魔人街 (苗代)
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エルフのリーシャ

 夜道は危険。

 それは、この世界に住む人間たちの常識である。

 特に、ここ、アルバトロス地区では────

 そんな、危険と恐れられる夜道を、リーシャは進んでゆく。

 怖くないわけではない。

 身体が震えている。

 交通手段である馬もいない。

 昨日、魔獣たちに襲われ、食べられてしまったのだ。

 武器は、背中に負っているクロスボウと腰の長剣だけである。

 魔獣や妖魔のうろつく夜道では、頼りない武装であった。

 では、そんなリーシャが、なぜ、恐怖に身を震わせながら、歩き続けるのか? 

 それには理由がある。

 この道の途中に、旅人用の避難所があるのだ。

 避難所は、この道で命を落とす旅人が頻発したことから、区の有力者たちが金を出し合い建てたものだ。

 ここだけでなく、何ヵ所もある。

 建物は、特殊な素材でできており、一旦逃げ込めば、超大型の魔獣や妖魔でない限り、旅人の身は安全である。

 リーシャは、闇の中にある避難所を探し歩いていた。

 真っ暗であるのにもかかわらず、まるで昼間であるように、ぐんぐん進んでゆく。

 夜目がきくらしかった。

 人間にはない能力である。

 無論、訓練すればリーシャほどではなくとも、ある程度は闇の中を昼間と同じように行動することができる。

 しかし、これは長い期間訓練をした人間のみである。

 リーシャは、そんな訓練をしたようには見えない。

 リーシャのは、生まれつきのものであった。

 生まれつき夜目がきく。

 この時点で、リーシャが人間でないのは確実であった。

 よく見ると、耳が、人間よりも長く、尖っている。

 そして、リーシャの美貌。

 エルフと呼ばれる種族に間違いない。

 リーシャが歩いていると、獣の呻き声がした。

 闇の中に、6つの赤い光が現れた。

 獣の眼らしかった。

 3体いる。

 その3体は、リーシャに近づいて来た。

 リーシャは、咄嗟にクロスボウを構えた。

 獣は姿がはっきりとわかる位置まで来た。

 毛むくじゃらの二足歩行の獣だった。

 狼のような顔をしている。

 合成人狼である。

 合成人狼とは、種族戦争が激化した際、人間の妖術師たちが、様々な技術を用いて生み出した、人造戦士である。

 しかし、成功例は非常に少なく、失敗作が大量に出た。

 成功作は、純粋な人狼よりも能力は低いが、知能が高く、制御もできる。

 だが、失敗作は、成功作と能力こそ変わらないが、狂暴で、制御がとても難しいため、異種族が住んでいる地域に捨てられたのだ。

 今、リーシャを狙っているのは、合成人狼の失敗作である。

 リーシャは、真ん中にいる合成人狼に矢を射ち込んだ。

 矢は、合成人狼の腹に突き刺さった。

 しかし、一瞬よろめいただけで、何事もなかったかのように、こちらへと向かって来る。

 リーシャは、矢を続けて射ち込むが、合成人狼は死ぬどころか、倒れさえしない。

 顔面を狙っても、首を少し振って、ギリギリのところで躱される。

 牙を剥き出しにし、よだれを垂らしながら、じりじりとにじり寄って来る。

 リーシャは、クロスボウを背中に戻し、腰の長剣を抜いた。

 だが、恐怖と緊張のせいで、へっぴり腰になってしまっている。

 なかなか打ち込めない。

 敵は、すぐそこだ

 絶望がリーシャを襲った。

 合成人狼が、鋭い爪をリーシャに向け、襲い掛かろうとした刹那、鋭い光芒が闇を一直線に横切り、合成人狼の右眼に吸い込まれていった。

 合成人狼は、右眼を押さえながら、仰向けに倒れた。

 右眼には、細い針が生えていた。

 左右にいた合成人狼は、リーシャのことなど忘れたかのように、闇の奥にいるであろう、攻撃者に向かって、飛び掛かった。

 2体の合成人狼が、闇の奥に消えた。

 そのすぐ後、ひとつの人影が現れた。

 男だった。

 爬虫類のような、冷たい眼をしている。

 ぞっとするような顔をしていた。

 180cmのがっしりとした身体を、黒い軍服のような服で包み込んでいる。

 男は、右眼を押さえている合成人狼のもとに向かった。

 合成人狼は起き上がろうとしていた。

 男は自分の腰の戦闘用ベルトに差し込んであった短剣を手に取り、合成人狼の首を刺した。

 短剣の柄のあたりまで、深々と刺し込まれた。

 合成人狼は、声ひとつ上げずに果てた。

「ありがとうございました」

 リーシャが、ぺこりと頭を下げて礼を云った。

「構わん」

 男は短く言った。

「わたしは、リーシャといいます。あなたのお名前を教えてください」

「イギーだ。イギー・シグナス」

 錆びた鉄を含んだ声だった。

 これが、リーシャとイギーの出会いだった。

 

 

「旅人か?」

 長い沈黙を破ったのはイギーだった。

「はい」

 リーシャが答えた。

 避難所に着いた。

 広いとは言えないが、一晩過ごすには困らない。

「ここは危険だぞ。何をしに来た」

「父の仇をとるためです」

「仇?」

「はい」

「どういう奴だ?」

「ルシフェルです」

「ほう、あの堕天使野郎か」

「知っているんですか?」

「知ってるもなにも、ここらに住んでいる人間の中で、ルシフェルを知らん奴はいないよ。この地区の支配者だからな」

「そうなんですか」

「その様子じゃあ、おめえ、名前しか知らんのか?」

「いえ、顔も覚えています。それと、ものすごく強く、残忍であるということも」

「ふふん。まあ、その通りだよ」

 しかし───

 と、イギーが続けた。

「合成人狼が出るとは珍しいな」

「そうなんですか」

「昔はちょくちょく目撃情報があったが、討伐隊が2度送り込まれて、だいぶ数が減ったんだ」

「────」

「奴らは森の奥へ追いやられ、姿を消したと思っていたのだがな······」

 イギーが立ち上がった。

「さあ、こんな話より、今夜は、もう寝ろ」

「えっ?」

「疲れが溜まったままだと、今後に響くぞ。部屋の隅に寝袋がある。軍用だから、おまえならすっぽり入る」

「ありがとうございます」

「さあ、早く寝ろ」

「はい」

 

 

