JC聖女とおっさん勇者(?) (景空)
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異世界へ
第1話 ここはどこ?


「え?何これ?」

 

あたしは今絶賛混乱中だ。なぜか見知らぬおじさんに抱きしめられて身動きが取れない。おじさんは気を失っているようだ。しかもそのおじさんの肩越しに見えるのは木々に囲まれた森。さっきまでは中学校からの帰り道で信号待ちをしていたはず。しかもあたしの住んでいる街は、そこそこ都会でこんな森は近くでは見たことも無い。

 

「ここ、どこ?」

 

あたしは、思わずつぶやいた。

まるでそれを待っていたかのように、あたしを抱きしめていたおじさんが身じろぎをした。

 

「う、つぅ」

 

どうやら目を覚ますようだ。はやいところ目を覚ましてさっさと開放して欲しい。そして、出来たらこの状況を説明して、お願い。そんなあたしの想いが通じたのかおじさんはそれほど時間をかけずに目を覚ました。

そして、今あたしと目が合ったおじさんが固まっている。いや、そこ固まらないで。せめて先にあたしを開放して。仕方がないのであたしから話しかけよう。

 

「あ、あの。離してもらえますか」

 

おじさんは、ハッとしたようにあたしを離して飛び下がった。そんなに慌てなくても良いのに。あたしはそう思ってクスリと笑ってしまった。それにしても不思議なおじさんだと思った。最近ではお父さんでさえ触られると気持ち悪く感じていたのに、あんなふうに抱きしめられても嫌な感じが無いんだもの。ひょっとしたら今の状況がそんな風に感じさせてるのかしら。

 

「あ、あの。ごめんね。とっさの事だったから。こんなおじさんに抱えられるなんて嫌だったよね」

 

とっさの事?。という事はこのおじさん何か知ってる?

 

「あ、あの。あたし、何が起きたのか何もわかってなくて。何が起きたのか知っていたら教えてもらえますか?」

あたしが聞くと、おじさんは少し驚いたような顔をした。そして改まった顔で話してくれた。

「まず最初に、私達は辻堂の交差点で信号待ちをしていたはずなんだけど。そこは覚えているかい」

「ええ、そろそろ3月なのに寒いなって思いながら待ってました」

 

あたしが答えると、おじさんは頷きながら

 

「そこで君の後ろに居た高校生くらいの子たち3人を中心にいきなり何かが光って広がっていったんだ。私は咄嗟に君だけでもと抱き寄せてその光から離れようとしたんだよ。で、その後は何も分からなくなって気付いたらさっきの通り」

 

そこまで話すとおじさんは肩をすくめてみせた。それを見てあたしは、ちょっとカッコイイと思ってしまった。変なの。でも、そうするとおじさんも、ここがどこなのかは分からないのよね。それでも一応聞いてみようかしら。

 

「それで、その、ここがどこなのか心当たりありますか?」

 

あたしが一番知りたい事だったのだけど、おじさんは首を横に振ってしまった。

 

「ごめんな、私にもここがどこか分からない。さんざん世界中を回って色々なものを見てきたけれども、このあたりの風景も植物もどれも見たことが無いんだよ」

 

そこまで聞いて、あたしはあきらめにも似た気持ちと共に目をそむけていた可能性と向き合うしかないと溜息を吐いた。

 

「あのですね。おじさんから聞いた内容に、そのあたしの読んだことのある小説の中のお話がすごく似た状況なの。とっても非常識な内容なので、そういうお話だって分かったうえで聞いてもらえますか?」

 

あたしが、そんな風にいったからかな、おじさんはニコニコしながらそれでも真剣に聞いてくれる姿勢になった。

 

「ああ、もちろんだよ。そもそも辻堂からこんな訳の分からない場所に来てる段階で常識なんてくそくらえだからね」

 

おじさんの言葉にあたしは、少し安心して話す気になれる。

 

「その、ここって実は日本どころか地球じゃない、ひょっとしたら異世界と呼ばれる場所じゃないかって……」

 

あたしが、ここまで話したところで、おじさんが難しい顔をしちゃった。やっぱり真面目に受け取ってもらえないのかな。なんかブツブツ呟き始めちゃったし。あきれられた?現実逃避って思われちゃったかな?そんな風に考えてたら”パン”おじさんが自分の頬っぺた叩いてた。

そして

 

「なるほど。一見突飛な考えだけど、そもそも現状があまりに突飛だ。むしろその考え方の方が現実的か」

「え?」

 

思わず声が出ちゃった。

 

「あ、ごめんね。うん。とりあえず、何故ここに私達がこんな場所に来たかって理由・原因は分からないけど、それをすっ飛ばせば全部つじつまが合うね。じゃ、これからは私達は、原因は分からないけれど、異世界に来てしまった。それを前提で考え行動しよう」



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第2話 変わったキャンプ用品

「というところで、これからの方針を決めよう。っと、その前に自己紹介をしておかないとね。私は影井瑶(かげい よう)といいます。48歳、世界中のなんというか変わったもの面白いものを輸入して販売する会社で、一応営業をやってます」

 

なんかおじさん改め影井さんが生真面目に自己紹介をしてきた。あたしもした方がいいわよね。きっとしばらくは一緒に行動することになりそうだし。そこで少し乱れていたセーラーの制服をパタパタとはたいて整えてから口を開いた。

 

「あたしは、華朝未(はな あさみ)です。華の中学1年生13歳です。華だけに」

 

あたしは、エヘッっと笑って自己紹介をつづける。

 

「学校では文芸部に所属してます。」

 

あたしが文芸部所属と言うと影井さんは”なるほど”と納得したような顔をした。それはわかる、わかるけれどなんか悔しい。少しからかってみようかしら

 

「身長153センチ。体重はちょっと内緒で。スリーサイズは……」

 

あたしがそこまで言うと影井さんがペシっとあたしの頭をはたいてきた。

 

「そこまで言わなくていい」

 

むう、じゃあ今度は少しツッコミを入れることにした。

 

「影井さんは、営業って言う割には……」

 

そう言いながら、影井さんを頭からつま先までジロジロと視線を動かして見せる。

 

「うん、サラリーマンらしくないかい?」

 

なんか余裕の笑顔で返してきた。なんだろうこの敗北感は。かと言って今更止められないから仕方ないわね。

 

「だって、ジーパンに皮ジャンにおっきなリュック背負ってさ。どっかに遊びに行くみたいじゃない」

あたしは無造作にそう言ってふふんと笑ってあげた。

 

「まあ、実は今日は有休をとって友人と2人でキャンプにいくつもりだったんだよ。大物は車に積んで、あとこれだけをってところでこうなったわけ」

 

キャンプ用の道具?それはこの状況では色々便利なアイテムがありそうね。

 

「じゃあ、そのリュックの中身はキャンプ用品ってこと?」

 

あたしが聞くと、影井さんはフッと頬を緩めたわ。

 

「そうだね。ちょっと変わったキャンプ用品かな」

 

「変わったキャンプ用品?というと?」

 

あたしの問いかけに影井さんは少し照れくささを残した笑顔でこたえてくれる。

 

「私のするキャンプはキャンプ場ではないんだよ。まあ俗にいうサバイバルキャンプみたいなものでね。だからこんなものが入っていたりするんだよ」

 

そういうと影井さんの左手に菜切り包丁を肉厚にしてちょっと曲げたような刃物が、右手に大型のナイフが現れた。今どうやって出したのかしら。ちょっと驚いて固まってしまったわ。直前まで何も持っていなかったのに気付いた時には両手に刃物を構えているとか、影井さんって危ない人みたいね。

 

「でも、現状ではこれは役に立つ可能性が高いね。あまり役に立ってほしくない方向で」

両手の刃物をしまうと影井さんはポリポリと頬を掻いた。

 

「役に立ってほしくない方向っていうのは、やっぱり」

 

それはそういう事よね。あたしもここが異世界って時点で避けられないとは思っていたわ。でも異世界転移したらお約束があると思うの。神さまとか次元の違いとかでチート能力というか、身体能力向上とか魔法とか。だけど今のところそういうのをもらえた感覚ないのよねえ。

 

あたしはハーっと溜息をついた。



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第3話 異世界文明と接触する?しない?

「じゃ、自己紹介も済んだし、これからの事を話そうか」

 

じゃれ合いの雰囲気からあっさりと切り替えて影井さんが切りだしてきたわ。この辺りが大人のコミュ力なのかしらね。それでもいつまでもこのままと言うわけにもいかないし、あたしとしてもこれからの事を話し合う事に異論はないわね。だから頷きつつあたしも同意の言葉を続けないとね。

 

「ええ、あたしとしても言葉遊びより生き延びるためのお話の方がいいわ」

 

あら?影井さんの表情が緩んだわ。あたしの言葉に何かあったかしら。

 

「まず大前提として、この状況で生き延びること。これが第1目標。これはいいかな?」

 

生き延びるなんて当たり前のことだけれど、影井さんはあたしのこと道理の分からないバカだとでも思っているのかしら。

 

「ふふふ、華さんは、私が生き延びることを目標としてわざわざ口にしたのかを疑問に思っていそうだね」

 

そりゃそうよ。誰が死ぬことを前提にするもんですか。そう思いながら頷くと影井さんは改めて説明を始めてくれた。

 

「うん、あまりにも当たり前の前提条件というのもね言葉にしておかないと後でおろそかになることが往々にしてあるんだ。だから言葉にしてこれは絶対ってしておくのが大事なんだよ」

 

ふーん、そういうものなんだ。実感は無いけど言いたい事は分かったわ。

 

「わかった。まず生き延びることが目標ね」

 

「うん、そして次の目標は元の世界に帰ることでいいかな?」

 

やっぱりそうよね。でも

 

「元の世界に戻るのは出来ればというところじゃないかしら。まったく手懸りの何もないことなんだから」

 

あたしが言うと、影井さんは驚いたとばかりに目を見開いてあたしを見つめてきた。そりゃそうよね。でも優先順位としてはしかたないと思うのよね。それよりもあたしとしては優先したほうがいいと思うことがあるもの。

 

「あのね。あたしとしては現地の文明と接触するのが先じゃないかと思うの」

 

まあ、文明があればではあるのだけれど。あたしの考えではほぼ間違いなく文明はあると思うのよね。ただし、王様とか教会の上の方の人と接触するのは注意が必要だと思うけど。まあ、それもそういう国とか宗教とかが成り立つところまで文明が進んでいればだけど。あら?影井さんがため息ついてるわ。あたし何か変なこと言ったかしら。

 

「うん、華さんが現地の文明と接触を考えるのは無理もないかもしれないけど。それは慎重にしたほうが良いと思うよ」

 

あら?ラノベやアニメでは文明との接触は優先事項だったけれど何か問題があるのかしら?

 

「文明があったとして、その文明と意思の疎通ができるかどうか分からない。なにより友好的かどうかさえ怪しいからね」



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第4話 殺せる?

「とは言ってもだ」

 

影井さんはちょっとためらいながら続けてきたわね。

 

「文明があるなら最終的には接触する必要があるだろうね」

 

”ただし”と追加してきたわ。

 

「ただし、十分に観察して、とりあえずは不当な扱いをされない、ないしはすぐに逃げられる状況を作ってからだね」

 

あたしが首を傾げると仕方ないなと追加で説明をしてくれるらしい。

 

「多くの文明では、どこかの段階で奴隷を使うんだよ。そしてそれをどこから調達するかというと他国って国かどうか分からないけど、外部を侵略して戦利品として奪ってくるんだ。そのほかにも所在不明な浮浪者だとか場合によっては旅人を拉致して奴隷にするなんてのもある」

 

あたしは思わず息をとめてかたまってしまったわ。奴隷。そうよラノベでもファンタジーものでは大体出てくるじゃない。その扱いにショックを受ける主人公ならまだいい方ね。捕まって奴隷にされるところから始まるものだってあるじゃないの。あたしとしたことがうっかりしていたわ。

 

「つまり、あたし達は奴隷やそれに近い扱いをされないように注意して接触しないといけないということね」

「そして他にはおそらく強くなる必要があるよ」

「え?」

「文明がどの段階かにもよるけど、基本的に弱いと食い物にされるのは間違いないからね」

「つ、強くなるってどうするの?」

 

ゲームでならイベントこなして、魔物を倒せばレベルアップしたりスキルを手に入れたりできるわ。そもそもがゲームならこんなところに転移した時点でチート能力の一つや二つ手に入れてると思うのよね。だけどこれはあくまでも現実。転移者だからって魔法も使えないし、スキルだって無いわ。ステータス補正なんてものだって……。だから影井さんがどんなふうに強くなるつもりなのか聞いてみよう。そう思って口にした言葉は思ったより影井さんに刺さったみたい。かなり言い難そうにしているわね。それでも、覚悟を決めたように大きく息を吐いて話してくれた。

 

「私達日本人は生物を殺すことに慣れていない。というか、そもそも虫でさえそうそう殺す必要がないからね」

 

あたしは首を傾げて反論してみよう。

 

「蚊とかハエは殺してきてると思うけど。あとGとか」

 

あたしの言葉を微笑みながら聞いていた影井さんだったけれど、軽く首を横に振ってしまった。

 

「蚊やハエ程度なら確かに殺したことはあるかもしれないけど、それでもほとんどは殺虫剤じゃないかな?Gにしてもね。それに相手は小さな虫だからね。それ以上に大きな動物相手にした経験がある現代人はほとんどいないだろう。例えば華さんが小さな犬相手にしてナイフや剣・槍でもいいを渡されて殺せるかい?」

 

影井さんの問いかけにあたしは言葉が出なかった。犬をあたしが自分の手で殺す?具体的な例を出されてあたしは固まってしまった。

 

「脅すようだが、その時が来る可能性は頭に入れておいてね。もちろん、大人としてできうる限り私がそういう場面は引き受けるつもりではあるけれど、状況によってはそうも言っていられないだろうからね」



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第5話 獣道

とりあえず、生き物を殺すのは出来るだけ影井さんが引き受けてくれるらしい。でも覚悟はしておけと。あたしとしても異世界転移の時点で覚悟を決めるべき部分だとも思うので仕方のないところね。

 

「じゃあ、とりあえず、移動しよう」

 

あら、いきなりね。影井さんの移動の方針が分からないわ。

 

「ん?」

 

あたしの疑問を感じたのかしら。影井さんがフッと笑った気がしたわ。

 

「まずは、水を確保したいのはわかるかい。そのために地形を確認する必要がある。だからとりあえずはあっちに向かうよ」

 

影井さんの指し示したのは山の上。ということはこれから山登りイベントって事ね。仕方ないのは分かるけれど、あたしはインドア派なのよね。でも、水が欲しいのに登るのね。

 

「はあー」

 

あたしがため息をつきながら覚悟を決めて立ち上がったところで、影井さんが手を出してきたわ。何かしら。

 

「荷物を私が多少なりと持ってあげるよ。文芸部の華さんには、いきなりの山登りで手に荷物では辛いでしょ。」

あら、紳士ね。アウトドア系のイケイケな人かと思っていたのだけど。

「それとこれ」

そう言って渡してきたのは

「これはズボン?」

「華さん上は長袖だからマシだけど、スカートで山歩きはちょっとね」

 

言われてみればその通りね。有難く使わせてもらうことにするわ。でも当然だけど大分大きいわね。

裾をまくってこれも影井さんが貸してくれたベルトで間に合わせでずり落ちないように引きずらないように合わせて。

 

「ありがとうございます」

 

「あと、華さんもこの程度はなんでもないように体力つけないといけないよ。これから先必ずしも私が荷物持ちを出来ないこともありうるからね」

 

ああ、あたしの苦手なトレーニングってやつね。確かに日本でならいらなくてもここではきっと必要になるわね。

 

「はい」

 

だからと言って、さすがにこの状況で”イヤ”とはあたしでも言えないわ。

 

「はー」

 

思わずため息をついてしまったわ。これは仕方ないわよね。

 

「くくく」

 

あたしの様子を見て影井さんが面白がるような声が聞こえて来たので睨んでしまったのは仕方ないと思うの。

 

「ま、良い。行こう」

 

影井さんが自分の大きなリュックを背負い、あたしのバッグを左手に右手には一旦仕舞っていた厚手の刃物を持って歩き出したので、慌ててあたしは背負ったままだったリュックの位置を整えて後をついて歩き始めた。

歩き始めて気付いたのだけど影井さんが歩くのは何かちょっと細い道みたいになっているわね。

 

「影井さん。ここって道なの?」

「ん?まあ道と言えば道かな。ただし動物のね。獣道っていうんだけど……」

 

影井さんが言うには野生の動物は割と決まったルートを通るそうで、そこが道のようになるとのこと。

 

「へー。でもそれだとその動物に会ったりするんじゃないの?」

「まあ、そういうリスクはあるんだけどね。それでもね、ずっとそういうところを歩くよりはね」

 

そう言って影井さんが示したのは獣道の脇、つる草や背の低い木がわさわさとした下生えが酷くて確かに歩く気にはならないわね。

 

そしてもう一つ。あたしは影井さんは時々木に傷を付けていることに気付いたの。

 

「ねえ、影井さん。その時々木に傷を付けているけど、何のためなの?」

「ん?ああ、これは通ったルートが分かるようにね。こうやって傷の形で来た方向と行く方向が分かるようにしているだよ」

「なんのために?」

 

あたしは同じ言葉を繰り返してしまったわ。

 

「まあ、この地に転移してきた場所、割と開けていただろう。場合によってはあそこを拠点にするかもしれないから戻りたいと思ったときに戻れるようにだね。近くに水場があるように思えなかったから可能性は低いけどね」

 



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第6話 初武装

「一休みしよう」

「は、い」

 

影井さんの事を紳士的と思ったのは気のせいだったみたいね。中学1年生の女の子に手加減なくこんな山登りさせるなんて。実際整備されていない獣道を登るというのがこんなに体力いるなんて知らないんだもの。そ、そりゃ倒木があれば手を引いてくれたし、荷物だって持ってもらっているけれど、もうそういうレベルじゃないわよこれは。文明人のすることじゃ……、そうだったわ。もう文明人でいられないんだったわね。

 

休憩中のあたしの思考を分かっているように影井さんはサポートをしてくれているわ。山道の歩き方、ちょっとした体の休め方、細かい事が多いけれど本の虫で文芸部に所属しているあたしが知らない事を少しずつ教えてくれている。や、やっぱり紳士なのかしら……。

 

「さっきチラッと岩場が見えたからね。多分そこからなら遠くまで見える。そしたら……」

 

影井さんがとりあえずの行動方針を説明してくれるけど、そこまであたしの足が動くかしら。

 

「体力的に大変だとは思うけど、頑張って。これが日本の山ならここで待たせるんだけど、ここでは何が起きるか分からないから一緒に居た方が良いと思うからね。それにとりあえずの移動目標を見つけてから今日寝る場所の確保もしないとだし、文芸部所属の華さんとしては辛いだろうけど水場を確保できるまでは頑張って」

 

そう言いながら影井さんは近くにある竹のような植物を”鉈(影井さんが手にしている刃物の事を歩きながら教えてくれたのよね。本来は薪割りやブッシュを切り開いたり小ぶりの木を切り倒すのにつかうそう”)で切りだしているわね。あ、今度はリュックから折り畳み式のノコギリを取り出して切ってるわ。何を作っているのかしら。

 

「はい、これ持ってね」

 

しばらく待っていたら影井さんは、2本の竹みたいな、いえもう竹で良いわね。竹で作った長さの違う棒を渡してきたわ。

 

「これは?」

 

あたしが聞くとふふっと笑って説明をしてくれたわ。あら笑うと随分と若く見えるわね。20代前半と言っても通りそうだわ。

 

「こっちは杖だよ。山歩きではこれがあるだけで随分楽になるからね。もう1つの長いほうは、杖兼槍ね。長さとしては、まだ森の中だから取り回しと、あと華さんの体力を考慮していわゆる短槍にしてある。あ、槍だからと言って無理に刺そうとしなくていいからね。あまり知られていないけど槍ってのは突いてよし、振って殴ってよしの武器だからね。ただ、基本的には少し振り回して牽制に使うのを前提にしてね。使わずに済めばいいけど、念のために持っていて。あともし使う事になって突いた時に抜けなかったら無理に抜こうとしないで手を離してね。振り回されると危ないから。それとこれを」

 

そういうと次は竹を細長く割ったものをあたしの足と腕に巻きつけてきたのよね。これっていわゆる防具かしら。つまり、ここを休憩場所に選んだ理由にはこれもあるってことね。

 

「本当はボディを守れるものまで作れると良いんだけど、今はこれで我慢して。無いよりはマシだし、このくらいなら動きにくいってことはないでしょ」

「あ、ありがとうございます」

「いや、もう私たちはバディだからね。華さんの安全は私の安全でもあるから」

 

そういうと、今度はあたしに渡した槍と同じようなものを2本と何か細い部分で槍を30センチくらいに短くしたものを10本くらい作ってベルトに差したわ。あれも武器かしら。そして影井さん自身も手足に細長く割った竹を巻き付けてるわね。異世界ファンタジー小説ではこんなの出てこなかったからちょっと新鮮だわ。

 

「じゃあ、あとひと踏ん張りで見晴らしのいい場所に着くから頑張ろう」

 

影井さんの掛け声であたし達はまた山登りのスタートね。頑張るわ。

 



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第7話 コンパス

竹林の横で休憩をとってからもう2時間くらい歩き詰めよ。そろそろもう一度休憩させてくれないかしら。

 

「華さん、こっちにきてごらん」

 

あら?あたしが息を切らして俯きながら歩いていると影井さんが声を掛けてきたわ。やっと休憩させてくれるのかしら。

 

お腹もすいてきたし何か食べたいわね。そういえば食べ物って……。あたしの鞄にチョコバーと飴くらいは入っているはずだけれど、影井さんはキャンプの荷物を持っているそうだから少しは食べ物ももっているのかしら?

そんなことを考えながら影井さんの横に立ったあたしは目の前にひろがる景色に思わず後ろに下がってしまったわ。

あたしたちは切り立った崖の上に立っているのだもの。

 

「な、なに影井さん。まさか現状に悲観して飛び降り自殺でもするっていうの?あたしは、もう少しがんばってみたいわよ」

 

影井さんがポカンとした顔になったわ。あら、あたし何かまちがったのかしら。

 

「あはは、私も投身自殺をするにはまだ早いかなって思うよ。そうじゃなくてここからならかなり遠くまで見えるってことだよ」

 

ふう、驚いたわ。あ、でも確かに遠くまで見えるわね。

って、見える限り森と山じゃないの。思わず力が抜けて膝をつきそうになったわ。文明どころか水場も見えないってどうしたらいいのよ。

 

失望して影井さんの様子を覗きみると、あら?ニコニコしているわね。

 

「あの、影井さん。この景色を見てニコニコしているってどういうことですか?」

 

あたしの声に影井さんはまるで不思議なものをみるような顔になったわね。

 

「え?いや、川らしきものが見えたからね。水が普通に補給できるのは助かるし、川に沿って下れば文明があればどこかで見つけやすいだろうと思ってね」

 

川?どう見ても見渡す限り森なのだけれど?それにその言い方だと川が無くても普通じゃないやりかたでなら水が補給できるみたいな言い方ね。

あ、あたしが理解できないでいることに気づいたのかしらちょっと”あれっ?”って表情になったわ。

 

「説明がいるかな。ほらあそこ森に少し蛇行した線ができているのわかるかい?」

 

影井さんの指さしたあたりを見ると、確かに線があるわね見える範囲の端から端までつながっているわね。

 

「あれは、あそこで森が切れているってことなんだ。地球だと道路とかで結構切れ目が見られたと思うんだが見たことないかな?」

 

そう言われても、あたしは山とかあまり行かなかったからあまり記憶にないのよね。

 

「うーん」

「実際に自分で山に行った時でなくてもテレビとかネットの映像で見たことないかな?」

 

あたしが分からないでいるのに気づいたのね。言われてみればそうだったのかもしれないわね。でも……。

 

「思い出せない」

 

あたしはちょっと落ち込んでしまったわ。身体を動かすこと自体ならともかくネットやテレビで得られる情報が頭に入っていないってインドア派としてはちょっとよろしくないもの。でも、あの線のところに行けば水が手に入るってことよね。でも川を下れば文明を見つけやすいっていうのは、下流が平野になりやすいからかしらね。地球でも大きな川の下流域で文明は発達したものね。

 

「ま、地球でのことはいいだろ。今回で覚えておけばまた何かの役に立つこともあるかもしれないからね。それで、だ。これが使えればいいんだけど」

 

影井さんが取り出したのは、

 

「あ、これ知ってるわ。方位磁針コンパスね」

「ん、まあそうなんだけどね。これちょっと特徴があってね」

 

そう言うと影井さんはコンパスのリングを動かして見せたわ。

「本来は地図と合わせて使うんだけどね。うん、地磁気自体はあるね。これである程度目標方向を固定して動けるよ。あとは地球と同じように地磁気がある程度一定であることを祈るってとこかな。そしてこれから私たちが向かう方向はあっちだってのは分かるよね。だからこの矢印をあっちにむけて、このリングで磁石の向きを合わせる。こうすれば目標が見えなくても、磁石の向きを合わせれば目標の方角が分かる。ね簡単でしょ。他にも歩測しながらこれで合わせて記録していけばある程度ピンポイントで目標に向かえるし、地図とか書けるんだけど、まあ今回はそこまでしても意味が無いから目標の方向だけだね」

 

そう言うと影井さんはコンパスの矢印を身体の前に向けて持ってゆっくりと一周回って見せたわ。なるほど目標と違う方向をむくとコンパスの角度とずれるのね。

 

「じゃあこの角度を記録してと。目標角度は32度。じゃあ山を下りてあっちに向かおう。ここからはくだりだから負担が増えるから気を付けて……。あ、先に軽く食べようか」

 

そう言うと、影井さんはリュックから黄色い箱を出して渡してきたわ。これカロリー〇イトね。まあここでは仕方ないわね。

 

「それと、これ。水ね」

 

そう言うとこれもリュックから割と大き目の水筒を出してきたわね。ちょうど喉も乾いていたから助かるわ。

 

「悪いけど今は、それだけで我慢してね。早く水の補給できるところまで進みたいから」

 

あたしは頷いて受け取ったカロリー〇イトとコップに注いでもらった水で食事を済ませたわ。これだけでも大分落ち着くわね。

 

「じゃ、降りるよ」

 

食後に30分くらいの休憩をしてあたしたちは山を下りはじめたわ。だいぶ足が疲れたけど、どこまで歩くのかしら。



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第8話 え?ウサギ?

「はあ、はあ。影井さん。少し休ませてください。インドア派のあたしにはちょっと辛いです」

 

あたしが音を上げると影井さんは”しまった”という顔をして近づいてきたわ。休ませてくれるかしら。

 

「もう少しで日が落ちる。せめて平地まで下りたいから」

 

そういうと影井さんが、あたしの手の竹槍と杖をリュックに括り付けてあたしに背負わせたのには驚いたわ。ずっしりと重いのだもの。次にあたしの持っていたバッグを引き取ると、影井さんはあたしの前で腰を下ろしたのは……

 

「えっと、影井さん。何を?」

「私の背中に乗って。最低限のところまで華さんを私が背負っていくから」

 

え?あたしをおぶって山を下るの?さすがにそれは申し訳ないし、少し恥ずかしいわ。

 

「いえ。少しだけ休ませてもらえば歩けますから」

「いや、それを疑っているわけじゃないんだよ。でもね、そろそろ時間がね。恐らくあと2時間もすると暗くなる。懐中電灯くらいは持っているけど、未知の世界で夜の森を歩くのは避けたいし、出来れば明るいうちに夜の準備もしたいから。明日からは平地を歩くことになると思うからよほどまで余裕が出るけど、今日だけは恥ずかしいかもしれないけどおぶさってくれるかな」

 

う、こんな理由をつけられたら断れないじゃないの。仕方ないわ。

 

「うう、わかりました。申し訳ないけどおんぶしてもらいます」

 

あたしは影井さんの背中に身体を預けることにした。大きな背中ね。あたしだけじゃなく、荷物も全部まるっとあたしごとおぶってグイグイ進んでいく影井さんはちょっとカッコイイって思っちゃった。

あら?影井さんが止まったわ。さすがに疲れたのかしら。ならあたしが下りれば少しは楽になるわよね。そんなことを考えていたら影井さんから何か緊張感のようなものが感じられるようになってきたわ。

 

「華さん。一度降りて。竹やりをとってもらえるかな」

 

何かしら、ちょっと不安な雰囲気ね。それでもあたしはリュックのベルトに止めてあった竹やりを外して影井さんの手にわたした。

 

「はい、竹やり。えと、何かいるんですか?」

「あ、ああ。感じとしては地球の犬程度の大きさの何かが3頭かな。華さんも竹やりを持って私の後ろから離れないように。あといざとなったらリュックは捨ててでも逃げるように」

 

そして逃げる方向をあたしに指示すると、じっと観察をつづけているみたいね。影井さんはこれまでも割とまじめな雰囲気だったけど、今は真剣さが違うわ。

 

「そんなに危なそうなの?」

「いや、そもそもこの世界の動物の危険性が分からないからね。最大限に警戒しておいた方がいいってだけだよ」

 

小声で話をしているところに現れたのは

 

「ウサギですね」

「ウサギだね」

 

あたし達の目の前にいる動物は本当にウサギにしか見えないわね。ただしサイズが地球で言うところの中型犬サイズなのだけれど。



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第9話 戦闘開始

「ねえ、影井さん。ウサギって人を襲うのかしら?」

 

あたしの勘違いでなければウサギは草食だったと思うのだけど。

 

「地球のウサギは草食だから基本的に人を襲うことは無いけど。ここのウサギはどうかな?」

 

そう言うと影井さんは、そろりそろりとその巨大ウサギから距離をとるように動き始めたわね。あたしは言われたように影井さんの後ろになるようについていくしかないわ。

 

影井さんは、このウサギをどうする気かしら。

 

そんな事を考えていたら、影井さんが突然動いたわ。見るとウサギがあたし達に飛び掛かろうとしたようね。この世界のウサギは人を襲うってことね。それを出足をくじく形で影井さんが竹やりを突き出したのね。どうも逃がしてくれる雰囲気ではないわね。となればあたしも竹やりを振り回す心の準備をしておかないといけないかしら。

 

影井さんは竹やりで突いたり払ったり。ちょっとこの人本当に現代日本人かしら?

影井さんの動きはびっくりするほどだけど、巨大ウサギが3羽ではちょっと止めきれなかったみたいで、1羽が影井さんの竹やりのスキをぬって後ろにきちゃった。となればこれはなんとかあたしが竹やりを振り回して追い払うしかないのよね。

あたしが覚悟を決めて深呼吸をしたところで

 

「ギュギュギィガァアアア」

 

ハッと見たら影井さんの竹やりが1羽のウサギに深く突き刺さっているのがみえた。でも、その竹やりは深く突き刺さりすぎて簡単に抜けないみたいだわ。あ、影井さんが竹やりを諦めて手を離した。チラリとこちらを見た影井さんはベルトに差してあった細くて短い竹やりのミニチュアみたいなものを両手にとったわ。

 

「華さん、悪い。後ろに1羽抜けさせてしまった。さっきも言ったけど、無理に戦わなくていい。竹やりを振り回して牽制だけして。どうしても危なそうならあっちに逃げてもいいから」

 

そう言うと影井さんはウサギに向かって駆けだしていったわね。えっと、この場合あたしは影井さんの後ろについていったほうがいいのかしら?

 

ああ、もう、考えてる暇もないわね。影井さんがどんどんウサギに向かって行ってしまうわ。いいわもう、どのみち影井さんと離れたらあたしは生き延びられそうもないものね。影井さんの後ろについていってあたしはいつの間にか影井さんの背中に背中を合わせていたわ。

 

「な、華さん。なぜ逃げない」

 

影井さんの責めるような言葉だけど、逃げられるわけないわ。

 

「あんな、ウサギからあたしが逃げられるわけないじゃないですか。守ってくださいよ」

 

あたしが言うと、影井さんはふっと雰囲気をやわらげたわね。

 

「わかった。私の後ろに張り付いていなさい。決して離れないように。あと後ろのウサギには槍を振り回して近寄らせないようにそれだけ頑張って」

 

そういうとたった30センチの竹やりのようなものを両手に影井さんはウサギに向かったわ。あんな短い武器ではウサギの前脚や口での攻撃をよけるのも大変なはずよね。そう考えたところで気づいたわ。あたしの背負っているリュックの横にもう1本あるじゃないの。

 

あたしは後ろを向く余裕もリュックを下ろす余裕もないけれど、あたしの方に向いているウサギが少し距離をとった時にならなんとか取れるんじゃないかしら。そんなことを考えていたら、ウサギが後ろを向いたわ。あたしはサッと右手をリュックの横に括り付けてある竹やりに伸ばして”エイッ”と力を入れて引ぱった。あら、わりと簡単に抜けたわ。あとは影井さんに手渡せばいいのよね。

 

あたしは目の前のウサギに集中して、竹やりを右に左に振り回す。でもこれ、さっきまでは両手で振り回していたのを片手にしたからちょっと辛いわ。徐々に息が上がってきているのよ。早くチャンス来ないかしら。

あ、うさぎが何かに気をとられたわ。今ならこの竹やりを影井さんに渡せる。

 

「か、影井さん。これを使って……。」

 

息切れで普段でも小さいあたしの声が更に小さい。でも影井さんには聞こえたはず。あたしが伸ばした手から竹やりを受け取ってくれたもの。あとはあたしは、この手に残ったあと1本の竹やりを振り回していれば……。

あ、視線を戻したあたしの前にウサギが……。ダメ、あたしは目を瞑ってしまった。

”ドン”衝撃にあたしは吹き飛ばされた。

「華さん」

影井さんの驚いた声が聞こえた気がしたけれど、”うう、痛い”槍を両手で抱えていたのと、影井さんの作ってくれた竹の防具のおかげでそれでもどうにか打撲くらいだけで済んだみたい。そう思って立ち上がろうとしたら

 

「うくぅ」

 

足首を捻ったみたいね。これじゃ影井さんの後ろについていくのも難しいわ。そういえばあたしに体当たりしてきたウサギはどうしたのかしら?それに影井さんは?

 

あたしがなんとか立ち上がって周りを見回すと竹やりが刺さったまま動かないウサギが2羽、そして短い竹やりを両手に持って最後のウサギとやり合っている影井さん。よく見ると影井さん、何か所かケガをしているじゃないの。あたしが油断したせい?それでもせめてあたしが持っていた竹やりを渡そうと思って確認したら、あたしの竹やりは見るも無残につぶれていたわ。ウサギに吹き飛ばされたときにやられたのね。となれば……

 

あたしは、そっと這うように少し離れたところに倒れて動かないウサギに近づいていった。



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第10話 初勝利

動かないウサギに這い寄ったあたしは、そこに刺さっている竹やりに手を伸ばした。そしてそれを握った瞬間、ウサギがグイっと動いたのよ。

 

え?死んでないの?あたしは慌てて飛び退ったわよ。今のあたしには何も出来ないもの。でも、ウサギが追いかけてくる様子は無いわね。もう一度おそるおそる近づいて竹やりを握って、今度こそそのウサギが動かないのを確認したわよ。そして力いっぱい引っ張って……。何よこれ、抜けないじゃないの。仕方ないから痛めていない左足でウサギを踏みつけて”うわ、ぐにっ”てしたわよ。それでも我慢して引っぱったわ。後ろに転びそうになったけれど今度こそどうにか抜けたわね。

 

「影井さん、竹やり引っこ抜いたから、使って」

「ありがとう」

 

あたしが声を掛けると、ウサギがちょっと引いた隙に受け取りに来てくれたわ。あたしが動けないのを気遣ってくれたみたいね。

ウサギを見ると、あの小さいやりが何本も突き刺さっていて、あれは何が起きているのかしら。突き刺さった小さいやりの後ろから血のようなものがダラダラと流れ出てるじゃないの。それが何本も突き刺さって。ここにきてあたしの記憶の中に何か刺激があったわ。あれはたしかひとつ上の先輩の男子が半分おふざけで”読んでみろ”と渡してきたB級アクション映画の原作。そのなかに確か、あれは”ニードルナイフ”と言う武器が出て来て、戦闘中に止血を妨げる武器として登場していたわ。この状況をみるとあの小説のようにシャワーのように吹き出してはいないけれどまったくの出鱈目ではなさそうね。

 

「でも」

 

あんなのを理由に武器にするとか無いわよね。実際影井さんは普通の竹やりでの方が戦いやすそうだもの。

そしてあたしが見守る中、影井さんが3羽目のウサギを倒したわね。

 

「ふう」

 

影井さんはホッとしたような顔であたしの方に歩いてきて

 

「そこに座って、足を出して」

「え?」

「ほら、さっき右足をくじいただろう。湿布くらいはあるはずだから」

 

影井さん気付いていたのね。

 

「でも、この世界でクスリは多分貴重ですよね。このくらいのケガで使うのはもったいないでしょ」

 

あたしは一応反論してみるわ。そりゃ治療してもらえるならその方がいいけど、もったいないのはたしかだもの。

そんなあたしに影井さんは頭を小突いてきたわ。

 

「湿布くらい気にするな。いざとなればその辺りのもので代わりの物はどうとでもなるよ。だから、ほら足出しなさい」

 

あたしがおずおずと右足をさしだすと、影井さんは靴とソックスを脱がしてくれたわ。痛くて自分では脱げなかったのよね。そしてリュックから出した水で濡らしたタオルでそっと足を拭いてくれた。こんなことしてもらったことないからちょっと恥ずかしいわね。でも真剣な顔の影井さんを見たらそんなこといえない。と思っていたら、影井さんが指であたしの足をグイグイと押し始めたの。

 

「い、痛い」

 

思わず口に出てしまったじゃないの。でも影井さんの顔を見るにいたずらや嫌がらせではなさそうね。

 

「この辺りはどうだい」

 

あ、痛い場所を探していたのね。

 

「そこは大丈夫です」

「じゃあ、こっちは?」

「う、そこは痛い」

 

何か所か押して調べたあと、影井さんは湿布を貼って包帯までまいてくれたわ。そして、痛い場所にそっと手を当てて何かブツブツと呟いたわね。おまじないかしら?

 

「あ、あの影井さん。それはなんのおまじないかしら?」

 

教えてくれるかしらね。シマッタって顔でちょっと顔を背けて、でも観念したように口をひらいたわね。

 

「手当って言うだろ。あれはこうして手を当てて早く治るようにって願掛けをしたからって説もあるんだよ。まあ実際にはそのくらい丁寧に治療しましょうってことだと私は思っているけどね」

「ふふふ、なんか照れてる影井さんは可愛いわね」

 

ハッとしたわ。え?あたし今何を言ったの?こんな年上の男の人のことを”可愛い?”

 

「あ、えっと」

 

何か言わないとと思うのだけど、あたしこんな時にコミュ障を発症してどうするのよ。

影井さんも固まってしまっているしなんか顔が赤いし、きっとあたしの顔も真っ赤な自信があるわ。どうしようかしら。

 

「と、とりあえず、ここを離れよう。血の匂いで何か寄ってくるかもしれないからね」

 

そこから先に口を開いたのは影井さんだったわ。これは人生経験の差よねきっと。

 

「そ、そうですね。そうしましょう」



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第11話 手当

あたし達は初めての戦闘のあと、急いでその場所を離れたわ。

ただ、情けない事にあたしは足を怪我してしまったから、またしても影井さんに背負われての移動なのよね。申し訳ないわ。何か役に立てるといいのだけど。

そしてふと見ると影井さんの頬にいくつかのひっかき傷があるのが見えたの。そうよ、影井さんは、あたしをかばって1人で3羽のウサギと戦ったのじゃない。

 

「影井さん。あのケガをしてますよね。手当をしないと」

 

あたしの言葉に影井さんは首をまわしてチラリとあたしを見ると

 

「ありがとう。でももう少し先まで行ってからにするよ。ここだと多分まだあの場所が近すぎると思うから」

 

そう言うと、また黙々と足を動かし始めたわ。い、痛くないのかしら。それに野生動物に引っかかれた時にはたしか早めに傷口を洗わないといけないって何かの本に書いてあった気がするわ。

1時間ほど移動したかしら、影井さんが足を止めてキョロキョロと周囲を見回しはじめたわ。

 

「影井さん?」

 

あたしが疑問をくちにしたのが聞こえたのね、あたしに意識を向けてくれたわ。

 

「ああ、華さん。ごめんね。今日は、この辺りで野営にしようと思ってね。ちょっと周りの様子を見てたんだ」

 

そういう事ね、でもそれなら

 

「影井さん、距離はもう良いって事ですよね。なら先にすることがあるんじゃないですか」

「先にすること?ああ、ごめんね、おぶわれたままは嫌だよね」

 

そう言ってあたしをそっと降ろしてくれたけど

 

「そうじゃないです。いえ、それもですけど。あ、いえ、影井さんにおぶわれるのは別に嫌ではないです。少し恥ずかしいだけで。って違う。それよりも傷を見せてください」

 

前に周って確認すると頬に傷があるだけでなく、あちこち服が切り裂かれているわね。あのウサギの歯は随分と切れ味が良かったようだわ。他にも手足に巻いてあった竹もだいぶ拉げているじゃないの。あれだけでも随分と違ったでしょう。でも今はそれよりも少しでも治療をしないと。

 

「影井さん。上着を脱いでください。あ、水と傷薬、それと綺麗な布かガーゼとタオル、あとできればサージカルテープはありますか?」

「ああ、リュックの中に入っているよ。化膿止めの軟膏も一緒に入ってる。でも、ちょっと意外だな」

 

リュックを下ろし中を探すあたしの後ろから聞こえた影井さんの声にあたしも疑問を感じてしまったわ。

 

「意外、ですか?」

「ああ、そうだね。インドア派で文芸部の女の子がこういった傷の治療方法を知っているって不思議な感じだよ」

「あたしは、本を片っ端から読んでましたから。その中で知識だけは色々とですね。知識だけで実践はからっきしですけど。だから上手に出来ないのは我慢してくださいね」

 

あたしは、上着を脱いだ影井さんの傷をボトルに入っていた水で丁寧に洗う、中にはちょっと”うっ”ってなるような傷もあったけど、時々傷に入り込んだ汚れを掻きだすようにしながらひとつひとつを汚れをあらいながした。

キレイになったところでタオルで水を拭き取って軟膏を塗っていく。さいごに傷の上にガーゼをテープで貼って完成。”あ、そうだ”あたしは影井さんがあたしの足の手当てをしてくれた時の事を思い出して、”早く治りますように”と思いながらそっとガーゼの上から手を当てたわ。

 

きっと日本でなら、あたし自身でも笑っちゃうくらい真剣に。手をあてているとひんやりしていたガーゼがほんのり温かくなる。そうしたら次の場所に手を当てて”早く治りますように”全部の傷に手を当て終わったところで、影井さんにシャツを渡そうとしてちょっと躊躇してしまったわ。だって破れてるしよごれているんだもの。

 

「影井さん。着替えはありますか?怪我している状態ではキレイなシャツにしたほうが良いと思うので」

「ああ、大丈夫。リュックの中に何枚か入れてきてるよ。華さんもサイズは合わないと思うけど、今日は無理でも水場が使えるようになったら自分の服を洗ってる間なんかには着替えが欲しいだろうから使っていいからね」

 

そう言うと影井さんは自分でリュックの中からシャツを取り出して着ちゃったわ。まあさすがに、あたしが着替えさせてあげるのは変だから手を出すのは控えたのよね。



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第12話 晩御飯

「華さん。木登りできる?」

「は?木登りですか?やったことないですけど。どうして?」

 

傷の手当が落ち着いたところで影井さんはいきなり木登りって、どういうことかしら?

 

「そっかあ、未経験者か。そうだよな中学生の女の子だからなあ。うーん、そうすると……。ザイルとハーネスにカラビナにプーリー、シュリンゲと、あとは何があったかなあ……」

 

そんなあたしの疑問に答えることなく影井さんは何か考えているみたいなのだけど。リュックから何かベルトのようなものを取り出すと腰回りに取り付け、更に何かロープや金具のようなものを取り出して木に近づいていったわ。

 

「あ、あの影井さん何をするんですか?」

「今日の寝床の確保だよ」

 

そう言って片方を近くの木に縛り付けたロープを木の枝に投げ上げたと思ったら、そのロープに別のベルトのようなものを取り付けて、何かしてる、と思ったら、グイグイと上がっていったわ。あれってどういう原理なのかしら。そして上がった先で何かしてたと思ったら、今度はスルスルと降りてきたわね。影井さん魔法か何か使えるのかしら。あたしには何がどうなっているのかさっぱりだわ。

 

降りてきたと思ったら影井さんはリュックをまた開けたわね。今度出してきているのは、あれはガスボンベと、あ、あれはアウトドアショップでよく見るバーナーと小さな鍋と、あら、重なった食器セットね。

 

「華さんおいで。上に上がる前に食事しておこう」

 

少し待っていたら影井さんが声を掛けてくれたので、見たら、あら、結構良い物じゃない。ご飯に野菜スープかしら。スープには肉団子も1つ入ってるわね。

 

「はい、これ華さんの分ね。量が少ないのは我慢して。この世界で食べ物を手に入れられるようになるまで節約しないといけないから」

 

そう言って影井さんは、2セットあるうちの量の多い方をあたしにくれたのよ。え?男の人の方がカロリー必要って聞いてるけど。それにこれ元々影井さんの物よね。

 

「あ、あの影井さん。あたし少ない方でいいですよ」

「いや、まだ華さん成長期でしょう。お腹いっぱいとはいえなくとも少しくらい多くしたってバチは当たらないよ」

「で、でも」

 

そこであたしのおなかが”ぐー”っとなってしまった。

 

「いいから」

「は……い。ありがとうございます」

 

ここまで言われて、あたしは申し訳ないと思いながら多い方に口をつけたのよね。

 

「あ、おいしい」

 

影井さんの顔を見ると、嬉しそうに優しい笑顔で笑っていて、ちょっと恥ずかしくなっちゃったわ。

それでも、最後のご飯の一粒までスープの1滴までお腹に入れてホッとしたわ。やっぱりお腹すいてたのね。

 

「ほら、これも」

 

今度は、金属のマグカップをわたしてくれた。

 

「あ、コーヒー。ありがとうございます」

「インスタントだけどな」

 

一言だけ言うと影井さんも別のカップに入れたコーヒーを黙って飲み始めたわ。

コーヒーを半分くらい飲んで落ち着いたところであたしは影井さんに聞くことにしたの。

 

「影井さん。これからどうするの?」

 

”うーん”影井さんはかるく唸ってから口を開いたのよね。

 

「昼間も言ったけど、まずは水場を探す。山の上から見た感じだと、この先に川がありそうだっただろ。で、その川に沿って下流に向かう。これは、下流に行くほど平野が広くなるものだし、川も大きくなるものだ。そして大きな川の近くには文明が起きる可能性が高い。で、その文明が見つかればどうにかしてコンタクトをとる。そこからは高度な柔軟性を持って臨機応変に対応だな」

 

「ぷっ。影井さん。アニメも見るんですね」

 

あたしは不安だったはずなのに昔見たSFアニメの登場人物が口にしたセリフを思い出してクスクスと笑っていたわ。



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第13話 ハンモック

「ふわぁあ。あ」

 

あたしは、無意識にあくびをしてしまって恥ずかしさに顔を伏せてしまったのよね。緊張感が無いって思われちゃったかしら。そう思って影井さんのようすをうかがってみたの。そしたら

 

「ああ、華さん今日の体験は負担が大きかったね。そろそろ寝る準備をしよう」

 

そんなことを言ってくれたの。

 

「まずは、このハーネスをつけて」

 

そう言って、あたしにベルトを組み合わせたようなものを着けるように言ってきたのよ。

 

「え、えと??」

 

あたしが、どうしたらいいか分からずモタモタしていると影井さんが苦笑しながら手を貸してくれたのよね。

 

「ほら、ここに足を通して。そうそう。でこのベルトを留めて……

そしたら、このカラビナをここに付けて、うん、で、このロープをつけて。はい、ロープを持って身体を安定させてね。オーケー。そのまま」

 

そう言ったと思ったら影井さんはロープの反対側を持ってグイグイと引っ張り始めたわ。

 

「え?」

 

気付いた時にはあたしの足は地面を離れてロープで釣り上げられているのだものびっくりしたわよ。

 

「か、影井さん。いったい」

「はい、華さん、そこの太い枝に乗って。そうそう。そしたら上から垂れ下がっているロープにカラビナがついているだろ、それを今ハーネスに着けてあるカラビナと同じところに付けて。きちんとついたら、先につけてあった方を外して私の方に落として。そうそう、それでいい。それでもう落ちないから」

 

え?わけの分からないうちに木の上にあげられてしまったのだけど、どういう事かしら。あたしが混乱している間に今度は影井さんが自分でロープを使って上がってきたわ。

 

「あ、あの、これはどういう?」

「うん、一応地球基準で考えているんだけどね。地面の上ってのは野生動物に襲われやすいんだよ。だから安全な拠点が作れるまでは夜は木の上で過ごす方が良いと思ってね」

「え?ここで寝るってことですか?ちょっとこの状態で寝るのはあたしには難易度高いっていうか……」

 

あたしが困惑していると影井さんが、今度はリュックから小さなそれこそソフトボールくらいの大きさに丸まった網の塊のようなものを出してきたのよね。

 

「分かってる。慣れない人が木の枝の上で寝るってのは無理があるから、これを使うよ。それとそんなに木にしがみつかなくても落ちないから」

 

そう笑いながら手にした網を別の枝に取り付けていったのだけど、これはひょっとして

 

「ハンモック?」

 

あたしの呟きに影井さんは、ふり向いて頷いてくれたの。あ、聞こえちゃったのね。

 

「これなら、華さんも寝られると思うよ」

 

そう言うとハンモックに小さな毛布まで敷いてくれたの。

 

「はい、手を貸して。そっちの枝に足を掛けて。そうそう、それでいい。それからこれを上からかぶって寝るといい」

 

そう言って影井さんはあたしの上に銀色の薄いシートをかぶせてくれたわ。あら?薄いのに随分と温かい。

 

「それなら水も弾くから」

 

そう言うと影井さんは枝の根本に移動していったのよね。

 

「あの、影井さんは?」

 

てっきりもう一つハンモックを吊るすと思っていたのだけど準備する様子が無いので聞いてみたわ。

 

「ああ、私はここで木に身体を縛り付けて寝るよ。なーに、気にしなくていい。日本でも似たようなことはしてきて慣れているから。さ、ちょうど日も落ちてきたことだし眠るといい。明日、明るくなったら早くから動くよ」

 

それだけ言うと影井さんは言葉通りにロープで自分を木に縛り付けてしまった。

 

会話をしていないと今日の出来事が思い出されるわ。今日は、いろんなことがあったわね。学校から家に帰るはずが知らない世界に転移して、山に登って、竹みたいなもので簡単な武装をして、ウサギみたいな猛獣に襲われて、今は木の上で寝ようとしているなんて、きっと日本で普通に暮らして居たら一生経験しなくても不思議の無い事ばかり。

 

「ねえ、影井さん。もう寝ちゃった?」



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第14話 何もないの

「ねえ、影井さん。もう寝ちゃった?」

 

あたしは少し躊躇したあとで影井さんに声を掛けてみたの。少しだけおしゃべりをしたかったのよね。

 

「ん、まだ起きてるよ。華さん、眠れないのかな?」

「ええ、少しだけお話しませんか?」

「ああ、いいよ。まだ夜も早いと思うしね。日本でならやっとテレビ見たりしてくつろぎ始めるくらいの時間だろう」

「あたしたち、どうしてここに来ちゃったと思います?」

「どうなんだろうね。最初に話したように何か光って気付いたらここだったからね。華さんの読んだ小説にこういうお話はなかったかい?」

「小説って、架空のお話で何を……」

「そもそも、現状が常識外だからさ。むしろ架空の話の方が現状を表す何かヒントになるんじゃないかと思ってね」

 

この状況は当たり前だけど影井さんもさすがに説明は出来ないわよね。そういう意味では確かに創作物からヒントがもらえるかもしれないわ。

 

「そうですね、最近の小説の中にあるのは……。まずこういった違う世界に日本人が移動するのは大きく分けて異世界転生と異世界転移があります」

「転移と転生ね。なんとなく分かるような分からないような。その転移と転生ではどう違うのかな?」

「えと、例えば人が事故や病気で亡くなって、その魂?が異世界で生まれなおすとでも言うのかしら、異世界の人の中に入って生まれてくるのを転生、人がそのまま別の世界に移動することを最近の小説では異世界転移と呼んでますね。ですからあたしたちの状態は異世界転移になります」

「なるほど、生まれ変わる転生と、飛ばされる転移って感じなのかな」

「そう、そうです」

 

