ロット王は愛妻家 (藤猫)
しおりを挟む

奥様は魔女

モルガンの旦那さん、見た目、黒髪のガウェイン。性格はずぶとく、楽天的な人のイメージです。


「・・・・何故、あなたは笑う。」

 

それに、血に濡れた男はゆるりと微笑んだ。その男は、血に濡れてなお、美しかった。

夜のようなブルネットの髪を軽くなでつけ、緑色の澄んだ瞳はきらきらと輝いている。

王子様という呼称がぴったりな甘やかな顔立ちはまさしく人目を引くだろう。その見目は、彼の息子であるガウェインによく似ていた。ただ、片目を覆った眼帯だけが差異であっただろう。

 

「これでいいのさ、青二才。これで、全てが丸く収まるってもんだろう?」

 

どこか間延びした声音はその見目に反して非常に軽い。ただ、死にかけてなお輝く瞳。

男を前にしたアーサー王は口を噤んだ。

アーサー王にとって散々に争ったそれは確かに宿敵でさえあった。けれど、男は変わることなく飄々と笑う。

男の名前はロット王。

アーサー王の義兄であり、そして悪名高き妖妃モルガンの夫であった。

 

 

 

 

ロット王、いやロットとここで呼ぶ彼は幼き頃から才のある少年だった。武勇にも優れ、賢しい少年であった彼は、なんというかいささか面倒くさがりな部分があった。

戦うのも、王になるのも、そういった人生なのだからと世界の果てと言っていいオークニーで当たり前のように次代の王になるための修行にいそしんでいた。

穏やかな時代、などとはお世辞にも言えない。そんな中でもロットはさほど悲観をしていなかった。

元より、彼は図太くて、少々夢見がちな性をしていたため何かあってもその時はその時だと考えていた。

そんな性格でなければ、彼はきっと妖精と勝負などしなかっただろう。

 

 

「さて、どうしたものかなあ。」

 

間延びした印象を受ける声音でそんなことを呟きながら、ロットは歩いていた。というのも、彼も少年から青年に変わる年頃になった。そのため、ロットの結婚話が進むこととなった。

ロットはそれも王子の義務だと深く考えはしなかった。ただ、一つだけ心配事があった。

妻になるはずの女性とちゃんとやっていけるかどうかだった。

王妃以外の女性を迎える、なんていう選択肢もあるのだろうが、残念ながら女性を二人も抱えて生活するなどと言う繊細且つ気力のいることなどロットはごめんだった。

出来るなら妃になる女性と和やかに過ごし、子供をなして、そうして争いは絶対にあるだろうが国を滅ぼすことなく死ねればそれで十分だった。

それ故にロットは悩んでいた。

出来れば、結婚する女性がどんな人か知り、うまくやっていける準備をしたいと。

が、そんなうまい話があるわけもなく、彼はふらふらと城近くの森をうろついていた。

 

「なんかあるかい?」

 

なんてことをなじんだ馬に聞いたとしても、欠片だって返事が返ってくることもない。

それでもロットは気にすることもなくのんびりと森を歩く。所詮は息抜きで、本当に何かしらの答えを欲しているわけではなかった。

その声を聞くまでは。

聞こえてきたのは、弾むような歌声だ。お世辞にも美声ではないけれど、弾むようなそれは聞いていると笑いがこぼれてくる。

 

誰も僕には勝てはしない。

 

ロットは好奇心のまま、ふらりふらりと声のする方に、馬から下りて近づいた。

そこには泉が広がっている。ロットはそれに首をかしげる。

幾度も通っていたというのに、自分はその泉に気づいていなかった。

そうして、泉のほとりには小さな、子供のような人影があった。それは泉の水をすくい上げながら、歌を歌っていた。

 

誰も僕には勝てはしない。

誰がわかるか、僕の名が。

トム・ティット・トット、トム・ティット・トット!

幾度だって、歌おうよ。

誰だって、僕の名前を知りはしない!

 

それは、ほんの出来心。それは、ほんのいたずら心。

いくら面倒くさがりであっても、未だ幼いロットは傲慢で、向こう見ずで、考えなしであったのだ。

 

勝負をしようと持ちかけた。

次に、また泉を訪れた彼は妖精にそういった。

自分よりもずっと小さい、小人と言えるそれはロットの言葉に頷いた。

勝負に負ければ、ロットはとっても素敵な宝物をあげると持ちかけて。

そうして、わかりきった勝負の結末で、ロットは妖精の名前を応えて見せた。

 

妖精は言った。

 

望みはなんだい?

山のような宝物?きらめくような奇跡?美しい姫君?

 

いくつも唱えられる賞品を、ロットは首を振って否定する。彼は、高らかに唱えて見せた。

 

僕の奥さんになる人と仲良くなれるように、本当を見分ける宝物が欲しい。

 

曖昧で、正直に言えばどうとでも取れるそれに、妖精はにたりと笑った。

 

いいよ、いいよ、奥さん思いの旦那様。

そんなにも望むというならば、どんな真実も見える目をあなたにあげよう。

そうして、あなたが歩む、いつかの日々を見せてあげる。

 

そうして、右目に鋭い、痛みが走った。

 

 

きっと、それが全ての始まり。

妖精を騙し、彼は真実の見える目を手に入れた。本来ならば存在しなかった、あり得ぬIF。

彼は見た、真実を。

己の住むブリテンが滅ぶ日を、とある少年王の輝かしい日々を。

そうして、ただ一人たたずむ、ひとりぼっちの女を見た。

 

 

 

 

「どーしよっかなあ?」

 

ロットはその日、うんうんとうなっていた。自分の執務室、考えるべき事は山ほどある。緊急性の高い物はひとまず置いているのでなんとかなるだろうと思っていた。

そんなとき、ドアをノックする音が響いた。それに視線をやると、目の覚めるような女が一人。

 

淡い金の髪をしたそれは、まるで魔性のように微笑んだ。

 

「すこし、よろしいでしょうか?」

「ああ、いいよ。かわいい奥さん。」

 

ロットはにこにこと相好を崩して彼女を出迎えた。女はそれを当然のように受け止めて、すたすたと部屋の中に入っていく。

彼女はロットの後ろに回り、そうしてその肩をするりと撫でた。

 

「なにか悩まれているんですか?」

「ああ、それがな。」

 

ロットはそのまま悩んでいる執務についてを話す。それに、女はにこにこと笑いながら聞いて、それはと口を開けた。

それはロットの悩みどころをたちどころに解決してしまうものだった。ロットは嬉しくなり、にこにこと笑いながら己の妻に微笑んだ。

 

「さすがだ、モルガン。」

「いいえ。あなたのお役に立てて何よりです。」

 

美しい女の微笑みに、ロットは目を細めた。

可憐で、美しくて、瞳には苛烈な何かが混ざっている。

そんな女が何者であるか、ロットは全てではないが知っていた。

それが、いつか国を滅ぼすものであることを。

 

 

ロットが妖精に与えられたのは、文字通り真実を見抜く物だ。嘘があれば、たちどころに真実をロットの目にさらしてしまうそれは王としてやっていく分には丁度良かった。

ごうごうと、嘘と真実がまるで嵐の中のように吹きすさんでいたけれど、魔術の施された眼帯で一時的には効力を抑えることも出来た。

美しい緑の瞳を、片方青くして帰ってきたとき、父王とお付きの魔術師はカンカンに怒り狂い、そうして少年の傲慢さがどれほどのものかを説いた。

妖精と取引をしてしまったお前の死に方はきっとろくな物ではないだろう。

魔術師は哀れみを込めた目で、ロットに眼帯を渡した。

けれど、ロットは真実を見抜けるという事実を誰にも言わなかった。魔術師でさえも、ロットに埋め込まれた青の瞳が何であるか見抜けはしなかった。

そうして、ロットは自分が見せられた光景を考えていた。

この島は、どうやら滅ぶらしい。

異国の何かに蹂躙される民、そうして、多くが争ったらしい死体の山。

そうして、輝かしく戦い続ける金の髪を王冠のように結った少年の姿だった。

ロットはなんとなく理解していた。それは、真実で、実際に起ることであると。そうして、それに関わる一人の女の姿を見た。

 

(できるだけ関わらないようにしよう。)

 

その女のことを思い出して、ロットは固く誓う。元より、ロットは面倒くさがりの、日和見主義だ。

彼の思うのは、王になる上での義務で、自分の民の安全を守ることだけだった。だから、島の滅びに何かが出来るなんて欠片だって思わなかった。

だから、自分が死ぬまで、その日まで何気ない日々が続けばそれだけでよかった。

 

けれど、そんな意思も簡単に崩れてしまった。

いつかに、騎士として情けなくないものとして死ねればいいと、それだけを願っていたのに。

 

ロットは、女に出会った。自分と引き合わされた、美しい女。

黄金の髪をした、少女のように可憐で、騎士のように勇猛で、魔女のように恐ろしい。

それでも、輝くような女に出会った。

自分の住む島を滅ぼすことに関わっているらしい女は、何でもロットの妻になるらしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初対面


二話目、モルガンの三重人格は難しい。
まだ、惚れたとかではなく、大事にしたいという感覚。


感想を待っております!


 

ロットは冷や汗をだらだらと流しながら目の前の花嫁を見ていた。

それは、まるで夢のように美しい女だった。

 

「モルガンと申します。」

 

お前の妻になる人が決まった。そんな知らせを受けたのはロットの父が病気になったおりのことだった。

妖精から押しつけられた、青の瞳の扱い方も覚え、スイッチの切り方も理解した頃のことだった。

お付きの魔術師にしごかれて、なんとか嘘と真実の嵐をやり過ごすことは出来た。

その間、ロットは自分の周りに嘘と真実が溢れていることを理解した。

善意と悪意、親しい誰かの悪意、敵の善意。

それを知ったロットはというと、変わることなくけろりとしていた。だって、そんなものは当たり前のことだろう。

ロットの全ては真ではない、ロットの全ては嘘ではない。

図太い彼は、それをそんなものだろうと受け止めてしまった。

だって、近しい誰かに善意があると知っていた、敵の持つ悪意を知っていた。

どちらもあるのが人間だ。

もちろん、自分の立場を脅かすような人間についてはそれ相応のことをやり返したが。

ロットはそうして、父の代りに戦場を駆け回り、次代のオークニーの王として名をあげた。

そうして、次は妻を決めるとなったが。

昔はあれだけ心配して、色々とやらかしたものの自分で決めるならば話は早い。

ロットは幾人か、婚姻の可能な他国の王女について調べていた。

そんなとき、老いた父から声がかかったのだ。

ブリテンの王として名高いウーサー王の娘との婚姻話がでているのだという。

ロットもそれに頷いた。

彼はブリテンでも相当な影響力がある。そんな彼の娘との縁談ならば不服はなかった。

 

そうして、飛び出てしまったのが、その美女であったのだ。

 

(やっば!どうする!?)

 

ロットとモルガンが初めて会ったのは、明日が婚姻だという直前のこと。

ロットの父が亡くなり、その葬儀でばたついたこともあり、急ぎ足の婚姻であったのだ。

彼は自室にてうろうろと歩き回っていた。

 

「ああ、くっそ!俺だって顔しか知らないんだよ!」

 

ロットが押しつけられた妖精の瞳のせいか、見てしまった未来のそれは殆ど映像だ。

それによってロットが知っているのはこの島が内乱によって滅ぶこと、それまでとある少年の王が外敵を排すること。

そうして、それに関係しているらしい、女。

ロットが知るのはその顔だけで、名前や立場など欠片も情報は無かったのだ。

出来るならば、断りたい。全力で、何かしらの問題を起こしてでも断りたい。

けれど、相手はウーサー王の娘なのだ。

そんなことが叶うはずもない。

城の中はお祭り騒ぎだ。

一応、優秀で頼もしい王であるロットと、有力な氏族の娘の婚姻にめでたいとお祭り騒ぎである。

父が亡くなってからようやく訪れた明るい話題に食いつくのも仕方が無いのだろうが。

 

そうして、そんなロットの焦りなど誰も知ることはなく、粛々と婚儀は進み、ロットはベッドの上でモルガンと対峙していた。

その容姿もさることながら、男ならば飛びつくだろう肉体にロットも理性をぐらつかせる。

ただ、それ以上に女から感じる不穏なそれに喝を入れて話しかける。

 

「やあ、モルガン。今日は疲れただろう。」

「はい。ですが、オークニーの王に嫁げる名誉を思えば平気です。」

嘘。

 

「そうか、だが、オークニーまではさぞ遠かっただろう。」

「いいえ、一瞬のようでしたよ。」

嘘。

 

「義父殿は何か言っていただろうか?」

「はい、妻としての務めを果たすようにと。」

嘘。

 

表面上はにこやかに笑うロットは背中で滝のように汗を流していた。

 

(やべえええええええええ!!何だ、この女!?溢れてくるのが嘘しかないんだが!)

 

見る限り、女はどこまでも可憐で愛らしいのに。

ロット王の青い瞳がとらえる彼女の言葉は、悉く嘘だった。

敵意と、憎しみ。

嘘だけを吐くのはまだ良い。けれど、そのどろりと重たくのしかかるそれはなんなのか。

ここまで話す言葉全てが嘘である存在にロットは会ったことはなかった。

ロットの瞳がとらえるのは、あくまで嘘か真か、敵意の有無程度だ。お付きの魔術師が施した封じを解けば本音さえも見えるだろう。

けれど、そこまで瞳を解放すればやっかいな物に目をつけられると釘を刺されていた。

それでも、嘘か真か。それを理解できるだけ十分に使える代物だった。

 

(殺すか?)

 

彼は王としてそんなことを考える。

いつか、滅びを呼ぶらしい女。偽りしかない女。それを己が妻として引き入れて、妃としての位を与えることは、本当に良いのだろうか。

ロットはにこやかに微笑んだまま、そんなことを考える。

例え、汚名を着たとして、自分は王なのだから。

民がために、それぐらいは飲み込んでも良かった。ロットはそんなことを考えながら、また話を続ける。

 

「だが、心細いだろうなあ。」

 

そんな、何気ない一言だった。何気ない、さほど多くの言葉を含まないそれ。それに、女は少しだけ悲しみを含ませて視線を下げた。

 

「はい。」

 

ロットはそれに目を見開いた。何故って、それは初めて彼女から出た真だった。

 

「ですが、旦那様が私にはいます。ですので、大丈夫です。」

「そうか。この国には、慣れそうか。」

「はい。もちろん。」

 

その次に出てくる言葉は、やっぱり嘘だった。

けれど、ロットはそれに納得した。彼女の言葉は嘘ばかりで、何かをひどく憎んでいる。

彼女が、この婚姻に納得しているなんてそんなこと、あんまりにも傲慢な考えではないか。

 

ロットは、オークニーのために生き、死ぬのだろうと早々に考えていた。

そういった期待をされていたし、彼にとって騎士としての名誉よりも王として、民の命を背負っていることの方が重要だった。

誇り高く生きるのも、強くあるのも、礼節を願うのも。そういった王であることを民が望んでいるからに過ぎない。それ故に、ロットは王として、騎士として生きると誓っている。

けれど、思えば、その女は故郷から出て、全くとは言わないが、知り合いなどいない国にやってきたのだ。

そんな生き方をロットは知らないし、理解は出来ない。彼のこの国で生きて死ぬ。

女として、家と家を繋ぐ彼女の生き方は、ロットにはわからない。

 

「ええ、だから。旦那様、どうか末永く、お願いしますね。」

 

柔らかな体でその女は自分に手を回す。甘い匂いと、甘い声。それは、女が男を求めるそれだった。

けれど、ロットはそんな声を聞けば聞くほどに悲しくなった。

きっと、彼女はこんな婚姻を望んでいなかった。

ロットはいい。自分のなじんだ世界、大事にしたい人、目指すべき夢と共に死ぬだろう。

いっそのこと、ロットは美人の嫁さんラッキーぐらいのことは考えてしまっている立場だ。

何もかもが違うのだ。

彼女の大事な何かを、自分はきっと奪ってしまっている。

ロットは女の体を抱きしめた。柔らかく、それこそ折れてしまいそうな脆い体。

ロットは、その女が島に厄を振りまくのを見た、知っていた。

けれど、それでもモルガンはロットの妻だった。

 

ロットは夢見がちな男だ。

だから、人の中にある善意も悪意も同じように持ってこそだと悲観することもなく生きている。

だからこそ、ロットは少なくともモルガンを大事にすると決めたのだ。

 

(そうだよ、俺の願いは元々そうだった。)

 

どんな人でも奥さんと仲良く、子供を作って、この国で死んでいく。

それだけだ。

そんな願いのために、妖精なんかに喧嘩を売ったのだ。

ロットは彼女からそっと体を離した。モルガンは不思議そうな顔でロットを見ていた。

ロットはそれににっこりと微笑み、そうしてモルガンから体を離した。

 

「あの、旦那様?」

「ああ、モルガン。今日は、もう寝ちまうか。」

「え。ですが今日は。」

 

ロットはそれに言いたいことを察する。何を言っても今日は夫婦で初めて一緒にいる夜なのだ。このまま寝てしまうわけにはいかない。

それにロットはガサゴソとベッド脇をあさる。そうして、護身用の短剣を取り出した。ロットはそれで躊躇なく指先を切りつけた。溢れた血を寝床に垂らした。

 

「ほらな、こうすればある程度ごまかしもきくさ。ああ、俺がなんとかするからな!」

「い、いえ。ですが。」

「いいって!」

 

ロットは少々乱暴だと理解しながらモルガンを転がした。そうして、寝具で彼女を巻いた。

モルガンは明らかに混乱しているようだったが、ロットはできるだけ優しげに。部下の子供にするように、あやすように微笑んだ。

 

「今日は疲れただろうから、もう眠るといい。大丈夫だ。明日も、明後日も、俺とお前は一緒だからな。」

 

願わくば。

ロットはモルガンの頭を撫でながら思うのだ。

この国が、この人にとって幸福な場所であるようにと。

 

 

 

「・・・・なんだ、あの男は。」

 

モルガンは憎々しげにそう吐き捨てた。彼女がいるのは与えられた自室だ。

寒い国だからと、城で一番に暖かな、日の光に照らされた部屋をと用意された部屋は快適だ。

けれど、そんなことはモルガンにとって欠片だって嬉しくはない。

モルガンの嫁いだオークニーのロットという男に彼女は苛立っていた。

ロットという男についてモルガンは当初さほど深刻には考えていなかった。

もちろん、彼女にはこの婚姻は不服なものだった。モルガンには自負があった。

己こそがこのブリテンを治める王なのだ。

だというのに、

父であるウーサーは自分を嫁がせた。モルガンは知っている。

父と、魔法使いのマーリンが何かを企んでいることを彼女は知っている。

 

(認めさせてやる。)

 

自分こそが後継なのだと。この国を治めるのは自分だと。

オークニーはそのとっかかりにするつもりだった。ロット王を自分の操り人形として、堕落させ、都合良く操るのだと。

初夜はその始まりになるはずだった。

 

(だというのに!)

 

モルガンは手近な机に拳をたたき付けた。

蓋を開ければロットという若い王はたいしたことなど無かった。モルガンの美貌に魅入られていたし、それと同時に恐れていた。けれど、自分に引きつけられていることは一目でわかった。

あとは落とすだけだ。

だというのに、だ。ロットはあまつさえモルガンの誘惑を放り出し、あろうことか子供のように寝かしつけたのだ。

屈辱だ。だいたい、ベッドの上で自分にしだれかかる女に手をつけないなど、モルガンのプライドを悉く傷つけた。

モルガンはロットが自分を警戒しているのかとも少し考えた。

けれど、新婚生活というものを続ける中で、彼はまさしく犬のようだった。

やるべき事を終えると彼はモルガンの元にやってくる。

そうして、満面の笑みで、甘い言葉を投げかけてくる。なるほど、確かに騎士らしく女の扱いに慣れているのかと思ったが、城の人間に聞く上でそこまで女について熱心なタイプではなかったらしい。確かに、城の中にはロットが手を出した女というのはまったく存在しなかった。

女性と遊ぶよりも狩りをしたり、執務に勤しんだりすることを好んでいたそうだ。

それ故に侍従たちはモルガンの存在をことさら喜んでいた。

モルガンとしては彼らの気持ちもわかる。己が主人が女に興味が無いなどとよほど心配であったのだろう。

が、この男、何をしてもモルガンに手を出さない。

いっそのこと、手が出せぬほどに惚れ込んでいるのかと思った。事実、ロットはモルガンの言うことならうんうんと頷いてくれた。

しかし、それにほくそ笑んで無茶なことを言えば、ロットは変わることなく笑みを浮かべてバッサリと切り捨てる。

 

(あの、あの私のことが好きでたまらないというのに、私の言葉を切り捨てる、あの顔!!)

 

恋人同士のように甘く、夫婦である真摯さを持って、ロットはだめなものはだめだと切り捨てる。

いくら城の人間を従えようと、城の主の了承を取らなければ出来ないことがある。

 

(本当に、なんなのだ!あの男、私の魔術も使えない!)

 

一度、男に魅了などの魔術を試してみたのだが、まるでなかったことのようにロットはけろりとしている。

女神としてのあり方が彼女の怒りを駆り立てる。苛烈な、それがただの男への苛立ちを募らせる。けれど、それはまるで夢のように消え失せて、そんなあり方は引っ込んだ。

はあとため息を吐いた彼女は、ふと、思い立つ。

 

(だが、そうか。思えば、あの男ぐらいか。私のことを慮ってくれたのは。)

 

モルガンの心なんて誰も知りはしない。

父も、魔法使いも、城の人間も。

故郷にいたいと、父の側にいたいと願う心を慮ってくれなかった。

けれど、ロットだけは、遠い地で疲れたモルガンを慮ったのだ。

が、すぐにそんな感情は消え失せる。例え、そうだとしてもモルガンの願いは叶わないのだ。

モルガンはふっと窓の外を見る。もうすぐ、ロットが自分の部屋を訪れる時間だ。

モルガンは今日こそ、男に手を出させるための思惑を考え始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

男の国


だんだん展開させていきたい。

ちなみに、ロット王は、ガウェインより若干背が高く、結構重めで黒髪ぐらいを考えています。

感想がもらえれば喜びます。


 

 

「なあ、俺のかわいい奥さん。今日は遠乗りにでもいかないか?」

「・・・・遠乗りですか?」

 

不審げなモルガンにロットはああと頷いた。

 

「揺れないかい、モルガン。」

「いいえ、そこまで辛くはないです。」

「そうか。鞍を新しくしたんだがな、乗り心地が良ければいいんだが。」

 

ロットは美しい新妻を腕の中に納めて馬に揺られていた。

自分の腕の中にちんまりと居座る、といってもけしてモルガンは小さいわけではない。女性としてそこそこ上背はあるが、ロットという男が無駄にすくすくと育ってしまっているせいなのだが。

ロットとしてはほかの女性の場合潰してしまいそうで恐ろしいが、これだけ背が高ければまだ潰すことを恐れずに済んでありがたい。

 

(今日も美人さんだなあ。)

 

そんなことをのんきに思いつつも、愛馬をぱかりと歩かせている。

供もいない、二人きりの遠出だ。

城の人間には護衛をつけるようにと言われているが、住居の近くであり、誰よりも強いロットがいるからと押し通したのだ。

ロットはちらりと淡く、行儀良く微笑んだモルガンを見た。

今日も今日とて敵意がにじみ出ている。

ロットはそれをあまり気にしなかった。今日も元気だなあとのんきに思っている。

モルガンという人が妻になってから数ヶ月の時間が経っていた。

といっても、ロットとモルガンは本当の意味で夫婦ではない。

部下たちから子供についてよく聞かれるが、ロットはのらりくらりと過ごしている。

 

(大体、子供を産むのなんざ相当の大事だぞ。)

 

ロットとしてはもう少し自分に対して慣れてからと考えていた。何よりも、変わることなく感じる彼女からの敵意に思うことはあった。

そのため、もう少しとロットはのんきに構えておくことにしたのだ。

 

「こちらにきて少し経ったが生活にはなれたか?」

「はい、みな、よくしてくれています。」

「そうか、まあ何かをするような者はいないと思うが。何かあればすぐに言ってくれ。」

「はい、わかりました。」

 

今日も今日とて彼女の吐く言葉の全ては嘘であるが、ロットはさほど気にしない。

まあ、腹を割って話せるのはきっとほど遠いことだろうとそう思ってのことだった。

 

「にしても、今日は獣の気配が全くしないな。普通なら、遠くにでも気配があるんだが。」

「ええ、ロット様がいてくださるからでしょうか。」

 

その言葉にロットははてと内心で首をかしげた。モルガンのそれは嘘であるが、その言葉のどこがそうであるのか疑問であった。

 

(獣のいない理由がわからない限り、モルガンのそれが嘘になるはずは無いと思うんだが。俺の思い違いか?)

 

もちろん、獣がいないのは二人きりの出かけを邪魔されたくないモルガンが事前に追い払っていたのが事実なのだが。そんなことをロットが知るわけがない。

ロットはそんなことをうんうんと考えていたがすぐにそれを取りやめる。

女性といるときはそちらに集中した方が良いだろうと、改めてモルガンを見た。

 

「この辺りは寒いからな。部屋では暖かくしているか?」

「はい、良い部屋をいただき、ありがとうございます。」

 

それにロットは淡く微笑んだ。

 

「ここは寒ければ風も強くてな。だが、良い場所だ。」

 

横座りで馬に乗るモルガンはじっと穏やかに微笑むロットを見上げた。

 

「海もな、厳しいが、魚も捕れる。ごうごうって風の音が響くだろう。その音が好きでなあ。お前さんも好きになれると良い。」

「・・・・・私が。」

 

ロットはモルガンの一瞬の間にちらりと彼女を見た。別段、おかしなところはない。ただ、なんとなく違和感があった。

 

「私がこの島を嫌う事なんてありませんよ。」

 

ロットはまたそれに目を見開いた。どのぐらいぶりかの彼女の本音だった。オークニーではなく、島となったことは気になったけれど。

 

「そうだなあ。俺もこの島が、世界が大好きだ。」

 

穏やかにそういったロットにモルガンは返事をしなかったが、珍しく敵意は感じなかった。

 

 

 

モルガンを大事にすると決めたロットであるが、だからといって信用が出来るかと言えば嘘になる。

というのも、モルガンは何故か、やたらと戦闘意欲が高い。

ことあるごとに、他の氏族との戦を示唆するようなことを言う。

曰く、どこどこがオークニーを狙っているだとかそういった所だろう。

ロットはモルガンがなんでそんなこと言うのかはわからない。ただ、彼女も女性特有の噂話でそういった話が出ているという情報を提供してくれているのだろう。

残念ながら他人の敵意と嘘と真に過敏なロットには戦の心配が無いことなどわかりきっている。

そのため、戦う必要が無いことを伝えるが、そのたびにロットへの敵意と憎しみが強くなっていく。

 

(たぶん、俺が自分の言うことを信じないから怒ってんだろうなあ。いや、多分、戦の心配があるってことも結構きてるのかもなあ。)

 

ロットは訴えのたびに自分に縋り付くように、男を見上げるモルガンのことを思い出す。ロットも男のため、その柔らかな体だとか、潤んだ瞳とかにぐらりと来るけれど、彼女から感じる敵意に目が覚める気がして、身を正した。

そのたびにモルガンからの敵意が増している気もするが。

 

(まあ、焦ってるのかもなあ。)

 

モルガンは一人でこの国に嫁いできた。彼女は彼女なりに、認められようと必死なのかもしれない。

女性として子供を産むという仕事もロット自身が避けているためどうしようもない。

ロットはぼんやりと執務室の椅子に座り、物思いにふけっていた。

ロットは出来るだけのものをモルガンに与えている気ではいる。

食事だとか、服だとか。狩りに出て、彼女が凍えないように暖かな毛皮を取ってきたこともあった。

けれど、何を与えてもモルガンは本当の意味で微笑んだ事なんて無かった。

与えることが大事にしている証ではないやもしれないが、それでも喜んでもらえない事実はなかなかにへこむ。

 

「俺って一方的だと思うかあ?」

「下手なこと言ってないで、さっさと仕事をしていただけませんか?」

 

ロットはそれにぐでりともたれた椅子から体を起こした。そこにいたのは、補佐官のベルンであった。茶色の髪のそれはロットと古い付き合いだ。

生真面目な彼の言葉にロットはため息をつきながら言い放った。

 

「えー。つめてえなあ。臣下なら少しは気遣ってくれよ。」

「大方モルガン様のことでしょう?」

「わかってんならさあ。もうちっとあるだろ?」

 

それにベルンはぎろりとロットに睨みをきかせた。

 

「結婚したからといってはしゃぎすぎです。女の影が全くないと思っていたら。出来たと思えばそのはしゃぎようですか。」

「きっついこと言うなよ。夫婦仲に悩んでるんだぞ?」

「あなたと彼女の仲は良好以外のなんであるんですか?」

 

それにロットはうむと言葉を吐いた。

当然の話で、モルガンの本音を知るのなんてロット一人だ。彼女はその敵意も嘘も綺麗に隠している。

隠していなければ肩身の狭い思いをしただろう。そういった意味で、彼女が何よりも嘘つきであることは幸いだっただろう。

ロットは己の瞳の秘密を、誰かに話す気は無かった。彼は夢見がちではあったけれど、それを話さない方が良いことは理解していた。

嘘で救われるものも、沈黙すべき真実があることも知っていた。

 

「モルガンが故郷に連絡を取ってる様子はあるか?」

「いいえ。特別そんなことはありませんよ。」

「そうか。」

 

事実、モルガンが故郷、ひいては父であるウーサー王と連絡を取っていないのは本人に確認済みだ。

ロットは義理の息子であるためにある程度ウーサー王と連絡を取っている。けれど、不思議と彼が娘であるモルガンの話題を出すことはなかった。

一度、自らモルガンの話題を出したが、彼は何故か簡素な反応を出すだけで彼女の状態を問うてくることはなかった。

 

(ウーサー王と王妃が不仲という話も聞かない。モルガンの様子を見るに、問題を起こすタイプではない。にしては、あんまりにも態度がおかしいな。)

 

ウーサー王と、そうしてモルガンの関係にロットはううむとぼやくように言った。

 

「なあ、親も故郷も、友人もないってどんな感じだろうな。」

「それは、きっと。さぞかし孤独でしょうね。」

「孤独か。」

 

ロットは孤独な女を思った。故郷を追われ、父に疎まれ、一人である彼女に。

ロットは

するりと、封じた青い瞳を眼帯の上から撫でた。

 

 

「ふっふっふっふ・・・・・」

 

モルガンはその日、嬉々としてある城の一室に籠もっていた。

彼女の前には、一つの鍋がある。それはくつくつと煮えていた。そこは、モルガンに薬草等の知識があると聞いたロットがわざわざ彼女のために用意した部屋だった。

モルガンは苛立っていた。

彼女の複雑に分かれた内の一人の、女であるモルガンは悩み、ブリテン島の化身としての妖精は苛立ち、湖の乙女としての彼女は困り果てていた。

というのも、彼女の夫になったロットの鈍さにほとほと困っていたのだ。

彼は確かに一応はよくしてくれているのだろう。

何をしても男はモルガンを優先してくれるし、自分以外の女を囲う様子もない。

王として愚鈍というわけでもなく、騎士として優秀だ。そうして、目も醒めるほどの美丈夫と来れば不満など欠片だって無いだろう。

が、それを放り投げても気に入らないことがあった。その男、何をしてもまるで思春期にさえ成っていない少年のごとく色事を理解していない。

 

(そうだ、あのときだって!)

 

モルガンは以前、ロットに誘われて馬に乗って散歩をした。せっかく部下がいないのならと、邪魔がされないように獣を魔術で追い払った。

さあ、のびのびと誘惑だと思ったのだ。モルガンとて。

密着した馬の上、ゆったりと歩くそれが揺れた瞬間をモルガンを見逃さなかった。わざとロットに縋り付き、潤んだ瞳で見上げた。これでぐらつかない男はいないだろう。

いっそのこと、一線を越えるぐらいの展開さえ望んでいた。

だというのに、ロットはそれにああと頷いた。

 

「そうだな、俺も乗ってたら窮屈だろうな。お前さんだけで乗ると良い。」

 

そう言って、馬上に取り残されたモルガンが一人。

瞬間、モルガンは丁度近くにあった木の幹に拳をたたき込んだ。魔術で防御された拳によって木は揺れる。

それにロットは警戒して腰の剣に手を添えたが、モルガンは一応は鳥が飛び立ったとごまかし、それで終わった。

そこでふと、モルガンは男の言葉を思い出す。

 

この島が好きか?

 

モルガンはそれを思い出して、近くにあった椅子に腰掛けた。

 

(そんなこと。)

 

当たり前だ。モルガンはこの島の主なのだ。ならば、ならば、嫌うことなどないだろう。この島こそが、モルガンという女の価値で、意味なのだから。

当たり前のことを問うた彼はそういって、厳しいとも言える島に微笑んだ。

 

自分も、好きだと、そう。男は言った。妖精としての彼女は、それに話のわかる男だと少し思う。

そうして、人としてのモルガンはぼんやりともう一つのことを思い出す。

ウーサー王が自分は元気と言ってきたと、彼は言った。

モルガンは知っている。

ウーサー王に、島の化身として、望まれていないことを知っている。そのために自分をこの国に嫁がせたのだ。そんなことを聞いてくるわけがない。様子が知りたければマーリンにでも探らせている。

だから、それは嘘なのだと思ったけれど。

その男が嘘をついていないことぐらい、モルガンも理解した。

きっと、その妻に優しい男はわざわざウーサー王にモルガンの話をして、そうしてそんな話題になったのだろう。

簡単なやりとりを思い浮かべて、モルガンは己の腕を掴んだ。

モルガンは業を煮やして惚れ薬を作った。甘っちょろい感情などいらないのだ。

男を操って、国を大きくして、そうしてブリテン島を自分の物にする。

ロットはそのための手駒でしかないのだ。

けれど、今になってそんなことを思い出した。

少なくとも、モルガンにとってそれは初めて、彼女の美貌に狂うことも、さりとて遠ざけることもなく、今のところは誠実に向かい合っている。

モルガンは、鍋をじっと見た後、がちゃんと床にこぼした。

 

「・・・・気が乗らない。」

 

なんとなくそう思った。床にこぼれた、惚れ薬。けれど、それで操るのも、なんとなくしゃくだった。

なんとなく、負けた気分になってしまった。

 

「別よ。別。私がこんなものに頼るなんて焼きでも回ったわ。あの程度の男に。」

 

モルガンはそう言った後、男を誘惑するためにまた考え始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帳にてあなたを思う

感想、評価ありがとうございます。

また、感想いただけると嬉しいです。


 

「臆するな!」

 

怒号が響く。

 

「歩兵は下がり、騎馬隊が前に出ろ。下がったものは残党を狩れ!」

 

鉄の打ち合う音がする。鉄の匂いに生臭いそれ。赤い液体が飛び散った。

一際大柄な男が馬にまたがり、声を上げる。夜のような黒い髪が日の光に照らされる。深い緑の隻眼は獣のように輝き、鋭く敵を見つめている。

男が声を上げる。それに、兵士たちはまるで夢を見るように叫んだ。

片手に持った大剣を、まるで棒きれのように軽々と振り回すその様は歴戦の戦士そのものだった。

男の一振りで鮮血が舞う。男の一振りで命が終わる。

それは味方にとって守護神であり、敵にとって悪魔に等しかった。

 

「王に続け!我らが偉大なるロット王に!!」

 

兵を鼓舞する号令に、戦が一つ、終わろうとしていた。

 

 

 

「あーあ。」

 

ロットはたき火を眺めながらため息をついた。適当な倒木に腰掛けていた。

 

「陛下、気を緩めるのは早いかと思いますが?」

「ダイルか。いいや、気を緩めてはないんだが。ただ、この頃異民たちが多いだろ。さすがにここまで連発されるとなあ。」

 

ロットはそう言った後、とんとんと肩を叩いた。

ロットがいるのは、異民族の目撃があった海辺近くの森の中だ。敵の死体の処理や負傷した兵士の手当などに時間を取られてすでに夜だった。

さすがにこの時間から動くことも出来ないと野営を始めることにしたのだ。

ロットは自分の部下の一人である、騎士のダイルに目を向けた。父の臣下の息子である彼とは長い付き合いだ。

燃えるような赤毛の青年は女性からの人気が非常に良い。ただ、堅物の気があるのが玉に瑕だろう。

 

「これから冬だって来るってのになあ。帰ったら、蓄えの確認もして。村の方で飢え死ぬのがでねえか見とかねえと。そういや、食事は全員行き渡ったか?」

「ええ。行き渡りました。それよりも、次はいつ、来ますかね。」

「さあな。わかるわけねえだろ。」

 

ロットはそう言い捨てた後、両手で顔を支えて肘をつく。

 

「・・・・うちの奥さん、何してるかなあ。」

 

何気なく、彼はそういった。時間も時間なので、そろそろ食事でもしているだろうかと自慢の美人の奥方を思い浮かべた。

それにダイルは変わることなく鉄仮面を保ったまま、ロットをじっと見る。

 

「陛下、で。お子はいつ頃?」

「・・・・・やっだあ。ダイルったらすけべえ。」

 

ロットは若干引きつつそう言ったが、それにダイルはひるまない。がしりとロットの肩を掴みぎちぎちと締め上げる。

後ろからのぞき込むように鉄仮面がロットに言い寄る。

 

「ようやく女が出来たと思ったら手も出せないようなふぬけだとは思いたくないのですが?」

「いつから夜のことに足を踏み込むほど不躾になったのか、教えて欲しいんだがな!?」

「上の人間の家庭事情なんて下のいい娯楽ですよ?というか、あなたがやることヤッてないのなんて大体想像できます。」

「やっだなあ、お前がそんなこと言うの!!」

 

ロットとダイルはあくまで互いにしか聞こえないほどの声でぼそぼそと喋りつつ、肩を握りしめながら向かい合う。

それを遠目に兵士たちは眺めていた。

 

「陛下とダイル卿、またやってるよ。」

「何話されてるんだろうな?」

「陛下、この頃妃を娶られただろ?構ってもらえなくて寂しかったんじゃないのか?」

 

周りの兵士たちはそんな様子もいつものことと放っている。

そんなひそひそ声も存在したが、二人は気にすることもなく話し続ける。

 

「やだもくそもありませんよ。彼女が何故、この国に来たのか、わかっているでしょう。」

 

それに、うっと思わずロットは言葉を飲み込んだ。それは、言われると少々痛い言葉だった。

ぶすくれたように口を突き出したそれは普段よりもずっと幼い顔になる。それをダイルは呆れた顔で眺めた。

そうして、はあとため息を吐いた。

 

「・・・・遠方から来た花嫁を気遣うのは結構ですが。あなたがたの婚姻はそんなものではないのですよ。」

「・・・・わかってる。」

 

ちくりちくりと刺される言葉にロットはダイルの肩を掴むのを止めて、また倒木に座り込んだ。そうして、ふてくされたかのように肘をついた。

 

「今日はお早くお休みください。」

「・・・・へいへい。」

 

生返事を返して、ロットはまたたき火を眺めた。寝ると言ってもこのまま適当に座り込んで目をつぶるだけだ。

去っていたダイルは振り返ることもなく自分の元いた場所に戻っていく。

 

(わかっては、いるけどなあ。)

 

わかってはいるけれど。

ロットは胸の中に抱いた女から故郷を奪った罪悪感が消えないのだ。

仕方が無い。変えることなどできないし、覆すこともない。けれど、ロットという個人はせめて彼女に誠実にあらねばならないと、そう思うのだ。

 

「父上が死ぬ前に、妻への接し方、聞いとけば良かったなあ。」

 

ロットの父もまた妻以外の誰も内にいれることはなかった。それはロットの怠惰故であり、父の堅物故のそれであろうとも。

父もまた、己の国に来てくれた女に誠実であろうとしたのは事実だろう。

 

(帰ったら。おわってないせいむが。ああ、そうだ。そのまえに。)

彼女にただいまと、言わなければ。

 

そんなことを思いつつ、ロットはゆっくりと眠りについた。

 

 

 

さやさやと、音がする。

伸びた草葉がそよぐ、音がする。それに、ロットはゆっくりと起き上がった。

そうして、きょろりと辺りを見回した。

ロットがいたのは、まさしく翠の海、という言葉が正しかった。

風が吹けば、木々のない草原はまるで海のように波打っている。きらきらと、きらきらと、黄昏の光に照らされた草原はまるで金色の海のようだった。

 

「わあ・・・・・!」

 

きらきらとした、美しいそれにロットは、いや少年は立ち上がる。

未だ、十にも満たない少年は、己の姿に欠片も疑問を持たない。彼は衝動のままに走り出した。

たった、と子供の軽やかな足音が辺りに響く。暖かい、春のような風を全身に浴びて少年は走る。

そこで、彼は躓いてそのままでんぐり返しで転がった。草原に沈み、目の前に広がる黄昏色の空。暖かく、かすかに甘い匂いのする風を肺いっぱいに吸い込んだ。

 

(このままここでしばらくねむりたいなあ。)

 

ぼんやりとそう思った。帰らなくてはなあとぼんやりと思ったが、それでもしばらくはここにいたいと思う。

それほどにロットにとってそこは居心地の良い場所だった。

穏やかな草葉のこすれる音に耳を傾けて、まぶたを閉じた。

そうしていると、頭上から声がする。

 

「・・・・起きなさい。」

 

冷たく、厳しい。まるで、鋼のような声だった。その声にロットの意識は覚醒する。

がばりと起き上がった。

そこにいたのは、黄昏の光の中に立っていたのは、一人の男だった。

青年とはいえないほどに老いたそれは、揺るがぬ仮面のような顔でロットを見下ろす。

鉄のような黒い髪、雪のように冷たい灰の瞳。

 

「父上?」

 

掠れた声を出した少年に、男は冷たく眼を細めた。

 

「少し、付き合いなさい。」

 

低い、威厳のある声音は変わることなくロットにそう言い放った。

 

 

 

その日、モルガンは完璧な外面は保っていたものの内心では狂喜乱舞していた。

だって、数日間異民族の討伐のために城を空けていた夫が帰ってくるのだ。

そのために停滞していた、男への誘惑をまた再開できるとモルガンはウキウキしていた。

 

(戦のあとは血の気がなかなか押さえられない。そうして、秘蔵の酒で酔わせれば今夜こそ。)

 

内心で怪しく笑うモルガンではあるが、外面の武装は完璧だ。外から見れば、戦いに出た夫を憂う貴婦人にしか見えない。

椅子に座り、物思いに耽っているように見えるモルガンはお付きの侍女から見ても絵になった。

ほう、と侍女からその美しさにため息が漏れ出た。

といっても、そんな彼女の内心はどうやって夫を手込めにするかどうかなのだが。そんなことは侍女たちの知るところではない。

そうして、モルガンはふとロットの話していたことを思い出す。

もうすぐ冬が来るため、保存食についてを考えなければいけない。モルガンはそれについて意見を求められていた。

 

(保存食、ここら辺ならば魚を燻製にするかしら。そうだ、魚がどこら辺で捕れるか教えようかしら。)

 

ブリテンという島について、モルガンは己の庭のように自覚している。そうして、魔術を使えば、魚の漁獲量を上げることなどたやすい。

モルガンはそう考えてうきうきする。

ロットは基本的にモルガンの手柄を奪うということはしない。臣下や使用人たちにもモルガンの提案のおかげで上手くいったと大々的に言って回る。

それをよく思わないものはいたが、ロットの元々の性格を理解してかまたかと呆れられていた。

おかげで城の中でのモルガンの評判は非常に良い。

それを、人としてのモルガンは認められたと嬉しく思う。

それを、モルガン・ル・フェは己を称えるものと心地よく思う。

それを、湖の乙女は助けになれたと嬉しく思う。

 

(ロットは間抜けよね。)

 

そんなことをぼんやりと思う。

だって、王妃の言葉なんて自分の考えに飲み込んで、手柄にしてしまえば良いのに。

ロットは基本的に褒め称えるべきものは褒め称える。

それに嫉妬だとか面倒なことにならないかと思えばまた違う。ロットは基本的にバランスのいいあり方をしていた。

さっぱりとしている性格で、王にしては敷居が低く親しみを持たれている。常の態度が軽く、侮られるあり方はよいガス抜きになっている。

 

(けど、あれは、少しずるい。)

 

モルガンは使い魔の眼を介してみた、夫の戦い振りを思い出した。

いつもは、まるでひなたぼっこで微睡む犬のようだ。大きく、のっそりしていて、愛想も良く、モルガンに懐いている。

けれど、血と、汗と、泥に塗れたその男はなによりも勇敢なる戦士であるとモルガンは改めて理解した。

黒い髪が、日の光に照らされる。天使の輪が浮かぶようにきらきらと輝いていた。犬のように気軽に触る髪は、まるで黒い獅子の鬣のようだった。鋭い、若葉の瞳。

そうして、大剣を振り回すその様はまるで荒ぶる獣のようだった。

 

「穿て!王に続くが良い!!」

 

怒号が響いて、絶叫が響く。

鉄の匂いがした、焼け付くような殺意を感じた、ひりつくような冷たさを感じた。

ぞくりと背筋が震えた。

それを、人としてのモルガンは慕われるのがわかると胸を高鳴らせた。

それを、モルガン・ル・フェは国に這い寄る虫をよく退治したと褒めてやろうと思う。

それを、湖の乙女は勇猛なる戦士を称えたくなる。

モルガンはちらりと窓の外を見た。おそらく、そろそろ騎士団が帰ってくる頃だろう。

 

(あれの顔を見たい。)

 

きっと、ロットはいそいそと出迎えるモルガンを見れば破顔するだろう。そうして、心の底から嬉しそうに、それこそ尻尾を振る犬のようにただいまとでも言うだろう。

そうだ、褒めてやろう。

今日も、あれは頑張ったのだ。自分の手駒が手柄を立てたのなら褒めてやるのが道理であろうから。

もちろん、そんな事実はないのだが、モルガンにとってはそうなのだ。

そんなとき、慌ただしく、彼女の自室の扉を乱雑に叩くものが一人。そうして、訪れた存在が叫んだ言葉にモルガンは固まった。

ロットが帰還したと、そのある騎士は言った。そうして、こう付け加えた。

 

「王が、王が!眠られたまま、目を覚まされないのです!」

 

それにモルガンは己の油断を恥じたのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奪われたものがある


ちょっと長くなりそうなので、ロット側のパートは次回にします。


感想、いただけると嬉しいです。


 

 

さやさやと、草の揺れる音がする。

暖かな日の中で、ロットはただ、少し前を歩く父を追いかけていた。

ゆっくり、ゆっくりと幼子でも十分なほどにゆっくりと歩く。

ロットはちらりと父の顔を見た。

父は、変わることなく無表情のまま歩いている。戦に行くとき、背中を向けて去って行ったその風景をよく覚えている。

けれど、ロットはその時間がこのまま続けば良いのになあと思った。

ロットの父は王として生き、そうして義務を遂行するためだけに死んだ。

記憶の上でロットは、父親から構ってもらった記憶は殆ど無い。

いつも、政務や戦に走り回っていた。母がロットを産んで数年ほどで死んでから、それは顕著になったと臣下から聞いている。

疎まれていたわけではないと知っているし、気にかけてもらっていたのも知っている。

心のどこかでこれが夢だとロットは知っている。

 

(でも。)

 

父はロットの方を振り返りもせずに、ただ、歩いている。寂しくなど無かった。悲しくもなかった。それこそ、いつものことだった。

けれど、その時間はまだ、続けば良いとも思ってしまった。

これが夢だと、ロットはちゃんと理解していた。きっと、眠る前に父のことを考えていたせいでこんな夢を見てしまったのだろう。

それでも、今はその夢に浸っていたかった。

 

(へいか・・・・・・)

 

かすかに、どこから声がした。それにロットは自分を夢から起こす声かと、後ろを振り向いた。

 

「ロット・・・・」

 

けれど、すぐにその声にロットの意識は夢の中に引きずり込まれる。振り向いた先には今まで前を向いていた父が振り返っていた。

彼はすっとロットに向けて手を差し出してきた。

 

「離れるといけない。」

 

それにロットは恐る恐る手を伸ばした。己の、幼い手を父は緩く握った。

手を繋いで、草原を歩く。

もう少しだけ、その夢を見ていたい。

 

(そうだ、きっと。本当に起きなきゃいけないのなら。誰かが蹴飛ばしてでも起こしてくれる。)

 

ロットは冷たい、鎧に覆われた手をそれでも宝物のように握りしめた。

 

 

 

「どういうことですか!?」

 

滅多にないモルガンの怒鳴り声に伝令を伝えに来たらしい騎士は恐縮したように話し始めた。

 

「その、戦が終わり、野営をしておりました。その折りに陛下を起こそうとしたのですが。揺すっても、声をかけても起きられず。」

「眠り続けたまま、だと?」

「苛立ったダイル卿が陛下に手を出したのですが。それでも起きられません!」

 

モルガンはそれに固まった。

ただの人であるモルガンは夫の異変に慌てた。

妖精であるモルガン・ル・フェは何かに呪いをもらったかと苛立った。

湖の乙女としての彼女はロットのそれを心配した。

多くの感情がない交ぜになる中、騎士はモルガンにまた深々と礼をした。

 

「そろそろ、帰還されるかと!」

 

その台詞と共に外が騒がしくなる、モルガンは慌てて窓辺に近寄った。明らかに外にいる人間たちがざわついている。

 

「・・・・私も、陛下を出迎えます。」

 

それに侍女たちははいと、慌てて返事をした。

 

 

 

モルガンは部屋の中を歩き回っていた。侍女を下がらせた今、部屋の中にはモルガン一人だけだ。

食料等を積んでいた荷車に乗せられたロットは眠りこけたままだった。普段、どんなに熟睡していようとモルガンが声をかければ起きてきた。

よくしつけされていると、内心では思っていた。モルガンは、きっと、今回だってそうだと思っていた。

けれど、ロットはこんこんと眠り続けていた。

よく調べようと近づこうとしたが、呪いが移るやもしれぬと側近たちに遠ざけられた。

今は魔術の知識もある医者が対応しているのだという。

けれど、モルガンもわかっている。ロットの現状がけして病気の類いでないことぐらい。

 

(あの医者に対応が出来るはずがない。)

 

けれど、表向き、モルガンはただの女だ。薬草についてはさほどの警戒をされないだろうと伝えてはいるが、魔術となればまた違う。

ただの女であるモルガンはロットの運び込まれた寝室に入る許可は出なかった。

 

(蛮族たちの下手な呪いにかかっているのか?)

 

それとも、もっと別の何かか。

モルガンは、眠りというそれに嫌なことを思い出す。

純白と、黄昏の色。そんなものを思い出す。それにちりちりと首に嫌なものが走った。

モルガンは首を振った。

その思考を急いで振り払う。そうだ、今はまだ早計だ。そうであると決めつけるのは早すぎる。

呪いや他の何かであるならば、扱いは慎重でなければいけない。モルガンは苛立ちを飲み込むと、侍女を呼んだ。

 

「湯を持ちなさい。夫の元に向かいます。」

 

 

 

「王妃、今は陛下にお会いにはなれません。」

「私に出来ることはほとんどありません。ただ、戦に行った王の身を清めるだけはしたいと思って。」

 

寝室の前で待機していた赤毛の騎士がそういった。

モルガンは悲しげに眼を伏せて手を組んだ。祈るようにそうして、上目遣いにダイルを見た。それは、心の底から夫を心配する妻の様相だった。

 

「そうはいってもダメなものはダメです。」

 

赤毛の騎士の言葉にモルガンはぴくりと目尻を震わせた。

それは自分の言葉をすげなく断るその様だとか、自分の魅力に対しておくびも出さないそのあり方だろう。

 

(いっそのこと、魔術を使って。)

 

そこまで考えて、モルガンはその男がロットの騎士であるダイルという存在であることを思い出す。

 

(うち、田舎の方でそこまで人手がいないからな。わざわざ残ってくれる。おまけに有能で気心知れてるやつの存在はありがたいんだよ。)

 

その言葉を思い出して、モルガンは少しだけ体の動きを止めた。ダイルに何かあればとモルガンは、思わずしょぼしょぼにしょげたロットの顔が思い浮かんだ。

それにモルガンの中で仄かに、やめておいてやろうという慈悲が浮かんでくる。

 

(でも、ここで寝室に入らないということもできない。)

 

モルガンは視線を下に向けた。その時、ダイルは思わず固まった。というのも、モルガンの後ろにいた彼女のお付きの侍女たちに思いっきり睨まれたせいだった。

 

なに、主人の恋路を邪魔してるの?

 

そんな圧がひりつくような感触となってダイルに伝わる。恐ろしいとはお世辞にも言えないような、敵意ではあるけれど。

 

(敵でもない女の怒りには触れない方が良いとは、陛下の言葉か。)

 

ダイルは軽くため息をついて、ドアの前から体をどかした。

 

 

医者である男は、ロットの体を清めることを許してくれた。そうして、医者は退室し、部屋にはモルガンと侍女二人だけが残る。

モルガンはそれに従い、彼の寝間着を脱がせてその体に触れた。

 

(・・・・鍛えている。)

 

女のモルガンは初めて見る夫の体に少し落ち着かなくなった。

モルガン・ル・フェは所詮は儚い人間の体と気にしなかった。

湖の乙女は戦士らしい体だと気に入った。

鉄のように鍛えられた体は、そのまま血潮を巡らせていた。お湯で湿らせた布でその体を拭った。

 

(初めて見るこの男の裸体が、こんなことになるなんて。)

 

モルガンは自分に対して情けなさを感じながら、それでもロットの状態について探る。

 

(夢を、見ている?)

 

深く、深く、意識がどこかに入り込んでいることをモルガンは意識した。

それに彼女の脳裏にはある、夢魔のことを思い出す。

自分を追い払った、片割れ。自分を否定した、人で無し。

 

(いいえ、落ち着かなくては。)

 

そうと決まったわけではない。もっと、たちの悪い妖精に目をつけられたのかもしれない。

 

(意識に関係する魔術は繊細。なら、これを解くにはそれ相応の準備が必要になる。なら、今はこの場から立ち去って。)

 

モルガンは手を引こうとした。ロットの、未だ眠り続けている夫の体から手を引こうとした。

その時だ、モルガンは、甘い匂いを感じた。

花の蜜のような、甘い匂い。

それにモルガンの脳裏に、ある男の姿が思い浮かんだ。

まるで夢のように美しい男、人で無いもの、己を追いだしたもの。父の、味方。

モルガンは思わず、己の口元を手で覆った。

 

「王妃様、どうされました?」

 

近くで侍女の声がしたが、そんなことは聞こえていない。

 

(マーリンが今になって?)

 

考えるが目的がわからない。

自分の様子を探りに来たのか?

だというならばもっとわかりにくい方法を使うはずだ。

モルガンの夫が邪魔になった?

いや、モルガンを閉じ込めておく檻をわざわざ殺すのか?

いくつもの可能性が浮かんでは消えていく。

 

(いや、今は。今は、まだ、様子を見なくては。)

 

マーリンに敵意があるのか、自分の魔術の知識を披露するタイミングも早い。今のところ、ロットは眠っているだけだ。夢を見ているだけだ。ならば、命に危険は無いはずだ。

そうだ、所詮はブリテン島を統べるための駒なのだ。

たとえ、これが死んでしまっても、次に王となる存在を手駒にすれば良い。

ロットをわざわざ手間をかけて、救う理由はモルガンにはない。

ロットがモルガンの夫になったのは偶然で、それに必然はない。理由はない。

 

「王妃様?」

 

その時、突然動きを止めたモルガンを不思議に思い、侍女が話しかけてくる。

 

「・・・・はい。」

「どうかされました?」

「王妃様は、陛下のことが心配なのよ!」

「あ、そ、そうね。」

「まったく、鈍いわね。」

 

話しかけてきた侍女は、片割れの言葉に納得したらしく頷いた。そうして、叱責した方の侍女はモルガンを気遣うように微笑んだ。

 

「王妃様、大丈夫です。陛下はきっとお目覚めになります!昔から、体だけは頑丈な方ですから!ですが、そうですね。帰城のあいさつもなくこんなことになるなんて思いもしませんでした。」

 

あいさつ、その言葉にモルガンは眠り続ける男を見た。

長いまつげが揺れていた。

 

(あいさつ、そういえば、聞いていない。)

 

このまま、それもなくこれはいなくなるのだろうか。何か、変わってしまうのだろうか。

 

瞬きの内に、モルガンは見た。

雄大なブリテン島、美しい故郷、けして振り返ってはくれなかった父。

ああ、そうだ。

それは、モルガンの、なくしたものだ、奪われたものだ。

散々に、散々に、ただ、そうあれと願われて、そうあれとあろうとして、否定されたものたち。

白昼夢が消え失せて、そこには黒い髪の、男が一人。

 

「また。」

「え?」

 

モルガンは、まるで雷鳴のように叫んだ。

 

「また、私から奪うのか!!」

 

それに侍女たちは思わず身をすくめた。温厚な王妃がそんなにも怒り狂うなんて考えたこともなかったのだ。

 

 

「お前たち。」

「は、はい!」

「部屋から出て行きなさい。そして、私が出て行くまで、けして扉を開けるな。」

 

モルガンはそう言った後、氷のように冷たい青い瞳で侍女をにらみ付けた。それに、彼女たちはまるでウサギのように跳びはねて、寝室を出て行く。

人払いされた部屋の中にはモルガンだけが残った。

そうして、彼女は部屋に誰も入れなくなるように魔術を使った。

眠る男に向かい合い、歯を食いしばった。

人であるモルガンは、もう失いたくないと縋るように手を伸ばした。

モルガン・ル・フェは、己のものに手を出されるのが我慢ならなかった。

湖の乙女は、夢魔ごときに己が戦士を奪われることが我慢ならなかった。

 

「そうだ、お前は私のものだ。」

 

モルガンは魔術を使うためにロットを見た。

 

 

「おい、どうした?」

 

ダイルはロットの寝室から飛び出てきた侍女を見て、不審そうに見つめた。

彼女たちは顔を青くして、ダイルに言った。

 

「お、王妃様が出て行けと言われて・・・・・」

 

ダイルはその程度で王を置いてきた二人に舌打ちをした。ダイルはモルガンをあまり信用していない。

まだ、信用を置くには彼女は日が浅い。

ダイルはそのまま部屋に入ろうとするが、扉は堅く、開かない。異変を感じたダイルは扉に体をたたき付けるが、一向にそれは開かない。

 

「・・・・お前たち、他の騎士を呼んで来い、今すぐにだ。」

 

それに侍女たちはまた跳びはねるように駆けていく。

 

(どういうことだ?あの女、いったい何を・・・・)

 

そこまで考えて、ダイルの脳裏にロットの言葉を思い出す。

 

うちの奥さん?結構かわいい人だよ。きっと、寂しい人だ。

 

そんなことを言った。少なくとも、ロットは、彼女を信用している。

ダイルは、ロットの人を見る目を信用している、彼自身を信頼している。

ダイルの父を殺したときのように、ロットはけして間違えないのだと。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

我が星、または流星


感想、評価ありがとうございます。
また、いただけると嬉しいです。


最近は、どうだ。

鍛錬に励んでおります。

勉学は?

師がついております。

礼節は?

はい、しております。

 

たわいもない会話が続く。

黄昏色の草原は、変わることなく美しかった。ロットは父に手をとられて歩いていた。

それは、ロットにとって何よりも幸福なものだった。

父と、たわいもない話が出来る。

それが嬉しくて、ロットはにこにこと笑いながら、それに答えた。

その時だ、また、声がした。

 

へいか。

 

それに、ロットは立ち止まることはなかったが後ろを振り返った。それに、彼の父は引き留めるように手を引いた。

 

「どうかしたか?」

「・・・・父上。あの、帰らなくてもいいのでしょうか。」

「・・・・今日はいいだろう。せっかく、二人きりだ。」

 

それにロットは目を見開いた。そうして、どこか悲しそうに微笑んだ。ロットは立ち止まると同時に繋いでいた手を解いた。

 

「どうかしたか?」

「・・・・最初に礼を言おう。確かに、良い夢を見せてもらった。だが、所詮、夢は夢だ。」

 

幼い少年が浮かべるにはあまりにも不釣り合いな、老いた瞳でロットは父の姿をしたそれを見た。

 

「何を。」

「父はそんなことを言ってはくれなかった。彼の人は、どこまでも国のために生き、死んだ。私にそのような言葉をかけることはついぞ無かった。」

 

ロットは悲しそうに微笑んで己の胸に手を当てた。

 

「我が名は最果ての地、オークニーのロット王。」

 

そう名乗ると同時に、幼い少年の姿は瞬きの内に鎧を纏った騎士になり果てた。ロットは目の前にたたずむ、白のよく似合う男に問いかけた。

 

「人と夢魔の合いの子よ。私になんの用だろうか?」

 

ロットがそう言うと同時に、まるで糸がほどけるように父の姿は消えていく。そうして、残ったのは白銀の髪をした、一人の麗しい男だった。

 

「・・・・そんなことまでわかるのかい?いや、その眼、何か仕掛けがあるのかな?」

 

 

変わることなく、黄昏に染まった草原に二人は立っていた。

ロットの視界は、老いた魔術師がかけたそれさえも消え失せたことがわかるが、他人がいないせいか世界は風の音一つしない。

目の前の、純白の男からは特別敵意は感じなかった。

けれど、同時に友好的ではないことも理解した。

 

「いや、すまないね。夢の合間を散歩していたら、少しだけいたずらをしたくなってね。」

「・・・なれば貴公は、悪意はなかったと。」

 

ロットの問いに男はにっこりと微笑んだ。

 

「ああ、ただ、少しだけあなたの夢を覗きたくなっただけだよ。」

嘘。

 

「いや、ひどく美しい夢だったものだから。途中から横やりをね。」

嘘。

 

「あなたがそんなにも高貴なる人だとは知らなくて。」

嘘。

 

ロットは重ねられた嘘。突風のように吹き抜けた真実に目を閉じた。

はっきり言うのならば、ロットは焦っていた。

 

(一応、建前として王っぽく名乗ったが。待て、この夢魔、まさか彼の有名な賢者マーリン!?)

 

彼の放った言葉に見え隠れする真実の中にあった単語、ウーサー王、モルガン、諸諸からして彼は完全にウーサー王に近しい存在だった。

元々、敵意を感じ取れるロットは、それがないものに対してどうも動きが鈍ってしまう。

夢魔といってもさっさと追い払う気だった。

 

(そんな今更。いや、今更、ですらねえのか。)

 

ロットは苦みの走った表情を浮かべて口を開いた。

 

「偽るのはそこまでにしていただこう、マーリン殿。」

 

ロットの言葉に、純白の男、マーリンは目を少しだけ見開いた。それにロットはあまり関心が無いように目線を下げた。

 

「このような大業な術を行使し、わざわざ私に話しかけるような理由を持つなど彼の君しかいないだろう。」

「・・・・名まで当てられてしまってはもう、ごまかすことは出来ないだろうね。やっぱり、君、隠し球を持っているのかい?」

「そのようなことはどうでもよいことだ。あなたが何を持って、我が夢に現れたのか。いいえ。違うか。モルガンのことだろう。」

 

それに、マーリンは緩やかに微笑んだだけで答えなかった。それは殆ど答えであったが、ロットにとって偽りを吐いた時点で全ての真実は理解できていた。

 

「娘の心配をした義父殿の暴走、などとかわいいものではないはずだ。」

「あ、わかる?まあ、手紙でわざわざ君に指摘されない限り、嫁いだ娘に関心を持たなかったものね、ウーサーは。」

 

マーリンからは、やはり敵意は感じなかった。まるで、凪いだ水辺のようだった。

ロットは少しだけ苛立っていた。マーリンが父の夢を見せたことは明白で、けれど理由がまったくわからない。

モルガンが理由でマーリンがわざわざロットに接触してきたことは事実だ。けれど、何故、わざわざ手紙でさえも関心を見せなかったモルガンを目当てにやってきたのか、わからなかった。

 

(・・・・いや、本当は、わかっているんだ。)

 

なんとなく、理由はわからずとも、モルガンという女が父に疎まれていることなんてとっくに理解していることだ。

元より、この縁談はおかしかったのだ。

ウーサー王は、実質的なブリテンの長だ。そんな彼の実子であるモルガンを嫁にしたいものは多くいたはずだ。

ロットは確かにオークニーを治める長だ。けれど、ウーサー王がわざわざ娘を嫁がせて繋がりを作るほどのうまみはない。

北の果て、冷たく、突風の吹き荒れるオークニーは蛮族が侵入しやすく、肥沃な大地があるわけではない。普通の親ならば、わざわざ娘を嫁がせることはない。

ロットは最初、父とウーサー王の間で特別なやりとりがあったのだと思っていた。けれど、王を継いで調べたがそんなものはない。

ロットとモルガンの婚姻は、どこまでもウーサー王にとって益のないものだった。

それをずっと、ロットは考えていた。

モルガンは特別な問題の無い娘だった。だからこそ、何故なのか。

 

(何かが、ある。彼女には、何かが、あるのだ。)

 

ロットは迷うように視線を彷徨わせた。いや、理由がなんであろうと、わかってはいるのだ。

けれど、それを言葉にするのは、あんまりにも残酷な気がした。残酷で、悲しい。

一瞬だけ、考えた。一瞬だけ、考えて。

それでもロットは言葉を吐いた。

 

「貴公は、いや。ウーサー王はモルガンを何故、そんなにも厭う?死んでも構わないと、そう思うほどに。」

 

掠れた声でそういった。それに、マーリンはゆるりと目を細めた。ロットはそのままに言葉を続ける。

 

「賢者殿。我らにいったい何を望んでいる?」

 

答えなどどうでもよかった。ロットに、どう足掻いても真実がわかる。言葉さえ吐かせれば、それでロットの勝ちだった。

マーリンは、それに微笑んだ。そうして、そのまま仮面が剥ぎ取れるように表情を正した。

 

「うん、いいね。どうしようか、君のこと、気に入ってしまいそうだ!」

 

能面のように無表情のそれは、それに反してやたらと生真面目な声を出した。

まるで、マーリンの後ろで誰かが代わりに喋っているようだった。

 

(いいや、違う。)

 

ロットは考えを改めた。

それは、ただ単に衣装のように表情を変えているだけだ。

嬉しいから微笑んでいるわけではない。悲しいから悲しげなそれを浮かべているわけではない。

少なくとも、今は。

 

「どのような意味だ?」

「・・・・いや、残念だ。私が知る上で、君は全くといって良いほど登場しない。だからこそ、モルガンを君に嫁がせたのだけれど。思い違い、いいや、見間違えてしまったのかな?」

「何を言っている。」

 

そこには嘘はなかった。そこまで堂々と本音をさらしたそれにロットは少なからず驚いた。

 

(ともかく、早く本音を探らねえと。目一杯に本音を読むのはさすがにきつい!)

 

ロットの青い目、妖精眼は真実を見ることが出来る。けれど、それを植え付けられたロットは所詮は人間であり、その目はあまりにも彼に負担を強いた。

 

「いいね、よし、君には話してもいいだろう。」

 

マーリンはそう言った後、また。にっこりと微笑んだ。

 

「さて、ブリテンの滅びる話をしよう。」

 

それは、まるで悪夢の始まりのような声だった。

 

 

さて、私はいくつもの予言をした。

私が見た未来では、ブリテンは滅びる。

何故か?

魔術師でもない君に説明するのは難しいけれど。

例えば、冬を生きられる虫はいないだろう?夏に溶け落ちない雪はないだろう?

それと同じかな。

ただ、世界の理が変わり、このブリテン島はそれに適応できない。

生命と同じさ。どんなものにも寿命はある。ただ、この島は遠いか近いか、そのうちに滅びる。

それがモルガンとどんな関係があるのか?

うーん、色々と理由があるんだけれど。これも、説明が難しくてね。

・・・・わかりやすく。それはそれはわかりやすく説明するのなら、彼女はブリテン島という、土地の守護者という説明が一番かな。

私は予言をした、彼女は良きものにはならなかった。

そうして、ウーサー王は彼女を後継には選ばなかった。そうだね、君に嫁がせたのは、ひとえに時間稼ぎにはなるだろうとは思っていた。けれど、蓋を開ければどうだろう。

きみは良き夫だった。良く、彼女を愛した。よく、彼女を認めたものだ。

ロット王、君は彼女を拒絶しなくてはいけなかった。

ああ、そうだ。ロット王。

最果ての地の、優しく、賢しい王。

君は、人の敵であるモルガンを拒絶しなくてはいけなかったんだ。

 

 

朗々と語る言葉は、まるで本当に聖書に出てくる予言者のようだった。

優しい、泣きたくなるようなそんなふうに見える顔で、彼は微笑んでいた。

どれほどに優しかろうと、それは結局仮面でしかないのだけれど。

それでも、優しく見えたのだ。

 

「敵?彼女が?」

 

オウム返しのようにそう言えば、マーリンは肯定のためにか頷いた。

 

「ああ、そうだよ。もう少し詳しく言うと、彼女はブリテン島という土地を守る意思であり、その上に住む生物に関してはまた別物だ。そうだね、そういった機構に意思を付け加えた。そんな存在かな。」

「それだけのことで、あなたたちは彼女を厭うたのか?」

「・・・・君がそんなことを言うなんて思わなかったよ。」

「賢者殿、それはこちらの台詞だ。ただ、予言にそうあるから、貴公はあの子を否定するのか?」

「それが彼女の運命だからね。君、私の言いたいことをわかっているのかな。彼女は・・・」

「理解!?ああ、てめえの言うことが全部真実だってことぐらい理解してんだよ!ただな、運命なんて都合のいいもんがあるって宣ってることに、俺は怒ってんだよ!」

 

噛みつくような言葉でロットは吐き捨てる。取り繕った言葉など放り投げて、感情のままに叫んだ。それにマーリンは興味深いものを見るような目をした。

ロットは、マーリンの言葉に嘘はないことは理解していた。読み取った真実は魔術の知識があまりないロットには理解の及ばないことばかりではあったけれど。

それでも、ロットには認められないことがある。

 

「運命なんて、都合の良いものがあるはずがないだろう。そんなものがないからこそ、人は罪に罰を求める。そんなものがないからこそ、誰かの手放さなかった善性を尊ぶ。罪も祈りも、最初から決められたものでしかないのなら、選択なんてもの無意味だ。咎を背負うは、罪を犯してからのこと。」

 

ロットの焼け付くような怒りを含んだそれに、マーリンは仕方が無いと肩をすくめた。

 

「・・・まあ、君はあれを見ていないものね。ロット王、なら、反対に聞きたいけれど。君はどうしてそんなにも彼女を信じることが出来るんだい?」

 

ロットはそれに一瞬だけ口を噤んだ。

確かに、モルガンという女はどこまでも嘘つきだ。本当を話した事なんて欠片だって無い。

いつだって、敵意と憎しみを纏って世界を見ている。

 

(それでも。)

 

ロットは知っている。予言者曰く、いつか、この島を滅ぼすと言われた女が初めて言った本音を。

 

寂しい望郷の思い、歪な世界への愛。

そうだ、少なくとも、ロットは知っているのだ。女の、いじらしい、嘘の中にあった真を。

ロットはこの島の現状を本当の意味で理解しているわけではない。

マーリンの、島の滅びというそれを真であると理解しても。

それでも、その女の中に見た真を知っている。

 

「なら、賢者殿。モルガンの心をあんたはどれほど知っている。この島を、人を、世界を、どんなふうに思っているのか知っているのか?」

「モルガンがどんな思いを持っていても、辿り着く結末は変わらないよ。」

「愛を示す気がないのなら、愛される事なんざ望めると思ってんのか!?」

 

ロットはそれに理解する。

モルガンが、いつか世界を滅ぼすというならば、己を厭い続ける場所だって憎んでしまうだろう。

そうだ、その女は人間だ。

嘘つきで、本音なんて飲み込んでしまう。故郷を求めて、置いてけぼりの子どものようで。

それでも、この島が愛おしいと言う。己が守れと生まれた世界を素直に愛している女。

己を愛してくれない父を、目の前の賢者を、彼女はどう思っただろうか。

 

(モルガン、それは、寂しいな。それは、ひどく、悲しいな。)

 

ロットはマーリンへたたき付けるように言った。

 

「モルガンの未来は彼女が決めるものだ。彼女がこれから送る全てによって変わっていくものだ。我が妃の心が、未来を決める。厭うなら厭えばいい、あれは我が国の女王だ。不確かな未来にせいぜい踊ってろ!」

 

言葉を切った後、ロットは、もう一度口を開けた。

 

「賢者殿。未来を見たから今までの行いをしてきたのか?運命故に人と交わったというのか?散々に積み上げた全てを、運命だからと流されてきたのか?あんたが手を加えたからこそ、変わったこともあっただろう。それなら、確定した未来なんてあるはずがない。」

それは、違うはずだ。そうであるというならば、あまりにも悲しいじゃないか。

 

囁くような声でロットは言った。

怒りはある、あの寂しい女を、その心に触れることもなく否定するそれに苛立っている。

けれど、彼女が自分の側にいるのは、彼らのおかげだ。

その美しい女と共に居られる今もまた、彼らの計略の上であるならば、怒る資格などないだろうとも思えていた。

目を伏せたロットの耳に、何か、笑い声が聞こえてくる。それに、顔を上げれば、何故かにやにやと嬉しそうに笑うマーリンの姿があった。

 

「・・・賢者殿?」

「ふふふふふ、いや、ごめんね!でも、嬉しくてさ。彼女が大きくなるまでそりゃ、選定のためのもろもろだとか準備は多いよ。でも、だからといって、物語が始まるまでは待ち遠しいだろう?いやあ、こんな所によさそうな主人公がいるなんて!」

「いったい、何を・・・・・」

「まあ、間近で見るのは無理そうだけど。これは付箋ぐらいはつけておいてもいいかもね!」

 

今までの話の筋から外れた言葉にロットは思わず、警戒のために体を硬くした。その時だ、ぴしりと何かの砕ける音がした。

ロットは思わず、音のする方に視線を向けた。黄昏色の空には、何故か、大きめの亀裂が出来ていた。

 

「え?」

「あ、やば。」

「まああああああああありん!!!」

 

ロットは草原に響き渡る妻の声に呆然とする。マーリンは慌てた様子で足を動かした。

 

「はははは、じゃあ、私はお暇させてもらうよ。」

 

マーリンはそこで、何か良い思いつきをしたかのように頷いた。

 

「そうだ、ロット王、君には面白いものを見せてあげるよ。なに、慌てる彼女なんて楽しいものを見せてくれたお礼さ。」

 

マーリンはその言葉の後に、持っていた杖を振った。それに、霧が辺りに広がった。ロットは思わず目をつぶった。

目を開けた先、そこには、美しい国があった。

白亜の城、明るく希望に満ちた民の姿。そうして、美しい王の姿を、ロットは見た。

そうして、瞬きの内に、ロットの目の前に地獄が広がる。

死体の山が転がっている。誰も彼もが死に絶えている。そうして、丘の上でただ一人、美しい王がその地獄に絶望している。

 

(ああ、そうか。)

 

あの国の末路が、この死体の山で、地獄であるのだと奇妙な確信が生まれる。

遠くで、諍いの声がする。海を渡った侵略者たちの声がする。

滅ぶのだ、この島は、これから、滅んでいく。

また、視界が切り替わる。

そこには、女がいた。ロットの妻である女が、その地獄を眺めていた。

ロットの知る、取り繕いなどはない。

その瞳は、憎しみと怒りと、そうしてざまあみろという復讐心で燃えさかっていた。

ロットは、マーリンの言いたいことを理解する。

お前がどんなふうに思おうと、モルガンという女はこの地獄を作り出すのだと、そう言いたいのだと理解する。

けれど、ロットは、それでも、馬鹿みたいに思ってしまったのだ。

 

(・・・・きれいだなあ。)

 

その、怒りと憎しみに、激情に燃える青い炎のような瞳は、まぶしいほどに美しかった。

 

ロットは激情を持たない。

彼の人生とは、与えられたものへ、それ相応のものを返すという意思に過ぎない。

何か自分から、全てを捨ててもいいと思えるものなんてなかった。だからこそ、たった一つの何かに一目散に駆けた、焔のような女を美しいと思ってしまったのだ。

 

(なあ、モルガン、お前さん、お星さんみたいだな。ああ、そうだ、お前さんは、まるで流れ星みたいだ。)

 

昔、流れ星を見て、それはどこに行くんだろうと思った。その星は、墜ちるわけでも、消えるわけでもなく、ただ、自分の知らない、遠いどこかに駆けて行ってしまうのだと思っていた。

ああ、そうだ。

その、これがいつかに訪れる未来だとして、その崩壊を孕んでいるとしても、それでもなお、全てを置いて、願った何かのために駆けていく流れ星のような女は美しかったのだ。

 

(綺麗だな。綺麗な、星みたいな、流星みてえ。)

 

何もかもを放り投げて、それでもたった一つの願いのために駆けていく。

ロットには、そんなものはない。そんな、己の人生をかけた願いなんてものをもたない。彼は、受け継いでしまっただけの人間だ。

焔のような、そんな女だった。それをみて、ロットは理解する。

 

知っている、わかっている。

きっと、これは触れてはいけないものだろうと。

触れてしまえば最後、それはきっと己を壊すだろう。

それでもなお、輝かしい星に一度だけでも手を伸ばしたいと、そう、思ってしまったのだ。

手を伸ばしたとしても、きっと、それは自分だけを見てくれることはないのだとしても。

手を伸ばす、夢幻だとしても、その美しいものに手を伸ばす。

その憎しみが、怒りが、女の漏らした真の中にあった深い愛と知っているが故に、その女のいじらしさが愛おしくて。

手を伸ばした、その時だ。

燃えさかる、滅びた世界に亀裂が入った。

がちゃんと、何かの壊れる音がする。

 

「ロット!」

 

誰かが、自分の名を呼んだ。なじんだ、声に仰ぎ見た。

黄金の光が降り注いでいた。青い炎が自分を見ていた。

星が、自分に落ちてきた。

底も天もないような、暗闇の中で、黄金の色が降り注いだ。

 

「手を!」

 

手を伸ばす、星が、自分に手を伸ばしていた。ロットは、思う。

柔らかな手が、自分のがさつで大きな手と重なった。

きっと、自分はこれ以上に美しいものに出会う事なんてないだろう。それでもいい。それでも、こんなに美しいものがあったのだ。

 

 

 

 

「くそ!!あの、夢魔!先に逃げていたのか!」

 

けたたましいモルガンの声に、ロットは意識を浮上させた。気づけば、なじんだベッドの上で寝転がっていた。

体はまるで泥のように重く、眠りすぎたかのように億劫だった。

ロットはまぶしいものを見るように、何かを罵倒している女を見上げた。

 

(・・・モルガン。)

 

まぶたを開けていることさえも億劫だった。

風邪一つしたことがないほどに頑丈な己には珍しい不調を感じながら、ロットはなんとか、ベッドの近くに立つモルガンに手を伸ばし、そのまま引きずり込んだ。

 

「え?」

 

あまりにも軽い女をベッドに引きずり込むことぐらい、ロットには簡単なことだった。

 

「え、ま、まさか、ここで初めて!?い、いいえ。ようやく、ようやくなのですね。まあ、言いたいことは色々ありますが、ようやく私の魅力を理解して。で、ですが、せめて、湯浴みをしたいとも。」

 

彼女は頬を赤らめて何かを言っているけれど、ぼんやりと夢うつつを上下しているロットには理解できていなかった。ただ、彼は、その青い瞳を見ていた。

 

(きれいだな。)

 

思うことはそれだけだった。

先ほど見た地獄は、きっと、事実なのだ。きっと、事実で、この女はきっと自分を見てくれないだろう。

彼女にはもう、あんなにも憎しみも怒りも、復讐心さえ孕んでしまうような愛があるのだから。

 

(でも、それでいい。)

 

最初から、そうだった。ロットはただ、己の娶る女が不幸にならなければそれでよかった。

恋も、愛も、なくたって生きてこれた。

することさえもないと思っていた。だから、例え、この思いが叶わなくたっていい。

あの未来まで時間があるのなら、何か、何かが変わればいい。彼女が、それでも愛せるものさえ出来れば良い。例え、それが自分でなくても。

 

ロットはその美しい瞳を、その、青い炎のような目を間近でみたいと思った。そっと、顔を寄せればモルガンはぎゅっとまぶたを閉じてしまう。

ロットはそれを残念に思いながら、うとうととまたまどろみに引き込まれていく。

 

(そうだ、モルガン、できたらいい。あんなにも、何かを憎まなくて良いように。大丈夫だ、だって、あんなにもこの世界を愛せたなら、きっと。ああ、モルガン、お前さんが、あんなにも何かを憎まなくて良いように、俺は、せめて。)

 

そんなことを思って、ロットはまた、眠りの中に落ちていった。

 

 

 

(マーリンめ!私のものに手を出すなぞ!)

 

モルガンは怒り狂っていた。モルガンはロットの目を覚ますことはもちろん、マーリンにもそれ相応の罰を与えようと思っていた。

が、自分がロットの夢に介入したときには、マーリンはすでに逃げていた。

モルガンはロットのベッドの脇に立って、怒りを叫んでいたが、自分に伸ばされた手にそれを止めた。

ぽすんと、軽くベッドに放られて、気づけば自分の体に太い腕が巻き付いていた。

 

「あ、あれ?」

 

思わず声を漏らした。そうして、ロットが自分をベッドに引きずり込んだことを理解する。

怒りなどはそれによって吹っ飛び、彼女は全神経を目の前を男に向けた。

それに、人であるモルガンは思わず身を固くした。

それに、モルガン・ル・フェは鈍いこれもようやくかとガッツポーズをした。

それに、湖の乙女は微妙なタイミングだがまあいいだろうと棚に上げた。

普段は犬のように陽気そうで愛想の良いロットだが、眠さのせいか気だるそうに目を細めるその様はやたらに色っぽい。

自分に顔を近づけてくるのに、モルガンは覚悟を決めて目をつぶった。

そんな時、目を開けているべきではないだろうと。

が、待てども暮らせど、ロットはやってこない。

そうして、かすかに寝息が聞こえてきた。

まさか、そんな、とは思った。

恐る恐る目を開けた。そこには、すやすやと健やかに眠っているロットの姿があった。

モルガンはすんと、真顔になり、夫の太い腕から起き上がる。

そうして、己の拳に強化の魔術をかける。

その時、モルガンの中の三人の心が一つになった。

 

(こんの、くそが!!)

 

骨を砕かぬ程度の優しさのこもった拳がロットの腹に叩き込まれた。

 

 

 

 

「ふ、あはははははははは!」

 

マーリンはとある夫婦のやり取りを見て爆笑していた。彼は自分の工房にて笑い転げていた。

 

「あーあ、面白いなあ。」

 

マーリンがロットのことを探ったのは単にモルガンのことがあってのことだ。

元々、ウーサー王もマーリンもロットになんの期待もしていなかった。一応は昔からある一族で、古い血族と言えども、その程度だった。

北の果て、そこでモルガンが何をしようと、時間がかかるだろう。

次代になる若者が少しでも時間稼ぎになればいい。

ロットは所詮は贄だった。

けれど、蓋を開ければどうだろう。

ロットの政治は安定しており、民からの信頼もある。

懸念した通りのモルガンの話など、かけらだってなかった。

マーリンはロットというそれに興味を惹かれた。会ったこともないそれが、どんなものか。

マーリンは、男の言葉を思い出す。

それは、島の化身をただの女とした。それを心底信じていた。

只人が、当たり前のように誰かを愛するように。

美に魅入られたわけでも、操られているわけでもなく、力に焦がれているわけでも、恐れに震えているわけでもない。

ただ、それは、モルガンというそれを慈しんでいるらしい。

 

「ふふふふ、楽しいなあ。」

 

マーリンの見た世界では、彼の姿はほとんどなかった。だからこそ、ただの端役として贄としたのだ。

それでも、好奇心に負け、話しかけてみれば見事に当たりを引いた。

 

(端役なんてとんでもない)

 

悲恋なんて好みであるはずがないけれど。その、人と人にはなれぬ女の話は美しい気がした。

 

運命なんて都合の良いものがあるはずがない。

 

男の言葉にマーリンは微笑んだ。

変わる未来はない、滅びはどんなものにでもある。

 

(運命は、太陽みたいで、子猫のようで、雨であり、風なのさ。)

 

彼はああ言ったけれど、マーリンは知っている。

変えられないものがあることを。

運命とは、太陽のように絶対的で。子猫のように気まぐれに、過程や結果で姿を見せて、雨のように恵みを与えることもある。そうして、風のように全てを攫って消えてしまう。

そんなものだ。

マーリンはわくわくした。

起こるべき結末に何がどうなるかは分からないが。

それでも、本命の物語が始まるまでの暇つぶしになるだろうと、ほくほくしながら笑った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後悔


少し長くなりそうなので、切りの良いところまで。
ロット王の父親については、アッ君の顔を想像しています。


評価、感想ありがとうございます。また、いただけたら嬉しいです。



 

 

 

「・・・・んふ。」

「笑わないでくんないか?」

 

ベッドに横たわったロットを見て、ベルンはこらえきれないように吹き出した。ロットの言葉に堰を切ったようにげたげたと笑い始める。

 

「ふ、あはははははははははははは!!じ、自分の嫁さんから腹に一発もらって、ね、寝込むとか。く、あははははははは!」

 

ベルンはばしばしとベッドを叩きながら笑い転げた。

それにロットは恥じるように顔を手で覆った。

 

 

「はーあ。笑ったあ。」

「もう少し、主への敬いってものを持って欲しいんだが。」

「はーい、情けない王の言葉は聞けませーん。」

 

けらけらと笑ったベルンはそう言ってべしりとロットの言葉を跳ね返す。ロットはベッドの住人になって少しの時間が経っていた。

 

「いやあ、にしても陛下が寝込むなんて城の皆で天変地変の前触れかって騒いでますよ。まあ、戦続きに、兵の訓練、政務まで全部してるんですから疲れも溜まってたんでしょう。陛下も若くないんですし。」

 

ロットはそれにはは、とから笑いをして返事をした。

 

 

ロットが覚えているのは、モルガンに痛烈な一撃をもらった、その瞬間だ。

マーリンの悪夢から眼を覚まし、何か、ものすごい良い気分だったことだけは覚えている。

ただ、自分が何をしていたのか、ロットはモルガンの一撃で見事に記憶から吹っ飛んでいた。

部下曰く、閉じられたドアが開いたかと思えば、にこやかなモルガンが出てきて疲れたからとさっさと自室に帰ったらしい。そうして、残ったロットは腹に青痣を作ってもだえていたそうだ。

モルガンの行動に関しては、ロットは承知していると部下には伝えてある。

一応は、ロットを救った賢妻として城での評判は良いらしい。

 

(あー、ものすげえ綺麗なもんを、見てた気が。)

「まあ、今のところ、なんとか回っているのでいいんですが。妃様に政務について一端を担ってもらっている時点で、他の国から笑いものになりそうですけど。」

「うち、人手ないもんなあ、特に文官・・・・」

 

遠い目をしたロットにベルンは内心でため息を吐いた。

人手がないなど、その原因がよく言うと。

 

オークニーはそれでも兵士の質はそこそこ高い。元より厳しい環境だ、弱いものはすぐに絶えてしまう。鍛えられるほどに大きくなるものはその時点で強者なのだ。

また、時折ではあるが、流れ着いたヴァイキングなどとの混血もいる。

けれど、文官、というか教養などがある存在はあまりいない。ある程度学のある人間はもう少し栄えた都市部に集まる。

オークニー自体、どうしても兵士を育成することを優先するため、数が増えない。

それでも、いなかったわけではない。

 

(この方が、文官たちを粛正されたのは、まだ先王が生存されていたときだったなあ。)

 

ベルン自体、ロットが王になってからある程度深い事情を知れる立場になったため、当時のことはそこまで知らない。

けれど、未だ跡取りという立場だったロットが、蛮族と繋がり、国の情報で取引をしていた文官複数名を殺したのは有名な話だ。

その弾み、というのはおかしいが、罰せられることを恐れたものが逃げ出した。

ベルンはちらりと、ベッドの上で何かを考え込む王を見た。

 

(まあ、怖い人でもなければ、近寄りがたい人でもない。でも、聡い方ではある。)

 

文官のいなくなった穴は、今のところ全てロットが担っている。元より、領地も広大というわけではなく、彼自身は文官でも十分にやっていける王だったのが幸いだろう。

古参の、年寄り連中は少年の域を出なかったロットの強行を覚えている。それ故に、表立って彼に逆らおうとするものはいない。そうして、若い、下級の人間になればなるほどに昔のもの知る者はいなくなる。そんな人間にはロットの恐ろしさなど知らぬ所だ。

できあがるのは、親しみ深く、されど苛烈さを含んだ王だ。

ベルンはちらりとまた、ロットを見た。

今回、優秀だとモルガンに政務について口を出すことを赦しても不満の声が出ないのは、もちろん、人手不足で手が回らないと言うこともある。

それと同時に、ロットのなすことに対して信用が出来ると言うことも、反対すれば何が待っているのだろうという恐怖もあるのだろう。

目の前の男が、どんな思惑を持ってそんなことをしたのかは知らないがベルンにとっては仕えるには十分な資質を持っていると思っている。

 

「なあ、ベルン。うちの奥さん、俺の愚痴、言ってなかったか?」

「ぐちぐち言う暇があるなら。さっさと治して直接聞きに行っては?」

 

妻を娶ってから情けなくなったのは珠に傷であろうが。

 

 

 

 

「王妃様、これについて。」

「それについては。」

「こちらは。」

「それは。」

 

モルガンは淡々と頼まれたことに関して裁いていく。彼女がいるのはロットが使っている執務室だ。そこに、数少ない文官がモルガンに意見を聞いている。

最終的にはロットの許可はいるが、そうはいってもある程度のものに練らなくてはいけない。

 

(言葉通りだな。)

 

文官の一人がちらりとモルガンを見た。最初、王妃に政を一時的に任せることをいぶかしんだが、今は納得している。

彼女は淡々と物事を処理していく。

 

(王妃にわざわざ意見を聞いて、教育まがいなことをしているとは聞いたが。なるほど、これはそれほどの価値はあるか。)

 

唐突、あの飄々とした王も、ウーサー王と同じ道を歩くかと思ったが、そうではないらしい。

レディに仕事を任せるなど、と言ってはられない。人手が足りない、それ以上のことはないのだから。

オークニーはどこまでも使えるものは使っていくことにしている。そうしなければ、生きてはいけないのだから。

 

 

(どうすれば・・・・)

 

モルガンはがりがりと執務を行いながら、内心では頭を抱えていた。

モルガンはあーとうめき声を上げたくなる。

 

(ロットを、思いっきり殴ってしまった・・・・・!!)

 

だんと、机を思いっきり殴りたくなった。

 

 

モルガンとて、最初は考えていたのだ。

一人の男を堕落させて、それを操り、周囲の国を奪っていく。自分ならばできると思っていた。

が、蓋を開ければどうだ。仮にも自分の夫に思いっきりの一発入れて逃げてしまっている。

 

(絶対に、幻滅された!!)

 

いくらなんでも自分の腹に悶絶するほどの一撃を入れる女に惚れた腫れたを言える男がいるだろうか。

 

(いない、いるはずがない!)

 

ああと、モルガンは鉄仮面そのままにそんなことを考える。

最初は任されたことが嬉しかった執務も今となっては一周回って女として見られてないからこその所業なのではないだろうかと考えている。

女としてはだめでも仕事は出来るよなと言われている気分だ。

もちろん、認められることは当然とは言え心が弾みはするが。

それでも、モルガンも怒りに任せてあんなことをするのはないなあと思っていた。

幸いなのは、ロットが現在安静を命じられており、ベッドの住民になっていることだろう。

おかげでなんだかんだと会わずに過ごせている。

彼は気づいていなかったのだろうか、白夢魔に生気を吸われて弱っていたのだ。

モルガンは、マーリンとロットは接触まではしていないのだと考えていた。彼が、マーリンの存在を知ればすぐに自分を呼んでその話になっていただろう。

それでも、ロットは自分が目覚めた理由をモルガンには問わなかった。元より、モルガンの出て行った後、彼は後のことを伝えてそのまま眠ってしまった。

 

(信用、信頼。)

 

この国の人間は、基本的にモルガンに対して友好的だ。反発も特別なく、彼らは新しい王妃に優しい。

それが、モルガンにはひどく、くすぐったい。

この島に、モルガンの居場所はない。人でありながら、人でないモルガンに対して違和感を持つものはいるにはいた。

けれど、そういうものは決まってこう言った。

 

ロット王が信じるならばいいのだろう、と。

 

彼らは大抵、その一言で片付ける。

モルガンが知る上では、ロットは老いたものには恐れられ、若い者には慕われている。

若くして、古くから仕えるものを罰したロット。気さくで、下のものに慕われるロット。

そんなロットの花嫁を彼らは大事にしようとしている。

それに、それに、モルガンは叫びたくなる。

何を叫びたいのか分かりはしないけれど、何かを、何かをきっと、叫んでしまいたくなる。

彼はモルガンを信じて、彼女の行いを承知の上だからと他のものに言った。

信用、信頼。それは、いつだってモルガンにとって遠いものだった。

北の果て、所詮は使い潰すだけ。ブリテンを手に入れるための場所だった。

 

(この島が、好きだとあの男は言った。)

 

それはきっと、人がいる国なのだろう。

人と共に暮らす島のことだろう。

 

(彼は、どう思うだろうか。人を滅ぼすと、そう言う私を。)

 

ロットは不思議だ。

城の人間は、ロットが人の嘘を暴くことを得意としていると言っていた。

嘘を見抜くと言うことは、ロットがいつだって誰かの嘘を疑っているということだろう。

けれど、モルガンにだってわかる。

ロットはきっと、人が好きなのだ。

それは矛盾だ。けれど、それでも。それがロットという男だった。

 

(・・・・人を疑い、それでも人を愛するのか。)

 

それはモルガンの知らないあり方だ。

けれど、だからこそ、モルガンは魔術を使わずとも、王妃として暮らせている。

そこでふと、また、マーリンの事を思い出した。

ロットに何かをしようとした夢魔に怒りがわいてくる。

 

(絶対にいつか潰す・・・)

 

そんな固い決意をしながら、三人のモルガンは頭を抱える。

そうだ、今、一番に気になって仕方が無いのは、ロットの腹への一撃なのだ。

モルガンは、咄嗟とは言えあんなことをしてしまったことをロットに幻滅されたと絶望していた。

モルガン・ル・フェは、この程度で身を引くような男は願い下げだと思いながらロットに会えないでいた。

湖の乙女は、どうにかしてごまかせないものかと考えていた。

何よりも、現在、モルガンはロットからお呼びがかかっているのだ。

何かまではわからない。ただ、今まで散々に政務があるからだとか、お疲れだとか、ロットが眠った時を狙って見舞いには行っている。

が、とうとう、執務が一段落したら部屋に来るようにとお達しがあった。

 

(ああ、前までなら、嬉しかった!嬉々として行った!)

 

が、ハラパンの後にどうどうといけるほどモルガンも図太くはなかった。

さすがに離婚云々はないが、現状では何を言われてもへこんでしまう。

 

(・・・・仕方が無い。プライドを、今は捨てよう。)

 

ここまで自分の評判を下げたのはモルガンのせいだ。ならば、プライドも今は捨ててしまおう。

 

(惚れ薬を、ロットに飲ませてうやむやにする!)

 

固い決意をしたモルガンはさっさと執務を終わらせるために意識を集中させた。

 

 

 

ロットはベッドに潜り込み、うとうととしていた。

マーリンの件のあと、やたらと眠く、食欲があったがこのごろはそこまでではなくなった。

もう、ベッドから起き上がっても構わないだろう。

が、悩みというのがモルガンのことだ。

彼女に助けられたと理解はしていたが、何故か一向に見舞いに来てくれない。

自分が眠っているときに来るためかすれ違っているようだが。

 

(何よりも、マーリンのことを彼女に聞く必要があるだろう。)

 

ロットはモルガンにあのことについて聞かなくてはいけないのだとわかっていた。少なくとも、彼らはいったい、これからどうすべきなのか。

 

(いや、違うな。害するのはモルガンであって、彼らの味方を俺はしなくていけない。)

 

ロットは自分が王であると知っている、理解している、わかっている。そのあり方を自分でも望んでいる。

けれど、下手な疑いを彼女に向けておくのはいやだった。そのために一度は、話を聞いておくべきだと思った。

ロットはモルガンの味方だ、己の妻の味方である。それは決まっているのだから。

 

(だが、俺は。もしも、彼女が敵になったと。そうなる前に、何をすべきなのか。)

 

こんこんと、ノックの音がした。それにロットは顔を上げた。がちゃりと、部屋の前で待機していたダイルが扉を開ける。

 

「失礼します。」

 

にっこりと微笑んで部屋に入ってきた妻は変わることなく美しかった。

 

 

「・・・すまないな。疲れているだろうが。」

 

ロットがそう言えば、モルガンは椅子に座り、行儀良く膝の上で手を組んだ。

 

「いえ、陛下もよくなられたようでよかったです。」

 

ロットはその言葉に目を丸くした。それは、珍しく真実だったからだ。それにロットは少しだけ嬉しくなる。死んでほしいだとか、苦しんで欲しいだとか思われていないようだ。

少しだけ嬉しくなって、ロットの顔は緩んでしまう。それにモルガンは不思議そうな顔をした。

ロットは慌てて顔を引き締めた。

ただでさえ、寝込んで呆れられていないかとどきどきしているのだ。

 

「それで、話が・・・・」

「陛下!」

「お、おう?」

 

モルガンはロットの言葉を遮るように言葉を吐いた。らしくない、焦った声にロットは返事を返した。

 

「その、陛下のために薬湯を作ったので、飲んでいただきたいのですが。」

「薬湯?」

「はい。」

 

モルガンは入ってくるときに持ってきた、机に置いていたコップを差し出した。中を見ると、とろりとした桃色の液体が入っている。

 

「これは?」

「その、疲労回復に、よいものです。」

嘘。

 

ロットは少しだけ考え込んだ。疲労回復の飲み物ではないとして、これはなんなのか。

毒だとかそういった類いであるのなら、目に見えて減っている敵意の説明がつかない。

 

「危ないものではなさそうだ。」

「そんなことはありません。」

真。

 

ロットはふむとうなずき、そうしてモルガンの方を見た。そこには、最初に会った時のような痛々しい、まるで傷だらけの獣のような雰囲気はない。

ロットは一つ、息を吐く。

少なくとも、あの夢の中己を助けに来たのは、流星だった。ロットは息を吐き、そうして、それを飲み干した。

甘いそれを飲み干し、そうして、コップを置く。

一瞬だけ、ちかりと視界が輝いた。目の前にいるモルガンが、まるで、星屑でも纏ったかのように美しく、魅力的に見える。

けれど、すぐにそれもなくなってしまう。

 

(まさか、モルガンにこのごろ会えなくて、禁断症状が?)

「あの、陛下。」

「あ、ああ?」

「なにか、ありますか?」

 

などと言われても、特別なことなど無い。

 

「いいや。まあ、遅れて効くかもな。」

「そ、そうですか。」

 

明らかにしょんぼりとした彼女にロットは、疑っている自分を恥じた。なんだかんだで、モルガンは自分の心配をしているようだった。

 

「・・・・モルガン。」

「え、あ、はい。あの、その、あのときのことは不可抗力であって・・・・」

「夢の中で、マーリン殿に会った。」

 

最後に向けてだんだんと小さくなっていくモルガンのそれにかぶせるようにロットは言った。

それに、モルガンの目が大きく見開いた。

しんと、部屋の中の空気が凍り付く気がした。

それを、ロットはよく知っている。

それは、怒りだ、憎しみだ、殺意だ、そうして、掠れた悲しみ。

知っている。わかっている。

だから、ロットは悲しくなる。そんな感情を抱くほどに、それは己の故郷に仕える賢者に憎悪を燃やしているのだ。

 

「・・・何を、話されましたか?」

 

ロットはそれに、素直にマーリンに見せられた夢を語ろうとした。それをかくしておくのは不誠実な気がした。

けれど、それ以上に、自分で言った言葉を思い出す。

 

(未来は、自由であるべきだ。)

 

それを、それを話してしまうと、それが本当になる気がした。お前はそうなるのだと、決めつけてしまう気がした。

だから、咄嗟に、ロットの口から転げ落ちたのは。

 

「星を見たんだ。」

「星?」

「ああ、とても綺麗な、どこまでも飛んでいく、流星を見たんだ。」

「・・・・あれがそんなものを。そんなはずは。」

「モルガン。」

 

ロットはベッドから身を乗り出すようにして、モルガンの手を握った。

 

「本当だ。」

 

握りしめた、細い手。自分に、伸ばされた手を。青い星を思い出す。

ロットはモルガンの耳が少しだけ赤くなったことに気づかない。ロットは、微笑んだ。

 

「とても、綺麗なものを見たんだ。見せてもらったんだ。それだけのことだ。彼の人はなかなかに気まぐれと聞くし。何か思いつきでもあったのだろうさ。」

 

するりと手を放すと、モルガンは握られた手を握っては開いてと繰り返す。そうして、気を取り直したかのように口を開いた。

 

「本当にですか?」

「ああ。彼の人も、その夢を見せた後、そう言われていたしな。」

 

話さなくていい。知らなくていい。あんな未来なんて訪れるはずがないのだ。

ロットは知っている。

その女は、苛烈で、刺々しく、賢しく、美しくて、そうして少しだけ不器用なのだ。

だって、敵意を捨て切れてもいないのに、それでもオークニーまで来てしまった理由であるロットを気遣ってくれる。

不器用だ、世界の全てが敵であるというのに、どこか、周りへの心を捨てきれない。

不器用だ。全てを憎もうとして、憎めていない。

彼女はロットへの手を伸ばしたから。

 

「・・・とても、綺麗な星だったんだ。だから、何の心配もないんだよ。」

 

穏やかな声でそう言ったロットにモルガンは無言で視線を向けた。

それは、冷たく、凍るようで。

モルガンがここにきてすぐの時を思い出す。

 

「・・・陛下、一つだけ、お聞きしたいことがございます。」

「ああ、なんだ?」

「陛下は、陛下は。」

 

人がお好きですか?

 

それは、まるで子どものような声だった。幼い、声だった。モルガンは、そうロットに問いかけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

春を愛し、冬を愛する。

ちょっと難産。

感想、評価、ありがとうございます。

感想、いただけると嬉しいです、


モルガンは、己の口から漏れ出た言葉に驚いた。

それは、本当に無意識から漏れ出た言葉だった。人の嘘を知るそれが口にするには、あまりにも優しげなものばかりで。

だから、モルガンは、どこかでそれを嘘だと思ったのだ。

 

「・・・・お前さんは?」

 

いつも通り柔らかな声に、モルガンは口を噤んだ。オウム返しをするのは卑怯だと思いながら、何も言えなかった。

嘘をつきたくも、本音をさらしたくもなかった。

無言を選んだモルガンにロットは、うーんとうなった。

 

「そうだなあ。春を愛するのなら、冬だっていつか愛するようになるもんだろう。」

 

謎かけのような言葉にモルガンは眉間に皺を寄せた。謎かけのようなそれに、ごまかされたような気分になったのだ。

ロットはモルガンのそれに何かを察したのか、少しだけ考えるような仕草をした後、ベッドからのっそりと立ち上がった。その姿は、まるで冬眠明けの熊のようだった。

ロットは部屋にあった適当な上着を手に取り、それをモルガンの肩にかけた。

そうして、ロットはモルガンの背中と膝裏に手を差し入れ、掬うように抱き上げた。

 

「きゃ!」

 

ロットはモルガンを自分の腕に座らせるような形で抱えあげた。モルガンはロットの肩に縋り付く。

 

「な、なにを!?」

「前から見せたかったところがあるんだ。ちょっと歩くからな、掴まっておいてくれ。」

 

ロットはそう言うと、さっさと自室の扉を開けた。

 

「・・・・陛下、どちらに?」

「ちっとな。塔に昇るだけだからついてこなくていいぞ。」

 

モルガンは、自室の前にいたダイルを前に居心地が悪そうにロットの腕の中で体を震わせた。ダイルはちらりとモルガンを見つめた後に礼をする。

 

「お気をつけて。」

「おう。」

(な、なんだ!?)

 

モルガンは自分が子どものように抱っこされた状況に動揺していた。普段、気軽にかわいいだとか、俺の奥さんだとかロットは声をかけても基本としてスキンシップというものを好まない。それこそ、節度というものを守りすぎている節がある。

 

(もちろん、スキンシップは望むところだが。こう、もう少し段階というものをつけて。いや、どんどん触ってくれていいが。)

 

モルガンは全身で感じる夫の体温に固まった。

モルガン・ル・フェは普段からこのぐらいの気軽さを持てと思った。

湖の乙女は乗り物として快適だなあと思った。

それはそうとして、馬に同乗した以上の密着にモルガンは固まった。城の人間はロットたちの姿に驚いた顔をするが、何事もなかったかのように頭を下げて見送った。

 

(・・・・嫁を取ったと言うよりは、養子をとったと言った方があっているな。)

 

なんてことをダイルが思っていることなどモルガンの知るところではなかった。

 

 

ロットはずんずんと城の中を歩く。モルガンがあまり足を踏み入れたことのない区域だった。

 

「陛下、どこにいかれるのですか?」

「うーん?俺のとっておきだ。楽しみにしててくれ。」

 

弾んだ声でそう言われればモルガンもなんとなく、それに水を差す気にもなれなかった。モルガンはぽすりとロットの肩にもたれかかり足をぶらぶらと揺らした。

 

 

(そう言えば、こんなことをされたことは、なかった気が。)

 

幼い頃、もしやすればあったかもしれないが、記憶の上でそんなふうに乱雑に、気安く運ばれたことはない。

ゆらゆらと、ロットの腕の中でモルガンは揺れている。

 

(・・・眠い。)

 

丁度、仕事を片付けた後の昼下がり。冬が近く肌寒くなった季節に彼女の夫は丁度良い湯たんぽだった。

ゆらゆら、ゆらゆら。

モルガンはぼんやりと機嫌のよさそうなロットの横顔を眺めた。

 

(・・・少し、だけ。)

 

ゆらゆら、ぬくぬく。ゆらゆら、ぬくぬく。

モルガンはそのままうとうととまどろみの中に入っていく。

 

 

「奥さん。奥さん。」

「ね、ねてません・・・・」

 

モルガンはロットの声に反射のように返事をした。眼を覚ましたモルガンは、ロットがどこかを昇っていることを理解した。

どうやら、どこかの階段を昇っているらしい。

 

「・・・・ここは家の城で一番に高い塔だ。」

「・・・・そんなのは知っています。」

「さっきから寝て・・・」

「寝てません!」

「まあ、そうならそれでいいんだが。」

 

モルガンの言葉にロットはまるで子どものようにそういった。ロットの苦笑交じりのそれにモルガンはますます不機嫌になる。

抱っこされてそのまま寝てしまうなんて子どものようなことをするはずがないのだ。

モルガンは子ども扱いに不機嫌になった。

モルガン・ル・フェは自分をあまりにも幼く扱いすぎではないかと苛立った。

湖の乙女はふわあと眠たげにあくびをしていた。

長いらしい階段をロットはすいすいと上っていく。そうして、とうとう行き止まりにたどり着いた。

そこは、石を積み上げたベンチと、そうして吹きさらしになった窓があるだけだ。

モルガンはロットがわざわざ連れてきたそこになんの価値があるのかと眉をひそめた。

そこには財宝があるわけでも、希少なものがあるわけでもない。

人が好きか、嫌いかなどという答えがあるようにも見えなかった。

ロットはそっと、モルガンをベンチの上にちょこんと置いた。

 

「見せるのが遅くなって済まなかったな。ここが、いや。これが、俺にとっての美しいものだ。」

 

そういって、見た、窓の外。

風が吹いた。寒い、まるで背筋を伸ばせとせくような、厳しい風。

突き抜けるような青い空、どこまでも続く、町並み、そうして、確かにそこで生きる人々。

 

モルガン、遠い地から来た、我が妻よ。

北の果て、我らが国にようこそ。これこそが俺の宝。お前さんにずっと見せたかったものだ。

 

 

 

「なあ、モルガン。お前さんが、なんだってあんなことを聞いたのか俺は知らないが。まあ、そうだな。俺は人が嫌いだし、人が心の底から好きだ。」

 

ロットはモルガンが子どものように窓の縁に手をかけて外を眺めているのを見ながらそういった。そうして、その隣に座った。

モルガンはその言葉の意味がわからなかった。

答えているようで、答えていない。

 

「・・・・・それは矛盾しています。」

「そうか?案外矛盾してないんだぞ。」

 

ロットはにこにこと笑ってそういった。モルガンは、理解する。男の言葉はけして嘘ではないのだと。彼は、心底そう思っているのだ。

 

「・・・・陛下は、裏切りを見つけるのがお得意だと聞きました。」

「うん?ああ、もしかして、俺の若いときの話聞いたか?なんだ、少し恥ずかしいんだが。そうか、それでか。いつだって、嘘をついているのか、疑っていると思ったのか。」

 

納得の色がある声に、モルガンは視線を下げた。

 

 

モルガンは人間が嫌いだ。

自分を拒絶するものが嫌いだ、自分を否定するものが嫌いだ、この島に育まれ生かされているのにモルガンを否定する人が嫌いだ。

嫌いだ、自分を追い出した父も、それを助ける夢魔の混血も。

モルガンは全てが悉く嫌いだった。

人は、嘘つきだ。人は、愚かだ。人は、簡単に墜ちて、疑って、狂っていく。

なのに、ロットは。

人を疑って、嘘をついていないかと思うくせに、人が好きだというのだ。

 

(この男が、本当のことばかりを言うなんて、あるはずがない。)

 

なのに、モルガンはロットに嘘をつかれていると、そう感じたとき、心底がっかりしたのだ。

男の何にそこまで失望したかのわからないが。それでも、心底がっかりしたのだ。

 

「・・・・疑っていると言うよりは、あれだな。なんとなく、嘘をついている人間の癖がわかってるのか。そこまで四六時中疑ってるって話じゃなくてな。やたらと勘がいいだけだ。勘に従って調べたら、大きな嘘が出てくるってだけだ。でも、そうだな。俺は、嘘がわかるからこそ、人が嫌いだと思うし、好きだと思うんだ。」

 

ロットは窓に肘をついて、モルガンを見た。ゆるりと笑った森の色をした目は、本当を語っているようだった。

そこには、モルガンにとって慣れ親しんだ、疑いも敵意も、拒絶もない。

どこまでも、優しいだけの色しかない。モルガンは、こくりと、子どものように頷いた。

それにロットは口を開く。

 

「昔な、冬が嫌いだったんだよ。」

「冬が?」

「ああ、寒いわ、食い物は少ないわ。何よりも、冬は死人が多かった。たくさんのものを奪われていくようで、冬が心底嫌いでな。俺が冬なんてなくなってしまえばいいって漏らしたとき、父上が、本当に珍しく俺の所に来てな。ここにつれて来られたんだ。冬の時期でな、真っ白な雪が、この国を覆ってたんだ。」

 

 

綺麗だったんだ、これが。真っ白な、雪が。本当に綺麗で。

澄んだ空に、まっしろな雪がきらきら反射しててな。外で動いてる人間の白い息がふわりと浮いて。

俺はな、その時、冬が心底好きになったんだ。あんまりにも綺麗で、その白色がどんなに残酷でも、綺麗だった。だから、好きになったんだ。

父上は、綺麗かと俺に問うた。俺はそれに、綺麗だと答えた。あんまり口数も多くないし、何よりも俺と話をすることなんて殆ど無かったからな。

それでも、その時だけはたくさん話をしてくれた。

冬は眠りの時期だ。命を育み、次に渡すための時間だ。だから、存在しないといけない。

与えられることばかりを望んではいけないってな。

 

 

「誰から、ですか?」

「この島からだ。」

 

モルガンはその言葉に目を見開いた。

 

「俺たちはこの世界に勝手に生きてるだけで、この世界には冬が来る理由がある。冬は俺たちに与えてばかりのこの島が命を蓄える眠りの時間なんだって。この島で生きるのではなく、俺たちは、この島と生きているんだってな。」

 

それは、それは、モルガンの知らない言葉だった。

誰もが、そんなことを思わない。きっと、この島の食物を食べ、大地の上で眠ることを人は当たり前だと思っている。

彼らはこの島で生きている。島は、あくまでも道具なのだ。便利に生きていくだけの、道具なのだ。

 

「変です。」

「そうだな、でも。そう言われたから、俺は冬を愛することを決めた。大好きなこの島が休んでるんだ。一時の、暇というならばゆっくり休めと願いたくなるだろう。なあ、モルガン。」

俺は、この島が好きだ。この島の、春も、夏も、秋も、そうして冬だって好きだ。この島の一部だ。だから、俺は人が好きだ。この島で共に生きる獣も、木々も、人のことだって。

 

朗らかな声で、男は言った。見上げた先で、帳のような髪が揺れている。それは、確かに、愛の言葉であったのだ。

 

俺は心底、愛したいと願うんだ。

 

男が、笑っていた。

夜のとばりのような黒い髪。美しい顔をほころばせて、男はモルガンを見ていた。

それに、モルガンはなんとなく、理解した。

 

ずっと、ずっと、人が嫌いだった。人が嫌いで、この島だけは好きだった。最初から与えられたのは自分だったのだ。ならば、それを我が物顔で扱う人が嫌いだった。

自分を嫌うそれを好きになる必要など無いだろう。

それでも、何故か、その男のことだけは不思議と嫌いではなかった。共に生きることに嫌悪がなかった。

 

(ああ、そうか。この男は確かに、この島(わたし)を愛してくれているのか。)

 

この島の春のような緑の瞳が、とびっきりに美しく見えた。

 

 

 

 

ロットは、そっと自分を見上げた、きらきらと日に照らされて輝く青い瞳を見つめた。

そうして、その頬に恐る恐る触れた。柔らかな頬を、撫でた。白い、雪のように冷たく、けれど綺麗なそれ。

 

「俺は、人が嘘つきだって知ってる。嫉妬だとか、そういうのを実際に知ってる。でも、俺は人が好きだ。」

「何故?」

 

モルガンの問いにロットは当たり前のように答える。

 

「それでも、人間は星のありかを知ってるからだ。」

 

ロットは基本として人間というものがなかなかにろくでもないことを知っていた。

嘘をつき、裏切って、散々に踏みにじる。

怖いから、死にたくないから、幸せになりたいから。

それで他人を踏みにじる。そんなものを悉く見た。けれど、それでもなお、素敵だと思ったのだ。

偽りと悪意で暗い世界の中で、宝石のように、星のように輝く欠片のような真と善意を

見つけたその時。

ロットは心から、生きて良かったと思うのだ。

 

ずっと一緒にいたいけれど。それでも、さようなら。

そんないじらしい嘘を知っている。

 

必ず帰ってくるよ。きっと、きっと。

そんな寂しい嘘を知っている。

 

孕んだ憎しみに、赦すことを選び口を噤むあり方も。

誰かの幸福のための偽りを知っている。

 

人は誰かのために嘘をつく、どうか、誰かよ幸せであれよ。

そう願って、己から泥を被る生き方を知っている。

ああ、それは。それは泣きたくなるほどに美しいじゃないか。

ロットは目の前の流星を見た。きっと、いつか、遠くに駆けてゆく、ロットのお星様。

誰もがそんなものを抱えている。

羨ましくて、憎くて、悲しくて、寂しくて、足下の泥を睨んで誰かにぶつけてしまう時が人にはある。

けれど、思わず仰ぎ見た空に見つけた星に、手に持った泥を落とすのだ。泥を持っていたことさえ忘れて、汚れた手でも星に手を伸ばすのだ。

 

嘘も真も人の一部だ。

自分だって、己の全てが嘘ではない。けれど、真でさえもない。

ああ、そうだ。

絶望するような偽りならば、いくつもあった。

けれど、人が愛しくて仕方が無くなるような真も善意も確かにあるから。

 

「だから、モルガン。どうか、この国と民たちがお前にとって美しいものであると願っている。俺が島の春と冬を愛したように。お前が、いつか、この島と民を愛する日が来ることを願っているよ。」

 

モルガンは少しだけ沈黙をした。そうして、掠れた声で、囁いた。

 

「・・・・私も、この窓から見た世界は、嫌いではないです。」

 

島で人が生きている世界が、嫌いではないのです。

掠れた声で、それは、まるで必死に意地を張る子どものようで。ロットは自分の好きなものを、嫌いではないといった女が心の底から愛おしくてたまらなくなった。

そっと、彼女を抱きかかえた。まるで、子どもにするようにそんなことをした。

 

「な、なにを!?」

 

いわゆる高い高いの状態になったモルガンをロットは引き寄せた。そうして、自分の唇を、女の口に重ねた。

 

「へ?」

 

モルガンのそれに、浮かれたロットは気づかない。

 

「ああ、そうだ。改めてようこそ、我らが女王。俺の奥さん。俺たちは、あなたを歓迎するよ。」

 

にっこりと笑ったロットにモルガンは固まった。そうして、彼はのんきにモルガンを抱えて、帰るかと言った。

そんな男には、顔も耳も首さえも真っ赤にして固まった女の顔など見えていなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

余韻


申し訳ないです、少し忙しく、投稿がのんびりになります。


評価、感想ありがとうございます。
感想いただけると嬉しいです。


 

 

「・・・・冬ですね。」

 

ベルンの言葉にロットはちらりと外を見た。それに、ベルンもまた同じように視線を向ける。視線の先にはしんしんと降り積もる雪景色がある。

 

「冬だな。」

 

ロットはその言葉に頷いた。ぼんやりと、薪や食料が足りないような村はないだろうかと考える。それに、ベルンははあとため息をついた。

 

「王妃様が嫁いでこられて、かれこれ半年以上過ぎましたね。」

「あー、そうだな。もう、そんなに経つのか。」

 

ほっこりしながらそんなことを言う男にベルンはずいっと顔を近づけた。

 

「半年、ですね。陛下?」

「え、ああ・・・・」

「は、ん、と、し、ですねえ?」

 

自分にそう言って詰め寄ってきたベルンに、ロットはそっと視線をそらした。

 

 

 

ベルンは目の前でそっと視線をそらした主をにらみ付けた。

彼の主人に当たるそれは無駄に育った体を縮めてベルンからそっと視線をそらしている。

無礼であるとかもろもろはベルンはそっと置いておく。何と言っても、彼とて一言二言言っておかなければならないのだ。

「いったいいつになったら、自分の妻に手を出すんですか!?」

「あーあー!!聞こえんぞ!!」

そう言って耳を塞いで顔をそらすロットにベルンは眉間に皺を寄せた。

本音を言うならば、その手を払いのけて耳元で説教の一つでもしたい気分だ。ただ、無意味にすくすく育っているロットに身体面で勝てるなどと思えない。

それでも、そんな欲求に駆られるのも仕方が無い。

ベルンとしては、早くロットに王妃へ手を出してもらわないといけないのだ。

(何人かが五月蠅くなっているというのに。)

ベルンの脳裏には幾人かのやっかいなそれのことが浮かんでいた。

 

ロットがモルガンに手を出していないのは、城の中では何割かが知っている事実だった。

モルガンの近くにいる侍女たちはすぐに察し、そうしてそれを経由して知っているものが少数いた。

それでも、誰もそれについて口を出さなかったのは、ひとえにロットへの良い意味での、悪い意味での信頼故のことだ。

ベルンもまあ、時間が経てば終わるだろうと高をくくっていた。が、蓋を開ければどうだろう。どう見ても嫌いあっていない二人が夫婦になり、数ヶ月。未だに、ロットとモルガンの間に関係はない。

 

(この前、やっと!やっと!気に入りの塔に連れて行って、何かしらの進行があったのかと喜んでいたというのに。)

 

モルガンとキスしちゃったと頬を赤らめた大熊を前にしたベルンの脱力感をきっと多くの人が理解してくれていることだろう。事実、ダイルに横っ腹を殴られて悲鳴を上げていた。

 

(ええ、遠方からやってきた妻を気遣うのは正しいんでしょうが。だからといって、そんな場合でもない。)

 

おかげで、何人かが騒ぎ出しているのだ。

 

(このままだと、側室の話を本当に陛下にする者も出てくる。)

 

ロットの臣下には先王から仕えているものも多くいる。そうして、年頃の娘を持っている存在も。ブリテン島の田舎に当たるオークニーで、一番の婿がねといえばロットなのだ。

それだけでなくなんだかんだで優秀なロットは娘を持つ父親たちには人気であった。

モルガンとの婚姻が出る前は、彼への縁談話は数多くあった。

そうして、モルガンとの関係を知ったそれらの幾割かが馬鹿なことを考え始めている。

 

(だからといって、モルガン妃との関係を突かれた上で跡継ぎの話をされればこちらも無下には出来ない。元より、婚姻とはそういうものですし。)

 

ロットが正妃と関係を持たないというならば、代りの女の話を出すのは忠言には当たるのだ。一方的に処分することは出来ない。元より、ただでさえ人手が少ないのだから、対処というものに困るのだ。

下手にとがめて人手がなくなっても困り、だからといって相手の言うことを素直に聞くわけにも行かない。

 

(陛下に伝えたくなかったが、そうはいっても・・・・・)

 

そんなことを考えているベルンにまるでごまかすようなロットの咳払いが聞こえてきた。

 

「あー、そうだ!お前に一つ、急遽頼みたい仕事があってな!!」

「・・・ごまかすにしても。」

 

ロットはベルンの声を遮るようにして幾人かの名前を言った。それに、ベルンは顔をこわばらせた。それは、ベルンの記憶が正しければ、ロットとモルガンのことで水面下で騒いでいる人間の名前だった。

 

「陛下、それは。」

「何でも皆、己の娘の結婚のことで悩んでいるそうじゃないか。いつも頑張ってくれているからな。良縁を紹介してやろうと思うんだ。あとで候補の名前を渡すから、皆に伝えておいてくれ。」

 

ベルンはめまいがしそうになりながら、それに頷いた。

ロットは確かにさっぱりとした人間だ。楽天家で、気安い。だからといって、含むことがないわけではない。

以前、こんなことがあった。侮った相手が嬉々として計画を立てていると、堂々とその横腹を突いて言うのだ。

楽しそうだな、俺も仲間に入れてくれよ、と。

漏れたということもない、仲間内で、それこそばれる要素もない。けれど、ロットはいつだって訳知り顔で笑う。

今の言葉も、娘の縁談をくだらないことに使うなと言う皮肉であると、それぐらいは察している。

 

(どこで仕入れてくるんだ。本当に。耳のように働く人なんていたか?)

 

ベルンはじっとロットを見た。

 

「・・・・そうですか。私も知りませんでしたが、どこでお知りに?」

 

ベルンの言葉にロットは不思議そうな顔をして、とんとんと己の眼帯を指で叩いた。

 

「どこでなんて、見てればわかることだろう?」

 

 

 

 

(・・・・かさついていた。)

 

その日、臨時の執務が終了したモルガンは、己の自室で休んでいた。別に王妃だからと言って暇なわけではなく、糸を紡いだり、己の夫の服を縫ったり。

が、その程度のことモルガンは早々に終わらせてしまっている。

そんな彼女は塔の上にて、起こったそれについて考えていた。

何か、ロットが言っていた気がする。もちろん、何を言われたかなんて賢しい女王である彼女はそれを覚えている。

男の人への情も、美しいこの国のことも、モルガンの居場所になったことを

覚えている。

けれど、それは最後に己の唇に重ねられた時のことを思い出すと、何もかもが桃色に染まってしまう。

 

(乾燥してた、あと、柔らかかった。)

 

それを思い出すたびに、モルガンはぼふりと何かしらに顔を押しつけて、精神を落ち着けた。そうして、今押しつけた椅子の肘置きから顔を離して妙に熱いほっぺたをむにむにと揉んだ。

 

(そうだ、あれしき、私にとっては些細な児戯。大体、あれは唐突だから予想外で驚いてしまうんだ。)

 

うんうんと頷きつつ、モルガンの脳裏にはかさついた感触が反芻する。それに、モルガンは自分の胸がばくばくとなり出してしまう。

いっそのこと、ごろごろと辺りを転げ回りたい気分だったが、さすがにそこまでするほどプライドがないわけではなかった。

けれど、体の奥底からあふれ出る動揺を押し込めるためにぐっと歯茎に力を入れた。

そうだ、元よりあの程度児戯なのだ。大体、ロットもあの後けろりとしてモルガンを部屋に送り届けたのだ。

そうだ、その程度なのだ。

 

何故、私だけこんなに動揺している?

 

モルガンの中でそんな思いが生まれる。そう思えば、なんだか、たまらなくムカムカとしてきた。そんなことを思っていると、湖の乙女が何の気なしに他の己に言い捨てる。

 

なんて言ってるけれど。私たちにそんな経験あるわけでもないから、ロットの方が上手でしょうねえ。

 

それにモルガン内で、モルガン・ル・フェとモルガンがざわついた。

 

け、経験が何だと言うんです!?男をたぶらかすなんて簡単に決まっているでしょう!?

私に跪かない男なんているはずないでしょう!?

でも、ロット、女の影はなかったけど経験が無いわけじゃないし。そういうイロハは私たちより知ってるんじゃないの?

乙女、あなたはどっちの味方なのですか!?

そうだ!貴様、自分は関係ないというような顔をして!

だって、私は別にこのままでいいかなあって。

よーくーあーりーまーせーん!!!

いいわけあるはずがないだろう!?だいたい、私たちはあれに好きかってされすぎている!この前も、ロットに先手を打たれて、キ、キスされるなど!自ら行くということができないのか!?

なら、あなたがしてくださいよ!?

妖精の私が自らそんなことを請うなどなさけないだろう?

逃げるんですか!?

誰が逃げるなど!?

ねえねえ。

なんですか?

なら、私がしようか?

え?

 

 

(今日も何か考えてこんでおられる。)

 

モルガン付きの侍女である彼女は椅子に座り物憂げな顔をしているモルガン、実際は三人格で醜い争いをしているのだが、そんなことを知るよしなどないだろう。

そんな彼女はモルガンについて心を痛めていた。

というのも、モルガンの侍女であるが故に知っている、ロット王との関係についてだ。

 

(あのへたれめ。)

 

 

その侍女である女は昔からロットのことを知っていた。といっても親しいわけではない。幼い頃から城に上がり、見習いとして経験を積んでいた彼女は次期王であるロットのことはよく知っていた。

人好きのする少年は少々身内としての感覚が強い小国ではなかなかに慕われていた。

愚かでもなければ、強い少年に期待するものは多くいた。大人たちがかわいらしいと思うようないたずらもよくしていた。

彼女も遠目ではあるがロットを眺めていたが、嫌いでは決してなかった。

けれど、いつの頃だろうか。

あるとき、馬に乗って一人で出かけたロットが目に怪我をして帰ってきたと騒ぎになった。けれど、それもすぐに落ち着いて、当たり前のように人前に現れるようになった。

それからだろうか。ロットが城の中の秘め事に精通するようになったのは。

城の女たちが話す噂話に、臣下たちの企み。

侍女である彼女が全てを知ることはなかったが、何かしら、城で起ころうとしたとき波が引くように消えてしまうことぐらいは知っていた。

なんというのだろうか、うさんくさくなったようには思う。

陽気で、明るくて、女子どもに優しいそれは実際の所女たちに人気があるかと言われれば悩む。

実際の所、女たちから熱い視線を受ける要素は相応にある。

礼節のある行動、身分をわきまえているとは言え誰に対しても誠実であり、騎士としての力量。何よりも、滅多にないほどに美しい顔立ち。

最初はロットの妻になりたいと思う女はいた。が、蓋を開ければロットの人気はみるみる下がっていた。

というのも、あまりにもロットというそれは女に対して興味が無かった。

男同士で鍛錬をしている方が気楽というそれは、経験が無いわけでは無いのだが、のらりくらりと貴婦人たちからのアプローチを避け続けた。

強引にことを進めようとすれば、父親に根回しをして縁談を用意し、面倒になるとどうどうと興味が無いと口にするような男だった。

その、一周回って誠実な性格に夢ばかり見ていられない女からの人気はがた落ちした。

 

ロット王?悪い方ではないけれど。

 

というのがロットの評価であった。

だからこそ、ロットに妻ができることがどれほど嬉しかっただろう。侍女になって数年。だというのに世話をする女主人もなくどれほどの年月が過ぎただろう。

嬉しかった。ようやく、己の仕事が果たせるのだと。

やってきた王女は、目が潰れるほどに美しかった。控えめで、ささやかな年下の少女は彼女の感性にがっつりとヒットした。

飾り立て甲斐のあるモルガンは他の侍女からも人気だった。

何よりも、同じ女の立場だ。何も知らない国にやってきた少女が哀れだった。

何よりも、ようやくロットをノックダウンできるような姫が妻としてやってきたのだ。

彼女は今でも覚えている。初めて、モルガンにあった日のロットの表情を。

驚きに満ち、けれど、美しい少女に見とれる少年染みた顔を。

それに城の女たちはざわついた。

今まで、散々に、多くの女たちを袖にし、そんなものより釣りがしたいと放り出し、果ては興味が無いと言い捨てた、その男。

そのままやってしまえと拳を握った女は多かった。

たった一人の女のために政務をおろそかにするような王ではない。そんな信頼もあり、侍女一同はなんとかしてロットの鼻を明かしたいという気持ちだけだった。

 

(だというのに!)

 

初夜の日、ぴっかぴかに磨き上げた少女が綺麗なままに戻ってきた、あの日。

そこにどれほどの誠実さがあろうと、侍女たちにとってはふざけるなと言いたかった。

あの手この手で王妃を飾り立てたが、ロットはまるで初孫をかわいがる祖父のごとき態度である。

 

(とうとう、ほかに女が必要じゃないかなんて話まであって。)

 

ロットの不甲斐なさに怒り狂っていた侍女は青筋を浮かべながら、固く誓う。

その王妃に対して、できるだけ誠実であろうと。

 

(さて、今日もどうにか作戦を考えなくては。)

 

そんなことを思っていた侍女の耳に、ノックの音がした。ちらりとモルガンを見れば、気づいていたらしい彼女は頷いた。

それにドアを開けた。

ドアの先にいたのは、モルガン付きの侍女であった。それは非常に慌てた調子で部屋に入ってくる。

 

「どうしました、はしたない。」

「す、すいません、ただ、あの、すぐにお伝えしなくてはと!」

 

陛下が、王妃様に夜、部屋に来るようにと!

 

その言葉に部屋の中の皆が動きを止めた。それはいつぶりの夜の誘いであったのだ。

 





途中のモルガン三人娘、誰が誰かわかったでしょうか。ご意見いただけると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

賽はすでに振られていた


お久しぶりです。ごたごたがようやく終わったので、前ぐらいのスピードで登校できると思います。
お待たせしてしまい、すみません。


評価、感想、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

女性が苦手かと言われると、少し悩んでしまうことがロットにはあった。

ただ、女性への対応みたいなものがどうしても面倒だなあと思うことはあった。

 

(父上のこともあったからなあ。)

 

騎士とは基本的に女性というものを大事にするものだ。彼の父はそれに関して非常に不快に思っていた。

元より、生真面目で石頭の部分があった父は浮名を流すような騎士をそこそこに嫌っていた。妻でもない人と床を共にするなど唾棄すべき行為であるとよく話していたのを思い出す。

それが、モテない男のひがみであるなどと言っていたものもいた。が、ロットはそれが間違いであることも知っている。

元より、父は物事には対して誠実であることを望む人だった。

愛を囁くならばそれは永遠であるべきだし、婚姻も結ばない人と一夜を共にすべきではない。例え、それを相手側が望んでいたとしても、それで起こる最悪に責任を持てないのならば拒絶するべきだと考える人だった。

 

(・・・・母上が死んでからひどくなったらしいけど。)

 

ロット自体、己が母のことはよく知らない。ただ、父は跡取りはすでにいるのだからと再婚をすることはなかった。正直言って、跡取りのことを考えるのなら、言い方は何だがスペアを作っておいてもよかったのだろう。

けれど、父はそれきり誰とも結婚することはなかった。それが、きっと答えなのだろう。

そのために、政治的な意味合いでの婚姻が決まるまでと延々と遠ざけ続けた結果、どこか女性への対応というのが苦手になってしまった。

男はいい。忠臣としての寵愛争いは彼らの評価するべき点などを考慮して、それぞれに細かくフォローを入れればよかった。

が、女性は違う。女性がロットに望む恋だとか愛はたった一つの椅子を奪い合うことだ。

誰のことを贔屓せず、適度に愛想を振りまく。

己の目を使えばそれぐらい簡単であったのかも知れないが、残念ながらそこまで繊細な調整を続けられるほどロットはマメではなかったのだ。

ロットは年々、冷たくなっていく侍女たちのことをそっと思考から下ろしておく。

ロットがいるのは己の寝室だ。

散々に部下たちから言い含められて呼んだモルガンを待っていた。ぼふりと、ベッドに腰掛けた状態で体を横たえた。

養子をもらったわけではない。その言葉はなかなかにロットには効いた。

何の責任もなくかわいがるだけで済むような女ではない。このままぬるま湯のように過ごしていい立場ではない。

言外に言われたそれを理解はしている。理解はしているが。

 

(覚悟、出来てないのかねえ。)

 

自覚ができていないのかもしれない。どこか、本当の意味で彼女と繋がりを作ることへ。

男所帯で幼少期を過ごしたロットにとって、騎士として女性に対応する機会などとんとない。そのために、妻としての彼女への扱いについてもたついている自覚はあった。

 

(・・・・どう、するか、なあ。)

 

そんなことを考えていると、うとうとと、急な眠気がやってくる。

 

(さす、がに、おきて、いないと。)

 

そんなことも思ったが、ロットは眠気に勝てずにそのまますよすよと眠りに引き込まれた。

 

 

(やべ!)