 朝になった。

 冷たい風が吹いている。

 冬のような寒さではなく、ひんやりとした気持ちのよい風であった。

「ゆこうか」

「はい」

「人のいるところまで連れてってやる。と言っても、40分くらいで着くがな」

「お願いします」

 ふたりは歩き始めた。

 30分経ったところで、アクシデントが発生した。

「なにか近づいてくるぞ」

「魔獣ですか?」

「いや、人間だ」

 叢から、3人の男女が現れた。

 3人の身体から、暴力の臭いが漂ってくる。

 動きやすそうな格好をしている。

 利き手に、得物を握っている。

「そこのエルフを引き渡してもらおう」

 おそらくリーダーであろう細面の男が言った。

「いやだね」

「なに!?」

「理由を教えろ」

「その女は、将軍のお命を狙っておる」

 金髪の男が答えた。

「あんた、この街の人間だろう。空気でわかる」

「ふふん、そうだよ」

「ならば知っているはずだ。将軍に逆らえば、待つのは、死のみであるということを」

「証拠はあるのか?」

「将軍お抱えの予知屋が、エルフの女が、かつて殺した親の仇を取りにくると未来予知した」

「なにが未来予知だ。ペテン師の類いじゃないのか」

「未来予知を行った予知屋は、100%の確率を誇る、当代随一の超能力者だ」

「わかったわかった。おまえの言葉、全てではないが、信用してやろう。だが、渡さん」

「抵抗する気か」

 リーダーがドスの効いた声で云う。

「眼の前で女が拐われるのを見逃すわけにはゆかん」

「抵抗するということだな」

「出会う前から武器を手にしているんだ。どうせ、最初から消すつもりだったんだろう?」

「そうさ」

「ならば、なおさら素直に引けないね」

 云い終えた瞬間、

「きえいっ!」

 金髪の男が、山刀を打ち込んできた。

 イギーは、かわしざま、手刀を男の首筋に叩き込んだ。

 男は、顔から地面にぶつかってゆき、動かなくなった。

 リーダーの後ろにいた、簡易装甲を身に纏った女が、イギーの前にきた。

 リーダーの方は、リーシャと向かい合っている。

 女は、手にした短刀で突きかかってきた。

 女の短刀を、いつの間にか引き抜いた小剣で受ける。

 鋭い金属音が鳴った。

 その後も、互いに、何度か打ち込む。

 女の攻撃は、女らしからぬ驚くべき鋭さを秘めていた。

 常日頃から、猛訓練を積んでいるということが、この短い時間でわかる。

 しかし、イギーの鋭さは、女のそれを遥かに上回っていた。

 イギーの連撃を受け、女の身体がぐらりと揺れた。

 その隙を、イギーは見逃さなかった。

 女の首筋を、小剣で切り裂いた。

 女は、糸の切れたマリオネットのように、その場に崩れ落ちた。

 血が、赤い布のように広がってゆく。

 イギーはすぐさま、リーダーとリーシャの方を見た。

 何度かぶつかり合ったらしい。

 リーシャは、肩で息をしている。

 一方、リーダーは日本刀を青眼に構え、呼吸は一切乱れていない。

 リーシャが剣に慣れきってないとはいえ、人間より優れた身体能力を誇るエルフを、無傷で追い詰めるとは────

 リーダーが、一流の戦士であることは、疑いようがなかった。

 イギーが、リーダーに小剣を投げた。

 リーダーは後退しながら、刀で小剣を弾いた。

 刹那、リーダーは、左頬に鋭い痛みを感じた。

 リーシャのほうを見ると、右手に握った長剣の切っ先が、血に濡れていた。

 どうやら、今の攻防の一瞬の隙を突き、剣を振ったようである。

 リーダーが笑った。

 蛇のように口から這い出てきた舌で、左頬の傷口から流れ出る血を舐め取った。

「中々やるなあ、女よ」

「どうするんだい。おれたちふたり、同時に相手するかい」

「やめておこう。おまえたちを同時に相手して生き残れるなんざ思っておらんよ」

「残念だ。だが、正しい」

 リーダーの横で倒れていた金髪の男が、むくりと起き上がった。

「逃げさせていただく」

「そこで倒れているお仲間を連れていってやれよ」

「その女は戦士だ。闘って道端で死ぬことが本望だ。だから、そのままでいい」

「ふふん。逃がすと思うかい?」

「思っていないさ」

「じゃあ、どうするんだい」

「こうするのさ」

 リーダーと金髪の男の身体が、煙幕に包まれた。

 煙が消えたが、あの2人は、もういなかった。

 イギーとリーシャの頭上を、黒い影が、静かに通り過ぎて行った。

「あれは?」

 リーシャが訊いた。

「飛行車さ。音を立てていないから、おそらく消音機構が備え付けられているタイプだろうな。あんた、かなりヤバい立場にいるぜ。まあ、今の件で、おれも抹殺リストに加えられただろうがな」

「あ、あのぉ······すみません。関係ないあなたを巻き込んでしまって」

「ふふん。起きたことを今さら後悔したってしょうがない。このまま別れて、区外に逃げても確実に殺される。ならば、おまえの復讐とやらに加担して、少しでもあいつらに痛い目見せてから死ぬほうがいい」

「それって、つまり───」

「おまえの手伝をするってことさ」

「あ、ありがとうございます」

「だが、おれも命を懸けるのでな、タダとはいかん。だから、おれを雇え」

「ど、どういう───」

「おれは傭兵だ。おれは雇った奴のために働く」

「でも、わたし、お金持ってませんよ」

「報酬は、ルシフェルの野郎のところからいただく。これならよかろう」

「ありがとうございます。わたしのせいでこうなったのに、助けていただいて」

「恥ずかしいからやめろ。では、さっさと街へゆくぞ。とりあえず、奴らから隠れなければならないからな」

「どこか宛てはあるのですか?」

「知り合いの武器屋がいる。そいつの家にゆく」

「分かりました」

 イギーとリーシャは、警戒しながら街へと向かって行った。

 

 

 