あたしのつたない説明を一言にまとめてしまうなんて、やっぱり大人は違うのね。日本では、あたしも友達のみんなも、もう大人って思っていたけどこういうところ、ううん、今日この世界にきてからずっと影井さんの判断力や行動力を見てきてあたしなんかまだまだ子供だって思ってしまう。”バディだ”って言って一緒に行動してくれるのだって本当は影井さん1人で行動した方がきっと影井さんにとっては楽なはずなのに理由をつけてあたしを守ってくれているのよねきっと。

 

「華さん、どうかした?」

 

そんなことを考えて黙ってしまったあたしにまた気を使ってくれるのよね。

 

「え、いえ。大丈夫です。それで転移、転生の話でしたよね」

 

そこからあたしは、自分が知っている限りの転移転生についての話をしたのよね。神様が転移させる場合、事故で転移する場合、転移先から召喚される場合。それぞれで特異な能力をもらえたりするチート無双、最初は何も無いけど現代知識で色々作ってもうける内政チート、逆にいきなりつかまって奴隷落ちのバッド展開、それこそ覚えている限りのパターンを話したわ。

1時間くらい話していたかしら。一通り話したところで影井さんが水筒を渡してくれたのよね。あたし何も言ってないのだけど。確かに話しすぎて喉が渇いた感じはあるけど。

 

「大分話して、喉渇いただろ。少し水を飲んでおきなさい」

 

ほんの半日の付き合いだけど、影井さんのこういう気配りできるところ好きよ。

 

「ありがとうございます」

 

お礼を言って、少しだけ水を飲んだのよね。そう少しだけよ。今の状態でたくさん飲むのはちょっと危険だもの。

そして影井さんはと言えば、少し考え込んでいるわね。

 

「華さん、神様に会ったかい?」

 

当然あたしは首を横に振るわ。だって記憶は日本の辻堂の交差点でぷっつり途切れて、気が付いたらこの世界だもの。

 

「じゃあ、華さんは、何か特別な能力使えるようになってるかな?」

 

これも首を横に振るしかないじゃないの。何か能力使えるようになっていたら山登りでも対ウサギ戦でも何かしてたわよ。

 

「じゃあ、ステータスが見えたりするかな?」

 

あ、これは試してないわね。

 

「ステータスオープン」

 

夜風がそよそよと流れるだけね。そしてあたしは首を横に振ったのよね。

 

「ところで影井さんは、どうなんですか?」

「私も何もないね」

 

予想していたけど、あたしも影井さんも素のまま異世界で未開の森でサバイバルが確定したみたい。

あたしも影井さんも空を見上げてため息をついてしまったわ。

これはもう後で何か覚醒するのを期待するしかないわね。



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第15話 ぷらーん

う、眩しいわね。誰がカーテンを閉めてよ。

 

「お母さん、眩しい……」

 

つい、そこまで口にしたところで気が付いたわ。あたしは影井さんと一緒に異世界に転移したんだったわね。

昨日の夜は影井さんと話をしている間にいつの間にか眠ってしまったようだわ。

 

そして目をあけると目に映るのは異世界転移おやくそくの知らない天井ではなくて、繁った緑の木々ね。

 

「影井さん」

 

あたしは、つい呼んでしまったわ。これはこの状況であたし自身がいかに影井さんを頼りにしているかを自覚するのに十分ね。ええ、そうですとも、こんなわけのわからない状況で手を差し伸べてくれるひとを頼りにしないわけないじゃないの。

 

あたしは、声に出すことなく自覚してしまったわ。そして、気付いたの『返事』が無い。

慌てて影井さんが寝ていた木の枝に視線を送ったあたしの目に影井さんの姿は映らなかったの。

 

「え?影井さん。どこ?」

 

つい漏れた言葉は涙声になってたのは仕方ないと思うの。

 

「やあ、起きたね。おはよう」

 

え?その声はずっと下から聞こえてきて、声のほうに目を向けると、夕飯の時にも使っていた食器セットとコンロで作っているのは朝ごはんかしら。

 

「影井さん」

 

あたしは思わず飛び起きてしまったのだけど……。

 

「あ、華さん。そんな急に動いたら……」

 

そうだったのよね。あたしはハンモックの上で寝てたのよね。見事にハンモックから落ちてしまったわ。そして……。

 

「うぐっ」

「はあ、ハーネスを付けたままでよかった。あの高さから落ちたらケガで済んだかどうか分からないよ」

 

今、絶賛宙ぶらりん状態になっちゃったわ。

 

「影井さん。助けて」

 

この状態だとハンモックに戻るどころか、どこの枝にも手も足も届かないもの。でも影井さんのいうようにロープにこのハーネスを繋いでおいてよかったわ。

影井さんは少しクスクスと笑った後、それでもスルスルと木に登ってきてくれた。

 

「はい、華さんこのカラビナでこっちのロープをハーネスに取り付けて。」

 

影井さんの言うように取り付けると少しだけ吊り上げてくれたのだけど、まだこれだとどこにも手も足も届かないのだけど。そう思いながら影井さんを見ると。

 

「はい、じゃあ、先につけてあったロープを外そうか」

 

言われるままに外すと、今度はゆっくりと降ろしてくれたの。地面に足がついた時にはホッとしたわ。でも足ががくがくして立てなかったのは仕方ないと思うの。

 

「華さん、どこか痛いところは無い?」

 

う、さっきハンモックから落ちた時足の付け根にハーネスが食い込んでちょっと痛いけど、これはちょっと場所が場所だから言えないわ。ちょっと顔が赤くなっているのも自覚しているけど……。

 

「さっき落ちた時にハーネスがくいこんでいためたりしてない?」

「か、影井さんのエッチ」

「エッチって。ハーネスでぶら下がると腰を痛めやすいんだけど」

 

うっ、影井さんの心配している場所が違ったわ。あたしのバカバカ。で、でもこれはそうよ、腰は大丈夫そうだから

 

「大丈夫です。ただ今はちょっと怖くて足が立たなくなってるだけです」

「そうか、怪我がないなら良いけど、後からでも痛みが出たらいいなさい。慣れないアウトドア生活だとちょっとした怪我が大きな障害になる事もあるからね」

「はい、大丈夫です」

「とりあえず、朝食を準備したから、座ったままでいいので食べなさい」

 

そう言うと影井さんは動けないでいるあたしの前にお皿を並べてくれたわ。

 

パンと、スープに、玉子焼きね。パンにはハムとチーズを挟んで軽くあぶってあるわ。スープはさすがにインスタントのコーンスープかしら。食後にはコーヒーまで。

 

「さっき、華さんが起きる前に昨日ウサギと戦った場所を見てきたよ」

 

あたしが食べ終わって落ち着いたところで影井さんが話し始めたわ。やっぱり一時的に離れていたのね。

 

「あたしも起こしてくれればよかったのに」

「ふふ、よく寝ていたからね。昨日は慣れない山歩きと戦闘で疲れたんだろう。気にしなくていいよ」

「う、ありがとうございます。でも、それよりなんで見に行ってんですか?」

「まあ、倒したウサギが残っていたら食料の足しに出来るかと思ってね」

「残っていたら。ですか」

 

あたしが首を傾げると

 

「残っていなかったよ。つまり、この森にはとりあえず肉食の何かがいるということだね」

「それ、危ないってことですよね」

「ああ、だからきちんとした拠点が出来るまでは木の上で寝ることになるかな」

「拠点ですか?」

「まあ、洞窟とか、せめて大きな木のうろが見つかるか、あとはこの世界の文明と安全に接触できるまでだね」

 

あたしは黙ってうなずくしかないわね。

 

「じゃあ、片付けが終わったら今日は水場まで移動しよう」

 



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第16話 肉

転移からもう10日が過ぎて、あたしと影井さんは川から離れないようにしながら少しずつ下流にむかっているわ。

そのはずだったのだけど……。

 

あたしと影井さんは今一生懸命に走っている。

 

「ねえ、影井さん。手当してもらって10日も経つから足はもう痛くないけど。なんであたし達はこんなことになってるのかしら?」

「悪いな。水場にはいろんな動物も集まるってのは分かっていたんだが、まさかここで出会い頭にこうなるとは思ってなかったよ」

「でも向こうの方が速そうに見えるのは気のせいじゃないわよね」

 

あたし達の後ろには頭に木の枝のような大きめの角を生やした4つ足の動物が追いかけてきているのよね。日本だけではなく地球でなら間違いなく草食のはずのそれは、その角に引っかかる下ばえや細めの木をバキバキと吹き飛ばしながら追いかけてきてるわ。見た目だけなら鹿なんだけど。絶対肉食よねあれ。

 

「そうだね、でもあんな開けた場所で正面から戦ったら勝ち目ないからね。力の弱い人間は頭を使わないといけないってことだよ」

「でも影井さん。最初竹やりで一突きしてましたよね」

 

それも正面からかなりギリギリで危ない感じだったのよね。

 

「そりゃ、何もなしで逃げるんじゃ芸がないからね。それに華さん、体力そんなにないでしょ」

「うっ、それはあたしはインドア派だからしかたないっていうか、でもそれと何が関係あるの?」

 

影井さん、痛いところを突いてくるわね。確かにこんなペースで走っていたらあたしは、すぐにばてちゃうわよ。

 

「それは、見ていればわかるよ。ん、そろそろかな」

 

影井さんはチラリと後ろを見たと思ったら、そこで止まって振り向いたわ。あたしも慌てて止まったけど、いきなり止まるって酷くないかしら。危なく木の根に足を引っかけて転ぶところだったわよ。

 

「影井さん、ちょっと合図くらいしてくださいよ。危なく転ぶところでしたよ」

 

文句を言うあたしをスルーして影井さんは追いかけて来ていた動物を見つめているじゃないの。ちょっと、いつもの優しさはどこに行ったのよ。少しは構ってくれてもいいと思うのよ。ってまあ今はそんな場合じゃないてのは分かっているから口に出してこれ以上の文句は言わないけれど。

あら、さっきの動物襲ってこないわね。と思ったら、影井さんが竹やりをまた思いっきり突き刺してたわ。横倒しになっている動物に。

いつの間に倒したの?

そう思いながら見ているうちに影井さんが何度も竹やりを突き刺していくのよね。これはもう勝ちかしら。

影井さんも、そう思ったのね。そっと近づいて竹やりで動物の目をつついているわ。

って、

 

「危ない」

 

完全に死んでなかったのね。頭を一振りしてきたわ。影井さんも油断したわけでは無いのだろうけどちょっとひっかけらたみたいだわ。

ちょ、ちょっと手から血が出てるじゃないの。

 

「影井さん。大丈夫ですか。すぐ手当を……」

 

あたしはいつも背負っているリュックをおろして中から治療用に道具を出してシートの上に並べた。

影井さんの服の袖をまくり、水で傷口を洗ってクスリを塗る。煮沸消毒しておいたガーゼを当てて、習慣になりつつあるおまじない。

 

「はやく、よくなりますように。

はい、影井さん出来たわよ」

「ああ、いつもありがとう。じゃあ、こいつを水場に持っていこう」

 

影井さんは、川にたどり着いて最初に作った石のナイフで仕留めた鹿みたいな動物、いえもう鹿でいいわね。その鹿の首のあたりを裂いて血抜きをしているわね。どうして地球から持ってきたナイフを使わないか聞いたら、補給が出来ないから今は貴重品だからどうしてもっていう時以外は使わないようにするって言われたのよね。そしてある程度血抜きが終わると、今度はお腹を裂いて内臓をとりだし始めたわ。この辺りの作業は何度目かだけど、まだ慣れないわね。必要な事だって分かっているけど。

慣れるために少しだけ見ていたけど、

 

「華さん、顔が青いよ。無理しないで。少しずつで良いからね」

 

影井さんの言葉に甘えて少しだけ離れるの。解体している場所の風上にほんの10メートルくらいだけ離れて目を空に向けると少しずつ落ち着いてきたわ。そうしたら一応見張りの真似事くらいはしないとね。

耳を澄まし、下ばえや木の枝の動きに目を配る。これも影井さんに教えてもらったのよね。

 

「よし、じゃあ水場に持っていくよ」

 

しばらくしたところで影井さんから声を掛けられたわ。

いつの間にか鹿は持っていけない部分を取り除かれ大分小さくなって木の棒に括り付けられている。あたしはすぐに水を持っていって影井さんの手を洗う手伝いをするの。一番大変なことをしてもらっているのだからこのくらいはしないと申し訳ないもの。

 

「じゃあ、あと一頑張りだよ」

 

これまでは小動物を少ししか獲れなかったから食料をかなり節約していたけど。これだけ大きな獲物があれば今日はお腹いっぱい食べられるわよね。

そんな風に思っていたこともあったわ。

 

「ねえ、影井さん、なんでこれだけしか食べちゃダメなの?今日はたくさんお肉獲れたわよね」

「ああ、これが日本でなら、いや日本でなくても地球でなら遭難中でもたっぷり食べるとこだけどね。この肉が本当

に食べて良いものか分からないからね。少しだけ口にして。せめて半日体調を確認してからじゃないと怖いんだよ」

「うう、わかりました。体調に異常がなければ明日はお腹いっぱい食べられるんですよね」

 

がっかりするあたしの頭を影井さんはくしゃくしゃと撫でるの。

 

「ああ、はやいところ食べられるものを見分けるのも大事だしな」



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第17話 森を抜ける

 転移から今日で23日。あたしと影井さんは今日も川に沿って歩いているのだけど未だ文明どころか知的生命体の痕跡も見つけられていないの。

 

 そしてこの23日の間に分かったこと。

ひとつ、どうやらこの世界の1日はおおよそ24時間。これは転移後に揺さんが腕時計で確認してたからほぼ間違いないわ。それにしても手巻きの機械式腕時計を持ってるって揺さんってこういうところもマニアックよね。ふたつ、この地域は季節は無さそう。これは倒れた木を見て揺さんが年輪が無いから季節は多分ないって言ってたのよね。みっつ、水は煮沸して飲みさえすれば害は無さそう。20日以上飲んできたから少なくとも短期的に健康に被害は無いわね。ただし、今のところ生水を飲む勇気はないわ。よっつ、嬉しいのは動物の肉も食べて平気だったの。これはとっても助かる。成長期のあたしに肉は絶対に必要だもの。ただそう言ったら揺さんに可哀そうなものを見る目で見られてしまったのよね。解せぬ。

 

そうそう、最近あたし達はお互いの呼び方を変えたの。これからいつまでかわからない間バディとして過ごすなら、もっとお互いの距離を縮めたほうがいいからってあたしが提案したの。だから今あたしは影井さんの事を揺さんって呼ぶし、瑶さんには、あたしのことを朝未って呼んでもらっているのよね。やっぱり呼び方が変わるとぐっと親近感が増したから、これは成功だったと思うの。

 

 そしてそしてなんと今あたしの手には弓矢があるの。あたしが近接戦闘をしなくていいようにって、これも揺さんが木を切って削って作ってくれたのよね。弦はどうするのかしらって思ったのだけど、木の皮を叩いてほぐして作ってくれたわ。矢も細い木と落ちていた鳥の羽で作ってくれたのよね。練習用に10本。狩り用に20本。あたしの力だとあまり遠くまで飛ばなかったけど、どのみちそんな遠くの目標には当たらないものいいわ。矢筒も竹と木の皮で作ってくれたのよね。まあ、慣れてきたからか段々遠くまで飛ばせるようになってきたのだけど。今は飛ばすだけなら50メートルは飛ぶわね。当たらないけれど。クスン。

 

それにしても揺さんて本当に現代人かしら。サバイバル適性が高すぎるわよね。あたしはそれで助かっているので文句は全くないし、むしろ感謝しているのだけど。

 

 そして今、揺さんは木に登っているのよね。この先の地形を少しでも確認しているって言ってたわ。その間あたしは暇になるので弓の練習中よ。毎日練習しているから10メートルくらいの距離においた直径50センチくらいの止まった的なら半分くらい当たるようになったのよ。昨日の狩りでは先制攻撃で1発当てたんだから。

 

「朝未、大分上手になったね」

 

ビクッとして狙ったところからかなりズレたところに矢が飛んで行ってしまったわ。向こうのほうでカツンと硬い音がして木か何かに当たったの分かるわね。

 

「か、瑶さん。驚かさないでくださいよ」

 

あたしが頬を膨らませて抗議すると揺さんはなんとなく目を泳がせて右手で頭の裏をかいているわね。

 

「いやあ、すまなかった。まさかそこまで集中しているとは思わず。でも実戦では周りの様子にも気を配らないといけないからね」

 

くっ、ど正論に反論ができないじゃないの。となれば話をそらすしかないわね。

 

「それで、上から見てどうでした?」

 

何か気付いたみたいだけど良いわよね。

 

「あと2、3日で平野に出られると思う。向こうに山の影がなくなったからね。あとは今まで通り川に沿って川下に向かおう。この川なら近くに文明があれば何かあると思うから」

「早く、この世界の文明を確認したいですよね。あ、あたし向こうに飛ばしてしまった矢を回収してきます」

「ああ、私も荷物をまとめておくよ」

 

的をそれた矢は少し離れたところの木に突き刺さっていたわ。最初の頃に比べるとあたしの弓の力も随分と強くなったのね。最初は木に刺さるなんてこと無かったもの。やっぱりコツをつかむと違うのね。

あたしは矢をどうにか木から引き抜いて回収すると瑶さんが荷物をまとめている場所に戻った。

そしてあたし達は、また川沿いを下っていく。

 

川幅が広くなり既に両側の河川敷まで含めるなら500メートルにせまる大きさとなった川面を見ながら瑶さんは期待を口にしたわ。実際文明が無かったなら、あたし達は2人きりで見知らぬ世界で生きていかないといけないのよね。瑶さんの事は信頼しているし一緒にいることは苦にならないけど、2人きりというのはさすがに色々な意味で辛いわ。年齢差を考えたら最後の数十年を1人で生きないといけなくなってしまうもの。そんなことになったらあたしきっと気が狂ってしまうわ。そこまで考えてフッと気づいたのは瑶さんは男性であたしは女性ということ。そうね、もし文明が無ければきっと……。想像して、うん不思議と嫌悪感なくて嫌ではないわ。でも今はまだそういう時期じゃないわね。それに瑶さんも今のところあたしを女性としては見ていないように思えるもの。

 

そしてその4日後、あたし達は森を抜けた。



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第18話 弱くなった獲物

「瑶さーん、何か見える?」

「んー、ちょっと向こうに丘があって先が見ないね」

 

今瑶さんは、森の最後の木に登って先を見てくれているのだけど、丘で遮られているのね。

 

あたしは、やっぱり弓の練習中なの。ただちょっと思うのは、このところ獲物が弱くなった気がするのよね。微妙にサイズも小さいし。種類が違うのかしらね。そんな事を考えながら矢を放つの。当たり。どんどんうまくなってる気がするというか、間違いなく上達してるわね。今では10メートル先の的なら30センチに小さくした的に7割くらい当たるもの。こういうのって上達が自覚できると嬉しくて練習にも気が入るわ。

 

次の矢をと練習用の矢筒から1本取ろうとしたところで少し向こうに小さめのウサギがいるのを見つけたわ。最初に瑶さんが倒したウサギは中型犬くらいあって狂暴だったけど、この1、2日の間に見つけるウサギは小型犬より少し大きいくらいで、しかもあたし達に気付くと逃げるのよね。

 

あたしは、練習用の矢筒をそっと地面に置いて、狩用の矢筒と取り換える。そっと深呼吸して意識的に息を整えて弓を引き絞る。まだウサギはあたしに気付いてないわね。ウサギが地面にある何かに意識を向けた瞬間、”シュッ”あたしの放った矢がウサギを捉え、そのまま地面に縫い留めたわ。思ったよりうまくいったわ。

これで今日の食料は足りるかしらね。

 

瑶さんはまだ木の上から降りてくる様子がないわね。

 

「揺さーん、ウサギを仕留めたから川で捌いてくるわね。降りてきたら呼んでくださいね」

 

いつまでも獲物を捌けませんじゃ困るかもしれないからって事で少し前に捌き方を教えてもらったのよね。まだ瑶さんみたいに綺麗には捌けないけどやらないと上達しないもの。ってあたしもこの20日くらいで変わったわね。前は捌くどころか、それを見ているだけでもダメだったのに、今では自発的に捌こうとしているんだもの。

 

仕留めたウサギの後足を近くの木に括り付けてさかさまに吊るしたら、まずは血抜き、頸動脈と思われるところを深く切って少し待つのよね。地球の動物だとどうか分からないけれど、この世界の動物だと結構すぐ抜けきるのよね。

血抜きが終わったら、川に持って行って泥を落としたり洗って、さてここからがまだ慣れないのよね。

深呼吸をしてお腹を開く。内臓は食べられるところが分からないから全部捨てて、あとは川で流されないように近くの大き目の石を重りにして冷やすのよね。

 

「よし、とりあえず、ここまでしたら瑶さんが降りてくるまで待っていればいいわね」

 

あたしは河原に腰を下ろして周囲の様子をみながら待つことにしたわ。

 

「朝未、おまたせ」

「あ、瑶さん。大丈夫よ。そろそろ肉も冷える頃だと思うし、丁度いい感じよ」

 

今回の獲物は中型犬より少し小さいので本当にそろそろ冷えると思うのよね。

 

「で、どうでした?何かヒントになりそうな物みえました?」

 

あたしが川からウサギを引き揚げようとすると、ウサギの足に縛り付けておいた蔓を瑶さんが引き受けてくれたわ。瑶さんってこういうところ紳士なのよね。同級生の男子たちなんか女の子に力仕事押し付けて平気だったもの。力仕事を引き受けてくれたりすれば調理実習の時なんかに分けてあげたりしようかなって思うのに。

 

「朝未?」

 

あ、変な方に思考がぶれてぼーっとしちゃったのね。瑶さんが心配そうにみてるじゃないの。

 

「あ、ごめんなさい。ちょっと日本での事を思い出しただけです。それで、丘があってあまり遠くまで見えないんでしたっけ」

「うん、そうなんだけどね。逆に言えばその丘に登れば向こうも見えるかもしれない。だから次の目標地点はここから見えてる丘の上ということでいいかな」

「はい、わかりました。そもそも他に選択肢なんかないでしょう」

 

あたしが”ふふ”と笑うと、瑶さんも笑顔を見せてくれたので、これで正解ってことよね。

 

「よし、じゃあこのウサギの解体をしたら丘に向かおう。多分、今日の昼過ぎには丘の上から眺められると思うよ」



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異世界文明との接触
第19話 馬車


お昼には丘の上に着くことが出来たわ。この1月の間、日本にいた頃とは比べ物にならないくらい歩いたり木に登ったり戦闘したりして体力がついたってことかしらね。これだけの丘に登っても息も切れないのだもの。この丘って感じとして多分200メートルくらいの高さあるわよね。それをこんな軽々登れるなんて、不思議な気持ちだわ。

 

 でもそれより、今はこの先のことね。瑶さんが手をかざして遠くを見ているわね。せっかくだからあたしも自分なりに見て見ようかしら。

 

「ふむ。朝未、あれが見えるかな?」

 

瑶さんが指さす先地平線ちょっと手前の当たりに右から左に線が見えるわね。瑶さんが言っているのはあれの事かしら。

 

「地平線のちょっと手前の線のことですか?」

「そう、朝未にも見えるってことは見間違いじゃなさそうだね。希望的観測ではあるけど、あれは道ではないかと思ってるんだ」

「え、道?ってことは文明があるって事ですか?」

「まだ可能性の段階だけどね。とりあえず、あれが道だと仮定したときに問題なのは見える範囲に町や村といったものが見えない点だね」

 

どういうことかしら?あたしが首を傾げていると瑶さんが”ふふ”と笑って教えてくれたわ。

 

「文明が発達しているほど人の居住地同士が近づく傾向があるんだよ。地球でも中世以前だと隣の町や村まで歩いたら1週間以上かかるなんてのはザラだったみたいだからね」

「つまり、ここの文明レベルは地球の中世以前並だということですか?」

 

中世以前って公衆衛生って概念がなくてペストが黒死病って名前で流行って人口の半分が亡くなったなんて時代じゃないの?ちょっと不安なんですけど、大丈夫かしら。

 

「可能性の話だけどね。たまたまそういう地域だったって可能性もあるし、ほら地球にもアフリカのサバンナとかそんな感じだよね」

 

それでも、とりあえず朝焼いておいた鹿肉でお昼ご飯を済ませて川に沿って道らしきものに向かう事になったの。

道だといいなあ。

 

「ねえ、瑶さん。あの道までどのくらいあるかしら」

「そうだね、この地面が地球と同じくらいの球体だと仮定して、この丘の高さを200メートルと仮定すれば……。地平線までが40から50キロくらいかな。その少し手前だから私達の歩く速さからすると明日のお昼くらいには着くと思うよ」

 

 

 瑶さんの言葉通り、あたし達は翌日のお昼前に道にたどり着いたわ。道よねこれ。あたしはなんとなく自信がなくて瑶さんの様子をそっと窺ったわ。瑶さんは道の幅を確認したり、片膝をついて路面を調べたりしているのだけどどうなのかしら。

 

「あ、あの瑶さん。どうかしら?」

 

あたしがそっと声を掛けると、瑶さんはハッとしたように立ちあがってニッコリと笑顔を見せたわ。

 

「うん、道、それも馬車かそれに類するものがある程度行き来している街道だと思うよ」

 

そう言うと、街道だと判断した理由を色々と説明してくれたわ。

 

細かい石が敷き詰められていること、轍と思われる窪みがあること、その幅からすればゆっくりであればすれ違える程度のサイズであること、轍の中央に動物の蹄の跡があること。そういった事から文明レベルによるけれどある程度大きな町どうしを繋ぐ街道だろうってことを丁寧に説明してくれたの。

 

「これが街道である可能性が高い事はわかりました。あとはどっちに向かうかですね」

 

あたしがそう言うと瑶さんは少し迷いながら、日が昇るからということであたし達が便宜的に東としている方向を指したのよね。

 

「それは何か理由があるの?」

「こっちにきてごらん。これが馬車らしきものを引く動物の足跡、もう面倒だからはっきりするまでは馬車と馬ってことにするけど、ほら、こっち側が深くて反対側に少し削れているだろう。これはこの馬が東に向かっていることを示すんだよ。そしてこの轍の深さを向こうとこっちで比べると、東に向かう方が深いだろう。つまり東に荷物を沢山運んでいるって事なんだよ。つまり東の街の方が恐らく大きいってことだね。大きめの街に向かった方が恐らく色々と分かるんじゃないかってのが理由だね。まあ危険もありうるけど。それは慎重に行動していくということで、ね」

 

そう決め、あたし達は東に向かうことにしたのだけど、2時間くらいかしら歩いたところで瑶さんが足を止めたのよね。

 

「瑶さん?」

 

何があったのかと瑶さんの様子をうかがうと。瑶さんが、道の向こうを指さしたの。

 

「馬車が止まっている。その周りを動物が動き回っているみたいだ」

 

あたしもじっと見ると、

 

「あ、本当ですね。あの馬車は動物の群れに襲われている感じですかね?」

 

そこまで言って自分の言葉に違和感を感じたの。ここから馬車まで見通しは良いけれど、どう見ても2キロ近くあるわよ。なんであたしは、いえあたしだけじゃないわ瑶さんも、そんな細かいところまで見えるの?

 

「ねえ、瑶さん。あたしこんな遠くの馬車はともかく動物の動きとか見えるって疑問なんですけど」

「う、うん。そうだね。それについては特に不利な要素じゃないから、あとで考えよう。それより今はあれをどうするかだね」

「どうするか、ですか?それは助けるか見捨てるかって事ですよね?」

「うん、どちらにもメリット・デメリットがある。助けた場合、恩を売ることになってこの世界の情報を手に入れることが出来るかもしれない。そのかわり接触することにのる危険が準備無しで発生するよね。逆に見捨てた場合は情報は手に入らない、その代わり文明との接触を計画的に準備したうえでできる」

 

瑶さんの説明にあたしは迷うことなく返事をしたわ。

 

「助けましょう。あの感じなら、あの動物はあたし達の敵ではないと思いますし、その動物にまともに対応できていない馬車の人たちはあたし達には脅威ではないと思います。なによりここで見捨てたらきっと後々まで後悔すると思います」

 

あたしの返事を聞くと瑶さんはあたしの頭をポンポンと叩いたの。

 

「私としてはどちらでも良いから。朝未の気持ちを優先するよ。じゃあ急ごう」

 

そう決めるとあたしは弓を手に持ち直し、瑶さんは石を割って作った手斧を手にして、馬車に向かって走り始めたわ。



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第20話 異世界人

「朝未、弓でどのくらいなら当てられる?大体で良い」

「止まった的相手なら直径30センチの的に10メートルなら7割、20メートルなら5割かしら」

「わかった。私が突っ込むから朝未は20メートルから弓で援護してくれ。当たらなくてもけん制になればいいから」

「わかりました」

 

馬車は幌馬車ってタイプね。周りを犬みたいな動物が見えるだけで4頭。馬車の影に同じくらいいるのかしら。8から10頭ってところね。

 

「あ、1人引きずり倒されたわ」

「ああ、私にも見えた。急ごう」

 

あたし達が、到着するまでの僅かな時間で更に2人が倒れるのが見えたのよね。せめて1人くらいは生き残っているといいのだけど。

 

 弓の射程に入ったところであたしは足を止めて構えたわ。どれを狙えばいいかしら。

 

あ、一回り以上大きな個体がいるわね、リーダーかしら。ちょうどこちらを向いているし、今までの狩りで心臓と肺が重なる位置があるのはわかっているしちょうど狙えるわね。

 

あたしが最初の矢を放つと瑶さんがすぐに追い打ちに向かったわ。

あ、矢が当たったわね、あれは致命傷だわ。でも、野生動物はそのまま倒れるわけじゃないのよね。

やっぱりすごい勢いであたしに向かってきたわ。この世界に来たばかりの頃のあたしなら怖くて足がすくんだところね。でも、この世界で狩りの経験を積んだあたしは、少し怖いと思いながらも動けるの。だからあたしが少し大きめに避ければ。うん、あたしの後ろで倒れたわね。

 

「瑶さん、リーダーは倒したわ。あとは雑魚よ」

 

瑶さんを見ると、相手の数が多いだけに囲まれないように常に動きながら手斧を1当てしては離れるを繰り返しているわね。

 

あたしも弓で少し離れた犬っぽい敵を狙うわ。ちょうど瑶さんに飛び掛かろうと力を溜めて動きが止まったので狙いやすかったもの。残念、今度は当たるには当たったけど喉ね。あれでは致命傷には程遠いわ。それでも注意をそらすことには成功したわね。

 

当然その1頭はあたしに敵意を向けて向かってきたわ。この距離で向ってこられると弓ではちょっと無理ね。あたしは、弓を左手にもったまま、腰に括り付けておいた手斧を右手に持って迎え撃つことにしたわ。

 

矢が首に刺さったまま向かってくるのでどんどん動きが鈍っているわね。でもまだ元気だわ。あたしは、飛び掛かってきた犬っぽい敵を右に避けながら首元に手斧を叩きつけてみたの。

 

うぅ、狩り自体には慣れたけれどこの手元に感じる肉を裂いて骨を割る感触は気持ち悪いわ。でも、この感触なら致命傷ね。

 

倒れたのを横目でチラリと確認しておいて、あたしは、馬車の方を見たの。ああ、瑶さんが手ごわいと見たからかしら、瑶さんに集中攻撃してるわね。

 

でも瑶さんの足元にはもう4頭が動かなくなっているわ。さすが瑶さんね。残り3頭になってもまだ攻撃してくるって、この犬っぽいもの、いえもう犬で良いわね。頭悪そうね。

 

それでも、瑶さんの後ろから飛び掛かろうとしていた犬がいたのであたしは弓を射て攻撃をしたわ。的が大きいので思ったより当たるわね。今回は目に刺さったわ。

”キャイン”なんて悲鳴を上げているけど、これは自業自得よね。でも自分でやっておいてなんだけど、あれは痛そうね。思わず顔を顰めてしまったわ。

あ、瑶さんが追撃をして仕留めたわね。

 

残りの2頭は、ああ、さすがに逃げ出したわね。だまし討ちで戻ってこないか見送っていたけれど、全く振り返ることなくどんどん走り去っていくから多分大丈夫じゃないかしら。

 

見えなくなるまで目で追ってから周りを確認したのだけど、これは結構大変よね。あたし達が倒した犬以外に、がっちりした体格の人が5人倒れていて、あれはもう息をしていなさそうね。それでもとりあえず、あたしは矢を回収しないといけないので瑶さんに視線をチラリと向け、瑶さんが頷いたのを確認して矢の回収に向かったの。

 

射たのは3本だったけれど、喉に当たって、あたしが手斧で仕留めた犬に刺さっていた矢はダメね。折れちゃっている。それでも2本はそのまま回収。折れた矢も羽なんかは再利用できるから回収しないとね。

 

さて、後は馬車に乗っている人が生き残っているかどうかだけれど。そう思って瑶さんを見ると幌馬車に声を掛けているわね。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

転移のなにかの具合で言葉が通じるようになっていればいいなって思った希望ははかなく散ったわ。だって帰ってきた言葉、多分言葉よね、が全く理解できなかったのだもの。

 

「*}{{`P=^……」

 

あたしと瑶さんは顔を見合わせて溜息を吐いてしまったわね。まあある意味予想通りではあったのよ。現実的な考えとしてだけど。それでも1人でも生き残ってくれたのなら良いわ。

 

そして顔を出してきたのは紺色のズボンに、生成りのシャツ、紺色のベストと思っていたより身なりの整ったやや小太りの男性、身長は160センチをちょっと超えるくらいかしら。見た目50歳くらいに見えるわ。

 

「\-@*??+]../」

 

やはり何を言っているのか分からないわね。

 

「すまない、何を言っているのか分からない」

 

瑶さんが、その人に声を掛けているわね。でも、相手も何を言っているのか分からないと思うのよね。

 

「!#$'&%|~=(*}」

 

するとその人は、奥に向かって何かを言っているわね。その声に何か返事らしきものをして別の人が出て来たわ。

あら、可愛い。出て来たのは、青い髪を腰まで伸ばし、ふんわりとした生成りのワンピースを着た女の子。見た感じ10代後半な感じかしら。

 

「タスケ、クレタ。カンシャ。ワタシ、ミーガン。カレ、エルリ、イイマス」

 

おや、片言の感じだけれど言ってる言葉が分かるわね。



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第21話 異世界事情

あたしと瑶さんも自己紹介を済ませると、ミーガンさんから色々と話を聞くことが出来たわ。

 

それによると、ここは「ベルカツベ王国」という国のヴァンキャンプ辺境伯領で、ミーガンさんたちは馬車で色々な国を回る行商人をしているのね。その国によって言葉も違うため、ミーガンさんはそれぞれの地域での意思疎通のために翻訳の魔法道具を持っているそうなの。ただ、その翻訳の魔法道具は簡易なものなので言葉として違いが大きいと翻訳がきちんとされないって言ってたわ。だから片言のように翻訳されたのね。

 

そして、近隣の国を回り、ヴァンキャンプ辺境伯領の領都エルリックに向かって移動中ここを通りかかったところでさっきのワイルドウルフという魔獣に襲われたそうなの。犬じゃなくて狼だったのね。しかも魔獣って。普通の動物と何が違うのかしら。

 

「ココアタリ、ワイルドウルフ、メッタナイ。イテモ、ウルフ」

「それで、魔獣と普通の動物って何が違うの?」

 

聞いてみた、どうやら普通の動物はあまり人を襲わないとのことで、さらに言うと魔獣はその心臓に魔石と呼ばれる石を持っているんだって。魔石は魔法道具のエネルギー源みたいで(翻訳がうまくいかないのかよくわからなかったのよね)魔獣を退治したら取っていくと売れるって教えてくれたの。後で取らなきゃいけないわね。

そして、馬車の外に倒れていた人たちは傭兵ギルドから雇った護衛で経験を積んだ戦士なんだそう。ウルフ10頭程度なら簡単に撃退できる戦力だったそうで、普通なら十分な戦力だったんだって言ってたわ。でもワイルドウルフが相手だとワイルドウルフ1頭あたり3人くらいはいないと撃退できないと言われたわ。え?あたしたち瑶さんとあたしの2人で8頭のワイルドウルフを撃退しちゃったのだけど、ひょっとしてあたし達強いのかしら?

 

「アナタタチ、ツヨイ。ユウシャカ」

「違う違う、そんな大それたもんじゃありませんよ」

 

瑶さんは単に勇者であることを否定しているけど、ちょっと聞いてみようかしら。

 

「あ、あの勇者っているんですか?」

「ヒガシノ、トランルーノセイオウコク、ユウシャショウカンシタ、イウ、ウワサ」

 

トランルーノ聖王国というのはこの世界で最大勢力を誇るトラン聖教を国教とする聖教国であり強力な軍事国家だって説明してくれたのよね。嫌すぎるわ。

 

「コレカラ、イドウ、クラクナル。エルリック、イッショイク、イイ」

 

どうやら馬車に乗せて一緒にエルリックに連れていってくれるみたいね。”ちょっと一足飛びになったけど”と考えながら瑶さんを見ると頷いているわね。

 

「お願いします。ただ先に先ほど言われた魔石を回収させてください」

 

あたしがそう言うと”当然”と頷いてくれたわ。

 

「キバ、トッテクル。トウバツ ショウメイナル。オカネモラエル」

 

つまりこのワイルドウルフの牙を持っていくと、討伐した証明になって賞金のようなものがもらえるのね。

 

「イメージとしては地球における害獣駆除みたいなものじゃないかな。まああちらでは賞金というより駆除業者に駆除費用として支払う感じだったはずだけどね」

 

瑶さんが説明してくれたわ。

 

あたしと瑶さんはワイルドウルフから魔石と討伐証明用の牙を回収すると、道の脇、少し離れた場所に穴を掘って持っていかないワイルドウルフの死骸をどうにか埋めたの。こんな作業でもこの世界に来る前のあたしだったらとんでもない時間が掛かったと思うのよね。石の手斧や近くに落ちていた木の枝なんかを使って割と簡単に穴を掘ることができたのよね。

 

「ね、瑶さん。あたし達の身体って……」

「しっ。朝未。今はやめておこう。落ち着いて話の出来る状態になったら話そうか」

 

あたしの言葉を小さな声で、それでも鋭く遮って瑶さんが止めてきたの。何かまずいのかしらね。でも瑶さんがやめておけというならやめておくわ。

 

そこで気付いたのエルリさんケガしてるじゃないの。

 

「ミーガンさん、エルリさんがケガしているようですが。手当はされないのですか?」

 

あたしは勝手なことは出来ないもの、一応聞いてみたの。

 

「ミーガン、エルリ、テアテ、デキナイ」

 

どうやら普段はケガをしても軽いケガなら放置して、少し大きなケガをした時には護衛の中に治療技術のある人がいて、その人にやってもらっていたみたいね。仕方ないわね。

 

「ミーガンさん。きれいな水と傷薬。それとできれば包帯ありませんか。よければあたしが応急手当させてもらいますよ」

 

 ミーガンさんが出してきたのは樽に入った水と、何か葉っぱで包んだ傷薬、そして布の塊だったの。

水は、なんでも魔法道具で悪くならないそうなの、傷薬はこの世界で一般的に使われているものの中で少し高級なものらしいわ。布はどうやら包帯という概念がこの世界になくて代わりに出してきたみたいね。

 

瑶さんに申し訳ないけれど討伐の後始末の最後をお願いして、あたしはエルリさんの手当をすることにしたわ。水で傷口を洗って、傷薬をぬり、布を少し裂いて不格好だけれど包帯の代わりにしたわ。なんとか形が出来たところでいつものおまじない。

 

「早く、よくなりますように」

 

ミーガンさんもエルリさんも何かポカーンとしているわね。

 

「アサミ、チリョウシ、カ?」

 

チリョウシ??ああ治療師ってことかしらね。

 

「いいえ、そんな大したものではありませんよ。あたしが出来るのは応急処置だけです。落ち着いたらきちんとした治療をしてくださいね」

 

ミーガンさんもエルリさんも何か言いたそうにしているけれど、あたしは単なる中学1年生だもの。応急処置以上のものは期待しないでほしいわ。

 

瑶さんが討伐の後始末を済ませ、あたし達はミーガンさんの馬車に乗せてもらってエルリックに向かっているのだけど。

 

「瑶さん。小説なんかで読んでいたけど馬車って本当にお尻が痛くなるのね」

 

あたしは歩くよりは楽だろうと思っていたけれど、これはダメよ。クッションもない木製の椅子に座ってゴトゴト揺られていくのは辛いわ。

 

つい瑶さんを涙目で見て視線で何とかしてってお願いしちゃうわ。

あ、肩をすくめて瑶さんが鞄から何かを取り出したわ。

 

「毛皮?」

「何枚か敷けばマシになると思うからね。日本から持ち込んだものは見せない方が良いと思うから、これで我慢して」

 

そう言って、この世界に来てから狩った獲物の毛皮を適当にまとめて渡してくれたわ。まあ、日本から持ち込んだエアクッションなんかの類をここで出すのがまずいのは、日本で読んだ小説の知識でも理解できたので、黙って受け取ってクッション代わりにさせてもらうことにしたわ。

 

その毛皮を横目で見たミーガンさんが凄い顔をしていたけど、この世界の物だからセーフよね。



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第22話 翻訳

馬車に揺られること数時間、目の前には大きな壁がそびえているの。夕焼けに赤く染まって綺麗ね。

 

「ふわぁ。大きくて綺麗な壁ですね」

 

日本では、見たことのない大きな壁にあたしは目を見張ってしまったわ。

あ、それに異世界の街のお約束ね。城門に列ができているわ。

 

「街に入るには、やはり何か手続きみたいなものが……。あれ?」

 

いま何か柔らかい物を突き抜けたような感触があったわ。

あたしがキョロキョロと見回していると、瑶さんも何か気になったみたいで周囲を見回しているわね。

 

「ね、瑶さん。今何か変な感じなかった?」

「ああ、朝未も感じたんだね。何か柔らかい障壁を通り抜けたような感じだったね」

「でも、周りの人たちは何も感じてないようでしょ?なんだったのかしら?」

 

「ああ、やはり瑶様も朝未様も神威(しんい)を身に宿されているのですね」

 

は?神威?身に宿す?ってそれより今のは誰?あたしと瑶さんが振り返った先にはミーガンさんがニコニコと笑っているじゃないの。え?でも、今凄く自然に日本語を話しませんでしたか?あたしが目をまん丸にして見ていると、ミーガンさんはいたずらっぽい顔で答えてくれたの。

 

「わたしが持っている翻訳の魔法道具は簡易なものだとご説明したでしょう」

「え、ええ。でもそれなら尚更、このようにスムーズに翻訳されているのは不思議なのですが」

「ふふふ、このエルリックは軍人・商人・傭兵など多くの人が訪れる街です」

「はあ」

 

まあ、これだけ大きな街ですからそれはそうでしょうけど。何が言いたいのか分からないわ。

 

「つまり、様々な言葉を話す方が集まるということなんですよ」

 

あたしの察しが悪いのかしら。瑶さんの様子をそっと覗き見てもあまり分かっていないようで、ちょっとホッとしちゃったわ。そんなあたし達2人の様子に更にクスクスと笑いながらミーガンさんが説明してくれたの。

 

「この翻訳の魔法道具は簡易であってもそれなりに値が張るんです。そんなものを皆が所持するのは無理があるということで、70年ほど前のご領主様が翻訳の結界を街全体に張ってくださったのですよ。で、先ほどお2人が何かを突き抜けたような感じがしたと言われたのが、その結界の境なんです」

「これだけ大きな街全体を覆う結界って、凄いですね。でも先ほどの神威というものが分からないのですが。それに様付けで呼ばれるのはちょっと」

「それはですね。実はわたし達のような一般人はお2人が感じられたような何かを突き抜けるような感覚というものを感じることが出来ないのです。過去にそれを感じられた僅かな方々は皆高位の司祭様であったり、過去に並ぶもののない聖騎士であったりと神の力をその身に宿したと言われた方々ばかりだったんです。それをもって神威とわたし達は呼んでいるのですよ。ですからお2人がそれを感じられたということで神威を身に宿されていると考えたのです。そういった方を呼び捨てなどとんでもありません」

 

何か大ごとな雰囲気ね。あ、瑶さんも顔を顰めているわ。

 

「私たちは、そんなたいそうなものではないですよ。ただ、土地勘が無く1月ほど山で迷ってたどり着いたのがミーガンさんと出会ったあの場所だったというだけです」

 

あら?瑶さんの言葉にミーガンさんが顔を微妙にひきつらせたわね。

 

「あ、あの山というのは、助けていただいた場所の北に広がる山々でしょうか。そしてそこで1月と言われましたか?」

 

あら?あそこってそんなに驚くような場所なのかしら。ウサギや鹿を狩れば食べ物には困らなかったので気にならなかったのだけど。

あたしがそう言うとミーガンさんは更に驚きを隠せない様子で口をパクパクとしているわね。

 

「あ、あの山は腕利きの狩人が浅いところでウサギを狩るのが精いっぱいなはずです。奥に行けば単なるウサギがとんでもなく狂暴で強力になり普通ではとても1月などという長期間滞在するのは難しいのです。そこに道に迷ったからと1月もとは……。やはりお2人は神威を宿されているのではないかと思います」

 

”それに”とミーガンさんは続けるの。

 

「過去におられた神威を宿された方々の特徴を、あなた方もお持ちですし」

「特徴、ですか?」

 

あら、瑶さんが興味を持ったみたいね。

 

「え、ええ。過去の神威を宿されているとされた方々は、例えば髪色ですが、髪色は黒、茶、金だったのです。これらの髪色は一般にまず見ることがありません。あと瞳の色と形ですね。瞳の色は黒、茶、青でした。また瞳の形も我々一般人ですとやや縦長の形なんですが、みなさんほぼ綺麗な円形ですね」

 

ああ、これはひょっとすると過去にも地球から転移してきている人が結構いる感じなのかしら。そして転移してくると何か特別な力を持っているのかもしれないわね。

ワイルドウルフとの戦いを考えるとあたしと瑶さんもこの世界ではちょっと特別な感じになっているかもしれないし。

あたしは瑶さんとアイコンタクトで後で相談しましょうと伝えたの。伝わったわよね。

 

「揺様、朝未様、これからどうされますか?」

 

こ、この先の方針は、やはり大人である瑶さんに話してもらった方がいいわよね。もう一度あたしは瑶さんとアイコンタクトで”オネガイ”してみたの。

あ、一応通じたみたいね。瑶さんがちょっとため息ついて”仕方ないなあ”って顔したもの。

 

「その、翻訳の結界というのはここ以外でも街では張られているのでしょうか?」

「えー、そうですね。国境近辺の辺境伯領領都では異国からの来訪者も多いので比較的多く。王都となれば異国からの高位者を招くこともありますので多いですけど、普通は無いですね」

 

あ、瑶さんが渋い顔してるわ。

 

「では、その翻訳の魔法道具でしたか。それのこの翻訳の結界と同じレベルで翻訳してくれるものはありますか?」

 

あ、そうよね。翻訳の結界があるのならいいけど、大きな街以外にはないってことになるとあたし達には必要よね。

 

「そうですね。あるにはありますが、非常に高価となります。例えば私の使う簡易型で50万スクルドします。お2人が求める高性能なものとなりますと500万スクルドはするかと。ただ、そもそも必要とする人が少ないため、出物があった時に言い値で買うしか手がありません。このため500万スクルドというのは最低価格だと思ってください」

 

どうやらスクルドというのがこの国のお金の単位のようね。でも具体的にどのくらいの価値があるのかしら。それは瑶さんも同じように疑問をもったみたいね。色々聞いているもの。

結論から言うと文化文明の違いがあるので直接比較はしにくいけれど、普通の4人家族の家庭で月に15万から20万スクルドで生活できるそうなので、おおよそ1スクルドが2円程度の価値のようね。そうすると翻訳の魔法道具をあたしと瑶さんそれぞれに最終的には欲しいから2000万円相当は最低でもお金を稼がないといけないのね。

普通の中学生だったあたしにはどうしたらいいのか見当もつかないわ。



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第23話 門

しばらく目を瞑って瑶さんは考えをまとめていたようね。目を開くとミーガンさんに質問を始めたわ。

 

「私達は、この国について何も知りません。そこで教えていただけると助かるのですが、異国からの来訪者がこの国で生活をする方法、言い換えればお金を稼ぐ方法はどのようなものがありますか?」

 

瑶さんの直接的な言い方にミーガンさんが目を見張り、エルリさんは何か言いたいみたいね。でもミーガンさんが止めたわね。

 

「そうですね。特に珍しいものは無いとは思いますが、いくつかあります」

 

そう言うとミーガンさんは、例を出しながら説明してくれたのよね。

 

ひとつめ。

どうにかして、街の人とつながりを持って、普通に店や工房で働く。

普通の生活が出来るようになるわね。

ただ、どうやってつながりを持つかという最初の部分が難しいし、人を探している職場を見つけることも難しいということね。そもそもがこの世界の職場では基本が縁故採用だそうなので異世界人のあたし達にはほぼ無理ね。

 

ふたつめ。

傭兵ギルドに登録して、傭兵として働く。依頼によって害獣駆除から護衛まで戦闘関係なら何でも請け負うということね。傭兵ギルドへの登録費用なしで、斡旋された仕事で仲介手数料を取られるということね。

ミーガンさんが言うにはあたし達の実力は2人合わせれば、普通の傭兵10人分にはなりそうだそう。

でも、都市外に出ることが多いそうなので言葉の問題がネックよね。

 

みっつめ。

商業ギルドに登録して商人として物を売り買いする。登録費用が1万スクルド、そして年会費が店舗の規模によって1万から100万スクルド。登録後にもお金がいるのね。

しかもどうやら、この世界では商売をするには行商や露店であっても商業ギルドに登録しないといけないらしいのよね。そしてこの中には日本でいうところの仲卸のようなものも含まれるようで、あるお店で仕入れて別のお店に卸すのも商業ギルドに登録している必要があるそうなの。

でも登録程度だけならともかく、商品の仕入れや、輸送用の馬車、売る場所の保証金なんかの初期費用が必要になるので、この世界のお金を全く持っていない今のあたし達にはちょっとハードル高いわね。

そもそも、言葉が通じないから街の外での仕入れも出来ないのもマイナス要因よね。それに街から街を移動して仕入れと販売をするとなると魔獣や盗賊に襲われるリスクも大きいとのこと。あたし達なら襲われても返り討ちに出来ると思うと言われたけれど。

 

よっつめ。

ハンターギルドに登録して、ハンターとして狩猟や採集をして素材としてお金に変えるということらしいわね。動物や魔獣を狩ってお金を稼ぐ日本のラノベでいう冒険者が一番近そう。

ミーガンさんの見立てではあたし達なら十分に稼げそうだと言われたわ。

ただし、ほぼ常に街の外で活動するので強い魔獣や盗賊などに襲われる危険が大きいと言われたわ。

 

「わたしとしましては、瑶様、朝未様であるならばハンターが一番活躍できるのではないかと思います。何にしてもワイルドウルフの群れから救っていただいたお礼も兼ねて、わたしたちがこの街にいる間はせめてお世話させてください。エルリックは何度も来ていますので詳しいですから街の案内もできます。ギルドへの登録のお手伝いもさせていただきますよ。っと、そろそろ私たちの順番ですね。街にはいるのに門で簡単なチェックがありますが、身分証明書などはお持ちではないでしょう。そのあたりうまくやりますからお任せください」

 

そう言ってミーガンさんは、片目を瞑って見せたわ。あら、この世界でもウィンクってあるのね。そしてさりげないウィンクが似合うミーガンさんは、大人の魅力だわね。あれ、大人よね。護衛付きとは言え街から街へ行商に回っているのに子供って事は無いわよね。というかこの世界の成人年齢って何歳かしら。

 

あ、もうミーガンさん、門の衛兵と話を始めたわね。

 

「行商人のミーガンです。これがギルド証です」

「ふむ、事前の届け出には従者1人と護衛の傭兵が4人となっているが」

 

衛兵があたしと瑶さんに目を向け眉間にしわを寄せているじゃない。そりゃああたし達は護衛には見えないでしょうからね。

 

「街道でワイルドウルフの群れに襲われましてね。そこで護衛の4人は……」

 

そう言ってミーガンさんは首を横に振ってため息をついて見せてるわ。あれ多分演技よね。

あ、衛兵は同情的な顔に変わってしまったわ。

 

「そこで、わたしどもももうこれまでと覚悟を決めたところに、あのお2人が現れて、助けていただいたのです。それはもう、あれよあれよという間に討伐され、10頭近いワイルドウルフが討伐されるのに5分とかかりませんでしたわ。そんな恩人ですが聞けば山で道を迷われ身分証も失ったとの事でせめてもの恩返しにとお世話をさせていただこうとお連れしたのです。ダメでしょうか?」

 

いや、これダメって言ったらとんでもない冷酷な人間ってことになっちゃうのではないかしら?