 

ロットは引きずり込まれた眠気に慌てて眼を覚ます。さすがに呼んでおいて爆睡など、腹に一撃事件の再来になってしまう。そう思って、眼をさましたものの、視界は青が広がった。

周りを見回せば、花の茂る美しい野原だった。

 

「はあ!?」

 

驚きながら起き上がった、その先。

 

「やあ、おやすみ、といったほうがいいのか?」

 

にっこりと、優しげで理知的だというのにやたらと胡散臭い笑みを浮かべた銀髪の麗しい男が一人。

ロットはあんぐりと口を開けて叫んだ。

 

「マーリン殿!?」

「久しぶりだね、ロット王。」

 

あくまでのんびりとした声でマーリンはそう言った。

 

 

 

「マーリン殿、なぜ夢にいるのですか!?」

「いやあ、良い反応だねえ。」

 

ロットは目の前のそれに、怒りだとかの感情を抱く前に混乱によってそんなことを言った。

が、マーリンはのんびりとそれに返事をする。

 

「いや、実はね。君に言いたいことはあってね。」

「言いたいこと!?あなた、自分がしていることを理解しているのですか?以前のこと、さすがに賢者殿とはいえしていいことと悪いことがあるのでは?」

「なんだい、かしこまって。別に前と同じように砕けた口調でも構わないよ。」

 

ロットは一応は怒りの姿勢は示すものの、のれんに腕押しとはこのこととのらりくらりとそんなことを言った。ロットは頭痛でもしているように額に手を当てる。

 

「・・・・・これ以上続けるようなら、私もそれ相応の手段を取らせていただきますが。夢の中で、あなたは無力だそうで。」

「それはないだろう?」

「何を。」

「だって君、私を傷つけてウーサーともめ事を起こしたくないだろうし、それに敵意を持っていない存在を傷つけるの、苦手だろう?」

 

その言葉にロットは思わず口を噤んだ。図星を突かれて少しだけ黙ってしまう。

マーリンは確かにロットに対してひどく無礼だ。けれど、それ以上にマーリンの方がずっと立場は上になる。

ロットは確かに王ではある。けれど、島の北の果てにある、所詮は田舎の人間でしかない。確かに取引や繋がりのある国は存在するが、未だ年若いロットを舐めている領主たちがほとんどだ。そんな中、ウーサーの忠臣であるマーリンともめ事を起こせば、それを理由にやり玉に挙げてくる存在は絶対としている。

 

何よりもロットは、マーリンの言うとおり、敵意を持たない存在に危害を加えるのは非常に苦手だ。

妖精眼というものを持つようになり、わかりやすく敵意を持つ者と持たない者を選別できるようになると警戒心というものが鈍ってしまう。それが、自分を傷つけないだろうという保証が目に見えてしまうと、どうしても暴力的な方面で片付けてしまって良いのだろうかという理性が働いてしまうのだ。

ロットはため息を吐きながらまた額に手を当てた。

 

(用事をさっさと済まさせて帰ってもらった方がいいな。)

 

以前のことで怒り狂ったモルガンのことを思い出す。ロットもマーリンのしでかしたことに良い気分はしなかった。けれど、なんとなく、その賢者がただの人間でないことも

理解していた。

人でないものに、人である己の考えを理解しろというのは難しいだろう。何よりも、おそらくとっくに彼らにモルガンへの態度を改めて欲しいと願うのは手遅れなのだろうとも察していた。

あの未来が来るのだろうと察していた。けれど、それを否定しなければいけないし、あの愛らしい女がそんなことをするようになるなどと思いたくはなかった。ロットはウーサーたちからモルガンに距離を取らせようと思ってはいたのだ。

けれど、そんなことを考えた矢先にこんなことが起こるなど思っていなかったのだ。そのため、ロットはさっさと目の前のそれにお帰りいただこうと考えた。

 

「・・・・それで、何のご用でしょうか?」

「子ども、いつ作るんだい?」

 

それにロットは固まった。そうして、聞き間違いをしたのかとマーリンを見た。彼は変わらずにこやかに微笑んで、ずいっとロットに近づいた。

 

「いつになったら孕ませる気だい?」

 

ロットは自分の聞き間違いでなかったことを理解して思わず叫んだ。

 

「あんたいきなり何言ってんだ!?」

「なーに言ってんだじゃないよ!こっちの台詞だ!君、結婚してからどれぐらい経つと思ってるんだい?」

「言いたいことはわかるけど、なんつうことを聞いてんだよ!」

 

ずいっと、鼻の先がこすれそうなほどに距離を詰めてくるマーリンにロットは叫ぶ。それにマーリンは不機嫌そうに腕を組んでロットを見た。

 

「はあ、君たちの仲の良さから見て、ヤルヤラないって話じゃなくて、いっそもう子どもが腹にいるとばかり思っていたのに。」

「あ、ば、不躾すぎるだろうが!臣下だってそこまで言わないぞ!?」

「そこまで言わされる時点でだめじゃないか!大体、君らぐらいなら毎日のようにヤッててもいいぐらいなのに。」

「だあああああああ!まじで勘弁しろ!あんたにそこまで言われる筋合いはないだろうが!」

 

頭を抱えて叫ぶロットに向かってマーリンはにこりと微笑んだ。完璧な笑みだ。口元、目尻、全てが完璧だった。

けれど、だからこそわかる。その眼を持たずとも、その笑みがどんなものであるのか。

 

「関係があるよ。だって。」

 

笑みをかたどっただけの、歪な仮面をさらけ出してそれは笑っていた。

 

「この頃滅多にないほどの娯楽だからね!」

 

キャルピーン、なんて聞いたことがないような効果音が聞こえてきそうだった。きらきらとした笑みを浮かべてほっぺたに人差し指をつける。

ロットは固まって何と返せば良いのかわからなくなりそうだった。そんなこともお構いなしに、マーリンは話し続ける。

 

「いやあ、胸が躍るよね。近頃、こういう恋の物語ってなかなかなくってさあ。わくわくしてたんだ。なのに、噂さえもまったく聞こえてこない!男としてあんまりにも情けないと思えないのかい!?」

「情けないとかあんたには関係ないだろう!?」

 

ロットは顔を真っ赤にして、ずいずいと迫ってくるマーリンから後ずさる。その様は、なんとも情けない。

 

「関係なくないよ。もしものことがあれば、モルガンの処遇について考えなくてはいけない。」

 

ぴくりと、ロットは目の前の賢者に視線を送った。それは、賢者という言葉にふさわしい、穏やかで優しげな表情だった。

ロットは体を強ばらせてマーリンを見た。

 

「一応は、彼女はウーサー王とオークニーの同盟のために花嫁として贈られたんだ。私たちも考えることはあるんだよ。」

「ご安心を、仮にそのようなことがあっても彼女は変わることなく我が国の女王です。」

 

ロットがそう言えば、マーリンはにやにやと楽しそうに笑う。

 

「いやあ、青春だねえ。僕としては、是非とも早く君たちの子どもを見たいんだがね。」

 

にこにこと笑うそれにロットはどうしたものかと頭を抱える。少なくとも、マーリンから敵意は感じない。そうして、言葉に嘘もない。

ただ、わざわざオークニーを気にするような言葉には裏があるように感じる。嘘か真か、その判断しか出来ない今、それがどうなのかわからない。

ただ、彼の言う、ロットとモルガンの子どもを望んでいるのは真実であった。そうして、何やら自分たちの恋模様と言えるそれに娯楽を感じているのも。

頭を抱えるロットに、マーリンは少し、黙ってそれを眺める。そうして、そっと立ち上がり、ロットの耳に囁いた。

 

「健やかな子が、生まれることを祈っているよ。たくさんの子どもたちは宝であるからね。」

 

気の早いその言葉に、ロットは思わずマーリンを見上げた。薄く微笑んだ、何の感情も感じていない、おざなりの笑み。

そうして、彼は勢いよく、ロットの肩を叩いた。

 

「ま、期待しているよ!いつだって見守っているからね。」

 

弾んだ声が立てた後、マーリンの体は花吹雪になってそのまま崩れていく。夢が終わる、そう理解した瞬間、また何かの割れる音がした。

 

 

 

 

その日、モルガンはそれはそれはウキウキしていた。彼女が生まれてきた中で一番の浮かれた日であっただろう。

 

(あの侍女たちも良い仕事をしたな。)

 

その時のモルガンは、確かにどんな人間が見ても見とれてしまいそうなほどに麗しかった。

元々、見目のよい顔つきに加えて、侍女たちが今日こそが本懐だとピカピカに磨き上げた彼女はまさしく敵なしであった。

 

(そうだ、今日こそは!)

 

まさしく女の戦いの日であるのだ、モルガンは気合いを入れてロットの寝室へと向かった。

ロットとモルガンの寝室は分けられている。それは、彼女にも部屋を与えても良いほどに地位があるという証なのだ。

何よりも、ロットは世情によっては生活スタイルというものががらりと違ってくる。そういったことを慮って寝室は別になっている。

それ故に、久方ぶりに呼ばれた寝室にモルガンは浮かれていた。

うきうきと、ロットの寝室のドアを開けたとき、部屋から小さな悲鳴染みた声が聞こえてきた。

 

「陛下!?」

 

慌てて部屋に飛び込めば、荒い息を吐きながら呆然とベッドに座っているロットがいた。

 

「どうされましたか?」

「え。いや。ま、マーリン殿が、夢に。」

 

呆然とした声に、モルガンは全てを察した。

 

(あんのくそ夢魔!また、私の夫にちょっかいを!!おまけに、見守っている!?監視が。いや、夢を介して何かをしようとしている!?)

 

それに人であるモルガンは殺すと決意する。

それにモルガン・ル・フェは蟲の駆除を決意する。

それに湖の乙女はどうやって殺そうかと悩む。

 

「・・・・陛下、少々お待ちを。」

「え、あ。はい?」

 

ロットの了承を聞くと、モルガンは彼女の技術全てを使い、部屋に魔術をかけていく。マーリンからの干渉を跳ね返すために、己の知識をフル活用する。

鬼のような形相で魔術を使うモルガンをロットは呆然と眺めた。

 

「・・・・お待たせしました。陛下。」

「あ、はい。」

 

モルガンはにっこりと微笑んだが、魔術を試行した後、振り返ったロットの顔は引きつっていた。

 

(やってしまった。)

 

確かによくよく思い出せば、己の妻がして惚れてしまうような表情を自分がしていたとは思わない。

モルガンはこの場で巻き返す術がないか悩んだ。

モルガン・ル・フェは力尽くで押さえ込むしか無いと思った。

湖の乙女はあまり気にしていなかった。

 

「へ、陛下。あの。」

「え、ああ。なんというか、マーリン殿をなんとかするために色々してくれたのだろう。ありがとうな。疲れたか?」

 

動揺していたモルガンの様子にロットは全てを察したのか、いつも通り穏やかに話しかけた。それにモルガンはほっとして、いそいそとロットのいるベッドに腰掛けた。

 

(ようやくだ。ようやく、本懐を!)

「じゃあ、寝るか。」

 

それが睡眠の意味であると察して、モルガンはロットに縋り付くように胸ぐらを掴んだ。

 

「陛下!今日は共に床につくのでは!?」

「え、今日のこの状態で!?いや、さすがに。」

「ですが、陛下!私たちは未だに初夜さえも迎えていないのですよ!?」

「あー、それは、また今度に。さすがに、今日は。」

「今度、今度と、いつまで待てばよろしいのですか!?お覚悟を。」

 

ロットとしては、マーリンのあんな夢を見た日に初夜というのは勘弁して欲しかった。言い方は何だが、もうすでに萎えてしまっている。

 

「奥さんだって疲れてるし、今日はもう寝よう、な?」

 

ロットはモルガンのことを気遣う気持ちもあるのだろう。が、そんなことはモルガンには関係が無い。

モルガンは今日こそはと思ったのにと悔しくなる。

モルガン・ル・フェはまたお預けかと腹立たしくなる。

そうして、湖の乙女はなら自分がするかと決意した。

ロットはそっとモルガンの手を引いて、ベッドに横たえようとした。が、ロットの視界はぐるりと回る。

 

「は?」

「こういうの、無理矢理って言うのはだめなのかな?でも、いいよね?だって、あなたが悪いんだもん。」

 

その声音は、どこか幼かった。ロットはそれに意味がわからなかった。己にまたがる、柔らかな肢体に固まる。自分を見下ろすその表情もまたどこか幼いが、匂い立つような色香も存在した。

何故か、体は動かない。拘束されたかのように、抵抗が出来ない。

 

「大丈夫、痛くないから。」

「え、ちょ、まっ!」

 

 

 

「・・・・・最後まで女の子にリードされるって情けない気がするけどなあ。」

 

マーリンはモルガンたちの初夜の終わりを見物した後、少しだけ不機嫌そうだった。

元々、危険を冒してまでロットの夢に潜り込んだのは彼に暗示をかけて初夜をスムーズに遂げさせるためだったのだが。

 

(彼、幻覚だとかが効かないみたいだ。体質かな?)

 

そんなことを考えた後、マーリンはそれについてはまたにしようと思考を置いておいた。

 

マーリンは己の工房でうきうきとし始める。

 

「いやあ、にしても。彼にモルガンを嫁がせて正解だったなあ。なるほどねえ、だからこそ、彼女の子どもたちは使えるわけだ。」

 

本来ならば、マーリンはモルガンを殺しておいた方が良かったのだ。何故って、例え滅ぶとしても、その結末がどんなものであるのか理解は出来た。

マーリンは確かにハッピーエンドは好きだけれど、そうはいっても滅ぶよりも栄え続ける方が良いだろう。ならば、その引き金になりそうなモルガンは早々と始末しておいた方が良かったはずだ。

けれど、そうはしなかった。

何故って、モルガンの子どもたちは、彼の本命である物語の主人公にとってよき臣下になるからだった。

モルガンの子どもと言うだけで疑いの気持ちはあった。それは、正しい騎士になるのかと。

が、ロットを見て、それに確信が持てた。

例え、母がモルガンであったとしても、あの男の元で育つ子どもは確かに良き子になるのだろう。

 

(なのに、全然モルガンに手も出さないんだもの。発破をかけようと思ったけれど、モルガンから手を出してくれてよかったなあ。)

 

マーリンは微笑んだ。己が撒いた種たちが芽吹き、そうしてそれを収穫するいつかの日を。

その贄となる誰かのことなんて、必要な犠牲だと微笑んで。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

男は狼らしい

お久しぶりです。
ロット王が頑張る話です。

評価等ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


その日、ベルンは深くため息を吐いた。いい天気の日、いつも通り仕事のために執務室にやってきたベルンを出迎えたのはどこか夢現のロット王であった。

仕事に関しては良くも悪くもしゃっきりしているというのに、今はまるで溶けた氷のようにデロデロだ。

 

(何か。)

 

そこまで考えて、ベルンはあーと思い立った。そうして、ロットの執務机に軽く叩く。

 

「陛下、遅めの新婚気分も結構ですが仕事をしてください。」

 

 

 

その日、ロットの気分はある意味で良かったし、悪くもあった。

ベルンの一言にのろのろと仕事を始めたものの、正直に言えば口から魂が飛び出そうだあった。

 

(あああああああああああ!)

 

ロットはひたすらに悶えていた。いやだって、つい先日のことなのだ。

つい先日、ようやく本懐を遂げたのだ。

が、流石になんだか、情けないなあと自分だって思っている。もちろん、そんな情けない事実を誰かに言えるはずもない。

 

「俺って情けないなあ。」

「何がですか?」

 

今更何をと言う様に自分を見る部下をロットはじとりと睨んだ。そんなこともお構いなしにベルンは言った。

 

「まあ、このままどうぞご存分に励んでください。こちとら跡取りの顔を今か今かと待っているので。まさか、放置などするはずもありませんよね?」

「いや、それはない。」

 

それにベルンはにやりと笑った。己の主人も男であったかと下世話な想像をしたが、残念ながらすでに王の顔になっていたロットはこともなげに答えた。

 

「俺からの寵愛があるって周りに示せるだろうからな。うちの奥さんのための地盤固めになるだろう。」

 

ロットとしては結構真面目にそう思った。元より、ロット自体女に対して消極的なため、女性内での権力争いのようなものは殆ど無かった。けれど、モルガンが現れて、彼女はすぐに城の中の女関係は掌握したようだが。

そうはいっても、武器は多い方がいいだろう。ロットとしてはなんとも言えない気分になるが、やはり地位のある夫からの寵愛があるという事実は大きい。

何よりも、モルガンが愛されているという事実があれば他に女を、という話は出てこないだろう。

 

それにベルンは一気にそういうとこだと微妙な顔になった。けれど、一気に言っても無駄かと作業に戻った。

ロットはそんな視線にも気づかずに、ため息を吐いた。

何はともあれ一線は越えたのだ。どんな過程があるにせよ。

 

(それはそうとして。)

 

会いたくないと言う情けない考えが頭に浮かんだ。

だって、女性にリードされるなんて。ロットも別に女性経験が無いわけでは無い。けれど、ここまで情けないことになったのは自分のせいであるとしっかりと理解している。

何よりも、モルガンの方が辛かったはずだし、恥ずかしかったはずだ。モルガンがそういったことが初めてであるのは眼によって丸見えであったから。

正直に言えば、申し訳ない。だからこそ、気まずくて会えもしない。

 

(あー・・・・俺の馬鹿。)

 

 

 

 

 

その日、モルガンの機嫌を表すのならばこの世の春といってよかった。

常より、際だった美貌をしていたが、いつにもまして肌つやがよいのは気のせいではないだろう。

こぼれ落ちるような色香は、彼女に侍る侍女たちでさえも、頬を赤らめるような何かがあった。

モルガンは表面的には憂いを帯びた顔をしていたが内心ではガッツポーズを決めていた。

 

(ようやく、ようやくだ!)

 

婚姻し、ついに本懐を遂げたモルガンは浮かれていた。そうして、思い出すのは昨夜のこと。

モルガンは恥ずかしさと落ちつかなさに顔を赤らめた。

モルガン・ル・フェはいい体だったと己の戦士を褒めた。

湖の乙女は体がだるいとあくびをした。

 

気恥ずかしさもあるが、それ以上に体を満たすのは充実感であった。

自分からそういったことに持ち込み、尚且つ、モルガンの美貌に関してそこまで求められているわけではないとしても。

それはそれだ。

ただ、モルガンには悩みがあった。もう一度、ことに及ぶ折、もう一度、同じことをするのかと言うことだった。

 

モルガンはあんなにも恥ずかしいことをもう一度するのかと頭を抱えた。

モルガン・ル・フェはロットの情けなさにため息を吐いた。

湖の乙女は真っ赤になったロットがかわいかったなあと思った。

 

正直に言えば、二度と自分からというのはごめんだった。表立ったのは湖の乙女とはいえ、ものすごい恥ずかしいものは恥ずかしかった。

本当を言うのなら、夜のことを思い出すと顔を真っ赤にして何かに突っ伏してしまいたかった。ロットも顔を真っ赤にしていたから、変なことはなかったのだろうが。

 

(・・・・あの反応からして、そこまで女慣れしていないのか。)

 

それについて、なんだか、ちょっとだけ嬉しいなと思ってしまう。周りに太鼓判を押されるほどに女の影がないのは王としてどうなのかと思わなくはないが。

それはそうとして、なんだか嬉しいなあと思ってしまう。

 

(まあ、私のものになったのだから、昔のことなど忘れさせてみせるが。)

 

が、考えるのはまた自分が主だって動くことだ。さすがに、それは、何というかこう、恥ずかしい。

 

(・・・・今度こそ、一服盛るか。)

 

 

そんなことを考えて、モルガンは薬の材料についてを考え始めた。

 

 

 

 

「・・・・・終わった。」

「終わりましたね。」

 

互いに魂でも吐き出しそうなほどにロットとダイルは疲労しきった顔で馬上で話をしていた。

周りを見回せば、疲労のにじんだ顔をしているものが多い。

唐突な蛮族狩りで城を開けて数日が経っていた。

ベルンに己の情けなさについて愚痴り、モルガンと顔を合わせることに関して気まずさを感じていたロットの元に蛮族の襲来が知らされた。

正直に言うのなら、少しだけ、ラッキーだと思った。あのままモルガンに顔を合わせるのは気まず過ぎて、少しぐらい気持ちをなんとかする時間が欲しかった。

そのため、そそくさと馬を駆ったのだが。その討伐というのが、驚くほどに長引いた。なぜかやたらとトラブルが続き、巡り巡って驚くほどに城を留守にしていた。

 

「・・・・ダイル、怪我人の確認できたか?」

「重傷の者はおりませんが、皆、疲労していますね。」

「そうだな、やること終わったし、さっさと帰るか。」

 

その時のロットは非常に疲れていた。蛮族についてのことが落ち着いており、久方ぶりの襲来だったこともある。それ以上に、表面的には食料の減り具合だとか村々の被害についてだとかぼんやりと考えていたが、頭の奥でロットはモルガンのことを考えていた。

 

(恋しいなあ。)

 

堪らなく、ひどく、ではあるが。そんなことを考えてしまう。久方ぶりに長い間顔を合わせていないせいか、そんなことを考えてしまう。ふうと息を吐いたロットはまた、事後処理について進めていくために部下に指示を出し始めた。

 

 

 

 

モルガンはうなだれていた。侍女たちもまた、そわそわとモルガンを伺っていた。

 

(なぜ、何故だ!)

 

モルガンはぐっと拳を握りしめた。ロットが城を空けてからなかなかの時間が経った。その時、モルガンは苛立っていた。何故って、ようやく上手く行きかけたところでこんなことになるのかと。

モルガンの知る限り、こういった討伐の後は後処理にばたつくため、ロットとはあまり会えなくなる。

よき戦働きをすること自体は褒めてやりたいが、まったくといっていいほど自分に構われなくなることに関しては納得が行かない。

もろもろが終わり、城に帰ってくると言う知らせは来ているが、帰りの挨拶の後はおそらく一旦は休みをとり、仕事だろう。

仕方がないのだ。わかっている。それは、わかっているのだが。

その時、モルガンの居室の扉が叩かれた。それは、彼女の夫の帰還の知らせだった。

 

 

(仕事だ、仕方が無い。)

 

モルガンは慈悲深く、仕事に疲れているだろう夫を赦してやることにした。それが、自分の島を守るためにせっせと頑張っていることぐらいはわかっている。

だからこそ、モルガンは暫く仕事で自分に構わないだろう夫を寛容に赦してやることを決めた。が、そうはいっても、あり得ないことだがこのまま以前のように健全すぎる夫婦関係に戻られてもごめんだ。

夜の諸諸についてロットの教育を固く誓うモルガンであるが、それは今は後回しとする。

モルガンは侍女に命じて、可笑しくない程度に身を整えた。元来の美貌でモルガンは輝くように美しい。

モルガンはそのまま、ロットの居室に向かった。砂埃を落とした彼はいったん居室で休むと聞き、モルガンはロットに会いに行くことにした。

護衛に許可を取り、そうして入った居室にはロットが疲れた顔でソファに座っていた。

 

「・・・・モルガンか。帰ったが、何か、変わりは無いか?」

「いいえ、城でのことはつつがなく。」

「そうかい。いや、まあ、お前さんのことだから何もなかったと思うがな。」

 

モルガンはロットに近づき、簡単に留守の間の城のことを伝えた。そうして、ロットが疲れているらしくぐったりとしながらそれを聞いているのを確認して、話を切り上げた。

 

「・・・・陛下、話は以上にしてお休みください。」

「いや、心配するな。俺は。」

 

モルガンはロットの頬にそっと唇を押し当てた。それに、ロットはカチンと固まった。その様に、モルガンはちょっといい気分になる。

 

「お疲れの所でしょう?よくお休みになってください。ただ、仕事ばかりではなく、私の所にもお顔を見せていただければと思います。」

 

モルガンは自分のわかりきった魅力を最大限に引き出すだろう、淡く、清らかに微笑んだ。そうして、内心で胸を張る。

ロットとて、自分に溺れるほどではないが、モルガンのことを十分に美しいと思っているはずだ。そんなに美しい妻にこんなことを言われれば急ぎの用が終わればすぐに自分の所にやってくるはず。

意気揚々とそんなことを考えていると、モルガンは強い力で思いっきりロットのほうに引かれた。

次の瞬間には、モルガンはベッドの上に倒れ、そうして見上げた先にはロットがいた。

 

 

 

かわいい。

ロットの脳内にあったのはそれだけだった。

疲労しきった脳内には、モルガンの本心などについてかみ砕いて理解するほどの何かは残っていなかった。ただ、頬に押し当てられた柔らかな感触に固まってしまった。

そうして、言われた言葉に、何というか疲れ切った精神が崩壊してしまった。

本能のような感覚で、ロットはそのままベッドにモルガンを押し倒した。

 

「え、あ、れ?」

「なあ、俺の奥さん。」

 

ロットはそんなことを言いつつ、その髪の毛を指に絡めた。自分とは違う、細い、金糸のような髪だった。

 

「へ、陛下。あの、ど、どうされました?」

「うーん?」

 

動揺のためか声は震えていたし、顔は真っ赤だ。ロットはそれに、かわいいなあと思う。

ロットとて、別段こういう行為に慣れていないわけではないのだ。ただ、先日に関しては女性にリードされるという珍事件に動揺していただけで。

己を産み、死んだ母のことでどこか、自分の妻になる女性に手を出すことに忌避感のあったロットであるが、一線を越えてしまえばどこかで歯止めが外れてしまっていた。

 

「奥さん、そりゃあな。俺は少しばかり腰が重かったのは事実なんだけどな。」

 

ロットはそう言って、指に絡めていた髪にそっと口づけをした。

 

「そんなかわいいことして、俺も男だからその気になるけど。いいんだよな?」

 

戦働きのためにか、どこか疲労感を押しのけて、瞳にはギラつくような炎が混じる。昨日とは違う、噛みつかれるような獣染みた熱にモルガンは魅入られるように頷いた。

それにロットは彼女を覆い隠すように身を乗り出した。

 

「かわいいなあ。」

 

漏らした声にモルガンはまた顔を赤くした。

 

 

後日、ロットが近づくたびに顔を赤くするモルガンの姿を使用人や臣下たちが目撃するようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

春よ、来い

モルガンの妊娠について、ロットの湿り気。ロットが情けないです。

感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


「聞いたか?」

 

唐突な男の言葉に羊皮紙が堆く積まれた部屋の中、方々で羊皮紙の整理をしていた男たちが顔を上げた。軒並みが初老を超えた、先代からロットに仕える臣下たちだ。

皆、それがなんの話題であるかを察して集まっていく。

 

「ああ、そろそろだな。モルガン妃様の出産は。」

 

その言葉を皮切りに皆が皆、どこかウキウキとした口調で話し始めた。

 

「本当に長かったな。」

「結婚して床入りまでどれだけかかったのか。」

「モルガン妃にも申し訳がなかったからな。」 

 

皆が呆れたように考えるのは彼らの王である青年だ。口調の上では呆れがあるもののその本質は親しみだ。

少なくとも部屋にいる臣下たちはロットに対して友好的だ。

そうはいっても今回のことに関しては別だ。

 

「にしてもようやく跡取りが生まれるのか。」

「王子か、姫か。」

「陛下もはしゃいでるしなあ。」

「滋養にいいからと蜂蜜とりにいってたが。」

「蜂の巣とる陛下、本気で熊に見えた。」

 

何はともあれとそれらはうきうきとまた話し始める。北の果てにも春が訪れようとしていた。

 

 

 

(・・・・・・ロットめ。)

 

モルガンは今にも張り裂けそうな腹を抱えて宙を睨みつけた。

 

「・・・・あの、どうかされましたか?」

 

側に控えていた侍女の言葉にモルガンは漏れ出ていた苛立ちを飲み込み、憂いを帯びた笑みを浮かべた。

 

「いえ、ただ。陛下の訪れが少なくなったと。」

 

 

モルガンは苛立っていた。

ロットとの結婚生活は順調であった。あれだけやきもきした夜の生活というのは、あの日以来一変した。

モルガンは、あの日、ベッドに押し倒された日のことを思い出すと顔が熱くなる感覚がして、慌てて頭の中から追い払った。

ロットはあの後、モルガンが、正直びっくりするぐらい床に呼んだ。

そうして、早々と子どもを腹に宿すこととなった。

まさしく、モルガンにとってはこの世の春のようだった。

が、少々雲行きが怪しくなったと感じたのはモルガンの懐妊が分かってからのこと。

ロットはモルガンから懐妊の事実を聞くとひどく喜んだ。

顔を真っ赤にして、ぱああと、顔を輝かせていたその顔は言ってはなんだが幼児のようにあどけなかった。なかなかに愛らしかったと密かにモルガンたちの間で話題だ。

 

ありがとう。

 

ロットは顔を真っ赤にして、震える体で。必死にモルガンに怪我でもさせぬようにと気を配って言った。

幾度も、幾度も、ロットは祈るようにそう言った。

もちろん、その後に何かあるなどない。城は初めての跡継ぎに上機嫌で、ロットのはしゃぎようも凄まじかったのだ。

一つだけ気になったのは、ロットの顔が一瞬だけ強ばっていたことだった。

それからロットはせっせと政務の隙間をぬっては、モルガンのために手を尽くした。

それはいい。ロットが子どものために、何よりも自分のために尽くすのは当然だ。

が、何故だろうか。贈り物だとかはよく届くのにロットと話す機会が圧倒的に減ったように思う。

少しずつ。少しずつ。けれど、確実に男と顔を合わせる時間は減っている。

過剰な贈り物、顔を合わせなくなる、そうして身重の自分。

そうだ、よく聞くではないか。妻の妊娠中に浮気する男の話を。

 

(あれだけ人のことを貪っておきながら!)

 

モルガンは椅子の肘掛けをみしりといわせながら握りしめた。

 

モルガンは思わず夜のもろもろを思い出して顔を赤くした。

モルガン・ル・フェは自分の専門外だとそっと目を逸らした。

湖の乙女はロットを可愛いなと思い出した。

 

が、モルガンは慌てて首を振る。今はかの男の訪れが減ったのかということだ。

 

(にしても、おかしい。あれと浮気が出来るような女はロット自身が追い払っていた。)

 

ならば、外で浮気しているかというとまたありえない。モルガンは侍女たちに命じて、幾人かの騎士にロットの女関係を探らせたこともあった。

が、男の周りは王にしてはあまりにも身ぎれいであった。

何よりも、モルガンはロットに浮気されるようなふぬけな女ではないことも理解しているし、男が自分に夢中であるという自負もある。

 

(そ、のはずだ・・・・・)

 

 

 

 

「・・・・陛下。」

「うん?」

 

ロットはその言葉にくるりと振り向いた。目線の先にはうろんな目をしたダイルがいた。

 

「モルガン様への贈り物は良いですが、本格的に野生に帰らないでいただけませんか?」

 

泥だらけで蜂の巣を抱えた己が主にダイルはため息をついた。

 

 

「これはモルガン様に贈ると言うことで良いのですか?」

「ああ、中の蜂蜜な。少量は厨房の人間に使うように言ってやれ。」

 

ロットは政務が一息ついた後、この頃はもっぱら気心知れたダイルと共に近くの森に行くのが日課になっている。森では、やれ妊婦が体を冷やすのはと毛皮のために動物を狩り、甘いものを女は好むからと蜂の巣に突進するという生活をしていた。

釣り竿を忘れ、手づかみで魚を捕っていたときは、本当に熊にしか見えないと評判だった。

もちろん、無意味に高い身体能力で狩られたもろもろは全てモルガンの元に行く。

ダイルは、ちらりと、ずっしりと重い蜂の巣の入った袋を見た。そうして、じとりとした眼で己の主を見た。

 

「ところで、モルガン様にはいつ、お会いになられるので?」

 

それにロットの動きが止まった。

 

 

 

臣下たちの眼が冷たくなっていっている自覚はあった。何と言っても、妊娠した妻に会おうとしないのだから当たり前だ。

正直、ロット自身も後ろ暗いせいか、この過剰な贈り物をしている部分がある。

 

己の子が出来たと聞いたときは、本当に、心の底から嬉しかった。

元より、ロット自身、家族を欲している部分があった。

母の記憶は殆ど無く、父親は悪い人ではなかったし憧れではあったけれど寂しい思いをしていたのは事実だった。

だからこそ、家族というものに憧れていた。本音を言うならば、子どもはたくさん欲しい。できるだけかわいがって構い倒したいと思っているぐらいだ。

だからこそ、懐妊の件を聞いたとき、どれだけ嬉しかっただろうか。本当に嬉しかった。自分に家族を与えてくれるモルガンにどれだけ感謝しただろうか。自分の妻になってくれて、どれだけ嬉しかっただろうか。

けれど、そうだ。ふと、だんだんと膨らんでいく彼女の腹。張り裂けんばかりに大きくなる、その腹。

それに、ふと、恐怖を抱いてしまった。

 

 

ロットは母のことは殆ど覚えていない。産褥の熱で早々と儚くなってしまったその人についてロットはあまり知らない。ただ、自分の瞳は彼女によく似ていることだけは知っていた。

ロットには乳母もおり、正直言えば母親の不在というものをピンときていなかった。自分を産んだ人がいるとしても、母親というそれはロットにはあまりにもなじみのないものだったからだ。

けれど、ある日のこと、ロットはふと父に問うたことがあった。

婚姻を結ばないのかと。

何せ、婚姻とは外交の上では非常に重要なカードだ。何よりもオークニーの王子はロットだけだ。もちろん、ロットだって死ぬ気は無いが、そうはいっても万が一というものがある。

それに、父はどこか静かな顔で答えた。

 

己の妻は、生涯彼女一人だと。

 

ロットはそれに、堅物な父親をそこまで熱烈に惚れさせる母親というものに感心したくなった。けれど、古参のものから聞いた話はまったくそれと異なっていた。

母と父はお世辞にも仲は良くなく、結婚してすぐにロットが生まれ、そうしてすぐに母も死んだため。結婚生活は一年ほどしかなかったらしい。

ロットはそんな話を聞いて、はてりと首を傾げたくなった。

そんな婚姻生活であったのなら、父は何故、そこまで母に執着するのだろうかと。

善くも悪くも、現実的な父がと。

 

 

「・・・・最近、彼女のことを聞き回っているようだな。」

「自分の母に興味を持つのはおかしいでしょうか?」

 

それは、剣の訓練を父が見に来たときのことだった。珍しく二人っきりの時のことだった。

父は、変わることなく厳しい面持ちのまま、口を開いた。

 

「よい話は聞けたか?」

「・・・・あまり。」

「だろうな。彼女は、私に対してあまり関心は無かったからな。いっそ、嫌われていたやもしれん。」

 

父にしては珍しく、やたらと軽やかな声であった。それに、ロットはおもむろに口を開いた。

 

「なら、父は何故、母のことだけを妃としたのですか?」

 

それを聞くのは不躾である気がしたが、ロットは残念ながら善くも悪くも図太い男であった。そのため、あっさりとそれを口にした。

彼の父はそれにロットをちらりと見た。そうして、口を開く。

 

「彼女は、お前を産んでくれたからだ。」

 

 

 

命をかけて、命をつなぐものを、私は知っている。

女が子を産むというのは、本当に辛いことだ。彼女がお前を産むときは、まるで断末魔のように叫んでいてな。

それに、私は、ああと思った。私は、その時、彼女を愛してなどいなかった。愛というものはわからなかった。

彼女もまた、そうだろう。

だが、あの叫びを聞いたとき、お前の産声を聞いたとき。彼女は、命をかけて、私の子の命をつないでくれたのならば。

 

「どんな理由があるにせよ、私は彼女を愛おしいと思ったのだ。」

 

その時、父は、その時、たった一度だけ穏やかに笑った。春に吹く、優しい風のような笑みを浮かべていた。本当に、本当に、美しい、笑みだった。

見とれたロットの頭に、大きくて節くれだった手が滑る。

 

「大きくなったな。」

 

いつだって、厳格な父だった。いつだって、滅多に笑わない人だった。

けれど、その時だけは、本当に、優しい父親の顔をしていた。

 

「ロット。己の妻になる人には、誠実でありなさい。彼女たちは、男たちの意思で私たちの元にやってくる。そこには、彼女たちの意思などない。その選択肢しかなかった女性に、誠実でありなさい。例え、愛を抱くことは出来なくても。誠実ではありなさい。」

 

お前もいつか、命をもってお前の子の命をつないでくれる人にあうだろう。そうして、その命の叫びを聞くだろう。それを、けして忘れてはいけない。

 

それは、きっと。王としてではなく、父としての言葉であったのだと思う。ロットは見上げた先のその顔を見て、また、思わず無意識のように問いかけた。

 

「・・・・母上は、父上のことが好きでしたか?」

 

それに父はひどく悲しそうな顔をした。ああ、それはロットがまた、初めて見る表情だった。

 

「・・・・わからない。そんなことを聞く暇も無く、儚くなってしまったからな。それでも、天の国に至ったとき、浮気をしてしまっては最初からとりつく島も無いだろうからな。」

 

それはロットが初めて見た、父親の、人としてのあり方だったのだと思う。王としてしか、自分に接しなかった、厳しい王との、最後にした親子の会話だった。

 

 

ロットはそれからよく考えた。

父は母を愛せることが出来て幸せだったと思う。けれど、母はどうだったのだろうか。

愛してもいなかったとしたら。

愛してもいない男の元に嫁ぎ、体を明け渡し、その男の子を産んで、そうして死んだ女。

ロットの胸には、しこりのようにそれが残っていた。

男がえらいとはロットは思わない。

男よりも賢しい女も、強かな女も、存在する。今は男が有利でも、いつかは女たちが主だってくるようなこともあるかもしれない。

それは、真実を見分けるロットがよくよく知る事実だった。

だからこそ、余計に考えてしまった。

己を産んで、そうして死んだ女。その女の幸せとは、どれほどのものだったろうか。

人は生まれてきたのだから、幸せになるために足掻かなくてはいけない。そうでなければ、あまりにも報われないから。

けれど、己を産んだ女の幸せはどこにあったのだろうか。意味はあったのだろうか。願いはどうなってしまうのだろうか。

いつか、自分は婚姻し、跡取りを産み、そうしてこの国で死んでいく。ロットはそれで満足だ。お膳立てされた部分があるとしても、それはロットの願いに沿っていた。

母親を殺してしまった自分、彼女の幸福が何であったかもわからない息子。

自分を、母は恨んでいただろうか。自分は、母の不幸であったのだろうか。

ずっと、ロットの胸には自分を産んだ女への罪悪感があった。

モルガンを、ロットは愛している。けれど、彼女には彼女なりの願いがある。きっと、彼女はこの国で、子どもたちと自分と暮らすだけでは満足してくれないだろう。

 

膨れた腹を思い出す。その腹の中で育つ命を、モルガンは命をかけて産むのだろう。昔、母が自分を産んだように。

そうして、それに考える。それで、彼女がもしも、死んでしまったら。

モルガンがただの女でないことは理解しているが、この世に絶対などはない。

ならば、ならば、自分と同じように子どもは母親を殺してしまうのだろうか。自分はその子どもに何をするのだろうか。

潰えた、己を産んだ女のことを思う。彼女は、幸せだっただろうか。

 

モルガンに手を出せなかったのは、ロットの中にある先代王妃への罪悪感だ。好きでもない男に手を出される女への罪悪感だ。

だからこそ、躊躇した。子どもを作ること自体にも、忌避感が頭の中で踊っている。

膨れた腹から、生まれた命は祝福に満ちているのだろうか。

 

(モルガンは、幸せだろうか。俺は、彼女に何をしてやれるのだろうか。)

 

濁った思考の中で、ロットは重くため息をついた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五月の鷹


今年中には終わらせます。

評価。感想ありがとうございます。
感想いただけると嬉しいです。


(きまずい・・・・・)

 

ロットはその日、森での狩りの後、執務に戻る気であった。けれど、その途中にモルガンの侍女に会ってしまったのだ。

かれこれ長いこと特別な用もないというのに妻に会わないロットの印象など最悪なわけで。数人の侍女たちの圧に負けて、ロットはモルガンの自室にまで足を向けていた。

正直に言えば、ここからさっさと逃げ出したい気持ちもあったが、さすがにそれは情けなさ過ぎる。

ロットはのそのそと、その扉を叩いた。

 

「・・・・すまない、失礼する。」

 

丁度、ベッドの上で休んでいたモルガンは部屋に入ってきたロットに、顔を輝かせた。けれど、次の瞬間心の底から不機嫌そうな顔をした。

 

 

 

「・・・・陛下、御久しゅうございますね?」

 

モルガンの猫なで声にロットは気まずそうに、大柄な体を縮こませた。それにモルガンはいい気味だと内心で思う。

侍女に涙ながらにロットのつれなさを語ったおかげか、彼女たちは仕事をしてくれたらしい。久方ぶりに会う夫はしおしおと萎れていた。

なんというか、へたり込んだ尻尾と耳を幻想してしまう。

モルガンは、それに少し可哀想に思ってしまう。

モルガン・ル・フェは、少しだけ赦してやろうかと悩んでしまう。

湖の乙女は、ここで早々としつけた方がいいだろうと考えた。

そんな三者三様の中で、モルガンはともかくと、ベッドの近くにあった椅子を示した。

 

「ともかく、お座りください。」

「ああ、失礼する。」

 

椅子にちょこんと座った彼は、おそるおそるという体でモルガンを見た。モルガンはなんとか気を取り直して口を開く、ともかくは浮気の真偽を確かめねばならないと考えた。

 

「長い間、お渡りがなく寂しゅうございました。何か、ご用があったのでしょうか?」

「いやあ、その。」

 

ロットはモルガンの言葉に視線をうろうろとさせた。それに、モルガンの中で浮気、というそれが現実味を帯びてくる。

浮気、浮気、浮気。

その単語が頭の中でぐるりと巡れば、モルガンの中で、怒りと同時に悲しみがわき上がってくる。

 

モルガンの人生は、選ばれないものだった。

島に選ばれ、されど父に選ばれず。故郷を離れ、見知らぬ土地に一人でやってきた。それでもよかった。一人でもよかった。

結局、誰もがこの島の人々の滅びを目的としたモルガンを厭うた。

それでよかった。いつか、どんなことがあっても、この島の王になる。そう、定められたのだ。そう、自分は受け入れたのだ。

誰が、どんな目に遭おうとも。マーリンにも、民にも、そうして。

 

(父上にも。)

 

認めさせるのだ。そのために、何もかもを利用するのだと、誓ったのだ。

けれど、北の果ての国で女はその男に会ったのだ。

恵みも、災厄も、愛するのだと言ったその男は、誰も取らなかったモルガンの手を確かに取ってくれたのだ。

だから、モルガンは、ほんの少しだけ、島に住む人々と共に生きていくことだって考えてしまっていた。

それほどまでに、その、厳しい寒さの国はモルガンに優しかった。

もちろん、それは元々女性というものに縁の遠かった王の良縁を逃すものかという思想はあったが。

それでも、確かにオークニーはモルガンの国であった、居場所であった。

居心地が良かったのだ、その国では誰もモルガンを嫌なものとしなかったから。

けれど、モルガンはロットの裏切りの可能性に、氷が背筋を滑り落ちるような感覚がした。

また、自分は追いやられるのだろうか。また、自分は違うどこかに追いやられるのだろうか。

心のどこかで、そんなことを男がするわけが無いと思う。そうなったとしても、ただですませることなどないと奮い立たせた。

けれど、心のどこかで、またかと思う自分がいる。

モルガンは、ぼんやりと自分を見なかった父のことを思い出す。

モルガン・ル・フェは、自分を厭うた何かを憎んだ。

湖の乙女は、ヒトとはそういうものだと諦め染みたものがあった。

モルガンはじとりとした眼でロットを見た。それは、緑の瞳をしょもしょもさせて口を開いた。

 

「その、色々あってな。」

 

誤魔化すような言葉に余計にモルガンの中で、男への疑惑が膨らんだ。それに、ああと考える。

この男をどうしてやろうか、そんな鬱々しい考えが浮かんだ。

 

「・・・・私のことなど、お忘れなのかと思っていましたよ。父上のように。」

 

皮肉げに吐き出したそれに、がたーんと勢いよくロットは立ち上がった。そうして、モルガンに顔を近づけた。

驚いた彼女の顔に、ロットはまた慌てた様子で己の頭をぐしゃぐしゃにかき回す。そうして、非常におたおたしながら椅子に座った。

そうして、手を組みうなだれる。組んだ手に顔を当て、まるで祈るような姿勢を取った。

 

「・・・・俺はな、神様なんて信じてないんだ。」

 

唐突な告解に、モルガンの方がまた驚いた顔をした。そうして、思わず返事をする。

 

「教会から、目の敵にされそうですね。」

「・・・・まあ、な。いや、そういう話じゃなくてな。」

 

あー、ロットは悩むような仕草をした後に、口を開いた。

 

「母は、俺を産んで死んだんだ。」

「私も、同じように亡くなると。」

「いや、それも、確かにあるんだが。」

 

ロットは訥々と話し始めた。

 

 

昔、子が出来ると喜んでいたものがいた。何はともあれ、俺もそれを喜んだ。新しい民が出来るのは、嬉しいことだろう。

でもな、死んだ。

小さな、小さな体だった。泣きもせずに、生まれて。生きることもなく死んだ。母親も死んだ。残った男の、頼りなく、絶望しきったそれを覚えている。

その時な、思ったんだよ。

 

「神様なんていないんだと。」

 

ロットは視線を床に下ろしたまま、組んだ手を握り込んだ。

 

「どんなことがあっても、死ぬときは死ぬ。俺は、生きることなく死んだ命に、そう思った。あの子こそ、生きるべきものだった。けれど、それでも死んだ。だから、ぼんやりと。」

 

あなたが死んだら、どうしようか、なんて。

 

その言葉にモルガンの眉間に皺が寄った。そうして、無言でうなだれるロットの頭に無言で打撃を加えた。

 

「あた!?」

 

驚きに声を上げたロットにモルガンが目を見開いて黙る。

 

「そんなくだらないことで悩まないでください!」

「く、くだらなくは・・・・」

 

ロットはそんなことを言うが、モルガンには関係のない話だ。

モルガンは島そのものだ。そんな自分が、出産ごときで死ぬなんてあり得ないことだ。

そんな理由で自分に会わなかったのかと思うと馬鹿らしいと同時に腹立たしくてたまらない。

が、ロットのそのしょぼけた顔を見ていると、そんな言葉も喉の奥に引っ込んでしまった。

モルガンは、その不安に思う姿をいじらしいとも思ってしまう。

モルガン・ル・フェは、ロットを情けないと思った。

湖の乙女は、そんなロットを愛らしいと思った。

自分の喪失に、そんなにも痛ましい顔をする己の夫を、心底いじらしいと思ったのだ。

そのため、モルガンはその男の心配を吹き飛ばすために、きっぱりと言い切った。

 

「いいですか、こういったことに男の出来ることなんてありません。あなたはオークニーの王なのです。ならば、私に任せて構えて置いてください!」

「は、はい!」

 

背筋を正した男は呆然とモルガンを見つめた。モルガンは、それに続けた。

 

「・・・あまりにも、来られないので。ほかによき人でもおられるのかと思いましたよ。」

 

冗談交じりにそう言えば、ロットは固まった顔のまま無意識のように首を振った。

 

「そんなことはない。モルガン、お前さんよりも美しい女になんて出会ったことがない。」

 

星のように、まばゆい。そんなお前から目移りするなんてありえないだろう?

 

突然のそれに、モルガンは目を丸くした。そうして、顔に熱が集まるような気がした。

どっと、胸が痛む気がした。

 

(いえ、腹が・・・・)

 

その時、股の間に生暖かい感覚を覚える。それに、モルガンはその時が来たのだと理解した。

 

「へ、陛下!誰か、呼んで来い!」

 

その言葉に、ロットは何かを覚ったのか、けたたましい音を立てて部屋から飛び出した。

 

 

 

うなり声のような声がする。それこそ、まるで獣のようだった。

 

あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!

 

ロットは、まるで断末魔のような妻の声に廊下の壁にもたれて手を固く組んでいた。城中の人間が慌ただしくしている。

ああ、ああ、死んでしまいそうな声を妻は叫んでいる。

ロットはそれに、久方ぶりに感じる恐怖で、涙ぐんでさえいた。

自分がどちらかと言えば強者という事実は理解している。けれど、妻がそんなにも苦しんでいるのに、何も出来ない己の情けなさよ。

 

(ああ、これが・・・・)

 

命をかけて、命を紡ぐ生き物がいる。

父の言葉が、理解できる気がした。父は、この声を、どんな気持ちで聞いていたのだろうか。

ああ、その女が命をかけて、命を産もうとしている。

ああ、ああ、そんな苦しみをして、女は子どもを産むのだろう。

ぼたりと、頬を涙が流れていく。

ああ、ああ、愛おしいなあ。

涙を流して、固唾をのんで、祈るように手を組んだ。

そうして、そんなことを思った。狂おしいほどに、男はその女を愛おしいと思った。

産声が、響いた。

 

おぎゃあ、おぎゃあと、何かが泣いている。生まれてきたのだと、そう世界に小さな何かが泣いている。

 

ロットはそのまま、ぼたぼたと、赤ん坊と同じように泣いていた。

忘れるものかと思った。忘れることなどないと思った。

その、命の声をロットは忘れることなどないと思った。

 

 

侍女たちに呼ばれて、ようやく呆然としていた意識を奮い立たせた。そうして、ふらふらとそのまま部屋に入る。

ベッドの上にいるモルガンは顔は青白くあるものの、意識ははっきりとしている様だった。

そうして、ロットの方を見る。

 

「へいか?」

 

疲労の色の濃い彼女はぼんやりとした顔でロットを見た。ロットは赤い目でそれを見たが、モルガンは淡く微笑んだ。

 

「・・・・大丈夫でしたでしょう?」

 

ロットはそれにこくりこくりと頷いた。その時、ようやく、男に侍女の一人が話しかけてくる。

 

「陛下、男の御子です。」

 

ロットはそれに反射的に手を差し出し、すぐに引っ込めて己の手を服で拭った。そして、その小さなものを受け取った。

熱いほどに温かだった。まるで、燃えている様なそれ。

小さな、たしかに生まれてきたそれ。

ロットはまた、涙ぐみそうになる。父が死んだ時以来の涙だ。

 

「ありがとう。」

 

それだけをなんとか言えた。

ロットは幾度も、ありがとうと呟いた。

 

「名前を、名前は、ガウェインにしよう。」

 

ロットはモルガンにそう言った。

 

「がうぇいん?」

「五月の鷹、春を告げる鳥だ。」

 

この国に良きものを連れてきてくれた、あなたにちなんで。

 

父の腕の中で、小さなそれは腕をパタパタと動かしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日だまりの下で


閑話休題のような、薄味です。ロットが出てこない、ダイル目線の話です。

感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

「・・・・・この世はふじょーです。」

「はあ。」

 

ダイルはそんな返事をすることしか出来なかった。ダイルの気のない返事に、日を避けるように木の根元ですねていた子どもは彼を睨んだ。

 

(まったくといって良いほど怖くない。)

 

それもそのはずで、ダイルをにらみ付けてくる少年はまさしく天使もかくやと言えるほどに愛らしかった。

まるで太陽の光を溶かし込んだような金の髪に、空を透かしたかのような青の瞳。バラ色の頬に、白磁の肌。

未だに幼い故の性別というものが出ていないせいか、その愛らしさは際立っていた。

 

(・・・・陛下にも似ておられるが。それにしても妃殿にも似ているなあ。)

 

全体として父に似た少年であるが、絶妙なパーツが母に似ている。まさしく、いいとこ取りと言っていい。少年の護衛を任されるダイルでさえも、それに対しては理解していた。

 

「だいる、きいてるの?」

「はい、聞いております。」

 

それにガウェインは幼児特有のまん丸いほっぺたを目一杯に膨らませた。

 

「きいてなーい!」

 

自分の行動が腹立たしいのか、少年はぷんすかと怒り出す。それにダイルは地面に膝立ちをして謝罪する。

 

「聞いておりますよ。」

「なら、ぼくがどうしておこってるのかわかる?」

「・・・・陛下はけして、アグラヴェイン様のほうばかりかわいがっていることなどありませんよ。」

「うそだ!」

 

ダイルはそれに頭を抱えたくなった。己の仕える王の長男であるガウェインとそんな問答を続けてどれぐらい経っただろうか。

 

 

 

ロットの長子であるガウェインは城のアイドルだった。

ロットによく似た顔立ちだとか、モルガンの色彩を受け継いだ。何よりも、たった独りになってしまっていたロットの血縁というだけで、彼を慕っている者たちからすれば眼に入れても痛くなかった。

なによりも、ガウェインはその見目に加えて、非常に愛想が良かった。物怖じせず、図太く、にこにこといつも笑っていた。

そんな少年をかわいがらない人間などいるはずもない。

誰よりも、ロット自身がガウェインのことを率先してかわいがった。元より情の深いことに加えて、ずっと望んでいた子どもの存在を前にかわいがらないわけがなかった。

時間が空けば、ロットは王としての立場にあるものとしてあり得ないほどに子どもに構っていた。母であるモルガンも、年々ロットに似ていくガウェインがかわいいようで何かと構っている様子だ。

ガウェインは善くも悪くも皆からの愛を一心に受けて育ったのだ。が、そんな状態が崩れ去る瞬間がやってきた。

ガウェインにとって弟であるアグラヴェインの誕生である。真っ黒な髪に、銀灰の瞳の赤ん坊に、ロットはそれはそれは歓喜していた。

が、ダイルにもその理由はわからないわけではない。アグラヴェインは先王によく似ていたのだ。

父を慕い、敬愛しているロットからすればそれだけで嬉しかったのだろう。それと同時に、先王を慕っていた人間も生まれたばかりの赤ん坊が先王にそっくりだという話を聞いて浮き足立っていた。

が、それが面白くないのはガウェインだ。ロットはガウェインに構うと言うことをまったく止めると言うことはないが、どうしてもアグラヴェインに割いた分だけそれは減っていく。

 

「ちちうえは、ぼくのことなんてどうでもいいんだ。」

「そのようなことはありませんよ。」

 

ダイルはそうフォローするが、幼子にはそんなことは関係ない。すねたように、そんなことはあるとご立腹だ。

 

「・・・・おとうとなんていらない。」

「そのようなことを言ってはいけませんよ!」

「だってえ!」

 

ダイルはそう言いはしても、ガウェインの心情も理解できなくはない。ガウェインからすれば、勝手に生まれてきたようなものだ。ならば、その癇癪も理解できなくはない。が、そんなことを言ってしまうことに関してどうしたものかと頭を抱えたくなる。

 

「・・・・ガウェイン。」

 

その時、ダイルの背後から柔らかな声がした。ダイルはそれに慌てて立ち上がり、礼をする。

 

「今、聞き捨てならないことを聞きましたが?」

「は、ははうえ。」

 

そこには無表情のモルガンが立っていた。ダイルはガウェインとモルガンの間からのいた。モルガンは手を振って下がるように指示を出す。ダイルはどきどきしながらモルガンの連れていた侍女と隣に下がる。

うららかな日差しの中、ガウェインは蹲っていた、城の敷地内にある木の根元から立ち上がった。そうして、ばつの悪そうな顔をする。

モルガンは睨み付けるようにガウェインを見下ろした。

 

「ガウェイン、先ほど、あなたはなんと言いましたか?」

 

それにガウェインはもじもじと前で両手を握り込んだ。そうして、ちらちらとモルガンと地面で視線を行ったり来たりさせる。

少しの沈黙の後、観念したのか蚊の鳴くような声で言った。

 

「アギーのことを、いらないって。」

 

それに、モルガンは深々とため息を吐いた。明らかなその仕草にガウェインはびくりと体を震わせた。モルガンはその場に膝を突き、ガウェインと視線を合わせた。

ダイルは、どきどきしながらあまりキツくとがめないでやってほしいと心の底から願った。

 

「・・・・ガウェイン。何故、皆が赤子のことを気にするかわかりますか?」

 

それにガウェインはふるふると首を振った。

 

「ガウェイン。お前は、一人で立って好きなところに行くことができます。おなかが空けば誰かに言えます。風邪を引いたときも、辛いと伝えられます。ですが、あの子にはそれができないのです。何もできないから、全てをやらないといけません。お前は、全部してもらわないといけないような子ですか?」

「そ、そんなこと、ない!」

「ええ、ご飯も綺麗に食べられるようになりましたし。階段も一人で下りられるでしょう?」

「うん!あとね、まえよりもはやくはしれるようになったんだ!」

「それはよいことを聞きました。」

 

モルガンは淡く微笑んでその頭を撫でた。ガウェインはそれにふにゃふにゃと表情を崩したが、その後にしょんぼりとした表情をする。

 

「・・・・でも、ちちうえともっとあそびたい。」

「そうですね。陛下との時間が短くなっているかもしれませんが。それは、陛下がお前を信頼しているからですよ。」

「しんらい?」

「そうです。ガウェインもできることがたくさん増えて、一人にしていても大丈夫だと信じてくれているんです。立派な騎士に近づいていると嬉しそうでしたよ。」

「きし?ほんとう、ははうえ?」

「はい、本当です。だから。」

 

モルガンはガウェインの頬をそっと撫でた。

 

「お前も、弟のことを守っておやりなさいね。小さな騎士様。」

 

その言葉にガウェインはぱあああと顔を輝かせた。そうして、頷いた。

 

「うん!アギーのこと、まもってあげる!!」

 

ガウェインは興奮気味にそう言った後、どこかに駆け出した。そうして、適当な枝を拾って振り回す。おそらく、騎士の真似ごとをしているのだろう。

モルガンはふうとため息を吐いて、その様を眺めた。ダイルはその隙を狙って、モルガンに近づいた。

 

「これで、ひとまずは大丈夫でしょう。」

「・・・・・申し訳ございません。」

「いいえ。陛下の関心がアグラヴェインに向けられているのは事実ですから。ガウェインが拗ねるのもわかります。私も・・・・・」

 

モルガンはそこで言葉を切り、咳払いをした。ダイルはそれに、夫婦仲は変わることなく良好であるらしいと察した。

ダイルは、その美しい横顔を眺めて、そうして言葉を吐いた。

 

「・・・・陛下、ありがとうございます。」

「それは、何についての礼なのですか?」

 

モルガンは少し離れた場所で枝を振り回すガウェインから視線をそらすことなく言った。それに、ダイルは話すか一瞬迷う。

モルガンの、氷のように美しい顔立ちを見てそんな思考はさっさと放り捨てた。

なんとなく、黙っていてもばれてしまいそうだった。

 

「陛下に家族を作ってくださったことです。」

「あなたに礼を言われることではないです。これは、私が望んだことなのですから。」

 

ダイルはそれに、少しだけモルガンの口調がキツくなったような気がしたがあまり気にはしなかった。

年々、モルガンの言葉がキツくなって行っている気がしたが、この国に慣れてきた証なのだろうと受け止めていた。

 

「それでも、礼が言いたかったのです。あの方は、寂しい方でしたから。」

 

ダイルはそう言って、ロットによく似た少年をじっと見た。その光景が、たまらなく嬉しかった。その光景を見たいと、ずっと願っていた。

 

「あの方は、兄弟もおられず。父君であった先王も忙しい方でしたので。よく、一人でおられました。ですが、私は残念ながら臣下です。敵を屠り、忠義を果たすことは出来てもそれ以外にはなにも出来ませんので。」

 

ダイルの言葉にモルガンは少し黙り、そうして改めて口を開いた。

 

「ダイル卿の忠義には感服しますね。」

 

皮肉気なそれに、ダイルは苦笑した。

 

「そうですね。陛下は、まさしく、私にとってこの世そのもので。あの方のためならば、文字通りなんでもしましょう。」

例え、この国を滅ぼすことになろうとも。陛下が望むのならば。

 

幼子のような無邪気なそれに、モルガンは何も言わなかった。それは、あくまで予想通りだろう言葉を吐いたに過ぎないという態度だった。

ダイルはそれに、ああ、やはり知っているのかと納得した。

 

 

ダイルの父は文官であった。そんな父を、国のために働く父をダイルは尊敬していた。文官というものは肌に合わないから騎士になり、同じように国のために生きたかった。

父のように、故郷を守りたかった。

それは、父が国を裏切ったという事実で終わってしまったけれど。

最初は、信じていなかった。父がそんなことをすることはないと。けれど、提示された証拠に、その敬愛は憎悪に変わった。

裏切りもの、恥ずべきもの、忠義というものを否定した恥さらし。

ダイルは、有望な騎士見習いから裏切り者の息子として名を馳せた。

何が間違っていたのだろうか、どうしてこうなったのだろうか。

あれほどまでに願った騎士になることは出来ず、そうして、守りたいという故郷を父が売っていたという事実に打ちひしがれた。

死んでしまいたかった。恥ずかしくて、悲しくて、死んでしまいたかった。

 

 

「・・・・陛下は、そんな私に手を差し伸べてくださいました。死にたいという私に、それならばこの国のために死ねと言ってくださいました。私に、夢を叶えるためのチャンスをくださった。」

私は、それが嬉しい。嬉しくて、嬉しくて。だから、その時、誓いました。この命は、この方のために使おうと。忌まわしい、父につけられた名を、あの方は奪ってくださいました。父の息子であることを、捨てさせてくださいました。

 

「・・・・いつか、私の名前をとりにこいと、そう。」

 

だから、ダイルにとって幸福とは、ロットの幸福だった。

あの日、絶望に打ちひしがれる幼い子どもを、男は拾い上げてくれた。その夢をもう一度、己の手の中に戻してくれた。汚名を雪ぐ機会をくれた。

呼ばれることが嫌でたまらなかった、父につけられた名を奪ってくれた。

 

そんなにその名前が嫌なら、俺が預かってやるよ。わかった、なら新しい名前をやるよ。それを呼び名にすればいい。でもな、覚えておけ。お前の父の業は、お前自身の業ではないんだよ。お前は、お前だ。だから、いつか、誰にも祝福されたお前であった証は、取りに来い。いつか、お前がお前を赦せたときに。

 

その言葉を、覚えている。父の業に気づけなかった、愚かな自分が赦せず。父との繋がりを感じさせる名前が忌まわしくてたまらなかった。そんな自分をロットは赦してくれた。

だからこそ、誓ったのだ。

ああ、そうだ。自分は、いつか、この男のために生きて、そうして死ぬのだと。

無邪気に、そう思ったのだ。誓ったのだ。

 

「陛下、いえ、モルガン妃。一つ、覚えておいていただけたらと思います。」

 

それにモルガンはうろんげな眼を返した。

 

「・・・・・私は、陛下の騎士です。それ以外の忠義を持つことはないでしょう。ですが、もしも。陛下に何か、危険が及ぶようなことがあれば。どうぞ、何用にもご命令を。」

 

ダイルはそう言って、モルガンに騎士として礼を取った。モルガンはそれに、一度だけ視線を向けた後、小さく、胸に留めておきますとだけ言った。

ダイルはそれに、ありがとうございますと礼を言った。

それだけでよかった。それを心にとめておいてくれるだけで十分だった。

 

その後、ロットがやってきて、ガウェインのふくふくとした頬を突いていた。それからモルガンの頬にキスをして、彼女はそれに頬を赤らめていた。

ダイルは、それが嬉しい。あの日、自分を救ってくれた男が、永遠の忠義を誓った王の幸福が何よりも愛おしかった。

 

(死ぬのなら、戦場で死にたい。)

 

この国のために、戦って死ぬのだ。己が王のために死ぬのだ。

自分が王に名前を返却を求めることはないだろう。自分が、自分を赦すことなんて永遠に来ない。

ダイルはロットに感謝していた。彼のおかげで、己の父は少なくとも裏切り者であっても、オークニーを滅ぼすものにならなかった。

 

(忘れられても、かまわない。もう、陛下か、老人どもしか覚えていない、ラモラックなんて名前は。)

 

どこぞの王の子と一緒の名前なんて、自分にはきっと似合わないから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日暮れの始まり


話が進みます。
感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。モルガン様の話。ロットはほとんど出てきません。


 

 

その日、モルガンは針仕事をしていた。それは、三人の息子たちに与えるためのマントだった。末の子で、ようやく生まれたガレスは昼寝をしており、乳母に預けていた。不自由がないようにと魔術をかけている最中、自室が叩かれた。

ゆっくりしたいからと侍女たちは下がらせており、誰であろうかと頭を傾げた。

かちゃりと開けられた先にいたのは黒髪の少年だった。生真面目そうな面持ちをしており、冷ややかな印象の銀灰の瞳をしていた。

 

「アグラヴェイン。どうかしましたか?」

「・・・・母上、少し、ここにいてもいいですか?」

 

それにモルガンはなんとなく二番目の息子が何故自分の部屋に来たのかを理解した。モルガンがいいですよと頷けば、アグラヴェインはいそいそと部屋に入ってくる。

そうして、ドアから死角になった部分に椅子を動かし、そうして持っていた羊皮紙の巻物を読み始めた。

それにモルガンは予想が確信へと変わる。

部屋の中からでもわかる程度に騒がしい足音が聞こえてくる。そうして、先ほどの控えめなノックなど何であるかというように騒がしい音が響く。

それに、モルガンは同じように入室の許可を出した。

ばんと、勢いよく扉が開いた。そうして、まるで矢のように少年が一人飛び込んでくる。

金の髪に、青の瞳をして夫にそっくりの長男はまるで地面で散々に転がったかのように砂埃にまみれていた。

 

「母上!」

「ガウェイン。入ってくるときはもう少し静かにしなさい。どうしました?」

「いえ、アギーがこちらに来てませんか?」

 

話に出たアグラヴェインはそそくさと見えないように部屋の奥に逃げ込んだ。それに気づかないガウェインはにこにこと笑っている。

 

「何か用があるんですか?」

「実は、剣術の鍛錬をガへリスとしていまして。せっかくならアギーのことも誘おうかと思いまして。」

 

にこにこと笑うその様は、本当に父親によく似ていた。

 

「そうですね、ここにはいませんよ。」

「そうなのですか?わかりました、他を探してみます。」

 

しょんぼりとした様はまるで大きな犬のようだった。が、モルガンの手の中にあるマントを見て眼をキラキラとさせた。

 

「母上、それはなんですか?」

「これはお前たちのマントですよ。皆、大きくなりましたからね。お前は、翠の色を。アグラヴェインは紺の、ガへリスは青にしようと思っています。」

「楽しみにしていますね、母上!」

 

ガウェインはうきうきとした様子で扉をまた、元気いっぱいに出て行く。それを見送った後、モルガンは部屋の奥、物陰で静かにしているアグラヴェインに話しかけた。

 

「出てきてもいいですよ。」

「・・・・はい。」

 

モルガンに近づいてくるアグラヴェインはばつの悪そうな顔をしていた。

 

「剣術の鍛錬から逃げ出すのは感心しませんね。」

「・・・・この、礼節の書が読みたかったのです。」

 

モルガンはその言葉に苦笑した。口ではそう言ってるが、アグラヴェインはどちらかというと体を動かすよりも座って勉学に耽ることを好んでいた。もちろん、剣術の才がないわけでも、嫌というわけでもない様子ではある。

ただ、嬉々として剣術の鍛錬に付き合わせるガウェインについては避けがちだ。それも仕方が無いだろう。なんといってもガウェインと、実直すぎるガへリスの鍛錬は際限が無く、大人しいアグラヴェインには付き合うのが辛い部分もあるのだろう。

まあ、それもいいだろうとモルガンは思った。

アグラヴェイン自身、怠惰の末というよりも優先したいことがあってのことだ。

 

「そうですね。体を動かすだけでなく、礼節や知識もまた騎士には必要なことでしょう。」

「はい!」

 

アグラヴェインはそれにゆるゆると微笑んで、羊皮紙を開いた。

モルガンはそれに横目に見つつ、また裁縫を再開した。が、すぐに手を止めて、ちらりと外を見た。

青い空が、そこには広がっていた。

 

(・・・・もう、十数年が経つのか。)

 

モルガンは不思議な気持ちで、そんなことを思った。

最初に産んだガウェインは、すでに二桁の年齢に達していた。

オークニーでの生活は順調であった。城の者たちも皆、モルガンに優しい。皆が、モルガンを尊重してくれている。

そうして、夫に当たるロットもそうだ。聞いたところによれば、夫というのは子どもが、それも嫡男が生まれてしまえば一気に身をひくものだと聞いた。新しい女も作るものさえいるという。

が、ロットはそんなこともなく、結果として四人の子どもに恵まれている。

そこで、モルガンはロットの熱を帯びた眼を思い出し、顔を赤くした。そうして、熱を振り払うように頭を振り、思考を切り替えた。

 

(・・・・子ども、子ども、子ども。)

 

モルガンはそこで部屋の中で本を読む少年を見た。きっと、見た目で言うのならば、自分たち夫婦に一番に似ていないだろう子だ。

けれど、モルガンはしみじみと不思議だなあと思う。

 

(子どもたちは、まったく私に似ていない。ロットにばかり似ている。)

 

が、ロットから言わせると、子どもたちはモルガンによく似ているらしい。

例えば、ガウェインの真っ直ぐすぎるところだとか、アグラヴェインの繊細なところだとか、ガへリスの下の者への優しさだとか、ガレスの愛情深いところだとか。

ロット曰く、モルガンによく似ているらしい。

が、モルガンから言わせれば、四人の子どもたちはロットによく似ていた。

おそらく、一番にロットに似ているのはガウェインだろう。元々の気質自体は、ガウェインが一番に似ている。アグラヴェインの冷静なところはロットによく似ているし、ガへリスの役目に対する真面目さもそうだ。ガレスに関しては、笑った顔が本当にロットの気の抜けたときの笑みに似ている。

が、周りの人間に言わせると、二人に似ているらしい。

モルガンは、目の前の少年のまろいほっぺたを眺めた。

 

(・・・・愛か。)

 

正直な話をすれば、モルガンは未だに子どもたちへの愛というものにピンときていない。

それは、この国に来るまでもそうだった。

モルガンにとって、子を産むとはそれこそ結果でしかない。愛がなくとも子は生まれるし、育っていく。血縁は決して愛情に直結しない。それは、自分が何よりも経験したことだ。

所詮は、手駒を産み、教育するだけの行為だった。

正直な話、子どもたちを自分の血を継いでいるという事実だけならば、驚くほどに感心が湧かない。彼らの能力だけでしか判断が出来ない自分がいる。

けれど、四人の中にロットの痕跡を見つけると、なんだかそのまろいほっぺたを突きたくなる自分がいる。

ガウェインの面立ちを見ていると微笑みたくなる。アグラヴェインの書を読む横顔を撫でたくなる。ガへリスの生真面目な性質を抱きしめたくなる。ガレスの澄んだ緑の瞳を見ると、キスをしてやりたくなる。

ああ、そうだ。男の面影を見ると、なんだかとっても彼らの生を祝福したくなるのだ。幸せになれと思うのだ。彼らを苛む何かを悉く滅ぼしたくなるのだ。

 

(・・・・このまま、私は、どうしたいのだろうか。)

 

ブリテンの王になる。それは、モルガンの中に育った、執着だ。そうあれと言われた、そうしなければと思っていた。そうでなければ、モルガンには何もなかったから。

父の記憶も、母の記憶も、うすらぼんやりとしている。

ただ、皆、どこか自分に興味が無いようだった。

 

(そうだ、だから。王になれば、私も王になれば。)

 

振り返ってくれるのだと、思っていた。空っぽの心には、呪いのような思いだけが残っていたから。

モルガンはまた、持っていたマントに魔術を込めながら、考える。

けれど、何故だろうか。

国を取るために知恵を絞るよりも、策略を考えるよりも、こうやって子どもたちのために服を編んでやることに心が満たされている自分がいる。

皆、自分を賢者としてくれた。女が政務に関わることを嫌がるものもいたが、たくましい一面を持つオークニーの人間は早々と使えるものは使えという思考に切り替わった。

 

(・・・・私は、王になりたいのだろうか。)

 

父に自分以外の子はいない。嫡子になれそうな存在も、覚えている限りではいない。ならば、おそらく一番に候補に挙がるのは、ロットになるだろう。

自分の夫であり、ウーサー王の血を継いでいる男は子どもたちしかないのだから。

結局、自分ではなく、その夫のロットや子どもたちが選ばれるのだろう。そんな思考がある。が、何故か不思議と苛立たなかった。

それよりも、もしもの時を考えて、子どもたちの、特にガウェインの教育について見直すべきだろうか?

かの子は、武芸に優れ、人の上に立つ上の温和さもある。が、どちらかというと体を動かすのを好んでいるため、もう少し礼節等の教育を施すべきだろうか。

そうして、ロットに関してはあまり気にはならない。男は元より、図太く、賢しく、そうして強かな面がある。

青年といえる年から脱し、老獪さを含んだ男のことをモルガンは考える。

 

(・・・ますます男ぶりが上がって、私としては嬉しくもあり、心配なことも。いえ、あの男はもちろん、私の魅力に首ったけなのはわかっているが、間違いというものがあることも事実。)

 

などと考えて、モルガンは思考がまた明後日の方向に進んだと理解して首を振る。

そうなのだ、結局の話、モルガンは自分が王になると言うことにそこまでの執着を持っていなかった。

ウーサー王が弱ってきたという話を、聞いた。

それに見舞いの手紙を送ったが、返信は無かった。ぼんやりと、誰が王になるのだろうかと考える。けれど、そこまで長くないという話が出ても、彼の人は誰のことも王に指名していない。

だからこそ、モルガンは仄暗い想いがあったのだ。

ああ、父よ。我が父よ。私を選ばなかったあなたよ。結局は、捨てたモルガンを頼らねばならなくなるのだ。

事実、ブリテンにいる王の中で、特に名が知られているのはロットであった。片田舎であれど、男の勇猛さは確かに知られるには十分だった。多くの王と同盟を組んでおり、その性質から他とぶつかると言うこともない。

だから、それでもいいと思った。王になることは出来なくとも、モルガンの自慢の彼らを選ぶことしか出来ない父への思いはそれでなんとなく良いと思っていた。

モルガンは、このままこの国で、男の側で、子どもたちの側で、朽ちていくとしてもそれでよいと思っていた。

島が、人々が滅んでも別に構わないという思いはある。けれど、オークニーだけは、この国に住まう人々にだけは、どうしようもない愛着を感じていた。この美しい国が、滅んでしまうのを惜しいと思っていた。

それでいいと思っていたのだ。それで、いいと。モルガンはようやく、誰にも選ばれなかった幼い少女を赦せる気がしたのだ。

そんなことを考えているとき、こんこんとまたドアが叩かれた。それに、モルガンはどうぞと入室を促す。アグラヴェインも、足音等からガウェインでないことを察してそのまま書を読み耽っていた。

 

「少し、邪魔をするな。」

 

顔を出したのは、モルガンの夫であった。そうして、ロットの姿をみたアグラヴェインは書をそそくさとしまい、ロットの元に急いだ。

 

「父上!」

 

普段は表情の乏しい彼ではあるが、父の前ではどこかきらきらとした年相応の表情をする。ロットはお前さんもいたのかと笑いながら、自分の足下にいるアグラヴェインの頭を撫でた。

 

「ガウェインやガへリスと一緒じゃないのか。」

「はい、書を読んでおりました!」

「そうか。偉いな。ガウェインも、もう少し執務的な部分に興味を持って欲しいが。」

 

そんなことを言いつつ、ロットはそっと彼を外へと促した。

 

「すまんな、少し母上と大事な話があるから、別の所に移動してくれ。」

「はい、わかりました。あの、それで、父上。」

「ん?なんだ?」

 

アグラヴェインはもじもじしながら、ちらりとロットを見た。ロットは息子の愛らしい仕草に顔を緩ませた。

ロット曰く、そう言った表情がモルガンに似ているらしいが、彼女にはピンとこない。

 

「あの、またお時間をいただけませんか。剣術の鍛錬にお付き合いできないかと。」

「おうおう、構わないよ。また、いつになるか教えよう。」

「はーい!」

 

アグラヴェインはにこにことしながら、そのまま部屋を出て行く。それを穏やかな顔で見送ったロットであるが、彼はモルガンの方に顔を強ばらせて近づいた。

 

「・・・・すまないな。」

「いえ、ですが、どうされましたか。こんな時間に。」

 

ロットはモルガンの顔に思い悩むような仕草をした後に、重い口を開いた。

 

「今、知らせが入った。ウーサー王が死去された。」

 

それに、モルガンは目を見開き、間髪入れずに言った。

 

「それは、私宛でしょうか?」

「・・・・いや、俺宛だった。そうして、もう一つ知らせが入った。」

 

ウーサー王には息子がおり、その者が次期王になると。

モルガンはそれに、目を見開いた。一瞬のうちには、怒りや悲しみや動揺などが頭と体を駆け回る。けれど、最後に残ったのは、一つだけ。

 

(父よ、最期まで、私には何も言ってくださらないのですね。)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

先王の業

短めな、アルトリアとロットの初対面。あっさり終わってしまった。

感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

王になるということ自体、アルトリア・ペンドラゴンにとってはさしたるものではなかった。

彼女にとって王になるというのはあくまで通過点であり、重要なのはその先だった。

己が、その国をどうするのか。

重要なのは、それだけだった。

覚悟はあった。

鍛錬も、学ぶことも、聖剣を抜いたことも後悔はしていなかった。

例え、人として逸脱した生を生きることになろうと。

それでも、誰かが笑っているのなら、それでよかった。

 

(・・・・滞りなく、進めなくてはいけない。)

 

顔もよく知らない父の葬儀には、諸侯の王たちが参列する。その場で、自分を次期王として紹介する。そのために、教会に手を回したとマーリンも言っていた。

そう簡単に認められないとは理解していた。が、認められなければいけない。そう、アルトリアは、いや、アーサー・ペンドラゴンは揺るがぬようにと覚悟を決めたのだ。

そんな日、晴れた日。血のつながりだけのある父を見送る日。

アーサー王は、北の果てからやってきた、一人の王に会ったのだ。

 

 

 

その時、アーサー王はマーリンと義兄であるケイと共に足早に城内を移動していた。彼らは、ウーサー王の遺体が安置されている教会へと急いでいた。

彼らがそこまで走ることとなった理由は簡単で、待ち人が思わぬ行動を取ったためだった。

 

「ロット王が?」

 

マーリンの所に慌てた様子で知らせが入った。ロット王、その単語にはアーサーもまた反応した。次期王としての立場に立って、その名前はよく聞いた。そうして、マーリンからも言われていた。

曰く、その男は己にとって王になる上での一番の障害になるだろうと。

そんな彼が登城するのを待っていたのだが、待ち人は何を思ったのか早々と城の人間を押しのけて、ウーサー王の遺体のある教会に向かった。

その場にいたのが地位の低い者たちだけであり、名の売れたロット王を抑えきれなかったのも原因だった。

 

「舐められてるな。」

 

そんなことを吐き捨てたケイの声がやたらと耳についた。

舐められている、そうだ。自分は侮られているのだ。いきなり現れた若輩者の自分を認められないのは当然だ。

 

(だから、会わなくては。)

 

王として、認められなくてはいけないのだ。

 

 

たどり着いた先の教会の前には、一人の騎士がいた。鎧を纏った赤髪の彼は三人の姿を目にすると、あっさりとその道を通した。

 

「・・・・やあ、ダイル君だね。」

「王ならば、中におられます。」

 

淡々とした声でそれはそう言った。そうして、マーリンはそれに特別なリアクションはせずに、教会の扉を開けた。

 

大樹のような男だと、アーサーは思った。

 

白い教会の中に、鈍色の鎧と赤のマントを纏った男が立っている。明り取りの窓から入ってくる日の光の中で、まるで黒曜石のような髪に反射して天使の輪が見えた。

男は、じっとまるで石像のようにウーサー王の棺を眺めていた。けれど、三人が教会に入ってきた瞬間、振り向いた。

彫刻のように整った顔立ちをしていたが、そこに繊細さなど欠片もない。厳しく、そうして隻眼なのかを片目を覆った眼帯は男の荒々しさを表しているかのようだった。

少しだけ皺の刻まれた表情は、老いた故の思慮深さを感じられた。

大樹のようだと、アーサーは男に思った。大樹のように揺るがず、存在感のある男だと、そう思った。

自分たちの方に振り向いた男は、アーサーを見て眼を見開いた。が、すぐにそんなことはなかったかのようにマーリンを見た。

 

「賢者殿。」

「やあ、久しぶりだね。オークニーのロット王。いきなりこちらに向かったと言うから驚いたよ。ああ、こちらは。」

「ウーサー王より、何か聞いてはいないだろうか。」

 

マーリンは変わることなくにこやかに挨拶をしたが、それにかぶせるようにロットと呼ばれた男は言った。マーリンはそれに思うことがあるように一瞬黙るが、気にすることなく口を開いた。

 

「残念ながら、君への伝言は。」

「私ではない、私の妻に向けての言葉だ!」

 

ロットは、今までの静謐さなどかなぐり捨てて吐き捨てるように言った。それに、マーリンはああと頷いた。

 

「あると思うのかい?」

 

その言葉に、ロットは改めて棺を見た。動いたせいで、彼の表情はよく見えない。ただ、静まりかえった教会のせいか、彼の掠れた声が聞こえた。

 

「ウーサー王よ、あなたは、最後の最期まで。なぜ、そんなにも。」

 

何かを絞り出すように、彼はそう言った。が、すぐに姿勢を正した。そうして、また、マーリンだけを見て言った。

 

「・・・・聞きたかったのはそれだけです。私は、お暇させていただきましょう。」

 

ロットはそう言って、入り口に向かって歩き出した。それに、アーサーは口を開きかけた。が、それはケイによって無為に終わる。

 

「おいおい。さすがに無礼が過ぎるんじゃないか、ロット王?」

 

それにロットは足を止めて、前方に立つケイを見た。視線を向けるだけで、彼は何も言わない。

 

「ここにいるのは、ウーサー王が後継者として指名した次期王だ。アーサー・ペンドラゴンだ。するにもそれ相応の礼儀があるだろう?」

 

ギラつく瞳を向ける彼に、ロットは凍えるような、翠の瞳でケイを見た。

 

「・・・・これは驚きだ。」

「はっ?」

「キャメロットでは、一介の騎士が王の一人にこれほど気軽に口をきいてもいいとは。」

 

吐き捨てるような冷たい皮肉だった。それに、ケイは目を見開き、さらに何かを言おうとした。

 

「身の程を弁えろ、と言われたこともわかられないので?」

 

それにケイは驚いて振り返り、アーサーを庇うように躍り出た。そこには、教会の外にいた赤毛の騎士がいた。

 

「私の主君への無礼はそこまでにしていただきましょう。」

 

ぎらぎらとした瞳で、彼はそういった。アーサーはそれにケイに静止の言葉をかけ、そうして改めてロットを見た。

 

「ロット王、あなたが私を認められないのは当たり前です。私は、未だに何もなしていない。素性も曖昧な人間です。ですが、私は王になり、なすべきことがあるのです。」

どうか、話だけでもしていただけませんか?

 

アーサーは必死だった。聞いた話では、ロットは諸侯の王の中で頭一つが抜けている。彼を味方にすることができれば、自分の目的に近づくはずだ。

翠の瞳を見た。まっすぐと、その深い色の瞳を、じっと見た。彼は、それに顔を覆った。どうすれば良いのかわからないというように。そうして、また言葉を吐いた。

 

「賢者殿、貴公が育てたのか。これを、こんなものを。」

「ああ。といっても、育児は殆どケイとその父君だけれどね。」

 

朗らかな声にロットは顔を上げた。そうして、ようやくアーサーを自ら見た。

 

「・・・・少し、話をするか。」

 

 

アーサーは、教会の中で、ウーサー王の棺を前にロットと隣り合って立っていた。その場には、二人以外誰も居ない。ケイは最後まで嫌がっていたが、マーリンの説得に渋々引き下がった。

そうして、アーサーはちらりとロットを見た。

何か言うべきかと悩んでいると、ロットはおもむろに口を開いた。

 

「・・・・諸侯の者たちは、お前を認めていない。何故か、わかるか?」

「私が唐突に現れ、ウーサー王の子であるかも怪しい、若輩者だからでしょうか?」

「半分当たっているが、半分は違う。正直言えば、お前のことなどどうでもいいのだ。本来ならば、例えウーサー王が亡くなろうが表面上ならば、収まっていただろう。賢者殿の後ろ盾も考えれば。」

「どうでもいいとは、どういう。」

 

ロットはそれに、顔を覆った。絶望するように、搾り出すように言った。

 

「・・・・そうだ。例え、生まれてきたとしても、まだ。お前が王の資質があるのか、諸侯の王が知る機会さえ設けられれば。それだけで、まだ、ましであったのに。」

 

それにアーサーはロットに詰め寄った。

 

「確かに、私は未熟な若造です。ですが、背負う覚悟は出来ています。この国のために生きることも、死ぬことも。私は。」

「この愚か者め!国のために死ぬも生きるも、そんなものは当たり前だ!そんなものは覚悟の一つにも入るものか!お前は、何もわかっていない!」

 

男の、誰からもされたことがない種類の怒りにアーサーは目を見開いた。ロットは怒りの声を吐いたが、その目はどこか悲痛に満ちている。

 

「若造よ。何故、己が認められないのか。本当にわからないのか?そんなの、簡単な話だろう。」

お前は、ウーサー王と、イグレインの子であるからだ。

 

ロットは哀れむようにアーサーを見た。

 

 

「・・・・父母が、ですか?」

「王が王たり得るために、統べるために一番に必要なものが何かわかるか?それはな、信頼だ。」

 

ロットは吐き捨てるようにウーサー王の棺をにらみ付けた。

 

「所詮は、力も賢しさも、誰からか借りれば事足りる。だがな、信頼は当人のあり方によるものだ。民からの敬いも、騎士からの忠誠も、諸侯の王たちの支持も。その王が、国を傾けぬと言う信頼の上に成り立っている。だが、ウーサー王はそれらを裏切った。

コーンウォール公の妻を、ただ惚れた腫れた。それだけのために、戦を起こし、当時のブリテンの状況を散々なものにしたあの時に!」

 

アーサーは呆然として、あまりにも予想外の言葉に口を噤んでしまった。

自分の、若さでも、未熟さでも、力量でも、弱さでもなく。出自を否定されるのは、あまりにも予想外であったのだ。ロットはアーサーのそれに、首を振った。

 

「諸侯の王たちは、あのとき、ウーサー王に失望した。おめおめとイグレイン殿を娶り、その挙句に妻とした。誰が、人の女が欲しいから戦を起こす王になど仕えたいと思う?それでも、彼の人が王であったのは彼が巨大であったからだ。戦も強く、そうして賢者殿の存在に誰も逆らえなかった。当事者でない俺さえも、父から話を聞いたさ。」

 

それ故にだ。ロットは一言区切ってアーサーを見た。

 

「我らは貴様を王には認めん。アーサー・ペンドラゴン。お前には罪はない。だが、生まれながらの業を我らは認めることはできん。お前の後ろ盾である賢者殿とウーサー王を信じることはもうできないのだ。」

「・・・・それでも。私は王にならねばならないのです。」

 

ロットの言葉にアーサーはそれでも言い返した。確かに、彼らの言葉はある意味で正しいのだろう。

自分が生まれた経緯は知っている。ウーサー王のやり方にはそれ相応の理由があった。けれど、それを知らぬ人間からすればその反応はある意味で正しいのだろう。

けれど、それでも、アーサーは己の夢を諦めるわけにはいかなかった。それでも、笑っていたのだ。

自分がこれから、どれだけのことが出来るのかはわからないけれど。それでも、誰かが笑っていたから。

それを、美しいと、素敵だと思ったのだ。

アーサーの揺るがぬそれに、ロットは首を振った。

 

「・・・・王になるには、二通りの方法がある。一つは、無から有を作り出すこと。もう一つは、元よりあるものを奪うこと、屈服させること。言いたいことはわかるな?」

「・・・・はい。」

 

頷いたそれにロットは首を振った。どうしようもないというように、けれど、全てが予想通りであったかのように。

 

「アーサー・ペンドラゴン。俺もまた、お前を王として認めることはできん。お前の血統に、俺は目をつぶることは出来るが。それでも、お前はあまりにも何もなしていないのだ。」

真白の子よ、何もなしてなどいない、されど清く優しい子よ。お前の抱く冠が、血濡れになれど望むのならばそれもいい。どうか、お前の願いが、お前を苦しめることがないように。

「私は後悔など、私はしません。」

 

それにロットは、やはり悲しそうな顔をした。そうして、首をまた振った。

 

「・・・・・・それならば、それもいい。ウーサー王の忌々しい置き土産。その覚悟も、その言葉もけして忘れるな。それこそが、きっと、選択を役目としたものに最も必要なものだろう。」

「ロット王?」

 

その男は、ひどく悲しそうな顔をしていた。それは、エクターがケイを見るときの目に、なんとなく似ているように思えた。

ロットはそれを言い捨てると、その場からさっさと出て行った。

アーサーは、それに、戦が訪れることを思い、拳を握りしめた。

己の敵になる男、自分の義理の兄、姉に当たる女の夫。そうして、きっと、誰よりも初めて会った、一人の王であった男の背中を最後まで見送った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

うつくしいいきもの

ロットのアルトリア論

ロットの声ってどんな、というか誰の声帯になるのかなと時折考えます。

感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

「・・・・・ダイル。すまん、少し休んでいくぞ。」

「はい、わかりました。」

 

ダイルは少しだけいぶかしげな顔をした。当たり前だ。ウーサー王の葬儀もそこそこに早々と城から出た二人はいち早く帰らねばならなかった。

けれど、珍しくそんな弱音を吐いたロットをダイルは不思議に思いつつも走らせていた馬の速度を緩めた。

すぐ近くの川で一端休憩を取ることにした。

馬たちに水を飲ませている中、ロットもひとすくい飲み込んだ。ぽたぽたと口から滴がこぼれ落ちた。

そうして、掠れた声で言った。

 

「らしくなかったか?」

 

ダイルはそれが、教会での振る舞いであることを察したが彼にとってはどちらでもいいことだった。

 

「あの振る舞いが正しかったとお思いなのでしょう?」

 

それにロットは沈黙した。そうして、立ち上がり、ふらふらと川の上流へと歩き出す。

 

「陛下!」

「すぐ戻る。」

 

それだけ言い捨てて、ロットは足を速めた。

 

 

ロットは適当に、ダイルからは声も聞こえない程度の距離で足を止めた。そうして、また腰を下ろし、川から水を掬い、ばしゃりと顔を洗った。

また、顔から滴がぼたぼたと落ちた。そうして、水面に映った自分の顔を見た。

自分の顔、黒い髪に、隻眼。自分の翠の瞳を見た、それに、まるで閃光のようにある少女の瞳が浮かんで消えた。

翠の瞳、ごうごう、ごうごう、吹き抜ける嵐の音。

それと同時に、ロットは、我慢し続けた気分の悪さを口から吐いた。

 

 

ごうごうと、ごうごうと、眼を埋め込まれた当初は、ひどかった。

ずっと、耳を壊すような風の音。

熱に倒れ、けれど、その音はロットを眠らせてはくれなかった。

目をつぶってやり過ごそうとしても、眠っていようと、延々と聞こえる。

ごうごう、ごうごう。

 

「王子、大丈夫でしょうか?」

 ああ、仕事が増えてしまった。

 

「なにごともなければいいが。」

 跡取りがあのようではふがいない。

 

「王子に何かあれば、王が悲しまれる。」

 その時は己の娘を王にあてがおう。

 

聞こえる、聞こえる、人々の隠した本音。知ってしまう、知ってしまう、人々の表に出さない本性を。

 

耳をふさいだ。これでも、ロットはそんな眼を持つ前は己はなんだかんだで愛されていると思っていた、大事にされていると思っていた。

けれど、その眼が見せつける、真実に年若い彼の心はひしゃげて悲鳴を上げた。

吐き気がする。

あまりの醜さにそのまま心を閉ざしてしまいたかった。

あまりの悍ましさにそのまま死んでしまいたかった。

やめてくれ、やめてくれ。

俺に、これ以上、この世を嫌わせないでくれ。

熱に浮かされ、吐き気に苛まれ、死にそうだった。

いや、本当は死にたかったのかもしれない。美しいと思っていた世界は、吹きすさぶ嵐に覆い隠されてしまっていたから。

寝かせられたベッドから、そのまま飛び降りてしまいたかった。

そうして、ある日のことだった。

珍しく、本当に珍しく、ロットが妖精と取引をし、逃げ帰ってから会えていなかった父が見舞いにやってきた。

ロットは、体を動かすことが出来たのなら、すぐにその場から逃げ出したかった。父の本音を見ることが何よりも恐ろしかった。

けれど、熱にうなされた体ではそんなこともできない。

 

ごうごう、ごうごう、近づいてくる。

父が、己に近づいてくる。

せめてと、目をつぶった。そのまま、眠って、どれが父の真実であるか認識できなくなれば。

そう思った、けれど、半端に熱にうなされた体では、そんなことも叶わなかった。

父が、己を見下ろしている。

 

「・・・情けない。」 

 苦しそうだな。

 

(あ、れ?)

 

「王の子として、軽率なことをしたと理解しているのか?」 

 好奇心が旺盛なことは結構だが。今回は、命があって本当によかった。馬鹿な子だ。

 

「速やかに治しなさい。やるべきことは多くあるのだから。」

 お前が死んでしまったら、私はどうすれば良いのか。

 

ごうごう、ごうごう、聞こえてくる嵐の音。

 

欺瞞(ごうごう)野心(ごうごう)保身(ごうごう)侮蔑(ごうごう)

 

聞こえていたのに、何故だろうか。熱に浮かされて、暗闇の中で、光が見えた。

 

「おれ、しぬの?」

 

ぼんやりと、思わず吐き出したそれに、父は寄った皺をさらに深くした。そうして、ロットの頭を撫でてくれた。

 

「・・・いや、お前は死なん。なぜなら。」

 

その顔は厳しくて、けれど、一瞬言いよどんだ後。父は醒めた声で言った。

 

「お前は、王子としてなすべきことがあるのだから。」

 

吐き出した言葉はそうだった。けれど、その目には、確かに見えたのだ。

 

お前はまだ、美しいものを見ていないのだから。(きらきら)

 

暖かくて、夜道を照らすような、優しい星が瞬いているのを。

 

 

 

 

ロットは、それから、魔術師が眼帯を作るまで、嵐の中で目をこらした。

 

「お加減はいかがですか?」 

 ああ、よかった。よくなられて。

「王子、大丈夫ですか?」 

 倒れた理由はわからない。もしかしたら、良いネタになるかも。

「勉学が遅れておりますよ。」

 神よ、ありがとうございます。王子は無事、元気になりました。

「鍛錬はどうされますか?」 

 あーあ。できればこのまま休んでてくれよ。さぼれるし。

 

醜いものなら、多くあった。目が潰れるようなものならばたくさんあった。

けれど、よく、目をこらした。恐れぬように、醜さに怖じ気づかぬように、必死に、目をこらしたのだ。

そうだ、そうしたら、あったのだ。

確かに、本当に、少ないけれど。それでも、けして、消えることはなかった。

きらきら、きらきら。

ごうごうと吹きすさぶ風の中、吹き飛ばされそうで、けれどいつだってどこかにあった。

美しいものが確かにあった。

きらきら、きらきらと、そうだ、美しい、光輝くものが。

 

 

だからこそ、アーサーという少年に会うとき、ロットはかなりキツいが眼帯を別のものに変えた。その少年の本性を見極めたかったのだ。

そうして、教会で会ったとき、その少年を見たとき。

ロットは、必死に、体の震えと動揺を抑えた。

見たのだ、金の髪に、翠の瞳。

それは、その子どもは、人としてはあまりにも、美しい生き物だった。

 

きらきら、きらきら。

 

すべての嵐が、光によってかき消される。唸るような轟音さえも遠くになって、導くような光が目の前にあった。

だからこそ、必死にロットはそれから目を逸らした。そのまま見続ければ、目が眩んでしまいそうだった。

悲劇を見た、憎悪を見た、涙が流れて、怒りを叫んだ。

だめだ、ああ、だめだ。

醜いものを悉く見た者にとって、その光はあまりにも優しすぎる。

 

吐き気がした。

その清廉さに、祈りに、凝り固まった心に、愚直さに、そうして、あまりにも優しい心に。

だめだ、これはだめだ。

こんなものが、人の姿をするなんて。なんて、残酷なことをした。

 

見た、それの心を見た。

 

「ロット王、あなたが私を認められないのは当たり前です。私は、未だに何もなしていない。素性も曖昧な人間です。ですが、私は王になり、なすべきことがあるのです。」

 それでも、私は王になる。王にならねば、この島がせめて、優しいものがあるように。

 

「確かに、私は未熟な若造です。ですが、背負う覚悟は出来ています。この国のために生きることも、死ぬことも。私は。」 

 ああ、そうだ。そのために、私一人の人生。どれほど捧げたって構わない。

 

「・・・・それでも。私は王にならねばならないのです。」

 だって、誰かが笑っていた。きっと、それで十分だ。

 

 

ロットは、口からひたすらに吐き出した。水程度しか飲んでいなかったが故に、吐瀉物などほとんどない。

それでも、ロットは、あんなにも、正しいだけの存在が王になろうとしていることに吐き気がした。

あの、幼子は、いや、あの少女は、王からなによりも遠い存在のはずだ。

王とは、何をどう足掻いても、何かを取り、何かを捨てる選択肢が出てくる。非情さを持たねばならない、何かをドブに捨てねばならない。

 

この地獄で、この、人々の救いのために、あんなにも美しい星を作り上げたのか?

 

「ウーサー王よ!賢者殿よ!ならば、あの幼子の人生とは何だったというのですか?」

 

王は、国という機構を回す歯車だ。民の金で育てられた自分たちは、民に尽くす義務がある。

けれど、それでも。

 

「俺たちは、人間だ。全てを捧げるなど、ならば、傀儡となんの変わりがあるのだ!?」

 

吐き捨てた、ばしゃりと、怒りのままに水面を叩いた。揺らいだ水面で、翠の瞳が揺れている。

あまりにも、あの子が哀れだった。

彼女から、嵐の音なんて聞こえなかった。些細な、子どもの願いさえも、聞こえてこなかった。

 

(・・・言ってやりたかった。)

 

頑なにならなくていい。大人になるまで、義務なんて背負わなくていい。自分が、味方になってやると、そう、言ってやりたかった。

 

(ああ、だが。もう無理だ。手遅れだ!)

 

ウーサー王の死去の後、アーサーのことがブリテン中に知らされ、その後に諸侯の王たちから多くの文があった。

認めるなど、あってはならないと。

 

ウーサー王が生きている間はよかった。彼は確かに過ちを犯した。外からの侵略がある今、内戦などしている場合ではなかったし、彼は事実優秀だった。

そうして、彼は結局、跡取りを指名しなかった。

ウーサー王を信じることは出来なかったが、次の王に関しては自分たちが納得の出来る王を選ぶのだと思っていた。

けれど、現れたのは、不義の子に等しい少年だった。

諸侯の王たちの怒りは爆発した。いつまで、身勝手を繰り返す気だと。

まだ、幼い頃から跡取りであることを知らしめていればよかった。

おそらく、アーサーは、よき王になるだろう。若い頃の潔癖さは、生き方によっては頑固さではなく、公平性に化けることもある。

そうだ、王にするにはあまりにも清廉すぎるそれは、生き方によってどうとでもなる。

この際、女であることなど埒外だ。

ロットにとって気になるのは、こんなにも最悪な形で、彼女が次期王として紹介されたことだ。

幼い頃から、王たちへ顔を売っておけば。

彼女がどんな人間か、知っておくことが出来れば。

そうだ、いくらでも、ロットは後ろ盾になってもよかった。

 

アーサーをあんなふうに紹介した時点で、すでに戦は避けられないのだ。

 

(わかっている!)

 

そうだ、それこそが目的なのだ。じわりじわりとした、伝手をつくり、認められるのでは完全に権力を行使できるまで時間がかかる。

だからこそ、これなのだ。

若く、そうしてロットの眼には理解できた秘密を抱える少女が王になるために。

ブリテン島を巻き込んで、そうして、戦を起こし、王たちを叩き潰すこと。

最短の道筋だった。理解が出来た。

けれど、けれど、思わずには居られない。

 

別の道はなかったのか。回り出した車輪は止まらない。もう、誰かが死ぬまで、新しい王が生まれるまで、この戦は終わらない。

アーサーを認めるように王たちへの説得は不可能だ。そうして、アーサーに味方も出来ない。

ロットは、心のどこかで考えていた。

この戦で、王たちは負けるのではないかと。

圧倒的な数の差がある。けれど、ロットは分かっていた。

マーリンというそれが、おめおめと負け戦などするわけがないと。

中立でも気取るか?そんな半端など出来るはずがない。

叶うなら、戦いたくない。特に、あの、年若い少女。女の身で、王になろうとしている少女。

無垢で、頑なで、優しい。誰かの幸せに祈りを持つ子ども。

己の妻は、青い炎で、そうして駆けていく流星だった。

けれど、あの子どもは、赤い炎を纏って誰かのために振るわれる剣のようだった。

よく似た顔だった。嘘つきの女で、いじらしい女。本音しか言わない、宝物を必死に抱えるように生きる少女。

行くなと言いたかった。どこに行こうとしているのかも理解していなかったのに。

けれど、ロットの立場では、戦を拒否することなんて出来るはずもない。

ばしゃりと、水面をもう一度叩いた。どうしようもない、今に、怒りを込めた。

そうして、彼は一度だけ瞬きをし、ゆっくりと立ち上がった。

覆った眼帯は、嵐さえも微かなものにしていた。

男はゆっくりと立ち上がり、ダイルの元に向かう。

 

 

「陛下?大丈夫ですか?」

「問題ない。ダイル、早く行くぞ。」

戦が、始まるからな。

 

短く言い捨てた男は、まるで誰かの死を看取ったかのような顔をしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冬の記憶

モルガンの方。

感想、評価ありがとうございます。。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

「今、帰った!」

 

馬から飛び降りるように降り立ったロットを、城の人間が出迎える。皆、安堵したような顔をしているのがロットには不思議だった。

 

「知らせることが・・・・」

「父上!」

 

ロットがそんなことを話していると、慌ただしく城から駆けだしてくる存在があった。

それは、末の子であるガレスを抱っこしたガウェインを先頭に、アグラヴェインとガへリスが走ってくる。

 

「父上、よかった。お帰りになられたのですね。」

「ああ、どうしたんだ?」

 

ロットは息子たちと視線を合わせるように跪いた。それに、ガウェインに抱っこされていた、未だ幼児と言える程度のガレスが愚図り始める。

 

「ちーちえ!」

 

ガウェインの腕の中でばたばたと暴れ始めるガレスをロットは慌てて受け取る。そうして、何があったのかと促すように息子たちを見た。

それに、三兄弟は気まずそうに互いを見た。そうして、代表するようにアグラヴェインが口を開いた。

 

「母上が。」

 

 

 

 

どろりとした、濁った青の瞳が周りを見回した。

そこは、モルガンの自室だ。ロットが己の花嫁のために用意した家具などが置かれたそこは、見る影もない。

まるで、嵐が吹き抜けたように辺りは荒れていた。ひっくり返った机や椅子、辺りに散らばった破片。

モルガンは、ロットへの申し訳なさが少しだけ胸で湧き上がったが、すぐにそれは霧散した。

ただ、モルガンの中にあるのは、嵐だった。たくさんの何かがあったのに、全てが風によって吹きすさんで、ちぎれてぐちゃぐちゃになっていた。

 

こんこん、ノックの音がする。モルガンはそれに、うろんな瞳でドアを見た。

誰かが入ってくる可能性はない。

侍女たちはもちろん、子どもたちにさえ、まともな対応が出来ずに追い返してしまったのだ。

ぼんやりと、座り込んだそこに、誰かが入ってきた。

 

「・・・モルガン?」

 

どこか不安そうな顔をした夫がそこに居た。

 

 

ロットはどこか、困り果てたような顔でモルガンに近づいた。それが、今は、夫のそんな顔さえもしゃくに障った。

 

「父上からの伝言はどうだった?」

 

それにロットは黙り込んだ。それに、モルガンはああと座り込んだ地面で拳を握って、ぼそりと言った。

 

「ロット王、女に生まれると言うことが、どんなことかわかるか?」

「・・・いや。」

「そうだろうなあ。女はなあ、惨めだぞ。国の子として生まれ落ち、皆がその義務を果たせというのだ。その癖、国のことを決めることなどない。男たちの思考に振り回されて、なにも決められもしない。」

 

モルガンは、どろどろとした汚泥のような、濁った瞳でロットを見た。ロットは無言で、扉を閉めて、黙り込んだままモルガンを見た。

モルガンはそれにまた口を開いた。

 

「ロット王、私の父はなんと言っていた?」

 

それに彼は目を伏せて首を振った。黒いまつげが、男の瞳に影を作る。

 

「何も。」

 

その短い言葉に、モルガンはけたけたと笑い出した。何もかもが、くだらないというように、笑い転げた。

 

「ふ、あはははははは!!」

「モルガン。」

「見たか!?ああ、そうだ!なんと父に似た子であろうな!?そっくりだ、金の髪に、翠の瞳!その振る舞い、人徳、正しさ、才能、幸福!結構なことだ!父の側近の後ろ盾まであるじゃないか!運命にでも愛されているのだろうかな!?」

 

モルガンは自分を見下ろすロットに叫んだ。髪を振り乱し、いつの間にやら流れ落ちた滴が床に落ちて、シミが出来た。

 

「なあ、ロット!見たか!あの、愛らしい顔を!華奢な体!そうだなあ、きっと、あれは良い女になるぞ!」

 

そう言った瞬間、モルガンは切れそうな糸につながれた操り人形のような動きを止めた。そうして、ゆっくりとした仕草で、ロットを見上げた。無表情のそれは、その見目も伴ってまるで人形のようだった。女の頬を流れるそれだけが、それが生きていることを示していた。

 

「わたしと、あれの、なにがちがうのだ?」

 

女であったから、だから、王になれなかった。

ずっとそう思っていた。自分は女で、王になどなれないから。だから、誰もが自分をイナとしたのだと。

だから、オークニーに嫁いだとき、そうして、子どもを産んだとき、女としてこれが最善だと思った。

そうだ、嫁いだ女として、世継ぎを産む。これ以上の役目は無いと思っていた。

それによって、ようやく自分は国を手に入れられるのだと。

そんな、打算もあった。

赤ん坊が大きくなって、子どもになった。四人も産んだとき、モルガンは父からの便りを待っていた。

きっと、自分の子どもたちの一人が、父の跡取りとして認めてもらえる。

女だから、認めてもらえなかった。ならば、跡継ぎになる子どもを産もうと思った。

それが、唯一、この世界で自分が王族として出来ることだと、自分の子どもを王にすればと。そんな打算があった。

 

なのに、なのに、なのに!

 

金の髪を、翠の瞳を、凜々しく美しい父に似た顔を、思い出す。

認められた跡取りの顔を見たいと思ったのに、怒りはなかった。ただ、確かめたいという衝動だけがあった。

笑える話だ、だって、そこにいたのは、自分と同じ女だった。

 

モルガン・ル・フェは、怒り狂ってわめいていた。王になれないこの身に怒っていた。

湖の乙女は、呆れていた。女を王にしたという父親に。

そうして、モルガンは、自分に振り向いてくれない、男の背中を思い出していた。

己の妹であるらしいそれと、自分、何が違う。

簡単だ。

 

「ふ、あはははははははははははははははは!」

「モルガン!」

 

また狂ったように笑い出したモルガンにロットは駆け寄り、膝を突いて彼女の肩を掴んだ。

そんなことも上の空で、モルガンは考える。

 

なぜ?なぜ?なぜ?

 

そんなの、簡単な話だろう。

 

(私は王にふさわしくなくて。あれは、ふさわしい、から。)

 

そんな思考とは関係なく、モルガンの口からは哄笑が響き渡る。

 

「モルガン!モルガン!おい!」

 

己の肩を揺さぶるそれに、モルガンはぎょろりと視線を向けた。翠の瞳が、忌々しくて仕方が無かった。

 

「ああ、私が哀れか?ロット王、目論見が外れたな。私を娶って、ウーサー王からは何も与えれなかったのだからな!ああ、どうだ。だが、胎にする分には価値があっただろう?まあ、これで私の価値もなくなったか!」

 

そんな言葉が出たのは、自分のことを徹底的に蔑みたかったのだ。徹底的に、己に刃を突き立てたかったのだ。

だから、ああ、だから、そんなことをげらげらと笑った。

ロットはそれに、息を吐き、そうして思い切りモルガンのことを自分に引き寄せた。

ぞれに驚いて口を開けた彼女のそれと、ロットの口が重なった。

ずるりと、暖かくて柔らかいそれが口の中に入り込んだ。モルガンはそれに思わず噛みついた。

ロットを突き飛ばそうとしたが、逆にモルガンは後ろに投げ出された。モルガンは今の状態など忘れて、驚いて顔を真っ赤にした。

 

「な、なにを!?」

 

ロットはそれに口の中が切れたせいか、血をその場に吐き出した。そしてロットは無言でモルガンに近寄り、両手で彼女の顔を覆った。

 

「おお、そうだ!モルガン姫、俺はロット王。お前の夫だ。お前の父親じゃない。」

 

すくい上げられた顔に覆い被さるようにロットは彼女の顔を見た。

 

「・・・・ウーサー王は、確かにお前を見なかった。お前の周りも、そうだったかもしれない。だが、ここも、そうだったか?」

この国は、お前を疎うたか?

 

それに、モルガンは思わずそれに、ああ、その翠の瞳に。言葉を吐いた。

 

「ち、がう。ここは、このくには、おまえは、ちがう。おまえは。」

 

掠れた声だった、まるで、今にもすり切れて消えて仕舞いそうな声だった。それでも、言葉を吐いた。

 

お前は、私を見てくれた。

 

その言葉に、ロットは頷いた。

 

「そうだ、モルガン。オークニーの女王よ、我が妃。俺は、お前を見ているぞ。」

 

翠の瞳が自分を見ていた。忌々しい、色だった。けれど、ふと、モルガンは気づいた。

父と、あの、少女の瞳。まるで、宝石のような瞳。

けれど、彼の瞳は、ああ、そうだ。

 

(春の日の、夏の日の、新緑の、色だ。)

 

モルガンはそれに、男にまるで子どものように手を伸ばした。それに、ロットはそっと、彼女を抱きしめた。

 

暖かな、腕だった。大きくて、暖かくて、そうして優しい腕だった。男は、大丈夫だというようにその背中を撫でた。

それに、モルガンはそうかと、理解した。

 

自分は、王になりたかったのではないのだ。

自分は、父の鼻を明かしてやりたかったわけではないのだ。

自分は、マーリンに認めさせたかったわけではないのだ。

 

(私は、ただ。)

 

ここにいていいよ、そういってくれる居場所()が、ずっと欲しかったのだ。

モルガンは、人に疎まれる。彼女の役目は、人を滅ぼすことだから。

けれど、半端に生まれ落ちた人間性は、どこかで誰かを求めていた。自分の居て良い場所が、どこか、欲しかった。

それでも、皆が疎むから。だから、自分のいてもいい場所が欲しかった。

どこにもないと、思っていた。

なのに、なのに。

 

(あたたかいなあ。)

 

モルガンの頬から、暖かなそれが流れ落ちる。

それだけで、なんだかよくなってしまった。その暖かさで、自分を見てくれる、若葉の瞳があるだけで。

モルガンは、どこか、それでいいと思えた。

自分の欲しかった、故郷は、居場所は、もうとっくに出来ていたから。

 

 

 

その、痛々しい姿に、何と言えば良いのかわからなかった。

モルガンは、アーサーが少女であると知っていた。そうして、次に放たれた言葉に、何を言えば良いのかわからなかった。

ロットは、愛されていたのだ。

ずっと、愛されていた。家臣たちに、国の人間に、そうして、言葉にしなかった父親に。

何もかもを剥奪されたような顔で、そんな顔をするから、だから、ロットは女の言葉を聞くことしか出来なかった。

その言葉は、その顔は、ああ、ロットは改めて、この女がオークニーへ捨てられたのだと思った。

いらないから、いっそ、ここで死んでくれと願われて、彼女はここに来たのだろう。

ロットは、その暖かい体を抱きしめた、疲れて眠ってしまった女の柔い頬にすり寄った。

 

「・・・・そうならば、それでいい。なあ、モルガン。俺は、お前のものだよ。そうして、オークニーは、お前の国だ。」

そうして、お前は、俺のものだ。

 

ひどく傲慢な言葉を吐いて見せた己に、ロットは笑った。

捨てるというなら、それでいい。ならば、自分は彼女を大事にするだけだ。

モルガン、モルガン、モルガン。

俺だけのひとよ、俺だけの妻よ。オークニーの女王よ。そうだ、それでいいのだ。

悲しいことなど捨ててしまえ、苦しいことなんて忘れてしまえ。

お前は、我らの女王なのだから。

彼女は、あの少女を恨むのだろうか。憎むのだろうか。

 

(彼女が起きたら、相談をしなければ。子どもたちのことも。戦のことを、これからの、ことを。)

 

それでも、今だけは、穏やかに眠る女にロットはほっと息をついた。

 





モルガン「ところで、なぜ、あのようなことを?」
ロット「あのようなって?」
モルガン「・・・・・く、くちづけを。」
ロット「ビンタしようかって考えたんだけど。お前さんはあっちのほうが動揺すると思って。」
モルガン「・・・こ、今度から、いきなりああいうことはしないでください。」
ロット「ああ、すまん。」
ロット(父上、父上って、夫として面白くなかったのはある)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

星のありか

オークニー四兄妹とロットの話。

感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

「・・・・騒がしいね。」

 

その言葉に、その場にいた全員がちらりと窓の方を見た。全体的に、城の中がざわついていることをオークニーの王子三人と姫は理解していた。

 

「当たり前だろう。これから戦争なんだから。」

 

ガウェインはふてくされた顔でそんなことを言った。それにアグラヴェインは少々呆れる。今回の大きな戦に自分を連れて行ってくれという要求が通らなかったことにすねているのだろう。

確かに、兄は剣術において頭が一つ飛び抜けているが、さすがに連れてはいけないのだろう。

ロットが城に帰ってから、慌ただしい。城全体が落ち着かない。ただ、母の様子が落ち着いたことが幸いだろう。

突然のことだった。母は、唐突にけたけたと笑い転げ、そうして部屋の中で暴れた。ガウェインやアグラヴェインが止めようと変わらなかった。食事にも手をつけず、ひたすら部屋の中で座り込む母は、まるで幽鬼のようで恐ろしかった。

ただ、父が母と話すと、彼女はまるで憑き物が落ちたかのように落ち着いていた。それに、アグラヴェインは父をすごいと心底思う。

 

(・・・・戦は嫌だ。)

 

アグラヴェインは憂鬱な気分になる。戦になると、食料だとか、武器の調達だとか頭が痛くなることが多いのだ。

何より、父が城を空けることが寂しくてたまらない。

 

「でも、叔父上と戦うんだよね。」

 

ガへリスの言葉に皆は言葉を紡いだ。幼く、現状を理解していないガレスだけはモルガンの作った布のおもちゃで遊んでいる。

それをガへリスが世話をし、その横でガウェインとアグラヴェインが宿題をこなしていた。

 

「・・・戦だからな。」

 

ガウェインはぼそりと呟いた。

 

 

父親が、けして戦いというものを好まないことぐらい幼くとも理解していた。

聞いた話では、他の国の王の中には、武勇やら冒険を求めて年単位でさすらいの旅をするようなものもいるらしい。

ガウェインはそんな話を聞いて、聞いてみたことがあった。心躍るような冒険をしたことはあるかと。

それにロットは苦笑して、彼の頭を撫でた。

 

すまないな、ガウェイン。父は、国を守るだけで精一杯だ。何よりもなあ。俺はきっと、誰かに覚えていて欲しいわけでもないからなあ。

 

その言葉の意味が、ガウェインにはとんとわからなかった。

騎士であるのなら、誰だって名誉を求めるはずだ。けれど、父はあまりそういったことに興味が無いようだった。

なんとなくではあるけれど、ガウェインは、父が王の子だとか、そういうものにさえ生まれてこなければ騎士というものにはならなかったのではないかと思う。

きっと、騎士でなければ漁師になっていたのではないだろうか。

ロットは、例えばガウェインたちの兄弟の内、しょぼくれているものが居れば時間を作って森に連れて行ってくれた。

そうして、小腹が空いたからと、森の中で木の実がどこにあるのだとか、どこを通れば危険な目に遭わないだとか。

あとは、魚を捕って、簡単な焼き魚を食べさせてくれる。ロットは魚釣りが得意で、静かにぼんやりと水面を見つめるのが好きであるらしかった。

二人だけの秘密だと。

もちろん、連れて行ってくれた兄弟たちはとっくにそれが自分だけの特別でないことぐらいは知っていたけれど。

ただ、その時の顔を見ていると、父はきっと騎士にはならなかったのだろうと思うのだ。

何か、理由さえあれば、違うものでありたかったのだと思う。

だからこそ、父が、野蛮人ではなく、ブリテン島の王と戦うと知ったときは心の底から驚いたのだ。

 

(叔父上という人は、悪い人なのだろうか。)

 

例えば、侵略してくるそれらのように。

けれど、父は、けしてその叔父上という人を悪く言わなかった。彼のことを話すと、どこか悲しそうな顔をしていた。

逆を言えば、母はその叔父という人に対して何の感情も見せなかった。無表情のまま、曰く、どうでもいいと吐き捨てていた。

その母の顔は、今まで見たことがないほどに恐ろしいと感じるガウェインがいた。

父は、諸侯の王たちの書簡の返答や、会議もそうだが、やたらと羊皮紙に何かを書付けているのを見た。何枚も、何十枚も。

ベルンに、何を書いているんだと怒られるほどにだ。

 

(早く、戦が終わればいいな。)

 

ガウェインはそんなことを考えていた。

 

 

 

 

こんこんと、ノックの音でガウェインは目を覚ました。起き上がってみれば、未だに外は暗い。おそらく、まだ夜なのだろう。

ガウェインはこんな時間に誰が訪ねてきたのだろうかと首を傾げる。朝に起こしに来たとしても、それは夜が明けてからのことだ。

明るくない、こんな半端な時間に何故だろうかとガウェインは首を傾げた。

そうして、扉の先の人物は了承の返事もなしに、中に入ってくる。ガウェインは咄嗟に立ち上がるが、そこにいたのは己の父だった。

 

「ガウェイン、すまん。起きてるか?」

 

ガウェインは慌ててロットに駆け寄った。よくよく見れば、廊下には眠そうなアグラヴェインとガヘリス。そうして、腕の中にはすやすやと眠るガレスがいた。

 

「どうしたんですか、こんな時間に。」

「少しだけ、付いてきて欲しいんだ。」

 

ガウェインはそれに不思議な気持ちがしたが、こくりと頷いた。

 

 

「辛くないか?」

「大丈夫です。」

「私もです。」

 

ガウェインは弟妹たちと共に城のある塔に向かっていた。ガウェインは長い階段を上がりながら内心で首を傾げていた。

ガウェインもその塔のことは知っている。緊急時の見張り台であるそこは落ちる可能性もあり、上るなとは言われていた。といっても、ある程度の年齢になれば気にされていなかったが。

一度、昇ったこともあったが天辺には石で出来た長椅子と、締め切られた大きな木の扉がつけられた窓があるだけだった。

それっきり興味を無くしてしまっていた。ロットは、ガレスと、幼いガへリスを抱えて、ガウェインとアグラヴェインを気にしながら塔を上がっていく。

ガウェインは、どうしたのだろうかと思った。日が昇っていないせいで、ロットの顔はよくわからない。

そうして、登り続けた先で、ようやく天辺にたどり着いた。ロットは無言で、そのベンチの上にガレスとガへリスを下ろし、木の扉を開けた。

外を見れば、空の向こうに微かな光が見え、外が薄明かりに包まれていた。

 

「ガレス、起きなさい。」

「んー・・・・」

 

ガレスは少しの間愚図った後、大あくびをして起き上がる。そうして、ロットは穏やかな顔でガウェインとアグラヴェインを手招きした。

二人はそれに導かれるように、ベンチの横に立った。

 

「もうすぐだから、少し待ちなさい。」

ロットはそう言ってじいっと窓の外を見た。窓の外は、確かにここまでの高さはないとは言え、見慣れた己の住む国だ。

ガウェインは父の言葉通り、時を待った。そうして、夜が明けた。

 

日が、少しずつ昇ってくる。それと同時に、夜の群青と、朝日の赤が混ざり合い、夜明けの紫がグラデーションを作り上げていた。

光が、少しずつ、大地に注がれる。

遠くで、木々が光に照らされて、黄金色に輝いているようだった。金の森が、さやさやと揺れていた。どこまでも続くような町並みが、祝福されるように照らされる。青い空を、白い鳥が駆けていく。

それは、ああ、それは。

光に照らされた、夜が明けた世界がそこにあった。

 

(ああ・・・・・)

 

ガウェインは目をまん丸にして、光の世界を見ていた。誰かの声がする。騒がしい喧噪が、聞こえてくる。かまどの火を入れたのか、煙が上がり、町の人間がざわめいているのが見えた。

世界が、目覚める瞬間を、ガウェインは見たのだった。

 

 

 

夜明けの時間が、ロットは何よりも好きだった。

夜から目覚めて、今日を生きるために人々が動き出す時間。日に照らされて、森や水、そうして町が黄金に染まる瞬間が、ロットは何よりも好きだった。

ロットはじいっと一心不乱に町を眺める子どもたちを見た。

彼らをここに連れてきたのは、前々から思っていたことだった。それが今日になったのは、どんな結末になれど、ここに連れてきてやれる時間が取れるまで時間が必要になるだろうと察せられたためだ。

もうすぐ、戦が始まる。国に帰って、他の国からの文書に返事をし、武器や兵糧の確認を行った。

モルガンは、特別な感情を見せなかった。故郷との戦いにも、それも仕方が無いだろうと言っていた。

 

「不本意と言えばそうでしょう。ですが、私はこの国に嫁ぎ、跡継ぎを産んだ、この国の女です。オークニーがそうせねばならないのなら、そうするまでです。」

私は、もう、この国で生き、この国で死ぬと決めたのですから。

 

それは本心であった。悲しいとか、苦しいとか、そんなものはなくて彼女はとっくに覚悟を決めていた。だからこそ、ロットには何も言えなかった。戦場に連れて行けとモルガンは言ったが、そうはいっても自分の居ない間、国の守りをどうするのか。

兵を少し残し、モルガンに留守を任せることとなった。

ロットはそっと、四人を抱きしめるように、端にいたガウェインとアグラヴェインの肩を抱いた。

 

「・・・どうだ、綺麗だろう?」

「はい!」

「綺麗です!」

「きらきらしてます。」

「うん!」

 

それにロットは淡く微笑んだ。

 

「俺も、ガウェインぐらいの時にここに初めて、この時間に連れてこられてな。父上、お前たちのお祖父様に、お前がこれから治めるだろう、生きていくだろう世界だよと言われたんだ。」

「お祖父様に?」

「ああ、アグラヴェインにそっくりの。静かで、賢しい方だった。」

 

アグラヴェインはそれに自分の顔を確かめるように撫でた。それに、ロットは頷いた。

いつかは、話しておこうと思ったのだ。

自分が、父に言われたことを。あの日、一等に美しいものを見せてくれた、あの日のことを。

 

「ガウェイン、アグラヴェイン、ガへリス、ガレス。」

 

四人の子どもたちの名をそれぞれ呼んだ。彼らは、ガレスまでも神妙な顔でロットを見ていた。それが案外幼くて、ロットは目を細めた。

 

「・・・・俺はな。この景色を見て、ああ、素晴らしいなあと思った。この国が、ひどく愛おしくなった。そういった俺に、父上はこうも言った。」

 

素晴らしいものだなんて、この世には所詮一握りしかないのだと。

 

その言葉にガウェインたちはどこか裏切られたかのような顔をした。困惑して、どうしてそんなことを言うのかという顔をした。

ロットも、彼らの気持ちはわかるので、そうだなと頷いた。

 

「・・・・お前たちは、俺の子だ。お前たちは、この国の民によって育まれた。彼らの育てた穀物や、納めてくれた税で大きくなった。だから、それ相応にお前たちはオークニーの民に返さなくちゃいけない。だがな、それはとても大変だ。」

 

どれほどまでにこの言葉を理解できているだろうか。どれほどまでに彼らはこの言葉を覚えているのだろうか。

分かりはしないけれど、ガレスは多分、覚えていることも理解も出来ないけれど、自分の言葉で直接、この話をしたかった。

 

「王の子として、そうして、国を守護するものとして、お前たちはいつかとても残酷なものを見るだろう。おぞましいそれに触れることも、これ以上にないぐらいに醜いものを知ることにもなる。だが、それが騎士になると言うことだ、いつか、王であり、王に近しいものであるという意味だ。」

お前たちの言葉、動作、選択、意思により、たやすく誰かが死ぬことも、地獄のような責め苦を味わうことになるかもしれない。

 

それにガウェインとアグラヴェインはぐっと拳を握りしめた。

 

「・・・・戦場は、とても残酷だと、ダイルが言っていました。」

「そうだ、だからこそ、騎士になるというならば。敵を憎み、怒るのもいい。だが、けして、侮蔑だけはしてはいけない。」

騎士などと、礼節を求めたところで蓋を開ければ我らは所詮は人殺しだ。だからこそ、殺した相手に礼節を持ちなさい。人は、たやすく獣になる。

 

「父上は、獣になるものを見ましたか?」

 

ロットはそれに言葉を詰まらせ、こくりと頷いた。

 

「ああ、見た。人がどれほどまでに残酷になれるのか、嘘をつけるのか、醜くなれるのか。だからこそ、四人とも。」

 

ロットは口にしようとした。

そうだ、あの日、自分が父に言われたかのように。

公平でありなさい、慈悲を持ち、獣を殺すのではなく人を殺しなさい、善き選択をしなさい、誇り高き騎士でありなさい。

自分が何故、誰よりも満ちた生活を送っているのか。それは、いつか、何が起こっても、お前の首であがなうためであることを忘れてはいけない。

善きものでありなさいと、そう、父は言った。

 

そう、言おうとした。言おうとした。

ガウェインには善き王であるように、アグラヴェインとガへリスには善き騎士であるように、ガレスには善き人でありなさいと、そう。

けれど、けれど、彼ら、全員が、己の愛した女に似ていたものだから。国の選択に散々に振り回された、寂しい横顔を思い出して。

だから、ロットは言ってしまった。

王としてではなく、先達の騎士としてではなく、治めるものとしてではなく、オークニーに住まうものの一人としてではなく。

父として、彼らの幸せを願うものとして、言ってしまった。

 

 

「美しいものを、見ておいで。」

 

予想外の言葉に、ガウェインとアグラヴェインはきょとりとした顔をした。

 

「うつくしい、もの?」

 

状況の把握できていないガへリスが言った。

 

「そうだ、世界はとても残酷で、醜いものばかりだ。だからこそ、悲しみの心を抱えても、憎しみの炎を宿しても。それでも、明日を生きていこうと思える、そんな素晴らしいものだって確かにある。闇の中、泥に塗れても、前に歩いて行けるような道しるべに出来る、美しいものを、探しておいで。」

 

この窓から見た、世界のように。お前たち自身が、それぞれに美しいと思えるもの。

泥に塗れて、悲しみにくれて、怒りに拳を握りしめ、憎悪を叫んだとしても。例え、今、この瞬間にでも死んでしまうとしても。どれほどまでに、滅んでしまえと世界に思っても。

それがあるなら、それがこのまま続いていくのなら、生きていくのなら、存在してくれれば、よかったと思えるものが、きっとどこかにあるはずだ。

 

ロットは、もう一度、言った。

 

「美しい、星のようなものを見つけておいで。俺はそれを見つけることが出来た。だから、お前たちも大丈夫だ。」

 

ああ、流星の子どもたち。お前たちは、どこに駆けてゆくのだろうか。どこにも行きはしないのだろうか。

それでもいい。どちらでもいい。けれど、どうか、お前たちも見つけてくれれば良い。

美しいもの、子どもたち。お前たちがそう思えるものは何だろうか。きっと、美しいものだろう。

見つけられるはずだ、人はいつだって、星のありかを知っているだろうから。

幸せになれだとか、義務を果たせだとか、もっと言うべきことはあるのだろう。けれど、呪いのように自分の言葉を抱えて生きていかないで欲しかった。

だからこそ、願ったのはそれだけだ。あの日、星のような女に、自分が出会ったように。

残酷で、暗闇に包まれたかのような世界でも、生きていけるように。

それだけは、願わせて欲しかった。

 

「ちーちえ。」

 

ガレスが言った。

 

「どこいくの?」

 

幼い言葉に、ロットはまた、穏やかに微笑んだ。

 

「どこにも行かないよ。俺は、ちゃんと帰ってくる。留守が長くなるかもしれないけれど。」

 

そう言って、ロットは子どもたちのことを抱きしめた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わるいこ、だーれ?


モルガンさんの赦しについて。
感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。

おそらく、あと一話で終わりになります。


 

 

「お前は・・・・・・・」

 

そんなことをロットが言ったのは、明日、出征に出かける夜のことだった。

共に寝室に引っ込んだロットは部屋に置かれた椅子に座り、ベッドの上に座るモルガンを見た。

モルガンはそれに眉間に皺を寄せた。唐突に何かを言いかけ、それでも黙り込んだ彼にモルガンはロットを見た。

 

「何の話ですか?」

「いや、その。」

 

頬杖を突き男は椅子にもたれかかった。男の体重を受け止め椅子が軋んだ音を立てた。

 

「・・・・・正直な、話をしていいか?」

 

揺らぐ蝋燭に照らされてロットはどこか収まりが悪そうに、どことも言えない空間を見上げた。モルガンはそれを促すように頷いた。

 

「あの子の、ことなんだが。」

 

それにモルガンはぴくりと目尻を震わせた。モルガンも男の、あの子という呼び方に全てを察してしまった。

鋭くなったその瞳にたじろきながら、ロットはもそもそと言葉を紡いだ。

 

「その、アーサー王のことなんだが。」

「それのことについて、私の見解はすでに伝えたはずです。」

 

にべもないそれに、ロットはああと頷いた。思い悩むようなロットの顔にモルガンは眉間に皺を寄せた。

気に入らない。そんな表現ですむほどの感情ではなかったけれど、己の中で渦巻くそれに名をつけるならばそうであった。

 

モルガンは夫が何を気にしているのか気になった。

モルガン・ル・フェはアーサーを気にする夫に苛立った。

湖の乙女は浮気ではないかと目を光らせた。

そんな彼女らの感覚など知るよしも無いロットは気まずそうに口を開いた。

 

「・・・・これからの戦で、もしも、の話なんだが。出来れば、アーサーについては、叶うなら、その。」

アーサーを生かそうと、思っている。

 

その時のモルガンの感情を、どう表現すればいいのだろうか。

納得があった。この男がまだ未来のある少女を殺すことを忌避するだろう。

怒りがあった。ロットさえもあの妹を選ぶのだろうか。

悲しみがあった。まるで、夫から自分を否定されたかのようだった。

それにロットは心底申し訳なさそうな顔をした。

 

「・・・・それがどういった意味なのか、わかっているのですか?」

「そうだな。ああ、わかって、はいる、はずだ。」

「なら、なぜそんなことが言えるのですか?」

 

それに、ロットは低くうなり声を上げた。そうして、観念するように首を振った。

 

「わかっている。わかっては、いるんだよ。これがどれほど愚かな願いで、馬鹿なことを言っているのか。」

 

そうだろう。だって、アーサー王は敵なのだ。自分たちはこれから彼女と殺し合う。ならば、ロットのそれが彼女を生かすという選択肢がどれほど愚かなのかわかるはずだろう。

 

(・・・・お前も、あれがいいのだろうか。)

 

少女のことを思い出す。美しいかんばせよ、清廉な心よ、正しさを願うあり方よ。

それはモルガンにはないものだった。彼女は自己のために王になりたかった。

己の肯定のために王になりたかったのだ。

マーリンが王に立てるような存在が、自己のための願いなど持つことはないだろう。かの男は、何よりも言ってしまえば美しいものを好んでいたから。そうして、マーリンの言う美しいものというのはどこまでも自分とはかけ離れていた。

憎悪が、己のことを焼いた。悲しみが、喉の奥からせり上がってくる。

それもまた、あれに惹かれているのだろうか?