「失敗したかよ」

 闇がしゃべった。

 正確に云うと、薄暗い闇の奥にぽつんとある椅子に座っている黒い影が言葉を発しているのであるが、長いので、闇がしゃべったと云うことにしておく。

「はい」

 若い男が云った。

 迷彩服を着た巨漢であった。

 身長190cmはあるであろう。

 上半身は、はち切れんばかりの筋肉で覆われている。

 左頬に、絆創膏が貼られていた。

「おぬしが手傷を負うとは珍しいな」

 すごい嗄れ声であった。

「あの女、昨夜仕掛けた合成人狼に怯えていたので、ゆけると思っていたのですが、いざ闘ってみると中々の使い手でした。それに、人間相手にはビビらないようで、果敢に向かってきました」

「邪魔が入ったそうだな」

「軍服のようなものを着た男です。ジャックを一撃で倒し、アイラを殺しました。相当な手練れです」

「うむ。その男については、現在調査団を結成して、調べているところだ。分かり次第、全員に連絡する」

「承知しました」

「おぬしは休め」

「それは───」

「別に、今回の任務から外そうなどと考えてはおらんよ。おぬしは貴重が戦力だからなあ。だが、他にも戦闘員がいる。おぬしだけにやらせる訳にはゆかぬ。奴らの不満が溜まるからな」

