ラブコメ終了後の負けヒロインたちの後処理を請け負うことになってしまった (スポポポーイ)
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第一章
プロローグ


 僕の友人にはギャルゲーの主人公がいる。

 

 こう言うと語弊がありそうだけど、別に僕はゲーム世界に転生した訳でもモブキャラに憑依した訳でもない。正確に言うならばギャルゲー主人公並みにハーレム体質な友人がいるだけだ。

 

 そんな彼の名前は(はれ) 夢王(むおう)くん。見た目は地味な陰キャながら、目元を覆う前髪を上げれば中々に整った顔立ちをしているというギャルゲー主人公にありがちな設定の人物である。

 名は体を表すを地でいく彼は、これまでの半生で様々な美少女相手にフラグを乱立してきた。幼馴染の双子姉妹から始まり、従姉のほんわか美人なお姉さん(諸事情により同級生)、同じクラスのツンデレメガネ委員長、部活のあざとかわいい後輩、謎めいた無口清楚転入生……。

 

 然して、それら積もり積もった一連のフラグはキャパオーバーからのメルトダウンを引き起こし、ついに昨年、彼が高校二年生に進級した際にラブコメ時空の超新星爆発が発生した。

 四月に転入生がやってきたのを皮切りに、各ヒロインと学校内外で数々のラブコメイベントを巻き起こす夢王くん。そして、そんな彼と距離を縮めるべくアプローチし、モーションをかけ、青春ラブコメを満喫する美少女ヒロインたち。学校中が『リア充爆発しろ』の怨嗟の声に包まれたのも無理はないと思う。

 

 しかし、そんな夢王くんと愉快なヒロインたちが繰り広げるラブコメ劇にも終わりはやってくるもの。クリスマスに引き起こされた学校中を巻き込んだ告白大騒動の末に、ついに夢王くんは一人の女の子と恋仲になった。

 

 選ばれたのは、謎めいた無口清楚転入生こと(くろつち) 想惟(おもい)でした。

 

 肩口まで伸ばした艶やかな黒髪。シミ一つない病的なまでに白い肌。どこか儚げで大和撫子然とした雰囲気は男子が求める理想の”守ってあげたい女の子”を見事に体現していて、そんな彼女には転入早々に『薄倖の美少女』『佳人薄命』なんて異名がつけれられていた。

 

 そして、そんな彼女と当然のようにフラグを建てる夢王くん。

 

 あっという間に夢王くんのハーレムメンバーの一員になった彼女は最後発組というハンデをものともせずに、数多のライバルたちを出し抜い…蹴落とし……えっと兎にも角にも他ハーレムメンバーたちを退けて、ついに夢王くんのハートを射止めたのだった。

 

 後から聞いた話では、実は夢王くんと彼女は幼少期に運命的な出逢いをしていて、そのときに将来再会したら結婚しようと誓っていたのだという。

 残念ながら夢王くんはそのときのことはコロッと忘れていたらしいのだけど、あるとき偶然、夢王くんが幼いころから大事にしていた鍵が涅さんが所持しているやたらと厳つく『座苦沙陰羅武』と彫られたペンダントと対となっている鍵だということが判明。事態は急転した。

 

 そんなこんなですったもんだの末に、彼と彼女は無事に幼い頃の約束を果たすことになったのでした。

 

 めでたしめでたし……というのが、昨年の十二月までに僕の周りで起きた出来事である。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 そして年が明けて三学期。

 

 夢王くんが作り上げたハーレムコミュニティは今日も健在である。

 

「それじゃ、俺たちは先に帰るから」

「皆さん、お先に失礼しますね」

 

 放課後、いつものように教室に残ってお喋りに興じていた彼らだけれど、夢王くんと恋人である涅さんが仲良く席を立つ。

 

「おっ、デートか? デートだなぁ?」

「……夢王くん。想惟さんを悲しませるようなマネをしたら承知しませんよ」

「ムー君。ラブラブだねぇ~」

「……二人ともまだ高校生なんだから、節度はしっかり守りなさいよ?」

「涅先輩、もしハレ先輩にイヤらしいことされたらあたしに言ってください! ハレ先輩のアレを射抜いてやりますんで!!」

「ったく、相変わらず夢王は愛されてるねー。コイツらに刺されないように気をつけ……アッハイごめんなさい冗談でスミマ許してエンッッッ」

 

 そんな二人を幼馴染な双子の姉がニヤニヤしながら揶揄い、妹の方が脅しをかけ、従姉のお姉さんが微笑ましそうに見守り、ツンデレ委員長が釘を刺して、あざとい後輩が弓を射るポーズで笑いにし、彼とは幼馴染で親友で悪友である少年がオチをつけて各ヒロインたちから制裁を受けていた。

 

「やれやれ、勘弁してくれよぉ……」

「ふふふ。皆さん心配してくれてるんですよ」

 

 なんだかんだで昨年から変わらない彼女たちの在り方に、夢王くんは苦笑いを浮かべながらも何処かほっとした様子で、そんな彼を涅さんが可笑しそうに目を細めながら諭している。

 少し不貞腐れたような顔をしていた彼だけど、彼女の励ましもあってすぐに立ち直り、くるりとこちらに振り返ったと思ったらニカッと笑って僕に手を振った。 

 

紅大(くだい)もじゃあな!」

 

 僕──脇谷(わきや)紅大(くだい)も小さく手を振って応える。

 

「うん。また明日」

 

 そうして、夢王くんと涅さんは二人寄り添って仲睦まじく教室を後にした。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 ──で、残されたのがこのお通夜めいた沈黙である。

 

 既に他のクラスメイトたちはおらず……というか、こうなることを見越して早々に教室から退避しているので、教室には夢王くんのハーレムコミュニティしか残っていない。

 彼女たちは先ほどまでのドタバタ騒ぎが噓のように静まり返っていて、もしかしたら僕は白昼夢でも見ていたんだろうかと自分の目を疑ったのも一度や二度じゃない。もはや日常の一幕と化している。こんな男子高校生の日常は嫌だ。

 

 空気が…重い。死んでいると言っても過言じゃない。

 もし僕が自虐大好き埼玉県民だったなら『重い、重すぎる。十万石最中』とか渋い声でナレーションしていたかもしれない。あれって実際にサービスエリアとかのお土産コーナーで売ってるところ見たことないんだけど、本当に実在するんだろうか。

 

「……んじゃ、オレも先に帰るから」

 

 ラブコメの負けヒロインたちが、死んだ魚のような目で二人が出て行った教室の出口を延々と眺めている空間に耐えかねたのか、夢王くんの親友である(しん) 友斗(ゆうと)くんがカバンを手に席を立った。

 

 彼は双子姉妹と同じく夢王くんの幼馴染。そして、親友でもある。

 お調子者で明るくクラスのムードメーカーで、誰とでもすぐに仲良くなれるからコミュニケーション力も高くて情報通、勉強こそ苦手そうだけれどスポーツ万能で喧嘩も強い、そんなギャルゲー主人公を助けてくれる親友ポジションなご都合主義の道化(ピエロ)を演じているのが友斗くんだ。

 

 友斗くんは一見チャラそうに見える風貌をしているけれど、顔立ちはよく整っている。

 つまり、総合的にみればかなりハイスペックなイケメンな彼は当然モテるのだ。なんなら夢王くんよりモテると言ってもいい。けれど、彼はひたすら夢王くんの道化であり続けた。

 

「……っ」

 

 夢王くんのときとは違い、帰る宣言をしても何の反応も示さない負けヒロインたち。

 そんな彼女たちを一瞥し、友斗くんは呆れたように溜息を吐くと、僕に片手をあげて別れの挨拶を告げた。

 

「じゃな、紅大」

「うん。また明日」

 

 僕も苦笑しながらそれに答えたのだけれど、どうしてか彼は困ったように押し黙って頭をガシガシとかく。

 やがて、友斗くんは苦笑いを浮かべるようにしながらぽつりと呟いた。

 

 

「……あのさ、オレも彼女ができたんだわ」

 

 

 僕は知っている。

 

 彼が、幼馴染な双子姉妹の妹の方をずっと想い続けていたことを──。

 

 彼女がいつも視線で夢王くんを追いかけていたのと同じように、そんな彼女の姿を友斗くんはいつも目で追っていたから。

 自分の想い人が、自分以外の誰かをずっと想い続けていて、その誰かが自分の親友で、だから彼はいつも道化だった。いつだってピエロであり続けた。

 

 好きな子の恋愛相談に乗っていたことを見たことがある。

 好きな子の恋愛が成就するようにアドバイスしているところを聞いたことがある。

 

 好きな子の恋が実るように、昨年のクリスマスには告白のお膳立てまでしてあげていたことを僕は知っている。

 

 彼は最初っから最後まで道化ではあったけれど、彼の想いはいつだって誠実であり続けた。

 嘘を教えることもなく、振られるように誘導するでもなく、真剣に相談に付き合って、いつだって彼女のことを励まして、応援して、そして終ぞ、彼は自分の想いを彼女に告げることは無かった。

 

 そんな彼が、十数年の想いに区切りをつけて前に進んだのだ。

 

 友斗くんが恋した彼女は夢王くんには選ばれなかった。

 恋に破れたのだ。彼女の恋は実らなかった。それは、決して友斗くんの落ち度じゃない。彼に責任なんてあるはずがない。

 

 だから、傷心の彼女を慰めても誰も文句なんて言わないのに……。

 だから、失恋した彼女の恋心に付け入っても問題ないはずなのに……。

 

 友斗くんはその千載一遇のチャンスを利用することはなかった。

 

 それどころか、叶わなかった想いを、彼女に伝えることすらできなかった恋心をすべて呑み込んで、次に進もうとしている。

 

「……そっか」

 

 だから、僕は彼を祝福する。

 

「おめでとう」

「おう」

 

 僕と友斗くんはそこまで親しい間柄ではない。

 所詮は夢王くんを中心にしたコミュニティを通しての友好関係。だから、彼にとって僕という人間は『親友の友達』程度の存在でしかないはずだ。

 

「夢王くんには?」

「アイツにはもう伝えてある。『相変わらず、友斗は女の子にモテて羨ましいなぁ』とか抜かしやがったから飛びつき腕ひしぎ逆十字固めを喰らわせてやったぜ」

「ははっ、なんかその光景が容易に目に浮かぶかも。……夢王くんらしいね」

 

 数は少なくとも誰もが見惚れるような特別な女の子にばかり好かれる夢王くんと、数は多くても何処にでもいる普通な女の子にばかり好かれる友斗くん。

 

 群がってくる女の子の数だけで言えば、圧倒的に友斗くんの方がモテていると言っていい。

 夢王くんは、そんな彼を見てよく愚痴っていた。漫画みたいなモテモテ男で羨ましい、と。

 

 けれど────

 

 夢王くんが羨んだ”特別”を、友斗くんは欲していない。

 友斗くんが求めた”特別”を、夢王くんは欲しなかった。

 

 本当に人生ってやつは、ままならないものだと思う。

 

「月並みなことしか言えないけど、さ」

「どうした?」

 

 だから、僕は祝福しようと思う。

 彼が長年想い続けた彼女が、この一年近く共に夢王くんと一緒にバカ騒ぎをして友情を育んでいたはずの彼女たちが、誰一人として彼に一切の関心を寄せずにいたとしても、僕だけは彼を祝福してあげたいと思うから。

 

「お幸せに」

「……ああ。ありがとな、紅大」

 

 友斗くんは一瞬だけ虚を突かれたような顔をしたけど、照れくさそうにはにかんで頷いてくれた。

 

「なあ、紅大」

「なに?」

 

 彼はちらりと横目でどんより沈む彼女たちを見遣りながら、声のトーンを落として僕に頼み込む。

 

「オレがこんなこと言えた義理じゃないってのは重々承知してんだけど」

「……友斗くん?」

「アイツらのこと、頼むわ」

 

 申し訳なさそうに、友斗くんは語を続ける。

 

「深入りしなくていい。ただ、それとなく気にかけてやってくれないか」

「……」

 

 まさか、友斗くんからそんなことを頼まれるとは思いもしなかった。

 正直なところを言えば、勘弁してほしいというのが僕の本音である。僕たちは確かに同じコミュニティに属していたけど、僕はあくまで夢王くんの友人ということで末席に名を連ねていただけに過ぎない。それは彼も承知しているはずだ。

 

「あのまま放っておいて変に拗らせても後味悪いしさ。夢王の奴もそんなこと望んでないだろうし」

 

 疲れたように視線を落とす彼の苦労を僕は知っている。

 彼女たちが夢王くんに好意を寄せていたのは学校中で周知の事実であり、そんな彼女たちが振られて傷心中であるのもまた公然の事実となっている。そして、そんな彼女たちを狙って群がってくる有象無象を蹴散らし、今日まで守っていたのが彼なのだ。

 

「もし厄介そうな馬鹿がいたら、今まで通りオレんところに回してもらって構わない」

 

 しかし、いつまでも彼に甘えている訳にはいかない。

 友斗くんはもう、新しい自分の道を歩き始めたのだから。

 

 そしてそれは、夢王くんにも言えることだ。

 彼もまた、涅さんとともに幸せの階段を上り始めたばかり。

 

 もう、彼らを頼ることはできない。

 

「……わかった。任せてって胸を張って言うことはできないけど、なるべく気にかけておくことにする」

「ああ、それでいい。充分だ。ワリぃな、こんなこと頼んじまって」

「いいよ。気にしないで」

 

 心底申し訳なさそうに眉尻を下げる友斗くん。

 僕はゆるゆると小さく首を振って、苦笑いを浮かべながら了承した。

 

「じゃ、またな。頼んだぞ」

「うん。またね」

 

 肩の荷が下りたという感じで教室から出ていく友斗くんを見送って、その背中が廊下に消えて見えなくなって、僕は憂鬱気に小さく小さく溜息を吐いた。

 

「……はぁ」

 

 本当なら、このまま自然とフェードアウトして夢王くんのハーレムコミュニティからは距離を取る予定だった。

 

 僕がこのグループに混ざっていたのは、あくまで夢王くんの昔ながらの友人だから。所謂、モブ友達というのが僕のポジションだったのだ。

 だから、ハーレムの中心たる夢王くんが抜けた以上、もはや僕がこのコミュニティに留まる理由もない。

 

「……」

 

 未だに項垂れて意気消沈している負けヒロインたちを睥睨して、思う。

 

 ぶっちゃけ、僕は彼女たちにそこまで興味がない。

 このまま彼女たちが失恋を拗らせて病もうが、ストーカーやヤンデレにジョブチェンジしようが、あるいはクズ男に唆されて薄い本みたいな展開になろうが知ったこっちゃないのである。

 

 それが、僕の偽らざる本音だ。

 

 けれど、夢王くんは彼女たちのそんな未来を望んでいない。

 

 だから、僕は友斗くんからのお願いを了承した。

 

 夢王くんには返しきれないほどの恩があるから。

 僕が彼女たちを気にかけることで多少なりとも夢王くんに恩返しできるというのなら、それもいいかと思ったからだ。

 

「それじゃ」

 

 なので、彼女たち負けヒロインが立ち直るキッカケ作り────は無理だとしても、その後押しくらいはしてやろうと思う。

 

「お疲れさまでしたー」

 

 とはいえ、深入りもするつもりはないので僕から積極的に声を掛けることは無いのだが。

 友斗くんもそれで良いって言ってたし、問題ないね。

 

 

 こうして僕は、ラブコメ終了後の負けヒロインたちの後処理を請け負ったのだった。

 

 



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長谷川 翠(1)

 

 不本意ながらラブコメ敗者である負けヒロインたちのフォローを頼まれてしまった。

 

 放課後の廊下を一人でとぼとぼ歩きながら、僕は人目も憚らずに大きく息を吐く。

 

「……やっぱり安請け合いしたかも」

 

 あの場では勢い余って了承してしまったけれど、今更ながら後悔でいっぱいだ。

 年齢イコール彼女いない歴の僕に失恋した女の子のメンタルケアなんてできるはずがない。

 

「でも、まぁ……予防線は張っておいたし」

 

 深入りはしない。それとなく気にかけておくだけ。

 なのでこちらから積極的に声を掛けるなんてことはしない。もし万が一、億が一、向こうから相談されたら応じるくらいでちょうど良いだろう。

 

 ……と言っても、彼女たちが僕を頼るなんてことは無いだろうけど。

 

 彼女たちからしてみれば、僕はあくまで『夢王くんの友人』。知り合い以上友達未満という程度の関係性でしかない筈だ。

 なので、彼女たちが犯罪行為に走ったり、変なのが近づこうとしてきたら友斗くんに通報するくらいの認識でいれば問題ないかと自分を納得させる。

 

「さて、今日もほどほどに頑張ろう」

 

 それに、僕も四六時中彼女たちに構っていられるほど暇という訳ではないのだ。

 

「あ、やっと来た」

「スミマセン。いま開けます」

 

 扉の前で開店待ちをしていた生徒に詫びを入れて、先生から預かっていた図書室の鍵をポケットから取り出す。

 鍵穴へと挿し込んだ鍵を半回転させると、カチリと嚙み合った音色とともに閉ざされていた扉が解放される。

 

「これ返却です」

「ねぇ、近代ヨーロッパ史の本ってドコの棚にあるの?」

「貸出お願いしまーす」

「順番に対応するので少々お待ちください」

 

 慢性的な人手不足の図書委員として、僕は今日も図書委員業務に勤しむのだった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 図書委員と聞くと、本の貸し出し業務以外はカウンターに座ってボーっとしてるだけなんて印象があるかもしれない。

 しかし、これが存外に忙しかったりするのだ。

 

 書架の整理に傷んだ本の修繕や廃棄、図書室内の清掃、毎月発行される図書だよりの原稿作り、時期によっては推薦図書の展示企画なんてものもあったりする。

 本来であれば役割分担して対応するのだけど、諸事情により現在まじめに活動している図書委員は五名のみ。一年生が二名、三年生が二名、そして、二年生に至っては僕だけ。委員は各クラスから二名ずつ選出されているから、総数としては三十名以上在籍しているはずなんだけど影も形もございません。

 

 三年生の先輩は受験があるので週一程度しか参加できないし、一年生の二人は他に部活をやっているとのことだったので無理強いできない。必然的にほとんど僕一人で図書委員会を運営するというブラック企業も真っ青な労働環境に陥ってしまった。

 ちなみに委員会活動に労働基準監督署は存在しない。なぜなら担当の先生がやる気ないから。完全に放置状態である。終わってるなこの学校。

 

「……そろそろ閉館するか」

 

 貸出カウンターと事務スペースを整理して、照明を落とす。

 掃除は明日でいいや。今日はいつも立ち読みしている週刊少年誌の発売日なので早く帰りたいのだ。

 

 カチリと図書室のドアを施錠して、鍵を職員室に返したら今日のお仕事はお仕舞。

 今日も一日よく頑張りましたと自分を適当に褒め称えながら、僕は自転車に跨って学校を後にする。

 

 さて、さっさと帰りますか。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 さっさと帰ると言ったな、あれは嘘だ。

 

 続きは気になるけど単行本を買うほどハマってはいないという複雑な少年心を持つ僕は、駅前のコンビニで某少年漫画雑誌を立ち読みし、何も買わずにコンビニを後にする。普通に迷惑客であった。コンビニオーナーさん、ごめんなさい。反省も後悔もしないけれど、罪悪感から心の中で謝罪だけはしておく。お手軽セルフメンタルケア万歳。

 そんなこんなで今日も続きが読めて満足した僕はいい気分のまま家路につこうとして、駅前のアーケード街にあるゲームセンターの前でふと足を止めてしまった。

 

「……なんてこったい」

 

 僕は呻くように呟きながら、思わず右手を額に当てて天を仰いでしまう。

 もしかしたら見間違いかもしれない。そんな淡い希望に縋って、僕はもう一度視線を戻した。夢見るお年頃な僕としてはワンチャンスに掛けてみたのだ。

 

「じぃーーー」

「ワンチャンなかったかぁ」

 

 僕の視線の先には、紛うことなき不審者がいた。

 それだけだったら警察に通報して終わりなんだけど、誠に遺憾ながらその不審者は顔見知りだった。

 