 

(ゆるさない・・・・・)

 

漠然と思ったのはそれだけだった。

目の前のそれはモルガンのものだ。

黒曜石のような髪を梳るのも、愛に溢れた若葉の瞳にのぞき込まれるのも、そのたくましい腕に抱かれるのも、優しく微笑んでもらえるのも。

それは、モルガンのものだ。己だけのものなのだ。

青い瞳から、光が消えていく。ロットは、少しだけ気まずそうに視線をうろうろとさせながら、おそるおそる言った。

 

「・・・・お前の、敵対しているとはいえきょうだいを殺したくなかったんだ。」

 

吐き出されたそれはあまりにも予想外だった。ロットは顔を伏せて、すまないと一言だけ吐き出した。

モルガンは、あまりにも予想外なそれに眼を瞬かせた。

 

「それは、どういう、意味でしょうか?」

「・・・・俺は一人だったから、恥ずかしい話、きょうだいってものに憧れてたんだ。もちろん、いればいた分面倒だろうが。それでもせめてお前にアーサー王と決着をつけて欲しいと、思ったんだ。」

 

モルガンは無言でベッドから下りて、ロットのいる椅子へ近づいた。座った男の、うつむいた顔をそっと手で押し上げる。男はひどく気に病んだ顔をしていた。

見上げた先の女の顔に、ロットはまた、言葉を紡いだ。

 

「俺ははっきりとお前さんの心を理解することは出来ない。ただ、辛いだろうと、それぐらいしかわからない。その怒りは否定されるものではない。その悲しみはなくなっていいものではない。ただ、アーサーと決着だけはつけるべきじゃないかと、お節介なことを考えたんだ。」

 

お前たちはきょうだいだから。憎むにせよ、哀れむにせよ、どちらにせよ。せめて、せめて、相容れないのか、それとも相容れるのか。

それがわかってから、憎んで欲しい、怒って欲しいと、手前勝手に思ってしまったんだ。

 

男は、とつとつとそう語った。どこか苦しむようにそう言った。

 

「己が出会ったアーサー王とは、どこまでも、誰かのためにしか生きていなかったんだ。」

それがあまりにもやるせなくてなあ。

 

どこか、なんだか、彼女は何かに踊らされるような傀儡のようでしかなくて。

か細い声が、男の苦悩を表しているようだった。そうして、ゆっくりと首を振った。

 

「すまない、お前の心を踏み荒らすようなことを言った。忘れてくれ。」

「あなたは、私があれを憎むことを否定しないのですね。」

 

きっと誰もが言うのだろう。アーサーを憎むものではないのだと。

だって、彼女の何が悪いのだというのだろうか。彼女は生まれてきただけだ。彼女は、父にそうあれと言われただけだ。

モルガンの手にできなかったものを彼女は持っている。

そうだ、モルガンにだってわかっている。嫉妬と、怒りと、悲しみが曇らせてはいたけれど。ギリギリで彼女は踏みとどまっていた。

男の翠の瞳を見ていれば、まだ狂うこともなく正気であれた。

わかっている、賢しい彼女だとてわかっている。

アーサーの、彼女自身の罪はいったいなんだったのだろうか。

けれど、怒ることも、苦しむことも、憎むことも止められないのだ。どうして、あれだけが、そう思う心は止められなかった。

モルガンの言葉に、ロットは少しだけ驚いた顔をした後、苦笑交じりに言った。

 

「・・・・・心が自由にならないことぐらい、俺も知っているよ。」

 

モルガンの頬に、男の硬い手のひらが押しつけられた。

 

「お前は、たくさんのことを我慢して。たくさん、苦しい目にあって。そうしてここまで来たのだろう。アーサー王には罪はない。だから、俺はあの子を憎めない。でも、お前の心はお前だけのものだ。だから憎みたいなら憎んでいい。それはお前さんが救われるために必要なものだったはずだ。」

 

モルガン。

男は、彼女の名前を呼んだ。優しい声で、彼女のことを呼んだ。もう彼ぐらいしか呼ばない、己の名前を。

 

アーサー王には罪はないのだと俺は思う。あの子の願いは誰かに手渡されたもののようだったから。あの子は、どこまでも、誰かのためにしか生きていないようだったから。でもな、それ以上に、お前さんだって何も悪いことはないんだよ。

 

それに、モルガンは、呆然と呟いた。

 

「・・・・ほんとうに?」

 

わたしは、ほんとうに、わるくない?あれをうらむ、わたしは、ほんとうに?

 

自分は、ずっと悪い子だと思っていた。だって、そうだろう。

いつか、自分は、この島の命を悉く滅ぼすために、生まれたのに。

そうあれと願われて、そうしなくてはいけないと思った。そのために、生まれたのだから。

だから、ずっと苦しんだ。

だって、それは、とても悪いことだから。

愛して欲しい、父に、あの人に、美しい彼に。けれど、疎まれることに納得もしていた。だって、自分は、そんな彼が愛したものを悉く滅ぼすのだから。

だから、憎んで、悲しくて、怒って、それでも心のどこかで納得していた。

ああ、そうだろう。だって、自分は、そういうものだから。

いつだって、板挟みだった。

人の営みの中で認められたいという自分。それを滅ぼすことを願う自分。

王になりたかったのは、結局、ウーサー王は自分を見てくれないことを覚ってのことだった。

どうせ、誰も認めてくれないのなら、信じてくれないのなら、疎まれるのならば。

願われた自分でありたかった。

子どものような顔をしたモルガンに、ロットは頷いた。そうして、そっと、彼女を抱きしめた。

それは、恋しい女を抱くと言うよりは、ガレスを抱くときの仕草に似ていた。

 

「当たり前だ。モルガン、お前は一体、何をしたっていうんだよ。」

 

滅ぼしたのか?獣にも劣る行為をしたのか?不貞でも働いてしまったのか?お前は、何もなしていないんだ。お前は、何も悪くないよ。だから、モルガン。

 

「好きに生きるといい。」

 

本当に、優しい言葉だった。

誰も言ってくれなかった、誰も望んでくれなかった。いつだって、彼女は自分の願われたそれのために生きていた。

 

「恨むのも、憎むのも、愛するのも、理解するのも、お前の選択だ。だから、俺は、お前に会って欲しいと思ったんだ。ちゃんと、理解して、憎んで欲しかったんだ。身勝手なことを言ったな。」

 

ぼんやりと、脳裏に浮かんだ少女。自分の会ったことのない、妹。

それに、人であるモルガンが、どこかで、微かに、嫌いたくないなあと思ってしまった。

それを、モルガン・ル・フェは怒った。けれど、己自身の願いに沈黙した。

それを、湖の乙女は好きにするといいと思った。

 

モルガンは、掠れた声で、呟いた。

 

「わたしは、わるくない?」

「ああ。当たり前だ。この国を愛し、よくあれと願うお前が、どうして悪いことなんてあるものか。俺は、お前の味方だよ。」

 

それに、モルガンは、いいと思えた。

ずっと、滅びのあり方を抱え続けていた。それさえも放り出してしまえば、自分はとても悪い子になってしまうから。

でも、いいかなと思った。悪い子でもいい、それでもいいから。この男の側にいたいと、女は心の底からそう思った。

 

 

 

モルガンは出陣していく男のことを見送った。ついて行きたかったけれど、国の留守を任された手前、そうも言っていられない。

それでも、モルガンは男の帰還も、勝利も疑っていなかった。

 

「後を頼む。」

 

その言葉に無邪気に、信頼を寄せられているのだと、嬉しがっていたのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

俺の愛したものは皆

どうか、どうか、俺の最後を嘆かないでください。それでも、確かに、良き人生でございました。
美しいものを、見たのです。


ロットの最期。


感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

 

それに勝てるはずがないのだと、案外自分で理解が出来ていたのだ。それは、人ではなかったし、そうして、自分は所詮は人という範囲に収まったものでしかないことぐらいは、ロットにだって理解できていたのだ。

 

 

 

戦争において一番必要なものは何かと言われれば明白だ。

物資だとか、有能な指揮官だとか、状況だとか、それは諸諸にあるにせよ、やはり戦力というものは重要だった。

兵士の数。どれだけの猛将がいたとしても、一人と千では物量で押し流せるものだ。

 

ロットは、それが純粋なる人でないことぐらいは理解していた。

吐き気がするほどの清廉さと、そうして、人でない何かが混じった歪な少女。

けれど、これは国と国との戦いなのだ。

あくまでも、個人の力量ではなく、どう部隊を動かすかなのだ。どこを攻め、どこで引くのか。

諸侯の人間たちの動向についてもあまり気にしなくていいのは楽だった。どちらにつくのか、土壇場で裏切らないか、もしも勝ったおりの取り分は?

集まった理由も理由であり、ロットを主として戦いは広げられることとなった。

なじんだ土地、圧倒的な戦力、少なくはない経験。

そうだ、ロットとてまだ有利に戦いを進めることが出来るはずだと思っていた。

 

 

(・・・・油断があった。)

「おい、広がるな!固まっていろ!」

 

怒号が飛び交っていた。辺りには事切れた臣下であったものに、敵であったもの、諸侯の誰かの陣営に属していたもの。

延々と、そんなものが地面に転がっている。自分の周りには方々にふらふらと歩いて行く臣下たちの姿だった。

戦は確かに最初は自分たちに有利に進んでいた。けれど、途中から、完全に流れは変わった。

大きく広がった諸侯たちの軍で指示が通らなくなり、完全に指揮系統を無視した動きまで始めた。

そうして、意味のわからないものを叫び出すものもいた。それについて対処をすれば別のところで問題が起きる。連合に広がる混乱が手に取るようにわかった。

連鎖に次ぐ連鎖だった。

 

 

ロットは周りをぐるりと見回した。

怪我をしてしまった馬は置いてきた。哀れなことをしたが、連れて行くことも出来ない。

周りは森が広がっており、戦いによって臣下たちとははぐれてしまっている。

今まで必死に自分の近くにいたダイルまで消えていたことに対して、なんとなく理解していた。

戦乱は遠くに聞こえて来る断末魔と絶叫で己の居場所を理解していた。

いかなくてはと思う。だが、ロットは無言で一人で、とある方向に向かっていた。

鎧の軋む音がした。がちゃりと、そんな音がした。

人の瞳と、人でないものの瞳が見る世界は、まるで半分に割れたかのようにロットに真実と虚実と見せていた。

それでもロットは、虚実に導かれるようにある方向に向かっていた。

臣下がはぐれたのも、そうして、連合軍での混乱も、全て何が原因であるのか。けれど、それは偽りと看過できるロットにしか理解できないものだった。

ロットが進んだその先、そこには、白銀の賢者がまるで聖人のように穏やかに微笑んで立っていた。

 

「やあ、よく来たね。」

 

まるで、友人のように、顔見知りのように、長年連れ添った同胞のように、信頼しきった相方のように、それはロットに微笑んだ。

 

「久しいことだ、マーリン殿。」

 

そう、己を呼んだロットにマーリンは穏やかに微笑んだ。

 

 

一瞬の沈黙のあと、ロットは皮肉気に笑った。

 

「俺に一体なんの用だ?」

「久方ぶりの再会にずいぶんな言い方だね。私としては、君にまた会えて大変に嬉しいのだけれどね。」

「俺としては会いたくなどなかったがな。」

 

ロットは驚くほどに冷静な頭で目の前のそれを見つめた。わかっていたことだ。きっと、それは自分に会いに来る。それは自分に用があるのだと、それぐらいは理解していた。

 

「何用だ?敗走間近の俺を討ち取りにでも来られたか?」

「まさか!そんなことを思うはずがないだろう?」

 

マーリンは心の底から悲しそうな顔をした。まるで、あまたの悲しみを哀れむように、そんな顔をしてロットのことを見つめてきた。

 

「君は良き王だった。どこまでも、誰よりも。君は物語の必要悪を愛した。無辜なるものを慈しんだ。当たり前の善性を抱えていた。君は、国を、義務として慈しみ、私心を持たなかった。私は、心底、君にここで死んで欲しいなんて思えない。」

 

マーリンはそう言った後、すっとある方向を指さした。

 

「あちらに行くといい。」

 

慈悲深き賢者に、ロットは笑った。

嘘つきの夢魔は、どこまでも、最後まで変わることはないのだと。

 

「いや、結構だ。そんなことを言われなくとも、俺はアーサーと殺し合うのは最初から決めていたことだ。生き残ること自体、考えていなかった。わざわざそんな策略をせずともいい。」

 

その言葉にマーリンはきょとりとした顔をした後、けらけらと笑って。そうして、感情がそぎ落とされたかのように無表情になった。

 

「ああ、なんだ。わかっていたんだね。そうだよ。この戦いは、君か、もしくはあの子が死なない限り終らない。」

 

それはこの戦の本当の意味だ。

 

それにロットはわかっているというように頷いた。

 

 

この戦いでロットは自分か、それともアーサーのどちらかが完全に死ななければならないと理解していた。

生かして慈悲深さを見せるべき?

いいや、そんな余裕も、理解する時間も、感情も、とっくに自分たちはすり切れていた。

ロットがアーサーを生かすだけならばまだいい。

アーサーの性格からして話し合いによって未来はまだ作ることも出来ただろう。諸侯の王たちにも言い訳はある程度つく。

マーリンを矢面に出して逃げ切ることぐらいは考えられた。

けれど、ロット王をアーサーが生かすことだけはけして出来ないだろう。

そうするには、ロットはあまりにも多くのものを積み重ねすぎていた。彼は、信頼も、素質も、義務感も持ち得ていた。

マーリンもウーサー王も、北の果てにそんなものが隠れているなんて思いもしなかったのだ。

ロットを生かせば戦禍は続く。彼が生き残っているという事実が、他の諸侯たちを戦へと駆り立てる。だからこそ、アーサーというそれが勝ち得るのだとしたら、ロットに生きるという選択肢はなかったのだ。

 

「正直に言うのなら、本当に残念なんだ。もしも、君がどんな人間かをもっと早くに知っていれば役目の与え方もあったのだけれどね。」

 

無表情でそれはいう。まるで、精巧な人形が唐突に喋り始めたかのような不気味さがあった。けれど、ロットはそれに何も思わなかった。

それを恐ろしいだとか、気持ちが悪いだとか、悲しいだとかも思わなかった。

何故って、それは人ではないのだと、理解できていた。

獣に理を説かぬように、虫に祈りがないように、風に意思がないように。人でない何かに、何故、望むことなどが出来るのだろうか。

だから、ロットはそれに何も思わない。今、それの手のひらで踊っているのだろうと理解しても、彼は怒りだとか、そんなことを思うこともなかった。

 

「最果ての地、冬の国、鋼の騎士たる君よ。君は、停滞を是としていた。君は繁栄というものを望まなかった。君は、いつだって維持することを願っていた。そうだ、ロット王。君は、どこまでも平凡だった。君に天つ才はなく、君に物語はなかった。だからこそ、ねえ、私はこうも思う。」

 

このまま、逃げてしまっても構わないんだ。

 

「勘弁しろよ。そんなこと、出来るわけないだろう。」

 

マーリンの言葉にロットは苦笑交じりにそう言った。ふらりと、まるで風になびくように体をしならせた。

 

「死ぬとわかっているのに?只人である君では、アーサーには勝てないだろうとわかっているのに?」

 

何がそんなにも君を駆り立てるんだ。君には天つ才はなく、そうして与えられた物語もないはずだ。それでも、君は死にゆくのかい?

 

それにロットは仕方が無いというように笑った。どこか、幼さを感じる瞳に苦笑して、口を開いた。

 

「それでも、王であると決めたのは俺だから。だから、俺は行くよ。それでいい。俺は俺の人生を決めて生きたんだ。だから、いいんだよ。」

 

そうだ、決めたことだ。

この戦から逃げるのではなく、戦うことを。戦火の種を残して生きる可能性よりも、死んで火を消すことを。そうして、愛しい彼らのために嘘をつくことを。

それを選んだのは自分だった。

マーリンの幻術で戦がひっくり返ったその時点でこの結末ぐらいは覚悟していた。いいや、おそらく、アーサーと戦う時点で、もっと前に。そういった結末があることぐらいわかっていた。

アーサーのまばゆい光の中に、何かを見た。赤い、強い、人でない何かの姿を見た。それに、勝てないことぐらいは理解できた。生物として、それがどれほどまでに恐ろしいものか理解できた。それでも、自分は戦わなくてはいけないのだ。

それが己に与えられた役割だったから。

ロットはそう言った後、ずっと気になっていたことを目の前のそれに聞くことにした。

 

「マーリン。あんたはいったい何を思って、あの子を作った。」

 

それはロットにとって喉に引っかかった小骨のようなものだった。なぜ、あんなにも残酷なものを生み出した、当人にとってもどれほどまでに哀れなことをしたのだ。

それはマーリンにとって予想外の質問だった。なぜ、そんなことを聞かれるのかわからなかった。

恨み言でも、これからこの国をどうするかでもなくて、その少女の理由を問われたことは意外だった。けれど、隠すことでもないだろうと素直に口にした。

 

「あの子は元々、ウーサーが望んだんだ。この島を救うための存在。そのための救世主。うん?なぜ、ウーサー王の望みを聞いたかって?」

 

簡単なことだと、マーリンは言った。

 

「だって、綺麗だったから。」

 

あっけらかんとした、答えだった。ロットはそれにじっとマーリンを見た。彼はそのまま話し始める。

 

「ブリテンはこのままでは、侵略者に蹂躙される。男は殺され、女は犯され、若かろうが老いていようが散々な目に会う。ウーサーは、それは嫌だと言った。」

 

滅びることしか出来ないのなら。しょせんは、この世界がどうしようもないならば。せめて、安らかに眠ることの出来る墓を用意したいのだと。

血と、肉と、泥と、絶望に塗れた大地で眠るより。停滞と安寧に満ちた国で眠って欲しいと彼は言った。

マーリンのまぶたの裏に、黄金の髪に、澄んだエメラルドの目をした青年のことを思い出した。

 

己は、この国を愛しているのだと。この島に住まう民の安寧を願っているのだと。足音を立てて、滅びがやってくる。死ぬことしか出来ないというのなら、滅びしか与えられないというならば。

私は彼らのために、安寧の終わりを用意しよう。

 

マーリンは言った。それは、地獄の入り口だと。

ひとでなしのマーリンにとっては渡りの船だ。きっと、彼のこの国への、住まう民への愛は何よりも慈しみに満ちた終焉を用意するだろう。それは自分にとってよき物語になるはずだ。けれど、その男は違う。

愛しているのに滅びを。安寧を願うというのに栄光ではなく終わりを望む。それはまっとうな人間にとって心臓に剣を打ち立てるがごとき痛みであるだろうと。

それは地獄の始まりだ、それは人でなしの歩みだ。君は、それに耐えられるのかと。

男は、悲しそうに笑っていた。美しいかんばせに、悲しげな笑みを浮かべていた。

 

それでいいんだ。それを決めるのが王である私の役目だ。だからこそ、マーリン。君だけは覚えておいて欲しい。

 

男は心底、どうしようもないという風に笑っていた。

己は獣以下になるだろう。己はひどい親になるだろう。己は、安寧の終焉以外への祈りを悉く捨てよう。

誰かに愛されるだとか、誰かを愛するだとか、そんなものは悉く捨てよう。

それを望む資格はきっと己にはないだろうから。

 

男は幾度も、覚えておいて欲しいと言った。これだけは、誰でもなく、お前が覚えておいてくれと。

 

この島を滅ぼすそれは、最初に望んだ私の罪でしかないのだと。

 

浮かんだ男と、目の前の男はまったく似ていなかった。けれど、その、翠の瞳はよく似ていた。

 

「それは、間違っていたのかな?」

「お前は、それが正しいと思ったのか?」

 

どうしようもないものを見るように、ロットは顔を歪めて。まるで、幼い子どもにこの世の理を、どう説明すればいいのかわからない大人のような顔をして。

ロットはマーリンを見ていた。

マーリンは、男が何故そんな顔をするのかわからずに口をまた開いた。

 

「それでも、誰かと争って。そうして、蹂躙されて、死と滅びと共にいくよりも。穏やかに、眠るように終わった方が、ずっと幸福で、優しいはずだ。」

 

美しかったのだ。確かに、その祈りは、その願いは。

劇的なものなどいらないから、明日が当たり前のように来て、喜劇も悲劇も存在しない日々の中で悉く滅びろというそれは。その願いは、確かに、美しいものだったのだ。その願いを祈る誰かは、とても綺麗だったから。

マーリンはまた、幼子のように首を傾げた。不思議そうに、ロットを見た。

 

「滅びという道しかないというならば、僕は、君たちに美しく死んで欲しかったんだ。私は確かに君達の軌跡を愛してはいたけれど、君達を愛していない。愛すると言うことがわからない。でも、最後に見る顔は苦痛に満ちた顔ではなくて、安らいだ顔の方がやはり私としてはよかったんだよ。」

 

私はおしまいの後を生きていくものだからね。

 

「それだけか。」

 

マーリンの言葉に、ロットはああとどこか、泣きそうな顔をした。

ロットがどうしてそんな顔をするのかわからなくてマーリンはやっぱりはてと首を傾げた。

 

「それだけ?そうだね。それだけだ。けれど、残念ながら、私は人でなしなのでね!」

 

花の魔術師は。天使のように笑って見せた。それ以上に美しいものがないように笑って見せた。

 

「君の嘆きも、言葉も、本当の意味で理解することはないんだよ。」

 

残念そうでもなければ、心底悲しいことなんて無いように。いいや、彼は実際、ようやく始まる物語にウキウキしていたものだから。

そうして、お気に入りの物語の終焉がどんなものになるのかと、じっとロットを見つめた。

ロットは、マーリンの言葉に、首を振って、そうして何故か笑い出した。

 

「はっはっは!ああ、そうか。賢者殿。お前は、やっぱりわかってないんだ。」

 

すがすがしささえ感じる言葉にマーリンはなんだと、ロットの顔を見た。

 

「なあ、賢者殿。そんなものはな、大きなお世話だ。」

 

ロットは背筋を伸ばして、目の前の人でなしを見た。

 

「俺たちはな、美しく死ぬために今日を生きるんじゃない。俺の心臓は、いつか死ぬ日のために鼓動しているわけじゃない。」

 

ああ、そうだ。

ロットは、どこか晴れやかな顔をした。そうして、己の心臓を鎧の上から撫でた。

 

「大きな、お世話か。そうかい?だって、どうせ人間は死ぬだろう。だったら、その死は安らかなものの方がいいはずだ。家族に見守られて、ベッドの中で死ぬそれと、戦火に巻き込まれて蹂躙の中で死ぬそれ。君達はどちらがいいんだい?」

 

不満そうなマーリンの言葉にロットは呆れたように言った。

 

「前提条件が違うだろう。死を意識してる人間なんてまれだろ。誰だって、死ぬいつかを心の片隅に抱えても、それが自分にやってくることなんて欠片だって考えてない。」

 

誰だって、飢えて、寒さに震えても、明日どうやって生きるかを考える。明日、眠りから覚めて、その後はどうしようか。そんなことを考える。人は、死ぬかもしれない瀬戸際でも、自分に明日が来ることを疑わない。

それは悪いことではないのだ。生きていくために生きる。それが、人のあり方だ。

走って、走って、輝かしい明日のために走って、唐突に死なんて落とし穴に落ちる。道が続いていると信じて疑いもしない。例え、どれほど無様でも、今まで走った事実は愚かでしかないのだろうか。

 

「終わりが綺麗じゃないのなら、それまでの幸福は無意味か?優しいことも、愛おしかったことも、薄汚れるものなのか?」

 

耳があるのは呪いを聞くためか?口があるのは憎悪を叫ぶためか?眼があるのは地獄を見届けるためか?

自分という命を構成する全ては、いつかに訪れる死のためにあるのか?

 

「ちがうだろう。ああ、違うはずだ!」

 

人は争い続ける生き物だ。けれど、それは滅ぼすためではない、それは傷つけるためではない。結果として滅ぼし、傷つけることになってしまったとしても、その責を背負わなくてはいけないとしても。それは、花びらの中で死ぬためでは絶対にない。

 

「俺たちは泥の中でも、生きていくために戦っている。」

 

美しい終わりを、どうぞ?

ああ、余計なお世話だろう!

そんなに簡単に終れるものではないのだ、人間は。

どれだけ、その生が醜くたって、走った泥でつけられた足跡も、記憶に、記録に、思い出に、残骸に、そうして、物語に変わっていく、過去になっていく。

自分たちは滅びるかもしれない、自分たちは死ぬのかもしれない。けれど、それでも、哀れまれるような筋合いなんてないのだ。

 

「・・・・ロット王、だが、それは君一人の感傷だ。君だけの願いのはずだ。戦い続けられる君がいるように、戦えない人間は存在する。君の願いは、あまりにも傲慢なのではないかな?」

「ああ、そうだ。わかっている。俺の、生きるために戦い続けろというそれは人によっては苦難の道だ。戦えぬもの、戦えるもの、その隔たりはひどく深いな。それでも。」

 

俺は、生きるために戦い続けろと叫ぶだろう。

 

 

弱い人間は必ずいる。それはしかたがないのだと。誰かを傷つけること、誰かと戦うこと、死を恐れるもの。それを厭う人間は当たり前のようにいる。

ロットはそんな誰かを守るために生かされている、育まれている、義務を背負っている。

明日がきっと良きものになるように戦い続けろというそれがどれほど残酷なものかぐらいは理解している。けれど、ロットにはそんなことは関係ない。

なぜならば。

 

「俺は、ただの人間だからだ。」

 

簡潔なそれ。

自分勝手な、ロットの戦い続けろと民に望むその理由。それは、ひどくシンプルで、そうして当たり前の事実だった。

 

「・・・・君、最後の割り切り方、雑すぎない?」

「そうか?だが、当たり前だろう?俺は残念ながらそこそこ優秀かもしれないが、その程度の人間だ。そうして、あまたを救うことは神にだってできない。」

 

教会にどれだけ祈りを捧げても救い給うものはなく、人でない者たちの力を使ったとしてもそうだ。奇跡は起きない。けれど、それは割り切らなくてはいけないだろう。ロットは、神ではない、救世主ではない、ただ、人の上に立つ権利を与えられただけの人間だ。

それ故にロットは戦い続けろと叫ぶのだ。

救えぬと言うのなら、救われるために足掻く道を残さなくてはいけない。滅びなんてものを救いになんてするものか。

ああ、そうだ、馬鹿になんてしないでくれ。哀れだなんて思わないでくれ。それは、今まで生きてきた中で、糧にし、踏みつける、勝利という敗者たちへの冒涜だ。

それでも、俺たちは生きたのだ。絶望の中でも、悲しみの中でも、苦しみの中でも、きっと、よき明日が来るのだと。きっと、自分が死んでしまったとしても、国が滅びてしまったとしても、残された種が欠片のような物語を覚えていてくれるのだと、自分たちは信じたのだから。

 

だから、ロットは己の願いを人に押しつける、戦い続けると言うこと。勝利を手にして、少しでもよき選択をするようにと。

 

「例え、惨めな果てに死ぬとして。例え、悪辣の果てに死ぬとして。そうだな、確かに、産まれ、生きることもなく死んだ赤子に俺は思ったが。それでも、皆、哀れではなかったのだよ。」

 

皆が、悉く滅びの運命にあるのだろう。この島にあった古きものたちも、そうして、これから自分たちが食われる侵略者も、いつかは滅びる。古きが滅びて、新しきが生まれる。それならば、我らは哀れではないのだ。個々人の人生が報われないことを悲しいと思っても。人という種族は、けして哀れではないのだから。

神も、妖精も、滅びるというならば、それが人間にももたらされるだけのことだ。

誰かに押しつけられた終焉よりも、最後まで、泥水の中で生き抜くような生であるほうがよっぽどいい。

 

「死を嘆かないでくれ。そんなものに目を眩ませるぐらいなら、どうか、俺たちがどう生きたかを見ていて欲しい。そうでなければいけないだろう。だって、俺たちは確かに、あの日、幸せだったんだから。」

 

それにマーリンはいつも通りの優しげな笑みを湛えて、肩をすくめた。

けれど、いつだって人間という生き物は苦痛を厭うものだ。苦しむこと、悲しむこと、そんなことなどないようにと人はいつだって祈っている。避けられぬ死と、避けられる苦痛を天秤にかけたとき、人は何を願うのだろうか。

だから、マーリンはアーサーを作り出したのだ。人がそう望んだから。あまたを救う、美しい救世主を。なのに、どうしてロットがそんなことを言うのか、マーリンにはピンとこなかった。

そうだ、あの日、ウーサー王の願ったそれは綺麗だったはずだから。

 

「すまないね。それでも僕は、君達に、優しい春の中で死んで欲しいんだ。僕は、たしかに、あの日、彼の願ったことを美しいと思ったのだから。」

「だろうな、お前さんは変わらないだろうさ。マーリン。一つ、願いがある。」

「おや、君が私になんて珍しいね。」

「モルガンはオークニーに留めておくように便宜を図って欲しい。」

「・・・・・それは。」

「お前たちは彼女が滅びを招くと言っただろう。ならば、北の果てに幽閉したとでも考えればいい。後のことはオークニーのものたちに任せればいい。後のことについては、色々と残してきている。」

 

マーリンはそれに対して無言だった。けれど、ロットには関係はない。アーサーについても言い含めておこうとは思っていたのだ。

 

無駄話が過ぎた。

ロットはぼやくように言って、マーリンの指した方向。おそらく、アーサーのいる方に歩き出した。何も言わずにすれ違い、そうして、少し歩いたところで彼はふと、思いついたように振り返った。そうして、マーリンに言った。

 

「・・・それでも、たった一つだけ、礼を。」

 お前の、優しい死を望んだ祈りにだけは、感謝する。

 

にっこりと、まるで、日向の中で笑うかのような、そんな笑みを浮かべて、男は言った。

 

「マーリン。いつか、あんたが、あんたを見る翠の瞳に、苦みの走った悔いを抱えられますように。」

 

祈るようにそう言って、男はそれっきり振り返ることもなく歩き続けた。

マーリンはそれを見送った。別段、何かをすることもない。ロットはアーサーに勝てないだろうことはわかりきっていた。だからこそ、これからのことはある意味で予定調和に等しいのだ。

ただ、マーリンはぼんやりと、その翠の瞳を、若葉色のそれを見て、何故かウーサー王の瞳を思い出していた。

 

 

一歩、道を進んだ。

ただ、決着のために、終わりのために歩いた。

それに不満はない。それこそが、自分の役割であり、そうして王としての責務だった。戦いを終らせるために、決定的な事実がいる。

あの子が死ぬか、それとも、自分が死ぬか。

そんなことはわかっていた。

死ぬのだろうなあと、それぐらいは理解していた。だからこそ、城には己が死んだ後でのことを書き残してきた。誰にも言わず、ただ、自分が死んだ後、言いたかったこと、こうして欲しいなどとそんなことを。それが叶うかはわからない。

本心が伝わるかもわからない。けれど、伝えておくことは伝えてきたのだ。

 

(・・・話して、おけばよかったんだろうなあ。)

 

それでも、どうしても、言えなかった。

私はきっと、死ぬでしょう、だなんて。言えなかったのだ。言いたくなかったのだ。

それにロットは道を行きながら、不思議だと思う。ロットはこれでも、熱を持たない人間だ。こうでしかないのだと思えば、早々と割り切ってしまえる。この戦でさえも、きっと自分は死ぬのだろうと、それぐらいは考えていた。けれど、そんなことは言えなかった。

さようならも、お元気でも、何も言えなかった。

 

(ああ、何故だろうか。)

 

ぼんやりと、そうだ、こんなにもギリギリになってまで。どうしようもなく、さようならを言えなかった自分。当たり前のように帰ってくると、そんなことを言った自分。

何故だろうかと、考えて、ロットは、ああそうかと納得した。

あざ笑うかのように微笑んで、苦笑するように言った。

 

「・・・・死にたくないなあ。」

 

ふらふらと、道を行く。

そうすると、心の内に、止め処なく多くのことを思い出した。

いつかに見た、国の景色。騒がしい市場、働く男たち、おしゃべりに興ずる女たち、遊ぶ子ども。

ボタボタと、涙がこぼれた。泣いてはいけないとわかっていた。

自分は王で、上に立つもので、後悔するように、恐怖に涙を流すことは己自身に禁じていた。

それでも、ロットは、今だけはと願った。

そうだ、今だけは、ただの男として泣いていた。

民たちを思った。彼らにとって良き国を作れただろうか。臣下たちを思った。彼らのよき王であれただろうか。

子どもたちを思った。何かを残せただろうか。何かをしてやれただろうか。よき、父であれただろうか。

大きくなった彼らはどんなふうになるだろうか。どんな、大人に、王に、騎士に、姫に、なるだろうか。どんな人を好きになるだろうか。どんな罪を、どんな、善行をなすのだろうか。

そうして、ああ、そうして。

後を頼んできた、美しい女のことを思い出した。

彼女は泣くだろうか。己の死に、己の喪失に。苦しむだろうか、悲しむだろうか。

ロットは少しだけちらりと、故郷の方向を見た。

帰りたかった。

故郷に、子どもたちの元に、そうして、あの女の元に。

 

(帰れたら、俺は。)

 

けれど、ロットはすぐに顔をそこから背け、そうして歩き出した。

その選択は出来ない。それは、王である自分はしてはいけない。

大丈夫だ、そう思った。

強い人々が住む国だ、希望ある子どもたちだ。そうして、彼女。

 

(大丈夫、モルガンは、もうたくさんのものがある。)

 

もう、彼女はあんな光景を生み出すことはないだろう。だって、彼女にはたくさん、たくさん、愛せるものがあるのだから。

きっと、大丈夫だから、もう、大丈夫だから。

 

ぼたりと、涙がこぼれ落ちる。拭いもせずに、それは流れていく。

 

そうだ、自分は愛せたのだ。

国を、臣下を、民を。

王という役割によってではなくて、ただ、あの国に住まうものとして、愛せたのだ。

義務ではなく、権利ではなく、役割としてでなくて。

愛したいと思ったから、己はあの国を、あの国に住まう人を愛したのだ。

それは、ああ、それは。どれほど、幸せなことだろうか。

 

(ああ、死にたくないなあ。)

 

それでも、行かなくては。逝かなくてはいけない。

そう決めたのだから。

己の父を思い出す。

お前の生まれた意味を忘れるな。

忘れなどしない。いつか、国のために、民のために死になさい、行きなさい。

そうだ、今こそ、その役目を果たすのだ。

 

森の先、開けた先に、少女が一人。

 

「ロット王。」

 

ロットはそれに微笑んだ。予定調和だとしても、それでも、最後まで舞台で踊るぐらいはしなくてはいけない。

 

 

 

剣を打ち合う、金音が延々と響いている。

 

ロットはモルガンから魔術をかけられたそれを振った。そうして、武器が打ち合うたびに痺れるような感覚が響いている。

 

(くっそ!受けるだけでもキツい!)

 

剣の重さ、そして、速さ。それは、その小柄な体から発せられるには余りにも理不尽なものだった。

そうだ、正直な話をすれば、身体能力だけで言うのならアーサーというそれはロットを十二分に上回っていた。それでも、ロットはその斬撃を受け流し、そうしてアーサーを押し通していた。

 

横からやってくる剣を、受け止め、受け流す。その隙に腹に蹴りを入れて、吹っ飛ばした。だが、アーサーはそれに軽やかに受け身を取って地面に降り立つ。

受け流し、その隙をつく。

ロットにあったのは、経験と積み上げてきた技術だけだ。

産まれてきてから、数十年。別段、好きではなかった、けれど義務のように積み上げてきた剣術だけが理不尽と言えるその人ではないアーサーとの戦いを続けさせていた。

 

けれど、それはけして長くは続かなかった。

薄れていく集中、そうして、少しずつ削れていく体力。それに、とうとう、ロットの剣は弾き飛ばされ、アーサーの剣は彼に届いてしまった。

体を襲う痛み、そうして、飛んでいく剣に、ロットはああ負けたのだと理解が出来た。

後ろにあった木に寄りかかり、血を流しながら、ロットはアーサーに対して笑った。

それに、アーサーはまるで不可解であると、口を開いた。

 

「・・・・何故、あなたは笑う。」

「これでいいのさ、青二才。これで、全てが丸く収まるってもんだろう?」

 

ぜーぜーと息を荒くして、ロットはアーサーに微笑んだ。そうして、アーサーに言葉をかけた。

 

「もう、もどれねえぞ。わかってるのか?」

「そんなものは、覚悟の上です。私は。」

「誰かが笑っていたから、それでいい、か?」

 

考えていたことがロットの口に出され、アーサーは驚いたように目を見開いた。それにロットは諦めたように、彼女を見た。

 

「そこまで言うのならば行くがいい。貴様の願う救済を、貴様の願う終わりを、貴様の願う安寧を、手にするために歩むがいい。だが、忘れるな。」

それが決して、幸福な結末に帰結するものではないことを。

 

ごはりと、ロットは大きく咳き込み、そうして、ずるずると木にもたれ掛かるように座り込んだ。掠れていく視界に、己の限界を理解した。だから、最後にと、彼は彼女を見た。

 

「アルトリア、こっちに、来い。」

 

己の名前を呼ばれたアルトリアは動揺するように目を見開いた。それにロットは言葉を続けた。

 

「悪いようにはしない、ただ、死ぬ前に話を、したい。」

 

その言葉にアルトリアは悩むように少しだけ固まっていたが、そろりと近づいてきた。自分の横に跪いた彼女を見て、ロットは言った。

 

「・・・・すまないな。お前さんとは、ろくに話せなかった。」

「しかたがないことだと、思います。私とあなたでは。」

 

ロットは目を細めた。やっぱり、彼女は眩いまでに輝いていた。自分は、今、何をするべきだろうか。

戒めでも口にしようかと考えたけれど、やっぱり、ロットは甘ちゃんで。

 

「アルトリア、俺は、お前を恨んでいないよ。」

 

穏やかな言葉にアルトリアは首を振った。

 

「何故ですか。」

 

私は、それでも、私は。あなたから、確かに、この戦で。

 

断片的に聞こえてくる後悔の走ったそれに、ロットはやはり首を振った。

 

「いいか、なあ、誰だって守りたいと思うものは違うんだよ。俺とお前も、そうだった。俺は、お前に負けてしまった。だから、この結末も仕方が無い。お前には、守りたいものを守る権利があった。そうだ、だから、お前を俺は恨まないよ。でも、一つだけ、頼みがある。」

 

オークニーを、子どもたちを、そうして、モルガンを頼む。

 

ロットは持てる全てを振り絞って、アルトリアの手を掴んだ。ぎちりと、まるで、鉄のように強い力が手に伝わるのをアルトリアは理解した。

翠の瞳が、自分を見ている。

最後の、命を持って、その男は誰かの命を託そうとしている。

 

アルトリアは昔、なぜ、騎士道というものがあるのか、義父に聞いたことがあった。

それは、獣にならぬためだと聞いた。

 

戦場に希望などない。そこにあるのは、ただ、死ぬか生きるか。失うか、それとも得るか。それでも、自分たちは戦いを美しく飾り立てなくてはいけない。

獣になどならぬように、人を人として殺せるように。最後の一線を踏み越えないように。

騎士道とは、人の理性の祈りなのだと。

アルトリアは理解する、その男は、最後まで人として死のうとしているのだと。

 

「わかり、ました。」

 

その言葉にほっと息をついて、ロットの力は緩んだ。

 

「そう、かあ。よ、かった。ああ、ある、とりあ。わすれ、ないでくれ。うらんで、いないよ。だから、おまえも、しあわせに、おなり・・・・」

 

 

掠れていく、視界。体が、まるで全て溶けていくように、緩んでいく。

良かったと思った。きっと、この幼子は約束を違えないだろう。ならば、自分は、確かに与えられた役目を全うできた。

父に、恥じない男として生きられた、死ねるのだと。

ふわふわとした頭の中で、ロットは今までの人生が早巻きのように思い出された。

 

冬に見た、己の国。自分に声をかける民たち。仕事のことを相談する臣下たち。

幼い頃に駆け回った森の中、魚の美味さ、死んでしまった前の愛馬。

 

ロットは、それに微笑んだ。思い出すのは、美しいものばかりだ。

 

 

(ああ、そうか。)

 

ガウェインが剣を持って剣術の鍛錬をしている光景が浮かんだ。

――強くて

アグラヴェインが巻物を読み込む横顔を思い出した。

――賢くて

ガへリスとガレスがすやすやと眠っていた。

――柔らかくて

ベルンやダイルが何か話している光景があった。

――誠実で

数回程度しか見たことない父の笑みを思い出した。

――厳しくて

あの日、見た、黄金に染まる国を思い出した。

――美しくて

 

そうして、春の日を、思い出した。若葉の茂る、森の中、花々が風にそよいでいた。甘い匂いがした、心地の良い風が頬を撫でた。

 

「陛下」

 

甘くて、優しい声がしていた。

太陽を紡いだような金の髪が王冠のように輝いていた。海のような、青い瞳が自分を見ていた。まるで、神が作ったかのような麗しいかんばせがほころんでいた。

 

それに、ロットは、微笑んだ。微笑む、妻のことを、思い出した。

 

(そうだ、俺の、愛したものは、皆。)

 

強くて、賢くて、柔らかくて、誠実で、厳しくて、美しくて。

そうして、愛らしかった。

 

「ロット王?」

 

ぼやけた視界の中に、女の顔が浮かんだ。ああ、それは、似ていた。だから、ロットは穏やかに微笑んだ。

 

そうだと、微笑んだ。いつだって、自分の愛したものは皆。いじらしい、女のことを思い出した。

 

(モルガン、お前に、似ていたね。)

 

男の、若葉の瞳から、命の灯火が消えていく。そうして、男の最後の脳裏には、男の愛した美しい星が瞬いていた。

 




これにて一旦は完結としますが、後日談的なものや番外編?というか二部的なものを
考えているので投稿しようと思っています。

次で最後と言うことで一話にまとめましたが、二話に分ければよかったかなと後悔。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君の綴るべきもの 番外編

いつかに考えていたヴァレンタインデーの贈り物ネタ。
重い話ばっかりなので軽い話を書きたかったので番外編で早めに投稿しました。
後日談を期待された方は申し訳ありません。


時系列については深く考えないでおいてくだされば。あくまでIFのお話になります。


感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただける嬉しいです。


 

「あ、ロットさん!」

「うん?ああ、マスターか。」

 

藤丸立香は廊下の先を歩いていた男に声をかけた。声に気づいた男は振り返った。

艶々とした黒い髪は天使の輪が出来ていた。大らかな笑みが浮かんだ顔立ちは息子のガウェインによく似ている。何よりも印象的なのは、きらきらと光る翠色の隻眼だろう。

そんな彼に黒い髪をした少年が駆け寄っていく。

 

「どうかしたか?騎士としてやることでもできたかな?」

「そうじゃないんだけど。」

 

藤丸はそう言いつつ、彼が珍しく一人であることに気づいた。

 

「今日はガウェインたちはいないんですね。」

「ああ。皆、今日はそれぞれ用事があるようだな。」

 

なんといっても今日はヴァレンタインデーだ。

 

「そう言えば、お妃様への贈り物、決まったんですか?」

 

思い出したかのように藤丸がそう言うとロットはどこか困ったような顔をした。

 

 

最後のマスターという触れ込みの少年の元に、妻共々召喚されてから暫く経った。自分がサーヴァントになったことには驚いたが、まあそこは割愛すべきだろう。

自分の生きていた時代から大分長い時代が経ったが、そんな行事もよくよく楽しい。時折、とんでもないものもあったが。

そんな中でヴァレンタインデーというものを知った。とある聖人がきっかけのそれはなんでも恋人たちの日、であるらしい。

それにロットはもちろん、モルガンとすごそうと思っていた。確かに恋人、などという期間は持ち得なかったがそれはそれだ。

何よりも、現代では近しい誰かへの感謝を伝えてもいいらしい。

そんな彼はモルガンに何か、贈り物をしようと考えたわけだが。

 

「そうだな。マスターにも色々と相談に乗ってもらったからなあ。迷惑をかけた。」

「いいえ。俺の意見が何か参考になったらよかったです。」

「ああ、現代の価値観というものもまた目新しくてありがたいよ。だがな、うちの奥さんは、賢く、厳しく、真面目で、清廉で、おまけに美人で可愛らしいからな。彼女にふさわしい贈り物、となるとなあ。」

 

藤丸はロットの口から飛び出す、無意識ののろけというものに、ああと頷いた。

 

「子どもたちにも相談したんだが。ガウェインは、父上がくれるものなら母上は石ころだって喜びますよ、なんていうし。アギ-は、仲がいいことでって笑いながら言うだけだし。ガレスはなあ、一緒に菓子を作ったんだが。だが、彼女に俺みたいな素人の菓子をあげるのもなあって感じだし。」

「そうですね。素敵な人には素敵なものをあげたいですね。」

「ああ、それでドレスでも仕立てるかと服を作れる英霊に相談したり。同じように奥方を持つ方々にも相談したがなかなかなあ。」

 

悩ましいというような顔でロットはどうしたものかと悩むように言った。

それに藤丸は緩やかに笑った。

ロットの話は好きだ。なんだか、とっても普通で、平凡で、懐かしい気分になってしまう。

 

「それでどうすることにしたんです?」

「うん?ああ、情けない話、モルガンに聞いたんだ。そうしたら、二人きりで、誰にも邪魔されずに過ごせる時間が欲しいと言うんだ。それだけかと聞いても、それだけとしか言わないし。俺も彼女が望むなら、ドラゴンだって頑張って狩る気だったんだ。いや、一人じゃ無理かもしれないから助っ人は頼むだろうけどな?」

 

さすがにそれだけじゃあと思って薔薇の花を用意したが。もう少し、華美なものがいるかな。いや、花が悪いわけではないが。彼女にぴったりの花だと思うし。

 

ロットは悩むようにうーんとうなった。

 

「なら、すいません。引き留めちゃいました?」

「うん?いや、約束の時間まであるし。何より、俺も用があったんだ。」

 

その言葉に全てを察して、藤丸は包みを取り出した。

 

「じゃあ、俺が先に。」

 

藤丸はそう言って彼に赤い包みを渡した。

 

「happyValentine!」

 

渡されたそれにロットはありがとうとそれを受け取った。

 

「日頃の感謝かな?」

「はい、いつもお世話になっているので。」

「世話、といえるほどのことをしているとは思わないんだが。いや、にしてもお返しをあげないとな。」

 

そう言ってロットはどこか照れくさそうな、そうして不安げな顔をして藤丸にそっとあるものを手渡した。

それは箔押しされた立派な表紙の本と、いくつかのペンだった。中身を見ると白紙のようだった。

 

「これは?」

「いや、たぶん、お前さんのことだからほかの英雄から華々しいものをもらってるだろうから恥ずかしいんだが。まあ、ただのノートと。あ!ペンは奮発したんだ。ボールペンから鉛筆とか、万年筆にガラスペンか?綺麗だろう?」

 

言葉の通り、渡されたペンのほかに色とりどりのインクもあった。藤丸はその贈り物を嬉しく思ったが、なぜこれを贈られたのかと疑問に思う。それを理解してか、ロットは穏やかに言った。

 

「いや、現代はいいな。俺の時は紙、というか羊皮紙だな。書くものが貴重でなあ。この時代は紙やら書き物にも種類があって非常に楽しい!」

 

わくわくしたような口調でロットは白紙のそれを指でなぞった。

 

「・・・・書く、という行動はいいぞ。人は思うことがあってもすぐに忘れてしまう。そう思っていても、時間が経てば何を思っていたのか曖昧になる。まるで、咲き誇っていた花が枯れるように。積もった新雪が泥に汚れて溶けていくように。」

 

ロットの言葉に藤丸はもう一度そのノートを見た。それにロットは微かに目を細めた。

 

「・・・・・なあ、マスター。お前さんは自分自身が哀れだと思うか?」

「え?」

 

その言葉に藤丸は曖昧な意味合いの笑みを浮かべた。それにロットはすまないなあと肩をすくめた。

 

「いや、すまん。なんというか、とある奴が、お前さんにくっそ重たいラーメンをやったと聞いてなあ。まあ、当人とお前さんの諸諸だからなんとも言えないが。」

 

はあとため息をついたロットはじっと藤丸のことを見た。

 

「・・・・弱者は強者に対して夢を見たがるように、強者も弱者というものに夢を見たがるんだ。一方的な要求のようなものから、己にないものまでな。」

 

笑い話なのだろうかな、なあ、お前さんはちっとも哀れではないのに。

 

ロットは苦笑して、そう言えば藤丸は凪いだような、穏やかな表情をした。

 

「ロットさんは俺を哀れだとは思わないんですか?」

「なぜ?お前は確かに、お前自身の願いがあったからここにいるのだろう。」

 

それは何よりも残酷で、けれどひどく優しいもののように聞こえた。

 

逃げ場が無い状態で決めたことと、複数の中から選んだということは違うようで同じだ。なぜなら、苦難の道を行くのか、それともより快適なものを選ぶかという選択は残っているからだ。

ロットはいつかの日、アーサー王に殺されるという選択をした。それを、後の人間は英断であるだとか、死んだことを愚かだと言ったり、犬死にだという存在もいた。そうして、国のために全てを捧げた生け贄の愛だと言った誰かがいた。

それにロットは笑ってしまった。

どうして、そうまでもして、人とは、人というものに夢を見たがってしまうのだろうかと。

人とは、主観の生き物だ。どれだけ他人のための行いのように見えても、そこには行った当人なりの理由がある。

それは自分だけのものだ。それに至るまでにたくさんの事情があったとしても、そう行動した意思は当人だけのものだ。勝手に他人の感情や事情を組み込まれても困るだろう。

あの日、ロットがそうしたのは、死んだのは国や子どもたち、そうしてモルガンの未来と自分を天秤にかけたとき前者に傾いてしまっただけの話で。

残念ながら自分には無償の愛など無かったし、どこまでもそこにあるのは愛したものが幸せであって欲しいという利己的なものしかない。

それは、藤丸とて同じだろう。

彼は哀れではない。ただ、この世界の、いつかのどこかで行われたように生存戦略のための戦いに参加しているだけだ。

彼は戦えるもので、そうして選択することが出来る人間だった。

自己の願いのために歩き続ける彼を哀れむことはないだろう。何かを滅ぼして、その上に立つということへの罪悪感と彼の戦うという覚悟はまた別物だ。

哀れみたくはなかった、確かに大きくて、背負いきれないものを背負ってしまったとしても。戦い続ける意思のあるものを、ロットは哀れみたくはなかった。

例え、騎士見習いであったとしても功績を立てたものをひよっこ扱いし続けるのはあまりにも無礼が過ぎるだろう。

 

「忘れたくないもの、忘れたいもの。そうして、そうであって欲しいという願いと、否定したいことがあるはずだ。それを、その白紙に書き綴るといい。」

「忘れたくないもの。」

「マスター、言葉はな、嘘つきであると同時に正直者だ。口に出したその瞬間、当人の心によって嘘か真かをたやすく変えてしまう。当人が嘘であると思っても、それは対外的には真実であることも。真実であったことが嘘であることも多々ある。だが、記憶なんてたやすく形を変えてしまうからな。」

 

だから、形に残しておくといい。

お前がそれだけは変わらないという想いがあるなら、忘れぬようにと。

お前が忘れてしまいたいということがあるのなら、それは己の中にだけ閉まっておくといい。

いつか、開いたノートに今と違うことがあっとしてもそれはお前が生きていると言うことだから。

いつか、開いたノートに変わらぬことがあったのならそれはお前の揺るがぬ何かであると言うことだ。

優しい記憶はお前の心を温める篝火になり、苦しみは傷跡として勲章になるだろう。

必死に張った虚勢はお前を鼓舞する激高になり、認めた事実はお前の土台として支えてくれる。

 

「言葉を選ぶってのはな、心に整理をつけることだ。悲しかったこと、苦しかったこと、それでも得たものがあったという事実。それは納得を人に与えてくれる。納得はいいぞ。あれは、人が己自身で完結できる、唯一の救いだ。例え、書き綴ったそれが嘘であったとしても構わない。嘘から誠が生まれることだってあるからな。」

 

藤丸はそれに少しの間黙り込んだ後、ありがとうと微笑んだ。そうして、ほかにもチョコレートを配るからと去って行く。

それを見送った後、ロットは遠くに見える後ろ姿を見て、悲しそうに笑った。

 

「そうだ、忘れないでくれ。英雄も凡人も、所詮は蓋を開ければ同じだ。己の願いを叶えたいだけだ。だから、俺もお前もきっと同じだ。哀れなんて無いんだよ。」

 

藤丸立香、忘れないでくれ。お前に罪があるというならば、その罪は、お前だけのものではないことを。

 

ロットはモルガンに贈る花束を取りにゆっくりと歩き出した。

 




概念礼装
君の綴るべきもの

ロット王からの贈り物

何の変哲も無い白紙のノートと幾つかのペン。

真実も嘘も、それは結局当人の主観からなっている。だからこそ、思うことを書き綴るといい。
真実であると信じたいこと、偽りであるからと沈黙すること。
いつか、お前さんが書き綴ったものを読み返したとき、良き人生であったと笑えることが出来るように。

それは、いつかに、英雄としてではなくて、人として生きて死んだ男から、同胞へ向けた祝福だ。






本編、というか特異点ネタを呼んだ後の方がわかりやすかったかもしれません。
ロット王のサーヴァント化についてはこねくり回して頑張っておりますのでお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

めでたしめでたしのその後に葬儀は行われ

後日談。
アーサー王とモルガンの話。
次はそれぞれの個々人の目線でロット王の遺書とかの話をします。
時系列等については深く考えないでいただけると嬉しいです。

感想、評価、ありがとうございます。

感想いただけると嬉しいです。


 

 

晴れた日のことだった。昔、誰かに聞いたような、己の生まれた日と同じようにひどく晴れた日のことだった。

戦場から到着した早馬の知らせに急いでかけていった先で、母が泣き崩れるのを見たとき、ああと思った。

まるで他人事のように、父上は死んだのかと。

 

 

ガウェインは眼を覚ました。そうして、ちらりと、窓の外を見た。さんさんと日の光が差している。

ガウェインはそれを淀んだ眼で見た後に、己のベッドに視線を移した。そこには、彼の弟妹三人が団子のようになって丸まっていた。いくら大きめのベッドといえど、四人が寝るにはあまりにも窮屈だった。それでもガウェインはそんなことなど気にしない。

本来ならば一人で眠るようにと言われていたが、今だけはそれに対して誰も何も言わない。乳母たちも、何かあれば呼ぶようにと近くの部屋に待機していた。

そっと、一番幼い妹の目を指で撫でた。腫れたそれに、ガウェインは掠れた声を出した。

 

「だいじょうぶ、そうだ、だいじょうぶ。あにうえが、まもるから。」

 

掠れた声を出した。その声は明らかに疲れ切ったものだった。それでもガウェインは奮い立たせるように、まるで自分に言い聞かせるように言った。

頭が痛い、体はだるい。

全てが億劫で仕方が無い。何も、考えたくない。ただ、このベッドの上で丸まって、そうしていつまでだってぼんやりとしていたかった。

けれど、そんなことは言ってられない。ガウェインはひとまず弟妹たちを起こさないようにベッドから抜け出した。

着替えをせねばならない。

うららかな、晴れた日。その日、ロット王の葬式が行われる日だった。

 

(ぼくは、ガウェイン。ロット王の長子。)

 

ふさわしい振る舞いをしなくてはいけない。すっかり大人びた、というよりは老いたという表現の似合う表情でガウェインは背筋を伸ばした。

 

 

父の訃報を聞いて、城の中はひどく混乱した。

混乱しているもの、不安に駆られるもの、己の身の振り方を考えるもの。

ガウェインは、何故かそれを疑うこともなくそうなのかと納得した。理由なんて簡単だ。

母が、泣いていた。

ガウェインはただの一度だって己の母の涙なんて見たことがなかった。

ガウェインにとっての母は、美しくて、壮麗で、賢しく、誰よりも自慢の母だった。

涙など、何があっても流すことなどなく、背筋を伸ばした、そんな人。

崩れ落ちた母が、子どものように泣きじゃくっているのを見て、ああ、そうかと納得した。

父は、死んだのだ。

戦に赴き、そうして、死んだのだと。驚くほどに納得してしまった。

父が帰ってきた時、ガウェインには父がただ眠っているようにしか見えなかった。

 

(・・・マーリン殿には、感謝しないと。)

 

父の遺体をここまで綺麗に整えてくれたのは、かの賢者であるらしい。ガウェインはぼんやりとそのことを頭に置いた。

父はいつかに日向の中で、まぶたを閉じていた時のような。そんな、穏やかな顔だった。棺の中で、手を組んで、今すぐにでも起き上がってくるんじゃないかと思えた。

だから、思わず、愚かな期待をして、言葉を紡いだ。

 

「ちちうえ・・・・」

 

掠れた声でそう言えば、どうしたガウェインと、そんなことを言って起き上がってくれると思った。

けれど、起き上がることなんてなかった。

アグラヴェインたちの声にも、母の声にだって起き上がってくることはなかった。それに、ああと、納得した。

もう、二度と、あの朗らかな笑い声を聞くことはないのだと。

弟妹たちの泣き声がする。母が嘆きに叫ぶような声がする。けれど、ガウェインは不思議と涙は出なかった。

 

 

それからガウェインは棺の側から離れず、泣き崩れる母を気遣い、弟妹たちを宥めて過ごした。未だ少年の域を出なくとも施された教育と、ベルンたちに助けられて葬式の準備を整えた。

父が死んでから、城の中はまるで凪いだ海のようだった。表面上は静かであるのに、何かが蠢いてるのがよくわかった。

ガウェインは身支度を調え、そうして父の遺体が納められている教会へと向かった。

護衛である騎士を教会の前に待たせた。

ぎいと軋んだ音を立てて建物の中に入った。中は暗く、それこそいっそ夜のようだった。

その中心に棺と、それに縋り付くようにその場に座り込んでいるモルガンがいた。

まるで幽鬼のようだった。暗く、淀んだ瞳で棺を見ていた。

ガウェインはそれに静かに近づいた。棺の蓋は開いており、モルガンは淀んだ瞳を腫らしてロットを見ていた。その手は、ロットの胸の前で組んだそれに重ねられていた。

 

「母上。」

 

声をかけたが、何も映そうとしない瞳は一心に夫であったものに向けられていた。

ロットが死んでからモルガンは最低限の指示を出すだけで棺に縋って泣いている。幼いガレスが彼女に縋って母を求めても、彼女はそれを微動だにしなかった。そのため、ガレスは乳母たちと兄たちであやしていた。

 

「母上。」

 

もう一度、話しかけても、彼女は微動だにしない。ガウェインはそれに、根気強く話し続けた。

 

「母上、もうお食事を大分長い間取っていません。少しでも口にしてください。それに、服を、着替えなくては。」

 

それにもモルガンはぴくりとも動かずに淀んだ眼をするだけだった。

ガウェインはそれにぼんやりとどうしたものかと悩んだ。葬式はもうすぐ行われる。せめて、彼女の体裁だけは整えなくてはいけない。

 

(参列者を出迎えて。あとは、何があるだろうか。)

 

母がこの状態で、この先がどうなるかわからない今、不安に思うことは多くある。ガウェインは必死にこれからのことを考える。それに、頭が沸騰しそうになる。

経験も、学びも足りない彼にはあまりにも重荷であった。けれど、ガウェインはそんな不安を必死に振り払う。

 

(僕が、しっかりしないと。)

 

もう、父はいないのだ。そんな暇はない。そんな余裕はない。せめて、ガウェイン自身の弱みを周りに見せないように。

約束したのだ、守るのだと。己の、弟と妹を。

そうだ、大丈夫だ。だって、自分は泣いてもいない。出来るのだ、不安ではあるけれど、自分は泣きもせずにちゃんとしている。

ガウェインはさらに母に話しかけようとした。その時だ、教会の前で待たせていた護衛の一人が慌てて駆け込んできた。

 

「何事だ?」

 

それにガウェインが機械的に言えば、護衛は顔を青くして口を開いた。

 

「き、妃様を、訪ねてこられた方がいて。」

「なに?」

 

そんなことを言っていると、教会の中に誰かが押し入るように入ってきた。

小柄なそれは、マントを被っており、逆光の中でよく見えない。けれど、今まで何にも反応しなかった母親がゆらりと立ち上がった。

淀んでいた瞳に、苛烈な光が宿るのを見た。

その小柄な侵入者は無造作に被っていたマントのフードを脱いだ。

まるで、黄金の王冠を被っているのかと思った。まばゆい逆光の中で結い上げられた金の髪が輝いていた。光に慣れた瞳が、ようやく入ってきた人物の様相をとらえた。

王冠のような豪奢な金の髪、なめらかな白磁の肌、少女のような愛らしさと少年のような、凜とした印象を受ける美しいかんばせ。

凜とした印象を受ける美しいかんばせ。

そうして、父と同じ、翠の瞳。

 

(ああ。母上に、よく、似ている。)

 

それにガウェインは理解した。目の前に立つ、その、人間。それが、己にとって叔父に当たり、そして、父を殺した男であることを。

 

 

沈黙が、一瞬だけその場を支配した。が、アーサー王は後ろにいた護衛を無視して扉を閉めた。閉鎖空間の中でガウェインは一気に警戒心を強めた。教会の中には、モルガンと自分、そうしてアーサー王がいた。

 

(ここで、何かされることはないはず。)

 

自分たちに何かをするなら、葬式など待たずとも機会などいくらだってあったはずだ。

ガウェインはモルガンを庇うように前に出た。ガウェインが口を開く前に、モルガンの吐き捨てるような声が教会に響き渡った。

 

「・・・・・今更、何用だ。」

 

ガウェインは、まるで雪を服に入れられたかのように。

冷たくて、刺すようで、流れ落ちていくような恐怖を感じた。何か動くことも出来なくて、ガウェインは己の母を見上げた。

 

「ひっ・・・・・」

 

喉の奥で、潰れたかのような声が漏れ出た。恐ろしいと、思ったのだ。

それを、幼いガウェインは上手く表現できなかった。

ただ、呆然と。

刃のような怒気だった、嵐のような激情だった、敗北のような痛々しさだった、吹雪のような憎しみだった。

そうして、そうして、ひとりぼっちのような、悲しみだった。

そんな眼を、していた。

父が、己によく似ていると褒めてくれた、母の青の瞳は、まるで泥を落とし込んだかのように、そんなものに溢れていた。

ガウェインは、何をして良いのかもわからなくて、まるで、鏡合わせのように立つきょうだいの様を見ていた。

かつんと、教会の床を踏みしめる音がした。

 

「・・・・届け物と、そうして、オークニーの処遇について知らせに参りました。」

「はっ!勝者たる貴様が、直々にか?」

 

挑発のようなモルガンのそれに、アーサー王は厳しい表情を変えることも無くゆっくりと近づいてきた。そうして、数歩歩き、手を伸ばせば互いに触れることまで出来るのではないかと言うところまで近づいた。

仁王立ちのモルガンをアーサー王はじっと見た。そうして、口を開いた。

 

「オークニーに関しては私の下に下ることとなります。そうして、ロット王の嫡子であるガウェイン殿が成人後に彼を王とします。」

 

それは破格の処遇だと、ガウェインにだってわかった。

自分たちは確かに目の前の存在と血縁関係にある。けれど、彼に対して戦いを挑んだ、それもその筆頭の長子である自分を、この国の王にするというのだ。

 

「それまではロット王の子どもたち、そうして妻であるモルガン。あなたたちの後見を私が行うこととなります。後で人を送ることとなりますが、このままオークニーに留まっていただいても構いません。」

「・・・・何が条件だ?」

 

アーサー王は一度だけ、ゆっくりと瞬きをした。そうして、口を開く。

 

「ロット王の長子、次男、そうして三男を成人まで騎士として教育することです。」

 

それは、実質的な人質といってよかった。

オークニーという国を治める上で厄介なのは国に住まう者たちだ。元より、ヴァイキングたちの襲来も多く、気の荒いものが多い中で統治をしていくのは難しい。元より、国で人気のあったロットを殺したアーサー王に従いたいと思うものは少ないだろう。

だからこそ、餌を用意するのだ。

この国はロットの息子であったガウェインが治める。それだけを見れば、国の者たちも少しは溜飲を下げ、その中継ぎの統治を認めるだろう。

そうして、その間に跡継ぎたちを自分たち側に引き込む。

 

「ふざけるな。」

 

決して、大きな声ではなかった。けれど、全てを理解したモルガンはうなり声のように吐き捨てた。

 

「今更、私から、子どもたちまで奪っていくのか?」

「・・・・これは、ロット王の意思です。」

 

その、父の名前にモルガンの瞳孔が一気に覚醒するように見開かれた。

 

「ふざけるな!!」

 

怒号と共に、モルガンはドレスの裾を引きずって、目の前の青年に掴みかかる。

 

「あいつを殺した貴様が、その名前を騙るのか!?そんなことあるはずがない。あいつが、私から子どもたちを奪うなんてあり得るはずがない!」

 

アーサー王は仮面のような無表情で己の服の襟をつかんだモルガンを見下ろした。ガウェインはどうすればいいのかわからずに、それを呆然と見守ることしか出来なかった。

アーサー王はそっと、マントで隠れていたらしい物入れから何かを取り出した。

それは、いくつかの羊皮紙の束だった。

 

「これは、かの王が信頼する臣下に預けていたものです。万が一、自分が死んだとき、私に渡すようにと言われたものです。先ほどの条件は元より彼の要求です。」

 

モルガンはそれにアーサー王から羊皮紙を引ったくった。そうして、急いでそれに目を通す。そうして、うなり声のような泣き声を上げた。それに、ガウェインは、ああ、母もあんなふうに、子どものように泣くのだと、まるで場違いのように考えた。

 

「・・・・それに書いてありましたが、ロット王の執務室の机回りを調べてください。そこに、あなたや子どもたち個々人に向けた手紙を残したそうです。」

 

モルガンはそのまますすり泣いた。アーサー王はそれをじっと見た後、きびすを返して立ち去ろうとした。

が、モルガンはそれを引き留める形で声を発した。

 

「アーサー、貴様にとって、あの男は悪だったか?」

 

それにアーサー王は足を止め、改めてモルガンに向き直った。アーサー王は床に蹲ったモルガンを見下ろして微かな声で言った。

 

「いいえ。」

「ならば、何故だ。何故、あの男を、滅ぼしたのだ?」

 

ゆっくりとモルガンは顔を上げて、流れ落ちていく涙の向こうに己と同じかんばせをのぞき込んだ。

 

「邪魔だったからです。」

 

簡潔な、それ。

モルガンはそれに言葉を飲み込んだ。

 

「私には私の守りたいものがあった。そのために、私は彼と戦う必要があり、彼の王を討つ必要があった。倒せるだけの可能性があり、私はそれを果たすことが出来た。それだけです。私にも、彼にも、守りたいと願うものがあり、それは違えられた。それだけです。」

 

アーサー王はじっと、モルガンをエメラルドのような瞳で見つめた。

それに、モルガンは呆然と涙を流して、そうして、けたけたと笑い始めた。

 

「ふ、あはははははははははははははは!」

 

貴様は、いつだってそうだな!

 

けたたましい哄笑が辺りに響く。モルガンは握りしめた拳を石床にたたき付けた。

 

「いつだって、貴様に都合の良いことばかりが起こる。お誂え向きに奇跡が、都合良く降ってくる!幸運に、才能、正しい後ろ盾、願い!神が貴様に味方しているようにな。」

 

なら、その正しさに反するものは、傷つけられたって良いのか?

 

モルガンは笑うのを止めて、見開かれた目でアーサー王を見た。まるで、ガラス玉のような青の瞳がそこにあった。

モルガンはゆっくりと立ち上がり、そうしてアーサー王の方に掴みかかった。

 

「綺麗なままに滅ぼして、その後に何が残るのか、残されたものがどうなるかなんて気にもとめない!犠牲にされたものがどんな顔をしているのか見ていないのか!?正しいなら、それだけで、いつかに間違う私を傷つけたって構わないとでも思っているのか!?」

 

甲高い、叫び声にガウェインは思わず耳をふさいだ。母が恐ろしくてたまらなかった。

モルガンは髪を振り乱し、ぼたぼたと涙をこぼして、アーサー王に叫び続ける。

 

「お前は、お前は!どうして私を傷つける!?私の大事なものを奪っていく!だから諦めたじゃないか!望んでいた、父の期待、この島、全部、諦めて、ここで、ひっそりと生きても良いと。願われたことも、役割も、今まで散々に否定された全てだって目をつぶって。ここで、朽ちてもいいと。誰の記憶に残らなくても良いと、思ったのに。」

 

あの男が、あの、若葉の瞳が私を見ていてくれれば、私はそれだけでよかったのに。

 

ずるり、ずるりと、モルガンは脱力するようにその場に座り込んだ。けれど、アーサー王のマントからは頑なに手を離すこともなく、まるで幼い子どもの駄々のように縋り付いた。

 

「かえして。」

 

あの男を、返して。私のものだった。今まで、散々に、否定されて、捨てられて、いらないと言われて。それでも、ここまで、この世界の果てにやってきて。

ようやく、見つけた、私だけのものだった。

誰のものでもない、生まれ持った役割のためでも、運命でもなく、私の、モルガンだけのものだったんだ。

何故奪った。人が望む栄光ならば何もかもを持っているのに。どうして、私たちを放っていてくれなかった。

どんな物語にだって端役のようにいるしかない、つまらない男だったんだ。それでも、あの男だけが私を見たんだ、私の心を、私のあり方を、慮ってくれたんだ。

私の、愛しい、この世を赦した理由だったのに。

 

 

「ねえ。かえして。どうして、あのおとこまで、おまえは、わたしから、うばったんだ。ねえ、ぜんぶもっているだろう。どうして、あいつまで、わたしからうばうんだ?」

 

かえしてよ。

 

子どものすすり泣きが、愛しいものを奪われた女の嘆きが、教会に響いていた。

アーサー王は床に跪く女を一瞥し、そうして棺の方を見た。彼は静かに言い放った。

 

「・・・・ええ、だからこそ、どうぞ私を恨んでください。」

 

なんの感情も映っていない、父とよく似た色の瞳、父とまったく似ていない翠の瞳で彼女は言い放った。

モルガンはただ、その場で嘆き続けた。

アーサー王はそれを見た後、ゆっくりと引き返し、教会を出て行った。

全てが終った後、ガウェインは迷うような仕草をした後、そっと歩き出した。

母について何かを言えることもない気がした。何よりも、今の母に話しかけることが恐ろしくて仕方が無かった。

 

 

 

教会を出た先にはすでに護衛はいなかった。遠目に見れば、見知らぬ誰かとそうして馬と共にいることが分かった。

 

「あなたの護衛は私の連れと待たせてあります。話を、聞かれたくなかったので。」

 

予想外のアーサー王のそれにガウェインは驚いたが、それでも追いついた王に短く言った。

 

「母が、無礼を働きました。」

 

それにアーサー王は驚いた顔をした。

ガウェインとて目の前の存在が憎い。優しい父を殺した、その男が憎い。

けれど、今まで王の子として教育された理性と、父の頼むという言葉によって必死に何もかもを殺した。

礼儀を払え、無害を装え。

そうだ、自分はこの国を、そうして、オークニーを守らなくては。母を、守らなくては。

そう思って謝罪の言葉を口にして、アーサー王を見返した。

彼は少しだけ眼を細めた。

 

「・・・・あなたは、父君によく似ておられる。」

 

よき、騎士になるでしょうね。

 

短い言葉を返されて、ガウェインは思わず固まってしまった。だって、あまりにも意外な返答で。

そうして、その瞳があんまりにも優しい眼であったから。

今まで硬質で、冷たいと思っていた瞳はそれこそ柔らかなものに変わっていた。

今までの冷たい空気が和らいでいた。

 

「謝罪は受け取りましょう。そう言われても、仕方が無いことをしたのですから。ただ、ガウェイン。私はあなたを父君から託されている。思うことはあるでしょうが。」

 

ガウェインはそれにもっと言うべきことも、あり方もあったと思う。けれど、どうしてか、口から漏れ出たのはまったく違うことだった。

 

「父上は、立派な騎士でしたか?」

 

本当に、情けないほどに子どものような声で言ってしまった。自分は、父を亡くして、弟妹たちと母を守らなくてはいけないのに。

なのに、子どものように言ってしまった。

その、和らいだ、翠の瞳がどこか、父と被って見えて。

 

「ええ、誰よりも、誇り高い騎士でした。」

 

父を殺した相手なのに、憎い、敵なのに。それなのに、その言葉がどうしようもなく嬉しかった。

喉の奥が熱くて、眼の奥が痛い。

それをガウェインは必死に無視して、言葉を取り繕おうとした。

その感覚を、自分は無視しなくてはいけないから。自分は兄だから。

それを見ていたアーサーは、なんとなく、彼のそれを無視するか考えた。

これから騎士となる少年の多くを慮らなければいけないのなら、そのまま無視しても良かった。

けれど、彼の男によく似た少年を見ていると、今だけはと思ってしまった。

 

「・・・・ガウェイン。あなたはきっと、泣いてもいいのですよ。私が言うべきことではないでしょうが。」

 

その言葉に、ああ、誰も赦してくれなかった、その言葉に。

ガウェインの瞳からぼたりと、滴がこぼれ落ちた。

背負った多くが赦さなくて、誰も彼もが余裕がなくて、守らなくてはいけないものの前では泣けなくて。

けれど、母への恐怖と、父によく似た翠の瞳を見ていると何かがきっと決壊した。

ガウェインは子どものように泣きじゃくった。

悲しいと、苦しいと、怖いのだと、泣きじゃくった。

それをアーサー王は静かに眺めて、その背をそっと撫でてやった。

 




ところでの話なんだけどね?
人はなんでも第一印象で全て決まるそうだよ。それは、人から伝え聞いた話と、そうして、初めて実物を見たとき。
言ってしまえば、第一印象さえよければ大抵の人間は丸め込めるそうだけど。
いや、彼の王は何もしていないさ。
小細工は、私の本領だからね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

役者たちはかく語りき
美しき手はかく語りき


だいぶ時間が空いてしまいました。すみません。
それぞれのキャラクターが、自分の人生を死んだ直前に語るような感じでしょうか。
ロット王のいなくなった後、取り残された人たちのその後について。
最初はガレスちゃんになります。


感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。


 

「お前の瞳は、本当にあいつに似ているね。」

 

それが、ガレスの覚えている母親であるモルガンの口癖であった。

 

 

 

私の人生の話ですか。

・・・そうですね。完璧な人生ではなかったのですが。

私の生涯を、聞いていただけますか?

少しだけ、聞いてください。聞くに堪えないとしても、空しいかもしれません。

どうすればよかったのか、ずっと考えてもわからなかったけれど。

それでも、私の話です。

 

私が物心ついたころには父はいませんでした。上の兄三人もすでにアーサー王の元にいて、私は母と、そうして父の部下であった人たちに囲まれて生活していました。

幸せでしたよ。

父の部下の、ベルンさんや、ダイルさんは優しくしてくれました。他の人たちも、私のことを大事にしてくれました。

 

・・・・母は。そうですね、母上は、どこか、いつも、夢を見ているような人でした。

いつも、ぼんやりと遠いどこかを見ていて、ふっといつの間にかいなくなっていて、いつの間にか帰ってきている。

城の者は私にできるだけ隠そうとはしてくれましたが、母上が時折狂ったように暴れていたことも知っていました。

それでも、私には優しい母でした。

私の髪を梳いて、頭を撫でてくれて。そうして、いつだってこう言いました。

 

「ガレス、お前の瞳は本当に、あいつに似ているな。」

 

若葉の瞳、母はそう言って私の目を見るたびに悲しそうに微笑んで、そうして抱きしめてくれました。

お恥ずかしい話、私は、母がどんなに泣いても、悲しそうでも、その時の母が一番に好きでした。

 

 

父であるロット王という人の記憶はほとんどありませんでした。

寂しいとは思いませんでした。覚えていない方への喪失、というものを感じられなかったのです。なので、寂しいだとか、悲しいだとか、そんなことは思いませんでした。

あ、覚えていないわけではないんです。

優しくて、暖かくて、大きな腕で私のことを抱き上げてくれたことは覚えています。それが、私はとても好きで。

その腕が、ゆらゆら揺れて、誰かが優しく話しかけてくれて。暖かくて、私、それが大好きでした。

覚えているのはそれだけで、でも、それだけで十分だったんです。本当ですよ?

本当に、あの、暖かな記憶は私にとって宝物でした。

 

・・・・その記憶を思い出すたびに、母上は父上のことが好きだったんだろうなあと理解できました。

城の者が、父上のことを慕っていて、ガウェイン兄様たちが仕えている陛下のことをとことん嫌っているのも理解できました。

大事な誰かを奪われたのなら、赦せないのは当然だと思います。

城の者は皆、私に優しくしてくれました。

特に、ダイルは私のことを本当に大事にしてくれました。私が願えば、どんなことだって叶えてくれようとしました。

欲しい物はどんなものだって用意しようとしてくれましたし、どんな我が儘だって聞いてくれました。

愛してくれていたのだと、思います。私のことを抱き上げて、本当に優しい声で声をかけてくれて。

薄情な娘かもしれませんが、きっと、父とはこういうものなのかもしれないと、そんなことを考えて、しまって。

 

・・・・・城の者も、そうして、ダイルも、私のことを見て懐かしそうに目を細めて、口には出しませんでしたが、私の瞳をよくのぞき込んでいました。

そんなにも、似ていたのでしょうね。

私の緑の瞳を、皆、悲しむようにのぞき込んでいました。

 

母上は私の緑の瞳を見つめていると、少しだけこちらに帰ってきてくださって。よく、父上の思い出を語ってくれました。そんなとき、私は父によく似た緑の瞳でよかったと心から嬉しくなって。

 

兄は帰ってきてくれて、アーサー王のことや、都のことを話してくださいました。その話を聞くのは、好きで。

でも、兄は、ガウェイン兄様は城に帰ってくるたびに、城の人たちと喧嘩をしてばかりで。

アギー兄様やガへリス兄様の時は、当たり障りがなくて、でもどこかざわざわしていて。

兄様に会えるのは嬉しいのに、帰ってくると聞くと、なんだか憂鬱でした。

 

母上は、ガウェイン兄様が陛下のもとに戻ると、また、泣かれて。泣いて、泣いて、私のことを抱きしめて、それで、ようやく微笑んでくださるんです。

 

お前の目は、本当に、よく似ているって。

私の目を見ると、母上は元気になられるのが嬉しくて。皆さん、私が笑うと同じように笑ってくださいました。

だから、笑っていました。

そんなとき、昔、兄が使っていたという練習用の剣を見つけたんです。

何故、それに興味を持ったんでしょうか。

はっきりとした理由を、私は未だに答えることが出来ません。

ただ、漠然と、強くなりたいと思ったんです。強くなって、そうして、何かをなしたいという話ではなくて。

何と言えばいいのでしょうか。

 

憧れ、だったんだと思います。

 

綺麗で動きにくいドレスではなくて、簡素で動きやすい衣装で。城の中で皆に大事にされてるのではなくて、泥に塗れて辛い道を行く。母上の側で慈しまれるのではなくて、誰かのために戦う。

兄たちのあり方に、私は、憧れました。

城の中で守られているだけの自分が本当に嫌で。自分だけが守られていることが情けなくて。

剣を取ったのは、そんな情けなさと少しだけの反抗心が最初だったんです。

皆に隠れて、こっそり用意した少年の服を着て、振り方もわからない木刀を振り回したとき、本当に爽快だったんです。

私にだって、出来るんだって。誰かのために、戦えるんだって。

母上が、幾度も言っていたように、皆に称えられた父上と同じように誰かを守れるように。喜んでくれると思ったんです。皆の願うように、父上と同じようになれば。

話の中だけでしか知らない父上を慕っていました、大好きでした。父上のようになりたかった。そうすれば、きっと、母上は笑ってくれると信じていたんです。

 

・・・・・いいえ、いいえ、今更、本音を隠してもどうするというんでしょうね。それだけではなかったんです。

私は、ずっと、この緑の瞳が嫌いだったのだと思います。

皆、私を大事にしてくれました。愛してくれました。でも、皆、誰もが悲しい顔をして私の緑の瞳をのぞき込むんです。

 

ああ、ロット王にそっくりな瞳だって。

 

それを聞くたびに、そう言われるたびに、嬉しかったはずなのに。いつの間にか、寂しいと思うようになってしまいました。

大事にしてくれるとわかっているのに。愛してくれていると理解していたのに。

私を通して、父を見るみんなに、どうしようもなく寂しいと思うようになりました。

オークニーのことが大好きだったのに、いつのまにか、あの国がどうしようもなく息苦しくなってしまって。

これでも、私、ちゃんとお姫様をしてたんですよ。綺麗なドレスを着て、おしとやかに振る舞って、にっこりと微笑んで。

母上は私のことをみて、父上に見せてやりたかったといつだって言われていました。

そう言えば、あのときも、母上は帰ってきてくださっていましたね。

・・・・皆、ガレスのことを愛してくれていたのに。私にとっては、なんだか、私ではなくて、忘れ形見で、どこにも行かない姫君を愛されているようで。

子どもの駄々っ子だったのかもしれません。でも、私はいつの間にか、オークニーではないどこかに行きたいと思ってしまって。

ただのガレスになりたかった。兄たちのようになりたいと思っていたのと同じぐらいに、父上のようになりたいと思っていたのと同じぐらいに、母上に笑って欲しいと思ったのと同じぐらいに、私はただのガレスになりたいと思ってしまった。

 

私が少年の姿で木刀を振ったと知ったとき、母は怒って、そうして泣きじゃくりました。

 

「騎士になるなど赦すものか!お前は女なのだ!お前は姫なのだ!私の元にいればいい!どこにも行かせるものか!」

 

初めて私は母に怒られました。縋り付くような、腕に食い込んだ爪が痛くて、そうして悲しかったのです。

今思えば、きっと、母は怖かったのだと思います。兄たちは皆、陛下の元にいて。唯一残った子どもである私まで遠くに行ってしまうのだと、そう思われていたのかもしれません。

ですが、当時の私にはどうしてわかってくれないのだと思ってしまって。

行きたかったのです、兄たちの元に。私だけが取り残されて、私だけが何もなすことが出来なくて。

このまま父の忘れ形見でいたくなくて、このまま安寧のままで生きているだけの自分が嫌で仕方が無くて。

幼すぎたんです。きっと、私はあまりにも幼くて。王の子として身勝手であったともわかっているのです。

それでも、ドレスを纏って、微笑み、いつしか婚姻をする自分に納得が出来なかったんです。

母にも散々に怒られて、私はダイルに頼みました。

剣を、教えて欲しいと言いました。ダイルは、何故か泣いていました。泣いて、幼い私に縋り付いて、申し訳ありませんと何度も謝って。

ダイルもきっと、私にいなくならないで欲しかったのかもしれません。

その時の私にとっては、ダイルもまた私のことを閉じ込めているんだと、ああ、私は本当に幼かったのです。

 

母と大喧嘩をした私の話を聞いたガウェイン兄様が来てくれたとき、兄様は私にあるものを渡してくださりました。一巻きの羊皮紙を渡してこられました。

その時、兄様は珍しく厳しくて、怖くて、そうして悲しげで、なのにどこか誇らしげな表情で。

父上は、兄たちや私に一人ずつ手紙を残してくれたそうです。死んでしまうとわかっておられたのか、記憶に残らないだろう末の子にと手紙を、用意してくださっていたそうです。

兄は、その中身を知らないと言いました。私が年頃になれば渡そうと思っていたそうですが、色々あって長引いてしまったそうで。

 

「ガレス、たった一つだけ言っておく。騎士になると言うことは、ただ、強くあればなれるものではないのだ。」

「どうしてですか?戦う者が、騎士なのでは?」

「・・・いいえ、騎士になると言うことは、痛みに耐え続けると言うことだ。」

「いたみ?」

「己の無力さによって失われる痛み、自分自身の痛み、無力さへの後悔の痛み、そうして、誰かを傷つけ続ける痛み。それは、騎士にならねばわからない痛みであり、苦しみだ。お前には、私よりも苦しむ道であるかもしれない。それでも、お前は騎士になりたいのかい?」

 

それは、その言葉の意味を、私は本当の意味で理解をしていませんでした。図星を突かれたような心地でした。

誰かのためだけではなくて、逃避の術として騎士になろうとしていた愚かな私を見抜かれたような心地で。

私は何も言えませんでした。何を、言えばいいのかわからなくて。

黙った私に、ガウェイン兄様は、そのまま去っていかれました。

 

手紙を、読んで良いかわからなくて。皆が善き人だったと認めた父上は今の私を見れば、きっと呆れてしまうと思って。

それでも、父上が私にどんなことを願ったのか。

姫として、生きる私を願っているのかと思って。手紙を、読んだのです。

 

 

父は、父上は!

私と会ったこともないのに、私がどんなふうになるのかなんて知らなかったはずなのに。

それでも、私を信じていると、書いていました。

自分の子として、この島に、この国に住まう者として、恥じぬ生き方をしなさいと。そうであるならば、私の好きに生きて良いと言ってくださいました。

私は、それに考えました。

自分の願いは、自分の、騎士としてのあり方は、どんなものだろうかと。

ここから、オークニーではないどこかで、私は私として生きてみたいと願った。だからこそ、騎士になりたいと、手段として考えていたのは事実でした。

それは、恥じ入るべきだと思います。その時、私はあまりにも身勝手であったのだと思います。

ですが、それでも、誰かのために、誰かを守るために戦いたいと願ったのは確かに事実だったのです。

この島を守りたかった、兄たちと肩を並べたかった、私だって父上の子だから。父上のように、誰かを守りたくて。

母上に、笑って欲しいと、そう願ったから。

 

美しいものを見ておいでって、言ってくれたんです。

私は、それに、考えました。美しいものってなんだろうって。

オークニーは美しかったです、城の人たちは優しかったです、母上は誰よりも美しい人でした。

ですが、父上のいうものとは違うと思いました。

その時、私は決めたのです。

行こうと、騎士になろうと決めました。

誰にも恥じないように、兄たちの弟として、母の子として、そうして、父上の子として。

誰かを守ることが出来るように、そうして、美しいものを探すために、私は行こうと決めたのです。

 

 

それから、城を飛び出して、キャメロットまで一人で旅をしました。幸いなのか、ダイルに教えられたりした知識が役に立ちました。

キャメロットでは、最初は厨房で働かされましたが、苦ではありませんでした。あのとき、私はようやくただのガレスになれたから。

 

私のことを知った兄上たちは呆れた顔をされていました。

ガへリス兄様は呆れておられて、無茶をすると言われました。でも、ガウェイン兄様と、アギー兄様は、二人ともそれぞれ違うことを言われていました。でも、最後に同じように、ぽつりと。

お前も、父上の子だったのだな。

そんなことを言っておられたのを覚えています。

 

事実を知った母上は本当に怒っておられて。ガウェイン兄様とアギー兄様がいくどかオークニーに足を運ばれておられました。

・・・・お恥ずかしい話、私はそれからオークニーに手紙を出すことはあっても、一度も帰ることができませんでした。

自分で出てきた癖に、母上に拒絶されてしまうことが恐ろしくて。手紙には、一度も返事は来ませんでした。

 

それでも、騎士として、私は良き生をおくれました。

父上を殺したという陛下は、それでも、良き王でした。暗いブリテンを、まるでお星様みたいに照らしてくださる方だと信じられました。

それに、母上は嫌がるかもしれませんが、なんだか母上に似ていて。

真っ直ぐで、鋭くて、それでもどこか優しくて。

だから、信じられました。兄たちが信じた以上に、私自身が、信じたいと思えました。

 

 

その後は、ええ、そうです。私は、死にました。

あの日、全ての歯車が狂っていって。いえ、もっと前に、とっくに狂っていたのでしょうね。私は、ランスロット卿に殺されました。

あの方の目には、私は映っていませんでした。何も出来ずに、私は死にました。

悲しいです。悲しかったです。

でも、知っていてください。

私は、それでも、確かに、良き人生だったのです。

兄上たちと肩を並べることが出来ました、円卓の輝かしい仲間たちと過ごした人生がありました、民たちの笑顔を覚えています。

そうして、何よりも、オークニーで過ごした日々は幸せなものでした。

愛されていたのです、慈しまれていたのです。それは、父上を亡くした私への哀れみで、一人取り残された私が悲しくて。

すっかり、ゆがんでしまった母上への哀れみがあったのだと思います。

それでも、全てがそうでなかったのだと、少しだけ年を取った私にもわかることが出来ました。

私を、愛してくれていたのです。私を、慈しんでくれたのです。

母上の、そうして、ダイルの瞳に映った緑が私ではなく、父上のものであっても。

でも、私の髪を梳いて父上の思い出話を語ってくれた母上は私だけのものでした。

でも、一緒に馬に乗って散歩をして、日だまりの中でおしゃべりをしたダイルは私だけのものでした。

 

美しいものを、見ることが出来ました。

美しい王様を、誇り高い騎士たちを、民たちが笑っていました。美しい母上がいました。

強く、そうして憧れた騎士の元で、強くなることが出来ました。

そうして、私だけのものではなかったけれど、私の瞳に、父上を見ていたひどい方でしたが、優しい騎士に出会うことが出来ました。

ええ、ええ、私は幸せでした。

女の身でありながら、騎士として生きて。取ることの出来なかった選択を持ちました。

悲しくて、後悔があっても、私の人生は、良きものでした。

誰にも恥じることのない人生を、私は生きたのです。父上に会ったとき、私はちゃんとそう言えます。

 

私の生涯の話です、私の物語です。どうか、覚えていてください。悲劇でしかなかったのだと、思わないでください。

 

でも、きっと、父上に会ったときは、怒られてしまうかな。

私は、母上と向き合うことも出来なくて、勝手をしたことを、謝れも出来なくて。

きっと、怒られちゃうんだろうなあ。

母上に、会って、ごめんなさいって、そうして、もう一度だけ、抱きしめて欲しかったなあ。

 




我が一人娘へ
お前に最初で、そうして最後の手紙を書くことにした。
手紙なんて書くことがなかったから、そう、上手い文章を書くことは出来ないが赦してくれ。

お前は俺のことをどれだけ覚えていてくれるだろうか。俺の知るお前は、未だに幼いままだ。俺の腕に抱かれて、すやすやと眠る幼子のままだ。けれど、この手紙を読むお前は、そんな幼さからすっかりと大人になっていることだろう。
それを、見られないことが俺は残念だ。
お前はどんな子になっているんだろうか。そんなことばかりを考える。だが、いくらそれを想像しても結局は想像の内でしかないんだろうな。

ガレス、お前は今、何をしているんだろうか。愛らしいドレスを着て、母に似た美しい姫になっているのだろうか。お前はモルガンによく似ていたから。きっと、この世で一等に愛らしい姫になっているのだと思う。
それが、見えないことが悲しい。息子たちを育てるのには悩まなかったが、初めて生まれた娘というものには困ってしまった。少女というものと、関わったのなんてそうないことだったから。
柔くて、小さくて、ガウェインの時と比べて赤子の時から本当に小さくて。大きくなれるのだろうかとずっと不安だった。だが、お前はすくすくと大きくなった。モルガンによく似て、可愛いお前は本当に愛おしかった。息子とは少しだけ違った愛おしさだった。
お前には、何もしてやれていない。お前は、俺を恨んでいるかもしれない。
さっさと死んだ俺のことを。
お前に、いろんなことをしてやりたかった。ガウェインたちと同じように、たくさんのことをしてやりたかった。
冬の島であるオークニーの春を一緒に見たかった。魚釣りの仕方を教えてやりたかった。
馬に乗せて遠乗りにでも連れて行ってやりたかった。冬の星空を見せてやりたかった。
お前に似合う、美しいドレスを仕立ててやりたかった。お前の夫に少々意地悪をしてやりたかった。
お前の産んだ子どもを抱き上げてやりたかった。
この手紙を読んで、身勝手を言う男だと呆れているだろう。
それでも、俺は不思議と心配はしていない。
お前は俺と彼女の子だ。だから、信じている。
ガレス、お前はきっとこの国に対して誠実で、オークニーの姫として恥じない生き方をしているのだと。

ガレス、俺はお前を置いていく側の人間だ。そうして、お前を信じている。
だから、お前に願うのはこれだけだ。
好きに、お前の願うように生きるといい。そうして、美しいものを見ておいで。
お前がどんな風に生きているのかなんてわからない。けれど、その生き方がオークニーやこの島に対して誠実であり、そうして、俺に恥じることなど無いと言えるなら、どんな生き方をしても、そんな願いを持っても、俺はそれを祝福する。
お前はお前の生き方で、この国に育まれた者として負うべき義務を背負いなさい。
女として国を繋ぐことも、それ以外でも、お前が誠実であり、恥じることがないのだと信じる道を行きなさい。
そうして、それと同時にお前はお前を救うように生きなくてはいけない。
だから、美しいものを見つけなさい。
これから生きていく間に、散々に失うかもしれない、散々に悲しむかもしれない、散々に誰かに裏切られるかもしれない。
そんなとき、思い出せば、それでよかったと思えるものがあれば案外人間は救われるものだ。
愛するものでもいい、憧れでもいい、友でもいい、忠誠を捧げられるものでもいい。
それに出会えて良かったと思えるような、そんな美しいものを探しておいで。
俺にとって、モルガンやお前たちがいたように。

そろそろ書くのは止めよう。短い手紙になってしまったが、延々と書き続けてしまいそうだ。お前に伝えたいこと、書きたいことは書き切れないほどある。
けれど、俺が本当に、心の底から願うことは書くことが出来た。

ガレス、恥じることがないと言うならばお前の好きに、願うように生きなさい。そうして、お前の救いになるような美しいものを見つけられますように。
父はそれだけを願っているよ。
ガレス、父はお前を愛しているよ。お前の生を祝福している。
そうして、俺はこの世で誰よりも、幸せな男だったと自負している。
このまま、死んでしまっても、アーサー王というそれは確かに善良だ。信じられる。だから、お前も何かあればあれを頼るといい。モルガンは、あれを憎んでいるやもしれないが。
良き生だった。
お前がいた、愛しい、お前がいた。俺はきっと、それだけで満足だ、報われた。
それだけを覚えておいてくれ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暗き手はかく語りき

ガへリスの話しになります。
彼だけあだ名が見つからなかった。

ちなみに、リネットさんはツンデレのイメージです。




「ガヘリス、釣りは楽しいか?」

 

そう言った父の顔を、ガヘリスはよく覚えている。

 

 

 

 

・・・俺の、話か。

ああ、後悔しかないような人生だ。どうしようもない人生だ。

それでも、聞きたいのか?

 

・・・・そうか、それなら、どうか聞いてくれ。

俺の、愚かな人生の話だ。

 

 

 

俺は、母親似だとよく言われた。

母上によく似た顔、銀に一滴だけ金を垂らした、月色の髪だと、父上は言っていた。そうして、アギー兄上と同じ鉄色の瞳。

言っては何だが俺はあまり兄妹の中でも目立つ方ではなかった。

武芸においてガウェイン兄上には適わなかった。知力においてアギー兄上には適わなかった。

愚劣、そう言えるほどではなかった。けれど、優秀とはお世辞にも言えなかった。

うん?

やけにあっさりとそんなことを言うんだなって?

そうだな、それはそうだろう。

例え、兄上たちに劣っているとしても俺は王の子だ。なら、果たすべき義務も、使命も存在する。俺に求められるのは、それに対して真摯であること、それだけだった。

そういうものだろう?

ただ、幸いだったのはガウェイン兄様に適わなくとも、俺の剣の腕は人並み以上のものであったことだ。

騎士として、それ相応に見れるものであったのは幸いだった。

 

・・・・母上と、父上のことか。

陛下の元で騎士として生きたことを後悔はしていない。

薄情な、息子であるのだろうな。それでも、当時、それが俺たちにとっての最善だった。

 

俺は、母上よりも父上と過ごす時間の方が長かった。ガウェイン兄上よりも過ごす時間は永かったかもしれないな。

理由は簡単だ。父上と同じように俺も釣りが好きだったんだ。ぼんやりと、水面を眺めているのは案外面白かった。

アギー兄様やガレスは母上といる時間が長かったし、ガウェイン兄上は父上と鍛錬するのは好きでも、釣りは好きじゃなかったからな。

すぐに釣りに飽きて、木剣を振っていたっけ。俺は、父上の隣で、おんなじようにぼんやりと釣り糸を垂らしていたっけ。仕掛けもよく作ったんだ。

俺は、手先が器用だった。仕掛けを作るのも上手かったんだぞ。父上は、俺がよく釣れる仕掛けを作ると嬉しそうに笑ってた。

その時の父上は、何だろうな。普段とは違う笑みを浮かべるんだ。

・・・すまない。世辞の一つも言えない不躾な男だ。俺には、あの笑みをどう言えば良いのかわからない。

勝利に酔うようなものでも、愛を囁くようなものでも、さりとて俺たちにするような慈しむようなものでもなくて。

あの笑みは、どんな笑みだったんだろうか。

今でも俺にはわからない。

だから、だろうか。俺は父上のことを思い出すとき、王としてでも、騎士としてでも、いっそのこと、父として、そうだ、慈しみに満ちた表情ではなくて。

どこか、ああ、そうだ。あの、釣りをしているときの、穏やかな笑みを思い出す。

俺にとって、父上はそういう人だった。

王としてでも、父としてでもなく、あの、暢気に釣りをしている男のことを覚えている。

父上が亡くなって、俺はガウェイン兄上やアギー兄上ほど大人でもなく、さりとてガレスほどに幼いわけでもなかった。

父上の葬儀の後、ガウェイン兄上は陛下の元に向かうことを決められた。アギー兄上もまた、悩みはしたが納得していた。

俺はそれに反対した。せめて、俺だけでもオークニーに残りたかった。

母上の状態を見ても、ガレスと共においてはいけなかった。だが、アギー兄上に否と言われた。

今では、理解できる。

弱った母上を置いていくことは、あまりにも親不孝だった。だが、当時の俺たちにはあまりにも選択肢は少なかった。

オークニーは所詮は敗者であって、俺たちはそのための人質だった。

どうすれば、よかったんだろうな。今でも、泣きじゃくる母上のことを思い出す。だが、あの選択肢以外の何かがあったのだろうか、とも思う。

・・・・ああ、情けないな。

父上が死んで数年して、執務室に向かったガウェイン兄上は俺に一つの羊皮紙を渡した。

父上からの手紙だという、それを読んだ。

 

 

 

正直な話をすれば驚いた。あの人は、案外俺のことを見ていたんだと。

俺は目立たない子どもだった。兄たちの影に隠れてしまうような子どもだった。

だから、父上の中の俺というのも、おそらくぼんやりとしたものになっているものだと思っていたものだから。

 

・・・俺の幸せは何だろうと、ただ、ただ、考えた。

俺は、自分に望むものがわからなかった。俺は十分に幸せだった。

ただ、兄上たちと、妹と、そうして、母上が幸せであるのなら、それだけで。

だから、なんとなく分かりはした。きっと、父上はさほどの後悔はなかったのだろうと。

自分の大切なもののために足掻いた人生を、不幸だとは思う人ではないのだと。

俺にとって、父上とはそういう人だった。

 

 

母上は、そうだな。

美しい人だった。息子である俺から見ても、母上ほどに美しい人は見たことがない。王妃殿よりも、俺はずっと母上の方が美しいと思った。

リネット?

妻と母上ならば、ふむ。母上の方がずっと美しいと思うが。それがどうかしたのか?

そんなことを言って、リネットが怒らないか、か。

不思議なことを言う。美しいと言うことはただの事実だ。

それは妻にする女に望むこととは違うだろう。それに、妻は美しいという事実以外に魅力的な部分がある人だった。

懐かしいな。

ガレスがリネットを追って城を出たとき、俺はそれについて行ったんだ。

二人に気づかれないように後を追い、どうしようもない時は手助けもした。

彼女の言葉が真実であるのかわからなかったからな、ある程度見極める必要があった。

・・・・俺に何故か、暗がりや、扉の隙間、木の陰たちが親切にしてくれてな。ガウェイン兄上のように真昼の中で剣を振うよりも、夜闇の中で短剣を振うことに才があったんだ。

二人にばれることもなく追っていくのは難しいことではなかった。

何故か、その後リネット殿と結婚することになったのだが。何故だろうな。

すまない、話がそれてしまった。

 

そうだ、母上のことだ。

・・・・申し訳ないことをしてしまった。あの人には寂しい思いをさせてしまった。

ガレスがキャメロットに向かったとわかったとき、すでにあの子は城にいた。

俺たちも台所で働く一個人まで目が行かなかった。そうして、気づいたときにはあの子はリネットを追って城を出ていた。

ガウェイン兄上や、アギー兄上と共に故郷に向かっては母上をなだめた。

母上がすぐにガレスをかえせと言ったけれど、俺たちにはそれが出来なかった。

・・・・もう、あの子は男として認知されてしまった。男であるのならば、俺たちと同じように騎士として、教育を受けなければいけなかった。

今更、女であるとばらせば、ガレスの評判は地に落ちる。婚姻は諦めねばならなかった。

俺たちは、ガレスをできるだけ母に会わせないことにした。

母は、ガレスを、自分を裏切ったのだとお怒りになられていた。もう、騎士としてしか生きられないガレスにあわせても堂々巡りになるだけだと。

 

・・・・なんていうのは、詭弁だな。

俺たちは、わざとあの子を母上に会わせなかった。

ガウェイン兄上の本心は知らないが、アギー兄上と俺はわかっていた。

あの子の存在は、俺たちにとって僥倖だった

オークニーの人間である俺たちは、とくにガウェイン兄上は円卓の中でも輝かしい地位にあった。だが、それでもロット王の子であるという事実は変わらない。

もしかしたら、反旗を翻す可能性が。

などと、思われないことはなかった。

俺たちにはその意思はなかった。もう一度、あの島で大規模な争いなど起こすほど愚かではなかった。

だからこそ、俺たちはガウェイン兄上がオークニーの王になるまでにその地位を、その忠誠を盤石にするために必死だった。

幸いなことに、アーサー王はよき王だった。あの人は、己が国というシステムにおける一つの歯車であるということを理解していた。

どこまでも、王としてあるあの人にならば、忠義というものを掲げても構わないと思えた。

・・・・幸福であったのか、わからないけれど。

ガレスの存在は、俺たちにとって、自ら彼の人に忠誠を誓ったオークニーの人間がいたという事実を回りに知らしめた。

 

母上は、泣いていた。泣いていたのに、俺たちは、俺は、それでも。

あの人の涙よりも、国にとって何がよいのかを考えてしまった。

・・・・ひどい、親不孝者だろう。

 

そうして、俺はあるときから母上の元に行かなくなった。いや、いけなくなった。

アギー兄上に、母上の様子がおかしいと聞いた俺は、オークニーで何かがないかと調べに行くことになった。

幸いなのか、夜のとばりは、俺の味方だった。

城に入り込み、そうして、母上の使っていた部分に行ったとき、俺は見たんだ。

金の髪をした、母上に似た少女を。

・・・・俺は、ぞっとした。一目で、母上の子だとわかった。

そうであるのなら、あの子の父は、誰なのか?

父上の子であることはありえない。だとすれば。

 

俺は慌ててその場から立ち去った。

どうすればいいのかわからなかった。確かに父上は死んでいる。だが、母上の立場はひどく微妙なもので。その状態で、婚姻もしていない今、誰かの子を産んだ。

腹が膨らんでいることなど無かった、ならば、いったいいつの間に産んだのだ?

 

・・・・母上に、聞けなかった。どんなことを言われるか、予想が出来なかった。

だからこそ、俺は、母上と、そうして父上の側近だった、ダイルに、いや、その時はラモラックと名乗るようになった男の元に向かった。

ある王の子と同じ名前であるそれをわざわざ名乗り直した意味を俺は知らなかったが。

あいつのことは信用していた。真実を言ってくれるのだと信じた。

そうして、ラモラックは、俺の言葉にここではまずいと城から連れ出し、夜の森で話をした。

あいつは何も話してくれなかった。あの子のことには触れないでくれと。

その様子に、あの子が母上の子であることは理解できた。俺は父親が誰かを問いただそうとした。

どんな理由があるにせよ、母上が他の誰かを愛するというならば祝福をしたいと思っていた。

けれど、ラモラックは頑なにそれを話すことはなかった。話してはくれなかった。

それに俺は一つの可能性を思い浮かべた。

父親は、お前かと、そう聞いた。ラモラックはただ、頭を下げるだけだった。

俺は、そうだ。一時の感情であるとしても、何故、そんなにも愚かなことをしてしまったのだと、ラモラックと、そうして母上への怒りの言葉を口にしてしまった。

・・・・俺は、その少女を修道院かどこかに入れようと思った。どんな理由があるにせよ、外聞の悪いことに変わりは無い。

二人のことを、否定しようとは思わなかった。兄上がオークニーの王になれば、そのごたごたで遠縁だと引き取れば良いと思っていた。

だが、ラモラックはそれに抵抗した。

 

奪わないでください。どうか、王妃様からこれ以上と。

 

奪う気なんてなかった。ただ、少しの間だけ存在を隠すだけだと言ったんだ。だが、ラモラックは拒絶した。

どんな理由があるにせよ、そんなことは赦さないと。

 

俺は、ラモラックを殺した。

それは、あいつ自身が俺に剣を向けることができなかったのか、それとも夜闇の中では俺が勝っていたのか。

差し違えるように、俺はラモラックの腹にナイフを突き立ててしまった。

 

ランスロット卿に殺されたその時、俺はああ、罰が当たったとさえ思った。

己のしてしまったことへの罪。

どうか、知っておいてくれ。

俺の罪の話だ。俺の、どうしようない話だ。

俺の人生は、あまりにも半端な人生でしかなかった。

己の罪を精算することも出来ず、母上を泣かせたまま、俺の人生は終ってしまった。

父上の、後悔してはいけないという言葉の意味を、俺はようやく理解した。

後悔するなと言うのは、後悔をするような選択肢を、そうして、後悔しないという覚悟を持って生きなくていけなかったのに。

俺は、そう生きれなかった。

ブリテン島と、オークニーを、守るためにと俺は多くのものを無視してしまった。

母上の涙は、寂しさのものだった。

いつか、皆でオークニーに帰るなんて、終わりの見えない約束をして。今を生きるために、あの人をないがしろにしてしまった。ガレスの純粋さを、利用してしまった。

選択肢がなかったのだ、そうだとしても、俺は、なせたことがあったかもしれないのに。

ラモラックの言葉を、もっと聞いて、話をしていれば。違う結末があったのだろうに。

ああ、それでも、全てが遅いのだ。

俺は、間違えてしまった、違えてしまった。

兄上たちにも、母上にも償えもせずに。オークニーのためではなく、ひどくくだらないことで死んでしまった。俺は、命の使い方を、間違えた。俺は、王の子だったのに。俺は、兄上たちの弟で。ガレスを、守ってもやれなくて。

母上に、会いにも行けなくて。

恥の多い人生だ、罪悪に恐怖して、口を噤んでしまった。

父上に、顔を向けることなど出来ないな。

 

俺の生涯の話だ、俺の物語だ。どうか、誰か、誰でもいいから覚えておいてくれ。俺の愚かさをあざ笑ってくれ。

 

父上に会ったとき、きっと、失望されてしまう。

俺は、そんな気は無くとも、罪なき者を殺してしまった。傷ついた者を責めてしまった。無くしてしまって、それを埋めるためにあの人たちは苦しんでいたのに。

母上に、謝れなかった。いや、どうだろうな。きっと、俺になんて二度と会いたくなんてないのだろうな。

 

 

 

 

 




三男坊へ

ガへリス、お前は今、どうしているだろうか。
情けない父親だ。お前がこれを読んでいると言うことは、俺が死んだと言うことだからだ。
書き慣れない手紙だが、最後まで読んでくれると嬉しい。


三男坊のお前はよく俺の釣りに付き合ってくれたな。
正直な話をすれば、あれは嬉しくてな。俺の周りは、何というか、動き回るのが好きな奴ばかりだったからな。
釣り糸垂らしてずっとっていうのは辛かったみたいだな。ガウェインなんて特にそうだったろう。
だから、それに嫌がることもなく楽しそうにしてくれてたのは嬉しくてな。
お前とぼんやりと水面を見つめて、たわいもない話をするのは好きだった。お前は、あまりおしゃべりをするタイプじゃなかったからな。
好きか、嫌いかは置いておいてもお前は人の話を聞く方だった。だから、お前の言葉を聞けることが嬉しかったし、楽しかった。
ああ、あの仕掛けの作り方を教えてやれなかったな。城の誰かしらは覚えているはずだから、教えてもらうといい。
俺自身が教えてやれなくてすまない。

ガへリス、お前は己の願いを喉の奥に隠す奴だった。
わかる、それは言わないというわけでもなくて、ただ、それよりも他人の願いが叶ったり、誰かの願いを押しのけてまで叶えと思えないからだろう。

昔、城の人間がお前を半端な子どもと言った。俺はあいつらを罰したが、お前は驚くほどにそれに傷つかなかったな。
お前は、それを正しい評価と受け入れた。俺はお前のそれを理解できた。
人は持って生まれたものをよりよくするために努力をすることができる。だが、それが報われるばかりではない。
持って生まれたものを、己にとって最良にすることはできても、他人がいれば優劣が生まれる。
大事なのは、それをどう使うかだ。

ガへリス、あの塔の上で俺がお前に言ったことを覚えているだろうか。
美しいものを、見ておいで。
俺の願いは変わらない。
お前がそんなものに出会うことが出来れば良いと思う。俺が、役目以外の生きることへの賛美を持つことが出来たように。
お前は誇りよりも、理想的に生きるよりも、他人のために生きるよりも、己がどんな役割を持つかを是とする子なのだろう。
そんなところが、俺は、よく似ていると思っていた。俺に、それがよく似ていると。

延々と遠回しになってしまったな。
ガへリス、他人のために生きるのもいい。けれど、お前はお前の大事にしたいものがなんであるのかをよく考えるんだ。
お前は俺の子だ。ならば、その責を果たさなくてはいけない。だが、それ以上に、お前は人間だ。
全てを、誰かのために、国のために捧げることなど出来ない。だから、人として、お前はお前の大切なものを見つけなさい。
そうして、明日をどうか、よりよく生きて欲しい。
もしかしたら、間違っていたと後悔する日が来るかもしれない。もしかしたら、過ちでしかなかったと己自身を憎む日が来るかもしれない。
それでも、けして、後悔してしまったと、せめて表に出してはいけない。それはいつかに必死になって、迷いながら進み続けた己への侮辱に成り果てる。

お前は上の二人の影に隠れるように生きていた。それが己の生だと早々に察して、そうして受け入れて、不幸だとも思っていないようだった。
俺は、それが少し心配だった。
だが、お前の生はお前のだけのものだ。お前だけが責任を取ることが出来る。だからこそ、お前はいつか、お前自身のために選択をし、そうして生きて行きなさい。
それでも、お前ならば信じているよ。
俺の子として恥じない生き方を、己なりの幸福を、お前は抱えて生きていくと。

無口で、兄たちを慮り、妹の側にいた三男坊、俺はお前を愛しているよ。
例え、お前がどんな人生を歩もうと、どれだけの罪も業も、幸福をも背負おうと。
ロットという父はお前のことを愛しているよ。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

堅い手はかく語りき

アグラヴェインの話しになります。

書き手の描写不足があったようですいません。


モードレッドはプーサー似。


 

私の、話か。

・・・・恥ずかしい話、話すような価値のある人生ではなかった

それでも構わないだろうか?

 

そうか、聞いてくれるか。

それならば、そうだ。どうか、どうか、聞いてくれればありがたい。

 

 

 

私は父方の祖父に似たそうだ。

オークニーの臣下たちや、先王の顔を知るものはそう言っていたのをよく覚えている。

特に、そう言っていたのは父上だった。

兄上は幼い頃から外で遊び回るのが好きな方だったんだ。私は、その隙にそっと父上の元に行くとな、にこにこしながら出迎えてくれた。

・・・・少々ずるいんだがな、私の顔は先王に似ていたせいか、家臣たちは私には少しだけ甘くてな。

政務の時でも、私が行けば休憩の時間だと仕事を休むんだ。そうして、父上は私を膝の上に乗せてくれた。

私は、その時間が何よりも好きだった。いつも、兄上や、そうして弟妹が生まれてから独り占めには出来ない父を、その時だけは独占できた。

そうして、そう言ったとき、父上はことさら穏やかな声で、お前は父上によく似ているなあと言われていた。

その時が、心底嬉しそうに微笑む父上の顔を見ながらあの大きな手で頭を撫でてもらえる瞬間が、心の底から好きだった。

 

母上も、私の髪がお気に入りだった。

父上に似た、優しい夜色の髪だと言われていた。

 

 

父上のことは、好きだった。

父は、嘘を見抜くのが上手かった。私はそれを実際に見たことはなかったが、ダイルは、いや、ラモラックからそんな話を聞いた。

思えば、あの男は父上に心酔していた。誰よりも、きっと。

私は父上に一度、嘘を見抜くコツを聞いたことがある。それに、父上は苦笑していた。そうして、誤魔化すように人をよく見ることだと、そんなことを言って。

 

・・・・・私は、父上に聞いた。

嘘をつく人間なんて、全員追いだしてしまえと。子どもだった私に、父上は淡く微笑んだ。

何故だろうな。その笑みは、どこか苦くて、そのくせ優しくて、本当に、何かを愛おしがっているような笑みで。

 

優しい嘘も、誠実な偽りも、案外あるものだと。父上はそう言った。私には、それがわからなかった。

嘘は嫌いだ。それはあまりに不誠実だ。人間とは、もっと高尚な生き物であるべきだ。

綴る言葉を、思考を、心を持つならばなおさらに。

私は父上のことが本当に好きだった。あの人は本当に完璧なのだった。

武勇に優れ、賢しく、そうして人に対して誠実で、誰かの善行も、悪行もよくよく見ていた。

王とはこうあるべきだと私は心底信じていた。

私は自分が王の器であるなんて思ったことはない。

何故か、そうだな。

・・・・私は王であるには少々、人に好かれにくいのでね。それでいい。元より、私も人という生き物は好きではないのでね。

人に優しいところも、美しいところも、あることは知っている。だが、それと同時に人とは醜く愚かであることもまた知った。

・・・・・・オークニーという場所から出れば、なおのことそうだった。

兄上は、そうだ、私は兄上のことも好きだった。

誰よりもあの人は父上に似ておられた。武勇に優れ、大らかで。ただ少々、なんというか力でごり押しをする部分があったが。

それについては気にならなかった。兄上が人に好かれ、私は人に嫌われればいい。策略も、後ろ暗いことも、私が行えばいい。

私は、私を理解してくれる人たちがいれば構わなかった。

私は人を愛することはなかったが、人を愛していた人たちが好きだった。

私にとって、父上とはそういう人だった。あんなにも、当たり前で、されどまばゆい人はいなかった。

 

 

母上は、そうだな。

私は、母上を賢しい人だと思っていた、貞淑で、賢しく、父上をよく支えている人だった。

私にもよくよく多くのことを学ばせた。

今思えば、政について私が多く叩き込まれたのは兄上の性質から考えて頭脳仕事は私にと思われていたのかもしれないな。

そのせいか、私にとって母上は、母と言うよりも師というほうが正しかった。

厳しく、けれど、確かに私に多くのことを教えてくださった。

 

・・・・・・そうでないと、わかったのは。

ウーサー王が死んだとき。

母上があんなにも激高されたのは初めてだった。私は、怖かった。あんなにも怒り狂い、そうして当たり散らした母上は幼心に恐ろしかった。

父上が帰ってきたときはほっとした。きっと、父上ならばなんとかしてくれると信じられた。

そうして、その考えの通り、母上は父上の言葉ですぐに落ち着かれた。

良かったと思った。母上の狂乱を実際に見たのは、私と兄上だけだったが。それを良かったと思う。ガへリスとガレスがあれを見ることがなくて、本当に。

父上が、亡くなられたとき、崩れ落ち、何もかもが立ちゆかなくなったあの人を見て、まざまざと理解した。

ああ、この人は、なんて弱い人なんだろうかと。

 

その時、その時、少なくとも、私と兄上は誓った。

私たちが守らなくてはいけないのだと。この国を、弟妹たちを、そうして、母上のことを。

それほどまでに、弱い人だったのだ。

 

 

・・・・そのくせ、母上を置いていったのか、か。

そうだな、私たちは、あの人を置いていった。だが、それこそが最善だった。

葬儀の日、兄上は嬉々として陛下に会ったことを告げた。

その日、私は何故、敵であった存在を気に入ったのかと思ったが。

それでも、ああ、確かに。陛下の元で過ごす内に、その理由もわかる気がした。

離れたくなどなかった。

故郷だった、思い出も、大事にしていたものも、多くあった。

あの弱い人を、置いていきたくはなかった。だが、私たちは子どもだった。

何の力も無かった。

兄上と誓ったのだ。手柄を立て、そうして、家族でまた暮らすのだと。

 

それは叶わなかったが。

私と兄上は、円卓の座に座ることが叶い、陛下の元で地位を確立した。

そのために、汚いこともした。

兄上はそんなことをする必要は無いと言ったが、私は頑なに譲らなかった。

・・・・そうして、兄上に相談することもなく私はガへリスもそれに巻き込んだ。あの子は、暗殺や隠密についての才があった。

私は、焦っていた。

地位を築き、ブリテンという島を維持し、そうして兄上をオークニーの王にする。

陛下の役にも立ちたかった。

陛下を嫌いにはなれなかった、出来るならば、力になりたいと思ってしまった。

あの方は、どこか、母上に似ていた。

あの方が国のために動くとき、何かに一心に心を傾けるとき、それは母上に似ていた。

私欲を放り捨て、国のために生きるあり方は、父上に似ていた。

手紙を、貰ったのだ。父上から、最初で最後の手紙だった。

愛していると言ってくれた。

母上のことを頼むと、そうして、父としてではなくて、王として死ぬのだと、そう、書いてあった。

悲しいと思った、けれど、それでも、託されたのなら私たちはせめて足掻かねばと。

兄上と、共に手紙を読んで、そうして、泣いて。

二人ぼっちでも誓ったのだ。

残されたものを守るのだと。

 

 

・・・・・ガレスがやってきたときも、私はそれさえも利用しようと思った。

母上が傷ついていると知ってなお、あの子を、利用した。

嬉しかったというのもある。

その勇敢さに、父上の影を見た。そうして、ロット王の子どもがアーサー王に心酔しているという宣伝になると。

戦争は、終らなかった。どれだけ内を沈めても、外からの侵略は終らなかった。

私たちは兵士だ。主戦力である兄上に、ガへリスにガレス、そうして文官である私は予想に反してどんどんオークニーへ帰る道から遠ざかった。

 

そうして、あの日、母上の様子がおかしいという知らせを受けた。

私はガへリスを使いに出した。何か、ガレスを奪ってしまった私たちのせいで余計に追い詰められてしまっているのかと。

私やガウェイン、そうして、ガへリスが帰郷しているとはいえ、そうそう暇をもらえる身ではない。手紙を送っていたが限度がある。

 

 

そうして、ガへリスは淀んだ目をして帰ってきた。

赦されないことを、したと。

問いただせば、あれは、ああ、ダイルを、殺してしまったと。

私はガへリスに何があったかと問いただした。

 

・・・・母上に似た子がいたと、そうして、その父親はダイルではなかったのかと。

ガへリスは、そのまま彼と言い争いになり、そうして、もみ合いになり、殺してしまった。動揺のために、記憶は飛び、上手く覚えていないとあの子は言った。

私は、なんとかしてオークニーに向かった。

ラモラックは、なんとか虫の息であるが生きていた。母上は、ひどく動揺されていた。

そうして、その近くに、母上によく似ていた幼子の姿があった。

その幼子のことを問い正したかったが、それ以上にダイルは、ラモラックは私と話すことを願った。

虫の息の彼は、私に訥々と、事の顛末を語った。

 

母上は、狂っていた。

その子どもの名前は、モードレッド。

母上が魔術によって産みだした、父上の体の一部を使って創られた、ホムンクルスだった。

ガレスを奪われ、孤独になった母上が、寂しいあの人が創り出した、我らの末子。

おぞましいと思った、恐ろしいと思った、狂っていると心底思った。

 

だが、それが何だというのだろうか。

その狂行は、我らのせいだというのに。寂しがりな人だと、弱い人だと、わかっていたのに。

 

がんじがらめだった。

今更、オークニーには帰れない。それは謀反だ。痩せていく土地に、減っていく作物。王都からの、細やかであり、私たちの伝手で送られてくる食糧を減らされれば?

なんとか積み上げた信頼を裏切ればどうなる?

いいや、いっそ。兄上の次期、オークニーの王として立場を奪われれてしまえば?

母上の側にいると言うことは、それ以上にオークニーを危険にさらすことと同義だった。

けれど、母上を置いていくことは出来ない。

 

ラモラックは、私の手を握って、言った。

 

王妃様を頼みます、あの子も、モードレッドのことをお赦しを。全て、私の、不徳のいたすところなのです。

 

私は、私は、それにわかったと、そう言った。そういうことしか出来なかった、それ以上に言えなかった。

ラモラックの葬儀は、私だけが参列した。兄上は任務で来ることが出来ず、ガへリスには来るなと私が言った。ガレスには、知らせなかった。

妹には、何も背負って欲しくなかった。それは、私たちの我が儘だった。

葬儀で、母は、泣いてはいなかった。けれど、その背を私はそっとさすることしか出来なかった。

涙はなかった、けれど、どれほどまでに傷ついていたのか、それぐらいはわかっていた。

善き人だった、知っている。父上に仕えた、忠臣だった。

私は、それを、ガへリスを責めることが出来なかった。

ガへリスの動揺も、そうして、ラモラックの意思も理解できた。最期だからと、覚悟を決めて、私に末の子と母上を託していくことを選んだのだ。

 

モードレッドは、そうだな、母上に似ていた。

金の髪に、けれど、澄んだ緑の瞳をしていた。母上は、言葉少なに彼について語った。

 

ああ、アグラヴェイン。そうですね、この子のことを言っていなかった。あなたの弟ですよ。

 

真実を知っていた私は、そうですねと頷いた。

その子どもは、幼く、格好は少年のようでもその顔から最初は少女かと思ったが実情は違った。

 

モードレッドは、本当に嬉しそうに、そうして照れくさそうに、私に微笑んだ。

 

僕、モードレッドっていいます!ようやく会えました、兄上!

 

 

ああ、その顔よ!ああ、母上の、久方ぶりに浮かべたその笑み!

それに何が言えるものか、母が狂っているというのならば、それは私たちの罪だ。私たちの罪過だ。

それに罪があるのなら、私たちが罰を被れば良い。全力で庇うのだと。

 

兄上にだけは、事の顛末を語った。ガへリスにもまたそれを伝えた。ガへリスはそのまま与えられる任務に没頭した。母上にも会いには行けなかった。

私は、それを責めることも、何も出来なかった。

 

幸いだったのは、モードレッドの事を知った兄上は義姉上と、そうして娘をオークニーに送ったことだった。息子たちにも、定期的に会いに行くように頼んだ。

・・・・長男のフロレンスは、兄上によく似ておられた。孫の存在と、そうして穏やかな性質の義姉上の存在に少しだけ心の安寧を取り戻されたようだった。

それは、本当に良かった。甥たちが騎士になっても、義姉上は母上の元にいてくれたし、末の子は女の子でそのままオークニーに居着いた。私たちも何度もオークニーに通った。

そうして、モードレッドのおかげでもあった。

あるとき、母上はモードレッドを騎士にしてくれないかと言った。

あれほどまでに手放すことを拒んだ末の子を。

どうしたのだと問うと、母上はどこか悲しそうに微笑んだ。

父上が、私たちに言ったように。美しいものを、世界を見せてやりたいのだと。そうして、モードレッドもまた私たちに憧れているからと。

幾度も、それを確かめた。本当に、いいのかと。けれど、モードレッドがそう願うならと。

甥たちは、母上の心を慰めてくれたのだろう。

 

私とは、本当に違った。

モードレッドは、普通の子どもに比べると圧倒的な速さで成長した。ホムンクルスとは老いもしないと聞いていたが。

それに母上は笑った。

子どもは成長するものだから、特別に手を加えたのだと。

狂っていたのだ、どこまでも、きっと。でも、どうだってよかった。兄上もそうだった。

そうだとしても、愛しい、母だった。

 

 

けれど、私も、兄上も、故郷には帰ることができなかった。どれほど戦っても、戦は終らず、私たちはキャメロットにいることしかできなかった。

それでも、その戦いが、オークニーを守ることならばと、そう思っていた。

 

その時だ、私は、あの女と、あの裏切り者の不貞の話を知ったのは。

 

ふざけるなと思った。

この島が、どれほど危ういバランスで成り立っているのかわかっていなかったのか?

陛下は完璧であらねばならない。それは何故か?

つけいる隙など赦されなかったからだ。我らは、それを支えねばならなかった。彼の人の手となり、足となり、その完璧さを保たねばならなかった。

 

だというのに、だというのにだ!!

あの男は、自ら、我らの王に傷をつけたのだ!我らの王の完璧さに傷をつけたのだ!

それがどれだけ、愚かなことだと、わかっていなかったのか!

 

愛のため?彼女が哀れだった?顧みられない女の不自由さ?

 

そんなこと、わかりきったことだろう!?

 

王であり、王の伴侶になるということは国のために生きねばならぬのだと、王族であった女がわからないはずがなかったはずだ!

ああ、ああ、ああ!

汚らわしい、ギネヴィア!

彼の人が、貴様に不誠実であったことなどあったか?国のために多くのことで走り回り、必死に戦い続けておられたのだというのに。

何故、己の身一つ、仕方が無いと諦められなかった?

 

裏切り者のランスロット!

愛していたというならば、何故、あの女を穢した?

何故、女としての幸せを与えようとした?あの女の役割を邪魔した?

その安い愛によって、苦しむものがいるとわかっていたのなら。女一人と、この島、なぜ、選ぶことを間違えたのだ!?

 

父上はそのために死んだのに。(・・・・・・・・・・・・)

どうして、お前たちは、それを選べなかった。

 

私は、人が嫌いだ。

多くの者が必死につかみ取ったものを、積み上げたものを、己の身勝手によって壊していく。

誰かのために、誰かが捨てた愛を、あっさりとすくい上げて、全てを壊していく。

 

父上は、選びたいと願っても、選べなかった選択を、どうして、そんなにもたやすく。

 

 

・・・怒りだった。

沈黙すれば、そうだ、少しの間ごまかせたかもしれない。けれど、無理だった。

どうしようもなく、嫌悪をした、憎悪した。

 

 

そうして、私は殺された。

笑える話だ、そんなにも必死に、己の心を削って無視した愛によって私は殺されたのだ。

 

ああ、くだらない話を聞かせてしまった。

私は何も出来ずに終った。

兄上を王にすることも、弟妹たちを母上の元に帰してやることも、母上の元に、帰ることもできなかった。

頼むと、きょうだいのこと、そうして、母上のことを、父上に。

望みを叶えることも出来ず、傷つけたくないからと口を噤んでしまった。

必死に走り続けて、いつか、オークニーでまた家族で暮らすのだと夢見ていたのに。

それは悉く叶わなかった。

母上に、帰ると約束したというのに。ああ、私は、どこまでもあの人に不誠実で。

陛下の完璧さを、私が崩してしまったのに。

 

私の生涯の話だ、私の愚かな物語だ。

どうか、呆れてくれ。託されたものを何一つ守れなかった、私を呆れてくれ。

 

 

父上は私をどう思うだろうか。ああ、それでも、もう一度だけ頭を撫でてくれないだろうか。

故郷に、帰りたかったな。

兄上や、皆と。あの、美しい国で、あの、美しい島で。ただ、もう一度、皆で暮らしたかった。

母上に、もう一度、会いたかった。

 




次男坊へ

アグラヴェイン、お前は今、どうしているだろうか。
情けない父親だ。お前がこれを読んでいると言うことは、俺が死んだと言うことだからだ。
書き慣れない手紙だが、最後まで読んでくれると嬉しい。


お前は騎士というよりは、勉強する方が好きな子だったな。俺はそれが嬉しかったよ。俺は机に向かうよりも、外で走り回るのが好きだったからな。
ガウェインはあんな奴だから、お前がいてくれるだけで心強かった。
お前は、父上に、祖父によく似ていた。
正直な話をすると、俺はそれが嬉しくてな。上手く言えないんだが、無くしたものがもう一度埋まったような、そんな思いだった。
俺はな、お前を膝に乗せて、お前の話を聞くのが好きだったよ。お前は日々、多くのことを学んでいた、お前が大きくなっていることを知ることが出来て。
それが嬉しくて、愛おしかった。
お前は好きなことに関しては雄弁になる子だったな。お前の好きな物を、お前の好ましい物を知る時間が好きだったよ。


アグラヴェイン、お前は、最善のためになら何でもしてしまう奴だった。
それが良いか悪いかではなくて、ただ、誰かのために献身的になりすぎてしまう子だった。
お前は、モルガンによく似ていたね。
大事にしたいと思った人のためになら、どんなことだってしてしまう。
ただ、誰かのために何かをしたいと思うなら、お前は相手にもちゃんと意見を聞かなくてはいけないよ。
お前の大事にしたいと思う誰かが幸せになっても、お前が傷ついてしまえばそれだけで意味が無くなってしまう。
だから、お前も自分を救うように生きなければいけないよ。

お前は、美しいものを見つけられるだろうか。それは、きっと先になってしまうけれど。それでも、お前ならば、見つけることが出来ると信じている。

お前は、お前たちを置いていく俺を恨んでいるかもしれないな。
それは仕方が無い。
お前たちは、生きていたかった。
どんなふうに生きていくか、見守りたかった。モルガンと、もっと共にありたかった。
もしかすれば、全てを捨ててしまえば、何もかもをないがしろにして、逃げてしまえば。
それも叶ったかもしれない。
だが、俺はそれを選べない。
アグラヴェイン、俺は、王だった。どうしようもなく、王なのだ。王として育てられ、国のために死ねと言われた。
受け入れていたはずなのに、ああ、どうしようもなく今は未練ばかりが腹の中でうなっている。
だが、俺はそれが嬉しい。そんなにも何かを思える、そんなものに出会えたことが嬉しいんだ。

アグラヴェイン、お前は誰かのために生きてしまう子だ。それが、少しだけ心配だ。憧れに対して一途すぎる気がある。
だが、それでも、お前はきっと良き生を送ることが出来ると信じている。
俺の子として、そうして、自分の大切物を大事にして生きて行く子だと。
お前は、モルガンに、父上に、そうして、俺に似ているから。

ガウェインのことを、よく見ておいて欲しい。
俺はあいつに王として生きるように、そう言って聞かせて育ててきた。俺が少しずつ、先達として教えていくこともあったはずだ。けれど、それは叶わない。
どうか、長男のことを見ていてやって欲しい。
あれのことを支えてやって欲しい。俺がすべきことをお前に押しつけるような形になってしまってすまない。
それでも、お前ならば託せると信じている。
お前は賢しい子だった。そうして、お前は自分のすべきことをすぐに理解できる子だった。

モルガンのことも、頼む。
あれはお前に似ているから、お前に似て、繊細で、辛くとのたくさんのことを飲み込んでしまう人だから。
すまない、お前とガウェインに多くのことを託していく俺を恨んでもいい。情けない父親ですまない。
それでも、お前ならばと信じているんだ。

賢しく、そうして誰よりも優しい次男坊。お前は優しい子だから、他人のために生きてしまうかもしれない。それでも、お前はお前なりにちゃんと幸せを見つけて生きていくんだよ。
それを、父は願っているよ、愛しい子。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五月の鷹はかく語りき

ガウェインの話になります。
他の兄妹よりも二倍の文章量になりました。


一人称にすると当人の表情の差分が書けないんですが、どんな表情になっているかって伝わっているでしょうか。





 

 

おや、私のようなものの話が聞きたいと?