 

「うう、わかりました。そういった事情であれば。身分証や審査は結構です。しかし、保証金として1万スクルドをお支払いいただく必要があります」

「ああ、それはかまいませんよ。そのくらいわたしがお支払いしますとも」

 

大きなもめごとになることなく、あたし達はベルカツベ王国ヴァンキャンプ辺境伯領領都エルリックに入ることができたのよね。

 

「ヨウ様、朝未様。わたしはこれから傭兵ギルドと商業ギルドに到着の連絡と、護衛の傭兵の死亡報告をしに行かないといけません。その際に少し事情聴取があると思うのでご協力お願いできますか?」

「その程度はもちろん協力させてもらいますとも」



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第24話 変装

「瑶様、朝未様。まずは商業ギルドにむかいます。こちらは到着の報告だけですので、すぐに終わります。馬車でお待ちいただいてもいいですし、ギルド内でお待ちいただいても構いません」

 

ミーガンさんに、そんなことを言われたけれど、瑶さんがちょっと待ってと止めてきたの。

 

「私達の外見はどうやらこの国の一般の方とは違うようだね。何か対策をしておいた方がいいんじゃないかな。ミーガンさん、フード付きのローブとかありませんか?」

 

あ、ミーガンさん何か考え始めたわね。

 

「エルリ、染粉があったわよね」

 

ミーガンさんがエルリさんに言って出してきたのは革袋ね。渡されたので口を開けてみると何か色が変わり続ける不思議な粉が入っているわ。

 

「あの、この粉はいったい何なんでしょうか?」

 

あたしが聞くとミーガンさんはいたずらっ子の顔になったわね。

 

「この粉をほんの少し手に取って、そうそう、そのくらいで良いですよ。そして自分のなりたい髪色を思い浮かべながら髪に擦り付けてください。そうすればご自分の魔力が働いて髪がその色に染まりますので」

 

「え、魔力ですか?」

 

あたし達に魔力があるとは思えないのだけど。

あたしも瑶さんも魔力と言われて困惑してしまったわ。

あたしがそう言うと、今度はミーガンさんがキョトンとした顔になったわね。

 

「魔力は間違いなくおありですよ。そもそものところ魔力がなければ、この翻訳の結界の恩恵を受けられませんから。この翻訳の結界は本人の魔力を使って反射させそれで翻訳しているんですよ」

 

あら、地球から転移してきたあたし達も魔力あるのね。

 

「魔力についてはわかりました。で、色はどんな色でもいいんですか?」

 

「ええ、どんな色でも大丈夫ですよ。ただ、この国では青っぽい色や、赤っぽい色の髪の方が多いのでそういった色の方が目立たないと思います」

 

え?青っぽい髪が良いの?それなら……。

あたしは、あの髪色をイメージして手に取った粉を髪にこすりつけてみたの。じっくりゆっくりしっかり。

 

「ど、どうかしら?色かわった?似合う?」

 

そう言いながら、あたしは自分の髪を手に取ってみるけれど、あたしのショートカットの髪ではキチンと見えないのよね。鏡が欲しいわ。でも、この世界の文明レベルで鏡ってあるかしらね。

 

「うん、綺麗な空色に染まったね。朝未に似合ってる。可愛いよ」

 

よ、瑶さん、あたしそういう不意打ちは慣れてないのよ。顔が熱いわ。

 

「あら、瑶様、まるでデートでの待ち合わせの一言目のようですね」

「うん?そうですか?女の子がおしゃれをしたら感想を伝えるのはマナーでしょう」

 

今度はミーガンさんが瑶さんを揶揄っているわね。でも瑶さんは平気な顔をしているのがちょっと悔しいわ。

 

「瑶さん、女の子の扱いに慣れているのね。ひょっとして一緒にキャンプに行く予定だったお友達も女の人だったのかしら?」

 

「はあ、もう朝未は私のたった1人の可愛いバディでいいじゃないか」

 

うう、いくら瑶さんがずっと年上のおじさんでもその切り返しは刺さるのよ。それにずっと一緒にいてお世話になってきたからかしら、瑶さんが前より若く見えるのよね。

 

あたしは頬を膨らませて瑶さんを睨むしかできないじゃないの。あ、ひとつあったわ。

 

「瑶さんも髪色変えないといけないわよね。何色にするのかしら」

「く、赤か青が良いんだったな」

 

ふふふ、瑶さんが動揺するのは珍しいわね。

そして瑶さんがが染めた色は

 

「これはまた、瑶さんひょっとして実は厨二……」

 

瑶さんにじろりと睨まれてしまったわ。で、でもこの髪色はそうよね。

 

「まさか、こんな鮮やかな赤髪にするなんて……」

 

う、ぷぷぷ。これまでの瑶さんのイメージが……。

 

「で、でも綺麗な赤ですね。に、似合ってますよ。ぷぷぷ」

 

「はい、髪はそれで良いと思いますが、これを羽織ってください。これはクルードと言ってハンターや傭兵が装備の上から羽織るものです。お2人のお召し物はとても上質で素晴らしいとは思うのですが、この国のものと違いすぎますのでクルードを上から羽織ることで隠した方が良いと思いますので」

 

あたしと瑶さんがじゃれているところにミーガンさんが今度はローブとコートの中間みたいなものを渡してきたわ。確かにこれを羽織れば日本から持ってきた服は見えないわね。

 

「ありがとうございます」

 

お礼を言ってあたしと瑶さんはクルードを受け取ったの。

あたし達がクルードを羽織れば、これで準備は完了ね。

 

「では、商業ギルドに向かいます。馬車から降りるときには瑶様と朝未様はフードをかぶってくださいね」

 

「到着しました。ミーガン様、瑶様、朝未様。いってらっしゃいませ。わたくしは、馬車でお待ちしております」

 

馬車が止まり、エルリさんが声を掛けてきたので馬車を降りて、ミーガンさんに続いてあたしと瑶さんは商業ギルドの入り口に向かった。



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第25話 無理な注文

あたし達が立っているのは中世ヨーロッパと東南アジアの文化が交じり合ったような不思議な街並みね。そして

 

「これが、商業ギルド」

 

天秤に羽のついたシンボルの描かれた建物が商業ギルドとのこと。

開け放たれた両開きの大きなドアをくぐると、そこはちょっとしたロビーになっていて向かいには受付カウンターのようなものが見えるわね。

 

「その辺りで、見物しながら待っててください」

 

そう言うとミーガンさんは迷うことなく受付カウンターに向かって歩いていったわ。たしか、ここではミーガンさんが到着の報告をするだけで、あたし達がすることは無いはずよね。

 

そこであたしと瑶さんは商業ギルド内の様子を観察することにしたのよね。

 

入口の向かいに受付カウンターがあって、あたし達がいるのが入口入って左サイドの、これは待ち合わせや簡単な打ち合わせをするようなロビーかしら、そして反対の右手には細い通路とその両側にドアがいくつも並んでいるわね。

 

「ねえ、瑶さん。あそこって何かしら?」

「ああ、あれは多分打ち合わせ室か小規模会議室のようなものじゃないかな。商業ギルドということはというより仕事なら内密に話をしたい事もあるだろうからね」

 

なるほど、そういう事なのね。

 

「でも、それだったら自分たちのお店なり自宅なりの拠点で話をすればいいんじゃないの?」

「ふふ、それでもいいけど、そういう話は中立の施設でしたほうが良い事もあるんだよ」

 

そういうものなのかしら?別に他人に聞かれなければ良いと思うのだけど。

 

「日本ででもそうだったけど、大人の取引では色々とあるんだよ」

 

あたしが納得できないでいると瑶さんが思わせぶりなことを言ってきたわね。それでも、ふっと表情を引き締めてあたしの耳に口を近づけてきたわ。え?突然ね。

 

「ビジネスではテーブルの下で銃を向け合い上で握手をするなんて言い方もあるくらいだからね。一応は法治国家と言える日本でもそうなんだから、この文明段階ならもっとだろうね」

 

何それ怖い。今度はあたしが瑶さんの耳に口を寄せて囁く番ね。

 

「ならミーガンさんの事も警戒必要ってことですか?」

 

あ、瑶さんが笑顔になったわね。

 

「うん、まあ彼女の場合、私達は命の恩人枠だし、現状では競合するものも無さそうだから、そこまで警戒しなくても良いとは思う。それに短い間だけど交流した彼女は商売として商品には正当な対価を払うタイプに感じたからね。商人としてはある程度信頼を置いて取引できるタイプに見えたよ。とは言っても文化習慣が違うからやっぱり完全に無警戒とはいかないだろうね」

 

「瑶様、朝未様。少しよろしいでしょうか?」

 

そんな話をコソコソとしていたあたし達にミーガンさんが声を掛けてきたのよね。

ここは大人の瑶さんに任せた方がよさそうなきがするので、あたしは黙っていることにします。

 

「ん、ミーガンさん。もう用事は済みましたか?」

 

あら?ミーガンさんがちょっと挙動不審ね。気まずそうな顔をしているし、何かあったのかしら。

 

「あー、その申し訳ございません。お2人にご相談があるのですが」

「相談、ですか?」

 

これ小説だと絶対に厄介ごとが舞い込んでくる奴じゃないかしら。

あたしが身構えていると瑶さんも少し嫌そうな顔してるわね。

 

「ええ、ちょっとここでは話しにくい事ですので、あちらでお願いいたします。」

 

あたしと瑶さんが連れていかれたのは、

 

「ここはいったい?」

「はい、商業ギルドエルリック支部、ギルドマスター室です」

「ギルドメンバーでもない私達が何故ギルドマスター室に呼ばれるのでしょうか?特に悪さをした記憶も無いのですが」

 

「それは、俺から説明しよう」

 

あたし達の後ろから男性の声が響いたわ。そう、本当に響いたというのがピッタリの涼やかなイケメンボイスよ。そしてあたし達が振り向いた先にいたのは細身の長身に色白の肌の……美人?。え、男の人の声に聞こえたのだけれど。

 

「俺はセルゲイ・ボドゥン、この商業ギルドのギルマスターだ。セルゲイと呼んでくれ」

 

え?性別を聞くのは多分地雷よね。どうしようかしら。こういうのはやはり大人としての経験のある瑶さんにお願いする方が安心よね。あたしがそっと瑶さんに視線をむけると、瑶さんと目があったのでそっと呟くことにしたの。

 

「瑶さん、お願いします。あたしには無理です」

 

そう言って瑶さんの影に隠れさせてもらうことにしたわ。瑶さんもニッコリ笑ってくれたから良いのよね。

 

「私は、ヨウと言います。そしてこちらの女の子はアサミ。こちらの街には初めて来たのですが、何か不都合がありましたでしょうか?」

 

あ、名前。ちょっと異世界ぽい発音にしたみたいね。

 

「いや、不都合という事ではなくてな。少しばかり頼みがあるのだ」

 

あら?そこでセルゲイギルドマスターはミーガンさんに視線を向けたわね。そしてミーガンさんは、何か居心地が悪そうね。

 

「うう、ごめんなさい。つい、お2人に助けていただいた事を話す中でお持ちの毛皮についてもらしてしまったの」

 

毛皮というと、あれかしら、あたしが馬車でクッション代わりにしていたウサギの毛皮のことよねきっと。

 

「毛皮ですか?」

 

瑶さんは、何のことかわかりませんという風を装う作戦ね。

 

「チラリとしか見えなかったけど、あれは間違いなく深山ウサギの毛皮でしたからね。あれほどの高級品をこともなげに扱うのを見て驚きましたよ。それをあなた方お2人の強さを説明する際に興奮からつい口を滑らせてしまいました。申し訳ございません」

「そういう事だ。深山ウサギの毛皮は希少だからな。常に欲しがる顧客がいるんだ。普段なら『討伐されるまで待て』で済ませられるんだが、今回の相手が厄介でな。トランルーノ聖王国の教皇直々の注文なんだ」

「教皇の注文と言っても物がなければどうにもならないでしょう」

 

心底後悔しているという風のミーガンさんと苦虫をかみつぶしたかのようなセルゲイギルドマスターが頭を下げているわね。でも瑶さんは平然と対応しているわ。これが日本の営業マンなのね。

 

「そういう訳に行かないのがトランルーノ聖王国なんだ。あそこは戦争を起こす理由を探している国だからな。教皇直々の注文を出来ないと言ったら、それこそそれをもって不敬だなどと言って嬉々として戦端を開くだろう。そして厄介なことにあの国の軍は世界最強と言われていてとても逆らう事が出来ないのだ」

 



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第26話 条件

「はあ、そんなやっかいな国があるんですね」

 

もう今回あたしは話し合いに参加するつもりは無いのよね。国と国の戦争になりかねない話とか中学1年生の女子に振られても無理よ。

 

というわけであたしはテーブルの上に並んでいるクッキーのようなお菓子、多分お菓子を頂こうと観察中なのだけど、これ食べて良いのよね。

 

「ふふ、アサミ様。お菓子とお茶をどうぞ。ここでお出しするお菓子は美味しいですよ」

「ありがとうございます。じゃあ遠慮なくいただきますね」

 

じっと見ているあたしに気付いたのね。セルゲイギルドマスターがすすめてくれたので早速いただくことにしたの。んんー、まあ美味しいのは美味しいのかしら。でも今ひとつ味がぼんやりしてるのよね。セルゲイギルドマスターの言い方だとこれがこの世界ではかなり美味しいお菓子みたいだけど、ちょっとパサパサだし、味ももう少し甘い味が好みなのだけど。あ、異世界あるあるの、砂糖が高級品でバター類未開発かお菓子にお金を掛けられない人たちが多くて美味しいお菓子の開発が進んでいないって感じかしらね。それでも添えられていた紅茶のようなお茶と一緒に久しぶりのお菓子を楽しませてもらおうかしら。

 

「それで戦争を回避できるというのなら毛皮を提供すること自体は構いません。ただしいくつか条件があります」

「おう、条件付きと言っても出してくれるのなら助かる。最悪、大規模な討伐隊を出すことになるところだったからな。とりあえず、その条件というのを言ってくれ。よほどの事まではかなえてやるぞ」

 

討伐隊って大げさじゃないかしらね。瑶さんなら一番奥のウサギでも1人で一度に3羽狩れると思うのだけど。

ポリポリとクッキーを齧りながら話だけは一応聞いているとどうも内容が物騒ね。

 

「まず当然ですが、適正価格での買取ですね」

「まあ、商業ギルドで金を払わないなんてことになったら信用問題だからな。それは当然だ」

「あと、出所の秘匿をおねがいしたい。つまり私達が持ち込んだこと、私達が狩ったものであることが分からないようにしてもらいたい。これはそのトランルーノ聖王国に俺たちの事を知られたくないからだ。はっきり言って戦バカの国に目を付けられるなんてのは百害あって一利なしだからな」

「そうか?勇者とか英雄的な扱いで迎えられるかもしれんぞ」

「はん、それはつまり人間兵器として扱われるってことだろう。しかも、戦争を吹っ掛けるチャンスを狙っているような国ってことは自分たちの方から人を殺しに行くってことでしょう。そんなのに巻き込まれるのはごめんですからね」

 

ああ、なるほど、勇者って言えばカッコいいけど、さっきからの話からすればトランルーノ聖王国での勇者って屁理屈付けて戦争を起こして敵にした国の人を殺しに行く最前線に立たされるってことだものね。それはあたしも嫌だわ。

 

「そうは言ってもなあ。出所の怪しいものを納品するわけにもいかんし、どうしたものか」

 

あ、瑶さんが何か考えてため息ついてるわね。

 

「ならこんなのはどうですか?

ミーガンさんが、数か月前にどこかの街近くの街道で野盗に襲われ、そこに元ハンターが助けに入った。ただ野盗こそ退けたけれど、その元ハンターも深手を負って亡くなってしまった。その際にどのみち死んでからまで持っていてもしかたないと譲られた。今回それを提供した。ハンターの名前は聞きそびれた。

これなら、出所は明確でありながら、狩ったハンターはもう亡くなっているので連れていきようがないでしょう」

「野盗ってのは討伐隊が組まれたりして面倒だから、魔獣の群れくらいの方がいいが、まあ、そのやり方なら最低限秘匿は可能か。しかし、ヨウと言ったか。そんな秘匿方法どこで学んだ?」

「世の中には、まっとうなものであったとしても出所を秘匿しないといけない場面なんてのはいくらでもありますからね」

 

瑶さんが何か悟ったような顔をしてまとめたわね。

 

「で、適正価格での買取と、あんたらの情報を秘匿することの2点で良いのか?」

「いえ、あともう2つ。この国の情勢や常識を教えて欲しい。私達は簡易型の翻訳の魔道具が片言にしか翻訳できないくらい遠くから来たからな、この国での常識がわからないんだ」

「まあ、そのくらい大したことは無い。かまわんぞ。で、最後のひとつは?」

「最上級の翻訳の魔道具が売りに出た時に情報が欲しい。もちろんその時までに金が稼げていなければ購入は出来ないが売りがあるかどうか分からなければどうにもならんからな」

「ああ、それはまったく構わんぞ。通常の公開情報だからな」

「公開情報でも、金があるのに後から知って、その時にはもう売れてしまっていたってのは避けたいからな。頼む」



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第27話 宿屋

打ち合わせの結果、森の一番奥で狩った2羽分のウサギの毛皮を100万スクルドで買ってもらう事で決着したのよね。その間の瑶さんのやり取りは流石は日本で営業さんだったって感じかしらね。あたしにはあれは無理だわ。

 

そして今、馬車でミーガンさんの常宿にしているという宿?ホテル?この世界だとどういった表現がいいのかしらね、に向かっているの。

 

「今日は申し訳ありませんでした」

 

いきなりミーガンさんが謝ってきたわね。

 

「なんのことですか?」

「いえ、わたしの不用意な一言でいきなりお持ちの深山ウサギの毛皮を手放させることになってしまいましたので」

「ああ、いいですよ。どのみち私達も当面の生活資金は必要でしたからね。それにこれで商業ギルドのギルマスターと面識を持てたと考えれば決してマイナスではありませんから」

「あ、あはは、瑶様、あなたは本当に恐ろしい方ですね」

「恐ろしいって、こんなに穏やかで優しい男のどこが恐ろしいっていうんですか」

「いえ、あなたを敵にするようなことがなくて良かったって事ですよ」

 

瑶さんとミーガンさんが何か意味深な話をしているわね。

 

「皆様、到着いたしました」

 

そんな微妙な雰囲気の中エルリさんが宿?に、もう宿で良いわね。宿に着いたことを伝えてくれて、雰囲気がリセットされたわね。あたしは”ホッ”と息をついて馬車から降りたのだけど、目の前にあったのは石造りのちょっとカッコイイ中世ヨーロッパの高級宿と言った感じの建物ね。さすがミーガンさんが常宿にするだけあって結構大きい感じだわ。

 

「女神の横顔にようこそ。ミーガンさんいつもご利用ありがとうございます。本日もいつものお部屋でよろしいでしょうか?」

「今日はいつものお部屋と、あと……」

 

そこでミーガンさんはあたし達を見てちょっと迷ったみたいね。

 

「2人部屋をお願いします」

 

あたしが言うのが一番よねきっと。

 

「ちょ、ちょっと、朝未。部屋は別の方がいいだろう。朝未も女の子なんだから」

 

あ、瑶さんが珍しく動揺してるわね。

 

「え、あたしみたいな子供に瑶さんは変なことしないでしょう」

 

そして続きは瑶さんの耳に口を寄せて囁くの。

 

「それにこの世界で1人きりは心細いわ」

 

あ、瑶さんが顔を顰めたわね。

 

「ふう、わかった。ミーガンさん、2人部屋でお願いします。

まったく女の子はどこでこんな手練手管を覚えるんだろうな」

 

ふふ、後半小声になっているけどちゃんと聞こえてますからね。

 

「しらない、女の子は自然と覚えるのよ」

 

これも瑶さんの耳に口を寄せてそっと囁いたの。

 

 

 

「では、少ししたら夕食の準備ができます。お呼びしますので1階のレストランにお越しください」

 

結局ミーガンさんの部屋の隣に2人部屋をとってもらって一度部屋で休ませてもらう事になったの。

 

「では、また夕食時に」

 

ミーガンさんもそう言って行ったのよね。

 

2人部屋、日本基準ならツインルームね。シングルベッドが2つと簡単なつくりの机。窓は鎧戸が開け放たれているわね。瑶さんも部屋を色々観察しているわ。でも、あたしは我慢できず柔らかそうなベッドに身体を横たえてしまったのよね。でも、うん、これは飛び込まなくて正解だったわ。飛び込んでいたら少しばかり痛い目にあっていたもの。もちろん、これまで木の上や地面で寝てたのを考えればずっと良いのだけど、やっぱり当然なのだろうけれど日本のベッドにはとても及ばないわね。

 

「まだガラスは普及していないみたいだね。それにまだ印刷も一般的ではないようだ」

 

そう言いながら瑶さんが何かの本を手渡してきたわ。見たことも無い文字なのだけど、何故か意味はわかるわ。どうもこの世界の聖書のようなものみたいね。文字が読めないのに意味だけわかるのはちょっと気持ち悪いわね。

 

「あの、この本を見ただけで印刷が一般的でないというのは何故わかるの?」

「この本は多分手書きだからだよ。ほらここのところのかすれ具合の変化。印刷だとこうはならないからね。多分羽ペンで手書きしているんだろうね。定期的にインクをつけなおしているのがわかるでしょ」

 

ふわあ、瑶さんそんなことまで分かるのね。

 

「ただ、文明の進みかたは地球とは違う感じかな。ほら……」

 

そういうと瑶さんは机の上に置いてあった道具を弄ってみせたわ。

あら、ひとつは明かり?もうひとつは……、え?お湯が沸いたわ。まるで卓上IHコンロね。

 

「魔法道具の存在で地球と文明の進歩を大きく違えているんじゃないかな?最初の明りは火を使っていないから少なくとも実用レベルの電球が開発された1890年以降バッテリー装備と考えれば1900年代後半かな。こっちの湯沸かしポットは正にIHだよねそうすると2000年近くじゃないかな。そして何より翻訳の魔法道具。地球でリアルタイム翻訳が実用的なレベルになったのは2010年頃だったと記憶しているから、日常の移動手段が徒歩と馬、馬車という文明レベルを考えるとかなり進み方が違うね」

 

本当に瑶さんはいったいどれだけの知識を持っているのかしら。それとも大人ならこのくらいの知識があって当たり前なの?

 

「かなり文明の進み具合が地球と違うのは分かりました。でもそれはそれでしょう?」

「いや、私達の持っている常識が常識じゃないって事だから、かなり気を使わないといけないってことだよ。そう考えると今日の商業ギルドでのやり取りはかなり有益だったと言えるね。100万スクルドというそこそこの当面の生活、活動資金が手に入り、商業ギルドのギルマスターというある程度の影響力のあると思われる人とつながりができ、しかもこの国での常識を教えてもらえる約束まで出来た。当初の予定からは大幅にズレたけれど、今のところこれ以上はない状況だよ」

 

「それで、これからはどうするのが良いのかしら?」

「私の考えでは、とりあえずハンターギルドに登録して当面この街エルリックを拠点に活動。かなと思う。その間にできれば文字や言葉を魔法道具無しで理解できるようになりたいかな」

「え?魔法道具は買わないの?」

「いや、もちろん翻訳の魔法道具は買う方向だけどね。文字や言葉は分かるに越したことはないからね。そして、生活を安定させつつ色々な情報を集めて、どこに行くのが良いか、地球に帰る方法は無いのか。そういった事を調べていくのがいいと思う」



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第28話 食事

”コンコンコン”

部屋でしばらく瑶さんとお話をしていると、ドアをノックする人が来たわね。

 

「はい」

 

あ、瑶さんがドアから2歩くらい離れて返事してるわね。ドアは開けないの?。

 

「お食事の準備ができました。1階レストランまでおいでください」

「わかりました。すぐに行きます」

 

「さて、朝未。食事の事だけど、一応予想と注意を言っておくね」

 

あら、何かあるのかしら?

 

「えと、一応小説なんかだと、黒くて硬いパンと、野菜スープに肉がひと切れかソーセージが入っているくらいなイメージなのだけど?」

「うん、この宿は少し裕福な人向けみたいだから多少はマシだと思いたいけど、おそらくメニューはそれにデザートとして季節が良ければ生のフルーツが、季節がズレていればドライフルーツあたりがつくんじゃないかな。でも味は期待しちゃだめだよ。パンは恐らく硬くてすっぱい。スープはほとんど味がない。そんなもののはずだからね。食べ方も、パンをスープに浸してふやかしたうえで食べて、スープはパンですくい取って食べきる感じじゃないかと思うから。多分塩や砂糖は高級品。香辛料は銀と同じくらいの価値がある感じなはずだからね」

 

あたしもそのくらいは予想しているけれど、何かしら?

 

「どういう意味かって顔してるね。単にあまり派手に驚かないようにって程度のことだよ。多少なら私達は自分たちで狩りをして肉を食べてきたから一般の人と感覚が違うってことで済ませられるだろうけど、あまり派手にやると違和感を持たれる可能性もあるからね。そういうところで目立つのは今のところ得じゃないと思う」

 

そういう事ね。そう思ってあたしは頷いた。

 

「ま、それはそれとして食事にいこうか」

 

 

 

「ああ、まあ。予想通りだね」

「そうですねえ」

 

あたしも瑶さんも夕食のメニューに苦笑してるのよね。

黒パン、試しにそのまま齧ってみたけれど、硬くて無理。

スープ、野菜を水で煮ただけね。一応気持ち塩けがあるのはお金持ち向けならではでしょうね。

予想と違ったのは、小さいけれどステーキっぽいお肉がついていたことかしら。

それでもある程度のボリュームがあって、暖かい食事を安全な家の中で食べられるのは嬉しいわね。

 

「食後に飲み物はいかがですか?」

 

食べ終わってホッとしているとウェイトレスが各テーブルを回って飲み物の注文を受けているわね。

 

「何がありますか?」

「ビールとワイン、果実水、それにお水ですね」

 

ああ、やっぱり水も有料なのね。

 

「では、私にワインを、この子には果実水をお願いします」

 

む?何も言わないでいたらお子様向けにされたわね。この世界ならお酒も行けそうな気がするのだけど。

あたしはちょっと好奇心を刺激されて瑶さんを軽く睨んでしまったわ。これは仕方ないと思うの。だって異世界よ、日本じゃないのだもの。宿っていう安全な場所でなら少しくらい好奇心を満足させてくれても良いと思うの。

 

「ね、ねえ。瑶さん。あたしもワイン飲んでみたいわ」

「今は、やめておきなさい。もう少し色々整ったらためさせてあげますから」

「ええ?こんな安全な場所で試すことが出来る機会は中々無いと思うの。お願い」

 

あ、瑶さんのこれ駄々をこねる子供を見る目だわ。

 

「はあ、しかたない。ただしスプーン1杯分だけだよ。私のを少しだけわけてあげるから、今回はそれで我慢しなさい」

「わーい、ありがとうございます。瑶さん大好き」

 

そしてあたし達の前に並んでいるのは木のマグカップに入ったワインと果実水ね。樽みたいなジョッキで出てくるのかと思ったけど、これは普通に可愛いわ。

 

「やはり時代的にガラスや陶器はこのくらいの宿では使われていないか。まあ鉛のゴブレットじゃなかっただけマシかな」

 

瑶さんが何か物騒なことをつぶやいているわね。あたしだって鉛の器は怖いわ。

 

「ほら、ひと舐めだけだよ」

 

瑶さんがそう言ってワインの入ったカップを渡してきたわね。

 

「あ、瑶さんありがとうございます」

 

あたしはついウキウキしてペロリとひとなめ。

 

「う、渋い、酸っぱい、薬っぽい」

 

あたしは顔を顰めてすぐにカップを瑶さんに返したわ。

 

「だから言ったのに。ほら、こちらで口直しをしなさい」

 

瑶さんに手渡された果実水を口に含んでやっと落ち着いたわ。

 

「はあ、当分ワインはいいわ」

 

そういうあたしをニコニコと見ながら瑶さんもワインを口にしてちょっと顔を顰めたわね。

 

「こういうタイプね。ハーブを混ぜ込んだタイプのワインみたいだね。ちょっとこれは日本人には辛いな。朝未も懲りただろう」

「ええ、ちょっとこの国の食事レベルを舐めていたわ」

「じゃあ、食事も終わったことだし、部屋で休ませてもらおうか」

 

あたし達はミーガンさんに『お先に失礼します』と伝えて部屋に戻ったのよね。

 

「さて、当面の資金も手に入ったし、明日はミーガンさんによさそうな店を紹介してもらって必要な装備を揃えようか」

「装備、ですか?」

「うん、日本から持ち込んだものは温存したいし、いつまでも私の手作りの弓と石の手斧って訳にはいかないでしょう。防具も何か考えないとケガをしてからでは遅いからね。装備の手配が出来たらハンターギルドに登録して活動予定を考えよう」

「はーい」

「じゃあ、おやすみ朝未」

「おやすみなさい、瑶さん」

 

あしたも忙しそうね。久しぶりのベッドにあっという間にあたしの意識が途切れた。



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第29話 鍛冶屋ヴェルマー

「朝食の準備が整いました」

 

呼ばれたのであたしと瑶さんは夕食と同じレストランのテーブルに着いたの、朝はミーガンさんも同じテーブルね。

 

「ミーガンさん、おはようございます」

「おはようございます」

「瑶様、朝未様、おはようございます。よく眠られましたか」

「ええ、久しぶりのベッドでぐっすりと休ませていただきました」

 

さっそくミーガンさんと瑶さんが挨拶を交わしているわね。あたしも挨拶だけはしておくけど、その先は瑶さんに任せた方がいいわよね。

 

「今日は、お2人はどのように過ごされる予定ですか?」

「そうですね、装備といくつかの道具を買いそろえたいと思っています。できましたらいい店をミーガンさんにご紹介いただけると嬉しいのですが」

「装備と道具ですか。それでしたら武器と金属防具は鍛冶屋の扱いとなりますね。それ以外の防具であれば防具屋かと思われます。道具は日常品ではなく野外活動に必要な道具と考えていいでしょうか?」

「はい、それでお願いいたします」

「そうすると、鍛冶屋はヴェルマー、防具屋はそうですねアリアネ、道具屋はカトリンの店が品揃え品質値段どれも安心かと思います。食事が終わりましたらご案内させて頂きます」

「お手間をお掛けします」

 

さすが大人ね、2人ともサクサクと予定を決めていくわ。あ、買い物と言えば。

 

「あ、あの、ちょっと良いですか」

 

あたしが右手を軽く上げて声を掛けると、瑶さんもミーガンさんも視線を向けてくれたわ。

 

「ん、朝未、何かあったか?」

「えと、できれば服も何着か欲しいなって。その下着とかも……」

 

あ、瑶さんがシマッタって顔してるわね。ミーガンさんは同じ女性だけあって納得顔してくれているけど。

 

「そうですね、では部屋着2着、普段着3着、それと下着類を数日分といった感じで、これはわたしからプレゼントさせてください」

「え?さすがにそれは、この宿の代金ももっていただいているのに」

 

さすがにあたしも遠慮というものを知っているのよ。

 

「いえいえ、お2人がおられなければ、わたし達は命も積み荷も失っていたのです。この程度はさせてください」

 

 

結局ミーガンさんに押し切られてあたしの服を用意してもらう事になってしまったのよね。

 

あ、そういえば……

 

「エルリさんのケガの具合はいかがですか?あの時は簡単な手当てしかできませんでしたが」

「朝未様、ご心配ありがとうございます。思ったよりケガが軽かったのか今朝にはもう傷がふさがっておりました。あの時には10日は掛かるかと思ったのですが思ったより早く回復してくれて助かりました」

「それは、なによりでした。あたしのつたない手当てでも役に立ったのなら嬉しいです」

 

エルリさんの回復が早くて良かったわ。ちょっとホッとしたもの。

 

 

 

朝食後、あたしと瑶さんはミーガンさんの案内でエルリックの街を歩いている。

石畳の街路を馬車が行きかい、街の人たちの表情は明るいわ。これは物語の中で出てくるいわゆる”良い街”かしら。そんな風に街を眺めながら歩いていると徐々に雰囲気が変わってきたわね。建物の奥から色々な音がきこえてくるじゃないの。

 

「このあたりは職人街でして、鍛冶屋、防具屋をはじめ様々なものを作る工房があつまっているのです。そしてここがわたしが知る中でもっともお勧めする鍛冶屋です」

 

そう言うとミーガンさんは1軒の工房のドアを開けて入っていったわ。

 

「おーい、ヴェルマー!。わたしだミーガンだ。ちょっと出て来てくれ」

 

び、びっくりしたわよ。いきなり叫ぶんだもの。奥の方でゴトゴト音がして。いかにも筋肉がお友達って感じの人が出て来たわね。

 

「おう、ミーガン。久しぶりじゃないか。今日は手入れか?それとも何か入用か?」

「いえ、今日は、わたしの恩人をヴェルマーに紹介しに寄らせて貰ったんですよ」

「恩人?ミーガン、おぬし何かしでかしたのか?あ、ひょっとしてついに……」

「違いますよ。エルリックに向かう街道でワイルドウルフ10頭近くの群れに襲われましてね。護衛も全滅していよいよダメかと覚悟を決めた時に助けに入ってくれたのよ」

「は、ワイルドウルフ10頭の群れにその男1人でだと、ほら話にしても大きすぎるだろう。ガハハハハ」

 

あら、このヴェルマーって人は目が見えないのかしら。横にあたしもいるのだけれど。

 

「あら、ヴェルマー。あなた目が悪くなったのかしら?2人並んでいるのが見えないの?」

「はあ?隣ってその可愛らしい嬢ちゃんのことか?それがどうした?」

「そのお嬢さん、朝未様と言うのだけれど、かなりの弓の使い手で、20メートルも離れたところからワイルドウルフを弓でバンバン倒してくれたのよ。しかもそれに気付いたワイルドウルフが襲い掛かっても見事な体捌きで避けて手斧の一撃で倒してしまうほど強いのよ」

「は?そんな嬢ちゃんが?弓はともかく、ワイルドウルフに襲われても避けて反撃できるだあ?あまつさえ手斧で倒す?おいおいおぬしどんな夢を見たんだ」

「夢なら、護衛の傭兵は生き残っているだろうし、エルリの傷もなかったでしょうね」

「ふーむ、そこまでおぬしが言い切るか。で、紹介というのは?」

「そうそう、目的を忘れるところだったわね。こちらが瑶様、近接戦闘を専門ね。そして先ほども言ったけど、そちらのお嬢さんが朝未様。弓をメインに自分の身を守れる程度には近接戦闘もされます」

「瑶様、朝未様、こちらはヴェルマー。腕のいい鍛冶師です。お2人に合わせた武器を提供してくれると思います」

「ヴェルマーさん、瑶です。この辺りは初めてで常識も分かりませんがミーガンさんと縁がありこの街に落ち着くことが出来ました。これからお世話になることも多いと思います。よろしくお願いします。今日は出来ましたら武器といくつかの金属防具をと考えています」

「おなじく朝未です。色々と知らない事も多いので教えてくれると嬉しいです」

 

自己紹介したらニッコリとしておこうかしらね。

 

「ああ、ヴェルマーだ。見ての通りの鍛冶屋だ。ミーガンの言葉であっても正直なところ信じがたい。が、ミーガンの言葉だからこそ捨て置くわけにもいかん。そこでだ、ふたりの力を少しばかり見せて欲しい。それを見て考えさせてもらおう。なに期待外れでも、それに見合った武器防具は見繕ってやるから心配はいらん。とりあえずついてきてもらおう」

 

そう言うとポコポコと工房の奥に入っていってしまったわね。

 

「大丈夫。ヴェルマーならお2人の実力をきちんとわかってくれます。ささ、奥に行きましょう。奥の広場で確認をしたいのだと思いますから」

 

そういうミーガンさんの先導で入っていった先には、幅10メートル奥行き50メートル近くありそうな広場があったのよね。

 

「ふむ、射場か、隅に試し切り用の巻き藁のようなものもあるな」

 

イバ?マキワラ?なにそれ、おいしいの?瑶さんて本当に何でも知ってるのね。



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第30話 武器選び

「まずは、ヨウとかいったか。獲物は何を使う?いや、2人の使っている獲物を見せてもらった方がいいか」

 

あ、瑶さんがイヤーな顔してるわね。まあこんなプロにお手製の手斧と弓を見せるのはちょっと嫌なのは分かるわ。あ、でも瑶さんが諦めたわね。鞄から手斧を出しているわ。弓はまああたしが背負っているしね。あたしもそっと弓と手斧を出したのだけど、どんな反応するかしら。

 

「ふむ、手作りか。素人の手作りとしてはまずますかの。しかし、こんなものを使うとは何かトラブルでもあって武器をもちだせなんだのか?身なり言葉遣いからしてこんなものを常用する部族の出ではあるまい」

 

あれ?ヴェルマーさん嫌味のひとつも言うかと思ったのにちゃんと見てくれてるわね。

 

「まあ突然の事でろくな装備を持ち出すことも出来なかったのは確かです。だからこそ、多少の余裕の出来た今のうちに装備を可能な範囲で整えたいと思っているのです」

 

確かに、あの転移は突然の事だったわよね。それに、あたしだけだったら2日後にはきっと魔獣のお腹の中だったわね。

 

「手斧と弓を手作りしたのは得意だからというわけではないという事だな」

「ええ、その場で作るにはそれしかなかったというだけです」

 

ヴェルマーさんが考えこんじゃったわね。

あ、奥に入っていっちゃった。

 

「とりあえず、色々試してみてくれ」

 

そう言ってヴェルマーさんは、いくつもの武器を出してきたわね。槍、剣、弓、斧、そして、あれはハンマー?

それぞれに大きさも大きい物から小さいものまで色々あるわね。

 

「うわあ、大きい剣ね」

「ちょっと嬢ちゃんがそれを持つのは……。え?持てるのか?振れるか?」

 

あら、120センチくらいの剣は持っただけでヴェルマーさんが顔を引きつらせているわね。でも、これは長すぎてあたしが振るには向かなそうかしらね、でも、一応振ってみようかしら。

 

「嬢ちゃん、両手持ちでとはいえ本当に振れるんだな」

「でも、ちょっとあたしには向かないわね。重さで身体が持っていかれそうだもの」

 

あ、瑶さんが少し前までは槍を見ていたと思うのだけど、1メートル弱くらいのあたしが振った剣より短い剣を試しているわ。両手で、片手で上から下から横から、そして突き。結構重たいと思うのだけど、随分長い時間振っているわね。

結局30分近く振り回して満足したらしい瑶さんが、今度はずっと短い30センチくらいの剣、あれって短剣っていうやつかしら、を持って振り始めたわね。ただ、こちらはさっきと違って随分と振りがコンパクトだわ。逆手に持ったり、左手に持ち替えたり色々ね。

 

「相方の素振りにみとれておらんと嬢ちゃんも選べよ」

 

うーん、やっぱりあたしは弓かしらね。弦を掛けて、グイッと引いて。ちょっと弱いわね。こっちの太い弓はどうかしら、うーん、太いわりに弱いわ。

 

「嬢ちゃん、こっちを試してみてはどうだ」

 

あら、あたしが弓を色々触っていたら80センチくらいの小ぶりの弓を渡してきたわ。ちょっと華奢な感じがするのだけど。あら引いてみると、これは結構来るわね。でも、十分に引ききれるわ。

ゆっくりと弦を戻し弓を観察してみましょうかね。あら?これ貼り合わせてあるわね。重さも木より重い気がするわ。

 

「この弓、単なる木製じゃないですね」

「お、分かったか。芯に鋼を仕込みカタンパルで挟み込んだ強度と耐久性を両立した弓だ。

「カタンパル?」

「おう、この近辺で採れる粘りと強度において最高の木材でな剛力の樹と呼ばれる木材だ」

「それって、結構貴重だったりします?」

「貴重と言えば貴重だがそれほどでは無いな。ものはそのあたりに結構生えているからな。単に切り倒すのに難儀するというだけだ」

「そんな材料で作った弓なんですね」

「おう、サイズ的に小ぶりなんで嬢ちゃんには扱いやすかろうと思ったが。まあ弓兵でもある程度以上力が無いと引けないんでどうかとは思ったんだが、嬢ちゃん、あっさり引いたの。良ければ射てみるか」

 

あたしはヴェルマーさんの勧めに従って矢を借り的に向かうことにしたのだけど、とりあえず20メートルからでいいかしらね。

 

ヒュン

 

あら、上にズレたわね。

そのぶん下を狙って

 

ヒュン、ストン

 

当たったわ。良い感じね。そこから10射ほど射て、全部当たったわね。

とりあえず矢を回収して、30メートルで……

最終的にはその広場の最大長50メートルで試したのだけど。50メートルで8割当たったのよね。

直径30センチの的でこれだけ当たれば十分よね。

 

「あたし、今まで20メートルで5割の命中率だったのに、弓が変わるだけでこんなに違うの?」

「嬢ちゃん当たり前の事を言わんでくれ。我らが心血を注いだ弓と素人がどうにか形にしただけの弓では違って当たり前。むしろさっき見せてもろうた手作りの弓で20メートルで5割当てる方が俺にとっては驚きだわ」



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第31話 防具屋アリアネ

結局あたしはヴェルマーさんお勧めの弓と30センチほどの短剣を、瑶さんは90センチほどの長剣と30センチほどの短剣を選んだのよね。そして今あたしは鎖の束のようなものを掛けられているのよね。

「あの瑶さんこれは?」

「うん、朝未に防具を着て欲しくてね」

「前で直接戦う瑶さんの方がより必要じゃないかと思うのだけど」

「もちろん私の防具も準備するつもりだよ。でも私のは既製品を少し手直しすればいいけど、朝未の防具はそういうわけにはいかないからね」

 

う、そりゃ大人の男の人用のサイズを手直ししてもあたしには大きいのは分かるけど。

 

「嬢ちゃんまだ成長途中だろう。少し大きめに作っておくぞ。なにチェインメールなら多少のサイズ違いは問題ないからの。あと少し細めのチェインを使ってわずかだけど軽く仕上げておいてやる。多少強度は落ちるが後衛ならよかろう」

 

軽めに仕上げてくれるのは嬉しい。

 

「それと、ハーフヘルムを作るか。本当はガントレットもあると防御力はあがるんだが、嬢ちゃんは弓を使うから革製のグローブくらいの方がいいじゃろ。防御力ばかり考えるとどんどん重装備になるが、動きにくくなるから今は金属防具はこのくらいにしておくほうがいいだろう。あとは防具屋で揃えるといい。そんときに鎧下も買うのわすれんなよ」

 

 

あたしがサイズ合わせを終えると、今度は瑶さんの防具を合わせているわね。

 

 

「長剣1本、短剣2本、弓1張り、鉄の鏃つきの矢を50本、チェインメイルを嬢ちゃん用に合わせたものひとつと、そっちの兄ちゃん用に調整したのをひとつ。ハーフヘルムを2人ともに、兄ちゃん用にブレストプレートとガントレット、合わせて50万。ま、こんなもんだろう。10日後までになんとかしてやる。嬢ちゃん用のチェインメイル分10万は先払いしてほしいが、他はものと交換で良い。これでどうだ?」

「あ、忘れていた。解体用のナイフも2振り頼む」

「いいだろう。そいつはサービスしてやる。でどうする。武器だけでも持っていくか」

 

あ、瑶さんがちょっと悩んでいるわね。

 

「なら短剣2本だけ先に頼む。装備が整うまでは街の外に出るつもりは無いからそのくらいでいいだろう」

「ふん、妥当なとこだな。じゃあ短剣2本と嬢ちゃんのチェインメイルの代金で15万スクルドだ。鞘と腰ベルトはセットでつけてやる。ほれ2人とも付け方を教えてやるからこっちにこい」

 

 

 

「じゃあ10日後に」

「おう、きっちり準備しておいてやる」

 

 

ヴェルマーさんの店をおいとまして、次は防具屋さんね。

ミーガンさんに連れていってもらったのは裏道を入ったところにあるちょっと薄汚れた感じの工房なんだけど、ちょっと独特の臭いがするわね。

 

「ちょっと臭いますが、皮の加工工程でどうしても出るらしいんでそこは我慢してください」

「ああ、分かってる。鞣しのにおいだろう」

 

なめし?言葉だけは聞いたことあるけどこんなに臭うものなのね。

 

「アリアネ。いるかーい。あたしだ、ミーガンだよ」

 

ミーガンさんは、防具屋の入口で呼びかけてたのよね。ヴェルマーさんの工房ではちょっと入ってから声掛けてたから、やっぱり臭いは気になるのでしょうね。

 

「ふわぁ、こんな朝早くから誰かと思ったらおうミーガンじゃないか。久しぶりだね」

「朝早いもんかい。今まで寝てたのかい。もうそろそろ昼だよ。また飲み過ぎたんだろう」

「あはは、仕方ないじゃないか。あたいの防具のおかげで命拾いしたってハンターが良い酒を差し入れてくれたんだ。飲まなきゃ失礼ってもんだ」

 

あら、ハンターにそんな風に言われるくらい良い防具を作ってるのね。これはちょっと期待かしら。でもだからって昼前まで寝てるっていうのはずぼら過ぎないかしら。

 

「まあ、いいわ。今日はわたしの命の恩人を紹介しに連れてきたんだ。よさそうな防具を見繕ってあげてほしい」

「ふーん、ミーガンの命の恩人ね。そうは見えへんけど、あんたはそういうとこでウソ言わんしな」

「こちらの男性が瑶様、近接戦闘がうまい。さっきヴェルマーのとこでチェインメイルとブレストプレート、それにガントレットを頼んできた。獲物はとりあえず長剣だな。こっちの女の子は朝未様。弓をメインに短剣を補助武器に持ってる。そして朝未様もヴェルマーのとこでチェインメイルを頼んできてる」

「瑶です。このあたりの常識をあまり知りませんが、よろしくお願いします」

「朝未です。よろしくお願いします」

「アリアネや、防具屋っちゅうことになっとるけど、実際には革加工職人やなよろしゅうに」

 

そしてアリアネさんはあたしと瑶さんをじっと見て何か考え始めたわ。ちょっとドキドキするわね。

 

「今の話からすると、金属防具は揃え終わってる感じだね。そうするとヨウにはブーツくらい。アサミに、グローブとブーツ、ハードレザーのブレストメイルってところね。よし、サイズをはかるからこっちにきい」

 

瑶さんは両足のサイズを測られているわ。あ、アリアネさん瑶さんが脱いだ靴に興味深々ね。あれは日本でも有名なアウトドアブランドのショートカットブーツだものね。山歩きだけならきっとあれの方が良いわ。ただ戦闘となるとちょっと辛いかもしれないわね。

 

「ヨウ、このブーツ調べさせてほしい。見たことのない作りだし、材料も見たことのないものも使われている。調べさせてくれたら今回の2人の防具全部ただにしたる」

「んん、ばらして元に戻せないってなったら困るんだが」

「そこはまかせて。戻せないようなところは我慢するし、バラせたところはちゃんと元通りになおすから」

「わかった。いいだろう」

「おおきに、今日は、このショートブーツを履いていきや。じゃ、次はアサミ。こっちにきい」

 

あたしは足のサイズだけでなく上半身のサイズも色々測られてしまった。ちょっと悲しかった。いえ大丈夫まだあたしは成長期よ。

 

「一応アサミは少し大きめに作って中にサイズ合わせ用のスペーサーを入れるようにつくったるからな。まだ大きゅうなるやろ。今日はこんなとこやな」

 

ああ、アリアネさんの言葉が希望になるわ。そしてアリアネさんは少し考えていたと思うと。

 

「ま5日で仮組まで出来るようにしとく、その頃に1回来てや。そこで合わせて最終調整するによってな」

「お願いします」

「あ、ここにポンチョはありますか?」

「一応あるけど、買うん?」

「ええ、2人分」

「ふーん、良い心がけやね。おてんとさんはこっちの都合聞いてくれへんからね」

「ええ、それにポンチョは色々役に立ちますからね」

「わかっとるやないか。こんだけ全部揃えなあかんちうことは駆け出しなんやろ。それでそういうことわかっとるのは珍しいわ」

 

「さあ、あとはハンターギルドに登録ね」

「先に道具屋に行くよ」

 

瑶さんそこは空気読んで先にハンターギルドに行きましょうよ。



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第32話 ??

