ハコから羽搏く蝶の舞  (星月)
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ハコから羽搏く蝶の舞

「俺は思ったよりお似合いかもしれないって思ったけど」

 

 最初のきっかけは、腐れ縁の一人が溢したちょっとした呟きだったと思う。

 

「……え?」

 

 いつものように笑って返せたならば。きっとそのままでいられたのだろうけど。

 できなかった。

 悪友の言葉に、心の奥底で何か黒い感情が渦巻く感覚が刻まれてしまった。

 

 

 中高一貫のスポーツ強豪校、栄明中学高等学校。この新体操部の中でも注目の新星と期待され、『新体操の女神が微笑んだ子』と称賛され、元体操の日本代表であった父を持つ『選ばれし者』。それが私、蝶野雛だ。

 全中ベスト4という実績もあるし、厳しい食事摂取制限を自分に律したりと新体操選手としての自負もある。周囲の視線も十分わかっている。私が人一倍優れているという事はわかっていて、その期待に応えたいという自負もあった。はずだった。

 

「雛、何か怒ってない? 何かあった?」

「え? そう見える?」

 

 ——何が新星だ。何が女神微笑んだ子だ。

 同じ部活の子の声掛けに、曖昧に冗談を返して笑みを繕う。

 今振り返ってみれば本当におかしな話だと思う。自分の気持ちに気づく事無く、自覚する事なく。ただひたすらに気づかないフリを続けて。

 

 

 その怠慢の結果が、これなのか。

 

 

(千夏先輩が、大喜の家に……?)

 

 目にした光景を信じられず、雨の中その場にしゃがみ込んだ。

 隠れるように。見つからないように。身を隠して、情報を整理する。

 猪股大喜。私のクラスメイトで中学からの馴染みのあるバトミントン馬鹿。お人好しで、人一倍気が強くて、苗字の通り目指したものに対しては猪突猛進する、無茶が好きな男。

 ここは大喜の自宅だ。彼が玄関前にいる事は自然で、何もおかしい事はない。

 ただ、もう一人は別だ。

 鹿野千夏。我が栄明中学高等学校バスケ部のエースで、誰からも慕われる容姿端麗の美女。一つ上の先輩であるためこれまで中々接点はなかったが、最近は大喜がよく視線で追いかけている所を見ていた事を切欠に、何度か話を交えた——大喜の、憧れの人。

 その二人が、どうしてここにいるんだろう?

 

(——ムカつく)

 

 お昼にも感じた苛立ちがよみがえる。

 大喜が千夏先輩の事を思い返して、喜んでいる顔を見て、ムカついたときと全く同じ感情だ。

 どうしてだろう。

 整骨院でいつものメンテナンスをして、偶然千夏先輩と鉢合わせて、そうしたら千夏先輩が店内にスマホを置き忘れたと聞いたから届けようとしただけなのに。

 どうして、こんなところを目撃してしまったのだろう。

 

(とにかく帰らなければ)

 

 ここで二人に話を聞いても落ち着いていられる自信がない。

 一度家に帰って明日学校で大喜から話を聞こう。

 

「あっ。スマホ」

 

 そう考えて、手に握りしめた千夏先輩のスマホを思い出した。

 

「……おい! いのまたたいき!」

 

 瞬時にいつもの明るい表情を浮かべて、いつもの声で、腐れ縁を呼び止める。

 全部説明してもらう。

 そう言うと、大喜は千夏先輩と顔を見合わせて、千夏先輩が小さく頷いたのを確認して私を家の中に招き入れた。

 ——ああ。ムカつく。

 

 

 

 大喜の部屋で、大喜から事情を聞いた。

 千夏先輩のご両親が海外に言っている間、両親が知り合いだったという関係で千夏先輩を大喜の家で預かっているという事らしい。

 まあ、大喜の事情もわかる。栄明のヒロインである千夏先輩と同居しているなどと周囲に知られれば、変な事態に発展しかねない。

 わからなくもない。

 しかし親友だと思っていた相手にこれほど大きな秘密を隠されていたという事実は、少しショックだった。

 

(……そう。親友だから。そのはず)

 

 本当に、それだけだから?

 大喜の家からの帰り道。物思いに耽っていたからだろうか、電柱に傘をぶつけてしまう。

 おかしい。いつもならば、ボーっとしていてもぶつかる前に気づけるはずなのに。

 私は一体、何をしているんだろう。

 私は一体、何をしてきたんだろう。

 

 

 

 

 翌日、部活の休憩中に水を飲もうとして、水飲み場の椅子に腰かける大喜の背中を見つけた。

 「大喜!」といつものように声をかけようとして、なぜか気後れして、その言葉を飲み込んでしまう。

 

「何してんの!?」

「うわっ! ひ、雛!? なんでもないって」

「おやおや。親友である私にまた隠し事?」

 

 代わりに大喜の耳元で声を張り上げると、大喜は驚きのあまり椅子から小さく跳び上がる。その様子がおかしくて、意地悪く笑うと大喜はすぐに弁明しようと抗議の声をあげる。

 

「さっき勢いよく踏み込んだら足の爪が肉に」

「あー! あー! やめて、そういう痛い事は言わないで!」

「だから黙ってたのに」

「なーんだ」

 

 そんな事かと息を溢す。

 もうすぐバトミントン部も次の大会があるだろう。

 けがをしないようにと、続けようとして。

 大気の右足首に視線が向いた。

 

「……ミサンガ? 珍ししいね」

 

 こういうおまじないのような類は今までしてこなかったはず。

 不思議に思って聞くと、大喜は一つ間をおいてゆっくりと、大事そうに言葉を綴った。

 