「なにやってるし、長谷川さん」

 

 ──長谷川(はせがわ)(みどり)

 

 ツンデレメガネ委員長な負けヒロインが、そこにいた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 長谷川さんがどんな娘かと聞かれたとき、ギャルゲーに登場するお堅い委員長キャラだよと言えば六割くらいの人にはイメージが伝わってくれるんじゃないかと期待している。

 腰あたりまで伸ばした黒髪、前髪を上げてオデコを露出させるヘアバンド、鋭い目つきを強調する細い銀縁フレームのメガネ、そこにあれこれ口うるさいツンデレ委員長キャラを添えれば完成だ。オマケで貧乳属性も付けちゃうぞ。異論は許さない。

 

 そんなテンプレ委員長キャラな長谷川さんが不審者ムーブをかましているのは、ゲームセンターの一階。アーケード街のメインストリートに面したプライズコーナーの一角であった。

 彼女はクレーンゲーム機の筐体に身を潜めつつ、透明なアクリル板越しからプライズコーナーの奥を覗き込んでいる。多分、店舗奥の方からは気付かれ難いのかもしれないけれど、彼女の背後である解放されている入口側からは丸見えだ。正に頭隠して尻隠さずを地でいくスタイル。僕でなくても見逃さないね。よく通報されなかったなと思わず安堵の息を吐いてしまう。

 

 なぜ彼女はこんなことを────

 

 

「……だよね」

 

 

 その疑問は、長谷川さんの視線の先を追いかけて氷解した。

 

 プライズコーナーの奥。

 デフォルメされた動物のぬいぐるみキーホルダーが取れる小さな筐体。

 仲睦まじく肩を寄せ合いながら笑う男女。

 

 大して広くもない店内だから、二人と彼女の距離はきっと一〇メートルも離れていない。

 それなのに、その僅かな距離は果てしなく遠いもののように感じられた。

 

 近いはずなのに、遠い。

 遠いはずなのに、近い。

 

 そんな矛盾するような心理と物理の距離感の狭間で、長谷川さんはひとりぼっちで小さく震えていた。

 

 店内に流れるBGMにかき消されて、二人の会話は僕には聞き取れない。

 しかし、いま巷で流行りだという話題の青春ソングに乗せて聴こえてくる微かな笑い声。

 

 小さなクレーンのアームが動く度に、その動きに一喜一憂するように、涅さんが笑う。

 幼子のようにはしゃぐ彼女の様子に苦笑して、思い通りに動かないアームの操作に苦戦して、やっぱり夢王くんも笑う。

 

 そんな二人を陰ながら見つめる長谷川さんの声なき声は、あの二人には届いてくれない。

 

 

「────あっ」

 

 

 だというのに、どうして僕の耳は彼女が漏らした小さな小さな悲鳴を拾ってしまうのだろう。

 

 それは、とてもショックを受けたような声音だった。

 それは、今にも泣きだしてしまいそうな声音だった。

 それは、ひどく物悲しい想いを滲ませた声音だった。

 

 僕と彼女の視線の先。

 

 プライズコーナーの奥。

 デフォルメされた動物のぬいぐるみキーホルダーが取れる小さな筐体。

 三度目の挑戦でようやく取れた景品を手に喜び合う男女。

 

 

 夢王くんが涅さんへ、小さな犬のぬいぐるみキーホルダーを手渡した。

 

 長谷川さんの右手が、小さな猫のぬいぐるみキーホルダーを握りしめた。

 

 

 彼女の生真面目さを体現するような、飾り気のない、味気のない、校則通りな学校指定のスクールバッグ。

 そこに唯一花を添えて、彼女を年相応の女の子たらしめていた小さな猫のぬいぐるみキーホルダー。

 

「あー……」

 

 察してしまった。

 彼女がいつからそのぬいぐるみキーホルダーを持っていたのかは知らない。

 

 けれど────

 

 長谷川さんが、何処でそれを手に入れたのかを、僕は察した。

 長谷川さんが、誰からそれを手渡されたのかを、僕は察した。

 

 くしゃりと握られて、ぐにゃりと歪められて、彼女の手の中で押し潰されるように形を変えるその小さくファンシーな猫は何を思うのだろう。

 

 されど────

 

 穏やかではないだろう長谷川さんの胸中まで、僕は推し量れない。

 荒れ狂っているだろう長谷川さんの心中まで、僕は推し量れない。

 

 報われない想いは苦しくて、置いてけぼりにされた想い出は苦いのだろうか。

 伝わらなかった気持ちは、届かなかった言葉は、叶わなかった願いは、望んでいなかった未来(いま)は、彼女を何処に導こうとしているのだろう。

 

 

 小さく縮こまり、弱々しく震える長谷川さんの背中を観察しながら、僕はふとそんなことを思った。

 

 



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長谷川 翠(2)

 

 夢王くんのハーレムコミュニティに属するメンバーは加入時期によって大きく三つのタイプに分類できる。

 

 幼少期から傍にいる『最古参組』

 小学校時代からの付き合いである『中途参入組』

 中学・高校から加入した『後発組』

 

 最古参組は言わずと知れた幼馴染である双子姉妹と友斗くん。

 双子姉妹と夢王くんは例によって家が隣同士で家族ぐるみの付き合いらしく、生まれた頃からの付き合いとのこと。正にそれなんてエロゲな設定であった。

 

 一方、友斗くんは幼稚園で仲良くなったパターン。多分、仲良くなるまでの過程でひと悶着あった系だと思われる。漫画やアニメでそういうシチュエーションがよくあるし。きっと子供ながらに重大な喧嘩とか事件があってなんやかんやで親友という間柄に落ち着いたんだろうなと勝手に妄想している。

 残念ながら、そこら辺の過去エピソードを打ち明けてもらうには彼らとの友好レベルが足りていないので詳細は知りません。悪しからず。

 

 じゃあ、僕は何なんだというと中途参入組に当る。

 小学校三年生のときのありふれたあれやこれやで夢王くんと友人になり、それ以来、付かず離れずの関係で夢王くんたちとはやってきた。重要なイベントには顔を出さないけれど、忘れた頃に日常パートで夢王くんたちをフォローする。そんなモブ友達ポジションが僕の役割であり、現に今日までそうして生きてきた。

 

 そして、もう一人の中途参入組。それこそが長谷川さんだ。

 

 彼女が夢王くんのハーレムコミュニティに参加したのは小学校四年生のとき。

 小学校四年生なんてやんちゃで多感で過敏なお年頃だ。些細なことで苛立って、ちょっとしたことで塞ぎ込んで、取るに足らないことで傷つけ合う。ある意味、この時期の子供たちは境界線上で生きていると言っていい。いつだって自分が世界の中心であり続けた夢幻の世界と、自分の存在なんて大したことないんだというリアルの世界。

 

 現実を受け止められるほど、大人ではない。

 夢幻を受け入れ続けるほど、子供でもない。

 

 そんな情緒不安定でゆらゆらフラフラとした感情のままに生きているのが小学校中学年という難しい世代である(偏見)。

 

 善悪の区別はつくけれど、自制できるほどの理性は育ち切っていない。

 自己弁護するだけの知恵がつき始めて、理論武装するだけの知識を身に付け始めて、あれやこれやと理由と大義を求めて自己完結し始める。

 

 だから、先生に反発する。

 だから、ルールに従わない。

 だから、気に食わなければイジメもやる。

 

 そんな世界で自分にも他人にも厳しい性格の彼女は、当然のように疎まれた。

 

 キッカケなんて下らないことだったように思う。

 

 『鉛筆じゃなくてシャーペンを使ってる人がいます』

 『授業中に手紙を回し読みしている人たちがいます』

 『休み時間に教室の後ろで暴れている男子がいます』

 

 どこの学校にでもある問題だ。

 担任の先生ですら積極的に注意しようとしない些細な出来事。

 

 それなのに、彼女は毅然とした態度で注意した。

 注意されても改善されなければ、容赦なく先生に報告した。

 

 彼女は正論しか言っていない。

 公序良俗に照らし合わせれば正しいのは彼女だ。

 だから、正義と大義は彼女にある。

 

 しかし、そんな理屈が通用するほど現実は甘くない。

 

 長谷川さんはクラスの女子グループの中心だった女の子と敵対した。

 この年頃の女子という生きものは、男子と違って心も身体も早熟だ。いつも目先の面白いことにしか興味が無いアホな男子と違って、彼女たちはそれはそれは陰湿な女子社会を形成してのける(事実)。

 

 長谷川さんは、あっという間にクラスの女子連中からハブられた。

 こういう女子同士の問題に男子は基本ノータッチである。本能的に触らぬ神に祟りなしという言葉を理解しているのかもしれない。しかも、相手が普段口うるさい学級委員長となれば距離も取ろうというもの。

 

 そして、この事態に我らがクラスの担任教師は気付かぬフリをした。

 表面上だけ見れば、クラスの運営に実害はないから。狡辛いことに、女子のイジメというのは男子とは違う。暴力を振るったり、持ち物を隠したり壊すなんてことはよっぽど短絡的な奴でなければ実行しない。そんな足がつくようなバカなマネを選んだりはしないのだ。

 

 ただ、()()させればいい。

 このとき重要なのは、集団から”排除”するのではなく、あくまで”孤立”させること。

 

 例えるなら、みんなで手をつないだ輪の中心にターゲット一人だけを放置するようなもの。

 

 誰も長谷川さんには話しかけない。彼女から話しかけられても誰もが無視する。誰も彼女に関わろうとはしない。しかし、彼女をひとりぼっちにすることもしなかった。

 長谷川さんの周囲には常に女子の集団が形成されていて、もし実情を知らない人が外から見れば、彼女もその女子グループの一員に見えたかもしれない。事実、教室内の人間関係に疎い一部の男子は長谷川さんが孤立していることにまったく気付かなかったほどだ。

 

 まるで真綿で首を絞めるように、彼女の精神は徐々に疲弊して追い詰められていった。

 もし長谷川さんが、”孤立”しても”孤高”を貫けるほどに強ければ問題はなかったかもしれない。しかし、普段の態度とは裏腹に、彼女は集団の中で”孤独”に生きられるほど強い人間ではなかった。

 

 教室という狭い世界は、この年頃の少年少女にとっては唯一の世界に等しい。

 

 クラスの女子は、すべて敵だった。

 クラスの男子は、なんの役にも立たない。

 クラスの担任は、ただ見て見ぬフリをするだけ。

 

 そんな追い詰められた状況の長谷川さんを救ったのが、夢王くんだった。

 

 彼は、男子の中で特別目立つような存在ではなかった。

 駆けっこが速い訳でもなければ、テストで一〇〇点をとるほど頭が良い訳でもない。容姿は平凡だし、運動神経もそこそこだ。サッカーや野球が得意ということもなければ、体育のドッチボールでヒーローになることもない。

 

 どんなクラスにも一人はいるような、何処にでもいる内気な少年だった。

 普段は内向的で、ちょっとどこか抜けていて、いつも教室の隅っこの方でニコニコしているような、そんな人畜無害な存在が夢王くんだった。

 

 そんな地味な彼がどうして特別な存在から好かれるのか。

 それは彼が底抜けにお人好しで、他の誰かへ救いの手を差し伸べることになんの躊躇もしないからだ。

 

 そういう勇気を、優しさを、当たり前のように彼は持っている。

 

 最初、夢王くんは長谷川さんが置かれた立場に気がついていなかった。

 けれど、ひょんなことから察した彼は戸惑いなく放課後の帰りの会で勢いよく手を挙げて、そして声高らかにこう言った。

 

 

 『長谷川さんは、何もまちがってなんかない』

 

 

 それは、彼女を苦しめる小さく狭い世界が一変した瞬間だったのかもしれない。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 どうして今日に限ってこんな場面に遭遇してしまうのだろう。

 きっと昨日までなら見て見ぬふりをしてさっさと立ち去ってしまえたのに。

 

 

「……はぁ」

 

 

 やっぱり友斗くんとあんな約束なんてするんじゃなかったと、改めて後悔した。

 傍観して、当たり障りのないときだけ夢王くんをフォローして、それで問題ないはずだったのに。

 

 入口横の立て看板に身を寄せながら、僕は憂鬱気に独り言ちる。

 

「このままだと絶対にバレるよね。長谷川さん」

 

 店内に設置された筐体の配置を見るに、入り口から建物最奥まで一直線に通り道が設けられていて、その両サイドに各種クレーンゲーム機がドミノのように並べられていた。

 そして、長谷川さんが潜んでいるのが入り口からほど近い位置にある大き目のクレーンゲーム機。夢王くんたちが遊んでいるのが建物中間地点に近い場所の筐体。

 

 つまり、二人が帰るために外へ出ようとすると、必然的に長谷川さんが覗き見している横を通り過ぎることになるのだ。

 

 彼女に声を掛けるべきだろうか。

 けれど、僕なんかが話しかけて素直に従うとは到底思えない。

 

 だから、僕は躊躇してしまった。

 面倒事に巻き込まれるのが嫌だったし、変に関わって要らぬ誤解を招くのも勘弁して欲しかった。

 

 きっと、夢王くんなら迷わずに手を差し伸べて救ったに違いない。

 きっと、友斗くんなら何気なく手を貸して助けられたに違いない。

 

「あっ」

 

 僕が思わず間の抜けたような声を漏らしたときにはもう遅かった。

 

 もし、もっと早くに長谷川さんがゲームセンターから立ち去っていれば気づかれなかったかもしれない。

 もし、もっと早くに長谷川さんが正気を取り戻して筐体の陰に隠れるなりしていればバレなかったかもしれない。

 もし、もっと早くに僕が決断していれば、彼女が二人に見つかることはなかったかもしれない。

 

 

「あれ、もしかして長谷川さん?」

 

 

 けれど、目の前の光景に愕然として、ただただ打ち震えていることしかできなかった彼女は呆気なく見つかってしまう。

 

 普段は鈍感系主人公をやっているのに、どうしてこういう時だけ無駄に観察眼が鋭いんだ夢王くん。そこは気付かず素通りするか、気付いてもスルーしてあげて欲しかった。

 いや、夢王くんに悪気はないだろうし、悪意もないのは分かってるんだけども。どうしてくれよう、このやり場のないもどかしさ。今日は厄日かもしれない。

 

「む、夢王君……」

「長谷川さんもここに来てたんだ? 偶然だね」

「……」

 

 夢王くんは何の疑いもせずにキョトンとした様子で首を傾げているけれど、彼の隣で穏やかに微笑んでいた涅さんの目がすっと細められたのを僕は見逃さなかった。

 ヤバい。ヤバいよね、これ。涅さんは間違いなく長谷川さんがデートを尾行して覗き見していたのを察してる。修羅場とまでは言わないけれど、涅さんが追及するようなら長谷川さんの立場が悪くなるのは間違いない。

 

「っ……」

 

 何とか自力でこの場を切り抜けてほしいところなんだけど、涅さんのカバンに付けられた真新しい犬のぬいぐるみキーホルダーを見て息を詰まらせ俯いてしまった長谷川さんにそれを求めるのは酷というものだろう。

 

「……仕方ない」

 

 やれやれ。やれやれだ。やれやれだよ、まったくもー。

 一昔前のラノベ主人公よろしく心の中で盛大に愚痴ってみるけれど、暗澹とした気分はまったくもって晴れないし優れない。本気で気が重い。もうやだ帰りたい。

 

 これが実は長谷川さんを助けることが内心(やぶさ)かでもなくて、これで美少女とフラグが建つぞヤッターとか思える思考回路をしていれば僕もやれやれ系主人公の仲間入りを果たすことができたのかもしれない。

 けれど、現実は面倒事と厄介事に首を突っ込むことに辟易としてウンザリしていた。

 

 友斗くんとの約束を破るのは気が引ける。

 夢王くんに気まずい思いをさせる訳にはいかない。

 

 そう自分に言い聞かせて、僕は開け放たれている入口に進み出て沈黙する彼女の背中に声を掛けた。

 

 

「ゴメン、長谷川さん。コンビニのトイレ混んでて遅くなっちゃったよ」

 

 

 本当にやれやれだよ。お願いだから空気を読んで話を合わせて欲しい。

 

 そうでなきゃ僕は道化にすらなれやしないのだから。

 



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長谷川 翠(3)

 僕は意を決してゲームセンターに足を踏み入れると、いつも通り平坦な口調を心掛けて声を掛ける。

 

「ゴメン、長谷川さん。コンビニのトイレ混んでて遅くなっちゃったよ」

 

 やった、噛まずに言えたぞ。それだけで僕としては及第点だ。

 あとはこのまま勢いに任せてやり切ってしまおう。……ボロが出ないうちに。

 

「わ、脇谷君?」

「紅大?」

「……」

 

 長谷川さんがギョッと驚愕したような表情でこちらに振り向く。

 ……うん。別に構わないけど、その表情は絶対に夢王くんたちに見られないようにしてね。これから僕が言うことが嘘だって一発でバレちゃうから。

 

 あと、涅さんは無言でこちらを見据えるの止めてもらっていいですか。

 もしかして、僕の存在感が薄すぎて名前を思い出せないとかだろうか。まさかとは思うけど、存在を認知してなくて誰だコイツとか思われているとかだったら流石にショックだ。

 

「紅大……? 長谷川さんと一緒だったのか?」

「うん。今度、図書委員で推薦図書の展示企画があるんだけど、そのための備品買い出しを頼まれちゃって」

 

 嘘です。例年、図書の展示企画自体はやってるけど、本来は今の時期じゃない。

 けど、夢王くんは読書好きでもないから図書室の行事なんて把握してないだろうし、今年になって転入してきた涅さんが図書委員のマイナーイベントなんて知っているはずがない。

 

 なので、僕は息を吐くように嘘をついた。

 

「あー……、あれね。うん。いいよね、展示企画。去年とかすごい盛り上がってたもんな!」

「残念ながら一ミリたりとも話題にならなかったよ。図書室の常連さんたちでさえ見向きもしなかったし」

「……スマン」

「夢王くんはいつも図書室なんて利用しないから、知らなくても無理ないよ」

 

 僕が困ったように苦笑いしてみせれば、夢王くんは気まずそうにそっと目を逸らす。

 よし、このまま上手いこと話題も逸らしてしまおう。あと一息だ。

 

「去年が微妙だったから、今年はもうちょっと見栄えをよくしてみようって話になってね。ほら、この先に大型の一〇〇円ショップがあるでしょ? そこで材料を揃えようってことになったんだ」

「そっか。確かにそういう飾りとかに使えそうなモノが豊富そうだもんな」

「そうそう。だけど、僕にそういうセンスとか無いからさ。委員の人には『映えそうな感じでヨロシク』とか言われたんだけど、正直よく分からないし」

「うわぁ……、無茶ぶり。俺もそういうの苦手だから、気持ちすごいわかる」

 

 僕に共感してものすっごく苦い顔をしてコクコク頷いている夢王くんには申し訳ないけれど、ゴメンそれ全部作り話です。

 これ以上、僕の罪悪感を刺激するのは止めてさしあげて。

 

「それで困って途方に暮れてたら、見かねた長谷川さんが助け舟を出してくれてね。一緒に買い出しに付き合ってくれたんだよ」

「なるほどなー。さすが委員長キャラ。頼りになるね、長谷川さん」

「えっ、ぁ……うん。その、ありがと」

 

 そうです。そうなんです。

 だから長谷川さんは君たち二人をストーキングして嫉妬に狂ってなんていないんです。もちろん、僕と放課後デートしてたなんてこともありえない。潔白! 潔白ですよ!! 漂白剤使ってるから驚きの白さだ。捏造万歳。

 

 いい感じに夢王くんが信じ込んでくれて、長谷川さんも戸惑い気味なれどなんとか話に乗っかってくれた。

 僕はほっとして安堵の息を吐き、思わず気が抜けて────

 

「へー、そうだったんですか。やっぱり長谷川さんは責任感があって面倒見がよろしいんですね」

 

 唐突に、横から冷や水を浴びせるような言葉が投げ込まれた。

 驚いて声のした方に視線を向ければ、涅さんが静かに笑っている。その笑みはまるで静けさと穏やかさを兼ね備えたラベンダーのようで、きっと遠くから見れば美しいと感嘆していたに違いない。けれど、近距離で向かい合っているからわかる。微かに眇められた彼女の瞳は、胡散臭いものを見るような眼差しを僕に向けていた。

 

 く、空気を読んでくれません……か?

