」

 

(・・・・・・ヴァンダイク学院長?)

 

生徒を学院長室に呼び出す以上、何かしら特別な用事があるのだろう。

ヴァンダイク学院長直々にともなれば、それなりに重要な案件なのかもしれない。

 

「何だろうね。隠れてお酒でも飲んだ?」

「一緒にしないでくれ」

「あ、そうそう。アヤ、あなたも後で教官室に来なさい」

「え、私も?」

 

姉弟揃って呼び出しをくらってしまった。

私の方は、サラ教官が話したいことがあるとのことだった。

 

「隠れて酒でも飲んだのか?」

「飲んでない飲んでない」

 

前科持ちとはいえ、流石に再犯を企てる気は毛頭ない。

 

一体何の話だろう。最近は特に変わったこともなかったと思うのだが。

エマが起立の号令を掛けるまで心当たりを探ってみたが、やはり思い当たることはなかった。

 

______________________________________

 

「失礼します」

 

軽く2回ドアをノックし教官室の扉を開けると、教官達の視線が一斉に私に向けられた。

思わず緊張してしまうが、悪いことはしていない。

試験が終わった今となっては、ここは立ち入り禁止ではないはずだ。

 

「お、来たわね」

 

私を手招きするサラ教官のデスクに向かいながら、辺りを見回す。

試験終了日とあって学院全体が開放感に溢れかえっていたが、ここも例外ではないようだ。

試験の採点が残っているとはいえ、教官達にも試験の作成を含めて色々な苦労があったのだろう。

 

「そっちの椅子に座りなさい。折角だから何か飲む?」

「ああ、いいですよ。お構いなく」

「ビールは無いわよ」

「あったら引きます」

 

私とサラ教官の冗談交じりの会話が耳に入ったのか、ハインリッヒ教頭が険しい視線を送ってきた。

立場上言っていい冗談ではなかったかもしれないが、そんなあからさまに睨まないでほしい。

 

「それで、話って何ですか?」

「単刀直入に言うわ。アヤ、あなたの話よ」

 

若干小声で私にそう切り出したサラ教官の顔は、紛れもない私達の教官としての顔だった。

何となく察しはついた。多分―――そういう話だ。

 

「この帝国内でのあなたの立場は、理解しているわよね」

「・・・・・・はい」

 

ノルドの遊牧民であり、ウォーゼル家の養女であり、留学生。ただそれだけだ。

お母さんは単身でこの帝国を訪れ、命を落とした。そこに私の存在はない。

私の身の上に起きた事情を配慮し、全てが無かったことにされている。そうゼクス中将から聞いていた。

 

「概ねそれで間違いではないわ。でも、それは帝国内に限った話でしょう」

「・・・・・・クロスベル、のことですか?」

「そういうこと。あなたは相当特殊な立場にあるから、時間が掛かってしまったみたいけど・・・・・・掻い摘んで話すわね」

 

クロスベル自治州内では、ユイ・シャンファは未だ帝国へ入国して以来、行方不明者として扱われているそうだ。

一方で当の私は、ノルドからの留学生として帝国内で平穏に暮らしている。何とも奇妙な話だ。

その複雑過ぎる事情を考慮し―――ユイのクロスベル自治州、クロスベル市民としての戸籍は正式に書き換えられることが決定したらしい。

 

「あの、要するにどういうことですか?」

「何も変わらないってことよ。特例中の特例だそうだけど、手続きが終えればあなたは正式にノルド高原の遊牧民、アヤ・ウォーゼルになる。ユイはクロスベル市民ではなくなる。ただそれだけのことよ」

「それだけって・・・・・・」

 

ユイがクロスベル市民ではなくなる。

それを聞いただけで、胸の奥がズキリと痛む。

それが必要な手続きであることは理解できるが、何だか―――少し寂しいと感じてしまう。

 

「・・・・・・ねぇアヤ。言っておくけど、書類上の問題に過ぎないのよ」

「分かってます。ちょっと複雑ですけど・・・・・・私の気持ち次第ってことですよね?」

 

それは先月末にサラ教官が教えてくれたこと。

私の故郷は、ノルドでありクロスベル。どちらも私の帰るべき場所だ。

ユイというお母さんがくれた名が消えてしまうのは少々寂しいが、私が―――皆が忘れない限り、記憶と思い出は生き続ける。

 

「分かってるならいいのよ。それで、ここからが本題なんだけど」

「あれ、そうなんですか?」

「クロスベルに行きなさい」

「・・・・・・あの、もう1回言って下さい」

「クロスベルに行きなさいって言ったのよ」

「クロ・・・・・・って、ええっ!!?」

 

再び教官達の視線が私に注がれる。

唐突に切り出されては大声を上げてしまっても仕方がないだろう。

苦情はサラ教官に向けてほしい。

 

「ちょ、ちょっと。こんなところで叫ばないでよ」

「だ、だって急にそんな・・・・・・そんなこと言われても、心の準備が―――」

「別に今すぐ行けとは言ってないでしょう。少し落ち着きなさい」

 

呼吸を落ち着かせながら椅子に腰を下ろすと、サラ教官は一枚の書類をテーブルに置きながら説明してくれた。

先程の特例中の特例とやらの措置には、いくつかの手続きが必要らしい。

それは私本人が行わなければならないようで―――クロスベルに直接出向く必要があるのだという。

 

「そ、そうなんですか」

「いずれにせよ、今は市長選挙や州議会議員選挙やらでごたごたしてるみたいだし。行くにしても来月以降の方が無難だと思うわ」

「・・・・・・選挙?」

 

市長選挙は聞き取れたが、州議会何とかは後半が耳に入らなかった。

というより、こんな時期に市長選挙などあっただろうか。

幼いながらも、選挙とやらが定期的に行われていることだけは記憶に残っていた。

 

「あなたねぇ・・・・・・故郷が置かれている状況ぐらい把握しておきなさいよ」

「あ、あはは。その、すみません」

 

別に興味が無かったわけではない。

もしかしたら、無意識の内に避けていたのかもしれない。

だが今となっては話は別だ。私はもう一度あの地に足を踏み入れなければならないのだ。

 

サラ教官は一度デスクに戻ると、引き出しの中から2冊の雑誌を取り出し、それを私の膝の上に置いた。

 

「・・・・・・クロスベル、タイムズ。私これ知ってます」

「でしょうね。それを読めば大体のことは把握できると思うわ」

 

これはある程度記憶の中に残っている。

よくお父さんがコーヒーを飲みながら読んでいた雑誌の1つだ。

 

「これ帝国でも売ってるんですか?」

「ミヒュトさんに取り寄せてもらったのよ」

「ああ、あの何でも屋さん」

 

パラパラとページ捲りながら中身を確認する。

結構なボリュームだ。必要な部分に目を通すだけでも一苦労かもしれない。

 

「あの、サラ教官」

「貸してあげるわ。失くさないでよ?」

「ありがとうございます」

 

察しがよくて助かる。

雑誌の表紙には、様々な見出しが縦書き横書き入り混じって羅列されていた。

その大半が末尾の「!?」で協調されており、何だか表紙を見ているだけで暇つぶしになりそうだ。

今日の夜はこれを読みながら―――

 

(―――あれ?)

 

ふとページを捲っていた手を止め、一旦戻る。

何だか見覚えのある顔が目に入ったような気がする。

気のせいだろうか。

 

「・・・・・・特務、支援・・・・・・か・・・ろっ!?」

「ああ、それ?随分と活躍したらしいわよ。何でも―――」

 

既に教官の声は耳に入らない。

何度読んでも、どう見ても。

その顔と名前には、心当たりがある。ありすぎた。

 

「ろ、ろ、ろ―――ロイドっ!?」

 

先程とは比にならない程に視線を感じる。

ハインリッヒ教頭が声を荒げて何かを叫んでいるが、どうでもいい。

 

「ちょ、どうしたのよ?静かにしなさいってば」

「だだ、だってほら!ロイド!これロイドですよ!?嘘、何で、どうして!?」

 

私の慌てふためく声と教頭の怒鳴り声だけが、教官室に響き渡っていた。

 

___________________________________

 

教官室の扉を後ろ手に閉め、周囲の様子を窺う。

廊下には誰の姿もなく、私の足音しか聞こえない。

 

歩きながら手元の雑誌を再度開くと、ちょうど件のページが目に入ってきた。

先程強くこのページを見開きすぎて、跡がついてしまったのかもしれない。

 

(うわー・・・・・・本当にロイドだ)

 

考えてみれば、よく気付けたものだ。

昔の面影は残っているが、随分と大人っぽい。彼のお兄さんも、こんな顔付をしていたような気がする。

それに、客観的に見ても―――ちょっと格好いい。

 

「・・・・・・ロイド、警察官になったんだ」

「何を見てるんだ?」

「うわぁっ!?」

 

思わずひっくり返りそうになる。

振り返ると、いつの間にかガイウスが覗き込むようにして私の手元を見ていた。

 

「お、驚かさないでよ」

「そんなつもりはなかったんだが。それで、それは?」

「っ・・・・・・その、教頭から借りた本。テストの見直しを、ちょっと」

「警察官がどうとか言っていたな」

「政治経済の設問にあったよね」

「そういった類の本には見えないんだが」

「最近流行ってるらしいよ、こういうの」

 

我ながらバレバレ過ぎて情けなくなる。

というより、どうして私は雑誌を隠しているのだろう。そんな必要はどこにもないはずなのだが。

 

「・・・・・・まぁいい。そのうち見せてくれ」

 

ガイウスはそう言うと、正面玄関に向かって歩き始めた。

私も彼に追いつき、肩を並べて歩を進める。

 

見せたくなったら見せてくれ。そういうことなのだろう。

いつだってそうだ。こういう時は私に合わせてくれる。少し、申し訳ない。

 

「その、ごめん」

「またか。最近アヤは謝ってばかりだな」

「そうだね・・・・・・ごめ―――じゃない。そのうち・・・・・・ら、来月になったら見せるから」

 

今のは多分、自分に課した縛りだ。

これで私に逃げ道は無くなった。来月には、私はもう一度生まれ故郷に足を踏み入れなくてはいけない。

 

「そうか」

「そっちは?学院長と何の話だったの?」

「ああ。実は―――」

 

そこで言葉を切って、ガイウスは少し考えるような仕草をした後―――含み笑いをしながら、口を開いた。

 

「何でもない」

「は?」

 

私の呆れ顔を無視するように、ガイウスが私の前を行く。

何でもないわけないだろう。学院長から直々に呼び出されたというのに。

 

「ちょっと。何でもないって何?」

「そうだな。来週になったら話すとしよう」

「・・・・・・仕返し?」

「そんなところだ」

 

珍しく悪戯な笑みを浮かべながらガイウスが言う。

ここ最近、何だか彼が主導権を握る場面が多い気がする。どうも気に入らない。

入学して間もない頃、導力仕掛けのあれやこれやに目を丸くする彼を笑っていたのが随分と昔のように思えた。

 

「どうしたんだ?」

「ねぇ、言っておくけど私は―――」

 

振り返りながらガイウスの前に立ち口を開こうとした瞬間、背中に何かが接触した。

 

「うわっとっと」

 

後ろのめりになった体勢を立て直し、後方に振り返る。

何もないし、誰もいない。と思いきや、すぐ足元にその姿はあった。

 

「・・・・・・え?」

「・・・・・・君は」

 

気付いた時には、純白の制服に身を包んだ男子学生が床に膝を付きながら、見上げるようにして私を見ていた。

どうやら私がよそ見をした拍子に、角から出てきた彼に気付かず背中からぶつかってしまったようだ。

しかもその学生は―――

 

(は、ハイアームズ侯爵家の!?)

 

意識せずとも、士官学院にいれば彼に関する話は様々なところから耳に入ってくる。

四大名門の1つ、絶大な権力を誇るハイアームズ侯爵家。

あろうことか私は、その御子息に背中から体当たりしてしまったらしい。

 

「も、申し訳ありません。私なんてことを―――」

「触るなっ!!」

 

慌てて差し出した私の右手を、彼―――パトリック・T・ハイアームズは、力任せに叩き払った。

 

(うわ・・・っ・・・・・・)

 

加減などまるで感じられなかった。

感情の赴くまま、文字通り全力で叩いたのだろう。

彼の手爪と接触したのか、私の右中指の傷からは、うっすらと赤い液体が滲み出ていた。

 

「誰かと思えば・・・・・・成程。話には聞いていたが、君が外から来た姉弟の姉、というわけか」

 

無理もない、と思う。それだけの無礼をしでかしたのだ。それぐらいの自覚はある。

普段はユーシスやラウラと接しているせいで、その辺の感覚が薄れてしまいそうになる。

もしかしたら、そこにはランベルト先輩の名も入るかもしれない。

 

「あっ」

「ん?」

 

気まずそうに視線を落とした先には、サラ教官から借りた2冊のクロスベルタイムズ。

その上には、パトリックの左足があった。

立ち上がった際、気付かないうちに踏んでしまっていたのだろか。

 

「これはこれは・・・・・・フン、実に興味深い」

「あ、あの」

 

パトリックは雑誌の上に置かれた左足をそのままにして続けた。

 

「物を知らぬ蛮族が、属州ごときの低俗な雑誌を嗜むのかと思うと可笑しくてね。ふむ、実に滑稽だ」

「・・・っ・・・・・・」

 

口から出かかった言葉を強引に飲み込む。

彼の言うことはある意味で最もだ。

別にクロスベルを悪く言っているわけじゃない。ノルドを侮辱しているわけでもない。

原因は私だ。もしこの場で何かを言おうものなら、それこそ無礼に―――

 

「どいてくれ」

 

(が、ガイウス?)

 

拳を握りしめて、感情を押し殺している最中。

いつの間にか割り込むようにして、私と彼の間にガイウスが立っていた。

 

「・・・・・・何だと?」

「どいてくれと言っているんだ」

「言っている意味が分からないな。君こそ何のつもりだ」

「聞こえなかったのか?それはアヤのものだ。その足を―――」

「ガイウス!」

 

パトリックに向かって一歩踏み込もうとしていたガイウスの身体を、両腕で引き止める。

彼の胸中は想像するに容易い。それでも、今だけは駄目だ。

それが私のためであったとしても。

 

「ガイウス、下がって」

「だがあれは・・・・・・」

「いいから。お願い」

 

ガイウスを引きとめる手に力と感情を込め、訴えかけるようにして言う。

すぐに私の意図を汲み取ってくれたようで、彼は渋々ながらも引き下がってくれた。

 

「フン、野蛮で獰猛極まりない。言葉すら通じそうにないようだね」

 

パトリックが上着の襟を正しながら吐き捨てるように言った。

それを捨て台詞にして、彼は踵を返して正面玄関の方へと去って行った。

 

「アヤ、俺には理解できない」

 

玄関のドアが閉まる音と共に、ガイウスが責めるような口調で言った。

当たり前の反応であり、ここ帝国では誰もが無意識の内に蓋をしてしまう感情だろう。

 

「いいんだよ。私が悪いんだから」

「身分制度とやらか。俺は・・・・・・分からない。それよりも大切なことがあるだろう」

「いいよ。ガイウスは、それでいい」

 

理解などしなくていい。

彼には、この国の色に染まってほしくない。

 

外の世界を知ろうとするガイウスには少し申し訳ないが、私はそれでいいと思う。

先入観の無い彼の真っ直ぐな態度は、私にとっては救いだ。それが身勝手極まりない感情と分かっていても。



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可能性の先には

「・・・・・・寝坊かな」

 

私の6月23日は、普段よりも1時間以上遅い起床からスタートした。

 

目を覚ました時点で違和感はあった。窓から差し込む朝の光が、いつもとは様子が違っていた。

何度時計を見ても、既に6時を回っている。

毎朝5時には心身ともに目が覚めている私からすれば、完全に寝坊の域だ。

 

とはいえ、この時間の第3学生寮はいまだ朝の静寂に包まれている。

トリスタの街並みにも、鳥の鳴き声や早朝発の列車音だけが鳴り響いていた。

 

「んー・・・・・・よいしょっと」

 

目蓋を開けてから起き上がるまで、大分時間が掛かってしまった。

疲れが溜まっているわけではないが、どうも最近朝に弱くなってきているように感じる。

理由は単純で、士官学院での生活に身体が慣れてきてしまっているからだろう。

ノルドでの生活リズムが崩れてしまうのも無理ないのかもしれない。

 

手早く顔を洗い、寝癖を直しながら階段を下る。

1階に下り立つやいなや、待ってましたと言わんばかりに食堂のドアが開かれた。

 

「お早う御座います、アヤ様」

「シャロンさん。おはようございます」

 

朝にこうしてシャロンさんに出迎えてもらうのは、これで4度目。

丁寧過ぎる畏まった態度にも慣れてきた頃合いだ。

 

「すみません、変な時間に起きちゃって・・・・・・少し寝坊しました」

「いいえ、お気になさらず。今お茶をご用意致しますね」

 

ラインフォルトグループの名は、帝国史や政治経済、導力学の教科書にまで載っている。

帝国内に限らず、外国の子供だって知っている大企業だ。

アリサの平民らしからぬ立ち振る舞いは皆の知るところではあった。

が、まさか帝国最大の重工業メーカーの一人娘とは思ってもいなかった。

 

ケルディックで彼女が語った身の上話と、今まで隠し通してきた家名。

彼女が抱える全てを理解することはできないが、ある程度想像は付くというものだ。

 

「あのー。シャロンさんって、アリサとは古い付き合いなんですよね」

「はい、もう8年以上前でしょうか。その頃からラインフォルトに身を置かせて頂いております」

「8年も・・・・・・じゃあアリサのことは何でも知ってそうですね」

「それはもう。ふふ、お嬢様のことは一時たりとも忘れたことなどありませんわ」

 

満面の笑みでシャロンさんが言う。

冗談抜きで、彼女ならアリサの全てを知っていそうだ。

それこそ、恥ずかしい過去やら何やらを含めて。

こっそりと聞いてみたい悪戯心が沸いてくるが、アリサに知られたら何を言われるか分からない。

 

「お待たせ致しました。お食事もご用意して宜しいでしょうか?」

「あ、はい。お願いします」

 

テーブルに置かれたのは、頼んでもいないのに水出しで淹れたグリーンティー。

ちょうど冷たいものが欲しかったところだ。この人は読心術の心得があるのだろうか。

それにこの匂いは―――

 

「もしかして・・・・・・ミルク粥?」

「鶏と野菜で仕立てたものですわ。大分お疲れのようでしたので、消化と滋養によいものをと思いまして」

 

ノルドでは羊の乳を使用していた分少々香りは異なるが、これはこれで贅沢な朝食だ。

初日こそ共通の献立であったが、シャロンさんはたった3日間で各面々の好みや生活リズムを覚えてしまったらしい。

朝食1つとっても、起床時間や体調を考慮して用意してしまう。

ラインフォルトのメイドは皆こうなのだろうか。

ちょっと私達には贅沢が過ぎるような気がしてしまう。

 

テーブルに肘をつきながらシャロンさんが粥をよそう姿を眺めていると、階段を下る足音が聞こえてきた。

 

「おはよ、ラウラ」

「アヤか。今日は随分と遅いのだな」

 

私と同様、ラウラは数少ない早起き組の1人だ。

彼女は早朝から体を動かすのが日課のようで、それは今日も例外ではないらしい。

 

「あはは、少し寝過ごしちゃったみたい。ラウラは?」

「今日は街をぐるりと1周してきた。最近は座学が続いて身体が鈍っていたからな」

 

首にタオルを掛け髪がうっすらと湿っているのは、シャワーで汗を流してきたからだろう。

そういえば部屋を出た際、浴室の明かりが点いていたような気がする。

 

ラウラはミルク粥を食べたことがなかったそうで、私達は2人で同じ朝食をとることになった。

考えてみれば、ラウラと2人っきりで話すのは久しぶりな気がする。

 

こうして話をしている分には、別段変わった様子は見受けられない。

それでも、ラウラがフィーを避け、フィーも同様の態度で接していることは皆も知っていた。

マキアス曰く、先月末のあの日。

ラウラの様子が変わったのは、実習の報告会が発端となっているかもしれないそうだ。

 

(・・・・・・私とは、違うのかなぁ)

 

真っ先に思い当たったのは、私の過去。

もしかしたら、ラウラも猟兵が関わる何らかの事情を抱えているのかもしれない。

初めはそう思ったのだが、私にはそれも的外れの憶測のように思えた。

そもそもラウラはアルゼイド子爵家の皇女だ。猟兵との間に接点など生まれるはずもない。

 

「ふむ、考え事か?」

「え?」

 

気付いた時には、右手の人差し指に髪の毛が巻き付いていた。

最近は意識して髪を弄らないようにしていたが、癖というものは中々直らないもののようだ。

というより、だから癖というのだろう。

 

「うん・・・・・・ほら、今日っていよいよ結果が出るでしょ?」

「・・・・・・中間試験のことか。昼に点数が開示されると聞いている」

 

今し方考えていたことではないが、気になっているのは本当だ。

ラウラが言うように、今日の昼休みに中間試験の結果が一斉に張り出されるのだ。

全生徒の点数と順位が丸分かりになるそうで、容赦がない。

 

「思えば、そなたは人一倍試験勉強に時間を費やしていたな」

「それはそうだよ。みんなよりも劣っている分、頑張らないと・・・・・・それに」

「それに?」

「ねぇラウラ。テンペランスさんが別れ際に言ったこと、覚えてる?」

 

セントアーク駅で、彼女が私達に残した最後の言葉。

考えてみれば、あれがキッカケだったのかもしれない。

 

「1つでも多くを学ぶ。その分だけ、未来の可能性は広がる。であったか」

「うん。私にはよく分からないけど・・・・・・できることはやっておきたいんだ。それで将来の選択肢が広がるなら、ね」

 

士官学院に入学したこと自体も、キッカケにすぎない。

そのまま敷かれたレールに沿って、お父さんのように帝国軍へ入るのも1つの道だ。

でも、私は多分違う道を選ぶことになる。それだけは、おぼろげながらも見え始めていた。

 

そもそも私には、それ以前にやるべきこと、決めるべきことがある。

この先どんな道を進むにせよ―――私は、ノルドの遊牧民としての生き方を今後どうするのか。

目を背けてきたわけではないが、決断しなければならない時がいずれやってくるのだ。

 

「・・・・・・少々、驚かされた」

「え?」

 

ラウラは口に運ぼうとしていたスプーンを置き、意外そうな色を浮かべながら言った。

 

「そなたは士官学院を出た後、これまでのようにノルドで暮らしていくものとばかり思っていたのだが」

「・・・・・・それは、1つの選択肢なんだと思う」

 

正直に言えば、入学を決めた当初はラウラが言うような考えしか抱いていなかった。

今でもそれは最有力候補に間違いはないのだが―――やはり、1つの選択肢にすぎないのだ。

 

「ふむ。そなたは意外に色々考えているのだな」

「意外って何、意外って」

「ふふ、すまない。いずれにせよ、我々には時間がある。焦る必要はどこにもあるまい」

「そうだね。テンペランスさんが言うように・・・・・・あれ?」

 

ふとラウラの首元に目をやると、首に掛けられたタオルに見覚えのある顔が刺繍されていた。

クロスベルでは有名なキャラクターだ。確か、みっしぃという名前だったか。

 

「ああ、これか。先週の日曜日に、雑貨屋で購入したものだ」

「へぇー、それこそ意外だよ。ラウラってみっしぃ好きだったの?」

「いや、その時に初めて知ったのだ。このタオルは、リィンが選んでくれたものでな」

「リィンが?」

 

これまた意外な名前が飛び出してきた。

ラウラが言うには、偶然雑貨屋でリィンと出くわした経緯もあり、彼に年頃の女性が好みそうな小物類を選んでもらったそうだ。

それでみっしぃ柄のタオルか。これはこれで、普段のラウラとのギャップがあり確かに可愛らしい。

 

「あはは、リィンにしてはいいチョイスだと思うよ」

「私も心惹かれるものがあってな。大事に使おうと思っている」

 

ラウラはそう言って、首元のタオルをやさしく握りしめた。

表情は穏やかで、温かみのある小さな笑みを浮かべながら。

 

「・・・・・・ねぇ。ラウラってリィンと一緒にいること多いよね」

「うん?そうだな、同じ剣の道を歩む者として、ある意味で最も身近な存在だ」

 

私も一応、剣を握る1人の人間なのだが。

それでも、ラウラは迷いなくリィンを最も身近と言い切った。

 

「同じ道を志す者がいてくれてよかったと思う。それだけで、最近は楽しいと思える。私とて思い悩むことはあるが・・・・・・あの男と話をしていると、安心するのだ」

 

入学してからはや2ヶ月半。

ラウラのこんな女性らしい表情を見るのは、今日が初めての経験だった。

察するに、本人にはまるで自覚が無いようだが―――間違いはないだろう。

この手の話に疎い私でも、それぐらいは分かる。

 

「そうなんだ。応援・・・・・・して、いいのかな?」

 

アリサの顔が頭を過ぎる。

もしかしたら、これはかなりややこしいことになるのではないか。

リィンのことだ。2人の気持ちに気付いているはずがない。

 

「何の話だ?」

「えーと・・・・・・何でもない。シャロンさん、おかわりありますか?」

「勿論御座いますよ。ふふ」

 

シャロンさんが意味有り気な笑みを浮かべながら、私に視線を送ってくる。

彼女も今の会話で大まかな事情を察したのだろう。

お願いだから、アリサには余計なことを吹き込まないでほしい。

 

______________________________________

 

本校舎2階の廊下、掲示板に張り出された中間試験の順位表を右下から追っていく。

目標は平均点以上、順位は真ん中よりも上だ。

我ながら情けない目標設定かもしれないが、それだけでも入学してから進歩があるというものだ。

 

「おい、お前の順位なら―――」

「ストップ!黙っててよ、ユーシス」

 

ユーシスの言葉を遮り、下から1つずつ順位と名前を確認していく。

どうせなら自分自身の目で確かめたい。

 

50位まで確認し終えたところで、ほっと息を付く。

まだ私の名前はない。ということは、順位は少なくとも上から数えた方が早いということだ。

この分なら平均点もクリアーできていそうだ。

 

(・・・・・・んん?)

 

その後も期待に胸を膨らませながら順位を追っていったが、どういうわけか私の名前を見つけることはできなかった。

30位台にエリオットの名前があったが、彼よりも私の順位が上とは考えにくい。

見落としてしまったのだろうか。

 

もう一度下から確認しようと目線を落としたところで、誰かの手が私の肩の上に置かれた。

 

「だから言っているだろう。お前はあそこだ」

「え、どこ?」

 

ユーシスの視線の先には、確かに私の名前があった。

アヤ・ウォーゼル。870点。20位。

・・・・・・20位?

 

「ええっ!!?」

「騒ぐな、鬱陶しい」

「だ、だってこんな・・・・・・ええ?」

 

よくよく見れば、私のすぐ上にはガイウスの名があった。

しかも点数は870点と、同点同着だ。姉弟揃って20位というのは流石に出来過ぎていないだろうか。

 

「凄いじゃないか。まさかアヤと同点とは思ってもいなかったぞ」

「信じられない。これ本当に間違ってないよね?」

 

それなりに自信がある科目はあったが、見込みよりも100点以上は上振れしている。

入学試験の結果と比べたら、40位以上は上がっている。

これで「実は間違いでした」なんて言われたら「ああやっぱり」と即納得してしまうところだ。

 

「うふふ、それはないと思いますよ。採点には入念なチェックが入ると聞いていますから」

「相当頑張っていたからな。アヤの努力の結果だよ」

 

エマとリィンの言葉で、漸く現実味が感じられてきた。

途端に、視野が広がったかのような感覚に襲われる。

 

可能性が広がるとは、こういうことなのだろうか。

順位や点数が上がったこと自体に意味は無い。

不可能が可能になる。世界が広がる。昨日までとは違う自分になる。

言葉にすれば、そんなところだろうか。

少々クサいかもしれないが、今ならテンペランスさんが言いたかったことが少しは理解できる。

 

「それにしても、みんないい線行ってるわね」

 

アリサの言うように、《Ⅶ組》としては出来過ぎた結果かもしれない。

フィーは年齢と学力のハンデがありながら70位台、エリオットの36位も十分立派な順位だ。

そしてエマとマキアスの同点首位に、ユーシスにリィン、アリサにラウラも上位に名を連ねている。

 

「そっちにも何か書かれてるけど」

 

フィーが指差した先には、順位表と同じフォーマットのプリントが貼り出されていた。

どうやらクラスごとの平均点も開示されているようだ。

そういえば、サラ教官がそんなことを言っていたような気がする。

 

「わあっ・・・・・・!」

「ほう、我ら《Ⅶ組》が首位か」

「ふふ、1位から3位までいるし、ちょっと予想はしてたけど」

「フン、俺が属するクラスが負けることなどあり得んがな」

「だから君はなんでそんなにも偉そうなんだ・・・・・・?」

 

各面々が思い思いの言葉を口にする一方で、やはり皆どこか嬉しげだ。

分母が小さい分、やはり上位一桁台に入ったメンバーの貢献度は大きい。

それでも、これは皆が努力した成果だろう。今回の結果は誇ってもいいはずだ。

 

今更ながら、《Ⅶ組》のメンバーに選ばれて本当によかったと思う。

これからも、皆と共に切磋琢磨して歩んで行こう。その分だけ、私の可能性は広がるのだから。

 

___________________________________

 

「パッとしなかったなぁ。ちょっと手を抜きすぎたのかも」

「まぁまぁ。次の試験で頑張ればいいことじゃん?」

「むー、何か見下されている気がするわ」

「してないしてない」

 

ふくれっ面で私の顔を覗き込んでくるポーラ。

確か、彼女の名前は60位台にあったはずだ。

原因はおそらく、クラブ活動に熱を入れ過ぎたからだろう。

試験勉強を優先する生徒が多い中、彼女のようにクラブ活動を欠かさない生徒も少数ながらいたようだ。

 

昼休みに食堂に来た私達は、各自好きなテーブルに座り昼食をとっていた。

私とポーラの向かい側の席では、無表情のユーシスが黙々とトマトサンドを口に運んでいた。

ポーラと一緒の席に座ろうと誘った際、当然ながらユーシスは黙って席を通り過ぎようとした。

そんな彼の肩を力の限り握りしめ、強引に席に着かせたのだ。要するに力技だ。

同じ馬術部の同期なのだから、食事ぐらい席を共にしてもいいだろうに。

 

「それにしても3位ってすごいよ。何か勉強の方法にコツとかあるの?」

「授業で理解して頭に入れておけば済む話だろう」

「か、簡単に言うなぁ」

 

それができたら苦労しないし、試験勉強の必要すらない。

とはいえ、ユーシスだってそれなりに努力はしていたはずだ。

天才肌なイメージが強い彼だが、それだけであんな成績を残せる程甘いものではない。

 

「少しも参考にならないアドバイスをありがとう、3位さん」

「どーいたしまして、62位殿」

 

無感情な言葉をお互いに浴びせあうユーシスとポーラ。

何だか最近はポーラの方からも憎まれ口を吐くようになってきた気がする。

会話を交わすようになっただけでも、当初と比べれば少しは進歩しているのかもしれない・・・・・・そう思いたい。

 

「さてと、どうしよっかな」

「あれ、もう行くの?」

「ううん、もう1品食べようかと思って」

「・・・・・・ああ、そう」

 

午後からは今月度の実技テストがあるのだ。

しっかり食べておかないと、途中でまたガス欠になる恐れがある。

・・・・・・だからそんな目で見ないでほしい、ユーシス。

 

__________________________________

 

軽い足取りでカウンターに向かうアヤの背中を見送る。

本当によく食べる。同じ年頃の女子とは思えない。

大食い選手権、なんてものがあったら、彼女の独壇場になるのではないだろうか。

それにしても―――

 

「ねぇ。1つ訊きたいんだけど」

「何だ」

「彼女、何かあったの?」

 

特別何かが変わったようには見えない。

ただ、入学当初と比べ明らかに雰囲気が変わった気がする。

 

「前はもっと落ち着いてるっていうか、大人びた雰囲気だったと思うのよね。最近は何だか・・・・・・いい意味で、子供っぽい?」

「やれやれ、62位殿は人間観察がご趣味のようでっ―――!?」

「私は真面目に訊いてるの」

 

ユーシスが呻き声を上げると、自然に周囲の視線が私達に集中した。

手の甲をつねっただけだ。そんな奇異の目で見ないでほしい。

 

四大名門の何たるかを知らないわけではない。

だがこうして士官学院の制服に身を包んでいる以上、私達は同じ学ぶ立場にある生徒のはずだ。

身分はどうあれ士官学院生はあくまで対等、学生手帳にも記載されている規則だろうに。

 

「それで、どうなのよ」

「・・・・・・本人に訊くがいい。俺は何も知らん」

 

手の甲を擦りながら、ユーシスが吐き捨てるように答える。

この男はどうしてそういう言い方しかできないのだろう。

 

「少なくとも前を向いている。見れば分かるだろう」

「・・・・・・どういう意味?」

「あれが後ろ向きな者の顔に見えるのか?」

 

顔を上げると、トレーにトマトグラタンを乗せたアヤがこちらに向かってくる姿が目に入った。

 

彼女が何かを抱えていることは、薄々感づいてはいた。

クラブ活動中は笑顔を絶やさない彼女だが、不意に考え込むような仕草を見せることが度々あった。

それは今も変わらない。ただ、以前とは明らかに表情が違っていた。

どう違うのかと言われれば―――ユーシスの言う通りなのだろう。

 

「どうしたの?2人とも」

「何でもないわよ。ねぇアヤ、今度勉強教えてよ」

「わ、私が?そういうのはユーシスの方が得意だと思うよ」

「お断りだ」

「こっちこそお断りよ」

「ああもう、食事の時ぐらい仲違いはやめてよ」

 

トレーをテーブルに置きながら、困り顔でぼやくアヤ。

要らぬ詮索なのかもしれない。必要な時が来れば、きっと話してくれる。

 

アヤ・ウォーゼル。私が初めて会話を交わした生徒で、初めての友人。

今度、弟君とも話をしてみよう。もっと彼女のことを知ってみたいから。



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貴族としての

「早速、今月の実技テストを始めるとしましょうか」

 

コホンと1つ咳払いをした後、サラ教官がパチンとフィンガースナップを鳴らす。

と同時に、ブロンズ色の傀儡が瞬時にして姿を現した。

 

「また微妙に形状が変わっているな」

 

あの得体の知れない傀儡の相手をさせられるのは、これで3度目。

マキアスが言うように、前回同様見た目が少し変わっているような気がする。

勿論、変わったのは外見だけではないのだろう。

 

「はぁ。またアレの相手をすると思うと気が重いよ」

 

エリオットが肩を落としながら大きな溜息をつく。

最近分かってきたことだが、クラスの人数が少ないということは、それだけ生徒の負担は増す方向に働くようである。

単純に考えて、人数が半分ならこういった場面で自分に回ってくる回数は倍になる。

武術教練はともかく、ハインリッヒ教頭に当てられる回数が増えるのは勘弁してほしい。

 

「それにしても・・・・・・あのくねくねした動き、どうにかならないのかなぁ。気が散るんだよね」

「動き?何のこと?」

 

エリオットがきょとんとした表情で訊いてくる。

 

「あれが人間だったらって思うと、結構キツイよ?想像してみてよ」

 

手のひらを地面に向けて、リズミカルに肩を上下に動かしながら足踏みをする。

完全に変質者だ。踊りと言われればそう見えなくもないが、少しシュールすぎるだろう。

 

「・・・・・・勘弁してよ、アヤ。もう踊ってるようにしか見えないや」

「でしょ?」

「君達は何の話をしているんだ」

 

マキアスの突っ込みが入ったところで、頭を切り替える。

見た目はともかく、前回も前々回もあの傀儡には相当な苦労をさせられた。油断は禁物だ。

栄養は十分に確保した。体調も悪くない。

何より中間試験の結果を目にしてから、気分が高揚している。

今ならどんな相手とだってやれそうだ。

 

「ではこれより―――」

「フン、面白そうなことをしてるじゃないか」

 

サラ教官の言葉を遮るようにして、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

 

「あれは・・・・・・先日の」

 

ガイウスが言う先日とは、4日前の出来事を指しているのだろう。

グラウンドの階段を下りこちらへ向かってくるのは、パトリック・T・ハイアームズ。

周囲に取り巻いているのは、彼のクラスメイトだろう。

 

ほとんど完治しているはずの右手中指の傷が疼き出す。

気にしていないと言えば嘘になる。

どちらかと言えば、忘れたい。

 

「どうしたの、君達。《Ⅰ組》の武術教練は明日のはずだったけど」

「トマス教官の授業がちょうど自習となりましてね。せっかくだから、クラス間の『交流』をしに参上しました」

 

パトリックは言いながら、腰に携えていた剣を抜いた。

同時に周囲の空気が豹変したのを肌で感じる。

 

(ええ!?)

 

普通に考えれば、自習中に教室を抜け出した時点で説教ものだ。

彼らの意図は分からないが、少なくとも「交流を深める」気など微塵もないのだろう。

 

「本気、なのか?パトリック」

「たまには人間相手もいいだろう?僕達《Ⅰ》組の代表が君達の相手を務めてあげよう・・・・・・真の『帝国貴族の気風』を君達に示してあげるためにもね」

 

挑発的なパトリックの言葉と態度が、周囲の空気を益々悪化させた。

彼らと私達に挟まれた空間が、グニャリと歪んでいくかのような錯覚に陥る。

 

「フフン、中々面白そうじゃない」

 

パチンという渇いた音が再び鳴り響くと、ブロンズ色の傀儡はその力を示す前に姿を消した。

それが意味するところは―――1つしかなかった。

 

「―――実技テストの内容を変更。《Ⅰ組》と《Ⅶ組》の模擬戦とする!」

 

__________________________________________

 

4対4の多対多。補助アーツの使用を認め、制限時間は無し。

模擬戦とはいえ、実戦に近い条件と言える。

個人技よりも、4人の連携がポイントになるはずだ。

 

「あの、サラ教官。確認なんですけど・・・・・・本気なんですよね?」

「勿論。だって面白そうじゃない」

 

冷静になって考えてみれば、彼らの申し出を引き受ける必要はどこにもない。

というか、「面白そう」でこんなことを認めては駄目だろう。秩序が無さすぎる。

 

「だってさ。リィン、どうするの?」

「サラ教官の指示に従わないわけにもいかないだろう」

 

顎に手をやりながら、私達とパトリック達を交互に見やるリィン。

お互いの相性も考慮して、3人のメンバーを誰にするか思案しているのだろう。

・・・・・・4人の中に当然のようにして入れられたことについては、何も感じないのだろうか。

 

「よし。ラウラ、ユーシス、エマ。すまないが、手を貸してくれるか?」

「任せるがよい」

「フン、さっさと終わらせるぞ」

「わ、分かりました」

 

リィンの申し出に応えるように、3人が一歩前に歩み出る。

私がリィンでも、おそらく同じような人選をとる。

戦闘技術がずば抜けて高いフィーを選ばなかったのは・・・・・・ラウラとのことを、気遣った結果なのかもしれない。

 

だというのに―――彼の人選は、パトリック直々に却下を食らってしまった。

女子を傷付ける気はない、という言葉はまぁ納得できる。

だが貴族だという理由で、ユーシスまで外される理由がどこにも見当たらない。

そもそもリィンだって男爵家の長男だろう。

 

「何をしたいんだ、彼は」

「さあ・・・・・・そのままの意味なんじゃない?」

 

ガイウスの疑問は最もだ。

侯爵家の御子息に抱いていい感情ではないが、余りにも身勝手すぎる。

それに平民という指定が入る以上、そこに彼の思惑があるのだろう。

 

想像するに容易い。要するに彼らは、《Ⅰ組》としてこの場に立っているわけではない。

『貴族』として平民に私闘を吹っ掛けていると言っても過言ではないのかもしれない。

 

「ほらほらリィン、早く選びなさい」

「りょ、了解です」

 

人選をオール却下されたリィンが、困り果てた顔で私達を見渡す。

まぁ、彼らの指定に合致するメンバーは数少ない。必然的に、彼が選ぶ3人は―――

 

「マキアス、ガイウス、アヤ。お願いできるか?」

「リィン、喧嘩売ってる?」

「えっ」

 

「えっ」じゃないだろう。

その反応から察するに、真面目な顔でボケているわけではないらしい。

女性らしさが《Ⅶ組》の中では劣っているという自覚はあるが、これは結構心にくるものがある。

 

「ああっ!す、すまない。その、勘違いだ。別にそんなつもりは―――」

「最っ低」

「リィン・・・・・・」

「擁護のしようがありません」

「アヤ可哀想」

 

一斉に女性陣からの非難がリィンに集中する。無理もない。

憐れむような目をリィンに向ける男性陣の中で、ユーシスだけが口元に手をやりながら体を小刻みに震わせていた。

どうやらツボに入ってしまったようだ。

アルバレア家の御子息にも、笑いのツボというものは存在するらしい。

至極どうでもいい。笑いたければ笑え。

 

「お、おい。早くしたまえ。いつまで待たせるつもりだ」

 

結局リィンが選んだのは、マキアスにエリオット、それにガイウスの3人だった。

この3人しかパトリックが指定する条件に当てはまらないのだから、当然の選択だ。

 

「双方、構え」

 

サラ教官の号令が辺りに響き渡る。

同時に、《Ⅰ組》の面々が一斉に剣の鞘を払った。

どうやら彼らの得物は両刃剣で統一されているようだ。

 

「へぇ・・・・・・これは結構苦戦するかも」

「言っただろう。奴らの剣の腕は本物だ」

 

構えを見ただけで、相手の技量を見抜く術は身に付けているつもりだ。

ユーシスが言うように、4人が4人とも様になっている。

リィン達もそれを肌で感じ取ったようで、目の色が変わった。

 

______________________________________

 

カランカランという渇いた音と共に、私のすぐ前方に両刃剣が力なく横たわる。

リィンの太刀に得物を払われたパトリックは、力なく地面に膝を付いた。

 

立ち合いが開始してから5分間程度だろうか。

模擬戦ではあったが、条件が条件なだけに本格的な立ち合いだったと言えるだろう。

浅いとはいえ、お互いの身体に刻まれた傷がそれを如実に物語っていた。

 

「―――勝者、《Ⅶ組》代表!」

「よしっ」

「フン、及第点だな」

 

客観的に戦力を分析すれば、5分5分。贔屓目に見て、6-4でリィン達に分があった。

だが、私達には《Ⅰ組》にはない武器がある。

戦術リンクを駆使さえすれば、それは7-3にも8-2にもなる。

今回の結果は、その差がハッキリと出たにすぎないのだろう。

 

「・・・・・・いい勝負だった。あやうくこちらも押し切られるところだった」

 

太刀を収めながら、リィンがパトリックへと歩み寄る。

彼の言うように、これはこれでよい経験になったのかもしれない。

考えてみれば、多対多の対人戦の経験は―――

 

(―――え?)

 

パトリックの背中から、陽炎が立ち込めるかのような錯覚に陥る。

一体なんのつもりだろう。もう立ち合いは終了したはずだ。

だというのに、先程とは比べ物にならない程の闘志が溢れかえっていく。

 

「・・・・・・だだ」

「パトリック?」

「まだだっ・・・・・・まだ終わっていない!!」

 

声を荒げると同時に、パトリックが強引に仲間の1人が握る両刃剣を奪い、リィンにその剣先を向けた。

 

「ま、待ってくれパトリック。何のつもりだ」

「抜け、シュバルツァー・・・・・・認めん、俺は認めないぞ!!」

 

パトリックの気に当てられたのか、リィンは強引に剣を抜いた。

抜かされた、と言った方がいいのかもしれない。

後退して一旦間合いを取ったリィンは、サラ教官に戸惑うような視線を送ってくる。

剣を取ったはいいものの、これでは完全に私闘の域だ。判断を仰いでいるのだろう。

 

「汲んであげなさい、リィン」

 

(サラ教官・・・・・・)

 

この場にいる誰しもが、サラ教官の言葉に従わざるを得なかった。

パトリックの目は本気だ。口調すら変わってしまっている。

一度負けた相手に即座に再戦を申し込むなど、プライドも何もあったものじゃない。

 

「はああっ!!」

「ぐっ・・・・・・」

 

感情的をむき出しにしたパトリックの剣が、リィンに襲い掛かる。

上段からの連撃。怒りに我を忘れているのかと思いきや―――一太刀一太刀が、とてつもない鋭さを帯びていた。

あれでは脇構えを基本とする、リィン本来の型すら取らせてもらえない。

 

「・・・・・・気のせいかな。さっきよりも太刀筋がいいように見えるけど」

「フン、形振り構っていられなくなったといったところだろう」

「ユーシス、分かるの?」

「さあな」

 

帝国貴族としてのプライドか、それとも男子としてのプライドか。

或いは―――その両方か。

何を捨てて、何を守ろうとしているのかさえ分からない。

どちらも私の理解の範疇を超えている。そういう強さもあるのだろうか。

いずれにせよ、このままでは押し切られるのは時間の問題だ。

 

「リィンっ・・・・・・!」

「案ずるな、アリサ。リィンなら、きっと乗り越えてみせる」

「・・・・・・乗り越える?」

 

アリサの心配は最もだが、生憎私もラウラの意見に賛成だ。

彼は自身の剣を卑下し過ぎている。もっと自分自身を信じてもいい頃合いだ。

 

「はぁっ!!」

「がはっ・・・・・・!」

 

上段で剣を受けたのと同時に、パトリックの前蹴りがリィンの鳩尾へと的確に叩き込まれた。

 

息が上がっている状態であれを食らっては、意識が飛んでもおかしくはなかった。

実際、相当なダメージと疲労が蓄積しているのだろう。

膝がガクガクと笑ってしまっているが、辛うじて両の足で立つことはできるようだ。

 

一方のパトリックは切っ先を地に刺し、肩を上下に大きく揺らしながら立ち尽くしていた。

お互い連戦の身だ。どうやら彼も彼で、体力の限界が近いようだ。

とはいえ5分5分とは言い難い。このままでは、次の接触で力押しされてしまうかもしれない。

勝機があるとすれば、そこしかない。

 

「リィン!」

 

凛とした声で、ラウラがリィンの名を呼んだ。

ラウラは何も言わず、ただ、無言で視線をリィンに向けている。

立ち合いの最中に視線を逸らすなど以ての外だが―――吸い込まれるようにして、リィンが一瞬だけラウラと視線を交わした。

 

それだけで、リィンには十分だったようだ。

落ち着きを取り戻したリィンは大きく深呼吸をしながら、片手で八相に近い構えを取った。

 

「麒麟功っ・・・・・・」

 

穏やかで、それでいて力強い剣気がリィンの身体に漲っていく。

それでいい。今の私は、もう3か月前の私じゃない。

それはリィンだって同じはずだ。

 

「これで終わりだ、リィン・シュバルツァー!!」

「―――『二の型』疾風!!」

 

______________________________________

 

「・・・・・・わお」

 

思わず見惚れてしまった。

今目の前で起きたことを理解できた人間が、この場に何人いるだろう。

 

踏み込もうとしていたパトリックを、遥か後方に置き去りにする妙技。

『二の型』疾風、か。名前に負けず、まさしく風の如き見事な一太刀だ。とても真似できない。

 

一撃で剣を飛ばされた当のパトリックは、右手を押さえながら地に蹲っていた。

相当な衝撃だったのだろう。大事無ければいいのだが。

 

「はは・・・・・・ど、どれもぶっつけ本番だったけど、何とかなったみたいだ」

「謙遜はよい。見事な立ち合いだった・・・・・・無事で何よりだ」

 

一方のリィンも、ラウラにもたれ掛かるようにして何とか立っている状態だ。

お互い満身創痍の身だろう。ラウラが言うように、終わってみれば見事としか言いようがない。

 

多少おぼつかない足取りで、リィンがパトリックの下に歩み寄る。

 

「パトリック、礼を言わせてくれ」

「何、だと?」

「1つ、壁を超えられた感覚だ。おかげで俺は―――」

「貴様っ・・・・・・ふざけるな!!」

 

次の瞬間、乾いた破裂音のような音が周囲に鳴り響いた。

リィンが差し伸べた手を、パトリックは拒絶したのだ。

 

「いい気になるなよ、リィン・シュバルツァー・・・・・・ユミルの領主が拾った、出自も知れぬ浮浪児ごときが!!」

「・・・・・・っ!」

 

彼が放った言葉は、確かに聞き取れた。耳には入ったが、頭には入らない。

どういうことだろう。リィンはシュバルツァー男爵家の長男だ。

出自が知れないなんてことは―――

 

『それに養子だから、貴族の血は引いていないんだ』

 

(あ―――)

 

2か月前、リィンが列車内で口にした台詞を思い出す。

そういう意味なのだろうか。だとすれば、何て酷い言葉だ。

 

当のリィンは、目を瞑りながら口を閉ざしていた。

何かを耐えるような、堪えるような険しい表情で。

 

(リィン・・・・・・)

 

一方のパトリックは、次々に私達《Ⅶ組》に向かって罵声を浴びせていた。

整っていた髪は乱れ、制服も泥に塗れている。

2度の立ち合いの直後のせいなのか、眼は真っ赤に充血し、肩で息をしている。

大声を上げるだけでも苦しいはずなのに、一向に止まる気配がない。

そこには、貴族が纏う上品さの欠片も感じられなかった。

 

「―――よく分からないが。貴族というのはそんなにも立派なものなのか」

 

滝のように溢れ出るパトリックの言葉を遮ったのは―――ガイウスだった。

 

「故郷に身分は無かったため、いまだ実感が湧かないんだが。貴族は何をもって立派なのか説明してもらえないだろうか」

「き、決まっているだろう!貴族とは伝統であり家柄だ!」

 

ガイウスはあまり感情を顔に出さない。

おそらく、誰も気付いていないだろう。

 

「なるほどな。伝統と誇り、気品と誇り高さか」

 

少なくとも私は、こうして傍に立っているだけで明確な『怒り』に身を焦がれそうになる。

皆勘違いをしているのかもしれない。

表に出さないだけで、彼だって1人の人間なのだ。

それに気付こうとしないパトリックは、貴族の何たるかを捲し立てる様にして説いていた。

 

「ならそれさえあれば、先程のような言い方も許されるということなのだろうか」

「くっ・・・・・・」

「彼女に傷を負わせたことも、忘れてもいいということか」

「・・・・・・か、彼女?」

「どうしたんだ。まさか本当に忘れてしまったのか?」

 

ガイウスがゆっくりとパトリックの下に歩を進める。

案の定、皆ポカンとした顔でその姿を見守っていた。

―――そろそろ限界だ。

 

「もし今度アヤに手を掛けるような真似をしてみろ。俺はお前を―――」

「ガイウス」

 

パトリックの襟元を掴もうとしていたガイウスの右手を、私の右手で蓋をする。

見えているだろうか。私の中指の傷は、もう塞がっている。

 

「アヤ・・・・・・」

「気持ちだけ貰っておくから。だから、もういいよ」

 

私はずるい。

自分ではこう言っておきながら、これから私がしようとしていることはまるで真逆だ。

汚れ役を引き受けようと思う一方で、身勝手な感情が沸々と湧き上がってくる。

 

「その、パトリック様・・・・・・ううん、パトリック」

 

この場合、様はいらないだろう。

当のパトリックは何か言いたげな表情を浮かべていたが、構わないでおこう。

 

「さっきの立ち合い、凄かったよ。リィンを剣で圧倒する生徒が一回生にいるなんて、思ってもいなかった」

「な、何?」

「今度は私とも試合ってほしいかな。できれば剣だけで」

 

正直な感想だ。

あれ程の剣の腕は、一朝一夕で身に付くものではない。

長年の時を経て練り上げられた剣なのだろう。

英才教育とは聞こえはいいが、鍛錬の積み重ねであることに変わりはない。

同じ剣を握る1人の人間として、彼のような存在は嬉しい限りだ。

 

「フン、身の程を弁えたらどうだ。まぁどうしてもと懇願するなら―――」

「でも貴族のあなたは嫌い」

「は?」

「男性としてはもっと嫌いだよ。大っ嫌い。二度と私達に関わらないでね、パトリック『様』」

 

吐き捨てるように言った後、私は彼らに背中を向けた。

 

______________________________________

 

立っているのがやっとのリィンに代わって、エマが特別実習の内容が記された紙を配り始める。

ケルディックにセントアークとくれば、もう帝国内のどこが実習地に選ばれても驚きはしない。

 

「あれは結構心に刺さったはずだよね」

「しばらく立ち直れないんじゃないかしら」

「大方じゃじゃ馬娘の友人にでも影響されたのだろう」

「ぶっちゃけドSだね」

 

皆が口々に先程のことについて言及する。

・・・・・・全部丸ぎ声なのだが。隠そうとする気すらないのだろうか。

それにユーシスはともかくとして、フィー。それは絶対に誤解だ。

 

「それで、大丈夫なのか。貴族に無礼は厳禁だと言ったのはアヤだろう」

 

ガイウスが心配そうな色を浮かべながら聞いてくる。

 

「よく言うよ。殴りかかろうとしてたくせに」

「そ、そんな気はなかったが」

「ふーん・・・・・・まぁ、多分大丈夫だと思うよ」

 

家名と権力を行使すれば、私の居場所を奪うことは容易いだろう。四大名門の力は絶対だ。

とはいえ、パトリックもこれ以上自分を貶めるような言動はしないはずだ。

 

今し方見せたパトリックの言動と振る舞いは、彼の強さであり弱さでもある。

表面上の姿にすぎないのかもしれないが、いずれにせよ今の彼とは顔を合わせたくないもない。

リィンの、ガイウスのあんな表情は―――もう二度と見たくない。

 

「ほらほら君達。さっさと実習の内容を確認しなさい」

 

手を叩きながら催促するサラ教官。

まぁ、今はあれこれ言っても仕方がない。

教官が言うように、今週末の特別実習に気を向けるべきなのだろう。

 

「えーと・・・・・・え?」

 

私は今回A班。リィン、アリサ、エマ、ユーシス、ガイウス。

私を含め、6人編成のようだ。人数に偏りがある気がするが、考えがあってのことなのだろうか。

いや、それより―――

 

「古くより遊牧民が住む高地として有名な場所だな」

「あ、それって確か・・・・・・」

「―――ガイウスと、アヤの故郷だよな?」

「ああ。A班には高原にある俺達の実家に泊まってもらう。よろしくな、みんな」

 

―――どうやら、見間違いではなさそうだ。

 

「えええ!!?」

 

私の悲鳴のような声がグラウンドに鳴り響く。

何だか最近、叫んでばかりのような気がする。



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蒼穹の大地

荷物は何度も確認した。忘れ物は無い。

ARCUSも昨日ジョルジュ先輩に見てもらったばかりだ。

寝付きも目覚めも良かったし、顔色もいい。

唯一気になる点あるとすれば・・・・・・髪の長さぐらいだろうか。

 

2ヶ月前にガイウスに切ってもらってから、それっきりだ。

キッカケは何かと訊かれれば、やはり彼の一言なのだろう。

とはいえ1ヶ月に約1リジュ伸びると言われているから、2リジュちょっと程度の違いにすぎない。

それでも、月一で自慢の黒髪をミディアムショートに切り揃えるのが常だった。

・・・・・・やはりどこか落ち着かない。

乾かすのに時間が掛かるのも考え物だが、それはアリサやエマに比べれば気楽な方だろう。

 

「あ、そうだ」

 

思い出したように、テーブルに置かれた葉書を手に取る。

差出人は、テンペランス・アレイ。

先月の特別実習で、私達を導いてくれた大先輩だ。

葉書の裏には、陽気な笑顔を浮かべるテンペランスさんとリオンさん。

後方にはライアンさんの姿も確認できた。

これはガイウス達にも見せてあげよう。

 

「夏至祭かぁ・・・・・・楽しそう」

 

セントアークはこの時期、何と5日間にも渡って夜祭で賑わうそうだ。

葉書に写されたこの写真も、それに興じている一時のものなのだろう。

夏至の日を祝うという習慣は、帝国に来てから初めて知ったものの1つだ。

祝い方や言い伝えは地方により違いがあるそうで、由来すら分かっていないものが多いらしい。

 

実はノルドにも、独特の祝い方がある。『蟹』を食べるのだ。

文字通り川辺で捕まえた蟹で料理を作り、食す。男性陣はそれをつまみにして夜通し飲み明かす。

由来は『作物の根が蟹の足のように広く張るように』という、祈願から来ているのだという。

婆様が教えてくれたことだ。やっぱり私の故郷の慣わしは謎めいているものが多い。

 

今年も男共で蟹狩りに行ったのだろうか。

昨年は飛び入り参加したリリが、指を鋏まれて大泣きしながら帰ってきたのを覚えている。

 

「・・・・・・よしっ」

 

鞄を肩に背負い、勢いよく扉を開ける。

直接訊いて確かめよう。幸いにも、私はその機会を与えられた。

今日私は、入学以来初めての経験をする。

特別実習という名の―――帰郷を。

 

_____________________________

 

「へぇ・・・・・・このサンドイッチ、美味しいな」

「じゃあ私が貰ってあげようか」

「何が『じゃあ』なのかさっぱり分からないぞ、アヤ」

 

リィンのランチボックスに手を伸ばそうとしたところで、蓋を閉められてしまった。

既に『アヤ様専用』と書かれた私の特大ランチボックスは空っぽ。

余りの美味しさに、思わず夢中になって頬張ってしまった。

 

私達A班が座るボックス席の隣には、B班の面々が同じようにしてシャロンさんお手製の朝食に舌鼓を打っていた。

両班の実習地、ノルド高原とブリオニア島へ向かうには、どちらも帝都ヘイムダル駅を経由する必要がある。

わずか30分程度の間だが、B班とは同じ旅路となるのだ。

 

「・・・・・・苦戦してますね」

 

エマが言うように、B班の会話は一向に弾む気配がない。というより、続かない。

エリオットとマキアスが話題を振っても、ラウラとフィーの間でやり取りが途切れてしまう。

彼らの乾いた笑い声が痛々しいことこの上ない。

 

その後も進展の余地が見られないまま、列車はあっという間にヘイムダル駅に到着してしまった。

心配なのは山々だったが、私達A班もぐずぐずしていると到着前に日が暮れてしまいかねない。

お互いに激励の言葉を交わした後、私達はB班とは真逆方面、ルーレ直通の列車に乗り換えたのだった。

 

「ここからが本格的な長旅になるな。ルーレまでは、確か4時間近く掛かるよな?」

「ええ、そうね・・・・・・そっか。ユミルからだとルーレ駅経由になるから、リィンも初めてじゃないのね」

 

時刻表通りに乗り換えられたとしても、終点であるゼンダー門に着く頃には16時を回っている。

それ以上遅れてしまうと、最悪の場合足止めを食らうことになる。

今のところは順調だが、間違っても車掌が気を失うなんて事態には陥ってほしくない。

もうあんな目に合うのは懲り懲りだ。

 

「それにしても、アリサ。今回はやけに荷が少ないんだな」

「アヤから荷を減らすように言われたからよ。おかげで朝まで悩んじゃったわ」

 

リィンとアリサが、頭上の荷物棚を見上げながら言う。

 

「だって長旅だし・・・・・・アリサが変な液体ばっか鞄に詰めようとするからだよ」

「化粧品を謎の液体みたいに言わないで!」

 

ガイウスと同じように、私も士官学院に入ってからアリサ達との習慣の違いに驚かされた身だ。

入浴の後、肌に何かの液体を塗り込むアリサに「何それ?」と訊ねた際、本気で驚かれた。

化粧液に乳液、美容液。何が違うのか今でもさっぱり分からない。

スキンケアといえば、日焼け止めぐらいの考えしか持ち合わせていなかったのだが。

 

「ですが遊牧民といえば、自然と共に生きる民族として有名ですから。それなりの覚悟はしておいた方がいいのではないでしょうか」

「・・・・・・ねぇ、アヤ。お風呂ぐらいはあるわよね?」

「水浴びなら湖に行けば好きなだけできるよ」

 

アリサが頬を引き攣らせながら、苦笑いを浮かべる。

私だってノルドでの生活に馴染むまではかなりの時間を要したのだ。

彼女にとっては、少々酷な3日間になるのかもしれない。

 

「なるほどな。少しノルドについて説明しておいた方がよさそうだ」

「ああ、頼むよガイウス」

 

リィンに促され、ガイウスが私達の故郷の概要を述べ始める。

 

アイゼンガルド連邦の険しい山々を超えた先に広がる、雄大な高原。

遊牧民たちは導力革命の恩恵に与ることなく、今でも自然と身を寄り添う生き方を選んで生活している。

 

とはいえ、私がノルドに来た頃にはいくつかの導力式の設備は集落に存在していた。

導力車は分かりやすい例の1つだろう。帝国産の酒も身近な存在になりつつある。

そして高原の南東に位置する帝国監視塔と、北東の共和国軍軍事基地の存在。

私も私で、古き良きノルドの姿を知らない人間の1人なのかもしれない。

 

「絵本で見たような光景が広がっていそうですね」

「本場の馬と接するまたとない機会だ。色々と学ばせてもらいたいものだな」

「・・・・・・そういえば、ユーシスとエマは一緒の班になるの、初めてだね」

 

リィンとは、4月のケルディックでの実習以来。ガイウスとは先月から2度目。

アリサとはこれで3回連続で同じ班だ。フィーとマキアスだけは、まだ一緒になったことがない。

 

「ふふ、そうですね。宜しくお願いします、アヤさん」

「フン、文字通り道草を食っていたら容赦なく置いていくぞ」

「文字通り草は食べないよ、ユーシス・・・・・・」

 

ユーシスの中で私はどんな位置付けなんだ。

彼らには一度も話していないが、これでも昔は小食で周囲から心配されていた程だというのに。

 

「そういえばユーシス、朝にどこか出てたみたいだけど、どこに行ってたの?」

「部長達に挨拶をしてきただけだ。実習地がノルドとなれば、黙って行くわけにもいかんだろう」

「あー、そっか。またお土産ぐらい買ってきてあげないとね」

 

ランベルト先輩は、一度だけノルドに行ったことがあると言っていた。

とはいえ、その時にはゼンダー門周辺を散策することしかできなかったらしい。

無理もない。あの高原の全土を目の当たりにするには、まとまった期間と入念な前準備が必要になる。

 

「ということは、ノルドにもお土産が売っている場所があるんですか?」

「交易所の類なら、集落にもある。土産になるかどうかは分からないが」

 

ガイウスが言うように、キルテおばさんの交易所を観光客が訪れるのは珍しいことではない。

というより、ああいった場を設けているのは私達の集落ぐらいだろう。

 

「少し意外ね。私もラクロス部のみんなに何か買っていってあげようかしら」

「はは・・・・・・いずれにせよ、外国での実習はこれが初めてだ」

 

先程よりも落ち着いた口調で、リィンが私達の目を見ながら言った。

 

「今朝方にトワ会長からも念を押されてさ。みんな、帝国人として節度ある行動を心掛けよう」

「朝っぱらから会長と何をしていたのかしら」

「・・・・・・いや、実習の前に挨拶を。な、何で睨むんだアリサ」

 

アリサの絡みは置いておいて。

リィンが言うように、ノルド高原は正式には帝国領ではない。

それに特別実習とはいえ、教育の一環として国を出るなんて聞いたことがない。

どうしてノルドが実習の地に選ばれたのかは分からないが、そこには確かな理由があるのだろう。

 

(・・・・・・思ったより、早かったなぁ)

 

こうしてノルティア本線を駆ける列車に揺られるのは、3か月振り。

ルーレ方面の列車に乗るのは―――3年振り。

複雑な心境の私をよそに、列車は無機質な稼働音を上げて走り続けていた。

 

_________________________________________

 

程無くして、列車は終点であるルーレ駅に到着した。

一度は経験したことがある長旅とはいえ、やはり時間を持て余してしまう。

途中から寝入ってしまったが、昨晩十分に睡眠をとったせいなのかすぐに目が覚めてしまった。

 

階段を上がったところで、エマが構内の時計を見上げながら昼食について触れた。

列車に揺られていただけとはいえ、昼時となればお腹も空く。

 

「貨物列車では車内販売も無いだろう。こいつが騒ぎ出す前に手を打った方がいいかもしれんぞ」

「それもそうだな。アヤ、もう少し我慢してくれ」

「私まだ何も言ってないから!」

 

何だか最近、私の扱いが酷くなってきてる気がする。

少なくとも私が人生の先輩であることは既に頭にないのだろう。

それはそれでありがたいとは思うのだが。

 

「―――それには及びませんわ」

 

私がリィンに抗議の目を向けていると、背後から透き通った声が聞こえた。

朝方にも全く同じ台詞、声を耳にしたばかりだった。

 

「ど、ど、ど、どうして貴女が先回りしてるのよ!?」

 

アリサが声を荒げるのも無理は無かった。

そこにいたのは、紛れもない第3学生寮の管理人。シャロンさんに他ならなかったのだ。

 

トリスタを発ってからここに至るまで、間違いなく列車で最短ルートを辿ってきた。

彼女が私達の前方から姿を現すことなど、できるはずもない。

だがそのカラクリは、ユーシスによってすぐさま見破られることになる。

話は至って単純、要するに帝都で列車を乗り換えた私達と違って、シャロンさんは定期飛行船を使ってここまでやって来たのだ。

 

やり過ぎなのは誰の目にも明らかだが、もう一度彼女の料理を口にできるとあっては素直に喜ばしい限りだ。

一方のアリサは、やはり不服そうな色を浮かべながらシャロンさんに詰め寄っていった。

 

「ま、まさかこのままノルド高原まで来るつもりじゃないでしょうね」

「いえ、実はこの後『別の仕事』が入りまして・・・・・・」

「別の仕事?」

「―――私の仕事の手伝いをしてもらうことになったのよ」

 

(―――え?)

 

思わず息を飲んだ。

初対面であることは、間違いない。

その佇まいや外見から判断して、その人がアリサの肉親であることも、想像が付いた。

 

「か、か、母様!?」

「アリサの母、イリーナです。ラインフォルトグループの会長を務めているわ。宜しくお願いするわね」

「あ、アヤ・ウォーゼルです。初めまして」

 

初対面の人間に緊張することなんて、いつ以来の経験だろう。

A班のメンバーが一通り自己紹介を終えた後、イリーナさんは一言二言アリサと会話を交わした。

たったそれだけのことに時間を割いた後―――イリーナさんは踵を返し、改札口の方向に歩を進め出したのだ。

 

全てがあっという間の出来事だった。

結局彼女はトールズ士官学院の常任理事であるという衝撃の事実を私達に告げた後、ルーレ駅にアリサを残したまま去って行った。

とても実の親子のやり取りには思えない。こんな関係があっていいのだろうか。

 

(アリサ・・・・・・)

 

何かの糸が途切れたかのように、アリサは床にしゃがみ込んでしまった。

これがアリサの抱えるものの、1つなのだろう。

そう、おそらく1つに過ぎない。

イリーナさんが口にした「あの人のように」というくだりも、私達には何のことかさっぱり分からない。

それにしても―――

 

「ねぇガイウス。気付いた?」

「ああ。似ているな」

「うん・・・・・・雰囲気とか、そっくりだね」

「似てないわよ!!」

 

私とガイウスのやり取りが耳に入ったのか、アリサは下を向きながら吐き捨てるように言った。

彼女が否定しようとも、私達の目には少なくともそう映ったのだ。

 

テンペランス・アレイ。

私の鞄の中に入った葉書に写る女性に、何もかもが似ていた。

顔付も、髪の色も、仕草1つとっても。

他人の空似に過ぎないことは分かっているが、無視できるレベルではなかった。

 

「あんな立派な人と一緒にしないで・・・・・・何もかも違うわよ。母様とは、絶対に違う」

 

そう呟くアリサの背中は、いつもと比べとても幼く見えた。

 

_______________________________________

 

トンネルを抜けたかと思えば、再び車窓からの日差しが遮られる。

3ヶ月前にはトンネルの数を数えながら暇をつぶしていたが、途中で力付き寝入ってしまったことを思い出す。

 

「ふふ、ユーシスさんとアリサさんは眠ってしまったようですね」

「無理もないさ。8時間も列車に揺られるなんて、俺も初めてだ」

 

エマとリィンが2人を起こさないよう、小声でやり取りをする。

アリサは少し騒ぎ疲れてしまったのかもしれない。

特別実習を前にしてああも心を乱されては、彼女も整理がつかないのだろう。

今ぐらいは何も考えず、心身ともに休ませてあげたい。

 

「・・・・・・アヤ、大丈夫か」

「え?」

 

唐突にガイウスが心配そうな顔で私を覗き込んでくる。

アリサに対してなら分かるが、急にどうしたというのだろう。

 

「さっきから難しい顔をしていたからな。少々気になっただけだ」

「ふーん。誰かさんがもっと早く教えてくれてたら、私ももう少し心の整理がついたんだけどな」

「そ、それはすまないと思っている」

「・・・・・・冗談。気にしてないよ」

 

余りに早い帰郷に、初めは心を躍らせた。

だが同時に、決心がグラつく感覚に襲われたのも事実だ。

 

私だけの生き方を見つける。

それまでは故郷に帰らない覚悟でいたのだから、ちょっと複雑な心境なのだ。

 

実習の地にノルド高原が選ばれたことを、ガイウスは知っていた。

実技テストの後に彼を問い詰めたところ、どうやら先週末にヴァンダイク学院長から知らされていたというのだ。

ガイウスが教官室の前で言った「来週になったら話すとしよう」とは、このことだったようだ。

しかも驚いたことに、今回の件について、彼は家族と手紙でやり取りをしていたらしい。

実家に泊まることになる以上、当然と言えば当然の対応だ。

つまり知らなかったのは、私だけ。

ちょっと寂しい気持ちもあるが、サプライズと考えれば別段怒る気も起きない。

 

「いい所なんだろうな、きっと」

「ふふ、そうですね」

「期待はしてもいいと思うよ」

 

当たり前だ。集落に着いたら、まずは私の家族を紹介してあげよう。

人見知りしがちなシーダがちょっとだけ心配だが、彼らとならきっと打ち解けてくれるはずだ。

 

________________________________________

 

「おお、やっと到着したか」

「あ、ゼクス中将!」

 

ゼンダー門に下り立った私達を出迎えてくれたのは、ゼクス中将だった。

 

「中将、ご無沙汰しています」

「お久しぶりです」

「うむ、数か月ぶりになるか。士官学院の制服も中々新鮮ではあるな」

「スカートが短いのは考え物ですけど」

 

私の愚痴に、ゼクス中将が高らかな笑い声を上げる。

 

隻眼のゼクス。想像はしていたが、リィンやユーシスは中将の名を聞き及んでいたようだ。

というより、彼らの反応で中将がどれだけ偉大な存在であることを再認識させられた。

 

以前に一度だけ彼と手合せをした経験があったが、ハッキリ言って話にもならなかった。

対人であれ程力の差を見せつけられたのは、あれが初めての経験だった。

 

「おぬし達の話も聞きたいが、さすがに時間が時間だ。今日中に帰るつもりなら、すぐに出発した方がいいだろう」

「ええ、そのつもりです」

「行こう、みんな」

 

私とガイウスが先頭に立って、ゼクス中将の背中を追う。

向かった先には、高原へと続く両開きの扉。

 

―――一歩足を踏み出す度に、胸の鼓動が高鳴るのを感じる。

 

「どうしたのだ、アヤ?」

 

扉に手を掛けたゼクス中将が、振り返りながら訊ねてきた。顔に出ていたのだろう。

 

「いえ・・・・・・何でもありません」

「ふむ?」

 

やや怪訝そうな表情を浮かべながら、中将が勢いよくを開け放った。

さらに歩を進めると、目の前に広がるのは紛れもない、ノルドの地。

 

(あ―――)

 

目新しさは無い。鉄路の果て、遥かなる蒼穹の大地。

どこまでも広がる雄大な緑色の大地を、温かく雄大な夕陽が茜色に染め上げていた。

 

「こ、これは・・・・・・」

「何て・・・・・・何て、雄大な」

 

想像していた通り、リィン達はこの光景に目を奪われているようだった。

あの時の私と同じ反応だ。それ程の魅力がここにはある。

 

立ち尽くす彼らに先立って、私は高原へと続く石畳の階段を下った。

両の足で集落へと続く地を、ゆっくりと踏みしめる。

それで漸く実感が湧いてくる―――私は、帰ってきた。

 

風が草原を撫でる音。小鳥達のさえずり。土と草の匂い。

全てが私だ。私を救ってくれた、生きようとする力と意志を与えてくれた大地。

私という人間を形作る、掛け替えのない存在。

全部―――私そのものだ。

 

「アヤ」

「・・・・・・あは」

 

不意に、左手から彼の温もりを感じた。

それが引き金になったかのように、視界が歪み、滲んでいく。

士官学院に入学してから、もう何度目になるか分からない。

どうやら私の涙腺は、思っていた以上に緩くなってきているようだ。

 

「アヤさん・・・・・・」

「フン、そっとしておいてやれ」

 

顔向けができないとは、こういう時のことを言うのだろう。

時間がないのは分かっている。ただ、こんな状態では馬に乗る自信がない。

もう少しだけ、このままでいさせてほしい。

大地の風が、頬を伝う涙を乾かしてくれるまで。



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2人の未来を

一般的に馬の年齢は、4を掛けることで人間の年齢に例えられる。

あくまで一般論だ。馬と関わりのある者からすれば、やはりその計算方法はしっくりこない。

 

「い、イルファ!?」

 

彼女は3歳馬だから、先程の通りに計算すると12歳になってしまう。

そこまで幼くはないはずだ。体感的には、17~18歳ぐらいだろう。私とほぼ同い年だ。

以前は可愛い娘のような存在だった彼女が、いつの間にか私と肩を並べる程度に成長してくれた。

 

「はっはっは。お主には流石に分かるようだな」

「当たり前ですよ・・・・・・驚きました。どうしてイルファがここに?」

 

ゼンダー門から私達の集落まで、距離としては約300セルジュ。

トリスタとヘイムダルを繋ぐ鉄道が400セルジュ位だから、相当な距離になる。

実習中の移動手段を含め、ゼクス中将が馬を用意してくれていることは事前に知らされていた。

だがイルファは私達一族が飼う馬だ。こんなところで会うとは思ってもいなかった。

 

「トーマが手配してくれたそうだ。すまない、最後の隠し事だったな」

「そうなんだ・・・・・・うん、素直に喜んだ方がいいみたいだね」

 

イルファの首筋をゆっくりと撫でる。

毛並も艶もいい。見たところ健康そうで何よりだ。

 

「ほう、これがノルド本場の馬か。その牝馬はお前に懐いているようだな」

「ユーシスさん、分かるんですか?」

「馬は見た目以上に記憶力がいい。種族の輪を超えて、他者との絆を重んじる生き物だからな」

 

ユーシスが言うように、人間の言葉もある程度は理解できるとも言われている。

その点については定かではないが、少なくともイルファは私のことを覚えてくれているようだ。

 

私が集落を訪れてからすぐに、この地に生を受けた彼女。

私にとっては大切な家族の1人だ。今のところは、双子の妹のようなものだろうか。

 

「よろしくね、イルファ」

「ぶるるっ」

「あはは」

 

身を寄り添うようにして、イルファの背に頭を預ける。

懐かしい匂いだ。ユーシスが言うように、やはりノルドで逞しく生きる馬の匂いは一味違う。

 

「はは・・・・・・何ていうか、今更だけどさ。やっぱりアヤはノルドの民なんだな」

「同感ね。私も漸く実感が湧いてきたわ」

「遅すぎるでしょ、2人とも・・・・・・」

 

本当に今更な感想だ。とはいえ、無理もないのかもしれない。

ガイウスならその出で立ちで簡単に連想できるかもしれないが、私となれば話が別だ。

共和国人の特徴が色濃い私の外見からは、ノルドとの関連性は見出すことができないだろう。

 

「さて、そろそろ出発しよう。余り時間が無いからな」

「そうだね。ギリギリ間に合うかどうかってところかな?」

 

陽の高さから考えて、半刻を過ぎる頃には日が落ち始める頃合いだ。

馬の脚を考慮して、ペース配分も考えながら走る必要がありそうだ。

 

「俺とアヤが先頭に立つ。リィン達は離れないようについてきてくれ」

「分かった。行こう、みんな」

 

はやる気持ちを抑えるようにして、手綱を握る。

日没までに到着すれば問題ない。皆―――待ってくれているはずだ。

 

_____________________________________

 

「日が落ちてきましたね」

 

アリサの後ろに座るエマが上空を見上げながら呟く。

どうやら彼女も馬の背には慣れてきたみたいだ。

初めは強張っていた表情も、今では乗馬を楽しむ余裕すら感じられる。

 

「集落まではもうちょっとだよ。そろそろ見えてきてもいいぐらい」

「・・・・・・もしかして、あれがそうかしら」

 

視線を戻すと、確かに集落の入り口が僅かに見え始めていた。

どうやらギリギリ間に合ったようだ。

少し心配だったが、中将が用意してくれた馬の脚が良かったおかげだろう。

 

少しずつペースを落としながら、入り口にそびえ立つ木製の門をくぐる。

所々に設けられたゲルの煙突からは、モクモクと白い煙が流れ出ていた。

皆で夕餉の支度をしている最中なのだろう。近づくにつれ、懐かしい匂いが鼻を刺激してきた。

 

「お疲れさま、イルファ」

「ヒヒィンッ」

 

全身に汗を浮かべたイルファが息を荒げながら唸り声を上げる。

時間が無かったこともあり、かなり無理をさせてしまったようだ。

明日からはまた彼女の脚が必要になる。今日はゆっくりと休息を取らせてあげよう。

 

「ここがガイウスとアヤの故郷か・・・・・・」

「不思議と郷愁に誘われるような光景だな」

「ここに定住しているわけじゃないけどね」

 

遊牧民の名の通り、私達は定期的に居住地を移動させながら暮らしている。

とはいえ、何の当てもなく移動するわけではない。

季節に応じて移住する地はほとんど決まっているのだ。

 

それに遊牧だけで全てをまかなえる程、この地での生活は生易しいものでもない。

定住が必要となる作物や物品を入手するためには、他文化との交易が必須となる。

そういった意味でも、ノルドと帝国との間には昔から交流があったのだ。

 

「そろそろ次の移動の準備もしないといけない時期だね」

「ああ、そうだな。さて、まずは俺達の実家に案内するか」

「うん、長老達に紹介するのは後でも―――」

 

私の言葉を遮るようにして、懐かしい少女の声が耳に入ってきた。

 

「あんちゃーん!!」

「リリ!」

 

膝を地面に下ろしたガイウスの胸に、リリが駆け足をそのままにして飛び込んでくる。

どうやら馬の足音で私達が帰ってきたことに気付いていたようだ。

 

「おかえり、ガイウスあんちゃん、アヤおねーちゃん!」

「ああ、ただいまだリリ」

「ただいまリリ。あはは、相変わらず―――っとと」

 

リリに続いて、私の腰元にもう1人の妹が勢いよく抱きついてきた。

思わず倒れそうになる。そんなに強く抱きしめなくても、逃げはしないのに。

 

「いいタックルだね、シーダ」

「おかえりなさいっ・・・・・・アヤおねーちゃん。会いたかったよ」

「私もだよ。ただいま、シーダ」

「トーマも元気そうだな」

「へへ、あんちゃんとねーちゃんこそ。おかえりなさい、2人とも」

 

3ヶ月振りの、短いようでいて待ち焦がれた再会。

見れば、シーダの目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。

勘弁してほしい。涙腺が脆くなった私にとって、彼女の表情は心打たれるものがある。

 

兄弟同士で再会の感動を分かち合った後、リィン達はお互いに改めて名を名乗り合った。

彼らのことは手紙でトーマ達に知らせている。

外見だけで名前が一致することだろう。

 

「2人とも、良き友に恵まれたようだな」

 

(あ―――)

 

背後から掛けられた言葉に、再び心を揺り動かされる。

その落ち着き払った低い声の持ち主には、心当たりは1人しかいない。

 

「お義父さん・・・・・・お義母さん。ただいま戻りました」

「フフ、お帰りなさい。アヤ」

 

ラカン・ウォーゼルと、ファトマ・ウォーゼル。

私に本物の愛情を注いでくれる、掛け替えのない両親。

2人の導きが無ければ、私はアヤ・ウォーゼルとしての第2の人生を歩むことは無かった。

 

「その・・・・・・あはは。こんな形で帰ってくることになるなんて、思っても―――」

 

不意に、ふわりと温かいものに身を包まれるような感覚に陥る。

気付いた時には、私はお義母さんの両腕と胸の中にいた。

 

「無事に戻ってきてくれてありがとう。こんなに早くあなたの顔が見られるなんて・・・・・・風と女神のお導きに感謝しないとね」

 

勘弁してほしいと、さっきから言っているのに。

このタイミングでこんな風に優しく抱きとめられては、我慢できるはずもない。

 

「お義母さん・・・っ・・・」

 

私達のアヤになってくれないかしら。

今でも覚えている。それが、全ての始まりだった。

紛れもない、アヤ・ウォーゼルの生みの親だ。

 

私は何て幸せ者なのだろう。

特別実習の最中に、こんないい思いをしてもいいのだろうか。

 

「・・・・・・これが、家族なのよね」

 

アリサの呟きが、心に刺さる。

昼間にあんな体験をした彼女からすれば、今の私の姿に思うところがあるのだろう。

だからといって、遠慮する気は起きない。

アリサが言うように、これが家族だ。

彼女もきっと、いつか分かり合える時がくる。

少なくとも―――私はそう信じたい。

 

______________________________________

 

お義母さんが振る舞ってくれた御馳走を堪能した後、私達は小休憩を取りながらお義父さんの話に耳を傾けていた。

このノルドが現在置かれている状況は、知識としてリィン達も知っている。

帝国史や政治経済の教科書にも載っている事情なのだから、当然だ。

それでもこうして現地で生の声を耳にするのとでは、大きな違いがあるのだろう。

 

「ねぇねぇ、あのヘンテコな杖はなーに?」

「あれは魔導杖っていって、導力式の杖なんだよ」

「まどーじょー?」

 

一方の私は一緒になってお義父さんの話を聞きながら、リリの話し相手をしていた。

リリは私の膝の上に乗りながら、好奇な目をリィン達に向けている。

集落から出た経験が少ない彼女にとって、帝国人である彼らは何もかもが新鮮なのだろう。

 

シーダとトーマは、離れにリィン達の寝床を準備している最中だ。

お義母さんは食材の下ごしらえに勤しんでいる。

これだけの人数だ。後で手伝ってあげた方がいいかもしれない。

 

「では、ラカンさんが実習の内容を?」

「ああ。明日の午前はその課題に取り組んでもらう。残りは午後に渡すとしよう」

 

リリの頭を撫でながら、お義父さんの話の内容を頭の中で整理する。

明日は朝から昼にかけて、南西部を中心として実習の課題に取り組むことになる。

午後からは、北部を含めた範囲で新しい課題が渡されるそうだ。

とはいえ、当然日帰りで戻って来れる範囲に限られるだろう。

 

「今日はもう遅い。ゆっくりと休んで疲れを取るといい。トーマ?」

「うん、寝床の準備はできてるよ」

「あ、じゃあ私とガイウスが案内するよ。ほらリリ、挨拶は?」

「みんな、おやすみなさーい!」

 

リリの元気すぎる挨拶に返しながら、リィン達は私達のゲルを後にし、離れへと足を運んだ。

私がノルドに来た時から、来客用のゲルは常時準備されていた。

ここ数年はノルドを訪れる観光客が多いため、組み立て式のベッドの数も年々増える一方だ。

 

「さてと。男共は少しその辺を散歩してきてよ」

「え?」

 

ゲルの入り口で、ガイウスを含めた男性陣にそう提案する。

ユーシスはすぐに察しがついたようで、疑問符を浮かべるリィンとガイウスを連れて夜の散歩へと出掛けてくれた。

 

アリサとエマをゲルの中に案内すると、お湯が入った小さな桶が置かれていた。

私がシーダに言って用意してもらったものだ。

 

「ごめんね。これぐらいしか用意できなくて」

「いえ、湯を沸かしていただいただけで十分です」

「そうね・・・・・・体を拭けるだけでもありがたいわ」

 

クタクタに疲れ切っているとはいえ、汗ぐらい拭いておきたいところだろう。

一応布で仕切られているとはいえ、異性と同室の中で裸体を晒せというのも酷な話だ。

 

「ふふ、みんな素敵なご家族ですね。少し羨ましいです」

「まあね。私には勿体無いぐらい」

 

体を拭きながら、エマが優しい笑みを浮かべて言った。

実際にその通りだと思う。

家族関係に限って言えば、私とガイウスは《Ⅶ組》の中では最も恵まれているのかもしれない。

エマの家族については、お祖母ちゃんの話を少し聞いたことがあるぐらいだ。

もしかしたら、彼女も何かを抱えているのかもしれない。

 

一方のアリサは、何かを口に出しかけた後、言葉を飲み込むようにして俯いてしまった。

何か気になることでもあるのだろうか。

 

「どうしたの、アリサ」

「ううん、その・・・・・・訊いていいか、分からなくって」

「何を?」

「・・・・・・あなたが、ここに来た理由よ」

 

俯いたまま、アリサが呟くように言った。

エマも体を拭く手を止めて、恐る恐る私に視線を向けてくる。

 

「話すよ」

「え?」

「私も、同じことを考えてたんだ」

 

いずれにせよ、いつかそんな時が来るとは思っていた。

私が今日流した、2つの涙。故郷と家族への想い。

同じ時を過ごす仲間に私という人間を知ってもらうためには、避けては通れない道だ。

それが今なのかどうかは分からない。

ただ、今回の実習が一歩踏み出すいいキッカケになるのだと思う。

 

「今日はもう遅いから、ゆっくり休みなよ。明日からが本番でしょ?」

「そうですね。アヤさんはご家族と一緒に?」

「うん、寝床はあっちにしかないから。じゃあ、また明日ね」

 

―――クロスベルの件といい、少し宿題が多すぎやしないだろうか。

そう心の中で一人ごちながら、私はゲルを後にした。

 

_____________________________________

 

ガイウスと一緒にウォーゼル家のゲルに戻ると、弟と妹達は既に寝床に入っていた。

お義父さんは暖炉の前に座りながら、狩りに使う弓の手入れをしている最中のようだった。

お義母さんはベッドに腰を下ろし、裁縫中だ。あれはリリの新しい衣装だろうか。

 

「手伝うよ、父さん」

「構わん。お前達も疲れているだろう、ゆっくりするといい」

 

お義父さんの言葉に従い、私とガイウスは暖炉の前に腰を下ろした。

本当の意味での、3ヶ月振りの光景だ。

導力式の駆動音など一切聞こえない、深い静寂に包まれた静かな夜。

耳に入ってくるのは、パチパチという薪がはぜる音だけだ。

 

「2人とも、いい顔になったな」

「え?」

「どうだ、ガイウス。士官学院での生活は」

 

改まった口調で、お義父さんが私達の目を見ながら言った。

お義母さんも布地を縫う手を止め、こちらに視線を向けてくる。

 

「・・・・・・日常の全てが、そのまま学びに繋がる。その度に、俺の知る世界がどれだけ狭かったのかを思い知らされる感覚だよ」

「ふふ、帝国での生活にはもう慣れた?」

「ああ。初めは戸惑いも多かったけど、アヤが色々教えてくれたおかげもあるな」

「みんな親切だからね。私だけじゃないよ」

 

客観的に見て、ガイウスの順応力が高かったことも要因の1つだろう。

入学してから1ヶ月が経つ頃には、既に身の回りのことは自分自身で面倒を見ていたぐらいだ。

 

「充実した生活を送っているようだな。アヤ、お前の方はどうだ」

「私、ですか?」

「まだ3ヶ月程度しか経っていないが―――見つけられそうか?」

「・・・っ・・・・・・」

 

言葉に詰まった。

この場合、どう答えればいいのだろう。

最近は色々と考えるところは多いが、言葉にするには今の心境は少々複雑すぎる。

とはいえ曖昧な言葉で濁すのは、入学を認めてくれた2人にとって失礼だ。

 

「少なくとも・・・・・・軍に進む気はありません」

 

だから私は、できるだけ明確な言葉を選ぶことにした。

元々思いを言葉にするのは苦手だ。どれだけ伝えることができるかは怪しいところだが。

 

「この3ヶ月間、色々な経験と、出会いがありました。自分自身が信じる道を歩む人もいれば、思い悩んで足踏みをする人もいる。私はまだ、後者なんだと思います」

「ほう」

「でも、きっと見つかると思います。今は、可能性を広げるだけ広げておきたいんです。どれだけ時間が掛かるかは分からないけど・・・・・・みんなと一緒なら、きっと見つかるはずですから」

 

_________________________________

 

こうしてガイウスと故郷の星空を見上るのも、3ヶ月振りだ。

明日の朝も早いというのに、不思議と目が冴えている。

そろそろ睡魔が襲ってきてくれないと、流石に実習に支障をきたしそうだ。

 

「不思議だ」

「ん?」

「星に心を動かされるなんて、いつ以来だろうな」

「3ヶ月振りだもんね」

 

セントアークの大学から見上げた夜景も見事なものだったが、やはりこの光景には遠く及ばない。

リィン達にも、明日にはこの星空を見せてあげよう。

これを知らないで帰るのは、勿体無いという言葉だけでは済まされない。

 

「ねぇガイウス。私が言ったこと、覚えてる?」

「何のことだ?」

「最近考えるんだ。生きる道を見つけるって、どういうことなんだろうって」

 

哲学的な意味合いで言っているわけではない。現実的なことだ。

生きる道を見つける。

この先どんな道を歩むことになろうとも、いずれ選択を迫られることになる。

その現実からは、逃れられそうにない。

 

「私、ノルドからいなくなっちゃうかもしれないよね」

 

ガイウスが士官学院に入学したのは、外の世界を知るため。

それ以上でも以下でもない。

士官学院を出た後、彼はウォーゼル家の長男としてこの地に戻ってくる。

長老や婆様のような年長者を除けば、実質的にこの集落の船頭に立っているのはお義父さんだ。

ガイウスはいずれ、その意志を継ぐ立場にある。

 

「・・・・・・そうだな。君が選ぶ道によっては、そうなるだろう」

「うん、そうなるね」

 

言ってから気付いた。そうじゃない。

今でも私は、士官学院があるトリスタで暮らしている。

既にノルドにはいない。2年間もノルドから離れることになる。

私が考えているのは―――

 

「―――ガイウスは、それでもいいの?」

 

私がこの地を離れれば、必然的に私の隣から彼はいなくなる。

多分、そういうことなのだろう。

自分でも何を言っているのか分からない。

それでも私の思考の先は、彼に向いている。それだけは自覚できた。

 

「君の人生だ。俺がとやかく言うことじゃないだろう」

「そうだけど・・・・・・あはは、それもそうだね。ごめん、変なこと聞いて」

 

ガイウスらしい答えだ。

彼がそう言うであろうことは、容易に想像が付いた。

でも、私が望んでいる言葉ではない。

 

「そろそろ戻るか。明日の朝も早いことだし―――」

「待って」

 

腰を上げようとしていたガイウスの右腕を掴み、強引に引き戻す。

 

「もう少しだけ隣にいてよ」

 

私の言葉に、ガイウスは唯々目を丸くするだけだった。

 

______________________________________

 

草原に腰を下ろしながら、夜空を見上げる姉弟。

そんな2人を後方から遠目で見守る、2人の男女の姿があった。

 

「ふふ、お互い無自覚すぎてやきもきしてしまいますね」

「・・・・・・あー、ファトマ。お前は気付いていたのか?」

「当然です。あなたが鈍すぎるんですよ」

 

狩りを生業の1つとする彼らは、帝国人や共和国人に比べ優れた五感を持っている。

気配を感じさせない距離からでも、会話を聞き取ることは容易いの一言で済まされる。

 

「ガイウスがアヤを貰ってくれたら、私達一族も安泰なんですけど」

「む。よくできた息子だとは思うが・・・・・・そう簡単に娘はやれんぞ」

「あなた、逆ですよ、逆」

「ん?」

 

彼らの未来は、彼らだけのものだ。

親が口出しすることではないが、やはり想わずにはいられない。

願わくば―――愛する息子と娘に、いい風の導きがあらんことを。

そう女神に願いを込めながら、2人は我が子を温かく見守っていた。



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故郷の未来は

帝国軍監視塔。

七陽暦が1201年を迎えた頃、ノルド高原南東部に設けられた帝国正規軍の軍事施設。

導力革命以降加速した時代の流れから取り残されたこの地には、余りにも似つかわしくない。

 

「こうして近くで見ると・・・・・・それ程大きくはないわね」

「そうですね。外見はいかにも軍の施設という感じですけど」

 

話に聞く限り、ここは正規軍直轄の施設とはいえ、必要最低限の人員と設備しか割かれていない。

こうして目の前に立っていても、軍特有の緊張感はさほど感じない。

私からすれば、既に風景の一部になりつつある。

張りぼて、は言い過ぎかもしれないが、目的は同じようなものだろう。

この監視塔よりも数年前に配備された、共和国側の軍事基地への牽制。

それ以上でも、以下でもない存在だ。

 

帝国と共和国という2大勢力が大陸を二分する現代で、目立った軍事的衝突は発生していない。

一方で領土問題や経済摩擦などの政治的衝突は悪化の一途を辿っている。

それは既に、二国間だけの問題では無くなりつつある。

 

(似てるのかな・・・・・・クロスベルに)

 

そういった意味では、ノルド高原とクロスベル自治州は似た者同士なのかもしれない。

どちらも私の故郷であると同時に、当の二大国はお父さんとお母さんの故郷でもある。

私の立ち位置はどこにあるのだろう。どう振る舞えばいいのか、時々分からなくなる。

 

「どうしたのよ、アヤ。難しい顔しちゃって」

「・・・・・・ん。何でもない」

 

いつの間にか、アリサが私の隣に立ち心配そうな色を浮かべていた。

考えても仕方がない。今は実習の課題に気持ちを向けるべき時間だ。

 

「とりあえず、中に入るか。ザッツっていう男性に渡せばいいんだよな」

「うん、いつも周辺の監視役をしてるから、すぐに見つかると思うよ」

「へぇ・・・・・・アヤ、もしかして君の知り合いなのか?」

「まぁね。3年ぐらい前からかな」

 

正確に言えば、3年と3ヶ月前。

もっと言えば―――ノルドに来るよりも前に、私は彼と出会っている。

ここで彼らにそれを口にしても仕方がない。

馴れ初めを説明するには、少々話がややこし過ぎる。

 

私達がお義父さんから課せられた課題は3つ。

1つ目のゼクス中将直々の魔獣討伐依頼は、既に達成している。

残り2つは、キルテおばさんから受けた届け物の依頼と、アムルさんの『エポナ草』採取の依頼。

 

エポナ草は高原の南東部全域に分布しており、見た目が目立つ分必ず目に付く植物の1つである。

だというのに、いざ集めようとすると中々見つからないのだから不思議だ。

今のところ私達が見つけたエポナ草は、3つ。

残り2つについては、走っていればそのうち見つかるだろうという私の意見が採用された。

こういう時は無理に探してもいい方向にはいかないというものだ。

 

「あ、いたいた。ザッツさーん」

「ん・・・・・・ああ、アヤじゃないか。それにガイウスも」

 

塔の入り口に続く階段を上ると、すぐに彼の姿が目に入った。

相変わらずのんびりしている。もう少し緊張感を持ってもいいだろうに。

 

「話には聞いてたけど、本当に帰ってきてたんだな。2人とも元気そうでなによりだ」

「ザッツさんも相変わらず眠そうだね」

「ナハハ、それだけ平和ってことさ」

 

彼とは積もる話もあるが、生憎と私達は行動時間が限られている。

一言二言挨拶を交わした後、ガイウスがキルテおばさんから預かった布袋を手渡した。

ザッツさんは歓喜の声を上げながらそれを受け取った後、念入りに中身を確認し始めた。

そう、念入りに。たっぷりと時間を掛けて。

 

「いやぁ、お前さんがつまみ食いしてないか気になってさ」

「フン、俺達を甘く見ないでもらおう」

「俺が肌身離さず持っていたから安心してくれ」

「抜かりはありません」

「狙うわよ、S評価」

「この勝利―――俺達A班全員の成果だ」

 

清々しいことこの上ない。

もう何とでも言え。この扱いにも大分慣れてきた。

 

遠い目で彼らを見詰める私を尻目にして、ホクホク顔のザッツさんが「せっかくの機会だから見張り台に上ってみないか」と提案してきた。

流石に私とガイウスも監視塔を上ったことはない。

というか、部外者とも言える私達を彼1人の判断で中に入れてもいいのだろうか。

私がザッツさんにそれとなく問いかけると、「だって平和だし」という職務放棄寸前の台詞が返ってきた。

・・・・・・大丈夫なのだろうか、この施設は。

 

_______________________________________

 

「凄い・・・・・・ねぇアヤ、これって全部手作り?」

「うん、その辺のはサンさん自慢の品だよ」

「これは選ぶのに時間が掛かりそうですね。目移りしてしまいます」

 

目を輝かせながら店先に並べられた品々を見渡す、アリサとエマ。

 

私達はザッツさんから預かったお返しの品をキルテおばさんに渡した後、土産探しに興じていた。

一度は実家に戻ったのだが、昼餉の用意までもうしばらく時間が掛かるため、それまで時間を潰してきてほしいというのがお義母さんの依頼だった。

とはいえ、集落内で時間を潰せる場所は限られている。

選択肢はここしかしか無かったのだ。

 

元々は帝国軍人向けに食料品や嗜好品を並べる程度でしかなかった交易所には、今や数々の工芸品で彩られている。

キッカケは「これがお店に売ってたら絶対買うのに」という観光客の一声らしい。

羊毛皮や馬の輸出業頼みだった外貨稼ぎは、今やこのように範囲を広げつつある。

2年前には帝国の観光会社から打診があった程だ。それは長老直々に拒否したのだが。

流石に「ノルド高原で自然と共に生きようツアー」は受け入れ難いものがある。

 

「んー・・・・・・」

 

アリサ達の横には、顎に手をやりながら考え込むリィン。

妹の機嫌取りと言っていたが、彼も彼で随分と時間を掛けて選んでいるようだ。

 

「リィン、まだ悩んでるの?」

「え?ああ、妹への贈り物は決まったよ」

 

リィンの手には、羊毛皮で作られた一枚のスカーフ。お義母さんが手掛けた一品だ。

いい選択だと思うのだが、リィンは相変わらず難しい顔で並んだ品々と睨めっこをしている。

1つだけでは気が済まないのだろうか。

 

「その、ラウラにも何か贈ろうと思ってさ」

「ラウラに?」

「いつも鍛錬に付き合ってもらったり、色々世話になってるからな」

 

そう語るリィンの顔は優しげで、どこか照れくさいような色が浮かんでいた。

 

「ふーん。でもさ、日頃お世話になってるのはラウラだけじゃないよね」

「・・・・・・それもそうだな。フィーもそうだし、トワ会長も・・・・・・あ、ヴィヴィに靴下のお返しをしないと。ミントとコレットには―――」

 

リィンの口から勢いよく溢れ出る女子生徒の名前。

彼はどういうわけか異性の知り合いが多い。同性のそれよりも多いのかもしれない。

 

(ていうか、靴下のお返しって何)

 

・・・・・・気にはなるが、触れないでおこう。

いずれにせよ真っ先にラウラのことを考えるあたり、リィンも少なからず意識しているのだろうか。

これには素直に驚かされた。もしかしたら―――もしかするのかもしれない。

 

「さてと。ユーシス、そっちはどう?」

「フン、この通りだ」

「え、もう買ったの?」

 

ユーシスの手元には、数点の装飾品。

羊毛皮で作られたポーチや、馬毛をあしらった髪飾りの類。

髪飾りについては、一目で女性用のそれと分かる品物だ。

 

「よしよし、ちゃんと買ってあげたみたいだね」

「選んだだけだ。部長以外にはお前が手渡すがいい」

「何でそうなるの。選んだ本人が渡しなよ」

 

そう言うであろうことは予想が付いていた。だがこちらも引く気は無い。

いざとなればまた力技で押し通すまでだ。

 

その後もゆっくりとお土産選びに興じた後、私達は再び実家を訪れていた。

昼餉の準備にはもう少し時間が掛かるそうで、それまでゲルの中で体を休めることになった。

乗馬は見た目以上に体力を使う。アリサはともかく、エマは大分疲労が溜まっているはずだ。

 

「母さん、焼き具合を見てくれないか」

「それぐらいでいいわ。竈から出してちょうだい」

 

台所には、竈に入ったナーンを見詰めるガイウスの姿があった。

交易所で私達が時間を潰している時から、彼は手伝いを買って出ていた。

久しぶりの帰郷とあって、少しでも家族と時間を共にしていたいのかもしれない。

 

「本当に、いい家族だよな」

「ええ、そうね・・・・・・あの、ラカンさん」

「どうした?」

「その、お二人の馴れ初め、なんかをお聞きしても・・・・・・」

「ふむ。俺とファトマのか」

 

アリサが問うと、お義父さんはお義母さんの背中を見詰めながら、思い出すように語り始めた。

 

「ファトマがこの集落にやって来たのは、もう20年近く前になるな」

「え・・・・・・初めからここで暮らしていたわけではないのですか?」

 

エマが私とお義父さんを交互に見ながら聞いてくる。

どうやら他のメンバーも、お義父さんの言葉の意味を理解できていないようだ。

そういえば、その辺のことについては深く説明していなかった気がする。

 

「言ったでしょ、この地で生活しているのは私達だけじゃないって。お義母さんは元々東で暮らす一族の出なんだよ」

「ああ。ちょうど今頃の季節に、向こうから縁談の話が来てな。白羽の矢が立ったのが俺だったというわけだ」

 

ノルドで暮らす遊牧民は、いくつかの集団単位で行動を共にしながら生活している。

その歴史は長く、他集団との融合や分裂を繰り返しながら、今に至るというわけだ。

東に存在する集落は、ここよりももっと規模が大きいそうだ。

ここ数年では、共和国人との交流を深めつつあるとも聞いている。

共和国側の軍事基地の存在も影響しているのだろう。

 

「成程な。そういった集落間の交流も、この地での生活には必要不可欠というわけか」

「そうみたいだな。アヤ、君は東に行ったことはあるのか?」

「ううん、会ったことがある人はいるけど・・・・・・私、少し嫌われてるみたいだし」

「え?」

 

事情を知らない彼らからすれば、突然こんなことを言われても理解できないだろう。

自分から言うのも気が引けるが、残念ながら事実だ。

同じノルドで暮らす遊牧民とはいえ、決して一枚岩ではない。

皆が皆、帝国と友好的な関係を築いてきたわけではないのだ。

 

私は正確に言えば帝国人ではないかもしれないが、彼らからすれば「外からやって来た人間」には違いない。

そんな得体の知れない人間を一族に迎えるなど、理解できないことなのだろう。

幸いにも集落同士の交流に支障は出ていないものの、少なくとも私という存在は受け入れられてはいない。

 

「そんな目をするな、アヤ。お前は俺達の立派な娘だ」

「お義父さん・・・・・・」

 

お義父さんが優しく笑いかけてくる。

もしかしたら、顔に出ていたのかもしれない。

 

「最近よく考えるのだ。このノルドという地の未来をな。ある意味でお前やガイウス、トーマのような存在は、新しい可能性なのかもしれん」

「可能性、ですか?」

「ああ。時代は変わる。守るべき伝統があると同時に、変わらなければいけない部分もあるのだろう」

 

それ以上、お義父さんは語らなかった。言葉は無くとも、意図は汲み取れる。

 

外の世界が加速度的に姿を変えていくこの時代に、ノルドが今の姿を保ち続けられる保証はどこにもない。

変えてはいけない信念もあれば、変わることを恐れない覚悟も必要になる時が来るのだろう。

既にこの集落も姿を変えつつあるはずだ。

今のところは生活が豊かになるような、穏やかな変化しか訪れていないのだが。

 

「あの、1つ宜しいでしょうか」

 

エマが遠慮気味に右手を上げ、お義父さんを見ながら口を開いた。

 

「ガイウスさんとアヤさんは、何となく理解できるのですが・・・・・・その『可能性』にトーマさんが含まれるのは、どういった理由があるのですか?」

 

言われてみれば、どうして―――そこまで考えて、すぐ答えに行き当たった。

今のところはそれこそ可能性に過ぎないが、簡単な話だ。

 

「それはあれだよ。外の世界との、架け橋的な意味」

「架け橋、ですか?」

「シャルちゃん」

 

名前を出した瞬間、リリの髪を結っていたトーマの手が止まった。

自分の名を呼ばれても反応しなかったくせに、彼女の名前を出した途端にこれだ。

トーマは目を泳がせながら、一度咳払いをして私に視線を向けてきた。

 

「アヤねーちゃん、何か言った?」

「言った言った。どう、最近。少しは進展あった?」

「何のことだよ・・・・・・言ってるでしょ、僕とシャルはそんなんじゃないって」

 

意味有り気な私達の会話に、すぐさまアリサとエマが食いついてきた。

シャルはゼンダー門の食堂で働く、帝国人の女の子だ。

トーマにとっては数少ない同年代の友達であると共に、異性でもある。

気が早いのは確かだが、お義父さんが言いたかったのは2人の未来についてなのだろう。

 

「まぁ・・・・・・ふふ、素敵な話ですね。これはレポートにしっかりまとめておかないと」

「え、エマさん?」

「そうね。古き良き伝統を守る一族と帝国人が築き合う絆、ノルド高原と帝国が目指すべき未来への姿・・・・・・時代背景も踏まえて書けば、立派なレポートになるわ!」

「えええっ!?」

 

そんなつもりではなかったのだが、既にアリサとエマの中では構想が練られ始めているようだ。

まぁ、2人に任せておけばそれなりの内容にはなってしまうのだろう。

それで実習の評価が上がるのなら、言うことは無い。

 

「はは・・・・・・でもトーマの年齢だと、少し気が早すぎる話だな」

「だが帝国とノルドでは概念や習慣も異なるだろう。婚約もこの地では10代後半が一般的と聞いているが」

「ああ。ガイウスにも縁談の話は来ているが、今は士官学院での生活に集中したいようだ」

 

ユーシスが言うように、帝国とノルドでは成人と見なされる年齢も違う。

帝国法では18歳で成人とされる一方で、ノルドでは―――

 

「―――お義父さん、今なんて言いました?」

「ん?ああ、気にするな。あいつも受ける気は無いと言っていたからな」

「・・・・・・えええっ!!?」

 

トーマを超える私の叫び声が、ゲルの中に響き渡った。

 

_____________________________________

 

再びお義母さんの御馳走でお腹を満たした私達は、午後一でゼンダー門と集落を行き来することになった。

目的はトーマの好みの色を、シャルに伝えるため。

・・・・・・こんなことのために貴重な時間を割いてもいいのだろうか。

そう感じていたのは私だけではなかったようだが、アリサとエマの力強い意見が尊重された。

シャルの満更でもない態度を目にしてから、2人の目は心なしか輝いて見える。

どうやらこの件もレポートに書き加える気のようだ。

 

「頑張って下さいね、シャルちゃん」

「私達応援してるから!」

「ちょっと2人とも、シャルが引いてるってば」

「あはは。アヤさんのお友達、面白い人ばかりですね」

 

とはいえトーマとシャルの仲が進展するのは喜ばしい限りだ。

2人を応援するアリサ達の好意は素直にありがたい。

 

一旦集落に戻った私達は、長老の依頼で高原の北部に足を運んだ。

長老の話では、『帝国時報』のカメラマンであるノートンさんが、写真撮影のために単身集落を出て行ってしまったらしい。

北部には南西部以上に手強い魔獣が生息している。

腕に自信のある人間ならともかく、ノートンさんのように戦う術を持たない人間にとっては余りにも危険すぎる。

 

「どうやら予想通りのようだな」

「うん、無事そうで何よりだね」

 

ユーシスが睨んでいた通り、ノートンさんは『守護者』の遺跡周辺で写真撮影に勤しんでいた。

完全に無防備だ。よくあれで無事でいられたものだ。

 

「ふむ。集落の人達には心配を掛けてしまったな」

「当たり前ですよ。この辺は魔獣も多いから危険なんです」

「そうか・・・・・・だが君達が来てくれたということは、もう安心だな」

「え?」

 

ノートンさんは私達に背中を任せ、再びカメラのシャッターを切り始めてしまった。

仕事半分遊び半分と言っていたが、これはどちらに入るのだろう。

 

「どうする?リィン」

「仕方ないさ。周辺に気を配りながら、少し休憩にしよう。時間には大分余裕があるからな」

 

私達はリィンに従い、2人ずつに分かれて魔獣が近寄らないよう見張りをすることになった。

リィンとアリサが東、ユーシスとエマが西、私とガイウスが南だ。

 

「ああもう。ノートンさんはもう少し理解がある人だと思ってたのに」

「そう言うな。無闇にここを訪れる観光客に比べればマシな方だろう」

「・・・・・・それもそうか」

 

ノルドを訪れる観光客が増加する近年、問題となりつつあるのが一部の無計画な人々の存在だ。

開けた高原とはいえ、気軽に訪れることができる程この地は生易しいものではない。

魔獣の存在は当然として、昼夜の寒暖差や方向感覚を惑わす似通った風景。

街道に出る感覚で来られては、道に迷うのも当然だ。

ゼクス中将がゼンダー門に赴任してからは大分規制が強まったようだが、以前は私達に保護される観光客も少なくなかった。

 

「それにしても、こんな遺跡がノルド以外にも存在しているとはな。ブリオニア島、といったか」

「うん。B班が今滞在しているところだね」

 

私達を見下ろすようにそびえ立つ『守護者』の遺跡。

私も初めて目の当たりにした時は、開いた口が塞がらなかった。

どう考えても、人の手で作り出すことは到底不可能だ。

こんな岩の巨像が風化もせずに原型を留めていること自体、おかしな話だろう。

 

「『巨いなる騎士』かぁ。何か関係があるのかな」

「誰にも分からないさ。ただ・・・・・・嫌な予感がする」

「予感?どんな?」

「いや、何となくそんな気がするだけだ。気にしないでくれ」

 

そう言われても気になってしまう。

ガイウスの第六感めいた発言は的中することが多い。

それに、彼がここまで勘に頼った曖昧な発言をすることも珍しいことだ。

 

「ふーん・・・・・・まぁいいや。ねぇ、さっきの話なんだけどさ」

「『巨いなる騎士』の話か?」

「そうじゃなくって。その、縁談の話」

 

私の言葉に、ガイウスが「その話か」と大きな溜息をしながら言った。

 

「言っただろう、その話は断った。今は士官学院のことだけを考えたい」

「それは分かるけど・・・・・・じゃあ、士官学院に入学してなかったら受けてたの?」

「答えは同じだ」

 

首を横に振りながら、少しだけ肩をすくめるガイウス。

どうやら彼はこの話には余り乗り気ではない様子だった。

 

「彼らが君を認めないように、そんな人間を俺は受け入れることができない」

「あ・・・・・・」

 

縁談の話は、お義父さんの時と同様、東に住む一族から持ちかけられたものだった。

ガイウスが言いたいことは、そういうことなのだろう。

 

彼の気遣いを嬉しいと思う反面、どこか納得できていない自分がいる。

感情は首を縦に振ってはくれない。

いずれにせよ―――やっぱり、私の欲しい言葉ではない。

似ているようで、全く違う言葉を私は欲している。

 

「・・・・・・何か、ずるいな。それって」

「ん、どういう意味だ?」

「さあ。分かんない」

 

ずるいのは、多分私の方だ。

それは自覚できるのに、この感情の名前が分からなかった。



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星空の下で

「それにしても驚きましたよ。ご隠居がアリサのお祖父さんだったなんて」

「そうじゃろうな。ワシも手紙でアリサと同じクラスと知らされた時は驚いたわい」

 

私の後ろでイルファに身を揺られているのは、皆が『ご隠居』と呼ぶ快活な老人。

私からすれば、ノルドで暮らす帝国人としては先輩に当たる存在だ。

 

導力車の修理を依頼するためにご隠居の住まいを訪れた私達は、驚愕の事実を知らされることになった。

ご隠居―――グエンさんの姓は、今日初めて聞かされた。

グエン・ラインフォルト。正真正銘、アリサの母方の祖父にあたる人物だそうだ。

 

「それで、どうして隠していたんですか?ラインフォルトグループの前会長だったなんて、夢にも思っていませんでしたよ」

「お前さんはともかくとして、ラカン達にそれを告げたところで何の意味もないじゃろう?」

「それはそうですけど・・・・・・」

 

いつも飄々としている一方で、芯の通った立派な人だとは感じていた。

彼の存在は私達の集落にとって大変にありがたい存在だ。

 

それ以上に、私にとっては救いでもあった。

ノルドでの不慣れな生活に苦戦していた私にとって、同じように帝国からやって来たというご隠居は、その存在だけでも心の拠り所であった。

もしかしたらアリサと同じように、私はご隠居を祖父のように感じていたのかもしれない。

それぐらい、私は彼を慕っている。

私の事情を話したことはなかったが、大体のことは見抜かれているのかもしれない。

 

「どうじゃ、士官学院での生活は。見たところ壮健そうじゃが」

「充実した日々を送っていますよ。入学を決めて本当に良かったと思ってます」

「そうかそうか。確かに以前と比べて、少し雰囲気が変わったようじゃの」

「みんないい人ばかりですから・・・・・・特にアリサには、よくしてもらっています」

 

何だかんだ言って、私が一番会話を交わすことが多いのはアリサだ。

勉強を見てもらうのは勿論だし、最近は私に化粧の何たるかを教えようと企んでいるようだ。

覚える気は余りないが、彼女の好意を無下にするわけにもいかない。

 

「そうか・・・・・・のうアヤ。お前さんから見たアリサは、どんな子じゃ?」

「アリサ、ですか?」

 

可愛い。気立てがいい。頑張り屋。思いやりがある。よくリィンに絡む。

言葉にすればそんなところだろうか。

もっと言えば、大人びている反面、たまに幼い少女のような顔を見せることがある。

年相応というよりは、子供っぽいと言った方がいいかもしれない。

 

「人に頼らず、何でも1人で解決しようとする。そんなところもあるじゃろ?」

「それは・・・・・・はい。何となく、そう感じてはいましたけど」

 

相談に乗ってもらったことは多々あった。

今思えば、その逆はほとんど無かったような気がする。

 

思い出されるのは、先月の特別実習。

初日が散々な結果であった分、私達B班の評価は『B判定』だった。

何度もアリサが気に病む必要はないと諭したものの、彼女は最後までリーダー役としての責任を感じていたようだった。

 

「多分あの子のそんな性分は、ワシと娘の仲が原因なんじゃろう」

「・・・・・・昨日、駅で一度会いました。正直、実の親子とは到底思えませんでしたよ」

「ワシが所在を告げなかったのも、そのあたりが原因でな」

 

ご隠居とイリーナさんが実の親子だということも、にわかには信じがたい。

どうやらアリサが抱えるものの大きさと複雑さは、私が想像している以上のようだ。

 

「いずれあの子自身が話してくれるじゃろう。見たところ、お前さん達はアリサといい関係を築いてくれているようじゃしな」

「仲はいいと思いますよ。色々ありましたけど」

「ほう。アリサにも意中の男性がおったりするのかの?」

「それは・・・・・・あはは、どうでしょう」

 

隣で走るリィンの方をちらと見る。

同時に頭に浮かぶのは、ラウラの顔。

 

(下手なことは言えないよね・・・・・・)

 

複雑な心境の私を余所に、ご隠居は陽気な笑顔を浮かべていた。

 

______________________________________

 

今日分のレポートを手早く仕上げた後、実家のゲルではご隠居を交えて宴が催されていた。

テーブルに並べられた御馳走の数々は、サンさんやキルテおばさん、婆様が総出で準備していたそうだ。

 

こういった宴の時、ここでは自然と男性と女性に分かれて盃を交わし合う。

男には男の、女には女の世界が形成されるのだ。

 

「はー、久しぶりの宴ね。ちょっとアヤ、あなた食べてばかりじゃない」

「サンさん、学生はお酒を飲んじゃいけないんですってば」

「あら、母のお酒が飲めないっていうのかしら」

「お、お義母さん?だから・・・・・・ちょ、勝手に注がないで下さい!」

 

サンさんとお義母さんは、既に出来上がりつつある。

相変わらずの絡み酒だ。素面で2人の相手をするのは、骨が折れるどころの話ではない。

サンさんが言うように久しぶりの宴とあって、酒の進むペースも早いような気がする。

こうなっては婆様とアリサ達だけが頼りだ。

 

「あはは。大変ですねアヤさん」

「笑ってないで止めてよ、エマ・・・・・・」

 

エマは器用に2人を躱しながら、並べられた料理に舌鼓を打っていた。

一方のアリサは箸は進んでいるものの、やはり表情はどこかぎこちない。

話しかければ笑って応えてくれるものの、無理をしているのは誰の目からも明らかだった。

 

「・・・・・・ふう」

「どうしたの、アリサ」

 

アリサは手にしていた箸を置いて、無言で席を立った。

 

「ちょっと食べすぎちゃったわ。少し外で風に当たってくるから」

「あ、うん。いってらっしゃい」

 

何か声を掛けてあげたい衝動に駆られたが、私には言葉が見つからなかった。

自然に、私とエマの視線が交わる。

やはり放っておくわけにはいかない。

少し情けないが、ここは彼に任せるべきなのだろう。

 

「それは構わないが・・・・・・どうして俺なんだ?」

「そこはほら、適材適所というやつですよ」

「そういうこと。ほらリィン、行ってあげなよ」

「あ、ああ」

 

我らがリーダー、リィン・シュバルツァー。

アリサが彼をどう思っているのかは定かではないが、少なくとも今は彼以外に適役はいない。

 

「やれやれ。大企業の一人娘は気苦労も多いようだな」

「レポートをまとめている時も、思い詰めた顔をしていたな」

 

ユーシスとガイウスも、アリサのことを気にしていたようだ。

彼女のあんな表情を見れば当然だろう。

 

「・・・・・・あのー、アヤさん」

「・・・・・・あはは。やっぱり、気になるよね」

 

こうしてリィンを送り出したはいいものの、やはり気にはなる。

別にやましい感情ではない。純粋に、アリサのことが心配なだけだ。

 

「アヤ、何の話だ?」

 

一方のユーシスとガイウスには、そんな発想はないようだ。

より後ろめたさを感じてしまう。なら、話は早い。

2人も巻き込んで同罪にするまでだ。

 

______________________________________

 

(アヤ、どうして隠れる必要があるんだ)

(しー。黙っててよガイウス)

 

結局私達は足音を潜めながら、リィンの後を追っていた。

うん、やましい感情なんてこれっぽっちも無い。

 

(あ、いましたね)

 

エマが指差す先には、2人揃って夜空を見上げるリィンとアリサ。

見れば、どちらの顔にも笑顔が浮かんでいた。

それを見れただけでも、ほっと胸を撫で下ろす感覚だ。

 

「風に当たるんなら、俯いているより見上げた方がいいんじゃないか」

「・・・・・・ええ、まったくだわ」

 

リィンとアリサはそう言うと、草むらの上に寝そべってしまった。

初めは何をしているのか分からなかったが、どうやらああやって星空を見上げているようだ。

 

(なるほどね・・・・・・よいしょっと)

(おい、何をしている)

 

ユーシスが怪訝そうな表情で囁いてくる。

彼らの真似をしているだけだ。確かに星空を見上げるなら、この体勢が一番だろう。

 

(ふふ、じゃあ私も)

 

エマが私に続いて、隣に腰を下ろした。

初めは拒んでいたユーシスも、結局はガイウスの隣に体を寝かせた。

6人が6人、横になりながら同じ空を見上げている。

傍から見れば何をしているのか分からないだろう。

 

「・・・・・・8年前だったわ。技術者だった父が亡くなったのは」

 

少し離れた場所で、アリサはゆっくりと語り始めた。

父の死をキッカケにして、家族がバラバラになってしまったこと。

ご隠居とシャロンさんが、心の支えになってくれたこと。

事業を拡大し続けたイリーナさんと、当時会長であったご隠居との確執。

そんな彼を裏切るようにして―――軍に引き渡された、『列車砲』の存在。

 

私も存在だけは知っていた。

数々の導力式兵器が生み出される現代において、史上最大の火力を持つと揶揄される兵器。

私からすれば、故郷を脅かす大量虐殺兵器でしかない。

戦略的価値を問うには、余りにも用途が限られている。

 

「アリサは・・・・・・納得が行かなかったんだな。お母さんのした事というより、家族が壊れてしまったことが」

 

その後もアリサは捲し立てるようにして言葉を並べた。それで、漸く合点がいった。

アリサとシャロンさんの関係。イリーナさんとの確執。

ご隠居がラインフォルトを去らざるを得なくなった理由。

アリサが、士官学院を志望した動機。

 

自分の無力さに、言葉が出ない。私はアリサの何を見ていたのだろう。

根本にあるのは、家族への想い。彼女はもう何年も前から考え、悩んでいる。

そして願い続けている。バラバラになった家族の真ん中に立ち、決して目を逸らさずに。

時折見せる幼さは、彼女の強さの裏面なのかもしれない。

 

少しだけリィンに対して嫉妬心を覚えた。

彼にアリサを任せておいて、身勝手極まりない感情だ。

 

「でも・・・・・・この星空を見上げてたら、どうでも良くなっちゃったわ」

 

澄んだ声で、アリサは言った。

決して諦めではない。その言葉からは、力強い意志が感じられた。

 

今のアリサは、きっとあの時の私と同じ。

この星空の下では、自分がどれだけちっぽけな存在なのかを思い知らされる。

どれだけ思い悩んでも、星の輝きは変わらない。3年前も、今この瞬間も。

全ては自分自身の問題。心の在りようだ。

 

「やっぱり、アリサは強いな。こうして俺に色々と話してくれたってことは、前に進めるキッカケが掴めたってことだろう?」

「・・・・・・そうね。だとしたら、それは士官学院に入ったからだと思う。《Ⅶ組》のみんなに、部活のみんな。本音で向き合える仲間に出会えたから、私は強くなれた。だから―――ありがとう」

 

(アリサ・・・・・・)

 

隣を見ると、エマと目が合った。

お互いに、自然と笑みが浮かんだ。どうやら私と同じ心境のようだ。

リィン顔負けの歯の浮くような台詞だが、今だけは素直に心に響いてくる感覚だ。

 

逆の方向に顔を向けると、とても穏やかな表情のユーシスがいた。

彼のこんな顔を見るのは初めてかもしれない。

ユーシスもユーシスで、アリサの言葉に思うところがあるようだ。

 

(部活のみんな、か。ねぇユーシス。お土産、みんな喜んでくれるかな)

(じゃじゃ馬娘には馬毛がお似合いだ)

(あはは・・・・・・馬術部のこと、これからもよろしくね)

(黙っていろ。気付かれるぞ)

 

「そうだな・・・・・・俺も少しずつ、前に進んで行けてるんだよな」

 

何かを抱えているのは、皆同じだ。

少しずつ前に進めているのも、全部同じ。

私達は手を取り合って歩み始めている。その先にある明日が待ち遠しくてたまらない。

そして私達は、変わりつつある。こうして同じ時間を共にしながら、同じ星空を見上げながら。

 

____________________________________

 

結局傍で聞き耳を立てていたことは、アリサの知るところとなった。

ユーシスのさり気無いフォローで、途中から偶然聞いてしまったことになったのだが。

実際には全部聞いていたとアリサが知ったら、どんな顔をするのだろう。

 

「いーい、2人とも。絶対に今日のことはB班のメンバーには秘密だからね」

「うふふ、分かってますよ」

 

私達女性陣は、先程まで寝そべっていた草むらに腰を下ろしながら談笑を続けていた。

ガイウス達は、先にゲルへ戻っている。

そろそろ皆酔いがピークに達している頃合いだ。

そこに戻る気なんてこれっぽっちも起きない。今頃はガイウス達が絡まれている頃かもしれない。

 

「・・・・・・あー、ウォッホン」

「アヤ!!」

「あはは、冗談だよ」

 

今のはユーシスの真似だ。

あのタイミングでのわざとらしい咳払いは、まさに完璧なそれだった。

これは思っていた以上に汎用性がある。これからも活用しよう。

 

「ああもう。あんなクサイ台詞言うんじゃなかったわ・・・・・・」

 

アリサはリィンとのやり取りで、どこか吹っ切れた様子だった。

悩みの種が解決したわけではないが、これなら心配は要らないだろう。

私としては、アリサを弄るネタにしばらく困りそうにないことが喜ばしい。

 

「でもさ、この際聞いておきたいんだけど・・・・・・アリサって、リィンのことかなり意識してない?」

「・・・っ・・・・・・」

 

耳まで真っ赤になるアリサ。やっぱり彼女のこういう反応は可愛らしい。

かと思いきや、突然アリサは冷静な表情に戻ってしまった。

見る見るうちに、真っ赤だった顔が平静のそれに逆戻りしていく。

 

「あれ、どうしたの?」

「ううん、私・・・・・・私だって、最近考えるのよ」

 

先程と同じように、草むらの上に体を寝かせながらアリサは言った。

 

「2人の目から見て、リィンってどんな風に見える?」

 

偶然にも、ご隠居からアリサについて同じような質問を受けたばかりだ。

リィン、か。アリサの時よりも、少々言葉にはし辛いものがある。

 

「そうですね・・・・・・自然と皆を惹き付ける魅力、みたいなものでしょうか。中心に立って周囲を引っ張っていくような力が、リィンさんにはあるのだと思います」

「それに、やっぱりアリサが言うように強いんだと思うよ。リィンも何かを抱えているみたいだけど、普段はそれを感じさせないから。顔に出したりしないし」

 

そんなところだろう。彼はいつだって皆を励ます側にいる。

そして皆を引っ張るリーダー役でもある。上には立たず、中心に立つのが彼の特徴だ。

ある意味でアリサと似たようなところがあるのかもしれないが、彼女とリィンではやはり少し違う。

 

「リィンって、私が欲しいものを持ってるのよ。彼は私を強いって言ってくれたけど・・・・・・前回の特別実習の時もそう」

「セントアークの?」

「アヤが私をリーダー役に推してくれて、素直に嬉しかったわ。リィンみたいに、みんなを引っ張っていこうって思ったの。でも、結果は散々」

「・・・・・・そんなこと考えてたんだ」

 

思っていた通り、アリサはあの時のことをまだ引きずっているようだ。

そんなことはない、と言っても彼女には通じないだろう。

 

「憧れ、なのかしら。私は・・・・・・リィンみたいな人間になりたかったのかも。将来のことも含めてね」

 

『ラインフォルトを継ぐことを強制する気はないわ』

 

イリーナさんが駅で言った台詞が自然と連想された。

ああいった態度を示されても、アリサには会長の一人娘としての立場がある。

数十万人という大規模なグループの、トップに立つ可能性があるのだ。

『将来のこと』は、そのあたりのことを指しているのだろう。

 

「・・・・・・以前、自己啓発本で読んだことがあります。お二人は『人が変わる瞬間』って、どういった時だと思いますか?」

 

また随分と考えさせられる質問だ。何だか今日はこんなことばかりな気がする。

人はそう簡単には変われない。だから私達は悩んでいる。

 

「ふふ、その本には『なりたい自分の姿が明確になった時』とありました」

「なりたい自分の姿・・・・・・?」

「はい。人は現在の自分と、なりたい姿の差を埋めるために努力するそうですよ」

 

そう言われると分かりやすい。

今のところ、私はまだその姿を描き切れていない。

一方のアリサは、それをリィンと重ねていたのかもしれない。

 

流石はエマだ。常日頃から読書を欠かさないだけのことはある。

本といえば娯楽小説ぐらいしか読んだことがなかったが、教養本の類にも興味が湧いてきた。

 

「ありがとうエマ。勉強になったよ」

「どういたしまして。さて、私達もそろそろ戻りましょうか」

「ちょっと待ちなさいよ」

 

腰を上げようとしていた私とエマを遮るようにして、アリサが眉間に皺を寄せながら言った。

どうしたのだろう。まだ何かあるのだろうか。

 

「言ったでしょう?恥ずかしい青春トークをぶちまけてもらうって。今のところ、私しか恥ずかしい思いをしていないじゃない」

「あ、アリサ・・・・・・」

 

・・・・・・その話はもう終わっていたと思ったのだが。

どうやらアリサの中ではまだあの発言は有効らしい。

そんなことを言われても、私にはぶちまけるものは無い。

 

―――いや、あったか。そういえば昨晩、アリサ達には話すと約束をしていた。

 

「そっか。いずれ話さなきゃいけないことだもんね」

「あら、意外に乗り気じゃない」

「青春トークではないかもしれないけど・・・・・・言ったでしょ、昨晩」

「昨晩?・・・・・・あっ」

 

アリサとエマはすぐに思い当たったようで、先程までのような和やかな雰囲気から一変、真剣なそれに様変わりした。

 

「その、アヤ?別に無理をして話してくれなくてもいいのよ?」

「無理はしてないよ。キッカケをくれたのは、アリサなんだから」

「アヤ・・・・・・」

 

アリサの言う通りだ。本音で向き合える仲間がいてくれるから、今の私がいる。

私はみんなが大好きだ。だから私は、みんなのことがもっと知りたい。

アリサが抱えるものの重みを共有できて、素直に嬉しかった。

だからこれは、私からのお返しだ。

 

「流石に全部は無理だけど、話すよ。私がノルドに来た理由。私が・・・・・・アヤ・ウォーゼルになった理由をね」

 

私がノルド高原に足を運んだキッカケ。

全てはあの日。監視塔に勤める、ザッツさんとの出会いが始まりだった。



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ノルドへの軌跡①

マッドペングー。赤毛の鳥型魔獣の一種。

口内から川魚を吐き出すという独特の威嚇に初めは面食らったが、慣れてしまえばどうということはない。

攻撃は直線的で至って単純。間合いさえ詰めればさほど脅威も感じない。

とはいえ十数体という集団単位で街道に出没するとなれば、話は変わる。

討伐を依頼したくなるのも無理はないだろう。

 

「―――五の舞、『投月』」

 

残るは2体。私から見て間合いが近い方の魔獣に、たっぷりと遠心力をつけて長巻を投擲した。

顔面に刃が突き刺さったのを確認するのと同時に、一気に間合いを詰めて回収する。

 

「クエェェッ!!」

 

最後の1体が最後の特攻とばかりに、勢いをつけて突進してきた。

そちらから向かって来てくれるとはありがたい。

躱すまでもない。正面から叩き斬るまでだ。

 

上段に構えた長巻を力任せに振り下ろすと、真っ二つに裂かれた魔獣の体が私の後方に力なく横たわった。

おかげで返り血をもろに顔面に受けてしまった。

一瞬だけ視界を取られたが、問題はない。もう全て斬り終わった後だ。

 

「・・・・・・す、すげえ。あっという間に全部倒しちまった」

 

私の遥か後方、先程まで導力車の中に待機していた男性が、車から降りながら言った。

今回の魔獣討伐の依頼人だ。

 

私が今立っているノルティア街道は、ルーレから南部に広がる街道の1つ。

彼はこの街道の先で農業を営んでいるそうだ。

確かにこんな場所に魔獣が大量発生していては、導力車といえど突破は難しいだろう。

私から言わせれば、そもそもこんな街道で農業という選択自体がおかしな話だ。

ルーレに行けば、安定したミラを稼げる職などいくらでもあるだろうに。

 

「だ、大丈夫なのか?怪我は?」

「無い」

 

体中血まみれだが、全部返り血だ。そもそも人間の血はこんな青々しくはない。

人間味が無いのは自覚しているが、生憎と血の色は人間のそれだ。

 

「報酬は」

「え?・・・・・・ああ、今渡すよ」

 

私が右手で催促すると、男性は慌てて懐からミラが入った袋を手渡してきた。

この程度の依頼に5000ミラも積むとは、余程困っていたのだろう。

貰えるものは貰っておくだけだ。別段心も痛まない。

 

「・・・・・・ん」

「あれ、どこに行くんだ?」

 

私が踵を返して街道を進もうとすると、男性が背後から声を掛けてきた。

ルーレに戻るだけだ。聞いてどうする。

 

「なら車で送るよ。ルーレに行くんだろ?」

「いい。構わないで」

 

男性の誘いに断りを入れ、歩を進める。

魔獣は倒したし、ミラは受け取った。それで十分だ。

だから、もう構わないでほしい。会話を交わすのも億劫だ。

 

_______________________________________

 

「・・・・・・ふう」

 

胸元まで伸びる黒髪を乱雑にタオルで拭きながら、ベッドに腰を下ろす。

宿に泊まるなんていつ以来だろう。ここ最近はずっと野宿生活が続いていた。

シャワーを浴びたのも久しぶりだ。川で水浴びは、今の季節は少々辛いものがある。

とはいえ、路銀はやはり心もとない。3日も経てば底をついてしまうだろう。

 

壁に掛けられたカレンダーに目をやる。

七曜歴1201年、3月27日。3日後には、私は16回目の誕生日を迎える。

 

「あれから・・・・・・4年か」

 

4年前に全てを奪わた、あの日。あれ以来、ずっと帝国中を放浪してきた。

西部の都市に足を運んだことはないが、それ以外はほとんど網羅している。

こうしてルーレを訪れるのは、今回が3回目だ。

 

私に残されたのは、お母さんから託された剣。

そして、黒いサングラスの男が掛けた呪い―――身体から溢れ出る『力』。その2つだけだ。

いや、もう1つあった。お母さんが今わの際に残した言葉。

 

『生きなさい』

 

その約束だけを心の支えにして、私は今日まで生きてきた。

生易しいものではなかった。命を断とうと思ったことは、何度もある。

 

12歳になったばかりの少女が、右も左も分からない異国の地に投げ出される。

お母さんの仇とはいえ、人を斬ってしまった以上誰も頼ることはできなかった。

罪悪感は無かった。追われる身になってしまったことだけが面倒だった。

 

身を隠すようにして、泥水をすする毎日。

木の根で腹を満たしたこともあった。

飲食店の残飯は貴重な食糧だった。

明日なんてない。目の前の今日を命がけで生き延びることだけを考えてきた。

 

だがそんな日々は、初めの数ヶ月に限られた。

幸いにも、私には剣と力があった。猟兵から奪った戦術オーブメントがあった。

自然に、様々な生きる術が身に付いた。野宿は勿論、自力で腹を満たすことができるようになった。

火や水はオーバルアーツで事足りたし、名前と過去を捨てればこれから先も捕まることはない。

私は―――独りで生きていくことができるようになった。

 

悪事に手を染めようという気は起きなかった。

多分、肌身離さず持っていた長巻のおかげだ。

この剣からは、お母さんの声が聞こえてくる。

『生きなさい』と言ってくれる。それだけが、心の拠り所だ。

 

だがその声も、最近では小さくなりつつある。

耳を澄まさないと、うまく聞き取れない。

 

「・・・・・・お母さん。私、もう疲れたよ」

 

天井のファンを見上げながら、剣に語りかける。

もう4年だ。4年間も、私はたった独りで生きてきた。

私は一体、何のために生きているのだろう。何のために剣を振るっているのだろう。

 

(お腹、減ったな)

 

感情とは裏腹に、途方もない空腹感を覚える。あの男が与えてくれた『力』の代償だ。

昔に比べて、食べる量が3倍近くに増えた。

以前本で読んだことがある。気の力を利用した術技は、ひどく体力を消耗するらしい。

私の場合、気の力は垂れ流し状態だ。今ではある程度制御が効くようになったが、それでも人一倍食べなければいけない体質になってしまった。

 

その反面、食事の時間が私にとって唯一心休まる一時になった。

空腹を満たしている間は何も考えずに済むし、何より幸福感を覚えることができた。

既に日は暮れつつある。今は、本能の赴くままに行動しよう。

 

_______________________________________

 

居酒屋《ドヴァンス》。

鋼都ルーレの外れ、夜には仕事終わりの男共で溢れかえる居酒屋だ。

 

そういえば、私にも帝国法に背いた習慣があった。

飲酒と喫煙だ。これは流石にお母さんに怒られる行為だろう。

1年ほど前からだ。年齢を聞かれた時には、18歳と答えるようにしている。

 

「よう嬢ちゃん、今日も来てんな」

 

カウンター席でステーキを頬張りながらビールで喉を潤していると、髭面の男性が声を掛けてきた。

彼とは2日目にここで知り合った男性だ。名前は知らない。

ザクセン鉄鉱山で働いているそうで、毎晩のようにここを訪れているらしい。

 

「おじさん、タバコある?」

「おう、お安い御用だ。相変わらずオッサン臭いな、ベッピンのくせによ」

 

2年程前から感じていたことだが、私はそれなりに男受けする顔立ちをしているらしい。

身なりさえ綺麗にして愛想よく振る舞えば、自然と男共が声を掛けてくる。

居酒屋にいると、こうしてタバコや酒を奢ってくれることも多い。

たまに体目当ての輩が寄ってくることもあるが、力で追い払うまでだ。

そこまでしてミラを稼ごうとは思わない。

 

「はっはっは、今日は自腹か。羽振りがいいじゃねえか」

「仕事が入ったから。何かそういう話は無い?」

「んん?そうだな・・・・・・」

 

居酒屋を訪れる目的は、もう1つある。

ここでは色々な情報が入ってくる。仕事を見つけるには格好の場だ。

遊撃士や軍へ依頼が回る前に、自分でそれを見つける必要があるのだ。

 

「ああ、そういやまた街道で変な魔獣が出たって話があったな」

「ノルティア街道?」

「いや、確かスピナ街道だったと思うぜ・・・・・・おい、ザッツ!」

 

彼にザッツと呼ばれた男性は、隅のテーブルでジョッキを傾けていた。

あちらも私達に気付いたようで、ジョッキを片手にこちらに歩いてきた。

 

「何だ、俺に何か用か?」

「お前確か、スピナ街道に変な魔獣が出たって話をしてたよな」

「ああ、そのことか。それがどうかしたのか?」

「その話、詳しく聞かせて」

「・・・・・・お前さん、誰だ?」

 

私はもう、ユイじゃない。

そう一人ごちてから、私は彼に『アヤ』と名乗った。

 

______________________________________

 

3月28日、場所はスピナ街道の中間地点。

私はザッツという男性が運転する導力車に身を揺られながら、件の魔獣が出没したという場所に向かっていた。

話によれば、3日前に街道に出没した大型魔獣に、輸送車が襲撃される事件が発生したらしい。

既に領邦軍はその報告を受けているそうだが、未だ討伐軍は派遣されていないそうだ。

 

「・・・・・・ノルド高原の、監視塔?」

「ああ、最近建てられた軍事施設さ。俺も今年からそこに派遣されたんだよ。今は休暇中で、ルーレに滞在してるんだけどな」

 

ザッツは正規軍の所属だそうで、驚いたことに今回の依頼の報酬は彼が自腹を切るそうだ。

本音を言えば、軍人とは関わり合いを持ちたくは無かった。

4年前のあの事件で、私は追われる身なのだ。

 

「アヤっていったっけ。お前さん、以前は遊撃士だったとか?」

「・・・・・・別に。そうじゃない」

「まぁいいさ。何か事情があるんだろうけどよ」

 

「1つだけ言っておくぜ」と前置きをしてから、ザッツは再び口を開いた。

 

「昨日も言ったけど、ヤバいと思ったらすぐにアヤを連れて逃げるからな?輸送車を襲うような魔獣が相手だ。いくら腕が立つとはいえ、民間人を頼ること自体気が引けるってもんだ」

 

ザッツの言葉に、私は返事をしなかった。

大型魔獣とはいえ、力を全力で行使すれば勝てる自信はある。

死んだらそれまでだ。別に悔いはない。

 

ちなみに今回の報酬は、ミラと2日分の宿代。

今泊まっているような安宿ではなく、ザッツも滞在しているホテルの方だ。

彼は明日まで休暇の身だそうで、明後日の午後には監視塔に戻るのだという。

 

「ナハハ・・・・・・なぁアヤ、ノルド高原に行ったことはあるか?」

「無い」

「いい所だぜ、あそこは。なーんも無い所だけど、心が洗われるっていうのかな」

「そう」

「・・・・・・気のせいかな。お前さん、昨日と雰囲気が違わないか?」

 

それこそ気のせいだろう。こっちが素の私だ。

昨日はわざと愛想よく振る舞っていただけだ。

彼は依頼人で、私は魔獣を倒す。それだけの関係だ。

 

「まぁいいや。いいか、もう一度言っておくけど―――」

「少し黙って」

「・・・・・・はい」

 

目的地に到着するまで、彼が口を開くことはなかった。

 

_____________________________________

 

―――いた。

私が標的を視界に捉えてから数秒後に、ブレーキ音が鳴り響いた。

どうやらザッツも魔獣に気付いたようだ。

 

(・・・・・・モグラ?)

 

異常なまでに発達した筋肉の塊のような上半身と、1アージュはありそうな鋭い爪。

一目で土竜型の大型魔獣だと分かる。しかも相当なサイズだ。

おそらく輸送車もあの爪に襲われたのだろう。

 

あんな魔獣が普段から街道に生息しているはずがない。

岩山や洞窟の奥底で暮らすヌシといったところだろうか。

もしかしたら鉄鉱山開発の影響で、山から追われてきた身なのかもしれない。

 

「じょ、冗談じゃねえ。あんなでけえとは聞いてないぞ!?」

「ここにいて。危険だから」

 

ザッツを導力車の中に残し、街道に降り立つ。

見れば、全身が分厚い体毛に覆われている。

あれでは刃が通るかどうかも怪しいところだ。

 

「な・・・・・・あれとやる気かよ!?無茶だ、あんなのは軍に任せておいた方がいいって!」

 

いつの間にか、ザッツも車から降りてしまっていた。

面倒な男だ。忠告しておいたのに、後ろにいられては巻き込んでしまう可能性がある。

 

―――知ったことか。幸いにも魔獣はまだ私達に気付いていない。

なら、先制してこちらから仕掛けるのみだ。

 

「一の舞、『飛燕』!」

 

遠距離から放った私の先制攻撃が、魔獣の背後から襲いかかる。

斬撃は間違いなく当たった。だがダメージは無い。

思っていたように、体毛に阻まれて毛ほどの傷も負ってはいないようだ。

 

「ググ・・・・・・グオオオォォ!!!」

 

魔獣が耳が痛むほどの雄叫びを上げながら、地面に潜り始める。

地中から襲うつもりなのだろう。輸送車も下方から襲撃されたのかもしれない。

 

気を落ち着かせて、地響きに気を向ける。

振動を感じ取れば、どこから襲ってくるかはある程度感知できる。

それにおそらく、刃が通る場所は1つしか無い。

 

(・・・・・・来るっ!)

 

目を見開いて、力の限り後方に飛びのく。

私がそれまで立っていた地面から、鋭い2つの爪と共に魔獣が姿を現した。

攻撃は躱した。狙うは体毛に覆われていない、紫色の頭部―――

 

「―――え?」

 

思わず目を疑った。爪は2本ではなく、4本。その巨体も2つ。

地面からは現れたのは、2体の大型魔獣だった。

しかも、地響きはまだ続いている。音と振動は、私の前方からこちらに向かっている。

 

「グオオオォォ!!!」

 

再び土砂が地中から舞い上がった。

目の前に映るのは、合計で3体の大型魔獣。

どの個体も呼吸が荒く興奮しており、敵対心に満ちた真っ赤な目を向けていた。

 

「アヤ!早く車に乗れ!!」

 

後方では、ザッツが導力車の扉を開けながら叫んでいた。

当然の反応だろう。あれ程の魔獣が3体ともなれば、威圧感だけで立っていられなくなる。

 

「・・・・・・先に逃げて。もし戻ってこなかったら、私のことは忘れて」

「ば、馬鹿野郎!!何言ってんだよ!?」

「はああっ!!」

 

力の制限を解き、全身に気を巡らせる。

どこまで通用するかは分からないが、戦い方によってはやりようもある。

 

いや―――多分、無理だろう。あの爪で一撃でも貰えば、即死だ。

それでもいい。ここが私の死に場所だったというだけのことだ。

彼が私のことを忘れてくれれば、私という存在は消える。

それ以上でも以下でもない。

 

死を望んでいるつもりはない。手も動くし、足も動く。

目の前の脅威に抗おうとする気力もある。

ただ、その先にある明日への執着心がまるで湧いてこない。

これは見返りの無い賭けだ。この戦いの後、もし生き延びていたら。

もう少しだけ生きてみよう。もう、どっちだっていい。

 

(お母さん・・・・・・もう少しだけ、頑張ってみるね)

 

長巻の柄を強く握りながら、語りかける。

耳を澄ませても、声は聞き取れない。間違っているなら―――何か言ってほしいのに。

 

_____________________________________

 

ゆっくりと目蓋を開ける。

ここはどこだろう。目の前に映るのは、純白の天井とシーリングファン。

昨晩泊まった安宿のそれとは違う。窓枠から差し込む日差しで目が痛くなる。

 

「・・・っ痛・・・・・・」

 

身体を起こそうとした途端、体中が音を立てて軋むような感覚に襲われる。

これは力を使い過ぎた時の症状に違いない。腕を上げるだけでも一苦労だ。

 

見れば、私は着の身着のままの状態でベッドに寝かされていたようだ。

周囲を見渡すと、随分と高級そうな家具や備品が目に付いた。

横になっていたベッドも、フカフカで特大サイズ。この状況は何なのだ。

 

「・・・・・・生きてるんだ」

 

意識がハッキリしていくにつれ、思考も通常稼働に戻っていく。

そうだ。私は、魔獣を確かに倒した。そこまでは思い出せた。

半ば捨て身の覚悟で繰り出した返し技で、魔獣の頭部を叩き斬ったのを覚えている。

目立った外傷も負っていないようだ。一撃が死に繋がる相手だったのだから当然か。

 

賭けには勝ったのだろうか、負けたのだろうか。

いずれにせよ、私は生きている。その証拠に、この空腹感はかなり堪える。

 

「アヤ!?」

 

唐突に、ノックも無しで部屋の扉が開かれた。

そこに立っていたのは、見覚えのある男性だった。

 

「い、いつの間に起きてたんだ?大丈夫なのか?体は?俺はてっきり―――」

 

ザッツが捲し立てるようにして訊いてくる。

ひどく慌てている様子で、やたらと顔を近づけてきた。

 

「水」

「へ?」

「水が飲みたい」

「あ、ああ。少し待ってろ」

 

空腹よりも、まずはこの喉の渇きを何とかしたかった。

声を出す度に痛みが走る。どうやら疲労も相当なもののようだ。

 

水差しとコップを持って再び部屋を訪れたザッツは、状況を一から説明してくれた。

私は3体の大型魔獣を相手に死闘を繰り広げた後、倒れ込むようにして意識を失ったそうだ。

そんな私を抱えてザッツが足を運んだのが、ホテル『ラグランジュ』。

彼が滞在するホテルで、ここは依頼の報酬で用意してあった部屋らしい。

 

「なぁ、本当に大丈夫なのか?いきなり倒れちまったし、丸1日眠りっ放しだったんだぜ」

「・・・・・・今日、何日?」

「もう29日の昼間だよ」

 

テーブルの上の時計に目をやると、長針は1時を指していた。

魔獣の討伐に向かったのとほぼ同時刻だ。

確かに私は丸1日近く意識を失っていたようだ。

無理もない。制限無しで力を行使すれば、そうなるのも当たり前だ。

 

「・・・・・・もう少し眠りたい。1人にして」

 

本来ならさっさと報酬のミラも受け取って、おさらばしたいところだ。

だがこの疲労感をまずはどうにかしたい。

もう一度横になったら、すぐにでも意識を失うだろう。

 

「その前に、1つ訊いていいか」

「何」

「どうしてあんな無茶な真似をしたんだ?」

 

何を言っているんだ、この男は。魔獣の討伐を依頼したのは自分だろう。

 

「言ったよな、逃げろって。一歩間違えば、お前さん死んでたぜ。理解できねえよ」

「・・・・・・別に理解しなくていい。早く1人にして」

「そうかい」

 

彼の顔には、怒りの色が浮かんでいた。

言葉にしたところで、理解できるはずもないだろう。

逆に教えてほしい。私はどうすればいい。

私はこの先―――何のために生きていけばいい。

心の中でそう問いかけながら、私は再び睡魔に身を委ねた。



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ノルドへの軌跡②

ルーレの上層部、南部の住宅街にひっそりと佇む真新しいダイニングバー『ef』。

薄暗くライトアップされた店内は、ダークブルーの洒落たインテリアや装飾に彩られている。

客層は広いように見えるが、大半はスーツやドレスに身を包んでいた。

店先の張り紙にあった『落ち着いた雰囲気』は何を指して言っているのだろう。

私からすれば、ひどく落ち着かない。

 

「なぁ」

「何?」

「いや、遠慮するなって言ったのは俺だけどさ。少しは遠慮しようぜ?」

「知らない」

 

私が昨日ザッツから請け負った依頼は、1体の大型魔獣の討伐。

だというのに、結果的に私は3体もの魔獣と対峙することになったのだ。

だから、当然報酬のミラも3倍。宿代も3倍になるのが道理だろう。

駄目元で吹っ掛けた私に、案の定ザッツは応えることができなかった。

軍人は稼ぎがいいと思っていたのだが、彼曰くピンキリだそうだ。

 

結局酒と食事を奢るという彼の妥協案に、私は応じることにした。

そうでなければ、こんな高そうなお店に入ろうという気など起きるはずもない。

 

「ナハハ・・・・・・俺もこんな高いワイン、初めて飲んだよ」

「3倍の報酬に比べたら安いはず」

 

ワインというものを飲んだのは今夜が初めてだ。

安物のワインでは悪酔いするだけ、と聞いたことがある。

なら、これは安物ではないのだろう。価格すら聞いていない。

独特の酸味と芳醇な味わいが癖になりそうになる。

 

「お前さん、18歳って言ってたけど・・・・・・その、親御さんは?」

「いない」

「兄弟とかは?」

「いない。肉親も知り合いもいない」

「わ、悪い。変なことを聞いちまったな」

 

グラスを傾けながら、吐き捨てるように言った。

この帝国において、私は既に天涯孤独の身だ。

 

女性がこの年で遊撃士や傭兵の真似事をしているというだけで、奇異の目で見られる。

余計なお世話だ。それしか私には生きる術が無かっただけだというのに。

北部に行けば、私のような存在はそれほど珍しくもない。

 

「その、安っぽい言い方だけど・・・・・・苦労してんだな」

 

彼の目には、私は戦災孤児のように映っているのだろう。

そう思っているのなら、ありがたい話だ。余計なことを話さずに済む。

 

「別に。もう慣れた」

「そうかい。でもあんな無茶はもうしないでくれよ。あれじゃあ死に急いでいるようなもんだ」

「何が言いたいの?」

「何って・・・・・・だから、命を粗末にするようなことはするなって言ってんだよ」

 

勝手なことを。何も知らないくせに、へらへらと。

酔いが回っているせいで、感情が大きく揺れ動いてしまう。

誤魔化すようにして、私はグラスへボトルを傾けた。

 

「それにしても、ホントよく食べるな。酒も強いみたいだし・・・・・・ま、マジで足りるかな」

 

渇いた笑い声を漏らしながら、テーブルの下で財布の中身を確認し始めるザッツ。

一般的な女性から見れば、情けないことこの上ない姿に違いない。

 

「・・・・・・独身なの?」

「へ?」

 

紙幣を数えていた手を止め、呆け顔のザッツがまじまじと見詰めてきた。

ひどい間抜け面だ。訊かなくとも答えは容易に想像が付く。

 

「そりゃあな。軍ってのは今も昔も男性社会さ。出会いなんて俺みたいな男には無いに等しいってもんだ」

「興味無い」

「訊いたのはアヤだろ・・・・・・」

 

これでも人を見る目は養ってきたつもりだった。

人を二分するなら、彼は『いい人』に分類される人間なのだろう。

先のような意味合いで分けるなら、間違いなく『無い』人間だ。

 

「ったく。アヤだって早いとこいい奴を見つけないと、あっという間に取り残されちまうぞ?」

「馬鹿じゃないの」

「ナハハ。なぁ、アヤって酔っ払うと口数が増える方だろ」

 

思わず顔をしかめた。

一方のザッツはにやにやと含み笑いをしながら、財布を上着の中へ戻しながら言った。

 

「さっきから色々喋ってくれて嬉しいぜ。こうして見ると、普通の女の子だな」

「・・・・・・マスター、もう1本」

「ええっ!?」

 

ザッツが悲鳴のような声を上げながら、再び財布の中身を数え始める。

 

口数が増えることは自覚している。

余計なことを口にはしたくないが、私はこの酔いの感覚が好きだった。

自分が自分でいられなくなるような、そんな感覚。

全てがどうでもよくなってしまう。酔いさえすれば、何も考えずに済む。

 

(何してるんだろ、私)

 

皿に盛られたナッツを頬張りながら、店内を見渡す。

圧倒的に男女ペアの客が多い。居心地の悪さは、それが原因なのかもしれない。

 

溜息をつきながら正面を見ると、ザッツの背後、店内の壁に掛けられた1枚の写真が目に入った。

額縁に入ったそれは、とても大きな風景写真だった。縦横1アージュ以上はあるだろうか。

―――吸い込まれるようにして、私は席を立った。

 

「あれ、どうしたんだ?」

 

ザッツの言葉を無視して、壁の前に立つ。

これはどこを写したものなのだろう。こんな場所は見たことがない。

 

「・・・・・・へえー、見事なもんだな。絶景だ」

 

感嘆の声を漏らしながら、ザッツが私の隣に立った。

すぐに彼は何かに思い当たったようで、右の握り拳で左手をポンと叩きながら言った。

 

「ああ、やっぱりそうだ。これはノルド高原だよ。しかも最近撮られたやつだ」

「これが・・・・・・ノルド?」

「多分、北部の崖から撮影したんだ。ほらこれ、見えるだろ?これが俺の勤める監視塔だよ」

 

ザッツが指差した先は、写真の左隅。

パッと見では何か分からないが、彼が言うことが正しいならそれが監視塔とやらなのだろう。

 

「ナハハ。言った通り、綺麗なところだろ?」

 

既に彼の言葉は耳に入らない。

一気に酔いが醒めていくような感覚だ。

よくよく見ると、写真の右下の隅に、人影があるのが分かった。

 

目を離すことができなかった。

こうして見ているだけで、そこに自分が立っているかのような錯覚に襲われる。

きっと夕刻の手前ぐらいの時間帯に撮られたものだ。

木々の若葉のような緑色の大地が、ゆっくりと黄金色に染まっていく。まさにその瞬間だ。

 

気付いた時には、既にザッツは席に戻っていた。

どれぐらい私はこの写真の前に立っていたのだろう。

 

「・・・・・・ねえ。明日の宿泊代、キャンセルしたい」

「は?」

 

グラスにワインを注いでいたザッツが、素っ頓狂な声を上げた。

 

「いや、それは構わねえけど・・・・・・急にどうしたんだ?」

「明日には監視塔に戻るって言ってたけど」

「俺のことか?ああ、朝一の貨物列車に乗る予定だよ。それで?」

 

それなら、話は早い。

私は感情の赴くままに、提案した。

 

「私も連れて行って」

 

グラスはワインで溢れているというのに、呆け顔のザッツはワインボトルを傾け続けていた。

 

_________________________________________

 

ノルド高原について私が知ることは少ない。

帝国と共和国が領有権争いをしていて、遊牧民が暮らす広大な地。それぐらいだ。

写真に隅にあった人影も、遊牧民の姿を映したものなのかもしれない。

 

貨物列車に揺られながら、ザッツはノルドに関する様々な話を聞かせてくれた。

大半はどうでも豆知識だったため、適当に聞き流してしまった。

 

「観光客?」

「そう、観光だ。ゼンダー門で聞かれたら、そう答えるんだぜ。書類にもそう書いてくれ」

 

昨晩の私の思い付きを、意外にもザッツはすんなりと引き受けてくれた。

絶対に断られると踏んでいた。言ってしまえば、私は住所不定の放浪者だ。

そんな立場にある私が、国境を超えることなどできないと思っていたからだ。

何度も確認したが、ザッツは大丈夫の一点張りだった。本当にそうなのだろうか。

 

程無くして列車は帝国最北端の軍事施設、ゼンダー門に辿り着いた。

列車を降りた後、私はザッツの背中を追うようにして歩を進めた。

周囲には何人もの軍人の姿が目に入った。

これだけの人数に囲まれるのは初めてのことだ。変に緊張してしまう。

 

「よおザッツ。もう休暇は終わりか?」

 

施設の奥に入り込んでいくと、デスクに座る1人の男性が声を掛けてきた。

察するに、ここが受付のようなところなのだろう。

デスクにはペンや数種類の書類が置かれていた。

 

「おう。休暇って言っても、ルーレでフラフラしてただけなんだけどな」

「相変わらずノンビリしてんな・・・・・・ん、その子は?」

「列車の中で知り合ったんだ。観光目当てらしいぜ」

「観光?」

 

デスクの男性が怪訝そうな視線を向けてくる。

本当に大丈夫なのだろうか。不安の余り、思わずザッツの上着の裾を掴んでしまった。

 

「ふーん、女性が1人で観光ねぇ。こんな辺境の地のどこがいいんだか」

「そう言うなよ。景色はいいところだろ?」

「そうだけどよ。それで、君は成人だよな?」

「はい。18ですけど」

 

ならこの書類を埋めてくれ、という彼の指示に従い、私はペンを走らせた。

アヤ・シャンファ、18歳。住所はホテル『ラグランジュ』のそれだ。

書いているだけで不安に駆られる。本当にこれが通用するのだろうか。

 

私の心配を余所に、男性は何点かの注意事項を述べた後、あっさりと許可証を出してしまった。

開いた口が塞がらない。こんなものが審査と呼べるのだろうか。

 

「国境越えって言っても、ここじゃあ帝国法が適用される。帝国領内にいるのと同じようなもんだ。さっきのも形式だけの手続きさ」

「・・・・・・いいの?それで」

「さあな。上官も口を出さないし、いいんじゃないか?」

 

呆れたものだ。係争地のど真ん中に立っているというのに、緊張感の欠片もない。

彼が言うには、この施設は半ば左遷地のような扱いを受けているらしい。

言われてみれば、誰からも軍人特有の覇気が感じられない。

隠そうともしないその態度が、そのまま杜撰な管理に結びついているのだろう。

 

「ナハハ、それだけ平和なのさ。世間じゃ色々と騒がれてるけど、実情はこれだからな」

「仕事してよ」

「そ、そう言うなよ・・・・・・さてと。アヤ、準備はいいか?」

「え?」

 

両開きの扉に手を掛けたザッツが、笑みを浮かべながら訊いてくる。

私の返答をまたずして、彼はその扉を勢いよく開け放った。

 

(あ―――)

 

太陽の日差しを両手で遮りながら、歩を進める。

眼前に広がるのは、果てしなく広がる雄大な緑色の大地。

目が覚めるような深い翡翠色が、一気に私の目に焼き付いてきた。

 

「綺麗・・・・・・」

「ナハハ、そうだろ。アヤがそう言ってくれるのを楽しみにしてんだ」

 

風が草原を撫でる音。小鳥達のさえずり。土と草の匂い。

写真では分からなかったこの地の魅力に、五感の全てが奪われてしまう。

こうして立っているだけで、心が洗われるような感覚だ。

 

「それで、これからどうするんだ?列車の中でも言ったけど、後ろに乗っけてってやるぜ?」

 

後ろを振り返ると、ザッツが馬を引きながらこちらに歩いてくる姿が目に入った。

ここでは馬が足代わりになる。列車の中で彼が教えてくれたことだ。

 

「仕事は?」

「ナハハ、今日中に戻れれば問題無いさ。夕刻ぐらいまでなら、この周辺を一緒に回るぐらい付き合ってやるよ」

 

太陽はちょうど真上。時刻は昼過ぎぐらいだろうか。

馬に乗ったことはない。少しだけ初の乗馬を体験してみたい衝動に駆られたが、そうも言っていられない。

 

「いい。歩いて行くから」

「・・・・・・は?歩いて?」

 

―――そろそろ、彼ともお別れだ。

 

「それに、ここからは1人で行く。ついて来ないで」

「何言ってんだよ。1人で歩いてって・・・・・・アヤ、ノルドは初めてなんだろ?どこに行くつもりなんだ?」

「さあ?」

 

私が肩をすくめながら言うと、見る見るうちにザッツの表情が強張っていった。

無理もない。この地に何の準備も無しで身を投じる危険性は、私にも理解できる。

はいそうですかと私を見送るほど、彼も馬鹿ではないだろう。

 

「ま、まさかとは思うけど・・・・・・お前、変な気を起こしたんじゃないだろうな」

「そのまさかだって言ったら?」

「ば、馬鹿野郎!!命を粗末にするなって言っただろ!!」

 

その瞬間、ザッツの背後にいた馬の身体が大きく反り上がった。

傍で大声上げたをせいか、驚いて足をバタつかせてしまったようだ。

 

「わ、わわ―――」

 

それに気を取られたザッツの背後が、無防備に私に向けられた。

心の中で詫びながら、間髪入れず長巻の柄で彼の首筋を打つ。

 

衝撃で意識を飛ばされたザッツの体が、力なく草むらの上に横たわった。

 

「・・・・・・ごめん」

 

そう呟いてから、空を見上げる。

本当に綺麗な場所だ。夕刻になれば、見事な夕焼けがこの大地を染め上げるのだろう。

星空も一見の価値があるとザッツが教えてくれた。

 

目的など無い。思うがまま、感じるがままにこの地にやって来ただけだ。

野垂れ死にするのなら、それまで。ここで土に還れるなら本望だ。

私の―――アヤという人生を締めくくるには、少々勿体無い場所かもしれない。

 

腰を下ろし、ザッツの体を仰向けに寝かせ直す。

ここにいれば、いずれ軍の誰かが気付いてくれるに違いない。

 

「それと―――ありがとう」

 

こんな感情がまだ私の中に残っていたことに、自分自身驚いた。

久しぶりに人に戻れたかのような感覚だ。少しだけ、名残惜しさを感じた。

 

彼にお礼を言った後、踵を返して私は歩を進めた。

どこまでも続く、果てしない草原に向かって。

 

_____________________________________

 

当てもなく北東部に向かって岩山を超え、ただひたすらに歩を進めた。

道中、山羊の死骸が草むらに横たわっているのが目に入った。

魔獣の食べ残しだったのだろう。状態から見て、2~3日前の物と判断できた。

いつもの癖で、皮と毛を切り取って肩に背負ってしまった。

こういった毛皮は体温を保護するのに適している。悪臭が漂い始めていたが、鼻が慣れるのも時間の問題だった。

 

森林が生い茂る緩やかな崖を下ると、川を見つけることができた。

水流の中には、サワガニがいた。水が澄んでいる証拠で、火を通せば飲み水にもなった。

近くにあった大きな岩の窪みに、当たり前のように枯れ木を集め始めた。

獲物が潜んでいそうな浅瀬に長巻を叩き込めば、気を失った川魚が水面に浮かんできた。

水も食料も、寝床も確保できた。

 

日が落ちて周囲が暗闇に包まれる頃、気温が一気に低下してきた。

昼夜の寒暖差が激しいとは聞いていたが、想像以上だった。

とはいえ火を絶やさず、毛皮に身を包めば体温は保持できた。

 

白い息を吐きながら、焚火で燻られた川魚を夢中になって頬張った。

私はやはり、食事をしている時が一番幸せだ。

そこで―――漸く気付いた。

 

私は生きている。生きようとしている。

死に場所に足を運んだつもりなのに、全ての行動が当然のように生へ向かってしまう。

 

(本当に綺麗・・・・・・)

 

上空を見上げると、森を埋め尽くす木々の葉に遮られているものの、星を目にすることはできた。

ザッツの言う通りだ。この星空の前では、どんな言葉を並べても安っぽいものになってしまう。

 

今頃、彼は何をしているのだろう。

そして私は、今何をしているのだろう。

夕焼けに染まる草原の姿が頭から離れない。この星空から目を離すことができない。

自分で自分が分からなくなる。私は一体何を望んでいる。

 

(私もこれで、16歳か)

 

胸元でくしゃくしゃになったタバコに火を点けながら、16回目の誕生日を想う。

ノルドでは、16歳で成人を迎えるそうだ。

―――どうでもいいことだ。吸い始めたばかりのタバコを焚火の中に放り込み、目を閉じた。

 

____________________________________

 

3月31日。

私は早朝から川に沿って森を歩き続けていた。

道中にはザッツが言っていた監視塔とやらを目にすることができた。

分かり切っていたことだが、人工的な物はそれだけだった。

 

太陽が天辺に昇り切る頃、私は川の緩流に身を預けて体を洗っていた。

流石にこの季節では、日中でも相当な冷たさだ。予め火を焚いておいて正解だった。

そういえば、この地には遊牧民がいるはずだ。

川を下って行けば、もしかしたら出くわすこともあるのかもしれない。

 

―――そう思っていた矢先の事だった。

 

「・・・・・・悲鳴?」

 

確かに聞こえた。動物の声とは違う、甲高い声。

人がいるのだろうか。そうだとしたら、明らかに今のは悲鳴だ。

足早に川を出て、上着で身体を拭いてから衣服を羽織る。

念のために戦術オーブメントと長巻を携えて、声がした方角に向かって走り始めた。

 

見ればこの先は小さな崖、川は滝となって降りているようだ。5~6アージュ程度だろうか。

水流に流されないようにして、慎重に崖下を覗き込む。すぐにそれは目に入った。

 

(あれが、ノルドの遊牧民?)

 

青色の衣装を身に纏った男の子と、その後ろで身を屈めている女の子。

そして、2人の前で十字の槍を構える男性。その先には、3匹の羊。

いや―――羊型の魔獣だ。遠目で見ても、3人に向けて殺気を放っているのが分かる。

私が立つ崖を背にして、3人の少年少女はじりじりと魔獣に追い詰められていた。

 

「あっ」

 

3匹の魔獣の後方から、さらに1匹の同型魔獣が唐突に姿を現した。

その瞬間、一気に場の雰囲気が豹変したのを肌で感じた。

均衡は崩れた。多分、あれでは無理だ。

 

自然に体が動いた。気付いた時には、私の体は宙を舞っていた。

受け身を取っている余裕は無かった。

少女の背後に強引に両足で着地したのと同時に、両腕に力を集中させる。

左右から襲い掛かってきた魔獣の蹴りを、何とかその両腕で受け止めた。

 

「なっ―――」

 

前方を見ると、槍を持った男性が呆気に取られた表情を私に向けていた。

何をしている。そんな場合ではないだろう。

 

「前っ!!」

「っ・・・・・・承知!!」

 

長巻の鞘を払い、勢いをそのままにして二の舞『円月』を繰り出した。

追撃しようとしていた左右の魔獣を、円状の斬撃で2匹共々切り払う。

前方では、男性が4匹目の魔獣に槍を突き立てていた。

これで全部だ。既に周囲には、魔獣の気配はない。もう脅威は去ったはずだ。

 

(・・・っ痛・・・・・・)

 

未だに腕が痺れている。

3人に気付かれないように、患部を押さえながら回復系アーツを発動させた。

低級の魔獣といえど、まともに蹴撃を腕で受けるのは流石に無理があったようだ。

 

「だ、誰?」

 

振り向くと、少女を胸に抱いた少年が、目を丸くして私を見詰めていた。

これは、どう答えればいいのだろう。名を名乗ったところで意味がない。

 

「シーダ、トーマ!無事か!?」

 

シーダとトーマ。この少女と少年の名前なのだろう。

周囲に残心を取っていた男性が、槍を放り投げて足早に男女の下へ駆け寄ってきた。

 

「う、うん。僕は何ともないよ」

「うぅ・・・っ・・・・・・うええぇぇん」

 

力強く答えた少年に対して、少女は堰を切ったように涙を流し始めてしまった。

男性は少女を優しく抱きしめながら、傷を負っていないか確認しているようだ。

 

払った鞘を拾いながら、まじまじと彼らを観察する。

こうして改めてみると、確かに彼らはこの地の原住民なのだろう。

褐色の肌に、独特の民族衣装。どれもザッツが教えてくれた特徴と合致している。

 

程無くして、泣き声は止んだ。少女も漸く落ち着きを取り戻し始めたらしい。

 

「すまない、助かった。君のおかげで弟達も無事みたいだ」

「・・・っ・・・そう」

 

声を掛けられただけだというのに、どういうわけか緊張してしまう。

澄んだ翡翠色の瞳。まるで風色のセピスのようだ。

見られているだけで吸い込まれてしまいそうな感覚だ。

 

「君は・・・・・・外の人間のようだな。どうしてこんな所に?」

「か、観光」

「観光?こんな森の奥に、1人でか?」

 

男性が怪訝な表情で見詰めてくる。

ゼンダー門で通じた言い訳も、彼には通じない。

丸2日間、歩きっ放しだった。気付かないうちに、どうやらかなり深い所まで入り込んでしまっていたのだろう。

 

「驚いたな。君のような女性が、こんな所まっ・・・・・・!」

 

そこで言葉を切って、男性が急に上空を見上げた。

同時に、表情が先程までのそれに豹変する。

 

「え?」

 

彼につられて上空を見上げると、太陽の光が何かに遮られた。

影のシルエットだけで、それが何かはすぐに分かった。

 

「っ・・・・・・!」

 

咄嗟に長巻を握っていた方の腕で、頭部を防御する。

すぐに意識が遠のく程の衝撃が、私に襲い掛かった。

完全に不意を突かれた。崖の上に、もう1匹いたようだ。

 

「がはっ・・・・・・!」

 

何とか防御には成功したものの、耳鳴りと揺らぐ視界で状況が判断できない。

あと数秒間は回復しない。今魔獣はどこにいる。少年と少女は無事だろうか。

 

「はぁっ!!」

 

男性の声がした方向に目を向ける。

おぼろげながら、槍に身を貫かれた魔獣の姿が確認できた。

何とか間に合ったようだ。少年と少女にも変わった様子は見受けられない。

 

「ぶ、無事か!怪我は!?」

 

地面に膝をついた男性が、私の顔を覗き込んでくる。

外傷はない。意識もハッキリしている。視界と聴覚も回復しつつある。

 

(―――あれ?)

 

視界が明瞭になるにつれ、違和感に気付いた。

途端に、途方もない孤独感に苛まれた。

 

「どうしたんだ?」

「無い・・・・・・無いっ」

 

どこにも無い。先程まで右手にあった、長巻が無くなっていた。

そう遠くまで飛ばされたはずがない。近くにあるはずだ。

 

「・・・・・・っ!?」

 

思わず息を飲んだ。川の中だ。

急流に飲み込まれて、流されていく長巻の姿が目に飛び込んできた。

 

「お、お母さんっ!!」

 

気付いた時には、私は川の中に飛び込んでいた。

男性の叫び声が聞こえたが、今はどうだっていい。

このままでは―――私は本当に独りぼっちになってしまう。

 

底に足はつかなかった。思っていた以上に流れも速い。

一気に水を吸った衣服が身体に纏わりついてくる。

泳ぎは得意な方だが、ここではそれも通用しそうにない。

 

(お母さんっ・・・・・・!)

 

流れに抗わないように水を掻き、視界に長巻を捉え続けながら後を追う。

幸いにも長巻は岩に行く手を阻まれながら減速し、少しずつ私との距離を縮めつつあった。

 

(捕まえたっ)

 

やっとの思いで長巻の柄を掴んだ。

それと同時に、後頭部から鈍い音がした。

私の頭部は―――今日二度目の衝撃に襲われた。

 

(―――木?)

 

狭まっていく視界の端に、大きな丸太が映った。

どうやら流されてきた丸太で後頭部を打たれたようだ。

身体が思うように動かない。全身の感覚が、一気に遠のいていく。

 

「掴まれっ!!」

 

再び、男性の声が聞こえた。

驚いたことに、彼の身体はすぐ傍に迫っていた。

川の中まで追ってきたのか。何て無茶をするんだ。

 

彼が差し伸べた手が、私の左腕を捕らえた。

私はそれを―――最後の力を振り絞って、振り払った。

 

「っ!?」

 

このままでは、彼にも危険が及ぶ。

急流とはいえ、彼1人なら今からでも助かるだろう。

 

多分、これが私の最期だ。

思っていた通りだ。やはりここが、私の死に場所だったのだろう。

寂しさは無い。懐にはお母さんがいる。私は独りじゃない。

 

幼い2人の命を救うことができた。それだけで満足だ。

最期の最期で、人間らしいことができてよかった。

 

(お母さん・・・・・・ごめんね)

 

4年間、私はお母さんとの約束を守り続けた。

私は十分頑張った。だからもう、休みたい。

 

―――待っていて、お母さん。すぐにそっちに向かうから。



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ノルドへの軌跡③

「お母さん!お母さんっ!!」

 

1人の少女が涙を流しながら、地面に横たわる女性の身体を揺すっている。

母と呼ぶからには、女性はあの少女の母親なのだろう。

 

「いやあ!死んじゃやだよ、お母さんっ!!」

 

女性の胸元からは、おびただしい量の血が流れ出していた。

一目見ただけで、この先の展開が見えてしまう。あれではもう、助からない。

それを少女も分かっているのかもしれない。

 

「生きて・・・・・・ユイ。生きな、さい」

 

それで漸く気付いた。

あれは―――私だ。4年前の私。

名を呼ばれるまで気付かなかったのか。どうかしている。

 

「いやあああ!!!」

 

少女の、私の悲鳴が辺りに響き渡る。

やっぱりお母さんは、最期にあの言葉を残していた。

だから私は生き続けた。懸命に、歯を食いしばりながら。

 

でもその約束を、私は守れなかった。

声が聞こえなくなっていたから。剣は―――お母さんは、もう何も言ってくれなかった。

もう十分。そういうことだったのだろうか。

いずれにせよ、私はまたお母さんと会える。地上にも未練は無い。

それなのにどうして私は、今更になって4年も前の光景を見ているのだろう。

 

______________________________________

 

「ゲホッ!?」

 

突然、溺れているかのような錯覚に襲われた。

咳と一緒に、肺の中から水が溢れ出てくる。

呼吸が思うようにいかない。苦しさの余り、水と一緒に涙が目から零れ落ちていく。

 

「ゲホッ、ゴホッ・・・・・・はぁ、はぁっ」

 

本当なら楽な姿勢を取りたいのだが、身体がピクリとも動かなかった。

口の中の水を吐き出すことすらままならない。

何がどうなっている。私は今、どこで何をしている。

 

「よかった・・・・・・間に合ったみたいだな」

 

男性の声が聞こえた。どうやら聴覚は生きているようだ。

視界も少しずつ回復してきた。色から察するに、この眩しさは夕焼けのそれだろう。

一方で身体はやはり動かない。冷水に浸かっているかのように、全身が凍えるような寒さだ。

 

「聞こえるか?聞こえていたら、手を握ってくれ」

 

動かないものの、感覚はあるはずだ。

右手が何か温かい物に包まれている。これを握ればいいのだろうか。

渾身の力を振り絞って、指を動かす。

僅かながら、私の右手は意思に応えてくれた。

 

「すぐに火を増やす。もう少しだけ我慢してくれ」

 

遠のいていく意識をどうにか繋ぎ止めていると、上下左右からパチパチという薪の爆ぜる音が聞こえてきた。

少しずつ体温が上昇していくのが分かる。

漸く、自分が置かれている状況が分かってきた。

私は―――生きている。投げ出したはずの命が、ここにある。

 

「どう・・・・・・して」

 

たったそれだけの言葉を口にしたあと、私は再び意識を失った。

 

___________________________________

 

再び目蓋を開くと、周囲は既に夜の暗闇に包まれていた。

眠っていたのだろうか。少なくとも意識を失っている間に、日が沈んでしまったようだ。

 

「私は・・・・・・」

 

先程よりも、随分と楽になった。呼吸も落ち着いている。

相変わらず身体が思うように動いてくれないが、何とか身を起こすことはできた。

 

「えっ?」

「目が覚めたみたいだな」

 

男性の声が背後から聞こえた。それは今どうだっていい。

私の身体には、青色の布地が覆いかぶさっていた。

その上から枯れ葉が敷き詰められていたようだ。保温のためなのだろう。

その下は―――下着しか無かった。上半身は何も無い。半裸だ。

何だこれは。私の衣服はどこにいった。

 

「悪く思わないでくれ。濡れたままでは体温が上がらない。漸く渇いてくれたところなんだ」

 

そう言って、男性が私の傍に腰を下ろした。

どういうわけか彼も半裸だった。その右手には、私が着ていた衣服があった。

 

咄嗟にそれに手を伸ばそうと体を動かした瞬間、右足の付け根に途方もない激痛が走った。

 

「あぐっ・・・・・・!?」

「無茶をするな。重要な血管は無事みたいだが、傷は深いようだ。動かない方がいい」

 

見れば、右足の大腿部に赤色の帯がぐるぐる巻きにされていた。

―――いや、これは私の血の色だ。既に渇き始めているようで、布地が固まりかけていた。

血は止まっていても、この痛みだけは如何ともし難い。

 

「どう・・・・・・なってるの。ここはどこ」

「俺達が飛び込んだ川の下流だ」

 

男性は薪をくべながら、私達が置かれた状況をゆっくりと話し始めた。

 

どうやら私が振り払った彼の腕は、私の身体を再び捕らえたらしい。

そのまま長時間、私達は水の中にいたそうだ。

あの近辺の川は流れが強く、あっという間に遥か下流へと流されてしまったのだという。

 

「思い出したか?」

「・・・・・・少し」

 

右足を弛緩させながら深呼吸を繰り返すうちに、徐々に記憶も鮮明なものになっていった。

そうだ。水流に飲み込まれながらも、私は完全に意識を失ってはいなかった。

僅かではあるが、彼に身を包まれた感覚を身体が覚えている。

 

その間に私は大分水を飲んでしまっていたのだろう。

完全に意識が飛んだのは、大分流された後のはずだ。

そうでなければ、私は生きているはずがない。

右足の傷は、流されていた間に何かで切ってしまったようだ。

 

「もう手遅れかと思ったが、処置が間に合ってよかった」

「処置って・・・・・・」

 

想像するに容易い。あんな状況の私に施す処置と言えば、限られている。

思わず手の甲で唇を拭った。臆面も無くよく言えたものだ。

少しは恥じらいを感じているのだろうか。

 

「どうして、助けたの」

「どうしてって・・・・・・君は面白いことを聞くんだな。助けては駄目だったか?」

「助けてなんて言ってない」

「それはそうだが、君だってトーマ達を助けただろう。それと一緒だ」

 

覚悟はできていた。だから私は腕を払ったのだ。

だというのに、私はまた生き延びてしまった。

睨みつけても、返す言葉が見つからない。何だか負けたような気分だ。

結局私は視線を逸らし、別の話題に切り替えた。

 

「服、着てよ」

「その前に君が着てくれ。その恰好じゃ凍えるだろう」

 

彼はそう返しながら、私に背を向けて座り込んでしまった。

よくよく見れば、私を覆っていた青色の布はどうやら彼の衣装のようだ。

こんな低気温の中であれでは、火があるとはいえ先に彼が凍えてしまう。

 

上はともかく、下衣は足を通すことすらままならなかった。

少しでも右足動かせば、身の毛がよだつような激痛に苛まれた。

その前では恥じらいなど無意味だった。結局、彼の手を借りた。

まるで赤子に戻ったかのような気分だ。今後一切思い出したくもない。

 

「今日はもう休んでくれ。明日の朝には上流を目指す。集落の皆も俺達を探しているはずだ」

「そう。勝手に行って」

「・・・・・・言っておくが、君も連れて行くぞ」

 

何を言っているのか分からなかったが、嫌な予感はした。

私の足の状態は、彼も十分すぎる程理解しているはずだ。

身動きを取れない私を連れて行く方法など、1つしか思い当たらなかった。

 

「改めて礼を言わせてほしい。俺はガイウス・ウォーゼルだ。君は?」

「・・・・・・アヤ」

「アヤ。君は俺の兄弟を救ってくれた。だから俺は、君を助ける」

 

彼の真っ直ぐな翡翠色の瞳を、私は見ることができなかった。

 

______________________________________

 

ガイウス・ウォーゼル。14歳。

同年代か少し上、それ位だと思い込んでいた私は心底仰天した。

体格もそうだが、やけに大人びている。ノルドの男性は皆こうのだろうか。

 

(今・・・・・・10時頃、かな)

 

太陽の位置から現在の時刻を予想する。大体は合っているはずだ。

 

私はガイウスの背に身を預けながら、川に沿って上流へと向かっていた。

自分の足ではないとはいえ、彼が歩を進める度に脂汗が滲んでくる。

この傷の前では、私のオーバルアーツなど焼け石に水だった。

 

「・・・・・・もういい。下ろして」

「そうはいかない」

「助けを呼びに行くなら1人で行けば?」

「その間にアヤが魔獣にでも襲われたらどうする」

「なら助けが来るまで待ってればいい」

「君の傷の手当てが先決だ」

 

これである。どうやら彼もザッツと同じ側の人間らしい。

強引に身を離しても、彼は私を置いて行ったりはしないだろう。分かり切っている。

力ずくで連れて行かれるのも御免だ。虚勢を張るには、傷が深すぎた。

結局私は流されるがままだ。もう何度同じような思考を辿ればいいのだろう。

 

「足は痛むか?」

「別に」

 

言葉とは裏腹に、表情が歪む。顔が見えない分、それは露骨に表に出てしまう。

とはいえ、こうしているだけで彼の気遣いが伝わってきた。

重心が明らかに左へ傾いている。右足に負担を掛けないようにしているのが丸分かりだ。

 

何かと追及されるだろうと踏んでいたが、訊かれたのは年齢や出身ぐらいだった。

その代り、ガイウスは自身の多くを語った。集落や家族、この地に関する様々なこと。

大半は聞き流したつもりだったが、不思議と頭に残ってしまった。

 

初めは口数が多かった彼も、次第に沈黙が多くなっていった。

背中越しに聞こえる荒々しい息遣いと汗が、その過酷さを如実に物語っていた。

 

程無くして、私は一時的に彼の背中から解放された。

流石に人一人を背負った状態で歩き続けるには、この川沿いは険し過ぎるようだ。

 

「その剣は・・・・・・形見、なのか?」

 

額の汗を拭っていたガイウスが、私が背負う長巻を見ながら言った。

一瞬戸惑いを覚えたが、そういえば長巻を追いながら「お母さん」と呼んだ気がする。

それを聞いていたのだろうか。

 

「これは、お母さんが生前に使っていた剣」

「そうか。失くさずに済んで何よりだ」

「・・・・・・ん」

 

どうして話してしまったのだろう。教える必要などどこにもないというのに。

どうも調子が狂う。ザッツ以上のやり辛さだ。

 

(綺麗な目・・・・・・)

 

原因の1つは、彼の瞳の色かもしれない。

水で濡れたような、鮮やかな翡翠色。クロスベルや帝国では、かなり稀なはずだ。

見られただけで吸い込まれそうになる。

 

「どうかしたのか?」

「な、何でもない」

「そうか。さて、そろそろ休憩は―――」

 

終わりにしよう。そう言いたかったであろう彼の視線の先には、一羽の鳥がいた。

上空を舞うその鳥が近づいてくるにつれ、次第に大きさが増していく。

随分と大きな鳥だ―――いや、大きすぎる。

 

(鳥じゃ、ない?)