「う、ここはいったい?」

 

気を失っていたらしい私が目を覚ますと、横には友人の大見栄大地(おみえ だいち)と安原小雪(やすはら こゆき)が倒れていた。

辻堂の交差点でおしゃべりをしながら信号待ちをしていた私たちをいきなり光が包んだのは覚えているけど。

 

「勇者様方、よくぞ我らの呼びかけに応えてくださいました」

 

見回した先にファンタジー小説で出てくるような神官服のようなものを着た男性があたし達に掛けた言葉もまるで異世界ファンタジーのセリフだった。

 

「う、真奈美(まなみ)。何が起きたの?」

 

目を覚ました小雪が周りを見回し私を見つけるとホッとしたように声を掛けてくるけれど。

 

「私にもよくわからないわ。ただ、あの人が、私達の事を勇者って言ってるのよね」

「え!勇者?まさか異世界召喚?」

 

ああ、そうだったこの子は少し中二病がのこっているんだったわね。まさかこの状況で嬉しそうにするとは。思わず、頭を抱えてしまった。

 

「あ、どこだここ」

「大地も目が覚めたのね」

「大地、異世界よ。勇者召喚よ。わたしたち勇者だって」

「小雪落ち着きなさい」

「あた」

 

私は浮ついて騒ぐ小雪の頭を軽く叩いて黙らせた。

 

「勇者様方、私はフィアン・ビダル。トランルーノ聖王国、王宮付き司祭長を拝命しております。本日は勇者様方のご案内係をさせていただきます。大変失礼ですが、お名前をお教えいただけますか」

 

小雪と大地にチラリと視線を向けた後、私は1歩前に出て自己紹介をすることにした。

 

「私は最上真奈美(もがみ まなみ)。最上が姓で真奈美が名前です。事情の説明はいただけるんでしょうね?」

「最上様よろしくお願いします。もちろんです。後程教皇猊下よりご説明があります」

「俺は、大見栄大地と言います。大見栄が姓、大地が名前です」

「大見栄様ですね。よろしくお願いします」

「わたしは安原小雪です。あ、安原が姓で、小雪が名前です」

「はい、安原様、よろしくお願いします」

 

フィアン・ビダルさんはひとりひとりに頭を下げ丁寧な挨拶をしてきた。

 

「それでは、これから教皇猊下のもとにご案内させていただきます。こちらへお越しください」

 

目を覚ましたのはどこかの神殿という感じの場所だったけれど、今フィアン・ビダルさんが私達を先導してくれている場所は随分と豪華だ。

 

「ねえ小雪。勇者召還でこのパターンは?」

「え、真奈美知らないの?」

 

いえ、普通は分からないから。

 

「まあ、そうね。おおまかに言って2つかしら」

「2つね」

「ひとつ目は、王様がクズなパターン。この場合勇者として魔王を倒してくださいと言いながら、他国への侵略に使いつぶされるわね」

 

「最悪じゃないの。でもうひとつは?」

 

「一応まともな王様に呼ばれたパターンね。そうすると本当に魔王が復活直前でまだ国は荒れてないから王宮とか豪華に見えるけど、本気でヤバい魔王と戦わされるって感じかしらね。どちらにしても多少の訓練の後実戦に放り込まれる感じっていうのが最近のテンプレよ」

 

「こっちも酷かった」

 

「まあ召喚された段階でなんらかの特別な力が宿っているっていうのが条件だけどね」

 

「そんな都合のいい力あるかしらね」

 

私は首を振りながら念のために”ステータスオープン”そっと呟いてみた。

 

「何も起こらない、か」

 

私は何も変わらない視界にフィアン・ビダルさんを捉えながらついていくしかなかった。

 

そして、フィアン・ビダルさんが足を止めたのは派手な装飾を施された大きな扉の前。

 

「こちらに教皇猊下がおられる。失礼の無いようにな」

「俺達はこの世界の常識を知らん。何をもって失礼とするかさえも。そんな中で失礼をするなと言われてもわかんねえよ」

 

まったく大地の俺様バカが何をつっかかってんの。事実ではあるけど馬鹿正直に言う必要はないのに。

 

「な、キサマ。わがトランルーノ聖王国に逆らうと言うのか」

「逆らうも何も、この国の常識を知らんって言ってんだよ。何と言っても無関係の異世界の人間を誘拐しても罪でないってのが常識な国みたいだからな」

 

ばか大地。なんで口にしちゃうの。そう思うよ。わたしもそう思うけど。ここでそれ言ったらダメじゃないの。

とりあえず大地の頭を叩いておく。

 

「ばか大地、最低限私達の常識の範囲で丁寧に受け答えしておくの、そういう時には」

 

それを見てフィアン・ビダルさんはフッと表情を緩めたので誤魔化せたかな。でもこの拉致誘拐の主犯の1人信用は出来ない。

 

「では、勇者様方お入りください」

 

相手の土俵で、帰る手段があるのかさえ分からない現状、感情を相手に合わせるのば無難。小雪は多分問題ないけど、性格が俺様の大地が問題ね。一応釘を刺しておきますか。

 

「大地。今の私達は相手の出方次第で簡単に殺されるかもしれないって分かってるわよね」

 

一応小声で囁いたけど。

 

「は、なんでだよ。この世界の奴らが勝手に召還したんだ責任があるだろう」

 

やっぱり大地はバカだった。

 

「相手は責任なんか取らないよ。使えないと感じたらポイッってするだけだからね。人権なんかないって思っておいて」

 

 

そしてこの国の最高権力者である教皇との謁見が始まった。

随分と高い位置に座っているわね。典型的な専制君主ね。これは気に入らなければいきなり真っ二つにされるやつだ。

 

「大地は一切しゃべらないで。私が全部対応するから」

「なんだよ。俺のどこが悪いんだよ」

「全部よ。日本みたいな民主国家じゃないのは間違いないんだから。貴族が気に入らなかったってだけで平民は切り捨てられる時代だと思っておいて」

「なんでだと、あいつらが勝手に呼んだんじゃないか」

「大地、あなたDIYで棚作ったりしてたわよね」

「ああ、それがどうした?」

「部品作りに失敗した時どうしてた」

「え?大きなものなら、別の小さい部品に作り替えてたかな」

「じゃあ、それ以上作り替えられない部品は?」

「そりゃそこまでいけばゴミだから捨ててたよ」

「つまりそういうこと。私達は彼らにとってDIYの部品。作り替えが効く間はどうにかしようとするでしょうけど、それが労力に合わなくなったら捨てられるよ」

「な部品と人間を一緒に……」

「一緒なのよ。そうでなければ異世界から本人の同意もなしに人間を召喚なんかするわけないでしょ」

 

ゆっくりと進みながら小声で大地に言い聞かせ、とりあえずこの場は私が対応することを認めさせることが出来た。

さて、どんな無理難題を吹っ掛けられるか……。

 

「異世界の勇者たち。よく来てくれた。教皇ドミス・ド・フレーザーである。神託により今この世界には魔王が生まれようとしていることがわかった。お前たちには、その討伐を頼みたい」

 

うえ、何ひとつ確認の方法の無い説明じゃない。胡散臭すぎる。これは基本的に騙す気満々な奴だ。

かと言って私達にはこれを拒否する方法がない。

私は顔を顰めないようにするので精いっぱいだ。

 

あ、そうそう、それでも一応ひとつ聞いておこうか。

 

「ひとつお聞きしたい事があります」

「なんだ、言ってみよ。答えられることであれば答えてやろう」

「では、私達は元の世界に帰られるのでしょうか?」

「古い言い伝えによれば、勇者が魔王を斃したとき、勇者は帰還したとされている。悪いが現状ではこれ以上は話すことが出来ない」

 

これまた確認の出来ない返事。

 

「そうですか。それと今言葉が通じていますが。これは何故ですか?」

「ふむ、気付いておったか。これは翻訳の結界によるものだ。城の中では結界の力によって言葉が翻訳されそれぞれの母国語として聞こえるようになっておる」

「城の中だけですか?」

「そうだ」

「では、外に出たら私達は言葉が通じないという事ですか?」

「そうだ、しかし心配はいらん。翻訳の魔法道具がある。それを身に着けておればどこに行っても言葉が通じるようになる。お前たちには1人に1個渡す故そのようなところでの不便をさせるつもりは無い。このあと受け取り城下にいき効果を確認するがいい。」



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第33話 テンプレ

今あたし達はハンターギルドにいるのよね。瑶さんの『道具屋に……』発言は

 

「道具屋はハンターギルドの割引があるので先にギルドに登録したほうがいいですよ」

 

の言葉で変更になったの。

ハンターギルドは弓と剣が支え合うシンボルを掲げた建物で入口は両開きのウェスタンドアね。どこかのファンタジー小説の冒険者ギルドがこんな感じだった気がするわ。

 

入口を入って、あら、お約束の併設の酒場は無いのね。ロビーにはテーブルこそあるけど単純にパーティーメンバーの待ち合わせや簡単な打ち合わせをする程度みたいね。正面にあるのは受付カウンターかしらね。女の人が4人こっちを向いて座っているわ。右手奥は商業ギルドにもあった打合せ用の個室って感じね。左手奥には掲示板があって色々な紙が貼りつけてあるわ。お約束の依頼書かしらね。獲物の買取カウンターは正面から入ったところにはない感じだから裏口かしら。

 

「ほら、いくよ」

 

あたしがキョロキョロ見回して止まっていたら瑶さんに背中を押されちゃったわね。

 

「新規登録をしたいんだが、ここでいいのか?」

 

あら?瑶さんいつもよりちょっときつめの言葉遣いね。でも、受付のお姉さんも別に嫌そうでもないわ。

 

「はい、こちらで登録できますよ。こちらに名前を記入お願いします」

 

そう言ってお姉さんは一枚の紙?違うわね何かしら。紙みたいな何かを出してきたわ。

こういうの分かっていたから昨日の夜宿でミーガンさんに一応名前だけは書き方教わったのよね。

瑶さんが書いている横にあたしが並んでいるんだけど、お姉さんあたしには出してくれないの?

 

「ねえ、お姉さん。あたしにも登録用紙頂戴よ」

「お父さんだけですよね。お嬢さんにはちょっと早いんじゃないかしら」

「見た目弱そうに見えるのは分かってるけど。いいから出して。それと親子じゃないから」

 

あ、瑶さんの肩が揺れている。

 

「何よ、瑶さんまで。笑わなくたっていいじゃないの」

「い、いやごめん。最近は、もう意識してなかったけど、朝未って年齢的にはまだ子供だったなって思って。そんな朝未がそれなりの弓の名手で近接戦闘だってある程度出来るなんて受付の姉さんだって気付かないって。悪くいってやるなよ。プププ」

「もう、いいわよ。で、お姉さん、登録用紙は出してくれないの?」

 

「おいおい、ハンターはお子ちゃまが出来る仕事じゃないんだぜ」

 

あああ、こんなところでテンプレ展開いらないのに。当然無視よね。

 

「あ、あの本当にあなたが登録するの?」

「さっきからそう言ってるでしょう」

 

「おい、無視すんじゃねえよ」

 

さっきからうるさいのがついにあたしを掴まえようと手をだしてきたわね。でも、これ本当に掴まえるつもりあるのかしら?あんまりにもゆっくりなのよね。

 

一応ワイルドウルフの突進を避けた要領で避けて後ろに回ったのだけど。相手は素手だし軽く足を掛けるくらいで良いかしらね。

 

”ドギャバアン”

 

派手に転がったのでちょっとびっくりしたわ。

 

「え、こんな程度で転がるんですか?」

 

あたしは思わず声に出しちゃったわ。

 

「ちょ、ちょっとお嬢さん。お逃げなさい。その人ガラは悪いけど一応6級ハンターです。お嬢さんみたいな方が関わらない方が良いです」

「こちらから関わるつもりは無いですよ。でも、降りかかる火の粉は叩き潰さないと危ないでしょう。それに今程度のお遊びを気にする人がハンター登録しようとすると思いますか?」

 

一瞬助けに入ろうと動こうとした瑶さんも今はちょっとニヤニヤしながら見てるし、ちょっと人が悪いんじゃないかしら。

 

「ふ、ふっざけんなー!!」

 

あら?立ち上がったと思ったら長剣を抜いてきたわね。

 

「ちょ、ガルフさん。ギルド内で一般の方に武器を向けるのは……」

 

受付のお姉さんが慌てて止めようと声を掛けたみたいだけどどうしようかしらね。武器を抜いたって事は本当に殺しに来てるのよね。でも素手でも掴まえられなかったあたしを武器を持って重くなった腕でどうにか出来るとでも思ってるのかしら。

あら?考えてみれば、あたしってこの状況で随分と冷静ね。筋肉の塊みたいなおじさんに武器向けられてるのに。思わず顎に手をやって考えこんじゃったわ。

 

”ブン”

 

あたしの横を剣が通り過ぎたわね。うーん、一応”本気”みたいだけど……。

 

面倒になったので、もう一度足を掛けて転がした上で、短剣を首の後ろに当ててみたのよね。だってあまりに動きが遅いんだもの。

 

「よく、そんな動きでハンターとして生き延びているわね。ワイルドウルフでももう少し速いし考えた動きしたわよ」

「うっぐ」

 

あ、動きを止めて悔しそうにしているけど、周りの人の反応は何か信じられないものを見たって感じね。

でも、まあいいわ。

 

「ねえ、お姉さん。この場合、体勢を崩してうっかり短剣を押し込んだらあたし何か咎められます?」

 

受付のお姉さんに尋ねただけなのにガルフって言ったかしら、この人固まったわね。

お姉さんも驚いた顔してるわ。

 

「い、いえ。あなたは単に襲われて撃退しただけですので」

「そうですか。後で逆恨みで襲われても面倒なんですよね。どうしようか考えちゃいますね」

 

ちょっとだけ短剣の切っ先を首に掠らせてみたのだけど、あら、ちょっと……

 

「こんなところで粗相をするなんて。掃除も面倒ですし。どうしましょうかね。あとはこの人しだいですが」

「や、やめ。すみません。もう2度とおかしなことをしません。赦してください」

「あら、随分と根性無しですね。剣まで抜いてそれですか?」

 

あたしは、抑え込んだ後に短剣をそっと当てただけだもの。やさしいわよね。



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第34話 天使

 

 

「ヨウ様と、アサミ様ですね。これで登録を受け付けました。今登録証を作成しておりますのでしばらくお待ちくださいね。ハンターギルドについてのご説明は必要ですか?」

 

「お願いします。ただその前にちょっとこれの処理をお願いします」

 

瑶さんが受付のお姉さんの前に革袋を出してカウンターに置いたの。

 

「これ、ですか?ヒュッ」

 

あ、袋の中身を確認したお姉さんが過呼吸になったわね。

その様子に気付いた別の職員さんがお姉さんの背中をトントンしてるわ。

 

「お姉さん、ゆっくり息を吐いて。そこでちょっとで良いので息を止めて……」

 

あ、瑶さんが何か指導してるわ。

 

「ゴホッゴホッ。お見苦しいところをお見せしました」

 

お姉さん、どうやら落ち着いたようね。

 

「それで、どうでしょう。知り合いの商人さんにハンターギルドで討伐褒賞がもらえるって聞いてきたんですが」

 

あ、瑶さん切り替え早いわね。

 

「は、はい。ワイルドウルフの牙7頭分……。いえ、1頭違いませんか?」

 

何か違ったのかしらね。あたしと瑶さんは顔を見合わせて首を傾げちゃったわ。

 

「これ、1頭分だけ牙が極端に大きいです」

「ああ、それ多分リーダーみたいなやつじゃないかしら。最初にあたしが弓で仕留めた奴」

「はあ、やっぱりリーダー種ですか」

「リーダー種なんているんですか?」

「2、3頭の群れには居ないんですが5頭超えてくると稀にいるんです。通常種より一回り以上大きく群れを統括して簡単な作戦を使ってくるようになります。討伐報酬も大分違いますね。通常のワイルドウルフの討伐報酬が4万スクルドなのに対してリーダー種は10万スクルドになります。ですので今回の査定額は通常種6頭で24万スクルド、リーダー種1頭で10万スクルド。合計34万スクルドです」

 

なんか後ろでざわついているわね。とりあえず害はなさそうなので放置でいいかしら。

お姉さんが少し大きめの銀貨3枚とその半分よりは大きそうな銀貨4枚を渡してくれたので瑶さんがポケットにしまっちゃったわね。まあ日本の財布なんか見せるわけにはいかないし仕方ないんだけど。財布代わりの革袋くらい買わないと色々面倒そうね。

 

「ん、うん。ではハンターギルドについてご説明させていただきます。ハンターギルドは基本的にハンターの互助組織です。個人では依頼を受けにくかったり、違法な依頼を受けてしまったり、場合によっては詐欺に会ったりすることがあります。そういった面のサポートを行い、ハンター活動を円滑に行う事を目的としています。

そして、登録したハンターはその実績実力によりランク分けを行っています。何の実績もなく登録しただけの状態ですと級無し、最低限ハンターとして活動する気のあることを示すと10級にランクアップします。そして最高位の1級まで実績に応じてランクアップする仕組みです。受けられる依頼もその人の等級のひとつ上までとなっています。

なお、先ほどのガルフさんのように武器を抜いて暴れる等するとランクダウン、場合によっては除名もあります。ご注意くださいね」

「そうすると、私達はとりあえず級無しということであっていますか?」

「えと、それなんですが、もう少しお待ちください」

 

あら?登録したばかりのあたし達の等級が何かあるのかしらね。あ、級といえば。

 

「あ、あの。等級についての目安ってありますか?」

「はい、先ほどもご説明しましたように、登録したての方は基本級無しです。そして何らかの実績によって最低限ハンターとして活動することを認められると10級。10級9級は初心者という括りですね。そして通常10級では食うや食わずになるためハンターとしての収入だけで生活している方はあまりいません。いえ、ちゃんと遊ばずに仕事をして節約すれば生活できるのですが、そこまで計画的に生活している方は少数派でして……。そして実績を積みランクアップを重ねて8級になるころからハンターとしての活動だけでどうにか普通に暮らせるようになります。ここからが中級者ですね。そして8級から6級の中級者がハンターの中で一番数が多いですね。そして5級からが上級と言われるハンターになりますが、まず4級が一般のハンターの到達点です。3級以上はもはや英雄と言われるレベルです。国に1人いるか2人いるかといった感じですね。

あと、上位等級になりますと色々と優遇措置もあります。5級以上となればギルド提携の宿を割引で利用できますし、4級以上なら無料です。他にも素材買い取りに優遇措置があったり、アイテムの提供などもありますね……」

 

ふえ、随分と厳しいランキングね。それに上位等級になると色々と特典もあるのね。でも目立つんでしょうね。

あ、後ろから来た別の職員さんがお姉さんに何か耳打ちしているわね。

 

「お待たせいたしました。おふたりのギルドランクが決まりましたので登録証をお渡ししますね」

 

そういうと銅色のカードを渡してきたわね。

 

「本日ワイルドウルフの討伐報告をいただいた事と、先ほど6級のガルフさん、いえ、既に元6級でした。彼からの攻撃に対する対応を加味し8級に認定いたしました。その登録証は身分証明を兼ねますので大切に保管してください」

 

後ろの野次馬がうるさいわね。は?なんで天使?

 

「あの、うしろの野次馬から天使なんて呼ばれているみたいなんですが」

「ああ、先ほどのガルフさんとのやり合いで実質無傷で許したじゃないですか。あれを見た人たちが6級ハンターを子供扱いするほど強くて天使のように優しいって言ってるんですよ。実際あんなふうに剣を抜いた以上手足の1本や2本切り飛ばされても文句は言えないですからね。それを無傷で制圧したうえであれですから」

 

はあ、天使とか嫌すぎる。

あたしは頭を抱えてしまったわ



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第35話 道具屋カトリン

ハンターギルドでの登録を済ませたあたし達は、今度こそは道具屋に来てるの。

 

”カラン、カラン”

 

ミーガンさんがドアを開けると、ドアベルが涼し気な音を響かせたわ。これ素敵ね。

 

「いらっしゃい」

「おじゃまします」

「邪魔するなら帰ってな」

 

え?なにこのベタなやり取り。異世界でも「●し●と」なの?

 

「相変わらずですねカトリン」

「ミーガンかいな。今は仕入れなら間に合ってるで」

「いえ、今日は人を紹介しに来ました」

「へえ、ミーガンが人を紹介すってな珍しいやん。ま、ええわ。でその紹介してくれる人ってのはそっちのあんちゃんかいな?」

「いえ、お2人ですよ。

ゴホン。

では紹介しますね。こちらのお2人、わたしの命の恩人で、今日からハンターギルドに登録した8級ハンターのお2人です。こちらの男性が、瑶様。近接戦闘を主に担当されています。非常に強力な前衛戦力ですね。まるでお伽噺の勇者様かと思いましたよ。そしてこちらの女性が朝未様。弓による遠隔戦闘を主にしながら近接戦闘でも6級ハンターを手玉に取る実力者です。そしてケガの治療まで熟す、戦う聖女様ですね。2人ともかなり遠くのご出身でわたしの持っている簡易型の翻訳の魔法道具では片言にしか翻訳できないほどだったんです。なので高級な翻訳の魔法道具の購入も視野に入れておられます。

瑶様、朝未様、この変なしゃべり方する女性がカトリン。この道具屋の女店主です。品質と品揃えではこのエルリックでは3本の指に入る道具屋ですのでお2人がお付き合いされるのに良い相手だと思いますよ」

 

は?ミーガンさん。今何か不穏当な称号を口にしましたね。瑶さんが勇者で、あたしが聖女?ないわー。

 

「ちょ、ちょっとミーガンさん。おかしな称号をつけないでください。ただでさえギルドで目立ってしまったのですから。そんな称号が流れたら面倒です。へんなところから声が掛かるのは勘弁してほしいですよ」

 

やっぱり瑶さんも勇者だ聖女だには抵抗あるわよね。

 

「大体勇者ってトランルーノ聖王国が召喚したっていってませんでしたか?」

 

そうそう、ミーガンさんに初めて会った時にそんなことを聞いたわね。

 

「あー、あれなあ」

 

あれカトリンさんの目が泳いでるわね。

 

「何か私おかしい事言いました?」

「いやあ、あれはある意味誘拐やからなあ」

「誘拐、ですか?」

「そりゃそうやろ。国のえらいさんたちが魔法で召喚するらしいんやけどな。そん時に相手の意思確認なんぞできひんわけや。ただ、強い力、魔力、才能、そういったものだけを目印に強引に連れてくるらしいんやぞ。当然言葉も通じひんわけや。そこで出てくるのが翻訳の魔法道具なんやけどな……」

「いや、言葉が通じなければ翻訳の魔法道具を利用するのは当たり前でしょう?」

「まあ普通に翻訳の魔法道具を与えるだけならええんやけどな。翻訳の魔法道具の中には隷属魔法が付加されているものもあるんよ」

「え、ひょっとして……」

「翻訳の魔法道具という体でつけさせて支配下において、戦争の道具にするんやろうなあ」

「ひ、酷い」

 

あたしは顔が引きつるのを感じたわ。

 

「まあ、元々呼んだ相手がいう事を聞く保証は無いし、無理やり連れてこられた最強の人間が敵に回るとか悪夢やろうからな」

「その魔法道具は外せないんですか?」

「当然外せるで。ただし……」

「ただし?」

「主が外すことを認めさえすれば、やけどな」

「認めるわけないですね」

「あとは……」

「あとは?」

「切り飛ばしてしまえば影響からは逃げられるわな」

「うえ、さすがにそれは」

「いや、高位の神官の手助けさえあれば必ずしも非現実的ってわけやないんやで」

「え!!」

「腕でも足でも切り飛ばして魔法道具を外したうえでくっつけりゃいいんやからな。もちろん度胸と根性は必要やけどな。」

「ああ、ずっと奴隷でいるくらいならって事ですね」

「まあ騙されたとかで不正に奴隷落ちさせられたとかじゃなけりゃ神官も助けちゃくれひんがな。ただなあ……」

 

あら?カトリンさんが俯いたわね。

 

「トランルーノ聖王国のやつらはチョーカータイプを使いおるねん。ブレスレットやバングルならな、今言ったような方法が最悪とれるんやけど、首はなあ」

「死んじゃいますよね」

「ああ、死んだらしまいやからな」

「念のため聞きますけど、死んだ人を生き返らせるような魔法は……」

「リザレクションちうのが伝説にはあるけどな。あくまでも伝説やな。実際に使える人間がいるちうのは聞いたこともないわ」

「やっぱりそうなんですねえ」

「だから、あんたらも翻訳の魔法道具買う時にはチョーカータイプは絶対さけや。そして出来ることならイヤリングタイプくらいを探しい。いや出来ることならっつうより、もうイヤリングタイプ限定と考えとき」

 

カトリンさんの言葉にあたしも瑶さんも頷くしかないわね。首だってそうだけど、手足だって切り飛ばすとか嫌だもの。



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第36話 魔法?

カトリンさんのお店で、薬や火口箱、それにカンテラ、カンテラ用の油、大小の皮袋、これはお財布代わりとか討伐証明などを入れる袋ね。それと本当はあたしの背負い鞄がほしかったのだけど、これは無かったわ。あたしの鞄は布製の肩掛けスクールバッグだけだもの、今の状態ではちょっと辛いのよね。そんなことも考えながら他にもいくつか購入して宿に戻ったのよね。

 

「ねえ、瑶さん」

「ん、なんだい」

「あたしも背負い鞄が欲しいわ。この世界でしばらくはハンターとして生活していくのなら、いつまでもこの鞄じゃダメだと思うの。容量としても小さいし、何より両手を自由に使うためには鞄を落とさないといけないのは咄嗟の時によくないし、長距離の移動でもバランスが悪いと思うの。それにいつまでもなんでもかんでも瑶さんの鞄に入れていたらハンターとしての仕事にも触りがあると思うの」

「うん、わかった。それじゃあ明日にでもアリアネさんあたりに相談してみようか」

 

「ありがとう。それと、最近気になっているのだけど、あたしたちの身体って日本にいた頃と比べて随分と高性能になっている気がするの」

「そうだね、走る速さはオリンピック選手もびっくりだよね。持久力もミーガンさんを助けた時なんか、かなりのスピードで2キロくらい走っても息切れもしなかったしね」

「それにあの時、あんな遠くだったのにかなり細かいところまで見えたわ。今日だってあの襲い掛かってきた男の人の動きが凄くゆっくりに感じたし」

 

「うん、それから……」

 

瑶さんが何か微妙な顔をしてるわ。

 

「いつの頃からか朝未が手当てしてくれると傷の治りが凄くはやいんだよ。今朝もエルリさんが随分と治りがはやいようなこと言ってたよね」

 

え?それってひょっとして。

 

「朝未。ひょっとすると朝未は回復魔法みたいなものを身に着けたのかもしれないね」

「そういうこと、なのかしら」

「回復魔法そのものなのか、治療の効果を高める何かなのかは分からないけど。どちらにしてもこの世界に来て私達はいつの間にか色々な能力を手にしているみたいだね」

 

これは生き延びるために有利なのよね。たぶん……。

 

「そういえば瑶さん自身は回復魔法みたいなものは使えるようになっていないの?」

「そうだね、私自身のケガで比べたのだけど、私が自分で手当てしたケガは特に治るのが早くはならなかったね。その時に朝未に手当してもらった同じようなケガがあったんだけど、私自身で手当てしたケガはおよそ10日くらいで完治して、朝未に手当してもらったケガは半日後には治っていたね」

 

「じゃあ、あたしが手当てすると治りが20倍はやいってこと?」

「いや、恐らくはもっとはやいと思う。そんな厳密に確認してなかったから。分かっているのは半日後に見たら治ってたってだけで、それが12時間で治ったのか、1時間で治ったのか、それとも実は手当てしてもらった瞬間になおっていたのかは分からないからね。ほかにも……」

「他?」

 

あたしはちょっと首を傾げちゃったわ。

 

「薬での手当の補助なのか、朝未の回復魔法的な何かだけで治るのかが分からないね」

 

なるほど。そこであたしは瑶さんのリュックを開いてナイフを取り出したの。

 

「ちょ、ちょっと朝未。なにをするつもりだ」

「え、ちょっと検証を」

「そこじゃなくて、検証するためにナイフって」

「うん、ちょっとだけ傷をつけて手当てをしてるときと同じことをしようかと」

「女の子が、わざと身体に傷をつけるとか、やめなさい!」

 

あっというまにナイフを取り上げられちゃった。

 

と、思ったら、瑶さんが自分の手のひらをスッと傷つけたわ。

 

「ちょ、ちょっと瑶さん。あたしには、やるなって言っておいて、なんで自分はやっちゃうの?」

「いや、そりゃ傷つけるなら女の子の身体より男の身体だろう、普通」

「違いますよね。あたしの能力を確認するのに瑶さんを傷つけるとかおかしいでしょう」

「いや、やっぱり傷つけるなら男の身体だろう。それに、ほら。もう傷つけたわけだし」

「も、もう。わかりました、とりあえず手を出してください」

 

傷つけた瑶さんの手のひらにあたしの手を当てて。

 

「早くよくなりますように」

 

あ、やっぱりちょっと温かくなるわね。

 

「あ」

「完全に治ってるね」

 

一瞬で治ったわ。

 

「これでケガだけなら怖くなくなった、ということでいいのかしら?」

「いや、まだ治せる怪我のレベルはどのくらいかって部分があるからね。ただ、何もないよりずっと助かるのは確かだね。多分クスリとかこの文明レベルだとものすごく高価な気がするし」

 

「怪我のレベル、ですか?」

「そう、例えば、今の実験だとかすり傷って感じだけど、これが骨折していたらどうか?とか、極端な話、腕がもげていても生えてくるのか?ってことだね。いや、もっと言えば死んだ人を生き返えらせたりできるか?って感じかな」

「う、でもそこは……」

 

ナイフで軽く傷をつけるくらいならともかく、それ以上はちょっと実験するのは抵抗があるわね。

 

「まあ、ちょっとした切り傷程度ならともかく骨折以上はうまくいかなかった場合の事を考えると実験はしにくいよね」

 

あ、瑶さんもそこは理解してくれてるのね。

 

「だから、そのあたりの実験は実験としてではなく、もしもなったらってところだね。ただし……」

 

うん?ただし?何かしら?

 

「人目につかないようにした方がいいかな。この世界では魔法自体はありそうだけど、その魔法がどのレベルなのか、魔法を使える一般人がどのくらいいるのか、そういった事がわからないからね。下手をすれば国を挙げて捕まえに来る可能性だってあるからね」

 

”ヒュゥ”変な音がでちゃったわ。希少な魔法使いだと国が捕まえて本人の意思関係なく囲われるかもしれないって事よね。

 

「だから、エルリさんには使ってしまったけど、これからは魔法使いの扱いについてわかるまでは2人の間だけでということにしよう」

「で、でも大けがしている人がいて、放置できる自信はないです」

「朝未。朝未はもっと自分を大切にしよう。見も知らぬ人を助けて朝未が国に囚われることになるのは違うと思うよ」

「で、でも」

「ふう、なら条件をつけよう。大けが以外では治療しない。そしてそこに大けがをした人以外いなくて、そのケガ人が意識を失っている状態でなら治療してみてもいい」

「う、わかりました」



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第37話 危険エリア

「瑶様、朝未様。おはようございます」

「「おはようございます」」

「おふたりは今日はどうされますか?」

 

ミーガンさん、また今日もあたしたちに付き合ってくれるつもりなのかしら?行商のお仕事は大丈夫?あたしはそんなことを考えながら瑶さんをチラリと見たの。あら、目があったわ。瑶さんが軽く微笑んで頷いてくれたのでお任せしたらいいわよね。

 

「そうですね。武器も防具も出来上がってくるのにはまだ時間がかかりますし、この街の事も知りたいと思いますので、私たちは武器防具が揃うのをゆっくりと街の散策でもしながら待とうと思います。幸い当面の資金はありますしね」

 

これだけの街なら1週間や10日見て回っても多分回り切れないわよね。おしゃれなカフェとかあるのかしら?でも地球と同じなら屋台はともかくレストランとか無いかもしれないわね。地球と同じなら文明レベル的にトレトゥールくらいならあるかしら。ハンターギルドの雰囲気からすると酒場もありそうね。あたしが行くにはちょっと向かない気はするけど。でも、1回くらいは、見るだけなら。瑶さん連れて行ってくれないかしら。あ、年齢的なものでダメとかあるかしらね。

 

「そういえばおふたりはエルリックに来るの初めてだったんですよね。それでしたら街を見て回るのもいいですね」

 

ミーガンさんも話がわかるわね。

 

「それで一応、できればおすすめとか足を踏み入れない方がいい場所とか教えて欲しいんですが」

 

あ、瑶さんそつないわね。

 

「そ、そうですね。おふたりの実力からすればどこに行っても大丈夫といえば大丈夫なんですが。わざわざ余計なトラブルの起こりそうなところは避ける方が正解ですね」

 

ミーガンさんたらあたしをチラリとみてから瑶さんと目を合わせて頷いているわね。

 

「あたしのせい?」

「い、いえ。朝未様もとてもお強いですが、見た目にはそれが全く分からない、むしろ可愛らしい見た目をしておいでですから。余計な蟲をおびき寄せる可能性もありますからね」

「えと?違法奴隷狩り的な何かとかですか?」

 

あら?ミーガンさん、苦笑いするだけで答えてくれないわね。でも否定しないってことはそういう事よね。

 

昨日のハンターギルドで絡んできたのが6級って言っていたから正面からの1対1なら余程まで負けないと思うけど。そう思いながら瑶さんに視線を向けてみたのよね。

 

「犯罪者が、まともに来るわけがない。大勢で不意打ちされたら無傷でってわけにはいかないだろうし、そもそもそういう場所に行くメリットは無いよ」

 

まあ、そうよね。あたしだって異世界でそんなリスクをおかすつもりは無いわ。ただちょっと好奇心がうずいただけよ。だから瑶さんに頷いておけばいいわよね。

 

って、瑶さん何か微笑ましいものを見る目であたしをみなくても良いじゃないの、しかも頭ポンポンとか……。

 

「うううう。瑶さん、あたしを子ども扱いしすぎだと思うの」

 

あたしが瑶さんをジト目で見ちゃったのは仕方ないわよね。

 

「あはは、ごめんごめん。朝未が可愛くてついね」

 

そ、その可愛いは女性に対する可愛いじゃないわよね。愛玩動物が可愛いというのと同じよね。

 

「も、もう。瑶さんの意地悪」

 

「はあ、仲が良いのは良いですが。とりあえず、北門の外側には近寄らないようにするのが良いです。あそこがこの街では一番危ないですから」

「危ないというと、スラムか何かですか?」

「ええ、しかも単なるスラムではなく、ハンターや傭兵が身を持ち崩して落ちた連中の多い場所なんです。単に貧困というならおふたりなら簡単に蹴散らせるでしょうが、ある程度の戦闘力のある連中がいます。それがそれなりの人数なので厄介なんです」

「それは面倒な場所ですね」

 

「瑶さん。見に行っても楽しくはなさそうだし、行かなくてもいいよ」

「そうだね。その辺りには近づかないようにしよう」

 

そんなあたしと瑶さんのやり取りにミーガンさんがホッとした表情を見せたわ。よほど避けて欲しかったのね。

 

「それが良いでしょう。まあ門から出なければ余程まで大丈夫ですが、そういった経緯でどうしても北門付近は荒っぽい連中が多いのを覚えておいてください。まあ門の内側ならいきなり襲われることはあまりありません」

 

あ、それでも”あまり無い”ってくらいなのね。

 

「それにそういう場所でもあるので領兵の巡回も他より頻繁です。門を出なければまあそれなりに安全ですよ」

 

それはそうよね、領都内であまり危険なエリアがあったらまずいのはわかるわ。

 

「近づかないほうが良い危険なエリアは、そこくらいですけどね。他はまあ”普通の”女性のひとり歩きは避けた方がいい。程度までですから。おふたりなら問題ないと思います」

 

その”普通の女性”という言い方に少し引っかかりはあるけど、あたしの場合瑶さんが一緒だから大丈夫ってことにしておくわ。あたしならひとり歩きオーケーと言われても多分あたしにダメージくるやつよね。

 

「この領都エルリックはほぼ円形の防護壁で囲まれていますが、内側はいくつかのエリアに分かれています。中央にあるのが領主様のお屋敷を含む行政区。その周囲が富裕層の方々の住む高級住宅地です。まあ普通の方はあまり用事の無い区画ですね。そして南側の区画が……」



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第38話 街歩き①

エルリックで近づいてはいけないエリアを説明してもらった後、ミーガンさんにエルリックと言う街の大雑把な説明を聞いたの。

街の中央にある領主様の屋敷を含む行政区。その周りの富裕層の居住区。南側の区画が商店などの集まる商業区、西側が職人の工房の集まる職人街、東側が飲食店の多い飲食店街、北側は傭兵ギルドやハンターギルドがあり、その関係の店が集まるハンター・傭兵区。そして傭兵ギルドやハンターギルドがある関係で物騒な人たちが北門の近くに集落をつくっているということらしいのよね。

そして、お店は中央に近いほど高級な傾向があるそうなの。

そして何故か北西のエリアにはあたし達は行かない方が良いって言われたの。ミーガンさんが瑶さんに軽く目配せしてたから瑶さんは理由も察しているかしらね。

 

説明が終わると、ミーガンさんはしばらく商談が立て込んでいるとかで、あたし達と一緒に行動できないって何度も謝っていたわね。お仕事なんだから優先するのは当たり前だと思うのだけど。

 

「朝未。どこから行きたい?」

「え、あたしが決めていいの?」

「必要な買い物は終わってるし。特に目的があるわけでもないしね。この世界に来てから朝未もストレス溜まってるでしょ。少しは気晴らししよう」

 

あら、やっぱり瑶さん優しいわね。

 

「ありがとうございます。そうですね。現代日本ならウィンドウショッピングを楽しみたいところですけど。この世界のお店ってどんな感じなんでしょうね」

「うーん、私の予想だと、例えば衣類は富裕層以外は古着を着まわす感じかな。富裕層はオーダーメイドの服を出入りの業者に作らせる。だから新品の吊るしの既製服は無いか限定される感じじゃないかな。まあ、あくまでも地球の過去と同じような感じになっていればだけどね」

 

「カフェとかありそうですか?やっぱりトレトゥールくらいまでですかね?」

「お、朝未はトレトゥールを知ってるんだ。あまり知られていない知識だと思うんだけど」

「ふふ、以前読んだ中世ヨーロッパを舞台にした小説の中で出て来たんです。それをどんなお店かなって気になって調べて知ったんです」

 

「でも、日本だと茶屋の時代なんだよね」

「茶屋、ですか。あの時代劇なんかで出てくる簡単な椅子があってお菓子とお茶を食べながら休憩する?」

「そう、その茶屋。時代によって多少の違いはあるけどね。この世界だと魔物が襲ってくるようだから街道茶屋は無さそうだけど、街中はどうかな」

 

うーん、それでも女の子としてはファッションに興味があるのよね。あとはこの世界にも一応お菓子があることは分かったので普通に手に入るお菓子がどんなのかにも……。

 

「その、この世界のファッションに興味があるので最初は服屋さん見たいです。ミーガンさんが何着か準備してくれるって言っていたので買わなくてもいいですけど」

「うん、朝未も女の子だね。よし、じゃあまずは商業区でブラブラしながら見て回ろう」

 

ふふふ、異世界のファッション楽しみね。

 

「あ、瑶さん、出かけるときって荷物は置いていって良いのよね」

「そうだね。基本的に荷物は宿の部屋に置いておいて大丈夫らしい。このあたりは宿のグレードにもよるそうだけど。ミーガンさんも商人だからね。そういうところに気を使って宿を選んでいるって言ってたよ。それでも日本から持ち込んだ物と護身用の短剣。それと現金は持っていった方がいいだろうけどね」

 

あら、瑶さんってばいつの間にかミーガンさんからそんな情報を聞き出していたのね。

 

「えーと、そうすると。バッグにこの辺りの物を入れて。短剣を腰に付けていけば良いかしらね」

 

日本だったら銃刀法違反で捕まっちゃうところね。

 

「うん、それで良いと思う。じゃ支度をして出かけようか」

 

 

そうしてあたし達は出かけたのだけど、瑶さんの予想通りなのね。普段使いの消耗品とか食料品は表から見えるように並べて売っているお店もあるけど、服を売っている店は見当たらないわね。

 

「庶民用の服はああいった店じゃないかな?」

 

しばらく見て回ったところで瑶さんが指さしたのは、ちょっと古ぼけた感じのお店。

あ、確かに表に服の絵が書いてあるわね。

 

「ちょっと入りにくいですね」

「ん、多分大丈夫だと思うよ。売っているのは古着だとは思うけど、あまりしつこくしなければ」

 

はい、入りましたとも。あたしも女の子ですから。

 

「こんにちは。見せてもらっても良いですか?」

「ああ、勝手に見な。ただし破いたり汚したりしたなら買い取ってもらうからね」

 

ちょっと不愛想なおばさんに確認をとって見て回ってるのだけど。

がっかりしてしまったわ。だって古着なのは分かるけど、破れに当て布さえしてないのだもの。破れていないものも向こうが透けてしまいそうなくらいまで着古してあるし、あたしはこれを着て外を歩く勇気ないわね。

 

「お邪魔しました」

 

一応挨拶だけはね、しておかないとね。どんな時に別のことでもお世話になるか分からないもの。

 

「ああ、何かあったらまた来な」

 

瑶さんに首を振ってみせて店を出ることにしたの。

 

「あれが庶民の普通?」

「いや、さすがに予想以上だったね。あれは多分最終処分的なのじゃないかな」

 

瑶さんも苦笑いしてるわね。

 

「さ、気を取り直して別のお店もみてまわりましょ」

「はいはい、お姫様。お望みのままに」

 

瑶さんがふざけているけど、1軒くらい楽しめるお店があると良いなあ。



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第39話 この世界での通貨と称号など

この世界の通貨は各国共通通貨となっています。単位はスクルドです。

通貨は全て硬貨で下記のようになっています。

1スクルド  片銅貨(銅の欠片のような硬貨)

10スクルド  小銅貨(直径1センチほどの銅の硬貨)

100スクルド  中銅貨(直径3センチほどの銅の硬貨)

1000スクルド  大銅貨(直径6センチほどの銅の硬貨)

1万スクルド  小銀貨(直径1センチほどの銀の硬貨)

10万スクルド  中銀貨(直径3センチほどの銀の硬貨)

100万スクルド  大銀貨(直径6センチほどの銀の硬貨)

1000万スクルド 小金貨(直径1センチほどの金の硬貨)

1億スクルド 中金貨(直径3センチほどの金の硬貨)

10億スクルド   大金貨(直径6センチほどの金の硬貨)

 

一般人が使うのは通常中銀貨まで。一般の商店に大銀貨以上を持ち込んでも断られる。

ある程度の規模の商家等で小金貨を稀に使う程度。

中金貨以上は王侯貴族以外は使わない。

現代日本とは常識や文明レベルが違うので直接比較はできないが、概算で1スクルド=2円程度。

 

 

 

今後出てくることが決定している称号とその能力

 

聖女:聖なる力により、勇者ほどではないが高い身体能力を持ち、治癒魔法・補助魔法を高いレベルで使える。伝説級の治癒・補助魔法が使える可能性がある。魔に属する者に対する特攻魔法を持つ。異世界召喚者のみの称号。

 

勇者:聖なる力により非常に高い身体能力を持ち聖剣の力を引き出して戦うことが出来る。総合的に戦闘力がとても高い。簡単な治癒・補助魔法が使える。異世界召喚者のみの称号。

 

剣聖:常人より高い身体能力を持ち剣による戦闘に特化しており、剣による戦闘では非常に高い戦闘力を発揮する。異世界召喚者のみの称号。

 

聖騎士:常人より高い身体能力と頑健な身体を持ち戦闘においては前線で味方を守る盾となる。聖とついているが聖なる力は持っていない。異世界召喚者のみの称号。

 

賢者:身体能力自体は常人とあまり変わらないかやや高い程度。非常に高い魔力を持ち攻撃魔法・治癒・補助魔法を使える。使える魔法は高レベルであるが治癒・補助魔法は聖女に及ばない。攻撃魔法も特化した魔導師と比較するとやや劣る。異世界召喚者のみの称号。

 

魔導師:高い魔力を持ち、攻撃魔法のみを使う。攻撃魔法の火力はこの世界で最強。この世界の一般人が得られる称号の中では最上位のひとつ。

 

どの称号持ちも経験によりその能力は大きく伸びる。特に異世界召喚者の場合伸び率・伸びしろとも常人を大きく超える。

 

聖なる力

聖女・勇者の力の根源。邪なる力、魔に属する力を退ける。それ自体は物理的な力ではない。

具体的には聖なる力を宿した者は、毒や、呪い、病等あらゆる状態異常に対し強い耐性をもちあらゆる穢れを浄化する。常人なら即死する毒を解毒し、狂わされる呪いを無効化し、魔に属する者は触れるだけでダメージを受ける。

 

なお、称号や強さなどのステータスは本人含め見ることはできない。

 

聖剣:神代の時代に神から人に下賜されたとされる剣。勇者以外が使っても単なる重量のある鈍器だが、勇者が使用すると聖なる力により最強の剣となる。魔王を倒せる唯一の武器とされる。

 

 

この世界での年齢について。

生まれた年を1歳、新年になると1歳年をとるいわゆる数え年齢。

 

この世界の成人

成人という概念が基本的にない。独り立ちし、自活していれば1人前。親に面倒を見てもらっているのなら子供という感覚。このためギルド登録などにも年齢確認はない。ただし、見た目等から「無理じゃないか」と担当者が判断すると色々と確認をされる。



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第40話 バラドヴバゼ商店

「あら、瑶さんこのお店はちょっと違うみたいですよ」

 

チラリと覗いてみると今まで見てきた古着屋さんの店に並んでいた服とは感じが違うわ。折り目正しく畳んであるじゃない。

 

「うん、どうやら既製服なのかサンプルなのか新品に近い服を置いてあるみたいだね。入ってみる?」

「はい、見たいです」

 

そりゃこの機会を逃す手はないわよね。

 

「こんにちは。見せてもらって良いですか?」

「はい、いらっしゃいませ。バラドヴバゼ商店エルリック支店にようこそ。私は支店長のゴーンドと申します。どのようなものをお探しですか?」

 

はわわ、日本の店員さんみたいに近寄ってきたわ。古着屋さんみたいに勝手に見せてはくれないのかしら。あたしは瑶さんに涙目でお願いするしかないわよね。

 

「ああ、すみません。この国に来たばかりで流行りや常識といったものが分からないので、何かを探すというより、この国の着るものもどういったものが良いのかと見て回っているんです。お邪魔でなければ見させていただけると助かるのですが。もちろん気に入ったものが見つかれば購入させていただきます」

「なるほど、そういう事なのですね」

 

日本の服はこの国ではちょっと変わって見えるわよね。それで少し警戒したってことかしら。

 

「それでは、少しご案内させていただきますね。このあたりのものは、はやりすたりがなく安心して着ていただけるものになります。こちらは今この街で流行り始めているものですが、年配の方や伝統を重んじられる方には少々受けが悪いですね。その分若い方や新しもの好きな方には熱烈なファンが見えます。こちらはフォーマルな集まりで着るものになります。当店では準礼装、略礼装のサンプルは展示しておりますが、正礼装に関しましては完全にオーダーメイドとさせていただいております」

 

一通りおいてある服の説明を聞いた後、あたしと瑶さんは幾つもの服を自分に当ててみているの。

自由に当てさせてくれて入るのだけれど離れてはくれないのよね。どうやらこの世界の衣服というものがかなり高価だというのが主な理由ではあるようだけど、言葉の端々でちょっと違うものを感じるの。

 

「お嬢様とてもお似合いです。ただ、そちらの生成りよりも、こちらの紫の方が……」

「お父上様、こちらの濃紺のスーツなどいかがでしょうか。それにこのアメジストのブローチをお付けになれば略礼装程度には……」

 

どう見てもあたしと瑶さんを父娘と見ているわね。それにどうにも正装に近い服を進めてくるのは何故かしら。

 

「瑶さん、そろそろ」

「ん、もういいのか?」

 

色々なタイプの服を見せてもらえて楽しいのは確かなのだけど、ちょっとそろそろ店員さんが煩わしくなってきてしまったのでキリをつけようと思うの。

 

「ありがとうございました。今日はこれで失礼します」

「またのお越しをお待ちしております。また本日ご覧になられましたもので気に入られたものがありましたらミーガン様におことづけください。サイズを合わせたものをお届けさせていただきます」

「え?ミーガンさん?」

「おや、お気づきではありませんでしたか。先日ミーガン様のご紹介で当店のものが朝未様のサイズを見させていただいたのですが」

 

周りを見回すと見たことのある人がいるわね。あの人が、あの時の人ね。気付かなかったわ。あ、目があった。軽く頭だけ下げておけばいいかしらね。

 

 

「では、その時にはお願いします」

 

挨拶をしてあたし達はバラドヴバゼ商店をでたの。

 

「さて、どうだった?」

「どうって?」

「うん、恐らくさっきのバラドヴバゼ商店の扱っていた服が、この世界の一般人の着る服の中ではほぼ最上だと思う。その服を見てどう感じたかな?」

「うーん、そうですね。ほとんどが多分綿でしたよね。縫製は丁寧でしたけど、ちょっとごわつきそう。伸縮する素材がないのでゴム編みとか教えたら飛びついてくれるかもしれないなって思いましたね。というか、むしろ教えて着やすい服作ってもらうのもアリかなって思いました。あと一部に絹っぽいのもありましたけど、教えてもらった値段が凄くてびっくりしましたね」

 

本当にこの世界の服って高いのね。歴史を勉強していると日本でもヨーロッパでも中世の武将への報酬に布が多く使われたらしいことが書かれているけど、きっとそういう事なのね。

 

「あ、木工職人さんをミーガンさんに紹介してもらいたいわ」

「と、突然だね。何か思いついたのか?」

「ふふふ、ちょっとね。でもミーガンさん忙しいみたいだから夕食の時にでもちょっと話してみるわ。今はそれより、お昼ごはんをどうするか考えましょ」

 

 



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第41話 街歩き②

お昼ご飯を食べようと、エルリックの東側、飲食店が集まるというエリアに来ているのだけど、レストランのようなお店は見当たらないわね。何か屋台のようなお店ばかりに見えるわ。

 

あたしとしては出来れば座って食べられるところが良いのだけど。

 

「ねえ、瑶さん。お店に入って座って食べるような習慣ないのかしら?」

「うーん、おそらく一般の人は屋台で買ってそれを適当に食べるんだと思うよ。現代日本みたいにテーブルについて昼食をゆっくりと楽しむってのは多分富裕層か庶民だとたまの贅沢なんじゃないかな。あとは朝未も知ってるトレトゥールか日本の茶屋的な何かがあればって感じだと思う。まあ、あくまでも地球の中世と同じなら、だけどね」

 

うーん、ラノベあるあるの、酒場的な何かに期待したのだけど考えてみれば、この世界の人たちって昼間はみんな仕事してるのよね。酒場なんてあったとしても夜しか意味ないわね。

 

「あとは、北のハンターギルドや傭兵ギルドのあるエリアなら可能性あるかもしれないけど……」

「え?ハンターや傭兵も昼間は仕事してるんじゃないの?」

「あの手の仕事はリスクも大きいけど、それに見合った収入もあるはずだからね。駆け出し以外なら。それに仕事の内容的に中堅以上なら休息をとってコンディションを整えないとパフォーマンスにも影響あるだろうから、そういう休んでいる彼らに昼間の食事を提供する店はあるとは思うよ」

 

そう言えば日本でも消防士なんかは一般のサラリーマンとは違った勤務体系だって聞いたことあるわね。プロスポーツ選手だってある意味そうだろうし。うん一般人と違う勤務の人がいるのは分かったわ。

 

「じゃあ、北エリアに行ってみましょうよ」

 

あたしがそう言うと瑶さんがちょっと顔を顰めたわね。

 

「ただ、荒っぽい奴らが多そうだから朝未を連れて行っていいものか迷う面はあるんだよね」

「え?ハンター登録の時の事見ていたでしょ?あたし結構平気だと思うの」

 

あら、瑶さんたら微妙な顔で頭掻いてるわね。あの時の感じなら襲われても返り討ちに出来ると思うのだけど。

 

「う、うん。言い方を変えよう。多分下品な奴らが多いと思うってことなんだよ」

 

下品?どういうことかしらね?そりゃ上品な食べ方するような人たちじゃないのは分かるけど。

あたしが意味が分からず頭を傾げていると、瑶さんがため息をついて口を開いてきたわ。

 

「あまり言いたくはないけど、こういう時代背景で生き死にの仕事をしてると、その種族保存の本能が刺激されてね、そういう方向に行く奴らが多いと思うんだよ」

 

種族保存の本能?

ボッ。それってうわあ、ちょっとそういうことよね。瑶さんも言いにくかったのは分かるけど、気づいたら顔が熱いわ。で、でもあたしなんかをそういう対象にしたりしないわよね。そりゃあと5年経てばそういう対象に見られないほうが悔しいかもしれないけど。冷静に考えて今のあたしをそういう対象にみる変態はさすがに少数派よね。

 

「ということで、行くだけ行ってみましょう。あまりに見るに堪えないようなら諦めて、そのあたりのトレトゥールで買って食べればいいでしょ」

「何が『ということ』なのかは分からないけど、朝未が良いなら行ってみようか」

 

 

北エリアはハンターギルド登録の時にチラリと見ただけだったのだけど、こうしてじっくり見る街並みは他の区画に比べて道が少し広いかしら。あと歩いている人がごついし、武装してる人が多いわね。

 

「ふーん、思ったより静かね」

「なんだい、いきなり」

「うーん、もっとこう、雑然というか、喧騒というかそんな感じかと思ったの」

「さすがに、そんなわけないだろう。ハンターだって傭兵だって無駄に争って怪我をしたら仕事に障るんだから」

「でも、ハンターギルドで登録の時には無駄に喧嘩売られたわよ」

「まあ、あれは無駄にプライドだけ高くて朝未の見た目に騙されたってとこだろうね」

「え、あたしの見た目?あたしの可愛い見た目に騙された感じ?ああ、あたしって悪女ね」

 

”くふふ”と笑っていると瑶さんが呆れた顔になったわね。

 

「まあ可愛い見た目ってのは間違いじゃないけど、意味がちょっと違うんだが、それに悪女っていうのも何かちょっとなあ……。まあ嬉しそうだからいいけど」

 

瑶さんの、そんな呟きは聞こえません。

 

「あ、瑶さん、ここ入ってみませんか」

 

何か賑やかそうな声の聞こえてくるお店があったので瑶さんに提案してみたのよね。

あら?ちょっと瑶さんの表情が微妙ね。

 

「ここかあ。風来のバイェステロスね。とりあえず朝未は私の後ろから入っておいで」

「後ろから?」

 

そう言うと瑶さんが入口をくぐったのであたしも瑶さんが言うように後から続いて入ったの。

 

「ぐわははは、そりゃ貴様が間抜けなだけだろーが……」

「うるせーよ。ほっとけ」

 

「おーい、ねえちゃんエールお代わりだ」

「あいよ、ちょっと待ってな」

 

「なあ、セシル良いだろ上行こうぜ」

「何度もいわせんじゃないよ。あたいは売りはしないって言ってんだろ」

 

な、なんかカオスね。

 

「はあ、やっぱりこういう店だったか。朝未、とりあえず座ってみるか?」

「え、ええ。ちょっとびっくりしたけど、暴れてるような人はいないみたいなので」

 

「いらっしゃいませ。初めて見る顔ですね」

 

空いていた隅のテーブルについたあたし達にウェートレスさんが声を掛けてくれたの。



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第42話 酒場「風来のバイェステロス」

「いらっしゃいませ。初めて見る顔ですね」

「ああ、先日エルリックについたばかりでね」

「そうなんですね。エルリックはいかがですか?」

「活気のある良い街ですね」

「全体に治安も良いのでお子さん連れでも比較的安心して過ごせると思います。ただ、正直に言わせていただくと、うちを含め北エリアにはあまりよろしくない人たちがいますので注意が必要ですが」

「おーいセシル、うちの治安は悪くねぇぞ」

 

あら、カウンターの向こうから厳つい感じのおじさんが苦笑いで声を掛けてきたわね。

 

「店長それは、北エリアとしてはでしょうが。商業区だったらうちの客の半分はしょっ引かれてるわよ」

「そりゃまあ、そうだろうが。とりあえず普通に飯を食う分には問題ないだろ」

 

店長さんの言葉にセシルと呼ばれたウェートレスさんがあれを見ろとばかりにあたし達の隣のテーブルに顎をしゃくって見せたわね。そこにいたのは、昼間からずいぶんとお酒が入った髭のおじさんと、片耳が無くて頬に大きな傷のあるおじさんなのだけど。

 

「おら、さっさと出すもの出して楽になれや」

「てめえ、イカサマしやがったな」

 

え?ここ酒場よね、賭場じゃないわよね。

あ、もうつかみ合いを始めたわ。

っと、こっちにまでとばっちりが来そうね。

 

「ほら、朝未。私の後ろに下がりなさい。狙われているよ」

 

瑶さんが、あたしに声を掛けて後ろに引っ張ってくれたわね。

あ、やっぱり。あたしは座っていた椅子から腰を浮かせてスルリと後ろに下がって避けたの。

 

グラガッシャーン!!