 

「でも、それならどうして長谷川さんはここに?」

 

 く、空気をっ! 読んでっ! くれませんかっ!!?

 

「ああ、言われてみれば確かに……。あれ、なんでだ?」

「それっ…は……!」

 

 うわぁい、せっかく僕にしては上手いこと丸く収められそうだったのに。

 長谷川さんもキャラ崩壊してはわわってるし。でも大丈夫。まだあわてるような時間じゃない。こんなこともあろうかと、事前に伏線を張っておいたのだ。

 

「実は途中でお腹痛くなっちゃってさ。近くのコンビニでトイレ借りようと思ったんだけど、混んでて順番待ちしてたんだ」

「……そう言えば、さっきそんなこと言ってたな」

「いくら何でも長谷川さんを待たせるのは悪いし、僕としても恥ずかしいから、ここのゲームセンターで時間を潰しててもらったんだよ」

 

 僕は自分の尊厳とか評判を代償に捧げて、この場を切り抜けるための最後のカードを切った。

 正直、この手は使わなくて良いなら使いたくなかったんだけど、涅さんに怪しまれている現状では多少無理矢理でも嘘を吐きとおすしかない。

 

「そ、そっか」

「そうだったんですね……。その…………ごめんなさい」

 

 どうだ! 例え嘘だと疑っていたとしてもツッコミし難いだろう。

 

 長谷川さんは尾行してたのではなく、僕の買い出しに善意から付き合ってくれただけ。

 当然のことながら、僕と長谷川さんはデートでもなければ仲良く買い物なんて雰囲気でもない。普通、恋人や気になる異性の前で堂々とコンビニトイレに駆け込む男がいるだろうか。いや、いるはずがない(希望的観測)。

 

 年頃の乙女としては、彼氏の前でその友人の腹下し事情なんてデリケートな問題をデリカシーなく追及できないはず。

 現に涅さんどころか長谷川さん含めて女子コンビはドン引きだ。何なら夢王くんでさえ、あちゃ~って顔してるもん。僕の名誉が著しく損なわれるという致命的な問題以外は完璧な詐術であったと自負している。

 

 今日から僕は親切な女の子を待たせてトイレを優先するような胃腸の弱いクソ野郎というレッテルを貼られて生きていかねばならないのかぁ……。

 

 あれ、これ普通に致命傷なのでは……?

 

「……ははっ」

 

 自然と口から乾いた笑い声がこぼれてしまった。

 そんな自嘲染みた僕の笑みに、三人は気まずそうにふいっと目を逸らす。

 

 うん。まぁ、いいや。どうでも。

 もうさっさとこの茶番を終わらせて帰ろうそうしよう。

 

「それじゃ、僕たちはもう行くよ。デートの邪魔しちゃったみたいでゴメンね?」

「あ、ああ……。いや、気にすることないよ。こっちこそ、なんか……ごめん」

 

 や め て ?

 

「じゃ、行こっか。さっさと行って、さっさと帰ろう」

「……そうね」

 

 これ以上は傷口に塩を塗るだけなので戦略的撤退を図ることにした。

 長谷川さんにアイコンタクトを送り、ゲームセンターを後にする。幸い、彼女にとっても渡りに船だったのか僕の思惑通りに頷いて付いてきてくれた。

 

 夕闇が迫り、帰宅客と買い物客で騒々しいアーケード街を歩きながら、僕は囁くような声量でそっと告げる。

 

「とりあえず、一〇〇円ショップまで行ったら解散で」

「……そう」

 

 ふと、ちらりと横目で長谷川さんを盗み見る。

 前を向く彼女の双眸は、凍てつくような冷たい眼差しをしていた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 テレビに応募したら取り上げてくれるんじゃないかと思えるほどの突破劇を無事にミッションコンプリートした僕は、自転車を押しながら長谷川さんと連れ立って一〇〇円ショップを目指して歩いていた。

 

 本音を言えば、この場で解散してしまいたい気持ちでいっぱいだ。

 だけど、先ほど夢王くんたちに一〇〇円ショップに用事があると言ってしまった手前、そこまでは長谷川さんと一緒に行動するしかないだろう。まさか夢王くんに限って尾行なんてしないとは思うけれど、涅さんのあの雰囲気を考えると用心するに越したことはない。

 

 長谷川さんもその事は理解しているのか、黙って僕の隣を歩いている。

 

「……」

「……」

 

 きっと物語の主人公ならここで彼女を慰めたり励ましたり、あるいは愚痴に付き合ってあげたりする場面なんだろう。

 

 けれど、残念ながら僕と長谷川さんの間でそのような会話は成立しない。

 

 仮に僕が『悩みがあるなら相談に乗るよ』とでも言おうものなら、長谷川さんからは侮蔑の眼差しを向けられた挙句に『そもそも何でいるのかしら?』『下心で後をつけて来たのね』『気持ち悪い』『最低』『死ねばいいのに』といった罵詈雑言を浴びせられる。

 なら黙っていたらどうなのかと言えば、今度はゴミを見るような目で睨まれて『黙ってて不気味』『何か疚しいことがあるから話せないんでしょう?』『気持ち悪い』『最低』『死ねばいいのに』とやっぱり罵声を投げられるのだ。なにそれ理不尽。でも悲しいかな、現実なんて所詮そんなものである。

 

 僕と彼女は、同じ『中途参入組』だ。

 その付き合いは小学校四年生のときまで遡る。

 

 そう、かつて僕と夢王くん、そして長谷川さんは同じクラスだった。

 

 長谷川さんにとって、あのときのクラスメイトは二種類しかいない。

 

 

 敵か、味方か。

 

 

 あのとき、クラスで唯一、長谷川さんに手を差し伸べた夢王くんだけが、彼女の味方。

 長谷川さんを追い詰め、助けようともせずに傍観していた夢王くん以外のクラスメイトたちが、彼女の敵。

 

 構造はひどくシンプルで、それ故に僕らの関係性はとても簡潔であった。

 

「……どういうつもりかしら」

 

 ほーらきた。

 

「今さら恩着せがましい真似をして、何を企んでいるの」

 

 別に何も。

 

「私が失恋したからチャンスだとでも思ったのかしら? ……軽蔑するわ」

 

 違うよ。全然違うよ。

 

「それとも、ストーカーまがいの惨めな女だって同情でもしてるつもり? 貴方みたいな人にもそんな人間のような感情があったのね。驚きだわ」

 

 あっ、ストーカーって自覚はあったんですね。

 

「……黙ってないで、なんとか言ったらどうなの?」

「なんとか」

「っ……!」

 

 あまりにも鬱陶しかったので軽口を叩いてみたら鬼の形相で睨まれてしまった。

 迂闊だった。うっかりうっかりテヘペロ。許してチョンマゲ。あ~いとぅいまて~ん。……ゴールが近づいてきたのが嬉しくて油断してしまった。まぁ、どのみちここでお別れなのでどうでもいいか。

 

 僕はここまで両手で押してきた自転車を建物前の駐輪スペースに停めると、こちらを不俱戴天の仇のように睨む長谷川さんに向き直る。

 

「長谷川さん」

「……なにかしら」

 

 名前を呼んだだけで絶対零度の眼差しを向けられる辺りに僕の嫌われっぷりが分かるというもの。

 おそらく、僕に対して長年積もり積もった憎悪とは別に、一秒でも同じ空気を吸っていたくないという嫌悪の表れなのだろう。……自分で言ってて悲しく────別ならないね。どうでもいいや。

 

 

「それじゃ、お疲れ様でした」

 

 

 仕事先で交わすようなビジネスライクなお別れ常套句の言葉を伝えると、唖然とする長谷川さんを放って僕は目的地である一〇〇円ショップに入店する。脇谷紅大はクールに去るのだ……。

 

 

「────た、そうやって……っ」

 

 

 お店の自動ドアが閉まる直前、背後から長谷川さんの恨めしそうな声が聴こえた気がしたけれど、何だかまともに聴くと呪われそうな気もするので無視することにした。

 



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長谷川 翠(4)

 

 ハァッピィィィプゥーライスぱぁらだぁいすぅぅぅ!

 

 どうも、一〇〇円ショップに来るとテンションが上がる系男子の僕です。

 個人的にはホームセンターや家電量販店よりも時間が潰せて、延々と彷徨っていられる自信がある暇つぶしスポットだと思っている。もちろん、実用性もバッチリだ。

 

 当所も無く店内をフラフラしているときに、想像だにしていなかった商品を見つけたときの達成感なんかは宝探しに通ずるものがあるし、シンデレラフィットする小物を発掘したときなんかはしてやったりと笑ってしまう。他にも、正規メーカーのパクリ品を見つけたら高い金を出して買ってしまった人たちの悔しがる顔を想像してニヤニヤしてしまうし、まったく関係ない商品を別な用途に転用する方法を考えて頭を悩ませるのもまた楽しい。

 

 そんな一〇〇円ショップフリークな僕が今いるお店は、業界最大手である『ダイソーン』。

 

 『集客力の変わらないただ一つの一〇〇円ショップ』という大胆不敵なキャッチコピーは余りにも有名。噂ではどこぞの掃除機メーカーから訴訟を起こされているらしいけれど、それは僕の知ったことではない。

 このお店の良いところは、日々新しい商品の開発に余念がないこと。悪いところは一〇〇円ショップと謳っておきながら、品揃えの三割ほどが一〇〇円じゃないところだろうか。そこはライバル店である『セリアーン』を見習ってほしいと切に思う。良い商品を見つけたのに三〇〇円商品だったときのガッカリ感は異常。五〇〇円で買ったブックスタンドが三日で壊れたのは絶対に許さない。

 

「……めんどくさ」

 

 さて、そんな風にテンション高く浮かれてみたものの、まぁ完全に空元気である。

 一〇〇円ショップが好きなことは本当なんだけど、実際にはそこまで興奮しないです。ワクワクはするけども。

 

 原因は言わずもがな、先ほどの一件であった。

 

 別に長谷川さんから浴びせられた罵詈雑言を気にしているのではない。

 あんなものは犬に噛まれたと思って忘れるのが一番だし、単に色々な巡り合わせと腹の虫の居所が悪くて僕に八つ当たりをしていたに過ぎないのだから。……あれだ。生理で不機嫌になって傍若無人になる姉とか、更年期障害で情緒不安定になる奥さんを想像してみればいい。それと一緒だ。まともに相手をしていると、こっちの方が気が滅入ってしまう。

 

 まぁ、僕には姉も奥さんもいないので、この例えが適切なのかはまったくもって不明なんだけども。

 

 一応、彼女の名誉のために弁明しておくと、長谷川さんは普段から僕に対して口汚く罵ってくる訳ではない。

 彼女が僕に対して敵意を抱いていることは間違いないだろうけれど、これまでは夢王くんの存在もあってお互いに不干渉という間柄であった。

 

 ただ、今回は彼女自身の失恋に加えて、想い人のデート現場を目撃してメンタルブレイクしたところに、本来なら敵である僕に助けられるという負の三連星によるジェットストリームアタックで感情が爆発したのだと思われる。

 

 ……どう考えてもとばっちりであった。

 

 なにこれ。長谷川さんから敵意を向けられているのは以前から気がついていたし、その理由も納得できるものであったから、僕としては然して気にしていなかったんだけども。これはちょっと理不尽過ぎやしない?

 やっぱり、友斗くんからの依頼を引き受けてしまったのは早計だったか。

 

 これ以上、他人の事情に首を突っ込むべきじゃない。

 深入りはしない。気に留めるだけ。それならもう、僕の役割は十二分に果たしたことだろう。

 

 だから、もうゴールしても……いいよね?

 

「そんな訳でやってきました、文房具売り場」

 

 大丈夫だとは思うけれど、夢王くんたちに図書の展示企画の買い出しと言ってしまった手前、内容はどうあれ、企画自体はやっておかないとマズいよね。

 まぁ、いずれはやらないといけなかったことだし、この機会にサクッとやって人知れず終わらせてしまおう。

 

「んー……。こっちの無地が五〇枚入り一〇〇円で、カラーの方が二〇枚入りで三〇〇円か。なんて絶妙な値段設定なんだ。惑う惑う」

 

 いま僕が手に持って悩んでいるのは、商品の広告で使うポップを作るための厚紙。

 ほら、よく本屋さんとかで売り出し中の書籍が目立つように宣伝や紹介文が記載されているアレだ。

 

 昨年までの展示企画は、それはそれは簡素なものだった。図書委員が適当に推薦した図書の横に、A4用紙に適当な感想文的な紹介文を添えて展示するだけ。誰も興味を持たなくて当然であった。だって当の図書委員ですら興味ないんだもの。当然の帰結である。

 なので、今年はもうちょっと見栄えを意識してそれっぽくしてみようと、現在絶賛お悩み中なのだ。

 

 ……嘘から出た実とはこのことか。

 

 小さく苦笑しながら、僕は手元のA6サイズな無地の厚紙から、棚に並ぶポップ用の吹き出し型の用紙やおしゃれなメッセージカードに目を向ける。

 

「……」

 

 手間のかからない方法を考えるなら、既にそれっぽい形に揃えられているこっちの方が良いんだよな。色のバリエーションも豊富だし。

 ただ、例によって凝っているヤツは値段が割高だし、量も少ない。コスパだけで考えれば無地の厚紙が最強か。形は自分で切れば良いし、色はマジックで塗りつぶすとか、色紙で加工するとかすれば……面倒くさいな。ポップを大量に用意しないといけないなら話は別だろうけど、数冊を紹介する程度なら費用をケチって手間暇かける必要性もないのでは……?

 ここはやはり、お金で解決という大人な選択一択だろうか。

 

 そんな馬鹿みたいなことを馬鹿みたいに悩んでいたら、ふと背後に人の気配を感じた。

 

 あれかな? 場違いな男子高校生がおしゃれメッセージカードの前でウンウン唸っているから、万引き犯と勘違いされちゃったのかな?

 それとも、他の買い物客が早くそこ退けよとプレッシャーをかけてきたのだろうか。くっ……。僕は無実だし、そんな外圧になんて屈しないぞ。

 

 

「……本当に、展示企画の備品なんて選んでいたのね」

 

 

 ん、んん……?

 

 背後から聞こえてくる聞き覚えはあるけれど、決して聞き慣れはしない声に、僕は敏感に厄介事の匂いを嗅ぎ取った。

 

「っ……」

 

 思わず振り返りそうになる衝動を必死に自制する。

 これはあれだ。怖い話とかでよくあるパターンのヤツだ。ほら、心霊スポットで後ろを振り返ってはいけない云々的な展開である。

 

 僕は手に持った商品を確かめるフリをして、そっと目線の高さまで持ち上げた。

 商品を包む包装フィルムに店内の照明が反射して、ぼんやりと僕の背後に立つ人物を映し出す。

 

 

 ……なにやってるし、長谷川さん。

 

 

 今さっき別れたはずのツンデレメガネ委員長な負けヒロインが、そこにいた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 これは一体どういうことだろうか。

 

 正直、長谷川さんが何を思って僕の後ろに立っているのか皆目見当もつかない。

 ただ、ここでまかり間違っても、僕に相談があるんだなとか考えてはいけない。それが許されるのは夢王くんのような主人公属性持ちか、友斗くんのようなイケメンだけだ。たとえ過去の蟠りが無かったとしても、僕のようなモブが嬉々として話しかけようものなら身の程を弁えろと言われるのが関の山なのである。

 

 うん、関わったら負けかな。

 

 さっさとこの場を脱するべく、僕は適当なメッセージカードを二つほど選んで買い物カゴに放り込むと、極力後ろを気にしないようにして売り場を移動する。

 ほら、もしかしたら長谷川さんは偶々さっきの売り場に用事があっただけかもしれないし。自意識過剰はよくないよね。そういうことにしておこう。

 

「うーん……」

 

 移動先である模造紙や色紙が並ぶ棚の前で、僕は腕を組んで眉根を寄せる。

 展示コーナーをアピールするのに、看板とかを作ろうと思うなら模造紙も必要だろうか。でもなぁ……。こういう模造紙とか画用紙って学校の備品として常備してありそうだよね?

 

 いや、わかってはいるんだ。

 こういうときって、普通は学校で揃えられる材料を確認してから、足りないものを買い出しするものだもんね。そもそものプロセスが逆なんだよ。まぁ、僕の一方的事情による突発的なものだから仕方ないんだけども。

 

 幸いなのは、急な企画に反対するほど活動している図書委員のメンバーがいないことだろうか。

 ……いや、やっぱり幸いじゃないね。ほぼほぼ僕一人で回してる委員会活動ってなにさ。いい加減、学校側は対処して? 僕がもっとアグレッシブで正義マンな性格なら教育委員会にクレームいれてるよ? 面倒くさいから絶対にやらないけども。

 

 で、その、ううーん。なんだかなぁ……。

 

「……」

 

 僕はいつから背後霊に憑りつかれてしまったんだろう。チェンジで。

 

 まぁ、冗談はさておき。

 

 これ何の嫌がらせなのかな?

 僕に付きまとって、かつての復讐でもしてるつもりなんだろうか。……効果抜群だよチクショウ。

 

 とにかく、模造紙系はおそらく学校にあるだろうから、ここから離れよう。

 こんな所にいられるか! 僕は次の売り場に移動するぞ!

 

「おっ……」

 

 テクテクと歩きながら、何気なく通りすがりの棚を眺めていると、ブックスタンドが陳列されていた。

 それを何ともなしに眺めていたんだけど、ふと展示企画のアイデアが浮かぶ。

 

 この本を開いた状態で固定できるスタンドを使うのはどうだろう。

 物語系の本なら挿絵とか入っていることも多いし、ただテーブルに本を置いておくよりは興味を引いて手に取ってもらえるんじゃないだろうか。

 

「でもなぁ……」

 

 手に持ったブックスタンドを眺めながら、顔を顰めてぼやく。

 一〇〇円商品のものは明らかに安っぽくて壊れやすそうだし、五〇〇円商品の方は見た目は良いものの、過去に三日で壊れた恨みを僕は忘れていない。結局、本を立てかけるだけなら図書室の備品でどうにかなるだろうから、わざわざ買う必要はないかと自己完結する。

 

「……」

 

 で、彼女はいつまで付いてくる気なんですかね。

 あれかな。監視されてるのかな?

 

 ははーん。さては、僕が万引きでもすると思って見張っているな? もしくは、私物を買ってそれを経費として学校側へ不正請求するとでも考えているのか。

 よっ、さすが委員長キャラ! 正義感が強いねぇ! ……どちらにしても監視が下手くそすぎであった。こんなマンツーマンディフェンスな監視ってある? 普通は少し離れた棚の陰から見張りつつ「あ、やるな。やる、やるよ。はい、今やった!」とか実況するものじゃないの? 長谷川さんはもうちょっと万引きGメンを見習って?

 

 ……さすがにそれは無理があるかぁ。

 

 どうにも行動理由が読めない長谷川さんに心の中で「怖いな~怖いな~…なんか嫌だなぁ~」と恐れ慄きつつ、僕は後ろに佇む気配をすっとぼけて別な売り場へと移動した。

 

 次にやってきたのは、折り紙売り場だった。

 

 展示コーナーを華やかな雰囲気にするため、彩りを添えるなら折り紙で加工するのが手頃かなって考えたんだけど、どうなんだろう。

 今更だけど、僕に色彩センスとか無いし、工作が得意という訳でもない。折り紙を切り貼りして飾り付けるとか無理じゃないかな。

 

 何とも微妙な気分になりながら、品定めがてら適当に折り紙を手に取って裏面を読んでみる。

 するとどうだろう。そこにはペンギンの折り方が記載されているではないか。それを見た僕はピンときたね。これだと。

 

 つまり、動物の折り紙を飾ってファンシーさを演出するというプランである。

 偶にカフェとか本屋のレジに飾ってあるのを見た記憶があったけど、ついつい目につくからね。これなら、ちょっとしたSNS映えも狙える…………ね、狙えるかなぁ?