 

周辺の木々の葉を上空へ舞い上げながら、それは私達の目の前に立ち塞がった。

 

「ば、馬鹿な。何故こいつがこんな低地に!?」

 

真っ赤な紅色の羽毛に包まれた、大型の鳥型魔獣。

この地で対峙したどの魔獣よりも、遥かに大きい。

その威圧感だけで、足の傷がズキズキと疼いてくる。

 

最悪だ。2人掛かりならともかく、今の私は単なる足手まといだ。

私を抜きにしても、彼1人でどうこうできる相手とは思えない。

 

「アヤ、下がっていてくれ。こいつは俺が何とかする」

「いい。構わないで」

「駄目だ、下がっていろ」

「構わないで!」

 

無力と分かりつつも、背中の長巻に手を伸ばす。

その瞬間、魔獣がその巨大な羽を大きく羽ばたかせた。

身体がふわりと浮くような感覚に襲われ―――いや、実際に浮いていた。

身を焦がすような熱風が、周辺の岩ごと私達を遥か後方に吹き飛ばした。

 

「かはっ・・・・・・!」

 

鈍い衝撃音と共に、みしみしと木が揺れる音が耳に入ってくる。

背中から大木にぶつかったのだろう。意思とは無関係に、肺から空気が吐き出された。

一瞬意識が飛びかけたが、それ以上の痛みが右足を襲っていた。

それが気つけになってくれたおかげで、何とか気を失わずには済んだようだ。

 

苦痛に耐えながら身を起こすと、地面に力無く横たわる彼の姿が目に入った。

息はあるように見えるが、彼の身体は微動だにしなかった。

 

「お、起きて。起きてよ・・・・・・が、ガイウスっ」

 

名を呼んでも、反応は無かった。

一方の魔獣は舌なめずりをするかのように、私達を見下ろしながら上空を旋回していた。

まるで死神だ。偶然にも命を拾ってしまった私を迎えに来た、死神。

 

(このままじゃ・・・・・・)

 

絶望と諦め。後悔と罪悪感。

様々な感情が湧き上がっては消えていく。

 

「クエエェッ!!」

 

魔獣の咆哮が響き渡ると同時に―――私は再び剣を取った。

いずれにせよ私にできることは、1つしか無い。

 

「・・・っうぐ・・・・・・」

 

右足を庇いながら、ゆっくりと立ち上がる。

痛みは耐えればいい話だ。左足は生きているし、両腕も動く。

 

ここが私の死に場所であっても、彼にとっては絶対に違う。

この魔獣が死神だというなら、差し出すのは私の命だけで十分だ。

彼を巻き込むわけにはいかない。一時でも身を預けてしまった自分が嫌になる。

兄弟がいたはずだ。彼には待っている人達がいる。

私とは違う。死なせるわけにはいかない。

 

「だから・・・・・・お母さん。今だけでいいから、お願い」

 

力を貸して。

そう願った刹那、右前方から力の波動を感じた。

 

「え―――」

 

翡翠色に輝く矢のようなものが、魔獣の頭を突き抜けた。

的確に飛来したそれは、一本の槍。地面に刺さっていなければ槍だと気付かなかっただろう。

急所を貫かれた魔獣は、声を上げる暇も無く崩れ去った。

全てが一瞬の出来事だった。

 

「ガイウス!無事かっ!?」

 

驚き呆けていると、茂みの中から1人の屈強な男性が姿を現した。

声と出で立ちで、彼が何者かはすぐに分かった。

どうやら私は―――再び命を拾われたようだった。

 

________________________________________

 

私の予想は当たっていた。

ラカンと名乗った男性は、正真正銘ガイウスの父親だった。

彼は明朝から数人の男を引き連れて、私達を探し回っていたそうだ。

まさに間一髪だった。まさか父親にまで命を救われるとは思ってもいなかった。

 

「・・・・・・結構、暖かいんだ」

 

気付いた時には、私は彼らが暮らす集落にいた。

ザッツが教えてくれた『ゲル』と呼ばれる移動式の家屋がこれなのだろう。

木の枠組みを布地で覆った簡易な作りでありながら、普通の家と遜色無い居心地だ。

既に日は暮れているが、寒さは無かった。動物の皮でも使っているのかもしれない。

組み立て式とはいえ、ベッドまであるとは。思いの外充実している。

 

集落のゲルへと招かれた私は、アムルと呼ばれる男性から右足の手当てを受けた。

薬草を煎じたような緑色の液体を塗られた時は、気が飛びそうな程の激痛が走った。

今では嘘のように痛みが引きつつある。鎮痛の効能もあったのだろうか。

 

「し、しつれいします」

 

か細い声と共に、不安げな表情を浮かべる少女が入り口から顔を覗かせた。

見覚えのある顔だ。シーダ、といったか。後ろにはトーマと呼ばれていた少年もいた。

 

「あの・・・・・・これ」

 

少女が差し出してきた木製のトレーには、同じく木製のコップと大きめの皿。

皿には野菜が入ったスープのようなものが湯気を立たせていた。

 

「・・・・・・これを、私に?」

「う、うん」

「こらシーダ、そうじゃないだろ」

 

少年は軽く少女の頭を小突いた後、改まった口調で名を名乗った。

 

「僕はトーマ。こっちは妹のシーダです。昨日は魔獣から助けてくれて、ありがとうございました。これはそのお礼です」

「あ、ありがとう。おねーちゃん」

 

少年に続くようにして、少女も深々と頭を下げながら言った。

少年―――トーマもまだ10歳ちょっと程度だろうに、随分としっかりとしている。

幼い子供と言葉を交わすのは、それこそ4年振りかもしれない。

 

「おねーちゃん。足、大丈夫?」

「平気」

 

半ば虚勢気味に足を動かす。

本当なら絶対安静だろうが、これぐらいなら傷に障ることもないだろう。

 

「後で父が話があるそうです。それまでゆっくり休んでいて下さい」

 

トーマはそう言って、名残り惜しそうな表情のシーダを連れてゲルを後にした。

手元に置かれたトレーに視線を落とすと、香りのいい湯気が食欲を刺激してきた。

 

「あったかい・・・・・・」

 

口に入れた途端、全身に生気が漲っていく。生き返るような感覚だ。

今思えば、今朝から水以外何も口にしていなかった。

独特のハーブの匂いに多少戸惑いを覚えたが、これはこれで新鮮味がある。

 

皿の中が空っぽになった頃、再び入り口から女性の声が聞こえた。

 

「具合はどうかしら」

「あなたは・・・・・・」

「ふふ、まだ挨拶もしていなかったわね」

 

ファトマ・ウォーゼル。

この集落に連れてこられてから、何度か彼女の姿は見掛けた。

ラカンと同様に、彼女がガイウスの母であることは一目で分かった。

彼はどちらかと言えば、母親似かもしれない。繊細な顔立ちが特に似ていた。

父が後で話がある、とトーマは言っていたはずだが、聞き間違いだったのだろうか。

 

「あの人の代わりに着替えを持ってきたの。ついでに少し、話をしてもいいかしら」

 

差し出されたのは、彼女が今着ている物と同じ類の衣装だった。

上着はともかく、私の下衣は足の手当てのために右半分が切り取られている。

それを気遣ってくれたのだろう。

 

「その、どうも」

「身体も拭いてあげるわ。一日中歩きっ放しで疲れているでしょう」

 

歩きっ放しだったのはガイウスなのだが。

とはいえ、川に身を投じてからは心身ともにぼろぼろだ。

着替えを出してくれただけでも、素直にありがたい。

 

「改めてお礼を言わせてちょうだい。あなたには感謝してもしきれないわね」

「私は、別に」

 

上着を脱ぐと、ファトマはゆっくりと私の背中を拭き始めた。

これも4年振りだ。この地に足を踏み入れてから、何回目の4年振りだろう。

 

「ガイウスから聞いたわ。あなたは1人で帝国から来たそうね」

「いえ・・・・・・はい」

 

何も話すつもりは無い。

そんな私の思いを余所に、ファトマは何も訊かなかった。

母子共々、余計な詮索は控える性分のようだ。

 

すると突然、ファトマの手が止まった。

見れば、手は私の胸元で止まっていた。そこにあるのは、2つの銃創。

 

「ただの、古傷です」

「アヤ・・・・・・」

 

全身に残った傷は、私が独りで生き抜いてきた証。

一方でその傷痕は―――私がたった独りになった証。

 

ファトマはその証をそっと指で触れた後、その手を私の頭の上に置いた。

 

(あ―――)

 

胸の奥底から、記憶と共に身に覚えのない感情が湧き上がってくる。

いや、私は知っている。ひどく懐かしくて、温かい。

 

「・・・・・・傷が癒えるまで、ここで身を休めていきなさい。それぐらいのことなら、私達でもしてあげられるわ」

 

彼女の言葉に、私は無言で頷くしかできなかった。



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ノルドへの軌跡④

目蓋を開いた途端、記憶を失ったかのような錯覚に襲われた。

自分がどこにいるのかが分からない。

自分が何者で、今が何日なのかすら頭に浮かんでこない。

 

「早いな、アヤ」

 

低く透き通った声と共に、日の光が差し込んでくる。

影になっていて表情は窺えなかったが、それが誰かはすぐに察しが付いた。

 

「・・・・・・ガイウス?」

 

自然と、彼の名前が口から漏れた。

それと同時に、昨晩までの記憶が鮮明に蘇っていく。

 

(そっか・・・・・・いつの間にか眠ってたんだ)

 

右足の痛みが、それを現実だと物語っていた。

一方で心身ともに気力が充実している。2日振りに布団で寝れたおかげもあるのだろう。

 

「よく眠れたか?」

「それなりに」

「似合っているな。想像はしていたが」

「そう」

 

溜息を付きながら言うと同時に、腹が鳴った。

たっぷりと時間を掛けて、盛大に。

 

「・・・・・・別に」

「俺はまだ何も言っていない」

 

昨晩は結局、シーダが用意してくれたスープを口にしただけだった。

目が冴えていくにつれ、途方も無い空腹感が襲ってくる。

 

「朝餉の用意はできている。俺の実家に来てくれ」

 

そう言って差し出されたのは、彼の浅黒いごつごつとした右手。

 

「何、それ」

「何って・・・・・・歩けないだろう。しばらくは俺が君の右足だ」

 

頼んでいない、と言っても彼には通用しないだろう。

それよりもまずはこの空腹を何とかしたい。

今ぐらいは、素直になってもいいのかもしれない。

 

身を預けながらゲルを出ると、高原を照らす朝日が容赦なく降り注いだ。

ノルドの朝焼けを見るのは、これで2回目。

私はこの光景を、あと何度見ることになるのだろう。

 

(傷が癒えるまで、か)

 

そう一人ごちながら、私は彼の実家を目指した。

 

__________________________________

 

3人兄弟だと思い込んでいたウォーゼル家には、もう1人妹がいた。

リリと呼ばれる少女は、まだ3歳になったばかりだった。

駄々をこねてばかりの彼女に、シーダはひどく苦戦していた。

一方のガイウスやトーマは流石に手慣れていた。おそらくシーダで経験済みなのだろう。

 

身動きが取れない私は、トーマとシーダの話相手をして日々を過ごしていた。

話相手と言っても、私は身の上話をほとんどしていない。

トーマ達が訊いてくるのは、外の世界のことについてだった。

中でも『貴族』という存在に、2人は大いに関心を示していた。

帝国を流れる間に得た知識や経験を並べただけでも、彼らにはお伽話のような感覚なのだろう。

 

お返しとばかりに、2人はノルド高原に関する多くを私に教えてくれた。

おかげでこの集落のことは大方把握できていた。

彼らはこことは別の地で冬を越した後、春先を迎えるためにこの地に移動してきたばかりだった。

おかげで移住に付き合わずにすむのは嬉しい限りだ。こんな足では足手まといにも程がある。

 

集落を形成しているのは、30人にも満たない遊牧民。

家畜は羊と山羊に馬、鶏に牛までいた。羊の数だけでも人間の数倍はいる。

まさに自然と共に暮らす民族だ。耳触りだった鳴き声も、すぐに朝時計と化した。

 

一方の私は、1週間が経つ頃には歩き回れる程度に回復していた。

動けるようになるまで1ヶ月は掛かるというアムルの見立ては、見事に外れた。

無理も無かった。これは特異体質と言ってもいい。傷の治りが早いのは力の恩恵だ。

 

ちょうどその頃、集落に1人の帝国人が訪れた。

驚いたことに、それは私の客人だった。

 

「あ、アヤ!?アヤなのか!?」

「ザッツ、さん?」

 

目元に涙を浮かべながら私の懐に飛び込んできた彼を、私は放り投げた。

あんな別れ方をしてしまった以上申し訳無いという気持ちはあったが、気安く触らないでほしい。

 

「痛ててて・・・・・・はは、本当にアヤなんだな。よかった、よかったよ」

 

ザッツはあの日から、私を探して高原を導力車で走り回っていたそうだ。

軍用の設備を私物化するのはどうかと思ったが、私が言っていいことではないだろう。

 

「その、ごめん。私は、大丈夫だから」

「いいって。ナハハ、お前さんが無事でいてくれるんなら言うことは無いさ」

 

彼曰く、この集落は監視塔とも日常的に交流があるそうだ。

私がここにいることも、人づてで耳にしたと言っていた。

 

「それと、書類も俺が破棄してやったよ。好きなだけゆっくりしていけばいい。ここの住民はみんないい奴ばかりだ」

「・・・・・・そうする」

 

それからもザッツは度々集落を訪れては、私の様子を窺いに来た。

仕事をしろという思いもあったが、不思議と悪い気はしなかった。

 

そうして2週間が経つ頃には、私の足は元通りに全快していた。

時を同じくして―――集落では、新しい生命が誕生しようとしていた。

 

_______________________________________

 

「・・・・・・苦しそう」

「出産の時は大抵あんな感じだ。心配ない」

 

時刻は夜の11時。普段なら皆寝静まっている時間帯だ。

私とガイウスは、草原に横たわりながら身をもがく雌馬の姿を、遠目で見守っていた。

既に破水は終えている。陣痛が進むにつれ、呻り声も増してきている気がする。

 

「馬の出産を見るのは初めてと言っていたな」

「動物の出産自体初めてだと思う」

「そうか。ルッカは強い馬だ。見たところ順調のようだな」

 

あれが順調とは到底思えない。率直に言って、見ていられない。

苦しそうに唸り声を上げながら身を揺らす姿は、痛々しいことこの上なかった。

思わず顔を背けそうになるが、それでは見守り役の意味が無い。

 

「君も寒いだろう」

「・・・・・・ん」

 

ガイウスが身に纏っていたマント広げて私を覆う。

私達は身を寄り添いながら、1枚の布に身体を包んでいた。

こうしているだけで、彼の体温と息遣いが伝わってくる。

 

「足の具合はどうだ」

「しつこい。もう痛みも無い」

「そうか。ならいいんだ」

 

ガイウスが言うように、私の右足はほとんど完治している。全力で走っても痛みは無い。

既に彼は、私の右足ではない。それが意味するところは、1つしか無かった。

 

(どうして・・・・・・みんな、何も言わないんだろう)

 

元々傷が癒えるまでという約束だった。

完治した以上、私がここに居座る理由は既に無い。

だというのに、どういうわけか誰もそのことについて触れようともしない。

自分から切り出せということだろうか。

 

「どうかしたのか?」

 

気付いた時には、右の人差し指へ髪をぐるぐる巻きにしていた。

考え事をする際の癖を、既に彼は知っている。

 

「何でもない」

「そうか。見てくれ、そろそろだ」

「え?・・・・・・あっ」

 

口を両手で塞ぎながら、その瞬間を見守る。

いつの間にか、仔馬のものと思われる前肢が見え始めていた。

次第に頭部が、続いて肩がゆっくりと現れていく。

紛れもない新しい生命が、目の前で生まれようとしていた。

 

全身が母体から離れて間もなく、仔馬は荒々しく呼吸を始めた。

大量の汗を浮かべたルッカも、力強く立ち上がると懸命に仔馬を舐め続けていた。

 

「仔馬、立てないみたいだけど」

「すぐに自分で立つさ。見守るしかない」

 

ガイウスが言うように、程なくして仔馬はよろよろと前足を地面に踏ん張り始めた。

だがそれも束の間、足を滑らせた仔馬は再び横たわってしまった。

何度も何度も、立ち上がろうとしては失敗を繰り返す。

1時間近くが経過した後も、仔馬の足取りは同じだった。

 

「手伝わなくていいの?」

「それでは意味が無い。あの調子なら、きっと立てる」

 

馬は頭のいい生き物だとガイウスは言っていた。

なら、あの仔馬は今何を考えている。

生まれてから、まだ半刻しか経過していないというのに。

何故あんな風に頑張れるのだろう。本能なのだろうか。

意志とは関係無くこの地に生を受け、どうして。

 

「・・・・・・頑張って」

 

無意識の内に呟いていた。

時が経つのを忘れ、食い入る様に見守り続けた。

 

(あ―――)

 

やがて仔馬は、しっかりと自身の足でその身を支え始めた。

思わず駆け出したくなる程におぼつかない足取りだが、確かに立っている。

目の前で生まれた新しい生命は、懸命に生きようとしていた。

 

「もう安心だ。アヤ、父さんを呼んでくる」

「・・・・・・」

「アヤ?」

「もう少し、見ていたい」

 

いつの間にか握っていた彼の手を離さずに、問いかける。

腰を上げかけていたガイウスは、小さく溜息を付きながら、再び私の隣に座った。

 

今この場で、という意味ではない。敢えて曖昧な言葉を選んだつもりだった。

だというのに、彼は私の胸中を察していた。

 

「あの仔馬の名前は、アヤが付けてくれ」

「私が?」

「ああ。父さんに頼まれていたが、君に任せる。明日から一緒に、あの仔を育てよう」

 

そうして私は、人生で初となる名付け親を経験した。

同時に、私の滞在期間の延長が決まった。

 

______________________________________

 

仔馬には『イルファ』と名付けた。

昔お父さんが読み聞かせてくれた絵本に、同じ名前の女の子がいたのを覚えている。

彼女が誕生したあの夜から、私の集落での生活は豹変した。

 

家畜の世話に農作業、狩りや炊事。

元々体を動かさないと落ち着かない性分だった私は、文字通り集落で働き始めた。

体力が有り余っていた分、四六時中体を動かしても疲れが溜まることも無かった。

 

特に狩りでは本領を発揮できた。弓矢が使えなくとも、私には剣があった。

投擲術で大抵の小動物は捕らえられたし、私にとっては日常の一部と化していたことだ。

男勝りな力のおかげで、農作業にも大いに貢献できた。

ラカンは「長男が2人になった気分だ」と言っていた。

 

苦戦しているのは、家畜の世話。特に馬だ。

未だに感情が読み取れない。もう何度イルファに尻っ跳ねを食らったか分からない。

この時期に人間に慣れておかないと後々面倒になるそうで、毎日が格闘だ。

人の子育てと変わらないとガイウスは言っていたが、本当に母親になった気分だ。

 

「ぶるるっ!」

「わわっ」

「あはは。アヤねーちゃん、大丈夫だよ。お腹減ってるって言ってるだけだから」

 

トーマとシーダは、私を『アヤねーちゃん』『アヤおねーちゃん』と呼び始めた。

トーマはガイウスと共に、様々なことを教えてくれた。

驚いたことに、ここでは5歳から乗馬を身に付ける習慣があるそうだ。

トーマは幼いながらも、馬の扱いは既に一人前の領域に入っていた。

 

シーダはリリの世話に手を焼いていた。

昔お母さんが『あんたのイヤイヤ期はひどかった』と言っていたことを覚えている。

反抗期のことをそう呼ぶのだろうか。

 

「ほらリリ、お口を開けて」

「イヤ!」

「食べなきゃダメだよ。お腹減ってるんでしょ?」

「イヤ!」

「リリ、あーんしてっ!」

「イヤー!」

 

少なくともリリは、イヤイヤ期の真っ只中にいるようだ。

どうやら私は、相当な苦労をお母さんに掛けていたらしい。

申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。思わず長巻から目を逸らしてしまった。

 

「もー。アヤおねーちゃん、どうしよう」

「え。わ、私?」

 

バトンタッチをするように、お椀に入ったお粥を手渡される。

こんな幼い子の面倒を見たことなんて一度も無いというのに。

 

「え、と・・・・・・リリ?ほら」

「むー」

 

どういうわけか、リリは私の前ではある程度素直になってくれた。

もしかしたら、彼女は姉の気を引きたかっただけなのかもしれない。

それからというもの、リリの面倒はシーダと二人三脚で見るようになった。

本来なら母親の役目なのだろうが、ここではそういった習慣があるのだろう。

 

毎日が同じ繰り返しのようでいて、新しい発見と体験に満ちた日々。

1日がとても長く感じられる一方で、気付いた時には夕陽が高原を照らす毎日。

今が何月何日で、何曜日なのかすらハッキリしない。

どうでもいいことだった。時が経つのを忘れ、私は目の前の今日の先、明日を思っていた。

 

_____________________________________

 

鼻歌を歌いながら、小さい身体を毛布ごしにトントンと指で叩く。

三度曲の冒頭に戻ったところで、リリは静かな寝息を立て始めていた。

 

「寝かしつけるのが上手くなったな」

「もう慣れた」

 

暖炉に座るガイウスの隣に腰を下ろしながら、結っていた髪を解く。

もう何度目になるか分からない、静寂に包まれた夜。

もう5月の下旬だ。私がここに来てから、2ヶ月近くが経過していた。

 

「お前はよくその歌を口ずさんでいるな。帝国の子守唄なのか?」

 

ラカンが盃を傾けながら訊いてくる。

 

「星の在り処、という歌です」

 

歌詞は知らないし、正確に言えば子守唄でもない。

フレーズだけが、頭の中にこびり付いている。

 

眠れない夜に、お母さんに代わって私を寝かしつけてくれたお父さん。

ここに来てからというもの、小さい頃の記憶が頭を過ぎることが多くなった。

過去に蓋をしていたせいなのかもしれない。私にも、リリのような頃があったというのに。

 

「布団を換えておいたわ。そろそろ夜も暖かい季節になってきたわね」

「どうも」

 

いつしか私は、ウォーゼル家のゲルで夜を過ごすようになった。

トーマとシーダも、既にベッドの中で夢の中だ。

7人家族が同じ部屋で眠るなんて、帝国ではかなり珍しいだろう。

ここではそれが当たり前だ。

 

(・・・・・・馬鹿じゃないの。6人じゃん)

 

自分で独白しておいて、鼻で笑ってしまった。

私は何を言っている。冗談も程々にしろ。

 

「アヤ。明日の午後に、少し付き合ってほしい」

「午後?何するの?」

「秘密だ」

 

ガイウスが含みのある表情で笑いかけてくる。

今度は何だ。彼は時折、こうして思わせぶるな態度を見せることがある。

 

「ふふ、ねぇアヤ。私達も、明日話したいことがあるの」

「私に、ですか?」

「ああ。お前にとっては大事な話だ」

「私達にとってもですよ、あなた」

 

ガイウスに続いて、夫婦揃って含み笑いを向けてきた。

親子共々、どうやら明日は何かを企んでいるようだ。

悪い気はしなかった。彼らのそんな態度が、悪い方向に転んだことなど無かった。

 

______________________________________

 

翌日の午後。

私は北部の高原で馬に身を揺られながら、歯を食いしばっていた。

1人で乗馬などできるはずもなく、私の前方にはガイウスの身体があった。

 

「速い。もっと速度を落として」

「何だって?」

「聞こえてるんでしょ。速いって言ってるの」

 

ここでの生活には馴染めても、馬の背には全く慣れていない。

身体が後方に置いて行かれるかのような、ふわりと宙に浮かぶ感覚。

目を開けていることさえままならない。

だというのに、馬の脚は一向に速度を落とす気配は無かった。

 

「ハイヤー!」

「ちょ、やめ―――」

 

ガイウスの声と共に、流れ行く風景は速度を増した。

私は目を閉じながら、彼の腰にしがみ付くことしかできなかった。

 

気付いた時には、私達は高原の北部の先。皆が『守護者』と呼ぶ遺跡の周辺にいた。

両の足で地面を踏みしめた後、私はガイウスの鳩尾に拳打を叩き込んだ。

 

「・・・っ・・・・・・す、少しは加減をしてくれないか」

「黙って。今度やったら斬るから」

 

言葉の8割方は本気だ。まるで生きた心地がしなかった。

私が馬に乗れる日なんて、今後来るのだろうか。

シーダでさえそれなりに乗りこなせるというのに。

 

「それで、ここは何?」

 

よろよろと身体を起こしたガイウスは、呼吸を整えながらゆっくりと歩き始めた。

その背中を追うようにして、後に続く。

 

「以前、話してくれただろう。君が見たという写真だ」

「・・・・・・ルーレの」

 

言われてみれば、確かに話したことがある気がする。

ザッツと一緒に入ったダイニングバーで目にした、あの写真のことを言っているのだろう。

程無くして、彼はその足を止めた。

 

「ずっと考えていた。多分、合っているはずだ」

「合ってるって、何の・・・こ・・・・・・」

 

ガイウスが立ち止ったのは、周辺を見渡すことができる崖の先端。

彼の先には、ノルド高原の全てが広がっていた。

すぐに合点がいった。この光景は―――あの写真そのものだ。

 

「・・・・・・わざわざ、これを見せるために?」

「ああ。その、期待外れだったか?」

 

ガイウスの不安げな声に、返すことができなかった。

おそらく時間帯までも計算に入れていたのだろう。

ゆっくりと沈んでいく夕陽が、高原を黄金色に照らし上げるその瞬間だ。

 

これが、全てのキッカケだった。

もしあの時、あの写真の存在に気付いていなかったら。ザッツと出会っていなかったら。

私は今頃、何をしていたのだろう。

 

「あと20分程度は見ていられる。日が落ちる前には集落に戻らないとな」

「・・・・・・ん。もう十分」

 

そう言って、心の中でシャッター音を切った。

目を閉じれば、鮮明に目蓋の裏に浮かび上がってくる。これで十分だ。

ウォーゼル夫妻も私に話があると言っていた。あまり待たせるのも気が引ける。

 

「みんな待ってるから。帰ろう、ガイウス」

 

振り返りながら、背後に立っていたガイウスに声を掛ける。

するとどういうわけか、彼は私から視線を逸らしてしまった。

 

「・・・・・・何?」

「いや。その・・・・・・何だ。何でもない」

 

彼が「何でもない」と言う時に限って、何かある。もう分かり切っている。

心無しか、顔が赤い。夕陽のせいでそう見えるのだろうか。

翡翠色の瞳が、私の姿を捉えないようにぐるぐると回っていた。

 

「何でもないと言っているだろう。さあ、乗ってくれ」

 

誤魔化すようにして、彼が馬の引き手綱に手を掛ける。

 

そこで初めて―――彼以外の、視線に気付いた。

私を見詰める視線。胸の奥底を抉られるかのような、生々しい目。

ぞっとするような悪寒が背筋を走った。

 

「どうした?」

「少し、待ってて。花を摘んでくるから」

「・・・・・・ああ、分かった」

 

そう言って私は、崖とは反対方向に歩を進めた。

ガイウスは気付いていない。気配に敏感な彼が、微塵も気にしていない。

それだけで、その存在が普通では無いと分かる。

 

「誰?」

 

ガイウスの目が届かない、岩肌に囲まれた窪地。

間違いなくいる。気配もあるし、視線も感じる。

 

「・・・・・・誰なの。出てきて」

 

なのに、その出所が分からない。こんな感覚は初めてだ。

長巻の柄に手を伸ばした瞬間、周囲が紫色の光に包まれた。

思わず目を瞬いた。いつの間にか―――視線の正体が、目の前に立っていた。

 

「―――遥々ノルドへ足を運んだ甲斐があったようだ。まさか君の方からアプローチがあるとはね。光栄だよ」

 

そこにいたのは、間違いなく人間だった。

純白の衣と、白鳥を形取った仮面。薄紫色の長髪。

そして何より、この感覚。人の形をした、人外の存在。

私は―――この感覚を知っている。

 

「お初にお目に掛かる。《見喰らう蛇》が執行者No.Ⅹ・・・・・・君の前では名を名乗ることすらおこがましい」

「見喰らう、蛇?」

「4年前のあの日、君と狼の前に現れた《道化師》と同族のようなものだよ。ユイ・シャンファ君?」

 

言葉が出ない。私はこんな男を知らない。何故私の名を知っている。

かろうじて、男が発した言葉の意味は断片的に理解できる。

狼は、あいつだ。道化師も、おそらくあのピエロのような少年だ。

 

「誰・・・・・・誰なの。どうして知ってるの」

「4年前から知っているさ。君が歩んだ軌跡は全て見てきた・・・・・・そう、文字通り全てを見た。君が背負う過去も、闇も、葛藤も―――」

 

―――全部知っている、と男は言った。

 

身体の震えが止まらない。

私の4年間は、私だけのものだ。そのはずだ。

 

「狼の気紛れで運命を狂わされた幼き少女の行方を、ずっと見守ってきたのだよ。私は君に敬意と感謝の意を表明しよう。よくぞ今まで心を壊さず、道を踏み外さず健気に懸命に気高く・・・・・・生き延びてくれた」

「・・・・・・やめて」

 

男が一歩ずつ、私に歩み寄る。

 

「『力』を与えられただけで発狂物だ。人を斬り伏せただけで心が崩壊しても不思議ではない。死の淵から拾われた12歳の少女が耐えうるには、少々酷な物語であろうに」

「来ないで」

 

一歩ずつ、着実に距離が縮まっていく。

 

「そんな少女が足を運んだのが鉄路の果て、蒼穹の大地・・・・・・想像しただけでも心が躍る。彼女が一体その先に何を見るのか。生か死か希望か絶望か。一体何をっ!?」

「来ないでっ!!」

「そう、その顔だよ!!」

 

小刻みに震える身体に鞭を打つように、腹の底から叫び声を上げた。

歩を止めた男は驚いた様子も見せず、私の顔を覗き込みながら続けた。

 

「光と闇、夢と現実の狭間で揺れ動くその表情・・・・・・想像を遥かに超える美しさだ。4年間君を見守り続けた甲斐があったというものだ。興奮冷めやらぬ思いだよ」

「来な・・・・・・いで」

 

擦れた声を漏らすと、男は両腕を上げながら数歩後ずさった。

 

「おっと、原石に傷を付ける気は毛頭無い・・・・・・そう、君はまだ原石だ。分かっているのだろう?夢物語には終焉があることを」

「・・・・・・夢?」

「フッ、全ては君次第だよ、ユイ―――いや、アヤ・シャンファ嬢」

 

そう言って男は純白のマントを羽ばたかせたかと思いきや、再び目の前が光に包まれた。

気付いた時には―――男の姿は、岩肌の頂上に移動していた。

 

「夢から覚めたその時が、物語の終焉であり開幕でもある。その先にある君という物語に・・・・・・さらなる『美』を期待しているよ」

 

そう言って踵を返そうとした男は、どういうわけかピタリとその身を止め、再び私を見下ろしながら口を開いた。

 

「・・・・・・失念していた。狼から君へ、言伝を預かっている」

「言、伝?」

「品性下劣な言葉を口にしたくはないが、致し方あるまい―――」

 

彼が口にした言伝とやらを、私は聞いた。一言も聞き逃さず、耳にした。

 

それが最後だった。

私は―――夢から、覚めた。



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明日への鼓動

耳に入ってくるのは、暖炉の中で薪が爆ぜる音。

それにトーマ達の穏やかな寝息と、ゲルの外から聞こえてくる虫の鳴き声。

それだけだ。ここでは導力式の駆動音など一切聞こえない。

遠出する時以外、導力車はただの鉄の塊に過ぎない。

 

暖炉を囲うのは、私とラカン、ファトマの3人。トーマ達は既に夢の中だ。

ガイウスは今、ワタリのゲルにいる。毛皮の加工を手伝うと言っていた。

 

「今何本だ?」

「9本です」

 

ラカンが器用に削り出した石の鏃を、私が矢柄に紐で縛り付ける。

鉄を流用した鏃も使うが、基本的には原石から取り出したそれだ。

鉄は耐久性に優れているが、洗練された石鏃なら貫通力は鉄のそれに勝る。

理屈は分からないが、経験則だけで言うなら正しいのだろう。

 

ファトマは暖炉の様子を窺いながら、私達を静かに見守っていた。

先程までは台所で作業をしていたが、それも終えたようだ。

 

「ふむ。顔色が優れないように見えるが」

「・・・・・・いえ。体調はいいです」

 

胸の内とは裏腹に、身体は至って健康体に思えた。

喫煙と飲酒を止めてから、体内に溜まった毒素が吐き出された気分だ。

 

「そうか。お前がここへ来てから、もう2ヶ月近くになるな」

「はい」

 

石鏃を削る手をそのままにして、ラカンは続けた。

 

「アヤ。お前はここでの生活を、どう思う」

「・・・・・・どういう、意味ですか」

「どう、と言われてもな。そのままの意味なのだが」

 

頭を掻きながら、ラカンが僅かに戸惑いの色を浮かべた。

彼がこんな表情を見せることは珍しかった。

 

「あなた」

「ああ。分かっている」

 

ファトマに声を掛けられたラカンは石鏃を置き、腰を浮かせてから私へと向き直る。

コホンと1つ咳払いをするラカンと、小さな笑みを浮かべるファトマ。

そこで漸く思い出した。2人は今日、私に話があると言っていた。

 

「率直に言う。この地に腰を据える気はないか」

「え―――」

 

腰を据える。その言葉の意味は、勿論知っていた。

知っていても、感情が追いつかない。

 

「お前さえよければ、俺達はお前を迎え入れる。1人の家族としてな」

「か、家族って」

「ふふ、驚くのも無理はないけど・・・・・・ずっと考えてきたことよ」

 

ラカンに続くようにして、ファトマが私の隣に座った。

 

「ガイウス達も、あなたを慕っているわ。まだ2ヶ月しか経っていないけど、もうあなた抜きの生活は考えられないの」

「・・・・・・そんな。私は、何も」

「だから、これは私達からのお願い―――」

 

私達のアヤになってくれないかしら。彼女はそう言った。

 

到底理解できなかった。

自分で言っていただろう。たったの2ヶ月間だ。

2ヶ月間生活を共にしただけの赤の他人に、どうしてそんなことが言えるのだろう。

戸惑うばかりの私に対して、2人は本気だった。それは目を見れば分かる。

 

「とはいえ、お前にも思うところはあるだろう。孤独の身とはいえ、お前自身が決めることだ。じっくり考えてみるといい」

 

私は首を縦に振りながら腰を浮かせ、入り口へと歩を進めた。

逃げているだけと分かりつつも、一刻も早くここから離れたかった。

 

「・・・・・・今日は、離れで寝ます。1人で考えさせて下さい」

「待って、アヤ」

 

外に出ようとしていた私の身体を、ファトマの両腕が引き止めた。

勢いをそのままにして―――彼女はそっと、その腕の中に私を抱いた。

 

「あなたは優しい子よ。とっても優しくて、元気な女の子。ガイウス達と何も変わらないわ。それだけは・・・・・・分かってちょうだい、アヤ」

 

背中から、ファトマの体温が伝わってくる。

私は身を預けて、その温もりを体に刻んだ。

 

これが―――最後だ。

そう胸の中で一人ごちながら、私は彼女の腕を握っていた。

 

______________________________________

 

一睡もしなかった。

眠れなかったわけではない。一度眠れば、この時間に起きる自信が無かったからだ。

まだ日も昇っていない。朝の4時ぐらいだろうか。

 

「誰も・・・・・・いるわけないか」

 

周囲に人影は無い。あるのは家畜の姿だけ。

日が昇れば、一斉に家畜達の鳴き声が集落中に響き渡る。

家畜の種類に、感情の数を掛ける。まさに大合唱だ。

馬の鳴き声だけでも、3種類は区別できるようになっていた。

 

「イルファ」

 

小屋の中に佇む愛娘に、そっと声を掛ける。

最近になって、漸く彼女の感情を汲み取れるようになってきた。

こんな時間に私が姿を見せることは今までに無かった。

今はおそらく、首を傾げているのだろう。

 

「ごめんね。私、ここにはいられない」

 

夢物語と、男は言っていた。

その通りだと思う。私はきっと、夢を見ていた。

 

ラカンとファトマ。シーダにリリ、トーマ。集落のみんな。ザッツにイルファ。

それと―――彼。

 

長いようで、あっという間の2ヶ月間。満ち足りた日々だったと思う。

私には到底叶わない夢を、見させてもらった。

私は―――彼らとは違う。

ファトマは何も変わらないと言っていたが、そんなはずがない。

埋めようがない溝がある。夢には、終わりがある。

 

「ごめん、イルファ・・・・・・もう行くね」

 

踵を返して、集落の入り口に歩を進める。

別れの言葉は掛けなかった。口にしたら、自分がどうなるか分からなかった。

 

帝国に戻れば、これまでと同じ時間が流れ始める。

ミラを稼ぐには中規模の街がもってこいだが、流石に飽き飽きしていた。

西に向かうのがいいかもしれない。まだ足を運んでいない都市がある。

セントアーク、といったか。今度はそこに行ってみよう。

切符代だけで路銀が吹き飛ぶ気がするが、それは道中で稼げばいい。

 

入り口の門をくぐったところで、無意識の内に足を止めた。

振り返りたい衝動に駆られたが、気が引けた。

 

「・・・・・・夢は、終わり。さようなら」

「どこに行くんだ」

 

決意を込めて別れの言葉を口にした瞬間、背後から声が聞こえた。

2ヶ月間、耳にし続けた声。期待を裏切り、予想を裏切らない彼。

分かっていた。驚きも無かった。

 

「別に。帰るだけ」

「なら方向が逆だろう。君の帰る場所はここだ」

 

背後から彼の足音が近づくのが分かる。

敢えて振り返らなかった。振り返ったら、私は多分普通ではいられなくなる。

 

「勝手なこと言わないで」

「それはこちらの台詞だ。見過ごせるはずないだろう」

「もうここにはいられない」

「どうしてそう思うんだ」

「関係無い」

「言えないのか?」

 

思わずため息が出る。

ああ言えばこう言う。ガイウスとの会話の大半はこうだ。

そしてその大半は、私が手を出して終わる。

 

「アヤ・・・・・・何があったんだ?夕刻から様子がおかしいとは思っていたが」

 

当然のことながら、彼に白装束の男の話はしていない。

できるはずもなかった。説明のしようがない。

あれを理解してもらうには、私は全てを明かさなければならないのだ。

 

「関係無いって言ってるでしょ」

「なら逆に訊く。君はどうしたいんだ?」

 

足音が止んだ。背後から彼の息遣いが聞こえてくる。

 

「言ってるでしょ。もうここにはいられない」

「もう一度言うぞ。君はどうしたいんだ」

「何度も言わせないで」

「答えになっていない。君自身はどうしたいんだ?」

「だから―――」

 

思わず振り返ってしまった。

日が昇り始めていた。薄明るい朝日のおかげで、表情も読み取れた。

怒りと焦り、戸惑い。悲しみ。

彼のそんな顔を見たくは無かった。翡翠色の瞳が揺らいでいた。

私のせいだというのに。全部―――私のせいだ。

 

「黙っていないで答えてくれ」

 

そう言われても、言葉が出ない。

喉が引き攣っているし、言葉自体が見つからない。

 

だから私は、腰の帯を解いた。

上着を脱ぎ捨て、下着替わりの帯も解き、半身を露わにした。

 

「見てよ。これが私」

 

胸元の傷痕。決して消えることはない、傷痕。

これが全てだ。言葉にならないなら、見せればいい。

 

「何の、つもりだ」

「ガイウス。私は・・・・・・一度死んだんだよ。心も、身体も」

 

私も、化け物かもしれない。

あの男の事を人外の存在と言っておきながら、私も十分人から外れている。

深々と切った傷が、1週間で塞がったりはしない。人は生き返ったりはしない。

 

「・・・・・・よく分からないが。君は何が言いたいんだ」

「言えない。言えるわけない」

「怖いだけだろう」

「怖い?」

 

ガイウスはそう言うと、上着を私の肩にそっと被せた。

 

「俺の目に映るのは・・・・・・何かに怯えている、普通の少女だ。俺達と何も変わらない」

 

途端に、頭に血が上った。

だから私は、渾身の『力』を長巻に込めて、地面を叩きつけた。

 

「―――っ!!」

 

鈍い衝撃音と共に、周囲に地響きが鳴り渡る。

木々に止まっていた小鳥が一斉に飛び立ち、家畜達の鳴き声が増した。

全身を一気に気怠さが襲ってくる。一日分の体力を使い切った証拠だ。

 

「・・・っ・・・・・・これのどこが普通なの」

 

地面に刻まれた斬撃の痕。

氷山のクレバスを思わせる、巨大な私の爪痕。

普通の少女に、こんな真似ができるはずがない。

こんなものが―――普通なわけがない。

 

「人を殺して殺されて、生き返って・・・・・・わけ分かんない。どうしろっていうの」

「アヤ」

「力なんて欲しくなかった。殺したくなんてなかった!生きてどうしろって言うの!?どうせならあのまま―――」

「アヤっ!」

 

吐き捨てるように言う私の肩の上に、ガイウスの手が置かれた。

 

「聞いている。全部聞いている。それでいい、何も恐れる必要なんてないんだ」

 

いつの間にか、彼の表情がハッキリと分かる程に日が昇っていた。

まただ。彼の目を見る度に、全てが吸い込まれそうな感覚に陥る。

 

「私は―――」

 

その感覚に身を任せるようにして、私は言葉を並べた。

 

全てを語った。私が体験した4年間の記憶。

人を斬った感触。心臓が止まる感覚。お母さんの最期。

人外の存在との出会い。与えられた力。

帝国中を流れ歩く日々。堕落した生活。

私が歩んだ4年間の軌跡と、ノルドとの出会い。

 

白装束の男は、私の全てを見てきたと言っていた。

認めたくなかった。あんな男に私の何が分かるというのだ。

だから私は、在りのままの私を語った。

捨てたはずの感情。安堵に愛しさ、感謝と幸福。

この地への想いと、集落への想い。

 

「―――もう、分かんない。分かんないよ。アヤって誰?私は何なの。どうすればいいの」

 

所詮借りただけの名前だ。仮初の2つ目の人生に、取って付けた名前。

捲し立てるうちに、いつしか私は自分を見失っていた。

想いを口にすればする程、自分という存在が分からなくなっていく。

どうして私は、苦しんでいるのだろう。何がしたいのだろう。

 

「誰か・・・・・・助けてよ」

「アヤ、俺を見ろ」

 

口にしてから気付いた。

初めてだ。あれから一度も発したことがなかった、救いを求める言葉。

 

「俺の目を見ろ、アヤ」

 

朦朧とする意識の中で、彼の声が聞こえる。

頬が温かい。彼の手から伝わってくる、人肌の温もり。

 

「2ヶ月間・・・・・・ずっと君を見てきた。夢だなんて言わないでくれ。過去がなんだっていうんだ?ここで暮らす君は、笑っていたはずだ。表情に出なくとも、俺には分かる」

「じゃあ何で苦しいの。嫌だよ、こんなの」

「ならそれは、俺がもらう」

 

頬から伝わっていた彼の体温が、私の身体を包み込んだ。

厚い胸板から、心臓の音が聞こてくる。

 

「忘れろとは言わない。だから俺にも、俺達にも君が抱えるものを背負わせてほしい」

「ガイウス・・・・・・」

「父さん達が言っていただろう。俺からもお願いだ。君は人間だ、幸せになっていいんだ。だから・・・・・・共に生きてくれ、アヤ。どこにもいかないでくれ」

 

気付いた時には、視界が歪んでいた。

あの日以来、涙を流したことはなかった。枯れ果てたと思っていたのに。

 

「アヤ、もう一度だけ訊くぞ。君は―――どうしたいんだ」

「・・・っ・・・私、私は・・・・・・」

 

傍にいたい。彼の隣に。

生きていたい。彼らと一緒に。

トーマと言葉を交わしたい。シーダの髪を結ってあげたい。リリの寝顔を見ていたい。

もっと多くの時間を共有したい。昨日までの毎日を、これからも迎えたい。

私は―――生きていたい。

 

分かっていた。分かり切っていた。

過去がどうあれ、今の私はそれを望んでいる。

思い出してしまった。家族の温もりが、こんなにも心地よいことを。

知らなかったわけじゃない。思い出しただけだ。

 

「うぅ・・・っ・・・みんなっ・・・・・・」

 

流し続けるはずだった4年分の涙が、滝のように流れ出して行く。

それと同時に、身体が浄化されていく感覚だった。

血に塗れた手も、体に掛けられた呪いも、過去の呪縛も。

4年前に捨てたはずの感情が現在に追いついた時―――私は漸く、本物のアヤになっていた。

 

_____________________________________

 

どれぐらいそうしていただろうか。

体中の水分が枯れそうな程に涙を流した私は、集落の入り口に腰を下ろし、朝日を眺めていた。

 

「気が済んだか」

「・・・・・・ん。少し、眠い」

 

泣き疲れたせいもあるが、昨晩は一睡もしていないのだ。

こうして座っているだけで、深い微睡の中に落ちそうになる。

 

「そろそろ実家に戻ろう。父さん達も心配しているはずだ」

 

目を擦りながら、ガイウスと一緒に集落の実家へと足を運ぶ。

もう何度も目にした光景だというのに、集落の姿がとても新鮮に感じられた。

 

「あ」

「ん、どうした?」

 

実家の前に来たところで、私は足を止めた。

 

「・・・・・・あはは、何でもない」

 

どうせなら、久しぶりに言ってみよう。

まだ2人には返事をしていなかったが、それが代わりになるはずだ。

 

一旦深呼吸をしてから、目の前のゲルを見据える。

ここが私の帰る場所だ。今までの、そしてこれからの新しい居場所。

 

(お母さんは・・・・・・分かっていたんだね)

 

長巻から声が聞こえなくなった理由が、漸く理解できた。

お母さんは、きっと知っていたのだ。

もう大丈夫だということを。私が行き付く先、私の選ぶ道を。

 

生きていこう。明日へ向かって、皆と一緒に。堂々と胸を張って。

これが私の、新しい一歩だ。

 

「―――ただいま。お義父さん、お義母さん」

 

____________________________________

 

「・・・・・・そうして、私はウォーゼル家の一員になったんだ」

 

随分と話し込んでしまった。

アリサ達には明かすことができない部分もあったため、多少は省いたつもりだった。

 

足し加えるとすれば、あれから私は『力』を使うことを止めた。

そんなものが無くとも、生きていけるという思いがあったからだ。

今思えば、あれは過去から目を背けていただけなのかもしれない。

そしてご隠居と、ゼクス中将との出会い。

まぁこの辺りは機会があれば、また話すとしよう。

 

「それからも色々あったけど、また・・・・・・え?」

 

星空へ向けていた視線をアリサ達に戻して、驚いた。

泣いていた。アリサもエマも、嗚咽を堪えるかのように身を震わせながら涙を流していた。

 

「ちょ、ちょっと。どうしたの?」

「どうしたも、こうしたも、ない、わよ」

「ええ。よかった・・・・・・本当によかったです」

 

2人はそう言うと、私の胸に身を預けるようにして抱きついてきた。

何なんだ、これは。私は何故彼女達に抱かれている。

 

「途中から、アヤが、いなくなっちゃいそうで。怖かったんだから」

「何でそうなるの。私はここにいるじゃん」

「でも、本当によかったです。アヤさんがガイウスさん達と出会ってくれて・・・・・・本当によかった」

 

まぁ、それなりに波乱万丈な道のりだったという自覚はある。

ああやって話している間にも、よく生き延びられたものだと自分自身感心してしまう。

 

「あー、コホン」

 

不意に、背後から咳払いが聞こえた。

ユーシスかと思ったが、声が違った。

 

「あ、ガイウス」

 

そこに立っていたのは、私が語った物語のもう1人の主人公だった。

視線を私達に合わせないようにして、気まずそうに頭を掻いていた。

 

「その、帰りが遅いから様子を―――」

「ガイウス!」

「ガイウスさん!」

 

その存在に気付いたアリサとエマは、声を上げながらガイウスの下に駆け寄った。

2人は彼の手を取りながら、「よくやったわ」「素敵です」と思い思いの感想を口にしていた。

「責任をとりなさい」「幸せになって下さいね」は全く意味が分からなかった。

戸惑うばかりの彼の表情が、何となく嬉しかった。

 

その後、アリサ達は私達を残し、先に離れへと戻っていった。

ガイウスが言うには、リィンとユーシスも既にベッドの中に入っているそうだ。

酔っ払いの大人達の相手をして、疲労し切っているに違いない。

 

「で、いつからここにいたの?」

「君が黙って集落を出ようとしていた頃からだ」

「・・・・・・あー、はいはい」

 

今度は私が気まずくなる出番だった。

あの時のガイウスの台詞を、私は一字一句逃さず覚えていた。

私はそれを、アリサ達に話したのだ。

・・・・・・逆の立場だったら、殴っていたかもしれない。

 

「俺はあんなことを言った覚えは無いんだが・・・・・・」

「言ったよ。絶対に言った」

 

言った、言ってない、を何度も繰り返した。

あれだけのことを口にしておいて、本当に覚えていないのだろうか。

 

「・・・・・・言った気がする」

 

結局、先にガイウスが折れた。

当たり前だ。もし忘れていたら、それはそれで少し寂しいと感じてしまう。

 

「あれからもう3年も経つんだな」

「うん。あっという間だったね」

 

そこで、ふと気付いた。

本当に今更かもしれないが、私はまだそれを言っていない。

私がここに立っているのは、このノルド高原の、皆のおかげだ。

それでも、一番はやっぱり彼なのだろう。

私の隣に立つ、そこにいるのが当たり前の存在。

私を支えてくれる、掛け替えのない弟。

 

「そろそろ戻ろう。明日も高原中を走り回ることになる」

「ん。ねぇ、ガイウス」

「何だ?」

「ありがとう」

 

3年越しとなるお礼を言った後、私達は実家へと向かった。

 

この時の私には、想像も付かなかった。

私を救ってくれた愛する故郷に、あんなことが起きるなんて。

運命の歯車は、少しずつ狂い始めていた。



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空をかける少女

人の最期を看取るのは、初めてではない。

両親で既に経験済みだ。お母さんはともかく、お父さんの時もそれは唐突に訪れた。

ウィルス性の奇病としか聞いていなかった。正式な病名も知らない。

涙は出なかった。医者が宣告した時も、葬儀の時も。

まだ8歳だった私には、よく理解できていなかったのだろう。

受け入れる覚悟ができていなかった分、相当な時間を要した。

1週間が経過した頃になって、漸く泣いた。

 

「俺達は軍人だ。軍人ってのは・・・・・・ナハハ、こういうもんさ」

 

監視塔の頂上部。

東部の共和国側の軍事基地を見下ろしながら、ザッツが渇いた笑い声を上げた。

 

彼の言う通りだと思う。

軍人は死と隣合わせの戦地に身を投じ、職務を遂行する義務がある。

彼らは志願兵だ。徴兵制が廃止された現代において、自らの意志でここに立っている。

 

それでも、覚悟を決める時間は必要だ。

この平穏な地に、戦の火種が降り掛かることなど誰が想像できる。

突然、親友を失うことになるなんて、誰が考える。

彼らは軍人である前に、私達と同じ人間だ。

 

「ロアンの分まで―――頑張らないとな」

 

彼の最期は、ザッツと一緒に看取った。

とは言っても、医者が彼の死を宣告した場に立ち会っただけだ。

肉体の半分以上は回収すらされていない。

 

「ザッツさん」

 

名前を呼んでも、その後が続かない。掛ける言葉なんて見つからなかった。

何を言われても、今は慰めにもならないことは理解している。

 

だから私は、手を置いた。

少しだけ背伸びをして、彼の頭の上を掌でゆっくりと撫でる。

歳も身長も上の男性にすることではないかもしれない。

ただ私には、それしか思い浮かばなかった。

 

「・・・・・・ナハハ。勘弁してくれ、惚れちまいそうになる」

「冗談でしょ。私19だよ」

「俺だってまだ26だ。そこまで離れてもないだろ?」

「そうだけど・・・・・・その」

「冗談だ。そんな顔すんな」

 

ザッツが私の頭をポンと叩くと、轟音と共に巨大な影が日の光を遮った。

帝国正規軍の軍用飛空艇。ゼンダー門に向かう道中に目にしたものと同型のそれだ。

 

「アヤ、さっきも言ったけど、俺は軍人だ。30分後には、俺は第3機甲師団と合流して待機さ。力にはなれそうもない」

 

第一報は今朝方に長老から、詳細はゼクス中将から聞かされた。

およそ7時間前の深夜。夜闇に乗じた、監視塔と共和国軍事基地への襲撃。

ザッツの証言が正しいなら、それはほぼ同時刻に発生したはずだ。

 

それだけで十分なのだろう。たったの一晩だ。

私の愛する故郷は、今まさに戦火の渦に巻き込まれようとしている。

耳に入ってくるのは、軍用飛空艇が風を裂く音と、戦車の駆動音。

それまで当たり前のように保たれてきた平穏なノルドの姿は、もうどこにも見当たらない。

 

「それでいいよ。私達も、やれるだけのことはやってみる」

「頼んだぜ。この地でやり合うのは本意じゃないけど、いざって時は守ってやるよ」

 

それが虚勢であることは分かっていた。

軍人として生きるには、彼は少し優し過ぎるのだと思う。

友を目の前で亡くしたばかりだ。手が震えるのも無理はない。

 

どれだけ悔やんでも、過去は変えられない。

でも未来は変えられる。同じ悲劇を繰り替えしてはならない。

 

実習の地にノルドが選ばれたことに感謝すべきなのだろう。

キッカケを与えてくれた大切な恩人と、愛する故郷。

今度は、私が救う番だ。絶対に見過ごすわけにはいかない。

 

____________________________________

 

監視塔の広間に降り立った私は、ユーシスとエマの2人と合流した。

昨晩の真相を明らかにするためには、より多くの情報が必要だ。

私とユーシス、エマが周囲への聞き込み、ガイウス達は現場の物証を探ることになっていた。

11時には一度ガイウス達とも落ち合う予定だ。

 

「そろそろ約束の時間だし、リィン達と合流しよっか」

「ええ、そうですね・・・・・・その、アヤさん」

「何?」

「きっと大丈夫ですから。気をしっかりと持ってくださいね」

 

何のことを言っているのか分からなかったが、どうやら私を気遣ってくれているようだ。

空元気のように見えたのだろうか。別にそんな態度を取っているつもりはなかった。

 

いつ戦端が開かれてもおかしくはない。状況は最悪と言ってもいい。

だというのに、自分でも驚くほど心が澄んでいる。

戸惑いや焦りは勿論あるが、今そんな感情は邪魔にしかならない。

 

皆がいてくれるおかげもあるのだろう。

事件の真相究明を誓い合った私とガイウスに、リィン達は何の迷いも無く続いてくれた。

ただそれ以上に、彼のおかげ―――というより、彼のせいなのだと思う。

 

「よし、ここらで情報を整理してみよう」

 

リィン達と合流した私達は、今まで明らかになっている事実を1つ1つ確認し始めた。

 

昨晩の午前3時、この監視塔は砲撃による襲撃を受けた。

それとほぼ同時刻に、共和国側の軍事基地からも火の手が上がった。

中将によると、あちら側の被害規模は監視塔よりも大きかったそうだ。

ザッツの証言と合わせれば、この事実だけでもある程度のことは絞り込める。

 

そしてアリサが言及した、襲撃に使われたという迫撃砲の出所。

それが本当にラインフォルト社製の物であるなら、共和国側の工作という線は考えにくい。

 

「結局どちらが先に攻撃を行ったかという疑問は、宙に浮いたままなんですよね」

「だとしたら、考えられる最も高い可能性は―――」

 

どちらでもない勢力か、とユーシスが続いた。

今回の事件は、前回の実習で巻き込まれた列車での一件とは逆だ。

もし第3者の仕業だとするなら、犯人の目的がまるで分からない。

分からないが、状況が第3者の犯行だと物語っている。

 

「なら、中将にこの事実を伝えよう。状況を打開する糸口になるかもしれない」

「待ってよガイウス。ここまでは単なる憶測だよ」

 

焦りの色を浮かべるガイウスを諭すように言った。

 

「すまないが、俺も同意見だ。確たる証拠がない限り、ゼクス中将も身動きは取れないと思う」

 

リィンが言うように、戦争を回避するためには物的な証拠が必要だ。

どれだけ言葉を並べたところで、共和国側が警戒を解くはずがない。

あちら側から見れば、帝国軍による工作に見えてもおかしくはない状況なのだ。

 

「砲撃が行われた場所さえ分かれば、進展があるかもしれないわ」

「場所?」

「ええ。現物は回収されている可能性が高いけど・・・・・・この規模の迫撃砲を使えば、周囲に痕跡が残るはずなのよ」

 

アリサの意見に、皆が一斉に難色を示す。

砲撃が行われた大まかな方向は、監視塔の状態から導き出すことはできる。

それでも、今分かっていることは「南側から行われた可能性が高い」程度だ。

それだけを頼りに捜索するには、この高原は余りにも広大すぎる。

 

「だが可能性が残されている以上、捜索しないわけにもいかないだろう」

「だから待ってよガイウス。それにしたって、ある程度は絞り込んでおかないと」

「しかし―――」

 

思わずため息が出てしまった。

気持ちは分かるが、闇雲に走り回ったところでそれが見つかるとは到底思えない。

 

ここまで動揺するガイウスを見るのは、いつ以来のことだろう。

おかげで、私は冷静でいられる。私まで取り乱すわけにはいかない。

今ぐらいは、姉らしく振る舞えるかもしれない。

 

「ガイウス」

 

両手で彼の頬を包み、顔を引き寄せる。

身長差があるせいでつま先立ちになってしまうが、こういう時はこれが自然だろう。

 

「あ、アヤ?」

 

周囲の目線が気にはなるが、別に見られても構わない。

鼻先が触れ合う程に顔が近づき合ったところで、目を閉じた。

呼吸を止め、額と額をコツンと合わせる。照準は定めた。

 

「せーのっ」

 

背中を逸らせ―――頭突きを放った。

額を額で打ったせいで、打ったこちらの頭までもがくらくらしてしまう。

それでも不意を突かれたせいか、ダメージはガイウスの方が大きかったようだ。

 

「落ち着けって言ってるでしょ。ノルドのことは私とガイウスしか知らないんだから、私達が取り乱してどうすんの?」

「・・・・・・ああ。そうだったな」

 

足元がふらついているものの、ガイウスが額を擦りながら立ち上がる。

目の焦点も少し合っていない気がするが、すぐに回復するだろう。

 

「すまなかった。少し、落ち着いた」

「そう。ならいいんだけど」

 

彼の背中をポンと叩くと、アリサが「期待した私が馬鹿だったわ」と目を細めながら言った。

昨晩から彼女はよく分からない台詞を吐くことが多い。疲れているのだろうか。

 

「でもまぁ、足を動かすってのには同意見かな。これにもそう書いてあるし」

「それは・・・・・・」

 

私が胸元のポケットから取り出したのは、『支える籠手』の紋章が刻まれた手帳。

この手帳には、お母さん直筆の言葉が数多く残されていた。

もしかしたら、自分自身に言い聞かせるために記したものかもしれない。

今の私にとっては思い出であると同時に、困った時のお助け手帳だ。

 

「『考えながらでも足は動く』だってさ。その通りなんじゃないかな」

「・・・・・・ああ、そうだな。よし、ガイウスにアヤ。案内してくれるか?」

「待って下さい」

 

リィンに促されて歩を進めようとすると、複雑な表情を浮かべたエマが口を開いた。

 

「その、1つ試したいことがあるので・・・・・・足を止めながら、考えても宜しいでしょうか?」

 

________________________________________

 

「・・・・・・あはは。ごめん、お母さん」

 

まぁ、いい言葉だとは思う。

手帳に記された数々のお母さん語録は、私の行動指針になりつつある。

ただ得意気に披露したそれは、少し場違いだったのかもしれない。

 

確かにあれは、足を動かしながらでは到底無理な計算だ。

というより、いずれにせよエマ以外の誰もが真似できないに違いない。

 

「これは・・・・・・」

「どうやら当たりだったようだな」

 

使用されたであろう迫撃砲のスペックと、ノルド高原の南部に吹く風。

たったそれだけを頼りにして、エマは砲撃が行われた範囲を割り出してしまったのだ。

おそらく10分の1以上は捜索範囲を絞り込めたはずだ。

そして目の前に広がる光景が、彼女の計算が正しかったことを如実に物語っていた。

 

「思った通り、ラインフォルト社製の旧式だわ。それに、最近使われた形跡がある」

 

まさか砲台が丸ごと放置されているとは思っていもいなかった。

回収する時間が無かったのだろう。これを一度に運ぶには、大型の運搬車が必要になる規模だ。

そんなものを高原で走らせれば、目立つ上に逃走に時間が掛かってしまう。

戦争さえ始まれば、後々見つかっても問題にはならないということだろうか。

 

「だが、これだけでは証拠としては不十分だ」

「うん・・・・・・詳しく調べている時間も無いし、どうしよっか」

 

これはこれで大きな進展ではある。

が、ユーシスが言うように確たる証拠にはなり得ないだろう。

ここが帝国側が管轄する領内である以上、工作と疑われればそれまでだ。

 

「仕方ない、一旦ゼンダー門へ戻ろう。これだけでも大きな収穫ではあるさ」

 

時刻は既に11時半。私達に残された時間はあと1時間にも満たない。

闇雲に手掛かりを探し回ったところで成果は期待できない。

 

「お待たせ、イルファ・・・・・・イルファ?」

 

草原に待たせていたイルファの背を、そっと撫でる。

そこで気付いた。彼女の視線が、私の後方。私以外の何かに向いていた。

 

「あれは・・・・・・っ!」

 

リィンとユーシス、エマがハッとしたような表情でそれを見上げた。

3人の視線の先にいたのは、銀色に光り輝く物体と―――

 

(―――女の子?)

 

実技テストで対峙した傀儡を連想させる物体と、短髪の少女。

小高い丘の上に佇んでいたそれは、突然ふわりと宙に浮いた。

文字通り浮遊していた。何の音も衝撃も無く、徐々に速度を上げながら。

 

「あの子は、バリアハートでも見掛けた・・・・・・」

「ああ、間違いあるまい」

「こんなタイミングで現れるなんて、流石に無関係とは思えない!」

 

バリアハート。前回のA班の実習地だ。

リィン達にはあの女の子に見覚えがあるそうで、気付いた時には弾かれたように走り出していた。

 

「え、何?何なの?」

「話は後だ、追うぞ!」

 

状況は理解できないが、リィン達の態度を見れば大方の察しは付く。

あの女の子が、きっと何らかの鍵を握っているのだろう。

なら話は早い。指示に従って、後を追うまでだ。

 

「イルファっ!」

 

急いでイルファの背に跨り、先行していたリィンとユーシスの横に並ぶ。

ガイウスも私の後に続いている。その後方には、アリサとエマの姿も見えた。

 

「く、速いな・・・・・・っ」

「ともかく見失うな!」

 

視界には、銀色の傀儡の姿を捉えている。捉えてはいるが、まるで鳥だ。

あんな変則的に動く物体に少女が乗っているなんて、到底信じられない。

 

ちらと後方に目をやると、アリサ達とかなり距離が開いてしまっていた。

申し訳ないが、これ以上速度を落とすわけにはいかない。

少しでも油断すれば振り切られてしまうだろう。

 

「アヤ、前だ!」

「え?」

 

ガイウスの声で気付いた。

目標は石柱群の方角へ飛行している。

あの周辺に向かうには、前方の岩肌に挟まれた小道を通るしかない。

だというのに、そこには数体の魔獣の姿があった。

 

「リィン、手を貸してくれ」

「ああ。アヤ、ユーシス、道は俺達が拓く!」

 

ガイウスが槍を、リィンが太刀を抜くと、2人を乗せた馬が先行して魔獣の群れに向かう。

追跡は私達に任せたということなのだろう。

 

「「はああっ!」」

 

馬の背に乗ったまま、リィンとガイウスの斬撃が左右から魔獣に襲い掛かった。

それに気を取られたのか、群れの中央部に僅かながら隙間が空いた。

 

(行ける―――!)

 

身を屈めて群れの中を掻い潜ると、視界が開けた。

上空に目をやると、何とか視界の端に傀儡の姿は確認できた。

 

「ユーシス!」

「分かっている!」

 

見失ってはいないが、このままでは振り切られるのも時間の問題だ。

傀儡の目的地まで、体力がもつかどうか。もうペース配分など考えてはいられない。

 

思わず笑みが浮かんだ。

上等だ。現役の馬術部員を、彼女の脚を―――舐めないでほしい。

 

「行くよ、イルファっ!!」

「―――っ!!」

 

石柱群に向かって、イルファの二の脚が呻り声を上げた。

 

___________________________________

 

(いたっ!)

 

石柱群に続く石畳の階段に身を潜め、その先に佇む少女を見守る。

変わった服装をしているが、間違いなく少女だ。

歳はシーダと同程度か、少し上ぐらいだろうか。

 

「どうやら間に合ったようだな」

 

私の後に続いて、後方からユーシスが声を潜めながら近づいてくる。

彼が乗る馬の脚も相当なものだったが、どうやらイルファには及ばなかったようだ。

 

「ふふん、私の勝ちだね」

「阿呆が。馬の差だ」

「知ってるよ。で、どうしよっか」

 

見た限り、すぐにこの場を離れそうな様子は見受けられない。

とはいえ残りのメンバーを待っている余裕も無い。

あちらには得体の知れない傀儡がある。またあれで飛ばれては、もう追跡は不可能だ。

 

「時間が無い。出るぞ」

「賛成かな・・・・・・よしっ」

 

勢いをつけて、少女と傀儡の前に飛び出す。

すぐにあちらも私達の存在に気がついたようで、こちらに視線を向けてきた。

 

「あ、シカンガクインの人達・・・・・・あれれ。減ってる?」

 

青髪の少女が首を傾げながら、きょとんとした様子で言った。

その一言だけで、彼女の存在が異常だということが理解できる。

 

私とユーシスが士官学院生だということを把握している。

減っているということは、ガイウス達の存在も知っているということだ。

どういうことだろう。結局彼女が何者なのかは、ユーシス達から聞きそびれてしまった。

 

「あなたは、誰?ノルドで何をしているの?」

「んー、誰って言われてもなぁ・・・・・・それよりも君、どこかで見たことある気がするんだけど。どこだっけ?」

「え?」

 

少なくとも、私はこんな少女と会った記憶などない。

何のことを言っているのだろう。

戸惑うばかりの私を尻目にして、彼女は「ああ、そっか」と合点がいった様子で口を開いた。

 

「思い出した!君、蛇と接触したことがあるでしょ?資料で見たことがあるよ」

「蛇?・・・・・・あっ」

 

『蛇』というキーワードを過去の記憶の中から掘り起こす。

時間は掛からなかった。思い当たる存在は、1つしか無い。

 

「・・・・・・知ってるの?あいつらのことを」

「言えないよー。でも、そうだね。君達に手伝ってもらうって方法があるか」

 

少女はそう言うと、私達の目の前で軽い柔軟体操を始めた。

かと思いきや、一瞬にして目の色が変わった。

同時に彼女が纏う飄々とした雰囲気が様変わりする。

 

「その前にどれだけできるか―――ちょっと試させてね?」

「フン、やる気か」

 

私が鞘を払うのと同時に、ユーシスが切っ先を少女に向けた。

幼い女の子に剣を向けたくはないが、あの傀儡の存在を考えれば話は別だ。

 

「事情は知らんが、気を逸らしている場合ではないだろう」

 

ユーシスが視線をそのままにして、私に声を掛ける。

私の動揺が伝わったのかもしれない。彼が言うように、今はそれどころではない。

 

「私が先に仕掛ける。それでいい?」

「構わん。好きに舞うがいい」

 

思わず特別オリエンテーリングの時のことを思い出してしまった。

こうしてユーシスと2人で肩を並べるのは、あの時以来かもしれない。

 

「ぼくはミリアム。ミリアム・オライオンだよ!」

 

敵意も殺意も感じないが、あの傀儡が相手となれば下手に打って出るわけにもいかない。

それでも、私達に残されている時間はあと僅かだ。相手の出方を窺う余裕すら無い。

先の彼女―――ミリアムの言葉を頭の隅に追いやり、私は地面を蹴った。



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悪霊の最期

ノルド高原北東部の一区画に広がる、巨石文明の足跡。

文明と一言で言っても、その全貌はまるで明らかになっていない。

何しろ千年前の遺跡である。『石切り場』と皆が呼ぶこの遺跡には、ノートンさんのように帝国から遥々足を運ぶ学者さえいたそうだ。

目的も手段も分からない。手掛かりとなるのは、ノルドに伝わる伝承のみ。

こうして立っているだけで、巨人の住処に足を踏み入れたかのような錯覚に陥る。

 

「ほら、あれだよ。あの入り口から犯人達が入るのを見かけたんだ」

 

ミリアムが指差す方向には、石造りの門を思わせる壁にぽっかりと開いた洞穴。

彼女の言葉が真実なら、犯人とやらはあそこから遺跡の内部へ身を隠したのだろう。

 

「あんなところに・・・・・・ガイウス、知ってた?」

「いや、俺も初めて見たな。あんなものは無かったはずだ」

「無理矢理こじ開けた、とかかな」

「何も起こらなければいいんだが・・・・・・」

 

石切り場に足を運ぼうとする人間は、少なくともノルドでは稀な存在のはずだ。

ここには『悪しき悪霊』が封じ込められていると、婆様に聞かされたことがある。

あくまで言い伝えに過ぎないとは思うが、それを抜きにしてもこの周辺は日の光が少ない。

言葉にはし辛い居心地の悪さが、原住民すらも寄せ付けない原因なのだろう。

 

「でもミリアム、あそこまでどうやって登るの?」

「登る必要はないよ。時間も無いし、正面突破だよ、正面突破!」

 

リィンの背後で馬に跨っていたミリアムが、慣れない手付きで馬から降りながら言った。

 

(・・・・・・今は言う通りにするしかない、か)

 

彼女と行動を共にしている経緯は、およそ1時間前まで遡ることになる。

 

数名の武装集団による、監視塔と共和国軍事基地への迫撃砲による襲撃。

それが彼女が語った事件の真相だった。

リィン達は先月の実習地であるバリアハートで、彼女の姿を目撃していたらしい。

そのことについて言及すると、彼女は額に汗を浮かべながら口ごもってしまった。

 

得体の知れない銀色の傀儡に、明かそうとしない身分。

信用できる要素が何一つ見当たらないが、私達は犯人を追う手掛かりすら掴めていない。

結局私達は藁をも縋る思いで、彼女の指示に従うことにした。

可能性が少しでも残されているのなら、それでいい。

 

「それにしても・・・・・・どこからどう見ても、女の子だよね」

「そうね。一体何者なのかしら」

「今は信用するしか無いさ。手掛かりが無い以上―――」

「いっけー、ガーちゃん!!」

 

リィンの言葉を遮るようにして、突然目の前が文字通り『爆ぜた』。

轟音と共に、目の前に立ち塞がっていた石造りの門が音を立てて崩れ始める。

文字通り、正面突破だった。

 

「・・・・・・アヤさん、ユーシスさん。よくご無事でしたね」

「・・・・・・あはは」

 

ユーシスと2人でミリアムと対峙したことを思い出す。

手を抜かれている感覚はあったが、一度でも攻撃を食らっていれば無事では済まなかったのだろう。

石柱群の何本かが破壊されていたことに、ガイウスは気付いていただろうか。

 

「まぁいい。とにかく中に入るぞ」

 

ユーシスに促され、瓦礫をかき分けながら遺跡の中に足を運ぶ。

そうだ。今は彼女を信用するしかない。残された時間もあと僅かだ。

両国のどちらかが口火を切ったその瞬間、このノルド高原は戦火に包まれることになる。

―――絶対に、許すわけにはいかない。そう胸の中で誓い、暗闇の中に身を投じた。

 

______________________________________

 

「とりゃー!」

 

ミリアムの陽気な掛け声とは裏腹に、『アガートラム』の剛腕が石槍へと叩き込まれる。

これで3回目だ。近道になるとはいえ、身震いする程ゾッとする光景だった。

 

「まったく・・・・・・どんなカラクリだ」

「ほらほら、早く行かないと逃げられちゃうよー」

 

呆れかえるユーシスを置いて、ぴょんぴょんと軽い足取りでミリアムが先行する。

 

(本当に・・・・・・何なんだろ、あれ)

 

岩をも砕く破壊力と、私の剣やユーシスのオーバルアーツを跳ね返す耐久性。

外見はどう見ても金属だが、斬った感触としては何とも言えない。

実技テストでお馴染みの傀儡とも違う気がする。ミリアムの素性以上に気を取られてしまう。

 

ともあれ彼女のおかげで迷うこともなく、最短距離を選べているはずだ。

邪魔な障害物は、文字通り排除しながら進んできた。

エマ曰く、この一帯は特別な力が作用しているそうだ。

その影響なのか、今まで対峙したことがない特殊な魔獣が数多く現れた。

突然姿を消したかと思いきや、背後から音も無く現れる。剣がまるで通じない魔獣もいた。

そんな中で、エマやアリサが使う上位属性のアーツは大いに活躍している。

おかげさまで空回りしている感が否めない。力は有り余っているというのに。

 

「ガイウス、どう?」

「人の気配は感じないが・・・・・・終点は近いはずだ。風の流れが変わった」

「そう。気を引き締めないとね」

 

ミリアムによれば、犯人は複数人いるという。人間とはいえ、2大国の目を欺く様な連中だ。

半ば強引にゼクス中将の許可を得ているとはいえ、慎重に行動すべきなのかもしれない。

 

「ねえねえ。『シカンガクイン』ってどんな所なの?」

「え?」

 

突然、ミリアムの声が右耳に入った。

先行していたと思っていたが、いつの間にか私の右隣にまで下がっていたようだ。

前方には、リィンとユーシスが様子を窺いながら先導していた。

 

「どうって言われても・・・・・・学校だから、勉強するところだよ?」

「むー、それぐらい知ってるもん。そうじゃなくってさ」

 

アガートラムの右腕の中で、ミリアムがふくれっ面で足をブラブラと揺らす。

思わず笑みを浮かべてしまった。シーダもこれぐらい素直に感情を表に出してくれればいいのに。

 

「勉強って何だか大変そうだし、僕は苦手だな。アヤは嫌いじゃないの?」

「苦手意識はあったけど、最近はそうでもないかな。みんなで頑張れば楽しいよ」

「ふーん、そっか。ごめんね、思い出させて」

「・・・・・・何のこと?」

「蛇のこと。アヤは、忘れた方がいいよ」

 

そう言ってミリアムは、再び前方にいるリィンの横に並んだ。

 

(・・・・・・見喰らう蛇、か)

 

彼女は私のことを、どこまで知っているのだろう。そして、あいつらのことを。

 

そこまで深い因縁があるとは思えない。私はただ、巻き込まれただけなのだと思う。

道端に転がっていた石ころを蹴飛ばすような、そんな感覚。石は私だ。

それでもこの先、再び私の前に姿を現す可能性はあるのだろう。

仮面の男は、私をずっと見ていると言っていた。今でもそうなのだろうか。

 

「―――待ってくれ。人の気配だ」

 

リィンの声に、皆が足を止めた。

考えるのは後回しだ。今は私がすべきことは、過去を思うことではないはずだ。

 

「4・・・・・・いや、5人だ。間違いなくいるな」

 

リィンに続いて、ガイウスが声を潜めながら気配の数を皆に指で示す。

「すごーい」と声を上げそうになったミリアムの口は、即座にユーシスの手によって塞がれた。

沈黙を守りながら忍び足で歩を進めるにつれ、会話の声も耳に入ってきた。

全ては聞き取れないが、内容や口調から察するに何か揉めているように思えた。

少なくとも、こちらの存在には気付いていないはずだ。

 

(リィンさん、どうしましょうか?)

(5人か・・・・・・よし、機を見て突入しよう。みんなも準備を整えてくれ)

(タイムタイム!待ってよ、リィン)

 

両腕でTの字を作り、異を唱えた。前回の実習でもこのサインを使った気がする。

様子を窺う時間すらも惜しいが、このまま突入するには得策ではないように思えた。

 

_______________________________________

 

勢いよく飛び出した私の目に飛び込んできたのは、4人の武装集団。

そしてと灰色のコートに身を包んだ、眼鏡の男性だった。

 

「監視塔、共和国軍事基地攻撃の疑いで、あなた達を拘束する!」

 

先程の会話の内容から察するに、後者がこの中で指揮を執る立場なのだろう。

私は長巻の切っ先を中央の男性に向けながら、声高らかに宣言した。

 

「な、なんだこいつら」

「トールズ士官学院だと?」

「お前達は・・・・・・フン、そうか」

 

動揺の色を隠せない4人とは真逆に、眼鏡の男は落ち着き払った声で私達を見渡しながら言った。

 

「ケルディックでの仕込みを邪魔してくれた学生共だな」

「ケルディックって・・・・・・まさか」

「そう、私だったというわけだ。我が名はギデオン。同志からは『G』と呼ばれているがね」

 

ケルディックで野盗達を操っていた存在。『同志』というキーワード。

それだけで、彼が何かしかの組織に所属していることは想像するに容易い。

テロ組織のようなものだろうか。何とも大それたことを仕出かしてくれたものだ。

自分達が何をしようとしているのか、理解できているのだろうか。

 

「問答は無用だ。この地に仇なすならば、全力をもって阻止させてもらう」

 

長巻の切っ先に合わせるようにして、ガイウスが槍を向ける。

元々期待はしていなかったが、テロ組織の存在が垣間見れただけでも上出来だろう。

 

「おい、やっちまってもいいんだな?」

「ああ。知られた以上、生かして帰すわけにはいかん」

 

腰元のホルダーに収められたARCUSが、音も無く私に語りかけてきた。

これは―――ユーシスのオーバルアーツだ。時属性のアーツだろう。

それが合図だった。

 

「馬鹿じゃないの。喋ったのはあんたでしょ」

 

これで茶番劇は終わりだ。

これ以上時間を浪費するわけにはいかない。

 

「うだうだ言ってないで、撃てるものなら撃ってみなよ。それともそれは唯の飾り?」

「こ、このガキ・・・・・・たった『2人』で何が―――」

 

銃口が私に向いた瞬間、背後から風を感じた。

飛び出した影が、瞬く間に彼らが手にしていた導力銃を遥か上空へと斬り飛ばした。

二の型『疾風』。ユーシスの補助アーツを抜きにしても、相変わらず見事な太刀筋だ。

 

「なっ―――」

「「ダークマター!」」

 

リィンの斬撃に続いて二重の空属性アーツが発動した瞬間、テロリストを囲む空間が歪んだ。

見えない力に引きずりこまれるように、5人の身体が中央の歪みへと吸い込まれる。

アリサとエマの合わせ技に、骨が軋む思いだろう。満足に呼吸すらできないはずだ。

 

「がはっ・・・・・・」

 

アーツの効力が消えた後、5人のテロリストは力なく地に突っ伏した。

奇襲は成功だ。こうも見事に嵌ってくれるとは思っていなかった。

銃を持ったテロリスト相手に正面から挑むよりかは、時間も掛かっていないはずだ。

 

「よし、うまくいったみたいだな」

「そうね。あとはこいつらを差し出せば・・・・・・」

「あはは、僕達の出番すら無かったねー、ガーちゃん」

「ミリアムちゃんの出番はこれからです。この人達をアガートラムさんに運んでもらわないと」

 

身を潜めていたリィン達が、様子を窺いながら彼らを囲んだ。

エマが言うように、これで終わりではない。

全ての元凶であるこいつらの存在を、一刻も早く両国に知らしめる必要が―――

 

(―――笛?)

 

唐突に、笛の音色が聞こえた。

見れば、ギデオンと名乗った男の手には、確かに縦笛のような物があった。

 

「ちょっと、何を―――」

 

一歩も動けなかった。こんな状況で笛を奏でる意味が分からない。

それは皆も同様だったようで、誰もが彼の演奏を見守るしかなかった。

音の発生源はどう見ても笛だ。なのに、四方八方から高らかな音色が耳に入ってくる。

たった数秒間の、思考と身体の硬直。それが仇となった。

 

「・・・っ・・・・・・みんな、上だ!」

 

ガイウスの声に促され、内部の天井に目をやる。

それで漸く気付いた。どうして今まで分からなかったのだろう。

天井の洞穴から溢れ出る脅威に、押しつぶされそうな感覚に陥った。

 

「―――それでは、いい死出の旅を」

 

ギデオンが崖下に身を投じたのと同時に、それは姿を現した。

蜘蛛型魔獣、という言葉では表現しきれない程の、邪悪な気当たり。

足の倍の数はある目は燃えるような真紅に染まり、ぎょろぎょろと蠢いていた。

 

「が、ガイウス!こいつまさか」

「ああ。伝承にあった『悪しき悪霊』かもしれないっ・・・・・・!」

 

唯の言い伝えだとばかり思っていた。

千年以上の時を経て、呼び起こされたとでもいうのだろうか。

今まで対峙してきた魔獣とは根本的に違う。魔物と呼んだ方がいいのかもしれない。

 

「シャアアッ!!」

「うわわ!?」

 

突然、魔物の口から白色の何かが吐き出された。

粘性をもつそれは、目の前にいたテロリストの1人を包み込み、身動きを封じた。

 

(い、糸?)

 

蜘蛛の生態に行き当たったのと同時に、魔獣は迷うことなく、喰らった。

頭部から、人間を喰らった。

 

「―――!!」

 

後ろから、アリサとエマの悲鳴が聞こえた。

それを掻き消すように、人間を喰らう音が聞こえた。

骨が砕かれる音。肉を引き千切る音。上半身を失った体躯から、ごぽごぽと血が噴き出す音。

ばら撒かれた生温かい血の一部が、私の頬に掛かった。

 

「・・・っ・・・・・・」

 

目を背けることもなく、全てを見送った。

こんな時は、アリサやエマのような反応が普通なのだろう。

一方の私は、寒気を感じる程に冷静だった。

魔獣と同じだ。返り血を浴びることは珍しくもない。

 

「ひ、ひいいい!」

「た、助けて、助けてくれえ!」

 

腰が抜けて立つことすらままならないのか。

テロリストの1人が、私の腰元にすがり付くようにして助けを求めてきた。

―――鳥肌が立つかのような、嫌悪感が広がった。

 

「触らないで」

「た、助けくれえっ」

 

ミリアムが言っていた。こいつらは、猟兵だ。

いや、傭兵ですらない。縁もゆかりもないこの地を悪戯に脅かした、ただそれだけの存在。

血の色が赤いことが不思議で仕方なかった。

 

「触らないでっ!!」

 

人の顔を本気で殴ったのは、これが初めだ。やはり魔獣の時と何ら変わりない感触だ。

拳に鈍い痛みが広がった。今ので指を切ったのだろうか。

 

「があっ・・・・・・な、何を」

「あんた猟兵でしょ。強者が弱者を喰らう、あんた達が今までやってきたことでしょ。因果応報って知ってる?」

「ふ、ふざけんな!」

「そっちこそふざけないでよ!!」

 

返す腕で、もう一発。今度は左手が差すような痛みに苛まれた。

 

「他人を・・・・・・私達を、この地を散々踏みにじっておいてっ・・・・・・自分にはそんな事は起こらないとでも思ってたの!?馬鹿言わないでよ!!」

 

言葉を並べる毎に、目元に涙が溢れかえっていく。

自覚はしていた。私は今、朝方から抑えていた感情の全てを吐き出しているだけだ。

 

怖かった。本当は怖かった。

私は、冷静なんかじゃなかった。平静を装って感情を押し殺していただけだ。

どうしてなのだろう。何故私は我慢しなかればいけなかったのだろう。

恐怖と絶望。蓋をしていたはずの感情が、憎悪へと変わっていく。

 

「あんたなんか、あんた達なんか―――」

 

長巻に手を伸ばし掛けた、その時。

 

「アヤ」

「アヤさん」

 

不意に、両の手から痛みが消えた。

凍りついた手が、湯煎で溶かされていくかのような感覚。

これは―――回復系のオーバルアーツだ。

 

「アリサ・・・・・・エマ?」

 

右にアリサ。左にエマ。2人が両手で私の手を包みながら、笑みを浮かべていた。

場違いなほどに、穏やかな笑みだった。

 

「私達にだって、背負うことはできるんだから」

「どうか私にも分けて下さい、アヤさん」

 

(あ―――)

 

―――俺にも、俺達にも君が抱えるものを背負わせてほしい。

今でも覚えている。ガイウスが私に言った、3年前のあの台詞。

アリサとエマには、昨晩聞かせたばかりだ。2人の言葉は、そこに繋がっているのだろう。

 

「アヤ。俺達の敵は、あいつだ」

 

後ろから、肩に手を置かれた。

ガイウスの視線の先には、猛威を振るう悪しき悪霊の姿があった。

既にリィン達3人は交戦に入っている。彼らだけの手に負える相手ではない。

 

「これが最後の戦いのはずだ。君の力が要る」

 

冷え切っていたはずの身体が、急速に温まっていく。

手を握り返すと、自然に笑みが浮かんだ。

2人にまで背負ってもらうわけにはいかない。こうして手を取ってくれるだけで十分だ。

 

「・・・・・・分かってる。もう、大丈夫」

 

いずれにせよ、テロリストの存在は戦争を回避する鍵となるはずだ。

彼らの命を救わなければ、故郷は救えない。

ガイウスが言うように、これが正真正銘、私達A班の最後の戦いだ。

 

「アリサ、エマ、力を貸して。ガイウス、気合入れなさい!」

「ああ、お互いにな」

「そうこなくっちゃ!」

「時間がありません。行きましょう!」

 

長巻の鞘を払い、私は再び立ち上がった。

 

______________________________________

 

硬い。それが魔物を斬った印象だった。

いや、斬ってなどいない。表面に掠り傷を負わせるのが精一杯だ。

その気になれば鉄さえも両断する私やリィンの剣が、全く通用しない。

ミリアムの一撃にも魔物は怯む気配すら見せてくれなかった。

 

「グリムバタフライ!」

「シルバーソーン!」

 

ユーシスとエマの上位属性アーツが、周辺の小型魔獣を巻き込みながら発動する。

白と黒の相反する導力に身を包まれ、魔物は呻き声を上げながら8本の足を苦しそうにバタつかせた。

 

だがそれも束の間、魔物は再びその真紅に染まる目を私達に向けてくる。

膨れ上がった腹からは、再度小型の蜘蛛型魔獣が吐き出された。

戦闘が開始してから、これの繰り返しだ。キリが無いにも程がある。

 

「埒が明かない・・・・・・ねえエマ、蜘蛛の急所ってどこにあるの?」

「蜘蛛、ですか?確か・・・・・・腹部です。上部を這うようにして、心臓があるはずです!」

 

腹部。そこはもう何度も斬ったが、刃が通ることすらままならない。

いずれにせよ、あの鉄以上に硬い皮膚を貫かなければ致命傷にはなり得ない。

ミリアムの打撃でも有効打にはならない。剣による斬撃も、アーツの力でも駄目。

 

(それなら、点だ)

 

点。一点に集中させた力で、皮膚を貫く。

エマの知識が正しいのなら、心臓は腹部を覆う皮膚のすぐ下にあるはずだ。

 

「・・・・・・みんな。一瞬でいいから、隙を作って。あとは私とガイウスが何とかする」

 

私の言葉に、皆の視線が集まる。

突き技の威力を考えるなら、ガイウスの槍しかない。

とはいえまともに飛び掛かれば、魔物の糸に身を取られてしまうのは目に見えている。

 

「フン、どちらにしろこのままではジリ貧だ。考えがあるのならさっさと用意しろ」

「そうね・・・・・・もう時間が無いし、それに掛けるしかないかも」

「オッケー、私とガーちゃんに任せてよ!」

 

説明している時間は無い。攻撃の手掛かりさえ掴めればそれでいい。

長期戦になればなる程、故郷を救える可能性は少なくなっていく。

 

「アヤ、どうすればいいんだ?俺の槍でも、あれが相手では・・・・・・」

「大丈夫。上空からの突き技、ガイウスの十八番でしょ?」

「し、しかし」

「大丈夫、私を信じて。絶対に『外さない』」

 

槍を握る彼の手を、私の手が覆う。

応えるようにして、その上に彼のもう片方の手が置かれた。

それでいい。一か八かの賭けかもしれないが、今はこれ以外に方法は無い。

 

「行くぞ、ユーシス!」

「ああ!」

「いっけー、ガーちゃん!」

 

正面から魔物に向かって突進したリィンとユーシスが、魔物の目の前で左右に飛んだ。

全く同じタイミングで目標を見失った魔物に、銀色の巨体が視界を遮るようにして組み掛かった。

 

「「ダークマター!!」」

 

間髪入れずに、テロリストを捕らえたアリサとエマの二重アーツが発動する。

周囲の小岩すらも巻き込みながら、中心へと作用する力が魔物を拘束していく。

アガートラムも巻き添えになってしまうが、きっと耐えてくれるはずだ。

動きと視界は封じた。狙いも定めた。

期は今しかない―――

 

「ガイウスっ!!」

「ああ!!」

 

魔物の上空に舞ったガイウスが、落下の速度を利用して腹部目掛けて槍を構えた。

コンマ1秒の差で彼の後に続き、長巻を振り上げながら刃を返して照準を付ける。

 

「風よ、俺に力を―――」

「四の舞『月槌』上段―――」

 

風は私だ。ARCUSの戦術リンクが無くとも、呼吸は重なる。

3年間、一緒だった。いつだってずっと一緒だった。

心と願いは1つだ。絶対に当ててみせる。

全ては一瞬。槍の切っ先が魔物へと突き刺さる、その一瞬。

狙いは柄の先端の、石突。

 

「「はあああっ!!」」

 

そこに向かって、刃を返した長巻を力の限り振り下ろした。

ガイウスの槍に、私の剣の力が加わる。

寸分違わず線と点が交わった時、ガイウスの突きは通常の何倍もの威力へと昇華した。

それが、千年以上の眠りから覚めた悪霊の最期だった。



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それでも私は。それでも僕らは。

1204年、6月28日。

この日の出来事は、間違いなく帝国史実に刻まれるであろう惨事だった。

正確に言えば、その一歩手前。引き金となった襲撃により複数人の血は流れたものの、それ以上被害が拡大することはなかった。

 

今の時刻は、同日の午後9時過ぎ。

ノルド高原は何事も無かったかのように、夜の深い静寂に包まれていた。

軍用飛空艇が空を駆ける音も、戦車が草原を踏みにじる音も無い。

導力革命以降も保たれてきた、自然と歩みを共にする姿があった。

 

「あ、あと1枚・・・・・・漸く終わりが見えてきたかな」

「ふふ、もうひと頑張りですよ、アヤさん」

 

私達は今、離れのゲルに木製のテーブルを持ち込み、特別実習のレポートを仕上げるべく奮闘していた。

実習は今回が3度目。内容のまとめ方もコツは掴めてきたのだが、如何せん今回は勝手が違った。

何しろ初日の移動日を含め、3日間に渡る実習のレポートだ。先月までとはまるで量が違う。

昨晩は宴の勢いで寝入ってしまった分、その反動も相まって今夜は泣きたい気分だ。

 

結論から言えば、既に戦争の危機は脱した。

犯人達を拘束した私達は、大急ぎで彼らの身柄をゼクス中将へと引き渡した。

それで全てが丸く収まるという私達の期待は、大いに裏切られる結果となったのだが―――

 

「―――レクターっていったっけ。あの人のこと、どう書けばいいんだろ」

 

再び結論から言えば、突然姿を現した青年の存在が、戦争の回避を決定付けるものとなった。

レクターと名乗った彼が、共和国側とどんなやり取りをしたかは知る由もない。

だがゼクス中将の言葉が真実なら、交渉の場に立ったのは彼だったはずだ。

 

「帝国軍情報局の人間、それ以上のことを知る術はないだろう。あの小娘の件もそうだが、憶測は無意味だ。事実だけを記せばいい」

「そうだけどさ、レポートの内容も評価対象になるんだから・・・・・・ユーシス、ちょっと見せてよ」

「お断りだ。添削はしてやらんでもない」

「ぐぬぬ・・・・・・」

 

まぁ、ユーシスの言う通りなのだろう。情報局なるものの存在は、今日初めて知ったばかりだ。

リィンやユーシスは耳にしたことがあるようだったが、詳細はまるで聞いたことがないらしい。

勝手な憶測は返ってマイナスになり兼ねない。

そしてミリアムが私の過去の一部を知っていたことも、今となっては追いようがない。

もう会うことさえ叶わない存在なのだろう。

 

「はは・・・・・・さてと、こんなものか。ガイウス、そっちはどうだ?」

「一通りはちょうど書き終えたところだ」

「ええー。早いよ、2人とも」

 

リィンとガイウスが背伸びをしながら、ペンをレポート用紙の上に置いた。

ユーシスは一足先にまとめ終えていたようで、欠伸を噛み殺しながら首を鳴らしていた。

 

「もう少しじゃない、アヤ。さっさと終わらせて、早く休みましょう」

「ええ、そうですね。流石に目蓋が重くなってきました」

 

アリサにエマは、スヤスヤとベッドで眠るシーダとリリを優しい目で見守っていた。

実家のゲルでは、昨晩に続いて盛大な宴が催されている。

誰が言いだしたわけでもなく、ごく自然な流れで文字通りのドンチャン騒ぎだ。

移住の準備に追われていた分、今でも一部の家具や寝具までもが外に放置されている。

片すよりも、今は喜びを皆で分かち合いたいのだろう。

 

こんな時に行き場を失くしたシーダとリリは、婆様と一緒に眠ることが多い。

今日はアリサとエマが一緒に眠ってあげると言っていた。

この3日間で、大分懐いてくれたらしい。ほほ笑ましい限りだ。

トーマも別のゲルで寝床を借りているのだろう。

 

「やっほー!どうしたのよ君達、こんなところに籠っちゃって!」

 

陽気な声を上げながら入り口に顔を覗かせたのは、サラ教官。

手にはワインボトルとグラスがあった。うん、もう立派に出来上がってる。

 

「ちょっとサラ教官、シーダ達が起きちゃいますよ。静かにして下さい」

「とにかくほら、今日の立役者がこんなところにいてどうするの。さっさと君達も参加して飲みなさいな」

「殴っていいですか?」

「アヤ、今はレポートに集中しなさい」

「そうですよサラ様。アリサお嬢様も困っておりますわ」

「何であなたまで入ってくるのよ!?」

 

アリサが声を荒げた途端、リリが「んんー」と声を漏らしながら寝返りを打った。

それが合図となったかのように、一気にゲル内が静寂に包まれた。

サラ教官とシャロンさんは、そのまま口を閉ざしながら踵を返してゲルを後にした。

 

2人がこの集落を訪れたのは、2時間以上前のことだった。

おそらく教官は事態を聞き及んだ後、すぐにこのノルドへ足を運んだのだろう。

全てが収束に向かった後だったが、私達の身を案じての行動と考えれば悪い気はしない。

シャロンさんは・・・・・・もう考えるまでもないだろう。

 

「さっさと終わらせるがいい」

「・・・・・・そうだね」

 

結局のところ、今のは邪魔をしに来ただけである。何て教官だ。

気を抜くと目蓋が閉じそうになるのを堪えて、私はペンを走らせた。

 

____________________________________________

 

レポートを仕上げるまで、それから1時間近くも掛かってしまった。

もう夜の10時を回っている。普段ならともかく、今日は皆疲労がピークに達しているのだ。

律儀に私達を待っていたリィンとユーシスは、もう限界だと言わんばかりにベッドの中に入ってしまった。

アリサとエマも、すぐにシーダ達の隣で寝息を立てることだろう。

 

「宴、終わってるかな?」

「どうだろうな・・・・・・教官の声は聞こえるようだが」

 

実家へと歩を進めるにつれ、中からはサラ教官の笑い声が耳に入ってきた。

私もリィン達に続いて寝床に入りたいところだが、どうやらそうもいかないらしい。

まだ飲んでいるのか、あの人は。こうなってくると何しに来たのか本当に分からなくなってくる。

溜息を付きながらゲルの中に足を踏み入れると、案の定教官の姿が目に入った。

 

「あら、やっと来たわね」

「サラ教官、まだ飲んで―――」

 

―――はなかった。

暖炉の前に座るのは、お義父さんとサラ教官。その手には、ノルドハーブが香るお茶。

台所では忙しそうに手を動かすお義母さんと、シャロンさんの姿があった。

言葉にはし難いが、何とも新鮮な光景だった。

 

「ほらほら、早く座りなさい。2人が来るのを待ってたんだから」

「は、はぁ・・・・・・あの、他のみんなは?」

「もう戻っている。疲れも溜まっていたのだろう」

 

私の疑問に、お義父さんが静かに返す。

言われてみれば、昼間は誰もが移住の準備に追われっ放しだったのだ。

そんな状態で酒でも入れば、すぐに睡魔がやってきてもおかしくはない。

 

暖炉を挟んで、教官とお義父さんの向かい側へと腰を下ろす。ガイウスも私の隣に座った。

それと同時に、シャロンさんが私達2人にお茶を用意してくれた。

お義母さんから教わったのだろうか。香りを嗅ぐだけで、お義母さんが淹れたそれと遜色無い出来栄えだと分かる。

 

「2人で何の話をしていたんですか?」

「ふふん、家庭訪問ってやつよ」

「・・・・・・家庭訪問?」

 

横に視線を移すと、私と同様にしてガイウスが頭上に疑問符を浮かべていた。

家庭訪問。聞いたことがない表現だ。文字通りの意味なら、家庭を訪問すること。

この場合の家庭は、間違いなくここだ。それ以外の特別な意味合いがあるのだろうか。

 

「ガイウス。お前は実習の成績が芳しくないようだな」

「む・・・・・・」

 

お義父さんの鋭い指摘に、ガイウスがくぐもった声を上げた。

ガイウスは1回目の評価が『E』判定。2回目は私と同じ班で『B』評価だ。

1回目で『E』を食らったガイウス以外のメンバーは、2回目で『A』評価を勝ち取っている。

単純に平均評価で判断するなら、ガイウスの成績はかなり厳しいことになる。

 

「それとアヤ。お前の科目別の成績についてなんだが・・・・・・」

「ごめんなさい」

 

自然と謝罪の言葉が口から漏れた。見れば、お義父さんの手元には見慣れた成績表があった。

科目別の成績は月一で評価される。評価基準は日々の小テストや授業態度、質疑応答の内容等々だ。

というか、何故お義父さんがそれを手にしているのかが分からない。先のガイウスの件だってそうだ。

 

「・・・・・・あのー、サラ教官?」

「言ったでしょ?家庭訪問だって。これもお仕事よ、お仕事」

 

徐々にその意味が理解できてきた。

家庭訪問とは、要するにこういうものなのだろう。

散々飲んだくれておいて、何て恐ろしいことをするのだ。

隠そうにもこれでは筒抜けではないか。

 

「勘違いするな、別に責めるつもりはない。2人とも、最近は頑張っているそうじゃないか」

「え?」

「ふふ。私達も不安だったけど・・・・・・立派にやっているようね。中間試験、だったかしら?ガイウスもそうだし、アヤは特に成績が良くなってきているじゃない」

 

台所にいたお義母さんが、お義父さんの隣に座りながら言った。

中間試験の結果まで知らされていたのか。それはそれで、少しだけ胸を張れる思いだ。

 

「先も言いましたが、2人のことは心配要りません」

 

私とガイウスにちらと目配せをした後、サラ教官は私達に対する言葉を並べた。

 

「文化や習慣が異なる不慣れな地で、ガイウスはよくやっています。アヤの勉学に対する姿勢には、教職員一同感心させられる思いです。私自身、教官としては2年目の若輩者ですから・・・・・・2人が私のクラスに入ってくれて、本当によかったと思いますよ」

「さ、サラ教官・・・・・・」

「少々、面映いな」

 

時折見せる、本気で真面目モードのサラ教官。似合わないと思う一方で、ちょっとずるいとも思う。

どちらが教官の素顔なのだろうと考えたことがあったが、結局『どちらも』という結論に至った。

 

「・・・・・・え、2年目?サラ教官って、もっと前から士官学院にいたわけじゃないんですか?」

「あら、君達には言ってなかったっけ?見ての通り、まだまだ若手の新米教官なのよ」

 

『若手』がやけに強調されていたのは、気にしたら負けなのだろう。

聞けば、サラ教官が士官学院の教官となったのはつい昨年のことだそうだ。

教職員の中では若い方だと思ってはいたが、もう少し経験が長いと思い込んでいた。

生徒の扱いは手慣れているし、普段はともかく、先程のような場面ではしっかりと教官の務めを果たしているように思える。

皆はそのギャップを笑い飛ばすことが多い。私は・・・・・・結構好きなのだが。

 

「じゃあ、士官学院に来る前は何をしていたんですか?」

「ひ、み、つ♪」

 

口元を人差し指でトントンと押さえながら、艶やかな声を漏らした。

どうしてそこで色目を使うのかが分からないが、お義父さんは明らかに鼻の下が伸びていた。

 

「あなた、少し話があります」

「む?ま、待てファトマ、一体何を―――」

 

________________________________________

 

私達は久しぶりに勃発した夫婦喧嘩から逃げるように、外で風に当たりながら時間を潰すことにした。

実家からはお義父さんの悲鳴が聞こえてくる。自業自得だろう。

逃げ遅れたサラ教官とシャロンさんについては・・・・・・気にしないでおこう。

 

「はぁ。おかげで目が覚めちゃったかな」

「俺もだ。あと30分は時間を潰す必要があるな」

「・・・・・・星、今日もよく見えるね」

 

故郷の星空を見上げながら過ごす、3回目の夜。

そして当然のように隣に座る、ガイウス。

いつも通りだ。いつも通りの私と、いつも通りの彼。何も変わらない日常と、故郷の星空。

こうしていて漸く実感が湧いてくる。

 

「私達・・・・・・守ったんだよね。守れたんだよね」

 

長い1日だったと思う。ノルドで過ごしてきた日々の中で、1番長い1日だった。

私達は救うことができた。この愛する故郷を。愛する家族、集落で生活を共にする皆を。

 

不思議な感覚だった。原因は昨晩、アリサとエマに私の過去を語ったからに違いない。

7年前の私と、3年前の私。涙を堪えて戦った、今日の私。

帝国に足を踏み入れてから私が歩んだ7年間の軌跡と、降って湧いた故郷の窮地。

バラバラのようでいて、全てが繋がっているように思えた。

 

「ああ。だが今日の一連の騒動は、予兆に過ぎないのだと思う」

「予兆?」

 

星空を見上げる視線をそのままにして、ガイウスは続けた。

 

「俺の予感は当たっていたのかもしれない。このノルドの地が平穏であり続ける保証は、どこにもない」

 

いずれ、外の大きな流れに巻き込まれる可能性がある。

午前中にゼンダー門へ向かう道中、ガイウスが語ったことだ。

その通りだと思う。今回の事件は、私達への警告なのかもしれない。

 

ある意味でノルドの遊牧民は身勝手だ。

帝国や共和国との関係を深め、少なからず両国の恩恵を受けながらも、自身はまるで変わろうとしない。

お義父さんが語ったように、変わらなければいけないことだってあるはずなのに。

 

「うん、私もそう思う。帝国も共和国も・・・・・・きっとこのままじゃいられない」

 

ともあれ、ノルドは変わる。姿は以前のままでも、帝国と共和国の目にそうは映らない。

国境紛争は回避できても、その寸前にまで追い込まれたという事実だけは両国に残る。

互いに軍備を強化し合うのかもしれない。監視塔のような軍事施設が新たに設けられてもおかしくはない。

睨み合いや意地の張り合いは、今日で終わりだ。

その狭間で居ない振りを決め込むのも、そろそろ限界なのかもしれない。

 

「だから俺は、強くなりたいんだ。俺はいつか、父さんの後を継ぐ立場にある。ノルドの未来は、俺達の未来だ。俺は・・・・・・強くなりたい」

 

風渡る高原。高き山々。蒼き蒼。

日の出の神々しさ。夕陽の切なさ。全てを許してくれるような綺羅の夜空。

全てを愛していると、ガイウスは言った。

 

だから守りたい。だからこそ、外の世界を知りたい。

それがリィン達へ打ち明けた、ガイウスが士官学院を志望した理由だった。

 

でも、そうではないのだろう。外の世界を知った先―――彼が言いたいのは、その先の話だ。

リィンやユーシス、アリサにエマ。誰一人として欠けていい仲間などいなかった。

ゼクス中将、第3機甲師団、ミリアム。レクターと名乗る青年。どれかが1つでも欠けていたら。

私達は、その一因に過ぎなかった。それ以上でも以下でもない。

 

自分自身の力で故郷を守り、未来を掴む。それがノルドを離れた、本当の理由。

 

「ガイウス・・・・・・」

 

胸を締め付けるような感覚に苛まれた。

故郷に対して愛していると臆面もなく口に出せる男性は、ガイウス以外に知らない。

素敵なことだと思う。立派だと思う。なんて綺麗な感情なのだろう。

彼はどこまでも純粋だ。瞳の色は、その全てを物語っている。

 

そんな彼を、私は支えたい。

傍で見ていたいと思う。力になりたいと思う。

彼が未来を掴みとる軌跡を、私は隣で見ていたい。

たとえ私と彼が、異なる道を選ぶことになったとしても―――それでも、私は。

 

「あっ」

「ん?」

 

唐突に、理解した。

何年も何年も悩み続けていた疑問が、解消されたかのような瞬間。

それは余りにも突然の感情で―――いや、ずっとそうだった。

理解しただけだ。ずっと前から、そして今も。

むしろ今は、以前よりも増してずっとずっと、その想いは強く。

 

「・・・・・・ふふっ」

「アヤ?」

「あは、あはは!あはははは!」

 

笑いが止まらない。漸く合点がいった。

成程、だから姉らしく振る舞えないわけだ。

姉弟なんかじゃない。始めから私は、彼を弟とは見ていなかった。

 

何故気付かなかったのだろう。3年間も隣にいて、どうして分からなかったのだろう。

傍にいたいと思うのに。彼無しでは、もう生きていけないという自覚はあるのに。

こんなにも―――想っていたのに。

 

「アヤ、どうしたっていうんだ?」

「うるさい、馬鹿っ」

 

精一杯の虚勢を張って、お茶を濁す。

察してほしいという思いはあったが、それも無茶な話だ。

それでも今は、少しだけ意地悪をさせてほしい。

 

いずれにせよ、これは困ったことになった。

私は今日から、彼の前でどんな顔をすればいいのだろう。

もう平気ではいられない。たった数分前の自分には、もう戻れそうもない。

いっその事、顔を赤らめて初々しい態度をとってやろうか。

・・・・・・馬鹿か、私は。アリサじゃあるまいし。似合わないにも程がある。

 

「ねえ、ガイウス」

「何だ」

「・・・・・・呼んだみただけ」

 

私はこの感情の名前を知っているし、初めてではないようにも思えた。

それはきっと、生まれ故郷へ置き去りにしてきた、淡い思い出。

私が歩むかもしれなかった、もう1つの軌跡。

忘れようとは思わない。忘れたくはない。それ以上に私は、今のこの想いを大切にしたい。

 

「・・・・・・酔っているのか?」

「飲んでないってば。でも・・・・・・あはは、そうなのかも」

 

そっと小指同士が触れ合う程度の、付かず離れずの距離。

そんな数リジュの距離感にやきもきしながら、私は夜空を見上げていた。

 

______________________________________

 

遡ること、約1時間前。

 

アヤと同じ夜空で繋がりながらも、それは遥か2000セルジュ以上も離れた国境の向こう側。

築30年以上も経つ、ややくたびれた3階建てのビル。以前は『クロスベル通信社』の本社として使用されていた建物だ。

その屋上には、遠い過去へ思いを馳せる1人の青年の姿があった。

 

「よぉ、ロイド」

「ん・・・・・・え、オスカー?」

「やっほーロイド。何してんの、こんなところで」

「ウェンディまで・・・・・・それはこっちの台詞だろ」

 

名を呼ばれたロイドは、振り返りながら男女の名を口にした。

幼少の頃の彼を知る、数少ない存在。兄の背中を追いかけるロイドを見てきた、古くからの親友。

それぞれが別の道を歩みながらも、ロイドにとっては掛け替えのない存在であった。

 

「売れ残りだけど、差し入れを持ってきてやったよ。1階のテーブルに置いてあるから、キーアちゃんと食べてくれ」

「私はこれ。明日から研修なんでしょ?早い方がいいと思って」

 

ウェンディがロイドに差し出したのは、彼が今朝方に調整を依頼していた戦術オーブメントだった。

 

「わざわざ届けてくれたのか。ありがとうウェンディ、それにオスカーも」

「いいって。それで、お前の方は何してたんだ?天体観測か?」

「はは・・・・・・まぁそんなところさ。ほら、今日は星がよく見えるだろ?」

 

ロイドが指指す上空には、満点の星空があった。

それは紛れもなく、彼が仲間と共に守り抜いた故郷の夜空だ。

 

得体の知れない狂信者集団の暗躍と、州議会議長との繋がり。

自治州始まって以来の大スキャンダルに、一時は暴動が起きかねない程の混乱が市民を襲った。

今ではそれも鳴りを潜め、誰もが新市長と新議会長への期待に胸を募らせている。

クロスベルは今まさに、大きな変革の時を迎えようとしていた。

 

「・・・・・・やっぱり、寂しいの?」

「え?」

「顔に書いてあるわよ。今朝が出発だったんでしょ?」

 

特務支援課の長であるセルゲイと、ベッドの中で寝息を立てるキーア。

ビルの中にいるのは、その2人だけだ。頼れる兄貴分も、過去を乗り越えた少女もいない。

想いを寄せる女性に至っては、父親と共に遠い異国の地へ降り立っている頃合いだ。

皆それぞれの確固たる信念のもと、一時的に特務支援課は離散していた。

泣き顔ではなく、笑顔で。さよならは言わず、また会おうと誓いを立てて。

それがちょうど、6月28日の朝の出来事だった。

 

「そんなことないさ。みんな必ず戻ってくるんだ、寂しくなんかないよ」

「それは分かるけど。じゃあ、どうして?」

「少し、昔のことを思い出しててさ」

「昔のこと?」

「・・・・・・もう、7年も経つんだな」

 

7年間。その言葉だけで、オスカーとウェンディは彼の心中を察した。

 

親しい少女がいた。住宅街の外れに佇む、小さな一軒家に住んでいた。

明るく活発なその少女は、ロイドらと行動を共にすることが多かった。

遊撃士である母親に習い、剣を学んでいた。度々相手をさせられていたロイドは、泥だらけになるまで稽古に付き合わされた。

オスカーとウェンディは、そんな2人を見るのが大好きだった。

日曜学校で同じ教科書を共有し、日が暮れるまで同じ時間を過ごす毎日。

 

ある日、母方の伯父を訪れるため、親子2人でエレボニア帝国へと旅立った。

3日間留守にすると聞かされていたロイド達は、少女の帰りを心待ちにしていた。

3日目の夜。待てど暮らせど、2人がクロスベルに戻ってくることはなかった。

1ヶ月後、母親の訃報が彼らの下に届いた。それが、最後だった。

 

2人と関わりのある者達は、警察や政府に対して何度も説明を要求した。

返ってくるのは、母親は傭兵に襲われて死亡、少女は行方不明。それだけだった。

遊撃士協会も帝国の各支部に捜索依頼を出していたが、足取りは掴めなかった。

それが意味するところは、1つしかなかった。時が経つにつれ、少女の名を口に出す者も減った。

 

この場にいる、3人を除いて。

 

「今頃どうしてんのかなぁ、あいつ」

「ふふ、もしかしたら結婚でもしてたりして。一番年上だったしね」

「・・・・・・はは、そうだな」

 

確かめ合うようにして、3人の思いが重なる。

1人では諦めていたかもしれない。2人では支えきれなかったかもしれない。

可能性は絶望的かもしれない。淡い希望にすがっているだけなのかもしれない。

 

―――それでも彼らは、信じて疑わない。もう何度目になるか分からない、3人の誓い合い。

絶対に生きている。彼女もきっと、こうして同じ夜空を見上げているに違いない。

心を共にする仲間が再びここへ集うように、彼女もきっと。

そう心の中で願いながら、ロイドはエニグマを手にした。

 

「もうこんな時間か。2人とも、そろそろ―――」

 

突然、周囲に着信音が鳴り響いた。

エニグマに搭載された、無線による通信機能。

それが始まりだった。願いが現実となる、その一歩目。

今のロイドには、知る由も無かった。



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第4章
緑色の午後


1204年、7月4日の日曜日。

 

私達《Ⅶ組》のトレードマークである真紅の制服は、今月に入ってから自室のクローゼットに収納されたままだ。

それもそのはず。士官学院では制服が夏服に切り替わり、ブラウスも半袖のそれを着ることが漸く許可されていた。

正直に言えば、6月の下旬から暑苦しさに悩まされていたぐらいだ。

7月に入ってから足並みを揃えて一斉に切り替える必要がどこにあるのだろう。

規則と言われればそれまでだが、少しは融通を利かしてくれてもいいだろうに。

 

「暑いなー・・・・・・」

 

クロスベルはともかく、ノルドの気候に慣れきった身としてはこの暑さは如何ともしがたい。

ノルドは昼夜の寒暖差が大きい分、ここでの夜の寝苦しさも最近の悩みの1つだ。

 

「そんなに暑いかしら。ノルドにも夏はあるんでしょ?」

「あるけど、ここよりは涼しいよ。風もあるし」

 

机の上に突っ伏しながら、ポーラの問いに力無く返す。

授業の無い自由行動日なだけあって、今教室にいるのは私とポーラ、ユーシスの3人。

それ以外には数人の女子生徒がいるだけだ。

 

時刻は昼の1時前。

午前中のクラブ活動を終えた私達馬術部メンバーは、教室で昼食を取った後、食後の穏やかな一時を過ごしていた。

教室といっても、《Ⅶ組》のそれではない。ポーラが所属する《Ⅴ組》の教室だ。

理由は特に見当たらない。席が埋まっていた学生食堂を諦め、向かった先がこの教室だっただけ。

 

この教室には、私が普段目にする倍以上の机と椅子が置かれている。

《Ⅶ組》以外のクラスには20人以上の生徒がいるのだから当然だ。

少しだけ窮屈のように思えるが、私達が恵まれているだけなのだろう。

 

「・・・・・・ユーシス、寝ちゃったね」

「疲れてるんでしょ。放っておきなさいよ」

 

昼食を食べ終えたユーシスは、腕と足を組みながら夢の中だ。

眠っているだけだというのに、その姿さえもが絵になる。

向こう側にいる女子生徒が黄色い声を上げたくなる気持ちも分からなくはない。

 

「アヤ、午後からはどうするの?」

「特に予定は無いんだけど。図書館で勉強でもしようかな」

「中間試験も終わったばかりなのに?最近よく自習してるわね」

「まぁね。油断は禁物ってやつだよ」

 

最近になって分かってきたことだが、私達にとってはこの時期が一番気が休まる。

実技テストや特別実習を終え、月が替わり季節の変わり目を肌で感じ始める、この時期。

自分の時間を作ることができるし、好きなことができる。

 

その中でも、とりわけこの時間が私は好きだった。

自由行動日にクラブ活動で汗を流し、昼食で腹を満たした後の、この時間。

教室に人はまばらで、窓から吹き込んでくる風が額の汗を乾かしていく。

 

何の変哲もない、緑色の午後。季節が変われば、また違った顔を見せてくれるに違いない。

何も無いけど、これも学生としての幸せの1つなのだろう。

大切にしようと思う。普段は忙しさで気付けない分、1秒1秒を大切に。

 

「やっぱり変わったわね、2人とも」

「・・・・・・何のこと?」

「特別実習、だっけ?あなた達、実習を終える度に人が変わるっていうか・・・・・・あれもそうだけど」

 

『あれ』は私達の隣で夢見の真っ只中だ。彼もこの時間を満喫しているのだろう。

私達に躊躇なく寝顔を見せるなんて、以前では考えられなかったことだ。

ユーシスの周囲に対する態度は、日に日に軟化しつつある。

ポーラとは相変わらずだが、それもお約束のやり取りだ。

 

「ユーシスは分かるけど、私もそう見えるんだ」

「見えるわよ。何かいいことでもあったの?」

「・・・・・・たはは、やめてよポーラ」

「何のことよ。気持ち悪いわね」

 

まぁ、久しぶりに故郷に帰れたこともあるのだろう。

そして・・・・・・この感情。気付いてしまった以上、忘れることなどできるはずがない。

 

あの後何度も自問自答を繰り返したが、答えは同じだった。

私は彼に惹かれている。その想いに、嘘は付けない。

冷静になればなる程想いは明確になり―――分からなくなってしまう。

 

「・・・・・・はぁ」

「何なのよ、もう。照れたり落ち込んだり、忙しいわね」

 

自分がどうしたいのかが分からない。

血が繋がっていないとはいえ、私達は姉弟だ。弟に抱いていい感情とは到底思えない。

今でも彼の前では平静を装っているが、やはり意識してしまう。

正直なところ、疲れる。疲れるが、口に出すわけにもいかない。

言ってしまったら、私達はどうなってしまうのだろう。

 

「ちょっとアヤ、大丈夫?」

「あんまり」

 

机の上にうつ伏せになりながら、腕の中に顔を埋める。

考えても答えなど見つからないことは、1週間前に身を持って経験済みだ。

一睡もできずに朝を迎えるだなんて、いつ以来のことだろう。

 

「・・・・・・何だか新鮮ね。こんなに弱々しいアヤが見れるだなんて」

「嬉しそうに言わないでよ」

「ふふ、いいじゃない。実際嬉しいんだから」

「ええー・・・・・・痛っ!?」

 

顔を上げた瞬間、ポーラが私の額目掛けてデコピンを放ってきた。

いい感じに眉間にヒットしたようだ。鈍い痛みが頭の内部を刺激してくる。

 

「気が向いたらでいいから、話してよ。いつでも聞いてあげるわ」

 

ポーラはそう言うと、再び右手でデコピンの射撃用意を始めた。

そうはさせまいと両手で額を防御しながら、思わず笑ってしまった。

 

まだ誰にも打ち明けてはいない。アリサにもエマにも、ラウラやフィーにも。

同じ《Ⅶ組》だからこそ、余計な心配は掛けたくはない。弱い自分を見せたくはない。

 

アリサ達に比べれば、ポーラと共有する時間は圧倒的に少ない。

そんなことは関係無いのだろう。少なくとも彼女は私にとって大切な親友だ。

だからかもしれない。アリサ達に見せられないものを、不思議と彼女には曝け出してしまえる。

甘えているのだろうか。だとすれば、少しずるいなぁと自分でも思う。

 

「ん、気が向いたらね」

「こんなところにいたのか、アヤ」

「うわあ!?」

 

背後から声を掛けられ、思わず立ち上がる。

隣にいるユーシスが気になったが、どうやら起きてはいないようだ。

 

「す、すまない。驚かせてしまったか?」

 

振り返れば、気まずそうに頬を掻くガイウスの姿があった。

いつからそこにいたのだろう。全く気付かなかった。

 

「べ、別に。それで、どうしたの?」

「生徒会長がアヤのことを探していたぞ」

「え・・・・・・トワ会長が?」

 

トワ・ハーシェル。

男女を問わず周囲から絶大な人気を誇る、生徒会を取り仕切る長だ。

教職員からの信頼も厚く、生徒という立場を超えて様々な職務を担っているらしい。

彼女と会話を交わしたことはほとんど無いが、リィンとは常日頃からやり取りをしているようだ。

 

「分かった。後で生徒会室に行ってみる」

「ああ、そうしてくれ」

 

そういってガイウスは踵を返し、教室を後にした。

彼の背中が視界から消えた後、私は大きな溜息を付きながら再び机の上に突っ伏した。

 

「ああもう。びっくりさせないでよポーラ」

「・・・・・・ていっ」

「うぐっ!?」

 

わけが分からないといった表情で、ポーラが再び私の額を弾いた。

そろそろ理不尽極まりない態度はやめておいた方がいいだろう。

彼女からすれば、私は今完全に変人だ。

というか、結構痛い。的確に同じ場所を狙わないでほしい。

 

「ねえアヤ。1つ訊いていい?」

「いたたた・・・・・・何?」

「まさかとは思うけど。もしかして、あなた―――」

 

ポーラの声を遮るようにして、突然『パシャッ』という聞きなれない音が耳に入ってきた。

見れば、先程まで離れた席に座っていた女子生徒が、ユーシスの近くでこそこそと手元を隠していた。

 

(・・・・・・カメラ?)

 

カメラだった。導力式の、小型のカメラ。

今のはシャッター音だったのだろうか。なら彼女が今撮影したのは、もしかして。

 

「嘘。撮ったの?」

 

早足で席に戻った女子生徒は、もう1人の女子生徒と小声で会話を始めた。

聞き耳を立てていると、「撮っちゃった」「気付かれてないかな」といった会話が断片的に聞き取れた。

思っていた通り、ユーシスの寝顔を拝借したのだろう。

 

「うわ、撮ったんだ・・・・・・あれ、ポーラ?」

 

気付いた時には、ポーラは席を立っていた。

私の言葉に返すことなく、彼女は無言で女子生徒の下に歩を進めた。

表情は窺えなくとも、背中を見れば感情の程は読み取れた。

 

「何のつもり」

「え?」

「何のつもりかって聞いてるのよ」

 

突然ポーラに声を掛けられた2人の女子生徒は、戸惑いながら後ろ手にカメラを隠そうとしていた。

あれで隠しているつもりか。傍で撮影しておきながら、バレバレではないか。

 

「あ、あなたには関係ないでしょう」

「だから何よ。人様の寝顔を勝手に撮るだなんて、何考えてるの?それ、現像したら許さないんだから」

 

強面で腕を組みながら歩み寄るポーラ。

ポーラが言わなくとも、私だって同じことをしていただろう。

彼女が怒るのも当然かもしれないが、ああも感情的になるなんて。少し意外だった。

 

「・・・・・・いでよ」

「え?」

「調子に乗らないでよ。ユーシス様と同じクラブだからって、何なのよ!」

 

女子生徒は声を荒げながらカメラのフィルムを取り出し、ポーラに向かって投げつけた。

 

(ええ!?)

 

これ見よがしに、何とまあ。呆れ果てたものだ。

ポーラも思わぬ反応に戸惑いの色を浮かべていたが、すぐに気を取り直して床に転がったフィルムを拾った。

それ以上のやり取りは無意味だと判断したのだろう。それをゴミ箱に投げ捨てた後、無言で席に戻ってきた。

 

「大丈夫?」

「平気よ。ああいうのはどこにだっているでしょう」

 

女子生徒はポーラの背中を睨みつけながら、隠そうともせずにグチグチと言葉を並べていた。

大半は声を出すのも気が引けるような汚いそれだった。

 

ああいった類の女子生徒がいることは知っていた。

ユーシスもそれを知った上で知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、流石にあれはないだろう。

ああも露骨だと怒りを通り越して、やはり呆れてしまう。

 

「・・・・・・私には、耐えられそうにないわね」

「何が?」

「知らないところで自分の写真が出回るなんて。そんな人生、真っ平御免よ。四大名門みたいな大貴族にとっては、日常茶飯事なのかもしれないけど・・・・・・私はイヤだもの」

 

あいつだって、同じじゃないのかしら。ポーラはそう言いながら、ユーシスの寝顔をぼんやりと見詰めていた。

そんな彼女の後ろ髪をまとめているのは、ユーシスが選んだノルド土産の髪飾り。

馬毛をあしらったそれを、何だかんだ言ってポーラは愛用している。

 

変わったのは、ユーシスだけではない。彼女も彼女で、人の事を言えないだろうに。

ユーシスを見るポーラの目も、日を追うごとに変わっていく。

 

「さてと、生徒会室に行くんでしょ?私はもう少し練習していくわ」

「うん。また明日ね」

 

ポーラが教室から出ていくのを見送った後、隣にいる当事者に視線を移す。

 

「いつまでそうしてるの、ユーシス」

「・・・・・・フン」

 

狸寝入りに、気付いてはいた。

女子生徒がシャッターを下ろしたあたりからだろう。

敢えて知らない振りをしていたが、私からすれば彼女ら同様バレバレだ。

 

「長いは無用だ。お前もさっさと生徒会室に行け」

「よく言うよ」

 

ユーシスは机の上を手早く片した後、教室の出入り口に歩を進めた。

その近くには、先程の女子生徒達の姿があった。

 

「おい」

「・・・っ・・・・・・は、はい?」

 

扉の前で足を止め、視線はそのまま。

ポーラと同じだ。背中を見るだけで、彼の胸中は窺える。

 

「俺に用があるならいつでも来るがいい。彼女を巻き込むな」

 

返事も待たず、そのままユーシスは教室を後にした。

残された女子生徒らは、ポカンと口を開けたまま呆けていた。

去り際まで惚れ惚れとするような振る舞いだ。

 

もう2人の関係を気に病む必要はどこにもないのだろう。

もしかしたら―――その先があるのかもしれない。

ちょっとだけ、ポーラが羨ましかった。

 

__________________________________________

 

「失礼します」

 

コンコンと扉を軽くノックし、扉を開ける。

学生会館は日頃から通っているが、今思えば2階に上がったことは数える程度しかない。

こうして生徒会室を訪れるのも、入学してから初の体験だった。

 

「・・・・・・あ。アヤ・ウォーゼルさんだよね?」

 

目に飛び込んできたのは、本棚の前で爪先立ちになりながら背を伸ばすトワ会長。

・・・・・・どう見ても同年代とはとても思えない。声までもが幼い少女のそれに聞こえてしまう。

というか、何をしているのだろう。届かないのだろうか。

 

「えーと。取りましょうか?」

「え?だ、大丈夫だよ。よいしょっ」

 

ぴょんと飛びながら器用に目当ての本を手前にずらし、降ってきたそれを両手でキャッチする。

「えへへ」と照れ笑いを浮かべながらVサイン。可愛らしい小動物を眺めているような気分だった。

 

「ごめんね、わざわざ足を運んでもらって。ガイウス君から聞いたんでしょう?」

「いえ、お気になさらず」

「ん・・・・・・おー、キルシェの娘っ子じゃねえか」

 

ソファーに横たわるのは、制服の上着を毛布代わりにしてくつろぐ男子生徒。

いつも水かドリンク一杯でキルシェに長居しては、子供達とカードゲームに興じる先輩だった。

 

「ひでえ言われようだな・・・・・・これでも常連客なんだぜ?」

「文句があるならツケという名の未払い金を払って下さいよ」

「ば、馬鹿!」

「・・・・・・クロウ君?未払いって何のことかな?」

 

小動物の愛らしい雰囲気は鳴りを潜め、代わりに笑顔と共にどす黒い何かを身に纏うトワ会長。

いつも軽口で飄々とするクロウ先輩だが、彼女の前ではそうもいかないらしい。

いい気味だ。これで近いうちにツケの3210ミラも戻ってくるだろう。

 

「わ、分かったよ・・・・・・ほれ、こいつに用事があるんだろ?」

「え?・・・・・・あ!ご、ごめんね。私すっかり」

「いえいえ、お気になさらず」

 

忙しい人だ。何となくだが、この人はリィンと相通じるところがあるように思えた。

周りのあれやこれやを放っておけない、そんな性分。

話しに聞く限り、サラ教官からも色々と事務仕事を振られているそうだ。

最近ではリィンに「教官秘書」という二つ名が《Ⅶ組》から与えられた。・・・・・・やっぱり似ている。

 

「まずはお礼を言わせて?私の依頼、いつも手伝ってくれてありがとう。リィン君から聞いてるよ」

「え・・・・・・そんな。いつもだなんて、たまに手を貸すぐらいですよ?」

 

実際に手を貸したのは、片手で数えられる程度しかない。

旧校舎の依頼についても、既に《Ⅶ組》全員の問題になりつつある。

お礼を言われるようなことはしていないはずだ。

 

「アンちゃんも喜んでたよ。指導のし甲斐があるって。可愛い後輩ができて、嬉しいんじゃないかな」

「あんちゃん?」

「ゼリカのことだよ」

 

一瞬ガイウスの顔が浮かんだが、アンゼリカ先輩のことだったか。

指導のし甲斐がある、か。実際に彼女にはお世話になりっ放しのように思える。

隙あらば意味も無く身体を触ってくるのはご勘弁願いたいのだが。

 

「しっかし、お前も物好きだよなぁ。喫茶店でタダ働きなんて」

「好きでやってるんだからいいじゃないですか」

「そうだよクロウ君。少しは見習って欲しいぐらいだよ・・・・・・それでね、アヤさん」

 

トワ会長は私に向き直ると、1枚の書類を私に差し出してきた。

 

「アヤさんには『外泊届け』を書いてもらいたいんだ」

「外泊届け?」

「うん。1週間以上前に提出する決まりだから、今日中にお願いしたいんだけど」

 

書類に視線を落とすと、その名の通りそこには『外泊届け』の4文字があった。

この紙を見るのはこれが4度目だ。特別実習に向かう前に、毎回必ず記入してきた書類だ。

唯一異なる点は、目的地が空欄であること。

特別実習の場合、ここにはサラ教官の字で『ひみつ』、その横にはハートマークで埋まっていた。

 

「あの・・・・・・何の話ですか?私には外泊する予定なんてないですよ?」

「え?だってサラ教官が、来週の自由行動日に―――」

 

___________________________________________

 

「クロスベル?」

 

ラウラが私の生まれ故郷の名を口にしながら、手にしていたティーカップをテーブルに置いた。

時刻は夜の8時過ぎ。私とラウラは学生寮の3階、談話スペースでお茶を飲みながら、風呂上りの火照った体を冷ましていた。

実習が終わってから、《Ⅶ組》ではアリサとエマの影響でノルドハーブが流行中だ。

お茶は淹れ方1つで変わるとは言うが、水出しで飲んだはこれが初めてだ。

流石はシャロンさん。たった一晩でノルドハーブの全てを掴んでしまったらしい。

 

「うん。急だけど、来週の日曜日に行くことになってね。みんなにももう話したんだ」

「そうか・・・・・・ふむ。漸く決心がついたのだな」

「あはは、サラ教官が強引に決めちゃっただけなんだけど」

 

私がノルドへ落ち着いた軌跡と、もう1つの故郷。

アリサとエマに打ち明けた私の過去は、既に皆の知るところだ。

 

私がクロスベル入りする段取りは、サラ教官がいつの間にか手配していたらしい。

本人曰く「2ヶ月続いての帰郷だなんて気が利くでしょう?」だそうだ。

まぁ、遅かれ早かれ今月中にはと約束していたことだ。後押しをしてくれたと考えれば、教官の気遣いとも取れる。

 

「クロスベル、か。確か、みっしぃはクロスベルで生まれたキャラクターだったか」

「あ、うん。昔はそこまで有名じゃなかったはずだけど、今はすごい人気みたいだよ」

 

そう語るラウラの首には、いつものようにみっしぃ柄のタオル。

今は外しているが、ラウラのトレードマークでもある黒のリボンは、リィンがノルドの交易所で選んだものに変わっていた。

ポーラといいラウラといい・・・・・・やっぱり、ちょっとだけ羨ましい。

男性からの贈り物を身に付けるというのは、どんな感覚なのだろう。

 

「アヤ。折り入って頼みがある」

「え、何?」

「そなたがクロスベルに向かう理由は承知しているのだが・・・・・・その、何だ」

 

視線を泳がせ、もじもじと頼みづらそうな仕草を繰り返すラウラ。

思わず頭を撫でたいような衝動に駆られるが、実行したら怒られるだろうか。

 

「あはは。何がいい?食べ物もあるし、色々グッズは揃ってると思うよ」

「す、すまない。恩に着る・・・・・・できれば、形に残る物がよいな」

 

私がクロスベルに向かう理由が、1つだけ増えた。

お土産探しに興じる時間を取るぐらいはしてもいいだろう。

 

_________________________________________

 

来週の自由行動日を思いながら足を運んだ先は、私の部屋では無かった。

実習以来、意識して避けてきた場所。

考え事をしていたせいか、無意識のうちに扉を開けてしまった。

 

ぼんやりと天井を見上げながら、ベッドの上に寝そべる私。

机の上に本を広げ、読書にふける彼。

 

会話が途切れることには慣れている。というより、意識したことがない。

1時間以上無言でだらだらと居座った挙句、眠ってしまったことだってある。

だというのに、自然と視線が彼に向いてしまう。何かを喋りたいのに、言葉が出ない。

変に思われたりしていないだろうか。彼の目に、今の私はどう映っているのだろう。

 

「そういえば」

「な、何?」

「クロスベルといえば、ここからかなり離れているだろう。往復するだけでも相当時間が掛かるんじゃないか?」

「・・・・・・ああ、そのこと」

 

ガイウスが言うように、トリスタとクロスベルでは往復するだけでも半日以上掛かってしまう。

直通の列車を使っても、ノルドへ向かうのと同程度の時間が必要だ。

その点については問題ない。7月10日の土曜日。私は皆よりも一足先に、昼からの自由行動が許されていた。

これもサラ教官の計らいだそうだ。ラウラへのお土産ついでに、教官にも何かお礼を選んであげよう。

 

「てわけで、土曜日の昼から留守にするから。帰ってくるのは、日曜日の夜かな」

「そうか。7年振りの帰郷だ、楽しんでくるといい。会いたい人間もいるだろう?」

「・・・・・・ん。そうだね」

 

会いたい人間。勿論、いる。

もうあれから7年も経っている。私の事を覚えている人間が、どれだけいるのだろうか。そして、その逆も。

1人だけ確定している人間はいる。期待はしていないが、もしかしたら。

もしそうなったら、私はどんな顔をすればいいのだろう。

 

(今考えても仕方ないか)

 

その時はその時だ。帰りの時間も考えれば、行動できる時間もそれ程多くはない。

知り合いに再会できる機会があれば、それだけでも幸運かもしれない。

 

「それ、何読んでるの?」

 

話題を変えるように、私はガイウスが読みふけっていた本へ視線を移す。

 

「これか。リンデから借りたものだ。帝国では有名な小説だそうだが」

「リンデから・・・・・・ふーん。へえー」

 

唐突に彼の口から出た女子生徒の名前に、思わず口調が尖ってしまった。

我ながら単純すぎると思うが、大目に見てほしい。

 

「始めは何だかぎこちなかったけど、仲良くやってるみたいだね」

「ああ。最近は色々と相談にも乗ってもらっている」

「相談?どんな?」

「・・・・・・その、色々だ」

 

小説を読む彼の目が変わった。

先程まで文字を追っていたはずの目は、明らかに焦点があっていない。

 

「ちょっと、何で隠すの」

「別に隠してはいない」

「じゃあ話してよ」

「そのうちな」

「隠してるじゃん」

 

隠してる、隠してないの応酬。

彼が《Ⅶ組》以外の生徒とうまくやれているのは嬉しい限りだ。

それでも、やっぱり少しだけ。そんな身勝手な感情にも、目を瞑ってほしい。

日付が変わるまで、そんなとりとめのないやり取りは続いた。



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ただいま、おかえり

荷物は片手の手提げ鞄が1つだけ。

元々荷物を多く抱えるのは好まない性分だ。何かあれば、現地で調達すればいい。

シャロンさんが持たせてくれた昼食も、料理用の紙で包まれていた。

これなら食べ終えた今でも荷物にはならない。

 

「・・・・・・暇だな」

 

こうして1人で列車に乗るのは、何年ぶりのことだろう。

流れ行く風景を眺めるのも、大穀倉地帯を抜けた辺りから飽きが来ていた。

エマに本でも借りてくればよかったかもしれない。

 

列車の行き着く先は、生まれ故郷の玄関口、クロスベル駅。

1185年に完成したそれは、私よりも1歳年上だ。

同年に長期的な都市計画プランが作成され、クロスベルは私と共に成長を続けた。

トマス教官によれば、既に第5期プランの段階に入っているそうだ。

私の知らないところで、クロスベルは今も姿を変え続けている。

胸が躍るような好奇心と、気後れのような気まずさ。それと、この感情。

 

(そろそろ5限目も終わる頃、か)

 

ガイウスとシャロンさんに見送られながら、トリスタ駅の改札を通った時のことを思い出す。

一瞬振り返りたくなるような衝動に駆られたが、気が引けた。

言い知れない不安感と、遠ざかるごとに増していく孤独感。

たった一晩、同じ屋根の下にいられなくなるだけだというのに。4月の特別実習では、もっと長い間離れ離れになっていたはずなのだが。

・・・・・・いや、もうあの頃の私とは違う。それにあの時だって、結局私は泣きながらすがりついていたじゃないか。

変わったような、変わっていないような。

 

「・・・・・・あっ」

 

思い出したように、唯一着替え以外に持ってきていた私物を鞄から取り出した。

クロスベルタイムズ。先月にサラ教官から借りた後、そのままになっていた。

 

あの時は気付かなかったが、雑誌にはクロスベル市の飲食店を特集するページがあった。

その中の1つが、『イケメンブランジェが作り上げる至高のバゲット』という謳い文句。

ベーカリーカフェ『モルジュ』に勤めるその男性は、私の1つ下でオスカーという名前だそうだ。

私が知る限り、思い当たる男性は1人しかいない。十中八九、彼のことなのだろう。

これで2人目だ。私が知る人間で、間違いなくクロスベルで今も生き続ける男性。

 

「・・・・・・ロイド」

 

もう1人の男性の名を口にしながら、漸く訪れてくれた睡魔に身を預ける。

出国許可証等必要な書類は、既にトワ会長経由で申請されている。

このままクロスベル駅へ到着するまですることは何もない。

今は何も考えず、夢の中に落ちたい。そうすれば、不安や孤独感に苛まれずに済むのだから。

 

_________________________________

 

―――リベール、レミフェリア各方面への定期飛行船をご利用のお客様は、お乗換え下さい。

 

「ん・・・・・・」

 

車内に響き渡る声で、目が覚めた。

ぼんやりとする目をごしごしと擦り、辺りを見渡す。

どれぐらい眠っていたのだろう。もう日は暮れているようで、車内灯の光が目に沁みた。

 

「・・・・・・え、嘘!?」

 

声を上げながら飛び起きる。

今の車内アナウンスは、間違いなくクロスベル駅に到着する前に流されるそれだ。

慌ててARCUSの時計を見ると、既に時刻は夜の7時近くになっていた。

あれからずっと眠っていたのだろうか。これはこれで予想外だ。

少なくとも国境付近では自然と起きるだろうと踏んでいたのだが。

気付いた時には、周りからクスクスという笑い声が聞こえていた。

私の慌てふためく姿が滑稽だったのだろう。・・・・・・恥ずかし過ぎる。

 

「し、失礼」

 

声を潜めながら、座席に腰を下ろす。

列車は既に減速し、停車の準備に差し掛かっていた。

 

________________________________________

 

「うわー・・・・・・」

 

駅前通り。私の記憶が正しければ、この辺りはもう少し薄暗かったはずだ。

ここだけではない。辺りを見渡すと、そこかしこが導力灯の明かりに照らされていた。

これではまるで昼間だ。変わったとは聞いていたが、予想を遥かに上回る変わりっぷりだ。

少なくとも、北側に見える高層の建物群には全く見覚えがない。百貨店のようなものだろうか。

日が暮れている分ハッキリとはしないが、クロスベル市の街並みは7年前から大きく変貌していた。

 

「まぁ、7年だもんね」

 

直前まで眠っていた分、覚悟が足りていなかったのかもしれない。

まるで生まれ故郷が突然目の前に現れたかのような感覚だ。

帰ってきたという実感が余り湧いてこないのも、そのせいなのだろう。

しばらくの間、周囲を見渡しながら一歩も動けずにいた。

 

「・・・・・・どうしよ」

 

サラ教官曰く、現地には私の案内人が待っているとのことだった。

里帰りに案内役など不要だと何度も言ったのだが、教官は一歩も引こうとはしなかった。

その案内役とやらを見つけなければ、今夜寝泊りする宿すら分からない。

とどのつまり、動こうにも動けない。指示通りの列車に乗ったし、時間通りに着いたはずなのだが。

 

「ユイ?」

 

女性の声が聞こえた。聞き覚えがあるような、ないような声。

声の方向に振り返ると、青色の作業着のような出で立ちの女性が立っていた。

 

「嘘・・・・・・ユイ、なの?本当にユイなの?」

 

導力灯に照らされた栗毛色の髪と、私よりも頭一つ小柄な体躯。

逆光になり表情がはっきりとしないが、目元には涙が浮かんでいた。

誰なのだろう。どうして、私が捨てたはずの名前を―――

 

「―――ウェン、ディ?」

「ユイっ!!」

 

思い当たった名を口にした瞬間、その女性は―――ウェンディは、私の胸に飛び込んできた。

 

「ウェンディ・・・・・・そんな、本当に?本当にそうなの?」

「こっちの台詞よ、バカ!!どうして・・・・・・バカ・・・うぅっ・・・・・・」

 

すがりつくように、私の胸下に顔を埋めるウェンディ。

それが答えなのだろう。お母さんの次に、この地でたくさんの時間を共有した同性。

そう、ウェンディだ。正真正銘、間違いなく彼女だ。

 

「やれやれ。少しは人目を気にしろよ、ウェンディ」

「・・・・・・オスカー」

「ああ、俺だよ。7年振りだな、ユイ」

 

立て続けに姿を現した、7年振りの親友。

余りにも突然の再会に、思考と感情がまるで追いつかない。

追いつかないが、身体は先行して想いに反応する。

一度目を閉じれば、堪えていた涙が頬を伝った。

あとはもう、とめどが無かった。

 

「ウェンディ、オスカー・・・・・・ごめんね。本当に、ごめんね」

「ごめんねじゃないだろう、ユイ」

 

3つ目の声。3人目の、掛け替えのない存在。

勘弁してほしい。もう涙で顔すらハッキリと見えないというのに。

もっとしっかりと目に焼き付けたいのに。

空白の7年間。この地で過ごすはずだった、感じるはずだった7年分の感情が一気に私の胸を締め付けていく。

 

「おかえり、ユイ。ずっと君に会いたかった」

「ロイドっ・・・・・・」

 

周囲の目など気にする余裕もなく、私は嗚咽を混じえながら涙を流し続けた。

私は何を迷っていたのだろう。目と鼻の先に、こんなにも大切なものがあったのに。

7年間も待たせておいて・・・・・・もっと言うべきことがあるだろうに。

泣いている場合ではない。彼が言うように、帰って来た時はごめんねじゃない。

 

「ただいま、ロイド・・・・・・オスカー、ウェンディ」

 

涙を堪え、どうにかそれだけは言えた。それが最後だった。

私はウェンディの小さな身体を抱きしめながら、再び幸せの中に身を投じた。

 

_________________________________

 

3階建てのビルの1階。ネームプレートには『特務支援課』とあった。

案内されたその建物に足を踏み入れると、色取り取りの料理の数々が空腹感を刺激してきた。

視覚と嗅覚、2つの方面から盛大に。

 

「うわー、何これ!これ、食べていいの?ねえねえ」

「落ち着きなさいよ。あんたそんなに食いしん坊だったっけ?」

「はは・・・・・・とりあえず、荷物は預かるよ。詳しいことは食べながら話そう」

 

ロイドに鞄を預け、テーブルを見渡す。

椅子は6つだったが、10人分はありそうな位広いテーブルに、様々な料理が並んでいた。

周囲を見渡すと、導力端末らしきディスプレイと通信機。

金属製のロッカーに応接用と思われるソファー、ホワイトボード。

ボードには『掃除当番』『食事当番』の文字と、数人の名前が記されていた。その中にはロイドの名前もあった。

 

「特務支援課、だっけ。確かロイド以外にも、3人位いなかったっけ?」

「え・・・・・・知ってる、のか?後で驚かそうと思ってたのに」

「クロスベルタイムズで読んだよ。警察官になったんだね、ロイド」

「まぁ2人とも。積もる話は一杯やってからでいいんじゃないか?」

 

オスカーはそう言うと、ワインボトルと人数分のグラスをテーブルに並べた。

しっかりと私の分まで用意されていた。

 

「オスカー、大っ嫌い」

「何でだよ!?」

 

気分的には何杯でも煽りたいところではあるが・・・・・・いや、やっぱり駄目だろう。

校則を破るのはあれが最後だ。残念でならないが・・・・・・うん、諦めよう。

結局私はオレンジジュースをグラスに注ぎ、7年振りの再会を祝い合った。

 

余りにも予想外の再会と歓迎を、ロイド達は一から説明してくれた。

詳しい経緯は定かではないが、遊撃士協会を通じて、彼らは私の帰郷を事前に知らされていたのだという。

サラ教官が言っていた案内役とは、どうやらロイドのことらしい。

遊撃士協会が関わっている理由は想像も付かない。お母さんが関係しているのだろうか。

それでも腑に落ちない点が多数見当たる気がするが、今は考えても仕方ない。

ちなみに今夜私が寝泊りする場所は、ウェンディのアパートだそうだ。

 

「本当にいいの?今でも3人暮らしなんでしょ?」

「お父さんが今出張中だから、ベッドも余ってるんだ。私のベッド使ってよ」

 

ということは、ウェンディがお父さんのベッドを使うということだろうか。

昔からお父さん大好きな女の子だったが、今もそれは変わっていないのだろう。

ウェンディの今の職場を考えれば、想像するに容易い。彼女はきっと、夢を叶えたのだ。

 

「技術士になったんだね、ウェンディ。似合ってる似合ってる」

 

彼女が今着ているのも、ジョルジュ先輩を思わせる作業ツナギだ。

もし彼に妹がいたら、多分こんな感じの女性になるんじゃないだろうか。

一度でいいから、2人を並べてみたい。

 

「まぁね。まだまだ修行中の身なんだけど」

「パンセちゃんは元気?」

「うん。『お姉ちゃんみたいになるもんかー』って最近うるさいのよ」

「あはは」

 

私がここにいた頃は、パンセちゃんもまだまだ幼い女の子だった。

それが思春期を迎える程度にまで成長しているだけで、7年間という時間の長さを実感できる。

 

「オスカー、雑誌で見たよ。イケメンブランジェってオスカーのことでしょ?」

「誰が書いたか知らないけどな。ほら、これも俺が焼いたんだ」

 

テーブルの中央には、バゲットやパリジャンがこんもりと盛られたカゴ。

これだけでも何人分あるのだろう。流石に私でもこれは食べきれない。

 

「これなんてすげえ多加水の生地なんだぜ。それはもうべっちゃべちゃで成型するだけでも―――」

「聞いてないみたいだぞ、オスカー」

「聞けよ」

「おいひいお」

「何だって?」

「美味しいよ、だってさ」

 

ウェンディのナイスな通訳に、親指を立てて答える。

食べきれないが、味は確かだった。この食感は焼きたてのそれだ。

言葉では表現できない程のサクサク感が絶妙なハードブレッド。

この一品だけで彼の腕前の程は窺える。それに、イケメンという触れ込みも確かなのだろう。

端整で線の細い顔立ちは、今も変わっていない。むしろ男前っぷりに磨きが掛かっている。

 

「ロイドには負けるさ。前の事件で一躍有名人だもんな」

「よしてくれよ・・・・・・俺だけの力じゃなかったんだし」

「それも雑誌で読んだよ。警察官かぁ・・・・・・やっぱりお兄さんの影響なの?」

 

私がパンを頬張りながらそう言うと、どういうわけか3人は一瞬暗い影を落としてしまった。

笑いつつも、声が渇いている。変なことを言っただろうか。

私はてっきり、お兄さんの後を追って警察に入ったとばかり思っていたのだが。

 

「はは・・・・・・まぁ、警察官になったのはやっぱり兄貴の影響かな」

「・・・・・・ねえ。お兄さんって、今は」

「亡くなったよ。殉職したんだ、3年前に」

 

3人と同様にして、パンを口に運ぶ手が止まった。

喉を通り過ぎようとしていたそれまでもがピタリと止まる。

慌ててグラスに注がれていたジュースを口の中に入れ、どうにか胃の中に流し込んだ。

 

「わ、悪い。驚かせて」

「・・・・・・ううん、こっちこそ。その、ごめん。思い出させちゃって」

 

少しだけ合点がいった思いだ。

こうして向き合っているだけで、彼のお兄さんの面影がある。外見が似ているだけではないのだろう。

それ以外の何か、お兄さんから継いだ確かなものが、今のロイドには宿っているように思えた。

 

恐る恐るセシルさんのことを聞いてみると、彼女は今もクロスベルに身を置いているそうだ。

ほっと胸を撫で下ろす。ロイドは昔から彼女を本当の姉のように慕っていた。

 

「特務支援課の仲間は・・・・・・簡単に言えば、研修中かな。このビルにも、今は課長とキーアしかいないんだ」

「そうなんだ・・・・・・キーア?ロイド、キーアって―――」

「おまちどーさまー!」

 

聞き覚えのない名前を耳にしたところで、扉の向こう側から幼げな声が聞こえた。

 

(か、かわいいっ)

 

腰元まで伸びるライムグリーンの長髪に、同色のくりりとした瞳。

シーダと同じか少し下程度の歳の少女が、よいしょよいしょと大皿を抱えていた。

その後ろには―――

 

「ま、魔獣!?」

「む。ちがうもん!この子はツァイトだよ」

「がるるっ」

 

思わず身構えてしまった。一見すれば、どう見ても魔獣だ。

一方で魔獣特有の邪悪さや殺気は微塵も感じられない。どんな生き物だ、これは。

 

「安心しろよ。あれは犬だ、犬」

「そうそう、クロスベルじゃ有名な警察犬なんだから」

 

無茶を言わないでほしい。こんな犬を見るのは初めてだ。

・・・・・・本当に犬なのだろうか。まぁ、少なくとも魔獣ではないのだろう。

それはいいとして、この子は一体。

 

「決まってるじゃん。ロイドの子だよ」

「えええ!!?」

「お約束のボケはよしてくれ、ウェンディ・・・・・・そんなわけないだろう」

 

一瞬だけ天地が引っくり返るような感覚に襲われた。

事情を掻い摘んで話してくれた今でも、心臓の音が聞こえる。

・・・・・・驚かさないでほしい。今のところ、嘘とはいえ驚き具合は断トツだ。

 

「えっと、キーアちゃん?ごめんね、魔獣だなんて言って」

「んーん。ツァイトも気にしないでって言ってるよ」

 

腰を下ろし、ツァイトの頭をそっと撫でる。

賢そうな犬だ。犬というより、狼に近い種なのかもしれない。

その目からは人間のような感情の色が窺えた。確かに何かを語りかけてくるような感覚だ。

「気安く触るな」といったところだろうか。超然とした態度が、どことなくユーシスを思わせる。

 

「おねーさん、ロイドのおともだち?」

 

いつの間にかロイドの膝元に収まっていたキーアが、首を傾げながら訊いてくる。

 

「うん。ウェンディとオスカーも、私のお友達だよ」

「そうなんだ。どこに住んでるの?」

 

キーアの問いへ反応するように、ロイドら3人の視線が私へと注がれた。

そろそろ出番だとは思っていた。彼らが今歩んでいる道は、大方把握できた。

次は私が話をする頃合いなのだろう。察するに、皆もキッカケを欲しがっていたように思える。

 

「トールズ士官学院、だったかしら。ユイ、今は帝国で学生をしてるんだよね」

「・・・・・・それは知ってるんだ。オスカーも、ロイドも?」

「おう。この前聞いたばかりだけどな。それもその学院の制服なんだろ?」

 

言われてハッとした。私の出で立ちを見ただけでも、学生という身分は筒抜けだ。

そこまでは知らされている。彼らが知りたいのは、そこへ行き着いた軌跡と、その先の話。

 

「差し支えなければ・・・・・・聞かせてくれないか、ユイ。君の身に起こったことを。今日までの、7年間のことを」

「・・・・・・アヤ」

「え?」

「お願い、みんな。私のことは・・・・・・アヤって呼んで。私は、アヤ・ウォーゼルになるために、ここに来たから」

 

目蓋を閉じて、深呼吸で一旦間を置いた後、私は全てを語った。

 

________________________________________

 

全てを話すと言っても、明かすことができない部分は多数ある。

身喰らう蛇と呼ばれる存在と、帝国を渡り歩いた4年間。

余計な心配は掛けたくなかった。だから私は、多少の嘘偽りを混じえながら語った。

 

4年前、私とお母さんは金盗り目的の傭兵団に襲われた。

唯一の肉親を失った私は、帝国という異国の地で天涯孤独の身となった。

帝国には戦争孤児のような存在は珍しくもなく、私はその中の1人として施設に預けられた。

そこで私は空白の4年間を過ごした。

私がノルド高原で暮らすウォーゼル家に養子として引き取られたのが、3年前。

これが事前に考えていた、私の7年間。

所々の件に少々無理があるようにも思えたが、3人は大した疑いを抱いていないようだった。

 

「の、のの、ノルド高原!?遊牧民!?」

 

寧ろ、その事実に驚愕していた。これはちょっと予想外だった。

 

「マジかよ・・・・・・驚いたな。遊牧民なんて、話でしか聞いたことがなかったぜ」

「あはは。まぁ、私も最初は戸惑ったけど。慣れればいいところだよ?」

「導力抜きの生活なんて私には耐えられないわよ」

 

ウェンディについては、単に機械いじりがしたいだけな気もするが。

ともあれ、事実と大きな相違点も無い。私の名や性が変わった理由と、クロスベルを訪れた理由にも。

駆け足だったが、私が抱える事情もある程度は理解してもらえただろう。

 

「ねえ、セシルさんって今はどうしてるの?看護士を目指してなかったっけ?」

「ああ。今は聖ウルスラ医科大学に勤めてるんだ」

「ねーねー、キーアが作ったパスタも食べてよ。早くしないと冷めちゃうよー」

「あはは、じゃあ頂こうかな」

「大皿ごと持ってくなよ・・・・・・」

 

とはいえ、たったの1時間程度で7年間の空白を埋めることはできない。

今日はただの移動日だ。時間はたっぷりと残されている。

たくさんの話をしよう。1つでも多くを共有しよう。

酒を飲まなくて正解だった。記憶が薄れてしまうのは、余りにも勿体無い。

最近の私は、少し恵まれ過ぎている。そんなことを思いながら、クロスベルの夜はゆっくりと過ぎていった。

 

______________________________________

 

途中からは、ロイドの上司であるセルゲイさんが参戦した。

参戦と言っても、料理をつまみながら黙々と酒を煽るだけだった。

無愛想、とは少し違うようだ。話を振れば答えてくれるし、キーアも彼を慕っているように見えた。

よくよく思い返せば、ロイドのお兄さんと一緒に歩いている姿を目にしたことがあるような気がする。

 

雰囲気と料理がそうさせたのか、皆の酒は進みに進んだ。

オスカーは酒に弱い体質のようで、一番目にソファーへと倒れ込んだ。

ウェンディはおそらく私と同程度にいける口のようだったが、オスカーに続いた。ペースがいくらなんでも早過ぎたようだ。

自分の限界を知らずに飲んでしまうあたり、酒の席に慣れていないのだろう。

 

「参ったな。2人とも、明日は仕事だって言ってたのに」

「オスカー、明日も早いって言ってたよね」

 

ブランジェの朝はとても早いそうで、明日も4時半には起床する必要があると言っていた。

どう考えても酒が抜けきっていない時間だろう。

 

「このまま寝かせてあげたら?」

「ああ、そうだな。モルジュさんとパンセには俺が連絡しておくよ」

「・・・・・・あっ」

 

そこで漸く気付いた。私はウェンディのアパートに泊めてもらう約束だった。

・・・・・・流石に本人を置いて訪ねるわけにもいかないだろう。

 

「そ、そうだったな。仕方ない、一緒のベッドで眠るか」

「え゛」

「キーアと一緒に寝るのは慣れっこさ。悪いけど、キーアの部屋を使ってくれるか?」

「・・・・・・ロイドって、何か私のクラスメイトに似てるよ」

「そうなのか?よく分からないけど、会ってみたいな」

 

絶対に会わせてはいけない。

何となく、そんな気がした。

 

___________________________________________

 

ロイドと2人で皿洗いを終えた後、私はビルに備え付けられていたお風呂場で汗を流した。

失念していたことだが、私は本当に最低限の着替えしか持参していなかった。

おかげでタオルや洗面具もロイドの物を借りることになった。うん、我ながらだらしないと思う。

 

部屋へ戻る道すがら、私は屋上へと繋がる階段を見つけた。

そこは日常的に使用されているようで、木製の花壇や物干し竿等が目に入った。

 

「すごいなー・・・・・・」

 

屋上からは中央広場や西通り、住宅街周辺なら隅々まで見下ろすことができた。・

こんな時間だというのに、道路には導力車の、空には飛行船の導力灯がちらほらと目に付く。

様々な文化を吸収してきたクロスベル市は、場所が変われば顔も大きく変わる。

それに拍車が掛かったかのように、振り返れば同じ市内とは思えない光景が目に飛び込んでくる。

 

「こんなところにいたのか」

 

背後からロイドの声が聞こえた。

先程までの警察官らしい服装とは違い、Tシャツにジャージパンツというラフな出で立ちだった。

 

「ごめん、ちょっと夜風に当たりたかったから」

「構わないさ。俺も1月にここへ戻ってきた時は、よくそうやって黄昏れてたっけ」

 

そう言ってロイドは私の隣に立ち、柵に身体を預けながら私と同じ視界を共有した。

想像もしていなかった。3人と再会し、あんな楽しい一時を過ごすことになるなんて。

こうして彼の隣に立ちながら、故郷を見渡すことになるなんて。

 

「何か・・・・・不思議。7年振りなのに、全然そんな感じがしない」

「君が昔と変わらないからじゃないか?俺達だって同じことを思ったぐらいだ」

「それこそこっちの台詞だよ。でも・・・・・・ありがとうロイド。おかえりって言ってくれて、嬉しかったよ」

 

そう言うとロイドは照れ笑いを浮かべ、夜空を見上げた。

 

「・・・・・・大変だったんだな」

「え?」

「分かるんだ。君はお母さんを亡くしてから・・・・・・ずっと頑張ってきたんだろう。たった独りで、ずっと」

 

帝国中を彷徨い続けた、私だけの4年間。

言葉にはせずとも、彼には分かっていたのかもしれない。

昔からそうだった。何も変わらない。気取らない態度も、何もかも。

 

「白状するけど、俺は諦めていたのかもしれないな。こんな日が来るなんて、思ってもいなかった」

「ロイド・・・・・・」

「だから、俺からも言わせてくれ。ありがとう、アヤ。こうして帰って来てくれて・・・・・・ただいまを、言ってくれて」

 

屋上を吹き抜ける風が、火照った顔をなぞっていく。

 

ロイド達は変わった。

私よりも一足先に自立し、皆それぞれの道を歩み始めている。お酒だって飲める年齢になった。

それでも、根本は変わらない。ウェンディもオスカーも、ロイドも。

裏も表も無い、何の迷いも無く思いを言葉にできる純粋な彼。

私はきっと、彼のそんなところに惹かれていたのかもしれない。

 

「私も・・・・・・私だって。ずっと、会いたかったんだから」

 

トリスタ駅の改札を通った時の、孤独感や不安感。

それはすっかり鳴りを潜め、私は目の前の幸せと思い出を想っていた。

大切な何かを忘れてしまっている気がしたが、今の私にはどうでもいいことだった。



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夢に向かって①

私がクロスベルを訪れた目的は、2つ。

1つ目は、私の戸籍や身元に関するあれやこれやの事務手続き。

そして2つ目が、私の実家に残された私物の整理だ。

 

後者については私も先週聞かされたばかりだった。

驚いたことに、とっくに無くなっているとばかり思っていた私の実家は、今も住宅街の外れに存命だそうだ。

サラ教官曰く、お母さんの元同僚達が今も定期的に管理をしてくれているらしい。

毎度のことながら、教官はどこからそんな情報を仕入れてくるのだろう。

私には知る由も無いのだが。

 

7月11日、日曜日。

私に残された時間は昼までだ。昼過ぎにはクロスベル発、帝都行きの列車に乗らないと門限に間に合わない。

朝の4時半きっかりに起床した私は、ソファーで死んだように眠るオスカーを叩き起こした。

幸いにもすぐに目を覚ましてくれたオスカーは、着の身着のままで特務支援課ビルを後にした。

「ベネットに殴られる」と慌てふためいていたが、一体誰のことだろう。

問題はウェンディだ。重度の二日酔いに襲われた彼女は、起きるやいなやお手洗いに直行した。

たっぷり1時間籠った後、やはり死んだような顔で「無理」と一言だけ呟いた。

すぐにロイドはウェンディの実家とオーバルストアに連絡を取り、「夏風邪」というありきたりな言い訳で誤魔化すことに成功した。

「妹に会わせる顔が無い」というウェンディの意志を尊重し、今もソファーでキーアの手厚い看護を受けている頃合いだろう。

 

一方の私は手続き関係を朝一で済ますべく、市民会館に足を運んでいた。

わざわざ付き合ってくれなくても、という私の遠慮はロイドには通じなかった。

何でも「特務支援課への正式な支援要請だからな」だそうだ。

要するに彼は今日非番というわけでもなく、私に付き添うのが仕事なのだろう。

特務支援課とやらが日々どんな仕事を請け負っているのか定かではないが、彼と行動を共にできることは素直に嬉しかった。

 

「か、書きました」

「では次にこちらの太枠の欄内をご記入下さい」

「ええ!?」

 

市民会館のテーブルで必要事項を記入し続けること約40分。

朝一でやって来て正解だった。もうとっくに書類の枚数は二桁を超えている。

事情が事情なだけに緊張してしまう分、既に手は書き疲れてしまっていた。

これも私に下された特例中の特例の処置とやらの影響なのだろうか。

 

「すみません・・・・・・あと3枚程ですので、ご協力願えませんか」

「もう一息みたいだな。外で飲み物を買ってくるよ」

「ん。ありがとう、ロイド」

 

疲れはするが、苦にはならなかった。

ブラブラと市民会館を回り、受付のシオンさんと会話をして時間を潰すロイド。

そんな何でもない時間でさえも、私にとっては心安らぐ一時に違いなかった。

 

___________________________________________

 

書類にペンを走らせ続けること1時間後。

市民会館を後にした私とロイドは、そのままの足で住宅街の外れへと足を運んでいた。

 

「本当だ・・・・・・全部、あの時のままだね」

 

山道への入り口付近にポツンと建つ、小さな小さな一軒家。

私がこの地で12年間の時を過ごした、たくさんの思い出が詰まった場所。

小さいといっても、両親と私の3人で生活するには十分すぎる広さだった。

 

「そうだな・・・・・・庭先にも管理が行き届いてるみたいだ。遊撃士の人達に、感謝しないとな」

「うん。時間があったら、後でお礼を言いに行くよ。鍵、いい?」

「ああ」

 

ロイドから手渡された鍵を使い、ゆっくりと扉を開ける。

やや埃っぽい感覚はあったが、すぐにでもここで生活を再開できそうな程に整理されていた。

 

「私物の整理はアヤに任せるよ。俺は少し外の掃除でもしておくか」

「分かった。こっちもすぐに終わらせるね」

 

私物の回収と言っても、ここに残された物はそう多くはない。

私とお母さんの衣類や書物に、段ボール1つに収められた雑貨類。

まだ使えそうな家具の類は、このまま残していっても問題は無いはずだ。

持ち主を失くしたこの家は、私の手続きが終了した後、家具共々正式に市へと引き渡される手筈になっているそうだ。

思い出の場所が他人の物になるのは少しだけ躊躇いもあったが、今までのように任せっきりにするわけにはいかない。

きっとお父さんもお母さんも、そうしろって言うはずだ。

 

「あっ」

 

不意に、衣類を仕分ける手が止まった。

積み重ねられた本の間に挟まっていたのは、私とお父さん、お母さんの3人で撮った写真だった。

いつ撮影したものかは思い出せない。どういうわけか、2人とも仕事着姿だ。

お父さんは運送会社の制服、お母さんは遊撃士として働く時の専用衣装。

残された衣類の中にも、その衣装が一式だけ残されていた。

 

「大胆だなぁ、お母さん」

 

昔は目が慣れ切っていたが、こうして見るとやたらと露出が多い。

白と緑を基調とした東洋風のそれは、とりあえず腰から太腿にかけてが丸見えだ。

中にレオタードを身に付けるとはいえ・・・・・・穿いていないように見えてしまう。

お母さん。正直、エロいです。

 

「あはは。ピッタリじゃん」

 

一時の気の迷い。とりあえず、着てみた。

身長や体格はあの頃のお母さんと同じぐらいのはずだ。

オーダーメイドのような出来栄えでピッタリなのも当然だろう。

 

「・・・・・・何やってんだろ」

 

ロイドに見つからないように、そそくさと制服姿に戻る。

結局私が残したのは、まだ使えそうなお母さんの衣類が数点と、アルバム等の思い出深い品々。

あとはお父さんが愛用していたチェス駒一式なんかを残すことにした。

必要なものをまとめておけば、後で運送会社の人間が回収しに来てくれる段取りだ。

 

「ロイド、お待たせ」

「ん、もういいのか?」

 

庭先で草むしりをしながら汗を流すロイドに声を掛ける。

元々むしる雑草が見当たらない程に綺麗だったというのに。ロイドらしい。

 

「こういうのはぱぱっと済ませなきゃ時間が掛かるだけだからね」

「はは、アヤらしいな・・・・・・今、何時か分かるか?」

「ん、ちょっと待って」

 

ARCUSを取り出し、現時刻を確認する。

まだ10時半を過ぎたばかりだ。思っていた以上に時間に余裕がある。

 

「へえ・・・・・・変わった戦術オーブメントだな。俺が使うエニグマとも違うみたいだ」

「私達のクラスで試用中のテスト品なんだけどね・・・・・・どうしよっかな。まだ大分時間があるみたい」

 

オスカーのベーカリーを訪ねるか、ウェンディの容体を看に行こうか。

先に遊撃士協会へ行って挨拶を済ませてしまった方がいいかもしれない。

・・・・・・いや。その前に、足を運んでおきたい場所があった。

 

「それならアヤ、1つだけ一緒に来てもらいたい場所があるんだ」

「え、そうなの?」

 

ロイドは額の汗を拭いながら、一瞬だけ寂しげな色を浮かべた。

 

「このまま山道に出よう。君がここに来るって聞いた時から、決めていたことなんだ」

 

__________________________________________

 

クロスベル大聖堂の本堂を通り、石造りの門をくぐった、その先。

たくさんの魂が、永遠の眠りにつく場所。クロスベル市の共同墓地だった。

 

「・・・・・・驚いた。同じことを考えてたんだ」

「そうだったのか?」

「うん。折角帰って来たんだから、お父さんに一度会っておきたいと思って」

 

迷うことなく、自然と歩は進んだ。

7年が経った今でも、墓地の居場所ぐらいは覚えている。

エルム湖へと流れ行く川の全景を見渡せる、敷地内の右奥、崖際。

 

「・・・・・・あれ?」

 

近づくにつれ、違和感を覚えた。

7年の間に墓地の数が変わっているのは当然のことだ。

だとしても、あれは誰のものなのだろう。どうして、お父さんの隣に―――

 

「―――お母、さん?」

 

ラン・シャンファ、31歳。

墓石に刻まれていたのは、紛れもないお母さんの名前。

 

「ろ、ロイド。これって」

「遺骨もここにあるんだ。君のお母さんは、ここで眠っているんだよ」

 

ロイドは語った。

7年前、お母さんの訃報が彼らに届いた、さらにその1ヶ月後。

帝国の火葬場で弔われたお母さんは、確かにこのクロスベルの地に帰ることができたそうだ。

愛する夫の隣に、今でもこうして。

 

「そうだったんだ・・・・・・」

 

墓石の前に供えられた花は、まだ瑞々しい。

誰かが2人の安らかな眠りを祈ってくれたのだろう。

今でも両親がたくさんの人々に愛されていることが窺えた。

 

「・・・・・・ただいま。お父さん、お母さん。7年振りだね」

 

墓石の前に腰を下ろしながら、私はたくさんの話をした。

お父さんには、7年間帰って来れなかったことを謝った。

お母さんには、生きろと言ってくれたお礼を言った。

 

「私は今、ノルド高原にいるんだ。自分でもびっくりだよ」

 

あれから色々あったけど、私は今日まで頑張って生きてこれたよ。

それもこれも、お母さんのおかげ。お母さんが残してくれた剣、ずっと大切に使ってるよ。

たまに悪いこともしたけど。お父さんの真似をして、タバコを咥えてみたり。今ではやめたよ?

 

それとね、新しい家族もできたんだ。

お義父さんとお義母さんは、いつも夫婦円満って感じでさ。時々喧嘩することもあるけどね。

弟と妹もいるよ。5人兄弟だよ、5人。私が長女。ちょっと似合わないかも。

 

今は、お父さんの故郷で学生生活を送ってるんだ。トールズ士官学院。

そういえば、お父さんも軍に入る前は通ってたのかな。でもごめん、私は軍に入る気はないんだ。

まだやりたいことは決まってないけど・・・・・・そのうち、見つかるんじゃないかな。

たくさん友達ができたから。みんないい人だよ。私には勿体無いぐらい。

みんなと一緒なら、見つかると思う。不思議とそう思えるよ。

 

それに・・・・・・それにね。最近、私―――

 

「―――好きな人が、できたんだ」

 

想いを口にしたのは、それが初めてだった。

 

その瞬間、目が覚めたような気がした。

あの時と同じ感覚だ。長い長い夢を見ていたような、そんな感覚。

思い出に浸り切っていた頭が、冷水を被ったかのように一気に鮮明になっていく。

 

そうだ。私はあの時『今』を大切にしたいと願った。

故郷を守りたいと願った。彼の傍で、私にできることを。

 

「・・・・・・あっ」

 

畳み掛けるようにして―――全てが繋がった。

 

私だけの道を見つけるために、私は士官学院への入学を決めた。

4月の特別実習では、私は皆を守るために力を振るった。

ラウラは私の剣を『他人のために振るう剣』と言ってくれた。

実技テストでは、力と向き合う決心をした。アンゼリカ先輩は、その後押しをしてくれた。

 

テンペランスさんは、私なんかよりも早く生きる道を見つけていた。

1つでも多くを学ぶことで、私の可能性は広がる。

それは今でも広がり続けている。中間試験は、1つの結果だ。

 

サラ教官のおかげで、私は過去を受け入れることができた。フィーと仲直りができた。

大切なのは、過去から繋がる今と、その先の未来。

アリサはリィンに憧れていた。ロイドはお兄さんの背中を今でも追い続けている。

なりたい自分の姿が明確になった時、人は変わる。エマがそう教えてくれた。

私だけの力。私が目指す姿。なりたい自分。

守るべき故郷と、共に歩んでくれる掛け替えのない存在。

 

私が感じ取ってきたことの全てが、1本の線で結ばれた。

全部が、繋がった。

 

「・・・・・・見つかった」

「アヤ、どうしたんだ?」

「見つけた、見つかったよ。それに・・・・・・伝えなくちゃ」

 

こうしてはいられない。もう、この地に留まる理由はない。

踵を返して、勢いをそのままに走り出そうとしたところで、足を止めた。

 

「あ・・・・・・そっか」

 

いや、あったか。

このままウェンディとオスカーに何も言わずに去るのはどうなのだろう。

遊撃士協会にも挨拶をしていない。それに・・・・・・ああもう。全部後回しだ。

 

「ごめんロイド、私すぐに帰らなくちゃ」

「帰るって・・・・・・ず、随分と急だな。何か用事でも思い出したのか?」

「告白してくる」

「・・・・・・は?」

「もう行くね!」

 

こういうのは、多分勢いに任せた方がいいに違いない。

彼とどうなりたいかと悩んでいた自分が女々しくて仕方ない。

もう、どうにでもなれだ。

 

「アヤ!」

 

共同墓地の出口に差し掛かったところで、ロイドの呼び止めるような声が聞こえた。

 

「何!?」

「よく分からないけど・・・・・・応援してるからな!」

「・・・っ・・・・・・ありがとう!ばいばい、ロイド!!」

 

両の腕を大きく振った後、私は全力で走り出した。

文字通り全力で50アージュ程疾走した後。私は再度踵を返し、息を荒げながらロイドの下に駆け寄った。

 

「・・・・・・帰るんじゃなかったのか?」

「みっしぃ柄の枕カバーってどこで買えるの!?」

 

全てを後回しにしたかったが、親友との約束だけは守っておきたかった。



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夢に向かって②

大陸横断鉄道の開通以降も鉄道学は妥協を許さず、その利便性と安全性は年々進化を続けている。

今この瞬間だけは、それも疑わしいものだ。今日ほど列車が鈍間と感じたことはない。

座席にジッとしている決心が鈍りそうに思えた私は、列車の中でも歩みを止めなかった。

車両の端から端を落ち着きなくさまよい歩く姿は異常に映ったようで、車掌から不審者扱いを受けてしまった。

おかげで学生手帳を示しながら「座っていられない性分なんです」と意味不明な言い訳をするはめになった。

 

歩き疲れた私は、結局眠ってしまった。気付いた時には、列車はクロスベル駅に到着していた。

本当にどうかしていると思う。いくらなんでも勢いに身を任せ過ぎだろう。

 

「はぁ・・・・・・」

 

溜息を付きながら、構内のホームを見渡す。

時刻は既に夜の8時を過ぎている。この時間帯になると、トリスタ駅で降りる乗客もまばらだ。

私が乗ってきた列車が帝都へ走り去っていくのを見送ると、一気に夜の静寂に包まれた。

 

「アヤ」

「・・・・・・えっ」

 

のそのそと改札へ続く階段へ向かっていると、声が聞こえた。

思わず目を疑った。ここにいるはずのない、目当ての男性の姿があった。

 

「が、ガイウス?どうして・・・・・・こんなところにいるの?」

「帰りが遅いと、少々心配になってな」

「夜になるって言ったじゃん」

「・・・・・・いや、そうなんだが」

 

気まずそうに頭を掻くガイウス。

心配してくれたのは、素直に嬉しい。

ただ、こんなにも早く顔を合わせることになるとは思ってもいなかった。

 

「長旅で疲れているんじゃないか。夕餉はまだなんだろう?」

「そうだけど・・・・・・」

「君の分は取ってある。皆も君の帰りを―――」

「待って、ガイウス」

 

私の荷物へ伸ばし掛けたガイウスの手を制し、正面から向きあう。

しっかりと目と目を合わせ、正面から。

 

「どうした?」

「・・・・・・ええっと。ちょ、ちょっと待って」

 

5秒で限界だった。ダメすぎるだろう、私。

一旦背を向け、呼吸を整えるように何度か深呼吸を繰り返す。

1回。2回。3回。・・・・・・よしっ。

 

「ガイウス、聞いて」

「あ、ああ」

 

さあ、言ってやれ。

列車の中で、何度も復唱しただろう。

伝えることができればそれでいい。見返りは要らない。

 

「その、私・・・・・・私ね」

 

今を逃したら、私はきっと後悔する。

この先もずるずると引っ張ってしまうに違いない。

 

「私っ・・・・・・」

 

そんなの、私らしくない。さあ言え。

3年間、ずっと胸に秘めてきた。今が、その時だ―――

 

「―――遊撃士になりたい!!」

「遊撃士?」

「・・・・・・」

「アヤ?」

「・・・・・・って、そっち!?そっちじゃないでしょ!!何言ってんの!?」

「落ち着いてくれ。そんな話、初めて聞いたが」

「その、違うから!!違うんだから!?」

「違うのか?」

「いや、違わないけど・・・・・・ああもう、そうじゃなくって!!」

 

たっぷりと溜めてから吐き出した言葉は、彼に対する想いではなかった。

代わりに、私が見つけた道。漸く垣間見えた、私が進むべき道だった。

 

「あはは・・・・・・はぁ。歩きながら、話そっか」

 

__________________________________________

 

1周回って、原点に帰ってきたかのような思いだった。

今も昔も、私は無意識のうちにお母さんの背中を追い続けていた。

私が剣を握る理由も、行動理念も何もかも。

何か決断を迫られた時は、いつだってそうだった。多分私は、ロイドと同じだ。

 

「そうか・・・・・・アヤは母親の意志を継いで、遊撃士になりたいと?」

「それだけじゃない。ノルド高原のことだって、理由の1つだよ」

「ノルドが?」

 

ノルド高原を取り巻く環境は、先月の特別実習で嫌という程思い知らされた。

あの時は最悪を回避できたが、再び同じような危機的状況に置かれる可能性はゼロではない。

それに近年では、ノートンさんのようにノルドへ足を運ぶ人々の数が増加の一途を辿っている。

2大国の巨大な軍事力と、高まりつつあるノルドへの関心。客観的に見て、異常な事態だと思う。

様々な思惑と人々が行き交うあの地が、この先どこへ向かうのかは誰にも分からない。

分からないが、一歩足を踏み外せば多くの人間が犠牲になる。それだけは分かる。

 

「言ってたよね?ノルドが平穏で居られる保証は、どこにもないって」

「・・・・・・ああ。だから俺は、皆を守るために強くなりたい」

「私だって力になりたい。この前みたいに、私にだってできることはあるはずだから」

 

帝国人でも共和国人でもない。両者の血が流れるノルド人で、外の世界を知っている。

帝国軍とも共和国軍とも違う、第3の力。私は、その力になりたい。

人種に関係無く、あの地に立つ全ての人々を守る架け橋になりたい。

 

「目指せ、遊撃士協会ノルド高原支部」

「・・・・・・なるほどな」

「なーんてね。でもテンペランスさんに比べたら、まだ現実的じゃない?」

 

夢物語であることは百も承知だ。単なる思い付きかもしれない。

それでも夢は大きい方がいい。そうすれば、私は足を止めることなく歩き続けることができる。

そのためにも、私はまず遊撃士の資格を手に入れたい。それが私の一歩目だ。

 

「やっぱり、無理があるかな」

「いや、俺はそうは思わない。ただ・・・・・・」

「ただ?」

「まさかとは思うが。アヤは、士官学院を辞めるつもりなのか?」

「・・・・・・ええ?」

 

不安げな色を浮かべながらガイウスが言った。

どうしてそうなる。私はただ、遊撃士になりたいと言っただけなのだが。

 

「馬鹿言わないでよ。それとこれとは話が別。辞めるはずないでしょ」

「そ、そうか。すまない、変なことを聞いたな」

 

いつの間にか、私達2人は中央公園に足を運んでいた。

話しながら学生寮へ歩を進めていたつもりだったが、お互いこのまま戻るわけにもいかない。

既に周囲には人影も無かった。学生寮の門限も近いから当然だ。

 

「ふふん。なになに、面白い勘違いしちゃって」

「・・・・・・忘れてくれ」

 

早合点もいいところだ。そこまで周りが見えなくなる程浮き足だっているつもりはない。

遊撃士を目指すにしても、それは士官学院を卒業した後の話に決まっている。

そんなことを口にしたら、アリサあたりに引っ叩かれるんじゃないだろうか。

 

「でもさ。本気で遊撃士になるためには、遅かれ早かれそういう時が来るんだと思う」

 

B級遊撃士だったお母さんは、歴代の遊撃士の中でもかなり優秀な女性だったそうだ。

そんなお母さんでも、準遊撃士から正遊撃士になるまで相当な苦労をしたと言っていた。

それに、帝国が置かれている現在の状況。

まともに機能している遊撃士協会支部は、辺境の支部を入れても僅かしかないと聞いている。

士官学院を卒業後もこの帝国に留まり遊撃士を目指すとなれば、その苦労の程は窺える。

 

「だから私さ、本当は嫌なんだ」

「嫌?」

「前にも言ったよね。私はいつか、ノルドから離れる時が来るかもしれないって。一時的にだって、そんなのは嫌だよ」

「だが遊撃士になるためには・・・・・・仕方ないことなんだろう?アヤなら、きっと大丈夫だ」

 

いつの間にか、足が止まっていた。

 

「・・・・・・それでも、嫌だよ」

 

無意識のうちに、語気が強まっていく。

まただ。言葉自体は優しいのに、私が欲しいのは、そんなんじゃない。

 

「仕方ないなんて言わないでよ。私は本気で言ってるんだよ」

「アヤ?」

「それが1ヶ月だって1年だって・・・・・嫌なものは嫌だよ」

 

どちらも私だ。漸く見つけた道へ進みたいを思う私と、離れたくはないと思う私。

士官学院を卒業した後、これまでと同じように故郷で暮らす。

それもいいかもしれないと、本気で考えてしまう。そうすれば、離れ離れになる必要なんてない。

 

「ガイウスが平気でも、私は嫌だよ。傍にいたいよ。1日だって・・・・・・離れたくないんだから!」

 

自分がどれだけ身勝手なことを言っているのか、自覚はしている。

なら仕方ない、諦めてずっとノルドにいてくれ。そんなことを、ガイウスが言うはずがない。

彼はそっと、後押しをしてくれているだけなのに。

本当はこんな言い方、したくはないのに。

もっと―――優しい言葉で伝えたいのに。

 

「だから、お願い。気付いてよ・・・・・・私は、そうなの」

 

彼の厚い胸板に額をそっと当てながら、視線を落とす。

 

多分これが、私の限界だ。不器用にも程がある。

まるで風邪でもひいているかのように全身が火照っている。

意識して呼吸をしないと、息が止まってしまうかのような感覚だった。

 

「アヤ、君は・・・・・・」

「何か言って。どっちだっていいから・・・・・・何だっていいから。お願い」

 

もうまともに顔を見ることもできない。

怖い。怖いし、聞きたくない。耳を塞ぎたい。

立っているだけなのに、足が震えてしまう。

 

「平気なわけ・・・・・・ないだろう」

「え・・・・・・ひっ!?」

 

俯いたままの頭の上に、そっと手が被さった。

思わず小さな悲鳴を上げ、身体がビクンと痙攣してしまった。

気付かれて・・・・・・ないわけがないか。

嫌な思いをさせてしまっただろうか。私は、嫌じゃないのに。

 

「覚えているか、アヤ。3年前に、君が崖の上でいった言葉を」

「3年前?」

 

3年前の、崖の上。何のことを言っているのだろう。

その2つだけでは、ガイウスが何のことを言っているのか分からなかった。

 

「『帰ろう』と言ってくれただろう。皆が待っているから、帰ろうと」

「・・・・・・あっ」

 

おそらく、あの時だ。

ガイウスが教えてくれた場所。ザッツさんと一緒にルーレで目にした、あの写真。

うろ覚えだが、確かに私は言った気がする。

 

「多分、あれが始まりだ。あの瞬間から、風の色が変わった」

「・・・・・・どういう、意味?」

 

私が問うと、ガイウスは私に背を向けて、一歩前に歩を進めた。

何度も見てきた彼の背中が、今日はどこか違った色に見えた。

夜空に浮かぶ星を見上げながら、ガイウスは続けた。

 

「始めは単なる好奇心だった。どうしてこの少女は笑わない。何故いつも悲しげな色を浮かべている。何が彼女をそうさせているのだろう、とな。それが不思議でならなかった」

「年上に少女はやめてよ」

「茶化さないでくれ・・・・・・だが共に暮らしていく中で、君はよく笑うようになった。イルファの背を撫でる時も、リリを寝かしつける時も、食事をする時も・・・・・・大半は、食事の時だったが」

「茶化さないでよ」

「いつの間にか、それが俺の全てになっていた」

「・・・・・・え?」

 

背中を向けたまま腰に手をやり、いつものように落ち着き払った声で言うガイウス。

それでも心なしか、声が震えているに思えた。

 

「気付いた時には、そうだった。ずっと・・・・・・分からなかったんだ。太陽のように笑うアヤを見る度に、湧き上がってくる感情が。3年間、分からず終いだった」

「ガイウス・・・・・・」

「その名前を知ったのは、つい最近だ。ある女子生徒が教えてくれた」

 

このまま背中に飛び蹴りをかましたくなるような衝動に駆られた。

同時に、後ろからぎゅっと抱きしめたくなるような感情も沸いてくる。

相反するようで、どちらも私の素直な気持ちなのだろう。前者はただの、照れ隠しだ。

 

「アヤ。君がいない日々なんて、俺にはもう考えられない」

 

そう言って振り返った彼の表情は、出会ってから3年間の中で初めて見るそれだった。

涙と共に、思わず笑いがこみ上げてくる。

きっと一緒だ。私も今、同じような顔をしているに違いない。

 

「ずっと君に惹かれていた。姉弟として、家族としてだけじゃない。一人の、女性としてだ」

「・・・・・・私も。私だって、同じだよ」

 

身も心も委ねて、私は彼と身体を重ねた。

制服越しに鼻に入ってくる彼の匂い。雄大な大地の土と草原を思わせる、翡翠色の匂い。

全部私の物だ。絶対に誰にも渡さない。

お義父さんにもお義母さんにも、トーマ達やリィン達にだって。

もう迷いは無い。遠慮なんてするものか。

思う存分、調子に乗らせてもらおう。

 

「大好きだよ、ガイウス」

「ああ、俺もだ」

「やめてよそんなの。ちゃんと言って」

「・・・・・・好きだと言ってるんだ」

 

・・・・・・調子に乗り過ぎた。少しは遠慮した方がいいかもしれない。

まるで頭の中が溶けてしまいそうな感覚だ。

 

「アヤ。たとえ離れてしまっても、俺はいつだってアヤを想う。だから迷わないでくれ。君が信じる道を、まっすぐに歩いていけばいい」

「うん・・・・・・うん。そうする」

 

それは再来年の話になるだろう。気が早いかもしれないが、もう大丈夫だ。

今の私なら、何だってできる気がする。ガイウスと一緒なら、私は何にだってなれる。

 

歩いて行こう、私が信じる道を。どんな苦難が待ち受けていようと知ったことか。

そして支え合っていこう。彼が歩もうとしている道も、決して生易しいそれではない。

違えた道は、いつかまた交わる時が来る。その先にある未来を、2人で一緒に。

 

「・・・・・・ねえ。1つ訊いていい?」

「何だ?」

 

幸せを噛み締める一方で、私はふと気になった人物について言及した。

 

「『ある女子生徒が教えてくれた』って、誰のこと?」

「リンデだ」

「は?リンデ?」

「ああ。最近よく相談に乗ってもらっていてな」

「・・・・・・ふんっ」

「ぐはっ!?」

 

鳩尾にめり込む、私の右拳。

くの字型に折れる、ガイウスの身体。

 

「あのさ、こんな時に他の女の子の名前を出さないでくれるかな」

「あ、アヤが聞いたんだろう・・・・・・待ってくれ、息がっ」

 

その相談というのは間違いなく・・・・・・そういった内容だったのだろう。

驚いた。まさかガイウスがリンデとそんなやり取りをしていただなんて。

彼にそんな存在がいたこと自体、驚天動地の思いだ。

・・・・・・ということは、彼女はガイウスの気持ちを知っているということか。

 

「うわ・・・・・・うわぁ」

「ど、どうしたんだ?」

「・・・・・・もしかして今日のことも、リンデには話しちゃうわけ?」

「それが礼儀だと思うが・・・・・・話してはまずいのか?」

 

流石にしばらくの間は秘密にしておきたい。気恥ずかしいにも程がある。

仲のいい友達にだけ、なんて気は毛頭ない。寧ろ親しい分だけ気まずいというものだろう。

自覚してから想いが成就するまで、思いの外短かったせいもあるのかもしれない。

 

「ああもう。ならリンデだけは許すよ。私がいいって言うまで、他のみんなには内緒だからね?」

「・・・・・・2人ほど、もう知っている人間がいるようだが」

「え?」

「あー。ウォッホン」

 

聞き覚えのある咳払い。

あれは確か、先月の特別実習だ。

リィンとアリサに隠れて、盗み聞きをしていた時の―――

 

「―――ゆゆ、ユーシス!?それに、ポーラも!!?」

 

振り返れば、2人がいた。

腕を組みながら遠い目をするユーシスと、気まずそうにこめかみを掻くポーラ。

馬術部の同期が、暗闇の中から突如として姿を現した。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。何でいるの?ていうか、いつからいたの!?」

「『だからお願い、気付いてよ』」

「うわああ!?言わなくていいから!!」

 

ユーシスの言葉を遮って、声を荒げた。

見事にあの時のリィン達とは立場が逆転している。

どういうことだろう。そもそも何故2人が、こんなところに。

 

「キルシェから帰る途中に2人を見掛けたのよ。盗み聞きするつもりは無かったんだけど」

「な、何でこんな時に限って2人仲良く・・・・・・」

「阿呆が、ランベルト部長との3人だ。こいつと2人なわけがないだろう」

 

そうして始まる、ユーシスとポーラの痴話喧嘩。

今はそれどころではないというのに。

 

「安心しなさいよ、他のみんなには内緒にしておくから。でも、おめでとうぐらいは言わせてよね?」

「ぐっ・・・・・・あ、ありがとう」

 

突然の出来事に、素直に喜べない。

一方のガイウスはユーシスの手を取りながら何とか立ち上がり、男同士のやり取りを始めた。

 

「フン、お前も物好きな男だな」

「そうかもしれないな」

「精々尻に敷かれんようにすることだ」

「・・・・・・あまり自信が無い」

 

何だかすごく失礼なことを言われているような気がする。

まぁ、2人は口が堅い方なのは間違いないだろう。

 

「私達はいいとして、問題はアヤでしょう。弟君はまだしも、アヤはすぐ顔に出るんだから」

「・・・・・・あはは。私も自信無くなってきた」

 

ともあれ、こうして想いは重なった。

今からどういう顔で皆と接すればいいか分からないが、明日が待ち遠しくて仕方ない。

通じ合っていると思うだけで、胸が一杯になる。

 

今日という日を、私は忘れない。願わくば、この先もずっと。

7月11日の夜空の下で、私はそう誓った。




読者の皆様、いつもご感想ありがとうございます。
たまには後書きを、ということで。

漸く、1つの区切りを終えることができました。
アヤの物語は、ある意味でここからが本番かもしれません。
先は長いですが、これからもお付き合いいただけたら幸いです。

・・・・・・最近、アヤを「さん」付けする読者様が多いのは何故なのでしょう。
何かしたのか、アヤ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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賑やかな夜

軍事水練とは何か。

サラ教官の問いに「要するに水泳ですよね」と答えた私は、周囲から生温かい視線を浴びせられる羽目になった。

何だか必要以上に小馬鹿にされている気がしてならなかったが、実際に私の答えは『軍事水練』の一部に過ぎないらしい。

様々な有事を想定した泳法や対処法、溺水者の救助法や蘇生法。

流石にその全てを指導する時間はないようだが、人命救助については重点的にカリキュラムに組み込まれているようだ。

 

「てなわけで、その辺りの講義と実演から始めましょうか」

「じじ、実演?」

 

サラ教官の実演という言葉に、アリサの裏返った声が響き渡る。

 

「あのねぇ・・・・・・人形相手に決まってるじゃない。そんなにリィンと実演したいわけ?」

「サラ教官!!」

 

耳たぶまで真っ赤になりながら腕をぶんぶんと振り回すアリサ。

半分ぐらいは、自分で地雷を踏みに行ったようなものだろうに。

 

特別実習、2日目の夜。

あの夜のアリサの言葉を素直に受け取るなら、リィンは恋愛対象ではなく単なる憧れだ。

とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもないのだろう。

憧れが別の感情に変わる、そんなこともあるのかもしれない。

 

(変わらないなぁ、アリサ)

 

いずれにせよ、ノルドでの実習以降も、アリサのリィンに対する態度は何一つ変わらない。

もし悪戯好きな女子生徒がこのクラスにいたら、四六時中アリサを弄り倒すんじゃないだろうか。

そのポジションにいるのが担任、というのはどうなんだ、サラ教官。

 

「それにしても・・・・・・ねえラウラ。ここの水って、独特な匂いがするよね。何の匂いなの?」

「消毒薬によるものだろう。このような設備では必要な処理だと聞いている。気になるのか?」

「ちょっとだけね。でも、久しぶりに泳げるのは嬉しいよ」

 

7月17日の土曜日。

季節はすっかり夏色に染まり、上着を着る学生を目にするのは稀になっていた。

授業とはいえ、こうして水場で涼むことができるのは素直にありがたい。

今思えば、4月に水泳部の見学に来た時もラウラと一緒だったか。

日常的にこんな広い水場で泳げるとは。ラウラが少しだけ羨ましい。

 

「さてと。一応聞いておくけど、心肺蘇生法の経験がある子はいるかしら?」

「えっ」

 

私達を見渡しながらサラ教官が言うと、1人だけ挙手で答える男性がいた。

嫌な予感はした。うん、知ってた。

彼はどこまでも純粋で、素直で、真っ直ぐな男性だった。

 

「あら意外ね。ガイウス、参考までにその時のことを聞いてもいい?」

「はい。3年前にアヤが川で溺っ!!?」

 

脇腹に肘鉄を食らったガイウスは、そのまま力なく倒れ込み沈黙した。

そのまま授業が終わるまで果てていてほしい。何を口走ろうとしたのかはもう誰にも分からない。

 

「・・・・・・何してるの、アヤ」

「3年前に妹が川で溺れまして。その時の話ですよ、あはは」

「痛いじゃないか」

「うるさい、バカっ」

 

思いの外早く回復したガイウス。

肘はまずかったかと思ったが、この調子なら授業にも支障はないだろう。

怪訝そうな色を浮かべる皆の一方で、一部始終を隣で見ていたマキアスはドン引きしていた。

見なかったことにしてほしい。

 

________________________________________

 

「ふぅ」

 

髪をかき上げ、纏わりつく水を後方へ勢いよく飛ばす。

こんな風に思いっきり泳いだのは、いつ以来のことだろう。

水温もちょうどいいし、水中では50アージュ先が透き通るようにしてハッキリと見える。

何て恵まれた環境だ。やっぱりラウラが羨ましい。

 

「さ、流石に速いですね・・・・・・あっという間に追い抜かれてしまいました」

 

私に一歩遅れてプールサイドに上がるエマ。

こうして眼鏡を外したエマを見るのは初めてではないが、男性陣にとっては新鮮のようだ。

それにしても・・・・・・何とまあ。自然と視線が、彼女の胸元へ向いてしまう。

 

「な、何ですか?」

「いや・・・・・・あはは。はぁ」

 

男性陣の目がちらちらと集まるのも、眼鏡だけが理由ではないのだろう。

無理もないと思う。女性の目から見ても、ごくりと生唾を飲み込みそうになる。

 

「私からすれば、アヤさんやラウラさんが羨ましいですよ?お二人とも、流石に鍛えているといった感じで」

「あー。まぁ、剣を握ってたら自然にこうなるよ」

 

剣を振るうには、強靭且つ柔軟な身体が必要だ。

それを身に付ける方法はといえば、やはり剣を振るうしかない。局部鍛錬で鍛えた不自然な肉では重荷になるだけだ。

私はともかく、ラウラの身体つきはそれを如実に物語っている。フィーだって同じだろう。

 

「ガイウスさんも、泳ぎ慣れていますね」

「2人でラクリマ湖を横断しようとしたことがあったっけ。無理だったけど」

「あ、あはは・・・・・・」

 

渇いた笑い声を上げるエマを尻目に、ガイウスの姿を目で追う。

 

あれから1週間。私達の間に起きた出来事は、今でも皆には知られていない。

それもそのはず、私とガイウスがいつも通りの日常を送っているからだろう。

2人で過ごす時間は増えたし・・・・・・見えないところでは、まぁ色々あったりはするのだが。

それでも皆の目から見れば、特別変わったことは見当たらないはずだ。

食事を共にしたり、一緒に登下校したり。お互いの部屋に入り浸ったり。

お互いと言っても、私がガイウスの部屋に行くことがほとんどか。逆をすると女性陣がいい顔をしない。

アリサ曰く「寝起きやお風呂上りを見られると恥ずかしい」そうだ。

・・・・・・リィンもよく3階で見かける気がするのだが。彼は特別枠なのだろうか。

 

「見惚れているのか」

「え?」

 

声の方に振り返ると、ユーシスが小さな含み笑いを浮かべながら立っていた。

 

「見てただけじゃん」

「やれやれ。授業中に惚気るのはご勘弁願いたいものだな」

「だからそんなんじゃないってば・・・・・・何その顔。何かムカつくんだけど」

「フン、精々気付かれんよう表に出さんことだ。お前は分かりやすいからな」

「ぐぬぬっ・・・・・・」

 

腕を組みながら私とガイウスを交互に見やるユーシス。

何だか弱みを握られているような思いだ。悪いことはしていないのに。

ポーラ以上に厄介かもしれない。とりあえずそのドヤ顔のような表情はやめてほしい。

 

______________________________________

 

「・・・・・・何の話をしてるんだろう」

「エリオット、どうかしたのか?」

「ほら、アヤとユーシスだよ。最近あの2人、よく一緒にいるなぁって思ってさ」

 

エリオットが首を傾げながら、小声でやり取りをするアヤとユーシスに視線を送る。

何の事情も知らない彼らにとって、声を潜めてひそひそ話に興じる2人は異様に映ったようだ。

 

「お互い馬術部だし、クラブ活動の話でもしているんじゃないか?」

「どうせアヤ君の水着姿に鼻を伸ばしているだけだろう。けしからん奴め」

 

思い思いの意見を口にするリィンとマキアス。

どちらも的外れだったが、彼らに真相を知る由は無かった。

 

「どうかしたのか」

「あ、ガイウス」

 

エリオットが振り返った先には、ちょうどタイムを測定し終えたガイウスの姿があった。

普段は後頭部にまとめられた髪が下ろされ、遊牧民ならではの野性味が溢れ出る佇まい。

そんなガイウスの出で立ちは、眼鏡を外したエマ同様に、彼らの目には新鮮に映っていた。

 

「・・・・・・何でだろう。ガイウス、何か格好いいよ」

「よく分からないが、褒め言葉と受け取っておこう」

 

雄大な故郷で鍛え上げられた、褐色の体躯。

リィン以上に引き締まった身体付きが、エリオットにとっては手の届かない存在に思えてしまう。

いや、それ以上に。ガイウスの身体を滴る水滴の1つ1つが、どういうわけか輝いて見える。

清々しい表情も相まって、完成された男性美が両足で立っているような感覚だった。

 

「ええっと。アヤとユーシス、最近よく2人でいるなぁって思ってさ」

 

戸惑いを隠すようにして、エリオットが話題を逸らす。

同様に視線を2人へと向けたガイウスは、自信が満ち溢れた表情で言った。

 

「フッ・・・・・・今日もいい風が吹いているな」

「よく分からないよガイウス・・・・・・」

 

やはり彼らには、知る由も無かった。

 

_____________________________________

 

本棚に収められた本の背表紙を、左から右へ指を差しながら目で追っていく。

1段終えたら、1段下がってまた左から。

本を探すという行為自体慣れていない。もう何度同じことを繰り返しているのだろう。

段々と目が痛くなってきた。

 

「・・・・・・・無いなぁ」

 

今週分の全ての授業を終えた放課後、私は図書館へ足を運んでいた。

自習のためにここを訪れることは多いが、本を探すために来たのはこれが初めてかもしれない。

自由行動日を控えた放課後ということもあり、生徒の数も私を含め3、4人といったところか。

 

「アヤさん、何か探し物?」

「え・・・・・・あ、キャロルさん」

 

私に声を掛けてきたのは、この図書館を管理する司書、キャロルさん。

挨拶は何度も交わしてきたが、会話らしい会話はしたことがなかった。

名前を呼ばれて、少しだけ驚いた。名乗ったことがあっただろうか。

 

「最近よく来てくれるでしょう。ここを訪れる生徒の名前は大方把握しているの」

「そ、そうなんですか」

「珍しいわね、あなたが本を探すなんて」

 

・・・・・・それもバレていたか。

一度も貸出カウンターに本を持って行ったことがないのだから、当然かもしれない。

 

「それで、どんな本をお探しかしら」

「決まった本を探しているわけじゃなくて・・・・・・その、遊撃士に関する本を」

「あら、遊撃士?」

「お、お母さんの職業について、少し知りたくなったんです」

 

当たらずとも遠からず、といったところだろう。

馬鹿正直に「遊撃士になりたいから」と言葉にするのは気が引けた。

 

私が垣間見た未来についても、今のところはガイウスにしか話していない。

冷静になって考えてみれば、私が遊撃士に関して知るところは多くはない。

いつの間にか私の頭の中では『お母さん=遊撃士』という式が成り立っていた。

夢を追いかけるのは、しっかりと先を見据えてからでも遅くはないはずだ。

 

私の申し出に、キャロルさんはものの3分で適当な本を見繕ってくれた。

遊撃士に関する2冊の教養書と、1冊の娯楽小説。

 

「『カーネリア』・・・・・・ですか。これ、遊撃士と何か関係があるんですか?」

「ふふ、読めば分かるわよ。気に入ったら、他にも紹介してあげるからね」

「はぁ」

 

よく分からないが、キャロルさんの選定に間違いはないはずだ。

私はその言葉に従い、3冊分の貸し出しカードにペンを走らせた。

 

__________________________________________

 

図書館を後にした私は、一旦荷物を置くために学生寮へと戻っていた。

それと、シャロンさんに晩御飯は要らないことを伝えるため。

もしかしたら、もう用意をしてしまっているだろうか。

そんな私の不安は、シャロンさんの「存じております」の一言で解消された。

これぐらいではもう驚きも少なくなってきた。感覚が麻痺しているのかもしれない。

 

「あ、フィー。もう帰ってたんだ」

 

3階に足を運ぶと、フィーが私の部屋の前に立っていた。

何か用でもあるのだろうか。

 

「ガイウス、知らない?」

「ガイウス?今日もクラブ活動に行ってると思うけど。どうかした?」

「髪、長くなってきたから」

「あー、はいはい」

 

前回フィーが髪を切ったのは、ちょうど私と同じ時期だ。

そろそろまた切ってもらいたい頃合いなのだろう。

彼女にとっては、長い髪は鬱陶しいだけのようだ。

 

「なら、私が切ってあげよっか?」

「・・・・・・切れるの?」

「ガイウスと同じだよ。妹の髪を切ったことは何度かあるんだ」

 

フィーぐらいの長さなら、シーダやリリと同じ感覚で切れるだろう。

毛先を切り揃える程度ならお任せあれだ。

 

「ん。ならお願いしよっかな」

「私は今からキルシェに行くから、その後でいい?」

「キルシェ?食べる方?」

「手伝う方。最近顔を出せていなかったからね」

 

せっかく新調したキルシェの制服にも、袖に手を通せず終いになっていた。

今の時間からでは大した手伝いにもならないかもしれないが、久しぶりにもてなす側に立つとしよう。

 

_______________________________________

 

「フレッドさん、焼き色を見てもらえますか」

「ん、どれどれ・・・・・・ああ、もう出してもいいぞ」

 

窯の中で気持ちのいい音を上げながら焼き上がるピザを、フレッドさんが覗き込む。

そのまま噛り付きたいのが本音だが、大事な商品をつまみ食いはできない。

・・・・・・食材をちょっとだけ、は前科があるのだが。

 

最近では簡単なドリンク類を任されるようになり、こうして調理の補佐をすることも多くなった。

それなりの戦力になれるようになった分もう少し頻度を上げたいところだが、学業を疎かにもできない。

馬術部の活動にも力を入れたいし・・・・・・本当に、体がいくつあっても足りない。

やりたいことは、山ほどあるのに。

 

「いらっしゃいま・・・・・・え?」

 

ドアチャイムの音に振り返ると、意外や意外。

サラ教官に、ナイトハルト教官。そして、トマス教官。

トールズ士官学院の教官勢が、3人揃ってご来店なされた。

見慣れた3人ではあるが・・・・・・この組み合わせは何だろう。

学院内でも、この3人が行動を共にしている姿を見たことはない。

 

「サラ教官」

「あら、アヤじゃない。ちょうどいいわ」

 

カウンターに立つ私を見つけたサラ教官は、足早に私の下に駆け寄り、肩を掴んだ。

いや、かなり痛いのだが。そんなに強く掴んで、何をしたいのだろう。

 

「リィンは逃がしたけど・・・・・・うふふ。あなたは絶対に逃がさないわよ」

「な、何のことですか?」

「おやおやー?アヤさんじゃないですか。奇遇ですねー」

 

トマス教官が陽気な声を上げながらテーブルにつくと、ナイトハルト教官がそれに続いた。

何だろう、何か嫌な予感がする。今すぐ逃げたい衝動に駆られたが、サラ教官の手がそれを許してくれない。

 

「アヤ、とりあえずビールを3つ。酔わないとやってらんないわ」

「生徒にお酒をオーダーって、いいんですかそれ」

「うるさいわね。ほら、さっさとしなさい」

 

種類こそ多くないが、キルシェにもアルコールの類があるにはある。

夜にはそういった客層で賑やかになるし、売り上げに大いに貢献している。

客のリクエストに即席で応えるフレッドさんの料理の腕が、それを支えているのだろう。

 

「お待たせしました」

「いやー、可憐な制服ですねえ。ナイトハルト教官もそう思いませんかー?」

「いえ、自分は、その」

 

ノリノリのトマス教官に対して、ぎこちなく返すナイトハルト教官。

なるほど。何となくだが、状況は読めてきた気がする。

トマス教官の誘いに、仕方なく席を共にしている、といったところだろうか。

 

「そ、それではごゆっくり」

 

3人分のビールをテーブルに置き、そそくさと踵を返す。

そんな私の肩に、再びサラ教官の手が置かれた。

 

「すいませーん。この子、しばらく借りるわね」

「ん?おー、好きにしてくれ」

 

競馬雑誌に視線を落としながら、素っ気なく返すフレッドさん。

即座にドリーさんにヘルプの視線を送るが、彼女はにっこりと笑みを浮かべ応えてくれた。

違う、私は助けてほしいのに。「楽しそうねーアヤちゃん」みたいに笑わないでほしい。

 

「それでは乾杯としましょうかー」

 

トマス教官の音頭で、何とも異様な組み合わせによる夜の宴が幕を開けた。

 

_______________________________________

 

本当によく喋る。それがトマス教官に抱いた率直な感想だった。

話題はころころと多方面に切り替わり、何かにつけ帝国史や雑学と絡ませては勢いが止まらない。

そんなトマス教官に対し、「自分もそう思います」「そうですね」と律儀に相槌を打つナイトハルト教官。

サラ教官はトマス教官のグラスが空いた隙を見計らって、即座にお酒を注いでいた。

酔い潰そうとしているのだろうか。だとすれば、それは逆効果のように思えた。

酔ってはいるのだろうが、相当酒に強い体質なのだろう。むしろ口数は増える一方だった。

 

「ふう・・・・・・話には聞いていたが、ウォーゼル。お前はここで働いていたのか」

「働くだなんて、そんなんじゃないですけど」

 

ナイトハルト教官は、普段私のことをアヤ・ウォーゼルとフルネームで呼ぶ。

ガイウスと区別するためなのだろう。彼がいない時は、皆と同じようにファミリーネームだ。

 

「社会勉強になるかな、と思いまして」

「心構えは買うが、本業に支障が出ないよう努めることだ」

 

そんなつもりでここに来ているわけではない。

が、彼には今のような言い方をしておいた方が無難なのだろう。

 

「先月の件はご苦労だった。犯人達を拘束した手並みも、お前の機転によるものだったと聞いている」

「あれは別に・・・・・・」

「だがお前達は少々独断専行が多すぎる。シュバルツァーにも言ったことだが―――」

「ちょっと。そういうのはやめてって言ってるでしょう」

 

ナイトハルト教官の言葉を遮るように、ドンッとテーブルを叩くようにグラスが置かれた。

敵意むき出しのサラ教官。酔いも相まって、感情が込められた鋭い目線だった。

 

「アヤはあたしの生徒なの。そういう有難いお説教は軍の部下にでもしてあげたらどう?」

「心外だな。俺は軍人の何たるかを説こうとしただけだ」

「それが要らぬお世話だって言ってるのよ。この子達に必要なのは―――」

 

そうして始まる討論のような何か。口喧嘩と言った方がいいのかもしれない。

トマス教官はそんな2人を「いやー、仲がいいですねえ」と温かい目で見守っていた。どこをどう見たらそうなるのだろう。

それにしても、ソリが合わないとは聞いていたが、まさかここまでとは。

間に挟まれた私の身にもなってほしい。そこまで悪い気はしないのだが。

 

「まったく、話にならんな。そんな心構えで士官学院の教官が務まるとでも思っているのか」

「時代が変われば教育だって変わるのよ。この子達の将来の可能性を、勝手に狭めないでもらえるかしら」

「可能性を狭める、だと?」

「大体ね、アヤが将来軍人になるだなんて誰がいつ言ったのよ?」

 

そうして注がれる、2人の熱い視線。

・・・・・・いや、そんな目で見られても。私はどう答えればいいのだろう。

士官学院に身を置きながら、現役の軍人に対し「軍に入る気はないです」と口に出せるわけがない。

 

「ウォーゼルの武術教練の成績は同学年内でトップクラスだ。優秀な生徒の未来を期待して何が悪い」

「だから!それは可能性の1つに過ぎないでしょう?アヤのことを知りもしないで、勝手なことを言わないでちょうだい」

「私情を挟んでいるように聞こえるが?」

「生徒を想うことがいけないとでも言いたいわけ?」

「いやー。まるで我が子の将来を語り合う夫婦みたいですねー」

「「誰が夫婦ですか!!?」」

「・・・・・・あはは」

 

トマス教官、いきなり爆弾を放り込まないでほしい。

ただ、やっぱり悪い気はしない。両者共に、私のことを思っての言葉なのだろう。

夫婦か。言われてみれば、少し似ている気もする。

元軍人のお父さんと、現役遊撃士だったお母さん。

今は亡き両親を思う私を尻目に、2人の私に関する討論はとめどが無かった。

 

_________________________________________

 

結局初めに酔い潰れたのは、サラ教官だった。

同じ量の酒を煽っていたはずのトマス教官はといえば、ケロっとした顔でキルシェを後にした。

ナイトハルト教官は明日の朝が早いこともあり、断固として1杯以上の酒を口にすることはなかった。

 

「アヤ様。おかえりなさ・・・・・・あらあら、サラ様ったら」

「シャロンさん、手を貸してもらえませんか」

「うー。水ちょうだい、水。冷たいの」

 

ナイトハルト教官の肩に掴まりながら、呻き声を上げるサラ教官。

何だかんだ言いつつも、律儀にこうして学生寮まで付き合ってくれたのは素直に助かった。

私1人では支えきれなかっただろう。

 

「やれやれ。見るに堪えんな・・・・・・ウォーゼル。すまないが、後を頼む」

「ありがとうございます。その、ナイトハルト教官」

「何だ?」

 

サラ教官をシャロンさんに任せ、ナイトハルト教官に向き直る。

多分、言っておいた方がいい。それが礼儀なのだろう。

 

「先のことは分かりませんが・・・・・・私は、軍以外の道も視野に入れています。ですから、その」

「そのことか。薄々感づいてはいた」

「・・・・・・え?」

「これでも部下の相談事を聞くことは多い。それなりに人を見る術は身に付けているつもりだ」

 

腕を組みながら、私の背後にいるサラ教官へ視線を向けるナイトハルト教官。

彼は今何を思っているのだろう。冷静沈着なその表情からは、胸中を窺えない。

ただ、少しだけ温かな感情が込められているように私には見えた。

 

「俺がとやかく言うことではない。だがお前が士官学院に身を置く以上、特別扱いをするつもりもない」

「分かっています。これからもご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします」

「ああ。今日は助かった、礼を言う」

 

そう言ってナイトハルト教官は学生寮を後にした。

軍人としての心構え、か。どんな形でも、それが将来私の糧となる時が来るのかもしれない。

学ぶことは無駄にはならない。それだけでも贅沢というものだ。

 

「うー・・・・・・あれ?あのいけ好かない堅物野郎はどこ?一発お見舞いしてやろうと思ったのに」

「サラ様、お見送りしていただいた殿方に対して失礼ですわ」

 

・・・・・・あの2人が分かり合える日は、来るのだろうか。

しばらくの間は無理だろう。ユーシスとポーラ以上に絶望的に思えた。

 

_________________________________________

 

「なるほどな。帰りが遅いとは思っていたが、そんなことが」

「うん。何か疲れちゃった」

 

サラ教官をシャロンさんに任せた後、私はガイウスのベッドに寝そべりながら枕に顔を埋めていた。

・・・・・・彼の匂いを満喫していると言ったら、引かれるだろうか。

立場が逆なら、間違いなく脇腹を蹴り上げている。照れ隠し、というやつだ。

当のガイウスは、椅子に腰掛けながらデッサン用の木炭を握っていた。

 

「それ、何描いてるの?」

「前回の実習でいいイメージが浮かんでな。今は大まかな構図を固めている最中だ」

 

ガイウスはそう言うと、再びキャンバスと睨めっこを始めた。

ああやって絵画に夢中になるのはいつのもことだが、とりわけ今は目が輝いているように見える。

余程いい絵が思い浮かんだのだろう。

 

(・・・・・・よしっ)

 

少しだけ、悪戯心が湧き上がる。

音を立てずにベッドから立ち上がり、背後へと歩を進める。

気付かれないように、そっと。

 

「ていっ」

「・・・っ・・・・・・驚かさないでくれ」

 

背中から、椅子に座る彼の首に腕を回す。

授業中が駄目なら、自室で好きなだけ。文句はないだろう、ユーシス。

 

「明日もキルシェにいるから、来てよ。リンデも連れて来たら?」

「ああ、そうさせてもらおう・・・・・・アヤ、描けないんだが」

「知ってる」

 

ガイウスの首を囲む私の腕を、彼の手がポンポンと叩く。

もう少し、構って欲しい。もう唯の姉弟ではないのだから。

こんな時ぐらい、遠慮はしたくない。正直、顔から火が出そうだ。

・・・・・・彼にそういったことを期待するのは、ちょっと無理があるか。

 

「アヤ、いる?」

「「っ!?」」

 

声と共に、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

弾かれたように距離を取る。心臓が止まるかと思った。

コホンと咳払いを1つした後、ガイウスが扉を開けた。

 

「アヤ見っけ・・・・・・何してるの」

「べ、別に何も」

「何で壁際に立ってるの」

「壁が好きだから。あはは」

 

壁から3リジュばかり離れ、平行に直立する私。

どんな言い訳だ。意味が分からない。

 

「わ、私に何か用?」

「髪」

「・・・・・・あっ」

 

ごめん、フィー。完全に忘れてた。

結局彼女の髪にハサミを入れたのは、翌朝のことだった。



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黒髪の少女

「ん、こんなもんかな」

 

フィーの肩に纏わりついた髪を手で払いながら、出来栄えを確認してもらう。

切ったといっても、長さは大して変わらない。

適当に邪魔にならない程度に、という彼女の注文には十分応えられただろう。

 

「いい感じ。アヤって意外と器用なんだ」

「あはは。意外とは余計だよ」

 

わしゃわしゃと頭を掻きながら、鏡の前で満足気に頷くフィー。

彼女の仕草や挙動は小動物を思わせる。トワ会長がリスなら、フィーは猫だろうか。

 

私の7月18日は、約束していたフィーの散髪で幕を開けた。

場所は3階の談話スペース。以前ガイウスに切ってもらったのと同じセッティングだ。

本来は昨晩切ってあげるはずだったのだが、思い出した頃にはフィーに睡魔が訪れている時間だった。

私も私で、昨日は教官3人組に巻き込まれて予定が大幅に狂ってしまっていた。

今朝もベッドから起き上がったのは7時を回った後だ。自由行動日とはいえ久しぶりの大寝坊である。

 

「あ」

 

フィーと一緒に床を掃いていると、驚きと気まずさが入り混じった声が彼女の口から漏れた。

 

「む」

 

返すようにして、同じ色の声が背後から聞こえた。

振り返ると、そこに立っていたのはラウラだった。

 

「おはよう、ラウラ」

「・・・・・・おはよう、2人とも。髪を切っていたのか」

「うん。フィーに頼まれてさ」

 

そうして訪れる沈黙。

黙々と手を止めずに床を掃除するフィーと、腕を組みながらそれを見下ろすラウラ。

最近ではお馴染みの光景だ。朝っぱらから容赦がない。

 

前月の実習で、彼女らが行動を共にしたB班に与えられた評価は『B』判定。

聞けば、2人は実習中も終始こんな調子ですれ違い続けていたそうだ。

そんな悪条件の中でのB判定は、賞賛に値する結果なのだろう。

マキアス、エリオット。よく頑張った。

 

「今日も水泳部に行くの?」

「ああ。モニカとの約束があるからな。そなたは?」

「今日馬術部の活動は休みだから、終日キルシェにいるよ」

 

それから一言二言会話を交わした後、ラウラは階段を下りて行った。

気付いた時には、床に落ちていた髪は綺麗さっぱり無くなっていた。

 

「ご、ごめん。手伝わなくて」

「別に。切ってもらったのは私だし」

 

普段通りに見えて、やはりフィーの表情もどこかぎこちない。

何が2人をそうさせているのかは知る由も無い。ただ、少しだけ嫌な予感がした。

もしそうなったら、私はきっと2人を許すことができないかもしれない。

ただの、思い過ごしであってほしい。そう願うばかりだ。

 

__________________________________

 

昼下がりのキルシェ。

教室で過ごす緑色の午後の次に、私が好きな時間帯だ。

書き入れ時を過ぎた店内に人はまばらで、誰しもがゆっくりと流れる時間を満喫していた。

店内の導力ラジオからは、透き通るような女性の歌声が小音量で流れていた。

 

「フフフーン、フフフーン―――」

 

『空を見上げて』。

頭の中で歌詞をなぞりながら、鼻歌でそのメロディーを口ずさむ。

お父さんが『星の在り処』なら、お母さんがよく聞かせてくれたのがこの曲だった。

原曲を耳にしたことは数える程度しかない。ここで聞けるとは思ってもいなかった。

こうして改めて聞くと、恋愛色が強い歌詞に思える。

祝福されている気分だ。今の私にとっては、少し気恥ずかしい。

 

グラスを拭きながら耳を傾けていると、入り口から来客を示すドアチャイムが聞こえた。

 

「あ。いらっしゃい、2人とも」

「こんにちは」

 

ガイウスにリンデ。2人の顔を見てすぐに思い出した。

そういえば、昨晩是非にとガイウスに声を掛けていたか。

顔が緩んでしまいそうになるのを堪え、2人をカウンター席へ案内する。

 

「・・・・・・ガイウス?」

 

ふとガイウスの方を見ると、すぐに違和感を覚えた。

どうも様子がおかしい。いつもは穏やかで冷静な彼の表情が、今は心無しか引き攣っているように思える。

これは―――怒り、だろうか。明らかに感情が昂ぶっているように見受けられた。

 

「どうしたの、怖い顔しちゃって」

「ええっと。それがですね・・・・・・」

 

ガイウスの代わりに、困り顔のリンデが事の経緯を説明してくれた。

その内容は、私にとって余りにも意外なものだった。

 

「はぁ?取っ組み合い?」

「・・・・・・面目ない」

 

リンデによれば、2人がここへ足を運ぶ道すがら、Ⅰ組のパトリックと偶然出くわしたそうだ。

初めは沈黙を守っていた2人だったが、パトリックがまた余計なことを口走ったらしい。

その内容というのが、私やガイウスに関することだった。

そんな安い挑発に乗ったガイウスが無言で詰め寄り、一触即発の状態に陥った。

掻い摘んでいえば、そんなところだそうだ。

 

「呆れた。まさか手を出したりはしていないでしょうね?」

「いや、流石にそれはしていないが・・・・・・すまない。冷静ではなかった」

 

そういえば、前月の実技テストから危うい気配はあった。

私があの時止めていなかったら、今回のような結果になってしまっていたのかもしれない。

まだ引きずっていたのか、ガイウスは。私はそこまで気にしていないというのに。

いけ好かない相手ではあるが、あれでも公爵家の三男坊だ。

そんな相手の顔をぶん殴ったともなれば、何が起きるのか想像も付かない。

ハインリッヒ教頭はどんな顔をするだろう。私に前科がある分、完全に不良姉弟扱いになりそうだ。

 

「ガイウス君を責めないであげて下さい。アヤさんのことを悪く言われたから、頭に血が上っちゃっただけなんだと思います」

「それはそうかもしれないけどさ」

「それに・・・・・・ふふ。言い方はあれですけど、少しほほ笑ましいです」

「ほほ笑ましい?な、何で?」

「あんなガイウス君を見たの、初めてですから。2人の関係がちょっとだけ羨ましいですよ」

 

そう言って、私とガイウスを交互に見やりながら笑みを浮かべるリンデ。

おそらくは彼女の言う通りなのだろう。私だって、怒りを露わにするガイウスを見たことは多くない。

呆れてしまう反面、確かに悪い気はしない。

それにしても―――

 

「ねえ。あなた本当にリンデだよね」

「え?ど、どうしたんですか急に」

「その悪戯っぽい笑いが何となーく、ヴィヴィに似てる気がする」

「ええ!?ち、違いますよ!」

 

リンデとヴィヴィの瓜二つっぷりは、学院内でも有名だ。

リィンが依然話していたことだが、ヴィヴィは度々リンデに化けては周囲を驚かせているそうだ。

昨日だってそうだ。ガイウスはさりげなく美術部に紛れ込んだヴィヴィをリンデだと思い込んでいたらしい。

 

「アヤ、俺も昨日気付いたばかりだが、リンデとヴィヴィでは瞳の色が若干違うようだ」

「え、そうなの?」

「ああ。彼女は間違いなくリンデだ」

 

ガイウスに促され、リンデの瞳の色を窺う。

・・・・・・駄目だ。まるで分からない。

比較対象が無い分当然かもしれないが、2人を並べても私には分かりそうにない。

 

「あはは。それに気付いたの、学院内でもガイウス君ぐらいですよ」

「毎日のように君を見ているからな」

「・・・・・・ガイウス君。それ多分言っちゃダメな台詞だと思います」

 

気付いた時には、目を細めて睨んでいた。

リィンか、お前は。息を吐くようにそんな言葉を出さないでほしい。私の前で。

 

「えっと、改めて言わせて下さい。2人のこと、応援してますから」

 

声を潜め、私とガイウスに祝福の言葉をくれるリンデ。

ポーラとユーシスに続く、私とガイウスの仲を知るもう1人の存在。

どういうわけかお互いクラブ仲間同士になってしまったが、私にはこれぐらいがちょうどいい。

 

周囲に言い触らすような真似はしたくない。恥ずかし過ぎてできるはずもない。

ただ、この喜びを誰かと分かち合いたいという思いも、あるにはある。

ガイウスが彼女とどんなやり取りをしていたかは知る由も無いが、素直に感謝したい。

彼に想いを自覚させてくれたのは、彼女の存在に違いないのだから。

 

「アヤちゃん。テラスのお客さん、お願いできる?」

「あ、はい」

 

ドリーさんの声で、私が今接客中だということを思い出す。

随分と話し込んでしまった。流石に他のお客さんを無視して立ち話はできない。

 

「ガイウス、また後でね」

「ああ」

 

オーダー表を手に、店外のテラス席に足を運ぶ。

全然来客に気付かなかった。少し待たせてしまっただろうか。

 

「いらっしゃい・・・・・・ませ」

 

そこにいたのは、純白の制服を身に纏い、足を組みながら手元の小説に視線を落とす男子生徒。

パトリック・T・ハイアームズ。何ともタイムリーな来客だ。

気まずいにも程があるだろう。店内の2人に気付いているのだろうか。

 

「む。君は・・・・・・」

「コホン。ご注文は」

 

咳払いを1つして、平静を装う。

いずれにせよ、今の彼は客だ。なら私もキルシェの人間として振る舞うのが無難だろう。

 

「・・・・・・すまなかった」

「は?」

 

擦れるような小声で、パトリックが言った。

すまなかった、と今言ったか。確かに聞こえた。

 

「ねえ、今のはどういう―――」

「うるさい、二度とは言わないぞ。もう野蛮な留学生に殴り掛かられるのは御免なだけだ」

 

ぱたんと本を閉じ、顔を逸らすパトリック。

何となくだが、想像は付いた。多分、ガイウスとのやり取りのことを言っているのだろう。

彼がパトリックに何を言ったのかは分からないが、きっとそういうことだ。

 

「そう。できればそれ、クラスメイト全員に言ってほしいんだけど」

「意味が分からないな。何故僕がそんなことをする必要がある」

「・・・・・・ああ、そう」

 

思わず溜息が出る。本当によく分からない男性だ。

どうやら改心して謝罪の言葉を口にしたわけではないらしい。

 

「で、注文は?」

「・・・・・・この『ノルドティー』とは何だ。以前は無かったはずだが」

「ああ、それ?お勧めだよ。一度飲んでみたら?」

 

キルシェへの客足を伸ばす、2つ目の作戦。

フレッドさんが提案したそれは、新しいドリンクメニューの開拓だった。

それを店員でもない私に求められても困るのだが、1つだけ思い当たるものがあった。

それが実家から大量に送られてきた『ノルドハーブ』だった。

 

結局パトリックは悩んだ末に、私の勧めに乗ってくれた。

貴族様の口に合うかどうか自信は無かったが、少なくとも《Ⅶ組》内では高評価だ。

 

「お待たせしました」

「1つ訊くが、これは君が淹れたのか?」

「そうだけど。ダメだった?」

「フン、まあいい」

 

鼻で笑わないでほしい。これでも淹れ方はお義母さんにも引けを取らない自信がある。

そっとティーカップを口に運んだパトリックは、すぐに表情が変わった。

 

「これは・・・・・・」

「どう?」

「独特な香りだな。しかし・・・・・・癖になる味わいだ」

 

パトリックはそう言うと、再びティーカップを口にした。

先程までとは打って変わって、目を丸くしながらノルドティーに夢中になるパトリック。

その表情は、まるであどけない少年のそれだった。

 

(ふーん)

 

そんな顔もできるのか。なら、普段からそうしていればいいのに。

少なくとも、ノルドティーはこの地でも受け入れられそうだ。

今は私が私物を持ち込んで振る舞っているだけなので、材料原価はゼロに近い。

この調子なら、本格的に店で取り入れてもらってもいいかもしれない。その分故郷が潤うのだ。

 

「気に入ったんなら、クラスのみんなにも教えてあげてよ」

「ああ、これなら・・・・・・待て。何故僕がそんなことをする必要がある」

 

我に返ったかのように、パトリックは再びいつもの貴族の顔に戻ってしまった。

やれやれ。どちらが彼の本当の顔なのやら。

結局パトリックは、気まずそうにもう一杯のノルドティーをオーダーするのだった。

 

____________________________________

 

夕刻の16時過ぎ。

キルシェを後にした私は、そのままの足で学院内の美術室に足を運んだ。

ちょうどクラブ活動を終えた頃のガイウスと、一緒に下校するためだ。

 

「ごめん、待ってた?」

「いや、こちらも後片付けを始めたところだ。少し待っていてくれ」

「ん」

 

美術室には、ガイウスの姿しか無かった。

普段は部長であるクララ先輩が居座っているはずなのだが、今日は早く切り上げてくれたそうだ。

ありがたい限りだ。短い間だが、これで2人っきりになれた。

 

椅子に座りながら、筆を洗うガイウスの背中を見詰める。

今日が7月の18日。想いが成就してから、ちょうど1週間が過ぎた。

いつも通りの、変わらない背中。意識しているこちらが馬鹿らしくさえ思えてくる。

 

「ねぇ、ガイウス」

「何だ?」

「・・・・・・ううん、何でもない」

 

何だか不安さえ覚えてしまう。

私の想いも彼の想いも、嘘偽りの無い本物に違いないというのに。

普通の恋仲というものは、こんなものなのだろうか。

経験が無い分、こういう時何をすればいいのか分からない。

 

「ガイウスって、私に何もしないよね」

 

無意識の内に、そう口にしていた。

応えるように、ガイウスの筆を洗う手が止まった。

 

「アヤ?」

 

・・・・・・自分から言っておいて。まともに目を見ることもできない。

流石のガイウスにも、言葉の意味は理解できたようだ。

 

「な、何でもない」

 

目を逸らしながら言う私を余所に、ガイウスが一歩ずつ私に歩み寄る。

来ないでほしい。いや―――違う、そうじゃない。

お願いだから、もっと私を見てほしい。私に、触れてほしい。

壊れ物を扱うようにじゃなく、もっと強引に。

 

「アヤ」

「あっ―――」

 

そっと、顎を手で引かれた。

彼の吐息を頬に感じた、その瞬間。

 

「忘れ物忘れ物・・・・・・って、あれ?」

 

恋のキューピッドが、盛大に邪魔をしてくれた。

 

__________________________________

 

何事も無かったかのように、私とガイウスは美術室を後にした。

今度リンデに会ったら、3回は蹴ってあげよう、うん。

しばらくの間は、まともに目を見て話すことすらままならない。

それはガイウスも同じようだ。まぁ、今回は良しとしよう。

彼にその気があると分かっただけでも、不安など感じるはずもない。

 

「旧校舎・・・・・・そっか。今日が探索の日だったっけ」

 

聞けば、ガイウスはキルシェでの休憩後、旧校舎の探索に手を貸していたらしい。

私が旧校舎に入ったのは、先々月の探索が最後だったか。

来月にはまた手を貸してあげた方がいいかもしれない。

 

「赤い扉?」

「ああ、唐突に出現してな。何かの前触れかと思うのだが」

「へぇ、そんなことが・・・・・・あれ?」

 

階段を目指し歩いていると、3階へと続く階段を登るリィンの姿が目に入った。

その隣には、見慣れない少女の姿。あれは確か―――聖アストライア女学院の制服だ。

 

「妹、さん?」

「妹?」

 