あたしの目の前を片耳のおじさんの手が泳いでテーブルを叩き、ひっくり返したわ。

あら?2人とも何か驚いた顔してるわね。

 

「なあ、あんたら私のバディに変なちょっかい掛けるのはやめてもらおうか」

 

瑶さんが低い声で2人に警告したわね。

 

「セシルさんと言ったか。こういう輩はこの店ではどうするんだ?」

「はあ、まあ基本的に客同士のトラブル自体にはノータッチなんだけどね……」

 

セシルさんはこっちに倒れ込んできたおじさん2人に冷たい目を向けたわね。

 

「ほら、あんたらがぶち壊した店のテーブルは弁償してもらうよ。それに今のは明らかにあんたらが一方的に突っかかっていったんだからね、この2人の今日の昼めしはあんたらにつけておくからね」

「セシルさん、そりゃねぇよ」

「あたいは、あんたらのために言ってるんだよ。小さい女の子にのされてメンツを失う前にやめておけってね」

「はあ?いくらセシルさんでもそりゃ言い過ぎだぜ。いくら比喩でもその言い方はないだろ」

 

あら?セシルさん頭を抱えたわね。

 

「天使ちゃん、また絡まれてるようだな」

 

え?あたしのこと天使って呼ぶってことは昨日ハンターギルドにいた人ってことよね。

 

「げっ、ギルマス。なんでここに」

「ん?いちゃいかんのか?」

「い、いえ。でも、いつもはギルドで食べてますよね」

「ふん、貴様らみたいに余計な問題を起こす奴らがいるからな。時々見回っているんだよ」

「あ、いや……」

「まあセシルの言ったように、おまえらがぶっ壊したテーブルとその2人の昼めし代を払うなら今回だけは見なかったことにしてやる。それが嫌だってんなら。分かってるな」

「わ、わかりました。払います。払いますから」

 

2人のおじさんは慌ててお金を払うとお店を出ていったわ。

 

「うふふ、そう。やっぱりあなたが天使ちゃんだったのね」

「えと、セシルさん?なんで知ってるの?」

「ふふ、ここは酒場よ。ギルドであった面白い話なんかその日のうちに広がるわ」

「ええ?そんなにですか?」

「そりゃ落ち目とは言え6級ハンターを登録もしてない可愛らしい女の子が手玉に取ったなんて面白い話、他にないもの。でも、これで天使ちゃんはこのお店で安心して過ごせるわよ」

「ほえ?なんでですか?」

「手を出して自己満足できる可能性より、返り討ちにあって嗤われるリスクの方が高いもの。ただ、お誘いはあるかもしれないけどね」

 

そう言うとセシルさんはキレイにウィンクをしてカウンターに戻っていったわ。

 

「ねえ、瑶さん。お誘いって何かしら?」

「ん?夜のお誘いか?」

「え?」

 

あたしは思わず自分の身体を抱きしめちゃったわ。

 

「冗談だよ。パーティーメンバーへの誘いだろう」

「え?なんで?あたしなんの実績もないわよね」

「まあ、簡単に言えば、同じ実力ならムサイおっさんより可愛い女の子のほうが一緒に居て嬉しいっていう男の正直な欲望かな。言葉が通じないことは知られてないしね。朝未も同じ一緒にいるなら他が同じならイケメンの方がいいだろ」

「ん、どうかしらね。あたしあまり見た目って気にしないもの。イケメンは別に嫌いじゃないけど、あれは観賞用ね」

 

「はーい、本日のお勧めランチよ。さっきのおバカさんたちがお金払ってくれてるからお2人はタダだから安心して食べていってね」

 

あたし達が話しているところにセシルさんがお盆を持ってきてくれたわ。

 

「うわあ、おいしそう」

 

白パンに野菜スープ、お肉たっぷりのシチュー、飲み物はジュースかしらね。

あれ?この世界の食事って粗末なんじゃなかったかしら?

 

「うちはハンター相手に商売してるからね。多少高くても美味しくてボリュームのあるものを出すようにしてるのよ」

 

どうやら、あたしは顔に出てたみたいね。でも、美味しいご飯が食べられそうなのは助かるわ。



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第43話 街歩き③

「どうでした、うちのお勧めランチは?」

「美味しくてびっくりしました。こんな料理あったんですね。これ今回は彼らのおごりになってましたけど、自前でで食べたらおいくらなんですか?」

「ふふ、1人前1200スクルドよ。ちょっとお高いけど、それだけの価値はあると思っているわ。まあ客層がハンターや傭兵、それに一部の職人だから設定できるお値段ですけどね」

 

飲食店街の屋台で出されている食事が一人前100から200スクルドだったのと比べるととんでもなく高いわ。

 

この世界の賃金はどうも能力によって大きく違うみたいなのよね。現代日本みたいな労働者保護なんて何もなくて、力も技術も何もない一般人だと単純労働しかなくて日給1000から2000スクルドくらいみたい。これが鍛冶師や細工師のような手に職みたいな人たちだと一気に上がって助手的な人たちでも1万スクルドとか3万スクルドとかもらえるらしいのよね。そこで親方になればさらにドンかしらね。

ただそういった技能職は親方に弟子入りして最初は衣食住こそ保証されるけどそのかわり無給みたいな状態で何年も頑張ってようやくだってことを聞いたわ。そもそもその弟子入れだってほとんど縁故だっていうし。簡単じゃないわね。

そういう中で、ハンターや傭兵は初心者時代こそギリギリの生活になるけど、そこを抜ければそれなりに稼げるし、体つくりの基本だからと割と食にお金を多く回す人が多いそうなの。だから ハンターや傭兵向けの酒場では一般向けでは出せないような料理が出せるんだって。まあ、その初心者時代を生き延びられるハンターや傭兵は半分くらいらしいのだけど。

 

「職人さんが一部なのは、やはり職人街から少し離れているからですか?」

「いえ、職人さんたちの場合は、工房に大体下働きの人がいますから。ほとんど外食しませんので」

 

ある程度以上稼いで、食事は外食っていうハンターや傭兵のスタイルだとこういう少し高いけど美味しいものが食べられる店はマッチするのね。

 

さて、美味しいご飯でお腹いっぱいになったし、そろそろかしらね。あたしが瑶さんに視線を送ると、瑶さんがにっこりと笑顔を返してくれたわ。

 

「じゃあ、朝未そろそろ行こうか」

 

あたしは頷いて瑶さんの後ろから店をでた。

 

「ね、瑶さん。職人街を見に行くのはどうかしら?」

「ん、バラドウヴバゼ商店の後で言っていた木工職人かい?」

「ええ、もし見つかれば」

「うーん、見て回ること自体は良いけど、注文とかはミーガンさんに相談してからが良いと思うよ。現代日本のショッピング街と違って色々並んでいる物を眺めて選ぶってわけじゃないみたいだし」

「う、それは。そうね」

「でも、まあ、どんな職業があるのか見て回るくらいならいいかもしれないね」

「う、うん。そうよね。そういうのを知るのも大事よね」

 

 

そういうことで、あたし達は職人街を見て回っているのだけど……。

 

「ねえ、瑶さん。同じような建物が並んでいるだけに見えるのは気のせいかしら?」

「あー、ある程度は予想していたけど、ここまでとは思わなかったな」

「え、瑶さん、この状態を予想してたの?」

「そりゃ、言ってしまえば、日本で言えば工業地帯みたいなもんだしね。それもオートメーション化された近代的な工場じゃなく、下町の町工場の集まりに近いから見た目より機能優先の建物になるのは予想できるし。特にこの世界の文明レベルならこんな感じかなって。それでも聞こえてくる音である程度職業は予想できるかな」

「音、ですか?」

「そう、耳をすませてごらん。特徴的な作業音が聞こえるから」

 

瑶さんに言われて耳を澄ませてみれば、確かに色々な音が聞こえてくるわね。

遠くから聞こえてくるのは”カーン、カーン、カーン”と甲高い音、金属同士をぶつけているような音ね。近くからは”カツ、カツ、カツ”と少し柔らかいものがぶつかるような音。その後ろからは”シュッ、シュッ、カタン”何かがこすれる他跡で堅めの木がぶつかるような音が聞こえて来たわ。あ、今度は”カツ、カツ、カツ、シュシュシュー、ザリザリ”何かを削っているような感じの音ね。

 

「聞こえたかい?」

「ええ、色々な音がしますね」

「音から、どんなことしているか想像してみてごらん」

「え?想像ですか?」

 

音から想像って難しいわね。でも瑶さんが言うなら……。

 

「多分遠くから聞こえる金属同士をぶつけるような音は鍛冶ですか?」

「うん、ある意味一番分かりやすいね。そして音も大きいから居住区から遠い位置に集まっているのも予想出来るね。他にも、先日アリアネさんのところでは独特の臭いもあったの覚えてるかい?」

「ああ、そういえば皮を鞣すときの薬品のにおいだって言ってましたね」

「そういうのを総合して考えれば、多分そこの建物は木工職人の工房かな?向こうにあるのは多分機織りの工房だと思うよ」

 

言われてみれば、そうかなって思うけど。

 

「見た目じゃわかりませんね」

「分かっても、どこの工房が目的にあっているかは分からないしね。素直にミーガンさんに紹介してもらうのがいいね」

「はーい」



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第44話 編み物

「え、木工職人を紹介してほしいって?」

 

あれからフラフラと職人街を見て回ったけど、結局どこの工房の門も叩かないままに女神の横顔に戻ったのだけど。いえ、はっきり言えば、知らない工房を紹介もなしに訪問するって難易度高すぎて逃げ帰ってしまったの。まあ瑶さんは何か所か声を掛けようとしてたけど、あたしが止めたのよね。

だってなんとなく不安じゃない。なので今ミーガンさんに紹介をお願いしているところなのよね。

 

「ええ、ちょっとした小物を作って欲しくて」

「小物、ですか?」

「ええ、ちょっと自作したいものがあって。それと、糸を何種類か欲しいんですけど。手に入りますか?」

「何か自作されるんですね。その道具を作るのに木工職人に依頼を出したいと。あと糸は簡単に手に入ります。どんなものが良いですか?」

「糸は、あまり弱くないもので、ある程度柔軟なものが太さ別に何種類かあると嬉しいです」

 

厚手から薄手のゴム編み、ジャージ編みでサンプル作ってミーガンさんに渡したらきっと作ってくれると思うのよね。この世界の布って本当にザ・布って感じで伸縮性ないんだもの。多少値段が上がっても、少し伸縮性のある服も欲しいわ。

 

「わかりました。あと木工職人に制作依頼したい小物はどんなものですか?よろしければ、わたしが注文してきますが」

「そうですか。それじゃあお願いします。作ってもらいたいものは……」

「わかりました。その程度のものであれば、恐らくそれほど時間かからないと思います。それにしても変わったものを使われるのですね。いったいどんなものを……」

 

大小数種類の棒針、かぎ針の作成をお願いして、あとで使い方を説明する約束までしちゃったわ。ふふふ、ある意味狙い通りね。

 

翌日は、商業ギルドでこの国の常識や文字・言葉を勉強したの。お昼ごはんは当然”風来のバイェステロス”で食べたわね。屋台のご飯も好奇心を刺激されるけど”風来のバイェステロス”の美味しいご飯をやめてまで食べに行くほどでは無いもの。

 

「朝未様。準備できましたよ」

 

夕食前にミーガンさんが持ってきてくれたのは何種類かの編み針と4種類の糸だったの。

 

「わあ、もうできたんですか。嬉しいです。明日から作ってみますね」

 

武器や防具を受け取るまでまだ何日かあるので、その間に日本にいた頃に趣味にしていた編み物の技術を生かしてちょっとしたものを作ってみようと思うのよね。

 

今の身体は色々と高性能になっているみたいだけどこういった細かい作業はどうかしらね。そういう部分の確認にも役に立つと思うの。まあ、これは後付けの言い訳だけど。この1か月ほど動物(魔物?)を殺して解体して焼いて食べるっていう少し殺伐とした生活をしてきたから、心のうるおいも欲しいのよね。そういう意味では”風来のバイェステロス”は食事の面でうるおいをもたらしてくれたわ。値段は少しばかり高いけど美味しいは正義よね。

 

その日は夕食後は編み物をして、翌日からは午前中編み物、風来のバイェステロスで昼ご飯を食べて、午後は商業ギルドでお勉強、夕方になったら宿に戻って夕食、そのあと寝るまで編み物という生活を4日ほど過ごしたの。

 

 

 

「瑶様、朝未様、武器と防具の準備が出来たと連絡がありました。よろしければ朝食後、ご案内させていただきますが、ご予定はいかがですか?」

 

あたしは瑶さんの顔を見て頷いてみせたの。

 

「では、朝食後。よろしくお願いいたします」

「はい、では後で表に馬車をまわしますので、朝食がお済になりましたらロビーでお待ちください」

 

食後、一旦部屋に戻って準備をしたあたしと瑶さんがロビーで待っているところにミーガンさんが呼びに来たわ。

 

「瑶様、朝未様、馬車の準備が出来ました。こちらへどうぞ」

 

 

「ミーガンさん、ちょっとこれ見てもらえます?」

 

馬車に乗ったところであたしは鞄からこの数日の成果たちを取り出してミーガンさんに見せた。

 

「これは、ベストですか」

「ええ、先日作ってもらった小物を使って編んだのだけど、ミーガンさんから見てどう感じますか?」

「編んだ、ですか?」

 

そう言うとしげしげとミーガンさんはベストを眺め。

 

「朝未様、これでは着ることが出来ませんよ」

「何故ですか?」

「いや、わかってますよね。これだと肩が入りません」

「うふふ、肩が入りませんか?騙されたと思って着てみてくれませんか?」

 

あたしが言うと、ミーガンさんは少し変な顔をしながらも渋々と着てみてくれたわ。あ、顔が驚きの表情に変わったわね。

 

「朝未様、こ、これはどうなっているのですか?サイズからしたら絶対に着ることが出来ないと思ったのですがスルリと、しかも身体にぴったりとフィットして。それによく見ると何やら模様のようなものが。ひょっとして魔法道具ですか?」

「ふふ、違いますよ。これは純粋に技術的なものです。編み方で自然に少しばかり伸縮するようになるんです。模様は違う糸を編み込んでいるだけですね。そもそもあたし、魔法道具なんて作れませんよ」

「で、では、これは作り方が分かれば誰にでも同じものが作れると?」

「そうですね、少し手間がかかりますので普通の布のように量産するのは難しいと思いますが。道具作りをお願いした時のお約束通り、編み方は説明させていただきますよ」

「いいのですか?これかなりの利益を生みそうですが」

「あたし達じゃ売り先を見つけるのも材料の購入も簡単ではないですから。それにあたしだけじゃ作れる数も大したことないですし。そのあたりは商人であるミーガンさんにお任せしたほうが良いでしょう?」

「わかりました。お任せください」

 

あたし達が見つけられなかっただけでなく、この世界では本当に伸縮性のある生地はまだ無いらしくミーガンさんも興奮気味に頷いてくれたわ。売り上げの一部をあたしに還元してくれるそうなのでこの世界での収入源が出来たのも嬉しいわね。

 

「到着しました」

 

そんな中エルリさんがヴェルマーさんの工房に到着したことを知らせてくれたわ。さあ武器や防具の出来が楽しみね。



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第45話 勇者たちを……

「おーい、ヴェルマー!。わたしだミーガンだ。瑶様と朝未様の武器防具が仕上がったと聞いてきたわよ」

 

前回と同じようにミーガンさんが大声で呼んで、しばらくしたところでヴェルマーさんがのっそりと出てきたわね。あら、ちょっと寝不足なのかしら目をショボショボさせているわね。

 

「おう、奥に準備してあるぞ。入ってこい」

 

ヴェルマーさんの後ろについていった部屋で見回すと、あたし達が注文した武器防具が並べてあるわね。

 

「まず、これがチェインメイル。大きさが違うからどっちがどっちかを間違うことはないだろう。とりあえず着け方を教えるが、本来は鎧下を着てから装備するもんだからな忘れるなよ」

 

あら、腰のところをベルトで止めるのね。上から被るだけかと思っていたわ。

 

「嬢ちゃん、腰のベルトを不思議そうに見てるが、これのあるなしで疲れ方が違うからな」

 

それから一通り装備方法や自分でできる手入れの方法を教わって、今日のところは革袋に入れて持ち帰る事になったの。

 

「さて、次はアリアネのとこですね。先日、最終調整もして完成してるそうですから」

 

 

アリアネさんの工房で、手袋やブーツ、皮鎧を試着して合っていることを確認して受け取ったの。特にブーツが数日前の仮合わせの時と比べて随分と現代風なものに変わっていてびっくりしたわ。快適になっていたのだから文句はないのだけど。

 

「さて、これで最低限の装備は揃ったわけだけど」

 

宿に戻ると瑶さんと打ち合わせを始めたの。

 

「当面はこのエルリックを拠点にして、ハンターとして日銭を稼ぎつつ、商業ギルドでこの世界の常識や言葉や読み書きを勉強するでいいね?」

「そう、ですね。でも言葉ってどのくらいで覚えられるのかしら?」

「元の世界でなら近い言語を知っていれば最低限なら半年からかな。あとはこの世界に来て高性能になった身体の物覚えがどのくらい高性能か、だね」

「そ、そうですね。この数日の勉強の感じからすると随分と高性能になっている気はするんですけど」

 

実際、この国の文字は表音文字なので文字数こそ少ないけど、初日で表記方法をほぼ覚えられて自分に驚いたもの。あとは、言葉そのものと同時に常識を覚えないとね。あ、そうだ。

 

「あの気になっていることがあるのだけど」

「気になっている事?なんだい?」

 

「トランルーノ聖王国が勇者召還をしたってミーガンさんもカトリンさんも言ってたでしょう。あれが気になっていて」

「そのことについては私も少しばかり思うところはあるけど、具体的に朝未はどんなふうに気になっているのかな?」

 

「そうですね。具体的にはタイミングですね。あたし達がこの世界に来てそろそろ2カ月ですよね。噂を総合すると勇者召還もちょうどその頃みたいじゃないですか」

「そうだね。それで?」

「ひょっとしたら、ですけど。あたし達ってその勇者召還のとばっちりを受けてこの世界に来ちゃったのかなって。そして、もしそうなら召喚された勇者ってあたしたちのいた世界から連れてこられた人たちなのかもって思ったんです」

「朝未もそう思うの?」

「ええ、それにこの世界に来た時、瑶さんが言ったことを思い出したんです」

「私が言った事?」

 

「あたしの後ろにいた高校生3人を中心に何かが光って、瑶さんがあたしを助けようとしてくれたってこと。ひょっとしたら、その光が勇者召喚の力だったのかもしれないって。瑶さんが庇ってくれたからあたし達はトランルーノ聖王国に取り込まれずに済んだのかもしれないって。なら今トランルーノ聖王国にいる勇者ってその時の高校生達なのかもしれないって」

「私も、その可能性が高いと思っているよ。そしてそれが本当なら彼らも私達と同じく高性能な身体を手に入れている可能性が高い。ただ、カトリンさんの言っていたことが本当なら彼らは隷属の魔法道具によって戦争の道具にされている可能性が高いね」

 

「やっぱり。それなら……」

「助けに行くとでも言うのかい?」

「え?」

「現状、確かに私達の身体は高性能になっているのは間違いないね。でも国の軍隊を相手に出来るほどかな?」

 

なんで軍隊を相手にすることに?

 

「ここは物語の世界じゃないよ。国の最大戦力になる3人に簡単に近づけるとは思えない」

「じゃ、じゃあ同じ世界から連れてこられて苦しんでいる人たちを放っておくの?」

 

”パシン”

え?今何が起きたの。

あ、瑶さんがあたしの頬を叩いた?

 

「朝未。冷静になりなさい。私だって本当に私たちと同じ世界の人間なら助けてあげたいとは思う。でも、現状では無理だよ。今の私たちはちょっとだけ一般人より強いだけの下級ハンターでしかない。この世界の常識も分からないし、トランルーノ聖王国の情報も何も知らない。協力者だって必要だよ。ミーガンさんは良くしてくれているけど、さすがに国に喧嘩を売るとなれば味方をしてくれるとは思えない。今のまま助けに行っても無駄に死ぬか、逆につかまって私達も隷属させられるのがおちだよ。そうなっては彼らを助けることも出来ない」

 

「じ、じゃあどうすれば良いの?勇者として使い潰されるのを黙って指をくわえてみてろっていうの?」

 

「朝未。何度も言うけれど冷静になりなさい。大丈夫。彼らはある意味切り札のはず。国に逆らうような事をしなければ当面は安全だよ。その逆らうっていうのも隷属化されていれば無茶な逆らいかたは出来ないだろうから」

 

「本当?」

 

「多分ね。だからまずは私たちは力を付けること、そしてこの世界の常識を覚える事、そしてトランルーの聖王国の情報を集める事。そこから始めよう」



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聖女
第46話 キツネ狩り


「おはようございます」

 

まずは自分たちが強くなることと、この世界の常識を手に入れることに決めたあたし達は翌朝いつもより早い時間に朝食を済ませてハンターギルドに足を向けたの。だって強くなるにしても生活費は必要だもの。そう、お金大事。

 

「私達が受けられる依頼は何かあるかな」

 

あたし達が向かったのは採集・討伐・素材回収の依頼が貼り付けられた掲示板。この辺りは異世界あるあるのテンプレみたいね。

でも、問題なのは

 

「マッドボアーの素材回収。20万スクルド?」

「こっちはベイドウィード。1袋7000スクルド」

「ねえ、瑶さん」

「朝未が言いたい事は分かるよ」

「ですよね」

 

翻訳の結界のおかげで言葉は分かるし、文字も読めるのだけど、そもそも書いてある対象が何なのか分からないと依頼を受けてもターゲットが分からないじゃないの。

 

あ、瑶さんが受付に向かって行ったわ。

 

「すみません。討伐や採集に関する資料ってありませんか?」

「はい、ありますよ。ただギルド会員専用です。ご利用の場合はギルド証を確認させていただきます。利用料金は1人1日1000スクルド。メモ用の羊皮紙は1枚200スクルドとなります。また資料を破損させた場合は補修費用の実費と罰金5万スクルドが掛かりますのでご注意ください。もし破損している資料を発見した場合は、そのまま安置し受付にご連絡ください。放置されますとあなた方が破損させたとされる場合もありますので特にご注意ください」

 

うわあ、厳しいわね。やっぱりこの世界ではこの手の物は貴重品なんでしょうね。

 

「はい、では利用は2人。それと羊皮紙とりあえず20枚ください」

「はい、合わせて6000スクルドになります」

 

6000スクルドを支払って代わりに渡されたのは入室許可証と大体A4サイズくらいの羊皮紙。A4用紙1枚400円って思うととんでもなく高いと思うのだけど、それが皮って思うと微妙ね。

 

「こちらです。先ほども言いましたが、資料は丁寧に扱ってくださいね。では、わたしはこれで失礼します。何かありましたら、受付で承ります」

 

案内された資料室には大きな机と本棚が……ちっさい。厚さ5センチくらいの本が20冊くらいと1冊薄いのがあるわね。これで資料室の利用料1人2000円ってさすがに暴利じゃないかしらね。

 

「魔物辞典が初級・中級・上級に特別編、こっちは、お、基礎魔法理論、地属性魔法書、水属性魔法書、火属性魔法書、風属性魔法書、闇属性魔法書、聖属性魔法書、属性魔法書は初級と中級が1冊ずつか、上級は無いんだな。それと薬草辞典だけど、これは薄いな」

 

多少の愚痴をこぼしながらもあたし達はすぐに知りたい情報を優先的に調べて羊皮紙にメモを取っていったの。途中で羊皮紙を追加して1日で50枚くらい写し取ってクタクタになってしまったわ。

 

「とりあえず、最低限の情報は手にいれられたね。あしたからハンターとして活動開始かな」

 

瑶さんの言葉にあたしもそっと頷いたの。

 

 

次の日、あたしと瑶さんはエルリックから街道を南へ2時間、そこから街道を外れて入って1時間ほどの森の中で慎重に足を進めているの。

 

「日帰り出来る範囲で出来るだけ稼げる場所で狩りを」

 

という瑶さんの方針で、ここに来たの。狙うのはスリーテールフォックス。常設依頼で1頭あたりの標準報酬が6万スクルド。50センチくらいの大きさで2本から5本の尻尾がある狐で尻尾が多いほど高いらしいのよね。注意するのは爪にも牙にも毒があって引っかかれたり嚙みつかれたりして毒を受けないようにすることね。あとギルドの資料では藪に潜んで人が近くを通ると襲い掛かるって書いてあったわ。でも、今の季節(春)だと体毛の色が紛れきれずによく見れば分かるそうなの。

 

「朝未、あれだろう」

「あ、そうね。緑の藪の下に茶色い毛並みが見えますね」

 

100メートルくらい先の藪の中で尻尾が揺れているわ。

 

「50メートルくらいまで近づいてあたしが弓で射ます」

「うん、私は風下から近づくから20メートルくらいまで近づいたところで1射目を頼むね。そこからは臨機応変に」

 

あたしが頷くと、瑶さんは少し遠回りして風下に周ったわ。

少しずつ慎重に距離を詰める瑶さんを気にしながらあたしも、そっと距離を詰めた。

あたしが50メートルくらいまで距離を詰めて、弓を準備済ませると。ちょうど瑶さんが風下20メートルくらいについてあたしに視線を向けて手で合図をくれたわ。

 

あたしは深呼吸を1つして弓を引き絞り藪と草に僅かに隠れたスリーテールフォックスの頭を狙って”今”

あたしが矢を放った次の瞬間瑶さんが剣を手に距離を詰め、でもその剣は振るわれることなく鞘に収まったの。

 

「相変わらず、いや、弓を新しくして更に朝未の弓は凄くなったな」

「瑶さんがいてくれて安心して集中できるからですよ」

 

あたしが近寄ると既に4本の尻尾を持つ狐の解体を始めていた瑶さんが褒めてくれたわ。でも本当にあたし1人だったらここまで集中して狙えないものね。



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第47話 ハイヒール

約50メートル先の狐を狙って弓で射る。

 

「え?」

 

あたしは思わず声を出してしまったわ。

今のは、あたしは外していないわ。そのくらいは感覚で分かるもの。ということは避けられた?

あたしが一瞬ぼーぜんとしている間にこっちに向かってきたわ。

慌てて2の矢を放つけど、こんな状態で当たるわけもなく……。瑶さんも追いかけてくれているけど、狐の方が速い。

弓で射るのを諦めあたしは腰の後ろに下げた短剣を引き抜いた。

短剣を構えた時には狐はもう、10メートルも無いところまで迫っている。その後ろに6本の尻尾がなびいていた。

 

「くっ」

 

いきなり飛び掛かってきた狐に、あたしはどうにか体を躱し、短剣を振り切ったのだけど、これも躱された。空中で躱すなんて、どんな体術よ。

地面に降りた狐は、あたしのスキを窺うように右回りに移動している。あたしも少しずつ移動しながら警戒をしている。できれば瑶さんとの間に狐が来るように移動したいのだけど警戒心が強いのか、その狐はするりと場所を変え挟み撃ちをさせない。明らかにこの狐、あたしより速い。

『くっ、もっと速く動けたら』

あたしが、益体もなく思ったその時、フッと僅かに柔らかな光があたしを包んだの。

そのとたん、あたしの身体が一気に移動した。

 

「え?」

 

それまでも以前と比べてとんでもなく高性能になったと思っていた身体が更に加速したの。

それまであたしより間違いなく速かった狐。今のあたしは、狐より速くはないけれど、負けない程度には速いわ。

 

「ふっ」

 

気合を込めて短剣を振るうのだけど、速さこそ追いついたものの、決定的なアドバンテージにはなっていないの。瑶さんも急いで向かってきてくれているけど、まだ数秒はかかるわよね。

 

そんな一瞬のあたしのスキを突いて狐が飛び掛かってきたわ。

とっさに横に転がって避けたのだけど、あたしの居た場所の後ろにあった直径20センチほどの木が狐の前足の攻撃をあたしの代わりに受けて”メキメキ”そんな音をたてながら倒れていったわ。

あんなもの受けたら、いくら防具を揃えたとは言ってもあたしは耐えられないわよ。

でも、驚いてばかりもいられないわ。今もあたしを狙って飛び掛かってくるのだもの。

転がって避けるのが精いっぱいだけど、すぐ横で”ドカン”、”ドゴン”と盛大な音をさせる狐の攻撃にあたしは冷や汗をかきながら必死に転がって避けて、あ、これは無理、当たるわ。

『や、痛いの嫌よ』

また、あたしの身体を光が包んだわ。

”ドン”

あたしのお腹あたりに狐の前足が振り下ろされたのだけど。

 

「ガフッ」

 

くぅ、今の目の前が一瞬真っ白になったけど、あたし生きてるわね。

今の間違いなく当たったのよね。自分のお腹を見ると、破れたポンチョと、その下の鎖帷子が少し破損しているのが見えたわ。これ普通なら死んでるわよね。

 

でも、あたし自身は今のはきつかったけど生きてる。とてもあんな木をへし折るような攻撃が当たったとは思えないわね。

 

それでも立ち上がっていないあたしにのしかかろうと狐が向かってきたところへ瑶さんの剣が振るわれて助かったわ。

 

「朝未。大丈夫か?」

 

あら、瑶さんの声が珍しく焦っているわね。

 

「ええ、大丈夫です。ポンチョと鎖帷子は少し破損しましたけど、あたしは元気です」

 

瑶さんの声に、あたしは身体を起こそうとして

 

「ガッ」

 

痛みに身体を抱え込んでしまったわ。

 

「朝未。…………」

 

瑶さんの声は聞こえるけど、何を言っているのか分からない。でも、『こんな痛いのは嫌よ。なんとかして』

ふっと温かいものがあたしを包んで痛みが軽くなったような気がして、あたしは意識を手放した。

 

 

 

 

「うっ」

 

目を覚ましたあたしはお腹から胸への痛みに顔を歪めたのだけど、それでも今は少しマシかしらね。

 

「朝未。気が付いたか」

 

心配そうな瑶さんの顔が覗き込んできたわ。

なので身体を起こそうとすると、少し痛みが走るわね。

 

「起きなくていいよ。無理をしないように。右の肋骨10番から12番が折れているし、お腹も打撲がある。回復魔法は使えるかい?」

 

瑶さんに言われたように右わき腹が一番痛いわね。あたしはいつものようにそっと手を当てて

 

「早くよくなりますように」

 

すっと痛みが引いてお腹の方の腫れた感じは軽くなったわ。でも

 

「う、これだと骨折までは治らないみたい」

 

ラノベやゲームのヒールくらいの効果なのかしらね。軽いケガや打ち身程度は一瞬で治るけど骨折となると即時回復とはいかないみたいね。

 

「あ、でもひょっとしたら」

 

確か、初級聖属性魔法書の後半にハイヒールの魔法が書いてあったわ。なので今度は、折れた肋骨が元の位置に戻って治るようにイメージをしながら集中して魔法を使ってみることにする。

 

「ハイヒール」

 

微かな光と温かさを感じ、すっと痛みが引いたわ。



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第48話 ナインテールフォックス

あたしが身体を起こすと瑶さんが手を貸してくれた。

 

「うまくいったようだね」

「ええ、聖属性魔法書を読んでおいてよかったわ」

 

瑶さんの手渡してくれたチェインメイル。少し破損しているそれを装備しなおして、その上にハードレザーのブレストメイルを付けなおす。

 

「よかった。でも、狐の攻撃をまともに受けたのを見た時には青くなったよ。チェインメイルだと打撃の軽減効果は限定的だからね」

「そのあたりについてなんですけど」

 

狐との戦いの中で不思議な感覚があったことを瑶さんに伝えたの。

 

「ふむ、動きが速くなったり、攻撃を受けた時に思ったよりダメージが少なかったりか。いわゆる強化補助魔法。バフってやつかな。聖属性魔法にそれらしいものがあったようにも思ったけど、朝未は練習してなかったよね。いきなり使えたりするものなのかな?」

「それと一緒なのかは分からないけど、稀にいきなり使える人がいるようなことは書いてあったわね」

 

でも、その稀な例って確か『聖女』とかいう名前?称号?と一緒になっていたので嫌な感じがするのよねえ。

あ、そういえば。

 

「瑶さん。バフなんて言葉知ってるのね。ひょっとして実はゲーマーだったり?」

「う、ちょっと齧った程度だよ」

 

クフフ、とあたしが笑いながら聞くと、瑶さんがちょっと頬を染めて動揺してるわね。ゲームくらい別に良いと思うんだけどな。

 

「ただ、あたしは狐との戦闘中は呪文とか発動句を唱えたわけじゃないのよね」

「そこは、基礎魔法理論の中に『呪文や発動句は強固なイメージを持ち目的と対象を明確にするための補助であり』って言葉もあったから、実は呪文や発動句は魔法の発動に必須問う言うわけでは無いということだと思うよ。そもそも初めて使った朝未の回復魔法もそんなものに依存してなかったでしょう」

 

なおさら困るのよね。聖属性魔法で過去にそれが出来たのが聖女と呼ばれる特別な存在だけだったらしいのだから。そのあたりも瑶さんに伝えると、さすがに瑶さんも顔を顰めたわね。

 

「そうすると、朝未は以前から回復魔法や補助魔法の練習をしていたことにしないとまずいのか」

「それはちょっと無理がありませんか?ハンターギルドの資料室で魔法関連の資料を読み漁っていたのは見られていますし」

 

黙って干渉無く調べさせてくれたのは確かだけど、あの時受け付けてくれたお姉さん、時々様子を見に来たのよね。だからあたしが魔法関係の資料を読み漁っていたのはバレバレだものね。あれで以前から魔法の練習をしていましたっていうのは無理があるのはたしかよね。

 

「そうすると、魔法は今は練習中で使えない。今回は魔法無しで切り抜けたって事にして、時々練習している状況を見せるようにするのがいいかな」

「魔法の練習。瑶さんも付き合ってくれますよね。特に聖属性魔法以外は個人差はあっても使える人は多いってことになっているんですから」

 

そんな話を決めて、あたしと瑶さんは今回斃した狐4頭をバッグに括り付けエルリックに戻ることにしたの。

 

 

エルリックに戻ってハンターギルドに狐を卸そうと受付に向かうと、登録からこっち担当してもらっているお姉さんがホッとした顔で声を掛けてきたの。

 

「ヨウ様、アサミ様、ご無事でしたか」

「無事って。この通りですよ」

「何かあったの?」

「はい、実はお2人がスリーテールフォックス狩りに向かわれたエリアでナインテールフォックスが確認されたんです」

「「ナインテールフォックス?」」

「はい、見た目はスリーテールフォックスとほとんど変わらないのですが、敏捷性、攻撃力、警戒心等が何倍も強い魔獣です。今討伐依頼を出して初心者はそのエリアに近づかないよう注意喚起しているところです」

 

なんとなく思い当たることがあって嫌な予感がするのよね。瑶さんに目を向けると瑶さんも微妙な顔してるわ。

 

「えと、そんなに違うんですか?」

「そりゃあもう。スリーテールフォックスは初心者でもとは言いませんが、通常なら8級から6級ハンターが3から5人のパーティを組めば問題なく狩れるんですが、ナインテールフォックスは最低5級ハンターが5人パーティで狩るような魔獣ですからね」

「スリーテールフォックスと見た目がほとんど変わらないと言われましたが、見分けるのはどうすれば?」

 

あたしはなんとなくそうじゃないかなと思いつつ聞いてみたのよね。

 

「はい、尻尾の数が違いますね。スリーテールフォックスは2本から5本なんですが、ナインテールフォックスは6本から9本なんです。5本と6本では1本しか違わないんですが、その1本の違いを見落とすと初心者ばかりか中級ハンターでもあっさりと命を落とします」

 

あたしと瑶さんはそっとお姉さんから目をそらしたの。

だってここで言えるわけないじゃない。スリーテールフォックスと思って最後に狩ったキツネの尻尾が6本だったなんて。



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第49話 受付嬢アレッシア

「はあ?スリーテールフォックスと思って狩ったキツネの尻尾が6本だったんですか?」

 

ハンターギルドの奥。買い取りカウンターでいつものお姉さんに獲物の査定をしてもらっているのだけど……。

うん、そうよね。さっきナインテールフォックスの説明を聞いたから、お姉さんの気持ちは分からないでは無いわ。

 

「ええ、強くて苦戦しました」

「それ、ヨウ様とアサミ様の2人でということですよね」

 

あたし達は目をそらしながら頷くしかないのだけど……。

 

「アサミ様には、初日から驚かされましたが。とりあえず、査定をしてしまいましょう。このカンターに順番に出していってください」

 

お姉さんに促されて、あたし達はカウンターに狐を並べていくのだけど、尻尾の数が2本4本3本、最後にドンと乗せた狐の尻尾が6本。

あ、お姉さんが頭を抱えているわね。先にちゃんと説明したのに。

 

「間違いなくナインテールフォックスですね。尻尾が6本なのでナインテールフォックスの中では弱い個体ですが、それでも8級ハンター2人で仕留めるような魔獣じゃないんですけどね」

 

それでも、お姉さんは査定を進めてくれてお金をカウンターに並べたのよね。

 

「まずはスリーテールフォックス、尻尾が2本3本4本が各1体、綺麗に倒され毛皮にも余計な傷もありませんので12万スクルド、ナインテールフォックスの尻尾6本が1体。基本査定30万スクルドですがこちらはこことここに少し傷がありますので25万スクルド。合計37万スクルドです」

 

日本円にして約74万円くらいかしら。1日の稼ぎとしてはかなりね。あ、いえ、あたしはある意味死ぬところだったって事考えたらそれほどでもないのかしら?

 

「では、あちらでお支払いしますのでいらしてください」

 

 

 

「そういえば、いつもお姉さんが対応してくれてますけど。受付で担当とかあったりするんですか?」

 

そう、ギルドで入会も資料室への案内も、討伐依頼の選定のアドバイス、そして今回の討伐素材の受付も全部このお姉さんがやってくれているのよね。

 

「ふふ、普通はありませんね。普通は」

 

なんかその視線が意味深なんですけど。

 

「普通はという事は、たまにはあるって事ですよね?」

 

怖いもの見たさ的に一応聞いてみることにしたのだけど。

 

「ええ、一般的には高ランクのハンターには専属ないし優先担当がつきますね」

「でも、あたし達は別に高ランクってわけじゃないですけど」

「ランクは登録したばかりなので確かに高くは無いですが、落ち目だったとはいえ6級ハンターを手玉に取って天使と呼ばれるような女の子なら、ね」

 

きれーなウィンクをするお姉さん。その返事は聞きたくなかったわ。確かにやらかしたとは思ったけど、そこまでになるなんて。

 

「もう、それは……。ふぅ、数日前の自分を殴ってでも止めてやりたい気分ですが、今更ですね。それでひとつお聞きしてもいいですか」

 

「なんでしょう。答えられることなら良いのですが」

 

 

それでもあたしは、深呼吸をして心を落ち着けると、気になっていたことをひとつだけ口にしたの。

 

「お姉さん、お名前教えてくれませんか?」

 

お姉さんは、右手を頬にあて目をまん丸にしたわね。

 

「あらあら、失礼しました。そういえば自己紹介もしていませんでしたね。わたしはアレッシアといいます。見ての通りエルリックハンターギルドの受付を担当しております。当面、アサミ様、ヨウ様の優先担当となります。お見知りおきください。受付窓口担当の中では経験を積んでいる方だと自負しております。困りごと等ありましたら、ご相談に乗らせていただきますよ」

 

あら?これはひょっとして目立ったなりに得もあったという事かしらね。あたしは瑶さんに視線を向けてここからはお任せすることにした。

 

「ご丁寧にありがとうございます。こちらも改めて紹介させていただきますね。私は瑶。こちらの少しやんちゃな女の子が朝未です。基本的に後衛の朝未が弓で先制し、私が前衛で支えるのが私達の今のところのスタイルです。朝未も多少は近接戦闘も出来ますのでペアとしては比較的安定していると思っています。ただ人数が少ないだけに想定外の事態に弱いという弱点があるのが悩みですけどね」

 

瑶さんが苦笑しながら受付のお姉さん改めアレッシアさんに説明してくれたわね。

 

「なるほど、少人数ですとその辺りがどうしても弱くなりがちですね。信頼のおける仲間をふやすのも手ですが、ご紹介しましょうか?」

「いえ、今はまだメンバーを増やすつもりはありません。もう少し2人で地力をつけようと思いますので」

「わかりました。そうですね。メンバーを増やすのは、もう少しお2人の実力にハンターランクが追いついてからの方が良いかもしれませんね」

「はい、よろしくお願いします」

「今日は、これで?」

「ええ、さすがに疲れましたので引き上げようと思います。数日休んでそれから次の仕事をしようかと」

「そうですね。ナインテールフォックスの討伐なんてことを達成したんです。心身ともにお疲れでしょう。しっかりと休息をとられた方がいいでしょうね。ではまたのおいでをお待ちしております」

 

あたし達は、挨拶をするとギルドを出て、そのままヴェルマーさんの工房に向かうことにしたのよね。



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第50話 修理と練習と

「こんにちは。ヴェルマーさんみえますか?」

 

瑶さんが声掛けるとしばらくして、ヴェルマーさんが顔を出してくれたわ。直接来るのは初めてなのでちょっと緊張していたけど、ホッとしたわね。

 

「ん、ヨウか、嬢ちゃんも一緒だな。今日はミーガンは一緒じゃないのか?」

「ああ、朝未のチェインメイルの修理を頼みにきたんだ」

「修理?先日渡したばかりだろう。何か不具合でもあったのか?」

「いや、ちょっと想定外の敵が出てな。私の対応も悪かったんだが朝未のところまで一気に抜かれたんだ」

 

「想定外の敵って何がでたんだ?」

「スリーテールフォックス狩りの途中でナインテールフォックスが出たんだ。それで……」

「そりゃ災難だったな。スリーテールフォックスとナインテールフォックスじゃまるで別だからな。というよりお前たちよく生きて帰られたな」

 

「まあ、正直なところ危なかった。ナインテールフォックスと認識して対峙していればともかく、スリーテールフォックスと思っていたからな」

「そうだろうな……。ん?ナインテールフォックスと認識していれば?まるでわかっていればナインテールフォックス自体は問題ないような言い方だな?」

 

「あ?ああ、あの動きだからな、問題ないとまでは言わないが、朝未に気をとられていたとは言え私の攻撃自体は問題なく通ったからな」

 

「うん?攻撃が通った?逃げたんじゃないのか?」

「あんな速いのから逃げられるわけないだろう。斃したんだよ。まあ、その過程で朝未に怖い思いをさせてしまったんだけど」

 

「ふむ、なら防具をグレードアップするか?ナインテールフォックスを討伐したなら金も出ただろ?」

「それも考えたんだが、少し魔法の練習をしてみようかと思ってね。補助魔法が使えるようになればその方が良いだろ。今回の収入はそれまでの生活費に充てるつもりだ」

 

「ふん、魔法な。使えるようになるならそれもアリだが。使えるようになるのか?」

「それは分からん。まあ、使えるようにならないなら余裕のあるうちに別の方法を考えるさ」

 

あら、瑶さんうまくはぐらかしたわね。あたしはもう既に使えるのだけど、これから練習する体だものね。

 

「ま、いい。ならとりあえず嬢ちゃんのチェインメイルを出しな」

 

あたしがチェインメイルを手渡すと、じっくりと調べ始めたわ。あら、なにか顔を顰めて首を捻っているわね。

 

「嬢ちゃん、本当にケガをしなかったのか?」

「え?ええ。この通りピンピンしているわよ」

「このチェインメイルの破損状態で怪我がないというのは鍛冶師としては納得のいかんところではあるんだが、事実として嬢ちゃんはぴんぴんしとるしなあ」

 

怪我したなんて言ったら、回復魔法の事まで言わないといけないものね。死にかねない攻撃にバフのおかげで耐えたなんてのも言ったらどうなることか分からないもの。そのかわりにヴェルマーさんが頭を抱えてしまったけれど。これはいつか”ごめんなさい”するしかないわね。いつになるかは分からないけれど。

 

 

「あたしとしては、一瞬これは死んだって思いはしましたけど、本当に運が良かったです」

「で、本当に修理でいいのか?多少なりと稼いだんだろう。チェインメイルとは言えこんな壊れ方をするような攻撃を受けておるんだ。もう少し防御力のある防具に変えておくのも手だとは思うぞ」

「そう、ですね。今は防具よりも自分の能力を上げるために投資しようと思いますので。でも、ご心配いただきありがとうございます」

 

あたしのチェインメイルをヴェルマーさんに預けると、あたしたちはハンターギルドに戻ったの。目的はギルドの訓練スペースで魔法の練習をすること。しかも今日はまだ発動させちゃいけないのよね。多分……。

 

と思っていたけど、もう一度資料室で資料を読み直していたら、基礎魔法理論の中に生活魔法なんてものがあって、これは早い人なら初日から発動できるとか。戦闘に使えないような簡単な魔法ばかりだけど、見ると結構便利そうね。

 

最初は、灯りの魔法『ライト』に挑戦してみようかしら。何か物に灯りを付与する方法が簡単で初心者にお勧めって書いてあるわね。

あたしは周りを見回して誰の迷惑にもなりそうもない物を探して、あ、なんでも良いのよね。

 

「この小石にライトを付与してみよう」

 

小石に光が灯るのをイメージして

 

「ライト」

 

ふわり、わずかに小石が浮いて柔らかな光が溢れたわ。え?光るのは良いけど何故浮くの?ライトって光るだけのはずよね。浮かぶのはレビテートかフロートの魔法のはずよね。そもそもレビテートやフロートは生活魔法の範疇じゃないし。

慌てて魔法を取り消したわよ。

こ、これはものにライトを付与するのはまずいわね

 

「おしかったですね」

「え?」

 

突然後ろから声を掛けれられて固まってしまったわ。

そーっと後ろを振り向くと、そこにいたのは笑顔の受付のお姉さん。

 

「アレッシアさん。見てたんですか?」

「いえいえ、たまたまですよ。うまく発動したように見えたんですけどね。すぐに消えちゃいましたね」

 

あぶなかったわ。光ったところを見られるだけならいいけど、浮かんでいるとこなんか見られたらまた特別扱いされちゃう。

 

「えと、ライトって成功するとどのくらいの時間光っているんですか?」

「そうですね。術者の能力に大きく依存しますが、慣れた人なら半日程度でしょうか。初心者なら1刻程度持続すれば成功と思えば良いと思いますよ」

 

それからしばらくアレッシアさんが傍で見ていたので、いくつかの生活魔法で微妙な成功を続けたの。

だってさっきみたいにおかしな付加がついたら困るもの。



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第51話 聖女と魔法の練習

午後いっぱい使って、生活魔法を発動させては中途半端で止めるを繰り返して練習をしたの。だってライトは付与物をふわふわと浮かべるし、ウォータで生み出した水は何かキラキラとして神々しいし、クリーンは自分に掛けたはずなのにあたし自身は変わった感じなくて周りに何かキラキラと降ってくるし、イグナイトは他の人に見せてもらった炎がオレンジ色のいかにもな炎なのにあたしのは青白くて違うし、どの生活魔法を使っても完全に発動させると厄介ごとが寄ってきそうなのよ。

 

「朝未はもう聖女路線でいくしかないんじゃないか?」

 

なんて瑶さんは横で苦笑してたけどさ。

そういう瑶さんが生活魔法を一通り普通に発動に成功させていたのは納得のいかないところなのよね。

 

「生活魔法は、最終的に今日のうちに成功したことにして、いえ、一応元々成功していたんだけど他人に見せられないような発動をしただけで」

 

なんで生活魔法程度があんなものになるのかあたしはため息をついて頭を抱えてしまった。

 

「でもきっと属性魔法なら大丈夫よね」

「そうだね。朝未は聖属性魔法に特に適性がありそうだからそっちを練習しているのを見せるのが良いかもしれないね」

 

それも問題なのよね。聖属性魔法って回復や補助に優れ邪悪なるものを祓うと言われる魔法。瑶さんが言うように確かにあたしに適性があるのは間違いなさそうだし、とても便利で有効な魔法なことは間違いないのだけど。

 

「ヒール」

 

あたしの唱えた発動句と共にふわりと温かい何かがあたしの手を包む。これはこの世界の魔法について何も知らなかった時『早く良くなりますように』とおまじないをしたときと同じ。

どうやらあたしは無自覚にこの世界で言うところの『ヒール』を発動していたみたいなのね。

そして、この聖属性魔法ってとても使い手が少ないらしいの。特にこの前あたしが使った『ハイヒール』あたりになるとほとんどは神官なんかの神様関係者。そうでなければ王家関係ね。

 

本当に極々まれに一般人の中にも使える人が現れることもあるそうだけど。そういうことがあるととんでもない大騒ぎになるそうなのよね。ほら王家の誰それのご落胤とかいうやつね。あたしは日本からの転移者だからそういうのとは無関係なのは確かだけど、それを証明するのは難しい、というよりそっちの方がどうやら厄介みたいだもの。

 

『聖女』本当に面倒。異世界からの転移者で聖属性魔法を使える女の子は、これまでも何人かいたらしいのだけど。そのすべてが練習なく聖属性魔法を行使し、聖女以外には使えない高位の聖属性魔法を使ったそうなのよね。異世界転移者の女の子でも聖属性魔法を使えない人もいたそうだけど、こちらも例外なく特別な能力は持っていたらしいのよね。

 

ああもう、どう考えても『聖女』よね。分かってたわよ。あの聖属性魔法書を読んだ時から全部当てはまるのだもの。あ、聖女だけが使えたという魔法はまだ使ったことは無いわね。でも、あれは聖女が成長して初めて使える魔法だもの。でも、聖女専用魔法3つ。『リザレクション』死者も生き返る回復魔法。『パーフェクトプロテクション』物理攻撃無効の補助魔法。『パーフェクトシェル』こちらは魔法攻撃無効の補助魔法ね。これらは、なんとなくあたしの中の魔力が不足しているだけで経験を積んで成長したら使えそうなのは感覚で分かるのよね。

 

なんの後ろ盾もないあたしが『聖女』だなんてバレたら、王宮に幽閉されるか、強制的に戦場に連れていかれるかの未来しか見えないわ。これはもうよほど実績を積んで誰にも口出しをされないようになるまではトップシークレットよね。

 

「ね、瑶さん。どうやらあたし『聖女』みたい。秘密にするの協力してね」

「くくく、ようやく認めたか。当然秘密にするよ。『聖女』様」

「ようやくって何よ」

「私も魔法書は読んだからね。『聖女』の条件に朝未が当てはまっているのは知ってたから」

 

それからはとにかく「ヒール」の練習をしているふりをして、時間をおいて初歩の補助魔法の練習をすることに時間を使ったのだけど……。

 

「おい、おまえ何やってんだ」

 

いきなり後ろから声を掛けられてビクッとしちゃったわ。振り返ると何か不機嫌そうな顔の男の人が腰に手を当ててあたしを睨んでいるわね。

 

「何って、魔法の練習ですけど?」

「使えもしねえ魔法の練習なんざしてんじゃねえよ。目障りだ」

「練習しなきゃ使えるものも使えないのは当たり前じゃないですか。しかもここギルドの練習場ですよね。誰が何の練習しようが勝手じゃないですか。大体使えないとか誰が決めるんですか」

「誰がも何も、使えるわけねえんだから無駄は無駄なんだよ」

「はあ、無駄って、例え使えるようにならなくてもあたしは無駄だとは思いません」

 

まあ、あたしは使えるの確定で練習してるのを見せるのが目的なので普通とは違のだけど。

 

「無駄だろうが、そんな無駄なことに時間使ってるのを見るとイライラすんだよ。やめちまえ」

「だから無駄じゃないって言ってるでしょう。使えるようになればそれで良いですし、もし仮に使えるようにならなければ自分が魔法を使えないという事実を知ることができて『あの時練習していれば』なんて後悔しないで済みます。どっちに転んでも無駄にはなりませんよ」

「うるせえ!どうせ一般人は魔法は使えないって決まってんだ無駄は無駄だ」

「はあ、仮に無駄だとして、あなたに言われる筋合いはありません。むしろあなたとのこんなやり取りの方があたしには無駄です」

 

そう言い切ってあたしは、その男の人を無視して練習に戻ろうとしたのだけど

 

「てめえ、無視してんじゃねえ」

 

まだ絡んでくるのね。聖属性魔法はまずいけど、初歩の火属性魔法ならどうかしら。

 

「ファイアーボール」

 

込める魔力を最低限にして発動句を唱え、目の前に現れた火の玉をその男の人の前に落としてあげたわ。ちょっと青味のある炎だったけどセーフよね。あたしは多分全属性で初歩の魔法は使えるから脅しにはなるかなって思って見せたんだけど……

 

「な、て、てめえ使えるなら……」

「ファイアーボール初めて成功しました。まだ威力は大したことないようですが、あとは練習しだいね」

「くっ、バカにしやがって、覚えてろ」

 

何か足を踏み鳴らして離れていってくれたわね。

 

「はあ」

「アサミ様、お疲れ様です」

「アレッシアさん、見てたの?」

「いえ、見回りに来たところでアサミ様がジュゼさんに絡まれていたので止めようと思ってきたのですが、アサミ様自ら黙らせて追い払われましたので黙っていました。それにしても火属性魔法を初日から発動させるとはアサミ様は魔法適正が高いようですね」

 

良い笑顔を見せてくれているけど、完全に全部見られていたって事よね。

あたしは、また大きくため息をついて今日の練習を終わることにした。



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第52話 ???