「しばらく休みます」

「それでよい。さあ、もう下がってよいぞ」

「はっ」

 男は立ち上がり、部屋の出口へ向かって行った。

 そして、男は、

「失礼しました」

 と云って出ていった。



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その男は修羅

 ジャックは、美しい金髪を揺らしながら歩いていた。

 肩を怒らせている。

 履いている軍用ブーツは、土で汚れていた。

 ジャックの顔に、鬼相が表れている。

 修羅の顔であった。

 簡単な任務であった。

 女エルフを捕縛するという、アマチュアでも出来るようなものだった。

 自分たちは、その道のプロだ。

 10代の頃から、暴力の世界に入った。

 昨日仲良くなった奴が、次の日には死体になっているような厳しい世界で、15年以上生き残ってきた。

 実力も認められ、街でも多少の融通が利くようになった。

 そんじょそこらの奴には負けない。

 そういう自負があった。

 だからこそ、今回の敗北が屈辱的であった。

 エルフだけなら、確実に捕らえることが出来た。

 しかし、邪魔が入った。

 その邪魔者は、とんでもない凄腕だった。

 敗因は、自分が自信家になりすぎたことだ。

 邪魔した男に、バカみたいに突っ込んでいってしまった。

 そして、一撃で気絶させられた。

 あの時、もっと冷静に相手の出方を見るべきであった。

 そうすれば、あんな簡単にやられなかった。

 いや、こんなのは、ただの言い訳だ。

 見苦しいことこの上ない。

 敗北した事実は変わらない。

 だが、怒りがおさまらない。

 アイラが死んだ。

 あの男に斬り殺されたのだ。

 いい姉であった。

 戦士としての誇りを持っていたアイラにとって、ああいった死に方は本望だったであろう。

 だが、許せないのだ。

 いつもなら、仕事が終わったら、B級映画を観て、レストランで食事をしているところであった。

 いつ死ぬのか分からないような生活をおくる自分にとって、些細な幸せであった。

 兄のリオンは、ギルドの上の連中に呼び出された。

 さすがに殺されるなどと云うことはないだろうが、心配であった。

 ジャックは、とにかく怒りをぶつけたかった。

 無論、相手はあの2人だ。

 しかし、どこにいるのか分からないのでは、ぶつけることはできない。

 だから、代わりになるようなものを探していた。

 もし、道端で喧嘩している奴らがいたら、そいつらを代わりにボコボコにする。

 そうすれば、多少はスッキリするだろう。

 今の時間帯は、どこも昼休みだ。

 昼食をとるために、街に人が溢れている。

 ジャックたちと同業の連中もたくさんいる。

 彼らの気性の激しさを考えれば、喧嘩のひとつやふたつは、十分起こりうるものであった。

 ジャックは期待しながら歩く。

 すると、前から来た四人組のひとりと肩がぶつかった。

「おい、兄ちゃん。ぶつかっといて詫びの言葉もないのか」

 やったぜ、と心でガッツポーズをした。

「ふん」

「こいつ!」

「笑いやがったぞ」

 ジャックは、4人組をじっと見つめる。

 坊主頭の中年男に、銀髪の大男、黒縁メガネをかけた細身の男、肥満体の男。

 年齢や外見はまったく違うが、服装だけは黒のスーツで統一されていた。

 武器らしいものは見当たらない。

 おそらく、懐に刃物か拳銃を呑んでいるのだろう。

 4人全員が、常人ではあり得ぬような鬼気を漂わせている。

 多少腕に覚えのあるという程度の人間なら、ひとりやふたりは簡単に始末してのけそうである。

 4人は、懐から武器を引き抜いた。