気付いた時には、そう口にしていた。

ガイウスが怪訝そうな目で、私と2人の背中を交互に見ながら言った。

 

「リィンに妹がいるとは聞いていたが。彼女がそうなのか?」

「う、うん。女学院に通ってるって言ってたし、多分そうじゃないかな」

 

多分、それは後付けだ。

私は今、当然のように彼女をリィンの妹だと言った。

どうしてだろう。不思議と確信に近いものがある。

 

3階へ向かう2人の背を見送ると、続くようにしてアリサ達が階段を上ってきた。

こそこそと、隠れるように足音を忍ばせながら。

・・・・・・いや、怪し過ぎるだろう。後をつけているのだろうか。

見たところ、ラウラとフィー以外の《Ⅶ組》メンバーが勢揃いしていた。

 

「・・・・・・皆、何をしているんだ」

「さあ・・・・・・とりあえず、私達も行ってみる?」

 

何だか先月の実習から、こんなことが多い気がする。

状況はよく分からないが、私とガイウスはアリサ達に続いて階段を上った。

 

3階に着いたところで、周囲を見渡す。

リィンやアリサ達の姿は見当たらなかった。

 

「おっかしいなー、みんなどこに行ったんだろ」

「屋上に向かったのかもしれないな」

「あ。そっか」

 

言われてみれば、屋上があったか。

お互いに普段あまり足を運ばない分、その存在をすっかり忘れていた。

 

屋上に続く階段を上り、扉を開ける。

思っていた通り、そこにはアリサ達の姿があった。

その視線の先には、リィンと先程の少女の姿も確認できた。

 

「アリサ」

「わわっ・・・・・・って、アヤじゃない。どうしたの?」

「こっちの台詞だよ。みんなで何を―――」

 

私の言葉を遮るようにして、少女の叫び声が屋上中に響き渡った。

その声は、泣いていた。

 

_____________________________________

 

『アヤ、そっちはどうだ?』

「ううん、中庭にはいないみたい」

『そうか。俺はもう少し本校舎を探そう』

「分かった。私も外を回ってみる」

 

ARCUSの通信を切り、周囲を見渡す。

そう遠くへは行っていないはずだ。敷地内を探すのが無難だろう。

 

状況はアリサが掻い摘んで説明してくれた。

思っていたように、やはり少女はリィンの妹で間違いないそうだ。

2人の間に何があったのかは分からない。ただ、妹さん―――エリゼちゃんは、泣いていた。

級友として、放っては置けない。もしかしたら、道に迷っているのかもしれない。

いずれにせよ、妹を泣かすだなんて。リィンには後でお説教の刑だ。

 

「あっ」

 

中庭から本校舎を回るように走っていると、キルシェで見たばかりの男子生徒の姿が目に入った。

そしてその手前には、目当ての少女の姿もあった。

漸く見つけた。やはりまだ敷地内にいてくれたか。

 

「パトリック!」

「む・・・・・・また君か」

 

息を荒げながら駆け寄ると、私の様相に驚いたのか、エリゼちゃんは一歩後ずさってしまった。

落ち着け。ここでまた逃げられては困る。

 

「えーと。エリゼちゃん、でいいんだよね」

「は、はい。そうですが・・・・・・その、あなたは?」

「私はアヤ。リィンのクラスメイトなんだ」

「兄様の・・・・・・そうでしたか」

 

呼吸を整えながら名を名乗ると、エリゼちゃんはスカートの裾を摘む優雅な仕草を見せた。

思わずドキリとしてしまう。こういったやり取りは初の経験だ。

・・・・・・別に、やり返す必要はないよね。

 

「エリゼ・シュバルツァーと申します。兄がいつもお世話になっております」

「いえいえ。その、こちらこそ」

「やはり君はあいつの・・・・・・くっ、よりにもよってあのいけ好かない男の―――」

「ちょ、ちょっと」

 

対応に困っていると、パトリックがいつもの調子で毒を吐き始めた。

妹の前で、何て失礼なことを。何もこんな時に―――

 

「・・・・・・どうやら、兄と何か確執がおありのご様子。ご不快にさせたくありませんので、失礼致します」

「え?あ、待って―――」

「離して下さい!」

 

私の制止も聞かず、肩に置いた手を振り払いエリゼちゃんはその場を走り去ってしまった。

すぐに後を追おうとしたが、思わず躊躇してしまった。

あんなことを言われたら、誰だって怒るに決まっている。

 

「バカ!何であんなことを言ったの!?」

「べ、別に僕はそんなつもりでは・・・・・・おい、今僕に馬鹿と言ったか?」

「ああもう。何とか誤解を解かないと・・・・・・」

 

いずれにせよ見過ごすわけにはいかない。

後を追おうとして、再びその足が止まった。

彼女が向かった先にある建物は―――

 

________________________________

 

「あ、開いてる」

「そんな・・・・・・じゃあ、エリゼは中に入ったのか!?」

 

リィンと合流した私達は、呆然としていた。

普段なら施錠されているはずの旧校舎の扉が、どういうわけか開いていた。

建物の周囲にエリゼちゃんの姿はない。それが意味するところは、最悪の可能性。

 

「これはまずいことになったな。リィン後輩、どうする?」

「どうもこうもありません、急ぎましょう!」

「おうよ!」

 

リィンと行動を共にしていたクロウ先輩が、リィンに続く。

もし中に入ったとするなら、迷っている時間はない。

 

「ほら、パトリックも早く!」

「ぐ、どうして僕まで・・・・・・」

「いいからほら!」

 

パトリックの背中を押し、旧校舎の中へと入る。

途端に、耳をつんざく様な悲鳴が内部に響き渡った。

 

「エリゼ!?」

「リィン、急がないと!」

 

声は地下から聞こえてきた。

最悪の可能性が、現実味を帯びていく。建物の奥は魔獣の巣窟だ。

急いで昇降機のパネルを操作し、駆動音と共に私達は地下へと飲み込まれていった。

 

「な、何だありゃあ?」

「巨大な甲冑・・・・・・!?」

 

昇降機が下り切るのを待たずして、それは視界に飛び込んできた。

全長5アージュ以上はゆうにある、翡翠色の巨大な甲冑。

無機質のはずのそれは、まるで生きているかのように肩を揺らしていた。

その足元に横たわる、リィンの妹。

甲冑は手にしていた大剣をゆっくりと頭上高く掲げ、今にも振り下ろさんと身構えていた。

まるで、何かを待っているかのように。

 

「え、エリゼちゃん―――」

 

ガシャンという音と共に、昇降機の駆動音が止まる。

彼女の下に駆けだそうとした瞬間、突然隣から風を感じた。

 

(え―――)

 

気付いた時には、リィンは甲冑の足元にいた。

目を瞬いた、その一瞬の間に、音も無く。

 

それに目を奪われたせいで、足が止まっていた。

甲冑の右手が、無慈悲に2人目掛けて振り下ろされようとしていた。

 

「リィン!!」

 

思わず目を背けてしまった。

周囲に響き渡る、金属音同士が重なった重低音。

間に合わなかった―――震えながら、恐る恐る目蓋を開けた私の目に飛び込んできたのは、到底理解できない光景だった。

 

受け止めていた。

太刀一本を両の腕で支えながら、足を釘のように地に埋めて。

それはリィンであって、リィンではなかった。

頭髪を銀色に染め上げ、赤黒い血液のような気を身に纏う、リィンのような何か。

 

「オオオォォォォッッ!!!」

 

力任せに弾き飛ばされた大剣と共に、甲冑の巨体が大きく揺らいだ。

微動だにできなかった。唯々呆然として、見守るしかなかった。

 

「何・・・・・・何なの、あれ」

「わ、分からねえが・・・・・・見ろよ、どうも様子が変だ」

「え?」

 

今にも甲冑に斬りかかろうとしていた太刀が、乾いた音と共に床へ転がった。

上体を反らし、再び雄叫びのような声を上げるリィン。

 

(痛っ―――)

 

不意に、頭の中を直に叩かれるような鋭い頭痛が襲った。

これは何だ。この感覚は―――

 

「戦術、リンク・・・・・・?」

 

心と身体が繋がっているかのような感覚。

間違いなく、ARCUSのリンク機能のそれだ。

操作もしていないにも関わらず、私とリィンはARCUSを介して繋がっていた。

いや、違う。これはそれを超える、もっと強い繋がりだ。

 

「な、何だ・・・・・・?」

「『力』を、抑えようとしてんのか?」

 

声は聞こえるが、頭の中には入らない。

―――思い出した。この感覚は、あの時と一緒だ。

特別オリエンテーリングで、魔物との一戦を終えた時。

戦術リンクという名では表現し切れない、他者の一部が流れ込んでくるかのような感覚。

 

それと、夢だ。あの夢を見たのは、初めての特別実習を終えた夜のことだったか。

黒髪の少女が、私を兄様と呼ぶ夢。あるはずの無い記憶。

 

「リィンっ・・・・・・」

 

感覚だけではない。全てが共有され、感情までもが手に取るように分かる。

だからこそ、私には理解できる。

今、リィンは戦っている。懸命に何かと戦いながら、もがいている。

 

「リィン・・・・・・大丈夫だよ」

「お、おい。お前さんもどうしたってんだよ?何で泣いてんだ?」

 

意識せずとも、リィンの全てが私の中に流れ込んでくる。

この3ヶ月半、彼が見聞きして感じ取ってきた全てが。

 

「だから頑張って、リィン」

 

士官学院に入学してから、私達が歩んできた道のり。

リィンの目には―――こんなにも、輝かしく映っていたのか。

取るに足らない一日一日の全てが、掛け替えのない大切な宝物となり、支えへと変わる。

そうだ。一歩ずつ、少しずつではあるけれど、あなたは前に進めている。

だから、きっと大丈夫だ。今のリィンなら、きっと乗り越えられる―――

 

「―――負けないで、リィン!!」

「・・・っ・・・・・・オオオォォォォッッ!!!」

 

一際大きな雄叫びを上げ―――胸の奥から込み上げてくる感情は、鳴りを潜めた。

見れば、リィンの髪色も瞳の色も、本来のそれに戻りつつあった。

 

「はぁ、はぁっ・・・・・・これ以上・・・呑み込まれてたまるかっ・・・・・・」

「リィン・・・・・・」

 

私達を余所に、甲冑は体勢を立て直し、再びその大剣をリィンへと向けていた。

しかも、周囲には複数の殺気が漂い始めていた。

 

「あ、あれは」

 

先々月の探索で対峙したことがある、古代人形を思わせる不可思議な魔獣。

巣窟から這い出てくるように、私達を取り巻く気配は増加していった。

こうしてはいられない。幸いにも剣はあるし、私達は日常的にARCUSの携帯を義務付けられている。

 

「後輩、加勢するぜ!キルシェの娘っ子、嬢ちゃんを頼んだからな!!」

 

クロウ先輩はそう言うと、2丁の導力銃を甲冑に向けた。

彼の力の程は聞いたことが無かったが、物怖じしないその態度から戦力の程は窺えた。

 

「分かりました。リィン、妹さんは私に任せて!!」

「す、すまない。2人とも」

 

目元の涙を拭い、長巻の鞘を払う。

甲冑の巨体をリィンとクロウ先輩に任せ、私はエリゼちゃんの前に立った。

 

「はああっ!!」

 

出し惜しみは無しだ。一気に力を開放し、敵の挙動を探る。

一体一体は大した脅威ではないが、如何せん数が多すぎる。

どうやって―――いや、考えている時間は無い。絶対に守り抜いて見せる。

 

「エアリアル!!」

「え―――」

 

突然、背後でオーバルアーツの発動を感じた。

何の前触れも無く発生した竜巻の刃を前に、数体の人形が力無く地に横たわった。

 

「くっ・・・・・・こんなことなら剣を持って来ればよかった」

「ぱ、パトリック?」

「何をしている、得物があるなら早く何とかしたまえ!!」

 

そう言ってパトリックは2発目のオーバルアーツを発動させた。

エリオット顔負けの詠唱速度だ。これならいけるかもしれない。

 

「オッケー、援護は任せたからね!!」

 

背中を彼に任せ、私は長巻の柄を強く握りしめた。



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羨望の眼差し

実技テストを明日に控えた、7月20日の放課後。

私とガイウスは学生会館の1階、購買部へと足を運んでいた。

目的は私の得物、長巻の刀身を新調するためだった。

 

私達《Ⅶ組》はARCUSに加えて、申請した得物の携帯や管理が義務付けられていた。

一方でそれに掛かる費用は士官学院から正式に支給されているし、特殊な装備については購買部を介して、専門家に見てもらうこともできる。

エマやエリオットの導力杖は、定期的にメンテナンスを兼ねてデータ採取が行われているそうだ。

マキアスやフィーが扱う弾薬の類も、手続きさえすれば簡単に補充してもらえると聞いている。

・・・・・・フィーは独自のルートと資産をもって、未申請のあれやこれやを溜めこんでいるらしい。

 

「先月の実習から酷使していたからな。無理もない」

「うん・・・・・・一昨日の戦闘で、一気に痛んじゃったよ」

 

アガートラムにゴーレム、ギノシャ・ザナク。

ノルドでの実習以降、異常に硬い相手との対峙が続いていた。そこに自由行動日の一件だ。

そんな経緯もあり、私の剣は満身創痍、刃はボロボロで見るも無残な状態だった。

私にも研ぎの心得はあるのだが、専門の研ぎ師や職人には遠く及ばない。

それに、もう刀身を換えなくてはならないことは明白だった。

決定的となったのは、やはり一昨日の一戦だったのだろう。

 

あの放課後の出来事は、《Ⅶ組》の皆に教官達、一部の先輩方の知るところとなった。

一方で、その真相はまるで明らかになっていない。

甲冑についてもジョルジュ先輩が色々と動いているそうだが、大分時間が掛かるようだ。

 

そして―――もう1人の『リィン』の存在。

光り輝く銀髪と燃えるような紅色の瞳が、今でも目に焼き付いてる。

今のところは私とパトリック、そしてクロウ先輩が知るのみだ。

 

「第四拘束、第一の試し、それに・・・・・・『きどうしゃ』かぁ。何の事だろ」

「まるで想像が付かないな。今までも、そしてあの日の出来事も」

 

エリゼちゃんが扉から聞こえたという、断片的な言葉。

きどうしゃ。『機動車』だろうか。もしくは『起動者』か。

 

そして、あの時に感じた不可思議な感覚。

あれはやはり、戦術リンクだったのだろうか。普段のそれとは、あまりにもかけ離れていたが。

いずれにせよ、何か関係があるのかもしれない。今は考えても答えは出ないだろう。

 

「まぁ怪我人が出なくてよかったよ。リィンとエリゼちゃんも、少しは本音で話し合えたみたいだしね」

「ああ。面白い少女だった」

「あ、あはは・・・・・・それは確かに」

 

短い時間ながらも、エリゼちゃんとは色々とあった。そう、色々と。

その色々は、遡ること2日前―――

 

____________________________________

 

「エリゼちゃん、入るよ?」

「あ、はい。どうぞ」

 

コンコンとドアをノックしてから、恐る恐るドアを開ける。

扉の先には、ベッドの上に座るエリゼちゃんの姿があった。

 

「何か御用でしょうか?」

「シャロンさん・・・・・・えっと、さっきの管理人さんが着替えを用意してくれたから」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

手にしていた寝間着や洗面具一式をテーブルに置き、木製の椅子に腰を下ろす。

普段なら無人であるはずのこの部屋は、今晩に限りリィンの妹さん、エリゼちゃんの宿泊場所だ。

 

旧校舎での騒動の後、エリゼちゃんは私達《Ⅶ組》の第3学生寮に招かれていた。

エリゼちゃんはすぐに帝都に戻るつもりだったそうだが、流石に見過ごすわけにはいかなかった。

何しろあれだけの騒動だ。外傷は無いとはいえ、今日ぐらいお兄さんと共に過ごした方が心も休まるだろう。

すぐにサラ教官が女学院に連絡を取り、今晩は学生寮の空き部屋で夜を過ごすことが許可された。

いつの間にかベッドにも新調したベッドシーツが敷かれていた。流石はシャロンさん。

 

「あの、兄様は・・・・・・リィンは、今どちらに?」

「士官学院で身体を診てもらってるみたい。目立った怪我も無かったから、すぐに戻ってくるよ」

「そうですか」

 

そう言って、床に視線を落とすエリゼちゃん。

何だろう。どこかぎこちないし、会話が続く気配が無い。

それどころか、敵対心のような感情すら窺える。

もしかしたら・・・・・・うん、きっとあいつのせいだ。

 

おそらく私は、パトリックと同じ扱いを受けているのだろう。

今思えば、彼女の目の前で侯爵家の御子息を「パトリック!」と呼び捨てした気がする。

リィンの事を快く思わない貴族組、とでも思われているのだろうか。

私とリィンの間に、確執なんてあるわけないのに。

 

「ねぇ、リィンって実家ではどんな感じなの?」

「え?」

 

リィンという言葉に敏感に反応するエリゼちゃん。

その様を見ているだけでも、彼女がリィンをとても慕っているのが伝わってくる。

歳の差もあるのかもしれない。今は何か共通の話題を振ってあげた方が、彼女も気が楽だろう。

 

「それは・・・・・・アヤ様も、よく御存知なのでは?」

「分からず屋の朴念仁、だっけ?」

「・・・・・・ふふっ」

 

アヤ様ときたか。何ともむず痒い。

いずれにせよ、やっと笑ってくれた。彼女にはやっぱり笑顔が似合う。

 

何度か会話を交わして分かったことだが、やはりエリゼちゃんは私の身分を勘違いしていたようだ。

これも生まれて初めての経験だ。私のような貴族がいてたまるか。

 

「し、失礼しました。私はてっきり」

「謝られるようなことでもないけど・・・・・・こっちこそごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけどさ」

「・・・・・・いえ。私の方こそ、皆様にはご迷惑をお掛けしてしまいましたから」

 

屋上での件については、アリサから詳細を聞かされていた。

それによれば、リィンは士官学院を卒業後、家を出るつもりだとエリゼちゃんに打ち明けたそうだ。

しかも、事前にその旨を手紙で知らされていたとか。

そんな重要なことを手紙で告白するなんて・・・・・・リィン、援護のしようがないよ。

彼女が直にトリスタに足を運んだのも無理ないことなのだろう。

 

それから私は、エリゼちゃんとのリィン談議に花を咲かせた。

それはもう出るわ出るわ、リィンへの不満とその魅力について。

不満も全て裏を返せば後者になるあたり、実家でのリィンも私達が知るリィンなのだろう。

 

「そっか・・・・・・でも、ちょっと分かる気がするな。リィンの考えてること」

「何のことでしょうか?」

「実家を出るって言ったことだよ」

 

私が言った途端、エリゼちゃんの表情が歪んだ。

しまった。いくら何でも唐突すぎたか。

 

「わ、悪く思わないでね。他意は無いから、怒らないで聞いて?」

「・・・・・・別に、怒ってなどいません」

 

明らかに不機嫌オーラが滲み出ているのだが。

どうも彼女は感情や表情がコロコロと変わりやすい。

リィンもさぞかし手を焼いていたのだろう。

 

「・・・・・・血の繋がりってさ、やっぱり気になるんだよ」

「え?」

「ごめんね。多分、それは本人にしか分からないんだと思う」

 

私の家族は、本当の愛情をもって私に接してくれる。私だって同じだ。

自信をもって、本当の家族だと胸を張って言える。

それでも、時折考えてしまうことがある。

 

私はお義母さんがお腹を痛めて産んだ子供ではない。

彼らだけが知る、私の知らない時間がある。

今ではそんなことを考える回数も減ったし、何も生み出さないことは分かっている。

 

「だからってリィンの言動は褒められたものじゃないし、私だってひどいとは思うけど・・・・・・リィンの良いところが、悪い方向に働いただけなんじゃないかな。私には、そう思えるよ」

「それは・・・・・・その、アヤ様のご家族は、今どちらに?」

「あ、ごめんごめん。私ね、今ノルドで暮らしてるんだ」

「の、ノルド?ノルドって、あのノルド高原ですか?」

「そう、そのノルド」

 

私とエリゼちゃんがノルドノルドと騒いでいると、ドアをノックする音が耳に入ってきた。

 

「2人とも、入っていいか。シャロンさんがお茶を淹れてくれたぞ」

「あ、うん。入ってよ」

 

扉の向こうから現れたのは、ティーカップが置かれたトレーを持ったガイウスだった。

湯気を立たせているのはノルドティーだろう。一気に部屋中が独特の香りに包まれた。

これはいいタイミングで来てくれた。

 

「挨拶はさっきしてたよね。エリゼちゃん、あれが私の義弟」

「・・・・・・そう、だったのですか」

「何の話だ?」

 

私は大まかな身の上話をエリゼちゃんに打ち明けた。

私がクロスベル出身であること。肉親を失い、天涯孤独の身であったこと。

そして、3年前に新しい家族を手に入れたこと。

流石にノルドに行き着いた経緯ははぐらかしたが、それは彼女の気にするところではなかったようだ。

 

「だから、私から1つだけアドバイスをしておくよ」

「アドバイス?」

「家族次第ってこと。リィンはあんなだから、しっかりとエリゼちゃん達が繋ぎ止めてあげなくちゃ」

 

お前がそれを言うか、と言われると耳が痛い。

でもだからこそ、私のような人間だからこそ理解できることがある。

きっとリィンも迷っているはずだ。だから直接ではなく、手紙という手段に走ったに違いない。

 

「なるほど。アヤが言うと説得力があるな」

「そこ、余計なことを言わない」

「俺が止めなかったら、君はどうしていた?」

「・・・・・・忘れてよ、もう」

 

いつになく悪戯なガイウス。

彼が過去を引き合いに出してこんなことを言うとは。珍しいこともあったものだ。

もしかしたら、彼も気を遣っているのかもしれない。おかげでエリゼちゃんも笑ってくれた。

 

「ふふっ・・・・・・お二人は、とても仲がいい姉弟なのですね」

「あはは。まぁね」

「ああ。俺の大切な女性だ」

 

その瞬間、エリゼちゃんの笑みが消えた。ついでに私の愛想笑いも。

言った本人も「あ、しまった」と言わんばかりに頬をポリポリと掻いていた。

俺の、大切な女性。ただの義姉に使うには、その言葉は余りにも色が強すぎた。

 

「ガイウス、ちょっと表に出ようか」

「いや、待ってくれ。今のはつい―――ぐああ!!?」

 

それは僅か数秒間の出来事。別に何もしていない。

口を滑らせた弟を、ちょっとだけ小突いただけだ。

ただの姉弟のじゃれ合いである。

 

「さてと。エリゼちゃん、何の話だっけ?」

「・・・・・・あの、もしかしてお二人は」

「ち、違う!違うからね!?」

「まだ何も言っておりませんが・・・・・・」

 

冗談抜きで、明日からアリサを笑えない。

私はこんなにも分かりやすい人間だっただろうか。

 

初めはしらを切り続けたものの、結局はエリゼちゃんの断固として引かない態度に気圧された。

要するに、話してしまった。まさかこんなことになるなんて。

クラブ仲間に引き続き、私達の秘密を知る人間が増えた瞬間であった。

 

「あはは・・・・・・やっぱり変だよね、こんなの」

 

気まずそうに、ガイウスの足へゲシゲシと蹴りを入れる。

後でもう一度釘を刺しておこう。このままでは彼女のような人間が増える一方だ。

 

「・・・・・・素敵です」

「へ?」

「とても素敵な御関係だと思います。変だなんて、そんなことを仰らないで下さい」

 

顔を赤らめ、目を輝かせながら私の手を取るエリゼちゃん。

何だろう、この豹変っぷりは。そういった類の話が好きな女の子なのだろうか。

 

反応に困っていると、ガイウスに続いて扉の向こうからアリサの声が聞こえた。

逃げるようにして扉を開けた先には、風呂上りと思われるアリサが立っていた。

 

「あら、アヤとガイウスもいたのね」

「うん、ちょっとお邪魔してた。どうしたの?」

「お風呂が空いたから、妹さんにも入ってもらおうと思って・・・・・・あなたもまだみたいね」

 

そういえば、随分と話し込んでしまっていた。

普段ならいの一番に汗を流す分、まだ私が入っていなかったとは思っていなかったのだろう。

 

「だってさ、エリゼちゃん。疲れてるみたいだし、先に入ったら?」

「・・・・・・いいえ。差し支えなければ、お背中を流させてはいただけませんか、アヤ姉様」

 

またもや皆の表情が凍った。

頬をピクピクと引きつかせるアリサ。気まずそうに明後日の方向を見やるガイウス。

そして、先程同様に目をキラキラと輝かせるエリゼちゃん。

 

「えっと。エリゼちゃん?ここのお風呂場は1人用で」

「お背中を流すぐらいはできますでしょう?」

「そ、それは・・・・・・ていうか、その呼び方は何?」

「ついでといっては何ですが、お話の続きをお聞かせ願いたいです、姉様?」

 

ダメだ、聞いちゃいない。

その呼び方では大変な誤解を生みかねないことを、彼女は気付いているのだろうか。

 

「ああもう。分かった、分かったから」

 

4つも年下の女の子に翻弄されながら、7月18日の夜はゆっくりと過ぎていった。

 

____________________________________

 

時は戻って、7月20日現在。

 

「アヤ、考え事か?眉間に皺が寄っているが」

「何でもない・・・・・・ねぇガイウス、私って鈍いのかな」

「む・・・・・・どうしたんだ、急に」

 

今にして思えば、気付かなかった私は相当な鈍感なのかもしれない。

きっとエリゼちゃんは、リィンのことが大好きなのだ。兄として以上に、1人の男性として。

私とガイウスの関係も、憧れのような目で見ていたのだろう。

 

同じように、女性陣から朴念仁呼ばわりされるリィン。

同性異性を問わず、誰とでも分け隔てなく接することができる男性。

自分に好意を抱く女性などいるはずもない、そんな発想すらないのだろう。

彼の一番になれる女性は、きっと幸せだ。その分、気苦労は大変に多そうだが。

 

「鈍いとは思わないが。ただ・・・・・・アヤは、リィンと似ているな」

「リィン?私が?」

 

思わず歩を止めて聞き返した。ちょうどその男性のことを考えていたところだ。

そんなことを言われたのは、これが初めてだった。

どういう意味だろう。朴念仁とでも言いたいのだろうか。

 

「一度だけ言ったことがあると思うが、アヤを人以外で例えるなら、俺は太陽だと思う」

「言ったっけ、そんなこと・・・・・・あっ」

 

太陽のように笑う君を、だったか。思い出すだけで赤面ものだ。

悪い気はしないが、身に余り過ぎる例えだと思う。太陽に失礼だ。

 

「太陽は全てを照らす。皆がその光の下に集う。決して独り占めにはできないものだな」

「うん」

「要するに、そういうことだ」

「・・・・・・ごめん。全っ然分かんない。それ褒め言葉なの?」

「半分はそうだ」

「ますます分からないんだけど・・・・・・」

 

何度でも言うが、太陽に失礼だろう。それに、やっぱり理解できない。

リィンに似ている、か。それも私としてはしっくりこない。

悪い意味ではないのだろうが―――どうしてだろう。

私の前を歩くガイウスの背中が、少しだけ寂しそうに見えた。

 

__________________________________

 

答えが出ないまま、私は購買部のジェイムズさんの下を訪ねていた。

そこで私が聞かされたのは、予想だにしない言葉だった。

 

「ま、間に合わなかった?」

「悪いな。頼まれてからすぐ手配は掛けたんだが・・・・・・まだ入荷してないんだ」

 

聞けば、私が先日注文しておいた刀身が、入荷待ちになっているとのことだった。

私とリィンの剣は、帝都在住の職人さんが担当していると聞いていたのだが。

大した距離でもないのに、届かないものなのだろうか。

 

「なら私が直接取りに行きますよ」

「それがなぁ。物自体が仕上がるのが、早くとも明後日ってらしいんだよ」

「そ、そんな・・・・・・」

 

これは困ったことになった。明日には実技テストがあるというのに

 

「そもそも注文が急過ぎるんだよ。お前達の剣は特注品なんだ。1週間前には申請しておくように言われてなかったか?」

「うっ」

「アヤ・・・・・・」

 

それを言われると返す言葉が無い。

早めにとは思っていたのだが、何かにつけて後回しにしてしまった結果がこれだ。

 

「うーん・・・・・・心許ないけど、今の剣を使うしかないか」

「それは危険じゃないか?痛んでいる刀身が折れたりでもしたら、大怪我に繋がるかもしれないぞ」

「そうだけど、刀以外の剣を使うのも気が引けるよ」

 

同じ剣と言っても、他の生徒が扱う訓練用の剣と長巻ではまるで別物だ。

感覚が狂うし、それこそ私にとっては危険極まりない。

さて、どうしたものか。このままでは皆にまで迷惑を掛けてしまうことになる。

 

「やぁ、どうやらお困りのようだね」

「・・・・・・アンゼリカ先輩」

 

困り果てていた私に声を掛けてきたのは、いつものようにライダースーツに身を包んだアンゼリカ先輩だった。

こうして会話を交わすのは、先々週以来のことだったか。

 

「話は聞いていたよ。君の場合、剣が無いと実技テストどころではないだろう」

「そうなんです。何か心当たりはありませんか?」

「ふむ」

 

顎に手を当てて考え込むアンゼリカ先輩。

あれ、何かあるのだろうか。駄目元で聞いただけだったのだが。

 

「なら私の部屋に来るといい」

「嫌です」

「はっはっは!何、取って食うつもりはないさ。君に渡したい物がある」

 

アンゼリカ先輩はウィンクを1つした後、見慣れない真剣な眼差しで私を見ていた。

 

__________________________________

 

クラブ活動へ向かったガイウスと一旦別れ、私はアンゼリカ先輩に従い第1学生寮へと向かっていた。

ハッキリ言って半信半疑だったが、今は他に頼るツテが無い。

渡したい物、とは何だろうか。彼女が刀剣の類を所持しているとは到底思えないのだが。

 

「君と話すのも久しぶりだね。どうだい、鍛錬の方は」

「『月光翼』なら調子いいですよ。おかげ様で」

「げっこうよく?」

「・・・・・・ああ。名前を付けたんです。その、ラウラを真似て」

 

ラウラが扱うアルゼイド流の術技、『洸翼陣』。

それをもじり、私が使う気の力をそう名付けただけだ。

シャンファ流の型は、月の名が付くものが多い。

名前と言うのはやはり大事だと思う。昔は忌み嫌っていたはずの力にも、愛着が湧く思いだった。

 

「そうかい。私も指導をした甲斐があるというものだね」

「まだ慣れない部分もあるし、またお世話になってもいいですか?」

「う、嬉しいことを言ってくれるじゃないか・・・・・・・はぁ。このまま果ててしまいそうだよ」

 

アンゼリカ先輩が身体をビクンビクンと痙攣させながら身悶える。

うん、全力で他人の振りをして先に行こう。

 

「それにしても・・・・・・いい顔をしているね。何かいいことでもあったのかい?」

「まぁ、それなりに」

「探し物が見つかった、といったところかな」

「え―――」

 

足を止め、振り返る。

それと同時に、アンゼリカ先輩の手が私の頭の上に置かれた。

 

「綺麗な目だ。迷いも無い・・・・・・君には、その真っ直ぐな瞳がよく似合うよ」

「・・・・・・どうも」

 

同じ頭を撫でるという行為なのに、サラ教官やお義母さんとも違う、この感覚。

そういえば、別れ際にリィンがエリゼちゃんへ同じことをしていたか。

・・・・・・ああもう、調子が狂う。どうしてみんな、こう不意を突いてくるのだろう。

それに、私と先輩は同い年と聞いていた。子供扱いは心外だ。

 

「・・・・・・早く渡したい物とやらを持って来て下さいよ」

「分かっているよ。少し待っていてくれるかい」

 

溜息を付きながら、アンゼリカ先輩の背中を押す。

既に第1学生寮へと足を踏み入れていた私は、近くのソファーへと腰を下ろした。

 

こうして他の学生寮へ入ったのは初めてのことだった。

予想はしていたが、入り口からして貴族専用の学生寮ならではの優雅さに溢れている。

始めは部屋までついて行こうかと思ったが、平民の私が入り込むのは気が引けた。

先輩も私のそんな思いを汲み取ってくれたのだろう。

 

しばらく待ち呆けていると、紫色の包みを手にしたアンゼリカ先輩が階段から降りてくる姿が目に入った。

ぽんぽんと埃を払いながら、先輩はそれを私に差し出してくる。

 

「何ですか、これ?」

「開けてみれば分かるよ」

「はぁ」

 

持った感触は金属製の何かだろう。そこまで大きさは無い。

紐を解き、包みを丁寧に開ける。そこ入っていたのは―――

 

「・・・・・・手甲?それにこれは・・・・・・鉢がね、ですか?」

「ああ。私の師匠から貰った代物でね。現役時代に使用していた物さ」

「現役・・・・・・ああ、昨年のことですか」

 

クロウ先輩が話してくれた、私達《Ⅶ組》の前身となった試験運用班。

そのメンバーであったアンゼリカ先輩が、その際に使用していたのがこれなのだろう。

 

「君は体術にも秀でているだろう。武具さえあれば、剣や導力銃相手でも十分に戦えると思ってね」

「・・・・・・流石に銃が相手じゃ自信が無いですよ」

「玉鋼から鍛えられた一品だ。角度や捌き方さえ覚えれば、並の銃弾程度問題にはならないさ」

 

随分と簡単に言ってくれる。ただ、どちらも一級品なのは間違いなさそうだ。

手首から肘に掛けての半面を覆う、煌びやかに輝く手甲。

多少重みを感じるものの、これなら形状的にも剣や体術の邪魔にはならない。

東方風の装飾のおかげか、不思議としっくりくる心地だ。

鉢がねを巻くのは多少気が引けるが、案外似合うかもしれない。

 

「前々から考えていたことだよ。私にも、思うところがあってね。君に使って欲しいんだ」

「アンゼリカ先輩・・・・・・ありがとうございます」

 

この際だ。アンゼリカ先輩の言葉に従うとしよう。

剣を手放す気は無いが、無手の戦い方を学ぶいい機会になる。

明日の実技テストを思いながら、私は第1学生寮を後にした。

 

___________________________________

 

翌日の午後、実技テスト本番。

サラ教官が示したテスト内容は、2人1組のペア同士での立ち合いだった。

《Ⅶ》は全員で10人だから、5組に分かれての総当たり戦だ。

流石に5連戦は体力がもたないメンバーもいたため、終盤は余力を残した同士の立ち合いとなった。

 

そんな中で―――私とリィンのペアは、今のところ全勝をキープしていた。

 

「徒手、一の舞『飛燕』」

「なっ―――」

 

居合抜きの型から放たれた私の手刀が、ユーシスの間合いの外から彼に襲い掛かる。

衝撃で後方に飛ばされたユーシスの身体は、ガイウスを巻き込みながら地面へと崩れ落ちた。

間髪入れず、一瞬で間合いを詰めたリィンの太刀が2人へと突き付けられる。

 

「そこまで!勝者、リィン、アヤ!」

「よしっ」

 

リィンと軽くハイタッチ。

私達の全勝無敗が確定した瞬間だった。

 

「ぐっ・・・・・・何なのだ、今のは」

「残念でした。シャンファ流は無手でも舞えるんだから」

「参ったな。完敗だ、アヤ」

 

ユーシスとガイウスの手を取りながら、2人を起こす。

2人のペアも、私達と立ち合うまでは負け知らずだった。

前衛職のガイウスと状況に応じて器用に立ち回るユーシスは、私の目から見ても息が合っていた。

ただ、私とリィンがそれ以上だっただけだ。

・・・・・・ちょっとだけ、複雑な気分ではある。

 

「うんうん。聞いていた通り、君達のリンクレベルは群を抜いて良くなっているわね」

「はは・・・・・・アヤが上手く動いてくれるから助かります」

 

満足気に頷くサラ教官と、謙遜気味のリィン。

詳細は知らされていないが、私達の戦術リンクはリンクレベルという数値で評価されている。

毎月ジョルジュ先輩が全員分のARCUSを調べ、成果の程を知らせてくれていた。

それによれば、先月まではリィンとラウラ、私とガイウスが肩を並べていたはずだったのだが―――どういうわけか、ここに来て私とリィンのレベルが突出して急上昇しているそうだ。

おかげでリィンの挙動が見えるように分かるし、無手の不利をまるで感じない。

 

「ジョルジュから聞いているでしょうけど、おそらくARCUSの適性値が理由ね。それが高い者同士が集った《Ⅶ組》だけど、君達2人はとりわけ高い値を示していたのよ」

 

それが今になって影響し始めているという話なのだろう。

適性値というもの自体、何が基準となっているのかさっぱり分からない。

複雑ではあるが、皆ともこれから高め合っていけばいい話だ。

 

「だってさ、リィン。アリサやラウラともこれからだよ」

「ああ、そうだな・・・・・・って、何で2人を名指しするんだ?」

「朴念仁」

「またそれか・・・・・・」

 

高評価の私達とは正反対に、背後ではラウラとフィーが揃って肩を落としていた。

無理もない。個々では高い戦闘力を持ちながらも、2人のペアは全敗という有様だった。

戦術リンクを使わない方が、余程マシな立ち合いになっていただろうに。

 

それにしても―――この感覚は何なのだろう。

リィンと戦術リンクで繋がっている時、どういうわけか胸が疼くような感覚に苛まれる。

文字通り、感覚を共有しているのだろうか。

 

「・・・・・・ねぇリィン、胸の傷のこと、ちょっと聞いてもいい?」

「ん?ああ、どうかしたのか?」

「その傷って、今でも疼いたりするのかな」

 

言った途端、リィンの表情が歪んだ。

複数の感情が混ざり合ったような、初めて見る彼の顔だった。

 

「いや、何も感じないさ。どうしてそんなことを聞くんだ?」

「き、聞いてみただけだから。気にしないで」

 

地雷を踏んでしまったような気分だ。

軍事水練の時には、胸の傷について心当たりは無いと言っていたのだが。

この感覚については何か原因があるのかもしれないが、彼には触れないでおこう。

 

「さてと、実技テストは以上!それじゃあ、今週末に行ってもらう実習地を発表するわよ」

「あ、それがあったか」

「むむっ、今月は・・・・・・」

 

いつものようにリィンが書類を全メンバーに配り、各自目を通し始める。

それによると、今回の実習地はA班B班、共に帝都ヘイムダルが実習地となっていた。

 

「あら、どちらの班も帝都が実習先なんですね」

「班の構成はともかく、帝都が実習先とは・・・・・・」

「僕とマキアスにとっては、ホームグラウンドではあるよね」

 

思い思いの感想を述べるメンバーを尻目に、私は心を躍らせていた。

それもそのはず、この班分けは嬉しい限りだ。

 

「あ、そうそう。班分けについてなんだけど、1つだけ変更点があるわ」

「ガイウス、私達同じB班だよ」

「ああ。またいい風が吹いたようだな」

「アヤ、あなたはA班に入りなさい」

 

ガイウスに向けていた笑顔が凍りついた。

よく聞こえなかったが。今教官は何と言ったか。

 

「・・・・・・サラ教官、今何て言いました?」

「だから、アヤはA班に入りなさい。あなたはもう少しリィンと一緒に行動してもらいたいのよ。戦術リンクの効果を検証するためにもね」

「嫌です」

「人数は不均等になるけ・・・・・・アヤ?」

「嫌です」

「あのねぇ、だから戦術リンクが」

「嫌です」

「班構成はあたしが」

「嫌です」

「・・・・・・」

「嫌ですっ!!」

 

入学以来、初めての反抗だった。



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緋の帝都

7月24日の早朝。

第4回目となる特別実習初日を迎えた私達《Ⅶ組》は、帝都行きの列車内でマキアスやエリオットの話に耳を傾けていた。

 

「ヘイムダルは16区の街区に分かれてるんだ。それぞれが地方都市並みの規模を持っているんだけど、帝都全体の人口は80万人を超えているって話だね」

「80万・・・・・・想像も付かんな」

「近隣諸国で言うと、南にあるリベールの都が30万人。巨大貿易都市のクロスベルでも、確か50万人程度ですよね、アヤさん・・・・・・アヤさん?」

 

エマの振りに、目線と頷きで力無く答える。

今は声を出すことすら億劫だった。

 

「やれやれ。先が思いやられるな」

 

と腕を組みながらぼやくのはマキアス。

特別実習の初日に、目の下に立派なクマを作り気怠そうな態度を取られては、呆れるのも当然だ。

 

「・・・・・・はぁ。ごめん、実習には影響が出ないようにするから」

 

特別実習を明日に控えた昨晩、私は珍しく眠れない夜を悶々と過ごしていた。

何度も寝返りを打ちながら私が取った行動は、『本を読む』というありきたり時間潰しだった。

序章を読み終えたところで止まっていたカーネリアの栞を取った時から、私の体内時計は大きく狂い始めた。

 

気付いた時には、既に周囲が薄明るくなり始めていた。

気合で睡魔を引きずり落としたものの、まるで眠れた気がしない。

要するに、寝不足で絶不調なのだ。頭がボーっとする。

「やっぱりアヤもB班でいいわよ」なんてサラ教官が言ってくれたら、飛び起きそうなものなのだが。

 

実技テストの後、頑なな態度を取り続けた私は皆からも説得される形となり、A班への参加が決まった。

珍しくサラ教官の班分けに異を唱えたことで、思いっきり不審な目で見られる羽目になった。

ちなみにサラ教官は、珍しく反抗的だった私を見て、結構本気で気落ちしていた。

それを見て、私も割と落ち込んだ。流石に我がままを言い過ぎたかもしれない。

 

「私も同じような経験はあるけど、流石にタイミングが悪すぎよ」

「仕方ないさ。アヤ、帝都に着くまで少し眠っておいた方がいいんじゃないか?」

「ん・・・・・・ごめん、そうする」

 

目蓋を閉じる間際、反対側のボックス席に、心配そうな表情を浮かべるガイウスの姿があった。

大丈夫、ちょっと眠いだけだから。

そう胸の中で呟きながら手でそっと合図をすると、彼もそれに応えてくれた。

もしかしなくとも、眠れなかった原因はやはり班分けにあるのだろう。

3日間か。短いようで、長い実習になりそうだ。

そんな私とガイウスのやり取りを、やはりニヤケ笑いをしたユーシスが見詰めていた。

ユーシス―――後で見ていろ。そう心に決め、僅かな仮眠を取るために私はゆっくりと目を閉じた。

 

_____________________________________

 

鉄道憲兵隊。

帝国各地に張り巡らされた鉄道網を駆使して治安維持を行う、正規軍の精鋭部隊。

ユーシス曰く『鉄路さえあれば我が物顔で介入してくる連中』だそうだ。

聞こえは悪いが、実際にルナリア自然公園でクレア大尉が言い放った台詞も、似たようなものかもしれない。

ここヘイムダル中央駅は鉄道網のターミナル駅であり、彼らの活動拠点でもある。

 

「こちらになります、知事閣下」

「ああ。すまないね」

 

列車を後にした私達を出迎えてくれたは、実に2ヶ月振りの再会となるクレア大尉。

そして帝都ヘイムダルの知事閣下にして帝都庁長官、カール・レーグニッツ知事閣下。

何を隠そう、マキアスの実のお父さんだった。

 

(似てるなぁ、やっぱり)

 

こうして相対したのは勿論初めてだったが、顔を見れば血縁関係は想像するに容易かった。

クラスメイトの肉親と会うのはこれで何度目になるだろう。

リィンにアリサ、マキアス。バリアハートでのA班の実習を入れれば、4人目か。

 

「それでは早速、A班とB班の本日の依頼と宿泊場所を―――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!どうして父さんが・・・・・・さすがに急すぎるだろう!?」

 

ごもっとも。皆のそんな声が聞こえた気がした。

帝都知事閣下と言えば、文字通り帝都の行政のトップに立つ人間だ。

普段なら顔を拝むことすらままならない彼が、どうして私達なんかの実習に関わりを持つことになったのか。

そんな私達の疑問を、レーグニッツ知事は実に分かりやすい端的な言葉で示してくれた。

 

「実は私も、トールズ士官学院の常任理事の1人なのだよ」

「ええっ!?」

「ユーシスさんのお兄さん、アリサさんのお母さんに続いて・・・・・・」

「・・・・・・流石に偶然というには、苦し過ぎる気がするな」

 

ラウラが言うように、偶然にしては出来過ぎている。

アリサのお母さん、イリーナさん。マキアスのお父さん、レーグニッツ知事。

それと先々月リィン達がお世話になったという、ユーシスのお兄さんの―――何という名前だったか。

頭が働かないせいか、すぐに名前が浮かんでこない。

確か―――あ、まずい。これは非常にヤバい。

 

「やはり《Ⅶ組》設立に、何かの思惑があるという事ですか?」

「いや、それについては―――」

「ふわぁぁっ」

 

周囲に漂い始めた暗い影の中央で、私の間抜けな声が広がった。

・・・・・・はい、欠伸です。後でいくらでも謝るから、みんなそんな目で見ないで。

 

「ご、ごめ―――っくしゅん!」

 

追い打ちを掛けるようにして、唐突にくしゃみが出た。

いや、欠伸は自業自得かもしれないけど、今のは唯の生理現象だ。

お願いだから、年長者に対して幼子を見るような目を向けないでほしい。

軽蔑してくれた方がまだマシだ。穴があったら入りたい。

 

「はっはっは。難しい話は後にして、実習の内容に移ろうか」

 

愉快な笑い声を1つ上げた後、レーグニッツ知事は実習の範囲や宿泊場所に関する説明に入った。

ちょうどその頃、クレア大尉が私達に対し温かいコーヒーを振る舞ってくれた。

なるほど。私の欠伸とくしゃみを見て、気遣ってくれたのだろう。

大変にありがたい限りだが―――ごめんなさい、クレア大尉。

私、コーヒーが飲めないんです。

 

___________________________________

 

ヘイムダル中央駅を後にした私達は、玄関口である駅前広場の景観を眺めていた。

こうして帝都を訪れるのは、《Ⅶ組》の中ではエマとガイウスが初の体験だ。

言葉が見つからない、というのが本音だろう。

他の近郊都市とは何から何までスケールが違い過ぎるのだ。

 

「先々月のセントアーク以上だな。すごい数の導力車だ」

「気を付けないと、本当に危ないからね」

 

以前にも経験したことがあるが、危うく導力車と接触しかけたことは一度や二度ではない。

何しろ向こうは猛スピードで駆け抜ける鉄の塊なのだ。その危険性は馬車とは比較にならない。

 

「アヤの言う通りだね。去年施行された帝国交通法で交通網はかなり整備されたけど、それでも毎月のように事故が発生しているんだ」

「移動にはくれぐれも気を配ってくれ。それじゃあ、行くとするか」

 

マキアスの声を合図に、私達は各班ごとに行動を開始した。

皆に続いて名残惜しそうに踵を返そうとすると、浅黒い手が私の腕を掴んだ。

 

「アヤ、今夜連絡する」

「え?」

「待っていてくれ」

 

その言葉を最後に、ガイウスは足早にアリサ達と合流した。

今夜連絡する?どうやって?

 

(ああ、そっか)

 

ついつい忘れがちになる、私達が所持するARCUSの通信機能。

レーグニッツ知事によれば、帝都内なら問題なく導力波による通信機能が使えるそうだ。

ふわりと体が軽くなるような感覚に陥る。うん、我ながら単純だ。

 

「アヤ、急いでくれ。ちょうど導力トラムの発車時刻だ」

「ん、今行くよ」

 

一時的に離れるとはいえ、声が聞けるだけでよしとしよう。

これ以上教官や皆に迷惑を掛けるわけにはいかない。

 

____________________________________

 

導力トラムの運賃は行先によって細かく変動する。

普段から使い慣れている者はともかく、初心者は勝手が分からず降車の際に手間取ってしまうことがある。

エリオットによれば、導力トラムあるある、だそうだ。

 

「要するに、導力バスと同じシステムだよね?」

「いや、運賃の仕組みが少々複雑でね。区間によっては運賃が上がったり下がったりすることがある」

「・・・・・・何で?普通上がるものじゃないの?」

「新しい路線が今も開発中でさ、逆に封鎖された路線があったりで・・・・・・その名残らしいよ」

 

要するに、導力トラムの路線は更なる利便性を求めて改廃が進んでいるのだろう。

そのうち運賃も改定されるとのことだったが、都民からすれば早くしてくれというのが本音じゃないだろうか。

夏至祭を控えたこんな時期でも、それは間に合っていないようだ。

 

「ちょうど今の時期が、各方面忙しさのピークみたいだな」

 

リィンが言うように、猫の手でも借りたいといった状況なのだろう。

レーグニッツ知事にとっては、それが猫ではなく私達だったというわけだ。

ともあれ、こんな密集した都市にまだ開発の余地が残されているとは。

単純に面積だけで言うなら、ヘイムダル全域を含めたとしても、ノルド高原の南部にすら及ばない。

そこに80万人もの人々が生活しているというのだから、驚愕の思いだ。

 

「アヤ。体調の方はよいのか?」

「え?」

 

私の顔色を窺いながら聞いてきたのは、ラウラだった。

 

「うん、大分良くなってきたよ。日中は問題無く動けると思う」

「そうか。そなたの新たな力にも期待するとしよう」

「あはは。応えられるよう頑張るね」

 

両腕の手甲をコンコンと鳴らしながら、ラウラに答える。

 

実技テストで試用した手甲と鉢がねは、今回の実習でも健在だ。

アンゼリカ先輩の「どうせなら実習にも役立ててくれたまえ」という言葉に従い、出発の時からフル装備である。

額に鉢がね、両腕の手甲に、腰に携えた長巻。

傍から見れば、完全に東方の剣士のように見えることだろう。

それでいて服装は士官学院の夏服である。このギャップが何とも気恥ずかしい。

戦闘においては防御力が向上しただけのように思えるが、使い方によっては戦術の幅が広がるはずだ。

今回の実習はそれの試験運用と考えれば、腕が鳴る思いだ。

 

「アヤが帝都に来たのは、いつの話?」

 

と声を掛けてきたのは、フィー。

 

「いつだったかな・・・・・・街中を歩いたのは、4年以上前かな。ノルドに行く前の話だよ。フィーは?」

「私もよく覚えてない。でも、団にいた頃は何度もあるよ」

 

団という言葉が出たところで、少しだけ雰囲気が変わった。

まぁ、私にとっても明るい話題では無い。あまり思い出したくはない記憶だ。

リィン達は多少気まずそうに、ラウラは一目で分かる程に顔をしかめていた。

 

「き、君達は色んな都市を回ったことがあるんだな」

「ま、まぁね・・・・・・そうだ。言ってなかったけど、私レグラムにも行ったことがあるんだよ」

「ほう。そうだったのか?」

「ずっと前に、お母さんと観光して一泊したことがあるんだ。いいところだよね」

 

別に隠していたわけではないが、こうしてあの時のことを話したのは今回が初めてだ。

勿論黙っていた理由はあるのだが、それは今話すべきことではないだろう。

 

それにしても・・・・・・こんな調子で、本当に大丈夫だろうか。

リィンとエリオット、マキアス。そして、ラウラにフィー。

不安要素があるとすれば、彼女ら2人の確執以外に見当たらない。

それはA班だけ、2人だけの問題ではない。《Ⅶ組》としての、全員の問題でもある。

 

《Ⅶ組》の問題。私達に足りないもの。おぼろげながらも、私には見え始めている。

必要な時が来れば、私は喜んでその役を引き受けよう。そう心に誓った。

 

___________________________________

 

アルト通りに到着した私達は、エリオットの実家へと足を運んでいた。

まずは宿泊地で荷を下ろしたいところだったが、停留所から程近い場所にあるらしい。

宿泊場所を正確に把握するためにも、実家で地図なんかを確認しておこうという流れになった。

エリオットによれば、お姉さんが帰っているかもしれないとのことだ。

 

「いいところじゃん。色んなお店が軒を連ねてるし、暮らし易そうだね」

「この辺は落ち着いた街並みだからね・・・・・・夜ぐらい、導力トラムの走行音を何とかしてほしいってのが本音だけど」

「む、無茶を言わないでくれ。鉄道と一緒で、夜間の本数を増やしてほしいという都民の声だって少なくはないんだ」

「そうだけど、僕みたいな声が多いのも事実でしょ?」

 

80万人を代表する、都民ならではの意見のぶつかり合い。

第3学生寮沿いを走る列車の走行音の方が、余程うるさいだろうに。

いずれにせよ、2人のやり取りを聞いただけでレーグニッツ知事の苦労の程が窺える。

私は喫茶店から漂うピザの匂いの方が気になって仕方ない。

 

「アヤ。食事はまだだからな」

「わ、分かってるよリィン・・・・・・あっ」

 

視線の先には、『クレイグ』と記されたネームプレートがあった。

ということは、あの建物がエリオットの実家か。

 

「お待たせ、みんな。ここが僕の実家だよ」

「ふむ。ここがそなたの・・・・・・」

「結構立派な建物」

 

周辺の建物の中でも、大分目立っているように思える。

庭先に植えられた色取り取りの植物が、玄関口を囲んでいた。

プランターの数だけでも相当数ある。これは世話をするだけでも一苦労だろう。

 

「はぁ。久しぶりだから、ちょっと緊張しちゃうなぁ」

「久しぶりって言っても、4ヶ月も経ってないよね?」

「・・・・・・アヤ。先月君は、泣きながらご両親に―――」

「わーわーわー」

 

リィンの声を掻き消しながら、エリオットの背中を押す。

半ば強引に建物の中に足を踏み入れると、のんびりとした女性の声が2階から聞こえてきた。

 

「はいはい、ただいま・・・・・・」

 

階段を下りてきたのは、エリオットと同じ髪色の女性。

目元や顔付、佇まいさえもが彼とそっくりな美人だった。

間違いない。彼女がきっと、エリオットのお姉さんだ。

 

「エリ、オット・・・・・・・・?」

「え、えっと・・・・・・ただいま、姉さん」

「エリオット!」

 

そこから先は、私が1ヶ月前に経験したものと同じだった。

言葉や仕草までもが、なぞるようにして。

こうして他人の視点から見て、改めて気恥ずかしさを覚える。

皆の目からも、私とお義母さんはこんな風に映っていたのだろうか。

 

(うわぁー・・・・・・)

 

「どうしたのだ、アヤ?」

「な、何でもないっ」

 

今日2度目となる、穴があったら入りたい。

感慨深い表情のA班の中で、私だけが顔を背けていた。

 

____________________________________

 

エリオットのお姉さんはフィオナと名乗った。

普段は音楽教室でピアノを教えている講師であり、今日は偶然にもお休みだそうだ。

エリオットも吹奏楽部でバイオリンを弾いているし、何かと共通点が多い姉弟に思えた。

その一方で、お父さんの職業を明かされた私達は、心底仰天した。

 

「『紅毛のクレイグ』!?」

 

帝国正規軍の中でも最強の打撃力を誇るという、第四機甲師団。

それを束ねるのが、オーラフ・クレイグ中将。人呼んで『紅毛のクレイグ』。

察するに、ゼクス中将のように偉大な軍人なのだろう。

そんな軍人さんがエリオットのお父さんだなんて。受け入れがたい事実だった。

 

「まぁ、僕と父さんじゃ結びつかないよね・・・・・・あまり、知られたくはなかったんだけど」

 

そう言ってエリオットは視線を落としてしまった。

何か事情があるのだろうか。もしかしたら、アリサと同じ類のものかもしれない。

 

「そうだ、姉さん。この辺に新しく宿泊施設が建ったりはしてないかな?」

「え?」

「手配してもらった宿泊場所を探しているんだけど」

「・・・・・・ええ!?ウチに泊まっていかないの!?」

 

悲鳴のような声を上げて、フィオナさんはエリオットを再び抱きしめた。

いや、そんな「弟だけでも」みたいな目で私達を見られても困る。

 

「そ、そういうわけにもいかないよ。今回は実習で来てるんだし」

「そっか・・・・・・きっとエリオットも、お姉ちゃん離れの年頃なのね。寂しいけど、私も我慢しないとね」

 

そう言いながら、エリオットを抱くフィオナさんの腕により一層の力が込められた。

台詞と行動がまるで一致していない。むしろ弟離れを問題にするべきではなかろうか。

マキアスが羨ましそうな視線を送っている件については・・・・・・触れないでおいてあげよう。

 

「はは、仲がいい姉弟なんだな」

「ふむ。姉弟とはこういうものなのだろうか」

「そうね。姉がこうして弟を抱きしめるのに、理由なんて必要ないもの」

 

絶対に何かが違う。そう思っていると、フィーとラウラの視線が私に向いた。

続くようにして、リィンとマキアスも私の様子を窺い始めた。

 

「な、何?どうしたの?」

「この中で弟持ちの姉といえば、アヤ君しかいないだろう」

「エリオットの姉上はああ言っているが、そなたらもそうなのか?」

「馬鹿言わないでよ!!?」

「待て、何故剣を抜く!?」

「アヤが乱心」

「みんな、アヤを止めろ!!」

 

仲睦まじい姉弟を尻目に、私は冷静ではいられなくなった。

冗談と理解しつつも、我慢できなかった。

 

____________________________________

 

旧遊撃士協会、帝都ヘイムダル第1支部。

それが私達A班にあてがわれた宿泊場所だった。

内部は想像していた以上に広く、2階の宿場には真新しいベッドと純白のシーツが敷かれていた。

今回のために新しく用意してくれたのだろうか。

 

「へぇ・・・・・・やっぱり広いな」

 

2階から1階の活動スペースを見下ろす。

こうして立っているだけで気分が高揚してくる。私は今間違いなく、遊撃士の拠点にいるのだ。

まさかこんな形で帝都の支部を訪れることになるとは、思ってもいなかった。

 

「ラウラ、そっちはどう?」

「やはり真新しい備品の類しか見当たらない。遊撃士に関する物は、全て引き上げられているのかもしれぬな」

「そっか・・・・・・」

 

空き部屋を一通り回ってきたラウラが、肩の埃を払いながら言った。

やけに内部が広く感じるのは、物が異常に少ないせいもあるのだろう。

代わりにそこかしこに目に付くのが、『帝都庁』と記された張り紙だった。

 

話には聞いていたし、帝国内における遊撃士協会の現状については、それなりに理解しているつもりだ。

期待こそしていなかったが、まさかここまで徹底的に排除されているとは。

何か1つでも遊撃士協会の名残があれば、ここまで気落ちすることもなかったのに。

 

「どうだった?」

「なーんにも無い。無人の宿場って感じだよ」

 

部屋に戻ると、ベッドの上で装備を整えるフィーの姿があった。

 

「まぁ分かってはいたけどさ・・・・・・よいしょっと」

 

ベッドに寝そべりながら、天井を見詰める。

遊撃士がこの帝国で稀な存在となったのは、2年前。

 

グエンさんによれば、始まりはこの帝都支部が見舞われた火災事故。

それを発端として、帝国内の各協会支部は次々と縮小し、ついには現状に至る。私が知っているのはそれだけだ。

グエンさん貸してくれた色々な情報誌にも目を通したが、真相は分からず仕舞いだった。

エリオットが言うようにテロリストの仕業という噂もあったし、軍による策略だなんていうゴシップ記事もあった。

いずれにせよお母さんと志を共にする人間が消えていくのは、私には寂しい限りだった。

 

(考えても仕方ない、か)

 

今日の事も残念ではあるが、落ち込んでいても始まらない。

気持ちを切り替えて勢いよくベッドから跳ね起きると、相変わらずの2人が目に映った。

私が何かを話さなければ、この部屋は終始静寂に包まれたままだろう。

 

「・・・・・・ねぇ、2人とも」

「ん」

「どうしたのだ?」

 

今のうちに、言っておいた方がいい。

そうでなければ、誰も2人に釘を刺すような真似はしないだろう。

 

「フィーはバリアハートでの実習で、リィンと一緒だったよね」

「そだね。それがどうかしたの?」

「私とラウラは話でしか知らないけど・・・・・・結構酷い傷だったんでしょ」

 

酷い傷という言葉で、フィーも私が言わんとしていることに思い当たったようだ。ラウラもそれに続いた。

 

事の詳細は、実習の報告会で聞いていた。

マキアスとユーシスのいざこざが引き金となった、リィンが背中に負った傷痕。

エマが持ち合わせていた薬草のおかげで大事には至らなかったそうだが、もし一歩でも間違えていたら。

そして―――同じことが、もし繰り返されたら。

 

皆は少し優し過ぎるのだと思う。

《Ⅶ組》に足りない物があるとすれば、私は真っ先にそれを挙げる。

私だって、私情を挟んで皆に迷惑を掛けたことはあるはずだ。

言えた義理ではないが、だからと言って見て見ぬ振りはできない。それはきっと、優しさではない。

 

「あんなことはもう懲り懲り。誰かのせいで仲間が血を流すなんて・・・・・・私は嫌だから。もし、そうなったら―――」

 

―――私は、何を言うか分からないから。

私の言葉に、2人は真剣な面持ちで首を縦に振った。



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断絶の果てに

実習の初日にA班が課せられた依頼は、任意のものを含めて4つ。

丸1日の行動時間が与えられていた私達は、各街区を回りながら1つずつ依頼をこなしていった。

回りながらと言っても、自然と複数の街区を走り回る必要性に迫られただけなのだが。

ノルドで面識があったノートンさんの依頼も、苦労はあったが一通りの施設の位置関係を私達に教えてくれた。

 

「うーん、確かこの辺で見た記憶があるんだけどなぁ」

「・・・・・・ナージャ君、少しは整理をしておいたらどうなんだ。どれも店の商品なんだろ?」

「こういうのは感覚で仕分けるのが一番なの。おばあちゃんだってそうしてたんだからっ」

「なら早く見つけてくれないか」

「わ、分かってるってば。マキアス君も手を止めないでよ」

 

現時点で残された依頼は、2つ。

ホテル『デア・ヒンメル』の地下に生息するという手配魔獣の討伐と、音楽喫茶『エトワール』からの、とあるレコードの入手依頼だ。

前者については依頼人が不在であったため、今は後者の依頼品であるレコードを探すべく、私達はオスト地区にある中古屋『エムロッド』を訪れていた。

 

出迎えてくれたのは、ここの店主であるナージャ。

彼女はマキアスと旧知の仲であり、最近になってお祖母ちゃんから正式に店を継いだらしい。

私達と同年代でありながら、店主としてはそれなりに上手くやっているそうだ。

・・・・・・まぁ、一緒になって商品を探す羽目になったのは置いておこう。

買い取りは何でも大歓迎というスタンスな分、苦労も多いに違いない。

ここでお目当てのレコードが入手できれば、依頼は達成だ。

 

「ラウラ、フィー。そっちはどう?」

「それらしい物は見当たらない」

「こっちも」

「・・・・・・ねぇナージャ。本当にあるんだよね?」

「もっちろん。棚卸表にだって書いてあるし、絶対にあるよ!」

 

何だか心配になってきた。マキアスも不安を隠せないようだ。

ちなみにリィンとエリオットは、店先で同じくマキアスの知り合いである、カルゴとパティリーの相手をしている最中だ。

引き止めていると言った方がいいかもしれない。

さっきから「あぁん!?」という威嚇が定期的に聞こえていた。

 

「何か意外だな。マキアスの友達って、もっと真面目でお堅いイメージだったんだけど」

「この街区には色々な人間がいるからな・・・・・・君はそんな目で僕を見ていたのか?」

 

私の勝手なイメージに過ぎないが、この街区の様相も私にとっては意外だった。

平民出身とはいえ、マキアスは帝都在住の知事閣下の息子だ。

もう少し発展した住宅街に住んでいると思っていたのだが。

気付かないうちに、私は彼を色眼鏡で見ていたのかもしれない。

 

「・・・・・・あっ!」

「おっと。アヤ君、見つけたのか?」

「見てよこれ、『空を見上げて』のレコードだよ!」

「おい」

 

私が手にしたのは、お母さんと私のお気に入り曲『空を見上げて』のレコードだった。

以前導力ラジオから流れるこの曲を久しぶりに耳にしてから、もう一度聴きたいとずっと思っていた。

レコードを再生するプレーヤーなら、キルシェにもある。

まさかこんなところで出会えるなんて。今日の私は運がいい。

 

「8000ミラ」

「え?」

「8000ミラ」

「・・・・・・5000ミラ?」

「8000ミラ」

「・・・・・・5500!!」

「8000」

「2人とも、先にレコードを探してくれないか」

 

ナージャが不敵な笑みを浮かべながら、断固とした意志を突き付けてくる。

どうしよう。払えなくもないのだが・・・・・・即断はできない金額だ。

私とガイウスは特別推薦という枠組みの恩恵もあり、金銭面では相当な優遇を受けている。

それこそ学力で奨学金制度を勝ち取った、エマに申し訳ない程度に。

無駄遣いとは違うと思うし、後々切り詰めれば何とかなるとは思うが。

ただここで浪費すると、しばらくは間食を我慢する羽目になる。うん、死活問題だ。

 

「・・・・・・って言いたいところだけど、マキアス君のお友達だしね。特別に5000ミラでいいわよ」

「え・・・・・・ほ、本当にいいの?」

「元々外装が痛んでいる品物だし、その分の割引ってことで」

 

それは取って付けた理由だろう。

少々心苦しいが、それが彼女の好意であるなら、素直に受け取っていいのかもしれない。

 

「ありがとうナージャ。これ、後で会計宜しくね」

「お買い上げありがとうございまーす!」

「すまないな。僕からも礼を言わせてくれ」

「いいよいいよ。その代わり、マキアス君もたまにはこっちに帰ってきなよ。こことトリスタなら、そう離れてないでしょ?みんな寂しがってるんだから」

「あ、ああ。そうするよ」

 

その言葉はマキアスにとっては意外だったようで、少しだけ動揺の色を隠せないようだった。

何だかリィンとエリゼちゃんのやり取りを見ているようだ。

寂しい、か。その中には、やはりナージャも含まれているのだろうか。

 

「あはは。マキアス、顔が赤いよ」

「ば、馬鹿なことを言うんじゃない。それに僕は―――」

「ん?」

「・・・・・・いや、何でもない。早くレコードを見つけないと、アリサ君達との約束に間に合わないぞ」

 

何だろう。少し気にはなるが、マキアスの言うようにもう13時を回っている。

早いところお目当ての品物を見つけないと、昼食を一緒にというB班との約束を守れそうにない。

 

「あ。見っけ」

 

声の方に振り返ると、フィーの手には『琥珀の愛』という題名のレコードがあった。

 

______________________________________

 

「阿呆が。お前は中古品漁りをするために帝都に来たのか」

「依頼のついでのようですし、問題は無いのではないでしょうか」

「あなたに音楽を聴く趣味があったことの方が驚きよ」

「今度俺にも聴かせてくれ」

 

以上がレコードを抱えて登場した私に対する、B班メンバーの感想だった。

アリサはともかく、ユーシスには絶対に言われたくない。

先月の実習で、馬術部へのお土産を買っていたのは自分だろう。

・・・・・・いや、やっぱりアリサの方が失礼だ。私を何だと思っている。

 

エムロッドで見つけたレコードをヘミングさんに届けた後、私達はB班と合流し、百貨店内の喫茶コーナー『ミモザ』で昼食をとっていた。

朝は意識が朦朧としていた分、ロクに食べていなかった。

ここでしっかりと食べておかないと、午後にガス欠になる恐れがある。

 

「ガイウス、そっちは順調?」

「ああ。初めはこの広大さに戸惑ったが、位置関係も掴めてきたところだ」

 

そういえば、帝都在住のマキアスにエリオットは2人ともA班だったか。

その分B班はこちら以上に苦労があるのだろう。サラ教官はその辺りのことを考慮していたのだろうか。

 

「そうだ。アヤ、渡したい物がある」

「え、何?」

 

皆に見えないようにガイウスが差し出してきたのは、1冊の本。

随分とくたびれているように見える。その表紙には、『支える籠手』の紋章あった。

 

「遊撃士協会、規約集・・・・・・こ、これって」

「1冊だけ残されていた物だ。持ち出すのはどうかと思ったが、後で返しておけば問題ないだろう」

 

B班に用意されていた宿泊場所も、私達と同じ遊撃士協会ヘイムダル支部の建物と聞いていた。

そこに残されていたのが、この規約集だったそうだ。

 

「ありがとう。後で読んでみるよ」

「そうしてくれ。そっちは・・・・・・相変わらずのようだな」

 

別のテーブルに腰を下ろす、ラウラとフィーを見ながらガイウスが言った。

彼が言うように、2人の間には依然として深い溝がある。

・・・・・・何かキッカケがあればいいのだが。2人もいがみ合っているわけではないはずだ。

 

____________________________________

 

一旦協会支部の建物に戻り装備を整えた私達は、帝都の地下に広がるという地下道に足を踏み入れていた。

依頼人であるノーブルさんによれば、帝都には中世時代に使われていた地下道が存在しており、中には魔獣さえ生息しているのだという。

最近では大型の魔獣を目撃したという報告もあり、その討伐が今回の依頼というわけだ。

 

「中世時代の地下道とはいえ、導力灯はあるのだな。視界が確保できるのはありがたい」

「最低限の管理は行き届いているみたいだ。以前は遊撃士が魔獣の討伐を担っていたそうだけど・・・・・・マキアス、ここも帝都庁の管轄なのか?」

「そう聞いている。地上の整備局が・・・・・・と言いたいところだが、ほとんど手付かずと言っていい。中世時代の遺構だからな」

「魔獣の巣窟になってるけど。放置してていいの?」

 

フィーの問いに対し、マキアスは「僕に言わないでくれ」と力無く返すことしかできなかった。

導力トラムの件といい、何だかこの帝都には所々に穴があるように思える。

手が回らないのは分かるが、魔獣を放置してまで優先すべきことがあるのだろうか。

華やかな顔とは裏腹に、帝都も色々と抱えているものが多そうだ。

 

帝都の地下道、か。そういえば、カーネリアとトビーも、帝都の地下を逃げ回っていた。

確か地下水道と描写されていたが、実際に存在する物なのだろうか。

 

「・・・・・・リィン、考え事?眉間に皺が寄ってるけど」

「え?ああ、何でもないさ」

「ふーん」

 

顎に当てていた手を左右に振りながら答えるリィン。

ホテルでの一件―――蒼の歌姫、ヴィータ・クロチルダと遭遇した時から、リィンは考え込むような仕草が多いような気がする。

マキアスとエリオットはサインを貰い忘れたことを今も引きずっているようだが、彼はそうではないのだろう。

 

「気にしないでくれ。それより・・・・・・いるな。間違いなく」

「うん。結構近いと思う」

 

前方を先行するラウラとフィーも、先程から表情が一変していた。

2人もこの先に待ち構える、魔獣の大きな気配を感じ取ったのだろう。

大型魔獣と聞いていたが、確かにこれは脅威だ。近づくにつれ、それは強まっていく。

 

(遊撃士、か・・・・・・)

 

行政の怠慢と言えなくもないが、以前は遊撃士が担っていた仕事だ。

この辺りの魔獣も、協会支部が消えた頃から住み着いたのだろう。

 

私が遊撃士を目指すキッカケとなったのは、お母さんの存在と、故郷への想いだ。

遊撃士の1人として、ノルド高原を守る。今のところ、その意志に嘘偽りはない。

ただ―――この帝国という地で遊撃士になるということは、そう単純ではないように思えた。

何しろ都であるヘイムダルでさえこの有様なのだ。

レグラムを含め、辺境には活動中の支部が残されているはずだが、遊撃士の頭数自体が足りていないのが現実だ。

 

「はは・・・・・・アヤ、君も考え事か」

「まぁね」

 

守りたいものはある。一方で、守るべきものが国中に存在している。

その現実からも、目を背けるわけにはいかないのかもしれない。

・・・・・・もう迷いは無いと思っていたのに。私はどうしたいのだろう。

気が早いかもしれないが、私は考えが浅過ぎたのだろうか。

 

「―――みんな、アレがそうみたいだよ」

 

エリオットの言葉を合図にして、各自が足を止め得物を握る。

目の前に立ちはだかるのは、全長3アージュはゆうにある、巨大なドローメ系の魔獣。

こんなものが地下に生息していると知れば、地上で生活する人々は夜も眠れないだろう。

 

「・・・・・・私とフィーが仕掛ける。皆、それでよいか」

 

それと同時に、ラウラとフィーのARCUSが一瞬だけ輝き、お互いの感覚が共鳴し合う。

ここまではいい。問題は、その先だ。

 

「僕は構わないよ」

「ああ。後方支援は僕とエリオットに任せてくれ」

「・・・・・・よし、俺とアヤが前衛の2人に続く。アヤ、それでいいか?」

 

リィンが私に視線を送り―――続くようにして、ラウラとフィーが、背中から語りかけてくる。

2人の意志は固いようだ。このまま周囲から腫物扱いされるのは、プライドが許さないのだろう。

 

「分かった。ラウラ、フィー。頼んだからね」

「承知。行くぞ、フィー!」

「了解っ・・・・・・!」

 

弾かれたように飛び出したフィーが、魔獣―――ビッグドローメとの距離を縮め、孤を描くようにして背後に回り込む。

それに気を取られたビッグドローメの背を、ラウラの大剣が容赦なく斬り叩いた。

間髪入れず、すれ違い気味にこちらへ駆け抜けてきたフィーの双剣銃の追撃。

初撃は見事な阿吽の呼吸だった。文句の付けようがない連携だ。

 

「・・・・・・オオオォォォォッッ!!!」

 

突然、その巨大な軟体がブルブルと痙攣し始め、凍てつくような殺気を肌で感じた。

何かが来る―――そう思った時には、私達は見えない何かに吹き飛ばされていた。

アーツではない。衝撃と同時に、肌がビリビリと痺れるような感覚に襲われた。

 

「ぐっ・・・・・・これでも食らえ!!」

 

マキアスの導力銃が呻りを上げ、残弾数がゼロになるまで魔獣へと叩き込まれる。

その間に体勢を立て直した私達は、再び魔獣に得物を向けた。

 

「皆気を付けてくれ、こいつの攻撃は全方位型だ!」

「ん。なら攻撃の暇を与えなければいいだけ」

「ああ、その通りだ・・・・・・フィー、もう一度だ!」

 

攻撃の暇を与えない、か。随分と簡単に言ってくれる。

 

「アヤ、俺達も続くぞ!」

「分かってる。エリオット、派手にやっちゃって!」

「任せてよ。ARCUS駆動・・・・・・っ!」

 

得意の高速詠唱から放たれたエリオットの『フレイムタン』の炎が、地面から火柱となって吹き上げる。

その爆発を合図にして、ラウラとフィーがXの字を描くようにビッグドローメに斬りかかる。

その軌跡を追うように、私とリィンの薙ぎ払いが軟体を切り裂き、緑色の体液が周囲へと飛び散った。

 

いける。この調子で攻撃の手を止めなければ―――

 

「「っ!?」」

 

誰しもがそう思った時。

声にならない悲鳴が聞こえた。

 

(ラウラ、フィー!?)

 

見れば、追撃の構えを取っていた2人の膝が折れ、その表情には戸惑いの色が浮かんでいた。

先程まで重なっていたお互いの呼吸が、今では見る影もない。

間違いない。戦術リンクが、切断されている。

その反動で、2人の攻撃の手が完全に止まっていた。

 

「ラウラ、もう一度繋いで」

「ぐっ・・・・・・分かっている!」

 

その間に生じた決定的な隙に、ビッグドローメの巨体が蠢きながら緑色に発光し始めた。

これは―――風属性のアーツだ。しかもこの波動は、高レベルの広域型。

 

「させない・・・・・・っ!」

 

アーツの発動を待たずして、フィーの双剣銃の銃口がビッグドローメに向けられた。

私とリィン、ラウラもそれを妨害するために、魔獣へと得物を振りかぶった。

 

(あ―――)

 

不思議とそれは、私の目にゆっくりとした動きで映った。

フィーの銃口から向けられた、線状の殺気。魔獣と距離を詰めた、ラウラの身体。

それが重なった。刹那、トリガーに掛けられたフィーの両手指は、躊躇無く絞られた。

フィーがそれに気付いたのは、弾丸が放たれた直後のことだった。

 

「ラウラっ!!」

 

迷いは無かった。私は身を翻し、2人の間に身体をねじ込んだ。

次の瞬間、視界の端に血飛沫が舞った。同時に、意識が飛ぶような痛みに襲われた。

 

_____________________________________

 

「アヤ、落ち着いて。ちょっとだけ、患部を見てもいいかな」

 

激痛を堪えるように身を屈めていると、エリオットの声が聞こえた。

その冷静な声につられて、少しだけ平静を取り戻せた気がする。

 

「あぐっ・・・・・・ま、魔獣。魔獣、は?」

「大丈夫、リィンの一撃で沈黙したよ。喋らない方がいい」

 

涙で歪む視界の端に、身を燃やしながら縮んでいく魔獣の姿があった。

察するに、リィンの炎の剣技が致命傷となったのだろう。

エリオットの言葉に従い患部から手を離した途端、痛みが倍増した。

駄目だ。思っていた以上に傷が深い。流れ出す血も、止めどが無い。

 

「アヤ!?」

「アヤっ・・・・・・」

 

エリオットに続いて、ラウラとフィー、リィンとマキアスが私の下に駆け寄ってくる。

大丈夫、と強がりを言いたいところだが、その余裕も私には残されていないようだ。

見れば、ラウラとフィーの表情は血の気が引いたかのように青ざめていた。

 

「そんな・・・・・・まさか、肩に当たったのか!?」

「大丈夫、直撃は免れたみたい。ただ、傷が思った以上に・・・・・・ぼ、僕のアーツでも血が止まるかどうか」

「は、はは・・・・・・アンゼリカ先輩に、感謝しなくちゃ」

 

あのまま考え無しに動いていれば、間違いなくフィーが放った弾丸は私の身体を捉えていただろう。

着弾の瞬間、私は咄嗟に左腕の手甲で弾丸を弾いたのだ。

だがその軌道を完全に逸らすことができず、弾丸は勢いをそのままに、私の左肩の肉を削ぎながら後方に着弾した。

こんなことなら、先輩から捌き方をちゃんと教わっておけばよかった。

今更後悔したところで、この痛みが治まることはないのだが。

 

「す、すぐに治療するね。マキアス、手を貸してくれる?」

「・・・・・・ちょっと待って」

 

一旦深呼吸をしてから、再度気を落ち着かせる。

傷の痛みは耐えればいい。今は血を止めることが先決だ。

 

「た、試してみたいことが、あるから」

「試すって・・・・・・一体何を」

 

それは7年前に身体に刻み込まれた、あの記憶と感覚。

思い出せ。あの時にサングラスの男が、私に施した術技を。

本質は月光翼と同じはずだ。身を削いで力を生み出すのがそれなら、あれはその逆の流れ。

以前の私には到底無理な芸当だろう。でも、今の私なら。

アンゼリカ先輩のおかげで、気の流れを操る術は大方身に付いているはずだ。

掠り傷を癒す程度なら、きっとできる。

 

「ふぅ・・・・・・んっ」

 

肩に意識を集中させ、基礎となる呼吸法を繰り返す。

青白い光と共に、徐々に左肩が温かみを帯びていくのを感じた。

次第に、痛みも少しずつ治まっていく。思った通りだ。

目蓋を閉じながらしばらくそうしていると、エリオットが驚愕の色を浮かべていた。

 

「ち、血が止まってる。傷も塞がりかけてるし・・・・・・い、一体何が起きたの!?」

「驚いたな。アヤ、君は『軟気功』まで使えるのか」

「ん・・・・・・使ったのは初めてだけど、うまくいったみたい」

 

名前は知っていたし、存在も身を持って経験済みだ。

もっとも、あの時は他人から施されたものだったが。

おかげでエリオットが言うように血は止まったし、痛みも大分引いてくれた。

痕は残るかもしれないが、何度か繰り返せば完治してくれるはずだ。

 

「・・・・・・ごめんなさい。全部、私のせい。ごめんなさい」

 

ほっと息を付いていると、目を潤ませたフィーが力無く呟いた。

何て顔だ。声を捻り出すだけで精一杯といったところだろう。

さっきまでは生きた心地がしなかったに違いない。

気が抜けた拍子に、溢れ出る感情を抑えきれていないようだ。

 

「いや、私だ。射線上に立った私の責任に他ならない。全て私が―――」

「やめてよ、2人とも」

 

フィーを庇うようにして、ラウラが言葉を並べた。

2人にとっては、私が忠告しておいた最悪が現実となった気分だろう。

でも、そうじゃない。血を流したのが私で―――本当によかった。

 

「ラウラもフィーも、そんな顔しないでよ。ほら、傷はすぐに癒えるから」

「で、でも私の銃がアヤを」

「フィー。顔を上げて」

 

ぽんっとフィーの頭に左手を置き、くしゃくしゃとその銀髪を乱雑に掻きむしる。

私にだって、思うところはある。もしあの時、私以外の誰かが間に入っていたら。

それでも、フィーの涙なんて見たくはない。私もとんだお人好しだ。

2人に対してあれだけ言っておいて、今の彼女らに厳しい言葉を浴びせるなんて真似はできない。

結果論に過ぎないが、大事は無い。ここで足を止めては駄目だ。

 

「私はノーカウントだよ、フィー。これぐらいどうってことないし、もう痛くない。だから、ね?」

「アヤ・・・・・・」

 

今更ながら、彼女がリィンの妹と同い年ということを思い知らされた。

小柄な体躯も相まって、年齢以上に幼く見えてしまう。

 

「アヤ、実際のところどうなんだ?軟気功でも、すぐに完治したりはしないだろう」

「傷自体は大丈夫。ただ・・・・・・すごく体力を使うみたい。すぐに復帰は無理かな」

 

一度使用しただけで、この気怠さだ。乱発はできそうにない。

魔獣の脅威が去った後だからできたことだ。戦闘中に使うことも難しいだろう。

 

「そうか・・・・・・なら、これから俺は後方でアヤのサポートに回る。ラウラとフィーは、引き続き前衛を担ってくれ」

 

リィンの思いがけない提案に、ラウラとフィーの表情が歪んだ。

マキアスとエリオットも、この流れでこんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。

 

「最初の連携を見ただろう。ラウラとフィーの呼吸が重なれば、あれだけのことができるんだ。物にできれば、大型魔獣ですら脅威にはならない」

「リィン・・・・・・」

「みんな、アヤの気持ちを汲んでやってくれないか。俺からもお願いだ」

 

リィンが4人を見渡し、私へと視線を移す。

言葉にはせずとも、私の胸中を彼は察してくれたようだ。

 

「・・・・・・承知した。フィー、そなたもそれでよいか」

「ん。私だって、このままは嫌だから」

 

すぐにどうこうできる問題とは思えない。

それでも、前に進むキッカケになってくれればそれでいい。

もう1つ―――2人の背中を押す、何かがあれば。

 

そう思っていると、包帯と治療薬を手にしたマキアスが私に声を掛けてきた。

 

「アヤ君、念のために手当てはさせてくれ。まだ治りかけなんだろう?」

「あ、うん。ちょっと待って」

 

左肩を見ると、弾丸に肩部を裂かれたブラウスが目に止まった。

これではもう使い物にならないだろうし、捨てるしかないだろう。

そう思った私は、力任せに袖口を引き千切り、患部を露わにした。

 

「ばっ・・・・・・あ、あのなぁ。どうして君はいつもそうなんだ」

「え?」

 

見れば、肩から下着の一部が見えていた。

別にこれぐらいどうってことないだろうに。包帯を巻けばそれも隠れるはずだ。

 

「気にしないでよ。ほら」

「・・・・・・君はもう少し恥じらいを持った方がいいと思うが」

 

マキアスが治療薬で患部を拭き取った後、肩に包帯を巻き始める。

同じようなことを以前にも言われたことがある気がする。あれはいつのことだったか。

 

「それに、今回の件は仕方ないにしろ・・・・・・もうこんな無茶は止してくれ。不甲斐無さで自己嫌悪に陥りそうだ」

「あはは。まぁこういう傷は前衛に付き物だよ」

「そういう意味じゃない。君は女性だろう、もっと自分を大事にしたらどうだ」

「待ってよ。戦闘に性別なんて関係無いでしょ」

「僕が言いたいのは・・・・・・はぁ。もういい」

 

包帯を巻き終えたマキアスが、溜息を付きながら立ち上がる。

確かに彼の言う通りかもしれない。今回は少々無茶をし過ぎたようだ。

軟気功の心得が無かったら、危なかったことは事実だ。

 

「ありがとう。うん、大分楽になった」

「くれぐれも無理はしないでくれよ」

「分かってるよ」

 

いずれにせよ、これで今日の分の依頼は全て達成だ。

私達は来た道を戻り、地上へ向かって歩を進めた。



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3つの過去、時々カーネリア

日が沈み、道行く人々の姿が消えた頃の、アルト通り。

民家から聞こえてくる賑やかな声を除けば、辺りは深い夜の静寂に包まれていた。

遥か遠方から聞こえてくる導力式の稼働音が、逆に静けさを引きたてているようにすら感じる。

 

いい夜だな、と思う。クロスベル同様、この帝都はたくさんの顔があるのだろう。

エリオットの気持ちも理解できる。確かにこの静寂に、導力トラムの走行音は無粋と言える。

停留所のダイヤには、それが夜の23時台まで周囲に響き渡ることを示していた。

 

「これは・・・・・・凄いな」

「お店を開けそう」

「さ、流石にこれは趣味の範囲を超えているだろう」

 

フィオナさんの料理に舌鼓を打った私達は、エリオットに招かれ、彼の私室へと足を踏み入れていた。

目の前に広がるのは、様々な楽器や楽譜の数々。

バイオリンやピアノはともかく、管楽器や打楽器に至るまでより取り見取りだ。

マキアスが言うように、どう見ても音楽家の部屋にしか見えないというのが正直な感想だった。

 

「あはは・・・・・・亡くなった母さんが、結構有名なピアニストでさ。姉さんと僕は、その影響を受けてるってわけ。アヤ、多分君も知っている人だよ」

「へ?わ、私が?」

「『空を見上げて』のこと。あれは僕の母さんが生前に作った曲なんだ。ピアノも歌声も、母さんのそれさ」

「ええ!?う、嘘!?」

「僕も驚いたよ。エムロッドから出てきたアヤが、あの曲のレコードを持ってたんだからね」

 

素直に驚いた。お母さんのお気に入りの曲だったから、私はてっきり共和国で生まれた曲だと思っていたのだが。

世の中が狭いとは、まさにこういうことを言うのだろう。

 

「・・・・・・どうして、夕方会った人達と同じ学校にいかなかったの?」

「お、おいフィー君」

「あはは、いいんだ」

 

それは、誰もが聞いておきたかった事実。

フィーが口にしなければ、この場の誰かが言っていたであろう台詞だ。

 

マーテル公園へ繋がる階段を上った私達は、エリオットの友人である3人組と挨拶を交わした。

モーリスとロン、それにカリンカ。3人とも私達と同年代の、音楽院に通うという音楽仲間だそうだ。

物静かそうで、どこかおっとりとした雰囲気が魅力的な人達。

マキアスの友人とは違い、エリオットのそれは私が想像していた通りの人間だった。

マーテル公園では、夏至祭に開かれるというコンサートに向けて練習に熱を入れていたらしい。

 

あの時にカリンカが口にした一言が―――皆の心の中に、ずっと引っ掛かっていたはずだ。

 

「僕さ、士官学院を受ける前までは、音楽院を志望していたんだよね」

「あ・・・・・・」

 

それを皮切りにして、エリオットは語り始めた。

お母さんやお姉さんの背中を追うようにして、音楽の道を進もうとしていた過去。

軍人であるお父さんが、断固としてそれを許さなかったこと。

そんなお父さんを―――表には出さずとも、心の中では恨んでいたという告白。

そして、迷いながらも士官学院の門を叩いたのは、単なる妥協に過ぎなかったという事実。

 

そんな葛藤があっただなんて、思ってもいなかった。

卒業後の進路が軍に限らないとはいえ、士官学院と音楽院とではまるで環境が違う。

ある意味で、彼は自身が選んだ道を一度閉ざされてしまっている。既に挫折を経験していたのだ。

 

それなのに・・・・・・どうしてそんな過去を、笑って話せるのだろう。

それが私には、不思議でならなかった。

 

「・・・・・・エリオットは、後悔してるの?」

「ええ、どうして?それに関しては、後悔するわけないじゃない」

「えっ」

「へ?」

 

エリオットの答えに、フィーとマキアスが素っ頓狂な声を上げた。

 

「漠然と音楽院に進学するよりも、今は良かったと思ってるくらいさ。卒業後、音楽の道に進むにしても別の道を目指すにしても・・・・・・今度こそ、僕は僕自身の意志で進むべき道を決められると思うから」

「エリオット・・・・・・」

「強いな。そなたは」

 

ラウラの言う通りだと思う。

未練や妥協。そんな自身の弱さから目を背けずに、正面から向き合う。

それも1つの強さのはずだ。簡単にできることではない。

 

環境や形は違えど、エリオットは音楽を愛する思いに嘘を付きたくないのだろう。

その思いが信念となり、彼の強さを支えている。私にはそう思えた。

 

私はどうなのだろう。日が浅いとはいえ、遊撃士を思う気持ちは今のところ本物だ。

一方で、地下道で感じたような戸惑いがあるのも本当だ。

遊撃士になるということ自体、広い目で見れば始まりに過ぎないのかもしれない。

私が思い描くような姿になれるという保証は、どこにもない。

 

・・・・・・頭が痛くなってきた。先のことをうんうん考えても仕方ないだろうに。

自問自答を繰り返したせいで、自分を見失いかけている感覚だ。

1人で思い悩んでいても、答えは出そうにない。

そろそろ、彼の声が聞きたい。

 

「何よりも―――君達と、《Ⅶ組》のみんなと会えたからね」

 

そんなことを考えている最中、エリオットが臆面も無く言った。

思わず綻んでしまったが、皆は反応に困っていた。

感覚が鈍っているのだろうか。最近はもっと恥ずかしい台詞を、いくつも耳にしている気がする。

とりあえず、リィン。あなただけは絶対に人の事を言えないから。

 

____________________________________

 

結局フィオナさんの願いは現実となり、エリオットは単身実家で夜を過ごすこととなった。

まぁ今日ぐらいはそうするのが自然なのだろう。

先月の実習では、私やガイウスは恵まれ過ぎていたのかもしれない。

 

「アヤ、少しよいか」

「え?」

 

協会支部へ戻る道すがら、突然ラウラに呼び止められた。

ラウラはリィン達3人に歩を促すような視線を送ると、彼らは足を止めることなく、そのまま協会支部へと向かった。

残されたのは、私とラウラだけだった。

 

「ラウラ。どうしたの?」

「もう、迷いは無い」

「・・・・・・そっか」

 

覚悟を決めたかのように、私を見詰めるラウラの目には強い意志が込められていた。

一点の曇りも無い、純粋無垢な琥珀色の瞳。こんな目を見たのは久しぶりだ。

 

その一方で、ラウラは何かを言い淀んでいた。

迷いは無いと言いながら、口ごもってしまったもう1つの覚悟。

私にとって、それは想像するに容易いものだった。

 

「だが、そなたが血を流した事実は変えられぬ。アヤ、どうか私を―――」

「殴ってくれ、とでも言いたいわけ」

 

そんな顔をされても困る。その先の言葉が顔に書いてあっただけだ。

分かりやすさだけなら、私以上だ。

 

「ねぇラウラ。もしそんな下らないことを口走ったら、私殴るからね」

「・・・・・・そなたらしい答えだ」

 

降参だと言わんばかりに、ラウラは首を横に振った。

当たり前だ。それができる人間なら、地下道でとっくに手を出している。

 

「以前も言ったが、私はそなたの剣が好きだ。だがそれ以上に・・・・・・私は、そなたが好きなようだ」

「そう。フィーとどっちが好き?」

「選び難い選択だな」

「じゃあリィンと私なら?」

「リ・・・・・・私は何も言ってない」

 

コンマ1秒で返答しかけたラウラ。それはそれで複雑だ。

・・・・・・立場が逆なら、『ガ』と言ってしまいそうな私もいる。お互い様ということにしておこう。

 

「ラウラ」

「む・・・・・・」

 

ラウラには、その真っ直ぐな瞳がよく似合う。それが見れただけで、もう言うことはない。

きっと私の頭に手を置いたアンゼリカ先輩も、似たような心境だったのだろう。

 

だから私はフィーにそうしたように、先輩が私にそうしたように、頭を撫でた。

きょとんとしたその目が、普段とのギャップと相まって身悶えする程に愛らしく思える。

いやいや、そこまで先輩の真似をする必要はないか。

 

「あ、アヤ?」

「もう迷いは無いんでしょ。なら、早く行きなよ。きっとフィーも待ってるから」

「・・・・・・むぅ。少々納得がいかないのだが」

「あはは。膨れてないで、ほら」

 

何だか妹が増えたような気分だ。随分と大きい妹だが。

いずれにせよ、もう大丈夫だろう。もう1つのキッカケはエリオットだったようだ。

 

同じ屋根の下で暮らす私達は、すれ違いながらもお互いに前へ進めている。

身分や出身、価値観や概念という垣根を越えて、寄せ集められた《Ⅶ組》。

この実習が終わったら―――やっと私達は、1つになれる気がする。

・・・・・・気が早いか。まずは、目の前のことに集中しよう。

場所は、マーテル公園がいいかもしれない。2人なら、きっとそうするはずだ。

 

____________________________________

 

「―――ってわけで、正直死にそう。眠気を通り越して気持ち悪い」

『・・・・・・眠った方がいいんじゃないか。俺と話している場合ではないだろう』

「嫌だよ。それはもっと嫌」

 

時刻は午後の22時。

私は協会支部の1階、受付カウンターらしき席に座りながら、ARCUSを介してガイウスとお互いの1日を振り返っていた。

 

エリオットの実家を後にした私達は、予想通りラウラとフィーの一騎打ちを見守ることになった。

お互いにそうしないと、今までのもやもやが吹っ切れなかったのだろう。

結論から言えば、勝負はフィーの申し出によりラウラに軍配が上がった。

もっとも、中身は喧嘩両成敗のようなものだったが。

それがキッカケとなり、フィーの過去は私達の知るところとなった。

 

物心ついた時から、フィーは独りで紛争地帯を渡り歩いていた。

そんな彼女を拾ったのが、西風の旅団と呼ばれる猟兵団のリーダーだったそうだ。

いつしかフィーは『西風の妖精』という二つ名で呼ばれる程に、戦う力と生き延びる術を身に付けるに至った。

そんな猟兵団が、団長の死をキッカケにして離散したのが1年前。

サラ教官に拾われたのは、その後の出来事らしい。

 

「フィーを拾った人って、どんな人間だったんだろ」

『どうだろうな。少なくともフィーにとっては、親代わりのような存在だったと思うが』

 

猟兵というだけで決めつけるには、フィーはあまりに純粋すぎる。

心無い非道な人間達に囲まれて、ああはならないだろう。

私達は過去の一端に触れただけだ。いずれ私達も知る時が来るのかもしれない。

 

『いずれにせよ、もう2人のことは心配無いようだな』

「うん。あのコンビ、ちょっと手が付けられそうにないよ」

 

フィーが全てを語り終えた後、私はラウラとフィーの2人と剣を交えることになった。

ラウラ曰く「久しぶりにそなたの全力が見たい」とのことだった。

肩の傷は癒えていたが、体力的にギリギリだった。そんなことは既に忘れ去られていたらしい。

残された力を総動員して立ち合いに応じた私は、開始1分で白旗を上げた。当たり前だ。

 

物足りなそうな2人は、続けてリィンとマキアスのコンビとの立ち合いを申し出た。

どうやら完全にハイになっていたようだ。流れに乗ったあのコンビは、もう誰も止められない。

 

『お疲れだったな』

「あはは・・・・・・はぁ。そっちは何か変わったことはあった?」

『アリサが君のことをよく話していた』

「私?何のこと?」

『リィンの妹さんに姉様と呼ばせるなんて何のつもりだ、とな』

「まだ引きずってたの!?それ私のせいじゃないから!」

 

いい加減にしてほしい。どこまで引っ張るつもりだ。

そういえば、エリゼちゃんが通う女学院も帝都にあるんだったか。

もしかしたら、どこかで会うこともあるかもしれない。

 

B班のあれやこれやに耳を傾けながら、私はガイウスが貸してくれた遊撃士協会の規約集に視線を落としていた。

遊撃士協会規約、第1項『基本理念』。

遊撃士は国の枠組みを越えて、地域の平和と民間人の安全を守り、支えることを第一の目的とする。

 

「・・・・・・国の枠組みを超えて、かぁ」

『何だ、急に』

「ねぇガイウス、私ちょっと分からなくなってきた」

 

上手く説明できないし、想像でしか物が言えない。

 

私が帝国という地で遊撃士となれば、この基本理念に乗っ取って行動する義務がある。

そうなれば、私は1つの地に留まることが許されないかもしれない。

何しろ遊撃士の手を借りたい人間は、国中にいるはずなのだ。

地下道での1件のように、既にその声は各所で増加し続けているのだろう。

・・・・・・ノルド高原支部だなんて、夢のまた夢かもしれない。

それに―――しばらくの間どころか、私達は本格的に離れ離れになってしまう。

 

『気持ちは分かるが・・・・・・その、すまない。言葉が見つからない』

「いいよ。だからって諦めたりはしないし、それに・・・・・・あはは。お互いに、気が早いと思わない?」

『それもそうだな。今は目の前の実習に集中しよう』

「うん・・・・・ねぇガイウス」

『何だ?』

「私のこと、好き?」

『ああ、好きだ。当たり前の事を聞くんだな』

 

顔を突っ伏しながら、机の上をバンバンと叩く。

たまらない。顔から火が出そうな程に熱い。何の躊躇も無く言ってくれるなんて。

その一言だけで満腹だ。これで明日も頑張れる。

 

ガイウスに答えようとした時、階上からガチャリと扉を開ける音が鳴った。

しまった。大きな音を立てすぎたか。

 

「ご、ごめん。誰か来たみたい。もう切るね」

『む・・・・・・そうか。アヤ、いい夢を』

「うん。おやすみ」

 

声を潜めながら、挨拶を交わして通信を切る。

重い腰を上げて2階に繋がる階段を上っていると、扉の前に立つラウラとフィーの姿が目に止まった。

さっきの音は2人が部屋を出たものだったか。何をしているのだろう。

それに、そこはリィン達の寝室なのだが。

 

「アヤか。何をしていたのだ?」

「ちょ、ちょっとね。ラウラとフィーこそ、リィンとマキアスに何か用?」

「私はラウラの背中を押してるだけ」

「背中?」

 

私が聞くと、ラウラは言いづらそうに視線を泳がしながらも答えてくれた。

 

「その、男子2人にも多大な迷惑を掛けてしまったからな。改めて、謝罪とお礼を言いたかったのだが」

「・・・・・・リィンに、でしょ」

「そ、それは・・・・・・な、何故頭を撫でる。やめるがよいっ」

「あはは」

 

凛とした佇まいと、初々しいこの反応。

うん、やっぱりラウラは普段通りが一番だ。癒される。

うりうりとラウラの頭を撫でながら、時計の針は7月24日の終わりを告げていた。

 

___________________________________

 

特別実習の2日目。

ヘイムダル港から続く、ほの暗い地下道を這い出た私達を出迎えてくれたのは、オスト地区に降り注ぐ日の光。

そして遥か北西部に位置する、ヘイムダル大聖堂の鐘が奏でる音色だった。

一昨日の晩に一気に読みふけったことも相まって、どうしてもあの物語のことを考えてしまう。

 

「トビー・・・・・・」

 

運び屋の端くれに過ぎないトビーが手にした、正体不明の古代文明の遺産。

突如として彼の前に現れた、カーネリアと名乗る七曜協会のシスター。

それは冒険活劇のようでいて、1人の遊撃士の淡い初恋を描いた、出会いと別れの物語。

 

どうせ死ぬなら何かのために戦って、生きた証を立ててから死ぬ。

彼女は今わの際に、何を思ったのだろう。その願いは、想いは実を結んだのだろうか。

そして遊撃士という道を選んだ彼は、その先に何を見ていたのだろう。

たった2日間の出来事が、先の人生を変える。決意は固く、想いは深く。

胸がズキンと痛み、思わず感傷的になってしまう。

 

「トビー。私も、頑張るから」

「アヤが変な顔で何か言ってる。気持ち悪い」

「ふむ。察するに、そろそろ食事時なのではないか?」

「鐘が鳴ったしね。キリがいいし、そろそろランチにしよっか」

「そうだな・・・・・・よし。みんな、僕の実家に来ないか。コーヒーくらいは御馳走しよう」

「マキアス・・・・・・分かった。何かテイクアウトして行こう。アヤ、何か食べたい物はあるか?」

 

私の変な顔とやらに端を発して、自然と昼食に繋がった。

班構成は変われど、私の扱いは前回の実習と一緒だった。

食べたい物を聞いてくれたリィンの優しさだけは、素直に受け取っておこう。

ARCUSの時計は、実際に昼の12時を示している。思っていたよりもかなり早く片付いてしまった。

 

実習2日目のメインとなる依頼は、やはり地下道に生息する大型魔獣の討伐だった。

昨日とは打って変わって、探索から戦闘に至るまで、何もかもが順調に進んでいた。

 

それもこれも、ラウラとフィーのおかげなのだろう。

皆の士気も上がっている。今の私達なら、何だってできる気がする。

そもそもが6人という贅沢な班構成である上に、主戦力の前衛が4人もいるのだ。

これなら魔獣の討伐依頼など問題にならない。昼食もゆっくりと楽しむことができる。

 

「すみません、フィッシュ&チップスを10人分下さい」

「お、景気良いな嬢ちゃん。盛りに盛ってやるよ」

「6人分で結構です」

 

ランチのチョイスを任せてくれたものの、量までは自由にさせてくれないリィンだった。

 

________________________________

 

ギャムジーさんの御好意で揚げたてを満喫した私達は、食後のコーヒーで休憩を取りながら、各自思い思いの時間を過ごしていた。

リィンとマキアスは政治談議に花を咲かせ、ラウラとエリオットは夏至祭に関する話題で盛り上がっていた。

コーヒーが飲めない私はといえば、こそこそと家探しに興じるフィーと行動を共にしていた。

くれぐれも家探しは止してくれよ、というマキアスの忠告を、フィーは振りだと受け取ったようだ。

 

「綺麗な家だね。父子家庭って聞いてたけど、隅々まで片付いてるみたい」

「メイドとかいるのかも」

 

それは多分違うだろう。

片付いてはいるが、デスクの上に使用済のコーヒーカップが放置されていたりと、男所帯らしい一面が垣間見えるのも確かだ。

あれはレーグニッツ知事のものだろうか。普段は庁舎で生活していると聞いていたが、たまには実家にも顔を出しているのかもしれない。

 

「あ。写真発見」

「ちょっとフィー、勝手に見るの・・・は・・・・・」

「お、おい君達。勝手に何を見ているんだ」

 

マキアスの声に反応し、ぞろぞろと皆が集まってくる。

その写真は、おそらく数年前に撮られたもののはずだ。

そこに映っていたのは、レーグニッツ知事と、マキアス。

知事は今よりもずっと若々しいし、マキアスは何というか・・・・・・可愛い。その一言に尽きた。

 

「ねぇマキアス、私はこっちの方が絶対に似合ってると思う。考え直した方がいいよ」

「髪型みたいに言わないでくれないか!?」

「はは・・・・・・2人の隣にいるのは、お姉さんか何かなのか?」

 

リィンが問うと、マキアスは口を噤んでしまった。

それと同時に、いつの間にかその表情には暗い影が落ちていた。

 

「・・・・・・元々、そのつもりで君達を招いたからな」

「マキアス?」

「長くなるけど、昔話をさせてくれないか。僕が、レーグニッツ家が抱える事情をね」

 

そうしてマキアスが打ち明け始めたのは、エリオットとフィーに続く、3つ目の過去。

2人のそれとはまた毛色が違う、憧れと淡い恋心が入り混じったかのような憧憬。

そんな甘酸っぱい感情で始まった物語は―――次第に、多くの憎しみや嫉妬心に塗れた現実となっていった。

 

「挙句―――姉さんは、自らの命を断った。遅かったんだ、何もかも」

「そんな・・・・・・」

 

まるで救いようのない、物語小説を読み聞かされている感覚だった。

異なる点は、結末が悲劇と分かっていること。

 

かと思いきや、その悲劇が新たな憎悪を生み出してしまう。

まさに悪夢だ。人間の酷い部分が、断ち切られることなく連鎖していく。

どうしてだろう。序章は、とても綺麗な感情だったはずなのに。

 

「でも、最近考えるんだ。貴族や平民に関係無く、結局は『人』なんだろうってね」

「え?」

「平民でも貴族でも・・・・・・国や価値観、過去がどうであれ、尊敬できる人間はいる。皆には、それを教えられてきたからな」

 

唐突に、最終章で負の連鎖が断ち切られた気分だった。

―――いや、そうじゃないか。それも分かっていたことだ。

昨晩、自分でも言っていただろうに。

 

唐突なんかじゃない。私達には4ヶ月という確かな軌跡がある。

たくさんの壁を乗り越えて、《Ⅶ組》は今1つになりつつあるのだ。

マキアスだって、その輪の中の1人のはずだ。

 

「でも、ちょっと納得。マキアスの鼻の下が伸びるのは、いつもそうだったから」

「・・・・・・フィー君、何のことを言っている?」

「シャロン。クレア大尉。エリオットのお姉さん。ヴィータ・クロチルダ。全員年上のお姉さんばっか」

 

フィーに続いて、ラウラが合点がいった面持ちで首を縦に振った。

言われてみれば、確かに。何となく感づいてはいたが、そういった形で繋がっているとは。

きっと亡くなったお姉さんの影を、無意識の内に追い続けていたのだろう。

 

女性陣とは対照的に、リィンとエリオットは「そうか?」と首を傾げていた。

それは2人も少なからず同じ反応をしていたからだろう。それぐらい気付いてほしい。

 

「ふむ。だが年上と言うなら、アヤ。そなたもそうであろう」

「え、私?いや、2つしか違わないけど」

「・・・っ・・・じ、冗談じゃない!!姉さんとアヤ君を一緒にしないでくれたまえ!!」

「・・・・・・そこまで否定されると何かムカつく」

 

フィーが今挙げた女性は、全員可憐な美人さん達ばかりだ。

肩を並べることすら叶わない。並べようとも思わない。

 

「いいか、姉さんは美人で気立てが良くて髪はサラッとしていて小顔で華奢な―――」

 

捲し立てるようにして並べられるマキアスのお姉さん談。

何もそこまでムキにならなくとも。落ち着いて、マキアス。

そろそろラウラとフィーが、引き始めているから。あと、私も。

 

________________________________

 

レーグニッツ邸を後にした私達は、リィンのARCUSから鳴り響く通信音を合図にして歩を止めた。

スピーカーから漏れてくる声とリィンの態度で、その相手がレーグニッツ知事であることだけは分かった。

 

「追加、ですか。それは構いませんが、一体どういう・・・・・・えっ?」

 

追加、という言葉から察するに、新しい依頼でも入ったのだろうか。

幸いにも、私達は既に一通りの依頼を全て達成できている。

今からなら、1件や2件ぐらいの案件が回されても問題は無いはずだ。

 

「ガルニア地区の宝飾店ですね、すぐに向かいます・・・・・・ふぅ」

「な、何だったんだ?」

「何やら不審な顔をしていたが」

「ああ、実は―――」

 

リィンの話に耳を傾けようと、歩を進めた時。

いや、進めようとした時。私の足は、微動だにしなかった。

 

(え―――)

 

足だけじゃない。下半身全体が動かない。

それどころか、上半身までもが凍りついたかのように、私の意志に反してピクリとも動かなかった。

 

「・・・・・・どしたの、アヤ?」

「か、身体が・・・・・・動かない。動かないよ。何、これ」

「ふむ、痙攣による硬直か?」

 

違う、そんなものではない。本当に動かないのだ。

徐々に末端から、感覚すら失いつつあるのが分かる。

既に呼吸すらままならない。必要最低限の動きすら封じられつつある。

 

「落ち着くんだ、アヤ。ゆっくりと息を吸ってみてくれ」

「・・・っ・・・・・・わわっ!?」

 

唐突に私を縛っていた何かが解け、勢い余って前のめりに転んでしまった。

・・・・・・動く。足も腕も動くし、呼吸もできる。

 

「あれ、動けるの?」

「う、うん・・・・・・何だろう、こんなの初めてだよ。わけ分かんない」

「昨日から相当無理をしていたからな。もしかしたら、身体に影響が出ているんじゃないか?」

「そんなんじゃないと思うけど・・・・・・」

 

それを言われると自信が無い。

確かに絶不調の身で慣れないことをしたし、一時は大怪我を負ったことは事実だ。

 

「大事を取って、休んだ方がいい。新しい依頼は僕らに任せてくれ」

「で、でも」

「アヤの分は私とラウラが動く。それで解決」

「・・・・・・はぁ。分かったよ」

 

結局は私が折れることになった。

1人は心細いが、今回の実習期間は3日間に渡る。

明日は夏至祭の初日、きっと一番忙しい1日になるだろう。

お言葉に甘えて、今日は身体を休めた方がいいのかもしれない。

スカートに纏わりついた砂埃を払い、私達は停留所に向かった。

 

私は勿論、誰も気付いていなかった。

先程まで私が立っていた場所の後方に、白銀色に輝く短剣が突き立てられていたことを。



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《Ⅶ組》への願い

7月25日、午後16時前。

身体を休めるために協会支部の寝室に戻った私は、ベッドに寝そべりながら天井の模様を目でなぞっていた。

確かめるように何度も身体を動かしたが、痛みや疲れは感じられない。気分が悪いわけでもない。

それでも、あの時の感覚はハッキリと覚えている。あれは―――本当に、何だったのか。

 

「ん・・・・・・」

 

開け放たれた両開きの窓枠から、心地よい風が吹き込んでくる。

いい風だ。天気もいい。A班の皆は、今頃何をしているのだろう。

宝飾店が盗難にあったと言っていたが、大丈夫だろうか。

・・・・・・心配無いか。数は減っても、今のA班ならどんな依頼でもお任せあれだ。

 

それにしても、予想していた通りに時間を持て余してしまう。

2時間近く睡眠をとったおかげで目は冴えているし、一昨日の寝不足分はしっかり取り戻せた。

暇つぶしの遊撃士協会規約集も、大方読み尽くしてしまっている。

こんなことなら、カーネリア以外の本でも借りておけばよかった。

 

(小説、かぁ)

 

立て続けに明らかとなった3つの過去と、1つの決意。

捉え方によるが、どれも簡単に受け入れられるものではなかった。

現実味を感じさせない悲劇や挫折、決意と信念に溢れた物語。

小説の類をまともに読んだのはカーネリアが初めてだったが、4人の話を聞いていると、あの時と同じ感情が湧き上がってくる思いだった。

まぁ、私もそれなりの過去を抱えてはいるのだが。

 

(みんな・・・・・・どこに向かうんだろう)

 

カーネリアの主人公は、遊撃士という道を選んだ。なら、皆はどうなのだろう。

 

エリオットはきっと、音楽の道を選ぶ。私にはそう思える。

マキアスはお父さんのように、政治の世界に飛び込むつもりなのかもしれない。

フィーは・・・・・・どうだろう。そのまま軍に進む可能性が高いのだろうか。

ラウラはこれまで同様、剣の道を歩み続けるに違いない。

リィンは確か、エリゼちゃんへの手紙で軍に入るであろう旨を記していた。

当の私は遊撃士。一応、暫定的に。

 

「・・・・・・バラバラじゃん」

 

思わず口に出してしまった。

勝手な想像にすぎないが、士官学院に身を置きながら、軍に進む人間が1人か2人。

B班を入れても、余り変わらないように思える。これでいいのだろうか。

ARCUSを抜きに考えると、特科クラス《Ⅶ組》設立の目的すら今だハッキリとしていない。

まぁ、私が考えても仕方ないことか。

 

「よいしょっと」

 

勢いをつけて半身を起こすと、一際強い風が室内に吹き込んできた。

思わず目を瞬いた後―――漸く、違和感に気付いた。

 

「あれ?」

 

窓際に置いておいた、ベルト型のARCUS用ホルダー。

何が気に掛かったのかは分からない。ただ、何かがおかしい。そう感じた。

ベッドから離れ、恐る恐るそれを手に取る。

 

「・・・・・・嘘っ」

 

開けずとも、持ち上げただけで分かった。

空っぽ。文字通り、何も入っていなかった。

 

これはどういうことだ。もしかして―――いや、そんなはずはない。

部屋に戻ってから、私は一度ARCUSの時計を見た気がする。

ベルトを外し窓際に置くまで、確かにあったはずだ。

 

だが現実には、部屋中のどこを見渡しても私のARCUSは見当たらない。

記憶違いだろうか。もしそうなら、これは困ったことになる。

リィン達と連絡を取り合うことも出来ないし・・・・・・・それどころの話ではない。

 

(や、やばっ)

 

失くしました。なんて言ったら、私はどうなってしまうのだろう。

通常の戦術オーブメントならまだしも。想像しただけでゾッとする。

いずれにせよ、こうして突っ立っている場合ではない。

 

「さ、探さなきゃ」

 

もしどこかで落としてしまったなら、探す場所は限られている。

間違いなく、地下道を出た時には携帯していたはずなのだ。

可能性があるとすれば、オスト地区。あるいは導力トラムでここに戻ってくる道中のどこか。

 

急いで身支度を済ませ、階段を駆け下り扉を開け放つ。

まずはここから停留所付近までを確認しながら、車掌さんにも事情を説明して―――

 

「アヤ!?」

「え?」

 

そう思案している最中、突然前方から聞きなれた声がした。

視線を上げると、そこにはどういうわけか、ラウラとフィーの姿があった。

 

「アヤ、無事か!?」

「ら、ラウラ。どうしてここにいるの?」

 

深刻な表情を浮かべたラウラとフィーが、足早に私の下へと詰め寄り―――

 

「アヤ、じっとしてて」

「んぁっ」

 

フィーに、身体をまさぐられた。

ベタベタと容赦無く、撫でる様に。

 

「・・・んっ・・・・・・や、ちょっとフィー!どこ触ってんの!?」

「メディカルチェック・・・・・・む。呼吸と心拍の数値が異常と判断」

「やはりあの男に何かされたのか!?」

「今、今されてるから!!」

 

狼狽する2人を何とか引き止め、説明を要求する。

何がどうなっている。どうして2人がここにいるのだ。

そして私は何故フィーに・・・・・・ああもう。私こそ落ち着け。

 

「あー、コホン。2人とも、気は済んだか?」

「・・・・・・見てたんなら止めてよ、リィン」

「できるわけないだろ・・・・・・」

 

見れば、ラウラとフィーだけでなく、リィンにマキアス、エリオットの姿も確認できた。

約5アージュ程距離を取り、気まずそうに視線を逸らしている。全部見ていたのだろうか。

 

「はぁ・・・・・・それで、どうしてみんなここにいるの?依頼は?」

「そちらはもう解決済みだ。それに、これはアヤ君のARCUSだろう?」

「え・・・・・・・ああ!?」

 

マキアスが私に手渡したのは、紛失したとばかり思っていた、私のARCUSだった。

大きく溜息をつきながら、ほっと胸を撫で下ろす。漸く生きた心地がしてきた思いだ。

 

「も、もしかして。どこかで拾った、とか?」

「いや、俺達にも分からないんだ」

「へ?」

 

首を傾げながらお互いを見つめ合う男性陣。

私はてっきり、どこかで失くしてしまったARCUSを彼らが拾ってくれたのだと思ったのだが。

皆の様子を見る限り、どうもそうではないようだ。

 

「僕らも何が何だか分からなくって・・・・・・リィン、何て説明しよっか」

「時間も無いし、サンクト地区に向かいながら話そう」

「・・・・・・サンクト地区?」

 

頭上に疑問符をいくつも並べる私を余所に、A班の次なる目的地が告げられた。

 

__________________________________

 

事の発端は、宝飾店から盗み出された『紅蓮の小冠』という国宝級のティアラ。

そして事件現場に残されていた、『怪盗B』と名乗る盗賊からのメッセージ。

 

「怪盗B?」

「うん。帝都では結構有名な名前だけど・・・・・・アヤは知らないんだ」

「聞いたことないかな。それで?」

「ああ。そのメッセージというのが―――」

 

私が説明を促すと、リィンが一から事情を説明してくれた。

 

怪盗Bは帝都では名の知れた盗賊であり、『美の解放活動』という主義主張の下、度々世間を騒がす存在だそうだ。

簡単に言えば、皆はその怪盗Bが仕組んだ、大規模な宝探しに巻き込まれたのだという。

やっとの思いで『紅蓮の小冠』に行き着いたと思いきや、どういうわけか、そこには私のARCUSも置かれていた。要するに、そういうことらしい。

うん、まるで説明になっていない。

 

「・・・・・・何が何だかさっぱりなんだけど。変態紳士、だっけ?」

「アヤ君、怪盗紳士だ」

 

盗難品を手にした皆の前に姿を現したのが、怪盗紳士『ブルブラン』と名乗る男性。

何を隠そう『怪盗B』その人であり、驚いたことに、リィン達は以前にも面識があった人物だったそうだ。

 

「結局取り逃がしてしまったが・・・・・・妙な術を使っていた。ただの盗賊とは思えぬ」

「只者じゃないことは確か。だから、アヤの事が心配になって戻ってみたら」

「別段変わりない私がいたってわけか」

 

ARCUSの件もあり、まさか私の身に何かが。

そう危惧して協会支部に戻って来たのが、私がARCUSを探しに外へ出たのと同じタイミングだった。なるほど。漸く大まかな流れは理解できた。

 

ただ―――事の経緯を聞けば聞くほど、それ以上に新たな疑問が浮かび上がってくる。

どうして私達A班を名指ししたのか。何故私達の素性と事情を知っていたのか。

そもそも何が目的だったのか。そして―――

 

「・・・・・・ねぇ。もう一度その怪盗Bの特徴を教えてよ」

「え?ああ、外見は30代から40代ぐらいの男性で―――」

 

白を基調とした衣装と、特徴的な仮面。薄紫色の長髪。

貴族を思わせる高貴な口調と、謎めいた力。

―――心当たりなら、ある。

 

「リィン、そいつ蛇がどうとか言ってなかった?」

「蛇・・・・・・いや、記憶に無いな。何か心当たりがあるのか?」

「ううん。忘れて」

「そ、そうか」

 

忘れもしない、3年前の対峙。

もしあいつなら、私に気付かれることなくARCUSを拝借するぐらいはやってのけるだろう。

今思えば、身体の硬直も彼の仕業だったのかもしれない。

ただ、それも全て憶測に過ぎない。余計な事を言って、皆に心配を掛ける必要はない。

思い過ごしであってほしい。そう願うばかりだ。

 

___________________________________

 

聖アストライア女学院、正門前。

サラ教官が指定した場所へ向かった私達は、B班の面々とも合流を果たし、1日半振りに《Ⅶ組》メンバーが勢揃いしていた。

トラムの中では聞きそびれてしまったが、A班B班共に、ここに向かうようサラ教官から通信が入ったそうだ。

 

「その、何だ。そなた達にも、心配を掛けたな」

「もう心配無用」

「そっか・・・・・・うんうん、良かったじゃない!」

「実習が終わったら、誰かの部屋で一晩中語り合いたい気分ですね」

 

アリサとエマは、いち早く私達A班の変化を察してくれた。

ユーシスとガイウスもそれに続き、自然と皆の顔に笑みが浮かんでいった。

思っていた通りだ。皆もきっと、この瞬間を待っていたはずだ。

 

私達の間に、もう壁はない。あとは絆を深め合っていけばいい。

ARCUSに頼らずとも、きっとできるはずだ。

これが始まりだ。今この瞬間から、《Ⅶ組》は初めて足並みを揃えて前進できる。

 

「・・・・・・ヘイムダルの鐘、か」

 

女学院の時計台が午後5時を指し示すと、ヘイムダル大聖堂の鐘が壮厳な音色を奏で始めた。

それにつられるようにして、皆が上空を仰いだ。

鐘の音と共に飛び立った鳥達が、夕暮れ色に染まる空を駆けていく。

美しいVの字の陣形を取りながら、それを乱すことなく空を舞う鳥達。

 

以前、お義父さんが鳥の習慣について教えてくれたことがある。

どうして鳥はお互いに衝突することなく、美しい陣形を保ちながら飛ぶことができるのか。

 

『仲間の下に集いながら、同じ速度で、互いにぶつからないようにして飛ぶ』

 

驚いたことに、そこにはたった3つの条件しかなかった。

納得できなかった私は、ご隠居にお願いして鳥の生態学に関する本を取り寄せてもらった。

そこにも、そう記されていた。事実、学術的に認められていたことだった。

 

たった3つ。簡単なようでいて、人間には到底無理な芸当だ。

それでも、今の《Ⅶ組》なら。リィンを中心に、足並みを揃え、手を取り合いながら。

私にはそう思えて仕方なかった。

 

「お疲れだったな、アヤ」

「ん。お互いにね」

 

皆が音色に気を取られている最中、後ろ手にそっと、手の甲同士が触れ合った。

今は、これぐらいにしておこう・・・・・・と思いつつも、無意識のうちに私の右手は、彼の左手指に吸い込まれていった。

 

「兄様?」

「わわっ!?」

「え、エリゼ?・・・・・・って、何でアヤが驚くんだ?」

 

声の方に振り返ると、そこには1週間振りとなるエリゼちゃんの姿があった。

多少驚きはあったが、ここは彼女が通う学び舎だ。ここにいても何らおかしくはない。

・・・・・・秘密を抱えている分、最近取り乱すことが多すぎる気がする。

もう少し年長者として余裕を持って行動すべきだろう。落ち着け、私。

 

「それにアヤ姉様に、《Ⅶ組》の皆様もお揃いのようですが」

「エリゼちゃん、ストップ」

 

嫌な予感はしたが、やっぱりそう来たか。

皆が疑問符を浮かべている間に、その呼び方だけは改めてもらおう。

それに、アリサの視線が背中に突き刺さるようで痛い。分かったから。

 

「畏まりました。では、気付かれぬよう御呼び致します」

「何でそんなに頑ななの・・・・・・」

 

改めるという選択肢はないのだろうか。相変わらずのエリゼちゃんだ。

 

「それにしても・・・・・・兄様。5時過ぎにいらっしゃるという10名のお客様は、ひょっとして皆様のことなのでしょうか?」

「え?」

 

周囲を見渡しながら、頭数を数える。

改めてそうしなくても、分かり切っていた。

私達《Ⅶ組》は、全員で10人。それが意味するところは、1つしかなかった。

 

_________________________________

 

午後5時過ぎの、聖アストライア女学院。

貴族子女にのみ入学が許されたこの学院は、時代の流れと共に平民の受け入れを認めつつも、在籍する生徒はほとんどが貴族出の少女達である。

本校舎を始めとした施設は勿論、学生寮も敷地内の外れに建てられており、この時間帯でも周辺には数多くの生徒が見受けられた。

そんな女子生徒らをかき分けるようにして―――1つの集団が、静かに歩を進めていた。

 

「お、男の方?」

「あの制服・・・・・・トールズ士官学院の方々ですわ!」

 

エリゼが先頭になりながら、リィン達《Ⅶ組》を引き連れて歩く。

その様はこの女学院に通う女子生徒らの目に、余りに新鮮かつ異質な存在として映っていた。

年齢は別として、敷地内に教職員以外の異性が足を踏み入れることなど滅多に無いのだ。

そんな事情も相まって、いくつもの無垢な視線が彼らに向けて注がれていた。

 

「あ、あれは公爵家のユーシス様!」

 

まずはユーシス・アルバレア。

四大名門、アルバレア公爵家の次男坊。もはや説明など不要である。

《Ⅶ組》の皆と触れ合う中で、本人も気付かぬうちに身に纏う刺々しさは鳴りを潜めていた。

その超然とした態度、そして和らぎつつある彼の表情に、誰もが羨望の眼差しを向けていた。

 

「先頭にいる黒髪の方は、平民の方なのかしら?」

 

続いてリィン・シュバルツァー。

一見して貴族のような高貴さは感じられないものの、その凛々しい佇まいは異性としての魅力に満ち溢れていた。

そしてどういうわけか「お兄様」と呼び止めたくなる衝動に、湧き上がってくる不思議な感情。

すれ違うだけで兄という存在の何たるかを思わせる魅力は、リィンが生まれ持った1つの才であった。

 

「小柄で紅茶色の髪の方は、何とも可愛らしいというか・・・・・・」

 

エリオット・クレイグ。

男性陣の中では最も身長が低く、同い年と言われても不思議ではない。実際に男性陣の中では1つ下だ。

それ以上に、エリオットの中性的な顔立ちと柔らかな表情は、先の2人とは全く別次元の魅力を思わせてならなかった。

いたいけな少女らに母性本能を植え付ける、ある意味で厄介な存在である。

 

「はぁ、あの背の高い男性は異国の方なのかしら」

 

そしてガイウス・ウォーゼル。

一目見ただけで、彼が国境を越えてやって来た留学生と分かる。

戸惑いはあるものの、その屈強な身体つきと男性美溢れる―――

 

「ひっ・・・・・・!?」

 

―――いや、駄目だ。

憧れと言えど、彼に色目の類を向けてはいけない。

彼の後方から、何かが来る。凍てつくような感情を身に纏った、何か。

・・・・・・断っておくが、当の本人は「何か面白くないなぁ」といった感想しか持ち合わせていない。

いないのだが、感受性豊かな年頃の少女らは、奥底に存在する確かな嫉妬心を敏感に感じ取っていた。

 

「・・・・・・何だ。僕は何か損をしている気がするぞ」

 

ガイウスの隣を歩く、マキアス。

彼も同年代の男子としては大変高い素質を持ち合わせていたのだが、不幸なことに少女らの視線が向くことはなかった。

 

「何かしら。敷地内に入ってから、妙な寒気を感じるわ」

「そなたもか。私もだ」

「わ、私もです」

「私も。何でだろ」

「・・・・・・面白くないなぁ」

 

全部、彼女のせいだった。

 

____________________________________

 

テーブルの上に整然と並べられた、高級感溢れる食器の数々。

空腹ではあるのだが、今はそれ以上に緊張感で喉を鳴らしてしまう。

 

(アヤ。これはどう使えばいいんだ?)

(アリサ、ヘルプ)

(後で教えるから安心しなさい)

 

隣にアリサがいてくれてよかった。

こういった場でのテーブルマナーなんて、私達に分かるわけがない。

 

「驚きました。学院の理事長をされているのが、皇族の方とは聞いていたのですが」

「驚くのも無理はない。今をときめく『放蕩王子』が、士官学院の理事長なんかやっているんだからね」

 

私達《Ⅶ組》が招き入れられたのは、女学院内の奥、聖餐室。

上座で陽気な笑い声を上げたのは―――紛れもない、オリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子。

帝国の現皇帝の血を継ぐ、雲の上の遥か上を行く存在だ。

 

「お兄様。ご自分でそれを言ったら身も蓋もありませんわ」

 

そして彼の腹違いの妹である、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女。

いや、本当に冗談抜きで信じられないし、まるで実感が湧いてこない。

声を出すことさえできそうにない。無意識のうちに委縮してしまう。

 

とはいえ、殿下のお話を聞き流すのも無礼という言葉では済まされない。

目の前の現実を受け入れ、今はじっと耳を傾けよう。

 

聞けば、特科クラス《Ⅶ組》を立ち上げたのは、他ならない殿下だったそうだ。

その目的の1つが、士官学院に新たな風を巻き起こすこと。

 

「私は君達に、現実に様々な『壁』が存在するのをまずは知ってもらいたかった」

「壁、ですか?」

「ああ。革新派と貴族派を筆頭に、帝都と地方。伝統と宗教と技術革新、帝国とそれ以外の国に自治州までも。この激動の時代において、必ず現れる壁から目を背けず、自ら考えて行動する―――」

 

―――そんな資質を、若い世代に期待したい。

殿下は私達を見渡しながら、そう言った。

 

身に余るお言葉だと思う。ただ、漸く合点がいった思いだ。

勿論ARCUSの適性が前提条件だが、このメンバーが集められたのも頷ける。

 

それでも―――やはり気になってしまう。それは、部屋で1人考えていたこと。

これだけの期待を担いながら、各自が思い思いの道に進む。それは許されることなのだろうか。

というより、この面子ならそうなるのも当然かもしれない。

特別扱いを受けながら、それは少し贅沢が過ぎるような気がしてならなかった。

 

「それに―――ガイウス君に、アヤ君。君達2人にも、改めて礼を言っておこう」

「は、はい!?」

 

不意に名指しされ、見事に声が裏返った。

穴があったら3年ぐらい入っていたい。

 

「俺達に、ですか?」

「ああ。士官学院への入学、そして《Ⅶ組》への参加を受け入れてくれて感謝しているよ。帝国という異国の地で生活するだけでも、何かと不便だろう?」

「い、いえ。その・・・・・・恐縮です」

 

精一杯の答えだった。

というか、私のような反応が当たり前じゃなかろうか。

皆が大物過ぎるのだ。相手は皇族だというのに。

 

「ハッハッハ、皆そう畏まらなくてもいい。君達はあくまで学生だ。学生は学生らしく、時には青春を謳歌するべきだろう。恋に部活に、友情。甘酸っぱい青春なんかをね♪」

 

・・・・・・捉えどころがないお人だ。

リュートを奏でながら颯爽と登場した時から感じていたことだったが。

どちらかと言えば、こっちの顔が殿下の自然体のように思える。

 

それとユーシス。『恋』に反応していちいちこっちを見るな。鬱陶しい。

エリゼちゃんは特別に許そう。可愛いし。

 

口元に指を当てて「内緒だからね」の念を送っていると、アリサが殿下へ疑問を投げ掛けていた。

どうやら「我々」という言葉に、殿下の他にも《Ⅶ組》の協力者がいるのではと踏んだらしい。

 

「ヴァンダイク学院長さ。私もトールズの出身で、彼の教え子でね。彼には大変お世話になっている。何よりも現場の責任者として、最高のスタッフを揃えてくれたからね」

 

殿下のお言葉に、私達は顔を見合わせた。

どうやら同じところに引っ掛かったようだ。

 

「もしかして・・・・・・サラ教官のことでしょうか?」

「ああ。帝国でも指折りの実力者だし、何よりも特別実習の指導には打って付けの人材だろうからね」

 

帝国でも指折りの実力者。それは身の振る舞い方を見ただけで理解している。

ただ、後者についてはやはり引っ掛かる。殿下は何を言いたいのだろう。

 

「私も噂ぐらいは耳にしたことがありますわ。『紫電』なんて、格好いい呼び方をされている方ですよね?」

 

アルフィン殿下が言うと、リィンとラウラは驚愕の表情を浮かべていた。

 

「最年少でA級遊撃士となった、恐るべき実力と実績の持ち主・・・・・・『紫電のバレスタイン』。それが君達の担任教官さ」

「・・・・・・え、ええ!!?」

 

思わず席を立ち、声を上げた。年長者の余裕など、皆無だった。

 

______________________________

 

時刻は夜の19時半。

殿下との会食は閉幕を迎え、皆順次に挨拶を交わしながら、聖餐室を後にしようとしていた。

 

「で、殿下っ」

「おっと、君か」

 

皆が部屋を出た隙を見計らい、私は殿下に事の真相を確かめるべく、声を掛けていた。

勿論、それ以外にも目的はある。それを実行するかどうかは後回しだ。

隣にガイウスがいるのは、心細いから。それぐらいは大目に見てほしい。

 

「サラ教官が遊撃士だったというのは、本当ですか?」

「ああ、本当さ。何か気になる点でもあったのかい?」

「・・・・・・いえ。身近に元遊撃士がいただんて、思ってもいなかったので」

 

只者ではないと思っていたが、まさかサラ教官が遊撃士だったなんて。

聞きたいことは山程ある。シラを切られても、これで裏は取れた。

 

「ふむ。察するに君は、遊撃士に何か思うところがあるようだね」

「それは・・・・・・」

 

言葉が続かない。言った方がいいのだろうか。

決意してから、まだ1ヶ月も経っていない。

そんな生半可な覚悟で口にするのも、気が引ける。

 

「アヤ」

 

視線を落とし言い淀んでいると、右手を握られた。

背中を押すように、強くしっかりと。

そうだ。これは私だけの問題じゃない。

 

「私は・・・・・・遊撃士に、憧れています。私は将来、遊撃士になりたいんです」

「・・・・・・ほう。これは驚いた」

 

目を見開いて、殿下が言った。

当然の反応だろう。士官学院生の中で、遊撃士の志望者は相当に稀なはずだ。

だからこそ聞いておきたかった。私達《Ⅶ組》を設立した、張本人に。

 

「ただ・・・・・・その、士官学院生の中でも、とりわけ恵まれた環境を与えられながら・・・・・・それがご期待に沿える道なのかどうか、分からないんです」

「そんなことを考える必要はないさ。少々、言葉足らずだったかな」

 

何を今更と言わんばかりの様子で、殿下は続けた。

 

「軍以外の道、大いに結構。元よりそういった意味合いも、君達の人選には込められている。それは君にも分かっているのだろう?」

「それは・・・・・・はい。みんなもそうだと思います」

「時代が変われば、士官学院の在り方も変わる。君達はその取っ掛かりというわけだ。君の将来は、君自身の意志で決めればいい。といっても、私には背中を押すぐらいしかできないがね」

「あっ・・・・・・勿体無い、お言葉です」

 

本当に、私達は恵まれている。今更ながらにそう思える。

それに、殿下の言う通りだ。私はきっと、背中を押してほしかっただけなのだ。

先の話を聞いただけでも分かり切っていた。こうして話してしまえば、自然と逃げ道は無くなる。

私自身が宣言した道を、歩まざるを得なくなる。・・・・・・一国の皇子に何をさせているんだ、私は。

 

「もう迷いません。この場をお借りして、誓います」

 

ただ、これで決意は固まった。もう逃げたりはしない。

私はお母さんの意志を継ぎ、遊撃士になる。それだけはこの場で誓おう。

 

「それに、《Ⅶ組》で学んだことは決して無駄にはしません。何より、みんなと共にいくつもの壁を乗り越えた事実が残ります。それが私にとって・・・・・・私達にとって、大きな支えとなるはずですから」

「・・・・・・そう言ってもらえるだけで本望さ。ガイウス君、君も遊撃士に?」

「いえ。俺は卒業後、一度ノルドに戻ろうと思っています」

 

話を振られたガイウスは、何の躊躇いも無く殿下に答えた。

ただ、どういうわけかその先が続かなかった。

 

「・・・・・・ガイウス?」

 

何かを言い淀んでいるかのようにも見える。一体どうしたというのだろう。

数秒ほど視線を落としていたガイウスは、再び顔を上げ、殿下に向けて口を開いた。

 

「先のことは、まだ決めかねています。故郷を守るためにできることを、模索している最中です」

「え・・・・・・ま、待ってよ。どういうこと?」

 

殿下のことなど気にも留めず、お構いなしにガイウスに詰め寄る。

言っている意味が分からない。卒業後は、ノルドに戻る。私はそれしか聞かされていない。

 

「黙っていてすまない。ノルドでの実習を終えてから考えていたことだが・・・・・・今言ったように、まだ何も決めてはいない。この実習が終わったら、必ず話す」

「・・・・・・絶対に。絶対にだからね」

「ああ」

 

突然、彼が遠くへ行ってしまいそうな感覚に陥った。

それを止めるように、ガイウスの手を握る右手により一層の力が込められた。

彼の手も、それに応えてくれた。

 

「ヒュー、お熱いねぇ。BGMが必要なら、遠慮なく言ってくれたまえ」

「け、結構です」

 

どこからともなく取り出したリュートを構え、私達に熱い視線を送る殿下。

アルフィン殿下のハリセンといい、あれはどこから出てきたのだろう。謎である。

それにしても―――考えてみれば、ずっと手を握り合ったままだった。

言葉にはせずとも、私達の関係は殿下に伝わってしまったらしい。

 

「まぁ、まだ学院生活も始まったばかりだ。先の事はゆっくり決めればいい。それにしても・・・・・・君達はどことなく、エステル君達に似ているよ」

 

遠い目で私とガイウスを見ながら、殿下が言った。

エステル君。誰のことだろう。名前からは、それが女性であることしか分からない。

 

「久しぶりに愉快な時間を過ごさせてもらった。お礼と言ってはなんだが、私からアヤ君に1つ。プレゼントを贈ろうか」

「プレゼント、ですか?」

「ああ、後日郵送しよう。アヤ君、読書の習慣は?」

「・・・・・・最近は、ある程度。この間、小説のカーネリアを読みました」

「それなら、君にピッタリだ」

 

手を取り合う私達に、ウィンクを1つ。

殿下は高らかな笑い声を上げながら去って行った。

 

「どうか君の『母君』のような、立派な遊撃士になってくれたまえ。期待しているよ」



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2つの意志を

7月25日、深夜。

夜の静寂を破るようにして、導力トラムの走行音が耳に入ってくる。

暗闇の中で壁の時計を見やると、短針は23時を過ぎた辺りを指していた。

ということは、今のがきっと終発だ。これで走行音に気を取られることは無くなる。

 

(・・・・・・眠れない)

 

既に私の隣では、ラウラとフィーがベッドの中で寝息を立てている。

対する私は、一昨日の晩と同じく、悶々と眠れない夜を過ごしていた。

 

何を隠そう、殿下とガイウスのせいだった。といっても、殿下が1、ガイウスが9程度の割合だ。

私へのプレゼントとは何なのか、何故私のお母さんが遊撃士だったことを知っていたのか。

それはそれで気にはなるが、それ以上にどうしても、ガイウスの言葉が頭から離れない。

 

あんな表情の彼を見たのは初めてだ。多分、何かを迷っている。

私に話せないのは、何か理由があるのだろう。でも少しぐらい、相談してくれたっていいのに。

おかげでこの有様だ。どうしてくれる。

 

「バカ」

 

その言葉を最後に、私は考えるのをやめた。明日は朝から帝都中を歩き回ることになる。

また寝不足気味の顔を見せたら、マキアスあたりに怒鳴られるに違いない。

 

遡ること、3時間前。

女学院を後にした私達はサラ教官とクレア大尉につれられ、実習初日にも訪れたヘイムダル駅の指令所に足を運ぶことになった。

そこで明かされたのは、私達《Ⅶ組》の特別実習3日目の課題。

課題と言うよりかは、帝国正規軍のサポートと言ったところだろうか。

何しろ帝都知事閣下、直々の御依頼だ。断る理由は見当たらなかった。

 

ノルド高原で明らかとなった、ギデオンと名乗るテロリストの存在。

彼が単独ではなく、何かしらの組織に所属していることは既に私達も知るところだ。

軍もその存在を脅威として捉え、明日の夏至祭初日には厳重な警備網を展開する手筈だそうだ。

私達《Ⅶ組》も、レーグニッツ知事の意向でその友軍に抜擢されていた。

予め用意されていた実習課題は一時保留。明日は一日中そちらに注力する必要がある。

 

「・・・・・・もう寝よ」

 

寝返りを打ちながら目蓋を閉じ、1つだけ深く息を吐く。

それと同時に―――扉の向こうから、気配を感じた。

 

(足音?)

 

ベッドから半身をお越し、聞き耳を立てる。

確かに音がしたし、人の気配があった。誰か起きているのだろうか。

迷いはあったが、結局私は部屋を出ることにした。

どうせこのままベッドでじっとしていても、眠れるとは思えなかった。

 

上着の袖に腕を通し1階へ降りると、そこにはサラ教官とリィンの姿があった。

2人だったか。こんな時間に何をしているのだろう。

 

「あら、あなたも起こしちゃったか。何か悪いわね」

「気にしないで下さい。ちょっと眠れなくって」

「はは・・・・・・俺も似たようなものでさ」

 

察するに、リィンも気配を感じ取って降りてきたのだろう。

足音はサラ教官のものだったに違いない。

 

「サラ教官も、眠れないんですか?」

「少しだけ懐かしくなっちゃってね」

 

小さな笑みを浮かべながら、サラ教官は周囲を見渡した。

もしかしたら、昔のことを思い出しているのかもしれない。

 

「ちょっとした縁で、遊撃士になって。クセのある仲間達と、毎日何件も依頼をこなして・・・・・・ふふ、ちょうど今の君達のような感じだったかしら」

「何となく、想像は付きます」

「私も。毎日が実習みたいな感じかな?」

「そうね。あの頃は本当に忙しかったわ」

 

ヘイムダル駅からここへと戻る道中、サラ教官は帝国における遊撃士協会の実情を明かしてくれた。

 

2年前に遊撃士協会ヘイムダル支部で起きた、火災騒動。

驚いたことに、あれはとある猟兵団によるテロ行為だったそうだ。噂にしか過ぎないと思っていたが、事実だったというわけだ。

そして続けざまに発生した、帝国の各協会支部を襲った爆破事件。

犯行グループの目的も、手段も。話を聞いても、何から何まで分からないことだらけだった。

確かなことは、帝国政府から目を付けられたこと。その圧力もあり、帝国における遊撃士の活動は縮小を余儀なくされた。帝都支部も、復興の目途は立っていない。

それが、サラ教官が語った全てだった。

 

俄かには信じがたい事実だったし、真相を知る者は帝国でも限られているのだという。

報道の自由とはよく言ったものだ。見事に報道に規制が掛かり、誰も噂を信じようとしていない。

 

「・・・・・・やっぱり、未練はあるんですか?」

「まぁそれなりにね。死ぬほど忙しかったけど、楽しかったのは事実だし。私にとっては、一番の居場所だったから」

 

胸がズキンと痛んだ。

それはここに戻って来た時から、皆も感じていたこと。

様子がおかしいとは思っていたが、やっぱり少し無理をしていたようだ。

 

「でも、今だって十分楽しいのよ?ここと同じぐらい、私にとっては大切な『居場所』だから。あなた達の担任になれて、本当によかったと思ってる」

「・・・・・・俺達も、同じ思いです。そうだろ、アヤ」

「・・・・・・ん」

「アヤ?」

 

いつも飄々と笑いながら、時には指導者としての顔を見せるサラ教官。

包み隠さずにこうして心境を明かしてくれるなんて、初めてのことだ。それに、初めて見る顔かもしれない。

前者は素直に嬉しいと思える。ただ―――後者は違う。

私はサラ教官のそんな顔を、見たくない。

自然と、上着の胸ポケットに収まっていた手帳に手が伸びた。

 

「サラ教官」

「何?」

「私、遊撃士になります」

 

私の告白に、サラ教官とリィンが固まった。

それはそうだろう。話したのはガイウスと殿下を除いて、2人が初めてだ。

 

「クロスベルに帰った時に・・・・・・両親と再会して。あの時に決心しました。日は浅いですけど、今はそう考えています」

「お、驚いたな。いつの間にそんな・・・・・・そうか。君の母さんは、遊撃士だったって言っていたな」

「あはは。みんなには、まだ内緒にしておいてね。直接言いたいから・・・・・・サラ教官」

 

驚きの声を上げるリィンに対し釘を刺しながら、サラ教官に向き直る。

教官はリィン以上にぽかんと口を開けながら、呆けていた。これはこれで、貴重な顔だ。

 

「これからも、たくさんの事を教えて下さい。まだまだ未熟者の私ですけど・・・・・・その、何て言ったらいいか。上手く言えないですけど、私みたいな人間だっているんです」

「アヤ、あなた・・・・・・」

「だからサラ教官の事も、もっと知りたいです。お母さんの意志と一緒に、私なんかでよければ―――」

 

今でもはっきりと覚えている。

過去に囚われ、今を見失いかけた時。包み込むような温かさで、私を導いてくれた。

もう進むべき道は決まっている。なら私は喜んで、2つの意志を継いで見せる。

 

「―――教官の分も、私に預けて下さい。それを背負えるような遊撃士に、きっとなって見せます」

 

酔っている時のように、饒舌に言葉がすらすらと並んだ。

あながち間違ってもいない。勢いに身を任せている部分もきっとある。それでも本心だ。

今の私には無理でも、きっといつか。

 

「教官、アヤに何か言ってあげたらどうですか?」

「え・・・・・・ああ、そうね」

 

リィンに促され、我に返ったようにハッとするサラ教官。

何だろう。6歳年上の女性に抱いていい感情ではないが・・・・・・ちょっと可愛い。

 

「まぁ、気持ちは受け取っておくわ。それよりも今は、目の前のことに集中しなさい。しっかりと休んで、明日に備えること。いいわね?」

「あ、はい」

「了解です」

 

サラ教官はそれを最後に、足早に2階の寝室へ戻って行ってしまった。

どうしたのだろう。もう少し、何かしらの言葉が欲しかったのだが。

思い切って打ち明けた分、拍子抜けしたような気分だ。

 

「もしかしたら、感極まったのかもしれないな・・・・・・今頃、部屋で泣いているんじゃないか?」

「え・・・・・・そ、それはないでしょ。だってサラ教官だし」

 

そんなサラ教官も見てみたいような、見たくないような。

いずれにせよ、今は教官が言うように明日に備えるべきなのだろう。

見れば、既に日付も変わっている時間だった。

 

「でもさ。サラ教官、やっぱり寂しそうな顔をしてたよね」

「無理もないさ。俺は遊撃士に詳しくないけど、教官にとっては天職みたいなものだったと思えるな」

「うん、それは私も思った」

 

軍人に求められる能力と遊撃士のそれは、まるで方向性が違う。

サラ教官とナイトハルト少佐が噛み合わないのは、それも原因なのだろう。

そういった意味では、お母さんはまさに遊撃士の鏡のような人間だった。

サラ教官にお母さんの面影が映るのは、2人の持つ力や人間性が似通っているからに違いない。

 

そんな天職とも言える居場所を奪われる。その苦しみは想像もできない。

まだたったの1年半だ。そう簡単に割り切れることではないのだろう。

サラ教官だって―――1人の人間だ。

 

「リィン」

「アヤ」

 

階段を上りながら、言葉と視線が重なった。

そして、サラ教官に対する思いも。言葉にはせずとも、それだけは分かった。

 

_________________________________

 

「それじゃあ、あたしはB班の様子を確認してから鉄道憲兵隊の司令所に向かうわ」

 

特別実習最終日、そして夏至祭初日となる、7月26日の早朝。

フィオナさんの手料理で英気を養った私達は、サラ教官と巡回ルートの再確認を行っていた。

屋内にいながらも、祭礼特有の喧騒と熱気が肌で感じられる。

帝国を渡り歩く中でいくつかの夏至祭を見てきたが、帝都の夏至祭は時期に限らず、その意味合いや規模がまるで異なるようだ。

 

「巡回中、何かあればあたしのARCUSに連絡してちょうだい」

「了解しました・・・・・・サラ教官」

「ん?」

 

リィンの頷きが合図となり、皆の視線が交差する。

コホンとエリオットが咳払いを置き、ゆっくりと口を開いた。

 

「サラ教官。改めて僕達からも、言わせて下さい」

「今までのように、これからも。サラの居場所で在り続けられるよう、私達は努力する」

「へ?」

 

昨晩に続いて2度目となる、サラ教官の呆け顔。

構うことなく、ラウラが続いた。

 

「まだ半人前の我々だが、教官の教え子として恥じぬよう、尽力惜しまぬ所存です」

「《Ⅶ組》を代表して・・・・・・え、A班が誓います」

 

トリを務めたマキアスが、思いっ切り照れながら言った。

それに釣られるようにして、皆の顔にも同じ色が浮かんだ。

 

「・・・・・・リィン、アヤ。君達の差し金?」

「あはは、バレました?」

「ですが、俺達の本心です。きっとB班も同じ思いのはずですから」

「そ。まぁ、悪い気はしないわ」

 

女学院の正門前で考えていた事を思い出してしまった。

群れで行動する鳥の群れに、リーダーも指示系統も存在しない。

でもラウラが言うように、私達はまだまだ半人前。言わば雛鳥だ。

雛鳥には親鳥がいる。目の前で温かな笑みを浮かべるサラ教官が、私達には必要だ。

 

「生意気におねーさんの心配なんかしてないで、目の前をしっかりと見据えなさい。いいわね?」

「了解です。特科クラス《Ⅶ組》A班、これより行動を開始します。みんな、気合を入れて行くぞ!」

「「おうっ!!」」

 

友軍と言えど、正規軍の補佐として動く以上、見っとも無いところは見せられない。

士官学院生として、サラ教官の教え子として。

そして私は、意志を継ぐ1人の人間として。今日が第4回特別実習の頑張りどころだ。

 

____________________________________

 

私達A班の担当範囲は、実習範囲と同じくヴァンクール通りを挟んだ帝都の東部。

各街区を巡回しながら、異常が見られないかを確認する。あくまで巡回だ。

何もテロリストと直接やり合うわけではない。その存在すら可能性に過ぎない。

 

なら、効率を優先して手分けして行動するべき。

そんなフィーの提案に私達は同意し、A班は二手に分かれ巡回をすることになった。

自然と男性陣、女性陣の3人ずつ。色々と偏るものがあるが、大して問題にはならないだろう。

依頼をこなしていく中で、既に土地勘も頭の中に入っている。迷うこともないはずだ。

 

「祭礼日和だな。どの街区も活気に満ち溢れている」

「テロ日和とは言えない。天気が悪い方が、気配や顔を消して行動しやすいから」

「ふむ。ならば我々に有利な条件というわけだ」

「ブイだね」

「あはは」

 

噛み合っているような、そうでないような。

いずれにせよ頼もしい限りだ。特にフィーの嗅覚は、こういった時にこそ本領を発揮できる。

 

アルト通りからオスト地区を巡回した私達3人は、マーテル公園に足を運んでいた。

公園の敷地内には、何人もの帝都憲兵隊と思われる近衛兵の姿があった。

クレア大尉のブリーフィングによれば、アルフィン皇女はここで開かれる園遊会に出席するはずだ。

厳重な警備網が敷かれているのも当然だろう。

 

「うん、ここは私達の出る幕は無さそうだね」

「そだね。そろそろリィン達と一旦合流する?」

「ああ、そうだな」

 

アルト通りで聞いた、一夜にしてアパルトメントから忽然と姿を消した住民。街中でフィーが感じた、何者かの気配。

他にもいくつか気になる点があったが、どれも見過ごしてしまいそうな些細なことだった。

だからといって、無視はできない。お互いの情報を交換する中で、繋がりが見えてくる可能性もある。

 

「じゃあラウラ、よろしく」

「出番だよ、ラウラ」

「・・・・・・よく分からないが、任せるがよい」

 

釈然としない態度で、かつどこか嬉しげにARCUSを手に取るラウラ。

自分が一番よく分かっているだろうに。言わせないでほしい。

 

「リィンか、私だ。そなたらは今どこに・・・・・・デア・ヒンメルということは、ガルニエ地区だな」

 

ガルニエ地区か。そこはリィン達の巡回ルートの最終地点だったはずだ。

こちらと同じく、そろそろ合流していい頃合いだろう。

 

「・・・・・・ふむ。リィン、何故に今ヴィータ・クロチルダの名前が出る。巡回中に何をしているのだ」

 

あ。リィンがまた地雷を踏んだ。

会話の内容を察することはできないが、それだけはラウラの表情で分かった。

 

「ラウラ、ちょっと代わって」

 

溜息を付きながら、フィーがラウラのARCUSを取った。

あれ、どうしたのだろう。リィンにダメ出しでもするつもりだろうか。

 

「ホテルにいるなら、そのまま地下道を通ってここまで来て。もしかしたら、警備に穴があるかも」

 

_________________________________

 

男性陣と合流した私達は、近くを巡回していた近衛兵に事情を説明した。

フィーが睨んでいた通り、流石の彼らも地下道の存在は把握できていなかったようだ。

封鎖されているとはいえ、あそこには魔獣も住み着いてしまっている。

最悪を考慮して、周辺にも人手を割いた方が賢明だろう。

 

「コホン。アヤ、1つ聞いてもいいか」

「何?」

「どうしてラウラは少し不機嫌気味なんだ?」

「・・・・・・自分で考えなよ」

 

眉間に皺を寄せたラウラと、目を細めてリィンを見やるフィー。

蒼の歌姫直筆のサインを手にしたマキアスとエリオットは、念願叶ったりのホクホク顔で軽快な足取りだった。

肝心のリーダーはこの有様である。大丈夫か、この班。

 

「フン、君達か」

「あ。パトリックじゃん」

 

石造りの橋を渡りながらトラムの停留所を目指していると、見知った顔と遭遇した。

パトリック・T・ハイアームズ。彼も帝都に来ていたのか。

 

「フッ、僕も園遊会の招待を受けた次第でね。君達はこんな日にまで実習とやらか。ご苦労なことだ」

 

大した驚きもなかった。彼の身分と出身を考えれば、それも当然のことなのだろう。

相変わらずの憎まれ口にも大分慣れてきた。マキアスは癇に障ったようだが、慣れの問題だ。

 

「精々雑用に奔走することだな。僕の方は、かの皇女殿下の拝謁を賜るつもりだが・・・・・・あまり妬かないでくれたまえ」

 

・・・・・・昨日、その皇女殿下の手厚いもてなしを賜ったことは、パトリックには知る由も無い。

得意気に話されても、それが空回ってしまっているのが何となく彼らしい。

半ば呆れている私達をかき分けるように歩を進めたパトリックは、私の横でその足を止めた。

 

「え、何?」

「エリゼ君は、園遊会に出席するのか?」

「・・・・・・あのさ、私が知るわけないでしょ。リィンに訊きなよ」

「あの男の前で名前を出すと、露骨に嫌な顔をされるんだ。彼女は君を慕っているんだろう?」

 

小声で私に囁くパトリック。その情報はどこから得たんだ。身震いしてしまう。

Ⅰ組でトップの成績を誇る公爵家の御子息がこれである。大丈夫か、士官学院。

 

「2人とも、何を話しているんだ。妹の名前が聞こえた気がするんだが」

「な、何でもない。フン、失礼する」

 

吐き捨てるように言ったパトリックは、リィンの警戒心溢れる視線に追われながら去って行った。

・・・・・・私達、今何をしているんだっけ。そう思わざるを得なかった。

 

_______________________________

 

午後の13時過ぎ。

一通りの街区を巡りながら得た情報をサラ教官に報告した後、私達は再度マーテル公園へ足を運んでいた。

夏至祭の初日には、皇族一同が各地の行事を回るのが通例となっているそうだ。

私達A班は、マーテル公園を訪れるアルフィン皇女を見届ける役割を担っていた。

ちなみにB班の担当は、ヘイムダル大聖堂に赴くセドリック皇太子。

 

「あのリムジンがそうだよね?」

「そうみたいだな。何も無ければいいんだが・・・・・・」

 

B班が帝都西部を巡回して得た情報も、サラ教官を介して私達にも知らされている。

それは例えば、夜間に不審な人物を見掛けた。物音が聞こえた。

一夜にして、アパルトメントの一室がもぬけの殻と化していた。

要するに、私達が得たものと似通ったものだった。

 

それぞれの情報が何を意味しているのかは定かではない。寧ろその共通点こそが重要だ。

得体の知れない何かが、進行している。そう感じさせてならない。

皆からも、先程までのお気楽な雰囲気は鳴りを潜めていた。

 

「あれ・・・・・・え、エリゼ?」

「ふむ。そなたの妹君も同行していたのか」

 

リムジンから降り立ったアルフィン皇女に続いて、何とそこにはエリゼちゃんの姿もあった。

付き人として同行しているのだろうか。思っていた以上に、2人の間柄は親密のようだ。

 

「知らなかったの、リィン?」

「あ、ああ。まさかエリゼまで招かれていたなんて。驚いたな」

 

良かったじゃん、パトリック。いや、良くないか。この場合どっちだろう。

ともあれ、2人は無事に待機していたレーグニッツ知事に迎えられ、クリスタルガーデンへと入って行った。

私達が見守る中、特に何も起きずに事は運んでいた。

 

「よし、ここはもう大丈夫だ。手早くランチを取って各街区の巡回を再開しよう。アヤ、何が食べたい?」

「照り焼きチキンピザの熟成チーズ増し増し」

「・・・・・・屋台で済ませられる物にしてくれ」

「えー」

 

「こんな時にやれやれだな」と言わんばかりの複数の視線を感じた。

絶対に皆には言われたくない。そんな思いとは裏腹に、私のお腹は空腹を知らせるように鳴き始めていた。

 

_________________________________

 

マーテル公園を後にした私達は、6人全員で各街区を再度巡回しながら、周囲に対し気を配っていた。

そんな私達の予想を良い意味で裏切るように、不穏な雰囲気はまったく感じられなかった。

 

最後に足を運んだのが、ここドライケルス広場。

バルフレイム宮を一望できる場所でありながら、今となっては人影は少なく、周囲は閑散としていた。

屋台で購入したデザートに夢中になる子供達に、宮殿をのんびりと眺める老夫婦。

帝都では稀な存在となった、馬車まであった。おそらく、夏至祭に乗じたイベント向けの物だろう。

 

各地で催されている行事が終わるのが、日が暮れ始める夕方の予定だ。

その時間までは、ここも今のような状態が続くようだ。

周囲を警備する軍人も、緊張感が薄れているように思える。

 

とはいえ、私達まで気を抜いて入られない。こういった時にこそ、友軍である私達の出番だ。

周囲に注意深く視線を送っていると、その出で立ちから一目で知り合いだと分かる顔ぶれに目が止まった。

 

「アンゼリカ先輩?」

「ん・・・・・・やあ、君達か」

「あ、リィン君達だ!」

「トワ会長まで・・・・・・来ていたんですか」

 

アンゼリカ先輩に、トワ会長の2人組だった。

巡回中にクロウ先輩とも遭遇したが、2人まで帝都に来ていたのか。

その横には、技術棟の前で目にしたことがある、異様な2輪車が置かれていた。

 

「導力バイクでトリスタから来たんですか?」

「ああ。そいつを使えば、40分くらいで着くからね」

「40分!?」

 

思わず叫んでしまった。

40分ともなれば、もしかしたら下手な導力車よりも速いのではないだろうか。

リィンもあれに乗ったことがあると言っていたが、とんでもない乗り物だ。

 

「はー。でもお祭りはいいよね。これでテロリストの心配がなければ、言うことないんだろうけど」

「「えっ?」」

 

今度は6人全員の声が重なった。

トワ会長曰く、レーグニッツ知事からの要請を取り次いだのは、彼女だったそうだ。

そんな事情もあり、私達の様子を見に来てくれた。お祭り半分、《Ⅶ組》の心配半分といったところか。

頭が上がらないにも程がある。生徒会長とはこういうものなのだろうか。

 

「何だ何だ、揃い踏みかよ」

「あれ、クロウ君?」

 

集うようにして、今後は後方からクロウ先輩が声を掛けてきた。

振り返ると、先輩の表情は曇りに曇っていた。原因は・・・・・・まぁ、容易に想像が付く。

今頃キルシェでは、同じ顔のフレッドさんが肩を落としているに違いない。

 

「なるほど。クロウ先輩は馬を見る目が無いんですね」

「うるせえ・・・・・・そ、そうか。お前さんは馬術部だったな。今度一緒に馬を見てくれねえか?」

「嫌です」

 

競馬という文化を否定するつもりは毛頭無い。ただ、協力を乞われてもお断りだ。

脚に大した差がないなら、あとは馬の気分の問題だ。

走る気満々の馬もいれば、牝馬の尻を追いかける馬だっている。見れば分かるだろうに。

 

「あ、そうだ。アンゼリカ先輩、ありがとうございました」

「おっと。何の話かな?」

「詳しくは話せませんが・・・・・・手甲のおかげで、大事に至らずに済みました。感謝しています」

 

銃弾で怪我を負ったなんて知れたら、トワ会長が泡を吹いて卒倒しそうだ。

それでも、アンゼリカ先輩にお礼だけは言っておきたかった。

大袈裟では無く、この装備が無かったら今頃どうなっていたことか。今でも背筋が凍る思いだ。

 

「なるほどね。なら、行動で示してくれないかい」

「え?」

 

先輩は言いながら私の顎を引き、強引に身を寄せた。

思わずぶん殴りたい衝動に駆られたが、それをぐっと堪え、視線を逸らすことなく対峙した。

ここで取り乱しては先輩の思う壺だ。それに―――ずっと気にはなっていた。

 

「・・・っ・・・・・・あの、どこまで本気なんですか?」

「ふむ。どういう意味かな」

「いつも思わせ振りな行動をしますけど、いつも直前で手が出ちゃいますし。もしかして、全部嘘なんじゃないですか?」

 

真っ直ぐに先輩の顔を見据えながら、気丈に吐いた。

そのアクアブルーの瞳に、吸い込まれそうになる感覚に陥る。

耐えろ。ここで顔を背けては負けだ。何が負けか分からないが、そんな気がする。

 

「ば、馬鹿野郎!そいつはマジで―――」

「クロウ、君は黙っていてくれないか・・・・・・アヤ君、本気なんだね?」

「だから、先輩こそ本気なんですかって訊いてるんです」

 

悪戯な笑みを浮かべながら、煽るような文句を1つ。

直後に、目の前にアンゼリカ先輩の顔が迫った。

 

「あ―――」

 

息が止まった。一方の先輩は、私の目を覗き込むようにして顔を近づけてくる。

先輩の呼吸を、唇で感じる程の距離に迫ったところで―――周囲が異様な喧騒に包まれた。

 

「え・・・・・・な、何?何なの?」

「やれやれ。とんでもない邪魔が入ったね」

 

気付いた時には、鉄製のマンホールが次々と上空を舞っていた。

誰もが上空を仰ぎながら、立ち尽くす事しかできなかった。

それらが地上に降り注ぐと同時に、けたたましい轟音が周囲に鳴り響いた。

そうして漸く―――目の前の光景が、どれ程の異常事態かを理解するに至った。

 

「ま、まさか・・・・・・テロリストの仕掛けか!?」

 

リィンの言葉に、反論する者はいなかった。

下水が溢れ出る騒音に、周囲に飛び交う悲鳴。

ほんの十数秒の間に、ドライケルス広場は混乱の渦中にあった。

 

「そうみたいだね。みんな、慌てちゃ駄目だよ」

 

トワ会長の落ち着き払った声が、皆の表情を変えた。

それは余りにも場違いな声色だった。こんな状況だと言うのに、思わず表情が和らいだ。

ありがたい限りだ。少しだけ冷静さを取り戻せた気がする。

 

「私達はみんなの避難誘導を手伝うよ。ここは私達に任せて、リィン君達は動いて!」

「動くって・・・・・・あっ」

「君達にしかできないことが、きっとあるはずだよ!」

 

私達6人の視線が重なり、同じ結論に至った。

 

「マーテル公園・・・・・・っ!」

「まさか、陽動か!?」

「間違いなさそう」

 

帝都競馬場のオリヴァルト皇子。ヘイムダル大聖堂のセドリック皇太子。

そして―――クリスタルガーデンの、アルフィン皇女。

陽動であるとするなら、テロリストの目的は皇族の身柄。時間帯を考えても、その可能性が極めて高い。

私達A班がすべきことは1つだ。こうしてはいられない。

 

「リィン、急がなきゃ!」

「分かってる。だがこんな状況じゃ・・・・・・」

 

リィンの視線の先には、路線上で停車している導力トラムがあった。

大通りの導力車も同様で、操縦者を失くした鉄の塊が、そこかしこで道を阻んでしまっていた。

帝都中で同じ現象が発生していると考えた方がいい。こんな状況下では、導力車も当てにならない。

ここからマーテル公園まで、かなりの距離がある。徒歩では時間が掛かり過ぎだ。

 

「リィン君、こいつを使うといい!」

 

足踏みする私達に、アンゼリカ先輩が何かを放り投げた。

数リジュ程度の、金属製の棒。形から察するに、何かの鍵だった。

それを受け取ったリィンは、足早に導力バイクの下へ駆け寄った。

 

「ありがとうございます!ラウラ、相席を頼めるか!?」

 

リィンが鍵を差し込んだ導力バイクが、唸りを上げた。

これがあったか。これならものの数分で公園に行ける。

 

「承知した、任せるがよい!」

「みんな、俺とラウラが先行する。すまないが、後に続いてくれ!」

 

一際大きな駆動音を上げた導力バイクが、リィンとラウラを乗せ加速した。

状況が状況だ。初動は2人に任せるしかない。

だが後に続くと言っても、徒歩では無理だ。あれの他に、足などあるだろうか。

 

「アヤ。あれ、使えない?」

「え・・・・・・あっ!」

 

フィーの視線の先には、先程も目にした1台の馬車。

あれなら使える。非常事態だ、持ち主には後で謝っておけばいい。

 

「みんな、あれに乗って!馬は私が操るから!」

「ラジャ」

「ま、まさかこんな時に馬車に乗るとは」

「急いで2人を追おう!」

 

足早に馬の下に駆け寄り、気が立った馬をなだめる。

この騒動で動揺してしまっているが、これぐらいなら走りに影響は無い。

 

「アヤ、馬車を引いたことは?」

「何度もあるけど、この手の2輪型は初めて」

「重心は私がコントロールする。時間が無い、私達に構わないで」

「もっと分かりやすく言って」

「ぶっ飛ばしてっ!」

「了解っ!!」

 

手綱を取り、導力バイク顔負けの初速で馬が駆け出した。

思った以上に脚がある。馬車を引かせるには勿体無い馬だ。

 

「2人とも、次のカーブで左に寄って」

「わああああ!!?」

「ひいいいい!!?」

「左だってばっ!」

 

後ろから頼りない悲鳴が聞こえるが、フィーに任せておけば転倒の恐れはないだろう。

今は、一刻も早くリィン達に追いつく。事情が事情だ、帝国交通法など知ったことか。

行き場を失った導力車達を置き去りにして、私達はヴァンクール通りのど真ん中を貫いた。



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名乗り合い一騎打ち

今回の実習で目の当たりにしてきた、帝都直下に広がる地下世界。

クリスタルガーデンから飛び込んだそれは、他の地下道に比べ、余りにも異なる様相を呈していた。

 

「こ、こんな場所が帝都の地下にあったのか」

「暗黒時代の遺跡・・・・・・地下墓所、のようなものか」

 

地下墓所。ラウラはそう表現した。

その言葉は、トマス教官の小話の中で耳にした覚えがある。

 

元来は異教徒の亡骸を、人目に触れずに埋葬することが目的だったそうだ。

名高い身分にありながらも、公言できないような教えに身を捧げる人物のための墓所。

次第にその意味合いは時代と共に変貌を遂げ、邪悪な魂を静めるための儀式の場と化した。

確か、そんなところだ。ノルド高原の石切り場に通ずるものがある。

 

墓場という表現に身震いしていると、先行していたフィーの足が止まった。

それに合わせ、私達も立ち止まらざるを得なかった。

 

「どうしたんだ、フィー?」

「気持ちは分かるけど、みんな冷静になって。浮足立っていられる状況じゃない」

 

フィーの言葉が、胸に刺さった。

どうやらリィン達も同じ思いのようで、意識して肩の力を抜き始めていた。

いつの間にか、フィーを煽るようにして足並みが揃っていなかったようだ。

 

魔獣やテロリストの襲撃に対応でき、トラップの類への感知が可能な速度で。

体力を無駄に消費せず、可能な範囲でできる限り速く。

人並み外れた嗅覚を持つフィーが、そのペース配分の調整役だ。

早る心は皆同じだ。彼女が言うように、気持ちだけが先行してもどうにもならない。

 

「・・・・・・そうだな。みんな、連中は国を相手取るような本物のテロリストだ。慎重に行くぞ」

「承知した」

「何とか追いつければいいけど・・・・・・」

 

リィンとラウラに続いてマーテル公園に到着した私達は、入り口を固める大型魔獣を撃破した後、クリスタルガーデン内に踏み込んだ。

そこに待ち受けていたのは、最悪の光景。ノルド高原で暗躍したテロリスト、ギデオン。

そして、手足を縄で拘束された、アルフィン殿下とエリゼちゃんだった。

眼前に2人を捉えながらも、魔獣に行く手を阻まれた私達は、彼らを取り逃がしてしまったのだ。

その逃走ルートが、クリスタルガーデンから繋がっていたこの地下道だった。

 

マーテル公園に到着してから、サラ教官と連絡を取ろうと何度か試みたものの、肝心の通信がまるで機能しなかった。

やっとの思いで繋がったのは、地下道に突入する直前のことだった。

鉄道憲兵隊の初動が遅れているのも、そのせいかもしれない。これもあいつらの仕業なのだろうか。

地下道からの襲撃といい、入念に段取りを組んでいたのだろう。

負傷していたレーグニッツ知事のことが気掛かりだったが、帝都憲兵隊は正規軍の中でも優秀な兵士と聞いている。

それに、パトリックがいる。背中を預けるには、十分過ぎる存在だ。

 

「フィー、まだ続いてる?」

「ん。次は右」

 

迷路のようなこの地下道を闇雲に走り回っていては、日が暮れていたかもしれない。

こんな暗闇の中でどうやって感知しているのか理解できないが、連中の足取りはフィーのおかげで迷うことなく辿れていた。

おかげで私にも分かる程度に、人が通った痕跡が見受けられるようになっていた。相当近くまで来ているはずだ。

 

「ねぇ、リィン」

「分かってる。前回の実習で、俺も学んださ」

 

その言葉を最後に、リィンは口を噤んだ。

石畳の階段を上った先―――遺跡の最深部と思われる開けた空間に、その姿を捉えた。

 

言葉は必要なかった。視線同士で意志の疎通を図り、リィンの合図で皆が駆け出した。

敵勢力は変わらず、ギデオンを含む3人。私達の目的は、アルフィン皇女とエリゼちゃんの身柄の確保。

真っ向からやり合う必要は無い。狙うは、奇襲だ。

 

「そこまでだっ!!!」

「なっ―――」

 

リィンの裂帛の気合に怯んだギデオン達は、マキアスとエリオットの威嚇攻撃に不意を突かれ、完全に足が止まった。

回り込むようにして、左右から私とラウラ、上方からフィーが降り立ち、彼らの背後を取った。

6対3だ。周囲に気を巡らせても、人の気配は感じない。完全に包囲したはずだ。

 

「ここまでだ。殿下とエリゼを、解放してもらおうか」

「あまりの不敬、見過ごすのは躊躇われるが・・・・・・」

「大人しく開放するなら、見逃さないでもないぞ?」

「こ、こいつら・・・・・・」

 

深追いする必要はないし、交戦するつもりもない。あくまで2人の解放が目的だ。

 

「言っておくが、2人に傷1つでも付けたら。一切の容赦はしないと思え・・・・・・っ!」

「兄様・・・・・・」

 

一方のリィンは、激昂するその感情を隠しきれないでいた。

無理もない、か。何しろ肉親が攫われたのだ。

 

「・・・・・・分かった。降参だ。我々に勝ち目が無いことだけは認めよう」

 

ギデオンのその言葉に、皆が顔を見合わせた。

随分と簡単に白旗を上げてしまった。一体何のつもりだ。

 

「なっ!?」

 

物怖じしないギデオンの態度に向いていた注意が、その一瞬の隙を生んでしまった。

見れば、いつの間にかアルフィン皇女とエリゼちゃんは、ぐったりと力無く横たわっていた。

 

「揮発性の睡眠薬・・・・・・!」

「き、貴様っ!?」

「気絶させただけさ。うら若き乙女に見せるのは、少々躊躇われるからな」

 

ゾッとするような笑みを浮かべたギデオンは、腰元に携えていた笛を手に取った。

そうだ。先月の実習に、クリスタルガーデン内の大型魔獣。いつも始まりは、あの笛だ。

 

「させないっ!!」

 

人を斬る覚悟すら要らなかった。

問答無用で斬りかかった私の剣を、ギデオンは後方に飛び退いて躱した。

同時に一瞬だけ、笛の音色が聞こえた。彼が笛を吹いたのは、その一瞬だけ。

 

笛を奏でる時間は、問題では無かったようだ。

突如として―――背後から、突き刺さるような殺気を感じた。

 

「な、何だ?」

「魔獣の咆哮・・・・・・違う、魔獣じゃないっ」

 

初めは、木材が散らばっているだけのように見えた。

それは笛の音色に反応するように蠢きながら、宙を舞った。

脹れあがる邪悪な気配と共に、何かを形作るかのように組み上げられていく。

 

それが骨であることに思い至ったところで―――2ヶ月前の、実習を思い出した。

バリアハートへ向かう列車内で、アリサが教えてくれた、帝国に伝わる伝承。

セントアークが白亜の旧都と呼ばれるようになった、1つの学説。

 

『暗黒時代と呼ばれる時代に、『暗黒竜』が放った瘴気によって、帝都ヘイムダルは死の都へと変貌したとされているわ』

 

視界にすら物理的に映る、禍々しい漆黒の気当たり。

骨格だけでも、それを連想せざるを得なかった。

 

「そ、そんな・・・・・・まさか、こいつが」

「ハッハッハ!!これぞ『降魔の笛』の力!!暗黒時代の帝都の魔すらも従わせる、古代遺物の力だ・・・・・・っ!!!」

 

声が出なかった。

伝承上の存在とばかり思っていた、魔物が実在していたことも。

その亡骸に、再び魂が吹き込まれたことも。その謎めいた力の存在も。

受け入れるには、何もかもが非現実的過ぎた。

 

「ど、どうするの・・・・・・!?」

「敵戦力不明。う、動きが読めない」

 

膝が笑うだなんて、こんな感覚はとうの昔に忘れていた。

こんな、何百年も昔の伝説を相手に、どうすれば―――

 

「―――みんな、気をしっかりと持つんだ!!」

 

五感すら失いかけていたところで、現実に引き戻された。

信じられないことだが、呼吸すら止まっていたようだ。

 

「り、リィン?」

「今回の実習で得た物を思い出してくれ。こんなところで俺達は、立ち止まるわけにはいかない・・・・・・勝てない相手じゃない!!そうだろう、みんな!?」

 

私達が、私が手に入れた物。

そうだ。私は殿下の前で、サラ教官の前で誓いを立てた。

もう迷いはしないと。意志を継いで、立派な遊撃士になると。

何よりこの3日間で、私達は漸く1つになれた。

それぞれが過去や葛藤を受け止め、未来に向かって既に歩き始めているはずだ。

こんなところで、歩みを止めていいわけがない―――

 

「その通りだ・・・・・・っ!!」

「て、帝都民として諦めてたまるか!」

 

それぞれの得物が音を立てて、魔物に向けられた。

本当に不思議な人間だ。リィンの激励1つで皆の士気が高まり、結束の力を生み出す。

それに、数の利はこちらにある。既に増援もここへ向かっているはずだ。

 

(アヤ、あの笛を見てくれ)

(え?)

 

小声で囁くリィンの視線の先には、ギデオンが手にしていた『降魔の笛』があった。

こうして見ていても分かる程に、あの笛から溢れ出る何かが、亡骸であるはずの魔物に息吹をもたらしているに違いない。

 

(あの笛をどうにかできれば、活路を見い出せるかもしれない。頼めるか?)

(・・・・・・そっちこそ、私抜きであの魔物とやり合う気?)

(やるしかないさ。お互いにな)

 

いずれにせよ、あの笛は存在してはいけない代物のはずだ。放っては置けない。

目の前の魔物をどうにかできても、再び笛の力を使われては大変なことになる。

 

「OK、リーダー!!」

 

先陣を切って飛び出した私は、魔物の眼前で身を翻し、リィン達の後方に向けて飛び掛かった。

狙うはそのさらに後方。高みの見物を決め込む、術者本人。

 

「せぃやあっ!!」

「フッ、読めているぞ!!」

 

標的である笛を狙った私の斬撃はギデオンに流され、地面に大きな爪痕が残されるだけだった。

別に本気で斬り掛かったわけじゃない。躱されるのは分かっていたことだ。

 

「降魔の笛に着眼した点は褒めておこう。だが、そう易々と笛を渡すわけにはいかん」

 

ギデオンは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべながら、懐から取り出した導力銃の銃口を私に向けた。

どうやらそれなりの心得はあるようだが、調べが足りていないようだ。

 

「はああっ!!!」

「むっ・・・・・・」

 

もう加減は無用だ。この場を乗り切りさえすればいい、温存の必要は無い。

万全の状態での戦闘なら、例えラウラとフィーにだって後れを取るとは思えない。

 

危険を察知したのか、ギデオンは迷わずに引き金を引いた。

昨日の一件で、感覚は掴めた。要は角度と力加減の問題だ。

そっと射線上に手甲を構えただけで、銃弾は軌道を変え、私の遥か後方に着弾した。

 

「なっ!?」

「隙だらけだよ」

 

一気に間合いを詰め、刃を反して長巻を脇に構える。

これで終わりだ―――そう思った瞬間。

 

「っ!?」

 

上方から、別の殺気が叩き込まれた。

思わず飛び退いたのと同時に、私がそれまで立っていた地面に向けて、おびただしい数の銃弾が降り注いだ。

遺跡の2階に、何かがいる。しかも、尋常じゃない気当たりだ。

 

「青くせえガキ共の集まりだと思っていたが・・・・・・ヘッ、威勢のいいのが一匹混じっていたようじゃねえか」

 

野太い声と、辺りに立ち込める硝煙の匂い。

視界の端に、巨大な人影が映った。

 

「よっと」

「同志『V』・・・・・・来てくれたのか」

 

地響きのような着地音と共に、それは再び私に対し、目が眩むような殺気を向けた。

身の丈程もある巨大な銃器と、丸太のように膨れ上がった腕。

まるで筋肉の鎧だ。その巨体からは、人間味すら感じられない。

 

「ワリィな、旦那。陰で見学するつもりが、見ていられなくなってよ。ちょいと遊ばせて貰うぜ」

「礼を言う。私も少々、彼らを見くびっていたようだ」

「ぐっ・・・・・・」

 

同志『V』といったか。これは予想だにしない事態だ。

何らかの組織の存在は認識していたが、まさかこのタイミングで敵勢力に増援が来るとは。

こうして対峙しているだけで、肌が焼かれそうな感覚に陥る。それは、決して得物の差では無い。

 

「アヤ、無事か!?」

「気にしないで!こいつらは私が何とか・・・す・・・・・・っ」

 

魔物と交戦中のリィン達に向けた言葉は、最後まで続かなかった。

 

同志Vと呼ばれた男の腕から、目が離せなかった。

それは、奥底に眠っていた記憶。見覚えのある、特徴的な刺青。

『Rn』の文字を模ったそれを、私は知っている。知り過ぎている―――

 

「―――猟、兵?」

「あん?何だお前、俺のことを知ってんのか?」

 

思い出したしまったせいか、声を聞いただけで虫唾が走った。

お前のことなど知るわけがない。ただ、その刻印に心当たりはある。

 

「1つだけ、質問があるんだけど」

「何だってんだよ?」

「7年前ぐらい前に・・・・・・レグラムの近辺に、行ったことはない?」

「レグラムだぁ?馬鹿言え、そんな辺境に用なんざあるわけねえだろ」

「・・・・・・そう」

 

記憶違いだろうか。それもどっちだっていいことだ。

現在がどうあれ、男が猟兵としての過去を持つことだけは察せられた。

そして今、テロリスト一味に加担しながら、私に銃口を向けている。

やり合うには十分すぎる理由だ。湧き上がる復讐心は、この際どうだっていい。

 

「一応名乗っておくぜ。『ヴァルカン』ってんだ。横槍は入れさせねえ、サシで勝負といこうや」

 

名乗り合い一騎打ち、か。

見かけによらず、随分とご丁寧な男だ。

 

「シャンファ流二代目、アヤ・ウォーゼル」

 

負けるわけにはいかない。みんなのために、私自身のためにも。

 

_______________________________

 

剣詩舞とは文字通り、詩に合わせ剣を振るいながら舞う、踊りの亜種だ。

東方を発祥とするその芸術性は共和国で広く認められており、刀剣の美を表現する文化の代表例である。

剣を振るうと言っても、あくまで舞台芸術。舞いと共に、剣はただ空を切るだけ。

剣術を知らない素人が、模造刀を握りながら舞台に上がることは珍しくも無い。

そんな芸術に過ぎない剣詩舞を、実戦で取り入れたのは―――私が知る限り、お母さんただ1人だけだ。

 

剣舞の曲線的且つ流動的な流れと、長巻の特徴を最大限に活かした流派。

一対一でこそ真価を発揮する、反撃を許さない連撃による圧倒的な攻撃力。

そもそも長巻や槍のような長物は、太刀や打ち刀に比べ、攻めを重んじた得物だ。

短所を捨て、その長所を限界まで引き上げる。何ともお母さんらしい発想だ。

 

武術家に過ぎなかったお母さんは、たったの2年間で我流剣術の基礎を築き上げた。

それは数年の時を経て練り上げられ、確かな長巻術へと変貌を遂げた。

私がお母さんに剣を習ったのも、2年間。12歳で死別するまでの、ごく僅かな間だけだ。

それでも私の中には、確かにお母さんの流派が生き続けている。お母さんの長巻と、継ぐべき意志と共に。

 

「オラオラオラァッ!!」

「うわわわ―――」

 

そんな私達の剣が―――まるで通用しない。というより、近づく事すらままならない。

剣術は、あんな常軌を逸した銃器を相手取る術を、用意していない。

 

「―――っぷはぁ!」

 

石壁の陰に身体を滑り込ませ、何とか大勢を立て直す。

躱し続けているとはいえ、1発でも食らえばそれで終わりだ。

見れば、スカートに1つだけ穴が開いていた。ブラウスに続いて、これももう使えそうにない。

 

「ったく、逃げ足だけは一流だな。まるで鼠みてぇな野郎だぜ」

「う、うるさい!」

 

誰が鼠で誰が野郎だ。失礼極まりない。

とはいえ、あれが相手では尻尾を巻いて逃げるしかない・・・・・・反論の余地が、無い。

 

(ど、どうしよう)

 

分厚い石壁に背を預けながら、敵の動向を探る。

ガトリング砲、というやつだろうか。あの弾速と連射性は脅威としか言いようが無い。

斬弾などもっての外だ。先にこちらの刀身が駄目になる。手甲でも捌き切れそうにない。

 

「どうしたぁ!もう終わりか!?」

「うるさいってば!作戦タイム!」

「ハッ、よく言うぜ」

 

銃弾を避けながら逃げ回ってきたせいで、大分リィン達から離れてしまった。

ただ、ここからでも魔物の波動は感じられる。今も交戦中なのだろう。

あいつ―――ヴァルカンの気がリィン達に向いたら、一貫の終わりだ。

こちらも打って出て、気を引くしかない。

 

思い出せ、お母さんの足捌きを。蝶のように舞い旋風のように斬る、シャンファ流の真髄を。

見えないわけじゃない。つけ入る隙は絶対にあるはずだ。

事実、まだ銃弾は私を捉えてはいない。

 

「ARCUS駆動・・・・・・っ!」

 

オーバルアーツの詠唱と共に、渾身の横っ飛びで初速から全速力で駆け抜けた。

剣が届かないなら、これしかない。

 

「スパークアロー!」

 

銃弾の雨が私に追いつく前に放たれた風属性の矢が、ヴァルカン目掛けて加速した。

勢いをそのままに、反対側の石壁の陰に身を隠し、敵の様子を窺った。

 

「効かねえなぁ・・・・・・小細工ばっかしてねえで、さっさと腹を括ったらどうだ!!」

「・・・・・・だよね」

 

予想はしていたが、冗談抜きでまるで効果が無い。本当に人間なのか、あれは。

 

このままでは埒が明かない。が、段々と目は慣れてきている。

機動性と瞬間的な攻撃力なら、私に分があるはずだ。

あれだけの超重量を生身で操ること自体驚愕の思いだが、小回りは効くとは思えない。

銃口と腕の動きに集中して、先の先が取れれば。弾道をずらしながら、接近さえすれば。

 

(5、4、3―――)

 

「もう一度訊くけど、本当にレグラムに行ったことはないの!?」

「だから知らねえって言ってんだろ!ウダウダ言ってねえで掛かって来やがれ!!」

 

(2、1―――今)

 

「ああ、そうっ!!」

 

答えると同時に、意を決して駆け出した。

途端に向けられた銃口を躱しながら、緩急を付けた足取りで不規則に動き回る。

一度射線を切れば、剣舞特有の流れにガトリング砲の銃口は追いついていない。

銃声と火に惑わされるな。少しでも臆すれば、それまでだ。

 

「ちぃっ!!」

「連舞―――『飛燕月』っ!!」

 

巨体の3アージュ手前で上空を舞った私の長巻は、着地と共にガトリング砲を真っ二つに斬り伏せた。

ガシャンという音と共に、筒状の銃身が地面へと崩れ落ちる。

再度ヴァルカンとの距離を取った私は、油断無く剣先を眼前へと突き付けた。

 

「・・・・・・ヘッ、やるじゃねえか。どうやら向こうにも動きがあったようだな」

「え・・・・・・あっ」

 

親指で背後を指し示した方角にあったはずの、魔物の気配。

それが消えていた。一方で、まだリィンとラウラの気当たりが僅かに感じられる。

遣って退けてくれたか。なら、こちらもそろそろ閉幕にすべきだ。

 

「投降するか、退いて。人質を解放さえすれば、見逃してあげなくも無いんだけど」

「そいつはどうだかなぁ・・・・・・お前、爪が甘いって言われたことねえか?」

「何を言って―――」

 

突然、その巨体が膨れ上がったかのような錯覚に陥った。

 

「っ!?」

 

思わず飛び退き、長巻を上段に構えた。

何て気当たりだ。サラ教官以上かもしれない。

まだ戦意は衰えていない。ガトリング砲が無くとも、この男はあまりに危険すぎる。

 

「一の舞『飛燕』!!」

 

前方に向けて放った斬撃が、音を置き去りにして加速する。

対するヴァルカンは、その両腕を頭上に掲げ、力の限りそれを振り下ろした。

 

「オオラァッ!!!」

 

その衝撃で、飛燕の斬撃波は跡形も無く掻き消された。

目を疑った。防具があるとはいえ、素手で飛燕を吹き飛ばされたのはこれが初めてだ。

 

「ハッハァ、遠当てか!なら、こっちからもお返しだ!!」

 

声を荒げたヴァルカンが左手を私に向け、右の脇を締めながら腰元に右拳を構えた。

遠目でも分かる、あれは拳法の構えだ。こんな遠距離から、一体何を。

思い至った時には、その右拳は空を切り、私の腹部目掛けて飛来した。

 

「―――っ!?」

 

咄嗟の防御も間に合わず、私の身体は遥か後方に吹き飛ばされた。

受け身を取ることすら叶わず、力無く地面に崩れ去る。

 

苦痛と息苦しさで、視界が歪む。遠のいていく意識を繋ぎ止めるだけで精一杯だ。

月光翼が無かったら、間違いなく骨と肉が潰されていた。

 

「がはっ・・・・・・」

「驚いたぜ、ガトリング砲をぶった斬られるなんてな。久しぶりに熱くなっちまった」

 

地に膝を付きながら蹲る私の下に、ゆっくりとした足取りでヴァルカンの巨体が接近した。

抗いたいのに、身体が動かない。私の取れる行動は1つしか残されていなかった。

 

「・・・・・・治癒功ってやつか。ガキの癖に、器用な真似をしやがる」

 

文字通り、敵の眼下で傷を癒すしかなかった。懇願してでも、時間を稼げればいい。

私はともかく、それだけでアルフィン皇女とエリゼちゃんを救う可能性が高まる。

 

「な、何をしたいの。あんた達は・・・・・・何が目的で、こんな事を」

「復讐のためだよ」

「・・・・・・復讐?」

「俺の家族達を、全てを奪いやがった、あの『男』へのな」

 

思わず顔を見上げてしまった。

まるで話が読めない。ノルドでの一件に、今回のテロ行為。

それが特定の人物への、復讐だとでも言うのだろうか。

 

「レグラムがどうとか言ってやがったな。心当たりはねえが・・・・・・精々気を付けな。お前、俺達と同じ匂いがするぜ」

「ば、馬鹿言わないでよ。あんた達なんかと一緒にしないで!」

「しねえよ。ガキはガキらしく、西風の妖精達とママゴトでもしてやがれ」

 

不意に、ヴァルカンの声色が変わったような気がした。

どういうわけかその声からは、先程まであったはずの凄味と殺気を微塵も感じなかった。

 

「今日は見逃してやる。だが次に俺達の邪魔をしやがったら―――」

 

今度は、容赦なく殺す。それを最後にしてヴァルカンは踵を返し、遺跡の奥へと姿を消した。

 

__________________________________

 

ヴァルカンが去ってから1分と立たない間に、背後から複数の足音が鳴り響いてきた。

殺気は無い。それに、これは見知った気配だ。

 

「アヤ!?」

「・・・・・・サラ教官」

 

サラ教官と、クレア大尉率いる鉄道憲兵隊の1個小隊。

ざっと見ただけでも5~6分隊はあるだろう。これだけの増援が来てくれれば、もう安心だ。

 

「アヤ、出血がっ・・・・・・」

「大丈夫、私も合流します。止まらないで下さい。それよりも、リィン達が・・・・・・」

 

重い腰を上げ、しっかりと地面を踏み立つ。

傷は大方回復できたところだ。体力は残り少ないが、問題無く動けるはずだ。

 

合流後、私はサラ教官とクレア大尉に状況を説明しながら、遺跡の奥部を目指した。

魔物の気配が消えてから、かなり時間が過ぎてしまっている。あれから状況が変わってしまったかもしれない。

満身創痍の状態でヴァルカンと対峙しては、数の利があれど勝ち目は薄い。

 

(え―――)

 

最深部に再度足を踏み入れると、そこには予想だにしない光景が待ち構えていた。

ギデオンとヴァルカンに加え、眼帯を付けた長髪の女性。それに、漆黒の衣装と仮面を装着した人物。

4人の集団が、リィン達と対峙していた。あの2人も組織の人間なのだろうか。

 

「リィン、みんな!」

「アヤ・・・・・・無事でいてくれたか」

 

皆の下に駆け寄ると、誰もが安堵の色を浮かべていた。

無理もないか。先にこの場に戻って来たのが、ヴァルカンだ。

どうやら要らない心配を掛けてしまったようだ。

 

見たところ、アルフィン皇女とエリゼちゃんの身柄も確保できている。

状況は分からないが、察するにこの場はこちら側が抑えているのだろう。

 

「・・・・・・どうやら時間のようだな」

 

ほっと胸を撫で下ろしていると、仮面から機械のような音声が聞こえてきた。

口調から察するに、男性だろう。その男は眼前に何かのスイッチを取り出し―――そのボタンを押した。

 

「え―――」

 

途端に、遺跡内のそこかしこから爆発音のような轟音が鳴り響いた。

耳をつんざく音に思わず身を屈めていると、遺跡の天井部が次々と崩れ落ちていった。

 

「ば、爆薬!?」

「嘘でしょ、こんな地下で爆発なんて起きたら―――」

 

その先の言葉を待つことなく、目の前に1アージュはある岩石が落下した。

冗談じゃない。このままでは援軍もろ共生き埋めだ。

 

「崩れるわ、早くこっちへ!」

「リィン、皇女殿下をお願い!エリゼちゃんは任せて!」

「ああ、すまない!」

 

横たわっていたエリゼちゃんの身体を抱き上げ、元来た道を全力で駆け抜ける。

その間にも、後方から追ってくるように次々と崩落が始まり、土煙に視界を塞がれていった。

まだ間に合うはずだ。足が動き続ける限り、走り切ってみせる。

 

「っ!?」

 

突如として崩落の足が速まり―――目の前に、一際大きな石柱が倒れ込んできた。

行く手を遮るようにして、皆と分断された。立ち止まったその一瞬の判断が、明暗を分けた。

目の前に次々と落石が重なっていく。単身ならまだしも、人一人を抱えては乗り越えられない。

もう前には進めない。完全に―――逃げ場を見失った。

 

(エリゼちゃん―――)

 

私のことはどうだっていい。こんなところで、彼女を失ってはいけない。

絶対に、守ってみせる。その思いで、私は彼女の小さな身体を覆った。

無慈悲にも、崩落の勢いは強まるばかりだった。



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空を見上げて

光も音も無い、無だけが存在する閉鎖空間。

5つの感覚の必要性を何ら感じさせない、外部から完全に遮断された世界。

 

中間試験でも出題された問題だ。感覚を遮断された空間では、人は8時間で正常な思考を失う。

それが身体的負担を増加させ、生存率を下げる引き金となる。答案用紙を埋める最中、背筋が冷やりとしたことを覚えている。

 

「・・・・・・16時、ぐらいかな」

 

暗闇の中では、ARCUSの時計を見ることすらままならない。

私の体内時計が正しければ、まだ1時間も経過していないはずだ。

 

崩落が始まってからその勢いが収まるまで、ずっと意識はあった。

目に飛び込んできた窪地に飛び込み、エリゼちゃんを抱きながらじっと堪えていた。

1つ、また1つと落石の音が響く度に、生きた心地がしなかった。

何かの拍子に、もし目の前の巨石が崩れ落ちてきたら。重心が少しでもズレたら。

私の精神は、秒単位で削り取られるように擦り減っていった。

 

それを支えていたのは、胸元で寝息を立てる少女の存在だった。

1人じゃない。たったそれだけの事実が、極限状態に陥った私の拠り所だった。

情けない限りだ。これでは彼女に守られていると言っても過言ではない。

 

「んっ」

「エリゼちゃん?」

 

胸元から声が漏れた。寝言じゃない。

身体も動き始めている。やっと起きてくれたか。

 

「ここは・・・・・・えっ?」

「エリゼちゃん、目を閉じて」

「あ、アヤ姉様?」

「お願い。大丈夫、大丈夫だから」

「・・・っ・・・は、はい」

 

この場合どちらが良かったのだろう。

あのまま眠ってくれていた方が、彼女にとっては気が楽だったかもしれない。

でも、これで行動に移れる。まずはエリゼちゃんに状況を説明することからだ。

 

「エリゼちゃん。私が絶対に何とかする。だから、落ち着いて聞いて」

 

私達は今、地下墓所の最奥部で生き埋め状態だ。

目の前には、岩石が無造作に積み重なった壁。少しの衝撃で、すぐにでも崩れ落ちそうだ。

何とか窪地に入り込んだことで一命を取り留めたが、これでは元来た道からは脱出できそうにない。

 

私達に許された行動範囲は、一辺2アージュ程度の立方体に近い、窪地のスペースのみ。

当然だが、明かりは無い。聞こえてくるのは、度々発生する落石音。それだけだった。

唯一の救いは、空気の流れがあること。どんなカラクリが働いているのか知る由も無いが、何とか窒息死だけは免れそうだ。

 

今頃は皆も気が気でないに違いない。こんな状況の私達を助け出す術があるとは、到底思えない。

岩石を掻き分けようにも、ここは地下道だ。それに下手に衝撃を加えれば、どうなるか分からない。

ARCUSの導力波も届かないようだ。通信機能も使えそうになかった。

 

「そ、そんな・・・・・・では私達は」

「大丈夫だってば。まずは、姿勢を正そうか」

 

石壁とは反対の窪地側に背を預けるようにして、並んで座る。

これだけでも、地面に寝そべっていた先程よりは大分気が楽になる。

そして、残された僅かな可能性。たった1つ、暗闇の中に存在する光点。

 

「光?」

「ほら、ここ。小さいけど、光が漏れてるでしょ?」

 

私とエリゼちゃんの間に開いた、直径1リジュ程度の穴。

僅かながら、そこからは光が見えている。きっとこの向こう側に、空間があるはずだ。

ただ、この壁は相当に分厚い。物理的にどうこうできるとは到底思えない。

それでも、これが最後の希望だ。この向こう側に辿り着ければ、何とかなるかもしれない。

 

帝国を彷徨う中で培ってきた生存術と、士官学院で学んだ知識と技術。

それを総動員させても、残された可能性はこれしか考えられなかった。

あとは時間と、私達の問題だ。こんな閉鎖空間に何時間も閉じ込められては、私だって気が触れてしまう。

 

「ちょっとだけ、火を使うよ。見たくはないと思うけど、ごめんね?」

「は、はい」

 

私の声に、しっかりと答えてくれた。

取り乱してはいないようだ。4歳年下だというのに、大変に心強い限りだ。

 

壁を調べるために、極小のファイアボルトで、辺りを照らす。

オーバルアーツは不得手だが、7年のキャリアがある分、小手先の技術には長けていた。

この空間の現状を目の当たりにするのは辛いだろうが、顔を見れば安心できるかもしれない。

 

(・・・・・・何も無い、か)

 

火に照らされた壁を見ても、特に変わった点は見受けられない。

ただの壁だった。期待を裏切り、予想通りの現実だった。

 

参った。万全の状態でも、この壁を突き破ることなんて出来そうにない。

光はあれど、希望はなかった。もう、何も思い付かない。

 

「熱っ!?」

「姉様?」

 

声と共に、周囲を照らしていた火が消えた。

思わずアーツのコントロールを誤ってしまった。私も段々と冷静さを失いつつあるようだ。

結局のところ、外からの救出を期待するしかない。その可能性も、ほとんどゼロに近いというのに。

こんな現実を、話せるわけがなかった。

 

「・・・・・・エリゼちゃん。話をしよっか」

「お話、ですか?」

「こういう時は、何か話してた方が気が楽になるものだから。そうしてくれると、私も助かるよ」

 

このままでは私も滅入ってしまいそうだ。まずは気を落ち着かせよう。

と言っても、こんな状況ではすぐに話題が浮かんでこない。何を話そう。

 

「・・・・・・うぅ・・・っ・・・」

「エリゼちゃん?」

 

思案していると、隣から小さな呻き声が聞こえてきた。視界が無くとも、声で分かった。

彼女は今、耐えている。声を上げて泣き叫びたい衝動を、じっと堪えているに違いない。

失念していた。大人びていても、彼女はまだ15歳の少女だ。

 

「ごめん、ごめんね。私のせいで、こんな」

「き、気になさらないで下さい・・・・・・姉様の、せいでは」

 

思っていた以上に、エリゼちゃんは目の前の現実を受け止められていない。

自分のことを考えている場合じゃなかった。今は、彼女を落ち着かせることが先決だ。

 

「エリゼちゃん、じっとしてて・・・・・・よいしょっと」

「え、え、あのっ」

 

今だけは、エリゼちゃんを大きなシーダと思い込もう。

故郷でそうするように、彼女の身体を私の両足の間に置き、後ろからそっと抱きしめた。

細身だと思っていたその身体は、想像していた以上に力強かった。

小柄ではあるが、同年代の中ではかなり鍛えている方だろう。何かスポーツでもしているのだろうか。

 

「ねぇ。私リィンの話が聞きたいかな」

「リィン、ですか」

「あはは、私の前では兄様でいいよ。リィンがエリゼちゃんの兄様になったのは、いつの話なの?」

「・・・・・・12年程、前のことです」

「じゃあ、まだ3歳の頃か。その時のことは覚えてる?」

「いえ。物心付いた頃には、私は兄様の妹でした」

 

それを皮切りにして、エリゼちゃんはリィンとの思い出話をたくさん聞かせてくれた。

漸く調子が戻って来てくれたようだ。彼女にとって、リィンはそれ程までに大きな存在なのだろう。

1人の男性として、相当強く意識している。立場上、少々複雑ではある。

 

相槌を打ちながら耳を傾けていると、不意に声の色が変わった。

 

「姉様は・・・・・・気付いているのですね。私の、この感情に」

「流石にね。大切にした方がいいよ、それ」

「・・・・・・そんな、綺麗な感情ではありません」

「え?」

 

私の胸元に預けられていた頭が離れると、そのままエリゼちゃんは俯いてしまった。

泣いてはいない。ただ、心が泣いている。私にはそう感じた。

 

「兄様に大切な人ができるのなら、それが一番だと思います。それは理解しているんです」

「・・・・・・そうなんだ」

 

年下の少女の言葉とは思えなかった。随分と達観しているように思える。

感心している私に構うことなく、エリゼちゃんは続けた。

 

「ですが・・・・・・それでも、もし違った出会い方をしていたらと。兄妹としてではなく、兄様と呼ぶことなく、出会えていれば。そんな詮無いことを、考えてしまうんです」

「そっか。私にも、身に覚えがあるよ」

「姉様が、羨ましいです・・・・・・嫉妬、してしまう程に。どうして私は・・・・・・私と、兄様は」

 

収まっていたはずの涙が、私の腕を濡らし始めた。

 

察するに、まだ誰にも打ち明けたことはないはずだ。

別に自暴自棄になっているわけではないのだろう。

こんな極限の状況下だからこそ、話してしまったのかもしれない。

 

(エリゼちゃん・・・・・・)

 

エリゼちゃんを抱く両腕に、より一層の力が込められた。

さて、どうする。彼女の告白に、どう答えるんだ、私。

年上と言えど、たったの4年間だ。人生の先輩と呼ぶには、余りにも私は未熟者だ。

 

「エリゼちゃん。『たられば』って表現、知ってる?」

「たられば?」

「何々してい『たら』とか、何々してい『れば』とか。そんな言い回し」

「・・・・・・先の、私のようにでしょうか」

「あはは、そうそう」

 

私がどんな言葉を掛けたところで、エリゼちゃんの想いが実を結ぶとは思えない。

それに、リィンの感情は―――私から見て、既に別の女性に向いている。

そんなこと、言えるわけがない。

 

ただ、彼女は少し勘違いをしている。それは、何の意味もないことだというのに。

思うがままに話そう。私が歩んだ19年間で、感じてきたその全てを。

何より―――今回の特別実習で、皆が教えてくれたことを。

 

「人生の改変が許されるなら、私は迷わずにお父さんとお母さんを選ぶよ。2人のことは、話したことあるよね」

「それは、はい」

 

8歳の誕生日にお父さんを亡くし、12歳の頃にお母さんと死別した。

その過去は、既にエリゼちゃんに話したことがある。

 

「もしあの時、お父さんが病を患わなかったらって。お母さんを失っていなかったらって。何度も何度も考えた。正直に言うと、今でも時々思い出すよ」

「・・・・・・はい」

「ここで質問。その願いが叶ったら、私はどうなってた思う?」

「え?」

 

不意の振りに、エリゼちゃんが素っ頓狂な声を上げた。

いい顔だ。目には見えなくとも、今の彼女がどんな顔かは想像するに容易い。

 

「よく、分かりません。どうなるのですか?」

「ガイウスと、出会えていなかった」

「え・・・・・・」

「エリゼちゃんにもリィンにも、誰にも会えなかったよ。私が大好きな家族やクラスメイト全員、赤の他人だった」

 

それは、紛れもない事実だ。可能性の話ではない。

おそらくはあのまま、私はクロスベルで一生を過ごすことになっていたはずだ。

 

今頃私は何をしていただろう。

お父さんの運送会社は、繁盛していただろうか。

お母さんは、念願のA級遊撃士になれていただろうか。

私はウェンディやオスカー、そしてロイドと、あのまま―――

 

「―――まぁ、それは置いといて」

「え?」

「ごめんごめん、何でもない」

 

これは別の話か。彼女に話す必要は無い。

いずれにせよ、きっと想像通りの世界になっていたはずだ。

 

「この3日間で実感した。クラスメイトみんなが、色々な過去を抱えて、悩んで、考えて・・・・・・でもそのおかげで、私達は出会えたんだって思える」

 

私のキッカケは両親との死別という、紛れもない不幸。でもそれは、皆だって同じだ。

 

もしエリオットが、お父さんに音楽の道を否定されなかったら。

そのまま音楽院に進み、ロン達と毎日充実した日々を送っていただろう。

もしフィーの猟兵団が、現存していたら。

今も『西風の妖精』として、団長の下で猟兵を続けていたのだろう。

もしマキアスのお姉さんが、存命だったら。

親子共々貴族に負けない力など追い求めず、今とは違う道を選んでいたかもしれない。

 

私も同じだ。たらればを語ってしまえば、今の幸せは消え失せてしまう。

結局は、エリオットの言葉に収束される。たくさんの奇跡と軌跡が重なり、私達は集った。

後悔や未練を断ち切り、目の前の現実と幸せを受け入れる。何かを否定することに意味なんて無い。

それを―――皆が教えてくれた。結果として、私達はサラ教官の下で1つになれた。

 

「上手く言えないけど・・・・・・人生って、そういうものなんだよ。何かを否定することは、全部を否定しかねないから」

「姉様・・・・・・」

「私は受け入れる。そうしないと、お父さんもお母さんも浮かばれない。リィンの妹になれた、エリゼちゃんの幸せも・・・・・・その感情も。たくさんの奇跡が重なった結果なんだって、私には思えるよ」

 

私の腕を握る力が強まると同時に、腕を濡らす雨脚もそれに続いた。

涙の意味は、私には分からなかった。でも、不思議と悪い気はしない。

私なんかが並び立てた言葉で、何か思うところがあったのだろうか。

 

受け止めよう、彼女の涙を。勢いに身を任せたとはいえ、責任を取るべきだ。

結末はどうあれ、最後まで見届ける。それは、そう遠くないように思えた。

 

__________________________________

 

物の数分で、涙は止んだ。泣くことは、精神的にも安定へと繋がる。

今のエリゼちゃんにとっては、これでよかったのかもしれない。

 

「ありがとうございます。少し、落ち着きました」

「そう。どういたしまして」

「ふふ。姉様が・・・・・・本当の姉様になってくれたら、私も諦めが付くのですが」

「・・・・・・あー。まぁ、いい人だとは思うよ」

 

素直にそう思える。ただ、その分気苦労が大変に多そうだ。

天然無自覚有罪無罪の浮気性、とでも表現すればいいのだろうか。

想い人が異性の目を惹くのは、それはそれで胸を張れることかもしれない。

でもあれは・・・・・・ちょっとなぁ。

本人は何も悪いことをしていないのに、皇女殿下まで参戦されては胃に穴が開きそうだ。

 

「今度は、姉様のお話をお聞かせ願えますか」

「え、私?」

「お二人の馴れ初めを、是非っ」

「ええ・・・・・・」

 

突然そう言われても困る。きっと目を輝かせながら言っているに違いない。

馴れ初めと言っても、話すには伏せなければいけない点が多すぎる。

アリサやエマにそうしたようには、できそうにない。

困り果てていると、先程までとは声色が違う笑い声が聞こえてきた。

 

「ふふ。姉様は、御自分のことになると照れ屋さんなのですね」

「そ、そういうわけじゃ」

「その御様子では、まだお二人の御関係も、私の想像の範囲を超えてはいないようです」

 

何を言い出すんだ。というか、それはどういう意味だ。

何だか急に立ち位置が変わった気がする。

 