 

 幼稚園や小学生を相手にするんじゃないんだぞ。折り紙のメインターゲットって誰なんだよ。

 果たして今どきの高校生が折り紙程度でテンション上がってくれるのだろうか。仮に動物折り紙を見て「キャー、これかぁわいい!」とかはしゃぐ層が居たとしても、そんな連中が図書室に来るとは思えない。

 

 あと、致命的な問題として、僕にこんな複雑な折り紙は無理だ。

 さっきからペンギンの折り方を解析しようと、手順と睨めっこしているけれどさっぱり理解できない。所詮、折り鶴と手裏剣とパックンチョしか折り紙のレパートリーがない男である。土台無理な話であった。

 

 ものの数分でファンシー折り紙動物園計画を白紙撤回した僕は、手に持っていた折り紙を棚に戻す。

 そのとき、隣に陳列されていた金や銀にキラキラ加工された折り紙ばかりが集められた豪華な折り紙を見つけて、小学生のときにこれを持っていたらきっと僕はヒーロー扱いだっただろうなぁとか考えながら、ついついそれを手に取ってしまった。

 

 

 ところで、このキンピカを見てくれ。こいつをどう思う?

 

 すごく…見られてます……。

 

 

「……」

 

 キラキラと光り輝く折り紙が、僕の背後でじっとこちらを観察する長谷川さんを映し出していた。

 残念だけど、僕を観察しても夢王くんと結ばれる未来はやってこないと思うので、早々にお引き取り願ってもいいですか? ストーキング相手間違えてますよ?

 

 まともに相手をする気にもなれないので、僕は陰鬱な空気を醸し出す彼女を無視して逃げるように三つほど離れた棚へと向かうことにする。

 

「これ、カワイイ!」

「えー、こっちの方がよくない?」

 

 到着した先では、今どきっぽい女子中学生が大量に並べられたマスキングテープを指さしながらキャッキャウフフしていた。

 あれだよね。最近、殺伐とした光景を目にすることが多かったから、こういう景色を眺めているだけで癒される気がする。カルガモの雛よろしく僕の後ろをトコトコ付いてきた人も浄化されてくれないかな。

 

 何はともあれ、マスキングテープだ。

 ぶっちゃけ、これが本命と言っていい。だってもう、マスキングテープでポップの縁をそれっぽく装飾しておけば、それだけで何かオシャレそうじゃない?

 

 決してモチベーションが低下して投げやりになっているとかじゃない。

 そう、僕は初めからマスキングテープが持つ無限の可能性にすべてを託していたんだ。そうに違いない。そういうことにして、僕はサクッと目の前にあったストライプ柄のテープと、本や文房具のイラストが描かれていたテープを買い物カゴに入れて売り場を離れる。

 

 さすがのストーキング・デッドな長谷川さんでも会計にまで付き纏ってこないらしい。

 トータルで千円も掛かってないので、特に学校に請求するつもりもないんだけど、念のため領収書をもらってレジを後にする。こういう突発的な買い物のときにレジ袋有料化って面倒だよね。買ったらなんとなく負けた気分になるし。

 

「……脇谷君」

 

 買った商品をスクールバッグに詰めてお店を出ると、そこには僕の自転車の前で待ち構えている長谷川さんが居た。

 ……退路を塞ぐのは卑怯じゃないかな。今日はもう精神的疲労でいっぱいいっぱいだから、早く帰りたいんだけど。とりあえず、嫌味の一つくらいは言っても許されるだろう。

 

「あれ、長谷川さん。まだここに残ってたの? なにか用事があったのなら、お店に入る前に言ってくれれば良かったのに」

 

 我ながら見たらイラっとくるんだろうなって思うゼロ円スマイルで声を掛けてみたんだけど、長谷川さんには見事にスルーされた。

 どうしてそう的確に僕がダメージを負う反応を返してくるの? そんなに僕が嫌いなの? ……そう言えば嫌われてましたね。これには紅大くんも苦笑い。もう帰っていいですか?

 

「……展示企画」

「え?」

「夢王君への釈明に使った図書の展示企画。あれ、嘘なのでしょう?」

「そうだね」

 

 プロテインだね。とか言ったらキレるんだろうなぁ。

 あれかな、夢王くんへ嘘をついたことに加担させられたことを恨んでいるとか? 嘘に巻き込んで悪いとは思うけれど、そもそも僕を巻き込んだのはそっちなのだから……いや、元を正せば友斗くんだね。彼に頼まれていなかったら、間違いない見て見ぬふりしていただろうし。だからクレームは友斗くんへお願いできませんか? ピーマン食べるから。

 

「それなら、どうして展示企画に向けた買い出しなんてしているの? 例年、図書の展示企画は九月から十月だから、もうとっくに終わっている筈でしょう?」

 

 あれ、それ訊いちゃう? 本当にそれ訊いちゃうの? それを僕に訊くのかぁ……。

 

 

 そういうとこだよ、()()()

 

 

「それを僕に質問していること自体が、答えだと思うよ」

 

 

 何か言いたげな彼女を目で制して、僕は自転車を転がしてさっさと帰路についた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 ウンザリした気分でアーケード街を通り抜けて、ようやくこれで帰れるぞと一息つく。

 ふと時間が気になって自分のスマートフォンを取り出してみれば、いつの間にか届いていたメッセージアプリの通知が並んでいた。

 

 どうやら長谷川さんへの対応に集中し過ぎて、気がつかない間に家の人からのメッセージが溜まっていたらしい。

 

 

 母:今日はお父さんが仕事早く終わると言うので、久しぶりに家族で外食の予定です。

 母:七時に駅前で待ち合わせです。紅大クンは、何時ごろ帰宅予定ですか?

 母:遅くなりそうなら、直接現地集合でも大丈夫です!

 母:もし遅れそうなら連絡ください。

 母:私と美晴は、先に駅前に行っていますね。

 母:こちらはお父さんと合流できました。

 妹:遅い! いつまで待たせんの!!

 母:場所のURLを送りますので、メッセージに気がついたら連絡ください。

 妹:もう先行くからね!

 妹:<怒ってる猫のキャラクタースタンプ> × 3

 

 

「あー……」

 

 

 肩に圧し掛かる疲労を吐き出すように、そっと溜息を吐く。

 現在の時刻は七時ちょっと過ぎ。場所も駅前のアーケード街を通り抜けたところだから、今から行けば充分に間に合うだろう。

 

 

 紅大:ごめんなさい。友達とファミレスで夕飯を食べてしまったので、家で留守番してます。

 紅大:気にせず、楽しんでください。

 

 

 そう打ち込んで、直後に勢いよく届いたメッセージの群れは見なかったことにしてスマートフォンをポケットに戻す。

 

「……長谷川さんに感謝だね」

 

 帰宅ルートにコンビニを寄り道先として登録した僕は、自転車に跨ると夜の帳が下りた帰り道を鼻歌交じりに疾走した。

 




スミマセン。
思い付きで書き始めた短編にかかりっきりになってました。

感想、評価コメントいただき、ありがとうございます。
応援していただけて嬉しかったです。

また、誤字報告してくれた方、ありがとうございました。
自分では気がつかなかったので、助かりました。


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長谷川 翠(5)

 

 小中学校と違い、給食がない高校生活では昼食の選択肢がいくつか存在する。

 自分でお弁当などを持参する奴もいれば、学校の食堂で済ます人もいるし、購買でパンやオニギリを買う生徒も多い。

 

 ちなみに夢王くんのコミュニティメンバーたちはお弁当や購買派で占められている。

 理由は言わずもがな、夢王くんと一緒に昼食を食べるのと同時、他のヒロインたちを牽制するためだ。ご苦労なことである。

 

 僕はと言えば、購買派だ。

 入学当初こそ母がお弁当を作ってくれたのだけど、共働きで朝が早い母にそれは酷だろうからと三日続いたあたりで僕の方から固辞した。母は負担なんて無いと抗弁したものの、思春期男子高校生にとって学校の購買や食堂は憧れであり、友人たちが買ってきたパンなどを食べている中、自分だけ教室でお弁当を広げるのは気恥ずかしいのだと力説して何とか納得してもらったのである。まぁ、詭弁なんだけど。バレなきゃいーんだよの精神で乗り切りました。

 

「ごめん。今日、俺たち……」

 

 昼休み、いつもの如く夢王くんが所属する我がクラスに集まってきた負けヒロインたちに、彼が申し訳なさそうな顔をして断りを入れた。

 その隣には、照れたように少し頬を染めた涅さんが当然のように寄り添っている。あー……、今日は例の日か。

 

「あー! また想惟ちゃんの愛妻弁当だなー!!」

「……別に照れなくても、ここで食べればいいじゃないですか」

「そーだよ~、ムー君。あたしも涅さんの愛妻弁当見てみたいなぁ~」

「……」

「まぁ、せっかく作ってもらったんだから、彼女と二人で楽しみたいってハレ先輩の気持ちも分かりますけどねー」

 

 三学期に入ってからも、夢王くんはこれまで通りみんなと一緒にお昼を食べていたんだけど、ある時、涅さんが夢王くん用の手作り弁当を持ってきたことで変化が訪れた。

 数日に一回、涅さんがお弁当を持参した日は、二人っきりで食べるようになったのだ。まぁ、恋人同士なんだから二人っきりで食べるのは何もオカシイ話ではないし、どちらかと言えば自分が振った負けヒロインたちと今でも一緒にお昼を食べている現状の方がオカシイのかもしれない。

 

 涅さんから受け取った巾着袋を大事そうに抱えながら去っていく夢王くんの後ろ姿を眺めながら、僕は疲れたように小さく息を吐く。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 本物のお通夜だってもうちょっと軽い空気感だと思うんだ。

 なに、もしかして僕の知らないところで世界の終焉でも迫ってるの? カタストロフィ目前なの? 黒い球体のある部屋にでも招かれちゃった?

 

 今までなら、こういうときは友斗くんがフォローに入ってくれたのだけど、生憎と今日は不在だ。

 というか、おそらくもう来ないのではないかと思われる。多分、新しい彼女と一緒なんだろう。昨日、お幸せにと祝った手前、こういうことはあまり言いたくないけれど、早くも前言撤回して爆発しろと呪詛を送りたい気分になってしまった。

 

 とは言え、夢王くんがおらず、友斗くんまで不在な現状で僕が彼女たちと一緒に食卓を囲む謂れはない。

 なんなら今までだって常に一緒に食べていた訳じゃないしね。場の空気を読んで必要そうなら一緒に食べたけど、そうじゃなければ今日は食堂だからとか、他の友達と食べるからと言って適当に済ませていた。

 

 そんな訳で、僕は暇つぶしのお供であるスマートフォンと財布を持って静かに席を立つと、しれっと教室を後にする。

 こんな世界の終わりみたいな絶望に包まれた雰囲気の教室で呑気にご飯を食べる奴の気がしれない。現に、ウチのクラスメイト達は全員避難済みである。勇者なんていなかった。

 

 購買で適当な総菜パンと飲み物を購入してから、昇降口で靴を履き替える。

 人が疎らな中庭をさっさか横切ると、周りからは死角になっている校舎横に備え付けられた非常階段にそっと近づいた。

 

 五階建ての校舎に設けられたこの非常階段。

 各階の廊下の最奥と繋がっており、非常時には昇降口と二手に分散して避難できるように設計されている。けれど、この手の設備にありがちな話のオチとして、普段は非常階段に繋がる扉は施錠されているし、一階の階段入り口部分も柵で封鎖されているため、いざという時に利用できないという本末転倒な管理状況であった。

 

 いや、理由はわかるんだ。

 生徒の脱走や悪戯防止だったり、不審者対策で解放できないのは理解できるんだけど。本当の非常時がやってきたときに大丈夫なのか一抹の不安がががが。避難訓練のときは予め鍵を開けておいた状態から災害発生というシナリオだっただけに、学校側に対する不信が拭えない。

 

 何はともあれ、非常階段である。

 

 パッと見では階段入り口は封鎖されているのだが、安住のぼっち飯スポットを求めて校内を彷徨っていた僕は、ある日、世紀の大発見をした。

 この柵、外から見たら厳重に封鎖されているように見えるけど、実際には内側から閂を掛けられているだけで、柵の隙間から手を伸ばして閂を外せば簡単に開けられるのである。南京錠すら無かった。不用心!

 

 こうして気ままにお一人様ランチを楽しめる場所を手にいれた僕は、今日も今日とて階段を上って最上階の特等席を目指す。

 

 この非常階段の良いところは、階段の外周部が隙間だらけの柵ではなく、コンクリートでしっかり壁になっている点が挙げられる。つまり、頭さえ引っ込めておけば、外から見つかるリスクがほぼほぼ無いのだ。ついでに風も凌げる。ありがとう、誰とも知れない設計士さん。きっとお姉さんが一級建築士に違いない。

 

 

 そんな風に益体もないことを考えていたら、五階の踊り場部分に到着した。

 もう一つの利点として、最上階である五階の扉付近には小さいながらも、しっかりと屋根が付いていること。これで雨にも負けず、風にも負けない全天候型ランチポイントの出来上がりだ。

 

 流石に一月に外で食べるのは寒いけど、風が無ければ耐えられないこともない。

 僕は非常扉に背を預けて座りながら、買ってきたコロッケパンのラップを剥がして齧る。うん、可もなく不可もなく。唯でさえ、大して美味しくない購買のパンなのに、教室のあの空気で食べたらきっともっと美味しくないに違いない。良かった、この場所を見つけておいて。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 最初のコロッケパンを半分ほど食べ終えたときだった。

 

「……ん?」

 

 階下から、トントンと微かに階段を上ってくる足音が聞こえた気がした。

 この場所を発見してから早二年近く、これまで誰かと遭遇したことは一度も無かったんだけど、どうやらその不敗神話も今日でお仕舞らしい。

 

 だがしかし、僕とてこの非常階段の先住民として多少なりとも意地があるのだ。只で譲ってなどやるものか。

 僕は相手がここまで上がってくる前に素早く立ち上がると、五階の踊り場に通ずる階段に背を向ける形で座り込んだ。

 

 これなら階段下から五階へ上がろうとするときに、先客がいることがハッキリわかるだろう。

 まさに背中で語るスタイル。無言の抗議。ストライキやデモの常套手段、漢の座り込みである。どうせ、こんな辺鄙な場所までわざわざやってくるのだから、相手も一人になりたいのだろうし、先客が居るとなれば引き返すだろう。下の踊り場は好きに使っていいので、僕のことは放っておいてください。

 

 が、しかし────僕の想定とは裏腹に、相手は怯むことなく五階の踊り場へと続く階段を上ってきた。

 

 え、えぇ……?

 

 ちょっと空気を読もう? 僕のこの拒絶オーラ見えないの? 誰だ、僕の安住の地を踏み荒らす不届き者は!? もう少しでコロッケパン食べ終わるので、それまで待ってください。

 

 コツコツと背中に迫ってくる足音に戦々恐々としていると、その音が僕の背後でピタリと止まる。

 

 

「……ねぇ、脇谷君」

 

 

 後ろから投げかけられた声に、ギョッとして思わず振り返ってしまう。

 しまったと思った時には、もう遅かった。彼女と、バッチリ目が合ってしまったのだ。

 

 

「いつも、こんなところで食べていたのね」

 

 

 ……なにやってるし、長谷川さん。

 

 

 昨日からやたらと遭遇率の高い、ツンデレメガネ委員長な負けヒロインが、そこにいた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 一緒に居るだけでゴハンが不味くなるものなーんだ?

 

 

「……」

「……」

 

 

 答えは、気まずい沈黙。

 

 独り言と、生きていく。どこぞの新聞社は関係ありません。

 

「……」

 

 なぁにこれぇ……?

 

 どうして僕は長谷川さんと無言でお昼を食べてるんだろう。

 一体、何の罰ゲームなのか。ストレス耐久配信でもやってるの? 誰か僕にもスパチャして。

 

「……」

 

 自分から意味深にやって来ておいて無言とはこれ如何に。

 あと、僕の退路を塞ぐように、背中合わせで階段に座り込むのもやめて? そこまでするなら、何か喋ってよ。

 

「……親君あたりから、頼まれた?」

 

 やっぱり喋らなくてもいいかな。

 これ、僕は何て答えたら正解なんだろう。そうですって馬鹿正直に頷いていいものか。

 

「別に答えてくれなくてもいいわ。それ以外で、貴方が私を助ける理由なんてないもの」

 

 随分な言われようだけど、当たっているだけに何も言い返せないな。

 どうも、薄情者として定評のある僕です。

 

 其れはさておき、どうしたものか。

 

 先ほど購買で買ってきたパンはもう食べきってしまった。

 いつもなら、昼休みが終わるまでここでのんびり時間を潰すんだけど、もう立ち去ってしまおうかな。長谷川さんが階段に居座っているといっても、まったくスペースがないという訳ではない。多少、無理矢理でも横をすり抜ければ通れるだろう。

 

 僕が溜息交じりに立ち上がろうとすると、後ろの背後霊さんからビクリと身動ぐ気配が伝わってきた。

 

「……」

「……」

 

 きっと彼女は、僕の言葉なんて求めてはいないだろう。

 それなら、どうして長谷川さんはここに留まるのか。

 

 彼女にとって、僕は敵である。

 かつてのイジメの被害者と、傍観していた加害者。それが彼女と僕の揺るぎない関係性だ。

 

 けれど、本当にそれだけなんだろうか。

 

 夢王くんのハーレムコミュニティにおいて、僕と長谷川さんは同じ『中途参入組』に当る。言わば同期の桜だ。

 僕は小学校三年生から、長谷川さんは小学校四年生から。中学校に進学してあざとい後輩が加入してくるまで、『最古参組』メンバーが無意識に醸し出す幼馴染独特の空気感に戸惑い、振り回されていた者同士。ある意味では戦友のような間柄────ないな。ないない。それっぽく考えてみたけど、さっぱり理解不能だ。

 

 おそらくは昨日の件を起因としているのだろうけど、それがどうして僕とお昼を共にすることに繋がるのか、コレガワカラナイ。

 強いて言えば、昨日の夢王くんへのストーカー行為に対する口封じという可能性だろうか。過去の復讐も兼ねて、人目のつかない場所で僕を亡き者にしようと企む……あると思います。

 

 なんだかもう考えることに疲れてしまって、いつものように適当な思考で気を紛らせていると、静かにお弁当を食べていた長谷川さんがぽつりと呟いた。

 

「……三学期」

 

 三学期?