ふむ、それは酔狂な方だ。

いえ、かまいませんよ。丁度、私も話がしたいと思っておりましたので。

・・・・どうぞ、最後までお聞きください。とある、親不孝者の生涯の話です。

 

 

 

私は幼い頃から父に似ていると言われてきました。

ええ、それはもう愛されていましたよ。オークニーでの日々は誰かしらに構われて、かわいがられていた記憶しか無いですね。

何せ、ええ、天使のように愛らしかったもので!

などと、冗談ですよ。それは裏を返せば父上がそれだけ慕われていたということなのでしょう。

・・・・オークニーの日々は、本当に優しいだけのものでした。

 

 

父上は私の頬を掴んでは愉快そうに笑っておられました。父上も、まさかここまでうり二つの子どもが生まれるとは思っていなかったそうで。

ええ、ですが。私の金の髪と青の瞳を見ては嬉しそうに笑っておられました。まるで太陽に愛されているようだと。そのたびにお前は母上に似ているなあと笑っておられた。

父は、なんというか、色々と変わっておられまして。

正直、あの方に王としての教育を受けたかというとなんとも。もちろん稽古をつけてくださりましたが、殆どダイルに命じられておられましたし。政に関しては母上に。

まあ、あまりにも私が外で駆け回るのが好きすぎて、途中で諦めておられましたが!

やんちゃな子でしたよ?

下の子たちが生まれるまで、それはまあ、ちやほやされて愛されておりましたので。

 

私が父上に教わったのは、武芸でも、さりとて政でもないんですよ。

私が父に何よりも教わったのは、生きるための方法でした。

などというと仰々しいですね。

森の歩き方、食べられるもの、食べられないもの、冬の過ごし方、星の見方、獣の捕り方、魚釣り、妖精たちを避ける方法、野営の方法、常備しておくもの。

この島で生きていく方法、この世界との付き合い方、父上が教えてくださったのはそういうことでした。

私は、王子である前に、騎士見習いである前に、ただ生きているだけの人間なのだからと。

まあ、貧しい国だったので自分の食い扶持ぐらいは稼げるようになれという意味だったのかもしれませんね!

 

・・・・・父上は、ええ、こう言っては何ですが。きっと、王というものには誰よりも不似合いな方だったのかとも思うのです。

万人のために生きることに何のためらいだとか、不幸だとか、そんなことを考えている様子はありませんでした。他人のために生きることに疑問も持っていなかったのです。

ただ、父上は。何というか、王であることに意義を感じているわけでも、騎士であることに誇りを感じているわけでもなくて。

・・・・私は、今でもわからないまま。

父上は、己の名前が歴史に残ることはなくとも、名誉などというものを抱くことがなくとも気になどされなかったでしょう。

ええ、きっと。赦されれば漁師にでもなっているような人だった。

必要がなくなれば、名誉だとか、権力だとか、そんなものをあっさりと放り出してしまう。

多くの人間からすれば、喉から手が出るほどに求めるようなものよりも、もっと路傍の石のように取るに足りないものを愛していた。

王として、良き者であったのでしょう。ですが、それ以上に私にとってあの人は。

愛情深い、良き父でした。ええ、当たり前のように日々を愛する善き人々の一人でした。私にとって父上とはそういう人でした。

 

 

 

母上ですか。

そうですね、母上は。

賢い方でした、いつでもしとやかで、優しくて、そうして、誰よりも美しい方でした。

ああ、妻とは比べませんよ。それとこれとはまた別ですね。

ただ、母上は。

なんというか、こう、妙なところで雑な部分があったといいましょうか。

普段は端から端まできちんとされていましたが、大は小を兼ねるからととんでもないことをされるんですよね。

ウサギを捕るための罠を教えて貰ったら、イノシシが捕れるもので。母上はそれに、大きい方がいいではないですかというような。

いえ、上手く表現できませんね。象徴的な事件があったわけではなく、ふと、なんとなく、雑なのではと思うことが多く。

 

 

・・・・・賢くて、しとやかで、優しくて、美しくて。

そうして、父上の前では少女のように愛らしく笑う人でした。昔、花の群生地に行ったことがあったのです。

あれは、何時だったでしょうか。父上と、母上と、私で。私は母上に差し上げるための花をいくつか摘んでいました。

振り向いたときに風が吹いて、花びらが散って。母上の髪に付いたそれを父上が取ったとき、淡く頬を染めた母上の顔を、今でも昨日のように思い出します。

ああ、母は父に恋をしているのだと。

私は、その光景が心から好きでした。たわいもなく、特別なことなどなく、けれど、何よりも美しいものでした。

父に恋をした、愛らしい人でした。私にとって母上とはそんな方でした。

 

 

ええ、それでも、私はあの方を置いてきました。

オークニー。北の果て、海に囲まれ、農地にも適さないこの世の果て。

ガレスがいるのだからと、そう思っていたのもあります。ですが、私はオークニーの跡取りでした。

私には責任がありました、私には義務があります。父上がいない今、私は私としてなすべきことがありました。

そう私に言ったのは、父であり、そうして母だったのですから。

 

寂しがりであることも、父上のことに誰よりも心を引き裂かれて嘆いておられることも、知っていました。

ですが、それでも私は母上を置いていきました。

父上が、国のために死んだように。私もまた、この国のために生きて死なねばならないでしょう。

そう、思っていました。

 

ガレスのことは完全に私たちの落ち度です。

あの子は女の子でした。キャメロットの縁があれば良い縁談でも組んでやる気でした。まあ、婿に入ってくれるもの限定でしたがね。

騎士になるとあの子が言ったとき、その翠の瞳で私を見たとき。

愚かなことに、嬉しいなどと思ってしまいました。

ああ、父上のようだ、なんて。

・・・・何も似ておりませんよ。小さな体躯、無垢なる心、愛らしい顔立ち。似ていなかったのに、それでも騎士になるのだと、誰かのために為すのだと、巣立ちを望んだ小鳥の羽ばたきを私は止められなかった。

それを、母鳥がどれほど嘆くかなんてわかりきっていたのに。

ですが私たちにもわかっていたのです。どんな形であれ、子どもはいつか大人になる、巣立ちを迎え、あの子は恋をして、そうして違う家の妻になる。

私は、私は、その時打算はありました。オークニーにとってあの子はよい象徴になるだろうと。

ですが、こうも思っていました。女であるあの子に自由などはない。少女の身で、騎士を目指すというのがどんなに困難であるのか。そうして、ばれたときのリスクがどれだけ大きなものか。

わかっていました。わかっていたのに、それでも、末のあの子が願ったことを叶えてやりたいと思ってしまった。

義務だとか、責任だとか、そんなことを言っていたのに。私はただの兄として妹の願いを望んでしまった。

それもまた、一つの真実です。

あのときガレスが騎士になることを否定すれば謀反を疑われ、女であることを言えばオークニーの評判もガレスの評判も地に落ちる。

私にとれる選択肢はありませんでした。

 

・・・・あの裏切り者にあの子を任せたのは、偏に辛いと泣き言でも言ってくれれば。そうすれば、自らオークニーに逃げ帰ると。

そうすれば私もこう言えました。夢見がちの弟分の駄々だったと。

ですが、あの子はめげませんでした。伸ばした長い髪さえも断ち切って、どこまでも真摯に騎士として己の力量を高めていました。

予想外でした、いいえ、予想通りでした。あの子には、才もあり、努力をすることを苦にせず、そうして、誰かのために戦うことを喜びとしました。

私は、母上から父上によく似た瞳の末の子を奪いました。オークニーに戻り、事情を話した母上はそれはそれは嘆かれて。

 

これ以上私から何故奪うのだ、と。

 

・・・・私はそれに納得をしました。そうして、母上がどこまでも王妃ではなくて母として生きていることを理解しました。

私には謝ることしか出来ませんでした。ガレスがキャメロットにいる利点を語ったとしても母上はもう理解をすること自体放棄されていましたので。

それでいいのです。父上がいなくなったというのに、王妃として義務を果たせなどと言えるわけもありません。

ガレスがオークニーに帰ることを私は引き留めました。

あの優しい子は、オークニーに帰ればきっと母上に縋り付かれて、そのまま居着いてしまうことはわかっていたから。

だから、母上がお怒りだからとやんわりと止めました。あの子は手紙を送るだけに止めました。私は帰るたびにそれを母上に届けました。

母は私を見ても私と話をしてもあまり反応されなくなりました。

ええ、当然です。母上からすればさぞかし私は親不孝者だったことでしょう。

婚姻をしたことも、子どものことも言えませんでした。

後ろめたかったのです。

私だけが、キャメロットで栄光を得、名誉を抱き、そうして家族に恵まれて。

オークニーから連れ出すことも考えました。ですが、ロット王を失ったオークニーにとって母上は前政権の象徴であり、彼女がいれば大丈夫だという信頼によって統治ができていました。

民も、そうして陛下もそれは赦されませんでした。

 

 

あるときから、暗い顔をしていた母の顔が明るくなったときがありました。理由を聞いても、昔のようにいたずらを嗜めるような顔で、さあなといわれるだけで。

 

ガへリスとダイル卿のことは私が処理しました。

ダイルは急病にて亡くなった。そう皆に触れました。皆が皆不満そうな顔をしていましたが、末の子と妻をオークニーに住まわせるようになるとそう言った不満を言うものはいなくなりました。

皆、嘆いていました。彼は確かに善き騎士だったのです。

優しい人だった。知っている。

あの人は私の師だった。懐かしいな、幼い私は我が儘でよく彼を困らせていた。アギーが生まれて寂しい私の側にいつだっていてくれた。

ガへリスを、私はどう思っているのだろうか。いや、きっと、永遠に答えは出ないのだろう。

オークニーの者は元より、愛することが好きな人たちだった。冬の国、人が簡単に死ぬ国で、憎み合えばすぐに自滅する。恨むよりも、誰かを愛していた方がよほど死ぬときに救われるので。

娘はそれはそれは愛されていましたよ。

あの子は、どこか、母上に似ていましたので。金の髪に、美しい青の瞳をした子でした。

妻も母上によく尽くしてくれました。

少々意地っ張りなところはあるが、可愛らしいと言っていたが。

父上以外に母上を堂々と可愛らしいと言うのなんて妻ぐらいだろうな。私でさえもそうそう言えないというのに。

母上は妻と娘のおかげでだいぶ心を落ち着かせることが出来た。おてんばな気のある娘との生活は、母上に寂しさを忘れさせてくれるのに丁度良かった。

 

そうして、モードレッド。

あの子は、本当に母上に似ていた。

魔術師、ええ、マーリンと同じ力を使えた母は父上の遺体を使い、末の子を身ごもった。

私は、笑いそうになってしまった。

ああ、母よ。

そこまでに狂っていたのかと。

眠る父の墓を暴き、死肉を胎に収め、命を産んだのか。

・・・・恥ずべき事だ、いっそ、私は王子として母を殺さねばならなかった。

だが、だが、そんなことを誰が出来るものか。そんなことをするぐらいなら、私は。

私は・・・・・・

だから、いいのです。それを罪と唄うならそれでいい。罰が下るというならば喜んで受けて見せよう。

誰も救ってくれなかったくせに、救われたくて手を伸ばした人間のそれを誰が罪と言えるものか!

 

それ故に、私はモードレッドの存在を黙殺した。あの子はそう長く生きられないというのは母に聞いた。なら、せめて、その短い人生を全うして死んでくれれば良い。

殺すほどの長い人生でないのなら、それで。母上の、そうして私たちの罪であると知られるまで誤魔化すことが出来ればと、そう思いました。

 

娘とモードレッドは仲が良かったですよ。息子も、末の弟が増えたと、それはそれは嬉しそうで。

娘は、愛したがりの子でした。私によく似ていると妻は言っていました。

可愛い子でした。

私が会いに行けば、兄上兄上と纏わり付いてきて。

剣の手合わせもしてやったことがありました。

そのせいだったのでしょうか。モードレッドが騎士に憧れてしまったのは。

そうして、母上がそれを赦したことも。

なぜ、と。問うてしまいました。私がそんなことを聞く資格などないのに。

 

ならば、と。ならば、何故、お前はガレスを騎士にしたと言われました。

 

心臓を氷で刺されたような心地でした。ですが、それが何だというのでしょう。そうされることを私はしたのだから。

巣立ちを望む小鳥を引き留められなかった。

その返事に母は呆れたように笑われました。

女であるあの子にお前は自由を望んだのかと。

そうです、私は、そう望みました。女は家で家事をし、夫に従う。妻にそれを望んでおいて私はガレスには自由を願ってしまった。

いいえ、きっと、私にはあまりにもまばゆかった。あの子は私からすればあまりにも軽やかでありすぎた。

そのまばゆさに、私は、目がくらんでしまった。

気まずさに視線をそらした私は、母は、あの方は呆れたような顔をしてそっと、私の頭を撫でてくださいました。幼い頃のように、私の頭を子どものそれのように。

かわいげが無いほどに育ってしまったと笑って。

背伸びをした母は呆れた顔をして、私に、微笑んでいて。

 

お前と一緒ですよ、なんて。私は、どんな顔をしていたのでしょうか。

そこに狂気などありませんでした。そこには誇り高い女王などいませんでした。

そこにいたのは、ただ、ただ、柔らかな心を抱えた、女が一人。

 

 

ガレスには悪いことをしてしまった。今更、ゆらぐようなことなど無いとわかっていたのに。母上があの子を責めることなんてないのだとわかっていたのに。

それでも残った家族の仲がこじれてしまうことを私は恐れてしまった。

ガへリスには辛い役目を背負わせてしまった。誰よりも汚いことをさせてしまった。

あの子はそれが自分の役目だからと、自分で望んでいることだからと、そう言って。

あの子に罪があるのならそれこそ私の罪なのだ。

可愛い、弟と妹でした。

幼く、父上の記憶の無いガレス。他人のために生きることをさっさと受け入れたガへリス。

そうして、アギー。

あの子が生まれたとき、本当に妬ましかったんですよ。

みんなの関心を一気にかっさらっていかれましたからね。生まれたての赤ん坊はお世辞にも可愛くなくて、こんな猿みたいなのが自分の弟なのかと絶望してしまったぐらいに。

それでも、ああ、言葉が喋れるようになって舌っ足らずに兄上と言われたとき、心からなんて愛おしいのだろうか、と。

あの子は屋内で勉強するのが好きでした。でも、それより前は私の後を付いてきたんですよ。舌っ足らずに、私の名を呼んで。

思えば、あの子は、私にとってはじめの守るべき者だったのですね。

あの子と私に上下などありませんでした。私が王になると決まっていたとしても、あの子もまた国のために、私のために、その手を汚した。

共にいつか国に帰ろうと。いつか、母上の元に帰るのだと、そう誓い合った。

託されたのだから。

・・・・平和な時間が、続きました。ええ、つかの間の、一瞬で崩れ去る、そんな時間は。

 

 

 

あの愚か者の乱痴気騒ぎによって、私の弟妹たちが殺されるまでは。

 

・・・・アグラヴェインは教えてはくれませんでした。全てを白日の下にさらすなど絶対にしてはいけなかった。

ですが、あの子は、してしまった。

ええ、ええ、わかるのです。その気持ちが、その心が。

どれだけ、どれだけ、あの国が危ういバランスの上に成り立っていたのか。

知っていた、わかっていた。

 

ああ、ああ、だというのに!

あの愚か者は!

グィネヴィア、貴様がしたのはただの不貞ではないのだ。彼女はアーサー王の後ろ盾であるレオデグランス王からの王権の保障だった。

婚姻とは契約なのだ。その意味を、何故、理解できていなかった。

王が、女に興味が無いのも。王妃が寂しい思いをしているのは知っていました。

不幸だったでしょう、苦しかったでしょう、子さえも成せない女の身で周りから注がれる侮蔑の視線は辛かったやもしれません。

だが、だが、何故、ランスロットだったのか!

他のものであるのなら、まだ、やりようがあったやもしれない。だが、だが、グィネヴィアよ!

貴様の裏切りは、王の統治の揺らぎになるのだと!彼の君のもっとも根本にある、王たちの忠誠の象徴であったのだと!

なぜ、理解していなかった・・・・・!?

王権の象徴であるお前が、ランスロットと密通していた。この事実が一応は隠れていたランスロットを支持する者たちへどんな大義名分を与えるのか。

 

愛していた?哀れだった?

ああ、ああ、そうであろう。わかる、知っている。

ランスロット卿!

それが、どれほどにまばゆく、その女の苦しみがどれほどまでに心を裂いたか。

私は理解できる。

恋を、私は知っていた。だが、だが、それが赦されないことが、なぜ、わからなかった。

 

 

王は男を赦された。女もまた赦された。

罰しないという王の選択肢に、私は抗議しました。納得など出来なかった。何故、罰しないのだと。

・・・・理由など簡単です。

彼を罰して、そうして、彼の祖国からの食料の輸出が止まれば?果ては争いになれば?

ええ、そうです。

彼の王は、どこまでも正しい判断をされました。どこまでも、正しい、判断を。

 

 

何故だ?

ガレスの顔は潰れていた。

ガへリスの肩がぐちゃぐちゃになっていた。

アギーの胴体は分かれていた。

フロレンスたちの瞳は濁ってくすんでいた。

 

がれすのあいらしいひとみはもうみえません。がれすのまろいほおはぐちゃぐちゃだ。がれすのきんのかみはいとくずのようでした。

がへりすのぎんはいのひとみはみひらかれていました。がへりすのからだからながれおちたぞうもつのいろをみました。がへりすのつきいろのかみがちでよごれていました。

あぎーのめがぼうぜんとみひらかれてしまいた。あぎーのからだのつめたさをおぼえています。あぎーのぼうぜんとしたかおをみました。

ふろれんすたちのかみをなでました。わたしとおなじほどにおおきくなった、つめたくなったからだをだきしめて、ほうこうをあげました。

 

・・・・・なぜ、あいつだけが?

私はグィネヴィアを連れて逃走したランスロットを追いました。

王への忠誠も、騎士としての義務も、妻や娘のことも、そうして母上のことも置いていきました。

何故か。

 

もう、全てどうでもよくなってしまったので。

 

・・・・・愚かなことでした。

ですが、もう、私はそれ以外にどうしようもなかった。

託されたものの殆ど一瞬で失った私は、もう、それ以外に生きるための目的を。

 

いえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

結果として、私はランスロットを殺しました。彼とは実力に差はありましたが、それでも、相打ちといえども私は彼の人を殺しました。

いえ、まあ、死に物狂いでやればなんとかなるものですね!

・・・・それとも、彼の人の罪悪感によるものだったのか、私にはわかりません。今となってはどうでもよいのでしょうが。

 

死ぬ瞬間、崩れ落ちた、血に染まった男の顔を見ました。

私は、あの男は好きでした。

ええ、ええ、それでも。あの男がこの島に呼び込んだ滅びに怒りはあっても、それでも、あの男は善き人でした。

知っています。ええ、知っています。

死ぬ瞬間になって、それでも、友であった男のことを憎みきれない自分がいた。

己自身で殺してしまったという報復を終えた後だったからでしょうか。

 

・・・・・いいえ、違いますね。

私は、私は、きっと。心のどこかであの男の選択肢を喜んでいたやもしれません。

何故って、あの男は、国でも、民草でも、忠誠だとか誇りだとかではなくて。

取るに足らない、愛を、恋を選んだから。

 

父上は、私たちを選んではくれなかったから。

 

笑ってください。

王の子でありながら、騎士でありながら、民草に尽くさなくてはいけない身でありながら、私は、私は、ずっと。

私たちを、母上を、選んで生きてくれなかった父上を恨めしいと、思ってしまった。

それを選んで、私の愛しいあの子たちを殺して、それでも、グィネヴィアを選んでくれたあの男は妬ましくて、そのくせ、嬉しいと、思ってしまった。

誰にも言いません。誰にだって言うものか。

こんな、こんな、恥ずべきこと。

ですが、そう思ってしまった。

 

・・・・今でさえも、記憶の中の父上は優しくて、自慢の父です。

私も父になりました。

生まれたばかりの小さなぬくもりが愛おしかった。大きくなるにつれ生意気で、無邪気で。

大きくなるにつれ、私とそう変わらない身長を生意気だと笑って。

父上の気持ちもわかるのです。

後に続く、この愛が生きていくのなら、死んだって惜しくはない。ですが、幼い私が泣きじゃくる母に抱きしめて、どうしてとわめいている。

 

ああ、愚かなことだ。未だ、私は父に縋りたくて堪らない幼子のまま。

 

陛下にも、申し訳ないことをした。

あの方はグィネヴィアを怒っていただろうか。それとも、女に興味のない自分を責めていたのだろうか。

私は、あの方に言葉をかけることは出来なかった。私は、もう、憎しみで満たされていたから。

 

・・・・完璧な人など存在しない。

知っていた。そんなこと、知っていた。だが、私はそれから目をそらした。

王座に座る、孤独の王。

優しい人だと知っていた。あの日、一人で背負おうとしていた私をあの方だけが慮ってくれた。

感謝していました、だから、あの方に忠義を捧げた。

優しいのに、たくさんのものを犠牲にして立っていた。それ故に私もあの方の完璧さを支えようとした。

父上を殺したこと、それに怒りはありました。けれど、嫌いになれなかった。

あの方を知れば知るほどに。あの方は母上に似ていた。

優しくて、どこか苛烈で。そうして、愛したものに対して一心に心を傾けてしまう。

幸せになってほしかった。あの方はそれでも、国をよくするために生きたから。私心を持たず、走り抜けた生き様は私にとってどれだけ誠実であったのだろうか。

報われて欲しいとも思ってしまった。

 

母上、子どもに置いていかれることがどれだけ悲しいのかわかっていたのに。私は、死んでしまった。私は、それでもこの憎しみとそうして免罪符に縋り付かねば生きていけなかった。

 

完璧な人などいなかった。

ええ、だって。あんなにも完璧な王妃だった母は、結局父に恋した女性であり、そうして子を愛した母であることを選んだ。

王は救うためにたくさんのものを犠牲にして、けれど泣くこともなかった。あの方は完璧であるために弱さを見せなかった。いつだって正しい王であり続けた。

 

私はそれを知っていたのに。何もせずに、自分のために最期を、己の命を使ってしまった。

 

情けない話を聞かせてしまった。誰にも言えない、私の弱さだった。

叶えた願いはありました。幸せな時間がありました。

美しいものを見ることも出来ました。あの日、花びらの吹雪の中で見た恋も。あきれ果てた妻の微笑みも。笑う子どもたちの姿も。愛おしい弟妹たちのことも。誰かのために戦った騎士の叫びも。力強く笑う民たちのことも。

そうして、私の娘と戯れる母上のことも。

父上との約束は果たせた。

後悔はあります。最期に間違えてしまった。私は、あの最期を、後に続く者たちのために使うべきだった。無くした物ではなくて、残った者を慈しまねばならなかったのに。

そうして、王への忠義を放り出し、母上を置いてきてしまった。娘と、妻のことも。

もしも、もしも、今度こそがあったのなら、王への忠誠を貫き通したい。

母上の生に寄り添ってあげたい。妻と娘のために生きてやりたい。

後悔はあります。己の生にあきれ果ててしまう。ですが、美しいものは見ることが出来ました。それだけは胸がはれる。

モードレッド、あの子に全てを託してしまった。それでも、託せたことがあるだけ、私はきっと不幸ではなかったのやもしれませんね。

 

・・・・後悔も、憎しみも、悲しみもある。ですが、救われたことも、喜びも、奇跡もあった。どちらとも言えない人生でした。

 

私の生涯の話です。私の、後悔とそれでもよかったこともあったと思える物語でした。

あなた方はどう思われますか。私の後悔と、報われたことだってあった人生を。

どうか、どちらでもあったのだと、それだけを覚えておいてください。

私の人生の話です。

 

 

 

父上になんて謝ろうか。母上にも謝らなくては。

託された者を守れなかった。親よりも先に死んでしまった。

守れなかったあの子たちにも叶うならば謝りたい。私心を捨てた王に謝りたい、私は私心を捨てきれなかった。

ああ、皆に、愛した人たちと共にもう一度だけ笑い合いたかった。

父上と母上に、笑っていて欲しかった。

 




長子へ
これを呼んでいるということは俺は死んだのだろう。
必要なことを書き記しておく。
近隣諸侯との交渉はベルンに相談しろ。あれには彼らの性格や趣味趣向について伝えてある。騎士たちの統制もダイルに手伝って貰え。
お前は未だ子どもだ。舐められることもある。だがらこそ、信用できる人間を見極めなさい。
また、重要な事柄はこの手紙に添えてある。読んで覚えたらすぐに火にくべろ。


さて、堅苦しいことはここまでだ。
ここからはお前への手紙だ。最期まで読んでくれればありたがい。



ガウェイン、お前は外で木剣を振り回しているのが好きな子だったな。お前は、なんというか俺に驚くほど似ている子どもだった。
びっくりだった、モルガンから俺が生まれたと思うほどによく似ていたからな。
お前は初めて生まれた日、俺は心から嬉しかった。父上が死んで、初めて生まれた己の子だったから。あの日のことは今でも昔のことのように覚えている。
命をかけて、紡がれたお前が愛おしかった。
お前の青い瞳をのぞき込むのが好きだった。モルガンによく似た黄金の髪も、青い瞳が俺は好きだった。
お前と森には行って、釣りをして、森の歩き方を教えるときが好きだった。俺の父は厳しい人だったからそんな時間を作ってくれることはなかったのでな。
俺は、お前と過ごすたわいもない時間が好きだった。



お前は誰かに対して情を深く持ってしまう子だった。少々、盲目的な部分があったな。
一度愛するとそれを遂行してしまう子だった。お前のそんなところはモルガンに似ていたね。
盲目的なところは心配だが、お前はそれでいいのだろう。けれど、愛した誰かが間違えたその時はだめだと引き留めてやりなさい。
それが正しいことなのか見極めろ。共に落ちることはけして救いではないのだから。
真実と偽りの境は曖昧だ。
他にとって嘘であっても、当人にとって真であること。その逆もしかりだ。だから、人をよく見なさい。自分の心と向きあうといい。己自信も偽り始めたら、それこそ何もかもが破綻してしまう。
正直な話をすれば、俺はお前にあまり不安感を持っていないんだ。
お前はモルガンにも似ていたけれど、俺とも似ていたから。
お前は後悔もするかもしれないが、きっと、自分の救いを見つけ出せる。そう信じている。

お前なら美しいものを見つけられるだろう。そういう子だ。
アギーを妬んで、結局愛してしまう。そういう子だ。誰かを愛するのが上手い子だった。
だから、きっと大丈夫だろう。


ガウェイン、頼みがある。
情けない話と思ってくれ。いっそ、失望してくれてもいい。ただ、俺の願いを聞いてくれ。
オークニーを頼む。お前は王の子だ。ならば、あの国を守る義務がある。あの国と共に生きていく義務を理解してくれていると思う。
俺が国を背負ったようにも、お前にも大丈夫だと信じている。

そうして、モルガンと弟と妹たちを頼む。
あの人は強くて、賢くて、誇り高い人だ。けれど、寂しがりな人だ。できるだけ近くで支えてやってくれ。
弟と妹を頼む。未だ幼い子どもたちだ。側で見ていてやってくれ。
俺がそうしてやりたかったが、それも無理だ。俺は王としての選択肢をとってしまった。だが、それを嬉しくも思っている。
俺は間違えなかったのだと。父上の教えを全うできたのだと。何よりも、死んでも良いと思えるほどに誰かを愛せた自分の人生でよかったと。

ガウェイン、俺に輝かしい春を連れてきてくれた、五月の鷹。
お前はどこに飛び立っていくんだろうか。その飛翔を見えないことを残念に思う。
けれど、俺の子としてお前は高く羽ばたくだろう。
俺はそれを信じている。
家族を頼んだぞ、俺の愛しい長男坊。お前の幸福を願っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

反逆の騎士はかく語りき

モードレッドの話になります。

ちなみに、語り手はあとモルガンとマーリンを予定してます。ランスロットも考えていますが、尺が短いのでどうしようかと。
描きながら、エンドレスに檸檬を聴いてました。

書き手が心が折れそうなので感想などの反応いただけるとありがたいです。


僕の話?

ええっと、話すことなんてあんまりないんだけれど。それでもいいの?

わかった、じゃあ、僕の話をするね。

それに、君がどんな顔をするのかなんてわからないけれど。

 

 

 

僕にはお父様がいるんだって。

ロット王っていう、とっても素敵なお父様が。

でも、僕、その人のこと知らないんだ。あ、でもね、寂しくないよ。だって、僕には母上だっていたし、義姉様だっていたし。姪に、あたるらしいけど、おねえちゃんもいたんだ。

アギー兄様も、ガウェイン兄様も、ガへリス兄様もいたんだ。

あと、姉様も。ガレス、姉様。最期まで僕が弟だって言えなかったけれど。

あとね、あとね、ダイル、あ、ラモラックだよ。ダイルは秘密の名前だから誰にも言っちゃダメなんだ。

オークニーのみんな、みんなね、大好きだったよ。

僕のこと、愛してくれたんだ。

北の果て、とっても寒い国だったけれど。でもね、良いところだったんだよ。本当だよ、嘘なんてつかないよ。

 

 

僕、ちょっと人とは違うんだ。

・・・・うん、とっても、違うのかも。

あのね、僕ね、人よりも少しだけ命の量が少ないんだって。母上が教えてくれた。

母上が昔、ちょっと悲しそうな顔をしてた。

ごめんねって、泣いたけど。

でも、僕は構わなかった。命の量が少ないって、生きる時間が短いって、そうだね。ちょっと寂しいけれど。

でも、それは誰だって同じだよ。明日、死んじゃう人はいる。僕はそれがわかってるだけ。短いってわかってるからその分、後悔しないように生きればいいんだって。

ラモラックも、死んじゃった。

ラモラックのこと、大好きだったよ。よくね、お父様のことを話してくれたから。僕の瞳を見てね、お父様と同じだって。僕、僕の目が大好きだよ。

お母様、とっても泣いてたよ。ずっと、支えてくれてたって言ってた。ラモラックも母上と同じだったんだって。

自分にとって全てのような人に、置いていかれた同胞だったんだって。

でも、不幸じゃ無かったんだと思うよ。だってね、だって、ラモラック、僕に笑ってくれたもの。

お父様から教わったんだって、森の歩き方に、釣りの仕方も習ったんだよ。

懐かしそうに言ってて、笑ってくれたから、不幸じゃ無かったんだと思うんだ。

 

アギー兄様に会ってね、ガウェイン兄様に会って、すごいなって。

少しだけ、冒険の話を聞かせてくれたんだ。

 

僕、騎士になりたいと思ったんだ!

兄様たちも、ラモラックも、そうして、父様もそうだったから。

 

綺麗だったんだ、なんだか、とっても剣を持って前を見るみんなが、誰かを守りたいと思うみんながとっても、素敵に見えて。

 

でも、お母様には言えなかった。

・・・・兄様たちが、騎士になるからオークニーを離れて、お母様が一人になったから。

今だって十分幸せだから、よかったんだ。

うん、でも、やっぱり騎士になりたかった。

兄様みたいに、ラモラックみたいに、お父様みたいに、なりたかった。

あと、オークニーの外に出てみたかった。違うどこか、知らない誰かに会ってみたかった。

 

お母様は僕の考えていた事なんてお見通しだったみたい。

 

騎士になりたいかって聞かれて、僕、思わず黙り込んじゃった。違うって言いたくて、でも、なりたかったから言えなかった。

お母様は椅子に座って、立って、うつむいた僕の顔をのぞき込んだ。そっと、手を取ってくれて、僕黙り込んじゃって。

もう一度、なりたいのかって。

頷いちゃった。

だって、なりたかったから。憧れだった、から。

お母様はちょっと、なんだか悲しそうに微笑んで、顔を上げなさいって言われた。

僕はそれでお母様を見た。

 

仕方が無いやつって、言われた。

呆れられちゃったのかなって、怒ってるのかなって。そう思ったのに、顔を上げた先のお母様は、やっぱり笑ってた。

 

兄様たちに話して、騎士になれるように、そうして、キャメロットにいけるように取り計らってくれていた。

僕は、驚いた。だって、それはお母様が一番嫌がることのはずだったから。

いかないって言ったんだ。お母様の側にいるって、それは本当だったんだ。騎士になりたいのは本当だったけれど、それでも、お母様のことを置いていきたくなかったから。

いかないって、僕はお母様の膝に縋り付いて、その顔を見上げたんだ。水色の、空みたいな、そんな色の眼が僕を見ていた。

お母様は、僕の頭を撫でて、言ったんだ。

 

美しいものを見ておいでって。

 

・・・・・それはどんな意味だったんだろうか。でも、お母様は言ったんだ。

きょうだいなのだなって。

生まれてきたんだから、自分のエゴで箱庭に閉じ込めておけるはずも無い。だから、その命の限りでいろんなものを見て、いろんな事を知って。そうして、最期には帰っておいでって。土産話を待って、母はお前の故郷で待っているって。

 

僕は、泣いたんだ。お母様を残して行けって、でも、嬉しいって思う自分もいて。

それでも、行ってみたいって。僕、思ってしまって。

泣いてる僕の頭を、お母様は撫でてくれた。

 

行っておいで、小鳥の巣立ちを悲しむ親がどこにいるんだって。

 

 

僕はキャメロットに行った。たくさんものを見たよ!

僕、ちょっと生まれが特殊だから表立って紹介は出来ないから、顔を隠してたんだ。そうしたら、お母様がとってもかっこいい鎧をくれたんだ!

強そうに見えるんだ、君にも見せてあげたいな。

民の顔、騎士たちの戦い、そうして、ああ、そうして、綺麗で寂しい、ひとりぼっちの王様に。

 

陛下は、あのね、お父様を殺したんだって。お父様を殺して、王様になったんだって。僕、最初は嫌いになっちゃうんだと思った。嫌いになるんだって。

でも、嫌えなかったんだ。

だって、王様はいつだって完璧だった。自分の願いだとか、汚いところだとか、そんなものを持たず、ただ、誰かのために生きていた。

ねえ、欲を持たない人はいないよ。だから、僕、思ったんだ。

きっと、この王様は、それを全部隠して、でも、それでもいいぐらいこの世界を愛してるんだって。

綺麗な人だった、お母様に似て、とっても綺麗で。そうして、なんだか、寂しそうな人だった。

ねえ、完璧であろうと頑張って、他人のために頑張って、みんなのために頑張って、それで。それでも、どうしても、憎めなくて。

違うよ、王様はただ我慢してるだけだって。

お母様みたいに、誰かのために、我慢してるだけだって。僕、そう思った。

だから、陛下のこと、好きだった。嫌いになれなかった。

 

・・・・一回ね。お母様に陛下のこと、どう思うって聞かれた。僕は、僕はね、嘘をつこうと思ったんだ。騎士であることは誇りに思ってるけど、王様のことは好きじゃないって。

でも、嘘を見抜かれて、お母様に不誠実であることが一番に、赦せなくて。

だから、本音を言ったんだ。

 

陛下は、お父様に酷いことをしたけど、でも、誰かのために頑張るあの人を嫌えないって。

 

そしたらね、そうしたら、お母様ね。笑ったんだ。本当に、嬉しそうに、嬉しそうに笑って。

 

よかったって。

お前たちは、やっぱり皆、ロットに似ているって。そうやって、誰かを愛するお前たちは誰よりもあの男に似ているって。

それに、よかったって、お母様は笑ってた。

 

 

幸せだったんだ。僕、幸せで、

でも、あの日、全部壊れちゃった。

ランスロット卿が、兄様たちを殺した日。遺体は見なかった。僕は駆けつけるのが遅れてしまって。

ガウェイン兄様が見るなって。フロレンスたちともお別れ、できなくて。

悲しもうとしたのに、なんだか、全部夢みたいだった。

ただ、兄様が。とてもとても、怖い顔でいなくなっちゃった。みんながオークニーで眠れるように手配をして。僕は、残ったみんなと後処理だとかに回って。

陛下に、聞いたんだ。

どうして、ランスロット卿を赦されたのかって。グィネヴィア様を赦されたのかって。

・・・・怒ってたんだ、僕も。だって、不公平だ。

僕の家族は、みんな死んだのに。あの男だけが、でも、愛によって犯された罪というならそれは僕もなのかな。

陛下は、他国との関係を僕に教えてくれた。そうして、そうして、すごく疲れ切った顔で言ったんだ。

 

全て、私が悪かったんだ。私には、愛を理解できていなかったから。

 

・・・・・陛下は、グィネヴィア様を愛していなかったんだね。うん、陛下は個を愛されたことは無かったのかもしれない。だって、陛下はいつだってみんなの王様だったから。みんなの王様であることができたのは、きっと、個を愛するって事がわからなかったから出来たんだ。

 

僕はつかの間の休みを取ってお母様の元に走った。せめて、みんなのことを連れて帰ってあげたかったから。陛下はそれを快く頷いてくださった。

 

お母様、泣いてた。まるで、目玉が溶けるんじゃ無いかってぐらい泣かれて。ずっと、教会で義姉様たちと泣いていた。

僕、ともかく事態の収拾のためにキャメロットに戻ったんだ。行かないでって言われたけど、でも、いかないと。

その時、ブリテン島全体がひっくり返るみたいに大騒ぎだった。

みんな、王様に怒ってたけど、でも、理由を聞けば表向きは納得した。

そうして、目が回るぐらいに忙しい中で、ガウェイン兄様が死んだって知らせが来た。

・・・・・ランスロット卿と相打ちだったんだって。

ランスロット卿は知らないけど、兄様のことは僕が迎えに行ったんだ。

お母様は泣いて、泣いて。

・・・・・陛下は、フランスでの話し合いがあるからって国を留守にされた。僕は

そのまま留守を任された。

 

これはね、僕の罪の話なんだ。あのね、責められても、罵倒されても、それでもいいから。どうか、聞いて欲しい。

僕は留守のための仕事をしながらお母様のところに行って。お母様、お食事をされなくなっちゃって。でも、蜂蜜のお菓子と、お魚なら食べられるから僕、お土産に持って行って。

・・・・お母様が、言ったんだ。

 

もうね、もう、陛下のことだとか、ランスロット卿だとか、そんなものじゃなくて。自分がこんなに苦しいのに当たり前のように回る全てが、憎い。

何もかもが、もう、何かがではなくて、自分だけが取り残された世界が憎いのだと。

 

 

僕は、それがお母様の本音だったのか。それとも、自分でもわからないままの叫びだったのか。

今でもわからない。でも、ああ、憎いんだなって。何がではなくて、言葉通り、全てが憎いんだって思うにはその目は悲痛で。

僕は、それに陛下のことを思い出した。

あの日、僕にだけこぼした、世界を愛しても、あまたを愛せても、自分が知らないちっぽけな誰かの幸福を愛せても、個人を愛せないと嘆いたあの人と同じように。

 

生真面目で、自分の抱えてしまったものを必死に大事にして。

そのくせ、結局自分の幸せよりも大事にしていた誰かのために手を離してしまう。

 

似ていたね。どこか、似ていて。

・・・・僕は、その時。僕も、その時怒っていたのかもね。何もかもに。きっと、全てに。

兄様たちと姉様を殺したランスロット卿に。

お母様から兄様たちを奪った陛下に。

陛下が必死に正しくあろうとしてそれを信じられない臣下たちに。

 

僕は、もしかしたら狂っていたのかもしれない。

 

お母様に言ったんだ。

 

ねえ、悲しい?ねえ、苦しい?ねえ、寂しい?ねえ、空しい?

なら、ねえ、ねえ、お母様。

お母様はとっても、地獄みたいに苦しいね。

でも、お母様は何をしたの?何もしていないよ。何にも悪くないよ。

お母様は悪くないよ。

なあーんにも悪くないよ。

だからねえ、お母様。

 

お母様をないがしろにして、踏みつけて、苦しめる世界なんて壊してしまおうよ!

 

そう言ったときのお母様は、どんな顔をしていたのかな。苦しそうで、悲しそうで、茫然としてて。

でも。

 

みんな、みんな、壊して、亡くして、なくなった世界ならみんなが苦しくて、悲しいままの平等だもの!

 

弾むように言ったんだ。笑うように言ったんだ。楽しいいたずらを思いついたみたいに、僕、言ったんだ。

 

お母様はそれにああって。

ああ、そうだな、平等だ!

て、言ったんだ。

 

あのとき、僕はお母様を壊してしまったのかもしれないね。でも、僕はさ。壊れてしまっても良いのかなって。

 

・・・・・僕、陛下の側にいたんだ。兄上たちがいなくなってから、余計に。

生真面目な人だった。自分のしたことを背負い込んで、不甲斐なさが赦せなくて。

そのくせ、自分の事なんて欠片だって大事にしなくて。正しくあるようにみんなに願われていたのに、事態が悪くなれば手のひら返し。

 

人は、とても醜くて。陛下は、そんな醜いものを愛していた。幸せになって欲しかったんだと思う。

でも、僕は、もう解放されて欲しかった。きっと、何があっても陛下を民は恨むし、見限り続ける。だから、自由になって欲しかった。

 

僕みたいな生まれの子を、神様は悪魔だって言うのかもしれないね。わかっていたよ、僕がどれだけ歪で、そうして、そこまで命が残っていないことも。

もう、何もかもから解放されて欲しかった。悉く、もう、役目も何もかもを壊してしまって。

 

だから、あの日、僕は悪魔になると誓ったんだ。

 

陛下がフランスで話し合いをしている内に、兵は簡単に集まったよ。僕が、モルガンとロット王の遺児であることを示せば簡単に。

 

カムランの丘で、陛下と戦って。そうして僕は、死んだんだ。

陛下の放った聖槍で貫かれたときに、兜が外れて、陛下は初めて僕の顔を見たんだ。

何故だって、陛下は言った。

僕、なんて言っていいのかわからなくて。でも、最期だってわかったから。だから、もう、怠くて、動かないような腕で陛下に手を伸ばして。

 

もういいよって。もう、いいから、幸せになってって。

 

聞こえていたのかな。そうして、僕は、死んだんだよ。

 

 

 

とても、罪深い話を聞かせてしまったね。

僕は、自分の命の終わりを知っていた。

間違っていたし、きっと、意味がわからないよね。

僕は、怒っていたのかもしれない、苦しんでいたのかもしれない。

先につなげるために、残ったもののために、僕は足掻かなくちゃいけなかったのに。

 

それでも、僕は、僕だけはお母様の味方でありたかった。お母様を苦しめるものを、苛むものを壊してしまいたかった。

壊して、あげたかった。僕だけは、お母様のために生きたかった。

そうして、陛下にも、あの人にだってもう、解放されて欲しかった。

間違っているんだよ、僕は。徹底的に間違えている。でも、いいんだ。

だって、僕は悪魔になるんだって誓ったからね。

 

 

・・・・・ねえ、僕、綺麗なものをたくさん見たんだ。

そうして、悲しくて、嫌なものだって見たんだ。

それでも、僕、生きてこれてよかったんだ。生まれてきて幸せだった。

僕の生まれは間違えていたかもしれないけれど、僕の人生の終焉は罪深いものだったけれど、でも、僕の人生はよいものだったんだ。

 

兄様たちのことが大好きだった。名乗れなかったけれど、ガレス姉様のことが大好きだった。

義姉様たちのことも、オークニーの人たちのことも、いつかに僕に微笑んだ民のことも、誇り高い騎士たちのことも、大好きだった。

陛下に仕えることが出来て、幸せだった。

お母様とお父様の子どもで、僕は幸せだったんだ!

ねえ、覚えておいて欲しいんだ。

 

僕の生涯の話だよ。僕の、罪深い物語だ。

君達はどうおもうかな?僕を狂っていると思うかな。それでもいいよ。僕は悪魔だったけれど、そうする理由は十分だったから。

どうか、どうか、覚えておいて欲しいんだ。僕を愛してくれた、優しい人たちのことを。

僕の人生の話だよ。

 

 

・・・・きっと、僕の愛した人たちは天国に行くんだろうね。

お父様と、天国で幸せに暮らしてるのかな。お母様も再会出来ると良いなあ。

僕は、いけないもの。僕は悪魔だからお父様には会えないけれど。でも、いいんだ。だって、こんな悪い子が息子だなんて会えないから。

でも、最期に、お母様に。お母様との約束を守れなくてごめんなさい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花の魔術師はかく語りき

モルガンよりも先にマーリンの話です。
彼の後悔、ものすごい難しかったです。書き手が頑張ってもこれぐらい。キャラ崩壊にはなっていない、はず。

出来れば流れで一気に語り手編は終らせたい。

お気に入りや感想などいただければ励みになります。


 

やあやあ、諸君。

お待ちかねの花のお兄さんだよ。

あれ、なんだかものすごいブーイングが聞こえる気がするような。

ま、いっか!

今日の僕の役目はただ語ることだ。はは、不思議だね。私の本質は聞き手や読み手なものだからね。

 

さて、それじゃあ、話をしよう。

私の、私の、ひどい思い違いと、彼らへの侮りの話だ。

 

 

さて、君達が何よりも気になっているのは、私がなぜ、ウーサー王の願いを聞き入れたか、だね。

そうだね、うん。それは簡単な話で、私にとってこのブリテン島の結末において何よりもましなものであると思ったから。後は偏に、そうだね。言ってなんだけど、面白さというものもあったせいさ。

滅び行く世界に、ただ一人立つ孤高の王様。

好きだろ、君達だってそういうの?

 

ウーサーはそうだね、絶望していたし、それでもなお足掻くことを願っていた。彼はわかっていたんだ。ブリテンという島が少しずつ衰退し、滅びていくことを。そのくせ、外の世界はブリテン島がただ滅んでいくことを赦さなかった。

ねえ、君達は、もしも、きっと滅びることしか出来ないとしたらどうする?

どんなあがきも、どんな祈りも、結局は無に消えていく。

彼は、ならばと思ったんだよ。

滅びという死の前に彼は確かに愛していた民や臣下に夢を見せることを選んだんだ。

 

つかの間の夢、明日を生きていこうと願える輝き、綺麗で、そのまばゆさに目をくらませて、一瞬でも滅びから眼をそらさせる星。

 

まあ、聖剣がないと本気で詰んでたってのもあるんだけどね!

島の外から迫り来る敵に抗わなくては本当の意味でこの世は終る。

星諸共の滅びか、それとも星を生かすのか。

なら、後に続く何かがあるんだと信じるしか無かったんだよ。

だから、ウーサー王はこの島の滅びを受け入れた上で、美しい星を生み出すことを選んだ。己の名誉だとか、たくさんのことを放り出して。

浮気騒ぎも、不義の子も、それでも必要だったから。彼はそれを背負った。

私はそれを美しいと思った。誰かのために泥を被り、自分がどれだけ汚れても、彼は他人の幸福を願っていた。

私は、美しい夢を見る人間を美しいと思った。それが、ウーサーに肩入れしようとした理由だよ。

 

モルガンを疎ましいとした理由かい?

彼女の生まれた理由はあまりにも残酷だったから。僕達の望んだものは、星であり、そうして聖剣の使い手だ。彼女はあまりにも、言い方はなんだけど、僕達の計画には無駄なものだった。

愛さなかったのは偏に、僕もウーサーの心を全て理解しているわけでもないけど。

自分がこれからどれだけ非道なことをするかわかっていたからかな。彼女が彼を愛すれば愛するほどに、彼が彼女を愛すれば愛するほどに。彼の非道は、彼女への痛みになる。

なら、最初から悪役の方が双方気楽だろう?

・・・・・それ以外にもあったのかもしれないけれど。私にはその程度かな。

 

残酷?

・・・・そうだね、目一杯の残酷さで、そうして悲劇だ。限られた選択肢の中で、限られた人間が、限られた時間の中で選んだのが、理想の王を作るということだった。

 

私は、ウーサーに忠告はした。例え、そんなことをしても星は所詮、いつか落ちる。本当の暗闇に、困難に落ちたとき、人は(希望)でなく(現実)を見る。

彼はそれになんて言ったと思う。

はっはっは、彼は平然とこう言ったのさ。

信じているって、さ。

馬鹿みたいな話だろう?

でも、真実、彼はそうするしかなかった。元々、賭けみたいなものだ。ならば、良い方向に彼は賭けた。私もまた、そうだった。

滅びしか無いのなら、その男の、確率の少ない賭けであったとしても。

私は、それに賭けたくなった。

元より、私も彼もわかっていたんだ。私たちの作るものが理想の王であるなんて事はおまけのようなもので、結局は聖剣を扱えるものがどうしても必要だった。

それでも、彼は信じていた。輝かしい誰かを見たとき、きっと、人々は少しでも明日を善きものにしたいと立ち上がってくれると。

 

私は、いつもの通りにすれば良いと思っていた。いつものように王を作り、星を守るための役割を遂げさせて、その後は適当にやり過ごせば良いと。

人々が望んだ救世主、美しい星。でも、私はそれについて何の罪悪感も持っていなかった。

だって、それを望んだのは人だから。

 

 

あの子が王になったことを、私は深く考えていなかった。

ただ、普通の子どものように、与えられたことを素直に吸収し、王として育てられたからこそ王になったのだと。

あの子はあの子なりに王としての理想を持ってくれていたことにほくそ笑んでいた。

そうだ、私は間違えていた。致命的な、間違いだ。

 

私たちはあの子にとって、王になると言うことは結末でしか無いのだと思っていた。けれど、違う。あの子にとって、王とは過程に過ぎなかった。

あの子は、ただ、他人にとって他愛もない、当たり前のような何かの幸せこそが善きもので、それこそが何よりも大切にされるべきだと信じていた。

だから、彼女は大切にしていた。

アルトリアも現実を知る。あの終焉の近づく世界で、王になるという地獄。それを味わえば、きっと、あの子も王であることをやめたいと願うと。

その少女だってきっと、己の幸せを求めてしまいたくなるときが来ると。

彼女にだってご褒美が必要だ。だから、いつか、その時が来たら。私はその手を取るんだと。その時は、なんだってやりようもある。

元より、聖剣が必要な山場さえ越えてしまえば、あとは如何様にだって。滅びまでの、時間稼ぎになるだろうと。

・・・・ロット王の、モルガンの子どもたちを彼女の臣下に求めたのはそれもある。代替わり用の駒、次代のための存在。

それだけだった。

例え、あの子が消えても、新しい王が立てば人々は期待する。今度こそ、善き人が、この国を良き方向に導いてくれる。

つかの間だけ、人々はまばゆい星に目を向ける。その輝きになれたら次を、そのまた次を。

醜悪だろう?

でも、私にとってそれが最善手だった。輝かしい希望に目をくらませて、私は、人々に走りきって欲しかった。

この終わりゆく島の時間を。きっと、明日があるのだと信じて、懸命に生きて欲しいと。

明日があると信じながら、私は人々に死んで欲しかった。

絶望の中で、冬の中で死ぬよりも。明日を信じられる、春の中で私は死んで欲しかった。

けれど、思い上がりだった。あの子は、自分の受ける苦痛なんて、自分にとっての善きものの幸福の前では無意味に等しかった。

私は、その時、ロット王の言葉が浮かんだ。

生きるために、人は生きているのだと。

・・・・そうだ、私は人を、アルトリアを侮っていた。

彼女は、そうだ、信じていた。戦い続ければ、優しい明日が来ることを。

あの子にとって、王なんてものは手段にしかならなかった。あの子は、この島がいつまでも続くのだと信じていた。

そうだ、私は、あの子を王にした。そうして、理想の王であるように教育した。

意識の差だった。

私は理想の王を作ることを目的としていた。けれど、あの子は違う。あの子は理想の王になって、誰かが生きるために戦うことこそが目的だった。

笑える話じゃないか。

誰よりも、何よりも、アルトリアを理解していたのは、ただ真摯で誠実なだけの、神も、理想も興味ないただの男だったのだから。

 

 

・・・次は、ロット王を切り捨てた理由の話だね。

・・・私は、そうだね、信頼していたんだ。モルガンを。いや、私はモルガンという魔女を理解していると思っていた。

なぜって?簡単だよ。

彼女は、私と同じ、人なれど、人ではない境の存在だった。

生物というのは模倣の生き物だ。生まれ落ちた瞬間に本能的に出来る行動はあるけれど、それが高度化すればどうしても他の生物を真似しなくてはいけない。

私は、生まれ落ちた瞬間から模倣すべき存在を持たなかった。なんせ、夢魔と人との混血児なんていなかったものでね。

私は、私を持たなかった。私は、私なりの先達を持てなかった。

だから、私は最初に目を奪われたものに強い関心を持った。そうだ、この目で見た、どこかで生きている人々。その軌跡である美しい物語。

それを眺めることこそ私は私の命題とした。

君達だってそれを必要としているだろう?

命の価値が高まり、死ぬ危機というものが薄まっていくにつれ、生き方の理由を求めてしまう。

私はまず、生まれてから生きるための理由を探した。

・・・・・ねえ、考えてごらんよ。

何故、生きている?何故、今日死なない?

そんな理由を心のどこかで探している。

私が生きていた時代と、君達の住む時代は違っているから別問題かな?

でも、思っていた。

人であるということは揺らぎやすいということさ。正しくも、強くも、弱くも、間違うことさえも君達は簡単にやってしまう。

私たちは違う。

私たちはどちらでもあり、どちらでもない存在だった。簡単に揺らぐことは出来ない、私たちは変われない。

モルガンはこの島を滅ぼすことしか出来ない、だって、そのために生まれてきたのだから。

私は、信用していた。

自分と同じだったはずの彼女を。

変わることの出来ない、人であり、人ではない半端者同士である彼女を。

 

ああ、そうだね。目論見は外れた。

私は、一人の男の驚くような真摯さが与えるものを理解していなかった。

私は、一人の女の一途な恋をわかっていなかった。

そうだ、私は、とある女の恋を見くびっていた。

その恋のために、生まれ持った生きる理由も、使命も。その愛のために、与えられてきた拒絶も、憎しみも。

悉く、放り出してしまうなんて結末があるなんてこれっぽっちだって思っていなかったんだよ。

 

 

・・・・そうして、あの最後に繋がった。

円卓の彼らに関しては、私は残念ながらノータッチだったんだよ。

私はあくまでお膳立てをするだけで、基本干渉はしていない。

・・・・まあ、オークニーの子どもたちはどうしても必要だったからやってくるまでの道筋は整えたけれど。でも、それ以外はしていないんだ。

敵意を抱くようなら何かしら手を回すことも考えたけれど、彼らはよく働き、よく仕えてくれた。

それに感謝している。これは、嘘ではない。

・・・・私は、私は、ランスロット卿とグィネヴィアの末路をあまり気にしていなかった。

それは当然の結末だ。

ロット王を殺した後、彼女にはどうしても後ろ盾の妻が必要だった。けれど、女に嫁ぐ女はいない。婚前にそれを打ち明けて他に漏れるようなへまも出来ない。

だから、だまし討ちのように婚姻した。

グィネヴィアは、アルトリアが女であることに驚き、その理想に傾倒し、そうして、自分の夫が女であることに密かに安堵していた。

まあ、そうだろう。顔さえも知らない男と体を重ね、そうして子を産むというプレッシャーから一時とはいえ解放されたのだから。

それが長く続く苦悩の日々の始まりだった。

子を産めない王妃、王の寵愛のない妃。

そんな彼女の扱いは、唯一の妃であるとは言え想像できるだろう。そうして、皆は言った。王が次の妃だとか、違う女と求めないのは、王がお優しくあれに遠慮しているからだろうと。

悪意はたやすく広がった。そうして、グィネヴィアはその苦しみにもだえていた。

彼女がランスロット卿との恋に落ちたのは当たり前だ。

だって、彼女は何にも悪くなかったのだから。

それについては理解していた。けれど、ランスロット卿の狂行を読み切ることが出来なかった。

・・・・逃げるならば、逃げればいい。アルトリアは王であることを止めないとわかっていた。そうして、一度始まった彼女の不貞もまた、ばれてしまえばどうしようもない。

けれど、ランスロット卿が愛の前にそこまでたやすく狂うことを、私はこれっぽっちだって考えていなかった。

ロット王の子どもたちが死ぬことを、その一瞬の成り行きを止めることが出来なかった。太陽の騎士のそれもまた。

止めたとしても、止められない。もう、ページはめくれてしまった。

 

・・・・・私が、モルガンのあれを受け入れたのは偏に、それも当然だと思ったからだ。

それこそが私に出来た、唯一の彼女への誠実さだった。

閉じ込められ、もう、そこでただ一人。

私には、書き手の才はなかったのさ。

 

 

まあ、そんなところだね!

私の語りはどうだった?あまり話をする機会もなかったからね。上手く出来たかわからないけれど。

 

・・・・おや、どうしたんだい。そんな顔をして。そんな哀れむような顔しないでくれないかな?

そんな顔をして、なんて。

何を言っているんだい?私はちゃんと笑えているだろう。表情を作るのも、大変なんだから。感情を消費して、そうして。

・・・・・泣いているように、見えたのかい?

 

 

・・・・・はっはっは、そうか。そうかい、ああ、そんな風に見えているのかい。こんな、無表情のそれが。

確かに私は悔いている。そうだ、悔いて、いる。

 

・・・・・私は、自分が正しいと信じていたんだ。

今でさえも、私は自分が正しいと信じている。自分の行いが、悪であると思っていない。

だって、そうだろう。私には感情が無い。それは私心を持たず、どんなときだって私の思うハッピーエンドのために選択のできることだった。罪悪感なんて、なかったんだ。

ああ、そうだ。それでも、私は所詮は非人間だった。

私には、人の恋も、愛も、理解できていなかった。ただ、事実による問いと答えへのアプローチ。

だが、現実を救うには事実が最も必要であるはずだった。

人は、間違いを起こす。たやすくゆらぎ、信じていたものをあっさりと手放してしまう。

私は、無駄だと知りつつもアルトリアを産みだしたのはそうだった。

迷う彼らに、導きがあれば、と。人は幸せに死ぬために生きているのだと思っていた。最後の最期、ああ、良い人生だったと今際の際に思うことこそがよいもののはずだ。

 

・・・違って、いたんだね。

君達は、死ぬためにじゃなくて、生ききるために頑張っていたんだね。

私は、それを理解していなかった。

だって、私はそうだった。最後に見る夢が、物語が、善いものであればきっと。滅びという運命が見えていたのならなおさらに。

・・・なんて馬鹿なことを考えた。

私は所詮、非人間だったというのに。アルトリアと最後に話した日、彼女が口にした見当違いの恋の話。

あれと同じだ。私は、人では無いのに、人に寄り添おうとした。人で無いのに、人と共に生きようとした。

それでも、美しいと思ってしまった。理解も出来ないのに、分かりもしないのに、君達が明日を生きるために走るその姿を。私は、きっと。

そうだ、それだけは愛していたんだよ。

 

ロット王の言葉が今更になって理解できた。

彼は最後までアルトリアを人だと勘違いしていたから、そうして、彼女が人と共に生きていくから。

人は、生きるために生きている。ロット王は、きっと、アルトリアが傷つくってわかっていたんだ。彼女は、愛を知らなかったけれど。それでも、人を愛していたから。

 

やられたよ、ああ、本当に!

私は、悔いているんだ。どうしようもなく、あの子の導き方を間違えてしまった。

私は、人を愛していない。私は、愛がわからない。

でも、それでも、確かに。

報われて欲しいと思う人がいた。幸福な終わりを迎えて欲しいと思う、人が、いた。

 

・・・・・それをぶち壊したのも、そうして、あの子を一人にしてしまったのも、全部、ボクだった。

 

 

・・・・私は、悔いている。あの子の導き方を間違えたことも、私とあの子の間に致命的な齟齬があったことも。私に、人の幸福が作り出せると信じたことも。

そうだ、悔いている。

 

でも、私はきっとあの子を作り出したことは後悔しないよ。いや、後悔できない。

戦い続けた彼女の人生を、それでも、誰かのために生きた人生を。

あの結末は、醜悪であったかもしれない。一人の女が徹底的に嘆いていたあの終わり。

そうだ、私は、一人の女から何もかもを奪うことに疑問は無かった。傷つく事なんて無いと思っていた。

だって、彼女は私と同じ、人であり、人でないのだから。アルトリアのように私が少しずつ教え、導いたわけでも無く。

最初から与えられた願いに従うものだと思っていた。違っていたね。そうだ、彼女もまた、私とは違った。

モルガンは、確かに、愛を教えられた。それを受け取る心が、彼女にはあったんだ。

それが致命的な勘違いだった。

散々に傷つけたんだろうね。私は、彼女を。

それでも、アルトリアだけにしか救われなかったものがあるはずだ。あの子は確かに、いつだって最善を選んでいた。

結末は醜悪だった。それでも、その過程にあった輝かしいものがあったのなら、それは間違いでは無い。

あの日、彼女は確かに、誰かを幸福にしたのだから。

 

これが、私の後悔の話だ。どんなものとも交われないと知りながら、誰かに寄り添おうとした、とある半端者の話だよ。

 

・・・・ロット王は、私にどんな罰を望むんだろうね。モルガンもまた、私を赦さないだろう。

ああ、それでいいんだ。それは正しいから。

でも、もしも、叶うなら。

私はもう少しだけ、あの二人と話をしてみたかったなあ。それを潰してしまったのは、結局私なのだけど。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

女はかく語りき

モルガンの話になります。
これでいったん、語り手の話は終りになります。
ランスロとアルトリアの語りはまたいつかと考えています。

やっと最後、二倍の文字数になりました。

また、評価等いただけますと嬉しいです。


・・・・・なんだ、貴様は。

私の話?

聞いて、どうする。聞いて、何が変わるのか。

そうか、そうだな。誰にも話さず去るのは誠実ではないか。

なら、聞くが良い。

私の、愚かな恋の話だ。

 

 

あの、人に会ったとき、きっと簡単に懐柔できると思った。

私の美貌に眼をくらみ、明らかにはしゃいでいた。だが、すぐにそんなものは消えてしまった。

いや、この私を避けるような、遠ざけるような仕草をし始めたのだぞ!?

この、私を。

腹立たしかった、どんな男も私が微笑めばふらふらと蜜にたかる虫のようだったというのに。あれはどこか私を探るような目をして見てくるんだ。

が、その時は苛立つだけでそれだけだった。初夜にさえ待ち込めば。

・・・・私も経験は無かったが、まあ。なんとかなるはずだった!

なんといっても私はこの島さえも滅ぼすはずだったからな。それぐらいは出来ると思っていた。

 

が、あの男、私のことをあやすように抱き込んでそのまま寝たんだぞ。

この、私と、床を、共にして!!

 

腹立たしかった、腹立たしくて、だが、あの男の腕の中は暖かかった。

そう言えば、誰かに抱きしめてもらうなんてこと、あれが初めてだったのだな。

 

・・・・あの男は、私に手を出そうとしなかった。

けれど、疎うているわけではなかった。そうだ、まるで蝶よ花よと大事にされた。

城の者は私を大事にしてくれた。

何があっても私の味方であってくれた。何かがあってもあいつが悪いと味方になってくれてな。

その時、あの男は本当に、情けない顔をしていて。その顔が、好きだったなあ。

 

・・・私は、あまり女に好かれる性質ではなかった。

だが、侍女たちは私によく仕えてくれた。驚いた。女は私に嫉妬をするか、薄気味悪いと言うことも多かった。

だが、オークニーの侍女たちはやたらと私を気に入った。

呆れるほどに私のことを飾り立ててな。飾り立てずとも、私は美しいというのに、だ。

 

久方ぶりの女主人だから、と。

嬉しいと、私のことを。私のように、美しくて、可憐な姫が来てくれて嬉しいと。

そう、皆、言ってくれた。

オークニーの騎士だとか、高名な家の子女たちもやたらと私に対して友好的でな。最初は何かあるのかと考えていたら、皆が口をそろってあいつの文句、というか、愚痴、苦情を言い出してな。

やれ、すげなく振られた、やれ、無視をされた。果ては堂々と興味が無いと逃げられただとか。

あの鈍感、最低男をどうか骨抜きにしてくれと、私を応援するような空気になってな。

行った先でいびられる想像はしていたが、まさか歓迎されたあげく、応援を受けるなど。

呆れた、本当に呆れた。あいつはどんな女遍歴をしているんだと。

 

男たちも、なんというか、私に対して好色そうな目を向けてくるんだが、それ以上に、こう、切実な目を向けてきてな。

気になって、ダイルに聞いたことがあった。

それもまた呆れた話で、あいつは女に手を出さないせいで、逆に男が好きなんじゃないかと噂が広がっていたらしい。もちろん、そんなことはなかったが。

おかげで、年寄り連中から若手までどうか陛下に跡取りを、いや女への興味がわきますようにと祈られていたらしい。

あの時、私はどんな顔をすれば良かったのか今でもわからん。

 

・・・・ベルンと、ダイルか。

ベルンは優秀な文官だった。あの男の部下だったこともあって柔軟だった。あいつが床で、まあ、私が原因だが、伏せっていた時だ。執務室に現れた私に、何も言わずに処理案件の羊皮紙を押しつけて半日で仕上げてください、だと。

敬いが足りん、だが、悪くなかった、ベルンは合理的で、私が仕事が出来ると知れば嬉々として持ってくる。

立ってる者はレディでも使えと叫んでいたのはわからんが。

 

・・・・・ダイル、あやつは。

ああ、知っている、あれが名乗っている名も。だが、今は、もうこの名前を呼んでもいいだろう。戒めのように名乗った、疎うた名よりも、私はこの名を呼びたい。

あれに興味は無かった、ダイルもまた私に興味は無かった。私たちは互いに、同じ者を見ていた。

それでよかった、それで、私たちは同じ日の下にいる。それがわかっていればよかった。

 

あいつが、死んだとわかった日。

私はずっと、涙を流していた。

ガウェインたちが奪われるとわかっていた。だが、私にはどうしようもなかった。私はそれでも、オークニーをあの男の故郷を託されていた。逆らうような力が残っていなかったことも、わかっていたことだった。

・・・情けない。まるで、何の力も無い、女のように、泣いて、泣いて。

子どもたちさえ、近寄らせなかった。あれが亡くなって、そうして、私には何もする気が起きなかった。

その時だ、ダイルが私に食事を取るように言った。

いけ好かなかった。ダイルは、私と同じだったというのに。涙も見せず、普段と同じ通りに過ごしていた。

それが、ひどく、腹立たしくてたまらなくて。

 

お前は何も思わないのか、お前はどうして平然としている。ロットが、私の夫は死んだのだ!

王が死んだというのに、何故、騎士のお前は生きている!?

 

・・・・酷な、ことを言った。

 

だが、腹立たしかった。

お前は私と同じはずなのに、なのに、平然と、していて。それが、ひどく、癪に障った。

にらみ付けた先で、あの男は、椅子に座り込んだ私と目線を合わせるように膝を突いた。そうして、ああ、そうして、泣きそうな顔で言ったんだ。

 

まだ、あなたがいると。

 

あれは、泣いていた。その時、その言葉と同時に、まるで決壊するように涙を流していた。

 

陛下が守りたかったものが、陛下が愛していたものが、まだあるのならば。自分はそれを守る。それのために、生きていく。

縋り付くように床に手を着いて言ったんだ。

これ以上、あの方から託されたものを亡くしてなるものかと。

 

・・・・・あれは、私にとって、友ではない、家族ではない、もちろん、恋人でもない。ただ、ただ、同じものを、同じものを世界の中心として生きた、同胞だった。

 

オークニーは、私を受け入れてくれた。人で無くとも、人であろうとも、彼らと私が共に生きていこうとすればそれでいいと言ってくれた。

オークニーは、強かで、生きていくという願いに満ちていた。誰もが、辛くとも、明日を見ていた。戦う意思を捨てなかった。

オークニーは、美しい国だった。残酷な冬の国、されど、島と共に生きる人々がいた国だった。

 

モルガン()はあの国で死んでも構わないと思ったのです。

モルガン・ル・フェ()はあの国を己の国と認めたのだ。

湖の乙女()はあの国を愛そうと思った。

 

よき国でした。確かに、あの国は厳しく、されど、美しい国でした。

 

 

子どもたち、のことは。ああ、そうだ。

 

最初は、ただの駒だった。私は女であるが、私が産んだ男児ならば王位の権利が与えられる。その程度だった。

まあ、あの国でそんな扱いをするのは無理だったが。最初、ガウェインが生まれたとき、まるで祭りのようでな。あやつは毎日のように寝室に通ってきたさ。その時、腹が膨らんでいたときもこれぐらい通ってはどうだと言ってやったさ。侍女たちにも、乳母にも睨まれていい気味だった。

その後の懐妊時は言葉の通り、せっせと通うようになったのだから相当身に沁みたのだな。

私が子を抱いていると、あやつはずっと後ろをうろうろしていてな。何というか、今思えば、動作が熊じみているのはどうなんだ?

 

最初の子のガウェインは、本当に苦労した。

世話はもちろん乳母に任せていたが、教育は私がしたのだ。正直に言って、オークニーでの教育には限界がある。

少なくとも、ウーサー王の元で学んだことはあれにとってよい影響を与えると思った。

魔術の才があるなら鍛えてやれば良いとも思っていた。

・・・・・結果か?

言わずともわかるだろう?

頭は悪くないのだが、それよりも先に体を動かすのが好きで机に向かうのに合っていないのだ。必要なときは大人しく過ごせるのだが。

ガウェインは、本当に元気な子どもだった。それこそ体力の有り余った子だった。いくら昼間に遊び回らせ、木剣を振らせども、勉強は、途中で逃げ出していたが。

全力で体力を削ってなんとか眠らせていた。乳母にまったく寝ないと泣き付かれたのは良い思い出だ。

だが、体力が付く速さが尋常ではなく、全力で体力を削り、すぐに付いて眠らずといたちごっこでな。

アギーが生まれる少し前に普通に眠るようになって本当によかった。

・・・・よい男に育った。

一番に、夫に似た子どもだった。大きくなれば、大きくなるほどに泣きたくなるほどに似ている子どもだった。

太陽のように大らかで、いや、あれは雑と言った方がいいのだろうか。教えればすぐに飲み込むぶんにはよかったが、どうも力任せにごり押しで物事を勧める節が。それでなんとかなるから始末が悪い。

だいたい、あいつのああいう所は誰に似たんだか。

ただ、そうだ。あれは人に愛される子だった。それ以上に、人を愛している子だった。

本当に、それはあの男に似ていた。

まあ、王の命令であるからと気まずさで私に報告しないという愚行。何故、あれはあやつと同じように変な部分で及び腰になるのだ?

叱り飛ばしてやれば、部屋の隅で青い顔であの巨体を縮込ませていたがな。それも、本当に、あの男に似ていたな。

嫁のラグネルは賢い女だった。ああ、気に入った。ガウェインをよく尻に敷いて上手く手のひらで転がしていたしな。

ラグネルは残念だと言っていた。叶うならば、ガウェインの父に会ってみたかったと。

・・・・彼女の婚姻の理由を聞いた。ガウェインに彼女は聞いたそうだ。何故、自分に判断を委ねたのだと。それに、あれは苦笑交じりに言ったそうだ。

あなた自身の事なのだから、と。

あなたの心はあなただけのものなのだから、ならばそれはその心に委ねるべき事だ、と。

 

ああ、本当に、そういった所はあれによく似ているな。

 

孫の、四人の子どもたちも愛らしい子どもたちだった。

フロレンスにロヴァル、ガングラン。ロヴァル以外の二人は見事にガウェインに似ていたな。ラグネルも頭を抱えるほどに似ていた。

だが、嬉しくはあった。残された者があるのだと、そう思えば。

末の子の、ローアル。あの子の髪は、ガへリスに似ていてな。月のような、光にかざせば銀にも見える不思議な髪をしていた。私と同じ、青い瞳だったが。だが、あの子の瞳は不思議な色をしていた。

濃い、青の瞳。だが、光に透かせば緑のような、青のような、水色のような、そんな美しい瞳をしていた。

顔立ちも私に似ていた。ラグネルも私に似て、美しくて賢い子だと笑ってくれた。

モードレッドも、彼らを愛していたよ。

よき子だった。

愛らしい小鳥たちのさえずる声は、久方ぶりにオークニーに春の訪れを教えてくれた。

 

ガウェインは王の子として、次期オークニーの王としてよく働いた。最期は情に流されてしまっても、あれは確かによくよく私心を殺して義務を背負い続けてくれた。

ああ、そうだ、あの子は誰よりも王の子として実直に、父として誠実に、そうして長子として生きてくれた。

いつだって、私に春を連れて来てくれたのは、あの子だった。

私はあの子のことを心から誇りに思う。

 

 

アグラヴェインは、そうだな。

困難や必要であれば必要なときほど、あれは冷静に事実を見つめられる子どもだった。

そうだな、夫の言葉を借りるならば、アギーは私によく似ていたのだろう。

人間嫌いなところなど、本当によく似ていたな。

あれはよく眠る子どもだった。ガウェインの後に生まれた子どもがあまりにも、泣きもせずにひたすら寝ているだけで病か何かと心配したぐらいにな。

まあ、蓋を開ければただ単によく眠る子どもだったが。何というか、ガウェインの次の子だと意気込んでいたが、驚くほどに拍子抜けをしたというのか。

・・・・・手間がかからんかったなあ、あれは。何というか、いつも静かで、従順で。心配と言えば心配だったが。

だが、ガウェインの様子からして内政をどうするかと悩んでいたこともあって、あの子の存在は本当にありがたかった。

ただ、まあ、上の子二人は足して2で割ればありがたかったような気もするが。

きょうだいたちのことが大好きな子だった。ガウェインの後をついて回っては、あの子のまねをしていることもあった。

あれは人嫌いな子でな。一度苦手になると己から近寄ることは二度と無かった。ただ、一度愛してしまえばこれ以上にないほど情を傾けてしまう子だった。

夫はそういう所が私に似ているとよく言っていたが。

そうだな、私に似ていたのだな。きっと、愛していたが故に、敬愛していたが故に、あれは誰よりも何かを憎んでしまう子だった。

ダイルが亡くなったとき、誰よりも早くに駆けつけ、私を労ってくれた。あの子も泣いていたなあ。

そういう子だった。いつだって冷たくて、誰よりもあの子にとって世界とは平等で。そのくせ、一心に愛した者に対して心を傾けてしまう。

あの子の為したことは間違いだったのか、正しかったのか、それは私には何も言えない。

あれによって滅びたことも、それでも正当であったとも言える。

ただ、それでも、正しい子だった。清廉で、正しすぎる子だった。

私はあの子の優しさをわかっている。

 

 

ガへリスは、なんというか、アギーとは別に育てるのに困ってなあ。

寡黙であまり自己主張をしない子だった。

アギーと似ていたが、次男は次男で自分のしたいことがあれば頑固に主張してくる分、まだ意思を汲み取りやすかった。

だが、ガへリスは、他人が自分の意見を言うまで黙り込んでしまう子だった。

遠慮しているわけでは無い、自分の意思がないわけではない。ただ、他人の願いに沿って行動してしまう子だった。

悪いことでは無い、三男であるあの子がそういった他者を支えられる性質であったことは喜ぶべき事だろう。

ガへリスはガウェインにべったりだったな。いや、ただ単にガウェインが己の願いを素直に口にするために側にいることが多かったのだろうか。

一人でいる子だった。どこか、一人で日陰の中で広くを見ている子どもだった。

その静かな眼が似ていると思ったことがあった。義父に似ているという銀灰の瞳、だが、

時折浮かべる静かな瞳が、どこかあの、翠の瞳によく似ていると、そう思うことがあった。

母親としては心配だった。あの子は黙り込んで、そうしてじっと他人の言葉を待つばかりで。

悪意のある人間に会ったときあの子が手ひどく扱われないのかと思うときがあった。

あの子はあやつとよく時間を過ごす子だった。釣りが好きだったのだ。

私にもよく大きな魚が捕れたと言ってきてくれたな。

・・・・・子どもばかりとではなく、私にも構うべきだと思ったが。

いや、いい。それについてはいいのだ。

私の心配をよそに、あやつはガへリスならば大丈夫だというのだ。どこがだと私が言えば、苦笑交じりに言った。

 

ガへリスの側には、ガへリスを愛して、大事にしているものがいるからと。

 

そうだな、それでも、ガへリスの側にはあの子の言葉を聞こうとしているものがいる。そうだ、それならば、大丈夫なのだろうな。

・・・・ダイルの件か。

ああ、知っている。いや、あれは元を辿れば私の罪なのだ。ダイルを死にかけで見つけたとき、私はあれをなんとか生かそうと手を尽くした。

その時、事の顛末を聞いた。ダイルは何としてでもガへリスを引き留めようとした。ああ、理解している。

最初に剣を抜いたのはダイルだった。あれは、どうしてもガへリスを引き留め、思いとどまらせようとしたらしい。

私は、私は、あのとき、軋むような音を常に聞いていた。飛び立った子どもたちが恋しくて、禁忌に等しいことをした。ガへリスは、きっと、正しかった。

己の立場と、そうして大事にしたいものを天秤にかけて。あれが必死に、折衷案を告げていたことをダイルから聞いた。

ガへリスはそれからオークニーには戻らなかった。合わせる顔が無かったのだろう。私も、あの子にどんな顔を向ければ良いのかわからない。

ダイルを、あの子は殺した。だが、その原因は私だった。あの子は、モードレッドのことを責めなかった。

あの子は、静かな子だった。自分の願いを口に出さず、他人の願いを思う子だった。

それでも愛されている子だった。

あの子の犯した罪を、私は怒ることが出来ない。あれは私の罪が始まりだったのだから。

私はあの子の正しさを知っている。

 

 

ガレスは、ああ、あの子は私の手元に残った一人だった。

愛らしい子だった。笑った顔が夫によく似ていて。金の髪に混じった黒曜石のような黒が、私を見つめるまん丸の、翠の瞳がなんて愛おしかったのだろうか。

愛おしい子だった。

 

皆が皆、あの子を愛していた。

・・・・今思えば、皆、あの子に縋っていたのやもしれない。ロットが、死んだ後、オークニーの皆はロットの面影を色濃く受け継いだあの子を溺愛した。

それは、今に思えば、息苦しいものだったのだろうな。

だが、手放したくなかった。あの子がいなくなれば、これ以上、なにも奪われたくなかった。

それでも、あの子は飛んでいった。遠くに、兄たちの元に、憎い、あれの元に!

 

何故だ、奪われねばならない。私が何をした、お前にあの子はどれほど必要であったのだ?

多くの騎士がいただろう、私の息子を三人も奪っておいて、何故、あの子まで。

ガウェインたちはあの子を返してはくれなかった。わかっている、当時、すでにガレスは男児であると表向きでは見られていた。今、娘であるとばらすことも出来ない。そうして、名をあげてしまったあの子をこちらから返すことも出来ないと。

返せと叫んだ!

ああ、私の子だ!私が腹を痛めて産み、私が守るべき、ロットの娘だった!

あの白い手を見ただろう!あの華奢な体を知っているだろう!あの、柔らかな体を理解していたはずだ!

あの子は女の子だ!

騎士になど、そんなことを、赦すはずもないだろう!?

・・・ダイルをあてがおうとも考えていた。年は離れていたが、それでもあやつならば大事にしてくれるだろうと、思えたから。

帰っては来なかった、皆、皆、帰ってきてくれなかった。

あの子から手紙は来たが、私は、それを読むことも出来なかった。読んでどうする、謝罪をしても、帰っても来ない、薄情者。

苦しかった、苦しくて、そうして、寂しくて、私はモードレッドを産んだ。

 

狂っているというならばそうだろう。だが、どうでもよかった。

・・・・子を孕み、産んだとき、城の人間に魔術をかけて誤魔化した。

突然現れた、幼い子ども。城の人間は何も言わなかった。皆はきっと、子どもに全て去られた後、狂った私が拾ってきたのだろうと思っていた。

だが、それでも受け入れたのは、あの子の瞳はガレスと同じように美しい翠の瞳をしていた。

驚いたのは、あの子は、父上によく似ていた。忌々しいほどに似ていて、それでも、あの子の瞳は本当にロットに似ていた。

愛していた。愛おしい、真っ直ぐな、末の子を。

あの子だけが私の側にいてくれた。あの子だけが私の元に残ってくれた。

ダイルは、あの子によくよくしてくれた。ダイルだけはモードレッドの真実を知りたがった。

・・・・教えてしまったのは、きっと、あの男の嘆きを私は知っていたからだろうか。

ダイルはそれでもそれに引かなかった。ただ、何も出来ない己の不甲斐なさを嘆いていた。

あれもまた、狂っていたのやもしれん。私たちにとって、それほどまでに。

 

・・・・それでも、ガウェインが妻と孫たちを私の元に住まわせるようになって、そうして、ラグネルと話をしたとき。

私は、寂しくないのだろうかと聞いた。当時、フロレンスたちもよく遊びに来てくれたが騎士となっていた。それに、ラグネルは一概には言えないが、と前置きをした。

 

親は永遠に子どもを庇護できるわけではない。いつか、子らは否が応なしに一人で羽ばたかねばならない。

男は戦いに、娘は嫁いでゆく。寂しい、それは、とても寂しいけれど。

それでも、それほどに大きくなり、自分の足で立って歩いて行く子どもたちを祝福したい。いつか、安心してさようならができるように。

 

 

・・・・それに思い出したのは、ガレスと、そうしてモードレッドだった。

ガレスは己の意思で私の鳥かごから飛び出した。私には出来ないことだった。あの子は自分のために、飛び立った。それはとても薄情だったのだろう。私はそれが嫌だった、あの子は女の子だった。戦うなんて事をして欲しくはなかった。

だが、モードレッドのことを思い出した。

モードレッド、父上に似たかんばせ、ロットによく似た瞳。

あの子の命の有限さを思い出した。あの子は、私よりも早々と死ぬだろう。私はモードレッドが騎士に憧れていると知っていた。だが、ガレスのことがあり、それを言えなかった。

ただ、ふと、思ったのだ。

あの子を、私の寂しさで、苦しみでだけで、縛り付けて良いのだろうかと。

あの子たちは私の子どもであったが、だが、けして、私の“もの”ではなかったのだな。

あの子はオークニーの中で死ぬのだろう、あの子は、ただ、この北の国、この世の果てで死ぬのだろう。

 

・・・・・本当に、それでいいのかと思った。

ラグネルの言葉を思い出した。そうして、男が、私に残した手紙を思い出した。

 

美しいものを、あの子たちは見たのだろうか。愛しい、四人の子どもたち。

ならば、末のあの子は?あの子は、ここで、この箱庭の中で、何を見るのだろうか。あの子だけが、見えないままだろうか。

オークニーは美しい国だった、優しい国だった、愛しい国だった。

けれど、ここにないものだって、確かに存在するのなら。

だから、モードレッドに聞いた。騎士になりたいかと、兄たちの元に行きたいかと。

あれは散々に悩んで、頷いた。

それに、きっと、私は諦めが付いたのだろうな。

私は小鳥の巣立ちを認めたのだ。

これでも、母親なのだ。産んだ子どもたちがいつまでも可愛いままに、愛らしいままではいてくれない。

もう、子どもまでいるのだから。ならば、幼い子どもである時期はとっくに過ぎていたのだろう。

 

どうか、人生の宝を見つけておいで。

悲しいこと、苦しいこと、喜びに、楽しみに、友を見るだろう、敵と相まみえることになるだろう。

人生というお前の時間の中で、短くはあれど、それでも、喜びも悲しみも味わうといい。

通らぬ道を残さぬように。

 

ガレスもそうだったのかもしれない。あの子も、また、美しいものを見るために飛び立ったのなら、己を救うために走ったというなら、その夢のために足掻いたのなら。

母はそれを祝福してやりたかった。

 

ガレスは強い子だった。皆が弱く、可憐であれと願ってもそんなことは関係ないように跳ね出るように出て行った。私はその強さをまぶしいと思う。

モードレッドは優しい子だった。そうだ、ずっと、ずっと、私のことを慮ってくれた。

最期まで。

 

モルガン()は子どもたちの母であれたことを心の底から幸せに思っています。

モルガン・ル・フェ()は勇敢なる子どもたちに誉れをやろう。

湖の乙女()はその生を祝福をしていたよ。

 

・・・・そうだ、ランスロットに、子どもたちが殺されて、ただ、一人になっても、あの子は私を慮ってくれた。

 

 

・・・・アギーに、ガへリス、ガレスが、孫たちが死んだと聞いたとき、嘘だと思った。

あの子たちを同時に殺せるものなどいないと思った。

思って、それでも、モードレッドが連れて帰ってきてくれた、三人のそれをみて、私はああ、と思った。

死んでいた、そうだ、殺された。

 

あれの不始末、グィネヴィアとランスロットの乱痴気騒ぎに、それで、私の子どもたちは死んだのだ。

 

教えてくれ、誰でも、いい。教えてくれ。

私が何をしたのだ!?

ずっと、いい子にしていただろう?

 

なあ、そうだろう?

ロットも、オークニーも、そうして子どもたちのことも利用しようと思っていた!

だが、そうしなかった!

それ以上に、愛していたのだ!それ以上に、もう、私の願いよりもなお、私の使命よりもなお、大事にしたかった!

だから、それでいいと思っていた。なのに、なのに、なのに!!

皆、私から奪っていった!私から取り上げる!

アーサーよ!何故だ、何故だ!

お前の願うように大人しくしていただろう!お前の望むとおり、必死に何もかも、歯を食いしばって耐えてやった!

お前が王であったことを、私が邪魔したことなどあったのか!?

王になって、私からあれを奪って、そうして、その末路がこれだというのか?

お笑いぐさだ!

 

は。ははははははははははははははははははははははは!!

くだらんな。本当にくだらんな、こんな乱痴気騒ぎを起こして、誰を幸せに出来たというのだ、誰の幸福を守れたというのか!?

貴様のために散々に馬車馬のように私の子どもたちは働いただろう、泥を被っただろう!?

それで、この、結末が、これなのか?

マーリンよ!

散々に引っかき回し、その果てにあるものがこれか?

ウーサー王と考えた結果は随分お粗末なのだな!?円卓などと言うそれに座りながら、結局互いのことなど見えていなかったではないか!?

新しき王に価値などなかった、そうだ、ただの兵器、ただの終焉の王!

全てを守りたいとほざき、その果てに全てをぶち壊したというなら、これ以上の笑いぐさなどないだろう!?

 

ああ、そうだ。どうだ、望んだとおり、お前たちの思うとおり、私は滅びの魔女になってやっただろう!?

ああ、愉快じゃないか?なあ、とっても、愉快なことだ!

そうだ、私は結局変わらなかった!

どれだけ愛そうと、どれだけ愛されようと、どれだけ満たされようと、私は人に仇なす魔女だった!

だが、貴様らと私の何が違う?

結末を見ろ、ほら、憎悪と怒りと不信が貴様らを見ているだろう。それはお前たちが蒔いた結果だ、お前たちが産んだ結末だ。

なあ、愉快じゃないか?人生とは、本当に愉快じゃないか!?

 

 

・・・・いや、わかっている。

私はお前たちを憎んでいる。けれど、その資格が私に無いことだって、わかっている。

私は、そうだ、そんなことを言って、結局あの男の愛したものを滅ぼしてしまったのに。

 

 

・・・・ランスロットとグィネヴィアのことを、私は、憎みきれない。

グィネヴィアは、ある意味で私だった。

望んでいない環境、努力しようと変わらないこと。ああ、わかるさ。わかるとも。

なあ、どこにも行けないこの身で、現れた王子様がどんなものか、私だって知っている。

怒りがある、憎しみがある、だが。女のその心がわかるなら、ランスロット卿の狂行をよくやったなどと、思ってしまう自分もいた。

憎しみがある、怒りがある。だが、だが、私は、あの女の気持ちがわかるのだ。

 

 

ガウェインが死んだ。

仇を取って、ランスロットと共に死んだ。モードレッドが迎えに行ってくれた。

ラグネルが泣いている。末の孫娘が泣いている。

棺の中に収まったあの子は、ロットが死んだときと、よく似ていた。

あの子は、何を思っていただろうか。誇らしいとでも思っていただろうか、後悔していただろうか。

目的を果し、そうして、妻と娘に泣かれてしまって、この結末を満足しているだろうか。

わからない、わからない。

私は泣いて、泣いて、そうして、もう、どうでもよくなった。

 

アーサーのことも、マーリンのことも、ランスロットのことも、グィネヴィアのことも、怒りと憎しみがあった。

だが、それ以上に、そのくせ、当たり前のように明日がある今が憎かった。このまま、もしかしたら滞りなく進んでいくかもしれない国が憎かった。

憎かった、憎くて、苦しくて。

もう、私は、全てが憎かった。ロットのいない、世界に、もう、なくなってほしかった。

私は、この世界で生きていくしかない事実が憎かった。

きっと、世界の法則だとか、この島にある事実さえ解決すれば、私の子どもたちや夫に起こった悲劇を忘れて生きていく民が憎かった。

当たり前のように輝く、それらが私のことを焼き裂くというならば、この世界など滅びればよかった。

きっと、その後に訪れる暗闇は、優しいだろうから。

 

もういいよ、と声がした。

教会の中で、一人で泣く私のもとにモードレッドがやってきた。床に座り込んで泣いた、私に、あの子は、もういいよと言った。

・・・・悪魔のささやきのようだった。

あれは、ロットと同じように、そうだ、あの日と同じように、私のことを赦してくれた。

あの、翠の瞳が、私を見ていた。

開け放たれた扉から、若葉の匂いがした気がした。空が、見えた。青い、真っ青な空の中で、黄金の髪をした、翠の瞳をした父が、これ以上無いほどに笑っていた。

 

壊してしまおうよ!ねえ、お母様のことを苦しめる世界なら、悲しいままの世界なら壊してしまおうよ!

 

弾むような声がした。優しい、声がした。誰よりも、その声は優しかった。

手を広げて、笑うその様はまるで天使のように美しかった。

 

このままお母様からだけ奪っていく世界なら、このままお母様だけが苦しいのなら。そんな世界いらないよ!

ねえ、誰か一人が幸せになるような世界なんて、誰かの犠牲で誰かが幸せになるような酷い世界、僕が壊してあげるから。

それなら、誰も、もう、憎まなくていいよね?

 

平等だと、それは言った。私は、私は、それに、言ったのだ。

 

いいの、と。

己の手を汚すことも無く、憎しみを遂行して。そうして、私は結局、魔女になる。悪辣なる、妖婦でしかなくなると。

 

モードレッドは、私を抱きしめてくれた。

それでも、いいのだと。

 

だって、ねえ、だって。みんな、お母様から奪われても、何もしてくれなかったもの。だから、いいんだよ。

きっと、止めてくれる人を奪っていったんだもの。兄様たちのことも、姉様たちのことも、ぜーんぶ、奪ったんだもの。

それはさ、世界がみんながそう望んでるんだよ!だから、お母様が望むなら、魔女になってもいいんだよ。

みんなで苦しんで、みんなで終わろうよ!どんなになったって。お母様は、僕の、お母様、だから、と。

 

そうだ、それは、本当に優しくて。

私は、そうだなと、笑った。

だって、誰も彼も、私を止めてくれる人を奪っていったのですから!

皆、私から奪っていったのに、笑っていたのだ!

たった一人の子どもが、そう言ってくれるのだもの!

 

なら、私は魔女でいい。

 

 

滅びを見た。

悉く、滅んでいった世界を見た。私はそれに笑った。だって、これで平等だった。これで、みんな、不幸じゃないか。

誰のことも妬ましくない、誰のことも、憎まなくていい。

 

・・・・ふと、そうだ、ふと。周りを見た。

誰もいなかった。誰も、もう、私の周りには、誰も。唯一残った、息子さえも、いなかった。

 

モルガン()は自分の愚かさを何よりも誰よりも嘆きました。

モルガン・ル・フェ()は自分の所業にあきれ果てた。

湖の乙女()は最初から決まっていたのかもしれないと嗤っちゃった。

 

 

・・・・・ロットのこと?

そうだな、ああ。そうだ。あれの話を、もう少しだけしても構わないか?

そうだ、あの男に対する印象なんて良いものではなかった。

大体、私をずっと軽んじていた。ああ、腹立たしい。憎らしい。

それでも、あれは最期まで私の心を聞いてくれた。私のことを信じてくれた。

あいつの側にいることが出来れば、あいつが私のことだけを見ていてくれれば私はきっと、か弱いままの姫君でいてよかった。

ただの、か弱いままに、歴史の中に消えていく程度でよかった。

誰にだって覚えておいて欲しいわけでは無かった、ただ、ただ、私が知っていればそれだけでよかった。

あの男は私を赦してくれた、苦しいこと、憎むこと、私の中の醜さと赦してくれた。

 

なあ、お笑い話だろう。

託されたものを、大事にして欲しいと願われたものを私は結局守れなかったのだから?

愚かな私の、恋の話だ。

私がした、恋の末路だ。

ある女の愚かさの話を笑ってくれ。

ある狂った魔女(おんな)の末路に呆れてくれ。

ある子どもに罪を着せた醜い母親(おんな)を蔑んでくれ。

 

モルガン()は永遠に己の罪を許すことはないでしょう。

モルガン・ル・フェ()は己の愚かさを永遠に怒り続けるだろう。

湖の乙女()は永遠に己の所業を忘れることはないよ。

 

 

子どもたちに酷いことをした。私は、結局、何も出来ないまま、あの子たちが守ろうとしたブリテン島も、そうして、オークニーさえも守れなかった。

ああ、ラグネルのことは心配はいらない。湖の乙女(私)は、あれの神秘と、そうして聖槍の後始末をする義務がある。封印を施して、墓守を任せた村にアーサーの遺体を埋葬した。ラグネルと孫娘はあの村で穏やかに過ごせるだろう。

・・・・・私は私を赦さないだろう。せめて、彼が守りたかったものさえも滅ぼした私を。

 

ロットに、会いたい。

もう一度、あの暖かな腕の中で眠りたい、堅い頬にくちびるをすり寄せて、微笑んだ顔が見たい。

もう一度だけ、もう一度だけでいい、会って、謝りたい。

・・・・わかっている、私は二度とロットには会えない、会ってはいけない、会うわけにはいかない。

だって、そうだろう。

魔女には、王子様なんてやってくることはないのだから。

 




俺の妻へ

あなたに初めて手紙を書く、拙いものだとわかっているから、どうか勘弁して欲しい。
最後まで読んでくれればありがたい。



あなたと初めて会ったとき、俺は正直言って緊張していた。何と言っても母親もいなかった俺にとって女の家族なんて初めてで、おまけに高貴なお姫様なんてどうすればいいのかなんて散々に悩んでいた。

結果として、俺は本当に運が良かった。モルガン、あなたのようなよき妻に巡り会えたのだから。
あなたと過ごした日々は本当に幸せだった。あなたは俺に家族を与えてくれた。一人で、父も母もいない俺にあんなにも多くの子どもたちが出来たことが本当に嬉しかった。
ガウェインの時はすまない、父親になるものとしてあまりにも覚悟が足りなかった。本当に申し訳ないことをしたと思っている。
といっても、皆にでかいから邪魔だと疎まれていたから、出産で俺に出来たことがあったのかわからないが。

北の果てのこんな国に来ることはさぞかし心細かっただろう。だが、あなたはそれでもこの国に尽くしてくれた、よくしてくれた。
俺はモルガン、あなたを大事にしたかった。大事に出来ていただろうか。今更聞いても遅いな。
すまない、本当にすまない。
こんなことをここで聞くのはあまりにも不誠実が過ぎるな。それでも、きっと、最期になってしまうからこんなことを書いてしまうのだな。
俺は自分でアーサーに負けるような気がしている。いや、この手紙を読んでいる時点で俺は負けたのだろう。
死んだことを悲しくは思っている。だが、今、思い返しても俺の人生は幸福だったんだ。
あなたと過ごした、日々。
花畑にいったことも、遠乗りで共に若葉のカーテンをくぐったことも、実りの秋に黄金色の麦端かを眺めたことも、寒い冬に白銀の世界を歩いたことも。
全てが、美しい記憶ばかりで。俺はどうしようもなく、幸せだったと言えるんだ。
記憶の中のあなたが、誰よりも、美しくて愛らしくて、そうして、幸せに笑っていてくれるから。だから、どうしようもなく、幸せだったとしか言えなくて。

子どもたちのことも心配していない。モルガンがいる。ダイルもいる。あの国でならきっと、よき子に育つだろう。

モルガン、俺は正直、自分の生にさほどの執着は無かった。国を滅ぼすだとかとんでもないような事をしない限り、どうとでもなると思っていた。
だが、あの日、あなたのことを知ったとき、俺は生きていてよかったと、本当に嬉しくなるほどに美しいものを見ることが出来た。
子どもたちも見つけられるはずだ、美しいものを見てきてくれると思っている。
あの日、俺があなたに会ったときのように。とびっきりの、美しいものに。

モルガン、あなたは俺を恨んでいるかもしれない。
全てをあなたに頼んで、そうして死んでいく薄情な夫のことを。
赦して欲しいなんて言わない、これからあなたに苦労をかけるのだろうから。
幸せになって欲しい。そう思っている。俺がいなくなっても、あなたには笑っていて欲しい。あなたのおかげで俺の人生は幸せであったのだから。
でも、すまない、最後だからこうも思ってしまう。
ずっと、ずっと、永遠に俺のことを引きずって、俺のことを考えて生きて欲しいなんて、そんな酷いことを考えてしまっている。
あなたの隣に俺以外の誰かが立っていることを考えると、正直、妬ましくてたまらなくなってしまう。
だが、やはり、あなたには笑っていて欲しいから。幸せになって欲しいから。
どうか、俺のことを気にして、あなたの願いを躊躇することだけはしないで欲しい。
あなたが苦しんでしまっては、悲しんでしまっては、それでは意味が無いのだから。
俺はオークニーの人々を愛していた、善き人々だった。醜いところもあるけれど、それでも、強くて美しい人々が生きていた。
あなたの帰る場所になれただろうか。それならば、こんなにも嬉しいことはない。
一つだけこれだけは覚えておいてくれ。
俺はあなたを愛していたよ。
オークニーに素敵なものを連れてきてくれた。春風のような人へ。
オークニーで生きたロットという男は、あなたへ恋をしていました。そうして、愛していました。
それだけを、どうか、覚えていてください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永遠夢幻国 オークニー
???


 

やあ、ご機嫌はいかがかな?

ここ?

ここがどこであるだとか、いまがいつかとか、ひとまず君には関係の無いことだよ。

君がすべきこと、そうして、考えるべき事はたった一つだけなのでね。

君は、その剣を抜くか、それとも抜かないか。選択すべき事は一つだけさ。

ただし、その剣を取る前にちょっとだけでも考えることを薦めるよ。

もちろん、それを引き抜けば相応に君には恩恵が与えられる。そうだ、君だけではけして与えられることの無い、奇跡と言えるような出来事がもたらされる。

だが、その代り代償が必要になる。

それを引き抜けば最後、君は人ではなくなる。それでもいいのかい?

 

 

その言葉でようやく気づいた。目の前に、剣がある。

何と表現して良いのかわからない。ただ、剣が目の前にある。台座に深々と刺さったそれは沈黙して自分の前にあった。

代償とは、なんだろうか。それはわからない。ただ、それによって起こされる奇跡というものが何か理解できた。

自分は、それに手を伸ばした。

また、声がそれを引き留める。

 

いいのかい?

その選択肢はお世辞にも楽なことではないはずだ。君はまた、役目というものを背負い込む。もっとも、君にとっては辛い配役を振られてしまう。

 

それに自分は少しだけ考えた。

そうだ、確かに、辛いだろう。きっと、苦しいと思うことはある。自分に出来るだろうか、とも思う。けれど、それでもいいかと思う。

 

奇跡なんてものは結局の話、起こったとしても何百という代償の果てに、砂粒程度のものが与えられるのが当たり前なのだ。

だから、自分はその剣を握った。

己の存在程度で、それが叶うというならば。それほどの幸福は無いはずだ。ならばいい。自分はそれに納得できる。

どれほどの苦難、どれほどの迷いがあっても。その奇跡を自分は望んだのだから。

 

もう一度、その柄を握った。そうして、それをゆっくりと引き抜いた。

 

それに、また、呆れたような声がした。

 

あーあ。

辛い選択をするものだ。君はこれから心しなくてはいけない。

君は、多くのものを壊すだろう。君は、多くのものを殺すだろう。君は、多くのものを滅ぼすだろう。

それでも、君はいいのかい?

 

おかしなことを言うと、ぼんやりと思った。

覚悟があるから抜いたのだ、選択したからここにいる。

頷いた自分に、それは心の底から呆れた声を出した。

 

 

まあ、いいさ。

君がどちらを選んでも。関係の無いことだ。

それじゃあ、頑張ってくれ。

 

そうだ、最後にそんな君に一つだけ。

 

産まれ墜ちる影に祝福あれ

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初めまして、勇者様

新章になります。
以前よりは投稿頻度が下がりと思いますが、ご了承を。
設定とかもろもろとこねて頑張ります。
宝具の英語を考えるのが一番悩む。
感想、評価、ありがとうございます。
また、いただけると嬉しいです。


 

役目を果せと、父は言った。

 

産まれた意味、生かされた価値、生き抜いた足跡。

それは全て、誰かに対価を以て与えられたものに過ぎないのならば。

それをいつか、返さねばならない。

 

王とは、この世で何よりも、他人を必要とせねばならない生き物なのだ。その子であるのなら、なすべきことをなしなさい。すべきことをするといい。

その首は、いつか、全ての咎の対価に明け渡すことが叶う価値があるように。

 

けれど、それでも、もしも、父として叶うならば。どうか、美しいものを見ておいで。

決まり切ったこと、なさなければいけない義務、それを否定することは出来ないけれど、お前がお前なりに救われるように生きることができることを願っているよ。

 

 

 

さやさやと、どこかで音がする。

優しい音だ。その音と共に自分に降り注ぐ柔らかな日の光と、そうして心地の良い風を感じた。

藤丸立香は非常に穏やかな心持ちで、微かに感じる意識の外の感触に息をついた。

 

(気持ちいい・・・・)

 

微かに甘い匂いも漂ってくる。心地が良いその感覚に、このまま眠っていたいと強く願ってしまう。

 

「・・・・っすたー。」

 

そこで誰かの声がする。ああ、起きなくてはいけないのか、そう思う。けれど、そのまどろみがあまりにも心地が良すぎてこのまま眠っていたいという欲求にかられる。

少しだけ浮上した意識はそのまま、すやすやと眠りの中に落ちていく。

 

「おい、マスター!!」

 

雷鳴のような声が突然聞こえた。それに、立香はがばりと慌てて起き上がった。

 

「よかった、起きられたんですね、マスター。」

「・・・・あれ、グレイ?」

「ようやく起きたか、ねぼすけめ。」

 

立香の目の前に立っているのは、銀の髪をした少女だ。黒いワンピースに灰色の、フードの付いたローブを身に纏っている。そうして、カンテラのような、鳥かごのようなものを持っている。その中で、四角形の何かが楽しそうに笑っていた。

立香はそれによってようやく自分の周りに視線を向けられた。

そこはうっそうとした森の中だ。木々が生い茂り、日の光が所々射しているが非常に薄暗い。

立香ははてりと首を傾げた。何故って、彼の記憶では確か自分はベッドの中ですやすやと眠っていたはずなのだ。

だというのに、自分は何故か柔らかな風の中で昼寝をしている。立香は慌てて立ち上がった。

そうして、周りを見回せばやはりどう見ても森の中だ。

 

「マスター、ここがどこかなどは覚えておられますか?」

「えっと、ごめん。確か、自室で寝てたはずなんだけど?」

「ああ、そうですか。実は、私は気づいたらここに。ただ、マスターとのパスは繋がっていたのですぐに見つけることが出来たんですか。」

「現状がどうなってるのかって、わからないよね?」

「申し訳ありません、拙は魔術師としては未熟で。」

「いや、ごめん。わからないものはわからないんだし。」

 

そう言いつつ立香は周りをまた見た。現在、危機感というものを持たなくてはいけないのだが、辺りはあまりにも平和すぎる。

森の奥まったところとは言え、辺りには微かに鳥の鳴き声もしており、特別暑いとか、寒いなどと言うことは無い。

 

「どうしましょう、カルデアからの応答をまちましょうか?」

「うーん。そうだね。それが安全パイなのかもしれないけど。」

 

確かにカルデアからの応答があるのならそれを待つのが安全だ。だが、自分たちの状態がどんなものかわからない。何よりも、カルデアからの応答が来るような状況なのかもわからない。

ならば、現状をできるだけ知っておくことを立香は選んだ。

 

「ともかく、せめてここがどこかだけでも理解しておくのが一番だと思うんだけど。」

「そうですね、せめて森を抜ければ、何か手がかりのようなものがわかるかもしれません。」

 

二人はそれにうなずきあってそのまま歩き出した。

森の中はうっそうとはしていたが平和そのものだった。危機感を持とうと思っているが、あまりにも何も起きず、普通すぎる。

 

「うーん、グレイは何か、ここに感じることってある?」

「拙、ですか?」

「うん、グレイがここにいるのは何か理由があるんじゃないのかなって。」

 

立香はそう言いながら、これがレイシフトなのか、それともいつもの夢の中なのか曖昧だ。普段ならばナビゲートのような存在がいることが多かったが。

隣にいるグレイはお世辞にも事情を知っているとは思えない。立香は考えれば考えるほどに今がどうなっているのか理解が追いつかなくなる。

その時、グレイが足を止めた。そうして、

 

「アッド!」

「おうさ!」

「第一段階、限定解除!」

 

グレイがそう言うと同時に、アッドが解けるように消え、同時に大鎌が現れる。

 

「グレイ、敵!?」

「わかりません、でも、何かが近づいてきてます!」

 

グレイが叫ぶと同時に、木々の間から、何かが近づいてくるのが見えた。それは、大木が連なり、お世辞にもスムーズには動けない森の中でも滑るようにこちらに近づいている。

それは、強いて言うならば、黒騎士だ。

黒い鎧、黒い兜、頭の先から足の先まで、真っ黒の鎧に覆われている。丸みを帯びた、シンプルなデザインのそれを纏った騎士は滑るようにこちらに近づいてきていた。

立香はちらりとグレイを見た。

逃げることも考えたが、お世辞にもそれから逃げ切れるような手段は持ち合わせていない。

グレイは対死霊を得意としている。明らかに相性が悪すぎる。グレイの大鎌では木々の茂る森は戦いにくい。何よりも、現状では正面からやり合うのはあまりにも不確実事項が多すぎる。

 

「グレイ、ともかく逃走一択だよ!気を引いて!」

 

立香は数少ない、己の攻撃技と言えるガンドの構えを取った。それにグレイは全てを察したのか、構えを取った。

自分たちに近づいてくるその騎士は自分たちを目測で確認したのか、無機質に言葉を吐いた。

 

「対象確認、鏖殺する。」

 

その言葉と同時に黒騎士はそのまま腰に刺した剣を構えた。グレイがそれに応戦する。

が、元より軽いグレイはその騎士の一撃に吹き飛んだ。グレイは近くにあった木の表面に着地する。それに騎士は近くにいた立香に視線を向ける。立香はグレイに気が行った騎士の動向を見逃さなかった。

魔術礼装は生きているようで、彼の指から魔力の固まりが放射される。けれど、騎士はそれに完璧に反応して見せた。その一撃を、剣で受け止めてみせる。

さすがに衝撃があったのか、少しだけ動きを止める。

 

「マスター!」

 

グレイがこちらに近づいてくるのが横目に見えた。立香もまた逃げるために体を動かそうとした。

自分は騎士の追撃の範囲に入っている。間に合うか、二人の思考に同時に浮かんだそれの瞬間、森のどこからか声がした。

 

「伏せろ!!」

 

その声に立香は反射のように体をかがめた。それと同時に、右手から声がする。

 

「これなるは、路傍の石にすぎず!されど、この身が一つの砕きし武器とせん!」

 

風切りたる、一射の石(グウィント・スタッフスリング)

 

轟音のような音と共に、魔力を纏った石が騎士にぶつかった。まるで、車同士ぶつかったかのような、そんな衝撃音が辺りに響く。

騎士はそのまま体を揺らせた。

 

「ほら、逃げるよ!」

 

木々の間から、一人の少年が躍り出て立香の手を掴んだ。少年は自分たちに近づいてくるグレイにも視線を向け、走る方向を指した。

 

「え、あ、わかった!」

「そっちの子も!」

「は、はい!」

 

少年は立香の手を掴んで、引きずるように森の中を走り出した。そうして、グレイもそれを追っていく。

後にはまるで動きを封じられたかのような黒騎士だけが残された。

 

 

 

「・・・・ここまでくれば、大丈夫だね。」

「あ、えっと、ありがとう。」

 

少年は暫く森の中を滑るように走っていたが、突然、何か目処でもあったのか立ち止まった。二人もそれに倣い、立ち止まる。

 

「いいよ、危ない所だったね。」

 

そういって振り返った少年の姿を、立香はようやくはっきりと見ることが出来た。

 

「でも、二人とも怪我が無くてよかったよ。」

 

まず、少年のことで目に付いたのはその瞳だった。青と緑の、いわゆるオッドアイのそれは非常に神秘的だった。

にっこりと笑ったその顔は、犬のような親しみやすい愛嬌を感じさせる。

黄金に輝く髪は、太陽のようにきらきらと輝いている。衣服は、青を基調としており、上着に膝丈ほどのズボンを履いていた。そうして、白い簡素なフード付きのローブを身に纏っており、籠手など鎧のようなものを所々につけていた。

そうして、何よりも目に付くのはその腰に下げられた、少年の身の丈ほどあるのではないかという大剣だった。

 

(・・・・なんだか、誰かに似ているような。)

 

立香はそんなことを考えて少年の顔をじっと見た。

 

「マスターを助けてくださり、ありがとうございます。」

「ますたー?」

 

少年の不思議そうな顔を見て、立香はそう言えばと思い出す。彼に対して、なんと説明すべきだろうか。

この少年は現地人なのだろうか。ならば、できるだけ情報を集めたいと考えた。

その時だ、彼の腰に下げていた剣がまるで打ち鳴らしたかのような、金属音を立てる。

それに剣の方を三人は見た。

少年は驚いたような顔で剣を見ていた。

 

「ヴィー?」

「どうかしたの、えっと。」

 

そこで立香は目の前の少年の名前を聞いていないことを思い出した。

 

「そう言えば、俺は藤丸立香っていうんだけど。君の名前を聞いてもいいかな?」

「私は、グレイといいます。」

 

その言葉で我に返ったのか、少年はああと二人を見た。そうして、少しだけ悩むような仕草をした。

 

「ボク?ボクは、そうだな。」

 

そうして、意を決したかのような顔をする。

 

「ボクは、ボクの名前は、コンラだよ。こっちの剣は、ヴィーって言うんだ。」

 

コンラ、という名前に立香は思い当たる存在があった。

 

「コンラって、まさか、クー・フーリンの息子の?」

 

グレイもその名前には覚えがあったらしく、驚いたような顔をしていた。

それに対してコンラと名乗った彼はにっこりと微笑んだ。

コンラはクー・フーリンの有名な子殺しの逸話に出てくる少年だ。影の国で母親と共に暮らしていた彼は父親に会いたくなり、一人で旅に出る。その間、数々の冒険をしていくが、最後には父親に殺されてしまうのだ。

確かに、立香の記憶では彼はスタッフスリングの名手であった覚えがある。

 

(剣に関する伝説なんてあったっけ?)

 

立香ははてなと首を傾げた。彼の記憶にある兄貴とは容姿がかけ離れているが、母親似の可能性が高いだろう。

 

「・・・・さて、それじゃあ、ボクも君達に話すことがあるんだ。」

「話す、こと?」

「そうだよ、ボクは君達を待っていた、星見の台、または彷徨える海より来た、最後のマスター。」

 

ボクと一緒に、魔女を殺して欲しいんだ。

 

そう言った彼の声と共に、遠くで微かに鳥の鳴き声がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

隠れ家

説明回。
頑張って書き切ろうと思います。

感想、評価、ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


「・・・・魔女?」

 

思わずいい返した藤丸立香に目の前の、コンラと名乗った少年は苦笑した。

 

「うーん、そうだよね。びっくりするよね。もう少し、詳しい話をしたいと思うんだけど。少し、移動しようか。グリムが追ってきても困るし。」

「グリム?」

 

グレイはそれに記憶を掘り起こす。それは、彼女の故郷で伝え聞く、死の前触れと呼ばれる不吉な黒い犬の妖精だ。

 

「・・・まあ、あだ名みたいなものだよ。あいつ、ある程度の範囲をうろうろしててね。その地域に立ち寄らない限りは安全なんだけど。でも、すぐに離れよう。」

 

付いてきて。

 

それはそう言って、また森の中を歩き出した。それに立香はちらりとグレイを見た。グレイもまたこくりと頷いた。ひとまず、彼についていくしか道はない。そう、互いに理解してそっと彼の後を追った。

彼は無言でどんどん木々の間をぬって歩いて行く。

 

「どこに行くの?」

「ボクが使ってる隠れ家だよ。」

「隠れ家・・・・」

「うん、まあ、あくまで借り物だけど。追い出されることは無いから安心して。」

 

くすりと笑った横顔は、やはり誰かに似ていた。

 

 

三人が暫く歩くと、湖に出た。澄んだ水がきらきらと光るそこは非常に美しいものだった。

コンラは湖にたどり着くと、近くにいた立香の腕を掴んだ。

 

「それじゃあ、行こうか。」

「え、行こうかって?」

「隠れ家だよ。この中にあるんだ。」

 

コンラはにっこりと微笑んでそのまま立香を引きずり込むように水の中に落ちた。

 

「マスター!?」

 

グレイの叫び声が聞こえた。ばしゃんと、何かが水に落ちる音がした。思わず息を止めたが、立香は水に包まれることは無く、上下感覚が一瞬狂ったかのように思えた。

そうして、気づけば自分が霧がかかった湖に浮かんでいることに気づいた。

 

「あははは、ごめんね。びっくりさせちゃったね。でも、こうした方が早いと思って。」

 

そうして、いつの間にかグレイも立香の隣にいた。ぷかぷかと浮かんだ二人を見てコンラは言った。

 

「ほら、あそこがボクの隠れ家だよ。」

 

コンラがそう言った先には、ぽつんと小さな、島と言っていいのか陸がある。そこには、館、といっていいのか大きな家があった。

 

「魔術?」

「そうそう、ボクもよくわかんないんだけど、湖の中に?作ってるらしいけどよくわかんないんだよね。」

 

立香はそのままざぶりとコンラに引っ張られて島にたどり着いた。

島に着くと、周りは霧に覆われて岸の向こうはよく見えない。そうして、立香は己がまったく濡れていないことに気づいた。

 

「あれ、濡れてない。」

「ここ、幻の湖だから実際水に飛び込んだわけじゃないんだよ。さあ、入って。たぶん、待ってるだろうし。」

 

コンラはそう言ってそのまま家の入り口らしい扉を開けて入っていく。立香は改めて館を見上げた。石造りのそこはしっかりとした作りのように思えた。

 

「マスター。このまま、入ってもいいんでしょうか?」

「・・・・うーん、でも、ここまで来ちゃったしね。」

 

グレイに苦笑交じりにそう言うと彼女もそうですねと頷いた。そうして、意を決して館の中に入ることにした。まず、警戒のためにグレイが先に扉を開けた。

そうすると、家の中から仄かに暖かな空気を感じた。

扉の先は柔らかな光に包まれていた。左右に幾つかの扉がある短い廊下が続いている。廊下の少し先にコンラがおり、その奥に進んでいった。

立香とグレイはコンラの後ろに続いた。一番奥の扉をコンラが開けた。

 

「ヴィー?帰ったよ?」

 

コンラがそう言って入っていく。それに立香たちは続いた。部屋は広々としており、どうやら居間に当たる部屋らしい。

部屋の真ん中には大きな長椅子が置かれており、その近くに暖炉が置かれている。壁には大きめの本棚と、そうしてこれまた大きな曇った鏡がかけられていた。

 

「おっと、ただいま。ヴィー。」

 

二人が部屋を見回していると、前に立っていたコンラが何か受け止めるような仕草をした。そうして、視界の端から何かがコンラに抱きついた。

 

「紹介するね。この家の持ち主のヴィーって言うんだ。」

 

そう言ってコンラの影に隠れていたものが顔を出した。

それはコンラとそう変わらない年格好の美しい少女だった。

ふわふわとした金の髪は結い上げられ、豪奢な花の冠をつけていた。纏った衣装は、まるでふわりと、雲を紡いだかのように柔らかく、軽やかなワンピースだ。

そうして、こちらを見る澄んだ青の瞳は宝石のようにきらきらと輝いていた。

特別、豪奢な装いというわけでは無いが、非常に華やかな印象を受ける少女だった。

ヴィーと呼ばれた少女はまるで能面のような顔で立香たちを見た。美しい少女だったが、二人がそれに固まったのは別の理由がある。

その顔、そのかんばせは、あまりにもグレイに、そうして彼らの知るとある王によく似ていた。

ヴィーはじっと立香たちを眺めた後、すっとコンラのほうに視線を向ける。そうして、まるで鈴を転がすような愛らしい声で囁いた。

 

「おかえり。」

「ああ、ただいま。」

「帰ったら?」

 

コンラはそれにうんと不思議そうな顔をした後、ああと頷いた。そうして、そっと少女の頬にキスをした。立香は少しだけそれにおおと思っていると、今まで能面のようだったヴィーの顔がまるで花開くようにほころんだ。

それは年端もいかないそれからすれば、あまりにも艶やかな笑みだった。そうして、そっと少年の頬に口づけを返した。

コンラは苦笑を浮かべながらヴィーから体を離して、立香たちに向き直った。ヴィーはコンラの腰に手を巻き付けて立香たちを見た。

 

「ごめんな、帰ったらこれをするって約束しててさ。」

「え、えっと、うん。」

「き、気にしないでください。」

 

年格好からすれば微笑ましい印象を受けるはずのだというのに、何故かどきどきと鼓動が早くなるのは何故なのか。やたらとこなれた雰囲気というのか、どこか自分たちが恋人たちの睦言にお邪魔しているかのような、強烈な申し訳なさがあった。

 

「ヴィー。それで、彼らがマーリンの言ってたカルデアの人たちだよ。」

「そう、ようやく来たんだ。」

「・・・君達は俺たちが来ることを知ってたの?」

「まあね。というよりも、君達を呼んだのはボクたちだから。」

「君達が?」

「詳しい話、聞きたいよね。こっち。」

 

ヴィーはそう言ってコンラの手を取って壁に掛かった曇った鏡の前に連れて行った。そうして、ヴィーはその鏡をこんこんと叩いた。それに、鏡の中にぼんやりと人影が現れた。

 

『・・・・やあ、久しぶりだね。私を呼んだってことは朗報があったってことでいいのかい?』

 

まるで水の中から聞こえてくるような、ゆがんだ声がそこからした。

 

 

 

『ああ、よかった。カルデアのマスター、私たちは君を待っていたからね。それこそ、そうだ、何百年も。』

「何百年?」

 

立香たちは壁に掛けられた鏡を長椅子の近くまで持ってきた。そうして、それを椅子に立てかけて向かい合うように長椅子に座った。

 

「ん。」

「あ、ありがとう。」

「ありがとうございます。」

「ハーブと蜂蜜のお茶だよ。」

 

受け取った木彫りのコップを持って改めて鏡に視線を向けた。

 

『言葉の綾のようなものだよ。それほどまでに待ちわびた、といっていい。さて、コンラからはどれほど聞いているかな?』

「・・・・一緒に魔女を殺して欲しいって。」

『そうか、ふむ。まさしく端的でシンプルだ。こちらの望みを飾り立てることも、経過もなしに語ればそうなるね。』

「詳しい話はこっちに連れてきてからだって思ったんだよ。」

『まあ、それを責めたいわけでは無いんだよ。ただ、そうだね。よし、まず、ここがどこなのかを説明しよう。ここは、ブリテン島の北の果て、オークニーだ。君の知るところでは、ガウェイン卿たちの故郷だと言ったほうが想像がしやすいかな?』

「・・・ちょっと、状況は特殊だけど一応行ったことはあります。」

『ああ、そうだね。君達はすでに六つ目の異聞帯を攻略した後だね。それならば、話が早い。元々、ブリテンは多くの事情が積み重なり、最後は反逆の騎士、モードレッドによって滅びる。それが正しい。けれど、ここでは何をとち狂ってしまったんだろうね。』

 

何故か、ここ、オークニーは滅ぶこと無く繁栄している。死んだはずの、ロット王の名の下に、ね。

 

 

「死んだはず、の?」

「そうだよ。君達、ロット王のことは知っているかい?」

「はい、ある程度は。」

 

立香は自分の知る限りのことを思い出した。

ロット王は元々、アーサー王伝説に出てくる王の名前だ。北の果てのオークニーを治めた彼は書き手によって立ち位置が大分違ってくる。

ある話では、アーサー王に殺された悲劇の王。ある話では、悪辣なる悪女のモルガンに騙された愚かな男。ある話では、全ての悪行を企んだ黒幕のような存在として。

ただ、オークニー諸島では非常に人気のある英雄ではある。といっても、彼には英雄譚のようなものは存在しない。

彼の出てくる話で活躍するのは妻である。寓話のような形であるが、賢い妻に助けられる男として語られている。

華やかな英雄ではないが、オークニーのことを愛した王様として地元では銅像が建っていたりする。

何よりも、妻との関係性が好まれているのか多くの物語の題材になっていることもあるのだろう。

 

(アルトリアは、彼のことを話すとき、暗い顔をしていたっけ。)

 

苦くて、どうしようもなくて、そうして、苦しい顔をしていた。

 

『そうかい。なら、彼がアーサー王伝説では一番先に死んだことは知っているね?』

「あ、うん。」

 

立香はそれに思考の海から帰ってきた。グレイが心配そうな顔で自分を見ていた。コンラは長椅子に座り、コップをじっと見ている。ヴィーは我関せずと言うようにコンラに抱きついて、彼の肩に額をすり寄せている。

 

『そう、ロット王は死んだ。だが、カムランでの戦いの後、何故か彼は生き返り、オークニーをまた治め始めているんだよ。』

「まって、生き返ったの?」

『ああ、そうだよ。そうして、何故かオークニー以外のブリテンという島を知覚することが出来なくなっている。存在自体が消えた、といっていい。』

「マーリンでも?」

『・・・・正直な話をしていいかい?』

「マーリンなら、魔女に力を全部取られて、夢の中を彷徨うだけのろくでなしになってるよ。」

 

ヴィーのその言葉に立香とグレイはえ、と固まった。そうして、次に鏡の中から非常に軽い声がした。

 

『うん、だから私からの援助というか、助けは殆ど期待しないでくれると嬉しいな!!』

「えええええええ!!??」

 

部屋の中に響き渡ったその声に、コンラは非常に複雑そうな顔で聞いていた。

 

 

 

 

「力を取られた、というのは?」

『うーん。なんというか、カムランでのことを見届けた後、その、夢に干渉していたら襲われてね。夢に封印されて、おまけに現実世界への干渉が出来なくなっちゃっているというか。』

「本当に夢の中の人間になっちゃってるんだよ。まだ、夢の中では動けるから情報収集くらいは出来るけど。」

「あの、それなら拙たちを呼んだのは?」

「ん。」

 

グレイの言葉にヴィーが手を上げた。

 

「私。」

「え、君が?」

「これでも、魔女から産まれたから。」

「そう言えば、その魔女っていうのは?」

「・・・・そのロット王の側に侍っている魔術師のことだよ。」

 

久しぶりにコンラは口を開いた。それに立香たちは彼に視線を向けた。

 

「・・・・僕も彼女に召喚されたんだ。魔女が現れてからはこの島はおかしくなったらしくてね。死者は生き返り、そうして、とある場所に近づくのが禁止されている。そうして、この国は時間が止まっている。」

「時間が?」

 

驚きのあまりそう言えばコンラは頷いた。

 

「わかりにくいけど、日が動くことも無く、夜にもならない。人々は眠ることも無く、永遠と昼の生活を続けている。眠ることもなく。そうして、それがおかしいとも思っていない。」

「住民がいるのですね。」

「いるよ、元々、オークニーの人間たちだ。彼らはボクたちのことを認識しているけれど、話をしても齟齬がうまれる。」

「その原因が魔女。マーリンに知識だけ借りてカルデアのあなたたちを協力者として引っ張り込んだの。」

「それで、本題だ。君達は、ボクたちに協力してくれるかい?」

 

立香はそれに少しだけ悩んだ。おそらく、これは特異点案件に当たるはずだ。ならば自分がそれに協力しない選択肢はない。

 

「俺たちに出来ることなら。」

「マスターがそう言うなら、拙もできるだけのことはしたいと思います。」

「ありがとう!」

 

立香の言葉にコンラは嬉しそうに微笑んだ。

 

「君も、協力してくれるんだね、ありがとう。」

「・・・・ねえ、あなた。」

「はい?」

 

ヴィーはふと、グレイの方を見た。

 

「ねえ、あなた。フード、取らないの?」

「え、拙の、ですか?」

「・・・・うん、出来れば、お顔が見たいわ。」

 

その言葉にグレイは悩むような仕草をしたが、おそるおそるフードを取った。現れた顔に、コンラは驚いた顔をした。

それにグレイは怯えた顔をした。コンラは慌てて口を開いた。

 

「あ、ごめん。あの、とても綺麗な眼だったから。」

「眼、ですか?」

「うん、とても、綺麗な青い瞳をしていたから。驚いちゃって。」

 

そう言ったコンラは本当にまばゆいものを見るように、幾度も驚いてしまってと呟いていた。

 

その後、ヴィーがじっとりとした眼でコンラに浮気?と聞いている様子に全て吹っ飛んでしまったが。

 

 

 

「・・・・・何かが、紛れ込んだな。」

 

薄暗い部屋の中で黄金の髪に、翠の瞳をしたそれが呟いた。それを向かいに座った女が頷いた。青い瞳をほど細めて肩をすくめた。

 

「おそらく、カルデアのものを引き込んだのだろう。」

「どうするのですか?」

「放っておけ。楔に近づくことはグリムがなんとかする。そうして、例え近づいたとしても、あの子たちが止めるだろう。」

「・・・・・よいのですか?」

 

女は翠の瞳をのぞき込んで無感情に呟いた。

 

「あの子たちが望んだ、そうして、私は、何をしてもロットの守りたかったものを守ると決めただけだ。」

 

ただ、そうだな。

 

女は頷いた。

 

「余計なものは早々と退場願おう。ラモラックに命じておく。」

「わかった。」

 

それがいいと、二人はうなずき合った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

島の人々

全然話が進まない。もう少し、進んでから投稿していきます。今度から。


評価等、ありがとうございます。
また、評価等いただけましたら嬉しいです。


 

 

枯れた木がある。

藤丸立香は、その、乾燥して、おそらく枯れているだろう木を触った。今にも崩れてしまいそうなほどに脆い。

ふと、視線を下ろした。土は乾いており、まるで砂地になる寸前のように痩せていることがわかる。

風が、己の頬を撫でた。乾いた風だ。立香はゆっくりと風を追うように空を見上げた。

夜だった。それに、立香はようやく、今が夜であることを理解した。暗いはずであるのに、不思議と周りがよく見えた。

そうして、ふと、彼は遠くに城があるのが見えた。

無骨な印象を受ける城だった。装飾などもない、堅牢な城だ。遠くに見えたその中など見えるはずもない。

なのに、何故だろうか、立香に一つの光景が浮かんだ。

 

城の中、暗い王座。

そこに、誰かが座っている。一人だけ、ぽつんと、青い瞳が自分を、見て。

 

「誰だ?」

 

 

 

「おい、立香!!」

 

その声に立香はがばりと起き上がった。息も荒く、ぼうぜんと周りを見回した。

 

「・・・・大丈夫?うなされてたみたいだけど。」

 

自分の顔をのぞき込んできた少年に立香は少しだけ体を震わせた。そこで、立香はようやく自分がベッドから飛び起きたことを理解した。

 

「・・・・コンラ。」

「ああ。おはよう、なんて。ここはずっと昼なんだけどね。でも、何時間か寝たし、おなかも空いてるだろうからと思って起こしに来たんだ。」

「ああ、そっか。」

「何か、嫌な夢でも見たかい?」

 

コンラはそう言いながら部屋のカーテンを開けた。

立香がいるのはヴィーの館の一室だ。鏡の向こうのマーリンから話を聞いた後、一旦は休憩を取ることとなった。

 

(・・・・なんだったんだろう、あの夢。)

 

夢の中だったというのに、やたらと鮮明な、それこそ現実のように生々しい感覚が肌に残っている。

 

「大丈夫?もう少し、寝てるかい?」

 

黙り込んだ立香を心配したのか、コンラがおそるおそる話しかけてきた。それに立香は少しだけ黙り込み、口を開いた。

 

「うん、なんか、変な夢を見て。」

「まあ、夢は夢だしね。気にしない方がいいよ。そうだ、暖かなスープでも飲めば少しは気分も落ち着くよ。」

 

コンラはそう言って、起きた立香の背中をそっと撫でた。小さな、子どもの手にしてはひどく大きくて暖かいような気がした。

 

 

「マスター。おはよう、ございます。」

「おはよう、グレイ。」

 

立香は身支度を整えて部屋を出た。すると、隣部屋で休んでいたグレイも丁度部屋から出て来た。グレイはどこか眠たそうに眼をしぱしぱと瞬きさせていた。

 

「あれ、眠いの?」

「いえ、なんというか、ものすごく疲れる、夢を見たような?」

「疲れる夢?」

「はい、何というか。子どもと思いっきり走り回って遊ぶ夢を見たんですが。それが、まるで現実みたいで。」

『おいおい、早く眼を覚ませよ!?』

(夢?)