「あはは。少し調子に乗りすぎだよ、エリゼちゃん?」

「え・・・・・・い、痛い!痛いです!」

 

ぐりぐりと両の握り拳で頭を挟み込む。

客観的に見て、貴族子女に対し無礼では済まされない行為だ。まぁ、誰も見てないし。

 

そうして2人でじゃれ合っていると―――遥か下方から、地響きのような重低音が耳に入ってきた。

 

「え―――」

 

いや、実際に振動を感じる。

パラパラと、小石が地面に落ちる音が周囲から聞こえてくる。

その正体に思い至った頃には―――初期微動に、主要動が追いついた頃だった。

その揺れのエネルギーが一気に膨れ上がり、私達を襲った。

 

「ひっ!?」

「エリゼちゃん、こっちを向いて!」

 

振動で揺れ動いた岩々が、次々と崩れ落ちていく。

立ち込める土煙で、呼吸すら満足にできない。

 

何だ、これは。こんな時に、どうして地震なんかが起きる。

泣きっ面に蜂にも程がある。風の悪戯では済まされない。

今だけは、風と女神の導きなど、その存在を疑わざるを得なかった。

 

「ね、姉様・・・・・・っ!」

「心配しないで。絶対に守ってあげる」

 

そうだ。この救いようのない、どうしようもない現実からも、目を背けるわけにはいかない。

彼女を―――いや、私だって。私にだって、待っている人間がいる。

まだ、やり残していることは山程ある。絶対に、諦めてはいけない。

 

しばらく堪えていると、漸く揺れは収まっていった。

目の前の石壁も、どうにか耐えてくれたようだ。

どうする。状況は依然として最悪だ。中からも外からも、道は見当たらない。

諦めては駄目だ。道が無いなら、自分自身で切り拓け。何か、何かあるはずだ。

 

「・・・・・・あっ」

 

不意に目に入ったそれは、先程までは尖った岩先の陰になり目に入ることはなかった。

暗闇に慣れた目に、おぼろげに映った1つの仕掛け。

あれはレバーだろうか。岩々に阻まれながらも、腕を伸ばせばなんとか届きそうだ。

 

考えてみれば、地下道には士官学院の旧校舎を思わせる、様々な仕掛けが残されていた。

これもその1つなのだろう。ただ―――この仕掛けを操作することで、何が起きるかは想像も付かない。

 

操作することで、新たな道に繋がったことはあった。

一方で、トラップのような仕掛けが存在していたことも事実だ。

頭上から魔獣が降ってきたことすらあった。手放しには喜べない。

 

「・・・・・・考えても無駄、か。エリゼちゃん、ちょっといい?」

「な、何でしょうか」

「正直に言うね。多分、これしか期待できそうにない」

 

私達が置かれた状況を、再度エリゼちゃんに打ち明けた。

脱出も救出も、ほとんど可能性は残されていないという、絶望的な状況。

そんな中で目に止まった、最後の希望。酷ではあるが、彼女にも受け止めてもらうしかない。

私1人では、決断できそうにない。

 

「・・・・・・そうでしたか。なら、取るべき行動は1つしかありませんね」

「うん・・・・・・ごめんね。もしあの時、私が―――」

「姉様、『たられば』は無しです。私は姉様を信じます」

 

背中を押される形で、覚悟は決まった。

少女と呼ぶには、立派過ぎる人間だ。数年後には、きっと素敵な女性になってくれるに違いない。

 

立ち上がりながら、目に止まったレバーの様子を窺う。

思っていた以上に距離があるようだ。これでは届きそうにない。

 

「これ、預かってもらっていいかな」

 

ARCUSを一旦エリゼちゃんに預け、ホルダーで輪を作る。

隙間を縫うようにして腕を伸ばし、それをレバーへと投げ、輪に引っかけた。

 

「よしっと。さぁ、いくよ!」

「はいっ」

 

ホルダーを握る手とは反対の手で、確かめる様に握り合う。

魔獣が飛び出して来たらそれまでだ。何も起こらなくても、それまで。

迷いは無かった。明日への希望と、願いを込めて。

私は一気に、レバーを下げた。

 

________________________________

 

切れかけた導力灯の明滅と、天井の高い石造りの地下道。

延々と続くと思われたそれから繋がった、丸トンネル。

頭上の側溝から漏れ出す光は、小さいながらも確かな希望に満ち溢れていた。

 

私の推測が正しければ、ここはおそらく、あそこだ。

2人の男女がヘイムダル大聖堂を目指した、あの場面の逃走経路。

カーネリアの作者は、こんなところまで再現していたのだろうか。

もしそうなら、頭が上がらない。小説作家が作品に注ぐ情熱は、それ程のものなのだろう。

 

「どうされたのですか?」

「ううん。何でもない」

 

私達の願いは通じた。

意を決して操作した仕掛けは、窪地の壁を開き、私達に光をもたらした。

頭上の光は、夕暮れの橙色を帯びている。まだ日は暮れていないようだ。

ARCUSの時計は、午後5時前を示していた。

 

「エリゼちゃん、大丈夫?」

「平気です。これぐらいで音を上げては、シュバルツァー家の名が廃りますから」

 

道行く人々の直下に広がるこのトンネルは、雨が降れば汚水で溢れるはずだ。

渇いているとはいえ、足元は汚泥だらけ。私達の足は、当然ながら泥に塗れていた。

鼻が曲がるその臭いに、息が詰まりそうな思いだった。

 

「泥まみれなのに、いい顔だね」

「姉様のおかげです。行き着く先はどうあれ、自分自身に素直になろうと。今ではそう思えますから」

「そっか」

 

再び手を取り合いながら、トンネルの先へ力強く歩を進める。

しばらくそうしていると、その先には梯子、頭上にはマンホールと思われる鉄の円があった。

 

「やったっ。ゴールだよ、エリゼちゃん」

「はい!」

 

早る気持ちを抑え、梯子の強度を確かめる。

問題は無い。慎重にそれを上り、力任せに右腕で扉を開いた。

 

「あ・・・・・・」

 

頭上から直接降り注ぐ、陽の光。濁りの無い、澄んだ空気が肺を満たしていく。

紛れもない、空と繋がった世界。エイドスの導きは、そこに確かに存在していた。

漸く生きた心地がしてきた。

 

先に地上へと登り出た私は、後に続いたエリゼちゃんの身体を引き上げ、周囲を見渡した。

ここはどこだろうか。どこかの路地裏のように思える。

 

「どうやら駅から程近い場所にある、街区同士の境目のようですね」

「・・・・・・あはは。ゴールというよりは、スタート地点だったわけか」

「え?」

「こっちのはな・・・し・・・・・・?」

 

不意に、違和感を抱いた。

周囲に人の気配は感じられない。路地裏だから当然かもしれないが―――何だ、これは。

周囲どころか、どこからも何も感じられない。生命の息吹が、無い。

風すらも感じない。無風で、無音だ。何の喧騒も無かった。

これは―――

 

「―――エリゼちゃん。お願いがあるんだけど、いいかな」

「あ、はい。何でしょうか」

「ARCUS。ここのボタンを押すと、私達の教官と通信ができるから。あそこに見える街灯の下で、それをお願いできるかな」

 

まるで意図の掴めない私のお願いを、戸惑いながらもエリゼちゃんは受けてくれた。

これでいい。彼女には、怖い思いをさせたくはない。

多分、当たっているはずだ。こんな不可思議な現象は、自然には存在しない。

人の手でも無理だ。なら、それは人以外の何かだ。

 

「いるんでしょ。さっさと出て来たらどう?」

 

突如として、後方から紫色の光が溢れ出た。

外れていてほしかった。予想は、当たっていた。

 

「―――3ヶ月前のあの日、私の眼差しに振り向いてはくれなかったことが実に残念だが・・・・・・今日は、そうではないようだね」

「何の事を言ってるか分かんない」

「ケルディック、だよ。まあ、親鳥である紫電の君に気付かれまいと、気配を消した私の責任が大きいがね」

 

忘れもしない、その声。

迷い無く、私は振り返った。

そこにいたのは、3年前にも対峙したあの男。

幸せを掴みかけた私を惑わせた、人にして人ならざる存在だった。

 

「本日は名乗らせてもらおう。執行者No.Ⅹ、怪盗紳士『ブルブラン』。既に彼らから聞き及んでいたかな?」

「・・・・・・身喰らう蛇、だっけ。まさかとは思うけど、今回の件。あんた達も―――」

「フッ、それは誤解だよ。私はただ、美を秘めた可能性を確かめに来ただけさ」

「私のARCUSを盗んだのも、そのためだって言うわけ?」

「此度の戯れ、私を知る君が彼らと行動を共にしていては、成り立たなかったからね。返してあげただろう?」

 

仮面の向こう側から、ぞっとするような視線を感じた。

身体の内側を覗き込まれるような感覚に、膝が笑い声を上げそうになる。

臆するな。引いては駄目だ。この男の存在を、見過ごしてはならない。

 

「それにしても・・・・・・美とはかくも儚く脆いものだとは。少々、興冷めだ」

「ハッキリ言ったらどうなの。何を言いたいのかさっぱり分かんない」

「まるで美しさの欠片も感じられない。君という物語は、私の中で既に閉幕したのだよ」

「冗談でしょう。見る目が無いって言われたことない?」

「今の君のような陳腐な美に、理解など無い」

 

いちいち癇に障る物言いだ。

虚勢を張っているせいか、口から漏れ出る言葉が自分の物とは思えない感覚だった。

いずれにせよ、ここでハッキリとさせておく必要がある。

さっきからこの男が言う『彼ら』は、私のクラスメイトに他ならない。

 

「リィン達に、何をするつもりなの。あんた達は、一体何者なの」

「話す義理など無いさ。今日は『ついで』だ。3年前の、狼の言伝。返答をまだ聞いていなかったからね」

 

虫唾が走った。反吐が出る。

唯一、私が受け止められない過去。

3年前の言伝と、7年前に浴びせられた言葉。

私の答えは、決まり切っていた。

 

「私を抱いていいのは、1人しかいない。私は『力』に溺れたりはしない。あの変態野郎に、そう伝えて」

 

吐き捨てるように言うと、途端にブルブランの身体が小刻みに動き始めた。

 

「クク・・・・・・ハッハッハ!力に溺れない、か。よくそんな台詞を言えたものだ」

「だから、何が言いたいの!?」

「君に宿る真の『力』・・・・・・引き出したのは、まだ一度しかないだろうに。それも、4年前だ」

「・・・っ・・・・・・」

 

どうして、それを知っている。

それを口にしても、意味が無いのは分かり切っていた。

ただじっと堪え睨むことしか、私にはできなかった。

 

「フッ、確かに受け取った。君達《Ⅶ組》が行き着く先―――精々楽しみにさせてもらおう」

 

それを最後に、再び周囲が紫色の光に包まれた。

 

途端に、空気が変わった。

灰色に染まっていた風景は夕暮れに照らされ、温かな色を帯びていた。

道行く人々の喧騒と、声。上空を舞う鳥たちの鳴き声。

風が頬をなぞる感触と―――私に駆け寄ってくる、少女の足音。

 

「ね、姉様!?どうされたのですか!?」

「・・・・・・はは。エリゼちゃん」

 

漸く感じられた色取り取りの世界に、緊張の糸が切れていた。

気付いた時には、腰が抜け、地べたに座り込んでしまっていた。

 

「ごめん。安心したら、ちょっとね」

「手をお貸しします。通りに出ましょう・・・・・・皆様が、すぐに駆けつけて下さいますから」

 

小さい身体に支えられながら、狭い路地裏を進み、大通りに出る。

周囲の人々の顔には戸惑いの色が浮かんでいるものの、襲撃の混乱も収まりつつあるようだ。

 

辺りを見渡していると、見覚えのある装甲車が私達の前に停車した。

鉄道憲兵隊の紋章。随分と早いご到着だ。

 

「エリゼ!?」

「アヤ!?」

 

いち早く飛び出してきたのは、私達の想い人。

その異様な雰囲気に、道行く人々の複数の視線が、私達に対して注がれていた。

同時に、遠方からヘイムダル大聖堂の鐘の音色が聞こえてきた。

察するに、午後17時を示す鐘なのだろう。

 

「どうしよう。私達、すごい目立ってるよ」

「ええ。まるで物語のクライマックスのようですね」

「あはは。泥だらけのヒロインってどうなんだろ」

「ふふ、臭いもひどいです」

 

足早に私達の下に駆け寄る2人を見ながら、お互いに苦労を労い合う。

やっと―――やっと、会えた。1日振りだというのに、何日も離れ離れになっていたようにすら思える。

 

「エリゼ!!」

「兄様っ・・・・・・」

 

エリゼちゃんはリィンに抱き留められ、お互いの体温を確かめ合っていた。

本当によかった。私は、この光景を守ることができた。

羨ましい限りだ。私達には、あれは流石に―――

 

「アヤ!!」

「ガイウス・・・・・・わわっ」

 

私よりも一回り大きいその身体に、私は覆われた。

痛みを感じる程に。息遣いと鼓動音すら、手に取るように分かる程に。

 

「アヤ・・・・・・アヤっ」

「ちょ、ちょっとガイウス。みんな見て・・・・・・る?」

 

いつの間にか、私の肩は濡れていた。

隠すようにして、私を抱きながら。ガイウスは、目元を私の左肩に埋めていた。

 

「よかった。本当に・・・・・・俺は。俺、は」

「ガイウス・・・・・・」

 

初めて見せた涙だった。

どんな時も、どんな事があっても見ることが叶わなかった、感情の証。人の証だ。

 

泣きたいのはこちらだ。というより、思いっ切り泣こうと思っていた。

ずっと堪えていたのだ。エリゼちゃんを守る一心で、虚勢を張り続けていた。

皆の前で、彼の胸元で泣く。そう思っていた。蓋を開けてみれば、立場は逆転していた。

 

「ごめんね、心配掛けて。私は、もう大丈夫だから」

 

無言の頷きで答るガイウス。

私達を見守るクラスメイトの表情からは、様々な感情が窺えた。安堵と驚きに、戸惑い。

そのどれもが、今だけは再会を祝福してくれているように感じられた。

柄にもなく温かな笑みを浮かべるユーシスの表情すらも、素直に受け入れられる。

 

天国の両親に、胸を張って伝えよう。

お父さんとお母さんが、得るはずだった幸せ。3人分の幸せを、私は手に入れて見せる。

私を抱く想い人と、将来を誓い合う覚悟すらも―――私には、できている。

そして、恩師とお母さんの意志を継いで。私は立派な遊撃士になってみせる。

お父さんの故郷すらも守ってみせよう。もう里心は付き始めている、3つ目の故郷だ。

 

別れと悲しみを幸せに変えて。過去を受け止め、未来に向かって。

掛け替えのない仲間たちと、手を取り合いながら。

 

7月26日の、帝都ヘイムダル。夕日に溶けた青空を見上げて、私は両親に誓った。



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夏への羨望

「私やアヤ姉様が生まれる前のお話ですね。科学院と同じ敷地内に併設されたのが始まりだそうです。その頃は、あくまで科学院の一部に過ぎませんでした」

「うんうん」

「医学の発達とともに、医学分野は専門化が進みました。その重要度と必要性が認められ、独立した教育機関として設立されたのが『医学院』になります」

「うん」

「この医療棟は附属の医療施設であると同時に・・・・・・姉様、どうされました?」

「・・・・・・これって、おかわりできるのかな」

「既定の配膳量以上は難しいかと思いますが・・・・・・」

「あー、やっぱり」

 

7月26日、午後20時過ぎ。帝都医学院の医療棟、202号室。

贅沢が過ぎると思える程に充実した病室で、私とエリゼちゃんは遅めの夕食をとっていた。

病院食と言えど、文句の付けようがない味だった。量は如何ともしがたいが。

 

事の詳細は、遡ること2時間前。

地下道から無事生還した私達は、大事を取って精密検査を受けるべく、この医療棟へと運ばれた。

2時間にも満たないとはいえ、実際に私達は生き埋め状態だったのだ。

こんな充実した病院に来られたのは、クレア大尉の手筈によるものなのだろう。

 

全ての検査を終えた後、私とエリゼちゃんは2つのベッドが並べられた一室へと案内された。

目立った外傷や異常は見受けられない。それが先に知らされた診断結果だった。

ただ、一部の精密検査の結果が出るまで、相当な時間が掛かるそうだ。

今日のところは、この病棟で一夜を過ごす。反論の余地は無かった。

 

「もしよろしければ、お裾分け致しましょうか?」

「気にしないで。エリゼちゃんこそ、色々あったんだから。しっかり食べて休んだ方がいいよ」

 

今回の事件に関する事情聴取は、この病室で行われた。

私はともかく、彼女については明日にしろと声を上げたかったが、事情が事情だ。

人攫いと生き埋めからの脱出劇。疲労は相当のはずだ。今日はゆっくりと休んでもらおう。

 

直後には、寝泊りに必要な着替えの類を、《Ⅶ組》の皆が届けに来てくれた。

病室だというのに女性陣からは揉みくちゃにされ、リィンからは何度も感謝の言葉を掛けられた。

多大な心配を掛けてしまい、申し訳ない気持ちで一杯だったが、悪い気はしなかった。

ある1つの事実を除けば。

 

「ふふ。アヤ姉様は、これからの身の振る舞い方をお考えになられた方が宜しいかと」

「・・・・・・はぁ。何て説明しようかなぁ」

 

クスクスと小さく笑うエリゼちゃん。

それの意味するところは、私とガイウスの関係だ。

 

人目をはばからずに泣きながら抱きしめ合った私達は、たくさんの言葉を交わした。

それこそ皆には聞かれたくないような、こっ恥ずかしいものも、たくさん。

思い出すだけで顔から火が出そうになる。勢いに身を任せ過ぎたのだ。

 

要するに、バレてしまった。

姉弟を超えた私達の関係は、皆の知るところとなった。

アリサとエマは、嗚咽交じりに泣いていた。奇跡のような生還劇が、それを後押ししたのだろう。

「さ、3年間も待たせて・・・・・・このバカ!」か。まるでアリサから告白されたような気分だった。

 

とはいえ、クラスメイトに隠し続けるのも不義理なのかもしれない。

ちょうどいい機会だと考えるべきだろう。祝福の言葉を貰うのは、素直に嬉しい限りだ。

 

「2人とも、入るわよ」

「あ、はい。どうぞ」

 

ノックと同時に、横開きの扉がスライドした。

そこ立っていたのは、サラ教官だった。

 

「サラ教官。来てくれたんですか」

「意外に元気そうじゃない」

 

腕を組みながら、私達の様子を窺うサラ教官。

疲労のせいだろうか。私の目には、表情がやや曇っているように映った。

 

サラ教官は夏至祭に関する決定事項と、明日からの《Ⅶ組》の予定を話してくれた。

夏至祭の初日に勃発した、テロリスト集団による襲撃。そして皇族の誘拐事件。

驚いたことに、夏至祭は明日も当初の予定通り行われるのだそうだ。

 

「あ、あんなことがあったのに、ですか?」

「テロリストには屈しない。政府側も正規軍も、その理念を今更曲げるわけにはいかないのよ。念のため、一部の行事を見直したりはするみたいね」

 

テロリストの目的が皇族の身柄なら、襲撃の標的となり得るのは夏至祭の初日以外には無い。

分からなくもないが、それも可能性の話だろうに。大胆な決断だ。

あんな事件があったというのに、心から夏至祭を楽しめる人間が、一体何人いるのだろう。

 

当然のことながら、明日以降はより一層厳重な警備網が展開される。

私達《Ⅶ組》も、引き続き友軍として警備に当たる予定なのだそうだ。

 

「検査の結果によっては、アヤにも合流してもらうわ。疲れているとは思うけど、人手はいくらあっても足りないのよ」

「それに異論はないですけど・・・・・・空腹だと、力が出ないです」

「あ、あのねぇ・・・・・・まぁいいわ」

 

溜息を1つついた後、サラ教官はコートの内側から革製の財布を手に取った。

その中から無造作に取り出されたのは、1枚の1000ミラ札。

 

「食事制限は無いって聞いてるし、何か奢るわ。売店で何か買ってきなさい」

「え、いいんですか?」

 

飛び上がる程に嬉しい。ここはお言葉に甘えるべきだろう。

財布はあったが、レコードを購入したせいで間食する余裕すら無かったのだ。

 

目を輝かせながらお礼を口にしようとすると、サラ教官は私のベッドを通り過ぎてしまった。

立ち止まった先は、隣のベッド。改まった口調で教官は言った。

 

「エリゼ・シュバルツァーさん。あなたにお願いできるかしら」

「え・・・・・・」

 

エリゼちゃんと私の視線が重なった。

どうして、彼女に。どうして、私に。

 

戸惑い顔のエリゼちゃんが、再びサラ教官と視線を交わす。

すると彼女は、合点がいった様子で首を縦に振った。

 

「畏まりました。姉様、何かご希望の物は御座いますか」

「・・・・・・ううん、何でもいい」

 

足早にエリゼちゃんが病室を後にすると、私とサラ教官だけが残された。

なるほど。何となく、事情は察した。

 

「姉様、か。あの子、随分とあなたに懐いているみたいじゃない」

「まぁ色々あって・・・・・・サラ教官。話って、何ですか」

 

2人きりで話がしたいから、席を外してほしい。サラ教官はそう言いたかったのだろう。

それを「何か奢るわ」で表現するあたり、教官らしいと思える。

 

「アヤ」

「はい」

 

ベッドで半身を起こしている私に向き直り、組んでいた腕が解かれた。

するとサラ教官は、どういうわけか視線を落とし、俯いてしまった。

表情が見えない。一体何を言おうとしているのだろう。

 

「御免なさい。全部あたしの・・・・・・私の責任だわ」

「え・・・・・・な、何ですか急に」

「あの場にいながら、アヤに・・・・・・いえ。あなた達には、大変な思いをさせてしまった。責任者として失格よ」

 

身体を震わせ、両手を強く握りしめながら言った。

見えなくとも、声と挙動でその表情は窺えた。

 

「そんな。教官、顔を上げて下さい」

「今までもそうだったように、今回の件は実習が秘める危険性として、必ず取り上げられる。もしあなたに発言の場が設けられたら、その際には包み隠さず話してほしいの」

「・・・・・・今までの、ように?」

「黙っていたけど、通信を介した会議の場で、常任理事との間でも議論されてきたことなのよ」

 

顔を上げたサラ教官は、頼りない表情で告白した。

 

ケルディックでの、領邦軍との対峙。

バリアハートで発生したマキアスの監禁と、奪還に踏み切った独断行為。

列車内で発生した不可解な事件に、大型魔獣の襲撃。

そして先月。戦争の一歩手前まで追い込まれた、ノルド高原での一件。

 

改めて言われなくとも理解はしていた。

その全てが、一歩間違えれば命を落としかねない、危険と隣り合わせの内容だった。

偶発的な面が多々あれど、それは否定できない事実だ。

 

実習を終える度に、責任者であるサラ教官は、その危険性を何度も議題に挙げた。

その一方で、引き続き特別実習の続行を推していたのも、サラ教官本人だった。

常任理事の3人のような権限を持たずとも、帝国各地に内在する脅威を承知の上で。

ずっと教官は、私達の特別実習を支えてくれていたのだ。

 

「特別実習が持つ二面性。私は理解していたつもりだった。でも・・・・・・今回は違う。私が断るべきだったのよ」

「サラ教官・・・・・・」

「だってそうでしょう。テロリストの危険性を知りながら、私は3日目の課題の変更を許したのよ。知事閣下じゃない、私の責任だわ」

 

俯いていた顔を上げ、真っ直ぐに私を見据えながら。

 

「あなた達を見送り、見届けるのが私の仕事よ。でも、担任としてあなた達を守る義務がある。それだけは譲れない」

 

譲れない。サラ教官は、確かにそう言った。

思わず、笑みが浮かんだ。

 

「あ、アヤ?」

 

サラ教官の胸中は、何となく察することができた。

声色や言葉とは裏腹に、私から見れば迷いが見え見えだ。

迷い、とは違うか。これは期待だ。教官は、何かを欲しがっている。

なら遠慮なく、言わせてもらう。

 

「今回の事態は、私の弱さが招いたことです。申し訳ありませんでした」

「な・・・・・・違う、そうじゃないわ」

「違いません。私の咄嗟の判断と行動の遅れによるものです。認めて下さい」

 

それが、今回の事態を引き起こした私の弱さだ。

構うことなく、私は続けた。

 

「だから、私はもっと強くなります。強くなると誓います。だから、もう二度とさっきみたいなことを言わないで下さい。あんな顔をしないで下さい」

「アヤ・・・・・・」

「それが私の―――私達の覚悟です。次は、サラ教官の番ですよ」

 

突然の振りに、サラ教官は戸惑いの色を隠せないでいた。

ただ、それも一瞬だけ。すぐに私の意図と―――その先にある、私の願いを察してくれたようだ。

 

「・・・・・・いつもいつも、無理ばっかりして。少しはあたしの身にもなってみたらどうなの?」

「テロリストの追跡を指示した人に言われたくないです」

「生き埋めになれと指示をした記憶もないわよ」

 

どっちもどっち。お互い様だ。

やがて観念したかのように、サラ教官の顔は普段通りのそれに戻っていった。

 

「認めるわ・・・・・・怖かった。怖くて堪らなかったわよ。今も、これからだってそう。でもそれは、あなた達を信じ切れないあたしの弱さだわ」

「私達の責任でもありますよ、教官」

 

どうして気付かなかったのだろう。サラ教官も、ずっと一緒に戦ってくれていたのだ。

実習を終える毎に増していく恐怖を抑え、きっと成し遂げてくれると信じながら。

 

いつか教官自身が言っていた。自分はまだ2年目に過ぎない新米教官だと。

私達とは掛け離れた存在とばかり思っていたサラ教官が、今この瞬間だけは身近に感じられた。

《Ⅶ組》は10人じゃない。11人揃って初めて《Ⅶ組》だ。

 

「思う存分、あたしに気苦労を掛けなさい。全部、おねーさんが受け止めてあげるわよ」

「はい、遠慮無く。その代わり、必ず何かを得てから戻って来ます」

 

しっかりと目を見据えて、誓いを立てた。

私だけじゃない。《Ⅶ組》を代表して、代弁しているだけだ。

リィンより説得力は無いかもしれないが、彼ならきっと同じことを言うはずだ。

特別実習は、私達の確かな土台になりつつある。それはこれからも変わらない。

今の私達なら、どんな壁が立ちはだかろうとも、それを成長の糧にしてみせる。

 

「サラ教官、私からも聞きたいことがあります」

「あら、何かしら」

「身喰らう蛇」

 

口に出した途端に、表情が変わった。

教官のそれではなかった。存在を知る、1人の戦士として。元遊撃士として。

そんなところだろうか。いずれにせよ、思っていた通りだ。

 

「教官は、知ってるんですよね。その存在も・・・・・・私の7年前の過去も」

「・・・・・・ええ」

 

ノルド高原でゼクス中将と出会った、あの日。

帝国で行方不明となっていたユイが、私本人であることを告白した時。

あの時私は、全てを打ち明けた。私が見舞われた全てを。そして、その存在を。

中将からは、他言しないように釘を刺された。危険性を考慮しての判断だったのだろう。

この国における私の経歴が抹消されたのも、そのためだったのかもしれない。

 

今となっては、サラ教官が知っていても大した驚きはない。

もしかしたら、殿下もそうなのだろうか。お母さんが遊撃士だったことを知っているぐらいだ。

 

「3人、知ってます。巻き込まれただけなんだと思います。あいつらにとっては、私は道端の雑草のような存在なのかもしれません」

「そう」

「身喰らう蛇って、何なんですか。人とすら思えません。あいつらは、一体―――」

「知らなくていいことよ」

 

遮るようにして、サラ教官の一言が被された。

先程までとは打って変わって、身震いするような鋭い視線が向けながら。

それだけで、どれ程その存在が危険なのかが察せられた。

 

「・・・・・・分かりました。もう、聞きません」

「必要な時が来たら、あたしが直々に話してあげるわ。でもそれは今じゃない。その時は、教官としてではなく―――」

 

―――1人の、先輩としてね。

それを最後に、サラ教官は病室を後にした。

 

強くなろう。強くなって、立派な遊撃士になってからだ。

肩を並べられる程度に強くなってから、教えてもらおう。

サラ先輩と、そう呼べるその日まで。

 

______________________________

 

結論から言えば、3日間に渡る夏至祭は無事終了した。

検査を終えた私もA班に合流し、各街区の巡回をしながらも、夏至祭を満喫した2日間だった。

そしてその翌朝。7月29日、木曜日の午前9時過ぎ。

 

「父さん、傷の方は大丈夫なのか?」

「ああ、大事には至っていない。まだ少し痛むが、じきに完治してくれるだろう」

 

私達は殿下のご厚意で、バルフレイム宮の迎賓口に招かれていた。

出迎えてくれたのは、殿下とアルフィン皇女に、エリゼちゃん。

そしてレーグニッツ知事に、セドリック皇太子だった。

 

皇太子の顔を拝見したのは、これが初めてだ。

フィーが漏らした「ちょっと可愛い」は、私の感想でもある。

光栄の限りだ。皇族一同が私達のためにこうして集うことなど、生涯に渡ってこれが最初で最後のはずだ。

 

「変則的ではあったが、無事に今回の特別実習も終了した。士官学院の理事として、まずはお疲れ様と言っておこうか」

「恐縮です」

「ありがとうございます」

 

士官学院の、3人の常任理事。

まるで立場が異なる上に、誰もが《Ⅶ組》の肉親であるという事実。

こんな時でも、そこには何らかの意志が介在していると疑わざるを得なかった。

ただ、私達には知る由が無い。

 

「色々思うところがあるとは思うが、君達には君達にしかできない、学生生活を送ってほしいと思っている。それについては、他の2人も同じだろう」

「父さん・・・・・・」

 

ともあれ、レーグニッツ知事は信頼に値する人間なのだろう。

負傷しながらも陣頭指揮を執り、無事夏至祭を終えた手腕は見事というべきだ。

彼の言葉を信じるしかない。《Ⅶ組》には《Ⅶ組》にしかできないことが、きっとある。

 

「その点に関しては、どうか殿下もご安心下さい」

「はは、分かった。元より、あなたについては私も信頼しているつもりだ。だが―――」

「どうやらお揃いのようですな」

 

(え―――)

 

不意に、彼らの後方から声が聞こえた。

数アージュ先から放たれた声だというのに、耳元で囁かれたかのような感覚に陥った。

 

「オズボーン宰相っ」

 

皇太子の言葉に、皆が顔を見合わせた。

 

(こ、この人が・・・・・・)

 

鉄血宰相。国の安定は、鉄と血によるべし。

その存在について思い出せたのは、それだけだった。

気当たり、とは違う。ただ、こうして向かい合っているだけで息が詰まりそうになる。

テロリスト達と対峙した時以上に、膝と腰が抜けそうになる思いだった。

こんな感覚、初めてだ。

 

「アルフィン殿下におかれましては、ご無事で何よりでした。これも女神の導きでありましょう」

「ありがとうございます、宰相」

 

私の思いとは裏腹に、何の変哲もない畏まった挨拶が交わされていった。

私だけ、なのだろうか。皆の表情を窺っても、緊張以外に変わった様子は見受けられない。

いずれにせよ今は、平静を装うしかなかった。

 

悟られない様に呼吸を落ち着かせていると、宰相の視線が私達へと向けられた。

 

「君達の噂は、私も少しばかり耳にしている。帝国全土を又に掛けての特別実習。非常に興味深い試みだ。これからも頑張るといいだろう。それと―――」

 

たっぷりと間を置きながら、その視線は私たちの中心。サラ教官へと移っていった。

口元に浮かんだ小さな笑みの意味は、私には分からなかった。

 

「―――久しいな、遊撃士。転職したそうだが、息災そうで何よりだ」

「ええ、おかげ様で。『その節』は本当にお世話になりました」

 

一方で、皮肉が込められたサラ教官の言葉の意味は、すぐに理解できた。

遊撃士協会の件について言っているのだろう。その背中からは、何の恐れや迷いも感じられない。

一国の宰相に対してそれか。無礼千万なその態度が、今だけは素直に頼もしかった。

 

「諸君らもどうか健やかに、強き絆を育み、鋼の意志と肉体を養ってほしい。これからの―――激動の時代に、備えてな」

「あっ・・・・・・」

 

思わず声を上げ、後ずさった。

そのせいか、宰相と私の視線が重なった。

 

「―――っ!」

 

視線を外すことさえできず、悲鳴すら上げてしまいそうな衝動に駆られた、その時。

 

「ご心配無く」

 

目の前に在ったのは、サラ教官の背中だった。

教官は普段と何ら変わらずに、腕を組みながら仁王立ちしていた。

 

「私の生徒達は順調に強い絆を育み、鋼の意志と肉体を養ってくれています。今の職場に移れて、今では感謝しているぐらいですよ。オズボーン宰相?」

「ほう」

「・・・・・・この子達は希望です。彼らに牙を向ける存在があるのなら、たとえこの身を刃に変えてでも―――私は戦います。そこのところ、どうかお忘れなく」

 

_________________________________

 

午後20時。

帝都を後にした私達は、3日間に渡る特別実習、そして夏至祭の警備に費やした体力を取り戻すべく、各自が思い思いに身体を休めていた。

5日間も学生寮を留守にしていたというのに、埃1つ見受けられない。流石はシャロンさんだ。

 

「はぁ。5日間だけなのに、1ヶ月振りぐらいに戻って来たような気分だよ」

「ん。何だか帰ってきたって感じ」

「あはは、分かる分かる」

 

私は実習で使用した一通りの荷物を整理した後、フィーの部屋を訪れていた。

雑談が目的ではない。どうしても、訊いておきたいことがあったからだ。

 

「それで、話って何?」

「うん・・・・・・知っていたら、でいいんだけどさ」

 

地下道で対峙した、ヴァルカンと名乗る男性。そして、その腕にあった刺青。

何度2つの記憶を照らし合わせても、それは一致していた。

勘違いであるはずが、なかったのだ。

 

「・・・・・・思い出した。猟兵団『アルンガルム』」

「そう・・・・・・やっぱりそうなんだ」

「『Rn』の刺青は、その団の実動員に与えられた証。話でしか知らないけど、間違いはないはず」

 

7年前の、母方の伯父を訪ねた異国旅行。

お母さんを失った、一夜の悲劇。鳴り響いた、一発の銃声。

その導力銃を握る男の腕にも、同じ刺青があった。

 

「でも・・・・・・少し解せない。あの団は既に無くなっているけど、義を重んじる集団だったから。団長が教えてくれた」

「・・・・・・そうなの?」

「猟兵団って言っても、規模や方向性はピンキリ。残虐非道な連中もいれば、戦争孤児を守るために存在する団だってある。アルンガルムは、間違いなく後者の類だったはず」

 

ヴァルカンも言っていたことだ。レグラムの近辺に足を運んだ覚えはないと。

それに―――私達を襲った連中は、既にこの世にはいない。

サングラスの男。狼が、全員その手で葬り去ってしまっている。

復讐するつもりなど毛頭無いし、その相手すらも存在していない。

 

ただフィーが言うように、確かに腑に落ちない。

そんな団に所属していた彼が、どうしてテロリスト一味に加担などしているのか。

そもそも、何故アルンガルムは無くなってしまったのか。

私には知る由もないことだが、事情が事情だ。それなりに気にはなる。

 

「・・・・・・ごめん」

「え?な、何で謝るの?」

「少し、無神経だった」

「・・・・・・ああ。いいよ、フィー。別に何も感じないから」

 

私達を襲ったのは、猟兵団。その事実だけは確かだ。

そんな集団を美化するような言葉を並べたことを、後悔しているのだろう。

そんな気遣いは無用だ。寧ろ感謝すべきだというのに。

 

「その話、サラ教官にもしてあげた方がいいよ。連中の足取りを掴むキッカケになるかもしれない」

「そだね。明日伝えておく」

「ありがとう。じゃあ、また明日ね」

 

ひとしきりフィーの頭を撫でてから、踵を返す。

すると背後から、言外の含みを匂わせる視線を感じた。

 

「・・・・・・何?」

「別に。ガイウスの部屋に行くのかなって、そう思っただけ」

「ち、違うってば」

「おやすみ、アヤ。ごゆっくり」

「・・・・・・お、おやすみ」

 

明日から、こんなやり取りが一気に増えそうだ。

この点に関してだけ言えば、明日が来ないでほしい。そう願うばかりだった。

 

_______________________________

 

フィーに掛けた言葉は嘘ではなかった。

私は真っ直ぐに、自室へと戻った。言葉の綾、というやつだが。

ガイウスが、私の部屋に来た。ただそれだけのことだった。

 

「なるほどな。確かに腑に落ちない話だ」

「うん・・・・・・結局、私は見逃されたわけだし。あいつらの目的が何なのか、さっぱり分かんない」

 

私はフィーから得た情報と、実習の中で体験した全てをガイウスに明かしていた。

初回の特別実習の時もそうだったが、あの時もこうしてお互いの話に耳を傾けていた。

来月はどうなのだろう。また一緒の班になってくれればいいのだが。

 

「いずれにせよ、また対峙する時が来るかもしれないな。不思議と俺にはそう思える」

「ん、そうだね。次は絶対に負けるわけにはいかない」

 

次の敗北は、間違いなく死を意味する。ヴァルカンもそう言っていた。

テロリストと私達の間に、接点など生まれようがない。

でもどうしてだろう。ガイウスが言うように、どういうわけかそう思えてしまう。

 

「よいしょっと。ガイウス、次はそっちの番だよ」

「ん?」

「『ん』じゃないでしょ。話すって約束してくれたじゃん」

 

ベッドに預けていた身体を起こし、テーブルを挟んでガイウスと正面から向き合った。

既にB班の話は聞いている。だから、次は彼の話に耳を傾ける番だ。

この実習が終わったら、必ず話す。そう約束していたはずだ。忘れたとは言わせない。

 

「・・・・・・そうだな。正直に言えば、俺は焦っていたのかもしれない」

「焦るって、何を?」

「如何にして故郷を守るか。あの実習以来、そればかりを考えていた」

 

故郷を守るために、強くなる。

聞こえはいいが、現実問題として、それは余りにも困難な道のりだ。

何しろ2大国に挟まれた領地争いのど真ん中だ。人一人の意志でどうにかなる程、現実は甘くはない。

それは、誰にだって分かっていることだった。

 

「理解はしている。だがオズボーン宰相が仰られたように、時代は動き始めている。先月の一件すらも、その予兆に過ぎないのだろう」

「それはそうだけど・・・・・・」

「それに、アヤに置いて行かれるような気がしてな」

「へ?」

 

どういうわけか、突然引き合いに出されたのは私だった。

何故そこで私の名前が出る。これ以上分からないことを増やさないでほしい。

抱えきれない程に、色々なことが頭に詰まっているというのに。

 

「様々な過去を持ちながらも、アヤは・・・・・・前に進めているだろう。遊撃士という確かな道も見つかった。それが、俺は羨ましかったのかもしれない」

「・・・・・・置いて行かれるのが、怖くなった。とか?」

「ああ。情けない限りだが」

 

呆れたものだ。そんな詮無いことを考えていたのか。

支え合っていくと言ったのに。別に無理に歩調を合わせる必要はないだろう。

私だって別に、彼の前を歩いているつもりはない。道を見つけただけだ。

 

「そっか・・・・・・」

 

ただ、気持ちは分からなくもない。

ガイウスにも、男性としてのプライドがあるのだろう。

まぁ、お義父さんはお義母さんに尻を敷かれ気味なのだが。それは別の話だ。

 

「一緒に考えさせてよ。2人だけじゃなく、みんなでさ。サラ教官もゼクス中将も、相談できる人間はたくさんいるんだから」

「・・・・・・そうだな。ありがとう、アヤ。少しだけ、気が楽になった」

 

お互いに顔に笑みが浮かび、視線が重なる。

さて、これで1つの心配事はもう大丈夫だ。

もう1つは私が強引に聞き出さないと、吐いてはくれないだろう。

 

「それで、何を悩んでるの」

「ん?」

「だから、『ん』じゃないでしょ。次にしらばっくれたら、殴るからね」

 

拳を鳴らしながら、優しげ且つ凄味を効かせた視線を送る。

それぐらいお見通しだ。どれだけの時間を今まで共有してきたと思ってる。

 

やがて観念したかのように、ガイウスは頬を掻きながら口を開いた。

 

「その、先程の事も相まってな」

「うん」

「時折、アヤを遠くに感じてしまう」

「・・・・・・うん?」

 

とおくにかんじてしまう。

何だそれは。突然何を言い出すんだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。わけ分かんない。何が言いたいの?」

「言っただろう。アヤは、リィンに似ている」

 

またそれか。一体彼の何を指して言っている。

さっぱり分からない。ハッキリ言ったらどうなんだ。

 

「言っていいのか?」

「言ってよ。何度言わせるの」

「俺以外の男子に、必要以上に笑顔を見せないでくれ」

「・・・・・・は?」

 

ハッキリ言われた結果。私には、何の言葉も見つからなかった。

 

「すまない、これ以上は・・・・・・察してくれないか」

「ガイウス・・・・・・」

 

言葉は出ない。ただ―――何となく、ではあるが。

彼が言わんとしていることが、おぼろげながら見えてきた。

 

太陽のように、笑う君。

君を例えるなら、俺は太陽だと思う。

決して、独り占めにはできない。

今までまるで理解できなかったガイウスの言葉が、今になって漸く繋がりを見せ始めた。

そうして見えてきたのは、1つの感情に他ならなかった。

 

「・・・・・・ふふっ」

「アヤ?」

「あはは、あははは!」

 

笑う以外に何がある。笑うしかないだろうに。

よくそんなことが言えたものだ。それを言うなら、こちらだって同じだ。

 

私が知らない時間を、ガイウスがリンデと共有しているというだけで不安になる。

女学院で複数の視線を浴びる彼を見ただけで、自分がどれだけ狭量な人間なのか思い知らされた。

正直に言えば、彼が私以外の女性と話しているだけで嫉妬心に駆られる。

私のものなのに。私だけの彼なのに、そうはなってくれない。

 

要するに、お互い様だ。

逆の視点から見れば、確かに私もそうだったかもしれない。

いや、きっと彼以上だ。今思えば、土下座したくなる程に迂闊だった。

想いが繋がってから、たったの3週間足らず。その間にも、生まれて初めての感情に戸惑っていたのだろう。

 

「・・・・・・勘弁してくれないか。自分でも、おかしなことを言っているという自覚はある」

「ごめんごめん・・・・・・違うよ。おかしいから笑ってるんじゃない」

 

嬉しさから来る笑いに他ならない。

もう、安心だ。そんなことが原因なら、方法はいくらだってある。

 

「ガイウス。私のこと、好き?」

「ああ、好きだ」

「本当に?」

「本当だ」

「これからも、ずっと?」

「ああ。風と女神に誓う」

「・・・・・・そっか」

 

その言葉の意味を、理解しているのだろうか。

勢いで―――いや、私が信じなくてどうする。

あの夕暮れの下で、誓ったじゃないか。

幸せになると。一生を共にする覚悟すらできていると。

 

「ねぇ。美術室で言ったこと、覚えてる?」

「・・・・・・すまない、いつの話だ?」

 

もう迷わない。

ただ、これは彼の役目だ。こちらから言いたくもないし、したくもない。

それぐらいすぐに察しろ。この唐変木。

 

「ガイウスって―――私に、何もしないよね」

 

七曜歴1204年、7月29日木曜日。快晴。

5日間の夏季休暇を、翌月に控えた初夏。真夏の思い出の、始まりの1ページ目。

私の19年間と4ヶ月の中で、一番幸せで、一番長い夜だった。




これにて第4章は閉幕、次話からは第5章となります。
序盤は、原作では何故かさっと流された、『5日間の夏季休暇』の出来事になります。
これだけでもかなり時間が掛かりますが、どうかご勘弁を。
だって、夏休みですから。


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第5章
それぞれの語らい


8月7日、土曜日。

街中に溢れていた初夏の匂いが、その本格さを増した頃。

解放感と目が眩むような光溢れる、8月の初旬。

 

ある者は、今日から始まった5日間の夏季休暇を満喫しながら。

またある者は、来月に控えた『交流会』への準備に勤しみ。

そして誰もが夏の夜空に輝く星々を仰ぎ、夏の情緒に想いを馳せる。

 

そんな8月7日の夜。

私達《Ⅶ組》の女子5人と、担任が1人。

6人が1つの部屋に籠り、中央のテーブルを囲うようにして腰を下ろしながら、雑談に耽っていた。

 

「音楽院や芸術院に、科学院。確か、合計で6校です。一部の大学なんかも参加するようですよ」

「ふーん。話には聞いてたけど、要は何をする集まりなの?」

「学院の行事や取り組みの内容をお互いに発表し合いながら、それぞれの意見を交換し、交流を深める。といったところでしょうか。基本的には、生徒会が主導で行うみたいですね」

「ふむ。主導ということは、それ以外の生徒も参加する余地がある、ということか?」

「はい。昨年には、文芸部のドロテ部長も参加されたそうなんです」

 

数年前から恒例行事となった、学び舎の垣根を越えた交流。

9月中旬に予定されているそれは、エマが言うように学生が主導となって執り行われるそうだ。

毎年持ち回りで1つの学院が音頭を取るのが通例で、今年はちょうど、それが士官学院の番。

なら、実質的な中心はトワ会長か。きっと素敵な集いになるはずだ。

 

「それにしても・・・・・・私達の知る情報とエマのそれとじゃ、随分と開きがあるわね。そこまでの詳細は、今初めて知ったわよ?」

「私も部長から教えていただいただけなので・・・・・・」

「・・・・・・サラ」

「ぷっはああああああ」

 

フィーに話を振られたサラ教官が、冷えたビールで喉を潤した感動をありのままに表現した。

ああ、殴りたい。私の前で露骨に自慢するかのように、勝ち誇ったその顔を見せびらかす恩師を。

 

「あら、何かしら。何も悪いことはしていないわよ」

「前にも言いましたよね。学生寮は飲酒禁止です。何度言わせれば気が済むんですか」

「『学生の』に決まってるじゃない。行間を読みなさいな。そんなんじゃ大人の女性になれないわよ」

「どいて、アリサ」

「お、落ち着きなさい!私の部屋で何をするつもりよ!?」

 

6人が一手に集う、初めての夜。

キッカケは、私がアリサの部屋に転がり込み、取り留めのない話に花を咲かせていただけのこと。

そこにエマが加わり、より一層会話が弾んだ。賑やかになった一室に、ラウラとフィーが2人仲良く訪れた。

シャロンさんが作ってくれた軽食に釣られ、ほろ酔い気分のサラ教官が最後に。

 

まぁ全てのキッカケはといえば、女学院の正門前でエマが放った言葉だったに違いない。

実習が終わったら、誰かの部屋で一晩中語り合いたい。図らずも、それはすぐに実現した。

 

「サラ教官。もしやとは思うが、我々への連絡事項等に漏れがあるのではないか?」

「あー、それはほら。最近印刷機の調子が悪くってね。連絡書一式、今度配るわよ」

 

忘れていただけだろう。

そんな5つの視線を器用に掻い潜り、教官はシャロンさんお手製の燻製サモーナを堪能していた。

まぁ、今に始まった事ではない。いちいち相手にしていては、突っ込み役が何人いても足りない。

 

「そういえば・・・・・・」

 

アリサのその言葉を合図にして、陣形が瞬時にして変わった。

戦術リンクさながらの、無駄一つ無い連携。

途端に、頭の中で警笛が鳴った。まずい、これは非常にまずい。

そういえばの後に続く話題は、絶対に180°回転した脈絡の無いそれだ。

 

思い至った時には、テーブルではなく私が囲まれていた。

退路は無かった。味方もいない。今晩だけで3回目の、四面楚歌。

 

「アヤ。何て言って告白されたの?聞かせなさい」

「だから!!何回言わせるの!?」

 

3回目だった。いや、4回目か。

どうだっていい。鬱陶しいこと極まりない。

 

「アヤさん、無理にとは言いませんが・・・・・・教えていただかないと、作品の執筆が進みません」

「書かなくていい、書かなくていいから」

 

いつだったか。誰かが「女性は集まると怖い」と言っていたことが思い出された。

まさか同性の身でありながらそれを体感する時が来るとは。

ともあれ、もう慣れてきた。恥じらいも薄れてきたような気がする。

 

「別に、普通に好きとか、一緒にいたいとか。確かそんな感じ」

 

湧き上がる拍手喝采。

フィーは小型の金管楽器を手にし、「パフパフッ」と煽るように鳴らしていた。

シャロンさんがつまみと共に持ち込んだ時はまるで理解できなかったが、用途があったのか。

 

「まぁ、素直に喜ばしいことね。おかげで胸焼けしそうだわ」

「ああ、そうだな。私もいずれ・・・・・・コホン、何でもない」

 

ここだ。機は今しかない。

 

「ちょっとみんな!今ラウラから気になる発言が出た!!」

「アヤ、酒のつまみが無くなったわ。もっとパンチの効いた話をちょうだい」

 

私の振りは誰の気を引くことも無く、消え失せた。

包囲網に付け入る隙は無かった。弄りを通り越して虐められている気分だ。

 

「ああもう。そんなこと言われたって、話すことは何も無いですよ」

「期待する方が無駄なのかしら・・・・・・相手があのガイウスだしね」

「我々が気付かぬ程に、普段通りの2人にしか見えなかったな」

「ふふ。アヤさんとガイウスさんらしいです」

「・・・・・・」

 

あれ、何だろう。急に冷静になってきた。

その「どうせ何もないんだろう」的な視線が、優越感に似た感情を抱かせてくる。

何故かと聞かれれば、何かあったから。いや、正確に言えば、無かったか。

 

お互いに笑える程に不器用過ぎて―――うん、これも別の話だ。

何の準備もしていなかったのだ。それで行為に及ぶ程、私達は馬鹿じゃない。

・・・・・・まぁ、あれでは同じようなものか。思い出すだけで息が熱くなる。

 

「みんな、アヤの様子が変。探りを入れるべき」

「へ?」

 

いつの間にか、フィーが覗き込むようにして私の隣に座っていた。

近い、近すぎる。息が当たる程の距離で、突然何を言い出すんだ。

 

平静を装い聞かなかった振りを決め込む私を余所に、皆の目には怪しげな色が光っていた。

長い夜になりそうだ。一週間前の、あの夜以上に。

 

____________________________

 

一方その頃。

第3学生寮の2階。

 

「何だか3階が騒がしいね」

「ど、どうして楽器の音まで聞こえてくるんだ・・・・・・?」

 

《Ⅶ組》の中心にして重心。本人は否定しても、周囲がそう認めている。

リィン・シュバルツァー。彼の自室には、俺達《Ⅶ組》の男子が勢揃いしていた。

 

キッカケは些細なことだ。特別実習を終え、5日間に渡る夏季休暇の初日。

こんな日にも、リィンは生徒会の手伝いとやらに奔走していた。

対する俺は、自由気ままにキャンバスにペンを走らせるだけ。

お互いに自分自身の意志での行動とはいえ、リィンは自分を削り過ぎる傾向にあるように思えた。

彼も同じ学生だというのに。あれでは身体がいくつあっても足りないだろう。

 

俺にできることは、滋養に効く薬草と茶葉を使い、茶を淹れてやることぐらいしかなかった。

リィンには、リィンにしかできないことがある。それは俺だって同じだ。

 

特徴的なその香りに引かれて、ユーシスが扉を叩いた。

続くようにして、マキアスとエリオットも。ごく自然に、皆がリィンの下に集った。

 

「はは・・・・・・癖のある味だけど、不思議と身体が解れてくる感覚だ。礼を言うよ、ガイウス」

「そうか。気に入ってくれて何よりだ」

「興味深い香りだな。これもノルド原産の物なのか?」

「ああ、そうだ」

 

同年代が4人。こうして改めて見ると、今でも不思議な感覚に陥る。

ノルドでは考えられないことだった。一番歳が近い同性でも、4つは離れていた。

同じ建物の中で、学び舎で生活を共にし、横並びで歩を進める。

たったそれだけの事実が、確かな力になる。これが友というものなのだろう。

 

「ガイウス、何を笑っているんだ?」

「フッ・・・・・・いや、詮無いことだ。気にしないでくれ」

「あはは。もしかして、アヤのことでも考えてた?」

「・・・・・・そんなことはないが。そう見えたのか?」

 

そして、この感情。まぁ、これは3年前からのものだったが。

自覚しただけだ。彼女が「帰ろう」と言ってくれた、あの日から。

笑ってくれたあの日から、ずっとそうだった。

 

士官学院に来てから、自分の知らない自分が見えてくる。

毎日が新たな発見と学びに満ち溢れている。恵まれた環境だ。

 

「しかし、君も水臭いな。僕らにまで隠す必要はないだろうに」

「アヤに口止めされていたんだ。そうでなくとも、キッカケが掴めなかったのも事実だ」

「フン、俺は知っていたがな。それがお前と俺の差だ。認めろ」

「君はたまたま見ていただけだろう!?」

 

そう、見られていた。今思い出しても、顔が熱くなる。

こんなことを言ったら、皆はどう感じるのだろうか。

俺にだって、恥じらいはある。まさかあの場面を見られていたとは思ってもいなかった。

気配にすら気付かなかったのは、それだけ彼女しか見えていなかったからだろう。

 

「改めて言わせてよ。おめでとう、ガイウス」

「見限られんよう、精々大事にしてやれ」

「ありがとう、みんな」

 

茶を飲まずとも、身体が温まる。アヤは何を迷っていたのだろう。

皆が支えてくれる。何も知らない俺に、たくさんのことを教えてくれる。

遠慮はいらない。思う存分に頼りにさせてもらおう。

たった1人で彼女を支えられると思う程、思い上がってはいない。

 

「なぁガイウス。今回の夏季休暇、やっぱりアヤと何か約束しているのか?」

「いや、特に予定は無いが」

「「えっ」」

 

リィンの問いにそう返すやいなや、4人の声が重なった。

見れば、皆の表情に意外や戸惑いの色が浮かんでいた。

悪い風が吹いている。何だ、俺は何かおかしなことを言っただろうか。

 

「じゃあ、このままずっとトリスタにいるの?ノルドに帰省する予定は?」

「それもない。一月前に戻ったばかりだからな。年末までは、帰らないつもりだ」

 

まただ。また嫌な風が俺に向けて吹き荒れてくる。

初めての経験ではない。物を知らない俺だからこそ分かる。

きっと俺は彼らにとって、普通ではないことを言っているのだろう。

 

「そ、それは僕もどうかと思うぞ。折角の夏季休暇だ。何か特別なことをしてあげたらどうなんだ?」

「特別・・・・・・帰省しろということか?」

「阿呆が。それは選択肢の1つに過ぎん」

「ほら、今しか作れない思い出ってやつだよ」

 

士官学院生としてたった2つしかない、5日間に渡る夏季休暇。

それは大変に貴重で、何かを感じ、思わずにはいられない掛け替えのない自由な一時。

・・・・・・よく分からないが、長期に渡り自由行動を許されることが、特別だということは理解できる。

 

ノルドには、自由行動日や休日といった概念は無い。

だが帝国には、ノルドの外には確かに存在している。

そんな発想が無かったのも、無理もないのかも―――いや、違う。

 

知ろうとしなかっただけだ。それは俺の怠慢でしかない。

2年後。アヤは、俺とは違う道を歩むことになる。離れ離れになる。

今までのように、会う事すら叶わなくなるのだ。それはもう、すぐ近くにまで迫っている。

それなら、今しかない。

 

「あー、コホン。それと念のために訊いておくが。夏季休暇の最終日は、何月の何日だ」

「・・・・・・8月11日、だが」

「お前は思っていた以上に唐変木だな・・・・・・聞くに堪えん。いいか、その1ヶ月前。お前は何をした」

 

7月11日。

そうだ。あの日の夜に俺は、想いを打ち明けた。彼女も、それに応えてくれた。

それが何を―――駄目だ。考えるな、感じろ。

既成概念に捉われるな。俺の考えは、ここでは普通じゃない。

アヤはクロスベルという地で生を受け、帝国を流れてきた。俺が彼女に合わせるべきだ。

 

成就してから、ちょうど1ヶ月。そこに何か意味がある。

季節の節目を祝うように。生誕の日を祝うように。父さんと母さんが、婚約した日を祝うように。

きっと、その辺りが近いはずだ。

 

「なるほど。その特別な日に、何か特別なことをすればいいんだな」

「手の掛かる男だ・・・・・・何だ貴様ら。その気色悪い視線を今すぐ外せ」

「ユーシスって・・・・・・えへへ、ちょっと意外だな」

「ユーシス・アルバレア。君は恋愛指南書を嗜む習慣でもあるのか?」

「表に出ろ、マキアス・レーグニッツ・・・・・・っ!」

 

目の前で勃発した睨み合いは、多分俺のせいではないだろう。

しかし―――特別なこと、か。これは流石の俺にも理解はできる。

 

それは例えば、シャルがトーマにそうしたように、何かを贈る。

間違いではない気がするが、思い出とは何か違う気がしてならない。

婚約した日を祝う時には・・・・・・いや、これは飛躍し過ぎているな。

 

「ガイウス、そう難しく考える必要は無いんじゃないか?2人でどこかに出掛ける、とかさ。それだけでも喜ばれると思うぞ。エリゼの機嫌取りに、よくそうしていたものさ」

「うんうん。アヤならやっぱり、地元の美味しい物が食べたいんじゃないかなぁ」

「お前が考えて自ら行動することに意味がある。いいか、男子なら・・・・・・貴様ら、雁首揃えて表に出ろ!」

 

思い悩む俺を尻目に、次から次へと溢れ出てくる。頼んでも、いないというのに。

 

「・・・・・・フフッ」

 

思わず漏れ出た笑い声は、誰の耳にも入ってはいないようだ。

士官学院に入って、彼らに出会えて本当によかった。

アヤ。君だってそうだろう。もしかしたら、同じように同窓と語り合っているのかもしれないな。

 

ともあれ、考えることは山積みだ。考えて答えが出るような問題ではない。

悩んだら打ち明けよう。俺には仲間がいる。それだけで俺は、前に進める。

 

___________________________________

 

「さっきから下の階も賑やかね」

「ふふ。もしかしたら私達のように、お喋りに夢中になっているのかもしれませんね」

 

お喋り。今お喋りと言ったか。

拷問の間違いだろう。問答無用に散々こっ恥ずかしい言葉を出させておいて何を言う。

おかげで顔は熱いし喉はカラカラだ。許されるなら、サラ教官のように喉を潤したいというのに。

 

「ふむ。少々悪乗りが過ぎたようだな。すまない、アヤ」

「ラウラ・・・・・・大好きだよ」

『パフパフッ』

「フィー、今のは違うからね」

 

包囲網が崩れ去ると同時に、私の身柄は解放された。

疲れた。まるで特別実習の直後のような疲労具合だ。

 

「でも私達だって、寂しかったんだからね。知っていたのが、ユーシスだけだったなんて。あんまりじゃない」

「それは・・・・・・ごめん」

「責めるつもりはないんです。ですが、アリサさんのお気持ちも理解できますから」

「そうだな。その、力になれるとは断言できぬが・・・・・・話を聞くぐらいは、私にもできる」

『パフパフッ』

「そなたも楽器を置くがよい」

 

それを言われると、返す言葉が無い。それに、私にも迷いがあったのは確かだ。

血の繋がりが無いとはいえ、私達は姉弟。エリゼちゃんと同じ葛藤だってあった。

皆が私達の関係を、受け入れてくれるのか。躊躇いの半分は、それに他ならなかった。

 

・・・・・・情けない限りだ。ユーシスやポーラを見れば、分かり切っていただろうに。

皆を信じ切れなかった私が弱かっただけだ。悪いのは、私だ。

 

「ごめんね、みんな。何かあったら、その時は相談させてもらうよ」

「ふふ、任せなさい。何せ3年越し愛だもの」

「はい。3年越しの愛ですから」

「ああ。3年越し―――」

「もういいから!!」

 

もう遠慮は要らない。こんなやり取りも、きっと掛け替えのない思い出になってくれる。

悩んだら打ち明けよう。嬉しいことがあったら存分に共有しよう。今までのように、これからも。

・・・・・・ただ、この場はさっさと次の話題に移ってほしい。どれだけ弄れば気が済むんだ。

 

「うんうん、これが青春ってやつよねー♪」

 

皆の視線が、ベッドの上で足を組みながら晩酌をするサラ教官に向けられた。

ビール瓶を数本開けて、ワインボトルを・・・・・・ほとんど空だ。

相当に飲んでいる。夏季休暇とはいえ、流石に羽目を外し過ぎではないだろうか。

 

「さ、サラ教官!ベッドにお酒が零れてるじゃないですか!?」

 

不意に、アリサの悲鳴が上がった。

 

「え?ああ、ごめんごめん。後で拭いておくわ」

「今ですよ、今!ああもう、臭いが・・・・・・っ!」

 

ワインの濃紫色に染まったベッドシーツ。

そして泣きそうな顔で部屋を飛び出したアリサ。シャロンさんにヘルプを頼みに行ったのだろう。

駄目だ、この人。駄目過ぎる。誰もがそう思わざるを得なかった。

 

「ほらほらどうしたの。話を続けなさい。面白くないじゃない」

「・・・・・・あのー、サラ教官?1つ、お伺いしたいことが」

「エマ、聞くだけ無駄。いないから」

 

エマが問いかける前に、フィーが教官に代わって答えた。まぁ、事実に違いない。

尊敬に値する人だと思う。立派な人間だと自信を持って言える。

だというのに、どうしてこうなのだろう。だらしないにも程がある。

 

「あらあら、サラ様ったら」

 

透き通るような声が、私達の複雑な胸中を綺麗さっぱり洗い流した。

音も無く現れたシャロンさん。いつの間に背後にいたのだろう。

シャロンさんは足早にベッドへと近づくと、慣れた手つきでシーツを外しに掛かった。

無言の圧力で、サラ教官も腰を上げざるを得なかった。

 

「手慣れているな。流石はシャロン殿だ」

「サラとは大違い」

「ぐぬぬ・・・・・・」

 

この安心感と安定感。

比較しても仕方ないが―――事実、仕方ない。目の前のそれは、長所と短所に過ぎない。

私は今日まで、素敵なサラ教官を何度も目の当たりにしてきた。

 

「大丈夫ですよ、サラ教官」

「え?」

「だって私のお母さんが結婚できたぐらいですから」

「・・・・・・励ましてるの、それ」

「もちろんです」

 

その説得力は、私にしか理解できないだろう。伝わらないのも無理はない。

サラ教官はサラ教官だ。彼女の魅力を分かってくれる男性が、きっといるはずだ。

それがいつになるかは分からない。その時は、皆で祝福してあげよう。

 

(あっ)

 

サラ教官の晴れ姿を想像したところで、唐突にある事を思い付いた。

うん、案外悪くは無いかもしれない。気が早いが、皆にも冗談交じりに提案して―――痛っ。

 

「・・・・・・待って下さい。何で私叩かれたんですか」

「勝ち誇った顔でニヤニヤ笑うからよ、ムカつくわね。そんなに男を自慢したいわけ?」

「ち、違いますよ!・・・・・・ああもう。もういいです!」

 

あれは10歳の頃だったか。お母さんの知人の挙式に、一度だけ参加したことがある。

日曜学校で見慣れた教会が、別世界のような華やかさに溢れていた。

 

それが5年後でも10年後であっても。

《Ⅶ組》を象徴する真紅の袖に腕を通して、祝福する。サラ教官へのとっておきのサプライズだ。

―――と思ったのだが、考え直そう。自業自得だ、このバカ教官。

 

_______________________________

 

「3階、漸く静かになってきたね」

「もうこんな時間か。はは、随分と話し込んじゃったな」

 

時計の針は、夜の22時過ぎを指していた。普段なら、寝床に入っている時間だ。

睡眠と起床の時間だけは、故郷でのリズムを崩さない。俺なりの習慣だった。

 

「僕はそろそろ部屋に戻ろう。ガイウス、何か相談があれば遠慮なく言ってくれ」

「やめておけ。地雷を踏みたくなければ、俺のところへ来るがいい」

 

マキアスとユーシスは、反発し合いながらも引かれ合うように。

エリオットもそれに続き、リィンの部屋を後にした。

 

「すまなかったな、リィン。元気付けるつもりが、こちらが相談に乗ってもらってしまった」

「構わないさ。みんな、ああいった話題で熱くなったりするんだな。少し意外だったよ」

 

同じ思いだった。

おかげで俺はまた1つ、知らない世界を肌で感じることができた。

それがアヤの幸せに繋がるなら何よりだ。まぁ、それは俺次第というところか。

知識は活かすことで、初めて知恵になる。ご隠居が教えてくれたことだ。

 

踵を返し、ドアに手を掛けたところで―――歩を止めた。

 

「どうしたんだ?」

「リィン、お前にも・・・・・・いるんじゃないか。特別な存在が」

 

すぐに答えは来なかった。

この風の色はなんだろう。戸惑いか。あるいは、別の何かか。

 

「・・・・・・分からない。ただ―――いや。その時は、俺も相談させてくれ」

「そうか。いい夢を」

「ああ。おやすみ、ガイウス」

 

どうとでも受け取れる返答だ。リィンらしい。

風と女神の導きを。そして親友と呼べる彼に、支えとなる存在があらんことを願うばかりだ。



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放課後の友

夏季休暇を除けば、士官学院には年末年始しか長期休暇は存在しない。大変に貴重な存在だ。

と言っても、その過ごし方は様々。帰省する生徒がいれば、外国旅行を満喫する生徒もいる。

普段のようにクラブ活動に勤しむ生徒だっているし、それは平民と貴族で大きく異なるようだ。

それにこの時期、貴族生徒には色々な名目で長期休暇をとることが許されている。

過ごし方に差が出るのは当然の事なのだろう。

 

「―――というわけなのだよ」

 

目の前でマッハ号の背を撫でるランベルト先輩も、近々実家に顔を出すのだと聞いていた。

忘れがちになるが、その純白の制服を泥だらけにして馬と戯れる先輩も、貴族生徒なのだ。

 

「こ、交流会に、ですか!?」

 

ただ、今はそれどころではない。

彼の提案に、思わず声を上げてしまった。

 

「ああ。我々馬術部も参加できるよう、トワ君に話は通してある。いい経験になると思ってね」

 

8月8日、日曜日。

私達馬術部の、来月に控えた交流会への参加。

それが午前中のクラブ活動を前にして、ランベルト先輩から告げられた内容だった。

 

「単なる思い付き、というわけではないようですが」

 

と腕を組みながら言ったのはユーシス。

大して動じていないものの、やはり怪訝そうな視線をランベルト先輩に向けていた。

一方のポーラは、流石に戸惑いを隠せないようだ。

 

「でも生徒会以外の参加は、教職員の推薦や認可が無い限りできないって書いてありましたけど」

「え、そうなの?」

「・・・・・・アヤ。あなた配られた連絡書には目を通しておきなさいよ」

 

失礼な。全部あのだらしない担任教官のせいだ。

私達は今度配ると昨日言われたばかりだし。知らないのも無理はない。

 

ポーラによれば、交流会では一部のクラブに活動内容を発表する場が設けられるのだそうだ。

参加には事前申請と認可が必要で、希望者が多い場合、生徒会と教職員の判断で篩に掛けられる。

ランベルト先輩の物言いだと、既に馬術部の参加は決まっているのだろう。

 

「実は昨年、私も一見学者として参加したことがあるのだよ。その時は、文芸部のドロテ君が代表だった」

「文芸部・・・・・・ああ、あの人か」

 

話したことは無いが、エマが所属する文芸部の部長さんのことだろう。

一見すれば大人し目な先輩のようでいて、いつもギラギラと目を光らせているあの人だ。

そういえば、昨晩エマがそんなことを言っていた気がする。

・・・・・・昨年?昨年ということは、ドロテ先輩は1年生の身で代表を務めたということだろうか。

 

「実に情熱的だった。同学年ながらも、堂々と文芸部の魅力を熱弁するドロテ君の姿に、いたく感心してしまったよ。まぁ、内容は別としてだ。内容はね」

「・・・・・・えーと。それで?」

「あの時から考えていたのさ。来年は我々馬術部も、とね。昨年から学院長とトワ君に打診してきた甲斐があったというものだよ」

 

なるほど。それなら私達が参加できるようになった経緯も理解できる。

交流会か。話では聞いていても、その内容はまるで想像が付かない。

何せ帝国を代表する6つの学院が集う会だ。人数もかなりの規模になるに違いない。

 

「ハッハッハ。他校の生徒と触れ合えるいい機会ではないか。そう気負わず、存分に楽しんできたまえ」

「「え?」」

 

私とポーラの声が重なり、お互いの顔を見合わせた。

そんな私達の胸中を代弁するように、ユーシスが小さく溜息を付きながら口を開いた。

 

「予想はしていましたが・・・・・・俺達3人が、代表というわけですか」

「もちろんさ。元々参加人数も限られていたし、私が参加しても仕方ない。諸君の好きなようにするといい。きっといい経験になる」

 

当然ランベルト先輩も参加するとばかり思っていたのだが、そうではないようだ。

私達が馬術部、そして士官学院の代表。・・・・・・急に肩の荷が重くなってきた。

戸惑うばかりの私達を尻目に、マッハ号は高らかな鳴き声を上げていた。

 

___________________________________

 

午後13時過ぎ。

午前中のクラブ活動を終えた私達はキルシェに足を運び、交流会に関する資料を読み耽っていた。

ランベルト先輩から聞かされた話では、士官学院の参加者は生徒会から5名。

クラブ活動については、私達馬術部の3名が代表。合計で8名の参加だ。

 

「活動内容の発表かぁ・・・・・・ポーラ、ユーシス。どんなことを話せばいいのかな」

「目的によるだろう。単に馬術部の活動を周知させるだけなら、俺達が参加する意味など無い」

「・・・・・・うーん」

 

分かるような、分からないような。そもそも馬術部の活動内容は至って単純だ。

馬の世話に、乗馬技術の向上。確かにそれを発表するだけでは参加する意義が見当たらない。

 

ちなみに、馬術部の部員数は10名足らず。

乗馬についてまともに活動をしているのは、私達3人とランベルト先輩ぐらいだ。

と言っても、日々の世話は他の部員も手伝ってくれている。それで手一杯といった印象だった。

 

「言われてみれば、弟君の方が馬術部らしいわね。たまに遊びに来るし」

「あはは。それはそうかも」

 

馬に触れたくなるのか、時折ガイウスは馬術部を訪れることがある。

乗馬の回数だけで言えば、4人に続いて一番多いかもしれない。

 

「そういえば・・・・・・アヤ。あなた達、休みの間にどこかに出掛けたりはしないの?」

「あー。まぁ、今のところは予定は無いかな」

「折角の夏季休暇なのに?何だか勿体無いわね」

「それは分かるんだけど・・・・・・」

 

痛いところを突かれた気分だ。思わず溜息が出てしまった。

普通の男女の仲なら、それが普通なのだろう。考えてみれば、2人で遠出したことは一度も無い。

誘ってほしいという思いはあるが、ガイウスにそれを求めてもなぁ。

なら私から。と考えもしたが、これといって何も思い浮かばない。

冗談抜きで、何も。何を目的に、どこへ行けばいいのかもさっぱりだ。

 

最近実感することが多いが、私もガイウス同様、色々とズレているところがあるようだ。

それは例えば、帝国に関する知識。私が4年間帝国を流れる中で得たものは、この国で人目に触れず生きていくのに必要な知識だけだ。

貴族に関するイメージなど、お母さんが教えてくれたそれしか無かった。

ユーシスのような人間もいれば、パトリックのような典型的な貴族もいる。

そういえば、初対面の時はユーシスにも敬語を使っていたか。今となってはいい思い出だ。

 

「・・・・・・まぁ、心配は無いみたいね」

「え?」

 

考え事の道が逸れ掛けたところで、ポーラが安堵の溜息を付きながら言った。

その視線の先には、口元に小さな笑みを浮かべていたユーシスの顔。

どういうことだろう。ポーラもユーシスも、その表情の意味がよく分からない。

一方で、それはユーシスも同様のようだった。

 

「おい。どういう意味だ」

「付き合いも長いし、アンタが考えてる事ぐらい顔を見れば分かるわよ」

「・・・・・・フン」

 

視線で語り合うポーラとユーシス。

これはこれでほほ笑ましい限りだが、私を置いてけぼりにしないでほしい。

何だか阻害感すら抱いてしまう。

 

「それよりも今は交流会でしょ。今のうちに、叩き台ぐらいは考えておいた方がいいわね」

「え・・・・・・まだ1ヶ月ぐらい余裕はあるよ?」

「来月からは学院祭の準備もあるんだから、後回しにすると痛い目にあうわよ」

「ああ、それがあったっけ」

 

10月に予定されている、士官学院恒例の学院祭。

詳細は話でしか聞いたことが無いが、1年生はクラス別で独自の催しを考える必要があるそうだ。

アイデアからその準備、段取りに至るまで生徒が主導となって計画し、立案する。

考えただけでその苦労の程が窺える。何しろ《Ⅶ組》は他のクラスに比べて生徒数が半分以下。

その分苦労も倍増すると考えておいた方がいいのかもしれない。

 

「いずれにせよ、一通り詳細を聞いてからでなければ始まらん。生徒会室に行くぞ」

「昨年度までの資料があれば、それも参考にしましょう。導力端末も必要になるわね」

 

2人はこういったことには慣れているのだろう。

ユーシスは当然として、ポーラも頭の回転が速い行動派の人間のはずだ。

学業に力を入れ始めてからは、成績はクラスでも上位にまで上がってきていると言っていた。

 

「ちょっとアヤ、いつまで食べてる気?」

「ま、待ってよ。ピザがまだ・・・・・・あちちっ」

 

まぁ、私は私なりに頑張ろう。精々足を引っ張らない程度に。

 

___________________________________

 

「どうしたんですか、ガイウス君」

「む」

 

右手にはデッサン用の木炭。目の前にはスタンドに掛けられたキャンバス。

そしてその向こう側から覗き込むようにして、愛らしい小顔を俺に向けるリンデ。

 

美術室には相も変わらず、俺とリンデ、クララ部長の姿しか無かった。

入部当初はもう少し人数がいたはずだが、精力的に活動している部員はこの3名しかいない。

学業に専念するため、部を抜けた生徒もいた。

他人事ではないが、それ程この士官学院の授業はついていくだけでも一苦労なのだろう。

 

「構図、定まったみたいですね」

「ああ、やっとな。これは故郷であるノルド高原の風景だ」

「え・・・・・・すごい。私はてっきり、想像画の類かと思ってました」

 

驚嘆の声を上げるリンデ。

俺にとっては、別に特別なことではない。目を閉じれば、ここからの光景が鮮明に浮かんでくる。

全ての始まりの場所。ある意味で、アヤにとってもそうかもしれない。

この場所からの風景写真が、アヤがノルドへと足を運ぶキッカケになったのは事実だ。

漸く構図もまとまってくれた。だが納得のいく出来になってくれるまでは、もうしばらく掛かりそうだ。

 

「その割には、表情が晴れないですね。考え事ですか?」

「・・・・・・そう見えるのか?」

「ふふ、朝からずっとですよ」

 

今度はお見通しとばかりに、フフンと勝気に笑うリンデ。

・・・・・・降参だ。普段のリンデからは想像も付かないが、どうも彼女は勘が鋭いようだ。

今に始まった事ではないか。アヤの事で思い悩んでいる時もそうだった。

時計に目を向けると、短針は午後の14時と15時の間を指していた。

 

「小し休憩を入れませんか。私、またノルドの紅茶を飲みたいです」

「そうか。ならキルシェに行くとしよう。クララ部長?」

「構うな。好きにしろ」

 

一心不乱に彫刻を彫りながら答えるクララ部長。

彼女を見る度に、芸術という文化の奥深さを思い知らされる。

部長にも今度、故郷の紅茶を飲んでもらおう。飲んでくれればの話だが。

 

______________________________

 

キルシェに足を運ぶと、店内はいつも以上に閑散としていた。

士官学院が夏季休暇中だからだろう。俺とリンデ以外には、2人の男子生徒の姿しか無かった。

確か、世間では夏休みと呼ばれる時期だ。学生以外の人間も、今は仕事を忘れて夏を満喫しているのかもしれない。

 

「お出掛け?」

「ああ。その、折角の夏季休暇だろう。思案してはいるが・・・・・・これといって、いい行先が思い付かない」

 

昨晩の皆からの助言を参考に考えてはみたものの、まるでいい案が思い浮かばなかった。

そのせいで柄にもなく寝不足気味だ。眉間に皺が寄っていたのは、それが原因でもある。

 

「お待たせ致しましたー。ノルドティーになります」

「どう・・・・・・も?」

 

わしゃわしゃわしゃわしゃ。

2つのティーカップをテーブルへ置いたドリーさんは、どういうわけか俺の頭を撫で出した。

たっぷりと時間を掛けて、満面の笑みを浮かべながら。

何だ、今のは。どうして俺は今、幼子のような扱いを受けたんだ。

 

「あははは。何となく、ドリーさんの気持ちも分かりますよ」

「俺にも分かるように言ってくれないか・・・・・・」

「何でもないです。えっと、ガイウス君はアヤさんをどこかに誘いたいんですよね?」

 

怪訝な視線を送る俺を尻目に、リンデは俺の相談事へと思考を向け始めた。

ありがたい限りだが・・・・・・まぁ、今は置いておこう。これだけでも、彼女には頭が上がらない。

 

「とりあえず、近場の方がいいと思いますよ。余り遠くだと、楽しむ時間が減っちゃいますから」

「いや、外泊も視野には入れている。それも一興だろう」

「え・・・・・・でも、外泊届けは申請していないんですよね?」

「・・・・・・それは、すぐにできないものなのか?」

「ガイウス君・・・・・・」

 

恐る恐る聞いてみると、リンデは躊躇いながらも教えてくれた。

外泊届けというものは、その1週間以上前に申請する必要があるのだそうだ。

失念していた。なら彼女が言うように、場所はかなり限定される。

 

「うーん。アヤさんが行ったことがない場所だと、新鮮味があっていいと思いますけど」

「大きな都市のほとんどを網羅しているはずだが・・・・・・オルディス、だったか。そこには足を運んだことがないそうだ」

「い、移動に時間が掛かり過ぎますよ」

 

その可能性は無くなったか。なら、必然的にアヤも行ったことがある場所になる。

最近訪ねたことがある場所は除いた方がいい。アヤも面白みに欠けるだろう。

・・・・・・段々と選択肢が少なくなってきた。リンデの眉間にも、皺が寄り始めていた。

 

「リンデ、君ならどうだ。どこか連れて行ってほしい場所はあるか?」

「私が、ですか?」

 

いずれにせよ、決めるのは俺だ。これ以上彼女を悩ませるわけにはいかない。

ただ、できるだけ多くの意見を聞いておきたいところだ。

アヤの立場に立ってもらう必要は無い。同年代の女性としての声を聞いておくべきだろう。

 

「・・・・・・そ、そそそんな。私がおと、男の子となんて。む、無理ですよっ」

 

何だ。急に顔色と口調が変わった気がするが。

視線も徐々に下がっていき、俯いてしまった。

 

「気軽に思い付いた場所でいい。聞かせてくれないか」

「き、気軽にって言われても・・・・・・その」

 

身体をもじもじと揺らしながら、リンデはゆっくりと顔を上げた。

 

「だ、誰と、行けばいいんですか?」

「・・・・・・誰でも構わないが」

 

想像の上に想像を重ねた話だというのに、それは必要なことなのだろうか。

何故だろう。先程まで心強い限りだった友が、急に遠くへ行ってしまった感覚だった。

しばらくの間、リンデの返答を待っていると―――

 

「・・・・・・えへへっ」

 

―――彼女は顔を赤らめ、幸せそうな笑みを浮かべ始めた。

どうやら俺を置いて、想像を重ねすぎたようだ。どこまで行くんだ、リンデ。

その相手とやらも気にはなるが、今重要なのはそこではない。戻ってきてくれ。

 

「ガイウスとリンデか。2人で何を―――」

「きゃあああ!?」

 

それはあっという間の出来事だった。

 

リンデの背後から現れたリィンが声を掛けた途端に、彼女は店外へと走り去ってしまった。

残されたのは、笑顔のまま凍りつくリィンと俺。

置いてけぼりの、置いてけぼりだった。

 

「なぁガイウス」

「何だ」

「俺は何を謝ればいいんだ?」

「・・・・・・」

「頼むから何か言ってくれ・・・・・・」

 

昔の俺なら、首を傾げるだけだったはずだ。

察するに―――リンデの想像上の相手は、おそらく目の前の彼だったのだろう。

できれば場所を教えてほしかったのだが、それは後にするか。教えてもらえる気がしないが。

ノルドティーの代金は、俺がまとめて払っておくとしよう。

 

「リンデは一体どうしたんだ?」

「俺からはどうにも―――」

 

不意にそれは、カウンターに置かれた導力ラジオから聞こえてきた。

 

とある催し事を知らせる、1つの事実。聞き漏らさないよう、息を止めて耳を傾けた。

場所と距離、時間。そして、8月11日。全ての条件が、俺の背中を押していた。

 

「・・・・・・いい風が吹いたようだな」

「ガイウス?」

 

思いもよらないところから、いい情報を得ることができた。

おそらく、これしかない。リンデにも相談してみよう。

早る気持ちを抑えながら、俺は足早にキルシェを後にした。

背後から「俺が払うのか!?」というリィンの悲痛な叫びが聞こえた気がするが、きっと空耳だ。

 

_______________________________

 

午後18時過ぎの図書館。

窓枠から入り込んでくる茜色の夏の夕焼けが、閑散とした館内を煌びやかに染め上げる時間帯。

司書であるキャロルを除けば、既に3名の士官学院生の姿しかそこには無かった。

そのうち2名は、生徒会から渡された資料に視線を落とし―――うち1名は、微睡の中にあった。

 

「ん、こんなものかしら。前半の詳しい文面は任せるわよ」

「ああ・・・・・・やれやれ、こいつは終始使い物にならなかったな」

「写真撮りを任せたんだから、寝かせておきなさいよ」

「分かっている」

 

発表時間は10分。事前に別途資料を作成する場合には、既定のサイズで2枚以内。

それ以外には、特に決まりは無し。それが彼らがトワから聞かされた条件だった。

自由度が高い分、普通の生徒なら思い悩んでしまうところだったが、それはポーラとユーシスには当てはまらなかった。

資料のレイアウトや方向性、発表の流れに至るまで、土台は完成しつつあった。

 

文章で伝えきれない部分は、活動風景の写真を掲載することで分かりやすく表現する。

どうせなら、泥に塗れたユーシスの写真を一面に。これはアヤとポーラの案だ。

初めは拒否していたユーシスも、結局は折れる結果となった。

その写真撮りの担当が、夢の中にいるアヤの担当だ。

 

「いい寝顔ね。もしかして、夢の中でも弟君と会ってるのかしら」

「惚気顔を拝まされるのは勘弁願いたいのだがな」

「いいじゃない、別に・・・・・・ずっと、独りだったんだから」

 

温かな笑みを浮かべながら、アヤの寝顔を見守るポーラ。

歳の差を感じさせないその表情は、まるで姉妹を見守るそれに近いものであった。

思わずユーシスが見入ってしまったことに、ポーラは気付いていなかった。

 

「・・・・・・こいつのことを、お前はどこまで知っている」

「大体のことは、この間漸く話してくれたわ。信じられない話だったけど・・・・・・全部、事実なんでしょう?」

「おそらくはな」

 

母親との死別に、帝国中をたった独りで生き抜いてきた4年間。そしてノルドとの出会い。

1週間前の、8月1日。ポーラはアヤから、全てを打ち明けられた。

何の変哲も無い平民としての人生を歩んできた彼女にとって、俄かには信じ難い過去だった。

 

「最近のアヤは、本当に幸せそう。見てるだけで胸が一杯になりそうな感覚ね」

「・・・・・・そうだな」

 

珍しい反応だ、とポーラは思った。

らしくない色の笑みを浮かべるユーシスに、今度は彼女が我を忘れる番だった。

だがそれも束の間、彼女は含みのある笑みを浮かべ、ユーシスの表情を窺った。

 

「ふーん、勘弁願いたいんじゃなかったの?」

「フン。こいつの間抜け面はいい気分転換になる」

 

太陽を引き合いに出したガイウスの例え話は、あながち間違いでもない。

凄惨な過去を抱えながらも、ひたむきに。純粋に、健気に。

人は―――人の間に在る限り、笑うことができる。

その逆も然り。アヤを見守る2人の顔も、そうだった。

 

「でも、ユーシスだってそうじゃない」

「何の事を言っている」

「最近鏡を見たことないの?以前に比べたら緩々よ」

「わけが分からん・・・・・・お前は相変わらず粗暴で淑女には程遠い」

「何でそうなるのよ。バカ」

 

お互い様だ。

入学当初に比べれば、ユーシスの態度や表情は軟化の一途を辿りつつあった。

だがそれはポーラも同じだ。《Ⅶ組》同様、馬術部3人組の間にも、既に壁は無い。

その絆も、確かなものになりつつある。

 

「精々泥に塗れていい写真を撮られれば?ファンが増えて言う事無しじゃない」

「興味が無い。鬱陶しいだけだ」

「・・・・・・そう。それで、アンタは部長みたいに実家に戻ったりはしないわけ?」

「阿呆が。わざわざ居心地の悪い実家に戻る人間がどこにいる。泥に塗れている方がマシだ」

 

裏を返せば、馬術部は居心地がいい。

ユーシスにその意図は無かったが、彼にとっては紛れもない事実であった。

ポーラも、彼の言葉をそう受け取っていた。

 

「なら明日も顔を見せるんだ。ちょうどいいわ、アヤと一緒にポテトの処理に付き合いなさい」

「ポテト、だと?」

「実家から大量にほっくりポテトが送られてきたのよ。明日、何か作ってくるから」

「キュリアの薬を持参しておく」

「アンタやっぱり最低よ」

「・・・・・・2人とも、何の話してるの?」

 

夢から覚めたアヤの前には、いつものように睨み合うポーラとユーシス。

いつの間に眠ってしまっていたのか。というか、ポテトが一体どうしたというのか。

頭上に疑問符を浮かべるアヤを余所に、館内には閉館を知らせるチャイムが鳴り始めていた。



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一夏の日常

8月10日、午前10時。

夏季休暇も後半に差し掛かり、今日のトリスタも炎天下のうだるような暑さに苛まれていた。

聞いた話では、士官学院でも熱中症で倒れた生徒がいたらしい。

寒冷な気候の地からやってきた生徒にとっては、この暑さは如何ともし難いのだろう。

キルシェでは氷粒を使ったデザートが大人気だそうだ。

 

「アヤさん、今日は馬術部はお休みですか?」

「ん・・・・・・あ、エマ。今日は午後からだよ。エマはこれから文芸部?」

「はい。部長から校正を頼まれていまして」

 

私は第3学生寮の3階、談話スペースで涼を取りながら、ある物語小説を読み耽っていた。

そこに通り掛かったのがエマ。今し方扉を開く音は聞こえていたが、彼女だったか。

ちょうどいい。本の事なら、エマに聞くのが一番だ。

 

「ねぇ。この本の事で聞きたいことがあるんだけど・・・・・・これ、知ってる?」

 

『空の軌跡』。それが私が読み入っていた本のタイトル。

何を隠そう、あのオリヴァルト殿下から送られてきた本である。

特別実習のあの日、殿下が言っていた『プレゼント』とは、この事だったようだ。

 

「・・・・・・いえ、聞いたことがないですね。ですがこれは、個人が作成した作品かもしれません」

「個人が?」

「奥付が見当たりませんし、『オリビエ書房』という出版社にも心当たりがありませんから」

「そうなんだ・・・・・・まぁ、キャロルさんが知らなかったぐらいだしね」

 

主人公は2人。「あんですってー!」が口癖の、天真爛漫な16歳の少女、エリス。

もう1人は、何やらワケ有りの過去を持っていそうな同年齢の男子、アッシュ。

そんな2人の義姉弟が正遊撃士を目指しながら、リベール王国の各地を旅する冒険譚。

 

殿下がどういった意図で私にこの本を贈って下さったのかは、何となく理解できた。

これを読んでいるだけで、遊撃士に関する様々な事柄を学ぶことができそうだ。

それに作品としての完成度も申し分ない。どうしてこうも引き込まれるのだろう。

2人が見聞きした全てが、鮮明に頭の中に浮かび上がってくる感覚だった。

また徹夜でもして読み入ってしまいそうな気分になる。

 

(オリビエ、かぁ)

 

物語はまだ始まったばかり。第1部の『First Chapter』の序盤だ。

1つ不可解なことは、他者には内容を漏らさないでほしいという、殿下からのメッセージ。

当然だが、私以外の人間が読むことも許されないのだろう。こればっかりは意図が読めない。

 

「それとエマ、部長さんにお礼を言っておいてよ。昨年の交流会で部長さんが作った資料、参考にさせてもらったからさ」

「分かりました。大変だとは思いますが、手伝えることがあったら何でも言って下さいね」

「うん」

 

エマに言伝を預け、私は再び物語の中に身を投じた。

リベール王国。豊かな自然に囲まれた、信仰深い国だと聞いている。一度は行ってみたいものだ。

・・・・・・あ。また旅の演奏家が大活躍してる。頼もしいなぁ、この人。

 

_________________________________

 

エマと別れてからしばらくして、私は喉を潤すために厨房へと向かった。

そこには、意外過ぎる人物がエプロンを着けた姿があった。

 

「・・・・・・ラウラ?」

「む、アヤか」

 

ラウラだった。彼女が台所に立つ姿を見るのは、これが初めてかもしれない。

どうしたのだろう。昼食の準備をするにしても、少し早過ぎる時間帯だ。

 

「ちょうどよいところに来てくれた。アヤ、味を見てくれないだろうか?」

「味?」

 

見れば、ラウラの手元には小振りの2段型の弁当箱があった。

小振りではないか。客観的に見れば普通サイズのそれだろう。

中には色取り取りの主菜に副菜。メインには海苔を巻いたおにぎりが2つ。

 

「美味しそう。これ、ラウラが作ったの?」

「ああ。大分手間取ってしまったがな」

 

素直に驚いた。何でも卒なくこなすラウラだが、料理の心得もあったか。

調理実習の際には覚束ない手際だったような気がするが、見たところ立派なお弁当だ。

こちらも小腹が空き始めていたところだし、ありがたく頂戴しよう。

 

「いただきますっ」

 

味を見てほしいとのことなので、まずは一通りの品に手をつけることにした。

一品一品、十分に味わい、感想を考えながら。

半分ほど平らげた後、私は一旦箸を置いた。

 

「ふむ。味の方はどうだ?」

「・・・・・・えーとね」

 

贔屓目に言って、食べれなくはない。悪く言えば、美味しくない。

そのあたりが、真っ先に思い浮かんだ感想だった。

 

まずマカロニサラダ。味が薄く野菜が半生なせいで、何というか、ただのマカロニと野菜だ。

卵焼きの多少の焦げには目を瞑るにしても、よくよく見れば形がボロボロ。

鶏肉のフライは吸油が多過ぎやしないか。胃が弱い人間には堪えるだろう。

そもそも下に添えられたレタスの水切りが甘いせいで、下に薄っすらと水が溜まっているのだが。

そしておにぎりは・・・・・・握ればいいというものではない。1つ食べただけで顎が疲れてしまった。

 

見た目は悪くないし、食べれなくもない。

ただ二者択一を迫られれば、正直美味しくない。そうとしか言いようが無い。

 

「どうしたのだ、アヤ」

「んー・・・・・・」

 

さてどうしたものか。

これはハッキリ言ってあげた方が、ラウラのためになるのだろうか。

だとしても、言い辛い。言い淀んでいるせいか、ラウラの表情も曇り始めている気がする。

悩ましい。だが黙っているわけにもいかない。

 

「私も一通り口にしたが、とても食べられた物ではなかった。まさか、そうではないのか?」

「それを最初に言ってよ!」

 

うん、悩んだだけ無駄だったようだ。

そこまで言う程悪くはなかったが、ラウラの舌は間違いなく私よりも肥えているのだろう。

 

聞けば、一応本のレシピに従い作ったのがこれだそうだ。

本当にそうなら、こうなるはずはないと思うのだが。

レシピにも目を通してみたものの、別におかしな点は見受けられなかった。

 

「曖昧な表現が多くて、加減が分からないのだ。駆け出しの身には、少々荷が重すぎる選択だったのかもしれぬな」

「駆け出しって・・・・・・」

 

恐る恐る聞いてみると、ラウラがまともに包丁を握ったのは、今回が初めて。

文字通り、初心者だったらしい。それはそれで驚愕の事実だ。

料理初心者が揚げ物に手を出すなんて、確かに分不相応な選択だ。

それでこの出来栄えなら十分過ぎる気がするが、ラウラにとっては嬉しくもない評価だろう。

 

(あっ)

 

不意に、ラウラの左手に目が止まった。

多分、指は包丁で切ってしまったに違いない。手首の腫れは、火傷の痕か。

それなりの代償を払っていたようだ。ラウラには悪いが、その不器用さが彼女を身近に感じさせる。

 

「でも、何で急に?調理実習のカリキュラムはもう終わったよね?」

「それは、その。修行の一環としてだ。こういったことも、乙女の嗜みだろう」

 

乙女の嗜みと来たか。別段意外でもない。

こう見えてみっしぃのような可愛い物好きだし、料理にも興味があったのだろう。

まぁ、それ以外にも何か目的はあると見える。

 

「リィン」

「アヤ?」

「リィン」

「待つがよい。何故急にあの男の名前が」

「リィン」

「私はただ」

「リィン」

「違うのだ、私は」

「リィン」

「・・・・・・うん」

 

漸く観念したか。

精々思い知れ。私はあの晩、5人分のこの圧力に耐えきったのだ。

責めるつもりないが、これでお相子だ。弄り倒される側の気持ちも分かるし。

 

「それで、どうするの?誰かに食べてもらうつもりなら、これだとちょっとね」

「そうだな。意地を張らず、他者に教えを乞うべきだったようだ」

 

ラウラはそう言うと、期待を込めた視線を真っ直ぐに送ってきた。

そんな目で見られても困る。私だって、人に教えられる程の腕前があるわけではない。

 

「何て言えばいいんだろ。多分、私って結構特殊なんだと思う」

「ふむ?」

 

私が本当の意味で炊事を覚えたのは、ノルドでの新生活を始めてからのことだ。

初めはそれなりの苦労はあったが、お義母さんのおかげで一通りのことは身に付いていた。

ただ、ノルドと帝国ではあらゆる点で違いがある。

 

まず火の使い方が違う。竈の類がここには無い。

基本となる調味料や器具でさえ同じではない。食材だってそうだ。

このあたりについては、私もガイウスも適応するまでに相当な苦労を要した。

小さい頃に真似事程度はしていたが、その経験は活かされることなく消え失せてしまっていた。

慣れているようで、慣れていないのだ。

 

「そもそもさ、適任者がこの寮にはいるじゃん」

「適任者・・・・・・そうか、失念していた。そうであったな」

 

ラウラが言うのと同時に、食堂の扉が静かに開かれた。

相変わらず、図ったようなタイミングで現れてくれる。

ラウラのことは彼女に任せ、少し早いが馬術部の用事を済ませに行こう。

そうでないと、またからかわれてしまう。12日前の、夜のことを。

 

______________________________

 

午後13時過ぎ。

生徒会室を訪ねると、そこにはトワ会長とアンゼリカ先輩の姿があった。

 

「あ、アヤさん。ちょっと待ってね、今準備するから」

「別に急ぎでもないので、お構いなく」

 

私がここを訪ねた目的は2つ。1つは、導力端末の使用申請。

端末室にある導力端末は、事前に申し出さえしておけば自由に利用することができる。

「向こう3週間は確保しておけ」とユーシスから頼まれていたが、それは通るのだろうか。

まぁ利用者自体多くはないし、私達には交流会の資料作成という明確な目的がある。

トワ会長に事情を話せば、どうにかなるだろう。

 

「これが生徒会用のカメラだよ。1つしかないから、大事に使ってね?」

「ありがとうございます・・・・・・へぇ。意外に小さいんですね」

 

もう1つが、撮影用の導力カメラ。当然ながら、資料用の写真を撮影するためだ。

初めは写真部を頼ろうと思っていたのだが、生徒会にも専用の導力カメラがあると聞いていた。

それにしても、カメラといえばもう少し大きくて、ゴツゴツしているイメージだったのだが。

私の手元にあるそれは、片手でも扱えそうな程に小型だった。

 

「ジョルジュが改良して小型化したのがそれさ。端末を介した出力が可能で、あのAF機能付きだ。初心者でもそれなりの写真が撮れるはずだよ。君も耳にしたことぐらいあるだろう?」

「・・・・・・ないです」

 

アンゼリカ先輩に力無く答える。

端末で出力可能はイメージできるが、AF機能とやらについては初耳だ。

何の略だろう。アローナフライ、とかだろうか。

 

「失礼します・・・・・・あれ、アヤもいたのか」

「リィン?」

 

声で察してはいたが、振り返るとリィンの姿があった。

話を聞くと、生徒会の依頼に関する報告をしにここへ来たそうだ。

・・・・・・5日間丸々、それに時間を費やすつもりなのだろうか。

確かリィンは、夏季休暇の初日から昨日まで、何かしらの依頼をこなしていたはずだ。

 

「ああ、それはオートフォーカス機能のことだよ」

「おーとふぉーかす?」

 

リィンはAF機能について知っているようで、詳細を簡単に教えてくれた。

自動的にピントを合わせる。それだけ。特に感動も無かった。

縁の無い私には理解できないが、その世界ではかなり革新的な技術らしい。食べ物ではないようだ。

 

「ふーん。それで、これどうやって使うの?」

「簡単さ。実際に一度撮ってみるといい。ファインダーを覗いて、まずは被写体を捉えてくれ」

 

トワ会長の手を煩わせるまでもない。

先月の実習でもリィンは慣れた手付きでカメラを扱っていたし、ここは彼に教わっておこう。

 

右目でカメラのファインダーを覗き、周囲の様子を窺う。

なるほど。ここからはこんな形で見えるのか。

被写体・・・・・・撮影する対象か。何を撮ればいいのだろう。

 

「アヤ君、こっちだよ」

「はい?」

 

声がした方に、カメラのレンズを向ける。

そこには、スーツのジッパーを胸元まで下ろしたアンゼリカ先輩がいた。

 

「あ、アンちゃん!?」

「ハッハッハ!さぁ、思う存分撮りたまえ!」

「嫌です」

 

何をやってるんだこの人は。

暑さのあまり、頭の中が溶けてしまっているのではないか。

それとリィン、視線を外すならしっかり外せ。ちらちら見るな。

 

「ああもう・・・・・・すみません、トワ会長。少しじっとしててもらえますか?」

「え、え、私?」

 

気を取り直して、隣にいたトワ会長にカメラを向ける。

そこには「えへへ」と照れ笑いを浮かべる天使がいた。

うん、どうせ撮るならこういう写真を撮るべきだ。1枚と言わず何枚も。

 

「オッケー。次はどうすればいいの?」

「軽く右上のボタンを押してみてくれ。半押しすると、自動的にピントが合うはずだ」

「軽くって・・・・・・え、これを軽く押せばいいの?」

「ああ、こんな感じで―――」

 

私がカメラを持つ手に、そっとリィンの右手が添えられた。

その瞬間、弾かれたようにその腕の肘が彼の脇腹に突き刺さった。

 

「ぶはっ!?」

 

気付いた時には、くの字に折れ曲がったリィンがいた。

全部、無意識の行動だった。

 

「だ、だから・・・・・・俺は、何を謝ればいいんだ?」

「ご、ごめん。何かその、つい」

 

切実に何かを訴えようとするリィン。

謝りたいのは山々だが、それ以上の何かを問われている気がしてならない。何かあったのだろか。

それにしても―――

 

(―――何で?)

 

手が触れただけだ。本当に、それだけ。

だというのに、どうして手が出てしまったのだろう。

自分でも理解できないが―――うん、嫌だった。何となく。

私も暑さでおかしくなっているのかもしれない。真夏日だし。

 

「えっと、アヤさん?私いつまでこうしてればいいのかな?」

「あ、すみません。今撮りますから」

 

リィンに謝罪の言葉を並べながら、再びカメラ越しにトワ会長へと視線を向ける。

先程の指示に従い、軽くボタンを半押ししてから強めにボタンを押す。

パシャッ。

 

「・・・・・・これで撮れたの?」

「ああ。簡単だろ?」

 

なるほど。確かにこれなら私にも扱えそうだ。

もっと少し取っ付きにくい代物かと思っていたが、これもAF機能のおかげなのだろう。

 

「アヤ君、どうせなら私と君とのツーショット写真でもどうだい?」

「・・・・・・いいですけど。変なことはしないで下さいよ」

 

リィンにカメラを手渡し、ジッパーに伸ばされた先輩の腕を制してから肩を並べる。

密着する程に身体を寄せられながら、私達の姿は一枚の写真に収められた。

 

____________________________

 

導力端末の使用許可とカメラを得た私は、報告を終えたリィンと一緒に生徒会室を後にした。

彼は午後から明日に掛けて特に予定は無く、久しぶりに趣味である釣りに興じるそうだ。

漸く一息付くことができるか。夏季休暇ぐらい、ゆっくり休んでほしい。

 

「アヤは明日、何か予定はあるのか?」

「明日は・・・・・・その、ガイウスに誘われててさ」

 

昨晩のことだった。

私の部屋を訪ねたガイウスから、8月11日は終日空けていてほしいとお願いをされた。

詳細はまだ聞かされていないが、たまには一緒に外へ出ようとのことだった。

その時は驚きの余り、空返事をすることしかできなかったが―――嬉しさの余り、ベッドの上で悶えていたのは秘密だ。

 

「・・・・・・リィン、何か知ってるの?」

「え?ああいや、よかったじゃないか。俺も嬉しくってさ」

「ふーん」

 

ははは、と普段通りの笑い声を漏らすリィン。

何やら含みのある笑いに見えなくもないが。今思えば、ユーシスもそうだった。

まぁ考えても仕方ないか。それに、誘われたことに変わりはないのだから。

 

「そうだ。リィン、好き嫌いってある?」

「好き嫌い・・・・・・食べ物のことか?」

「うん」

 

学生会館の階段を下りながら、リィンに話題を振る。

唐突にこんな話をされては怪しまれるかもしれないが、回りくどいのは苦手だ。

それに私なら「また食べ物か、アヤらしいな」程度で済まされるに違いない。

実際に予想通りの言葉を1つ置いてから、リィンは語り始めた。

 

「苦手な物は特にないけど・・・・・・そうだな。鴨肉は子供の頃からよく食べていたよ」

「鴨?」

「父さんが大の狩猟好きでさ。よく付き合わされたんだ」

 

鴨肉か。少しハードルが高そうな食材だ。

入手するのも容易ではないだろう。

 

「ふーん。それ以外は?」

「魚料理かな。川魚が苦手な人っているけど、俺は結構好きなんだよ」

 

なるほど。リィンにとって釣りは趣味だし、その延長線上なのかもしれない。

これぐらいでいいか。余り深く掘り下げると、話しがまたややこしくなる。

 

「そっか。じゃあ、私一度寮に戻るから。またね」

「ああ・・・・・・今のは何の話だったんだ?」

「何でもない。でもまぁ、期待してていいと思うよ」

 

右手を振りながら、一足先に学生会館を後にした。

今頃はシャロンさんの下で、おにぎりの握り方を教わっているのかもしれない。

同窓のために、これぐらいの協力はしてあげよう。

 

______________________________

 

結局ラウラはリィンの好みに応えるべく、魚料理の練習をシャロンさんと約束するに至った。

ついでに、釣皇倶楽部の部室を聞かれた。教えはしたが、それは何か違う気がしてならない。

・・・・・・鴨肉はどうするつもりなのだろう。狩るのだろうか。

 

「おい。さっさと撮ったらどうなんだ」

「まだ駄目だよ。もっと泥だらけになってくれた方が絵になるじゃん」

「そうそう。普段のアンタとのギャップが目的なんだから」

「貴様らっ・・・・・・」

 

午後17時過ぎ。

私は生徒会から借りてきた導力カメラを手に、厩舎の掃除に勤しむユーシスを眺めていた。

いい写真を撮るためにも、彼には精々頑張ってもらう必要がある。

ついでに厩舎の仕事も進むのだから言う事はない。

後でシャロンさんが奇麗にしてくれるし、制服が汚れても問題無しだ。

 

「へぇ、誘ってくれたんだ。よかったわね」

「うん。行先はまだ聞いてないんだけど、明日は1日留守にするね」

 

隠すことに意味は無いそうだが、要は当日までのお楽しみというやつだろう。

らしくないことをする。まぁ、悪い気はこれっぽっちもしない。

 

「そう。なら残りのポテトはユーシスに食べてもらおうかしら」

「ば、馬鹿な・・・・・・無尽蔵だというのか?」

「何よ。アンタも美味しそうに食べていたじゃない」

「阿呆が、味の問題ではないと言っているだろう!」

 

最早何も言うまい。何か言ったら、こっちに振られそうだ。

多分、ポーラは自炊派だ。腕前も味が物語っていた。ただ、全部ほっくりポテトだった。

サラダ、バター焼き、フライ等々。昨日からポテトに溢れた生活が続いていた。

ラウラのお弁当の中身がマカロニサラダでよかった。

あれがポテトサラダだったら、弁当箱をひっくり返していたかもしれない。

 

「さてと。ポーラ、そろそろ撮ってあげた方がいいんじゃない?」

「そうねぇ・・・・・・頭の上にボロでも乗せた方がいいのかしら」

「それは私もどうかと思うよ」

 

相も変わらず容赦が無い。それはユーシスも怒っていいと思う。

生徒会室で練習したおかげで、問題無く撮影できるはずだ。もう頃合いだろう。

 

「ユーシス、そろそろ撮るよ」

「さっさとしろ。日が暮れるぞ」

 

ファインダーを覗き込みながら、ユーシスの姿を捉える。

制服を汚しながら、厩舎の掃除に身を投じるユーシス・アルバレア。

うん、いい絵だ。もしかしなくとも、これはかなり貴重な写真になるのではないか。

小型化に成功したものの、容量というものに課題があるらしく、保存できる枚数は限られている。

ここは慎重にいこう。

 

「さっさとしろと言っているだろう」

「分かってるってば・・・・・・うわっ!?」

 

ゆっくりと背後へ歩を進めていた右足が、不意にぬかるみに取られ、盛大にすっ転んだ。

手にしていたカメラを落とさないよう庇ったせいで、背中から思いっ切り。

背中に鈍い痛みが走ると同時に、ヒンヤリとした泥の感触が広がっていった。

 

「いたたた・・・・・・」

「ちょ、ちょっとアヤ。大丈夫?」

「あはは。何とか―――」

「よかった。カメラは無事みたいね」

「・・・・・・あ、うん」

 

気持ちは分かるが、少しは心配してほしい。まぁ、カメラが無事でよかった。

私達のポケットマネーでは、弁償できるかどうか分からない程に高価な物のはずだ。

 

半身を起こすと、背後のホースからは少量の水が流れ出していた。

当然ながら、ホースの逆端は厩舎の水道の蛇口に繋がっていた。

水道の栓が完全に閉まっていなかったようだ。おかげでこの有様である。

 

「ああもう。ユーシス以上に泥塗れだよ」

「フン、ちょうどいい。お前も被写体になれという風と女神の導きだ」

「ええ!?」

 

随分と適当なことを言う。風と女神というより、これでは水と泥の導きだろう。

 

「いいわねそれ。私が撮るから、2人とも近寄りなさいよ」

「「・・・・・・」」

「な、何よ?」

 

別に誰が悪いわけでもない。ただ、納得がいかない。

その思いで、私とユーシスは共同戦線を張った。

 

_____________________________

 

馬術部の部長であるランベルト先輩は、明日の8月11日から実家に戻るのだそうだ。

ただ、それもたったの3日間だけ。それ程までに、マッハ号と離れるのが心苦しいらしい。

ここまで酔狂に馬を愛する人間も、帝国では稀だろう。

 

「ハッハッハ。ユーシス君、表情が硬いな。照れているのかね?」

「心外です。それより何枚撮れば気が済むんですか」

 

今からおよそ20分前。

3人仲良く泥を被った私達を訪ねたのは、ランベルト先輩だった。

旅立ちの前にマッハ号の様子を見に来た先輩は、私達を目にするやいなや愉快な笑い声を上げた。

それはそうだろう。意図的に泥に塗れた私達は、余りにもこのグラウンドで浮いていた。

結局は先輩が写真の撮影を買って出てくれたおかげで、被写体はめでたく代表者3人となった。

 

「ランベルト先輩、そろそろ枚数が限界だと思うんですけど」

「そのようだ。残すところあと2枚だね」

 

それに、大分日が暮れかけてきている。

先輩も列車の時間が近いと言っていたし、そろそろ潮時だろう。

 

「ならここからは好きに撮らせてもらおう。3人とも、もっと近寄ってくれたまえ」

 

先輩の言葉に従い、ユーシスを中心に並ぶ。

 

「アヤ君、私から見てもっと右だ」

「こうですか?」

「ポーラ君、君は左だ」

「はぁ」

 

・・・・・・いや、何故にこうも一箇所に集まる必要がある。

先輩は一体どんな写真を撮るつもりなんだ。早く泥を洗い流したいというのに。

 

「まだ表情が硬いね。ユーシス君、両手に花だろう。もっと笑いたまえ」

「冗談でしょう。両手に芋です」

「アンタぶっ飛ばすわよ!?」

「そうだよ!何で私までポテトなの!?」

「アヤ、それどういう意味!?」

「ハッハッハ!」

 

ああだこうだ言い合う私達を余所に、ランベルト先輩は一際大きな笑い声を上げた。

 

「実に愉快だ。私も参加させてもらおう」

 

______________________________

 

それからはあっという間だった。

近くを通り掛かったガイラーさんに導力カメラを託し、ランベルト先輩は私達の輪に加わった。

列車の時間が近いというのに、先輩の制服は私達同様、茶色に染まった。

 

4人の馬術部員が肩を寄せ合いながら、夕暮れ時に撮影された集合写真。それが1枚。

最後の1枚は、半ばやけっぱちのポーラが私とユーシスの肩を取り、3人仲良く密着した写真。

遅い時間だというのに、写真はジョルジュ先輩の協力ですぐにプリントされた。

資料用の写真はポーラが保管し、最後の2枚は私達3人に行き渡った。

 

4人の写真は、被写体である私が言うのもなんだが、いい写真だと思う。

ラスト1枚は何度見ても照れる。勢いに身を任せた私とポーラは、満面の笑みを浮かべていた。

ユーシスの表情は複雑極まりなく、いくつかの感情が入り混じっていた。

照れなのか喜びなのか・・・・・・何だろう。もう1つ、身近な感情がある気がしてならない。

私には、どうにも拾い切れなかった。

 

その2枚の写真と、ついでにアンゼリカ先輩とのツーショット写真。

計3枚の写真は、私の学生手帳の中に収められた。

ポーラとユーシスが写真をどうしたのかは分からない。少なくとも私は、大切にしたいと思う。

恥ずかしい事この上ないそれも、きっといつかは掛け替えのない思い出に変わってくれる。

 

「・・・・・・明日が最後か」

 

ベッドの中でそう呟く。時刻は夜の22時。

あと2時間も経てば、夏季休暇の最終日、8月11日。

 

あっという間の4日間だった。今日1日を振り返っても、特別なことは何1つ見受けられない。

抑揚に乏しい淡々とした日々。数年後には、記憶の海の底に沈むであろう日常。

 

案外、そんな中に幸せというものは隠れているのかもしれない。

そこやかしこに散りばめられた、欠片の数々。それが私の中で、1つの何かを模っていく。

皆にとっては、私も切れ端に過ぎない。互いの世界を結ぶ本数が、日を追うごとに増していく。

彩りの数だけ煌びやかに、そして強く。戦術リンクの軸は、きっとそこにある。

 

「あはは」

 

考え事が途方も無く壮大になり過ぎたところで、布団を掛け直す。

明日に控えた最後の欠片と思い出を想いながら、私は夢の中に落ちていった。



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誓いの手紙

ちょきんちょきん。

私の部屋に静かに響き渡る、ハサミが奏でる切断音。

アリサが手にするそれは、私の髪を僅かずつ切り落としていく。

 

ぱらぱらぱら。

首から下を覆うエプロンに髪が落ちる度に、小雨が傘へ降り注ぐような音が耳に入ってくる。

勿体無い、というか。アリサには申し訳ないが、複雑な心境だった。

 

「何か変な感じ。髪を伸ばしてる最中に切るなんて」

「伸ばすにしても、毛先を揃えるぐらいはするものよ。放っておけば痛んでいくんだから」

「そうなの?」

「そうなのっ」

 

8月11日、夏季休暇の最終日。時刻は午前9時。

私はアリサのアドバイスに従い、髪の毛先を切り揃えてもらっていた。

 

最後にガイウスに切ってもらってから、早3ヶ月と半月。

あれから私の髪は順調にその長さを伸ばし、肩に触れる程度にはなっていた。

どこまで伸ばすかは決めていなかったが、今回の散髪で2週間分ぐらいは後戻りするだろう。

まぁこういったことについては、彼女に従った方が間違いは無いはずだ。

 

「もっと身なりや美容に気を遣った方がいいと思うわよ。恋人ができてもアヤは相変わらずね」

「それなりに遣ってるってば。でも化粧とかそういうのは嫌。ガイウスも引きそう」

「・・・・・・まぁ、分かる気がするわ」

「でしょ。習慣の違いだよ」

「それにしても、ロクな手入れ無しでこの肌は反則よ。全然日焼けもしないし・・・・・・不思議ね」

 

羨みの目を遠慮無く向けてくるアリサ。くすぐったいから指でなぞらないでほしい。

それに反則と言われても、これは体質のようなものなのだ。

 

おそらくは月光翼の影響だろう。理屈はまるで分からないが、自信を持って正しいと言える。

常人とは違い、私の場合はこうしているだけで、微弱ながら気功術が発動しているのだ。

その代償が旺盛な食欲。と言っても、アリサにはさっぱりだろう。私自身、理解しきれていない。

 

いずれにせよ、化粧の類だけはどうも好きになれない。

ノルドにもその概念はあったが、あれは儀式的、儀礼の類。根本的に異なるものだ。

 

「さてと。こんなものかしら」

 

ブラシで首回りの髪を払いながら、満足気に頷くアリサ。

言われてみれば、何だか髪が軽くなったような気がする。何となく、ではあるが。

 

「ありがと、アリサ」

「どういたしまして・・・・・・あっ」

「え、何?」

「少し待ってなさい」

 

ブラシをテーブルへと置いたアリサは、足早に部屋の外へ出て行ってしまった。

急にどうしたのだろう。察するに、何かを思い付いたような顔をしていたが。

 

しばらくすると、アリサは小さなガラス製の小瓶を手にして戻って来た。

中には透明な液体が入っており、先端はスプレーのような形をしていた。

それを私の上方目掛けて、シュッシュッと2回。粒上の液体が、私に降り注いだ。

 

「・・・・・・わっ、何これ。果物?」

「柑橘系の香料よ。ほのかに香る程度だから、これぐらいは構わないでしょう?」

 

オレンジやレモンを思わせる、気持ちのいい香りが鼻に入ってきた。

不快感は無いし、何だか心が躍るような気分になってくる。

 

「初めてのデートなんだから、少しぐらい変化を見せなきゃ」

「デートって・・・・・・」

 

そんなんじゃない。そう口にしようとしたが、客観的に見ればそうなのだろう。

別に否定する必要は無いか。もうこんなやり取りも慣れっこになってきた。

 

「それで、どこまで出掛けるの?行先を聞いていなかったわね」

「ケルディックだよ」

「ケルディック?」

 

朝食の際にガイウスが明かした行先は、大穀倉地帯に代表される交易街、ケルディック。

4月の実習でも足を運んだ賑やかな街並みは、今でもよく覚えている。

何度か訪れたことがあるあの街も、ガイウスにとっては初となる場所だ。

 

「夏至祭とは別に、この時期には夏のお祭りがあるんだってさ」

 

__________________________________

 

午前11時。

私とガイウスはボックス席に座りながら、クロスベル方面行きの列車に身を揺られていた。

少し遅めの出発だが、祭りは夕暮れ時からが本番らしく、それに合わせた時間だった。

平日にしては、乗客の数が休日並みに多いように見受けられた。

これも夏休みと祭りの影響なのだろう。夕暮れが近づくにつれて、更に増えていくに違いない。

 

「エリオットが?」

「ああ。吹奏楽部の部員達と、夕方から向かうと聞いている」

 

ガイウスによれば、エリオットもケルディックへ向かう予定だそうだ。

私達以外にも祭り目的の士官学院生がいたか。

もしかしたら、どこかで知り合いに会うこともあるかもしれない。

 

「さて、そろそろかな」

「ん?」

 

ガイウスに向けていた視線を、車窓の向こう側へと移す。

それに釣られたガイウスの目が、その光景に釘付けになった。

何度見てもこの瞬間は気分が高揚する。まるで別世界に足を踏み入れた感覚だ。

 

「これは・・・・・・見事だな。言葉にならない」

「あはは。秋撒きだから、今が収穫の時期なんじゃないかな」

 

実習の頃に実を付け始めていたライ麦が、収穫の時期に差し掛かった頃合いなのだろう。

所々に点在する風車も何もかもが、ガイウスにとっては新鮮のはずだ。

3月30日。ガイウスが初めて外の世界に触れた、あの日。

あの時も彼は、こんな目をしていたか。

 

「色々な作物の生産量が帝国一だからね。絶景でしょ?」

「そうか。気のせいかもしれないが、果実の匂いすら感じるな」

「・・・・・・それは、気のせいじゃないかも」

 

照れ笑いを浮かべながら、小声でそう返す。

別に褒められているわけではないが、どうもくすぐったい。

話を逸らすように、私は今日の予定について触れた。

 

「それで、着いたらどうしよっか。お祭りは夕方からって言ってたよね」

「ああ。少し早いが、昼餉にしよう。何か食べたい物はあるか?」

「あ。それなら―――」

 

心当たりと候補はいくつかあるが、私には選択肢が1つしか無かった。

折角の機会だし、3ヶ月半振りに挨拶もしておこう。

 

________________________________

 

口にした途端に広がる、卵の甘味とバターの芳醇な香り。

とろけるような食感と相まって、一度食べれば病み付きになる味わい。

これ目的でここを訪れる客もいるに違いない。まさに匠の逸品だ。

 

「んー・・・・・・はぁ。マゴットさん、おかわり!」

「そう言うと思ってたさ。今用意するから、少し待っとくれよ」

 

風見亭を訪ねた私達は、4月の実習以来となるマゴットさんのオムレツに舌鼓を打っていた。

ガイウスを紹介した際には、ベタベタと身体を触りながら物珍しそうな視線を向けていた。

初めは戸惑い気味だったガイウスも、彼女の気さくな人柄のおかげですぐに打ち解けてくれた。

変に奇異な目で見られるよりは、これぐらいの方が彼にもちょうどいいのかもしれない。

 

「それで、アンタ達もお祭りが目当てかい?」

「はい。ガイウスに教えてもらったんです」

「俺が聞いた話では、打ち上げ花火というものがあるそうですが」

「そうだよ。この時期はウチも繁盛するからありがたい話だね」

 

それもガイウスから聞いていたことだった。存在は知っていたが、実際に見たことはなかった。

導力が広く普及した今でも、打ち上げ花火の作製は全て人による手作業。

火薬を取り扱う危険な作業が伴うため、その技術は一部の職人頼りなのだという。

 

夏祭りの由来も今となっては諸説あり、定かではないそうだ。

まぁ夏至祭自体、各地方で形態も違えば起源も異なる。

楽しめればそれでいい、という考え方はどこでも同じのようだ。

 

「士官学院の夏季休暇と同じ時期だからね。毎年学生さんの見物客も多いのさ」

「やっぱりそうなんですか・・・・・・あのー、マゴットさん?」

「もう少し待ってな。卵は逃げやしないよ」

 

オムレツを催促しながら、店内の時計に目をやる。

時刻は昼の12時過ぎ。日が暮れるまで、あと7時間ちょっとだ。

 

_____________________________

 

「人通りは多いが、窮屈さは感じないな」

「それがこの街の良さなんじゃない?」

 

13時前。

周辺を眺めながら大市の広場へ向かっていると、ガイウスがそんなことを言い出した。

木造建築の建物を中心とした特徴的な街並みは、間違いなくケルティックの魅力の1つだ。

セントアークや帝都のような喧騒は、やはりガイウスの肌には合わないのだろう。

 

「っと、ここがそう。いつもは大市で賑わってるけど・・・・・うん、何か雰囲気が違うね」

 

広場へと続く階段で立ち止まり、周囲を見渡す。

人は多いが、普段のように商人で賑わっているわけではない。

軒先を連ねる店構えも様相が異なり、どの露店や屋台も夏至祭のそれとは違う。

言葉では言い表せない、独特の雰囲気を纏っていた。

 

「まだ準備中といったところか」

「だね。夕暮れまでは時間があるし・・・・・・それまでどうしよ」

 

こういった祭りに開始時間は無いはずだ。

人が集まり、店が賑わい始めた頃が始まりの合図。

それまでにはもうしばらく時間が掛かりそうだ。

 

「確か西の街道の外れに、公園があるはずだが。そこに行ってみないか?」

「公園?・・・・・・あっ!」

 

失念していた。どうして忘れていたのだろう。

私にとってもガイウスにとっても、きっといい時間を過ごせるはずだ。

それにマゴットさんだけではなかった。もう1人、会っておきたい人がいた。

 

_____________________________

 

田園風景の先、クロイツェン州の北部に広がるヴェスティア大森林。

広さだけで言えば、ノルド高原全域に匹敵する程に広大な大自然。

一部が森林公園として整備されており、毎年多くの観光客が訪れている人気スポットだ。

 

錠を斬ることなく入口をくぐると、程近い場所に佇む木製の小屋が目に止まった。

あの時は気付かなかったが、ここが案内所のような場所なのだろう。

カウンターには園内の案内書や地図の類が置いてあり、女性の受付人らしき人間がいた。

ちょうどいい。あの人に聞いてみよう。

 

「すみません。ここの管理人さんは今日いますか?」

「責任者はおりますが・・・・・・恐れ入りますが、どのような御用件でしょうか?」

「ええっと・・・・・・」

 

学生服の女子から突然そんなことを聞かれれば、当然の反応か。

用件、と言われても。私はただ話をしたいだけなのだが。

 

「あれ?嬢ちゃん達、もしかして―――」

 

背後から掛けられた声に振り返ると、そこには目的の人物の姿があった。

案内所を訪ねるまでもなかったか。

 

「お久しぶりです、ジョンソンさん」

「あー!やっぱそうか。お前あの時の嬢ちゃんだろ?」

 

このルナリア自然公園の管理責任者であり、騒動の実行犯を追う足掛かりになってくれた男性。

あれからずっと気掛かりではあった。この場にいるということは、居場所は取り戻せたようだ。

 

「ずっと礼を言いたかったんだ。あん時は世話になったな。おかげでこの通り、元の職場に復帰することができたよ」

「あはは。お役に立てて何よりです」

「ホントに感謝してんだぜ。あんな親身になって話を聞いてくれたのは、嬢ちゃんだけだったからな・・・・・・また酒でも飲み交わそうや。奢ってやるよ」

「・・・・・・アヤ?」

「の、飲んでないってば」

 

ガイウスの視線はまったくの誤解だ。

あの時は飲んでなどいない。薄めた酒を注いであげただけだ。

ジョンソンさんも深酔いしていたし、記憶が定かではないのだろう。

 

うんうんと感慨深げに頷いていたジョンソンさんは、隣のガイウスへと視線を向けた。

 

「ガイウス・ウォーゼルといいます。アヤの弟です」

「弟?全然似てねえな。俺はてっきりコレかと思ったんだが」

 

コレ、と言いながら親指を立てるジョンソンさん。

間違ってはいないが、話がややこしくなるのでこの場は伏せておくとしよう。

 

聞けば、自然公園はあの騒動以来一時閉園されていたものの、5月の中旬頃に再開したそうだ。

ケルディックの祭りの影響もあり、今日は来園客が普段よりも多いのだという。

街道でも何度か馬車とすれ違ったが、あれはケルディックと自然公園を結ぶ交通手段なのだろう。

ちなみに私達は徒歩。得物が無くとも、この辺の魔獣なら何の苦も無かった。

 

「よし、特別サービスだ。嬢ちゃん達には裏ルートを案内してやるよ」

「裏?」

「おうよ。ついて来てくれ」

 

胸ポケットから取り出した鉄製の鍵を握りながら、ジョンソンさんは得意気な笑みを浮かべていた。

 

_________________________________

 

ジョンソンさんが案内してくれたのは、管理用の裏通り。

通常は係員しか立ち入りが許可されていないそうで、私達以外に人の姿は無かった。

まるで森を独り占めにしているような感覚だ。

 

「実習の時は気付かなかったけど・・・・・・すごいところだね」

「ああ・・・・・・ここまで濃い緑は初めてだ」

 

あの時は、園内に魔獣が徘徊していた程だ。周囲の景観に気を向ける余裕など皆無だった。

こうして見れば、この森はノルド高原を連想させる。

遥か彼方まで広がる大自然と、石碑のような人の信仰心を思わせる遺跡の数々。

故郷の匂いが、ここにはある。

 

「む。巨大なキノコが生えているな」

「わわっ、何これ。1アージュはありそう」

「食べてみるか?」

「嫌だよ・・・・・・」

「冗談だ」

 

言いながら、ガイウスは頭上に生い茂る木々の葉を見上げた。

公園と言っても、ルナリア自然公園は第1級特別保護地区に指定されている。

目の前に広がる光景は、何百年も前から姿を変えることなく、今に続いているはずだ。

やっぱり彼は、こういった自然に囲まれている時が一番落ち着くのだろう。

 

(あっ)

 

それに、私もそうだ。こんな表情を浮かべるガイウスが―――私は、一番好きだ。

天然自然に囲まれた、天然自然な彼。久しぶりに、本来の彼に出会えた気がする。

惚れ直す、というのはこういう時のことを言うのかもしれない。

 

「どうかしたのか?」

「ううん、何でもない。少し休もっか」

 

既にかなり奥まで来ているはずだ。

道中には数少ない人工物である木製のベンチがあり、私達はそこで小休憩を取ることにした。

時刻は午後16時過ぎ。中々いい時間になってきた。

 

「帝国にも、こんな場所があったんだな」

「うん。来てよかったよ」

「・・・・・・そうか。ありがとう」

 

それはこちらの台詞だろう。と思ったが、ガイウスの胸中は察せられた。

楽しくないわけがない。行先なんて私には関係無いというのに。

今日の事は、おそらくガイウスが1人で考えたことではない。それぐらいは分かる。

きっとあれやこれやと考えを巡らせた結果なのだろう。

そんな彼の不器用さすら、今は愛おしく感じる。

 

「こっちこそ」

 

頭をガイウスの肩に預けながら、ゆっくりと目蓋を閉じた。

耳に入ってくるのは、風が木々を撫でる音。小鳥達のさえずりに、ガイウスの呼吸。

 

1秒1秒が勿体無くてもどかしい。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。

想いとは裏腹に時は刻み、夏への上り坂はいずれ、下り坂へと変わる。

今日が最後だ。何かに気を向けることも無く、今だけを謳歌できる最後の日。

たくさんの思い出を作ろう。未練が残らないように―――

 

「ん?」

「え?」

 

―――不意に、肩に重みを感じた。ガイウスとは反対側の、私の左肩。

恐る恐る目を向けると、そこには1羽の小さな鳥がいた。

 

「・・・・・・鳥?」

「見慣れない鳥だ。珍しい色をしているな」

 

思わず肩を揺らしてしまったが、小鳥はなんの動作も見せず、ただ前を向いていた。

全長は15リジュ程度で雀のように小さく、腹と背の羽毛が鮮やかなオパール色に染まっている。

何という鳥だろう。いやそれより、どうして私の肩に止まっているのだ。

 

「アヤ。懐かれたんじゃないか?」

「いやおかしいでしょ。私何もしてないのに」

 

突然人の肩で羽を休められても困る。

何度か肩を揺すってみても、小鳥はキョロキョロと周囲を見渡すばかり。

随分とマイペースな鳥だ。普通驚いて離れると思うのだが。

 

『おなかへった』

 

すると突然、声が聞こえた。私の左側から。

ガイウスの視線が私に向いたが、今のは私じゃない。そんな目で見るな。

 

『おなかへった』

 

2回目のおなかへった。確かにそれは、私の左肩から聞こえた。

受け入れがたい現実を前に、私達は顔を見合わせることしかできなかった。

 

________________________________

 

セキセイインコ。それがジョンソンさんが教えてくれた小鳥の正体だった。

大陸の北部で原生する種で、一昔前はペットとして飼育されることが多かったらしい。

現在でも野生個体は確認されるものの、数自体は減少傾向にある。

今でもペット用として出回ることはあるそうだが、以前ほど気軽には手に入らない。

そして最大の特徴が、鳥類の中で最も『喋り』を得意とする点だそうだ。

 

『おなかへった』

「アヤ、もう少し我慢してくれ」

「私じゃないってば!」

 

ジョンソンさんによれば、最近西の街道沿いで野生の集団が確認されているとのことだった。

人の手を離れた個体が野生化し、そのうちの1羽が自然公園に迷い込んだのだろう。

野生体でありながら、どこで言葉を覚えたのか。それはジョンソンさんも首を傾げるだけだった。

 

いずれにせよ、ルナリア自然公園が保護地区である以上、外部からの流入は見過ごせない。

懐かれたのなら、いっそのことそのまま連れて帰ってみてはどうか。

午後18時前。ジョンソンさんからそんな無茶振りをされて、今に至る。

 

「どうしよう。引き取ってって言われても、このまま連れて帰るわけにはいかないよ」

「駄目なのか?」

「学生寮はペット禁止に決まってるでしょ」

 

そんな私の懸念を余所に、小鳥は私の肩と頭上を往復するばかりだった。

既にアリサの香料の匂いは感じられない。あるのは独特の獣臭だけ。

こいつめ。私の気も知らないでふてぶてしい奴だ。

 

「うーん。でも何となく、お母さんに似てるかも」

「・・・・・・ど、どの辺がそう見えるんだ?」

「目元と雰囲気かな」

 

くりくりっとした丸い目と、自由奔放なその態度。

とりあえず、この子はランと呼ぶことにしよう。ジョンソンさんもメスだって言ってたし。

 

『おなかへった』

「ああもう。私だって減ってるよ」

「公園と街道を歩きっ放しだったからな。見たところ、色々な店があるようだぞ」

 

頭上にいたランを肩に誘導し、目の前の広場を見渡す。

昼時には閑散としていたそれは、今では途方も無い数の人だかりでごった返していた。

ガイウスが言うように、大半は飲食物を扱う出店のようだ。

既に周囲には空腹を掻き立てる、香ばしい香りが漂っていた。

 

「よーし。ガイウス、お祭りの醍醐味は?」

「食べることだろう。アヤが教えてくれたことだ」

「うんうん。準備はいい?」

「ああ。全て俺が持つ」

『おなかへった』

「お腹減ったー!」

 

既に場所は確保してある。

マゴットさんの好意で、風見亭前のベンチは私達の特等席だ。

小さな木製のテーブルも用意してもらっているし、必要なのは食べ物だけ。

広場へ続く階段を全て飛ばし、私とランは会場へと降り立った。

 

_________________________________

 

「1つ聞いていいですか」

「何かしら」

「何してるんですか?」

「ビール飲みながらお祭りを堪能してるの。見れば分かるでしょ」

「何でここにいるんですか!?」

「マゴットさんが特等席があるって言うからよ。ていうかその鳥は何なの?」

 

買い込んだ晩御飯を両腕に抱えたガイウスと私、肩にラン。

2人と1羽を待ち構えていたのは、どういうわけかサラ教官だった。

特等席が、教官の晩酌の場と化していた。

 

「これは、その。それよりもどいて下さい。ここは私とガイウスの席です」

「嫌よ。他は席が空いてないし、立ち飲みは疲れるじゃない」

「ああもう!」

 

相も変わらず駄目過ぎるだろう。何て自分勝手なんだ、この人は。

立ち退きを求める私を余所に、結局はガイウスが折れてしまった。

彼に従う形で、私達は席を共にすることにした。

 

早速買ってきた品々をテーブルに並べていく。

氷水に冷やされた彩り豊かな夏野菜に、炭火焼きにされた魚や肉の数々。

すぐにテーブルは一杯になり、思わずはしゃいでしまった。

ちなみにランには、マゴットさんがくれた半サイズのロールパンをあげた。

 

「呆れた。食べるだけがお祭りじゃないでしょうに」

「教官にだけは言われたくないです」

「ガイウス、君はどうなのよ?」

「アヤが満足なら、俺はそれでいい」

「聞かなきゃよかったわ・・・・・・」

 

見せびらかすようにして、パタパタと団扇で顔を扇ぐサラ教官。

嫌なら同席しなければいいのに。気が利かないにも程がある。

 

サラ教官の話では、先程広場でフィーとエーデル先輩に出くわしたそうだ。

私達も何度か士官学院生とすれ違っていた。結構な人数がここを訪れているようだ。

列車を使えばたったの30分程度。祭りを満喫してからでも、寮の門限には間に合うだろう。

 

「インコねえ。鳥に母親の名前を付けるってどうなのよ」

「どうすればいいですか、この子。頑として離れないし、付いて来ちゃうんです」

 

ビール瓶をラッパ飲みしたサラ教官は、テーブルに乗るランへと視線を下ろした。

当のランは、半分にカットしたロールパンの中身をほじくりながら、中を前進していた。

よく食べる鳥だ。試しに切断面を下にして、パンをテーブルへ立ててみる。

テーブルの上を右往左往するロールパンの完成だった。怖すぎる。

 

「そうね。犬や猫じゃないんだし、寮に置いてあげたら?」

「え・・・・・・でも、学生寮ってペットの類は禁止ですよね」

「だから言ってるのよ。これで共犯。私の寮での晩酌もいい加減認めなさい」

 

唐突に取引を持ち掛けられた。

何度でも言おう。何て駄目な人だ。

これでは教官が教え子を脅しているようなものじゃないか。

 

いや。敢えてそういった言い回しをしているだけで。

もしかしたら、私とランのことを気遣って―――って、そんなわけないか。

少しサラ教官を買被り過ぎだ。駄目な部分は駄目なんだ、この人は。

 

「さてと。そろそろ時間かしら」

 

サラ教官はそう言うと、コートの内ポケットからARCUSを取り出した。

どうやら時間を確認したかったようだ。

何の頃合いなのだろう。今は大体19時過ぎぐらいで―――

 

「むっ」

「あっ」

 

―――突然、私とガイウスの影が地面に映った。

風見亭から漏れ出す光と、点在する導力灯。

その光だけを頼りにしていた私達の後方。遥か上空から放たれた光が、私達を照らした。

振り向くと同時に、少し遅れてやって来た心地よい破裂音が耳に入った。

 

先程まで聞こえていた人の喧騒も、鳴りを潜めていた。

言葉に、ならなかった。

 

「あれが・・・・・・そう、なのか」

「うん・・・・・・綺麗だね」

「ああ」

 

続けざまに3発。笛のような鋭い音と共に、それは再び上空へ舞い上がり、開花した。

目の前に広がる、色取り取りの火の玉。

手を伸ばせば掴めそうな程に近く、音が遅れてやってくる程に遠く。

頭上に降りかかりそうな程に近く、幻想のように儚く遠く。

咲いては消え、消えては咲いてを繰り返すいくつもの花。

 

呼吸や瞬きを忘れてしまうぐらいに、ただただ見入っていた。

こんな―――こんなに綺麗な花が、この世界にあったなんて。

 

「アヤ?」

「ん・・・・・・ごめん。最近、涙脆くって」

 

バレてしまったか。

気付かないうちに、私の目元には小粒の涙が溜まっていた。

最近はどうも涙腺が緩いように思える。この光景の前では、仕方ないことかもしれない。

 

「痛っ」

 

不意に、首筋に痛みが走った。

見れば、いつの間にか肩に乗っていたランが、私のうなじへと歩を進めていた。

 

「ちょっとラン、爪立てないでよ・・・・・・痛いってば」

 

私の言葉は伝わらず、ランは首の後ろに居座ってしまった。

勘弁してほしい。これでは花火を見上げられないし、やはり痛い。じっとしていても痛い。

 

「ああもう・・・・・・え?」

 

ランを落とさないように落とした視線の先に、サラ教官の手元が映った。

右手にはペンと、テーブルには1枚の紙。

教官は暗闇の中で、何かを綴っていた。

 

「教官。何ですか、それ」

「何でもないわよ」

 

先程までとは打って変わって、穏やかな笑みを浮かべるサラ教官。

花の光に照らされたその顔は、とても懐かしく感じられた。

どうしてかは、分からなかった。

 

_______________________________

 

ラン・シャンファさん。

史上最年少タイ記録でB級遊撃士となった、私の偉大なる大先輩。

 

あなたは死んだ。志半ばで死んだ。

誰かに看取られることもなく、酷く苦しみながら。

遠い異国の地で、たった1人の愛娘を残しながらも。

 

あなたは幸せ者ですと言ったら、あなたは私を怒るだろうか。

 

「綺麗だね」

「ああ」

 

娘の成長を見守ることができず。その想い人を見ることもなく。

彼女が選んだ道を知ることもなく。新しい家族を目にすることもなく。

この夏の夜空を見上げることすらも叶わず。

 

遠い山中で朽ち果て、幾度かの夜を過ごし。

鳥に肉を啄ばまれ、死に顔を失くしたとしても。

誰もあなたをあなたと分からず、記憶だけの存在になったとしても。

 

そんなあなたは幸せ者ですと言ったら、あなたは私をどう思うだろう。

 

「アヤ?」

「ん・・・・・・ごめん。最近、涙脆くって」

 

たった1人で彷徨い歩き、たった1人で命を繋ぎ。

確かな心と幸せを、遥か遠くの大地で見つけて。

前へ進み、全てを受け止め、あなたの意志を継ぎながら。

あなたが取りこぼした多くを拾いながら、描かれていく彩の世界。

 

あなたは幸せ者です。だから、その幸せを私にも分けて下さい。

彼女が手にした幸せを。手にするであろう幸せを。

これから迎える試練を。変わりゆく時代に翻弄される、彼女の苦難と苦境の道を。

全てを見守り、支えると誓います。

 

「ちょっとラン、爪立てないでよ・・・・・・痛いってば」

 

だから、どうか安らかに。

彼女は今も、あなたを呼んでいます。

偉大なる大先輩へ。

 

トールズ士官学院特科クラス《Ⅶ》組担任、武術教練担当。サラ・バレスタインより。

 

「教官。何ですか、それ」

「何でもないわよ」



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新しい仲間

熱っぽい。夢から覚めた瞬間にそう感じた。

目はまだ半開き。頭もまだ覚醒しきっていない。

それでも、顔に火照りを感じる。熱がこもっている。

頭が重い。こんな夏の真っ盛りに、風邪をひいてしまったか―――

 

「・・・・・・ラン。何やってんの」

『ぴぃ』

 

―――実際に、重かった。

額に濡れタオルを乗せるように。私の頭上に、羽を休める鳥が一羽。

既に夢の内容は記憶の底に埋もれ掛かっていたが、あまりいい内容ではなかった。

この子のせいか。おかげ様でこの通りの目覚めである。

私の8月18日は、そんな朝から始まった。

 

「ふわあぁぁ・・・・・・」

 

肩にランを乗せながら、手早く顔を洗い寝癖を直す。

身体を傾けた程度では、ランは私から離れない。

器用に重心と立ち位置を調整して、私に合わせてくる。頭がいいんだか悪いんだか。

 

1階に下りながら周囲の様子を窺うと、まだ誰も起きてはいないようだ。

私が1番か。いや、正確には2番。この人はいつも、睡眠をしっかりとっているのだろうか。

 

「おはようございます。シャロンさん」

「おはようございますアヤ様。一昨々夜はお楽しみいただけましたか?」

「あーはいはいそれはもう」

 

相手にしては駄目だ。その時点で負け。しつこいにも程がある。

 

平静を装いながら食堂の椅子に腰を下ろすと、シャロンさんが氷水を用意してくれた。

ありがたい。渇いた喉と火照った身体にはこれが一番だ。

当のシャロンさんは普段のように、厨房でテキパキと華麗に舞っていた。

 

「ランが私の部屋にいたんですけど。何か知ってますか?」

「申し訳御座いません。昨晩からどうしてもと仰るもので。誠に勝手ながら、アヤ様のお部屋にご案内させて頂いた次第です」

「またですか・・・・・・」

 

トールズ士官学院学生寮規定、第9条。

1. 犬、猫等のペット類を寮内で飼育することを禁ずる。

2. ただし、十分な飼養経験と知識を有する管理責任者が、飼育を通した教育を目的とする場合は、その限りではない。

 

ランの扱いをどうするか。

困り果てていた私達に助け船を出してくれたのは、シャロンさんだった。

 

学生寮規定に目を付けたシャロンさんの手際は、見事としか言いようがなかった。

小動物の飼育を通した教育という名目の下に、ランの飼育は正式に認められてしまったのだ。

 

インコの飼育から何を学べと言うのか。それはまあ別として。

申請に必要な書類を揃え、誰にも有無を言わせない完成度を誇る文面を一気にまとめ上げ。

シャロンさんが動物飼養管理士などという聞いたこともない資格を有していたことも相まって、申請は何の滞りも無く通ってしまった。

 

『おなかへった』

「はいはい」

 

騙すような後ろめたさは勿論あったが、連れてきてしまった以上、私にも責任はある。

結局はシャロンさんの好意に甘える形で、ランは第3学生寮の新しい住民となった。

 

普段は1階の鳥小屋で飼われているランは、時折暴れては私の部屋に解放される。

教科書の何冊かは啄ばまれ、一度白い爆弾をベッドにお見舞いされたこともあった。

・・・・・・まぁ、それぐらいは目を瞑ろう。おかげでここも大分賑やかになった。

 

皆は何故かランを好き勝手な名で呼ぶ。アリサは『アヤ』と呼んだりする。

ユーシスは「もう子供を産んだのか」という、笑えない冗談を吐くことがあった。

本気で蹴ってやった。今後も謝るつもりは毛頭無い。

 

「アヤ様、朝食は如何なさいますか」

「お願いします。目も覚めちゃったんで・・・・・・?」

 

ふと目に止まったのは、棚に収められた食器の数々。

気のせいだろうか。数が増えている気がする。

 

「シャロンさん、買い足したんですか?」

「はい。また必要になると思いましたので」

「はぁ・・・・・・」

 

よく分からないが、考えても仕方ない。

8月も残すところあと2週間。来週に控えた実技テストと、恒例の特別実習。

ある意味でこれからが8月の本番だ。今日も頑張って乗り切ろう。

 

______________________________

 

「西ゼムリア通商会議・・・・・・IBC総裁も務めるディーター・クロイス市長の提案により開催される国際会議ね」

 

ホームルーム前の穏やかな一時。

普段は思い思いの時間を過ごす時間帯に、今朝はリィンとガイウスの席を皆で囲みながら、とある催しに関する話題に花を咲かせていた。

 

「帝国からは皇帝陛下の名代としてオリヴァルト殿下、そしてオズボーン宰相が正式に出席されるんでしたよね」

 

西ゼムリア通商会議。私も話は聞き及んでいた。

大陸各国の首脳陣が一手に集うそれがどれ程異例なものなのかは、私にも理解できる。

そして通商会議の開催地である、クロスベル自治州。

 

「そういえば、アヤ君はクロスベル出身だったか」

「うん。やっぱり色々と慌ただしいみたい」

 

今月に入ってから、一度だけロイドとの間で手紙のやり取りがあった。

7月に勃発した皇族の誘拐事件について触れた私の手紙に、ロイドは大層驚いたそうだ。

騒動の事実はともかく、詳細はクロスベル内でも広まってはいないらしい。

情報が規制されているのかもしれない。帝国としては、他方面に知られたくないのは事実だろう。

 

クロスベルの方でも、色々と抱え込んでいる事情があるようだ。

およそ2ヶ月前に明らかとなった、州議会議長の大スキャンダル。

市民へ銃を向けた警備隊の信頼は失墜し、未だに取り戻せてはいない。

 

(大変だな・・・・・・クロスベルも)

 

会議の場では貿易や金融以外にも、安保関連の課題も議題として挙がると聞いている。

クロスベルは勿論、帝国と共和国の間にはノルド高原の領有問題もある。

どのような討論が交わされるにせよ、相当にキナ臭いやり取りになりそうだ。

 

一方で、ロイドからの手紙には明るい話題もあった。

一時解散となっていた、ロイドが所属するクロスベル警察特務支援課。

近々活動を再開する目途が立ち、新たなメンバーも加わる予定なのだそうだ。

今日もクロスベル中を走り回っているのかもしれない。頑張って、ロイド・バニングス。

 

「そういえば・・・・・・サラ教官、遅いですね」

「まったくあの人は。まさか寮で寝坊してたりしないわよね」

 

教室の時計に目を向けると、ホームルームの開始時間を既に10分も過ぎていた。

5分なら誤差の範囲内だが―――いや、それ自体問題か。相変わらずのだらしなさだ。

 

「こらこら。今日は違うわよ」

 

私達の発言に突っ込みを入れるように、サラ教官の声が耳に入ってきた。

漸く来てくれたか。これでやっとホームルームに入れる。

 

教壇に立ったサラ教官は、改まった表情でコホンと1つ咳払いを置いた。

 

「遅れたのにはちゃんとワケがあってね。今日はみんなに、新しい仲間を紹介するわ」

「「え?」」

 

私達の頭上へ、一斉に疑問符と感嘆符がセットで浮かんだ。

 

「編入生、ですか?」

 

新しい仲間。素直に受け取るなら、アリサが口にした存在を指すのだろう。

応えるように、教官は私達にウインクを1つ。本当に編入生だと言うのか。

 

「それじゃ、入ってきて」

 

皆が顔を見合わせた。余りにも突然すぎる。

男性なのか、女性なのか。年齢はいくつなのか。

出身はどこなのか。帝国なのか、外国からやって来たのか。

帝国なら、貴族か平民か。様々な疑問と期待が一気に膨れ上がり―――

 

「うーッス!」

 

―――教室の外から聞こえてきた声とその姿に、それは一気に萎んでいった。

おかしい。絶対に何かがおかしい。何故そうなる。

 

「2年の・・・・・・アームブラスト先輩?」

「クロウ・アームブラストです。今日から皆さんと同じ《Ⅶ組》に参加させてもらいます・・・・・・てなワケで、よろしく頼むわ♪」

 

爽やかな好青年を思わせる笑顔を浮かべるクロウ先輩。

私からすればツケの常習犯だ。新鮮さの微塵も感じられない。

 

事情が呑み込めない私達に、サラ教官は一から説明してくれた。

要するに、クロウ先輩は昨年単位を落としまくり、必修科目すらも取りこぼしていたそうだ。

必修科目の単位取得は、卒業には必要不可欠な最低限のライン。

それを理解した上で落としたのか。駄目人間がここにもいた。

 

「ARCUSの試験導入に参加した実績もあるからね。その点に関しては、君達のいいお手本になるかと判断したのよ」

 

その点に関してだけ言えば、私も同意見だ。

先月末の、旧校舎での一件。あの時もクロウ先輩はARCUSの戦術リンクを使いこなしていた。

初めてリィンと繋いだとは思えない手並みだった。あればっかりは流石と言わざるを得ない。

いずれにせよ、3ヶ月のみとはいえ私達《Ⅶ組》の一員となるのは事実のようだ。

これからは付き合い方を考えた方がいいだろう。

 

「・・・・・・サラ教官。扉が開いたまま、という事は」

 

これからの《Ⅶ組》に考えを巡らせていると、ガイウスが教室の扉を見ながら言った。

それで私も気付いた。どうやらガイウスとリィンは、いち早く察したようだ。

扉が開いているというより、2人はその先の気配を感じ取ったのかもしれない。

 

「あら、バレちゃったか・・・・・・というわけで、出てきて挨拶しなさい」

 

どうしたのだろう。

サラ教官の声色が、先程までとは異なるように思えた。

その表情にも、明らかに戸惑いの色が浮かんでいた。

 

「はー。待ちくたびれちゃったよー」

 

思わず息を飲んだ。

声で察したのは、私とリィンだけだった。

足早に教室へと入ってきたその小柄な体躯を目の当たりにして、他の面子も言葉を失くしていた。

 

「君は・・・・・・」

「ノルド高原で会った・・・・・・?」

「うん、お久しぶりだねー!」

 

快活な声を上げた少女の髪は、海を連想させるアクアブルーに染まっていた。

それに見合う純粋無垢な笑顔を浮かべ、少女は再び口を開いた。

 

「初めての人もいるから、改めて自己紹介するね。ボクはミリアム。ミリアム・オライオンだよ!」

 

_________________________________

 

「てなワケで。《Ⅶ組》が一気に2人も増えたんだよね」

「ふーん。随分と急な話ね」

 

時刻は16時半。

私は今朝の出来事を一通りポーラに説明しながら、厩舎の新たな清掃用具一式を下ろしていた。

何度も申請していたそれは、今月度に漸く購入するに至った。これもランベルト先輩のおかげだ。

交流会への参加が決定したことも影響しているそうだ。そんな駆け引きも必要なのだろう。

 

「《Ⅶ組》ってことは、例の実習なんかにも参加するわけ?」

「そう聞いてる。まぁあの2人なら何の問題も無いと思うよ」

 

クロウ先輩の実力と行動力は、特別実習ではいい方向に働くだろう。

ミリアムは・・・・・・まぁ、戦闘に関してはある意味で頭1つ飛び抜けているはずだ。

今日も軽はずみな言動が目立っていたが、それさえ目を瞑れば問題は無いだろう。

 

それ以上に気になるのは、どうしてミリアムが編入生としてやって来たか。

彼女の素性を知る私達からすれば、何かしらの疑いを抱かざるを得なかった。

サラ教官に何度問いただしても、結局満足な返答を貰えてはいない。

 

まずは一クラスメイトとして接しながら、様子を見よう。

それがミリアムへの対応を話し合った結論だった。それしか今はできることが無い。

 

「フィーって子よりも幼いように見えたけど。彼女何歳なのかしら」

「分かんない・・・・・・ねぇポーラ。聞いてもいい?」

「何よ、急に」

「そのブレスレットなんだけど」

 

私の目に止まったのは、ポーラの左手首に着けられた革製のブレスレット。

実を言うと、見覚えがあった。ガイウスと一緒に回った、ケルディックの夏祭り。

 

数ある出店の中に、輪投げの店があった。

景品に向けて輪を投じ、掛けることができればその景品を貰うことができる類の店だった。

私とガイウスも、何度か挑戦した。その中に、このブレスレットがあったのだ。

 

「ああ、これね。言ったでしょ、私達もお祭りに言ったって」

「うん、それは聞いた」

「面白かったわよ。柄にもなくムキになって輪投げに夢中になるんだもの」

 

そのムキになった張本人は、今グラウンドでランベルト先輩と肩を並べている彼。

どうしても意識してしまう。それもこれも、今日の昼休みの出来事が発端だった。

 

_____________________________

 

「え、私?」

 

昼食後、トレーを食堂のカウンターに持っていく道すがら。

唐突に2人の女子生徒に声を掛けられた。

何組の生徒かは分からない。身なりから彼女達がⅠ組かⅡ組に所属していることだけは分かった。

誰だろう。顔は何度か見た記憶があるが、話したことはないはずだ。

 

「えーと。私に何か用ですか?」

「1つお聞きしたいことがあります」

「あ、はい。何でしょう」

 

キョロキョロと辺りを見渡す貴族生徒2人組。

彼女らが口にした言葉は、あまりにも予想外というか。

思わず聞き返してしまうような内容だった。

 

「あの、すみません。もう一度言ってもらえますか?」

「ですから、あのポーラという女子です。彼女、ユーシス様とどういった御関係なのですか?」

「・・・・・・ええ!?」

 

____________________________

 

「・・・・・・なわけないよね」

「何のことよ?」

「ううん、何でもない」

 

どういう関係。遠回しのようでいて、直球過ぎる問いだった。

少なくとも、ただのクラブ仲間というのが紛れもない事実だ。

疑いを持ったのは、あの夏祭りがキッカケのようだ。

 

庶民の祭りを見学するためにケルディックを訪れた彼女らは、ユーシスの姿を見掛けた。

その隣にいたのがポーラ。2人が楽しそうに祭りに興じる光景を目の当たりにしたそうだ。

 

それだけを聞かされると、無理も無いのかなと思ってしまう。

それでも・・・・・・うーん。この2人が、なんて。あり得ないだろう。

当人達の感情は別としても、色々と問題事が多すぎるように思える。

それ以上に前者が問題か。事実、どうなのだろう。

 

「何なのよもう。人の顔をジロジロと」

「な、何でもないってば」

 

とりあえず、今は考えないようにしよう。

話を逸らすように、私は再び話題をミリアムへと向けた。

 

「それで、彼女もそっちの寮に住むようになるわけ?」

「そうみたい。荷物も一通り寮の方に送ってるって言って・・・・・・あれ?」

 

言いながら、私は1つの事実を思い出した。

ミリアムが第3学生寮にやって来る。生活を共にする。

それ自体には何の問題も無い。ただ、大きな問題が1つだけ。

どう考えてみても、それは回避できないのではないだろうか。

私の懸念はこの日の夜に、現実となるのであった。

 

_____________________________

 

「腹を割って話し合いましょう」

 

食堂のテーブルに集う、クロウ先輩を除いた《Ⅶ組》生徒一同。

既にここには椅子も含め、新たに2人分の一式が用意されていた。

シャロンさんが買い足したと言っていた食器の類も、クロウ先輩とミリアムの物だったようだ。

 

「ふむ。私はやぶさかではないが・・・・・・」

「ええ。誰かがそうしなければ、ミリアムちゃんも困ってしまいますし」

「むー、何だか悪者になった気分だよ。ボクは何もしてないのに」

 

ミリアムの生活用品も、1階のロビーにどっさりと届いていた。

新しいベッドも手配されている。何の問題も無い。必要な物は全て揃っていた。

足りないのは、1つだけ。

 

「あのさ、どうして僕達まで集められたのかな?」

「客観的な意見を聞くためよ。決め方を含めてね」

 

部屋が無い。部屋が足りないのだ。

 

今現在、この寮の空き部屋は2階に1部屋だけ。

その部屋も、週末にはクロウ先輩が移住してくる手筈になっていた。

ミリアムの部屋が、無い。深刻な問題だった。

 

元々この寮の部屋は、2人組で生活できるように設計されている。

やけに広いと感じたのは、そのせいだったようだ。

空き部屋が無い以上、誰かがミリアムと合い部屋にならざるを得ない。

必然的に、私達女性陣の誰かの部屋になる。

それを今決めなければ、今後のミリアムの寝床が無いのだ。

 

「うーん。正直なところ、みんな本心は自分専用の部屋が欲しいよね?」

 

私の言葉に、女性陣が顔を見合わせた。

ミリアムには悪いが、やはりそれは皆同じのようだ。

ラウラもエマもああは言っていたが、誰だってそうなのだろう。私だってそうだ。

 

「1階の物置を片して、部屋を空けるというのはどうだ?」

 

マキアスが言うと、今度は男性陣が顔をしかめ始めた。

 

「あそこは窓すら無いだろう。俺はどうかと思うな」

「僕もそう思う。ちょっと可哀想だよ」

「ああ。公平にすべきじゃないか」

「フン、血も涙も無い奴だなお前は」

「思い付いたことを言っただけだろう!?」

 

一斉に非難を浴びるマキアス。

私も考えはしたが、口に出さなくてよかった。危ない危ない。

いずれにせよ、やはり合い部屋が一番手っ取り早く、公平なのだろう。

 

「なら、これで決めよ」

 

それまで沈黙を守っていたフィーが取り出したのは、1丁の拳銃。

同時に取り出した1発の銃弾を手早く装填すると、リボルバーを勢いを付けて回し始めた。

 

「1人1回、撃ってもらう。当たれば銃口から花が咲く」

 

ゴトリという音と共に、テーブルに拳銃が置かれた。

銃も銃弾も何のために、いつの間にどこから用意してきたのか。

そんな突っ込みを入れる余裕も無く、誰もがゴクリと唾を飲んだ。

 

3階の住民。私、アリサ、ラウラ、エマ、フィー、サラ教官。

この場にいる誰かが銃弾に当たらなければ、サラ教官ということなのだろう。

 

なら、誰から。躊躇なく拳銃に手を伸ばしたのは、ラウラだった。

 

「当たっても私は構わぬが。フィー、引き金を引くだけでよいのか?」

「ん」

 

直後に、上方に向けてラウラが引き金を絞った。

カチャリ。渇いた金属音が周囲に響き渡った。

 

「外れのようだな。次は誰が撃つ?」

「なら私が」

 

ラウラに続いたのはアリサだった。

この流れだと、椅子に座る席順で撃っていくことになりそうだ。

ということは、私が最後か。やはり本音では、当たりたくはない。

 

そんな私の願いを裏切る様に、続けざまに4回。引き金は引かれた。

花は咲かなかった。必然的に回ってきた、私の番。

6分の1だった確率が、いつの間にか2分の1。50%にまで引き上がっていた。

 

「あはは。何だか楽しくなってきたね♪」

 

快活に笑うミリアム。申し訳ないが、面白くも何ともない。

別に私だって、合い部屋自体には何の抵抗も無い。

ただ―――それでは、今までのようにいかなくなる。

 

(の、残り物には福があるって言うしね)

 

若干的外れの表現を胸中で引用しながら拳銃を受け取り、引き金に指を掛けた。

頼むから、咲かないで。目を閉じながら、私は銃口を天井に向けた。

 

『パンッ』

 

見るまでもなかった。

皆の視線は、私の手元に向いていた。

テーブルに置いた拳銃からは、見事な桃色の花が悪びれることもなく咲いていた。

 

「・・・・・・ミリアム。今日から宜しくね」

「うん!よーし、早速荷物を運ばなきゃ。ガーちゃん!」

 

突如として姿を現したアガートラム。

気のせいだろうか。今頭部を私に向かって下げたように思えたのだが。

こちらこそ宜しくお願いします。ただ私の部屋には入らないで下さい。

力無く右手を振りながらそう心の中で挨拶をすると、ミリアムとアガートラムは食堂を後にした。

 

「はぁ・・・・・・」

 

肩を落とす私に、皆の生温かい視線が降り注いだ。

 

「ま、たまにはローテーションしましょ。とりあえずは任せたわよ」

「そうですね。その方がミリアムちゃんも楽しめそうですし」

「ありがとう・・・・・・うーん。でもこれじゃあ、夜にガイウスと―――」

 

そこまで言って、口を噤んだ。

今度はまったく意味合いが異なる、含みのある視線が私に向いてきた。

ガイウスだけが気まずそうに、俯いていた。

皆が沈黙を守る中、ユーシスが笑みを浮かべながら言った。

 

「やれやれ。2人目を産むつもりだったのか」

 

徒手、一の舞『飛燕』。

ユーシスの身体は壁際まで吹き飛んでいった。

 

________________________________

 

一通りの荷物とベッドを部屋に運び込んだ後、私達は少し遅めの夕食をとった。

その後はミリアムと協力して荷解きに汗を流し、漸く片付いたのが夜の21時。

いつもは一番乗りの入浴も、今日は最後になりそうだ。

 

「ミリアム、シャロンさんからハンガー貰ってきたよ」

「ありがとー。うん、これで一段落かな」

 

自室に戻ると、私のルームメイトは部屋の中で鬼ごっこをしていた。

鬼はミリアム。追われるのは、宙を逃げ回るラン。割と本気で逃げているようだ。

彼女はランを『ランちゃん』と呼んだ。至って普通の呼び名に大変癒された。

ユーシスよりは何百倍もマシだ。

 

『おなかへった』

「アヤ。お腹減ったって言ってるよ」

「口癖みたいなものだから、気にしないでよ」

 

逃げるようにして、ランが私の頭上に着地した。

振り落とさないよう注意しながら、様変わりした部屋を見渡す。

 

こうして改めて見ても、彼女の荷物は可愛らしい小物の類で溢れていた。

棚や机には、ぬいぐるみや人形も多数置かれている。年相応の趣味があるようだ。

 

「ねぇ。ミリアムって今何歳?」

「ボクは13歳だよ」

「ふーん」

 

見た目通りの年齢だった。あのフィーよりも2つ下か。

疑問は増えるばかり。何故そんな少女が、情報局などという機関に所属しているのか。

アガートラムの件も含め、分からないことだらけだ。聞いても答えてはくれないだろう。

 

「アヤは何歳なの?」

「19歳。みんなよりもちょっとだけ年上だよ」

「6歳も上なんだー。うんうん、アヤはお姉さんって感じがするもんね」

 

お姉さんと来たか。悪い気はしない。

妹の扱いは慣れているつもりだ。てんこ盛りの疑問は、しばらく脇に置いておこう。

 

「ミリアム、一緒にお風呂入ろっか。狭いけど、もう遅いしね」

「うん!」

 

新たに増えた《Ⅶ組》の仲間。生活を共にする仲間。

これからさらに賑やかになりそうだ。

 

「ねぇねぇアヤ。ボクも聞いていい?」

「何?」

「ガイウスとアヤって、いつ結婚したの?」

「ええ!?」

 

姉弟だってば。彼女がそれを納得するまで、かなりの時間を要することになった。



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国境を越えて

8月24日、火曜日。第3学生寮の3階。

世間一般で言う夏休みシーズンも終焉を迎え、夏の中継地点を折り返した頃。

私達《Ⅶ組》に編入生がやって来たあの日から、ちょうど1週間が過ぎようとしていた。

 

「あれれ、アヤ?まだ教科書と睨めっこしてたの?」

「んー。導力学の課題・・・・・・最後の設問、手こずっちゃって」

「なーんだ。ならボクが教えてあげるよ!」

 

お風呂上りのミリアムが、机に噛り付く私の膝元にストンと腰を下ろした。

生活を共にして1週間。彼女が士官学院にやって来た経緯は未だ謎に包まれたままだ。

それでも彼女の人となりに関しては、それなりに理解が深まってきていた。

 

一言で言えば、見た目通りだ。13歳の少女に見合った背丈に趣味、習慣。

周囲をも巻き込みながら、常に笑顔を絶やさない。元気溌剌、勇気凛々な少女。

『純粋』のベクトルがラウラやフィーとも異なるように思える。

少なくとも部屋を共にする中で、不快感はこれっぽっちも感じられなかった。

 

一方で、ミリアムに振り回されがちなメンバーもいた。

その最たる例がユーシス。被害者と言ってもいいのかもしれない。

度々ミリアムが引き起こす騒動に、巻き込まれては巻き込まれ。

見ている側としては楽しい限りだ。ポーラは呼吸困難の一歩手前に至る程に爆笑していた。

たまには助け舟を出してあげた方がいいのかもしれない。

このままではユーシスの頭部に、10ミラ禿げが発生しそうだ。

 

「・・・・・・ああ、符号が逆だっただけか。うわぁ、悩んで損した」

「あはは。アヤってたまに変なミスをするよね」

 

もちろん、年不相応な一面もあった。

編入試験を大変優秀な成績でパス、それはトワ会長から事前に聞かされていた。

実際に彼女の座学力は見事の一言に尽きた。度々こうして、彼女から教わることすらある。

 

それに彼女の生活リズム。

ミリアムがこの部屋にやって来た初日から、彼女は私の時間軸にピッタリと適応した。

誰よりも朝早くに起床し、早くに眠る。ノルドでの生活を基準とした私の時間。

この点は大分苦労するだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみれば何ら問題が無かった。

その代わり、よく眠る。年相応かそれ以上にによく眠る。

ただフィーとは違い、眠ることが好きというよりは、眠れる時に眠るといった考えなのだろう。

 

そして最も気に掛かる謎の行動。

時折、部屋から姿を消すこと。時間帯を問わず、忽然と姿を消すのだ。

寮中を探しても見つかった試しが無いし、気付いた時には部屋にいる。一番不可解な行動だ。

こればっかりは何かを疑ってしまう。裏で何をしているのだろう。

 

「どうしたのー、アヤ。急に黙っちゃって」

「・・・・・・ん。何でもないよ」

 

ともあれ、彼女は悪い人間ではない。この1週間で一番の収穫だ。

リィンやアリサも言っていた。壁を作るなんてことはしたくない。

個人的な感情、私見に過ぎないのは分かっている。ただ少なくとも『敵』ではないはずだ。

こんな少女が私達に牙を向けるなんて、考えたくもなかった。

 

「ふーん。まぁいいや、よいしょっと」

 

ミリアムは私の膝元を離れると、足早に扉へと歩を進めた。

 

「ボクさ、今日はフィーと一緒に寝るよ」

「え・・・・・・ど、どうしたの。急に」

 

ミリアムはいつものように笑顔を振りまきながら、突然寝床を別にすると言い出した。

一体どうしたのだろう。もしかして、先の考え事を見抜かれてしまったか。

 

「アリサがねー。『たまには気を遣いなさい』って」

「え・・・・・・ああ、うん。じゃなくって!別にそんな―――」

「ごゆっくりー!」

 

私が言葉を並べる前に、ミリアムは部屋を後にしてしまった。

アリサめ。また何か変なことを彼女に吹き込んだに違いない。

 

(・・・・・・まぁ、いっか)

 

ミリアムに続いてクロウ先輩がこの寮の住民になってから、2階はその賑やかさを増した。

最近は皆で『ブレード』に夢中になることが多いようだ。

その影響もあり、私が2階へと足を運ぶ回数は減った。

ミリアムと合い部屋になった影響で、ガイウスもこちらの部屋には来なくなってしまった。

 

アリサはそんな私達の現状を気に病んだのだろう。

その心遣いは嬉しい限りだが・・・・・・この状況も、ちょっとなぁ。

不在とはいえ、既にここはミリアムの部屋でもある。

結局はガイウスも気を遣ってしまうのではないか。

 

『アヤ』

「うわあっ!?」

 

椅子ごと、背中から床に倒れ込んだ。

いつの間に入り込んで、いつからそこにいた。

初めて名前を呼ばれた気がするが、その感動は微塵も無かった。

 

「ああもう・・・・・・驚かさないでよ、バカ」

『ぴぃぴぃ』

「ぴぃぴぃじゃないってばっ」

 

踏みつけるように、私の額に降り立ったラン。

何だか小馬鹿にされているような気がする。調子に乗り過ぎだろう、こいつめ。

 

プルルルル。

身体を起こそうと思った矢先に、私の腰元からARCUSの着信音が鳴り響いた。

こんな時間に通信か。誰だろう、サラ教官だろうか。

身体を床に寝そべらせたままの体勢で、私はARCUSを手に取り通信ボタンを押した。

 

「はい。アヤです」

『やあ、私だよ。愛しのアヤ君』

 

名を名乗らずとも、声と口調で誰かはすぐに分かった。

そういえば、彼女もARCUSの試験導入班の一員だったか。所持していてもおかしくはない。

番号を教えた記憶はないが、誰かが先輩に教えたのだろう。

 

『声が疲れているね。何をしていたのかな』

「床に転がりながら頭を踏まれてます」

『Oh・・・・・・いい。実にいいね。君は踏むよりも踏まれる方がいいのかい』

「どっちも嫌です。それで、何か用ですか?」

 

はぁはぁと荒げた息遣いがARCUS越しに耳へ入ってくる。気色悪い。

こんな遅い時間にわざわざ掛けてくるのだから、何か特別な用事があるはずだ。

 

『そうだったね。明日の昼休み、練武場まで来てほしいんだ』

「練武場?何をするんですか?」

『踏みつけてあげよう』

「切りますよ」

『冗談さ。詳細はまた明日に』

 

それを最後に、通信は向こうから切れてしまった。

用件ぐらい今言ってほしいのだが。明日の午後には実技テストを控えているのだ。

一緒に授業を抜け出してサボろうと言われても、御免こうむるまでだ。

 

「アヤ、大きな音がしたが何か―――」

「え?」

 

ガチャリと扉が開かれると共に、ガイウスの声が聞こえた。

その声は尻すぼみとなり、重なり合った視線は、何の意思の疎通も図れなかった。

床に対して水平に椅子へ座りながら、右手にはARCUS。頭上にはラン。

何だ、この状況は。私が聞きたいぐらいだ。

 

_________________________________

 

翌日の午後12時40分。ギムナジウム1階、練武場。

 

「御機嫌よう。待たせてしまったかな」

「ええ、それはもうたっぷりと」

 

私はアンゼリカ先輩から言われた通りに、昼休みに練武場を訪れていた。

詳細な時間を決めていなかったこともあり、私はチャイムが鳴った3分後にはここにいた。

事前にシャロンさんにお願いしていたサンドイッチを頬張りながら、待っていたのだ。

 

昼休みも残すところあと30分。だというのに、随分と遅い登場だ。

紙袋を片手にやって来た先輩は、その中身を取り出しながら私の隣に腰を下ろした。

 

「さてと。ならランチを食べながら話そうか」

「まだ食べてなかったんですか!?」

「ハッハッハ。お詫びに少しお裾分けするよ」

「ぐっ・・・・・・少しと言わずたくさん下さい」

 

中のそれは、クッキングシートに包まれた調理パンだった。

小振りのロールパンに、野菜や卵、肉が挟まれた手作り感溢れるパン。

学生食堂で購入した物ではないだろう。アンゼリカ先輩の手作りだろうか。

 

「トワが持たせてくれたのさ。たまにこうして作ってくれる」

「へぇ・・・・・・何だか勿体無いですね」

「どういう意味かな」

「そのまんまの意味ですよ」

 

パンは流石に市販の物だろうが、中の具材は一から作ったに違いない。

生徒会長として多忙な身でありながら、友人に昼食を用意してあげるだなんて。

 

彼女の多忙っぷりは最近益々拍車が掛かり、慌ただしさを増していた。

それもそのはず。トワ会長は随行団の補佐役として、通商会議に出席する予定なのだそうだ。

学生の身でありながら、国際会議への同行を帝国政府直々に指名される。特例中の特例だ。

同じ士官学院生の先輩として誇らしい限りだが、しっかり休めているのだろうか。

私が気にすることではないかもしれないが、心配ではある。

 

「トワはいつもそうだった。よく列車の中で、ジュルジュとクロウが取り合っていたよ」

「・・・・・・何の話ですか?」

 

先輩は口に運びかけていたパンを下ろし、練武場の天井を見上げた。

何かを思い出すように、何かを懐かしむように。

 

「私達がARCUSの試験導入をしていたことは、前にも話したね」

「それは、はい」

「帝国各地を又に掛けた特別実習。似たようなことを、私達も何度か経験済みなんだ」

「え・・・・・・」

 

初耳だった。

私が知っていたのは、先輩が言ったARCUSの試験導入。

それしか聞かされていなかった。

 

「朝が早い時、トワがいつも用意してくれたのがこれさ。列車の中でこれを食べながら、寝ぼけた頭を起こすのが常だった。君達《Ⅶ組》を見ていると・・・・・・フフッ、中々に感慨深いよ」

 

先輩はそう言うと、手にしていたパンを口に運んだ。

 

別に自分達が特別な存在だと思っていたわけではない。

ただ、それに近い感情はあった。何の肥やしにもなりはしない、下らない感情。

皇子殿下に選ばれた身であるという、優越感のような何か。

 

そうではなかった。私達が今ここにいられるのは、前身があったからだ。

そんなことに、今更気付かされるだなんて。我ながら情けなくなってくる。

 

「それで、クロウはどんな調子だい。ちょうど1週間といったところだろう?」

「え・・・・・・ああ、相変わらずですよ」

 

その前身の1人である、クロウ先輩。

正直なところ、普段の態度は褒められたものではなかった。

授業中はよく居眠りをするし、1週間の間に2度、朝寝坊で遅刻という有様だ。

あんな授業態度では、出席日数が足りていても不安が残る。本当に大丈夫だろうか。

 

「まぁ、使える時は使える男だ。精々こき使ってくれたまえ」

「ですね。実習では存分に頼らせてもらいます」

 

ともあれ、クロウ先輩は本当の意味で《Ⅶ組》の先輩だ。

対等な身であれど、特別実習の際には大きな力になってくれるに違いない。

 

「さてと。そろそろ『本題』に入ろうか」

 

アンゼリカ先輩は紙袋を綺麗に畳むと、練武場の中央へ向かって歩を進めた。

その足を止めた途端、背中から溢れんばかりの闘志を感じた。

 

場所が場所なだけに、薄々感づいてはいた。

問いただしても、理由は教えてくれないだろう。そんな気がした。

 

「先輩。長巻を相手に徒手空拳ですか」

「抜いてくれて構わない。対刀剣の心得ぐらい、私にもある」

「・・・・・・分かりました」

 

自分勝手な人だ。立ち合ってほしい、の一言ぐらいあってもいいだろうに。

だから私は、剣とARCUSを置いた。こちらも好き勝手にやらせてもらおう。

 

「まだ先輩から教わることがあるとすれば、こっちだけですから」

 

月光翼は、私の確かな力になりつつある。

制御が効かない、得体の知れない力などではない。全てアンゼリカ先輩のおかげだ。

 

それに、こうして対峙しているだけで分かる。これも薄々、分かってはいたこと。

先輩の流派と、剣を握る前にお母さんが身に付けた体術。おそらくは同門だ。

無手の立ち合い方を学ぶいい機会かもしれない。先輩には―――ずっと、先輩でいてほしい。

 

「好きにしたまえ。ただ断っておくが、私は加減を知らないよ」

「こっちの台詞です。全力でいきます」

 

剣客同士が剣で会話をするように。

私とアンゼリカ先輩は時が経つのを忘れ、拳で想いをぶつけ合った。

 

_________________________________

 

「チャンスだ!」

「隙ありだぜ!」

 

グラウンド中に響き渡る、剣戟と銃声音。

片やリィン率いる変則チーム、片やエマ率いる委員長チーム。

 

サラ教官は思い付きと言っていたが、これはこれで見応えのある一戦だ。

リィンとクロウ先輩の器用な立ち回りと、アガートラムの攻撃力を存分に活かした陣形。

ラウラとフィーの変幻自在な連撃と、2人の後方から放たれるオーバルアーツの雨霰。

 

「うんうん。アリサにエマもかなり様になってきたわね」

「ですね。特にアリサのアーツと弓の合わせ技は―――」

「そこ、私語禁止」

「・・・・・・はい」

 

一方の私は、サラ教官の隣で正座。喋る事すら許されない。

地面に直で座っているせいで足が痛い。そろそろ痺れも溜まってきた。

 

私とアンゼリカ先輩は、互いの拳脚を互いの身体に思う存分叩き込んだ。

私は月光翼を、先輩は『ドラゴンブースト』と呼ぶ術技をフルに発動させ。

時が経つのを忘れ、午後の授業を知らせるチャイムに気を向ける余裕すらも残さず。

 

グラウンドへやって来た時には、既に実技テストは後半へと差し掛かっていた。

軟気功で立ち合いの傷は癒したものの、小一時間戦いっ放しだったのだ。

ブラウスを鮮血で染めた私には、実技テストに参加する体力も時間も無かった。

 

私にできることは、正座と沈黙で反省の意を示すことだけ。サボりと同じ扱いである。

 

「まぁ、彼女に力勝ちしたことだけは褒めてあげるわ」

「あはは。相当危なかったですけどね」

「喋るなって言ってるでしょうが」

「痛っ・・・・・・い、今のは卑怯ですよっ」

「黙りなさいこの不良娘っ」

 

立ち合いについては、私に軍配が上がった。

気功術無しなら勝ち目など無かったが、結局は月光翼の力でゴリ押しした形となった。

学びが多かったのも事実だ。今後は体術を中心に、先輩の指導を受けるとしよう。

・・・・・・後で掃除もしておこう。多分、私の鼻血の跡がまだ残っているはずだ。

 

「やれやれ。見るに堪えん」

「むっ」

 

後方から聞こえた声に、サラ教官がくぐもった声を漏らした。

ナイトハルト教官。質実剛健を地でいく男性が、腕を組みながらそこに立っていた。

何故この場に彼が。気にはなったが、発言権を剥奪されている以上、黙るしかなかった。

 

「実技授業そっちのけで私闘とはな。ウォーゼル、どうしたらそんな発想が出てくる」

「・・・・・・すみません」

「失礼ですが。今私が彼女を叱責指導中なので、余計な口を挟まないでもらえますか?」

 

あ。また何かが始まった。

どうもこの2人には間に挟まれることが多い気がする。

2人と視線を合わせないよう目を閉じながら、私は会話を聞き流すことに集中した。

 

「その指導の結果がこの体たらくだろう。バレスタイン教官、あなたの責任だ」

「聞き捨てなりませんね。一時の気の迷いなんかで、1人の生徒の器量を推し量るつもりですか。小さいって言われたことありません?」

「そちらこそ目を背けないでいただきたい。彼女は過去にも校則違反の前科があったな」

「同じことを言わせないで。そんな目線で私の生徒を見ないでもらえるかしら」

「俺はバレスタイン教官の話をしている。責任と自覚が余りに欠如していると―――」

 

相変わらずだった。

噛み合っているようでいて、呆れる程に噛み合っていない攻防の応酬。

放っておこう。どうせ喋れないし。

 

目の前には疲労困憊、息も絶え絶えなリィンチームとエマチームがいた。

既に勝敗は決していたのだが、終了の合図が無い限り、決して油断してはならない。

いつもサラ教官が口うるさく説いていたことを、愚直に守っていた。

・・・・・・放っておくしかない。私、喋れないし。

 

_______________________________

 

第3学生寮、浴室。

 

「待ち遠しそうだね。実習は明々後日からなのに」

「当たり前だよ。みんなで遠くにお出掛けだもん!」

 

ミリアムがやって来たあの日から、こうして入浴を共にする日が続いていた。

浴槽は詰めればギリギリ、何とか2人分のスペースを確保できる程度。

部屋は広いのに、どういうわけかここのお風呂は民家のそれと大差が無い。

皆がアリサのように長風呂好きだったら、一周する頃には日付が変わってしまう。

 

「レグラムかぁ。アヤはレグラムに行ったことあるの?」

「・・・・・・ぷはぁ。かなり昔の話だけど、一度だけね」

 

第5回目となる特別実習。ミリアムと私は、同じA班に班分けされた。

他のメンバーはリィンにラウラ、エマ、ユーシス。それに、ガイウス。

それだけでも心が躍るが、実習地があのレグラムだ。

少なくとも先月のような、ややこしい事件など起こり得ない辺境の地だ。

ある程度は肩の力を抜いても問題は無いだろう。それに私にとっては、思い出の場所でもある。

 

「じゃあ、ガレリア要塞は?」

「言ったでしょ。私はクロスベル生まれだって」

「あー、そっか」

 

気に掛かることがあるとすれば、それは特別習3日目の目的地。

各地での実習を終えた後、B班共々ガレリア要塞で合流すること。

ナイトハルト教官があの場に居合わせたのは、それを私達に伝えるためだった。

 

特別スケジュールを用意してあるとのことだったが、その内容はまるで想像が付かない。

軍人と一緒に銃を握れ。なんて言われたらどうすればいいだろう。複雑過ぎる。

 

「・・・・・・ねぇミリアム。私も聞いていいかな」

「うん、何?」

「たまにさ、寮からいなくなることがあるよね。あれ、いつも何してるの?」

 

声が止んだ。

ピチャリ、と蛇口から水が零れ落ちる音だけが、浴室に響き渡る。

静寂はたったの数秒間だけだった。ミリアムは勢いを付けて、浴槽から飛び出した。

 

「え、ミリアム?」

「ちょっと待ってて。今持ってくるから」

 

ミリアムは乱雑に身体を拭くと、そのまま脱衣所を飛び出してしまった。

浴室の扉も、脱衣所のそれも半開きのまま。というか、今彼女は服を着ていただろうか。

慌てて浴槽から立ち上がった矢先、再び脱衣所の扉が開かれた。

 

「わわっ・・・・・・ちょっとミリアム、一体どうしたの?」

「アヤ、手を出して」

 

ミリアムはそう言うと、1つの黒い金属のような物を手渡してきた。

小振りではあるが、ずしりと重い。これは一体何だろう。

 

「アーティファクトを改造した、無線通信機だよ。たまにこれで、夜に話してたんだ」

「無線・・・・・・だ、誰と?」

「それは流石に言えないかな。これはボクからのお礼だよ」

 

立ち呆ける私を余所に、ミリアムはいつの間にか寝間着姿になっていた。

早い。いやそれより、何のお礼でどれがお礼だ。こんな小さい物が、通信機だと言うのだろうか。

 

「部屋を貸してくれたお礼だよ。それ、1回だけ使わせてあげる」

「お礼って言われても・・・・・・」

「皇子様のアーティファクトよりも高性能!有線無線、距離もぜーんぶ関係無いんだ。防水機能付きだから、安心して使って!」

 

ずらずらと言葉を並べたミリアムは、そのまま脱衣所を後にしてしまった。

残されたのは、私と通信機とやらだけ。全てがあっという間の出来事だった。

 

「通信機って・・・・・・これが?」

 

手元の黒い物体に視線を落とす。

言われてみれば、番号が振られたボタンらしき物が確かにあった。

取り急ぎ防水機能とやらは信用することにして、私は再び湯船に浸かった。

 

度々姿を消していたのは、どこぞの誰かと通信をするため。

その誰かは十中八九情報局か、それに関係する人間なのだろう。それに間違いは無さそうだ。

・・・・・・私なんかに教えてしまって、信用してしまっていいものなのだろうか。

 

それにこんな小さな物が、通信機能を持ち合わせているとは到底思えない。

有線も無線も、距離も無い。聞いたことが無い代物だ。

そんな物が存在したら、オーバーテクノロジーにも程がある。ARCUSの通信機能などただの玩具だ。

 

「うーん・・・・・・」

 

アーティファクト。ミリアムが言ったあの言葉だけが、どうも引っ掛かる。

とりあえず、いくつかの通信番号を頭の中に思い浮かべた。

どういうわけか、番号を覚えるのだけは得意だ。皆の番号も既に頭の中に入っている。

半信半疑―――は言い過ぎか。9割9分の疑念を抱きながら、私はとある番号を順に押した。

これで繋がったら奇跡だ。そう思いながら、耳元へ通信機(仮)を当てた。

 

プルルルル、プルルルル。聞きなれた呼び出し音が耳に入ってくる。

直後、ガチャリという音と共に、確かな声が聞こえた。

聞こえてしまった。(仮)が、外れた瞬間だった。

 

『はい。クロスベル警察、特務支援課ビルです』

「へ?」

『え?』

 

思わず立ち上がった。

再び静寂に包まれる浴室。私の身体から零れ落ちる水滴だけが、ポタポタという音を響かせる。

うん、落ち着こう。まずは状況を整理しよう。

女性だ。透き通るような美声。間違いなく女性のそれだ。

仮に、本当にあのビルに繋がっているとして―――どうしよう。何も考えていなかった。

 

『あの、恐れ入りますがどちら様でしょうか?』

「えっと、その。あ、アヤです。アヤ・ウォーゼルという者ですが」

『・・・・・・ああ、あなたがロイドの。先月、こちらにお見えになりましたよね』

「えっ」

『ロイドですね。少々お待ち頂けますか』

「あ、待って」

 

私の声が届くことはなく、通信機からは保留音が聞こえてきた。

何がどうなっている。まるで理解できない。私がロイドの何なのだ。

 

(お、落ち着こう)

 

如何ともし難い事態だが、これはきっと現実に違いない。

まずは落ち着こう。これは導力波を利用した、ただの無線通信だ。

深呼吸をしながら両手で通信機を持ち直すと、保留音が止んだ。

 

「ろ、ロイド?」

『こんばんは。綺麗なお姉さん』

 

限界だった。

浴槽の底で足を滑らせた私は、通信機もろ共お湯の中にダイブしてしまった。

思わず飲んでしまったお湯を吐き出しながら、慌てて浴槽から通信機を拾い上げた。

 

「ケホッ、ケホッ・・・・・・あー、コホン。どちら様、ですか?」

『僕はワジ。ワジ・ヘミスフィアだ。ロイドの愛人さ』

「愛人!?」

『彼のハーレムの末端だよ』

「・・・・・・はぁ」

 

何だろう。どういうわけか、急に冷静さを取り戻せてきた。

これはあれだ。身近に似たような先輩がいるからだろう。

ワジといったか。私の記憶では、そんな人間は特務支援課にいなかったような気がするが。

 

「あ。もしかして、最近入ったっていう新人さんですか?」

『おや、これは驚いたね。ロイドから聞いたのかい?』

「手紙にそう書いてありましたから」

 

漸く会話らしい会話になってきた。

どうしてロイドではなく彼が出たのかは置いといて。

今のうちに、疑問はできるだけ解消しておこう。

 

彼らが私を知るキッカケとなったのは、ロイドの警察手帳に収められていた1枚の写真。

私がクロスベルへ帰省した際に、ロイド達と一緒に撮影した4人の写真が始まりだそうだ。

その写真が彼の目に止まったのを機に、あの日の酒盛りは皆の知るところとなった。

私の名前や、ある程度の生い立ちも既に聞き及んでいたらしい。

 

『フフッ、まさか帝国にまで愛人がいたとはね。攻略王の名に相応しい節操の無さだ』

「そんなんじゃないですよ。私、恋人いますし」

『へぇ。どんな人なんだい?』

「・・・・・・弟、みたいな」

『これは参ったね。帝国も弟属性の独壇場か。ランディが発狂しそうだ』

 

まるで誘導尋問だ。というか、見ず知らずの人間に何を話しているんだ私は。

それにロイドはどこにいった。いい加減早く代わってほしいのだが。

 

『それで、この不可解な現象はどう受け取ればいいのかな』

「え?」

 

突然、先程までの飄々とした声色が一変した。

 

『心当たりは無くもない。ただ、君は今―――どこからこの通信を、掛けているんだい?』

 

言葉が出なかった。

心当たり。ミリアムはこの通信機を『アーティファクト』と言っていた。

もしかして、ワジという男性はこの異常な現象の正体のことを―――

 

『ち、ちょっとワジ君!どうしてワジ君が出てるの!?』

『おっと。少し遊んでいただけだよ、ノエル』

『ロイドさん、早く来てください!』

 

―――通信機の向こうから、急に喧騒が聞こえてきた。

今度は何だ。ノエルという女性にも心当たりがない。

随分と賑やかな職場だ。先程の不穏な空気を忘れ、思わず笑みが浮かんだ。

 

『もしもし、アヤなのか?』

「ロイド・・・・・・」

 

長かった。本当に長かった。

たった数分間の出来事なのに、随分と遠回りをした気がする。

泣きそうな気分だった。

 

『お、驚いたな。今どこにいるんだ?』

「お風呂」

『は?』

「ごめん、それ以上は聞かないで・・・・・・」

 

ロイドが納得できるような言い訳は思い浮かばない。

ここは言葉を濁しておくのが適切なのだろう。

 

私達はお互いの近況を報告し合いながら、様々な情報を交換した。

私は士官学院と帝国を、ロイドは特務支援課とクロスベルを。

 

と言っても、私はわざと取り留めの無い方向に話題を逸らした。

最近のウェンディやオスカー。キーアちゃんやツァイト、新しいメンバーとの触れ合い。

クラスメイトとクラブ仲間。尊敬する先輩と教官達。キルシェの2人。

硬い話なら、手紙でも十分だ。今ぐらいは明るい話題に花を咲かせたかった。

 

次第にお互いの話題は、西ゼムリア通商会議という、共通のキーワードに収束されていった。

 

『そうか。もしかしたら、どこかで会うかもしれないな』

「うん。見た目は幼いけど、すごく優秀な人だよ。自慢の先輩なんだ」

 

通商会議の開催日は8月31日。

何の因果か、その日は私達がガレリア要塞を訪れる予定日。

帝国領内の中で、最もクロスベルに近い国境沿いだ。

 

「お互い大変だけど、頑張って乗り切ろうね」

『ああ、そうだな・・・・・・っと。アヤ、おめでとう』

「え?」

『手紙には書いたけど、改めて言わせてもらうよ』

 

一瞬何のことか分からなかったが、私とガイウスの事を言っているようだ。

通信機越しだというのに、彼の感情が伝わってくる。そんな彼が、私は大好きだった。

それももう過去の話。今の私は、ここにいる。

 

「ありがとうロイド。じゃあ、またね」

『おやすみ、アヤ』

 

それを最後に、通信は途絶えた。

彼も故郷を守るために、使命を全うするために力を尽くしている。

頑張ろう、私も。彼に負けないぐらいに。

 

_______________________________

 

《おまけ》

 

「なぁ、女共は3階で何やってんだ?扉にベッタリくっ付きやがって」

「アヤ君が風呂場で通信しているそうですよ。何でも、男性と長々と」

「・・・・・・おい、落ち着け。お前があいつを疑ってどうする」

「何のことだ。俺は何も気にしていないが」

「あはは・・・・・・それで、リィン。アヤがどうしたのさ?」

「ああ。手が触れただけなのに、急に肘鉄を・・・・・・が、ガイウス?ちょ、待っ―――」



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7年振りの再訪

8月27日。午前5時50分。

 

「うん、こんなものかな」

 

小振りの直焼きパンに挟んだ、色取り取りの具材。

少々作り過ぎてしまった感はあるが、余ったら私が食べればいいだけの話だ。

昨晩に下ごしらえを済ませていたこともあり、思っていた以上に早く仕上げられた。

まあ予定よりも早く起床したことが一番の要因か。残すは洗い物だけだ。

 

「・・・・・・またやってるよ」

 

2階から聞こえてきたリィンの呻き声。おそらくはミリアムの仕業だろう。

1人目の被害者となったおかげで、今朝はかなり余裕がある。

移動中に睡眠をとる時間もあるし、絶不調の先月とは違い、万全の態勢で臨めるはずだ。

 

「早いな、アヤ」

「おはよ。そっちはいつもより遅いね」

 

使用した器具や食器を洗っている最中、ガイウスが食堂に顔を覗かせた。

普段よりも起床時間が遅いのは、実習の時間に合わせたからなのだろう。

 

特別実習も今回で5回目。

皆もそうだが、事前準備から当日の動きに至るまで、大分慣れてきたように思える。

前日までに乗り継ぎの列車は勿論、それに合わせたトリスタ発の出発時刻を決めておく。

出来る限りの準備もしておき、当日はギリギリの時間まで睡眠をとる。

次第に列車の中での睡眠時間までもを考慮するようになる。

ガイウスの場合は、それを考えないようにしているのだろう。

 

「朝餉の用意をしていたのか。すごい量だな」

「A班分、全部作っちゃった。尊敬する先輩を見習ってね」

 

これは単なる気紛れだ。

アンゼリカ先輩の話を聞いて、感じるがままに作ってしまった。

別に他意は無いが、これで皆の士気が上がってくれるなら言うこと無しだ。

 

「それにしても・・・・・・あの起こし方は容赦が無いな」

「えっ。ガイウス、もしかして」

「いや、リィンの部屋の扉が開いていただけだ。君以外にあれは御免こうむりたい」

「バカ」

 

13歳という年齢だから許される・・・・・・のだろうか。

私からすれば、アウトなのだが。まぁ《Ⅶ組》の男性陣が相手ならギリギリセーフかもしれない。

ガイウスは例外だ。

 

「おーっす。朝からイチャついてんな、2人とも」

 

ガイウスに続いて1階に下り立ったのは、B班に班分けされたクロウ先輩だった。

朝寝坊の常習犯にしては随分と早いように思えたが、特別実習ともなれば話は別なのだろう。

 

クロウ先輩は私が用意した朝食に気付くと、何かを懐かしむような表情を浮かべ始めた。

流石に彼は察したか。見よう見真似とはいえ、具材もそれなりに再現したつもりだ。

隠す必要は見当たらなかった。私はアンゼリカ先輩から話を聞いた旨を打ち明けた。

 

「なるほどな。トワを見習ってってやつか」

「そんなところです。たくさん作ったので、1つどうですか?」

「お、マジで?」

 

じゃあ遠慮なく頂くぜ。

そう言ってクロウ先輩が手を付けたところで、再び2階から何とも言えない声が響いてきた。

次の標的はユーシスだったか。ミリアムがいれば、朝寝坊の心配は誰1人として無さそうだ。

 

鼻歌を鳴らしながら朝食を紙袋に詰めていると、ガイウスが私の顔を覗き込んできた。

 

「随分と上機嫌だな」

「まあね。楽しみにしててよ」

「何の話だ?」

「ん。後で話すから」

 

私達A班の特別自習地。ラウラの故郷、湖畔の街レグラム。

彼女にとっては入学以来の帰郷だ。今も胸を躍らせているに違いない。

それに私にとっても、今回の実習は2つ。2つの特別な意味合いを持っている。

うち1つは、レグラムに向かう途中で確かめるとしよう。

ガイウスを含め、皆が驚く顔が楽しみだ。

 

______________________________

 

午前7時10分。

既にB班の面々は帝都方面の列車に乗り、帝国の最北西端へと向かっていた。

ジュライ特区。8年前に帝国に併合された自由貿易都市、元ジュライ市国が目的地だ。

先々月のブリオニア島に続き、班員の誰もが足を運んだことがない実習地だそうだ。

その分、苦労の程が窺えた。ノルド高原同様、片道だけでも丸1日を費やすことになる。

 

「よし。俺達もそろそろホームに下りよう」

「らじゃー!ほらユーシス、置いてくよ!」

「ええい、押すな鬱陶しいっ」

 

ミリアムの快活な掛け声に対し、ユーシスが肩を落としながら深々と溜息を付いた。

単にじゃれついているだけな分、彼も強くは拒絶できないようだ。

頑張れ、としか言いようが無い。まだ禿げてはいないようだし。

 

「あれれ。レクター?」

「え―――」

 

先頭を切って改札をくぐろうとしていたミリアムの視線が、出口側に向いた。

その先にいたのは、『スケアクロウ』の異名を持つ、忘れもしない赤毛の男性。

唐突にゼンダー門に姿を現し、火が点いた導火線を見事にむしり取った男性だった。

 

(・・・・・・何者だ?)

(帝国軍情報局、レクター・アランドール大尉だ)

 

開戦の阻止。言葉では言い表せない程の偉業だ。

動くはずだった歴史を変えたのだ。たった1人の人間の力で。

それだけを考えるなら、大陸中の誰もがこの男性に足を向けることができない。

 

「ひょっとして、ボクに会いに来たとかー?」

「おう。俺も明後日からクロスベル入りすっからなぁ」

 

逆にそれが、彼の異様さを際立たせる。

この場に居合わせたことについても、何らかの疑念を抱かざるを得なかった。

そんな私の複雑な心境を余所に、大尉はミリアムの頭を撫でながら口を開いた。

 

「怪しさてんこ盛りだろうが、まぁ精々普通に付き合ってやってくれ」

「は、はい」

 

何の変哲も無い挨拶ですら勘ぐってしまう。

帝国軍情報局。鉄血の子供達。宰相閣下が拾い上げた、才ある人間。

何とも息苦しい限りだ。宰相閣下に直に睨まれたかのような居心地の悪さを感じた。

・・・・・・やはり私だけなのだろうか。考えすぎと言われればそれまでだ。

 

大尉とのやり取りをリィン達に任せていると、列車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてきた。

 

「大尉殿、すみません」

「俺達はこれで失礼する」

「おー、頑張れよ・・・・・・それと、そこのアンタ。アヤ・ウォーゼルさん」

「へぇっ。わ、私ですか?」

 

改札に向かいかけたところで、どういうわけか呼び止められた。

しかも名指しで。思わず身体が強張り、声が裏返ってしまった。

 

「ちょっとだけ耳を貸してくれ」

「は、はぁ」

 

大尉は声が漏れないよう、右手で口元を押さえながら言った。

 

「ワリィ。あの通信機な、内容を全部傍受してんだわ」

 

_____________________________

 

先々月の実習の朝のように、私達は列車内で朝食をとることにした。

私が用意した調理パンは、一部の具材を除いてどれも好意的に受け取られた。

できれば私も美味しく頂きたかったのだが―――先の一件で、気落ちしていた。

 

「アヤ、どうかしたのか?顔色が優れないようだが」

「大丈夫・・・・・・少し眠いだけだから」

「ねえねえユーシス、このポテトサンドも美味しいよ!食べてみなよ!」

「やめろ」

 

まさかあの会話が他人に筒抜けだったなんて、誰が予想する。しかも、あの彼に。

聞かれては不味い内容ではなかったが、それでも嫌なものは嫌だ。

ミリアムも悪気があったわけではないのだろう。

もしかしたら、彼女も知らされていないのかもしれない。問題児扱いされていそうだし。

 

「腹も脹れたことだし、このあたりで今回の実習地の話をしておこう」

 

列車がケルディック駅を通り過ぎた辺りで、ラウラがレグラムの概要を話し始めた。

レグラムはエベル湖の湖畔にある小さな街で、クロイツェン州に属する。

ラウラのお父さん―――アルゼイド子爵が治める、独立性の高い領邦だ。

 

私が訪れたことがある、帝国各地の都市や街、村や集落の数々。

その中でも、レグラムは群を抜いてお気に入りの街だった。何より空気がいい。

多少は思い出補正という名のフィルターが掛かっているのかもしれない。

足を運んだことも一度しかなかったが、前々から再訪したいとは思っていたのだ。

 

感慨に浸る私を余所に、皆は税収問題というひどく現実的な議論に花を咲かせていた。

 

「根深そうな話だな」

「簡単に解決できる問題ではなさそうですね」

「・・・・・・そ、そうだね」

 

いつの間にそんな話題になっていたのだろう。何だか置いてけぼりにされている気がする。

慌てて合流してしまったが、今話を振られても返答に困ってしまう。

 

「むー。そんな話より、もっとレグラムで面白い話は無いのー?」

「はは、そうだな。レグラムと言えば・・・・・・やっぱりアルゼイド流だろうな」

 

ナイス、ミリアムにリィン。いい振りだ。

応えるように、話題はヴァンダール流と双璧をなす流派、アルゼイド流へと移っていった。

するとラウラは何かを思いついたのか、私達を見回しながら言った。

 

「故郷に着いたら、そなた達に頼みがあるのだが」

「頼み?」

「ああ。八葉一刀流に、伝統的な宮廷剣術。長巻術に騎馬槍術。いずれも武芸に身を置く者には、よい刺激になるに違いない」

「3人はともかく、俺は剣術ではないが、いいのか?」

 

ガイウスの疑問はもっともだ。ラウラに代わって、私がそれに答えることにした。

 

総合武術、という表現が一番適切なのかもしれない。

ラウラが振るう剣術はアルゼイド流の一部に過ぎない。

アルゼイド流槍術や弓術があれば、鞭術に鎖術だってある。

 

元々流派というものはどこで繋がっているか分からない。

1つの流派から枝分かれすることがあれば、その逆もある。無手も得物も関係ない。

私の長巻術も、体術と舞台芸術と我流剣術を足して、お母さんで割ったような流派だ。

アルゼイド流もヴァンダール流も、帝国に伝わる武術の集大成なのだろう。

 

「こんな感じかな。大体合ってるよね、ラウラ」

「ああ、概ね合ってはいるが・・・・・・詳しいのだな」

 

驚きと感心が入り混じった声でラウラが言った。

否定はしないが、今のは全て受け売りだ。

 

「流派云々の一般論は別として、アルゼイド流に関してはお母さんが教えてくれたよ」

「母君が?」

「うん。そのお母さんは、跡取り様に教えてもらったんだってさ」

 

跡取りという表現に、皆の関心が一気に私へ向いた。

ちょうどいい。私とお母さんの過去を、確かなものにしたい。

100%に近い確信がある。それをこの場でハッキリさせよう。

 

「ねぇラウラ。ラウラのお父さん、長巻の使い手と立ち合ったことがあるって、言ってなかった?」

 

考え込むような素振りを見せるラウラ。他の面々には何が何だかさっぱりのようだ。

隠していたわけではないが、ガイウスにでさえまだ話したことがなかった。

やがてラウラは目を見開きながら、私の目を見た。その先に、彼女の遠い記憶を見ながら。

 

「一度だけ、聞かされたことがある・・・・・・二刀の長巻を背に携えた、女性がいたと」

 

やっぱりそうか。まあ分かり切っていたことだ。

何せレグラムのあの地で、現当主の跡取り様だとお母さんは言っていた。

なら、それは1人しかいない。

 

流れ行く風景を眺めながら、私は語った。

私が初めて外の世界に触れた、この帝国という地に初めて足を踏み入れた、あの日。

 

「2人が立ち合ったのは、今から20年も前のことだよ。私がお母さんと一緒にレグラムを訪れたのは、その13年後。今から7年前の、あの日―――」

 

__________________________________

 

七曜歴1197年、3月29日。午後14時半。

ユイ・シャンファが12歳の誕生日を迎える、その前日。

 

「見てみな、ユイ。あれがここの当主様、貴族様のお屋敷さ」

「うわー・・・・・・大きい。市庁舎とどっちが大きいかな」

 

お母さんが指差す方向には、丘の上に建つ大きなお屋敷があった。

何て大きな建物だ。お部屋はいくつあるのだろう。想像が付かない。

実家の近くにも大きなお家はあったけど、あそこまで大きな建物は無かった。

 

昨日からこんなことばかりだ。

たくさんの線路が並ぶ大きな駅に、端が全然見えないだだっ広い田園。

後ろにある湖は、エルム湖以上に大きいように見える。

この街自体はクロスベル市より小さいけど、やっぱり何もかもが違う。

ここが―――エレボニア帝国。お父さんが、生まれた国。

 

「せぃやあっ!!」

「たあぁっ!」

 

突然、お母さんが抜刀することなく長巻を振り下ろしてきた。

間一髪、木製の長巻でそれを受けると、お母さんは上機嫌な声を上げた。

 

「ん、良い反応だ。様になってきたじゃないか」

「お母さん・・・・・・みんな見てるよ」

 

嬉しいような、恥ずかしいような。

クロスベルでは「またやってる」みたいな目で見られるだけだ。別に気にならない。

でもここは違う。みんなが私達を見ている。絶対に変な目で。

 

「甘ったれたこと言うんじゃないよ。ユイも好きな時に仕掛けて来な」

「クロスベルに帰ったらね・・・・・・でもお母さん。周りのお家は普通なんだね」

「そりゃそうさ。あたしらと同じ平民だからね」

 

まただ。この国に来てから、お母さんは貴族と平民という言葉をよく使う。

何となくイメージは付いたけど、やっぱり分からない。クロスベルに貴族様はいないし。

 

「やれやれ。まぁ留守なら仕方ないか。再戦はまたお預けだね」

「私も残念だよ。お母さんより強い人なんて滅多に会えないもん」

「むっ。あの頃はあたしも未熟だったし、今ならどう転ぶか分からないよ」

「ふーん。それで、名前は思い出せたの?」

「・・・・・・何だっけなぁ」

 

今から13年前。それは、私がまだ生まれる前の出来事。

お母さんとお父さんは、この街に来たことがあると言っていた。

そこで出会った当主様の息子に、お母さんは剣を叩き折られてしまったそうだ。

でも、肝心の名前が、家名が思い出せない。お母さんらしい抜けっぷりだ。

街の人に聞くだけで済む話なのに、それもしないのがまたお母さんらしい。変に頑固なのだ。

 

「あっ!思い出した、思い出したよ!」

「え、ホント?」

「確か・・・・・・アルデヒド、男爵?」

 

どうして疑問符が付いたんだろう。

それにさっき剣を交えた時以上に、周りからすごい目で見られてる気がする。

分からないけど、早くこの場からいなくなりたい。

 

「お母さん、湖を見てきてもいい?」

「好きにしな。あたしは部屋をとっておくよ。気が済んだら宿に来るんだよ」

「うん」

 

私は逃げるように、街の南西部を目指して走り出した。

ずっと列車の中で座りっ放しだったせいで、身体が硬くなっている気がする。

勢いをそのままに、階段を全部すっ飛ばして湖の船着き場に下り立った。

 

「うわあ・・・・・・」

 

やっぱりエルム湖とは全然違う。

水面が日の光に照らされて、まるで大きな1枚の鏡を見ているみたいだ。

向こう岸までもがハッキリと見える。ここから何アージュあるだろう。

 

それに―――お城。うん、お城だ。それ以外の呼び名は知らない。

本の中から飛び出してきたような大きなお城が、湖のほとりに建っていた。

何だかワクワクしてきた。初めて剣を握った時のように。

 

「爺。あれも刀なのか?」

「長巻、と呼ばれる刀剣の類で御座いましょう」

 

長巻。今確かに、そう聞こえた。

振り返ると、そこには白い髭を生やしたお爺さん。そして、1人の女の子が立っていた。

歳は私と同じか、少し下ぐらいか。身長は私の方が高いみたいだ。

 

「お嬢様、そろそろお戻りになられた方がよろしいかと」

「承知した」

 

2人はそう言うと、足早に船着き場を後にした。お爺さんは、ぺこりと丁寧にお辞儀をしてから。

承知した、か。何だか格好いい。今度私も使ってみよう。

 

船着き場を後にした私は、約束通り宿を訪ねた。

案内されたお部屋では、お母さんが荷解きをしている最中だった。

 

「どうだいエベル湖は。綺麗な海だろう?」

「海じゃなくて湖だよ」

 

エベル湖って自分で言ったのに。「似たようなものだろ」みたいな顔をしないでほしい。

お母さんらしい・・・・・・のかなぁ。何か泣きたくなってきた。

 

「すごく綺麗だったよ。あと、青い髪の女の子がいたかな。すごく格好良かった」

「考え直しな。あんたにはロイドがいるじゃないか」

「何でロイドが出てくるの・・・・・・」

 

私の肩を両手で揺らしながら、真剣な表情で覗き込んでくるお母さん。

最近はこんなのばっかだ。何かにつけてロイドロイドって。

別に私は・・・・・・嫌いじゃないけど。

 

「さてと。明日の朝にはレインの兄さんが迎えにくるから、遊べるのは今のうちだよ」

「じゃあ釣りに行きたい。1階に貸し竿があった」

「はいよ。なら早く支度しな」

「うん!」

 

明日には父方の伯父、お父さんのお兄さんが暮らす集落に向かう予定だ。

私はそこで、12歳の誕生日を迎える。初めての国外旅行で、誕生日を祝うなんて。

ちょっと贅沢だなって思う。でも、今は楽しむことだけを考えよう。

お母さんにとっても、今回の旅はきっと特別だ。だから、お母さんにも楽しんでもらおう。

たくさんの思い出を作りながら。

 

_______________________________

 

時は戻り、午前10時現在。

 

漸く繋がった。下らない記憶違いのせいで、唯一生じていた矛盾。

20年も前に、お母さんは確かにアルゼイド子爵家の跡取りと。

現アルゼイド子爵家当主―――ラウラのお父さんと剣を交えていた。

 

「あははは!アヤのお母さんって、頭悪かったんだね!」

「こ、こらミリアム。もう少し言葉を・・・・・・っ、こ、言葉をだな」

「そうですよミリアムちゃん。アヤさんに・・・・・・フ、フフッ」

 

ミリアムを咎めながら、身体を小刻みに震わせるリィンとエマ。

よかったねお母さん。7年越しのボケ、相当ウケてるよ。

あと、無茶苦茶恥ずかしいよ。お母さんのバカ。

 

「・・・・・・コホン。父上が言っていたのだ。若かりし頃、長巻の使い手と剣を交えたことがあるとな。それがまさか、アヤの母君だったとは」

「新婚旅行中の話なんだけどね。お母さんがまだ18歳の頃だよ」

「わけが分からん・・・・・・」

 

お母さんに関して更に言うなら、その頃にはもう、お腹の中に赤子を宿していた。

まだ妊娠1ヶ月程度の時期だったそうだ。知る由も無かったのだろう。

これは口に出さない方がいい気がする。どういうわけか嫌な予感しかしない。

 

それに、もう1つだけ。確かめたいことが残っている。

既にラウラも察してはいるようだ。表情を見れば、それぐらい分かる。

実を言えば、先月の実習でレグラムを訪ねたことがある旨を、皆に話した時。

あの時からずっと引っ掛かっていた。勘違いではなかったようだ。

 

「・・・・・・やっぱり。あの時に船着き場にいた女の子、ラウラだったんでしょ」

「ああ、そのようだ。今まで忘れていたことが不思議でならないな」

「不思議な縁だな。これも風と女神の導きだろう」

 

ガイウスが言うように、不思議な巡り合わせだと思う。

皆の顔には、先程までとは違った色の笑顔が浮かんでいた。

 

だから、この話はここまでだ。この先の、3月30日の出来事は伏せておこう。

私とお母さんが見舞われた悲劇を、この場で語る必要はどこにも無い。

 

「何か不思議だね。生き別れの妹が傍にいた、みたいな感じだよ」

「フフ、なるほどな。ではアヤが私の・・・・・・っ」

 

突然言葉を詰まらせたかと思いきや、ラウラは一点に私の目を見ていた。

いや、私の遥か後方だ。視線は私に向いていても、焦点が合っていない。私を見てはいない。

 

すると一瞬にして、ラウラの顔が青ざめた。そうとしか表現のしようがなかった。

 

「ど、どうしたのラウラ?」

「・・・・・・いや。すまない、少し酔ってしまったようだ。大事無い」

「そう。無理しないで、少し休んだ方がいいよ」

 

ラウラでも乗り物酔いはするのか。少し意外ではあるが、列車酔いはよく耳にする話だ。

私も少し眠気を感じ始めている。列車を乗り換えたら、少し休んでおこう。

頭上からは、経由地であるバリアハートが近いことを知らせるアナウンスが流れ始めていた。

 

この時の私は、気付いていなかった。

3月29日の記憶。7年前。お母さんとの死別。そして、12歳で天涯孤独の身となった私の過去。

それがラウラの中で繋がりを見せ始め―――彼女の中で、1つの可能性が導き出されていた。

 

_________________________________

 

季節や時刻が変われば、顔も変わる。そんな都市や街はたくさん見てきた。

眼前のこの光景も、その1つ。正直な感想を言うなら、私の知っているレグラムではない。

 

見渡す限りの霧景色。見晴らしは悪いものの、駅から湖を拝める程度には澄んでいた。

元来より精霊信仰が根強い分、周辺には特徴的な石碑や彫像がそこやかしこに点在している。

それらをより幻想的に、神秘的に際立たせる霧模様。

霧と伝説の街。これがレグラムのもう1つの顔か。とても今回が二度目とは思えなかった。

 

「紹介しよう。アルゼイド家の家令を務める執事のクラウスだ。アルゼイド流の師範代として世話になっている」

 

街並みに見入っていた私達の前に現れたのは、1人の老人だった。

右手を添え、左手を後方に一礼する仕草がよく似合っていた。

 

「お待ちしておりました。トールズ士官学院《Ⅶ組》の皆様。ようこそレグラムへ」

 

その真っ白な髭も、先程の挨拶も、初めて目にするものではない。

よく覚えている。ラウラの隣にいた、あの人だ。

 

クラウスさんとラウラが先頭に立ちながら、私達はレグラムの街中へと向かった。

懐かしい限りだ。街並み自体は何も変わっていないように見受けられた。

 

「覚えているか、爺。彼女の事を」

「・・・・・・はて。お嬢様。彼女、とは?」

 

歩きながら、ラウラは後方を歩く私達に視線を向けた。

クラウスさんはラウラが言う『彼女』が誰を指すのか、まだ察してはいないようだ。

 

「アヤ、そなたは当然覚えているな?」

「もちろんっ」

 

思い出せないなら、再現するまで。ラウラの目がそう言っていた。

私はA班の皆から外れ、石畳の階段を飛び下り、船着き場の先端を目指した。

振り返ると、クラウスさんの右手を握るラウラがいた。全部、あの時のままだ。

 

「爺。あれも刀なのか?」

「・・・・・・お嬢様」

「ん?」

「お二人とも、お美しくなられましたな」

 

合点がいった表情で、クラウスさんは何度も首を縦に振った。

私は祖父や祖母という存在を知らない。両親共々、若くして死別してしまっていた。

何だかくすぐったいというか。身勝手な感情だが、心温まる思いだった。

 

街の中心部まで来ると、続々とラウラの周囲に人だかりができていった。

性別や年齢を問わず、たくさんの住民に囲まれるラウラ。

大変慕われているようだ。強いて言うなら、同年代の女性が多いような気もするが。

 

「リィン。ラウラの頭撫でてみなよ」

「嫌な予感しかしないんだが・・・・・・」

 

当たり前か。ただ、少しだけ悪戯心が沸いてきた。

物は試しにと、後ろからそっと。ラウラの頭部に右手を置いて、撫でてみた。

 

「む・・・・・・どうしたのだ、アヤ」

「ラウラお姉様!誰ですかこの女!?」

 

すぐに手を引っ込めた。どうやら同性でも駄目なようだ。

しかも思いっ切り敵意を向けられた。しばらく大人しくしておこう。

クラウスさんだけが、温かい視線を送ってくれた。

 

_______________________________

 

アルゼイド子爵家に案内された私達は、2階にあるテラスからの光景に見入っていた。

部屋は当然男女別だったが、テラスは外で繋がっており、眺めは絶景の一言に尽きた。

 

「あれが《槍の聖女》が本拠地にしたという古城、ローエングリン城だ」

「これは・・・・・・相当絵心をくすぐられるな」

「あはは。今度は実習以外でレグラムに来たいね」

「ああ。そうだな」

 

私がそう口にした途端、会話が止んだ。同時にもう何度目か分からない、複数の視線を感じた。

何だろう。私達は今、変なことを言っただろうか。

 

「アヤさんのご両親は、新婚旅行でこちらにと言っていましたね」

「見せつけるのも大概にするがいい。胸焼けして適わん」

「くっついちゃえー!」

 

最早どこに地雷が潜んでいるのか分からない。

むしろ皆が積極的に足元へ埋めてくる。どうしろと言うのだ。

こういう時は知らん振りを決め込むのが一番に違いない。

 

「とりあえずさ。時間も無いし、そろそろ実習の課題を知っておこうよ」

 

それで漸く、皆の表情が観光気分から特別実習としてのそれに変わった。

事実、もう午後の13時を回っていた。まだ昼食もとっていない。

人数は7人と多いものの、内容によってはすぐにでも行動に移る必要がある。

 

「では、広場の一角にある遊撃士協会にお行き下さい」

「えっ!?」

 

思わず声を上げてしまった。当然だが、存在自体は知っていた。

今回の実習に抱いていた、特別な感情。1つは既に、列車で皆に打ち明けている。

 

もう1つが遊撃士協会、レグラム支部の存在だった。

先月の実習で、レグラム支部が今も活動中である事実を教えてくれたのはラウラだ。

クラウスさん曰く、実習の課題はそこで請け負う手筈となっているそうだ。

 

「みんな!早く行ってみよう!」

「あ、ああ・・・・・・それでは爺、早速出掛けてくる」

「お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 

クラウスさんに軽く会釈をしてから、皆がそれぞれの宿泊部屋へと戻っていく。

私も皆に続こうとした、その時―――

 

「アヤ、待ってほしい」

「え?」

 

―――右腕を、ラウラに掴まれた。自然と足も止まった。

顔を上げると、ラウラは視線を逸らしてしまった。合せようともしてくれない。

気付いた時にはクラウスさんの姿も既に無く、テラスには私達2人だけが残された。

 

「どうしたの、ラウラ」

 

私が聞いても、ラウラは何も答えない。

沈黙を守ったまま、ラウラはエベル湖の方角を見やりながら、ゆっくりと歩を進めた。

その先には何も無い。あるのはテラスの柵だけだ。

 

(・・・・・・ラウラ?)