 

 唐突に背後から聴こえてきた無機質な声に、僕は困惑して彼女を振り返る。

 

「もう、三学期なのね」

 

 一月の寒空の下。

 静寂に包まれる非常階段に、そんな当たり前の事実が風に乗って通り過ぎていく。

 

「……」

 

 僕の視線の先には、小さな背中があった。

 いつも背筋を伸ばして、凛とした佇まいを心掛けている芯の通った背中ではない、華奢で猫背な小さい背中。

 

 ああ……、そうか。

 長谷川さんにとっては、そう感じるのか。

 

 

「……」

「……」

 

 

 結局、彼女がそれ以上口を開くことはなく、僕と長谷川さんの初めてのランチタイムは、昼休みの終了を告げる予鈴とともに幕を閉じた。

 




たくさんの感想や評価コメントありがとうございました。励みになります。

別で書いた短編の影響なのか、急に閲覧数やお気に入りが増えてビックリするとともに、若干オロオロしてますが……(震え声)

主人公の言動や目的が曖昧で意味不明だってツッコミがありましたが、現状その通りだと思います。こちらの語彙とか文章力や表現力が拙く、読み難くてスミマセン。
たぶん終盤まで話が進まないと、主人公の行動原理は判明しないと思うので、もうちょっとこう……改善できるように善処していきたいと思います。


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はたらく図書委員さん

 

 放課後、例のごとく辛気臭い空気に包まれた教室を早々に退散した僕は、図書室へと続く廊下を一人歩いていた。

 

 窓の外から漏れ聴こえてくる部活の掛け声を聞き流しながら、昼休みの出来事について思考に耽る。

 

「なんだかなー」

 

 今さら僕と長谷川さんの間に友情や恋愛感情が芽生えるなんてことは、天地がひっくり返ってもありはしないだろう。

 では昨日の一〇〇円ショップでのストーカー行為や、昼休みの突撃隣の昼ごはんは何なんだと言われると、答えに窮してしまうのだが。

 

 信じて頼るから、『信頼』なのだ。

 信用なんて微塵もないであろう僕に、彼女が頼るとは思えない。

 

 なら、『協力』はどうだろう。

 けれど、それもやっぱり違うと即座に棄却した。互いに目的が合って、そこに利害が一致するからこそ、手を取り合うのだ。お互いにそっぽを向いている僕らが協力し合えるとは思えない。

 

 ……いや、こんな思索はただの逃避だ。

 

 本当は、彼女が僕に何を求めているのか、薄々ではあるが気がついている。

 ただ単に、僕が面倒事を嫌って目を背けて、視ないようにしているだけだ。

 

 不思議と人気のない廊下で、現実に背を向けるように瞼を下ろす。

 

 真っ暗で、何もない、虚無のような世界。

 そこにぼんやりと浮かび上がる虚像に、僕は現実を突き付けられているようでウンザリさせられる。

 

 

 ──小さくか細い背中が、淋しそうに佇んでいた。

 

 

 小学校四年生のとき、あのとき僕が眺めていた背中と同じ、弱々しく震えるだけの薄っぺらい背中だ。

 

 それは──────

 

 

「脇谷先輩!」

 

 

 答えのない迷路を彷徨っていた意識が強引に引き戻される。

 

「え、あ……藤堂さん?」

「はい、どうも。藤堂さんです」

 

 しぱしぱと目を瞬かせた先に、フンスッとしたり顔で仁王立ちしていたのは、数少ない働く図書委員の一年生女子────藤堂(とうどう)(りん)だった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 目の前で腕を組み、訝し気に僕を見据える藤堂さん。

 身長が一六〇センチほどと僕より僅かに低いので、そうジッと見つめられると上目遣いをされている気分になってしまう。……勘違いですね、わかります。

 

 ダークブラウンなボブヘアをひっつめ髪にしている彼女からは小ざっぱりとした印象を受けるけれど、短い後ろ髪をチョコンとうさぎのしっぽみたいに結わいているヘアスタイルは何という名称なんだろう。髪の長さは違うけれど、ファーストインプレッションから僕は勝手に銀ちゃんヘアと呼んでいる。死亡フラグにならないことを祈りたい。

 

 学校の制服であるブレザーの下に白カーディガンを着込んでいる藤堂さんの容姿は、何ていうか普通だ。

 多分これは夢王くんのコミュニティに属している弊害。本来なら各校に一人居るか居ないかというような飛びぬけた容貌の彼女たちを普段から眺めているので、目が肥えてしまったのかもしれない。藤堂さんだって普通に整った顔立ちをしているのだ。おそらく、密かにクラスの男子人気が高いタイプと思われる。

 

 なんだか随分と久しぶりに会った気がする後輩女子に、僕がひとりでウンウンと頷きながら脳内人物品評会を開催していると、気難しそうに片眉を僅かに吊り上げて、藤堂さんが呆れを滲ませたような声音で苦言を呈す。

 

「なーんかフラフラした人が歩いてくるなって思ったら、まさかの脇谷先輩だし。しかも、よく見たら目を瞑ってますし。何やってるんですか? 精神修養の一環ですか? ……もしかして、今さら中二病でも患いました?」

 

 出会い頭のマシンガントークやめて?

 

 あと中二病扱いは割とダメージ大きいから心の底から遠慮したい。

 別に僕は秘められし前世の記憶も、右手に封印された世界を滅ぼす力も、持たざる者には理解できない邪気に満ちた眼も持ち合わせてはいないのだ。

 

「ちょっと考え事してただけ」

「なら、高二病ですか?」

 

 その遠慮のない指摘は、我ながらちょっと否定しきれなくて苦笑いするしかない。

 確かに、そういう節はあるのかもしれないと思ってしまった。中途半端に達観して、曖昧で不確かな情報に縋りながらも目を背けて、何かを悟ったようなフリをしてふわふわと流されて生きているだけ。

 

「……反論してくださいよ」

 

 肯定も否定もせずに、ただ苦笑だけを浮かべていた僕の反応がご不満らしい。

 不貞腐れたように口を尖らせた藤堂さんが、しょんぼりと視線を床に落とした。

 

 そんな彼女の態度にやっぱり僕は苦笑いして、そして急速に心が冷めていくのを実感する。

 

「そんなことより、部活は? 確か弓道部だっけ」

「……今日は顧問の先生が不在なんです」

 

 話題転換兼純粋な僕の疑問に、彼女は何か言いたいことを無理矢理吞み下すようにへにゃりと眉尻を下げて答えた。

 詳しく話を聞いてみると、どうやら弓矢という凶器になり得る道具を扱う特性上、安全管理の面から顧問不在時は弓道場の利用ができないらしい。それならそれで、部活として筋トレやランニングに取り組むとかありそうなものだけど、どうやら我が校の弓道部はそこまで真面目ではないらしく、これ幸いと部活はお休みになりましたと教えてくれた。

 

「それなので、今日は図書委員の仕事でもしようかと思ったんです。普段、放課後の業務は脇谷先輩ひとりに丸投げでしたし……」

 

 で、図書室に向かっていたら僕に遭遇したと。

 

「別にそこまで気にしなくていいよ。代わりに、昼休みの業務は先輩と後輩の君らに丸投げしてるんだし」

「拘束時間が釣り合わないじゃないですか。わたしたちは昼休みの間だけですし、四人でローテーション組んだりできますけど、脇谷先輩は放課後ずっと一人なんですよ?」

「大丈夫だ、問題ない」

「それ、問題しかないヤツじゃないですか」

 

 とは言え、都合が合えば彼女たちも放課後業務を手伝ってくれたりするので、完全に独りという訳ではない。

 だから、僕としては本当に気にしなくても良いと思うのだけど、この律儀な後輩ははいそうですかという訳にはいかないのだろう。

 

 とりあえず、このままこうして不毛な議論を繰り返していても仕方がない。

 図書室への道のりを藤堂さんと並んで歩きながら、適当な話題で食いつなぐ。

 

「そう言えば、そろそろ図書の展示企画をやろうと思ってるんだけど、何かオススメの本とかある?」

「……また今さらですね」

「まぁね。けどさ、遅くなったとはいえ、一応は図書委員の恒例行事なんだから、やっとかなきゃなって思ってさ」

「ふーん……」

 

 どうしてこう、僕の言動って胡散臭さそうな目で見られるんだろうね。

 あれかな。これが普段の行いってヤツなのかな。……積み重ねるほど誰かと行動を共にしたことなんて無いと思うんだけど。

 

 その後も展示企画のために買ってきたメッセージカードやマスキングテープを披露したら、彼女からは残念なものを見るような眼差しを向けられたりした。

 どうやら、僕のデザインセンスに言葉もないらしい。ごめんね、頼りない先輩で。ちょっと背後からのプレッシャーに耐えかねて適当に選び過ぎただけなんだ。だから、本来の僕のセンスはもうちょっとマシなんだと思いたい(自己暗示)。

 

「それじゃ、先輩。わたしは裏で展示企画用の看板とか作ってますね」

「うん、お願い。通常業務はこっちでやっとくから」

 

 誠に遺憾ながら、僕のセンスには任せていられないと後輩から戦力外通告を受けてしまった。

 悲しいことにまるで反論できない僕は、カウンターに大人しく座っていつもの図書委員業務に勤しむことにする。

 

 

 ……そんなにダメだったかなぁ、ファンシー折り紙動物園計画。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 利用客のピークも落ち着き、静謐が支配した図書室。

 静かな空間で本に囲まれて、まるで僕だけが世界からポツンと取り残されたかのようにカウンターに腰掛けている。

 

 それは、ここ一年近くの間に常態化した光景であり、僕としてはいつの日からか当たり前になっていた景色。

 

 何を言っているのかって?

 僕にもよくわからないよ。

 

 ただ、そんな僕の日常はふらりと現れた彼女によって、あっさりと破られてしまった。

 

「……どういうことなの」

 

 どういうことなんでしょうね?

 それはこちらの台詞だと思うんだ。

 

「どうしたの、長谷川さん?」

「どうしたもこうしたも、書架は乱れているし、掲示物もほとんど更新されてない。過去の図書だよりを読んだけど、展示企画どころかほとんど何もしていないじゃない」

 

 そう言って彼女が掲げてみせたのは、図書室の隅で誰に読まれることもなく深い眠りについていた図書だよりのバックナンバーたちを綴ったファイル。

 おおっ、図書室の利用者どころか同じ図書委員ですら存在を忘れがちな彼らを発掘するとはお目が高い。彼らの生みの親として僕も鼻が高いよ。だから今夜は枕を高くして眠ろう。そういう訳で帰って良いですか? ……ダメだよね、知ってた。

 

「それに……」

 

 苛立たしそうに顔を顰めた長谷川さんが、カウンターに置いてある書類ケースについっと指を這わせたと思ったら、その指の腹を僕の眼前に突き付けた。

 

「埃もこんなに溜まってる。掃除も疎かにしているのでしょう?」

 

 いや、姑か。

 思わず、口からポロッとそんなツッコミがこぼれ落ちてしまいそうだったので、慌ててお口にチャックしておく。だって火に油を注いで長引いてもイヤだもの。口は禍の元、はっきりわかんだね。

 

 他にも僕以外の図書委員の不在や、代わり映えのしない所蔵本の品揃え、果ては司書教諭の怠慢問題と長谷川さんによる図書委員会への追及の火の手は留まるところを知らない。

 言っていることは正論なので問題ないのだが、出来ればその有り難いご高説は口頭でなくお客様ご意見箱にでも投書しておいてもらえないだろうか。後日、校長室へポスティングしておくので。まぁ、図書室にお客様ご意見箱なんて無いんだけど。テヘペロ。

 

 

 それにしても、長谷川さんの様子がおかしい。

 

 

 いや、昨日今日と変なのは既知なんだけど、それに輪をかけて不可解だ。

 

 僕が彼女について知っていることはそう多くはない。

 きっと夢王くんなら、彼女と長年向き合ってきた彼なら、長谷川翠という少女の良い面や悪い面もよく知っているのだろう。だから、彼女の異変の本質も理解できるのかもしれない。

 

 けれど、当然ながら僕は知らない。

 

 同じ時間を過ごしていたとしても、彼女と向き合ってこなかった僕が知っていることは、長谷川翠という少女の表面上に浮かび上がる外面のちょっとした一面だけだ。

 

「……」

「……」

 

 それでも、だとしても、ほんの少しだけ解ることもある。

 仮にも小学校四年生から七年ほど付かず離れずやってきたのだ。

 

 知りたくなくても、興味が無くても、嫌でも目についてしまうことだってあるのだから。

 

 

「…………何も言わないのね」

 

 

 憤っている人間が、そんな辛そうな顔をするだろうか。

 

 

()()、何も言ってはくれないのね」

 

 

 怒っている人間が、そんな泣きそうな顔をするものか。

 

 

「長谷川さん……」

 

 

 

 ──彼女が僕に求めているのは、『救い』だ。

 

 

 

 けれど、きっとそれが求めている全てじゃない。

 『救い』のその先に、彼女が希っているナニかがある。

 

 

 それを知るためには、僕は長谷川翠という少女の内面に踏み込まねばならないのだろう。

 

 

 しかし、それは僕の望むところではない。

 僕はただ、当たり障りなく、大過なく、平々凡々とこの高校三年間を終わらせたいだけなのだ。

 

 

 ────自己矛盾。

 

 

 結局はそれだ。

 

 それを求むなら、見捨てるべきだった。

 それを願うなら、請け負わなければよかった。

 それを望むなら、友人になどなってはダメだった。

 

 チグハグで齟齬だらけな自分の言動に、怖気が走る。

 

 

「っ……」

 

 

 ゾワリと、ダレかが優しく僕の頬を撫でた気がした。

 心胆を寒からしめるその指先が、僕の首筋をなぞる度に冷たい温もりで全身が包まれる。

 

 視界が歪む。白と黒の世界の明滅に、息が詰ま──────

 

 

 

 

 

「……そんなに言ってほしいなら、わたしが言ってあげましょうか。長谷川先輩」

 

 

 

 

 

 憶えのない記憶の淵を彷徨っていた意識が強引に引き戻される。

 

「……と、う…どうさん?」

「はい、どうも。藤堂さんです」

 

 しぱしぱと目を瞬かせた先に、隠そうともしない敵意を滲ませて仁王立ちしていたのは、数少ない働く図書委員の一年生女子────藤堂凛だった。

 




感想や評価、誤字報告をくれた方、誠にありがとうございました。


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はたらかない図書委員会

別な短編のオマケを書いてて投稿が遅くなりました。
前話までで感想や評価、ブクマをしてくださった皆様、本当にありがとうございます。


 

 唐突に背後から割り込んだ声に、呆気に取られながらも振り返って声の主を確かめる。

 

「……と、う…どうさん?」

「はい、どうも。藤堂さんです」

 

 いつも通りの平坦な口調で、彼女は応じた。

 けれど、そんないつも通りなはずの藤堂さんの表情が、僕を一瞥して苦々しいものに変わる。

 

 普段から割と半目がちな目がさらに細められて、僕を…いや、その奥で息を呑んで固まっている長谷川さんを睨んでいるのだと察した。

 

「失礼ながら、話は聞かせてもらいました。というか、こんな静まり返った部屋で話していれば、裏に居ても普通に聴こえてきます」

「っ……」

 

 苛立たしそうに顔を顰めながら、藤堂凜が一歩踏み出した。

 そして、それに呼応するように長谷川翠もまた一歩後退る。

 

「……」

 

 そんな二人の様子を眺めながら、すっかり冷静さを取り戻してしまった僕は『これが文字通り一進一退の攻防というものか……ゴクリ』という場違いな感想を抱いていた。

 空気を読んで黙っているけど脳内では自重しないどうも僕です。

 

 いや、こんな状況で僕にどうしろと? 定番ネタのように『僕のために争わないで!』とでも言って、場を混沌に陥れさせればいいの?

 どうせ僕が口を開いたところで藤堂さんあたりに『脇谷先輩は黙っててください』とか言われて、結局引き下がっちゃうパターンなんでしょ。知ってる知ってる。何かのWEB小説かアニメでそんなシーンみたよ。はいはいテンプレテンプレ。そういうの、もういいから……。

 

「ご指摘ご尤も。さすが長谷川先輩ですよね。貴重なご意見どうもありがとうございます」

「あ、えっと…貴女は……?」

 

 それもこれも長谷川さんが悪い。

 どうして今日に限って図書室になんて来てしまったんだ。……わかってるよ。昨日の今日だからだろ? だからと言って、もうちょっと他に人が居ないか気を配るとか、僕が確実に一人でいるときを狙うとか、色々やりようはあったじゃないか。昨日の一件といい、相変わらず間が悪過ぎるんだよ。あと不用意。

 

「……そうですか。そうですよね。先輩はわたしのことなんて憶えてないですよね。()()()()()()()()()長谷川先輩は、ご存知ないでしょうとも」

 

 チクリと、なんて比喩じゃ足りない。グサリと、相手を刺し殺そうという敵意が滲み出た嫌味に、長谷川さんが動揺で瞳を大きく揺らして、その切れ長な目を瞠目させる。

 そりゃ気付くか、気付くよね。そもそもカウンター裏のバックヤードから現れたんだから、藤堂さんが何者かなんて一目瞭然だ。

 

「どうも、()()()()()()。脇谷先輩と同じ図書委員の一年生で、藤堂凜と申します」

 

 慇懃無礼に頭を下げて、藤堂さんは薄く笑う。

 

「数少ない働く図書委員の一人として、長谷川先輩のお言葉は大変参考になりました。是非、他の皆にも教えてあげたいので、さっきの御高説をレポートにでもまとめて提出していただけませんか? 来月の図書だよりに掲載して図書委員だけでなく、全校生徒に周知してあげますから」

 

 僕が手塩にかけて育てた図書だよりをそんな風に扱うのはやめて? 可哀そうだよ。僕が。

 それに来月のネタは『これまで図書室の本に書かれた落書き大全集』ともう決まっているんだ。勝手な原稿の差し替えは許可できない。そういうのは自称編集長である僕を通してもらわないと。

 

 ちらりと、横目で長谷川さんの様子を窺う。

 ……どうして、そこで僕を見るかな。そういうところが迂闊なんだよ。そんなことをしても状況が悪化するだけだと学んでほしい。ほら、藤堂さんの敵意が増量キャンペーンでマシマシだよ。ニンニク入れますか?

 

「どうしたんですか? 何をそんなに怯えてるんです? 長谷川先輩は間違ったことなんて言っていませんよ。正論です。先輩が言っていることは至極正論です」

「ち、ちがっ……私は、ただ…」

 

 そう、その通り正論だ。

 長谷川さんが僕にぶつけた図書委員会への糾弾は、とても的を射た、誰が聞いても正しいと思えるほどに滑稽な、とんでもない曲論だ。

 

 聞き手と話し手。役者の肩書が違うだけで、こんなにも違って聞こえるのだから言葉って不思議なものだと思う。

 そんな、どこまでも他人事な感想を抱く僕の前で、傍観する僕を間に挟んで、彼女たち二人の茶番とも思える喜劇が終盤へと差し掛かろうとしていた。

 

「書架が乱れてる? ……仰る通りです。誰かが適当に戻したり、立ち読みして棚に放置された本がそのままですもんね。実に目ざといです」

 

 長谷川さんから指摘された不備をなぞるように、藤堂凜はゆっくりと図書室内を見渡す。

 その視線を追ってみれば、なるほど確かにご指摘の通りだ。掲示板は四月に貼り出されたものから大して変わっていないし、新刊本コーナーには最近文学賞を受賞したと話題の新刊も並んでおらず、生徒の興味を引くような企画も皆無。実に寂れた図書室だ。

 

「それに、掃除も行き届いていない」

 

 そう言うと、藤堂さんがカウンターの隅を人差し指でつつーっとなぞり、どこぞの笑っちゃうセールスマンばりにドーン!! っと、その指を僕に突き付ける。

 

「……脇谷先輩、昨日は掃除サボりましたね?」

「今日やるつもりだったんだよ」

 

 ホントだよ。ウソじゃないよ。昼休みに誰かがやっといてくれないかなって、密かに期待してはいたけれど。

 はぁ……、まったく。やれやれ、いつもこうだよ。期待するとすぐに裏切られる。現実って世知辛いなぁ……。

 

「……まあ、いいです。ここで脇谷先輩を責めても仕方ありませんし、お門違いですから」

 

 サーセン。

 

 そんな僕の適当な反応に、藤堂さんが呆れたように溜息を吐く。

 スマンね。頼りにならない先輩で。明日はちゃんと掃除しておくから、どうか許して。……え? 今日は掃除しないのかって? もうそんな気力残ってるわけないじゃん。ブービエ・デ・フランダース、僕はもう疲れたよ。

 

「それで、なんでしたっけ? どうして働いている図書委員が脇谷先輩しか居ないのかって、そう言いました?」

 

 お迎えまだかな、はよ来い天使ども。っと僕が内心で辟易していると、話題がついに問題の核心を突く。

 それまで冷たい笑みを浮かべて、じわじわと嬲るように長谷川さんを追い詰めていた藤堂さんが、スンッ……と表情を真顔にしてぼそりと呟いた。

 

「……ふざけないでくださいよ」

 

 ゾッと底冷えするような声音が、彼女に突き刺さる。

 

「利用者にクレームを言われるならこっちだって納得できます。言い逃れできないですし、この図書室の惨状はわたしたち図書委員の怠慢の結果なんですから」

 

 淡々とした藤堂さんの口調から感じられる、ふつふつと湧き上がるような堪えようのない怒りの感情。

 

「言うに事欠いて、あなたが言うんですか? 今さらどの面下げて、図書室に顔を出しているんですか?」

 

 忌々しげに、彼女の表情が歪む。

 憎々しげに、彼女が眉を顰める。

 

「こんな図書委員会の現状を生み出した元凶である()()()が、よりにもよって、これまで図書委員会を支えてきた()()()()にクレームをつけるんですね」

 

 言葉という不可視の圧に押されて、長谷川さんの腰が引けた。

 そろそろと後退って、自然と図書室の出入口へと近づいていくのは、生存本能の為せる業と言えるのかもしれない。

 

「いっ…ぁ……」

 

 見てるこっちが居たたまれないくらいに、長谷川さんが狼狽えている。

 イヤイヤと否定するように弱々しく首を横に振って、突き付けられる現実から逃れようと、その身を震わる様に委員長キャラとしての威厳は欠片もない。

 

「さすが、恋愛に現を抜かして、恋路に託つけて、就任早々に責任を放り投げた人の言うことは違いますね」

「っ……!」

 

 藤堂凛の非難めいた眼差しが、容赦なく長谷川翠の虚ろな心の内を貫いた。

 

「そうは思いませんか──────」

 

 

 藤堂凜は、優しい。

 

 それは、一種の『救い』だ。

 『断罪』という名の、長谷川翠が求めた『救い』だ。

 

 僕が見て見ぬふりをして、ずっと噤んでいた『救い』の言葉。

 

 

「──ねぇ、長谷川()()()()()

 

 

 藤堂さんの こうげき!