お城の騎士に連れられて私達3人は城下町を歩いているのだけど……。

「*‘」~+>」

「#:@・!&’」¥」

道行く人の言葉が本当に何もわからない。

 

異世界の城下町ということで

「ファンタジー世界の王都とかロマンよねえ」

「ひょっとして獣耳の女の子とか、エルフの美少女とかいたりするのか?」

と最初こそ能天気に騒いでいた小雪と大地だったけれど、ここまで徹底的に言葉が分からないことにショックを受けているようで、黙ってしまっている。

 

私だってここまで分からないなんて予想していなかった、いえ、頭では分かっていたけれど、事実を目の当たりにしてショックを受けている。

 

「小雪、あなたこういうの得意でしょう。なんとかならないの?」

「いやあ、さすがにここまで完璧に言葉が通じないのはラノベでは無かったから。想定外?」

「想定外って。普通に考えて異世界で言葉が通じると考える方がおかしいでしょ」

「それがね、普通のラノベだと召喚時に魔法で言葉が通じるようになっているの。それに王宮?だったっけ、あそこでは全く不自由なく話せていたじゃない、だからまさかここまでとは思わなかったのよ」

 

アハハと力なく笑う友人に私もため息とともに肩を落とした。

フッと気付いて横を見るとうつろな目をした大地が目に入った。かなりショックだったようだけど大丈夫かしら。

 

 

 

王宮に戻ったあたし達は十分な食事のあと豪華な個室を与えられ休んでいる。3人ともが不安を抱えているけれど、それぞれに考えをまとめるためあえて別々に休むことにしたのだけど、小雪はともかく大地は少し心配。明日から私達の能力を確認するために色々と訓練をすることになったのだけど大丈夫かしら。

 

 

「おはよう」

「おう、おっす」

「おふぁよぉお」

 

一晩寝たことで2人ともとりあえず落ち着いたようね。

 

「2人とも落ち着いたみたいね」

「ああ、昨日のあれはちょっとショックだった。あれじゃ逃げ出すのも無理だろ」

「あれだけ言葉が分からないと何もできないわよね」

「となると、当面はこのトランルーノ聖王国に協力するしかないというところね」

 

私の言葉に大地も小雪も不本意ながらというのは分かるけど頷いた。

実際のところ大地じゃないけれど異世界から誘拐・拉致そのものの手法で連れてこられたのだから反発はあるけれどむやみに権力者に反発しても無かったことにされるだけでしょうからね。

 

 

朝食を終えて食堂でそのまま一息入れていると昨日最初に声を掛けてきたフィアン・ビダルさんが騎士を2人引き連れて部屋に入ってきた。

 

「勇者様方、本日より能力特性判定のための訓練を開始させていただきます。こちらの鍛錬着にお着換えください。サイズはそれほど違っていないとは思いますが、多少の違いはご容赦ください。着替えが終わりましたら、再度こちらにお越し願います」

 

もう有無を言わせる気もないようね。こちらとしても受け入れるしかないのだけど。そして一旦部屋に帰り提供された服に着替えて私達は再度食堂に集まった。

 

「まずは、みなさんの身体能力を見させていただきます。こちらへ」

 

そうして私達が連れていかれたのは王宮内にあるグラウンドのようなところ。ここでなら色々とできそう。

私達がキョロキョロと見回している間にフィアン・ビダルさんが連れてきていた騎士2人が上着を脱ぎ身体をほぐし始めた。身体を動かすのは私達だけではないようね。

 

「では、まず彼ら2人についてこの練兵場を20周走ってもらいます」

「え、あの2人について?」

「はい、あの2人は若手騎士団員の中で身体能力に優れたものです。勇者様方の能力を測るにはよろしいかと」

「いや、騎士団員って事は普段から鍛えてるのよね。大地と真奈美は普段から身体を動かしてるから良いかもしれないけど、わたしはインドア派なんだから無理よ」

「いえ、勇者安原様、勇者様方は世界を渡られるときに様々な能力を手に入れられております。普段身体を動かしておられなかった方でも身体能力が向上しているという事はままあることでございます。そのための確認となります。最低限、今回はお付き合いをお願い致します」

 

そして私と大地は騎士2人に余裕でついていけたものの、小雪は半分の10周で脱落してしまっていた。それでも日本にいた頃に比べれば随分と体力が上がっている。

 

「小雪、結構いけたわね」

「うん、最初の1周でドロップアウトする覚悟だったけど、あれならまずまず?」

「実際のところ正確に測ったわけじゃないけど、あの騎士2人のペース日本でなら国際選手クラスに感じたわ。それに10周ついていけたってだけでも身体能力がアップしているのは間違いないわね」

「そ、そうよね。わたしがあれだけ走れるなんて驚異的よね」

「え、ええそうね。小雪としては。ただあれだと一般人の範疇なのが気になるわね」

 

「ええ?そんなあ。大地ー、真奈美がいじめるよお」

「いや、さすがにそれは。そもそもこの国の奴らが俺たちに求めているのは人外な能力だからな。ちょっと運動が出来る一般人てレベルじゃダメだろう」

「え。それじゃわたしは追放エンド?役立たずに使う金は無いって放り出されるの?」

「慌てないの。たとえ小雪が一般人レベルの能力だったとしても追放なんかさせないから」

「真奈美ー、我が心の友よ」

 

私の言葉にが泣きそうになりながら抱きついてきた。まだ余裕ありそうね。

 

「身体能力についてはおよそ分かりました。では最上様、大見栄様はこちらへ、武器の適性を見させていただきます。安原様は、あちらへ。魔法の適性を見させていただきます」

 

「それじゃ小雪。また後でね」

「うわーん。わたしを見捨てないでね」

「大丈夫だから。ちゃんと魔法適性見てもらってきなさい」

 

小雪の事は少し心配だったけれど、私と大地は練兵場の隅に移動しいくつもの武器を見せられた。手に取ってしっくりくるものを選べということだ。

 

いくつもの武器を持ち振るってみる。既に半分以上を試したものの中々しっくりくるものがなく『妥協すべき?』という考えが浮かんだけど、まだ半分あるとこだわってみている。

 

そうしているうちに大地は刃渡り80センチくらいの剣とカイトシールドを選んでいた。あんな重量級の装備でいいのかな?

 

そして私が試していない武器は残り3本の剣。1本は刃渡り60センチ程度のいわゆる短剣、80センチほどの細身でそりのある片刃の日本刀のような剣。最後の1本は刃渡り120センチはありそうな長剣。

 

私の体格からすれば短剣が一番よさそうだと頭では考えているのだけど、身体が長剣に引きつけられる。フラフラと近寄り、つい手に取ってしまった。

 

「これにします」

 

私は明らかに体格に合わない長剣を選んでいた。

 

 

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時系列的にはまだ2日目。朝未と揺は山の中の木の上で寝ています。



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ギルドからの依頼
第53話 魔獣と魔物


あたしと瑶さんは、この1カ月商業ギルドでの勉強とハンターギルドの訓練スペースでの魔法の練習に明け暮れた。

その成果としてあたしは地水火風闇の初級魔法一通りと聖属性魔法を中級まで発動に成功したし、瑶さんも聖属性魔法の初級魔法を発動させることに成功していたわ。ただ、瑶さんの聖属性魔法は発動のはやさも効果もあたしの聖属性魔法に及ばないので、あたしと一緒に居る限り使う事はないんじゃないかしら。

それにギルドにある資料全てを写し終わったし、この国の文字は覚えたし、言葉も日常会話程度なら話せるようになったわね。

瑶さんとも話したのだけど、やっぱりあたし達の身体は運動能力だけでなく色々と高性能になっているのは間違いなさそう。

 

 

「アサミ様、今日も魔法の練習ですか?」

「ええ、でも現時点で発動可能な魔法は全て覚えられたようなので、そろそろお仕事をするかもしれません」

「朝未は、かなりの魔法を覚えたよね」

 

魔法の練習をしていると、いつものごとくアレッシアさんが声をかけてきたわ。監視というのとも違うのだろうけれどあたし達が魔法の練習をしていると頻繁に声を掛けに来るのよね。

そして瑶さん、魔法の練習が成功したアピールに協力ありがとう。

 

「そういえばアサミ様は聖属性魔法も練習されていましたよね。発動は見えなくて分かりにくいものが多いですが」

 

え、アレッシアさんは気付いてたの?

 

「あー、一応秘密でお願いします。神殿とか王家とか面倒なのが来るのは勘弁してほしいので」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。秘密、いえ、私は何も知りませんから。話すことは出来ません。将来有望で有能なハンターを国や神殿にに奪われてたまりませんから」

 

アレッシアさんがフフフと笑ったので、一応大丈夫よね。

 

「ありがとうございます。アレッシアさんがそういうスタンスなら安心して頑張れます」

 

 

「さて、そういうところでそろそろ仕事を見繕いに行こうか」

 

練習を切り上げて瑶さんが声を掛けてきたので、あたしも横に並んで掲示板に向かったの。

 

「あ、ヨウ様、アサミ様。掲示板の依頼でなく、こちらを検討いただけませんか?」

 

掲示板の依頼を確認に向かっていたあたし達にアレッシアさんが声を掛けてきたの。

 

「なんですか?何か特別なものでも?」

 

瑶さんが、自然にカウンターについて確認を始めたわ。アレッシアさんは美人だものね。特別な感情を持っていなくても男の人ならお近づきなれば嬉しいわよね。ちょっとモヤっとするけど、あたしと瑶さんは、あくまでもバディだもの。それに瑶さんの年齢であたしに特別な感情を持ったらちょっとダメよね。うん、大丈夫、あたしと瑶さんはバディ、この2カ月独り占めしてきていたからちょっとモヤッとしただけね。

 

「こちらの依頼なんですが」

 

アレッシアさんが差し出してきた依頼票を覗き込む。

 

「エルリックの北エリアで魔物の討伐ですか?」

「はい、8級から6級向けの依頼で、通常は6級ハンターに出すのですが、お2人は8級ですが、ちょっと例外なようですのでいかがかと思いまして」

「ん?魔物ですか?魔獣ではなく?」

 

あら?瑶さんが何か引っかかったようね。

 

「はい、北エリア、地図で言いますとこのあたりの森ですね。こちらにゴブリンやオークが侵入してのが確認されたため、その討伐依頼となります」

 

お、ファンタジー定番の敵の名前が出て来たわね。いるのねゴブリンやオーク。でもクッコロ展開はノーサンキューだわ。その辺りどうなのかしら。

 

「あ、あの。ゴブリンやオークが出るんですか?」

「ええ、普段は人の領域のこんな近くには来ないんですが」

「それと、その。あたしの住んでいた地域の伝説でゴブリンやオークが女性を襲うというお話がありまして、そのあたりはどうなんでしょうか?」

「え?女性をですか?まあ体力の低さから狙われる率は高いですがそれの事でしょうか?」

 

あら、瑶さんが横で肩を揺らしているわね。笑うのを一生懸命に我慢しているのがバレバレよ。あたしは瑶さんの脇腹に肘うちを打ち込んでおいたわ。

 

「くぅ、朝未、酷いじゃないか。それと、アレッシアさん、朝未が言っているのはそう言う襲われるでなく苗床的に襲われるという伝説というかおとぎ話があるんですが、実際にはどうかってことです」

「苗床……?」

 

あ、アレッシアさんの顔が真っ赤に染まったわ。思いのほか純情なのね。

 

「コホン、えー、これまでの記録ではそういった事例は見つかっておりません。もちろん物理的に襲われ食料にされていた事例は枚挙にいとまがありませんが」

 

でも、よかった。クッコロ展開だけは無いのね。負けて死ぬのは仕方なくても、あ、いえ死にたくは無いけど。でも、意識のあるままゴブリンやオークに犯されるのはもっと耐えられないもの。あれ?でも瑶さんもクッコロ知ってるのね。

 

「ふーん」

 

あたしは瑶さんをジーっと見ちゃったわ。

あ、気付いた瑶さんが動揺して視線をそらしたわね。くふふ、これは後で揶揄うネタが手に入ったって事ね。

 

「と、それはそれとしてお仕事の話ですね。先ほど瑶さんも言ってましたが魔物って言ってますよね。魔獣ではなく。何が違うんですか?」

 

「あ、ご存じなかったんですね。魔獣と魔物の共通点はその体内に魔石を持つことですが、その成り立ちが違うと言われています。魔獣は地に漂う瘴気により獣が魔に落ちたもの。どちらかといえば単なる獣の延長とされています。対して魔物は魔王の眷属と言われ武器を持つことが出来、多少の智慧を巡らすことができる存在とされています」

 

「え、魔王っているんですか。それに魔物は魔獣より強いんですか?」

 

あたしは1カ月前のナインテールフォックスとの戦いを思い出して腰が引けてしまったわ。

 

「魔王は、いると言われていますが、確認はされていません。あと、単純な強さでは魔物は必ずしも魔獣より強いというわけではありません。もちろん上位の魔物であればまた桁が違うそうですが、今回対象としているゴブリンやオークであれば強さ自体はそれこそスリーテールフォックス程度と思っていただければ十分です。ただし、スリーテールフォックスとの違いとして群れを作る習性があることと、武器を持つことがあること、それと多少戦術的な動きをすることがあると言ったところでしょうか」

 

それ大分違うと思うのよね。あたしはため息をつきつつ瑶さんと目を合わせた。



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第54話 打ち合わせ室

「受けるかどうかは少し相談してからにしたいのですが」

「もちろんです。十分に打ち合わせをして判断してください。もちろん受けないという判断をされてもペナルティ等はありません。ご安心ください」

「部屋借りますね」

「はい、今なら全室空いていますが、そうですね8番をお使いください。鍵はこちらです」

 

あたし達はロビーを横切り、指定の打ち合わせ室に向かった。

 

「さて、朝未としては実際のところどう思う?」

「え?いきなりね。でもそうですね。今のあたし達なら野営をしなければある程度は大丈夫ではないかと思います。補助魔法や各属性の初歩にある探知魔法を駆使すれば不意打ちされることもないでしょ」

「まあ、そうなんだけど、その辺りほとんど朝未頼りになるけど、魔力はもちそうかな?」

「ああ、そういう事も確認する必要がありますね。一度試してみましょう」

 

風魔法のウィンドイヤー、土魔法のグラウンドセンス、火魔法のヒートアイ、水魔法の……?あら水魔法の探知系魔法ウォーターソナーは水中用だから今は用は無いわね、いいわ、あとは聖魔法のマナセンスと、闇属性のマインドサーチ。重ね掛けして様子を見ましょう。

 

「うわあ、今のあたしのレベルでも半径50メートルの範囲ならどこにどのくらい強い人がいて何をしているか何を話しているか丸わかりですよ」

 

本当に壁だって関係ないし、話している内容だって聞き放題じゃないの。

 

「あれ?隣の部屋に誰か入ってきた」

「ん?他にも空きがあるのにわざわざ隣にかい?ちょっと不自然だね」

「二人組ですが、うーん、少し様子をうかがってみますね」

 

あたし達が使っているのは一番奥の部屋なので奥側には部屋は無い。もちろん屋外で聞き耳を立てることは出来るけど、あまりに不審で目立つから事実上むりよね。それに普通こういう打ち合わせ室を使う場合空きがあるなら隣は使わないものだと思うのよね。

 

あたしはウィンドイヤーに少し多めに意識を裂いて聞き耳を立てたわ。

 

「おい、大丈夫か?相手は魔法使いなんだろう?」

「さすがに、個室に入った後でまで警戒しないだろ」

「まあ、そうだろうけどなあ。あのアサミってのも怒らせるとヤバいってのは聞いたし」

「まあ戦闘力自体はあるみたいだけどな、弱み握ればどうにかなるだろ」

 

隣から聞こえて来たのは先日魔法の練習中に絡んできたジュゼとかいうハンターね。

どうしてくれようかしら。

 

「どうも先日絡んできたハンターが聞き耳を立てているみたいです」

 

あたしは瑶さんに耳打ちしたの。さすがにこれくらいなら隣で聞き耳立てたくらいじゃ聞こえないでしょ。

 

「ふむ。どうする?」

「風魔法にラウドネスという魔法があります。それを少し弄って収束させれば一人だけに効果が出るように出来ると思うんです」

「ああ、ラウドネスか」

 

瑶さんは、あたしの提案に人の悪い笑顔で頷いたわ。ラウドネス、声や音を任意の倍率で大きく出来る魔法。つぎ込む魔力によって、その範囲の大きさと倍率をコントロールできるのよね。通常は遠くにいる仲間に声を届けるための魔法なのだけど。範囲を隣のジュゼの耳周りのみに限定、倍率はそうね囁き声が確か30デシベルで近くでの落雷が130デシベルだったわね。記憶違いでなければ20デシベル差でエネルギーが10倍だったから10万倍で持続時間は0.1秒くらいなら気を失う位ですむかしら。

 

あたしは魔法を練り上げる、ちょっと特殊な運用なので集中力が必要なのよね。発動時にはその範囲に対するあたしのウィンドイヤーをブロックしないといけないしね。

 

「バカ」

 

あたしが魔法を発動すると隣で何かが倒れる音がしたわ。ショック症状でも起こしていなければ気を失う程度で済んでいるはず。盗聴の罰としてはこんなものかしら。

その後、隣からバタバタと慌てて出ていく音が聞こえ、地面からの振動で一人が人一人を背負って走り出すのを感じ、マナセンスで生命反応が2つくっついて移動していくのを確認したわ。間違いなく失神したジュゼを連れの男性が背負って逃げていったのでしょう。

あら瑶さんが苦笑いしているわね。瑶さんも隣の部屋くらいが対象ならあたしと同じ探知魔法を使えるはずだから何が起こったのか分かっているのでしょうね。

 

「非殺傷とは言え、朝未容赦ないな」

「あら、他パーティーの打合せを盗聴していたら何されても仕方ないと思うのだけど。むしろ、まだ優しいでしょ。多分後遺障害も残らないわ」

 

瑶さんはこの話はここまでとちょっと肩をすくめ、表情を戻したわね。

 

「さて、邪魔者は排除したわけだけど、どうかな?魔力の消耗具合は」

「うーん、そうですね。発動してまだ30分も経っていないので正確にはなんとも言えませんが、あまり気にならない程度の消耗ですね。多分1日中発動していても平気だと思います。戦闘にもほとんど影響は無いと思います」



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第55話 確認

あたしと瑶さんは、アレッシアさんに宿に戻ってもう少し検討すると言ってハンターギルドを出た。実際のところはあたしの探知魔法での消耗度合いを測るのに夜まで探知魔法を発動させっぱなしでどうなのかを確認したいというのが目的なのだけれどね。

 

街を歩いていると最近ちょっと視線を集めることが多くなっているのよね。この2カ月の間、狩りや山歩き、ハンターギルドでの訓練であたしも瑶さんも容姿が少し変わってきているのも原因かと思っているの。

 

あたしは背が少し高くなり、プロポーションも少し女性らしい感じが出て来ている。ただ、いくら成長期と言っても普通はこんなに急に変わるものじゃない気がするので、これも異世界に転移した影響かしらね。

 

瑶さんは、さすがに大人なのでそういった変化は無さそうだけれど、顔つきが少し精悍になったのと元々太っていたわけでは無いけれど更に身体が締まった感じね。一言で言うとカッコ良くなってきているのよね。

 

「じゃ、街の外に行ってみようか」

「え?宿に戻るんじゃなかったの?」

「あれは、口実だよ」

「なんでわざわざ?」

「うーん、朝未の魔法ってちょっと特別な感じがあるよね」

 

それは自覚あるから頷いたのだけど。

 

「街中をはじめ、人の目のあるところで本格的に魔法を使うと目立ちすぎるかなって思ってね。その点街の外で少し離れれば人目を気にしないで魔法を使って見られるかなってね」

「つまり?」

「うん、恐らくだけど、朝未には魔法でかなり負担を掛けると思うんだ。それが朝未にとって余裕があるのなら良いけど、そうでなければ色々と考えないといけないからね」

「探知魔法のこと?」

「それもだけど、補助魔法もあるよね。基本的に私が前で抑えるけど、群れが相手だと抜かれることも頭に入れておかないといけないしね」

 

うーん、瑶さんの攻撃範囲を抜けるって結構大変だと思うんだけどな。あたしの魔法が普通の範囲でないのと同じように瑶さんの近接戦闘能力も普通じゃないみたいだし。あ、そうか大きく迂回されたらさすがに瑶さんも対応しきれないわね。

 

「そのあたりはあたしの弓もあるし、よほど大きな群れじゃなければ大丈夫じゃないですか?」

「そうかもしれないけど、どこまで出来るかをいきなり実戦でというのは避けたいからね」

「わかりました」

 

確かに感覚で出来るつもりでも、実戦で出来なかったら危ないわね。事前に安全な場所で確認しておくのは大事だわ。

 

 

 

「この辺りならいいかな」

 

街を出て2時間ほど歩いたところで周囲を見回した瑶さんが呟いた。

 

「そうですね。ここならエルリックの城壁の上からでも普通は見えないでしょうね」

 

夜に光る魔法でも使わない限り気づかれないと思うわ。

 

「探知魔法は発動してるんだよね」

「ええ、切らしてません」

「魔力の消耗はどう?」

「感じとしては回復量の方が多そうです。探知魔法だけなら使い続けても魔力に心配はないと思います」

「じゃあ、次は補助魔法を頼む。今使える補助魔法全部重ね掛けしてみてくれるかな」

「はい、じゃあいきます。プロテクション、シェル、マッシブ、アクセル、ハイアジ、アキュラシー、リフレク」

 

物理防御力アップのプロテクション、魔法防御力アップのシェル、力を強くするマッシブ、速度を上げるアクセル、敏捷性アップのハイアジ、命中率アップのアキュラシー、1回だけ物理でも魔法でも反射するリフレク、いまのあたしが使える補助魔法を次々と掛ける。

瑶さんに補助魔法をかけたうえで自分にも同じように補助魔法を掛けてみたのだけど。

 

「どうかな?魔力は?」

「そう、ですね。これだけまとめて掛けると魔力を3分の1?いえ4分の1くらい消費する感じですね。でも、このまま戦闘に入っても弓を使いつつ攻撃魔法を撃つスタイルであれば、ある程度は行けると思います」

 

「じゃあ、今回は確認作業だから弓は良いとして、攻撃魔法を適当に撃ってみてくれるか」

「はーい、火属性魔法は火事が怖いし、水属性魔法はべしょべしょになりそうだし、土属性魔法は土埃が気になるわね。ということでウィンドカッターでいいですか」

 

「あはは、まあ色々あるけど、最初にウォーターボールで周囲を湿らせて、そこにストーンミサイルやファイヤアロー、ファイアーボールあたりを投げ込めば大丈夫じゃないかな。もちろんウィンドカッターも使ってみて欲しいけど。あと、念のためホーリーあたりも使ってみて欲しいな。色々な属性魔法で消耗や効果を確認しておいて欲しいから」

「ん、わかりました」

 

瑶さんの言うことも分かるので、あたしは水属性魔法から順にどんどんと使っていくことにした。



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第56話 依頼

「うーん、探知魔法発動したまま補助魔法を切らさないように気を付けて、攻撃魔法を使うと今のレベルでは初級魔法でもちょっと魔力を込めて撃つと短時間には5発、多少のインターバルを入れても1回の戦闘中に使えるのは20発くらいまでかしら、それ以上は魔力がもたないわ」

「うん、魔物の群れがどのくらいの数か、魔法耐性がどのくらいかにもよるけど、余程の大きな群れだったり、お代わりが来ない限り行けそうかな」

 

あたしも同じ感想を持ったので頷いた。

 

「でも、出来るだけ弓で処理した方がよさそうかしらね」

「あとは、浅い場所から少しずつだね」

「そうすると、あの依頼は……」

「ギルド経由の直接の依頼だからね。多分私達のランクを上げるために斡旋してしてくれた部分もありそうだし受けよう。討伐数も規定されていないし、討伐対象も魔物という括りだけ。期間も長めだし成果なしってことにはならないだろうからね。何よりこの世界の中での魔物の強さを測るのに向いているだろうから」

「でも今回の討伐対象はゴブリンやオークで魔物の中では最弱って話じゃ……」

「もちろん。でもいきなりボスと戦うわけにはいかないからね」

 

あたしは瑶さんをジーっと見てひとこと。

 

「瑶さん。実はゲーマーよね」

 

あ、目を逸らしたわ。

 

「別に隠すような事じゃないと思うのだけど」

 

他にもアニメとかサブカル分野にも多少の知識あるわよね瑶さん。今は言わないでおいてあげるけど。クフフ。

 

「ま、今日のところはこれくらいかな。エルリックに戻って依頼の受諾処理をして、出来るだけ細かい情報を集めてって言ってもアレッシアさんに聞くしかないんだけどね」

 

瑶さんは自嘲するかのように苦笑しながら、今度はあたしと自分にアクセルを掛けたわ。

 

「街の外からは用が無いならさっさと引き上げた方が良いから。まあ朝未のアクセルより効果は少ないけど」

 

なにか言い訳っぽいわね。これは多分ゲーマー発言から話題を変えるのに必死ってとこかしら。あたしみたいな子供にカッコつけなくてもいいと思うのだけど。ううん、というよりこれだけの期間バディとして過ごしてきたのにその程度のことを隠さなくても良いのに。別にあたしはゲーマーを下に見るタイプじゃないし、仮に日本に居た頃にゲーマーを下に見ていてもきっと瑶さんなら受けれる自信あるのにな。

 

「アレッシアさん、例の依頼受けます。なのでわかる範囲の情報をください」

 

あたし達は瑶さんのアクセルの効果のなかランニングでエルリックまで戻った。行きは歩きで2時間半ほど掛けたおよそ10キロの道のりを高性能になった身体能力に瑶さんのアクセルの効果で15分ほどで駆け戻れたのには少しばかり驚いたわ。それだけのペースで走って息も切れないって、もう日本にこのまま帰ったら大変なことになるわね。

 

 

 

「あ、受けていただけることにされたんですね。ありがとうございます」

「いえ、内容を聞いてから判断させてもらいます。条件も聞かずにうけるのはさすがに」

「あ、そうですね。そうですよね。すみません。きちんと説明させていただきますね」

 

アレッシアさんに聞いたところ、今回の魔物の討伐依頼は領主から出ている依頼で魔物が人の生活領域の近くで確認されると領主の責任として討伐依頼がだされるらしいのね。

 

今回は、エルリックの北、徒歩で5時間くらいのエリアにゴブリンが10数体とオークが数体確認されたために討伐依頼が出たそうなの。

 

「え?たったそれだけの数のために領主から依頼が出るんですか?」

 

そんなあたしの疑問にアレッシアさんは微妙な笑顔を見せたの。

 

「その、ゴブリンやオークは1体みたら30体は隠れていると思えと言われる魔物なので、今回確認された数からすればゴブリンが300から500体、オークも100体以上が人の領域に侵入していると思われるんです。」

 

なにそれ、それなんてG?ラノベの中でよく使われるフレーズをあたしが思い浮かべるようになるなんて思わなかったわ。

 

「えと、それだと何をもって討伐終了って決めるんですか?」

「討伐依頼を受け、討伐に向かったハンターが一定期間討伐部位を持ち込まなくなった時点で終了となります。ある意味簡単ですね」

「いや、それだと依頼を受けると完了判定が出来なくて報酬の受け取りとかに影響が出るんじゃないですか?」

 

あたしの素朴な疑問にアレッシアさんが気軽に答え、瑶さんが困惑してるわね。

 

「その辺りは大丈夫です。この魔物討伐は長期間にわたる事も多いため、ハンターにもある程度の自由を認めています。例えば報酬は討伐に出られた日数当たりの最低日当と討伐部位を持ち替えられた分への討伐報酬でなりなっています。もちろん無責任にうけられてもこまるため最低10日または討伐完了判定が出るまで討伐に参加していただくことが条件ですが、それ以上の縛りはありません」

「なるほど、あとはその報酬額ですね」

「はい、まずは日当ですが、8級で1人1万スクルド、7級で1万5千スクルド、6級で2万スクルドとなります」

「ふーん、ランクによってだいぶ違うんですね」

「ええ、実際のところ通常期待される戦力比としてはそれ以上に違うのですが、さすがにこれ以上の差をつけるわけにはいかないというのが実情です」

「だから通常は6級ハンターに依頼するんですね」

「ただ、ヨウ様とアサミ様の場合は日当よりも討伐数で稼げそうという面もありお声がけさせていただきました」

「討伐数ですか?」

「ええ、討伐報酬、ゴブリンが1体1500スクルド、オークが1体2000スクルドなんです。これを標準的な8級ハンター5人パーティーで討伐するとゴブリンあたりで日に5から10体くらいなんですね。10体討伐しても1人当たり日当1万スクルドに討伐報酬3000スクルドとちょっと冴えないんですよね」

「まあ、一応命がけでそれじゃなあ」

「でも……」

 

瑶さんの言葉にアレッシアさんが意味深な視線をあたし達にむけたわね。

ああ、これは探知系の魔法も気づかれてるわね。先に見つけて先制攻撃して殲滅すればいいくらいに思っていそうだわ。



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第57話 ゴブリン討伐

「瑶と朝未だ。これから討伐に入る」

「ご苦労様です。ご武運を」

 

あたし達はゴブリンやオークが確認されたエリアのそばでギルドの係員に登録証を見せて討伐エリアに足を踏み入れた。討伐参加の日当があるって聞いてどうやってそれを確認するのかなって思ったのでこれは納得。ついでにちょっと聞いてみようかしら。

 

「今日は何人くらい入ってるんですか?」

「え、3パーティ16人ですね。あなた方を入れると18人です」

「へえ、結構入ってるんですね。これは獲物の取り合いにならないように気をつけないと。その3パーティはどちらの方向に入っていったか分かりますか」

「最終的には分かりませんが、どのパーティもまっすぐあちらに向かっていましたね」

「ありがとうございます」

 

あたしは、ちょっと驚きながらも教えてくれた係員にお礼を言って瑶さんの後についていった。

 

「朝未、他のパーティーは分かるか?」

「うーん、多分近くに行けばわかると思います。でも現状では無理ですね。探知魔法の範囲外です」

「ま、そこは仕方ないか。先行パーティはまっすぐ中心部に向かったみたいだから、とりあえず風下に周って周辺部から探ろう。いきなり中心部に特攻して袋叩きは避けたいからね」

 

あたしは、頷いて、瑶さんと一緒に風下側に向かうことにしたの。

 

「瑶さん、ちょっとストップ」

 

探知魔法を発動したまま小一時間進んだところで探知範囲の隅に気になる反応を感じたので、瑶さんに小声で囁いて止まることにした。

探知魔法も魔力を多めにつぎ込むことで探知範囲を広げたり精度を上げたりできるので、少し落ち着いて探る。とりあえずは一番楽に拡大が出来るウィンドイヤーに魔力をつぎ込む。

 

「あちらがわ、40メートルから60メートルくらいの間に多分ゴブリンが7体います。探知範囲の関係でそれより向こうは分かりませんが、今のところこちらに気付いている感じはありません。静かに近づいてみましょう」

 

あたし達は茂みや木立を利用して少しずつ接近したの。

 

「瑶さん。多分この群れは7体で間違いなさそうです。見えますか?あそこと、あそこ、そして……」

 

あたしは探知魔法で確認できているゴブリンの位置を瑶さんに指し示した。

 

「なるほど、隠れ方自体は下手だね。一番近いゴブリンまで20メートルくらいか」

 

茂みの影から頭だけ出して確認していた瑶さんが、首を引っ込めながら確認できたことを口にしたのよね。

 

「ふむ、朝未は手前から4体目を狙って先制。そこからは5体目6体目の順番で弓と魔法主体で攻撃をしてくれ、私は、朝未が1体目に攻撃を加えたところで前に出て近い方から対応するよ」

 

瑶さんの言葉に遠距離攻撃で先制するのは分かるのであたしは頷いて各種補助魔法をあたしと瑶さんに掛け、弓に矢をつがえた。

 

「朝未のタイミングで良いからね」

 

あたしはもう一度頷いて、4体目のゴブリンの頭に狙いを付ける。

ゴブリンの動きが止まった一瞬に合わせて射る。

ストンと横を向いていたゴブリンの頭に矢が吸い込まれるように刺さり、そのまましゃがむように倒れた。

と思うと、瑶さんがすごい勢いで飛び出していったわ。

何が起こったのか分かっていないように騒ぐゴブリンが落ち着く前に瑶さんは一番近いゴブリンの首を剣で切り飛ばし、あたしは5体目のゴブリンに矢を射っていた。

5体目のゴブリンにヘッドショットを決めたところで、あたしも前に出る。ここからは魔法で瑶さんを援護するの。

 

今のあたしの魔法は弓に比べて射程が短い。だから瑶さんの右後ろ5メートルほどから攻撃魔法を撃つの。

 

「ファイヤーボール」

 

後方から迫っているゴブリンの胸に初級火属性魔法ファイアーボールをぶつける。さすがに1発では斃れてくれないようね。それでもファイアーボールの爆発でたたらを踏み、熱で火傷を負って動きも鈍っているわね。

 

「ファイアーボール」

 

追撃のファイアーボールでその動きの鈍ったゴブリンを沈め、その後続には

 

「ファイヤアロー」

 

あ、同じ初級火属性魔法でも単体相手ならこっちの方が効果的なようね。1発で胸に穴が開いて倒せたわ。このあたりは経験ね。

 

そして後続を倒しきったあたしが瑶さんに目を向けると、ちょうど最後のゴブリンの胸に剣を突き刺し止めを刺しているところだったわ。剣って突き刺す使い方もあるのね。

 

「朝未、他からは来てないか?」

 

瑶さんの言葉に慌てて、探知魔法に意識を向けたの。

 

「大丈夫、あたしの探知範囲には反応ありません」

 

探知魔法を切らす事こそないけど、探知範囲に相手がいない状態だと意識を向けないとそれを認識できないわね。まだ練習が必要だわ。

 

「なら討伐証明部位を切り取っていこうか。死体を持ち帰る必要がないのは助かるな」

「ええ、それに野生動物なんかが食べてくれるそうなので死体を埋める必要もないというのも楽ですね」

 

そしてあたしと瑶さんは手分けをしてゴブリンの討伐証明部位右耳をそぎ落として革袋にしまった。その時

 

「ぎゃああーー」

 

誰かの悲鳴が響いたの。



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第58話 救援依頼

「朝未、魔力の残りは?」

 

悲鳴を聞いた瑶さんは剣についた血糊を拭いながらも最初にあたしの魔力を聞いてきたわ。

 

「半分以上残ってます。余程魔法を連発しなければ大丈夫です」

 

あら?瑶さんがちょっと考え込んだわね。

 

「補助魔法がそろそろ切れるよね」

「え、ええ。でも掛けなおしても4割くらい残りますよ」

 

「状況次第だけど、補助魔法は私が掛けよう。朝未は、探知魔法はそのまま、弓で先制、その後は弓での攻撃を優先。魔法は倒すよりかく乱に使って」

「え?でもそれじゃ」

 

瑶さんの負担が一気に増えすぎないかしら。

 

「本当は、1戦後は休息を入れてある程度以上回復してから次の戦いに向かうつもりだったんだけど、そうも言っていられないようだからね。とりあえず状況確認をするよ」

「はい、瑶さん、探知範囲は?」

「……。通常でいい。風下から接近するよ」

「え?でもそれだと遠回りに」

「分かっている。だけどね、私は誰かを助けるために朝未にしろ私自身にしろ大きなリスクを背負うつもりはないよ。そもそもハンターは自己責任だからね。それに風下から攻めたほうが助けられる可能性も上がるから」

「え?なんで?」

 

「朝未、冷静になりなさい。今敵は、どこかのパーティーを襲っていて意識がそっちに向いている。そこに風下から急襲すればどれほどの効果があるか分かるだろう。それを逆に風上から迫ったら、においで気づかれてせっかくの奇襲効果が無くなるよ」

 

あたしは焦る心を落ち着けるように深呼吸をして考える。そう、ね。焦って突っ込んでもあたし達のリスクは上がるし、救助可能性も下がるのね。

 

「わかりました。それでも出来るだけ急ぎましょう」

 

あたし達は急いで風下に周り現場に近づいていった。

 

「探知魔法に反応あります。向こうに50メートルあたりで激しく動いているみたいです。ただ探知魔法の範囲に入ったり出たりするので数がわかりません」

「了解。身を隠しながら近づいて確認しよう。朝未はできれば数を把握して。弓の届く距離になったら一旦止まって、状況の確認。で、ハンターが優勢なら放置、ハンターが明らかに劣勢だったら、朝未、ラウドネスでリーダーと思われるハンターに”援護が必要か?”尋ねてね。で、助けを求めてきたら参戦する。不要と言われたら離れるよ」

 

「え?でも命がかかっているんですよね」

「それも含めてだね。朝未が魔法の練習をしている時にアレッシアさんに確認をしたんだ。他のハンターが戦っている時に手を出していいのかってね」

「それって……」

「答えは、相手が援護を求めない限り手を出してはいけないと言われたよ」

「相手が死んでも、ですか?」

「そうだ。死んだとしても、それは援護を断った相手の判断が甘かったということだそうだ」

 

あたしが少し考え込んでいると瑶さんは更に追加してきたわ。

 

「相手が援護を拒否している場合、例え善意ででも横から攻撃を加えた場合、極端な話こっちを殺しに来られても文句は言えないそうだ。それほどに獲物の所有権に関するものは大きいそうだ」

「な、なら獲物の所有権は主張しないって言ったら?」

「誰も信じないってさ」

 

あたしが思いつく程度のことは瑶さんなら思い至って確認してるわよね。

 

「ただし、本当に窮地に陥っていて援護を拒否するハンターはさすがに少数派だって言ってた。さすがに稼ぎよりは命の方が大抵は大事らしい」

「なら、わざわざ言わなくても……」

「これから援護しようって相手がその少数派じゃないとは言い切れないからね。っと、見えた。あれだな。朝未、敵の数と配置はわかるか?」

 

瑶さんに言われてあたしは探知魔法に意識を向ける。

 

「苦戦しているハンター5人と奥側にゴブリンが13体、手前側にオークらしき敵が8体。ゴブリン同士、オーク同士は多少連携しているようですが、ゴブリンとオークは無関係に動いている感じですね。あとハンターは動きとマナセンスで見えるマナの様子からかなり消耗しているようです」

 

「そうか。あのパーティのリーダーは、あの盾持ちかな?」

「じゃあ、あの人にラウドネスで声を届けますね。内容はこちらの名前とランク、それと援護がいるかどうかの確認でいいですよね」

「そんなところだろうね。たのむ」

 

 

『こちらは、8級ハンター、瑶と朝未です。風属性魔法で声を届けています。援護は必要ですか。魔法でそちらの声は拾っていますので普通に返事をしてくれればいいです』

 

リーダーと思われるハンターが周りを見回しているわね。

 

「おい、援護してくれってよ。どうする?」

「た、たのむ。もうもたない」

「ガッシュは意識がない。どこの誰かは知らんが頼む」

「じゃあ、パーティの総意として依頼するぞ」

 

「援護を……」

「聞こえています。これからまず、矢と魔法でオークを攻撃。そこから近接戦闘に介入します。あなた方は無理をせず。防御主体でいてください」

 

「瑶さん、援護依頼確認しました。手前側のオークから矢と魔法を飛ばします」

「わかった。補助魔法を掛ける。掛け終わったところで援護攻撃を始めよう」

 

そう言うと瑶さんが補助魔法を掛け始めたわ。

 

「今回の相手は魔法を使ってこないみたいだからシェルとリフレクはいらないな。プロテクション、マッシブ、アクセル、ハイアジ、アキュラシー」

 

瑶さんが魔法を唱える度に、あたし達の身体を魔法の被膜のようなものが次々と覆う。

補助魔法を掛け終わると瑶さんは剣を抜き構えた。

 

「朝未のタイミングで攻撃をはじめてくれ。矢を射たところで出る」

 

あたしは手前側中央近くのオークを狙う。ハンターを狙ってこん棒を振り上げ動きが止まったところで

 

”シュッ”

 

ヘッドショット成功。そのオークはこん棒を振り下ろすことなくその場に崩れ堕ちた。

そして次の矢を準備しているあたしの横から瑶さんが飛び出していったわ。



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第59話 救援報酬

「た、すかりました」

「いや、いい。私達は依頼として受けただけだ」

 

あたし達にお礼の言葉を告げているのは、このパーティ暁の剣のリーダーで8級ハンターのルイさんというらしい。

ゴブリンとオークの殲滅を終えたあたし達は、うずくまり荒い息を吐くハンターパーティの前でこれから報酬の交渉ということになるみたい。以前と違って一応この国の言葉を話せるようになっているので難しい話でなければどうにかなるかしら。

それにしてもゴブリンとオークの殲滅は割とあっさりと終わったわね。暁の剣に注意が引きつけられていたからというのもあるだろうけれど、ゲームなんかで言われるようにゴブリンやオークは一般人にとっては脅威でもある程度戦える人にとっては雑魚なのかしらね。

 

「朝未、とりあえず討伐証明部位を回収するよ。暁の剣の皆さんは、まず移動できるように回復してください。戦闘エリアからは速やかに離脱するのが原則ですからね」

 

ボーっとそんなことを考えていたら、瑶さんにこんなことを言われてしまったわ。そうね、交渉は移動してからね。

 

 

「さて、この辺りまで移動すればとりあえずは良いでしょう」

 

討伐エリアから戻る方向へ1時間ほど移動したところで休憩しつつ交渉開始ね。

 

「まず、今回救援で討伐した魔物ですが、ゴブリン13、オーク8です。私達が到着以前には斃せていませんよね」

 

暁の剣の面々はやや悔しそうな顔をしつつも頷いてくれたわね。ここでもめると面倒だものちょっとホッとしたわ。

 

「一応の状況確認をさせてもらいます。なぜあんなことに?あれだけの数の魔物を8級ハンターパーティで討伐するのは普通はしませんよね」

「そういいますが、あなた方も8級ですよね」

「私達のランクとあなた方が無謀な行為をしたことには関係ありませんよ」

「なら8級だからといった言い方は……」

「はあ、わかりました。言い方を変えましょう。自分達の実力に見合わない戦闘を行おうとしたのは間違いないですよね。実際に私たちが救援に向かう必要があったわけですし。そしてあなた方が全滅しかけていた相手を私達は2人で殲滅した。つまり私達は実力に見合った戦闘を行ったことになります」

 

う、うわああ。瑶さん、それは言葉の暴力よ。もうルイさん瀕死よルイさんの心のHPはもうレッドゾーンよ。

 

「よ、瑶さん。そこはもう良いでしょ。あたし達には関係ないもの」

「ん?まあ、いいか。ただ、討伐のスケジュールを乱されたのは間違いない。本来であれば、戦闘終了後少しばかりの休息をとってから次に向かう予定だったのが連戦となったんだから」

 

「は?ちょっと待ってくれ。あなた方は直前に別の魔物と戦ったうえで消耗したままオレ達の救援に来て連戦したと?」

「そう、私たちはあなた方が戦端を開く直前にゴブリン7体との戦闘を終えたところでした。通常であれば、ある程度安全を確保したうえで1刻程度は休息をするところ、あなた方からの悲鳴が聞こえたため急遽救援に向かったんです。それがどういう事かはハンターなら分かるでしょう」

 

もう、瑶さんてば、彼らの力不足とあたし達との力の違いを強調してるけど、その辺りはもうあたし達には関係ないんじゃないかしら。ただ、地球でも社会人として営業職として活動していた瑶さんは、人との交渉に色々と長けている、というよりあたしがまるで分からないのだけど。なので基本的にこういった交渉事に関しては瑶さんに任せた方がうまくいくのよね。

 

「あなた方の稼ぐ機会を邪魔したことは認めます。そしてあなた方が救援に来ていただけなかったらオレ達は全滅していただろうことも」

「ならハンターならどうすべきか常識として分かりますよね」

「は、い。救援いただいた戦闘における獲物の権利をお渡しします」

「お、おいルイ。それじゃ……」

「オレ達は1体も討伐できていない。ガッシュもわかっているだろう。この場合のハンターの救援者への報酬は。それとも金で払うつもりか?」

 

あら、ガッシュと呼ばれた男性ハンターもついに唇を噛んで諦めたみたいね。

 

「それでは、そういうことで。朝未。次に行こう。まだ数回は狩れるだろう」

「はい」

 

 

 

あたし達は探知魔法を展開したまま少し離れた場所に移動して、今は短時間の休憩中なのだけど、あたしはさっきのやり取りが気になって仕方がないのよね。

 

「ね、瑶さん。さっき暁の剣のリーダーが口にした救援者への報酬って?それにお金で払うかって言われてガッシュって人も引き下がったけどどういうことなの?」

 

あら、珍しい。瑶さんが考え込んだわ。

 

「ま、いいか。別に悪い事をしている訳じゃない。救援に関してハンター間の暗黙の了解みたいなものがあるそうなんだ」

 

わたしも聞いただけなんだけどねと注釈をつけて瑶さんが教えてくれたのは大体次のような事だったわ。

 

救援を受けたハンターは自分たちで斃した獲物の5割と、救援者の斃した獲物全てを救援者に渡すことで救援報酬とする暗黙のルールがあるそうなのよね。これは、獲物を渡すことでお金に変えられないハンターとしての評価を渡すことになるから成り立つそうなの。それが嫌な場合はお金で払っても良いそうなんだけど。とても普通のハンターが支払えるような金額じゃないそうなの。

 

でも、

 

「そんな金額でなく相手の払える範囲でお金を受け取っても良いのでは?」

「そんなことをしたら大変なことになるよ。事は私達だけのことではおさまらないからね。もし、そんなことをして、それが誰かに漏れたらどうなると思う?次に救援をした相手に同じことを要求するんじゃないかな?あのパーティはそうしたんだからってね。そうなるともうあとは雪だるま式だよ。どんどん救援報酬が下がる。そうしたらどうなると思う?」

 

「え?気軽に救援要請をするようになる?でしょうか?」

「それもあるかもしれない。でもね、救援に向かうというのはやっぱりリスクなんだよ。リスクを負うのに報酬が少なかったらどう?救援は義務じゃないんだよ」

 

「あ、……誰も救援要請を受けなくなる?」

 

「そういうこと、元の世界でも同業他社より安い値段で仕事を受ける人たちがいたけど、その値段が業界に定着するとその仕事を受ける人がいなくなって結局は依頼元が仕事を出来なくなっていたよ。だから特に重要な仕事に関しては値引きを受けてはいけないんだ。他者の仕事に対するコストダウンは短期的には役立つけど最終的にはその業種の命を短くする諸刃の剣なんだよ。だから私は元の世界でもコストダウンを大上段に振りかざす業界は先が短いと考えて距離を置いていたね」

 

「でも消費者としては安くて良いものの方が買いやすいと思うのですけど」

「それは否定しない。でもね、それは同時に周りまわって消費者の収入減につながるんだ。だってそうだろう。入るお金が少なくなれば支払えるお金も少なくなるからね」

 

「で、でも元の世界では最低限の給料金額は保証されてましたよね」

「そう、でもそれとコストダウン値引きが重なると人に任されていた仕事がロボットに任されるようになるんだ。そして結局高度なスキルを持つ一部の人以外の職はなくなることになるね。実際日本でも15年から20年後にはAIロボットにとってかわられて80パーセントの仕事が無くなると予想されているくらいだよ」

 

「ねえ、それってどうにもならないの?」

「ならない。誰かがどうにかして止められるようなものじゃないよ。だから私は20年後の日本は地獄だと思ってる一部の高給取りと大多数の失業者。そして企業は利益こそ確保するけど利益額は小さくなるから税収も少なくなる。そうなれば失業者への保障もままならなくなってひょっとすると最近では聞かなくなった餓死者まで出るかもしれないと思っている」

 

あたしは暗澹たる気持ちで俯いてしまった。



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第60話 変異

あたしは釈然としない気持ちを抱えながらも瑶さんと一緒に魔物狩りを続けている。

 

「朝未。納得はしなくていい。ただ、今は目の前の戦闘に集中しなさい。まずはこの世界で生き延びること、だよ」

「は、い」

 

そう、あたし達は今この世界で寄る辺ない存在。ミーガンさんとの関わり合いで多少の縁は出来ているけど、基本的にこの世界では異物だものね。山の中で獲物を狩って原始人のような生活をするのなら今のままでも出来るかもしれない。でも、あたしは人間だもの他に人がいないならともかく、人がいて文明があってその中で生活できる手段があるならやっぱり人として生きていきたい。

そのために今はハンターとして立場を固めるのが近道だから。最速でせめて5級ハンターに上がるのがとりあえずの目標だもの。上級ハンターになればそれなりの立場を得られるみたいだし、貴族や神殿にもある程度は抵抗できるみたいだものね。

 

あたしは両手の平で頬をパチンと叩いて気持ちを切り替えた。

 

「瑶さん。探知魔法に反応があります。反応の大きさからオークの群れ。数はもう少し近づけば分かると思いますが、今探知範囲にいるだけで4体です。動きからすると探知範囲外にまだ連携しているオークがいそうです」

「わかった。木や茂みを使って隠れながら近づこう。朝未、群れの大きさが確定したら私の肩を叩いて知らせて。そこで止まって打合せをしよう。それと、もう昼を回って地球でいう3時に近いから、その群れと戦うにしても避けるにしても今日はこれで最後にしよう」

 

瑶さんの提案に頷いて、あたしは探知魔法に意識を向けたの。

あれ?探知魔法の反応が少し妙なことに気付いてあたしは瑶さんの肩を叩いて止まってもらうことにした。

 

「群れの規模はわかった?」

 

瑶さんの言葉にあたしは首を横に振る。当然瑶さんは疑問を顔に浮かべたわね。

 

「1体がマナセンスにおかしな反応があります」

「おかしな反応?」

「ええ、マナセンスの反応って普通は死にかけるとかでない限り一定の強度なんですが、1体だけ強度がフラフラと安定しません。弱くなるのであれば死にかけということですが、これ強くなったり弱くなったりと不安定なんです。しかも一番弱くなった時で周囲のオークと同じくらいあります」

 

あたしの報告に瑶さんの眉間に皺が寄ったわ。

 

「一番強くなった時だとオークと比べてどのくらいの大きさになる?」

「そ、そうですね。瞬間的には3,いえ4倍くらい」

「……。目視できる距離まで近づいて確認しよう」

 

障害物の関係で森の中では高性能になったあたし達の目でも遠くから確認は出来ないのよね。さすがに”透視”なんてことは出来ないもの

そして近づいたあたし達の目にしたのは異様なものだったわ。

 

「引き上げよう」

 

瑶さんの一言にあたしも全く同意見だったので、あたし達はそのまま風下側に撤退したの。

 

 

 

「瑶さん、あれはいったい何だったんでしょう?」

「ん?朝未は気付くかと思ったんだけど」

「え?」

「多分、だけど。上位種への変異ってやつじゃないかと想像するんだが」

 

なるほど、複数のオークがくっついて混ざりあうようにして変異して上位種にってことね。

 

「あれ?それじゃ、本当は完全に変異が終わる前に斃した方が良かったんじゃ?」

「斃せるなら、ね。あのバケモノがどの程度の強さなのか情報が無さ過ぎるからね。それに斃せるつもりで突っかかって、斃し切る前に変異が終了して、いきなり強くなったりしたら困るかもしれないよ。だから今回はギルドに情報を流す方が良いと思ったんだよ」

 

なるほど。やっぱりこの辺りの考え方は瑶さんにお任せしたほうがいいわね。

あたし達は、引き揚げながらエリアの端でギルドの係員にオークが変異している可能性があることを話したのよね。とりあえずは、これで責任は果たしたことになるのかしら。

 

「では、エルリックのギルドで実際の様子をお話しいただけるようお願いします」

 

そうだろうとは思ったわ。どのみち討伐証明部位を持ち込んで報奨金を受け取らないといけないのでギルドには行くし大した手間ではないからいいのだけどね。

 

 

 

「オークの変異種、ですか?」

 