 

戸惑いながらも、私はテラスの柵沿いに、ラウラと肩を並べた。

目の前には霧。霧に囲まれた幻想的な世界。これでは対岸の波止場は拝めそうにない。

 

「今は見えぬが、向こう岸にはサザーラント州の波止場がある」

「うん。前に来た時には見えたよ」

「ちょうどあの辺りが、州境になるな」

 

言いながら、ラウラは右手でその州境周辺を指し示した。

 

途端に、胸が激しく鼓動した。

目が眩みそうになるのを堪え、私はしっかりと霧の先を見据えた。

あの時と同じだ。フィーが元猟兵だと告白された、あの瞬間。

 

漸く合点がいった。ラウラは知っている。気付いている。

7年前。あの日、あの場所で起きた惨劇を。

 

「山脈の麓に、『オーツ』という村があった。サザーラント州側に位置していたが、この街とも少なからず交流があってな」

「うん」

「その住民が、一夜にして・・・・・・・1人残らず、殺された。今から7年前と記憶している」

「・・・・・・うん」

 

その力無い返答が全てだった。

全部事実だ。ラウラの推測は正しい。正確に言えば、7年と約5ヶ月前。

私は、その集落にいた。紛れもない事実だった。

 

「・・・っ・・・・・・すまない」

 

視線を落としてしまったラウラの表情からは、後悔と戸惑い、焦り。様々な負の感情が窺えた。

そんな顔をしないでほしい。それに、しっかりと私の目を見てほしい。

 

「謝らないでよ」

「私は・・・・・・気付いていて、そなたに―――」

「聞いてラウラ」

 

私はラウラの手を取り、真っ直ぐに視線を重ねた。

受け入れたわけじゃない。乗り越えたわけじゃない。

ガイウス以外は知らない、今までずっと直視できなかった唯一の過去。

 

「ありがとう、ラウラ」

「え・・・・・・」

 

以前の私なら、この場から逃げるだけだったはずだ。

でも今は違う。私は1人じゃない。こうして肩を並べてくれる、私を知る人間がいる。

 

「話してくれてありがとう。7年前の私を、覚えてくれていて」

「・・・・・・分からぬ。私は、何を」

「分からなくていいよ。もう十分だから」

 

言葉すら交わすことがなかった、たった1つの接点。

あの日の私を知る人間が傍にいる。ラウラだけじゃない、クラウスさんもいる。

それだけだ。たったそれだけの事実が、私の心を満たしていく。

 

「あの日から私は、この国で独りになった。だから簡単に名前と過去は捨てられた。誰も私のことを知らなかったから。でも・・・・・・違ったんだね」

「アヤ・・・・・・」

「だからありがとう、気付いてくれて。思い出してくれて・・・っ・・・・・・こうしてまた、出会えただけで。十分だよ・・・・・・ラウラ」

 

もう少し器用に言葉を選べればいいのに。もっとこの想いを伝えたい。

私にしか知り得ない感情なのは分かっている。涙の意味は、伝わらない。

 

私は頬を濡らしながら、誰にも理解できない幸せ噛み締めていた。

ラウラは私の肩を抱きつつも、ただ戸惑うばかりだった。



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憧れの背中

エベル湖北岸部の調査。

最近エベル湖の北部に鳥型の大きな魔獣が住み着いてしまい困っている。

―――うん、典型的な大型魔獣の討伐依頼だね。

 

次。エベル街道への同行者求む。

街道を流れる川の上流で釣りがしたい。でも上流付近は魔獣がたくさんいるから怖い。

―――魔獣の討伐、というよりは護衛かな。

 

次。とある人物の周辺聞き込み依頼。

最近夫の帰りがやけに遅い。態度も余所余所しい。調べてほしい。

―――いや、最初から表題にそう書こうよ。身辺調査の類か。

 

次―――ああ、今ので最後か。

 

「トヴァルさん、終わりましたよ」

「お、早いな。ならこれも頼むわ」

 

ドサッ。唐突にデスクの上にそびえ立った書類の山。

4本の脚と共にぐらぐらと揺れている。今にも倒れそうだ。

 

「・・・・・・これ、何件分あるんですか」

「第1四半期分だから、ざっと3ヶ月分だな。件数は今から数えるんだよ」

「ええー・・・・・・」

 

単純に1日、2~3件の依頼があったとして、それの90日分、200件以上。

書類は1件につき最低2枚はあるから、少なくとも400枚以上。考えただけで気が遠くなる。

 

「ああもう、どうやったらこんなに溜まるんですか。サボり過ぎですよ」

「仕方ないだろ。全部1人で何から何まで面倒を見るなんて、やっぱりキツイんだ」

 

遡ること1時間前。

鼻水を啜りながら目元を腫らせた私は、皆から大変に驚かれた。

何の前触れも無く、唐突に嗚咽交じりに泣かれては当然の反応だ。

何があったと聞かれても、話すわけにもいかず。皆はただ戸惑うばかりだった。

私は何度も「気にしないで」と懇願したが、結局はラウラの言葉に甘え、一時待機を選択した。

 

皆は今頃、北部に繋がる街道の手配魔獣討伐に向かっている最中だろう。

私自身、あんな状態で皆の背中を預かるのは気が引けた。1人別行動、というわけだ。

漸く涙も治まってくれた。そんな私が任されたのが、トヴァルさんが抱える実務の補助だった。

 

まずは建物内の掃除。大分散らかっていたが、これはいい気分転換になった。

それとトヴァルさんの昼食の準備。多少納得がいかなかったが、まあ良しとしよう。

その次が書類整理。書類はこのレグラム支部に寄せられ、請け負った依頼に関するものだった。

 

「あのー。多分これ、今日中には終わりそうにないですよ」

「構わないぜ。後で他の面子にも手伝ってもらうからな」

 

トヴァル・ランドナー。

レグラム支部を中心として、帝国各地で今も精力的に活動を続ける現役の遊撃士。

私は今日が初対面だったが、リィン達はバリアハートで面識があったようだ。

期待はしていた。それでもまさか、本当に現役の遊撃士と関わり合えるとは。

いい機会だし、色々と話を聞かせてもらおう。

 

そのトヴァルさんは工具を片手に、戦術オーブメントの調整に勤しんでいた。

速い。それが率直な感想だった。一方でオーブメント自体は、かなりの旧型のように思える。

あれを現役で使っているのか。ARCUSの数世代前の代物だろう。・・・・・・動くのか、あれが。

 

「トヴァルさんって、いつからレグラムで活動してるんですか?」

「2年前に、とある案件で子爵閣下に世話になってな」

「遊撃士になったのはいつなんですか?」

「4年ぐらい前だよ」

「へえ。サラ教官とはいつから?」

「・・・・・・こら。手を止めるな手を」

「止めてませんよ。喋りながらじゃないと、正直キツイです」

 

どうもこういった単調な作業は苦手だし、そうでなくともこの量だ。

口を閉ざしながらでは逆に捗らない。話ぐらいは聞かせてくれてもいいだろうに。

 

トヴァルさんは戦術オーブメントを上着の左手に収めると、新たな書類にペンを走らせていた。

ああ、また増えていく。これ以上増やさないでほしいのに。

 

「遊撃士協会規定、基本3項目」

「え?」

「第3項。言ってみな」

「・・・・・・国家権力に対する不干渉。遊撃士は国家主権、及びそれが認めた公的機関に対して捜査権、逮捕権を行使できない」

 

唐突に投げられた問いに、思わず答えてしまった。

何だろう、今のは。私を試すにしても、少し簡単すぎやしないだろうか。

 

「正解だ。まあこれぐらいは当然か」

「物覚えは悪い方ですけど、何度も読んでれば自然と覚えますよ」

「・・・・・・まさかお前さんみたいな若者がいたとはね。喜ばしい限りだぜ、ホント」

 

トヴァルさんは満足気に頷きながら、2枚目の書類に手を付け始めた。

私が遊撃士を志願している旨は、サラ教官から聞かされていたそうだ。

思い切って打ち明けてみれば、「知ってた」の一言で返されてしまった。

 

ともあれ、トヴァルさんは私の意志を好意的に受け取ってくれているようだ。

それは素直に嬉しい。先輩になるやしれぬ人間に、そんな言葉を貰えるだなんて。

先程までとは打って変わって、退屈な事務作業が新鮮なそれに思えてくる。

後輩気取りは気が早いが、こちらは遠慮なく先輩扱いさせてもらおう。

 

「トヴァルさん、お茶でも淹れましょうか」

「・・・・・・急に何だよ?」

「あはは」

 

私達は書類の整理と作成を並行しながら、遊撃士に関する様々な事柄に触れた。

とりわけトヴァルさんが力を入れて話してくれたのは、この国における遊撃士の立場だった。

 

「そうだな。遊撃士志願者として、この国の現状をどう考えてる。率直に言ってみてくれ」

「・・・・・・みんな、関心が薄いですね。上手く言えませんけど」

「必要とされていない。大方そんなところだろ」

 

国が違えば、遊撃士の在り方も変わる。

必要不可欠な存在であることもあれば、全く必要とされないこともある。

 

帝国から遊撃士が撤退したことによるほころびは、各地で散見してきたつもりだ。

それでも現実には、遊撃士を求める人間は数少ない。頼ろうともしていない。

以前は違ったはずだ。事実、サラ教官は手が回らない程に多忙な毎日だったと言っていた。

帝国では既に、その存在が薄れつつある。たった1年や2年の間に。

 

正直に言えば、先月の特別実習。マキアスやエリオットの態度に半ば呆れてしまった。

1年以上前に撤退した。今では珍しい。気にする人も少ない。テロだったって噂だよ。

どうしてそう他人事のように言えるのだろう。口には出さなかったが、心ではそう叫んでいた。

彼らにとっては、その程度の存在なのだ。それが私には、寂しくてならなかった。

 

「それに革新派と貴族派。この国を取り仕切るどちら側にとっても、俺達のような第3の存在は邪魔でしかないんだ。お前さんも、それは薄々分かってるんじゃないのか」

「そんなの関係無いですよ。国を成すのは民間人、彼らの保護が遊撃士の使命です」

「その民間人が今泣いてんだな。州によっては度重なる増税のせいで、生活水準は下がる一方だぜ。遊撃士協会に寄付金を払う余裕がどこにあるんだ?」

「それは・・・・・・それも、分かってます」

 

知らなかったわけではない。帝国に限った話でもない。

図書館で借りた数々の本を読む中で、遊撃士協会が抱える諸問題は頭の中に入っている。

 

公的援助と寄付金。遊撃士を支える収入源はその2つ。それだけで賄える程、現実は甘くは無い。

度々モデルとして引き合いに出されるのは、かのリベール王国の体制だ。

民と国が支え、遊撃士がそれを支え、お互いが助け合っていく理想的な絆。

公的援助の充実度はさることながら、何よりその信頼関係がお手本のように根強い。

対する帝国は、軍備を拡張するための増税すら躊躇わない。根本的な部分に差があるのだ。

 

「帝国には鉄道憲兵隊なんてものまで存在するだろ。おかげで大分楽をさせてもらっているのも事実なんだぜ」

「・・・・・・それも、否定はしません」

「理想論だけじゃ飯は食えない。なるようになった結果が現実なのさ。50年前とは違うんだよ」

 

国だけじゃない。時代が変われば、何もかもが変わる。

50年以上前に遊撃士協会が設立されて以来、遊撃士の使命は何一つ変わっていない。

この国は変革の時代に入っている。遊撃士達は―――私は、どう振る舞えばいいのだろう。

 

急速に、心が冷えていく感覚だった。

夢を見ていたつもりはない。ただ、お母さんの背中は追っていた。

皆から愛されていた。私の自慢だった。この国では、叶うことのない夢なのだろうか。

 

(・・・・・・ううん、違う)

 

いや。違う、そうじゃない。

それを全て分かった上で、トヴァルさんは敢えて私に現実を突き付けている。

彼が言わんとしていることが、おぼろげながらに見えてきた。

書類整理を任せてくれた理由も、この街に居座る理由も。

答えなんてない。それに近い何かが、ここには―――

 

「手を止めるなっての。ほれ」

「痛たたたたっ!?」

 

何かが私の身体に触れた途端、全身を貫くような痺れが走った。

静電気のような痛みが、頭からつま先に掛けてコンマ1秒で走り去っていく。

 

「ぱ、パワハラ反対!」

「落ち着けよ。いいかアヤ、帝国の遊撃士は俺だけじゃない。誰も諦めてなんかいないんだ」

「・・・・・・そうなんですか?」

「ああ。この国で活動を再開できたら、みんな戻ってくる。そういう約束なんだよ」

 

トヴァルさんによれば、帝国にいた遊撃士達の多くは、他国の支部に移籍したそうだ。

帝国における活動再開の目途はまるで立っていないものの、いつかきっと、必ず。

そう誓い合いながら、誰もが今も再建に向けて、それぞれの道を歩んでいるとのことだった。

 

「前途多難過ぎるけどな。今は地道に活動を続けることしかできないんだよ」

「きっと再建できますよ。私はそう信じてます」

「・・・・・・なぁ、アヤ」

「じゃないと、私ずっと準遊撃士止まりですから」

 

直後、トヴァルさんは苦笑しながらペンを置いた。

思っていた通りだ。規約集の内容を総合的に判断すれば、容易に想像は付いた。

 

帝国の遊撃士協会は、その多くの機能が麻痺している。支部自体が動いていない。

多分、準遊撃士の資格を得ることは可能だ。それは各支部に独自の権限がある。

一方で正遊撃士になるためには、能力以上に各地方での実績が求められる。

それが問題にならない程、組織として機能していない。その権限がどこに所在するかすら曖昧だ。

 

「一応言っておくけどな、方法はいくらでもあるんだ。アヤはクロスベル出身なんだろ?故郷で遊撃士の資格を得るってのも、1つの道だと思うけどな」

「それは分かってますよ。でもそれ以上に、この国の現状を無視できません」

「経験を積んでからでも遅くはないって言ってるんだよ」

「ここでも積めそうですよ。見るからに人手不足じゃないですか」

 

その意味がすぐに理解できなかったのか、トヴァルさんは眉間に皺を寄せながら、視線を斜め下に落として考え込んでしまった。

多少は勢いで言っている部分もある。それでも本心だ。

 

「・・・・・・どこまで本気で言ってるんだ?」

「うーん・・・・・・半分ぐらいは。今日の今日でこんな事を言っても、信じてもらえないかもしれませんけど・・・・・・考え無しに言ってるわけじゃないんです」

 

書類整理の過程で、この支部に寄せられた何十件もの依頼の内容を見てきた。

いい関係だと思う。取るに足らない依頼の数々が、信頼関係を確かなものにしている。

 

レグラムは1つの理想だ。領主が民の声を拾いながら、その実現に力添えをする存在。

軍が動ける条件は限られている。少なくとも、遊撃士にしかできないことがある。

帝国における遊撃士の在り方。その1つの答えがここにはある。

トヴァルさんがレグラムを中心に動いているのは、子爵閣下だけが理由ではないのだろう。

この街で、確かな土台を築こうとしている。取っ掛かりを作ろうとしているはずだ。

 

「私には、なりたい自分の姿があります。トヴァルさんにも、遊撃士協会としての理想があるんですよね」

「そりゃあ、まあな」

「私にできることがあれば言って下さい。夢はありますけど、具体的な進路は未定なんです」

 

我ながら狡いというか。面倒な言い回しだ。

ここでなら、多くを学べそうな気がする。何しろやるべきことが溜まりに溜まっている。

私にできることがあるなら、力になりたい。それも―――1つの道だ。

 

返答を待っていると、トヴァルさんは頬をぽりぽりと掻きながら椅子を傾け、天井を見上げながら言った。

 

「どうすっかなぁ。紅茶よりコーヒーの方が好きなんだよなぁ、俺」

「あー。すみません、苦手なんで淹れ方が分からないです」

「不採用」

「ええ!?」

 

今度フレッドさんに教えてもらおう。そう誓った。

 

__________________________________

 

アルゼイド流の門下生達が集う練武場。

手配魔獣討伐後は、クラウスさん直々の依頼を受けるため、この練武場を訪ねる予定だった。

だったのだが、街道に出たガイウス達が一向に帰ってこない。

心配になった私はARCUSで連絡を取り、彼らの状況を把握することにした。

 

聞けば、街道中に発生していた濃霧の影響で、探索に手間取ってしまっていたそうだ。

既に帰路に着いてはいるようだが、もうしばらく時間が掛かってしまうとのことだった。

・・・・・・そろそろ皆と合流したい。今回は初日から単独行動ばかりだ。

 

いずれにせよ待っていても仕方ない。

そう思った私は一足先に練武場を訪ね、修練の様子をクラウスさんと見学することにした。

 

「すごい熱気ですね。やっぱり剣術を選ぶ門下生が多いんですか?」

「そうですな。お館様やお嬢様に憧れ、剣を選ぶ者が大半です」

 

屋内中から熱が入った掛け声と剣戟が耳に入ってくる。凄まじい気合だ。

立っているだけで汗が滲んでくるのは、この地の気候のせいだけではない。

辺りを見回すと、クラウスさんが言うように、7割方の門下生が剣を握っていた。

総合武術とはいえ、やはりアルゼイド流は剣術に代表される。話に聞いていた通りだ。

 

「それにしても、よく私を覚えていましたね。ラウラもそうですけど」

「フフ。それを仰るなら、お互い様で御座います」

 

それもそうか。長巻という珍しい存在がそれを後押ししたのだろう。

ラウラとクラウスさんも、この街では際立った外見だった。それも要因の一つだ。

 

「それに、アヤ様を見ていると・・・・・・もう1人、とある女性を思い出してしまいます」

「とある女性?」

 

私が聞くと、クラウスさんは右手で髭を撫でながら語り始めた。

 

「今から20年前の出来事で御座います。何の申し入れも無しに、あの門を叩いた女剣客がおりましてな。事もあろうか、師範代である私に立ち合いを求めたのです」

 

ごめんなさい。思わずそう口走りそうになるのを堪え、視線を斜め上に外した。

20年前。ピンポイントで思い当たる女性がいる。それは絶対に私の身内だ。

クラウスさんとも面識があったとは。この人はそんな前からここに仕えていたのか。

というか何やってんのお母さん。道場破りと言われても無理はないよ。

 

「あなたには、あの女性の―――ラン様の面影がある。良く似ていらっしゃいますな」

「・・・・・・気付いて、いたんですね。いつからですか?」

「アヤ様が練武場の門を開いた際に。その姿が、ラン様と・・・・・・フフ。在りし日を偲ぶのは、老いぼれの特権です」

 

クラウスさんは、船着き場に立つ私を目にした時と同じ色の笑みを浮かべた。

それで察しは付いた。彼は私とお母さんのことを確かに覚えている。

ただ、その先を知らない。苦しみながらこの世を去ったことは、知る由も無い。

 

「母は、亡くなりました。7年前のことです」

「・・・・・・・そうで御座いましたか。安らかなお眠りを、お祈り申し上げます」

 

この国でお母さんを知る人間は少ない。片手で事足りる程度だろう。

クラウスさんはお母さんの名を、顔を知っている。剣も知っている。

考えてみれば、そんな人間に会ったことがなかった。これも7年振りだ。

 

「ありがとうございます。母も浮かばれます」

 

お母さんの不幸を、悔やんでくれる人間がいる。

それだけで、私達は救われる。この街に来ることができて、本当によかった。

 

「それで、立ち合いの結果はどうだったんですか?」

 

私が知っていたのは、お母さんが子爵閣下に後れを取ったことだけだ。

隣に立つクラウスさんも、相当な手練れであることが窺えた。高齢とは思えない立ち振る舞いだ。

私が立ち合いの結果を尋ねると、クラウスさんは右手を上げて合図を送った。

すると吸い込まれるように、辺りに散らばっていた門下生達が、瞬時にして目の前に整列した。

思わず後ずさってしまった。何だろう、急に。

 

「屈辱でした。今でも忘れることができません」

「・・・・・・あの、クラウスさん?」

 

クラウスさんは語った。

紙一重の差でありながら、立ち合いに敗れてしまったこと。

大勢の門下生が見守る中で、膝をついてしまったこと。

拳を振るわせながら言葉を並べるその姿には、1人の剣客としての誇りが垣間見えた。

余程悔しかったのだろう。今から20年前ともなれば、彼の頭髪もまだ黒かった頃のはずだ。

 

「私はおそらく、可憐に舞うラン様の姿に、目も心も奪われてしまっていたのでしょう。お恥ずかしい限りです」

「あ、あはは・・・・・・」

 

返答に困った。これはどう返せばいいのだろう。

年上の知り合いが多かったのは、職業柄だと思っていた。

もしかしたら、それもお母さんの魅力の1つだったのかもしれない。

 

「あの時の屈辱を晴らすため、私は己の剣を見直し、精進して参りました。ですが、それももう叶わぬ事」

「・・・・・・そうだったんですか」

「アヤ様、無礼を承知の上で申し上げます。どうかお受け頂きたい」

 

そろそろクラウスさんの心境も察することができた。

彼は20年前の雪辱を果たすため、私にお母さんを重ねている。

私が携えたお母さんの長巻には、その意志と剣術の全てが宿っていることに気付いている。

 

「おお・・・・・・皆の者、見逃すな。師範代は本気だ!」

 

クラウスさんが剣を取った途端に、周囲が沸いた。

断る理由は見当たらなかった。ただ―――本気を出しても、敵うかどうか。

あの時のお母さんは18歳。私とほぼ同い年。ただクラウスさんは、あの頃の彼ではない。

頭髪が真っ白に染まる程の高齢でありながら、その小柄な体躯が膨れ上がっていく。

 

「シャンファ流の二代目として、受けて立ちます」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

あたしが剣を握れなくなった時は、あんたがこの剣を完成させな。

あれは確か、初めて『連舞』を見せてくれた時だった。

 

私は今、どの辺に立っているのだろう。全盛期のお母さんに、どれだけ近付けているのだろう。

先の道を決めたあの日から、ずっと背中を追い続けてきた。

その距離を測るには、ちょうどいい機会だ。私の全てを、この剣に込める。

 

____________________________________

 

リィンにガイウス、ミリアムにラウラ。《Ⅶ組》の中でも接近戦を得意とする面々だ。

あくまで剣を握る武人として。そんなリィンの意思が感じられた。

ミリアムは例外過ぎる気もするが、クラウスさんにはそれぐらいが丁度いいに違いない。

 

ガイウス達と合流した私達は、クラウスさんの依頼で門下生達と一戦交えることになった。

その後はミリアムの一声が引き金となり、クラウスさんが直々に剣を抜いた。

元気なお爺さんだ。師範代の肩書は伊達ではない。

 

「お前はあれと1人でやり合ったのか」

「まあね。悔しいけど、あの人は達人の域に達してると思うよ」

「剣って、折れるんですね・・・・・・怪我が無くて何よりです」

 

立ち合いについて言えば、私の長巻は真っ二つに叩き折られた。

何の因果か、親子共々剣を折られる結果となったのだ。

得物を破壊されることは、当然敗北を意味する。立ち合いはクラウスさんに軍配が上がった。

剣を握った時間が、そのまま明暗を分けたように思えた。流石に無理があったか。

 

「それで、お前はどうするんだ。剣が無くては活躍の場がないだろう」

「剣しか能が無いみたいに言わないでよ・・・・・・まぁ、何とかなるんじゃない?」

 

ユーシスの憎まれ口はもっともだった。

アンゼリカ先輩の手甲や鉢がねは、今日も私の腕と頭部にある。最低限の戦闘は可能だ。

とはいえ、大型魔獣のような相手に徒手空拳は厳しいのも事実だ。

レグラムで長巻のような刀剣が手に入るとも思えない。これは困ったことになった。

 

「精々不慣れなアーツでサポートでもしていろ。前線では足手まといになるだけだ」

「ユーシスさん。心配だから下がっていろ、と素直に言ってもいいんじゃありませんか」

「・・・・・・フン」

 

エマが言うと、ユーシスは鼻を鳴らし黙り込んでしまった。

彼女もユーシスの扱いには大分慣れてきたようだ。ほほ笑ましい光景だった。

この2人に挟まれていると、独特の安心感があった。

 

笑みを浮かべながら目の前の立ち合いを観戦していると、アガートラムの剛腕が呻りを上げた。

刀身でそれを受けたクラウスさんは後方に吹き飛ばされ、遂に膝をついてしまった。

勝敗は決したようだ。流石の彼でも、この4人を同時に相手取るには無理があるのだろう。

 

「フフ・・・・・・流石で御座いますな。膝をついたのは、20年振りです」

「うわー、結構平気そう?」

 

・・・・・・本当に、元気なお爺さんだ。

アガートラムの一撃を受け止めて平然としている辺り、まだ余力があるに違いない。

どうか長生きしてほしい。何となくそう感じた。

 

クラウスさんは膝を払いながら4人を見渡し、一言二言の助言を並べていった。

ちなみにガイウスには、間合いを活かした立ち振る舞いを心掛けるように、とのことだった。

 

「お疲れ様。怪我は無い?」

「ああ、大事無い・・・・・・武の世界とは、凄まじいものだな。君が無事でよかった」

「剣は無事じゃなかったけどね。とりあえず、依頼はこれで達成かな」

 

依頼内容はおまけ付きで達成できた。今日分の依頼はこれで最後のはずだ。

何だかんだで一切役に立てていない気がするが、明日からは存分に働かせてもらおう。

・・・・・・剣が無いことがやはり悔やまれる。こればっかりはどうしようもない。

 

「アヤ様、お待ち下さい」

「あ、はい」

 

練武場を後にしようとした矢先、私はクラウスさんに呼び止められてしまった。

そのクラウスさんは、急ぎ足で場内の一角にある小部屋へ向かうと、手に長い布袋を抱えながら戻って来た。

 

「どうかこれをお受け取り下さい」

「何ですか、これ?」

 

持てばお分かりになります。その言葉に従い、私はその布袋を受け取った。

中身にはすぐに思い当たった。これは刀剣だ。それに、この独特の重心。

私にとっては、馴染みがあり過ぎる重みだった。

 

「・・・・・・・綺麗」

 

中から現れたのは、紛れもない長巻だった。

しかも、二刀。長巻二刀なんて、まるでお母さんだ。

鞘には三日月を思わせる紋がいくつも刻まれており、得物と呼ぶには余りにも高い完成度だ。

それに、不思議と手に馴染んでくる。刀身に吸い込まれそうになる感覚だった。

 

「『月下美人』・・・・・・これは20年前、ラン様が振るっていた長巻で御座います」

「え。ど、どうしてそれがここに?」

 

事の経緯は、クラウスさんが全て話してくれた。

二刀の長巻を子爵閣下に叩き折られたお母さんは、それをこの場に残していったそうだ。

もう一度、己を鍛え直してから再戦を申し入れる。それまで剣は預かっていてほしい。

それが去り際に残したお母さんの言葉だった。

 

「あのまま錆びつかせるには惜しい業物と思い、名のある刀匠に復元を依頼していたのです」

「そうだったんですか・・・・・・」

「アヤ様、この剣はあなたにこそ相応しい」

 

お母さんが二刀の長巻を背負っていた理由。それは至極単純だ。

間を置かず剣を振るう人間にとって、剣を失うことは致命的な事態。

それなら、常に二刀携えていればいい。お母さんらしい、今なら素直にそう思える。

 

「自信をお持ちになられて下さい。此度の立ち合い、時の運が私に味方しただけの事。今のあなたは、20年前のラン様を超えていらっしゃる・・・・・・強く、そしてお美しい」

「クラウスさん・・・・・・ありがとうございます」

 

私が背負う物が、また1つ増えた。何だか貰い物ばかり身に着けている気がする。

悪い気はしない。その数だけ、私は強くなれる。

 

18歳のお母さんの域には達せた。なら、次は全盛期のお母さんを目指す。

二刀の月下美人を背負いながら、私は練武場を後にした。



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決意の先に見る夢

天然の大鏡に映し出された、茜色の夏の夕焼け。

霧に囲まれていた昼とは違い、今では取り巻きの山脈も1枚の鏡に収められていた。

7年前にも目にした光景だ。これが湖だなんて、今でも信じられない。

どんな言葉を並べたところで、これに見合う表現なんて見つかりやしない。

 

クロイツェン州に広がる大穀倉地帯。

バリアハートの光り輝く石灰棚。

ルナリア自然公園の大森林。

この国にはたくさんの美しい物がある。心を動かされるのは、これで何度目だろう。

この光景も精々目に焼き付けよう。生徒会のカメラ同様、既に容量は一杯一杯だ。

 

「この分だと、明日には快晴になるかもしれないな」

「うん・・・・・・ねぇラウラ。レグラムっていい街だね」

「ふむ。今更だな」

 

よく覚えている。あの日のこの時間帯に、私はど真ん中で釣り糸をぶら下げていた。

別に釣りが趣味だったわけではない。多分、ロイドを真似ていただけなのだろう。

ぼんやりと夕陽を眺めながら、小船に揺られる穏やかな一時。幸せな時間だった。

うん、やっぱりもう一度来るべきだ。ガイウスも連れて。

 

「依頼も一通り片付けたし、そろそろ協会支部に戻ろうか」

「そうだね。トヴァル先輩も待ってると思うし」

「「先輩?」」

「・・・・・・気にしないで。何でもないから」

 

皆の声が重なった。当然の反応か。

私が遊撃士としての道を目指していることは、既に皆へ打ち明けている。

とはいえ、トヴァルさんを先輩呼ばわりするには余りに気が早い。

私は誤魔化すようにガイウスの背後に影を潜め、協会支部の建物へ向かう皆の背中を追った。

 

「トヴァルさん、ただいま戻りっ・・・・・・」

 

先頭に立っていたリィンが言いながら扉を開けると、その声と足が止まった。

そのせいで前を歩いていたガイウスの背中に、顔が当たってしまった。

何だ。どうして皆立ち止まっている。

 

「父上・・・・・・!?」

「えっ」

 

リィンとガイウスの間に身体を滑り込ませると、それは目の前にいた。

レグラムの領主、アルゼイド子爵家現当主。アルゼイド流の筆頭伝承者。

『光の剣匠』の名で呼ばれる、帝国最高の剣士と名高い彼。

ヴィクター・S・アルゼイド。その人だった。

 

「久しぶりだ、我が娘よ。どうやら人回り大きくなって帰ってきたようだな?」

「お、幼子扱いはやめて下さい・・・・・・その、父上。ただいま戻りました」

 

子爵閣下の腕に抱かれたラウラは、照れを浮かべながらも再会の喜びを噛み締めていた。

こうして級友の肉親に会うのは何度目だろう。この瞬間はいつも顔が緩んで仕方ない。

私達が知らない素顔を、目の当たりにすることができる。2ヶ月前は、自分がそうだった。

何しろ今回はあのラウラだ。普段とは異なるその表情と声が、彼女を身近に感じさせた。

 

「ふむ、そして彼らが・・・・・・」

「はい。《Ⅶ組》の級友にして、共に切磋琢磨する仲間です」

 

子爵閣下は私達の前に立ち、改めて名を名乗り始めた。

 

「レグラムの領主、ヴィクター・S・アルゼイドだ。そなた達のことは、娘からの手紙で・・・・・・?」

 

と思いきや、今度は子爵閣下の声が止まった。

視線の先には、私。どう考えても私の顔にその目が向いていた。

 

唐突に、彼がラウラのお父さんであることを再認識させられた。

何の汚れも曇りも無い、真っ直ぐな翡翠色の眼。

呆けたような表情も相まって、まるで少年のような純粋さすら感じられた。

 

「っ!?」

 

そんな事を考えていると、眼前に子爵閣下の顔が迫っていた。

気付いた時には、息が当たりそうな程に近くまで。

 

「な、なな何ですか?」

「ふむ」

 

右手を顎に添えながら、考え込むような素振りを見せる子爵閣下。

近い。どういうつもりかは分からないが、近過ぎる。

それに―――格好いい。サラ教官がいかにも好みそうな、魅力溢れる男性だ。

渋くて素敵なオジサマ。まるで理解できなかったその表現が、両の足で目の前に立っていた。

 

「アヤ」

「へ?」

 

思わず見惚れていると、今度はガイウスが私の隣に立った。

目を細めながら、何かを勘ぐる様な目つきで私の表情を窺ってくる。

 

「・・・・・・コホン。何でもないよ?」

「俺は何も言っていない」

 

いや、誤解だからね。別に私は何にも思ってないから。本当に。

・・・・・・まあ、ちょっとだけは。だってあれは反則だ。誰だってああなるに決まってる。

 

「彼は?」

「えっと、私の義理の弟―――」

「彼氏だよ!」

「恋人です」

「夫です」

 

好き好きに言葉を並べる級友達。もう好きに呼べばいい。

というか、今はそれどころではない。まだ名も名乗っていないというのに。

 

「父上、どうなさったのですか?」

「似ている・・・・・・それに、その刀剣。もしやそなたは―――」

 

ああ、そうだったか。その行動の意味が漸く理解できた。

20年以上前の記憶だというのに、よくもまあ一目で思い当たったものだ。

 

「アヤ・ウォーゼルと申します。ラン・シャンファは、私の母です。子爵閣下」

 

お母さんを知る、数少ない人間との出会い。今日で2人目だった。

 

______________________________

 

午後19時。アルゼイド子爵邸、中央食堂の間。

私達は子爵閣下に招かれ、歓談を交えつつ夕食の席を共にすることとなった。

こういった改まった場での食事は苦手だったのだが、今回はさほど緊張感は無かった。

おそらくは先月、皇族の面々に招かれた晩餐会を経験したからだろう。

あれに比べれば、子爵家の当主との同席などかわいいものだ。

それに今回は、お母さんという共通の話題もある。

 

おかげ様で、しっかりと食事を味わうこともできていた。

絶品の一言に尽きる。脂がのった猪肉など頬が落ちてしまいそうな程だ。

ラウラはいつもこんな食事をとっていたのだろうか。何て羨ましい。

 

そんな中で、食が進まない男子が1人。ユーシスだった。

どうやらクロイツェン州を治めるアルバレア家の人間として、思うところがあったようだ。

結局はそれも子爵閣下の一声で、この場に相応しくない無粋な話題となった。

器が大きいとは、正に彼のような人間を言うのだろう。

ラウラ曰く人間の域を超えているそうだが、人柄はどこまでも人間らしかった。

 

「昼間にクラウスと仕合ったようだな。それも、勝利を収めたとか」

「ご学友共々、若々しき獅子のごとき気合でした。先が楽しみで御座いますな」

「そうか。私としては、帝都の女学院に行って欲しかったところだが。良き友にも巡り会えたようだし、これも女神の導きであろう」

「はい・・・・・・私も、そう思います」

 

ラウラは頷きながら、私達を見渡した。

この親にしてこの子あり。そんな表現がぴったりの親子のように思えた。

次第に話題は『良き友』である私達に移っていき、自然と私のお母さんに焦点が当てられた。

 

「やはりそなたには、ラン殿の面影がある」

「クラウスさんも同じことを言っていました。私は母親似のようです」

「こうしてこの地で出会えたのも、女神の導きであろうな」

 

お母さんが他界した事実は、既に私が知らせていた。

惜しい人を亡くした。その言葉だけで、お母さんも浮かばれるに違いない。

・・・・・・アルデヒド男爵。心の中でそう呟いただけで、笑いがこみ上げてくる。

今後は思い出さないようにしよう。何かの拍子で口走ってしまいそうな気がする。

 

「よく覚えている。遊撃士としての信念が込められた、心地よい剣であった・・・・・・リィン、といったか」

「はい」

「人の想いは、その剣に宿る。どうやらそなたの剣には、『畏れ』があるようだな」

 

話の矛先が、リィンへと向いた。

余りに唐突な方向転換に、誰も子爵閣下の意図を汲み取ることができなかった。

 

剣仙ユン・カーファイ。

リィンが振るう八葉一刀流の開祖であり、彼に剣を指南した張本人。

武の道を歩む者なら、誰でも一度は耳にするであろう偉大な人物だ。

子爵閣下はユン老師と面識があり、何度か剣を交えたことがあると語った。

勝敗を決したことは無いそうだ。私達には想像も付かない領域の話なのだろう。

 

「アヤ。そなたは剣術をどう捉えている。話してみるがよい」

「え・・・・・・」

 

今度はこちらか。どうも話について行けていない気がする。

いずれにせよ、黙っているわけにはいかない。

 

「私は・・・・・・剣は元々、魔獣を斬り人を斬るための道具です」

 

16歳。それまでそんな剣を毛嫌いし、無手組として武の世界に身を置いていたお母さん。

全てのキッカケは、遊撃士としての道を歩み始めた事だった。

支える籠手の正義を貫くためには、確かな力が要る。その思いで、剣を握った。

 

流派にはそれぞれの信念が宿っている。剣術も例外ではない。

それが他者を殺傷するための術を、高潔な道へと昇華させる。

お母さんは遊撃士としての意志、自身が信じる正義をその剣に宿していた。

だからお母さんは、我流という道を選んだ。それが、シャンファ流の全て。

お母さんの剣を継いだ時から―――私の道は、決まっていたのかもしれない。

 

「最近になって、漸くお母さんの剣が理解できました。少なくとも、その想いはここに」

 

私は胸元の遊撃士手帳に手を伸ばしながら言った。

子爵閣下は満足気に頷きながら、再び視線をリィンに向けた。

 

「八葉一刀流。東方剣術の集大成と言うべき流派であろう・・・・・・リィン、そなたは何かを畏れるあまり、足踏みしているように見える。それがそなたとアヤの違いだ」

「・・・っ・・・・・・」

 

それは誰もが薄々感づいてはいたこと。

差ではない、違いだ。私とリィンは、同程度の時を剣に捧げている。

その剣に陰りがあるのは、抱えているものの違いに過ぎない。

 

それに私は―――その畏れの正体を、知っている。

間違ってはいないはずだ。彼が足踏みをする理由、抱えている力を。

 

「・・・・・・参りました。ですが、これで覚悟も固まりました」

「ほう」

 

初めて目の当たりにする、確かな信念が込められたリィンの眼差し。

綺麗な眼だ。これが本来の、彼の素顔なのだろう。

 

「どうか自分と―――手合せをしていただけないでしょうか」

 

_______________________________

 

アルゼイド家に伝わる宝剣、ガランシャール。

槍の聖女が率いた、鉄騎隊。その副長が振るったとされる、光の剣匠に相応しい代物だった。

 

「・・・・・・嘘」

 

子爵閣下が剣を取った瞬間、喉に刃を突き付けられているかのような錯覚に陥った。

間合い。彼ほどの達人なら、それは立ち入ることを許されない絶対的な領域。

今私達は、その中にいる。10アージュは離れた場にいながら、瞬時にして悟った。

届くのか、この距離で。到底理解が及ばない世界だった。

 

「リィン・・・・・・!」

 

ラウラにも、この立ち合いがどれ程無謀なものかは当然分かっている。

同時に、リィンの想いも理解はしているのだろう。硬く握られた拳は、その表れだ。

 

「ラウラ」

「アヤ・・・・・・」

 

私だって同じだ。達人と真剣を交える以上、万が一の事態をも覚悟しなければならない。

そうまでして確かめたい何かが、リィンにはある。

 

「リィンは、本気なんだな。俺にもそれぐらいは分かる」

「私達には、見届けることしかできないんですね・・・・・・」

「ガーちゃん、ボクらも応援するよ!」

「やれやれ・・・・・・世話の焼ける男だ」

 

見守るしかない。今私達にできることは、それだけだ。

私はラウラの手を取りながら、しっかりと前を見据えた。

既に剣は抜かれている。もうどちらも、引き下がれない。

 

「八葉一刀流初伝、リィン・シュバルツァー。参ります・・・・・・!」

「アルゼイド流筆頭伝承者、ヴィクター・S・アルゼイド。参る」

 

麒麟功。リィンの気功術と裂帛の気合が相まって、その力を肌で感じた。

するとクラウスさんの号令を合図にして、八葉一刀流『二の型』の剣筋を目の当たりにした。

直後―――リィンの身体は、遥か後方に吹き飛ばされていた。

 

(え?)

 

何も見えなかった。子爵閣下は何ら変わった様子も無く、ただ仁王立ちしているだけだ。

目の前にいながら、剣戟と呼ぶには余りにも物々しい音だけが、遅れて耳に入ってきた。

―――これ程の、ものなのか。先程までの覚悟など、有って無いようなものだ。

 

それからは同じ事の繰り返しだった。

立ち上がっては膝をつき、技を放っては大剣に阻まれ。

リィンは子爵閣下を斬り伏せる覚悟で剣を振るっているはずだ。

その剣は届くことなく、彼の身体には裂傷が増えていくばかりだった。

彼の身体から赤い滴が流れ出る度に、私の手を握るラウラの右手が泣いていた。

 

「何をしている。未だ勝負は付いていない。疾く立ち上がるがよい」

 

子爵閣下の言葉に応えるように、リィンは再びその腰を上げた。

もう限界が近いことは目に見えていた。体力的にも、堪えればいい痛みの範疇を超えている。

 

「そなたの力―――それが限界でないことは分かっている。この期に及んで畏れるならば、強引に引きずり出すまでのこと」

 

やはり気付いていたか。

彼がどうやってそれに思い至ったかは知る由が無い。

ただ、ここからが彼の望んだもののはずだ。

 

「みんな。見逃さないで」

「・・・・・・アヤ?」

 

どういうわけか、既に腰元のARCUSは光を放っていた。

旧校舎での一件と同じだ。既にリィンからは、たくさんの感情が私の中に流れ込んできている。

古傷が温度を持って火照るように、胸が疼いていた。

 

「絶対に目を背けないで。きっとリィンも、その覚悟で立っているから」

 

頭上に掲げたガランシャールが振り落とされた瞬間、それは現れた。

頭髪を銀色に染め上げ、赤黒い血液のような気を身に纏う、リィンのような何か。

 

「オオオォォォォッッ!!!」

 

高潔さなど微塵も無い、ただ鋭いだけの斬撃が子爵閣下を襲った。

その剣筋は目に止まることなく、先程と同様に音だけが2人のやり取りを知らせてくる。

人間の領域を、間違いなく超えていた。

 

子爵閣下はそれを全て紙一重で捌くと、2人の間に距離が生まれた。

それで漸く、言葉を失っていた皆にも、眼前の光景が理解できたようだ。

 

「こ、これが・・・・・・リィンが、恐れていた・・・・・・」

「そうだ。その力はそなたの奥底に眠るもの。それを認めぬ限り、そなたは足踏みをするだけだ」

 

完全には意識を失ってはいないのだろう。

リィンの想いの欠片が、確かな感情となって沸き上がってくる。

―――大丈夫。私達が、最後まで見届ける。

 

「滅びよ・・・・・・っ!」

 

リィンが握る太刀の刀身に、赤黒い何かが帯びていく。

次の技が最後だ。きっとその先に、彼は確かな何かを掴むはずだ。

私には、そう願うことしかできなかった。

 

________________________________

 

今夜私は、きっと夢を見る。

そんな場違いな事を考えながら、私は皆に囲まれるリィンを見下ろしていた。

 

「・・・・・・やっと分かった気がする。リィンが子爵閣下に、手合せを願った理由が」

「阿呆が。こんなものを抱えていたのか」

 

既にリィンは、戻ってくれていた。

先程までの邪悪な気合いは鳴りを潜め、普段通りの彼が目の前にいた。

身体中に刻まれた傷はどれも浅い。あれぐらいなら、オーバルアーツで塞がるだろう。

何はともあれ無事でよかった。漸く見守る側にも、生きた心地がしてきた。

 

「リィン、無事か!?」

「あ、ああ・・・・・・大丈夫だ。すまない」

 

リィンはラウラの肩を借りながら、力無く立ち上がった。

その様相とは裏腹に、目はしっかりと眼前の子爵閣下を見据えていた。

 

「・・・・・・どうやら分かったようだな」

 

力は所詮、力。

使いこなせなければ意味は無く、ただ空しいだけのもの。

だが在るものを否定するのもまた、欺瞞でしかない。

子爵閣下の言葉を1つ1つを確かめるように頷きながら、リィンは小さな笑みを浮かべた。

 

「ですが、これで一層迷ってしまうような気がします」

「それでよい。迷ってこそ人・・・・・・立ち止まるより、遥かにいいだろう?」

 

私達には、リィンに眠る力の大きさしか知り得ない。

彼が何故それを抱えるに至ったか。過去に何があったのか。

それを知るのは、まだ先の事になるだろう。

 

「リィン、傷の手当が先だ。歩けるか?」

「すまない、ラウラ・・・・・・はは。みんなにも、心配を掛けてしまったみたいだな」

 

私達は、それを受け止めて見せる。

過去を知ることは重要ではない。ただ、彼が歩を進めるには力添えが必要のはずだ。

事実、私がそうだった。もう何度救われたか分からない。

焦る必要はない。手を取り合って前に進めればいい。今までのように、これからも。

 

「ふむ。リィン、いつまでそうしている」

「え?」

「加減はしたつもりだ。1人で歩けるであろう」

「・・・・・・あ。す、すみません。俺は別に」

 

睨むような目つきで子爵閣下が言うと、リィンはラウラに預けていた身体を慌てて起こし始めた。

・・・・・・いや、そこは温かな目で見守るところだろうに。

リィンも無理をしていたようで、すぐにその膝は折れ、再びラウラに寄り添う形になった。

 

「・・・っ・・・む、無理をするな。リィン、行くぞ」

「あ、ああ」

 

逃げるようにして、リィンはラウラと練武場を後にした。

ほほ笑ましい光景の中で、約1名。不機嫌なオーラを遠慮なくまき散らしていた。

中々に親馬鹿なのかもしれない。一人娘だし、無理も無いか。

 

「アヤ。待つがよい」

「え?」

 

2人に続こうとすると、その張本人に呼び止められた。

何だろう。2人の進展具合を聞かれても、話すわけにはいかない。

そんな私の胸中とは裏腹に、子爵閣下は真剣な面持ちで口を開いた。

 

「私の目が正しいのであれば―――アヤ。そなたに眠るその『力』。迂闊には呼び起こさぬことだ」

 

言葉が出なかった。

この人の目に、この世界はどう映っているのだろう。

リィンの件といい、理合いに達した人間は皆そうなのだろうか。

 

「分かっています。でも・・・・・・いざとなれば、躊躇いません」

 

ブルブランが言ったことは正しい。

引き出したのは、1度だけ。あの時は、自身の命を守るためだった。

今は違う。私の事などどうだっていい。愛する人間を守るためなら、私は躊躇わない。

お母さんがそうしたように、私は私の信じる正義を貫くまでだ。

 

_______________________________

 

案の定、私は夢を見ていた。

自覚があった。今私は夢を見ている。この光景は、きっと現実ではない。

それを夢だと認識する。誰だって身に覚えのある経験だろう。

ここまでハッキリとした夢は、実に4ヶ月振りだ。初めての特別実習を終えた、あの日。

ガイウスの部屋で熟睡したあの時も、私は兄様と呼ばれていた。

 

目の前に広がるのは、目も眩むような雪景色。

そしてそれを真紅に染め上げる、血。これは私の血だ。

夢なのに痛みすらはっきりと感じる。これはどうにもならない。

 

『兄様っ・・・・・・ち、血が』

 

この夢は初めてだ。でも、彼女は初めてではない。

歳は違えど、何度か見てきた夢の中にいた。

夢だけじゃない。私は彼女を知っている。

 

『グオオオォォォォッッ!!!』

 

耳をつんざくような魔獣の咆哮。あれにやられたのか。

抗う術は無い。手には小型の鉈があったが、これではどうにもならないだろう。

私―――いや。彼も今は、年端もいかない少年だ。

 

薄々分かってはいた。度々こうして、夜に現れる彼女。彼である私。

私には知り得ない、私のものではない記憶の数々。

多分、彼と戦術リンクで深く繋がったからだ。これもARCUSの影響なのだろうか。

だとすれば考え物だ。いくら便利な代物でも、こんな繋がりを見せるなんて聞いていない。

 

一層胸が疼いたと思いきや、次第に視界は鮮血に染まっていった。

自分の血ではない。それはズタズタに斬り刻まれた、魔獣のそれだった。

 

_________________________________

 

8月29日。午前0時半。

日付が変わり、特別実習2日目を迎えた頃。

 

「・・・・・・リィン」

 

ラウラは暗闇の中で、想い人の名を口にした。

余りにも受け入れがたい、リィンに宿る力の一端。

彼が抱えるものの大きさに触れたことで、ラウラは眠れない夜を過ごしていた。

 

あれは一体何だったのか。何故あんなものをその身に宿しているのか。

知る由は無いが、彼の力になりたい。そう願うことしか彼女にはできなかった。

いずれにせよ、きっとリィンは父との立ち合いの先に、何かを掴んだはずだ。

それだけがリィンにとって、またラウラにとっても救いではあった。

 

バタン。

 

寝返りを打ったラウラの耳に、何かの物音が入ってきた。

直後に聞こえてきた、水が流れる音。そして―――嗚咽。

 

(・・・・・・誰だ?)

 

誰かが泣いている。こんな夜中に、一体誰が。

その正体を確かめるために、ラウラはベッドから身を起こし、外の様子を窺った。

音と声は洗面所から聞こえてくる。足音を潜めながら、ラウラは静かに歩を進めた。

 

開きっ放しの扉の先には、蛇口の下に頭を潜り込ませ、流れ出る水を浴びる人影。

思わず息を飲んだ。あれは―――

 

「―――リィン?」

「・・・・・・ラウラ」

 

頭部から滴り落ちる水を気にも止めず、リィンは力無くラウラの名を呼んだ。

すると崩れ落ちるように、すがり付くようにその顔をラウラの右肩に埋めた。

 

「っ・・・・・・り、リィン?こ、こんな時分にどうしたのだ?」

「分からない・・・・・・分からないんだ。あれは、一体誰なんだ?」

 

始めは彼が抱える、もう1人の彼のことを言っているものとばかり思っていた。

そうでないことは、すぐに察した。明らかに様子がおかしい。

 

小刻みに震える身体を優しく抱きながら、ラウラは断片的に漏れ出す言葉に耳を傾けた。

彼女。それは女性だった。夢の中に現れた、自分ではない誰か。

その誰かが殺された。殺されたのに、立っている。血と肉の海の中で。

まるで理解ができなかった。凄惨なその光景も、所詮夢だろう。

理解に及ばない悪夢を見ることは、誰にだってある。何を怯える必要があるというのだ。

 

「リィン」

 

不意に背後から、声が聞こえた。

途端にビクンと、リィンの身体が震えた。

 

「アヤ・・・・・・そなたまで起こしてしまったか」

「ううん。多分、リィンと同じだと思う」

 

その言葉に、リィンは信じられないものを見たかのような表情を浮かべた。

それでラウラも漸く、この場にいる2人だけの世界に触れた。

リィンはゆっくりと顔を上げ、恐る恐るアヤの言葉に耳を傾けた。

 

「ねぇリィン。それ、私だよ」



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狼と少女

サザーラント州東南部、オーツ村。正確には集落の類である。

エベル湖の湖畔に広がる麦畑の隅に位置する、たったの30人程度からなる集村。

村名の由来は至って単純。オーツ麦畑の『オーツ』から来ている。

 

七曜歴1178年。ノーザンブリア大公国が見舞われた、歴史に残る未曾有の大惨事。

あの大災害を機に、大陸ではありとあらゆる農作物の需要と供給が一変した。

何しろ一大国の大部分が塩と化したのだ。その分の供給が、一気に大陸各地へ散らばり始めた。

帝国で例を挙げるなら、ライ麦は国内需要が急上昇し、大穀倉地帯における生産が拡大。

オーツ麦も例外ではなく、ちょうどその頃にエベル湖の湖畔に麦畑が整備された。

 

もっぱら飼料用として生産されていたオーツ麦は、近年食用としても注目を集めている。

所謂健康ブームだ。雑穀食の需要が伸びに伸び、麦畑は各地で開拓の一途を辿っていた。

クロスベル自治州のベーカリー有名店では『ハチミツオーツ』と呼ばれるパンが発売された。

上品な甘みが特徴のアルモリカ産ハチミツと、オーツ麦の風味が合わさった食事パン。

発売後は一気に人気商品となり、雑穀ブームの火付け役となった。

 

懐が潤ったオーツ麦畑の管理者は、湖畔に従業員用の住まいを建設した。

次第にその家族や友人までもが移住、新築を重ね、いつの間にか1つの集落が形成された。

村としての機能はまるで無いものの、対岸にはレグラムという立派な街がある。

州は違えど互いに良好な関係を築き合い、交流を深め合っていた。

 

リオン・キャラダイン。

4年前に唯一の肉親である兄を亡くした彼は、オーツ村では珍しい独り身の男性だった。

彼が義姉とその娘を村に招待したのは、七曜歴1197年。3月30日の昼―――

 

___________________________________

 

「ほぁー・・・・・・」

 

見渡す限りの濃い翡翠色。

一斉に揺れ始めるオーツ麦達が、顔に飛来する風を知らせてくれる。

同じような風景は、アルモリカ方面で何度も見たことがある。

でもやっぱり、スケールが余りにも違い過ぎる。広い、それしか言いようが無い。

 

「これは見事だね。思いっ切り『飛燕』をぶっ放したくなるよ」

「お母さん、絶対にやめてね」

 

と言いながら、その気持ちは少しだけ分かる気がする。

地面と水平に放てば、麦を刈りながら気持ちよく飛んでいくに違いない。

どこまで飛ばせるだろう。私なら、5~6アージュぐらいはいけそうだ。

 

「あたしなら30アージュは軽いさ」

 

桁が違った。多分お母さんなら、それぐらいはやってのける。

・・・・・・違う違う。そんな話をしたいわけじゃないのに。まだ収穫の時期じゃないし。

 

「どうですか、ランさん。僕は今の時期が一番好きなんです」

 

声に振り返ると、そこには私達をオーツ村に連れてきてくれた男性がいた。

リオン・キャラダインさん。レイン―――お父さんの、2つ下の弟だ。

収穫前の麦のように輝く細髪がよく似合う、この国で暮らす叔父さんだった。

 

「ああ、来てよかったよ。いいところじゃないか」

「そう言って貰えると僕も嬉しいですよ。ユイちゃん、気に入ってくれた?」

「はい。空気も美味しいです」

 

私達がこの国を訪れたのは、叔父さんの手紙がキッカケだった。

日頃から忙しく走り回るお母さんを気遣って、この村に招待してくれたのだ。

実際にお母さんは、家に帰らないことも珍しくない。それにももう慣れてしまった。

でも、きっと慣れてはいけない事だ。それは別に、私が寂しいからじゃない。

 

お父さんがいなくなってから、お母さんの生活は遊撃士の仕事が中心になった。

婚前以上の度を越した働きっ振りに、周囲からはよく心配されていた。

私だってそうだ。お母さんはきっと、寂しさを紛らわしている。

仕事に誇りを持っている、それは理解できる。だからこそ、逃げるような真似はしてほしくない。

 

お母さんは、そんな私の思いに気付いているのだろうか。

少なくとも私は、ロイド達にしか話したことがない。

 

「これから夕食の準備をするところです。ランさん達はどうしますか?」

「あたしはこの子に稽古を付けてから戻るよ。任せちゃって悪いね」

「構わないで下さい。じゃあ、また後で」

 

右手を振りながら、リオンさんは小型の導力車へと戻って行った。

いい人だ。お父さんが亡くなってからも、いつもああやって―――え、稽古?

 

「お、お母さん?今日もやるの?」

「さあユイ。向こうの岩場まで全速力だ」

「ええ!?」

 

嫌じゃないけど、何でこんな日にまで。

反論する時間も与えられず、私は500アージュを全力疾走する羽目になった。

 

________________________________

 

「一の舞、『飛燕』!」

 

振り下ろした長巻から放たれた斬撃が、小岩目掛けて飛来する。

乾いた鋭い音と共に、岩肌にはハッキリとその跡が残された。

真剣の扱いにも大分慣れてきた。調子はいいし、この重さが心地よいとさえ思える。

 

「ん、一通り基本は身に付いたようだね。まあまあの出来じゃないか」

「うーん・・・・・・そうかなぁ。お母さんなら、あれ真っ二つにできるよね?」

「あんたはまだ身体ができていないからさ。焦ることはないよ」

 

岩を真っ二つ、か。私も大分ズレてきているのかもしれない。

ここ半年ぐらいは、技の冴えが伸び悩んでいる気がする。思うようにいかない。

お母さんレベルの使い手になるには、あとどれぐらいの年月が必要になるのだろう。

 

「・・・・・・うん。そろそろ見せてあげてもいい頃合いか」

「え?」

 

お母さんは背負っていた長巻の鞘を払うと、私の後方に目を向けた。

そこには一回り大きな岩。いや、二回り以上は巨大な大岩があった。

・・・・・・冗談だよね。流石のお母さんでも、あれは―――

 

「連舞―――『飛燕投月』!!」

 

―――直後。お母さんの手から投げ放たれた長巻は、轟音と共に孤を描きながら加速した。

標的にされた巨石は真っ二つに斬り裂かれ、その遥か後方まで斬撃は続いた。

風を切る轟音は次第に聞こえなくなり、やがて視界からも消えていった。

恐る恐る視線を向けると、普段と変わらないお母さんがいた。

言葉に、ならなかった。

 

「ふう・・・・・・ユイ。あんたに授けた5つの舞は、あくまで型。あたしの剣には、その先がある」

 

飛燕、円月、弧月、月鎚、そして投月。

近、中、遠距離を制する5つの剣舞。私がお母さんから教わったのは、その5つだ。

私はそれ以外を知らない。あんな投擲術は初めて見た。

 

「昔耳にしたことがあるよ。武の真髄は―――」

「真髄は?」

「・・・・・・タイム」

 

両腕でTの字を作るお母さん。うん、もうこんなやり取りも慣れっこだ。

お母さんが夢見るA級遊撃士。大陸全土の遊撃士をひっくるめても、30人に満たないそうだ。

お母さんはもう10年以上前からB級遊撃士のまま。A級の資格を得られないでいる、その理由。

・・・・・・みんな、冗談で言ってると思ってたけど。もしかして、本当にそうなのかな。

 

「あ、そうそう。『無』だよ。武の真髄は、無。有る事と無い事は、同じ」

「同じ・・・・・・どういう意味なの?」

「さあ?捉え方は人それぞれだろうね。少なくともあたしは・・・・・・何だい、その目は」

「な、何でもない。続けて?」

 

私が疑っては駄目だ。お母さんが剣を語る時はいつも真剣そのもの。

立派な遊撃士、私の自慢だ。だからお母さんもそんな目で見ないでほしい。本当だってば。

 

「まぁいいさ。いいかい、あんたに長巻を握らせた時、あたしは何て教えた?」

「蝶のように舞い、旋風のように斬れ」

「そう。そこには型なんてない。思うが儘に、流れるように舞いな。いつかきっと、分かる時が来る」

 

思うが儘に、流れるように。何となくは理解できるけど、やっぱり分からない。

ただ、さっき見せてくれた技がヒントになるはずだ。

・・・・・・どっちにしろ、気が遠くなるような時間が掛かるに違いない。

私もあんな風に、剣を振るうことができるようになるのだろうか。

30アージュなんて嘘だ。その気になれば、100アージュに届くかもしれない。

 

「とは言っても、私もまだまださ。完成には程遠いよ」

「え?」

「所詮思い付きで始めた剣だからね・・・・・・ユイ。この際だから、正直に言うよ」

 

16歳。確かお母さんが初めて剣を握ったのは、遊撃士の資格を得たのと同じ時期。

それ以来、たった独りで自分の剣を育て上げてきた。ここまでは私も知っていた。

 

お母さんは語った。15年が経った今でも、昔と何ら変わらない。

理想像は既にある。それは完成しつつある。ただ、自分はまだその域に達していない。

あと何年掛かるか分からない。もしかしたら、志半ばで道を断たれるかもしれない。

 

「現役であり続ける限り、諦めるつもりはない。でもあたしが剣を握れなくなった時は・・・・・・ユイ。あんたがこの剣を完成させな」

「お母さん・・・・・・」

 

今私達は、間違いなく剣術の話をしている。でも何となく、それだけではない気がした。

お母さんは私に何かを伝えようとしている。分かっているのに、上手く汲み取れない。

多分それは、遠慮や戸惑いがあるからだ。そんなもの、必要ないのに。

 

「約束するよ」

 

そして―――どういうわけか、お母さんを急に遠くに感じてしまった。

唯一の家族が、遠いどこかへ行ってしまいそうになる。そんな感覚。

剣を握れなくなる。そんなわけない。お母さんは今も元気に剣を振るっているのに。

先の話だとしても、そんな事を口にしないでほしい。そんな話、聞きたくない。

 

「私はお母さんの剣が好きだよ。だから、もっと教えて。もっと強くなりたい」

「・・・・・・ああ。もちろんさ」

 

気付いた時には、私は引き止めるようにお母さんの腰元に抱きついていた。

目元にはまるで原因が分からない涙が、薄っすらと浮かんでいた。

見せてはダメだ。お母さんを不安にさせるようなことはしたくない。

そのためにも、私はもっと強くなる。その思いでずっと剣を習ってきた。

だからこれは、きっと嬉し涙だ。そう思えば、涙も治まってくれる。

 

「なら、ユイが好きなあたしの剣。取って来てくれるかい」

「へ?」

 

顔を上げると、遠くを見つめるような表情のお母さんがいた。

いや、実際に遠くを見ていた。視線の先には、先程半分に斬られた大岩。

そのずっと先。いくつもの岩々を斬り、遥か遠くまで飛んで行った長巻。

ここからでは、その距離が分からない。だって見えないし。

 

「・・・・・・嫌だよ」

「やっぱり?」

 

やれやれと溜息を付きながら、お母さんは長巻の下に歩を進めた。

今は少しでも離れたくない。私は剣を収めながら、足早にお母さんに駆け寄った。

 

_______________________________

 

叔父さんがこの村に移り住んだのは4年前。ここの麦畑を管理する人間の1人だそうだ。

両親の反対を押し切って農業を学び、今に至る。農業は叔父さんによく似合っていると思う。

昔は軍人さんだったお父さんも、初めはもっと違う職業を望んでいたらしい。

私から見ても、お父さん少し優し過ぎる人だった。私が生まれた頃には、配達業をやっていたし。

兄弟と言われれば納得できるけど、顔はそこまで似ていない。

多分、叔父さんは母親似だ。割とがっしりとした身体つきだけど、顔は女性のように小顔だった。

 

叔父さんの家は村の外れにあった。

1人住まいにしては少し大き目で、私とお母さんが客室に寝泊りすることになった。

1つだけとはいえ、ベッドまで用意されていた。実家のベッドよりもふかふかで、寝心地は最高だった。

 

「はぁ・・・・・・」

 

時刻は午後22時。

私はそのベッドの上で、珍しく眠れない夜を過ごしていた。

原因はお母さんが言った、あの言葉。やっぱりどうしても気になってしまう。

 

あたしが剣を握れなくなったら。

お母さんはまだまだ現役だ。確か以前、50歳になるまでは剣を手放す気は無いと言っていた。

だというのに、今日のお母さんは柄にもない言葉を並べた。あれは何だったのだろう。

そして、私に何を言いたかったのだろう。あんな顔のお母さん、初めてだ。

 

「んしょっと」

 

こうして考えていても眠れるわけないか。

私はベッドから身体を起こし、まだ明かりが点いたままのリビングに向かった。

きっと今日は遅くまで飲み明かすつもりに違いない。叔父さん、大丈夫かな。

 

「あれ?」

 

リビングを覗くと、そこには誰の姿も無かった。

テーブルには、お母さん達が飲んでいたお酒や食べ物が置かれていた。

どこに行ったのだろう。そういえば、さっきから話し声が聞こえなくなっていた。

 

2人を探すため、私は靴を履いて外に続く扉を開けた。

流石にこの季節に寝間着じゃ寒い。たちまち息も白くなってしまった。

 

周囲は月明かりに照らされ、夜にしては鮮明に村の全景が窺えた。

辺りを見渡すと、井戸の近くに転がっていた小岩に座る、2つの人影があった。

お母さんと叔父さんだ。あんなところで、一体何を―――

 

「・・・・・・お邪魔虫、だよね」

 

2人に近寄ることなく、私は逃げるようにその場を後にした。

向かった先は、納屋の影。私はその壁に背を預けて、地面に座り込んだ。

 

「ふぅ・・・・・・ふふっ」

 

すらりとした長身。猫のような小顔と細目に、胸元まで伸びた黒髪。

お母さんは私の自慢だ。何より美人だし、この歳になってその魅力に気付かされた。

お父さんが亡くなってから、何人の男性が言い寄って来たか分からない。

 

実を言えば、お母さんの気持ちには気付いていた。私も、それを望んでいた。

4年前からそうだった。悲しみを押し殺すお母さんを、ずっと支え続けていたのはあの人だ。

欠かさず送られてくる手紙を読む度に、お母さんの顔には笑みが浮かんでいた。

時折クロスベルまで足を運んでくる叔父さんが、私は大好きだった。

そんな叔父さんを見るお母さんの顔が、次第に特別なそれに変わっていった。

 

それでいいと思う。私は寂しくなんかない。でもお母さんは違う。

お父さんも認めてくれるはずだ。お母さんは今もお父さんを想っている。それもきっと、本物の感情。

 

「そうだよね。お父さん」

 

お母さんはもっと、自分の幸せを考えるべきだと思う。

私はもっと強くなる。早く大人になって、1人で生きていけるようになりたい。

そうすれば、お母さんは自分自身に目を向ける事ができる。

それが私にとっても、お母さんにとっても幸せに繋がるはずだ。

だから私は、もっと強く―――

 

カタンッ。

 

(―――え?)

 

背を預けていた、壁の向こう側。

納屋の中から、不意に物音が聞こえた。

もしかして、中に誰か―――そんなわけないか。動物でも入り込んでいるのかもしれない。

 

足音を潜めながら扉側へと回り、そっと扉を開けた。

暗い。納屋の中までは月明かりも入ってこないし、これでは調べようがない。

まぁいいか。明日の朝に叔父さんに声を掛けておこう。

そう思い、納屋を後にしようとした瞬間。

 

「っ!?」

 

何かに身体を引っ張られ、私は納屋の中に吸い込まれた。

直後、扉は固く閉ざされてしまった。

 

「痛っ・・・・・・な、何?だ、誰か―――」

「黙ってろ」

 

暗闇の中で、男性の声が聞こえた。

悲鳴を上げたくとも身体は強張り、私は納屋の中で一歩も動けずに立ち尽くしていた。

するとオレンジ色の光点が目の前で点滅し、それは暗闇の中を漂い始めた。

喉が刺さる様なこの感覚。これは煙草の匂いだ。

 

「道に迷っちまってな。寝床を探してたんだ。邪魔してるぜ」

 

煙草の先に灯る火の塊だけが、その存在を知らせてくれた。

 

「な・・・・・・に。何、なの」

「安心しな。ガキなんざどうだっていい・・・・・・あー、そうだな」

 

食料と水。この村の周辺の地図。それを持って来さえすれば、何もしない。

男は深々と煙を吐きながら、私にそう言った。

従うしか無かった。自分が置かれた状況は肌で、本能で感じていた。

そうしないと、殺される。頭の中で、そう何度も言い聞かせた。

 

私は身体を振るわせながら叔父さんの家に戻り、求められた物を乱雑に掻き集めた。

周囲に気付かれない様に気を配りながら、私は足早に納屋に戻り、そっと扉を開けた。

目には見えなくとも、先程よりも煙が充満していることだけが匂いで分かった。

 

「こ、これ」

「おう。礼を言うぜ」

 

差し出した麻袋を手に取ると、男は再び深々と息を吐きながら言った。

 

「それにしても・・・・・・クク。てめえ、何者だ」

「え・・・・・・ひっ!?」

 

その大きな手で、頭を鷲掴みにされた。

そのまま私の身体は引き寄せられ、眼前に男の顔が迫っていた。

既に目も暗闇に慣れてきており、その顔立ちが窺えた。

頬がこけている。真っ黒い眼鏡のような物に遮られ、目元は窺えない。

獰猛な動物に睨まれているような感覚を抱いた。とても人間とは思えなかった。

 

「おう、親父の名は」

「れ、レイン」

「・・・・・・知らねえな。母親は」

「ラン」

 

お母さんの名を口にした瞬間、男はまた薄気味悪い笑い声を上げた。

すると今度は姓を聞かれた。聞かれるがままに、私はシャンファと答えた。

 

「ジジイが言ってやがったな・・・・・・確かそんな名だ。ならこいつは、先天的な才かよ。羨ましい限りだぜ」

 

私の頭は、未だ掴まれたままだ。痛みなど既に通り越していた。

いっその事、大声で助けを呼んだ方がいいかもしれない。外には、お母さんがいる。

そう思った矢先に、頭を掴む手に一層の力が込められた。

 

「おいガキ。強くなりてえか」

「な、何?」

「そのままでも将来有望だ。だが・・・・・・クク、これ程のもんは滅多に見られねえ。てめえが望めば、俺が強引に『気穴』をこじ開けてやるぜ。どうなるか知ったこっちゃねえがな」

 

紫煙と共に吐き出される言葉の数々。まるで理解できない。

お母さんが何だ。この男はお母さんを知っているのか。

私が何だって言うんだ。気穴なんて言葉は知らない。

 

下手な事を言えば、何をされるか分からない。

だから私は思うが儘に、ずっと願ってきた言葉を口にした。

 

「つ・・・・・・強く、なりたい」

 

私は大丈夫。もう手の掛かる子供じゃない。

だからもっと―――自分の幸せを、考えてもいいんだよ。お母さん。

 

「よく言ったな。なら遠慮なくやらせてもらうぜ」

 

直後。私の頭を掴む5本の指から、何かが流れ込んできた。

途端に、全身に声にならない程の激痛が走り始めた。

 

「―――っ!!?」

「力を抜きな。痛みは初めだけだ。すぐに終わらせてやるさ・・・・・・っ!」

 

気が狂うような苦痛と耳鳴りに苛まれ、上下を見誤る程に視界が歪んだ。

 

すると私は突拍子も無く、これまで歩んできた私の道のりを思い返していた。

家族3人で歩んだ8年間。2人だけで歩んだ4年間。掛け替えのない親友達。

沸き立つように、数々の記憶が流れ出ていく。

 

と思いきや、今度はその真逆。私が知らない、私以外の記憶。

まるで知らない思い出、確かな感情が頭へ雪崩れ込んできた。

 

「な、に・・・・・・なに、これ」

 

殺した。もう何人も殺してきた。

強者を訪ね、技を奪っては殺し、彷徨い歩く。その分だけ強くなる。

古臭い拳法なんざ興味が無い。強者と戯れている時だけ、快楽を感じる。それ無しでは生きていけない。

 

(ち、違うっ)

 

違う。そんなもの強さなんかじゃない。

こんな感情は身に覚えがない。なのにどうしてこうも、鮮明に。

抗えば抗う程、次第に意識が薄れていき―――目には男の笑みだけが焼き付いていた。

 

_________________________________

 

気付いた時には、私は両の足で立っていた。

いつから目を覚ましていたのか分からない。どれぐらい時間が経ったのかすらハッキリしない。

眼前には、あの時と同じ光景。暗闇の中を彷徨う、オレンジ色の光点。

異なるのは―――外から聞こえてくる、喧騒。

そして壁の隙間から漏れ出てくる光。日の光じゃない。

 

「・・・・・・え?」

「漸くお目覚めか。どうだ、いい気分だろう?」

 

一瞬にして、思考がその機能を取り戻し始めた。

 

「な、何。私、何を・・・・・・」

「ほんの小一時間程度だ。寝て待ってようとも思ったが・・・・・・クク、外では面白れえ事になってるぜ。力試しには打って付けじゃねえか」

 

私が今置かれている状況が、まるで理解できない。

小一時間程度。男はそう言った。それが事実なら、今はまだ夜中だ。

なら、外から聞こえてくる音は、声は。この光は一体何だ。

 

「どうせ猟兵団崩れか何かだろうよ。煩くって眠れやしねえ」

「猟兵っ・・・・・・!?」

 

弾かれたように踵を返し、私は納屋の扉を開け放った。

途端に目に飛び込んできた、深夜のオーツ村。

真夜中の静寂など、どこにもなかった。

 

「・・・・・・嘘」

 

建物が一軒、燃えていた。叔父さんの家だった。

燃え立つ炎に照らし出された地面には、所々に力無く横たわる人の姿があった。

数名の人間は立っていた。どう見ても村の住民には思えなかったが、どうでもよかった。

私の視線は、井戸の傍らへと吸い込まれていた。

 

「・・・・・・お母・・・・・・さん?」

「ん。おい、ガキが1人残ってるじゃねえか」

「お母さん!!」

 

確かめるために、私は視線を逸らすことなく駆け寄った。

何度叫びながら近寄っても、動かない。耳元で叫んでも動かない。

身体を揺すりながら何度呼んでも、私の手がどろりとした液体に染まるだけ。

認めたくなかった。だから私は、うつ伏せに眠るその身体を、力任せに仰向けに変えた。

胸からは、赤い液体が止めどなく流れ出ていた。

お母さんの下には、叔父さんがいた。叔父さんも動かなかった。

 

「・・・ユ・・・・・・イ」

 

微かに声が聞こえた。

ごぼごぼと口元から溢れ出る液体と共に、私の名が零れ出た。

 

「お母さん!?」

「い、き・・・・・・な・・・さ―――」

 

パンッ。

 

それが最後だった。その言葉を最後に、お母さんの喉は爆ぜてしまった。

背後から飛来した何かが喉に着弾し、私の顔を生温かく、真っ赤に染め上げた。

瞬きすら忘れ、私はその様をじっと見続けていた。

 

「まだ生きてやがったか。人質がいなかったらと思うとゾッとするぜ」

「ああ・・・・・それで、こいつはどうする。女だし生かしておくか?」

 

何だこれは。

お母さんはどこにいった。叔父さんは何故動かない。

お母さんが掴むはずだった幸せは、どこに消えた。

さっきまで2人の間に流れていた幸せな時間は、いつの間に消え失せた。

お父さんと呼ぶ覚悟はできていた。私が夢見ていた光景は、これじゃない。

それに、どうして私は泣いている。お母さんの前では、もう泣かないと決めたのに。

 

「ガキなんざどうすんだよ。邪魔なだけだ」

「・・・・・・さ、いっ」

 

消えたんじゃない。奪われたんだ。

全部こいつらが、在るはずの幸せを根こそぎ奪ってしまった。

お母さんが、叔父さんが掴むはずだった全てを。

全部――――こいつらのせいだ。

 

「うぁああああああぁぁぁぁっっ!!!!」

 

こいつらを絶対に許すな。

その思いで、私はお母さんが握っていた長巻を振るった。

目の前の人間が、横半分に真っ二つへ斬り裂かれた。

 

「な―――」

 

返す刀で、もう一体を斬った。

首から上がはね飛ばされ、勢いよく上空に血が噴き出し始めた。

 

魔獣は斬ったことがある。その感覚と同じだ。

肉を斬る手応えも、頭上から降り注いだ返り血も、目の前のそれも。全部同じだ。

何が違う。何も違わない。何も感じない。

 

振り返ると、もう数体いた。

どういうわけか、感情と共に力が溢れ出てくる。真剣が嘘のように軽い。

自分の足ではないようだ。この力の行き場は、目の前にいる。

躊躇うな。こいつらは魔獣だ。全部、こいつらが奪ったんだ。

力任せに斬り捨ててしまえ。そう思った矢先に―――胸を、強く叩かれた。

 

「がっ・・・・・・!?」

 

続けざまにもう一発。胸が焼けるような感覚に陥った。

途端に全身から流れ出るように、力が抜けていった。動きたいのに、動けない。

痛みなどどうだっていい。動け。どうして動かない。

既に口からはごぼごぼと、お母さんが漏らしたような音だけが吐き出されていた。

 

「やれやれ・・・・・ここでくたばっちまったら、話にならねえだろうが」

 

―――どうして。

急に、どうしてこんな。何でこんなことになったの。

私はただ、お母さんと一緒に生きたかっただけなのに。

帰りたい。もうお家に帰りたい。ねぇ、ロイド。

お父さん。お母さん。誰か―――答えてよ。

 

「まあ、おかげでタダ飯にありつけたしな。こいつは特別サービスだ」

 

誰でもいい。誰か、助けて。

私はまだ、死にたくない。

 

「俺の気功を受け止める器があるんなら、精々耐えてみな。てめえなら十分可能性がある・・・・・・クク、暇つぶしにこいつらも全員潰してやるよ」

 

薄れいく意識の中で、再び何かが流れ込んできた。

頭を掴まれた時とは打って変わって、それはとても切なく、温かな感情。

 

この女性は誰だろう。やはり私の記憶ではない。

風になびかせる黒髪と、優しげな細目。綺麗な人だ。

どことなくお母さんに。私に、似てる。きっとこの人は素敵な女性だ。

私も大人になって、髪を伸ばせば。こんな風になれるのだろうか。

 

―――キリカ。

 

彼女を呼ぶ声を最後に、思考が止まった。心臓の音が、止んだ。

もう、何も考えられない。

ごめんね。ウェンディ、オスカー。もう帰れない。

―――ロイド。もう一度、会いたかった。

 

____________________________

 

3月31日。午前6時。

朝焼けに照らされたオーツ村の中央で、1人の少女が呆然と立ち尽くしていた。

見渡す限りの血と肉の海。元は人間だった物の、残骸の山々。

たった1人の男によって引き千切られ、殴打され、貫かれ。

生臭い異臭だけが漂う海の中心で、ユイはそれらを見下ろしていた。

 

―――どうかな。キミにとっても、悪くない提案だと思うんだけど。僕が保障するよ。

―――面白れえ。退屈凌ぎにはなりそうな話だ。

―――じゃあ決まりだね。ようこそ、『身喰らう蛇』へ。

 

いつの間にか、その場に立つ人間が1人増えていた。

その存在は視界に捉えつつも、会話の内容はユイの耳には入っていない。

自身の足で立ち上がってから、既に1時間以上が経過していた。

その間ユイは微動だにせず、じっと母親の亡骸を見下ろし続けていた。

 

―――あの子も結構、素質があるように見えるね。

―――やめとけ、今は唯のガキだ。俺の楽しみを奪うんじゃねえよ。

 

煙草に火を点けながら、男―――ヴァルターは、ユイの下に歩を進めた。

深々と紫煙を吸いながら背後に立つと、ヴァルターはその煙を彼女目掛けて吹きかけた。

 

「―――っ!!」

「おっと」

 

振り向きざまに、ユイは手にしていた長巻を力任せに振り下ろした。

その刃はヴァルターに届くことなく両の手に阻まれ、刀身は頭上1リジュの位置で静止した。

彼の手から僅かに流れ出た血液が、刀身を伝ってポタポタと地面に滴を落としていく。

 

「精々力を育てな。俺は強え奴が好きなんだよ・・・・・・何なら、面倒を見てやってもいいぜ。ついてくるか?」

 

ユイは口を開こうとしなかった。

その反応に気を落とすことなく、ヴァルターは刀身から手を外し、踵を返してその場を去った。

 

「てめえはいい女になる。数年経ったら様子を見に来てやるよ。順調に育っていれば・・・・・・クク、俺が食ってやる」

 

その言葉を最後に、2人は忽然と姿を消した。

血の海に残されたのは、ユイ。たった独りだけ。

誰も彼女の存在を、名前すら知る人間が誰一人として存在しないこの国で。

彼女は今、紛れもない独りになった。

 

途端に、ユイは途方も無い空腹感に苛まれた。

数日間何も口にしていなかったかのような、人生の中で初めての感覚。力の代償。

無我夢中で探し回った。道中に誰かの亡骸を踏み付けようと、気にも止めずに。

竿にぶら下げられた干し肉を目にした彼女は、迷わずそれを口に運んだ。

 

「・・・うぶ・・・・・・げぇっ!かはっ・・・」

 

飲み込んだ瞬間、すぐに吐いた。

それが余計に空腹を煽り、構うこと無く再び彼女は食らった。

 

「うっ・・・・・・うううぅぅっ!!!うああああぁぁぁ!!!!」

 

逆流する胃液を飲み込みながら、泣き叫びながら彼女は食らい続けた。

この村に何が起きたのか。自分の身に何が起こったのか。

どうして私は人間を斬ってしまったのか。この現実を、何をどう受け入れればいいのか。

 

何も分からない。今の彼女を突き動かすのは、たった1つの言葉。

生きなさい。今わの際に残した言葉を、気が狂いながらも懸命に守るために。

生きる、絶対に生きて見せる。吐瀉物で濡れた手で肉を食らいながら、そう誓った。

 

七曜歴1197年、3月31日。

狼の気紛れが拾い上げた命。宿してしまった力。孤独の始まり。

ユイ・シャンファがユイの名を捨て、12歳の誕生日を迎えた、翌日の出来事だった。

 

同年―――ハーメル村。

何の因果か、ユイと似た境遇に陥っていた少年は、彼女とは異なる選択肢を選んでいた。



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今の幸せ

特別実習2日目。8月29日、午前12時過ぎ。エベル街道。

 

「投月!!」

 

私の手から放たれた投擲術が、大猿型魔獣―――ゴーディシュナー目掛けて襲い掛かる。

鉄を斬るような音と共に、魔獣の頭上にそびえ立つ角が1本、上空に舞い上がった。

 

「今だよ、ガーちゃん!」

 

間髪入れず、アガートラムが正面からその巨体に組み付いた。

動きを封じられた魔獣は、アガートラムもろ共、左右から放たれた火属性アーツの標的となった。

木々の葉が揺れる程の咆哮と共にその膝が力無く折れ、あらゆる角度に確かな隙が生まれた。

少々手間取ってしまった感が否めないが、そろそろ潮時だろう。

 

「ガイウス、任せるよ?」

「ああ!」

 

勢いを付けて上空へと舞った私に遅れて、ガイウスの身体が追うように飛来した。

宙に浮いた私という足場をしっかりと踏み締めながら、槍の矛先は魔獣の頭上を捉えていた。

魔獣からは完全に死角となる頭上。ベストポジションだ。

 

「せーのっ!」

「はああっ!!」

 

呼吸を合わせ、ガイウスと魔獣を繋ぐ線に沿うように、力を込める。

上空からの一撃ならガイウスの十八番だ。これで外したら、後でぶん殴ってやる。

そんな私の懸念を余所に、ガイウスの突き技は確かに魔獣を縦に貫いた。

声にならない悲鳴を上げながら、地響きと共に魔獣は地面へと突っ伏した。

一丁上がり。こちらに目立った被害は見当たらないし、上々の出来栄えだ。

 

「ふう・・・・・・皆さん、お怪我はありませんか?」

 

散らばっていた面々が、エマの下に集いながら首を縦に振った。

すると彼女の腰元からARCUSの着信音が鳴り響いた。おそらくはリィンかラウラからだろう。

 

「はい、私です・・・・・・はい。そうですか」

 

2日目となる特別実習。私達は請け負った依頼は2つ。

1つは礼拝堂のシスター、セラミスさんからの素材調達依頼。

そしてもう1つが、この街道の奥部に出没した大型魔獣の討伐依頼だった。

 

セラミスさんが必要とする素材には、魔獣からしか手に入らない希少な食材が数点見受けられた。

そしてレグラム特産の香辛料の類。こちらは時節が違う物だそうで、今の時期は店頭にも並ばないため、困っていたそうだ。

 

後者についてはラウラに心当たりがあったようで、彼女とリィンが担当することになった。

前者はそれ以外のA班メンバー担当。7人という数を活かして、今日も別行動というわけだ。

 

「分かりました・・・・・・。皆さん、どうやらホワイトシードは無事見つかったそうですよ」

「そっか。じゃあ残すところは大型魔獣の討伐だね」

「そうですね。お二人とも、今こちらに向かっている最中のようです」

 

既に私達も魔獣食材は入手済み。セラミスさんの依頼は暫定で達成だ。

後はこの街道の先にいるという大型魔獣の討伐か。今のところは予定通り、順調に進みつつあった。

 

「それにしても・・・・・・フン、相変わらず見事な連携だな」

 

腰に手をやりながら、私とガイウスを交互に見やるユーシス。

相変わらずはお互い様だろうに。それに私にとっては、そんな視線を向けられても特に何も感じない。

 

「まあねー。何たって私とガイウスだし」

 

言いながら、私の右腕をガイウスの左腕へと絡ませる。

見せつけるように。というより、見せつけるためにギュっと。

うん、いい感じだ。これなら白昼堂々、彼の匂いを満喫できる。

 

「あ、あはは・・・・・・何と言うか、その」

「いつにもましてラブラブだよねー」

 

3人の視線に何ら構う事無く、私はガイウスの腕を引きながら街道の先に歩を進めた。

リィンとラウラを待つ必要はない。先に魔獣の所在を把握しておいた方が手っ取り速い。

 

「・・・・・・アヤ。その、どうしたんだ?」

「何。嫌なの?」

「嫌ではないが・・・・・・」

 

後方を歩くエマとミリアム、横に歩を並べるユーシスの反応を窺うガイウス。

気持ちは分かるが、そんな表情を浮かべられると私も複雑だ。

嫌じゃないなら堂々としていればいいのに。まあ無理もないか。

 

________________________________

 

8月29日、午前1時半。

リィンが触れた、私の過去の一端。私はリィンとラウラに、その洗いざらい打ち明けた。

 

オーツ村が見舞われた惨劇。その後の顛末は、ゼクス中将が教えてくれた。

第一発見者は、サザーラント州の商人。惨劇の翌々日のことだった。

住人が一夜にして銃殺され、村中には犯人と思われる集団の成れの果て。

余りに不可解かつ凄惨な事態に、サザーラント州側ではすぐに厳戒態勢が敷かれた。

報道や情報も規制され、詳細は人々の耳に入ることはなかった。

対岸に位置するレグラムでは、大まかな経緯は既に街中に広まりつつあった。

度重なる子爵家からの追及に、サザーラント側は頑として全貌を明らかにはしなかった。

 

そして捜査の過程で明らかとなった、村の住民以外の存在。

前日にクロスベル自治州から入国した、2人の親子。

うち1人は村で遺体が確認された。もう1人―――ユイ・シャンファの行方が掴めない。

事件の全貌を知るであろう少女を探すため、重要参考人として密かに捜索が進められた。

彼女の身柄が確認されたのは、その6年後。それが、私とゼクス中将の出会い。

 

「これが・・・・・・私の全て。お母さんがくれた名前を捨てた、理由だよ」

 

私の確かな過去を並べていくうちに、2人の表情は大いに歪んでいった。

一番明確に窺えた感情は、恐怖。無理も無いと思う。

身喰らう蛇というキーワードは伏せていた。それを除いても、我ながら身震いしてしまう。

 

強引に気穴をこじ開けられ、命を吹き込まれた私の身体。

今の私なら分かる。あんな事をして、無事で済むはずが無い。

常人は全身から血しぶきを飛ばしながら、自らの脳を焼きながら朽ち果てるだろう。

こうして今立っている事自体、私がどれ程異質な存在なのか思い知らされる。

多分リィンの感情や記憶は、その穴から流れ込んできたに違いない。

詳しい事は分からないが、考えてみれば私はあの時、似たような現象を経験済みだった。

 

「今の話は・・・・・・その、ガイウスは知っているのか?」

「全部知ってるよ。私が話したもん・・・・・・あはは。胸の傷、もう何回も見られちゃった」

 

言いながら、私は笑った。そろそろ辛気臭いこの雰囲気もウンザリしていた。

途端に2人の表情に、戸惑いの色が浮かんだ。

 

「あのさ。私は今、すごく幸せだよ。私のこと、2人も知ってるでしょ?」

 

本当に今更だと思う。

確かに私は唯一の肉親を失った。掴むはずだった多くの幸せを取り逃がした。

その代わりに、たくさんの不幸に苛まれた。それ以上に―――数え切れない幸せを、手に入れた。

愛する両親がいる。妹と弟がいる。仲間がいる。恋人がいる。確かな未来が見え始めている。

それだけで、《Ⅶ組》の誰よりも恵まれている。私の自慢の人生だ。

 

言葉には出さずとも、私の胸中をリィンとラウラは察してくれたようだ。

段々と2人の表情にも、笑みが浮かんでくれた。それでいい。

 

「はは・・・・・・アヤは、やっぱり強いな。君には敵わない」

「ああ。目を逸らさず、全てを受け止める・・・・・・そなたの幸せとやらを、羨んでしまいそうになる」

「本当に今更だね。胸焼けするとか子供がどうとか、散々言ってきたくせに」

「それ全部ユーシスだろ・・・・・・」

 

それもそうか。いやいや、似たようなことは言っていたはずだ。同罪だってば。

次第に話題は私とガイウスの関係に移っていき、遂には原型を留めていなかった。

 

「まあ何だかんだ言いつつ、最初から2人はいつも一緒だったからな」

「そろそろそなた達を見る目にも慣れてきた頃合いだ」

「あれ、そうなの?」

 

思えば私達の関係が皆に知られてから、もう1ヶ月が経とうとしている。

初めは新鮮だったその間柄も、段々と日常の一部と化してきているのだろう。

リィンが言うように、2人一緒なのは初めからだったし。

なるほど。ならもう少し、素直になってもいいのだろうか。

もっと思うが儘に、我慢せずに表に出してしまっていいのかもしれない。

 

「さてと。随分話し込んじゃったね」

 

暗闇の中で時計を見やると、短針は午前2時を指していた。

明日も朝が早い。そろそろ休んだ方がいいだろう。

 

「私は部屋に戻るね。おやすみ、2人とも」

「ああ。おやすみアヤ」

「いい夢を」

 

私は洗面所を後にし、2階へと続く階段を目指しつつも、すぐに歩を止めた。

それを悟られないように、息を潜めて洗面所の2人の様子を窺った。

 

「俺達も戻るか」

「ああ・・・・・・その、リィン」

「何だ?」

 

私の話はもう終わりだ。次は、彼の番。

自然と私の過去に関する事で終始してしまったが、まだ終わってはいない。

リィンは私の過去に触れた。同時に私も、夢の中でリィンの記憶を垣間見たのだ。

詳細は伏せながらも、それはラウラにも既に話している。

 

「リィンは・・・・・・今、幸せか?」

「・・・・・・そうだな。父さんに拾われて・・・・・・士官学院に入って、《Ⅶ組》に入れて。少なくともそれは、本当によかったと思えるよ」

 

おそらく、まだ決心はついていない。だから敢えて触れなかったのだろう。

彼が抱える力も、その過去も。私なんかが経験したそれよりも重く、深いのかもしれない。

 

「すまないラウラ。いつか必ず、話せる日が来ると思うんだ。だからその時まで・・・・・・待っていてくれないか」

 

いずれにせよ子爵閣下との立ち合いで、リィンは前に進めるキッカケを掴めたはずだ。

きっとその日はそう遠くない。それは私だから理解できる。

それに、リィンと戦術リンクで繋がった時。意図せずして彼の感情は私の中に流れ込んできた。

無自覚ながらも、ラウラは確かな心の支えになりつつある。

だからそこは「すまない」ではない。「ありがとう」と言うところだろう。この朴念仁め。

 

「ならよいのだ。気に病む必要などない。リィン、私は今幸せだ」

「そうなのか?」

「ああ。そなたのおかげだ・・・・・・こ、これからも宜しくな、リィン」

 

逃げるように洗面所から出てきたラウラは、階段に座る私に気付くやいなや、すぐに固まった。

そなたのおかげ、か。ラウラも随分と自身の感情に素直になってきたように思える。

ニヤニヤと笑いながらその頭を撫でると、いつも通りの照れを浮かべる彼女がいた。

 

私もラウラにありがとうを言いたい。

あの日、私は全てを呪った。全てを恨み、途方も無い孤独感に身を捧げた。

でも違った。私を覚えてくれていた人間がいた。7年もの間、ずっと。

その喜びは、やはり私にしか理解できない感情だろう。

勝手極まりないが、7年越しの再会を果たしたような感覚すら抱いてしまう。

 

「ラウラ、大好きだよ」

「むぐっ・・・・・・ま、また急にどうしたのだ?」

 

構う事無く、私はラウラを肩を抱いた。

そんな私達を、洗面所から出てきたリィンが戸惑いながら見詰めていた。

 

_______________________________

 

というわけで、私はもっとデレてみることにした。

どういう経緯でその結論に至ったのかすらハッキリと覚えていない。

ただ昨晩、私はそう決意した。もっと素直に、思うが儘にと。

 

「ねえガイウス、さっきからすごい汗だよ。そんなに暑い?」

「喉が渇きっ放しだ・・・・・・」

 

私に右腕を抱かれながら、ダラダラと額から汗を流すガイウス。

気持ちは分かるが、そこまであからさまに動揺しなくてもいいだろうに。

腕を組むぐらいなんだと言うんだ。それ以上の一線を越えた回数を言ってみてほしい。

 

「やれやれ。惚気るのも大概にしておけ」

「むっ」

 

ガイウスを挟んで反対側を歩くユーシスが、深々と溜息を付きながら言った。

相変わらずの一言だ。思えば彼は、私達をからかう言葉を並べる事が多かった。

・・・・・・上等だ。その上っ面を剥いでやる。

 

「実習中だという事を忘れるな。新婚気分でいられては足手まといになるだけだ」

「腕を組みながらでも警戒はできるよ。魔獣の気配は今のところ感じないし」

「13歳の少女が後ろにいるぞ。教育上宜しくない行動はくれぐれも慎むがいい」

「慎んでるつもりだけど。宜しくない行動って何?よく分からないから具体的に言ってよ」

「・・・・・・フン」

「ねぇユーシス、ねぇってば。ねぇねぇ。あれ、言えないの?」

 

顔を赤らめながら明後日の方向に目をやるユーシス。

勝った。ざまあみろ。そんな至極どうでもいい確かな感情で胸が躍る。

そもそも恋愛経験が豊富なわけでもないのに、余裕綽々のその態度が気に入らなかった。

照れるぐらいなら言わなければいいだろう。初心なくせに。

 

「あはは!ユーシスがザリーガみたいに真っ赤になってるよ!」

「ユーシスさん、どうされたんですか?」

「黙っていろ」

 

ユーシスは参ったとばかりに、歩調を緩め後方の2人組と合流した。

ちなみに隣には、彼以上にその顔を赤く染めたガイウスがいた。

 

「―――っ!!」

 

刹那。弾かれたように私とガイウスは、その身体を左右の岩陰に滑り込ませた。

ミリアムは瞬時にアガートラムを呼び出し、飛来した『銃弾』から身を防いだ。

コンマ1秒遅れて間一髪、ユーシスはエマの身体を抱きながら横っ飛びでそれを躱していた。

 

「・・・っ・・・・・・怪我は無いか」

「は、はい」

 

危なかった。ユーシスの反応が遅れていたら、銃弾の雨がエマを捉えていたかもしれない。

間違いない。この先に―――何かがいる。

 

「ガイウス!そっちからは見える!?」

「駄目だ。それに、生命の息吹を感じない」

 

もしその正体が魔獣や人間なら、ここまで接近を許していないはずだ。

ガイウスさえ感知していなかった。普通に考えて、あり得ない。

金属同士が擦れ合う音は、既に耳に入ってきていた。もう数アージュ先まで迫っている。

殺気は感じる。だがガイウスが言うように、これは魔獣ではない。

戸惑う私達を余所に、再び耳をつんざくような銃声が周囲に鳴り響いた。

 

「くっ・・・・・・ミリアム、あれが何か知ってる?」

「んー、機械仕掛けのカラクリか何かじゃないかな。一応言っておくけど、ガーちゃんとは違うみたいだよ」

 

まさかとは思ったが、見当違いだったようだ。

なら敵は本当に機械仕掛けの類なのか。どうしてそんなものが、この街道に。

大きくて禍々しい影。手配魔獣に関する情報はそれだけだ。

もしかしたら、あれがそうなのかもしれない。だとするなら、見過ごせない。

 

「エマ!」

 

後方に身を潜めるエマに判断を委ねる。

リィンが不在の今、行動の指揮は委員長であるエマが執っていた。

相手が得体のしれない機械である以上、深追いは禁物かもしれない。

リィンとラウラもこちらに向かっている。この場は一旦退き、合流してからでも遅くはない。

 

「・・・・・・放ってはおけません。皆さん、打って出ます!」

 

やはりそう来たか。

街道には私達以外の人間だって通る。あんな危険な存在、一時たりとも放ってはおけない。

 

「じゃあガーちゃんのバリアを盾にしながら突撃する?」

「いえ、この場は短期決着が必須です。ミリアムちゃん、可能であれば一撃で決めたいところなのですが・・・・・・」

 

蜂の巣にされるか、私達が壊すか。エマが言うように、長期戦にはなり得ない。

彼女の無理難題とも言える振りに、ミリアムは躊躇う事無く首を縦に振った。

 

「任せてよ!その代わり、20秒だけ時間をちょうだい!」

「だそうだ。聞こえたか、切り込み隊長」

「合点承知!」

 

特科クラス《Ⅶ組》出席番号1番。黒板消し係兼、切り込み隊長。

誰が初めにそう呼んだか分からない称号を背に、私は全速力で岩陰から飛び出した。

直後、私を追うように銃弾が地面に向けて掃射された。

 

(いけるっ)

 

思った通りだ。ヴァルカンのガトリング砲の方が、何倍も脅威を感じた。

当てられるものなら当ててみろ。回避に徹すれば、20秒などあっという間だ。

 

「薙ぎ払え!!」

「「エアリアル!!」」

 

ガイウスの回転撃と2重詠唱されたアーツのエネルギーが重なり、巨大な竜巻が発生した。

それは周囲の小岩をも巻き上げながら標的を飲み込み、完全に動きを封じ込めていた。

ギシギシと金属が歪む音が耳に入ると共に―――視界には、まるで理解できない光景が広がっていた。

 

「いっくよー、ガーちゃん!」

 

頭上に出現した、巨大な鉄槌。そうとしか形容のしようが無かった。

上空でそれを担ぎ上げていたミリアムは、加速しながら標的目掛けて落下していった。

 

「とりゃーっ!!!」

 

直後に響き渡る、落雷のような破壊音。眼前を震源として、私達の身体は揺れた。

振動が治まる頃には、鉄槌は見慣れた形態へと戻っていた。やはりアガートラムだったか。

開いた口が、塞がらなかった。

 

「・・・・・・何の冗談だ」

「凄まじい一撃だったな」

「うわぁ・・・・・・お気の毒に」

 

見るも無残な残骸。先程まで動いていたとは到底思えない、鉄の塊。

打たれた杭の如く地中へ埋もれたそれは、ピクリとも動かなかった。

 

「一件落着だね!」

「そ、そうですね・・・・・・」

「みんな、無事か!?」

 

声に振り返ると、そこには足早に駆けてくるリィンとラウラの姿があった。

うーん、この状況をどう説明しよう。とりあえず、地震など無かったことからか。

地中深くに埋もれた金属が動いていたと言っても、2人は中々信じてはくれなかった。

 

________________________________

 

「貴族派が水面下で動き始めているっ・・・・・・!?」

 

レグラムへと戻った私達は、街中に漂う異様な雰囲気に苛まれた。

原因は、街中で我が物顔に振る舞う、白と紫を基調とした軍服に身を包んだ領邦軍。

2000セルジュ以上離れたラマール州にいるはずの彼らが、何故こんな辺境に現れたのか。

 

「カイエン公って貴族派のリーダー格だよね。わざわざ来るなんてビックリしたよ」

 

その理由はミリアムの一言に集約された。

ラマール州を統括する、四大名門の筆頭。海都オルディスを治める貴族派の頂点。

カイエン公爵家の現当主が、このアルゼイド子爵邸を訪れた事にあった。

 

真相を確かめるために子爵邸を訪れた私達は、何とその張本人と出くわすこととなった。

身なりからさぞかし名のある貴族だと想像はしたが、まさか公爵閣下だとは思いもしなかった。

 

「ああ。私も驚いている」

 

聞けば、貴族派が一手に集う会合が、近々開かれる予定なのだという。

それに子爵閣下も出席するようにと、声を掛けに来たのが訪問の理由だそうだ。

2人のやり取りから察するに、それだけが理由ではなかったのだろう。

中立派を貫く子爵閣下に、余計な真似は慎めと釘を刺しに来たというのが本音に違いない。

そうでなければ、あんな不穏な空気が流れるはずがない。

 

「気の進まぬ貴族派を強引に引き込んでいるという話も聞く。貴族なら貴族派に属して当然という考えなのであろうな」

「父上・・・・・・」

 

キナ臭い。その一言に尽きた。

強引に勢力を拡大して、一体何をするつもりなのだろう。

貴族派と革新派の関係は、私も重々理解しているつもりだ。

 

ただ、その先に何が起ころうとしているのか。それがさっぱり見えてこない。

そもそも二大派閥の対立関係に、終焉があり得るとは到底思えない。想像が付かないのだ。

あるとすれば、それは最悪の可能性。血が流れる手法しか思い付かない。

・・・・・・戦争を押っ始める、なんて発想は無いと信じたい。

そんな事態になれば、周辺の州各国をも巻き込みながら、この大陸は混乱の渦に飲み込まれてしまう。

 

それに、公爵閣下が連れ歩いていた―――あの2人。

 

「ねぇ、ミリアム」

「何?」

「あの2人・・・・・・心当たりは、あったりするの?」

 

皆に悟られないよう、敢えて曖昧な表現を使った。

私だけが持つ嗅覚。忌み嫌う存在だからこそ、過敏に反応してしまう。

少なくとも、当たらずとも遠からず。おそらくは間違っていない。

 

「今は何とも言えないかな」

「そっか」

 

もしそうなら、キナ臭さで鼻が曲がりそうになる。

テロリスト集団の暗躍以上に、得体の知れない何かが水面下で動き始めている。そう感じた。

そんな事を考えていると、不安げな色を浮かべたリィンが口を開いた。

 

「自分の実家については、何かご存じありませんか?」

「心配は無用だろう。シュバルツァー卿と言えば私以上の頑固者として有名だ。貴族同士の胡乱な動きに加担するとは到底思えぬ」

「へぇ、そうなんだ。リィンのお父さんって、もしかして大物?」

「はは・・・・・・自由奔放な人だからな」

 

シュバルツァー男爵。その人となりを耳にしたことはなかった。

おそらく子爵閣下と同様に、中立派を貫いている立場にあるのだろう。

そんな貴族が彼以外にも存在しているというだけで頼もしい。

貴族と言っても、決して一枚岩ではないようだ。

 

「ふむ・・・・・・待てよ。そういう事なら、まだ打つ手はあるやもしれん。クラウス」

「はい、お館様」

 

またしばし留守にする。

子爵閣下の突拍子も無い言葉に、私達一同は顔を見合わせた。

 

________________________________

 

「慌ただしく去ることになって本当にすまない」

「いえ。父上のなさりようは昔から慣れっこですゆえ」

 

中立派の貴族と連絡を取り合い、貴族派の動きに取り込まれないよう働きかける。

それが子爵閣下が思い立った、彼ならではの即断即決の行動だった。

 

「こいつが午後の分の依頼だ」

「ありがとうございます」

 

子爵閣下には、トヴァルさんも同行することになった。

私達がエベル街道で対峙した、謎めいた機械仕掛けの魔獣。

2人にはあの異質な存在にも、思い当たる点があったようだ。

猟兵の臭いを放つ2人組といい、何が裏でどう繋がっているのか、まるで想像が付かない。

私達にできることは、目の前の実習課題に集中すること。それは今も変わらない。

 

「依頼を終えた後は書類作成も頼むぜ。区切りが付いたら、協会支部で書類整理をやってくれ」

「分かりました・・・・・・その、書類作成とは?」

「そいつはアヤに聞くといい」

「書類整理というのは・・・・・・」

「それもアヤに任せてある」

 

全部私に一任された。自然と皆の視線も私に集まった。

いや、分かることは分かるけど。いくらなんでも投げ過ぎだろう。

・・・・・・まあいいか。それだけ信頼されていると好意的に受け取っておこう。

 

「無骨者の娘だが、今後とも宜しくお願いする」

「はは、それじゃあな。サラにも宜しく言っておいてくれ」

 

私達に見送られながら、2人は駅の構内へと姿を消した。

 

この地での実習も、残すところ半日。その間レグラム支部は私達に任されたも同然だ。

色々と思うところはあるが、やはり今は目の前の事に集中すべきなのだろう。

 

「さてと。じゃあ早速依頼人を訪ねようか」

「アヤ、できれば街中では控えてほしいのだが・・・・・・」

 

ガイウスの腕を取ろうとすると、戸惑い気味のガイウスがそう言った。

なら仕方ない。代わりに私は、ガイウスの手を握ることにした。

 

_______________________________

 

午後16時過ぎ。

一通りの依頼を達成した私達は、トヴァルさんの言い付けに従い、書類整理に勤しんでいた。

 

「アヤさん、こちらの書類は『その他』でいいのでしょうか」

「迷ったらその他でいいよ。悩むだけ時間の無駄だから」

「アヤ。ペンのインクが切れてしまったのだが」

「そこの2番目の引き出しに入ってると思う」

「おい、コーヒー豆が切れたようだぞ」

「はいはい買って・・・・・・ユーシスっ!!」

 

先日こき使われたせいで、実務内容の手順は既に頭の中に入っていた。

物の配置も掃除や整理整頓の過程で、一通り覚えてしまっていた。

おかげ様で今日もきりきり舞いだ。とりあえずユーシスは自分で買ってくればいいと思う。

 

「ふむ。この分だと思ったより早く片付きそうだな」

「ああ、アヤがいてくれて助かった」

 

本当にそう思う。昨日ここで待機を選択しておいて正解だったかもしれない。

7人掛かりと思いきや、ミリアムは作業開始早々に夢の中に入ってしまっていた。

珍しく場を弁えずに眠りこけてしまったが、引っ掻き回されるよりはマシかもしれない。

それとユーシス、絶対に嫌だから。自分で行きなさい。

 

「それにしても、改めてトヴァルさんの凄さが分かるな。こういった雑務も依頼も、全部1人で回しているんだろう?」

「回ってないからこんな事になってるんだよ、リィン・・・・・・」

 

まあそれは置いといて。

レグラムだけで活動をするなら、こうも雑務が溜まったりはしない。

他の地方にまで足を運んで依頼を受けているのだから仕方ない。

そのフットワークと解決能力は、紛れもない一流の遊撃士だからこそのものなのだろう。

私にとっては偉大な先輩であることに違いは無い。

 

「・・・・・・どうしたの、ガイウス?」

 

手早く書類を仕分けていると、隣に座るガイウスが考え込むような仕草を見せていた。

どうしたのだろう。今は余り手を止めてほしくはないのだが。

 

「思ったのだが・・・・・・遊撃士というのは、やはり必要なのではないか?」

 

ガイウスの至極真っ当な言葉に、皆が顔を見合わせた。

この国に馴染みがない彼だからこそ、その言葉の重みは計り知れないものがある。

 

昨日。トヴァルさんとのやり取りの後、改めて遊撃士の存在意義を考え直してみた。

何度問い直しても、答えは同じだった。この国にこそ、遊撃士のような存在が必要とさえ思える。

革新派も貴族派も関係無い。人々の生活を真に第一と考える第3者が必要のはずだ。

人々の関心が薄れつつある今でも、その必要性は何1つ変わらない。

 

「一概には語れんだろう。ギルドは余りにも理想的過ぎる」

 

そんな理想論に現実を突きつけたのは、ユーシスだった。

ガイウスとは反対に、この国を知り尽くす彼だからこそ、その言葉が胸に突き刺さってくる。

 

「公的援助や寄付金などで維持、運用費を賄うだけでは限界もあるはずだ・・・・・・未来の遊撃士殿は、その辺をどうお考えなんだ?」

 

そこで私に振るのか。流石はユーシス様、容赦が無い。

この場合どう答えるべきなのだろう。素直に現実を受け止め、一般論で返すのが無難だろうか。

―――いや、それは気が引ける。

少なくとも、支える籠手を掲げたこの建物の中で、逃げるような真似はしたくない。

 

「分かってるよ。でもさ、理想があるからこそって考えもあるんじゃない?」

 

それは以前、エマが教えてくれたこと。

なりたい姿が明確になった時、人はその理想と現実の差を埋めるために、初めて前に進める。

夢物語ではないはずだ。サラ教官達先人が、50年以上の時を掛けて積み重ねてきたものがある。

 

「現実を軽視した物言いだな。理想論を振りかざすだけでどうにかなる程、この国の現状は甘くはない」

「その理想を忘れて派閥争いに興じてるようにしか見えないんだよね。この国を治めるどちらさんも」

「論点をずらすな。俺は今遊撃士協会の話を―――」

「ずらしてないってば。そもそも理想って何?国と民の平和だよね。それ以外に何があるの?」

「・・・・・・否定はせんが」

「そんなことも忘れて、理想論っていう逃げ道と一緒に遊撃士をこの国から追い出してしまった。それ以上に大切なものがこの国にはあるって言うの?何を見ているのかさっぱり分からない」

 

すらすらと饒舌に言葉が並んだ。

この5ヶ月間、帝国各地を又に掛けた実習の中で、ずっと考えてきたこと。

抽象的な言い回しで、誰の何を責めているのかすら曖昧だった。

 

「私はこの国が好きだよ。人も自然も街も、里心が付く程度にはね。だからこそ―――見過ごせないし、諦めたくない。お母さんから継いだ剣と、支える籠手の信念に誓って」

 

私の理想は、遊撃士としてのお母さんの背中。

理想はあくまで理想だ。私はお母さんではないし、ここはクロスベル自治州でもない。

私には私にしかできないことがあるはずだ。

 

「ふふ・・・・・・アヤさんは、もう立派な遊撃士なんですね」

「フン。精々空回りせんよう励むがいい」

「相っ変わらず偉そうな上から目線だね・・・・・・」

 

まあユーシスの言う通りかもしれない。

口先だけは立派でも、私はまだ遊撃士ですらない。空回りしないよう精々励むとしよう。

そう思い、手付かずになっていた書類に視線を落とすと、突然建物の正面扉が勢いよく開かれた。

 

「す、すみません!誰かいませんか!?」

 

その幼い少女の声は、今にも泣き叫びそうな程に、震えていた。



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黒の夢

ローエングリン城。

槍の聖女の本拠地、歴戦の勇士が集ったとされる伝説の古城。

もう200年以上前の話だというのに、城は果てることなく雄大に佇んでいた。

 

協会支部を訪ねた少女、クロエが事のあらましを全て話してくれた。

ユリアンとカルノ。レグラムの街中で度々目にしていた、2人組の少年達。

その2人が無断で港のボートを使い、この城へ冒険気分で入り込んでしまった。

待てども待てども、少年達は一向に戻ってこない。日が暮れ始めた時間になって漸く事の重大性に気付き、トヴァルさんを頼りに協会支部を訪ねた、というわけだ。

 

だが肝心のトヴァルさんが不在。

代わりにいたのが、私達特科クラス《Ⅶ組》A班。迷っている時間は無かった。

ただの迷子なら、それ程大きな危険性はないと考えていた。

住民の話では、城の周辺に魔獣が出現することもなかったそうだ。

楽観視していたわけではないが―――もしかしたら、これは相当に切迫した事態かもしれない。

 

「光ってる・・・・・・よね。どう見ても」

 

闇夜の中で青白く輝く、ローエングリン城の外壁。

まるで水や幻属性のセピスのように、神秘的な光を纏っていた。

こんな現象は見たことがない。遠目に見ていたこの城は、ただの石造りの城だったはずだ。

 

「ね、ねぇガイウス。この感じ・・・・・・」

「ああ。妙な風が吹いている・・・・・・石切り場で感じたものとそっくりだ」

 

忘れもしない、あの奇妙な感覚。

上位属性が働いているとエマが表現した、風が肌に纏わりついてくるあの感じ。

間違いない。あの時と同じ風が、この城から漂ってきている。

 

「いずれにせよ、中を調べる必要があるな。みんな、準備はいいか?」

「そうですね。気を付けて入りましょう」

「うー・・・・・・ゆ、ユーシス。先に行ってよ」

「ええい、押すな!」

 

岸には子供達が乗って来たと思われる小振りのボートがあった。

十中八九、この城の中に入り込んだと考えていい。こうして立ち尽くしている時間は無い。

 

目の前に立ちはだかるのは、10アージュに届きそうな程巨大な両開き扉。

開くかどうか心配だったが、力任せに押しただけで、扉は難なく開いてくれた。

 

「これは・・・・・・見事だな」

 

扉の先、眼前に広がるだだっ広い幻想的な空間。

巨大な礼拝堂を思わせる、独特の雰囲気が漂っていた。

それに―――光だ。窓枠から差し込む月明かりだけではない。

そこやかしこに点在する導力灯のような仕掛けから、やはり青白い光が放たれている。

おかげで視界は明瞭だが、あれは何だろう。

良く言えば幻想的。悪く言えば、薄気味悪い。

 

バタンっ。

 

突然ふわりとした風と共に、後方からけたたましい音が鳴り響いた。

振り返った時には、それまで開いていたはずの扉が固く閉ざされていた。

 

「あ、開かないっ」

「まさか、勝手にしまったのか?」

「ええ!?う、嘘!?」

 

そんな馬鹿な。この石と木造りの扉のどこにそんな仕掛けがある。

思いがけない事態に、ミリアムはアガートラムの剛腕を扉目掛けて容赦無く振るった。

直後―――眩い光と共に、城中に響き渡る形容し難い音の波。

まるで水面に水が滴り落ちたかのような音の、最大級。

期待していたような展開にはならず、扉は悪びれることなく閉ざされたままだった。

 

「な、何今の。扉に、何かの紋様が浮かび上がったように見えたけど」

「おそらくですけど・・・・・・結界が働いているようですね」

「ケッカイ?・・・・・・ああ、結界?」

 

一瞬、エマが言った言葉の意味が理解できなかった。

その2文字は知っていたが、抽象的な表現の類だとばかり思っていた。

 

「ふむ。よく分からないが・・・・・・エマ。そなたは、この現象に心当たりがあるのか?」

「え?ああいえ、少し心得があるといいますか。その、アレですよ。アレ」

 

どれだよ。皆の声が聞こえた気がした。

こんな時はいつも、ユーシスがド直球に問いただすところなのだが―――

 

「思えば以前から、時々妙な反応見せることがあったな。一体何を隠している」

 

―――今回も、その例外ではなかった。

要領を得ない口振りでエマが言うには、教会のシスターと同じ類の力に覚えがあるそうだ。

私からすればますます分からないのだが、察するに彼女は多くを語りたくないのだろう。

 

「とりあえずさ、早く子供達を探さないと―――」

 

私の言葉を遮るように、頭上から鐘の音色が鳴り響いてきた。

聞き惚れてしまいそうになる一方で、思わず耳を塞ぎたくなってくる。

 

「ひぃっ!?な、何なのこれー!」

「一々狼狽えるな。ただの鐘だろう」

「わ、分かってるよ!だから、だ、『誰が』鳴らしてるって言うの!?」

 

この城に向かう道中にも聞こえてきた、鐘の音。

ミリアムが言うように、人の手を離れた石の要塞に、自ら鐘を鳴らす術などあるわけがない。

一体何がどうなっている。戸惑うばかりの私達を余所に、エマの鋭い眼光が前方に向けられた。

 

「左右から来ますっ・・・・・・皆さん、構えて下さい!」

「え?」

 

すると突然、前方の空間から明確な殺気が膨れ上がった。

次第に視界にもその姿を捉え始め―――不気味な笑みを浮かべる顔が、2つ。宙に漂っていた。

機械仕掛けの魔獣が如く、気配を微塵も感じなかった。唐突に沸いて出たようにしか思えない。

やはりガイウスも察知していなかったようだ。次から次へと何なのだ、一体。

 

「ちっ、魔獣か!?」

「いや、普通の魔獣ではなさそうだ・・・・・・みんな、迎え撃つぞ!」

「やるしかない、か」

 

時間が無い以上、こうして足踏みしている暇は無い。

私達の目的は子供達の保護だ。目の前の魔獣らしからぬ魔獣に、気を取られている場合ではない。

 

「はああっ!!」

 

私とガイウスが先陣を切り、得物の長さを活かした先制を仕掛ける。

その一撃は風を斬り、直後に来るはずの感触が無かった。

 

「「っ!?」」

 

スカを食らう、という表現が一番正しいかもしれない。

間合いを見誤ったわけでもない。確かに私とガイウスの仕掛けは、その姿を捉えていたはずだ。

気付いた時には、魔獣の顔は私の右肩に乗っていた。

同時に耳に入ってきた、身の毛がよだつような波動。それは声となり、私の頭に入り込んできた。

 

(な―――)

 

眼前に広がる、屍の山。いつの間にか私は、12歳の私になっていた。

全身が鮮血で染め上げられ、髪は乾いた血で固まっていた。

どうして。何故私は今、あの光景を目の当たりにしている。

見たくない。もう二度と見たくないと思っていたのに、こんな―――

 

「アヤっ!!」

「え・・・・・・ぶはっ!?」

 

急に肺から空気が漏れ出し、途方もない息苦しさを感じた。

 

「しっかりしろ、アヤ!」

「が、ガイウス?」

 

鼻が触れる程、眼前に迫ったガイウスの顔。

私は彼の下敷きになりながら、その身体を抱かれていた。

待ってよ。こんな、その、ちょっと待って。駄目でしょ流石に。いや、ちょっとだけなら。

 

「ガイウスさん!そのまま伏せていて下さい!」

「へ?」

「踊れ、焔よっ・・・・・・はあぁっ!!」

 

私に覆いかぶさるガイウスの背中を擦るように、エマの導力杖から何かが放たれた。

紫色に輝く波動が2体の魔獣を包み込むと、焼き切られるようにして、その姿は消滅した。

既に殺気は感じられない。危機は去ったのだろうか。

 

「ふう・・・・・・お二人とも、大丈夫ですか?」

 

漸く頭が働いてきた。そうだ、私達は突然現れた魔獣と対峙していた最中だった。

 

「大丈夫か、アヤ」

「う、うん・・・・・・ごめん。突然、悪夢にうなされたような感覚になって」

 

ガイウスの手を取り身体を起こしながら、頭をぶんぶんと横に振るう。

俄かには信じ難いことだが、たった一瞬とはいえ私は確かに見たはずだ。

思い出したくはない光景が、鮮明に目蓋の裏に焼き付いてしまっていた。

 

「おそらく幻覚のようなものだと思います。あの魔物の仕業でしょう」

「ひぃぃっ!な、何でそんな不気味なのがこの城にいるの!?」

「落ち着いてミリアムちゃん・・・・・・幻覚は『キュリア』のアーツで対処できるはずです。もし異常を感知したら、私に任せて下さい。魔導杖に即効性の機能がありますから」

 

どうやら石切り場などよりも相当に厄介な場所のようだ。

こんな所に子供達が迷い込んだなんて、考えたくもない。

通常の魔獣ならまだしも、あんな不可思議な魔物がこの城中に徘徊しているのか。

・・・・・・というか、エマは本当に何者だ。余りにも手際が良すぎるだろう。

 

「事態は一刻を争うな・・・・・・委員長は、やっぱり何か知っているのか?」

「ある程度の知識は有しています。ただ・・・・・・ごめんなさい。今は、まだ」

「構わないさ。でも今は委員長の力が必要みたいだ。頼りにさせてもらっていいか?」

「ええ。もちろんです」

 

再び頭上を見上げる。外観から考えても、城内はかなりの広さだ。

子供達がいつ入り込んだか分からないが、数時間経過していると考えた方がいい。

奥部にまで入り込んでいたら、見つけることすら困難かもしれない。

いや―――絶対に助け出す。私達は一時的にも、支える籠手の紋章を預けられた身だ。

シャンファ流の正義。お母さんから継いだ剣を背負いながら、私は歩を進めた。

 

________________________________

 

「そなた達の家族や街のみんなが、どれだけ心配したと思っている!?」

 

子供達を叱責するラウラの声に、思わず身体がビクンと反応してしまった。

安堵で身体を緩め切っていた分、油断していた。皆には気付かれていないようだ。

 

子供達の捜索してから約30分後。城の奥部に、ユリアンとカルノはいた。

魔物に囲まれている光景を目の当たりにした時は冷や汗ものだったが、間一髪間に合ってくれた。

見たところ怪我は無いようだし、何はともあれ無事でよかった。

 

「ぐすっ・・・・・・ご、ごめんなさい」

「分かればよいのだ・・・・・・先程、カルノを守ろうと前に出た気概はよかった」

 

ユリアンの頭を優しく撫でながら、温かな笑みを浮かべるラウラ。

ほほ笑ましい光景だ。道中ずっと気を張っていた分、こちらも漸く生きた心地がしてきた。

それは皆も同じようで、誰もが眼前のやり取りに目を奪われていた。

 

「ふふ、ほほ笑ましい光景ですね」

「ああ。そうだな・・・・・・きっとラウラは、いいお母さんになるよ」

 

リィンの一声で、皆の呼吸が止まった。

ラウラは俯き、エマは笑みを凍りつかせ、ユーシスはリィンを連行した。

ガイウスとミリアムだけが、リィンの言葉を素直に受け止めていた。

 

(待ってくれ。頼むからまず説明してくれないか)

(馬鹿が。真顔であんな台詞を吐く男がどこにいる)

 

2人仲良く密談に花を咲かせる男子を置いて、私達はこれからの事について話し合い始めた。

 

私達はここまで真っ直ぐに一本道を辿って来た。

入り組んだ迷路のような道のりだったのだが、所々に張られた結界の影響で、導かれるようにしてここに辿り着いたのだ。

子供達も突然発生した結界に阻まれ、ここで立ち往生していたようだ。

元来た道を戻ったとしても、硬く閉ざされた正面門に行く手を阻まれるのは目に見えている。

選択肢があるとするなら、この部屋から繋がる道をさらに奥まで進むしかない。

 

「ふむ・・・・・・いずれにせよ、前に進むしか道は残されておらぬようだ」

「何なんだろうね、この現象。おまけに旧校舎で見た扉まであるし・・・・・・」

「ああ。この城自体、何があるのか皆目見当が付かないな」

 

正確に言えば、完全に同一の扉ではなかった。

ただ、紋様は誰の目から見ても同じ類の物だった。扉の大きさや雰囲気もほとんど同じ。

ドライケルス大帝が創立した士官学院。槍の聖女が本拠地とした、伝説の古城。

何らかの繋がりを連想せざるを得なかった。そしてあの扉の先にある、存在も。

 

「むー。こんなところで話してないで、早く進もうよ。また魔物が出ちゃうよ!」

「ちょっと待って下さい」

 

ミリアムの意見に賛成の意を示そうとした矢先に、エマが天井を見上げながら言った。

今度は何だ。まさか、また魔物の気配でも感じ取ったのだろうか。

 

「不思議な力の奔流が、上部から流れているのを感じます。上に何かあるかもしれません」

「「・・・・・・」」

「あ、あはは・・・・・・何となく、ですけど。そんな気がして」

 

この際だ。敢えて多くは問わないようにしよう。

事実彼女のおかげで、こうして子供達を救い出す事ができた。

どのみち残された選択肢は前進しかない。上に何かあるのなら、可能性があると考えた方がいい。

 

私達はユリアンとカルノの2人を連れて、階上を目指す事にした。

ついでに、ラウラとリィンのリンクレベルが上がった。そんな気がした。

 

_________________________________

 

ローエングリン城、最上階。入り口以上に開けた円状の空間が、そこには存在していた。

左右には壁に沿うように階段が上へ伸びている。その先の扉は外と繋がっているのだろう。

 

そして中央で光を放ちながら、ゆらゆらと浮遊する巨大な宝珠。

中では青白い炎のような物が揺らめいていた。まるで芸術作品のような美を感じた。

 

「委員長が言っていたのは、これの事じゃないか?」

「間違いありません。あの宝珠が、この城に異変を引き起こしているんだと思います。あれを破壊できれば、この異変も収まるはず・・・・・・」

 

破壊、か。物理的な力でどうにかできるとは、これまでの流れからしてとても―――

 

「ガーちゃん!!」

「「え?」」

 

―――その物理的な力の代表例が、目の前に姿を現した。

 

「ちょ、ちょっとミリアム。待ってよ」

「さっさと片付けて、こんなオバケ屋敷とはおさらばしよう!いくよ、ガーちゃん!」

 

私達の制止に耳を傾けることなく、アガートラムは宝珠の前に浮遊した。

直後に振りかざされた、右腕による一撃。

 

「うわあっ!!?」

 

それは正面門へ剛腕を叩きつけた場面の再現だった。

再び浮かび上がった青白い紋様に阻まれ、宝珠は何事もなかったかのように光を放っていた。

 

「うー。結界の事、すっかり忘れてたよ」

「言わんことじゃないな・・・・・・それで、どうするんだ。手の出しようが―――」

「待て。何か様子がおかしいっ!!」

 

いち早く異変に気付いたのはガイウスだった。

城内はほぼ無風だった。僅かに存在した風の流れも、私達では感じられない程に微弱だった。

それが今、青と白という色を纏いながら、私達に向かって吹き荒れはじめていた。

 

「凄まじいまでの力の奔流・・・・・・皆さん、離れてっ!!」

 

眩い光が城内中を照らした瞬間、息が止まるような感覚に陥った。

脳裏を過ぎる悪夢。瞬きする度に見えてしまう、凄惨な過去の一場面。

 

「ノスフェラトゥ・・・・・・っ!?皆さん、気をしっかり持って下さい!あれは今まで対峙したどの魔獣よりも・・・・・・ぐうぅっ!?」

 

目が眩むような殺気を放つ発光体。

この例えようのない感覚を形にすれば、おそらくああなるであろう死神の姿。

エマの言う通りだ。気を抜いたら、たちまち発狂しそうになる。

 

それは私だけではなかった。皆が皆、エマまでもが頭を抱え込みながら堪えていた。

強引に突き付けられる、心が抱え込む闇の一端。

足元から引きづり込まれるように、現実が悪夢へと染まっていく。

幻覚だという認識はあった。だが視覚も聴覚も、それが現実だと囁いてくる。

足元に転がる肉片も。人間を斬った感触と、目の前で事切れたお母さんの―――

 

「二の型、疾風!!」

 

―――声と共に、魔物を斬る鋭い音が聞こえた。

すると突然身体が軽くなり、五感がその機能を取り戻し始めていた。

周囲には、数体の魔物が消滅していく様が見受けられた。

いつの間にか、正面門で対峙した魔物の群れに囲まれていたようだ。

 

「みんな、エマの言う通りだっ・・・・・・惑わされるな、ただの幻覚だ!!」

 

力強い意志を込め、リィンが言った。左手で左胸を押さえながら、懸命に。

もう何度目になるか分からない。いつだってリィンはそうだった。

彼の言葉は正しい。悪夢はただの幻覚に過ぎない。

それを上回る覚悟と心を持ってすれば、きっとリィンのように打ち勝てるはずだ。

 

背負っていた長巻の鞘を払うと、反対の手を掴まれた。

それだけで力が沸いてくる。この現実に勝る悪夢などありはしない。

 

「あはは。悪い夢でも見た?」

「少々な・・・・・・アヤ、ずっと一緒だ」

「うん。いつだって一緒だよ」

「もうどこにも行かないでくれ」

「風と女神に誓います」

 

たった数秒間分け与えられた、彼の体温。

その温かみと一緒に、私はお母さんの長巻を握った。

 

_______________________________

 

ノスフェラトゥ。

後で聞いた話では、吸血鬼と呼ばれる伝説上の悪魔を指す言葉だそうだ。

血を吸う鬼か。そんな悪魔がかわいく思えてくる。

今まで何度も得体の知れない魔獣と対峙しては、力を合わせ危機を脱してきた。

ノスフェラトゥ、この魔物は―――住んでいる世界が、違い過ぎた。

 

「奥義、真洸刃乱舞!!」

 

ラウラの光の剣技が、魔物の身体を横薙ぎに斬り裂いた。

確かに刃は通った。だというのに、魔物は一向に衰える気配が無い。

いや、ダメージはあるはずなのだ。だが決め手となる一手が見えてこない。

 

「ま、まだ倒れぬのかっ・・・・・・?」

「ううん、効いてるよ。でもどうすれば・・・・・・多分、剣じゃ駄目なんだよ」

 

既に戦局は消耗戦の様相を呈しつつあった。誰もが満身創痍だった。

ノスフェラトゥが呼び寄せる魔物の群れを蹴散らしては、新たな群れが沸いて出てくる。

一対多の技に長けるリィンとガイウスが持ち堪えてくれているが、キリが無いにも程がある。

このままでは時間の問題だ。何とかして打開する一手を見出さなければならない。

 

「痛たた・・・・・・も、もう一発ガーちゃんでぶっ叩いてみようか?」

「いいえ、私に時間を下さい」

 

後方でミリアムの傷を治療していたエマが、言いながらゆっくりと立ち上がった。

エマは導力杖を強引に床へ突き立てると、静かに目蓋を閉じながら再び口を開いた。

 

「試したい術があります。お願いです、30秒だけで構いません!」

 

柄にもなくエマが声を荒げた瞬間、周囲に漂う殺気が一気に膨れ上がった。

気付いた時には、数え切れない程の魔物の群れが私達を取り囲んでいた。

 

「なっ・・・・・・馬鹿な、冗談だろう!」

「数が多過ぎる・・・・・・エマ、何か考えがあるのか!?」

 

リィンの言葉と同時に、皆の視線がエマに向いた。

その期待に応えるように、エマは力強く首を縦に振った。

 

「みんな、陣形を変える。エマを囲むように円陣を組んでくれ。アヤ、君には―――」

「言われなくても分かってるよ、リィンっ・・・・・・はああぁっ!!」

 

こうなればもう出し惜しみも温存も無い。

30秒と言わずに、1分でも2分でも食い止めて見せる。

幸いにもノスフェラトゥの動きは鈍っている。この中で1対1なら、私しかいない。

 

「―――っ!!」

「せぃやあぁっ!!」

 

耳鳴りのような声と共に振り下ろされた魔物の鎌を、長巻の刀身で受け止める。

途端に剣を介して流れ込んでくる、どす黒い負の感情の数々。

纏わりつく汗が急速に温度を失い、身体から温かな何かが流れ出ていく。

 

(私だっ・・・・・・これも全部、私なんだ)

 

目を見開き、私は黒い夢の全てを見据えた。

何度も何度も、同じ手が通用すると思うな。もうこの感覚にも慣れてきた。

想えばいい。今を噛み締めればいい。私の19年間を何だと思ってる。

全てを受け止めろと、エリゼちゃんに語ったあの時の私はどこへ行った。

私が掴んだ幸せは。私の今は。こんな安っぽい悪夢で色褪せる程―――軽くなんてないっ!!

 

「『月槌』・・・・・・下段!!!」

 

逆袈裟に鎌を斬り上げ、ノスフェラトゥの巨体ごと後方に吹き飛ばした。

すると私達を囲い込むように、6つの光り輝く円が床に浮かび上がった。

城内で何度も目にした、紋様に似た円陣だった。

 

「そびえ立て、大いなる塔っ・・・・・・ロード、アルベリオンっ!!!」

 

5つの巨塔を結んだ光点から放たれたエネルギーが、魔物の頭上へと振り注いだ。

城が崩れんばかりの轟音を響かせながら、辺り一帯が光に包まれた。

 

「うわわわっ!?」

「みんな、伏せろ!!」

 

天井から落下してくる小石が、最悪の可能性を連想させた。

それを頭から弾き出すように、私は両手で頭を抱えながらじっと床に蹲っていた。

次第に音は夜の静寂に消えていき、いつの間にか周囲に漂っていた殺気は消滅していた。

 

「ケホッ、ケホッ・・・・・・や、やったの?」

「ああ・・・・・・そのようだ」

「心地いい風が吹いている。もう何の気配も感じられない」

 

石埃を払いながら、皆がよろよろと立ち上がった。

一瞬不安がよぎったが、後方に隠れていたユリアンとカルノも大事無いようだ。

とんでもない相手だった。一歩間違えれば、皆こうして立ってはいなかったはずだ。

 

「ふう・・・・・・ド派手だね、エマ。また生き埋めにされるかと―――」

「待て、何か様子が妙だ!!」

 

剣を鞘に収めかけていたユーシスが、再び抜刀しながら前方を向いた。

視線の先には、先程の大きな宝珠。魔物が消滅した今でも、それは青白い輝きを放っていた。

 

「「っ!!?」」

 

何の前触れも無く、それは一際大きな光を放つと、突然身体に何かが圧し掛かった。

一気に全身が鉛のような重さに苛まれ、押し潰されそうな感覚に陥った。

気道までも圧迫され、呼吸すらままならなかった。

 

「う、迂闊でしたっ・・・・・・まさか、こんなっ」

「が、ガーちゃんまで動けないなんてっ・・・・・・!」

 

膝を床から外すことができない。アガートラムでさえ身動きが取れないのだ。

このままではそれこそ時間の問題だ。死力を尽くし、皆体力はロクに残っていない。

 

「こ、こうなったらっ・・・・・・!!」

 

誰もが身動き一つ取れない状況の中で、リィンの身体が両足で起こされた。

どこにそんな力が。それはARCUSを介して理解するに至った。

彼は昨晩のように、再びその身に宿す力を呼び起こそうとしていた。

 

「だ、駄目です!下手をしたら、『あれ』にあなたまで取り込まれますっ!!」

「構わないでくれ、あの力ならっ・・・・・・ぐあぁっ!!?」

 

見えない何かに押さえつけられたかのように、リィンの膝が再度折れた。

私達を覆う青白い光。リィンを纏う光だけが、より一層の輝きを放っていた。

間違いない。彼だけに、一際大きな力が圧し掛かっている。

あのままでは本当に、身体が押し潰されてしまう―――

 

「ぐぅぅ・・・オオオオォォォッッ!!!!!」

「り、リィン・・・っ・・・・・・うあぁっ!!?」

 

―――昨晩の、比ではなかった。

リィンが宿す獣染みた力。それが今、彼の心と身体に牙を向こうとしている。

胸が焼けるように熱い。心臓が直に焼かれているように、燃えるように熱い。

リィンを押さえつける力に比例して、沸き上がる力が見る見るうちに膨れ上がっていく。

 

「リィンさん!!駄目、戻って!!」

「リィン!!」

 

名を呼んだ瞬間。私の隣に、もう1人。

両の足でその身を起こす人間がいた。

 

「・・・っ・・・宝珠を、破壊さえすればよいっ・・・・・・!!」

「ら、ラウラ?」

 

信じられない光景だった。

残された力を全て月光翼に回しても、私ですら微動だにできないというのに。

どうして立てる。立てるはずが無い。

 

「あ、阿呆がっ!」

「馬鹿な、彼女も限界のはずだっ・・・・・・!」

「ど、どうして動けるの?」

 

決まり切っている。今ラウラは、己の肉体から目を背けている。

身体中が上げる悲鳴から、耳を塞いでいるだけだ。

あのままでは身体が壊れてしまう。宝珠の破壊など、土台無理に決まっているというのに。

 

「退くがよい、リィン!!」

「ラウラ・・・・・・駄目、無茶だよ!!」

「構わぬっ・・・・・・私が、私がやらねば、リィンが」

「ラウラ!!」

「構わぬっ!!退けっ、リィン!!!」

 

その瞬間。私は覚悟を決めた。

どう転んでも、この状況はいい方向に覆りはしない。

 

「・・・・・・ガイウス、聞いて」

 

男は、私に穴を開けた。

その穴から流れ出るようにして、際限なく溢れ出る力。

閉じ方は無我夢中で身に付けた。操り方は、アンゼリカ先輩から学んだ。

 

「あ、アヤ?」

 

引き出したのは、一度だけ。

4年前。魔獣討伐の依頼で対峙した、ワーム型魔獣。

取るに足らない相手だと思っていた。事実、何の苦も無く斬る事ができた。

気付いた時には、群れに囲まれていた。10体以上群れていたかもしれない。

この国を流れ始めてから、初めて突き付けられた本物の『死』。

死んでもいいと思っていたのに、本能がそれを許さなかった。

 

「信じて。必ず、戻ってくるから」

 

拾い上げた命は薄皮一枚で繋ぎ止められ、死と隣合わせだった。

立つことすらままならず、糞尿を垂れ流しながら街道で果てていく絶望的な2日間。

通り掛かった人間に拾われなければ、ここにはいなかった。もう二度と使わないと決めた。

 

「がっ・・・っ・・・うあああああぁぁぁぁっっ!!!!」

「アヤ!?」

 

自ら穴をこじ開け、大切な何かを燃やしながら強引に力へと変える。

子爵閣下に見抜かれた際、私は躊躇わないと誓った。なのに私は、たった今足踏みをしていた。

そのせいで2人が苦しんでいる。もう、迷わない。

 

「ぐっ・・・・・・ど、どいて。リィン、ラウラ!!」

 

私は2人の肩を掴み、強引に後方へと身体を引いた。

思った通りだ。この力なら、抗える。あれを壊せるかもしれない。

ただ、身体は既に限界が近い。万全の状態ならまだしも、満身創痍の身だった。

 

(お母さん、力を貸して)

 

筋や血管が音を立てて千切れ始めている。鼻孔から流れ出す血のせいで、呼吸が苦しい。

ぐずぐずしていられない。今の私なら、きっとできる。

ヴァルカンとの立ち合いで感覚は掴めた。思うが儘に、流れるように舞えば、きっとできる。

 

「アヤさん!!」

「馬鹿がっ・・・・・・何のつもりだ、アヤっ!!」

 

ユーシスが初めて、私の名を呼んだ。

こんな時に縁起でもない。そういうのはもっと大事な時にとっておけばいいのに。

絶対に諦めない。皆を救い、私も絶対に帰って見せる。

 

「連舞―――飛燕投月!!!」

 

私の手を離れた月下美人は、宝珠目掛けて加速した。

再び現れた結界は斬撃を阻みつつも、音を立てながら亀裂が走った。

かと思いきや、月下美人は壁を貫くことなく弾かれ、遥か後方へ吹き飛ばされてしまった。

 

「そ、そんなっ」

 

いや、まだだ。まだ剣は背にもう一本残っている。

確かに貫きかけたはずだ。もう一度叩けば、きっと壊れる。

そう信じながら、柄に手を伸ばし掛けた時。私の額の何かが弾けた。

 

「あ―――」

 

遠のいていく意識の中で、気味の悪い音と共に、身体が一気に崩壊していくのを感じた。

こんなところで果てるわけにはいかないのに。せめてあれを壊してからにしてほしかった。

 

「―――」

 

誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。もうそれを拾うことさえできない。

お願いだから、誰か何とかしてほしい。大好きな皆を、どうか救い出してほしい。

私はどうだっていい。狼でも、女神様でもいいから、どうか。

―――ごめん。そう心の中で謝りながら、私は深い闇の中へ落ちて行った。



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叶わぬならば

昨晩の夢を彷彿とさせる、身に覚えがない光景。

覚えがないと言っても、昨晩とはまるで感覚が違う。

少なくともこれは、他人の記憶なんかではないはずだ。

 

(あれは―――私?)

 

夢を夢と認識しながら、私は自らが置かれた状況を俯瞰して見ていた。

これは紛れもない、私の夢だ。私自身にしか描くことができない。

記憶や感情、体調や時間。様々な要因が複雑に絡み合い、作り出される摩訶不思議な世界感。

必ずどこかで、私の何かに繋がっている。夢には、必ず理由がある。

 

「・・・ユ、イ・・・・・・」

 

ただ、眼前に広がるこの世界は違う。とてもそうは思えなかった。

私の手に握られた長巻。その刀身から滴り落ちる、生臭い液体。

足元には、斬り伏せられた男性がいた。私の大切な親友であり、大切な思い出。淡い感情。

もう、助からない。私を見上げるその目からは、光が失われつつあった。

 

「だから言ったのに・・・・・・バカ。もう、無理なんだよ。戻れるわけないじゃん」

 

漆黒の衣装に身を包んだ私は、動かなくなった男性を見下ろしながら言った。

私と彼の間に、何があったのか。私はどうして、あんな表情を浮かべているのか。

前後関係すら分からない。彼は、私が捨てたはずの名を口にした。

あれは、私―――アヤじゃない。この世界はきっと、現実から大きく外れた、別の何かだ。

 

「今更だけどさ。大好きだったよ。バイバイ―――ロイド」

 

とうに枯れていたであろう涙が、血涙となり頬を伝っていた。

私は彼に構うことなく、刀身の血を払いながら踵を返した。

隣には、道化師がいた。満足気に、薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 

それで漸く、この世界の正体に思い至った。

私が歩むかもしれなかった―――歩むべきだった、もう1つの可能性。

7年前の私に、突如として突き付けられた、選択肢。

しかしだとするなら、何故こんな夢を今になって見る必要があるのだろう。

私の記憶や感情が、こんな凄惨な絵を描くはずがない。

 

―――テ。

 

突然、この場にいる誰のものでもない声が聞こえた。今のは女の子、だろうか。

すると急速に、周囲の光景が色を失い始めた。

キャンバスに描かれた色鮮やかな水彩画が、水で洗い流されるように。

真っ白になるまで、それは続いた。

 

(ガイウス―――)

 

会いたい。一刻も早く、私が想う男性に寄り添いたい。

もうキャンバスは真っ白だ。だから好きなように、思うが儘に、色取り取りの世界を描きたい。

私が選んだ世界。掴んだ幸せは―――もっと、光に満ち溢れているのだから。

 

______________________________

 

いつからこうしていたのかが、分からない。

気付いた時には、夢と現実の狭間を通り越していた。

零れ落ちる涙が、悲しみなのか、安堵が起因しているのかすら曖昧だった。

 

「ご気分は如何ですか。アヤ様」

「・・・・・・大分、落ち着きました」

 

寝心地に文句の付けようがない、セミダブルサイズのベッド。

その傍らに置かれた椅子に座りながら、私の手を握る女性が1人。

そして、私の肩に居座る小鳥が1羽。ハッキリ言って、何が何やらさっぱりだった。

 

まずはこのフワフワとした感覚を、どうにかしてからだ。

あれは夢。ただの夢に過ぎない。中身がどうあれ、現実ではない。

私はアヤで、今レグラムにいる。私が昨日まで歩んできた全てが、確かにある。

それに―――生きている。手と肩に感じる温もりが、そう教えてくれた。

 

「シャロンさん。今日って何日ですか」

「8月30日、午後14時過ぎですね」

「みんなは?」

「B班の皆様とご一緒に、無事ガレリア要塞に到着したと、ご連絡を頂いております」

「・・・・・・あの、何でここにいるんですか?ていうか、いつから?」

「昨晩にこちらへ。アヤ様のお世話をと思い、駆けつけた次第です」

「数時間掛かる道のりですけど。突っ込んだ方がいいですか?」

「うふふっ」

 

矢継ぎ早の問いに、シャロンさんは表情をそのままに答えていく。

その後も私は状況を整理するため、解消しておきたい疑問は全て投げ掛けた。

シャロンさんがこの場にいる理由だけは、分からず仕舞いだった。相変わらず捉えどころがない。

一しきり質問に答えた後、シャロンさんはゆっくりと腰を上げ、窓を半開きにしながら言った。

 

「厨房をお借りしておりますので、お食事をご用意致しますね。どうなさいますか?」

「特盛でお願いします」

 

畏まりました、と小さく一礼しながら言うと、シャロンさんは寝室を後にした。

残されたのは私と、いつの間にか頭上によじ登っていたラン。1人と1羽だけだった。

 

「はぁ・・・・・・」

 

溜息を1つ付いた後、再び私はベッドに身体を寝かせた。

ランは一度宙に飛び上がり、私の胸元へと着地した。

 

『おなかへった』

「私もだよ・・・・・・ちょっと、入らないでよ」

 

ランの呟きに答えながら、私は胸元に潜り込んだランを引きづり出した。

この子はシャロンさんが連れて来たに違いない。それだけは確かだ。

・・・・・・落ち着こう。私は深呼吸を1つ置いた後、今一度この状況を頭の中で整理した。

 

私が意識を失った後の経緯は、シャロンさんから聞かされていた。

ユリアンとカルノを含め、A班は皆無事に帰還することができたようだ。

槍の聖女云々の部分はまるで理解が及ばなかったが、何はともあれ無事でよかった。

一方、意識を完全に失ってしまった私は、目を覚めす気配すら微塵も無かった。

大慌てで私を運び込んだ皆を待ち受けていたのが、シャロンさんとラン。

大まかにはこんなところだ。私は半日以上、ずっと眠っていたそうだ。

 

「いい天気だね、ラン」

 

窓枠から差し込んでくる陽の光が、確かに正午を過ぎていることを知らせてくれる。

とても実習期間中とは思えない。目を瞑れば、再び夢の世界へ落ちそうになる。

 

正直、皆に置いて行かれた感が否めない。が、それも無理からぬことなのだろう。

何しろ行先があのガレリア要塞だ。私に構って、急遽予定を変更するわけにはいかない。

そんな事をしたら、士官学院としての体裁に関わってくる。対外的に問題大有りだ。

 

「んー・・・・・・」

 

大分頭が冴えてきた。そろそろ、考えるべきだ。

今ここに、最大の疑問が残っている。こればっかりは、説明のしようがない。

 

(動く、よね)

 

全身に激しい痛みはある。身体を起こすだけで、思わず声を上げそうになる。

途方も無い疲労と激痛、それだけ。本当にそれしか無いのだ。

正直に言えば、数日間は指一本動かせない程度の代償を覚悟していた。

力を振るった時に感じた、身体が壊れていく感覚は夢ではなかったはずだ。

 

だというのに、動く。多分、私の身に何かが起きたのだろう。

魔物との対峙で負った傷ですら、既に塞がり掛けているのだ。

オーバルアーツでもこうはいかない。昨晩、一体何が。

 

「・・・・・・ねぇ、ラン」

 

そしてもう1つ。目を覚ました時に抱いた、違和感。

間違いではないはずだ。付き合いは短いが、明らかな変化がある。

私は呟くようにして、その疑念をぶつけた。

 

「どうして―――縮んでるの?」

 

痛みを堪えながら身体を起こすと、ランは再び私の肩で羽を休め始めた。

思った通りだ。その小さな体が、一回り以上縮んでしまっている。

羽が抜けたわけではない。成長するならまだしも、その逆なんてあり得ない。

 

私は目を瞑りながら、静寂に身を捧げた。

聞こえてくるのは、窓から入ってくる穏やかな街の声だけ。

小鳥に語りかけるなんて馬鹿げている。だがそれ以上に、不可解な事実が肩にある。

あの夢を見たせいかもしれない。今なら、どんな事だって受け止められる。

 

「ラン」

 

もう一度だけ、名を呼んだ。

すると、何者かの溜息が聞こえた。

 

『単なる気紛れにすぎぬ。私はただ見守るだけの存在だ』

 

―――応えてくれたか。

頭の中に直接響いてくるような、超然とした重々しい声色。

気のせいじゃない。その声は、私の肩から発せられていた。

 

「そっか。敵、じゃあないよね。助けてくれたんだし」

『私の力だけではない。あの娘の術による恩恵の方が大きいと見える』

「あの娘?」

『私が語るべきではないはずだ。いずれ、知る時が来るであろう』

 

誰の事を指しているのかは、皆目見当が付かなかった。

シャロンさんかとも思ったが、そうではないように思える。

・・・・・・何だか変な感覚だ。まさか本当に、小鳥と言葉を交わす事になるなんて。

 

『おぬしとは一度だけ接点がある。支援課を訪ねた日のことを、覚えているか』

「支援課・・・・・・」

 

特務支援課のビルを指して言っているのだろうか。

確かに一夜だけ、あのビルでロイド達と語り合った事はあったが、鳥なんていなかったはずだ。

あの場にいたのは、彼ら以外ではキーアちゃんに、課長さん。

それと、警察犬が1匹。確か名前は―――

 

「―――も、もしかして、だけど。ツァイト、なの?」

『分身のようなものだ。既に意識は離れ、独立した存在となっている』

 

小鳥の正体は犬だった。どうしたらそんな話になる。

戸惑うばかりの私に、ツァイトは言葉足らずながらも掻い摘んで話してくれた。

 

私を一目見た時から、彼は―――なのかは分からないが―――感じ入る部分があったそうで。

もうこの時点で理解の範疇を超えているが、とりあえず私に、何か思うところがあったようだ。

そこでツァイトは、自らの力の一部分を分身として放ち、帝国へ向かわせた。

私の下に来るまでは、この国が置かれた状況を把握するために飛び回っていた。

 

なるほど。うん、さっぱり分からない。

 

『至宝が消滅し、この身を縛る禁忌が薄れたとはいえ、無制限の助力は許されぬ。だが・・・・・・うむ。やはりおぬしは突出して、何らかの形で因果に触れた身であるようだ』

「もう一度言おうか。さっぱり分からないよ」

『それでよい。私は本来、見守るだけの存在だ』

「・・・・・・それ、ロイド達は知ってるの?」

『おそらくは知らぬはずだ。言っただろう、私は本体とは既に離れた存在であると』

 

最後の言葉だけは理解できた。要するに、本体さんは今も警察犬を装っているのだろう。

その正体は、人語すら話す超越した存在。これ以上は聞いても無駄かもしれない。

至宝だの禁忌だの、もう何が何やら。小鳥と会話する現実を受け止めるだけで、精一杯だ。

 

「じゃあ、たまに話す『おなかへった』とかもツァイトなの?そもそも何でインコ?」

『擬態だ。意識しなければ、私はただの鳥だ。外見も群れに合わせただけのこと』

「時々胸元に入り込んでくるのは何なのかな。ツァイトってオス?変態さん?」

『雌雄などない。あれも擬態だ』

 

主に夜を中心として、見られてはまずいものを見られまくっていた気がするのだが。

まあここはツァイトの言葉を信用しよう。そうしないと話が進まない。

 

「とりあえずさ、今までみたいにランって呼ぶよ。それと、流石にみんなには隠しておこうと思うけど。それでいい?」

『好きにするがいい。私はただ、見守るだけだ』

「・・・・・・もう1つだけ。見守るって、何を?」

『私ですら曖昧になりつつある。千年に及ぶ妄執は、最早あの地のみに留まらない・・・・・・それすらも、歯車の1つに過ぎぬやもしれぬな』

 

それを最後に、ランは再び沈黙してしまった。

本当に何なのだろう。私が見た夢といい、ランといい。これは何かの前触れだろうか。

私なんかの想像には収まり切らない、何かが動き始めている気がする。

帝国だけじゃない。クロスベルを含めて、何者かの大きな意志が。

 

_________________________________

 

翌日。8月31日、午前11時。

私とランは大陸横断鉄道に揺られながら、ガレリア要塞を目指していた。

私の行動は、ARCUSとミリアムの得体の知れない通信機を介して、サラ教官から指示されていた。

 

当初は昨日のうちに移動しようと思っていたのだが、結局は待機を命じられた。

大事が無かったとはいえ、今の私は満足に身動きすら取れないのだ。

多分、剣を握れるようになるまで、あと数日間は掛かる。月光翼など論外だ。

今の状態で力を振るえば、それこそどうなるか分からない。

 

一方、私を除く《Ⅶ組》の皆は、第4・第5機甲師団による軍事演習の見学に参加したそうだ。

今日は午前中から正規軍の訓練に参加し、午後からは講義の後に、あの『列車砲』の見学。

私は昼前に到着予定だから、私は午後から皆に合流することになる。

 

「列車砲、かぁ。一目見てみたい気もするけど、気が重いってのが正直なところだよ」

 

その脅威は知っているし、詳細なスペックはアリサが先々月に教えてくれた。

故郷を脅かすだけの、大量殺戮兵器。それ以上でも以下でもない。

抑止力になどなるはずもない。クロスベルは、軍用飛空艇すら持つことが許されていない。

投資したその莫大なミラで、どれだけの国民が幸せになることやら。

 

「そういえば、通商会議ってもう始まってるのかな。ロイド達も警備に参加するんだってさ」

『・・・・・・先程から、私に話しているつもりなのか』

「他に誰がいるの。無視されてるのかと思ったよ」

 

連れて行こうかどうか迷ったが、私としては一緒にいてくれるだけでどこか心強い。

ランは今、私の鞄のポケットの中に身を潜めていた。

 

小動物を列車に乗せる際には、必ずケージに入れて連れ歩くよう義務付けられている。

元の大きさでは収まりようがなかったが、今ならポケットにピッタリのサイズだ。

声も含め、これならバレる心配は無い。周囲の乗客も気付いてはいないはずだ。

 

「何か今回の実習って、単独行動ばっかだし。ちょっと寂しいんだよね」

『言っただろう。私は見守るだけだと。話相手なら他を探すがいい』

「いないから話してるんだってば。変な事は聞かないからさ」

 

ランは自身の事やロイド達について、多くを語ってはくれなかった。

話してくれたのは、最低限の馴れ初めや経緯に留まっていた。

期待はしていなかったが、少しぐらいは相手をしてくれてもいいのに。

 

物は試しにと、シャロンさんが持たせてくれたサンドイッチの一部を千切り、ポケットの中に放り込んでみた。

食べてはくれているようだ。こうして見ている分には、やはりただの鳥に過ぎない。

 

「美味しい?」

『擬態している身だ。味など分からん』

 

それは随分とお気の毒に。食の喜びを味わえないなんて考えたくもない。

しばらくランとサンドイッチを頬張っていると、頭上から車内アナウンスが流れ始めた。

 

「っと。もう着いちゃったか」

『・・・・・・やれやれ。人の創り出し物は、いつの世も到底理解できぬ物ばかりだ』

 

基地を撮影する類の行為が法で禁止されている旨を、車内アナウンスが知らせてくる。

耳にしたのは初めてではないが、相変わらず物騒な内容だ。

鉄とコンクリートが織り成す、ここにしか存在しない威圧的な雰囲気と匂い。

帝国東部国境―――ガレリア要塞。ARCUSは、午前11時半を示していた。

 

______________________________

 

「アヤ!」

「アヤさん!」

 

私はサラ教官とナイトハルト教官―――ここでは少佐と呼ぶべきか。

2人に出迎えられ、講義が行われる予定の一室へと向かった。

 

「お待たせ、みんな」

 

漸く皆と合流することができた。

B班の皆とはたった2日間だけだったが、何だか随分と離れ離れになっていた気がする。

 

「アヤ。身体の方は本当に大丈夫なのか?」

「正直、キツイかな。でも歩くぐらいなら何とか。そのうち治ると思うから」

 

不安げな色を浮かべるガイウスに、多少無理をして身体を動かしながら言った。

彼には相当な心配を掛けたはずだ。必ず戻ると言いながら、あの有様だったのだ。

その後も私は、先月地下から生還した時のように、皆から揉みくちゃにされた。

・・・・・・全身が痛いと言っているのに。容赦が無い。

 

私が振るった力について、何か聞かれると身構えていたが、誰もそれに触れようとはしなかった。

私の力に、裏は無い。リィンとは違い、唯々純粋な力だ。その代償が、余りにも大きいだけ。

皆その大きさを見誤っているのだろう。多少無理をした、程度の認識かもしれない。

これもランのおかげだ。無用な心配は掛けたくないし、この場でわざわざ話す必要はないか。

 

「ほらほら。そういうのは後にして、さっさと席に着きなさい」

 

再会を喜び合う私達に対し、パンパンと掌を叩きながら、サラ教官が着席を促してきた。

もうそんな時間か。私は指示に従い、ガイウスの隣の席へと腰を下ろした。

 

「・・・・・・ありがとう。ガイウス」

「ん?」

「あはは、何でもない。夢の話だよ」

 

誤魔化しながら、椅子の脇に鞄を置いた。

ちなみにランは、鞄の中で身動きを取らずにひっそりと沈黙していた。

今も意識して動きを制限しているのだろう。飛び立たれては何を言われるか分からない。

一応手荷物検査はあったのだが、係員も生きているとは思わなかったようだ。

 

「今から話す事は、テロリストに関する機密事項も含まれるわ。当然だけど、他言無用よ。メモの類も控えること。いいわね?」

 

・・・・・・まあいいか。

1羽だけ部外者がいる気がするが、知らん振りを決め込むまでだ。

 

サラ教官とナイトハルト少佐は、『帝国解放戦線』の動向と素性に関する事柄に触れた。

情報局によれば、彼らは今日、クロスベル方面で暗躍していると睨んでいるそうだ。

当然それは、今あの地で開催されている、通商会議に繋がるのだろう。

 

「問題は連中がかなりの規模だったってこと。少なくとも軍用飛空艇を数機保有しているわ」

「出所は不明だが、最新鋭の高速型と聞いている」

 

どうしてそんな代物が、あいつらの手中に。

この際それはどうだっていい。問題は、ナイトハルト少佐が触れた点にあるに違いない。

もし事実なら、先に動かれた際に抑えようが無いのではないだろうか。

少なくとも、クロスベルの警備隊に飛空艇は無い。空を制する軍事力は無いはずだ。

 

(ロイド・・・・・・それに、トワ会長も)

 

不敬ながらも、大陸各国の首脳陣より先に、私の大切な人の顔が浮かんだ。

いずれにせよ、事前に察知できている分、心配は無用かもしれない。

私にできることは、無事を願う事だけだ。

 

「そういえば、テロリストメンバーの素性も漸く見えてきたそうだが」

 

ユーシスが言うと、ナイトハルト少佐は頷きながらパネルを操作し、眼前に映像が映し出された。

初めて相まみえたのは、ノルド高原。そして、先月の夏至祭での一件。

 

「幹部『G』・・・・・・ギデオン」

 

本名、ミヒャエル・ギデオン。

元は帝都にある学術院に身を置き、若くして助教授の資格を得た優秀な学者だったそうだ。

政治哲学を専攻し、多くの学生が彼の下で政治の何たるかを学んでいた。

 

事が起きたのは、3年前に帝都で開かれたとある学会。

事前に予告していた内容とはまるで無関係の論説を、多くの関係者の前で展開したのだという。

その内容というのが、宰相の強硬的な政治路線を真っ向から否定した、過激なものだった。

その事実を隠し通せるはずも無く、彼はその世界から追放された。

 

「テロリストには、こういう思想的なタイプも少なくないわ。組織の末端に至るまで狂信させる・・・・・・連中が規模を拡大できたのも、彼の力によるところが大きいのかも」

 

私には想像も付かない世界だ。彼らはその先に、何を見ているのだろう。

自分自身の幸せを、考えているのだろうか。

 

「それ以外のメンバー達はどうですか。先月の事件、他にも3名の幹部達が確認されていますが」

 

今度はリィンが、ギデオン以外の幹部メンバーについて言及した。

すると映像が切り替わり―――腕に『Rn』の刺青を持つ、大男の姿が映し出された。

 

「幹部『S』と『C』は、まだ特定には至っていないわ。でも『V』については、アヤとフィーの証言おかげで、ほぼ特定できているみたいね」

「猟兵団アルンガルム。存在は軍でも確認していた。Vは、この団の元団長と推測されている」

 

『元』団長。把握『していた』。

その表現通り、やはりアルンガルムという猟兵団は、既に過去の存在だったようだ。

 

それは今から10年前の出来事。

宰相が今の座についてから間もなく発生した、アルンガルムによる襲撃事件。

彼らは正規軍による返り討ちに合い、激しい銃撃戦の末、ほぼ全ての構成員の死亡が確認された。

唯一確認されなかったのが、団長であるヴァルカンただ1人。

フィーから聞いた話も含め、大方想像通りの内容だった。

 

「それ、本当?」

 

複雑な表情を浮かべる皆の中で、フィーが唐突に疑問を投げ掛けた。

 

「どういう意味だ。クラウゼル」

「そんな危ない橋を渡る連中じゃなかったはずだけど。少なくとも、宰相の首を狙うだなんて・・・・・・それこそ、テロリストじゃあるまいし。ちょっと信じられない」

 

怪訝な色を浮かべながらフィーが言った。そう言われると、確かに引っ掛かる部分はある。

猟兵団の中でも、比較的温厚な部類にあったアルンガルム。

そうでなくとも、宰相の命を狙うなんて真似をすれば、どう転んでも団に未来は無くなる。

女子供の構成員も多かったと言っていた。そんな彼らが、事に及ぶとは考え辛い。

 

「アルンガルムに関しては、事実を述べているだけだ。短絡な憶測は慎むがいい」

「フィー。疑問はもっともかもしれないけど、今は聞きに徹しなさい」

「ヤー」

 

フィーは特に反論する素振りも見せず、サラ教官に従い口を閉ざしてしまった。

 

(家族、か)

 

先月に、ヴァルカンと対峙した時。

彼が言った『家族』とは、団員を指した言葉だったのだろう。

襲撃事件の真意はどうあれ、1人残らず殺された。その事実は変わらない。

同情の余地など無い。それは分かっている。ただ―――いや、違う。

余計な詮索は無用だ。考えないようにしよう。あの男は、国に仇名すテロリストだ。

 

いずれにせよ、素性が割れたのはこれで2人。どちらも宰相に怨恨を抱く人物だ。

それが彼らを突き動かす動機に違いない。その思いの程は、計り知れない。

 

それにしても―――どうしてだろう。

ヴァルカンは別として、腑に落ちない点が1つだけあった。

 

「サラ教官。1つ聞いていいですか」

「あら、何かしら」

「最初にも言ってましたけど・・・・・・機密事項、なんですよね。どうして、私達に?」

 

テロリストの素性については、誰もが把握しておきたい事ではあった。私もまた然りだ。

だが私達は学生に過ぎない。今この場で耳にした情報を、知っていい立場にあるとは思えない。

どうしてサラ教官とナイトハルト少佐は、話してくれたのだろう。

当の2人は一度視線を重ねると、改まった口調で言った。

 

「偶然とはいえ、君達は2回も彼らの企みを阻止している。恨みを買ってないとも限らないでしょう」

「あ・・・・・・」

「バレスタイン教官と協議した結論だ。脅すつもりはないが、その覚悟はしておくがいい・・・・・・・我々も、同じ思いだ」

 

先月の一件の後、サラ教官は言った。私達を見届け、守る義務があると。

ヴァルカンは言った。今度邪魔をしたら、容赦なく殺すと。

 

私達は、既に巻き込まれつつある。もう一介の士官学院生ではない。

殿下の期待と希望のみならず、別の何かを背負わなければいけないのかもしれない。

 

「みんな」

 

リィンが言うと同時に、全員の視線が重なり合い、繋がった。

特科クラス《Ⅶ組》として、帝国が抱える闇の一端に触れた人間として。

目を逸らすわけにはいかない。口には出さずとも、思いは1つだ。

 

_______________________________

 

午後15時半。

私達はナイトハルト少佐に連れられて、列車砲の格納庫を目指し歩を進めていた。

 

「みんな。歩きながらでいいから、聞いてくれないか」

 

道中、リィンが私達を見回しながら言った。

その真剣な面持ちからは、これから口にするであろう案件の重要性が察せられた。

 

「どうしたのよ。改まっちゃって」

「昨日話した、機械仕掛けの魔獣の件さ。サラ教官が教えてくれたんだ」

 

レグラムで対峙した、あの魔獣の事を言っているのだろう。

トヴァルさんや子爵閣下がそうであったように、サラ教官もあれの正体を知っていたのだろうか。

 

「通称、身喰らう蛇」

「えっ・・・・・・」

 

思わず足を止めてしまった。

それに釣られ、皆の視線が私の下に降り注いだ。

 

「アヤ、どうかしたのか?」

「あ、いや・・・・・・・な、何でもない。続けて?」

 

私は平静を装いながら再び足を動かし、前方を行くサラ教官に視線を送った。

教官はそれに気付いたのか、ちらと私の方を振り向くと、小さく首を横に振った。

どういう意味だろう。黙っていろ、ということだろうか。

 

「大陸各地で暗躍する、得体の知れない秘密結社。あの機械は―――『人形兵器』は、その結社が製造したものだそうだ」

 

規模も戦力も、何もかもが謎に包まれた組織。

確かなことは、最先端の研究機関ですら凌駕する、謎めいた技術力を有している点。

そして国を揺るがしかねない、重大な事件を何度も引き起こしているという事実。

 

「そ、そんな組織があったとは・・・・・・」

「ふむ。俄かには信じ難い話だが、教官が言うのであれば、事実なのだろうな」

 

あれが、蛇と繋がっていただなんて。

驚愕の思いだったが、それ以上に、リィンの口から語られるとは思ってもいなかった。

 

(サラ教官・・・・・・)

 

テロリスト同様、知っておく必要がある。私達に、その資格があるということだろうか。

ブルブランが帝都に姿を現した以上、私も何らかの暗躍を疑ってはいた。

それが今、現実になろうとしている。最早私だけの問題ではない。

サラ教官は、私達全員に、その覚悟を求めているのだろう。

 

(今じゃ、ないよね)

 

皆はまだ、ブルブランがその一味であることを知らない。

リィンにラウラ、ガイウスも、私の過去と繋がりがあるとは思ってもいないだろう。

それは今語るべき事ではないかもしれない。いずれ、彼らも知る時が来る。そんな気がした。

 

「む、失礼」

 

不意に、前方からARCUSの着信音が聞こえてきた。

サラ教官の物かと思ったが、それはナイトハルト教官の手に握られていた。

彼もARCUSを所持していたのか。私達の専売特許かと思っていたが、そうではないようだ。

 

「どうしたミュラー。こんなタイミングに―――」

 

ARCUSを耳元にあてるナイトハルト少佐の顔が、見る見るうちに青ざめていく。

その表情から、内容は想像するに容易かった。

聞きたくない。そう願うと同時に、足元が揺れた。

それが答えだった。私達は―――激動の時代の、ど真ん中に立たされていた。



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私が望む、確かな未来を

ただ走っているだけだというのに、鋭い痛みが全身を貫いていく。

一歩足を踏み出す度に、堪えた声の代わりに目元へ涙が滲んでくる。

今は耐えるしかない。ここで立ち止まっては、それこそ皆の足枷でしかない。

 

「こ、これは・・・・・・!」

 

暴走した戦車を追い、要塞から躍り出た私達が目の当たりにしたのは、戦場。

本来の意味での、現代における戦場だった。

 

「みんな、伏せて!」

 

フィーの声に反応し、皆が身を屈め地に伏せた。

途端に響き渡る、鼓膜が破れんばかりの轟音。同時に、何者かの呻き声が聞こえた。

 

既に犠牲者は、目の届く範囲に数名確認できた。

片足を失い、顔を歪めながら泣き叫ぶ者。大部分を散らし、原型を留めていない者。

揺るぎない存在感を纏っていたはずの要塞が、地獄絵図の様相を呈していく。

既に周囲には、独特の生臭さが漂い始めていた。

 

私にとっては、初めての経験ではなかった。もっと凄惨な光景の中心に立っていた過去がある。

自分の心配をしている場合ではない。その思いで、顔を上げた。

そこには―――驚いたことに、誰一人として、恐怖に飲まれた人間はいなかった。

 

(みんなっ・・・・・・)

 

もしかしたら、誰もが覚悟を決めていたのだろうか。

昨日に実施された軍事演習の件は、皆から聞かされていた。

この国が抱える物の大きさ。混じり気の無い、ただ純粋な力が生み出した、眼前の事態。

少なからず、この場にいる何人かが将来扱うであろう力の本性を。

 

「むっ・・・・・・な、何だ?」

 

ナイトハルト少佐の声と共に、突然轟音が止んだ。

見れば、それまで敷地内を暴走していた戦車達が、足並みを揃え始めていた。

向かった先は、基地の北部。要塞から逃げるように1台、また1台と姿を消していった。

 

「あれは・・・・・・演習場に向かっているのか?」

「変ね。どういうつもりかしら」

 

演習場。皆が昨日、軍事演習を見学したという併設地のことだろうか。

だとするなら、サラ教官が言うように、腑に落ちない。

戦車が独りでに動き出した事自体、不可解極まりないが、どうしてこのタイミングで。

その先に、何か重要なものがあるのだろうか。いずれにせよ、放っておくわけには―――

 

「ここは我らに任せよ!!」

 

複数の走行音と共に、それに負けない程の逞しい声が鳴り響いた。

振り返ると、そこには暴走車を優に超える数の戦車が、隊列を組んで前進していた。

今し方耳にした声は、中心を走る車両に仁王立ちする男性のものだった。

 

「と、父さん!?」

「お父さんって・・・・・・じゃあ、あの人が」

 

オーラフ・クレイグ中将。『紅毛のクレイグ』その人に違いない。

一見して似ているとは言い難いが、特徴的な髪色はエリオットのそれとそっくりだ。

 

「状況は司令部より聞いた。暴走車は我々に任せるがよい。陽動の可能性もある、お前達は留まるがよい!!」

「了解しました!」

 

再び戦車が呻りを上げ、けたたましい走行音と共に暴走車を追い、演習場へと向かった。

ものの数秒の間に、それまで轟音に包まれていた敷地内へ、静寂が生まれた。

サイレンの音や叫び声は聞こえていたが、鳥の囀りのような小さな日常音に感じられた。

 

「少佐、一度要塞内に戻りませんか」

「ああ。敷地内の様子を確認してから―――」

「待ってくれ」

 

サラ教官とナイトハルト少佐のやり取りに、ガイウスが横槍を入れた。

当のガイウスは静かに目蓋を閉じながら、何かに注意を払っていた。

すると突然見開いたその目が、上空へと向いた。

 

「みんな、上だ!!」

 

声と共に、その場にいた全員が上空を仰ぎ―――一瞬声を失い、息を飲んだ。

 

「あ、あれは・・・・・・RF26シリーズ!?中型の高速機動艇だわ!」

「チッ、別働隊がいやがったか!」

 

遥か上空から猛スピードで飛来した、二隻の飛空艇。

アリサの言葉が正しいなら、あれはラインフォルト社製に違いない。

サラ教官らが言っていた。連中は、出所不明の軍用飛空艇を所持していると。

疑うまでもなかった。おそらくあの中に、あいつらがいる。

クレイグ中将が睨んだ通り、戦車の暴走ですらが、陽動に過ぎなかったということか。

 

二隻の飛空艇は吸い込まれるように、要塞内の両翼へそれぞれ着陸した。

直後に上方から聞こえてきた、特徴的な銃声と複数の悲鳴。

 

(ヴァルカンっ・・・・・・)

 

忘れもしない、この感覚。豪雨を思わせる、途切れることのない一連の銃声。

確信した。たった今あいつらは、この要塞内に足を踏み入れたはずだ。

 

「両翼からの襲撃っ・・・・・・まさか、狙いは列車砲か!?」

「なっ―――」

 

背筋が凍った。

それが、戦車を暴走させてまで、この鉄の要塞へ強引に押し入った目的か。

 

「ち、直撃したらビルごと吹き飛ぶわよ!」

「馬鹿言わないで!!ビルだけじゃない、クロスベル市ごとっ・・・・・・みんなが」

 

冗談じゃない。そんな最悪の可能性、考えたくもない。

私の故郷が、下らない思想のために、再び戦火に飲み込まれようとしている。

いい加減にしろ。ノルドに続いてどうしてこうも、私の大切な物が脅かされる。

もうあんな思いは御免だ。もう二度と―――大切な人を、奪われてたまるか。

 

「最早事態は実習の範疇を超えている!お前達はここで待機して―――」

「嫌です!!命令に背いてでも、強引にでも私は動きます!!」

「アヤの言う通りですっ・・・・・・教官、どうか俺達も連れて行って下さい!」

 

悲鳴のような声を上げる私の肩を掴みながら、リィンが力強い意志を込めて言った。

《Ⅶ組》全員分の視線を一手に背負わされたナイトハルト少佐は、言葉を詰まらせてしまった。

迷わないでほしい。こうしている間にも、秒刻みで最悪の可能性は現実へと近づいているのだ。

 

すると今度は、ナイトハルト少佐の肩に、サラ教官の手が置かれた。

 

「時間がありません。手伝ってもらいましょう」

 

もう片方の手は、小刻みに震える程に強く、固く握られていた。

それはきっと、11人分の命を背負う覚悟。戦場に教え子を連れ行く、決意の表れ。

そんな教官に、感謝の意を胸中で呟いた私は、思いも寄らない言葉を向けられた。

 

「ただし、アヤ。あなたは駄目よ」

「えっ・・・・・・ど、どうしてですか!?」

「分かっているでしょう。今のあなたは足手纏いでしかない。皆に危険が及ぶわ。連れて行くのは、あなた以外。それが条件よ」

 

そんな事は分かっている。理解した上で、言っているのに。

ただ―――反論の余地が無かった。今の私は、ロクに剣を振るう事さえできない。

私はともかく、皆の足を引っ張る様な真似はしたくない。逆に皆を危険に晒すことになる。

 

結局私は、皆からも説得される形となり、首を縦に振るしかなかった。

 

「グズグズしている暇はない。アヤ・ウォーゼル、お前は格納庫で負傷者の処置に手を貸せ」

「これより要塞内に戻る。A班B班、共に遅れずについて来なさい!」

「「はいっ!」」

 

声が重なり、皆がガレリア要塞内へ目指して駆けていく。

一方の私は、呆然と立ち尽くすだけ。そんな私の背中を、優しく撫でる男性がいた。

すると今度は、多少強めに、頭上に別の手が置かれた。

置かれたと言うよりかは、叩かれたと言った方がいいかもしれない。

 

「ここは俺達に任せてくれ。きっと阻止して見せる」

「お前の身に何かあっては、じゃじゃ馬娘に何を言われるか分からん」

「・・・・・・お願い。ガイウス、ユーシス。絶対だからね」

 

皆に一歩遅れて、2人が足早に走り去っていく。

ここは、彼らに任せるしかない。私は私にできる事をするべきなのだろう。

余りに常軌を逸した事態に、誰もが平静ではいられない。

もしかしたら、負傷者の治療にも手が回っていないのかもしれない。

 

(よしっ)

 

傷の手当なら、私にも心得がある。

気を取り直して、私は比較的被害が大きい左翼の格納庫を目指して走り出した。

多少緊張感が薄れたせいか、痛みへの意識が強くなっているように思える。

足を前に出す度に顔が歪む。こんな状態では、確かに足手纏いにしか―――

 

「―――え?」

 

唐突に鳴り響いた銃声。

間違いなくそれは、今格納庫の内部から聞こえてきた。

どういう事だ。もうこの要塞には、上空から降り立った連中以外に脅威は無いはずなのに。

 

痛みを堪え、足早に格納庫へと向かう。

勢いをそのままに飛び込もうかと思ったが、私は注意を払いながら内部の様子を窺った。

 

「あ、あれはっ」

 

人形兵器。しかも、複数体いる。

レグラムの街道で対峙した魔獣と同型のそれが、群れを成して蠢いていた。

 

「うっ・・・・・・!」

 

思わず目を背けてしまった。格納庫の内部では、殺戮が終えた後だった。

無残に横たわった骸の数々。あいつらにやられたのだろうか。

中には、身体中を包帯に巻かれた兵もいた。取り留めた命を、再び奪われてしまったのだろう。

何て酷い事を。そもそも人形兵器が何故この場にいる。

今回の騒動に、あの連中も関わっているというのか。

 

いや、今はそんな事どうだっていい。

どうする。万全の状態ならまだしも、今の私の手に負える相手ではない。

 

決め兼ねていると、後方から車両の走行音が聞こえてきた。

戦車の音ではない。あれは敷地内で何度も目にした、装甲車だ。

装甲車は私の手前2アージュ程の位置で停車すると、勢いよく後方の扉が開かれた。

中から現れたのは、導力小銃を携えた数人の兵士だった。

 

「何だあいつらはっ・・・・・・おい、お前は?」

「トールズ士官学院のアヤ・ウォーゼルです。ここには実習で。その、あなたは?」

「ああ、お前達が少佐が言っていた・・・・・・俺達は第4機甲師団、機械化歩兵第2分隊の者だ」

 

分隊長と思われる男性が、掻い摘んで教えてくれた。

ナイトハルト少佐との通信で、空からの奇襲の事実は、演習場に向かった部隊にも伝わっていた。

一方で、要塞へ戻ろうにも、暴走した戦車の群れに足止めを食らっているそうだ。

先行して駆けつけることができたのが、道中で待機していた一部の分隊のみ。それが彼らだった。

 

「お前は装甲車に避難しろ。俺達は要塞内に突入する」

「ま、待って下さい。あの魔獣は普通じゃないんです。下手に出ればあなた達がっ・・・・・・」

「突破口を開ければそれでいいんだ、時期に本隊が追いつく!早く下がってろ!」

 

私の制止に構うことなく、隊員達が足早に各ポジションへ移動し、中の様子を窺い始める。

駄目だ。一介の学生の声など、この戦場の中で説得力の欠片も無い。

私が何を言ったところで、この人達はあの魔獣の群れの中に飛び込んでいくつもりだ。

 

「・・・・・・っ!」

 

迷っている時間は無い。今ここには、私しかいない。

これ以上、何の罪も無い人間が命を落とすなんて、耐えられない。

残された道は、最初から1つしか無かった。

 

『何のつもりだ。考え直すがいい』

「黙って。自分の情けなさで、泣きそうなんだから!」

 

いつの間にか、ランが頭上を舞っていた。

耳を貸すな。通常の月光翼なら。まだ何とか、耐えられるはずだ。

いや、耐えて見せる。ここで動かなかったら、私は一生後悔する。

私にできることは―――剣を振るう。それだけだ。

 

「ぐっ・・・・・・ぐうぅぅっ!?」

 

気を巡らせた途端、途方も無い激痛に苛まれた。

両の膝が折れ、何かを抱きかかえるように蹲りながら、私は声を飲み込んだ。

邪魔だ。今だけは痛覚など、邪魔以外の何物でもない。全部、邪魔だ。

 

「がああぁっ!!!」

 

振り払うように、鉢がねを巻いていた額を、地面のコンクリートへと叩きつけた。

衝撃と共に耳鳴りに襲われ、数秒間だけ、私だけの静寂が生まれた。

 

「なっ・・・・・・お、おい。何だ、一体どうしたんだ?」

 

次第に回復していく聴覚と意識と共に―――気付いた頃には、痛みは鳴りを潜めてくれていた。

二日酔いを、酔いで上書きするかのような高揚感。

全身に力が漲ってくる。これなら、いける。

 

「だ、大丈夫です・・・・・・私が先陣を切ります。後に続いて下さい!」

 

腰を上げながら鞘を払い、私は人形兵器の群れを見据えた。

お前らの好きにはさせない。絶対に、阻止して見せる。

 

________________________________

 

格納庫から突入し、およそ20分後。

私は分隊と連携を図りながら、倉庫区画の奥部まで前進していた。

 

「せぇああぁ!!」

 

群がっていた人形兵器のラスト一体を、力任せに叩き斬った。

こいつらの動きには慣れてきた。桁外れの感応力を持ちながらも、あくまで相手は機械。

攻撃も直線的だ。初動さえ外せれば、追いつかれることはない。

 

「な、何て学生だ。お前、何者だよ」

「ぐっ・・・・・・つ、次はどっちですか?」

「あ、ああ。突き当りを左、奥の階段の先が列車砲の格納庫だ」

 

それに、私は分隊の力を甘く見ていたのかもしれない。

統率のとれた無駄がない動きで、誰もが一瞬たりとも隙を見せはしない。

相当な練度だ。第4機甲師団の兵士は、皆こうなのだろうか。

おかげで迷うことなく、真っ直ぐに列車砲へと向かうことができているはずだ。

 

「おい、大丈夫か?一旦後方に引いた方が」

「構わないで下さい。時間が無いんです!」

 

列車砲だけではない。私の身体は、初めから限界を超えている。

痛みの代わりに、呼吸が不規則になりつつあった。吐き気すら込み上げてくる。

気を抜くと、今まで抑えていたものが一気に噴出してしまいそうだ。

私に残された時間も、もう少ない。

 

「ん・・・・・・待てよ。お前、アヤって言ったか」

「え?はい、そうですけど・・・・・・それが何か?」

 

突然、名前を確認された。

こんな時に何だ。時間が無いと言っているのに。

 

「もしかして、お前―――」

 

不意に、庫内中にけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

敷地内で鳴っていた音とは違う。思わず耳を塞ぎたくなるような、不安に駆られる鋭い音だった。

 

「ぶ、分隊長。これは、まさか」

「ああ。列車砲が・・・・・・駆動し始めている」

「なっ!?」

 

馬鹿な。間に合わなかった、というのか。

ここまでの道中、誰とも会っていない。皆は私達よりも先行しているはずだ。

もう目と鼻の先に列車砲はある。もう辿り着いていてもおかしくないというのに。

 

「安心しな。初弾は空砲が装填してある。次弾を装填するにしても、時間が掛かるはずだ」

「・・・・・・そうなんですか?」

 

ほっと胸を撫で下ろした瞬間。後方の壁が突然爆ぜた。

 

「「!?」」

 

振り返ると、石埃の向こう側に、複数の影が映った。

弾かれたように、前方のT字路に全員が滑り込んだのと同時に、銃弾の雨が飛来した。

 

「またあいつらかよっ・・・・・・!」

 

見たところ、複数体いる。漸くここまで来たというのに。

時間が掛かると言っても、残された時間がそう多くはないはずだ。

こんなところで足止めを食らっている暇はない。

 

「おい、ここは俺達が食い止める。お前は先に行け」

「そ、そんな。馬鹿言わないで下さい!」

「いいから行け!それが一番可能性が高いんだ、情けない限りだがな!」

 

分隊長は、引き金を引きながら言った。

その覚悟の程は、背中を見れば察せられた。

だが向こうはかなりの数だ。彼らだけの手に負えるとは到底思えない。

 

「ノルドの監視塔に、弟が勤めてんだ。ザッツって男でな」

「えっ・・・・・・」

「聞かされてたんだ。ノルドには小さな女神様がいるってなっ・・・・・・グズグズするな、行け!!」

 

言うと同時に、再び小銃の引き金が絞られた。

そうだ。こうして悩んでいる1秒が1秒が、彼らの対する裏切りになる。

迷うな。誰もが私と同じだ。列車砲の阻止だけを考えろ。

 

「ありがとうございます。みんな、絶対に死なないで!」

「当たり前だっ・・・・・・総員、残弾に構うな!勝利の女神様に、一歩たりとも近付けるなよ!!」

「「ヤー!!」」

 

振り返ることなく、私は前方の階段を駆け上がった。

やがて目に飛び込んできたのは、足が竦むような広大な1つの空間。

中央には、筒状の巨大な砲台。間違いない、これが列車砲だ。

 

「あ、アヤ!?」

 

最も近い位置にいたエリオットが、振り返りながら驚きの声を上げた。

その前方には、他のB班の面々。対峙しているのは、テロリストの一味か。

右方にはナイトハルト教官の背中。向こう側には、ヴァルカンの巨体。

手前にあったはずであろう通路は、一部が崩れ落ち、2人とは分断されていた。

ガトリング砲か何かの衝撃で崩落したのだろうか。いずれにせよ、あちらは1対1だ。

サラ教官とガイウス達は、逆側の列車砲を抑えるつもりなのだろう。

 

(私は―――)

 

戦況とは裏腹に、不思議と心は静まり返っていた。

焦るな。冷静に戦局を分析し、最善の行動を取れ。

アリサ達には申し訳ないが―――あちらは彼女らに任せるべきだ。

問題はあいつだ。いくらナイトハルト少佐でも、あれが相手では手に余る。

 

「たああぁっ!!」

 

私はたっぷりと助走を付け、5アージュ以上分断された通路の溝を飛び越えた。

着地と同時に遮蔽物の陰に飛び込み、降り注いだ銃弾は着地点に風穴を開けた。

相も変わらず、とんでもない連射と威力だ。

 

「ウォーゼル、お前っ・・・・・・」

「説教は後でいくらでも。時間がありません、合わせます」

「・・・・・・ああ。覚悟しておけ」

 

ナイトハルト少佐は、通路とは反対側の遮蔽物に身を潜めながら、1つ深い溜息を付いた。

直後、私達のARCUSが繋がった。特に苦も無く、戦術リンクは機能してくれた。

それだけで、少佐の腕の程が窺えた。これは私でも、合わせるだけで一苦労だ。

 

「7分だ。7分後に次弾が装填され、自動発射される。多少強引にでも打って出るぞ」

「了解です!」

 

7分間。それまで身体が持つだろうか。お願いだから、動いてほしい。

この戦いだけは、退くわけにはいかない。たとえこの身が果てようとも、絶対に。

 

________________________________

 

足場は横に狭く、縦に広く。遮蔽物も少ない。

相手は私達の接近を阻止さえすればいい。それだけで、列車砲は駆動する。

 

「ハッハー!どうしたぁ、グズグズしてるとぶっ放しちまうぜ、おい!!」

 

敵の得物も、地形も。数多くの条件が、向こう側に加担している。

数の利が霞む程に、状況は劣勢だった。もう何度も接近を試みては、阻まれている。

 

(あと3分っ・・・・・・)

 

こうしている間にも、タイムリミットは刻一刻と迫っているというのに。

ここからでも、列車砲の操作盤は視界に入っている。

緊急停止レバーを下ろしさえすればいい。たったそれだけの動作が、余りにも遠い。

既に列車砲の砲身は、クロスベルを標的に捉えているはずだ。

 

足踏みをする私達を余所に、再びヴァルカンのガトリング砲が唸りを上げた。

そこやかしこで火花が走り、眼前を横切る銃弾の向こう側で―――ナイトハルト少佐が、動いた。

ARCUSを介して、彼の意思は伝わってきた。自然と、私の腰も上がった。

作戦など無い。時間が残されていない以上、できることは限られている。

 

「今だ!!」

「はいっ!!」

 

発砲が止んだ刹那の隙を見て、私達は敵の眼前に躍り出た。

ヴァルカンに構う必要は無い。私の役目は、緊急停止レバーの作動。それだけだ。

 

「はああぁっ!!」

 

一瞬にして間合いを詰めたナイトハルト少佐の斬撃が、ヴァルカンの巨体へ襲い掛かった。

直後に響き渡った、金属同士が重なり合う交差音。それすらも今はどうだっていい。

目指すは台座にある操作室。ここからなら、簡単に飛び移れる。

 

足を止めることなく、勢いをそのままに通路の柵を飛び越えようとした、その時。

私の両足の膝が、唐突に折れた。

 

「えっ―――」

 

同時に、全身に漲っていたはずの力が、急速に失われていく。

糸が切れた操り人形のように、私の身体は力無く、通路の柵にもたれ掛かってしまった。

力とは逆に、感覚はその鋭さを増していった。

ずっと溜めこんでいたはずの何かが、一気に私の身体に襲い掛かった。

 

(そ、そんなっ)

 

どうして動かない。腕の一本でもいい。

あと5秒間だけで十分事足りるというのに。お願いだから、動いて。

 

「うぐっ・・・・・・うあぁっ!?」

「ウォーゼル!!」

「動くんじゃねえ!!」

 

途端に、頭が割れそうな感覚に陥った。気付いた時には、私は頭を鷲掴みにされていた。

抗おうにも、指一本動かない。ゆっくりと私の身体は持ち上げられ、足が床から離れてしまった。

人形を乱雑に扱うように、私はヴァルカンの左手に吊らされていた。

 

「ヘッ、いいコンビじゃねえか。真っ向からやり合っていたら、どう転んでいたか分からなかったぜ。だがまあ、遊びはもう終わりにしようやっ・・・・・・!!」

 

ギリギリと、頭蓋が音を立てて締め上げられた。

本当は、声を上げて叫びたかった。私は唇を噛みながら、代わりに大粒の涙を流して堪えていた。

この男の狙いは分かっている。その気になれば、一瞬で私の頭など握り潰せるはずだ。

それをしないのは、単に時間を稼ぐだけ。ナイトハルト少佐の注意を引くためだ。

 

「こんな下衆な真似は流儀じゃねえんだがな。おら、さっさと剣を捨てやがれ!」

「ぐっ・・・・・・」

 

捨てては駄目だ。そんな私の思いは届くことなく、音を立てて剣が床に横たわった。

何て馬鹿なことを。今言いなりになっては、本当に間に合わなくなる。

庫内には、発射まであと1分間の猶予しかない旨を知らせる、警告が流れ始めていた。

その瞬間、私はとんでもない思い違いに気付かされた。

 

(あと・・・・・・1分、ある)

 

ナイトハルト少佐の目が、私に言葉無く語りかけてくる。

彼は軍人だ。テロリスト相手に、簡単に屈するはずがない。

ARCUSから伝わってくるのは、紛れもない闘志。彼はまだ、諦めてなんかいない。

 

「どう・・・・・・して、なの」

「ああっ?」

 

痛みを堪えながら両腕を上げ、ヴァルカンの左手指を力無く掴んだ。

外れない。まるで岩のようにピクリともしない。だからといって、諦めるわけにはいかない。

 

「どうして・・・・・・たくさんの命を、危険に晒してっ・・・・・・その先に、何があるっていうの?」

 

あと50秒。十分過ぎる時間だ。

ギリギリまで、限界まで使え。身体は動かずとも、声は出る。

隙が生じた瞬間に、ナイトハルト少佐が仕掛けてくれる。

この男にだって、感情はある。付け入る隙はあるはずだ。

 

「おもしれえこと言うじゃねえか。先なんざ知らねえ、鉄血の首しか俺には見えてねえよ」

「違う。目を逸らしているだけでしょ。逃げて、逃げ回って。同じ穴の狢同士で、あんた達は・・・・・・ぐうぅっ!?」

 

当てずっぽうで並び立てたはずの言葉は、この男の何かに触れた。

応えるように、より一層の力が私の頭に加えられ、頭蓋が割れるような感覚に陥った。

思った通りだ。確かに彼は、過去に宰相と接点がある。それは単純なものではない。

フィーが言ったように、きっと何かがあったはずだ。彼を狂わせた、何かが。

 

「黙って聞いてりゃあっ・・・・・・利いた口を叩くじゃねえか」

「か、家族だか何だか知らないけど。大切な誰かを失うなんて、誰だって経験する事でしょ」

「ハッ、一緒にすんじゃねえ。てめえに何が分かるってんだよ」

「分かるから言ってるんだよ!!」

 

想像以上に、この男には感情らしい感情が残っている。単に、押し殺しているだけだ。

たった独りで、何人分の悲しみを背負っているのだろう。

 

「あんただけじゃない、みんな同じだよ。誰だって、何かを失くしながら・・・・・・何かを探しながら、迷う生き物なんだから」

「ああそうだよ、あの野郎が全部奪っちまったからなあ!?失くしちまったもんは、もうどこにもねえんだよ!」

「だったら誰かに寄り添えばいい!人は、独りじゃ無理なんだよ。全てを背負い切れる程、強くないんだよ。どうしてその弱さを認めないの!?」

「くっだらねぇことぬかしやがって・・・・・・てめえまさか、情に訴えて揺さぶろうって腹かよ?」

 

思わず言葉が詰まってしまった。

その無言を肯定と受けとったのか、ヴァルカンは床面に唾を吐いた後、言った。

 

「何も変わらねえよ。あいつらは戻らねえ。もう、俺も後戻りはできねえんだ」

「で、でも」

「選んじまったもんは仕方ねえだろっ・・・・・・俺は後悔なんざしてねえ!どうなろうが知ったことかよ、この身ごとあの野郎を燃やし尽くせるなら本望なんだよ!!」

 

声量と共に、絶望感が増していく。

駄目だ。この男は、もう止まらない。私が何を言おうが、心は動こうとしない。

そして―――どういうわけか、急速に心が冷えていった。

 

「アヤ君!」

「アヤっ・・・・・・!」

「クク、もう諦めな。あと30秒・・・・・・ド派手な花火はもうすぐだぜ!!」

 

いつの間にか、アリサ達も崩落した通路の向こう側で私達を見詰めていた。

他のテロリスト集団は無力化できたようだ。でも、もう遅い。

こちらに向けられた銃も弓も、放たれることはないだろう。

私がそうしろと言っても、彼らは決して従わない。

 

「・・・わたし、はっ・・・・・・」

 

力の代わりに、止めどなく溢れ出る涙。その意味は分からない。

ヴァルカン同様、心が動かない。心も身体も、立ち上がろうとしてくれない。

私の両腕は再び力を失い、四肢は重量に逆らうことなく、垂れ下がった。

 

―――何なら、面倒を見てやってもいいぜ。ついてくるか?