 

立香は少しだけ首を傾げた。なんだか、やたらとその単語を聞く気がした。

 

 

 

『さて、諸君。腹ごしらえの途中ですまないが。これからのことを話そうか。』

 

立香はそれにまた、曇った鏡の方を見た。丁度、ヴィーが作ってくれたというスープを飲んでいる最中だった。

豚肉のスープはシンプルなものだったが、そうはいっても大変においしかった。

ヴィーに味の感想を言えば、曰く、奥さんとして当然のことであるらしい。

 

『昨日、といっていいのかは置いておいて。私は言ったとおり、完全なる役立たずなのでね!いや、少しは情報収集ぐらいは出来るけど、それ以外は、まあ、察してくれると嬉しいかな。』

「・・・それについてはわかったから、話を進めて。」

『ヴィー、君って辛辣だよね。まあ、それはいい。今のところ、君達にある程度のことは任せなくてはいけないんだけれど。ただ、あまりにも私たちはこの世界に対して情報が少なすぎる。だからこそ、手がかりを辿って、この世界について調べて欲しいんだ。』

「手がかり?」

「昨日も言った、この島で入っていけない禁足地があるんだ。三つほどね。が、厄介なことにこれの周りにはグリムがいてね。」

「そういえば、グリムって言うのは?」

「禁足地に近づく者を追い払う番犬さ。グリムっていうのは、そう呼ばれているから。なんなのかはまったくといっていいほどわからない。ただ、複数いるのは確かだよ。」

 

コンラは肩をすくめてそう言った。それを引き継ぐようにマーリンは続ける。

 

『その禁足地に何かがあるのは確かだよ。ただ、それが何なのかはわからない。でも、正直言って、グリムを今の戦力で潰すのはちょっと、無理かもしれなくて。と、いうわけで。サーヴァントを召喚しよう!』

「え、出来るんですか?」

『まあ、出来なくはないよ。本来、サーヴァントを召喚するのには色々と条件がいるんだけれど。ヴィーがいればなんとかなる。彼女は、ブリテンという領域ではある程度の権限が認められているからね。』

「権限?」

『魔女から産まれた、そのままの意味さ。ただ、彼女も消耗しているから座にコンタクトを取るためにちょっと遠出をしないといけないんだ。リング・オブ・ブロッガー、石で作られた、妖精たちの集会場さ。』

 

立香は聞いたことの無いそれに首を傾げた。

 

「・・・・確か、オークニーのメイランド島にある遺跡ではなかったですか?」

「グレイは知ってるの?」

「はい、聞いたことはあります。ただ、ひどく古いものであまり発掘は進んでいないと。」

『そうそう、人はあまり触れたがらない場所だよ。善くも悪くも、あの場所は儀式の場であり、そうして内と外に隔たれているからね。ま、今は関係ないんだし、さっさと行ってくることを勧めるよ!』

「動かないから気楽だね、君は。」

『まあ、それはそうだよ。何と言っても、喋ることしか能が無いから、今のところは!』

 

立香はそれに戸惑いながら頭のどこかで、フォウ君の、甲高いうなり声を聞いた気がした。

 

『いや、にしても本当に私の扱いが酷くなってる気がするよ。そう思わないかい、マスター君。』

「口答えするとは、生意気な。」

『えーそうかい。でも、まあ、夢は夢でもそれに実感が伴えばそれは確かに現実と違わないと思わないか?これは実質、私もしっかり仕事が出来ていると言うことでは?』

「マーリン、段々やけになってきてない?」

 

立香の言葉にマーリンはえーと声を上げる。

 

『まあ、夢はいつか覚めるからね。現実に帰る時が絶対にやってくる。でも、夢は恋しいからねえ。いっそのこと、それを現実として信じた方がずっと気楽だ。まあ、夢は所詮は現実の前に破れ去る。』

あ、ただの戯れ言だから気にしないでね。

 

曇った鏡の奥で、マーリンが軽やかにウインクをしている様が思い浮かんだ。

 

 

 

「村に行っても大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だよ。」

 

現在、立香とグレイ、そうしてコンラは森の中を歩いていた。マーリンの言っていたリング・オブ・ブロッガーに向かっていた。

そうして、コンラが一度、この島の村に立ち寄ってみることを勧めた。その方が現状の異常性というものを理解できるだろうと。

 

「基本的に村に立ち寄っても危険は無いんだ。禁足地の近くで無いとグリムもいないし。」

「そう言えば、魔女という方々はどこにおられるんですか?」

「・・・・お城さ。王様だからね。」

「それはどこに?」

「・・・・わからない。」

 

コンラの返答に立香はえ、と目を見開いた。

 

「あるにはある。遠目からなら確認も出来た。だが、何故か近寄れない。」

「迷ってしまう、ということでしょうか?」

「うん。地上からだと、なぜか近づくことが出来ない。空からならいけるのかも今のところわからなくて。」

 

コンラははあとため息をついた。疲れ切ったその様は本当に困り果てているのだとわかった。

立香はちらりとコンラの持っている大剣を見た。今回、召喚の要であるらしいヴィーが同行していないのは、偏にその剣が理由であるらしい。なんでも、その剣は特別製で、ヴィーと繋がりがあるらしく、ともかくはそれを持っていけばよいらしい。

立香が召喚に必要なのは、マスターという役目を持った存在がいたほうが安定するためだと言っていた。

 

「あ、着いたよ。」

 

その言葉で立香は足を止めた。視線の先には、確かに遠目で建物らしきものが見えた。それを確認したコンラはグレイに視線を向けた。

 

「グレイはここで待っててくれる?」

「拙ですか?」

「うん、万が一の保険に。」

 

グレイはそれに確認するように立香を見た。それに立香は頷いた。

 

「わかりました。」

「それじゃあ、行こうか。ただ、立香、村に入る上で一つだけ頼みがある。」

 

村ではけして何も食べてはいけないよ。

 

 

 

「あら、コンラじゃない?」

「おばちゃん、久しぶり!元気だった?」

「あっはっは!元気に決まってるじゃない?あなたは?怪我はしてない?」

 

村に入ったコンラはあっさりと溶け込み、代わる代わる人々に話しかけられていた。そうして、立香を認識したらしい人たちもにこやかに話しかけてきた。

 

「こっちの少年は?お前さんと同じここに流れ着いた子か?」

「うん。こっちに親戚がいるはずなんだって。それで一緒に探してるんだ。」

「そうか。なら、安心するといい。ここの王様はいい人だ。ちょっと、威厳は足りないが。まあ、それも魅力の一つだ。安心するといい。」

「わ、わかりました。」

 

コンラ曰く、彼は親戚を探してやってきた子どもとして村々を回っていたらしい。時間感覚も曖昧らしい村人たちはコンラに対してさほどの警戒心も持たずによくしてくれているらしい。

立香もそんな風に紹介すれば、皆が皆、愛想良く迎えてくれた。それは、確かに、善良な人々であるように感じられた。

村人たちに話しかけられていると、まるで雷のような怒声が聞こえてきた。

 

「おい!また来たのか、お前?」

 

声のする方に視線を向けると、茶色に榛色の瞳をした青年が立っていた。その足下には、幼い少女がしがみついている。

青年がつかつかとコンラに近づいてきて、不機嫌そうに吐き捨てた。

 

「ちび助、てめえ、二度とここに足を踏み入れるんじゃねえって言っただろうが?」

「悪かったよ!でも、ボクだって色々事情があるんだ。」

「ふん、またよそ者引っ張ってきやがって。」

「ああ、そんな乱暴な口をするなよ、ハリー。」

 

そう言って、ハリーと呼ばれた青年を少しだけ年上の男がなだめる。それに、ハリーは吐き捨てるように言った。

 

「じいちゃんは人が善すぎるんだよ。」

 

それに立香は思わず固まった。

 

「え?」

 

その声にコンラは戒めるように立香の腹を軽く叩いた。が、そうは言ってもどう考えても可笑しいだろう。年が数才しか違わないというのに彼はその青年を老人と言っている。なにか、深刻な間違い探しをしている気分であるとき、また違和感が起こる。

 

「おい、ハリー!父さんに対してその口の利き方はなんだ!?」

「親父も親父だ、よそ者を村に入れるなんて。」

 

今度はハリーを中年の男性が叱り飛ばし、彼はその人を父と呼んだ。おかしい、そうだ、明らかに、何か強烈な齟齬が産まれている。

立香は混乱しながらそれを見ていると、唐突にまた声がした。

 

「ほら、喧嘩しないの!ねえ、みんなでリンゴでも食べない?」

 

その言葉に村の人間は眼をきらきらさせて声のする方を見た。声のする方を見れば、年若い女性が籠いっぱいの、金のリンゴを抱えていた。

 

「おお、いいな!ハリーも腹でも減ってるんだろ!」

「そうだな!」

 

弾むように声を上げて、村の人間に金のリンゴが配られていく。ハリーと呼ばれた彼にも配られたが、それは足下の少女にあげてしまっている。

一気に和やかな雰囲気になり、立香は目を白黒させていると、そこに籠を持った女性が近づいてきた。

 

「あなたもお一つどうぞ。」

 

甘い匂いがした。芳醇な、蜜のように甘くてかぐわしいものだった。立香は無意識のようにそれに手を伸ばそうとした。

誰かが、リンゴをかみ砕く音がする。それは、まるで鈴のように、りんと、おかしな音を立てた。

けれど、立香には関係ない。ただ、それを食べたいという欲求にかられた。

ふらふらと、それに手を伸ばすが、あっさりと阻まれてしまう。

 

「・・・・いいや、ボクたちはおなかがいっぱいなんだ。」

「あら、そうなの。残念ね。」

「うん、せっかくだけどごめんね。それじゃあ、また立ち寄るから。その時は怒らないようにハリーに言っておいて?」

 

コンラはそう言って、立香を乱雑に引っ張って森の奥に逃げ込んだ。

 

「マスター!?」

 

森の中ではすぐにグレイが近寄ってくる。そうして、立香は鼻の奥に残るような甘い匂いにへたり込んだ。不快では無いが、まるで酒に酔ったかのような気分だった。

 

「・・・・村がおかしいっていう意味、理解が出来た?」

「うん、そうだね。あれは、おかしい。」

 

立香は同意するように頷いた。

 

「村に行っても皆、警戒心は無いから危なくは無い。城からの使者も来ない。税の取り立ても。でも、皆違和感を持たない。そうして、おかしなことに。青年を父と呼ぶ老人がいて、老人を娘と呼ぶ女がいる。まるで、しっちゃかめっちゃかさ。」

「あの、リンゴは?」

「・・・わからない。村ではそれぞれリンゴの木を育ててるんだ。それはさっきのリンゴ。食べると皆、記憶を失うんだ。立香、この島のおかしな所、少しは知ることが出来たかい?」

 

にこやかに、けれど、どこか悲しそうな笑みに立香はこくりと頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

休憩

進んでいない。次回は進展します。

ロットさんの声、大i泉iさんみたいな感じなんですかね。めっちゃコミカル。
カルデアでの諸諸と三人で話してます。
あと、おまけの幕間があります。


評価、感想、ありがとうございます。
また、いただけましたら嬉しいです。


 

「・・・なんだか、へんな気分だね。」

「何が?」

 

藤丸立香は目の前の少年を見た。そうして、次には青い空を仰ぎ見た。その横で、たき火を前にしたコンラとグレイが同じように空を仰ぎ見た。

 

「本当にずっと昼なんだね。」

「だから言っただろう?」

 

コンラはそう言って苦笑した。

 

 

村から出た後、数時間ほど歩いてからコンラは川を見つけ、そこでひとまず休むこととなった。

日が暮れないせいで時間感覚が狂っているのか区切りをつけて休息を取るためだった。

 

「これを食べたら一眠りするといい。まあ、地べたで眠ることになるけど。」

 

そう言ってコンラは二人にたき火で焼いた魚を渡した。木の枝に刺さったそれはほかほかと湯気を立てている。

コンラはあっさりと川で魚を釣って見せた。

 

「おいしい。」

「本当ですね、焼き加減と塩加減が絶品で!」

 

むぐむぐと魚を食べる二人にコンラはにこにこと微笑んだ。

 

「それはよかった。ヴィーほど料理は得意ではないんだけど。たき火で魚を焼くことに関してはちょっと得意なんだ。」

「野営が多かったから?」

「うーん、それもあるけど。まあ、魚釣りが好きでね。ついでとばかりに焼きまくってたら自然と上手くなってたんだ。懐かしいなあ。昔、君達みたいにおいしいって食べてくれる人がいたから。」

 

それに立香は彼の師匠であるだろうスカサハの顔が脳裏に浮かんだ。けれど、直感的にスカサハがそういったことをするタイプで無いことは覚った。

それならばいったい誰のことを言っているんだろうと首を傾げた。

立香は魚を食べながらふと、疑問に思っていたことを考える。今回の特異点において、なぜ、コンラが召喚されたのだろうかと言うことだ。

 

(・・・広く言えば確かに同じような場所だけど。でも、ロット王がいるのならガウェインたちが召喚されてもおかしくない。)

 

何故、クー・フーリンの息子であるコンラなのだろうか。

 

「ふふふふ、おかわりいるか?」

「え、いいんですか?」

「いいよ。たくさんお食べ。」

 

コンラはにこにこと笑ってグレイに魚を渡した。グレイを見つめるその目がひどく優しげに見えるのは何故だろうか。

立香はそれに、ふと、口を開いた。

 

「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」

「うん?なんだい?」

「ロット王の近くにいる魔女って、誰のことだと思う?」

「・・・・立香は誰だと思うの?」

 

それに立香は少しだけ黙り込んでしまう。彼の近しい存在で魔女、と言われると一人に絞られる。だが、彼女のまがまがしい妖婦のイメージは後の作家たちなどにつけられたものばかりだ。

 

「正直、モルガンのことが思い浮かぶけど、違うのかなとも思ってる。」

「拙もなんとも言えません。」

「・・・・二人は、ロット王とモルガン妃のことをどれだけ知ってるの?」

 

コンラは特別な感傷もない様子でそう聞いた。それにグレイと立香は顔を見合わせた。

 

「円卓の方々から少しは聞いています。」

「グレイは円卓の騎士たちと仲が良かったのかい?」

「・・・・いえ、拙は、その、この顔でしたので。ただ、ガウェインさんとガレスさんは、拙の目の色が気に入られたみたいで。」

 

末の娘君に似ていると。

 

それにコンラは青と緑の瞳をゆっくりと瞬きさせた。それに立香は、その二つの瞳を混ぜれば、きっとグレイの瞳によく似た色ができあがるのだろうかと考える。

 

「カルデアにはモルガンも確かにいたんだけど。」

 

それにコンラは顔を上げた。その顔には、確かな驚きが混じっていた。彼の珍しく焦った顔に立香は目を白黒させた。

 

「モルガンが?」

「うん、あ、でも、普通のモルガンとは違って。」

 

立香は己のカルデアに召喚された異聞帯のモルガンのことを説明した。

 

「・・・そうなのか。」

 

コンラはどこか落ち着かないというようにそのたき火をいじっている。

 

「それで、その。彼女はロット王に関して何か言っていたかな?」

「え、うん。実は、彼女からロット王のことは聞いたことなく。」

 

それにコンラの体がぴくりと震えた。彼は一瞬だけ黙り込み、そうして、ひどくなんとも言えない顔で立香を見た。

 

「・・・・それは、あれかな。話をしたくないぐらいに、嫌っていたとか?」

 

立香はその様子にはてと首を傾げる。隣を見れば同じように不思議そうな顔をしたグレイがコンラを見ていた。

その時、また、剣が甲高い金属音を立てた。それにコンラはちらと剣を後ろめたそうに見た。

 

「大丈夫?」

「いや、大丈夫だ。」

「コンラさんはモルガン妃とロット王のことがそんなに気になりますか?」

「え、あ、いや。ただ、これから敵になるかもしれない相手だからね。少しでも情報は欲しいだろう?」

 

苦笑気味の彼にそう言われれば、確かにと立香とグレイは頷いた。

 

「ああ、うん。モルガン曰く、正史側の自分に情報は貰ったそうなんだけど。でも、家族のことは全然くれなかったんだって。」

 

そうだ、モルガン曰くであるが。

 

まあ、己の宝をわざわざ自分自身と言えども、他と共有したくなかったのでしょう。なので、私には子どもやオークニーでの記憶はほとんどありません。ただ、黒い髪に翠の瞳をした男が、私に笑いかけていたこと以外は。

 

 

「会ってみたいとは言ってたけどね。」

「・・・・そうか。」

 

コンラは少しだけ安堵するようにため息を吐いた。

 

「・・・君の所にはたくさんのサーヴァントがいるんだね。ガウェイン卿たちからは、ロット王のことで聞いてることはある?」

 

やけに、おそるおそるというような態度なのはなぜだろうか。その時、また剣から金属音がする。コンラはそれに落ち着けというように鞘を撫でる。

大丈夫なのだろうかと、グレイとコンラを見たが、彼は大丈夫だと微笑んだ。

 

「ガウェインかあ。そうだなあ。でも、ことあるごとにお父さんの、ロット王の話はしてるよ。」

「そうですね、拙もよく聞きます。」

「・・・・なにか、こう、悪いことかな?」

「ううん。たわいも無いことだよ。なんというか、父親だとか母親自慢に我先にと突っ込んでいってたりしたけど。ああ、でも、一度、話をしてくれたな。」

 

 

私の父ですか?

ええ、お聞きしたいのならいくらでも。父上のことなら、いくらでもお話ししますよ。

・・・・よき人でした。

あの人はどこまでも人を見ていた。誰かの悪性を徹底的に憎むことも無く、さりとて一方的な善性を祭り上げることもなく。

好きでした。アーサー王の騎士としての生き方に誇りを持っています。仕えられたことを幸福に思います。

ですが、幼いとき、父の後ろを追いかけていたオークニーでの日々は何よりも幸せでした。

・・・会いたいか、ですか。

ええ、合わせる顔などないです。私の最後は知っておいででしょう?

ランスロット卿と殺し合い、相打ちになり、そうして、ブリテンの滅びに立ち会うこともなく死にました。そうして、母とモードレッドに全てを、その罪を、押しつけてしまった。

ですが、もしも、叶うなら。会うことが出来たのなら、と。

ふふふふ、でも、わかっているのですよ。あの方は、サーヴァントにはならない。

善き人でした、良き王だったのです。ですが、彼の人はどこまでも人間でした。

英雄になるには、彼の人の物語はあまりにも足りない。

ですが、父上はそれを気にもしないのでしょう。

・・・・覚えておいてほしいわけでは、きっとなかったのだから。

 

 

意外なことに、ランスロットとガウェインたちオークニー兄妹は仲がいい。

元々、ランスロットを慕っていたガレスは己が殺されたことやブリテンのその後に思うところはあるようだが、今は今とそれ相応に交流を重ねている。

ガウェインは、一度殺して区切りをつけているようだった。本人はそう語っている。何よりも、彼が一度言っていたこと。自分と、彼の罪にどれほどの違いがあるのかと、そう言っていた。

 

まあ、アギーが来たら絶対的にぶち殺されますね!

 

と明るく語っていたため、やはり何かしら思うところがあるにはあるのだろう。

実際、ランスロットとガウェインが顔を合わせたとき、シミュレータで一悶着ありはした。

モードレッドに関しては、彼もまたそこまでランスロットのしたことに関して何かを言うこともなく良好に過ごしているようだった。

 

(僕と、ランスロット卿で言うのなら。きっと、僕の方がずっと悪い子だから。)

 

ランスロットは複雑な思いはあるようだが、彼らの感情に足を踏み入れることもなくそれ相応に過ごしている。

立香は、その彼らの感情に踏み込んでいないところがある。そこには赦しがないわけではない。そこには、怒りがないわけではない。

ただ、ガウェインはガウェインなりに、何かしら多くの思うところがあるのは確かだろう。

 

「ガウェインは、ランスロットのことをどう思ってるんだろう。」

「・・・・赦せないのは赦せないんだろうな。」

 

静かな声に立香はちらりと彼を見た。コンラはどこか遠い目でまた、たき火を見ていた。

 

「殺したこと、殺されたこと。複雑なことは多くある。それでも、それ以上に、きっと。自分のなしたことがどれほど罪深いのか、考えてるのかもね。」

「なしたこと?」

「自罰的なのかな。相手と自分の天秤を比べて、揺れるそれに呆れてるのかもしれない。ああ、自分に、それを責める資格があるのかって。自分の罪と、相手の罪。相手がしてしまったことが罪であるのなら、それに罰がいるのなら、自分もまたそうだって。」

「ガウェインさんは、妥協のようにランスロットさんを赦している、ということでしょうか?」

「そうじゃないのかもね。赦せない以上に、きっと、情があるんだ。長い間、苦しい戦いを続けていれば深くて、強い情が湧く。でも、ボクは情があるのならその情に引っ張られてもいいと思うけどね。」

 

憎いと思うものよりも、愛しいと思うものが多い方がずっと幸せだ。

 

穏やかにそう言った少年の横顔は、まるで成熟した男のように穏やかだった。

 

「コンラさんは、ガウェインさんの気持ちを理解されているんですね。」

 

グレイは尊敬するようにコンラを見た。彼はそれに、あーと声を上げた。

 

「まあ、あれだよ。うん、あくまで予想で、彼の心は彼だけのものだしね!」

 

さ、次の魚が焼けたよ!

 

そう言ってコンラはまた二人に焼けた魚を差し出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間

悪い夢を見ているようだった。

そうだ、こんなのは悪い夢だ。

失せ物が戻ってきたとき、普通の人間ならどうするか。きっと、まるで二度と離さないというように慈しむのだろう。

 

が、自分は違った。

砕けるように、燃えるように、掠れるように亡くなったものが戻ってくるなんて気味の悪いことを受け入れられなかった。

なぜ、ある?

壊れたはずだ、亡くしたはずだ、二度と、手の中に帰ってきてはいけないはずだ。

けれど周りはそれを受け入れている。それこそが正しいと、これでいいのだと。

いくら言っても、周りはそれを不思議にだって思わない。自分が可笑しいことになっている。

自分はただの人間だ。平々凡々たる、どこにだっているような人間だ。

けれど、これは間違いだ。

自分は夢に浸れなかった、その優しい夢に浸れなかった。

忌々しい、青い瞳が自分にそれを突きつける。それがどれほどの偽りであるのか、まざまざと見せつける。

 

ああ、ああ、なんてことだ。なんていうものを押しつけられてしまったのか。

自分だってそのまま夢に浸っていたかったさ。いっそ、目をそらすことだって出来たのだ。

それでも、自分はしなかった。

なぜって、簡単だ。

自分は、きっと怒っていた。亡くしたものが帰ってきたのだと笑う奴らがひどく、憎らしかった。

 

だって、このままでは、亡くなったことさえも忘れられて、夢に目がくらんだ奴らに忘れられていくものたちが、あまりにも哀れだろう。

 

そうして、自分が当たり前のようにいたそこには、自分の仕えた男の妻も、そうして長い付き合いの同僚もいなかった。

変わらない日々の中で、当たり前のように生きる誰かの中で、彼らだけがいなかった。

 

彼らがどこにいるのか、理解したのは少しして。

だめだと思った。これでは、あまりにも不誠実だ。これでは、あまりにも残酷だ。

自分はただの男だ。どこにだっている男だ。

夢から覚めるのが怖い。このまま、皆が幸せな日々の中で生きられるのならそれでいいのかもしれない。

けれど、これではダメだと、自分にだってわかる。

こんな日々を、彼の人は何よりも嫌っていたはずだ。

 

だから、自分はそこから出た。誰も止めるものはいなかった。

外に出て、変わることも、変えられることもどれほどあるかわからなかったが。それでも、その夢に浸るばかりで、何もかもから目をそらす奴らの頬を一つ殴ってしまいたかった。

一人、彷徨うように歩いても、止めるものはいなかった。

その世界の王は、どこまでも、望むように生きろと自分のような端役に興味などなかったものだから。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

来たれよ、破滅を呼ぶ者よ。

やっと少しだけ事態が動きました。

ロットさんの声、もう少しシリアスなものの方がとも思いつつ。


感想、評価、ありがとうございます。
また、いただけましたら嬉しいです。


 

 

夢を見る。

枯れた大地、古ぼけた家々、うち捨てられた廃墟のような場所。

ひゅーひゅーと、それは誰かの嘆きのような風が吹き抜けていく。寂しいと思う。

まるで、全てがいなくなったかのように、そこには命の音が聞こえない。

絶えてしまったのだと、漠然と思った。けれど、ふと、気づいた。何かが聞こえる。

そうだ、それは。

 

(誰かが、眠ってた・・・・)

 

 

藤丸立香はぼんやりとそんなことを考えながら歩いていた。魚をたらふく食べて眠れば、立香はまた夢を見た。以前と同じ、静かで、寂しい大地。

けれど、今回の夢は違った。

誰かの、眠っているような息を聞いた。

立香は思い悩むように頭を振った。何か、意味があるはずなのだ。その夢、その音に。

立香はふと、上を見上げた。そこには、変わること無い青空と、そうしてさやさやと若葉が踊っている。

正反対の情景に、立香は考え込む。隣を歩くグレイを見た。彼女もまた夢を見たのだという。

月のような綺麗な色の髪の少年と、釣りをしたのだという。

 

「立香、グレイ。もうすぐだぞ。大丈夫か?」

 

コンラのその声に立香は前を見た。二人が歩く間に、周りから木々はだいぶ少なくなり、平野に近くなっている。

 

「うん。ありがとう。」

「はい、拙も・・・・」

 

そう言ったとき、コンラの大剣がきーんと金属音を立てる。それにコンラは眼を見開き、今まで歩いてきた森の中に視線を向けた。そうして、目を見開いた。

 

「おい、走れ!」

「え?」

「くそ、早すぎる!」

 

コンラは吐き捨てるようにそう言って、立香の腕を掴み草原の方に走り出した。それに続くようにグレイも走る。

 

「え、どうしたの!?」

「魔女からの追っ手だよ!」

 

それに立香は思わず後ろを振り向いた。そこには、馬に乗った、一人の騎士がいた。鈍色の鎧を纏ったそれは真っ直ぐに自分たちに近づいている。

そうして、その後を追う、グリムが2体。

 

「ですが、追いつかれます!」

 

明らかに自分たちとの距離をそれは狭めている。それに立香は考える。どうするのか。

 

「勝てると思う!?」

「あいつ、魔女の側近だ!今の状態じゃ、お世辞にも!」

「伏せてください!」

 

その音と共に轟音が通り過ぎた、草原をえぐって、こぶし大の石が転がる。

思わず立ち止まった三人に後ろから声がかかる。

 

「ああ、やはり。弓手でもないこの身では上手くは当たらないか。」

 

そこにいたのは、鈍色の鎧を纏った、赤い髪の青年だった。まるで氷のように冷たい美貌をしている。

それはしんと、静まりかえった瞳で三人を見ていた。たんと馬から飛び降り、男は剣を抜いた。

 

「侵入者よ、その首を差し出しなさい。苦痛は無く殺して見せよう。」

「初対面にしてはやけに酷い話だね。」

「侵入者への扱いなんてそんなものだ。この身は伝説にはほど遠かろうと騎士です。王の命を聞き、遂行するのみ。あなたがたはこの国に害を及ぼすというならばなおさらのこと。

騎士、ラモラック。王の命令により、あなたがたを殺します。」

 

コンラはそれにちらりと立香の方を見た。それに立香は覚悟を決める。逃げることは不可能。ならば、戦闘するしか無い。

うなずき返した立香にコンラは重々しい顔で軽く頷き返した。

 

「それは聞けない話だね!」

「グレイ!」

「はい!」

 

グレイはいつのまにか解除を行っていたらしい大鎌を構えた。それに立香はコンラに叫んだ。

礼装の魔術を使い、彼に強化をかける。

 

「大物が先!おもいっきり吹っ飛ばして!」

「了解!」

 

コンラは立香の言葉に従って、真っ先に手近な石を拾い上げた。そうして、それを思いっきり片方のグリムにぶつけた。ダメージがあったかはわからない。ただ、それはごろごろと勢いで後方に吹っ飛んでいった。

 

「グレイはグリム!コンラはラモラックを!」

「わかりました!」

「ああ!」

 

それに二人は飛びかかる。グレイはその大鎌を振り回してグリムを吹っ飛ばした。圧倒的、とは言えない。死霊に特化した彼女はその、獣のような動作のそれとの戦いは得意とは言えないようだった。

少し遠ざかったそれを横目に立香は目の前のコンラとラモラックの戦闘に目を向けた。

コンラは今まで使わなかった大剣を軽々と振り回して、ラモラックと戦っていた。

正直言えば、コンラのそれはお世辞にも戦っているとはいえないものだった。小柄な体を生かして、ひたすらラモラックの攻撃を避け続ける。その大剣は、武器というよりほとんど盾のようなものだった。

ラモラックの攻撃を、ひらりと躱し、受けた攻撃で吹っ飛ばされ、木の幹に着地してそのまま突っ込んでいく。

体力を温存するような戦いだった。自分の力を最低限にして騎士のそれを避け続ける。

 

(なんだか、ひどく手慣れてる感じがする。)

 

小柄なコンラとその騎士。立香が見ても、明らかにラモラックの方が勝っているように見えた。けれど、コンラはまるで動きが決まっているようにラモラックの攻撃を避け続ける。

そう思うのは気のせいなのだろうか。そう思っていると、遠目に吹っ飛ばしたグリムが近づいてくるのが見えた。

 

(二人とも、それぞれで手一杯だ。これで、もう1匹増えたら。)

 

立香がそう思っているときだった。コンラがラモラックの肩を足場に思いっきり飛んだ。そうして、立香の手前に着地した。そうして、グレイもまたグリムに一撃を入れた。足下を狙ったおかげか、それはふらりとその場に倒れ込む。

グレイはそれに立香の元まで思いっきり飛んだ。

 

「・・・・ちょこまかとよく動く。ああ、面倒だが。本気で行かねばならないか。」

 

吹っ飛ばしたグリムがラモラックの元に戻ってきた。

 

「・・・立香、グレイ。ここはボクに任せてくれる?」

「え?」

「で、ですが!」

「多分、二人がかりでもあの騎士は無理。だから、二人は先に石群まで行って、召喚を行って欲しい、助っ人を連れてきて。」

 

それとも、ここであの騎士をなんとかするか。立香、判断は君に任せるよ。

苦笑染みたコンラの声に、立香はちらりとラモラックを見た。彼は構えをとり、何かをしようとしていた。

 

「マスター、無理です。それは。」

「何か、手はあるの?」

「一応は。」

 

その短いやりとりに立香は頷いた。ここで、自分が取るべき選択肢。コンラを囮にするように行くことはできない。けれど、今のところ、自分たちが勝てるかどうかはわからない。

ただ、このまま逃げ帰って機を待つと言うにはリスクがある。

もしも、自分たちの目的を理解して、目的地に兵士でも置かれれば更に厄介になる。

何よりも。

立香はコンラの方を見た。

彼は何かを隠している気がした。それが奥の手と言えるのかわからない。けれど、立香は選択する。見捨てていくような心地で、けれど、それと同時に目の前のそれがけして死ぬ気でないことも理解できた。

 

「グレイ、行こう。」

 

それにグレイは覚悟を決めたのか、頷いた。コンラはそれに頷いて、そっと立香に囁いた。そうして、自分の持っていた大剣をグレイに渡した。

 

「いいか、願うんだ。ただ、ただ、一心に願うんだ。こんな状況をひっくり返す。そんな、最強の騎士が来いってさ。」

 

それを囁くとコンラは立香を押した。立香は、それに走り出した。その後をグレイが追う。

 

「グリ・・・・」

「おいおい、あんたらの相手は俺だろう?」

「それをこちらが素直に聞く必要などないだろう。」

「はっ、ずいぶんなことだな。ラモラック。いや、てめえの仕える王は一人なんて言っときながら鞍替えするなんて、ひどい浮気者じゃないか。あんたの仕えるロット王なんて無能な男にどれほど価値があるのかねえ。」

 

それは安い挑発だった。ラモラックと呼ばれた、赤毛の男。それは滅多なことでは動揺しない。例え、アーサー王のことを言われても、そんなことはラモラックにとって何の意味も無かった。

けれど、ラモラックの顔に青筋が走る。

 

「貴様、今、何と言った。」

「さあ?ただ、俺程度に軽んじられる程度の男にしか仕えてねえって言ったんだよ。」

「・・・・よかろう。何よりも、どれよりも先に、貴様を殺してやろう!!グリム!」

 

その怒号と共にグリムがコンラに向かっていく。コンラは少なくとも、今のところは自分を殺すことに集中することを察して走り出した。

 

「待て、小僧!!」

 

コンラは自分を追いかけてくる男にほくそ笑んだ。元より、森の中ならば己に有利なのだ。この場所までの道は以前に下調べを行っている。そうして、その時、幾つかトラップを仕込んである。

 

(今も発動するか、賭けだなあ。)

 

コンラはそう思いながら後ろを振り返った。そこには怒り狂ったラモラックがいた。

 

(相も変わらず、呆れた忠誠だなあ。)

 

 

 

「こ、ここでいいの!?」

「おそらくここです!」

 

二人は草原の先、円状に並んだ、石のサークルまでたどり着いた。二人は何となしに、その中心にたどり着いた。

二人はこのままどうすればいいのかと途方に暮れた。その時、また、剣からキーンと金属音が響き渡る。けれど、その音は、明らかに言葉を有していた。

 

『中心に、剣を突き立てて。』

 

二人は驚いて顔を見合わせた。それに催促するようにまた金属音が響く。二人は慌てて、おそらく中心だろうそこに、剣を突き立てた。

そうすると、まるでそれに呼応するように辺りを光が包んだ。

 

『柄を握って、詠唱を。二人で、手を重ねて。』

 

グレイと立香は言われるままに、その柄を握った。

 

『あなたたちは、この地が滅び、されども人の歩みが続いた証。人の、憎しみの歴史、怒りの痕跡、苦痛の見返り。そうして、人の、勇気の証、正しさへの祈りの軌跡、愛の結果。祈りなさい。この、間違いを正す誰かを、この歪な結末を壊す誰かを。』

 

それに二人は、流れるように言葉を吐いた。

 

素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。振り立つ風には壁を。

四方の門は閉じ、王冠より出で、王国たる三叉路は循環せよ。

閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する

 

――――告げる。 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に 聖杯の寄るべに従い、人理の轍より応えよ。

 

そこで、立香の中に、ヴィーの声が混ざる。その声をそらんじるように、言葉を吐いた。

 

汝、滅びを招く者。綴られし筋書きに侍るがいい。その結末に囚われ、歩むがいい。

我は、それを見つめる者。我はそれを赦す者―――

 

汝、星見の言霊を纏う七天 降し、降し、裁きたまえ、天秤の守り手よ―――!

 

後に続いた、その節。

立香はそれがわからない。けれど、ヴィーの、大剣から聞こえるそれに導かれて、グレイと共にそれを唱えた。

光が強くなる。ばちばちと、何かが爆ぜる音がした。

 

「あ・・・・」

 

二人は目を見開いた。そこにいたのは、一人の美丈夫。

美しい、濃い黄昏の色の髪をした、騎士が立っていた。

 

「・・・・サーヴァント、セイバー。ランスロット、参上いたしました。マスター、この身に何をお望みでしょうか?」

 

 

 

 

コンラは、木々を渡り、そうしてグリムとラモラックをからかうように走っていた。けれど、何かに気づくように立香たちの向かった方向に視線を向けた。

そうして、ラモラックもまたその方向に視線を向けた。

 

「何!?」

 

自分たちにでさえもわかる、魔力のうねり。

 

「役者がそろっていってるんだ。ラモラック卿。」

「・・・サーヴァントの召喚か。この島でそんなことは!いや、なるほど、彼の人がいればそれも可能か。」

「あはははは。そういうこと。」

 

ラモラックは木に隠れるようにして自分と向かい合うコンラを見た。

 

「だが、そんなことをしてどうなる。ここでは敗北など意味は無い。それこそ、死でさえもどれほどの意味がある!?」

「意味か。まあ、意味は無いと言えるし、あると言える。ただ、一つ言えるのは。それが無駄であってもしなくてはいけない事ってあるものだろう?それと一緒さ。嫌な役割だけどな。」

「貴様は、いったいなんだ!?」

 

ラモラックはずっと苛立っていた。目の前の少年は、お世辞にも自分よりも強いとは言えなかった。それこそ、その軽業のような身のこなし以外は。

けれど、なぜか、それはまるでラモラックと長年の友人のように、彼の行動を読んで見せた。一撃、一撃を、まるで心が読めるように受けて見せた。

ラモラックは幾度か瞬きをした。何よりも、その目の前の少年の顔立ちをはっきりととらえきれていなかった。

おそらく、認識齟齬の魔術でもかかっているのだろう。その、状態もさらに苛立ちが重なる。

ラモラックの言葉にコンラは微笑んだ。

 

「まあ、今はそんなことどうだっていいんだ。与えられた奇跡の代価に、役割をこなすだけ。さあ、続きをしようか?」

 

少年は悲しそうに笑った。今を、苦しそうに微笑んだ。きっと、ラモラックには自分がどんな顔をしているかどうかさえも、見えていないんじゃ無いのかと、そう思って。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憎悪と後悔

ランスロットとラモラックの立ち回り。戦闘シーンは苦手です。


感想、評価等ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


 

 

グレイと藤丸立香は己の目の前に現れた騎士に息を吐いた。

彼らも目の前の存在がどれほどまでに頼もしいか、よくよくわかっていた。

 

「ランスロット、ごめん!今は詳しい事情は話せないけど、助けて欲しいんだ!」

「あちらにいる、コンラという少年を助けて欲しいんです!」

「コンラ?」

「金髪の、大剣を背負ってる子だよ!」

「今、一人で戦ってるんです!」

 

ランスロットはそれにうなずき、立香たちの指した方に視線を向けた。

 

「レディ、すみませんが私は先に向かいます。あなたはマスターの護衛をしながら来てください。」

「わ、わかりました。」

 

ランスロットはそのまま早足で駆けていく。

 

「俺たちも行こう!」

「はい、マスター!」

「え、グ、グレイ!?」

 

グレイはそう言った後、立香のことを抱き上げて走り出した。

 

 

 

「いい加減にしろ!」

「え、マジ!?」

 

ちょこまかと木々の上、そうして罠の上を駆け回るコンラに苛立ったラモラックはとうとう大木とまでは行かないが、それ相応に太い木々をなぎ倒し始めた。コンラは慌てて枝から飛び降りてたはははと苦笑した。

 

「くっそ。こちとらたださえ弱体化してんのに・・・・」

 

困ったように呟くコンラの言葉など聞こえていないラモラックは憎悪を叫ぶように吐き捨てた。

 

「王の地を損なうなどあってはならんと考えていた。だが、貴様のような無礼者を殺すならば、彼の人も赦されることだろう!赦されないのならば、償うまで!」

 

ラモラックはそう言った後、剣を振るう。まるで突風が吹くように、木々がざわめき、そうして幹は切り倒される。コンラはその小柄な体を生かして、木の影に隠れて、その場を切り抜けた。

倒れた木にグリムが押しつぶされているのが見えたが、それさえも気にした様子もない。

 

「待つがいい!」

 

その時、聞こえてきた声にラモラックとコンラは声のする方を見た。黄昏色の髪に、鎧。

その男は真っ先にラモラックに向かっていく。

 

「何者だ!?」

「我が名は騎士、ランスロット!マスターの命により、助太刀に参った!」

「さて、ラモラック。形勢逆転だ。」

 

コンラは素早くやってきたランスロット側に駆け寄った。ランスロットはコンラの呼んだ、名前に目を見開いた。

そうして、次にようやくグレイと、彼女に抱っこされて渋い顔をした立香が到着する。

 

「ラモラック?ラモラック卿だと?」

 

ランスロットの言葉に立香は眉間に皺を寄せる。先ほどは必死だったせいでさほど気にもしなかったが、その名前には覚えがあった。

 

「マスター、ラモラックと言えば。」

「た、確か、円卓の一人だったよね?」

 

立香の覚えている限り、強いという呼び声は高いが、あまり逸話を持たなかったと記憶している。さすがに同じ円卓では思うところはあるのだろうかと立香とグレイはランスロットを見た。

が、ランスロットは怒り狂うように叫んだ。

 

「貴様、何者だ!?」

「え?」

「・・・・ランスロット。」

「ああ、私はランスロット!円卓が騎士の一人!ならばわかるはずだ!己が、誰の名を騙っているのか!ラモラック卿の名を騙り、貴様は何をするつもりだ!?」

 

コンラは冷静に目の前の存在、ラモラックの動向を眺める。ランスロットは警戒のために、そうして、敵意のために剣を構える。

が、ラモラックは目を見開き、そうして絶叫した。

 

「ああああああああああああ!!貴様、貴様、きさまあああああああああ!?」

 

まるで、命を絶たれるような壮絶な声だった。聞いている者が思わず耳をふさぎたくなるような声だった。

 

「何故、貴様がこの地にいる!?貴様が、王の、我らの愛し子!ガウェイン様!アグラヴェイン様!ガへリス様!そして、ガレス様を!殺した貴様が、どの面を下げてここにいる!?」

 

それにランスロットの体が、明らかに、動揺するように震えた。ラモラックは足を、一歩進めた。

 

「この地はオークニー!北の果て、世界の果て!貴様の殺した、王の子の故郷!彼の人たちを愛した、愛されていた地!その地に、よくも踏み入ったものだな!?」

 

立香はそれにランスロットの動揺を理解した。ランスロットの後悔を知らないわけではない。彼らを殺した、その日の狂行。それにバーサ-カーこそがふさわしいと信じている彼。

 

「ランスロット!」

「もはや貴様に言葉は不要!鏖殺だ!!」

 

ラモラックが剣を掲げて、詠唱を始める。

 

「我が主、我が宝 北の果ての女王に願い奉る。この身にその加護よ、あれ!」

 

我が敬愛せし女王の祝福(ギフト・オブ・モルガーン)

 

立香がランスロットに駆け寄ろうとしたとき、彼の背中をダンと、何かが叩いた。それは、ランスロットの隣にいたコンラだった。

 

「目をそらすな、湖の騎士。」

 

その声は、子どもとは思えないような静かな声だった。コンラはじっとラモラックを見たまま言った。

 

「貴様が騎士というならば、守るべきものから目をそらすな。己の罪を受け入れろ。」

戦え、己の役目を忘れるな!

 

怒号のようなそれが響いた。それにランスロットはようやく気がついたように、剣を構えた。コンラはグレイと、そうして立香をつかみ、そうして横に飛んだ。

立香が認識したのは今までいたはずの地面がクレーターのようにへこんだことだった。

剣と剣が合わさり、二人は打ち合う。そのたびに豪風があたりに吹いた。

周りの木も、打ち倒された丸太もまるで埃でも払うかのように吹っ飛ばす。

 

「マスター!」

 

己の頭上を吹っ飛んでいく丸太から立香を庇うために、グレイは彼の頭を掴んで下げさせた。コンラは頭を庇いながらぼやいた。

 

「・・・・勝てるか。」

 

立香はそれに二人を見た。これでも、ランスロットの強さというのは立香自身もよくよく知っている。

が、二人の戦いは明らかに同等と言ってよかった。

 

「たぶん、軒並みの能力が上がってるね。」

 

砂埃が舞うそこに突っ込んでいいのか悩むところだろう。そこで、コンラが立ち上がった。そうして、グレイを見た。

 

「グレイ、少し付き合ってくれるかな?」

「え?」

「ここをひとまず突破する。」

「戦うの?」

 

立香の言葉にコンラは首を振った。

 

「言っただろう、奥の手があるって。」

「わかった。どうするの?」

「ヴィーを返して。」

 

それに立香は背負っていた大剣を彼に返した。そうして、コンラは立香を小さな体で無理矢理に背負った。そうして、グレイの手を取った。

コンラはにこりと微笑み、ランスロットたちの戦いに突っ込んだ。

 

「え、ちょっ!?」

「コンラさん!?」

「ランスロット、距離を取れ!」

 

ランスロットは自分たちに向かってくる三人の安全を確保するために、いったん、ラモラックを吹っ飛ばした。

コンラはそれにラモラックの目の前に立った。向かいあうように四人はラモラックと対峙する。ラモラックはすぐに戦闘態勢に入った。コンラはそれに剣を構えることは無く、無言で何故かグレイのフードを取った。

暗がりの中、曖昧だった少女の顔がさらけ出された。その、青い瞳も。

ラモラックは、グレイの顔を凝視して動きを止める。その、青い瞳をのぞき込むように見た。

その瞬間を、コンラは見逃さない。ざんと、その場に剣を突き立てた。

 

「・・・木々の葉よ、我らを隠す衣になれ。森の暗闇、帳を下ろせ。光よ、光、我らを避けて、闇に落とせ!」

 

その詠唱と共に、ラモラックの眼に閃光が飛び込んでくる。思わず覆った目を開けば、彼らは忽然と姿を消していた。

 

 

 

(・・・・行ったね。)

(行かれましたね。)

(よかったあ。)

(・・・・あの、申し訳ありませんが。いささか。窮屈では。)

 

四人は小さな木の上にそこそこ大柄なランスロットさえも昇って、その場を去るラモラックを見送った。

もうさすがに大丈夫だろうと言うときに、四人は地面に降り立った。

 

「あー、よかった。ヴィーから言われたとおりだった。」

「魔術?」

「あーうん。森の中とかは特に効果があるんだ。目くらましというか、認識阻害みたいなものだよ。さて。」

 

コンラは立香の足場になっていたランスロットを見た。ランスロットは自分を見る少年の顔立ちをようやく見ることが叶った。それに、ランスロットは驚愕するように、そのかんばせを見た。

 

「君は・・・・」

「やあ、初めまして、ランスロット卿。ボクの名前はコンラ。この特異点の解決のために呼ばれたサーヴァントの一人だよ。よかった。」

 

コンラは少しだけ、安堵するような、けれど暗い笑みを浮かべた。

 

「立香、期待通りの騎士だね。まさしく、戦況をひっくり返す最強だ。」

「コンラ?」

「そう、太陽神に通じる者さ。さて、積もる話は後にしよう。

隠れ家に帰還だ!」

 

にっこりと笑ったコンラに立香とグレイは安堵するように息を吐いた。そうして、ランスロットだけはどこか思い悩むような顔をしていた。

 

 

「・・・・あなたは、いつまで隠すの?」

「何がだ?」

 

コンラと呼ばれている少年は、帰ってきた隠れ家の一室でヴィーと向かい合っていた。

彼はひとまず鎧を外して、部屋に置かれた椅子に座っていた。それをベッドの上で膝を抱えたヴィーが眺めていた。

 

「別にマスターには話してもいいんじゃないの?」

「・・・いいや。話さない方がいい。夢はいつだって強く信じたものが勝ちだ。」

「嘘。」

 

それにコンラは美しい少女のことを見た。彼女は呆れた顔でコンラを見ていた。

 

「ただ単に、またあなたの覚悟が出来てないだけじゃないの?」

 

それにコンラは動きを止めた。そうして、息をついた。

 

「そういうヴィーも、歓迎会の時、彼のこといじめすぎじゃないのか?」

「ふんだ、あれでも軽いぐらいだもの。」

 

ぷいっとコンラから顔を背けてヴィーはそのままベッドを下りる。そうして、扉から廊下に出た。

 

「忘れないでね。あなたがここにいる理由。私も、忘れないから。」

 

ぎいと閉まった扉に、コンラは思い悩むようにため息を吐いた。

 

 

 

(目が覚めちゃった。)

 

立香はラモラックからの戦闘後、早々と隠れ家に帰ってきた。基本的に村を避ければ人間に会うことなどなく、サーヴァントの身体能力で飛ばすだけ飛ばせばあっという間のことだった。

道中で現在の状況を説明したが、ランスロットはずっと思い悩むような顔をしていた。

 

(当たり前か。)

 

召喚した時は必死だったが、思えば現状は彼にとって最悪だろう。

ランスロットの後悔を知っている。ならば、彼の表情も納得だ。おまけに相手は彼らの敬愛するロット王なのだ。

泊っている部屋から出て、リビングに向かう。喉が渇いたために水をもらえないかと思ったのだ。

扉を開けた先、そこには長椅子に座るランスロットの姿を見つけた。

 

「マスター?」

「あれ、ランスロット?」

「どうされましたか?」

「えっと、目が覚めちゃって。ランスロットは?」

「私はサーヴァントですので。一応は寝ずの番をと。」

 

そう言ったランスロットの言葉には嘘は無かったようだが、それにしてはひどく思い悩むように眉間に皺が寄っている。立香はなんとなく、彼の向かいに座った。

 

「でも、休むだけは休んだ方がいいんじゃないの?それとも、眠れない理由でもある?」

 

思わずそう踏み込んだのは、気になっていたというのもある。ランスロットがコンラを見たときの、あの表情には何か、意味がある気がした。そうして、ただ、カルデアでは聞けないことが聞ける気がしたせいだろうか。

召喚されたばかりの彼には何か、ひどく考えることがあるようだった。

 

「・・・・マスターのいるカルデア、そこにはガウェイン卿もいるのですよね?」

「うん。」

「それならばお気づきなのでは?コンラという少年は、あまりにもガウェイン卿に似ている、いえ、似すぎている。」

 

それに立香は口を噤んだ。

誰かに似ているという感覚は、いつの間にか確信に変わっていた。そうだ、彼の笑った顔、その面立ちはあまりにも記憶の中にあるカルデアの彼に似ていた。

けれど、彼はコンラと名乗っている。彼の持つ、秘密。

けれど、立香はコンラを信じると決めたとき、それを指摘することは無かった。

 

「似ているね、確かに。」

「彼がコンラと名乗っている理由は、私にはわかりません。おそらく、理由があるのでしょう。彼が誰であるのか、思い当たる者はあるのです。」

「それは?」

「彼の息子の、フロランス。あの子は、本当にガウェイン卿にそっくりで。ただ、眼だけが、違うのですが。」

 

ランスロットは己の拳を握り込んだ。そうして、落ち着かないようにじっと手を見つめる。それに立香は口を開いた。

 

「恨まれているから、名乗らないと思ってる?」

「いいえ、そのようなことは。もしも、本当に恨まれているのならば、彼は堂々と私にそう告げるでしょう。彼はガウェイン卿に、よく似ていた。」

 

ランスロットはまるで宝物のように、ガウェインの名前を呟いた。それに立香はずっと聞きたかったことを聞いた。ある意味で、少しだけの関係であるからと、この場限りのサーヴァントであることを無意識のうちに考えて、聞いてみた。

 

「ランスロットは、ガウェインのことが好き?」

 

その言葉にランスロットは思わず固まった。そうして、立香を見るがすぐに諦めたように首を振った。

目の前には、火の炊かれた暖炉がある。

立香は、ずっと思っていたことがあった。円卓という仲間であってもやはり仲の良さというのは変わってくる。立香の知る限り、ランスロットとよくつるんでいるように思う。

二人の間の確執を考えると、それはあまりにも不似合いな気がした。

ガウェインはそのさっぱりとした気質と、仲違いをしている場合では無いと言う自覚、そうして、隠しきれない情があった。

けれど、ランスロットの反応は不思議であった。彼は、己のことを恥じていた。セイバーとして召喚されたことをどこかで間違いだと思っているようだった。

だからこそ、ガウェインとの交流を不思議だと思っていた。ランスロットの性格からして、わざわざ交流を深めようなどというある意味で図々しいことなど出来ないだろう。

けれど、ランスロットは本当にガウェインと共にいるとき、嬉しそうであるように見えた。

懐に入るのが早すぎるというのはそうなのだが、それでも、立香はずっと聞きたいと思うことを口にした。

カルデアの記憶が無い彼に、まだ本格的な戦いの無い、今ならばと。

ランスロットはそれに驚いた顔をした。口を開いては、閉めてと繰り返して、そうして、ようやく口を開いた。

話そうとしているのは、何故だろうかと。ランスロットは考える。けれど、苦笑した。

きっと、夢か、現か曖昧な今で。そうして、目の前の、ある意味で一時のマスターである彼だからこそ、話してみたいという欲求にかられた。

もしも、現でも、夢であったと誤魔化してしまうだろう己の卑怯さを嗤った。

 

「・・・・私は、湖の貴婦人に育てられました。」

 

私は彼女に多くのことを教わりました。

武芸に、礼儀作法、騎士としての正しさ、清廉さ。人に対しての義務。

人として生きるには十分なことを。

そうして、成長した私はアーサー王の元に向かい、仕えることになりました。

私はそこで、初めてと言えるほどに人という存在と長く過ごすことになりました。

そこで、ガウェイン卿と会いました。

・・・・年が近かったこともありましたし、私よりも先に円卓にいた彼は、慣れない生活の私をよくよく気遣ってくれました。

弟がいた分、彼は私を弟のように思っていたのかもしれませんね。

お恥ずかしい話、湖の貴婦人は女性との付き合い方は教えてくれましたが、男性という者との付き合いは本当に手探りで。ある程度の年齢になってからのことでしたのでなかなか。

ガウェイン卿は、私にとって初めての、友人で、仲間で、戦友で、そうして、兄のようで。

私は、彼と出会って、ようやく養母が教えてくれた人の善性というものに触れることが出来ました。

彼は善き人でした、彼は、彼は、本当に、善き人で。

高潔であることとは、誰かを慈しむとは、騎士とは、きっとこのような人を言うのだと。

騎士として見本として、王はあまりにも遠く。

それ故に、私は、騎士として、ガウェイン卿のようになりたいと、そう、思っていたのです。

 

ランスロットはそこで口を噤んだ。

 

「私は、私の罪は、永遠に許されない。王を裏切ったことはもちろん、罪なき彼らを私は殺した。彼らの話す、母から子どもを奪った。私は、私の愛のために。だからこそ、もしも、コンラがどんなことを望むのであれ。私はそれに従うでしょう。」

 

静かに言い切ったランスロットは立ち上がった。そうして、立香を見た。

 

「マスター。そろそろ眠りましょう。」

「ランスロット・・・」

「私の愚かな話です。どうぞ、夢だとお思いになってください。」

 

立香は促されるままにリビングから出た。そうして、ちらりと暖炉を変わらずに眺めるランスロットを見た。

なんとなく、なんとなくであるが、立香はランスロットにはまだ言いたいことがあったのではないかと思えて仕方が無かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君は誰?

早めにひと段落させたいです。

感想、評価、ありがとうございます。
また、いただけると嬉しいです。


 

 

夢を見ている。ああ、まただと思った。藤丸立香はここに来てからすっかり慣れてしまったそれを前に立ち止まっていた。

そこは不思議と、枯れたいつもの大地ではなくて花びらの散る花畑だった。普段とはまったく違うその光景を意外に思う。

 

「おや?」

 

何かに話しかけられて振り向いた。そこには、何が立っていたのだろうか。

何かがいるのは理解できた。けれど、そこに何が立っているのか理解できなかった。

 

「ああ、そうか。私の方とはまだチャンネルが出来ていないんだね。まあ、あの子のお気に入りだというのだし。手荒なことをするのは止めておこう。」

 

「にしても、また困難な人生を歩む者だ。滅多にないほどに。いや、レアだね、まさしく。久方ぶりのケースだ。ふむ、新しいパターンは大歓迎さ。」

 

「ああ、すまない。誰かと話すなんてこと滅多に無くて興奮してしまった。だが、私の言葉なんて君には聞こえていないよね?」

 

「・・・でも、そうだ。せっかくここまで踏み込んできたのなら、少しぐらいは見てこようか?」

 

それはするりと立香に近づき、眼を、おそらく手で覆った。暖かくも、冷たくもない、何かに触れられ、立香は体を強ばらせた。けれど、その表現もしようも無い感覚はすぐに消えた。

そうして、気づけば、彼はぽつんと森の中に立っていた。濃い、翠の囲まれた森の中。

微かにせせらぎが聞こえる。

 

「ここは?」

 

思わず声を漏らせばその、影、といえるような黒いもやのそれはすっと何か、方向を指した。立香はその方向に視線を向ける。そこには、眠りこけたグレイがいた。

 

「グレイ!?」

 

驚いた立香が駆け寄った。木の根元に横たわるように眠るグレイを抱き起こすと、彼女は眠たそうに目をこすった。

 

「ます、たー?」

「グレイ、大丈夫?」

「・・・拙は、確か。あれ、お兄さんは。」

グレイはぐしぐしと目をこすったが、はっと気がつき立ち上がる。

 

「ここは・・・」

「ごめん、俺もここがどこか。俺たち、寝たよね?」

「はい、拙も寝ていて。先ほどまで、誰かと一緒にいたような・・・」

 

二人ははてりと首を傾げた。その時、また影が近づいてくる。そうして、二人の立つ場所から少し離れたところまで歩き、立ち止まる。

おいでと手招きをした。

 

「どうしましょうか?」

 

グレイの言葉に立香は少し黙り込んだ。だが、すぐにグレイの方を振り返った。

 

「行こう。何か、教えてくれようとしてるみたい。」

「・・・そうですね!」

 

二人はそのまま黒い影の後を追った。黒い影はまるで滑るように森の中を歩いて行く。

 

「そう言えば、グレイまた夢を見てたの?」

「はい。今回は、確か、金髪のお兄さんが、いたような。」

 

立香は森の中を歩きながら話を始めた。二人ともオークニーにやってきてからやたらと見るようになった夢についてコンラたちに相談はしていた。ただ、マーリンからそのままでいいとお墨付きを貰ってはいる。

曰く。

 

夢というのは昔から神に通じているものだからね。人は夢を介して、未来も、過去も、星の果てもさえも見通すことがある。何か意味があるかもしれないよ?

 

(でも、あの枯れた大地はなんなんだろうか。そうして、夢で見た、青い眼の人も。)

 

あれが自分たちに出会うべき魔女なのだろうか?

それさえもわかっていない。

 

(わかっていないことばっかりだな。)

 

頭が痛くなるような感覚だった。

 

「マスター、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ。でも、どこまで行くんだろう?」

 

立香はちらりと黒い影の方を見た。それは変わらず、すいすいと森の間を抜けていく。

二人の間には、本当に付いて行っていいのだろうかという疑問が浮かんだ。けれど、すぐにそれは霧散するように消えていく。それは、自分たちに対して危害を加えないという確信があった。

そこで、ふと、影は立ち止まる。二人もそれに倣い止まった。視線の先、そこには簡素ではあるが立派な作りの教会が建っていた。

影はすっと、入れというように教会を指した。

 

「入れ、ということでしょうか?」

「みたいだね。」

 

立香はなんとか覚悟を決めて、教会に向かった。二人は重い扉を開け、中をのぞき込んだ。

中は非常に簡素なものだった。白い壁、白い床、椅子だとかそんなものはない。ただ、教会の真ん中には大きな、十字架が置かれていた。台座に建てられたその前に、鎧を纏った小柄な人影があった。

それは懺悔をするように、何かを呟いている。

 

「赦されない。赦してはいけない。」

 

その声に、覚えがあった。鈍色の鎧が震えていた。

 

「母上も、王も、城でただ、義務に殉じているのに。なら、私が、どうして、夢に浸る事なんて。けして、赦されてはいけないのに。」

「そうだ、拙は・・・」

 

グレイの声が聞こえてくる。けれど、立香はいつの間にか思っていたことを吐き出した。

 

「ガレスちゃん・・・」

 

己自身で吐き出したその言葉と共に、目の前に広がった光景がぷつりと消えた。

 

気づけば上も下もわからない闇の中に立っていた。そうして、目の前には覚えのある黒い影。

 

「ふふふ、どうだった?少しは謎に迫れたかな?でも、全部は教えられない。私がそういうことをすると余計に夢とうつつの境がわからなくなりそうだし。」

 

ずいっと自分に近寄ってきた影はなんだかわらっているように思えた。

 

「君は、誰?」

 

思わずそう問うたが、その影は特別な反応をすることは無かったが変わること無く話しかけてきていたようだった。

 

「“マーリン”として会うならいいんだけど。まあ、私自身に会う必要性は無いしね。そうだ、せっかくなら君の望む姿になるのもいいかな?久しぶりに仕事をするのも乙なものかな?」

 

何かがいる。ぼやけた、黒い影。恐ろしいだとかは思わない。それから感じるのはどこか興味深そうな好奇心。じっと見つめた後、それはゆっくりと自分に近づいてきた。

逃げるように体を動かそうとしたが、何故か茫然と立ち止まってしまっている。

 

「さあ、夢から覚める時間だよ。」

 

優しい声がした。懐かしい、本当に懐かしい、声がした。自分に微笑む、翠の瞳、そうして揺れた赤茶の髪が確かに、そこに。

 

 

 

(・・・・いい、夢では無いな。)

 

立香はぼんやりとヴィーの館の一室、長椅子に座って考えていた。グレイもまたぐったりとした様子で座っていた。

立香とグレイはその後、同じ瞬間に叫び声を上げながら飛び起きた。慌てたコンラとランスロットが飛び込んできたのもすぐだった。

 

『さて、それでは二人は夢で、ロット王の子であるはずのガレスを見たと。』

「うん。でも、よくわからない夢で。」

「ガレスが・・・」

「元々、ロット王って単語がある時点で彼の子どもがいる可能性は十分にあっただろう。」

 

コンラはどこか静かな面持ちで言った。それにランスロットはばつが悪いというか悲痛な顔で顔を下に向けた。

 

「ですが、その黒い影は何だったのでしょうか?」

『それについては大丈夫だよ。たぶん、私の管轄だけど大したことじゃない。でも、グレイ。君は以前にもガレスの夢を見たことがあるんだね?』

 

顔を下に向けていたグレイはそれにこくりと頷いた。

 

「ここに来てからよく夢は見ていたのですが。内容自体はぼんやりとしていました。でも、昨日の夜に見た夢で思い出したんです。確かにガレスさんが夢に出て。ずっと遊んでいたんですが。」

「遊んで?」

 

ランスロットが驚いたような顔をしていた。それにグレイは頷いた。

 

「はい、子どもの姿のガレスさんとずっと。でも、なぜ拙がそんな夢を見たんでしょうか?」

『・・・・何か、繋がりがあるのかもしれないね。思い当たるようなことは?』

 

マーリンの言葉にグレイは非常に思い悩むよう顔をした。

 

「あるには、あります。ですが、その。」

「出来るなら言ってくれると嬉しいよ。何か、手がかりがあるかもしれないし。」

 

その言葉にグレイは目を伏せて小さく口を開いた。

 

「・・・・私の家は、墓守の家だったのですが。その、初代が。嘘か真か、確信は言えませんが、ガウェインさんのお子だったと言われています。」

 

グレイは周りの見開かれた目にまた気まずさを覚えて顔を下に向けた。

自分の家系の話は、以前、母から聞いたことがあった。自分たちの村も、本当は純粋にアーサー王や、そうしてあの戦いで死んだ者たちを弔うためにあったのだという。

けれど、その目的が変わってしまったのは、いつの頃だったのだろうか。

王の器を作る、そんな、歪なものに成り果ててしまったのは、いつだったのだろうか。

 

アーサー王はいつか、国の危機に帰ってくる。迷える民を救うために、敵を打ち倒すために。楽園でその身を休めているのだと。

 

それは裏を返せば、彼の人が帰ってくるのは世界が滅ぶ時だけということだろう。それを聞いたグレイは、幼心にアーサー王が帰ってこないことを願った。

 

彼女はそっと自分の顔を覆った。

アーサー王にそっくりの顔。そうなった顔。もう、どこまでが自分で、どこまでがアーサー王のものなのか、わからない顔。

自分とは何者かというアイデンティティの崩壊、それを肯定する周り。当たり前だ、だってグレイは器なのだ。大事なのは外であって、中には意味が無い。

考え込むグレイの耳に、騒々しい声が飛んでくる。

 

『グレイ、君の事情は理解したよ。ただ、そうだね。君の話が正しいのなら、君と、そうしておそらくこの島にいるらしいロット王の子どもたちと何かしらのラインが出来ているのかもしれない。』

「ライン?」

「血のつながりというのは文字通りやっかいなものだということさ。普通ならばきれることのない確固たる繋がり。おそらく相当に薄くなっているだろうが。彼女の場合、どうも特殊な事情がある。もしも、また夢を見たのなら詳しいことを教えてくれるかい?」

「わかりました。」

『よし、それじゃあさっそくこれからのことを話そうじゃないか。さて、君達、よくやってくれた!な、な、なんと!円卓でも最強と名高いランスロット卿を召喚に成功したんだ。これ以上のことはない。』

「あの、彼がマーリンというのは、本当でしょうか?」

「あー一応ね。」

 

長椅子の後ろに佇んで、黙り込んでいたランスロットはおずおずというように立香に話しかけた。彼が苦笑混じりに頷けば、鏡の方をじっと見る。

 

(何か気になることでもあるの?)

(なんというか、やたらと気分がハイになっているというか。)

(確かに、高揚してはおられますね。)

『はいはい、ふざけてるのは認めるところだけどね。そこまで言われると悲しくなるんだけど?』

「君がふざけすぎてるのが悪いんじゃ無いのかい。マーリン?」

『まあ、ふざけないとやっていけないとわかってくれないか。コンラ?』

 

三人は少々ばつの悪そうな顔をしたが、すぐに鏡の方を見た。

 

『ランスロット卿を召喚したとしても状況の悪さは変わらない。おそらく、この特異点の理由である聖杯を持つだろう魔女の元に行く方法は見つかっていない。ただ、戦力が増えたのは確かだ。』

「禁足地にむかえる。」

 

コンラのつぶやきに立香はちらりと彼の方を見た。この特異点にある禁足地と言われるそれ。おそらく、この地の秘密が何かしら隠されているのだが、グリムと呼ばれる兵士がおり、近づけなかったと聞いている。

 

「そのグリム、というのはいったい?」

「この島にいる兵士だよ。人なのか、人じゃ無いのかは曖昧だけど。でも、島の中でも特定の場所にしかいないんだ。それが、この島でも三カ所。それが禁足地と俗に呼んでいる場所だよ。ただ、一つ言えるのは、その場所に何かの意味があるのは確かさ。」

『そういうことだよ。今はともかく行動さ。さて、出発しよう。いまだ、時間は多くはないのだから。』

 

 

 

だんと自分の腰がまた叩かれた。それにランスロットはちらりと自分の隣を見た。そこには、呆れた顔のコンラが立っていた。

現在、四人は何故か、距離的に一番に遠い禁足地に向かっていた。曰く、マーリンから近い場所であると隠れ家が見つかる可能性があるためとのことだった。

グレイと立香は前を歩いており、コンラとランスロットが後ろを歩いていた。

 

「お兄さん、グレイのこと見過ぎ。何か、思い当たることでもあるの?」

「いや・・・・」

「大方、君の友人のガウェイン卿の子どもの誰かしらに似てたんでしょ?」

 

図星を突かれてランスロットは黙り込んだ。頭のどこかで理解していたが、コンラの言葉にようやく理解した。

ローアル、ガウェインの末の娘。幼いときに会ったことがあった。髪の色や、あまりにも王に似た顔のせいで合致しなかったが、それでもランスロットは思い出した。少女の、美しい瞳のことを。

似ていた、それを理解すればするほどに自分の中で罪悪感を思い出した。

奪ってしまった、お転婆で、けれど優しいあの子から。

父を、兄を、叔父を、悉く奪ってしまった。

 

「・・・・未来に過去の面影を託すのは悪いことじゃないよ。愛おしいと言うそれは、確かに繋がった事への喜びがあるからね。でも、償いをグレイに向けるべきではないことぐらいは理解しているだろう、サー・ランスロット。」

「ああ・・・」

 

ランスロットとてわかっている。仮に、彼女が例え、ガウェインの子孫であるとして。今更、遠い昔のそれを向けられても困るだろう。ちらりと、目の前の少女を見た。

それによって胸の内に広がるのは喜びだ。

あの子が生き延びていた、ガウェインの血が、続いてくれたことが嬉しい。

ランスロットはそうだ、あの男のことがきっと好きだったものだから。だからこそ、己のなしたことを恥じている。恥じ、続けている。

壊したこと、滅ぼしたこと、それを、悔いている。国へ、民へ、王へ、同胞へ、そうして、彼の愛した騎士に。

ひどい罪だと、理解している。

 

「・・・・私は、間違えてしまった。多くのことを、間違えてしまった。あの過ちは、永遠に赦されることは無いだろう。」

「それは、君の不貞の話かい?」

 

ランスロットは力なく頷いた。それにコンラは呆れたような顔をした。

 

「サー・ランスロット、君ってさ。まさか、自分は絶対に間違えないとかって思ってたりする?」

「そんなことは・・・」

「君の行いは確かに間違いだったけれど。全てを救えるなんて都合のいい人間なんているはずがないんだよ。大体さあ、君、もしもやり直し(奇跡)ができたとして。同じことをしないなんて言えるの?」

 

それにランスロットはぎろりとコンラを見た。それは幼い少年には不釣り合いな老いた目をしていた。

 

「ほらね。だからこそ、だよ。君は一等に幸せであって欲しいと想った誰かのために走ってしまった。あの時代、君達円卓はどうして、誰かのために血を浴びて、そうして戦い続けたのか。そんなの簡単だよ。自分の苦しみ、悲しみ、苦労の一つで大切な誰かが明日を生きてられると信じたからだろう。」

 

その大切な誰かが含まれない明日と、君の走った事実はきっと天秤には乗せても無駄なんだ。

 

ランスロットはそれを否定することも、けれど、肯定することも無く黙り込んだ。

ランスロットは己の狂行を間違いであったと思うし、悔いている。けれど、それでも、グィネヴィアという人に、あの国の贄になり続ける彼女に幸せになって欲しかった。愛して、しまった。

それは、それを、悔いることは出来ない。それだけは、悔いたくないとも思う。

 

「だが、私は罪のない人間を殺してしまった。」

「そうだ、それは永遠に悔い続けなければいけない。でも、あの日、君が大切な誰かのために、生きて欲しいと願って選択したことは間違いだとは思わないで欲しいよ。少なくとも、ボクはね。」

 

コンラはその後、ため息を吐いた。気だるそうに、どこともしれない場所を見る。

 

「大体、誰かの幸福を下地にした時点でそのしっぺ返しは来るものなんだよ。どんなものにも代価がいる。それも、与えられたものに比べれば圧倒的に莫大なものを請求されるのが常なんだ。」

 

コンラはランスロットの鎧をたんと叩いた。

 

「たぶん、これから君は君の殺した彼らに出会うよ。でも、サンドバッグになるなんてこと考えるなよ。」

「醜く弁明をしろということだろうか?」

「違うよ。何故、それをしたのか、そうしてしまった理由ぐらいは言えってこと。誰だって、自分が死んだ理由ぐらいは知りたいだろう。いや、納得がしたいんだ。納得が出来なければ思いっきり怒ることが出来る。でも、ランスロット。それでも、君は自分のなすべきことを忘れてはいけない。君は、何故、ここにいるのか。わかっているだろう?」

 

それにランスロットは少年を見た。コンラ、という名前は知識として自分に下ろされている。けれど、ランスロットの中に確実な疑問が改めて浮かんだ。

 

「君は、いったい・・・・」

「コンラ、ランスロット!」

 

ランスロットが何かを言おうとしたとき、立香のけたたましい声が響いた。それにコンラと、一瞬送れてランスロットが二人の元に走り出した。

二人が指さす方向には、川が流れていた。そうして、その岸に流れ着いた茶髪の青年が見えた。

遠目でも、その胸が微かに上下していることがわかった。

 

「生きて、ますよね?」

「立香、ボクが行ってもいいかい?」

 

それに立香は頷いた。コンラならば、何があっても回避することが出来るだろうと考えてだった。

川に近づき、そうして、コンラはうつ伏せに倒れた青年をのぞき込んだ。それにコンラは、うん?と顔を少しだけ傾げる。

 

「・・・・いや、まさか。」

 

ぼそぼそと立香たちに聞こえないほどの声でコンラは言った。

 

「ねえ、お兄さん、だいじょ・・・」

 

コンラが話しかけようとした時、倒れていた男の腕が伸びて、次の瞬間にはその首元を掴んだ。

 

「おっわ!?」

「コンラ!?」

 

木の影に隠れていた立香たちは叫んだ。コンラを掴んだのは、ひょろりと痩せた青年だった。

茶色の髪に青い瞳。大人しそうな外見のそれはギラギラとした目でコンラを見た。

 

「久しぶりですねえ、本当に!」

「ベ、ベルン・・・」

 

コンラは引き攣った顔で青年の名前を呼んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢見る人たち


感想、評価、また誤字報告ありがとうございます。
また、いただけましたら嬉しいです。


「てめえ、とんでもないものを押しつけて行かれやがりましたね!?」

「うわああああ!?ベルン、後生だから勘弁を!」

「え、ちょっと、待って!?」

 

ぎちぎち締め上げられるコンラに慌てて藤丸立香が叫んだ。それにランスロットが慌てて物陰から飛び出した。

 

「あの、申し訳ありません!その子を離していただけないか!?」

「・・・何でしょうか。私が用があるのは、この。」

「わ、わかった!ベルン、コンラは逃げはしない!用があるのなら、すぐに済ませよう!?」

 

据わった瞳のベルンと呼ばれた男はコンラの叫びにじっとりとした目を向けた。そうして、呆れたようにため息を吐き、その場に下ろした。

 

「そうですね。あなたの言うとおり、こんな、子どもに、わざわざ、大人げないことをしました。」

「い、いえ。それは、はい。」

「あー、うん。えっと、ランス。マスターたちのことを呼んできてくれないかい?」

 

ランス、と呼ばれ、ランスロットはコンラの言いたいことを理解した。自分の名前がどれほどまでに売れているかはわからなかったが、お世辞にも良い印象は受けないだろう。

ランスロットはそそくさとマスターたちの元に向かった。

 

「あ、ランスロット、大丈夫?」

「ええ、どうもコンラと彼は知り合いのようです。」

「大丈夫なのでしょうか?」

「マスターたちを呼んでくるように頼まれましたのでおそらくは信頼は置いているのだと思うのですが。」

「・・・そうか、なら話してみようか。」

「はい、あと、申し訳ありませんが私のことはランスと呼んでください。」

 

立香とグレイはランスロットの事情を察して頷いた。おずおずと三人は改めてベルンと呼ばれた青年とコンラの間にはなんとも言えない気まずい雰囲気があった。

 

「・・・えっと、その、いいですか?」

「あなたは?」

「今、コンラ君と行動している藤丸立香といいます。」

「私は、グレイです。」

「私は、ランスと。」

「立派な方々を連れていったいどこに行くので?」

 

ベルンは特別何かしらのことを説明するというふうもなくひたすらコンラをにらみ付けている。コンラもさすがに気まずさがあるのか、そっと視線をそらした。そうして、立香の方を見た。

 

「・・・・このずっと先にある立ち入りの禁止された所に。」

「は!?」

 

ベルンは目を見開き、驚いたような顔をした。そうして、改めて立香たちを見た。彼は、少しだけ静かな眼をした後、ため息を吐いた。

 

「それはそうですね。だって、あなたと共にいるんだから。そんなものは、当たり前のことだ。」

 

まるで吐き捨てるように彼は言った。そうして、立香たちを見た。

 

「ご無礼を。申し訳ありません、名も名乗らずに。私はベルン。このクソガキの古なじみ、です。この島の異常をなんとかしようと動かれていると思っても構いませんね。」

「はい、そうです。」

「そう、だから、その。話は、また今度に。」

「いえ、うちの村に寄っていってください。」

「え、村にですか?」

 

グレイの言葉にベルンは頷いた。

 

「あなたたちが言っている場所はここからそこそこ遠いですよ。馬がいますので、お貸しします。」

「え、べ、ベルン・・・」

「そこのクソガキにも用がありますので。」

 

ベルンはそう言うと、コンラの手を掴んで歩き出した。コンラはそれを断ることも出来ずにずるずると引きずられていく。その悲しげな顔に、立香は故郷で聞いたドナドナのメロディが頭で流れていく。

その哀愁漂う表情に立香は思わずランスロットとグレイを振り返った。

 

「ついて、行った方がいいですよね?」

「です、ね。」

「そうだね・・・」

 

三人はそのまま哀愁漂うコンラとベルンの後を追った。

 

 

たどり着いた村、といっていい場所はひどく貧相だった。コンラに連れられていった村に比べて個々の家が小さく貧相な印象を受けた。

村にはまばらに人間がおり、男だったり、女であったりと様々だ。そんな中、村に自分たちが入ってきたのを見たらしい男の一人が近づいてくる。

 

「ベルンさん、また死のうとしたんですか?」

 

掛けられた朗らかな言葉に反して、あまりにも違和感のある台詞に立香たちは目を丸くした。コンラもまた、驚いたように目を見開いていた。

 

「失敗しましたけれどね。」

「無駄なことしない方がいいですよ。あと、その人たちは?」

「この人たちも村になじめなかった人たちです。聞きたいことがたくさんあると思うので、後は頼みます。私は、このクソガキに聞きたいことがあるので。」

「ちょ、おま!」

「それでは、皆さん、あとは彼に聞いてください。」

 

ベルンはそう言ってさっさと村の奥に歩いて行く。立香たちはそれを追いかけようとしたがそれよりも先に男に止められた。

 

「よっす、あんたらが新しい住人だな。聞きたいことは俺に何でも聞いてくれ。」

「あの、ベルンさんは。」

「ああ、あの人なら大丈夫だよ。荒事からは一番遠い人だから。」

 

朗らかに笑う男に立香たちはひとまず、ベルンからまったく説明がなかったこともあり話を聞くことにした。自己紹介をした後、立香は口を開いた。

 

「すいません、ここはいったい?」

「ああ、ベルンさん、やっぱり何の話もしてないのか。あの人、少し話をしただけで、勘がいいのか全部察しちまうことがあるから。」

 

この村は、そうだな。他の村でなじめなかった奴をベルンさんが連れてきて作った村なんだよ。

・・・・あんたらだってわかるだろう、この島はおかしい。

俺か?俺は。

・・・・俺は、父親と母親と暮らしてたんだよ。そうだ、なんのおかしいこともない。来る日も、来る日も、畑に行って、耕して、今日もいい天気だなって思ってさ。

ある日、父親に言ったんだ、年寄りだからって無茶するなよって。それに、親父は失礼なって怒ってさ。お袋も、笑っててな。

そこで気づいたんだよ。隣り合った二人、皺が寄って年を取った母親の隣に俺と変わらない年の親父がいるんだよ。

・・・おかしいだろ?おかしいのに、それを伝えてもみんなわかんねえって顔すんの。

それで、どんどん、思い出してさ。

親父、俺がガキの頃に死んだんだよ。病気で、死んで、埋められて、今まで生きてきたのに。あの人がいない日を、生きてたのに。

おかしいよなあ。おかしいのに、それでも、お袋、幸せそうでさあ。

俺、そのせいで故郷に居づらくてさ。ふらふらと、そうだね。歩いてて、ベルンさんに拾われたんだ。

そんな感じ、俺の話はね。

 

 

あら、あなたは?

ああ、そうなの。あなたもなのね。私の話?私は、そうね。

私には兄がいたの。ちょっと意地の悪い人でね。私はお嫁に行ったから、両親と暮らしてる兄とはそんなに会わなかったの。

・・・おかしなことなんてないわよね。でも、ある日、会いにいって、話してて向かい合って話してたの。それで、ふと、ああ、目線が合わないなって気づいて。

それ、ふと、理解したの。

まだ、十才になるぐらいの子どもを、私はどうして兄と呼んでるんだろうって。

聞いたことはあったわ。私が生まれる前に死んだ、見たことも無い兄のこと。

思ったの、これは、なんなんだろうって。

本当に、あの子はなんだったのかしらね。気味が悪いとか、怖いとか、そんなことはなかったの。父も母も兄のことを、愛していたのでしょう。

・・・別に、養子を貰っただとか、そう思えばいいのかもしれない。でも、昔、ここに兄が眠っていると言われた、墓に何を思えばいいのかわからなくて。

結局、私は、夫の家での違和感にも耐えられずこんなところに。

そんな話ですね。

 

ベルンさんの話?

・・・なんでかな。ここじゃあ、死にたくても死ねないんだよ。

水に入ろうが岸に押し上げられ、首をつろうとすりゃ縄が切れ、ほかにもなんでもござれだ。ベルンさんはどうにかして死のうと頑張ってたんですよ。

理由?

さあ、知る必要も無いでしょう。

 

 

出会う人たちは語っていく。ここにいるからこそ、そうして、皆が笑っているのに自分たちがひどく違和感があって。そうして、ここにいること。

 

「・・・話は聞けましたが。」

「うん、違和感がある人と、無い人の違いって何だろう?」

「その前に生活に紛れ込んでいる、姿の変わらない死者はいったい何なのでしょうか?」

「拙が思うに、村々で見た人たちはおそらく死者ではないのだと思います。」

「なら、何かが死者に化けている、のかな?」

「それがおそらく一番妥当なものかと。」

「話は終りましたか?」

 

三人はベルンの家だという場所の前で話し込んでいるとぐったりとしたコンラを連れたベルンがやってきた。

 

「ベルンさん!」

「申し訳ありません。頭に血が上って不躾な態度をとってしまいました。」

「い、いえ、そんなことは。」

 

グレイがそう行っている隣で立香はすっかりしわしわになっているコンラに目を向けた。何の話をしていたのかはわからないが相当絞られたのはわかった。

 

「ベルンさんは、コンラと知り合いなんですか?」

「ええ、以前頼まれごとをしたんですが。それがひどいもので。まあ、もういいんです。それで、この村については理解されましたか?」

「はい、皆さんの話は聞いて回りました。ベルンさんも違和感があって村から出られたんですか?」

「・・・・そうですね。いつものように仕事をして、ですが、ふと、違和感を覚えて。まあ、城から文官が飛び出しても追っ手も来ないんですから、この島は狂っているんでしょうけどね。」

 

不機嫌そうな声に立香は目を丸くした。

 

「城にいたんですか?」

「ええ。といっても、私も今では城に帰ることはできませんよ。グリムたちが城から出ようとしていたときに紛れて出ただけなので。」

「あの、なら王には会われたんですか?」

 

おずおずとそう問うとベルンは顔をしかめた。

 

「・・・さあ、私は会ったことはありませんよ。あなたの会った、赤毛の馬鹿なら会ったこともあるんでしょうがね。」

「あなたは彼について知っておられるんですか?」

 

ランスロットの言葉にベルンはちらりとコンラを見た。そうして、ため息をついた。

 

「あれはアーサー王に仕えていたというラモラックという男とは別人ですよ。ロット王の、陛下の忠犬で。諸事情で己の名前を嫌っていたので、仲間内ではダイル、と呼ばれていましたが。」

「この地にあんなにも強い騎士がいるとは。」

「・・・誰も彼もが栄光を願い、アーサー王への忠を誓うわけでは無いでしょう。」

 

ランスロットはそれに少しだけばつの悪い顔をした。

はあとため息をついたベルンは、ちらりと自分の後ろで気まずそうに体を縮めたコンラを見た。

 

「今日はともかく一度、休んでから出発しましょう。」

「ベルンさんも来るんですか?」

「ええ、ここら辺の道は私が何よりも知っていますし。それに。」

 

ベルンは少しだけ視線を下にそらした。

それを立香は苦い顔だと思った、寂しい顔だと思った、そうして、どこか、思いっきり笑うように、やたらとすがすがしい顔だと思った。

 

「ええ、だって。少なくとも私はこの国で生きているんです。蚊帳の外なんてそれほどまでに腹が立つ事なんてないでしょう?」

 

 

 

立香は眠れるままにベッドに転がっていた。通されたベルンの家は、粗末なものだったが寒さを凌げるという点では十分にありがたいものだった。夜ではないからときっちりと締め切られた窓辺から差し込む光がまぶしい。

立香はその時、村人との話を思い出していた。

 

その時、立香は、どこかで感じていた、夢見心地というものが薄れていく気がした。

この島に来て、この、オークニーという場所に来て、立香はふと、自分が今まで何よりもここに住まう誰かと関わっていないことに気づいた。

最初の村でこの島にはびこる違和感が何かを理解してから、コンラは執拗に村を避けていた。それは、偏に寄る必要性というものが薄かったのだろう。

ただ、改めて、立香は久方ぶりにこの島で生きている人たちと話をした。

 

彼らはひどく自分たちの家族や、そうして己たちのことを呆れているようだった。

 

みんな、幸せなんだって。

父も、母も、死んだはずの人を、それはそれは嬉しそうに受け入れていて。

それを、嬉しいことだと思ったんだ。

でもね。

それでもね。

ああ、どうしてだろうかな。

私は、俺は、ボクは、自分は、その人が眠る墓をみて、ならここにいるのは誰なんだろうと。

寂しくて、仕方が無いんだ。

 

村にいる人たちは、そうやって戻ってきた死者たちを嫌悪しているわけでは無かった。恐れているわけでは無かった。哀れんでいるわけでは無かった。

ただ、ただ、皆が皆、語るのだ。

帰ってきた人たちは、本当に、愛しい誰かで。でも、その人が眠る墓を暴いて、そこに、まだ眠っていたのなら。

私たちは、とても、とても、ひどいことをしている気がするのだと。

 

立香はそれに、少しだけ、言いたいことがわかる気がした。

自分を救うのは、きっと大事なことなのだ。藤丸立香は、誰かへの、そうして、滅ぼしてしまった何かに対して、せめて誠実でありたいと思っている。

取るに足らない、ちっぽけな自分がせめて張っている意地なのだ。

失ったものは取り戻せない。お別れはやってくる。それでも、お別れしてしまった、優しくて、残酷で、意気地なしの彼にもう一度だけ会えたのなら、笑い合うことが出来たのなら。

それは、いつか、夢見てしまうことなのだ。

寂しさだとか、悲しいだとか、そんなことで、夢見てしまうことなのだ。

いつだって振り返ってしまう。過去はどこまでも優しくて、いつだって自分の側にいてくれる。けれど、自分たちがけして前に歩いて行くしか無いこともわかっている。

立香はそれに、言った。

 

「そうですね、それは、きっと。残してきた誰かが救われるためでも。きっと、それはとても寂しいことですね。」

 

それに彼らは少しだけ淡く笑って、そうだと頷いた。

 

ええ、そうです。そうだろう。大好きな人たちが笑っているけれど。自分が忘れられていくのは、それはきっと寂しいことだ。

 

立香はそれでも、改めて、自分がその幸せを壊すことを自覚する。

死した者は蘇らず、ただ事実だけが積み上がっていく。立香は、それをまた、背負わなくてはと思う。

今までの、村。一どだけ触れた、歪な人たち。けれど、彼らは確かに幸せそうで。そうして、この村で話した誰かたちのことを思い出す。

自分たちはその夢に浸れなかったけれど、それでも、みんな、笑っていたのだと。

穏やかに、微笑んでいた。

そうだ、全ては今更で。きっと、また、背負っていこうと思う荷物が増えるだけで。

 

こんこん。

 

ノックの音に、立香は起き上がる。

 

「どうぞ。」

 

そう声をかけると、非常に気まずそうな顔のコンラが入ってきた。

 

「・・・ごめん、起こした?」

「えっと、ううん。眠れてなかったから。」

「そうか、いや、ごめんね。今日は何も話さずにここまで連れてきちゃったし。お詫びにね。」

「え、ううん。俺も協力して貰ってるし。それに。」

 

言葉を切った立香にコンラは少し黙り込んで、部屋に入ってくる。そうして、無遠慮に立香に問うた。

 

「・・・・この島で起こってることを解決するのが後ろめたい?」

 

唐突にぶつけるように言ってきたそれに立香は黙り込んだ。そうして、口を次に開く。

 

「それでも、やらなくちゃいけないんだと思う。」

「・・・・立香が苦しいなんて思う必要は無いよ。」

 

コンラはしかめっ面のままで言った。まるでひどく苦い薬でも飲み込んだかのような顔だった。

 

「それは・・・」

「大体さ、みんな期待しすぎなんだよ。人が作ったものなんだ。なら、国だっていつかは滅びる。それに良いも悪いもないんだ。ただ、タイミングと瞬間でほころびが出てくる。誰もそんなことを望んでないんだ。でも、人間はいつまでもその日々が終らないって信じてるものだから。」

 

ため息を吐いた彼に立香はおそるおそる聞いた。

 

「怒ってるの?」

「・・・怒ってる、のもあるよ。あのね、立香。国を保つのってものすごい大変なんだよ。その時期の季節とか、災害とか、病気の対策に、食料。もちろん、他国との外交。これをさ、そりゃあ部下がいるといっても、たった一人で考えるんだよ。ほんと、王様って職業は狂ってる。」

「う、うん?」

 

愚痴を吐き出すコンラに立香は困惑しながら頷いた。

 

「それでも、民も、そうして領主だとかは王のそれを当たり前だと思ってる。そうだよね、だって、そのために教育されて、そのために整えられたんだから。でもさ、たった一人の贄によって保たれる世界なんて滅んで当たり前なんだよ。元より、一人の行いによってゆらぐ程度の強度なら壊れることは大前提だった。それを、みんな、わかっていなかったんだ。」

 

懺悔するように吐き捨てたコンラははあとため息をついた。

 

「ごめん、思いっきり話がそれちゃったね。」

「いいや、良いんだけど。でも、コンラは一体、誰の話をしているの?」

 

それは当然の帰結だった。コンラは肩をすくめた。

 

「マーリンに聞いた、王様の話だよ。ボクが言いたいのは、そうだ。君が滅ぼした世界への業を君一人で背負わなくて良いって言いたいんだよ。」

 

立香はそれに少しだけ黙り込んだ。そうして、わかったと言おうとしたけれど、コンラはそれにかぶせるように言った。

 

「この世界を滅ぼすのは、ボクであって藤丸立香、君ではない。それだけは、君に背負われるわけにはいかないんだ。」

「・・・・コンラ、君は一体、誰なんだ?」

 

立香の言葉にコンラはにこりと微笑んだ。

 

「君が見ているままだよ。今言えるのは、それだけなんだ。」

 

 

 

 

 

 

「おや、また来たのかい。いいことだ。段々とこちらとのチャンネルが繋がっていると言うことだからね。私は残念ながら、死人とは繋がりを持てないんだよ。ほら、死人はユメを見ないから。」

 

また、黒い影が自分に親しげに話しかけてくる。それはなんなのかとじっと、自分をみているそれは、そのまま話し始める。

 

「私がサポートをする上では君の存在は不可欠だったからね。さて、そうだ、そろそろヒントをあげようか。どんな夢も、いつかは終わる必要があるのだから。」

 

影が、変わる。そこにいたのは、美しい女性だった。

白銀の髪、夢を見るような美しい瞳。誰かに似ている。そうだ、誰かに、似ている。

 

「やあ、そんな顔をしなくていい。ようやく、君とまともに会うことができたんだ。だが、時間があまりにもない。だからこそ、手早く聞いておきなさい。」

 

死人が黄泉がえり、恵みに溢れたこの地は夢のようだ。それなら、夢を壊しなさい。自らで、夢から抜け出すために、常若の地のリンゴを焼き払い、そうして、その心を砕くといい。

 

女は、そうだ、マーリンによく似た女はにっこりと笑った。

 

「心して聞いておくれ。」

 

君はこれから心を三つ砕かなくてはいけない。砕くのに必要なのは、己を殺した騎士への問い、そうして己自身で夢から覚めると誓うこと。

 

疑問を持つものは己の中に答えを持っている。

断罪を望むものは同調を隠している。

そして、自分に行われたことへの咎を持たぬ者は罰を望んでいない。

 

忘れてはいけないよ、彼らはすでに理解している。何よりも、この夢が続く限り、己の愛したものが孤独にあるという事実を。

だからこそ、彼らは、夢から覚めることを望んでいるのだと。

 

女はそう言って微笑んだ。何よりも、誰よりも、優しげに、穏やかに微笑んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

問いかけ

感想、評価等ありがとうございます。
また、いただけると嬉しいです。

次でようやく一つ目の山場です。


 

「・・・・マーリンって、女性だったけ?」

「・・・・違ったと思います。」

 

茫然と二人は寝起きのままに呟いた。それをランスロットが気遣わしげに見ていた。

 

「・・・アーサー王に仕えてた魔術師のことですか?確か、男性でしたよ。彼の人の浮名はこちらまで流れてきてましたから。」

 

こんな北の国にまで流れていたその事実を聞き流しながら立香はため息をついた。

昨夜の夢、唐突に現れた女性の姿にぐったりと立香はため息を吐いた。明らかにマーリンに似た女性は、プロトアーサーに聞いていたプロトマーリンの特徴をとらえているように思えた。

疲れ切ったグレイを見ると、彼女もまたぐったりとうなっていた。

 

「まあ、いいですがそれよりもさっさと出発しましょう。」

 

ベルンはそう言って馬を三頭連れてきた。

 

 

ランスロットの馬には立香が、コンラの馬にはグレイが、そうしてベルンが一人で馬に乗っている。

 

「そろそろ着きますよ!」

 

その言葉に立香は体を強ばらせた、ちらりと、コンラを見た。彼は堅い表情で前を見ていた。

 

濃い緑の中を駆けていけば、ベルンがそういった。何かしらの目印があるというわけではないが、彼はまるでわかりきった場所を進むように馬を操る。

ベルンの言葉通り、森はどこかどんどんうっそうと茂っているように見えた。

その時だ、コンラが目を見開いた。

 

「・・・おい、ラモラックたちが来てるぞ!」

 

その言葉に振り返れば遠目に見ても明らかな軍勢が後ろに近づいてきていた。

それに対してベルンが叫んだ。

 

「後は私がなんとかします!」

「え!?」

 

思わず叫んだそれにコンラがちらりとベルンを見た。それに彼は覚悟を決めたような顔をしていた。

 

「ランス!このまままっすぐ行くぞ!」

「だが!」

「先に打ち合わせはしといた!さっさと行くぞ!立香!文句は後で聞く!ただ、今は、このまま行かせてくれ!」

 

それに立香は一瞬ためらうが、それでも、行ってと叫んだ。

ベルンはそれに何も見ることも無く、馬を反転させてそのままラモラックたちの方に突っ込んでいった。

 

 

ベルンは走った。ただ、馬を駆けて自分たちを追ってくる集団、武装をしたかつての同胞たちの元に向かう。ラモラックがそれに自分を避けようと馬を操ろうとした。

けれど、ベルンは残念ながらそれらの行動などあっさりと見抜いていた。

それらは自分を害することなどない。何よりも、どうせ、死ぬことさえもないのだと理解できていた。

だからこそ、ベルンは、馬上から飛んだ。それにラモラックの顔が驚愕に染まったことは理解できた。タイミングは完璧だった。丁度、ラモラックに飛びつくようなタイミング。

 

「ダイル!」

 

皮肉でも何でも無くて、ただ、昔なじみの名前を呼んだ。それにラモラックは、ダイルは茫然としながらもベルンに手を伸ばした。

わかっていた。

そうだ、お前は。

 

「そういう人ですよ!」

 

ベルンはそう言って自分を抱き留めたラモラックを馬から引きずり下ろすために体をひねった。

目論見通り、ラモラックはそのまま地面に転がり落ちた。

 

「貴様!」

「は!何を怒るんですかねえ!この、意地っ張りが!」

 

ラモラックとベルンのそれに周りにいたグリムがその諍いを止めるべきか、悩む素振りをした。けれど、幾人かはコンラたちの後を追おうとする。

それにベルンが叫んだ。

 

「逃がすと思いますか!?」

 

その言葉と同時に、彼らを取り巻く木々がざわりと揺れた。そうして、地面からうねる尾のように根がグリムを絡め取る。

それラモラックは目を見開いた。ベルンはその騒動に紛れて、ラモラックたちから距離を取る。

 

「ベルン、貴様はただの人間のはずだ!魔術師でも何でも無い、ただの!」

 

それにベルンはやけっぱちのように笑った。

 

「ええ、ええ、ええ!そうですよ、こちとら生まれてこの方、なんのわけもないただの人間ですよ!それを、あのくそったれな陛下のせいでめちゃくちゃですよ!本当に!」

「・・・陛下、だと?」

「遺言が自分一人にしか無かったとか、そんな、舐めたことを思わないでくださいよ?」

 

ベルンはそう言った後、己の右目を覆った。

 

「何も知らないと、私が、本当に何も知らないと思っておいでなのですかね?馬鹿ダイル!」

「貴様が知った口をきくか!?城を出て、貴様が!いったい、何を!」

「ええ、皮肉なことに知っていますよ!この国の意味を、この、妃様が見ている夢だと、理解なんてしていますよ!愚かなことをと!」

「陛下は我らを幸福に、守ろうとされていた!あの方の願いを守るために、妃様がどれだけ必死なのか、努力をされているのか。夢から覚めた貴様を!あの方は赦したのだぞ!それを、それを!」

 

怒り狂うラモラックに呼応するように、周りのグリムたちが殺意を漂わせてベルンを見た。それに、ベルンは皮肉そうに笑った。

 

「そんなの知りませんよ。誰が夢など見せろと言った、誰が、この腐りかけた世界の延命なんて頼むものか!」

「殺せ!」

 

咄嗟に叫んだラモラックの言葉の後に、ベルンの瞳が、右の青い瞳が、光る。白い三角が浮かび上がったその瞳が、ラモラックと、そうしてグリムを見た。

 

「―――事象・存在認識。お前に軌跡は存在しない!」

 

がちゃんと、何かの割れる音がした。周りの景色が、まるで鏡に映った虚像であったかのごとく、砕けていく。そうして、砕けた先の暗闇の中にグリムとラモラックが落ちていく。

ベルンはそのまま崩れ落ちる。一瞬だけ目をそらした隙に、砕けたはずの景色は何も無かったかのように戻っていた。

ベルンはごほごほと勢いよく咳き込んだ。手にべったりと吐いた血を忌々しそうに見つめた。

 

「・・・これで、いいんですか?」

「おや、不機嫌そうだね。」

 

ベルンの頭上で何かが言葉を発した。ベルンが気だるそうに顔を上げた先、そこには美しい銀の髪をした、女がいた。

 

「・・・リリス。」

「そんな顔をしないでよ。でも、さすがにその目を君が使いこなすのは難しいね。」

「もとより、あなたがこの眼の使い方を教えたんでしょう?」

「ふふふふ、それはそうだね。元々、その目自体、私が彼にあげたものだからね。いや、面白いね。」

 

銀の髪、白いゆったりとした衣服、美しい顔立ち。そうして、光の加減で色の変わる、瞳。

まるで夢のように美しいじゃないか。

けれど、ベルンはそれに頭を振る。その瞳が告げている。それは、けして、そんなものでないことを、確かに告げている。

 

「君達の持つクオリアとは興味深い。ああでも、その非効率的なメソッドに関してはいただけないかも。君の王は、素直でありすぎた。真を求めた彼は、与えられたものを言われたままに使うだけだった。でも、君は違った。」

「だから、あんたが私に教えたんでしょうが。」

「そうだけどね。まあ、これからが本番だよ。君の瞳によってラモラックたちは現実世界に戻った。これから、あちらからの干渉は避けられる。本当の意味での戦いはこれからだ。君も、ちゃんと仕事をしてくれよ?」

「・・・わかっていますよ。」

「結構だ。まあ、私もようやく星見の少年と、そうして、遺された血と接触も成功しているし。このままなら、あと二つ、滅びのためのトリガーを呼び寄せられるだろう。」

「あなた、本当になんなんですか?」

 

それにリリスと呼ばれた女はきょとんとした顔をした後、にっこりと微笑んだ。

 

「ふむ、私は君達の苦痛からの逃避であり、ありえざるものへの焦がれであり、暗闇での光。そうして、触れることの叶わない希望、君達を見つめる全知、そうして、ただ君達を肯定することも、否定することも無い理解者だ。君の視覚下において投影された姿さえも、ただ、気まぐれに見ている幻にしか過ぎない。」

 

それにベルンは吐き出した血を拭いながら呆れた顔をした。幾度も聞いたその説明は、きいていてわからない。

 

「やっぱり、意味がわかりませんよ。」

「それはそうだ、君程度に理解されては困るよ。私は君達を理解しているし、知っているけれど共感しているわけではないからね。だから、君は私と仲良くしようとしなくていい。私が君に関わっているのは、偏に、君を動かすことで私の願う結末にたどり着けるだろうから、それが一番なんだよ。」

 

リリスは、くるりとターンをした。

 

「さあ、忙しくなるよ。もっとも、それは藤丸立香たちが楔を殺すことが出来たらの話ではあるけれどね。」

「してもらわないと困るんですがね。」

 

ベルンはそういってふらふらと立ち上がる。それにリリスは微笑んだ。

その姿形さえも、そうして、名前さえも、本当の意味で彼女、または彼のものではなかった。けれど、どうだっていい。姿も、名前も、それのものではなかったが、同時にそれには示す名も、そうして姿さえも無いのは事実であった。

目の前の男、ベルンとここまで関わっているのは偏に、彼がロット王の持っていた瞳の現所有者であり、そうして、少なくとも今を生きている人間だったからだ。

 

「それでいい。彼には彼の、君には君の役目がある。死者には死者なりのやり方があるけれど。でも、ね。」

 

世界を変えるのはいつだって生者の役割なのさ。

 

ベルンは興味が無いように首をすくめて、己のやるべき事のために歩き出した。それにリリスはにんまりと笑うと、ふっとそのまま姿を消した。

 

 

 

森を進む。ただ、森の中を進み続ける。

進んで、進んで、そうして立香とグレイは気づいた。どこか、その景色に見覚えがあることに。

夢の中で、影に連れて行かれた、どこか。

 

(そうだ、もうすぐ。)

 

そう思ったとき、立香たちは開けた場所にたどり着いた。

ぽつんと、開けたその場所。

さんさんと柔らかな日の光の下で、教会が、ぽつんと建っている。

コンラはそれに馬を下りた。そうして、皆に馬を下りるように促した。

 

「・・・行こう。」

「コンラ!それはあまりにも危険すぎる!まず、私が様子見を。」

「いいや、誰が行っても、あの中にあるのが何なのかは変わらないんだ。」

「それはどんな意味だ?」

 

ランスロットは警戒のためか、コンラをにらみ付けた。けれど、その間に割って入るように立香は馬から下りてコンラに声をかけた。

 

「ねえ、コンラ。」

「なんだい?」

「行こう。」

 

コンラはそれに驚いた顔をした。追求でも、責めるわけでも無く、ただ、コンラの言葉に従って先に進もうとする彼に驚くことしか出来なかった。

 

「あの、マスター。コンラの提案に乗られるんですか?」

 

グレイがおそるおそる聞いた。それに、立香は頷いた。

 

「うん、乗る。」

「何故?」

 

思わずというように言ったコンラに、立香は平然と返した。

 

「君はそれでも、これからすることを罪と言って、そうして自分で背負うと決めていたから。」

 

それにコンラは目を伏せ、くちびるを噛んだ。

 

英雄とは、報われるものなのだろうか?

立香は、いつかに考えたことがあった。カルデアという場所には多くの英雄がいた。

遠い昔にいた、輝かしいまでの星のような人たち。

彼らは、賢く、強く、慈悲があり、そうして、それと同時に愚かで、悲しくて、残酷だった。

心のどこかで、その偉業を称えていたし、そんなふうに生きなくても良かったんじゃないかなんて、ただの少年の心は思っていた。

なした偉業には、それ相応の業があった。

英雄になりたくて、英雄になり果てたものがいた。そうして、そんなことを望まずに、ただ、いつのまにかたどり着いてしまったものがいた。

 

自分は、けして、英雄ではない。

 

立香はそれを知っている。

彼には大志などはなく、全てを捨て去る狂気も無い。ただ、自分がここにいるのは、あの日、生きたいと願ったから、誰かに生きて欲しいと願ったから。

そうして、きっと、いつかに見た、真白の中に浮かんだ、青があまりにも美しかったものだから。だから、ここまで来てしまった。

 

コンラという少年の言った言葉を思い出す。

 

彼は王というそれに呆れていた、人というものへの哀れみがあった。けれど、それ以上に、彼はきっと人が生きようと願って足掻き続け、その結果に産まれた希望を愛しているように思えた。

 

「この場所の滅びを被るのが君であるとしても、俺はそれを見届けたいんだ。」

 

コンラはそれに少しだけ黙った後、微かに、ありがとうと言った。

 

 

 

きいと、何のためらいも無く扉が開く。

中は、あの日、グレイと立香が見た通り、空っぽに等しかった。その、教会内に枝を伸ばした、大木を見るまでは。

 

「・・・誰、ですか?」

 

掠れた、少女の声がした。教会の奥、その床から直接生えているだろう木に視線がいったが、その声に我に返る。

声のした方に視線を向ける。そこには、大きな、台に置かれた十字架。そうして、鎧を纏った、小さな体躯。

ランスロットが声をのむのがわかった。

それは振り返る。そうすれば、鎧の隙間、兜から幼いかんばせが見えた。こぼれ落ちる金の髪、そうして、まろい頬。

そうして、彼女の家族が何よりも愛した、翠の瞳。

色あせた、淀んだ瞳で、彼女は教会に入ってきた立香たちを見た。

一人一人の姿を確認し、そうして、最後に黄昏色を纏う男を見た。

 

「あ・・・・」

 

掠れた声がした。それは、いったいどちらの声だったのだろうか。コンラはランスロットの方をちらりと見た。そうして、口を開く。

 

「やあ、サー・ガレス。祈りの途中にごめんね。ただ、ボクたちにもそれ相応の理由がある。」

「あなたが、ラモラックの言っていた、侵入者の。」

 

コンラははっきりと己を認識した翠の瞳から逃れるように視線を一瞬そらし、そうして、改めて彼女を見た。

 

「侵入者か。いや、そうだね。ボクはコンラ、この島の異物だ。だからこそ、ここに来た理由はわかるよね?」

 

それにガレスは全てを覚るかのように目を見開いた。そうして、目を伏せた。

 

「・・・・この島を、この夢を、滅ぼすと、言われるんですか?」

「そうだね。」

 

立香は続けるように言った。ガレスはそれに、ランスロットの方を見た。落ちくぼんだ、まるで、わらにも縋るような眼だった。

 

「サー・ランスロット。あなたは、違いますよね?あなたは、あなたには、そんなことは出来ませんよね?」

 

それにランスロットはまるで心臓をえぐられたかのように肩をふるわせた。

 

「みんな、笑ってます。みんな、もう、悲しくも、おなかが空くわけでも、苦しくだってないんです!なら、間違ってないんです!ここには、ここには、家族がみんな、いるんです!なら、そんなことを、しませんよね?」

あなただけは、絶対に。

 

紡いだ言葉にランスロットがガレスを見たとき、ばん、と音がした。誰かが、腰を叩いたのだ。それに、ランスロットはその手の持ち主を見た。

 

「言っただろうが、てめえは騎士なんだ。守るべき者と、己の業を間違えるな。」

 

冷たく吐かれたそれに、ランスロットは構えた。

 

「すまない、サー・ガレス!」

 

ガレスの瞳が見開かれた。そうして、殺意と言えるようなそれが辺りに吹き上がる。それに立香は令呪の宿った手を構える。

 

「ならば!ならば!私を倒してみせろ!不躾に、母上の夢を、兄上たちの祈りを!そうして、私の贖罪を邪魔するなら、私はそれを絶対に赦さない!」

 

魔力の渦が辺りに沸き起こる。そうして、ガレスはランスロットを見た。そうして、叫んだ。

 

「サー・ランスロット!何故、あなたは、私を、私の大切な人たちを殺したのですか!?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白き手よ、眼を覚ませ

普段よりも二倍、切りの良いところできれたかな。
なかなか進まないので、もう、書きたいとこだけ書いていく意識で行きます。


感想、評価、ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


 

 

最初に自分というものが、ガレスというそれが召喚されたとき、目の前にいた彼女は、魔女はガレスのことを抱きしめてくれた。

何も言わずに、何も感情を見せることは無く、ただ、抱きしめてくれた。

 

暖かくて、柔らかくて、いつかに、故郷でしてくれたかのような、手つきだった。

なぜ、自分がここにいるのかなんてわからなくて。

それでも、自分が死んでしまったことだけは覚えていた。

 

母上、母上、怒っていたでしょう。私のような、親不孝者を。

母上、母上、ごめんなさい。あなたを置いていってしまって。

母上、母上、それでも、美しいものを、見たんです。

母上、母上、だから、私は。

 

喉の奥から幾重も言葉が湧き出て、最初に発する声が出てこなかった。なぜ、自分はここにいるのだろうか、何故、呼ばれたのだろうか。

そんなことは後にすれば良い。今は、ただ、そこに。

 

「ガレス、お前はもう、何もしなくていいんだ。」

「母上?」

 

何を言っているのだろうか、そう思ったとき。母は、ただ、穏やかに笑っていた。

そうして、ガレスはそのまま夢の中に落ちていった。

 

 

 

 

だんと、何かが、鈍くたたき付けられる音がした。

コンラはそれに自分の隣に立っていたランスロットが後方に吹っ飛ばされたことを理解した。

 

「グレイ!」

 

立香の言葉にグレイが応援に走る。コンラはそれに舌打ちをしたくなった。

ガレスの言葉に明らかに動揺していた。

 

(そこまで脆くは無いだろうけど。)

 

「ヴィー!」

「・・・・いいの、私のこと使っても?」

 

何も無い場所から現れた少女に、ヴィーにコンラは言った。

 

「いいや、いいんだ。立香の守りを頼む。」

「わかった。」

 

ヴィーはコンラの頬にくちびるを押しつけた。

 

「頑張ってね。」

 

コンラは立香の元に向かった。抜いた大剣を持ってガレスの元に向かった。

 

 

「サー・ランスロット、応えることが出来るのなら答えるがいい!あの日の蛮行を、あの日の愚行を、どう釈明するというのか!」

 

ランスロットは壁にめり込んだまま、青白い顔でガレスを見ていた。

そう言われても仕方が無いことを己はなしたのだ。腕が震える。体が固まる。

何かを、発しなければ。何か、何か、そうだ、言葉を。

 

そんな資格がどこにある?

 

ランスロットはその場で、己が、なさなくてはいけないことも度外視に、ガレスの猛攻を受けていた。

そこにグレイが飛び込んできた。ガレスのランスを受け流し、大鎌を振ってガレスを弾き飛ばす。

 

「邪魔をしないでください。あなたは次に相手をします。」

「・・・ガレスさん。」

 

グレイは何か、思い悩むような顔をした後、ガレスに飛びかかる。グレイは鎌を振り、ガレスに斬りかかる。が、ガレスはそれをランスで受け止める。そうして、ランスを床につきたて、それを軸にグレイを蹴り飛ばした。

そこにコンラが彼女に飛びかかった。大剣とランスが打ち合う音が響いた。

立香は咄嗟に吹っ飛ばされたグレイの方に向かった。ランスロットは戦う二人に近い位置におり、近づくことは難しかった。

 

「グレイ!」

「・・・マスター、すみません。」

「戦いに身が入っていないね。」

「ヴィーさん?」

「私のことは気にしないで。ほら、強化ぐらいはできるから。」

 

それにグレイは自分の体に活力がみなぎる。その時、遠くでガレスの声がした。

 

「どうして邪魔をする!?あなたには関係ないはずだ!」

「・・・・関係ないか。」

 

ガレスは自分に立ちはだかるように立つコンラを睨んだ。コンラはそれに立ちすくんだ。懺悔するように瞳を一瞬閉じた後、ぐっとガレスを見た。

 

「君は、本当に幸せなのかい?」

 

簡素にそう言い放った。コンラの言葉に、ガレスの目が見開かれた。まるで、まるで、望みを全て砕かれた少女のような顔だった。

拙い顔で、それはコンラを見ていた。

 

「ずっとここにたった一人。ただ、君はここで、何を懺悔しているんだ。何を、その十字架に祈っているんだ。」

誰かを贄に叶う夢はいつか、しっぺ返しをもたらす。

 

ガレスはそれにやけくそのように叫んだ。

 

「母上の望みだから!ここは、母上の夢だから。なら、なら、私は、それを叶える!それこそが、母上の望みが叶うことこそが、私の幸福だ!」

 

そうしなければならない。そうでなければならない。

それが、ただ、ガレスに唯一残った贖罪だった。それにコンラはだんと床に足をたたき付けるように踏みしめた。

それにガレスはびくりと体を震わせた。それほどまでに、その足音は重く響いた。

 

「はき違えるな、サー・ガレス。俺が問うたのは、貴様の幸福だ。騎士である前に、お前はただの人間だ。ただの一個人だ。己の幸福も、業も、行いも、誰にも押しつけるなどできん。お前の願いを、俺は問うたのだ!」

 

ガレスはそれに何故か叱られた子どものような顔をした。けれど、その弱さを振り絞るようにガレスはコンラに向かった。

 

「私は、私はガレス!この、オークニーの王の子!この夢を守る、それが、私に望まれた役目!前は、出来なかった!なら、なら、せめて、今回は!私はこのオークニーの子としての役割を、望まれたことを、果すまで!」

「ランスロット!」

 

ヴィーがそう叫ぶが、彼はまだ、迷うようにその様を見つめている。それにヴィーはグレイと立香へ振り返った。

 

「私はコンラの手伝いに行くから。立香も指示をお願いね。」

 

そういってヴィーはコンラの元に向かう。

 

「拙も、行かなくては。」

「俺も、支援だけでも。」

 

『やあやあ。お二人さん。』

 

その声に二人は体を震わせた。後ろを振り向いたその先、そこにはにっこりと微笑んだ、女のマーリンがいた。

 

「え、え!?」

「どうして・・・・」

 

グレイと立香は茫然と彼女を見上げた。それに、その女はにっこりと微笑んだ。

 

『いや、いい顔をするね。いや、ごめんね。私が介入できるのは少々、条件がいるんだよ。まあ、それはおいておくとして。』

 

彼女は、教会の中に茂った木を指さした。

 

『ガレスが抑えられている間に、あの木を燃やすんだ。』

「ねえ、あれはなんなの?」

『あれは、サー・ガレスに魔力を注いでいる、いわばラインさ。あれを燃やせば、彼女はこの島から退場する。簡単な話だろう?』

 

それにグレイと立香は思わずその木を見た。後ろでは、なんとか戦いに参加しているものの、防御に絞っているランスロット、明らかに押されているコンラ、そうして彼らに強化の魔術をかけているらしいヴィー。

 

『ガレスはこの島から後押しされている。このままでは負けてしまうね。なら、選択することはわかっているだろう?』

 

穏やかな声は揺るぐことなく立香とグレイに注がれた。立香はその瞬間、何が正しいのかを理解する。

この国は、オークニー。ならば、この国の、王の子であるガレスには有利なのは必然だった。なら、そうであるのなら。

 

「・・・それは、したく、ありません。」

 

微かな声が隣からした。それに立香は隣を見た。そこには視線をせわしくなく、動かすグレイがいた。

 

『ふむ、墓守の子。君は状況がわかっているのかな?今、すべきことがなんなのか。』

「わかって、います。木を燃やす。それが最善なのです。でも、拙は、したくありません。」

「どうして?」

 

立香は思わずそう聞いた。それに、グレイは持っていた鎌を握りしめた。

 

「誰かに、望まれたことを遂行したいと願いました。でも、拙は、それができなかった。ガレスさんは、望まれた役目をといいました。でも、夢で、ガレスさんは言っていました。夢に浸ってはいけないのだと。拙は、ただ、ガレスさんの本当が、知りたいのです。」

 

そこで立香はふと、夢で聞いたことを思い出した。意識の奥で曖昧になっていたことを思い出す。

 

疑問をもつものは、己の中に答えを持っている。

 

カルデアで聞いた、ガレスの言葉を思い出す。そうなのだ、そうなのだ。

人はきっと、納得をしたいのだ。言葉を、なぜかを、言ってもらえないのはきっとひどく苦しいことなのだ。

 

「俺も、知りたい。」

 

立香とグレイはお互いの顔を見た。

夢を見た。夢を、ずっと。誰かが泣いている夢。誰かが、これではだめだと、言っている夢。後悔を、懺悔を、夢に見ていた。

聞かなくてはいけない。

過去は優しくて、いつまでも楽しくて、愛おしい日々が続けば良いのだろう。

けれど、きっとそれは出来ない。

グレイは、あの日、村から己を連れ出してくれた師を慕っている。彼の力になることが嬉しいと思っている。エルメロイⅡ世の元で過ごす日々が永遠に続けば良いと思っている。

けれど、それはできない。

変わることが出来たことは嬉しい。この顔を嫌い、否定して、それでもここまで歩いてこれた自分を嬉しく思う。

変わることと、永遠は共にできない。だからグレイは、明日に行きたい。進んでいかなくてはと駆り立てられる。

ガレスの嘆きを、繰り返す日々の中で、望まれたことと、彼女の本当の願いに板挟みになっている。

そうだ、夢を見たのだ。自分は。夢で、幼い彼女と遊んだのだ。

 

あなた、わたしの好きな人にとっても似ているね。

にこにこと、彼女は笑った。己のことを見ていた。それにグレイは顔を隠そうとしたのだ。けれど、それよりも先に彼女は言ったのだ。

 

青い瞳、同じ眼の、愛しい子がいたから。だから、嬉しいなあ。あの子は確かに生きたんですね。そうかあ、ああ、そうか。幸せ、だったのかなあ。

 

それはグレイにとって、誰からも与えられたことの無い言葉だった。

アーサー王の器。望まれた役目。成り果ててしまったかんばせ。けれど、その時の、その言葉は。

グレイからは遠い場所にある言葉だった。その目、その目の色。グレイに何かを望んでいるわけでもなくて、ただ、グレイというそれがあるということを喜んでいる言葉。

それは邂逅の言葉だった。それは、グレイに誰かを透かしているようで、己自身への言祝ぎだった。

 

似ているね。

同一視のようであって、違う意味の言葉。今まで、散々に嫌った言葉。なのに、なのに、それは何よりも違う言葉のようで。

 

ああ、よかったなあ。

 

彼女は、何を思って、そんなことを言ったのだろうか。彼女の願いはどこにあるのだろうか。

なら、それならば、せめてグレイは聞きたいと思った。

ただ、その、夢うつつの中で聞いた、グレイ自身を、取るに足らない少女の生誕を言祝いだ言葉が嬉しかったものだから。

行かなくては、聞かなくては。聞きたいと、グレイは、どっちつかずの少女は思ってしまったのだ。

 

「マスター、拙は行きます。」

「俺も!」

ごめん、マーリン!

 

二人はそのままマーリンのことを見ることも無く、走り出した。

 

 

 

「ガレスさん!」

 

言葉と共に、ガレスはコンラと己の間に飛び込んできたそれを忌々しく睨んだ。

大鎌を持ったそれはじっとガレスを見た。

 

「ガレスさん、お聞きしたいのです。」

「私には答えることなどありません!」

「ガレスさん、拙は、拙は、己の顔が嫌いでした。似ているということが、似ていることをうれしがられるのが、嫌いでした。でも、ガレスさん、あなたは夢で、拙が似ていると笑っていました。」

 

グレイはそう言って、おそるおそるというように被っていたフードを脱いだ。ガレスの眼が、見開かれる。

鎌を持つ手が震えた、どくどくと心臓が鳴る音がした。

それはよく似ていた、彼女の慕った王に。優しい、強い、王様に。けれど、ガレスにとってそれ以上に目を釘付けにしたのは、その、瞳。

青、緑、複雑な色合いの、その瞳。それに、ガレスの瞳は見開かれた。

 

「・・・ろーある。」

 

 

ああ、止めろ、やめて。

お願いだから、ガレスは首を振って、その様を拒絶した。

そうだ、それは証だ。夢うつつで、何故か繋がった夢の縁で、ガレスは、どうしようもなく嬉しかった。

自分たちの辿った末路は悲惨なものだった。知っている、滅んだ国、なくなってしまった故郷、いなくなった人々。

それは悲しいことだ、自分は何も出来なかった、自分はそれよりも先に死んでしまったから。

だから、母の望んだその夢を遂行したかった、終らせたくなかった。

でも、その、微かな夢の中で、その瞳に、その瞳をした少女が、自分が死んでからずっと先の人間だと知ったとき。

オークニーが滅んだことに、ガレスは思ってしまったのだ。

 

愛しい人の、大好きだった誰かの、繋がった命があったのならば。それならば、きっと、自分たちの生は、死は、無意味なものではなかったのかもしれないなんて。

 

そんな、ひどいことを考えてしまった。

考えてはいけないのに、そんなことを、思ってはいけないのに。それでも、控えめに笑う少女が自分たちの滅んだ先にしか存在しないのなら。

納得したいと、思ってしまった。

少女と遊んだ記憶は幸福だった、苦しいこともあったのだと聞いた、それでも今は、慕う師や友と共にあるのだと聞いた。

ああ、それでも。大好きだった、義姉、兄、その血を引いた愛しい少女。あの子の生が、続いて、そうしてこうやって巡り会えたというのなら。

それは、それは、確かに、ガレスはよかったと言いたくなってしまった。

それにふと、ガレスは思うのだ。

どうして、自分は、一人でいるのだろうと。

答えは簡単で、モルガンはガレスもまた夢に浸ることを願った。優しい夢、穏やかな夢、これ以上無い夢。

けれど、そこには母の姿だけが無い。それに、ガレスと、そうして兄たちは夢を拒絶した。せめてこの島の、この夢が覚めぬようにと楔としてそれぞれが番人に成り果てた。兄たちには会おうと思えば会えたのだ。

けれど、母がいない。あんなにも会いたかった母がいない。願い、願い、そんなものは、自分だってとっくに理解していた。

ガレスの願いは、ただ、もう一度、家族で暮らすことだったのに。

ならばどうしてその夢を肯定できるのだろうか、どうして、願い続けることが出来るのだろうか。

母はいない。ここにはいない。

 

(怒って、いるんでしょうか?)

 

そんなはずがないとわかっているけれど。抱きしめてくれた暖かさに、それを理解しているけれど。

ガレスは、ガレスの幸せは、己の言葉も聞くことも無く突き放された手は、吐くことも無く喉の奥に消えた言葉は、どこに持っていけば良いのだろうか。

 

(そんな資格は、私にはないのだろうか。)

 

女のくせに騎士になりたかった。母を一人、国に置いてきてしまった。償いをしなければ、償いを、そうだ、せめて、この島だけ、母の望んだ優しい夢だけは、どうか、守らなければ。

例え、どれほどのことがあっても、そうだ、けして。

 

なのに。それなのに。ガレスは目の前の少女、その、青い瞳を見てしまった。

決意がゆらぐ、背負っていたはずのものが掠れていく。

ローアル、ローアル、ローアル。

優しい子、愛おしい子、母上に、似ていた、兄の末子。

あの子は生きたのだろうか、あの子の人生は、自分たちが死んだ後も続いたのだろうか。

必死に目をそらしていた、夢の言葉。

そうだ、あれは夢だから。きっと、都合の良い夢を、つかの間の白昼夢を見てしまった。そうだ、きっと、そうなのだ。

ああ、自分は、なんて罪深いのだろうか。そう、おもってしまったはずなのに。

 

(ああ、いやだなあ。)

 

思ってしまう。目の前の少女の日々を、未来を、否定したくないと思ってしまう心がある。それがどれほどの裏切りであるのかを理解して、なお。

 

(生きてくれて、いた。)

 

それに、どれほどまでに救われただろうか。

 

「サー・ガレス。君の本当の願いは何?」

 

立香のほうをガレスは見た。彼はじっと彼女を見た。

 

藤丸立香は、ガレスの言葉が聞きたいと思った。夢を、見た。

赦されてはいけないと、苦しむ少女の姿を。カルデアで、自分にぽつりと言った彼女の言葉。

 

聖杯、ですか?ああ、魔力のリソースの分ですね?私には必要は、ああ、陛下の求められていた真なる聖杯ならば、あるいは。願い、ですか?

そんなものには、私には。

・・・・いいえ。お恥ずかしい話、一つだけ、いえ、正確には二つ。

叶うなら、もしもが叶うというならば、母上に会いたいです。あって、もう一度、話がしたい。そうして、家族とまた暮らしたい。父上に、会ってみたい。

なんて、申し訳ありません。これは、私の戯言と思ってください。

 

 

ガレスは、オークニーの子であると名乗りはしても、故郷の話をすることは無かった。ガウェインやモードレッドはそんな話をよくしてくれたけれど、彼女はそれに愁いをたたえた瞳で黙り込んでいた。

語る資格は無いのだと、そう言って。

彼女は、この島で、会えたのだろうか。帰りたかった故郷に、会いたかった誰かに。

夢で聞いた言葉、きっと、会えていないのだろう。きっと、言葉を尽くせていないのだろう。

立香は、ただ、それが悲しいのだと思う。

もう、いない誰か。

言葉もろくに交わすことも、知り合うことも無く死んだ臆病なあなた。

散々に笑い、共に進み、けれど、何も教えてくれずにいってしまった恩人たるあなた。

自分を散々に助けてくれた星見の人たち。

そうして、滅ぼしてしまった世界で、それでも懸命に生きていた、誰か。

もう、いない。死んでしまった、会えない誰か。

その時、立香は、寂しいという心のままに思ってしまったのだ。会いたいと、叫ぶことさえも、その願いを吐く出すこともできないのは、それは、とても苦しいのでは無いかと。

だから、立香はガレスに問いかけた。

 

「君の願いは、違うだろう。君は・・・・」

「違う!」

 

ガレスはたたき付けるように叫んだ。

そんなはずはない、それに頷いてはいけない。今度こそ、今度こそ、自分は母の味方であるのだ、最後、まで、ただ。

 

「私の願いは、母上の願いが叶うこと。この夢を見続けること!」

「違います、ガレスさん。それは、あなたの願いで・・・」

「どうして、違うと言えるんですか?私の心なのに、私の願いなのに。なら、どうして。」

 

それに、立香と、グレイは口を開いた。どちらの言葉だったのだろうか、それでも、二人は言った。

 

ああ。だって。あなたは、いまにも崩れ落ちてしまいそうなほどに苦しんでいるのに。

 

それに、ガレスの動きが止まった。

 

コンラはガレスの動揺具合に息を吐き、ふらふらとランスロットの元に走る。

 

「おい!」

「こ、こんら・・・」

 

弱々しいそれにコンラはその男の首を掴んだ。小さな手がランスロットの首を締め付ける。

 

「おい!何を呆けてやがる!」

「呆けて、など・・・」

「呆けてるんだよ!てめえの罪悪感に目がくらんで、最低限の役割まで放棄しようとしてやがる!」

 

コンラは自分から目をそらそうとする男の目を自分の方に向かせた。

 

「てめえの罪は許されねえ。そうだ、そんなの最初からわかってただろうが。その果てに殺された、国も滅びた。そうだ、だからこそ、滅んだ国が遺した者を守り抜け、サー・ランスロット!」

 

活を入れるようにコンラはその首に指を回した。

遺された者、それに、それに、少女の姿が浮かんだ。ローアル、優しいローアル。美しい、瞳の、子。

 

「そんな、資格は・・・」

「ある!」

 

コンラはゆらぐことも無くランスロットの腕を掴んだ。

 

「てめえがすべきなのは、釈明でも、謝罪でも、罰でもない。そんなもの、お前が一度死んだ時点でする意味は消えてる。人の人生は一度だけだ。俺たちのような例外はごく少数。なら、その時に謝罪を、贖罪をしなくちゃ、意味が無い。てめえがすべきなのは、あの子に決着をつけさせることだ!」

 

そう言った後、コンラはランスロットの胸ぐらを掴み、思いっきりガレスたちのほうに吹っ飛ばした。ランスロットは間抜けな驚き顔のまま、それに体を任せた。

 

「人の娘を殺した責任、少しぐらいは果せや、迷惑男!!」

 

勢いよく飛んでいったランスロットの後を、コンラはそのまま追いかける。

 

 

 

ランスロットは吹っ飛ばされてもなお、そのままなんなく着陸した。そうして、茫然と改めてガレスを見た。

彼女は自分の近くに吹っ飛ばされてきたランスロットに視線を向けた。そうして、歯を食いしばった。

 

「ああ、そうです。あなたがいた、ああ、どうしてですか!?どうして、あの日、私を殺したのですか?あの日、私の罪とは何だったのですか?私の死ぬ理由とは、なんだったのですか!?」

 

まるで何かから目をそらすように、ガレスは言った。また、ガレスから吹きすさぶような殺気が向かってくる。

何故、何故?

それを言ったところで何も変わらない。殺してしまった、あの日、理不尽に、ただ、殺してしまった。

 

決着を。

 

幼かったはずの声は、老いた男のもののように聞こえた。

幼い騎士から感じる苦しみ、どうしてですか、何故ですか?

言ったところで何にもならない。ならば、このまま。

ガレスのランスが自分に近づく。そうだ、このまま。

 

「ランスロット!」

 

声がした。見つめた先、二人の少年少女。

自分のマスター、そうして、太陽の騎士の末裔。その二人の声を聞いたとき、漠然と、思った。

ああ、生きて欲しい、と。彼らに、生きて欲しい。ただ、それだけを。

そこにどれほどの理由があるだろうか。ただ、今を生きる彼ら、これから多くのことをなすかもしれない誰か。

生きて欲しい。漠然と、死者は生者にそう願った。

それにランスロットは無意識のうちに、そのランスを弾き飛ばしていた。

決着を。

言葉が、頭の中で響く。

それが、間違いであるのか、正しいのか。誠実なのか、不誠実なのか。

わからない、わからないけれど、それでも、ランスロットは何故、という問いに言葉を発した。

 

「殺したくなど、なかった。」

 

まるで、血反吐を吐くような言葉だった。必死に、必死に、乱れて、狂っていく思考を正して叫んだ。

ガレスの眼が、大きく見開かれた。

 

「愛らしいガレス、優しいガレス、清廉なガレス!君を、君の兄から任されたとき、どれほど嬉しかっただろうか。君の先が輝かしいものであるのだと、信じていた。」

「・・・・それでも、あなたは私を殺した!私の愛する家族を、殺した!母上から、私たちを奪った!」

 

切り裂かれるような言葉だった。跪きたくなるような事実だった。愚かな己の行いだった。

そうだ、全てが事実なのだ。それでも、ランスロットは、あの日、あのときに帰ることがあるとしても、愛した人を助けるために走ってしまうのだと、どこかでわかっていた。

だから、叫んだ。

己の心をさらけ出すことが、本当に、たった一つの誠実さだと信じるしか無かった。

振われるランスを受け流し、ランスロットは彼女に斬りかかる。

火花が散る、声が遠い。

憎しみに満ちた、悲しみの宿った、翠の瞳が自分を見る。だから、ランスロットはそれを離さないというように視た。

黄昏の瞳が、翠の瞳を確かに視た。

 

「そうだ、私は君を殺した。皆を殺した。なぜなら、ああ、あの日、私は、何よりも、誰よりも。」

 

愛に目が眩んでいた!

 

それは、なんて身勝手な事実だろうか。それは、なんて愚直なる心だろうか。

それは、それは、なんて。

自分と同じだったんだろうか。

 

そうして、はじかれたランスを無視して、目の前の騎士を視た。

いつかに憧れた騎士、こうなりたいと思った人、誰よりも理想の人、そうして、綺麗だなあと思った人。

ランスが、くるりと、宙を舞う。そうして、ランスロットのアロンダイトがガレスのことを切り裂いた。

血が舞った、いつかの日のように、血が舞っていた。けれど、ガレスは不思議と晴れやかな顔でそのまま倒れ込んだ。

ガレスはよろよろと立ち上がる。血に濡れて、それでも彼女は立ち上がる。

それに、グレイと立香は目を伏せて、彼女に言った。

 

「ガレスさんは、ランスロットさんを憎んでいないんですね。そうして、あなたの望みはここにない。」

「君はただ、自分のことを恥じている。誰よりも側にいたから、だからこそ、恥じている。あんなにも慕った人が、どんな行動をするか。ちっとも、考えられていなかったことを。」

 

ガレス、君が誰よりも憎んでいるのは、きっと、君自身だった。

 

ガレスはそれにああと、そうだと、頷いた。ふらふらと立ち上がって、頷いた。

いつか、オークニーを飛び出した自分。

名誉に、憧れに、存在証明に、そうして、輝かしい何かに目が眩んでオークニーを飛び出して、そうして、誰かを傷つけた自分。

それによって引き起こされたことは違うかもしれない。けれど、自分も傷つけてしまった。

納得してしまった、そうだ、ああ、そうだ。

自分だって、いつかに、輝かしくて、求めたものに目を眩ませて走ってしまった。

ならば、彼を責める資格はあるのだろうか。

 

「・・・・例え、そうであるとしても。私は、まだ、母上のために。」

「ガレス。」

 

立ち上がるガレスの前に少年と少女が立っていた。

幼い顔立ち、金の髪、それはひどく、誰かに似ていた。けれど、ガレスはまるで掠れたようにその顔立ちがよく見えなかった。

傷ついているせいか、そうして、ランスを取り落としているせいか、咄嗟に反応できなかった。

 

コンラはそっと、彼女の瞳を手で覆った。

 

「何を!」

「・・・ごめんな。とても、待たせてしまったね。」

 

その声は、いつの間にか、幼い少年のものではなくて、穏やかな男の声に変わっていた。

手が離れる、開けた先の視界。

そこには、二人の男女がいた。

 

「あ・・・」

 

その二人は、ガレスにとってひどくなじみ深い人間とうり二つだった。

男は、彼女の兄のガウェインによく似ていた。それこそ、生き写しだとか、生き別れの双子の兄と言っていいほどに。ただ、彼とは違い、その髪は真っ黒で、瞳は翠と青のオッドアイをしていた。

片方の女性は、ガレスの母であるモルガンに似ていたけれど、本人よりもどこか幼い印象を受けた。

ガレスは固まった。誰と、問おうとしたその時、その男はガレスのことを抱きしめた。

 

「大きくなったな、本当に。」

 

それは、本当に嬉しそうな声だった。暖かくて、大きくて、優しくて、力強くて。

 

(しってる・・・・)

 

自分のことを抱きしめてくれる、その暖かさに、それに、ガレスは、幼い微かな手触りの中で、それでもしっかりと抱えていた記憶を掘り起こした。

 

「・・・ちち、うえ?」

 

掠れた声が出た、嘘だと思った、都合の良い幻だと思った。なのに、なのに、その暖かな腕の中で、ガレスは確信を持って呼んだ。

それに男は、涙混じりに言った。

 

「ああ、そうだ。そうだよ、ガレス。」

 

それにガレスは、ああと、その大きな背中に腕を巻き付けた。そうして、堰を切ったように、まるで赤ん坊のように泣きじゃくった。

確信を持って、ガレスは泣いた。そこには、確かに、父がいると確信を持って。彼女は泣いた。

 

ごめんなさい!ごめんなさい!

父上、父上、私は、私は、何も出来ませんでした!オークニーのことも、母上のことも、自分自身の事さえも、守ることが出来ませんでした。

ただ、褒めて貰いたいなんて、母上や父上の誇りに思えるような、そんな騎士になりたいなんて。

そう思って、私、母上のことを泣かせてしまいました。それでも、自分の夢を追いかけてしまった!

ごめんなさい、ごめんなさい!

母上を、私は、私は、置いてきてしまった!傷つけてしまった!

父上、父上、ごめんなさい、私は、悪い子です。私は、とても、悪い子です。

 

ガレスは泣きじゃくって、叫ぶように己の父に懺悔した。母への悔恨、謝罪の一つも出来ない、己の愚かさを散々に呪って。

泣いて、泣いて、泣きじゃくった。男はそれに穏やかに彼女の背を撫でて、うんうんとそれを聞いた。そうして、散々に泣いた後、ガレスの体をそっと離した。

 

「なあ、ガレス。」

「・・・はい。」

 

ガレスは掠れた声で返事をした。叱られてしまうのだと思って。けれど、男は穏やかに微笑んだまま言った。

 

「騎士になって、お前はそれで、善き人を傷つけたか?」

 

それにガレスは首を振った。

 

「お前はオークニーにとって恥じになるような蛮行をしたか?」

 

それにガレスは首を振った。

 

「ガレス、お前は、俺を前にして。そうだ、母の了承を取らずに騎士になったこと以外で謝罪しなくてはいけないようなことをしたか?」

 

それにガレスは首を振った。男は、父は、ロットはそれににかりと笑った。

 

「美しいものを、お前は見たか?」

 

それは、ガウェインのように輝かしくて、アグラヴェインのように優しくて、ガへリスのように穏やかで。

だから、ガレスは鼻水をすすって、幼い子どものようにうんと頷いた。

 

見ました、本当に、見たんですよ!ねえ、父上!