エルリックに戻ったあたし達は、その足でギルドに向かったの。そして変異種について報告したのだけど、そのときのアレッシアさんの反応がこれなのよね。ちょっと顔色が悪いわね。

 

「ええ、朝未の魔法で変な反応があったので様子を見たら見つけた感じです」

 

瑶さんが小声で周囲を伺いながら話しているわね。もうあたしが探知魔法を使えること自体はアレッシアさんにはバレてるみたいだから良いんだけど。

 

「どのくらいの規模の群れで、どんな変異状態でしたか?」

 

瑶さんがあたしに視線を向けたわね。はいはい、そこはあたしの出番よね。

 

「群れの規模は、おおよそ30体といったところでした。変異状態ってあれですよね」

 

ちょっとあれは口にしたくないわ。なので今度はあたしが瑶さんに視線を向けるの。あ、瑶さんが苦笑してるわね。

 

「何と言いますか、4体くらいのオークが溶け合っているような感じでした」

「4体ですか。そうなると……おそらくハイオークでしょう」

「ハイオーク?」

「ええ、強さは、そうですね。先日おふたりが斃された尻尾が6本のナインテールフォックス。あれと同じくらいでしょうか。少し遅い代わりに力が強い感じだと思ってください。ただ……」

「ただ?」

「ナインテールフォックスは単体で活動しますが、ハイオークはオークの群れをある程度統率するんです。これは少々面倒ですね。5級案件かしら」

 

「そんなにですか?」

「ええ、統率されたオークは面倒ですからね。しかも今のお話だと30体のオークを統率することになるでしょうから。今回は情報ありがとうございました。おふたりは8級ですから、これには関わらない方が安全だと思います」

 

そんなにやばいヤツだったのね。突撃しなくてよかったわ。



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第61話 家

「ねえ、瑶さん」

「うん?」

「今日、お昼ご飯、街で買った保存食だったわよね」

「う、うん。そうだね」

 

あ、瑶さんが顔を顰めて遠い目をしてる。あれは酷かったものね。

 

「この宿でお弁当作ってくれると助かるのだけど」

「断られちゃったからなあ」

 

この世界ではお弁当という考え方はあまりないみたいなのよね。

 

「材料とキッチンさえあれば、あたしが作ってもいいんですけど」

「おや、朝未は料理できる子だったんだね」

「そんな上手ってほどでは無いですけど。両親が仕事で忙しくて家の事をあまり出来なかったので、家事はあたしがほとんどやっていたものですから」

「エルリックに来て2カ月。ミーガンさんもそろそろ別の街に行くみたいだし、住むところ考えないといけないし。少し探してみようか」

「探す?ですか?」

「そうだね。あればキッチン付きの宿か、金額によっては家を借りるのも良いかもしれない。今のところ、この宿でもすぐに出ていかなくても払える程度には稼いでいるけど。様子を見るにこの宿は安全だし食事もいいけど少し高めだよね」

「そ、そうですね。家を借りられれば、食事も自由ですし、あたしの魔法も家の中でなら色々バレないと思うので掃除洗濯は魔法で済ませられるし良いかもしれません」

 

掃除洗濯、本当は生活魔法のクリーンで済ませたいのに、あたしが使うと無駄にキラキラしたエフェクト付きになるので滅多なところでは使えないのよね。むしろ森での狩りの帰りにササっと使うくらいだもの。家が借りられれば寝る前にスッキリして寝られるわ。瑶さんも使えるけど、瑶さんが使っても変なエフェクトでるものね。試しにアレッシアさんに見せてもらった事あるけど普通に綺麗になるだけだったもの。

 

あれ?でもアレッシアさんにクリーン掛けてもらったとき、あたしも瑶さんもあまり変化が無かったわね。狩りの帰りにあたしが掛けたときは結構スッキリしたけど。ひょっとしてこれも聖女補正?あまり普通の人と違いすぎるのは目立ちたくないあたし達としては困るんだけど。

 

 

そんな話をした翌日。ミーガンさんに相談した結果、あたし達はハンターギルドで、家を借りられないか相談をすることにしたの。ハンター相手のよろず相談的なこともしてくれるらしいので。

 

「「アレッシアさん。おはようございます」」

「はい、ヨウ様、アサミ様おはようございます。今日は少しゆっくりですね」

「ええ、アレッシアさんに相談したいことがありまして」

「相談ですか?おふたりなら大抵の事は何とか出来そうですが」

「いえ、アレッシアさんもあたし達がこの国の常識をあまり知らないって知ってるでしょ」

「はあ、そうは聞いておりますが、そもそもおふたりの存在が常識外れ、いえ、規格外、いえ、その素晴らしくて忘れてました」

 

何か妙な評価を受けているみたいだけど、とりあえずは良いわ。ちょっとあたしはへこんでしまったので瑶さんにバトンタッチしましょ。

 

「あー、ちょっと朝未は心にダメージを受けてしばらく使い物にならなそうなので、続きは私が話しますね」

「ええ、ご相談でしたよね」

「実は、家を借りたいのですが、エルリックだとどうかなと思いまして」

「家、ですか?そうですね、エルリックに腰を落ち着けて活動されるなら悪くないと思います。どのような物件がご希望でしょうか?」

「そう、ですね。個室が2部屋とリビングにキッチン、多少の剣の練習が出来る庭があるとうれしいですね。それと、この国では風呂って一般的ですか?」

 

え?個室?あ、そうよね。家を借りるなら個室にするわよね。でも。

 

「ね、瑶さん。個室2部屋は良いけど。もう少し慣れるまで一緒の部屋に居ちゃダメ?」

 

あ、瑶さんが驚いた顔しているわね。でも、やっぱりまだ、夜1人なのは不安なのよ。

 

「もう朝未をどうにかできる奴はあまりいないと思うよ」

「そうじゃないの。そういうのじゃ。1人はいや。1人でいるって想像するだけで不安になるの。だから、この不安をどうにか出来るまで。お願い。傍に……居てください」

「わかった。朝未の不安も分かるからしばらくは同じ部屋でいいよ」

 

どれだけの時間が経ったか分からないけれど、瑶さんはあたしをそっと抱き寄せて頭を撫でてくれながらゆるしてくれたわ。

 

「さ、おふたりの間の事はそれで良いとして、個室2部屋以上、リビングとキッチンに庭付きの貸家は特に問題ないと思います。ただ、お風呂はあまり一般的ではないです。どうしてもというのであれば、庭の一角に作るかでしょうね」

「そうですか。それで家賃はどのくらいするものですか?」

「そう、ですね。今言われた条件ですと、安ければ2万スクルド、高くても5万スクルドってところでしょうか。ご紹介しましょうか?」

「え?ハンターギルドってそんなことまでしてくれるんですか?」

「ええ、ハンターって流れ者が多いですから、宿に泊まるくらいならともかく家を借りようとすると中々難しいですからね。そのあたりはサポートします」

「では、お願いします」

「分かりました。2、3日お待ちいただけますか?良さそうな物件を見繕っておきます」



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第62話 早くもランクアップ

「で、ご相談は家の事だけということでよろしいでしょうか?」

「まあ、相談は、それだけですね。あとは、やはり昨日報告した変異体について、何か決まりましたか?」

 

あ、アレッシアさんが人差指を唇の前に立てたわ。

 

「こちらへ」

 

あたし達が連れていかれたのは受付カウンターの奥。初めて入る部屋ね。

 

「ここで座ってしばらくお待ちください」

 

 

 

「アレッシアさん、どうしたのかしらね?」

「変異体について、秘密にしてほしそうだったし。なんだろうな?ギルド内で何か調整してるのかもしれないね」

 

そんな話をしながらしばらく待っているとドアが開いてアレッシアさんに案内されて男の人が入ってきたわ。あら?この人たしか……。

そこにいたのは、190センチくらいの長身に赤い髪、ハンターギルドにいる割にはこざっぱりした服装のの細マッチョ。

 

「「お久しぶりです。ギルドマスター」」

「ああ、ヨウと、それに天使ちゃん、久しぶりだな」

「その呼び方固定なんですか?」

「アハハハ、気に入らんか?だが、もうアサミは少なくともエルリックのハンターギルド内では『天使』のふたつ名で呼ばれているぞ。いや、それどころかハンターの出入りする場所では色々と噂になっているようだな」

「え?いつのまに?それに噂?」

 

あたしはアレッシアさんにチラリと視線を向けてみた。あ、視線を外したわね。

 

「アレッシアさん?」

 

あたしが呼んでも視線をさまよわせたままね。これは確定かしら。昨日助けた暁の剣のメンバーが何も言わなかったから気づかなかったわ。ひょっとすると彼らは極限状態で思い至らなかっただけなのかしら。

 

「すみません。8級のあなた方に、わたしが優先担当としてついているのに疑問程度ならともかく不満をぶつけてくるハンターが多くて、つい」

「つい?」

「そ、そのガルフさんとのあれこれを説明することになってしまったものですから」

 

うん?それだけなら『天使』なんてふたつ名が広がることは無いわよね。

 

「そ、そのアサミ様の愛らしい見た目と制圧した相手を無傷で赦す優しさに、あたしもつい、その……」

「それでアレッシアさん自身が、あたしを『天使』なんてふたつ名で率先して呼んだと?」

 

アレッシアさんのことをちょっと睨んでしまったのは仕方ないと思うの。

 

「まあ、天使ちゃんのふたつ名は、良いとして」

「よくないです」

 

ギルドマスターが軽く言ってくれるので一応否定しておかないとね。

 

「よくないってもなあ。今更どうにもならんぞ?昨日も連戦で普通なら放置するような暁の剣を救援してるしな」

 

そんな、昨日のあれも『天使』的な行為になっちゃうの?

 

「もう、いいです」

 

あたしは、肩をおとして呟くことしか出来なかった。

 

「ま、ふたつ名なんざ実力があればいつかは付くもんだ。まだ綺麗なふたつ名だから良いじゃないか。女ハンターの中には『虐殺姫』だの『サディスティックジェノサイダー』だの『ファナティックレディ』だの言われてる奴もいるぜ」

「うえ。そんなふたつ名付けられたら死にたくなりそうです」

 

「それとも、『聖女』とでも言われたいか」

 

最後にギルドマスターがボソッと爆弾を落としたので、あたしは固まってしまったわ。まさか気づいてる?

 

「ま、余談はことくらいにして、本題にって、そういえばきちんと名乗ってもいなかったか。俺はこのエルリックハンターギルドのギルドマスター、ステファノスだ。よろしくな」

「私は瑶と言います。ご配慮により8級ハンターからスタートしています。改めてよろしくお願いします」

「あたしも8級ハンターからスタートにしてもらいました。朝未です。よろしくお願いします」

 

瑶さんに続いて、あたしもおそるおそる自己紹介をしたけど、何もいわないわよね。

 

「ま、堅苦しい挨拶は、そのくらいにして座ってくれ」

 

ステファノスさんの言葉に従いあたし達もテーブルについたのだけど、何かしら、まだアレッシアさんがゴソゴソしてるわね。

 

「アレッシア。まずは報奨金を」

「はい。こちらオークの変異の報告に対する報奨金10万スクルドになります。お納めください」

「報奨金?そんなものがもらえるのか」

「ええ、変異種の発生は依頼の難易度を跳ね上げます。そのためその報告にはそれに見合った報奨金が支払われることになっています」

「そうか。では遠慮なく」

 

「ギルドマスター。これを」

「ああ、わかった」

 

ステファノスさんはアレッシアさんから何かを受け取って立ち上がった。

 

「ヨウ様、アサミ様。ご起立願います」

「はあ?」

 

あたし達は言われるままに立ち上がったのだけど、何か雰囲気が硬いわね。

 

「8級ハンター、ヨウならびにアサミ。2人の実績および実力を勘案し、ここに6級ハンターへの昇級を認める」

「え?あたし達、登録してまだ1か月ですよ。実績と言っても……」

「分かっている。ただ、これは儀式だ。受け入れてくれ」

「儀式は良いが、私たちがいきなり6級というのはさすがにどうなんだ?」

 

あたしのどうでも良い抗議に続いて、瑶さんがリアルに問題になりそうな疑問を口にしたわね。

 

「まあ、そのあたりは俺の独断もあるが、報告を受けた変異種の絡みでな、どうしても上げておきたいというのが実情だ」

 

え?変異種絡みでランクアップ?嫌な予感しかないんですけど。



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第63話 バレてた?

「例の魔物討伐依頼の件だがな。ランク規制を8級以上から6級以上に変更することになった」

 

つまり、それはあれよね。あたし達を6級に上げたのは。

 

「私達に討伐に参加しろ、と?」

「強制はしない。少なくとも現状ではな。もちろんできれば参加して欲しいし。参加してくれるのではないかという期待もあるがな」

 

瑶さんが確認してるけど、これもう参加しなかったら強制するって言ってるようなものじゃないかしら?

 

「大体、私達は戦闘力自体にはある程度自信ありますが、経験はありませんよ」

「あー、まあぶっちゃけるとだな。天使ちゃん。あんただ」

「え?あたし?」

「朝未がどうかしましたか?」

 

あ、瑶さんの顔が警戒モードだわ。

 

「まあ、表でなく、ここに来てもらった理由のひとつでもあるんだが。天使ちゃん、あんた聖属性魔法使えるだろ?それもかなり高レベルの」

「え?」

 

いきなり核心を突かれてあたしは固まってしまったわ。

 

「な、んで、そう思われるんですか?」

 

辛うじて返したあたしの問いにステファノスさんは、優しい微笑みで返してくれたのだけど……。

 

「あんたたちが色々と隠し事をしていることは分かっているが、そうだな。例えば、天使ちゃんが魔法の練習をしている時だな。生活魔法を使うとキラキラしたものが周囲に現れるだろう。他にも聖属性魔法の習得が異常に速い。というより使おうと思うだけで最初から使えるとか、他の属性魔法を使っても聖属性が同時に乗っていだろ。さらに言えばヨウも聖属性魔法の初級は最初から使えて、使うと天使ちゃんほどじゃないが光が周囲に現れるとかな」

 

あ、瑶さんが立ちあがって腰の剣に手を置いたわ。

あたしも瑶さんの後ろに下がって魔法の準備をしておこうかしら。

ただ、このステファノスさん、結構強そうなのよね。

 

「ああ、慌てるな。秘密を漏らすなんてことはしないし、それをネタに強制なんかしない。むしろこれは警告というか忠告だな。オレでさえ気づく事だから。慎重に使えっていうな。これからはギルド内では練習も控えろ。家を借りるんだろう。ギルドの訓練スペースで練習する必要はもうないだろう。今はまだ他に気付いている奴はいないようだが、これ以上ギルド内で見られたら気付くやつも出てくるぞ」

 

うう、やっぱりステファノスさん気付いてたのね。瑶さんも剣から手を離したわ。ただ、まだ表情は険しいわね。

 

「ま、そうは言ってもこれだけの重要な内容だ。簡単には信用できないだろうし、簡単に信用されるようでも逆に心配だ。これからのギルドの対応で判断してくれ」

 

そう言うとステファノスさんは席を立った。

 

「あ、そうそう、新しいギルド証は、アレッシアから受け取っておいてくれ」

 

最後にそう言うと部屋を出ていったわね。

 

「では、おふたりのギルド登録証、あ、簡単にギルド証と呼ばれることも多いですが、分かりますよね」

「まあ、さすがに」

 

あたしも瑶さんも、さすがにその程度の言葉に混乱はしないわ。

 

「こちらが新しいギルド証になります。今のギルド証と交換ですが、今日はお持ちですよね」

「さすがにギルドに来るのに無しでは来ませんよ」

 

瑶さんが苦笑しつつクレジットカードサイズの銅の板をテーブルに置いたわ。あ、あたしも出さないと。

 

「はい、お預かりいたしました。こちらの新しいギルド証をお持ちください。これで今からおふたりのランクは6級です」

「はあ、ありがとうございます。でもさっきも言いましたがこんな短期間で6級なんて良いんですか?」

「あはは、実はあまりよくありません」

「なら」

「でも、おふたりを8級にしたままにしておくよりはマシです」

 

やっぱり嫌な予感は当たりなのかしら。

 

「あー、それは高難易度の依頼への対応的に?」

 

瑶さんの直接的な表現にアレッシアさんは苦笑しつつ頷いているわね。

 

「実際のところハイオーク案件は5級以上が適切なんですよ」

「それを6級に引き下げた理由は、まさか私達ですか?」

 

ここでもアレッシアさんはコクリと頷いた。

 

「もちろん、強制はしません。ただ不運なことに現在エルリックには高位のハンターが少ないんです。6級まではそこそこの人数いるのですが、5級となると長期間掛かる依頼を受けていたり、遠方での依頼を受けていたりで数名しかいないのが現状なんです」

 

「いや、だからと言って私達をあまり当てにされても」

「いえ、おふたりなら上位ハンターに勝るとも劣らない働きが出来ると確信しております」

「根拠もなくそういう事を言われても戸惑うだけなんですが」

 

瑶さんのそんな言葉にアレッシアさんは少し言いにくそうにしながら言葉を継いだの。

 

「アサミ様。ホーリーという魔法をご存知でしょうか?」

「え、ええ。中級の聖属性魔法ですね」

「その効果はどの程度ご存知でしょうか?」

「え?邪なるものへの浄化。ですよね。まあ言葉上だけしか知りませんけど」

 

あら、アレッシアさんがウンウンと頷いてるわね。

 

「では、その邪なるものとはなんだかご存知でしょうか?」

「え?それは、アンデッドとか?」

「ええ、確かにアンデッドは邪なるものの代表的な存在ですね。ですが、実は魔物全体が基本的に邪なるものなのです。まあ他にも邪法による呪いなんかも対象ですが、めったに出会う事はないので今は忘れていただいて構いません」

「うえ?そうなの?」

「はい、そしてホーリーが対象にするのは個体ではないですよね?」

「え、ええ。たしか範囲魔法ですね」

 

段々嫌な方向に向かっているわね。ホーリーは使えるけどギルドでは使ったことないはずなのだけど。

 

「使用者のレベルによって効果は変わるそうですが、その範囲にいる魔物の行動阻害から強力になると魔物を消滅させたりもできるという話ですね。まあ、どこまでの効果があるのかは魔物の強さと使用者のレベルの関係で変わると聞きます。さすがに消滅させるレベルだと伝説の聖女様レベル必要そうですが」

「へえ、魔物全般に効果があるとは知りませんでした」

 

でも最後にさらっと物騒な言葉が追加されてるわね。これつまりあたしのホーリーの効果を確認して消滅しないレベルで使えって事よね。

 

「まあ、ホーリーレベルの聖属性魔法を使えるような人は神殿や王家が黙っていないので、そういう人がいたら人の目の無いところで使うようにアドバイスしてあげてくださいね」

 

うん、つまりギルドはあたしが聖属性魔法自体は認識しているけど、実際のレベルは知らないということにするから、人に見られるなってことね。

 

「わかりました。そういう人を見かけたら注意するようにしますね」

 

アレッシアさんがやっとニッコリと笑顔を見せてくれたわね。

 

「えと、ひとつ質問いいですか?」

 

あら?瑶さん、何か気になったの?

 

「今回の変異種対応は私達が見たオークの変異種を討伐したら通常になるのですか?」

「うーん、そこが微妙なところなんですよね。変異種が間違いなく1体だけならそれでも良いのですが。変異種が出現しているということ自体が、現状変異種が出現しやすい状況だという証拠みたいなものなので」

「つまり他にも変異種が出現している可能性がある、と?」

「そういう事です」

 

あんなおぞましいものが他にもって勘弁してほしいわ。



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第64話 聖女とホーリー

「当分の間はあそこのエリアは6級以上での討伐になるということ、ですか?」

「ま、そうなるでしょうね」

「変異種の存在は?」

「もちろん、公開します」

「あー、それは危険度も含めて?」

「ええ。6級以上とした理由、ああ、おふたりの件以外の部分。5級以上のハンターがほとんどいないからという部分ですね。これも含めて公開します」

「でもそれだと実質6級ハンターの参加は期待できなくなるのでは?」

「それは良いんですよ。けが人くらいならともかく死者を量産したいわけではありませんから」

 

瑶さんの質問にアレッシアさんはスラスラと答えるのだけど、これはつまり、あくまでもあたし達が参加できるようにするためって事ね。思わずため息をついたあたしは仕方ないと思うの。

 

「えと、アレッシアさん。もしホーリーを使える人に会ったら、人目に付かないように言ってあげるようにって言われましたけど、具体的にはどんなとこを選ぶように言えばいいんですか?」

 

あたしは質問しつつ、なんとなく頭痛を感じたわ。はあ、この猿芝居いつまでつづけるのかしらね。

 

「そうですね、エリアの入り口付近はギルドの係員の目がありますので、少し奥。そして時間も早朝が良いですね。間違っても日の出前や日の落ちた後は避けるべきでしょう。あの魔法は結構光が目立ちますから」

「あら、アレッシアさんはホーリーの発動を見たことがあるんですか?」

「え、ええ。1度だけですけど。ここから東へ馬車で1週間ほどの場所にオークどころかオーガの変異種が発生したことがありまして。王都から高位の神官を呼んだ時にですね」

「へ、へえ、そんなになんですね。知り合ったときには注意しておきます」

 

うわあ、ホーリーって王都から神官を呼んで使ってもらうほどの魔法って事よね。これはもう秘匿決定ね。絶対に人の目のある時には使えないわ。

 

「アレッシアさん、それで、用事はこれで全部ということでいいんですか?」

「あ、はい。これで全部です。変異種への対応もご検討いただけると助かります」

「まあ、検討はします。受けるとは約束できませんが」

「はあ、まあそうですよね。それでも検討していただけるだけでも助かります」

「では今日はこれで失礼しますね」

 

瑶さんが確認をしてくれたので、あたしも軽く頭を下げて部屋から出られたわ。

 

「朝未、ちょっと座って」

 

宿に戻ったところで瑶さんが少し難しい顔で備え付けの小さなサイドテーブルについて口を開いた。

 

「え、瑶さん。怖い顔でどうしたの?」

「さっきのアレッシアさんとの話の事だよ」

「アレッシアさんとの?あのオークの変異種討伐の事?」

 

「それもあるけど、魔法の事だよ。朝未はホーリーを使えるのかな?」

「きちんと発動させたことは無いけど。多分使えます」

「効果は、さすがに分からないよね」

「え?さっきのアレッシアさんの話だと魔物全般にダメージを与えられるって……」

 

「ああ、そこは私の言い方が悪かったか。同じ魔法でも強さというか強度というかが違うよね」

「そういう意味ですか。それはさすがに使ってみないと……」

 

「そうだよなあ……」

 

瑶さんはつぶやくと、何か考えに没頭し始めてしまったわ。

 

「宿の部屋でならいいかしら。ホーリー」

 

あたしは最低魔力でホーリーを発動させてみた。

 

「あ、綺麗」

 

そこに現れたのは直径1メートルほどで高さ2メートルほどの円筒状の青い光。

あたしは、そこに手を伸ばし

 

「朝未!」

 

瑶さんに手をつかまれてしまったわね。

 

「瑶さん、なんで?」

「怪我でもしたらどうするつもりだ」

「大丈夫ですよ?ホーリーは邪なるものに対してだけ働く魔法です。あたしに害はありません。……たぶん」

「いや、多分じゃ……」

「それに、ちょっとした怪我ならあたしは自分で治せますから。たぶん腕一本くらいなら再生できますよ。そこまで魔力を使うとたぶんぶっ倒れますけど。まだリザレクションは使えそうもないので死んだらどうにもできませんが」

「いや、腕一本はちょっとした怪我じゃないし、リザレクションが使えても、朝未が死んだらダメだろう」

 

「まあ、それはそうですが、ほら何ともありません」

「あ、こら」

「ふふ、非公式ですけど、あたしは聖女ですよ。聖属性魔法ではダメージなんか受けません。……それに多分瑶さんも……」

 

ホーリーの光の中に手を突っ込んで見せたあたしに慌てる瑶さんをちょっと可愛いと思ったのは内緒にしておいた方が良いわね。

 

「え?私が?」

「いえ、まだそちらは確信はないんです。ただ、基本的に聖属性魔法はまっとうな人間にあまり害を与えることはないですよ?」

「いや、基本的にとか、まっとうなとか、あまりとか付いてる時点で補助魔法や回復魔法以外を人間に使うのは気を遣うだろう」

「ふふふ、大丈夫ですよ。そしてホーリーは発動するだけなら思ったより消耗しないですね。これならホーリーの光の中から魔物に攻撃し放題です」

 

あたしはホーリーの光の中に全身を入れてフフフと笑った。

そんなあたしを瑶さんは、呆れたような目で見てきたけど、平気なものは平気だもの。



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第65話 ホーリーの効果確認①

「あー、ホーリーの中で朝未が平気なのはわかったけど、その中から攻撃し放題ってのはちょっと違うかなと」

「え?」

 

「聞いた話からするとホーリーは別に魔物を必ずしも瞬殺するわけじゃないよね?」

 

「でも、行動阻害と同時にダメージを与えるって。場合によっては消滅させるって」

 

「使う人のレベルと敵の強さによって効果は違うとも言ってたよね。そして消滅させるのは伝説の聖女のレベルだって。朝未がこの世界で言うところの聖女なのはこれまでのことから間違いはなさそうだけど伝説のって言われる聖女と同じレベルだとはさすがに言えないよね」

 

うー、今日の瑶さんはイジワルだわ。

ちょっと言ってみただけだったのに。そりゃあたしもつい反論しちゃったけどさ。ここまでぺちゃんこにしなくてもいいじゃないの。

 

「ああ、ごめん。ちょっと言い方がきつかったね。私としては朝未に余計なケガをして欲しく無いって思ったらつい口にしてしまったんだ。またナインテールフォックスの時のような事になってほしくないんだよ」

 

う、あたしがへこんだのを見て瑶さんが慌てたようにフォローしてくれたけど、それはそれで嬉しいんだけど、その言い方はズルいと思うの。顔が熱いわ。

思わずあたしは顔を背けちゃったわよ。

分かってる。瑶さんはバディとして、そして元の世界での大人として心配してくれてるんだって。瑶さんは大人だし、あたしは中学1年生の子供だもの、そういう目では見られていないのは分かってる。でも、あたしはそういうの免疫ないんだもの。つい、そういう方に思っちゃっても仕方ないわよね。

 

それでもとりあえず深呼吸をして落ち着かないとね。瑶さんは大人、あたしは子供、瑶さんはバディとして、そして多分保護者的な視点で見てるだけ。

うん、落ち着いたわ。

 

「瑶さんが、あたしの事を心配して言ってくれたことは分かりました。でも、本当はちょっと言ってみたかっただけで本気であんなことしませんからね。つい反論しちゃったのはあれですけど。

それで、実際のところは、どうします?あたしとしては、あたしの魔法が魔物特攻みたいなので変異種討伐に参加してもいいんじゃないかとは思うんですけど」

 

「朝未の魔法が魔物全般に効果が高そうだっていうのは分かったけど、私としては変異種討伐をするにしても少し慎重にいきたいと思う」

「慎重って。今までも割と慎重に狩ってたと思いますけど?」

「今まで以上にって事だよ。いや本音を言えばもっと高ランクのハンターに変異種は狩ってもらいたい。私達は討伐に参加したという事実程度に出来れば最高だと思っている。何と言っても聖属性魔法の魔物への効果がどのくらいかもわかっていないから。だから実際にはそれを確認するところからだね」

「確認って言われても」

「アレッシアさんの言い方からして、変異種がすべての魔物の群れに発生するわけじゃなさそうだってのは分かるよね?」

 

それはそうよね、小さな群れにまで変異種が発生することは無さそうだもの。だからあたしは疑いもなく頷くのだけど、その先が良く分からないわね。

 

「まずは、通常の魔物、ゴブリンとかオークで朝未の聖属性魔法を試したいかな。できれば小さな群れで。魔力の消費とか魔力をつぎ込んだ時の効果とかね」

「そういえば、聖属性魔法の魔物への効果は確認したことありませんでしたね」

 

基本的に聖属性魔法の効果を回復魔法と補助魔法、せいぜいアンデッドへの浄化魔法って認識だったもの。まさか魔物への特攻魔法だなんて思ってもいなかったから、確かに確認もしてないわ。

 

 

 

 

「アレッシアさん。例の討伐依頼受けます。ただ、あまり成果を期待されても困りますが」

 

翌朝、あたし達はハンターギルドで依頼を受けることをアレッシアさんに伝えた。もちろん変異種討伐なんて注目される言葉は使わないわ。

 

「ありがとうございます。もちろん、おふたりのペースで構いません。むしろ無理して大けがなんてされた方がギルドとしても後々困りますので」

「じゃ、今日は軽く下見に行ってきますね」

「はい、お気を付けて」

 

 

というわけで、あたし達はゴブリンやオークが出没するエリアに早朝からやってきたの。徒歩5時間と言われたけど、バフ付きで走ってきたから30分かからないのよね。

 

「瑶と朝未だ。これから討伐に入る」

「え?あなた方は8級では?現在このエリアの討伐依頼は6級以上限定となっております」

 

あたし達はギルド証を提示して、ギルドの係員の驚愕する顔を後にエリアに足を向けたわ。

 

「さて、まずはハンターの居ない周辺からじっくり確認していこうか。朝未、探知魔法を」

 

あたしは頷いて、探知魔法を起動していく。

ウィンドイヤー、グラウンドセンス、ヒートアイ、マナセンス、マインドサーチ。有効半径約50メートルの複数の探知魔法を展開。

 

「探知範囲に魔物の気配ありません」

「他のハンターが比較的右方向に向かうらしいから、私達は左回りに探索を進めよう」

 

そう言って慎重に歩を進める瑶さんにあたしは知魔法を展開しつつ続いたの。

そして1時間程進んだところで探知魔法に反応があった。

 

「瑶さん。探知魔法に反応です」



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第66話 ホーリーの効果確認②

「数は?」

 

瑶さんが足を止めて確認を求めてきたわ。これ頼られてる感じで嬉しいのよね。

あたしはいつものようにウィンドイヤーに多めの魔力をつぎ込んで拡大する。

 

「多分ゴブリン、数は8体。探知範囲外との連携の気配はありません」

「わかった。打ち合わせ通り、朝未は補助魔法を掛けた後は、ホーリーのテストに専念。つぎ込む魔力、収束度の違いで与えるダメージの違いを確認すること。私は近づいてくる敵を排除する。朝未には近寄らせないから安心してテストを」

 

う、瑶さんって時々ナチュラルに特別感のある言葉を混ぜてくるのよね。あたしは自分に言い聞かせる”これはバディとして、瑶さんにとってあたしはバディ。女の子として見るには年齢の差が大きい。勘違いしちゃダメ”

あたしは深呼吸をして気持ちを落ち着ける。そして両手の平で頬をパチンと叩いて気合を入れなおす。

 

「はい、瑶さん、あたしを守ってね」

 

あ、瑶さんちょっとだけ目を見開いたわね。でもたまには良いわよね。

 

「あと約20メートル。そろそろ見えると思います。ウィンドイヤー以外の探知魔法でも全体を把握できてます。ゴブリン8体。間違いありません。初手、ホーリーに多めに魔力を込めて全体に攻撃、様子次第で、2手目に込められるだけの魔力を込めて単体に収束してみます。そこからは臨機応変に」

 

瑶さんは頷いて、更に近づいていく。一番近いゴブリンまでの距離が10メートルを切ったところで、あたしは瑶さんの肩を軽く叩いて合図をする。今回はあたしの魔力をあまり使いたくないので瑶さんが補助魔法を掛けてくれたわ。そこから魔力を練り上げて探知魔法の反応も参考にゴブリンの群れ全体を覆うようにイメージを作り。

 

「ホーリー」

 

う、あたしの中からゴッソリ何かが抜ける感じがして、軽い眩暈と脱力感があたしを包んだわ。ひとつの魔法ににこれだけの魔力を使ったのは初めてだけど、これは結構辛いわね。

 

「効果は?」

「うん、これは結構凄いな。ゴブリン全部から何か白い煙?いや、黒いのも混ざっているか?が立ち昇って苦しんでるな。かなりの行動阻害効果もあるみたいだ。動きがかなり鈍いね」

「でも、これだと斃し切れるものではなさそうですね。結構魔力は込めてみたんですけど。……あ、こちらに気付いたようですね」

 

あたし達に気付いたゴブリンは、今まで見たゴブリンと比べて大幅に動きが悪いけれど、のそのそと近づいてくるわね。あ、ホーリーの光から出た途端に動きが普通になったわ。マナセンスの反応だとかなりダメージはあったみたい。ゲームならHP半分って感じかしら。

 

「先頭のゴブリンに収束させたホーリーをぶつけてみますね」

 

再度あたしは魔力を練り上げて、今込められる最大の魔力で……

 

「ホーリー」

 

う、気持ち悪い。あたしは思わず膝をついてしまったわ。多分魔力はまだ3割は残っているのに。

 

「うお、凄いな。瞬殺じゃないか」

 

そんな瑶さんの声は聞こえてくるけど。今のあたしはそれどころではないの。

 

「な、朝未。大丈夫か」

「ま、魔力を急激に使うとキツイみたいです」

 

瑶さんの問いかけに、どうにか返事をしたけど。かすれ声しか出なかったわ。聞こえたかしら。

それにしてもこれはきついわ。ちょっと動けない。

 

あたしが意識も朦朧とする中、耐えていると身体がフッと浮遊感に包まれたの。

あら?何が起きたのかしら。

 

「朝未、聞こえているか分からないけど、今はとりあえず逃げるよ」

 

 

 

気付いた時、あたしは瑶さんに膝枕されていた。

慌てて起きようとすると、瑶さんにそっと肩を押されて、また寝かされてしまったわ。ちょっと恥ずかしいのだけど。

 

「朝未、気が付いたようだね。気分はどうだい?」

「え、ええ。多分もう大丈夫です。魔力を一気に消耗し過ぎるとなるみたいです。今回消費の大きな魔法を間を開けずに連続で使ってしまったのが原因だと思います」

「そうか、ホーリーの効果は凄かったけど、使いどころに気をつけないといけないね。というかできれば現状では使わずに済ませたいね」

「うーん、それは込める魔力を調整すれば1回の戦闘で1回くらいなら大丈夫だと思いますよ。今回は加減せずに最大出力みたいな感じでしかも連続で使ったので倒れちゃいましたけど。あ、そういえばその効果は?あたし1回目の全体へのホーリーの効果は見たんですけど、2回目のホーリーは効果を見る前に倒れちゃったので見れてないんです」

 

「あー、あれね。凄かったよ」

 

あら?瑶さんが視線を外したわね。

 

「瑶さん?」

「う、うん、凄かったよ。光に包まれた瞬間にゴブリンがその場で崩れ落ちて……」

 

ん?なんか瑶さんの言い方が微妙ね。きちんと最後まで言い切る人なのに。

 

「はあ、降参。最後まで見てない。それでも私が見ている間にゴブリンが半分くらい蒸発するように消えていたよ」

 

最後まで見なかったのは、あたしが倒れたせいよね。そしてやっかいな情報が追加されてて、あたしは空を仰いじゃったわ。

 

「あの、瑶さん。最後まで見られなかったのは、あたしをここまで運ぶためよね。言っちゃえばあたしのミスをカバーするためだったのだもの、あたしが文句を言うのは違うと思うの。むしろ、あたしはお礼を言う立場よね。瑶さんあたしを守ってくれてありがとう」

 

やっかいな情報はそれとして、あたしを守ってくれた瑶さんには軽くハグをして笑顔でお礼を言ったの。



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第67話 魔法の威力・効果

「はあ?同じ魔法で威力を変える方法だあ?そんなもの見たことも聞いたこともないな」

「そうですか。もしできれば初級魔法でも効果を上げられるかと思ったんですが」

「だいたい、威力が変えられないからより上級魔法があるのですよ。だれよそんな与太話をあんたみたいな女の子に吹き込んだバカは」

「いえ、聖属性魔法が使う人のレベルによってその効果が変わると聞いたので、それをヒントにあたしが思いついただけです」

「ああ、聖属性魔法か、あれは特別だね。だが普通はそんなに変わらんらしいけどな。ただ聖女だけは特別で聖女が使うとその経験によって大きく効果が変わるという話ではあるが。他の魔法はほぼ変わらんよ。まあ、思いついた事を他人に聞いてみるってのは悪くは無いけどね、あまりに突拍子もなさすぎるね」

 

「そうですか。つまり同じ魔法なら誰が使ってもおおよそ同じ威力になると」

「ま、多少の誤差はあるようだが概ねそうだね。極端に威力の高い初級魔法とか逆に威力の弱い上級魔法とかは聞いたこと無いね」

「あ、あの、先ほど聖女が使うと聖属性魔法の効果がその経験によって大きく変わるって言われましたけど、聖女が他の属性魔法を使った場合はどうなんでしょう?」

「はあ、聖女が聖属性魔法以外の魔法を使う?ないない。聖女は聖属性魔法に特化してるそうだからな、聖属性魔法以外の魔法を使うなんて例は聞いたことも無いよ」

 

これはいよいよまずそうね。あたしの魔法は秘密にしないと。あ、それとも聖属性魔法以外の魔法も使えるってことで聖女じゃないと……。きっと無理ね、下手なことをしたらそれこそ大聖女とか変な肩書がつきそうだわ。やはりよほどの事がない限り瑶さん以外のまえでは使わないようしよう。

 

「そうですか。あと、魔法を使いすぎて倒れることとかあったりしますか?魔力を一気に使いすぎてとか魔力枯渇とかで」

「それも聞いたこと無いかな。そもそも、魔力に余裕が無きゃ魔法は発動しないしね」

 

先日ホーリーの発動で倒れたのをきっかけに魔法をきちんと習おうということになったの。それで今あたしはエルリックで1番と言われる魔法使いニコレッタさんに、この世界の魔法について教えてもらっているのだけど、色々とおかしいわね。

 

あたしの使う魔法はどれも魔力の込める量をあたしが決められるし、込めた魔力によって強さもかわる。そして限度を超えて魔力を込めればあたし自身が倒れる。これはあたし自身が経験したことだもの間違いは無いわ。なのにこの世界の魔法使いの常識ではそれはあり得ないことになっているのね。

 

その上呪文の詠唱。一応ギルドの資料室で読んだ魔法書には呪文も一緒に書いてあったけど、あたしも瑶さんもイメージと込める魔力を意識するだけで魔法を発動出来たから必ずしもいらないと思っていたのだけど……。

 

「じゃあ、初級の火属性魔法、そうねファイヤーアローを使って見せるからよく見てなさい。……

至高なる力、万能なる力の根源よ。我が祈りに応えたまえ。我が魔力を対価に炎の矢となり我が敵を打ち倒せ、ファイヤーアロー」

 

ニコレッタさんのそばに現れたファイヤーアローが10メートルほど先の的に向かって飛んでいったわ。

 

でも、

な、長いわ。こんな長い呪文を悠長に唱えていたら発動までに敵から攻撃を受けちゃうわよ。

しかも、なに?あのファイヤーアローの速度の遅さ、気付いていたら避けるのも難しくないのじゃないかしら。威力は、うん的の強度が分からないから何も言いたくないけれど……。

 

いえ、さっきの説明からすればより上級魔法ならもっと威力もあるのよね、きっと。

 

「あ、あの、ニコレッタさん。中級魔法だとどんな感じですか?」

「中級ね。ならファイヤーランスを撃ってみましょう。

至高なる力、万能なる力の根源よ。我が祈りに応えたまえ。我が魔力を対価とし火の力を顕現させ強大な炎の槍をもって我が敵を貫き斃したまえ。ファイヤーランス」

 

ニコレッタさんの頭上に現れたファイヤーランスが、先のファイヤーアローと同じように的に当たって四散した。

おかしいわね。いくらなんでも中級魔法の威力と速さがあの程度なんて思わないじゃない。

 

「あのニコレッタさん、上級魔法って……」

「ふふ、アサミ。さすがに無茶を言いすぎよ。上級魔法なんて王宮魔導師達とか神殿の聖堂騎士団の魔導部隊員クラスじゃないと使えないわ」

「そう、なんですね。もの知らずなもので。申し訳ありません」

「良いのよ、知らない事は恥では無いわ。知ろうとしないことが恥なのよ」

 

「ニコレッタさん、的を見させていただいて良いですか?」

「もちろんよ。耐魔法処理をした特製の的だからね。普通の的じゃ中級魔法になんて耐えられないよ」

 

耐魔法処理、これが?確かに単なる鉄板じゃないのは分かるわ。何か表面に魔法的なものを感じるもの。でも、これが?

 

「あ、あのニコレッタさん。この的っていくつか分けていただくことは出来ませんか?」

 

あたしはこの魔法用の的で自分の聖属性魔法以外の魔法の威力を多少なりとはかれないかと思ってニコレッタさんにお願いしてみた。



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第68話 自意識過剰?

「で、それがその魔法用の的なのか?」

 

ニコレッタさんの魔法講義のあと、2つの的を譲り受けて、ハンターギルドの紹介で借りた家に持ち帰ったの。それを見た瑶さんがちょっと微妙な顔で見てるわね。

 

ああ、そうよね、瑶さんも魔法が使えるのだもの感じるわよね。

 

「そうらしいです。耐魔法の処理がされているそうで、ニコレッタさんの放ったファイヤーランスに問題なく耐えていました。でも……」

「うん?ファイヤーランスと言えば中級の火属性魔法だろう。結構な耐魔法性があるってことじゃないのか?」

「はい、そこは多分間違いは無いと思うんです。でも、その……」

 

あたしが口ごもると、瑶さんが怪訝な顔でこちらをうかがってきた。うう、言い難いけど、これは大事な情報よね。

 

「その、魔法の威力が低いというか、固定というか……」

「うん?朝未は同じ魔法を色々な威力で使うよね」

「あたしはそうなんですが、どうやらこの世界の魔法って威力も魔力消費も固定で、このまえあたしがやったみたいな魔力を盛大に込めて効果アップなんて出来ないそうなんです。その代わりじゃないでしょうけど、魔法を使って倒れるとかも無いということで、一部例外があるのは聖属性魔法だけで、それも普通は僅かな違いだそうです。そして、ここからがまた問題で大幅に威力効果を上げられるのは聖女だけだそうです。さらに普通は聖女は聖属性魔法以外は使えないそうなんです」

 

「魔法と魔力の事はともかくとして、聖女は聖属性魔法以外使えない?」

「ええ」

「どういうことだ?ステファノスさんは、そんなことは言わなかった。むしろ他の属性魔法に聖属性が乗るのを気にしていた?」

「ひょっとすると……」

「ん?朝未。何か気付いた事がある?」

 

「いえ、それほどではないのですけど、この世界って元の世界と比べて明らかに情報の伝達速度が遅いですよね」

「ああ、そうだね。テレビもネットも無いし、一般庶民はごく近くのこと以外にはほとんど関心が無いし、ほとんど街から移動しないうえに電話なんかもないから口コミで広がることも無い」

 

「例えば王族とか神殿の高位の神官?司祭?そういった人ならある程度正確な情報を持っていると思いますし、ギルドマスタークラスなら一般的な情報はかなり持っていると思います。でもこの世界で聖属性魔法ってかなりレアみたいじゃないですか。ましてや聖女関連となればなおさらですよね」

 

あ、瑶さん頷いて、考え込んだわ。

 

「つまり、情報の精度は元の世界に比べるとかなり落ちる可能性が高いと、朝未はそう言いたいのかな?」

 

あたしが頷くと、瑶さんは顎を手でこすりながら口を開いた。

 

「私としても一般論としてはそうだと思っている。ただ、聖女の情報あたりだとかなり重要性が高くなるから、朝未の言う王族や高位の神官あたりはある程度の正確な情報を持っていると思う。だからと言って市井に正確な情報を流すとは限らないけどね」

「つまり、ニコレッタさんの魔法の技術理論はともかくとして情報に関しては信憑性が必ずしも高くないってことですか?」

「そうだね、むしろハンターギルドのギルドマスターという地位をもつステファノスさんの情報の方が多少は信憑性が高いかな」

 

「ぶう、それじゃ今日あたしがニコレッタさんのところで勉強したのも支払ったお金も無駄だったってことですか?」

「それは、また別だよ。この世界での一般的な魔法について知ることが出来たし、エルリックにおけるナンバー1魔法使いの中での聖女の位置づけも聞けたんだから。それはそれで有益な情報だと思うよ」

「そ、そうですよね。よかった。安くないお金使って全部無駄なんて言われたらどうしようかと思いました」

「今回は実際に有益な情報もあったけどね、もしこれで有益な情報が無くても、それはそれで私たちの経験になるから無駄にはならないよ。そういう面まで含めてこの世界の常識を知っていく必要もあると思うからね」

「はい、何事も経験ですね」

 

 

 

 

「それで、変異種討伐にはまだ1回しか行ってないですけど。どうしましょう?行くんですよね」

 

「そうだね。ただ、すぐにというのは危険かな。とりあえず、朝未が魔法に込める魔力の感覚を掴んでからにしたいね。本当は出来るだけホーリーは使わずに済ませたいとは思うけど、必要に迫られることも想定するべきだと思うしね。だから朝未は、家の中でホーリーの練習をすること。家の中でなら誰かに見られて気付かれることもないだろうからね」

「う、そうですよね。魔法2発でぶっ倒れるとか、それこそどこの地雷だって感じですもんね」

 

あたしはちょっと俯いて気合を入れなおした。うん、頑張る。

 

「私は、他にもちょっと気になることがあるので、朝未が練習してる間に別で検証しようと思う」

 

え?別行動?それはちょっと嫌なんだけど。

 

「ふふ、そんな不安そうな顔しなくてもいいよ。別にどこかに行くわけじゃないからね。ちゃんと朝未は守るから」

 

うぐ、なんか最近の瑶さんちょっと違ってきてないかしら。そりゃこの家を借りる話をしたときも甘えちゃった自覚はあるけど。だんだんとただのバディや子供に対するのと違ってきてない?それともあたしの自意識過剰?



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第69話 いつでもキレイ?