 

全てを奪われた。

変わらない。後戻りはできない。選んだ以上、前にしか進めない。

ヴァルカンが吐いた言葉の1つ1つが、私の胸に深く突き刺さっていく。

 

あの時、私も選んでいたら。あの手を取っていたら。

どうなっていただろう。あいつらのように、人間ではない何かになっていたのだろうか。

別に自身の意志で拒んだわけではない。何故拒絶したのかすら、記憶が定かでない。

単なるたらればでは済まされない。気紛れで選んだ、ただそれだけの道。

 

―――もう、無理なんだよ。戻れるわけないじゃん。

 

あれは一昨晩の夢か。悪夢と言っていい。

ノスフェラトゥの力の残留。思い当たるとすれば、それしか見当たらない。

ただ、中身の説明は付かない。何故あんな光景を目の当たりにしてしまったのか。

あの夢の正体は、彼女は。本当に、私だったのだろうか。

見たというより、見せられたといった感覚だった。だとするなら、誰が何のために。

 

「・・・うぅ・・・うぐっ・・・・・・」

 

分からない。もう、何もかも分からない。

私は今どこにいる。どうしてこうも、涙が止まらない。

 

「アヤ!目を開けなさい!!」

 

アリサの声に、閉じていた目蓋が辛うじて反応した。

涙で視界が歪んでいるせいで、彼女の姿が上手く捉えられない。

それでも、一歩だけ。ほんの僅かだけ、今を見つめることができた。

あと20秒。再び響き渡った声が、残り時間を知らせてくれた。

 

20秒だ。たったそれだけの時が刻まれた後、大切な多くを、また失うことになる。

ロイドも、ウェンディ、オスカーも。トワ会長に、オリヴァルト殿下も。

諦めるわけにはいかない。私は何をしている。泣いている場合じゃないだろう。

 

―――共に生きてくれ、アヤ。

 

奮い立たせるために、思い出の中から探り当てた声。

アヤ。そう、私はアヤだ。夢の中の彼女は、アヤじゃないんだ。

あの幻に意味があるとするなら、答えは1つしかない。

 

「ひ、人はっ・・・・・・」

「あん?」

 

勢いよく落下した反動で、飛び上がるように心が疼いてくる。

ほんの小さな光を頼りに、私は鉄路の果てに流れ着いた。

 

私が辿った道のり。手に入れた今。

たとえ幾万回、この世界に生を受け、選択を迫られたとしても。

絶対に間違えない。私は叶えてみせる。私が叶えるんだ。

私自身が望む、確かな未来と。その続きを。

 

―――君は人間だ、幸せになっていいんだ。だから、共に生きてくれ、アヤ。

 

「人は―――人の間に在るから、人間なんだよっ!!」

 

視界が晴れ、アリサの姿がハッキリと映った。

崩落した通路の手前で弓を構えながら、しっかりと私を見据えていた。

彼女の手に引かれた矢は青色の光を帯び、確かに私を捉えていた。

 

「勝手に人間を捨てて、諦めて、思い出まで捨てて・・・・・・狂気に走って!!あんたなんかに、私はっ・・・・・・アリサ!!」

 

刹那。私は渾身の力を込めて、右腕を上げた。

同時に、アリサの手から一本の矢が放たれた。

ヴァルカンは飛来した矢に気付くやいなや、私の身体を矢の軌道上に置いた。

私を盾にするつもりか。生憎だが、それは的外れだ。

 

「掴んで、アヤ!!」

 

私の喉元手前5リジュ。

ギリギリの位置で掴み取った矢から、ティアラルの温かな光が流れ込んでくる。

これが最後だ。私に残された、託された最後の力。

迷うことなく、私は頭を鷲掴みにしていた指の1本を掴み、力任せに圧し折った。

 

「がぁっ!?」

 

すると漸く、締め付けていた力が緩み、私の身体は音を立てて崩れ去った。

その上をナイトハルト少佐が飛び越え、直後にヴァルカンの呻き声が聞こえてきた。

もう五感が薄れてきている。最後を見届けるまで、意識は失いたくない。

 

しばらくそうしていると、繋ぎ止めていた聴覚が、列車砲の駆動音が鳴り止んだ瞬間を捉えた。

よかった。これで、左翼の列車砲はもう大丈夫だ。

あとは、右翼。サラ教官達なら、きっと阻止してくれるはずだ。

 

『安心するがいい。右翼も既に抑えたようだ』

 

これは、ランの声だ。一体どこに行っていたのだろう。

今の言葉は本当だろうか。ならもう、気を張る必要はどこにもない。

守った。また、大切な故郷を守ることができた。

 

『もう眠れ。しばらくは、おぬしを見守ると約束してやろう』

 

随分と優しい言葉だ。思っていた通りに、私はボロボロなのだろう。

来月の半ばには、交流会が控えている。できれば、それまでには起きていたい。

流石にそれ以上は、ガイウスにも申し訳ない。逆の立場だったら、なんて考えたくもない。

 

お願い、ラン。起きなかったら、叩き起こしていいから。

 

『それはできぬ約束だな』

 

バカ。それを最後に、今までで一番深い闇の中に、私は落ちて行った。



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第6章
アヤと絢


9月6日、月曜日。

アリサの薦めで、日記を書いてみることにした。

初めての経験だから、何を書けばいいのかさっぱり分からない。

そもそも人は何のために日記を書くのかな。どこの国にも存在する、共通の文化のはずだけど。

アリサ曰く、続けることに意味がある。計画性や忍耐力の向上に繋がるそうだ。

参考までに日記を見せてほしいとお願いしたけど、全力で断られた。まあ当たり前か。

とりあえず、その日の出来事や思ったことを、ずらずらと並べていくことにする。

 

意識が戻ってから、今日で4日目。

ある程度は身体を動かせるようになり、こうしてペンを握ることができるまでに回復した。

担当の医師は脅威の回復力だと言っていた。私自身、随分と治りが早いとは感じている。

初めはランのおかげかと思ったけど、そうではないそうだ。何度聞いても否定するばかり。

以前ランが言っていた「彼女」は、一体誰のことなのだろう。

正直に言えば、心当たりは無くも無い。今度、思い切って聞いてみようと思う。

 

回復したと言っても、完治にはまだまだ時間が掛かりそうだ。

ここまで書くのに、実は1時間以上費やしている。正直、キツイ。

感覚的には、あと2~3週間。もしかしたら1ヶ月以上掛かるかもしれない。

・・・・・・気が遠くなる。それに、寝たきりの生活は思っていた以上に辛い。

 

やることが無い。暇過ぎて、時間を持て余してしまう。これが想像以上に堪える。

以前この部屋に泊まった時は、エリゼちゃんという話相手がいてくれた。

看護士さんがたまに話相手になってくれるけど、それも僅かな時間だ。

個室は気楽だし贅沢だと思うけど、やっぱり寂しい。もう2日間、知り合いと会話をしていない。

こうして日記を書いているのも、時間を有意義に使いたいからだったりする。

 

↑まで書いたところで、窓際で羽を休めるランに気付いた。

話相手はいたか。私が目を覚ましてから、ランはほとんどの時間をこの病室で過ごしている。

たまに外に出ることはあるけど、気付けば肩か頭の上にいる。それか胸の中。

看護士さん達にバレたら、即刻追い出されるに違いない。

ランは感が鋭いようで、人の気配に気付くやいなや、すぐに私の服の中に隠れてくれる。

 

まだまだ書きたいことがあるのに、もう腕が限界だと悲鳴を上げ始めた。

書き始めてしまえばペンが進むし、意外に面白い。明日からも続けよう。

 

________________________________

 

9月7日、火曜日。

私がクロスベル生まれである旨を伝えると、看護士さんに「大変ねえ」と言われた。

何のことかと思えば・・・・・・私が知らぬ間に、クロスベルは大変な事態になっていた。

私自身、通商会議の内容までに気が向いていなかった。そんな余裕すら無かったし。

気を遣われていたのだろうか。誰も詳細を教えてくれなかったから、全然気付かなかった。

 

自分の目で確かめるために、看護士さんにお願いして、今月分の新聞を持って来てもらった。

関連する記事には、全部目を通した。大体の事は、それで把握できた。

 

「主権国家として独立する」というディーター市長の提唱に、多くの市民が共感している。

一方で、帝国や共和国の意向を考慮し、慎重に協議すべきという声も少なくない。

政治経済、金融に安全保障。独立するには、多くの諸問題を解決する必要がある。

私にだって、それぐらいのことは理解できる。トマス教官の私見を聞いてみたいところだ。

それに、ロイド達も。今頃彼らは何をしているのだろう。また手紙を書いておこう。

いずれにせよ、クロスベルは過去に例を見ない局面に入っているはずだ。

私はもうクロスベル市民じゃないし、見守ることしかできない。

 

そして、エレボニア帝国。この国でも、不穏さは増す一方。

こうして部屋に籠っているせいで、外の様子を窺い知ることはできない。

それでも、帝都中が緊張感に包まれていることだけは肌で感じる。何というか、皆表情が暗い。

この医療棟で耳にする会話も、その内容は物騒なものばかり。

新聞を読む限り、帝国解放戦線が列車砲の発射を目論んでいた事実は公表されている。

先月の皇族誘拐事件。そして、今回の騒動。誰もが他人事とは思えない領域に入っている。

あいつらは、まだ諦めていないはずだ。次に動くとしたら、何を仕出かすつもりだろう。

 

夕方にラウラとフィー、ガイウスが来てくれた。

1時間程度雑談に耽った他愛も無い時間が、私にとっては涙が出る程に嬉しかった。

元々ガイウスは毎日足を運ぶつもりだったそうだけど、それは私が断っておいた。

そんなことをしたら、彼がクラブ活動に費やす時間が無くなってしまう。

交通費だって馬鹿にならない。実習のように、列車賃が支給されるわけでもない。

今日は私が頼んでおいた『空の軌跡』一式を持って来てくれていた。

漸く続きを読むことができる。折角の機会だし、一気に最後まで読んでしまおう。

 

フィーは園芸部で育てていた植物が、遂に花を咲かせたと笑っていた。

余程嬉しかったのかな。今までで一番の笑顔かも。すごく可愛かった。

ラウラは釣りの腕が上達したと言っていた。聞き間違えたかと思ったけど、釣りだった。

魚料理を練習するために、素材は自分で釣っているらしい。そこまでするか、普通。

まあそれもリィンのためと思えば、ほほ笑ましい限りだ。今度私も食べさせてもらおう。

 

去り際に、また来ると言ってくれた。その言葉だけで心が弾む。

明後日からしばらく天気が崩れるようだ。ずっと晴れていてくれればいいのに。

 

__________________________________

 

9月8日、水曜日。

無理をしないようにと釘を刺された上で、やっと出歩ける許可が下りた。

と言っても、当然医学院の敷地内限定。今無理をすれば、回復が遅れるだけなのだから仕方ない。

疲労骨折の一歩手前まで全身を酷使した身だし、精々労わってあげよう。

 

晴れているうちに外の空気を満喫しようと、午前中は敷地内をふら付いた。

ものの数分で息が上がり、休憩をとる。その繰り返しだった。

完治したとしても、元の身体へ仕上げるまで相当に苦労しそうだ。

こんな調子では、今月の実技テストや特別実習には参加できないかもしれない。

そもそも、特別実習は今後も実施されるのだろうか。

サラ教官が先月に言っていたように、実習が秘める危険性が、最悪の形で現実になってしまった。

私を引き合いに出されたら、心苦し過ぎる。この身体は、私自身の問題なのに。

 

今日はマキアスとエマが来てくれた。

と思いきや、1週間分のノートと教科書を山積みにされた。

何の冗談かと思ったら、マキアスは真顔で「来週も持ってくる」と言い出した。

まあ、事実気にはなっていた。ここで療養している間にも、授業は毎日進んでいく。

聞けば、2人は協力して、授業内容を分かりやすくまとめてくれていたようだ。

頭が痛いけど、素直に従おう。復帰してから苦労するよりも、今しておいた方がいいに違いない。

 

士官学院では、各クラスが来月の学院祭に向けて、出し物の準備を始めている時期だそうだ。

私達《Ⅶ組》も何をするか、それを考えておいてほしいとエマからお願いされた。

内容は例年千差万別で、大体のものには許可が下りると聞いていた。

何がいいだろう。私としては飲食店が面白そうだと思うけど。食べれるし。

 

帰り際に、私はエマを呼び止めた。

疑念は全て投げ掛けた。治りが異常に早いと感じていること。

そもそもローエングリン城で、私の身体は一度、壊れかけていたこと。

一しきり話し終えた後、エマは苦笑しながら、「今は、まだ」と一言だけ。

それだけで十分だった。やっぱり、彼女のおかげだった。

今思えば、私はエマについて何も知らない。出身すら聞いたことがない。

いつかきっと、話してくれるその日まで。私の胸の中にしまっておこうと思う。

エマは私の大切な友人。それは何があろうと、変わりはしない。

 

夜にランから「無理をするな」と言われた。

無理なんかしていない。そう答えると、「身体のことではない」と返された。

お見通しみたいだ。最近、肩が重い。肩がこるなんて感覚、これが初めてだ。

 

__________________________________

 

9月9日、木曜日。

今日は予報通り、生憎の天気だった。

私は1人部屋で自習をしながら、休憩を兼ねて空の軌跡を読み耽る。そんな1日だった。

天気は週末まで回復しないそうだ。しばらくは、今日のような生活になるかもしれない。

 

こんな雨の中、今日はエリオットとミリアムが来てくれた。

最近は入れ替わりで誰かが訪ねてくれる。素直に嬉しいけど、少し申し訳ない。

2人が来たのは、扉を開けっぱなしで「空を見上げて」を口ずさんでいた時だった。

誰かに歌声を聴かれるなんて、いつ以来だろう。結構恥ずかしかった。

一方のエリオットは、目を輝かせながら「もう一度歌ってよ」と何度も懇願してきた。

彼によれば、私の歌声はエリオットのお母さんに似ているのだそうだ。

改めてそんなお願いをされても、歌えるはずがない。恥ずかしいにも程がある。

 

ミリアムは相変わらずだった。今は1人部屋を満喫しているらしい。

病室でアガートラムを呼ぼうとした時は冷や汗ものだったけど。

快活に笑うその笑顔に、十分すぎる程に元気を分けてもらえた。

 

と思いきや、突然ミリアムから「元気ないね」と言われた。エリオットは目を丸くしていた。

私も驚いた。純粋な彼女のことだから、素直にそう感じたのかもしれない。

適当に誤魔化しておいたけど、ラン同様、見透かされていたのかな。

 

短いけど、今日はこれぐらいにしておこう。

少し、気になることがある。今日は徹夜をしてでも、その『真意』を確かめたい。

幸いにも、私にはたっぷりと時間がある。

 

___________________________________

 

「ふぅ」

 

パタン。

手にしていた一冊の本を閉じ、目頭を押さえながら溜息を1つ。

壁の時計に目をやると、午前11時を指していた。

 

『一睡もしていないようだな』

 

胸元から聞こえた声で、今更ながらその事実を受け止めた。

身体は疲れていない。だというのに、目眩がする程に頭が働かない。

眠気はさほど感じないものの、独特の疲労感が重く圧し掛かってくる。

朝食をとった時の記憶すら曖昧だった。ずっと私は、物語の中に身を投じていた。

 

「うん・・・・・・とりあえずさ、そこで喋らないでよ。何かすごくいやらしいから」

『何を言っている』

「いやいや。分かるでしょ、普通」

『ふむ。ここは居心地がよいので気に入って―――ぬああ!?』

 

胸元に居座るランの頭を、2本の指でグリグリと締め上げる。

意識しなければ、無意識に小鳥と同じ行動を取る。

そう言っておきながら、こいつめ。やっぱり自分の意思でここにいたようだ。

雌雄は無い、それは理解できるが、私からすれば完全にオスなのだ。多少の恥じらいはある。

 

「うーん。まあいっか。隠れ場所にはもってこいだし」

『ぐっ・・・・・・頭が割れるかと思ったぞ』

 

本をベッドの傍らにあるテーブルに置き、身体を寝かす。

空の軌跡。その全てを、徹夜で読み耽ってしまった。

第2部の『Second Chapter』まで、合計6冊。まさに超大作だった。

儚くも確かな未来に向かって、2人の主人公が歩み始めた場面で物語は終えた。

カーネリア以上に感情移入してしまった。何度涙を流したことか。

 

「ふわぁ・・・・・・」

『感心せんな。睡眠不足は身体に響く―――』

 

大きな欠伸をしていると、突然ランが言葉を止めた。

誰か来たみたいだ。人の気配を察知すると、いつもランはその存在を器用に消し始める。

やがて扉をノックする音が耳に入った。やはり誰かが訪ねてきたようだ。

 

「はい、開いてます」

「失礼するよ」

「・・・・・・へっ?」

 

声だけで、それが誰かは察せられた。

一瞬勘違いかと思ったが、聞き間違えるはずがなかった。

 

「やあ。元気そうだね」

「で、でで―――殿下!?」

 

オリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子。

開かれた扉の先に立っていたのは、皇子殿下その人だった。

慌てて身体を起こすと、殿下は「そのままで構わない」と首を振りながら笑った。

そんなことを言われても。流石に寝たままは気が引けたので、半身だけは起こすことにした。

 

「突然すまない。驚かせてしまったかな」

「い、いえ。その、どうしてこちらへ?」

 

声が裏返りそうになるのを堪え、何とか会話を試みる。

まさかとは思ったが、殿下は本当に私の身を案じ、わざわざ訪ねてくれたそうだ。

畏れ多いことこの上ない。一国の皇子が、私を訪ねてくれるだなんて。

後にも先にも、これが初めてのはずだ。

 

「君は紛れもない、命の恩人だからね。どうしても直接お礼を言いたかったのだよ」

「そんな。私1人の力ではありませんでしたから」

「ハッハッハ、謙遜はいい。その身を犠牲にしてまで、列車砲を奪還してくれた。士官学院の理事長として、私は君を誇りに思うよ」

 

今は余計なことを考えず、療養に専念するといい。

そういい言いながら、殿下は病室に置いてある丸椅子へと腰を下ろした。

 

順調に回復しつつある旨を話すと、話題は通商会議へと移っていった。

殿下によれば、クロスベルでは独立の是非を問う、住民投票が実施される予定だそうだ。

日時は約1ヶ月後。それも相まって、クロスベルは今静かな熱気に包まれているのだという。

 

住民投票はあくまで賛成か反対かを問う一般投票。

たとえ100%賛成に票が集まったとしても、それに法的な拘束力は無い。

いずれにせよ、州としての意向に大きく影響することは確かなはずだ。

 

「殿下は・・・・・・どうお考えですか。独立の可能性も含めて」

「ふむ。では逆に訊こう。クロスベルが主権国家として独立するには、何が必要だと思う?」

 

質問で返されてしまった。これはどう答えるべきだろう。

少し悩んだが、国を成す要素は決まっているし、授業でも学んだ。クロスベルも例外ではないはずだ。

 

「一般論で言えば、国民と領地、主権ですよね」

「正解だ。争点となるのは、最後の『主権』。通商会議の後半も、その不定さと脆弱さが槍玉に挙がった。帝国と共和国、2大国から徹底的にね」

「・・・・・・すみません、勉強不足で。色々な記事を読みましたけど、よく理解できませんでした」

 

殿下は小さく笑った後、無理もない、と続けた。

事実、クロスベルの歴史と取り巻く環境は、単純ではない。

 

大陸全土に存在する自治州。それらは全て、アルテリア法国が自治権を認め、宗主国としている。

帝国と共和国という2大国を宗主国にもつ時点で、クロスベルとは大きな違いがある。

新聞には、自治州法の貧弱性を論じる記事も多く見受けられた。

もうこの時点で、私はお手上げだった。問題が山積みなのは分かる。

ただ私には、どれが最大の壁なのかが分からなかった。

 

「簡単さ。法的な拘束力を始めとした議論は、この際大した問題ではない。主権という言葉は、場合によってその意味合いが異なるからね」

「なら、一番の争点はどこにあるんですか?」

 

防衛力。殿下はその3文字で表現した。

5月に発覚した、州議会議長の大スキャンダル。市民に銃を向けた警備隊。

そしてテロリスト集団の襲撃に見舞われた、通商会議。

 

テロリストについては、帝国と共和国、両国の随行団により制圧したとされていた。

少々気になる部分ではあったが、要するにそういうことなのだろう。

警備隊や警察の力だけでは、防衛力として不十分ということだ。

 

だがそれは歴史がそうさせているだけだ。

自治州として成立するより以前から、クロスベルは他国の支配下に置かれていた。

度々支配国が変わるような地に、自衛のための防衛力など、存在が許されるはずもない。

一方で、現実は変わらない。何を言おうが、帝国や共和国とでは比較にならない。

安全保障の不備を問うには、確かに十分すぎる程の材料が揃っているように思える。

 

「それらを踏まえた上で、オズボーン宰相とロックスミス大統領の提案だ。不用意な発言は控えたのだが、客観的に見れば理に適っている」

「で、でも。東西の門に、他国の軍事介入を認めるだなんて」

 

想像するに容易い。一度決壊すれば、後はなし崩しだ。

東西の門に他国の軍備を認めた時点で、最早主権どころの話ではなくなる。

警備隊は縮小し、遂には追放されるかもしれない。ロイド達警察だってそうだ。

軍備拡張を名目に、10%というとんでもない税率が、さらに引き上げられる可能性だってある。

認めるわけにはいかない。大陸各国も、そんな勝手を許すとは到底思えない。

 

「だからこその独立宣言であり、且つ争点はそこに集約される。史上稀にみる論争になるだろうね。君も考えてみるといい」

「はい・・・・・・漸く、ある程度は理解ができました。ありがとうございます」

 

全てを理解するには、当分時間が掛かりそうだ。

それに、当事者の声を聞いておきたい。早いところロイドに手紙を書いておこう。

 

「ん?」

 

不意に、殿下の視線が傍らのテーブルの上へと向いた。

空の軌跡、最終巻。私がついさっきまで呼んでいた物語が、そこにはあった。

 

「ほう。もしかして、もう全部読み終えたのかい?」

「あ、はい。つい昨晩に」

 

正確に言えば、ついさっきだ。それは伏せておこう。

 

どうしよう。この流れで突然切り出してしまって、いいものだろうか。

予想外の訪問ではある。ただ、これ以上無いタイミングでもある。

こればっかりは、私も直接、殿下の口から答えてほしいとは思っていた。

 

「・・・・・・殿下。1つお伺いしたいことがあります」

 

この作品をオリヴァルト殿下が、私に贈ってくれた理由。

それは遊撃士協会にあるものとばかり思っていた。

こうして読み終えた今だからこそ理解できる。殿下の真意は、そこじゃない。

 

「何だい?」

「この本・・・・・・この物語、とても素敵です。でもそれ以上に、気になるんです」

 

断定はできない。ただ、そうとしか思えない。

人名はともかく、地名は実在するものだろう。そして、数々の事件や出来事も。

百日戦役。リベールの異変。紛れもない事実が、そこやかしこに見受けられた。

私はその多くの詳細を知らない。どこまでが事実なのか、その線引きができない。

もしかしたら―――境目は、無いのかもしれない。

 

「全部―――事実なんじゃないかって。そう思えるんです」

「・・・・・・その根拠は?」

「いくつかあります。一番は・・・・・・というか、そうでないと、色々と説明がつかないというか」

 

身喰らう蛇。

決して表沙汰にはなり得ない存在。存在してはいけないキーワード。

怪盗紳士。道化師。そして―――『痩せ狼』。私は、それらを知っていた。

 

初めてその文字を目にした時、目を疑った。

同時に、いつの間にか私は物語の中にいた。

1文字1文字が、私に語りかけてきた。これは全部、現実だと。

蛇の暗躍。アーティファクト。浮遊都市。聖獣。

受け入れるには、途方も無く遠い世界。同時に存在する、私が知り過ぎている現実。

私だけでは受け止められない。判断が、つかない。

 

「殿下。答えて下さい」

 

促すように私が言うと、殿下は腰を上げ、窓際へと歩を進めた。

僅かに開いていた窓を閉めると、両手を後ろ手に組みながら、殿下は口を開いた。

 

「最近、東方の文化に興味があってね。君は『漢字』を知っているかい?」

「漢字・・・・・・はい。存在ぐらいは」

 

遥か昔から東方に伝わる、独特の文字文化の事だ。

その文字の1つ1つに、意味がある。詳細は知らないが、確かそんなところだ。

 

殿下は胸ポケットから一冊の手帳を取り出すと、そこへペンを走らせ始めた。

すると殿下は、その一枚を手帳から切り取り、それを私の前に差し出した。

 

「・・・・・・何ですか、これ?」

 

絢。紙には、そう書かれていた。

漢字、だろうか。とても文字とは思えない程に複雑だ。

文字を指でなぞっていると、突然殿下の口から思いも寄らぬ名前が飛び出してきた。

 

「クロスベルで、特務支援課の面々と会ったよ。君はロイド捜査官とも知り合いのようだね」

「ああ、ロイドは幼なじみみたいな・・・・・・って、ええ!?」

 

思わず声を上げてしまった。不敬極まりない。

ロイド達が通商会議の警備に関わっていたのは知っていたが、これは驚いた。

どういうことだろう。一国の皇子と一介の警察官の間に、接点など生まれようがないと思うのだが。

 

「帝国と共和国、クロスベル。激動の時代の先に何が待ち構えているのか、それは私にも見えてこない・・・・・・だが、今回の一件で改めて考えた。鍵となるのは、君達のような繋がりだ」

「繋がり、ですか」

「皇族の誘拐を始めとした数々の事件。貴族派と革新派の対立。そして、宰相の首を狙うテロリストの存在。ロイド捜査官らは、それすら聞き及んでいなかった。おかしいと思わないかい?」

「それは・・・・・・はい。私も以前、感じたことはあります」

 

手紙でのやり取り。それに、ミリアムが貸してくれた通信機を介した会話。

この国の実情を、ロイドは知らなかった。唯々驚くばかりだと言っていた。

 

それが意味するところは1つだ。おそらく間違ってはいない。

情報の規制。それも、かなり強い力が働いているように思える。

流石に個人の手紙までには、それは行き届いていないのだろう。

 

殿下は語った。情報局を始めとした諜報機関が、高度な情報操作を行っていること。

それは共和国も同様で、民族問題が内戦寸前のところまで深刻化している事実。

私達が日常的に目にし、耳にする報道は、その大部分が国境を越えていない。

俄には信じ難いが、殿下の口から語られたとなれば話は別。全部、事実のはずだ。

 

私とロイドの繋がり。殿下が言いたいのは、その繋がりのことだろうか。

それ以上の意味合いを兼ねているようにも思える。

・・・・・・頭が痛くなってきた。クロスベル問題以上に、分からない。

それに、まだ答えを聞いていない。空の軌跡は、事実を基に書かれたのだろうか。

 

「うーん・・・・・・あっ。それで、これは何なんですか?」

 

言いながら、私は手渡されていた一枚の紙を掲げた。

絢。今の話が、この文字にどう繋がるのかが分からない。

殿下は一体、何を言おうとしているのだろう。

 

「それは『アヤ』と読む。君の名前だね」

「アヤ・・・・・・これが」

「その文字が持つ意味を、一度調べたことがある。たくさんの色糸が張り巡らされた様を、そう表現するらしい・・・・・・君には、文字通り『絢』になってほしいのだよ」

「え?」

「フフッ、これは私個人の勝手な期待さ。聞き流してくれて構わない」

 

殿下は再び窓を開けながら言った。

 

「裏で暗躍する存在を知り、この国で支える籠手の紋章を掲げ、糸を結び合う。君には、その糸の本数を存分に増やしてほしい。近々、私からも動いてみるつもりだ」

 

殿下はそう言うと、扉に向かって歩を進め始めた。

何だ。まるで理解できない。殿下は私に、何を期待している。

 

「で、殿下」

「何かな」

「その、上手く言えないですけど・・・・・・私は、そんな立派な人間じゃありません」

 

言いながら、何かが肩に重く圧し掛かる感覚に苛まれた。

まただ。どうしてこうも肩が凝るのだろう。

 

「さっきも言ったが、これは私個人の想いに過ぎない。その物語を贈ったのも、私の勝手だ。それをどう受け止めるかは、君の自由だよ」

 

その後も殿下は一言二言私に投げ掛けた後、病室を後にした。

彼の真意を汲み取れないまま、私は頭の中で『絢』が持つ意味を何度も考えた。

答えは出なかった。代わりに、肩の痛みに悩まされるばかりだった。

 

________________________________

 

午後18時半。医療棟の屋上。

私はランを連れて、屋上の柵にもたれ掛かりながら、帝都の街並みを見下ろしていた。

雨は止んだが、空模様はまだどんよりしている。また降ってくるかもしれない。

最近は日が短くなってきた。それにこの時間帯になると、部屋着1枚では少し肌寒く感じる。

いつの間にか、夏は終わっていた。《Ⅶ組》の皆も、知らぬ間に衣替えしていたか。

 

「広いなぁ」

 

延々と続く、緋色の街並み。先が見えない。

その広さが、今はあまり心地よく感じられない。

 

『随分と感傷的に見えるな』

「そうかな・・・・・・あはは。ラン、最近口数が多いね。話相手は他を探せとか言ってたくせに」

『・・・・・・』

 

胸元の声が止んだ。今更黙ってもどうにもならないだろうに。

気を遣われているのだろう。付き合いは短いが、それぐらいは察せられる。

 

「ありがとう、ラン。独りだったら、私今頃泣いてたかも」

『・・・・・・同じようなものではないか』

 

それもそうか。反論の余地が無い。

私は振り返りながら柵に背を預け、腰を下ろした。

膝を抱えて蹲ると、ランが小さな呻き声を上げた。

ごめんごめんと謝りながら、私は力無く囁きかけた。

 

「正直、さ。重いんだよね、最近」

『重い?』

「うん、重い。肩が凝るぐらいに」

 

いつの間にか、私は色々なものを背負ってきた気がする。

殿下の特科クラスへの想い。お母さんの剣と意志。遊撃士への道。

帝国解放戦線との戦い。身喰らう蛇。それを打ち明けた、サラ教官の想い。

そして、絢。殿下が私の名へ込めた、得体の知れない期待。

 

捨てることは簡単だ。捨てる気は更々無いし、今後もそれはあり得ない。

全部背負う決意はある。その意志は本物だと、胸を張って言える。ただ―――

 

『―――怖い、か』

「ん・・・・・・流石にね。変かな」

『そうは思わん。感情があってこその人間だろう』

 

怖い。怖かった。この感情に嘘は付けない。

その対象には勿論、私が直面した危機も含まれている。

一歩間違えれば、間違いなく死が訪れていた。運が良かっただけなのだ。

死が怖い。それすらも、恐怖の1つに過ぎない。

たらればを語ればキリが無い。大切な物を、何度脅かされればいいのだろう。

こうしている間にも、この帝都が襲われる可能性だってある。

 

「何でかな。ずっとそうだったのに・・・・・・最近は、すごく怖い。以前よりも、怖いんだ」

 

実習の度に、常に何かが、私を含めた誰かが危険に晒される。

ずっと歯を食いしばって、懸命に耐えてきた。屈することはなかった。

たとえ生き埋めになったとしても、涙を堪えて立ち上がってきたのに。

 

日増しにそれは膨れ上がっていく。

怖くて、怖くて。足が竦み、涙が滲んでくる。

その恐怖感が肩に重く圧し掛かり、全てを背負う決意すらが鈍りそうになる。

どうしてなのだろう。何故今更になって、こうも私の心を揺さぶってくる。

私はこんなに、弱い人間だっただろうか。

 

「ラン・・・・・・何か言って」

 

すがるような思いで、私は胸元に語りかけた。

返事は無い。待てども待てども、ランは沈黙を守ったままだった。

何か言ってほしいのに。今は独りに―――

 

「こんなところにいたのかい。探したよ」

「え・・・・・・」

 

唐突に、前方から声が聞こえた。

俯いていた顔を上げると、そこには1人の女性がいた。

 

「先輩っ・・・・・・」

「こんばんは、こんな時間に―――おっと。やけに積極的だね」

 

私は無我夢中で、アンゼリカ先輩に抱きついた。

今だけは、独りになりたくない。誰かに寄り添っていたい。

アンゼリカ先輩は戸惑いつつも、優しく私の頭に手を撫で始めた。

その温もりが、とても心地よく感じられた。



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予期せぬ再会

シャリシャリと、果物の皮を切る音だけが部屋に広がる。

たまに挟むのは、私が鼻をかむ音。それと、アンゼリカ先輩の鼻歌だけ。

先輩は何も言わない。ただ楽しげに、手にしていたリンゴにナイフを入れていく。

 

「ほら、剥けたよ」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

午後20時。

私はアンゼリカ先輩の胸元で一しきり泣き終えた後、彼女に連れられて病室へと戻った。

既に夕食は部屋に準備されており、私は先輩が見守る中、無心に箸を進めた。

先輩は差し入れだと言って、果物の盛り合わせを持って来てくれていた。

病院食の量は私にとって余りに少ない。先輩もそれを感じ取ったのか、何も言わずに果物の皮を剥き始めてしまった。

 

「いただきます」

 

手渡された皿の上に置かれたリンゴを一切れ掴み、口に運ぶ。

甘い。食感も言うこと無しだ。それなりに値の張る物を持って来てくれたのかもしれない。

先輩は私に続いてリンゴを頬張りながら、静かに口を開いた。

 

「ガイウス君から言伝を頼まれたよ。明日にはまた、顔を見せるそうだ」

「ガイウスが・・・・・・そうですか」

 

今だけは、素直に喜べない。

本当なら、何もかもを打ち明けて泣き叫びたい。

一方で、そんな見っともない姿を見せたくないという思いもある。

何しろ自分自身、今の心境が理解できていない。ガイウスだって困ってしまうはずだ。

彼には怒られるかもしれないが、余計な心配は掛けたくない。

 

「それと、馬術部の仲良し2人組にもね。交流会の打ち合わせも兼ねて、話がしたいそうだよ」

「仲良し?・・・・・・ああ」

 

ポーラとユーシスの事か。それは私も気にはなっていた。

交流会の開催日は9月17日の金曜日。場所は聖アストライア女学院の講堂を借りると聞いていた。

大まかな発表内容や資料は仕上がりつつも、詳細は2人に任せっ放しになっていた。

こんな状態でも参加自体はできるだろうが、私も力になりたい。

 

「そうですか・・・・・・それで、先輩はどうしてここに?」

「決まっているだろう?可愛い後輩のお見舞いさ。なかなか都合が付かなくて申し訳ない。本当はトワも連れて来たかったんだが、学院祭絡みで手一杯のようだ」

「そんな。来てくれただけで嬉しいです」

「ふふ、今日は随分と素直じゃないか」

 

アンゼリカ先輩はそう言うと、リンゴを一切れ咥えながら、顔を近づけてきた。

やるわけないだろう。私は目を細めて顔を背けると、先輩は残念そうにそれを口に入れた。

 

「それで、どうしたんだい。大分弱り切っているように見えるね」

「それは・・・・・・」

 

言葉が続かない。何と説明したらいいものか。

あれだけ泣き喚いておいて、何でもないですは通じそうにないし、不義理すぎる。

 

「その、最近・・・・・・怖いというか。自分でも、よく分からないんです」

「怖い?」

 

だから私は、今の胸中をそのままに表現した。

どんな言葉を選んだのか、よく覚えていない。

 

いつの間にか膨れ上がっていた、得体の知れない恐怖感。

根本は多分、そこにある。でも、その正体が分からない。

身体と一緒に、心までもが弱り切っているのかもしれない。

 

こんな曖昧な感情を口にする事自体気が引けたが、今だけは誰かに聞いてほしかった。

アンゼリカ先輩は目蓋を閉じ、小さく頷きながら私の声に耳を傾けていた。

どれぐらい話していただろう。気付いた時には、皿の上にリンゴは無かった。

最後の一切れを頬張りながら、先輩は組んでいた足を組み直し、その目を開けた。

 

「成程ね。概ね理解したよ」

「え・・・・・・」

 

アンゼリカ先輩は籠の中からもう1つリンゴを取ると、再びその皮を剥き始めた。

 

「あれだけの騒動に巻き込まれた直後に、こんな場所で独り入院生活ともなれば無理も無いさ。誰だって弱気になってもおかしくはないんじゃないかい」

「それは・・・・・・そうかもしれませんけど」

 

情けない限りだが、その通りだと思う。

だがそれだけではないはずだ。釈然としない何かが、私の中にあるように思える。

言い淀んでいると、アンゼリカ先輩は少しだけ申し訳なさそうに、小さく笑った。

 

「・・・・・・先に、謝っておこうかな」

「謝る?」

「君が抱える過去については、以前ガイウス君から聞いたことがあるんだ」

「ガイウスから・・・・・・そう、だったんですか」

「彼を責めないでやってくれるかい。私が多少強引に聞き出したのさ」

 

私が歩んできた道のりは、《Ⅶ組》の皆を除けばポーラにしか話していない。

サラ教官なんかも知ってはいるだろうが、私が直接話したのは彼らだけだ。

アンゼリカ先輩は、ガイウスを介して私の過去に触れたらしい。

多少強引に、か。相当に強く迫ったのかもしれない。

何故そうまでして、先輩は私を知りたがったのだろう。

 

「君は他の誰よりも、失う事の痛みと、孤独の苦しみを知っている。だから人一倍、過敏に感情が反応する。心当たりぐらいは、あるんじゃないかな」

「私が・・・・・・」

「先月の一件は君自身を含め、どう転んでもおかしくはなかった。怖くて当然さ。それに、勘違いしないでほしいが―――君のその感情は、弱さなんかじゃない」

 

弱さじゃない。その言葉に、思わず首を傾げてしまった。

紛れもない負の感情だというのに、何故そんな言葉に繋がるのかが分からない。

 

「君がノルド高原に流れ着いて・・・・・・士官学院に入学して。手に入れてきたものを、その手で数えてみるといい」

「え?」

「きっと、両手じゃ足りないぐらいあるだろう?」

 

アンゼリカ先輩の言葉に従い、天井を仰ぎながら頭の中で指を折っていく。

ものの数秒で、両手指が埋まった。仕方なく、折り返すように折っていた指を再度立てていく。

士官学院に入学したところで、それは一気に足を速めた。

新しく掴んだもの。失ったと思っていたもの。掛け替えのない幸せ。

 

ノルド高原で3年。士官学院で5ヶ月。

こうして改めて振り返ってみて、その数に漸く気付かされた。

我ながら、濃密な時間を過ごしてきたと素直に思える。

 

「あっ・・・・・・」

 

何度も指を折っていく中で、唐突に理解した。

私が怯え、怖がっていたものの正体。

 

「フフ、漸く分かったかい」

 

話は単純だ。

アンゼリカ先輩が言うように、私は失うことを恐れていた。

その数が増えれば増える程、その感情は膨れ上がっていく。

 

手探り状態で士官学院に入学した時の私。そして、今の私。

背負うものの数が違う。でもそれ以上に多くの何かを、私はこの手で掴み取ってきた。

多分、それだけの話だ。だから今になって、こうも私の心を揺さぶってくるのだろう。

 

「それだけ君は、短い間にたくさんの大切なものを手にしてきた。その感情は人として当然のものだよ。乗り越える必要は無い。少しだけ、正面から向き合ってみるといい」

 

アンゼリカ先輩は笑いながら、リンゴが乗った皿を差し出してきた。

それを口に運びながら、再度先輩の言葉の意味を考える。

恐怖と向き合う。慣れるには、まだ時間が掛かるかもしれない。

きっと贅沢な悩みに違いない。それだけ充実した日々を送ってきたという証だ。

 

何だかサラ教官と話をしているような気分だ。とても同い年の女性とは思えない。

アンゼリカ先輩の19年間は、どんな道のりだったのだろう。随分と達観しているように感じる。

それとなく聞いてみると、先輩は愉快な笑い声を上げながら言った。

 

「私にも色々あってね。家出をして国中を放浪したこともある。さっきの言葉は、その時に世話になった女性の受け売りのようなものさ」

 

開いた口が塞がらなかった。とても大貴族の息女とは思えない経歴だ。

アンゼリカ先輩の人となりは、世話になった女性とやらの影響もあるのだろうか。

どんな女性だろう。私も一度会ってみたいものだ。

 

「まあ私にだって、思い悩むことぐらいあるよ。今日ここへ来たのは、それもあるんだ」

 

アンゼリカ先輩は丸椅子から腰を上げ、私が眠るベッドの反対側、窓側へと歩を進めた。

壁際には引き出し型の収納棚が置いてあり、本やノートといった私物を収めてある。

その上には、私の得物。長巻や先輩から借りていた手甲を置いてあった。

武具を持ち込むのは気が引けたが、看護士さんにお願いして特別に許可をもらっていた。

剣を振るうことはできないが、その感触だけでも忘れないようにと、毎日握っていたのだ。

 

「アヤ君。折り入って頼みがある」

「あ、はい。何ですか?」

 

アンゼリカ先輩は言いながら、棚の上に置いてあった手甲と鉢がねを手に取った。

慣れた手付きでそれを装着し、確かめるように数度、先輩の拳が宙を突いた。

 

「しばらくの間、これを私に戻してくれないか」

「え・・・・・・はい。私はこんなだし、構いませんけど」

 

断る理由は見つからない。同じように、アンゼリカ先輩の意図が汲み取れない。

単なる気紛れで言っているわけではないことは、先輩の表情から察せられた。

 

「少々、気掛かりなことがあってね。これは念のためさ」

「気掛かり・・・・・・何かあったんですか?」

「今は差し控えておくよ。君に余計な気苦労はかけたくないからね」

 

そんな言い回しをされると、気になってしまう。

何だろう。武具を取る以上、事は単純ではないように思える。

私達のように、特別実習があるわけでもないのに―――

 

「―――って、何してるんですか!?」

 

顔を上げると、そこには胸元のジッパーを下ろすアンゼリカ先輩がいた。

鉢がねと手甲を外した流れで、当然のようにライダースーツを脱ぎ始めていた。

 

「ああ、言っていなかったね。今日はここに泊めさせてもらうよ」

「と、泊まるって。この部屋にですか!?」

「勿論。安心するといい、着替えは持って来てある」

「そこじゃなくって!」

「外泊届けならトワが出してくれているよ。申請日を改竄してね」

 

問題はそこでもない。

というか、それはどうにかなっていない。生徒会長に何をさせているんだこの人は。

 

先輩はTシャツとジャージというラフな服装に着替えると、鞄から入浴具を取り出した。

随分と準備がいい。本当に泊まる気満々で来ていたようだ。

聞けば、かかりつけの看護士さんに申し出はしてあり、既に許可も貰っているのだという。

 

「そんな状態では、満足に身体も洗えないだろう。私が背中を流してあげるよ」

「人の話を聞いて下さい・・・・・・わわっ!?」

 

私の言葉に構うことなく、アンゼリカ先輩は私の身体を両腕で抱きかかえた。

所謂お姫様抱っこだ。駄目だこの人、もう何を言っても止まりそうにない。

 

私は胸元に手を突っ込み、身を潜めていたランを無造作にベッドの上へ投げ捨てた。

アンゼリカ先輩は気付いていないようだ。流石に浴場までは連れて行けない。

ごめん、ラン。今度何かあげるから、適当に何処かへ隠れていて。

 

_________________________________

 

9月11日、土曜日。

アンゼリカ先輩はこの部屋で1泊した後、朝一でトリスタへと帰って行った。

一応ベッドは2つあるというのに、一緒のベッドで眠る羽目になった。

面倒見がいいんだか、単に引っ掻き回して遊びたいだけなのか。

まあ今だけは前者の面に目を向けよう。おかげで心が軽くなったことは確かだ。

ただ、先輩が言っていた『気掛かり』。やはり気になるところではある。

頭の片隅に入れておこう。多分、何かがあるはずだ。

 

今日は驚いたことに、ロイドからの手紙がこの病室へと届けられた。

私が入院中であったためか、第3学生寮宛ての手紙が転送されてきたようだ。

もしかしたら、シャロンさんあたりが気を利かせてくれたのかもしれない。

手紙は以前とは比較にならない程に長文で、読むだけで一苦労だった。

 

元々こちらからも手紙を書こうと思っていた。

私はその手紙を読みながら、返信を書く。書きながら、手紙を読み直す。それを繰り返していた。

気付いた時には、既に午後の15時を回っていた。

 

手紙には案の定、通商会議やテロリストによる襲撃事件に関することが書かれていた。

その内容は、細部に渡り詳細に説明されていた。

おかげであの日、クロスベルで何が起きていたのか。その全貌を把握することができた。

 

『赤い星座』。フィーがいた西風の旅団と対立していたという、巨大な猟兵団。

まさか猟兵まで関与していただなんて。とんでもない話だ。

手紙に書かれていることが事実なら、俄かには信じ難い。

 

2大国が強引に、クロスベルへ干渉しようとした。私はその程度に受け取っていた。

だがロイド達クロスベル側からすれば、強引にどころの騒ぎではない。

巨大な力で外堀を埋め、たくさんの犠牲を利用しながら、事は運ばれていた。

双方で把握している現実が違えば、考えや受け取り方もまるで異なってくる。

今自分が身を置く帝国という国が、途端に恐ろしい何かに思えてくる。

 

「ふう・・・・・・」

 

私もロイドに習い、この国が抱える実情を、書き綴っていた。

大分腕が痺れてきた。手紙を読み続けていたせいで、目も疲れている。

 

ここまで詳しく書いてくれたのは、やはりオリヴァルト殿下に声を掛けられたからのようだ。

宰相を狙うテロリストの存在も、殿下の口から直に聞いた。そう書かれていた。

殿下とロイド達特務支援課。接点が生まれようがないはずの彼らの間に、1つだけ。

彼らを結ぶ共通点が、手紙には記されていた。

 

その存在は、以前クロスベルを訪ねた時に知らされていた。

ロイド達と協力して、クロスベルの異変に立ち向かった、2人の遊撃士。

名前は今回の手紙で初めて知った。今思えば一度だけ、私はその名を聞いたことがあった。

 

―――君達はどことなく、エステル君達に似ているよ。

 

リベールの異変。

私がノルド高原で平穏な生活を送る最中に発生した、帝国までもを巻き込んだ一大事件。

リベール王国で起きた真相を、ロイドは彼女らに聞かされたと手紙にはあった。

 

そして―――空の軌跡。昨晩は気が動転していて、殿下の口から聞くことは叶わなかった。

あの物語が、本当に事実なら。手紙に書かれていることに、間違いがないなら。

リベールの異変の真実。空の軌跡。クロスベル。私の中で、全てが繋がる。

それは殿下が言うように、繋がるはずのない1本1本の糸が、結ばれるように。

彩り豊かな世界が、目の前に描かれていく。

 

「うーん・・・・・・どうだろ」

 

いずれにせよ、まだ確信は無い。憶測の域を出るに及ばない。

次がいつになるか分からないが、機会があれば、殿下の口から直接聞いてみたい。

 

ロイド達は来週の頭に、支援課の皆で保養地ミシュラムへ向かう予定である旨が書かれていた。

彼らも激動の日々を過ごしてきた身のはずだ。束の間の休息、というやつだろう。

私も早いところ身体を治さないと。そう考えていると、扉をノックする音が耳に入った。

 

「アヤ、起きていたか」

「うーッス。元気にしてたかよ」

「みんな。来てくれたんだ」

 

開かれた扉の先には、ガイウスにリィン、そしてクロウ先輩の姿があった。

ガイウスが来ることはアンゼリカ先輩から聞かされていたが、2人も来てくれたか。

 

「ゼリカから聞いたぜ。夕べはお楽しみだったらしいじゃねえか」

「馬鹿言わないで下さい」

 

ある事ない事アンゼリカ先輩が言い触らしたのだろう。迷惑極まりない。

それにしても、随分と早いように思える。授業が終わってから、まだ1時間も経っていないはずだ。

 

「ガイウスが少しでも早く話したいっていうからさ。授業が終わってすぐに、急いで帝都方面の列車に乗ったんだ」

「ふーん。あはは、そんなに寂しかった?」

「ああ。アヤは違うのか?」

「ううん。ありがとう、来てくれて」

 

私が言うやいなや、クロウ先輩が表現のしようがない形相で私達を睨んでくる。

そんな顔をされても困る。こうして話せるのは本当に貴重な時間なんだ。

見せつけるつもりはないが、今ぐらいデレてもいいだろうに。

 

「あーあ。俺もたまには平日に、一日中ベッドで寝てみたいもんだぜ」

「クロウはいつも授業中に寝てるだろ・・・・・・」

 

クロウ先輩のぼやきに、リィンが的確な突っ込みを入れる。

それで初めて気付いた。いつの間にか、2人の間に敬語は無かった。

以前からクロウ先輩がそうしろと言っていたが、こうして聞いていると違和感が無い。

先輩もその方が気が楽なのだろう。なら、私もリィンに習うべきかもしれない。

 

「ま、早いところ復帰しろよ。お前さんがいないと、ミリアムに部屋をとられちまうぜ」

「うん。ありがとう、クロウ」

 

それから私達は、4人で取り留めの無い話題で花を咲かせた。

リィンによれば、来週には今年初めてとなる理事会が開かれるそうだ。

今回のガレリア要塞での一件を受けて、今月も予定通り特別実習を行うかどうかを含めて。

常任理事の3人、そして理事長であるオリヴァルト殿下が集い、話し合われるのだという。

 

「うーん。みんなはどう思う?」

「そうだな・・・・・・俺は正直、中止になってもおかしくはないと思う」

 

腕を組みながら、リィンが言った。ガイウスやクロウも、それに同意見のようだ。

どう贔屓目に考えても、その可能性が高いことは事実だ。

 

もしあの場で誰かが犠牲になっていれば、士官学院は今頃大変なことになっていたはずだ。

特別実習の中止は勿論、特科クラスの解散に至っていても不思議ではない。

事情はどうあれ、ARCUSの試験運用のために、学生の命が危険に晒された。

客観的に見れば、そうとしか映らないのだ。世間からの非難は相当なものになる。

あの場で要塞への突入を指示したサラ教官は、並々ならぬ覚悟を持って決断したのだろう。

 

私がこうして入院していることも、事件とは関連性が無いことになっている。

今回の騒動を取りまとめた報告書の中では、私はあの歩兵分隊に保護されたとされていた。

士官学院側へは、サラ教官が。正規軍側へは、ナイトハルト教官が働きかけてくれた。

私が意識を失っている間に、2人は苦渋の決断で、私に関する事実を隠蔽した。

ガレリア要塞へ突入した事実は無い。真実を知るのは、殿下を含めた一部の人間に限られる。

 

私はあくまでレグラムで身体を酷使し過ぎて、身体を壊してしまっただけ。

と言っても、それ自体が大問題だ。馬鹿正直に報告できるはずがない。

全ては私の判断ミスによるもの。レポートには徹底してそう書いておいた。

事実をありのままにまとめたレポートは、サラ教官提出用になりつつある。

 

先月の実習といい、サラ教官には本当に気苦労ばかり掛けてしまう。

誰よりも重く今回の一件を受け止めているのは、きっと教官に他ならない。

それは皆も理解しているのだろう。私達の処遇がどうなったとしても、受け入れるしかない。

 

「まあ俺達が悩んだところで仕方ないだろうよ。しばらく延期になるぐらいの覚悟はしておいた方がいいんじゃねーの?」

「ああ、そうだな・・・・・・さてと。俺達はそろそろお暇するよ」

「え?」

 

時計に目を向けると、まだ彼らが来てから30分程度しか経っていなかった。

明日は自由行動日だし、もう少しいてもいいと思うのだが。何か予定があるのだろうか。

 

「今日はガイウスもゆっくりできるだろ?邪魔をしちゃ悪いだろうからさ」

「そういうこった。精々よろしくやれよ、お二人さん」

 

私とガイウスを交互に見ながら、リィンとクロウが足早に去っていく。

もしかしなくとも、私達に気を遣ってくれたのだろう。

 

「待って、2人とも」

 

私は扉に手を掛けていたリィンとクロウを呼び止めて、言った。

 

「本当に・・・・・・会いに来てくれてありがとう。みんなにも、そう伝えておいてもらえるかな」

 

初めに私を訪ねてくれたのは、アリサとユーシス。

入れ替わるようにして、結局は皆が私に会いに来てくれた。

 

先月の実習は、これまで直面した危機の中で、最も過酷だったことは確かだ。

でもそれ以上に、私は怖かった。よくよく考えてみれば、私は単独行動ばかりだった。

初日から別行動だった。レグラムで目を覚ました時、皆がいなかった。

ガレリア要塞でも、私は置いていかれた。気付いた時には、このベッドにいた。

いつも肩を並べ、励まし合いながら壁を乗り越える仲間がいなかった。

それが私にとって、一番辛かった。心を弱めていた原因は、きっとそこにもある。

 

いずれ私は、皆と道を違える。遊撃士としての道を、独りで歩み始める。

今の私には無理のようだ。全てを背負い切れる程、私は強くない。

それを今更ながらに思い知らされた。将来の道を垣間見たことで、私は勘違いをしていた。

弱音を吐かずここまで来れたのは、皆がいてくれたおかげだというのに。

いつの間にか、そんな事まで忘れてしまっていたようだ。

 

「りょーかい。まあ早いところ復帰して、自分で直接言うこった」

「そうしてくれると、俺も嬉しいよ。みんな待ってるからさ」

 

時間はたくさんある。

今までのようにこれからも、手を取り合いながら歩いて行こう。

 

「うん。じゃあ、またね。リィン、クロウ」

 

クロウが手を振りながら扉を閉めると、何日振りか分からない2人っきり。

ちょっとだけ、気まずい空気が流れ始める。

 

「あはは・・・・・・ねぇ、ガイウス」

「どうした?」

「今日はいつまでいられるの?」

「ずっとだ」

 

言いながら、ガイウスはいつも実習で使用する布袋を持ち上げた。

中には着替えの類が入っているのだろう。初めからそのつもりで今日は来たようだ。

私が目を覚ましてから約1週間。アンゼリカ先輩とは違い、正規の外泊届けを出しておいてくれたのかもしれない。

 

「そっか・・・・・・よいしょっと」

 

身体を起こし、ベッドの下に置かれていたスリッパに、ゆっくりと足を入れる。

両足で立つと、ガイウスがそっと身体を支えてくれた。

久しぶりの体温。彼の息遣い。ひどく懐かしくさえ思えてくる。

 

「アヤ」

「ん」

 

壊れ物を扱うように、優しく抱き包まれた。痛みすら忘れそうになる。

士官学院に来てから手に入れたもの。一番の幸せを確かめるように、私は彼の背中に腕を回した。

 

_________________________________

 

私はガイウスを連れて、医療棟の敷地内を歩き回ることにした。

やはり私はじっとしていられない性分のようだ。時刻は17時を回っていた。

天気予報は盛大に外れたらしい。この分なら、明日以降も晴れ間が続くだろう。

周囲はまだ明るいものの、陽の光は既に夕暮れ時のそれに変わりつつあった。

 

昨晩も感じたことだったが、ここまで日が短くなっていたことに、今になって驚いてしまう。

知らぬ間に夏は終わりを告げ、初秋の匂いすら漂いつつある。

 

今年の夏は、たくさんの思い出を残すことができたと思う。

一番はやはり夏季休暇だ。あの5日間は、今でも昨日のことのようによく覚えている。

皆で語り合った夜。泥に塗れながら撮った写真。ランとの出会い。

そして―――ケルディックの夜空に咲いた、色取り取りの花。

 

夏の終わり。夏に限って「季節が終わる」という表現が多用されるのも頷ける。

こうもノスタルジックな感傷に浸れるのは、今の時期特有のものだろう。

だがそれでは秋に失礼だ。どちらかと言えば、私は寒い季節の方が好きなのだ。

 

「どうかしたのか。急に黙り込んで」

「あはは。何でもない」

 

寄り添うようにガイウスの右腕を抱きながら、ゆっくりと歩を進める。

歩くだけなら、痛みもさほど感じなくなってきた。

我ながら見事な回復力だ。と言っても、完治には未だ程遠い。

順調に身体は良くなってはいるが、医師の見立てではあと10日程、様子を見る必要があるそうだ。

 

「そうか。特別実習が予定通り行われても、今月は難しそうだな」

「うん・・・・・・残念だけど、仕方ないよね」

 

そのまま退院できたとしても、以前のように動けるまでには、かなりの時間が掛かる。

やはり実技テストや特別実習は、見送らざるを得ないだろう。

 

「でも今日さ、外に出る許可は貰ったんだ。短時間なら、出歩いてもいいんだって」

「無理はしない方がいい。痛みはあるんだろう?」

「大分治まってきたから、大丈夫だよ。歩く位なら・・・・・・痛たた」

 

不意に、首の後ろに痛みが走った。

心配そうな表情を浮かべたガイウスが、安堵の溜息を付きながら小さく笑った。

爪を立てるなと言っているのに。今日はまた何処へ行っていたのだろう。

 

「本当に君のところにいたんだな・・・・・・ん?」

「どうしたの?」

「いや。その、気のせいだろうか。ランはこんなに小さかったか?」

「き、気のせいだよ。気のせい」

 

ランを肩に誘導しながら、気のせいを連呼する。

ベッドへ放り投げたことを怒っているのだろうか。もう謝ったのに。

 

「看護士さん達には黙っててね。見つかったら・・・・・・ガイウス?」

 

突然、ガイウスの足が止まった。

見れば、前方を見ながら固まっていた。文字通り、微動だにしなかった。

私はガイウスの右腕を抱きながら歩いていたので、自然と私の足も止まってしまった。

 

「どうしたの、ガイウス・・・・・・ガイウスってば。おーい」

 

何度名を呼んでも、本当にピクリとも動かない。

呆気に取られたかのように、沈黙を守りながら何かを凝視しているようにも見える。

一体どうしたというのだろう。確かめるために、私は彼の視線の先に目を向けた。

 

「・・・・・・へ?」

 

その瞬間、私も固まった。

いるはずのない人物が、この医療棟の正門に立っていた。

女性だった。誰かを探しているのか、キョロキョロと周囲を見渡していた。

 

「が、ガイウス」

「ああ。信じられないが・・・・・・」

 

すると女性は私達に気付いたのか、満面の笑みで手を大きく振り始めた。

傍らに置いていた布袋を拾い上げ、足早に私達の下へ向かってくる。

近付けば近付く程、見間違いではないことが確認できた。

本当に、どうして。何故こんなところにいるのか、まるで理解が及ばなかった。

 

「お、お―――お義母さん!?」

「ふう。久しぶりね、ガイウスにアヤ。大分迷ってしまったから、心配だったけど・・・・・・これも風と女神様のお導きね。安心したわ」

 

ファトマ・ウォーゼル。私にとって、2人目の最愛の母。

お義母さんは息を荒げながら、その笑顔を私とガイウスに向けた。

 

「あ、ああ・・・・・・驚いたよ。母さんが、どうしてここに?」

「積もる話は後にしましょう。それにしても・・・・・・ふふっ」

 

私とガイウスを交互に見ながら、お義母さんは口元に手を当て笑った。

 

「お義母さん?」

「うふふっ」

 

また笑った。その笑みが含み笑いであることは察せられたが、今はそれどころではない。

どうしてこの帝国に、帝都にお義母さんが―――

 

「あっ」

「む?」

 

―――私は今、ガイウスの腕を抱きながら、身体を預けて立っていた。

思いっ切り密着して。寄り添うように。恋人のように。というか、恋人なんだけど。

漸く、思い至った。私達は、大変なことを両親に黙っていたのかもしれない。

 

「あなた達にも、積もる話があるみたいね。後で聞かせてもらえるかしら。ガイウス、アヤ?」



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舞い降りた夢の始まり

2ヶ月半振りとなるお義母さんの笑顔。

私にとっては、涙を流しながら抱きついてもおかしくはない、感動の再会。

私は驚きの余り、やはり唯々驚くばかりだった。

 

「不思議な食べ物ね。皆へのお土産に買って帰ろうかしら」

「あはは。それなら、他にももっと美味しいものがあると思いますよ」

 

私とガイウス、お義母さんは、病室で一緒に夕食をとっていた。

私は勿論病院食。ガイウスはシャロンさんが作ってくれた夕飯の包み。

そしてお義母さんは、1階の売店で購入してきた缶詰。

スコッチエッグのトマトソース漬けと、ベイクドビーンズの缶詰である。

物珍しさで選んだそうだ。正直に言えば、あまり美味しそうには見えない。

 

スコッチエッグは、以前シャロンさんが作ってくれたことがある。

中身の卵は半熟で、周りの肉もとろけるような食感の逸品だった。

対してお義母さんが口に運ぶそれは、見た目からして卵も肉もパッサパサ。

ソース漬けなのに、水気が無い。肉が焦げる程に火を通しているからだろう。

お義母さんは結構気に入っているようだ。新鮮さという補正もあるのかもしれない。

 

「アヤ、果物の皮を剥いてやろうか」

「あ、じゃあお願いしようかな」

「相変わらずね。思っていたよりも元気そうで、安心したわ」

 

お義母さんがこの地へやって来た経緯は、大方話してくれていた。

事の発端は勿論、私の入院。士官学院からゼクス中将を介して伝わったそうだ。

大事は無いとはいえ、私が長期間療養する身になったと聞いて、ひどく慌てたらしい。

考えてみれば当然のことだ。知らぬ間に、大変な気苦労を掛けてしまっていた。

 

シーダとリリには、私のことは知らせていない。

事情を知るのはお義父さんとトーマ。それと、集落の大人達。

私の容体を直接確認しようと、誰かが帝都まで足を運ぼうという流れになった。

勿論お義父さんも同行したかったが、立場上おいそれと集落を離れるわけにはいかない。

そんな経緯で、お義母さんが代表して私の下へ向かうことになった。

シーダとリリには適当に誤魔化しておいた。話を要約すれば、こんなところだ。

 

「無事に着いてくれてよかったよ。母さん1人でノルドから?」

「ルーレの駅までは、ザッツ君が案内してくれたのよ。この都の地図なんかも渡してくれたの」

「ザッツさんが?」

 

彼も軍人だ。多忙な身であるだろうに、そこまでしてくれたのか。

私の知らないところで、彼には色々とお世話になっている気がする。今度お礼を言っておこう。

もしお義母さんだけだったら、ここまで辿り着けなかったかもしれない。

ガイウスだって私がいなかったら、3月30日は相当な苦労をしたに違いない。

 

「この国はとてもいい人達ばかりね。分からないことは、皆親切に教えてくれたわ」

 

・・・・・・それはもしかすると「いい人」ではなく「いい男性」ではないだろうか。

お義母さんが着ているのはノルドの民族衣装。この国では相当に際立つ出で立ちをしている。

そしてそれ以上に若々しいし、人目を惹くには十分過ぎる程に美人さんだ。

困り顔で立っていれば、誰だって声を掛けたくなる。それがいい方向に働いたのかもしれない。

 

ともあれ、お義母さんは私の身を案じてこうして会いに来てくれた。

心配を掛けてしまい心苦しい限りだが、今は素直に嬉しいと思える。

 

「あと数日間は掛かると思いますけど、私は大丈夫です。来てくれてありがとう、お義母さん」

 

私が言うと、お義母さんは優しく微笑みながら、私の頭の上に手を乗せた。

2ヶ月半振りとなる、家族の温もり。自然と私の顔にも、笑みが浮かんだ。

またノルドへ手紙を書いておこう。お義父さんにトーマにも、シーダとリリにも。

そう考えていると、お義母さんの笑みが静かに消え、少しだけ戸惑いの色が浮かんだ。

 

「それで、あなた達の身に何が起きたのかしら。この国に来てから、何度か良くない話を耳にしたけど・・・・・・」

 

私はガイウスと顔を見合わせた。

何をどう話せばいいのだろう。話の順番がすぐには思い浮かばない。

お義母さんに全てを理解してもらうには、帝国が抱える闇を知ってもらう必要がある。

 

やがてガイウスは小さく首を縦に振り、静かに語り始めた。

 

「母さん。この国は今・・・・・・いつ内戦が起きても、おかしくはない状況にあるんだ」

 

革新派と貴族派の対立を始めとした、この国の実状。

ある程度の事はお義母さんも把握している。ノルドでの実習の際にも話した事だ。

それ以上に帝国は今、大変な局面を迎えつつある。

 

最も重要なのは、帝国に話は留まらないという事。

共和国にクロスベル。そして―――ノルド高原。

実際に6月には、ノルドの地で戦争の火蓋が切って落とされようとしていた。

あの地で暮らす人間にとっても、既に他人事では済まされない領域に入っている。

お義母さんには、知る権利がある。皆が知る必要があるはずだ。

 

「・・・・・・そう。そんな事が」

 

私とガイウスが一しきり話し終えると、お義母さんは静かに小さな溜息を付いた。

 

「正直なところ、理解できないわね。ノルドの時だってそう。どうしてあなた達が、そんな・・・・・・危険過ぎるわ。学生は、軍人とは違うのでしょう?」

 

その胸中は察せられる。きっとお母さんは、今の話を理解してくれている。

だが私達の立場については話が別。今回ばかりは言い訳のしようがない。

現にこうして、私は身体を壊してしまった。それが現実だ。

 

偶発的な面は多々あれど、客観的に見れば私達は異常だ。

一介の学生にはおよそ似つかわしくない程の境地を、何度も経験してきたと思う。

お義母さんはそんなつもりで、士官学院への入学を許したわけではないはずだ。

私の顔を見るまで、気が気ではなかったのかもしれない。

 

でも―――それでも私達は、歩を止めるわけにはいかない。

 

「母さん、俺は・・・・・・《Ⅶ組》に入ることができて、本当に良かったと思ってる」

「ガイウス・・・・・・」

「俺達はこれからも、この国の動乱に関わることになるかもしれない。その覚悟はある。どうか分かってほしい」

 

ガイウスは多くを語らなかった。その代わりに、力強い意志を込めて言った。

彼も彼なりに、この5ヶ月間を通して掴んできた何かがあるのだろう。

私だってそうだ。昨晩にアンゼリカ先輩と語り合い、もう逃げないと心に決めた。

 

「ごめんなさい。こんな事になって、言えたものじゃないけど・・・・・・今の私達があるのは、この5ヶ月間のおかげだから。これからも気苦労を掛けるかもしれないけど、もっと強くなるって誓います。だから―――」

 

―――どうか私からも、お願いします。

私とガイウスの言葉に、お義母さんは目蓋を閉じながら耳を傾けていた。

少しばかりの沈黙が、私達の間に広がった。

するとお義母さんは笑いながら、口元に手を当てて口を開いた。

 

「ふふっ、勘違いしないで。別に私は、士官学院を辞めろだなんて言うつもりはないの」

 

お義母さんはそう言うと、ガイウスの顔を見ながら少しだけ目を細めた。

彼の背後に、何かを見るような目付きで。

 

「しばらく見ないうちに・・・・・・立派な顔をするようになったわね。あの人にそっくりよ」

「・・・・・・父さんに?」

「ええ。送ってくれた手紙にも書いていたけど、頼もしい限りだわ」

 

お義父さんに似ている。言われてみれば、確かに最近のガイウスはそうかもしれない。

彼にとっては、最上級の褒め言葉に違いない。それに―――

 

「―――手紙?ガイウス、手紙に何を書いたの?」

「アヤには言っていなかったな。俺の・・・・・・俺なりに考えた、ノルドの未来についてだ」

 

ガイウスは語った。

ノルドで暮らす遊牧民は、古来から帝国との付き合いがある。

私達が暮らす集落も、ゼンダー門や監視塔の帝国人と親睦を深め、いい関係を築き合ってきた。

一方、東部で暮らす一族は、近年になり共和国と盛んに交流を持ちつつある。

外の世界との接触をよしとせず、独立した生活を営む一族だって存在する。

要はノルドの民も、決して一枚岩ではないのだ。

 

「それは悪い事ではない。だがこの国も、元々はそうだったんじゃないか」

「帝国も?」

「革新派も貴族派も、双方に誤りがあるとは思えない。どちらにも確かな信念と言い分がある。だがその対立が、結果として今の混乱を招いている」

 

どちらにも非は無い。ガイウスのような人間だからこその言葉だろう。

どんな争いもそうだ。双方に正義があり、自らが正しいと思い込んでいる。

 

「ノルドも同じなのかもしれない。100年前に共和国という国ができてから、ノルドを取り巻く環境は変わりつつある。2大国の対立の先に・・・・・・最悪の事態が待っている。そんな予感がするんだ」

 

以前彼が言っていたことだ。

大国同士の争いに巻き込まれた民族が、過去に多数存在していたこと。

監視塔が建てられてから、得体の知れない予感に怯えていたこと。

6月の騒動。帝国が抱える実状。2大国の対立。

 

漸くガイウスが言わんとしている事が見えてきた。

彼が言う最悪の事態。それはきっと、ノルドの民の分裂なのだろう。

帝国の辿った軌跡をなぞるように、2大国に引かれ合うように対立する。

可能性はある。というより、既にそれは1つの形となり現れ始めている。

共和国側と交流を深める一族の存在は、帝国側にある種の緊張感を生じさせている事は確かだ。

 

「じゃあガイウスは・・・・・・」

「ああ。こんな時代だからこそ、ノルドの民は1つになる必要がある。別に今の現状を否定するつもりはないんだ。だがノルドはノルドで、確固たる立ち位置を築くべきだと、俺は思う」

 

言うは易く、行うは難し。そんな表現が頭に浮かんだ。

ノルドの民を1つに。それは多分、相当に困難な道のりだ。

同じノルドで暮らしながらも、民の数だけ独自の生活があり、何より信念がある。

 

「分かっている。だからこれは、君が遊撃士を目指すように、俺の夢なんだ。士官学院を卒業して、いつか父さんの後を継いで・・・・・・父さん以上に強くなって。まずはそれからだな」

 

ガイウスは遠い目で天井を仰ぎながら言った。

もしかしたら、彼も私と同じなのかもしれない。

私がお母さんの背中を追うように、ガイウスもまた、お義父さんの先を目指している。

子は親の背中を見て育つ。今度はそんな表現が浮かんだ。

 

「そっか・・・・・・あはは。ガイウスの夢も、大分苦労しそうだね」

「ああ。お互いにな」

 

ガイウスが言うと、お義母さんの視線が私に向いた。

今度は私か。ガイウスが言った私の『夢』も、既に手紙で両親には伝えてある。

だが手紙にも、ガイウスにも言っていなかった事がある。

彼に習って、それをこの場で言っておくべきだろう。

 

「私が遊撃士を目指している事は、以前手紙にも書いた通りです。それは今でも変わりません」

「そう。私はよく知らないけど、それはどうやったらなれるのかしら」

「卒業後は暫く、レグラムに身を置こうと考えています」

 

私は帝国史の教科書を取り出し、この国の地図を開きながら、レグラムがある地点を指差した。

 

「以前お世話になった遊撃士の男性が、この街で活動しているんです。その人の下で勉強したいんです。まだ仮ですけど、一応許可も貰ってます」

 

言いながら、ガイウスの様子を窺う。

驚かれると思っていたが、彼は笑いながら小さく首を縦に振った。

 

「そんな気はしていた。この国で遊撃士を目指すなら、あの街は打って付けだろうからな」

 

バレていたか。ならこれ以上、改めて言う必要は無い。

卒業後にレグラムに身を置く。それは私が、ノルド高原を離れるということ。

どれぐらい時間が掛かるか分からないが、やはり彼と離れ離れになるということに他ならない。

その後の身の振る舞い方も、まだ決めてはいない。

この国とノルド高原。クロスベル。私が守りたいものが、守るべきものがたくさんある。

 

―――たとえ離れてしまっても、俺はいつだってアヤを想う。だから迷わないでくれ。君が信じる道を、まっすぐに歩いていけばいい。

 

あの夜。想いが繋がった7月11日の夜にくれた、ガイウスの言葉を信じよう。

寂しいのはお互い様だ。躊躇うことなく、お互いの夢に向かって歩いて行こう。

こうしてお義母さんに打ち明けた以上、後ろは振り向けない。

 

「お義母さん、まだまだ先の話だけど・・・・・・許して、くれますか?」

 

改まった口調で、お義母さんに投げ掛ける。

するとお義母さんは今日一番の笑顔を浮かべながら、答えてくれた。

 

「勿論よ。アヤの好きなようにしなさい。堂々と胸を張って、あなたが信じた道を歩むといいわ」

「お義母さん・・・・・・」

 

赤の他人であったはずの私を、娘と呼んで迎えてくれた。

掛け替えの無い本物の愛情を、私にたくさん注いでくれた。

感謝してもし切れない。私にできることは、ノルドの平和を守ること。

あの地の平穏を守り切ること。それが、私の恩返しだ。

 

「でも、1つだけ守ってほしいことがあるの」

「あ、はい。何ですか?」

「決まっているでしょう?これで私達一族も安泰だわ。元気な子を産んでちょうだいな」

「「・・・・・・」」

「うふふっ」

 

私とガイウスを交互に見やるお義母さん。静まり返る病室。

そうだった。まだ私達のことを、ちゃんと話していなかった。

いやそれより、話が途方も無く飛んだ気がする。

恐る恐るガイウスへ視線を送ると、彼も同じような顔で私を見ていた。

 

「こ、ここ、子供って」

「か、母さん?」

「あら、違うの?3年間も待たせておいて、漸く念願叶ったりと思っていたのに・・・・・・ほらガイウス。あなたの口から聞かせてもらえるかしら」

「むっ」

 

少々厳しめの口調でお義母さんが言った。

それはまるで、息子の情けない姿を叱責するような声色だった。

 

ガイウスは頬をポリポリと掻きながら、再びちらと私へ視線を向ける。

ああ言われてしまったら、私は何も言えない。従うしかない。

それよりも、ガイウスは何を言うのだろう。どんな言葉を選ぶのだろう。

それが気になって仕方なかった。

 

やがて観念したように、ガイウスはお義母さんへと向き直った。

 

「俺達は・・・・・・俺はまだ、先のことは言えないよ」

「そう。それはどういう意味かしら」

「今はまだ、お互いに学ぶ立場にある。母さんにもアヤにも、無責任なことは言えない」

 

思わず顔を逸らしてしまった。

何とも気恥ずかしい。慣れたものだと思っていたが、相手が身内ともなれば話が違う。

聞きたいような、聞きたくないような。それは別に、照れや恥じらいではない。

 

「でも誓うよ。俺は父さんのように強くなる。その時は、俺はアヤを―――」

 

―――やっぱり、聞きたくなかった。

私の右拳が宙を突き、ガイウスの顎先に触れた。

その衝撃で脳を揺らされたガイウスは先を語ることなく、ゆっくりとその身体が傾いた。

 

ドサッ。

 

椅子に下ろした腰はそのままに、ガイウスの頭部が私の膝の上に乗った。

膝枕のような体勢で、ガイウスは静かに私の膝元で意識を失った。

見る人が見れば恐ろしい事この上ない一連の事態を、お義母さんは笑いながら眺めていた。

 

「あらあら。随分と乱暴な照れ隠しだこと」

「だ、だって・・・・・・急にこんなの。嫌ですよ、私は」

「ふふっ、それもそうね。少し意地悪をしちゃったかしら」

 

ずっと一緒にいようと言ってくれた。

私だって、覚悟はもうできている。添い遂げたいと思う気持ちは、確かなものになりつつある。

でもそれは、彼の意思で言ってほしい。2人っきりで、しっかりと私を見ながら言って貰いたい。

あれではお義母さんに流されてしまっただけになってしまう。

 

「うー・・・・・・お義母さんのバカ」

「ごめんなさい、謝るわよ・・・・・・ねえ、アヤ」

「何ですか」

 

頬を膨らませながら、訴えるような目付きでお義母さんを見る。

対するお義母さんは、ガイウスの頭を撫でながら、優しい笑みを浮かべていた。

 

「ありがとう、ガイウスを選んでくれて・・・・・・私達に出逢ってくれて。幸せになりなさい、アヤ」

「・・・・・・はい」

 

それはいずれ、また耳にすることになるかもしれない。

お礼を言うのはこちらの方だというのに。

 

それに私は、もう十分過ぎる程に幸せだ。

確かな夢がある。道がある。一緒に隣を歩いてくれる男性がいる。

これから先に待ち構えている苦労など、何だって耐えられる。

それ以上の光が溢れているのだ。怖いものなんて、もう何1つ無い。

 

どれぐらいそうしていただろう。

私とお義母さんは、一緒になってガイウスの顔を見詰めていた。

・・・・・・少し強く打ち過ぎたようだ。もう暫く起きそうにない。

 

「それで、お義母さんはいつまでこっちにいられるんですか?」

「明後日の朝一に戻る予定よ。明日まではここでゆっくりしていこうと思うの」

「そうですか・・・・・・あれ、今日はどこに泊まるつもりだったんですか?」

「それは現地でどうにかなるって、ザッツ君が言っていたけど」

 

どうにかなるわけない。肝心なところが抜けてしまっている。

まあ看護士さんに事情を話せば、この部屋で寝泊りすることはできるだろう。

ここにはベッドが2つあるし―――

 

「―――あ。ガイウスもいたっけ・・・・・・どうしよ」

「なら私は・・・・・・いや。あなた達が一緒に眠ればいっか」

「えっ」

「慣れたものでしょう?見たところ、あなた達の仲も大分進んでいるみたいね」

「ええ!?」

 

顔を真っ赤にしてあたふたしていると、お義母さんが意味深な笑みを向けてきた。

どうやらカマをかけられていたようだ。ものの見事に引っ掛かってしまった。

そんなやり取りをしているとは露知らず、ガイウスは静かな寝息をたてていた。

 

________________________________

 

翌朝。

私達は昨晩と同じように、病室で朝食をとっていた。

お義母さんは余程気に入ったのか、今朝もスコッチエッグの缶詰を頬張っていた。

何がいいのだろう。唯のパサついた肉と卵だというのに。

 

「母さん、今日はどうする予定なんだ?」

「そうね。折角の機会だし、この都を見て回ろうかしら」

 

それもまた一興だろう。だが少々、不安でもある。

帝都を回るなら、導力トラムを使う必要がある。それにこの帝都は広大だ。

慣れないお義母さんが1人で出歩いては、道に迷うのは目に見えている。

 

「うーん。ガイウスはどうするの?」

「俺は昼にトリスタへ戻るつもりだ。母さん、俺が帝都を案内しようか」

「今日は貴重な休日なのでしょう?付き合わせては悪いわ」

 

なら私も一緒に。そう提案すると、2人から無理をするなと口を揃えて窘められた。

痛みはかなり治まってきているのだが、そう言われると返す言葉が無い。

どうしたものか。思い悩んでいると、扉をノックする音が聞こえてきた。

 

「おっはよーアヤ。来てあげたわよ・・・・・・あら?」

 

扉の先にいたのはポーラだった。その隣にはユーシスの姿もあった。

そういえば、アンゼリカ先輩が言っていたか。交流会の件もあって来てくれたのだろう。

ポーラはガイウスとお義母さんの姿を確認すると、言葉を詰まらせてしまった。

 

「あなたは・・・・・・どうも。ノルドでは世話になった」

「ユーシス君、だったかしら。お久しぶりね」

 

一方のユーシスは実習の際に面識があった分、面食らうことなくお義母さんと挨拶を交わした。

そんな2人のやり取りを見て、ポーラも合点がいったようだ。

 

「ああ、なるほど。アヤのお姉さんだったの」

「違う違う。この人は私のお義母さんだよ」

「おか・・・・・・ええっ!!嘘!?」

 

無理も無い。ハッキリ言って、ポーラの反応が普通のはずだ。

ガイウスと並んで歩いていたら、姉弟に間違われる方が自然なのだ。

それぐらいお義母さんの容姿は若々しく見える。

実はそれが不安の1つでもある。1人で出歩いたら、変な男性が言い寄って来てもおかしくはない。

 

「あなたがポーラさんね。娘からの手紙で存じているわ」

「あ、どうも初めまして。アヤと同じ馬術部のポーラです」

「あら?」

「え?」

 

お義母さんは何かに気付いたようで、腰を上げてポーラの背後へと回った。

すると彼女の髪の結び目に手をやり、嬉しそうに笑いながら言った。

 

「この髪飾りは、私が作った物なの。あなたが使ってくれていたのね」

「え、そうなんですか?」

「・・・・・・フン」

 

それはユーシスがノルドの交易所で購入した、馬毛をあしらった髪飾り。

あの実習以来、ポーラの髪形とセットで彼女のトレードマークになりつつある。

工芸品の類は、お義母さんやサンさんが手作業で作製していた。

ただ、あれがお義母さんが手掛けた物だったなんて、私も知らなかった。

 

私達はお義母さんがお見舞いに来てくれた経緯と、大まかな事情を2人に説明した。

するとユーシス腕を組みながら、思いがけない提案を持ち掛けてきた。

 

「なら話は早い。俺が案内しよう」

「え。ユーシスが?」

「交流会の打ち合わせなら、午後からでもできるだろう」

 

ノルドで世話になった礼だ、とユーシスは言った。

彼になら安心してお義母さんを任せられるが、それは少し申し訳ない気もする。

そう考えていると、ポーラもユーシスの案に乗っかり始めた。

 

「面白そうね。私も一緒に行こうかしら」

「・・・・・・おい。お前は帝都を知らんと言っていなかったか」

「そうよ。だからついて行くのよ」

 

・・・・・・まあいっか。

ここは素直に、ユーシスとポーラの好意に甘えておこう。

お義母さんにも、この国のことを知ってもらいたいし、触れてほしい。

様々な事情を抱えつつも、たくさんの魅力に満ち溢れている。この帝都はその1つだ。

 

「すまない、ユーシスにポーラ。母さんを宜しく頼む」

「任せておけ。お前達はいつものように惚気合うがいい」

「久しぶりの2人っきりなんだし、存分にイチャイチャするといいわ」

「うふふ。道中に面白い話がたくさん聞けそうね」

 

うん。もしかしなくとも、私達は大変な人選ミスを仕出かしたようだ。

私達の懸念を余所に、3人は軽やかな足取りで病室を後にした。

午前中一杯は戻ってこないだろう。一通り見て回るだけでも、それぐらい時間が掛かるはずだ。

 

「さてと。私達はどうしよっか」

「ああ、それなら委員長とマキアスから頼まれている」

「え?」

 

ガイウスは鞄から筆記用具を取り出し、それをテーブルの上に置いた。

 

「進捗状況を確認してきて欲しいとのことだ。進んでいるか?」

「あはは・・・・・・はぁ」

 

徹夜で空の軌跡を読み耽った日から、既にスケジュールは破綻している。

丸二日分ほど、自習は遅れてしまっていた。まさかこんな形でチェックの目が入るとは。

ユーシスとポーラの期待に反し、イチャイチャはできそうにない。

 

私はテーブルの上を片すため、置きっ放しになっていた空の軌跡を手に取った。

 

「オリヴァルト殿下から頂いた本だったな。もう全て読んだのか」

「うん。すごく面白いよ、これ。読んでみる?」

「君以外は読んではいけないと言っていなかったか?」

「そういうこと。残念でした」

 

悪戯な笑みを浮かべ、代わりにノートと教科書を取り出す。

すると再び、扉をノックする音が耳に入ってきた。

 

「あ、はい。どうぞ」

 

また誰かが訪ねてきたようだ。

誰だろう。そう思い目を向けると、勢いよく扉が開かれた。

 

「こんにちは!」

「・・・・・・え?」

 

快活な声と共に現れたのは、見知らぬ女性だった。

歳は私と同年代ぐらい。栗毛のツインテールと、その天辺にある跳ね毛が可愛らしい女性。

 

「失礼します」

 

その後ろにいたのは男性。

端整な顔立ちと、私と同じ黒髪。人目見ただけで吸い込まれそうになる、琥珀色の瞳。

彼の隣には、幼い少女もいた。シーダと同い年ぐらいだろうか。

ドレスのような可愛らしい服装で、エマよりもやや明るめの、スミレ色の細髪。

 

3人とも知らない顔だ。ガイウスを見ても、首を横に振るばかり。

部屋を間違えたのだろうかと思ったが、表情から察するにそうでもないようだ。

 

「あのー・・・・・・どちら様ですか?」

「突然訪ねちゃってごめんなさい。あなたがアヤ・ウォーゼルさんで間違いないわね?」

「はい、そうですけど・・・・・・」

 

やはり人違いというわけではなさそうだ。

一体誰なのだろう。立ち尽くしていると、黒髪の男性が女性の肩を掴みながら言った。

 

「ちょっとエステル。まずは事情を説明しないと」

「いいのいいの。まずは彼女にサプライズをあげなくっちゃ」

「無駄よヨシュア。きっとエステルは、早く先輩面をしたいだけなんだから」

「ああ、なるほど」

「あんですってー!」

 

あんですってー。あんですってー。あんですってー。

 

まるで山彦のように、そのフレーズが頭の中で反響する。

もう何度空の軌跡で目にしたか分からない、あんですってー。

それに―――エステル。今男性は、確かに女性をエステルと呼んだ。

 

「あ、あの。もしかして―――」

「ちょっと待ってね」

 

私の言葉を遮るように、女性は肩にぶら下げていた鞄から何かを取り出した。

それは1枚の書類と、1冊の手帳。そしてエンブレム。

その書類を両手で広げながら、女性は再び口を開いた。

 

「コホン。遊撃士協会エレボニア帝国支部所属、トヴァル・ランドナーに代わり宣言します」

「トヴァルさん?」

「アヤ・ウォーゼル。本日9:00を持って、同名を『準遊撃士』に任命する」

「・・・・・・へ?」

 

あんですってーがこだまする頭を、揺さぶられるような感覚に陥った。

目の前の事態を飲み込めない私に、女性は手にしていた手帳とエンブレムを差し出してきた。

これも私にとっては、もう何度目にしたか分からない程に身近な存在。

お母さんそのもの。支える籠手のエンブレムと、遊撃士手帳だった。

 

「以後は遊撃士協会の一員として、人々の暮らしと平和を守るため、そして正義を貫くために働くこと・・・・・・あはは。アヤさんは学生だそうだから、卒業後になるわね?」

「・・・・・・えええっ!!?」

 

9月12日、日曜日。

夢が、大きく前進した瞬間だった。



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2つの世界

エステル・ブライト。ヨシュア・ブライト。

現在リベール王国に身を置く、2人の正遊撃士。

エステルとヨシュアがこの帝国にやって来たのは、トヴァルさん直々の依頼だった。

2人は以前、この国で発生したとある事件を解決する際、トヴァルさんと行動を共にしていた。

遊撃士の先輩としてお世話になった経緯もあり、断る理由は見当たらなかった。

 

トヴァルさん曰く、暫くの間は遊撃士としての活動ができそうにない。

そこで、今この国で抱えている依頼の数々を、代わりに見てやってほしい。

そんなトヴァルさんの手紙が彼女らの下に届いたのが、今月の初めの出来事。

その依頼の1つが、私に準遊撃士としての資格を与える事だった。

 

一般人が準遊撃士の資格を得る。それは勿論、生半なことではない。

必要不可欠なのは、正遊撃士が用意した研修を、実際の依頼と同様の形式で解決すること。

トヴァルさんが私達にレグラム支部を任せたのは、特別実習としての依頼だった。

同時に私にとっては、準遊撃士としての試験でもあったそうだ。

 

―――そいつはアヤに聞くといい。

―――それもアヤに任せてある。

 

確かに私は、レグラム支部に寄せられた依頼の数々に関わった。

所定の手続きどころか、書類の作成から処理に至るまで、一通りをこなしていた。

 

一方でこれも、準遊撃士に求められるものの1つに過ぎない。

あくまで適性な知識や技量が備わっていると見なされた人間にだけ、資格が与えられる。

それを判断するのは、定められた年数を経験し、一定以上の階級に属する正遊撃士。

明確な基準が無い分、大部分が個人の裁量に委ねられる。

 

―――遊撃士協会規定基本3項目、言ってみな。

―――遊撃士志願者として、この国の現状をどう考えてる。

 

トヴァルさんが私の遊撃士としての知識を試していたのも、それを確かめるためだった。

今思えば、書類整理や雑務に至るまで、敢えて私に振ってくれていたのだろう。

同時にトヴァルさんは、私が提出してきた特別実習の報告書を、サラ教官から受け取っていた。

そういった物も含めて、総合的に判断した結果がこれだった。

知らぬ間に私は、彼が用意したいくつものテストに、合格していたというわけだ。

そんな経緯が記された手紙が、エステル宛ての手紙に同封されていた。

 

「おめでとう、アヤ。夢に大きく近付けたんじゃないか」

「あはは・・・・・・でもこれ、エステル達が言うようにまだ『仮』だし。喜ぶのは早いよ」

 

そう、仮だ。

私はまだ、正式に準遊撃士の資格を得たわけではない。

 

その証拠に、私が手渡された遊撃士手帳と、お母さんのそれを見比べれば一目瞭然。

まず遊撃士協会の印章が押されていない。この時点で、これはただの手帳と同じ。

発効日も空欄のまま。本来ならここに、今日の年月日が記入されるはずなのだ。

 

それに試験を兼ねていたとはいえ、レグラムでの件は全て特別実習としてものだった。

トヴァルさんも私を特別扱いするつもりはないようだ。

それを表すかのように、手紙に記されていた、意味深な一文。

 

『話はサラにも伝えてある。あいつがどう考えてるかは知らないが・・・・・・まあ、精々覚悟しておけよ。教え子として以上に、後輩としてな』

 

ハッキリ言って、嫌な予感しかしない。

今回の件が、どんな内容でサラ教官に伝わっているかは分からない。

が、想像するに容易い。教官なら、きっとそうするはずだ。

私が乗り越えるべき、最大級の壁。立ちはだかるのは、そう遠くないように思える。

 

いずれにせよだ。

私の遊撃士手帳に発効日が記載されるのは、早くても1206年の4月1日。

私が士官学院を卒業後の話になる。

 

遊撃士協会の一員として、人々の暮らしと平和を守るため、そして正義を貫くために働く。

それが遊撃士の使命。学生でいる以上、その務めを果たすことはできない。

この遊撃士手帳は、仮免許のようなものだと考えよう。準々遊撃士、といったところだろうか。

 

「な、なな、何なのよこれ!?」

 

その一方で。

私にその資格をくれた2人。エステルとヨシュアは、空の軌跡を読みながら驚愕していた。

誰にも見せないでほしいというオリヴァルト殿下の頼みは、今だけは忘れることにした。

 

エステルは『Second Chapter』の中盤を読みながら、悲鳴を上げていた。

まあ無理もないか。私の憶測は、当たっていたようだ。

ヨシュアは『First Chapter』のラスト数ページを読みながら、安堵の溜息を付いていた。

何だろう。あの場面は涙を流さずにはいられない、悲しい別れがあったはずなのだが。

 

「はは・・・・・・参ったね。大部分が創作だけど、話としては芯が通ってる。それに文章もすごい完成度だよ。オリビエさんにこんな才能があったんだ」

「そういう問題じゃないでしょうが!ああもう、あたしこんな恥ずかしい台詞言ってないわよ!」

「どれどれ・・・・・・あはは。似たような事を言っていたじゃないか」

「言ってないってのー!!」

 

・・・・・・何だか土下座で謝りたくなってきた。

エリスとアッシュ。創作上の人物であったはずの2人は、エステルとヨシュアの事だった。

殿下の返答を聞く前に、確信が得られた。この物語は、実話を基に書かれた物だったのだ。

何て不思議な巡り合わせだろう。2人がこうして目の前にいる事実も、俄かには信じ難い。

 

「あのー。2人が言ってるオリビエって、もしかしなくともオリヴァルト殿下の事だよね?」

「紛れもない、その殿下だよ。この物語の中では、器用にその事実だけが捻じ曲げられているみたいだ」

「アヤ。俺には何が何だか・・・・・・分かるように、説明してくれないか」

 

頭を抱えながら、眉間に皺を寄せるガイウス。

自分だけ置いて行かれている気分だろうが、私だって全てを把握しているわけじゃない。

エステルとヨシュアとは、話したいことが山ほどある。

 

これは何から確かめるべきなのだろう。

そう思い悩んでいると、不意に視線を感じた。

 

「レンちゃん、だっけ。どうかした?」

 

レンと名乗った少女は、私の胸元を一点に見詰めていた。

思わず腕で隠してしまったが、別に胸元が露わになっているわけではなかった。

彼女は小さな笑みを浮かべると、見透かすような目付きで言った。

 

「レンはかくれんぼが好きなの。隠れる方が得意だけど、見つける方も自信があるのよ」

 

言うやいなや、身を潜めていたランが、唐突に飛び出してきた。

レンちゃんを除いた3人は、ぽかんと口を開けて呆けていた。

・・・・・・当然の反応だ。いやそれより、急にどうしたというんだ。

 

「うふふ、面白そうな鳥さんね。ねえ、この子と外で遊んできてもいいかしら?」

「あ、うん・・・・・・構わないけど。看護士さんに見つからないようにね」

 

ランはその言葉に従うように、レンちゃんの肩へ着地した。

珍しいこともあったものだ。ランが私以外の肩に乗るだなんて、今まで無かったはずだが。

 

「不思議な子だね。彼女は2人の・・・・・・なわけないか。歳があれだし」

「似たようなものさ。それで、アヤさん。少し話を聞かせてもらえないかな」

 

そうよそうよ、と声を荒げるエステル。

確かに2人とは、お互いに知っている事を話してもいい頃合いだ。

空の軌跡という物語小説は、一体何なのか。それを何故、私が持っているのか。

気になって仕方ないに違いない。それにガイウスだってそうだだろう。

頭上に疑問符を浮かべるばかりの彼が、少し気の毒になってきた。

 

ヨシュアはエステルと顔を見合わせると、少しだけ表情を硬めながら切り出した。

 

「君はオリビエさんやトヴァルさんとも面識があるみたいだけど・・・・・・どんな関係なんだい?」

「あはは。ロイドも知ってるよ」

 

ロイドの名を出した瞬間、エステルがその目を大きく見開きながら言った。

 

「ろ、ロイドって・・・・・まさか、クロスベルの!?」

「うん、特務支援課のロイド。小さい頃から知ってるよ。幼馴染なんだ」

 

まずは詳細な自己紹介が必要のようだ。

また自習の時間が削られてしまうが、今はそれ以上に重要な事がある。

 

「私も2人には、聞きたいことが山ほどあるんだ。話せる範囲で構わないから、話してもらえないかな」

 

殿下が言った『絢』。たくさんの色糸が、張り巡らされた様。

私の中で、確かな繋がりを見せ始めようとしていた。

 

________________________________

 

事実は小説より奇なり。

空の軌跡の巻末には、そんな一文が記されていた。

今ならその意味合いが理解できる。

今この瞬間、この場に限っては、これ以上無い程にピッタリの表現だった。

 

初めはお互いの自己紹介から始まった。

私からすれば、エステルとヨシュアはそれが必要無いぐらい、知り尽くしていた。

空の軌跡やロイドからの手紙。2人の人となりは知るには、それで十分だった。

苦労したのは、どこまでが真実で、どれが虚実であるかという線引き。

何しろどこにも矛盾点が見当たらないぐらい、空の軌跡は1つの物語として完璧すぎた。

 

私が確かめたかったことは、あくまで帝国が関わる部分。

そしてリベールの異変と、身喰らう蛇の暗躍。その真実だ。

エステルやヨシュアの素性以上に、明らかにしておきたかった。

 

それにはまず、オリヴァルト殿下の存在を受け入れなければならなかった。

オリビエなる旅の演奏家をオリヴァルト殿下に改変し、物語を改編する。

これが一番厄介だった。何しろ作中には、殿下に関する事実がまるで見当たらない。

物語の主軸を捻じ曲げる必要さえあった。

 

その先に見えてきたのは、到底受け入れ難い真実。

『2つ』の視点と真実を前に、話がまるで噛み合わなかった。

 

「驚いたな。まさかあの騒動に、ゼクス中将まで関わっていたとは」

「うん・・・・・・正直、信じられないけど。きっと事実なんだよね」

 

ゼクス中将率いる、第3機甲師団。

導力機構を伴わない戦車部隊。そして―――リベール王国への侵攻。

そんな存在は聞いた事がないし、そんな事実はこの国には無い。

帝国までもを巻き込んだあの異変は、既に帝国史の教科書にまで掲載されている。

 

だから当然、劇中のこの部分は嘘。リベールへの侵攻なんて、たくさんの嘘の中の1つ。

そう思っていた。だがエステルとヨシュアは、あれが真実だと言った。

未遂に終わったとはいえ、直に目の当たりにしたと、真剣な面持ちで語ったのだ。

 

「だがそんな事が可能なのか?それ程の事を隠蔽できるとは、俺には思えない」

 

ガイウスが怪訝そうな表情で、確かめるように言葉を並べ始める。

 

「パルム市街なら、4月の実習で俺も足を運んだ。導力停止現象とやらの話は何度も耳にしたし、大混乱に陥ったと聞いていた。だが今のような話は、一度も話題に挙がらなかったぞ。一個師団ともなれば、相当な規模だろう」

「徹底した情報操作が敷かれたんだろうね。アウスレーゼ家が統治するリベールはともかく、エレボニアの政治体制を鑑みれば不思議じゃない。言論の自由を否定する気はないけど、下手に混乱を招くよりは良かったんじゃないかな」

「・・・・・・当時は、リベールが導力機構を無力化する新兵器を開発した、といった噂が流れたそうだが。今の話が事実なら・・・・・・まさか、あれは」

「それは僕達にも分からない。そんな話が広がっても、無理ない状況だったからね。ただ・・・・・・君が考えるように、意図的に流されたって可能性も、捨てきれないと思う」

 

ロイドとのやり取りの中で感じたものと一緒だ。

立場が異なれば、その数だけ真実がある。事実はたった1つしか無いというのに。

殿下についてもそう。リベールの異変に一役買った、その程度の話しか聞き及んでいなかった。

だがエステルとヨシュアの中では、殿下は紛れもないオリビエだった。

 

「・・・・・・んー」

 

それにしても―――引っ掛かる。

それはまるで、喉に魚の小骨がつっかえたかのような感覚だった。

 

「どうしたの、アヤ?」

「いや・・・・・・うーん。何だろう?」

 

考え込むような仕草を取ると、エステルが首を傾げながら覗き込んできた。

ゆらゆらと揺れるその跳び毛を見詰めながら、私は複雑に絡み合った糸を1本ずつ解くように、頭の中を整理していた。

 

身喰らう蛇。全ての元凶は、そこに収束される。

私達が蛇の存在を知っている旨は、既に2人にも話してある。

サラ教官が私達の師である事を明かしただけで、すぐに納得してくれた。

最年少で元A級遊撃士に登り詰めたとなれば、異国の地でも彼女の名前は通じるようだ。

 

塩の杭事件を彷彿とさせる、リベール王国の異変の真相と顛末。

3日間に渡る導力停止現象。身喰らう蛇の暗躍。ゼクス中将にオリヴァルト殿下。

エステルとヨシュアが明かしてくれたそれらは、全て紛れもない事実のはずだ。

それは理解できている。どこにも不審な点は見受けられない。ただ―――

 

「―――エステル、ヨシュア。私達に、何か隠してない?」

 

私が言うと、エステルは再び首を傾げてしまった。

 

「隠すって・・・・・・何も隠してないわよ?今話した事は、全部事実だしね」

 

それが本心であることは、容易に察せられた。やはり彼女は嘘が付けない人間なのだろう。

疑いたくはない。ただ、釈然としない何かが、私の中で引っ掛かっている。

それは1本の糸が足りずに、模様が歪んでしまっているかのように。

何かを見落としている気がする。繋がりが1つ、欠けている。そう感じざるを得なかった。

 

「それは多分、僕達にも見えないものだよ」

「え・・・・・・」

 

目蓋を閉じながら、呟くように言うヨシュア。

やがて開かれた琥珀色の瞳は、思わずドキリとしてしまう程に澄んでいた。

 

「推測することは簡単さ。でも僕達の側からは、真実は得られない・・・・・・その答えはきっと、オリビエさんが知っているんじゃないかな」

「殿下が?」

「これも単なる推測に過ぎないけどね」

 

よく分からない、というのが正直なところだ。

この漠然とした引っ掛かりの答えを見つけるには、疑念を明確にする必要がある。

 

もしかしたら、話はこの場に収まらないのかもしれない。

私がこの国で見聞きしてきた全て。特別実習を通じて経験し、感じてきたもの。

その中に、答えを導き出すための答えがある。不思議とそう思えた。

 

「話せるのはここまでかな。何しろ君の引っ掛かりは、おそらくこの国を揺るがしかねない程のものだよ。僕も不用意な発言は控えたい」

「・・・・・・そっか。でもそうだとしたら、殿下が答えを教えてくれるとは思えないけど」

「僕もそう思う」

「だよねー」

 

肩を落としながら大きな溜息をつく。

するとエステルが眉間に皺を寄せながら、私とヨシュアの顔を交互に睨んできた。

 

「ちょっとちょっと、2人だけで話し込まないでよ。ヨシュア、あたしにも分かるように説明しなさい」

「無茶言わないでよ・・・・・・これはエレボニアの問題なんだ。君には少し荷が重過ぎると思う」

「あんですってー!」

「あはは」

 

今日2回目となるあんですってー。

聞けただけで得をした気分になれる。やはり本物は迫力が違う。

それにエステルもヨシュアも、私が考えていたような人間だった。

 

天真爛漫。そんな平凡な表現がここまで似合う女性は初めてだ。

初対面だというのに深い親しみを感じるのは、空の軌跡のせいではないのだろう。

こうして話しているだけで、ミリアム以上に元気を分けて貰える。それがエステルだった。

それにヨシュアも。

言葉の1つ1つが、胸の奥へストンと落ちてくるような感覚を抱かせる。

どこか儚げで、確かな意志を感じさせる瞳からは、彼の歩んできた軌跡が窺えた。

 

話せる範囲で構わない。私はそう言ったはずだった。

だというのに、エステル達は自身に関する事を赤裸々に語ってくれた。

それはとても辛く哀しい過去。優しい真実と、確かな未来。

 

深い絆で結ばれるまで、一体どれだけの壁を2人で乗り越えてきたのだろう。

大部分が創作と言っていたが、きっと私だからこそ理解できる。

殿下も悪い人だ。あんな物語を、赤の他人である私に読ませるだんて。

うん、やっぱり土下座しておいた方がいいかもしれない。

 

「むー、まあいっか。アヤにガイウス君、今度はあなた達の話が聞いてみたいわ」

「俺達の?」

 

・・・・・・まあ、そうなるよね。このままでは不公平だ。

大まかな事情は話しつつも、先程からエステル達の話にばかり耳を傾けていた。

 

「そうだね。僕とエステルは、以前にもこの国に来たことがある。ハッキリ言って、今のエレボニアは異常だ」

「驚いちゃったわよ。知り合いの軍人さんに、入国は控えろって忠告されてはいたけど・・・・・・まさか戦術オーブメントの中まで検査されるだなんて。手続きに以前の倍以上時間が掛かったわ」

 

なるほど。その辺りも含めて、か。

ガレリア要塞での騒動を受けて、帝国は今テロリストの捜索と警備に注力している。

他国からの入国者には、それはそれは厳重な審査がなされているに違いない。

 

「ふむ。何から話す、アヤ」

「んー・・・・・・私の場合は、クロスベルのことからかな」

 

こうしていざ話すとなると、意外に難しい。

切り出し方が分からない。何をどこまで話せばいいのだろう。

 

「はいはーい!あたしはアヤとロイド君の話も聞きたいな」

「へ?ロイド?」

 

うんうんと呻っていると、エステルが快活な声で言った。

 

「フフン、あたしの目は誤魔化せないわよ。アヤとロイド君、実はいい仲だったりするんじゃない?」

 

ピキッ。

隣から、何かが切れる音が聞こえた。

 

「・・・・・・あれれ、違った?私はてっきりそうだと思ったのに」

 

ピキピキッ。

隣から、何かが弾ける音が聞こえた。

 

「はぁ・・・・・・相変わらず、君はそういう話に疎いんだから」

「え、え?」

 

ガイウスって、怒ると表情が消えるんだなぁ。

そんな彼の意外な一面を、目の当たりにした瞬間だった。

 

_____________________________

 

午前11時。

医療棟の1階、売店や食堂がある一角へと繋がる廊下を、1組の男女が歩を進めていた。

 

「さっきは本当にごめんなさい。変な勘違いをしちゃって」

「気にしないでくれ。ああいった事には慣れている」

「・・・・・・それ、慣れちゃ駄目だと思うわ」

 

エステル達に続いて、アヤとガイウスは全てを語った。

帝国が抱える闇。特科クラス《Ⅶ組》。オリヴァルトの真意。

アヤが見舞われた惨劇。ガイウスの出会い。結ばれた絆。

一しきり話し終えた後、誰が言うまでもなく、小休憩を取ろうという流れになった。

何しろ2時間以上、4人は喋りっ放しだったのだ。話し疲れてしまって当然である。

 

「・・・・・・どうかしたのか?」

「あ、ううん。何でもない」

 

まだ昼時前ということもあり、辺りは閑散としていた。

だというのに、複数の視線を感じる。エステルはその視線の先、ガイウスの表情を窺った。

明らかに隣を歩く彼に対し、周囲の注意が向いている。

当たり前だが、それはガイウスの異国風の出で立ちに起因していた。

話してみれば、普通の男性なのに。そんなことを考えながら、エステルは売店で人数分の飲み物を受け取った。

 

「俺が持とう。それぐらいはさせてくれ」

「結構重いわよ。大丈夫?」

「ああ」

 

前言撤回。普通のいい男性だ。

満面の笑みで飲み物を手渡してくるエステルに、ガイウスは少しだけ首を傾げてしまった。

 

部屋に戻る道すがら、2人は取り留めの無い話題に花を咲かせた。

ガイウスにとっては、その1つ1つが新たな発見と新鮮さに満ち溢れていた。

今の彼にとって、ノルド高原の外の世界は、帝国に存在する常識や観念に等しい。

その帝国ですらが、ゼムリア大陸を成す国々の1ヶ国にすぎないのだ。

 

「列車が無い?」

「ええ、そうよ。歴史的な背景とか技術的な面とか、色々理由はあるみたい。その代わりに定期飛行船があるから、遠出するだけなら列車よりもずっと便利だと思うわ」

「飛行船か。ノルドでも見掛けることはあるが、乗ったことはないな」

「ええ!?・・・・・・まあ、そっか。遊牧民には縁が無いものだしね」

 

エステルの話に、ガイウスは自分が知る世界の狭さを、改めて思い知らされる。

同時に、温かな感情を覚えていた。それは病室で会話をしていた時から感じていたもの。

 

「でも一度は乗ってみるべきよ。こう、ふわっとしてぶわー!ってなるの」

「ぶわー、か」

「そうそう、鳥になったような気分になれるんだから。ぶわー!ってね」

 

身体が宙に浮く感覚を、奇妙なジェスチャーで伝えようとするエステル。

そんな彼女の姿を、ガイウスは面白がることもなく、眩しいと感じていた。

どことなく、アヤに似ている。それは以前彼が引き合いに出した、太陽のように。

きっと彼女の前では、誰もが仮面や鎧を外してしまうに違いない。

 

「ガイウス君、どうかした?」

「いや。ヨシュアが君に惹かれたのも、分かる気がする」

「よ・・・・・・き、急に変なこと言わないでよ」

 

ヨシュア・ブライト。

彼が歩んできた道のりは、アヤ以上に凄惨で、暗闇に満ちていた。

そこに光をもたらしたのは、間違いなくエステルという太陽だった。

ヨシュアの口から語られた以上に、ガイウスはそれらを感情で、肌で感じとっていた。

 

「でもね、あたしも同じことを考えてたんだ」

「同じ?」

「今のアヤがあるのは、ガイウス君のおかげでしょ。それはアヤ本人が言ってたじゃない」

「それは・・・・・・そうだな。違うと言ったら、アヤに怒られそうだ」

「当たり前よ・・・・・・あら?」

 

1階のロビーを歩いていると、正面玄関の方角から、子供の泣き声が聞こえてくる。

そこにいたのは、2人の幼い少年少女だった。わんわんと泣き喚く声が、辺りにこだましていた。

その声に周囲の人間は戸惑いながら、顔を見合わせることしかできないでいた。

 

「迷子かしら。ちょっと気になるわね」

「いや、心配は要らないようだぞ」

 

ガイウスの視線の先には、両親と思われる男女がいた。

足早に少年少女の下に駆けつけると、慌てて頭を撫でながらあやし始める。

それでも泣き止まない子供達を、夫婦は膝を床に下ろし、優しく抱いた。

父親は娘を。母親は息子をその腕に。

 

次第に鳴き声は尻すぼみとなり、再びロビーに静寂が広がる。

丁度午前中の受付時間が終了したこともあり、人もまばらになり始めていた。

そんな中で、エステルとガイウスは、一連の出来事を足を止めながら眺めていた。

言葉を交わすこともなく、唯々見入ってしまっていた。

 

「あはは・・・・・・ごめんね。ちょっと昔のことを思い出しちゃって」

「そうか。さっきと同じだな。俺も思い出に浸っていたところだ」

 

どれぐらい立ち尽くしていたか分からない。

ハッとして隣を見ると、自分と同じように感慨深げな色を浮かべる人間がいた。

お互いの顔に、自然と笑みが浮かんだ。

 

「よく覚えている。アヤが初めて涙を見せた日のことを、今でも思い出すんだ」

「私も。ヨシュアの泣き顔を拝むまで、随分と苦労したわ」

「俺もだ。今思えば、ひどく恥ずかしい台詞を並べたような気もする」

「そうそう。さっきみたいに、ずっとぎゅーって抱きしめてやったの」

「奇遇だな。それも同じだ」

 

泣き声と取って代わるように、周囲へ大きな笑い声が広がる。

全く同じことを考えていたことが、2人はおかしくて堪らなかった。

 

ガイウスは、エステルがアヤに似ていると感じた。

あながち間違いでもない。だがそれ以上に、彼自身がエステルと同じものを持っていた。

エステルは太陽のように、光で照らしながら。

ガイウスはその大きな腕で、悠然と包み込むように。

 

2人に救われた、2人がいた。ただそれだけのことだった。

 

「それにしても・・・・・・槍だと思っていたんだが、よくよく見れば違うんだな」

「ああ、これ?」

 

エステルはガイウスの視線の先、背に携えていた戦棒を手に取った。

屋内ということもあり、エステルは片手で軽く、クルクルと器用に棒を回し始める。

 

「全身が柄であり刃でもあり、身体の一部でもある。棒術には自信があるのよ」

「柄であり刃でもある・・・・・・か。槍術とは違うのか?」

「通じるところはあるわ。少し見せてあげよっか」

 

この日を境に、ガイウスの槍術はその幅を広げることになる。

それはもう少しだけ、先の話だった。

 

____________________________________

 

一方その頃。

 

「へぇ・・・・・・これが長巻か。太刀や薙刀とも違うんだね」

「小さい頃から、剣はそれしか握ったことが無いんだ」

 

ヨシュアは鞘をゆっくりと払いながら、月下美人の刀身をまじまじと見詰めていた。

双剣使いの彼にとっても、余程珍しい刀剣なのだろう。

私自身、今まで長巻の使い手に出会ったことは一度も無い。

 

「こんな長物を実戦で扱えるだけでもすごいよ。エステルに稽古を付けてほしいぐらいさ」

「そんな。2人はB級の正遊撃士なんでしょ?私なんかじゃ稽古にならないと思うけど」

 

謙遜は無しだよ。ヨシュアはそう言うと、刀身を鞘に収めた。

それはこちらの台詞だ。彼の腕前も、その立ち振る舞いから容易に窺い知れる。

単純な戦闘のみならず、何か得体の知れない力すら感じさせる。

フィーとも違うようだ。それはきっと、彼の生い立ちにも関係しているはずだ。

 

「でも君は少し、無茶をし過ぎるみたいだね。身体の方はどう?」

「あはは・・・・・・流石に今回はね。あと数日は掛かると思う」

「そうか。もう無理はしない方がいい」

 

何だか変な感覚だ。

初対面の男性に私の力の存在を見破られ、窘められるだなんて。

それはきっと、彼だからこそなせる業なのだろう。

 

「1つ、聞いてもいい?」

「何かな」

「狼・・・・・・ヴァルターは、今も結社にいるの?」

 

それがヨシュアが教えてくれた、狼の名。

リベールの異変は隅々に渡るまで、蛇まみれだった。

国を揺るがしかねない、重大な事件を何度も引き起こしている秘密結社。

今更になって実感した。私の知らないところで、リベールはその脅威に晒されていたのだ。

 

「分からない。でもあの男は、死合いという狂気を味わえるためなら、何だってする。おそらくは、まだ」

「・・・・・・そっか。じゃあ、この国に人形兵器が現れたことについては?」

「それも同じさ。リベールでの異変の後、一体何を企んでいるのか・・・・・・分からないんだ」

 

分からないことだらけか。少し無理を言ってしまったかもしれない。

彼は既に、蛇の構成員ではない。裏で暗躍する連中の動向など、知る由が無い。

そもそも彼らは遊撃士だ。トヴァルさんやサラ教官と同じような立場にある。

把握している情報は、共有していると考えてもいいだろう。

 

「ただ、レグナートも言っていた。リベールの異変ですらも、始まりにすぎないってね」

「レグナート?」

「あの物語にもあっただろう。僕達を救ってくれた古竜のことさ」

 

運命の歯車は、今まさに回り始めたばかり。

一度回り始めた歯車は、最後まで止まることはない。

それがヨシュアが言った、古竜が残した言葉だった。

 

うん。冗談になっていない。信じられるわけがない。

 

「それ嘘だよね」

「いや、嘘じゃないけど」

「嘘だよ。何で魔獣が喋るの」

「魔獣じゃなく竜だよ。人を見守るだけの存在って言っていたかな」

「嘘だよ!絶対に嘘!」

「そう言われてもね・・・・・・」

「大体歯車って何?もっと具体的且つ分かりやすく言ってよ」

「僕に言わないでよ。他にも禁忌とか盟約とか言っていたけど、よく分からなかったんだ」

「ほら、やっぱり嘘じゃん・・・・・え、禁忌?盟約?」

「え?」

「うわ・・・・・・うわぁ」

 

歯車。禁忌。盟約。見守るだけ。喋るはずがない存在。

問い詰めると、必ずそんな言葉を並べ始める。

ピンポイントで、思い当たる存在がいた。

今日一番の頭痛だった。誰か嘘だと言ってほしい。

 

「少し疲れてるんじゃない?今日は色々話したからさ」

「ん・・・・・・そうかも」

 

この件については、多分考えても無駄だろう。

張本鳥に問いただしても、はぐらかされるに違いない。

 

確かに今日は、余りにも多くを一辺に知り過ぎた。

何だか頭がクラクラする。ヨシュアが言うように、疲れているのかもしれない。

 

「あ、レン」

「え?」

 

部屋に風を入れようとしたのか、ヨシュアは窓を半開きにしながら、その先を見詰めていた。

ゆっくりと身体を起こしてベッドから下り、彼の視線の先を追う。

そこには表広場にそびえ立つ、1本の立派な大木が立っていた。

その幹から分岐した太い枝の上に、レンちゃんは腰を下ろしながら両足をぶら下げていた。

 

「あんなところに・・・・・・え、どうやって登ったの?」

「はは、ああ見えてレンはとても身軽なんだ」

 

身軽の一言で済まされた。少しも動じていない。

あそこから落ちたら、大怪我では済まされない。そもそもどうやって下りる気なんだ。

 

「・・・・・・ねえ。あの子って」

「レンは僕とエステルの家族さ。それ以上でも、以下でもないよ」

 

三者三様の顔立ち。当然ながら、血の繋がりは感じられない。

だがヨシュアの言葉に嘘はない。きっとそれ以上に強い絆で、結ばれているに違いない。

 

あの少女については、何も語ってはくれなかった。

その必要はないのだろう。彼らが家族であることに変わりはない。

 

「家族、か・・・・・・あはは」

「どうかした?」

 

レンちゃんを見詰めるヨシュアの横顔を見ながら、思わず笑ってしまった。

 

私は少し勘違いをしていた。

身喰らう蛇。あの組織を成すのは、人ならざる存在だと思っていた。

でもそうじゃなかった。唯の人間だ。人間にすぎないのだ。

一度は道を踏み外したはずのヨシュアも、人間味溢れる男性だった。

計り知れない程の罪と過去を背負いながら、こうして生きている。

私なんかよりも―――ずっと強い。

 

「はは、それはどうだろう。大好きな女の子に絆されて、泣きついて・・・・・・結局僕は、こちら側に戻ってしまった。その程度の覚悟で、僕はエステルの前から姿を消したんだ。つまらない人間だよ」

「そんなことないよ。でも・・・・・・あはは。私も同じなのかも」

 

死んでもいい。一時は本気でそう考えていた。

掴みかけた幸せを、私は夢だと言って捨てようとしていた。

結局はガイウスの腕に抱かれて、泣きついて。たった一夜で、私の心は折れてしまった。

 

だから、私の方がつまらない人間だ。

私がそう言うと、ヨシュアは首を横に振りながら同じことを言い始める。

次は私が。その次がヨシュアが。

そんなつまらないやり取りを続ける私達を、病室へ戻って来たエステルとガイウスが、つまらなそうな表情で見詰めていた。



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第7回生徒会交流会①

医学院前の、導力トラム停留所。

 

「ふぅ・・・・・・」

 

両足を広げ、右腕の脇を軽く締めながら、脇に構えて前方を見据える。

身体は弛緩させ、何も無い空間の中央、一点に意識を集中。

 

「―――はあぁっ!!」

 

刹那。私の右拳が宙を突いた。

そのままの状態で、ゆっくりと深呼吸を置く。

痛みはほとんどない。身体は順調に、思った以上の速さで回復してきている。

あるのは違和感だけ。我ながら、情けない拳打だ。

 

「・・・・・・鈍ってるなぁ」

 

一度は身体を壊した身だ。

それに何日間も寝たきりの生活が続いていたせいで、全く力が沸いてこない。

全身が鈍り切っている。これでは魔獣1匹すら相手取ることもできないかもしれない。

 

後ろから聞こえてきた声に、慌てて突き出していた拳を引っ込める。

人気がないと思っていたが、いつの間にか後ろに2人の人間が立っていた。

ここは停留所だったか。彼らも導力トラム待ちなのだろう。

 

『無理をするな。まだ傷は感知していないはずだぞ』

「大丈夫だってば。それより、今日はじっとしててよ」

『心得ている』

 

姿勢を正しながら、胸元に小さく囁きかける。

すると遠方から、導力トラムの走行音が聞こえてきた。

定刻通りの到着。あれにポーラとユーシスも乗っているはずだ。

 

「よしっ」

 

下ろしていた鞄を持ち上げ、ARCUSで時間を確認する。

第7回目となる、生徒会交流会。今日はその開催日なのだ。

 

_________________________________

 

「何か変な感覚ね。みんな授業中なのに、私達だけ帝都でトラムに乗ってるだなんて」

「あはは。私は慣れちゃったけどね」

 

ゆっくりと流れ行く街並みを見やりながら、ポーラに返す。

彼女が言うように、今日は私達馬術部の3人、そして一部の生徒会の人間を除けば、ちょうど1時限目の授業を受けている最中だ。

特別実習と同じく、今日は学外での研修という扱いになっている。

 

「そういえば、トワ会長達とは一緒じゃなかったの?」

「先に女学院へ向かっているはずだ。今回は士官学院の生徒会が取り仕切る番だからな・・・・・・忘れないうちに、これを渡しておく」

 

そう言ってユーシスが差し出してきたのは、見覚えのある便箋。

そこには予想通り、お義母さんの名が記されていた。

昨日に第3学生寮へ、私宛で届いていたのだそうだ。わざわざ持って来てくれたのか。

 

「遠路遥々足を運んでもらった身だ。すぐに返信を書いておけ」

「分かってるよ。ありがとう」

 

9月14日の朝方。

お義母さんは名残惜しそうに帝都を後にし、ルーレ直通の列車に乗った。

何だかんだで、ここで暮らした2泊3日の旅を楽しんでくれたようだ。

その証拠に、色々な土産物を買い込み、両手に抱えながら重そうにしていたっけ。

帝都を案内してくれたユーシスとポーラには、改めてお礼を言っておこう。

 

その前日の昼間。

帝都見物から戻って来た3人と入れ替わるように、エステル達も帝都を後にしていた。

トヴァルさんからの依頼を解決するため、今も帝国中を渡り歩いている頃かもしれない。

私とガイウスにとって、掛け替えのない出会いと時間だった。

また会うことがあれば、もっとたくさんの言葉を交わしたい。

 

少し気になったのは、レンちゃんが別れ際に発した一言。

 

―――その鳥を飼っているだなんてね。小さな女神様、といったところかしら。大事にしてあげるといいわ。

 

奇しくもそれは、ガレリア要塞でも掛けられた言葉だった。

偶然の一致だとは思うが、あれにはどんな意味があったのだろう。

ヨシュアとのやり取りの件もある。未だそれは、謎に包まれたまま。

ランに問い詰めても、相変わらず訳が分からない言葉を並べるばかり。

助けられた場面が多々ある分、強くは出られないのだ。

 

そしてもう1つ。

エステル達から明かされた、異変の真相と顛末。

しばらくの間は、私とガイウスだけ。2人の胸の中に留めておくことにした。

確信はないものの、私たちはこの国が抱える闇の一端を垣間見てしまったのだ。

鍵を握るのは、オリビエ。オリヴァルト殿下以外に思い当たらない。

 

「どうしたのよアヤ、難しい顔しちゃって。やっぱりまだ本調子じゃないの?」

「ううん、何でもない。身体の方はもう大丈夫だよ」

 

殿下の判断に任せるしかない。それまでは、《Ⅶ組》の皆にさえ話すことはできない。

いずれにせよ、今考えるべきことではないはずだ。

 

「そう。まあ外出許可が下りるぐらいだし、心配なさそうね」

「退院も近いしね。月曜日は午後から顔を出せると思うよ」

 

9月21日、月曜日。待ちに待った、念願の退院日。

初めは来月まで掛かると診断されていたにも関わらず、医師が驚く程の早さだった。

もしかしたら、実技テストや特別実習に間に合うかもしれない。

そんな期待は、一昨日の晩に叶わぬことになってしまっていた。

 

「その件だが・・・・・・話は聞いているな」

「一通りね。覚悟はしてたし、仕方ないと思う」

 

予定通り、9月15日に士官学院で開催された、理事会議。

二転三転した議論の末、今月の特別実習も、当初の計画通りに行われることが決定した。

 

一方で、そこには1つの条件が提示された。

それが私。アヤ・ウォーゼルは、今回の実習への参加を見送る。

今までの実習と異なるのは、それだけだった。

 

そもそも実習が中止寸前まで追い込まれたのは、クロスベルや帝国の実状に起因している。

ガレリア要塞におけるテロリストの暗躍に、クロスベル方面の独立問題。

国中が混乱の渦中にある状況下で、学外での研修はどうしても危険が付き纏う。

そしてもう1つが、私が入院に至ってしまったという事態。

事情はどうあれ、それが事を大きくしてしまった一因でもあるのだ。

 

残念極まりないが、受け入れざるを得ない。

それに退院できたとはいえ、私の身体は今朝の通りだ。

魔獣との戦闘が伴う実習に、今の私を連れて行けば足手纏いでしかない。

 

「そうなんだ・・・・・・じゃあ、実習の間にアヤは何をしてるの?クラスメイトが誰もいないじゃない」

「みんなとは違った形で、実習に関わることになるんだって。トワ会長が一役買ってるらしいけど・・・・・・」

 

今までの一通りの話は、ガイウスから教えてもらっていた。

だが今言ったように、実習中の身の振る舞い方については、要領を得なかった。

どうやら自主学習で時間を潰す、というわけではないようだ。

こればっかりは、当事者であるトワ会長から教えてもらうしかない。

 

「とりあえずさ、今は交流会のことを考えようよ。話は後でもいいでしょ?」

「そうだな。誰かさんが発表中に噛んだりしないか心配だ」

「あんたこそ、その高圧的な態度のまま喋らないでよね」

 

あれやこれや考えても仕方ない。

何せ今日は帝国の高等学校のうち、6校が集う大きな催しだ。

生徒会同士が学内の行事、取り組み内容を共有し合いながら、交流を深める。

そして各校、代表するクラブが活動内容を発表する。それが私達3人の役目。

生徒会と同じく、士官学院を代表する身だ。下手な発表はできない。

 

事前に貰っていた交流会の資料を鞄から取り出し、パラパラと捲る。

一通り目は通していたが、他の参加校についてまでは気が回っていなかった。

 

聖アストライア女学院高等部に、トールズ士官学院。

帝都科学院、芸術院、音楽院。例年の参加校5校に加え、特別参加のセントアーク理科大学。

5月のB班の実習地でもあった、あの大学だ。

 

「あれ?そういえば、大学にも生徒会ってあるの?」

「大学からはサークルと呼ばれる同好会の参加のみだ。俺もよく知らんがな」

「ふーん・・・・・・あ、そろそろだね」

 

いつの間にか、周囲の風景が見覚えのあるそれに変わっていた。

先々月の自習でアルフィン殿下に招かれたこともあり、女学院は初めてではない。

車内には、女学院前停留所に間もなく到着する旨を伝える、アナウンスが流れ始めていた。

 

_____________________________

 

午前8時半過ぎ。

交流会の開催は9時半。十二分に余裕を持って着くことができた。

何か手伝えることがあれば、トワ会長達の手助けをしよう。元々そう3人で決めていたのだ。

 

辺りを見渡しながら、開放されていた正門をくぐると―――

 

「ふふ、おはようございます。トールズ士官学院、馬術部の皆様ですね」

 

―――そこに立っていたのは、思いも寄らない人物だった。

面食らって立ち尽くしていた私達の中で、ユーシスが一足先に我に返る。

 

「・・・・・・コホン。おはようございます、殿下。それで、あなたがどうしてここに?」

「あら、私はこの女学院の生徒ですもの。何もおかしくはないでしょう?」

 

そこじゃないってば。

そう胸中で突っ込みを入れていると、無表情のポーラが私の右肩をポンポンと叩いてくる。

構うことなく、私もユーシスに続いた。

 

「アヤさんもお久しぶりです。先々月はエリゼ共々、お世話になりっぱなしでしたわね」

「き、恐縮です。その、今日はこんなところで、何をされているのですか?」

「他校の方々と知り合える貴重な日ですから、こうして会場までの案内役を買って出たんです」

 

何て畏れ多い。

というか、ある意味で参加者全員、初っ端から大変な目に合ってしまう気がする。

面識がある私とユーシスはともかく、ポーラは口を半開きにして呆けてしまっていた。

そんな彼女の頭を、ユーシスが強引に右手で垂れさせる。

 

「ちょ、ちょっと。何すんのよ?」

「阿呆が。呆けていないで、せめてご挨拶差し上げろ」

「分かったから離しなさいっての!」

 

一足遅く我を取り戻したポーラと、取り乱すユーシスのじゃれ合い。

平民にすぎない女子に小突かれるユーシスを、アルフィン殿下は温かな目で見守っていた。

 

_________________________________

 

会場である女学院内の講堂に足を踏み入れると、私達はまたもや見知った少女と出くわすことになった。

 

「おはようございます、アヤ姉様」

「え、エリゼちゃん?」

 

エリゼ・シュバルツァー。

入り口に程近い場所にあった受付の場にいたのは、何とエリゼちゃんだった。

 

聞けば、案内役も受付役も、本来なら高等部の生徒会が行うはずだった。

そこに声を上げたのが、アルフィン殿下だったそうだ。

要するに、彼女は律儀に殿下の思い付きに付き合ってあげているのだろう。

振り回されていると言ってもいいかもしれない。ちょっとだけ可哀想かも。

 

「姉様、お身体はもう大丈夫なのですか?入院されたと聞いていましたが・・・・・・」

「大丈夫だよ、もう痛みも無いから。心配掛けてごめんね」

 

参加者名簿に学校名と名前を記入しながら、エリゼちゃんに笑顔を向ける。

後ろに立つポーラは、リィンの妹が私を姉様呼ばわりしている事に、頭を抱えてしまっていた。

 

「どうやら俺達が一番乗りのようだな」

「そうですね。お手数ですが、こちらをお付けになって下さい」

 

エリゼちゃんから手渡された名札を胸元に付けながら、辺りを見渡す。

会場である講堂には長机や椅子が準備されており、各机にはそれぞれの学校名が記された用紙が貼られていた。

どうやら各校2つの机が割り当てられているようだ。1つが生徒会用で、もう1つがクラブ代表の生徒用といったところか。

それらに対面する向きで、前方にも机が1つ置かれていた。代表者はあそこに立ちながら発表を行うのだろう。

ちなみに私達トールズ士官学院は、右側の一番前の席だった。

 

「あ、みんな!もう着いちゃったんだ」

 

3人で荷物を机の上に下ろしていると、前方から聞きなれた声が聞こえてきた。

見れば、トワ会長がよいしょよいしょと書類の束を抱えながら歩いていた。

 

「随分と早く来たんだね。まだ開始まで1時間近くあるのに」

「あはは。遅刻は嫌だったし、何か手伝えることがあればと思って」

「ああ、それなら大丈夫だよ。私達生徒会が任されたんだから、みんなは発表の準備をしておいてもらえるかな。私達が一番目だからね」

「い、一番!?」

 

トワ会長の言葉に、ポーラが驚きの声を上げた。

6校が参加するのだから、そこには当然順番がある。が、今の話は初耳だった。

今年の交流会は、士官学院が取り仕切る番。例年その担当校が、初めに発表を行うのだそうだ。

そんな大事なことは事前に教えておいてほしい。心の準備というものがある。

 

「・・・・・・何か変に緊張してきたわ」

「私も。思ってたよりも人数が多そうだし」

「フン。念のためだ、もう一度発表の流れを確認しておくぞ」

 

柄にもなく深呼吸を1つするユーシス。

彼も彼で、見っともないところは見せたくないに違いない。

前向きに考えよう。先に済ませてしまった方が、気が楽になるはずだ。

 

「頑張って、みんな。私達は準備があるから、また後でね」

「あ、トワ会長っ」

 

踵を返すトワ会長を呼び止め、足早に駆け寄る。

彼女には、1つ確認しておきたいことがあった。

 

「何かな?」

「その、ガイウスから聞いたんですけど。今月の特別実習、私は何をすればいいんですか?」

 

私が言うやいなや、トワ会長の表情が少しだけ曇ってしまった。

 

「まずはごめんね。私からも、参加できるよう掛け合ってはみたんだけど・・・・・・」

「そんな。それは仕方ないことですし、気にしてませんよ」

 

その気持ちだけで十分だ。何処にも気に病む必要はない。

生徒会とはいえ、《Ⅶ組》の方針や理事会の決定に関わることなど不可能だろうに。

捲し立てるように感謝の意を表すと、少しだけ表情が和らいでくれたようだ。

 

「えっとね、アヤさんには私のお手伝いをしてほしいんだ」

「お手伝い?それ、実習に関することですか?」

「勿論。最近は交流会や学院祭の準備もあって、正直なところ、きりきり舞いなんだよね」

 

あのトワ会長がきりきり舞い。ちょっと想像ができない。

余程のことがない限り、そうはならないはずだ。少し心配になってきた。

 

それにしても、彼女が言わんとしていることが汲み取れない。

トワ会長の力になれるなら何だって構わないが、それが実習とどう繋がるのだろう。

 

「私から言うのは気が引けるけど、特別実習には色々な事前準備とか、根回しが必要なんだよね。それを今回は、アヤさんにやってほしいんだ」

「はぁ・・・・・・まあ、何だってやりますよ。気を遣ってくれてありがとうございます」

「こちらこそ。詳しい話はまた今度するから、今日は交流会の方をお願いね」

「そうですね。任せて下さい」

 

事前準備に根回し、か。何となくではあるが、大変に苦労しそうだ。

どんな形であれ、私も皆と一緒に実習に参加できるなら、言うことはない。

 

「ちょっとアヤ、いつまで話し込んでるの?」

「ごめんごめん。今行くよ」

 

いずれにせよトワ会長が言うように、今日専念すべきは目の前の交流会だ。

士官学院生の肩書に恥じぬよう、精々頑張ろう。

 

「あれ?」

 

席に戻ろうとした矢先にもう1人、見知った顔に目が止まった。

あちらも私達に気付いたようで、ゆっくりと私達の下へ向かって歩を進めてくる。

 

「マカロフ教官、来ていたんですか?」

「引率者として、な。今年は俺の番なんだよ。導力学は今日自習だ」

 

察するに、教官側も持ち回りで引率者を決めているのだろう。

生徒が主体となって行うとはいえ、各校共に教職員も同行して来るに違いない。

・・・・・・引率者なのに、一番最後に来るのはどうなのだろう。引率していない。

ユーシスもポーラも、今初めて耳にしたようだが。

 

「最悪だ。あの嬢ちゃんに喫煙所がどこか聞いたら、全面禁煙なんだとよ」

 

受付で申し訳なさ気な表情を浮かべるエリゼちゃん。

悪くないからね。全然悪いことはしてないから。

 

_______________________________

 

午前9時20分。

開始10分前ということもあり、講堂はいつの間にか学生で溢れかえっていた。

各校少なくとも5~6人の生徒が参加するようで、こうして見れば1つのクラスのようだ。

 

驚いたことに、参加者の中には初対面ではない生徒がいた。

そのうちの1人が、私達の後ろ。音楽院の席に座っていた。

 

「久しぶり、カリンカさん」

「え?・・・・・・あら。あなたは確か、エリオット君のクラスメイトの」

 

モーリスとロン、そしてカリンカ。

マーテル公園で出会った、帝都音楽院に通うエリオットの友人達の1人。

柔らかそうな淡い桃色の髪とカチューシャで、すぐに彼女だと認識できた。

何よりあの時に目に止まった、可愛らしい音楽院の制服に、自然と目が惹かれてしまった。

 

「アヤさん、だったわね。あなたも生徒会に入っているの?」

「ううん、今日はクラブ代表で来てるんだ。そっちは?」

「私もよ。文芸部なの、私達」

 

私達。それはカリンカと、その隣に座る女子生徒を指したものだった。

私よりも短めの金髪と、小顔に収まった大きな水色の瞳。

一見しただけで見惚れてしまいそうな、知的な美人さん。それが第一印象だった。

 

「何や、この人カリンカの知り合いやったん?」

 

そんな第一印象は、一気に崩れ去った。

別に訛りを特別視する気は毛頭ない。だが彼女の口からそれが飛び出すとは思ってもいなかった。

これはあれだ。いつも商売人魂を燃やしているⅤ組のベッキーのせいだ。

 

「前にも話したでしょう?士官学院に通うエリオット君。彼女は彼のクラスメイト、アヤさんよ」

「あー、カリンカが大好きなエリオットきゅんな。今日は来てへんの?」

「わーわーわー!」

 

リリと呼ばれた女子生徒の首根っこを、両手で締め上げるカリンカ。

面白いなぁ、この2人。カリンカってこんな人だったっけ。まあ初対面なようなものだけど。

それにしても・・・・・・なるほど。へぇー。そうなんだ、ふーん。

 

「アヤさん、今の聞こえた?」

「ううん、何にも。リリさん、宜しくね。私の妹もリリっていうんだ」

「あー、ちゃうよ。本名はリリランタ。みんなリリって呼ぶんよ、言い辛いから」

 

リリランタ。変わった名だ。

確かに胸の名札にはそう記されている。少なくとも今まで聞いたことがない。

彼女曰く、奇抜で噛みやすい名前を付けたオトンを今でも恨んでいるとのことだった。

随分と開放的な性格のようだ。思ったことを口に出してしまう性分なのだろう。

 

後ろを振り向いて会話を交わしていると、両隣に座るユーシスとポーラも私に続いた。

エリオットという共通する話題もあり、彼女達とはすぐに打ち解けることができた。

 

「馬術部のポーラよ。今日は宜しくね」

「同じくユーシスだ」

 

ポーラは別として、ユーシスもごく自然に小さな笑みを浮かべながら、名を名乗った。

こうして改めて見ると、本当に丸くなったなぁ。感慨深いものがある。

そんなことを考えていると、リリさんの視線がユーシスの顔に釘付けになっていることに気付いた。

 

「どうしたの、リリさん?」

「いや・・・・・・気のせいちゃうよなぁ。ユーシス君、いっこ聞いてもええ?」

「何だ」

 

リリさんがユーシスに投げ掛けた問い。

考えてみれば、それは当然のものだった。私自身、普段意識していないせいか、失念していた。

 

カリンカが驚きの声を上げると、それは瞬く間にこの場にいる生徒中に広がった。

アルバレア公爵家の御子息。正門で殿下と出くわした驚きよりも、小さかったかもしれない。

一方で、周囲の生徒達が一斉に、彼を特別な目で見始めている。それは事実だった。

 

「・・・・・・フン。言っておくが、無用に畏まるな。今はただの学生にすぎん」

「そら助かるわ。でも、気悪くせんといてな。思ったことは口に出てまう性分なんよ」

「それでいい」

 

ユーシスはそう言うと、腕を組みながら前方に向き直った。

小さなどよめきに近い声が、辺りから耳に入ってくる。空気も変わった。

隣に座るポーラは、その表情を大いに歪めていた。

 

「ご歓談のところ失礼します」

 

不意に、講堂の前方にあったスピーカーから、トワ会長の声が鳴り響いた。

ユーシスに続いて向き直ると、そこには士官学院の生徒会が3人、トワ会長を含めて立っていた。

 

「定刻となりましたので、これより第7回生徒会交流会を開催致します」

 

頭上の時計を見やると、開始時刻である9時半を示していた。

話し込んでいるうちに、大分時間が過ぎていたようだ。

 

周囲を見渡すと、全ての机が学生で埋まっていた。

左側に並べられた机には、各校の教職員と思われる面々が席を連ねていた。

 

「では初めに、今回の担当校である士官学院を代表し、マカロフ教官よりお言葉を頂戴致します」

 

しーん。どこまでも広がる深い静寂。

教職員が座る机に目を向けると、1つだけ空席があった。

マカロフ教官が、いない。教官を名指ししたトワ会長も、言葉を失っていた。

 

ガチャ。

 

後方から扉が開く音が聞こえると、トワ会長が安堵の色を浮かべた。

・・・・・・ある意味で、あの人はサラ教官以上に駄目人間ではないだろうか。

大方敷地の外に出て、タバコでも吸っていたのだろう。

 

状況を察したのか、足早にマカロフ教官がトワ会長の下に駆け寄り、マイクを受け取る。

コホンと1つ咳払いを置くと、教官の力強い声が講堂中に鳴り響いた。

 

「若者よ、世の礎たれ」

 

しーん。再び静寂に包まれる講堂。

・・・・・・いや、借り物の言葉を使うのはいいが。余りに場違い過ぎるだろう。

構うことなく、マカロフ教官は続けた。

 

「今のはトールズ士官学院を設立した、ドライケルス大帝の言葉だが・・・・・・今は忘れていい」

 

(え?)

 

「そんな大仰なことは考えず、気楽に今日という日を存分に楽しめ。道を違える者達が一堂に会し、交流を深める。学ぶ立場にあるお前達だからこそ許される、最初で最後の特別な1日だ」

 

いつの間にか、聞き入ってしまっていた。

正直なところ、私は自分達、馬術部の発表のことばかり考えていた。

でもそうじゃない。この会の目的は、お互いの良さを持ち帰り、今後に活かす事にある。

 

マカロフ教官が挨拶を終えると、自然と大きな拍手に包まれた。

思い付きで言葉を並べたわけではなかったようだ。少し彼を誤解していたのかもしれない。

 

「ありがとうございました。では早速、各校の発表に移りたいと思います。担当の生徒は、準備をお願いします」

 

トワ会長が言うと、周囲の視線が私達へと向いた。

さあ、本番だ。今日という日を迎えるために、私達は入念に準備を進めてきた。

 

「行くぞ。もう一度言っておくが、噛んだりせんようにな」

「分かってるわよ。しつこいわね」

「あはは・・・・・・よしっ」

 

資料を手に取り、私達は席を立った。

トールズ士官学院馬術部。ランベルト先輩のためにも、立派な発表にして見せる。



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第7回生徒会交流会②

「―――このように、トールズ士官学院では街を挙げて、学院祭を一般人の方々にも開放しています」

 

発表はまず、生徒会の代表者が行う。

その次が、クラブ活動の代表者。すなわち私達。

今はトワ会長を含めた3人の生徒が、士官学院の行事や取り組み内容を紹介している最中だ。

 

私達から見て後方のスクリーンには、過去に開催された学院祭の模様が映し出されていた。

学院祭はトリスタをも巻き込み、街興しに近い領域にまで入り込んでいる。

トールズ士官学院自慢の、一大イベントだ。

 

「これらは各クラスが企画した、出し物の映像になりますね」

 

映像が切り替わる毎に、笑いや歓声が沸き起こる。

こうして客観的に見ると、本当に手が込んでいる催しだ。

 

すると突然、前方からどよめきが起こった。その大半は、主に男子生徒の甲高い声。

それはスクリーン上に映し出された、トワ会長に向けられたものだった。

 

「・・・・・・何だ。あれは」

「・・・・・・さあ。トワ会長、よね」

「えへへ。これは昨年、私と友人達が演奏会を実施した際の映像ですね」

 

何というか、エロい。そうとしか言いようがない。

アンゼリカ先輩もそうだが、最早水着と遜色無い程に露出が激しい。

クロウやジュルジュ先輩の姿もあった。たった4人で、あんな恰好で演奏をしたのか。

 

私やポーラ、ユーシスも。呆然とその映像を眺めながら、言葉を失っていた。

するとトワ会長が、ハッとした表情でマイクの音声をオフにしながら、私達に歩み寄る。

 

「い、今のは見なかったことにしてね!お願いだから!」

 

分かった。分かったから、こんな時に取り乱さないでほしい。

3人が首を縦に振ると、トワ会長は咳払いをしながら再び学生達の方へと向き直った。

 

「コホン。では次に、この半年間の生徒会の取り組みについてご報告します」

 

映像が切り替わった途端、あからさまな落胆の声が広がる。

気持ちは分からないでもない。そもそも映像が映し出される前からそうだった。

 

男女関係無く、誰もがトワ会長の姿に見惚れてしまっている。

発表内容そっちのけで、食い入るように見詰める男子生徒までいた。

目的を忘れるなと声を荒げたいところだが、まあ仕方ない。だってトワ会長だ。

士官学院が誇る天使様を、精々拝め。そんな意味不明な優越感が沸いてきてしまう。

 

「私達生徒会は、学生や街の住民の声を拾い上げ、手助けを行う取り組みを実施しています」

 

映し出された映像の中には、学内を奔走するリィンの姿もあった。

正確には彼は生徒会に入っていないが、似たようなものだろう。

配布された資料にも、その依頼の数々の一部が掲載されたいた。

 

生徒手帳を失くしてしまったから一緒に探してほしい。

教職員宛ての荷物を代わりに届けてほしい。

交友関係について相談に乗ってほしい。等々。

リィンが関わっていたであろう案件も、多数見受けられた。

 

これには誰もが感嘆の声を上げていた。

些細な相談事にまで、細部に渡り行き届いている。

学生のみならず、トリスタの住民の要望までもを。

やはり他校から見れば、新鮮味溢れる取組みなのだろう。

 

一しきり話し終えると、トワ会長は小さく頷き、再び前方に向き直った。

 

「以上でトールズ士官学院、生徒会の発表を終わります。ご質問のある方は、挙手をお願いします」

 

すぐさま手を上げたのは、科学院の男子生徒だった。

マイクを手渡された男子は、軽く自己紹介をした後、生徒会の取り組みについて触れた。

 

「大変素晴らしい取り組みだと思いますが、どれぐらいの要望が来るんですか?」

「多い時には、1日に5~6件程の依頼が来ますね」

「・・・・・・お、多いですね。それに全て、応えているんですか?」

「勿論生徒会だけでは、実務的に応え切れない場合があります。その際には、他の生徒に助力をお願いしているんです」

 

トワ会長は言いながら、後方に立つ私達に視線を送ってくる。

 

「《Ⅶ組》の生徒には、そういった面で日々助けてもらってばかりです。ユーシス君とアヤさんにも、色々と手助けをしてもらっています」

 

その視線の数が、一気に増加した。

いやいや。少なくとも私は、別に大したことはしていないはずだ。

精々旧校舎の探索に、力を貸しているだけ。その程度しか関わっていない。

ほとんどの依頼を、リィンが1人で抱え込んでしまっている。買被り過ぎだ。

 

トワ会長の説明に納得したのか、男子生徒は頷きながら「今後も頑張って下さい」と一言声援を送り、腰を下ろした。

次に手を上げたのは、芸術院の女子生徒だった。

彼女の質疑もまた、後半の取り組みないように関するものだった。

 

「内容を否定するつもりはないんですけど・・・・・・少し、踏み込み過ぎではありませんか?」

「踏み込み過ぎ、ですか」

 

例えば、と女子生徒が例に挙げたのは、ケインズ書房からの依頼だった。

事情はどうあれ、注文の品を届けるのは、あくまで書店員の仕事のはず。

それを学生が代理で行うのは、話が違うのではないか。

生徒会の仕事の範疇を、超えてしまってはいないか。そのような疑問だった。

 

言われてみれば、至極当然の指摘と言える。

普段のリィンの姿を見慣れてしまっていたせいか、感覚が麻痺していたのかもしれない。

彼女からすれば、いいように生徒会が使われている。そう感じたのだろう。

 

「そうですね・・・・・・ですが、学生と住民の方々の声に、区別はつけたくないんです」

「それはどういう意味ですか?」

「士官学院とトリスタの街は、お互いに助け合うべきなんだと思います」

 

トワ会長は語った。

書店に雑貨屋、ブティックに喫茶店。ガーデニングショップと何でも屋。

トリスタの街並みを構成する、数々の施設達。

そのどれもが、士官学院生にとっては必要不可欠な存在。

 

士官学院が設立されて以来、トリスタは近郊都市として益々の発展を遂げた。

需要と供給と言ってしまえばそれまでだが、それ以上に深い絆が築かれている。

だからこそ1つでも多くの声を拾い上げ、実現に向けた力添えをしたい。

それがトワ会長の考える、生徒会としての務めの1つ。

 

「確かに高すぎる理想かもしれませんし、至らない点があることも事実です。でもそれは、また改めればいいだけの話ですから。答えに、なっていますか?」

 

トワ会長がマイクを下ろすと、質疑応答の最中だというのに、温かな拍手に包まれた。

 

こうして彼女の口から語られたのは、初めてかもしれない。

リィンが何を思い、生徒会に助力していたかは定かではない。

少なからず、私は今し方問いかけた女子生徒と、同じような考えを抱いていた。

他人を放っておけないお人好しな人柄から来る、気紛れに近い活動。

何故抱えきれない程の要望を、生徒会が一手に引き受けてしまうのか。

 

そこには個人的な感情などなかった。

代わりに生徒会として、生徒会長としての揺るぎない信念。

こうありたいという理想像と、他人までもを巻き込む覚悟があった。

 

―――人は、国は。その気になれば、いくらでも誇り高くあれる。

 

劇中の中でオリビエが発した言葉。

きっとそれは殿下本人のものだと、確信が持てる数少ないお言葉。

今この瞬間だけは、トワ会長そのものだ。素直にそう思えた。

 

やがて拍手は止み、所定の質疑応答の時間も終了。

トワ会長らは再び司会進行役へと戻り、促すように私達馬術部に目を向ける。

マイクに手で蓋をしながら、小さく「頑張って」と一言。さあ、出番だ。

 

「それでは次に、士官学院のクラブを代表して、馬術部員による発表に移ります」

 

総勢40名超の視線が、私達へ注がれる。

これだけの人数を前にして話すのは初めての経験だ。

 

(よしっ)

 

まずは簡単な自己紹介。

所属と学年、名前を、ポーラが述べ始める。次に私。最後にユーシス。

 

「トールズ士官学院1年《Ⅶ組》、ユーシス・アルバレアだ。見知り置き願う」

 

開始前に起きたどよめきよりも、小さな驚きの声が耳に入ってくる。

それに気を向けることなく、ユーシスは後方のスクリーンに映し出された映像に触れた。

 

私達が今回用意したのは、参加者全員に配布された、馬術部の活動内容をまとめた資料。

ユーシスとポーラ、私の3人が協力して仕上げた物だった。

一目で分かりやすく理解できるよう、何枚かの写真も掲載してある。

そして発表用にも数枚の写真を準備し、それに沿う形で話は進める段取りだ。

今映し出されているのは、この国の紋章に掲げられた、黄金の軍馬だった。

 

「知っての通り、古来より人は馬と共に在り、共に助け合いながら生きてきた。この紋章に代表されるように、戦においては軍馬として、人に代わる足として重宝されてきた」

 

だがそれも獅子戦役以降、大きく意味合いを変えた。

時代が変われば、人のみならず、馬の在り方も変わる。

 

「内戦の時代を経てからは、帝国人の生活も変わった。もっぱら軍用的な利用価値を重要視されてきた馬は、移動用や農耕用としてのそれに重きを置かれるようになる」

 

七曜歴1000年代以降。

軍馬としての需要は保ちつつも、絶対数は緩やかに減少を続けた。

代わりに増加したのが、ユーシスが言ったような家畜としての需要だ。

馬は戦場で活躍するもの。そんな先入観が消え、より身近な存在へと変わっていった。

そしてそれは、1150年代の導力革命以降、時代の流れと共に一気に変貌を遂げた。

 

ユーシスは一旦言葉を切ると、隣に立つポーラへとマイクを手渡す。

ここからはポーラの出番だ。

 

「1158年に、導力駆動車が発明されました。翌々年には、貨物鉄道路線開通・・・・・・その後も人々の暮らしが豊かになるにつれ、街道を走る馬の数も、減少の一途を辿りました」

 

歴史的な背景により、馬産業は他の畜産業よりも、圧倒的に手厚い保護を受けている。

競馬業界の影響も強く、今後どれだけ導力化が進もうとも、馬産業が消えることはない。

だが現実として、帝都から馬車は姿を消した。それは否定できない事実なのだ。

 

「と言っても、都外や外国ではまだまだ現役なんですけどね。あ、これは彼の恥ずかしい写真です」

 

再び映像が切り替わると、今までとは色が違うざわめきが起こった。

映っていたのは、絶妙なタイミングでポーラにより撮影された1枚の写真。

厩舎で足を滑らせ、尻もちをついて表情を歪める、泥塗れのユーシス。

何とも物議を醸しそうな1枚だった。

 

「私自身、馬術部に入るまでは、馬って何となく苦手でした。見ての通り、世話も大変だし・・・・・・臭いがキツイし、蹴られそうで怖いですから。でも付き合ってみると、案外可愛い生き物なんです」

 

言いながら、ポーラが私へマイクをバトンタッチする。

振り返ると、そこには再度新たな一場面が映し出されていた。

多分これは反則だ。何しろ馬術部に関係無いと言われても、言い返せない。

まあ少しぐらいは許されるだろう。

馬と人を繋ぐ絆。それを伝えるためには、私にとってこれ以上の物はない。

 

「私は士官学院に入学するまで・・・・・・3年間、ノルド高原で生き、馬達と共に生きてきました」

 

シーダとトーマ。そして士官学院の制服に身を纏いながら、イルファと戯れる私。

6月の実習の一場面を、ノートンさんが撮影した1枚。彼が贈ってくれた写真だった。

客観的に見て、あり得ない光景に違いない。

 

「馬はとても頭がいいんです。家畜というより、家族みたいなものですね。だから私は、新しい命が生まれれば泣いて喜びますし、命の灯が消えれば、泣いて悲しみます。私達と全部、同じなんです」

 

私はイルファと共に3年間を過ごし、彼女と共にノルドの危機と闘った。

馬術部に入り、馬と共に、ユーシスとポーラと共に時間を共有した。

私達と何も変わらない、掛け替えの無い存在だ。

 

再びユーシスへとマイクを戻しながら、静聴する生徒達の様子を窺う。

思っていた以上に、関心を集めることができたみたいだ。

ここまでは前半部。馬の何たるかを知ってもらう、掴みの部分だ。

 

「では次に、この半年の馬術部の活動記録を報告する」

 

その後の話は、後半の活動内容の紹介へ移っていった。

日々の馬の世話に、乗馬術の練習。座学による知識の習得。

聞いた話では、学生クラブとして活動する馬術部は、ここ帝国でも珍しい存在だそうだ。

それが後押ししてくれたのか、誰もが私達の発表に聞き入ってくれていた。

特に引っ掛かることも無く、事前の打ち合わせ通りに発表を終えることができた。

 

「以上で馬術部の発表を終わります。ご静聴ありがとうございました」

「ありがとうございました。ではご質問のある方は、先程と同じように挙手をお願いします」

 

ざっと見て3名か。

ここからは準備のしようがない。誰がどう答えるかは、その場で決めることになっていた。

初めにマイクを手渡されたのは、セントアーク大学の女子学生だった。

・・・・・・気のせい、だろうか。どこかで見たことがある顔のような気がする。

 

「ウチの大学にも乗馬サークルがあるわ。週に一度、外部の乗馬施設で乗馬を嗜んでいるの。あなた達の学校は、自前の設備と厩舎で管理しているのよね。それだけでも、とても大変そうに思えるけど・・・・・・」

 

仰る通り。思わず即答したくなる。

ユーシスは手にしていたマイクのスイッチをオンに切り替え、そのまま答え始める。

 

「生徒会と同じだ。用務員や一部の教官、学院長までもが持ち回りで世話を買って出て下さっている。馬の健康面についても、定期的に専門家のチェックが入る。苦労は多いが、それも馬術部の活動の1つと考えている」

 

今月は特に、だろう。

何せ私という貴重な部員が、1名不在の状況が続いてしまった。

これだけでも、ユーシスとポーラには相当な負担が掛かってしまったはずだ。

・・・・・・来年の目標は、部員数の確保になりそうだ。

今以上に部員が減ったら、私達だけの手には負えなくなる。

 

次は何だ。身構えていると、今度は生徒ではなく、教職員側からも手が上がった。

見れば、マカロフ教官の隣に座る男性の職員が、教官と何かを喋りながら右腕を上げていた。

そういえば、質疑応答は生徒に限らないとトワ会長が言っていたか。失念していた。

 

「科学院のキアースといいます。発表にもあったように、乗馬には常に危険が付き纏います。初心者でも気軽に入部できるとありますが、安全面の配慮はされているのですか?」

 

また何とも難しい質問だ。

初心者、という点に引っ掛かったのか、今度はポーラがマイクを手に取り、答え始めた。

 

「経験が少ない生徒が乗馬する際には、必ず経験者立ち合いの下で行います。私も士官学院に入ってから乗馬を始めた人間ですから、今でもお世話になりっ放しなんです」

 

敢えて否定する必要はない。

が、その点について、最近はポーラとユーシスが揉めることが多い。

ある程度慣れてきたんだから、私1人でも大丈夫。阿呆が、調子に乗って怪我をしたいのか。

そんなやり取りが、ランベルト部長の高らかな笑い声の下で延々と続く。

確かに安全面については明確な基準がなく、不備があると見られても仕方ないかもしれない。

この辺についても、今後の課題になりそうだ。

 

質疑応答の時間も限られている。もう1人ぐらいか。

それを察したかのように、今までで一番の勢いで高々と手が上げられる。

帝都音楽院、文芸部所属、リリランタ。開始前に会話を交わした彼女だった。

 

リリさんはマイクを取ると、満面の笑みで口を開いた。

 

「馬術部に入って、一番良かったーって思うことを聞かせてくれへんかな。ユーシス君?」

 

しかも名指しで。

順番的に私が応える番だろうと思っていたのに、見事に裏切られた。

というか、名指しはアリなのだろうか。

問いかけるようにトワ会長へ視線を送ると、これまた満面の笑みで首を縦に振った。

 

ユーシスは戸惑いながらもポーラからマイクを受け取り、少し考え込むような仕草を見せる。

あんな抽象的な質問に、彼がどう答えるのか。私とポーラは固唾を飲んで見守った。

 

ユーシスは咳払いを1つした後、隣に立つポーラへと向き直る。

すると手にしていたマイクの先端で、ポーラの頭を小突き始めた。

 

(コンコンッ)

 

マイクがその小さな音を拾い、講堂中へ静かに響き渡る。

お前は何をやっているんだ。そんな全生徒の突っ込みが聞こえた気がした。

 

「・・・・・・ねえ。あんた何してんの」

 

(コンコンッ)

 

ドアをノックするように、再び音が拾われる。

ついでにポーラの呟くような声も。

 

「意味分かんない。痛いんだけど」

 

(コンコンッ)

 

「痛いって言ってるでしょう!!」

 

(ゴンッ!)

 

ポーラはユーシスがマイクを握る手を取り、そのままユーシスの頭へと振り下ろした。

それはそれは痛々しい反撃を返されたユーシスは、頭を押さえながら蹲る。

まるで理解できない一連のやり取りを、誰もが口を半開きにして見詰めていた。

1つ確かなことは、ポーラがユーシスを殴り倒したこと。

どう見ても平民に過ぎない女子生徒が、大貴族に対して容赦なく手を出したこと。

 

私自身、全く分からない。唐突にド突き漫才を繰り広げたユーシスの意図が、汲み取れない。

やがてダメージから回復したユーシスは、よろよろと立ち上がる。

殴った張本人も、その弱々しい姿に見るに見かねて、そっと腕を貸した。

 

「あー、コホン。見ての通りだ」

「いや、全然分からへんよ」

 

リリさんが的確な突っ込みを入れると、ユーシスが頭を振りながら再び語り始める。

 

「馬の前では、俺は1人の人間にすぎん。それに・・・・・・馬術部にいる間、俺は1人の男子生徒だ。どちらも俺にとって、何よりありがたい」

 

(あっ―――)

 

漸く、ユーシスが言わんとすることの意味が理解できた。

どうしてこうもややこしい、遠回りな言い回しと方法を選ぶんだろう。不器用にも程がある。

だから私は、ユーシスからマイクを奪い、代わりに言った。

 

「資料2枚目の下部に掲載してある、写真をご覧になって下さい」

 

載せるか載せまいか。期日ギリギリになるまで3人で話し合った。

ユーシスは反対。私とポーラは賛成。たった3人の多数決。

そんな3人と馬の写真。8月10日に撮影した、一夏の思い出。

 

「彼が伝えたかったことは、その写真にある通りです。そうでしょ、ユーシス?」

「・・・・・・まあ、そんなところだ」

 

ジリリリッ、と質疑応答の終了を知らせるベルが鳴り響く。

ベルの音が鳴りやむと、再び講堂は深い静寂に包まれる。

 

初めに掌を叩いたのはリリさんだった。その次にカリンカさん。次にトワ会長。

結局は全員の拍手喝采が、私達3人に向けて送られた。

 

ユーシスは頭を押さえながら。ポーラはその背中を小突きながら。

私はトワ会長へVサインを送りながら、元の位置へと戻っていった。

 

______________________________

 

聖アストライア女学院高等部、ラクロス部。

女学院にもラクロス部があることは、以前からアリサに聞かされていた。

今回の交流を機に、士官学院のラクロス部との合同練習、交流試合なんかを企画できないか。

そんな話が持ち上がった。

 

帝都科学院のキアース助教授は、マカロフ教官の1つ下の後輩だったそうだ。

驚いたことに、教官はルーレ工科大学を首席で卒業という、輝かしい功績を持っていた。

過去に科学院に勤めていたこともあり、外部講師として特別講義に参加してもらえないか。

忙しいから無理、というマカロフ教官の意見はともかく、確かにあの場では判断できない。

いずれにせよ科学院の生徒としても、偉大な大先輩の話は聞いてみたいのだろう。

 

帝都芸術院は帝国に存在する様々なコンクールを紹介してくれた。

芸術院の歴史は古く、名高い芸術者を何人も輩出している名門だそうだ。

女学院や士官学院にも美術部が存在する。

今後もお互いに交流を深め、時には合同で講習を開こうという話に繋がった。

これはガイウスも喜びそうな話だった。

 

帝都音楽院、文芸部。部が設立したのは、昨年の出来事。

発端は昨年度の第6回生徒会交流会。士官学院文芸部、ドロテ先輩の発表に起因していた。

彼女の情熱にあてられた生徒が、音楽院にも文芸部を作ろうと決心した。

カリンカさんやリリさんという新入生も入り、漸く軌道に乗ったそうだ。

 

セントアーク大学、チェスサークル。

彼らは同好会としての活動のみならず、大学の何たるかを教えてくれた。

高等部の学生である私達にとって、大学生の生の声は新鮮味溢れるものだった。

参加者の中にも、将来大学への進学を志望している生徒がいたはずだ。

思いがけない大学生との出会いは、きっと大変に貴重なものになる。

 

ちなみに、質疑応答の中でマイクを取った女子学生。

彼女はテンペランスさんの研究室に所属する学生だった。通りで見覚えがあるはずだ。

テンペランスさんは毎年卒業生として、士官学院の学院祭を楽しみにしている。

今年は私達《Ⅶ組》が参加することもあり、期待していると伝えてくれた。

 

マカロフ教官が言ったことは正しかった。

今日という日は、最初で最後になる。たくさんの出会いと、繋がりがあった。

今月に入ってからは、こんなことばかりだ。

日を追うごとに、私という世界に1本ずつ糸が増えていく。

 

「・・・・・・15時半か」

 

導力トラムに揺られながら、ARCUSで現時刻を確認する。

あと10分ほどで医学院前の停留所に到着するはずだ。

 

「付き合ってくれてありがとう。2人も疲れてるのに」

「それはこいつに言え」

 

腕を組みながら隣の座席に座るユーシス。その隣には、寝息をたてるポーラ。

医学院を経由しなければ、もっと早く駅前の停留所に着くことができる。

2人は律儀に、私に付き合ってくれたというわけだ。

 

「くぁっ・・・・・・」

 

ユーシスが手で口を押さえながら、欠伸を噛み殺す。やはり疲れているに違いない。

ポーラも昨晩はギリギリまで発表の練習をしていたと言っていたし、やはり私がいないと馬の面倒を見るのも一苦労なのだろう。

 

「ごめんね。退院したら、バリバリ働くから」

「病み上がりで無理をするな。厩舎で倒れても俺は知らんぞ」

「分かってるよ。それにしても・・・・・・何であんなことしたの。もっと素直に言えばいいのに」

「思い付いたことをしたまでだ」

 

思い付きで女性の頭を小突くなと言いたい。ポーラだからギリギリ許されるというのに。

まあ、ユーシスがポーラ以外の女性にあんなことをするわけないか。口は悪いけど紳士だし。

 

ともあれ、交流会は大成功と言っていいだろう。

馬と触れ合う中で感じたこと。学んだこと。身に付けたこと。

トールズ士官学院馬術部の素晴らしさと、私たちの絆。全てを伝えることができたと思う。

 

『次は医学院前、医学院前停留所になります』

 

もう着いたか。私の入院生活も、あと2日で終わりを告げる。

月曜日からは、念願の士官学院生活だ。待ち遠しくて堪らない。

 

導力トラムが完全に停止すると共に、鞄を抱えて腰を上げる。

ポーラはまだ夢の中のようだ。今はゆっくり眠ってもらおう。

 

「じゃあユーシス、またね」

「ああ・・・・・・待っているぞ」

「あはは。私も」

 

馬術部に入って、一番良かったと思うこと。それはきっと、3人が3人とも同じ。

ポーラの寝顔に小さく手を振りながら、私は2人の親友に別れを告げた。

 

_____________________________

 

「ん・・・・・・あら?」

 

ゴシゴシと目を擦りながら、車窓の向こう側を見やる。

最近はもう何度も目にした風景。帝都とトリスタを繋ぐ鉄道の中間地点。

少しトリスタ寄りぐらいか。あと10分もすれば駅に着く頃合いだろう。

 

帝都で列車に乗り換えてから、また眠ってしまったようだ。

自由行動日は明後日だというのに、相当に疲れが溜まっているのかもしれない。

 

「ねえ、ユーシっ・・・・・・」

 

声を掛けようと思いきや、今度は彼が夢の中にいた。

かなり深い眠りについているはずだ。私の右肩に、頭がもたれかかってしまっている。

 

今思えばお互いに、必要以上に資料の加筆修正を繰り返してきたように思える。

より良い発表へ仕上げたかったという思いはあった。それ以上に、寂しかったのかもしれない。

馬術部3人組、なんて呼ばれるぐらい、いつからか放課後は3人1組の行動が常だった。

初めは私とアヤだけだったのに。知らぬ間に、1人増えていた。

 

来週からはまた元通り。

アヤ・ウォーゼル。私の自慢の大親友。月曜日からまた一緒だ。

だというのに―――どうしてこうも、心が躍らない。

なんて、自問自答しなくても分かっている。私はそこまで馬鹿じゃない。

自分のことぐらい、理解できている。

 

肩に乗った頭の細髪をそっと掻き分けると、案の定、小さなタンコブができていた。

流石に強く叩きすぎたか。まあ自業自得だ。

 

「本当に・・・・・・不器用なんだから」

 

私と彼は違う。叶わないなら、蓋をしてしまえばいい。

感情が曖昧なうちに、胸の奥へ隠してしまえばいい。

何だかんだ言って、今の関係も悪くない。曖昧なら、曖昧なままで。

 

私も案外、不器用なのかも。

どっちなんだろう。どっちでもいいか。



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再始動

9月20日、月曜日。

僅かばかり感じられる残暑と、心地よい澄んだ空気が、秋の到来を知らせてくれる。

丁度秋分の時期でもある。今から更に日が短くなり、夜が駆け足でやって来る季節。

退院の手続きをする際にも、看護士さんに体調管理に気を配るよう声を掛けられた。

人は浴びる日光の量が減ると、生活リズムを崩してしまう生き物なのだそうだ。

私は特に、だろう。何せ今日まで3週間、入院生活が続いていたのだ。

 

「んー・・・・・・はぁ」

 

駅前で荷物を下ろし、背伸びをしながらトリスタの街並を見渡す。

キルシェから漂う美味しそうな匂い。駅前広場の木々。風の音。

そして遥か遠くから聞こえてくる、士官学院のチャイム音。

帰って来た。漸く帰って来れた。今の私が、帰るべき居場所。

 

『何をしている?』

「あはは、少し感慨にふけっていただけだよ。まず寮に戻ろっか」

 

時刻は午後14時。

無事退院を果たした私は、単身トリスタへと帰って来ていた。

たったの3週間とはいえ、やはり感慨深いものがある。本当に長かった。

 

今日はまず寮に戻り、簡単に荷を整理してから士官学院へ向かう予定だ。

学院生活に戻るための手続きなんかもある。本格的に復帰するのは明日からとなる。

 

第3学生寮へ向かうと、玄関先に1人の女性が畏まった姿勢で立っていた。

予想はしていた。相変わらず、図ったようなタイミングで出迎えてくれる。

 

「お久しぶりです、シャロンさん」

「お帰りなさいませ、アヤ様。お荷物はお部屋に運んでありますよ」

 

ただいま、と言った方がよかったか。それは士官学院から戻って来てからにしよう。

入院中に使用していた着替えの類は、既に寮宛てで送ってあった。

それも既に運んでくれているみたいだ。流石はシャロンさん。

 

「今日は少し士官学院に顔を出す予定なんです。色々とやることがあるので」

「畏まりました。では、ラン様はお預かり致しますね」

「・・・・・・ええっと」

 

シャロンさんが私の胸元を覗き込んで来る。

この人の前では隠し事はできそうにない。全てを見透かされているような感覚だ。

 

溜息をつきながら、胸元をトントンと叩く。

すぐさま飛び出してきたランは、そのままシャロンさんの肩へと着地した。

するとシャロンさんは私に習うように、メイド服の襟元を開き始めた。

いやいや、鳥籠に戻してくれればいいだけなんだけど。まあいっか。

 

3階へと続く階段を上り、私とミリアムの部屋の扉を開ける。

もしかしたら、ミリアムが部屋を散らかしているかもしれない。

私のそんな予感は裏切られ、代わりに隅々まで整理整頓が行き届いた部屋があった。

これは少しだけ意外だった。ミリアムも気を遣ってくれたのだろうか。

ベッドシーツにも皺1つなく、まるで新品のようだった。またまた流石はシャロンさん。

 

「さてと」

 

荷の整理はすぐに終わるだろう。

その後に向かえば、最後の授業中の時間帯に士官学院へ着きそうだ。

気持ちが先走ってしまう。それに、気分が高揚してくる。

今日が退院日なことは、既に皆へも知らせてある。

第一声は何と言おう。言葉を選びながら、私は鞄の中身を取り出し始めた。

 

__________________________________

 

士官学院の本校舎に入ると、私は初めに教官室へ足を運んだ。

まずは事務的な手続きを、一通り済ませる必要があった。

 

「失礼します」

 

扉を開けると、授業中ということもあり人気は少ない。

見た限り、2人の教官の姿しか見当たらなかった。

 

「む・・・・・・ウォーゼル?」

「あら、アヤさん」

 

ナイトハルト教官と、メアリー教官だった。

メアリー教官は私の姿に気付くと、足早に私の下へ駆け寄ってくる。

 

「退院おめでとう、アヤさん。それとお帰りなさい、かしら」

「ありがとうございます。ご心配をお掛けしてしまい申し訳ありません」

 

メアリー教官の話では、今日が退院日である旨を、サラ教官から聞かされたそうだ。

教官室では毎朝、朝礼が行われる。その際、代表者がスピーチをする決まりなのだという。

担当は教官らの間でローテーションしており、それが今朝はサラ教官の番だったようだ。

 

「酒のうんちくを聞かされた時は呆れたがな」

「ふふ、あれはあれで面白かったですよ」

 

ナイトハルト教官が苦笑しながら、ゆっくりと私の前に立つ。

すると突然姿勢を正し、身に纏う雰囲気が軍人のそれへと変貌した。

 

「アヤ・ウォーゼル。お前の勇気ある行動により、最悪の事態を回避することができた。一軍人として、敬意を表する」

 

言いながら、敬礼を私に向けてくるナイトハルト教官。

彼がそう言うであろうことは、何となく予想はしていた。

そしてその後に続く言葉も。教官は敬礼を解くと、大きく溜息をつきながら再び口を開いた。

 

「だが―――」

「分かってます」

 

遮るように、今度は私が姿勢を正し、改まった口調で言った。

 

「結果はどうあれ、あの状況下で私は教官の命令に背きました。今後はその事実を重く受け止め、士官学院生の名に恥じない行動を心掛けて参ります」

「・・・・・・分かっていればいい」

 

何がどう転んでもおかしくはない状況だった。

今更たらればを語っても仕方ないが、私に弁解の余地は無い。

先回りしたのが功を奏したのか、ナイトハルト教官は小さく頷き、デスクへと戻っていった。

 

「アヤさん、証明書は持って来ているかしら」

「あ、はい。そのために来たんですけど、お願いできますか?」

 

退院証明書を取り出すと、メアリー教官はサラ教官のデスクへと向かった。

すぐに手続きができるのはありがたい。今日は色々とやることが多いのだ。

壁に掛けられた時計を見ると、時計の針は午後の15時を指していた。

 

______________________________

 

「うーん・・・・・・」

 

授業終了を知らせるチャイムが鳴るまで、あと5分間。

私は《Ⅶ組》の教室の前でうんうんと呻りながら、考えていた。

 

念願の復帰なのだから、何か気の利いたことを言いたい。

普通は逆なのだろうが、ありがとうやただいまでは何となくつまらない。

「うーッス!」とクロウの真似でもして扉を勢いよく開けるのはどうだろう。

・・・・・・無いな。面白くも何ともない。

 

ガラガラ。

 

「え?」

「あっ」

 

考えを巡らせていると、どういうわけか、扉が開いた。チャイムが鳴るより前に。

そこに立っていたのは、私と部屋を共有する少女だった。

 

「アヤー!」

「わわっ」

 

勢いよく私に抱きついて来るミリアム。思わず転びそうになる。

余りに突然のことに、言葉も失っていた。

 

「久しぶり!やっと戻って来たんだね!」

「あ、あはは・・・・・・えーと。もう授業は終わりなの?」

 

戸惑いながら教室の中へ目を向けると、教壇に立つサラ教官と目が合った。

なるほど、今はサラ教官の座学の時間だったか。

彼女が数分早く授業を終わらせてしまうことは度々あった。今もそんなところだろう。

 

「よいしょっと」

「わわわっ」

 

お返しと言わんばかりに、ミリアムの小さな身体を抱き上げながら、数歩前に進む。

先月以来となる、私達の教室だ。一斉に、皆の視線が私へと注がれた。

 

「アヤさん!」

「アヤっ・・・・・・」

「ただいま、みんな」

 

結局私は、ありきたりなものを選んだ。

帰るべき場所に帰った時の言葉。それ以外に思い浮かばなかった。

 

ミリアムを下ろすと、代わる代わる皆が声を掛けてくれた。

お帰りなさい。やはり皆が選んだのも、ただいまに重なる言葉だった。

 

「はは、やっと全員揃ったな」

 

リィン。

 

「シャロンも困っていたわよ。食材が余って感覚が狂うってね」

 

アリサ。

 

「またそなたと剣を交えることができるな」

 

ラウラ。

 

「隣の席が空席だと落ち着かない。やっとだね」

 

フィー。

 

「ガイウスも寂しがってたよ。よかったね、ガイウス」

 

エリオット。

 

「ああ。漸く列車通いの生活も終わりそうだ」

 

ガイウス。

 

「馬の世話で疲れ切っていたところだ。精々働くがいい」

 

ユーシス。

 

「これで全員で学院祭の準備を進められるな」

 

マキアス。

 

「お帰りなさい、アヤさん。皆待ってましたよ」

 

エマ。

 

「クク、しばらく見ねえうちに少し太ったんじゃあ痛たたたた!?」

 

そしてクロウの首根っこを掴みながら、皆の顔を見渡す。

待っていたのはこちらも同じだ。夢の中にまで出てきた、待ちわびた光景。

掛け替えの無い時間を共に分かち合う、掛け替えの無い仲間達。

思わず流れ出そうになる涙を堪えていると、パンパンを手を叩く音が聞こえた。

 

「ほらほら。感動の再会は後にして、先にホームルームを始めるわよ」

 

サラ教官が言うと、皆がそれぞれの席へと戻り始める。

代わりに教官が腰に手をやりながら、私の下へと歩を進めた。

 

「まずは退院おめでとう、かしら。手続きはもう済ませた?」

「はい。メアリー教官が処理してくれました。ナイトハルト教官とも話しましたよ」

「そう、ならあたしが言う必要はないわね・・・・・・ただ、1つだけ」

 

にっこりと笑いながら、右手を差し出してくるサラ教官。

何だろう。首を傾げていると、思い当たる物が1つだけあった。

あの日。エステルとヨシュアが、私に贈ってくれた物。その『資格』だった。

 

「手帳。持ってるわね」

「・・・・・・はい」

 

胸ポケットに入っていた、3つの手帳。

1つは学生手帳。1つはお母さんの遊撃士手帳。

そしてもう1つ。私自身の遊撃士手帳を取り出し、サラ教官の右手に置いた。

 

「しばらくの間、預からせてもらうわ」

 

それが意味するところは、1つしかない。

あの時も感じたことだった。サラ教官なら、きっとそうすると。

携帯が義務付けられているエンブレムも、今は身に着けていない。

 

―――まあ、精々覚悟しておけよ。教え子として以上に、後輩としてな。

 

有無を言わさぬその態度は、教官としてではなく、先輩としてのそれなのだろう。

サラ教官が何を考えているかは分からない。

ただ近いうちに、私は試される時が来る。そんな気がした。

 

私達のそんなやり取りを、今度は皆が首を傾げながら眺めていた。

私はそそくさと席に着き、教壇に立つサラ教官の声に耳を傾けた。

 

「連絡事項は1つよ。さっさと学院祭の出し物を決めちゃいなさい。あたしも立場上、そろそろ内容だけでも決めてもらわないと困るのよねー」

 

ああ、それがあったか。失念していた。

聞かされていた話では、他のクラスは早々に内容を決め、準備に取り掛かっているそうだ。

対する私達《Ⅶ組》は、未だ出し物を何にするかさえ決まっていない。確かに問題だ。

 

「その件なら、1つアイデアがあるんです」

「あら、そうなの?」

 

リィンの声に意外そうな反応を見せたのは、サラ教官。そして私。

初耳だった。いくつか案は上がったものの、どれも少人数の私達《Ⅶ組》では難しいという話だったはずだ。

 

「昼休みに決めたばかりだからな。アヤ、放課後はどうするつもりなんだ?」

「あー。アンゼリカ先輩のところに行こうと思ってたんだけど」

「アンゼリカ先輩?」

 

それは前々から決めていたことだったし、既に話は通してある。

私が私に戻るために、必要不可欠なこと。失ったものを取り戻すために、どうしても必要なのだ。

まあそれは後からでもいい。アイデアがあるなら、私も早く聞いてみたい。

 

「実際に見てもらった早いと思うんだ。少し端末室まで付き合ってくれないか?」

 

_____________________________

 

「ふーん。やっと決まったんだ」

「ああ。内容はこれから詰めるところだがな」

 

午後16時半、放課後。

長靴を履き、ホースから出る水で厩舎の床の泥を流しながら、ポーラに返す。

漸く帰ってきたと思いきや、アヤの姿はここにはなかった。

 

「ポーラ」

 

名を呼ぶと、床をブラシで磨くポーラの手が止まった。

見れば、ぽかんと呆けたような表情で、口を半開きにしていた。

何だ。俺は単に名を呼んだだけなのだが。

 

「何だ。何を見ている」

「ふふ、何でもない」

「何故笑う」

「何でもないってば。それで、どうかした?」

「あの馬鹿は何をしているんだ?」

 

グラウンドに目を向け、その『馬鹿』の姿を追う。

遠方からでも分かる程に、3人の叫び声が厩舎まで届いていた。

 

「ほらほら、足を止めると導力バイクに追いつかれてしまうよ!精々逃げ延びたまえ!」

「ハッハッハ!アヤ君、マッハ号の足に踏まれたくなければ速度を緩めぬことだ!」

「だああああ!!」

 

導力バイクをグラウンドで容赦なく走らせる、ログナー侯爵家の息女。

マッハ号に跨り、その自慢の脚を惜し気も無く引き出すランベルト部長。

そして2人に追われるように、爆走するアヤ。

腰にはロープが結ばれており、その先には大きなタイヤが繋がれていた。

まるで理解できない光景だった。

 

「身体を鍛え直してるんでしょ。1週間以内が目標って言ってたわ」

「・・・・・・できるわけないだろう」

「アヤって回復力が異常に早いそうなのよ。だからあれぐらいがちょうどいいんだって」

 

入院生活で鈍り切った身体を、元の身体へと鍛え直す。

目標はそこに留まらず、より柔軟で強靭な肉体へ仕上げること。

そのためには徹底的な、オーバーワーク気味の鍛錬が必要になる。

それが声を荒げながらタイヤを引き摺る、理由とのことだった。

 

何をそんなに急ぐ必要がある。特別実習に参加するわけでもないというのに。

まああいつらしいと言えばあいつらしい。相変わらずとんでもない発想をする。

 

「いい、いいよその表情!苦痛で顔を歪める君も狂おしい程に素敵だ!!」

「マッハ号も喜んでいるよ!どうやら君の尻に惹かれてしまっているようだね!?」

「いやああああ!?」

 

アヤに手を貸す2人も、ある意味で適任役のようだ。

馬が喜んでいるとなれば、これも部活動の一環だろう。

 

「やれやれ。これでは当面、今までの生活が続くというわけか」

「それどういう意味?」

「決まっているだろう。あいつがあれでは使い物にならん」

 

馬の世話役が増えるかと思えば、あんな調子では手が回るとは到底思えない。

結局世話役はマイナス1名のまま。今月は何とか乗り切る必要がある。

だというのに―――

 

「だから、お前は何故笑っている」

「何でもないって言ってるでしょ。あ、そうそう」

 

ポーラが額の汗を拭いながら、何かを思い出したかのように手を止めた。

 

「また実家からほっくりポテトが―――」

「待て」

 

その先を聞いてはいけない。

聞いたら最後。そんな悪寒が背筋を全速力で駆け抜けた。

 

「何よ。ちゃんと料理のレパートリーも増やしてあげたんだから、付き合いなさい」

「ぐっ・・・・・・数はどれぐらいだ?」

「そうね。1ダースぐらいかしら」

 

1ダース。12個か。その程度なら付き合ってやらんでもない。

何だかんだ言いつつ味はいいし、料理の腕前だけは認めていた。

 

「寮生からもクレームが来ててね。12箱ともなれば、置き場所に困るのよ」

 

_______________________________

 

午後18時。

私はガイウスの大きな背に身を預けながら、憔悴し切っていた。

 

「俺も鍛錬の様子を見たが、無茶をし過ぎじゃないか」

「痛たた・・・・・・あはは。あれぐらいでいいんだよ」

 

身体中が悲鳴を上げている。こうも筋肉痛に苛まれるのはいつ以来だろう。

まるで月光翼を限界まで引き出した後のようだ。歩くことすら億劫になる。

目標は1週間以内。焦る必要は今のところ特に見当たらない。

でも私には、そうしなければいけない理由があるように思えたのだ。

 

いずれにせよ遅かれ早かれ、鍛え直したいとはずっと考えていた。

今まで以上に、私は強くなりたい。力も体力も、速さも技も。

一旦身体がリセットされた今なら、むしろ都合がいい。

そして、アンゼリカ先輩が扱う体術。泰斗流と呼ばれる、東方発祥の技術体系。

お母さんが剣を取る前に習得した技を、少しでも自分のものにしておきたかった。

どちらもアンゼリカ先輩の知識とサポートが、どうしても必要だった。

 

「今以上に強くなられたら、俺との差も広がるばかりだな」

「ガイウスこそ。最近はよく鍛錬に励んでるって、ラウラが言ってたよ」

「まあな」

 

おそらくそこには、2つの理由がある。

1つ目は、エステルとの出会い。彼女が見せてくれた棒術に起因しているはずだ。

医療棟の広場で、エステルは棒術の型や技を私達に披露してくれたのだ。

棒術は剣や槍といった全ての術技の基本であり、独特の技もある。

槍術とは通じるところも多い。あの術技を身に付けたいのだろう。

 

そして、2つ目。

ユーシスから手渡された、お義母さんからの手紙。

私とガイウスの仲は、トーマから、そして両親から祝福された。

上手く理解できない可能性があるシーダとリリには、次に会う際に直接伝えることになった。

一方で手紙には、ガイウスに宛てられたお義父さんの言葉が綴られていた。

 

『強くなれ』

 

たった4文字の一言に、ガイウスが何を思ったのかは分からない。

ただその思いが、私に向けられたものであるなら、何も言えない。

 

「・・・・・・ふふっ」

「どうした?」

「何でもない。ただ、嬉しいだけ」

 

彼の首に回していた腕に、少しだけ力を入れる。

私達はもっと強くなれる。お互いの夢を叶えるために、強くなる必要がある。

それぞれの想いを胸に、明日からもまた、懸命に。

 

「あ、いい匂いがしてきた」

 

第3学生寮が近付くにつれて、空腹を刺激するいい香りが鼻に入ってくる。

これも3週間振りだ。またシャロンさんの手料理に、舌鼓を鳴らすことができる。

私の回復力は、食事にも大いに支えられている。食べることも鍛錬の1つなのだ。

 

「今日はきっと豪勢だぞ。特別な日だからな」

「え、そうなの?」

 

特別な日。何だろう。

今日は何かの記念日だっただろうか。

 

ガイウスが玄関の扉を開けると、そのまま食堂の方へと足を進めた。

ゆっくりと彼の背から下り、痛む足で身体を支える。

 

「開けてみるといい」

「うん」

 

何か引っ掛かりつつも、私は食堂の扉を開けた。

すると突然、『パンッ』と何かが爆ぜる音がいくつも聞こえてきた。

同時に頭上から降り注ぐ、色取り取りの花びら。

 

「えっ・・・・・・」

「「退院おめでとう!!」」

『パフパフッ』

 

待ち構えていたのは、《Ⅶ》の仲間達。祝福の言葉。フィーが鳴らす、小さな金管楽器の音。

そして何かのパーティー会場のように、テーブルに並んだ豪勢な御馳走の数々だった。

 

「はは、漸く帰ってき」

『パフパフッ』

「あなたを驚かせ」

『パフパフッ』

「随分遅くま」

『パフパフッ』

 

自重するがよい、とラウラから楽器を取り上げられるフィー。

あの楽器、まだ持ってたんだ。相当気に入っていたに違いない。

 

「ねえ、これって・・・・・・」

「決まってるでしょう。あなたへの退院祝いよ。昨日からみんなで準備していたんだから」

 

アリサが言いながら、手にしていたクラッカーの紐を引いた。

再び響き渡る、心地のいい乾いた音。先程の音や花もクラッカーだったようだ。

すると今度は、後方からまた懐かしい声が聞こえてきた。

 

「久しぶり、アヤちゃん。キルシェからのお祝いを届けにきたわよ」

「ど、ドリーさん?」

「それとお客さんも来ているみたいね」

 

これまたジュージューと気持ちのいい音を鳴らす、大きなピザを手にしたドリーさん。

そして彼女が言うお客さんは、先程まで一緒にいた2人だった。

 

「随分と賑やかのようだね」

「ふふ、私達もお呼ばれしていたのよ。わー、凄い豪勢ね」

「ランベルト先輩、ポーラ・・・・・・」

 

矢継ぎ早の祝福。突如として立て続けに起こる、サプライズの数々。

驚いている暇も無かった。言葉すら見つからない。

伝えたいのに、口が動かない。代わりにそれは、涙となって頬を伝った。

 

「みんな・・・・・・あり、がとう」

 

私の退院を祝う、大仰極まりない夕食会。

それは私の感謝の一言を皮切りにして、開始を告げた。

 

______________________________

 

その後もトワ会長にアンゼリカ先輩、ジョルジュ先輩。

サラ教官と、ナイトハルト教官までもが。

食堂は総勢20人近いメンバーによる、立食パーティの場と化した。

 

「アヤ、このポテトピザとやらも絶品だ。食べないのか?」

「あ、あはは。さっき食べたから」

 

ピザの上にこんもりと盛られたポテト。またポーラの実家から送られてきたそうだ。

フレッドさんの手により立派なピザの具材として活躍しているが、もう十分。

ユーシスはポーラによって逃げ場を塞がれたらしく、嫌々ながら口に運んでいた。

 

「そうだ。エステルとヨシュアから手紙が来ているぞ」

「手紙が?」

 

ガイウスから手渡された手紙に目を落とすと、そこには2人の近況が綴られていた。

手紙はヨシュアが書いてくれたようだ。随分と綺麗な字に思える。

 

手紙に寄れば、トヴァルさんが抱えていた案件も軌道に乗ったらしく、2人は既にリベールへ戻っているようだ。

仮とはいえ、私達はもう同業者と言っていいような立場にある。

何かあったら、お互いに助け合っていこう。手紙はそんな嬉しい言葉で締め括られていた。

 

「また会うこともあるかもしれないな」

「うん・・・・・・私にとっては先輩だしね。あ、そうそう」

 

手紙で思い出した。

私にも手紙と合わせて、届け物が寮に届いていた。

一旦部屋に向かい、その届け物を抱えて足早に食堂へと戻る。

以前手紙でロイドにお願いしていた、ラウラへのプレゼントだった。

 

「はい、ラウラ」

「む?・・・・・・こ、これはっ」

 

はぐはぐみっしぃ。

あのミシュラム・ワンダーランドでしか手に入らない、貴重な限定品。

先週にロイドが休暇としてミシュラムへ向かった際に、買って来てくれたのだ。

ラウラの右腕にそれをはめると、少しだけ顔を赤らめながら喜んでくれた。

 

「はは、可愛いじゃないか。似合ってるよ」

「そ、そうか?」

 

ナイス、リィン。彼にしては上出来と言える。

またお礼の手紙を書いておこう。最近は手紙を貰ったり返事を書いたりで大変だ。

でも気持ちのいい忙しさだ。それだけ外の世界とのやり取りがある。

殿下が言った繋がりは、きっとこういったことを含めてのものなのだろう。

 

ヨシュアやロイドの手紙を読み直していると、クロウとアンゼリカ先輩が近付いてきた。

ニヤニヤと、悪戯な笑みを浮かべながら。

 

「なるほどねぇ。何だかんだ言って、入院生活を楽しんでたんじゃねえのか?」

「アヤ君の男関係も更に広がりを見せたようだね。残念でならないよ」

「誤解ですから。変な言い回しは止めて下さい」

 

男関係、という言葉に皆が反応し、視線が一手に注がれる。

勘ぐるようなその視線は、私の隣に立つガイウスにも向けられた。

応えるように、ガイウスが言った。

 

「俺は別に。そんなことを気にしていたらキリがないだろう」

「「おおー・・・・・・」」

 

周囲から感嘆の声が沸き起こる。何だこの理不尽極まりない空気は。

私が浮気性とでも言いたげな雰囲気が気に入らない。

話題を変えるために、私は先週末に行われた交流会について触れた。

 

「3人には改めてお礼を言わないとね。とっても素敵な発表をしてくれてありがとう」

 

トワ会長言うと、ランベルト先輩もそれに続いた。

 

「立候補した甲斐があったというものだ。特にユーシス君は、馬術部の素晴らしさを身体を張って伝えてくれたようだね」

 

ランベルト先輩が笑い、トワ会長もうんうんと同意を示す。

私とポーラが苦笑し、ユーシスが顔を背ける。

そんな私達の挙動を、皆が不思議そうに見詰めてくる。

どうやらあの発表の場での出来事は、私を含め5人しか知らないようだ。

 

すると唐突に、ポーラは2つの使用済みクラッカーを手にし、それをトワ会長へと向けた。

 

「リリさん役、お願いできますか?あ、これマイクの代わりです」

「おい待て。何をする気だ」

 

ユーシスに構うことなく、ポーラは「お願いしますね」とトワ会長にクラッカーを握らせる。

続いて私の耳元で「私役、お願いね」と囁いてくるポーラ。なるほど、彼女の意図は読めた。

トワ会長は躊躇いながらも、ポーラの声を合図に、任された役を全うした。

 

「馬術部に入って、一番良かったと思えることはありますか。ユーシス君?」

「待てと言っているだろう!?」

 

その後はあの場の再現だった。

ポーラが私の頭を何度か小突き、私が彼女の頭をド突き倒す。

一字一句、あの時のユーシスの言葉をそっくりそのまま、ポーラが言った。

 

途端に沸き上がる歓声と笑い声。

素直に感動の声を上げるリィンやガイウスに対し、笑い転げる面々もいた。

マキアスに至っては、腹を抱えて爆笑していた。

 

「ククッ・・・・・・き、君は僕を笑い死にさせる気か。は、恥ずかしいにも程があるぞ」

「黙れ」

「コホン。馬術部にいる間、俺は1人のぶふっ!あははは!駄目だ、か、勘弁してくれ!」

「ポーラ!!」

 

ユーシスがポーラに詰め寄り、いつも通りの痴話喧嘩のような何かが始まる。

マキアスに釣られるように、笑い声は1つの声となり、食堂中に響き渡った。

 

どう見ても笑う場面なのに。

私の笑い声は尻すぼみとなり、次第に再び、目頭が熱くなってしまう。

 

今後も忘れることはないであろう、たった一夜の夕食会。

私のために集ってくれた、大切な仲間達。先輩に教官ら。

これだけの人間に、私は今支えられている。漸く私は、帰って来れたんだ。

 

9月20日、月曜日。夜20時。

身体中の痛みも忘れ、私は涙を堪えながら、小さく「ただいま」と呟いた。



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出会いの先に

9月度の特別実習。

学院祭を前に実施される、今年度の上半期最終回。

私達の半年間の集大成とも言うべき、特別な意味合いを持つ実習でもある。

それは毎月末の水曜日に行われてきた、実技テストも同じ要素を含んでいた。

 

「はぁ、はぁ・・・・・・フィー、立てるか?」

「何とか」

「ぼ、僕は無理・・・・・・」

 

ラウラにフィー、エリオット。

立ち合いはほんの数分間。だというのに、3人とも立っているのがやっとという有様。

エリオットに至っては、ガイウスの肩を借りなければならない程に疲弊していた。

 

「ふぅ。まあこんなところかしらね」

 

9月22日、水曜日。

サラ教官が1つの『区切り』とした今月の実技テスト。

内容は極めて単純。私達《Ⅶ組》と、サラ教官自身との立ち合い。

これまで経験してきた実技の中で、最も過酷且つ、次元が違っていた。

 

「まだ余裕がありそうなのがムカつく」

「あはは。ほら、じっとしてて」

 

フィーに回復系アーツを施しながら、タオルを手渡す。

彼女も全力を出し切ったのだろう。その証拠に、全身が汗と泥塗れだ。

大事がないとはいえ、そこやかしこに切創や擦過傷が見られる。

私のアーツでは気休め程度の効果しか望めない。2~3日は掛かるだろう。

 

先陣を切ったのは、リィンとアリサ、ミリアム。

次がマキアスにユーシス、そしてエマ。

誰もが形振り構わず、グラウンドの地べたに座り込んでしまっていた。

無理もない。まるで長時間全力で疾走した直後のように、皆息を切らしてしまっている。

おかげ様で不参加の私は大忙し。アーツを使いっ放しのこちらも大分辛くなってきた。

 

「サラ。今の立ち合い、何点?」

「評価は後だって言ったでしょ。さてと」

 

勢いよく立ち上がり、再度開始線の前に立つサラ教官。

肩で息をしている辺り、教官も体力的に相当なところまできているように思える。

何せ戦術リンクを存分に活かした集団と、間を置かず3連戦しているのだ。

サラ教官の普通ではない表情。これはこれで貴重だ。

本気を出させてもらう。テスト開始前に言ったあの言葉も、嘘ではなかったのだろう。

 

(本気、か)

 

ただ、少しだけ引っ掛かるのものがある。

認めたくないという思いもある。それはこの場で言うべきことではない。

いずれにせよ、残すところあと1戦。

 

「おしっ。優等生コンビの出番ってわけだな」

「突っ込んだ方がいいのか?」

「クク、お前も言うようになったじゃねえか」

 

ガイウスとクロウ。次が最後だ。

人数構成上、1組だけ2人組のペアができてしまう。

それを買って出たのがガイウスだった。付き合ってやるよ、と乗っかったのがクロウ。

 

「頑張ってね。ガイウス、クロウ」

「ああ」

「任せときな」

 

言いながら、2人のARCUSがリンク機能で繋がる。

この2人が組むというのも新鮮だ。彼らがどんな立ち合いを見せるか、少しだけ楽しみではある。

 

「双方、構え」

 

私の合図で、3人の目が変わった。

ガイウスの心境は察せられる。今の自分の強さを試したいのだろう。

最近はずっとそうだった。寝る間を惜しんで、毎晩槍を振るっていた。

あのラウラやリィンが根を上げる程に、鍛錬に付き合わされていた。

 

エステルとの出会い。強くなれ、というお義父さんからのメッセージ。

キッカケはどうあれ、強くなりたいと願う意志は、ガイウスも同じ。

私も見てみたい。彼がどう変わったのか、どうなりたいのかを。

 

「始め!」

 

掛け声と同時に、ガイウスが一気に間合いを詰め、突き技を放つ。

苦もなくそれを躱したサラ教官へ、即座に薙ぎ払いの一撃。

合わせるように、クロウがアーツを詠唱しながら銃弾で逃げ道を塞ぐ。

一度受けに回れば、すぐに押し切られる。それを2人とも分かっているのだろう。

サラ教官は全てを紙一重で回避し、銃撃を交えながら反撃の隙を窺っていた。

 

「・・・・・・意外に、いいコンビなのでしょうか」

「み、見事な連携だな」

 

感嘆の声を漏らすエマとマキアス。

2人が言うように、初撃から十分すぎる程に連携が取れている。

戦術リンク込みとはいえ、特にクロウの手並みには思わず見惚れてしまう。

長物を扱うガイウスの動きに、阿吽の呼吸で合わせてくれている。

後衛にいながら、前衛にいるかのような立ち振る舞い。

導力銃の技術だけでは、ああはならない。流石は先輩といったところか。

 

「リィン、気付いたか」

「ああ」

 

そんな中で、違った見方をする面々がいた。

最初にその変化に気付いたのは、ラウラとリィンだった。

 

「あれ程の長物を、まるで身体の一部かのように使いこなしている。見事な槍捌きだ」

「そうだな・・・・・・はは、俺達も見習わないとな」

 

私からすれば、一目で分かる。

石突から槍頭に至るまで、槍の全身を持て余すことなくフルに活かした連撃。

どの仕掛けにも隙が生じないよう、数手先までガイウスの目には見えているに違いない。

素直に驚いた。こんな短期間で、こうも技に磨きがかかるとは。

 

「いいリズムね。ならこっちも本気で行くわよっ・・・・・・!」

 

ただ、相手はあのサラ教官だった。

教官は笑いながら一旦距離を取ると、その速度が増した。

 

「はああぁ!!」

「ぐっ・・・・・・!」

 

反撃を許さなかったはずの連撃に、いとも簡単に横槍が入る。

ああも接近されて後手に回れば、槍の長柄は不利でしかない。

距離を取ろうにも、間合いを切ることさえ許してくれない。

サラ教官の間合いの中では、ガイウスも防戦一方。身動きが取れないでいた。

 

「右だ!」

 

すると後方から発せられた声に、ガイウスの身体が即座に反応する。

入れ替わるように、クロウが放った銃弾が、サラ教官の下へ飛来した。

 

キンッ。

 

―――はずだった。

代わりに、真っ二つに斬り裂かれた銃弾が、サラ教官の後ろに着弾した。

 

「なっ―――」

「ほら、余所見!!」

 

間髪入れず、一瞬動きが止まったガイウスの腹部に、容赦無い前蹴りが叩きこまれる。

遥か後方に吹き飛ばされたガイウスの身体は、力無く地に伏せてしまった。

 

「斬弾・・・・・・初めて見た」

 

射線上に、そっと刀身を垂直に置く。

たったそれだけで銃弾は裂かれ、軌道を変える。超が付く程の高等技術だった。

開いた口が塞がらない。線と点が僅かでもズレたら、成り立たない技だ。

私は勿論、リィンやラウラでも真似できないだろう。

・・・・・・あの領域に達するまで、あとどれぐらい時間が掛かるのだろうか。

 

「おい、大丈夫かよ!?」

「あ、ああ」

 

よろよろと力無く立ち上がるガイウス。

虚勢を張っていることはよく分かる。相当重い一撃だったはずだ。

呼吸も不規則。ガイウスが動けなくなれば、クロウも時間の問題。

あとできることがあるとすれば、1つか2つぐらいだろう。

 

「・・・・・・ふぅ」

 

ガイウスは呼吸を整えると、槍の頭を返し、石突をサラ教官へ向けた。

 

「クロウ。俺の仕掛けに合わせてくれないか」

「構わねえが、何か考えがあるのか?」

「ああ。試したいことがある」

 

言いながら、ガイウスはゆっくりとした動きで、ある『構え』を取り始める。

 

槍は背負うように、首の後方。

槍の向きは変わらず、石突をサラ教官へ向けたまま、槍頭は自分側。

腰を下げ、両足は大きく広めに構え、視線は鋭く。

 

独特なその構えに、誰もが見入ってしまっていた。

 

「あれは・・・・・・ラウラ、知っているか?」

「いや、私にも分からぬ・・・・・・初めて見る構えだ」

 

リィンとラウラが怪訝そうな表情で、ガイウスの構えを見詰める。

皆も同様の、サラ教官さえもが同じ色を浮かべていた。

それはそうだろう。私だってあの構えを見たのは、これが二度目のことだった。

 

「あ、あれは―――」

「はああぁ!!」

 

刹那。

裂帛の気合いと共に、ガイウスがサラ教官へと踏み込む。

その矛先は、反応が遅れたサラ教官を捉えていた。

 

_______________________________

 

9月12日。医療棟前広場。

 

「―――『笠の下』?」

 

笠の下。

エステルが先程まで取っていた構えを、ヨシュアはそう呼んだ。

 

「うん。間合いを惑わせるのに有効な、棒術の型の1つなんだ」

「間合いを・・・・・・」

 

それは何となく理解できた。

エステルは今、棒を背負うような独特の構えから、ガイウスの頭上目掛けて上段を放った。

見事な踏み込みだったとは思う。でも傍目から見れば、ただの上段。

何の変哲も無い仕掛けにしか見えなかった。

だというのに―――あのガイウスの表情。明らかに異質な何かを、感じ取っていた。

 

「驚いたな・・・・・・俺には、点にしか見えなかった」

「点?」

「こういうことよ、アヤ」

 

クルクルと戦棒を回しながら、私の前に立つエステル。

すると戦棒はピタリと動きを止め、その先端が私に向けられた。

 

「・・・・・・ああ、なるほど」

 

私の視線。その視線に完全に平行した形で、戦棒は微動だにしない。

これなら確かに点だ。私の位置からでは柄が全く見えない。

この状態から打ちこまれたら、間合いを見誤ってしまってもおかしくはない。

 

「元々は笠を被った使い手が、笠の下に柄を隠す技法だったの。だから笠の下。やりようによっては、こういった隠し方もあるってことね」

「へえー。でもそれ、かなり難しそう。流石はB級遊撃士」

「はは、余り褒めるとすぐ調子に乗るから、程々にね」

 

今日3回目となるあんですってーを聞きながら、ガイウスの様子を窺う。

余程新鮮だったのだろう。笠の下以外にも、エステルはいくつかの技法を披露してくれていた。

 

「繊細な技ばかりだな。俺に真似できるかどうか・・・・・・」

「それもガイウスの良さでしょ。絵も上手いし」

「それは関係あるのか?」

「あはは、分かんない。結構適当に言った」

 

あながち間違ってもいない。

その長身から、槍を豪快に振り回す姿に目を奪われがちだが、決してそれだけではない。

手先が人一倍器用なのだ。案外ああいった小技も、彼に向いているのかもしれない。

 

その後もガイウスは、エステルから何通りかの型や技を習っていた。

今日という出会いが、きっといつか彼の力になる時が来る。私にはそう思えた。

 

_________________________________

 

時は戻って、9月22日現在。

 

「ん・・・・・・む?」

「あ、やっと起きた」

 

目を覚ました瞬間、ベッドから勢いよく半身を起こすガイウス。

何故自分がこんなところにいるのか、状況をよく理解できていないのだろう。

 

「ここは・・・・・・保健室か?」

「うん。今は15時半、もう授業も終わったよ」

 

サラ教官との立ち合い最中。

ガイウスが笠の下の構えから放った一撃は、完全にサラ教官を捉えていたかに思えた。

極薄の紙一重で躱されたガイウスの槍は、代わりに教官が纏っていたコートを斬り裂く。

返す刀で、頭部に右の回し蹴り。

頭を容赦無く打たれたガイウスは、そのまま意識を飛ばされてしまった。

合わせ損ねたクロウも、サラ教官の追撃により撃沈。

それが今から約1時間半前の、実技テスト終了を知らせる合図だった。

 

「そうか・・・・・・俺もまだまだのようだな」

「そんなことないよ。サラ教官も思わず本気で蹴っちゃったって、慌ててたんだから」

 

おそらく今回の実技テストの中で、最も教官に迫ったのは、あの一撃に違いない。

だからこそ本気で返してしまったのだろう。少し不憫ではある。まだ痛そうだし。

 

ともあれ、彼の槍術は明らかに変わった。

笠の下を抜きにしても、いい方向にエステルの棒術が影響を及ぼしているはずだ。

今日の実技テストは、その片鱗に過ぎない。

彼はもっともっと強くなる。私なんかの想像に、収まらないぐらいに。

 

「そうそう。これ、渡しておくね」

「・・・・・・失念していた。それがあったな」

 

今月度の特別実習。その実習地が記された用紙。

ガイウスの代わりに私が預かっていた物だった。

 

「オルディス、か。確か、この国の五大都市の1つだったな」

「うん。レグラムで会った、あのカイエン公爵が治める大都市だよ」

 

海都オルディス。そして、鋼都ルーレ。

それが今月度に選ばれた、特別実習の開催地。

どちらも貴族派筆頭の大貴族が治まる、5大都市の1つ。

帝国全土が混乱の渦中にある今の状況下も、全てを考慮しての選択だった。

 

「正直、嫌な予感しかしないけど・・・・・・頑張ってね。私も違う形で応援するから」

「ああ。アヤも大分苦労しそうだな」

「あはは、そうだね。てなわけで、私はこれから生徒会室に行くから」

 

違った形での応援。

そのために私は今日、放課後に生徒会室へ呼ばれていた。

 

_______________________________

 

放課後。

午後16時半、生徒会室。

 

「はい、そうです。ハーシェルの代理で・・・・・・はい。人数も予定通りで・・・・・・え?ああ、それは間違いないですよ。いえいえ、本当です。13歳で・・・・・・はい。当日は身分証も携帯して行きますから。はい・・・・・・ありがとうございます。宜しくお願い致します」

 

ガチャリ。

ふう、と溜息をつきながら、デスクの上に通信機を置く。

こういったことは慣れていないせいか、変に力が入ってしまう。

そんな私の様子をトワ会長がクスクスと笑いながら、声を掛けてくる。

 

「何か言われた?」

「ミリアムについてちょっと。本当に13歳の士官学院生なんているのかって聞かれました」

「あはは。年齢で料金が変わるホテルは多いからね」

 

交流会の場で、私がトワ会長から依頼された『お手伝い』。

それは実習に関わる事前準備や事前連絡といった、実務の補佐役だった。

 

特別実習を実施するには、様々な人間や設備、公共の施設等の協力が必要不可欠となる。

案内人や依頼内容については、サラ教官が管轄している。

それ以外の実務的な作業は、驚いたことに、全て生徒会が一任されているのだという。

生徒会と言うよりかは、トワ会長と言った方が正しいのかもしれない。

ずっと私達《Ⅶ組》を、影ながら支えてきてくれていたというわけだ。

 

「オルディス方面は今ので最後ですよ。次は何をすればいいですか?」

「あ、じゃああれもお願いしちゃおっかな」

 

トワ会長はそう言うと、見覚えのある書類の束をデスクの上に置いた。

毎月実習を終えた後、私達が提出していた申請書だった。

 

「交通費とか、実習中に掛かった費用をいつも申請してもらってるよね?その金額の内容を確認してほしいんだ」

「確認って・・・・・・ああ、添付してある領収書と整合性を取るってことですか」

「それもあるけど、実習の外で掛かった費用まで申請されていると困るでしょう?費用も正しいかどうかチェックしないといけないし、その辺の確認を含めてかな」

 

なるほど。

例えるなら、私が帝都で購入した『空を見上げて』のレコード代。

あの代金が申請されていたりしたら、大問題だというわけか。

実習の報告書には、いつどこでいくらのミラを費やしたのかを記入する必要がある。

あれにはこういった意味合いもあったようだ。

理解はできた。だが、私の疑念は膨らむばかりだった。

 

「あのー。これ絶対、生徒会の仕事じゃないですよね?」

 

この件に限らず、どう考えても生徒が介入していい実務とは到底思えない。

金銭が関わるものなら尚更だろうに。もし何かあったら、誰が責任と取るんだ。

 

「そうかな?」

「そうですよ。サラ教官から押し付けられているだけじゃないですか?」

「あはは、それだけ信用されてるって私は受け取ってたよ」

 

どうやったらそんな解釈に繋がるんだろう。いい人すぎる。

まあ任された以上、この場は引き受けるしかない。

トワ会長曰く、こういった経費申請は毎月25日締めだそうだ。

今日が24日だから、期日ギリギリ。本当に手が回っていないに違いない。

 

「ごめんね。アヤさんもトレーニングがしたいはずなのに」

「ああ、別に気にしないで下さい。流石にある程度休みも必要ですから」

 

今日のところは、アンゼリカ先輩との鍛錬も中休み。

当初の計画を超えたペースで酷使していたこともあり、身体が休ませろと悲鳴を上げていた。

 

「私は少し外に出てくるから、任せてもいいかな?」

「分かりました。お任せあれです」

 

トワ会長は「お願いね」と一言置くと、足早に生徒会室を後にした。

本当に忙しい人だ。学院祭もあるし、来月までは多忙な日々が続くのだろう。

ちょうどいい機会だし、今日のうちに手伝えることは済ませておきたい。

 

「さてと」

 

書類に目を落とすと、早速領収書と金額が合わない申請書があった。

クロウが提出したものか。仕事を増やさないでほしい。後で言っておこう。

 

「えーと・・・・・・あっ」

 

またもや不備を発見。

呆れたことに、桁を1つ間違えている。誰だ次は。

 

「あ、あはは」

 

アヤ・ウォーゼル。私だった。

うん、皆にも一度注意しておこう。トワ会長の仕事を少しでも減らしたいし。

 

_______________________________

 

午後17時半。

一通りの作業を終えた後、私はデスクの座椅子にもたれ掛かっていた。

思っていた以上に時間が掛かってしまった。肩が凝って仕方ない。

今日私が任されたのは、トワ会長が抱える案件のほんの一握りのはずだ。

だというのに、この疲労感。彼女はああ見えて、相当タフなのかもしれない。

 

「はぁ・・・・・・ん?」

 

不意に、デスク上に置かれていた赤いファイルに目が止まった。

手に取って背表紙を見ると、そこには『RF』と2文字だけ。

この国でRFといえば、当然ラインフォルトグループが真っ先に連想される。

ファイルを開くと、そこには案の定、ラインフォルト社の概要について書かれていた。

これは何の資料だろう。ルーレでの実習用に、トワ会長が作成したものだろうか。

 

「第1製作所に、第2製作所・・・・・・」

 

資料によれば、ラインフォルト社は大きく分けて4つの部門から成り立っていた。

 

1つ目は第1製作所。

鉄鉱から生産される大型機械全般を取り扱う部門。

次が第2製作所。

銃器や戦車といった、兵器全般を担う部門。

第3製作所。

列車や飛行船のような、交通機関に関わる運搬具を生産する部門。

そして第4開発部。

通信技術や戦術オーブメントを始めとした、導力技術の開発部門。

 

ラインフォルトは大陸でも一二をを争う巨大企業。

導力革命以降は、専ら導力式の機械を扱う重工業メーカーとして発展を遂げた。

そんな経緯もあり、各部門が独立した体質と組織色を持っている。

 

それに各部門ごと、この帝国の実状を表すかのように、派閥色も大変に濃い。

第1製作所は貴族派。第2製作所は革新派の息が強く掛かっている。

前半は大まかに、そのような概要が記されていた。

 

ラインフォルト程巨大なメーカーともなれば、色々な歴史や事情があるのだろう。

中々勉強になる。そう思い、ページを捲った。

 

「・・・・・・え?」

 

その右上に押されていたのは『RF』、ラインフォルトの社印。

社印の隣には『社外秘』の印。どう見ても社外秘と書かれている。

ペラペラと何ページか捲ってみると、そのどれもに同じ印が押されていた。

 

当然私でも、その意味合いは理解している。

本来なら、こんなところにあってはいけない書類。

ラインフォルトの社員しか見ることが許されない情報。そのはずだ。

 

(な、何で?)