 匕首、ナイフ、飛苦無、スイッチひとつでスタンロッドにも短筒にもなるバトン型の武器。

 ジャックは、ぎらりと鈍い光を放つ山刀を、鞘から引き抜いた。

「じゃっ」

 鋭い呼気を放って、4人に襲いかかった。

 バトン型の武器を持っている銀髪の大男の太い首を、山刀で、ぶっつりと断ち切った。

 続けて、飛苦無を持っている中年男に斬りかかった。中年男は、実力を発揮する暇もなく、頭から顎にかけて断ち割られた。

 残るふたりも簡単に処分された。

 匕首を握っている黒縁メガネの男の腹を切り裂くと、流れるように、ナイフを持っている肥満漢の右手を切り落とした。

 ジャックの攻撃は、まだまだ続いた。

 前蹴りで、肥満漢を仰向けに倒すと、その顔面を踏み抜いた。

 前歯がへし折れた。

 ジャックは何度も踵を踏みおろした。

 肥満漢の前歯が全て折れ、鼻も潰れていた。

 男の顔は変形し、親が見ても自分の息子と判断できないくらい、血まみれのずくずくになっていた。

 ジャックが天に向かって吼えた。

 たまらない雄叫びであった。

 

 

 

 

 リオンが飛行車でアジトに戻ってきた。

 コンクリートで造られた家だ。

 5年前、廃墟であったこの家をそのまま使っている。

 もとの持ち主は、15年前に暗殺教団によって殺されたらしい。

 それから、この家は、夜になると死んだ家主の恨めし声が聴こえてくると噂され、幽霊屋敷として誰も近づくものはいなかった。

 リオンたちは、そんな場所にいつの間にか住み着いていた。

 兄妹3人が暮らすのに、充分な広さをした場所である。

 日々、危険と隣り合わせに生きている兄妹にとって、幽霊というものは、恐怖対象にすらなっていなかった。

 そもそも幽霊を信じていない兄妹にとって、ここはただの住みやすい家でしかない。

 リオンは、ドアを押し開け、アジトの中へ入っていった。

 リビングに、ジャックがいた。

 食事をしている。

 アルミ製の軍用メスキットに入っている白米をかきこんでいる。

 長方形のガラステーブルには、食べ終えたツナと犬の丸煮の缶詰が置かれている。

 食べ終わったジャックは、フォークを突っ込んだメスキットをテーブルに置き、水筒に入っているオレンジジュースを飲み干した。

「おかえり、兄貴」

「ただいま、弟よ」

 リオンは、ジャックの向かい側に座った。

「我らはしばらく待機だ」

「なに!?」

「上の決定だ。我ら以外の戦闘員を送り込むそうだ」

「もう、奴らを仕留めるチャンスはないのか」

「いずれ仕事は回ってくる。現在、ギルドの調査団が、情報屋と連携して調べている。何か分かれば、すぐに知らされる」

「それは他の連中もだろ」

「そうだ」

「で、どうするんだい」

「どうするとは?」

「このまま指を咥えて見てるのは、どうしても我慢ならねえ。オレたちも動こう」

「命令違反は処刑だぞ」

「ビビってるのか」

「それはない。だが、やるなら万全な準備が必要だ。もう少し様子を見よう」

「けっ、分かったよ。だが、チャンスが来たら、どうなろうとゆくぜ」

「好きにしろ」



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訪問者

 イギーは、リーシャと共に街を歩いていた。

 活気のある街だ。

 この星で最も辺境にあるアルバトロス地区だが、種族戦争のときに得た膨大な財産によって、中央の大都市に勝るとも劣らない発展を遂げている。

 区外から輸送される食糧や地元でとれる作物を保管する巨大な倉庫群や冷蔵庫群。区の住民や区外から来た客をもてなす賭博場やホテル、娼館、酒場などなど、人々を飽きさせないための施設がひと通り揃っている。