 かいしんの いちげき!

 

 長谷川さんは にげだした!

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 長谷川さんがどんな娘かと聞かれたとき、ギャルゲーに登場するお堅い委員長キャラだよと説明したものの、彼女が実際にクラス委員長を務めているとは一言も言っていない。

 

「……容赦ないね」

「いいんですよ。あのくらい、言われて当然です」

 

 二年生に進級して、うちのクラスから図書委員に選ばれたのは、僕と長谷川さんだった。

 僕は一年生のときにやっていたからという安易な理由で、彼女はレッテル貼りのように押し付けられたクラス委員長という役職を嫌がっていると察した夢王くんの機転によって……。

 

 どんな乙女回路が働いたのか僕には知る由もないけれど、今年度の図書委員会が発足した当初、長谷川さんは非常に張り切っていた。

 例年、委員長職には三年生が就任するのだけど、受験勉強を理由に消極的な姿勢の彼らを見て、彼女は三年生の先輩方を押し退けて委員長に立候補してしまう。

 

 当然、周囲はやんわりと彼女を止めようとした。

 確かに三年生たちが立候補に消極的なのは事実だったけど、それはあれだ。『押すな押すな』とか『どうぞどうぞ』みたいな、お約束みたいなものであって本当に嫌がっている訳ではない。つまりは一種の様式美。もはや日本人の伝統芸とさえ言える。なにそれ超絶面倒くさい。

 

 これがまだ、一年生のときに図書委員を経験していて先輩方と信頼関係が構築されている、とかならまだ良かった。

 けれど、残念ながらそんな旨い話があるはずもなく、ぽっと出の未経験者が場の空気も読まずに堂々と手を挙げてしまったというのが事の真相である。

 

 さっきまで消極的だった手前、今更やりますとも言い出せない三年生。

 やる気満々の同級生に三年生のあれはポーズなんだよと大っぴらに説明する訳にもいかず、途方に暮れる二年生。

 二~三年生の面倒事に巻き込まれたくなくて、静かに下を向く一年生。

 

 しかし、そんな地獄のような空気の図書委員会議も、さっさと帰りたい司書教諭の『生徒の自主性を重んじる云々』というありがたいお言葉によって終わりを告げた。唯一の立候補者である長谷川さんを委員長に就任させるという形で……。

 当然、釈然としないモヤモヤを抱えた多くの図書委員たち。なら異議を唱えて自薦なり他薦なりすれば良いだろうと思うのだけど、結局、誰も手を挙げることなく、恙無く第一回の会議は終了してしまった。

 

「……脇谷先輩こそ、追いかけなくて良かったんですか?」

「サポート対象外です」

 

 たらればの話をすればキリがない。

 

 長谷川さんが図書委員にならなければ。

 空気を読んで立候補なんてしなければ。

 三年生が消極的なポーズをしなければ。

 司書教諭がいい加減な先生でなければ。

 

 そして、涅想惟が転入してこなければ。

 

 きっと長谷川さんの未来(いま)は、もっと別の道を辿っていたに違いない。

 けれど、いつだって現実は非情で、情け容赦なく、そして残酷である。

 

 それまで危うい拮抗で成り立っていた夢王くんのハーレムコミュニティが、涅さんの加入で遂にバランスが崩れたのだ。

 

 日夜繰り広げられる、夢王くんをめぐるヒロイン達の駆け引き。

 誰かが一緒に登校すれば、別の誰かが一緒にお昼を食べて、また別の誰かが一緒に放課後デートする。そんな状況で吞気に委員会活動なんてやっていられる訳もなく、長谷川さんは女の戦いへと身を投じた。自ら立候補した図書委員長としての責務をほっぽり出して。

 

「ふーん……」

「納得してないって感じだね」

 

 第二回の会議に、委員長たる長谷川さんの姿は無かった。

 最初は他のメンバーも然して気にしていなかった。むしろ病欠かと思われて心配すらしていたほどだったように思う。結局、その日は委員長不在ということで会議は翌週へと延期された。

 

 翌週、やはり図書委員長は不在。

 そして、その頃にはもう、彼女が夢王くんを追いかけることに夢中で委員会をサボっているのは周知の事実となっていた。

 

 この事態に、彼女を信任したはずの司書教諭は知らんぷり。そもそも、常勤のはずの司書教諭が滅多に図書室へ顔を出さない時点でお察しである。第一回以降、会議にすら出て来やしない。

 それでも一応、二年生の女子を中心に長谷川さんを注意したり、フォローしたりしようとする動きもあったのだ。まぁ、全て無駄に終わったんだけど。その場では謝罪して委員会に参加することに応じても、いざ放課後になると他のヒロイン達と一緒に夢王くんを囲むことに必死でそれどころではなくなってしまう。完全にお手上げであった。

 

 こんなとき、人間の本性ってものが垣間見える瞬間だと思う。

 

 まず三年生が委員会に来なくなった。

 理由は受験勉強で忙しいから。尤もな理由ではある。

 

 次に二年生も委員会に来なくなった。

 理由は部活や塾で忙しいから。妥当な理由ではある。

 

 トドメに一年生も委員会に来なくなった。

 理由は真面目に参加するのが馬鹿馬鹿しいから。とても率直な理由である。

 

 そうして、委員長不在の図書委員会はあっという間に空中分解したのだった。

 

「だって脇谷先輩、お人好しですから」

「……それは違うよ」

 

 彼女から向けられる視線に耐えられなくて、そっと窓の外に広がる景色へと目を逸らす。

 夕闇が迫る空を眺めながら、僕は自嘲を誤魔化すように大して変わらない苦笑を浮かべて、窓ガラスに映り込んだ僕を心配そうに見上げる後輩へと告げたのだった。

 

「別に僕は誰かのために、図書委員業務に励んでいるんじゃない」 

 

 藤堂さんは勘違いをしている。

 

「僕はお人好しでも、真面目でも、ましてや仕事熱心でもないよ」

 

 僕は自分勝手で、不真面目で、至極適当な人間だ。

 

「全部、僕の都合なんだよ。あくまで自分にとって都合が良いから、図書委員業務に従事しているだけに過ぎないんだ」

 

 だから僕はクルリと振り返って、訝しむような眼差しを向けてくる後輩に向けて自分勝手に言い放つ。

 

 

「さて、もうすぐ下校時刻だから、そろそろ図書室閉めて帰らない?」

 

 

 実はさっきから、さり気なく閉店業務を進めていたんだよね。

 あとはカウンター内の小物を整頓して、消灯と施錠をすれば本日の業務は終了。完璧な定時退社が僕を待っている。

 

「……はぁ。仕方ないですね」

「よし、それじゃさっさと帰ろう」

 

 諦めたように項垂れた藤堂さんに構わず、僕は自分の荷物を持って図書室の出入口へと歩を進める。

 

「鍵は僕が閉めて職員室に返しておくから、藤堂さんも早く帰り支度を……」

 

 しかし、僕の歩みはたった数歩進んだ程度で止まってしまう。

 何故なら、彼女がちょこんと僕の制服の裾を掴んで離さないから。え、あれ? 藤堂さん?

 

「……脇谷先輩」

 

 いつも通りの平坦な口調で、彼女が僕の名前を呼ぶ。

 

「本気で、わたしを誤魔化せると思ったんですか?」

 

 いつも通りの平坦な口調で、彼女が僕に真意を問う。

 

「騙されませんよ」

 

 冷たく、容赦のない、一切の情が感じられない声音で、藤堂凜は僕が逃げようのない一言を言い放った。

 

 

「お掃除がまだ終わっていません」

「サーセン」

 

 

 ホント現実って世知辛い……。

 



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非常階段と背後霊

 

 『恋の病』『恋煩い』『恋愛脳』

 言葉は違うし、意味合いも多少異なるけれど、広義に解釈すれば同義だろう。

 

 便利な言葉だ。都合の良い、現実から目を背けられる免罪符。

 どれだけ視野狭窄に陥っても、どれだけ暴走しても、”恋にがんばる女の子”というだけで許されてしまう。

 

 でもそれも、創作の世界の出来事だから可愛く思えるだけだ。俗に言う『※ただし二次元に限る』というやつである。

 現実世界で消し炭ダークマター料理を無理矢理食べさせたり、照れ隠しで理不尽に暴力を振るったりすれば、そんなのはただの事案でしかない。

 

 まぁ、昨今の暴力系ヒロインや理不尽系ヒロインへのざまぁで溢れかえる界隈を眺めていると、二次元でもそういう存在は肩身が狭いみたいだけれど。これも時代の流れか……。

 あれかな。現実社会での余裕のなさが創作の世界にまで侵食してきちゃってるのかな。ストレス社会の弊害がこんなところにまで……。あれ、どうして僕は『恋の病』から日本社会の闇というか病みを垣間見てしまっているのだろう。不思議だなぁ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ──昼休み。

 今日は教室で食べるらしい夢王くんたちに『僕は今日、食堂だから』とお暇を告げて、いつも通り心の故郷である非常階段へと向かう。

 昇降口を抜けて人気の少ない中庭をさっさか横切って、周りからは死角になっている校舎横に備え付けられた非常階段にそっと近づき、無心で階段を上る。

 

「うへぇ……」

 

 本来なら開放的なはずの最上階が、生憎の曇り空に閉ざされてどんよりと閉鎖的に感じるのはどうしたものか。

 予感めいたものを感じながら階段に背を向けるように座ると、僕は購買で買ってきた甘からず、辛からず、かといって美味からずなコロッケパンを頬張りながら、まるで自らフラグを建てるように半ば自棄っぱち気味にぼやいてみた。

 

「やだなー、こわいなあー」

 

 怪談話で有名なおじさんの本業が工業デザイナーだと知ったときの驚きたるや。趣味が高じてあそこまでマルチに活躍しちゃうとか、どんだけ才能豊かなおじさんなの。

 そんな益体もないことをつらつらと考えながら、この世のモノじゃない気配なんてまったく感じられない僕がコロッケパンを食べ終える頃、ついにそれはやってきた。

 

 

「……」

 

 

 どうやら僕は脇谷流非常階段式コロッケパン背後霊召喚術を会得してしまったらしい。

 なんて使い道のない無駄スキル。こんなんじゃ無能キャラとしてパーティを追放された挙げ句、実は最強スキルでしたなんてこともなく、そのまま落ちぶれて打ち切りエンド待ったなしじゃないですかやだー。

 

 この際、もう打ち切りエンドでもいいかなぁ……。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 来ると分かっていれば対処は容易い…………とでも言うと思ったか、残念ノープランだよ。

 

「……」

「……」

 

 まぁ、安定の無言である。

 お互いに背を向けて、相手の気配だけを背中で感じているだけの距離感。

 

 僕は手持ちの焼きそばパンの包装を丁寧に剥がしながら、ぼんやりと灰色に広がる空を眺めてみる。陽を隠す雲は風に流されることもなく、まるでこの非常階段の空気と同じように停滞して淀んでいた。

 

「……」

「……」

 

 そもそも僕には、彼女に掛けるべき言葉なんて最初から持ち合わせてはいないのだ。

 

 失恋を慰める?

 職務放棄を責める?

 過去のいじめの件を謝る?

 

 そんなのはどれも無意味だ。

 だって僕はそれらに毛ほどの興味もなくて、そんなことは長谷川さんも既知であるはずなのだから。

 

 僕の口から投げられる上っ面だけの空虚な言葉に、なんの価値があるだろう。

 

 彼女が求めた『断罪』という名の『救い』は、昨日、藤堂さんが既に施した。

 けれど、本当にそれだけが目的だったのだろうか。そうだとしたら、どうして彼女は最後に逃げ出したのだろう。

 

 思い返せば、昨日の長谷川さんは図書室に現れたときから違和感の塊だった。

 いま思えばそれは、昨日の昼休みの時点で、既に彼女が夢から覚めていたからなんじゃないだろうか。

 

 

 『もう、三学期なのね』

 

 

 あのとき長谷川さんは、確かにそうこぼしていた。

 まるで過ぎ去ってしまった月日に愕然としているように、ずっと心地よかった微睡みの世界から醒めてしまったのを自覚してしまったかのように……。

 

 同じ時間を過ごしているはずなのに、僕と彼女では流されている速度が相違する。

 

 僕にとって一日は変わらず二十四時間で、一時間は相変わらず六十分で、一分はいつだって六十秒だ。代り映えのしない、マンネリ化した、ただ一定の速度で流れていくだけの毎日。それは僕がこの世界を認知してからの不変の理で、協定世界時として普遍である基準時刻に他ならない。

 

 けれど、きっと長谷川さんにとっての時の流れは、夢王くんと共に過ごした日々の流れは、途轍もなく早いのだろう。

 昨年の四月から始まったラブコメ時空の歪みに溺れて、それこそ図書委員長に立候補したのがつい昨日のことのように思えてしまうほどに。いや、もしかしたらもっと前からなのだろうか。あの日、夢王くんに救われた瞬間から、長谷川翠が委ねる時間の流れはずっと加速し続けていたのかもしれない。

 

 気付けるタイミングなんて幾らでもあったはずだ。

 季節感のあるイベントなんて山のように転がっていたのだから。

 

 ゴールデンウィーク、体育祭、七夕、夏休み、文化祭、修学旅行、生徒総会、そして────クリスマス。

 彼女が必死に駆け抜けて、夢中で走り抜いて、そうして決死の覚悟で踏み出した告白によって、長谷川翠の加速し続けた時間は止まってしまった。

 

 年が明けて、三学期が始まって、それでも壊れたように止まり続けていた彼女の時計の針。

 それが今、ようやく現実世界と同期して、また動き始めたのかもしれない。

 

 あのとき涅さんへと手渡された、小さな犬のぬいぐるみキーホルダーによって。

 

「……」

「……」

 

 この薄く暗い寒空の下、僕と彼女だけが世間から切り離された非常階段の踊り場は、静かで狭苦しい二人の空間だ。黙して語らず、視線も交わさず、背中合わせの付かず離れずな昔ながらの脇谷紅大と長谷川翠だけの小さな世界。

 

 僕はゆっくりと瞳を閉じて、昨日の図書室での一件を振り返る。

 

 我に返って、図書委員会の惨状に気がついて、その逆恨みとして僕を責めた?

 いいや、違う。確かにこれまでの彼女の行いは愚かだったけれど、そんな人間があんな辛そうな顔はしないだろう。

 

 罪悪感に苛まれて、誰でもいいから断罪して欲しくて、そのために僕を煽った?

 間違いではない。けれど、きっと正解でもない。断罪を求める人間が、あんな打ちのめされたような表情で逃げ出すだろうか。

 

 真っ暗で、何もない、虚無のような世界。

 

 そこに僕は、長谷川翠という少女を映し出す。

 いつものように委員長キャラなんて言うレッテルのように貼り付けた適当な虚像ではなく、僕が知っている、僕が視てきた、同じ『中途参入組』として長年不干渉を貫いてきた彼女を召喚した。

 

 

 長谷川さんは、とにかく間が悪い。

 空気も読めないし、機転も利かない、予習復習には強いけれど、何かと不器用で、突発的な事態に陥ると途端にポンコツ化する。

 

 

 長谷川さんは、大して強くない。

 夢王くんの前では背筋を伸ばして凛としているけれど、彼の目が無いところでは油断して猫背になっていることがある。

 

 

 それが僕の知る、数少ない、長谷川翠という少女の表面上に浮かび上がる外面のちょっとした一面だ。

 しかし、そこまで考えて、ふと、そこまで思い浮かべることが出来てしまった自分にひどく驚いた。

 

 一切興味が無いはずなのに、僕は存外、他人のことをよく視ているらしい。

 これも、僕が抱える自己矛盾のひとつなのだろうか。

 

 

 不可解な言動と、チグハグな振る舞い。

 自分自身にも通ずる、寒々しい心の機微。

 

 

 冷たく振り下ろす冬の風に身を震わせながら、僕は溺れるように意識を思考の海に深く沈めていく。

 

 潜って、潜って、潜って────。

 

 深海のように光の届かない世界で、そこでダレかの影を視た。

 真っ暗な世界にぼんやりと揺れる、闇よりも尚暗い、淋しそうに僕を誘う蠢くモノ。

 

 

 

 

 

 『ごめんなさい』

 

 

 

 

 

 その言葉の意味を、声の主を、僕は知らない。

 

 

 けれど、理解できない深淵の世界で、たった一つだけ理解できたことがある。

 

 

 その影は、優しく笑って、哀しそうに泣いていた。

 

 

 ……チグハグだ。

 

 

 そしてつい最近、僕はこんな風に不可解でチグハグな表情を見た気がする。

 

 

「──────さい」

 

 

 怒ったような言動で、苦しそうに、泣きそうな顔をする少女。

 

 

「────んなさい」

 

 

 耳朶に届く微かな声に、僕の意識が急速に浮上する。

 パチリと瞼を開けた先、霞む視界に映るのは見慣れた非常階段の景色だ。

 

 一瞬、どうして僕はこんなところにいるのだろうかと呆けてしまう。

 

 だけど、それも背後から響いてきた声でハッとして我に返る。

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 

 長谷川翠のか細い謝罪の声が、僕と彼女だけの世界にするすると(ほど)けて、雪のように儚く()け消えた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 彼女のそれは、いったい何に対する謝罪の言葉なのだろう。

 

 

「ごめんなさ…い……」

 

 

 訥々と紡がれる、たった六文字の単語。

 

 

「…ごめ、ん…っ……なさい」

 

 

 身につまされるような嗚咽混じりの謝罪に込められた彼女の真意は、なんなのだろう。

 

 

「ご…ごめっ……ごめん、な…さい…っ」

 

 

 昨日一昨日までの、僕に対する態度にだろうか。

 

 

「…さい……。ご、めん…っ……なさ…い」

 

 

 もしくは、図書委員長としての責務を放り投げた件だろうか。

 

 

「ごめん…ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

 

 それとも、僕の知らない、彼女が知っている、脇谷紅大と長谷川翠の関係性が存在するのだろうか。

 

 

 

 『()()、何も言ってはくれないのね』

 

 

 

 彼女は”また”と言った。

 だとしたら、かつてもあったのだろう。彼女が僕に言って欲しいと希ったナニかが……。

 

 

「ごめんな…さい……ごめんっ…な…さ……い…」

 

 

 喉から絞り出すように奏でられる消え入りそうな声を聴きながら、ふと僕の脳裏に過るのは、彼女のひとりぼっちの背中だった。

 

 昨日の非常階段で直視した、華奢で猫背な小さい背中。

 ゲームセンターで目撃した、弱々しく震える背中。

 小学四年生の時に傍観した、淋しそうな背中。

 

 心底不思議に思う。

 

 いつも背を向け合っている僕と彼女なはずなのに、僕の記憶にある彼女の姿はいつも背中だ。

 

 

「ごめ…んなさ、い……」

 

 

 ならば、長谷川さんの記憶にある僕は、どんな姿をしているのだろう。

 

 

「……」

 

 

 天を仰ぐ。薄日の中でも自己主張するように白く輝く空へ、僕はそっと息を吐いてみた。

 小さく靄のように色づいた白い吐息は、次の瞬間には風に吹かれるまでもなく空気中に解け込むようにして有耶無耶になって、僕の前からその姿を隠してしまう。

 

 

 ────ごめんなさい

 

 

 非常階段を宛所不明のままふらふらと彷徨っては消えていく六文字の単語たちを目で追いながら、僕はずっと手に持ったままで冷え切ってしまった焼きそばパンを頬張った。

 パサパサのコッペパンに、油でギトギトな歯ごたえの無い麺、肉も野菜も入っていない薄いソースと青のりだけが絡められたパンの味は、お世辞にも美味しいとは言えない。そんなパンを一口二口とパクついて、側に置いてた無色透明で無味乾燥なミネラルウォーターで無理矢理に嚥下する。

 

 僕と長谷川さんの関係性は、ひどくシンプルで、とても簡潔であったはずだ。

 

 

 敵か、味方か。

 

 

 どうして、今更になってそんな事で惑うのだ。

 

 僕にとって彼女は、かつてのイジメの被害者で、夢王くんに恋するハーレムコミュニティのメンバーで、同じ『中途参入組』でしかない。

 彼女にとって僕は、かつてのイジメの加害者で、夢王くんのハーレムコミュニティに属する友人モブで、同じ『中途参入組』でしかない。

 

 それなのに、どうして今になって彼女は僕の後ろに居るのか。

 

 どうして──────

 

 

「ごめん、なさ…い」

「……」

 

 

 ──長谷川さんは、僕に赦しを請うているのだろう。

 

 

 

 結局、その後も僕は口を噤んだまま、僕と長谷川さんの二度目のランチタイムは、またもや昼休みの終了を告げる予鈴とともに幕を閉じるのだった。

 



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変わらない日々と変わっていく日常

 

 いつだって日々は変わらない。

 

 明日は毎日やってきて、今日という日が終われば昨日になる。

 一年三六五日、稀に閏年でプラス一日。当たり前のように一日は過ぎ去って、いつになるのか知れない僕の寿命がまた一日削られていく。

 

 僕の意思とは関係なく、今日も世界は誰かのために廻り続ける。

 相も変わらず、年中無休が通常営業の平常運転だ。ブラック企業も真っ青な労働環境にもめげない世界さんには本気で頭が下がる。偶には無理せず休んでもいいんだよ。

 

 

 いや、本当に……さ、無理しないで休んで? なんなら週休五日とかでもいいから。 

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 だってそうしないと、教室ちゃんの空気が重苦しくて息苦しくて死んじゃうの!