 

どうする。いやそれより、何故こんなものが生徒会室にある。

いけないと思いつつも、私は目に止まったページの表題を、横目でちらりと見やる。

第1製作所、第1四半期社内決算―――

 

「あー!!」

「うわぁ!?」

 

叫び声に反応し、ファイルをパタンと勢いよく閉じる。

顔を上げると、慌てふためきながら歩み寄るトワ会長の顔が、眼前に迫ってきていた。

 

「み、見た?その中身、見たの!?」

「見てません。見てませんから」

「本当に!?」

「・・・・・・ちょっとだけ、見ちゃ駄目な物を見たかも。あ、内容は本当に見てませんよ?」

 

親指と人差し指で1リジュ程の隙間を空ける。

するとトワ会長は大きな溜息をつきながら、ソファーに座り込んでしまった。

 

「はぁ・・・・・・忘れてって言ったら、忘れてくれる?」

「そうしたいのは山々ですけど、流石にこれは・・・・・・」

「だよねぇ。あーもう、私の馬鹿!出しっ放しにしてすっかり忘れてたよ」

 

トワ会長がポカポカと自身の頭を叩き始める。

土下座で謝罪したい気分だが、見てしまった以上見過ごすわけにもいかない。

何故社外秘であるはずの書類を、トワ会長が所持しているのか。

変な疑いを持ちたくない。が、このままでは私は今日、眠れそうにない。

渋々ながらも、トワ会長は一通りの経緯を説明してくれた。

 

先に釘を刺されたのは、ファイルに綴じられた資料の大半が、公式の物だということ。

各部門の資本金や社員数を始めとした、様々な会社の数字。

それはラインフォルト自身が公表している物であり、その気になれば誰だって見ることができる。

 

そしてもう半分が、これも公式資料として政府に提出された物。

トワ会長は政府関係者に直接掛け合い、それを入手するに至った。

先月の通商会議に参加した際に、何人かの議員と知り合うことができたそうだ。

裏技に近いルートではあるが、これも特に問題は無い。

 

「ミヒュトさん?」

「うん・・・・・・」

 

トワ会長が知りたかったのは、資料にもあった第1製作所に関すること。

驚いたことに、社外秘であるはずの情報の出所は、質屋ミヒュト。

何でも仕入れてくれることで有名なあの店の店主、ミヒュトさんだった。

 

「この間、『知りたいことがあるなら1つだけ、何だって調べてやる』って言われてね。私はよくあのお店を利用しているから、お礼がしたかったそうなの」

「それでラインフォルト社のことを?」

「・・・・・・冗談半分でお願いしたら、本当に調べて貰えちゃった。ビックリだよ」

「・・・・・・そ、それはそうでしょうね」

 

私も何度かお世話になってはいるが、全く理解できない。何者だ、あの人は。

いずれにせよ、事情は理解できた。知りたいのは、もう1つだけ。

入手ルートはともかくとしても、その動機だ。

トワ会長にその気はなくとも、社外秘の情報を手に入れてしまったことは事実。

何故そうまでして、ラインフォルトの情報が欲しかったのか。

 

この点を追及すると、トワ会長は黙り込んでしまった。

その様子から、何やら深い事情があることだけは察せられた。

 

「手元の資料からでも推測はできたんだけど・・・・・・確信を得るためには、それしか無かったから」

「・・・・・・何か事情があるみたいですね」

「ごめんね。事が事だから、これ以上は大っぴらには言えないかな」

「いえいえ、こっちこそ。勝手に見てしまってすみません」

 

申し訳なさそうな表情を浮かべるトワ会長。

真相はどうあれ、覗き見をしてしまった私に非がある。

今日の事は一旦忘れよう。これ以上彼女を困らせるのは本意では無い。

 

ただ―――1つだけ。

もしかしたら、彼なら可能かもしれない。

エステルとヨシュア。2人との出会いの先に、垣間見たもの。

知り得なかった真相。自分自身で確かめるまで、得られないでいる確信。

駄目でもともとだ。無理を承知で、一度聞いてみよう。

 

壁の時計に目をやると、時刻は18時前。

今からなら、まだ間に合う。そう思い、私は腰を上げた。

 

___________________________

 

チリンチリン。

ドアチャイムが鳴り、私という来客を知らせる音が店内に鳴り響く。

開いていてくれたか。いつも気紛れで早々と閉店することがある分、少し心配だった。

 

「ん・・・・・・ああ、お前か」

「こんばんは、ミヒュトさん」

 

質屋ミヒュト。

私がここを訪ねるようになったのは、6月頃からだったか。

サラ教官が私に貸してくれた、雑誌がキッカケだった。

 

「今月号はもう渡したと思っていたんだが、記憶違いか?」

「ああ、いえ。今日は違うんです」

 

クロスベルタイムズ。

この国の書店には並ばない雑誌を、私は毎月ここで購入していた。

定価よりも数段高い値段を吹っ掛けられつつも、トリスタではここでしか手に入らない。

トワ会長が言うように、頼めば何だって仕入れてくれることで有名なのだ。

今日ここに足を運んだのは、勿論クロスベルタイムズ目当てではない。

 

「今日はお願いがあって来たんです。トワ会長から聞きましたよ」

「何のことだ」

「頼めば何だって調べてくれるって。たとえそれが、ラインフォルト相手でも」

 

新聞に目を落としていたミヒュトさんの視線が、ゆっくりと上がる。

その鋭い視線で私の顔を一瞥した後、彼は再び顔を下げてしまった。

 

「何を聞いたか知らんが・・・・・・ありゃ特別サービスだ」

「特別?」

「貴重な常連客だからな。それ以外に用がないんならさっさと行きな」

 

ひらひらと手を振り、退出を促してくるミヒュトさん。

構うことなく私はカウンターに詰め寄り、懇願した。

 

「そこを何とか。私もラインフォルトについて、調べたいことがあるんです」

「だったらトワから直接聞いたらどうなんだ」

「第1製作所じゃなくて、私が知りたいのは第2製作所についてです」

 

ピクリと、ミヒュトさんの身体が一瞬反応した。

私が具体的な内容に触れたことで、少しは関心を示してくれたようだ。

ミヒュトさんは新聞を四つ折りにし、カウンターの上に置いた。

 

「一応聞いておくが・・・・・・お前さんが知りたいのは何だ」

 

第2製作所について。そう答えても仕方ない。

この際だ。その先にある私の疑念を吐いてしまった方が、話は進むかもしれない。

私はミヒュトさんの目を見据えながら、言った。

 

「リベールの異変。あの異変の最中に、国境で何が起きていたのか。確かめたいんです」



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集大成の前夜

9月24日、金曜日。時刻は午後19時半の第3学生寮。

 

私とミリアムの部屋を訪れたアリサが、2冊の小冊子を私に手渡す。

私はそれをパラパラと捲りながら、内容を大まかに把握していく。

知りたかった情報や数値は、大体揃えてくれたようだ。

これなら、目的の1つは達成できるだろう。もう1つの方は、元から期待していなかった。

 

「ありがとう。参考にするね」

「お礼ならシャロンに言いなさいよ。それ、彼女が取り寄せてくれたものだしね」

 

先々日に、私がアリサに依頼していた物。

ラインフォルト社が一般者向けに配布しているパンフレットと、開示している企業情報をまとめた資料だった。

 

目的の1つは、特別実習のサポート。海都オルディスと、鋼都ルーレ。

どちらも帝国の商工業や経済に大きな影響力を持つ、大都市の1つ。

実習の前夜となる今日、私は両都市に関する地理や主だった設備を取りまとめた、資料作りに励んでいた。

 

オルディスとルーレは広大且つ、複雑な都市形態を成していることで有名だ。

オルディスはいくつもの運河が縦横に走っており、景観が都市中で似通っている。

ルーレも増築と拡大を繰り返してきたことで、都市そのものが建築物に近い作りとなっている。

要するに、極めて道に迷い易い。B班は特に注意が必要だろう。

オルディスは国内外を問わず、毎年大勢の観光客が訪れては、迷い人が発生するそうだ。

 

帝都での実習でも、マキアスやエリオットがいなかったら相当に苦労したはずだ。

実際に現地民が不在だったB班側は、帝都の立地を把握するまでひどく手を焼いたらしい。

事前準備はできる限りしておいた方がいいし、知っておいて無駄になることはない。

 

「ルーレなら私もいるし、大丈夫だと思うけど・・・・・・それでラインフォルトのことまで調べているの?随分と入念ね」

「あはは。まあ勉強にもなるし、少しでも力になれればと思ってさ」

 

アリサが言うように、ルーレを実習地とするA班には彼女がいる。

それだけで心強い限りだが、私がアリサにお願いしたそもそもの目的は、1つではない。

実習とは関係無く、ラインフォルト社のことを知りたかったからだ。

 

再度アリサの資料に目を落とすと、ラインフォルト社が生産する大型機械や兵器の規模が、グラフで示されていた。

 

「やっぱりすごい規模なんだね。正規軍の戦車なんかも全部造ってるんでしょ?」

「ええ、そうね。第2製作所の技術があってこその戦車だもの。軍事学の授業にもあったけど、最先端技術のカタマリのような代物だから、余所では真似できないのよ」

 

思った通りの答えが返ってくる。疑いは益々深まるばかり。

事のキッカケは、先々日。ミヒュトさんとのやり取りの中にあった。

 

________________________________

 

カチッカチッカチ。

時計が針を刻む音だけが、質屋ミヒュトの店内に小さく鳴り響く。

 

リベールの異変の真相を確かめたい。

私のそんな要求に対し、ミヒュトさんは沈黙を守ったまま俯いていた。

 

ゼクス中将率いる、第3機甲師団。

導力機構を伴わない戦車部隊。そしてリベール王国への侵攻。

その真実を確かめる術を、私は持っていない。

あるとするなら、到底信じることができないその戦車自体にある。

 

仕組みはどうあれ、1個師団の戦車部隊ともなれば、その規模は相当なものになる。

もし実在するのであれば、製造過程にラインフォルトが関わっていた可能性が極めて高い。

兵器全般を生産する、第2製作所が鍵を握っているはずなのだ。

 

「随分と面白いことを言うんだな。いつ誰から、何を聞いた?」

 

ミヒュトさんが俯いたまま、唐突に口を開く。

誰から。これは言ってもいいものだろうか。判断が付かない。

躊躇いつつも、私はエステルとヨシュア、2人の名を明かした。

するとミヒュトさんは大きくその目を見開き、私の顔を見詰めてきた。

 

「ど、どうしたんですか」

「いや・・・・・・ククッ」

 

突然大きな笑い声を上げ始めるミヒュトさん。

一体どうしたというんだ。私は言っては不味いことを言ってしまったのだろうか。

 

「いやなに、そうかい。あの2人とお知り合いなのか」

「知り合いっていうか、その・・・・・・え。2人のこと、知ってるんですか?」

「面識はねえよ。だがまあ、ある意味で有名人ではある。俺が知っているぐらいにはな」

 

・・・・・・もしかしたら、エステル達は思っていた以上に凄い人達なのかもしれない。

まああの異変の解決に関わった人間だ。それだけでも偉大な遊撃士と言える。

というか、ミヒュトさんこそ何者なのだろう。

ラインフォルトの件といい、まるで全てを把握しているかのような口振りだ。

それに、話が逸れている気がする。問題はそこではない。

 

再び問いただそうとした矢先に、ミヒュトさんは椅子から腰を上げた。

 

「さてと。面白い話が聞けたところで今日は閉店だ。さっさと行きな」

「え・・・・・・ま、待って下さいよ」

 

私の声に構わず、ミヒュトさんは扉のボードを返し、OPENの文字が店内に向いた。

 

「いいか。俺の副業は確かに情報屋だ。だが何だってできるわけじゃない。お前さんの注文は、俺の手には負えねえよ」

「・・・・・・そう、ですか」

 

そう言われてしまうと、こちらも返す言葉が見つからない。

元から期待が薄かった分、落胆も少ない。が、それ以上の疑念が沸き上がってくる。

 

「1つだけいいですか」

「何だ」

「ミヒュトさんは、知ってるんですか。あの異変の真相を」

 

私が投げ掛けた疑問を意に介すことなく、ミヒュトさんは店の奥へと歩を進める。

そして小さく「さあな」と一言だけ。それが会話の終了を告げた。

結局私は、彼の口から何も聞き出すことができなかった。

 

_____________________________

 

あれから自分なりに調べはしたものの、当然真相には近付けず。

アリサから貰った資料にも、導力抜きで駆動する戦車なんてどこにも無い。

依然として、エステルとヨシュアが語った中にしか、手掛かりが見当たらなかった。

 

「どうしたのよ。突然黙っちゃって」

「ううん、何でもない」

 

いずれにせよ、今は特別実習のことだけを考えよう。

不参加ながら、私にもできることがある。それだけで嬉しい限りだ。

 

「アリサはルーレかぁ。半年振りの帰郷になるね」

「そうね・・・・・・正直に言うと、少し複雑よ」

 

言いながら、私のベッドに腰を下ろすアリサ。

その胸中は窺い知れる。私がノルド行きを告げられた時もそうだった。

志半ばでの帰郷は、嬉しい反面、戸惑いもあるはずだ。

私は椅子に跨り、背もたれに腕と顎を乗せながら聞いた。

 

「やっぱり、会うことにはなるよね。アリサは何か聞いてる?」

「何も。シャロンは何か知っているみたいだけど、あの調子だしね」

 

バリアハートや帝都での実習でそうだったように。

十中八九、今回の実習にもイリーナさんが関わっているのだろう。

あのシャロンさんのことだ。知っていても素直に教えてくれるとは思えない。

アリサの驚く顔を見るために、敢えて伏せている可能性だってある。

 

―――だから私は実家を出て、士官学院に入ったのかもしれない。

 

アリサはあの夜、ノルド高原の星空の下で、全てを赤裸々に語った。

彼女は今も思い悩み、何かを見つけようともがいている。

ラインフォルトが抱える巨大な闇。壊れてしまった家族の絆。

会長の1人娘という立場。そして―――お母さん。

 

「ねえアリサ。イリーナさんのこと、好き?嫌い?」

「・・・・・・何で二択なのよ」

「いいから。どっちか選んでよ」

 

アリサの目の前に、究極の二択かもしれない何かを突きつける。

するとアリサはベッドに身体を寝かし、目元を右腕で多い、光を遮った。

そのままの姿勢で一言だけ、「嫌いよ」と、呟くように言った。

言葉では後者を選びながらも、その表情にはいくつもの色が浮かんでいた。

 

愛情と憧れ。憎悪と憎しみ。混じり合いながら、表現のしようがない色になる。

人はこうも多くの感情を抱けるものなのだろうか。

少なくともアリサは、前者の感情を失ってはいない。

娘として、家族としての絆を捨ててはいない。壊れているだけだ。私には、そう思えた。

 

「結局私は、何も見つけられないまま・・・・・・母様の手の上で、踊っているだけなのよ」

「・・・・・・何もってことはないでしょ」

「え?」

 

人差し指で、卓上に置かれたカレンダーを指し示す。

9月24日。お互いに士官学院に入学してから、もう半年間の時が流れようとしている。

今まで生きてきた中で、一番濃密で、一番長く感じられた半年間。

目を閉じるだけで、たくさんの人々の顔と言葉が頭に浮かんでくる。

 

「・・・・・・それもそうね。失言だったわ」

「分かれば宜しい」

 

何様よ、と笑いながらアリサが言うと、その身体が勢いよく起こされる。

表情は依然としてたくさんの何かを抱えていた。

一抹の不安。一抹の迷い。一抹の戸惑い。

そして一点の曇りも宿さない、深紅色の瞳。

何度見ても見惚れてしまうその瞳からは、確かな意志が感じられた。

 

「そろそろ私も、アヤを見習わないとね」

「え、私?」

「あなたが母親の背中を追うように・・・・・・私にとっての『それ』は、きっと目前まで迫っていると思うから」

 

―――リィンみたいな人間になりたかったのかも。将来のことも含めてね。

 

あの夜に、彼女が語った将来。

立場上、目を逸らすわけにはいかないはずだ。

私には想像も付かない世界。アリサはいずれ選択を迫られる。

それを同年代であるはずの彼女が、受け止める必要がある。

私のような人間には、その重みを測り知ることなど、できるはずがない。

 

「・・・・・・ごめん。何も言えないかも」

「ふふっ、いいわよ。でも・・・・・・ありがとう」

「ありがとう?」

 

唐突に贈られた感謝の言葉。

アリサはベッドから腰を上げ、笑みを浮かべながら私の前に立った。

 

「あなたが先を行ってくれたおかげで、私も頑張ろうって思えるから。だから、ありがとう」

 

どう致しまして、と返すことすら躊躇われる。

ただ、私の選択が彼女にとっていい方向に影響してくれたのは、間違いないようだ。

今回の実習も、もしかしたらいいキッカケになるのかもしれない。

もがき苦しんだ先に、どうか報われる瞬間が訪れますように。そう願うばかりだった。

 

_______________________________

 

同日、午後22時。

 

「・・・・・・ふう」

 

目元を擦りながら、ARCUSで現時刻を確認する。

もう22時を回っていたか。普段ならベッドに入っている時間だった。

通りで眠気に悩まされるはずだ。目蓋が重くて仕方ない。

資料の方も一通りまとめ終えたところだし、私にできるのはここまでだ。

 

ガチャリ。

 

だというのに。

私と部屋を共にする相方は、こんな時間帯になって漸く、扉を開けた。

 

「おかえり、ミリアム」

「あれれ。アヤ、やっぱりまだ起きてたんだ?」

 

ミリアムは制服の上着を脱ぎながら、怪訝な表情で私に歩み寄ってくる。

扉から漏れていた光で、まだ私が起きていることは察していたのだろう。

 

「・・・・・・今日もジョーホーキョクの仕事?」

「うん。ちゃんと報告しないと怒られちゃうんだよね」

 

言いながら、小さな黒い金属を取り出すミリアム。

以前彼女が使わせてくれた、通信機だった。

入浴に向かってから姿が見えないと思っていたが、それが理由だったか。

 

彼女が唐突に姿を消すことには慣れている。

いつもこっそりと外に出ては、定期報告とやらに時間を割くのが常だった。

門限が過ぎれば、当然この寮の玄関口もシャロンさんにより施錠される。

ミリアム曰く、鍵開けは潜入捜査の基本だそうだ。私は何も聞かなかったことにしていた。

 

「いっそのこと、この部屋で済ませたら?そっちの方が楽じゃん」

「駄目だよ。聞かれたら不味いもん」

 

自分が情報局から潜入捜査に来ていることを明かしているくせに、これである。

機密の線引き加減がよく理解できない。知られたら余程困ることなのだろうか。

 

「それ、まだやってたんだ。アヤは不参加なのに、頑張るんだね」

 

丁度仕上げたばかりの資料を手に取りながら、ミリアムが言った。

 

「不参加だから、かな。みんなの力になりたいしね」

「ふーん。アヤは偉いね」

 

椅子に座る私の頭を撫で始めるミリアム。

まさか6歳下の少女からこんなことをされる日が来るとは。今日が最初で最後だろう。

 

「あはは。それにサラ教官も言っていたけど、半年間の集大成だからね。みんなも意気込みはすごいと思うよ」

 

事実、皆の表情はいい意味で硬い。

それにこの状況下で、貴族派の筆頭が治める大都市が実習地だ。

誰もが緊張感からか、夕食の場でも口数が少なくなっていた。

普段と変わりないのは、クロウとミリアムぐらいだった。

 

「そうなんだ・・・・・・でも、みんな羨ましいなー」

「羨ましい?」

 

ミリアムは寝間着に着替えながら、口先を少しだけ尖らせて続けた。

 

「だってボクは明日が2回目だもん。みんなは4月から続けてたんでしょ?何かズルいよ」

「あっ」

 

すっかり頭からその事実が抜けていた。

ミリアムが編入してきたのは、先月の中旬。特別実習もまだ2回目。

クロウは去年似たような経験があると言っていたし、彼女だけが例外だった。

 

それにしても―――羨ましい、か。

 

「ミリアム、特別実習って楽しい?」

「うん、すごく楽しい!」

 

ミリアムにとっては、特別実習は素直に楽しみでならないらしい。

その表情からは、緊張感など微塵も感じられない。

 

「レクターもクレアも、あんまり一緒に仕事することは無かったんだ。普段はガーちゃんと2人っきりだったから。みんなと一緒に色々やるのは新鮮だし、とっても楽しいよ!」

「・・・・・・そっか」

 

情報局からの潜入捜査。彼女の素性には、裏がある。

でもミリアムという少女には、表も裏も無い。屈託のない笑顔には、何の嘘も無い。

私は今でも彼女に対し、どう接すればいいのか、分からなくなることがある。

 

「どうしたの、アヤ?」

 

今だけは、何も考えずに向き合いたい。

1人の人間として、彼女と触れ合いたい。疑念を捨てて、生活を共にする相方として。

少しぐらい、彼女の職業に目を瞑っても、罰は当たらない。

 

「何でもないよ。ねえ、今日は一緒に寝よっか」

「え?別にいいけど、どうかしたの?」

「あはは。何でもないってば」

 

それから私とミリアムは、ベッドの中で彼女の実習地である、オルディスについて触れた。

ミリアムは仕事の一環で、何度かオルディスに潜入したことがあるそうだ。

潜入という表現に多少引っ掛かったが、やはり今は無視することに決めた。

 

「すごいんだよ。水上バスっていう乗り物がたくさん運河を走ってるんだ」

「みたいだね。海の幸がすごく美味しいって話だし、私も行ってみたいな」

「じゃあボクがお土産を買ってきてあげるよ。何がいい?」

「トゥインクルっていう発砲ワイン」

「それボクは買えないよ・・・・・・」

 

潜入はするくせに、帝国法は守るのか。やはり線引き具合が分からない。

1つだけ、確かなことがある。彼女はきっと、悪い人間ではない。

願望に近い感情を抱きながら、私とミリアムは夢の中に落ちて行った。

 

_______________________________

 

痛みで目が覚める。

あれは何歳の頃だったか。虫歯を我慢していた時のことだ。

虫歯なら可愛いものかもしれない。何しろ今は、全身がギシギシと音を立ててしまっている。

 

「痛たた・・・・・・ふぅ」

 

午後23時半、1階。

私はミリアムに気付かれないようにベッドを出て、1階のソファーで乾いた喉を潤していた。

就寝してから僅か1時間で、私は全身を襲う痛みに苛まれ、目が覚めてしまったのだ。

気付いた時には汗塗れになっていた。明日の朝はシャワーを浴びた方がいいかもしれない。

 

身体を鍛え直すために、私とアンゼリカ先輩が立てた計画。

経験則に頼ったものだが、明日の朝を迎えれば、身体は仕上がるはずだ。

私の回復力があってこその無茶な一方で、痛みばかりは如何ともし難い。

この時間帯に毎晩やって来る激痛。身体が回復してくれている証ではある。

今だけは、早く時間が経過してほしい。ソファーから腰を上げる気力すら沸いてこない。

 

トントントンッ。

 

(・・・・・・足音?)

 

階上から、階段を下る足音が耳に入ってくる。

こんな時間に、まだ起きている人間がいたのか。

実習の夜は、皆いつも早めに就寝するはずなのに。

 

「あん?何だ、お前さんまだ起きてやがったのか」

 

《Ⅶ組》で唯一、私と同年齢の彼。クロウだった。

聞けば、ついさっきまで学院祭の出し物について、エリオットと案を練っていたのだそうだ。

 

悩みに悩んだ果てに、私達が選んだ内容は、昨年のクロウ達と同様のステージ演奏。

同じと言っても、曲や演出まで習うわけにはいかない。

衣装の件も含めて、どういった形に仕上げるか。それは彼らの手に任されていた。

 

準備期間は約1ヶ月。少しでも早く手をつけなければ間に合わない。

何せ楽器の演奏が伴うのだ。経験者は何人かいたが、初心者はそれ以上に多い。

私だって楽器の類には触ったことがない。ガイウスのシタールは、いつも聴く側だった。

 

何はともあれ、練習を始めるにはまず曲を決めなければならない。

楽器や機材、衣装を準備するにも、演出をどうするかを決めなければ進みようがなかった。

 

「一応方向性は決まったんだが、もう少し詰めたい点があるからな。お前さんのポジションにも悩んでんだ」

「私に?」

 

それぞれの特技や適性を考えて、どの楽器やポジションを任せるかも決まりつつある。

一方で、私だけが未だ浮いてしまっているとのことだった。

私が悪いわけではないだろうが、それは少し申し訳なく感じてしまう。

 

「何か特技とかないのか?楽器じゃなくたっていい。実はダンスが得意、とかよ」

「そう言われても・・・・・・あ。踊りなら、剣舞が得意だよ」

「剣舞?」

 

私がお母さんから最初に習った剣。

それは剣術ですらなく、何演目かの舞台芸術としての剣舞だった。

今でもシャンファ流の基本稽古として、型として舞うことがある。

 

「ソードダンスってやつか・・・・・・そいつはアリだな」

「そうなの?ステージ演奏とは何の関係もないと思うけど」

「イヤ、意外に使えると思うぜ?演出を工夫すれば、見せ場を作れるかもな」

 

これは意外だった。

何の関係も無いと思いきや、クロウは何かを閃いたような表情を浮かべていた。

曲に合わせて舞えと言われても、剣舞は東方発祥の踊り。

ロック調の曲に合わせて舞う自信は無い。どうするつもりなのだろう。

 

「まあどっちにしろ、一案として考えておくさ。そんで、お前さんこそこんな時間に何やってんだ?」

「あ、あはは・・・・・・それがね」

 

私は目が覚めてしまった経緯をクロウに明かした。

今更隠しても仕方ないし、私の挙動で彼にはバレてしまうに違いない。

 

「実技の授業にも早く復帰したいしね。見学は暇で仕方ないよ」

「真面目だねぇ、お前さんも」

「クロウはもっと真面目になった方がいいと思う」

 

私の手厳しい言葉に、クロウは笑いながら後頭部を掻き始める。

根は良い先輩だということは知っているが、自分が置かれている状況を分かってほしい。

 

彼の生活態度は、依然として乱れたまま。

よく寝坊するし、授業中の居眠りもフィーが可愛く思える程にひどい。

学生寮の門限すらも破ることが多い。遅くまで一体何をしているのやら。

ミリアムはともかく、見つかったら怒られるだけでは済まされない。

アンゼリカ先輩らと一緒に卒業できなくなるかもしれないというのに。

 

「分かってるって。明日の実習だって準備はしてあんだ。集合時間も遅いし、寝坊はしねえよ」

 

申し訳ないが、信用は薄い。

アンゼリカ先輩は、去年もクロウのせいで列車に乗り遅れたことがあると言っていたが。

・・・・・・そういえば、クロウは去年も特別実習と似たようなことをしていたんだっけ。

 

「まあな。今じゃいい思い出だが、大変だったんだぜ。色々あったしな」

「へー。例えば?」

「お前さん達と似たりよったりだろうよ」

 

一例に挙がったのは、ARCUSの戦術リンク機能だった。

クロウとアンゼリカ先輩は、戦術リンクを使いこなすまで、かなりの時間を要したそうだ。

話に聞く限りでは、マキアスとユーシスと同等か、それ以上の苦労があったのかもしれない。

今の2人を見ているだけでは、想像し難い過去だった。

 

「ゼリカの見透かしたような態度が気に入らなくってよ。初めの頃はバチバチやり合ったもんだぜ。お互いに若かったしな」

「でも、結局は繋げたんでしょ。何かキッカケがあったの?」

 

それも同じだと思うぜ、と自嘲的な笑みを浮かべながらクロウが言った。

なるほど。要するに、マキアスとユーシスのように。

ラウラとフィーのように、2人の溝を埋める何かがあったのだろう。

何だか新鮮な気分だ。先輩達にも、そんな時期があったということか。

 

「それが今じゃ大切な仲間だもんね。何となく分かるよ」

「シレッと恥ずかしいこと言ってんじゃねえよ」

「親友って言った方がよかった?」

「だから止めろっての」

 

珍しく取り乱すクロウ。これも新鮮な姿だ。

何かにつけ言い合っていることが多い2人だが、マキアスとユーシスを見ている気分になる。

そこには紛れもない、確かな絆が感じられる。

4人の先輩達も私達と同じように、いくつもの壁を乗り越えてきた。

私達と何も変わらない。1年先に、経験してきたというだけの話だ。

 

「だがまあ、お前さん達の方が苦労は多いはずだぜ。少なくとも国を脅かすテロリスト共とやり合ったりはしなかったしな」

「あはは。それはそうかも」

 

テロリストと対峙した学生なんて、私達ぐらいのはずだ。

もしそんな事実が公の下に晒されていたら、やはり大問題として取り沙汰されるに違いない。

 

「もう3回も、関わりを持っちゃったんだよね」

 

正確に言えば、ケルディックでの一件すらも、あの連中の手が掛かっていた。

特別実習を重ねる度に、テロ行為に巻き込まれ、大きな壁として立ちはだかってきた。

ガレリア要塞で教官らが言ったように、次があるという覚悟は必要なはずだ。

 

「そういやあ・・・・・・ヴァルカンっていったか」

「え?」

 

両手を後頭部にやりながら、唐突にクロウがあの男の名を挙げた。

 

「お前さん、何か因縁があるんだろ。ワリィ、前から気になってはいたんだよ」

 

因縁。不確かだが、あるにはある。

それを抜きにしても、私は2度に渡り、あの男に剣を向けた。

その事実だけで、思うところはある。そしてそれ以上に、止めたいという思いもある。

 

「止めたい?」

「うん・・・・・・」

 

テロリストに情など必要無い。そんなつもりも露程にも無い。

動機はどうあれ、何人もの死傷者と犠牲を生み出してきた、非道な人間達だ。

 

だがもし、ヴァルカンが家族を失わず、道を踏み外していなかったら。

フィーのように、アルンガルムという猟兵団に救われた女子供がいたはずだ。

 

―――くっだらねぇことぬかしやがって。てめえまさか、情に訴えて揺さぶろうって腹かよ?

 

ガレリア要塞で、私がヴァルカンに並べた言葉。

揺さぶりを掛けて隙を作るために、私はたくさんの言葉を突き付けた。

いつの間にか、流れ出る涙と共に、感情が込められていた。

紛れもない本心で、必死になって彼に語りかけ続けていた。

 

相手が彼だからこそ、あんなことを言ってしまったのだろう。

激動の時代。ヴァルカンもまた、時代という名の流れに飲まれた、犠牲者なのかもしれない。

人の間に在り続けていたら、人間でいられたのかもしれない。

 

「・・・・・・1つ忠告しといてやるよ。そんな感情、捨てちまった方がいいと思うぜ」

 

一連の話を黙って聞いていたクロウは、真剣な面持ちで言った。

その表情からは、何の感情も感じられなかった。

 

「甘いって言ってんだよ。少しでも情に流されて躊躇ってみろ。その頭を銃弾でブチ抜かれてしまうかもしれねえぜ」

「・・・・・・分かってる。次があったら、ね」

 

もし今度、あの男と対峙することがあったら。

私は迷わない。それも心に決めていたことだった。

こうして心境を明かしてしまったのも、その決意を確かめたかったからかもしれない。

テロリストには屈しない。たとえ三度、人を斬ることになっても構わない。

この状況下では、それ程の断固たる決意が求められる。

今の私達は、再びこの国の動乱に巻き込まれる覚悟が必要なのだ。

 

「分かってんならいいんだよ。さーてと、辛気臭え話は止めにして、そろそろ俺も寝るか」

「あ。待って」

 

腰を上げかけたクロウを、右手で止める。

ちょうどいい。彼にはお願いしたいことがあった。

 

「何だよ」

「起こして」

「は?」

 

私は両足を指差し、再び言った。

 

「足、固まっちゃって。立てないんだよね」

「・・・・・・マジで?」

 

ぽかんと立ち尽くすクロウ。

やはり無茶をし過ぎているのかもしれない。足が微動だにしなかった。



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紫電と絢爛

高速巡洋艦、アルセイユ。

空の軌跡にも登場した、リベール王国が誇る大陸最速の翼。

 

そのⅡ番艦となる、カレイジャス。

全長75アージュ。最高速度はアルセイユに及ばないものの、サイズは約2倍。

最先端の技術を駆使し、高い装甲性能と迎撃能力を有している。

正規軍にも領邦軍にも属さない、皇族の船。第3勢力としての翼。

それが私達に語られた、カレイジャスの全てだった。

 

「諸君、そろそろオルディスの上空に着く頃合いだ」

 

艦長の座に腰を下ろしたアルゼイド子爵閣下が言うと、眼前のスクリーンに映像が映る。

艦体の眼下の光景のようだ。写真で見たことがある、特徴的な街並みが映っていた。

 

「ふむ。あれがオルディスか」

「うん・・・・・・もう着いたんだ」

 

朝9時に、士官学院のグラウンドまで来るように。

特別実習初日、サラ教官の指示に従った私達は、言葉を失った。

グラウンドに丁度収まるようなサイズの巨大な艦体が、頭上を舞っていたのだ。

私達は促されるままに、超が付く程の速度で実習地へと飛ぶことになった。

 

ツァイス中央工房に、エプスタイン財団。ラインフォルトグループ。

いくつもの団体と技術、様々な人達の力を借りながら、実現した第3の翼。

あの光の剣匠が艦長帽を被っている点も、牽制役以上の影響力を持つに違いない。

・・・・・・やり過ぎな感は否めない。こうして艦内に立っている今でも、実感が沸いて来ない。

 

「ルーレとオルディスは、どれぐらい離れているんだ?」

 

眼前のオルディスの街並みを見ながら、ガイウスが聞いてくる。

 

「多分、2000セルジュ以上はあると思うけど・・・・・・あはは。1時間経たないうちに着いたね」

 

最高時速、3060セルジュ。

その性能をフルに活かせば、あのクロスベルの端から端までをたったの10分間。

リィン達A班をルーレで降ろしてから、1時間と経たないうちにオルディスに到着である。

導力技術の進歩は、こんな代物まで生み出してしまうのか。足が竦んでしまう。

 

興味本位に、シャロンさんに子供染みた質問を投げかけてみた。

この艦体を生み出すのに、一体どれぐらいのミラが費やされたのか。

返された値に、思わず耳を塞いだ。この高速巡洋艦は、それだけの物が込められている。

たくさんの意志と決意。殿下の、国の誇り。

両の足で立つことすらも、気が引ける思いだった。

 

「そろそろ着陸するみたいですし、下船の準備をしましょうか」

 

エマが言うと、皆が頷きながら彼女の下に集い始める。

そろそろB班メンバーともお別れだ。私にできるのは、あとは見送るだけ。

 

「頑張ってね、みんな。トリスタから応援してるから」

「はい。頂いた冊子、ありがとうございます。参考にさせて頂きますね」

 

エマの手には、私がまとめたオルディスに関する資料があった。

最も力を入れたのは、ミリアムも言っていた水上バスの路線図や時刻表。

海の都を隅々まで歩き尽くすには、運河を駆け抜けるのが一番効率がいい。

 

一方で、年々増加する観光客数に比例し、公共の交通機関の運賃は上昇の一途を辿った。

中心街は特にひどい。10年前と比較して、差額は何と倍。それがオルディスが持つ、裏の顔。

そんな重い話は、今要らない。必要なのは、ミリアムのような笑顔だ。

 

「ミリアムも頑張ってね」

「うん!でもワインは買って来ないからね?」

 

ワインの一言に、Bの班の面々が私の顔を覗き込んでくる。

構うことなく、私は皆の背中を押しながら下船の準備を促した。

 

_____________________________

 

オルディスに降り立ったB班を見送った後、私は急ぎ足でブリッジへ向かった。

艦内の見学に気を取られていたせいで、大切な人達への挨拶をし忘れていた。

オリヴァルト殿下と、トヴァルさん。2人と再会できる日を、心から待ち望んでいた。

 

「お、やっと戻ってきたな」

 

ブリッジに戻ると、丁度2人の姿があった。

それにサラ教官と、皆がミュラー少佐と呼んでいた軍人さんも傍に立っていた。

トヴァルさんは待ってましたと言わんばかりに、高らかに笑いながら言った。

 

「よう、久しぶり。俺からの贈り物は受け取ってくれたみたいだな」

「はい。その、ありがとうございます。私なんかに、本当によかったんですか?」

 

トヴァルさんの贈り物。

それは当然、エステルを介して送られた準遊撃士(仮)としての資格を指していた。

トヴァルさんは情報収集役として、カレイジャスを担うスタッフとしてこの場にいた。

ずっと引っ掛かってはいた。エステル達を呼び寄せてまで、一体何をしていたのか。

2人に帝国での仕事を振ったのは、こちらに専念するためだったようだ。

 

「お前さんの知識と能力は認めてる。今までの実習の話も聞いていたからな。卒業後は、胸を張って準遊撃士として働くといい」

「・・・・・・身に余る評価だと思いますけど」

「そう謙遜すんなよ。俺はカレイジャスの件もあるし、今後も帝国中を飛び回ることになる。まだ先の話だが、行く行くはアヤにレグラムの支部を任せようと思ってんだ」

 

なるほど。今のうちから、その覚悟を持っておけというメッセージ。

それがトヴァルさんが私に仮免許を渡した理由だったというわけだ。

やはり私の身には余る言葉と待遇に思える。おそらく、サラ教官も同じだったのだろう。

 

「あら、あたしはまだ認めてないわよ」

 

言いながら、懐から私の遊撃士手帳を取り出すサラ教官。

途端にトヴァルさんは、その手帳と私を交互に見やりながら、声を荒げた。

 

「おいコラ。何でサラがアヤの遊撃士手帳を持ってんだ」

「言ったでしょう。あたしはまだ認めてないの」

「勝手に取り上げてんじゃねえよ!?」

「そっちこそ勝手な真似はよしなさいよ!?」

 

唐突に勃発した口論。

認めた、認めてないをお互いにぶつけ合う教官とトヴァルさん。

当の本人である私そっちのけである。これは暫く収まりそうにない。

 

とりあえず2人のことは置いといて。

一部始終を後ろで見守っていた2人にも、挨拶をしておかないといけない。

 

「殿下、お久しぶりです」

「元気そうで何よりだ。身体の方はもういいのかい?」

「はい、おかげ様で。カレイジャス・・・・・・凄い艦ですね」

 

ブリッジを改めて見渡しながら、感嘆の声が漏れる。

空の軌跡を読んでから、アルセイユには一度乗ってみたいとは感じていた。

Ⅱ番艦とはいえ、こうも早く夢が叶うとは思いもしなかった。

 

それに、リベール王国。

エステルらが語ったように、殿下はリベールとの絆も強いようだ。

彼だからこそ成し得た、アルセイユⅡ番艦の生誕。

こうして艦内に立っていられること自体、光栄なことなのだろう。

 

「ハッハッハ。驚かされたのは、私も同じだ。君は既に、エステル君達と出会っていたようだね」

「・・・・・・トヴァルさんから聞いたんですか?」

「ああ。君に空の軌跡を贈ったのは、それも理由さ」

 

殿下は語った。

国が違えば、何もかもが違う。複数ある国軍は、守るものが異なる。

国を成す民も、政治を取り仕切る人間も、文化も色も。

国境という名の殻に閉じ込もったままでは、見えてこない世界がある。知り得ない物がある。

 

そんな中で、唯一同じ紋章と意志を掲げる集団。

国境を越えた絆で結ばれた、志を共有する人々。それが遊撃士協会だった。

 

今なら殿下のお言葉の1つ1つが、胸に奥にストンと心地よく入ってくる。

私とエステル達のように、ロイド達のように。

今の時代、国を越えた横の繋がりは、大変に貴重で重要な意味を持つようになるはずだ。

この1ヶ月間で、私は何度もそれを実感してきた。

 

「私が君に期待していたのは、正にそれだ。私が考えていた以上の速さで、君は世界を広げつつある。その繋がりを、今後も深めていくといい」

 

再び、肩に重みを感じた。

今の私にとっては、その重さに不快感は抱かない。

トヴァルさんの期待。殿下の期待。精々踏ん張りながら、背負って見せよう。

私は絢だ。色糸の数が増えれば増えるほど、強くなれる。

 

「待て。空の軌跡とやらは、一体何のことだ?」

 

殿下の隣に立っていたミュラー少佐が、思いっきり怪訝な表情で殿下を問いただす。

確か彼は、あのゼクス中将の甥に当たるとガイウスから聞かされていた。

私は今日が初対面。彼にも挨拶をしておきたいところだが、ちょっと雰囲気が宜しくない。

殿下に対して、明らかに何かを疑いにかかっている。一体どうしたというのだろう。

・・・・・・というか今、殿下に対して溜め口で話していなかったか。

 

「ハッハッハ、言えるわけないじゃない」

「どうした。何故言えん」

「だって君、絶対に怒るから」

「ほう。面白いことを言うな」

 

殿下の胸倉を右手で掴み、締め上げるミュラー大尉。

客観的に見て、すごい光景だ。一軍人が、皇族の息を止めにかかっている。

この人こそ何者だ。まるで理解が及ばない。

 

「・・・・・・ああ、そっか。ロイドが手紙に書いていた、護衛役の軍人さん」

「む?」

 

ロイドの名を出した瞬間、ミュラー大尉の手から殿下が解放された。

今思えば、ロイドの手紙には、殿下に同行する護衛役の軍人の存在が書かれていた。

あれが彼だったなら、納得がいく。ロイド達の前でも、殿下に対し容赦が無かったそうだ。

 

「おい、彼女は何者だ」

「ケホッ、ケホッ・・・・・・前にも話しただろう?特科クラスに面白い生徒がいるってね」

 

もしかしなくとも、それは私のことだった。

どうやら2人にとって、エステルらやロイドらと面識がある私は、特異な存在のようだ。

どちらも私が何かをしたわけではない。ロイドに至っては唯の幼馴染である。

 

いずれにせよ、丁度いい機会だ。話が急に変わってしまうが、仕方ない。

この場を逃せば、私はまた確かめる術を失ってしまう。

 

「殿下。1つお伺いしたいことがあります」

「ん、何かな」

「身喰らう蛇は・・・・・・この国で、何をしようとしているんですか?」

 

名を出した途端に、2人の表情が消えた。

空気も変わった。一気に張りつめた緊張感が広がっていく。

 

テロリストと共に出現した、人形兵器の数々。

その存在だけで想像するに容易い。リベールの異変が、連中の手により引き起こされたように。

この国の裏で、何らかの形で暗躍している。それは皆も知るところだった。

 

私が確かめたかったのは、2年前。

異変の裏で発生していた、リベールへの侵攻。

導力停止現象という大混乱の最中、余りにもタイミング良く現れた第3機甲師団。

―――そう、タイミングが良すぎるのだ。

 

エステルらの話が事実なら、異変が生じてから1日と経たない中での進軍だ。

戦車部隊を主軸とする1個師団を、そう簡単に国外へ動かせるはずがない。

まるで異変が起きることが分かっていたかのような手際の良さ。

 

『その答えはきっと、オリビエさんが知っているんじゃないかな』

 

私が感じた、漠然とした引っ掛かり。それは多分、そこにある。

蛇の存在だけではない。何か1本、糸と繋がりが足りていない。

私がラインフォルトを通じて知りたかったのは、真実。

いつ誰がどこで、どうして導力無しで駆動する戦車を造り上げたのか。全ての鍵は、それだ。

 

「・・・・・・これは驚きだ。参ったね」

 

一連の疑念を述べ終えると、殿下が複雑な笑みを浮かべながら、言った。

 

「我々も全てを把握しているわけではない。だが・・・・・・君はいずれ、この国が抱える闇に触れるかもしれないね」

「闇、ですか?」

「ああ。それは君自身の力で、その目で確かめるといい。私が話すべきことではないさ」

 

予想していた通り、殿下の口から聞くことは叶わなかったか。

今の言葉にも、嘘はないのかもしれない。何せ相手があの結社だ。

歴史の裏で暗躍し続ける存在。一体何を仕出かすつもりなのだろう。

この国が向かう先も。私の目には、まるで見えてこない。

 

考え込んでいると、再びミュラー少佐が殿下に詰め寄っていく。

 

「もう一度聞くが、何故彼女はあの異変について詳しいんだ」

「さあ?エステル君達に聞いたんじゃないかな」

「何を隠している。言わんとその身ぐるみを剥ぐぞ」

「イヤン、ミュラー君ったら大胆っ」

 

実際に剥されかけたところで、私は見ない振りを決め込んだ。

視線の先では、サラ教官とトヴァルさんの2人が、今も声を荒げていた。

楽しそうだなぁ、この人達。愉快な時間は、あっという間に過ぎて行った。

 

______________________________

 

私達《Ⅶ組》を実習地へ送り届けたのは、あくまでついで。

本来の目的は、カレイジャスの処女飛行を帝国全土に披露することにあった。

ガレリア要塞の一件以降、国中に張りつめた緊張感が漂っている。

その緊張を和らげると共に、テロリストへの牽制にも一役買うというわけだ。

 

「高速巡洋艦カレイジャス・・・・・・また乗れるかな」

「どうかしらね。あなたは殿下に気に入られているみたいだし、頼んでみたら?」

「あはは。迷惑は掛けられません」

 

時刻は午後の13時。

私とサラ教官を士官学院グラウンドへと降ろしたカレイジャスは、既に視界から消えていた。

地上から見ると、改めてその速度に驚かされた。信じられない速さだ。

ともあれ、あれがこの国では今後、重要な意味合いを持つことになる。それは確かなはずだ。

 

「さてと。サラ教官、お昼は―――」

「待ちなさい、アヤ」

 

本校舎側へ歩を進めようとした矢先に、サラ教官が私を呼び止めてくる。

振り返るまでもない。その声からは、教官の意志が感じられた。

 

「身体、作って来たみたいね。少し見せてみなさい」

「・・・・・・そうですね。調子はいいです」

 

私は背に携えていた長巻を一刀、手に取った。ゆっくりと振り返りながら、鞘を払う。

復帰してからは、一度も抜かなかった。身体ができるまで、抜かないと決めた。

心が躍る。慣れ親しんだはずの感覚。鞘走りの音。

たったの1週間振りだというのに、どれもがひどく懐かしい。

 

「シュッ!!」

 

確かめるように、目の前の空間を十字に斬る。

剣が嘘のように軽い。入院中は、日に日に感じる重さが増していくばかりだった。

剣だけじゃない。身体全体が羽のように軽く感じる。壊す以前よりも、足が動く。腕も動く。

 

「サラ教官。見ての通りです」

 

剣先をサラ教官へと向ける。

いつの間にか、彼女の手にも剣と導力銃が握られていた。

教官は目を瞑りながら、私に問いかけてくる。

 

「アヤ。この国で遊撃士を目指すとして、一番必要なものは何かしら」

「力です」

 

考えるまでもない。私は被せるように、即答した。

何事にも、何者にも屈しない力。失った信頼を取り戻すための力。

一度は地に付いた膝を、二度と曲げないための確かな力。

 

「そう。あたしも色々と、方法は考えていたんだけど・・・・・・分かっているのなら、話が早いわ」

 

私は強くなりたかった。それにこうなると分かっていたのかもしれない。

いつか立ちはだかるであろう壁を、早く乗り越えたかった。

だから無我夢中で、身体を鍛え直し続けた。今それが、叶いつつある。

 

「あなたがその道を行くなら、あたしが言うことは何もない。でも今のあなたに、遊撃士手帳を渡すわけにはいかない。返してほしければ・・・・・・分かってるわね」

 

眼前で膨れ上がる闘気。当てられる気当たり。

一歩も退くな。今退いたら、私は夢を捨てたのと同じ。

どの面を下げて手帳を受け取ればいい。これが私の特別実習であり、実技テスト。

そして遊撃士の資格を得るための、試験。越えるべき壁だ。

 

常在戦場。あれは軍人の気構えのみに留まらない。

守るべき人々の身にいつ訪れるやもしれぬ災厄が、目に見えない行列を成している。

遊撃士も同じ。唐突に申し込まれたこの立ち合いを、拒んではならない。

 

「行きますっ!」

 

地を蹴り、迷いなく私は長巻を振り切った。

渾身の連撃。サラ教官は事も無げに、その全てを片手で捌いてくる。

思っていた以上に身体が動く。目もついて来ている。

技に陰りは見られない。ブランクも感じられない。

間違いない。今の私は、19年間の中で一番冴えている。

 

「怪我の影響は無いみたいね」

「何度言わせるんですか。見ての通りです・・・・・・っ!」

 

鍔迫り合いの状態から、力任せの薙ぎ払いで、後方に吹き飛ばされる。

距離が生まれたことで、サラ教官の導力銃が私へと向けられた。

焦るな。剣戟と同じだ。違いは線か点か。軌道さえ見えれば、捌ける。

 

続けざまに放たれた数発の銃弾を、刀身の腹で弾き返す。

鈍刀なら度台無理な芸当だが、この業物ならこれぐらい持ち堪えてくれるはずだ。

 

「お見事。そのうち斬弾も教えてあげるわよ」

「どうも。でも教官こそ、早く本気を出したらどうなんですか」

 

言うやいなや、サラ教官から発せられていた気当たりが止んだ。

途端に、色を帯びた剣気が見る見るうちに増大していく。

 

「痛ぅ・・・・・・っ!」

 

稲光のような光と、目が暗むような殺気。

肌が痛む程に痺れるのは、教官が身に纏う独特の剣気のせいだろうか。

 

1対1で対峙してみて、初めて肌で感じられる。

紫電のバレスタインの本気。あの光の剣匠を髣髴とさせる重圧。

それに今のサラ教官は教官ではない。一個人としての、サラ・バレスタイン。

一歩も退かないという決意でさえもが、揺らぎ始めていた。

 

「言っておくけど、加減はしない。覚悟しなさい」

「え―――」

 

急に距離が縮まったかのような錯覚に陥った。

気付いた時には、眼前にサラ教官が迫っていた。

 

慌てて間合いを取りながら、長巻で上段を受け止める。

全身を貫くような痛み。そして剣とは思えない程の重量が、両手に圧し掛かってきた。

一撃一撃が、途方も無く重い。それに速い。身体も目も、ついて行けない。

 

「はあぁっ!!」

 

隙間を縫うように、放たれた膝蹴り。

実技テストでガイウスが喰らったものと同じ膝が、私の腹部を襲った。

 

「がはっ・・・・・・!」

「何をしてるの。続けるわよ」

 

起こされるように、容赦の無い連撃が私に襲い掛かる。

呼吸が苦しい。退かないと決めたはずの足が、段々と後退を選んでしまう。

そんな状態で捌ききれるはずもなく、再度サラ教官の右膝が、私の腹部に突き刺さる。

私の身体は耐えきることなく、地に膝を付き、落ちてしまった。

 

「ぐうぅ・・・・・・げぇっ」

 

込み上げる胃酸が、私の口から地面に吐き出された。

食事前で良かったかもしれない。後だったら、全部無駄になっていた。

 

「立ちなさい。まだ終わってはいないわよ」

 

そんなことは分かっている。私は何もしていない。

グラウンドを汚してしまっただけだ。まだ一撃も、サラ教官に届いてすらいない。

 

「い、行きますっ」

 

口元を袖で乱雑に拭い取り、剣を構える。

このままでは駄目だ。何か1つでいい。手が届けば、それがキッカケになる。

 

「だああぁっ!!」

 

月鎚の上段。振り下ろした一撃が、たったの右腕一本で受け止められる。

サラ教官は一歩も退かない。むしろ前進しながら、私の技をいなしてくる。

これなら好都合だ。今の私には、間合いは必要ない。

 

身体をぶつけるように、鍔迫り合いの体勢からサラ教官と密着する。

ここだ。教官がそうしたように、剣が届かないなら、剣でなくていい。

―――アンゼリカ先輩。技を、借ります。

 

「泰斗流・・・・・・っ!!」

 

全身のバネと、気を瞬時に炸裂させる打拳。

零距離から放った技は、確かにサラ教官の身体に届いた。

 

(―――え?)

 

教官の身体が遠のいて行く。ふわりと、宙に浮く感覚。

吹き飛ばされたのは、私の方。打った側が、遥か後方に飛んでいた。

背中を打った痛みと、左腕に走る激痛が、その現実を物語っていた。

 

「あぐっ!?」

「寸勁、ね。いい打拳ではあるけど・・・・・・あたしに刺すつもりなら、もっと磨いてからにしなさい。腕が壊れるわよ」

 

理解できない。何故打った側が飛ばされる。

どれだけ膂力に差があればこうなる。左肩と肘が、壊れかかっている。

 

差があることは知っていた。相手は元A級の遊撃士だ。

それでも、私は甘かったのかもしれない。これ程の差があったのか。

遠い。何をしても、到底届くとは思えない。恐怖感すら抱きつつある。

 

「何度も言わせないで。立ちなさい」

「ま、待って。腕が―――」

「いいから立ちなさい!!」

 

屋内にいるかのように、サラ教官の声が周囲に響き渡った。

その表情からは、教官の胸中を窺い知ることはできなかった。

 

「分かってない。あなたは全っ然分かってない・・・・・・っ!」

 

膝を付いたままの姿勢で、サラ教官の剣を受ける。

たったの一撃で、月下美人は遥か後方に弾かれてしまった。

教官はそれすらも意に介すことなく、手を止めない。

 

「味方のいない、何の後ろ盾も無いこの国で、支える籠手の紋章を掲げる―――」

 

背に残されたもう一刀の月下美人。

縋り付くように握った剣と一緒に、私の身体は再度、宙を舞った。

受け身など取れるはずもない。もう胃液すら出ない。

代わりに、大粒の涙。熱を帯びた呼気だけが、衝撃で肺から吐き出されていく。

 

「―――その覚悟が、あなたにはまるで足りてない」

 

重い。唯々重かった。空っぽの胃に、ずしんと重く圧し掛かってくる。

吐き気すら覚える。サラ教官が喋る度に、背中や肩に重荷が重なっていく。

 

「今のあなたに務まるような軽いものなら、あたしは諦めたりはしなかった。その程度の力と覚悟しか見せられないんじゃ、手帳を返すわけにはいかないわ」

 

剣は映し絵であり、鏡。

受ける度に、サラ教官の感情が剣を介して流れ込んでくる。

明確な怒りと、悲しみ。迷い。熱いはずの激情が、冷やかに感じられる。

 

私はどうだろう。

溢れ出る涙は、一体どの感情が起因しているのだろう。

絶望に恐怖。痛み。恥じらい。悔しみ。

―――悔しい。この状況でそう思えるなら、まだ救いがあるのかもしれない。

 

「・・・・・・相変わらず、気の練り方だけは一人前ね」

 

立てる。まだ私は、立つことができる。

痛みも和らいだ。軟気功のおかげで、左腕も動く。

 

私はどうして、遊撃士になろうと思った。

今更になって思い出す。両親の墓の前で、全てが繋がった瞬間を。

あの時から、世界が変わった。出口の無い迷路の中で、確かに光が見えた。

立ち止まるわけにはいかない。まだ私は歩み始めたばかりだ。

 

このグラウンドに、私の全てを捧げる。

サラ教官が言うように、私の道は茨の道。自分自身で選んだ責任がある。

教官は真摯に私と向き合おうとしている。

何を言っても全部蛇足。言葉は不要。想いは剣に込めて、響かせろ。

 

「来なさい。あたしが全部受け止めてあげるわ」

「ふぅ・・・・・・うああぁっ!!」

 

届け。届け―――届け。

想いとは裏腹に、戦況は何も変わらない。

何をやっても、サラ教官には届かない。気持ちばかりが先行していく。

 

「1つアドバイスをしてあげるわ。あなたの剣筋は、一時を境に変わった」

 

連撃を捌きながら、サラ教官が言った。

一体何のことだ。私の剣は、変わってなんかいない。

誰にもそんなことを言われた覚えもない。

 

「母親の背中を追うようになってから、まるで借り物の剣よ。思い出しなさい、あなた自身の剣を。真似るだけじゃ限界がある」

 

―――心当たりなら、ある。

もしそうなら、私が遊撃士を目指すようになってからのことだ。

あれからずっと、お母さんの剣を追い求めていた。

記憶にあるお母さんの舞を、なぞるように剣を振るっていた。

それが剣筋に影響していたというのだろうか。少なくとも、自覚は無い。

 

「思うが儘に、剣を振るいなさい。そうすれば、あなたの剣もきっと『色』を帯びるようになる」

 

痛いところを突かれてしまった。

 

リィンの剣に、焔が集うように。

ラウラの剣が、光輝くように。

紫電。その二つ名の如き雷撃を、サラ教官が発するように。

長年に渡り剣を握っていると、独特の色味を纏うようになる。

 

リィンやラウラより劣っているとは思えない。

だというのに、私の剣には色が無い。未だに無色のまま。

 

「っ・・・・・・そう、その調子よ。心地いいリズムだわ」

 

意識はしていない。どうやら自覚するだけでも効果があるようだ。

掴んで見せる。そうでもしなければ、剣も想いもサラ教官には届き得ない。

まだ足りない。まだ私は出し切っていない。

力と意志の全てを剣に託し、無我夢中で剣を振るい続けた。

 

_____________________________

 

斬っては返され、蹴られ殴られ、吹き飛ばされ。

どれぐらいそうしていただろう。知らぬ間に、周囲は夕焼けに染まっていた。

グラウンドには、既にクラブ活動に興じる生徒の姿があった。

 

「・・・・・・どうやら限界のようね」

「ま・・・・・・だ、です」

 

何とか立つことはできた。

にも関わらず、剣が音を立てて地に転がってしまう。

勘弁してほしい。立ち上がるだけで、数分間の時間を要したというのに。

 

「もういいわよ。立たなくていい」

「嫌、です・・・・・・まだ」

 

まだだ。結局、何1つ届かなかった。

私は何も掴めてはいない。

 

私に託された、お母さんの剣。一体何が足りない。

お母さんの剣は、風の色だった。草原を撫でる風のように、鮮やかな翡翠色。

言われた通り思うが儘に、感じるが儘に振るった。

思い付く限りの技を使った。それなのに、何も変わらない。

 

悔し涙が鬱陶しい。泣く余裕があるなら、一度でも多く剣を握りたい。

サラ教官にも、お母さんにも顔向けができない。

私とお母さんが積み上げたシャンファ流は―――

 

(―――私と、お母さん?)

 

ピタリと涙が止んだ。

私でも、お母さんでもない。2人で一緒に築き上げた、我流の長巻術。

 

あれは全て『偶然の一致』だった。

丁度いい。気分転換に、一度踊ってみよう。

僅かながら、身体が軽くなった気がする。

 

「・・・・・・アヤ?」

 

オリヴァルト殿下から漢字の話を聞いて、私も一度調べたことがある。

絢。それが私の名を示す1文字。私が知りたかったのは、お母さんの名を示す漢字だ。

 

漢字は時に2文字1組となり、その意味合いを大きく変えることがある。

かと思いきや、本来の意味を強めることもある。私達の場合もそう。

 

私がお母さんから初めて教わった、舞台芸術としての剣舞。

覚えるまで2週間。完璧に舞えるまで更に2週間。

何度も何度も必死になって踊り続けた、私の原点。お母さんとの絆の舞。

 

私とお母さん。アヤとラン。

2人の剣を結びながら、全ての始まりに回帰しながら舞う。

 

「刀剣舞の狂い、第4演目―――絢爛」

 

煌びやかで美しく、華やかな様。

舞い終えた頃には、私の意識は段々と遠のいて行った。

色が、見えた気がした。

 

________________________________

 

唐突に踊り狂う様を見て、気が触れたのかと思った。

かと思いきや、突如として周囲が閃光に包まれた。

目を瞬いた直後。目に飛び込んできたのは、絢爛の刃。

 

色で表現するには、余りにも煌びやかで、眩しすぎる。

快晴の正午、頭上から降り注ぐ暖かな日の光のように。

陽が沈み掛ける時間帯に、窓枠から差し込む夕焼けのごとく。

長巻の刀身が太陽を思わせる光を纏い、巨大な刃と化す。

 

あたしの頭では、ありふれた表現しか思い浮かばなかった。

 

「・・・・・・綺麗ね」

 

別にアヤが未熟だったわけではない。

国中を放浪した、空白の4年間。それが色褪せてしまった原因。

埋め合わせるかのように、色付いた3年間。それが取り戻せた理由。

 

今のアヤの剣は、目が眩む程に光で溢れている。

何かを思わずにはいられない。他人の剣に心を動かされたのは、いつ以来のことだ。

まるで彼女の人生を在りのままに、力に変えているかのよう。

 

「ふふっ」

 

何はともあれ。こうも見事に引き出してくれるとは思ってもいなかった。

かの槍の聖女が操った騎兵槍を髣髴とさせる、巨大な光の刃。

躱すことは容易だろう。だがこの手で確かめてみたい。受け止めてみたい。

 

「仕切り直しよ、アヤ」

 

今となっては銃は無粋。一振りの剣で噛み締めてあげよう。

アヤは力と意志を私に示した。次はあたしが応える番だ。

この国の元遊撃士として、担任として。この役目だけは誰にも譲らない。

 

「―――った」

 

・・・・・・何だ。今アヤは、何を言った。

気のせいだろうか。光が小さくなっているように思える。

 

「アヤ?」

 

夕陽が沈んでいくかのように、光が尻すぼみとなり、消えていく。

やがて彼女の手から剣が離れ、乾いた音が鳴り響いた。

膝が折れ、崩れ落ちる直前に、何とかその身体を抱き留める。

 

「っとと・・・・・・ふぅ」

 

ぼそぼそと、何かを唱えるように呟き続けるアヤ。

完全に意識は失っていないようだが、これではもう立つことすら儘ならないはずだ。

正直に言って、あたしも疲弊し切っている。もう何時間も動きっ放しだった。

ここまで付き合ってくれたことも、少し予想外。

 

今し方見せた絶技を使いこなすには、まだ時間が掛かるだろう。

それも時間の問題。この子はあたしの想像の範疇を越えて、きっと強くなる。

あたしが紫電と呼ばれるように。強者は自然と二つ名で表現されるようになる。

絢爛。絢爛のアヤ。この子がそう呼ばれる日は、案外そう遠くないのかもしれない。

 

「あたしも素直じゃないわね・・・・・・合格よ、アヤ」

 

何かを漏らし続けるアヤの口に、そっと耳を近づける。

思わず笑ってしまった。この子らしいといえばこの子らしい。

 

久しぶりに今日は美味い酒が飲める気がする。

教え子と杯を交わす。あたしの小さな夢も、いつかきっと叶う時が来る。

腕に抱かれたアヤは、相も変わらず呪文のように、訴え続けていた。

 

「お腹、減った」



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ラマール本線の戦い①

目が覚めた直後は、頭上に腕を伸ばし、ARCUSを取って時刻を確認する。

それが最近の朝の習慣。なのに、右手がスカスカと空振りする。何も掴めない。

ARCUSが、無い。どこか違う場所に置いたままにしていたのだろうか。

いやそれより、昨晩の記憶が無い。夕飯も、入浴の覚えも無い。何がどうなっている。

 

「・・・・・・ああ。そっか」

 

そうだった。今日はまだ9月の25日、土曜日。

見れば、完全に陽は落ちていない。まだ夕刻ぐらいだろう。

カレイジャスに乗って帝国全土を飛び回って、士官学院に戻ってきて。

サラ教官と剣を交えて―――そこから先を、覚えていない。

私が今横になっているのは、自室のベッド。それは間違いない。

教官が運んでくれたのだろうか。いつの間に落ちてしまっていたようだ。

 

「んしょっと・・・・・・うわぁ」

 

身体を起こすと、思わず声を上げてしまう程の空腹感に苛まれる。

考えてみれば、昼食をとっていなかった。立つことすら億劫に感じてしまう。

そんな状態で間を置かず剣を振るえば、意識を失ってしまって当然だ。

 

そしてもう1つ。右手に不思議な感覚が残っていた。

温かい。まるでお湯に浸かっていた直後のように、熱を帯びている。

 

あの光だけは、しっかりと覚えていた。絢爛を舞い終えた後の光と熱。

刀身の切っ先に至るまで、腕と同化したかのような一体感。確かな感覚。

あれが私の色。私だけの色。何色と呼ぶべきなのだろう。

もう一度、引き出せるものなのだろうか。余り自信が無い。

 

「あっ」

 

不意に、布団の上に置かれていた手帳に目が止まった。

支える籠手の紋章が刻まれた、まだ真新しい遊撃士手帳。

 

「サラ教官・・・・・・」

 

戻ってきた。漸く手にすることができた。

私が私でいるための証。将来への第一歩。試験には合格と受け取ってもいいのだろう。

一時は遠のいてしまった入口が、また手の届くところにある。

 

・・・・・・この染みは何だろう。表紙の右下の部位が、紫色に染まってる。

鼻を近づけてみると、案の定、酒の匂いがした。うん、殴っていいよね。

 

コンコンッ。

 

沸々と込み上げる殺意を抑えていると、ノックの音と共に、シャロンさんの声が聞こえた。

 

「おはようございます、アヤ様。お身体は如何ですか?」

「空腹で死にそうです」

 

扉を開けた途端、空っぽの胃を刺激する良い香りが鼻に入ってくる。

お腹が空き過ぎて、気分が悪い。病み上がりから復帰した直後のような感覚だった。

 

「畏まりました。ではすぐに朝食をご用意致しますね」

「お願いしま・・・・・・朝食?」

 

夕食の間違いだろう。そう思い、ハッとした。

窓枠から差し込んで来る光が、夕焼けの割にはやけに澄んでいる。

小鳥の囀りも違う。気温にも違和感がある。壁に掛けられた時計の針が、8時を指している。

夏真っ盛りの季節でも、陽が落ちているはずの時間だった。

 

「シャロンさん。今日って何日ですか?」

「9月26日、朝の8時です」

「・・・・・・えええっ!?」

 

通りで空腹がひどいはずだ。

いつの間にか、時計が1周と4分の1回転していた。

 

_______________________________

 

そもそもサラ教官と剣を交えた時点から、私の予定は狂いっ放し。

 

特別実習の期間中、当事者である《Ⅶ組》の状況は、定期的に士官学院へ知らされる。

予定通り現地入りしたか。実習の進捗状況は。トラブルは発生していないか。

一報を入れるのは、実習に協力してくれる様々な人間達。報告を受けるのはサラ教官。

ここにもトワ会長のサポートが入る。やはり私達は、何から何まで彼女のお世話になっていた。

 

今回の実習では、私もトワ会長の補佐役として手伝う予定だった。

だというのに、当の私は一切何もしていない。もう日付が変わってしまっている。

まあサラ教官にも多少の責任はある。あの立ち合いは余りにも突然過ぎた。

 

ベッドから飛び起きた私は、大慌てでシャワーを浴び、身支度を整えた。

食事の時間すら惜しかったこともあり、食べながら登校する羽目になった。クロウか私は。

ともあれ、今回の実習は9月26日、日曜日一杯まで。今も実習期間中だ。

まだ私にできることが残されているはず。その思いで、生徒会室へ向かった。

 

「し、失礼します」

 

息を荒げながら生徒会室の扉を開ける。

室内には、いつも通りデスクに腰を下ろすトワ会長。その横にはサラ教官の姿もあった。

 

「やーっと来たわね。超寝坊娘」

「す、すみません・・・・・・って、半分はサラ教官のせいですよね?」

「よく言うわよ。受けたのはあなたでしょう」

「ぐぬぬっ」

 

反論の余地は残されているものの、言い返せない。

まあいい。暫くの間、私はこの人に強く出られない。

 

昨日に引き続き、言葉は不要。私は胸ポケットから、遊撃士手帳を取り出す。

するとサラ教官は腕を組みながら瞼を閉じ、溜息を1つ。

やがてその表情に混じり気の無い笑みが浮かび、再度私を見ながら言った。

 

「仮免許とはいえ、それを持つ意味を知りなさい。士官学院生としてだけじゃなく、遊撃士として恥じない行動を心掛けなさい。あたしから言えるのはそれだけよ」

「・・・・・・はい」

 

準遊撃士ですらない私が、本格的に職務を全うできるのは卒業後。

だからと言って、甘えた考えは許されない。手放しに喜べる程、支える籠手の紋章は軽くない。

私は覚悟と意志をサラ教官に示した。教官も、それに応えてくれた。

 

エンブレムも今日は携帯していた。たったそれだけで、世界が変わる。

道行く人々。動物、建造物に至るまで。全てが私の守るべき、大切な物だと思える。

1秒1秒を大切にしよう。サラ教官が、お母さんが私の一挙手一投足を見ているから。

 

「おめでとう、アヤさん。より一層努力しないとね」

「あはは、そうですね。ありがとうございます」

 

トワ会長がぱちぱちと手を鳴らしながら、祝福の言葉を贈ってくれた。

かと思いきや、少しだけ困ったように眉間に皺を寄せながら、私とサラ教官を交互に見詰めてくる。

 

「でもああいったことは今後、グラウンドでは控えてほしいかな」

「え?」

 

それは丁度、私が気を失った後の出来事。

放課後のグラウンドで、教官が女子生徒をボッコボコにしている。

そんな運動部の生徒同士の会話が、生徒を介して教官室へと伝わった。

 

私を寮へと送り届けたサラ教官は、教頭から事実確認を求められた。

教官曰く、あれは実技テストの追試験。決して私闘などではない。

内容も適正。限度を超えたことはしていない。本人に聞いてみるといい。

大まかにはこんなところだった。

 

「てなわけで、後で教官室へ行きなさい。教頭が煩くって仕方ないのよ」

「・・・・・・あの、正直に言っちゃ不味いんですよね?」

「当たり前でしょ。あたしをクビにしたいわけ?」

 

それもそうか。膝蹴り喰らって吐きましたーだなんて、言えるはずがない。

まあ一晩眠ったおかげで生傷は癒えたし、口裏さえ合わせれば何とかなりそうだ。

・・・・・・あの場を目撃されていたら、どうするつもりだったのだろう。

何か考えがあったのだろうか。お互い勢いに身を任せただけだったはずだ。

 

「まあいっか。それで、実習の方は順調なんですか?」

 

私が特別実習に触れた途端、2人の表情が見る見るうちに曇っていく。

悪い予感はしていた。この国の現状や実習地を鑑みても、想像するに容易い。

最近は当たってほしくない予感ばかりが的中してしまう。

 

「やっぱり、何かあったんですね」

「うん・・・・・・アヤさんには、話しておいた方がいいですよね?」

 

投げかけられた問い掛けに、サラ教官が頷く。

するとトワ会長はデスクの引き出しを開け、見覚えのある赤色のファイルを取り出した。

背表紙には『RF』の文字。水曜日のあの日に、私が垣間見た密かな何か。

 

トワ会長はファイルを捲りながら、一連の経緯を分かりやすく説明してくれた。

その内容はどこまでも非現実的で、予想だにしないものだった。

 

「て、鉄鉱石の横流し!?あのラインフォルト社がですか!?」

「確認した限りでは、もう何年も前から行われてきたみたいなんだ」

 

ラインフォルト社による、鉄鉱石の横領。全てはそこに起因していた。

 

ルーレの北東に位置するザクセン鉄鉱山は、鉄鉱石の採掘量が群を抜いて帝国一。

ラインフォルト社とノルティア州が共同で管理しており、隣接する製鉄所で鉄鋼へ加工された後、帝国全土へ輸送される。

ここまでは常識の範囲内。誰もが知る近代鉄鋼業の一部分だ。

 

「よ、横流しって言われても。それ、あのイリーナさんが関わっているんですか?」

「疑いが掛かっているのは第1製作所よ。全社ぐるみの所業ってわけではないみたいね」

 

トワ会長に代わり、サラ教官が繋いだ。

 

疑惑の目を向けられているのは、鉄鋼業全般を生業とする第1製作所。

目的も不明。行先も不明。確かなことは、横流しというその事実のみ。

それだけでも帝国全土に衝撃を与える程のスキャンダルだ。

 

何せその規模が途方も無い。

トワ会長によれば、流された鉄鉱石の量は、少なく見積もっても累計で10万トリム。

私がルーレで見たことがある大型運搬車でも、最大で精々10トリム車。

あれが1万台分と考えると、事がどれ程深刻かが理解できる。

 

「長年に渡りそんなことを続けていれば、当然政府側も疑惑の目を向ける。そろそろ強制的な手段に打って出るって話もあるそうよ」

「そういった背景もあって、今ルーレはとても緊迫しているんだ。実際に昨日、領邦軍と正規軍との間で小競合いがあったんだって」

「小競合いって。それこそ特別実習どころじゃないですよね」

「状況が悪化すれば中止も止む無しでしょうね。まあA班が素直に従えば、の話だけど?」

 

サラ教官がやれやれと大きな溜息を付く。

これまた言い返せない。客観的に見てみて、初めて私達の無謀さを肌で感じる。

今のところ大事に至ることはないだろう。が、どう転んでもおかしくはない。

軍同士のいざこざが生じたとなれば、リィン達が放っておけるはずがない。

事態が動けば、A班は自らの意志で混乱の渦中に身を投じるだろう。

突発的な事態に対し、どう主体的に動けるか。それが実習の肝なのだ。

 

状況は理解できた。一方で、肝心のことを聞いていない。

今の話は国を揺るがすに足る、紛うことなき醜聞だ。

世間に知れ渡れば、ラインフォルトは国を巻き込みながら大混乱に陥ってしまう。

誰も知り得ないはずの事実。それを今、私は目の前の2人から聞かされてしまったのだ。

 

「もしかして・・・・・・トワ会長がラインフォルトを調べていたのは、それが理由ですか?」

「そうだね。尤も、知っての通り確信が得られたのは、ミヒュトさんのおかげだよ」

 

やはりそうだったか。だとするなら、これも俄かには信じ難い。

簡単に言わないでほしい。他人の手を借りたとはいえ、トワ会長は自身の力で真実に辿り着いた。

一介の学生の手に届く領域ではない。この人の情報網は一体どれ程広く、深いのだろう。

 

いずれにせよ、A班の皆が危機的な状況下にあると言っても過言ではない。

そう思っていると、サラ教官はもう1つの班。

オルディスを実習地をするB班の近況も教えてくれた。

 

「テロリスト達が軍用の高速機動艇を持っていることは、既にあなたも知っているわね」

「それは、はい。この目で見ましたから」

「確認されている飛空艇は合計で3隻。どうやらオルディス方面から流れた物のようね。これは正規軍も掴んでる確かな情報よ」

 

正規軍側の調べによれば、テロリストの手に渡った飛空艇の型番は掴んでいる。

そのうちの1隻が、クロスベルのオルキスタワーに下り立った飛空艇。

帝国解放戦線を名乗るテロリストが乗っていた飛空艇の型番と、一致したというのだ。

 

「そっか。じゃああの時、3隻のうちの残り2隻が?」

「そう、ガレリア要塞を襲撃したってわけ」

 

残りは2隻。未だ飛空艇が連中の手にある以上、空からの襲撃の可能性が残されている。

なるほど。それもあって、オリヴァルト殿下はカレイジャスを帝国全土に飛ばしたのだろう。

殿下の意志1つで空を駆ける、大陸で2番目の速度を誇る翼。

その存在を知らしめるだけで、テロリストにとっては相当なプレッシャーになったはずだ。

 

だが現実には、ルーレと同じくしてオルディスにも不穏極まりない空気が漂っている。

正規軍と領邦軍が火花を散らすには、十分過ぎる理由だ。

B班は既に騒動に巻き込まれつつあるようで、知らせが入ったのが昨晩の出来事だそうだ。

 

「B班側もか・・・・・・今更ですけど、サラ教官もやけに詳しいですね。どこからそんな情報が入ってくるんですか?」

「あたしにも独自の情報網があるのよ。さてとっ」

 

サラ教官がデスクに寄り掛けていた腰を上げ、壁の時計に目を向ける。

現時刻は午前9時過ぎ。既にA班もB班も動き始めている頃合いだろう。

 

「あたしはこれからオルディスに向かうわ」

「オルディスに?」

「ルーレも心配だけど、あの『氷の乙女』さんがいるって話だしね。まだマシってものでしょ」

 

あのクレア大尉がルーレにいる。確かにそれだけで安心感がある。

そういうことなら話は早い。私だって、ここでジッとしていられるはずがない。

指を咥えて傍観していられる程、人間ができていない。

 

「なら私も行きます。駄目と言われてもついて行きますよ」

「・・・・・・そう言うと思った。言っておくけど、あなたは今回の実習には不参加。現地入りしてもあたしの命令に従うこと。いいわね?」

「はいっ」

 

装備は必要最低限でいい。剣とARCUS、お金さえあればどうとでもなる。

身支度に掛ける時間も惜しい。今から向かえば、遅くとも午後の13時。

乗継ぎがうまくいけば、昼時ぐらいには着けるかもしれない。

 

踵を返そうとすると、手早くデスク上を片すトワ会長の姿が目に止まった。

荷物を鞄に詰め、ついでに導力端末を脇に抱えながら、力強い声で言った。

 

「私も今から帝都に向かいます」

「帝都に、今からですか?」

「うん。前にも言ったけど、政府筋の知り合いがいるから、政府側の動向を聞いてみようと思うの。ここよりは生の情報が早く入ると思うし、アンちゃん達のこともあるからね」

 

なるほど。今重要なのは、お互いの軍の動きに関する情報だ。

領邦軍は難しいかもしれないが、トワ会長なら正規軍側の動きを読めるかもしれない。

彼女の人脈を持ってすれば―――え、アンちゃん?

 

「今朝方、ジョルジュ君と一緒にルーレに向かったんだ。横流しの可能性を教えてくれたのも、アンちゃんだったんだよ」

 

言いながら、トワ会長が例のファイルを開き、私に差し出してくる。

そこにはラインフォルト社の組織図が、簡単な表となり掲載されていた。

トワ会長が指差すのは、第1製作所の上層部。『取締役』と書かれた欄。

 

「ハイデル・ログナー・・・・・・」

「そう。アンちゃんの叔父に当たる人。きっとアンちゃんも、思うところがあるんじゃないかな」

 

『しばらくの間、これを私に戻してくれないか。少々、気掛かりなことがあってね』

 

入院中、アンゼリカ先輩が手甲と鉢がねを返してくれと頼んできた理由。

あの時言っていた『気掛かり』。全部こういうことだったのだろうか。

今思えば、今月に入ってから考え込むような素振りが多かったように思える。

 

身内の不祥事を暴く。一体どんな思いで、先輩はトワ会長に打ち明けたのだろう。

その先に待ち構えているのは、更なる動乱。そして悲しい結末に他ならない。

 

『今じゃいい思い出だが、大変だったんだぜ。色々あったしな』

 

―――これも私達と同じなのかな、クロウ。

アンゼリカ先輩も思い悩み、迷いの果てにその道を選んだのかもしれない。

 

私は先輩からたくさんのものを貰った。

戦う力。抗う術。前に進もうとする意志。恐怖を受け止める覚悟。時々、変態。

強いと思う。尊敬できる女性の1人だと、胸を張って言える。

その強さは、何も初めから備わっていたものではない。

きっと同じなんだ。クロウにトワ会長、それにジョルジュ先輩も。

私達の知らない掛け替えの無い1年間が、全てを支えている。私にはそう思えた。

 

「ほら、そうと決まれば急ぐわよ。今は少しでも時間が惜しいわ」

「「はいっ!」」

 

いつの間にか総力戦の様相を呈しつつある。

サラ教官に4人の先輩達、クレア大尉。心強い限りだ。

 

(頑張って、みんな)

 

皆が戦っている。場所や役目は違えど、私だって想いは同じ。

胸に収めた学生手帳と遊撃士手帳を握りしめながら、私は生徒会室を後にした。

 

後日思い出したことだが、ハインリッヒ教頭を訪ねるのを忘れていた。どうでもよかった。

 

_______________________________

 

トリスタ駅に着いた頃に、丁度帝都方面行きの列車に乗ることができた。

身を揺られること約30分。帝都中央駅で下車した私は、見慣れない車両を目にすることになった。

 

「あれは・・・・・・普通の列車じゃないですよね」

 

見るからに分厚そうな装甲に包まれた、物々しい車両。

普通列車よりも車両数が少なく、見た限りでは3つの車両で編成されていた。

それに乗り継ぎの連絡通路も見当たらない。一般人のための列車ではないのだろう。

 

「有事の際に使用される装甲車両だね。鉄道憲兵隊の軍人さん達が使用する特別列車だよ」

 

言われてみれば、僅かに見覚えがある。

あれはセントアークでの実習を終え、帰路に着く最中に発生した事件。

突然意識を失った車掌。そして上空から舞い降りた、大型魔獣の襲撃。

今思い出しても悪寒が走る。アリサの冷静な判断と対応が無かったらと思うとゾッとする。

あの騒ぎの中で救援に駆けつけてくれた列車と、同型の装甲車両のはずだ。

 

4ヶ月の記憶を辿っていると、サラ教官が車両を見詰めながら言った。

 

「オルディス方面に戦力を動員しつつあるって話だし、あれもそうかもしれないわね・・・・・・丁度いいわ。あれならもっと早く着けるかもしれない」

「へ?」

 

サラ教官は周囲を見渡すと、ホームで警備中と思われる軍人さんに声を掛けた。

教官と同年代ぐらいだろうか。警備中ということもあり、その表情は険しい。

 

「すみません。少し宜しいですか?」

「ん、何だお前は?」

 

お前呼ばわりされたことが気に障ったのか、ピクリと頬を引き攣らせるサラ教官。

それも一瞬のことで、コホンと咳払いで間を置いた後、教官は事情を簡単に説明していく。

 

自分がトールズ士官学院の教官であること。

現在オルディスで教え子が実習中であり、トラブルに巻き込まれつつあること。

この辺りは多少あることないことを織り交ぜ、器用にストーリーを作り上げていく。

流石は元遊撃士。こういったことには手馴れているのだろう。

それにサラ教官が睨んだ通り、あれは間もなくオルディスへ向かう予定なのだそうだ。

もし乗車の許可が下りれば、予定よりもかなり早く到着することができる。

 

「というわけなんです。差支えなければ、同乗させて頂けないでしょうか」

「事情は分かったが、有事の際を除いて民間人を乗せることは禁止されている。例外を認めるわけにはいかん」

「そこを何とかなりませんか。その有事が目前に迫っているんです」

 

駄目だ駄目だ、と少しも譲ろうとしない軍人さん。

一方のサラ教官も諦めきれないのか、今度は違った方向から交渉を試みる。

 

「ならクレア・リーヴェルト大尉に繋いで下さい。彼女なら話を聞いてくれるかもしれません」

「大尉が?馬鹿を言え、そんなわけないだろう。これ以上警備の邪魔をするな」

 

頭を下げるサラ教官に構うことなく、軍人さんはその場を去ってしまった。

取り付く島もないとは正にこのこと。立場上、強く出ることもできない。

私とトワ会長も、何も言えずに一部始終を見守っていた。

 

「・・・・・・チッ」

 

(ちょ、サラ教官っ!?)

 

これ見よがしに、力強い舌打ちが響き渡った。

先程の軍人さんの耳にも入ったようで、こちらを振り返りながら睨み凄んでくる。

私とトワ会長はサラ教官の背中を押しながら、連絡通路に繋がる階段を駆け上った。



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ラマール本線の戦い②

「あーもう、これだから融通の利かない軍人は嫌いなのよ!」

「まあまあ。特急に乗れただけでも運がよかったじゃないですか」

 

時刻は午前11時過ぎ。

結局私とサラ教官は、帝都発オルディス方面行きの特急列車に乗ることになった。

各停なら13時を回ってしまうが、特急なら30分程度は短縮できる。

 

トワ会長は帝都に留まり、予定通り情報収集に当たっている頃合いだろう。

朝方に出発したというアンゼリカ先輩らも、同じタイミングでルーレに着くはずだ。

 

「それにしても、日曜日なのに・・・・・・乗客、少ないですね」

 

周囲の人数を大雑把に数えながら言った。

日曜日の午前中といえば、もっと混雑するイメージを抱いていた。

それにオルディス方面ともなれば、観光目的の乗客が多いという話も聞いていた。

だというのに、私達が乗る車両には指の数で足りる程度の乗客しか見受けられない。

 

「無用な外出は控えるようにって、政府から公式に呼び掛けているからでしょう」

 

それを抜きにしても、テロリストが未だ捕まっていないこんな状況では無理もないか。

列車のダイヤも装甲列車の出動の影響か、本数自体が減ってしまっているようだ。

この列車が発車するより20分程前に、あの装甲列車も先んじてオルディスへと向かっていた。

 

「それで、オルディスに着いたらどうしますか?」

「まずは状況を把握するわ。こうしている間にも、常に状況は動いているものよ」

「・・・・・・飛空艇の話、あれって確かなんですよね」

「当然。だからこそオルディスでも衝突が起きている。分かっていることでしょう?」

 

別に疑っていたわけではない。

トワ会長もサラ教官も、2人の情報筋は信頼してもいい。そのはずだ。

私はただ、認めたくないだけなのかもしれない。

 

今月に入ってから、私にはいくつもの出会いがあった。

同時に、多くの闇に触れた。国内外から、嫌になるぐらい嫌なものを知った。

それはずっと蓄積してきたもの。長年に渡り続いた鉄鉱石の横流しのように。

積りに積もった何かが今、満を持して一気に噴出しようとしている。

 

緊張感が漂いつつも、平穏はある。

何も知らされることなく、変わらない日常を送る人々もいるかもしれない。

いつまで続くのだろう。私達の日常は、あとどれだけ残されているのだろう。

卒業まであと1年と半年。まだ4分の1だ。なのに、先が見えてこない。

 

「顔を上げなさい、アヤ」

「え?」

 

そんな私の胸中を知ってか知らずか、サラ教官が言った。

その表情は、私が大好きなサラ教官。数える程度しか見たことがない、慈愛に満ちた女性。

フィーを拒絶した時。帝都地下から生還した時。昨日、意識を失う間際。

温かく包み込んでくれた、サラ教官の顔。思わずお母さんと呼びたくなる。

 

「溜まったら酒でも飲んで晴らせばいいでしょ。知ってる?オルディス産のトゥインクルって発砲ワイン。あれが滅茶苦茶美味いのよ」

「知ってますよ。一度しか飲んだことないですけど、あれは格別ですよね」

「買って帰ろうかしら。何なら今夜付き合いなさい」

「あはは。殴っていいですか?」

「あら、昨日散々殴ったくせに足りないわけ?」

 

前言撤回。そして想像戦闘。

息が合った者同士でこそ可能な、頭の中で繰り広げられる打撃戦。

私が打ち込んだ瞬間、見事な下突きで腹部を突かれ、膝が折れる。

・・・・・・駄目だ。体術でもこの人には敵いそうにない。何をやっても返される。

 

「でもまあ、あなた益々リィンに似てきたわね」

「リィン?私がですか?」

「トワと協力して苦労を背負い込むなんて、ソックリじゃない」

 

言われてみれば、確かにそうかもしれない。

先週なんかは特にそうだった。だが『益々』の意味合いが分からない。

 

「益々って。以前ガイウスにも何度か言われたことありますけど、似てますか?」

「んー。ほら、《Ⅶ組》じゃ黒髪は2人だけだし」

「髪色だけじゃないですか・・・・・・」

 

強いて言うなら、あとは戦術リンクレベルが突出して高い。それぐらいだ。

もっと言えば、エリゼちゃんの呼び方が兄様姉様とお揃い。これはまるで関係が無い。

 

「お母さんに似てるとはよく言われ―――っとと」

 

不意に、身体が前のめりになる。

反対側の座席に座るサラ教官は、背もたれに背中がピタリとくっ付く。

どうやら列車が減速を始めたようだ。

 

「・・・・・・あれ?この列車、特急ですよね?」

「変ね。この辺りは駅も無いはずだけど」

 

私達が乗ったのは、オルディス行きの特急。

オルディスの駅に着くまでは、道中の駅には止まらない。アナウンスでもそう言っていたはずだ。

だというのに、列車は段々と減速していき、遂には停車してしまった。

車窓を開けて辺りを見渡しても、どこまでも続く平原しかない。何かあったのだろうか。

 

他の乗客もざわつき始めた頃、頭上から車内アナウンスの声が耳に入ってきた。

 

『緊急停止信号が確認されたため、当列車は一時運転を見合わせております。繰り返します。緊急停止信号が確認されたため―――』

 

停止信号。これも5月の実習でアリサが言っていた信号のことだ。

何かトラブルが発生した際に、安全を優先して列車の緊急停止を指示する赤信号。

察するに、この先で何かがあったのだろう。

 

「よりによって今?やれやれ、ツイてないわ」

 

特急に乗れたと思いきや、これである。確かに運が悪い。

アナウンス通りなら、この列車自体には問題は生じていない。

この先の線路か、先を行く列車に問題が発生したと捉えるべきか。

そうなると、いつ運転再開の目途が立つかが―――

 

「―――待って下さい。おかしいです」

「え?」

 

帝都でセントアークの実習を思い出したせいかもしれない。

知らぬ間に、道中の信号を確認する度に、その色を目に焼き付けていた。

青、青、青。全部青だった。通り過ぎた鉄道信号は、全て例外無く青色を示していた。

赤だったら気付かないはずがない。

 

「それは確かなの?」

「はい。見逃していなければ、の話ですけど」

 

私の話を聞いたサラ教官は、腕を組み顎に手をやりながら、考え込む素振りを見せる。

すると車両の先頭から、制服を着た添乗員と思われる男性が入ってきた。

添乗員は周囲の乗客に一言ずつ声を掛けながら、こちら側へ歩を進めてくる。

おそらく運転を停止したことについて、詫びと説明をして回っているのだろう。

 

「どうしますか?」

「そうね・・・・・・まあ、聞いてみるしかないわね」

 

サラ教官が近寄ってきた添乗員を呼び止める。

周囲に漏れないよう声を潜めながら、真っ直ぐに疑念を投げ掛けた。

 

「申し訳ありません。当列車は緊急停止信号により―――」

「その信号が青かったって、この子が言っているんですけど。本当にそうなんですか?」

 

サラ教官が言うと、男性の表情が一瞬だけ変わった。

教官でなくとも分かる。この人は何かを隠しているはずだ。

とはいえ、ここで長時間引き留めておくわけにもいかない。

教官の追及に対し、男性も頑なに否定するばかり。このままでは埒が明かない。

 

通じるかどうか、こうなったら一か八かだ。

私は胸元から遊撃士手帳を取り出し、それを男性の眼前に置いた。

 

「遊撃士協会の者です。事情だけでも話して頂けませんか」

「遊撃士・・・・・・君が?」

「それに、この人は元A級の遊撃士です。何かお力になれるかもしれません」

 

この国で遊撃士の存在が希少になってから、約2年間の時が経つ。

それでも民間人よりかは特別視されるはずだ。私はともかく、元A級ともなれば説得力がある。

 

男性は一旦席を離れ、腰元の通信機らしき物に向けて口を動かし始めた。

誰かと会話を試みているようだ。1分間程の通信の後、男性は再び私達に歩み寄り、口を開いた。

 

「先頭の運転台まで来て下さい。事情はそこでお話しします」

 

すぐにサラ教官と視線が交差した。

やはり停止信号ではない、何か不測の事態に陥っているに違いない。

 

「いい観察眼と判断力ね。アヤ、ついて来なさい」

「はいっ」

 

珍しく褒め言葉を口にしたサラ教官は、男性に続いて運転台を目指し始めた。

私はサラ教官の背中を追いながら、思わずにやけてしまった表情を正す。

別に褒めてくれなくていい。ついて来いと、背中を見せてくれるだけで構わない。

私の前を歩いていてほしい。目標とするもう1つの背中は、まだまだ遠いはずだから。

 

_______________________________

 

運転台で頭を抱えていた車掌さんが、掻い摘んで話してくれた。

 

第一報は、この列車の先を行く装甲車両から入った。私達が帝都で見たあの列車だろう。

内容は至って単純。すぐに列車を停止しろ。それだけだった。

正確に言えば、直後に通信が途絶えてしまい、詳しい状況を確認することができなかった。

 

次に入ったのが、帝都中央駅からの通信。

ヘイムダル運輸司令所から、何らかの指示が下りた。

かと思えば、今度はこの列車の通信機能が急に不調を訴え始めた。

何度通信を試みても、聞こえてくるのはザーザーという雑音だけ。

 

「要するに、何も分かっていないってわけね」

「はい・・・・・・運転を再開するわけにもいかないですから。現在係員が通信の復旧を試みている状況です」

「あのー、魔獣除けの導力装置は大丈夫なんですか?」

「それは問題ありません。確実に作動しています」

 

それだけでも一安心だ。5月の騒ぎのように、魔獣の襲撃に怯える必要はない。

だがこのままでは状況は何も変わらない。通信が復帰さえすればいいのだが。

ARCUSも試してはみたが、通信機能は使えそうにない。最寄りの駅からでも離れ過ぎていた。

 

「アヤ、あなたならどう判断する?」

「復旧を待ちながら待機するしかないと思います。駅も装甲列車も遠過ぎます」

「100点満点。0点か100点しかない以上、それしかないわね」

 

列車の動向は帝都の司令所が全て把握している。

立ち往生している以上、遅かれ早かれ応援が駆けつけてくれることは間違いない。

今はそれを待つしかない。下手に動いては何が起きるか分からないし、やはり待機しかない。

 

いずれにせよ、私達も席に戻った方がいい。

どう見ても学生にしか見えない私が運転台にいては、乗客も不審に思ってしまう。

 

「サラ教官、私は席に戻ります」

「そうしましょ。あたしも―――」

 

サラ教官が言葉を切ると、後方からどよめきのような声が聞こえてくる。

次に聞こえてきたのは、車両の走行音。列車ではない、これは導力車のものだ。

近くの車窓から頭を出すと、道なき道を駆ける装甲車が数台、確認できた。

 

「救援にしては随分と早いわね。車掌さん、あれは?」

「最寄りの駅から出動してきた部隊だと思います。各駅に鉄道憲兵隊の詰所がありますから」

 

合計で4台の装甲車が、私達がいる先頭車両の傍らに停車した。

5月の事件の際には、大型の装甲車が複数台派遣され、乗客を全員帝都へ送り届けてくれた。

それに比べれば、確かに数が少な過ぎる。先行して駆けつけてくれたのだろうか。

 

装甲車の扉が開くと同時に、車掌さんとサラ教官が車両から降り立ち、私も続く。

それと同じタイミングで、装甲車から1人の軍人が姿を現した。

フィーやクロウを思わせる、銀髪の細髪に目を引かれる男性だった。

 

「第8065列車に間違いないな。君が責任者か?」

「はい、そうです」

 

車掌さんが首を縦に振ると、軍人は私とサラ教官に視線を向けた。

思いっきり怪訝な表情だった。まあ25歳の女性と制服を着た19歳の女子ともなれば、当然か。

 

「この2人は誰だ」

「えっと、この方々は遊撃士の―――」

「紫電のバレスタイン」

 

声を遮るように、サラ教官が唐突に二つ名で名乗りを上げる。

その手には、知らぬ間に導力銃と剣が握られていた。

 

途端に軍人の顔色が変わった。先程までとは打って変わって、態度も豹変したように思える。

それは勿論いい方向に、だ。駅で素っ気無く返された時とは大違い。

自己紹介は状況に応じて変えるものよ。そう言いたげな表情で、教官はウインクを私に向けた。

 

「失礼。一武人として、噂は聞いている。時間と人手も無い、あなたにもご協力願いたい」

「まずは状況を説明して貰えるかしら。一体何が起きているわけ?」

 

紫電の名乗りが功を奏したのか、無駄1つないやり取りが交わされていく。

 

内容は私達が把握しているそれと大差無い。

装甲列車の緊急停止が確認されたかと思いきや、どういうわけか通信が繋がらない。

ただ1つだけ、私達が知らなかった事実。事態が深刻だと判断されたのは、ここだった。

一時的にではあるが、通信自体は繋がった。通信機から聞こえてきたのは、声ではなく喧噪。

けたたましい戦闘音。そして―――銃声と爆発音。

 

「銃声ね。確かに穏やかではなさそう」

「駅や司令所の通信は繋がっている。直に救援も駆けつけるとの連絡を受けている。我々は司令所の指示に従い、状況を確認するために先行するつもりだ。同行願えるか?」

「勿論。お堅い正規軍人にしては話が分かるじゃない」

「レミフェリア出身でな。従妹がクロスベルで遊撃士をしている」

「・・・・・・そう。髪の色、よく似ているわ」

 

男性が笑い、サラ教官が笑う。何か共通の話題があるようだ。

 

装甲車の扉が開かれると、サラ教官は迷うことなく車内へと足を踏み入れる。

私はどうすればいい。口に出す前に、サラ教官の指示が私に向けられた。

 

「念のためにあなたは待機。ARCUSは絶対に手放さないこと。いいわね?」

「分かりました。気を付けて下さいね」

 

扉が閉まった途端、4台の装甲車が線路に沿いながら唸りを上げた。

置いて行かれたわけではない。この場合、寧ろ光栄に思うべきなのだろう。

駆けつけた装甲車が全台、騒動の場へと走り去っていく。

万が一に備えて、私はこの場を任された。そう考えれば、責任は途方も無く重い。

 

隣を見ると、青ざめた表情の車掌さんが立っていた。

捲し立てるようにあんなことを言われれば、責任者といえど動揺は隠せないと見える。

無理もないし、責める気は更々無かった。

 

「さてと。じゃあ、乗客の皆さんに説明して回りましょうか」

「そ、そうですね。詳細は伏せておきましょう」

「賛成です。列車の設備的なトラブルということにして、無用な混乱は避けて・・・・・・私、手伝ってもいいですか?」

「是非お願いします。乗客の皆様も安心して頂けるかと。この国にも、まだ遊撃士がいたんですね。心強い限りですよ」

 

一気に胸が熱くなり、奥底から何かが込み上げてくる。

多分私は、今の言葉を生涯忘れない。何度も噛み締めながら、私は車両内へと戻って行った。

 

___________________________________

 

ずっと考えていた。

この現象の裏にある真実。一体何が起きているのか。

今分かっていることは数少ない。先行する装甲列車に、何かが起きた。

銃声という事実がある以上、やはり穏やかではない事態に陥っていることは確かだ。

 

これもセントアークの実習後と同じ。

この状況下で不利益を被るであろう存在。得をする人間。

それさえ突き止めれば、きっと真実が見えてくる。

 

(・・・・・・同じ、だよね)

 

運転台からの景色を眺めながら、考える。

同じなのだ。何度繰り返しても、全てが同じ。

あの実習の時と、同様の答えに辿り着いてしまう。

本当にそうなのだろうか。駒が少ない分、今のところ信憑性は低い。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、何でもないです。あれから何分経ちましたか?」

「40分弱ですね」

 

運転台の計器を見ながら、車掌さんが答える。

 

装甲車を率いていたあの軍人の言葉が正しいなら、救援が駆けつけるまであと30分。

400セルジュ程先に停車中の装甲列車に、サラ教官らが到着しているだろう時間帯だった。

10分程前から、サラ教官のARCUSとは通信が途絶えていた。やはり距離が離れ過ぎている。

 

今頃帝都の司令所はどうなっているのだろう。混乱の程が想像できる。

こんな状況では、後続の列車も立ち往生しているに違いない。

通信が使えないとなると、私達以外にも線路上で孤立している列車があると考えていい。

 

「そろそろ動きがあってほしいものです。乗客の皆様も、気が立ち始めていますから」

「そうですね・・・・・・あっ、待って下さい」

 

腰元のARCUSが着信音を奏で始める。

まず間違いなくサラ教官からだろう。通信範囲内に戻って来てくれたか。

早る気持ちを抑え、音量を小さめにしてから通信ボタンを押した。

 

「はい、アヤです。サラ教官―――」

『アヤ、落ち着いてよく聞きなさい』

 

音量は最小だというのに、叫び声に近い声が鳴り響いた。

表情はそのままにして、スピーカーを左手で覆い隠し、聞き耳を立てる。

 

「聞こえてます。状況を教えて下さい」

『人形兵器よ。3体の大型人形兵器に装甲列車は襲われたの』

 

思わず息が止まった。

落ち着け。今私が取り乱したら、車掌さんや乗客の皆に飛び火する。

下唇を噛みながら、私は再度サラ教官の声に耳を傾けた。

 

駆けつけた時点で、乗員の大半は事切れていた。もう半分は戦闘不能。

一戦交えた直後ということもあり、3体のうち2体は教官らの手により破壊。

その代償として装甲車も全て破壊されてしまい、身動きが取れない状態にある。

サラ教官は自らの足で通信範囲内に戻り、今こうして状況を報告していた。

 

「ま、待って下さい。残りの1体は今どこにいるんですか?」

『高速機動型で、取り逃がしてしまったわ。目測で最高時速700セルジュ。今そっちに向かってる』

 

―――そっちに、向かってる。

サラ教官の指示を待つことなく、私は車掌さんに言った。

 

「すぐに列車を帝都方面に走らせて下さい。できますよね?」

「え?そ、それは可能ですが。一体何が―――」

「大型魔獣がこちらに向かっています。私が降りた後、後続の列車に気を配りながら急いで。ここから少しでも遠く、可能な限り離れて下さい」

 

大型魔獣という言葉に反応した車掌さんは、大急ぎで従ってくれた。

私が降りた後。この部分にも特に気を向けることなく、列車を動かしてくれた。

乗客への説明は後回しでいいだろう。この状況を鑑みれば、まずは移動が最優先だ。

 

列車が視界から消えた頃に、私は再びARCUSを使い、サラ教官と繋がる。

通信は切っていなかった。耳を当てただけで、すぐに声が聞こえてきた。

 

「サラ教官。列車は避難させました」

『待ちなさい、今あなたはどこにいるの!?』

 

返さずに無言でいると、それはそれは耳が痛くなる程の怒鳴り声が耳を貫いてくる。

全て覚悟の上で、私は通信を切った。謝っても、今度ばかりは許してくれないかもしれない。

 

足止めさえできればいい。時間が稼げればそれでいい。

乗客を避難させようにも、ここは線路のど真ん中。

道を外れれば、どこで魔獣に襲われるか分からない。車両内が最も安全だ。

それなら、少しでも遠ざければいい。応援部隊もこちらに向かっている。

 

「本当に・・・・・・この国、おかしいよ」

 

もう認めよう。この国は黒い。隅々まで真っ黒だ。

人形兵器が現れた以上、蛇までもが巣食ってしまっている。

 

騒動の目的も1つしかない。装甲列車を襲ったのは、正規軍をオルディスへ近づけないため。

十中八九、貴族派の差し金に違いない。たったそれだけのために、多くの軍人が命を落とした。

そして数え切れない程の民間人の命が今、危険に晒されている。何だ、これは。

 

『ほう。君は遊撃士なのか』

『それ士官学院の制服だろ?学生でも遊撃士になれるんだな』

『お姉ちゃん遊撃士なんだ。じゃあ安心だね!』

『この国にも、まだ遊撃士がいたんですね』

 

私は勘違いをしていたのかもしれない。

この国にはまだ、遊撃士協会への想いが息づいている。しっかりと根を張っている。

車掌さんと共に車両を回る中で、たくさんの言葉を浴びせられた。

道中、涙を堪える作業で必死だった。おかげで漸く、自信が持てた。

 

遊撃士は、私はこの国で必要とされている。

オリヴァルト殿下のように、革新派でも貴族派でもない、第3の何かが求められている。

 

「・・・・・・おいでなすったね」

 

視界の遥か先に、その姿を捉えた。

大型と言っても、レグラムやガレリア要塞で対峙した人形兵器より一回り大きい程度。

それよりも、速い。近づくに釣れて、見る見るうちにその大きさが増していく。

 

ここを通すわけにはいかない。どうしてあの人達が脅かされる。

民と共に生き、守るのが領邦軍の務めだろう。ふざけるのも大概にしろ。

一歩たりとも近づけて堪るか。この紋章にかけて―――絶対に、通さない。

 

「特科クラス《Ⅶ組》出席番号1番、馬術部所属。黒板消し係兼切り込み隊長、シャンファ流2代目―――準遊撃士見習い」

 

だからお願い。私の中に眠る、確かな何か。

月光翼の限界を引き出しても意味がない。この身を犠牲にするのは逃げ道でしかない。

今なら分かる。必要なのは意志と覚悟、揺るぎない信念。

サラ教官が呼び起こしてくれた、私だけの色。もう一度、この剣に力を貸して―――

 

「―――絢爛!!」

 

_________________________________

 

「ふむ。これはこれは・・・・・・私らしくもない」

 

帝都ヘイムダル駅から繋がるラマール本線。

その道中で溢れんばかりの輝きを放つ、1人の少女。

純白の衣を纏う仮面の男は、崖上から一部始終を見下ろしていた。

 

「紫電の君の慧眼を称えるべきか、我が凡眼を恥じるべきか。いずれにせよ良き物を拝めた。見たまえ、彼女は今再び、美に値する輝きを放っている」

 

その隣。

深々と息を吸い込む度に、口元のオレンジ色の光点が浮かび上がる。

吐き出されたのは紫煙。猛禽類を思わせる佇まいと、虫1匹寄せ付けない気性。

 

狼には光が見えていなかった。

黒眼鏡越しに映る姿は、ただ剣を取りながら華麗に舞うアヤの姿だけ。

だが肌で感じていた。それが片鱗に過ぎないことを。力の一端に触れただけだということも。

 

「クク、久しぶりに外に出てみれば・・・・・・おもしれえ。いい女に育ってるじゃねえか」

「そうだろう。かの異変以降、唯々燻り続けるだけだった君を想い、連れて来た甲斐があったというものだ」

「馬鹿言え。俺は退屈してただけだ。だがまあ、礼は言うぜ」

 

2人は歓喜していた。

仮面の男は、少女から再び美を感じ始めたことを。

いくつもの真実に辿り着いた時、彼女がどんな色を見せるかが待ち遠しくて仕方ない。

 

狼はその力を。

気紛れで拾い上げた少女が放つ、力の波動を肌で感じ取れたことに快感を覚えていた。

 

「あれはまだ育つ。まだ食い時じゃねえ。それまでは、てめえらのお遊戯に付き合ってやる」

「オルフェウス最終計画が第2幕、幻焔計画第2楽章。開幕はもう目前まで迫っているさ」

「相変わらずワケ分かんねえな。てめえも、柱の連中もよ」

 

狼にとっては、どうでもよかった。

あるのは乾き。狂気に近い欲求。食欲や睡眠欲、性欲さえもが取るに足らない。

剣帝に弟弟子、かつての想い人。全てを記憶の片隅に追いやりながら、笑った。

 

煙草が、美味い。紫煙を愛する人間にしか、それは理解できない感覚だった。

 

______________________________

 

同日、午後14時半。ザクセン鉄鉱山最奥部。

 

「同志『V』。たった今、鉄鉱山内部への侵入者を確認しました」

「領邦軍の封鎖なんざその程度だろうよ。プランDに変更、状況を把握しつつ『C』の連絡を待ちな」

 

帝国解放戦線の精鋭部隊が3人。そして幹部であるヴァルカン。

部隊の1人が、侵入者に関する情報をヴァルカンへ機械的に述べていく。

 

侵入者は合計で7人。

士官学院の学生と思われる少年少女、合わせて7名。

ルーレ市から続く非常用の連絡通路を経由して、鉱山へ入り込んだという内容だった。

 

「ヘッ、結局あいつらか・・・・・・おう。その中に刀を持った女はいなかったか」

「刀、ですか。いえ、少年の姿はありましたが、女性は確認できていません」

 

二度に渡り対峙してきた士官学院の学生達。

下らない、とヴァルカンは思った。手段を選ばなければ、小鳥のように捻り潰せる。

計画の一環であることは理解しつつも、回りくどいやり方は性に合っていない。

 

そんな中で見つけた1つの楽しみ。彼にとっては遊具のような存在。

癒えたばかりの左手、人差し指を折りながら、8年前の記憶に頭を巡らす。

 

団で保護した年端も行かぬ少女に、手を出した団員達がいた。

激昂したヴァルカンは、男達を半殺しにした挙句、貨物列車の積み荷内へと投げ捨てた。

彼らがその後どうしたかなど、ヴァルカンには知る由が無い。

命を落とした者もいれば、生き長らえた者もいるかもしれない。

 

重ガトリング砲を斬られ、左手の人差し指を折られた。

その学生はレグラムに行った覚えはないかと聞いてきた。

あんな辺境に団を動かした覚えは無かった。だとするなら、可能性は1つ。

 

「クックック・・・・・・」

 

込み上げてくる感情が、可笑しくて堪らない。

悪いことをした。そんな感情が自分に残っていることが滑稽で仕方ない。

 

『人は―――人の間に在るから、人間なんだよっ!!』

 

戻れはしない。もう何も残っていない。

この身と共に、家族を奪ったあの男を燃やし尽くすしか道は無い。

こちら側も既に多くの犠牲を払っている。

何人もの兵隊に、同志『G』。立ち止まるわけにはいかない。

 

「同志V。そろそろ侵入者がこの区画へ来ます」

「うるせえな、んなこたあ分かってんだよ」

 

ともあれ、他愛もない戯れ事に付き合うのはこれが最後。

来月の今頃には、計画は最終段階に入る。その先には―――

 

「―――くっだらねえ。先なんざねえだろうが」

 

自分自身へ言い聞かせるように、吐き捨てる。

心残りがあるとするなら、もう少し遊んでやってもよかったかもしれない。

理由は分からない。帝都地下で対峙した時からそうだった。

全く違う境遇にありながら、自分と同じ匂いがする少女、アヤ。

忘れたはずの何かを押し殺しながら、ヴァルカンは重ガトリング砲を手に取った。

 

 




これにて第6章は終了の予定です。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
オッサンに愛されるアヤで終わってしまったことだけが心残りです。

次回からは終章になります。漸く終わりが見えてきました。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。


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終章
Aya's Diary


10月1日、金曜日。

 

月が変わっただけなのに、今夜は一段と冷え込みが強い気がする。

思えば日記を書き始めたのは先月の初め。そろそろ1ヶ月が経つ。

入院中だけのつもりが、我ながらよく続いていると思う。

疲れがひどい時なんかにサボることはあるけど、既に日課になりつつある。

熱しやすく冷めやすい。二者択一を迫られたら、私はそんな性格だと思っていたから少し意外。

 

ガイウスに冷めることはない。ガイウス大好き!

 

なーんて書いても、誰も見ることはない。それがストレス発散になっているのかもしれない。

誰かに見られたらどうしよう。問答無用でぶん殴ってもいいよね。

日記は見せる物じゃないっていうアリサの台詞が、今なら理解できる。やっぱり殴っていい。

 

明日からは待ちに待った湯治場旅行。

行先がリィンの故郷、ユミルということもあって、今日はその話題で持ちきりだった。

土曜日曜と、特例の2連続自由行動日を設けて貰ったのは、少しだけ気が引ける。

まあ皇帝陛下から直接招待されたともなれば、当然の待遇かもしれない。

私は勿論、みんなも心身共に疲れ切っている。今月から多忙な日々が続くというのに。

しっかりと英気を養って、学院際に向けて頑張ろう。

 

昨晩、あの列車に乗り合わせた車掌さんから手紙が届いた。

顔が赤くなるぐらい、感謝の言葉で埋め尽くされていた。

驚いたことに、士官学院宛てで、同じような手紙が届いていた。

おかげで私が準遊撃士見習いとして行動していたことが、皆にもバレてしまった。

私の知らないところで話は飛躍して、たった1日で色々な人から声を掛けられるようになった。

恥ずかしいことこの上ない。そっとしておいてほしい。

 

でも手紙を貰ったこと自体は、素直に嬉しい。私にとって、あれは私だけの特別実習だった。

同時に遊撃士としての初仕事だったのかもしれない。なら、あの手紙は初報酬。

少し恵まれ過ぎている気がするけど、この気持ちを大切にしよう。

何故遊撃士が身を粉にして働くのか。多分それは、今の私の中に答えがある。

 

現地ではステージ演奏の楽器やポジションの割り振りを発表すると、エリオットが言っていた。

私は既に決まっているようなもの。気になるのは曲調だけ。それが一番厄介ではある。

衣装も気にはなるけど、動きやすくて最低限が見えなければ不満は無い。

 

「おいおい、お前さんの最低限ってどこまでだよ?」ってクロウが聞いてきた時のこと。

間髪入れず、ガイウスが無言でクロウの肩を掴んだ。多分本気で。

夏ぐらいから、ガイウスは感情を露わにすることが増えた。うんうん、いい傾向だと思う。

 

明日も早いし、今日はここまで。

ミリアムも今までで一番の笑顔を振りまきながら、ベッドの上ではしゃいでいる。

あんな調子で今夜眠れるのかな。少なくとも私が無理。頑張って寝かせよう。

 

___________________________________

 

10月2日、土曜日。

 

少し色々なことがあり過ぎた。

この気持ちが色褪せないうちに、書き留めておこうと思う。

 

アンゼリカ・ログナー先輩。

今思えば、初めて言葉を交わしたのはグラウンドだった。

突然首筋に鼻を当てられて、匂いを嗅がれた。思わず放った掌打は、見事に受け流された。

翌日にはキルシェでお手伝いをしていた時に、お客さんとして現れた。

唐突に気を当てられて、面食らった。先輩の実力を肌で感じたのは、あれが最初だった。

 

それからは何度も顔を合わせては、私の不安定な力をコントロールする術を、叩き込んでくれた。

子供が蛇口のハンドルの捻り方を教わるように、繰り返し水を流し続けた。

私はそれを月光翼と呼ぶようになり、確かな力として今も息づいている。

 

記憶はある。忘れるはずがない。

実技テストそっちのけで、四肢だけを武器としてお互いに殴り合ったことも。

入院中、心を弱めて下を向いていた時、私を受け止めてくれたことも。全部私の大切な思い出。

だからもっと思い出したい。数え切れないぐらいの会話をしたはずだから。

その全てを思い起こしたい。初めから日記を書く習慣があれば、こんな思いをせずに済んだのに。

 

・・・・・・やめやめ。辛気臭すぎる。先輩に泣くなと言われたばかりだしね。

今頃リィンはどうしているかな。考えるまでもないか。彼ならきっと受け止める。

別に今生の別れというわけでもないし、私には先輩が託してくれた武具がある。

 

うん、決めた。先輩の手甲と鉢がねを付けて、ステージ演奏に出よう。

衣装とは全くと言っていい程合ってない気がするけど、刀剣を振るって踊るわけだし。

きっといいアクセントになる。否定されたら有無を言わさず迫ってやる。

 

 

 

閑話休題。

温泉郷ユミル。思っていた通り、冷たくて澄んだ空気がとても美味しい。

本格的に冷え込むのはこれからみたい。私はこれぐらいが丁度いいと思う。

招かれた建物も、由緒正しいとーりゅー(←豆乳?)施設とかで、私には勿体無いぐらい。

 

まあ一番驚いたのは、エリゼちゃんに手を引かれて、リィンの実家に案内されたこと。

大まかにはこんな感じ↓だった。

 

「お母様、お父様。姉様をお連れしましたっ」

「フッ、久しく見ないうちに綺麗になっ・・・・・・リィン!?」

「いや、私は」

「あらあら、いつの間にか胸もこんなに大きっ・・・・・・リィン!?」

「いやああぁ!?」

 

一瞬でも見間違われたのが衝撃的だった。兄様と姉様を聞き間違えただけだと思いたい。

ガイウスといいサラ教官といい。似てるのかなぁ、私とリィン。

 

それは置いといて。リィンのご両親からは、感謝の言葉をこれでもかというぐらい頂いた。

私とエリゼちゃんが帝都地下で生き埋めになったことを、リィン達から聞き及んでいたらしい。

2人がどういう形で話したのかは分からないけど、私は娘を救った命の恩人として扱われた。

否定しても仕方なかった。あれから1ヶ月ぐらい、リィンも事ある毎に良くしてくれたっけ。

おかげで美味しそうなユミル産のお土産をたくさん貰った。ひゃっほー!いえー!

 

漸くステージ演奏の役割が決まった。

私は予想通り、剣舞役。ミリアムにフィーと一緒に、バックダンサーとして踊ることになった。

ちなみにガイウスはベースという楽器。音楽史でも習った楽器だった。

見た目はシタールと共通点があるけど、基本的には別物らしい。ガイウスも大分苦労しそう。

 

学院際まであと3週間。このまま何も無く、順調に準備も進んでほしい。

遠くから女性の悲鳴が聞こえてきた。何だろ。区切りもいいし、今日はここまで。

 

_________________________________

 

10月3日、日曜日。

 

昨日以上に、事が起き過ぎた。正直なところ、余り思い出したくない。

リィンやみんなには悪いけど、あの笑い声が頭から離れない。

 

ブルブランとは、また対峙することになるとは思っていた。でも、あの男は別。

7年前の過去を知るガイウス、リィンとラウラは、私の態度で察したと思う。

サラ教官も気付いているかもしれない。

余りにも唐突な再会に、ひどく浮ついてる。自分のことなのに、まるで他人事のよう。

 

猟兵に襲われたあの日。

もしヴァルターがオーツ村に立ち寄らなかったら、私は間違いなく殺されていた。

あの男のせいで、私は生き延びてしまった。異常な力を与えられ、独りになった。

あの男のおかげで命を拾い、戦う力を手に入れて、私は今ここにいる。

 

昔は恨み憎んでいたと思う。4年間の孤独はそれぐらい辛かったから。

今はどうなんだろう。身喰らう蛇の執行者として、その存在を許すわけにはいかない。

あの組織が引き起こした事件で、数え切れない人々が犠牲になった。

こうして書いているだけで、主観と客観が入り混じってくる。自分が分からなくなってくる。

全ての過去を受け入れたつもりだったけど、違ったのかも。

 

リィンが一歩前に踏み出せたこと。それが唯一の救い。

以前私が見た夢は、紛れもない彼の過去だった。

私達に打ち明けてくれたのは、素直に嬉しい。余程の覚悟が必要だったんだと思う。

 

ブルブランにヴァルター。また私達の前に現れた時、私はどうすればいいのか。

リィンのように、その覚悟はしておこう。あの2人は、私達の敵に他ならない。

 

_________________________________

 

10月6日、木曜日。

 

忙しくなるとは思っていた。それでも甘かった。

日記も3日間飛んだ。今日もどうしようか悩んだけど、何とか頑張ってみる。

 

学院際の準備が思った以上にキツイ。

馬術部では2年生の有志による発案で、乗馬教室のようなものを開くことになった。

初心者に経験者、どちらも楽しめる場を提供する、がコンセプト。

現状では人や設備、用具がまるで足りてない。とりわけ人の手が深刻かも。

初心者には特に安全面に配慮する必要がある。

経験者には競技場のように本格的な場を設けないと、楽しめない。

書いているだけでも気が遠くなってくる。あと2週間と少ししかないのに。間に合うかな?

 

みんなも各クラブの展示や発表の準備に追われてる。

授業が終わった途端に、足早にそれぞれのクラブに顔を出しては精を出す。

無所属のはずのリィンが一番忙しそうなのはいつものこと。少し癒される。

あれは掛け持ちって言った方がいいかもしれない。

 

そしてステージ演奏の準備。

今は各パートに分かれて、個人個人で練習をしている。

これが一番の課題。時間が無いし、場所も無い。そう、場所が無ーい!

 

通常の練習は、当然音楽室の一角を借りて行う。

でも私達には本当に時間が無い。授業の合間や自由時間を使わないと、練習が追いつかない。

時間内なら学院の敷地内で練習できるけど、夜は当然学生寮での自主練習になる。

 

そうして始まるバラバラな演奏会。各部屋から響いてくる楽器音。

ボーカル組の歌声と、私達3人組のダンス音。時々マキアスとユーシスの罵声。

開始1日目にして、近隣住民から苦情の嵐だった。

お詫びの品を抱えながらトリスタを走り回るシャロンさんに、みんなで頭を下げた。

 

音が響かないよう工夫すればいいだけなんだけど、それが叶わない人間も当然いる。

ラウラの打楽器もやりようはある。が、本番と同じ物を使いたいと頑として退かない。

常に両腕と背に打楽器一式を抱えて歩き回り、時間と場所を見つけては練習に励むラウラ。

不器用と真っ直ぐを通り越してかっこいい。あと可愛い。

 

今日も今日で2階からあーだこーだと言い合う声が聞こえてきた。

何だその腑抜けた声は!君こそ半音ズレただろう!云々。

最近はお決まりになってきた。そんなやり取りを終わらせるのは、いつもエリオット。

 

「僕はどっちも○○だと思うな」

 

ガイウス曰く、初日の評価がこれ。日記に書くのも気が引ける。

昨日は何故か『ドローメ』という単語が聞こえたらしい。

どうして歌声の評価にドローメが引き合いに出されるのかが分からない。

 

眠い。最近ランがノートをよくかじる。鬱陶しい。

 

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10月7日、金曜日。

 

私達の悩みを耳にしたジョルジュ先輩が、一晩でやってくれた。

防音性のフィールドを展開することができる導力装置。やったねラウラ!

仕組みは飛空艇に使われている、防風圧の装置を流用しているらしい。

その力のおかげで、飛行中にも甲板へ出ることができるそうだ。

よく分からないけど、悩みが1つ減ったのは素直に嬉しい。頑張れラウラ!

 

当の私、ミリアムとフィーは、学生寮の裏庭を使っていた。

初日に部屋で舞ったが最後、周辺の壁やベッドシーツを見事に斬り裂いた。

模造刀を使ったのに、加減を間違えて剣圧でやってしまった。

練習も本番も、ミリアムとフィーを上手く躱しながら舞う必要がある。これが難しい。

それにテンポが未だ掴めていない。東方とこの国の音楽は、根本が違ってる。

一方の2人は初日から息が合っていた。今の調子なら、心配は必要なさそう。

迷惑を掛けてしまわないよう、私も頑張りたい。

 

ガイウスは至って順調。ベースの扱いにも大分慣れてきている。

元々芸術派なところがあるから、音楽にも向いているのかもしれない。

手先も器用だし、指使いがすごい。あはは。うん、知ってた。あははのはー。

 

今日は10月の7日、金曜日。

クロスベルの独立の是非を問う住民投票が、2日後の日曜日に行われる。

新聞や雑誌を読んでいる限りでは、過半数の票が賛成に集まる見込みらしい。

当然、それを冷ややかな目で見る反対派も、クロスベルには存在する。

理想を取るか、現実を取るか・・・・・・私なら、どうするんだろう。

極論を選ぶには、私は知り過ぎている気がする。何が起きるか分かったものじゃない。

 

そういえば最近、ロイドからの手紙が来ない。

先月末に返事を書いたのが最後で、それ以来見ていない。

住民投票が近いし、ロイドも忙しいのかもしれない。

手紙だけを読んでいると、特務支援課って遊撃士協会以上に多忙そうに思える。

 

先月に入ってから、ロイドとの手紙のやり取りは楽しくもあり、怖くもある。

手紙を貰う毎に、私には知り得ない事実が1つ、また1つと見えてくる。

オリヴァルト殿下は国境を『殻』と例えた。実際には、もっと分厚い何かのように思える。

勿論、嬉しいこともある。ロイドがレンちゃんを知っていたこともその1つ。

やっぱりあの3人は紛れもない家族。今度会ったら、もっとレンちゃんとも話をしてみたい。

 

それに手紙だけじゃなく、もう一度クロスベルに行きたい。

と言っても、時間が無い。自由行動日を使っても、行って帰ってで終わってしまう。

クロスベルと関わりがある人間は、士官学院1つとっても私だけじゃない。

クロスベルで暮らしている親戚がいる、とか。一時クロスベルで暮らしていた、とか。

サラ教官の話では、そんな生徒は複数人いるらしい。でも、遠い。離れ過ぎている。

独立問題の件もあるし、一度でいいから故郷を見てみたい。どうにかならないかな。

 

今日は久しぶりにランと一緒に寝ようと思う。

ランは最近口数が少ない。元から少なかったけど、少し心配。

折角人目を避けて時間を作っても、一言二言で会話が終わってしまう。

かと思えば、人が貧乏揺すりをするみたいに、私のノートをかじってくる。

何か悩みでもあるのかな。いや、鳥に悩みなんてないか。いやいや、鳥じゃなくて犬だった。

いやいやいや。ヨシュアの言葉に習うなら・・・・・・何だっけ。

 

_______________________________

 

10月8月、土曜日。

 

放課後、エリオットが音楽室で『空を見上げて』をピアノで弾いていた。

お母さん一番のお気に入り。私にとっては思い出の曲。当然エリオットもそうなんだと思う。

彼のお母さんが作った曲だし、私にとってはお母さんの剣みたいなものなのかも。

実習の最中に帝都で買ったレコードは、キルシェで流す曲の定番になった。

 

嬉しさの余り、口笛でエリオットの演奏に乗っかった。

エリオットもノリノリで弾いてくれた。やっぱり音楽となると人が変わる。

曲が終わった後、「口笛じゃなくて歌ってよ」と何度もお願いされた。

私の歌声を知るのは、エリオットとミリアム、入院中に書いた9月9日付の日記だけ。

音楽家ってすごいと思う。少なくとも人前で歌うなんて、私にとっては罰ゲームでしかない。

 

エリオットは気分転換にピアノやヴァイオリンを弾くことが多いらしい。

色々な楽器に触ったことがあるみたいけど、好みはその2つ。

得意な楽器もそう。それもお母さんの影響だって言っていた。

今日が練習の初休日なのに、気分転換にピアノを弾くってどういうことだろ。流石エリオット。

 

帰り際に変な相談をされた。

「もし僕の予感が当たったら、アヤの歌声と思い出を、僕に貸してくれないかな」

書いてみても、まるで理解できない。どうなるっていうの、エリオット。

 

そういえば、クロスベルタイムズの最新号を買っていなかった。

明日の朝にミヒュトさんのところへ行こう。高いけど。すっごい高いよ!

先月の一件以来、新聞や雑誌はクロスベル問題に関する話題で持ち切り。

テロリストの脅威が去ったこともあって、入れ替わるようにクロスベル色に染まった。

いよいよ明日が住民投票。開示結果はラジオでも速報される。どうなることやら。

 

そう、テロリストはもういない。言い方は悪いけど、呆気ない、と感じてしまう。

今わの際に、彼らは何を思ったのだろう。この国には、結局何も残せていない。

不思議なことに、胸の中にぽっかりと穴が開いたみたいな、そんな感覚があった。

 

短いけど今日はここまで。眠気がひどい。

明日は久しぶりにキルシェで気分転換をしよう。

 

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「ふぅ」

 

日記に走らせていたペンを置き、目頭を押さえる。

ミリアムは既に夢の中。私もそろそろベッドに入っておこう。

演奏の練習で疲れも溜まっている。明日の1日で全てをリセットする必要がある。

 

「・・・・・・あれ、ラン?」

 

ふと窓の方に目をやると、窓際で静かに佇むランの姿が目に入った。

いつからこの部屋に。今までにも勝手に入ることはあったが、普段なら当然気付くはずだ。

 

ミリアムに気を配りながら、足音を潜めて歩を進める。

ランは外を一点に見詰めながら、微動だにしない。

外に何かあるのだろうか。そう思い窓から外を見渡しても、何もない。

天気が悪いわけでもない。夜の暗闇と静寂が、目の前に広がるだけだった。

 

「ねえ、どうしたの。ねえってば」

 

聞こえていないはずがない。が、やはりランは動かない。

剥製のように固まりながら、一向に私の声に反応しない。

 

かと思いきや、突然その羽根を羽ばたかせ、頭上へと飛び立った。

・・・・・・驚かさないでほしい。危うく声を上げそうになってしまった。

やがてランは私の右肩へと着地し、呟くように言った。

 

『発現したようだな』

「はつ・・・・・・え、何?」

 

再びランがだんまりを決め込む。

やはり最近、様子がおかしいように思える。何かあったのだろうか。

どうせ聞いても答えてはくれない。少しだけ寂しさを感じた。

 

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翌朝。

朝食をとった後、私は予定通り、質屋ミヒュトへと足を運んだ。

目当ては勿論クロスベルタイムズ。最近は私が頼まなくとも、気を利かせて入荷してくれる。

もう少し安くしてくれたら、もっといいお客さんになってあげるのに。

 

「おはようございます、ミヒュトさん・・・・・・と、サラ教官?」

 

正面扉を開くと、店内にはいつものようにカウンターで新聞を広げるミヒュトさん。

そしてサラ教官の姿もあった。今日はやけに朝が早いと思っていたが、ここにいたのか。

 

「サラ教官も来てたんですね。何か探し物ですか?」

「そんなところよ。あなたは?」

 

私が言う前に、お目当ての品物がカウンター上に放り投げられる。

流石はミヒュトさん、隙が無い。

彼の副業を知って以来、私の中では文字通り「何でも屋」になりつつある。

 

お礼を言いながらクロスベルタイムズを受け取り、カウンターに代金を置く。

そこで初めて気付いた。2人の表情が、普段と違う。

始めは普通だったはずのそれが、知らぬ間に変わっていた。

 

「あのー、どうかしましたか?」

「ん・・・・・・おい、話してやったらどうだ。遅かれ早かれ、知ることにはなるだろうしな」

 

私はサラ教官から全てを聞いた。

テロリストの脅威は既に、この国から去った。久方ぶりの平穏が訪れつつあるはずだった。

標的を変えるように。通商会議をなぞるように。

私の生まれ故郷は昨晩、大きな傷を負っていた。

知らぬ間に、住民投票は延期せざるを得なくなっていた。




突然ですが、次話より話の舞台が変わります。
アヤが豚汁を作る話です。


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復興支援①

10月15日。

クロスベル市の西通り街区、アパルトメント『ベル・ハイム』。

 

起床と共に目に入ってきた、見慣れない室内。

この部屋で夜を過ごしたのは、もう10年以上も前の出来事になる。

初めての友人宅での寝泊り。普段とは違うベッドで眠ると考えただけで、心が躍った。

 

(5時半、か)

 

私の隣。寝床を共にしていた私の幼馴染は、ベッドの中で小さな小さないびきをかいていた。

10年前は真新しく、広々と感じたセミダブルサイズのベッドも、今となっては窮屈極まりない。

お互いにそれだけ大きくなった。10年という時の流れを実感できる、貴重な一時だった。

 

「ウェンディ、朝。もう5時半だよ」

「・・・・・・ん。お願い、あと10分」

 

そう言って10分後に起きる人間などいない。

強引に引きずり出そうかとも思ったが、今のウェンディに無理強いはできない。

少しでも多くの休息が必要だ。この街には、彼女に救われた人間が数多くいる。

 

隣のベッドで眠るパンセちゃんに気を配りながら、音を立てないようにベッドから出る。

さて、どうしたものか。この一室の住民は、2人とも夢の中。

こうしてお世話になっている身だし、朝食の準備ぐらいはしてあげたい。

まずは私自身、頭をスッキリさせよう。荷物の中からタオルを取り出し、洗面所へ向かった。

 

______________________________

 

午前5時45分。

アパルトメントの屋上で両腕を左右に広げながら、深々と深呼吸を3回。

朝の冷たく澄んだ空気が、全身に流れ込んでいく。息が白くなるのは、もう少し先の季節になる。

 

「んー・・・・・・はぁ。みんな、早いなぁ」

 

眼下に広がるクロスベル市の街並み。

陽が昇り始めてまだ間もないというのに、既に住民の姿がちらほらと見受けられる。

角材を肩に担ぐ者。土砂を運ぶ大型運搬車。

独特の重低音を奏でるフォークリフト。木材に釘を打ちつける金槌音。

誰もが復興と再建に向けて、それぞれの役目を全うしていた。

絶望や諦めは感じられない。それが私にとって、何より嬉しかった。

 

 

 

遡ること1週間前。10月8日、午後17時52分。

クロスベル市は8月の通商会議に続き、テロリスト集団による襲撃に見舞われた。

その被害規模は甚大。警察署は倒壊し、旧市街は巨大な炎に包まれた。

湾岸区の貿易ビルは爆薬による爆破で跡形も無く、IBC本社ビルは巨大な瓦礫と化した。

劇団アルカンシェルの大スターは重傷を負い、現在も意識不明の重体。

傷跡を挙げようと思えば際限がない。塞がりかかった傷もあれば、未だ生傷も存在していた。

 

一連の蹂躙劇は、帝国は勿論、周辺各国に強い衝撃を与えた。

特に大陸経済の中心地であるIBC本社ビルが破壊された事実は、一晩で大陸全土を巻き込んだ。

ラジオや新聞といった数々のメディアも、連日クロスベルに関する報道に追われていた。

 

騒動の翌々日、10月10日。月曜日の早朝。

私を含めた5人の士官学院生が、ヴァンダイク学院長の下に集められた。

クラスも学年も違う、見知らぬ生徒同士。共通点はクロスベルにあった。

 

1人1人が担任と面談を行い、被害の規模を聞かされた。

私のように、既に聞き及んでいる生徒がいた。そこで初めて知らされた生徒もいた。

とある男子生徒は、1人だけ別室へと連れて行かれた。

数分後、室内から悲鳴と喧噪が聞こえてきた。男子生徒は気を失っていた。

後に人づてに聞いた話では、彼の父親はクロスベルの警備隊に勤めていたらしい。

それだけで、事情は察せられた。彼に釣られて、涙を流す女子生徒がいた。

 

クロスベル市を襲ったテロリスト集団は、今も行方を眩ませている。

再びテロ襲撃が発生する危険性を考慮し、帝国では民間人のクロスベル方面行きが規制された。

それが解除されたのが、昨日の出来事。私は居ても立っても居られず、サラ教官に懇願した。

私だけではなかった。クロスベルに縁を持つ生徒は、皆がクロスベル入りを申し出た。

目的はそれぞれ。その目で肉親の安否を確かめたい者。現実を受け止めたい者。そして私。

こうして私達は3日間の滞在が認められ、士官学院を通して、正式な出国許可を得るに至った。

 

私は今日が2日目。

昨晩の深夜、私はロクな準備もせずに、最終列車に乗ってクロスベル駅に降り立った。

呆然とした。1週間の時が経ち、順調に再建が進みつつあると聞いていた。

深夜だというのに、生まれ故郷が負った傷の深さを、目の当たりにした。

導力灯の光に包まれていたはずの夜の街並みが、一部は漆黒の闇に包まれたままだった。

 

同時に、途方に暮れた。私は宿の手配さえしていなかった。

ホテルや宿場喫茶は、襲撃の影響でその大半が休業していた。

もう半分は、行き場を失った被害者の避難所として開放されていた。

私は外国からやって来た身。彼らと寝床を共にするのは、気が引けた。

 

私は友人であるウェンディを頼りに、彼女らが暮らすアパルトメントを訪ねた。

もう深夜帯だというのに、アパルトメントの入口で、仕事帰りの彼女とばったり出くわした。

聞けば襲撃事件以来、もうずっとそんな生活が続いているそうだ。

ウェンディのような技術者は、今のクロスベルにとってどこでも重宝されるらしい。

そんな経緯で、私は10月15日の朝をクロスベルで迎えていた。

 

「みんな・・・・・・頑張って。私も頑張るから」

 

多くの死傷者が出た。立ち直るには、まだ時間が必要だ。

生まれ故郷の力になれるなら、私は何だってする。

できることは限られているかもしれない。私を知る人間は、もうこの街には少ない。

どうだっていいし、見返りはいらない。滞在を許可されただけでも恵まれている。

まずは、朝食の準備をしよう。それが今回の旅の、初仕事だ。

 

________________________________

 

部屋に戻ると、案の定ベッドの中で熟睡するウェンディがいた。

帰宅して僅か5分でベッドに入ってしまったウェンディ。

結っていた髪を解き、作業着を無造作に脱ぎ捨てただけ。

そのだらしなさが、彼女の疲労の程を表していた。

 

「ウェンディ、起きないと。もう6時近いよ」

「むー・・・・・・」

 

ウェンディがごしごしと目を擦りながら、下着姿で扉へと向かう。

こらこら、そっちは玄関だから。浴室はこっちだってば。

 

ウェンディを誘導してから、パンセちゃんのことを思い出す。

まだ学生だし、起床するにしてはこの時間は少し早過ぎる気がする。

そう思っていると、パンセちゃんは自然とベッドから半身を起こし、こちらを向いた。

 

「あ、おはようパンセちゃん。起こしちゃった?」

「むー・・・・・・ううん。おはよー、おねーさん」

 

言いながら、ウェンディに続いて洗面所に向かうパンセちゃん。

何だかんだ言いつつ、こうして見れば姉妹に他ならない。

1つ1つの細かい仕草がウェンディにソックリだった。

 

台所を借りて3人分の朝食を準備した後、私達は同じテーブルを囲んだ。

顔を洗って朝食を食べ始めたウェンディは、見違えるように復活してくれた。

 

「はー。何か久しぶりに温かい朝ご飯を食べた気がするわね」

「ごめんね、勝手に台所を借りちゃって」

「構わないわよ。こっちこそ助かるし・・・・・・ウチ、こんなにポテト余ってたっけ。パンセが買ってきたの?」

「あたしじゃないわよー。おねーさんが持ってきたんだよね?」

「あ、あはは」

 

ロクな準備をしていなかった私が持参したのは、最低限の着替えと日常品。

そして食堂にあった、ほっくりポテトが詰まった麻袋。何故それを取ったのかはよく分からない。

お腹を空かせた住民のために。そんな安易な発想だったのかもしれない。

まあポーラからのお裾分けの行き場に困っていたし、丁度良かったと思えばいい。

ポテトサンドにポタージュ、サラダ。ユーシスが見たら発狂しそうな光景だった。

 

「それで、ユイは何でクロスベルに来たの?しかもこんな大変な時に」

「昨日話したじゃん・・・・・・それと、ユイじゃなくてアヤ」

「ああ、ごめんごめん」

 

私は昨晩に続いて、クロスベルを訪ねた経緯を打ち明けた。

2人もクロスベル市の現状を話してくれた。現地で暮らす2人の生の声は、大変貴重だった。

 

損壊した建物や設備は、まだ再建の目途が立っていない。

まずは被害に遭い居場所を失くした市民の生活と、負傷者の手当てが最優先。

それらを支えるには、麻痺してしまった交通網と、生活基盤の復旧が求められる。

 

幸いにも市外には大きな被害が無く、各地から支援の手が届けられていた。

一部手付かずの街区はあるものの、順調にライフラインは回復しているとのことだった。

 

「人手はあるけど、導力機器の修復がどっさりとウチに回ってくるのよ。おかげでフル残業もいいところだわ。本業でもないし、残業代が出るのか心配ね」

「本当にお疲れ様。これ、余分に作っておいたから、お昼にも食べてよ」

「え、ホント?」

「夜も何か作ろっか。お世話になってる身だしね」

「・・・・・・ねえ。私達、結婚しない?」

 

間に合ってます。

言いながら、黙々と朝食を口に運ぶパンセちゃんに視線を移す。

美味しく頂いてくれているようだが、口数は少ない。私のことは、よく覚えていないらしい。

最後に会ったのはもう7年前。彼女がまだ5~6歳ぐらいの頃の話になるし、無理もない。

 

「お姉ちゃん、今日もおそいの?」

「多分ね。今日はアヤがいるから、ご飯はアヤと食べるといいわ。レイテさんには今度お礼を言っておくから」

「・・・・・・分かった。そーする」

 

あの頃から、パンセちゃんの口癖は『お姉ちゃんみたいにはならない』。

フェイさんの熱心な教育の甲斐なく、全く導力機器に興味を示さなかった。

その態度は今も変わらない。そうウェンディに聞かされていた。

 

ただ、今のパンセちゃんからは、そういった嫌悪は感じられない。

寧ろウェンディに対し、思うところがあるように見受けられる。

身を粉にして故郷のために働く姉の姿から、何かを感じ取ったのかもしれない。

 

「それで、こっちに来てから誰かと会った?」

「まだ誰とも。気にはなるけど、みんな無事みたいだしね。邪魔しちゃ悪いと思って」

 

昨晩の遅くに来訪したこともあり、2人以外の知人とはまだ顔を合わせていない。

会いたいと思う気持ちはある一方で、今は誰もが復興作業で多忙の極みなのだ。

郷愁に駆られて動くわけにはいかない。幸いにも、知人の中で被害にあった者はいなかった。

 

「そうかしら。私はみんな喜ぶと思うわよ」

「うーん・・・・・・まあ、少し考えてみる。ねえウェンディ、あの写真なんだけどさ」

 

それは木製のボードに、ピンで留められた複数枚の写真。

半分はウェンディらが写った家族写真。もう半分は、ある飛空艇の写真。

初めはカレイジャスかと見間違えた。が、形状や色合いが異なっていた。

 

「ああ、ほら。通商会議でリベールからお偉いさんが来たでしょ。その時に撮った写真よ」

 

大陸最速の翼、アルセイユ。

写真とはいえ、その全貌を目にしたのはこれが初めてのことだった。

ウェンディ曰く、お店の展示用カメラを拝借して、夢中になって撮りまくったそうだ。

細かな違いはあるものの、こうして見ればカレイジャスと瓜二つだった。

 

「思えば今年に入ってから色々あったわね。アヤが戻って来てくれたことも、その1つだけどさ」

「あはは、私もそう思う。帝国もそうなんだけど、クロスベルも、ね」

 

教団事件に通商会議。そして今回の襲撃事件。

新聞や雑誌、そしてロイドからの手紙で知り得た様々な事件に出来事。

帝国に負けず劣らず、この1204年は、激動の年のように思える。

 

それらはバラバラなようでいて、どこかで繋がっている。

帝国解放戦線。身喰らう蛇。その毒牙に、このクロスベルまでもが侵されている。

どこでどう繋がっているのか。それを知る由が、私には無い。

 

「あ、私はもう行かなきゃ。ごめん、後片付けも任せちゃっていい?」

「勿論。行ってらっしゃい、ウェンディ」

「が、がんばって。お姉ちゃん」

 

私とパンセちゃんに見送られながら、ウェンディが急ぎ足で部屋を後にする。

私もそろそろ行動しよう。何せ滞在時間は限られている。

目的はあくまでクロスベル市の復興支援。そのために遠路遥々足を運んだ。

 

だが一方で、確かめたいことがある。噂の真意を確かめる必要がある。

私が持つ人脈は2つ。2つの目的を達成するには、やはり両者を訪ねるしかなかった。

 

__________________________________

 

「・・・・・・来ちゃったよ」

 

結局、来てしまった。

2つの人脈のうちの1つ。2つの目的のうちの、1つを叶えるために。

築30年以上が経つ、旧クロスベル通信本社。そして、現特務支援課ビル。

3ヶ月前にも足を踏み入れた建物が、目の前に佇んでいた。

 

こうして来てみたはいいものの、まるでキッカケが掴めない。

支援課のリーダーが幼馴染。ほとんど部外者と言ってもいい。

こんな大変な時期に訪ねていいものかどうか、判断が付かなかった。

まだ早朝なこともあって、通信で連絡を取るのも気が引けた。

 

「うーん・・・・・・うん?」

 

玄関前でうんうんと唸っていると、背後から気配を感じた。

振り返ると、そこには超然とした雰囲気を纏う、大きな警察犬の姿があった。

 

「あ、本体さん・・・・・・じゃなくて、ツァイト。久しぶりっ」

「がるるっ」

 

屈みながら、頭の上にそっと右手を乗せる。

噛み付かれないか冷や冷やしたが、見た限りでは敵意は感じられない。

あるわけないか。それに、すっかり忘れていた。

確かめたいことが、目の前にも存在していた。

 

「ねえ、あの小鳥。ランって呼んでるけど、あれって本当にツァイトの分身なの?」

 

返事がない。唯の警察犬のようだ。

そんな誤魔化しが通用するわけがない。喋っている時点で唯の鳥ではないし、犬ではない。

もふもふと、その深い毛並みを手で弄り遊ぶ。ノルドの羊を思い出してしまった。

 

「何か言ってよ。この間も変なこと言ってたし、気になるんだから」

「・・・・・・」

「私の胸の間によく入ってくるけど、ツァイトも変態さん?」

「がるるっ!?がうっ!」

 

突然牙を剥いたツァイト。否定しているのだろうか。

少なくとも、私の言葉を理解しての反応だろう。やはり普通ではない。

それにこれは、確かな感情に他ならない。人が発するそれと、何も変わりはしない。

 

いずれにせよ、怒らせたままでは話が進まない。が、からかってみるとこれは面白い。

うりうりと、ツァイトの顔を胸元へと埋める。そんなことをしていると―――

 

「ツァイト、朝っぱらからうるさいです」

 

―――声と共に、玄関の扉が開かれた。1人の少女が、その先に立っていた。

視線が重なり、たっぷり数秒間の沈黙が訪れる。

その空気に耐えきれず、私は口を開いた。

 

「あ、あはは。その、おはようございます」

「・・・・・・おはようございます」

 

とりあえずの朝の挨拶。それが言えただけでも上出来かもしれない。

対する少女も、訝しむような表情で私に応えてくれた。

当然その先が続かない。早朝から玄関先で、犬に胸元を押し付ける、見知らぬ女性。

傍から見れば、不審者ととられてもおかしくはない。いや、どう見ても不審者だ。

 

「あのー、どちら様ですか」

「えーと。私、ロイドの知り合いで。彼、いますか?」

「ロイドさんですか。はい、いますけど・・・・・・」

「あー!アヤだー!」

 

ミリアムを思わせる快活な声が、周囲に響き渡る。

続いてシーダのように、腰元へタックルのごとく抱きついてくるもう1人の少女。

ライムグリーンの鮮やかな長髪と、純粋無垢な笑顔。忘れるはずがなかった。

彼女も3ヶ月前の来訪を、まだ覚えてくれていたようだ。

 

「あはは。久しぶり、キーアちゃ―――」

「き、キーア!不審者に抱きついては駄目です!」

 

すぐさまキーアちゃんを引っぺがしに掛かる少女。

言葉に出されると辛いものがあった。やはり私は不審者だった。

 

私達のやり取りを聞きつけたのか、後方からぞろぞろと男女の姿が集まってくる。

その中に、お目当ての男性がいた。3ヶ月前と、何も変わってはいなかった。

 

「あ、アヤ?アヤなのか!?」

「はぁ・・・・・・久しぶり、ロイド」

 

大きな溜息を付きながら、正面の男女らを改めて見詰める。

合計で7名。その遥か後方に、煙草を咥える課長さん。

全員、美男美女揃いだなぁ。そんな詮無いことを考えてしまった。

 

_______________________________

 

ロイドのおかげで、私の身元は皆の知るところとなった。

全くの初対面ならまだしも、課長さんやキーアちゃんとは面識がある分、話はスムーズに進んだ。

それに通信を介して、この中の何人かとは既に会話を交わしていたことも、いい方向に働いた。

 

「というわけで、今回は復興作業をお手伝いするために来ました。どこかでお会いするかもしれませんし、その時は宜しくお願いします」

 

挨拶と同時に頭を下げると、ぱちぱちと拍手の音が耳に入ってきた。

漸く好意的に受け入れて貰えたようだ。少なくとも不審者の域は脱することができた。

 

私に続いて、支援課の面々も一言二言の挨拶を私に送ってくれた。

当然だが、私の中では既に名前と顔が一致していた。

設立当初の4人は、クロスベルタイムズでも大々的に取り上げられていた。

後に加わった2人についても、ロイドから話に聞いていた。

 

「ふふっ、先々月ぐらいかしら。支援課に通信を掛けてきたのは、アヤさんだったんですね」

「そうですね。夜分遅くにすみませんでした」

 

エリィ・マクダエルさん。

かのヘンリー・マクダエル州議会議長の孫娘であり、支援課の初期メンバーの1人。

年下とは思えない程に大人びていて、超が付く美人さん。

そんな彼女が何故警察官になったのか、少しだけ気になるところではある。

 

「いやー、ロイドにこんな可愛い子ちゃんな知り合いがいたとはな。今度俺とデートでもどう?」

「あはは。同じ口説き方をされたって、ウェンディが言ってましたよ」

 

ランディ・オルランドさん。

元々は警備隊に所属していたそうで、今は支援課の年長者。頼り甲斐のある兄貴分。

そうロイドから聞かされていたが、随分と軽いノリが目立つ男性だ。

ガイウスの中身をクロウにしたら、こんな風になるかもしれない。うん、止めよう。

 

「・・・・・・先程はすみませんでした」

「ううん、私の方こそ突然訪ねちゃってごめんね」

 

ティオ・プラトーちゃん。

その幼い外見とは裏腹に、少女らしからぬ言葉遣いが特徴的な女の子。

支援課に来る前は、エプスタイン財団に身を置いていたらしい。

まだシーダより少し上ぐらいの年だろうに、やはり支援課に来た理由が気にはなる。

 

「士官学院・・・・・・軍人を養成する学校ですね。話には聞いたことがあります」

「私の場合、軍を目指しているわけではないんですけどね。進路は色々あるんですよ」

 

ノエル・シーカーさん。階級は曹長。

先々月から支援課に入った新メンバーで、ランディさんと同じく、元警備隊所属。

今は出向という形で、支援課の活動を通して勉強中と聞いていた。

若手の中では将来を期待されており、導力車の運転技術に秀でているそうだ。

その真っ直ぐな目と雰囲気からは、ラウラを思わせる何かがあった。

 

「先々月はどうも。君の恋人には宜しく言ってくれたかい?」

「言ってないよ・・・・・・」

 

アンゼリカ―――じゃない。ワジ・ヘミスフィア君。

元不良グループの長、副業でホストというまるで理解が及ばない経歴の持ち主。

一応、他方面からの推薦で支援課のメンバーに加わったという話ではある。

先々月の会話では、何やら意味深なやり取りがあった。あれは一体何だったのだろう。

 

「アヤは準遊撃士見習いの資格を持ってるんだ。きっと復興の力になってくれると思うよ」

 

リィン―――じゃないってば。ロイド・バニングス。

昔と何も変わっていない一方で、同じ警察官だったお兄さんの面影がある。

私の後ろを走っていた彼はもういない。支援課のリーダーとして、立派に働く男性に他ならない。

そして平然とした顔で甘い台詞を吐く。3ヶ月前、ついつい想い出に浸ってしまった。

 

ともあれ、一度ロイドの職場の面々と会ってみたいとは思っていた。

実動隊が6名に、課長さんが1人。そしてキーアちゃん。

これがクロスベル警察、特務支援課。私達《Ⅶ組》を連想させた。

誰もが異色の経歴を持ちながらも、その絆は強いように感じられた。

 

そんな中、私達のやり取りを後方で聞いていた課長さんが、咥えていた煙草を持ちながら言った。

 

「遊撃士か。あいつらも猫の手を借りたいぐらいだろうからな。力になってやるといい」

「そう言って貰えると嬉しいです。できる限りの助力をさせて頂きます」

 

話に聞いていた通り、遊撃士協会とはいい間柄を築けているようだ。

私が動くことでロイド達の負担が減るなら、尚更頑張るしかない。

 

そう考えていると、ワジ君が右手を挙げながら言った。

その表情は先程までとは打って変わって、真剣そのものだった。

 

「でも、君が帝国人だってことは、伏せておいた方がいいんじゃない?」

 

彼に釣られて、皆の表情も固まった。空気も変わった。

それが意味するところは、1つしかない。

 

「おいワジ。そういう言い方はないだろう。アヤは―――」

「いいよロイド。私も噂ぐらいは聞いたから」

 

初めて耳にしたのは、列車の中。次に、ウェンディの口から直接聞いた。

実しやかに流れるその噂を考えれば、このクロスベルにとって、帝国人は紛れもない敵。

私が何を言ったところで、否定はできない。真実は私には知り得ない。

身元を伏せた方がいいのなら、私は喜んで従うつもりだった。

 

「ま、その辺は別としてだ。復興が進んでるって言ってもまだまだ時間掛かっちまいそうだし、人手が増えるんなら素直に喜んでいいんじゃねえの?」

「そうね。わざわざ帝国から足を運んでもらった以上、私達は彼女に感謝すべきだわ」

「いえ、私は別に気にしてないですよ」

 

それは本心だった。

変に気を使われるよりかは、ワジ君のようにハッキリと言ってくれた方が寧ろスッキリする。

彼も悪気があったわけではないはずだ。憎まれ役を買って出てくれたと考えた方がいい。

 

「アヤ、ワジにいじめられたの?」

「ううん、違うよキーアちゃん・・・・・・私、ワジ君の言う通りにするよ。客観的に考えて、私もそうした方がいいと思う」

 

私が視線を送ると、ワジ君が肩を竦める仕草を見せる。

随分と損な役回りをする。この辺はユーシスに似ているかもしれない。

 

感心していると、隣に立つロイドが私の肩を叩きながら言った。

 

「宜しくお願いするよ、アヤ。それで、今日は何か用があって来たのか?」

 

周囲の視線が、私へと一手に注がれる。

別に幼馴染に会いたかったわけではない。当然、目的はある。

ただこの場合、皆の前で口にするのは躊躇われた。変な誤解を生む恐れもある。

だから私は口を手で囲みながら、ロイドの耳元で囁くように言った。

 

(今晩、2人っきりで話がしたいんだけど。時間作れる?)

「え?2人っきりで話って、何か相談でも―――ぶほぁっ!!?」

 

思わず本気で拳打を叩き込んでしまった。

どうしてわざわざ復唱する必要がある。それぐらい察しろ。

恐る恐る背後を振り返ると、キーアちゃんを除いた全員が、所謂ジト目で私達を見ていた。

とりわけエリィさんが、勘ぐるような目で私を見てくる。誤解だってば。

 

不穏な空気が流れ始めたところで、課長さんが手を叩きながら話の方向を変えた。

 

「まあ長話もなんだ。おいノエル、お前も何か話したいことがあるんだろ」

「え?」

「顔にそう書いてあるしな」

 

今度は私を含めた7人分の視線が、ノエルさんへと向いた。

彼女はやや俯いた姿勢で、考え込むような素振りを見せた後、再び顔を上げた。

 

「随分と悩みましたけど・・・・・・昨晩、決めました。あたし、警備隊に復帰しようと思います」

 

その目からは、確かな決意と意志が力強く感じられた。

延期された住民投票を3日前に控えた、早朝の出来事だった。



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復興支援②

遊撃士協会、クロスベル支部。

ここクロスベルで暮らす住民にとって、遊撃士は国際的な問題から頼りにされることが多い。

この年になって、その意味合いを漸く理解しつつあった。

 

帝国派と共和国派。

2つの派閥を持つこの自治州は、両者からの圧力としがらみによって、常に揺れ動いている。

そこには安定など無い。政治基盤は極めて弱く、住民からの信頼も薄い。

だからこそどちらにも属さない、信頼に値する第3の力を欲しているのだろう。

 

そう考えてみれば、革新派と貴族派が火花を散らす帝国も、同じなのかもしれない。

異なるのは第3の力。抑止力であったはずの遊撃士が、姿を消したことに他ならない。

 

「失礼しまーす・・・・・・」

 

東通りに本拠地を構える、クロスベル支部。

記憶の中のそれと今でも変わりはない。強いて言うなら、外壁の塗装が真新しいぐらいか。

扉を開けると、一気に様々な記憶が思い起こされていった。

 

「あらいらっしゃい。見ない顔ね?」

「えっと、おはようございます」

 

受付けのカウンターに立つ女性―――もとい、男性。

その特徴的な出で立ちも、7年前の通りだった。

男性は私の顔を見ると、ペンを取りながら室内の時計へ視線を移し、書類にペンを走らせ始める。

 

「依頼があるなら、アタシが聞いてあげるわよ。ウチは初めて?」

「いえ、依頼があるわけじゃないんです」

 

慣れた手つきで書類を用意し始めたその手が、私の声でピタリと止まった。

見ない顔。彼は今そう言った。一目で思い出して貰うには、やはり時間が流れ過ぎている。

こうして顔を合わせたのも、おそらく数回しかないはずだ。

 

「私はユイ。ユイ・シャンファです。お母さん・・・・・・ランの娘です。覚えて、いませんか?」

 

お母さんの名を口にした途端、男性の手にあったペンがコトリと、床に落下した。

私の顔と名前だけでは、こうはいかなかったかもしれない。

この場所には、お母さんの名が今も息づいている。それが肌で感じられた。

男性の表情も見る見るうちに変わっていき、やがてその手がそっと、私の頬に触れた。

 

「ユイ・・・・・・ユイちゃん。あらヤダ、本当にユイちゃん!?ユイちゃんなのね!?」

「は、はい!ユイでって痛たたたた!?」

 

カウンター越しに抱きつかれ、身体が海老反りの形に曲げられた。

こんな姿勢では息ができない。完璧に極まってしまっている。

こちらも感極まってはいるが、頼むから落ち着いてほしい。

 

落ちる一歩手前で解放された私は、呼吸を整えながら改めて名を名乗った。

まずは私をアヤと呼んでほしい。そんなお願いに、ミシェルさんは2つ返事で了承してくれた。

 

「あなたの話は随分前から聞いていたのよ。8月にも一度、こっちに来ていたんでしょう?どうして顔を出してくれなかったの?」

「あ、あはは。その、あの時は深い事情があったので」

 

ロイドと一緒に、両親の墓参りに向かった時のこと。

あの後、私はこのクロスベル支部に、挨拶へ向かう予定だった。

だが私は思い立ったが最後、全速力でクロスベル駅へと向かい、帝国に帰ってしまったのだ。

何を隠そう、想い人に告白するためだった。話せるわけがないし、今思えば不義理極まりない。

 

大まかな事情は既に聞かされていたようで、私は掻い摘んで身の上話を打ち明けた。

お母さんが亡くなった後、私は帝国で独り生き延びていたこと。ノルド高原に流れ着いたこと。

そして現在、士官学院の学生として生活していること。

一連の話を、ミシェルさんは穏やかな笑みを浮かべながら聞いていた。

 

ミシェルさんも、私とお母さんが行方知れずになった後のことを話してくれた。

オーツ村の惨劇の後、このクロスベル支部から帝国の各支部へ、ある捜索依頼が伝わった。

遺体が確認されていない以上、お母さんの1人娘である私が、帝国のどこかにいるはず。

そんな内容が国中へ広がったものの、結局私の所在は掴めず仕舞いだった。

次第にユイの名は忘れ去られ、このクロスベル支部だけが、希望を捨ててはいなかった。

 

事が動いたのは、その7年後。

遊撃士と繋がりを持つ者の中で、初めて私の素性に触れたのが、サラ教官だった。

教官は直にクロスベルを訪れ、唐突にある申し出を、ミシェルさんに願い出ていた。

 

「それって、もしかしてこれのことですか?」

「ええ、そうよ。突然そんなお願いをされて、戸惑っちゃったわ」

 

私が取り出したのは、お母さんの遊撃士手帳。

5月末にサラ教官が私に贈ってくれた、数少ない思い出の品。

どうして教官がそれを入手するに至ったのか、漸く合点がいった。

そしてその際に、ミシェルさんは思い掛けない事実を知らされていた。

それが私。ユイではなく、アヤとして生きる私の存在だった。

 

―――その手帳を、あの子に託したいんです。この地を再び訪れる決心がつくその日まで、彼女の存在は伏せておいて貰えませんか。

 

「そうだったんですか・・・・・・改めてお礼を言わせて下さい。お母さんの遺骨を引き取って、お墓を建ててくれて。実家の方も、この支部の皆さんが管理して下さっていたと聞いています」

「お礼なんていいのよ。ここで受付け役を任されてから、ランさんにはお世話になりっ放しだったしね。それにアタシからも、お礼を言わせてちょうだい」

 

無事に帰って来てくれて、ありがとう。

ミシェルさんは言いながら、目元に浮かべた涙を人差し指で拭った。

 

今でもよく覚えている。

あれは私がまだ10歳になる前、ドシャ降りの雨音が外から聞こえてくる日のことだった。

今日は早く帰ると言っていたはずのお母さんが、陽が暮れても一向に姿を見せない。

心配になった私は、傘も持たずに単身、このクロスベル支部へと足を運んだ。

その際、びしょ濡れの私を出迎えてくれたのが、受付け役を始めたばかりのミシェルさんだった。

 

「そんなことがあったわね。あなた、アタシを見た途端に泣きだしちゃうんだから、驚いたわよ」

「無理もないと思いますけど。初見のミシェルさんは迫力あり過ぎです」

「言うようになったじゃない。ま、否定はしないけどね」

 

お互いに笑いながら、昔話に花を咲かせ始める。

本当に、もっと早くここへ来るべきだったと思う。随分と時間が掛かってしまった。

 

それにこの人にも、話しておくべきだ。

そう思い、私は右手で胸ポケットにある、もう一冊の遊撃士手帳を取り出した。

そして背負っていた長巻を一振り、左手に。

ミシェルさんは食い入るように、交互にその2つを見詰めていた。

 

「この話、聞いてますか?」

「勿論よ。遊撃士協会は横の繋がりがとても強いの。あなたのことも聞き及んでいるわ。でも改めて、アヤ。あなたの口から聞かせて貰えるかしら」

 

自然と、ミシェルさんの頭上へ視線が移った。

そこには横長の板が掲げられ、遊撃士協会規定基本3項目が、達筆な字で書かれていた。

 

不思議な感覚だった。昔はお母さんの職場でしかなかった。

でも今は、私の番。頭上に掲げられた理念に則り、役目を全うする番だ。

 

「私、お母さんと同じ道を歩きます。まだ仮ですし、正式な資格ではありませんけど・・・・・・この街のためにできることがあるなら、私も力になりたいんです。今日はそのために来ました」

「・・・・・・もう。年を取ると、涙腺が緩んで仕方ないわね」

 

記憶が正しければ、まだ30を過ぎたばかりだろうに。

私が選んだ将来を、こうして喜んでくれる人がいる。それだけで、こちらも涙が零れそうになる。

 

ミシェルさんによれば、この支部に籍を置く遊撃士は出払っているそうだ。

復興支援に加えて、遊撃士としての通常業務の数々。予想通り、人手が足りていないらしい。

 

「あなたに正式な依頼を任せるわけにはいかないけど、復興作業の支援依頼は山積みで、後回しになっているものが多いのよ。あなたにはそれを手伝って貰うわ」

 

ミシェルさんが書類の束をペラペラと捲り始める。

その中から3~4枚の書類を取り出し、別の白紙へとペンを走らせていく。

おそらく寄せられた依頼内容を、別紙へと転記しているのだろう。

 

「アヤ。あなた自炊派?それとも買い食い派?」

 

突然選択を迫られた二者択一。何か関係があるのだろうか。

どちらかと言えば前者だが、この場合、質問の意図は他にあると考えた方がいい。

 

「まあ、人並み程度の料理経験はあると思いますよ」

「それで十分よ。まず初めに、ここにある住所に向かってちょうだい。話はそこで聞けると思うわ」

 

手渡された書類へ視線を落とす。

アパルトメント『ロータスハイツ』。住所は旧市街区を示していた。

 

__________________________________

 

クロスベル市、旧市街区。

自由貿易都市として急激な発展を遂げた輝かしい一面の裏に、クロスベルが持つもう1つの顔。

住民は主に貧困層。開発から取り残された街区とあって、周囲に漂う空気は重い。

 

3ヶ月前にクロスベルを訪れた時、その余りの変わりっぷりに驚愕した。

一方の旧市街は、今も昔も変わらない。そう聞いていたはずだった。

と言っても、私はこの街区にほとんど足を踏み入れたことがない。

 

「何・・・・・・これ」

 

眼前に広がる、瓦礫の山々。以前の姿を知り、見比べる必要は無かった。

建物の多くが、跡形もなく倒壊していた。炭と化した木材の、焦げ臭さが充満していた。

中心街で聞こえる導力式の駆動音は聞こえない。耳に入ってくるのは、人工的な音だけ。

別世界だった。これが同じ市内の光景だなんて、誰が信じる。

少なくとも復興や再建の兆しは、どこからも見受けられなかった。

 

恐る恐る、道行く人々の邪魔にならないよう歩を進めていく。

やがて目に止まったのは、瓦礫の山を熱心に掘り返す、1人の少年の姿だった。

その両手は灰と泥に塗れ、痛々しい生傷まであった。

 

「えっと。君、ここで何をしているの?」

 

膝を曲げて視線を合わせると、少年は私の顔の前に1本の釘を差し出してくる。

 

「まだ使えそうな鉄材を探してるんだ。ほら、たくさんあるでしょ?」

 

少年の足元には、釘を初めとした鉄材が入った空き缶が置かれていた。

その隣には、同じ型の空き缶。中身は錆びてボロボロか、或いは折れ曲がり使えそうにない釘。

量は圧倒的に後者が多かった。この瓦礫の中から、年端もいかない男の子が、たった1人で。

そう考えただけで、胸が締め付けられる思いだった。

 

「ねえ君、名前は?」

「僕はカノン。おねーさんは?」

「私はアヤ。カノン君、私に両手を見せてくれるかな」

 

カノン君の手を取りながら目を閉じ、呼吸法を変える。

鍛錬を重ねたことで、軟気功を他者に施せることができるようになっていた。

実戦では使い物にならないが、掠り傷程度なら、私の術でも手が届く。

首を傾げるばかりだったカノン君は、すぐに自身の手の異変に気付いたようだった。

 

「すごい。これ、オーバルアーツ?」

「ちょっと違うけど、すぐに効き目があるから便利だよ。それじゃあ、頑張ってね」

 

止めるわけにはいかない。それは私の勝手でしかない。

多分、この街はそうなのだろう。年齢や性別は関係ない。

道を踏み外さないギリギリのところで、形振り構わず精一杯生きる。

帝国で独りになった私もそうだった。生きるためなら木の根を齧り、泥水を啜った。

 

カノン君の背中を見守っていると、不意に声と、音が聞こえた。

いくつもの音が連なり重なり、やがて心地良い旋律となり、胸の中に浸透していく。

間違いない。誰かが楽器を奏でながら、それに合わせ複数人が歌っている。

引き寄せられるように、私はその発生源へと歩を進めた。

 

そこには1人の女性が立っていた。

確かあれは、鍵盤ハーモニカという楽器だったか。

器用に片手で鍵盤を叩きながら、軽快なメロディが周囲に響き渡っていく。

そんな女性を囲むように、子供達が愉快な声で歌っていた。

中心の女性が足踏みでリズムを刻み、それに合わせて子供達がぐるぐると回る。

 

(あはは、楽しそう)

 

そこだけ世界が違っていた。色付いていた。

街中に漂う重々しく黒々とした空気が、その空間には微塵も無かった。

子供達の目もきらきらと輝き、活気が溢れていた。思わず手拍子で参加しそうになる。

どんな女性が弾いているのだろう。そう思い、顔を窺おうとした、その時。

 

「え?」

 

女性の顔に、見覚えがあった。

それに、彼女が身に纏う制服も。先月の中旬に、私は彼女と会話を交わしていた。

見間違えるはずがなかった。

 

「リリ・・・・・・リリさん、だよね?」

「へ?」

 

声と共に、ピタリと演奏が止まる。

途端に子供達から、不満の声が上がり始めた。

構うことなく、女性―――リリさんは、私の下へと駆けより、首に腕を回しがら言った。

 

「アーやん!?アーやんやん!何や、こんなところで何しとん!?」

「うわわっ」

 

やんやんやん。頭の中でこだまする、生まれて初めての呼び名。

戸惑うばかりの私は、やはり戸惑いながら驚くことしかできなかった。

交流会以来、約1ヶ月振りとなる再会だった。

 

_____________________________

 

「いやービックリしたわ。アーやんもクロスベルに来とったんやな」

「昨日の深夜にね。規制が解除されてから飛んできちゃった」

「私も似たようなもんやで。おかげで財布がスッカラカンでなー、稼がんと帰れへん」

「・・・・・・あ、そう」

 

我ながら無計画な旅だとは思っていたが、それ以上が隣に座っていた。

お裾分けとして、用意していた昼食の一部を見せると、勢いよく口に運んだ。

今朝から何も食べていなかったらしい。本当に無茶をする。

リリはポテトサンドを頬張りながら、クロスベル入りした経緯を話してくれた。

 

音楽院1学年、文芸部所属。リリランタさん。通称リリ。さん付けは嫌いと今日知った。

クロスベル市旧市街区で生まれ育った彼女の両親は、今から約4年前に蒸発。

孤独の身に追いやられてから、1人この街で力強く生き長らえていた。

そんなリリに転機が訪れたのが、昨年度のクロスベル自治州、創立記念祭。

 

小遣い稼ぎにと、歓楽街でパレードに合わせ、歌声を披露していた時のこと。

帝国から来たという、音楽関係者を名乗る男性に声を掛けられ、将来音楽の道を目指してみないかと勧誘されたそうだ。

 

「へえ、すごいじゃん。じゃあその人にスカウトされて、音楽院に入ったんだ?」

「初めはそんなんええから金くれやー言うたんやけど、おっさんも退かんかってんな」

「・・・・・・え、断ったの?何で?」

「そらそやろ。知らん外人にホイホイついて行く程、私もアホやないし。怪しすぎや」

 

そういうものだろうか。まあ彼女の境遇を鑑みれば、無理もないかもしれない。

リリが言うように、音楽院は帝国の高等学校。クロスベルとは世界が違う。

歌声を買われたことが事実でも、簡単に故郷を離れられるとは思えない。

それに、彼女は一度捨てられた身。見知らぬ男性をすぐに信用できるはずがない。

リリにはリリの生きる世界がある。それが、この旧市街だったのだろう。

 

「でも、結局は音楽院への入学を決めたんでしょ?」

「せやなー。学費は免除して貰えるって聞いとったし、音楽も好きやったしな」

 

言いながら、リリの視線と指先が、前方の子供達の輪に向いた。

中心には、先程までリリが弾いていた鍵盤ハーモニカを操る、少女の姿があった。

覚束無い手つきながらも、しっかりと旋律を奏でていた。

 

「あの楽器な、オトンが唯一買うてくれた玩具なんよ。あれと歌うことぐらいしか遊び方知らんし、取り柄も無い。せやからまあ、そんなんもええかなーって。私って単純やろ?」

「・・・・・・そうかな。私はそうは思わないけど」

「そうやねんて。まあええわ、アーやんは何で旧市街におるん?中心街生まれなんやろ?」

 

リリに代わって、今度は私が旧市街へ足を運んだ経緯を話し始める。

私もクロスベル出身であることは、既に話してあった。

ここへ来たのは、準遊撃士見習いとして、遊撃士協会を頼った結果。

どんな形でもいいから、復興の手助けをしたい。そう考えての行動だった。

 

「私のお母さんも、ここで遊撃士をやっててさ・・・・・・それが、一番の理由かな」

「オカンの後を継いでってわけやな。あはは、私より単純な動機やんか」

「あ、あはは」

 

思わず眉間に皺が寄ったが、悪気があっての発言ではないのだろう。

思ったこと感じたことは、自動的に口に出てしまう人間。

似たような知人は周りにもいるが、こうも潔い人と出会えたのはいつ以来か分からない。

 

「でもさ、リリってすごいよ。楽器1つで、あんなことができるんだね」

「人間なんてそんなもんやって。私がぱっぱらぱー歌ってぷっぷかぷー弾けば子供らは喜ぶし、大人共は笑う。単純な生き物なんやで。ドローメ以下や」

 

エリオットに続いて、何故かドローメを引き合いに出すリリ。

音楽家はドローメが好きなのだろうか。そんなことは今どうだっていい。

 

「さーて。ほんならもう1曲、ドデカいのいくでー!」

 

腰を上げながらスカートの砂埃を払い、リリが再び子供達の中心に立つ。

先程よりも一際強く、流れるような旋律が、リリの鍵盤ハーモニカから発せられる。

子供達もそれぞれの道具を手に、好き好きな音を上げ始めた。

空き缶を叩く音。木材同士をぶつける音。食器や瓶、ガラス。バラバラな演奏。

 

リリは全身を使い、地面までもを道具の1つとしながら、丁寧に音を拾い始めた。

楽器とは呼べないガラクタ達から響く音が、次第に1つ1つ、重なりを見せ始めていく。

その全てが繋がった時、そこには小さな楽団があった。

いつの間にか1人、また1人とリリ達を囲む人間が増え、全く別の空間が形成されていた。

年齢や性別も関係ない、彩り豊かな世界が広がっていた。

 

人の感情は、確かに単純かもしれない。だがそう簡単に動きはしない。

リリの声と演奏に心を動かされる人々がいるとするなら、それは彼女の力に他ならない。

私が剣を握るように、リリにとってはそれが声であり楽器。

彼女は彼女にしかなし得ない形で、このクロスベルに光を当てようとしていた。

 

「・・・・・・ありがとう、リリ」

 

面と向かって言えば、きっとリリはそんな筋合いはないと言って怒るだろう。

それでも私は、彼女の来訪にありがとうを言いたい。

今この街区に必要なのは、明日への希望。眼前に沸き上がる活気は正にそれだ。

結局彼女は、クロスベルへやって来た理由を話してくれなかった。

聞く必要もないし、想像するに容易い。リリはそれを行動で教えてくれた。

同じ故郷を持ち、意志を共有できる人間が、帝国にもいる。その事実が私をも支えてくれる。

 

演奏が終わると、周囲の住民から大きな歓声が上がった。

リリは素直にその喝采を受け取り、八重歯を覗かせながら笑っていた。

すると子供達の中の1人が、やや不満気な表情を浮かべながら、リリのスカート引っ張っていた。

 

「何や、どないしたん?」

「リリおねーちゃん。私おなかへった」

「もう少し我慢しいや。何や知らんけど、後で豚汁が食えるらしいで」

 

豚汁、か。

五彩味噌を使ったスープは、クロスベルを離れてからは口にしていない。

一般的な調味料だと思っていたが、どうやら地域性のある物らしい。

 

「あっ」

 

豚汁で思い出した。すっかり忘れていた。

リリのように、私にだってやるべきことがある。

慌てて腰を上げ、私はミシェルさんから受け取った住所の下に疾走した。

 

_________________________________

 

私の準遊撃士見習いとしての初仕事は、先月末のラマール本線での戦い。

たった数分間の足止めとはいえ、多くの乗客の命を背負う、絶対に負けられない戦いだった。

そして今、支える籠手の紋章を賭した、2回目の戦いが始まっていた。

 

「アゼル君、そろそろお味噌入れよっか」

「そうだね。大分煮えてきたみたいだ」

 

アパルトメント『ロータスハイツ』の一室。

私はミシェルさんから任された依頼を達成すべく、鍋の中で煮え動く具材と睨めっこをしていた。

内容は炊き出しのお手伝い。旧市街の住民の空腹を満たすため、寸胴鍋一杯の豚汁を作っていた。

 

遊撃士の使命は、民間人の生活と平和を守ること。

そのためには高い戦闘力が必要とされる一方で、こういった生活力さえもが求められる。

1つの能力や知識に特化しがちな軍人と違い、全般的な技能を養わなければならない。

要するに、命がけで剣を振るうこともあれば、豚汁を作ることもある。それだけの話だ。

 

「アヤさん、味見をお願いできるかい」

「え、いいの?」

「さっきからソワソワしてるし、食べてみたいのかなって思ってさ」

 

正にその通りなのだが。

初対面の男性に見抜かれていたともなれば、気恥ずかしいものがある。

まあ味見も重要な手順の1つだ。ありがたく頂こう。

汁を一口分だけ小皿へと取り出し、そっと口の中へ啜った。

 

「どう?」

「・・・・・・んぁ」

「えっ」

 

あー、これはやばい。やばいやばい。リリ風に言うと、これアカンやつや。

野菜と肉の旨味、味噌の風味が合わさって、言葉にならない。

豚汁は世界を救えると、今この瞬間だけは自信を持って言える。

最後に投入された『にがトマトペースト』だけが気掛かりだったが、心配は無用だったようだ。

 

「バッチリ。少しだけ煮込んだら持って行こう」

「よし、じゃあ僕は食器の準備をしておくよ」

 

アゼル君はそう言うと、慣れた手付きでテキパキと準備を進めていく。

調理の合間にできることは済ませてしまうところといい、大分手慣れているように思える。

 

「近くのバーでアルバイトをしてるからかな。それに、昔はよく姉さんの手伝いをしててさ」

「ふーん。お姉さんとここで暮らしてるの?」

「いや、実家はアカシア荘だよ。弟と3人で暮らしてるんだ」

 

アカシア荘。なら、アゼル君は東通り出身だったか。

炊き出しを任されているぐらいだから、ここで暮らしているとばかり思っていた。

それにしても、彼のお姉さんの名前には聞き覚えがある気がする。

 

「サリナ・・・・・・ああ、サリナさん?サリナさんなら知ってるよ」

「あれ、そうなの?」

「うん。日曜学校で何回かお世話になったと思う」

 

あれは私が10歳になる頃までの話だ。

日曜学校でも年長者であったサリナさんは、面倒見のいいお姉さんとして慕われていた。

と言っても、彼女は私のことを覚えていないかもしれない。

私自身名前を出されても、思い出すまで大分時間が掛かってしまった。

 

「3人暮らしかぁ。実家の方も大変なのに、炊き出しを買って出るなんて、働き者だね」

 

感心していると、アゼル君の手が止まった。

表情には笑みが浮かびつつも、その裏にはどこか寂しげで、悩ましい影が映っていた。

 

アゼル君は以前、あのワジ君が率いる不良グループに身を置いていた。

何が気に入らなかったのか。どうしてそんな真似をしていたのか。それは今でも分からない。

その話だけは、調理の最中に話してくれていた。

 

「1月の終わり頃だったかな。この旧市街でとある事件があって、大怪我を負ったことがあってさ。姉さんに散々迷惑を掛けておいて、その上気苦労まで・・・・・・流石にあの時は後悔したよ」

「・・・・・・そっか」

「だからアルバイトの件も、その償いみたいなものなんだ。褒められたものじゃないよ」

 

アゼル君は言いながら、自嘲気味に乾いた声で笑った。

人によっては、情けないと感じてしまう話なのだろうか。

私にはそうは思えなかった。

 

「それでも、私はすごいと思うよ」

「え?」

「償おうって思うだけなら簡単だけど、アゼル君はそうじゃないでしょ。それにほら、この豚汁。すごく美味しいしね」

 

豚汁が美味しい。その言葉にアゼル君は首を傾げてしまった。

我ながらよく分からない言い回しをする。まあ美味しかったのは事実だ。

少なくとも彼は、過去と向き合っている。今はそれで十分だと思う。

 

「思い出すなー。私も16歳ぐらいの頃は、煙草とお酒が大好きな非行少女だったんだよ」

「え・・・・・・え?嘘だよね?」

「あはは、ホントホント」

 

酒が好きなのは今も変わらない。が、喫煙歴だけは思い出したくない。

流れ着いた先のノルド高原。ガイウス達と出会うまでにポイ捨てした吸い殻は、土に還らない。

今でも払拭できない過去の汚点だ。できることなら、1つでも多くを拾い上げたい。

 

「とりあえず、今は炊き出しのことを考えようよ。もう豚汁もいいんじゃない?」

「あ、そうだね。じゃあ僕は中身を小鍋に移すから、2鍋目の準備をお願いできるかな」

「・・・・・・2鍋目?これで終わりじゃないの?」

 

寸胴鍋の中身をいくつかの小鍋に移しながら、アゼル君が説明してくれた。

前回炊き出しを行った際、量が不足してしまい、約半数の住民にしか行き渡らなかったそうだ。

受け取れなかった住民からは不平不満が続出し、危うく騒動になりかけてしまった。

今回は万全を期して、前回の倍以上の量を仕込む予定だった。

 

「あれ。でも材料がもう無いよね。どうするの?」

「ああ、それならもうそろそろ届くと思う・・・・・・っと、来たみたいだ」

 

言い終えると同時に、コンコンと扉をノックする音が聞こえて来る。

その材料とやらが届いたようだ。私は急ぎ足で音の下へ向かい、扉を開けた。

扉の先には、両腕と胸一杯に袋を抱えた、2人の男女が立っていた。

 

「・・・・・・何してるの、2人とも」

「は、早く中に入れて下さい!」

「同感だね。そろそろ腕が痺れてきたよ」

 

ノエルさんとワジ君だった。



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復興支援③

※ファルマガ掲載「ノエルの休日」の設定をお借りしています。


旧市街区と市政府。お互いが不干渉に徹することで形成された、クロスベル市の孤島。

非衛生、暴動、貧困、犯罪。自由と呼ぶには、余りにも荒廃した世界。

それはこの街区で暮らす住民達が求め、受け入れてきた現実でもある。

頼れるのは自分自身だけ。その覚悟で、誰もが目の前の今日を精一杯生きていた。

 

今となっては、部外者である私ですら、声を上げたくなる。

保障も補助金も出ない。外部業者を頼るお金も無い。瓦礫の山を片すだけで1日が終わる。

私にできることは、一体何なのか。過度な干渉は、同情や偏見と取られかねない。

 

それはきっと、リリの行動の中に答えがあるように思えた。

立ち上がるのは彼ら自身。私達はその手助けをすればいい。

だから私は、1鍋目よりも倍量の『にがトマトペースト』を、豚汁へ溶かし込んでいた。

 

「はーっ。温まるなぁ」

「シンプルだけど、その分素材の味が楽しめるよ。これはいい物だね」

 

器に盛られた豚汁を啜り、ノエルさんとワジ君が温かな息を吐いた。

味に影響は出ていないようだ。よし、これならいける。

 

時刻は既に昼時。

最初に作った豚汁は順調に減っていき、今は私が仕込んだ2鍋目が振る舞われていた。

1人1杯という制限はありながらも、行列は途切れることなく、長蛇の列が形成されていた。

 

「でも、私達まで頂いてしまっていいんですか?」

「勿論。2人が調達してくれた素材を使ってるんだし、誰も文句は言わないよ」

 

2人掛かりでやっと持てる量の具材を、全て惜し気もなく使ったのだ。

余ることはあっても、足りなくなることはないだろう。

それなら、2人にも味わって貰うのが筋というものだ。誰にも文句は言わせない。

 

豚汁の素材調達は、特務支援課に寄せられた正式な依頼だったそうだ。

市民の些細な要望から魔獣討伐まで、あらゆる任務をこなすとは聞いていた。

本当に何でも引き受けてしまうらしい。士官学院の生徒会を思わせる。

そんな彼らの誠実さが、この旧市街区でも慕われる要因なのかもしれない。

 

「何度も言わせるな!姉御の豚汁が欲しいなら一列に並べと言ってるだろう!」

「横入りした奴は姉御に詫び入れて最後尾から並び直しだ!」

 

声を荒げながら、豚汁を振る舞う不良グループ『テスタメンツ』の面々。

姉御って一体誰のことだろう。なんて、考えるまでもなかった。

 

「はは、随分気に入られたみたいだね。君、才能あるんじゃない?」

「何の才能なの・・・・・・」

 

そう呼ばれる理由は分かっていた。

誰にも言いたくはないし、私には全く関係が無い。本当に。胸の中に秘めておこう。

既に十数名の住民が、私に頭を下げては列の最後尾へと走る様を見る羽目になった。

悪いことをしているわけではないのに、こちらが申し訳なくなってくる。

 

豚汁の器で顔を隠す私の横では、ノエルさんが笑みを浮かべながら、行列を眺めていた。

その表情は感慨深げで、どこか充足した顔付きだった。

 

「こんなにたくさんの人に喜んで貰えるなんて、思ってもいませんでした。大変でしたけど、満ち足りた思いですね」

「あはは。そう言って貰えると、作った私も嬉しいよ」

 

ノエルさんにとって、今日が特務支援課としての仕事納め。

早朝の支援課ビルで、彼女は警備隊へ復帰する旨を、皆に打ち明けていた。

理由は警備隊の深刻な人手不足。警備隊はクロスベル市と同様に、深い傷を負っていた。

 

軍事学の授業で学んだことだが、クロスベルの警備隊は軍ですらない。

定義の違いは別としても、周辺各国の軍と比べて、その戦力差は歴然。

何せ戦車や飛空艇といった、近代戦において肝となる兵器の所持を認められていないからだ。

相手がテロリスト集団とはいえ、総力戦ともなれば、後手を踏んでしまうのも無理はない。

市政と一緒で、そこにも2つの属州国を持つが故の不安定さが起因していた。

 

誰も警備隊を責めることはできない。

多くの犠牲を払いながら、その身を盾にして生まれ故郷を守ってくれた人達がいる。

その事実を、私は忘れない。眼前の光景は、彼らが守り抜いたそれに他ならない。

きっとノエルさんにもそれが分かっている。だからこそ、警備隊への復帰を願い出たのだろう。

 

「ねえノエルさん。ノエルさんはどうして特務支援課に入ったの?」

「上官からの指示でして。出向の具体的な目的も告げられず、少し戸惑いましたけど・・・・・・でも、今なら分かります」

 

警備隊からでは、見えない物がある。

ノエルさんはそう言うと、再び豚汁目当ての行列を見詰めながら続けた。

 

「あたしが守るべき人達の姿が、最近はよく見えるんです。少し目線を変えるだけで、全然違った世界が見えて来ますから。あたしは何も知らなかったんだなって、素直に思えます。ワジ君のことも、そうかな」

「へえ、それは初耳だね。僕の魅力に漸く気付いてくれたのかな」

「そういう生意気なところは前から知ってたけどね・・・・・・」

 

小さく溜息を付くノエルさんと、からかいながら笑うワジ君。

見えない世界、か。それは私も同じかもしれない。

生まれ故郷にすら、私の知らない世界がある。恥ずかしい限りだ。

 

「それはともかく、あたしはまだまだ学ぶ立場にあります。アヤさんが通うっていう士官学院も、少し見てみたいですね」

「あー。朝も言ったけど、多分ノエルさんが考えているような学校ではないと思うよ」

「・・・・・・そうなんですか?」

「昔は違ったみたいだけど、今は一般教養も広く学べる、総合的な学校に近いんだ。軍属を志望する卒業生は、全体の4割ぐらいだったかな」

 

進路に悩んでいた分、そういった数値はしっかりと頭に入っていた。

4割のうちの3割が正規軍。1割が領邦軍。残りは千差万別。

テンペランスさんのように、まるで異なる世界に飛び込む生徒がいれば、私のような例外もいる。

ノエルさんがイメージしていたのは、軍人を養成する、軍そのものに近い教育機関のはずだ。

 

私が士官学院の概要を説明していると、今度はワジ君が関心を示し始めた。

 

「面白そうなところだね。なら、学校のお祭りみたいなイベントもあるのかい?」

「それなら丁度、今月末に学院祭があるけど・・・・・・知ってるの?」

「学生は1年の半分以上、そのために時間を費やすって聞いたことがあるけど」

「偏見過ぎるでしょそれ・・・・・・」

 

どこからの情報なのだろう。私達はそんなに暇ではない。

とはいえ、クラスによっては2ヶ月も前から準備していた人達もいるという話だ。

当たらずとも遠からず、かもしれない。

 

学院祭に触れたこともあり、次第に話題は私達《Ⅶ組》の出し物へと移って行った。

ロック調の曲を軸としたステージ演奏。とりわけ興味を示したのは、やはりワジ君だった。

 

「バックダンサーか。君なら華があるし、ピッタリだと思うよ」

「でも中々慣れなくってさ。東方の舞なら自信があるんだけど・・・・・・」

 

それなら、僕が教えてあげようか。言いながらワジ君は私の手を取り、歩き始める。

余りに突然の提案に、私は言われるがままに先導されてしまった。

 

「え、ちょ、まま待って。教えるって何?」

「そこのお姉さん。1曲お願いできるかい」

「イヤや」

 

豚汁を食べながら、視線をこちらに向けようともしないリリ。

当たり前だろう。急に1曲と言って、弾いてくれるわけがない。

彼女なら可能かもしれないが、こんな―――

 

「せやけどまあ、余った豚汁を分けてくれる言うんなら、弾いてやってもええで」

 

―――豚汁の力が、要らないところで発揮された。

いい感じに退路が断たれてしまった。どうすればいい。

ノエルさんにヘルプの視線を送っても、「諦めて」と言いたげな憐みの目を向けられてしまった。

 

「あー、いらんいらん。私はええから、豚汁はこの子らに分けたってや」

 

無駄にカッコいいリリが、息を吹き込みながら鍵盤を叩き始める。

知らない曲だった。曲調は私達が選んだ曲のそれに近いが、初耳に変わりはない。

だというのに、ワジ君は戸惑う私を意に介さず、手を取りながら軽やかに足を動かし始めた。

 

「だ、だから待ってよ。私のはこういうダンスじゃなくって」

「一緒さ。僕に合わせて好きに動いてごらん」

 

バックダンスではなく、所謂男女のペアーダンスだった。

なされるがままに、ワジ君に習いながら動いてみたはいいものの、やはり分からない。

足取りはバラバラで、傍から見ればただ歩き回っているようにしか映らない。

戸惑うばかりの私に、ワジ君は足を止めずに語りかけてくる。

 

「曲を気にし過ぎだよ。リズムとテンポだけを抜き取って、君が主旋律を奏でるんだ」

「リズムとテンポ・・・・・・」

 

エリオットを含め、今まで受けてきた助言の中で、一番グッと来たかもしれない。

物は試しにと、目を閉じながら、リリの演奏に耳を傾ける。

この際ワジ君はどうだっていい。足取りだけでも、自分の力で曲に合わせてみよう。

 

「そうそう、その調子。あとは僕が君に合わせるよ」

 

知らぬ間に、周囲から演奏に合わせ、手拍子を送られていた。

助長するように足が動き、身のこなしが軽くなっていく。

気付いた時には、たくさんの人々に囲まれていた。

初めはあったはずの恥じらいは薄れ、私は夢中になって舞い続けていた。

 

_______________________________

 

「だ、大丈夫ですか、アヤさん」

「ぜぇー、はぁ・・・・・・しっ、しばらくは無理」

 

同じ曲を何周したか、4週目から先は覚えていない。

3週目から、やけにテンポが速まったとは思っていた。

4週目からは明らかに速さが増した。私は負けじとそれについて行った。

鍵盤を叩くリリの体力に限界が訪れるまで、結局踊りっ放しだった。

 

「ふぅ。意外に器用なんだね。その調子なら、きっとステージでも上手く踊れるよ」

「へ、平気そうなのが何かムカつくっ・・・・・・!」

 

私が地べたに寝そべる一方で、ワジ君は優雅に額の汗を拭っていた。

肩で息をしてはいるものの、まだ余裕が有るように思える。

この辺は男女の違いだろうか。体力に自信はあったが、彼も相当鍛えているのかもしれない。

 

いずれにせよ、少し休まないと動けそうにない。

ノエルさんの膝枕が心地良い。このまま寝入ってしまいたい。

そう思っていると、頭上からノエルさんの声が聞こえてきた。

どういうわけか、若干不機嫌気味なそれに感じられた。

 

「それにしてもさ。ワジ君って、妙に女性の扱いに手慣れてるよね」

「随分と今更なご指摘だね。休日に『プレミアム』へ食事をしに行った時、しっかりエスコートしてあげたじゃない」

 

プレミアム。聞いたことがある。

歓楽街にオープンされてまだ間もない、VIP御用達の最高級レストランだ。

通商会議の前日に、各国の首脳陣がこぞって利用したことで、その名が大陸全土へと知れ渡った。

私達には手の届かない世界のはずだが、この2人はそんな場所で食事をしたことがあったのか。

というか、2人が一緒に食事という事実の方が、私としては意外だった。

新メンバー同士、気が合うところがあるのかもしれない。

 

「あの、アヤさん?ち、違いますからね。変な誤解はしないで下さい」

 

まだ何も言っていないのに、頑なに否定された。

まあ触れないでおこう。掘り下げたら、私が痛い目に合いそうだ。

 

視線を逸らしていると、今度は私の腰元のARCUSが鳴り始めた。

このクロスベルで私の番号を知る人間は、1人しかいなかった。

 

「は、はい。ロイド?」

『よお。オレオレ、ランディだ』

「・・・・・・ランディさん?」

 

ロイドかと思いきや、声の主はランディさんだった。

番号をロイドから聞いたのだろうか。彼と一緒に行動しているはずだし、そんなところだろう。

 

『ちょいとアヤちゃんに頼みごとがあるんだけどよ・・・・・・何だ、随分と息が荒いな。何やってたんだ?』

「あ、あはは・・・・・・ふぅ。その、ワジ君と、少しやりすぎちゃって」

『ワジイィィっっ!!?』

 

耳をつんざくような叫び声がARCUSから鳴り響いた。

キーンと耳鳴りが数秒間続き、耳の奥がズキズキと鈍い痛みに苛まれる。

勘弁してほしい。疲れている身に、これは辛いものがある。

 

耳鳴りが治まり掛けたところで、再び恐る恐るARCUSを耳に当てた。

 

『アヤさん、聞こえてる?』

「ああ、エリィさん。さっきのランディさん、何だったの?」

『私にも分からないのよ。それで、さっきランディが言っていたと思うけど、1つお願いごとがあるの』

 

エリィさん曰く、今日の午後一から商工会主催のチャリティイベントが開催される。

場所は行政区の市民会館。既に開催時刻が迫っている一方で、ある企画への参加者が思うように集まらず、困っているとのことだった。

 

『私達の方でも動いてはいたの。でもあと一枠がどうしても埋まらなくて、困っていたのよ』

「・・・・・・もしかして、それを私に?」

『ええ。もし時間が空いていたら、お願いできないかしら』

 

時刻はもう昼の12時半。午後からの開催ともなれば、もう残された時間は残り少ない。

私で力になれるなら喜んで引き受けたいところだが、肝心なことをまだ聞いていなかった。

 

「時間なら作れるけど・・・・・・それって、何をする企画なの?」

『それは―――え?』

 

返答を待っていると、通信機の向こう側から複数の声が聞こえて来る。

声量が小さくて、うまく聞き取れない。今更内容を確認しているのだろうか。

ノエルさんの膝枕から頭を上げて、待つこと約十数秒。漸くエリィさんとの会話が再開した。

 

『えっと。その企画っていうのが、『大食い選手権』っていう、食べる量を競う―――』

「出るっ!!」

 

声高らかに、旧市街のど真ん中で参加への意志を表明した。

 

_______________________________

 

「―――それで、そのミスコンとやらに参加させられちゃったわけ?」

「信じた私が馬鹿でしたよ、ええ」

 

陽が暮れ始めたクロスベル東通り街区、遊撃士協会クロスベル支部。

ミシェルさんから回された仕事を一通り済ませた私は、2階にあるソファーに腰を下ろしながら、少々ご機嫌斜めな色を浮かべていた。

 

遡ること5時間前。

クロスベルミスコンテスト―――働く女性よ、永遠に。

前菜の豚汁で胃を慣らした私を待ち構えていたのは、全く予想だにしない物だった。

全ての黒幕は、同じ参加者のウェンディ。ものの見事に引っ掛かってしまった。

唆されたとはいえ、ロイド達も相当切羽詰まっていたに違いない。

 

「その、すみません。勝手に遊撃士枠として参加しちゃって・・・・・・大丈夫でしたか?」

「問題無いわよ。女性人は皆出払っていたし、寧ろ助かったわ」

 

そう言って貰えると救いがある。こっ恥ずかしい思いをした甲斐があるというものだ。

どうもああいったのは苦手だし、気が引ける。だからこそ食べ物で私を釣ったに違いない。

そもそもチャリティイベントで大食い選手権だなんて、不自然極まりないだろうに。

私もまだまだ洞察力が足りていない。今後の教訓にしよう。

 

ちなみに選考については辞退した。元々クロスベル市民でもない私には資格そのものが無い。

私以外にももう1人、同じ理由で辞退した女性がいた。

クロスベル大聖堂に従事するシスターで、ロイド達の知り合いのようだった。

本当に大食い選手権が開催されていたら、おそらく私と彼女の一騎打ちになっていただろう。

だって私より食べてたし。豚汁分だけ負けていた。

 

「ん、誰か戻ってきたみたいね」

「え?」

 

1階から扉を開けるドアチャイムの音が聞こえて来る。

続いて、そのまま真っ直ぐ2階へと上ってくる足音。

依頼人ではなく、この支部へ所属する遊撃士の誰かが帰ってきたようだ。

 

慌ててソファーから身体を起こし、両足で立つ。

遊撃士は私にとって、誰もが先輩に当たる人間だ。失礼な言動は慎まなければならない。

直立不動の姿勢で階段を見詰めていると、そこには長刀を腰に携えた、長身の男性の姿があった。

 

「アリオスじゃない。早かったわね」

「ああ。予定よりも早く片付いた」

「・・・・・・え゛っ」

 

思わず奇妙な声を上げてしまい、口を手で押さえる。

先輩どころの話ではなかった。同じ志を共有しながらも、雲の上の存在が、目の前に立っていた。

 

「お疲れ様。それなら久しぶりに、シズクちゃんのところに行ってあげたら?」

「いや、これからオルキスタワーへ向かう。既に先方にも連絡済みだ」

「あら、また?最近多いわね。支部の代表として参加して貰うのはありがたいけど、無理はしないでよ」

「分かっている・・・・・・ん?」

 

男性と私の視線が交わり、一気に身体が強張ってしまう。

 

アリオス・マクレイン。現A級遊撃士。

遊撃士のみならず、剣を握る人間なら、『風の剣聖』の名は誰だって耳にしたことがある。

国境を越えて各地が取り沙汰する、大陸でも5本の指に入る剣士。

お母さんが健在だった頃、何度か話してくれた「あたし以上の使い手達」。その1人だった。

 

「ミシェル、彼女は?」

「以前何度か話したでしょう?ランさんの娘さんよ。今日は支援作業のために来てくれたの」

「ラン・・・・・・そうか、彼女が」

 

アリオスさんは小さな笑みを浮かべると、私の前にその右手を差し出してくる。

何て大きい手だ。性別や体格の違いを超えて、一際その手が広く、大きく感じられた。

 

「アリオス・マクレインだ。話はミシェルから聞いている」

「ゆ、ユイ・シャンファです、今はアヤ・ウォーゼルといいます」

 

アリオスさんは私の手を取ると、お母さんの話を聞かせてくれた。

お母さんが彼を知るように、アリオスさんもまた、同じ剣の道を歩むランの名を知っていた。

アリオスさんが遊撃士となったのは5年前。お母さんが知るのは、警察官としての彼。

直接の面識は無かったものの、お互いの腕を認め合った関係だったそうだ。

 

「優秀な遊撃士だったそうだな。君も遊撃士を目指していると聞いたが?」

「トヴァルから仮免許を貰っているそうよ。いい経験になると思って、今日も存分に働いてもらったわ」

 

ミシェルさんは数枚の書類を取り出すと、それをアリオスさんへと手渡す。

見れば、それは私が今日取りまとめた報告書の数々だった。

 

チャリティイベントが終わった後、私は残りの依頼を済ませるべく、市内を奔走した。

物資の配達から素材調達等々。内容はバリエーションに富んだ物だった。

数は多かったものの、非公式な依頼なだけに、難易度自体はどれも低く感じられた。

 

アリオスさんは報告書を1枚ずつ確認しながら、ページを捲っていく。

すると怪訝な表情で、ゆっくりとミシェルさんに視線を移した。

ドキリと胸が跳ね上がった。報告書に何か不備でもあったのだろうか。

 

「・・・・・・ミシェル、随分と無茶をさせたな」

「アタシだって驚いたわよ。2日分をまとめて任せたつもりが、たった半日でこなすだなんて。報告書までしっかり作成してくれたしね」

「え、あれ?そうだったんですか?」

 

私の滞在期間は明日まで。それはミシェルさんにも話してあった。

それでもあれが2日分とは考えてもいなかった。事実、既に依頼は一通り達成できているはずだ。

報告書のまとめ方は実習で慣れているし、既定の書式や作成方法もレグラムで経験済み。

単独行動とはいえ、最近は1人で行動することが多かったこともあり、何の違和感もなかった。

 

「見習いにしては出来過ぎているが・・・・・・本番はそう易々と事は運ばない。遊撃士にイレギュラーは付き物だ。これからも精進するといい」

「き、恐縮です。ありがとうございます」

 

身に余る評価ということはよく理解していた。

分かっていても、思わず飛び上がりたくなる。夢のような瞬間だった。

 

アリオスさんはミシェルさんとのやり取りを済ませると、急ぎ足で協会支部を後にした。

オルキスタワーに向かうと言っていたが、こんな時間からまだ仕事があるのだろうか。

 

「今後のギルドの対応について、市議会と協議中なの。優先順位や人員の割き方を考えるのはアタシの仕事だけど、今はクロスベル全体で考える必要があるのよ」

「それはよく分かります。今日も色々と見聞きしてきましたから」

 

都市機能を取り戻すには、主要施設の復旧が最優先。

旧市街のような街区は後回しにするしか手立てがないが、だからといって放置もできない。

最低限の手を差し伸べるために、市政が遊撃士協会や特務支援課と連携を図る必要がある。

それをアリオスさんが取り持ってくれているのだろう。

 

「1人で抱え込むような真似だけはしてほしくないわね。アタシが言わないと、間を置かず働き続けちゃうのよ」

「大変ですね・・・・・・あっと、すみません」

 

会話を切り、着信音を鳴らすARCUSを手に取る。

表示されているのはロイドの番号。今度は確かに彼からの通信のようだ。

 

「はい、アヤです。ロイドだよね?」

『ああ。今大丈夫か?』

「うん。どうかした?」

 

内容はノエルさんの送別会についてだった。

早朝の支援課ビルの場で、今日はノエルさんのために、送別会を開こうという話になっていた。

ロイド曰く、課長さんのご厚意で、私も送別会に誘ってはどうかという案が挙がっているそうだ。

 

嬉しい誘いではあったが、私はパンセちゃんに食事を用意する必要がある。

その旨を伝えると、今度はパンセちゃんとウェンディの参加までもが認められてしまった。

・・・・・・大丈夫だろうか、課長さんの財布。奢りらしいが、既に総勢10名を超えている。

 

「えーと。本当にいいの?」

『ああ。もうお店は取ってあるから、19時にヴァンセットへ来てくれ』

「分かった。じゃあ、19時にね」

 

通信を切り、腰元のホルダーへとARCUSを戻す。

ごめんなさい、課長さん。今すっごくお腹減ってます。

 

_________________________________

 

送別会はノエルさんの挨拶に始まり、課長さんの音頭で乾杯が行われた。

初めはノエルさんを労う他、別れを惜しむ声や話題が多かった。

次第に四方山話に花を咲かせるようになり、結局は愉快な酒の席と化した。

 

意外にも、皆に酒を勧めたのは課長さんだった。

こんな状況下だからこそ、楽しめる時は楽しんで、しっかりと英気を養い夜は休む。

そして明日も目一杯働けばいい。それが課長さんの言い分だった。

 

送別会というものは初めての経験だったが、ノエルさんにも愉しんで貰えたようだった。

課長さんには、皆でご馳走様ですと頭を下げた。おそらく、かなりの額だったはずだ。

 

そして現在、午後21時過ぎ。中央広場、喫茶レストラン『ヴァンセット』入口前。

既にキーアちゃんはロイドの背中の上で夢の中。

パンセちゃんもウェンディに連れられ、一足先に部屋へと戻っていた。

 

「おーし。このまま俺の部屋で2次会といこうや」

「ランディさん、まだ飲むんですか・・・・・・近寄らないで下さい。お酒臭いです」

「はは、相変わらず酒に強いよな。ランディは」

 

店を後にした私達は、支援課ビルを目指しながらゆっくりと歩を進めていた。

日常的に酒を嗜むランディさん以外は、皆ほろ酔い程度に酒が入っている。

ティオちゃんとワジ君は未成年なので当たり前だが、私も同じく素面。

今日は初めてノンアルコールビールなるものを飲んだ。

癖のある味わいだったが、気分だけでも飲んだ気になれるのは大変ありがたかった。

 

「なあノエル、ランディはああ言ってるけど、君はどうする?」

「そうですね。明日は移動日としてお休みを頂いていますし、折角の先輩のお誘いですから、付き合いますよ」

「なら決まりだ。22時に俺の部屋に集合だぞ、お前ら」

「やれやれ。飲むなとは言わん。が、明日非番じゃない奴は持ち越すんじゃないぞ」

 

課長さんの言葉に、皆が顔を見合わせる。

自然と数人が手を挙げた。ランディさん、ワジ君、ティオちゃん。一応私も。

酒飲み組は1人しか該当しなかった。

 

「だー!俺だけかよ!?」

「ふふっ、飲みすぎないように私達が見張らないといけないわね」

「ついでにワジ君も見張らないと。これはあたしの仕事だしね」

「少しぐらい信用してくれてもいいじゃない・・・・・・痛っ。な、何で殴るのさ」

 

特務支援課は平日が通常シフトで、土日は交代で休みが入ると聞いていた。

勿論有事の際にはそうは言っていられない。明日は何も無いことを祈るばかりだ。

それにしても―――

 

(―――楽しそうだなぁ、みんな)

 

夜遅くまで盃を交わし、語り合う。学生には少し早い楽しみ方だ。

私達《Ⅶ組》にも、今のような瞬間が訪れる日が来るのだろうか。

 

意志とは関係無く私達は大人になり、道を違える。

自由を得ると同時に離れ離れになり、一つ屋根の下での共同生活は終焉を迎える。

遅かれ早かれ―――やって来る。

 

「どうかしたのか、アヤ?」

「ううん・・・・・・ねえロイド。朝の約束、覚えてる?」

 

______________________________

 

私とロイドは皆と一旦別れ、中央広場を歩いていた。

背中にいたキーアちゃんは、今頃ランディさんに連れられてベッドの中。

2次会に向けて準備を始めている頃合いだろう。

 

「はは、そんなことを考えてたのか。確かに学生でいる間は、叶いそうにないな」

 

私は道中に感じたことを、ありのままにロイドに語った。

別に何かを言って欲しかったわけではない。ただ何となく、話してしまった。

 

「でもそうだな。俺達と違って、アヤ達には卒業っていう別れがあるんだよな」

「うん・・・・・・」

 

そもそもが身分も出身もまるで違う、出会うはずのない者同士が集ったクラスだ。

現実的に考えて、卒業後は皆が一手に揃う機会なんて滅多にやって来ない。

卒業と同時に元通りになるだけだ。何も変わりはしない。

変わったのは、お互いを結ぶ絆。想像するだけで寂しさを覚えるぐらい、強い絆。

どう誤魔化したところで、やはり別れは寂しいし、辛い。

 

でもだからと言って、今がずっと続けばいいだなんて、そんなことは思わない。

寂しいと感じてしまうのは、人として当たり前のことなんだと、今は素直に思える。

士官学院に入ってから涙脆くなったのは、私が人間らしくなっているという証だ。

これから先も、きっと数え切れない出会いと別れを経験しては、涙を流す。

 

今回の帰郷だってそう。今日と明日、たった2日間の出会いと再会。

1日がこれ程長く感じられたのは、いつ以来か分からない。

たくさんの人と話をして、物事を見聞きして。私は明日、ここを去らなければならない。

 

「んー、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきた・・・・・・要するにさ」

 

足を止め踵を返し、後方を歩くロイドに振り返る。

 

「今も寂しいってこと。みんな本当にいい人達だし、また会いに来たいけど、いつになるか分からないから。だから明日、私泣くと思う。見送りはいいって言っても、どうせみんなを引き連れて来るんでしょ?」

 

色々と巡り巡って、結局はそこに集約された。

襲撃事件により特例として認められた、クロスベルへの帰郷。

次に来れるとするなら卒業後か、どれだけ早くとも来年の長期休暇ぐらいのものだ。

絶対に泣く。我慢しても、耐え切れる自信がまるで無い。

送別会と皆の雰囲気がそうさせたのか、既に感情が揺れ動いていた。

 

「そうか。なら遠慮は要らないな。キーアも連れて、送らせて貰うよ」

「できればお土産も欲しい。美味しいの」

「はは、忘れないうちに準備しておかないといけないな」

 

先回りしておいて正解だった。これなら、目元に涙を浮かべるぐらいで済みそうだ。

ぶっつけ本番だったら顔をくしゃくしゃにして、別れを惜しむ羽目になっていたかもしれない。

 

残すところあと1日。できる限りのことをしよう。

クロスベル支部にも特務支援課にも、やるべきことはまだまだ残っているはずだ。

 

「それで、俺に話があるっていうのは?今のは別の話なんだろ?」

「あ、うん。それなんだけどさ・・・・・・」

 

言いながら、止まっていた足を再度動かし始める。

前方に注意を払い、自然に歩を進めながら、小声でロイドに言った。

 

(気付いてる?)