 リーシャはフードで特徴的な耳を隠していた。

 エルフと分かれば、この街の冷酷な殺し屋や賞金稼ぎどもが襲ってくるからである。

 初めて訪れるこの街に、不安を感じながらも、少し観光気分に、街を見歩いていた。

 リーシャから見て右手には、武器屋や薬局、医療センターなどの闘いに身を置く者にとって欠かせない施設が並んでいた。

 そして、左手には、酒場やダイナーなどが並んでいる。

 旨そうなにおいが鼻孔をくすぐり、食欲を誘う。

「この街は初めてだったな」

「はい」

「ここはギルドが仕切っているから治安は悪くない。だが、油断はするなよ。おまえやおれのことが、いつ出回ったっておかしくないんだからな」

「気を付けます」

 ふたりは、ダイナーの角を曲がり、裏路地へ入ってゆく。

「この先に武器屋がある。顔馴染みだから、一晩くらい泊めてくれるだろうさ」

 裏路地の狭い道を真っ直ぐ進み、さらに左に曲がる。

 ふたりの眼の前には、シャッターで閉じられた建物があった。

 イギーは、シャッターの横にあるドアの前へゆき、ドアノブをまわして、建物の中へ入って行った。

 建物の中は、不気味なほど静かであった。

 壁には、無数の戦闘兵器が並んでいる。

 サーベル、日本刀、鉈、偃月刀、戦斧、ハルバード、狼牙棒、朴刀──

 さらには、拳銃や猟銃まで並んでいる。

 部屋の真ん中には、鍛冶屋が使うような道具が置いてあり、木製のテーブルの上には淹れたてのコーヒーが置いてある。

 部屋の隅には、緑色のシートで覆った何かがほかられている。

 イギーがシートをめくろうと手を伸ばした瞬間、

「死ねい!」

 何者かが、横からイギーにタックルをしてきた。

 銀髪の男だった。

 イギーが、男の左眼に針を寸止めすると同時に、男は武骨な黒いハンドガンをイギーの額にくっつけていた。

 いつでも殺せるよう、トリガーに指がかかっている。

「耄碌したかジジイ」

「むっ、その声と口の悪さは······イギーか!」

「そうさ。久しぶりだな」

「半年ぶりくらいか」

「うむ。そんなところだろう」

 ふたりは起き上がると、ハグをした。

 どうやら相当親しい仲のようである。

「それで、こちらの別嬪さんは?」

 ハンドガンを腰のホルスターにしまいながら云った。

 イギーにジジイと云われた銀髪の男は、ブルーの作業着を着ており、頭にごついゴーグルをかけていた。

 ずんぐりとした身体つきをしているが、筋肉質でたくましそうな腕が、捲り上げた袖からのぞいている。

 レイン──それが、この男の名前である。

「あっ、わたしはリーシャと申します。昨日、イギーさんに助けていただいたです」

「わしはレインだ」

「昨晩、帰り道で、人狼どもに襲われていてな──」

「それを、おまえさんが助けたのか」

「ああ。だが、今朝、妙な連中に襲われたんだ」

「どんな奴らだ」

「ギルドが雇った殺し屋さ。ギルドマスターはどうやらリーシャを狙っているらしい」

「むむっ、それはそれは、とんでもなく厄介じゃな」

「生憎、取り逃がしちまったから、この街でうろうろすることはできん。奴らのことだ。もうすでに諜報部門のエージェントたちを派遣して、情報収集しているだろう」

「まあ、あそこは仕事が早いからな」

「それで、ここなら隠れ家として最適だと思い、飛び込んで来た訳よ」

「迷惑極まりないな」

「おれとジジイの仲だろ」

「まあ良い。しばらくはここにいろ。だが、わしの命が危なくなったら、ギルドにてめえらをチクってやるからな」

「ハイハイ、ありがとうよ」

「ふん」

 レインは折り畳み式の小さな椅子に座ると、机の上に置いてあるマグカップを持ち、熱いコーヒーを啜った。

「さっそくで悪いんだが、武器が欲しい」

「そういえば、いつも腰にぶら下げている剣はどうした」

「今朝の闘いで、刃を折られた」

「そうか。で、何が欲しい?」

「最高によく切れるナイフと帰ってきたら渡すと云っていたチャクラムだ」

「承知。他に欲しいものは?」

「おれはない。おめえは?」

 リーシャが訊いた。

「私もありません」

「そうかい」

 レインは、作業場を出てゆき、ふたりだけになった。

「イギーさんとレインさんは、仲がよろしいのですね」

「ふふん。昔からの付き合いさ」

「そうなんですか」

「お前も何か武器を頼んどいたほうがよかったんじゃないか」

「いえ、やはり慣れ親しんだ武器の方が、いざという時に困らないので······」

「意外とわかってるじゃねえか」

 