幼い子どもが語るように、下手くそな笑みを浮かべて、ガレスは頷いた。

 

父上、父上、聞いてください。

見たんです、確かに、見たんです。

優しい人がいました、輝かしい人がいました、強い人がいました。

憧れた、人がいました。私は、本当に、こうなりたいと思う人がいたんです。

 

それにロットは穏やかに微笑んだ。

 

「そうか、ガレス。お前は確かに、そうだ、悲しい最後だったけれど。それでも、よき生だったんだな。最後まで、お前はお前なりに足掻いたんだな。」

俺は、それは嬉しいよ。

 

そういって、頭を撫でてくれた。大きな手だった、大きくて、太陽のように暖かくて、そうして、少しだけ森の匂いがする手。

そう言えばと思い出す。昔、兄たちが言っていた。父上は頭をよく撫でてくれたのだと、暖かくて、大きな手で。

 

(ああ、本当だった。)

 

それは思い出話の中よりもなお、優しいものだった。

 

「ガレス。」

 

その言葉で頭の上の手がなくなった、そうして、ガレスは改めて女性を見た。その声で、ガレスは理解する。それは、確かに母なのだと。

 

「母上、私は。」

「・・・ガレス、少しだけ、抱きしめてもいい?」

 

そっと差し出されたそれに、ガレスはまるで導かれるように滑り込んだ。

温かくて、柔らかくて、そうして、甘い匂いのする腕の中。ガレスは、それにまた涙がこぼれた。

昔、こうやって抱っこされるのが大好きだった。そこで、子守歌を聴いて眠るのがこの世で何よりも好きだった。

 

母上のことが、好きだった。大好きだった。

なのに、なのに。ガレスは、また、改めて涙がこぼれた。

 

「ごめんなさい、母上。私は、私は。」

 

また涙を流し始めたガレスに、モルガンは穏やかに微笑んで、そっと体を離した。

 

「どうして、何を謝るの?」

「私、わたしは、だって、ははうえのことを、ひとりにして。」

 

それにモルガンは穏やかに微笑んで、その涙を拭った。

 

「小鳥はいつか翼が育って、空に飛び立つの。それは、あなただって同じだった。ガレス、母は、そうだね。最初は、寂しくてたまらなかった。でも、忘れていたの。あなたと私は違うって。ねえ、ガレス。外の世界で、あなたは多くのものを見たのね?」

「・・・・はい、見ました。母上、見たんです。私、たくさんものを。」

「そう、そうなのね。なら、いいの。籠の中に生きて行くには、あなたの翼は大きすぎただけ。」

小鳥が飛び立つその瞬間を、嬉しく思わない親鳥がいるはずないのだから。

 

それにガレスは、また、涙を流した。

ごめんなさい、ごめんなさい、一人にして、ごめんなさい。

そう言って、泣いた少女を、ロットとモルガンは抱きしめた。

 

頑張ったのだね。頑張って、君は生きたのだね。末の子、ガレス。私たちは、それを嬉しく思うよ。

醜いことも、悲しいことも、嬉しいことも、美しいものも見ることが出来たのだろう。

それでいいのだ。ああ、そうだ。

親が子どもに望むのなんて、きっとひどく単純で。生き抜いた子どもを否定する親なんているはずないだろう。

 

優しい声がした。優しい声で、それはガレスを撫でてくれた。

 

そうして、二人はそっとガレスから体を離した。

 

「だから、ガレス。」

「私の、可愛い子。」

 

もういいよ。

 

ガレスはそれにああと頷いた。それは、赦しの言葉だった。それは、終わりの言葉だった。

もう、自分は夢から覚めなくてはいけない。

ひとりぼっちの母の夢を、終らせなくてはいけない。

それでも一人の少女は、うんと、穏やかに頷いた。

 

 

立香はコンラに覆われたガレスの瞳から、涙がこぼれ落ちたのを見た。

それは瞬きの間のことで、コンラはそっとその瞳から手を離した。

ガレスは目を開き、そうして、泣きながら、微笑んだ。

 

「そっか。」

「ああ、そうだ。これのために、ここまで来た。」

「あなたを、他のこと、魔女に伝えに来たの。」

「うん。そうだね、わかった。わかったよ。もう、夢から覚めなくちゃいけないんだね。」

 

ガレスはそう言って座り込んだ。それは、彼女が敗北したと跪いた瞬間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

来たれよ、悪魔

前の話の地続きになります。
このまま早めに終われるように頑張ります。

感想、評価、ありがとうございます。
モチベのためにまたくださると嬉しいです。


 

 

「・・・・サー・ランスロット、あなたの眼には、私が見えていますか?」

 

ガレスは座り込んだ後、そう聞いた。ランスロットは困惑したような顔をしたが、その翠の瞳をのぞき込んだ。

そこに敵意は無かった、ただ、幼子のように無垢な瞳で自分を見ていた。

それにガレスはあーあと笑った。

 

「よかった。そうですか。ああ、そうなのですね。今、私の姿が、映っておられるのですね。」

「ガレス、それは・・・」

 

ランスロットの苦い顔にガレスは首を振った。そうして、彼女はそっと目を伏せた。

お恥ずかしい話、と前置きをして。

 

「私は自分の瞳が、父上に似ていると言われると、いつの間にか寂しくてたまらなくなってしまいました。悪いことではないのです。でも、誰もが私の向こうに父上を見ているようで。それが、たまらなく寂しくて。オークニーを出たのは、そんな幼い愚かさも含まれていました。」

私は何者かでありたかった。私は、きっと。何者かになって、兄上たちのように母上に褒めて欲しかった。父上に、誇れるものでありたかった。

 

ガレスはランスロットを見上げた。

 

「ランスロット卿が初めてでした。初めて、父上に似ているのではなくて、綺麗な、翠の瞳だと、そう。あのとき、あなたの瞳に、私のことが映っていなくて。ダイルも、そうだったから。彼も、いつだって、私ではないどこかを見ていて。」

 

ガレスは屈託なく笑った。

 

「よかった。ああ、よかった。私のことを、見てくれた。」

ようやく、見てくれた。

 

ガレスはそう言った後、ゆっくりと立ち上がった。

 

「・・・・皆さんは、この島で起きていることを止めるためにここにおられるのですね?」

「うん、そうだよ。」

「そうですか。それなら、これを差し上げます。」

 

ガレスはそう言って、すっと手を差し出した。そこには、金色に輝く何かが握られていた。

それに藤丸立香は目を見開いた。

 

「聖杯の雫!」

「はい、これは聖杯の欠片。母上が持たせてくださったものです。」

 

ガレスはそっと立香の手のひらにそれを乗せた。そうして、彼女は穏やかに微笑んだ。それに立香が声をかけた。

 

「・・・・ガレス、この場所がなんなのか、教えてくれるかな?」

「そうですね。私が知る限りのことをお伝えします。ここは、文字通り夢の中、であっています。」

 

それに立香とグレイは首を傾げた。それにコンラがなんとも言えない顔をしていた。

 

「夢?」

「・・・・ブリテンは元々貧しい島でした。母上は、父上の遺したものをどうしても守りたかったのです。ですが、あの、カムランの丘での後、ブリテンは手遅れでした。外部に抵抗することも出来ず、さりとて内でまかなえることも出来ず。」

そんな中、奇跡が起きたのです。

 

「母上の元に、聖杯が降り立ったのです。」

「聖杯、が?」

「・・・・あれはそれを使って、オークニーを結界で包んだ。元々、オークニーで生きていた人間たちの肉体の活動を最低限の運用でまかない、精神体だけで生きていける仮想現実の空間を作った。」

 

引き継ぐように口を開いたヴィーに引き継ぐ形でコンラも言葉を発した。

 

「莫大な魔力で作り上げた固有結界のようなものだね。己が幸せだったころの記憶、満ち足りていた、オークニー。そこに民たちを止めておきたかったのだろうな。彼女は、そのためにマーリンから力を奪った。夢、というものへの干渉を増すために。」

 

立香たちはコンラの方を驚いた眼で彼を見た。それにコンラは困ったような顔で肩をすくめた。

 

「知ってたの?」

「うん、ごめん。知ってた、でも、教えられなかった。この島では、それを現実だと思い込めば思い込むほどに希望的な結果を引きやすい。君達にはどうしても、ランスロット卿を呼び出してもらいたかったから。」

「それなら、俺たちがそれを知るのは。」

「・・・兄上たちの元にもいかれるのですね?」

 

ガレスがそう割り込めば、コンラは頷いた。それにガレスは穏やかに頷いた。

 

「私たちは、この夢の楔。この箱庭を止めるためのピンでした。なので、私たちがいなくなれば、この夢はうつつに帰るでしょう。」

 

そう言うと、ガレスの体から光がこぼれ始める。それに、皆は彼女が還るのだと理解した。

 

「ああ、時間切れですね。」

 

彼女はそれにひどくすがすがしい笑みを、もう一度浮かべた。

 

「ガレス。」

 

ヴィーが悲しそうな顔で彼女を見た。

 

「ああ、どうか、そんな顔をしないでください。わかっていたんです。父上のいない世界に母を遺す方がずっと残酷であると、わかっていたのです。ですが、私は私の贖罪を優先させてしまいました。だから、いいんです。あなたが来たのです。なら、もう、私も、兄上たちも、そうして、母上も終るときが来たのだと。」

 

ランスロットがガレスに声をかけた。

 

「ガレス!」

「・・・ランスロット卿、謝罪の言葉なら言わなくてもいいのです。だって、あなたは赦されたいと思っていないのでしょう?」

 

それにランスロットは固まった。

ガレスはそれに苦笑した。ランスロットはすまないと言う、間違えたと自負する。けれど、きっと、彼は赦されたいわけではないのだ。

罪悪の気持ちと、赦されたいという願いは別なのだ。

ガレスは、正直な話をするならば、自分が殺されたことに関して、悲しみはあっても怒りは無い。兄たちを殺されたのは、また別であるが。

 

(ランスロット卿、ランスロット卿、あなたはきっと赦されたくなどないのでしょう。あなたは、きっと、赦されてはいけないと思っているのでしょう。)

 

ガレスはにっこりと微笑んだ。

 

「サー・ランスロット。それでも、あなたは私の憧れの騎士でした。なら、戦い続けてください。何があっても、どうか、あの日、グィネヴィア様のために走ったように。どこにもいけないレディを、どうか、助けてください。」

 

ランスロットの瞳が見開かれた。それにガレスは微笑んだ。ひどい皮肉であると理解して、これぐらいは赦されるだろうと思って。

母の怨敵といえる彼に言付ける自分を酷いと思って。

そうして、ガレスは改めて、コンラを見た。彼は頷いた。

 

「ああ、安心しなさい。もう、大丈夫だよ。」

 

それにガレスは安堵した。よかった、そうか、母はようやく、ようやく、共にいけるのだ。

ちらりと見た、美しい青の、二つの瞳。

 

(綺麗だな。)

 

綺麗だな、綺麗だな。

己のために叫んだ二人、聞かせてと問うた人たち。

よかった、と思う。こんな自分は、やっぱり、最後まで美しいものを見ることが出来た。

だから、もう、いいのだ。

赦してくれた、赦された。だから、自分はここでいい。

わかっていた。母は、いつかに滅びを呼んだ己自身を赦せない。だから、幸せになりたがらない。それはだめなのだ。だって、ガレスの幸福には、母が必要だったから。

それにガレスは光の粒子になり、砕けるように、消えた。

 

 

 

静まりかえった教会の中で、コンラが、一歩、教会の中に茂った木に近づいた。そうして、持っていた大剣を取り出した。

 

「二人とも。」

 

コンラはグレイと立香を見た。穏やかなその笑みは、やはり、その年格好には不似合いなものだった。

 

「少し、頼みたい物があるんだ。来てくれないか?」

 

 

 

立香とグレイは互いの顔を見合わせた。そうして、コンラの剣を互いに掴んだ。

コンラが望んだのは、もう一度の召喚だった。

出来るのか、そうして、誰を呼び出すのか。

その問いに、コンラは苦笑した。そうして、肩をすくめた。

この国の滅びに、きっと、一番にふさわしい子だと、そう彼は言った。

 

二人は、木の根元に剣をうち立てる形で、柄を握り、ヴィーに言われた詠唱を唱えた。

また、辺りに光が広がる。ばちばちと、何かが爆ぜる音がする。

 

 

素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。振り立つ風には壁を。

四方の門は閉じ、王冠より出で、王国たる三叉路は循環せよ。

閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する

 

――――告げる。 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に 聖杯の寄るべに従い、人理の轍より応えよ。

 

声を紡ぐ。そうして、ヴィーに頼まれたとおりに言葉を、吐いた。

 

汝、幸福を願いし悪である。汝、不幸を振りまく善である。善性を持ちたる、悪魔よ、そが役割を果すがいい。

我は、それを赦す者。我は、その罪を共に背負う者―――

 

汝、星見の言霊を纏う七天 降し、降し、裁きたまえ、天秤の守り手よ―――!

 

 

青白い、その強い光に二人は一瞬だけ眼を閉じた。そうして、眼を開けば、そこには堅牢と言える鎧を身に纏った、騎士が一人。

 

「セイバー、モードレッド、参った。さて、君は、僕に何を望むのかな?」

銀と赤の鎧を纏ったそれは、明るく、そうして、朗らかに言った。

 

それにヴィーはそっと、少年の手を握った。彼はそれに一度だけ、こくりと頷いた。

 

 

 

「申し訳ありません!」

 

ラモラックがその場に跪いた。それに鷹揚に王座に座った魔女が、モルガンが頷いた。

 

「いいえ。ラモラック、ダイルの件は私の落ち度です。」

 

黒いドレスに、黒いヴェール。

喪に服した衣服を纏ったそれは、静かにラモラックのことを見下ろした。そうして、隣に侍るそれを見た。鎧を纏った、黄金の髪を結い上げたそれ。

 

「・・・ですが、ラモラックたちを強制的に退去させた存在は?状況としてマーリンはあり得ないのならば。」

「夢、というものへの干渉を得意とする者はほかにもいます。」

「カルデアの手引きと、お考えですか?」

 

それに女は頷いた。

 

「現在、夢に入り込むことは出来なくなっています。私はすぐに入り口を開けますので、次はお前が行きなさい。」

「わかりました。」

 

短いやりとりを終えた後、鎧を纏ったそれはさっさとその場を後にした。ラモラックは忌々しいというようにその後ろ姿を見送った。

 

「腹立たしいですか?」

「・・・いえ、あなたがそうされたいというならば、私に何かを言う資格などはございません。」

そうだ、とラモラックはそっと目を伏せた。

例え、それが怨敵に己の王の名を名乗らせることであろうと。

 

 

 

誰かが、頭を撫でている。大丈夫だと、温かな体温を感じた。

ああ、と思う。

モルガンは、ただ、思う。このまま、ずっと、その腕の中で眠っていたいと、そう思った。

日向の匂いがする。暖かな、太陽の匂いがする。森の匂い、川の匂い、土の匂い。

交ざったそれは、何故か、心地が良くて。

ああ、翠の瞳が、自分を見て。

 

(このまま、ずっと。)

 

そんなことが出来るはずは無いだろうと、モルガンは王座にてゆっくりと目を開けた。

 

「・・・ガレスが、退去した。」

 

それにモルガンは、唯一の娘の終わりがどんなものか夢想した。

それにモルガン・ル・フェは、最後までおてんばで、けれど強い娘であると理解した。

 

「・・・乙女だな。」

 

疲れたような声でモルガンは呟いた。

モルガンは、最初、子どもたちにもまた夢を見させる気だった。そうだ、そこで、例え、サーヴァントであったとしても彼らは自分の子どもたちだった。

 

(・・・・・私は、あの子たちの生を、無意味にしてしまった。)

 

滅ぼした世界、荒れ果てた世界、そうしたのは自分だ。せめてと、守りたかった者を、自分は、最悪の手で、自分の手を汚すことも無く、末の子にそれを押しつけてしまった。

家族で過ごす幻を、幻想を、見続けて欲しかった。けれど、子どもたちはそれを拒否した。自分たちだけがそんなことをするなど出来ない、赦されてはいけないと。

モルガンの子どもたちは、オークニーという世界を固定するピンとしてはうってつけだった。

オークニーの王の血、ブリテンという島の古い血筋であるモルガンの血。彼らは、オークニーにモルガンの作り出した、擬似的なテクスチャを貼り付ける重しだった。

モルガンはそれを否とした。けれど、彼らはそれを頑なに拒否した。

下の三人の子どもたちはモルガンから貰った聖杯の雫を抱えて贖罪とした。

そうして、長子は、狂いながら城の門を守るために立ち続けている。止めてくれと言った、せめて、お前たちだけはとモルガンは願った。

けれど、最後には折れた。

 

(幸せに、なってはいけない。)

 

それはモルガンも思っていたことだった。

幸せになってはいけない。

 

男が自分に遺した、言葉のことを思い出す。

幸せになって欲しい。どうか、己の願いを躊躇しないで欲しい。

 

「それで、お前の愛した世界を滅ぼしたんだ・・・・・!」

 

吐き捨てるようにモルガンは言った。

モードレッドは、モルガンの召喚に応じることは無かった。

当たり前だ。

愛しい末の子、自分の元に残った宝物、最後には羽ばたいていった小鳥、ロットに似た、翠の瞳。

誰よりも愛していたなんて言えない。子どもたちのことはすべからく愛おしかった。

けれど、けれど、モルガンは彼に、誰よりも、何よりも罪の意識を持っていた。

優しい子だった、誰よりも、何よりも、優しい子だった。そんな子に、自分は、あの日、苦しいと、解放されたいというエゴのために何もかもを押しつけてしまった。

 

似ている子だった。己の子は皆、ロットに似ていたけれど。それでも、あの子は、本当に彼の人に似ていて。

 

(・・・・そうだ、だから、きっと、あの子も、そうして、あいつも私の元には還ってきてくれない。)

 

己の子を悪魔にした女、己の夫の最後の願いをぶち壊した魔女。

モルガンはそっと、己の首に掛かったペンダントを撫でた。それは銀を土台に、黒い何かが縫い付けられていた。

モルガンはそれに口づけをした。

 

(もう、あれの匂いはしない。)

 

ロットの遺髪を縫い付けたそれは、彼の面影を欠片だって感じさせない。それが、いつかに、棺の中に横たわる冷たいそれを思い出させた。

 

(幸せになってはいけない、幸せにはなれない。幸せに、私はならない。)

 

モルガンはそっと瞳を閉じた。

男が、まぶたの裏で笑っている。

春に花畑にいったことも、遠乗りで共に若葉のカーテンをくぐったことも、実りの秋に黄金色の麦畑を眺めたことも、寒い冬に白銀の世界を歩いたことも。

全てが、昨日のことのように思い出された。

 

モルガンはその幸福を思い出せている間ならば、どんなことでもなしていいと思った。

モルガン・ル・フェはせめて最後に残った誓いを守るためにならばどれほどまでに血を流しても構わないと思った。

 

あなた一人が、いいえ、ダイルも、そうして、陛下に仕えた騎士たちを贄に幸福になるなんて間違っているに決まっているでしょう。

 

モルガンはそれに笑った。そう言って、城を出て行った者がいた。それが自分たちの邪魔をしているらしいと聞いても怒りは湧いてこなかった。

そう言って怒った、リアリストが嫌いではなかったものだから。

 

モルガンは瞳を閉じた。自分の管理する夢に干渉するために。

ちらりと、視界の端で、己の纏った黒が揺れた。

 

(喪に服すための、色。)

 

己を包む、黒の衣装。それは、喪に服すためというのならそうだ。けれど、黒は何よりも、男の色だった。彼女の愛した男の色だった。

在るだけで己を焼く、忌々しい光に比べて。その、柔らかな闇は、モルガンの知る中で何よりも優しいものだった。

 

夫も、そうして、末の子も、自分になんて会いたくないのだろう。いいや、嫌われてさえ、いるのかもしれない。

魔女に、口づけをくれる王子様はもういないのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逃走

この頃難産で、なかなか。
頑張って書き切りますので。


 

 

「・・・ふう。」

 

藤丸立香はベッドに座り、息を吐いた。彼がいるのはベルンの作った村にある、彼の家だった。

ベルンからは自分がいなくとも好きに使って良いと了承は取っている。

教会からの帰路の上で立香たちはベルンを探そうとしたが、ヴィーによってそれは却下された。曰く、彼ならば生きており、無事であるとのことだった。

立香たちはひとまず村に帰り、休みを取ることでなんとか決着が付いた。

 

(ひとまずは、山は越えられたのかな。)

 

ぼんやりと立香は思う。そうして、彼は今日、召喚することとなったモードレッドのことを考えた。

 

 

 

「・・・・ふうん。そうか。」

「驚かないの?」

「どうして?」

 

呼び出されたモードレッドは一頻り話を聞いた後、にっこりと微笑んだ。

少なくとも、藤丸立香たちの知ることはとっくに話したというのに、彼はけろりとした顔をしていた。

モードレッドはそれに苦笑した。金の髪に、翠の瞳の彼はプロト・アーサーによく似ていた。

 

「母様のことだから、それぐらいするよ。いや、これぐらいですんでよかったね!母様なら、下手をしたらブリテンを一回滅ぼして、新しく作り直すぐらいのことをしてたかもしれないからね!」

 

明るくそんなことを言ってのけた彼はふっと表情を消してぐっと周りを見回した。そうして、彼はようやくコンラに視線を向けた。その翠の瞳がようやくゆらいだ。

コンラはランスロットやヴィーに紛れるようにして立っていた。それにモードレッドは目を見開き、そうして、近づいた。

 

「ねえ、君。」

「・・・・初めまして、だね。」

 

コンラはどこか気まずそうにそう言った。他の三人は二人の間に漂うそれになんだと視線を向けた。それにモードレッドは眼を瞬かせて、ああ、そうかと頷いた。

 

「そっか。そうだね。」

僕と君って、初めましてなんだ。

 

モードレッドの言ったそれがやけに印象に残っていた。

その後、一旦はベルンの村に帰ろうというと話しになったおりも、モードレッドはコンラにべったりであった。

 

「・・・・あのお、これ、いつまでするの?」

「えー、とうぶーん。」

 

モードレッドはひどくご満悦な表情でコンラのことを抱えていた。

コンラの尻の下に片腕を通し、もう片方の腕で背中を支えていた。

コンラは困惑した顔でモードレッドに言ったが、彼は嬉しそうにコンラに頬ずりした。

ランスロットは落ち着かないというようにそれを眺めていた。モードレッドはランスロットに対して特別な感情を見せることなく、それよりもとコンラの方に夢中であった。

今日も、一緒の部屋に泊るのだと、そのままコンラとヴィーを抱えていってしまった。

 

こんこんと、ドアがノックされた。それに立香が了承をすると、グレイとランスロットが入ってくる。

 

「申し訳ありません、おやすみの所を。」

「すみません、マスター。」

「ううん、目が冴えちゃってるから。それよりも、どうかしたの?」

「・・・・はい、マスター。少々、お話ししたいことが。」

 

神妙な顔でランスロットは言った。

 

「マスターは、コンラが誰であるのか。予想は付いておいでですか?」

 

それに立香は少しだけ黙り込んだ。

 

「ランスロットはそれが気になるの?」

 

その言葉にランスロットは目を伏せた。彼がおそらくオークニーの関係者であることぐらいは予想が付いている。モードレッドの反応からしてそれは顕著だ。けれど、現在、ここに召喚されるほどの物語を持った存在が思い至らない。

 

「・・・俺は正直に言えば、彼が誰であるかについてはあまり興味が無いんだ。」

「・・・正直に言うのなら、拙も。」

 

二人の言葉にランスロットはああと頷いた。

 

「お二人は、彼を信用されているのですね。」

「ランスロットは違うの?」

 

それに彼は黙り込んだ。何と応えれば良いのか、わからなかったのだ。感情の上では彼を信用して良いと感じている。けれど、己の主と、そうして、友であった男の末を守らねばならないという義務感が彼を信用して良いのかと悩ませる。

 

「・・・私は。」

 

その時だ、こんこんと、軽いノックの音がした。それに扉の方を三人は見た。どうぞ、と軽く返事をするとコンラが入ってくる。

 

「あ、みんなそろってたんだ。」

 

にっこりと微笑んだコンラに三人は思わず固まった。噂をすれば影、などとよく言ったものだ。その言葉の通り現れたそれに、顔を見合わせた。

 

「コンラ、どうかしたの?」

「いや、休んでるところ悪いけど。次のことについて相談を、と思って。三人はどうかしたの?」

「・・・いえ、マスターがどのような様子かと心配になりまして。」

 

ランスロットの返答にコンラは苦笑した。

 

「僕のこと、信用できない?」

 

何か、心の内を覗かれたかのような、撫でられたかのような感触に立香は少しだけ何かを思い出す。

その表情にある程度のことが理解できたのか、コンラはああと頷いた。

立香はそれに嘘をついても仕方が無いだろうと、口を開いた。

 

「コンラの言っていたマーリンはいったい誰?」

 

それにコンラはああと頷いた。

 

「・・・君達と隠れ家で会ったマーリンは実際は違う。そうして、女のマーリンは俺が知る限り、彼のIFの姿らしい。」

「平行世界のマーリンということでしょうか?」

「当人はそう名乗っていたがな。といっても、俺は彼女のことはよく知らないんだ。彼女とコンタクトを取っていたのはヴィーだからなあ。うん、俺としてはさっぱり!」

 

口調を取り繕うことなくそう言った彼に立香はそれが彼の本来であることを覚った。

 

「隠れ家のほうは、いったい。」

「立香はそれについて予想が付いてるんじゃないのか?」

 

それに立香の脳裏にはとある嘘つきの王様のことが浮かんだ。コンラはそれに肩をすくめた。

 

「誰かの存在が思い浮かんでるなら、出来れば口にはしないで欲しい。」

「何故だ?」

「ここは夢だからさ。本当を暴くと、魔法が解けてしまうんだ。今は、それをされるとものすごい困るんだよ。マーリンという皮を被った状態は夢では有利なんだよ、隠れるのも、動くのも。」

「それは、君も?」

 

立香の言葉にコンラはああと頷いた。

 

「・・・・そうだね。僕は、いや、俺はまだ名乗れない。」

かけた魔法が解けてしまうから。

 

柔らかに微笑んだコンラに三人は思わず黙り込んでしまった。

 

 

 

 

「おはようございます、起きられましたか?」

 

仮眠から起き上がった立香たちを出迎えたのはベルンだった。立香はほっとした顔でベルンに歩み寄った。彼は疲れた顔をしていたが特別な怪我などは見受けられなかった。

 

「・・・ええ、なんとか帰ってこれましたよ。それで、次に発たれるんでしょう?」

「うん、コンラに聞いたの?」

「まあ、ある程度予想は付いていますから。」

 

立香はリビングを見回し、コンラ、そうしてランスロットやグレイまでいないことに気づいた。

 

「あれ、コンラたちは?」

 

それにベルンは穏やかに微笑んだ。立香はそれにどうしたのかと首を傾げる。

 

「・・・もうそろそろなので、外で待ってくださるようにとお願いしたのですよ。」

「え?」

 

その言葉と同時に外がやけに騒がしいことに気がついた。立香はそれに慌てて外に出た。すると、外には焦った様子の村の住民と、困惑した表情のランスロットとグレイがいた。

そうして、凍り付いたような表情のコンラ。

 

「どうしたの?」

「いえ、マスター。それが・・・」

「ああ、君。実はな、黄金のリンゴが枯れてしまったんだ。」

 

困った顔をした住民の一人がいた。それに立香は顔を曇らせた。それは、コンラがけして口をつけるなと言っていたものだった。

それが枯れた?

 

「病気か、何かですか?」

「いいや、あの木が生えてからそんなことは一度も無かったよ。私たちは、その、あのリンゴが苦手だったから。食べるものなら、この森にいくらでもあるし。」

「・・・でも、他の村は大丈夫なのか?あのリンゴ、主食にしてたろ?」

 

コンラは目を見開いて、ベルンを見た。それにベルンはちらりと、他の村々がある方向を見た。

 

「お前・・・・」

「仕方が無いでしょう。これは、必要なことなのですから。」

「二人とも?」

 

立香がコンラとベルンの異変に気づいたとき、ランスロットとグレイもまた何かに気づいた。

 

「・・・マスター。向こうから、何か。」

 

ランスロットの言葉と共に森から出てきたのは、ある集団だった。武装した様子もなく、どこに出しても恥ずかしくない程度の農民たちだ。立香はそれに、以前立ち寄ったはずの村の人間が混じっていることに気づいた。

 

「あれ、あの人たち・・・」

「みんな、すぐにここを離れるよ。」

「何故?」

「まずいんだ!だから・・・・」

「そんなことを言ってられないでしょう。」

 

逃れようとしたコンラの手をベルンが掴んだ。彼は冷たい眼でコンラを見た。

 

「ベルン、お前、もしかして・・・・」

「・・・望んでいたわけでもないですし、やりたくなんてありませんよ。ですが、平和にこの島が終るのなんて土台無理なんです。気づかれることもなく、憎悪に焼かれることもなく、そんなことはけしてありえないのですから。」

 

立香たちはベルンたちのやりとりにどうすればいいのかと行動を躊躇した。その隙にその集団は立香たちに近づいてきた。

それは立香たちも知った、他の村の人間だった。

 

「ここにも村があったのか。」

 

驚いた様子の一人が話しかけてくる。

 

「すまない、ここから少し行った先にある村の人間なんだが。聞きたいことがあるんだ。」

 

老人がそう話しかけてきたことに住民の一人が応じる。

 

「ああ、はい。なんですか?」

「実はうちの村の作物が、リンゴの木が枯れてしまったんだ。それで、他の村はどうかと見て回っているんだ。」

「ああ、そうですね。こちらの村も、全滅とまではいきませんが。」

 

それに明らかにやってきた他の村の人間はざわめき始めた。

 

「どうする?」

「リンゴの木がないと、食べるものが・・・」

「城に伝えなくては。」

「ああ、城からの騎士様を待たなくてはいけないだろう。」

 

そんな声が聞こえる中、立香はリンゴの木が枯れた理由を理解した。

あのリンゴが魔術的な要因によって成り立っていたのは明白だ。ならば、前と今、違いは何か。

少年の中でガレスのことが思い浮かんだ。改めて、立香はひやりと冷や水を浴びせられた気分だった。それこそ、自分がしていることを改めて突きつけられたかのような、それ。

立香は人混みの中でそっとどうしたものかとコンラを見た。

コンラは、険しい顔をしていた。そうして、その隣にいたヴィーはその場を離れようと、森のほうを指さしていた。

ランスロットたちもその場の異様な空気に疑いを持たれる前にと離れようとした。けれど、ランスロットの格好にとある男が声をかけた。

 

「もしかして、騎士様ですか?」

「私は・・・」

 

ランスロットの鎧の様相に他の村の人間はほっとした顔をする。

 

「ああ、よかった。城の方も異常がわかって様子を見に来られたんですね?」

「そうか、よかった!」

 

ほっとした様子の村人たちにランスロットもあからさまに固まった。けれど、さすがはというべきか最低限の動揺でそれを押しとどめていた。

 

「・・・・そっちの人も城の人じゃないんですか?」

 

ランスロットに向けられていた眼が、次はベルンに向けられた。そう言ったのは、立香たちが立ち寄った村にいた、確か、ハリーと呼ばれていた青年だ。

それにベルンはああと頷いた。

 

「・・・・ええ。そうですね。あなたとも会ったことはありますよ。」

「ああ、ですよね。冬の蓄えが十分か、聞きに来たことがありましたよね?なら、城のほうでも異常があるってわかってるんですよね?」

 

ハリーはそう言ってベルンの方に近寄った。そうして、青年は言った。

 

「うちの王様は優秀だから、まあ、大丈夫だろうけどな。」

 

それに波紋のように皆々が口を開いた。

 

「そうそう、うちの王様、いい人なんだよ。」

「領地が狭いから俺らのことも考えてくれるしな。」

「冬場はここらへんは苦しいからなあ。」

「お子さん方も優秀だしな。安泰だ。」

「妃様もものすごい美人らしいなあ。」

「あのいたずら坊主がなあ。」

 

優しい人だから。善き人だから。だから、だから、善き王だ。

 

その声は、その声は、本当に、優しいものだった。信じているのだ、慕っているのだ、それがわかるものだった。

己の王を、この地を治めている人を、彼らは確かに慕っていた。

それにコンラの顔がゆがんだ。そうして、その隣にいたヴィーが心底不快そうな顔をした。

 

「・・・・死んだのに。」

 

ぼそりとした声は、近くにいた立香にはっきりと聞こえた。いや、がやがやと騒がしい

声が響く中で、そうヴィーが吐き捨てた瞬間だけ、しんと静まりかえった。

住民たちはじっと、ヴィーを見ていた。コンラは慌てて彼女の口をふさごうとした。けれど、それよりも先に住民たちが口を開いた。

 

「・・・何を言ってるんだ、お嬢ちゃん。」

「そうだよ、王様ならお城にいるよ。確かに、この頃は見回りには来ないが。」

「ああ、蜂蜜を貰いに来ないな。まあ、妃様と喧嘩をしていないと言うことだ。良いことさ。」

 

そうだ、ああ、そうだ。死んでいるなんて、そんなことはありはしないんだ。優しい人、強い王、あの人が、ちゃんと。

 

「生きているんだ。」

 

穏やかに、真摯に、そう、心の底から信じているように皆が言った。立香はそれに言葉を失った。それは、まるで言い聞かせるような言葉だった。

それにコンラはまるで困り果てたような顔で動きを止めた。その瞬間、ヴィーが嘲るように吐き捨てた。

 

「笑わせるな!生きているだと、否、否、否、否!!あの者は死んだのだ!勇敢なる者、賢しき者、他のために命をかけ、理想を持つ者に現実を突きつけ、お前たちを守るために、あの男は死んだのだ!私の愛した者は、死んだのだ!」

死した後でさえも、いつまでお前たちはあの者を利用する!?

 

叫びのようなその声は、幼い少女の体から出るにはあまりにも、重く、のしかかるような声音だった。

物理的に、地面に伏せることを強いられる声。

 

「ヴィー!」

 

夢から覚めるようにその場にいた人間は体を動かした。コンラは慌ててヴィーを引きずるように森に足を向けた。

 

「ランスロット!グレイ!マスターを連れてこい!」

 

コンラの様子にランスロットは立香に近づこうとした。が、周りにいた村人に掴まれる。

 

「おい、あんた、王様が死んでるなんておかしな事を言うな!」

「もしかして、こいつら、蛮族の奴らが寄越したんじゃないのか?」

「城に引き渡すぞ!」

「おい、あんた、待て!」

「そうだ、王様は死んでいない!」

「おかしなことを言うな!」

「あの優しい王様が、妃様や王子様たちを置いていくわけがない。」

 

がなり立てる声が響く。ランスロットはそれに、固まった。あからさまなそれに立香は叫んだ。

 

「ランスロット!」

 

それにランスロットは我に返ったように申し訳なさそうな顔で体に力を込めた。ある程度、手加減したとは言え周りに住民たちが転がる。それに立香たちは慌ててその場から立ち去った。

 

 

 

「・・・みんな、大丈夫?」

「ええ、特にはなにも、ないのですが。」

「拙も、特に。」

 

そこでコンラの方を見た。そうして、その隣で不安そうな顔をしたヴィーがいた。

 

「・・・あの様子じゃ、村にはもう立ち寄れないな。」

「コンラ・・・」

「マスターの食事の確保を優先しないと。」

「コンラ、私・・・」

「ヴィー。」

 

ヴィーは謝罪の言葉を言おうとしているのか、おずおずと話しかけた。それを遮るようにコンラは言った。

 

「そんな顔をしなくても怒ってないよ。」

 

穏やかな声音は確かに真実であるようだった。それにヴィーはこくりと頷いた。コンラは立香たちに申し訳なさそうな顔をした。

 

「ごめんね、立香。緊急用に村には立ち寄れなくなっちゃって。」

「いや、俺たちは大丈夫だけど。コンラは、大丈夫なの?すごい顔色だよ。」

「・・・・そうかな?」

 

立香たちは村から大分離れたことを考慮し、その場でいったん休むことにした。コンラの顔色が気になったためだ。

ヴィーとグレイは立香の食糧の確保、ランスロットは周囲の見回りに向かう。残されたコンラに、立香はおそるおそる問いかけた。

 

「何か、ショックなことでもあるの?」

「・・・・そんな顔色悪いか?」

「思わず聞いちゃう程度には。」

 

それにコンラは瞬きを一度だけして、そうして、そっと、彼の持つ大剣を撫でた。

 

「俺さ、本当はサーヴァントになんてなれないような存在なんだよ。」

「そうなの?」

「ははは、そうそう。伝わってる名前も、本名っていうか、どっちかっていうと代々伝わる敬称?みたいなもんだし。」

「でも、君は。」

「そうだよ。だから、俺って言う存在はたくさんの存在から力を貰ってて、犠牲の上にある。俺が使ってたスタッフスリングも借り物なんだよ。俺の宝具はこっちが本命。」

 

そう言って大剣を撫でた。無骨なそれは、宝と言うよりも、ずっと実用的で使い古されていた。

 

「本当は新品なんだぞ、これ。ここでしか使われる予定のない、多くの温情によって成り立つ力。はははは、情けないな。英雄なんて肩書き背負ってるのに、他人の物語をつなぎ合わせることしかできないなんてな。俺自身、使う資格があるのか、悩んでる。」

「王様が生きてるって言葉はそんなにも、君にとってショックだったの?」

 

それにコンラは首を振った。

 

「いいや、そんなことはない。彼らのあれはお前さんが来る前にはとっくに理解して、覚っていた。だから、あれは当然だった。魔女を滅ぼすのだって、そうだ。誰かの幸福を悉く滅ぼすのだって、覚悟の上だ。それは代価だ。この、この上ない奇跡の。」

「奇跡?」

 

立香はそれは何だろうと考えた。コンラ、未だに名を名乗ることの叶わない、英雄。どこか、弱々しい、そんな表情。

彼の言う、徒人の願う、奇跡とは何だろうか。

 

「そうそう、奇跡さ。奇跡。あり得ないとわかっていた、その奇跡がどれほどのものか、わかっていた。だから、代価に納得した。でも、今になって、俺は、彼らの声を聞いて。そうして、恐ろしくなっている。俺は、その代価を支払うことが出来るのかと。」

 

目を伏せた彼に、立香は口を開いた。

 

「君の奇跡がなんなのか、俺は知らない。この世界の幸福が間違っているのかだって、俺が決めて良いことじゃないと思う。」

「なら、お前さんは。」

「でも、ガレスに、お願いはされたから。」

 

それにコンラは目を見開いた。

 

「だから、俺たちは会いに行かないといけないんだと思う。せめて、この国の優しい妃様に。」

 

それにコンラは己の手を握り込んだ。そうして、そうだと、頷いた。

 

「そうだな。そうだ、会いに行かないとな。せめて、そうだ、与えられた奇跡のために。」

 

 

 

 

 

夢を見る。

おかしなことに、夢を、見る。

今の自分には、夢なんて見るはずがないのに。それでも、夢を見る。

それはこの上ない幸福だ。大事な誰かがそこにいる。また、会えた。

あの子は笑っている、あの人が笑っている。これ以上の幸福はない。だから、自分は幸せだった。

失った幸福、いなくなったあなた。そんなあなたがここにいるのなら、自分はそれ以上何も望みはしないのだ。

だから、だから、それから目をそらす。

自分たちの幸福には犠牲がある。誰かがずっと、孤独で悲しい思いをしている。

それがなんだ、それがなんだ。

この幸福を壊すことが恐ろしい、また、自分が失っていた事実を、いなくなった誰かのことを思い出すことが恐ろしい。

だから、目をそらした。

平気だ、そんなこと、何も感じない。

自分が可愛い、自分の大事な人が幸せならばそれだけで。

なのに、心の奥がちくちくと刺され続ける、痛み続ける。そうだ、これが間違っていることなんて理解していた。

だって、自分は、確かに、犠牲になる人が優しい人だったことを知っているから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪魔の報い

モーさんの話になります。


 

 

道を歩く。

古びた城の廊下だ。誰も通らないそこにカツカツと足音が響く。鎧の微かにこすれる音がした。その城にはもう、自分と、そうして無理矢理に名前を被った忠義者の騎士。そうして、一人残された王妃。

かつんと、音が鳴る。床に向けた視線の先に、何かの足が入り込んだ。

纏った甲冑の隙間から見たのは赤毛の男だった。

 

「・・・・夢への道が開いた。出ろ。」

 

不躾な言葉だった。これ以上無い程度の、侮蔑の籠った言葉だった。けれど、自分は気にしない。それは正しいものだった。それは正当なるものだった。

 

「了解した。」

 

淡々と返したその言葉に目の前の存在は忌々しげに顔を歪めた。それを自分は気にしない。自分の役目は、彼女の願いを叶えること。自分のあり方は、彼女のことを守ること。

それは、憎悪では足りないし、それは、悲願と言って差し支えない。

償いとは無意味だ。それで失ったものは戻ってこないのだから。

それでも、なさなければならない。自分は確かに生きているのだから。ならば、ならば、この無価値な命を、この、無意味であった人生を、どうか。せめて、有意義に使わなくてはいけないのだ。

 

(あの日、彼は、私にいってくれたのに。)

幸せになりなさいなんて、自分はあまりにも過ぎたものだったのに。

 

 

 

「ねえ、大丈夫?」

「うわ!?」

 

藤丸立香は木々の間から飛び出してきたモードレッドに驚いた顔をした。それに、コンラはああと頷いた。

丁度、ランスロットたちが食料探しにと行っているときのこと。

立香はそれにモードレッドの姿が見えなかったことを思い出した。

 

「あれ、モードレッド、どこに行ってたの?」

「うーん?いいや、あのさ、ちょっと準備運動したくて遠くに行ったんだけど。なんか大騒ぎになってたでしょ?だから適当に僕も逃げたんだよ。追って来れないように痕跡も消したし。」

「そうなの?そこまでしてくれたんだ。」

「む、マスター。この国の人間を舐めちゃダメだよ。ただでさえ作物が取れないんだ。オークニーの人間は食糧確保のために小さい頃から狩りの仕方を教わるんだよ?」

「モードレッド、狩り、得意だもんね。」

「そそ、僕、これでも小さい頃から狩人として大活躍してたからね。陛下の狩りでも褒められたことがあるんだよ?」

「・・・そう言えば、ガウェインたちが言ってたね。」

 

モードレッドが機嫌がよさそうな顔をして、胸を張った。

 

「あれ、モードレッド?」

 

その時、木々の間からヴィーとグレイ、そうしてランスロットも顔を出した。

 

「モードレッドさん、合流されたんですね。」

「うん、村に帰ろうとしたら大騒ぎだったから驚いちゃった。」

 

立香はそのままランスロットたちに近づいていく。ランスロットの手には太ったウサギがいた。そうして、ヴィーの手の中には木の実がいくつかあった。

 

「モードレッド?」

 

ヴィーの声にモードレッドはするりと彼女と目線を合わせるように跪いた。ヴィーはするりと彼の頬を撫でた。

 

「どこに行ってたの?朝、いなかったから心配したわ。」

「うーん、ごめんね。ちょっと、周りを見たくなって。」

 

ぺたりとモードレッドの白い頬に小さな紅葉の手のひらが重なった。それを見ていたコンラはこつりと己の額を甲で軽く叩いた。

 

「・・・僕も狩りに行ってくるね。」

「それならば、私が。」

「いいや、ちょっと頭を冷やしてくるよ。みんな、先にご飯食べてて。ヴィー。」

 

行ってくるね。

 

穏やかにそう言ったコンラにヴィーはこくりと頷いた。立香はコンラの好きにさせた方が良いと頷いた。コンラはそれにすまなさそうに笑いかけた。

そうして、森の中に消えようとしたとき、モードレッドがその後を追う。

 

「僕も行く!」

「え、でも・・・」

「僕も何も捕れてないし。もしものことを考えてご飯はたくさんあった方が良いしねえ。」

 

そう言ってモードレッドはにっこりと微笑んだ。

 

 

獣の足跡、気配、音、追い込みをかけて刈り取る。

コンラは幼い頃から叩き込まれたとおりに獣を狩った。ぶらんと、血抜きさえ終えたウサギを己の前で揺らした。

懐かしいことだ。自分が幼い頃は腹が減れば森に入り込んで狩りをしたものだ。殆どおやつ代わりに獲物を食べていた。

丸々太ったウサギを嬉々として狩るモードレッドの姿は既視感がひどくある。

 

「えへへへへ、たいりょー。」

 

るんるんとそう言ったモードレッドにそれは口を開いた。

 

「・・・狩りは。」

 

モードレッドがにこにことそう言っていたとき、彼はぽつりと呟いた。モードレッドが見ると、翠の瞳の彼は穏やかではあったけれど、どこか寂しげな顔をしていた。

それにモードレッドはおどろいたような顔をした。

 

「狩りは、誰に、教わったんだ?」

 

言葉少ななそれに、モードレッドは目を伏せた。

 

「ベルンに、教わったよ。森の歩き方はガウェイン兄様に、動物の習性はアギー兄様に、罠の仕掛け方はガへリス兄様に、捌き方はガレス姉様に。」

みんなに教わったよ。

 

その言葉にそうかとそれは頷いた。モードレッドは静かな眼で彼を見た。少しの間、二人の間に沈黙が横たわった。

そうして、モードレッドはゆっくりと小柄な彼と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。小さな彼の翠の瞳をモードレッドは幼い子どもが大人にするように見上げた。

 

「・・・・あなたは、僕に怒ってる?」

 

静かな声だった。まるで、厚いカーテンの奥から聞こえてくるような、微かな言葉。その言葉に翠の瞳のそれは顔を強ばらせて、そうして、まるで苦笑するように口元を歪めた。

 

「何故?」

 

軽やかなその声音にモードレッドは困り果てた顔をして畳んだ己の足に顔を埋めた。

 

「・・・あなたが望んだ安寧を滅ぼしたのは僕だから。」

 

くぐもって聞こえる声音に彼は黙り込んだ。それにモードレッドは歯を食いしばった。

 

あの日々をモードレッドは覚えている。

モードレッドは確かに、オークニーと、そうしてブリテンというそこを愛していた。

貧しい国だった、滅び行く国だった、目の前にある希望を見てなんとか息をしているような国だった。

誰もが、その国で、ぎりぎりで、心のどこかで滅びを察していながら生きていた。

モードレッドはそのいじらしさが好きだった。己の生まれ故郷で生きていこうとあがく人々が好きだった。

 

モードレッドは、その愛したものを自らの手でたたき壊した。

 

「あなたは、愛していたのでしょう。この島を、この、国を。生きていた、人々を。」

 

涙の混じるような声だった。彼はそれにモードレッドの金の髪を見下ろした。彼はそれに、遠い昔に見た、棺桶に収まった一人の王のことを思い出す。

黙り込んだそれに我慢できなかったのか、モードレッドは勢いよく立ち上がった。

そうして、にっこりと天真爛漫なんて言葉がよく似合う顔をする。

 

「ほら、僕って悪魔みたいな事をしたので。だから、きっと、恨んでいると。僕のことを・・・」

 

後ろになっていくに連れて尻すぼみになる声に彼はじっとモードレッドを見た。そっくりな、翠の瞳で互いを見やる。

 

「僕のしたことは、なしたことは、果たして・・・」

「果たして?」

 

モードレッドの言葉に翠の瞳の彼は穏やかに言った。ようやく言い返されたそれにモードレッドは彼の方を見た。

黄金の髪に、片方だけとは言え翠の瞳をした彼らはまさしく、親子のようによく似ていた。

 

「モードレッド、お前が一体、何を果したと言うんだ?」

 

その言葉にモードレッドは面を喰らったかのように目を見開いた。彼はその顔に苦笑して、そっと、近くになっていた木の実を捥いだ。

その木の実はモードレッドも知っている。甘酸っぱいそれはモードレッドもよくおやつ代わりに食べていた。彼はそれをモードレッドに差し出した。

 

「食べてみろ。」

 

それにモードレッドは差し出されるままに彼の持った木の実を囓った。甘い、それ。懐かしいそれ。

 

「旨いか?」

 

モードレッドはそれにこくりと頷いた。翠の瞳を細めて、彼はゆるゆると笑った。手の中で、一口だけ囓られた木の実を手の中で遊ばせた。

 

「・・・これは、そうやってお前の腹を満たす糧であるかもしれない。だが、腐り果てて虫のたかるそれになるかもしれない。」

 

彼はそう言って手の中にあったそれを一口だけ囓った。

 

「甘いな。だが、忘れるな。」

これは元より鳥の喰らった糞まみれの種から始まり、そうして、獣の糞や遺骸を糧にして育ったものでもある。

 

翠の瞳が細まって、ああ、笑っている。ガウェイン兄様によく似た少年。はっきりと血のつながりを感じる顔。

いいなあと思っていた。母に似た顔は好きであったけれど、会ったこともない父親によく似た兄の顔を羨ましいと思っていた。

どういう意味だろうと、何かを言おうとした。けれど、目の前で、己に穏やかに微笑む彼の存在がまるで夢のようで口を噤んでしまった。

 

召喚されて、そうして、母にそっくりなあの人と、そうして、フロレンスによく似た少年を見て、それがどれほどの奇跡なのか理解できた。

けれど、誤魔化すようにじゃれつくだけで、それ以上のことは出来なかった。

モードレッドは誰よりも、何よりも、わかっていた。

自分が悪い子で。

 

そうして、たった一人の願いのために、悲劇を起こした自分を。

きっと、優しくて、強くて、善き人であった彼は赦すことはないのだろうと。

怒っているのだろうなあ、憎まれているのだろうなあ。

いや、いっそ、侮蔑されているかもしれない。

モードレッドの産まれ方は間違っている。理から外れ、神の宣うあり方から歪んだ自分の命の形は間違っている。

彼はその間違いを赦さないのだろうと、ずっと、思っていた。

けれど、彼は笑っている。自分の存在を前にして、穏やかに笑う彼は、まるでモードレッドにとって都合の良いように見えた。あまりにも、あまりにも、それは都合が良すぎると思った。

彼は苦笑しながらモードレッドに顔を寄せた。

 

「思い上がるなって、言ってるんだ。」

 

思いがけない言葉にモードレッドが驚いた顔をした。それに彼は笑った。

 

「あのな、モードレッド。お前一人でこの国を滅ぼしたなんて、それは思い上がりすぎる。」

「でも、僕は!僕は、あの日、母様の願いを叶えてしまった!黙っているべきだったのに、黙って、一緒に泣いて、そのまま流れるように生きればよかったのに。それでも、僕は、滅んでしまえと、思ったんだ。」

 

あの日、あの日、愛していた世界。あの日、あの日、ずっと続けば良いと思った美しい国。

けれど、モードレッドはあのとき、怒っていた、狂っていた、愚かだった。

それでも、それでも、きっと、モードレッドはうんざりしていたのだと思う。

たった数人を贄にしてあり続ける世界に、滅んで欲しかったのだと思う。

 

存続とは人の命題だ。己の命を次に渡す、限りある種族だからこそ望む、終わりゆくことへの祈り、去りゆく者への憐憫、続いていく誰かへの希望。

終ることを知っているから、だから、忘れないで欲しい。永遠なんてものはないから、自分のいたことを覚えていて欲しい。

 

この国で、この島で、生きていたから。だから、私の血が流れるあなた。どうか、この地で共に生きた私の世を繋いで欲しい。

 

けれど、モードレッドはこの島で生きることを、もう、止めて欲しかったのかもしれない。打ち止めの命だった、国だった。

だから、全てを終らせて、滅ぼして。もう、未練さえも断ち切ってみせるから。

どうか、ここではないどこかで、誰のことをも犠牲にせずに生きて欲しかった。モードレッドは子をなすことは出来ない。モードレッドは、モードレッドの命で打ち止めだ。

だから、自分を置いて行って欲しかった。どうか、置いて、幸せになって欲しかった。

 

「あのな、そうだな。確かにお前は強いな。でもな、お前一人で滅びるほど世界とは脆いものじゃない。あの国を滅ぼした一端をお前は担いだ。けれど、それ以上の諸侯のものたちもまた、それに乗ったのだろう。」

「・・・・僕が、それを煽ったから。」

「いいや。お前が例えどれほど言葉巧みにしたとして、そこまでの立場がある時点で損得抜きで義憤だけで動く馬鹿はいなかったんだ。結局、赦すことも、覇権をとるという夢だとか、感情だとか、それを捨てきれなかったんだろう。」

 

翠の瞳の彼はどことも言えない宙に向かって視線を向けた。

 

「・・・・なあなあで終ることは出来たんだ。きっとな。でも、そうしなければ、アーサー王は物語にならず、そうして、お前や、あの人は歴史の果てに消えていた。」

 

翠の瞳が自分を見る。その瞬間、まるで、瞬きの内に、小柄な、金髪の彼は、黒い髪をした男に変わっていた。よく似ていた、ああ、一番上の兄に、本当によく似ていた。

そうして、その、翠の眼は、自分に、モードレッドに、よく似ていた。

ぽすりと、大きくて、温かな手が自分の頭の上に被さった。ぐりぐりと、頭を撫でられた。

ああ、ああ、暖かな手。太陽のような手。

ずっと、夢に見ていた、手。自分が、ずっと焦がれたもの。

大きな彼を見上げた、まるで湖の中のように視界はゆらゆらと揺れていた。

それに、彼は、きっとこの国そのものだった、果ての国の王様は微笑んだ。

 

「モードレッド。いいんだ、お前の何が悪かったのか。あの日、あの国は滅んでしまった、民には申し訳ないことをした。その罪は、お前にあるのだろう。だが、それを言うのならば、それを防ぐことの出来なかった俺や、そうして他の王たちもまた罪人なのだ。」

 

モードレッド、モードレッド、モードレッド。

そうだな、そうだ。

お前はいつかに、あの国を滅ぼしたのだろう。あの、あの、必死に生きていたあの世界を。

けれど、その悲劇がなければ自分とお前の再会は、この奇跡は叶うことがなかったから。

 

「お前の父が死に、一人の王が生まれたことも。王と騎士の物語があったことも。女が泣いたことも。誰かの大切な人が奪われたことも。そうして、優しい悪魔がいたことも。」

全てが巡り合わせだ。

 

きっと、きっと、全員が幸福であることは無理なのだ。何かを得れば、何かを失う。

そんな都合の良い夢物語がないことぐらいは知っている。

悲劇があった、理想の果てに死んだ騎士がいた、贄になるはずだった女を哀れんだ男がいた。

そうして、死にゆく者へ介錯をした悪魔がいたことも。

 

男は、その少年を抱きしめた。老いることもできない、少年のままに死ぬ歪な命を抱きしめた。

 

「お前が悪魔というならば、俺も悪魔だ。俺もきっと、誰かを不幸にしてしまったから。」

 

抱きしめられたままにモードレッドは首を振る。

違う、違う、違うのだ。

自分のような、赦されない命が、歪な命が、こんなにも優しくて暖かな命と同等であって良いはずがない。

母の悲しみは正当だった、兄たちの赦しは慈悲だった。

けれど、自分の存在は間違いであるはずなのだ。だから、自分は、悪魔に成り果てた。だから、自分の罪業は、母や兄たちには関係ないのだ。

あの日、贄になるはずだった少数のために、多くを切り捨てた自分は、間違えて生まれてしまったから、間違いを選んだのだ。

そう、信じていた。

なのに、なのに。

 

(暖かいなあ。)

 

ぼたぼたと、モードレッドの瞳から涙がこぼれ落ちた。

暖かいなあ、暖かいなあ。

 

「でも、ぼく、まちがいだったんだ。」

 

そう言うだけで精一杯だった。それに、男はモードレッドの背を撫でてくれた。

 

「間違いなわけないだろう。」

 

男はモードレッドから体を離し、その顔をのぞき込んだ。そう言った男の顔は本当に優しげで、そうして、喜びに満ちていた。

 

「だって、俺は、お前に会えてこんなに嬉しいのに。」

(ああ!)

 

ああ、わかる。わかるのだ。それが真実であることぐらい、モードレッドにだってわかるのだ。

愛されていたから、確かに、モードレッドは愛されていたから。

その喜びはどれほど真実であるかぐらい、わかるのだ。

それを受け入れてはいけないのに、間違いは、正されないといけないのに。

それがどうしようもなく、モードレッドには嬉しくて。

 

ずっと、父を夢見ていた。

誰も彼もが、父を愛していた。

優しい人だった、勇敢な人だった、有能な人だった、温かな人だった。

寒い、冬の国で、見ていると歩いて行こうと思える人だった。

そう言った人は、モードレッドを見て微笑むのだ。

あなたは、そんな人の子どもなのだと。

それが嬉しくて、それが誇りで、それは勇気づけられるもので。

けれど、自分の歪さを理解した時、きっと愛してくれることは無いのだと思った。

間違いだから、ならば、せめて自分はこんな己を認めて、愛してくれた人のために生きたかった。

 

「・・・・ごめんなさい。」

 

何への謝罪かもわからずに、モードレッドの口からはそんな言葉が漏れ出た。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

後悔してはいけない、自分はそれをなしたのだから。

でも、でも、ごめんなさい。

 

「みんな、ごめんなさい・・・・・!」

 

死んでくれと介錯をして、幸せになって欲しかった人の大事なものをたたき壊して、母を置いて死んだ。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!

 

幸せにしてあげられなかった、滅ぼすことしか出来なかった。

結局、自分は悪魔でしかなかった。歪にしか、願いを叶えられなかった。

 

「モードレッド。」

 

声が、した。

己と同じ翠の瞳、そうして、母に似た青の瞳。ああ、太陽のような兄と同じかんばせ。

優しい声だ、包み込まれるような声だ、ああ、ああ、わかる。その声は、いくどもかけられた声と同じで。

 

ただ、愛おしいと。

 

「・・・お前は王の子として、間違えてしまったな。」

お前はいつかにこの国の人々がより多く生き残るための選択をしなくてはいけなかった。たった一つの愛に殉じてはいけなかった。王の子の命とは、他を生かすために使わなくてはいけなかったから。

 

叱りの言葉はまるで春の日差しのように、モードレッドに降り注ぐ。撫でる手が、頬に添えられた手が、震える体を温めてくれる。

 

「でも、仕方が無い。だって、俺はお前にそれを教えてやれなかったから。お前に、王の子として何も残してやれなかったから。それは父の間違いだ。」

 

違うと、駄々っ子のように首を振るモードレッドに男はいいのだと抱きしめる。

 

「悪魔よ、俺の愛しい悪魔。ありがとう。いつかに俺の置いてきてしまった唯一の彼女の心を、お前だけが守ろうとしてくれた。だから、その罪は俺のものでもある。彼女を慮ってくれた誰かを、あの結末があったとしても、喜んでしまった俺のものだ。」

 

きっと、戦うことだとか、守ることだとか、そう言った始まりは皆同じなのだ。

幸せになりたいのだ、誰も彼もが、きっと、罪深いほどにそれを願ってしまう。

目の前の少年はきっと、間違えたのだ。間違えてしまったのだ。

けれど、誰かに救われて欲しいと願ったそれを間違いだとはしてはいけない。それは、きっと、誰もが持つ業なのだ。

人が正しくなりたいわけではない。人は、正しさがいつかに明るい未来に繋がると信じている生き物だ。

王は人間だ。王とて、どうしようもなく人だった。

ロットは正しい行いをしたかったのではない。正しい行いの先に、愛しい何かの安寧を信じたからこその行いだ。

己が死ぬ前に、正しすぎる幼子に幸せになれと願ったように。

自分の愛したものが徹底的に足蹴にされるしかない未来を背負った幼子の凶行を、愚かさを、ロットは否定したくなかった。

末の子が殺した誰かへの罪はある。けれど、そんなものは自分が背負ってしまえばいい。

あの日、先のことを全て丸投げして、一人で死んだロットにはその資格はあるはずだ。生きることを放り出した自分の罪でもあるからだ。

寂しがりな彼女を、残した自分の愚かさだ。

 

モードレッドは、その言葉に、ずっと我慢して、けれど、言ってはいけないと、問うてはいけないと思っていたことを、ようやく口にした。

 

「ちちうえ、ぼく、ぼくは。」

うまれてきても、よかったかな?

 

それにロットは破顔した。呆れたような、苦笑するような、甘やかすように、彼は微笑んだ。

 

「ああ、モードレッド。我が末の子よ。オークニーの子よ。俺はお前がいることに、お前に会えたことが、本当に嬉しいよ。」

側にいてやれなくて、抱きしめてやることも出来なくてすまなかったな。

 

それに、モードレッドはこれでいいと思った。

モードレッドは自分が呼び出された意味を理解している。自分はまた、再演をしなくてはいけない。

あの日、誰よりも強かった王を殺した日を、もう一度。ブリテンを滅ぼしたいつかを繰り返さなくてはいけない。

それはとても罪深くて、恐ろしい。

でも、でも、モードレッドはいいと思った、

罪ならばもう一度背負っていい。憎悪など、いくらでも浴びていい。

この奇跡を与えられた。

その言葉、その赦し、その肯定。

それだけできっと、あの日の間違いは報われた気がした。その罪を背負う重さに耐えられる。

 

(母上・・・・)

 

自分はこの世界を壊すだろう。それを是とする。けれど、その罪は自分が背負おう。

悪魔とは、誰よりも、何よりも、願いを叶えることに真摯な生き物だから。

だから、母上、今度こそ、あなたの願いを叶えて見せよう。

あの日、あなたが願ったのは自分を置いて幸せになれる世界が壊れることではなくて。

この暖かな太陽にもう一度だけ会うことだったことぐらい、モードレッドにだってわかっていたから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

敵襲

久しぶりの更新、申し訳ないです。

感想、評価、ありがとうございます。
また、いただけましたら嬉しいです。


 

 

 

なんとなく、藤丸立香は戻ってきた二人を見た。

モードレッドはどこか安堵したような顔をしていたし、コンラもまたどこか、少しだけ思い悩むような顔をしていた。

 

「次は、どちらに向かうので?」

「・・・次は、ここから東に向かった所。」

 

ヴィーの言葉にランスロットははてと思った。確か、以前みせてもらった地図では、ここからならばもう一つの禁足地の方が近かったはずだ。

 

「それならば。」

 

ランスロットがそれを口にしようとしたとき、ヴィーが首を軽く振った。

 

「・・・こっちでいいの。あっちは、空っぽだから。」

「空っぽ?」

 

ヴィーのそれに立香とグレイが首を傾げる。

 

「そう、だから、先にあっちに行った方がいいの。」

 

ヴィーはそう言ってさっさと歩き出した。ヴィーの様子にコンラは肩をすくめ、他の四人を促した。その様子を不思議に思いながら後に続いた。

 

 

「このまま行くと、村に着くから少し、それた方が良いね。」

 

進んでいる内にどうやら村の近くまで来てしまったようでコンラがそう言った。それに正しい方向を探そうと辺りを見回したとき。

ヴィーがまるで、何かに気づいたかのように顔を上げ、ある方向を見た。そうして、叫ぶ。

 

「逃げなさい!」

 

金切り声に皆が顔を上げた、逃げろ、その指示にグレイは咄嗟に近くにいた立香を担ぎ上げて走り出す。それにランスロットも従った。

コンラもそれを追う。ヴィーはその場に立ち尽くし、覚悟を決めたように口を開けた。モードレッドは咄嗟にというように走る方向を変えてヴィーに走り寄った。

 

「どうしたの!?」

 

立香の声に紛れて声がした。

 

「閉じよ、閉ざせ、隠せ、全ての愛よ、籠の中へ!」

 

ヴィーの言葉の後、立香は空に光の柱を見た。

 

轟音が、辺りに響いた。衝撃が、体を貫いた。眼が、光に眩む。輝かしい、まばゆい、なにもかもを焼き尽くす、ただの、ヒカリ。

 

あ、死んだ。

 

それは、いつかのように。いつかの、どこか、藤丸立香はそれに、己の死を察した。

けれど、不思議と、熱さだとか、痛みを感じることはなかった。

耐えるように強く閉じたまぶたを開けると、そこには、美しい花畑が広がっていた。青い空、甘い匂い、遠くに立つ、白い、塔。

 

ああ、綺麗だ。

ぼんやりと思った。まるで、夢のように、美しい、全てが満たされた理想郷。

けれど、それは、まるで不出来なホログラムのようにノイズが走っている。ばちばちと、何か、バグが入るようにそれは掠れていた。

それと同時に、辺りの景色はまるでガラス細工のようにバラバラに砕けた。そうして、また、先ほどいたはずの森の中にいた。

 

「・・・咄嗟に宝具を使ったか。」

 

静かな声がした。それに立香は改めて周りを見回した。そこには、自分たちを中心に円のように広がった、黒い鎧を纏ったグリムたちと、ラモラック。そうして、小柄な印象を受ける、鎧を纏った騎士。

その手には、立香にとって見慣れた、美しい聖剣があった。

 

「ヴィヴィアン、即刻、後ろの人間を渡せ。」

 

鎧を纏っているせいで声はくぐもり、よく聞きとれない。立香は冷静に周りを見回した。落ち着けと、必死に己に言聞かせた。けれど、どう見ても完全に包囲されていた。

ヴィヴィアンという単語に立香は覚えがあったが、どこでのことか思い出せない。

 

(モードレッドは!?)

(最初の衝撃で吹っ飛ばされて森の中に。)

(無事なんですね?)

 

立香とグレイは姿の見えないモードレッドの安否に胸をなで下ろしたい気分だった。

 

「・・・・私のこと、捕らえないの?」

「今回は、その人間を始末するだけだ。全てはそれだけで事が足りる。」

「待て、何故、その剣がここにある?」

 

ランスロットの声で会話は中断された。けれど、立香もそれについては理解できた。何故って、それは、ランスロットの視線が騎士の持つ聖剣に向けられていた。

それに騎士がランスロットに視線を向けた。不思議とその視線にはラモラックのような嫌悪感だとか、敵意だとかは見えなかった。

 

「・・・サー・ランスロット。これは私の物だからだ。」

「ならば、あなたは、もしや陛下!?」

 

強ばった言葉にラモラックの顔がゆがんだ。騎士は静かに言った。

 

「否、この身はアーサー王にあらず。」

 

我が名は、ロット。ロット王。オークニーの王である。

 

 

静かな言葉にそれを聞いた皆は目を丸くした。

 

「・・・あなたが、ロット王?」

「ああ、そうだ。我が国に土足で上がり込んだ不届き者を裁かんがために参った。」

「ふざけないで。」

 

ロット、と名乗った騎士の言葉をヴィーは吐き捨てた。

 

「どの口で、その名を!」

「どの口でも構いません。少なくとも、それが事実なのですから。」

(・・・俺が合図したら、ともかく、走るんだ。)

 

二人の言い合いの間に、コンラは後ろにいた立香たちにそう言った。それに立香は頷いた。

けれど、その時、立香たちに飛びかかる存在がいた。

 

「ラモラック!」

「ランスロット!」

「グレイ、逃げて!」

 

飛びかかったラモラックにランスロットが反応し、その剣を受け止めた。そうして、それにグレイはその隙に立香を抱えてその場から逃げ出した。小柄な彼女はグリムの間を縫って、走る。

それに騎士は、ロット王は立香を追おうと足先を進める。けれど、それは防がれた。大剣をそれにたたき付けるコンラの姿があった。

ロット王はそれを簡単にいなした。

 

「・・・勝てぬ勝負をするとでも?」

「・・・勝てなかろうと、勝てようと、しなくちゃいけない勝負はいつだってあるんでね。」

「グリム、ラモラック!マスターを追いなさい。私はこれの始末と、乙女の回収を行います。」

 

それにラモラックは忌々しいという顔をしたがすぐにランスロットに興味を無くしたかのように立香たちの後を追った。それをランスロットは阻止しようとしたが、グリムがランスロットにまといつくように向かってくる。

ラモラックはその隙に立香たちの後を追う。

 

「舐めるな!」

 

けれど、ランスロットはその拘束をあっさりと解いて、グリム達をいなし、ラモラックの後を追う。そうして、後にはヴィーとコンラ、そうして騎士が残された。

 

「安心しなさい。手短に終らせます。」

「そりゃあ、嬉しい、ね!」

 

コンラはそのまま大剣を構えて騎士に立ち向かう。ヴィーは強化の魔術を使用した。

身体能力、ひいては魔力という火力において、圧倒的に騎士が勝っていた。けれど、コンラは大剣を振り回しながら、器用に木や地面に降り立ち、騎士の攻撃を防ぎ、誤魔化し誤魔化しで戦闘を行う。

森の中、障害物の多い中での戦闘にその少年は圧倒的に慣れていた。

 

「ちょこまかと・・・」

「ははは、そりゃあね!」

 

はっきりとした攻撃はされていない。けれど、こちらもまたかすり傷程度しか出来ていない。的の小ささに加えて、その素早さは厄介だった。

けれど、騎士にもまた考えがある。

それは木陰に隠れるヴィーを見た。そうして、コンラから視線をそらしヴィーに向けて地面を踏みしめた。

それにコンラはしまったというような顔をした。けれど、騎士の目的はそれではない。

それはあくまで素振りであって、彼女は自分の後を追おうとしたコンラの動きを見過ごさなかった。振り返り、その隙に、それはコンラに斬撃を喰らわせた。

鮮血が、舞った。宙に赤のしぶきが飛んだ。それにヴィーの短い悲鳴が上がった。

騎士は何の戸惑いもなく、返しの瞬間に、とどめを刺すため霊核があるだろうそこに剣を向けた。

けれど、コンラは本能のように、それこそ、体に叩き込まれたような動きでそれを受け止めた。

直接的な攻撃は避けたものの、コンラは森の中に消えていく。そうして、騎士はそのままヴィーに駆け寄り、その腹に拳を叩き込んだ。

コンラに気を取られていたヴィーはそのまま気絶する。騎士は少女の姿のそれを抱き上げた。

 

「湖の乙女、これ以上の邪魔立ては不要。帰りましょう。あなたが城で待っておられます。」

 

そうして騎士は森の中に視線を向けた。そこには、子どもがいた、もしも、そこに立香がいれば見覚えがあったことだろう。それは、村にいた子どもの一人だ。

 

「これを城にいち早く連れて行きなさい。」

 

それは無表情のまま、騎士を見上げた。そうして、それと同時に、蜃気楼が歪むように子どもの姿はグリムに成り果てる。グリムはそのままヴィーを渡され、どこかに消えていく。

騎士はそのまま、コンラを始末しようと、彼が吹っ飛ばされた方向に足を勧めた。

けれど、よろよろと自分に近づいてくる人影を見つける。それは剣を構え、そうして、コンラを見た。

けれど、そこにいたのは、コンラではなかった。

 

「・・・・ガウェイン卿?」

 

それはまるで幼い子どもが驚いたかのような声を出した。そうだ、その通り、そこにいたのはそれのよく知る、ガウェインだった。

黄金の髪に、端整な顔立ち、そうして、屈強な肉体。違うことと言えば、それの瞳が緑と青であることだけだった。

 

「・・・残念ながら、私は君のいう彼ではないんだ。いや、まあ、確かに近しいと言えば近しいのだけれどね。ある意味で、彼にとっては領域外の肉親ではある。」

 

それはそう言って、やたらと爽やかな印象を受ける微笑みをそれに向けた。何かが違う。

そう覚った騎士は剣を構えた。

 

「新しく召喚されたサーヴァントか?」

「いやいや、まさか。私は元々ここにいたし、急に現れたわけでも、召喚されたわけでもない。」

「人格の入れ替えが可能な部類か。」

「・・・・まあ、本当なら私の方が矢面に立つはずなんだけれど。けれど、私はどうも、あれだよ。場違いでね。因縁はあくまでそれを持つ物同士で終らせるべきだ。」

「オークニーの関係者ではないと?」

「ああ、彼女は懸命だった。ほんの欠片のような可能性に賭け、そうして、当たりを引いたのだから。まあ、それは置いておいても。」

 

男はにっこりと微笑んで、そのままヴィーが連れ去られた方向に向かう。それに騎士は唖然とした顔をしたが、男にとって優先すべきなのがヴィーであることを理解した。

その瞬間、それは何のためらいもなく、剣を掲げた。

 

「地よ、我が身に力をもたらせ。血よ、証明せよ。我はこの島を守護せし者!」

 

赤き竜の咆吼(ドラグ・オブ・エクスカリバー)

 

光の柱が現れる。全てを焼き尽くす、ヒカリの熱。

それに走った男は微笑んだ。少なくとも、自分の挑発は早々とその騎士を引っかけたのだと。

彼は振り返り、そうして、剣を構えた。

 

(私の宝具を使えるのは、これで最後。いいえ、私が出てこれるのがこれで最後。)

後より出でて先に断つもの(アンサラー)――斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!」

 

光の線が、騎士にたたき付けられる。それに男は笑った。

 

(表立った手助けは、これで最後だ。)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

疾走

短めになります。

感想、評価、ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


 

柄を握った男を見た。

覚悟したような顔で、その剣を死にそうな表情で見つめる男に心底呆れた。

 

「いやあ、どうだい?自分の国を滅ぼすなんて選択をした気分は?」

 

皮肉気にそういった。けれど、それからすればその反応も仕方が無いのだ。何故って、少なくとも、目の前の男はそれだけでそれにとっても焦がれる夢を叶えることが出来るのだ。

それぐらいは赦されるはずだ。

そうだ、その夢を男は求めた。ただの凡俗なる、人間が叶えるにはあまりにも過ぎたそれを。

だからこそ、その男はひどいことをするのだ。己の愛した国を、民を、滅ぼすのだ。

 

「・・・ああ、そうだ。しかたがない。最後の、あの国のなした責は俺が取らなければ。」

 

ああ、何を言っている。何を、何を、これは言っているのだ。

目を見開いた己のことなど見えていないのだろう、男は幾度も頷いた。

 

「この奇跡には感謝している。俺の国の間違いを、確かに正すことが出来るのなら。それ以上のことはないのだから。」

(ああ、なんてことだ。)

 

笑ってしまうだろう、嗤ってしまうじゃないか!

ああ、だって、そうだろう。

それは何よりも、少なくとも、目の前のそれにとっては真実であったのだから。

 

「ありがとう。これで、俺は、自分のなしたことの責を、王としての責を取ることが出来る。」

 

なんてことだ、この王は。

人の歴史の奴隷、人理の影法師、そんなものに成り果ててまで、それは王としての義務を遂行する気でいることを理解して。

白い竜として招かれたそれは呆れてそれを見た。

 

 

 

ふらりと、その男は立ち上がった。

屈強な体、左右に違う青と緑の瞳。端整な顔立ち、大らかそうな雰囲気。

そうして、夜のような黒い髪。

ふらふらとそれは、鈍色の鎧を纏って立ち上がった。ちらりと、騎士が吹っ飛んでいった方向を見た。

体が軋みを上げた。当たり前だ。

自分には到底、過ぎた力を行使したのだから。

 

さあ、残念ながら君のとっておきの一つは使い果たしたね。

 

頭の奥に響く、その言葉にいいえと、男は首を振る。

残念などではない。使う以外に方法はなかったのだから。その程度なのだ。その程度である事なんて、わかっているのだ。

 

(感謝します。俺のようなものに、力をくださったことを。)

 

それは男の言葉に心底愉快そうに音を響かせた。

 

いやいや、いいよ。同じ父親同士だ。それに、まあ、何でも養父殿も活躍しているようだし。私も良いところを見せたくなっただけだしね。ただ、覚えておいて欲しい。私がこれから君に干渉できるのは、一度だけ。

 

静かなそれに男は立ち上がり、何の変哲も無い、その器たる剣を見た。

 

その剣を鍛え上げる、その時だけだ。

 

わかっていると、男は頷いた。己の宝具になるだろう、その剣。今はまだ、その太陽神に借り受けているものを使っている自分。

その宝具を作り出せないのは、未だ、その材料がそろっていないこと。そうして、自分の覚悟が決まっていないこと。

男は己の手を見た。

成熟した、男のそれ。

 

ああ、すまない。君を隠すためのクラスではあるけれど、やはり安定しないね。今、君はそのままの姿をさらしている。このまま行けば、全てばれてしまうよ。私が出てしまったことで、どうもクラスで被った皮が剥がれてしまったようだ。

 

男はそれにぐっと歯を食いしばった。先ほど、ロット王を名乗った騎士。それは己に宿る神のおかげでなんとか戦線を離脱している。あちらにはランスロットがいる。ならば、ヴィーを追いかけるべきか?

男の脳裏に、少女の声がこだました。

己を呼んだ、少女。自分を呼んだ、自分の妻。

 

ねえ、お願いね。

 

こだまする、こだまする。声が、ずっと、己の中でこだまする。

 

お願いね、(モルガン)のことを、止めてあげてね。約束して、そのためになら、ちゃんと切り捨てることも考えて。

 

男は立ち上がる。

そうだ、いつかはばれるのだ。怯えている暇など無い。

自分は奇跡を願った。凡夫の己には過ぎた願い、己が過ぎ去った世界にもう一度戻ること、そこで、自分のなすことを。

王として、義務を果さねば。

駆り立てられるようにそう思った。あの日、自分は王として義務を果たせたと思っていた。

けれど、それは間違いだった。

自分の行いは、自分の妻を間違いに引き寄せてしまった。自分が悪い、自分は間違えた。

あの日、幸せになって欲しいと思った誰もが、苦しんでいる。

 

そうだ、ならば、自分は、彼女を殺さなくてはいけない。

 

震える、手が、足が、震える。だって、怖いのだ。自分は、ずっと、怖いのだ。

剣を持った。覚悟を決めろと、活を入れた。

そんなことは、ずっと、覚悟の上なのだ。

奇跡を求めたのだろう?

彼女の間違いを正すのだと、王としての義務を果すのだと。

己の妻を殺すのだと、そう、奇跡を望んだのだ。自分は、王として死んだのだ。ならば、義務を果さなくてはいけない。

 

行くんだね。

 

優しい声がした。自分のことをずっと励ましてくれた、その声とはしばらくの間、お別れだ。

 

「・・・はい、ありがとうございます。決着までには行かずとも。それでも、行かなくては。」

 

男はそう言って足に力を込めた。

 

 

 

鎧を纏ったそれは、のろのろと起き上がる。それを女王はじっと見ていた。

認識阻害がかかっていたせいで、敵の顔はよく見えなかった。水鏡には、夢を纏ったオークニーを見渡すことが出来る。

暗い、最低限の設備の王座にて、女王はじっとそれを見ていた。

 

 

その騎士が起き上がると同時に、声がした。それは騎士と女王の間にある繋がりのせいで、肉親という繋がり、ブリテンという古き島の守護者としてあり方が強化され、二人の間には特異な縁が出来ていた。

 

『情けない。あの程度に負けるとは。』

「・・・・申し訳ありません。」

 

その言葉を素直に受け取った。何故って、自分は勝って当然で、それの願いを叶えられない自分には価値がないのだ。だから、それを素直に受け止める。

 

『・・・・乙女め。まさか、ケルトの太陽神を召喚していたとは。』

「すぐに追撃を。」

『いや、すぐに終らせる。』

 

その言葉に彼女は全てを察した。

ああ、あれをするのか。それは自分にとってひどい苦痛だ。けれど、拒否する気も、否定する気も無い。

そう望むのならば自分はそれをなすだけだ。

 

『ああ、赤い竜よ。その首輪を外してやろう。』

「賜りました。そうして、一つ、報告を。」

 

騎士が魔女に一つの報告を終えると同時に、その鎧はまるでメッキのように剥がれ落ちた。そこにいたのは、一人の少女だ。

それは、遠い昔、ブリテンという場所の王が出会った存在そのものだった。

 

淡い黄金の髪、美しい顔、怜悧な瞳。

美しい少女だ、まるで神が作り出したかのようにそれは完璧だった。

けれど、それは、どこまでも人ではなかった。

白い四肢に所々混じる、赤い鱗。その四肢の先はまるで血のように赤く変色し、獣のように鋭い爪で覆われている。

そうして、その頭部から伸びた、金の角。

らんらんと輝く、赤い瞳。

 

「Grrrrrrrrrrrrrrrrrrraaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」

 

咆吼が響き渡る。この島に住む者に響かせるように、その、獣の叫びは遠く、高らかに響き渡る。

駆り立てられる衝動に身を任せる。その背中に抱えた翼でそれは飛び立った。

己の下された命令に、敵の排除を持って、それは飛び立った。

 

 

「・・・・まさか。」

 

その魔女は茫然と呟いた。何故って、赤い竜から告げられたそれは彼女にとってまったく見当違いなものだった。

 

ルー神であろうそれの顔は、ガウェインによく似ていた。

 

それは確か、コンラと名乗っていたはずだ。魔女はそれに、それの正体がフロレンスであることを予想していた。

聖杯、それによって授かった知識で己の息子が、遠い未来でルー神と同一視されていることは知っていた。

自分の使っているサーヴァントというシステム上、そういった要素が混じる可能性は十分にあった。

だが、それはコンラというそれが偽名であり、ルー神が真名であるというのならば。

魔女は、哄笑を上げた。

 

「そうか、乙女よ!そうだったのか!」

 

モルガンは素直に己であるそれに感嘆の声を上げた。

モルガン・ル・フェは忌々しげにそう吐き捨てた。

 

自分たちとて、どうにかして彼を己の元に蘇らすことはできないのかと頭を悩ませた。けれど、それはひどく難しい。

己が夫は、善き人であっても、人理に刻み込まれるような物語を持たなかった。あまりにも微かなそれでは彼の姿を捕らえることは出来なかった。

だから、諦めた。

今更、自分なんてものの所に戻ってきてはくれないのだろうと思っていた。

 

「ああああああああああ!乙女よ!乙女!そうか、貴様、その算段がある故に、貴様だけで飛び出したのか!」

 

モルガンは妬ましさでそう喚き始めた。

モルガン・ル・フェは怒りのあまり髪をかき乱した。

 

そうだ!

確かに、ロット王という存在を召喚することは難しいだろう。だが、ロット王という側面を持った存在を召喚することは可能なはずだ。

 

「そうか、独り占めか!ひどい!ひどい!ひどくひどくひどくひどく!!とっても酷いではないか!!」

 

自分自身で何を言っているのだろうか。そんなことを、モルガンは頭の奥で考える。

けれど、そんなことは関係ない。

ただ、ただ、そこには、民のことを考える女王はなく、間違いを犯してまでも国を救おうと足掻く魔女はおらず、子の幸福を願う母はおらず。

そこにいたのは、ただ、ひとり抜け駆けをしていただろう存在への悋気に狂う女がいた。

モルガンは王座から立ち上がる。

今は、彼女が散々に抱えた、義務だとか、意味だとか、使命だとか、祈りだとか、そんなものを放り出してしまった。

 

会えるのだ。会えるかもしれないのだ。

あの人に。あの、優しい人に。会えるかもしれないのだ。

ならば、ならば、今は、今だけは。彼女は、ランスを手に取り、まるで硝子の靴を履いた少女のように走り出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

役立たずの忠犬の後悔

再会は、次になるかなと。
感想、評価、ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


この世界戦の一番の修羅場って、異聞帯のモルガンとロット王だけがいるカルデアで、二人が仲良くなった後に本妻が召喚された場合なんですかね。


 

 

「あの、この方向は村がある方では?」

 

グレイの言葉に藤丸立香は抱えられるままに周りを見た。特徴の無い木々の間では己のゆく方向などまったくと言っていいほどに感知できない。

 

「この、次々と湧いて来る!」

「ランスロットはいい!マスターと、そのフードを狙え!」

 

ランスロットは走りながら自分たちの追手を切り捨てる。が、まるで彼らは水が湧き出すように切り捨てられ、倒れ、それでもなお、数が変わることはない。

ラモラックがランスロットに追いつき、剣を振う。

 

「ああ、ようやく追いついた!」

「くっ!」

 

立ち止まりその剣を受けたランスロットとラモラックはもみ合いになる。グレイはランスロットのために一瞬、足を止めた。

 

「走れ!」

「でも!」

「私は大丈夫だ!」

 

立香の言葉にランスロットはそう言った。それにグレイは戸惑う仕草をした後、それでもと走り出した。

立香の安全を今は第一に考えるためだった。グリムを振り払い、走ったその先には村があった。それに慌てたのはグレイだ。

このままでは村人を戦いに巻き込んでしまうと、方向を変えようとした。

けれど、それよりも先に目に映ったのは、自分たちを待ち構えるように立つ村人たちだった。

 

「逃げて!」

 

立香が咄嗟に叫ぶ。けれど、彼らはゆうゆうとした足取りで立香に近づいてくる。そうして、その姿はぐにゃりと、ゆらぐように姿をグリムへと変えた。

それにグレイと立香は目を見開いた。グリム達はそのまま二人に飛びかかる。グレイは片手に持った大鎌でそれを振り払うが、数が多すぎる。

 

(宝具は?でも、マスターが!)

「グレイ、俺のことは放り投げて!その間に、宝具を!」

「ですが!」

 

そう言っている間にグリムの手がグレイを捕らえる。その時だ、何かがグリム達を吹っ飛ばした。

それは、赤の似合う、一人の騎士。

 

「モードレッド!!」

「えへへへへへ!よかったあ、間に合って!」

「大丈夫だったの?」

「うん、衝撃で吹っ飛んだけど。まあ、大丈夫!よし!それじゃあ。」

 

モードレッドは自分の周りに集まったグリムを睨んだ。

 

「貴様ら、何者だ。この地の騎士であるというならば、払うべき礼節程度知っているであろう。」

 

今までの陽気な声音に反して張り詰めたその声音にグリム達はじっとモードレッドを見つめる。返事がないことにモードレッドは顔をしかめた。

 

「名を名乗る誇りさえも持ち合わせていないというならば構わん。来い、オークニーの騎士であるならばこの身にかかってくるがいい!」

 

その言葉と共にグリムたちはモードレッドに向けて飛びかかった。

 

 

 

 

最強などと称される騎士に勝てるかと問われて、自分はどう答えるか。

 

(無理、だ。)

 

ラモラックは目の前の騎士を見た。黄昏時の瞳と髪のそれは、ラモラックからしても十分に、いや、彼の実力を軽々と飛び越えていくほどに強かった。

これでも、ラモラックは強者としての部類に入るだろう。繰り返される蛮族の襲撃を、黙々と耐え、それでも生き残った騎士。

事実、彼の強さとはその繰り返しで培われた技術だけだ。

特別な才はなく、特異な武器もなく、選ばれた血でもなく。さりとて、東の果ての剣士のように技を業にすることもできない。

ラモラックはただ、同じ名前のとある騎士としてここにいるだけだ。ただ、彼の仕えた哀れな女の後押しを受けているだけだ。

もしも、ただの剣術だけならば、彼にとて可能性はあっただろう。だが、サーヴァントとして、真っ向勝負をするにはあまりにも。

 

「はあ!」

 

がきんと、剣を打ち合う音がした。

それに自分を吹っ飛ばされる。どうしようもなく、自分は、弱く。

 

(・・・それでも、今度こそ、ただ。)

 

今度こそ、守らなくてはいけないのだ。

 

 

 

ガへリスに殺されたとき、自分の胸にあったのは後悔だった。

殺された事への恨みだとか、そんなことはなかった。

あのとき、ガへリスはただ、恐ろしかった。仕方が無かったとは言え、己の仕えるべき主の血統は領地を出、憎き敵の元に侍っていた。

ガレスのことは愛おしかった。

愛らしいガレス、おてんばなガレス、いとおしい、子。

その緑の瞳に見つめられたとき、それだけでラモラックは死んでしまいたいという衝動から逃れられた。

その柔らかな手を握った瞬間、泣きたくなるほど救われた。

 

まだ、死ねない。この子がいる。まだ、ガウェイン様が王になるまでは。アグラヴェイン様が妻を迎えるまでは。ガへリス様が立派な騎士になるまでは。

ガレス様の夫が見つかるまでは。

 

あの、寂しい、己と同じ置いていかれたひとが、笑えるようになるまでは。

 

そうやって、少しずつ引き延ばした。そうやって、必死に生きる理由を探した。そうやって、己の罪から目をそらした。

 

ラモラックの人生は、王のものだった。ラモラックは王の道具だった。ラモラックの人生は、ラモラックのものではなかった。

 

なのに、なのに、なのに。

 

(何故、自分は生きているんだろうか。)

 

ただ、思う。何故、守るべき王の盾にもなれず、名誉ある戦いの中で死ねず、おめおめと生きているんだろうか。だから、残された者に縋り付いた。

 

妃様、王妃様、あの方の妻。

 

彼女を守ろう。彼女の心を守ろう。例え、それが、例えば理だとか、善意だとか、正しさだとか、この国だとか、全てに反してしまっても。

それでも、自分だけは、彼女の味方であろうと。

 

それは、彼女は、黄金の髪をした赤ん坊を抱いて、淀んだ瞳で笑うのを見ても変わらなかった。

 

可愛いだろう?

ええ、可愛い子です。

 

声が震えた。

 

ああ、見ろ。瞳はあれにそっくりだ。

ええ、あの方に似た瞳です。

 

痛みを伴うほどに拳を握った。

 

赤ん坊は久しぶりだ。

ああ、ガレス様以来ですね。

 

淀んだ瞳をのぞき込んだ。

 

ああ、どうか、守ってやってくれ。

もちろんです。

 

乾いた口の中で歯を食いしばった。

 

ああ、ああ、王妃様。あなたのことならば、どんなことでさえも肯定し、守りましょう。

ですが、ですが、ああ、教えてください。

それは、いったい、どこから来たのですか?

 

 

 

淀んだ瞳の妃が育てる幼子は、すくすくと成長した。城の人間達はみな、モードレッドを捨て子か何かだと思っていた。

 

おぞましい話だとわかっていた。けれど、ラモラックはそれを飲み込んで、モードレッドのことをそれこそ眼に入れても痛くない程度に可愛がり、そうして、厳しく育てた。

生まれた経緯などどうでもいい。

重要なのはそれが王の子であり、そうして、壊れかけた妃の心の支えであるという事実だった。

何も守れなかった、何もなせなかった、そんな自分には王妃だけがよりどころだった。

けれど、ガへリスが来たとき、己がどれほど愚かなことをしたのか理解した。

城であの子を育てれば、あの顔を見れば、王妃様との血縁は確信できる。邪推されるのは当たり前だった。

けれど、ラモラックには言えなかった。

言えるはずがない、どれほどまでに自分がそれを肯定しようと、それは、どうしようもないほどに罪であるから。

言えるはずがない、告解など出来ない。

 

もしも、もしも、それで、王妃が王子達に見限られればどうするのか。それ故にラモラックは必死にそれに追いすがった。追いすがり、もみ合いになり、そうして、ラモラックの腹に深々と刃が突き立てられた。

 

惨めな死だ。くだらない終わりだ、笑えるような末路だ。

それでもラモラックはそれに納得していた。主を守れぬ犬に、いったいどれほどの価値がある。それがお似合いだった。それは仕方が無いことだ。

けれど、後悔があった。

 

ああ、自分は、結局、己の主に頼まれたことさえも守り切れずに死ぬのかと。

 

まぶたを閉じれば、男の笑った顔が思い浮かんだ。その笑みが好きだった。彼の幸福を愛していた。

 

陛下、陛下、陛下。

私の全て、私の絶対、私の正しさ。

申し訳ありません。愚かな、役立たずの自分を、赦さないでください。

そう願った。そう願わなければ、自分の王はきっと最後には赦してくれると知っていた。

仕方が無いと笑って、頑張ったのだと認めてくれて。

自分を、善き従者だったと肯定してしまうから。

だから、男は必死に願った。

 

どうか、赦さないでと。

 

(・・・叶うなら、あなたと、戦いの中で死にたかった。)

 

それが役立たずの、主の死に目にさえ立ち会えなかった犬の願いだった。

 

 

 

「お前には役をやろう。」

 

そうやって呼び出されたとき、召喚されたとき、行幸だと思った。

もう一度、そうだ、もう一度、今度こそ。

 

優しい妃、賢しき王妃、哀れな女。今度こそ、あなたを守ろう。

 

自分の中に恋はない、自分の中に愛はない。自分はただ、守れなかったものの影を彼女に見ているだけの話だった。

置いていかれた者同士の哀れみだった。

それでも、主人よりも生き残ってしまった従者の最後の矜恃だった。

王に仕えることなど出来ない。そんなことはきっと叶わない。それはあまりにも自分にとって都合のよすぎる夢だから。

だから、王妃にだけは。この、人にだけは、自分は精一杯仕えなくては。

それが騎士として自分に赦された最後の一線だと信じて。

 

 

 

「ランスロット!貴様、どの面を下げてこの地にいる?何を思って、ガレス様を奪ったのだ!」

「・・・・この身はサーヴァント!マスターにただ仕えるのみ!」

 

ランスロットは目の前の存在が誰であるのか聞いていた。元々、オークニーの王に仕えていた男で、ラモラックという同じ名前であるらしかった。

 

(同じ名前だと、無理矢理に召喚をしたのか。)

 

ランスロットはラモラックの追撃を受け止める。

普段の実力でいうのならば圧倒的にランスロットが勝っていただろう。けれど、己のいる土地と、それを統べる存在からのバックアップもあるためか、彼らの戦いはぎりぎりとの状態で勝敗はついていなかった。

 

「・・・仕えるのみか。笑えるじゃないか。それで?お前が仕えていたアーサー王にした不敬はどうだ?」

 

その言葉にランスロットの剣が鈍る。その隙に、ラモラックの追撃が入り、ランスロットは後方に飛んだ。

憎しみに塗れた瞳が自分に注がれる。それは、あまりにも、ランスロットにとって生々しい感情を感じるものだった。

敵だと割り切った者からの物でも、自分自身が殺した彼女の物でも無くて、ただ、ただ、居心地が悪くて仕方が無い眼だった。

 

「全てを滅ぼしたお前が、騎士道など嗤わせる。誰よりも、何よりも、王のために心の一つも殺せぬ貴様の何が騎士か!女一人、その程度に何を犠牲にした!?」

 

その言葉にランスロットは口を開いた。

 

「ならば!そうであるならば、彼女の罪とは何だった!?彼女が不幸である事実は、誰が背負うというのだ!?」

「それが妃だ!他のために心を殺し、耐えること!我らが王妃はそうであった!なら、不貞の女もそれを選ぶべきだったのだ!」

「貴様・・・・!」

 

それだけは言っていけなかった。自分が否定されるのならば、自分が罵られるのならば、自分が、自分が、そうであるのならばそれでいい。

 

だが、ランスロットとて思っていたのだ。彼女の、グィネヴィアの業とは何だろうか?

一瞬の睨み合いの中、二人は自分たちに近づいてくる存在に気づき、その方向を見た。

ひょっこりと、茂みの中から飛び出してきたのは、二人にとってあまりにも見慣れた存在だ。

 

白磁の肌、恵まれた体格、凜々しく美しいかんばせ。そうして、緑と青の瞳。夜のような、艶やかな黒い髪。

 

ランスロットはその男があまりにもガウェインに似ていたものだから目を見開いた。そうして、彼のような親類などガウェインにいただろうかと記憶を攫う。

けれど、それはがちゃんと金属の擦れ合う音と、そうして、何かが跪いたかのような鈍い音に思考は止まる。

 

「・・・・な、ぜ。」

 

掠れた声で、ラモラックは自分が敵と向き合っていることさえも忘れたかのように男のことを凝視した。

男もまた困ったような顔でラモラックを見た。ラモラックは口を開けては閉めてと繰り返した。

 

「ランスロット!マスターとグレイは!?」

「か、彼らならばあちらに!」

 

そう言ってランスロットは二人の消えた方向を指さした。男はそれにうなずき、この場を頼むと走り出そうとした。

けれど、それをラモラックは阻むように駆け寄ろうとした。

 

「お、お待ちください!陛下!」

 

ランスロットはそれに男のことを凝視した。それに全てを覚った。ガウェインにうり二つの顔立ちとその男から呼びかけ。

 

「あなたは。」

「・・・残念ながら暢気に親睦を深めてる暇はないんでな。俺は先に行かせて貰う。」

「お待ちください!陛下、陛下でしょう!?ならば、どうか、我らと共に。」

「・・・ダイル。」

「ああ、陛下。そうです、私は、そう、私の名は・・・」

 

ラモラックは、まるで久方ぶりに会う父にでも縋るように彼に手を伸ばした。彼はそれに悲痛そうに顔をしかめた。そうして、口を開こうとした。けれど、それよりも先に空を何かが駆けていった。

三人が思わず空に目を向けた。

 

「・・・・王妃様、あれを。」

「ダイル、お前は後だ。あっちが先なんでな。」

 

男はそう言って、ラモラックに背を向けて立香達がいるであろう方向に走り出した。

 

「お待ちください!陛下、陛下!!」

 

それの後をラモラックは追った。ランスロットもまた、何かがおこっていることを察してその後を走り出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

赤竜と反逆の騎士

区切りの良いところで切りました。宝具の名前に関しては書き手のセンスの問題になります。

感想、評価、ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


 

あなたに会えないと理解したのは、いったいいつのことだろうか。

サーヴァント、それは、遠い昔、世界に刻まれた存在の影法師を現世に招く形。

それは、言ってしまえば、本人達ではない。

けれど、それでも構わなかった。

だって、一人よりも、ずっとましだった。

 

世界に夢をつなぎ止めるための槍を携えて、モルガンはただ世界の管理者として生きることを決めた。

着た切り雀になってもあまり気にはならなかった。今更、誰にそれを見せるのだというのだろうか。

黒い、喪に服す色を纏った。黒いヴェールで顔を隠し、沈黙の内に、カムランで拾った妹を、王の権威を利用するために、そうして、贖罪のために夫の名前を名乗らせた。

 

聖杯、なぜ、それが自分の手元に転がり込んできたのか、わからない。モルガンにもわかっていた、それは妹が望んだ聖杯ではなく、ただの魔力のリソースでしかないことは。

何故、それが自分の元に転がり込んできたのか、わからない。

けれど、そんなことはどうでもいい。

あの日、カムランの丘で、末の子が死んだとき、金の杯は自分の元にやってきた。

もう少し、早ければ、いや、何も変わらないのだろう。

自分はそれを携えて、哀れな妹を連れて、オークニーに帰った。

 

奇跡は、自分には微笑んでくれなかった。夫に会うことはできなかった。

 

会いたいなあ、会いたい。ただ、あなたに会いたい。

会えると知ったとき、自分のことを見下ろした。だって、自分が着ているのは野暮ったい黒のドレス。喪に服すそれ。

再会にはあまりにも最悪ではないだろうか?

前髪を整えた、髪はどうだろうか?匂いは?化粧はどうだろうか?

まるで幽鬼のように青白い肌は?

見せる相手もいないと、サボったツケがここで来るなんて。絶望しても遅いのだ。

手早く、最低限の準備をした。

もちろん、男は自分に会うだけで、どれだけ醜くたって愛してくれるだろうけれど。

それとこれとはまた別なのだ。

自分は魔法使いの訪れる姫ではないのだから。だから、さあ、行かないと。

あの人、優しい人。

きっと、また、微笑んでくれると信じていたから。

 

 

「まって、あれ何!?」

「待て待て待て待て!!やばいよ、あれ!?」

 

藤丸立香はグレイとモードレッドがグリム達をさばく間、必死に礼装などで援護を行った。

そんなとき、立香はふと、空から何かが近づいてくるのが見えた。それにモードレッドが慌てたような声を出した。

遠いそれは、赤い点のようなもので立香にははっきりと正体はわからない。ただ、モードレッドとグレイは顔を強ばらせた。

ざわざわと、己の中で何かがざわめく。モードレッドは咄嗟に叫んだ。

 

「マスター、宝具の準備を!」

「え!?」

「はい、マスター!あれは、ダメ、です!」

 

それに立香は無意識のうちに彼らに魔力を回す。それにモードレッドは滑空してくるそれに宝具を叩き込んだ。

 

「これなるは全ての滅び、我が世界の終わりを招く剣!」

 

悪魔の行いし、愚かなる愛!(クラレント・ブリテン)

 

 

赤い、光線がまっすぐと空をかける何かに近づく。それは、モードレッドの繰り出した宝具に気づいたのか、空中でぴたりと止まった。それに、高速で進んでいたそれがなんであるのか気づいた。

それは、彼にとってなじみ深い、青を纏う騎士王であるはずのそれ。

小柄な体は赤い装飾に覆われ。所々に赤い鱗が垣間見える。

 

竜だ。

 

魔術師として素人同然の立香にさえも、それがどれほどのものであるのかが理解できた。

人間としての本能に根ざした、危険信号。

その赤い竜は、かぱりと口を開けた。

まぬけに、まるで、そうだ。食事を欲しがるひな鳥のように。

そうして、咆吼が、一つ、漏れ出た。

 

 狂いし赤き竜の咆吼(ア・ドライグ・ブレス)

 

そのブレスはモードレッドの宝具とぶつかり合い、空ではじけた。轟音と共に辺りに衝撃が走る。

 

「は、ははははは。やだなあ。」

 

モードレッドはぼやくように言った。それと同時に、空からそれが下りてくる。

 

「・・・アルトリア。」

 

彼にとってなじみ深い、誇り高く、優しい、食いしん坊の王様は全てがどうでも良いというように立香たちをどうでもいいというような目で睨んだ。

宝石のような、石ころのような、美しいのにがらんどうの瞳で、自分たちを見てた。

 

「バーサーカーのクラスで召喚されたんだ・・・」

「まあ、だろうね。」

 

モードレッドはぼやくようにそう言った後、剣を握った。

 

「グレイ、援護、頼める?」

「わかり、ました。」

「よし、じゃあ、マスターもお願いね!」

「わかった!」

 

それを皮切りにモードレッドとグレイはそれに、赤き竜に飛びかかった。

 

 

赤き竜はそれこそ獣のようだった。硬い皮膚に圧倒的な身体能力のそれは、腕一つで歴戦の戦士であるモードレッドと、そうしてグレイをいなしていく。

ただ、モードレッドの剣に何か、低いうなり声を立てていた。

 

(近寄りたくはないか。まあ、そうだよね。これは、あなたにとっては忌避すべき剣だ。)

 

グレイが注意を引き、そうして、その隙をモードレッドが突いた。鋭い爪一つとっても立香に当たれば命はない。

(十分に引き付けて宝具?いや、だめだ、二人とも宝具は範囲が広い。俺のことを考えればある程度、距離を置かないと。)

 

ならば逃げるか?

立香は考える。けれど、逃げたところでそれは二人の隙になる可能性もある。

 

「きゃ!」

 

グレイの体はまるで木の葉のように吹っ飛んだ。それに続いてモードレッドも切りつけられ、腕から血が滴った。

三人の動きが止まる。それに赤き竜はかぱりと、口を開けた。

 

(来る!)

「止めろ!!」

 

モードレッドの意識にそんなことが浮かんだと同時に、何かが赤き竜に飛んでくる。それを彼女は手で軽くはじいた。そうして、自分を襲った者へ視線を向けた。

そうして、彼女はあ、ああとまるで人間のような声を上げた。

そこにいたのは、黒い髪の、一人の騎士だ。その顔を立香はよく知っていた。カルデアで、そうして、死を覚悟したキャメロットでの戦い。

太陽の騎士にそっくりな彼は飛ぶような仕草で、はじき返された剣をキャッチし、立香たちの元に駆け寄る。

 

「あ、どうして、姿が・・・・」

「もう少し後になるはずだったんだが、計画が狂ったんだ。」

「あなたは。」

「自己紹介は後だ。」

 

そう言った男は、じっと目の前の竜の混じった少女を見た。それは、まるで何か、禁忌と出会ってしまったかのようにがくがくと痙攣し、男を見ていた。

 

「あ゛あ゛・・・・」

「言葉さえもなくしたか。遠き日、栄光ありし円卓を統べた王よ。」

 

ざりと、男は地面を踏みしめてそれに近寄る。それはまるで傷だらけの獣のようにうなり声を上げて、後ずさる。

彼女は恐れるように、ああ、と意味の無い言葉を上げて男を見ていた。それに男はまるで懺悔をするようにまぶたを閉じて、考え込むように首を振った。

 

「違うんだ。そうじゃないんだ。ああ、なあ、アーサー王。いいや、アルトリア。お前は、どうしてそうなんだ。」

 

それに赤き竜は絶望したかのように顔を強ばらせた。

 

ああ、何を言われるのだろうか。

濁った、狂った獣の思考でそれはいやいやと駄々をこねるように叫ぶ。

聞きたくない、何も言わないで欲しい。

そうだ、間違えていたのなんてわかっている。間違えた、過ちだった。

託されて、大事にして欲しいと言われて、あまつさえ、赦して、幸せになれと言われたのに。

なのに、なのに、自分は何も出来なかった。何も、悉くを壊すような結末を招いてしまった。

間違えたのだ、愚かだったのだ、自分は、自分は、あまりにも過ちを重ねすぎた。

竜として、狂った思考の中で、現れた己の罪の象徴を前にしてアルトリアはようやく人としての何かを微かに取り戻す。

 

そこで、見つけた。緑の瞳。

あの日、あの日、自分の王としての間違いを突きつけた、若き彼。

 

あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああ!!

 

喉から、咆吼がほとばしる。自分がどうしたいのかも、命令も、全てがぐちゃぐちゃに混ざっていく。

だめだ、だめだ!見ないでくれ!自分を、こんなにも、愚かな、自分を。こんなにも、くだらない、私を、どうか。

 

「陛下!!」

 

遮るように声が響く。森の中からラモラックが、親に縋るように稚い表情で飛び出してきた。そうして、それをランスロットが追ってくる。

 

「止めろ、バーサーカー!」

 

対峙した二人のそれにラモラックは男の前に躍り出た。

 

「この方が誰であるのか、貴様ならばわかるだろう!?この国の王に無礼は許さん!」

「王?」

 

ラモラックを追いかけてきたランスロットがそんな疑問を口にした。それを聞いたラモラックは今までの憎悪さえも忘れ去ったように、まるで幼い子供が自慢を口にするような弾んだ声を上げた。

 

「ああ、そうだ!我らの王、果ての国、北の果て、我らの王。」

ロット王が、お帰りになられたのだ!

 

弾んだ声が辺りに響く。それに、モードレッドはああと息を吐いた。そうして、グレイと立香は何となしに可能性として考えていたそれに息を吐いた。

ランスロットは茫然と、今まで自分を叱咤激励してきた少年の正体に罪悪というヘドロが喉の奥からせり出してくる。

男は、ロットは、波の立たない水面のようにじっと、無表情を見つめていた。

そんなことにラモラックは気づかない。

だって、嬉しいのだ。だって、泣きたくなるような邂逅なのだ。

 

ああ、帰ってきた、返ってきた、かえってきた!

いつか、誰かのために、私たちのために死んだ、優しい、残酷な王様よ!

 

「頭を垂れよ、歓喜に震えろ。王、我らの王が帰ってきた!」

 

花のような微笑みで、その男は無邪気に王へ手を広げた。

 

「いつ、召喚されたのですか!?妃様。ようやく成功されたのですね!陛下、城に参りましょう。彼の人か、待っておられます。」

 

にこにことそう言う少年を、ロットは見つめ返した。

 

「ダイル。」

「そうです、私は、そうでした。だから、陛下。」

帰りましょう。

 

無邪気なそれにモードレッドがロットの隣に立った。そうして、ダイルを見た。

 

「・・・だめだよ。」

 

それにようやくモードレッドがいることに気づいたのか、ラモラックは目を見開いた。

 

「モードレッド様、あなたも、召喚を。」

「そうだよ。」

「ああ、そうか、あなたも!妃様がお喜びになる!」

 

帰ってきた、欠けていた二人が帰ってきたのだ。ラモラックはそれに無邪気に笑う。それにモードレッドは無言のロットを見て、首を振った。

 

「だめだよ、ダイル。僕達、敵同士なんだから。」

 

それにラモラックは、固まった。そんなことを言われるなんて、欠片だって思っていなかった。

脳裏に浮かんだ、幼い少年の姿。

どこから来たのかわからない、未知の生き物。

最初にあったのは嫌悪であったはずだ、悍ましさで、狂いそうなほどの違和感であったはずなのに。

愛おしいと思うようになっていて。

 

「は、母上様が待っておられるのですよ。兄上達も、いるのです。ならば、あなたは。」

 

それにモードレッドは無言で視線を下に向けた。何を言えばいいのかと、迷うように。

ロットはそれに口を開いた。

 

「俺は、この国を滅ぼすために来たんだよ。」

 

それにラモラックの顔が固まった。何を言っているんだろうと、まるで裏切りにあったかのようにそれは悲惨だ。

 

「王、そのような、そのようなこと、何故、言われるのですか?」

「何故か、それは・・・・」

「・・・・ロット?」

 

向き合った二人の間、そこで、何か、声が遮った。それに、ロットは目を見開いて、そうして、おそるおそると声の方を見た。

それは、だって、あまりにも彼にとってはなじみ深い、焦がれた、鈴のような声音。

 

(ああ。)

 

ロットはまるで強い光を見たように、ゆっくりと目を細めた。

そこにいたのは、美しい女だ。

星屑のような淡い金の髪、白磁の肌に、神が丹精込めて作ったかのような美しい顔立ち。

そうして、星のような青の瞳。

 

(ああ。)

 

ロットは幾度も、噛みしめるように己を見ている女のことを考える。死の直前さえの考えた、ずっと眩み続けた閃光よ。

 

「ロット、ねえ、ロット?」

 

まるで、それは子供のように稚い声音でロットのことを呼んだ。親に再会する子供のように、生き別れの兄妹に微笑むように、そうして、欠けた半身へ抱擁を促すように。

 

(ああ、美しい星よ。)

 

国に春を運んだ女神様、国の血を産んだ母君よ、そうして、ロットに愛を与えた女よ。

ロットの愛したもの、そのもののような人。

対峙して、ああ、やはりと思う。

泣きたくなるほどに、思う。

 

綺麗だな、綺麗だな、ああ、いつかのように。まるで、流れ星のように、綺麗な人。

ロットの所に舞い降りた、苛烈な光、滅びの匂いのする女。

 

ああ、そうか。

ロットは己の握った剣を、さらに、強く握った。

 

ああ、そうか。自分は、これから、この女を殺すのだと。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拒絶

殺し愛を期待された方、すみません。
もう少し後です、まだ、次男と三男が控えていますので。

感想、評価、ありがとうございます。また、いただけましたら嬉しいです。


 

 

モルガンは、湖の乙女を拘束し、グリムに運ばせてそこにたどり着いた。

たんと、降り立ったそこで、モルガンは、まるで花が咲くように微笑んだ。

 

「ロット?」

 

久方ぶりであるのに、まるで、馴染んだ靴を履くようにするりと口から言葉がこぼれ出た。

どくどくと、心臓が鳴る。

ああ、久しぶりだ。

それにモルガンは微笑んだ。

それにモルガン・ル・フェは呼ぶように手を差し出した。

 

「ロット!」

 

弾んだ声でそう叫んだ。

それに彼は自分のことを見た。懐かしい、焦がれた、その顔。

長男によく似た顔、次男に同じ髪の色、三男によく似た表情、末の二人と同じ翠の瞳。

 

会いたかった、自分だけのもの。モルガンに与えられた、たった一つの祝福。

その笑みは、誰もが見とれてしまうようなものだった。

花が咲くように、獣の戯れのように、日が明けるようなそんな笑み。

ロットはそれに黙り込んで、じっと彼女のことを見ていた。モルガンはそっと己のことを顧みた。

きちんと己の衣装を見た。顔はどうだろうか。死人のように青白いのだろうか。

気になってしまう。

たくさんのことが、今になって気になってしまう。今すぐにでも会いたかったから、何もかもをおざなりにしてしまったけれど。

そうはいっても、モルガンだって女の子なのだ。

 

再会に、気取って微笑むぐらいはしたいのだ。

 

ロットはぼんやりとした、そんな顔で自分を見ていた。それにモルガンは懐かしくてたまらない。

ああ、そうだ。

あなたは、時々そんな顔をしていた。そんな顔で自分を見ていた。どうしたのと、問いかけると困った顔で考え事だというのだ。

何を考えているのだろうか。そう思って、けれど、それよりもとモルガンはロットに微笑んだ。

 

「ロット、ひどいではないか。」

 

軽やかな声に誰もが何もいわなかった。グリム達は跪き、その場に止まっている。ロットはただそれにちらりと、拘束されているヴィーを、湖の乙女を見た。

 

「ひどい、か。」

「ああ、そうだ。召喚されたというのに、私に会いにも来てくれないなんて。」

 

そうだ、モルガンは考えていた。何故、ロットが自分に何よりも会いに来なかったのか。

そこでふと、後ろで拘束をしていた抜け駆けをした裏切り者を見た。

そうして、思い立つ。

 

「・・・・私たちのことを、知ったのだな。」

「お前さんの中に三人いることか?」

 

それにモルガンはああと頭を抱えたくなった。

 

(絶対に、引かれた!)

 

夫の腹に一撃入れる妻もどうかと思う。けれど、実は中に人格が三人いるのは、結構、いや、ものすごい事実ではないだろうか?

それに慣れたモルガンからすれば、何よりも、行動指針が同じだったために違和感など無い。けれど、

 

(だが!実際問題!自分の伴侶が一人だと思っていたら、実際は三人というのはこう、戸惑いはする!)

 

モルガンは思わず拳を握った。

モルガン・ル・フェはなんとかごまかせないかと考えた。

湖の乙女はすでに伝えたことだと沈黙した。

 

モルガンはちらりと後方の湖の乙女を見た。先に彼と会っていたそれがどんなことを伝えたのか、モルガンは知らない。

 

(・・・・思えば、初めてか。)

 

自分たち三人の感情が分かれてしまったのは。

モルガンは己のなした不誠実さに泣き崩れた。

モルガン・ル・フェは世界のもろさに怒りを抱いた。

 

そうして、湖の乙女は。

 

仕方が無いと、手を離した。

 

(何故、お前は。)

 

モルガンは考える。聖杯と、そうして、アルトリアの持つロンゴミニアドを使って、人々に共通の意識世界へ閉じ込める計画を思いついたとき、湖の乙女だけが異を唱えた。

 

それは違うと。

それは、あまりにも、死んだロットに対して不誠実であるとそれは言った。

不誠実とはなんだろうか。

生きていながら死者に縋り付くこと?夢を見て現を放棄したこと?

そうか、確かに、それはお世辞にも正しいことではないのかもしれない。けれど、どうだっていいじゃないか。

だって。

 

モルガンは目の前のそれを見て、微笑んだ。

そこにいるのは焦がれた人。

特異な血を継がず、特別な宝など持たず、ただ、国を治めただけの凡夫。

 

死ぬ理由なんて、欠片だってない人。それが死ぬような世界に、そんな誰かが死ぬような世界に。

 

どうして、誠実であらねばならないのか?

 

モルガンはロットに手を差し出した。

 

「ロット、さあ、城に行こう。」

 

「ああ、諸事情で改造、というかいじくったが。昔通りだ。ああ、そうだ、殆ど人がいないからと放りっぱなしにしているが。急いで掃除をしないと。」

 

「安心しろ。私はよき妻だから。城だってきちんとすぐに綺麗にして見せよう。」

 

「食事も用意しよう。ああ、サーヴァントでも、食事が出来る。魚料理、好きだっただろう?」

 

「本当の王の帰還だ。民にも周知しなくては。」

 

「子どもたちのことも呼ばなければ。皆、そんな資格はないと言っていたが。お前が帰ってきたのだから、喜んで飛んでくる。」

 

「ガレスのことは、残念だった。だが、時間が経てばまた、呼ぶことが出来る。安心してくれ。」

 

「ああ、もしかしてお前の名前を名乗らせたのが気になるのか?それについては考えよう。」

 

言葉を、モルガンは紡いでいく。弾むように、楽しそうに、わくわくするような秘め事を話すように。

そうだ、話して、話して、モルガンはぽつりと言った。

 

「ねえ、ロット。」

 

モルガンは震える口を引き締めて、恐れるように、怖がるように、モルガンは、一言だって返してくれない夫を見た。

 

「どうして、何も言ってくれないの?」

 

それにロットはまるで拒絶するように目を伏せて剣をまた、強く握った。

誰もが黙り込んでいた。

何も言えずに、目の前の状況を見つめていた。その時、立香とグレイは自分たちの後方、村の方でざわめきが起こっていることを感じた。

ちらりとそちらを見ると、そこには、今まで隠れていただろう村人達がこちらを伺っていた。

おそらく、音がしなくなったために出てきたのだろう。

 

「ロット!」

 

モルガンの声がまた辺りに響いた。ロットは変わらず、目を伏せたままモルガンを見ない。

 

「どうして、何も言ってくれないんだ?怒って、いるのか?」

「・・・・いいや。」

「なら、どうして何も言ってくれないんだ?」

 

モルガンは改めてせり上がってくる不安感に顔を歪めた。

ああ、怒っているのだ。

己のなしたこと、その蛮行、愚かさ。

散々に呆れたのだ。散々に己のなしたことに怒りを覚えたのだ。

ああ、やはり、彼は赦してくれないのだ。自分にきっと、怒っているのだ。

 

「俺は、モルガン。お前のしたことを怒ってなどいないよ。ブリテンにおいて、オークニーにおいても、全ては俺が死んだ後のことだ。ならば、俺に怒る資格も、責めるつもりもない。」

「ほんとうに?」

「嘘など言う必要が無いだろう。」

 

その言葉を、聞いていた立香は訳もなく、優しい声だと思った。本当に、まるで、真綿で声を発した誰かを包むような声だった。

言っていないのに、そんな言葉など吐いていないのに、ただ、愛しいと包むように。

 

(優しい、声。)

 

モードレッドも、そうして、グレイも、そう思った。それほどまでに、その男の声は優しいものだった。

ロットの言葉にモルガンは安心したような、親に叱られた後の子供のようにロットをおずおずと見た。

そうして、安堵したように微笑んだ。

 

「なら、行きましょう。私たちの城に。」

 

初恋の誰かとダンスでも踊るようにモルガンは一歩、踏み出した。

 

「え?」

 

誰もがそれにロットがモルガンの手を受け入れると思い込んだ。夫婦の関係そのままに、抱擁でもするのだと。

けれど、ロットはまるで全てを覆すように、持った剣をモルガンに突きつけた。

 

「ろ、っと?」

「ああ。」

「どうしたの?」

「必然だ。」

「だって、これ、私は。」

「モルガン。」

 

俺はこの国を滅ぼすためにやってきたんだ。

 

断固とした声にモルガンは目を見開いた。

 

 

「陛下!!」

 

慌ててラモラックがロットに叫んだ。それにロットは視線だけをラモラックに向けた。ラモラックは顔を強ばらせた。

 

「そのようなこと!陛下、行きましょう。城に、ここならば皆、おります。ベルンの馬鹿もすぐに連れ戻して参ります。ガ、ガウェイン坊ちゃんも、アギー坊ちゃんも、ガへリス坊ちゃんも!私が、呼んで参ります!今度こそ、今度こそ、私が、私が!」

「ダイル。」

「へ、陛下・・・・」

「王とはどんなものか、お前は覚えてるか?」

「お、王とは。」

 

ラモラックはそれに無意識のようにロットが昔言った、王としてあり方を復唱した。

 

「王とは、国を動かす機関に過ぎず。王とは、人々が報いを得られる国を作る管理者にしか過ぎず。」

「王とは、国ではなく、民が生きるために働くものだ。俺は、そう言った。だからこそ、俺はここに呼ばれた。この国の歪を、正すために、ここに来た。」

 

そう言ってロットは目を見開き、自分を見つめる女に改めて言った。

その、突きつけた剣が微かに震えているのを、ランスロットだけが理解した。

 

「モルガン、俺は、お前を殺すためにここに来た。」

 

ロットの言葉にモルガンは茫然とした。

ああ、だって、これは嘘だ。ロットが自分を殺すはずがない。

赦されないと、愚かだと、呆れられると、ずっと思っていたのに。彼の、自分に突きつけた剣を前にしてそう思った。

そうだ、優しい彼が、怒っていないというのに。

この国を、この永遠を、否定なんてするはずがない。

 

「どうして、ここには全てがある!子どもたちもいる!家臣達も!民も!あなたが哀れみを持った妹も生かした!何も滞りなく進む!違和感を持っても、金のリンゴを食べれば全て忘れて、そのまま生きていける!ほら、見て!聖杯の力を使って創ったの!グリムよ、普段は民達の見たいものに化けているけれど、でも、緊急時には兵士にもなるの。誰も、もう、傷つかないから、だから。」

 

だから、ねえ。また、みんなで、仲良く暮らしましょう?

 

モルガンは駄々をこねる子供のように、首を振った。幼い少女のように、あの日、いつかに、悉く世界から見捨てられた滅びを背負っただけの少女は、自分を受け入れてくれた世界に必死に手を伸ばした。

 

「乙女!乙女か!ロットに何かを吹き込んだのは!一人だけ抜け駆けして!都合の良いことを言ったのか!」

 

それにヴィーは、湖の乙女は自分の同位体からかけられた拘束の内で、ぼんやりと思い出していた。

 

 

それはロットを、いや、ルー神を召喚したとき。

自分に残された、たった一つの切り札を引き当てたときのことだ。

 

「ふむ、確かにロット王は私の一種の側面として扱われてはいるね。ああ、息子同士の縁でね。私の方がどうしても格が上だからこうやって前に出てきてしまっているけれど。交代は可能だよ。何よりも、少々特異なクラスで召喚されたようだしね。」

「うん、それで、今回はロットを主として欲しいの。」

「ふむ、まあ、今回は人理の危機ではあるし。君のような存在からの願いなら聞き入れないわけではないけれど。いいのかい?」

「何が?」

 

湖の乙女は首を傾げた。それに、黄金の髪をしたそれは言った。

 

「別段、彼女を殺すのは私でも構わない。いや、いっそのこと、私の方がいいかもしれない。それでも君は、ロット王に魔女を殺すように望むのかい?」

 

その言葉に湖の乙女は押し黙った。そうかもしれない。確かに、確実な戦力を臨むのならそちらの方がいいのだろう。

けれど、彼女は首を振る。

 

「・・・別に私を殺すのなんて誰でもいいの。結局、魔女は滅び、死者は死に、生者は有限の中に帰らないといけない。」

「ならば。」

「でも。モルガン()はきっと、死んでも諦めない。諦めない限り、夢は終らないの。大事なのは、諦めること、終ることを受け入れること。私の心を折るのは、彼自身がきっとふさわしい。」

 

湖の乙女はそれに微笑んだ。

 

「それでも、私だってこれでも女の子なの。自分の(ユメ)の決着ぐらいは、大好きな人に見送って欲しいの。」

 

願うようにそう言った。それに、ルー神は笑みを深くした。そうして、頷いた。

 

「いいだろう、クラス、プリテンダー。君が望むように、そうして、内の私が望むように。決着をつけようじゃないか。」

 

 

ああ、そうだ。

湖の乙女はロットを見て、喋ることさえも出来ずに、それでも軽く首を振った。

それにロットは顔を歪め、決意するようにモルガンを見た。

それでいい。

湖の乙女は自分の決断を後悔していない。

何故なら、彼女は、湖の乙女だ。

勇気ある者を称えるもの、明日のために刃を振う者へ祝福を与えるもの、そうして、見送るものであるのなら。

いつか、夜は明け、明日がやってこなくてはいけない。湖の乙女はずっと、そんな人間を好ましいと思っていたから。

 

モルガンは湖の乙女とロットのやりとりに、裏切りを受けたかのように、そうして、自分の知らないところであった特別な関係を察して嫉妬を爆発させる。

 

「ロット!言ってもわからないのなら、力尽くでも連れて行く!ああ、そうだ!お前にだってわかるはず!そうで、あるはずだ!」

 

モルガンが持った、そのランスを携える。それにロットは顔を歪めて、剣を振ろうとしたその時、がちゃんと音がした。

 

『うーん、ダメだね。殺す覚悟も出来てないのに、最終決戦とか早すぎるんだよね。』

 

軽薄そうな、女の声。それは立香にとって聞き覚えのあるものだ。

それは、女の姿をしたマーリンの声。

世界が、まるで硝子のように崩れていくのを見た。自分たちと、そうして、少し離れたランスロットとロットの足場が硝子に映った虚像のように割れて、穴が出来た。

 

「グリム!」

 

いち早く異常に気づいたラモラックが彼らを捕らえようと声を上げた。けれど、皆が皆、その穴に落ちていく。

 

「グレイ!」

「マスター!」

 

一番にグリムの接近した距離にいたグレイを除いて。

そうして、モルガンもまた、ロットに向けて手を伸ばした。暗い穴の底に落ちていく瞬間、自分に手を伸ばした、光り輝くそれにロットはいつかの夢を思い出す。

 

ああ、また、星が自分に手を伸ばした。

きれいだ、ああ、やっぱり、俺のお星様。あなたは、誰よりも綺麗で。

でも、今は、それに手を伸ばすことは出来なくて。

落ちていく暗闇の中、遠くに見た、キラキラ光るそれをロットはずっと見つめていた。

 

 

「グレイ!!」

 

もう一度、穴に落ちながら叫んだ立香は自分が地面の上に放り出されたことを衝撃として理解した。

ひっくり返り、目を開けたその先には、何かドラゴンのような爪があった。

 

「・・・のんきなもんだな、本当に。」

「え?」

 

目を見開いたその先には、醒めた目をした妖精王であり、昔、白い竜であった滅びの王。

そうして、ひょっこりと、また何かが視界に滑り込んできた。

 

「やあやあ!マスター君、手荒なまねを済まないね。よし、サー・ランスロットに、モードレッド。そうして、ロット王。ああ、一人足らないけれど、よし!」

 

改めて会えて嬉しいよ!

そう言って、銀の髪に、虹の瞳を持つそれは微笑んだ。

 




まさかここで妃と再会するなんて思ってもいなかった。それを邪魔するのは忍びないが、仕方が無い。
だって、まだ、次男坊と三男坊とも彼は会ってはいないのだ。
それを邪魔するなんて無粋の一言だとしても、まだ、決着をつけるには早すぎる。
虹色の瞳を細めて、それは考える。
物語とはいつか終ってしまうものだ。ならば、けじめも、決着をつけさせるのは、妃にこの世界を始めさせた己が行える一つの贖罪だろう。
ああ、なんて、罪悪感など存在しない自分には不要な言い訳だろうか。
物語は終る、それは美しいもの、醜いものに限らず、当たり前の摂理だ。永遠に続かれると、観測者の自分としては困るのだ。
ならば、終ってくれたほうがありがたい。
何よりも、自分の息子から始まった悲劇に対してするべきこともあるだろうと、そう思って。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罪の話

お久しぶりです、更新があいてすいません。
終るまで頑張ります。

感想、評価、いただけましたら嬉しいです。


 

「いやあ、ようやく会えたね、みんな!!」

 

何をそこまでテンションをあげる必要があるのだろうか?

そんな疑問を持って藤丸立香は目の前の絶世と呼んでいい美女を見た。彼女はにこやかにふわりと浮かんで自分たちを見ていた。

その隣には、立香にとってなじみ深いオベロン・ヴォーティガーンがこの場の全員死なねえかなあと思っているような顔で佇んでいる。

周りを見回せば、ひどいものだ。そこは、まるで命という命が枯れきったような荒野だった。

 

「あ、なたは・・・」

「あれ、賢者様?でも、女の子、だよね?うん?まって、ここどこ!?」

 

騒がしい声が辺りに広がる。そんな中、ロットは茫然と己の手を眺めていた。何も掴めなかった、その手を、ただ。

周りを見回した後、立香は改めてグレイがいないことに気づいた。

 

「まって、グレイは!?」

「彼女かい?彼女なら、ラモラックに捕まってしまったようだね。」

「そんな!?」

 

立香の言葉にランスロットとモードレッドが目を見開いた。そうして、ロットがようやくふらふらと立ち上がった。そうして、女を見た。

 

「・・・安全は?」

「はははは、それについては大丈夫さ。彼らは、彼女を殺せない。いや、指一本触れられない。そういうものだろう、君達の言う、愛というものは。まあ、ヴィヴィアンが捕まったのなら、これでよかったんだろう。」

「待って、マーリン。グレイは本当に無事なの?」

 

その言葉に女はにっこりと微笑んだ。

 

「ああ、彼女の安全は私が保証しよう。彼らは、残された者を害せないだろうさ。よし、軽く自己紹介をしよう。」

 

その言葉に立香はひとまず心を落ち着けた。今は、彼女の言葉を信用するしかない。

女は自分のことを指さした。

 

「やあ、ようやくまともに会えたね。私はこの事態の収拾のために呼ばれた存在さ。呼びたければ、マーリンとでも、リリスとでも他に呼び名でも結構さ。そうして、隣にいるのが。」

 

そう言って、マーリンは両手をひらひらさせながらオベロンを紹介した。

 

「そして、今までマーリン役として君達のサポートをしてくれてた、協力者のオベロン君だよ。」

「はっはっは!カルデアから誘拐しといて、協力者もクソもなかったと思うんだがな!?」

「いやあ、それでも渋々でも協力してくれてたからね。」

「え、カルデアの?」

「ああ、そうだよ。気づいたらこんなところで、このクソアマとふたりっきりだ!」

「でも、協力はしてくれましたよね。だって、あなたは滅ぼす者ですから。ヴォーディガーンであるあなたは。」

 

それにランスロットとモードレッドの顔が歪んだ。オベロンはそれに顔をしかめた。

 

「まあ、それはともかく。質問に答えておきましょう。ここは、あなたたちのいた、幻想世界、モルガンの願った理想であるテクスチャの下。反転した世界、命の滅んだ、夜の国。」

 

ようこそ、北の果て、滅んだ国、オークニーへ。

 

女の弾んだ声が、冷たく乾いた空気に乗って立香にやってくる。そうして、改めて、立香は上を見上げた。そこにあるのは、しんと静まりかえった沈黙だけだった。

 

 

 

(あれ?)