(流石にな。俺も訓練の経験があるけど・・・・・・あれじゃ気付いてくれと言っているようなものさ)

 

後方に1人。他に気配は感じられない。

ロイドはともかく、私に気付かれるようでは三流としか言いようがない。

敵意や殺気は無い。危害を加えるつもりはないのだろう。目当ては私達の会話か、他の何かか。

所属も目的も分からない。が、心当たりは無くも無い。

 

もしかしたら、私は知りすぎたのかもしれない。

先月から多くの真実に触れ、真相を解き明かそうと動き続けてきた。

考えすぎかもしれないが、この場での不用意な言動は控えた方がいい。

もし標的が私なら、絶対にロイドを巻き込みたくはない。

 

(とりあえず、戻ろっか)

(ああ、そうだな・・・・・・って、アヤ!?)

(静かに。振りだってば、振り)

 

ロイドの腕を抱きながら、支援課のビルへと歩き始める。

どうせなら、徒労に終わらせてやる。何者かの苦労は完全に水の泡と化す。いい気味だ。

私は胸の中でガイウスに謝りながら、悪戯な笑みを浮かべた。



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悪魔の微笑

クロスベル発、寝台特急列車『メルベイユ』。

初のテスト走行を年初に終えたばかりの、最新型の夜行列車。

移動手段としてよりも、もっぱら鉄道旅行の場として利用されることが多いそうだ。

そんな豪華列車で私は今日、クロスベル市から帝都へ向かう手筈となっていた。

 

私がこの2日間でこなした依頼は、合計で11件。

全て非公式な依頼ということもあり、目立った報酬は無し。受け取るつもりもなかった。

その代わりにとミシェルさんが贈ってくれたのが、寝台特急車の指定室券だった。

元々私は滞在3日目の昼に、帝都方面行きの列車に乗る予定だった。

一方のチケットは夜行列車のそれ。裏を返せば、1日一杯夜まで働けということ。

特に不満も無かった。それに指定室券だ。個室で寝泊りをしながら列車で移動することができる。

一度は乗ってみたかったし、折角の好意を無下にするのも気が引けた。

 

そして10月の16日。

現時刻、午後22時。クロスベル駅前通り。

 

「アヤ、忘れ物は無い?」

「大丈夫。パンセちゃんにも宜しく言っておいてね」

 

特務支援課のメンバーとウェンディ。

ロイドが予告していた通り、皆が私を見送りに来てくれていた。

オスカーは今日も夜が遅いそうで、昼間に挨拶だけ交わしていた。

キーアちゃんは待ちきれなかったのか、既に夢の中。ツァイトと一緒にお留守番中だ。

 

「ロイド、セシルさんにも宜しく伝えておいて貰えるかな。今回も挨拶できなかったから」

「分かった。伝えておくよ」

「それにティオちゃん。ぬいぐるみ、ありがとね。きっと喜んで貰えると思うよ」

「いえ。同志に喜んで頂けるのなら、私も嬉しいです」

 

長いようで短かった、2泊3日のクロスベル。復興支援の旅は、今終わりを告げる。

前回の来訪に比べてたくさんの人と言葉を交わし、再会し、そして出会いがあった。

突き付けられた現実に、戸惑いを覚えた瞬間もあった。それでも満ち足りた時間だったと思える。

 

「昨日に続いてのお別れか。なんつーか、やっぱり寂しいもんがあるよな」

「そうね・・・・・・私達も、昨日からお世話になりっ放しだったもの」

 

皆が名残惜しそうな色を浮かべ始める。私だって、もう涙を堪える作業で手一杯だ。

ロイドとの繋がりがあったとはいえ、誰もが私を快く受け入れてくれた。

帝国からやって来た見知らぬ女性。そんな色眼鏡で見る人間は、誰1人としていなかった。

たった2日間の付き合いと割り切れる程、私は器用じゃない。

 

列車の時間まであと30分。少し早く出過ぎかもしれない。

当駅始発とはいえ、列車に乗れるまではもう少し時間が掛かってしまいそうだ。

少しだけ気まずい空気が流れ始めると、ロイドが一歩、私の前へと歩み出る。

 

「アヤ。君が来てくれて、本当によかったよ」

「え?」

「みんなとは短い付き合いだったけど、クロスベルを想う気持ちは一緒だろ。俺達はもう仲間だ。それに・・・・・・ここは紛れもない君の故郷なんだ。いつだって歓迎するよ。ずっと待ってるからさ」

 

言いながら、ロイドの右手が私の前へ差し出される。

言葉や仕草、そのどれもが彼らしい。素直にそう思えた。

 

彼の背後に目を逸らすと、案の定、やれやれといった表情の仲間達がいた。

エリィさんは昨日の朝同様、思わず目を逸らしたくなるような表情で私を見ていた。

 

「・・・・・・うん。ありがとう、ロイド」

「ああ。俺もっぅ痛たたたた!?」

 

だから私は、握力を最大限に引き出しながら、その右手に応えた。

もう夜更けなのに、大きな声を出さないでほしい。

手を解放すると、右手を押さえながらロイドが膝を折り、蹲る。

私はその様子を見下ろしながら、言った。

 

「私はね、ロイドのそういうところが、一番の魅力なんだと思うよ」

「み、右手が、右手がっ・・・・・・」

「でもさ、いつか痛い目にあう時が来るかもしれないじゃん?だから、今のはその忠告」

 

顔を歪めながら疑問符を浮かべるロイド。

その後ろでは、エリィさんとティオちゃんが盛大な拍手をもって賛同していた。

ランディさんとワジ君の表情は何だろう。畏怖、だろうか。それはそれで解せない。

ウェンディは特に変わりなし。日常風景を見るかのごとく、平然としていた。

 

まあ、人のことは言えないか。

ガイウスへの想いを自覚するまで、私も異性に対し、不用意な言動があったように思える。

もしかしたら、昔は常に一緒だったせいか、男女の境が曖昧なのかもしれない。

・・・・・・あれ?

 

「ねえウェンディ。もしかして、私のせい?」

「どうかしら。半分ぐらいはそうなんじゃない?」

「多いよ・・・・・・」

 

別れ際の名残惜しさはいつの間にか吹き飛び、乗車許可のアナウンスがホームから響き渡る。

いずれにせよ、彼にとっての特別。掛け替えのない女性の手を握る瞬間を願うばかりだ。

 

「じゃあみんな、バイバイ!」

「どうかお元気で。学院祭、頑張ってね」

「アスタルエゴ、おねーさん」

 

そして彼らと再会するその日まで。このクロスベルに、平穏が訪れますように。

そう願いながら、私は皆に別れを告げた。

 

________________________________

 

列車に身を揺られること約8時間。10月17日、午前6時前。

私はトリスタ駅に到着するより前に目を覚まし、食堂車へと足を運んでいた。

まだ早朝ということもあり、利用者はまばら。列車の走行音しか耳には入って来ない。

車窓から差し込む朝陽が心地良く、秋の到来が迫っていることを知らせてくれた。

 

こうも快適な列車旅は初めての経験だ。

腰や尻を痛めながら長距離を移動する特別実習と比べれば、雲泥の差がある。

あと1時間程で、ヘイムダル中央駅に到着する頃合いだろう。

その後は普通列車に乗り換えて、トリスタへ折り返せばいい。

 

「17日か・・・・・・」

 

10月17日、日曜日。今日が延期されていた住民投票の開催日。

結果がどうあれ、そこには法的な拘束力は一切無い。

ただクロスベルの情勢に、大きな影響を及ぼすことは、容易に想像が付く。

それに、結果は火を見るよりも明らかのように思える。

 

引き金となったのは、間違いなくあの襲撃事件に他ならない。

怒りと悲しみ。クロスベルには今、やり場のない住民の感情が積りに積もっている。

もしあるとするなら、それが今日。一気に噴出しても、おかしくはない。

 

「すみません。相席、いいですか?」

「え?あ、はい」

 

不意に背後から声を掛けられた。

合わせるように答えてしまったが、今はそこら中のテーブルが空席だらけ。

どうしてわざわざ、このテーブルに。そう思い振り返った瞬間、背筋が凍った。

 

「え・・・・・・」

「どーも、お久しぶり。1ヶ月半振りぐらいか?トリスタ駅以来だな」

 

帝国軍情報局所属。鉄血の子供達。宰相閣下が拾い上げた、才ある人間の1人。

レクター・アランドール大尉。8月の実習以来となる、予期せぬ再会だった。

服装はネルシャツにハーフパンツというラフな物だったが、一目で彼と認識できた。

 

「いやー、快適快適。一度これに乗ったら、他の列車に乗れなくなっちまうぜ。そう思わないかぁ?」

「あ・・・・・・その」

「そう畏まるなよ。俺はただ個人的に鉄道旅行を楽しんでんだ。ま、ガレリア要塞から帝都に帰るだけなんだがなぁ。ちょっとした贅沢ってやつさ」

 

思考が働いてくれない。

どうして大尉が、この列車に乗っている。今の言葉を信用してもいいのだろうか。

それを抜きにしても、この人の前ではやはり身体が委縮してしまう。

胸の中を覗き込まれるような感覚が、あのブルブランと対峙した時のそれを抱かせた。

 

「それで、アンタは学生だろ。日曜日の朝に、なーんで寝台特急なんかに乗ってんだ?」

「私は・・・・・・昨日まで、クロスベルにいたので。その帰りなんです」

 

私はクロスベルを訪れた一連の経緯を、大尉に話し始めた。

特に隠す必要性は見当たらないし、話したところで不利益を被るはずもない。

沈黙が続く方が居心地も悪いし、何かを話していた方が気が楽だった。

 

「なるほどねぇ。士官学院も粋な計らいをしてくれたもんだな」

「そうですね。言い方はアレですけど、充実した3日間を過ごせたと思います」

 

私が言うと、テーブルに2つの紅茶が届けられた。

ごく自然な動作で、大尉がそのうちの1つを私に差し出してくる。

思わずドキリとするような、大人の男性を思わせる、正に粋な計らいだった。

私はお礼を言いながら、そっとティーカップを口へと運んだ。

 

「なら、愛しのロイド君とも色々話せたわけだ。赤い星座の黒幕は掴めたか?」

 

口に運びかけたティーカップを、そっとソーサーへと置いた。

口を付ける前で良かったと思う。危うく唇を火傷するところだった。

数秒だけ間を置いてから、私は視線を落としたまま言った。

 

「そうですね。幼馴染なので、色々な話をしましたよ」

「そうかい。でもまあ、夜に出歩くのは感心しねえなぁ。彼氏に誤解されるし、『変質者』に覗かれたりするかもしれないぜぇ?精々気をつけな」

「・・・っ・・・・・・ご忠告、感謝します」

 

精一杯の虚勢を張って、答える。

私のそんな姿が余程面白かったのか、大尉は笑いを堪えるように、身体を震わせていた。

まるで身包みを剥されたかのような気分だった。

 

「・・・・・・あの、レクター大尉。あなたは、一体」

「言っておくが、今の俺はレクター・アランドール個人だ。情報局も一介の学生に構う程、そこまで暇じゃないんでね。だからこれは、俺からアンタへの忠告だ」

 

大尉はシュガースティックの封を切ると、それを少しずつ紅茶へ溶かし始める。

私が今置いたばかりの、紅茶の中へ。それで初めて気付かされた。

砂糖を入れるのを、忘れていた。驚き戸惑う私に構うことなく、大尉は続けた。

 

「あれよあれよという間に、随分と物知りになったもんだな。挙句の果てにはリベールの異変、あの真相を確かめるために、ラインフォルトの第2製作所へ探りまで入れる始末だ。ま、そいつはこの際どうだっていい」

 

1本目を全て注ぎ終えると、続いて2本目。

ゆっくりと2本目の砂糖が溶かされていき、その勢いがピタリと止まる。

私の好み。1本と3分の1の砂糖が溶かされたところで、手が止まった。

 

「アンタみたいな人間は何人も知ってる。俺達にとっちゃ、脅威でもなんでもない。だが怖いもの知らず以上に怖いものは無いんだぜ。身の程を弁えて、彼氏と宜しくやっとけよ。優しいお兄さんからのアドバイスだ」

 

捲し立てるように並べられた台詞が終わり、静寂が訪れる。

ガタンゴトンという走行音と、周囲の乗客同士の会話だけが、そっと鼓膜を揺さぶる。

 

何も言えなかった。答えも反論も、何も見つかりはしない。

昨晩、私とロイドが密室で交わした会話ですら、大尉は把握しているのかもしれない。

クロスベルを襲撃した集団の正体。その黒幕。真相は結局掴めず仕舞いだった。

態度から察するに、この人は知っている。その態度すらも、全て偽物の可能性だってある。

 

私は精一杯の力を振り絞り、何とか口を開いた。

どうしても、確かめたかった。

 

「1つだけ・・・・・・教えて下さい。大尉は、私達の味方ですか?」

「はっ、アンタにその質問は無しだろ?ノルド高原での一件を忘れたかよ。感謝される覚えはあっても、疑われるなんて心外だ。泣きたくなってくる」

「そ、それは・・・・・・す、すみません。その」

 

忘れてなどいない。だからこそ、分からない。

こうして話している今でも、この人が何者なのかが分からなくなってくる。

一瞬だけ結社の存在が連想されたが、そうは思いたくない。あってほしくない。

大尉は故郷の恩人だ。その事実だけとっても、疑いを持つこと自体、本来失礼では済まされない。

 

何かを言いたいのに、続かない。何を言っても、全てがひっくり返りがなら返って来る。

結局、言葉は見つからなかった。気付いた頃には、列車は既に減速を始めていた。

 

_________________________________

 

乗り換えの最中、一言も会話を交わさなかった。

列車を降りてから階段を上り、連絡通路を通ってトリスタ方面のホームへと降りる。

帝都で降りるはずの大尉が、何故私と同じホームに降りるのか。

たったそれだけの些細な疑問すらも、聞きそびれてしまっていた。

 

やがてトリスタ方面行きの列車がホームへ到着し、扉が開く。

この列車なら、午前8時過ぎにはトリスタ駅に着けるだろう。

私は列車へと乗り込み、ホームで立ったままの大尉へと振り返る。

 

「その。ありがとうございました。私はこれで―――」

「よお、交渉を成功させるコツを知ってるか?」

 

大尉はそう言いながら、一歩私から遠ざかる。

 

「手っ取り早く済ませるなら、拷問と一緒だ。外堀を埋めて、ちょいと痛い目にあわせてから出方を窺う。それで駄目なら、もっと痛い目にあってもらう。ま、その繰り返しだな」

「・・・・・・あの、一体何のことですか」

「勿論、痛い目にあうのは本人じゃない。そうだな・・・・・・アンタぐらいの年齢なら、恋人なんかが打って付けかもなぁ?」

 

その言葉の意味を理解できるまで、私は数秒間の時間を要した。

理解するに至ったと同時に、列車のドアが自動的に閉ざされていく。

 

「そ、そんな。まさか―――」

「言ったろ。知り過ぎると痛い目にあう。今後の教訓ってやつだ。もう『遅い』けどな」

 

扉の向こう側には、ゾッとするような微笑を浮かべた、悪魔が立っていた。

走り出した鉄の箱の中で、私はどうすることもできず、呆然と立ち尽くしていた。

 

_____________________________

 

乗車してから下車するまでの記憶は、ひどく曖昧だった。

改札を通ってからは、生きた心地がしなかった。

大粒の涙を流し、呻き声を上げながら、ただひたすらに走り続けた。

 

第3学生寮の扉を開けると、そこには皆がいた。

どういうわけか、自由行動日の朝にも関わらず、1階に皆が揃っていた。

ガイウスの姿だけが、見当たらなかった。

 

「あ、アヤ」

「み、みんな!ガイウス、ガイウスは!?」

 

荷物を放りながら駆け寄ると、そこにガイウスはいた。

床に座り込んだエマに介抱されるガイウスは、瞼を閉じながら、力無く横たわっていた。

 

「嘘・・・・・・が、ガイウス?」

「あ、アヤさん。落ち着いて下さい。今ベアトリクス教官が向かっていますから」

「突然倒れてしまって。呼吸はあるけど・・・・・・意識が、戻らないんだ」

 

夢だ。全部、夢であってほしい。

私が知り得た何もかもが夢だったら、こんなことにならずにすんだのに。

全部―――私のせいだ。

 

「ガイウスっ・・・ごめん、ごめんね・・・・・・ガイウスぅ・・・っ」

 

この時の私は、気付いていなかった。ガイウスの左手には、1枚の写真があった。

クロスベル市、中央広場。恋人のように寄り添う2人の男女。

写真には、ロイドの腕を抱く私が写っていた。誤解を解くのに、丸3日間の時間が求められた。

 

_________________________________

 

※ここからは短編集、後日談になります。

 

 

『ノエルの送別会』

 

 

送別会が盛り上がりを見せるに釣れて、話題がころころと変わる。

私がこの場にいることもあり、今は私達《Ⅶ組》に関する話へと移っていた。

 

「元A級遊撃士か。すごい人が教官を務めてるんだな」

「普段は少しだらしないけど、尊敬する女性の1人だよ」

 

サラ教官に食付いてきたのは、やっぱりランディさん。

ランディさんは教官の容姿や人となりを、私に求めてくる。

 

「お酒が好きで、気が強くて・・・・・・やっぱり美人だと思うよ。年齢は20代前半だったかな」

 

20代前半。この部分は少しだけサラ教官におまけをした。

するとランディさんは目を輝かせながら、天井を仰いだ。

 

「おお・・・・・・か、かなりドストライクだぜ。アヤちゃん、俺に紹介してくれない?」

「ちょっとランディ。アヤさんを困らせるようなこと言わないでよ」

「あはは。でも教官も『いい男がいたらあたしを紹介しておきなさい』って言ってたし、どうしよっかな」

 

おっしゃー!とランディさんがガッツポーズを作りながら叫ぶ。

まあサラ教官には色々とお世話になっているし、ここらで恩返しといこう。

 

「課長さん、紹介したい女性がいます」

「あん?」

 

_______________________________

 

 

『2次会』

 

 

キッカケはワジ君の一声。折角だから、何かゲームをして遊ぼう。

そんな提案に、ランディさんは王様ゲームなるものを持ち出した。

女性陣からは大ブーイングだったものの、物は試しに1回だけ。

そんな流れで、私は生まれて初めての王様ゲームを体験することになった。

 

1回目。

王様⇒ランディさん「②(私)が⑤(ロイド)の恥ずかしい秘密を暴露する」

 

「小さい頃に一緒のベッドでお昼寝してたら、ロイドがお漏ら―――」

「だあああああああ!!?」

 

2回目。

王様⇒ティオちゃん「④(私)がロイドさんの恥ずかしい秘密を暴露する」

 

「そしたらロイドさ、『これは僕じゃなくてユイが―――』」

「だあああああああ!!?」

 

3回目。

王様⇒ワジ君「私がロイドの恥ずかしい秘密を暴露すればいいじゃない」

 

「嘘だとバレた瞬間、ロイドが泣きながら半裸で―――」

「だあああああああ!!?」

 

4回目。

もうクジを引く必要すら無かった。

 

_______________________________

 

 

『テスタメンツと姉御』

 

 

「これは共和国に伝わる伝説らしいけど・・・・・・もう20年以上も前に、それなりに名の売れたチームが、1人の少女に潰されたっていう話があるんだ」

「たった1人に、か?」

「少女がチームを潰す・・・・・・し、信じられないな」

 

「当時はまだ13歳の女の子だったそうだよ。『ノスフェラトゥ』って呼ばれてたんだって」

「通り名が既に悪魔だな」

「13歳!?俺達が少女に潰されるようなものか。恐ろしいな」

 

「その後は足を洗って、武人として生きる道を選んだって話だね」

「20年以上前ってことは、今は40歳前後ぐらいか?」

「伝説だし、全部嘘っぱちかもしれないな」

 

「・・・・・・それ多分、私のお母さん」

「「えっ」」

「お母さん」

 

その瞬間から、彼らは私を姉御と呼ぶようになった。

 

___________________________________

 

 

『リリランタ』

 

クロスベル市旧市街区。

陽が沈めば、この街区には最低限度の光しか無い。

帝国暮らしが長かったせいか、夜の暗闇がやけに心地良く感じられる。

 

クロスベルを訪れた理由は1つ。

私にしかできないやり方で、故郷を支える。その思いに嘘偽りはない。

だというのに、胸の中に靄が掛かったかのような感覚に苛まれる。

 

「・・・・・・しょーもない音やな」

 

鍵盤ハーモニカを小さく鳴らすと、ひどく寂しげな音を奏でた。

音楽家にとって、楽器は鏡。音は鏡に映る自分自身。

 

彼を慕っていた人間は、1人を除いて誰もが大怪我を負い、入院していた。

どこにもいない。気落ちしていたらド突こうと思っていた拳に、行き場がない。

今頃どこにいるのか。誰も私も、知る由が無い。

 

このまま帰ってしまおうか。そういえば、帰りの列車賃が無い。

こんな状況では、歌や演奏で路銀を稼げるとは到底思えない。

無断で音楽院を抜け出してきた身だ。そろそろ帰らないと嫌な予感がする。

 

「何やねん。おもろない」

 

とりあえず、寝よう。いざとなれば、アヤに借りよう。

今日は何日だったか。ああ、そうだ。10月の16日の夜だ。

・・・・・・もうおらんやんけ。やっぱりおもろない。

 

_______________________________

 

 

『仲直り』

 

 

「ね、ねえ。ガイウス」

「今日の夕食、美味しかったね。少し食べすぎちゃったかも」

 

「・・・・・・」

 

「ユーシスのエビフライを横取りしたら、すっごい怒られてさ」

「あ、あはは」

 

「・・・・・・」

 

「あのさ、ガイウス」

「・・・・・・ガイウス」

 

「・・・・・・」

 

「誤解、なんだよ?」

「日曜日から言ってる通り。ロイドとは何もないから」

 

「・・・・・・」

 

「ガイウス・・・・・・」

「・・・・・・ガイ、ウスぅ」

 

「・・・・・・」

 

「やだよ・・・・・・もう、いやだよ」

「こっち、向いてよぉ・・・っ・・・」

 

「・・・・・・」

 

「うぅ・・・・・・こんなの、やだ」

「ぐすっ・・・うぇぇ・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「ひぐっ・・・・・・うぅっ」

「ごんなに・・・ずぎ、なのにぃっ・・・・・・」

 

「・・・・・・アヤ」

 

「え。が、ガイウス?あ―――」

 

 

____________________________

 

 

『仲直りを見守り隊』

 

 

「こちらエマです。アリサさん、聞こえますか?」

 

『ええ、聞こえるわ。キルシェ2階からは難しいわね。アヤの左半身しか見えないわ』

 

「そうですか。ラウラさん?」

 

『ブランドン商店屋根裏からなら、ガイウスの姿は確認できる』

 

「アヤさんの全身を確認したいところですね。フィーちゃん、ミリアムちゃん?」

 

『んー、話し声は聞こえるかな?もう少し壁が薄ければよかったのにねー』

 

『夕食がどうとか言ってる』

 

「話題にムードの欠片もないですね・・・・・・」

 

『それにしてもこの通信機、便利よね。皆の声が聞こえるだなんて』

 

「通信範囲に課題は残りますが、流石はジョルジュ先輩といったところですね」

 

『でも、3日間も進展がないのは予想外』

 

『ふむ。既に誤解は解けているはずだが、何故ガイウスは折れぬのだ?』

 

『つまらない男の意地ってやつよ。意外に小さいのね』

 

『身体は大きいのにねー』

 

『腐れ外道』

 

「そ、それはともかくとして。この分だと、今日も仲直りは難しそう―――」

 

『あ!ちょっとみんな、アヤが泣いてるわよ!』

 

『なんだとっ・・・・・・』

 

「アリサさん、それは何の涙か分かりますか?」

 

『・・・・・・多分、普通に泣いてるわ』

 

『あーあ。ガイウス泣かせちった』

 

『エマ、壁殴っていい?』

 

「だ、駄目です。意味がありませんよフィーちゃん」

 

『ガイウスは微動だにしないが・・・・・・むぅ。あの男は何をしているのだ』

 

『ガーちゃんでぶん殴ろっか?』

 

『落ち着きなさいミリアム。導力弓ならピンポイントでいけるわ』

 

「死人が出ます。どちらも絶対に駄目です」

 

『でも流石にこれは見てられ・・・・・・あら?』

 

『むっ?』

 

「アリサさん、ラウラさん、どうしました?」

 

『・・・・・・っ!!』

 

『・・・・・・っ!!』

 

「もしもーし。アリサさーん。ラウラさーん」

 

『・・・・・・ぅゎ』

 

『・・・・・・ぉぉぅ』

 

「ど、どうしたんですかお二人とも!?」

 

『ねえエマ。何か変な声が聞こえる』

 

『ガサゴソ音が聞こえるね。寒いから着替えてるのかな?』

 

「え・・・・・・あっ!」

 

______________________________

 

 

『別働隊』

 

 

「おいポーラ、状況を教えろ。一体何がどうなっている。俺と代われ」

「・・・・・・ぁぅ」



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学院祭準備日

10月21日、木曜日。学院祭本番まで、残すところあと2日間。

平日のど真ん中である今日と明日、士官学院ではどのクラスも授業は休止。

誰もが2日後に思いを募らせながら、当日の準備や最終確認、会場の設営に全てを費やしていた。

 

私達馬術部は、有志による乗馬関連の出し物に関して、全面的に協力していた。

競技乗馬やレース用の会場設営に、当日の段取り。乗馬体験コーナーの設置。

当初はまるで足りないと思われていた人手は、ランベルト先輩が周囲へ働きかけてくれたこともあり、何とか軌道に乗った。

先輩の人望が厚かったおかげだろう。ラクロス部の皆も、会場の設営に手を貸してくれた。

グラウンドには競馬場を思わせる、小さな特設会場が1日にして設けられていた。

 

「ふう。こんなものかな?」

「随分とサッパリしたわね。見違えたじゃない」

 

私達馬術部1年組は、グラウンド周辺の草むしりに勤しんでいた。

乗馬に縁が無い人間が馬に抱くイメージの中でも、とりわけ大きいのが不衛生なそれだ。

なら、厩舎内を含め、グラウンドを徹底的に小奇麗にしよう。

そんな発想から、雑草や不恰好な石ころに至るまで、目のつく物は全て排除していた。

 

「まあ、半分以上はお前の手によるものだがな。雑草に恨みでもあったのか?」

「あはは。最近色々と溜まってたからさ。私もスッキリしたよ」

 

晴れやかな笑顔を向けると、ユーシスが含みのある笑みを浮かべながら、小さく溜息を付いた。

 

ここ3日間の記憶が、冗談抜きで曖昧だった。

何をして、何のために生きていたのかが分からない。食事を苦痛と感じたのはいつ以来か。

今まであったはずの日常が、無い。唯々絶望しか感じられなかった。

 

「よかったわね、学院祭前に仲直りができて。喧嘩なんて初めてでしょ?」

「喧嘩って言うのかな、あれ・・・・・・」

 

昨晩、漸く私とロイドに対するガイウスの誤解が解けてくれた。

彼を責めることはできない。立場が逆だったらと思うと背筋が凍る。

例えばもし、リンデとガイウスが腕を組みながら―――うん、やめよう。考えたくもない。

 

「言っておくが、原因はお前の不用意な行動にあるということは理解しておくがいい」

「泣いて縋ったって、駄目な時は駄目なんだからね。気をつけなさいよ」

「わ、分かってるってば」

 

ユーシスとポーラがグサグサと釘を刺してくる。

レクター大尉がどうやって何のために、あんな真似をしたのか。それはもうどうだっていい。

ある意味で、いい経験になったのかもしれない。恋仲なら、ああいったことも―――

 

「・・・・・・ちょっと待って。泣いて縋ったって、私言ったっけ?」

「え?ああ、それはほら。や、やっぱりそれぐらいはしたのかなーって」

「フン、想像するに容易い。それだけの話だ。そう、それだけだ。今日はいい天気だな」

 

私がガイウスの前で涙を流したのは、昨晩の出来事だ。誰にも見られてはいない。

訝しむ私に対し、2人は視線を合わせながら、頻りにあれこれと言葉を投げてくる。

何だろう。何かを誤魔化されているような気がしなくもない。

 

眉間に皺を寄せていると、昼を知らせるチャイムが本校舎から聞こえてきた。

そろそろいい時間だし、当日の段取りを確認しながらお昼にしよう、とポーラが言った。

するとユーシスが、仲直りの祝いに奢ってやると言い出し、ポーラがそれに乗っかった。

嬉しいけど、釈然としないものがある。そう感じつつも、私のお腹は空腹を訴えていた。

 

________________________________

 

時刻は昼の12時半。授業は休みでも、学生食堂は今日も平常運転。

私達は同じテーブルを囲みながら、10月23日の予定について話し合っていた。

 

「初日は結構忙しいわね。どれぐらい人が来るか分からないけど・・・・・・」

「例年の来場者数を考えれば、覚悟はしておいた方がいいだろう」

 

催しの1つである乗馬体験コーナーは、初日に私達3人が担当することになっていた。

初心者大歓迎と謳っていることもあり、常に最低2人は必要になるはずだ。

時間帯によっては、3人総出で対応することも考えておかなければならない。

 

「ランベルト先輩の話だと、乗馬体験の問い合わせが結構来てるみたいだよね」

「新聞にまで載っちゃったものね・・・・・・」

 

そう。私達馬術部3人組の姿は先月の中旬に、新聞に載った。

初めて聞かされた時は、開いた口が塞がらなかった。実際に目の当たりにした時も同様だった。

 

 

『学び舎の垣根を越えた絆』

 

第7回生徒会交流会が18日、聖アストライア女学院で開かれ、約40名の学生が参加した。

同交流会は高等学校の学生同士が交流を深め合い、お互いの良さを分かち合うことを目的として、7年前より毎年開催。今年はセントアーク理科大学も参加し、例年にない盛り上がりを見せた。

会場では各校の生徒会が学内での取り組みを紹介した他、代表のクラブからの活動内容が発表された。各校が独自の良さを持っており、盛んに意見や議論が交わされた。今年度の主催校であるトールズ士官学院、マカロフ教員は「学生が見聞を広げられる貴重な場。我々教員も学ばされることが多い」とし、今後も同取り組みを継続できるよう働きかける意志を示した。

(写真はトールズ士官学院馬術部の部員ら。乗馬や馬の世話を通じて、身分や性別の垣根を越えて育んだ絆の深さを熱弁した)

 

 

「絶対にユーシス目当てのお客さんが来ると思うわ」

「俺は女性部員に関する問い合わせが多かったと聞いたがな」

 

どうだろう。こうして見れば美男美女だし、その両方が来てもおかしくはない。

それにリリによれば、音楽院では2人に関するある噂が実しやかに流れているそうだ。

これは私の胸の中に秘めておこう。言ったら大変なことになってしまう気がする。

ちなみに文芸部では、そんな噂をネタに、あれやこれやと妄想するのがブームらしい。

これも黙っておこう。下手をすれば、彼女達の命が危険に晒される。

 

いずれにせよ、私達の知らないところで、士官学院馬術部の名が広まっていた。

気軽に乗馬を体験できるともなれば、当日は目の回る忙しさかもしれない。

 

「そういえば、私達のステージ演奏は2日目だけど、ポーラもクラスの出し物があるでしょ?大丈夫なの?」

「私は事前準備役だったから、開催中はお役御免なのよ」

「『みっしぃパニック』だったか。この時期に微妙なものを選んだものだ」

 

ポーラ達《Ⅴ組》の出し物は、ユーシスが今言った『みっしぃパニック』。

ラウラお気に入りのキャラクターを使った、アトラクションの類だそうだ。

一応、あのミシュラムワンダーランドから、採用の許可を貰っているとのことだった。

あちら側にとっても、みっしぃの名が帝国に広まるのなら言うことはないのだろう。

 

「うーん・・・・・・まあ確かに、微妙な時期ではあるよね」

 

クロスベル問題は通商会議に端を発し、様々なメディアが取り沙汰している。

帝国解放戦線の脅威が去った頃からそれは顕著になり、そして10月17日。

独立の是非を問う住民投票が実施されてから、再びクロスベルは周辺各国から注目されていた。

 

投票率は9割を超え、その7割以上が独立を望む物だった。

当初の予測を上回るクロスベル住民の声は、間違いなくあの襲撃事件に起因していた。

それは傷の深さを実際に目の当たりにした、私だからこそ理解できる。

 

「変な噂も多いわよね。襲撃事件が自作自演だなんて話、どうやったら出てくるのかしら」

「不謹慎過ぎるよ・・・・・・本当に、たくさんの人が家族や家を失くしたっていうのにさ」

 

ポーラが言うように、最近では全く理解し難い噂話を耳にしていた。

曰く、あの襲撃事件は全て、クロスベルによる自作自演。

民意を独立へ向かせるために、猟兵団を雇ってクロスベル市を襲わせた。

一方で、裏で共和国と手を組み、事件を帝国による陰謀だと工作している、なんて話まであった。

正直に言って、どれも聞くに堪えない下らないものばかりだった。

 

「客観的に見れば、あの襲撃事件はクロスベルにとってもマイナスでしかない。通商会議に続いて、再び国防力の脆弱さを露呈したに過ぎん。独立など夢のまた夢だ」

 

夢のまた夢、か。そう断言されても、反論の余地がない。

言い切ったユーシスに、ポーラが頭を掻きながら投げかける。

 

「それ、私も気になっていたのよ。色々な話を聞くけど、結局クロスベルの独立って難しいわけ?」

「今更それを聞くのか・・・・・・当たり前だ。山積みの課題をクリアーできたとしても、帝国と共和国の承認が得られなければ全て水の泡だ。両国が認めるわけがないだろう」

「どうして?」

 

呆れ顔のユーシスが、ポーラに1つ1つ現実を突き付けていく。

 

真っ先に思い当たるのは、税収の問題。

クロスベルに課せられた10%という異常な税収は、両国にとって貴重な収入源。

これ1つとっても、クロスベルの独立は不利益を被ることと直接結びつく。

 

それにクロスベルは自由貿易都市として、商業的に重要な拠点でもある。

国として両国の手を離れれば、関税を含めた取引に関する諸問題が引っ掛かってくる。

どのような形で落ち着いても、周辺各国にとっていい方向に働くはずがない。

 

「それにクロスベル自体にも問題がある。警察や警備隊の癒着問題に、二度に渡る襲撃事件・・・・・・先も言ったが、国防力は国を成す国民、領地、主権を守る重要な要素だ。それを無くして独立など成り立つわけがない」

「ちょっと待ってよ」

 

ユーシスの言葉が、私の何かに障った。

言っていることは全て正しい。それでも私は、認めたくなかった。

その身を犠牲にしてあの地を守り抜いた人達の顔が、思い出された。

彼らを悪く言われているような気がして、思わず気が立ってしまった。

 

「警備隊については、帝国と共和国も関与していることでしょ。通商会議でもそうだったけど、飛空艇や戦車の所持を認めていない側が、クロスベルの国防力を指摘するのっておかしくない?何か納得がいかない」

「それを俺に言ってどうする・・・・・・それに今の話は、歴史的な背景がそうさせているだけだろう。宗主国がころころと変わる自治州に、独自の軍事力の所持を認める国がどこにある」

「でも今と昔は違うよ。時代は変わったし、クロスベルも変わった。なら体制も変えて然るべきじゃないの?」

「クロスベルの急速な発展には、防衛費を最低限度に抑えていることも貢献しているんだぞ。今年度の州予算内で、防衛費が占める割合を知っているのか?元々が―――」

「ストップストップ。2人とも、その前にもう1つ聞いてもいい?」

 

やや不穏な空気が流れ始めたところで、ポーラが横槍を入れる。

ポーラはまた言い辛そうな表情を浮かべながら、そもそもの大前提を問いかけた。

 

「独立自体、クロスベルにとってメリットがあるのかしら。さっきから話を聞いてると、そうは思えないのよね」

「それは・・・・・・うん。私だって、そう思うよ」

 

それは先週、現地でロイドらとも語り合ったこと。

現地民である彼らですら、ポーラの疑問に対する答えは持ち合わせていなかった。

独立と一言で言っても、そこには理想と現実がある。

 

属州として搾取され続けてきた、支配される側からの独立。

聞こえはいいし、そこには確かな正義と魅力に満ち溢れている。

それにクロスベルには今、とりわけ帝国に対する敵対心が募っている。

あの襲撃事件の黒幕がどこにあるのか。それは定かではない。

が、既に住民の間では噂の範疇を越え、行き場の無い怒りをぶつけるように信じられているのだ。

 

一方で、現実の独立はどうなのか。

その姿がまるで想像できない。想像したくないのかもしれない。

思い描かれるのは、2大国に挟まれ、睨まれるクロスベルだけだ。

帝国と共和国がどんな強硬策に打って出るのか、分かったものじゃない。

今し方ユーシスが触れたように、必然的に莫大な予算が防衛費へ費やされることにも繋がる。

独立の先に待ち構えている未来は、決して明るいものだけではない。

 

「まあ、難しいよね。だからこれだけ騒がれてるんだし・・・・・・生まれ故郷のことだから真剣に考えたけど、今は不安しかないかな。どっちに転んでも、手放しには喜べないっていうのが正直なところだよ」

「そうなんだ。何かそういう意見って新鮮ね」

「まだ良識のある判断と言えるだろう。州民は冷静さを欠いているとしか思えん」

 

ともあれ、ここで議論したところで何も生まれはしない。

それに今クロスベルが置かれた状況は簡単ではないし、私も全てが見えているわけではない。

 

「よいしょっと」

 

だから私は2人に先んじて、食器が置かれたトレーを返却するために腰を上げた。

 

「あら、もう行くの?」

「ごめん、サラ教官と約束してるんだ。先に戻っててよ」

 

_____________________________

 

午後13時過ぎ。

質屋ミヒュトを訪ねると、店内には既にサラ教官の姿があった。

 

「す、すみません、少し遅くなりました」

「あたしも今来たところよ」

 

昼の13時に、ミヒュトさんの下で。それがサラ教官との約束だった。

目的は勿論この質屋、そしてミヒュトさんが持つもう1つの顔。

私達には知り得ない情報を、流してもらうことにあった。

 

ミヒュトさんは私の顔を見るやいなや、楽しげに笑いながら言った。

 

「聞いたぜ。情報局の兄ちゃんに、こっ酷い目に合わされたそう―――」

「忘れて下さい」

 

表情を変えずに、抑揚のない声で遮る。

思い出させないでほしい。今週の出来事だというのに、遠い過去のように思えてくる。

でもだからといって、故郷について新たな情報が得られるなら、私は迷いはしない。

クロスベル問題は、大陸全土を巻き込みつつある。できる限りのことを知っておきたかった。

今日の件についても、サラ教官に頼み込んで同席を願い出ていた。

 

「クク、まあいい。ほれ、注文の品だ」

 

2万と7800ミラ。ミヒュトさんが料金を述べながら、カウンターに小さな包みを置いた。

音から察するに、硬い金属製の何かだろう。サラ教官が依頼していた物だろうか。

情報屋として以外に、頼れる何でも屋として、教官もよく利用しているとは以前に聞いていた。

 

サラ教官は苦悶に満ちた声を漏らしながら、ミヒュトさんの顔色を窺い始める。

 

「に、2万っ・・・・・・それ、当然情報料込みですよね?」

「ああ。安いもんだろ?」

 

相場がまるで分からない世界なだけあって、私にはその判断が付かない。

そもそも全額の何割を情報料金が占めているのか。聞いてもいいものだろうか。

 

「ねえアヤ。これから教えてもらう情報って、あなたも聞くのよね」

「え?はい、そのために来たんですけど・・・・・・待って下さい、私は払いませんよ?」

「わ、分かってるわよ」

 

目が本気だった気がするが、触れないでおこう。

自慢じゃないが、私に支給される生活費は、大部分が食費として消えていく。

シャロンさんお手製の食事も無料ではない。よく食べる分、私にはそれ相応のミラが求められる。

帝都でレコードを購入して以来、最低限の生活雑貨以外に買い物をした記憶が無かった。

 

ミヒュトさんはサラ教官から受け取った情報料を数え上げると、ちらと私達の後方を見る。

すると視線を落としたまま、呟くように語り始めた。

 

「『赤い星座』・・・・・・連中はまだクロスベルに潜伏中だ。所在は掴めていないがな」

 

赤い星座。

初めて耳にしたのは、帝都でフィーの口から語られた過去の中。

次にその名を目にしたのが、通商会議の後。ロイドからの手紙にあった通りだった。

そして今回が3度目。10月9日の日曜日に、2人の口から直接聞かされていた。

 

「あれだけ大それたことをしておいて、よく居座れたものね。その情報、トヴァルにも回しておいて貰えます?」

「ああ、お安い御用だ」

「あ、あの。私からもいいですか」

 

襲撃事件から既に、10日以上が経過している。

それでもなお、今もクロスベルに留まっているという事実だけでも驚愕の思いだった。

私が知りたいのは、その先。そう思い口を開きかけた瞬間、ミヒュトさんが被せるように言った。

 

「言っておくが、連中の目的も雇い主も掴めちゃいないぜ。当たり前だがな」

「・・・・・・そうですか」

 

胸の内を垣間見られたのか、先回りをされてしまった。

当たり前、か。聞くまでもなかったことかもしれない。

現地に赴いた私でさえ知らない事実を把握しているだけでも、本来なら信じ難いことだ。

 

当のクロスベル市では、この帝国による陰謀説が市内中に流れていた。

一方の帝国では、クロスベルによる工作、共和国との繋がりまでもが疑われ始めている。

事実は1つしかないというのに、何故こうも複数の真実が語られてしまうのだろう。

 

「ま、新しい情報が入り次第教えてやるよ。有料でな」

「アヤ。気に掛かるのは分かるけど、今は目の前のことに集中しなさい。そんな調子じゃ、上手く踊れないわよ?」

「そう、ですよね・・・・・・すみません、無理を言ってしまって」

 

真相はどうあれ、これも学生食堂の時と同じだ。

この場で考察を重ねても、何も生まれはしない。単なる憶測にしかなり得ない。

今は2日後のことを考えよう。私達に許された時間は、もう残り少ない。

 

_____________________________

 

午後17時半。

旧校舎の入口扉を開くと、その先には私を除いた8名の同窓の姿があった。

この場に見当たらないのは、リィンにラウラ。そしてクロウ。

 

「みんな、お疲れ様。クロウはまだ戻って来てないの?」

「いや、予定が変わったとかで、衣装はリィン達が引き取りに向かっている」

 

私の疑問に、マキアスが掻い摘んで事情を話してくれた。

 

今日は当日の衣装合わせを兼ねて、本番と同様の流れでリハーサルを行う予定だった。

だが本番場所である講堂のステージは、《Ⅰ組》の使用予定が先々まで入ってしまっていた。

その代わりにとサラ教官が手配してくれたのが、この旧校舎だった。

 

多少不本意ではあったが、スペースは十分。音の聞こえ方も講堂と遜色ない。

何よりステージ衣装は、本番まで誰にも見せないようにと皆で決めていた。

それなら寧ろ、人が寄り付かない旧校舎の方が都合がいい。教官はそこまで考えてくれていた。

 

衣装は帝都の専門店までクロウが取りに向かう手筈だったが、そこは変更があったようだ。

リィンとラウラが、現在導力バイクで帝都から向かっている最中らしい。

クロウはどこで何をしているのだろう。学内にいるのだろうか。

 

「というわけで、今は衣装待ちなんだ。馬術部の方はもういいのか?」

「うん、有志の先輩達もいるから大丈夫。ユーシスも先に来てるでしょ?」

「ああ。リィン達が帰って来るまで、もう少し待たないといけないな」

 

周囲を見渡すと、皆が階段や床に腰を下ろしながら、思い思いにくつろいでいた。

私と同じようにクラブの方に顔を出し、今はリハーサルに向けて体力を温存しているのだろう。

檀上には既に楽器類が準備してあり、その前にはエリオットとガイウスの2人が座っていた。

 

「ガイウス、美術部の方はどう?」

「展示場の設営は済んである。手掛けていた油絵も何とか間に合ってくれた」

「そう。当日、楽しみにしてるからね」

「俺もだ。アヤにも是非見て貰いたい」

 

最近、2つの油絵に注力していたことは聞いていた。

一方で、何を描いた物なのかは一貫して教えてくれなかった。

当日までのお楽しみ、というやつだそうだ。似合わないことをする。

 

ガイウスと会話を交わしていると、周囲にはいつの間にか皆の顔があった。

誰もが含みのある、何かを言いたげな笑みを浮かべていた。

 

「・・・・・・何?」

「えへへ。いやほら、本番まで仲違いしたままだったらどうしようって思ってたからさ」

「ぶっちゃけ覚悟はしてた」

「ふふ、誤解が解けて何よりですね」

 

ごめんなさい。素直に頭を下げた。ガイウスもそれに続いた。

今考えてみれば、私は自身のことしか考えていなかった。周りが全く見えていなかった。

どうやら相当な心配と気苦労を掛けてしまっていたみたいだ。心苦しくて仕方ない。

 

「アヤってば、死んだお魚みたいな目をしてたもんねー」

「見ているだけで気の毒だったものね・・・・・・でも、ガイウスがもう少し早く素直になってくれたら、ああはならなかったと思うわよ?」

 

アリサの言葉が、ガイウスの胸に深く突き刺さった。ように見えた。

かと思いきや、どういうわけかマキアスが、ガイウスの一歩前に歩み出る。

 

「待ってくれ。今回の件はアヤ君の軽はずみな行動が招いたことだろう。ガイウスを責めるのは筋違いじゃないか」

 

マキアスの言葉が、私の胸に深く突き刺さった。ように感じた。痛い、痛すぎる。

かと思いきや、今度はフィーが私の一歩前に歩み出る。

 

「事情は聞いてるでしょ。あれは追跡者を惑わすフェイクで、アヤに他意は無かった。それはガイウスも分かってるはず。なのに退かなかったのはどうして?」

 

マキアスに続いて、エリオット。

 

「ま、待ってよ。恋人のあんな写真を見せられたら、誰だってショックを受けるよ。あんなガイウス初めて見たし・・・・・・本当に辛かったんだよ?風を求めて屋上の柵を乗り越えるぐらい辛かったんだよ?」

 

フィーに続いて、エマ。

 

「それはアヤさんも同じ、いえそれ以上です。きっと信じてくれると信じていた殿方に裏切られる・・・・・・想像を絶する程の苦しみを味わったはずです。昨晩のアヤさんの涙を何だと思ってるんですか?」

 

何だ、これは。一体何が始まった。

よく分からないが、私達のせいで大変な事態を招きかけているような気がしてならない。

 

「ねえ、ガイウス。何か変な空気になっちゃって―――」

「お、俺は・・・・・・何てことを・・・・・・アヤに、アヤに・・・・・・」

 

ガイウスもガイウスで、何やら変なスイッチが入っていた。

あっという間に、私を取り巻く人間達は、平静ではなくなっていた。

・・・・・・え?昨晩の、涙?

 

「ま、待ってよ。ポーラもそうだけど、何で昨晩のことをエマが―――」

「大体アヤ君は日頃から警戒心が薄すぎるんだ。男子の身にもなってくれ」

「僕もそう思う。見せられるこっちだっていい加減にしてほしいんだよ」

「待ちなさい!あなた達急に何言ってるの!?」

「変態」

「ああもう、僕達だって被害者なんだってば!」

「不埒すぎますっ・・・・・・ユーシスさんも同じなんですか!?」

「阿呆が。同じ馬術部に身を置いてみろ、3日間で耐性が付く」

「だからあなたまで何を言い出すのよ!?」

「変態」

「結論としてはアヤ君が悪い!そもそもの原因は彼女にあるだろう!」

「いいえ、ガイウスさんの小ささが原因です!」

「あはは、何だか楽しくなってきたね!」

「俺はっ・・・信じてやれずに、アヤを・・・・・・・・・」

「ねえ何で!?何で昨晩のことを知ってるの!?」

 

知らぬ間に、私も参加していた。

 

__________________________________

 

午後18時。

士官学院の敷地内は既に大部分が装飾され、祭りの様相を呈し始めていた。

夕陽に照らされたその様は、まるで学院祭を終えた後。装飾を片している最中のようにも映る。

祭り前の高揚感と、後の解放感。その2つが合わさり、ノスタルジックな感傷を抱かせた。

そんな士官学院の敷地内で、リィンとラウラは歩調を合わせながら、旧校舎へと向かっていた。

 

「だから私は言ったのだ・・・・・・」

 

導力バイクを2人乗り。これにはいくつかのコツがある。

肩や肘の力を抜き、両腕はライダーの腹部を抱え込むように添える。

膝は腰周辺を軽く挟み、適度に密着しながら、視線は前に。

ラウラはジョルジュから教わった体勢を厳守し、リィンに身体を預けていた。

 

傍から見れば気恥ずかしいことこの上ない。

だからラウラは、正門前で降ろしてほしいと、リィンに願い出ていた。

そんな彼女の思いを意に介さず、リィンは導力バイクに乗ったまま、技術棟を目指してしまった。

 

「はは、すまない。悪目立ちしちゃったな」

 

そういう意味で言ったわけではない。ラウラはそう口に出そうかと思ったが、気が引けた。

この男はいつもそうだ。感情を揺さぶられるのは、いつだってこちら側。

そしてそれは、私だけではない。だから余計に揺れ動くし―――胸が痛む。

 

「どうかしたのか?」

「何でもない。詮無いことだ」

 

言いながら、ラウラは衣装が入ったトランクケースを、左手から右手に持ち直す。

無意識の行動だった。左手ばかりに負担が掛からないよう、単に右手へ持ち替えただけ。

そんな彼女に、リィンは言った。彼のそれも、無意識の言動だった。

 

「なあ、ラウラ」

「何だ」

「手を繋がないか」

「は?」

 

ラウラの左側を歩くリィンの手と、ラウラが繋がる。

本校舎東部から道を外れ、旧校舎へと続く細道を2人が行く。

赤面する余裕は無かった。驚き戸惑う時間すら無かった。

唐突に握られた手からお互いの体温を感じながら、会話を交わすことなく歩を進める。

 

一歩。また一歩。

石畳の階段を上り、入口扉の前で足を止める。

視線をやや下方へ落とし、立ち尽くすたった数秒間の一時。

離したくない。そう感じながらも、扉の向こう側から聞こえて来る喧噪で、我に返る。

 

「す、すまない」

「い、いや。私は別に」

「・・・・・・離す、か?」

「・・・・・・ああ」

 

そっと、お互いの手に距離が生まれる。

―――自分は今、一体何をしていたのか。

理解に至る前、誤魔化すようにお互いの手がハンドルに伸び、勢いよく入口扉が開かれた。

その先に待ち構えていたのは、混乱の境地だった。



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士官学院祭、そして―――

10月23日土曜日、午前9時。

 

「これより第127回、トールズ士官学院、学院祭を開催します。どうぞ心行くまで楽しんで、みんなで盛り上がって下さい!」

 

トワ会長の宣言が終えると同時に正門が開かれ、来場者らが歓声と拍手で呼応する。

それに再度返すように、学内で待ち構えている学生達からも、次々と声が上がった。

大半は「しゃあー!」「うぇーい!」といった、表現し辛い声の数々。

言葉を選ぶよりも、感情が先走っている表れだろう。無理もない。

誰もが待ちに待った士官学院祭が今、開催を迎えたのだった。

 

私達《Ⅶ組》は正門からやや離れた地点から、来場者らの姿を見守っていた。

皆と同様に、はしゃぎ騒ぎたいところではある。が、身体がそれを許してくれない。

寧ろ「もっと眠れ」と、まるで場の空気を無視した要求を突き付けてくる。

 

「まあ、ぶっちゃけまだ眠いよね」

「口に出さないでよアヤ。私だって・・・・・・くぁっ」

 

欠伸を噛み殺しながら、アリサが口元を両の手で押さえ言った。

 

ステージ演奏はこの2日間の追い込みで、誰もが納得のいく出来栄えに仕上げることができた。

全ての始まりは10月2日。本番のたった3週間前だ。素人目に見ても、強行軍だったと思う。

選曲や演出を取り仕切ってくれたエリオットらの力と指導、皆の努力があってこその成果だった。

そして昨晩。ステージには、サプライズとアンコールが付き物。

そんなクロウの思い付きに近い何かは、私達の体力と時間を根こそぎ奪い去って行った。

 

「クク、おかげでもう不安要素は無いだろ?本番で上手くやれりゃ、いい線行けると思うぜ」

「ま、まあこうして無事に朝を迎えられたことだし、本番は明日の午後だ。今日は皆で学院祭を満喫して、明日に備えればいいんじゃないか」

 

マキアスの言葉に、皆がやりきったその表情に笑みを加え始める。

できる限りのことはやったはずだ。クロウの提案も、ある意味で不安を拭い去ってくれた。

練習の成果を出し切ることができさえすれば、《Ⅰ組》の劇にさえ見劣りしない自信がある。

 

「んー、みんな結構余裕だね?クロスベルでは結構大きいニュースがあったばかりなのにさ」

「「・・・・・・」」

 

ミリアムが言うと同時に、浮かび始めた皆の笑みが消えていく。

今それを言うか。呆れ顔のユーシスの突っ込みに、ミリアムは少しも悪びれた様子を見せない。

 

昨日の10月22日、午後15時。

公の会見の場で、ディーター・クロイス市長はクロスベルの『国家独立宣言』を発表した。

同時に『クロスベル独立国』の名称を提示し、声明は一夜にして大陸全土に広まった。

驚天動地。青天の霹靂。そんな仰々しい表現を使いたくなる程の、大事件だった。

 

「クロスベル出身者として、お前はどう考えている」

 

ユーシスの視線が、そして皆の視線が私に向いた。

 

「ん・・・・・・まあ、出身者としては大っぴらに言えないけどさ。でも言っていい?」

「言ってみろ。聞き流してやる」

「あり得ないよ、絶対に間違ってる。手遅れだとしても、即刻撤回するのが最善策だと思う」

 

私は素直に思ったことを述べた。

独立の意志を否定するつもりはないが、賛同するには条件がまるで揃っていない。

何をそんなに急ぐ必要があるのか、私には理解できないでいた。

 

ディーター市長は独立の提唱に続き、独立国としての改革案を示した。

帝国と共和国の自治権破棄。税収10%壌土の完全撤廃。そして―――『クロスベル国防軍』。

警察と警備隊を再編した、独自の防衛力としての軍事力。その配備の意志までもを明らかにした。

 

これには帝国政府は当然として、共和国側も断固として受け入れないという声明を出している。

周辺各国も余りに唐突、且つ強硬な独立宣言に、慎重に協議すべきとの意見を示していた。

 

「ねえミリアム。他に新しい動きとかは聞いてないかな」

「まだ何にも。国防軍っていうのも、まだ一部の警備隊しか再編されてないみたいだしね」

 

ならクロスベル警察は、そして特務支援課の皆は、今頃どうしているのだろう。

彼らだって決め兼ねていたし、答えは持っていなかった。市長へ安易に同調するはずがない。

話がしたい。許されるなら、もう一度クロスベルに飛んで行きたいところだ。

 

するとリィンが振り返りながら、ミリアムを端に流れ始めた空気を払拭するように言った。

 

「いずれにせよ、今は学院祭に集中しよう。来場者の皆も、楽しみにわざわざ来てくれたんだしな」

「ええ、ですね。予定通り夕方に最終確認を行うとして、それまでは自由行動になります。アヤさんとユーシスさんも、朝からクラブの方に向かうと仰っていましたよね?」

「ああ。乗馬体験コーナーは朝一から開く予定だからな」

「そうそうっ・・・・・・ゆ、ユーシス!お客さん達、もうグラウンドに向かってるみたいだよ?」

「むっ」

 

視線の先には、急ぎ足でグラウンド方面へ向かう人々の姿があった。

全員とはいかないまでも、乗馬目当ての客が大部分を占めていると考えた方がいい。

こうしてはいられない。ポーラも既に会場へ向かっているはずだ。

 

「急ぐぞ。またあいつに小突かれるのは御免だ」

「ごめんみんな。じゃあ、また夕方ね」

 

間が悪いというか、タイミングが悪いというか。

最近は色々あり過ぎて、クロスベルに想いを馳せることが多い。

それでも今は、リィンの声に耳を傾けよう。

 

ポーラとユーシス、馬術部の皆。

ステージ演奏の練習と並行して、今日を迎えるために多くを積み上げてきた。

それを無駄にしないためにも、今は馬術部員として、来場者の期待に応えたかった。

 

____________________________________

 

午後12時過ぎ、グラウンドの厩舎内。

 

「おねーちゃん。これ、どうすればいいの?」

「ほら、一緒にお馬さんに食べさせてあげよっか」

 

膝を曲げて同じ視線に立ち、ニンジンを持つ男の子の右手に、後ろからそっと手を添える。

おっかなびっくりの右手から馬がニンジンを受け取り、音を立てて噛み始めた。

 

「わー。息、すごいね。怒ってるの?」

「あはは。美味しいって言ってるんだよ」

 

勿論私には、声は聞こえない。その場しのぎの私の通訳に、男の子が喜びの声を上げた。

私が今対応しているのは、10歳前後の男の子と、彼の祖母と思われる女性の2人組。

ベアトリクス教官と同年代ぐらいか。白髪交じりの女性は、私達を温かな目で見守っていた。

 

興味津々の男の子に気を配りながら、邪魔をしないように一歩後ろへと距離を取る。

 

「余程珍しいみたいですね。楽しんでくれているようで何よりです」

「そうねえ。あたしが小さい頃は、そこら中で目にするのが普通だったけど、最近は街道を走る馬車もすっかり減ってしまったものね」

 

2人は帝都在住で、今日は娘の孫に当たる男の子と一緒に、トリスタまで足を運んだ。

両親が共働きなこともあり、お祖母さんがこうしてよく面倒を買って出ているそうだ。

お祖母さんの夫は実家で農業を営む次男坊。数年前に独り身になってからは、娘夫婦と一緒に帝都で暮らしている旨を話してくれていた。

 

「こう見えて、以前は泥に塗れながら馬を引いていたのよ。昔は馬抜きの生活なんて考えられなかったもの」

「よく分かります。私も故郷ではそうでしたから」

「え?おばあちゃん、お馬に乗ったことがあるの?」

 

勿論よ、とお祖母さんが答えると、再び男の子の目が輝きだす。

引退した今となっては乗馬は無理だろうが、現役の頃は力強く馬を引いていたに違いない。

 

「ねえ君、ちょっとだけ乗ってみる?」

「ほ、ホントに?乗りたい!乗ってみたい!」

 

はい、男の子1名予約が入りました。

胸の中でそう呟きながら厩舎を出ると、丁度ポーラの手が空いたところだった。

 

「ポーラ、この子お願いできる?」

「ええ、いいわよ。厩舎の中には今何人いるの?」

「この子が最後。少し落ち着いてきたね」

 

ポーラに男の子を任せながら、お祖母さんに一言挨拶を述べ、周囲を見渡す。

そろそろ昼時ということもあり、客足は途切れつつあった。漸く一息付けそうだ。

 

かと思いきや、女の子とその母親と思われる女性に、声を掛けられる。

今し方ユーシスが対応していた2人のお客さんだった。

 

「すみません、写真をお願いできますか?」

「はい、いいですよ」

 

ファインダーを覗くと、その先には満足気に笑みを浮かべる女の子。

そしてどこかホクホク顔の母親と、やや疲れ気味のユーシスがいた。

 

(ちょっとユーシス。笑顔、笑顔)

(わ、分かっている)

 

作り笑いとはいえ、彼にしては上出来だろう笑みが浮かんだところで、シャッターを切る。

初めは久しぶりの写真撮影に戸惑いもあったが、大分慣れてきていた。

 

私達の予想に反して、来場者の多くを親子連れが占めていた。

子供らが乗馬や馬との触れ合いを楽しみながら、両親や祖父母がその様を見守る。

私達はその手助けをする。朝からその繰り返しだった。

馬を目にする機会さえもが減少しつつある今、子供らにとっては新鮮味に溢れた場であるようだ。

 

「お疲れ様、ユーシス。本当に疲れてるでしょ」

「見れば分かるだろう・・・・・・」

 

もう1つの客層が、まあ言ってしまえばユーシス目当ての女性陣。

更に言ってしまえば、子供らをダシにして、ユーシスと関わりを持とうとするレディー達。

自然と記念写真撮影を求める声が増えていき、撮影係は私が担当するようになった。

 

私からすれば子供らは楽しんでくれているし、何も言うことは無かった。

対応に追われ、疲労困憊のユーシスを除けば、の話だが。

おかげ様で『12時~13時は昼休憩により一旦休止』の事前告知は無視され、今に至る。

結局は終始3人掛かりで追うに追われ、他の出し物を満喫する余裕など皆無だった。

 

「バイバイ、おねーちゃん!」

「お世話になりました。頑張って下さいね」

 

先程の2人組に別れの挨拶を送ったところで、乗馬体験の来客が一時ゼロになる。

間髪入れず、ユーシスが『昼休憩中』のプラカードをグラウンドへと突き刺した。

直後、休憩場として用意していたビニールシートの上に、ユーシスが崩れ去る。

まあ無理もない。私やポーラもそうだが、彼はその倍以上の労力を費やしたはずだ。

 

「大盛況と言えるわね。この分だと、午後も総出で対応しないといけないかしら」

「そうだね・・・・・・今日のところは、お客さんをもてなす側に専念しないといけないかも」

 

学院祭2日目、ポーラはフリー。

私とユーシスも午後からのステージ演奏までは、自由に行動できる。

本格的に学院祭を見て回れるのは、明日からになりそうだ。

それにこれはこれで、祭りを満喫していると言える。客足が伸びずに暇をするよりは何倍もマシだ。

 

「さてと。ポーラ、期待してもいいんだよね?」

「フフン。言っちゃなんだけど、4時起きよ。2人とも、私に感謝しなさい」

 

言いながらポーラが大きな包みを解き、中から現れたランチボックスを並べ始める。

各種屋台で出される食べ物を満喫するのも、明日から。

今日はゆっくりと休憩時間をとるために、ポーラお手製のランチを楽しむ手筈になっていた。

 

「おい。まさかとは思うが、ポテト―――」

「じゃないってば。今日ぐらいは普通よ」

 

蓋を開けると、そこには普通と呼ぶには豪華過ぎる料理の数々。

私の好みを知り尽くしているとしか思えない、思わず腹が鳴るランチが待ち構えていた。

おそらくユーシスも同様のはずだ。4時起きと言っていたが、本当だろうか。

少なくとも、昨晩から入念に下ごしらえをしていたに違いない。

 

「ポーラ大好き。愛してる」

「私もよ。ほら、アンタも何か言いなさ・・・・・・ちょっと!頂きますぐらい言いなさいよ!」

 

無我夢中でサンドイッチを頬張るユーシス。彼の疲労の程が窺える。

それに、思わず笑ってしまった。ユーシスのこんな姿を想像できる人間が、一体何人いるだろう。

私達にしか見せない、彼の一面がある。入部当初では考えられないことだった。

ともあれ、私も本気を出そう。ポーラ曰く、余らせるつもりで作ったらしい。

上等だ。身構えながら、私はサンドイッチを3重にして手に取った。

 

______________________________

 

午後12時50分。戦いはたったの10分で終焉を迎えた。

2割ポーラ。3割ユーシス。5割が私。ランチはめでたく3人の胃袋の中に収まっていた。

作った本人が一番少ないのは、少しだけ申し訳なく感じてしまう。

 

「はー。台風一過ってやつかしら。午前の忙しさが嘘みたいね」

「嵐の前の静けさかもよ。またすごい数のお客さんが来るんじゃない?主にユーシス目当てのさ」

「やめろっ・・・・・・そもそもの話が、いつから乗馬体験コーナーは指名制になったんだ」

 

今は残り僅かな休憩時間を満喫するべく、3人揃ってビニールシート上に横たわっていた。

中央のランチボックスに頭を向けて、3人が等間隔に寝そべる。

上空から見れば、長針が3本ある時計のように見えるだろう。

 

私が好きな時間帯。静寂に包まれた、緑色の午後。

上空には雲1つ見当たらない。正に祭り日和と言ったところか。

そんなことを考えていると、ポーラがそのままの体勢で言った。

 

「でも不思議。他人に乗馬を教えるなんて、以前じゃ考えられなかったもの」

「努力は認めてやる。俺からすればまだまだだがな」

「分かってるわよ。相変わらず一言多いわね」

 

ポーラが初めて馬の背に跨ったのは、4月の中旬。

たった半年間で、ポーラは見違えるように乗馬技術が向上した。

私やユーシスと比べることはできないが、今では安心して馬の世話も任せることができる。

そう。私達は―――変わった。

 

「ねえポーラ。初めて馬術部に来た時のこと、覚えてる?」

「勿論よ。入学式の時に初めて話した生徒も、アヤだったわね。ユーシスは覚えてる?」

「・・・・・・フン」

「そうそう。そんな感じで人様の挨拶を無視してくれちゃったのよね」

 

この半年間、《Ⅶ組》で濃密な時間を過ごしてきたと思う。

それはこの馬術部でも同じ。放課後は決まってこのグラウンドか、キルシェ。

キッカケは多分、5月の特別実習。あれ以来、この3人で夕暮れを眺める機会が一気に増えた。

 

そして7月の11日。私とガイウスが結ばれた瞬間を、2人が見守っていたあの夜。

あれからユーシスは事あるごとに絡んできた。鬱陶しかったが、嬉し恥ずかしなところもあった。

クラスの誰にも関係を明かさなかった分、ポーラにはよく相談に乗って貰っていた。

ガイウスも何だかんだで、ユーシスにはよくお世話になったと言っていた。

 

ポーラが感じたように、私も不思議な感覚を抱いてしまう。

共有した時間は圧倒的に少ないのに、《Ⅶ組》同士の絆に勝るとも劣らないそれが、ここにある。

馬と戯れながら、他愛も無い会話に興じる日々。思い出が色褪せることなく、積み上がっていく。

 

「アヤ、どうしたの?」

「ううん・・・・・・何だろ、ちょっと感傷に浸ってたかも」

「やれやれ。まだ学院祭は始まったばかりだぞ。まだ8分の1だ」

 

ユーシスの言葉に、首を傾げてしまった。

既に初日の半分を終えた。だから今は、4分の1のはず。

私が指摘すると、ユーシスは再び笑いながら言った。

 

「来年度のことを忘れたのか?今回の乗馬体験もそうだろう。この調子なら、来年度の学院祭でも実施を求める声が多いはずだ」

「・・・・・・そっか。そうだよね」

 

失念していた。私達には、まだ1年と半年の時間が残されている。

学院祭も、あと3日間と半日。この盛況ぶりを考えれば、ユーシスの言う通りかもしれない。

来年になればランベルト先輩達はこの馬術部を去り、私達は2年生となる。

 

「あれ?それなら、この馬術部の部長って誰がやるの?」

「部長か・・・・・・それがあったわね」

 

再び訪れる静寂。

精力的に活動している1年生は、この場にいる3人のみ。

ならこの中の誰かが、馬術部の部長を務めるべき。それは2人も分かっているはずだ。

 

目を閉じ、考える。適任者は1人しかいないように思えた。

すると「せーの」の合図で、3人同時に名指ししよう、とポーラが提案した。

今決めるべきことではないが、本人にその自覚を持ってもらういい機会になるかもしれない。

そう思い、私は賛同した。ユーシスも同じ思いのようだった。

 

「じゃあいくわよ。せーの―――」

 

「ユーシス」

「「ポーラ」」

 

三度訪れる静寂。そしてポーラの素っ頓狂な声。

案の定、本人に自覚は無かった。そしてユーシスも、私と同じ想いを抱いてくれていたようだ。

 

「ま、待って2人とも。どうして私なわけ?」

「ポーラ部長、私は自分で考えるべきだと思うよ」

「部長殿、レース場で競馬紛いの博打に興じている輩がいるぞ」

「放っておきなさいよ・・・・・・じゃなくて!」

 

往生際が悪いとは正にこのこと。私もユーシスも、考え無しにポーラを選んだわけじゃない。

クラブ活動に費やした時間と、注いだ情熱と想い。大切なのは技術でも知識でもない。

 

「あっ。部長、そろそろ再開の時間じゃない?」

「やめてって言ってるでしょっ・・・・・・ああもう。ほらユーシス、さっさと年老いたレディーの相手をしに行きなさい!」

「な、なんだとっ。指名制は無しだと言っただろう!?」

 

来年は胸を張って、この馬術部の中心に立っていてほしいと、素直に思える。

ユーシスが丸くなった要因は、ポーラにもあるはずだ。彼女にはそんな魅力がある。

1205年に想いを馳せながら、時刻は午後の13時を迎え、乗馬体験コーナーは再開を告げた。

 

________________________________

 

午後19時、第3学生寮。

士官学院祭1日目は無事終了し、私達《Ⅶ組》は第3学生寮の食堂に集っていた。

楽器の調整や段取りの最終確認は実施済み。後は練習の成果を本番で発揮するのみとなっていた。

 

「苦労はあったけど、最後の曲の導入もいいサプライズになりそうね」

「ああ。あとは俺達がどれだけ観客を沸かせられるかが重要だな」

「まあ、ここまで来たら気合あるのみだろう」

「んー、クロスベルもそうだけど、盛り上がって来たね!」

「「・・・・・・」」

 

朝に引き続き、ミリアムが皆に冷水を浴びせるが如く、あっけらかんに言った。

 

私達が学院祭に興じている最中、クロスベルでは再び市長による緊急会見が開かれていた。

周辺各国にとっては、昨日の独立宣言以上に、ひどく現実的な危機を意味するものだった。

ミリアムに代わり、アリサがその内容について言及した。

 

「クロスベル国際銀行・・・・・・各国から預かる国外資産を、凍結するっていう話ね」

 

大陸経済の中心地であるクロスベル国際銀行。通称『IBC』。

事実上、大陸各国の国外資産の大部分を預かる銀行が、その凍結を宣言したのだ。

凍結解除の条件は勿論、昨日に示したクロスベル独立宣言、その承認だ。

各国への内政干渉どころの騒ぎではない、大陸経済を根底から揺さぶる所業だった。

 

「アヤ。今の話はどれぐらい大きな騒動なんだ?」

「要するにさ。ノルドの集落に、外貨と食料を保管している倉庫があるでしょ。そこに誰かが勝手に鍵を掛けて、『言うこと聞かないと開けないぞ』ってみんなに脅してるようなものだよ」

「・・・・・・それは、要求を飲むしかないんじゃないか?」

「フン、もっと手っ取り早い方法があるぞ。鍵を持つ何者かを痛めつけて、強引に開かせればいい」

 

ノルドの集落を例えに使ったせいか、ひどく小さな世界に思えてくる。

だが現実には、規模は大陸全土。クロスベルが相手取るのは、その全てだ。

 

ユーシスの言う通りなのだ。何も要求をそのまま飲む必要はない。

手段はいくらでもあるし、痛めつけるに十分な軍事力が、クロスベルの両隣に存在している。

クロスベルには、両国に抗う術も、軍事力も無い。だからこそ理解できない。

 

報道からだけでは、クロスベルの凶行が、一体誰の意志によるものかが見えてこない。

こういった状況を回避するために、政治には複数の力があるというのに。

まさか本当に、市長1人による大それた真似だというのだろうか。

 

「ねえミリアム。朝も聞いたけど、報道で公になっている以外に、何か新しい動きはないの?」

「あったよ!今日の夕方ぐらいに、結構おっきいのがね」

 

皆がざわめき立ち、その続きに耳を傾ける。

 

「でもキミツジコウだから言えないよ?」

 

ガタタンッ!

 

思わず椅子から転げ落ちてしまった。

私のそんな様子に、皆がクスクスと笑い声を漏らし始める。

笑っている場合ではない。恐慌や戦争の引き金になりかねない、深刻な事態なのだ。

するとアリサが、椅子に座り直す私を見ながら言った。

 

「だから余計に現実味が無いのよ。クロスベル側も、引き下がるしか方法が残っていないじゃない?引き際さえ間違えなければ、大事には至らないと思うわ」

 

そういうものだろうか。少し楽観的すぎる気がしてならない。

撤退の2文字が選択肢にあるなら、初めからあんな声明を出すとは到底思えない。

 

「ま、俺達が考えても仕方ないだろうよ。それより、こんな状況でお前さん達の親御さんは来れるのかよ?お偉いさんが揃い踏みだろ?」

「それは問題ないそうよ」

 

クロウの疑問に答えたのは、丁度食堂に入ってきたサラ教官だった。

マキアスにアリサ、ユーシスにラウラ。エリオット。

軍や政府、企業の関係者にとっても、今のクロスベルは看過できない状況にある。

一方ですぐに帝国に影響が出るわけでもなく、無用に騒ぎ立てれば返って混乱を招きかねない。

それよりは予定通り、子供達の行事に参加することで、関係者を安心させたい。

そんな連絡が、各方面から士官学院へ直接届いているとのことだった。

 

「じゃあ、予定通り父さんも来れるんだ」

「ふむ。私も一安心だな」

 

サラ教官の話を聞いた皆が、安堵の色を浮かべ始める。

私とガイウスにも今月の初め、トーマとシャルちゃんの来訪を予告する手紙が届けられていた。

ご隠居が引率してくれるそうで、今頃は帝都にあるシャルちゃんの実家に着いた頃だろう。

 

「うーん。私、考え過ぎなのかなぁ」

「アヤ、気持ちは分かるが・・・・・・朝にリィンが言っていただろう。今は学院祭のことを考えるべきじゃないか?」

 

もう何度も同じ道を行き来していた。

クロスベルに気を取られては、目の前の学院祭を見据える。その繰り返しだった。

襲撃事件を発端にして、最近は事が起き過ぎた。少しナーバスになっているのかもしれない。

 

それに原因は、他にもあるように思える。その1つが、ラン。

いつも胸元に潜むか、鳥小屋に佇んでいるはずのランの姿が、無い。

2日前の10月21日から、忽然と姿を消してしまっていた。

 

「シャロンさん。ラン、帰ってきてないですよね?」

「はい。残念ながら・・・・・・」

 

ずっと一緒だったせいか、日常から1つのピースが抜け落ちたかのような感覚だった。

たまにふらりと居なくなることはあったが、丸2日間も帰ってこないのは初めてのことだ。

最近は様子が変だったし、何か関係があるのかもしれない。ステージ演奏、見せたかったのにな。

 

「今頃どこを飛び回って・・・・・・え?」

 

不意に、鐘の音色が聞こえたような気がした。

耳を澄ませて息を潜めると、再び。3回目で、皆の表情も変わった。

4回、5回と鐘が鳴るにつれて、記憶の奥底に埋まっていた何かが浮かび上がってくる。

 

(こ、これって)

 

あれはいつのことだ。夜空に鳴り響いた鐘の音色。私はこの音を、知っている。

私が思い至ったのと同時に、数人がハッとしたような表情を浮かべた。

それで確信が持てた。リィンにラウラ、ユーシス。ガイウスとミリアム、エマ。

8月末の特別実習。エベル湖の湖畔に佇みながら、青白色の光を放っていたローエングリン城。

2ヶ月の時を経て、同じ音色が遥か遠方から響き渡っていた。

 

この日の私には、知る由も無かった。

ランとの出会い。そして謎の失踪。その全てが、繋がっていたことを。

運命の歯車は、知らぬ間に動き始めていた。

 

10月23日。私がトリスタを去る、『5日前』の出来事だった。



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巨イナル影ノ領域①

10月23日、午後19時20分。

過去の記憶の中に眠っていた音色と、今し方耳にした鐘の音。

その2つが重なり、音の発生源に思い至った私達は、考えるより先に駆け出した。

辿り着いた先には数人の教官、そして先輩らの姿があった。

 

「ふむ・・・・・・」

 

数枚の書類を重ねた束を、ヴァンダイク学院長が熟読しながら捲っていく。

その書類は、先々月にレグラムへ足を運んだ私達が纏めた、特別実習の報告書。その後半部分。

学院長は書類の束に落としていた視線を上げ、眼前にそびえる『旧校舎』を睨みながら言った。

 

「確かに、報告書にある『結界』とやらと類似点が多々見られるのう」

「はい。あたしも彼らの話でしか聞いていませんが・・・・・・同類の障壁かもしれません」

 

士官学院の敷地内に踏み入れるより前に、遠目から青白色の『光』を捉えていた。

音色だけではなかった。近付くに釣れて、それは確信へと変わった。

鐘の音の発生源は、もう幾度となく探索を重ねては、姿を変えてきた旧校舎。

その旧校舎が今、まだ記憶に新しい青白色の光を纏いながら、『結界』に囲まれていた。

 

「んー。やっぱり、ガーちゃんでも無理だったアレかなぁ?」

「ああ、似たようなものかもしれないな。あの時と同じ風を感じる」

 

学院長が言ったように、光も音色も、先々月と全て同じだ。

実際に目の当たりにしたのは、私を含めた当時のA班メンバー。

8月29日に足を踏み入れたローエングリン城と同様の現象が、目の前で発生していた。

 

既に物理的な干渉は試されているようで、いくつかの機材が周囲に置かれていた。

ジョルジュ先輩曰く、『目の前にあるのに、何も感知できない』。

光も音も、温度さえもが全て平常値。人の目には見えるにも関わらず、観測が意味を為さない。

 

私達も同様の立場にあった。この現象を目の当たりにしたのは、これで2回目。

ローエングリン城と違い、建物そのものが結界に囲まれてしまっている。これでは手が出せない。

外部からの力を受け付けないのは、既にジョルジュ先輩が実践した通りだった。

 

「トマス君。おぬしはこの現象をどう考える?」

 

学院長が旧校舎へ向けた視線をそのままに、トマス教官の見解を求める。

 

「そうですねぇ。士官学院が設立されるより前から、この建物自体は存在していたという話ですし・・・・・・リィン君達の話も含めると、ローエングリン城と通じる『何か』があるのかもしれませんねぇ?」

「ふむ」

 

学院長は右手で白髪交じりの髭を撫でながら、考え込むような素振りを見せる。

すると意を決したように目を見開き、後ろ手に腕を組みながら再び口を開いた。

その口ぶりや言葉には無駄1つなく、彼が元軍人である事実を思い起こさせた。

 

「サラ君、それにトワ君。急ぎ伝え動いてほしい」

 

全教職員を緊急招集、30分後に臨時会議を開く。

住民からの問い合わせには現在調査中の旨を伝え、無用な混乱を回避。

全クラスの委員長と副委員長、クラブ部長と可能な限り連絡を取り合いながら―――

 

「―――明日の学院祭は、中止の方向で進めておきなさい。最悪の事態を想定して、動く必要があるじゃろう」

「はい」

「・・・・・・は、はい」

 

学院祭が、中止。

学院長の指示に、サラ教官とトワ会長が力無く応えた。

 

(ち、中止って・・・・・・)

 

余りにも唐突に下りた指示に、頭が働かなかった。

2日目の学院祭が中止。その意味を理解すべく、停止しかけた思考に鞭を打ち、考える。

 

朝方に来訪予定のトーマ達は、遠路遥々足を運んだ意味がない。

皆の家族もそうだ。期待に胸を膨らませていた多くの人間は、学院祭に来ることが叶わない。

私達も同だ。《Ⅶ組》のステージ演奏は勿論、他のクラスの出し物も全て無くなる。

グラウンドのレース会場も用を為さない。美術部の展示場を見学する予定は消える。

 

全部が水の泡だ。積み重ねてきた想いは切なく儚い記憶となり、思い出にはなり得ない。

だとするなら。本当に全部が消えるというなら。

私達は、この1ヶ月間―――何を、していたのだろう。

 

途方に暮れる私達の中で、初めに異を唱えたのリィンだった。

 

「ま、待って下さい。学院祭を中止って・・・・・・どういうことですか!?」

「どうもこうもないわよ」

 

そして学院長に代わり、事の重大性を突き付けたのは、サラ教官だった。

 

「こんな状況で来場者を迎えられるはずがないし、どんな被害が出るかも分からない。最悪の場合、住民への避難指示を出す必要があるかもしれないわ。学院長が仰ったのは、そういうことよ」

 

先程とは打って変わって、サラ教官の言葉が容易に頭に入ってくる。

眼前の異常の正体が掴めない以上、最悪の事態を想定するしかない。

ローエングリン城は、報告書に記すのも躊躇われた程に、理解し難い現象で溢れていた。

あの城と繋がりがあるとするなら、万全を期して構えるべきなのかもしれない。

 

頭では理解できる。が、やはり感情は首を縦には振ってくれない。

可能性が一握りでも残されているなら、それに賭けてみたい。だがそれすらも、私達には無い。

 

もう、どうしようもないのだろうか。絶望に苛まれ、視線が落ちかけた時。

一筋の、光が見えた。

 

「おや・・・・・・リィン君。腰の所、どうしたんですか?」

「え?」

 

トマス教官の声に、皆の視線がリィンの腰元へと向いた。

普段から彼が身に着けている、ARCUSを収納するホルダー。

それが今、『青白色』の光を放っていた。

 

「ど、どうしたのかしら。ARCUSが、光ってる?」

「いや。光が、ARCUSに宿っているようにもっ―――!?」

 

ARCUSを手に取り、その光を見詰めていたリィンの声が、途切れる。

するとリィンは無言のまま、学院長と教官の間を通り過ぎ、結界の前に立った。

 

(り、リィン?)

 

リィンはARCUSを持つ手とは反対側、左手の掌を、結界に向けた。

まるで意図の読めないその行動の直後、突如として結界が揺らぎ、光が増した。

水面に滴が落下したかのように、揺ら揺らと波紋が広がっていく。

 

「あ、アヤ。今のは、ローエングリン城の時の」

「うん・・・・・・結界が消える時の揺らぎと、ソックリだったね」

 

よく覚えている。宝珠の力を使い、結界を消滅させながら進んだ長い道のり。

消える間際の独特の揺らぎが、今し方目にした現象とソックリだった。

リィンのARCUSが、宝珠と同様の力を宿しているとでもいうのだろうか。

 

「り、リィン?一体何がどうなってるのさ?」

「分からない・・・・・・でも、これだけは確かみたいだ。俺なら、この結界を通ることができる」

 

エリオットの疑問に、リィンが確信めいた口調で答える。

やがてリィンは振り返りながら、言った。その表情には、覚悟を決めた人間の色が浮かんでいた。

 

「学院長、それにサラ教官。見ての通りです」

「待つがよい!」

 

リィンの声を遮ったのは、ラウラだった。

その先を聞かなくとも、想像するに容易かった。だからこそ、ラウラは声を荒げたのだろう。

彼女が言わなければ、私が先に怒鳴っていたかもしれない。

 

「言わずとも分かっている。そのような真似を、我々が許すとでも思っているのか!?」

「ラウラ。それでも俺は、可能性が残さ・・・れ・・・・・・っ?」

 

言葉を切ったリィンの、そして私達の視線が、ラウラの上半身へと向いた。

残された可能性。それが何故リィンのARCUSに宿ったのかは分からない。

理解に至るより前に、ラウラの上着内から、同色の光が漏れ始めていた。

 

「これは・・・・・・あ、アヤ。君のホルダーも光り始めているぞ」

「が、ガイウスこそ」

 

不意に感じられた、戦術リンクが繋がった直後の感覚。

リィンからラウラと私へ。ラウラからエリオットへ、私からガイウスへ。

次々とリンクが繋がり、《Ⅶ組》メンバー全員のARCUSに、光が渡されていく。

見る見るうちに光点は増え、合計で12の光が、私達を照らしていた。

 

「じ、ジョルジュ君。何が起きてるの?」

「分からない。でも彼らの光は、あの結界と共鳴しているみたいだ」

 

ラウラがリィンに習い、恐る恐る右手を結界に近づける。

リィンの時と同様だった。光は一際強くラウラを照らし、結界に波紋が広がっていく。

 

起点となったのは、間違いなくリィンだ。

彼が言ったように、ARCUSそのものが光を放っているようには感じられない。

ARCUSは戦術オーブメント。他機種と違いがあるとするなら、リンク機能に他ならない。

結界と共鳴する何かが、リィンのARCUSへと流れ込んだ。

それが戦術リンクを介して、私達にも。私には、そうとしか考えられなかった。

 

「リィン。分かっているな」

「ああ・・・・・・皆にも、すまない。こんな時に、大事なことを忘れていた」

 

ラウラの念押しに、リィンが観念したかのように答える。

その表情には、先程とは違う決意の色を浮かべていた。

 

「訂正します。俺達《Ⅶ組》なら、旧校舎の中に入ることができるようです。この現象の正体を明らかにするためにも、俺達に探索の許可を下さい」

「できる悪あがきなど、知れてはいるだろうが・・・・・・」

「それでも可能性がゼロでない限り、最後まで諦めたくはありません」

「元より、この建物の調査は我らの役目でもありましたゆえ」

「今回の異常事態についても、私達が調べるのが筋でしょう」

 

ユーシスにマキアス。ラウラにアリサ。

リィンに続き、皆が決意の言葉を学院長とサラ教官へ並べ立てる。

 

「サラ教官」

 

私にも、もう迷いはなかった。この際、分からないことは放置でいい。

可能性は1つじゃない。唐突に舞い降りた12の光と可能性に、賭けてみたい。

この1ヶ月間の思い出が無に帰するなんて、考えたくもない。

 

それに―――私には、もう1つの覚悟がある。

だからこそ、逃げるわけにはいかない。

 

「教官も言いましたよね。この異常事態は、士官学院内に留まりません」

「そうね。分かっているなら、早くこの場を去りなさい」

「退けません。この街で暮らす人々のためにも、私は退くわけにはいかない」

「これは学院長の指示なのよ」

「聞けませんっ・・・・・・これだって教官が教えてくれた、私の道です!」

 

怒鳴り声に近い私の決意に、トワ会長がビクリと身体を震わせた。

私に続く人間はいなかった。周囲が夜の静寂に包まれる。

 

サラ教官は腕を組み、瞼を閉じながら微動だにしない。

その姿からは、胸の内は窺い知れない。怒っているのか、呆れているのか。

どちらでもいいし、両方でもいい。私達の覚悟は、全て預けた。

 

やがてサラ教官は、隣に立つ学院長へ身体を向け、再び口を開いた。

 

「学院長。この半年間で、あたしも学んだことがあります」

「ほう。それは何かね?」

「信じることです。情けない限りですが、今も怖さの余り、身体が震えています。ですがそれは、教え子を信じ切れないあたしの弱さです」

 

―――怖くて堪らなかったわよ。でもそれは、あなた達を信じ切れないあたしの弱さだわ。

 

あれは確か、帝都地下から生還した時のことだ。

似たような台詞を医療棟で、私はサラ教官の口から聞いたことがある。

でも何故だろう。同じようでいて、何かが違う。その何かに思い至る前に、サラ教官は続けた。

 

「彼らは覚悟を示しました。だからあたしも覚悟を以って、それに応えます・・・・・・ほんの僅かな時間で構いません。どうか彼らに、旧校舎の探索を許しては頂けませんか」

「この異常事態の渦中に、己の教え子を放り込むと?」

「それがあたしが示せる、担任としての覚悟です」

 

その瞬間、この場に存在していたもう1つのARCUSが、私達のそれと同じ色の輝きを放ち始めた。

12の可能性が13になり、育んできた絆がまた1本、私達と繋がった。

 

「こ、これって・・・・・・どうして、あたしまで」

「フフ、お互いを認め、高め合う・・・・・・よきクラスじゃ。サラ君、おぬしを含めてな」

 

驚き戸惑うサラ教官を余所に、学院長は1つ咳払いをした後、声高らかに宣言した。

 

「現在午後19時40分。午後24時までの探索を許可しよう。それ以上は、明日に障りがあろうからな」

 

___________________________________

 

旧校舎地下、第7層。

導かれるままに私達が足を踏み入れた領域は、黒い瘴気に囲まれた、宙に浮かぶ魔宮。

 

私にしか知り得ない表現を使うなら、空の軌跡の劇中に登場した『輝く環』。

印象はまるで異なるかもしれないが、そう的外れな造りではないはずだ。

もう1つ例を挙げるなら、寧ろローエングリン城に近いかもしれない。

そこやかしこに張られた結界と、それを解除するための不可思議な装置の数々。

第6層までの旧校舎地下とも通じるところがあった。

 

それらと決定的に異なるのは、この不気味な感覚。

まるで夢の中を彷徨っているかのように、いくつかの感覚が不調を訴えていた。

 

初めに時間の感覚が狂い始め、次第に空腹感や疲労感までもが同様の事態に陥った。

疲れているのに、身体が動く。時間が経つに釣れ、空腹感が薄れる。その逆も然り。

時間が行ったり来たりを繰り返している。そんな表現しか、私には思い浮かばなかった。

そんな中で重宝したのが、ARCUSの時計機能。

当てにならない体内時計とは裏腹に、ARCUSだけは正確に時を刻み続けてくれた。

 

それに、エマ。

この領域に入る前から、彼女は何かを知っているような態度を見せ続けていた。

何かがあるのは知っていた。レグラムで壊れた私の身体を留めてくれたのは、エマだ。

エマは一体何者なのか。今は大した問題とは思えない。

いずれにせよ、彼女が同行してくれているというだけで、安心感があった。

 

「委員長、今何時だ?」

「22時46分・・・・・・探索を開始して、もう3時間近くになります」

 

道中の結界は当然として、そこら中を徘徊する魔獣にも、ひどく手を焼いていた。

大型魔獣の討伐依頼が、分単位で転がり込んでくるのと同様の状況にあった。

こればっかりは、疲労感が狂ってくれて助かったのかもしれない。

もしここが地上だったらと考えると、全員力尽きていてもおかしくはないはずだ。

 

「もう23時近いのか・・・・・・不味いな」

 

リィンの言葉に、皆が表情で賛同の意を示し始める。

 

もう1時間以上前から、私には帰りの道順が把握できていない。

結界を解除する手間を抜きにしても、入口まで戻るのに相当な時間が掛かるはずだ。

私達に残された時間は、あと1時間。もう帰路に着かなければならない時間帯に入っていた。

 

「だがここまで来たら、引き返すわけにもいかないだろうよ。おいリィン、どうすんだ?」

「ああ、そうだな。もしかしたら他の階層のように、奥部に転送装置があるかもしれない。その可能性に賭けてみよう」

 

リィンとクロウが、後方を歩くサラ教官へと視線を送る。

教官は探索開始時と同様、「好きにしなさい」と一言だけ。

戦闘においても探索の方向性についても、サラ教官は一歩退いた立ち振る舞いを続けていた。

敢えてそうしているだろうことは、容易に想像が付いた。

 

「むー。何だか同じような道ばっかで飽きてきたよ」

「ぐっ、こんな時に緊張感の欠片もない台詞を吐くんじゃ―――」

 

ユーシスの声を遮ったのは、エマの足元を歩くセリーヌだった。

エマを追うようについて来てしまったセリーヌは、時折不思議な挙動を見せることがあった。

今はいきり立ったように、獰猛な声を発していた。

合わせるように、眼前に立ちはだかった扉に対して、フィーが首を傾げる。

 

「この扉・・・・・・ねえエマ。これ、他の扉と雰囲気が違う」

「ええ、何かの気配を感じます。もしかしたら、この先が終点かもしれません」

 

終点。その言葉に皆が期待の色を浮かべ始めた―――その時。

 

「皆、後ろだ!」

 

ガイウスの声と同時に、後方から複数の邪悪な気配が突如として膨れ上がり、皆が身構え始める。

紫色の光の中から現れたのは、巨大な3体のゴーレムだった。

 

「こ、ここに来てこいつら?」

「厳しいが、やるしかないだろう。アヤ、リンクを―――」

「いいえ。この場はあたしが引き受けるわ」

 

背後を取られたそのままの陣形から、サラ教官が一歩前に歩み出る。

私達が総出で相手取って、やっと3体。そんな巨大なゴーレムを相手に、たった1人。

認めるわけにはいかなかった。いくら教官でも、手に余るどころの話ではない。

 

「さ、サラ教官!無茶ですよ!」

「さっきから暴れたくてウズウズしていたの。君達に合わせていたせいで、有り余っているのよ」

 

振り返ることなく、サラ教官はそのまま背中から語りかけてくる。

 

「時間が無いんでしょう。その先に何かがあるなら、早く行きなさい。あたしがお膳立てしてあげるわ」

 

どうする。強さなら誰よりも信頼し、尊敬している。だからこそ、躊躇われる。

即断に踏み切れなかった面々の中でいち早く、同時に動いたのはリィンとクロウだった。

背中を押されるがままに、私達は扉に向かって飛び込み、別の空間へと転送された。

 

無事に帰って来なさい。サラ教官の声が、聞こえた気がした。

無事でいて下さい。同じことを、私も願い続けていた。

 

_______________________________

 

これでいい。

彼らは今、階段を上ろうとしている。あたしの使命は見守り、見届けることにある。

手を差し伸べる必要はない。過度な助力は、マイナスにしかならない。

転げ落ちそうになった時にだけ、そっと支えてあげればそれでいい。

 

自分には向いていないと思っていた。学生を教え導くだなんて、柄じゃない。

教官としての1年間を全うした後も、自信なんて無かった。

普段から仮面を被っている反動のせいか、1人になった途端、心が冷え込んでいく。

 

でも今は、腰の周辺が温かい。

正直に言えば、ARCUSが光を放ち始めた時、嬉しくて堪らなかった。

不器用なりに向き合ってきた。彼らは光で、あたしに応えてくれた。

案外、向いているのかもしれない。少なくとも、もう前職に未練はない。

僅かに残っていたそれも、立派な後継者が全て払拭してくれた。

 

ズシンッ。

 

立ち揺らいでいた巨体の群れが、ゆっくりと歩を進めてくる。

無事では済まないだろう。血は流れるし、骨の1本や2本で済むなら上出来かもしれない。

嬉しいと、素直に思える。自己犠牲の美学に理解など無いが、喜んでこの身を盾にしよう。

戦うことしか能が無い自分に、できることがある。それで十分だ。

 

「授業中よ。不審者を教室に入れるわけにはいかないわ」

 

元A級遊撃士、紫電のバレスタインではなく。

トールズ士官学院《Ⅶ組》の、サラ・バレスタインとして。

ここを通すわけにはいかない。あたしはあの子達の、担任なのだから。



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巨イナル影ノ領域②

旧校舎第7層、最奥部。

 

「やれやれ、おっ始めやがったな」

「うん・・・・・・」

 

私達が足を踏み入れた空間と、サラ教官が残ったそれに、物理的な繋がりはない。

扉と言っても、正確には他の階層にも存在していた、転送装置のようなものだろう。

サラ教官と私達は、同じ場所にいない。だというのに、戦闘の波動を感じる。

肌が痺れるようなこの剣気は、サラ教官が放つ独特の気合に他ならない。

 

「皆、今は前に進もう。サラ教官に応えるには、それしかない」

 

リィンの声に反応し、皆が顔を上げ、前を見据えた。

サラ教官が食い止めてくれている以上、後退の2文字はあり得ない。

私達が為すべきは前進。そして異変の真相を突き止め、解決すること。

 

だからこそ、眼前の光景が理解できない。

この空間が、第7層の最奥部。何かを知っているであろうエマも、つい今し方そう言っていた。

 

「フン。前に進むことができるなら、お前がやってみろ」

「ぼ、僕の目が正常なら・・・・・・これは、壁じゃないのか?」

 

私達の前に立ち塞がった、壁。周囲には何も見当たらない。

何らかの紋様と、その中心に巨大な宝珠のような物が埋め込まれてはいる。

それ以外には、特に変わった様子は見受けられない。見た限りでは唯の壁なのだ。

引いても押しても微動だにしない。前進が可能なら、とっくにそうしている。

勘弁してほしい。ここに来て立ち往生している場合ではないというのに。

 

するとエマが歩を進め、右手でそっと壁に触れる。

何かを確かめるような気配を見せた後、ゆっくりと振り返りながら言った。

 

「リィンさん。必要なのは、あなたの意志と覚悟です」

「意志と・・・・・・覚悟?」

「はい。目を閉じて、純粋に念じてみて下さい。リィンさんが想う、意志と覚悟を」

 

エマに従い瞼を閉じ、左胸に手をやりながら、考え込むような素振りを見せるリィン。

私達には、見守ることしかできなかった。それで一体、何が起きるというのか。

 

―――サア、シメスガヨイ。

―――ナンジノ、ナンジラノタマシイノイロヲ。

 

「あっ・・・・・・」

 

不意に、声が聞こえた。

そう思い周囲を見渡すと、私と同じような表情を浮かべる皆がいた。

 

「き、聞こえたわよね?」

「ボクもボクも!多分、入口で聞いた声と同じじゃないかな?」

 

ミリアムの意見に、皆が首を縦に振った。

この魔宮に入り込む前にも、無機質な声が聞こえた。まだハッキリと覚えている。

 

―――ダイロクコウソクマデノカイジョヲカクニン。キドウシャコウホノライホウヲカンチ。

―――トキハイタレリ。コレヨリダイニノタメシヲシッコウスル。

 

『ダイロクコウソク』は第6拘束。

地下6層までの仕掛けを意味しているというのが、マキアスの意見。

『ダイニノタメシ』は第2の試し。

地下4層でエリゼちゃんを巻き込んだ、あの騒動に続く2つ目の試練が今日。これはリィンの考え。

『キドウシャ』は今のところ不確定。

3ヶ月前の騒動でも耳にしたが、結局は分からず仕舞いだった。

 

それでも1つ、確かなことがある。

旧校舎には、何者かの意志が宿っている。そして私達は、それに触れた。

この先に、異変を引き起こした何かがある。その異変にも、きっと意味がある。

 

「皆にも、聞こえたんだな」

「ええ。ARCUSのリンク機能によるものと思われます・・・・・・皆さん、聞いて下さい」

 

改まった口調で、エマが私達を見渡しながら言った。

いつの間にか、セリーヌも壁の前に居座っていた。

 

「この先には、皆さんの想像を絶する試練が待ち構えています。リィンさんを含め、その覚悟ができていますか?」

「エマ、あなた・・・・・・」

「ふむ。やはりそなたは、何かを知っているようだな」

 

思わせぶりなエマの言葉に、返す言葉が無い。

それに覚悟があるから、私達はここまで来た。そう口にしようとした瞬間、エマの表情が消えた。

 

「少々、分かり辛かったですね・・・・・・言い換えます」

 

血肉を吐き、骨を折り、命を賭してでも。

この先に進む覚悟がありますか。本物の恐怖に、打ち勝つ覚悟はありますか。

無いなら、この場を離れて下さい。私が許します。

無表情のまま、平坦な声でエマはそう告げた。

 

唐突に迫られた選択。

それが単なる脅しでないことは、私達が置かれた異常な状況のおかげで理解できた。

先程と同様に、返す言葉が無かった。誰もが同じだった。

 

最初に口火を切るのは、多分リィンだろう。

そんな私達の期待に応えるように、彼は私達の一歩前に踏み出した。

 

「委員長。何となく分かるんだ。俺は・・・・・・いや、違うな。俺達は、試されている。そうなんだろ?」

 

分からない事だらけの中にある、唯一確かな真実。

3月31日。サラ教官の下、私達はこの旧校舎に集った。

あれが全ての始まり。私達は月を重ねる毎に、1層ずつ地下深くへ導かれてきた。

 

「多分、元々はバラバラなんだと思う。俺達が《Ⅶ組》に入ったのも、実技テストや特別実習も、この国の動乱も、今日が10月23日だってことも・・・・・・俺の胸の痣が、疼くことも」

「リィンさん・・・・・・」

「でも俺達の中では、全てが繋がっている。ここで退いたら、俺達が積み重ねてきた全てが無駄になってしまう。俺には、そう思えるんだ」

 

だからこれが、俺の意志と覚悟だ。

リィンはそう言うと、太刀の鞘を払いながら、壁―――扉の前に立った。

それに続いたのは、アリサとエリオットだった。

 

「それなら、私も同じね。私が正しいと思える道を母様に示すためには、前を向くしかないもの」

「は、はは・・・・・・正直、怖いよ。怖くて堪らないけど・・・・・・皆と一緒なら、耐えられると思う」

 

その後はあっという間だった。

言葉とは裏腹に、皆の顔には恐怖という、逃れられない感情の色が浮かんでいた。

なのに、動く。それを超える意志と覚悟を以って、皆が扉の前へと歩を進めていく。

 

「アヤ」

「・・・・・・うん」

 

差し伸べられたガイウスの手を見詰めながら、思い起こす。

リィンは全てが繋がっていると言った。私の場合はどうだろう。

 

やっとの思いで見つけることができた、遊撃士としての道。

支える籠手の紋章に恥じないよう、涙を堪え、歯を食いしばって乗り越えてきた。

エリゼちゃんを救えた。ガレリア要塞を、クロスベルを守り抜くことができた。

お母さんの剣とサラ教官の意志を継いで、乗客の命を救うことができた。

退くわけにはいかない。背中合わせをするように、偉大な先輩の背中が、後方にある。

 

10月23日。この日付にも、確かに意味があるように思える。

傍から見れば、学院祭の中止に駄々をこねる、子供に見えるのかもしれない。

そう受け取られても構わない。私達は、それ以上に大切な物を背負い始めている。

 

例えばもし、今日が無かったら。私の人生の中から、10月23日が抜け落ちてしまったら。

ポーラやユーシスと語り合うことはなかった。親友との思い出は、全て消え去る。

 

『そういえば、部長ってどうやって決めたんだっけ?』

『あれだよ。学院祭の初日に、3人で多数決を取ったじゃん』

『ああ、そうそう。よく覚えてるわね』

 

如何にもありそうな会話だ。

今日という日を思い返す未来は、きっと数え切れないぐらいやって来る。

来年には、思い出話に花を咲かせるだろう。その翌年も、数年先だってそう。

たった1日の出来事が、色褪せることのない、掛け替えのない思い出に変わってくれる。

 

10月24日は、きっとそれ以上。

この異変を食い止めなければ、学院祭は中止。

明日だけじゃない。明日を含めた未来を掴み取るためにも。

明日に向けて積み重ねてきた日々を、この半年間を、確かな思い出に変えるためにも。

 

「行こう、ガイウス」

「ああ。きっといい風が吹いてくれる」

 

彼と一緒に、前へ進もう。皆と一緒に、明日に向かって。

それがきっと―――私と、私達特科クラス《Ⅶ組》の意志と覚悟だ。

 

扉の目へ集った私達は、自然に手と手を取り合い、円陣を組んだ。

エマは何も言わなかった。代わりにリィンへ促すように、しっかりと首を縦に振った。

するとアリサが何かを思い出したかのように、笑みを浮かべながらリィンへ言った。

 

「ねえリィン。折角だから、いつものをやってくれない?」

「いつものって・・・・・・あれか」

 

口に出すのは蛇足。言わずとも、アリサの意図は容易に汲み取れた。

いいアイデアだ。こういう時は普段と同じ流れを取った方が、リラックスできるに違いない。

 

「作戦開始の号令は大事」

「あはは、ボクも賛成ー!」

「よっ、我らがリーダー」

「フン、噛むんじゃないぞ」

 

矢継ぎ早の催促。頑張れ、リィン。噛んだら本当に全てが台無しだから。

リィンは若干躊躇いながらも了承し、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

リィンの意志と覚悟が、扉の鍵。開くタイミングは彼次第だ。

深々と深呼吸を置いた後、リィンは私達を導いてくれた。

 

「トールズ士官学院《Ⅶ組》総員。これより旧校舎の異変を食い止めるべく、それぞれの意志と覚悟を以って、最後の試練へ立ち向かうっ・・・・・・俺達の手で、明日を掴むんだ。皆、準備はいいか!?」

「「おうっ!!」」

 

応えるやいなや、寒気を感じた。

この領域に踏み込んでから狂い始めていたいくつもの感覚が、再び激しさを増していく。

 

寒くないのに、寒い。

眠くないのに、眠い。

生きたいのに―――死にたい。

 

(えっ?)

 

思わず目を開けてしまった。

繋いでいたはずの手はいつの間にか解かれ、立ち位置までもがバラバラ。

皆の姿は確認できる。全員が確かに、この場にいる。

 

「・・・・・・何、ここ」

 

見渡す限りの、灰色の砂。灰色の雲。灰色の風。

周囲には雑草が生い茂るように、無数の刃物が突き立てられていた。

その先には、何も無い。何も見当たらない。地平線さえもが、灰色にくすんでいる。

 

「わ、私達・・・・・・夢でも、見ているの」

「分からぬ。分からぬがっ・・・・・・気を付けるがよい!何か、来る!」

 

ラウラの叫び声と同時に、突如として、眼前に漆黒の湖が現れる。

その中からゆっくり、ゆっくりと。ゆらゆらと。

得体の知れない『何か』の頭部が、私達を覗き込むようにして出現した。

 

(―――!?)

 

気当たりとも違う。物理的な波動ではない。

その頭部から発せられた何かに、身体を射抜かれたかのような感覚を抱いた。

 

反射的に爪を両の掌に突き立て、下唇を噛みながら、血を流していた。

そうでもしないと、気を失いかねない。頭が発狂しそうになる。

本能が働き、身体が勝手に動いていた。

 

―――コレナルハ、オオイナルチカラノカケラ。

―――テニスルシカクガナンジニアリシカ、サイゴノタメシヲシッコウスル。

 

再び頭の中に響き渡る、無機質な声。

その意味に考えが回るより先に、隣に立つエリオットの異変に気付いた。

 

「っか・・・・・・はっ・・・っ」

 

がくがくと身体を震わせながら、その眼は焦点が合っていない。呼吸音が、不自然過ぎる。

迷っている時間は無かった。私は血で染まった右の掌で、力任せにエリオットの頬を殴った。

加減が利かなかったせいか、彼の身体はその勢いで地面に崩れてしまった。

 

「がっ・・・・・・はぁ!はぁっ。ご、ごめん。助かったよ」

「気をしっかり持って!少しでも退いたら、全部持っていかれるっ・・・・・・!!」

 

エリオットに対しては有効だったかもしれない。

だがそんな私達の異様な様は、皆の恐怖心を煽るには十分過ぎた。

これでは駄目だ。もう、『何か』の上半身が見えている。

エマの言葉は正しかった。あれは普通じゃない。何もかもが、常軌を逸して―――

 

「馬鹿野郎!!てめえらの覚悟はそんなもんかよ!?」

 

暗闇を切り裂いたのは、クロウの罵声だった。

クロウは導力銃を構えながら、力の限り私達に声を荒げ始める。

 

「後ろにサラがいんのを忘れてんじゃねえぞ!ここでビビッて、何が特科クラスだっ・・・・・・明日を掴むんじゃねえのかよ!?分かったらさっさと前を向きやがれ!!」

「ガーちゃん、お願い。最初っからリミッターは外すよ」

 

クロウに続いて、ミリアムが制服の上着を乱雑に脱ぎ捨てる。

 

「ボク、この戦いだけは絶対に負けたくない。だからお願い、ガーちゃん」

「ՓѐАΠϒ」

 

ミリアムとクロウが私達と生活を共にするようになったのは、2ヶ月前。

たったの2ヶ月だ。そんな2人の言葉と行動は、覚悟が揺らぎかけた皆を、突き動かしてくれた。

 

「2人の言う通りだっ・・・・・・怯むな、我らならきっとやれる!」

「ああ。これが最後の『試し』だ」

 

既に魔物は、その全身を露わにしていた。

漆黒の瘴気と影が質量を持ち、生物を思わせる四肢を揺らす。

あのノスフェラトゥが取るに足らないと思えてしまう程に、巨大な『力』が蠢いていた。

 

「俺達の全力を以って、あの巨大な影を撃破する!!」

 

リィンの声を合図に、死闘が開幕を告げた。

それは正に、死闘そのものだった。

 

_________________________________

 

ノスフェラトゥを引き合いに出したのは、あながち間違いでもなかった。

魔物が腕を上げると同時に、何も無い空間から小さな影が次々に生まれていく。

影は行き場無くゆらゆらと浮遊したかと思えば、突如として弾け飛び、四散する。

爆発、と表現するのが適切かもしれない。接近を許せば、その爆発に巻き込まれた。

影に気を取られていると、魔物の剛腕が襲い掛かってくる。

腕を薙ぎ払っただけで、地面が抉れる。まともに食らえば、助からない。

 

特徴はノスフェラトゥに似通っていた。ただ、何もかもが想像の範疇を超えていた。

言葉は不要だった。口に出しては追いつかない。

戦術リンクで意志の疎通を図り続けない限り、誰かの命が危険に晒された。

 

影の集団は、遠距離からの迎撃が可能な面々が押さえていた。

私を含めた前衛陣は唯ひたすらに、魔物の一撃を躱しては、技を放っていた。

既に地面は鮮血に染まっていた。それが誰の血かは、もう判別が付かない。

誰もが全身に深手を負っていた。とりわけ影の爆発による、炸裂傷が目立った。

私の左腕も火傷による激痛に苛まれ、傷が固まっては動かす度に、肉が千切れた。

 

30分程前だろうか。誰かのARCUSの時計が視界に入った。

午後24時。戦闘が開始してから、おそらく1時間近くが経過していた。

乾き切った喉に灰色の砂と瘴気が入り、呼吸がままならない。

 

このままでは―――もう、駄目かもしれない。私には、そう思えた。

駄目押しと云わんばかりに、背後から悲鳴が聞こえてくる。

 

(あ、アリサ!?)

 

地面に力無く、アリサの身体が横たわっていた。

影を迎撃し切れず、爆発をまともに食らったのかもしれない。制服が所々、燃えていた。

構うことなく、横たわるアリサに向かって、再び周囲の影が接近していた。

 

「アリサぁ!!」

 

庇うように駆けつけたエリオットへ、立て続けに影が浮遊し、爆発の炎が上がった。

今度は彼の悲鳴が聞こえた。振り返る暇も無かった。

その全てが、一瞬の出来事。魔物と対峙していた私達には、どうすることもできなかった。

 

だからと言って―――私は、何をしているんだ。

 

「・・・・・・タイム」

 

私の場違いな声に、皆の耳がピクリと動く。

駄目かもしれない、じゃない。このままでは、本当に駄目だ。

我慢し切れず、額に思いっ切り右拳を打ち付けた。

 

私は今何を考えていた。何故動かない。

もう明日じゃない、今日だ。日付が変わり、学院長との約束は既に破綻している。

このままいけば、間違いなく全滅。私達は今日で終わりだ。

終わらせない。絶対に、終わらせはしない。

 

「リィンっ!!」

「ああ!マキアス、クロウ、頼む!」

「分かっている!」

「任せとけってんだ!」

 

前言撤回。言葉は必要だ。口に出すだけで、周囲がまるで違って見えてくる。

マキアスとクロウはありったけの弾丸をばら撒くと、影の集団が一気に四散した。

私達は一旦後退し、深手を負った2人の下へと駆け寄る。

 

「委員長、2人は!?」

「こ、こんな・・・い、一刻も早く治療を・・・・・・っ!?」

 

突然、意識を失った2人の身体が、宙に浮いた。

あっけにとられた私達を余所に、2人は魔物に向かって浮遊した。

文字通り、吸い込まれた。2人とも、魔物の体内の中へと、消えて行ってしまった。

 

「なっ!?」

「い、一体何を・・・・・・何が、どうなっているんだ!?」

 

答えは無い。見つかりはしない。

確かなことは、2人が魔物の中に、消えた。その事実だけだった。

気を持ち直した私達の顔に、再び絶望の色が浮かびかけた、その時。

 

「私がやる」

 

双剣銃に弾丸を込めながら、フィーが言った。

 

「邪魔なのは影。私が飛び込んで一掃する。その隙に、あの魔物を総出でやる。それしかない」

 

既に魔物の前方には、いくつもの影が蠢いていた。

私達は一旦退いてしまった。あれをどうにかしない限り、もう魔物に技は届かない。

フィーの技を以ってすれば、確かに掃討できるかもしれない。

ただ、その反動は計り知れない。群れの中心で技を放てば、爆発の衝撃を直に食らってしまう。

 

「ば、馬鹿者!それではそなたが―――」

「黙って!もう方法がない。長引けば全滅、分かってるでしょ。そんなの絶対に嫌」

 

10秒後に仕掛ける。フィーは言うと、腰を落としながら、突撃の構えを取る。

迷っている時間も、余裕も無かった。応えるように皆が得物を構え、アーツの詠唱を開始した。

私も、覚悟を決めた。全てをフィーに託し、やるしかない。

 

「フィー!私の遠撃と同時に、飛び込んで!」

「ん、助かる」

 

きっかり10秒後。

私は渾身の力を込めて、長巻を後方へ振りかざした。

 

「連舞―――飛燕投月っ!!」

「アクセルっ・・・・・・!」

 

私が放った斬撃は、影が蠢くど真ん中を貫き、爆発が連鎖した。

それを追うように、フィーが地面を蹴る。気付いた時には、フィーは影の中央にいた。

 

「シルフィードっ・・・・・・ダンス!!」

 

フィーが放った無数の弾丸は、的確に影の集団を捉えていた。

続けざまに発生する、連鎖爆発。その中心にいながらも、フィーは手を止めなかった。

爆風と炎は、魔物までをも巻き込んだ。魔物の重々しい声が、周囲に響き渡っていく。

 

爆発の勢いが収まると、力無く項垂れる魔物の姿があった。

ここだ。機は今しか無い。これを逃せば、もう勝機は無い。

 

「皆、今だ!!」

 

リィンの合図で、私達は駆け出した。

その足が止まったのは、沈黙したはずの魔物が、再び目が眩むような殺気を放った時だった。

 

「「っ!?」」

 

突如として、魔物の剛腕が薙ぎ払いの形で、私達を襲った。

躱す余裕は無かった。受け止める力などありはしない。

その間へと割って入ったのは、ミリアムとアガートラムだった。

 

「ガーちゃん!!」

 

障壁を展開したアガートラムが、剛腕を真正面から受け止める。

その勢いは収まることなく、後方のミリアムを巻き込みながら、振り切られた。

遥か遠方に、アガートラムとミリアムは吹き飛ばされてしまった。

ミリアムの身体は、ピクリとも動かなかった。

 

今の一撃で、周囲に舞い上がっていた砂埃が吹き飛び、視界が明瞭になる。

目に飛び込んできたのは、爆発の中心地に1人横たわる、フィーの小さな体躯。

魔物はその剛腕を頭上に掲げ、眼前のフィーがいる地面に向けて、振り下ろそうとしていた。

 

「フィー!?」

 

足が動くよりも先に、口が動いてしまった。

そして後悔するよりも先に―――魔物の腕が、轟音と共に振り下ろされた。

 

思わず目を閉じた。開きたくなかったが、今更現実から目を逸らしても、どうにもならない。

そう思い瞼を開くと、見えるよりも先に、男性の呻き声が聞こえた。視線の先には、3人いた。

 

「・・・・・・嘘」

 

ユーシスとマキアスが、振り下ろされた腕を受け止めていた。前方には、クロウの姿もあった。

腕がおかしな方向に折れ曲がり、足は地中深くに埋まり、鮮血に染まっていた。

立っていられるのが異常と思える程に、3人の身体は、限界を迎えていた。

 

「ったく、よぉ・・・俺様、は・・・・・・何、やってん・・・・・・」

 

クロウの呟きと同時に、3人の身体が崩れ去る。そこからは、先程の繰り返しだった。

フィーとミリアムを含めた5人の身体が宙に浮かび、魔物の身体に吸い込まれる。

再び周囲には影が召喚され、私達の行く手を阻み始めていた。

 

自分でも信じられないぐらい、視界と思考が明瞭だった。

単純な話だ。私がああならなかった理由も、ひどく単純。

 

「こうも自分自身に腹が立ったのは、初めてです」

 

私の胸の内を代弁するように、エマが導力杖を地面に突き刺して言った。

もういい。いい加減にしろ。本当に―――いい加減にしろ。いい加減にしろ!!

 

「がっ・・・っ・・・うあああああぁぁぁぁっっ!!!!」

 

もう耐えられない。私は何をしていた。

エマが言っていただろう。命を賭す覚悟があるかと。

私は今だ。皆が覚悟を示してくれて、やっとだ。情けなさで身体が千切れそうになる。

明日が遠のいてもいい。皆で無事に帰ると、サラ教官に約束した。

未来を掴めるなら、今を捨ててやる。月光翼の限界を超えろ。もう一度、あの力を―――

 

(―――え?)

 

突然、身体が軽くなった気がした。

同時に、腰元のARCUSから温度を感じた。

結界の前で、皆のARCUSが光を放ち始めた、あの時の感覚。そのものだった。

 

「アヤ。君の力と痛みを、俺にも分けてくれ」

「そうでもしなければ、私は自我を保てそうにない」

 

ガイウスとラウラ。それにリィン。

戦術リンクを介して、月光翼の限界を超えた力と苦痛が、3人へと流れ込んでいく。

その奇跡さえも、今となっては取るに足らない些細な事象に過ぎなかった。

 

「聞いて下さい。今から私が持つ全てを術に込めて、放ちますっ・・・・・・それで取り込まれた皆さんを救えるはずです。どうか私に、時間を下さい」

 

エマは眼鏡を外すと、その全てを導力杖に向けて注ぎ始めた。

私達には残された時間も、数も、力も少ない。できることは限られている。

戦術リンクのおかげで、簡単に意志は共有できた。

 

「なら、俺達にできることは1つしかあるまい」

「ああ。我らには打って付けの役割だ」

「分かりやすくて私も助かるよ」

「時間が無い、皆を救うためにも・・・・・・負けるわけにはいかない!絶対に諦めるな!!」

 

作戦なんか無い。数秒先のことも考えられない。

影の襲来からエマを守るために、私達は我武者羅に足を動かし、腕を動かし、抗い続けた。

元々接近戦を本職とする4人だ。私達は得物を振るう毎に、爆発に巻き込まれた。

 

最初に限界を迎えたのはガイウスだった。

元々皆を庇い、深い傷を負っていた分、そうなるのは目に見えていた。

 

驚いたことに、次に変化が訪れたのは、魔物の方だった。

無尽蔵に沸いてくると思われた影は、最後の爆発を境に、姿を消した。

魔物の動きも鈍っていた。外見ではダメージの程が窺えないからか、全く予想していなかった。

 

「ラウラ、アヤ!」

「ああ!一気に押し切っ―――がはっ!?」

 

何の前触れも無く、ラウラの額が割れた。続いて私の身体からも、血飛沫が舞った。

リィンも蹲り、苦痛に顔を歪めていた。それで漸く、合点がいった。

月光翼の限界を超えた反動。分散していたとはいえ、私達の身体にも、限界が訪れていた。

 

それを好機と捉えたのか、魔物が再び、その右腕を振り上げた。

その先にいるのは、私。もう身体がピクリとも動かない。

 

「ぐっ・・・・・・アヤ!」

「あ、アヤっ」

 

私には魔物の腕が、死神の鎌のように見えた。

身体が弛緩し切った今、あれを食らえば間違いなく助からない。

エマの術も、間に合いそうにない。その先に待っているのは、紛れもない最期。

 

「うっ・・・うぅぅ・・・・・・っ」

 

大粒の涙が、地面に零れ落ちていく。悔し涙でも、悲しみのそれでもない。

死にたくない。私はまだ、死にたくない。唯々恐怖に駆られ、泣いた。

 

届かなかった。明日をも捨てた力と覚悟すらも、無に帰してしまった。

誰でもいい。誰でもいいから、このどうしようもない現実を、変えてほしい。

私の願いは届くことなく、無慈悲な鉄槌が、私に向かって振り下ろされた。

 

(―――っ!!)

 

鈍い音が響き渡った。

地面に、頬に、足に。生温かい血が飛び散ってくる。

私の血じゃ―――ない。

 

恐る恐る視線を上げると、背中が見えた。

涙で視界が滲み、外見からでは誰の背中かが分からない。

 

それでも、私はすぐに思い至った。ガイウスでもリィンでも、ラウラでもない。

後ろで結っていた髪は解け、血で固まっていた。衣服もボロボロ。全身が無数の傷だらけ。

大好きな背中だった。追いつこうとどれだけ歩を進めても、一向に辿り着けない、私達の背中。

 

「何、してるのっ・・・・・・最後まで!前を、向きなさい!!」

「っラ、教官っ・・・・・・!」

 

次の瞬間、エマの術式の声が上がり、周囲が紫色の光に包まれた。

ローエングリン城でノスフェラトゥを葬り去った、光の術技。

その光と衝撃で、頭を盛大に揺さぶられた。もう、限界だった。

段々と遠のいて行く意識の中で、リィンの叫び声と、剣技の波動を肌で感じた。

 

お願い。どうか、私達に未来を。

空の女神に願いながら、私は深い闇の中へと落ちて行った。

 

_______________________________

 

背中が冷たい。それに、誰かの声が聞こえる。

トワ会長か。それに、ジョルジュ先輩もいる。

ここはどこだろう。頭がボーっとする。私達は確か、旧校舎に入って。

その先で、私達は―――

 

「―――あれ?」

 

勢いよく半身を起こす。

途端に身体が軋み、痛みを覚えた。傷の痛みかと思ったが、そうではなかった。

身体が冷え切って、固まっている。そんな状態で、急に動かしたせいかもしれない。

 

「おっと。2番目のお目覚めだね」

「よ、よかった・・・・・・これなら、皆も大丈夫そうだね」

「あ、あの」

 

言葉が出て来ない。視界や聴覚といった感覚は明瞭だ。

一方で、頭が働かない。何がどうなっている。

 

混乱していた私は、取り急ぎ現在の日時を聞いてみた。

トワ会長曰く、午後の24時20分。もうこの時点で何かがおかしい。

戦いの最中に目にした時刻と、その後の時間を考えれば、24時20分はあり得ない。

 

落ち着こう。ここは旧校舎。それはまず間違いない。

私達が最後の試練へと立ち向かった時の場所だ。

私の周りには、皆がいた。そして、思わず目を疑った。

誰の身体にも、傷1つ見当たらない。制服だってそうだ。

場所だけではなく、何もかもが試練の前と同じ。元通りだった。

 

「アヤ」

「え・・・・・・さ、サラ教官」

 

トワ会長らの後方には、サラ教官の姿もあった。教官も、鮮血に染まってはいなかった。

2番目というジョルジュ先輩の言葉から察するに、サラ教官も同じ状況にあったのだろう。

 

「サラ教官。これ、どうなってるんですか?」

「分からないわよ。気付いた時には、皆ここにいたの」

「分からないって・・・・・・じゃあ、あれは何だったんですか?覚えて、いますよね?」

「勿論」

 

サラ教官は笑いながら、私の頭の上に右手を置いた。

温かい。冷え切った身体へ伝わってくる、僅かばかりの体温。

今はそれが、大変に温かく感じられた。

 

「頑張ったわね。皆で掴み取った、10月24日よ」

 

10月24日。

その日付を耳にした途端、自然と目に涙が浮かんだ。

同時にたくさんの感情が一気に膨れ上がり、胸が締め付けられていく。

 

「サラ、教官っ・・・・・・教官!」

「っとと。どうしたのよ。随分と甘えん坊ね?」

 

サラ教官と記憶を共有している以上、全て夢ではない。

だが感覚は夢そのものだ。全身に汗をかき、悪夢から目覚めた時の感覚。

夢で良かったと、ホッと胸を撫で下ろした時の、あの感覚。

それの最大級とも言える感情が私を襲い、涙となり止めどなく流れ出ていく。

安心しているのか、嬉しいのか、怖かったのか。全てが入り混じり、嗚咽が止まらない。

 

「うっ・・・うぅ・・・・・・教官っ」

「はぁ。もう気が済むまで泣いちゃいなさい。あたしはどこにも行かないわよ」

 

皆が次々と目を覚ましていく最中、私はサラ教官に縋り付きながら、泣き続けた。

10月24日、午前0時24分。既に学院祭は、2日目に突入していた。



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10月24日、午前

10月24日、午前8時半。トールズ士官学院、講堂。

檀上から私達《Ⅶ組》が見下ろす先には、来場者用に並べられた無数のパイプ椅子。

現時点では全てが空席。午後になれば、きっと《Ⅰ組》目当ての観客で埋まるだろう。

今日がステージ演奏本番だというのに、こうして檀上に立ったのは今日が初めてだった。

 

「・・・・・・何だか、入学式を思い出すね」

「ああ。確か俺は、あの辺りに座っていたな」

「私はあっちだったっけ。その隣がポーラだったんだ」

 

ガイウスと私が、指でお互いの席を指し示す。

19回目の誕生日を迎えた、あの日。あれから半年の時が経った。

私の人生の中でも1番濃密で、たくさんの出会いと学び、発見に満ち溢れた半年間。

瞼を閉じるだけで、その全てが鮮明に思い起こされる。

 

「あっという間だったな。上手く言えないけど・・・・・・はは、やっぱり上手く言えないよ」

 

リィンが腰に手をやりながら、目の前に広がる空席を見詰めながら言った。

彼の胸中は察せられた。多分、私も同じ感情を抱いている。きっと皆だってそう。

 

皆と一緒に笑って、泣いて。楽しいことも辛いことも、全てを共有しながら過ごしてきた。

力と向き合い、誰かの為に力を振るうと決めた。

過去と向き合い、生まれ故郷と向き合い、大切な幼馴染との再会を果たした。

今を大切に想う皆の姿から何かを学び、絶対に目を背けないと心に決めた。

7年前の悪夢も、私の一部。その夢の続きと、対峙することがあるかもしれない。

 

不思議と、何でもできそうな気分になってくる。

ずっとそうだった。皆と一緒にたくさんの壁を乗り越えてきた。

だから私達は、今ここに立っている。皆で掴み取った、10月24日。

 

実を言えば、今朝方に目を覚ました時。自然に、涙が零れていた。

誰にも言えるわけがない。もしかしたら、皆もそうだったのかもしれない。

理由は分からない。リィンが言ったように、言葉では表現できそうにない。

胸の奥から沸き上がってくる、この感情が―――

 

「だー!!どいつもこいつも、何で本番前にやり切った顔してんだよ!?」

 

―――その答えなんだと思う。

そう胸の中で呟いた瞬間、クロウの突っ込みで過去の回想が終わりを告げた。

 

「まあ、無理もないわね。昨日あんなことがあったばかりだもの。仕方ないじゃない」

 

アリサの冷静な分析に、皆がうんうんと首を縦に振りながら同意した。

自分で言うのもなんだが、本当に無理もないと思う。

実際に私達は、唯の夢でしたでは済まされない、途方も無く高い壁を乗り越えたばかりなのだ。

 

「フン。夢だったら考え事が減って助かるんだがな」

「・・・・・・考えたところで、僕達にはどうすることもできないだろう」

「『灰色の騎士人形』・・・・・・すごい大きさだったね」

 

そう。夢ではなかった。

全てが終わった後、目を覚ました私達の前に立ち塞がっていた、扉。

唐突に開いたその扉の先には、巨大な灰色の人形が、地に膝をつきながら佇んでいた。

 

一目見た印象としては、もう何度も対峙してきた人形兵器が連想された。

それ以上に洗練されたフォルムは、今にも動き出しそうな程に、光輝いていた。

 

「格好良かったよねー。ガーちゃん程じゃないけどさ」

「あの人形の方が百倍ぐらい格好良いと思う」

「そんなことないよ!フィーのバーカ!ドローメ!」

 

それは今置いといて。

今現在、当の人形についてはジョルジュ先輩が主導となり、分析を始めているそうだ。

アリサ曰く、現代の導力技術では造り得ない代物らしい。

ラウラやエマの見解では、もう数百年以上前の暗黒時代の頃まで時は遡る。

 

確か旧校舎は、士官学院が設立するよりも前に建造された建物のはずだ。

ローエングリン城の件もある。一体誰が何のために、あんな物を造り上げたのか。

現時点では、誰にも分からない。私達が直面した試練との関連性についても同様だった。

 

「だーからよ。今俺達があれこれ考えたって仕方ねえだろ?」

「はは、クロウの言う通りだよ。僕達は今日のために、ずっと頑張ってきたんだからね」

 

エリオットが言うと、皆が再び眼前の光景に視線を向けた。

あと数時間もすれば、空席は埋まる。この3週間の成果を見せる時がやって来る。

そのために私達は、今日を掴んだ。泣いても笑っても、今日がその最後。

心地良い緊張感だ。これぐらいが丁度いい。昨晩の異変が、良い方向に働いてくれている。

 

「よし。昼食を済ませたら、控室に集合だ。皆の家族も来ている頃だろうし、それまでは学院祭を満喫しながらゆっくりしよう。それでいいか?」

「ああ。父上もそろそろ到着する頃合いだな」

「では、一旦解散としましょうか」

 

私達のステージ演奏は《Ⅰ組》の軽喜劇の後、午後の15時からの予定だ。

昼過ぎまでは自由に行動できる。私とガイウスも、皆と同じ。

まずは3人を迎えに行こう。ARCUSを見ると、丁度列車が駅に着いたであろう時刻を示していた。

 

________________________________

 

「アヤねーちゃーん!」

「トーマ、久しぶり!」

「たああぁっ!!」

「せぃあぁっ!!」

 

ズシンっ。

 

トーマの右下段、と思わせた右上段の廻し蹴りを、両腕でしっかりと受け止める。

頭が揺れ、ビリビリと痺れが両腕を襲う。うん、鍛錬は怠っていないようだ。

 

「ん、まあまあかな。私がトーマぐらいの頃はもっと蹴れたけどね」

「ねーちゃんと比べないでよ・・・・・・」

「よく来たな、2人とも」

「ガイウスさん、アヤさん、お久しぶりです」

 

トーマとシャルちゃん。

士官学院祭の開催を耳にした2人は、今月の初め、手紙で今日の来訪を教えてくれていた。

『あんちゃん達のお祭りに、僕達も行ってみたい』。

2人の願い事をお義母さんが快く承諾してくれた一方で、お義父さんは当初反対していたそうだ。

当然の意見だと思う。テロリストと呼ばれる得体の知れない連中が暗躍する異国の地に、外の世界を知らない息子を送り出すわけにはいかない。

 

一方で今月に入ってから騒動は鳴りを潜め、報道もクロスベル問題一色。

信頼できる人間が引率を買って出てくれたこともあり、トーマ達の来訪は叶うこととなった。

 

「ご隠居もお久しぶりです。今日はありがとうございます」

「ふむ、相変わらず胸はちょいと寂しいのう」

「何度も言わせないで下さい。私は平均値です」

「クラスでは下の方なんじゃろ?」

「上の3人がおかしいんですよ」

 

グエン・ラインフォルト。

私も自信を持って、信頼できる人間の1人だと言える。

時折品性下劣な話題を振ってくることも、この人の大きさをいい意味で際立たせてくれる。

 

6月の実習がそうだったように、ノルドの集落からトリスタまでの移動時間は約半日。

3人は昨晩のうちに帝都入りし、シャルちゃんの実家で一泊してからの旅路となっていた。

 

「トーマ。シャルのご家族にはしっかり挨拶をしたか?」

「当たり前でしょ。子ども扱いしないでよ」

「あはは。帝都で迷子になったのはどこの誰だったかなー?」

「あ、あれは仕方ないっていうか・・・・・・あんな広い街だとは思わなかったんだってば」

 

取り乱しながら、言い訳を並べ立て始めるトーマ。

無理もないか。トーマにとっては今回の旅が、外の世界に触れる初めての経験だ。

3月30日のガイウスもそうだった。ルーレの自動改札に阻まれ、転倒しかけた彼を思わせた。

 

「シャルの祖父母もトーマを大層気に入ってくれたようでな。昨晩も豪勢な食事をご馳走してくれたわい」

「へえー。じゃあ家族公認の仲ってわけか」

 

流石トーマ。ごく自然且つ無自覚に外堀を埋めていっている。ある意味で末恐ろしい。

まあ自慢の義弟を好いてくれる人間が増えたことは、素直に嬉しいと思えた。

 

「そういえばロイドのお姉さんも、私とロイドが将来結婚するって本気で考えてたらしいよ」

「・・・・・・」

「黙んないでよ・・・・・・」

 

一瞬で表情が消えるガイウス。どうもこの手の冗談は彼に通じない。

もう少し余裕を持ってほしいというか、ドシンと構えていて欲しいのにな。

 

そんなことを考えていると、シャルちゃんが何かを後ろ手に持ちながら、私達の前に立つ。

やがて差し出されたのは、香りの良い小振りの花束だった。

 

「え。これ、何?」

「私とトーマからのお祝いです。ここに来る道中に買ったものですけど、これぐらいしか思い付かなくって」

「・・・・・・あっ。あ、あはは。そっか」

 

数秒間、本気でその意味を考えてしまった。

すっかり忘れていた。言われてみれば、確かにそうだった。

この2人は、ご隠居は知っている。私達がそういった間柄になったことを知っているのだ。

直接報告はしていないが、既に集落の大人達の知るところではあるのだ。この3人も然り。

この花束にも、私達が結ばれたことに対する祝福が込められているに違いない。

 

「初めは驚いたけど・・・・・・でも今は、僕も嬉しいって素直に思えるよ。おめでとうあんちゃん、ねーちゃん」

「私はそこまで驚かなかったですけどね」

「そうか・・・・・・ありがとう、2人とも」

 

こうして改めて言われると、気恥ずかしいものがある。

それに―――ガイウスのように、ありがとうを言いたくなる。

 

私とガイウスの仲は、《Ⅶ組》や馬術部以外の生徒にも知れ渡り始めていた。

自然と、色々な声を聞いた。2人のように祝福する人間もいれば、奇異の目で見る人間もいる。

義姉弟。血が繋がっていなくとも、姉弟であり家族。他者にとってはそうとしか映らない。

一部の貴族生徒らからは、思わず耳を塞ぎたくなるような噂話を聞かされる羽目になった。

何も知らないくせに。私がどれ程思っても、彼らには何も伝わらないし、口に出したくもない。

 

『事情を知らない第三者が、下卑た噂を立てるとはね。僕は君達の品性を疑ってしまうよ』

 

意外なことに、それはパトリックの台詞だった。彼も彼で、捉えどころのない人間だ。

勿論、悪い気はしなかった。お礼を口にすると、予想通り彼は反発した。

 

「ワシからもおめでとうを言っておこうかの」

「ありがとうございます。ご隠居にそう言って頂けると、嬉しいです」

「フフ、それにしても・・・・・・のう、ガイウス」

 

ご隠居は怪しげな笑みを浮かべながら、ガイウスの腹を肘で小突き始める。

 

「2人の仲はどこまで進んでるんじゃ?チューぐらいは済ませたか?」

「・・・・・・フッ」

「な、何じゃその顔は。まさかおぬしら、いつの間にぶふぉあっ!?」

「ぐああぁ!?」

 

想い人とご老体の脇腹に、容赦の無い拳打をお見舞いした。

いい加減にしてほしい。トーマ達がすぐ傍にいるというのに、何のつもりだこの人は。

それにガイウス。「何故俺まで」みたいな顔をするな。同罪だ。

 

疑問符を浮かべるトーマ達に構うことなく、話題を学院祭へと向ける。

2人には既に学院祭のリーフレットを送ってあり、各種出し物の内容は把握してくれていた。

当初は私とガイウスで学内の案内をしてあげる案もあったが、それでは2人の邪魔になるだけだ。

今日は自由気ままに、2人の好きにさせてあげようという話になっていた。

ご隠居もシャロンさんやイリーナさんら知人、家族へ挨拶をして回る予定だそうだ。

 

「よし、早速中に入ろうか。シャル、何から見たい?」

「んー。色々見てみたいけど、トーマに任せよっかな」

「じゃあ美術室って所に行こう。あんちゃんが描いた絵が見れるらしいよ」

 

言いながら、トーマ達は足早に本校舎の中へと向かった。

ご隠居も脇腹を押さえながら、よろよろとそれに続いた。

ともあれ、無事に来てくれて本当に良かった。今回の旅はトーマにとってもいい経験になる。

 

「さてと。私達も色々見て回ろっか?そろそろ回復したでしょ」

「ああ・・・・・・そうだな。アヤは昨日馬術部の方で手一杯だったようだが、何から見る?」

「むっ。今の2人の会話、聞いてなかったの?」

 

そういうのは、男性の役目だと思うけどな。

私が言うと、ガイウスは自信満々の笑みを浮かべ、学院祭のリーフレットを懐から取り出した。

彼が記したであろう丸印が、いくつかの出し物や屋台を選択済みであることを示していた。

お祭りの醍醐味は食べること。唯々食べ歩くことにある。

夏祭りの際に吹き込んだ洗脳に近い私の教えを、彼は素直に受け取ってくれているようだ。

 

「まずはリンデのクラスに行こう。彼女から特典チケットなる物を貰っているし、茶で胃を慣らすというのはどうだ。油物が多いからな」

「あはは、了解。じゃあ早く行こ!」

 

ガイウスの腕を抱きながら、トーマ達の後を追う。

こんな感じで2人っきりで歩くのも、夏祭り以来のことか。

彼と一緒に、存分に今日という日を楽しもう。そうすれば私は、きっと上手く舞える。

 

______________________________

 

リンデ達《Ⅳ組》の教室は、凝りに凝った東方風の装飾が見事な完成度を誇っていた。

ガイウスはピンと来ないかもしれないが、私はそういった文化に理解がある。

長巻にクロスベルの東通り。ランとユイ、アヤ。私にとっては身近な存在だった。

考えてみれば、トワ会長の名も東方のそれから来ているのかもしれない。

 

「これは・・・・・・独特の渋みが癖になるな」

「口に合ってよかった。苦手な人って結構多いからさ」

 

湯呑も含め本格的な抹茶に、甘さが控えめな東方の菓子。

この味を士官学院で味わえるとは思ってもいなかった。《Ⅳ組》の本気度が窺える。

周囲の作りを見渡しながらくつろいでいると、桃色の双子姉妹が私達に歩み寄って来た。

 

「ガイウス君、おみくじを引いてみませんか?」

「おみくじ?」

「ああ、吉凶を占う運試しみたいな物だよ」

 

ガイウスにおみくじの意味合いを教えながら、リンデとヴィヴィの説明に耳を傾ける。

2人によれば、チケットを使った客は無料でおみくじを引くことができるそうだ。

ヴィヴィが持つのが、縁結びおみくじ。恋愛運や相性を占うおみくじ。

対してリンデが手にするのは、開運おみくじ。広く様々な吉凶を占う、正に運試し。

 

「まあ、あなた達ならリンデの方を引くしかなさそうね」

「そのようだな。アヤ、やってみるか?」

「折角のサービスだしね。じゃあ私からお願いできる?」

 

リンデが褐色の小箱を軽く振ると、一本のおみくじが手渡される。

続いて、ガイウスの手に。恐る恐る、お互いに包まったおみくじを広げた。

結果、私は『小吉』。ガイウスも『小吉』。

 

「どちらも小吉か。これはどうなんだ?」

「まあまあじゃないかな。悪くはないよ・・・・・・それで、ガイウスのは何て書いてあるの?」

 

『人生の中で最も多くの変化が訪れる時期にある。感情に惑わされず、全てを受け入れるべし』

 

「・・・・・・どういう意味だ?」

「さあ・・・・・・まあ、おみくじって大体こんな感じだと思うよ」

 

所詮は運試し、とここでは口に出すべきではないだろうが、得てしてそういうものだ。

大切なのはそれをどう解釈し、行動するかにある。言い換えればキッカケだ。

多くの変化、か。ノルドから飛び出したガイウスにとっては、確かにそうかもしれない。

後半部分については、どうとでも受け取れる。これはやはりガイウス次第だろう。

 

「アヤ、君のはどうだ?」

「ちょっと待って。えーと・・・・・・へ?」

 

『選択は唐突に迫られる。別れの先に光があり、世界が変わる。決して迷ってはならない』

 

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

これは何だろう。ガイウスのそれ以上に、意味深な文面のように思える。

随分と具体的なようでいて曖昧、そしてどう受け取ればいいのかがまるで分からない。

 

「うーん・・・・・・分からないけど、『別れ』がちょっとなぁ。何か嫌な感じ」

「その先に光があり、世界が変わる、か」

 

気にはなるが、まあ考えても仕方ない。頭の片隅に留めておくとしよう。

風習に従い、私達はお互いのおみくじをくじ掛けに結んだ。

 

結びながら、やはり考えてしまった。唯の運試しと言うには、その文面は余りにも深過ぎた。

選択は唐突に迫られる。その時が来るとしたら、いつの話になるのだろう。

迷わずに、選ぶことができるのだろうか。それが私にとって、別れであったとしても。

 

______________________________

 

《Ⅳ組》の教室を後にした私達は、食べ歩きに興じた。

続いて食べ歩いた後、食べ歩きながら、最後に食べ歩くことにした。

身体を動かす直前にこうも栄養を取れる人間が、私以外にいるだろうか。

いねーよそんな奴。クロウの声が聞こえた気がした。

 

道中、技術棟の前で話し込むサラ教官とトヴァルさん、ミヒュトさんと出くわした。

どうやらクロスベル方面から、また新しい情報が入ってきたとのことだった。

気にはなったが、『今はステージ演奏に集中しろ』と、3人とも教えてはくれなかった。

 

皆の家族の姿もそこやかしこで見受けられた。

サラ教官が言っていたように、誰もが当初の予定通り、士官学院へ足を運んでいるようだ。

最も驚かされたのは、オリヴァルト殿下とアルフィン皇女殿下の来訪だった。

今この時この場においては、クロスベル問題は一時保留といったところなのだろう。

 

そして現在、午前11時半。

私とガイウスは、美術室へ向かっていた。

 

「ガイウスの絵も展示されてるんでしょ?」

「ああ、何点かな。是非アヤにも見て貰いたい」

「前からそう言ってたもんね・・・・・・あれ?」

 

本校舎2階へ続く階段を上り、廊下を歩いていると、またしても見知った面々の顔があった。

 

「あれ、君は確か・・・・・・」

「あはは、お久しぶり。音楽院組も来てたんだね」

 

モーリスとロン、カリンカ。そしてリリランタ。

音楽院に通う4人の姿が、美術室の前に揃っていた。

 

「アヤヤ!アヤヤやんか!」

 

リリランタがやややんか。また私に対するリリの呼び名が変わっていた。

もしかして彼女は会う度に、私の名前を弄り倒すつもりなのだろうか。

いずれにせよだ。無事にクロスベルから帰って来てくれていたようで、安心した。

旧市街で帰りの列車賃すら無いと聞かされていた分、心配ではあったのだ。

 

「いや、結局借りたわ。特務支援課やったっけ?いい人らやったなー、ホンマ助かったわ」

「・・・・・・あ、そう」

 

返す機会があるとは到底思えない。返す気があるのかすら定かではない。

考えないようにしよう。特務支援課も、少しは仕事を選んだ方がいいと思う。

 

4人は《Ⅶ組》のステージ演奏について、既にエリオットから聞き及んでいた。

今日は士官学院の見学も兼ねて、私達の演奏を聞きにわざわざ足を運んでくれたそうだ。

 

「エリオットが纏めたって話だからね。僕達も楽しみにしていたんだ」

「さっきリィン君とも話したんだけど、新しいジャンルの演奏なんだってね?」

 

モーリスとロンが目を輝かせながら、声を弾ませる。

新しいジャンルには違いないだろうが、少々期待が大き過ぎる気がしてならない。

薄れていたはずの緊張感が、次第に増していく。うん、落ち着け私。

 

「アヤさん、ちょっといい?」

「え、私?」

 

するとカリンカが1人、声を潜めながら私の腕を引いてくる。

3アージュ程皆から離れたところで、カリンカは私の耳元で囁くように言った。

 

「例の件、エリオットから聞いてる?」

「例の?ごめん、何のこと?」

「・・・・・・ううん、聞いてないならいいのよ」

 

例の件。一体何のことだろう。

思い当たるものが何1つ見つからない。カリンカが言うように、聞いていないからだろうか。

結局は4人と別れるまで、彼女はそれ以上『例の件』とやらには触れなかった。

 

「アヤ、どうかしたのか?」

「ん・・・・・・何でもない。もう時間も無いし、美術室に入ろうよ」

 

おみくじ同様、カリンカの言葉を頭の片隅に置いてから、美術室に足を踏み入れる。

初めに目に飛び込んできたのは、一心不乱に石を削るクララ先輩だった。

ガイウス曰く、あれは実演であり、展示物の1つ。

部長を展示物扱いはどうかと思ったが、事実並べられた作品と完全に一体化していた。

 

「さてと、ガイウスの作品は・・・・・・うわー。ちょっと、何これすごい」

「フッ、一目で分かるだろう」

 

以前リンデが言っていた。ガイウスの絵画は想像画のようでいて、違う。

瞼の裏に焼き付いた確かな風景を、キャンバスの上に再現するからすごいと。

 

私がノルドへ流れ着いた軌跡の始まり。

ルーレのダイニングバー『ef』で初めて目にした、ノルド高原。

私が『ただいま』を初めて口にした前日に、2人で一緒に足を運んだ、あの崖上からの光景。

夕焼けの色から風に揺れるエポナ草に至るまで、その全てがキャンバスに描かれていた。

 

「何だろ・・・・・・何で、こんなに・・・・・・ごめん。上手く言えないや」

 

言葉にならない。どんな言葉を並べても、この絵画には相応しくない。

たった1枚の絵画に心を動かされるなんて、初めての経験だった。

その余りの美しさに見惚れていると、ガイウスの視線が、別の絵画に向いた。

 

(え―――)

 

2つ、見せたい絵画があると言っていた。視線の先には、もう1枚のキャンバス。

その上に描かれていたのは、1人の女性だった。再び、言葉を失った。

 

「・・・・・・ねえ、ガイウス」

「何だ」

「私、こんなに綺麗じゃないよ」

 

アヤ・ウォーゼル。自室の窓際でランと戯れる、私。

素人の私でも理解できる。人物像を描くには、向き合う必要がある。

彼のキャンバスの前に座った記憶は無い。部屋に持ち込まれたことなど一度も無い。

描けるわけがない。なのに、それなのに―――どうしてそこに、私がいるんだ。

 

「そうか?俺の目には、君はこう映っているんだがな」

 

気付いた時には、涙が浮かびかけた顔をガイウスの背中に埋めながら、抱いていた。

クララ先輩の存在に気を向けることなく、抱いていた。

夏のルナリア自然公園。惚れ直すという感覚は、あの時に学んだ。

たったの2ヶ月後に同じ想いを抱くことになるなんて、考えてもいなかった。

正午を知らせるチャイムが鳴り始めるまで、私は彼の背中に身を預け続けていた。



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10月24日、午後

後半部分は『空の軌跡~空を見上げて ボーカルバージョン~』をお聴きしてからお読み頂ければ幸いです。


『子爵令嬢メリッサ』。詳細はユーシスが教えてくれた。

今から40年以上も前に作曲、初演された、全4幕からなる軽喜劇。

所謂オリエントブームの火付け役となった作品であり、その伝統的且つ物議を醸した舞台設定は、後のオペレッタの在り方へ大いに影響を及ぼしたとされている。

 

物語自体は至ってシンプル。

フランツ子爵令嬢メリッサは、老若男女を問わず、誰からも愛される優しい女性だった。

同じ貴族の身分に属する許嫁がおり、その男性とはお互いに将来を誓い合った仲だった。

一方でもう1人、彼女には淡い感情を募らせる男性がいた。

遥か東、共和国の東端からやって来た一介の軍人。出会いは唐突に訪れた。

 

第1幕を終えた時点では、メリッサは後者を選ぶだろうと予想していた。

第3幕に差し掛かった辺りから、メリッサの心は次第に揺れ動いていく。

最終的には、彼女は思い出を選んだ。長年寄り添い、共に歩を進めてきた男性を選んだのだった。

 

40年前を反映した作品なのだと思う。私達には知り得ない、1150年代を思わせた。

異国の文化を描いておきながらも、結局は『国と伝統』を選んだと言い換えることができる。

知る由も無いが、当時はオリエンタリズムに対するアンチテーゼの代表として扱われたそうだ。

神秘的な幻想を東方の地に抱き始めていた国民に対する、警笛だったのかもしれない。

 

40年の時を経て、《Ⅰ組》はその全てを再現してくれた。

 

「フン。随分と皮肉の利いた演目を選んだものだ」

「それにしたって・・・・・・その、言葉が見つからないわね」

「ああ・・・・・・すごかったな」

 

ユーシスのような感想を抱かなかったと言ってしまうと、それは嘘になる。

私達は魅せる側だ。同じ立場にあるからこそ、彼らの全てが見えてくる。

 

多分、選択自体に意味は無い。あるとしても、そこに彼らの本意があるとは思えない。

作品に込められた作者の意図すらもが、ひどく些細な物に思えた。

 

「あっ」

「む・・・・・・」

 

肩で息をしながら、額に大粒の汗を浮かべる《Ⅰ組》の皆が、舞台裏へと戻ってくる。

先頭を歩いていたパトリックは、乱雑に袖口で汗を拭いながら、リィンの眼前に立ち止まった。

 

「はは、お疲れ。すごい完成度だったな」

「・・・っ・・・・・・!」

 

パトリックはリィンの顔を一睨みした後、口を閉ざしたまま再び歩を進めた。

全部、今し方の軽喜劇に込めた。そう言いたかったのかもしれない。

 

人数は関係ない。《Ⅰ組》が持つ人脈や金脈は、知識や力はこの際問題ではない。

彼らは自らの手足と声を以って演じ、歌い切った。それに変わりはない。

きっと彼らも、作品に込められた意志や感情には興味が無い。観客のための劇ですらなかった。

その矛先は自分自身であり、私達《Ⅶ組》。ひどく身勝手で、真っ直ぐ。私にはそう映っていた。

これが―――《Ⅰ組》の1ヶ月間。彼らが目指した学院祭2日目、10月24日。

 

やがて劇に使用されていた舞台装置が撤去され、私達は手早く演奏の舞台を仕上げに掛かった。

時計の針が2時45分を指した辺りで、15分後に演奏が開始する旨を、トワ会長が告げた。

 

「まあ、僕らも練習の成果を出せれば、見劣りはしないんじゃないか」

「そうだね。僕達だってずっと頑張って来たんだから、きっといいステージになるはずだよ」

 

昼前に高まり掛けた緊張感が、いい意味で薄らいでいく。おそらくこれも、《Ⅰ組》のおかげ。

私達と同等かそれ以上の時間と労力を費やしながら、彼らは積み重ねてきた。

観客の歓声で、結果が報われたことを示していた。なら、私達だってきっと大丈夫。

身に覚えのない挑戦状に応えるためにも、腹を括るしかない。

視線でお互いの意志を確かめ合っていると、背後から声が聞こえた。

 

「フフ、何とかギリギリ間に合ったみたいだね」

「え・・・・・・」

 

ドクンと、胸の鼓動が一際大きな音を上げた。

そんなはずがない。声に振り返ることすら気が引けた。

本番の15分前。開幕を直前に控えた今、一度顔を見てしまったら、私は普通ではなくなる。

結局は、振り返るしかなかった。この状況下で、1人顔を背けることの方が躊躇われたから。

 

「アンゼリカ・・・・・・先輩?」

「やあ、3週間振りかな。皆元気そうだね」

 

思わず語尾が疑問形になってしまった。

視線の先には、艶やかな紺色のドレスに身を包んだ、アンゼリカ先輩がいた。

妖艶、という表現がしっくり来た。その2文字を使う機会が、今後何回あるのだろう。

胸元が露わになったドレス姿に、男性陣は目の行き場に困り果ててしまっていた。

 

突然の再会に面食らった私達に、アンゼリカ先輩は事の経緯を話してくれた。

学院祭に顔を出したいという先輩の申し出は、当然父である侯爵閣下から猛反対を食らった。

それならばと先輩が持ち出したのが、これまで幾度となく断り続けていた、見合い。

何件かの見合いを受けるという代償の先に、今回の来訪が叶ったとのことだった。

 

「確かに、礼儀には敵っている装いでしょうが・・・・・・」

「アンゼリカさんが着ると・・・・・・その、迫力があり過ぎますね」

「フフ、君達の艶姿に比べたら、流石に負けるというものさ」

 

言いながら、怪しげな笑みを浮かべるアンゼリカ先輩。

先輩はごく自然にアリサとエマの下へ歩み寄り、2人を抱いた。

抱きながら頬ずりに頬ずりを重ね、くんかくんかとその匂いを満喫していた。

言ってしまえば唯の変態行為である。クロウのセクハラという表現がかわいく思えてくる。

 

傍から見れば異常な光景なのだろう。私にとっては、想い焦がれた日常の1枚。

たったの3週間振りとなる先輩の姿を、私は目を据えてじっと見つめ続けていた。

 

やがて頭上からトワ会長の音声が鳴り、スタンバイの指示が下される。

開幕10分前。私達の3週間を試される時が、目前に迫っていた。

 

「よし、遂に俺達の出番だ」

「最終のチューニングをしたいから、1曲目のメンバーは位置に付いてくれるかな」

「ガイウス、頑張ってね」

「ああ。先に行って待ってる」

 

1曲目はマキアスとユーシスのツインボーカル曲。

その次がエマ、そしてバックダンサー3人組が主軸となる2曲目。

私の出番は2曲目からだ。取っ掛かりはガイウス達に任せるしかない。

 

皆をステージへと見送った後、私は再び振り返る。

目と鼻の先に、アンゼリカ先輩の顔があった。相も変わらず近い、近すぎる。

 

「いやなに、君の匂いを味わうのを忘れていたからね」

「はいはい。どーぞご自由に」

「フフ、やけに素直じゃないか・・・・・・それで?その恰好は、一体何の冗談かな」

 

本番直前に、冗談を決め込む余裕なんて無い。

私が身に纏うのは、皆とお揃い。白と黒を基調とした、斬新且つ大胆な衣装だった。

異なる点があるとするなら、それはアンゼリカ先輩から託された一式しかない。

手甲と鉢がね。10月2日のあの日、私は心に決めた。先輩と一緒にステージへ立つと。

誰にも文句は言わせない。今日この場に限り、これが私の勝負服だ。

 

「変ですか?結構似合ってると思いますけど」

「そうですね。とってもアヤさんらしいです」

「元々刀を振り回す役だし」

「アヤ格好良いー!」

 

アンゼリカ先輩はそっと私の頬に触れた後、無言で控室を後にした。

危なかった。涙を堪える作業で手一杯だった分、あれ以上交われば抑えきれなかった。

 

同時に時計の長針は真上を指し示し、幕は開けた。

私達が掴み取った10月24日は今漸く、本番を迎えた。

 

_____________________________

 

タンッタタン、タンタンタン、タンタンタタタタンッ。

 

ワジ君に習い、曲のリズムとテンポに意識を集中し、小刻みに足を動かす。

剣舞の流れを生むのは剣ではなく足。一度でも立ち止まれば、流れも止まる。

譜面の読み方は知っている。音楽学の授業で、一通りの記号の意味合いも頭に入っている。

どうだっていい。そんなものは演奏組に任せ、私は身勝手に振る舞えばいい。

主役はエマに他ならない。が、私にとってそれは私自身だ。

 

私の長巻が空を斬る度に、観客からは悲鳴に近い声が上がった。

模造刀とはいえ、当たれば無事では済まない。加減を誤れば剣圧が邪魔をする。

ミリアムとフィーの視界には入っている。だが一度も視線は剣を追わないし、躱してなどいない。

間を縫うように剣が躍り、次第に悲鳴は歓声へと変わっていく。

 

曲が終盤に近付くに釣れて、物足りなさを感じた。

多少のアドリブは織り交ぜていた。観客も、それに歓声で応えてくれた。

だが足りない。こういった舞台では、観客を沸かせた方に軍配が上がるというものだろう。

 

(フィー。じっとして)

(えっ)

 

エマが最後のフレーズを歌い終えた辺りで、私はフィーの動きを止めた。

狙うは観客席の最前列。外したら台無しだ。成功しても、無礼千万。今だけは目を瞑ろう。

私は呼吸を止め、フィーの頭上に被さるシルクハットを見据えた。

 

「はああぁっ!!」

 

私の上段蹴りは正確にシルクハットを捉え、観客席に向かって飛来した。

クルクルと回りながら宙を舞い―――狙い通り、エリゼちゃんの頭上に、すっぽりと被さった。

どよめきが起こり、両隣に座る殿下御一行の笑い声と拍手で、それは再び歓声に変わった。

ごめんねエリゼちゃん。後で謝るから、そのまま被ってて。

 

(アヤっ、ボクもボクもっ)

 

ミリアムが頭上を指差しながら、ぴょんぴょんと飛び上がる。

言われてみれば、もう1つあったか。なら、次は誰に。視界の端に、その標的を発見した。

随分と距離がある。駄目で元々、繊細且つ思いっ切り蹴り飛ばすしかない。

 

「せぃあぁっ!!」

 

ミリアムのシルクハットが再び壇上から舞い、《Ⅰ組》の筆頭である彼に着地した。

彼らの軽喜劇は心を動かされる程に、見事な出来栄えだった。だからこれはそのお返し。

これが私達《Ⅶ組》の10月24日だ。真摯に向き合い、歌と演奏で応えた。

別に勝負ごとに拘りがあるわけではない。が、こうなったらとことん付き合うまでだ。

 

予定通りに2曲目を終え、私達を照らしていた照明が消える。

一方で観客席は未だにざわめいており、熱は冷めていなかった。

さあどうする。暗闇の中で視線を合わせた私達に、舞台袖で待機していたクロウが囁いてきた。

 

(間違いねえ、こいつは『来る』ぜ。お前ら、3曲目の準備だっ)

 

皆が首を縦に振り、手にしていた楽器を一時手放す。

陣形を変える必要がある。とりわけエリオット用のピアノが欠かせない。

私達は準備してあったキャスター付きのピアノへ駆け寄り、慎重に移動を始めた。

そこで初めて小さな問題に気付いた。楽器や機器を繋ぐコードが邪魔をして、上手く進めない。

 

(ふむ、ならば一度コードを外すしかあるまい)

(し、慎重にね。暗いから間違えないように)

(おい貴様、早々とポーズを決めていないで手を貸せっ)

(るせえ、位置取りが重要なんだよ・・・・・・なあ、視線はもっと落とした方がいいか?)

((手伝え!))

 

フィーの右足がクロウの尻を蹴り上げ、呻き声が上がる。

あ、やばい。聞こえたかも。と思いきや、全く同じタイミングで、眼前から波が起こった。

 

「「アンコール!アンコール!アンコール!」」

 

(クク、想定の範囲内ってやつだ・・・・・・イテテ)

 

尻を押さえながら、クロウがドヤ顔を私達に見せびらかす。

まあこればっかりは、彼とエリオットの機転に感謝をするべきだろう。

司会進行役のトワ会長ですらが、この事態に戸惑いの声を漏らし始めていた。

プログラム上には無い、3曲目。私達の中には、たった一晩で仕上げたとっておきがある。

 

唐突にスポットライトの光が壇上へと降り注ぎ、クロウの姿が照らし出される。

絶妙な角度(?)に視線を落としながら、彼は観客の声援を沈めるべく、静かに言った。

 

「皆さん、ご声援ありがとう。アンコールにお応えして、3曲目。行かせてもらいます」

 

直後、エリオットの指が旋律を奏で、エマが優しく歌い始める。

序奏が終えると同時にステージ全体が再び光に包まれ、《Ⅶ組》全員参加の3曲目が始動した。

私の手にも、既に剣は無い。ここからは皆と一緒に、声が力になる。

 

『I swear』。

琥珀の愛、星の在り処といった名曲達と同時期に、人目に触れずひっそりと誕生した曲。

当初は見向きもされなかったそうだ。評価が見直され始めたのは、近代に入ってからのこと。

時代を経て国中で愛されるようになり、帝国で誕生した名曲の1つとして扱われるようになった。

エリオット曰く、早過ぎた名曲。漸く時代が追いついたらしい。

 

そんな名曲が今、私達《Ⅶ組》の手によって、姿を変える。

カバー曲という言葉の意味は知っている。原曲を耳にしたこともあった。

ギターに、ベース、ドラム。あるはずのない音が、現在と過去を繋いでいく。

クロウとエリオットの試みが、どう受け取られるのか。心配ではあった。

今は亡き作者への冒涜と思われても無理はない。

 

40年以上前の伝統を重んじた軽喜劇を、伝統を重んじて再現した《Ⅰ組》。

否定はしない。それはとても大切なことだ。今度は、私達が変える番。

私達にしかできないことがある。1204年、10月24日の《Ⅶ組》だけの演奏。

両者の間に優劣は無い。だから私達は、精一杯の想いを演奏に込めた。

 

最初に声で応えてくれたのは、オリヴァルト殿下だった。

次にアルフィン皇女殿下が。その次にエリゼちゃんが。次第に最前列一同までもが。

遂には観客のほとんどが、私達の演奏に歌を以って応えてくれた。

 

不思議な歌詞だと思う。

別れの先に、出会いを。終わりと同時に、始まりを思わせる。その逆も然り。

選曲はクロウだった。今思えば、彼が何故この曲を選んだのか、聞いたことがなかった。

何か、意味があるのだろうか。

 

(まあ、いっか)

 

後で聞いてみればいい。多分、あるはずだ。

考えてみれば、クロウが私達と教室を共にするのも、今月一杯まで。

月が変われば彼は再び先輩となり、《Ⅶ組》は11人となる。

ミリアムもそうだ。目的が分からない以上、卒業まで一緒にいられるとは思えない。

もしかしたら、その辺りに答えがあるかもしれない。

 

いずれにせよ、今は歌おう。既に恥じらいは無い。

会場が1つになり、あのパトリックまでもが参加してくれている。

これが音楽の力。リリがクロスベルでそうしたように、奏でるだけで心が揺れる。

 

やがてエリオットのピアノの余韻だけが残り、私達の『I swear』は終わりを告げた。

観客席では拍手喝采が収まらず、演奏よりも一際大きい波を肌で感じた。

誰もが肩で息をしていた。たった3曲に、私達は全てを注いだ。

自然と皆の顔に笑みが浮かび、終了を告げる挨拶に移ろうとした―――その時。

 

アンコール。

 

「えっ」

 

アンコール。アンコール。

 

「こ、これは」

 

アンコール。アンコール。アンコール。

 

「はは・・・・・・参ったな、こりゃ」

 

「「アンコール!アンコール!アンコール!」」

 

拍手喝采は声となり、再アンコールという要求へと変わっていった。

眼前の光景と声に、戸惑いを隠せないでいた。これは流石に予想外だ。

この場合、私達はどう応えるべきなのだろう。『I swear』を再演奏すればいいのだろうか。

頼みの綱であるクロウに目を向けると、彼も同じ色を浮かべていた。

 

「ど、どうするのよ?4曲目なんて用意していないじゃない」

「チッ、こいつは想定の範囲外だぜ・・・・・・仕方ねえ。芸は無いが、もう一度―――」

「みんな、待って」

 

エリオットの声に、皆の視線が彼に向いた。

続けて彼が放った言葉は、再び予想だにしないものだった。

 

「実はもう1曲、弾きたかった曲があるんだ。この場は僕に任せてくれないかな」

「ま、任せてって言われてもな。まさか、エリオット1人で乗り切るつもりなのか?」

「ううん・・・・・・ねえアヤ。お願いできる?」

「へ?」

 

オネガイデキル。まるで異国の言葉のように聞こえた。

私の思考がその意味に追いつくより前に、エリオットは皆に語り始めた。

4曲目は、僕とアヤが引き受けるよ。勝手だけど、お願い。

たったそれだけの言葉を置いた後、エリオットは再びピアノの前に立った。

 

そんなエリオットの態度に、皆は不安な色を浮かべながらも、従うしか無かった。

壇上に残されたのは、私とエリオット。驚き狼狽える私と、真剣な面持ちの彼。たったの2人。

何かを期待させるその様に、観客席からは再度どよめきが起こり始めた。

言っておくが、私は何も聞いていない。そう期待されても困る。

 

「ち、ちょっと、何のつもり?わけ分かんない、何をする気なの?」

「前に言ったでしょ。いざとなったら、君の声と思い出を貸してってね」

「声と・・・・・・あっ」

 

もし僕の予感が当たったら、アヤの歌声と思い出を、僕に貸してくれないかな。

 

あの時だ。確か10月8日の日記に、彼の意味深な台詞を記した記憶がある。

あの日、私と彼は何をしていた。エリオットが音楽室でピアノを弾いていて、それで―――

 

「―――まま、まさかとは思うけど。わ、私が?」

「心配は要らない、主役は僕が務めるよ。2人は力を貸してくれるだけでいいんだ」

 

正気の沙汰とは思えない。無茶にも程がある。

彼が弾こうとしている曲は分かるし、記憶と思い出が頭の中にある。

だからと言って、ここに来てぶっつけ本番などあり得ないだろうに。

・・・・・・2人?今2人と言ったか。彼を除いて、もう壇上には私しかいないはずだが。

 

「お待たせ、エリオット。それにアヤさん」

「えっ・・・・・・えええ!!?」

 

唐突に、その『2人目』が舞台袖から姿を現した。

まだ記憶に新しい制服と、淡い桃色の髪に、カチューシャ。

その手には、ヴァイオリンと弓が握られていた。

 

「ありがとう、カリンカ。随分迷ったけど・・・・・・姉さんには、観客席にいて欲しかったから。この役目を任せるとしたら、君しか思い浮かばなかったんだ」

「構わないわよ。でも本当にいいの?私、士官学院生ですらないのに」

「どっちにしたって、僕達に4曲目は無かったからね。だからこれは、僕の我儘なんだ。《Ⅶ組》のステージ演奏は、もう終わってるよ」

 

全く会話に追いつけない。

察するに、エリオットはこの事態をある程度見越していたのだろう。

思えばあの日、彼が教えてくれたことだった。

形式ばらないコンサートなどでは、再々々アンコールまで求められるケースもあると。

 

「ねえアヤ。もう一度言うけど、君は思い出を貸してくれるだけでいいんだ」

「そ、そう言われても、よく分かんないんだってば」

「あはは、大丈夫だよ。あのレコードを手に取ってくれたアヤなら、きっとね」

 

言いながら、2人は口を閉ざした。

その顔には、演奏者の表情。そんな表現がピッタリの色が浮かんでいた。

 

エリオットの指が鍵盤に触れ、カリンカの弓が弦をなぞる。

彼の口ぶりから、その曲が流れ始めるのは分かり切っていた。

私は知っている。だというのに、耳に入って来たのは―――知らない音だった。

 

(え?)

 

同じピアノのはずだった。

ついさっきまでピアノが発していた音が、全く異なる色味を帯びていた。

鍵盤を叩くたびに響き渡る音の1つ1つが、私の中に眠る何かを呼び起こしていく。

 

(・・・・・・ああ、そっか)

 

漸く理解するに至った。やはり彼も、私と同じなんだ。

瞼を閉じれば、鮮明にその姿が浮かび上がってくる。声が聞こえてくる。

私とお母さんの―――思い出の曲。

 

振り返りながら、先程までエマが立っていた位置へと歩を進めた。

これなら大丈夫だ。2人の演奏と感情に流されるが儘に、歌えばいい。

主役はあくまでエリオット。彼の演奏に、そっと声と思い出を添えよう。

 

エリオットのピアノと、カリンカのヴァイオリン。

たった2人の重奏曲に、私の声を被せ始める。

彼のお母さんが生前に生み出した、『空を見上げて』。4曲目が、開始を告げた。

 

______________________________

 

私はこれまでに二度、エリオットの目から光が消えた日に直面したことがある。

 

一度目は、7年前。

母親を亡くしたあの日を境にして、一時的にクレイグ家から、楽器の演奏音が消えた。

あの家はいつも、温かい音色と笑い声に満ち溢れていた。一番多く耳にしたのは、この曲。

立ち直るまで、相当な時間を要した。3人の演奏は、2人に減った。

思えばあの頃から、エリオットは先の道を決めていたように思える。

フィオナさんも当然のように、母親と同じ道を歩き始めていた。

 

二度目は、丁度1年前。

父親にその道を閉ざされてしまったあの日、再び光が消えた。

幾度となく懇願しても、道は開かなかった。一時的にしろ、彼は恨んだだろう。

私も同じ想いを抱いていた。何の力にもなれなかった自分にも、腹が立った。

エリオットが帝都を去るまで、結局光は戻らず仕舞いだった。

 

だからこそ、私は理解できなかった。

マーテル公園で再会したエリオットの目は、しっかりと前を見据えていた。

たったの4ヶ月の間に、彼の身に何があったのか。

それは今日、彼らが音と声を以って示してくれた。

 

自分の不甲斐無さに呆れ、彼らに対し嫉妬心のような何かを抱いた。

そんな自分に、改めて嫌気が差した。きっとこの半年間は、エリオットの背中を押してくれた。

それだけで十分だ。彼は今、前を向いている。空を見上げて、伝えようとしている。

 

こうして私を選んでくれたことが、嬉しくて堪らない。

母親の音色を知る人間だからだろうか。この曲を弾けるからだろうか。

どっちでもいい。彼がこうも温かな音色を奏でることができるなら、もう何の心配も要らない。

 

さあ、私の全てをこの曲に捧げよう。

音楽の道を歩む者としての、演奏力と表現力を以って。

幼少の頃から彼を見てきた人間として、その背中を見守りながら奏でよう。

 

頑張って、エリオット。その想いは、きっと届くはずだから。

 

_____________________________

 

演奏が始まって間もなく、観客は戸惑いを覚えていた。

知名度は前曲に劣るとはいえ、若くしてこの世を去った高名な音楽家が残した名曲。

 

大部分が知っていた。歌詞も、曲に込められた作者の想いも知っていた。

淡い恋心を、切なくも儚い旋律で表現した曲のはずだった。

なのに、歌声が違う。ピアノとヴァイオリンの音が違う。

 

次第に曲が進むに釣れて、1人。また1人と。

3人の演奏に込められた想いに、観客らは気付き始めていた。

何故こうも、胸が締め付けられる。どうして上空を仰ぎたくなるのだろう。

いち早く理解に至ったのは、3人を知る人間達だった。

 

「頑張れ・・・・・・エリオット」

「ここでミスったら台無しやで、カリンカ」

 

共に音楽を学び、その道を歩み始めた音楽院の生徒達。

 

「ど、どうしたんです、メアリー教官」

「フフ、分かりませんか?この曲が誰の為に・・・・・・誰に捧げられたものなのか」

 

日頃からエリオットの音色を耳にしてきた、教官達。

 

「おいおい、こりゃ反則じゃねえのか」

「はは・・・・・・今だけは目を瞑って、見守ってやってもいいんじゃないか」

 

彼と学び舎を共にする同窓達。

 

「ねえお父さん。すごいでしょう、音楽って」

「・・・・・・フン」

 

そして想いを共有する家族は、エリオットの演奏の先を見詰めていた。

 

演奏が終盤に差し掛かった頃には、誰もが上空を仰いでいた。

天井の先、遥か遠くの空の先にいる、それぞれの『誰か』を想いながら。

この場にいるはずのない、大切な誰かに、想いを募らせながら。

 

 

 

ねえ、母さん。

不安はあったけど、3曲とも大成功を収めることができたよ。

全部母さんのおかげ。

母さんが教えてくれた音楽のおかげで、僕達は最高のステージを作り上げることができた。

 

あれから7年が過ぎて。

結局僕は、母さんや姉さんとは違う道を歩いてる。

卒業後にどうするかも、まだ決めてはないんだ。

 

でも約束する。

もう二度と、絶対に下を向いたりしないって約束する。

たくさん練習して、ヴァイオリンもピアノも、こんなに上手く弾けるようになったから。

大切な仲間達と、皆に出会えたから。

 

もう、心配は要らないよ。

僕は前を向いて、歩いて行ける。

僕は父さんと母さんの子だから。

 

だから。だから今、空を見上げて―――

 

 

 

―――ありがとう、母さん。

 

 

 



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選択の刻

1812票。

それが私達《Ⅶ組》が獲得した、来場者アンケートによる投票数。

2位に大差をつけて見事1位に輝いた現実に、私の感情は歓喜の声を上げてはくれなかった。

 

頭の片隅で考えてはいた。《Ⅰ組》に勝ちたいという競争心もそれなりにあった。

今となっては、順位という数字をつけることは蛇足に思えた。

クラスの数だけ、人の数だけ10月24日がある。優劣を付けることに意味なんて無い。

 

「はいはい。どうせ《Ⅴ》組はビリっけつよ。最下位で悪かったわね」

「あ、あはは・・・・・・ウインナー食べる?美味しいよ、これ」

「要らないわよ・・・・・・」

 

10月24日、午後19時。

グラウンドの中心でメラメラと燃え上がる焚き木。

吹奏楽部2年生による物静かな演奏音と、焚き火を囲いながらダンスに興じる生徒達。

そんな後夜祭の光景を眺めながら、私とポーラは10月24日を振り返っていた。

 

アンケートの結果、大盛況を見せたポーラ達《Ⅴ組》のみっしぃパニックは何故か最下位。

その中身は両端に寄った。1位を付ける生徒もいれば、最下位に選んだ生徒もいた。

前者については、『楽しかった』『みっしぃが可愛かった』といった純粋な感想によるもの。

一方後者は『みっしぃを使うのは卑怯』『客寄せかよ』という、大前提を否定するものだった。

 

「それを言ったら《Ⅶ組》だってそうだよ。音楽院の生徒がさんふぁひひゃっはひ」

「食べながら喋らない」

「ん・・・・・・だから、順位なんてどうだっていいじゃん。楽しかったのは間違いないんだしさ」

「ま、それもそうね・・・・・・はぁー。何か疲れちゃった」

 

大きな溜め息をつきながら、草むらに大の字で寝そべるポーラ。

同じ思いだった。昨日は乗馬体験コーナーに付きっ切りで、夜にはあの騒動。

今日の午前中は何だかんだで歩き疲れたし、午後は全てをステージ上に置いてきた。

そして今し方、演奏に合わせてガイウスと踊ったせいで、体力はすっからかんだ。

特別実習終了後をも上回る疲労感が心身を蝕み、こんな時間に眠気を感じさせた。

 

「よいしょっと」

 

ポーラに習い、ウインナーが詰まった紙袋を置いてから身体を寝かす。

星が見えていた。ノルドには遠く及ばないが、トリスタの夜空も中々の物だ。

吹奏楽部の演奏が、子守唄のように心地良い。目を閉じればすぐにでも眠ってしまいそうだ。

 

「ねえポーラ」

「何?」

「多分さ。向こうも立場上、誘い辛いんだと思うよ。色々な人が来てるしね」

「・・・・・・」

「気持ちは分かるけど、こっちから強引に誘うっていう手もあるんひゃあぁっ!?」

 

脇腹に容赦の無い貫き手が刺さった。

直後に襲ってくる痛みと、脇のくすぐったさ。

勘弁してほしい。ガイウスと一緒で、脇は人一倍弱いというのに。

 

蹲りながら悶えていると、ポーラは半身を起こし、紙袋から1本のウインナーを手に取る。

それを頬張りながら、ポーラは勢いをつけて立ち上がった。

 

「余計なお世話よ。バカ」

 

言いながら、ポーラは歩き出す。私はその背中を見詰めながら、再度紙袋を抱えた。

 

もう半年間も同じ時を過ごしてきた。分からないはずがない。

一時の気の迷いだとしても。知らぬ間に消え行く感情だとしても。

今ぐらいはその感情に身を任せて、思い出を作ってもいい。ここはそういう場で、今がその時。

先の事は分からずとも、きっと3人で笑い合える未来がある。

 

「よお。面白いことになってんな」

「お疲れ様、アヤ」

 

背後から聞こえた声に振り返ると、クロウとエリオットの姿があった。

エリオットの手には、紙コップに注がれた紅茶らしき飲み物があった。

丁度いい。ウインナーのお供に水気が欲しかったところだ。

 

「クク、あの生意気な坊ちゃんの青春を、精々拝んでやるとするか」

「こら、茶化さないでよ」

「馬鹿野郎、こんな面白いもの滅多に・・・・・・分かった分かったからその手をやめろ」

 

言っておくが、私の貫き手はポーラ程優しくない。

私の構えに観念したのか、クロウは漸く2人から視線を外してくれた。

 

その右手でエリオットから飲み物を受け取ると、彼は改めてステージ演奏の話に触れた。

 

「付き合ってくれてありがとう。おかげ様で素敵な演奏が届けられたよ」

「こっちこそ。2人のおかげで、大成功だったし・・・・・・ねえ、クロウ」

「あん?」

「今月までって話だったけど・・・・・・いつまで《Ⅶ組》にいられるの?」

 

来週一杯までだな。

クロウは言いながら、ゆらゆらと揺れる焚き火に視線を移した。

 

たったの2ヶ月間。学院生活24ヶ月の内の、たった12分の1。

共有した時間の長さは関係無い。それは彼自身が教えてくれた。

 

昨晩の試練。慄き狼狽える私達を奮い立たせてくれたのは、クロウだった。

フィーの命が危険に晒された時、自身を顧みず誰よりも早く動いたのも、彼。

少なくともあの瞬間だけは、紛れもない《Ⅶ組》の一員だったはずだ。

やがて来るであろう、同窓との別れ。それが今唐突に、7日後に迫っていた。

 

「んな深く考えんなよ。学内ではどうせ顔を合わせるんだぜ?」

「まあ、そうだけどさ」

「はは・・・・・・少し、寂しくなっちゃうかな」

 

私とエリオットの声が、尻すぼみに小さくなっていく。

するとクロウは両の手で握り拳を作り、私達の額をコツンと、軽く小突きながら言った。

 

「ったく、こういう時ぐらい笑えよ。辛気臭えのは御免だ」

 

応えるように、エリオットは笑いながら、左手でクロウの握り拳を打った。

こういった振る舞いは男性同士でやることかもしれないが、私もエリオットに習い、続いた。

すると加減を間違えたのか、右手に痛みが走り、お互いに拳を抱えながら蹲ってしまった。

その姿が可笑しくて、笑った。クロウも笑っていた。

 

まだ7日間ある。クロウが《Ⅶ組》を去るその日までに、もっと思い出を作ろう。

彼がこの士官学院を去る時には、笑って見送れるようになっておこう。

別れを惜しむ練習と思えばいい。クロウもきっと、笑いながら去って行くはずだから。

 

「ねえクロウ。1つだけお願い」

「何だよ?」

「卒業するまで、キルシェのツケは清算しておいてね」

「・・・・・・あー、今いくらだ?」

 

1024ミラ。

再び積もり始めたそれは、奇しくも今日を示していた。

 

_____________________________

 

それから30分後。

視界の端に、ヴァンダイク学院長と会話を交わす女性が目に止まった。

それが誰かはすぐに分かった。私は小走りで駆け寄り、再会の挨拶を交わした。

 

「お久しぶりです、テンペランスさん」

「あら・・・・・・フフ。久しぶりね、アヤ」

 

セントアーク理科大学植物生理学研究室、テンペランス・アレイ教授。

5月度の特別実習でお世話になった大先輩。漸く見つけることができた。

姿を見かけたとアリサから聞いていたが、結局今まで会わず仕舞いになっていたのだ。

 

テンペランスさんは毎年学院祭に足を運んでいるそうで、今年も例外ではなかった。

1つ例外があるとすれば、それは学院長からの彼女に対する『提案』にあった。

 

「常任理事?」

「ええ。ヴァンダイク先生から引き受けてくれないかって、前々から頼まれていたのよ」

 

士官学院の運営を掌る、3名の常任理事。

その席は数年置きに1名ずつ入れ替わるそうで、今現在候補に挙がっているのが、テンペランスさんなのだそうだ。

 

「何度も断っているのだけれど・・・・・・今日もしつこくってね」

「フフ、おぬしなら誰も文句は言わんじゃろう。もう一度検討してはくれんかの」

 

学院長の仰る通りだ。テンペランスさんなら、誰も口出しはしないだろう。

軍属でも貴族でも政府筋でもない、第3者の視点が求められるのなら、正に打って付けだ。

 

「でも私なんかに務まるとは―――」

「学院長」

 

突然、背後から聞こえた声でテンペランスさんの言葉が遮られる。

振り返ると、サラ教官の姿があった。その表情には、感情が無かった。

一目見ただけで―――唯事ではない何かを思わせる。そんな顔だった。

 

サラ教官と学院長は一言二言の会話を済ませた後、足早に本校舎へと向かった。

その後を追うように、数名の人間がグラウンドを後にしていく。

オリヴァルト殿下。イリーナさん。クレア大尉。クレイグ中将。

名立たる面々がぞろぞろと、列を連ねて歩き始めていた。

 

「何かあったようね」

「はい・・・・・・何でしょうか」

 

その異様な光景に、吹奏楽部の演奏は止まっていた。

ダンスに興じていた生徒らも足を止めて、立ち尽くしていた。

 

ざわめきが起こり始めた頃に、再び学院長がグラウンドに繋がる階段を下りて来る。

その後方にはサラ教官にトワ会長、ハインリッヒ教頭の姿もあった。

学院長は後ろ手に手を組んだ姿勢で、咳払いを1つ。ゆっくりと、喋り始めた。

 

「ご来場の皆様、それに学院生諸君。本日はご来場頂き、誠にありがとうございます。この後夜祭をもって、第127回トールズ士官学院祭を終了します」

 

唐突に告げられた、学院祭の閉幕。

本来なら拍手や労いの声を以って、終了を惜しみながら迎えるべき瞬間。

誰も、何も言わなかった。口を閉ざしたまま、学院長の声に耳を傾けていた。

固唾を飲んで、その先の言葉を待っていた。

 

「それと先程、帝国政府より正式な通達がありました。本日夕刻、東部国境にあるガレリア要塞が壊滅・・・・・・いや。原因不明の異変により、『消滅』してしまったそうです」

 

(え―――)

 

そちらの方面から来られた方々は、どうか落ち着いて行動されるよう。

学院長が言った『そちらの方面』が何を意味するのか。この時の私には、理解できなかった。

 

_______________________________

 

10月24日、午後16時21分。ガレリア要塞と、第5機甲師団が消滅。

まるで理解の及ばない通達を聞かされた私達は、翌日に学生寮での待機を命じられた。

 

知らされたのは、消滅という2文字だけ。

事実確認をする術を持たない私達は、ミリアムを頼るしかなかった。

 

ミリアムはガレリア要塞の消滅を肯定した。正確な日時も、彼女が教えてくれた。

それだけだった。何故、どうして、どうやって。何も答えてはくれなかった。

確かなことは、消滅という事実。そして―――クロスベル自治州の、新たなる動き。

 

時は遡り、10月24日、午前10時半。私達が学院祭を満喫していた真っ只中。

クロスベルでは、ディーター市長による大統領就任演説が行われていた。

同時に市長は、大国への宣戦布告とも取れる声明を出していた。

 

2つの事実の関連性についても、ミリアムは何も言わなかった。

10月24日に、国境沿いで何が起こっていたのか。私達は、疑うことしかできなかった。

 

そして学院祭の翌々日、10月26日。

士官学院生には登校の指示が下り、私はガイウスと一緒に教室へと向かった。

教室の扉を開くと、皆がリィンの机を取り囲んでいた。

 

「おはよう。みんなどうしたの?」

「ああ、おはよう・・・・・・その、これなんだけどさ」

 

リィンの机には、今日の日付の帝国時報が広げられていた。

一面には、今まで見たことがない程に大きな報道写真が1枚、掲載されていた。

 

「・・・・・・何、これ」

 

その写真を目の当たりにした瞬間、血の気が引いた。

思わず目を擦り、もう一度。再度目を擦り、痛みを感じた後に、三度。

学院長が『壊滅』を『消滅』と言い換えた理由が、そこにあった。

 

「・・・っ・・・・・・!!」

 

我慢できなかった。気付いた時には、私は駆け出していた。

行先は決まっていた。『1年半前』の真相を知っているであろう人間なら、身近にいる。

私は勢いよく教官室の扉を開き、目当ての人物の下に駆け寄った。

 

「サラ教官。新聞、見ましたか」

「・・・・・・ええ、見たわ」

「教えて下さい。クロスベルで、一体何があったんですか」

「落ち着きなさい。あたしにも―――」

「同じですよね。全部あの『異変』と、同じじゃないですか!?」

 

1203年の1月。あの時と同じだ。

国境沿いに集結した1個師団。国境沿いで突如発生した超常現象。

写真を一目見ただけで理解できた。あれは普通じゃない。絶対にあり得ない。

 

全てが同じだ。あの瞬間、この国では何かが起こっていた。

そして国境の先、リベールでは塩の杭事件を髣髴とさせる、異変が発生していた。

あの時と同じなら。1203年1月と同じだというのなら。

クロスベルでは、今―――何が、起こっているというんだ。

 

「もう一度言うわよ。落ち着きなさい。あたし達も全ては把握していないの」

「で、でも」

「遊撃士の端くれを名乗るなら、取り乱しては駄目。報道や噂に惑わされず、冷静な言動を選びなさい。いいわね」

 

サラ教官に諭されながら、周囲の視線を感じた。

冷静でないのは、冷静に分析できていた。今の私も、普通じゃない。

私には、どうすることもできなかった。サラ教官に空返事をして、私は教官室を後にした。

 

________________________________

 

午後19時。第3学生寮、自室。

私はリィンから借りた帝国時報を、一字一句逃さず読み耽っていた。

士官学院でも、いくつかの噂話を耳にした。

事実とは呼べないまでも、可能性を拾い上げることはできた。

 

ガレリア要塞の消滅を機に、数個の機甲師団がクロスベルへ侵攻している。

その度に返り討ちに合う程に、クロスベルは何らかの巨大な力を手に入れた。

1つの答えは、共和国の空挺機甲師団。

クロスベルが共和国と結託し、共和国軍が国境沿いに配備されたという可能性。

或いはリベールのように、得体の知れない新兵器をクロスベルが開発したというトンデモ説。

 

あくまで可能性だ。

この中に事実が1つでもあるなら、いずれにしても大変な事態に陥っているということになる。

 

「ねえ、アヤ」

「ん・・・・・・何?」

 

いつの間にか、自習に励んでいたはずのミリアムが、背後に立っていた。

その手には、黒い金属の塊。時折彼女が使用している、遠距離の無線通信機があった。

 

「これ、使う?」

「・・・・・・あはは、いいよ。以前怒られたって言ってたでしょ?」

 

以前に一度だけ、その通信機を使用したことがある。

ミリアムによれば、他人である私に使用を許してしまったことで、こっ酷く叱られたらしい。

叱られるという表現は易しいかもしれない。存在自体が『キミツジコウ』に当たるはずだ。

 

「私は大丈夫だから。心配させてごめんね」

「うん・・・・・・」

 

そんな顔をしないでほしい。

確かに通信が叶えば、現地にいるロイドらと話すことが可能だろう。

だがこれは本来あるはずのない物だ。彼女の立場を危うくするのも本意ではない。

 

「でもアヤ、すごく辛そうだよ」

「勝手に辛くしてるだけだよ。何が起きてるかは、誰にも分からっ・・・・・・?」

 

不意に、気配を感じた。

窓枠の向こう。確かにいる。忘れるはずがない、この感覚。

 

「アヤ?」

「・・・・・・ごめん。少し外に出てくる」

「えっ」

 

私は着のみ着のままで自室を後にし、そのままの足で第3学生寮を飛び出した。

まだ僅かに気配を感じる。街の東部へと、それが遠のいてしまっていた。

私は上空を見詰めながら、走り出した。随分と遠い。一体どこまで離れるつもりだ。

 

結局気配は街を外れ、街道に出てしまった。

かと思いきや、そこから数アージュ先で漸く距離が埋まった。

誘導したつもりなのだろうか。なら先に言っておいてほしい。

呼吸を整えてから、私は気配の名を呼んだ。

 

「おかえり、ラン。いるんでしょ?」

 

直後、ランは街道の木々から飛び立ち、やがて私の肩へと止まった。

姿を眩ましたのは、10月21日。5日振りの再会だった。

 

私は何も言わなかった。

街道の端に転がっていた小岩に腰を下ろし、唯々待ち続けていた。

やがて観念したかのように、ランは私の頭の中に囁いてくる。

 

『何も聞かぬのだな』

「聞かなくても、教えてくれると思ってたんだけどな」

 

想像するに容易い。

この5日間、ランが一体どこに身を置いていたのか。この状況下なら、1つしかない。

本来ランは、この地にはいない。いるはずがないのだ。

 

『フム・・・・・・一応訊ねておくが。知る覚悟はできているのか』

「教えて。全部見て来たんでしょ。もう、ランを頼るしか術が無いから」

 

目を閉じながら、夜の静寂に身を任せる。

覚悟はできている。知ってしまえば、私の身に何が起きるか分かったものじゃない。

だからと言って、逃げるわけにはいかない。事の規模はおそらく、この国に収まらない。

遅かれ早かれ、私は突き付けられる。どう受け止めるかは、私自身の問題だ。

 

『10月8日、午後18時21分。至宝の力が発現』

「は?」

 

突然、2週間以上時が遡った。一言目から置き去りにされた。

何だ今のは。その頃はまだ、ランも私と一緒にいたはずだ。

戸惑う私に構うことなく、ランは続けた。

 

『10月24日、午後15時18分。特務支援課らが式の中心地に突入』

「ま、待って。それって」

『同日午後15時51分、特務支援課らが敗北』

「・・・っ・・・・・・待ってよ」

『同日午後15時55分、零の至宝が覚醒。同日午後16時06分、3体の人形が君臨』

「待ってってば」

『同日午後16時21分、要塞とやらが消滅。同日午後16時29分、特務支援課らが拘束され―――』

「待ってって言ってるでしょ!!」

 

整えていたはずの呼吸が、再び荒んでいた。

心臓の鼓動音が聞こえる。1分にも足らないうちに、額に大粒の汗が浮かんでいた。

 

覚悟はしていた。だというのに、私はどう受け止めればいい。

まるで理解できない単語の中に埋もれていた、敗北の2文字。

私はそれを、どう解釈すればいい。

 

『案ずるな。大事には至ってはおらぬ。だが敢えて表現するならば、敗北であろうな』

「そんな・・・・・・どうして、ロイド達が」

 

確かなことは、クロスベルは私の理解が及ばない事態に陥っているということ。

睨んでいた通り、リベールの異変と同等か、それ以上の何かが起こっている。

そしてロイド達は、それに巻き込まれてしまった。

 

全部が繋がっているはずだ。

クロスベルの独立宣言に端を発した、この状況。

ガレリア要塞の消滅も。ロイド達の敗北も。私はそれらを、どう繋げばいい。

 

目を瞑りながら頭の中を整理していると、ランは肩を離れ、宙を舞い始める。

くるくると私の頭上を飛び回るランから、再び声が聞こえてきた。

 

『もう1つ、おぬしに見せておきたい物がある』

「・・・・・・何?」

『考えていた。因果に触れた身であるおぬしが、何故この地に留まっているのか。その答えは、おぬしの中にある』

 

さあ、選ぶがよい。今がその刻だ。ランはそう言った。

選択を唐突に迫られた。私にとって、それは別れを意味していた。



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碧き閃光の行方(最終話)

10月28日、午前5時。

まだ陽が昇り始めてもいない、夜の静寂が朝のそれに変わる時間帯。

 

丸2日間、私は考えていた。

考えて、考えて、考えて。食べる時も眠るときも、ずっと考えて、迷っていた。

結局答えは見つからなかった。迷いの先に待っていたのは、ランが言った選択の刻。

当たり前だ、と思った。答えはここにはない。あるはずがない。

見つけるには、探しに行かなくてはならない。私の足と目で、真実を見据える必要がある。

 

士官学院の制服以外の衣服を身に着けて、外に出る。いつ以来のことだろう。

7月11日。ロイドと一緒に実家を訪ねた際に持ち帰った、お母さんの戦闘衣装。

露出が多く動きやすい分、この季節の朝方は、冷え込みを文字通り肌で感じた。

 

アンゼリカ先輩の手甲と鉢がね。お母さんの長巻と戦闘衣装。それが今の出で立ち。

士官学院の制服を置いて来たのは、迷いを断ち切るため。

そして決意の表れでもあった。この地に戻って来ないと、制服に袖を通すことは叶わない。

 

トリスタの東から繋がる街道。

ランが全てを話してくれたその場所に、私は今立っている。

そっと右手を掲げると、小さな鳥が私の腕の上で羽根を休め始めた。

 

『よいのか』

「うん・・・・・・まあ、よくはないんだけどね」

 

そっと目を瞑り、声を待つ。

自分勝手に帰るべき場所を離れ、朝方に歩を進める。私の人生の中で、これが2回目。

きっと来る。いや、絶対に来る。彼が知らない私なんて、いないはず。

だから別れすら告げていなかった。どうせこの場で顔を合わせることになる。

 

「どこに行くんだ」

 

―――ほら、来た。

声と同時に、ランが再び上空へと舞った。

振り返ると、やっぱり彼がいた。違いがあるとするなら、その横に恩師の姿まであること。

もう1つの違いは、覚悟。あの時の私は迷いながら、何かを期待していた。

でも今は違う。彼の表情も、あの時のそれではなかった。

 

「あなたねえ。こんな物を郵便受けに入れられても、困るのよ」

「・・・・・・すみません」

 

休学届け。誰にも相談できなかったせいで、正式な書類ではなかった。

黙って去ることも気が引けた。だから私は、一時的に士官学院生ではいなくなる旨を記し、サラ教官の郵便受けにそれを残していた。

 

「ガイウス・・・・・・やっぱり、分かった?」

「ああ。顔を見ればな。動くなら今日だと思っていた。皆にも、俺が伝えた」

「・・・・・・そっか」

 

皆、か。サラ教官だけだったら、躊躇わずに済んだのに。

ガイウスの言葉を皮切りにして、ぞろぞろと。

2人の後方から、掛け替えの無い仲間達が歩み寄って来る。

 

「アヤ、あなた・・・・・・って、聞くまでもないわね」

 

アリサの言う通り、聞くまでもない。皆も分かっているはずだ。

全てあのおみくじに記してあった通りだった。選択を、唐突に迫られた。

迷ってはならないという部分には無理があった。寝る間を惜しんで迷い続けた。

 

お互いに、言葉が出て来ない。

この選択が正しいのか、誤っているのか。私を含めて、正解は無いのだから。

初めに口火を切ったのは、眉間に皺を寄せたサラ教官だった。

 

「あたしは・・・・・・どうせあたしが止めても、あなたは言うことを聞かないんでしょう」

「剣を抜いてでも」

「でしょうね・・・・・・はぁ」

 

こうも迷いを浮かべるサラ教官を見るのは初めてだった。

担任として、見過ごせない。担任として、見守るべき。

両者の間で行ったり来たりを繰り返しながら、大いに揺れ動いているに違いない。

皆も同じ色を浮かべていた。そんな中で―――ガイウスだけが、違っていた。

 

「皆、聞いてくれ」

 

ガイウスが振り返りながら言うと、私に注がれていた視線が、彼へと向いた。

 

「勝手を言ってすまないが・・・・・・お願いだ。全部を俺に、預けてくれないか」

 

返答を待つことなく、ガイウスが1人私の下へと歩み寄って来る。

このままでは埒が開かない。そうして貰えると、私も助かる。

やがてガイウスは立ち止まり、私を見下ろして言った。

 

「本音を言えば、行かせたくはない」

「うん。私も」

「離れたくもない。ずっと君に触れていたい」

「うん。私も」

「俺がこれから何を言うかも、分かっているな」

「・・・・・・うん」

 

そっと、ガイウスの右手が私の頬に触れた。

泣くまいと思っていたが、自然と涙が零れ、彼の指を伝った。

 

先のことは分からない。

どれだけの時間を費やすことになるのか。無事に戻って来れるのか。また会えるのか。

全てが曖昧なままで、離れ離れになる。泣くなと言われても、涙腺は言うことを聞かない。

 

「行ってくれ。俺が愛する女性は、そういう人間だ」

「・・・っ・・・う、ん」

 

もう何度もそうしたように、私は彼と唇を重ねた。

残された時間の限り。息苦しさが限界を迎えるまで、私は彼と身を重ねた。

草原の匂い。故郷を思わせる彼の匂いを忘れないように、しっかりと噛み締めながら。

私達は人目を憚らず、お互いの全てを分かち合った。

 

身体を離すと、皆が視線を明後日の方向に逸らしていた。

いち早く視線を戻し、現実を突き付けてきたのは、やはりユーシスだった。

 

「それで、お前はどうするつもりなんだ」

「どうするって?」

「現実問題として、お前はクロスベルに立ち入ることすら叶わんだろう。たった1人で何をする気だ?最悪の場合、戦場に足を踏み入れることになるんだぞ」

 

そう。それが皆の迷いの正体。

私の選択がどれ程危険で無謀な物なのか、それは考えなくとも分かる。

ガレリア要塞は勿論、民間人はクロスベル方面行きの列車に乗ることすら規制されている。

百万が一、国境を越えたとしても、噂通りならそこは戦場。

大国の軍事力が正面衝突する、戦火のど真ん中。皆の中では、そういった解釈なのだ。

何のために、何をするために士官学院を去るのか。それすらも曖昧に違いない。

 

話したとしても、理解して貰えるはずがない。

私自身、クロスベルの地で何が起きているのか、把握できてはいない。

 

ただ―――1つの可能性を、示すことは可能だ。

迷ってはいたが、私にはそれしか方法が見当たらない。

頭上を見上げると、2日前と同じくして、ランが私を中心に飛び回っていた。

私はランに向けて右腕を上げ、その名を呼んだ。

 

「お願い、ツァイト」

『―――よかろう』

 

途端に周囲の木々がざわつき、私を中心にして一陣の風が巻き起こる。

直後、昇り始めた朝陽を背に、ツァイトは瞬時にその身を露わにした。

蒼白く輝く体毛を風になびかせる、巨狼。体高は10アージュに届くか届くまいか。

突如として現れた巨体に、誰もが口を半開きにしながら言葉を失っていた。

 

2日前。選択と同時に突き付けられた、聖獣としてのツァイトの全貌。

私が知るランはもういない。分身体は本体と融合し、再び小鳥として私の下へ帰って来た。

意志や記憶は共有していながらも、ランはツァイトになっていた。

 

『聞くがよい、人の子らよ』

 

直接頭に鳴り響くツァイトの声。

駄目押しと云わんばかりのその事態に、再び皆が戸惑いの色を浮かべた。

 

『我はこれよりかの地に赴き、一時人の子らに助力する。この者はかの地で築かれし絆の1つ。我が声、我が手足となりて振る舞って貰う・・・・・・なに、悪いようにはせん』

 

相も変わらず超然とした口調だった。

もう少し分かりやすく話してくれてもいいだろうに。伝わっているのかどうか心配だ。

 

「な、ななっな・・・・・・!」

「アヤ。そなたは一体・・・・・・何者、なのだ」

「あはは、私は私。私はアヤ・ウォーゼルだよ」

 

言いながら、ツァイトの前に歩を進める。

結局は私の口から言わないと、事は進まない。

 

「私はトールズ士官学院特科クラス《Ⅶ組》出席番号1番の、アヤ・ウォーゼル。だから私は、帰って来る。絶対に帰って来るって、約束する」

 

言い終わると同時に、皆よりも頭1つ小さな身体が飛び出し、私の腰を抱いた。

最近は色々と気苦労を掛けてしまった。それに彼女も私と同じ、《Ⅶ組》の1人。

 

「ごめんね。色々と部屋に置きっ放しだけど・・・・・・お菓子とか、食べていいから」

「やだ。アヤが帰って来てから一緒に食べる」

「・・・・・・そっか」

 

ミリアムの頭を撫でながら、再び浮かびかけた涙を指で拭い去る。

これ以上は無理だ。そう思い、私は振り返って歩を進めた。

 

別れを惜しんでいては始まらない。歯切れは悪いが、これが正真正銘の最後。

もう振り返らない。私は前だけを見据えて、この先を行く。

 

「ツァイト。人目に付くとまずいから、街道を外れるよ」

『心得ている。乗れ』

 

渾身の力を込めて飛び上がり、視界が10アージュ上からのそれに変わる。

この巨体を隠しながら東部を目指すのは苦労するに違いない。

遥か先にある地を見詰めながら考えていると、背後から声が聞こえた。

 

「トールズ士官学院、特科クラス《Ⅶ組》総員」

 

それは卑怯だよ、リィン。呟きながら、やはり振り返らない。

皆の想いに応えるために。再び士官学院生として、帰って来るために。

 

「アヤの揺るぎない決意に応え、俺達は再会を約束しながら彼女を見送るっ・・・・・・アヤ、待っているからな。絶対に、絶対に帰って来てくれ!」

 

さよならの代わりに、ありがとうを言いながら。私とツァイトは、トリスタを去った。

10月28日、午前5時半の出来事だった。

 

_____________________________

 

同日、午後18時半。

人目を避けるために入り込んだ、ヴェスティア大森林の南端部。

私を乗せたツァイトは木々の間をすり抜けながら、ゆっくりと歩を進めていた。

 

「うーん・・・・・・人目には付かないけど、時間掛かっちゃうね」

『案ずるな。時間はある』

「まあ、信じるしかないか。それで、クロスベルに入ったらどうすればいいの?」

『まずはかの地の現状を見せる。おぬしもそれを望んでいるだろう』

「その後は?」

『ワジと呼ばれていた男の行方を追う。おぬしにも助力願いたい』

 

突然飛び出した、ワジ君の名前。

何か考えがあるのだろうか。適当に選び呼んだわけではないと思いたい。

 

現時点では、特務支援課の面々がどうしているのかが分からない。

クロスベルが今どういった状況下にあるのかすら曖昧。まずはそれを知るところからだ。

自分自身の目で真実を見据え、行動する。特別実習で学んだことをなぞればいい。

 

「・・・・・・ねえ、ツァイト。1つお願い」

『何だ』

「ランって呼んでもいい?それと、私のこともアヤって呼んでよ」

 

単なる気分の問題と言われれば、それまで。

ランは単なる分身体に過ぎなかった。が、2ヶ月以上生活を共にしてきたのも事実だ。

割り切るには、寂しいものがある。

 

『・・・・・・フフッ』

「やっぱりダメ?」

『そうではない。こうも分身体の意志が残存することは初めてだ。煩くて敵わん』

 

ツァイトは一旦足を止め、顔を上げながら囁いてくる。

 

『いずれこの旅路も終焉を迎える。この身を縛る禁忌が薄れたとはいえ、無制限の助力は許されぬ。それは理解しているな』

「なんとなーくだけどね」

『だが・・・・・・おぬしに力添えをすることも、やぶさかではない。この国もいずれは、動乱に巻き込まれるやもしれぬ。そうであろう?』

「・・・・・・そっか。なんとなーくだけど、分かったよ。ありがとう、ラン」

 

跨っていた背を撫でると、ランは身体を震わせながら応えてくれた。

ランは多くを語らない。敢えて知らせないようにしているのかもしれない。

 

聖獣と言われてもピンと来ない。

クロスベルで何が起きているのか。至宝は、人形とは一体何なのか。

確かなことは、私を仲間と言ってくれた人達が、今苦しんでいる。

それを教えてくれただけで十分だ。それに、ランはここにいる。

クロウやミリアムと同じように。ランとの間にも、築かれた絆があると思いたい。

 

ランの背に身を預けていると、次第に木々の本数が減り、開けた場所に出ることができた。

 

『休息を取るか。おぬしにも疲労があるだろう』

「大丈夫。ランさえよければ、このまま行こう」

『構わぬ。ならば今一度速度を上げるぞ、アヤ』

「っ・・・・・・あはは、うんっ」

 

振り落とされないようにしっかりと体毛を掴み、前を見据えた。

 

ランが言ったように、この旅路には終わりがある。

私には帰る場所がある。待っている人間がいる。終わりの先に、始まりがある。

欲張っても罰は当たらない。大切な人の数だけ、私には成すべきことがあるのだから。

 

特科クラス《Ⅶ組》の一員として。準遊撃士見習いとして。

クロスベルを想う人間の1人として。私は、立ち止まるわけにはいかない。

 

「行こう、ラン」

 

―――この物語は、本来あるはずの無い物語。

狼と少女の邂逅に端を発した軌跡は、神狼と少女が引き起こす奇跡へと繋がる。

碧き聖獣と少女が輝き閃いた刻、あるべき世界が姿を変える。

 

だが運命の歯車は止まらない。

くるくると、くるくると。

歪みは再び捻じ曲げられ、行き着く先は変わらない。

 

この軌跡は、本来あるはずの無い軌跡。

その先に待ち構える未来も、姿を変える。

 

しかしながら、運命の歯車は留まることを知らない。

ぐるぐると、ぐるぐると。

 

それでもアヤは、止まらない。

彼女が描いた絢の世界は、運命の歯車を惑わせ、狂わせる。

きらきらと、きらきらと。

絢爛の光で、人々を照らしながら。彼女が辿る軌跡は、どこまでも続く。

 

 

 

「ごめん。お腹減ったからやっぱり降ろして」

『解せぬ』

 

 

 




引っ張るのもあれなので、早めに区切りを付けます。
最後までお付き頂いた読者の皆様方、本当にありがとうございます。
おかげ様で『絢の軌跡』は当初の構想通り、一先ずの終了を迎えることができました。

元々閃Ⅱの存在を考えずに執筆を開始したため、当然続編の構想は無いです。
この作品に区切りを付けるために、閃Ⅱも現時点では未プレイです。
続編があるとするなら、少なくともプレイ終了後になります。

とはいえ、やはり本編に沿う形で描ける自信がありません。
何せ思いつきで開始した処女作ですので・・・現実的に考えて、難しいですね。
その辺りの判断も、閃Ⅱをプレイした後にしようかと思います。

今一度、読者の皆様方に感謝申し上げます。
頂いた感想や評価のおかげで、ここまで来ることができました。
続編の有無を抜きにしても、アヤの戦いは始まったばかりです。
今後もアヤを見守って頂ければ幸いです。

しつこいですが、もう一度。
読者の皆様方、本当に、本当にありがとうございました!


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