 

 

 

 リオンとジャックの住まいに客が訪れたのは、夜半過ぎのことであった。

 普段、来客など滅多にないのだが、最近の事情から察するに、ギルドから派遣された職員だろうと、ふたりは思った。

 万が一、襲撃されても、そう簡単に内部へ侵入させないために、ドアは木製のものから鋼鉄製の武骨なドアへと取り替えられ、玄関はスイッチを押すと落とし穴になったり、登録した人間以外が通ったらレーザー攻撃を浴びせるように設計されたセンサー付きの壁など、様々な仕掛けが、この家には施されている。

 リオンは、監視カメラでギルドの人間であることを確認すると、トラップを解除し、室内へ招き入れた。

 広々としたリビングで、3人の男がソファーに腰かけ、リラックスした状態で話していた。

 3人の内ふたりはリオンとジャックである。

 もうひとりはギルドからの来客だ。

 とてつもなく奇怪な男であった。

 おかしな被り物をしている。

 よく見ると、その被り物は、人間の皮であった。

 しかも、恐ろしく丁寧に剥ぎ取られており、眼と鼻と口の部分だけが、男のものであった。

 髪の毛すら、この男のものではない。

 おそらく、皮を剥ぎ取られた人物のものだろう。

 糊でくっつけたとしか思えないような雑さで、頭部に無数の髪の毛がくっついている。

 服装は、カーキ色のズボンを穿き、動物の革かなにかで造った羽織りを身につけている。

 ズボンのベルトには、先の大きく曲がった大型ナイフが差し込まれている。

 グルカナイフだ。

 近接戦闘はもちろん、ブーメランのように扱えたり、サバイバル道具としても使用できる万能な武器である。

 3人ともリラックスしているとはいえ、油断しているわけではない。

 相手が仕掛けてきたら、すぐに対応できるよう、悟られないように構えている。

「用件は何だい? シャグさん」

 奇怪な来客──シャグに、リオンは用件を訊いた。

「女エルフと一緒にいる男の正体が判明した」

「本当か!」

「ああ。調査団によると、名前はイギー・シグナス。職業は傭兵。年齢は27歳。2年前に父親を肺尖カタルで亡くしている。それ以外は不明」

「それだけか」

 ジャックが炎の眼で、シャグを睨み付けた。

「これだけだ」

「ちゃんと調査したのか」

「したさ。お前たちの飛行車のカメラに写っていたものを元手にな」

「団長は誰だ」

「キーバート卿だ」

「あのジジイ、適当な仕事しやがって」

「無礼者! 本来なら、リオンはともかく、わけのわからん傭兵にぶちのめされた貴様は、除名されても仕方がなかったんだぞ。リオンの弟ということで特別に許されたということを理解しろ」

「けっ」

 ジャックはそっぽを向いた。

「シャグさん、あんたがここに来たのは、それを伝えるだけではあるまい」

「うむ、実は暗殺部隊が編成された。つい3時間前の話だ」

「いきなり殺すのか? 早計すぎると思うが······」

「おれも思ったが、ギルド長の命令でな」

「メンバーは?」

「キラー・チップ、ボンハート三世、タフト、ロイヤル、オズワルド、九重丸の6人だ」

「全員、ギルドの選り抜きの連中だな」

「それだけではない。話を聞いた幹部たちが、子飼いの暗殺者どもを野に放っている。近いうちに、この区は戦場になる可能性がある」

「それはまずいな」

「確かにまずい。しかし、だからといって何かできるわけではない」

「まあな。おれたちは謹慎中の身だしな」

「そういえば、お前たちの謹慎は事態が片付くまで、或いは暗殺部隊が危機に陥るまで続くそうだ」

「わかった」

「おれからは以上だ。何か質問は?」

「特にない」

「そうか。ならば、ここらで失礼する」



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