 

グレイはふと、眼を覚ました。起き上がれば、そこは豪奢な家具が置かれた部屋の中だった。全体を青で統一したそこはまさしく高貴なる人の居室だった。

 

「・・・眼が覚められたのですね。」

 

聞こえてきた声にグレイは跳ねるように飛び起きた。そこにいたのは、ラモラックだった。

どこか強ばった表情の彼は、部屋の入り口からグレイの眠っていたベッドに近づいた。グレイはアッドの姿を探した。

幸いなのかアッドは取り上げられていない様子だ。ならば、この場をなんとか乗り切らなければ。狭い部屋の中で、自分の武器は不利かもしれない。

そう思っていたグレイにラモラックは跪き、頭を垂れた。

「え?」

「ローアル様の子孫であるというあなたに、無礼を働いたこと、誠に申し訳ございません。」

「え、あの・・・・」

グレイは困惑した。けれど、ラモラックはまた深く頭を下げた。

「今までの無礼、まことに申し訳ありません。」

グレイは困り果てた。今すぐにもで逃げた方が良い気がする。けれど、目の前で頭を下げる男の鬼気迫る空気に無視することははばかられた。

 

ローアル。

 

幾度も聞いた名前だ。自分の先祖、よく似ているという瞳の色。

グレイは、その、彼女に似ているという事実が重くのしかかる。

 

「頭を上げてください。」

 

それに素直に従ったラモラックはグレイの顔を見て、また、泣きそうな顔をした。グレイは彼が自分の瞳を一心に眺めていることを理解した。

重くて、腹に来るような瞳で、グレイを見ていた。彼はにっこりと微笑んだ。

 

「グレイ様、それでは、モルガン様がお呼びです。こちらへ。」

 

そういって招かれたグレイは従うしかないだろうと足に力を入れた。

 

連れて行かれたのは、何故か教会だった。城の中に内装される形のそれはこじんまりとしており、どこか寂しい印象を受けた。

ラモラックは教会のまえで立ち止まり、そっとグレイに入るように促した。

そこに入ると、中にはモルガンがいた。黒いヴェールを纏った女は淡く笑ってグレイに微笑んだ。

 

「やあ、来たのだな。」

 

そう言った笑みは、本当に美しいものだった。

 

 

グレイは目の前に広がる場所を美しいと思った。教会の中央には、なぜか棺が置かれていた。けれど、それは空っぽだ。色とりどりの花で埋まった、空の棺。

モルガンは棺のそばに座って、そこに愛しい誰かが横たわっているような顔をしていた。

グレイは困惑しながらモルガンを眺めていた。それにモルガンは静かに微笑んだ。

 

「こちらに、来てくれるか?末の子よ。」

 

その言葉があんまりにも優しい言葉であったものだから。グレイはゆっくりとモルガンに近づいた。

 

「すまないな。私が向かえばよかったのだが。」

「いいえ・・・」

 

グレイは何を話せばいいのかわからずに黙り込んだ。その様子にモルガンが口を開いた。

 

「・・・疑問だろう?」

 

モルガンの言葉にグレイは少し悩んだ後、頷いた。そうだ、疑問というのなら多くあった。なぜ、自分はここに連れてこられたのか。そうして、なぜ、自分は無事にここにいるのか。

なぜ、という疑問は多くあった。

 

「はっはっは。その、こらえるような顔、あの子によく似ているなあ。」

「あの子?」

「・・・・自分が、私の末に当たるのだと知っているのだろう。」

 

それにグレイはモルガンが自分を生かした意味を理解した。

血縁、遠い昔、愛した誰かの忘れ形見。彼女は、それを手ひどく扱えなかったのだろう。

グレイはそれで自分の命が助かったことに安堵し、それと同時に、また、誰かの面影を、己の中に違う誰かを求められる不安感に顔をしかめた。

それにモルガンは済まなさそうに目を伏せた。

 

「・・・お前の過去は、知っている。グレイ。」

「え?」

 

モルガンはそう言ってグレイに向き直り、そうして、頭を下げた。ドレスの裾をつまみ、目が覚めるほどに優雅に礼をした。

グレイは、今まで散々に見た、モルガンの狂気を思い出してそれに見とれた。

そこにいたのは、輝くばかり、遠き過去でどんな騎士でさえも忠誠を願い出るほどの貴婦人だった。

 

「私の、最後の仕事がお前にとってむごい結果になり得てしまったことを謝罪する。力を前にして、奇跡を目の前にした人間の愚かさを、私は知っていたというのに。」

 

その礼にグレイは固まり、そうして、慌ててモルガンを止めた。

グレイの村では確かにアーサー王を信奉していたが、村の始まりである人間はモルガンの直系だ。

グレイにとって、彼女は偉大なる魔女として語り継がれている。そんな存在に頭を下げられる現状はひどく気まずい。

 

「その、知ったというのは?」

「・・・あれは、そうだ。アッド、と呼んでいるようだが、あれを作ったのは私だ。やりようはいくらでもある。本当に、すまないことをした。」

「いいえ、そんな。あなたが、悪いわけでは。」

「・・・そうであるとしても、だ。どんなことにも責は行ったものにはあるのだ。良くも悪くもな。私は力を持つものだ。ならば、よけいにその自覚を持たなくてはいけない。」

 

モルガンは苦い後悔を口にするように首を振った。

 

「私は、どうなるのですか?」

「・・・・不自由のない生活を約束しよう。」

「いいえ!返してください!私はマスターの元で、やらなくちゃいけないことがあるんです!」

「お前の望む師匠や、他の人間はなんとかしよう。」

「そういうことでは!」

「・・・・お前の目は、本当にあの子にそっくりだ。」

 

グレイの言葉を無視して、モルガンは彼女の瞳をのぞき込んだ。そこにあるのは、懐古だ。

 

「ラグネルとローアルはこの地を去った。私は、それを止めなかった。だが、あの子達はこうやって帰ってきたのだ。」

「私は!」

 

グレイは必死に言いつのろうとした。けれど、それよりも先にモルガンはグレイを抱きしめた。

華奢で、細い、母と言うにはあまりにも少女染みた体で、それはグレイを抱きしめた。なのに、その力はひどく強い。

 

「頼む、どこにもいかないでくれ・・・・!」

 

縋るようなその言葉は、歴史のどこかで語られる、破滅の女の面影などとんと存在しなかった。

 

 

 

自己紹介の後、マーリンはそのままそそくさと姿を消した。曰く、別にやることがあると言っていた。そうして、後を託されたのはオベロンであり、彼はまた、ここにいるやつら全員死なねえかなあという顔で道案内を始めた。

 

「オベロン、マーリンに関わるなんてどうかしたの?」

「関係ないだろ。」

 

オベロンは心の底から不機嫌そうに吐き捨てた。それに立香は黙り込んだ。目の前の彼は相当にマーリンを嫌っている。ならば、別次元の存在であるとはいえマーリンと関わるなんて考えられなかった。

 

「さあね。ただ、今度こそこの島を滅ぼせるなら気分が良いと思ってね。」

 

立香はそれを本音であるとは思わなかった。彼が素直にそれを白状するとは思わなかった。

けれど、深入りをしてもへそを曲げるとわかっていたので納得した振りをした。

 

「おかげであの女には散々にこき使われたけどね。これから行く楔の場所も、全部、俺がわざわざ調べて回ったんだからな?」

「・・・君、異分帯での仕事と変わらないことしてるんだね。」

 

それにオベロンはぎろりと立香を睨んだ。立香は地雷を踏んだかと思ったが、オベロンははあとため息を吐いてしっしと立香を追い払った。

 

「ともかく、君はあの、無粋な太陽野郎のところで休んでなよ。ランスロットとモードレッドが帰ってくるまでの時間なんだから。」

 

それに立香は頷いた。

どうも、この裏の世界にも楔は存在しており、それを壊すことを最優先にすることになった。そうして、オベロンはその案内役であり、現在、ランスロットとモードレッドは見回りに行っていた。

その間に、立香は休むために一人でたき火の番をしているロットの元に向かった。

裏の世界は、以前と打って変わり、真っ暗で、ずっと夜が続いていた。

そこは寒く、そうして、暗い。

ロットはぼんやりとたき火を眺めていた。

 

「・・・・オベロン殿は?」

「一人にさせろって。」

「そうか、後で礼を言わなくてはな。」

 

立香はなんとなくオベロンが一番嫌がりそうだなあとロットの返答に苦笑した。そうして、改めて黙り込んでしまったロットを見た。

この世界に来てから、塞ぎ込んでいるのか、黙り込んでしまったロットに触れるものはいなかった。

元より、ランスロットもモードレッドも彼にどう踏み込めば良いのかわからない様子だった。マーリンは早々に別行動し、オベロンも彼が気になるようであったが、関わる気は無いようだった。

立香はロットに声をかけようとした。けれど、なんと声をかけるべきか悩んだ。

そんな立香の様子を察したのか、ロットは口を開いた。

 

「・・・俺の行動が疑問か?」

 

それに立香は少しだけ動揺した後、頷いた。

 

「そうか、素直だな。そうだな、疑問だろうな。ただ、俺は王なんだ。ならば、国が間違った方向に行くというのなら、それは俺が止めるべき物だ。民を導くこと、彼らが幸せであること、俺はそれの責を取らなくちゃいけない。」

「・・・・奥さんを殺してまで?」

 

立香のそれにロットは怒らなかった。ただ、淡い微笑みを浮かべて立香を見ていた。ぱちぱちと、焚き火の音がした。

立香はじっとロットを見返した。二つの、色の違う瞳。

一つは、新緑の。もう一つは、深い、空のような海のような蒼。まるで自分の心をのぞき込まれているかのように恐ろしくなった。

けれどと、立香は思う。

少しの間だけ、旅をした。彼と共に過ごした。それでも疑問だった。ロットは、優しい人だった。

歪なあり方をした村に痛みを覚えていた。モルガンを殺すと言ったとき、ロットは叫ぶことも、怒ることも、悲しむこともなかった。ただ、ただ、淡々と必死に言葉を放っているように見えたものだから。

 

「あなたは、本当にこの国を滅ぼしたいの?」

 

口から零れたそれにロットは笑みを深くした。そこに、やっぱり怒りはなかった。

 

「どうしてそう思う?」

「この世界を止めなくちゃいけない。でも、あなたが大事な人を殺してまで止めさせたくないと、俺は思う。何か、違う方法を。」

「なあ、立香。お前さんはグレイのこと、心配じゃないのか?」

 

突然の方向転換に立香は戸惑った。それにロットは言葉を続けた。

 

「あれは情の深い女だ。己の孫の直系を殺すことは早々できんだろう。ただ、あれはそれと同時に、非情で賢しき女王でもある。己の国のためならば、早々の非道をなすだろう。それで、どうして安心できる?」

「だから、間に合うように助けに行く。俺は、今できることをするだけだ。」

「・・・良い返事だ。そうだ、何もかもを手に入れることは出来ないだろう。俺はな、彼女にもう、恨んで欲しくないんだよ。」

この世界を、あの女は愛していたものだから。

 

ロットは物思いに耽るように目を閉じた。

 

「・・・・情の深い人だった。誰よりも愛情深くて、だからこそ、この世界は残酷なまでに彼女の心をひしゃげさせた。何もかもを亡くして、それでもここまでの強攻策に踏み切ったってことは。きっと、もう、全てが終らないと止まれないんだろう。なら、それは俺の役目のはずだ。だから、立香、言っただろう。この世界が終ることに責任を持たなくていいんだ。」

 

それに立香は黙り込んだ。ロットの言い分もわかった。けれど、そのために行動している自分は、明日を生きるために自分は、ここにあるものを否定するというのなら、それは。

 

(何よりも、俺の・・・・)

 

そこでロットは呆れた顔をした。そうして、立香の頭を乱雑に掴んで自分のほうに顔を向けさせた。

 

「うーん、あれだな。こう言えばいいのか?」

うぬぼれるな、小童が。己一人でその罪を背負うなどと、大それたことを考えるな。

 

冷たい言葉であったけれど、その優しい声音に立香は驚いた顔をした。

 

「いや、まあ、だってなあ。生き残るために多くを滅ぼした。それに罪はあるかって。そりゃあ、ないだろう。何かを殺して、滅ぼして。その上に立つということが罪ならば、人類はとうに罰せられて滅ぼされてなくちゃいけない。」

「それでも、生き残るために獣の肉を喰らった存在に、罪はないの?」

 

皮肉のような混ぜっ返しにロットはひねたことだと苦笑した。

 

「そうか、なら。お前の人種、国は、ただの一度も何かを殺すこともなく、何かを滅ぼすこともなく、何かと争うことはなかったのか?」

「・・・ある。」

 

立香の国は世界でも相当に平和な国だ。けれど、自分が知らない世代であるとは言え、散々に戦争をしてきた。それぐらいは知っている。

 

「それと一緒だ。産まれてきたその時点で、俺たちは何かの争いと滅びの上に立っている。」

 

ロットはそう言った後、木を炎の中に放り込んだ。

 

「お前さんがそれを罪だとか、してはいないことだとか、罪悪感に浸るのは気持ちとしてわからなくもないがな。だが、生き残りたいという闘争をお前がしたというならば、それはお前だけの罪ではない。」

 

生きたかった、明日を見たかった、前に進みたかった。そのために殺し、滅ぼしたというならば、自分、もしくは誰かに生きて欲しいと思った数多のものがその罪過を背負わなくてはいけない。

それはそうだろう。だって、何かの滅びの上に栄華を享受するのなら、その対価は払われなくてはいけない。

ロットは、立香と、少年の名前を呼んだ。

 

お前は選ぶことの出来る人間だった。お前は戦うことの出来る人間だった。そうだ、だがな、選ぶことの出来る人間の犯した罪は、選ぶことの出来ない、放棄した人間も背負わなくてはいけない。それは、弱者が選ばなかったことへの負うべき業でもある。

誰かに背負わされたと、それはそうだろう。でもな、酷い扱いを受ければ自分は選べなかったとして、そのくせ、繁栄すれば喜んで平伏するのは都合が良すぎる。

誰だって、どんな小さな事でも選択を行い、そうして、その業を、対価を受け取っているのだ。

あの日、アーサー王というそれを王として、そうして、滅んだ国のように。

 

「まあ、お前さんの気持ちもわからなくはない。お前さんもしょせんは望んでここにたどり着いたのではなくて、ここまでいつの間にか来てしまった側の人間だからな。それでも、お前は、その罪を一人で背負ってはいけない。その業を己だけのものだと自惚れていけない。たった一人の救世主によって救われる程度の命ならば、最初から心も、意思も、祈りもいらないだろう。なら、正しくて強い人間以外が必死に叫んだ願いは石ころのように無意味だったと定義することと同じじゃないのか?」

 

立香は黙り込んだ。それは、きっと、優しい言葉なのだ。立香の責を、今まで散々に滅ぼしてきた何かへの罪悪感を赦せと、放り出せといっているようなものだ。

けれど、立香は首を振る。

 

「それでも、これは背負っていきたいんだ。これは、これは、それでも、託された物も放り投げてしまうから。」

 

掠れた声で、まるで、泣いてしまいそうなほどに。そうして、崩れ落ちてしまいそうなほどに、何か、立香の中で渦巻いていた。

その様子に、ロットは少しだけ黙った後、立香の顔を両手で包んだ。そうして、まるで子犬に触れるように乱雑に撫でた。

 

「ならこれだけは、覚えておいてくれ。なあ、少年。それならば、その業を一人で背負おうとしないでくれ。今まで生きた、生きたいと想った誰かを部外者にしないでやってくれ。」

誰かの幸せを願った、明日を生きたいと、ここではないどこかに行きたいと、戦いたかった誰かの心を無碍にしないでくれ。

 

その声はひどく優しかった。立香は、その時、普段自分の中で押さえつけられている何かが外れてしまうような気がした。

だって、そうだろう。

立香に、その重みを下ろせというものはいた。忘れて良いと言った。放棄して良いと言った。

けれど、その業をお前だけの物にするなと叱ってくれた者はいなかった。

 

「藤丸立香。滅ぼした世界の上にお前一人が立っているなどと愚かなことを考えるな。今まで滅ぼした世界は、お前さんの生きた世界の人々が背負うものでもある。それは押しつけではない、それは逃避ではない。お前が生かした世界、お前が生きた世界が確かに明日を願った証だ。」

 

だからと、ロットは笑った。無理をしているわけでもない、同情しているわけでもない。その笑みは、ただ、いつかに、どこかで、人生を生ききった先輩からの祝福だった。

 

「ありがとう、最後のマスター。その罪は俺のものでもある。明日もまた、愛した誰かが生きて欲しいと思った願いが叶った証だ。生きてくれてありがとう。生きようとあがいてくれてありがとう。どうか、いつか、お前を愛した世界を忘れないでやってくれ。」

ありがとう、藤丸立香。

開き直れとは言わない、正しかったと叫べとは言わない。君ではなくとも、たどり着けたのかもしれない。それでも、君によって救われ、そうして、君によって祝福された命を忘れることなく。

その業を背負い続けてもいい、痛みこそが救いになるときもある。

その罪を全て忘れて逃避してもいい、拒否こそが何よりも傷を癒やすこともある。

でもな、藤丸立香。覚えておいてくれ。

 

「どうか、少年。幸せになってくれ。」

 

それに、立香はなんだか、なんて答えれば良いのかわからなかった。

だって、その人は、それを罪だと立香に示すのではなくて、逃げようと逃避させるのはなくて、終るといいと終焉を差し出すこともなく。

共犯者、それは一番近いのかもしれない。けれど、それは、巌窟王の言葉とは、種類の違うもので。

 

「どうして、そんなことを言うんですか?」

「・・・いいや。ただ、そうだな。俺たちは、昔、当たり前のように生き残るために何かを殺していた。それは間違いだったか?そうして、例えば、お前さんの立場に立った違う誰かに、お前はそれはお前だけの罪だというのか?」

「そんなことは!」

「そうだ、それならば、その下に踏みしめた死体は、その上に立つ全てが背負わなくちゃいけない。お前達の世界に、英雄はもういないんだろう?」

 

ロットは嬉しそうに笑った。

 

「いいよな、俺も全部知ってるわけじゃないんだけどな。でも、たった一個人に全部を押しつけるんじゃなくてな。それでいいのかって、みんなとは行かないが、多くを集めて考えて、進んでいくんだろう。俺は、それが嬉しいんだ。」

「どうして?」

 

それにロットは立香を見つめた。

 

「・・・昔、全てを背負って、自ら贄になると決めた子どもを知っている。俺は、それを助けることも出来なかった。何もしてやれなかった。俺は、俺で手一杯だった。正直言うとな、お前さんのことは、ヴィーに聞いててな。だから、言ってやりたかったんだ。一人で、大罪人みたいな顔でして欲しくなかったんだ。」

 

ロットは改めて立香を見た。彼は、それに嬉しそうに微笑んだ。

 

「誰もが誰かの死体の上に立っている。だから、それをお前だけの罪とはしないでくれ。一人で背負わなくなりゃ、つらさが減るとは言わない。でもな、お前の願いは、最後まで、死ぬまでは必死こいて走ることなんだろう?」

「うん・・・」

「なら、へこたれそうなとき、誰かが隣にいたのなら少しは慰めにはなるだろう。だから、言ってやりたかったんだ。一人で背負い込むのは、少しばかり傲慢だってな。」

 

立香はロットを見た。優しい人だと思った。けれど、立香は彼に何と言っていいのかわからなかった。ただ、一つ思ったのだ。

微笑んだ、その笑みは、どこか自分に似ている気がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誰もがきっと口を噤み

お待たせしました。
投稿、頑張ります。

また、感想いただけましたら嬉しいです。


 

 

夢を見ているのだと思った。

ふわりとした浮遊感。うつらうつらと、布団の中でぼんやりと意識を起き上がらせる感覚。

気づけば、藤丸立香はどこか、城の中にいた。美しい、城の中にいた。

はて、自分が一体どこにいるのか?

そんなことを考えていたとき、そっと、己の肩に誰かが手を置いた。

 

「・・・見てごらん。」

 

白く、そうして、たおやかな手がそれを指さしていた。

ああ、女のマーリンだと気づいた。立香はそれに指で指し示された方を見た。そこには、二人の姿があった。

白銀の騎士と、そうして、美しい姫。二人は、まるで隠れるように、密やかに、何かを話していた。

その、男の方には覚えがあった。ああ。そうだ。

それは、最強の騎士で、けれど、たった一人の女のために罪を犯した男で。

 

(なら、あの、綺麗な人が。)

 

あの騎士達の物語を全て、終らせた姫君。

 

「・・・悲しい話だ。誰も、きっと、悪くはなかった。いや、笑えるまでの悲劇だね。」

「マーリンが原因じゃないの?」

 

何気ないような声音で立香がそう言えば、彼女はゆっくりと目を細めた。いつの間にか隣立っていた女はまるで人間のように微笑んだ。

 

「まさか。そんな干渉など、人のようなことをするはずがない。」

 

人のように、いつものように、微笑んでいるのに。

それは、どこか、夢うつつの中でぼんやりとした思考の中で。まるで、それは水面に映る虚像のように空々しい。

 

「何をしようと、人の始めた物語も、願いも、いつかは終る。なら、それに何かをして、意味があるのかい?結末が変わらないというのなら、それに干渉する事以上の無意味さはないはずだ。」

 

ほら、とまた声がした。指し示された先に目を向けた。そこには、男がいた。

あの、美しい城。獅子王の白亜の城にいた、しかめっ面の文官。

静かで、けれど、燃えるような目をした男。

彼はその幸福そうな、一時の逢瀬を見ていた。そこには不思議と、憎しみだとか、怒りだとかはなくて、ただ、ただ、静かな瞳をしていた。

立香は、何故か、その目から何か、雫が流れ出ているような錯覚を思った。

けして、あり得ないはずなのに。なのに、そんなことを思ってしまって。

 

「これは、遠い昔の記憶だ。彼がいくども見る夢。彼が幾度も後悔を重ねる記録のそれ。」

 

また、場面が変わる。水面が揺れるように、ゆらりと消えて、今度は彼が王妃を糾弾するそれ。

怒りを叫び、否定し、燃えるような目で女を見ていた。

そうして、そうして、あの、悲劇の象徴の、最後に、それは変わって。

 

「彼は冷徹だった。彼は、冷静だった。彼は、彼は、誰よりも己を律していた。けれど、それは一つの怒りで崩壊する。いやはや、人間とは愚かなことだ。禁忌だと知るというのに、それを止められない。不合理な心に振り回される。」

 

まるで波紋が広がるようにそれはぼやけて消えていく。

立香はちらりと、女を見た。彼女は淡く微笑んで、そうして立香に言った。

 

「アグラヴェインという男を、君はどう思う?」

「・・・俺は、殆どあまり関わりは無かったけれど。」

 

ただ、優しい人だと、皆が言った。堅物で、真面目で、それでも彼の兄弟はアグラヴェインという男を優しいと言った。

優しく、堅物で、そうして、誰よりも潔癖であったのだと、そう言った。

それに彼女は頷いた。

 

「なら、彼は、あの光景を見て、なにを思ったんだろうね。」

 

努めて穏やかな声音のそれに立香はずっと思っていた言葉を口にした。

 

「あなたは、誰?」

 

当たり前のように綴られたそれに、それはにこやかに答えた。

ずっと、思っていた。それが違ういつかのマーリンであるとして。けれど、立香はそれが本当にマーリンなのか疑問であった。

彼女は、いや、それは、どこまでも何もかもに興味が無いように見えた。

 

「さあ?君達はいつだって見えているものを真実にするのだろう。なら、私は、君が見ているままの存在だ。」

「それは、マーリンじゃないってこと?」

「君が、そう思うなら。」

「あなたはいつも、俺にヒントはくれるけれど。どうして、事実を指し示そうとしないの?」

 

それに女は笑みを深くした。それは楽しそうに見えるのに、やはり、仮面のように見えた。

 

「夢とは、見せるだけだ。それをどう解釈するのか。人に委ねられている。」

「あなたは、夢なの?」

 

立香はずっと疑問に思っていたことを口にした。女は朗らかに笑い声を上げた。

 

「だから、見ているままなのさ。でも、違う姿を夢見たいというのなら。それもいいかもしれないね。さあ、藤丸立香、今度は彼の夢を覚めさせてあげるといい。」

君は気づいているだろう。

彼は確かに怒っていた。

彼は確かに憎んでいた。

けれど、それだけではけしてなかった。

 

「さあ、夢から覚める時間だ。」

 

 

 

「さあ、ここだ。」

 

その場にいた、全員が見つめた先にはやはり白い教会が建っていた。

オベロン・ヴォーティガーンに連れられてやってきたそこにガレスの時と同じように教会があった。

 

「アギーはここにいるのか。」

「そうだ。ここが終れば、等々、城に突入することになる。」

「え、このまま?」

「そうだ。今は、あのくそ夢魔がいろいろとお前達のことを隠しているが。ただ、時間は少ない。聖杯の欠片についてすぐに回収して、城に急ぐんだ。安心しろよ、感動の再会はすぐそこだ。」

「すまない、ガへリスは、どこに。」

 

オベロンのそれに、ロットはそう言うと彼は憎々しげに返事をした。

 

「・・・くそ夢魔曰く、彼はこちら側だそうだよ。何か仕事を頼んでいるとは聞いている。」

「そうか。」

「それじゃあ、こっちはこっちで別の仕事があるんでね。さっさと退場させてもらう。」

「オベロン殿。」

「あ?」

「礼を言う。」

 

にっこりと微笑んで、ロットはそう言った。そうして、そのまま教会に向かう。それにランスロットとモードレッドが続いた。立香は思いとどまるようにオベロンに振り返った。

 

「オベロン。」

「なんだい?」

「ここでお別れ?」

 

何気ない風に立香は言った。それにオベロンは顔をしかめた。

 

「当たり前だろ。こっちは無理矢理連れてこられて、そのままなんだからな?やれって言われたことの準備があるんでね。そっちに回らせて貰う。」

「あ、やっぱりそうなんだ。」

「大体、あんなくそ野郎に従ってられるか!」

「でも、協力はしてるんだね。」

 

立香は何気なくそう言った。それにオベロンは顔をしかめた。

ずっと、疑問であった。オベロンというそれのことを、これでも立香はある程度は知っていると思っていた。

彼の性格ならば、マーリンの言葉なんて絶対に聞くはずがないのに。

 

「・・・さあ。ただ、今度こそ、この島を滅ぼせると思うと嬉しくてたまらなくてね。」

 

それは彼らしい言葉のようだった。彼らしく、なにもかもへの嫌悪が見て取れた。

立香は聞こうと思っていたことがあったが、それは胸の内に止めておくことにして、三人の後を追おうとした。

 

「おい。」

「なに?」

「・・・・あの男はさいっこうの王だ。ああ、私慾もなく、ただ、他人のためだけに生きてる。いや、結構だ。お前がなにも言わなくても、尻の一つでも蹴り飛ばさなくてもいいだろうさ。このままなら、ハッピーエンド。」

いや、まさしく、王子と姫君の再会が叶うだろう。

 

立香は驚いて目を見開いた。

 

「俺の言いたいこと、わかるだろ?」

「・・・うん。わかったよ。」

 

立香はそれに頷いて、三人の方に走っていく。その後ろ姿を見つつ、オベロンはあーあとため息を吐いた。

 

(きっしょくわるいことしたな・・・・)

 

オベロンはため息を吐いた。自分でもあまりにらしくないことは理解している。

彼の脳裏には、昨夜のことが思い浮かんだ。

 

 

「・・・お優しいことで?」

「ああ、ええっと、オベロン殿か。」

 

オベロンはその男のことが気にくわなかった。いいや、当たり前か。

正しさのために行動する男。己のことよりも誰かを行動指針とする王様。

愛しい姫君よりも、立場を選んだ王子様。

ああ、全てが気に入らないじゃないか。

遠くで輝く星に会えるのに、彼はそれを拒絶した。ああ、ああ、本当に、気に入らない。

藤丸立香への言葉もまた鼻についた。

皮肉を当てるようにそう言った。彼は穏やかに微笑んだ。男は、いつだって穏やかに微笑んでいる。

 

「いや、世界なんて大層なものを背負わされて、必死に息を切らす子どもに対してお優しい言葉をかけられるねえ。反吐が出る。」

 

真顔の彼のそれに、ロットはそっと目を伏せた。

 

「ああ、だが、彼はそれでも生きたいのだろう。」

「死者は気楽だ。生者の尻を叩くだけですむんだからな。あんたのそれはなかなかに生臭いの叱咤激励だ。所詮、客席からの野次でしかない。」

 

それに対してロットはそっと、上着を掛けてやった子どもを見た。そうして、その頬を撫でた。

眠りに落ちるそれに、彼はどこかで、いつかに見た子どもたちの姿を幻視していた。

 

「ああ、だが。それでも、野次でさえも時には走る力になる。オベロン殿。きっと、この子どもは走るのを止めないぞ。」

 

-たとえ、それがどれほどまでに哀れでも、死者がそれに口を出すものではない。彼が、どれほど哀れでも、どれほど、愛おしくとも-

 

透けて見えた本音。

淡く微笑んだその顔は、静かなものだった。それはオベロンの心を逆なでした。その顔は、まるで、まるで、オベロンのことを心底優しい者だと思っているかのような顔だった。

ふざけるな、そんなものではない。

己のこれは、優しさなどと表現されて良い物ではない、そんなもので表現することを赦すことはない。

嵐の中で、ただ、輝く星。

届くことはない、果ての星。

それはそんな星への祈りならば。願いならば。

そんな言葉で終らせるようなものではないのだ。

 

「・・・お前、何がしたいの?」

「なに、がとは?」

 

人のよさそうな顔だ。カルデアで見た、よく似た騎士を思い出した。それに比べて、その男は、まるで、全てを見透かすような瞳をしていた。

話したことはあまりない。それこそ、マーリンを偽って指示を出した程度で、ヴィヴィアンとの会話が挟まれば、その会話はあまりなかった。

改めて、その男と対峙をした。

 

「だって、そうだろ。愛した女が願う救いをぶち壊して、そうして、民の願いまで踏みにじって?そんなに正しくあってどうすんの?」

「そうだな。」

 

見てやろうと思った。男の曖昧な、その本音を。呆れた野郎と思った、それでも、愛した女の願いではなくて、それでも夢を壊すその男のことを。

なのに。

 

「俺は王でなければならない。そう願われた。そう、あれと思われた。そうであるのなら、そう願われるというのなら。俺はそうでなくてはいけない。俺は、優しい女王の夫だから。だから、彼女を止めなくては。」

 

オベロンは固まった。ああ、だって、そうだろう。

その男の言葉から見た、真実。その男の本音。

目を見開いた、オベロンは思わず、叫んでいた。

 

「よーくわかった。お前は、どんな奴なのか。」

ああ、なんてことだろうか。この、この、己の役割を遂行すると、そんな聖人じみた顔をして。

 

「お前みたいな、かっこつけ、見たことがないよ。」

 

オベロンはそう言って、呆れたように肩をすくめた。

 

 

 

グレイはその時、いつものように城のある道を歩いていた。自分が城にやってきた数日ほど時間が経った。

 

(・・・この城は外や夢の中に比べて時間の流れがずれていると言っていたけれど。)

 

グレイはまったくと言っていいほどに城からの脱出が叶っていないことにため息を吐いた。

城での生活は快適だった。

食事は三食きちんと出されていたし、ダイルという男は頻繁にグレイの元を訪れた。彼はにこやかにグレイに話しかけた。

それが、重苦しい。大事にされればされるほどに、彼らが自分に、違う誰かのことを見ているようで。

それが、彼女にとって故郷のことを思い出させて。

グレイは広い城の中を歩いた。

 

(綺麗な、ところ。)

 

夜の城は、ひどく美しかった。全てが眠りについているように静かで、けれど、月光に照らされて白亜の城のようにさえ見えた。常夜の城は、美しいけれど、ひどく寂しかった。

人の気配はない。グレイは、ダイルにほかに人がいないのかと聞いたこともあった。

彼はどこか、寂しそうに言った。

 

「眠っているのです。皆。」

 

かつん、と。足音を立てた。いつの間にか、グレイは城の入り口にやってきていた。石造りの扉はぴたりと閉じられていて、グレイの力では開けることは出来ない。

 

(・・・・ここ以外からは出られそうにない。)

 

城の、例えば窓から出ようとしても、いつの間にか中に戻っている。ダイルも、そうして、モルガンもグレイのそれに怒らなかった。

モルガンは時折、グレイと話すことを望んだ。拒否できるはずもなく、それに応じた。

彼女はよく話をしていた。

それは、例えば、昔の話がほとんどで。

息子のこと、国のこと、争いの話し、魔術の話。そうして、彼女の夫のこと。

それをグレイはどうすればいいのかわからない。

ただ、彼女の話を聞く。

 

(師匠がいれば、もっと、何かが出来たのに。)

 

なぜ、ここにいるのが自分なのだろうか。グレイはそっと、己の腰に目を向けた。そこに下げられた相棒は今はうんともすんとも言わない。

モルガンはグレイが城の中を好きに動き回ることを赦したが、彼女が武器を持つことだけは赦さなかった。ただ、昔からの付き合いであることを訴えれば、魔術礼装として使用は出来なくしたが、持ち歩くことは赦された。

ああ、アッドが、いいや、宝具さえ、使えれば。この扉を破ることが出来るのに。

グレイはぼんやりと、月光のさす城を見た。

綺麗だと思った。やっぱり、そこは、綺麗で。王座を思い出す。月光のさす、寂しい、女王の座る王座のことを。

グレイはこれ以上に美しいものを見たことが無いと思ってしまった。

一人、月光の刺す王座に座る女王は、なによりも美しくて。

 

「・・・行こう。」

 

グレイは目的の場所に行くために足を進めた。

 

 

グレイは城の奥、人気の無い、闇の濃い部分に足を進めた。暗いところは苦手だ。死んだ者たちがそこにうごめいている気がする。

けれど、グレイが向かう場所は幸いなことにそんなものはいない。

木製の扉にたどり着いた。グレイはそこを開ける。

 

「・・・・こんばんは。」

「また、来たのですか。」

 

疲れ切った声が、暗がりからした。グレイは持っていたカンテラの光をそっと掲げた。それによって、ようやく部屋の中が見渡せるようになる。

部屋は、簡素なものだ。机と、そうして窓。大きさだけはあるベッドが置かれている。その、ベッドの上、そこには何かが横たわっていた。

太い、爬虫類の尻尾がばたりと壁に当たった音がした。

 

「はい、バーサ-カーさん。」

 

カンテラの光の先、そこには、鱗の生えた肌に、縦に伸びた瞳孔、そうして、竜の羽と尻尾をしたグレイのよく知るブリテンの王の姿があった。

彼女はグレイの訪問になんとも言えない顔をした。

 

 

簡素なベッドの上、それは面倒そうに起き上がり、グレイに向き直った。グレイはそれに近くに置いてあった椅子に座った。

 

「・・・女王から私と会うことは禁じられているのではないのか?」

「私がどうしてもといって・・・・」

 

誤魔化すようにそう言われて目の前のそれは黙り込んだ。女王がそう言うのならば、自分にはどうしようもないかとため息を吐いた。

そうしてバーサ-カーは、そう呼ぶように言われた、グレイに向き直った。

 

「今日も、許可を取りに来たのか?」

「・・・はい。」

 

それにバーサ-カーは呆れたようにため息を吐いた。

 

グレイが彼女の元に通っているのは、己の宝具を使えるようにするためだった。

グレイの宝具は今のところ、モルガンによって封じられているが、元々はそれは目の前の彼女のものだった。

彼女が承認をしてくれればそれでよかった。だが、モルガン側であるバーサーカーがそんなことを許可するわけがない。

 

「わかって、います。」

 

バーサーカーはせめてものグレイの抵抗であることも理解してため息を吐いた。そうして、痛みをこらえるようにうなった。

 

「ある・・・・」

「違う!」

 

バーサーカーは目の前の少女を見た。己によく似ている、そうだ、うり二つの顔立ち。けれど、グレイはその顔立ちを恐ろしいとは思わなかった。

鱗に覆われ、角が生え、ドラゴンになりかけたその存在が己と同じ形であると、認識が出来ていなかった。

思わず呼びかけた、その名前を彼女は拒否した。

ぜえぜえと息を荒くするそれは口を開いた。

 

「・・・今日も、話してくれるか?」

「わかりました。」

 

グレイは口を開けば、とつとつと話し始める。彼女が生活していた、ロンドンでの話を聞いて、バーサーカーはまぶたを閉じた。

 

 

 

かつかつと、またグレイは城の通路を歩いた。

立香たちを探すために、モルガン達は四六時中グレイの近くにいるわけではない。

ふと、立ち止まった。窓から刺す月光のせいか、微かに誰かがそこに立っているのが見えた。

 

「・・・今日も、だめだったか。」

「はい。」

 

グレイは目を伏せ、そうして、申し訳なさそうに言った。

 

微かに照らされたそれは、顔立ちはよくわからない。ただ、月色の髪をしているのだけはわかった。

 

「あなたは、拙になにをさせたいのですか?」

 

その男はグレイをバーサーカーの元まで導いた存在だった。

グレイが城に来てすぐ、彼は彼女が一人になると同時に姿を現した。彼は、自分がヴィーの味方であると言った。

彼は、まるで、ヴェールを纏うように顔がよく見えない。

 

「私は、しがないアサシンだ。ひどく、恥じ入るような物語しか持たぬ身だ。ただ、これだけはと、その恥を知りながら君の前に立っている。」

 

城の奥、それこそ、暗闇の中に彼女はいた。アサシンは悲しそうな顔をしていた。

グレイはそれに警戒をした。彼が例え、グレイの味方であるとして、そんなにも堂々と行動できるのかと。

それにアサシンは淡々と答えた。曰く、彼は姿を隠すことが得意らしい。モルガンやラモラックから姿を隠すことは、特に。

 

「あの方は、多くの後悔を抱えている。壊してしまったこと、亡くしてしまったこと、それら全ての責として、あの人は、王ではなく、守護をする竜であることを望んだ。王権は、女王に渡して。」

この島は、夜に浸っている。

それは、夜明けの約束を持たぬ夜であり、光の希望を忘れた闇の中で、皆が夢を見ている。

 

アサシンはそう言って目を伏せた。

グレイはアサシンの言葉に従った。信じていいかわからなかったが、それでも、今は信じるしかなかった。

 

「・・・・あなたに会ったときに伝えたとおりだ。この、島の、現実として貼り付けられた、人々の共通意識を引っぺがすためには、君の宝具が必要だ。この城に入り込んだことは幸運だった。この城こそ、夢をうつつに止めるための楔なのだから。あるいは、全て、手のひらの上なのかもしれないが。」

「あなたは、誰ですか?」

 

グレイの言葉に、アサシンは目を伏せた。

 

「君に、名乗る資格など、私にはない。」

 

彼はそういった。グレイは目の前の無口な人に何を言えばいいのかわからずに口を噤んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ねえ、お父さん


お待たせしました。今年中の完結を目指します。
アグラヴェインノ話です。

感想いただけましたら嬉しいです。


 

変わることなどなく、己は己のまま、ただ、生涯を終えるのだと思った。

疑問など無かった。

そう願われた、そう望まれた、そう祈られた。託された願いだけが自分の人生などとは考えていなかった。

ならば、それでよかった。

なのに、なのに、なのに、自分は出会ってしまった。出会ったが故に、願いを一つ得てしまった。

 

 

 

 

アグラヴェインという男は、ずっと後悔をしていた。

赦されることではなかった、アグラヴェイン自身がそれをけして赦さなかった。けれど、彼はそれを捨てきれなかった。

ああ、どうして、こうならなかったのだろうかと。

 

ああ、母が泣いている。優しい人だ、賢しい人だ、己の責務に対してずっと真面目すぎる人だった。

母上、今度こそ、今度こそ、私はあなたのために剣を振おう。今度こそ、今度こそ、あなたが泣くことなどないように。

幸せはいりません、赦しなど必要など無いのです。

私は、わたしは、大切にしたかったものを、悉く、己の手からこぼしてしまったのだから。

 

 

 

きいいと教会の扉が、開いた。

中にはまるで檻のように鎖が至る所に張り巡らされていた。そうして、その先には黒い甲冑を纏った男が一人。

まるで、そこに夜が立っているかのような男だった。

「・・・・誰だ。」

 

掠れた声だった。ずっと喋ることを放棄してしまっていたかのように、そんな割れた声だった。

ランスロットや、モードレッドはちらりとロット王と、そうして藤丸立香を見た。

立香はそれにロットを見た。

それにロットは、何か、言いよどむように目を一瞬だけ伏せた。

 

「アギー。」

 

小さな声だった。それは、下手をすれば、風に吹き飛んでいきそうなほどに微かな声だった。

それに、それに、それでも、彼はアグラヴェインは思わずというように、油の刺されていないブリキの人形のような動きで顔を上げた。

昏い、締め切られた教会の中には、やはり、大樹がそびえ立っている。その下に、また、男が一人立っている。

教会の中は、何故か、鎖が張り巡らされている。それは、まるで、牢獄のように重苦しい。

青白い肌の男が、ぎこちない動きで立ち上がった。

ロットはためらいもなく、教会の中に、歩を進めた。

 

立香たちは動かなかった。ロットには事前に頼まれていた。戦う前に、どうか、少しだけ話をさせてくれと。

それに立香は了承した。

 

「父様の姿を見たら、兄様は何もしてこないよ。きっと、父様に対してだけは、僕達、最初から何かをするなんて無理だ。」

 

「少しだけ、話を。俺がどうするのか。そうして、あの子がどうするのか。それを決めないと。」

 

それに立香は頷いた。どんな話をするにしても、彼はそれをよしとした。

ランスロットはそれに思わず固まった。

見たこともない顔をしていた。

ランスロットの記憶にある彼は、いつだって、仏頂面で暗がりの中に佇んでいるような男だった。

けれど、今、その顔。

ロット王の顔を認識したその瞬間、まるで幼い子どものような顔をしていた。

まるで、そうだ。

長い間、遠征に出ていた父を出迎える幼子のような顔。

その感情を、ランスロットには理解が出来ない。

 

(・・・・私は、父を知らないから。)

 

「ち、ちうえ?」

掠れた声と共に鎖が引きずられる、鉄のこすれる音がした。ふらふらと、それは二、三歩ロットに歩み寄った。

それは老人のように立ち上がった。そうして、向かい合う。

見れば、二人が親子であること最初から認識できるものはいないだろう。似ていない、あまりにも、その様相は似ていない。

ただ、柔らかな夜のような髪の色だけが二人の間にある同じものだった。

アグラヴェインはランスロットにも、そうして、弟であるモードレッドのことさえも目に入っていないようだった。

ただ、一心に、彼はその緑の瞳を、そうして、あらわになった青の瞳を見つめていた。

 

「・・・・なぜ、ここに?いいえ、それよりも、母上には、会われましたか?」

 

ロットはそれに一度だけまぶたを閉じた。そうして、思い悩むように息を吐いた。

 

「ああ、会った。」

 

奇妙な気分だった。その声はやはり、何よりも優しかった。それは、それは、あまりにも、アグラヴェインという男にかけるには幼子へのもののように甘い声だった。

 

「迎えに、来られたのですか?それなら、申し訳、ありません。私は、この場を去ることは出来ないのです。私は、私は。」

「アグラヴェイン。」

 

アグラヴェインは叱られることを覚悟するかのように視線をそらして言葉を重ねた。

アグラヴェインはそれに体を震わせた。

目の前の父は、色あせることなく、そこにいた。記憶の中で、幾度も反芻した父。

兄に似ていた。けれど、兄とは違った。

太陽のように、軽やかな空気を纏った兄とは違い、父はひどく静かな目をしていた。

兄が夏の昼間のようならば、父は冬の朝のような人だった。

父は厳しい顔つきで自分を見ていた。それにアグラヴェインは咄嗟に叱られるのだと思った。

だって、そうだろう。

 

アグラヴェインは何も守れなかったのだ。

国も、故郷も、そうして、己が起こした事によってオークニーを継ぐはずだった甥を殺し、末の弟妹達さえも殺したというのならば。

唐突に恐ろしくなった。

 

ああ、叱られてしまう!

アグラヴェインは幼子のように顔を伏せた。目を合わせることが出来なくなってしまった。

だって、だって、叱られてしまう。

何故だ、何故だと、どうして、あんな末路なのだと。

母を一人にし、兄弟達は死に、国は滅び、そうして敵に入れ込んだ己。

それは赦されないだろう。仕方が無い、それは全てアグラヴェインの間違いだ。けれど、今になって恐ろしくなった。

父に、叱られるのが恐ろしいと、そう、思ってしまったのだ。

なのに、なのに、なのに。

アグラヴェインにかけられた言葉は、彼が思う以上に辛いものだった。

 

「アグラヴェイン、お前はこの国の存続を望んでいるか?」

 

何を、言われたのか、理解が出来なかった。

そんなことを言うはずが無いと思った。そんなことを思うはずがないのだと思った。

 

「なにを、言っておられるのですか?」

 

動揺を見せるアグラヴェインにロットはたたみかけるように言った。

 

「俺はこの国を滅ぼすために召喚されたんだ。お前はどうする、アグラヴェイン。」

 

どうする?

そんなことは決まっている。アグラヴェインはこの国を守らなくてはいけない。母の願いを成就させなくてはいけない。

それは、いつかに母を一人にした、父から託されたことを守れなかった、そうして、全てをかけて忠義を誓った王への償いであるのだから。

 

「何故、ですか?」

 

掠れた声で問うた息子にロットは静かな目をして、ゆっくりとその大剣を引き抜いた。それにアグラヴェインは体を震わせた。

そんなことは。あってはならない。

 

優しい父、強き騎士、人を知る人。

そうして、理想の王。

 

「何故ですか!何故、そんなことを言うのですか。」

「間違っているからだ。終るべき世界が続いている。存在してはいけないモノがここにある。進むべきものが立ち止まっている。それは正さなくてはいけない。」

 

剣が、己に向けられる。

それにアグラヴェインは理解した。目の前のその人が本気で自分と剣を交える気であるのだと。

 

「違う!父上が、そんなことを思うはずがない。父上が、この国を裏切るなんてこと、あるはずがない!」

「剣を取りなさい、アグラヴェイン。」

「違う、そんなこと・・・・」

「いいや、アグラヴェイン。俺はもう、選択してしまった。だから、俺とお前は敵になった。」

 

その時だ、アグラヴェインは己に弾丸のように向かってくる存在に気づいた。

じゃらりと、教会に張り巡らされた鎖がそれに襲いかかる。金属の鳴る音がした。

けたたましいそれが、耳朶に叩きつけられる。

見た、アグラヴェインは見たのだ。ようやく、それで理解した。そうして、気づいたのだ。

そこにいる、彼の仇敵、怨敵、きっと、この世の誰よりも恨んでいるだろうそれ。

それはいつかのように、己の剣を振りかぶって。

 

「ランスロットおおおおおお!」

 

怒声と同時に、教会に張り巡らされた鎖がじゃらりと、蛇のようにのたうち回った。それにロットは鎖を弾き飛ばし、そうして、ランスロットの足を掴んで後ろに飛んだ。ランスロットはそのまま床に降り立った。

 

「・・・やっぱし、不意打ちはだめか。」

「い、いいのか?」

「いいさ。こちとら、蛮族狩りに毒やら罠や使えるものは全部使ってきたんだ。これぐらい上等だろう。」

「・・・なつかしいなあ、うち秘伝の落とし穴の作り方。」

 

ロットの言葉にランスロットは困惑したように言った。それに続くようにモードレッドも剣を抜いた。

じゃらじゃらと鎖の音が当たりに響く。

立香はそれにぐっと拳を握った。

護衛はモードレッドを置き、後の二人が主な追撃を担うことになっている。

 

「ランスロット!王妃までもなく、我が父にまで何を吹き込んだ!いつもそうだ、いつも、いつも、いつも、お前は!そうやって、人の祈りを踏みにじる!」

「いくよ!」

 

立香のそれにランスロットとロットが床を踏みしめて、アグラヴェインに向かう。

モードレッドは自分たちを捕らえようとする鎖を弾きとばしながら、立香を抱え上げた。そうして、鎖から逃れるために教会の中を逃げ回る。

 

「これ、なんの宝具!?」

「アギー兄様の宝具で、こういった系統、なかった気がするなあ!?」

 

モードレッドと立香がそう言って逃げ回っている時、ランスロットとロットは殆ど背中合わせで鎖を弾き飛ばしていた。

その光景がアグラヴェインにとって余計に怒りを煽った。

 

何故、お前がそんなにも父と親しく出来るのだ?

お前がその人からどれだけのものを奪ったのか、理解しているのか?

そこにあるのは、兄上であるはずだ。兄上こそが父上と肩を並べるのにふさわしいというのに。

なのに、なのに、何故、そこにいるのがお前なのだ。

 

(何故、私ではないのだ?)

 

怒りが、腹の中でうねった。

思い出す、夢を、思い出す。忘れぬように、その怒りを、覚えているために、アグラヴェインは繰り返し見る夢を思い出した。

 

二人が、笑っている、

美しい女と、精かんな男が笑っている。終わりかけの春のような女と、終わりかけの冬のような男が笑っている。

幸せそうに、静かに、笑っている。

 

それを、私は、ただ、見ていた。

 

「何故、王を裏切った!何故、己のこと一つだけと、身を引くことが出来なかった!」

 

アグラヴェインの言葉にランスロットが苦虫を噛みつぶしたような顔をした。アグラヴェインもまた、槍を手に取り、ランスロットに向かう。

振り切った槍にランスロットは受け流した。

 

「その果てをお前は見ただろう!?私には見ることのなかった、この国で起こった地獄、この、美しい最果ての地を継ぐはずだった兄上のことも、私の可愛い甥たちのことも、全て、全て、奪った!」

 

アグラヴェインに気を取られていたランスロットはそのまま鎖に絡め取られた。それにランスロットは縛り上げられる。

ランスロットの拘束を確認すると、アグラヴェインは次にロットに顔を向けた。アグラヴェインは泣きべそをかく子どものような顔をした。

 

「父上、なぜ、このような裏切り者の肩を持つのです。共に、肩を並べるのですか!?私は、私が、父上から託されたものを守ることが出来なかったからですか!?私がふがいないせいなのですか!?」

 

立香は何か、耳をふさぎたくなった。

その声は、親を求める子の声そのもので。いつかに、例えば、雑踏で聞いた迷子の子どものような声で。

 

「父上、罰ならば受けます。兄を王に出来なかった、後を継ぐべき子どもたちを私は巻き込んだ!だから、だから、父上!」

「アグラヴェイン。それはな、俺たちにとってのこれからへの否定になる。ここは滅びなくちゃいけない。じゃなくちゃ、これからの奴らが全部、なかったことになる。」

「それの何がいけないのですか!?」

 

アグラヴェインはロットにたたみかけるように言った。

それの何がいけないのだ?

 

大事な人たちが生きている。自分たちが幸せならばそれでいい。

それの何がいけないのだろうか?

アグラヴェインは変わることはない。彼は、ずっと、ずっと、オークニーの人々と、大好きな家族と、そうして、ずっと一人で頑張り続ける王様が報われればそれでいい。

 

「いいや。アグラヴェイン。今を見つめて、未来を放棄してはいけない。俺たちは、託されたその分、いつかの先に、誰かに、託さないといけない。」

「嫌だ!嫌だ!私はずっと我慢していた!母上の元に帰りたかった!兄上と、ずっと、オークニーにいられればよかった!報われたかった!なのに、なのに、そこにいる愚か者が、全部、全部、ぶち壊した!」

 

その声には涙が混じっていた。泣きじゃくる、子どもがいた。頑張って、頑張って、頑張って、報われることのなかった子どもがいて。

 

「父上だって、恨んでいるでしょう!?父上だって、怒っているはずだ!」

 

ランスロットは思わずロットを見た。

ああ、だって、そうだろう。ランスロットがあの日、したことはロットにとってどれだけの意味であるのか、わかっている。

亡くしたもの、失わせてしまったもの、今は気のいい男である彼も、きっと自分を恨んでいるのだろうと、そう。

 

「いいや、アギー。俺は、憎んでも、恨んでもいないよ。」

 

その言葉に、アグラヴェインは目を見開き、その瞬間、今まで教会内で暴れていた鎖が一つになり、ロットに向けて叩き込まれた。

 

「ロット殿!」

 

ランスロットを縛っていた鎖さえもロットに迫ったために、彼の拘束は解かれた。ランスロットはその隙に、鎖の束にたいあたりをした。

それが幸いして、ロットへの攻撃は少しだけ軽くなる。けれど、彼は教会の壁に叩きつけられた。

 

「・・・・・もう、いいです。」

 

アグラヴェインの声が鎖のこすれる音に混じって聞こえた。

 

「・・・・父上は、正しい人だから。正しいことを選ぼうとされるから。ですが、本音は違うでしょう?本当は、ちがう。だから、本音は私が聞き出します。安心してください。本音の通り、ちゃんと、母上の元に送り届けて見せますから。その前に。」

 

アグラヴェインの凍えた視線がランスロットに向けられた。

 

「邪魔者を、始末しなくては。」

「くっ!」

 

ランスロットのことを横目にして、立香とモードレッドがロットに駆け寄る。彼はふらふらと立ち上がろうとした。

 

「父様!?」

「ロット王!」

 

ロットはうろんな瞳で鎖を見つめる。

 

「・・・・あれは、あの鎖はダメだな。力の強いものほど縛られる類いのものだ。」

「なら、正攻法じゃ難しいのか。」

 

立香は今はなんとかランスロットにだけ向けられるそれに頭を悩ませた。今はなんとかなっているが、鎖とアグラヴェインの相手はさすがにランスロット一人では難しい。

 

「宝具は!?」

「・・・封じられる、だろうな。」

「令呪をきって・・・・」

「マスター。」

 

ふらふらと立ち上がったロットは立香に視線を向けた。

 

「聖杯の欠片を、俺にくれないか?」

 





Qアグラヴェインが素直すぎでは?
A唯一甘えられた父親の前なので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

剣はその手に

 

 

宝具とは、英雄が行った伝説、辿った物語の結晶である。

それらが振った武器、纏った鎧、なした奇跡、辿った末路。

それらが形をなした、幻想。

 

「が、君にはそれがない。」

「・・・・そうですね。」

 

ロットはそれに目を伏せた。

己は剣を引き抜いた。提示された奇跡を求めたが故の話だ。けれど、情けない話、ロットにはそんなものは存在しない。

彼の人生に冒険はなく、彼の手に奇跡がもたらされたこともない。この目でさえも、これはあくまで奪ったもので己自身のものではないのなら。

 

「君はこれから私になる。いいや、正確には私が君という役を羽織るわけだが。まあ、どちらでもいいか。本来ならば、私の物語を借りればいい。ただ、今回の依頼はあくまでも君が決着をつけることだ。」

「・・・いったいそれは?」

 

ロットはまぶたを閉じたまま、問いかけた。太陽を直視できぬように、ロットは目の前のそれの姿を見ることはない。ただ、その言葉は春の日のように暖かい。

 

「まあ、私はこれでも百芸に通じたものだ。ならば、剣の一つでも作ろうじゃないか。」

「剣?」

「そうだ、剣さ。」

 

 

藤丸立香はロットのそれにためらいもなく、金色の雫を差し出した。それをロットは受け取った。そうして、無骨な大剣を手に取った。

 

「すまない、少しだけ、時間を稼いでくれ。」

「・・・わかった。マスター。ここにいてくれる?」

「わかった。」

 

モードレッドは立ちあがり、ランスロットの援護をするために走り去った。

 

「どうするの?」

 

立香の言葉にロットはじっと金のそれと大剣を見つめた。

 

「剣はあくまで器なんだ。中身を、注がなくちゃいけない。」

「中身?」

「祈りを、込めろと言われた。」

 

ロットは自分に力を貸してくれているルー神の言葉を思い出した。

 

「聖杯のこれは、あくまで潤滑剤だ。これに祈りを込めて、剣に注ぐ。」

 

ロット自身、その言葉の意味を理解していない。ただ、祈れと言われた。そうすれば、ルーでもあるロットならば作ることが出来るのだと。

何を?何を作るのだろうか?

それさえもわからない。ただ、言われた。

 

「本来ならば、これを作るのには、多くの条件が必要になる。例えば、人々の祈りを束ねる収集機。そうして、練り上げるための炉。打ち手は私が務めよう。なに、鍛冶ならば得意だ。安心しなさい。そうして、祈りならば君はその目で多くを見たのだろう。」

ただ、この一時だけのものだ。ならば、偽りであるとしても、君はその剣を手にするだろう。

 

ロットはその雫を大剣に押しつけた。そうすれば、暖かな光が当たりを包む。

 

「祈り、なら、俺は、何を祈るんだ?」

 

ロットがガレスからその雫を受け取って、何もしなかったのは、彼にはそれがなかったためだ。

祈りを込めろと言われた。ロットという人間が世界になにを思うのかを。

けれど、ロットはそれにどうすればいいのか、わからなかった。

祈り、祈り、祈り。

けれど、ロットにはそれがないのだ。

 

周りの王達が冒険を求めた。けれど、ロットは旅に出ることはなかった。それは王という役割の放棄であったし、外交に有利なこと以外に名誉に興味は無かった。

 

遠くに聞こえた賢者の話なんてどこまでも寝物語にしか過ぎなかった。彼の知る魔術とは、その日その日の天気や漁の出来を知るもので、奇跡をもたらすものではなかった。

 

妖精達の存在は確かにあった。けれど、それはあくまでも森との付き合いかたで、人でない存在はどこまでも彼にとっては遠かった。

 

己の瞳を、まぶたの上から撫でた。

それは確かに、神秘であり、奇跡であったのかもしれない。けれど、それを己のなした偉業なんて語れるものではなかった。愚かな、若気の至り。あの日、妖精を騙したも同然で奪ったそれ。

嘘と真、それを見極めることが出来たとして、ロットは結局、英雄になるなんてことを望まなかった。

そんな器も、覚悟も、願いも、持ち合わせていなかった。

 

ロットの人生に、奇跡も、栄華も、人に語り継がれるようなものなんて存在しない。ただ、彼は流れていく星を、遠くに輝く光を見上げていたに過ぎないのなら。

 

(・・・・情けない。今更、どうして、やはり俺は。)

「ロット王?」

 

立香のそれにロットは言葉を吐いた。迷っていた、途方に暮れていた。その少年に縋ってはいけないとわかっていたとしても、それでも、迷う彼には必要な動作だった。

 

「おれの、ものがたりとは、なんだろう?」

 

それに立香は驚いたように目を見開いた。けれど、じっと、ロットの顔を見て立香は言った。

 

「あなたが美しいと思ったものが、あなたの生きた証なんだと思う。」

 

それは、じゃらじゃらと忙しない鎖の音と、諍う騎士達の事の中で、朗々とロットの中にこだました。

目の前で、光がはじけた。

そうだ、ああ、そうだった。あの日、あのいつかに、ロットが初めて見た、光。

 

お前は、美しいものを見ていないから。

 

ああ、そうか。ロットの中でそうだと思い出した。あの日、ロットの世界の中心だった父。

厳しく、怖くて、生真面目で、不器用で、ロットの幸せを願ってくれた人。

誰かに未来を祈る人、正しくあれと行動で示して見せた人。この、北の果ての凍えた国を、それでも美しいのだと言った人。

ウーサー王のような華やかな栄華はなく、語られる王のような冒険など知らない。

けれど、ずっと、ただ一心に歴史の浪に攫われて、物語に存在さえも載らない取るに足らないものを愛した人。

 

美しいものを見なさい。

 

ああ、そうだ、ロットの愛したもの。ロットが美しいと思ったもの。

金の雫が溶けていく。その、剣に吸い込まれるように、溶けていく。

 

きんと、金属音が辺りに響いた。

 

「目を開け、現を見よ。」

 

ロットの口から、するすると言葉が紡がれた。

 

「我らの生に奇跡はなく、この身に紡がれる物語はなく。」

 

剣に魔力が集まっていく。それと同時にロットの中で何かが、確実に軋みを上げた。それでも、ロットは必死に言葉を紡いだ。

 

「神はおらず、妖精は影に過ぎず。徒人はただ、己の手によって生を築いた。」

 

大剣を振りかぶる。その動作は、まるで、いつかの聖剣のように輝いて。

 

 

 

「モードレッド!なぜ、その男に味方をする!?その男が何をしたのか、お前は誰よりもわかっているはずだ!兄上たちは、それに殺されたのだ。ガレスも、それに・・・・!」

 

それにランスロットは今にもアグラヴェインに首を差し出してしまいそうになる。

あの日、ランスロットは徹底的に間違えた。

グィネヴィアに報われて欲しいという願いのために、生きて欲しいと祈ったために、己は徹底的に間違えてしまった。

それをランスロットは悔いている。

アグラヴェインに改めて言葉を叩きつけられて、彼は黙り込んでしまう。

 

アグラヴェインという男は円卓ではあまり好かれてはいなかった。兄弟であるというだけで彼を大事にするガウェインは変わり者だと言われていた程度に。

ランスロットもそう、思っていた。そう、思いたかった。

それでも、いつかに、見たことがあった。

彼がガウェインやガへリス、ガレスの前でどんな風に笑うのか。少なくとも、ガウェインやガレスはランスロットを愛してくれた。だから、ランスロットも二人を愛していた。

だから、理解した。だから、わかった。

自分が知らない笑みを浮かべて、兄弟に接するアグラヴェイン。

彼が、円卓で嫌われたままだけの人間ではなくて。彼もまた、誰かに愛されている人間であるのだと。

 

モードレッドはそれにアグラヴェインに顔をしかめた。

 

「そうだね。サー・ランスロットは僕の愛した人を徹底的に殺した。それは、確かに赦せない。」

「ならば!」

「でも、罪深いというのなら、それは誰よりも僕のことだ。」

ブリテンを、僕は滅ぼしたから。

 

それにアグラヴェインの鎖の動きが止まった。そうして、まるでとても酷いことをしてしまったと後悔するようにモードレッドを見た。

それにモードレッドは少しだけ痛ましそうな顔をした。

 

「サー・ランスロットのなしたことは赦されない。でも、それを言うなら、僕だって赦されない。あの日、僕はもう全てに終って欲しかった。終ることのない、延命され続けた命に終って欲しかった。」

「だが、だが、その男さえもいなければ。」

「・・・・陛下に言われたことがある。私は、王妃を愛せなかったって。愛を理解できなかったって。」

「それは陛下の落ち度ではない!あの方は、王妃に誠実であったはずだ!」

 

それにモードレッドは首を振った。

 

「ううん。違うよ。陛下は、いいや、僕達だってずっと、ずっと、王妃様に不誠実だった。」

王の子を産めぬ石女と、ずっと、あの人は苦しんでいたのに。僕達はそれから目をそらしていた。

 

それにアグラヴェインはがたんと、持っていた槍を、取りこぼしそうになった。

 

 

 

王妃の役目とは何であるのか?

グィネヴィアの役目は、アーサー王の王権の象徴だった。そうだ、最初から、グィネヴィアに求められていたのなんて、後ろ盾だけだった。

アーサー王は血統だけで王の座を保証することをよしとしていなかった。実際、その跡取りという話は、ガウェインに出ていたぐらいだった。

けれど、けれど、それはアーサー王たち側の話で。

王妃の本当の意味での役割は、たった一つだけ。世継ぎを産むこと、それ以外になんであるのか。

 

アグラヴェインは、知っていた。

ひそひそと囁かれる声。哀れむ視線。侮る態度。

子を産めぬ。それが、あの時代、あの立場にとってどんな意味があるのか。アグラヴェインは知っていた。

けれど、アグラヴェインはそれを無視していた。だって、そんな陰口なんて前線で戦う者たちの苦痛に比べればたいしたことなどないはずだ。

母の、優しい母の苦難に比べればそよ風のようなものだろう?

事実、王はグィネヴィア以外と関係を持つこともなく、その態度は誠実であった。子がないことを責めたこともなかった。

それで十分だろう?

ひそひそと声がする。哀れむ視線、侮る態度。王妃の父親からの、跡継ぎの催促。

平気だろう、気になどならないだろう。

だって、彼女は何も失っていないのだから。

 

なのに、なのに、なのに、王が女であったのなら。

それを、知ってしまった、あの日。

アグラヴェインは、本当は、思っていたのだ。怒りに狂った思考で、どうしてだ、どうしてだ、と。

どうして、そんなことが出来るのだと。王族としての立場も、教育も、立ち振る舞いも知っていたはずだ。

ならば、なぜ、そんなことが出来るのだと。

たかだか、その程度の苦しみで、何故、そんなことが出来たのだと。

グィネヴィアは知っていたはずだ。彼女が女であるのだと、知っていたはずだ。ならば、耐える覚悟ぐらいはあったはずだ。

なのに、どうして、不貞を働いてしまったのだ?

 

そんな思考の中で、わかっていたのだ。

グィネヴィアには、アーサー王の性を告発することが出来たということを。

 

「あの日、きっと、僕達はみんな罪深かった。嘘をついて王妃を娶った王も、それを提案した賢者様も。王妃様の立場の中であった苦しみを無視した僕達も。そうして、愛のために、全部をぶち壊したサー・ランスロットも。そうして、誰もよりも、何よりも、終わりを願った僕こそがきっと、罪深い。」

 

それに何を言えばいいのだろうか。アグラヴェインは黙り込む。だって、ランスロットがきっかけを作ったというのならば、介錯を行ったのは、目の前の弟で。

 

「アグラヴェイン卿。」

 

割り込むように声がした。ランスロットが剣を携えて、そこにいた。

 

「私の罪は赦されるものではない。私は永遠に、オークニーの彼らを殺した罪を背負い続ける。けれど、それでも、私はあの日、彼女に生きて欲しいと願ったことを否定できない。生きて、幸せになって欲しかった。」

ああ、だって、愛していたから。

 

「止めろ!!」

 

アグラヴェインが叫ぶと同時に、じゃらじゃらと鎖のこすれる音が響き、また、蛇のようにそれは動き始める。

アグラヴェインは耳をふさぎたくなった。

 

あの日、不義を働いたのは、グィネヴィアとランスロットだった。

けれど、それよりも前に不誠実だったのは誰だったのだろうか。わかっている、きっかけはもっと前にあった。

けれど、何故、耐えられなかったのだ。それが義務であろう、願われたことであろう。

母上は、ずっと、それに耐えていたのに。

 

(違う。)

 

賢しい男は、誰よりも冷静に、冷徹であった男はわかっているのだ。

母上が耐えられたのは、父に愛されていたからで。その義務を放棄しなかったのは、与えられた分を返そうとしていたからで。

 

ならば、ならば、騙されて結婚し、そうして、愛されることも無かった女にはいったい、何があったのだろうか?

 

それでも、駄々をこねる子どものようにアグラヴェインは首を振った。鎖が、モードレッドとランスロットに襲いかかる。

気づいたことから、目をそらそうとした。

けれど、薄暗い教会の中に、光があふれた。

 

「え?」

 

光が、光の柱がそこにあった。それは、一つの剣から零れていた。

きんと、金属の音がした。そうして、その後に、光の柱が自分たちへと落とされた。

その光は、アグラヴェインを焼くこともなければ、痛めつけることもなかった。

ただ、彼の操っていた鎖が力を無くしたかのように、その場に転がるだけで。

 

「何故だ!?これは、力が、消えて!?」

「アグラヴェイン。」

 

静かな声がした。それに、声の方を見ると、大剣を杖のようにして歩くロットの姿があった。彼は、アグラヴェインに近づいてくる。

そうして、静かに言った。

 

「俺は、ランスロット卿を恨んでいない、憎んでいない。」

 

揺るぐことなく、ロットは言った。

 

「何故ですか!?」

「・・・・いつかに、一人だった女に泣かないでくれと、願ったのは俺も一緒だったからだ。」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

堅き手よ、目をそらすことなかれ

アグラヴェインの話。

キリのいいところで。
感想いただけましたら嬉しいです。


 

 

「嘘だ。」

 

ロット王の言葉にアグラヴェインは吐き捨てた。

いいや、嘘ではないのだと思う。その、父の言葉は嘘ではないのだと思う。けれど、赦すなんて一言だけを吐かれても納得など出来るはずがないのだと。

ロットはそれにアグラヴェインをのぞき込んだ。

 

「いいや、本当だ。」

 

アグラヴェインはそれにロットを見上げた。無骨な大剣を持ったロットの顔色は悪い。自分に起こったことが理解できなかった。

 

「ただ、赦すとは言わない。」

「どうして、共に憎んでくれないのですか?どうして、共に、恨んでくれないのですか?」

 

憎い、恨めしい。

ランスロット、サー・ランスロット。

名高き騎士よ、陛下や兄上と肩を並べる騎士よ。それほどのお前が、なぜ、あんな愚かなことをした。

その女一人を見捨てれば、無辜なる誰か、黄昏を迎えた故郷だとしても、助かったはずなのに。

幾度も、幾度も、繰り返す。

 

贄の姫に微笑むお前。それに、幸福そうに笑うあの女を、ずっと、ずっと、繰り返し思い出す。

そうして、お前達は笑っている。

 

父上と、母上は、そうあることを諦めたのに。

 

「私は、その男が憎い。憎くて、たまらない。その赦しが嘘であるというのなら、どうして、あなたはその男の隣に立つのですか。」

 

ランスロットは時が止まったかのような心地になった。

ランスロットとて不思議だったのだ。

自分がなしたことがロットにとってどんな意味であるのか、わかっている。けれど、彼は一度だって憎いだとか、そんなことを言わなかった。

ロットはそれにじっとアグラヴェインを見た。

 

「・・・・思うことがないわけじゃない。」

 

それは鋭い声音ではなかった。けれど、いつもの優しい声音でもなかった。それは、部屋の中で聞くような、遠い雨だれの音に似ていた。

 

「我が子が、栄誉ある死ではなく、戦場の中ではなく、献身のためではなく、ただ、ただ、無意味に無価値にその命を散らせたことに、思うことがないわけではない。」

 

ランスロットが目を伏せた。

ロットはランスロットのそれに苦笑した。

 

「それでも、俺は、サー・ランスロットを赦すというのだろう。なあ、アギー。」

お前達のことを、選んでやれなくてすまない。

 

それにアグラヴェインは子どものように顔をくしゃくしゃにして叫んだ。

 

「ならば、あなたは今になってそれを、その、選択を、間違っていたというのですか?」

「いいや、あの日の俺の選択は間違っていたわけではない。ただ、正解でもなかった。ただ。わかっていたことだった。たった一人を贄にくべてはいけなかった。この世の安寧を願うのならば、その世界で生きるあまたの人間が、少しずつ己をくべなくてはいけなかった。」

世界とは、たった一人によってあがなえるほどに矮小なものではなかったのだから。

 

ロットは、本当を言うのならば、ランスロットというそれに思うところがないわけではない。明確な、焔のような怒りはなくとも、冬の風のように寒々しい空しさがあった。

それも、ロットは、ランスロットを憎むということも、恨むと言うことも選べなかった。

ロットにとて、わかっている。

確かに、グィネヴィアとランスロットは間違いを犯した。

 

「だがな、アグラヴェイン。王妃とランスロットの不貞を盛大に公表することがどれだけ悪手であるのか、お前はわかっていたはずだ。」

 

それにアグラヴェインは目を見開き、黙り込んだ。それにロットはアグラヴェインとてわかっているのだろうと息を吐く。

 

「俺も全てを知っているわけではない。伝聞でのことだが、俺にもわかっている。グィネヴィア殿がアーサー王の王権の象徴であるのならば、もっと隠密に処理をすべきだった。理由ならばいくらでもあったはずだ。婚姻関係を継続させたまま、僻地に飛ばすなり、修道院に入れるなり。お前は、その程度の処理も出来た。」

 

そうだ、アグラヴェインのなしたことはあまりにも悪手だった。

確かにグィネヴィアとランスロットは赦されないことをした。けれど、彼らの不貞を明かすことがどれだけアーサー王にとって名誉を汚されることになるのか。

元々、アーサー王も不貞の果てに生まれた子であることは周知の事実。不貞の子が、妻に不貞を働かれた。

それがどれだけ、アーサー王の統治を揺るがすのか、わからないはずがない。

 

「あの子が、グィネヴィアの処刑の判断をしたのは、それほどまでの怒りの姿勢を取らねば、周りの王達に侮られる危険性を考えてのことだろう。」

 

アグラヴェインと、彼は、息子の名を呼んだ。それに、アグラヴェインはゆっくりと顔を上げた。

その面差しは、ロットの愛した人によく似ていて。

潔癖で、正しくあろうとして、間違いを赦せない頑固な、真面目すぎる父によく似ていた。

 

「俺はサー・ランスロットを憎まないし、恨まない。」

 

ロットはそれにランスロットの方を見た。それにランスロットは怖じ気づくように、けれど、その目をそらさまいとした。

 

「けれど、俺は貴公の蛮行を赦すことはないだろう。その罪に、罰を求めることはなく。その愚かさに叱責を行うこともない。何かの命を奪った償いは、何によっても贖うことはできないのだから。」

俺は、あなたを赦さない。

 

それは、何よりも、冷たい突放しだった。

ランスロットは憎しみを受けることもない、恨まれることはない。彼は、永遠に赦されることはない。

それは何よりも、きっと、重い罰なのだ。ランスロットは理解する。

彼はこれからも、ランスロットに普通に、親しみ深く接するだろう。けれど、それはその程度のことで。

ランスロットとロットの間には、永遠に分かたれた壁がある。ただ、それだけの話だ。ただ、ただ、それだけの話だ。

罰も、償いも、ロットは与えることはない。彼は憎んでさえもくれない。

 

「・・・・はい。」

 

短くされた返事にロットは軽く頷いて、アグラヴェインを見た。そうして、掠れた声で悲しそうな声を出した。

 

「赦せなかったんだな。」

 

アグラヴェインはそれに何も答えない。いいや、ロットの言葉にアグラヴェインはずっと、ずっと、心の内に抱えたそれを直視した。

そうだ、アグラヴェインは赦せなかった。

 

「アグラヴェイン。お前はアーサー王は二人を赦して、そうして、そのまま二人が幸せになることが赦せなかったんだなあ。」

 

それにアグラヴェインと、ロットの言葉が重なった。

 

「俺はお前達を選ばなかったから。」あなたは私たちを選んでくれなかったのに。

 

一つだけ、その言葉を吐き出せば、アグラヴェインはああと天井を見上げた。そうだ、ずっと、アグラヴェインは暇さえあれば、見つめていた。

グィネヴィアと、ランスロットが笑い合う、彼らの不義を知った日を繰り返し、思い出していた。

だって、そうしなければ、憎み続けられなかったから。

 

ランスロットとグィネヴィアがアーサー王を裏切ったというのならば、何よりも、最初に、彼の人を裏切ったのも自分だった。

 

 

アグラヴェインには選択肢があった。それは、行ったようにその不義を大々的に暴き立てることと、そうして、父の言うとおりそれを秘密裏に処理すること。

グィネヴィアを僻地に送る理由も、修道院に送ることも、アグラヴェインに出来た。けれど、彼はその選択肢をとれなかった。だって、優しい王はきっと、グィネヴィアを責めることもせず、そうして、ランスロットを赦してしまうから。

 

見ていた。春の日の中で、美しい男と女が笑い合っている。幸せそうだ。

そこには、ただ、互いがいれば良いと思う心があった。それをアグラヴェインは理解していた。

 

父と、母がそうであったから。

 

幼いいつかにアグラヴェインは愛を知っていた。ただ、互いがいればいいと思う心があることを。

アグラヴェインは人が嫌いだ。争って、愚かで、いつだって不合理なことばかりで。世界だって嫌いだ。理不尽で、醜くて。

けれど、美しいものがあることだって知っていた。アグラヴェインはわかっていた。

その二人の間にあるのは、アグラヴェインが美しいと思った父と母の間にあった愛だった。

 

王よ、王よ、ええ、あなたは赦すでしょう。ランスロットの立場、グィネヴィアの価値。王が正しい人であるのだと知っていた。彼の人は二人の不貞にどんな感情を持つにせよ、二人のことを最終的に赦すだろう。

アグラヴェインにだってわかっていた。

それが正しいのだ。いっそのこと、どうせ、子も出来ないような女ならば、僻地に送り、適当な言い訳でランスロットを護衛だとか、そんな名目で秘密裏に関係を認めても良いだろう。それで、フランスの方に借りを作ることが出来れば、そちらのほうがいいだろう。

ああ、そうだ、それが正しい。正しいのに、なのに、アグラヴェインは赦せなかった。

二人の関係を、ぐちゃぐちゃにしたかった。赦せなかった。

だって、そうだろう。

 

「陛下は、父上が生きることを、赦してはくれなかったのに。」

 

そのむき出しの、アグラヴェインの本音に立香は目を伏せた。

 

「・・・・立場も、状況も何もかも、違う。仕方が無いのだ。そうだ、だが、だが、どうしてお前達は赦された。どうして、父上はそれが赦されなかった。そう、思ってしまった。そうだ!ランスロット、貴様は赦されないことをした。けれど、けれど、私があの時、その自己を押し殺せば、違う、結末を辿ったのだと、わかっている。」

 

アグラヴェインは目を閉じた。そうすれば、まぶたの裏で笑い合う密通を行った二人のことが浮かんだ。

憎み、恨み続けるためにずっと、忘れ得ぬようにとした。けれど、その光景がアグラヴェインは欠片だけ、砂粒のような、消えて仕舞いそうな微かな思いを持った。

 

全てを捨てて、何かを裏切って、それでもたった一人の女を選ぶ男の姿に少しだけ泣きたくなった。

それは喜びではなかった、それは怒りではなかった、それは悲しみですらなかった。

わからないけれど、ただ、あのとき、アグラヴェインは少しだけ子どものように泣きたくなった。

 

「・・・・サー・ランスロット。お前が裏切りの騎士であるのならば、それは私も同じだった。あの日、私は、お前を妬んだ。陛下を、憎んでしまった。あの悲劇を始めたのは、他でもなく、私だった。」

 

それに立香は小さく呟いた。

 

「騎士、アグラヴェイン。あなたが本当に赦せないのは、自分自身だ。アーサー王のためと言いながら、己のために行動した、自分自身。」

 

その言葉にアグラヴェインは目を閉じて、頷いた。ロットはそんなアグラヴェインの背中に手を回した。そうして、わしゃわしゃと大きな手でアグラヴェインの頭を撫でた。

固まったアグラヴェインにロットは朗らかに笑った。

 

「そうだ、知っているよ。お前は、正しすぎるんだ。だから、赦せなかったんだな。罪には罰が必要だと、お前は思ってしまったんだな。アグラヴェイン、そうだ、お前はあんまりにも愛したものに真摯すぎるから。」

 

ぼそりと、ロットはアグラヴェインにしか聞こえないような声で、彼に囁いた。

 

「お前は、サー・ランスロットの騎士としてのあり方を愛していたんだな。」

 

アグラヴェインはそれにああと思った。あんなにも大きかった父と、自分はすっかり、そう変わらないほどに大きくなっていた。

もう、ずっと遠い昔の出来事が押し寄せて、だから、アグラヴェインはロットの言葉に頷いた。

 

アグラヴェインは、本当を言うのならば、ランスロットに少しだけ憧れた。

兄上と肩を並べる騎士、ブリテンの問題を解決することの出来る血統、優秀さ。

それはまるでアーサー王のような、理想的な、生き物で。兄上のように目映くて。

そうなりたいわけではなかった、己は己で、やれることをすればいい。

己をわかってくれる人が、自分を愛してくれればそれでいい。それも、本音だった。

けれど、思っていた。

彼の男ならば、きっと、父と同じ選択肢をするのだと。父のことを肯定してくれるのだと。

だからこそ、父と違う選択をした男が憎くて、そうして、妬ましかった。

アグラヴェインはロットに、掠れた声で囁いた。

聞こえないような、微かな声で。

 

「・・・愛してなど、いません。ただ。」

 

ちらりと、男を見た。いつかに、兄と肩を並べていた、黄昏色のそれ。

 

「美しい生き物だと、そう、一時、思っておりました。」

「そうか。」

 

ロットは幾度も頷いた、頷いて、そうなのかと言ってくれた。

それにアグラヴェインは、一度だけ、息を吐き、そうしてロットから離れた。

 

「・・・父上は、何故、この国を否定するのですか。それが、正しいからですか?」

 

改めて問われたそれに、ロットは少しだけためらった後、アグラヴェインの手を取った。

 

「そうだな、正しいからと言うのもある。それと同時に、そうだな。」

 

ロットはアグラヴェインの手に指先で何かを示した。アグラヴェインはロットが文字を書いているのだと理解した。

その返答にアグラヴェインは目を見開いて、そうして、小さく笑った。

 

「・・・・それが、答えなのですね。」

「身勝手と言うか?」

「いいえ。ただ、父上は案外嫉妬深いのですね。口にされないのですか?」

 

それにロットは困ったような顔をした。

 

「・・・・最後まで、俺は王であろうと思うから。」

 

アグラヴェインはふらふらとランスロットに近づいた。それにランスロットは警戒するように体を固めた。

 

「貴様は、己のなした不義を後悔しているか?」

 

その言葉にランスロットは一瞬口を噤んだ後、アグラヴェインを見た。

 

「後悔、している。けれど、きっと、私は奇跡が訪れたとしても彼女のために走るだろう。あの蛮行をしないと誓いはすれど。」

 

それにアグラヴェインはああと、頷いた。

 

「ああ、そうだ。そうであろう。そうでなければ、それほどの覚悟がなければ、あそこまでの狂行を行わなかっただろう。」

 

アグラヴェインは息を吐き、頷いた。

 

「・・・・わかっていた。円卓の、あの場所。陛下がしたグィネヴィアへの不誠実さ。やりようなど多くあった。しておくべきことはあった。だが、あの日、私はお前たちを散々に非難することを選んだ。妬ましかった。義務も、意味も、理由も、ただ単純に愛しい誰かのために走ることがどれだけ難しいのか。」

 

間違いであった。あの日、ランスロットは徹底的に間違っていた。けれど、アグラヴェインにだってわかるのだ。

そうだ、生きて欲しかった。幸せになって欲しかった。それは、誰もが同じだった。

 

アグラヴェインはランスロットを見た。

 

「私はお前を憎み続ける。いつだって、お前は、私にとって煩わしく、愚かで、そうして、目が眩むようで。」

 

憎しみも、恨みも、嘘ではない。父の行いを否定したランスロットが心の底から嫌いだった。けれど、それと同時に、アグラヴェインはたった一人の女のために走った男のあり方を嫌うことは出来ないのだ。

 

アグラヴェインはランスロットを見つめる。その、美しい男をじっと見る。

 

「私はお前が嫌いだ。」

「ああ。」

「私がお前が憎い。」

「ああ、そうであるべきだ。」

「私は、お前が陛下の騎士であることを認めない。」

「そうだろう。」

「私は、お前を赦さない。」

 

ランスロットはそれにああと目を細めて、幾度も頷いた。

 

「ああ、アグラヴェイン卿。どうか、私を赦さないでくれ。」

「ああ、赦しはしない。」

 

そうだ、こうあるしか、もう出来ないのだ。

もう、二人の間は徹底的に分かたれてしまっているから。だから、もう、アグラヴェインとランスロットは永遠に赦されないものと、赦せないものでしかない。

その話は、もう、それで終ってしまっている。

 

アグラヴェインはロットを見た。

この国を滅ぼす理由は聞いた。そうして、恨むことも、憎まないことを聞いた。

それにアグラヴェインは納得してしまった。

だから、もう、夢から覚めなくてはいけないのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 1

お久しぶりです。
本編をなかなか更新できずにすみません。

やらかしました、誠にすみません。

ちょっと考えてた小咄です。


 

「・・・・ロット王、その、今いいだろうか?」

「うん?どうかされたか?」

 

まったりとしたとある日。

その日、ロットは珍しく一人、自室で過ごしていた。

普段ならば、誰かしらが部屋にいる。

例えば、彼の息子達。そうして、カルデアにて親しくなった英霊達。何よりも、彼の隣には殆ど、妻であるモルガンがいる。

といっても、幸いなのか、この頃は何でも友人が出来ているようだ。曰く、手芸や料理などの教室に通っている。

その日、子どもたちはマスターである藤丸立香についていっていた。何でも、素材の調達に向かったのだという。

 

(・・・素材調達にあの子達でいくのは、戦力過多な気がするが。)

 

まあ、それはいいだろう。そうして、奥さんは奥さんで何でもお料理教室に行っている。

新しい魚料理を習ってくると言っていたからなんだか楽しみだ。

そんなこんなで、ロットはその日一人だった。

珍しいそんな日は、時折、アルトリアが顔を出したり、また、本当にまれであるがマーリンがやってくる時がある。

ロットはひとまずと、習慣にしている物書きをし始めた。随筆染みたそれであるが、根本的にまめなロットにとっては非常に楽しい。

つらつらと止めどないことを書いていたときだ。

 

「・・・・すまない。」

「うん?」

 

部屋にひょっこりと来客がやってきた。

 

「ロット王、すまない、少し相談があるのだが。」

「ああ、ジークフリート殿か。俺に相談とは、ああ、かまわんが。」

 

 

ジークフリート。

ロットと比べることもできないほどの傑物だ。竜殺しとして有名な彼とは仲が良い。

それは、もちろん妻を愛しているという点でのことなのだが。

 

置かれた机にロットはそっと茶を置く。ジークフリートはどこか、思い悩むような顔をする。ロットはなんだなんだと思いつつ、ジークフリートを見る。

 

(まあ、大方奥さんのほうなんだろうが。)

 

思い浮かべる女性は、良くも悪くもジークフリートに関して辛辣だ。まあ、彼女の生涯を知ればそう言いたくなるのもわかる。

夫婦だとか、親友だとか、そんな関係性であっても人は結局個々でしかない。わかり合うにはそれ相応の努力だとか、言葉が必要になる。

 

(・・・これ以上の思考はやぶ蛇だな。)

「それで、どうしたんだ?」

「・・・その、妻のことなんだが。」

「ああ、おひいさんの。どうした、何かまた喧嘩でもしたのか?」

 

ジークフリートは基本的に妻の悩みをシグルドに相談している。

 

(でも、あの英傑殿の妻観はそこそこぶっとんでるからなあ。もうちっと、こう、穏やかな接し方の方がおひいさんには合ってる気もするが。)

 

といっても、二人の関係性からしてあれぐらいストレートな言動の方がまだいいのだろうか?

 

「その、だ。ロット王よ。妻のことなんだが。」

 

あー、はいはい、なんですかなとロットはジークフリートの言葉に耳を傾ける。

それからは、少しの間見事なのろけは始まった。

曰く、どれだけ妻が美しいかとか、賢いかとか、可憐であるかとか。

ロットはそれをうんうんと頷いて聞いた。

人ののろけを聞くのはけっこう好きだ。

 

「・・・それで、だなんだが。」

「ああ。」

「そろそろ、夏になるだろう?」

「ああ、だなあ。」

 

ロットの脳裏には、色々とはっちゃけてるアルトリアと、そうして楽しんでいるモードレッド。

 

(俺のことを前にすると気分が落ち込むから、あんまり会いたくないんだけどなあ。)

 

そんなことを考えていると、ジークフリートはひどく落ち込んだ顔で言った。

 

「・・・・その、彼女に、水着を着て欲しくないんだが、どうすればいいだろうか!?」

 

夏、それは色々と開放的になってしまう季節だ。ロットの身内にも色々いる。それについては別にいい。というか、騎士時代、そう言った方向で無邪気に身内と遊ぶみたいなのが少ないものが楽しんでいるのならそれ以上のこともない。

強いて言うなら、一番にはっちゃけて欲しいアグラヴェインが参加したがらないことだが。

 

(まあ、一緒に海釣りにはいけたからまあいいか。)

 

ロットはそんな黄昏れたことを考えながら、目の前の青年を見た。

 

「あ・・・・そうだな。やっぱ複雑だよな。」

「彼女が、自分で選んだ衣装を否定するのはどうだろうと思う。だが、だが!露出の激しい衣装を着て欲しくないと思ってしまって!」

「そうだな。言いたいことはわかるな。」

「ロット王は、そういったことは思わないだろうか?」

「俺か?俺は、まあそりゃあ思うことは思うが。」

 

脳裏に浮かんだ女のことを思い出す。

正直に言えば、苦労しかかけてこなかった身だ。甲斐性あった?と聞かれると非常に困る。

幼い子どもを残して、妻に全部を押しつけて死んだのだ。

そう言った意味で、妻を置いていってしまった身としては、ジークフリートの気持ちがわからないわけではない。

 

「不自由ばかりの人生にさせてしまったからなあ。瞬きの内の、微かな奇跡と運命の慈悲でここにあるのだろう。なら、望むことがあるのならできるだけやらせてやりたい。自由とは、我らの時代で何よりも無縁であっただろうからな。」

 

まあ、目の前の男の細君はなかなかにアグレッシブな人生だが。

 

「まあ、それはそれとして、嫌だよなあ。奥さんの露出が激しいの。賢くって、素敵でなあ。おまけに美人だってわかりきってるとなあ。」

「ああ、ああ、そうなんだ!ここには古今東西の英雄達がそろっている!彼女ほどの人ならば、そんな誰かの目に付くのは当然なんだ!」

「そうだなあ。俺も、こうやって英雄の末席にいちゃいるが。奥さんと釣り合い取れてるかって言われるとなあ。」

 

正直、離縁しますと言われても抵抗できないポンコツスペックである。

が、それはロットの話だ。目の前の男は、伝説も残し、物語を持ち、そうして竜殺し。

 

(あー・・・ちょっとぐらいは冒険の旅に出ておけば良かったかねえ。)

 

そんな悔いを残す。

地元に愛されているご当地のヒーローにはなれても、全国放送のヒーローには叶わない部分もあるのだ。

そんなことを考えながら、目の前のそれを見る。

本当に悩んでいるのだろう。

そこまでコンプレックスに思う必要性はないようにロットには感じられるが、それとこれとは別だろう。

 

「・・・・よし、なら、色々と俺の考えられる対策を提案しよう。」

「対策?」

「そうそう。まず、一つ目。普通に、嫌って言う。」

「嫌と。」

「そうそう、ちゃんと、おひいさんが美人過ぎて不安だとか、なんで嫌なのかを伝えること。それでも着たいとか言うなら受け入れなきゃな。嫌がることはしちゃダメだ。」

「それは、そうだな・・・」

 

しょぼんとしたジークフリートにロットは指を二本立てた。

 

「もう一つは、もう着ることは諦めて、常に奥さんにひっついて牽制しまくる。ここら辺が一番堅実だな。」

「・・・・そうか。」

「それで、もう一個。これは確実に水着とか露出の激しいのは着ないだろうがな。」

「!何だろうか?」

「正直、おすすめしないなあ。やったら絶対怒られるし。」

「だが、気にはなるんだが。」

 

ジークフリートのそれにロットはふむふむと頷いた。

 

「そうだな、まず同じ部屋に行って。」

「ああ。」

「同じベッドに行って。」

「ああ。」

「そのまま押し倒して。」

「うん?」

「なだれ込んで、痕をめちゃくちゃつけて露出できなくします。」

「す、すまないが、それはだめだ!あまりにも、ダメだ!!」

 

顔を真っ赤にして叫んだそれに、ロットは頷いた。

そうだね、絶対にこの男には出来ないだろう。というか、実行した暁にはかの姫君に男もろとも自分も霊基まで破壊されそうだ。

 

「まあ、女性達の情熱を止めるにはそれぐらいは必要だという話だな。」

「・・・そうか。」

 

しょげたその容姿に、ロットは言った。

 

「でも、夫婦は夫婦なんだ。なら、素直にそこら辺の心境は吐露した方がいい。伝えられない言葉も、今ならば口に出来るだろう?」

 

その言葉にジークフリートはこくりとうなずき、決意を固めて部屋を出て行く。それを見送ったロットはその夫婦は上手くいくことを切に祈った。

 

「ロット?」

 

ぼんやりと考え込んでいると、また来客、というか部屋の住民が帰ってくる。

 

「ああ、モルガンか。」

「どうかしたのか?」

「んー、夫婦の在り方について考えててな。」

「なんだ、それは。」

 

モルガンは当たり前のようにロットの膝の上に座る。それにロットは当たり前のように受け入れて、女が落ちぬようにと腰に手を回した。

それは、夫婦と言うよりは、娘と父という在り方に似ていた。

 

「まあな、俺ももう少し、物語になるような逸話があればと思ってな。」

「また、おかしなことを。どこぞの、傲慢な愚か者に何か言われましたか?」

「そういうんじゃないが。」

 

ただ。人の身で、星のような存在達と肩を並べる今に違和感や、いいのだろうかという疑問が残るのだ。

ロットはそう言って、女の手のひらを己の頬に押しつけた。

ああ、美しい、己の星。

生涯をかけて、求めた、美しい流星が己の腕の中にある。それが、どこかで信じられない自分がいる。

 

「何を言う、お前は誰も出来なかった偉業をなしたではないか。」

 

モルガンはそう言って、くすくすと楽しそうに笑った。

偉業?

そんなことがあるのだろうか?

 

「何かあるか?」

「ああ、あるじゃないか。」

 

モルガンはそう言ってロットの唇に己のそれを押しつけた。出先で食べたのか、香ばしいクッキーの味が微かにした。

 

「魔女を、キス一つで姫に戻せるのなんてお前ぐらいにしかなせなかっただろう?」

 

ロットはそれに不満そうな顔をした。そうして、じゃれつくようにモルガンに顔を寄せた。そうして、おもむろに耳を甘噛みする。

 

「え?」

 

そうして、ロットはモルガンの耳をなめる。

 

「きゃ!」

 

耳元でする湿った音にモルガンは固まった。

 

「な、なぜ、耳なんだ!?」

 

予想していなかったらしいそれにロットは笑った。

顔を真っ赤にして、自分を睨む、愛らしい女だ。

 

何を言うんだ、モルガン。お前が魔女であったことなど、一度としてないだろう。出会った時からずっと、ずっと、その女はロットにとって愛らしい姫君で、そうして、美しい星のまま。

 

「いいや、あんまりにも愛らしいもんだから。」

 

ロットがそうやって楽しそうに笑えば、モルガンは不服そうにロットの頬を軽くはたいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

赤き竜はかく語りき

お久しぶりです。

アルトリアの語りです。


 

幸せってなんだろう?

それは、ある意味で、初めてアーサー王と呼ばれた一人の少女が考えた己のための問いだった。

 

 

王になると言うことに疑問は無かった。

それで笑ってくれる人がいて、それで幸せになってくれる人がいて、それで続いていく者がある。

だから、それでよかったし、納得していた。

例えば、自分の父であるというウーサー王の無念だとか、自分にいるらしい姉にさえもアーサー王は、いいや、アルトリアは興味が無かった。

それは自分には不要なものでしかないのだと思っていた。

 

幸せだとか、安寧だとか、己のことを考えて私心を持てば、王としてぶれてしまう。それではだめだと思ったし、何よりも、少女には幸せというものがわからなかったのだ。

だって、今まで、ただの一度だって、幸せであったことが少女にはなかったものだから。

 

 

 

養父も、義兄も、きっと、アルトリアには優しかったのだと彼女は思っている。

気遣ってくれたし、知らないことを教えてくれたし、よく食べるアルトリアのために食事だって用意してくれた。

 

けれど、きっと、互いに何かが足りなかった。

養父はアルトリアを手放すことを理解していたし、ひねくれ者の義兄はアルトリアを甘やかすように抱きしめることも無かった。

 

騎士として、剣の修行、馬の世話、他の家の手伝い。

それは苦にはならなかった。なにせ、それは、本当の意味で人ではなくて、体はどこまでも頑丈だった。

やれたからやっていた。

眠っているときでさえも、賢者からの教育を受けていたけれど、別に体は休まっているのだから日々の生活に支障は無かった。

 

何故、そんなことをしていたのだかと言われると、それが最善であったからだ。

誰よりも働ける自分が働けばいいし、騎士になることも、王になることも、最初から決まっていたように教育を受けていたのだから、そうなのだと思った。

それで、アルトリアの人生は、そういったものであると思ったから。

それでよかった。

最初から決められた人生を嫌がる人間もいただろうが、アルトリアはそれに疑問を持たなかった。それは労働と同じで、そういったものとして産まれて、そうあれと願われたのだから、それ以外にアルトリアは選択する気もならなかった。

 

アルトリアは、何せ、人を愛していたものだから。

例えば、自分と同い年の子どもたちが笑いながら走って行く様だとか、例えば、仲良く歩く夫婦だとか、例えば、互いに支えあう兄弟だとか。

それが、アルトリアには何よりも、善きものに映ったのだ。

だから、それのために、自分が生きることが出来れば、それ以上のことがないように思った。

 

 

なあ。

はい。

 

いつものように、アルトリアは問いかけられて答えた。

それは、いつも、夢の中で、昔のことを思い出すたびに、アルトリアに問いかけてくる。

サーヴァントは夢を見ない。けれど、ここは少しだけ、夢と現が混じっている場所だから。

 

そんなこともあるのだ。

その、問いかけてくる存在は、いつだってぼんやりとしている。

それは、時には、黒い髪をしていて。それは時には、玉色にきらめく銀の髪をしていて。

それは、時には、淡い金の髪をしていて。それは、時には、茶色の髪をしていて。

それは、いつだって、誰かの面影を残して、アルトリアに問いかける。

 

「なら、お前さんは、その中に入りたいと思ったことは無いのか?そんな風に、誰かに混じって、当たり前のように、誰かと共に生きていくって、そんなことを。」

 

それにアルトリアは首を傾げた。何故、そんなことを問うのだろうか?

 

「理想の王に、そんなことが赦されると思わなかったので。」

 

それがアルトリアの答えだった。

 

 

誰かを愛すると言うことは、誰かを選んでしまうと言うことで。思考の端に、つねにその選択を加えてしまうと言うことだ。

それは、これから国を導いていくアルトリアには赦されないことだった。

だから、そんなことを考えたことはあったけれど、アルトリアはそれをいつだって握りつぶした。

それは正しいことだったから。

 

 

 

幸せになりたいと思ってはいけない。幸せを求めてはいけない。

理想の王とは、誰かのための究極の機構であらねばならない。

多くの脅威にさらされたブリテンを守ると言うことは、そういうことだった。

 

だから、だろうか。

いつだって、黒い髪に、自分と同じで、けれど違う緑の瞳をした王のことを思い出す。

恨み言でも、命乞いでもなくて、自分に幸せになれといった男のことを思い出す。

そのたびに、アルトリアは幸せとはなんだろうかと考えた。

 

贅沢をすることだろうか?

誰かを愛すると言うことだろうか?

楽をすると言うことだろうか?

快楽に興ずることだろうか?

 

そんなことをつらつら考えて、アルトリアはいつだってあり得ないと思った。

そんなこと、理想の王になるためには邪魔でしかないのだと。

 

王としての日々は、円卓の騎士達との幾日は、けして不幸では無かった。楽しいこともあった、充実していた、やり遂げたことがあった。

 

そのたびに、何か、そんなことを思うたびにアルトリアはいつだって、そんな思いを握りつぶした。

 

そんなことを感じている暇など、自分には無いのだと。

 

喜びだとか、脅威をのけたりだとか、そんなことを思っても、アルトリアの背後にはいつだって問題が忍び寄る。

のけても異教徒やヴァイキングはいなくならないし、土地は痩せていく一方で。

何よりも。

 

「陛下。」

 

声がする。そうして、視線を向けると、そこには騎士が四人。

金の髪、黒の髪、月のような淡い色の髪。

それぞれが良き騎士で、よく自分に仕えてくれた。

 

ああ、何を考えているのだろうか。

 

(彼らの父を、私は殺したのに。)

 

彼らを思い出すたびに、アルトリアはそっと、幸せへの問いかけを握りつぶした。

 

 

ガウェインにアグラヴェイン、そうしてガへリスとガレス。

彼らはよくよく自分に仕えてくれた。

彼らを見ていると、どこか、自分が殺した男のことを思い出す。

 

その柔らかな様相に、その真っ黒な髪に、その静かな瞳に、そのきらきらとした緑の瞳に。

数度しかあったことのない、男のことを思い出す。

 

幸せになれと男は言った。

それをアルトリアは優しいなと思った。

何せ、ただの一度だって、アルトリアに幸せになれと言ってくれた人はいなかった。

それでいいのか、人として生きられなくなると。

そう問われても、アルトリアにはわからない。

だって、アルトリアは元より人では無くて、ならば、人として生きられないとしてどうなるのかと。

 

いいや、義兄はアルトリアの幸福を願ってくれていたのかもと今では思うけれど、その時の少女にはそれの言葉の意味がわからなかった。

義兄の言葉にはいつだって苛立ちがあって、呆れがあったせいだろうか。

 

自分が幸福になるという想像が彼女には出来なかった。自分が幸福になる方法というものが彼女にはわからなかった。

幼い頃から、そう願うことを、彼女自身が悉く潰してしまっていたから。

 

だから、せめてと思った。

だから、せめて、せめて、誰かを幸福にするために自分の人生を捧げよう。

自分を幸福にすることはできないけれど、誰かが笑っているのだ。

そうだ、そんな人生に、アルトリアは、納得していた。

 

 

 

姉のことを、時折、思い出した。

かえしてと、そう泣いた人。

 

恐ろしい女だと、聞いていた。けれど、あった女は泣いて、まるで徒人のように泣いて。

それが自分の敵になる?

それが、この島を滅ぼす?

 

本当に?

 

話しかけてみようかと思った。

父母の顔も知らなければ、思い入れも無い。彼女を育てたのは、養父と義兄だった。

けれど、目の前のそれは、まだ生きていて。

何か、アルトリアはそれに、声をかけたくなった。あの、大樹のような男が愛した女だという、己の姉。

けれど、その涙を見て、何をと、自分で思った。

 

何を、自分はしようとしていたのだろうか。

何を、自分は、その女に。

 

嫌われよう。

嫌われてしまおう。

彼女と自分の関係はそれが正しくて。そうして、アルトリアはそうしなければ、何か、彼女に求めてしまいたくなる感覚がした。

それはいけない気がした。それが何か、はっきりさせてはいけない気がした。

 

ガウェインたちを引き取って、己の下で養育した。

それはアルトリアにとって、自分で出来る最良だった。

自分と戦った筆頭であったロット王の子であれど、己の甥たちであることを周囲に知らしめ、オークニーを守るためにはそれが一番だった。

ガウェインがオークニーの王になれば、島の守護として、海に面した国とも密接な関係が取れる。

結局、ガウェインがオークニーの王になれる年齢になる頃には、そんな余裕はなくなっていたけれど。

 

なんとか、出来ていると。

自分が幸福になることがアルトリアにはもう、わからなくなっていて。

いつだって、脳裏には、どうしようもな問題が重なっていて。

けれど、それでも、誰かのことは幸せに出来ていると。誰かが笑っていて。

そう、思っていたのに。

 

 

グィネヴィアの不貞が暴かれたとき、アルトリアは驚いた。

何せ、アルトリアは王妃のことを大事にしていたし、慈しんでいたと、思っていたのだ。

けれど、その事実を知ったとき、そんなことはなかったのだと理解した。

マーリンに勧められて娶った女は自分にとって必要であったけれど、別段彼女を特別に思っていたかと言われると黙ってしまう。

慈しむ、徒人の一人でしか無かった。だからこそ、ランスロットが彼女を愛したと知ったとき、納得した。

 

出来るだけのことをして、彼女にも自分を理解してくれていると思っていたけれど。

そうではなかったのだ。

自分と彼女では多くが違った。

大事には出来ても、慈しんでいても、愛せてはいなかった。

 

それも仕方が無いのかも知れない。

自分は、あの日、とても善き者を殺しておいて、その願いを叶えることもできないから。

だから、誰かには、自分以外のあまたのものには、できるだけ幸せになって欲しかった。

自分では子を持たせてやれない。自分ではそれと夫婦にはなれない。自分では、それを、愛してやることが出来ない。

 

負い目はあった。

当たり前のように与えられるはずのものを与えてはやれていなかったのだ。

だから、自分の代わりにランスロットが与えてくれたことにほっとしていた。

けれど、それが白日の下にさらされたとき、自分には止められなかった。

 

ランスロットをとがめることは出来ない。何と言っても、それをとがめれば、食料の輸入先を失うことになる。

グィネヴィアを赦すことも出来ない。今、他の王達から離反されれば防衛は出来なくなる。

 

選択肢はなかった。

そうあることしか、自分には。いいや、もっと、あったはずなのだ。

もっと、他に。

そうでなければ、どうして、あんな悲劇が起きたのだろうか。

 

 

転がった遺体、太陽のような、男が泣いていた。

男が、ランスロットを追ったとき、城を去った時、何かが己の中でがちゃんと音がした気がした。

何かが、砕けて、壊れて。

それでも、しなくてはいけないことがある。

考えてはいけない、折れてはいけない。

 

止まってはいけないのだ。だって、あの日、アルトリアは、きっととても優しい男を殺したから。

 

ランスロットに怒りは無かった。

いいや、無関係な彼らを殺したことに思うことはあったけれど。

それでも、密通だとかに怒りはなかった。

 

全て、自分は悪かったから。

 

 

軋む音がした。

何かが、ぎしぎしと音がして。それでも、やらなければいけないことがあって。

それを無視して、心を殺して、日々を生きて。

 

なのに、あの日。

モードレッドに会った時、何故だろうか。

その鎧の隙間に、若葉の瞳が見えた気がした。

その瞳に、何か、あの日、血に濡れながら、それでもアルトリアの幸福を願った男が見えた気がして。

 

何をしているのだろうか。

彼の子どもたちはことごとく死に、彼に託されたものをことごとく自分は潰した。

 

自分は、彼に願われたことを、何も、何も、叶えられず、遂行できず。

 

すまないと、謝った。

モードレッドには、いなくなった騎士達の穴を埋めるためにひどく酷使していたから。

モードレッドは、その、軽やかな声で言った。

 

陛下が何を謝るのですか、なんて。

それに、アルトリアはきっと、違うことを言おうとしたのだ。もっと、違うことを。

なのに、アルトリアは、言った。

 

ああ、すまない。すまなかった。全て、私が悪いのだ。私には、愛を理解できなかった。

 

何故、そんなことを言ったのだろうか。

いいや、それは、きっとアルトリアの懺悔だったのだ。

 

愛を理解できなかった。

 

恋も、愛も、アルトリアには余分で、必要も無く、そうして理解を得るにはあまりにも遠かった。

恋をする資格も、余裕も、理由も、意味も、興味も、アルトリアにはなかった。

愛を知るには、養父は距離を持ち、義兄は諦めてしまっていて。両親は無く、全ての人々はアルトリアから距離を置いた。それは、ある意味で、妻もそうだった。

いいや、あったのかもしれない。

あの日、自分が殺した男から与えられたその、幸福であれという祈りは、もしかすれば愛であったのかも知れなくて。

あの日、感情のままに、愛のために嘆く姉に伸ばしかけた手は、そうであったのかもしれない。

けれど、もう、全てが遠い。

 

理想の王であるアルトリアに手を伸ばすものはいなかった。アルトリアは愛を求める資格を失っていた。

 

愛を、彼女は理解できなかった。

グィネヴィアを愛せていたと思った自分の愚かさを恥じた。

 

「いいえ。」

 

軽やかな、声がした。それに、顔を上げた。

その、騎士は、いいえと幾度も言った。

 

「いいえ、陛下は何も悪くありません。陛下はずっと、良き王でした。」

 

それは、慰めの言葉だったのだろうか。いいや、もしかしたら、その時からとっくにその青年は。

 

 

モードレッドは謀反を起こしたと知ったとき、アルトリアはもう、何も考えないようにした。

考えれば、立ち止まってしまう気がした。

だから、必死に、自分が出来る最善を行って。

カムランまでたどり着いた。

 

向かい合ったそれは、自分をじっと見つめていた。つけられた鎧で、どんな表情をしているのかわからない。

 

言葉は無かった。

ただ、向かい合ったその瞬間、やることは決まっていた。

振りかぶった刃は、モードレッドの鎧を砕いた。

 

「え?」

 

その下に見えた、その顔は、ああ、アルトリアの父によく似ていた。

 

理解した。わかってしまった。

彼が、誰の子であるか。

己に子がいないのならば、それが表す血筋が、なんであるのか。

ああ、緑の瞳が。

あの日、アルトリアのことを真っ直ぐに見て、託して、幸せになれと言ってくれた、優しい人と同じ、この島の森と同じ、色が。

自分を、見ていて。

 

それは、笑っていた。

 

(どうして、笑う?)

 

それはひどく穏やかな目をしていた。

 

(どうして、そんな目で私を見る?)

 

怒っていたんじゃないのか?

復讐のために、こんなことをしたんじゃないのか?

 

だって、自分が、彼から、きっと、たくさんのものを奪ったから。

 

なのに、なのに、なのに。

 

「・・・・・い、い、よ。」

 

何が、いいと言うんだ。何が、いいと、お前は、いったい。

それでも、その青年は、あの日自分が殺した男とよく似た笑みを浮かべるのだ。

 

「あな、たは、たくさ、ん、がん、ばった、から。」

 

だから、いいよ。もう、幸せになって、いいんだ。

 

緑の瞳から、光が、消えた。

 

 

アルトリアはそれに崩れ落ちた。青年の、その、遺体を前に膝を突いた、そうして、カムランの丘から辺りを見た。

 

死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体!!!

 

「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

口から放たれた咆吼が、空しく辺りに響き渡る。

 

「違う!違うんだ!こんな、こんなことを、私は、こんなことを願っていたんじゃない!」

 

空しい絶叫が響き渡る。

そうして、自分の前で横たわる青年を見た。

ああ、そうだ、彼は優しい人だったのだ。あの日、自分が殺した、あの人のように。

 

ああ、ああ、ああ、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!

幸せが何であるのか、私にはわからないのです!

 

喜びなど不要で、一個人へ向ける感情など自分には余計で、私心など赦されない私には、幸せが何かなどわからなくて。

だから、誰かに幸せになって欲しかった。誰かと、漠然とした思いであったけれど。それでも、誰かを幸せに出来れば、きっと、自分はあの日、自分に優しくしてくれた人に報いることが出来ると。

 

ああ、なのに!なのに!

自分は、何をしたというのだろうか!

必死に走った、必死に足掻いた。少しでも、間違えれば全てが崩壊するとわかっていたから、だから、自分を贄に、薪としてくべて、ここまで来た。

その結末がこれなのだ。

その結果が、これなのだ。

 

ひどく、多くのものを切り捨てて。ここまで、走ってきたのに。

 

モードレッド!

お前は、何を望んでいたのだ。

もういいよと、何を、思ってこんなことをしたのだ。

ああ、幸せになれなどと、私にそんな資格などあるはずがない。

わからない、わからないのに、それでも脳裏には男の姿があった。

夜の髪に、若葉の瞳。

その男が、自分に言った言葉を思い出す。

 

幸せになれ。

 

「わからない!ロット王よ!私には、幸せがわからない!そんな資格、私には無い!あなたを犠牲にした私に、そんなことを、そんな・・・・」

 

そう願ってくれる人がいたのに。

そう、託してくれる人がいたのに。

そんな、人を、自分は殺したのに。

 

なのに、なのに、なのに、なのに、なのに!

 

「その結末が、これなのか!」

 

ぼたぼたと、何か、生暖かいものが頬を伝う。まるで、子どものように、流れ落ちていく。

 

間違っていたのか。

そうだ、間違えていたのだ。

どこからだ?

ランスロットを赦したこと?グィネヴィアの処刑を決めたこと?ガウェインを見送ったこと?アグラヴェインたちが死んだこと?グィネヴィアを娶ったこと?優しい男を殺したこと?王になることを受け入れたこと?

 

いいや、違う。

違うのだ。

 

「私さえ、いなければ。」

 

茫然と吐き出した。

 

「私さえ、いなければ、何も、何も、起こることなどなかったのだ!」

 

そうすれば、優しい男が哀れみで、幸せになれなんて願わなくてもよかったのに。

そうすれば、一人の女が崩れ落ちることなんてなかった。

そうすれば、五人の子どもたちが父親を亡くすことなんてなかったのに。

そうすれば、二人の男女の恋は成就していたかも知れないのに。

そうすれば、そうすれば、そうすれば、そうすれば、そうすれば。

 

緑の瞳が、自分を見ていた。

 

願われたことさえも果すことが出来ない、愚かな竜が産まれなくてよかったのに。

 

「壮観だな。」

 

静かな声がした。

かつんと、足の音がした。

 

「貴様の高尚な願いの果てがこれだ!正しさの後ろ盾を得て、傲慢に立ち回った結末がこれだ!ああ、どんな気分だ!なあ・・・・・」

 

まるで、凪いだ海のような声だった。

振り返ったその先には、女がいた。自分によく似た女がいた。

それは自分の顔を見て、目を見開いていた。

 

(・・・・きっと、呆れられたのだ。)

 

だって、女から何もかも奪っておいて、こんな結末を引き出したのだ。

きっと、怒りさえも通りこして、きっと、呆れているのだ。

 

「・・・・何か、言うことはあるか?」

 

静かな声だった。とても、静かで、怒りだとか、そんなものさえ聞こえなくて。

アルトリアは、それに素直に言葉を口にした。

今更、何を言っても、この罪を償うことが出来ないのなら。ならば、それだけをと。

 

「ごめんなさい。」

 

あなたから多くを奪っておいて。あなたから、あの人を奪っておいて。

 

「ごめんなさい、こんな結末を迎えてしまって。」

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

 

「幸せになれと、言われたのに。私、私は、幸福も、愛も、わからなかった!ロット王は、そう、願ってくれたのに。それさえも、叶えることが出来なかった!」

 

ごめんなさい、そう呟いた、瞬間、何かが自分を抱きしめた。

 

「何故、お前は!お前は、どうして、そうなんだ!」

何故、お前は、そんなにも。

 

茫然とした声で、それでも、アルトリアの姉は、モルガンはアルトリアのことを抱きしめてくれた。

その体は温かくて、柔らかくて、生きていた。

それに、アルトリアは幾度も、ごめんなさいと、そう言って泣きじゃくった。

 

 

 

(・・・・ああ、夢を。)

 

赤い竜は、アルトリアであったときの夢から覚める。

サーヴァントは夢を見ないけれど、それでも、彼女は少しだけ特別だからなのか、夢を見た。

 

ああ、今日も、銀の髪をした、自分によく似た少女が起こしに来るのだろうかと考える。

 

(・・・・今日も、私はここにいる。)

 

いつか、自分はモルガンに報いなければいけない。あの日、それでも、生きて償えと言ってくれた優しい姉のために。

それぐらいしか、愚かな竜には出来ないから。

 

(ああ、でも、叶うのなら。)

 

最期の最後が来たのなら、あの日、どうして自分を抱きしめてくれたのか、その理由を聞いてみたいと思った。

そうして、礼が言いたいと思っていた。

何故か、己でも上手く言えないけれど、あの日、抱きしめてくれたことに、アルトリアは礼が言いたいとずっと思っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

霧の中の問い

お久しぶりです。短めです。
感想いただけましたらうれしいです。


 

「・・・・・お前か。」

 

アグラヴェインは父達の去った教会で、少しずつ崩れていく己の体を見た。魔力の元であった聖杯の一部を渡した彼は顕界を続けられなかった。

その言葉に、一人の人間が現れる。

黒いローブを羽織った人間だった。そうして、その足下には、小動物が佇んでいた。淡い銀の毛並みに、そうして光の加減に虹色に輝いている。もしも、その場に藤丸立香がいれば、彼のよく知る獣の名前を呼んだことだろう。被ったフードで顔は見えない。けれど、アグラヴェインはそれが誰であるかを知っている。誰よりも、知っている。

 

「・・・逝くんですね。」

「ああ。」

 

短く返された返事にそれは微かに頷いた。アグラヴェインはそれに、ちらりとその人物を見た。それは、召喚されてすぐに、宝具を使い姿を眩ませていた。それを、彼の母であるモルガンは許した。

己が、木漏れ日と、柔らかな春の風の吹く夢に浸ることもなく、寒々しい現実にあることを許したように。

 

「お前は、これからどうするんだ?ベルンと、何を企んでいるのだ?」

「分かっていたのですか?」

「どうせ、実行することも、叶うこともないと思っていたからな。何よりも、そういった裏方仕事を教えたのは私だ。」

「そうですね。」

「・・・いけ。はなすことはない。私は、夢から醒める。この、母上の夢から覚める。だから、もう、いい。後のことは父上に任せた。」

「後悔は、しませんか?」

「あるに決まっている。だが、なあ。」

 

アグラヴェインは笑った。

 

「姫君の元に参る王子の邪魔をするほど、無粋である気は無いのだ。」

 

 

 

 

「・・・・大丈夫か?」

「え、あ、うん。」

 

道を進んでいるとき、ロットのそれに藤丸立香は彼を見上げた。どこか、申し訳なさそうなそれに、立香は頷いた。

それにモードレッドが顔を出した。

 

「疲れてるなら、負ぶっていこうか?」

「大丈夫だ。」

「そうか、あまり無理はしないようにな。」

 

立香はそう言って、じっとロットを見た。

立香、ロット、そうしてモードレッドにランスロットは城に向かっていた。

彼らが持つ、聖杯の欠片は二つ。

 

「これぐらいあれば、なんとか城の門まではたどり着けるだろう。」

 

それによって、アグラヴェインのいた教会を後にした。

 

「いいの?」

 

一人、教会に残されたアグラヴェインのことを考えて、立香は言った。それにロットは頷いた。

 

「ああ。あれは夢から覚めると決めた。言いたいことも、俺の本音も言ったからな。だから、もう、いい。」

 

穏やかな声でそう言えば立香に答えられることなどなかった。

 

(聖杯の雫は、二つになった。)

 

アグラヴェインから渡されたそれは、ロットの剣に吸い込まれている。

次は、城に行くのだという。

 

「まあ、簡単にはいかないだろうが。それでも、かの夢魔殿を信じないとな。」

「信じられるの?」

「ああ、自分を殺した人間の一人だ。十分にな。」

 

それは一瞬だけ、ブラックジョークの一つだろうかと考えてしまうような言葉だった。ちらりと見た男は特別な感情などなく、それが純粋な賞賛であることが理解できる。

 

「・・・父様、それ、止めた方が良いよ。」

 

なんとも言えない顔をしたモードレッドの顔と、気まずそうなランスロットの顔が印象的だった。

 

 

 

「・・・・霧が出てきてる?」

 

立香のそれにランスロットが眉をひそめた。そうして、近くにいた立香を守るように立つ。

 

「この霧、ただの霧ではないぞ!」

「・・・・だめだな、一人はキャスターが必要だな。」

「遠くから足音もしない?」

 

ぼやくように言った後、ロットは立香に視線を向けた。

 

「どうする、マスター?」

 

それに立香は考える。選択肢は二つ、このまま止まり、やってくる存在を待つか。それとも、逃げるか。

 

「この霧を抜けよう!」

 

霧がなんなのかわからない今、やってくる存在はモルガンからの兵士である可能性が高い。

ならば追ってから逃げた方がいいはずだ。

モードレッドが立香を抱える。

それに四人は霧の中を走り出す。ひとまず霧の中を走り始める。

サーヴァントが本気で走り出せばそうそう追いつけないとは考えた。

 

「・・・・あー、やっばいな!父様、やっぱり方向がわっかんない!」

 

三人とも全速力で走り続けるが、霧の中を抜けられない。足音は、確実に近づいてくる。

そうして、等々、目の前に人影が現れた。

 

「・・・・逃げれなかったか。」

 

ぼやくようなロットの言葉の後、皆で剣を引き抜いた。

 

「すまないな、マスター。」

「ううん、いいんだ。」

 

立香はその言葉の後、覚悟を決めて人影をうかがう。たいまつを盛っているらしいそれらは、ゆっくりと自分たちに近づいた。

そうして、そこにいたのは、立香たちが村々で見た、ただの農民達だった。

 

「ああ、久方ぶりですね。」

 

どこか皮肉気な言葉を吐いたのは、一人の青年だった。

 

 

 

 

「・・・・今日も、あれの元に行ったのですか?」

「すみません。」

 

グレイはひどく気まずい思いで目の前の人を見た。そこにいるのは、自分とよく似た顔の女が一人。

それは優雅に硝子で出来たゴブレットを傾けた。グレイは落ち着かない気分でそれを見つめた。

グレイが城に来てから毎日一度、そうやって食事を共にする。食欲は無いが、それはそれとして体力は付けておかなくてはと無理矢理に飲み込んだ。

 

「いいや、怒っているのではない。ただ、あれは。」

 

この城の女王であるモルガンは視線を下に向けて、机の上を見つめた。

 

「・・・ひどく、退屈だろう?」

「いいえ、少しだけ、昔の話を聞かせてくれます。」

「昔の話か。ふ、空しい栄光の話か?」

 

皮肉気なそれにグレイは少しだけ悲しそうな顔をして、首を振る。

 

「・・・皆といった、狩りの話。」

 

それにモルガンは動きを止めた。

 

「豊作だったとき、一面を覆った黄金の波。遠くに聞こえる、かすかな子どもたちの笑い声。秋に食べた、白いパンの話も。」

 

グレイは、訥々と、バーサーカーが少ないが語った話をした。

グレイは、少しだけ不思議な気分になった。

バーサーカーと少しずつ話をするにつれ、彼女は口を開いてくれるようになった。そんな中、バーサーカーはこんなことがあったと口を開いてくれるときがあるのだが。

グレイは、てっきり、それに冒険譚を聞かせてくれると思っていた。

けれど、バーサーカーの話すのは、なんだか、とても普通のことだ。

日の光を浴びて黄金に輝く小麦の海、収穫に喜ぶ人々の笑い声、狩りに騒ぎ獲物を食べた日々。

そんな、なんだか、とてもたわいないことを話してくれた。

 

「っは、あれは、なんだ、それだ。それこそが、真の・・・・」

「陛下?」

 

モルガンはまるで何かをこらえるような顔で、首を振った。その仕草にグレイが不思議そうな顔をした。けれど、すぐに顔を引き締めた。

 

「今日はもう、終わりにしよう。部屋に帰りなさい。」

「・・・はい、わかりました。」

 

そのまま部屋を去って行くグレイを見送り、モルガンはダイニングの椅子に深く腰掛けた。そうして、額を手で覆った。

 

「・・・・バーサーカー、お前は。」

 

ぼそりと呟いた後、モルガンの脳裏には一人の女のことを思い出す。

 

 

 

「ラグネルよ!」

「ああ、お義母様。」

「この城から離れるとは、どういうことだ!?」

 

それは、いつかに、モルガンがこの国を永遠にしようと計画を進めていたとき。

ああ、そうだ、それはモルガンが聖杯を手に入れたとき。

それは、静かに微笑んだ。

 

背が高く、見目麗しいがまるで大樹のように落ち着いた空気を持った女だった。

 

「何故だ、ガウェインも帰ってくるのだ!ならば、どうしてここから去るというのだ?」

 

その言葉にラグネルは淡く微笑み、そうして、モルガンに微笑んだ。

 

「・・・いいえ、お義母様。我が夫は死んだのです。」

「だが、帰ってくるのだ!不可能ではない!だがら・・・」

「お義母様、いいえ、我が夫は死にました。遺体も見ました。葬式もしました。もう、帰ってくることは無いのです。」

「なぜ、なぜ、そんなことを言うのだ?」

 

モルガンは、その時、崩れ落ちそうになりそうだった。だって、その女は自分と同じであったはずだ。

愛しい夫を亡くし、可愛い子どもたちは殆ど死に絶え、女に残ったのは美しい月色の髪をした娘だけ。

それは、自分と同じはずだ。自分と同じ、苦しくて、悲しいはずだ。

 

「・・・・お義母様、私は、本当を言うのなら夫に対して怒りを覚えているのです。」

 

顔を下に向けていたモルガンはゆっくりと視線を上げた。そこにいる女はたおやかに微笑んだ。

 

「息子達は死にました。義弟殿たちも、亡くなりました。ならば、夫の気持ちもわかりましょう。ですが、私だけなら我慢できました。けれど、ローアルのことさえも、あの猪夫は放り投げてしまったのです。」

勝てないと、わかっていたのに。

 

掠れた声でそう言った女はただ、穏やかに微笑んだ。

 

「言い訳の一つも残さずに逝ったのですよ?ええ、なんて、ひどい夫でしょうか?」

「だから、お前は、ガウェインに怒っているから私を置いていくのか?」

 

まるで、子どものように、その時はモルガンは駄々をこねる子どものように言った。それに、ラグネルは悲しそうに微笑んだ。

そうして、そっと、女は己の義母を抱きしめる。

モルガンは固まった。

何故って、女には、そんな風に。

柔らかな胸に抱かれた記憶なんて、とんとなかったのだ。それ故に、固まった。

ラグネルはそれに、そっと、女の黄金の髪を梳いた。まるで絹糸のような髪を、不躾に、少女をあやすように撫でた。

 

(・・・・ああ、やはり、この方は。)

母であり、もう、祖母になったというのに。こんなふうに慈しむような手さえ知らぬのだ。

 

ラグネルはそっと女から体を離した。

 

「・・・私に呪いがかかっていたとき、夫に何と言われたか知っておられますか?」

「見目を、朝と夜、どちらで取るかという話か?」

「ええ、あの方は、私の好きなようにといわれました。」

 

淡く笑ったその顔、まるで生き疲れたかのような静かな瞳。

 

「ならば、私は夫との在り方と同様に、彼の人の死に殉じることはありません。私は、サー・ガウェインの妻であると同時に、ローアルの母であるのです。ならば、私はあの子に未来を与えねばなりません。夫を持たせ、家庭を与える義務があるのです。」

 

ラグネルは淡く笑った。モルガンはそれに何と応えていいのかわからなかった。

ただ、ラグネルはモルガンに手を差し出した。

 

「私はここで止まった時の中にいることは出来ません。私はローアルに未来を与えねばなりません。我らは生者、過去を置いて、未来に向かうことこそが我らの義務であるのでしょう。」

私が言えるのは、一つだけ。

 

ラグネルはただ、モルガンに手を差し出した。

どうか、共に行きましょう。

 

置いていくのではなく、共に傍観の渦に巻き込まれるのではなく。

進もうと、道を向かうことこそがこの身に出来ることだと女は言った。

 

(・・・私は、なぜ。)

 

モルガンはそれを見送ってしまった。

幼いローアルがお祖母様と手を振っているのが見えた。二度と、会えないとわかっていたのに。

モルガンはそれを見送ってしまった。

今でも、何故だと思う。

例え、縁があっても、モルガンには可愛い息子が、そうして、愛しい夫のいない未来に進むことが出来なかった。

だから、過去に縋ったのだ。

けれど、今でも思うのだ。

どうして、自分はあのとき、寂しくて、悲しいと思いながら、それを見送ってしまったのだろうか?

 

(・・・・いいや!)

 

それでも、帰ってきたのだ。

幾度も代を重ね、それでも、愛しい末の子は帰ってきてくれたのだ。

 

(・・・ガウェインは、あの子に会おうとしないが。)

 

それでも、きっと、あの子だってロットが帰ってくればきっと、グレイに会うだろう。そうだ、そうしたら、今度こそ、今度こそ、家族で仲良く暮らすのだ。

それはけして、終ることもない、変わることの無い、不変の幸福のはずだから。

未来に進むことはない、けれど、失われることのない世界。

それは、きっと、きっと。

 

(幸福のはずだ。)

 

それでも、モルガンは、今でも、ラグネルたちを見送ってしまった理由がわからぬまま。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

置いていかれた人間は

 

「・・・・そんな顔をしてないで、何か言ったらどうだ?」

 

なじるようにそう言った青年にロットは黙り込む。それにランスロットはモードレッドの抱えた藤丸立香を庇うように立った。

 

「・・・・はっ!ああ、どうせ覚えてなんてねえんだろう?どうせ、あんたの民とは言え、俺たちは歴史にさえも残らねえ雑草だ。あんたみてえな高貴な身分が覚えてるはずがねえんだよ。」

「おい、いい加減にしろ。無礼だぞ!」

 

男の不躾な言葉にモードレッドが怒りの声を上げる。それに周りを取り囲んでいた人間達は各々で農具などを握りしめた。

 

「モードレッド!挑発するな!」

「黙れ!サー・ランスロット!この方は我が王ではなく、されど我が父であり、王なのだ!このような無礼、赦せるはずがないだろう!」

 

叩きつけるようなモードレッドのそれに青年は怒りに任せるように叫んだ。

 

「その王であるというのなら、どうして、俺たちの国を壊しに来たんだ!答えてくれよ、ロット王!」

 

その言葉にロットは目を見開き、その青年を見つめた。

 

 

 

貧しい生活、豊かにならないが働きづめの毎日。

それに不満がないと言えば嘘になる。ただ、なんとか死なない程度に生活は出来た。

 

「おい、今日も王から物資が届いたぞ。」

「おい、蛮族が迫ってるから、逃げろとお達しだ!」

 

少なくとも、己の住む場所を治める男は、俗に言えば当たりだった。

なんとか、死なないように生活できるようにしてくれたし、そこまで重い税を搾り取るようなこともなかった。

曰く、他の土地からすれば、その王はだいぶましなのだという。そんなことを言われる度に、鼻高々だった。

 

おう、我らが王、ロット王。

釣り好きの、変わり者の、我らが王よ!

 

きっと、ヴァイキングに、痩せた土地、そんな故郷の中でその男の存在だけが自慢で。

その王ならば、きっと、いつか、なんとかしてくれると、そう。

 

・・・王が死んだと、そんな知らせが入ったのはいつだっただろうか。

ただ、城に下働きに行っていたものがそんな知らせを持って帰った。

 

嘘だろう?

だって、あの人だぞ?

 

狭い領地をふらつく変わり者の王のことを民は誰もが知っていた。だからこそ、嘘だろうと言い合った。

変わり者で、飄々としていて、なんでもお妃様が大好きな、そんな王様。

この過酷な土地で、蛮族を相手にしていても死なない王様。

死ぬはずがないのだ、だから、きっと、いつかのようにひょっこりとどこかで釣りをしていたなんて話が入ってくるのだと、そう。

 

王様を殺した王が、自分たちの土地を治めるそうだ。おまけに、御子のほとんどは王の下に行くという。

不満はあった。けれど、お妃様は残るそうだ。

遠い場所から嫁いできたお妃様、なんでも王様がそれはそれは大事にしていたお妃様、賢い方だと自慢していたお妃様。

 

耐えよう、耐えよう、あの方はこのままこの土地に残ってくれるのだから。

いつか、長子が戻ってきてこの故郷を治めるというのなら。

そうだ、耐えよう。

きっと、また、いつかに、厳しくて穏やかな日々が、きっと。

 

そんな日が訪れることなど、二度と無かったのだけれど。

 

 

 

「・・・・民達は夢の中にいるはずだ。ならば、なぜ、お前達はここにいる。」

「私がお連れしました。」

 

人混みの中からふらりと人影が現れた。それは、茶色の髪をした青年で。

 

「ベルン!?え、ベルンだ!」

「あのときの!」

 

モードレッドと立香のそれに、ロットは目を見開いた。

 

「・・・・何故だ?」

「こいつがあんたに会わせてくれるっていうから連れてきたんだよ。」

「ええ、皆さん、陛下に会いたがっておられたので。つれて参りました。」

 

方法など問わずに、ロットは口を開いた。

 

「俺は理由を問うたのだ。」

 

ロットの鋭い瞳にその場にいた民達は怯えるように体をすくめたが、ベルンは黙り込んだまま、その、青い瞳をロットに向けるだけだ。

そんな中、青年だけが苛立ったように叫んだ。

 

「そんなこと、どうだっていいだろう!?聞かせてくれよ、王様!」

あんたは、どうしてこんなことをするんだよ。

 

それはまるで、幼い子どもが上げる泣きじゃくる声に似ていた。

 

それはある意味で、予想の出来るものだった。だから、ロットはあくまで淡々と言葉を吐いた。

何故、こんなことをするのか、なぜ、この国の平穏を壊すのか。

 

「・・・間違ってるから、だ。」

 

短い言葉に、激高したように青年は叫んだ。

 

「間違い!?間違いだっているのか!?これが、あんたの妃の願いは、そんなにも間違ってるのかよ!?いなくなった人間が、帰ってきたんだ!ずっと一緒にいるんだ!いいだろう!?それで、それだけが、これを信じることが出来れば!それで!」

 

声が、声が、残響が己を焼いた。

間違っているからなんだろうか。間違っていてもいいじゃないか。それだけで引くことは出来ない。

だって、だって、幸せなんだ。

散々に泣いた、散々に苦しんだ、散々に悲しんだ。

それは重たい曇天のように己たちを押しつぶす。だから、どうか、この間違いを正さないで欲しい。

 

「あんただって、そうだろう。一緒にいられるんなら、なら、ここで・・・」

「・・・いいや、ダメだ。それではダメだ。これが平穏であるとして、俺はこの国の王でもあったものとして、その平穏を壊さなければいけない。」

 

冷たいように感じるそれに、民達は、その場にいた全てが、裏切られたかのような顔をした。

それに、立香は、ああと思う。

 

(そんなことを言わないって、信じてたんだ。)

 

優しい王様だから、よき王様だから、きっと、そんなことを言わないって、信じていたんだ。

 

「なら、あんたは俺たちの敵だ!」

 

がなり立てるような声と共にぼろぼろと、農具を民達が抱える。

 

「で、でも、王様だ!」

「そうだ、あの方は、覚えているぞ!」

「王様に、そんなことを・・・・」

「やらなきゃ、今あるものが奪われるんだ!」

 

青年のものではないその声に、民達は黙り込み、そうして、改めて農具を構える。

それは、守るためだ。歪でも、愚かでも、間違っていても、それでも、今ある平穏に縋り付く生者のあがき。

 

「傷つけず、流すだけ!」

 

立香のそれに、モードレッドはもちろん、ランスロットも困惑しながら、されども剣を構える。

ロットもまた剣を構えた。

 

流す、流す、流す。

あの時代、伝説に謳われた騎士達は農具を振りかぶる民など勝てるはずがない。

けれど。

 

やめて、奪わないで。

死んだあの子が帰ってきてくれたんだ!

妻が、ようやく、二人で。

一人息子なんだ、奪わないで。

もう、飢えなくていいんだ。

寒さに震えて、凍り付かなくていい。

 

お願い、頼みます、王様。

一緒に。

お妃様が、待っていますよ。

 

それは、今まで聞いたような怨嗟の声ではない。

立香は、その言葉に、胸が張り裂けるような気分になった。

それは、それは、今まで聞いた声の何もかもと違う。

憎しみの声で、嘆きの声で、苦しみの声で、そうして、どこか、罪悪の混じったそれ。

理解する、わかる、わざわざ彼らがここに来たのは、

 

(ああ。この人たちは、きっと・・・・)

 

民達はあっさりと地面に転がった。簡単に、あっさりと、転がった。

それでも、彼らは変わること無く、立ち上がる。立ち上がって、ロットたちに農具を向ける。

 

止めろ、なんて言えなかった。

どうして、そんなことを、今を生きる人間が、この国を滅ぼすきっかけを生んだ男が、滅んでくれと願った騎士が、言えるのだろうか。

 

「・・・・行こう。」

「え!?」

 

ロットは剣を収めて、その場を去ろうとした。それに立香が慌てる。

 

「ロット王!?」

「・・・・これ以上することも、出来ることもない。俺のすることは変わらない。そうして、お前さんだってそうだろう?」

 

ロットがそういうと同時に、また、あの青年が叫んだ。

 

「おい、逃げるなよ!」

 

ベルンに支えられ、立ち上がる青年をロットはじっと見る。

 

「何も言わずに逃げるのかよ。あんたらはいいだろう、そうやって、死んだはずなのに生き返って!でも、俺たちにはないんだ!そんな奇跡は二度と無いんだよ!なら、どうして、納得なんか、俺たちには。何故、国が滅んだかもわからない、俺たちに、あんたはそれでもだんまりなのか!?」

 

ぎしりと、モードレッドとランスロットの剣が鳴った。

 

その通り、男はゆっくりと剣に手を伸ばそうとした。けれど、それを止める存在がいた。

 

「・・・ねえ、一つだけいい?」

 

男は少年の目を見た。懐かしい、愛おしい瞳に似た、澄んだ湖の、高い空の、深い海の、そんな色。

彼はどこか、申し訳なさそうな顔をした。

 

「俺がこれを言っていいのかわからないけれど。でも、もしも、あなたが彼らの願いを否定するのなら、本当のことを言ったほうが良いと思う。」

「・・・俺は。」

「何もわからず、勝手に何もかもが終るのは悲しいから。なら、本音を言ってくれた方がずっと嬉しいと思うから。」

 

少年の脳裏には、最期まで、全て黙って、そうして逝ってしまったロマンチストの顔があった。そうだ、なにもわからずに終るのは、悲しいから。

その言葉に男はふっと、視線を下げた。

 

言えるのか?