 

 もういい…! もう…休めっ…! もう…もうやめて! とっくに教室ちゃんのライフはゼロよ! やめたげてよお!

 

 

 ……とまぁ、そんな風にモノローグでボケてみたはいいものの、全くもって代わり映えのしない光景に嘆息する。

 今日も教室戦線異状なし。異常が日常に成り代われば、それもまた正常なのだ。……なんか格言っぽく言ってみたけど、なんの慰めにもならないね。完全にお手上げだい。

 

 そもそもさ、この夢王くんと涅さんを見送った後の沈黙って何の時間なの? 坐禅? それともテレパシーか何かで直接脳内でレスバでもやってるのかな? ファミチキください。

 

「ハムカツサンドと焼きそばパンください」

「はいよ。二つで三二〇円ね」

 

 今日も今日とて教室ちゃんの尊い犠牲に心の中で黙祷を捧げながら、僕は購買を経由して最後の楽園たる非常階段を目指して昇降口を後にする。

 未だ一月の冬空の下でお昼を食べようなんて物好きは少ないのか、枯れた桜の木が並ぶ中庭に人の気配はほとんど存在しない。誰に使われることもない野晒しなベンチの横をするすると通り抜けながら、厳重そうでいて不用心極まりない閂をあっさり外したらもうゴールしたも同然。逸る気持ち抑えながら背中を丸めてゆっくりと非常階段を上ると、ようやくいつもの指定席へと辿り着くことができた。

 

「……はぁ」

 

 最上階の非常扉に背中を預けて胡坐をかくと、珍しく寒凪な天井を見上げて僕は小さく息を吐く。

 目の前に広がる景色は、あの日の曇天とは似ても似つかぬ晴天だ。僕の吐いた白い息が、一瞬だけ雲一つない青い空に広がってはすぐに霧散する。

 

 いつだって、僕の日々は変わらない。

 

 朝起きたら家を出て、学校で時間を潰したら家に帰って寝る。

 最早ルーチンワークと言っても差し支えない毎日は、止まることも、早まることも、遅れることもなく一定のリズムで僕を明日へと連れていく。

 

 校内の喧騒すら届かない静かな非常階段の片隅で、無限に広がる空の下で、見慣れて見飽きた最早一周回って見覚えのない田舎でもなければ都会でもない町並みを眼下に望みながら、僕は購買で買ったいつもとは違うハムカツサンドを頬張った。

 

「……ハム薄っす」

 

 あまりの歯ごたえの無さに、思わず齧ったハムカツの断面をマジマジと見つめてしまう。

 えっ、ハムカツのハムってもっとこう……厚みがあるものなんじゃないの? これ、普通のスライスハムを二枚重ねただけじゃん。これをハムカツと称して許されるのだろうか。情け容赦のないコスト削減とパッケージ詐欺に心血を注ぐ某コンビニチェーンだってもう少し消費者の反応を慮って商品開発してるよ…………たぶん。

 

 あまりの残念さに『うわっ……うちの学校のハムカツ、薄すぎ……?』とSNSで拡散させようかと思ったけど、よくよく考えたら僕はSNSの類は何一つやっていないので、こんなしょうもないことのためにわざわざアカウント作るのとか至極面倒だなと僕の脳内会議によってこの案は即座に却下された。

 ……なるほど。きっと、こうやって消費者が面倒臭がって声を上げないから、資本主義社会の闇が日本経済にのさばり蔓延っていくのだろう。これが無関心社会の弊害だな、間違いない(違う)。

 

 そんな微妙な気分に浸りながら、僕はぺらっぺらのハムカツサンドを咀嚼しながら薄っぺらい思考の渦で陰鬱な溜息を呑み込んだ。

 

 毎日訪れる日々は変わらない。

 だから、変わっていくのはいつだって僕を取り巻く環境で、そんな移ろいやすい世界に取り残された僕の日常は、徐々に、端から蝕むようにゆっくりとその姿を変えていく。

 

 今日の日常は、明日の異常だ。

 昨日の異常は、今日の日常だ。

 

 委ねて、流されて、ふらふらユラユラ漂う僕の意識は今日も変わっていく日常を傍観する。

 

 

「ハムカツサンドは当たりかな?」

 

 

 なんら意味をなさない僕の御呪いは、なんの気休めにもならずに空気中へと薄れて瓦解した。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 あの日、僕と長谷川さんが二度目のお昼休みを過ごしてから、既に二週間の時が流れている。

 

 けれど、あの日聞いた謝罪の意味を僕はまだ知らない。知ろうとも思わない。

 

 きっとあの日の『ごめんなさい』には、長谷川さんの言葉にできない想いが込められていたのだろう。彼女の裡にある葛藤と、ひどく綯い交ぜになった感情から絞り出された謝罪だったのだと、そんなことは流石の僕でも察することができた。

 

 だが、それはそれ、これはこれである。

 

 確かにまったく気にならないと言えば嘘になるけれど、かと言って自らの平穏を崩してまで知りたいかと問われれば答えは否だ。

 人間、知らない方が幸せだったなんてことは往々にしてあることだし、それならば明らかに地雷だと思われる過去話なんて放置しておくに限るというもの。昔の人は言っていた。『好奇心は猫を殺す』『藪をつついて蛇を出す』『触らぬ神に祟りなし』────至言にして金言だと切に思う。

 

 それに、今日まで知らずに生きてきて問題ないのなら、別に無理して知る必要なんて無くない?

 ほら、お片付けのプロである某ミニマリストだって言ってるじゃないか。どんなに大事にとっておいたモノだって、一年間使わなかったのなら、この先もきっと使わないから捨てなさいって……。それと同じ、要は断捨離の精神である。

 

 だから、僕はあの日長谷川さんに何も訊かなかった。

 

 何も言わずに、非常階段から遠ざかっていく彼女の背中を見送って、それでゲームセンターで彼女を助けてから続いていた脇谷紅大と長谷川翠の奇妙な邂逅は何も始まることなく終わりを迎えたはずだ。

 

 だから、僕と長谷川さんの関係性は今も変わらない。

 

 付かず離れず、夢王くんを間に挟んだだけの繋がりでしかない、そんな背中合わせな距離感。

 それを友情と呼ぶには烏滸がましい。同情するような間柄では決してない。そこには愛情も慕情も欠片も存在しなくて、あるのはただ僕に対する悪感情と、僕が有する無感情で構築された惰性の果ての腐れ縁だ。

 

 だがしかし、そんな僕の内心を嘲笑うかのように、移ろいやすい世界はさらりとその彩を変える。

 

 昼休み───。あれからすっかり静けさを取り戻した一人っきりの非常階段に、招かれざるお客さんがふらっとやって来るようになった。

 狐につままれたような顔で呆然と彼女の背中を眺める僕と、そんな僕に背を向けて、どこか居心地悪そうにもだもだする長谷川さん。まるで抗いようのない現実から『お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな』とでも煽られている気分だった。解せぬぅ。

 

 彼女は数日に一度の頻度でやって来る。

 

 非常階段の最上段に腰掛けて、女の子らしい小さなお弁当を食べ終えると、長谷川さんは何をするでもなく静かに非常階段から広がる町並みをぼんやり眺めているようだった。それが途方に暮れているのか、感傷に浸っているのか、それとも何かに抗って立ち上がろうとしているのか、それは僕にはわからない。

 

 彼女の後ろ姿しか見ようとしない僕には、知る由もない事だ。

 

 ただ、時折覗く憑き物が落ちたような横顔から、長谷川さんは長谷川さんなりに、どうにか自分の中で折り合いをつけようとしているのかもしれない。

 未だ教室で夢王くんに対して見せる姿は委員長キャラで、彼の背中を見送る表情はひどく苦しげではあるけれど。それでも彼女は夢王くんの前から逃げ出すことはしなかった。それは単に、踏ん切りがつかずに諦めきれないだけなのかもしれないし、もしかしたら他に行き場が無くて仕方なくなのかもしれない。

 

 いずれにせよ、彼女は目の前の現実と向き合う道を選んだ。

 

 そして、それは燻ぶり続ける夢王くんへの想いだけじゃなく、これまで自分が蔑ろにしてきた現実(いま)に対しても同様だった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 ある日の昼休み、彼女が唐突に呟いた。

 

 

「私、図書委員会の皆に謝って来ようと思うの」

 

 

 背中越しに届いた微かに震える声音は、怖気の表れなのだろうか。

 

「……無駄だよ」

 

 きっとそれは、長谷川さんにとってのケジメなんだと思う。

 そんな彼女の心情を斟酌してあげることは出来るけれど、僕の口を衝いて出た言葉は真逆のような切り捨てるモノだった。

 

「勿論、ただ謝って済むような問題じゃないって事は……」

「違う。そういうことじゃないんだよ、長谷川さん」

 

 彼女の戸惑う気配を背中で感じながら、僕は小さく小さく息を吐く。

 

「いま図書委員として活動しているメンバーは別としても、それ以外の委員は君の謝罪なんて望んでいないんだ」

 

 キッカケは確かに長谷川さんなのだろう。彼女が恋愛に現を抜かして、委員長としての責務を放り投げたことが原因だ。

 けれど、どんな言い訳を並べようと、どれだけ大義を掲げても、彼らが長谷川さんを口実にして委員会活動を放棄した事実は変わらない。

 

「彼らだって、今更謝られても困るんだよ。長谷川さんが自らの過ちを認めて謝るってことは、それは遠回しに、今、委員会活動に参加していないメンバーたちを糾弾することに他ならない」

 

 サボタージュ、ボイコット、ストライキ。横文字でそれらしく言い立てれば聞こえは良いけれど、そんなものはただのお為ごかしだ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で、確固たる信念を持って労働争議に挑むなら話は別だろうけど、彼らのそれは面倒な委員会活動から体よく逃れるための手段でしかない。

 

「だから、どんなに長谷川さんが反省して、どれだけ本気で謝罪をしても、今サボっている委員たちは絶対に謝罪を受け入れないし、活動にも戻ってこないよ」

 

 最早、謝ったから許す許さないという次元の話ではないのだ。

 彼らにとって長谷川さんは、いつまでも愚かな図書委員長で居てもらわなければ困るのである。だってそうじゃなきゃ、自分たちが哀れな被害者のままで居られないのだから。

 

 大体さ、未経験者の委員長が早々に来なくなった程度で機能不全に陥る組織ってなに? どれだけ脆弱なの? 代役なんて幾らでも居るのだから、さっさと長谷川さんを罷免して新委員長を擁立すれば良いだけじゃん。

 

 だから彼女は悪くないとは言わない。僕に彼女を庇うつもりは毛頭ない。だって、やっぱり諸悪の根源は長谷川さんだし。

 しかし、だからと言って彼女をダシにして職務放棄した奴らの責任まで、長谷川さん一人に押し付けるつもりもまた無かった。

 

「どうせ、あと二ヶ月もしないうちに今年度も終わるんだから、今更蒸し返すような真似しなくてもいいんじゃないかな?」

 

 それが一番無難なやり方なんじゃないかと思う。

 人によっては卑怯だと罵って、不誠実だと非難するかもしれないけれど、周囲に波風立てずにやり過ごせるのなら、それに越したことはないんだから。まぁ、残りの高校生活はヒソヒソ陰口叩かれるだろうけど、それくらいは甘んじて受け入れて欲しい。

 

「それでも、もし長谷川さんがどうしても謝りたいって言うなら、それはこんな現状でも働いてくれている図書委員の四人にすれば良いと思うよ」

「四人……?」

「うん。一年生が二人に、三年生が二人で四人」

「…………そう」

 

 その時、ほんの少しだけ背後から感じる空気が揺らいだ気がした。

 彼女が何かを言い淀んで、逡巡して、結局は溜息と一緒に吐き出した熱が冬の風に流されて掻き消える。訝しんだ僕が後ろを振り返ってみれば、長谷川さんは顔を上に向けて、じっと空を眺めているようだった。

 

 その後ろ姿は、最近、僕がよく視ていた背中と似ている。

 けれど、どうしてか、僕はその既視感にしっくり来ない。

 

 だからだろうか、僕も彼女に釣られるようにして天を仰いだ。

 ふわふわと、綿飴のような積雲のひとつがふわりと浮かんでいるのが目に留まる。近くの大きな雲から切り離されて、当て所もなく漂いながら風に流される様は、どこか憂愁に満ちているように感じられた。

 

「……」 

「……」

 

 この非常階段を支配する静寂は、どちらの味方だろう。

 どちらにしても、既に言いたいことを言い終えて、語るべき言葉を持たない僕に沈黙以外の選択肢は存在しない。

 

「────私は」

 

 未だ春の到来を頑なに拒んでいた寒風がふと凪いで、凛とした声が僕の耳朶を打つ。

 

 

「それでも、全員に謝ることにするわ」

 

 

 彼女は、長谷川翠は、そうキッパリと明言してみせた。

 

「脇谷君の言うことは、きっとその通りなんだと思う。今さら私が謝罪しても、皆には迷惑がられるだけ」

 

 そこまで理解していて、なぜベストを尽くそうとするのか。

 確かに自省するべきだとは思うけど、やらかしたと言っても、所詮は高校生活での期間限定な委員会活動でのことである。別に生死を左右するような失錯だった訳でなし、精々が高校時代の評判と内申点を損なう程度のものだ。そんなもの、一〇年後にでもあの時は若気の至りだったと笑い飛ばせば良いじゃないか。

 

「私は強い人間じゃないから、ここで自分の罪から目を背けたら、この先もずっと逃げ続けるだけの人生になってしまう気がするの」

 

 逃げて何が悪いと言うのだ。逃げ続けたっていいじゃない。だって人間だもの。

 古代中国の偉人も言っていた。『三十六計逃げるに如かず』────戦略的撤退は兵法の基本だよ。

 

「……今、逃げて何が悪いって考えたかしら?」

「……ドキッ」

「…………オノマトペを口に出して動揺するって斬新な狼狽え方ね」

 

 そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。そりゃ突然思考を読まれれば僕だって狼狽えもするよ。一瞬、実は自分がサトラレなんじゃないかって不安になっちゃったもん。こんとんじょのいこ。

 

 僕の意識が明後日の方向に迷走し始めたのを敏感に察知したのか、呆れ成分を多分に含ませた咳払いをした長谷川さんが話を元に戻す。サーセン。

 

「……きっとね。”退く”のと”逃げる”のとでは、行動は似通っていても、帰結する先は全然違う」

 

 それは、今しがたの僕の思考に対する苦言だろうか。

 

 

 それとも────、今までの僕の在り方を揶揄しているのだろうか。

 

 

「”撤退”は戻れる場所が、守るべき居場所が残っているけれど、”逃亡”の先には何も無いの。ただ逃げた先で、また逃げ出して、ずっとずっとずっと……在りもしない強迫観念に追いかけられて、視えない影に不必要に怯え続ける」

 

 長谷川さんが語る教訓めいた言辞は、実体験からくる戒めなのかもしれない。

 だとしたら、あの日、僕が大して美味しくもない焼きそばパンと一緒に呑み下して、非常階段に解け消えた六文字の言の葉は、彼女の逃げ続けた過去から発せられたSOSだったのだろう。

 

「どうしてかしらね……。逃げ出すときの一歩はあんなにも軽やかだったのに、立ち止まるにはその何倍もの労力が必要で、前に進むための一歩は途轍もなく重い」

 

 掠れた声音が、冷たく吹きすさぶ風に乗って冬枯れた町並みに消えていく。

 

「私は、まだ……ようやく立ち止まれただけだから」

 

 声が震えているのは、きっと冬の寒さの所為だけではない。

 

「自分が視ていたいものだけを見て、いくら目を背けていても、いつか必ず直視しなきゃいけない時がやって来る。私にとっては、それが今なんだと思うの」

 

 また一つ、僕の周りの日常が変わろうとしている。

 

「だから私は謝ることから始めようと思う。皆にはまた迷惑な想いをさせてしまって、申し訳ないとは思うけれど」

「……えらく勝手だね」

「ええ、そうね……。これは私の勝手な我が儘で、単なる押し付けよ」

「なにそれ、開き直り?」

 

 詫びようとしているのに開き直るとはこれ如何に。

 そんな僕の皮肉はしかし、大真面目な返答によって真正面から打ち返されてしまう。

 

「開き直り……そう捉えられても仕方ないのでしょうけど、個人的には少し違うわ。ただ、ちゃんと向き合おうって、そう思ったの。自分が犯してしまった過ちから逃げないで、きちんと筋を通さなきゃって」

 

 彼女の自罰的なその思想は、結局は自分勝手な自己解釈に基づく自己都合に満ちた自己満足の思惑でしかない。

 

「面倒事になるかもよ。長谷川さんの立場も今以上に悪くなるかもしれない」

「……そうかもしれないわね」

「いま長谷川さんに対する悪評が図書委員会の内部で収まっているのは、誰も事を荒立てたくないからだ」

 

 もし彼女の謝罪行脚によって図書委員会の実態が学校中に露見すれば、それは誰も幸せにならない結末を招くかもしれない。

 見て見ぬふりして問題を放置し続けた司書教諭や、これ幸いと仕事をサボっていた連中は言うに及ばず、今も活動してくれている藤堂さんたちだって、任期が残り僅かになった今になって騒がれてもいい迷惑だろう。