「千夏先輩から、もらったんだ」

 

 ——え。

 

「IHを目指す同志って意味合いで」

 

 言葉を失う。

 私は今自分がどんな表情を浮かべているのか、わからなくなった。

 その場は、適当に言葉を濁して大喜とは別れた。

 だけど、体育館に戻っても気持ちが晴れる事はなくて。

 ふとバスケ部で躍動する千夏先輩の姿が。バトミントン部で汗を流す大喜の姿が目に入って。

 

 

「————え」

 

 自然と、涙が、零れ落ちた。同じ目標に向かって支えあうという二人の関係に、覚えのない感情を抱いた。

 

(大会前に、甘くなってどうする。私は、一人で戦うんだ。一人で、平気だから)

 

 泣いている暇なんてない。

 新体操だって大会が近いんだ。余裕なんてない。

 大丈夫。

 私は一人でも戦えるのだから。

 だから。

 

「……無理、だよ」

 

 膝から、全身から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。

 我慢してすむならいくらでも我慢しよう。でも、これはダメだ。これだけはダメだ。

 柱の陰になって誰かに涙を見られる事はない。だから声も聞かれないようにと、必死に袖を当てて、ふさぎ込んだ。

 何が新星だ。何が女神微笑んだ子だ。

 一人でなんて戦えない。

 私は、自分が思っている以上に強くなんてなかった。

 

「私、大喜の事が、好きだったんだ」

 

 私は、普通の女子だったんだ。

 今更になって自分の恋心に気づいた。

 もう好きな相手も、同志というポジションも埋まってから。同じ土俵に立つ事すらなく。

 

「……まだだ」

 

 否。

 両の掌で自分の頬を小さく叩く。

 衝撃で感情がリセットされ、涙が引っ込んだ。

 

「私は蝶野雛さまぞ! こんなところで躓くものか!」

 

 始まる前に終わってなるものか。

 戦う前に諦めてなるものか。

 むしろ気づけた今こそ、ここがスタートラインだ。

 

「たとえ出遅れたとしても、取り返す事はできるんだから!」

 

 気持ちを新たにし。大喜を、千夏先輩を一瞥して、体育館を後にする。

 目標が決まった今迷いはない。足早に目的の場所へと向かうのだった。

 

 

 

 

 さらに翌日。

 バトミントン部の練習中、大喜が小休憩の為に一人となった瞬間を見逃さず、私も席を外して大喜を追った。

 

「大喜!」

「うおっ! 雛!? 何だ、何か用かよ?」

「ほほーう。用がなければ呼んではいけないのかね?」

 

 昨日は呼べなかった名前で呼び止めると、椅子に腰かけていた大喜が大げさに体をのけぞらせて振り返る。その様子に小笑いしつつ、大喜の隣に座り込んだ。

 

「今、時間あるでしょ? ちょっと右足を貸したまえ」

「ん? 足? 何で?」

「いいからいいから。ちょっとしたおまじない」

 

 首を傾げならがも右足を差し出す大喜。

 よしっ。

 ポーチからあるものを取り出し、まず一つ目。そして二つ目と大喜の右足首に結んでいく。

 

「よしっ。もう良いよ」

「イテッ」

 

 最後に軽く足を叩き、大喜を解放する。

 大喜がわずかに目を細めて、すぐに私が足首に結んだものに気づいて目を丸めた。

 

「……ミサンガ? えっ。これって」

「ふふん。感謝したまえ。私の手作りなんだからね」

 

 むふん。胸を張って疑問に答えると、今度は「どうして?」と言うような表情をうかべる大喜。

 

「私だって競技は違うけど、IHを目指しているんだからね? なのに仲間外れは酷いなーと抗議の意味を兼ねて作った」

「そんなつもりはなかったんだけど」

「とにかく! そういうわけで——私も大喜と同じIHを目指す同志となりました!」

 

 声を遮り、両手を勢いよく叩いて宣誓する。驚き硬直する大喜をおいて、さらに私は私の決意をより固めるべく話を続けた。

 

「私も、絶対に、負けないから」

「……う、うん」

 

 大喜は気圧されるように小さく頷く。

 ちょっと納得したくないけど、今はこれで良いだろう。満足げに頷き、立ち上がる。

 

「だから大喜も頑張らないとだめだからね。そのミサンガが切れるくらいに!」

「ああ。——でも、なんで二つも?」

「知らないの? ミサンガ一本に籠める願いは一つまで。願いの分ミサンガをつけるんだよ」

 

 一本ではなく二本もミサンガをつけた理由がわからなかったのだろう。

 疑問を呈する大喜に、私は小さな笑みを浮かべて言った。

 

「一本はIH出場。もう一本は——その時が来たら教えてあげる」

「教えてくれてもいいじゃん! 何なんだよ?」

「あっははっ! 楽しみは後に取っておくものだよ、少年!」

 

 ミサンガが切れた時に教えてやろう。

 その言葉は声にせず、願いの意味を秘密にしてその場を後にした。

 私の右足首にも同じ二つのミサンガが固く結ばれている。これが自然に切れる頃には、きっと願いが叶っている事を願って、駆け足で体育館に戻って、

 

「あ」

「あ」

 

 千夏先輩と、遭遇した。

 

「こんにちは」

「こんにちは」

 

 揃って小さく頭を下げ、挨拶を交わす。

 本当ならばこのまま去っても良いと思ったけれど。

 ここで何も言わずに終わるのは、何か嫌だったので。

 

「……千夏先輩」

「え?」

「私、負けませんから」

 

 舞台に立つ事無く終わるなんてできるわけがない。

 栄明のヒロインに、宣戦布告した。



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