ああ、だって、これはひどいエゴだ。何故、この島を滅ぼすのか?

それは、きっと、一つの義務と、多くのエゴによってなりたっている。

言うものではない、こんなもの、ただの八つ当たりだ。

奇跡が訪れた自分と、訪れない彼。

それには、多くの隔たりがあって。

 

「陛下、言ってください。」

「何が言いたい。」

「いつまで黙っているんですか!?」

 

ベルンのそれに、ロットは顔を強ばらせた。

 

「何も言わずに死んで、後のことは大丈夫って本気で思ってたんですか!?王妃様は精神的にガタガタで、ダイルの馬鹿は使い物にならず!何人かは裏切って違う国に行くし!!」

「お、おう!?」

「もう大丈夫なんて、何を言ってるんですか!?うちは、あんたのおかげで回ってたんですよ!あんたが、いつも、大丈夫だって笑ってくれたから!だから、足掻いてた!いつも、いつも、あなたがいればとそう。」

 

教えてください。教えてください。

 

「このまま間違いを正すなら、この未練を殺してください。」

 

それは、いつかに、ロットが置いていった誰かの嘆きだ。

 

それに、ロットは、ロットは、自分の眼にあったはずの、青い瞳を見た。

ああ、そうだ、それは、確かに自分のもので。

ならば、とっくに。

 

(俺の本音は、晒されてた。)

 

生者と死者、その間は、どこまでも隔てられている。

間違いは正されるべきだ。

夜明けを迎えるには夜は終らなくてはいけない。光への希望を見るには、小さな灯を消して闇を越えなくてはいけない。

そうだ、ああ、人生とは苦痛の多くの苦痛に苛まれながら行くしかない巡礼の旅だ。

 

悪徳と、望郷の誘いを振り切って未来へ進まなくてはいけない。

 

(それは、死者には出来ないことだ。)

 

そうだ、それは正しいこと。正しさに跪く、男の答え。

けれど、それは、王の答えだ。歴史の中で、奇跡に成就するこの出来る王の答えだ。

 

それは、いつかに父であった男の答えでも、いつかに恋をした青年のものでも、ただ、この土地で生きた男の、死んでしまった誰かの答えではない。

ならば、そうだ、自分は、最期の誠実だと言えるものを晒さなくてはいけないのだろう。

 

「・・・・なら、お前達はこのままでいいと思っているのか?」

「当たり前だ!王様がいなくなって、どんどん全てが悪くなっていった!王様の息子も、いなくなって!お妃様だって一人で!死んだ人間はいいだろう!後の事なんて、おいていかれた奴らがどんな顔をしてるのか、見てさえいないだろう!?」

 

泣きじゃくる声は、青年だけものだ。けれど、それでも、その場にいた人間が恨めしそうにロットを見て。

それは、きっと、皆が思っていたことだ。

置いていかれ、寂しくて、悲しくて。

恨めしい、置いていった誰かが、恨めしい。

 

それにロットは顔を歪めた。

 

「悲しい?苦しい?泣き叫んだ?ああ、そうだろうさ。ああ!当たり前だ、大事な誰かに会えない、愛したものは消え失せた。お前たちがそれを取り戻したいと思うことも!お前たちが幻影にすがりつくのもだって当たり前だ!そうだ、間違いだったとしても、それでも、それでしか救われないことだってあるだろうさ。でもな、それでもな。」

 

ああ、そうだ。

そうなのだ、ロットは、本当を言うならばずっと、怒っていたのだ。

 

「置いていかれたお前達が寂しいと言うのなら、どうして置いていくしかなかった俺たちが寂しくなかったなんて思えるんだよ?」

 

それは、ひどく、優しい声だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終わりの鐘の音が聞こえるか

感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたらうれしいです。


 

その言葉に、青年は目を見開いた。そうして、ロットは言葉を続ける。

 

「俺だって、置いていかれた。父も母も、俺を置いていった。その寂しさを知っている。でもな、俺たちだって、ずっと一緒にいたかったさ。」

「なら、いてくれればいい。ここに、ずっと。」

 

それは、誰の言葉だったのだろうか。誰かの、その、集まった民の中、誰かの声で。

 

けれど、それにロットは首を振る。

 

「それでも、それはお前達の夢でしかない。死んだんだ、いないんだ、この世のどこにも、俺たち(死者)はいないんだ。」

 

ロットは少しだけ、泣きそうな顔をした。

 

人はずっと泣いてはいられない、悲しんでいられない、苦しんでいられない。

だから、立ち上がって、歩いて行かなくてはいけない。

それもわかる。だから、いつか、忘れられるいつかが来る。

けれど、これは違うだろう。

だって、自分たちはそこにいないのに。なのに、自分ではない自分を愛されて、それで、どうすればいいのだろうか。

 

あの人のことを思い出す。いつかに愛した、愛しいあの人。

なのに、あなたは、こんなにも柔らかな夢の中で、あなたと、そうして、幸せになれと願った幼子と、昔なじみの生真面目な男だけが奴隷のようにそこにいて。

 

ああ、だから、そうだ、だから。

 

「夢を、見てられるのなら、いいだろう。でもな、それは終っちまった俺たちには関係ない。俺たちは、もう夢は見れない。置いていったお前らが幸せならって、少し、考えた。でもなあ。」

寂しいんだ、それでも。

 

ずっと、ずっと、思っていた。

この世界を見た時、この世界を知ったとき、ここでは皆が笑っていた。

だって、ここではどこまでも死者は不要な存在だった。自分たちがいなくなったことは塗りつぶされて、生きていることになった世界。

 

ああ、幸せなのだろうね。ああ、優しい世界だね。

そんなことを思うはずだったのに、自分は、どうしようもなく腹立たしくて仕方が無かった。

なら、ならば、自分たちの終わりは何だったのだ?

死にたくなんて無かった、生きていたかった。それでも、死ぬしかなかったのに。置いていきたくなんてなかったのに。

なのに、なのに、自分たちの喪失はなかったことにされた。

なあ、なあ、違うだろう。それは、自分たちではないのだ。自分たちはいなくなったのだ。

なら、自分たちはどこにいけばいいのだろうか。

こんなにも寂しいのに、こんなにも悲しいのに。

 

「・・・引きずって歩くのも、忘れずに生きるのも、それもいい。でもな、いつかは俺たちを振り切って、ちゃんと生きなくちゃいけない。それが生者の役目だ。それは、俺たちには出来ないことだ。」

 

だから、終らせるんだ。

 

それは死者からの、言葉だ。

置いていかれ、変わりゆくものたちへの寂しさを抱えてなお、変わらない自分たちさえも否定されたそれだ。

 

「お前達の愛した者は、俺たちではない。その愛は俺たちには届かない。ならば、俺たちはお前達の夢をどうして、肯定なんて出来るものか。だから、なあ、もう、行かないと。」

 

ロットは笑った。それに、年かさのものは顔を歪めた。

優しい王様だった。

ふらりと時折現れて、釣りするようなのんき者で、けれど、ずっと自分たちと共に生きてくれた。

ずっと、そうやって、生きてくれた。

知っている、あなたはそうやって優しげに私たちに微笑みかけてくれた。

 

「ありがとう。それでも、ずっと、抱えていこうとしてくれた。もう、何も出来ない俺たちに、行かないでと思ってくれたんだな。」

だから、ありがとう。

 

藤丸立香は、なんだか、それに泣きたくなった。

それは、死者からの別れの言葉だ。

いつか、夢から覚めなければいけないと、そんな決別の言葉だ。

 

戦うためでもなく、前に進むためでもなく、変わるためでも無く、寂しさと悲しみによって死者に縋る生者への強烈な、拒絶の言葉だ。

ああ、けれど、何故だろうか。

それは、とても、とても、優しい声だった。

 

「・・・・置いていけって言うのかよ。いなくなったやつらのことを抱えて、生きろって。」

「ああ、だが、大丈夫さ。」

「なんでそんなことが言えるんだよ!?」

「お前達は、俺の民だからだ。」

 

揺るぐことのない言葉に、青年は虚を突かれた顔をした。

ロットはにっと、まるで、少年のように大口を開けて笑った。

 

「こちとら、冬の国、果ての国、雪と海の、オークニーの王なんだぞ!お前らがどんだけ図太いか!強かで、頑固で、そうして、生きると言うことにどれだけ真摯か、知っている。涙も、怒りも、俺だってお前達と生きたんだ。知っている。お前らのことなら、知っている。信じている。信じているさ、誰よりも、お前たちのことならば。」

 

 

「・・・・聞いただろう?」

「うるせえよ。」

 

ベルンのそれに、青年は吐き捨てるように言った。けれど、その攻撃的な言葉とは違って、周りにいた人間の手から、農具がこぼれ落ちる。

 

「もう、私たちだって、行かないといけなんだ。」

 

私は、ベルン。

ただの、ベルン。ただ、オークニーで生きていただけの文官。

武勇などなく、ただ、羊皮紙と人間に頭を抱えて生きた、それだけの人間。

ああ、でも、それでも。

私は確かに、あの国で、彼の王と共にあったのだ。

王と、共にあり、そうして、その王が死んだ。

 

悪い夢だと思った。いつかのように、ぼろぼろのまま現れて、すまないなんて笑ってくれるのだと。

だって、ベルンにとってその男は、いつだってそうだったから。

 

遺体が帰ってきて、葬儀が行われて、墓に納められ、王子たちがいなくなって、それにともなって姿を消した奴らもいて。

 

それでも、ベルンはようやく、王が死んだと理解した。それに、ようやく、立ち上がる気になった。

だって、腹が減ったのだ。食料だってただではない。

周りの人間の尻を、あの、王の忠犬の尻だって蹴飛ばして。妃様にだって食事を食べさせて。

生きたのだ。

 

この、果ての大地は美しいが、けれど、残酷だ。ならば、生きなければ、生きなければ、だって、生きろと願われたのだから。

 

なのに、悪い夢を見ているようだった。

そうだ、こんなのは悪い夢だ。

失せ物が戻ってきたとき、普通の人間ならどうするか。きっと、まるで二度と離さないというように慈しむのだろう。

 

が、自分は違った。

砕けるように、燃えるように、掠れるように亡くなったものが戻ってくるなんて気味の悪いことを受け入れられなかった。

なぜ、ある?

壊れたはずだ、亡くしたはずだ、二度と、手の中に帰ってきてはいけないはずだ。

けれど周りはそれを受け入れている。それこそが正しいと、これでいいのだと。

いくら言っても、周りはそれを不思議にだって思わない。自分が可笑しいことになっている。

自分はただの人間だ。平々凡々たる、どこにだっているような人間だ。

けれど、これは間違いだ。

自分は夢に浸れなかった、その優しい夢に浸れなかった。

 

だって、自分は立ち上がってしまったから。それを置いて、足を進めてしまったから。

だから、拒絶して、違うのだと言ったのだ。

王妃は逃げ出した己に何も言わなかった。

 

お前がそう望むのなら、現にあることを許しましょう。

 

誰よりもそんな世界を望んだ、哀れな女の元から逃げ出した。誰かを探した。

間違いだと、これではいけないのだと。

だめだと思った。これでは、あまりにも不誠実だ。これでは、あまりにも残酷だ。

自分はただの男だ。どこにだっている男だ。

夢から覚めるのが怖い。このまま、皆が幸せな日々の中で生きられるのならそれでいいのかもしれない。

けれど、これではダメだと、自分にだってわかる。

こんな日々を、彼の人は何よりも嫌っていたはずだ。

 

 

「なら、これを上げよう。」

 

それは、どんな出会いだったのだ、自分にはわからない。

銀の髪、虹色の光を纏ったそれ。

 

「君に、一つだけ、夢から覚めるためのものをあげよう。ただし、全てのものには代償が必要だ。君は縛られることもあるし、多くの存在に恨まれることもある。それでも、たった一つだけ言えるのは。」

君には奇跡が訪れる。

 

それは人でなしの言葉だったのだ。それは、聞いてはいけない言葉だったのだ。

それは、それは、悪魔のささやきだったのだ。

けれど、ベルンはそれを受け入れた。

 

だって、このままでは、亡くなったことさえも忘れられて、夢に目がくらんだ奴らに忘れられていくものたちが、あまりにも哀れだろう。

 

「うん、いいね。やっぱり、君はいいね。いつだって、全てをひっくり返すのは、平凡なる人間であるべきだ!」

 

ベルンはああ、よかったと思った。もう、体はズタボロで、けれど、それでも確かに奇跡は訪れた。

 

「生きろと、俺たちは願われたんだ、なら、いくんだ、いきないと、いけないんだ!」

 

老人よ、お前はそれでいいのか。永遠にそこで佇むだけでいいのか。いつまで、黄昏の中で生きている?

若者よ、それでいいのか。人生を謳歌すると、永遠に子どもは子どものまま、成長はなく、半端なままでどこにゆく。

子どもたちよ、そこで何をする。永久の遊びの中で、大人になることもなく、叶える現実もないままに。

これでいいのかもしれない、それでいいのかもしれない。

だが、これでは、あまりにも王妃様が可哀想だ。

 

「わかっていただろう!この国で生きて、この世界は残酷で。奇跡なんてものを神が与えてくれないことぐらい!誰が、この奇跡を与えているのか!」

 

青い瞳が、無辜なる誰かを貫いた。

ああ、知っている。知っているよ、その瞳。その、青い瞳。

だって、ずっと、その瞳を知っていた。

自分たちを守ってくれた誰かを覚えていた。

 

 

「・・・・知らない。」

 

掠れた声で青年が言った。

 

「お前!」

「知らねえよ!それで、何なんだよ!俺たちはどうなる!?王の事情なんて知らねえよ!」

 

叩きつけて、目をそらして、それでも、もう、青年だってわかっているのだ。

 

知っていた。

自分たちの人生が、この安寧が、誰かの犠牲になり立っていることなんて。

でも、いやじゃないか。死にたくない、終りたくない。

だって、自分は、自分は。

そうやって、目をそらした。目をそらして、でも、どこか後ろめたかった。

いやだ、このままでいい。死にたくない、死にたくない。

いいじゃないか、王様なんだ。俺たちの麦を食べて生きてるんだ。なら。なら、当然なんて。

 

違うってわかってた。俺たちはもう、麦なんて作ってない。ただ、ただ、夢の中でいつかの夢を繰り返してる。それでもいい、自分がいなくなることが怖い、どこかに行くのか、わからないから辛い。

いやだ、いやだ、いやだ。

誰が、王様の、その妻が苦しんでるからって。知らない、知らない、知らない。

 

わめき立てて、その場を沈黙が支配した。

ああ、何が言えるのだろうか。いったい、何が、言えるのか。

けれど。

 

「本当に?」

 

遮られたその言葉、それを言ったのは、民でも、騎士でもない、異端者で。

 

「君は、それでいいの?」

「何がわかるんだよ!あんたに、何が!」

「・・・そうだね、俺にはきっと、わからないことの方がたくさんあるんだ。きっと、何を言うんだって思われるんだと思う。」

でも、でもさ。

 

目をそらしても、あなたは苦しいままなんじゃないの?

あなたは、王様のこと、好きなんだと思うから。

 

 

本当に?

 

言葉は投げかけられて。

 

わかってたんだ。わかってた。わかってたんだ。

 

目の前の、王。

夜色の髪に、この島の春のような若葉の瞳。

 

俺、一度、王様に会ってるんだ。

 

あの日、寒い、冬の日。

俺の、妹になるはずだった赤ん坊が死んだ日。その日、食料を届けに来た王様が偶然、村にいて、その人は産まれる赤ん坊の存在を喜んで、

そうして、その赤ん坊が死んだ。

貧乏で、ろくな墓も用意できない。ただ、土を掘って埋めた、小さな、墓。

夜に、雪の降る、その日。寂しい俺は、墓に行った。

いたんだ、そこに。雪もやんで、月の見える白雪の中で。

べこべこにへこんだ鎧、土埃に塗れたマント、血と泥で汚れた顔。

自分とどこまで違うだろう、泥まみれのその人は、夜みたい髪に少しだけ雪を積もらせて、綺麗な、若葉の見たいな瞳から。

綺麗な、滴を垂らしてた。

 

ぼたぼたと、涙があふれた。

きっと、覚えていないだろう。きっと、よくある話だから。きっと、忘れているだろう。

けれど、自分は覚えている。

よくある話だから、よくある、悲劇だから。

皆が、父親や母親でさえも、仕方が無いとそういって、涙さえもろくにない。

俺の妹のために、あんたは、泣いてくれたんだ。

 

「・・・ああ、そうだ。」

 

涙で揺れる世界の中で、青年は、ただの、名も無き青年はじっと泥だらけの騎士と、少年と、王を見た。

 

「なあ、手を、見せてくれ。」

 

それにロットはガントレットを脱いで、血の通った手のひらを青年に見せた。

それを青年は握った。

周りにいた民達も、それをのぞき込む。

 

「・・・泥は付いてないけど、硬い手だ。」

 

互いの手を見た。ボロボロの爪、泥に塗れた手、節くれてカサついた肌。それは、大地と共に生きるものの手だ。吹雪に生きあがいた人間の手だ。

 

短い爪、硬い手、歪な形の指。

 

ああ、互いになんて醜い手だろうか。それはどこまでも生きるために何かを振い続けた手だ。

王と平民。

それは、天と地のように違うのに。

その手は、本当によく似ていた。

青年はその手を見て、ぼたぼたと涙を流した。涙が、熱い雫が手のひらに降り注ぐ。

 

「・・・・王様なんて嫌いだ。騎士も、嫌いだ。」

「それは・・・」

「・・・・俺の妹は、死んで産まれた。生かされる努力もなく、ただ、産声を上げて、まぶたを開けることもなく死んだ。当たり前だ、母さんは痩せ細ってて、あれでまともに産まれるわけがない。自分の生まれが憎かった。自分とは違うあんた達がばくぜんと憎かった。」

 

ぎちりと、手のひらに爪が食い込んだ。

ああ、でも、それでも。

 

「でも、あんたは、妹のために泣いてくれた。」

 

あの日、いつかに、無意味に、無価値に、ただ、産まれただけのあの子のために、その男は泣いていた。

それは、無意味な行動で、それは無価値な子どもの死だ。

けれど、それは、泣いてくれた。ただの偶然で妹の埋葬の日に訪れた王は、一人で静かに泣いていた。

それは、何よりも、どれよりも、真摯だった。

 

「そうだな、ああ、そうだ。」

 

青年の言葉に、民達はそっと、農具を置いた。

 

「なあ、いいか?」

 

掠れた声でそう言えば、霧の中からぞろぞろと、人間が出てくる。その中には、立香があった、ベルン達の村の村人まで混じっていた。

 

「・・・これは!?」

 

ランスロットの驚きの声を遮って青年が口を開く。

 

「王様が、この夢を終らせようとしてるって、城のお妃様から知らせが入った。どうして、こんなことになってるのか、俺たちにはわかんねえ。お偉方の考えなんて特にな。でも、嘘だと思った。あんたは、ずっと、優しい王様だった。」

「私たちが飢えないように、食料を少しでも分けてくださって。」

「蛮族たちを追い払って。」

「狭い国の中、ひょっこりと現れては、私たちの話を聞いてくださった。」

だから、知りたかった。どうしてか、何故なのか。

ずっと、世界は自分たちの知らないところで回ってばかりだから。

 

だから、知りたかった。

 

「この、城の人に聞きに行こうと、そう言われて全員でわざわざ来たんですよ。」

「ああ、聞いただろう?どうしてか、何故なのか。もう、行かないといけないんだ。別れを、言わないといけないんだ。」

 

それに皆は静かに頷いた。

そうして、皆が互いの隣にいた誰かを見た。

それは、娘の、息子の、妻の、夫の、大事な誰かの姿をしている。今、こんな時でも、それは、そうして、淡く微笑を浮かべている。

ああ、なんて歪なんだろうか。

自分たちは、こんなにも、老いて、成長して、大人になってなお、あなたたちは変わらないままなのだ。そう、変わらないまま。

それに、皆、顔をくしゃくしゃにした。

ああ、わかっているのだ、わかっているのだ、それは、生きていなくて。

 

あなたはいつかに、私たちのために泣いてくれた。一緒に生きてくれた。

未練がある、このまま、ずっと、柔らかな夢の中で眠っていた。けれど、それでも、生きろと、行けと、あなたは言うのなら。

そうして、自分ではない自分を愛するのは寂しいと死者が言うのなら。

ああ、そうだ、もう、行かないと。

行かなくてはいけない。

 

青年は、隣にいる、幼い少女のことを見て、泣いた。もしも、あの子が大きくなっていれば、こんなふうであるはずで。

 

「きっと、美人だっただろうな!きっと、きっと、いい子だっただろうなあ。」

 

涙でかすんだ視界の中で、それでも、青年は口を開く。

 

「でもなあ、そうだ。そうだったんだ。」

 

俺の、妹は、死んだんだ。

 

 

その言葉と同時に、かきんと、何かが壊れる音がした。皆の隣にいた、優しい夢は霧のように消え失せて。

 

「ああ。」

 

立香の喉の奥から、そんな声が漏れ出した。彼の手のひらには、聖杯の雫がころりと転がった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 水着の女は波乱を呼ぶ

あああ、やってしまった。本編書かないといけないのに。
我慢できなかった、申し訳ないです。

王妃様も、妖精妃もいないカルデアに来てロットにあったトネリコの話。


 

 

「・・・・ああ。」

 

その人に最初にあったとき、そう言って、少しだけ黙り込んだ。

 

「・・・改めて、同郷たる、賢者殿。ご挨拶を。」

 

けれど、すぐにそれは微笑みを浮かべて自分に手を差し出した。

それに合わせるようにそれに手を置けれど、それは触れるように手の甲にキスをした。

ああ、とトネリコは思う。

 

いつか、どこかで読んだおとぎ話。

きっと、そこに出てくる王子様というのは、こんなものではないのかと。

 

 

 

ロットというそれに興味を持たないというのは難しい。元より、好奇心の強いトネリコにはそのまま無視をするなんて出来なかった。

自分の故郷、唯一愛した、雨の氏族、彼らの治める、貧しくとも優しい国の王であった男だ。

そうして、なによりも。

 

(私じゃない私の、旦那様。)

 

それだけでどきどきと、何か、胸が高鳴った。

魔女たるトネリコにとって、少なくとも、オークニーを去った後の少女性が強い彼女にはそれだけでそわそわとしてしまう。

だからといって、積極的に話しかけるなんて出来なかった。

何と言っても、魔女トネリコは初心で愛らしい少女なものだから。

何よりも、彼女が召喚されたカルデアというのは未だに、男の妻である存在も、そうして、自分の未来の姿であるらしい冬の女王も存在しなかったのも大きいだろう。

 

ごめんねええええええ!いつか、いつか、ピックアップが来たら!福袋で狙ったんだけどね!?いろんな方面から突かれてるから、引きたいのは山々なんだけど。

あ、ま、息子さんに、娘さん達、お願い、それは水着用の!!

 

何やらマスターの悲しい声が聞こえた気がしたが、トネリコはそれをそっと思考の隅に寄せる。

ロット自身も、あまり己からトネリコに近づいてくると言うことは無かった。

もちろん、避けられているとかではない。雑談だとか、集回だとかで一緒になれば話はする。

けれど、彼はどこかで線を引いていた。

どこか、トネリコを見つめることを避けているように感じられた。

なんだか、それは面白くない。なんだか、とっても面白くない。

 

「ひどいと思いませんか?」

「ええっと、あなたは、確か。遠いいつかの、母上(若い)でしょうか?」

「括弧の中身は気になりますが、いいでしょう。あなたは、ガウェインですね?いつかの私ではない私の、息子?」

「ええ、そうです。サー・ガウェイン。初めて会ったときに言葉を交わして以来ですね。」

 

にっこりと微笑んだそれは、自分と同じ、太陽のような黄金の髪をしていた。それは、彼女の脳裏に浮んだ男とは正反対の髪の色。

なんせ、トネリコは妖精だ。ならば、生殖行動の末である己の息子というものがピンと来ない。けれど、その男の瞳に浮んだ、慈しみの色は馴染みがある。

それは、いつかに、自分に雨の氏族たちが向けていたものだ。

それは、きっと、柔らかな愛というもので。

トネリコはそれに嬉しくなる。だって、そんな色で自分を見る存在は、きっと、ああ、あの優しい雨に包まれたオークニーの子であることは間違いないのだから。

にっこりと無邪気に笑ったその少女に、ガウェインは少しだけ、一人の王と一人の妃のことを思い出す。

それを隠してガウェインは微笑んだ。

 

「それで、どうかされましたか、果ての国の魔女様。」

「ああ、そうです。ロット王について聞きたいのですが!」

「父、上ですか?」

(ふむ、妖精と言えども、母上は母上なのか。)

 

なんてことを考えてガウェインはトネリコと視線を合わせるように屈んだままに微笑んだ。

 

「それで、どうかされましたか?」

「ロット王は、私のことを何か言っていませんでしたか?」

「それは、何か気になることでも?」

「・・・わかりません。ただ、なんだか私から目をそらすのです。」

 

その言葉にガウェインは少しだけ困ったかのような顔をした。父の気持ちもわかるが、一方的に壁を作られている気分になるトネリコの気持ちも理解できた。

 

「・・・そうですね。魔女様。あなたと、そうして私の母が違うと言えどもモルガンであることは知っておられますね?」

「はい、それは。」

「・・・父は母をそれはそれは愛しておられていましたので。モルガンであれど、妻ではないあなたの扱いを決めかねておられるのです。お許しください。」

 

苦笑交じりのそれがトネリコにはわからない。

だって、魔女トネリコは、まだ、恋を知らないものだから。

 

 

 

ちらりと、図書館でそれを見た。

それは、図書館でも奥まったところで、高い本棚に収まったその席はいろんな目から彼女のことを隠してくれる。

 

(・・・何を読んでるんだろう?)

 

そうやって、本棚の隙間から、これまた広げた本に隠れるように見つめる先には、大柄な男がいた。

ロットは本、というか文章が好きであるそうで、図書館の常連だった。物語の本をよく読んでいるのをトネリコもよく見かけた。

そんな彼にもその時にはよく話しかけられるようになっていた。本が好きだという彼に、おすすめの本を聞いたのがきっかけだ。

それに、ロットはやっぱり少しだけ困ったかのような顔をした。けれど、トネリコが積極的に差し出した本を見れば、それも霧散した。

 

「そうか、それは、是非とも読みたいな。」

 

そういって微笑んだ男に、トネリコは少しだけ今まで感じていた壁が薄くなった感じがした。

 

 

 

 

男の穏やかな声は、どこか、いつかに聞いた窓を叩くかすかな雨だれの音に似ていた。

 

「・・・・おしまい。どうだ、面白かったか?」

「・・・・そうですね、面白かったです。次のも読んでください。」

 

そう言って自分が童話の一つを差し出すと、男は苦笑交じりにまた本を読み始める。

トネリコにとって、男と一番近しいのはきっと、父代わりの雨の氏族の彼だった。

気まぐれねだった読み聞かせを嫌がることもなく、幾度も、幾度もそらんじる。

トネリコはその声を聞きながら、ごろりと横になるのが好きだった。

それは、まるで、いつかにしていた父や母、そうして、姉が自分の側でその声に聞き入っているような心地になった。

 

トネリコは不思議な気分になる。それは、何故、自分に優しいのだろうか?

それは優しい妖精雨の氏族と同郷の人間だからだろうか?

その理由を知りたくて、トネリコはよく男に我が儘を言った。けれど、ロットはそれにはいはいと頷いて甘やかすのだ。

普段ならば人の願いを聞くのが好きなロットを守るために回収に来る子どもたちもトネリコのことだけは放っておくのだ。

 

(何故だろう?)

 

トネリコにはわからない。ただ、男は時折、トネリコから目をそらすときがある。それをそっと、盗み見たことがある。

その瞳は、今まで見たものとはどれとも違う感情があった。

それは、慈しみとは違う、子どもたちに向けるものとは違う。

何か、蜂蜜だとか砂糖だとか、そんなものをドロドロに溶かしたような、熱の籠った甘い何かが宿っていた。

トネリコは、それを、何か、それを見た時、見てはいけない気がした。

何か、胸がカッと熱くなって、とても気恥ずかしい気分になった。

 

(ああ、思い、だしてしまった。)

 

トネリコは男の声を聞きながら、そっと、赤くなった顔を膝に押しつけた。そんなにも恥ずかしくて、落ち着かなくなるのに、その瞳をまた見たいという自分がいた。

 

 

 

「・・・ご挨拶を、救世主殿。改めて俺は、いや、私は遠い、いつかの、オークニーが王、ロット王。あなたのような伝説を持たないが、色々あって英雄の末席に籍を置く凡人だ。何か、所用があれば力になろう。」

 

そう言って男は救世主トネリコに淡く微笑んだ。

男は再臨した自分に出会った時と似たような挨拶をして、そうして、また甲に口づけをした。

ただ、その時、最初とはまったく違うことがあった。

口づけが甲に落とされて、それから手を引こうとしたとき。

ぎしりと、ロットはその手を掴んだままだった。驚いて見上げた先。

救世主トネリコは固まった。

それは、魔女であったとき、一度見たことがあった。

 

それを見たとき、トネリコはまるで魅入られたように感じた。

己を燃やし尽くすかのような熱と、そうして、ドロドロに煮詰まった砂糖のような甘さが己に注がれた気がした。

けれど、すぐにロットの瞳に宿ったそれは霧散する。

 

「・・・いや、女性の手を無作法に掴んでしまったな。申し訳ないな。」

 

そのままロットが去って行く後ろ姿を見つめて、トネリコは熱に浮かされたかのような、クラクラとした感覚でその後ろ姿を見つめる。

喉の奥でくすぶる、何かの存在にトネリコは茫然としていた。

 

救世主としての記憶がある彼女は、恋を知っている。

それは、きっと、いつかに王として支えてあげたかった少年が持っていたのだろう。

それは、ああ、あれは、きっと恋だった。

トネリコには、まだ、それが育ちきっていなくて。ただ、家族に誓った夢のために前しか見ていなかったけれど。

それでも、それは恋で。トネリコはそれに気恥ずかしさとかぐらいで、育ってはいなかったけれど。

これこそが、恋なのだと、トネリコは知っていた。

 

だからこそ、男の浮かべたそれに固まった。

それは、確かに、恋だった。

まるで、どろどろと、甘いだけの、蜂蜜を喉の奥に飲み込んだかのような何かを感じるような、暴力的な甘さ。

 

恋とはもっと、穏やかなはずだ。

愛であるのならば、もっと、柔らかなはずだ。

いつかに、彼女の知った恋はまるで果物のように爽やかな匂いがした。

なのに、それは、ただ頭をクラクラさせるような、甘い匂いがした。

 

(そんな恋、私は知らない!)

 

ああ、自分は、そのいつかの、遠い、自分ではない自分はどんな恋をしたのだろうか?どんな、愛を。

あんな、業火のような愛と恋を与えられて、自分はどうなってしまったのだろうか!?

 

どきどきと、男の顔を見ていると、胸の奥がバクバクとなる気がした。

男の近くにいると、落ち着かない。

けれど、男の近くで、その恋の正体を知りたい自分がいる。

 

 

なのに、なのに、なのに!

 

(あの男は!)

 

そんな思いが膨らむ中、とうとう水妃モルガンとして再臨したそれのことを男は徹底的に避けた。

それこそ、マーリンに頼み込んで、できるだけ避けまくったのだ。

 

「そのお顔は今の父には辛く。」

「か、母様、落ち着いて・・・」

「宝具はダメです!」

 

なんてことを、義理の息子やら娘に、そうして、可愛いバーヴァンシーに止められて渋々治めた。

まあ、こんなに魅力的な自分を直視できないというのなら許してやろう。

その時、納得するモルガンの後ろで彼女を説得したアグラヴェインは皆に称えられていた。

 

 

そうして、それがトネリコに戻ったとき、ようやくロットは少女に近づいてきた。

 

「・・・・なんですか、今更。」

「ああ、そんな顔をしないでくれ。俺も、まあ、奥さんにそっくりな顔だと、色々と複雑なんだよ。」

「この顔は、カルデアにあふれているようですが。」

「揚げ足取らないでくれよ!」

 

そんな軽口が久方ぶりで、トネリコは微笑んだ。

男は、それから、その業火のような感情を外に出すことはなかった。元より、そういったことに長けているのだろう。

けれど、トネリコは段々とじれていた。

ああ、その、その感情を見てみたい。だって、自分だって、モルガンのはずなのだから。

 

「・・・・そんなに、私は似ていますか?」

「うん?誰にだ?」

「あなたの奥さんに、です。」

「そりゃあ、お前さん。彼女はモルガンならば。似ているという言葉では語りきれないな。」

 

苦笑交じりのそれ。どうしようもなく、甘い匂いの混じるそれ。

トネリコは、それに、思わず言ってしまった。その、簡素な、王と名乗るにはあまりにも地味な衣装。その腕を掴んだ。

その時、トネリコはロットの自室で、ベッドの上で我が物顔で占領していた。その脇の椅子で男は当たり前のように本を読んでいた。

 

「・・・なら、私じゃダメですか?」

「は?」

「私も、モルガンです。なら、私でも。」

 

そんなことを言った時、ぎしりとベッドが軋む音がした。それに、トネリコは固まった。

自分に覆い被さる、厚く、そうして熱を持った体にトネリコは固まった。

ロットはそれに淡く笑って、そうして、耳元で語りかける。

 

「・・・・いいのか?」

 

どろどろの、あの、熱を持った暴力的な甘さにトネリコは頬にかっと音が走るのがわかる。

顔が近づいてくる。それに、トネリコは思わず怯えるようにまぶたを閉じた。

 

べし!!!

 

「いったあ!!」

「はあ、トネリコよ。」

 

気がつけば己の上から熱は消えており、呆れた顔をした男が先ほどと同じように椅子に座っている。

 

「二度と、こういうことは止めなさい。うちの奥さんにも失礼だ。そうして、お前さんにだって失礼だぞ。今日はもう、帰りなさい。」

 

その言葉に言い返す気力も無く、トネリコは逃げるようにその場から走り出した。

 

 

それから、トネリコは魔女トネリコの姿になって過ごした。

他人に言われても、この姿が懐かしいとそう言って。

事実、その時の記憶はトネリコという少女が一番に幸せな日々だったのだ。

 

ロットは、自分がいたという妖精達の国にカルデアが向かったときの記憶をよく見るようになった。

 

「いや、確かにモルガンも王妃様のことも引きたいけど。運だし。というか、二人とも限定だから今引いても、無理・・・・!やめて、アグラヴェイン、ガレスというかアルトリアも石もってかないで!!!」

 

なんてマスターの嘆きが聞こえたが気のせいだろう。

気まずくて、何を話せばいいのかわからなくて、けれど、男の挙動を思い出すと、心臓がバクバク鳴って、落ち着かなくなる。

 

(・・・嫌われたのだろうか。)

 

そう思えば、男に近づくのもためらわれた。表面的には取り繕えても、どうしても、何を話せばいいのかわからなくなる。

でも、よかった。

だって、そのカルデアにモルガンはおらず、その熱を知るのは自分だけなのだ。

自分だけ、自分だけの、それ。

だから、それだけで、満足しているはずなのに。

 

 

『うおおおおおおおおおおおおお!!オークニー関係の方々、ようやく王妃様が来てくださいました!というか、バーヴァンシーも来て!お母様も来てくれました!ピックアップ大勝利!!』

 

そんな放送がカルデアに響き渡るまでは。

それにトネリコは召喚されたであろう彼らの元に向かった。そうして、その途中でロットと鉢合わせた。

 

「わ、私もいいでしょうか!違う自分にご挨拶したくて。」

 

それにロットは困った顔をしたけれど、同行を許可してくれた。いいや、考える時間も惜しかったんだろう。

 

「・・・何故、あなたまで。」

「いいだろう。違う己とは言え、自分の夫であった。おまけに、そこまで隠したがる存在に興味がある。」

 

そうして、そんな会話が聞こえて、足早に部屋に入った男の瞳にトネリコは目を見開いた。

 

その瞳。

焦がれるような熱の籠った瞳。まるで、砂糖を溶かしたかのような、甘い色。

自分にさえも、滅多に見ることの出来なかったそれ!

ロットは一歩、近づいた。

それに、いつかの自分も、同じように幸福そうに微笑んで。

 

ああ、ああ、ああ!

(ずるい!!)

 

トネリコはロットの懐に咄嗟に飛び込んだ。そうすると、ロットは思わずそれを抱き留める。

驚愕に染まる自分よりも年かさの女の顔が見えた。

それに、トネリコは、水妃モルガンの挙動を便りに悠然と、微笑んで見せた。

そうして、己を抱き留めた男の頬を両手で包み、そうして、その唇に口づけを落とした。

 

「!!!!!!!!!!!」

 

声にならない悲鳴は誰のものだ?

ただ、一つだけ言えるのは。

 

「遅かったですね、私。でも、ごめんなさい。」

もう、私の物なので。

 

そう言って、淡く微笑み、男の顔を胸に押しつけるように抱きしめた。

ああ、そうだ。

自分だってモルガンなのだ。

ならば、それだって、自分の夫であるはずなのだ。

 

 

「え、ま、王妃様、宝具展開は!え、なんでモルガンも宝具を!?むかついた!?ちょ、まってえええええええええええ!?」

 

 





兄上。
どうかしたのか、アギー、ガへリス?
父上、大丈夫だろうか?
何がだ?
トネリコ殿が来られてから、なんというか、色々我慢しまくって決壊しそうだが。
・・・・私も気づいているが。
この頃、狩りの前の猟犬みたいにとがった目をしているが、本格的に止めた方がいいか?
ガへリス、お前、言葉を選べ!
まあ、縁あって早くにカルデアに来て、そのまま母上も来られず幾星霜ではあるからな。
父上は理性的じゃああるが。
だからといって、あのような年端もいかない。いや、妖精だから年上なのだろうか?
アギー、素面でぼけられても。
どちらかというと、妻として愛したいの他に、様相に甘やかしたいという欲望もあるみたいだが。
・・・ともかく、今は見守ろう。それしかない。

そんな上三人の会話など知らない父親は、一瞬手を出しかけたことを墓の底に持っていく覚悟を決めながら自分に呆れていた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小ネタ集

感想、評価ありがとうございます。

この頃ロット王に関してスランプ気味で、よろしければ感想いただけましたら大変に助かります。一言だけでも嬉しいです。

あと、結構溜めてた小ネタの中で一話にまとめる自信のないものを放出してみました。



 

 

 

「私の初恋ですか?ダイルですよ?」

 

それは、とある少女達のお茶会で。

恋や愛について、甘やかで軽やかな会話をしていた時、何気ないように問われたそれにガレスは言った。

 

「え、そうなの?」

「はい、そうです。思えば、というだけですが。でも、私。」

 

鎧を纏い、騎士として生きた少女は微笑んだ。

今、思えば私は、父に嫉妬していたのかもしれません。

 

とある少女の初恋について。

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                 

 

 

 

 

「あの人に会ったら、おそらく、たくさんの言葉が出てくるものだと思っていたんです。」

 

その、鮮烈な赤毛の男はそう言って、机の上に置かれた紅茶に浮ぶ波紋を見つめた。

 

「置いていかれた後の事、恨んで、憎んで、叫びたくて、縋り付きたくて、もっと、違うことも。けれど、あの人に会ったら、何も言えない。ただ、今、あの方が笑っていることが。それだけが、嬉しい。」

 

うなだれるようにそう言った男の顔は、周りにいるサーヴァントたちには見えない。それは、ただ、拳を握りしめてぽつりと言った。

 

「けれど、願いが叶うなら、今度こそ、どうかと。」

あの人の背中を見つめて、共に死にたい。

 

それに深く頷く集団を、遠目に見たロットはやばくねえかと顔色を悪くする。

 

「・・・何してんだ、お前?」

「っと!ああ、土方殿。いや、その、あれが・・・」

 

土方の視線の先には、燕青と、孔明と、そうして己の部下が赤毛のそれを囲んでいる。

 

「なんだ、あれ?」

「・・・いや、なんというか、上司に思うところがある者たちで仲良くなったようで。」

「何が不満なんだ?」

「いや、なんというか、めちゃくちゃ不健全じゃないだろうか、あれ!?」

 

いいのか、あれは?いや、せっかく出来た友人だし。

なんてことを言って、オロオロとその集団を見つめるロットを土方は不思議そうに見た。

 

「そんなことを言うぐれえなら、一緒につれて地獄に行けばよかっただろうが。今更になって、そんなこと言う資格はねえだろう。」

「・・・・手厳しい。」

「なによりも、だ。そこらの奴の言葉を借りるなら。」

死人のなすことなんざ不健全以外の何がある?

 

「・・・・かっこいいねえ、本物の英雄は。」

 

共に死にたかった者たち

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                       

 

 

はあ。

疲れてますねえ、ロット氏。

・・・奥さん(同一人物)が急に二人増えたからな。

まあ、このカルデアではよくあることですから。

人事!

人事でしょう。というか、こっちだって迷惑なんだよなあ。あんたといると、前は息子さん達からの目も痛いのに、奥さんからの目も痛い。つーか、あんな美人な嫁さん捕まえて純愛とかふざけてんの?

やだあ、終わりに近づくにつれて殺気が増す。いいだろ、航海とか冒険の話を聞く代わりに、サバフェスの買い物手伝ってるんだし。

いや、今思うと、それはそれで殺されそうな。というか、海辺の人間のくせに海の話を聞きたがるとか意外ですねえ。

まあ、立場があったからな。外の世界に興味は持てど、飛び出すようなことも出来なかった。俺たちの故郷から遠い異国に行った誰かは、なかなかに嬉しいものだ。ドレイク殿は、妻の目が痛いし。黒髭の兄さんは代価がわかりやすくていいな。何よりも、あなたの冒険は胸に踊って楽しいしな!

・・・・まあ、いいですけどお。というか、ロット氏の周り、本当にモルガン増えましたね。

奥さんの中にも三人いるから、現在五人だからな?

もう、モルガン縛りでギャルゲー作れるのでは?今度のサバフェスで出してみますか?

・・・・いや、それは、誰が楽しいのか?

 

意外な友人

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                        

 

 

 

父上!あ、母上も!

お、どうした。ガレス。うん?今日はいつもと違ってなんだろう、すぽーてぃな、感じだな?

はい!夏なので、水着を用意したんです!あと、マスターが日射病にならないように飲み物も用意しました!

そうか、マスターのことも気遣ったんだな。

はい、あの、父上、私ももう大きいので抱っこは・・・・

そう言うものではありませんよ、ガレス。お父様も、味わえなかった娘の成長を知りたいのですよ。

ああ、お前ぐらいなら軽いものだから、ついついな。

そ、そうだったんですか?わ、私も嬉しいので。父上の腕の中はあったかくて大好きです!

そうか、それはよかったな。

ところで、水着を見て欲しいんです!

 

・・・ガレスも大きくなって。

はい、にしても水着だなんて、どんな。

じゃーん!これです!

 

こ、これは。いいのか?悪いのか?いや、俺もそこまでセンスがあるわけでは・・・・

だーん!!

 

は、母上!?

モルガン!?だいじょ・・・

 

ロット、ロット、あなたにだけ語りかけています。

モルガン!安らかな顔でぶっ倒れてどうした!?

だめです、あれはだめです。どこの馬鹿ですか、人の娘にあんなくそださ水着勧めた馬鹿は?

あ、やっぱりダメか、あれ?

だめです、ガレス、ガレス、ははと、母と水着を、見に・・・・

 

がく

 

モルガーン!!

 

 

母ちゃんのセンス的にそれはだめ

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                         

 

 

 

愚かなことだな。いつかのモルガン()

 

目の前には、黒いヴェールで顔を隠した女が一人。

それは、いつかのモルガンだ。

いつかに、自分と同じように、ブリテンを手に入れることを願い、そうして叶わなかった魔女。

 

「ただの男にほだされ、それで貴様は何をした?利用すべき物を利用せず、アーサーにまで好き勝手にされ、その果てに何を得た?」

 

それは冷たく、針のように鋭い言葉だ。

モルガンは女を見る。

魔女であることを認め、そう振る舞い、そうして、同じように何もかもが手からこぼれ落ちていった女。

 

「恋だと、それがお前に何を与えた?あの北の国はどんな価値がある?アーサーの持ち得たものこそがモルガン()に与えられるべきものであったはずなのだ!」

 

それをモルガンはなにも思わない。

それは、ある意味でモルガンの一部だ。自分がなり得た可能性、その女に成り果てただろう何かは自分の中に確かにあるのだ。

ならば、否定することはない、嫌悪することはない、哀れむことはない。

されど、されど、モルガンは悠然と女に一歩踏み出した。

 

かっと、叩きつけるような音を立てた。

 

そうして、モルガンは微笑んでみせる。

 

「ああ。そうだ。この身はすでに魔女でさえもないだろう。北の果て、小国の女王でしかない。魔女でさえもなく、王になるという願いを捨てた身だ。」

 

されど!

 

モルガンは叩きつけるように言い捨てる。

 

「例え、貴様がモルガン()であろうと!私の(生涯)(居場所)を嘲笑うことだけは、誰にとて許すことなどありはしない!」

 

とある女の人生

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()              

 

 

 

 

母はよく、父の上に座っている。

 

ガウェインはふと、そんなことに気づいた。

といっても、もちろん、座った父の膝の上に座るだとか、そういう話だけではない、本当に上に乗るのだ。

 

例えば、シミュレーターで父はよく釣りに興じている。母は、特別釣りが好きというわけではないが、父といるのが楽しいのか、本を片手に側にいるのをよく見た。

そうして、時折、ごろんと横になっているときがある。

そういうとき、モルガンは何故か、寝ている父の腹の上だとか、横っ腹だとかに腰を下ろす。

それも気を遣うというわけではなく、本当に、当たり前のように座って、楽しそうにその頭を撫でている。

 

失礼というのなら、軽んじているというのなら、そうなのだが。

父はそれにぐーすかと眠っているのだ。そうして、母はその髪を撫でている。

なんだか、とても不思議な絵なのだ。

 

「父を軽んじているように思いましたか?」

「・・・・いいえ、どうされましたか?」

 

それは、所用があって父を訪ねたとき。

父は当たり前のように眠りこけていた。横になって、自分に顔を背けるように眠っていた。

その横っ腹にモルガンは座っていて、かすかに聞こえる子守歌と、そうして、穏やかに微笑む母。

そっと、その柔らかな黒い髪を撫でているのを見てガウェインは首を振った。

 

普段ならばそれは相手を軽んじるように感じたが、けれど、よくよく知っている二人ならば違うのだろうとわかる。

それは、きっと、母にとって意味があるのだろう。

 

「ただ、あまり、見た目は良くありませんが。」

 

それにモルガンは笑って、とんとんとロットの背中を叩いた。

それにガウェインが不思議そうな顔をする。

 

「まあ、座りなさい。ロットに背中を預けて。」

 

言われるがままにそうすれば、そこそこ重い自分が寄りかかっても、暖かなそれはびくともせずに眠り続けている。

暖かくて、けれど、確かにそこにある。

 

「まるで、熊によりかかっているようでしょう?」

「・・・熊は、失礼かと。」

 

くすりと笑ったガウェインの頭をそっと、モルガンは撫でた。

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                   

 

 

 

 

お前らが小さい頃に死んだ俺ですが。

それだけで大分ダメージ入ってる人がいるけど大丈夫?

まあ、それはおいといてだ、マスター。子どもの成長を安易に感じるのに一番なのはなんだと思う?

何?

それはな、身長と体重!と、いうわけでガウェイン、アギー、ガへリス、ガレス、モードレット、来い!

お待ちください、父上!

そうです、我らの年をお考えください!

マジでするの?

わ、わかりました!

父様が抱っこしてくれるの!?

 

わあ、一気に五人持ち上げてる・・・・あれで総重量何キロなんだろ。質感がスズメバチを熱で殺すミツバチ。でも、モルガンに、ら、いや、ダイルもよかったね、みんな、なかよし・・・

 

倒れ込み、そっと胸の前で手を合わせている二人の姿があった。

 

し、死んでる・・・・!?

 

 

  

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                                  

 

 

 

私の夫に何用だ?

ふむ、何を、とは?

何をでしょう?ロットよ、お前は自分の足にすり寄る雌猫に対して愛着を感じてしまうのはわかるが。限度という物があるだろう?

なあ、ロットよ。お前は優しすぎる気があるな。きーきーとわめき立てるだけの年老いた鳥を可愛がるとは。

ああ、雌猫は発情期のようだな?

ほう?

何か?

 

・・・・ガウェイン、それにアグラヴェインとガへリス。何、あれ?

ああ、マスター、ご機嫌麗しゅう。

いや、挨拶はいいから。それよりも、あの、椅子の上に縮こまってるロットを間にして争ってるモルガンと、妃様は?

・・・あれは、最初は父上と母上が話をしているときに妖精妃殿がやってこられて。

話しかけてきた妖精妃殿に母上がキレて、そのまま父上を間にああやってる。

・・・・二人とも、わざわざロット王を間にしなくても。わあ、椅子の高さの関係で二人とも、ロット王に胸押しつけてる。

見ろよ、父上のあの顔。気まずさマックスなのに顔が真っ赤だ。

お労しい・・・・

絵面だけを見るなら役得なのでしょうが。

 

片や妖精達を統べた恐怖の女王、片や神秘の時代のブリテンで魔術師として名高い女王。

なかなかの厄ネタである。

 

ちなみに、父は胸派です。私の父なので。

良い笑顔で何言ってんの!?

あーあ、誰も助けてくれそうにないなあ。

・・・私も、あの中に入っていく勇気は無いが。お労しい。

 

待って、あ、トネリコが乱入を。

父上の手を取って、一人勝ち・・・・

宝具はやめて!!!

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                   

 

 

 

「サー・アグラヴェイン。」

 

目の前の男の姿に目を見張る。それは、まるで鏡合わせのように血統上の兄に似ていた。

黒い髪、緑の瞳と、青い瞳。かんばせだけがいやに、いいや、まさしく鏡合わせのようだった。

だから、目を見張った。

驚いた。

似ている、あまりにも、それは、似すぎている。

新しい兄弟だろうかと、そんなことさえ浮ぶ男はアグラヴェインの顎を掴んだ。

 

「・・・お前は、お前を産んだ女を、放蕩の限りを尽くす魔女と呼ぶか?」

「貴様が。いいや、あの女にたぶらかされたうちの一人か!?いったい、何を騙るのか!?」

 

それに男は痛ましい物を見るように目をそらし、手を離した。

 

「そうだな、この身が何を語るのか。そんなことをも教えずに、あの人に何も与えられず、この世界の俺は消えたというのならば。」

それは、俺の罪か

 

母の愛を知らぬ子

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                       

 

 

 

血の海が、辺りに広まっていた。

鼻につく、血の臭い。

その真ん中で、金の髪をした女は笑っていた。

 

「ねえ、サー・ランスロット。一人だけ、ずるいでしょう?」

ぴちゃんと、女が血の中で、笑う。

 

「一人だけ、失わないのはずるいでしょう?」

だから、あなたも、失うべきよ。

 

そう言って、女はそこに転がる肉塊を蹴った。

 

報い

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()

 

 

 

・・・乙女よ。

なーに?

いい加減、そこをどいたらどうだ?

そうです、順番です。

・・・・やーです!

そうだ、私にも代われ。

あなたは関係ないはずでしょう!?

そこらに転がる子犬を愛でるのも一興だ。

こういうのは順番でしょう?

だいたい、我らは三人であれる時間は有限なのだ!私は優先されるべきだろう!?

あのさあ、コンラ名乗ってたときの姿になって大分経つんですが。そのお、戻してくれたりは?

「「「「「だめです!」」」」」

「・・・・ですよねえ。」

 

 

 

 () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () () ()                              

 

 

 

「お前が、ロットか?」

「ああ、そうだが。ああ、あなたは、いつかの、どこかのモルガン殿でしょうか?」

「ふむ、妻と同一人物だからと気安い態度を取らなかったことは褒めてやろう。」

「・・・・・例え。あなたが妻自身でも、一国の王に取らぬ礼儀などないでしょう?」

・・・・・・・・

「マスターから聞きました。あなたの国は、とても美しい国だったと。」

「知ったような口を利く。」

「それは、まあ、実際に見たわけではないですがねえ。ですが、それでも、あなたがモルガンであるのならば、言えることがある。彼女が治める国は美しいものであるはずだと。私は、そう、願い、思っているだけなのです。」

「妻に甘いのだな。」

「まあ、それは否定しませんが。ただ、どんな国であろうと、治めるものにとってそれは何よりも尊く。どれほど、醜くとも、続き、繁栄を祈るのは王として当たり前です。責を背負うとは、そういうことなのでしょう。」

 

何よりも、やはり、思うのです。

 

男は自分を見る。真っ直ぐに、恐れはなく、怒りはなく、悲しみはなく。

ただ、ただ、そこには、信頼と言えるものがあった。

 

「俺の焦がれた星は、誰よりも、何よりも、美しい人でしたので。」

ならば、その人の治める国が、美しいものであるのだと、なぜ思わないことなどあるのでしょうか?

 

ゆらがずに、ただ、それは、自分が治めるそこが美しいものであると信じていて。

 

それにモルガンは笑った。

 

「ロットよ。」

「はい。」

「お前のこと、気に入った。」

「それは、こうえ・・・・」

「私の、二人目の夫にしてやろう。」

「は?」

 

お気に入り

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

さようならと手を振った

感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。


 

 

「いきましょう。」

 

消え失せた誰かの影を名残惜しそうに眺めて、ベルンは皆を立ち上がらせた。

 

彼らはゆっくりと立ち上がり、そうして、一人一人がその男に頭を下げた。それに、ランスロットも、モードレッドも、そうして藤丸立香も無言で見送る。

それは葬儀だ。

さようならと、もう、会えない誰かへの決別だ。

さようなら、さようなら、もう、会うことのないあなたへ。

それでも、私たちは、生きてみます。

苦みの走った多くを抱えて、それでも、生きてみます。

どこに行くとは聞かなかった。ただ、彼らは理解しているかのように歩いて行く。

濃い、霧の中を歩いて行く。

その最後尾、そこでベルンは一人、濃い霧を背に微笑んだ。

 

「それでは、私たちは行きます。」

「・・・・あなたたちは、どこに行くの?」

 

立香の問いかけにベルンは淡く微笑んだ。

 

「夢から覚め、現実にかえるのですよ。」

「現実に?」

「ええ。今回、とある方の力を借りて、夢とうつつの境を一時的に曖昧にしたのです。私にも、少々おまけがありましたので、それがあってのことですが。」

「どうして、わざわざそんなことを?」

「・・・・妃様は、お優しい方でした。ですので、民という共有意識に聖杯の欠片の使用権をお与えになったのです。見たでしょう?グリムと言われる私兵を。」

 

ベルンは少しだけ物悲しそうな顔をした。

 

「グリムって、あの?」

「ええ、あれは魔力を使い、一人一人の願う人間の姿、そうして相手の記憶からなる記憶を再現した物です。」

「ですが、なぜ、わざわざそのような。聖杯ならば自分で持っておく方が安全でしょうに。」

「・・・これは協力者、曰くですが。妃様にとって国という概念を強固にするためだったのでしょう。あの方にとって国とは、土地と、王と、そうして、民からなるもの。ならば、それを与えることで概念をより強固にされた、ということです。」

 

それに立香は目を見開いた。

 

「なら、もう。グリムは現れないって事!?」

「復活はしないでしょう。ですので、もう、皆様で城に行かれる事になると思います。私は、もう、行きます。おそらく妃様が気づかれるでしょうか。と、その前に。」

 

ぐるりと、ベルンはロットに目を向けた。

 

「陛下には言いたいことが幾つかあるんですがねえええええええええ!」

「ああ、すまんな。色々と、その、苦労を・・・・」

「ええ!苦労しましたよ!あなたがいなくなったあと、あの駄犬は飯も食わずにカビを生やしましたし!妃様は目が溶けるんじゃないかと言うほど泣かれていましたし!王子たちもめっしょめしょで本当に可哀想なほどに泣かれて!モードレッド様だって、私やダイルとで育てたんですからね!?」

「勉強は見て貰ったもんね。」

「そ、それは。悪いことを・・・・」

「悪いで済ませると!?」

 

ロットは全力で目をそらしつつ、そうして、申し訳なさそうな顔をした。それを見ていたベルンははあとため息を吐いた。

 

「・・・・それでも、こんなに文句を言っても、あなたはあの日に戻ったとして、戦に行ったのでしょう?」

 

その言葉にロットは黙り込んだ。苦い何かの混ざったそれの中で、言葉を持たぬと言うように。

それにベルンはあーあとため息を吐いた、

 

「あなたがいれば、きっと、もっと穏やかに、静かに、ましな何かはあったのでしょうね。でも、そうでなければ存在しなかったものがあるのも事実でしょう。」

 

それが何を射しているのか、すぐに分かった。

黄金の髪に、新緑の瞳。

ロットがいなければ、存在しなかっただろう、末の子。

モードレットはそれに少しだけ、苦い顔をした。

 

「・・・・続くが故にあるものも、滅ぶが故に産まれるものも、どちらもまたあるのでしょう。ただ、言えるのは、我ら凡夫には、もしもなどと考えるだけ詮無きこと。ならば、このまま、いけるところまで行くまでのこと。」

 

ベルンは緩やかに微笑んだ。

そうして、モードレッドを見た。

 

「・・・・モードレッド様、それでは、私は行きます。」

「・・・・ベルン。」

「あなたと過ごし日々は、楽しくありました。ですが、ええ、あなたが死んだと聞いた日、私とて泣いたことをよくよく覚えていますように。」

 

それにモードレッドは黙り込み、ああと頷いた。

謝罪はできない、ごめんなさいとは言えない。それは、あまりにも、不誠実な気がしたものだから。

 

「立香殿、それでは私はここで行かねばなりません。ご迷惑をおかけしました。」

「う、ううん。そんなことは。」

「・・・・ご安心を。心配が一つも無いなどとは言いませんが。それでも、まあ、悪いことだとは思いませんよ。あなただって、そうでしょう?」

 

苦笑の混じったそれに、立香は驚いた。思わず見たベルンは淡く笑ったまま。

 

(過去)を生きる私から、(未来)を生きるあなたへ。どうか、あなたの明日が良き日でありますように。」

 

そう言ってベルンは深々と礼をした。そうして、清々しく笑った。

立香は、その言葉の意味を理解する。

 

彼は今を生きている。この、ブリテンという滅び行く世界で今を、生きている。

立香は、不思議な感覚だった。

ただ、その言祝ぎに立香は微笑んだ。

 

「うん、ありがとう。」

 

微笑む彼はどこまでもただの人だった。ただの、どこまで、人間で。

それはベルン、ただのベルン。

少しだけの奇跡を前借りした、ただの人間だ。だから、彼はもう、自分の役目がここで終ることを理解していた。

 

「陛下。」

「ああ?」

「この霧の奥に進んでください。あなたに会いたがっている方がおられるので。今回の協力者殿です。」

「・・・・わかった。」

 

ベルンはそれにロットたちに背を向けて、歩き出した。その時、ロットはベルンに声をかけた。

 

「ベルン!」

 

振り返った青年にロットは言った。

 

「長く、よく仕えてくれた!さらばだ!」

 

その言葉にベルンは泣きそうな顔で、けれど、微笑んだ。

 

「ええ、陛下!さらば!」

 

さようなら、もういないあなた。さようなら、まだ生きるあなた。

そのまま、生者は去って行く。

生きるために、彼らは足を進める。それでいい、それでいい。

 

立香はちらりと、ロットを見た。

 

(ああ。)

 

それは笑っていた。安堵するように、どこか、己が子の旅達を見るように。

 

(なんだか、泣いている様にも見えた。)

それを立香は口にすることはなかった。

 

 

 

 

 

「・・・別れは済みましたか?」

 

ベルン達を見送った後、後ろから誰かに話しかけられる。そこには、ローブを被った何かがいた。

 

それにモードレッドと、そうしてランスロットが立香の前に躍り出た。

 

「ベルンは言ったのでしょう?」

「あなたは誰?ベルンの言ってた協力者?」

「ああ、そうだ。そうで、ある。」

 

どこか居心地が悪いというように身じろぎをした。

 

「・・・協力者というのなら顔をさらされよ。何を望むのかは知らないが、それは最低限の礼儀であろう。」

 

その言葉に、ぴくりと、それは手を震わせた。そうして、戸惑うような仕草はしたが、けれど、そっと被っていたローブを脱いだ。

それに、皆の顔が見開かれた。

 

そこにいたのは、モルガンによく似た顔立ちをした青年だった。それは、逆説的にアーサーに似ていると言うことで、そうして、モードレッドにも似ていた。

ただ、モードレッドと比べれば明らかに全体的な色素が薄く、そうして女性的な印象を受けた。

それは気まずそうに視線をそらす。

 

(モルガンの関係者、なら・・・・)

「ガへリスか!?」

 

驚いた声を上げたロットが一歩踏み出すと、ガへリスは怯えるように一歩下がる。けれど、少しだけ奮い立つように顔を上げた。

 

「はい、ガへリスです。」

 

そういった青年のローブの中から、リスほどの大きさの何かが躍り出た。

 

「え?」

 

今度はそれに立香が驚いた声を上げる。それは、ふかふかとした、銀の毛並みをした獣で。

 

「なんでフォウ君が!?」

 

驚きに満ちた声に、それは、じっと自分たちを見つめるだけだった。

 

 

 

 

「お久しぶりです。」

「ああ。久しぶりというか、どうしてお前がここに?」

「・・・・母は、この夢の国を作り上げてすぐ、我ら兄妹を召喚しました。ですが、私は、どうしてもそれに納得できず。そのまま、母の元から出奔したのです。」

「なら、ガへリス兄様も、この国を?」

「・・・はい。」

 

ガへリスはどこか居心地が悪そうにその場から視線をそらした。そうすると、その方に乗っていたフォウによく似た生物はガへリスをじっと見る。

 

「でも、兄様はこっちの味方なんだよね?」

「それは、ああ。そのために、俺はここにいる。」

「・・・・何故だ?」

 

口を開いたロットに、ガへリスは目を見開き、そうして、なんと答えていいのかわからないというように視線をうろつかせる。それに、立香は口を開く。

 

「言いたくないなら言わなくていいよ。」

「それは!」

「あなたが味方であるのは事実なんでしょう?なら、ここで味方になってくれる人がいるのはありがたいよ!」

 

ガへリスは何かを騙ることが出来ないように、口を何度も開けては開いてと繰り返す。

そこで、ロットもそれもそうかと頷いた。

 

「まあ、確かにそれもそうだな。」

「ロット王!?」

 

急な切り変えにランスロットの顔が驚愕に染まる。

 

「まあ、お前はこういうとき、敵対するなら素直に攻撃してくる。下手な立ち回りはしないだろう。お前はそういう子だ。」

 

それにガへリスは顔を歪めて、少しだけ泣きそうな顔をする。

ロットはそれに立香を振り返った。

 

「立香、紹介しておくが。これは俺の三男坊のガへリスだ。少し、ズレたところがあるが。まあ、気にしないでくれ。」

「あ、ああ。その、紹介にあずかったガへリスという。あまり、役に立てることは少ないが、出来るだけのことをすると誓おう。」

「おお、そうだ!こいつは罠を張ったり、あと、釣りの愛弟子だ。色々と器用だぞ。」

 

ロットはそう言って嬉しそうにガへリスの頭をがしがしと乱雑に撫でる。それにガへリスは茫然としていたが、みるみるうちに白いその頬が赤く染まる。

 

「え、父様、何その扱い!僕、知らないんだけど!」

「いや、ガレスやアギーは敵対してたし。お前は、あれだ。召喚されたばっかで自分の知らない間に産まれてた息子だからな戸惑いがあったからな!正直、素直にかわいがれる息子の登場にテンション上がってる!」

「何それずるくない!?」

「よっしゃ!来い!」

 

ロットのそれにモードレッドはきゃっきゃと嬉しそうに笑って父に飛びついた。

それにロットは抱き留めて、モードレッド自身の体重と、そうして鎧の重さがあるだろうが男は平気そうな顔で高いたかいをしている。

 

ガへリスは淡く頬を染めて、頭を撫でている。そこで、立香が口を開いた。

 

「あの。」

「ああ、なんだろうか?」

「すみません、その肩に乗ってる子って?」

「・・・これか。これは、気にしなくていい。これは君の知る何かではない。ただの、残りカスだ。それ以下でも、以上でもないからな。害はなさないから気にしないで欲しい。」

「フォウ君じゃ、ないのか。」

 

立香の残念そうな声を聞きながら、ふとしたようにガへリスはランスロットを見た。

 

「ああ、サー・ランスロットも一緒だったな。」

「・・・・ああ。そうだ。その、ガへリス卿。」

 

気まずそうなランスロットの様子に立香は彼と、ガへリスの関係性を思い出そうとした。けれど、それよりも先にガへリスは口を開く。

 

「もし、俺を殺したことを気にしているのなら、そこまで気にしなくていいが。」

 

ランスロットはそれに目を見開いた。

 

「け、卿よ!言っていることの意味はわかっているのか!?」

「わかっているが?いや、もちろん、妹や兄、そうして甥たちを殺したことになにも思っていないわけではない。ただ、俺は俺を殺したことに関しては特に何かを思っていないと言うだけだ。それを罪悪にして意思疎通が取れなくなる方が困るだろう?」

 

平然と言ってのけたそれに、立香も驚いて、思わず問うた。

 

「なんだか、あっさりしてるね?」

「・・・あっさりというか。騎士の死など、そういうものだ。もちろん、俺はあの場で誰のことも守れなかったことも、そうして、それによって悲しませた誰かがいることを恥じている。思うことがないわけではない。だが、俺は、俺自身を殺されたことに関して恨んではいない。」

 

ガへリスは苦みのある顔で立香から視線をそらした。

 

「・・・・あのとき、逃げることも立ち向かうことも出来なかった俺の技量にも問題がある。単純に、サー・ランスロットが強く、俺が弱かった。その弱さをランスロット卿に押しつけることなど出来ないだろう。だから、正直、俺は俺の死に対して何かを思うことはないという話だ。」

 

そう言った後、彼はちらりと戯れているモードレッドとロットを見た。それに立香は、ロットの言った変わり者という意味を理解してああと頷いた。そんな中、ガへリスは呟いた。

 

「・・・・そうか、よかった。」

 

お前は、父に会えたのだな。

いつかに見るはずだった光景を前に、ガへリスは淡く微笑んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

門前

お久しぶりです。
なんとか完結まで頑張ります。

感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。


夢を見る。

ただ、夢を見る。

夢など見ないはずなのに、夢を、見ている。

女が一人、日の光の中で立っている。それを見る。ただ、それを見る。

別段、それに意味は無い。

ただ、昔から眺めていたものの一つを惰性のように眺めている。

ただ、他のよりも変わっていて、そうして、見慣れていた。

それは、柔らかな日差しの中にいてなお、まるで凍り付いたような、冷たい表情をしている。

それに、不似合いだと思う。

笑うべきなのだ。そんな、柔らかな日差しの中にあるのなら。

見惚れるような、美しい笑みこそふさわしいというのに。

不思議だと思う。

それはよく笑っていたのに。何故か、笑っていない。

春風に吹かれ、柔らかな日の下にあってなお、それは茫然とそこに立っている。

それが気に入らない。

あまりにも、ふさわしくないのだ。

 

「無理でしょう。」

 

人でなしの声がする。

虹色に輝く、淡い白銀の髪をしたそれは仮面のような表情でそこにいた。

 

「・・・・彼女は別に、無意味に笑っていたわけではない。」

 

ああ、そうか。それならば、用意すればいい。

女が笑えるような、そんなものを。望むものを見せるのは得意なのだ。

ふさわしい、あの女が笑えば、その日向の中で微笑めば。

それ以上ないほどに、美しい絵画のような光景になるはずだ。

 

それに、人でなしは呆れた顔をした。ああ、感情などないくせに。そんな顔をする。それは、せめてもの意思表示だろうか。

 

「いいえ、彼女が笑うには必要なものがあった。けれど、もう、それは存在しないのならば。私たちに出来ることなどあるはずがない。」

 

そういって、その人でなしは変わること無くもの悲しい顔をした。悲しいなんて、わかりもしないくせに。

 

 

 

「・・・・・ガウェイン兄上が鍵なのです。」

 

その言葉を聞いたとき、ロットはああと思った。

そうだろうと、国の中核、オークニーの城、それを守るのであるのならばあの子ほどふさわしいものはない。

 

 

「・・・懐かしきかな、我が故郷。」

 

ぽつりと零れた声に藤丸立香はゆっくりと自分の隣に立った男のことを見上げた。そこには寂しいまでに静かな目をした男がいた。

ガへリスに案内された城は、立香にはひどく、堅牢なものに見えた。色は暗く、かの白亜の城のような華やかさなど無い。遠くに見えるそれに森の中から目を細めた。

けれど、そんな堅実さと言える城は、なんだか彼らしいと感じられた。

 

「・・・・あの城に入るには、二つの方法があります。」

 

ガへリスのそれにロットが答えた。

 

「あの城の王として設定されているアーサーの許可を取るか。」

「・・・・門番である兄上を殺すか、です。」

 

それにランスロットが顔をしかめた。

立香はガへリスに事前に伝えられていたことを思い出す。

 

あの城は堅牢だ。わざと弱点を作っている。承認、それとも門番を殺すか。

本来なら最初の選択肢をとる気だった。話したとおり、城にはグレイ嬢がいる。彼女の言葉なら、陛下も聞かれると思ったが。

だめだった。

 

「・・・強行突破しかないんだね。」

 

モードレッドのそれにガへリスは苦い顔をした。

 

「だが、何故、グレイなら説得が出来ると思ったんだ?確か、あの子はアーサーの遠縁の子孫ではあるらしいが。」

 

ロットは少しだけ苦い顔をした。

 

「そんなにも、己を顧みる子ではないだろう。」

 

それにガへリスが少しだけ驚いた顔をした。

 

「・・・・お知りではなかったのですか?」

「何がだ?」

「グレイ嬢は、アーサー王の遠縁、というよりは母上の子孫という方が正しいのですよ。あの子は、ガウェイン兄上の娘の末になるのですよ。」

 

それに、その場にいた一同が目を丸くする。そうして、叫んだ。

 

「「「ええええええええええええええ!!!???」」」

 

森の中に響き渡った声の後にロットが叫んだ。

 

「ほんとか!?」

「はい、母から聞きましたので。本当にお知りでなかったのですね。」

「知らん!俺は、あくまであの子がアーサーのロンゴミニアドを受け継いだという事実だとか、遠縁だとかしか聞いていない!」

「じゃ、じゃあ、あの子!ローアルの!?」

「・・・・そうか、生き延びていたのか。」

 

立香も目を丸くした。

いいや、彼女の事情については少しだけ把握している。けれど、だ。

 

(そうか、アルトリアの血統って事は、イコールでモルガンの血統なんだ!)

 

ロットはそれに額に手を当て、そうして、あああああああと苦悶の声を上げた。

 

「あああああ、くそおおおおお!それならもっと構っとけばよかった!!」

「・・・・現金だなあ。」

「それはそうだろう!?こちとら、孫の顔だって拝めなかったんだから!そんな、孫の末とか、四捨五入でひ孫みたいなもんだろう!?」

「関係性の格付けが力業過ぎない!?」

「あああああ、なんか、アーサー関係で結構複雑らしいって聞いてたから構うの遠慮してたのに。もう、構う時間ないから諦めねえとなあ。」

 

その横でランスロットが少しだけ小さくなっているのが印象的だ。

ぼやくようなそれにガへリスが物悲しげな顔をした。

 

「・・・・ですが、それが叶いませんでした。」

「まあ、その程度のことで心を開く程度なら最初からモルガンに与さなかっただろうな。」

 

ロットは平然とそう言った。それにランスロットは少しだけ意外そうと言うのだろうか。驚いた顔をした。

 

「ええ、陛下は首を縦に振られませんでした。本来なら、それで父上達を城に招き入れる気でした。ですが、それが叶わないとなれば。」

「ガウェインと戦い、勝って、城に入れと。」

 

それにその場にいた、モードレッドとガへリス、そうしてランスロットが沈んだ顔をした、いいや、ため息を吐く者までいた。

ロットはそれに驚いた顔をした。

 

「・・・確かに、兄と戦うのは憂鬱とはわかるが。いや、そういう意味ではないな?」

「だってさあ、兄上めちゃくちゃ強いんだよ?」

「それは、そうだが。この人数ならまだなんとかなるだろう?あれは日が出ている間力が増すなら、この夜ならばそこまで。」

「兄上がこちらに召喚された折、セイバーとして召喚されておられません。」

 

ランスロットがそれに反応した。

 

「・・・では、なにと?」

「わからない。ただ、どちらかというとオルタとしての側面である。理性がない、とまではいかないが。感情の発露が激しく。城への守護、いいや、母上の側にいることに並々ならぬ執着をされておられて。そのまま、門番として城の前に。ただ、一つ言えるのは、一筋縄ではいかないだろうな。」

 

ガへリスの苦い顔に、ロットはちらりとランスロットを見た。

 

「ランスロット郷、あなたはガウェインに勝てるのか?」

 

ストレートな問いかけにランスロットは鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をした。ロットはそれに平然とした顔をする。

 

「なんでも円卓で最強らしいな。それなら、ガウェインにも勝てるだろうが。まあ、条件が色々と違うのならば難しいか?」

「あ、ああいや。その、生前ならば確かに私は最強と言われましたが。ただ、私はサーヴァント。私の逸話には、ガウェインに負けたというものがあります。ですので、それに引きずられると。」

「あー、そっか。それは、そうだな。」

 

ロットはちらりと自分の持った剣を見た。それは、変わること無く、装飾など一切無い無骨なものでしかない。

それにモードレッドが気になっていたと口を開く。

 

「・・・・そう言えば、アギー兄上の宝具の無効化って、父様がしたの?」

「そう言えば、あれってロット王の宝具?」

 

それにロットはああと頷いた。

 

「そうだな。まあ、そんなものだが。俺の宝具はちょっと特殊でなあ。やれるとしたら一回だけなんだ。」

「なんで?」

「やったら、俺は消し飛ぶ。」

 

淡々とした言い方でそう言った。それにモードレッドは顔をしかめた。

 

「・・・・父様の話に、そんな自爆系のものなんてあった?」

「ないが。まあ、俺は成り立ちが色々と特殊だからなあ。だが、そうだ。」

 

使い方はわかってる。だから、安心しなさい。

 

柔らかく笑った男は、なんだか全部を知っているかのように微笑んだ。

 

「よっし、それじゃあ。会いに行こうか。」

愛しい、五月の鷹に。

 

 

 

 

ふと、気がつく。

うたた寝をしていたかのような、そんな感覚だ。

いいや、敵が来ないのならば、それはいつだってうつらうつらと夢を見ていた。

それは、彼の母がした、唯一の慰めだ。

せめて、心の慰めになるような夢を見るように、と。

優しい夢だ。

 

幼い自分が駆けている。遠くで、黄金に実った麦の波が揺れていた。

もしかしたら、真っ白なパンが食べられるかもしれない。

嬉しくて、そんなことを考える。

明日は何をしようか。

弟たちと鍛錬をしようか、いいや、従者を連れて森に行こうか、妹のために綺麗な石でも探そうか?

ああ、でも、母上に勉強もしなさいと言われていた。

やだなあ、釣りもしたいし、弟たちとも遊びたい、そうだ、教わった罠を張って鹿でも取りたい。

走る、走る、どうして走るんだろうか。

考える。

明日の楽しいことを考えて走っている。なのに、何故、そんなことを考えているのだろうか?

 

どうして、と。

 

そう思ったときだ。

 

「ガウェイン!」

 

声がした。それに、自分は立ち止まる。夕焼けの中、麦の畑が、まるで黄金の海のようだった。

その中で、誰かが立っている。

影になって、見えない。ただ、黒い髪が夕日の中でたなびいていて。

 

何かの気配を感じた。

それにガウェインはゆっくりと、目を開く。

見ていた夢を忘れる。切り捨てる、必要は無い。ああ、敵を殺さねば、母を守らねば。

それに考えが切り替わる。

 

ゆっくりと、それは剣に手をかけた。

そこにいるのは、黒い騎士だ。

黒い甲冑に、金の髪、そうして鉄のバイザー。

禍々しいまでのそれは敵に目を向けた。やってきたそれに、ガウェインは固まった。

 

それに、彼は、夢の続きのように呟いた。

 

「ちちうえ?」

 

幼い子どものような声で、それは茫然と呟いた。

 

 




ガウェインは。アルトリアオルタみたいな格好を想像してください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

願いの否定

感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。

頑張って投稿していきます。短めです。


 

「父上!」

 

無邪気な声がした。

まるで、それ以上のことなんてないように、それは自分を見ていた。

その笑みは、いつかに、日だまりの中で自分を目指して駆けてきたいつかのように・

 

ああ、変わっていないのだと。

五月の鷹は、どこまでも軽やかで。

 

 

 

「父上、ああ、本当に、父上なのですね!?」

 

その声は、藤丸立香が覚えている太陽の騎士を考えると、非常に幼い。

甘ったれで、駄々をこねるような、そんな声。

改めて見たガウェインは、立香の記憶の上から全て違っていた。

太陽のような黄金の髪は、まるで月のように淡い色に。纏う鎧は、白銀からは遠く、鉄の色を纏っていた。

それは、喜色満面にロットのことだけを見つめていた。それに、ロットは物悲しげな顔になる。

ランスロットも、そうしてモードレッドもその場に不似合いそうな、ひどく驚いた顔をしていた。

だって、そうだろう。

二人の記憶にあるガウェインは、言っては何だが、ひどく頼もしい男だった。

少し、デリカシーのない所はあれど、兄として頼りになるような人だった。けれど、今、父であるロットのことを見つめるその顔はひどく幼く見えた。

子どものように、少年のように。

いいやと、ランスロットは思う。

 

彼は、ずっと、息子なのだ。愛された、いつかの、幼い少年。

 

「ああ、父上!本当に、おられたのですね!ダイルから話は聞いていましたが。それに、モードレッド!お前も来ていたのかい?よしよし、おいで、兄様と行こう。」

母上が待っているよ。

 

それは、どこまでも柔らかく、行こうとこちらを誘っていた。

それに、ロットが口を開こうとした、その時だ。

 

「・・・・・それにしても、父上。何故、それと共にいるのですか?」

 

ゆっくりと、それこそ、まるで。

日が西に傾くように、月が雲に隠れるように、花が風に散るように。

ゆっくりと、ほころんだ笑みが、すっと引いていく。

軽やかな感情が消え失せて、能面のような無表情に成り果てて、それは自分を見ていた。

がちゃんと、鎧の音がした。一歩、自分たちに近づいてくるのを理解した。

ロットはそれに、息を吐く。

 

(立香、わかってる?)

 

そっと囁かれたモードレッドのそれに立香は頷いた。

ガウェインはまるで壊れた人形のように、冷え冷えとした声音でひらすら、ロットのことを見つめている。

 

「ああ、もしや、手土産でしょうか?ええ、それは、何と言っても父上にとっても仇のようなもの。ですが、父上のお手を煩わせることもないでしょう。私が、始末をいたします。」

父上?

 

幼子のように、やはり、柔らかくて甘ったれな声でガウェインはロットに手を差し出した。

 

それにロットはふうと息を吐いた。

そうして、物悲しげな顔をした。

 

「・・・・いいや、それは無理だ。」

「理由は、お聞きしても?」

 

ロットはそれに少しだけ笑いたくなった。

淡い、月の光が、きらきらと男に降り注いで。

起っているその様は、己の妻によく似ていた。

 

「俺は、魔女を殺しに来たんだよ。ガウェイン。」

 

その言葉に、ガウェインは口元を引きつらせ、そうして、哄笑を上げた。

 

「ふ、ははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

びくりと、モードレッドが肩をふるわせた。

ガウェインは見開かれた眼のままに、口元だけは大きく歪ませてけらけらと笑った。

 

「ああ、ああ、ああ!世迷い言だよ、戯言だと、ずっと信じていたというのに!あなたが、母を殺す!?ありえない!あり得ていいはずがない!!」

「・・・・いいや、本当だ。」

 

それにガウェインは笑うことを止めて、見開かれたその瞳でロットを見つめる。ただ、ロットだけを見つめる。

 

「あなたが、それを言うのか?あなたが、私に、託すと、守れと、そう言った、あなたが!我らの祈りも、願いも、ささやかなる残光さえも、ことごとく壊したその男を連れて!!」

 

その言葉と共にガウェインの持っていた剣が、光を、いいや、月光が、集まっていく。

 

「ああ、嘘だ!そうだ、嘘に決まっている!いいや、あなたは父か?いいえ、父上だ。私が間違うはずがない。母上が間違うはずがない。ならば、何かに惑わされているのでしょう!決めました。理解しました!」

 

構えた剣が、光を集める。そうして、構えて、ガウェインは微笑んだ。

 

「ならば、余計なものは殺しましょう。

四肢を奪ってなおも、母上の元にお連れしましょう!」

「モードレッド!ランスロット!」

 

その言葉にモードレッドとランスロットが構えを取る。

 

ガウェインが剣を構えて、振り下ろす。

 

月光に誓う、勝利の剣(エクスカリバー)

 

銀の光が、自分たちに向かってくる。それと同時に、ランスロットとモードレッドが剣を構える。

 

悪魔の行いし、愚かなる愛(クラレント・ブリテン)

縛鎖全断・過重湖光(アロンダイト・オーバーロード)

 

三つの閃光がぶつかり合う。

それに、ロットは近くにいた立香を抱え、そうして、後方に飛んだ。

 

「・・・・おいおい。」

 

互いの宝具によって地面がめくれ、衝撃で瓦礫が宙を舞った。それにロットが茫然としながら、その場に降り立つ。

 

「さすがに、二人がかりの宝具で隙も見せないって、成長しすぎじゃないのか、長男?」

 

 

 

戦いは、はっきりと言おう。

けして、優位なものではなかった。

円卓で最強と言われた騎士と、アーサー王と一騎打ちした末子、そうして一国を守った騎士、それらが全員で向かってなお、ガウェインは圧倒的だった。

 

「・・・無駄だ、私は今、陛下の剣であるエクスカリバーを借り受けている。太陽の加護を反転し、月の加護を受けた私に勝てるはずがない!」

 

それにモードレッドが苦い顔をした。

 

「やっぱり、あれって陛下のエクスカリバーかあ。」

「・・・・ガへリスから、性質が反転していると聞いていたが。」

 

苦々しい言葉と共に、構えを取る。ロットは隣立つランスロットに視線を向ける。

 

「・・・ランスロット、力を入れろ。」

 

それにランスロットはどこか、震えるように、揺れる剣を持つ手に力を入れた。

 

アグラヴェインの時と同じだ。

いつかに、彼から、自分は、殆どのものを奪った。

弟妹、子どもたち、奪って逃げ出した自分を彼は殺した。

その時のことを思い出す。思い出して、どこか、体が震える気がした。

 

サーヴァントは、己の逸話を持ち、そうしてそれに引っ張られる。

正直に言えば、三人が苦戦しているのは、己にまつろう土地などの後押しの他に、ランスロットの弱体化が確実に影響している。

 

サー・ランスロット。

 

言葉を思い出す。それは、ガウェインに勝てるかわからない自分たちが、密かに躱した会話だ。それを、マスターさえも知らない。

ロットと、ガへリス、そうしてロットとの会話。

 

なぜ、ここに自分があるのか。

 

「お前は、もう、わかってるんだろう?」

 

 

父が目の前にいる。

それだけでガウェインは嬉しくてたまらなくなる。

 

(父上だ。)

 

幼い頃に、手加減混じりに、それこそ、戯れのようにして貰った剣の指導を思い出す。

それは、ガウェインにとって、日向の指す柔らかな記憶の話だ。

けれど、高揚していた感情は、すぐに消え失せる。

 

どうして?

頭の中でその感情だけが反芻する。

だって、そうだろう。

 

どうして、父は、母と敵対するのだろうか?

だって、父は言っていた。手紙で、自分に託した。

 

国のこと、母のこと、弟妹達のこと。

どうして、なんで?

 

幼い子どものように、ただ、ガウェインは縋るように父を見る。打ち合った剣は重く、強い。

 

「父上、何故ですか?何故、この国を、いいえ、母上を否定されるのですか?守れと、頼むと、あなたが言ったのでしょう?それならば、何故、父上はそちらに立つのですか!?モードレッド、お前もだ。何故、兄の元に来ない?母上を悲しませる?どうして、何故!」

 

思い出す、思い出す、自分が召喚されたとき、母の、疲れた顔を。母の、悲しげなそれを。そうして、王であることを放棄して、竜として偽りの名前を被る王のことを。

間違えてしまったから。

 

国で起きた悲劇を知ったとき、ガウェインはただ、己を恥じた。

茫然と、己の顔を見て、己を通して父を見る母のことを思い出す。

 

もしもを、どれだけ不毛と理解してなお、考える。

もしも、もしも、自分だけでもどこまでも理性的に、ランスロットを許して、国を維持し続ければ。

ブリテンが限界であったことも、心のどこかで理解している。

けれど、もしも、自分が理性的でさえあれば。

 

王までも全てを失うことも、母が孤独になることも、末子を悪魔にすることも、妻と娘が苦しい目に遭うことも。

 

なかったはずなのに。

 

「・・・・永遠など存在しない。」

 

打ち据えた剣を振りきって、構えを取った父を見る。まるで、鏡合わせのような父を見る。

 

「いいか、器と中身、どっちが大切かなんてわかるだろう。大事なのは中身だ。船員の存在しない船に意味が無いように。民を生かすことが出来ない国に意味は無い。それならば、それはもう寿命なのだ。国があるから人があるわけではない。人が生きるために国がある。」

 

それならば。

 

「オークニーは滅びなくてはいけない。」

 

ガウェインはそれに、目を見開いた。

 

「嘘だ!!」

 

叩きつけるようなその声は、幼い子どもが必死に出す嘆きに似ている。

 

「父上がそんなことを言うはずが無い!父上が、この国を見捨てるはずがない!ここは、ここは、ここだけは、優しいはずだ!ここだけは、安寧とした場所であるはずだ!」

 

ガウェインの悲痛な声が、当りに響く。

だって、そうだろう。

だって、この国の、この国で過ごした時間だけは確かにガウェインにとって優しい残光だったのだ。

 

「仕方が無いと飲み込んでいいはずがない。そうであるとしても、耐えなくては行けない、否定しなくてはいけない。まだ、ここで、生きているものがいるのだから!」

 

ガウェインは、モードレッドのことも、ランスロットのことも、そうして、後ろに立つマスターのことさえも忘れ果てた。

ただ、男は父を見る。

いつかに、自分を導いてくれた人、そうありたいと思った父。

 

「この国を見捨てるあなたは、いいえ、母上を切り捨てるあなたは、私の父などではない!あっていいはずがない!私は、復讐者!忘れることなど有りはしない、永遠に、己が手から失われた者を、失ったことを、忘れることはない!」

 

ガウェインがまた、宝具の構えをとることを理解して、ロットは息を吐く。

そうして、彼は真っ直ぐにガウェインの元に走った。

 

(それでいい、それで。)

 

ロットは姿勢を低くして、剣を構えず、ガウェインの元に飛び込んだ。何故か、まるで首を差し出すようにやってきた父のことをガウェインは驚いて見つめる。

それに、ロットは己の羽織ったマントを開いた。

それに、ガウェインは目を見開く。

 

「・・・我が身を隠せ、夜のとばり。我が罪を覆え、沈黙よ。」

罪を隠せし、愚かなる沈黙 (サイレント・シン)

 

ロットのマントから古びた短刀を持ったガへリスが真っ直ぐとガウェインに向かって躍り出た。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

矛盾に満ちた心

感想、評価ありがとうございます。感想いただけました嬉しいです。

次か、二話先でランスロットの語りをいれようかと思っております。


「はっきり言ってこちらがガウェイン兄上に勝てる確率は低いだろう。」

 

それはガウェインの元に向かう前にガへリスがした会話だった。

その言葉に藤丸立香は苦い顔をする。

 

「・・・・そんなに?」

「俺自身、そう城に深くいたわけでもない。兄上にわざわざ挑む者がいないのなら、どれほどの力なのかわからないが。ただ、兄上自身、それ相応の加護をもたらされている。ある意味でのギフトのような。」

 

ギフト、という単語に立香は背筋に寒気を覚えた。

 

「何よりも、この土地では兄上に対してあまりにもバックアップが行き届き過ぎている。故郷で有り、兄上を英雄として称えている。俺やモードレッド、父上もバックアップはありますが。それ以上に、ガウェイン兄上が勝っている。元々の素質の違いだ。」

「・・・・私も、事情を考えると。」

「でも、それならどうするの?」

 

モードレッドのそれに、ガへリスが息を吐く。どこか、覚悟を決めたかのような顔をした。

 

「・・・俺の宝具を使う。」

「ガへリスの?」

「俺の最も有名な逸話を知っているか?」

「えっと、ラモラックを殺したって、話?」

 

ラモラックというそれにガへリスは苦い顔をして頷いた。

 

「・・・俺のクラスはアサシンだ。俺は、影、暗がりさえあれば、どんな所にも滑り込める。この力のおかげで、俺はずっとこの島を転々としていたわけだしな。」

「サー・ガウェインにそれが通じると?」

「どんな騎士だって、的確に核をつけば崩壊する。なら、それが一番に確実だ。何よりも、サー・ランスロット。ガウェイン兄上に勝てるのか?」

 

ランスロットは黙り込む。そこでロットが口を開いた。

 

「なら、俺のマントの中に隠れておくか?」

「父上の、ですか?」

「おそらく、ガウェインのことだ。俺を何としてもモルガンの元に連れて行こうとするだろう。なら、俺ならある程度近づいても致命傷を喰らわせるのは躊躇するはずだ。」

 

ほれ、とロットは自分のマントを開けてガへリスを迎える。ガへリスは驚いて、マントと、そうしてロットを幾度も見比べる。

 

「ほれ、どうした?子どもの頃はよく俺のマントの中に隠れてただろう?」

「いくつの時の話しですか?ですが、まあ、それが一番か。」

 

ガへリスは気恥ずかしげな顔をしながら、ロットのマントに潜り込む。そうすれば、そこに存在していたはずの青年の姿は消える。いいや、気配さえも断ち消える。

 

「・・・・懐かしいな、この質感。」

「そんなに繁盛してたの?」

 

繁盛という立香の台詞が面白かったのか、ロットはくすくすと笑った。

 

「おお、小さい頃は、なんでか俺のマントの中に隠れたがってな。子どもって不思議でな、マントに隠れてもがっつり足が見えてても隠れた気になってるんだよ。ガレスとガへリスはケツが出ててなあ。ガウェインなんかはある程度の年齢だから姑息でな。背中にしがみついてしっかり隠れるんだよ。」

「本当に、いつの話をされてるんですか?」

 

ロットの思い出話に、ガへリスが呆れたような顔で顔を出す。それにロットはけらけらと笑って、片手でガへリスのほっぺたを掴んだ。

 

「なんだ、思い出話ぐらいはいいだろう?」

 

うりうりとほっぺたを突いてロットは笑った。それにガへリスは困ったように微笑み、けれど、すぐにそれを消した。ロットの手をやんわりとであるが、拒絶し、そうして抜け出る。

どこか、乏しい表情で口を開いた。

 

「それでは私が事前に父上のマントに隠れておく、それでいいですね?」

 

 

 

 

ガウェインは目を見開いた。

ガへリスの姿にかすかな動揺が広がったのは確かだ。

二人目の弟が姿を消したのは知っていた。けれど、ガウェインはそれを受け止め、許した。

彼にとって、己が殺したダイルと面を向かうことは耐えがたいことだったろう。

少なくとも、時間が必要なはずだ。

ガウェインは、ただ、門の前で。

 

誰も来はしないと理解しても、そこにいた。

 

故郷に、立ち寄る資格を自分が持っているのかわからなかった。

 

ガへリスは、かすかにガウェインの顔に走った動揺に、成功したと確信した。

短刀が、遠い昔、ラモラックを殺したそれが兄に向かう。

 

「・・・・お前は、一つ思い違いをしている。」

 

その言葉にガへリスは目を見開いた。ガウェインは剣を素早く入れ替え、そうして、ガへリスのことをなぎ払った。

まるで小石のように吹っ飛んでいく騎士はそのまま、森の中、木々をなぎ倒しながら転がった。

 

「ガへリス兄上!」

「モードレッド、立香を連れて下がれ!」

 

たたみかけてくるガウェインにロットとランスロットで対応する。

 

「何故、あれを!」

「私は今、ガへリスと同様に夜に立つもの!反応程度出来ないはずがない!」

 

ガウェインは怒り心頭と、ランスロットの横っ腹に一撃を叩き込む。それにランスロットは剣で防ぎはしたが、彼も又吹っ飛ばされていく。

 

ガウェインは向かい合った父を見た。

彼は、変わらず、物悲しげな顔をしていた。それが、ガウェインには溜まらなく、怒りを誘って、憎くて、苛立って。

 

さみしい。

 

「ガへリスをたぶらかして良い気分ですか?」

 

きっとしたことがないような皮肉気な声音でそう吐き捨てた。

 

「あの子は、あなたを慕っていたから。あなたに願われればそれを叶えようとして。」

「あの子が自ら望んだことだ。それ以下でも、以上でも無い。」

 

ガウェインはそれに苛立った。

ガウェインには、ロットの言葉がまるで、まるで、作り物のように思えて仕方が無かった。

父ならそんなことを言うはずが無い。

だって、父は、誰よりもこの国を愛していた。

 

果ての国、寒くて、海沿いの国は侵略者から狙われて、けして豊かな国ではなかった。

 

でも、故郷だ。ここで生まれ育って、その国のために自分たちのことさえも死んだ父。

 

違う、違う、違う!

父上がそんなことを言うはずが無いと、幼いガウェインがずっと喚き続けている。

父が、自分たちを、見捨てるはずがないのだと。

 

ガウェインは剣を振う。

答えて、ねえ、答えてと、幼い子どもが駄々をこねるように剣を振う。それであるからこそ、ロットでもなんとか耐え忍ぶことが出来る。

そこに、ランスロットが参戦する。

ガウェインはぎらりとランスロットを見つめて叫んだ。

 

「ああ、ランスロット!どうしてお前はいつもそうなのだ!お前だけは何故、そんなにも好き勝手に振る舞うことが許される!」

 

叩きつけられる斬撃は重い。それは、ガウェインの怒りを表すと同時に、確実に、ランスロットさえも押し巻ける。

それがガウェインが受ける、恩赦の証であると理解する。

 

「今でさえも、お前は父上の味方で。まるで、自分こそが正しいような顔をして!それなら、それならば、私だってそうしたかった!オークニーに帰りたかった!きょうだいたちと過ごしたかった!ああ、ああ、ああ、なのに!お前は全てをぶち壊した!」

 

あの日、ブリテンはまさしく薄氷の上だった。

それを知りながら、皆が、まるで大地で踊るかのように優雅に舞っていた。

だって、そうだろう。

 

この国は滅びるでしょう。

 

なんとなく、その足音を皆がわかっていた。

歯車が回る。

崩壊の音が、ずっと響いている。

知っていた、知っていてなお、あの時代で生きたものは棺の中で耳をふさいだ。

 

土地が痩せていくのも、異民族も、あまりにも異常なことばかりであって。

喉元にわだかまる全てを飲み込んで、それでも踊った。薄氷の上で、ただ。

それならば、殺せと宣う事なんて出来なくて。

 

なのに、なのに、なのに!

 

「お前が全部、壊したのだ!」

 

はじき返したランスロットは今にも崩れ落ちそうで、その顔が、ただ、苛立つ。

イライラする、イライラする。

 

それは、ずっと黙り込む。

自分が男を殺した日、ガウェインは問いかけた。

 

「何故、あんなことをした。何故、お前は、そんなにも。」

 

ガウェインは知りたかった。

相思相愛、なんて言えはしなくても。それでも、円卓には確かに繋がりがあったはずで。

ガウェインは、確かに、あの日、目の前の男を愛していた。

 

戦友であった、尊敬すべき騎士だった、馬鹿話に興じる友人だった。

 

それを、全て男がぶち壊したことに、全てを壊してしまったことにあの日々がまるで取るに足らないものであったかのようで。

 

ランスロットはガウェインの問いに黙り込んだ。

語る言葉などないように、ただ、黙り込んで謝罪を口にするだけで。

そうか、そんなにも、語ることさえ無いような、そんなものでしかないのか。

 

もう一度、裏切られたかのような気持ちだった。

 

 

「ガへリス兄上!大丈夫!?」

 

モードレッドと立香はガへリスへの救援に向かう。身に纏っていた礼装で手当をする。

ガへリスはぜえぜえと息を吐き、満身創痍であった。

 

「・・・さすがは、ガウェイン兄上、的確なところを。」

「もう、喋らないでよ!」

 

そう言っていると、遠くでガウェインの咆吼じみた声が聞こえる。

苦しくて、悲しくて、寂しい、そんな声。

それに、立香はああと思う。

彼の知るガウェインは、陽気で、楽しげで、己を律していて。

けれど、今、その声は、まるで駄々をこねる子どものように悲しい物で。

 

「・・・早く、助太刀に行かねば。」

 

ガへリスのそれに二人は手を貸した。

 

 

 

ロットはランスロットの前に躍り出た。

それがまるでランスロットを庇うようで、余計にガウェインの苛立ちを増させた。

ガウェインは自分がすでに、父親よりも強くなっていることを理解していた。元々の胆力自体が、特異な体質を持って生まれたガウェインにロットは負けていた。

行動を封じることが出来た。

けれど、ガウェインは子どもの駄々のように、父からの言葉を聞きたがった。

 

嘘だよね、そんなことは嘘だよね。

 

「父上、あなたは、あなたは。」

また、私たちを選んでくれないのですか?

 

掠れた声でそう言った。それにロットは驚いた顔をして、そうして、いかめしく顔をしかめた。

 

「ならば、何故、目をそらす、五月の鷹よ。」

 

発せられた言葉にガウェインの剣に駆ける力が弱まり、それをロットは押し返す。バランスを崩したガウェインはそのまま吹っ飛ばされ、そうして、その場に膝を突く。

 

「お前の行いは、この先を否定すると言うことだ。過去()を抱え、未来を潰す。それは、間違いではない。人はそういうものだ。どれだけ選択を考えようと、後悔の無い人生がないように。人に出来るのは、選択をどれだけ後悔しないかと覚悟するだけだ。だから、目の前のことだけを見て走り出す。ガウェイン。お前は、あの子を見ているはずだ。その瞳を、見たはずだ。」

 

その言葉にガウェインの指先が震える。

それに茫然と、目を見開かれた。

 

 

ローアルの血を引いている少女の存在は知っていた。

それに、興味を惹かれなかったわけではない。

あの子、あの子、が、生きて、その先にいる子。だから、一目、見たくて。

 

見た、見た、あの子。

銀の髪に、王にそっくりの顔。けれど、そんなことは欠片だって気にならなくて。

ただ、その瞳。

 

母と、父の瞳が混ざった、その色。

 

(ああ。あの子にそっくりだ。)

 

泣きたくなった、嬉しくなった、話しかけてみたくなった。

きっと、最後に残ったあの子が、妻が、どう生きたかなんて知らないとしても。

話しかけてみたくなった。

そこには、ガウェインが、置き去ってしまった彼の愛があったから。

 

けれど、そこで立ち止まる。

あの日、全てを放り出して、駆けてしまった自分にその資格はあるのだろうか?

 

母の近くにあることさえも、いいのかと、己に問いかけているのに。

遠目に見た。

ああ、可愛いなあと、いつかの愛らしい娘のことを思い出して。

でも、それに近づく資格を己は失っている。

とっくに、きっと、失っていて。

 

だから、背を向けた。だから、ただ、門の前で、ガウェインは。

 

「お前のそれは、それでもと未来を歩いた娘の在り方の否定であるのに?」

「止めてくれ!!」

 

叩きつけるような声でガウェインは叫んだ。

 

わかっている、わかっている、己の心にある矛盾。

 

母の願いを叶えたいという感情。

父の在り方を考えれば自分たちを容認できないことを理解して。

あの子の生まれる可能性を否定するのかと問いかける己がいて。

また母を裏切るかもしれない己に嫌悪して。

 

「わかっています、わかっています!ですが、私は父上との約束を、何一つだって守れなかった!」

 

ガウェインは立ち上がり、そうして、父のことを見つめる。

 

「オークニーは滅び、弟妹達は無残に死に、そうして、母を独りにした!ならば、せめて、ここでは、この場では母の願いを叶えなければ私はいったいなんだったと言うのですか?」

怒っているのでしょう?

 

ふがいない己のこと、何も守れなかった己のこと、きっと、きっと、父は失望しているのだ。

だから、きっと。

 

噛みしめた歯がガチリと音がして、視界の中に父を映した。

それに、ガウェインは驚いた、目を見開いた。

だって、そうだ、その時は父は笑っていた。

今は、戦いの時で、強ばって、いかめしい顔をしていたのに。その時、その瞬間だけはまるでほころぶように、仕方が無い奴だと、いつかのように笑っていて。

 

「お前はバカだなあ。お前は俺との約束を守ってくれたし、怒ってなんているはずがない。」

 

それは、いつかの、記憶の中の父そのもので。ガウェインは茫然としてしまう。

ロットはそれに、顔を引き締めて、息を吐く。

 

「お前はずっと、そうやって矛盾の中で回っているのだろう。ならば、もう、それはやめにさせないといけない。ガウェインよ、俺たちはもう死に果て、人ですらない影法師だ。故に、だ。生き続けると言うことを尊ぶ。でもな、忘れてはいけない。人はいつか終る。それが道理だ。だがな、終る代わりに託して、渡して行けるからこそ満足を得て死んでいける。俺にお前がいたように。」

 

ロットはそっと剣を下ろして、何故か、数歩下がる。

 

「俺は、あの人の元に、自分の足で行くと決めた。姫君の元にはせ参じるのは、自分自身でないとな。」

でも、俺はお前に勝てない。

 

ロットの後ろから、一人の男が躍り出た。

ガウェインはそれに、剣を構える。

 

「覚悟を決めた騎士に頼むだけだ。」

 

 

 

ランスロットは思い出す。

ガウェインに会う前に、ロットと、ガへリスとだけ交わした会話を。

 

ガへリスが己を見る。

己を見て、言った。

 

「サー・ランスロット。本音を言えばあなたには最後の戦いまで共にあって欲しいと思う。兄上を私が仕留めることが出来ればの話だ。」

「それは・・・」

「可能性としては低いか。失敗したときはどうする?」

 

ロットのそれにガへリスはじっとランスロットを見つめて言った。

 

「あなたがこの島に招かれた理由。それは、あなたが強い騎士であったから。我らきょうだいの、ある意味であなたは天敵であったから。それもある。だが、それ以上の役目があなたにある。」

 

静かな瞳が、夜のような青年が己に言った。

 

あなたの役目は、ガウェイン兄上と死ぬことだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

赦しを請うことなかれ、五月の鷹

評価、感想ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。

ガウェインとロット。
次は、ランスロットの語り?的なものになります


 

 

サーヴァントは所詮は、遠い何時かの影法師だ。

遠い昔にいた誰かの影。

それ故にサーヴァントは自分たちの辿った物語をなぞる。まるで、決まり切った物語を捲るのと同じように。

 

 

がきんと、固い鉄がぶつかる音がした。

剣を振い、そうして、互いにそれをぶつけ合う。隙を狙って、相手の体に叩きつけようとして、けれど、それは防がれてしまう。

わかるように、理解するように、全てを知っているように。

 

「ランスロット!邪魔をするな!」

 

ガウェインの叫びにランスロットは歯を食いしばって、ただ攻防を続ける。

ガウェインはそれに苛立って目の前のそれをにらみ付ける。

 

ああ、まただと。

それと、いつかに戦ったとき。

それは、少しだけ、最期に言葉を口にしただけで、何も言わなかった。

弁明だとか、なぜああなったのかなんて、そんなことも言わなくて。

黙り込んで、苦悶の表情を浮かべるだけで。

 

「お前は、何故、そうやって!」

 

 

 

「ロット王!」

 

慌てて駆けてきた藤丸立香、そうして、ガへリスやモードレッドの声を聞きながら、ロットはその場に片膝を突いた。

 

立香はそれにロットの元に駆け寄った。男は、冷や汗を流していた。

 

「大丈夫?」

「・・・・まあ、無理してないとは言えないからな。」

「父上、面目ございません。」

「いや、いい。どっちかってえと、あっちのほうが本命だったんだろう?」

「本命?ねえ、ランスロットに加勢をしないと!」

 

それにロットは立香の肩を掴んだ。そうして、申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「すまない、お前は嫌がるだろうと思って言えなかったんだよ。なあ、マスター知ってるだろう?俺たちは、己の物語に引っ張られる。なら、二人が戦えばどうなるか。」

 

ロットは淡く、微笑んだ。

 

「ランスロットは、ガウェインを殺すためにこの島に呼ばれたんだ。」

そうであると、夢魔は言った。

 

それに立香は目を丸くして、ランスロットを見た。

 

 

 

戦う、戦う、戦う。

ガウェインの方が押していることを、彼は自身で理解した。

ああ、やはり、自分の方が今は勝っているのだ。

 

(ならば、あの時のようにはけしていかない!)

 

相打ちになったあの時と同じにならないために、手早く事を進める。そうしたら、そうしたら。

 

(父上に。)

 

否定を、肯定を、愛を、今度こそ、父は、母と。

 

(柔らかな、夢の中で。)

 

「ガウェイン卿。」

 

そこでノイズが入る。忌々しい。声がして、ガウェインの思考を曇らせる。ランスロットをにらみ付けて、はじいた剣の衝撃と共に距離を取る。

 

「今更、なんだ。何を語るというのだ?もう、いい、お前には何も期待などしていない。」

ガウェインはそう言うと同時に、剣は構えられ、そうして光が集まる。

 

「罰を欲しているというのなら、私が下してやろう!」

剣に光が束ねられていく。

 

それを察した立香たちは退避の動作に入った。ランスロットはそれに目の前の月光の光を見つめた。

 

(私は、間違えた。)

 

間違いだらけだったとはいえない。優しいものも、正しいものもあった。けれど、あまりにも、それを覆してしまうような間違いが多すぎた。

死ぬのは恐ろしくない。

自分を殺した誰かを見つめて、言葉を貰って、ここまできて。

 

(あなたがいるとわかっていた。だから、ここまでたどり着いた。)

 

なんとなく、理解していた、この島の己の末路。

だから、これでいい。

ガへリスの言葉通り、役割を終えた役者は舞台を去るべきだ。

 

「我が終焉なるあなた。殺し合うこの愚かしさに救いなどあってならず。」

我が罪の末路

 

それと同時に、ランスロットの剣にも光が集う。まるで、ガウェインのそれと鏡合わせのように、その光がぶつかった。

 

 

「あれは何!?」

「ランスロット卿の物語だ。同胞を殺し、友と相打ちになった、ランスロット卿専用の、ガウェイン兄上への宝具。相手とまったく同じ力をぶつけて、相打ちになる。自爆技。」

 

 

 

ガウェインとランスロットはそのまま無様に倒れ込む。

互いにすでに満身創痍で、それこそすぐにでもその体は砕け散ってしまいそうだった。

 

「ば、かな・・・・」

「・・・あなたには、存在しないでしょう。あなたは、変質してしまっている。故に、この場では私だけに許された、宝具です。」

「道連れにしたのか。また、私は・・・・!」

「・・・これが、私の役目でしたので。」

 

ランスロットのそれに、ガウェインはやられたと、自分は間抜けなことにはめられた事実を理解した。

 

「卑怯者が!また、そうやって、お前は、お前は、私に母上を置いていかせるのか!お前は、お前だけは、したり顔で、何がしたかった!何をなしたかった!」

 

それにランスロットは恥じ入るような顔をして黙り込む。

ああ、また黙り込むのかとガウェインは歯を噛みしめた。

 

「ガウェイン。」

 

それを静かな声が遮った。それにガウェインは目を見開いて、そうして、目の前の男をにらみ付けた。

 

「・・・・父上、が、そうされたのですか?」

「・・・・そうしなければならないのなら、そうしろと言うこともあるだろう。」

 

ロットのそれに、ガウェインは叫ぶ。

 

「どうして、そこまでして、私のことを邪魔するのですか?」

 

ガウェインは駄々をこねるように、地面に拳を叩きつけた。

 

「父上は、やはり、怒っておられるのだ!!私が、私が、何も、約束も守れずにおめおめと私心がために行動をしたから!」

 

その言葉にロットは静かにガウェインのことを見下ろした。ガウェインは変わることの無いロットの仕草に耐えきれなくなって、ただ、わめく。

ぼたぼたと、子どものように涙をこぼした。

 

「怒っておられるから、だから、このようなことをされるのだ!親不孝者の私の言うことなど聞いてくれないのだ!」

 

ぐずぐずと泣いて、子どものように駄々をこねるガウェインに、ガへリスはもちろん、立香はモードレッド、そうして、ランスロットも唖然とした。

だって、そうだ。

ガウェインはいつだって、頼れる、かっこいい、騎士で。

その様子にロットは仕方が無いというような顔をして、そっとガウェインの頭を撫でた。

 

「怒っていないよ。」

「嘘だ!うそだ、父上は、怒っていて。」

「何故だ?だって、お前は俺との約束を確かに守ってくれたじゃないか?」

 

それにガウェインは目を見開いて、そうして、涙でかすんだ視界の中にいる父を見た。

約束?

どこが?

だって、自分は、何一つ。

 

「いいや、守ってくれた。お前は俺との、一方的な約束をちゃんとな。」

 

 

「大前提が違う。弟妹達を守れというのは、あくまで彼らが大人になるまでだ。騎士になり、戦場に出た時点で、彼らの命は彼らの物だ。戦いに準ずると言うことはそういうことだ。」

 

厳しい声でロットは言った。けれど、その手は変わること無くガウェインの頭を優しく撫でた。

 

「モルガンが寂しくないように孫娘を側に置いてくれたことも、母と共にいたいと願っても国のためにオークニーを出たことも。お前はちゃんと、俺との約束を守ろうとしてくれた。本当に頑張ったな。」

お前は、俺の誇りだ。

 

それは、いつかに聞いたような、父の優しい声音のままで。ガウェインはそれが心底、真実であるのだと。

ロットにとってそうであると信じてしまった。だって、ずっとそうだった。

その声に包まれて、育ったのだから。

けれど、ガウェインには納得できない。

 

「なら、どうして、ここを滅ぼされるのですか?ここは、母上の、夢だと。あなたは知っているのに。」

 

叶うことがない夢。

いなくなった人がいて、満ち足りて、優しい夢。

ここにいてくれればいいじゃないか。後がどうなっても構わない。あの子がいても、それでも、やっぱり。

傷ついて、散々にここまでたどり着いた母がそう祈るならば、それだけで。

 

「・・・ガウェイン。俺はお前に何を教えた?」

 

唐突に放り込まれたそれに、ガウェインは思わず言葉を返した。

 

「森の歩き方、安全な水場、狩りの仕方、木の実のありか・・・・」

「そうだな、ガウェイン。俺は、お前に生きる方法を教えた。生きるとは、どんなことだと俺は言ったか。覚えているか?」

 

それにガウェインは掠れた声で、ロットを見つめて言った。

 

「・・・たたかい、つづけること、だと。」

 

 

遠い昔、ガウェインはロットに言われたことを覚えている。

 

森の中で飯を取るってのは戦いだ。獲物との知恵比べ、木の実だって他の動物との戦いだし、水場での安全だってそうだ。俺たちは、何かの命を絶対的に喰らって生きる。それは仕方が無いことだ。騎士とてそうだ。勝者の裏には、敗者がいる。それは変えられない。

だから、ガウェイン。

 

「生きなさい。最期の、最期まで。例え、手足がちぎれても、最後の最後まで足掻いて、生き残ることを考えろ。死にさえしなければ、後は勝手についてくる。後に託すことが出来れば、それでお前さんの勝ちだ!」

の最後まで足掻いて、生き残ることを考えろ。死にさえしなければ、後は勝手についてくる。後に託すことが出来れば、それでお前さんの勝ちだ!」

 

 

 

今更になって、そうだと。ガウェインは思い出す。

オークニー。

厳しい、冬の、寒い、果ての国。

他の地域よりも、厳しい環境で生きる子どもたちはこう言われる。

生き残れ、と。

 

「なあ、ガウェインよ。モルガンはこの島の民まで夢の中に引き入れたな。俺は、そうだな。正直な話し、それについては怒っている。」

「民の保護は、王として当たり前のこと!」

「いいや、違う。なあ、ガウェイン。夢で生きる彼らは、彼らだけで生を完結させる。子どもは産まれず、全ては幻影のうちだ。それは、柔らかな終わりを望んでいる。滅びに救いを見いだすなど、けしてしてはならないことだ。」

 

ロットは、じっとガウェインを見た。

 

「ガウェイン。確かに敗北した者は哀れにうつる。国がなくなって、行き場の無い者は悲しいだろう。だがな、それでも、俺たちは叫ばねばならない。戦い続けろと、負けるなと!」

「どうしてですか!?辛い思いなどして欲しくない!悲しい事から守ってやりたい!それは、間違いなのですか?」

「・・・・なあ、ガウェイン。」

哀れまないでくれ。

 

寂しい笑みを浮かべたロットにガウェインは黙り込んだ。

ロットの脳内には、いつかに自分を見た夢魔のことを思い出す。苦しむのは哀れで、だから、このまま、柔らかな最期を願った人でなし。

今、こうやって、永遠の夢を見たいと願う在り方は、彼とどう違うのだろうか、と。

 

「あまたの苦痛から守ってやりたい、苦しいことから遠ざけたい。それは当たり前の心だ。だが、それは、人の在り方ではない。それは、そうだな、神々の在り方だろう?俺はな、もう嫌なんだ。」

 

ロットはガウェインのことを見下ろした。

 

「・・・・あの人は、神様じゃない。ただの、寂しくて、悲しい人だ。なら、終わりが来ないような夢の中で、独りだけ生き続けるのはあんまりにも寂しいじゃないか。」

 

それにガウェインは何て答えていいのか、わからなかった。

 

違う、違う、だから、自分たちがサーヴァントの身で戻ってきた。寂しいあの人に寄り添うために、神様のように、独りで佇むあの人の元に、母の元に。

だから、自分は。

 

「ガウェイン。わかっているだろう。俺たちは、サーヴァント。本人ではないのだと。」

 

本当の意味であの人に寄り添うことは難しい。ここにいるガウェインは確かにガウェインで、けれど、何かが混ざっている。

だから、自分はそれで、母への愛だけは確かにそうであるのだと信じたのに。

 

「・・・・いつか、子どもは独り立ちをする。お前が俺からそうであったように。だから、人もそうだ。いつか、自分の足で立って、戦って、勝利し、敗北する。ガウェイン。お前の知る、この島の民は、そんなにも弱かったか?」

「いいえ、そのような、そのようなことなど・・・・!」

「ああ、そうだ。生きていれば、苦しいことも、悲しいこともある。でもな、それを越えた先で生きてて良かったと思えるようなものがある。なあ、ガウェイン。」

お前は、美しいものを見たか?

 

それにガウェインは、もう、ダメだった。

ぼたぼたと、涙が、ただ、零れて。揺らめく視界の中で、それでもなお、父を見て。

 

「あり、ました・・・・」

美しいものが、確かに、ありました。

 

思い出す、生きて、生きて、走って、走って、愚かな終わりを招いてなお、振り返った先にあった美しい、輝かしいものが、確かに、ガウェインにはあったのだ。

 

「ああ、そうだ。なあ、不幸だった、苦しかった。でもな、幸せだっただろう?生とは、そういうことだ。少なくとも、そうだった。なら、どうして、夢を見ろなんて言える?俺が死んでもいいと思えたのは、生きて、俺と同じように、苦しんで、悲しんで、それでもなお、いつかちゃんと幸せになると、全てを信じたからだ!」

 

声がする。ああ、声がする。父の、ずっと聞きたかった声が、する。

 

「お前も未来を信じてやりなさい。お前に星が瞬いたように。この島の民にも、そうして、モルガンにだって。変わること無く、きっと星が瞬くはずだ!」

 

ロットはがしがしと、いつかに、幼い頃のようにガウェインの頭を乱雑に撫でた。

それが、ただ、懐かしくて。

ああ、そうだ。

ガウェインは思い出す。

自分は、ただ、きっと。

こんな風に。

選んでくれなかったことだとか、母への罪悪だとか、たくさんのことがあっても。

それでも、生きようと、行こうと、足を止めなかったのはきっと。

こんな風に、頭を誰かが撫でてくれた、日だまりの記憶があったからだ。

ずっと、その温かな記憶はガウェインのことを暖めてくれたから。

ガウェインはわんわんと、幼子のように泣いた。ただ、泣いた。

 

(ああ、きっと、母上も・・・)

ガウェインは涙の中で、ただ、思う。

国を守りたいだとか、それは確かに思っていて。彼女も又、自分と同じように。

この声と、大きな手が帰ってきてくれることだけを願っていたのだと。

 

それを見ていた立香は言った。

 

「ガウェイン。あなたは、ずっと、罪だと。自分の人生を、ずっと、罪だと思ってたんだね。でも、咎められない罪には、罰なんて必要なかったんだ。ずっと・・・・」

 

 

 

泣く声がする。それを、ランスロットは見つめる。

泣いて、幼い子どのように泣いて、自分の知るガウェインとはあまりに違って。

それにランスロットは、ああと思った。

 

(・・・・ガウェイン卿。私は、あなたのように、なりたかった。)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

湖の騎士はかく語りき

感想、評価ありがとうございます。感想頂けましたら嬉しいです。

ランスロットの語り的なものです。


 

サー・ランスロット、あなたは素晴らしい騎士だ。

 

そんな感嘆をよく聞いた。

それにランスロットは淡く微笑んで礼を言った。賞賛に、礼を言った。

そんな賞賛はよくあって、聞き馴染んだばかりのことだ。

そんな言葉の中に、混ざる言葉があった。

 

そのように武勇に優れ、礼節も守るほどに勤勉であると言うことは相当の苦労をされたのでしょう。

 

それに対して、ランスロットはずっと不思議だった。

それをランスロットはあまり苦労だとは思っていなかった。

 

そうあれと願われたから、そうある。

ランスロットにとって、それ以上でもそれ以下でも無かったものだから。

 

 

 

ランスロットの最初の記憶はとても、とても、美しい女の姿から始まる。

 

それは、ランスロットの養母である貴婦人だった。貴婦人などと言っても人ではない、妖精であった彼女は、ランスロットに優しかったのだと思う。

 

彼女はランスロットに多くのことを教えた。

それは例えば武術であるだとか、知識だとか、礼節だとか、そんなことを。

ランスロットはきっと、養母は己のことを立派に育ててくれようとしていたのだと思う。人として、当たり前の道徳だとか、正しさだとかをランスロットに教えてくれようとしていた。

 

君主に対して忠実でありなさい。

はい。

礼節を重んじ、名誉を守りなさい。

はい。

レディを守るものでありなさい。

はい。

強いものでありなさい。

 

彼女の言うことはどこまでも正しい。それにランスロットは、はいと頷いて、それを忠実にこなして見せた。

幸いなことにランスロットにはそれが出来るだけの能力があった。だから、それをこなし続けた。

けれど、ランスロットは礼儀を覚え、武勇を鍛え、彼は貴婦人の願うとおりの正しい騎士になった。

けれど、ランスロットはずっと思っていた。

 

養母の元を離れて、武者修行の旅に出た。

そこで多くの人を見た。

悪辣なるものがいれば、善き人もいた。

善き者を助け、悪辣を除けた。

 

悪辣なものは言った。

今に見ていろと。

善き者は言った。

あなたほどに強く、優しい人などいないでしょう!

 

きっと、充実している。なすことをなせている。ランスロットはその旅を続ける。

正しいから正しい。

 

これで大丈夫。このままでいい。教えられたことを全うできている。

 

・・・・・本当に?

 

 

ランスロットは、どこか、何かを探すように旅を続けた。

騎士として生きるのならば、仕えるべき存在がいるはずで。ランスロットはそれを求めて旅を続けた。

きっと、いるはずだ。

自分に仕えるべき、なすべきことがどこかに。

 

そこでランスロットは見つけた。

アーサー・ペンドラゴンという星に。

 

その輝かしさが、その、まばゆさ!!

ああ、見事に、ランスロットは、その輝かしい光にすっかりと目を焼かれてしまった。

 

この人に会いたかったのだ!

この正しく、清廉で、強き王に会うために自分は、きっと、ここまで来たのだと。

そう、思っていた。

 

 

 

「・・・・君が、ランスロットかい?」

 

それは、アーサーの元に身を寄せてからすぐのことだ。

自分にとって先輩、といえるのだろうか。

そんな存在が自分を迎えた。

 

声がした。声が、した。

金の髪に、青い瞳。黄昏の色を持つ自分とはまったく違う、大らかで、暖かくて、太陽のように優しい匂いのする人。

 

「ほら、こちらに来てください。」

 

自分を呼ぶ声がした。

そうだ、その時、きっと自分は。人の愛とは、こんな男のことを言うのだと、信じたのだ。

 

彼の愛を知っている。彼は少しだけ年下の自分に時折兄ぶることがあった。まるで、年上染みた態度を取るときがあった。

ランスロットの完璧さに遠巻きにみるものたちと違い、彼は当たり前のような愛をくれた。

それは友人に向けるだけのもので、それは彼にとってささやかなもので。そのくせ、そこにはひとつまみだけ弟へ向けるような慈しみがあって。

きっと、これが人の愛なのだ。人が人に向ける、当たり前のような愛なのだ。

心地が良くて、嬉しくて。

ランスロットはきっと、その時、誰よりも、何よりも、ガウェインの事が好きだった。

自分に兄がいれば、いや。

 

(父とは、きっと、こんなものなのだろうか。)

 

恥ずかしい話だとわかっている。年がそう変わらない男に向けるにはあまりにも不釣り合いな感情だった。

 

だから、ランスロットは初めて会ったガウェインに、城を案内してくれた男を見つめて言った。

 

「あなたのような騎士になりたいです。」

 

思わず漏れ出た言葉に、ガウェインは驚いた顔をしたけれど、すぐに破顔してランスロットの頭を乱雑に撫でた。

 

「そうか、それは嬉しいことを言ってくれる。」

 

その笑みは本当に屈託がなくて。

いいなあと。

漠然とそんなことを思った。

 

 

ランスロットはアーサー王に出会うために、仕えるために自分は騎士になったと思った。けれど、それと同時にこうも思った。

こんな人になるために、自分はここまでやってきたのだと。

 

当たり前のように誰かを守って、当たり前のように誰かを愛し、少しだけ抜けていて、優しくて、妻を愛し、子を慈しみ、生きている人。

 

だから、ランスロットはガウェインのまねをした。

まねをするのは得意だ。模倣こそが人の本質だ。彼のような人になりたかったから。

だから、ランスロットは、ガウェインを見ていた。

 

けれど、ガウェインの視線の先にはいつだって、彼の愛するきょうだいがいた。

 

それをようやく自覚したのは、彼はアグラヴェインやガへリスと接しているのを見たとき。

本当の家族へ向けるそれを見たとき、ランスロットは身勝手に落胆した。

そうだ、結局、自分と彼は友人で、彼の一番では無いのだと。

 

それに失望することも、絶望することも無かった。それは当たり前の話で、自分が勝手に彼に対して憧れていただけの話だ。

それからずっと、愛に憧れた。少しだけ抱いた、それに焦がれた。たくさんの人が自分を褒め称え、そうして認めてくれた。

 

誰かに願われたことを遂行するのは得意でした。

 

王の期待に応えることも、誇りに思っていた。

それでも、誰も、ガウェインのような、当たり前の、取るに足らないような暖かな感情を向けてくれなかった。

熱狂があった、ある意味で心酔があった。けれど、それは、どれもランスロットの憧れたものではなかった。

完璧な騎士、最強の存在。

それに下心だけでは無かった、心のそこからの何かがあった。けれど、どれもがきっと、あの日向けられた、取るに足らないような己を呼ぶ声以上のものだと思えなかった。

 

 

それでもよかった。それで、きっと、よかった。

彼と自分は違うもので、少しだけ年が上だとしても、そんな感情を抱くなんておかしな話しだ。

だって、ランスロットは優れた騎士で、憧れで、正しくて。

だから、そんな、同胞に向ける子どものような憧れと甘えなんて、きっと、正しくなかったのだ。

ああ、なんてことを思ったのだろうか。

もう、自分は子供ではないのなら、それは正しくない。

 

正しいものでありなさい。

 

養母の声がこだまする。

 

だから、それを胸にしまって忘れることにした。

言うべきで無いことがあることぐらいはわかっていた。

 

ランスロットは完璧な騎士だった。

そう望まれて、そう願われたものだから。そのままでよかった。

 

 

けれど、けれど、だ。

だから、きっと、ランスロットはその人に恋をしてしまったのだろう。

憧れた人に選んでもらえなかった、伸ばした手は最初から届かない。

 

王妃、グィネヴィア。

その人の嘆きを見た時、ランスロットは、その人に笑って欲しいと思ってしまった。

それが、きっと、全ての終わりの始まりだった。

 

ランスロットとグィネヴィアは違う。

ランスロットのガウェインの後ろ姿を追ってしまう感情と、グィネヴィアのアーサー王のことを見つめる感情は違う。

けれど、ランスロットには少しだけわかるのだ。

手を伸ばしても届かないこともむなしさが。

だから、ランスロットはグィネヴィアに微笑んだ。

たわいもない話をして、彼女の心が慰められるのが嬉しかった。

 

いつからだろうか。

考える。

いつから、彼女のことを、愛してしまったのだろうか。

 

いつかなんて覚えていないけれど。

彼女だけは愚かなランスロットを知っていてくれた。その愚かさを愛してくれた。

幸せになって欲しかった。

取るに足らないことだったかもしれない。でも、ただ、伸ばした手が取られなかったこと。

それが悲しかった。それが、寂しかった。

それが仕方が無いことで、彼らは自分の運命ではきっと無くて。

よくあることだったのかもしれない。

 

よくあること?

本当に?

目の前で笑う美しい人、優しい人、賢しい人。

周りを見た。

 

王の子を産めぬ石女、そう彼女を罵倒する。

グィネヴィアはそれを仕方が無いのだという。仕方が無くて、そうして、泣いた。

 

私の罪は、何なのでしょうか?

 

その声にランスロットは周りを見た。

一人の女が泣いている、一人の女が苦しんで、のたうち回っている。

それを助ける騎士は、おらず。

 

もしも、そこに、ランスロットというそれの物語を語る、人でなしの語り部がいたのならば。

それは、仮面のように微笑んでいったことだろう。

 

そうだ、そうして、お姫様はその涙と愛で、一人の男にかけられた呪いをといたわけだ。

なあ、君。

人でなしに育てられた人間は、果たして、真の意味で人であると言えるのか。

…かくて、人でなしは美しい生き物を生み出した。真っ当で朗らかで、正しくて強い生き物、に見えるだけの生き物を。

そんなことは可能か?

ああ、人は清廉で、正しくあれる。己のためにあるという大前提を、自分は他人のためにあるという前提にすり替えれば。

エゴが育たぬままに生きた人はまさしく無垢なる、正しい生き物だろうね。

よくある話だろう?

 

 

 

ランスロットというそれは確かに人間だった。

けれど、彼を育てたのはどうしようもない人でなしだった。

教えられたのは善だった、定義づけられたのは清廉さだった、施されたのは祝福だった。

 

人が好きです、騎士として誇りを持っています、誠実でありたいと思っています。

 

本当に?

 

本当は、本当は、ランスロットというそれはそんなことなど知らなかった。

教えられた善性も、誠実さも、祝福も、愛も。

結局の話、それは、人でなしが持つだけの、知識であり、知恵だった。

慈しまれていたのだ、大切にされていたのだ。

けれど、ランスロットはどこか、理解していなかった。それがとっても素敵なものであるとわかっていたのに。

わかっていたのに、それに触れたことがそれにはない。

騎士としてなぞった物語のような正しさを人は肯定し、それこそがランスロットであるとたたえた。

が、ただの一人として、ただの、遠い昔に親から引き離された人の子供がどこにいるのかなんて誰も知らなかった。

だからランスロットにはわからない。人としての己の、本当の意味でのエゴなんて彼はずっと知ってさえいなかった。

 

 

ランスロットは愛されていた。

 

ランスロットという騎士はどこまでも愛され、信頼され、讃えられていた。

まるでお伽話のように。

ランスロットは騎士だった。それで物語の最高の主人公であれただろう。芽生えた自我の上に上塗りされたそれを突き破るほどまで男のエゴが育つことなどなければ、きっと。

 

 

女が泣いている。

どうして?

 

誰よりも慕った王は王妃を妻とすれど、どこか役割を演じるように空虚で。

信頼する同胞は女の悲哀を知れど、目を逸らしたまま。

わかっている。

どうしようもないことは、わかっていた。

 

けれど、女が泣いている。なんの罪もない女が泣いている。

間違っている、間違っている、間違っている。

あの日、人でなしの教えた正しさはランスロットに喚き続ける。

 

それは、間違っているから。

 

女への哀れみ(芽生えたてのエゴ)は正しく騎士道(建前)を男に掻き立てさせた。

 

 

笑ってくれればいい。

思いが成就せずとも、真の意味で結ばれることがなくても。それでよかった。

ただ、泣いている女が、孤独で寂しい思いをしなければそれでよかった。

 

あの日、一人の男にその秘密を剥ぎ取られることがなければ、ランスロットはそのまま女の側にいることだけで満足していただろう。

 

 

罰を受けるのは仕方がない。

ランスロットはそれに、納得していた。裏切ったのは自分だから。

ランスロットはグィネヴィアが殺されることはないと確信していた。立場上そんなことができないとわかっていた。

だから、せめて、自分だけは罰を。

 

それは正しい、それは当然だ。

 

けれど、ランスロットには罰が訪れることはなかった。

 

代わりにグィネヴィアにだけ、罰が下った。

 

何故だ?

自分に罰がないのなら、グィネヴィアもそうだった。

グィネヴィアが罰せられるのならそれは自分まであるはずだ。

 

アーサー王の1番の後ろ盾であるグィネヴィアを殺すのか?

ランスロットのフランスからの伝手があるが故に貞操を汚したランスロットは許されるのか?

 

ランスロットはずっと正しい騎士だった。

そう育てられ、そんな生き方しか知らなかった。

皆がそれを肯定し、自我を覆い尽くした他己的なそれは、ランスロットの矛盾を徹底的に壊した。

 

だから、ランスロットは狂ったのだ

 

己の行いを振り返る。

殺して、殺して、殺して。

 

誰かのための生き物は、心に蓄えられた贅肉で徹底的に醜く、狂ってしまった。

愛したものを裏切り、憧れの憧れたる所以だった太陽の騎士の愛を悉く潰した。

 

最後の最期に彼は言った。

何故だと、理由を問うた。

惨劇の理由、裏切りの末路。

 

何を言い訳などできるでしょうか。

私はあの日狂ってしまっていた。初めてのエゴに、私は剥き出しの心を暴走させた。

 

‥だから、私は少しだけ嬉しかった。彼が私を殺しにきてくれたこと。

私にもたらされた最後の(慈悲)

 

きっと、あの人のようになれるのだと。

そんな世迷言のような願いのためにわたしは全てを壊してしまった。

 

本当に、願いが叶うのならば、一つだけ謝りたい。多くのことへの許しを乞う資格を私は失ってしまったから。けれど、一つだけは謝りたい。

 

ガウェイン卿に、あなたのようになりたいとそう願ったことを果たせなかったこと。

それだけは彼に謝りたい。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。