 

 そのあたりの憶測を説いた上で、僕は押し黙る彼女に問いかける。

 

「それでも、やるつもり?」

「…………うん」

「あ、そう」

 

 実に利己的なお返事だ。独善的で、他人の迷惑なんてちっとも考慮してくれやしない。

 あぁ、そもそも、そんな配慮が出来る人ならこんな事態に陥ってないって話ですね。こりゃ失敬。

 

「……夢王くんにバレて嫌われるかもよ」

「うっ……! そ、れ…は……っ……そう…なったら、その時は……、その結果を…す、素直に受け止めるわ」

 

 何とも苦渋に満ちたような、少し上擦った声音。

 そんな彼女の返答に呆れながら、僕はゆっくりと瞳を閉じてみた。

 

 

 目の前に広がるのはお馴染みの、真っ暗で、何もない、虚無のような世界だ。

 

 

 そこに僕は、いつかのように長谷川翠という少女を映し出す。

 

 

 長谷川さんは、とにかく間が悪い。

 空気も読めないし、機転も利かない、予習復習には強いけれど、何かと不器用で、突発的な事態に陥ると途端にポンコツ化する。

 

 

 長谷川さんは、大して強くない。

 夢王くんの前では背筋を伸ばして凛としているけれど、彼の目が無いところでは油断して猫背になっていることがある。

 

 

「……はぁ」

 

 

 思わずこぼれ落ちてしまった溜息と共に、僕は暗闇に浮かび上がる頼りない背中へ、これまで知らなかった新たな長谷川さん像を書き加えた。

 

 

 長谷川さんは、僕が思っているほど弱くもない。

 打たれ弱くて、臆病で、世渡り下手なくせに、へこたれないし、大胆で、変なところで能動的だ。

 

 

 

 

 そんな彼女の不可解なチグハグさが、ひどく人間的で、僕にはその背中が──────ほんの少しだけ眩しく映った。

 

 

 

 

 昼休みの終了を告げる予鈴が、随分と遠くから聴こえた気がする。

 

「……そろそろ戻りましょうか」

「ねぇ、長谷川さん」

 

 雲間から差し込む光芒に目を瞬かせながら、背後で腰を上げようとする彼女を呼び止めた。

 

「脇谷、くん……?」

「何をどうしようと長谷川さんの勝手だけど、せめて三年生に謝りに行くのは受験シーズンが終わってからが良いんじゃないかな。後になって長谷川さんの所為で受験に失敗したなんてイチャモンつけられても面倒だろうし」

「それは…そう、ね。うん、そうしておく。流石にそこまで迷惑は掛けられないもの」

 

 彼女から返ってきた噛み合わない答えに苦笑しながら、僕はよっこらせと立ち上がる。

 腰に両手を当ててググっと伸びをして、軽くほぐれた身体を捻って制服のスラックスに付いた汚れを叩いて落とす。そのとき、ふと目に入ったブレザーの裾に、僕は老婆心ながら長谷川さんにもう一つ忠告しておくことにした。

 

「あとさ、一年生……と言うより、藤堂さんに謝るときは覚悟しておいた方が良いよ。この間の件もあって、彼女、大分ご立腹だろうから」

「…………が、がんばる」

 

 どうやら先日の一件で、長谷川さんは藤堂さんの事が相当トラウマになってしまったらしい。

 若干涙声な反応にお気の毒さまと心の中で呟きながら、次に会ったときに彼女がトラウマを克服しているのか、それとも新たなトラウマを植え付けられているのかに思いを馳せてみた。……とりあえず、こっちにまで災いが飛び火しないように合掌しておこう。長谷川さんや、どうか成仏しておくれ。

 

 そうやって僕が長谷川さんのご冥福をお祈りしていると、どうにか精神を持ち直したらしい彼女がのそのそと立ち上がって、そして、ぽそりと呟いた。

 

「……その、ありがとう」

「藤堂さんのことなら、ただの自己保身の老婆心だよ」

「それもそうだけど、そうじゃなくて」

 

 そのもどかしそうな声音に僕は訝し気に後ろを振り向いて、そこで、いつの間にかこちらを見詰めていた長谷川さんと視線がぶつかる。

 

「……」

「……」

 

 はじめて交わる視線に、僕らは互いに目をパチクリと瞬かせて、どちらからともなくフイっと背を向け合った。

 颯々たる風の音色に耳を傾けながら、僕は顔を顰めてガシガシ頭を掻いて、彼女はまごまごした空気を誤魔化すように咳払いする。結局、どうにも僕たちはこの距離感が丁度良いらしい。

 

 数秒ほど居心地悪そうに沈黙したけれど、ゆっくりと深呼吸を繰り返した長谷川さんが、再び口を開いて訥々と言葉を紡ぐ。

 

 

「えっ…と、だから、あの、その……ありがとう。今日のことも、今日までのことも、今まで…ずっと…………ありがとう」

 

 

 僕と彼女、二人だけの非常階段の踊り場に響く謝意の言葉。あの日は六文字、今日は五文字、具体性のない感動詞にはどんな意味を込められているのか。

 おそらく、歩み寄ろうと足を踏み出しても距離が離れるだけな今の僕たちの関係性では、きっとその含意を汲むことは叶わないのだろう。

 

 

「……ねぇ、脇谷君」

 

 

 大して広くもないスペースだから、僕と彼女の距離はきっと一メートルも離れていない。

 それなのに、その僅かな距離は果てしなく遠いもののようにも感じられる。

 

 近いはずなのに、遠い。

 遠いはずなのに、近い。

 

 そんな矛盾するような心理と物理の距離感の狭間が、僕と彼女の昔ながらの立ち位置だ。

 

 

「いつか私がきちんと前に進めたら、そのときは────また私の話を聞いてくれる?」

 

 

 だから、僕の返事は決まっている。

 

 

「他ァ当たれ」

「……即答速攻大否定をどうもありがとう」

 

 

 当然のように即断即決でお断りをしてみたけれど、彼女は彼女で愉快に素敵に即応してみせた。まぁ、ヤケクソ気味に叫んではくれなかったけれど。

 いや、まさか元ネタで返されるとは思わなんだ。……と言うか、なんで知ってるの? 君、そういうキャラじゃなかったでしょ? いつの間に嗜んで…………そう言えば昔、教室で堂々と読んでましたね。主に夢王くんが。あっ、布教した犯人特定できたわ。

 

「先に行くわ」

「……うん」

 

 可笑しそうにくすりと笑い声を残して、長谷川さんは静かに階段を下りていく。

 僕は何も言わずに非常階段の上から遠ざかる彼女の背中を見送りながら、目まぐるしく変わり始めた日常に大きく息を吐いた。

 

「……」

 

 何とはなしに小さくなっていく背中を追いかけていた目線が、ふと誰もいなくなった中庭へと移ろいだ。そして、僕はそこで初めて、いつも寒々しくて寂れた場所だと思い込んでいた中庭の片隅に、白、赤、紫と色とりどりの花が咲いているのを知った。

 健気にも未だ寒さ厳しい冬に花弁を開かせるその花に興味を惹かれた僕は、教室への道すがら、中庭で足を止めて写真に撮る。後で暇なときにでも、それが何の花なのか調べてみようと思ったからだ。

 

 

 

 後日、その日見た花の名前が『プリムラ』で、僕はこの花について真に驚くべき事実を発見したけれど、それを受け入れるには僕の心の余白は狭すぎた。

 

 

 




更新間隔があいてしまって申し訳ございません。
何度も書いては消してを繰り返しているうちに、何だかしっちゃかめっちゃかになってしまいまして……。

一応補足しておくと、負けヒロインたちは全員が全員やらかしてる訳じゃないです。
人によって拗らせ度は異なりますが、たぶん一番影響範囲が大きい拗らせ方をしてしまったのが委員長だったってだけで……。


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図書室奇譚

 

 一日の授業が終わり、SHR後の余韻冷めやらぬ放課後。

 

 そろそろ一月という季節も終わりが近づいたということをひしひしと感じながら、僕は図書室の貸出コーナーであるカウンター席に腰掛け、ハムカツサンドの新たなる可能性を模索した昼休みに引き続き、ここ最近の出来事について回顧していた。

 

 そんなとき、不意に図書室のドアを開閉する小さな物音を耳が拾う。

 ちらりとそちらの方向を横目で確認して、僕の方へとずんずんと近づいてくる人影を視認して、僕は静かに息を吸い込み、静かに息を吐く。

 

「……どういうことなんですか」

 

 どういうことなんでしょうね?

 とてもじゃないけど、そんな茶化すような台詞は吐けなかった。ついに、この日が来てしまったか……。

 

 背後でおろおろソワソワするような気配を感じ取りながら、とりあえず僕は当たり障りのない挨拶から始めることにした。

 

「久しぶり、藤堂さん」

「はい、どうも。藤堂さんです」

 

 その返し気に入ってるのかな。

 メランコリックな気分でぼんやり視線を向けた先で、むすっとした顔で仁王立ちしているのは、数少ない働く図書委員の一年生女子────藤堂凛だった。

 

 彼女は胡乱気な眼差しを僕に向け、次いでその視線を背後に移し、盛大に嘆息してみせる。

 

「……昼休みにいきなり謝罪に来られたからもしやと思いましたけど、やっぱりお人好しじゃないですか」

「その意見には僕としては遺憾の意を表明せざるを得ない」

 

 非難めいた棘のある言葉に、僕は毅然とした態度で反論する。

 まるで僕が自ら進んで手を差し伸べたような言い方はやめてほしい。向こうが勝手に押しかけて来たんだよ。

 

「不満そうだね」

「……不満ですとも」

 

 まぁ、あれだ。変化した日常は、何もお昼休みだけじゃないってこと。

 これまで五人だった働く図書委員に、最近幻のシックスウーマンたる二年生が一人追加されて六人になりました。

 

 不貞腐れたような表情で僕の後方を見据える藤堂さんに倣って、僕も背後を振り返る。

 僕らの視線を感じ取ったのだろうか。カウンター奥の隅っこのスペースで縮こまり、せっせと返却図書の仕分けをしていた長谷川さんの背中がビクッと跳ねた。

 

「そう言えば部活は?」

「……これから行きますよ」

 

 拗ねたような声音で、彼女はぽしょりと呟いた。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 一月下旬。遅ればせながら、図書委員会による推薦図書の展示企画がひっそりと催された。

 

 

 ぶすくれた藤堂さんが推薦してくれたのは、『罪と罰』。

 滑り込みで追加された長谷川さんの推薦は、『人間失格』。

 

 

 ちょっと君ら、本当にそれ中身読んで推薦してる? タイトルだけで選んでない?

 どちらの本もタイトルだけは聞いたことはあるけれど、読んだことはないっていう本の筆頭じゃないか。……かく言う僕も童貞(未読)でね。

 

 目立つようにカウンター近くに設けられた展示スペース。そこに並べられた本を眺めながら、僕はついついぼやいてしまう。

 

「うーん……。やっぱり、どこからどう見てもデスノ○ト」

 

 数年前に出版されて話題になった『僕は新世界の神となる』とか言い出しそうな新装版の表紙。これを表紙買いした当時の中高生は、中身を読んでみて一体どんな感想を抱いたんだろうか。ウィキ○ディアに載っているあらすじを読んだだけでお腹いっぱいになってしまった僕からしたら、購入者の何割が読了できたのか気になるところではある。

 一方の『罪と罰』もまた有名な作品だ。ある種の選民思想に憑りつかれた男が予期せぬ罪を犯して、その罪悪感に囚われ苛まれる。そんなストーリー。これまたウ○キペディアで”あらすじ”という名のストーリー全容をうっかり読んでしまった僕は、なんだかもう読了した気分になってしまって実際に読んだことはない本だった。

 

 まんじりともせず二つの本を凝視した僕は、ついと手を伸ばす。

 

 

 ────読んでみようか。

 

 

 一瞬だけそんな思弁が脳裏を過ったけれど、結局どちらの作品も僕が手に取ることはなかった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 図書室は()()としていた。本が音という音をすべて吸いとってしまうのかもしれないね。

 だけど安心して欲しい。僕が座っているのは図書室の貸出コーナー。本を借りる側ではなく、貸す側の存在だ。ちなみにこの図書室に地下室は存在しない。

 

「……貸出をお願い」

 

 またぞろ下らない思考に耽ってぬぼーっとしていたら、遠慮がちな声音と一緒に一冊の本が差し出された。

 僕の意識が半覚醒のまま薄ぼんやりとしているのとは対照的に、身体の方は既にこの二年近い時間によって馴染んだ動作で手渡された図書と利用者カードを受け取り、機械的に淡々と貸出業務に勤しむ。社畜の極みぃ!

 

「……ん?」

 

 けれどそれも、利用者カードに並んだ漢字の羅列に目が留まり、次いで渡された本のタイトルに目が移り、そのまま貸出処理をしていた手も止まり、最後にはついっと顔を上げて僕の動作は完全に停止した。

 

「あー……、長谷川さん?」

「……? あ、もしかして活動中は図書委員が本を借りるのはダメだった……? それなら、閉館間際でも構わないのだけど」

「いや、そこは別にどうでもいいんだけど。そうじゃなくて、さ」

 

 本を借りること自体は構わない。業務中なんだから仕事に集中しろなんてお堅いことを言うつもりもない。だってそんなことを言い出したら僕が真っ先に注意される側だし。

 

「それ、借りるの?」

 

 目を眇めてじっと渡された図書の表紙を眺める僕に、どこか落ち着かない様子で窓の外を眺める長谷川さん。

 

 

 彼女が借りようとした本のタイトルは、『スキップ』。

 

 

 僕が展示企画に推薦した図書であった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 『スキップ』は今から二〇年以上も前、僕らが生まれる以前に出版された“時と人”をテーマにした三部作の一作目にあたる小説である。

 当然、現在とは時代背景も異なり、舞台描写も現代の日常とはズレている部分もあるけれど、それを補って余りある魅力を持った作品だと僕は思う。

 

 

 主人公は高校二年生の女の子。

 ある日、帰宅した主人公がうたた寝から目覚めると、二五年もの歳月が過ぎ去っていた。

 

 意識は一七歳の女子高生のまま、だが、肉体は二五年後の四二歳。

 眠る前までは学生だったのに、起きたら社会人で、結婚もしていて、子供もいて、既に実家は消えて無くなり、居てくれて当たり前だった両親も今は亡い。

 

 そんな主人公が、それでもめげずに生きようと──────。

 

 

 それが、この本のあらすじである。

 

 僕が『スキップ』を見つけたのは、昨年の夏前。

 利用客はおらず、差し迫った仕事もなく、一人っきりの図書室でぽつんと暇を持て余して書架の間をフラフラしていたとき、偶然、目についたのがその本だった。

 

 はじめは暇つぶしに読み始めたそれはしかし、気がつけば僕は物語の世界に引き込まれていて、自分でも驚くほどにのめり込んでしまったのをよく覚えている。

 どうしてこの本にそこまで惹かれたのか、その理由は僕自身も杳として知れない。ただ、設定もストーリーも面白いし、読みやすい文章であったからだろうと当時の僕は自己完結した。

 

「えっと、なんとなく、その、読んでみたくて」

「いや、あの……図書委員がお薦めした本を図書委員が借りるって、なんだかマッチポンプみたいで、ちょっとだけもにょっとすると言うか……」

 

 微妙な気分で眉間に皺を寄せる僕に、俯き気味に目を伏せる長谷川さん。

 どうしたものかと思案しながら、僕は何とはなしに本を手に取るとパラパラと適当にページを捲ってみる。

 

 すると、とあるページを流し読みしたときに本を捲る指先がピタリと動きを止めた。

 

 

 『また来年があるよ』

 

 

 それは作中の序盤に綴られた何気ない台詞の一部。

 主人公もその言葉に納得し、そして────その来年は二度と訪れることは無かった。

 

「なんて言うか、脇谷君の推薦文を見たら……そうしたら、私もその本を読んでみたくなったの」

 

 僕がこの本に夢中になった理由。

 

 それはもしかしたら、羨ましかったのかもしれない。

 それとも、ただ憧れてしまったのだろうか。

 

 どうしようもない現実に打ちひしがれそうになって、それでも目の前の現実で生きていかねばならなくて、そんな状況でも懸命に前を向いて立ち向かおうとする主人公の在り方に、僕はいったいナニを重ねようとしたのだろう。

 

「……そっか」

 

 僕は長谷川さんにそんな淡泊な返事だけをこぼして、あとは黙って貸出処理をおこなった。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 図書室は()()としている。本が吸いとってしまった音や振動なんて何処にもありやしない。

 

 窓の外は薄暮に染まり、既に施錠以外の閉館業務がすべて終わった図書室には僕だけが佇んでいた。

 目立つようにカウンター近くに設けられた展示スペース。そこにぽっかりとできた空白を眺めながら、僕はついついぼやいてしまう。

 

「……はっず」

 

 展示されるべき図書を失った空間に残る推薦文。

 簡単なあらすじに、ネットで拾ってきたような差し障りのない本の感想。そして、欺瞞に満ちた美辞麗句で固められた推薦理由と、その末尾に小さく書き足された一文。

 

 

 ────今をがんばろうとする人に読んでほしい。

 

 

 現実なんて上手くいかない事だらけで、がんばって報われることなんてそう多くもない。

 この本の主人公だってそうだ。物語のすべてが大団円であった訳ではなく、苦い現実は容赦なく彼女を打ちのめしている。

 

 それでも、少女は前を向いて、今を生きようと必死だ。

 

「なにやってんだろ」

 

 それは、どうあっても僕にはできそうにない生き方だ。

 

 目の前に聳える齟齬の壁に阻まれて、何かを達観したように諦めて、幽体離脱のように乖離した自意識をフラフラと彷徨わせる僕は、果たして今を生きていると言えるのか。

 だから、僕はこの本を推薦しようと思ったのかもしれない。自分では出来ないことをがんばろうとする人を応援したくて──⋯────いや、待て。僕はそんな殊勝な人間だったっけ? いつからそんな奇特な性格になった。

 

「……ははっ」

 

 もしかしたら、ここ最近のストレス過多なスクールライフに疲れてしまったのかもしれない。

 きっと過労だね。僕が会社勤めのサラリーマンだったなら社畜御用達の産業医面談に行かされた挙句、一分ほどの問診で産業医から『問題なし』と片付けられるレベル。なんだやっぱり健康なんじゃないですかやだー。

 

「さっさと帰ろ」

 

 使い終わった修正液をカウンターの引き出しに戻して、僕は図書室の電気を消してカチリと鍵をかける。

 ほぼほぼ無人の校舎はどんより薄暗くて、暖房の恩恵を享受できない廊下は冬夜に呑まれて冷え切っていた。ペタペタと、たった一つの足音が響く世界には誰もいない。それはまるで、異界へと繋がる迷路を彷徨っているようだと自嘲する。

 

 僕を取り巻く日常は変わっても、僕の過ごす日々は変わらない。

 

 さあて、明日からも程々にがんばるぞい。

 

 

 

 

 

 ────今をがんばろうとする人に読んでほしい。

 

 

 




あとがき

 拙作を読んでくれた方、感想や評価、ブクマをしてくれた方、本当にありがとうございました。いつも励みにしています。
 色々と作品設定や世界観、文体なんかでご指摘を頂きました。自分でも改めて言われると『確かになぁ』と思わず納得してしまうことがあって、やっぱり物語を創作するって難しいなと日々痛感しています。また、同時に多くの励ましもいただき、とても助けられました。感謝の念に堪えません。

とりあえず、委員長をメインに据えたお話はキリが良いので、第一章というカタチにして完結です。あとは番外編の小話として委員長視点の話を入れようかどうしようかという程度……。
二章以降は別な負けヒロインが主軸になっていく予定です。

できましたら、これからもよろしくお願いします。


【作中で登場した書籍】
・太宰治/著『人間失格』
・フョードル・ドストエフスキー/著『罪と罰』
・北村薫/著『スキップ』


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