「ね、瑶さん。結局瑶さんが気になることって何だったんですか?」

 

あの話の後、3日かけてあたしはホーリーに込める魔力の感覚を掴む練習をしたのだけど、その間瑶さんは中庭でずっと剣を振っていたのよね。何が気になってなんの検証をしていたのかしら。

 

「ん、まあ大したことじゃない。いや、大したこと、なのかな?やってたのは剣の素振りと、汗をかいた時にクリーンを掛けただけなんだよ。ひょっとすると朝未も薄々気づいているかもしれないけど」

 

ああ、クリーンの件ね。あたしもおかしいとは思っていたのよね。だからそっと頷いたの。

 

「私達って狩場を出てすぐクリーン掛けると効果あるけど、ハンターギルドでアレッシアさんにお試しで掛けてもらった時には効果が感じられなかったよね」

「ええ、あれは不思議でしたね」

「あれについて少し仮説を立ててね。実証実験的なことをしてたんだよ」

 

実証実験?瑶さん、いったいどんな仮説にどんな実験を、いえ、実験は剣の素振りをしてクリーンを掛けることだったのよね。それがいったいどんな仮説の証明になるのかしら。

 

「それで、何かわかりましたか?」

「ああ、どうやら私達は、いや、今回は私だけでの実験だから、とりあえずは私個人についてか。私は、クリーンを必要としないみたいだね。そして、今までの経緯からすると朝未もおそらくクリーンを必要としない」

 

それは、あたしもなんとなく感じていたけど、瑶さんは理由もわかったのかしら。

 

「それはどういう事なの?」

「うーん、実験の結果なんだけどね。ちょっと汚い話もあるけど聞くかい?」

「え?汚いんですか?うーん、でも手加減してくれるのなら聞きます」

 

瑶さん、ちょっと考え込んだわね。視線もあちこちに泳いでるし、そんなに難しいのかしら。

 

「まあ、簡単に言えば、やったことは剣の素振りをすれば汗をかくよね。そこで色々なタイミングでクリーンを掛けてみたのが1つめね。これで分かったのは元の世界なら汗をかいて時間が経つと汗臭さが増すのが、時間がたつとむしろきれいになっていったんだよ」

「え?それって洗濯いらずで便利では?」

「ただまあ、このあたり少しは予想してたけどね。ほら最初の1カ月、川にそってくだってきてたから水はあったから色々水洗いこそしたけど、洗剤無しだったのに不快じゃなかったよね。あの頃は涼しい季節だからかなって思っていたけど……」

「実は自然にきれいになっていた?」

「そう、それに考えてみれば水洗いだけの割に服に染みとか残らなかったなとも今になれば不思議じゃないかな?」

「言われてみればあの1か月、服は水洗いだけ、身体も、その、瑶さんに周りを警戒してもらいながら短時間の水浴びだけだったのに不快感なかったですね。でも、そのくらいの実験なら別に汚いってことはないでしょ」

 

水は冷たかったし、周りに襲ってくる動物とかいたからゆっくり綺麗になんてとてもできなかったのよね。瑶さんは覗かないって思っていても、やっぱり恥ずかしかったし……。

 

「それで、念のためっていうか追加の実験がちょっと汚いんだよね。聞きたい?」

 

あら?瑶さん、そんな遠慮するような仲じゃなくなっていると思うのだけど。それでも程度問題かしらね。

 

「うーん、中途半端に聞いたままだと気になるので聞きたいですけど、あまり聞くに堪えないとこまで言ったらあたしがストップ掛けるっていうのでどうでしょう?」

「わかった」

 

あたしの提案に瑶さんが頷いて、ちょっと考えをまとめるように目を瞑ってから口を開いた。

 

「さっきも言ったけど、剣の素振りをすれば汗をかく。でその時に着ていたシャツを脱いで置いておいた。で30分毎くらいに汗を吸ったシャツを脱いで並べていったんだ」

 

瑶さんは、そこまで言ってあたしの様子を伺っているわね。まあ確かにちょっと汚い話ではあるけど、まだ許容範囲内かしら。

 

「瑶さん。まだギリ大丈夫ですよ」

「そうか。まああとは、にお……汚れ具合を確認しながら時間経過したものにクリーンを掛けていっただけだね」

「で、どうだったんですか?」

「まあ、時間が経ったものは普通に汚かったね。それにクリーンを掛ければスッキリとキレイになる感じだったよ」

「つまり?」

「まあ簡単に言えば、私達が身に着けた状態なら衣服も一時的に汚れはしても、キレイになるって感じかな。あとはどの程度にまで影響が及ぶか、だけど。まあ服以外は良いよねべつに」

「えーと、結論としては、あたしたちはお風呂に入らなくても清潔で良いね(はーと)ってこと?」

 

あら?ちょっと難しい顔になったわね。

 

「まあ、現象としてはそうなんだけどね。原因がちょっと……。一応仮説は立ててみたんだけど。嫌な仮説になったんだよ」

 

あたしも、ある程度予想してるのよねえ。

 

「あたしの予想だと、クリーンってホーリーの超下位互換なんじゃないかって思ってるんです。だから汚れみたいなものを邪なるものとして浄化してるんじゃないかと思ってるんです」

「ああ、朝未もそういう予想になったんだね。そうなると魔法を使わないでもクリーンを使っている状態って事かな」

「そういえば、エルリックに入るときにミーガンさんが言っていた神威ってあったじゃないですか。あれが関係しているのかもしれないって感じませんか?」



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第70話 朝未狙われる

瑶さんの実験の話の流れでわざと汚した布にクリーンの代わりにホーリーを掛けてみて『驚きの白さ』的な体験をした翌日、あたしと瑶さんは2度目の変異種討伐(?)変異種だけが対象じゃないからこれは違うわね。

まあ魔物討伐で良いわよね。

ということで、討伐エリアに来ているのだけど。

 

「ねえ、瑶さん。これはどういう状況なのかしら?」

 

何故討伐エリアの入口にハンターがこんなに大勢いるのかしら。5、6パーティ30人くらいは居そうよね。これじゃ聖属性魔法のテストも出来ないわね。しかも視線があたしに集中している気がするのよね。

 

「あー、まあ、朝未狙いが本格的になってきた感じかなあ」

 

瑶さんが苦笑いしてるわね。

 

「あ、あの天使ちゃん。今日の予定は決まってる?」

 

え?いきなり?ナンパなの?あたしみたいな子供相手に?見た目だけは整っている男の人(ただしハンターとしてはという限定ではあるけど)に掛けられた言葉にあたしは嫌悪感を感じてしまった。

 

「え、いきなり何?気持ち悪い」

 

あ、思わず本音が漏れちゃったわ。でも、本当に気持ち悪いもの。瑶さんの後ろに隠れさせてもらうのが良いかしらね。話したことも無い人がいきなりこれは無いと思うの。

 

「まともな挨拶もしないで、人のバディに粉を掛けるとか、どういうつもりですか?少なくともここにいるということは6級以上のハンターなのでしょうに。まともな常識も持ち合わせていないのですか?」

 

あたしを後ろに庇って瑶さんが硬い声で相手を遠ざけてくれた。やっぱり瑶さんのそばが一番安心できるわね。向こうでは『焦りすぎだ』だの『直接が無理なら……』だのと面倒な言葉も聞こえてくるので、瑶さんの袖を軽く引っ張ってあたしに向いてもらった。

 

「ね、瑶さん。ここにいると気持ち悪いの。さっさと行きましょう」

「そうだね。さっさと行こうか。……瑶と朝未だ。これから討伐に入る」

 

瑶さんは周囲をじろりと睨んで、もう何度目かになるギルドの係員に声を掛けると、あたしを周りの目から隠すようにして討伐エリアに入っていった。

 

討伐エリアに近づいたところで、あたしはいつもの通り探知魔法を展開した。

 

「あら?」

「どうした、朝未?」

「うーん、後ろから多分3パーティくらいついてきてます」

「多分?朝未にしては珍しいな。いつもきっちり数は把握してるよね」

「え?ああ、人数は分かりますよ。16人です。ただ動きがどうも別パーティではないように感じるものですから。だから人数から3パーティくらいって言ったんです」

「ああ、確かにいるね」

 

ちらりと後ろを軽く確認した瑶さんがため息をついたわ。

 

「でも、どうします?あんなの引き連れてだと、ろくに魔法は使えないですよね」

「魔法だけではないよ。潜んで近づいて先制攻撃をしかける私達の戦い方とはあまりにも相性が悪いね。ダッシュで引き離すことは出来るけど、討伐エリア内ではやりたくないしね」

「いっそ邪魔だって言っちゃいます?」

「いや、さすがにそれは……。いや、いいのか?」

 

瑶さんがちょっと頬を掻きながら考え込んだわ。

 

「ま、苦情と警告をしておこうか。朝未は、私の後ろにいるといいよ」

 

そう言うと、瑶さんはツカツカと多分隠れているつもりなのだろうハンターたちに向かって歩いていった。

 

「そこの16人。雑な隠れ方して私達の邪魔をしないでもらいたい」

 

瑶さんが指摘したのだけど、出てこないわね。どうしようかしら。

 

「人の言葉が分からない魔物みたいね。討伐対象かしら」

 

あたしが弓を構えると、さすがに慌てて出て来たわね。

 

「あ、わわ。撃たないで、天使ちゃん。魔物じゃないから」

「なら、そんな下手な隠れ方をしながらついてこないでください」

「なら堂々と……」

「何をふざけたことを言ってるんですか」

「我々は君たちが危ない目に合わないように陰から護衛を……」

「誰が頼みましたか。むしろあなた方がついてきた方があたし達にとってリスクです」

「君たちは2人だからね。人数が少ないと突発事態に弱いから助けようと……」

 

相手がそこまで言ったところで、瑶さんが前に出てくれた。あたしも嫌悪感から言葉が止まらなかったので助かったわ。

 

「そこまでです。つまりあなた方は、私達の戦力が不足だから加勢しようとついてきたということですか?」

「いや、そこまでは……」

「ならばなんですか?私達にとってあなた方は狩りの邪魔なんですが」

「我々も6級ハンターのパーティーだ。君たちの邪魔になるような追跡はしない」

「これだけ言っても改める気は無いということですね。では、あくまでも自己責任でどうぞ。これは警告でもあります。私達は、あなた方とは狩りの方法が違いますからね。巻き込まれて痛い目にあっても責任は持ちませんよ」

「な、我々とてハンターだ。自らの行動の結果を君たちのせいにしたりはしない」

 

瑶さんの軽蔑するような言葉に相手のリーダーらしき男性ハンターが反論してきたわね。でも、ここまで言わせればいいのじゃないかしら。そっと瑶さんの様子を伺うとちょっと黒い笑みを浮かべているじゃないの。

 

「なら、結構。さ、朝未行こう。もう彼らを気にする必要はないから」

 

瑶さんは、あたしの背中を押して進み始めた。そして彼らに声が届かない程度に離れると小声であたしに指示を出してきたの。

 

「ゴブリンでもオークでも構わないから、あまり大きすぎない群れ、そうだな5、6体の群れが2つ私達が間をギリギリ通り抜けられるくらいの間隔でいるのを探してくれないか?」

「え?ええ。別に探すのはいいですけど」

 

あたしが首を傾げて瑶さんを見ると、ちょっと困った顔で説明をしてくれた。

 

「私達は2人だから群れと群れの間を通り抜けるけど、彼らは16人と大人数だからね」

「え?魔物に襲わせるんですか?」

「というより、足止めだね。まさか魔物の群れに気づかないってことはないだろうし。2つの群れの間をぬけるのは16人もの大人数ではむりだろうから。それに6級ハンターが16人もいれば、戦闘になっても大したケガもなく対処できるだろうからね。彼らが戦闘をしているあいだに彼らと距離を取れるよ」

 

瑶さんの言う事は分かるわ。でも……。

あら、瑶さんが大きなため息をついたわね。

 

「わかった。朝未は優しいね。あんな奴らの事まで気にして。……なら10体くらいの群れを探して、2人で殲滅してみせようか。私達の力を見せつける方向で。ただし、使っていい魔法は魔法は探知魔法と補助魔法だけだよ」



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第71話 見せつける

あたし達は、さっそく捜索を再開し、30分ほど歩いた頃にあたしの探知魔法に反応があった。いつものようにウィンドイヤーに魔力をつぎ込んで拡大をする。

 

「瑶さん。敵です。たぶんオーク」

「数は?」

「それはまだ。探知魔法で分かる範囲には4体、いえ5体です。探知魔法の範囲に入ったり出たりしていますから、多分もう少し多いんじゃないかと思います。今までの例と付き合わせると恐らく10体はいるんじゃないかと」

 

ウィンドイヤーは比較的簡単に効果を拡大できるけど、あくまでも耳で聞いた音をマッピングするような魔法なのでちょっと分かりにくいのよね。その分、意識を向けるとその対象の話している言葉も聞こえるので便利といえば便利なのだけど。ちょっと盗み聞きみたいで罪悪感感じるから街中ではあまり使わないようにしてるのよね。

 

「方向は?」

「進行方向のやや右側です」

「わかった。今回は私達の殲滅力を見せつけるのが目的だから、朝未も最初の2、3体は弓で倒していいけど、そのあとは近接戦闘でね。突出し過ぎないように私の横を基本に、囲まれた時には私の背中に周るようにね。じゃあ風下から接近できるように案内して」

「はい」

 

あたしは慎重に風向きを見ながら魔物の群れに向かって先導しているのだけど……。

 

「朝未、うしろの連中はどうだ?変な動きは無いか?」

「ええ、今のところは、あたし達が急に進路を変えた事を不思議そうにしているくらいですね」

 

後ろからついてきているハンターたちの動きも会話も探知魔法で把握しているのでいきなり変なことにはならないと思うのよね。というかさせないもの。

 

「あ、魔物の数は、12体ですね。それ以外とは連携している様子ありません」

「わかった。じゃあ、いつものように真ん中あたりの敵に弓で先制攻撃。そのあとはさっきも言ったように2、3体を弓で倒したらあとは近接で」

 

あたしは黙って頷いて瑶さんを先導した。

後ろのハンター達は『なんで急に進路を変えたんだ?』だの『そもそもなんで俺たちがついてきているのに気付いたんだ』だのとヒソヒソ話している。探知魔法をひとつでも使う事ができれば簡単なのだけど、分かっていないのね。

 

あたし達は魔物に気付かれないよう慎重に近づいて、弓で狙うのにちょうどいい場所で最後の打ち合わせをするの。

 

「ちょっと横長の範囲にいるね。縦長の位置から先制出来たら最高だったんだけど、風向きが、これじゃ仕方ないな」

「どうします?別の敵をさがします?」

 

あたしにも魔法無しの少数で戦うのは不利な状況だっていうのは分かるから一応聞いてみたのだけど。

 

「いや、変異種もいないし、私と朝未でならやれるだろう。それでも一応朝未は私の後ろでサポートよろしく」

「はい」

 

そうね。近接戦闘になるなら、正面は瑶さんに任せたほうが良いわよね。

それでも、できるだけ接敵までの時間に差ができるように少し右によって準備をすませた。一番近いオークまで約15メートル。あたしが狙うオークはその5メートル奥、距離は約20メートル、十分に狙える。

 

「いつもの通りだよ。大丈夫」

 

瑶さんの言葉にあたしは頷いて補助魔法を掛けていく。プロテクション、シェル、マッシブ、アクセル、ハイアジ、アキュラシー、リフレクいつもの通り自分の戦闘力が上がっていくのを感じる。そして同じように瑶さんにも補助魔法を掛け、深呼吸をひとつして弓に矢をつがえる。

手前から6体目のオークの頭を狙って

 

「いきます」

 

ストンっという音がするように矢が狙ったオークの頭に突き刺さり、オークはそのまま正座をするようにその場に崩れた。オーク達が攻撃を認識する前にあたしは倒れたオークの隣のオークを狙って次の矢を放つ。これは、あ、目に当たってそのまま。一瞬目を逸らしたくなったわ。

でも、これで弓で2体斃すっていうノルマ達成ね。瑶さんは、それを見定めると駆け出したわね。あたしは、弓を降ろして短剣を右手に構えて瑶さんに続いた。

 

瑶さんも、わざわざ囲まれるような真ん中には飛び込まず、右端のオークに向かっているわね。

あたしは、瑶さんの斜め後ろからフォローできる位置取りで続いた。

瑶さんが弓での先制攻撃に混乱しているオークの群れの右端に飛び込み右手の片手剣の一振りで1体目の首を切り飛ばしたわね。

 

さすがにそこまで行けば混乱なんて言っていられないようで隣のオークが敵意を持って瑶さんに向かったわ。でも、あたしを無視しているのは残念ね。スキを見せたオークにあたしが背中から短剣を差し込めば、その場で動きを永遠に止めたわ。

 

補助魔法で底上げした力、速さ、正確性であたしも瑶さんもオーク程度には示現流ではないけれど二の太刀を必要としないもの。瑶さんがオークの頭を切り飛ばし、瑶さんを意識し、横から迫るオークにあたしが短剣を突き刺す。

 

戦端を開いて僅か数分。あたし達の前には自力で動くオークはいなくなっていた。探知魔法にはうしろからついてきている人たちの驚きと戸惑いとちょっとした恐怖の言葉や感情が感じられるけど、どうかな。これで離れてくれるかしらね。

 

『いや、あの容赦の無さは……』『あれの援護が必要な状態に飛び込めるかって言われたら……』『天使ちゃん、短剣でサクッとやるとかちょっと』等々駄々洩れですよ。素の状態ならともかく補助魔法を掛けたあたし達の前にこの数のオーク程度は大したことないもの。後ろを振り返ってニッコリ笑ってあげようかしらね。あ、なんかマインドサーチに恐怖の感情が……。

 

「本当は、目立たないようにゆっくり力をつけるはずだったのにね」

瑶さんの言葉が胸に刺さったわ。ごめんなさい。



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第72話 ファンタジー世界定番のアイテムの話

あの後、あたしと瑶さんはあたしの魔法を試しつつ順調に魔物狩りをすすめていた。あたし達の殲滅戦を見せつけたあと、あのハンター達はいつの間にかいなくなっていたので遠慮なく経験を積ませてもらっているのよね。そして今は少し休憩中。

 

「この世界のオークが食用でなくてよかったね」

「あはは、そうですね。これだけの獲物を全部持ち帰るとかなんて無理ゲーって感じですよね」

 

今更ながらこの世界の魔物が基本的に食用でない事にホッとしたわ。とは言ってもハンターとして活動する以上は食用肉はきっといつか扱う事になるわね。普通の食用肉ではなくてきっとレア食材だとは思うけど。実際あたし達も最初の1カ月はウサギの肉に助けられたものね。

 

「うーん、それがある程度以上稼ぐハンターや傭兵にとってはそうでもないらしいよ」

「え?こんなのを担いで行動できるほど、体力お化けになるってことですか?まあ、あたし達の身体もこの世界にきて随分と高性能ですけど、どんな力持ちになっても担げる量にはやっぱり限度があると思うんですよね」

 

「いや、商業ギルドでの勉強の合間に聞いたんだけどマジックバッグってのがあるんだって」

「え、あるんですか?ファンタジー定番のマジックバッグ?やっぱりメチャクチャ沢山入ったり、重さもほとんどなくなったり、時間もとまったりするんですか?それで値段も滅茶苦茶高かったり。場合によっては殺しても奪う的なアイテムだったりしたりするんですか?」

 

あ、つい瑶さんに詰め寄っちゃったわ。

 

「いや、そこまでの性能は、というより色々な性能のものがあってピンキリらしいよ。それこそ最低レベルだと私が日本から持ち込んだバックパックあるよね。容量はあの程度でそれがレジ袋程度になって重さが10分の1になるだけってくらいらしいよ。それくらいだと百万スクルドくらいだって。もちろん高級品だとさっき朝未が言ったような効果があるものもあるらしいけど、普通のハンターじゃ手が出ないってさ」

 

「え?最低だとバックパックサイズで重量軽減10分の1?いえ、十分に有用だとは思いますけど、それで100万スクルド?費用対効果としては微妙?」

「一般人や商人くらいまでだと荷車のほうが有用だろうね。ただ、ハンターや傭兵だと戦闘があるよね。その時に荷物を降ろす余裕があればいいけど、荷物を背負ったまま戦闘に入ったら容量拡大と重量軽減は随分と効果的だと思うよ。それだけじゃなくて勝てないと判断して逃げるときにも荷物を持って逃げやすいのも利点だろうね」

「ああ、なるほど日常的に荷物を持ったまま戦う人には利点ですね。それでも100万スクルドですか。感じとして1スクルド2円くらいな感じですよね物価的にみて、そうすると200万円の鞄ですね」

 

あれ?でも日本でもブランドバッグだと結構高いって聞いたことがあるわね。実際に買うとか見る機会なかったので実感ないけど。瑶さんなら分かるかしら。

 

「そう考えれば高いね。日本でだとブラドバッグも100万円もするものはそんなに見たこと無いしね。まあ世の中色々とんでもないものがあるから知らないところで1000万円のバッグがあっても不思議はないけどね。個人的にはそんなバッグどこで使うんだって思うけど」

 

瑶さんは、そう言って笑った。

 

「で、でも、マジックバッグが手に入ればハンターとしての仕事もしやすくなりますよね。今は魔物を狩ってますけど、先日はスリーテールフォックスを狩ってギルドに納品したじゃないですか。ああいう時にも良いんじゃないかって思うんです。もちろん今すぐに買えるなんて思ってません。生活費や装備、頼る人の居ないあたしたちは、いざという時の予備費なんかもしっかりと蓄えないとですし、他にも色々考えて余裕が出来たらというか、そういうものを買えるくらいに頑張ってお仕事しましょう」

 

あ、あたしったら、何か先走ったわね。瑶さんが何か優しい笑顔だわ。

 

「こほん。とりあえずはお仕事ですよね。あたしも魔法につぎ込む魔力の調整に大分なれてきましたから色々と応用も出来ると思います」

「ふふ、そうだね。まずは、今請けている仕事をこなそうか」

「はい」

 

あたしは返事をして休憩の間腰を下ろしていた岩から立ち上がった。



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第73話 また?

「あれは、なんとか大丈夫そうですね」

「そうだね。さすがは5級ハンターパーティってところかな」

 

あたし達の視線の先には1つのハンターパーティが変異種を含むゴブリン10体の群れと戦っている。そのパーティは、今回の魔物討伐に参加している唯一の5級ハンターパーティ『女神の雷(めがみのいかづち)』。ハンターには珍しい盾持ち、2メートル近くある巨躯の両手剣使い、小柄で動きが素早くその体躯に似合わない槍を振るう女性、小さめの弓で矢を連射する細身の弓使い、その4人をまるで手足のように連携させる片手剣使い?いえあれは俗にいうバスタードソード片手でも両手でも使える剣ね。

あたしが言うのもなんだけど、今まで見たハンターとはまるで違うわ。ひとりひとりのレベルも高い上に連携も良いわね。

戦い方はあたし達と違ってじっくりと削っていくタイプのようだけど。その分無理をしないし安定しているように見えるわ。もとの世界のネトゲの廃人パーティのような巧みさだわね。

 

「援護を要請されることも無さそうですね」

「ああ、あれはアクシデントにも強いパーティに見えるね」

 

あたしと瑶さんは頷き合ってニコリと笑顔を躱した。

 

「じゃあ、私達は私達で行こうか」

「はい」

 

そうしてあたしと瑶さんは、その場を離れたの。

 

 

 

 

そしていつものように討伐のために森を進んでいった。

 

「瑶さん、探知魔法に反応です」

「数と方向は?」

「左前方、多分ゴブリンの群れです。数はもう少し近づかないと」

「わかった。数と特に変異種がいないかを確認して」

「はい」

 

木や茂みに隠れながら慎重に進み、一番近いゴブリンまでおよそ20メートルになったあたりで群れの規模に確信を持てたので瑶さんの肩を軽く叩いて合図をする。

 

「ゴブリン9体。変異種はいません。ただし、少し離れた場所にオークの群れがいるようです。ゴブリンの群れを討伐するなら短時間で済まさないとオークの群れが乱入してくる可能性があります」

「オークの群れの規模は?」

「ちょっと距離があるのではっきりとは分かりませんけど、今までの群れとの比較からすれば10体前後と思います」

「変異種は、分からない……か」

「はい、ちょっとこの距離だと。でも多分動きに統制がみられないので多分いないんじゃないかと思います」

「オークの群れはゴブリンの群れのどっち方向にいるかな?」

「ゴブリンの群れの右後方ですね。一番近いオークがここから40メートルくらいです」

「そうすると、ゴブリンの群れに攻撃すると、まず間違いなくオークは気付きそうだね。そうすると朝未のよそうだとゴブリンとオーク合わせて約20体と連続戦闘になる可能性が高いってことだね」

「はい」

 

「もうひとつ、周囲に他のハンターがいる気配はあるかな?」

 

しばらく考えた後、瑶さんが他のハンターについて聞いてきた。多分、これ以上目立たないためよね。なんとなくもう手遅れ感があるのだけど。

 

「いえ、探知魔法で分かる範囲にはハンターはいません」

「じゃあ、朝未。出し惜しみは無しでいこう。私は左側のゴブリンから狙う。朝未は左から4番目から順に右へまずは弓で、そのあとは剣と魔法を使ってもいい。あ、ただし全力のホーリーだけは使わないようにね」

 

瑶さんが顎を擦りながら少し考えたあとあたしに方針を伝えてきたわね。これは最短で殲滅するってことね。

あたしは頷きを返し、補助魔法をあたしと瑶さんに掛け、弓を構えた。

 

あたしの射た矢がゴブリンの頭に突き刺さり、そのゴブリンがその場に崩れ落ち、それを合図に瑶さんが駆け出す。そこからは流れ作業のように進んだの。

あたしの弓で2体が崩れ落ち、瑶さんが左側から切りこんでいったわ。あたしは右手に短剣を持って近接戦闘に備えながら魔法を使って攻撃をした。魔力をほんの少し多めに込めてゴブリンの頭を狙う。

瑶さんが剣で右から来たゴブリンの首を飛ばした。スキを突くように左から別のゴブリンがこん棒で瑶さんに打ちかかった。瑶さんは左手に持った短剣でその攻撃をいなし、次の瞬間には右手の長剣を振るって首を切り離す。

 

少し離れたところからオークが石を投げようとしているわね。そのオークの頭にあたしのファイヤーアローを放つ。

それからも、近づいてきた敵は瑶さんが、離れたところにいる的にはあたしが魔法を放って僅かな時間で戦闘は終わったわね。

 

「ゴブリンが9体に、オークが14体か。結構多かったね。朝未はケガは無い?」

「ええ、こん棒を使ったり石を投げたりしてくるだけでしたから。補助魔法で上がった防御力を超えるようなものはありませんでしたね」

「今回は、魔法も使ったけど、魔力の残りは?」

「そう、ですね。半分までは減ってない感じです。今と同じ程度なら大丈夫そうです」

「そうか、でも一応休憩を入れよう。少し戻ったところで食事をしながら休もうか」

 

あたし達は30分ほど来たルートを戻ったところで腰を下ろして休憩することにしたの。

 

「はい、瑶さん。あたし特製のお弁当です。って言っても日本とは材料も調味料も違うので、あまり美味しくは出来ませんでしたけど」

 

どうにか手に入れた小麦で無発酵パンを作って、街で売っていた肉を薄切りにして塩で焼いたものを挟んで間に合わせで作ったサンドイッチを瑶さんに渡した。

 

「いや、十分に美味いよ。朝未ありがとう」

「それと、お水を」

 

あたしは木のマグカップに生活魔法ウォータで水を満たし瑶さんに渡したの。

 

「ありがとう。……これは」

 

あたしの渡した水を飲んだ瑶さんが目を見張った。

 

「身体の疲れが一気に消えた?朝未、この水は?」

「聖属性魔法書の片隅にかいてあったんです。聖女がウォータで出した水は、状態異常から回復させる効果があるそうなんです」

「つまり疲れも状態異常の一種って扱いってことなんだね」

 

瑶さんの言葉に、あたしはそっと頷いた。でも、あたしの予想が正しければ瑶さんは、この水をそれほど必要としないと思うのよね。

 

そんな具合にあたし達が、くつろいでいるといきなり悲鳴が響き渡った。

 

「きゃあぁぁあ」

 

また?

あたしと瑶さんは顔を見合わせると悲鳴の聞こえた方向に駆けだした。



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第74話 優先するのは

「朝未。探知魔法の反応は?」

「まだ、探知範囲にはいっていません」

「く、あ、朝未。魔力の回復具合は?」

「そう、ですね。大体8割くらいだと思います」

 

 

「朝未、気に入らないかもしれないけど、場合によっては見捨てて逃げるよ」

「で、でも」

「多分さっきの悲鳴は女神の雷だと思う。変異種との戦闘がうまくいかなかった可能性が高い。そこに援護に入るということは、他のハンターの目がある中で変異種と戦うってことだよ。その状態で魔法はファイヤーアロー程度だけで切り抜けられるかな?」

 

瑶さんの言う事は分かるけど、目の前に魔物に殺されそうな人がいて、それを見捨てて逃げる。そういうことが出来る自信は無いわ。

 

「あ、あの。通常のゴブリンやオークならそれでも斃せると思うんです」

「うん。そうだね」

「で、その。女神の雷には悪いのですけど、変異種の相手は女神の雷にしてもらいながら周囲の通常のゴブリンやオークを斃して、変異種は倒すことが出来れば斃す。危険度が高そうなら女神の雷と一緒に撤退というのはどうでしょう?」

「それは魅力的な提案だけどね、その案には、いくつか問題点があるよ」

 

「問題点、ですか?」

「まず、女神の雷が私達からの救援を求めるかどうか」

「え、いくらなんでもそれは」

「彼らは5級ハンターパーティだよ。私達も6級ではあるけれど。5級と6級の間にはかなりの違いがあるみたいだからね。彼らにとって私達は完全な格下ハンター。簡単に助けを求めることの出来る立場ではないと思うよ。しかも彼らは5人パーティ。私達は2人だからなおさらだね」

 

「そんな。プライドのために命を賭けるってことですか?」

「まあ、こういうちょっとばかり荒っぽい仕事だと、嘗められたらおしまい的に考えている人も多いからね。ありうるよ。そして仮に救援依頼をされたとして、どう救援するか、だね」

 

「え?意味が分からないんですが。さっき案を出しましたよね」

「うん、ただその案には女神の雷が変異種を斃せるという前提が必要なんだよ」

「えと、難しいですか?」

「そうだね。おそらく万全の状態の女神の雷なら大丈夫なんだろうけど……」

「?」

 

あたしが首を傾げると、瑶さんがちょっと苦笑しながら答えをくれたわ。

 

「救援を求めるってことは、既に万全じゃないって事だと思わないか?」

「あっ、そうですね。さっき見た女神の雷はとても安定した戦闘をしていました。あれが崩れた状態だと立て直すのは結構大変かもしれませんね」

「そもそも立て直すことが出来ないかもしれないしね」

「え?」

「誰かが大けがをしていたら、その場での復帰は無理だろう。最悪何人か死んでしまっている可能性だってあるからね」

「あっ……」

 

あたしの回復魔法は死んでいなければ多分回復させることは出来ると思うけど、酷い状態から回復させると、多分あたしがぶっ倒れてしまうものね。

 

「まあ、まだそれなら撤退の手伝いをすればいいんだけど、最悪のパターンもあるから……」

 

瑶さんが言いにくそうにしてるわね。

 

「最悪って、救援にいっても既に全滅してる場合ですか?」

「いや、それなら単に私達は逃げるだけで済むから、それほど大したことじゃない。朝未の探知魔法なら変異種に気づかれない距離から状況を把握できるよね」

 

言われてみれば、その通りね。全滅していたら今のあたしの聖属性魔法では生き返らせることは出来ないから、あたし達は撤退するだけだもの、もし追いかけられてもその状態ならホーリーで足止めすれば逃げるだけならどうにでもなりそうよね。そうしたら最悪のパターンって?

 

「ねえ、瑶さん。女神の雷の全滅が最悪じゃないとしたら、最悪って何ですか?」

「……。女神の雷が逃げるための囮にされることだね」

 

瑶さんが言いにくそうにしながら口にした言葉をあたしの頭は理解しようとしなかった。え?助けに入った人を囮にするの?そんなのあり?

そんな混乱しているあたしに微笑まし気な視線を向けながら瑶さんが説明してくれた。

 

「簡単に言えば、全滅するか、誰か生贄をささげて他が生き延びるかって判断を勝手にされる可能性があるってことだよ」

「え?ますます分からないんですけど」

 

だって、救援に入るってことは勝てると思って戦闘に参加するのよ。それがなんでそんな判断になるの?

 

「不思議そうな顔だね。色々要因はあるけど、女神の雷が5人の5級ハンターパーティで私達は2人のなり立て6級ハンターパーティだってことが大きい。一般論で言えば私達の戦力は女神の雷に比べて数分の1と思われて当然だからね。大きく崩された状態に格下2人が救援に来たところで勝機は無いって考える可能性が高い。そうしたら同じ全滅するなら身内を優先するか他人を優先するかって話だね」

「……」

 

あたしは何も言えなくなってしまったわ。

 

「まあ、その状態になっても私達が変異種を斃せるくらいに強ければ平気なんだけどね。まだ対変異種戦をしていないから分からないよね。とは言っても女神の雷が逃げ切って見えないところまで行ってしまえば朝未のホーリーでなんとかなりそうな気はするけど」

「えーと、つまり?」

「女神の雷が、さっさと逃げてくれれば何とかなりそうってことだね」

 

あまりのことに、あたしは走っている足の力が抜けそうになったわ。

 

そしてあたしの探知魔法に反応が入り始めた。

 

「瑶さん。探知魔法に反応があります。敵は、……。これは、ゴブリン2、オーク8、ゴブリンの変異種と思われる魔物1、オークの変異種と思われる魔物1です。そして女神の雷のメンバー全体に動きが悪いです。中の1人はかなりのダメージを受けているようで動きません」

 

「く、ふぅ。朝未。冷静に聞いてくれるかな」

「はい」

「ゴブリンとオークだけなら、いや、それに加えて変異種が1体だけなら恐らく問題なかった。でも、変異種が2体となると不確定要素が大きくなりすぎる。ここで私達が救援に入るより、森の入り口に戻ってギルドに報告して戦力を整えたうえで連れてくる方が良いと思う」

 

冷静に……。確かにこの状態で、あたし達だけで救援に入るのはリスクは高いかもしれない。でも。

 

「戦力を整えて戻ってくるのに、どのくらい時間が掛かりますか?」

「……わかった。ただし、約束してくれるかな。朝未の安全を最優先すると。決して私の傍を離れないと」

 

少し迷ったうえで瑶さんは救援に向かうことを認めてくれた。



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新たな仲間
第75話 奴隷と裏切りと


「あれか。女神の雷は、ギリギリな感じだな。朝未、ラウドネスでリーダーに救援の確認を」

「はい」

 

「こちら6級ハンター、瑶と朝未です。ラウドネスで声のみ届けています。救援は必要ですか。そちらの声もこちらで拾っていますので普通に話していただければ聞こえます」

 

あたしはラウドネスで女神の雷のリーダーと思われるバスタードソード使いに声を届けた。反応はどうかしらね。

 

 

「何?救援?おい、噂の6級ハンターペアが救援に来てくれたぞ。どうする依頼するか?」

 

リーダーのバスタードソード使いがパーティメンバーに声を掛けたわね。さすがに勝手に依頼するわけにはいかないみたい。

 

「いくら記録的な勢いで昇級してきたって言っても6級のペアだろう、役に立つのか」

「そんな贅沢言っている場合か。フランディアは気を失ったままだし、俺ももうもたんぞ」

 

フランディアというのは倒れている細身で優男の弓使いのことみたいね。ただ、槍使いの女の子だけは何も言わずに黙々とオークの変異種に槍を突きつけて牽制しているわ。残念ながら十分なダメージを与えることは出来ていないみたいだけど。

でも、こんなにのんびりしていて良いのかしら。

 

「あ!」

 

盾持ちのハンターが盾で受けきれずに飛ばされたわ。どうするのかしら。さっさとしないと間に合わなくなると思うのだけど。

 

「ファビオ!」

 

リーダーの男性ハンターが叫んだ。幸い、ファビオと呼ばれた盾持ちのハンターはすぐに立ち上がったわね。あ、でもちょっと腕を痛めたのかしら盾を構える時に顔を顰めているわね。

 

「わかった。救援を頼む」

 

やっと返事が来たわね。

 

「了解しました。まずは通常種のゴブリンとオークを始末します。その後、ゴブリンの変異種に、次いでオークの変異種の順で攻撃をします。そちらは防御優先で耐えてください」

 

ラウドネスではピンポイントで声を届けられるのでまず対象以外には気づかれないのよね。こういう時にはとっても便利だわ。

 

まずは、いつものように補助魔法を瑶さんとあたし自身に掛けた。

補助魔法をかけ終わったあたしは瑶さんに頷いて、弓を構え。手前から2番目のオークを狙う。

無防備に矢を頭に受けたオークがその場に崩れた頃には、あたしと瑶さんは敵との距離を走って詰めていたわ。

近接戦闘の距離に入る前に奥側のオークに魔力を少し多めに込めたファイヤーアローを放つ。

これで2体。

 

瑶さんが手前のゴブリンに突っ込むので、あたしは瑶さんのやや後ろで短剣を構えてバックアップ。

ゴブリンやオーク程度なら瑶さんは一刀のもとに切り伏せる。そんな瑶さんに敵意を向け横から近づいてきたオークにあたしも短剣を振り切る。瑶さんほどの近接戦闘力は無いけど、あたしの身体もこの世界に来て高性能になっている。短剣でゴブリンの腕を切り飛ばすくらいは難しくない。

そして

 

「ファイヤーアロー」

 

魔法でゴブリンの胸に大穴を開けとどめを刺す。生き物の命を奪うこともこちらに来て最初の1カ月のサバイバル生活で慣れた。そして、近接戦闘中にでも初級魔法くらいなら使えるようになったのであたしにとってもゴブリンやオーク程度ならもう大した脅威ではないわ。

 

群れに囲まれさえしなければ。

 

もっともその囲まれなければっていうのも周囲に人がいなければホーリーでどうにかなってしまうと思うのだけど。

 

「っと、ストーンミサイル」

 

女神の雷のメンバーに後ろから襲い掛かろうとしていたオークに初級の地属性魔法を放つ。この魔法は半分物理攻撃。ファイアーアローに比べて殺傷力は低いけれど、質量があるので吹き飛ばす力がある。近づけさせないのには便利なのよね。

 

あたし達が通常種の討伐を終えるころには、倒れていたフランディアさんも身体の痛みに顔を顰めながらも立ち上がっていた。あら?さっきのマナセンスの反応だと死にかけていた感じだったのだけど。

 

「ハイポーションを使った。あんたらが来てくれるまでは使う余裕も無かったからな。助かった」

 

あたしが疑問に思っているのを感じ取ったのだろうリーダーのバスタードソード使いが説明してくれた。

 

「雑魚を片付けてくれて、戦いやすくなりはしたが……」

 

変異種から目を離すことなくバスタードソード使いが続けた。

 

「こいつら、ゴブリンやオークの変異種の割に強いからな、気をつけろ。特にオークの変異種はこんな強いのはオレたちも出会ったことがない」

「逃げられないんですか?」

「無理だな。動きも速い」

 

なんと、ここでまさかの『ボスからは逃げられない』に遭遇するとは思わなかったわね。

それでも、攻撃しないわけにもいかないので、瑶さんがゴブリンの変異種に切りつけた。

『ザクッ』という感じで刺さった瑶さんの長剣だったけど、さすがに通常素を相手にしたようにはいかなくて、ほどほどのダメージを与えた程度みたい。

 

「く、硬い」

 

顔を顰める瑶さんの言葉に、女神の雷のメンバーはそれでも驚いた表情を見せたわね。

 

「あれに、あんなあっさりとダメージを?」

 

そんな驚いている女神の雷の反応よりも斃すほうが優先よね。

 

「ファイヤーアロー」

 

く、普通のゴブリンやオークなら1発で倒せる程度には魔力込めたのに表面が抉れただけって。

 

「ええ!!変異種って魔法耐性もあるの!?」

 

しかもあたしのファイヤーアローであれって、普通の魔法使いのファイヤーアローじゃ皮がちょっと焦げる程度じゃないかしらね。あたしは振り下ろされるゴブリンの変異種の腕を短剣でいなしながら驚きを隠せなかったわ。

 

「いや、魔法使いってのは聞いてたけど……」

 

後ろがうるさいわね。おしゃべりしている暇があるなら攻撃しなさいよ。

 

「でも、あれじゃまだ……」

 

ん?何か気になる言い方ね。

 

「おい、マルティナ。オークの方を抑えろ」

 

女神の雷のリーダーが槍使いの女の子にとんでもない指示をだしたわ。

 

「ちょ、ちょっと、いくら距離の取れる槍って言っても1人では無理よ」

 

あたしは、ゴブリンの変異種に牽制のファイヤーアローを打ち込んで距離を取りながら抗議したのだけど、取り合ってくれない。

 

「良いんだよ。そいつは奴隷だ。多少使い勝手がよかったからこれまで一緒にいたがな。俺たちの命が掛かっているとなれば別さ。そして……」

 

ドンッ。え?あたしの身体が2体の変異種の間に突き飛ばされた。

 

「あばよ、甘々な天使ちゃん。せいぜい俺たちが逃げる時間を稼いでくれよ」

 

振り下ろされるオークの変異種の腕をかろうじて躱したけれど、何が起こったのか分からずあたしは、地面を転がった。



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第76話 ピンチ

「朝未!」

「大丈夫です。体勢をくずしただけでケガもありません」

 

高性能になった身体は、この程度では傷もつかないのよね。別に身体を触っても硬くなっているって感じはしないのだけど。

あたしは、転がったままで2体の変異種の様子をうかがいどちらにも近づかない方向に転がりながら立ち上がった。

 

「あいつら……」

 

思わず、怒りの声を漏らしてしまった。

 

「朝未、頭にきているのは分かるけど、今はこの2体をどうにかするよ……。そっちの槍持ちの女の子、これから起きることを誰にも言わないと誓えるか。あんたの主人であるあの女神の雷にも」

 

「わたしは、さきほど主従契約の約定にある無謀な戦いを強制された事で主従契約が切れました。主人のいない奴隷です。あなた方が、わたしの主人になっていただければ誰にも秘密は漏れません」

「ちっ、奴隷とか私達の主義に反するのだけど、奴隷から解放ってのは出来ないのか?」

「わたしは奴隷紋の支配下にあります。そのため主人となった方の命令には逆らえません。あなた方が何をするつもりなのかわかりませんが、わたしに秘密を守らせるにはわたしの主人になっていただくしかありません」

 

瑶さんが、嫌そうな顔してるわね。多分あたしも同じような顔してると思うわ。でも、今は選択の余地がないし、それに彼女から感じるこの感じ。

 

「瑶さん。多分ですけど、奴隷紋については、後であたしがなんとかできそうです」

 

あたしは、2体の変異種の様子をうかがいながら女の子に向かって口を開いた。

 

「奴隷としてでなく、1人の人として誓ってください。今はそれで十分です」

「わかりました。わたしの名はマルティナ。この名にかけてこれから起こることを秘すと誓います」

 

マルティナさんの言葉を聞いたあたしは、瑶さんに視線を向けた。

 

「瑶さん。後をお願いしますね」

「分かっている。でも……。いや、今は……。朝未、頼む」

 

今も2体の攻撃を辛うじていなす2人をチラリ見てあたしは魔力を練り上げる。1回で使い切ってはダメ。ギリギリでコントロールする。

 

「ホーリー」

 

最初は2体ともを範囲に捕らえたホーリーを発動させる。ごそっとあたしの中から魔力が抜ける。う、やっぱり気持ち悪い。でもまだ大丈夫。

 

「よし。朝未。効いている。ゴブリンの変異種の方はこのまま斃し切れそうだよ」

「な、何をされたのですか?この光はいったい。それに変異種がいきなり弱体化しました。今まで皮に傷を付けることさえ出来なかったオークの変異種に槍が少しは刺さります。動きも急に鈍く……。それにこの煙のようなものはいったい……」

 

あたしは魔力を節約しながら瑶さんをサポートするために、短剣でゴブリンの変異種に切りかかった。

 

 

あたしのホーリーで弱体化したゴブリンの変異種は、あたしからちょっかいを掛けられるため、瑶さんに集中できずあっという間に瑶さんに切り伏せられた。あたしのホーリーで弱体化していたとはいえ、まるで通常種のように首を切り飛ばした瑶さんの近接戦闘力にはちょっとあたしもビックリしたわ。

 

「マルティナと言ったか。待たせたね。良く抑えてくれた。ここからは3人で……。朝未頼む」

「はい、ハイオークが動かないように抑えてください」

 

あたしは、ギリギリまで魔力を練り上げ、発動範囲を集中させることで魔法の密度を上げる。でも、ギリギリ気を失わない程度に、そうすれば最悪もう1度使えるから……。

 

「ホーリー」

 

うっ、きつい。でも、まだ大丈夫。意識を放り出すほどでは無いわ。膝をつき眩暈と虚脱感、そして気持ちの悪さに耐えながら、あたしは瑶さんとマルティナさんがオークの変異種、もうハイオークで良いわね、に攻撃を仕掛けるのを目の端に捕らえている。

 

あのハイオークを1人で抑えていられるマルティナさんは強い。そこに瑶さんが加われば、きっとホーリーで弱体化している今なら倒すことも不可能じゃないと思う。瑶さんの横に立っているのがあたしじゃないのは寂しいけど……。

 

マルティナさんが、槍でハイオークの肩を突いた。違うわ、そこじゃない。マルティナさんの正確で強い突きならもっと効果のある攻撃が出来るはずなのに。

 

それでも、マルティナさんの突きに気を取られたハイオークに瑶さんが横から切りつけていったわ。いつものように首を狙った斬撃は、ハイオークの首に大きな切り傷を付けたわね。

 

でも、このハイオークってどれだけ頑丈なの?

あたしのホーリーで弱体化しているところに補助魔法で強化された瑶さんの斬撃を首に受けて致命傷じゃないなんて。

 

「マルティナさ、ん。もっと効果的な……攻撃を。弱点を、……狙って。あな、た、なら、出来る、から」

 

あたしは、力の入らない中で、マルティナさんに声を掛けた。力の入らない声だから、戦闘中の彼女に聞こえたかどうか分からないけど。それでも、声を掛けずにはいられなかった。

 

マルティナさんからは反応が感じられない。やっぱり聞こえなかったのね。でも、ちょっと今はこれ以上は声も出ないわ。

 

それでも、瑶さんは順調にダメージを与えているから、大丈夫……よね。

あら?マルティナさんの槍を突く場所が少しかわった?喉や頭部、心臓を狙っている?ハイオークの方もマルティナさんからの攻撃も嫌がって意識がかなり分散しているみたい。瑶さんの攻撃もかなり当たっているわね。

この調子ならもう少しで……

 

あたしがちょっとホッとしたところで、ハイオークが急に暴れだした。あれはまるでネトゲのボスのHPバーが赤くなって攻撃力があがるのに似てる。あ、マルティナさんがハイオークの振り回した腕に吹き飛ばされたわ。間に槍を入れて受けていたから多少ダメージは吸収できてるとは思うけど、立ち上がれないでいる。浅く胸が上下しているから生きてはいるわね。あたしが回復するまで生きていてくれたら回復してあげるから頑張って生きていてね。

 

って、それより今は瑶さん。さすがは瑶さん、とりあえず初撃は避けたようね。でもマルティナさんが戦線離脱した以上は、ハイオークは瑶さんだけを狙っているから、この状態の攻撃をいなすのは瑶さんでも大変そう。ゲームなら時間経過でもとに戻ることも多いけど……。

『バキン』ついに瑶さんに攻撃が当たって……。あら?ハイオークが跳ね飛ばされたわね。

……、あ、リフレクね。あたしはちょっと胸をなでおろしたわ。

でも、瑶さんにリフレクを掛けなおさないと。

 

「リフレク」

 

ぐぅ、回復できてない状態ではリフレク掛けるだけで、こんな負担なの?多分掛かったと思うけど。これはきついわ。う、目が回る。今まではひざは着いていたいたけど辛うじて頭は上げていたのに、だめ、ついにあたしは両手を地面についてしまった。

本当はダメなのに。瑶さんがピンチになったら、ちょっとでも魔法で援護するためには頭だけは上げていないといけないのに。

 

『バキン』

 

そんな、あたしの耳に不穏な音が響いた。



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第77話 生き延びて

不穏な音に、辛うじて目を向けた先にはリフレクの効果でダメージこそ受けなかったものの、バーサク状態のハイオークに1人で立ち向かい劣勢の瑶さんが立っている。

もう一度リフレクを、いえ、ダメ、リフレクじゃまた破られておしまい。ホーリーはまだ効果が切れていない。重ね掛けでは意味がないわ。なら、聖属性が乗るあたしの魔法の特性に賭ける。残りの魔力全部込めて魔力を練り上げ魔法をイメージする。

 

「ファイヤーアロー」

 

ハイオークの背後から放ったファイアーアローがハイオークの首筋に命中。それを見届けたところで、あたしの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

「う」

 

どのくらいの時間が経ったのか分からないけど、あたしは目を覚ました。どうやら生き延びたみたいね。

はっ、瑶さんは?

慌てて周囲を見回すあたしに優しい声が掛かったわ。

 

「朝未、気がついたようだね」

「瑶さん」

 

あたしは飛び起きて瑶さんに抱きついた。

 

「うっ」

 

あたしが飛びついたとたんに瑶さんが、苦痛の声を上げ顔を顰めたの。

 

「はっ、瑶さん。どこかケガをしたの?見せて。すぐに治療するから」

 

瑶さんの様子を見て、あたしは息をのんだ。瑶さんの右手の肘から先が無い。

 

「瑶さん、右手が。すぐに治します」

「まった。とりあえず止血はしてあるから慌てなくていい。このレベルの怪我の治療をすると朝未はまた魔力切れを起こすだろう。今は先に安全な場所まで移動しよう。治療はあの子についてもその後で」

 

瑶さんが向けた視線の先にいたのは蹲ったマルティナさん。あたし達の視線に気づくと彼女は顔を上げ力なく頷いた。とりあえずは命の危険と言うほどでは無さそうね。

 

 

 

 

 

あたし達3人は、ある程度安全と思われる場所まで移動して休息をすることにしたのだけど。

 

「瑶さん。ここなら良いでしょう。ケガを見せてください」

 

さすがに、ここまで来ると、瑶さんもおとなしく見せてくれた。

 

「酷い。こんなに……」

 

右前腕欠損、左上腕解放骨折、左肋骨7番から11番骨折、他にも打撲や切り傷多数。

 

「瑶さん。ここに座ってください。今あたしの使える最大の治癒魔法を使います。欠損を含め全てのケガを治せると思いますけど、しばらくあたしは動けなくなるはずです。彼女の治療は、その後でしますね。それに彼女に関しては他にも試してみたいことがありますから。でも、今は瑶さんのケガを……」

「わかった。頼む」

 

あたしは、自分の中で魔力を練り上げる。そして瑶さんのケガが治るようイメージを強く意識して上級聖属性魔法を発動させた。

 

「エクストラヒール」

 

瑶さんの身体を青白い清浄な光が包み、全身の傷が癒えていく、欠損した右腕に光の束が集まり元通りに再生する。

それは数秒だったのかそれとも1時間にもなる時間だったのか、あたしは時間感覚を失い瑶さんにかける治癒魔法に集中していた。

グイグイとあたしの身体から魔力が抜け、それと同時に身体から力が抜け膝をついてしまう。それでもあたしは魔法に意識をむけ続けた。

 

瑶さんのケガが癒えエクストラヒールの光が消える。

そこには元通りに右腕のある瑶さんがいた。ホッとしたあたしは、そのまま瑶さんの腕の中に倒れ込んだ。

 

「治せてよかった。あとは瑶さん、あたしを守ってね」

 

あたしが言えたのはそこまで。限界を超えて魔法を使った反動であたしは意識を手放した。

 

 

 

 

どれだけ時間が経ったのか分からない。あたしは暖かなぬくもりに包まれて意識が浮上してきたの。

その暖かさに、あたしはまだもう少しこのままでいたくて目を開けずに顔を擦りつけて、そこまでして気付いたの。

あれ?あたし達は森にいたはずよね。この気持ちのいい暖かさは何なのかしら?

 

「瑶さ、ん?」

「ん、朝未、気が付いた?」

 

目を開けると、あたしは瑶さんに抱かれて眠っていたことに気付いたの。

 

「え?瑶さん、なんで?それに周辺の警戒は……」

「周辺の警戒は、朝未ほどじゃないけど私も一応探知魔法使えるからそれで。それに彼女も警戒してくれてるからね」

 

見るとマルティナさんが折れて半分の長さになった槍を持って警戒に立ってくれていた。でも、瑶さん、どうしてあたしを抱っこしてくれてるのかは言ってくれないのね。

このまま抱っこされていたい気持ちはあるけど、流石にそうはいかないわね。

 

「瑶さん、ありがとう。もう大丈夫です」

 

あたしは、瑶さんの抱っこから抜け出して立ち上がった。そして自分の中の魔力を感じてみる。あら?

 

「瑶さん。あたし、魔力量が増えたみたい」

「ん?そんなことが分かるのかい?」

「多分ちょっとくらいの違いなら分からないと思うんですけど、倍まではいかないと思いますが多分1.5倍くらいになってる気がします」

「そんな急に増えるものなのかな?ハンターギルドの資料ではかなり経験を積まないとはっきりと分かるほどは変わらないような書き方がされていたはずだけど」

「うーん、その辺り異世界人補正か聖女補正とでもしておきましょ。それより今は……。マルティナさん、こちらに来てください。治療します」



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第78話 ご主人様

「マルティナさん、ケガはどんな具合ですか?」

「ええ、跳ね飛ばされた時に胸を、その時に受け身を失敗して背中と足を痛めました」

「他には大きなケガはありませんか?」

 

あたしは、左足を引きずりながら傍に来たマルティナさんを座らせてケガの状態を聞いている。

あら?右腕も何かおかしい気がするわね。

 

「右腕は?動きがおかしいように見えますけど」

「いえ、これは……」

 

言い難い事なのかしら。戦闘でケガしたのなら別に……。そうしてマルティナさんの状態をみている、あたしの目に気になるものが映った。

 

「瑶さん。ちょっと離れてむこうを向いていてください。あたしが良いと言うまでこちらを向かないように」

「え?」

「いいから、反対を向く」

「あ、ああ。わかった。後で説明してくれるんだろうね」

「可能であれば?」

 

瑶さんが少し離れたのを確認して、あたしはマルティナさんに小声で声を掛けた。

 

「マルティナさん。その体の痣はいったい?戦闘でついたとは思えないんですけど」

「……」

「ごめんね」

 

あたしは、マルティナさんの上着をはぎ取った。そして、あらゆる形の痣と傷跡が刻まれた痛ましい身体が、あたしの目の前にあらわになってしまった。

 

「ごめんなさい」

 

あたしは一言あやまり、そっと上着をかけなおした。

 

「瑶さん。もういいですよ」

 

あれは、おそらく間違いない。この世界でもあるのね。あの態度からすれば女神の雷のメンバーによるものね。そう考えると、あの右腕のあれも恐らく。となると時間が経ちすぎてこの状態で固定されて、あの状態が正常と認識してしまっている可能性があるわね。

 

「ケガの状態だけなら、ハイヒールで良いかとおもったのだけど」

 

エクストラヒールを使った場合、あたしはまた魔力切れで倒れるかもしれないわ。でも、これはほったらかしにできるものでは無いから……。

それでも、あたしが倒れれば無防備になるとまで言わなくても、間違いなく戦力は低下するもの、瑶さんにひとことだけは言っておかないとね。

 

「で、何があったのかな?」

「マルティナさんの治療なんですが。エクストラヒールを使います」

「そんなに、酷いのか?」

「ちょっと言えないくらいに……」

 

マルティナさんの状態は、瑶さんにであっても言いにくいのよね。

 

「わかった。朝未が回復するまでここで待機しつつ朝未を護衛ということだね」

「ええ、瑶さんの欠損の修復の時に近い魔力を使うと思いますから、お願いします」

 

あたしの言い難い様子に察してくれた瑶さんに話してからあたしはマルティナさんに視線を向けた。瑶さんの治療をした時とは別の緊張感があるわね。

 

「マルティナさん。こちらに来てください。そこで楽な姿勢をとって。そう、それでいいです」

 

自然な姿勢で座ったマルティナさんの前で魔法を使う。そしてケガの治った、傷の消えた、過去のケガの後遺症の消えたマルティナさんをイメージして魔力を練り上げる。固定された後遺症の治療の難しさは部位欠損の治療に匹敵すると魔法書にも書かれていた。油断は出来ないもの。

 

「エクストラヒール」

 

瑶さんに使ったときと同じく、マルティナさんを青白い清浄な光が包む。全身の痣が傷が癒えていく。変な形に固まってしまっていた右手が光と共に正しい形に整って、すべてのケガが、後遺症が治癒していくのが見える。

グイグイとあたしの身体から魔力が抜け、それと同時に身体から力が抜け膝をつく、魔力が増えた分だけ瑶さんのケガを治した時よりはマシな感じだけど、それでも眩暈がする、虚脱感、そして気持ちの悪さに耐え魔法を維持する。

全ての治癒が終わり魔法の光が消えた。

治癒の完了を見届け、身体に力の入らないあたしはガックリと倒れかけ、それを力強い腕が支えてくれた。顔を上げると、そこには優しい目であたしを見つめてくれる瑶さんの顔があった。

 

「瑶さ、ん。出来、ることは、しました。後はお願い、します」

「わかった。朝未のことは私が守る。ゆっくり眠りなさい」

 

 

 

 

次にあたしが目を覚ました時、周囲は茜色に染まり始めていた。そして、やっぱり瑶さんが抱っこしてくれていたの。

暖かくて安心するけど、やっぱりちょっと恥ずかしい。

 

「瑶さん」

 

そっと声を掛けて、視線で降ろしてと頼むと、ちょっと苦笑しながらそっと降ろしてくれたわ。

 

「朝未。もう大丈夫か?」

「はい、魔力も大体回復してます。あたし自身はケガも無いです」

「なら時間も遅いし、一旦エルリックに帰るか。マルティナと言ったか。あんたもそれでいいな」

「その前に、わたしとの奴隷契約を」

「どうしても、しないとダメか?」

「おふたりの秘密を守るには必要です。わたしがフリーのままだといつ誰かと奴隷契約させられるかわかりません。そうすると、その主人が、わたしにおふたりの秘密を話すことを命じられたら奴隷紋の強制力で話さざるを得なくなります」

「それはさすがに、困る、な」

 

あれ?そのあたりあたしが後でなんとかできそうって言ったはずなんだけど。あれ?言ったわよね。ちょっと自信がなくなったので、そーっと右手を上げて瑶さんに合図をした。

 

「あ、あの。そのあたり多分あたしがなんとか出来そうなんですけど」

「何とか出来る?なら……」

「あ、今ここでって言うのはちょっと無理があります。多分時間と手間がかかりますから。なので一旦瑶さんがマルティナさんと奴隷契約して、エルリックに帰ってからじっくり時間かけてということでいいですか?」

「あ、あの」

 

今度はマルティナさんがそっと手を上げてきたわね。

 

「ん?」

「あ、あの、できればアサミさんにご主人様になってもらいたいです」

「え?あたし?」

「はい」

 

そういうとマルティナさんは、あたしをじっと見ている。

 

「えと、短期間とは言っても、あたしみたいな子供がマルティナさんを奴隷にしていると、あまり良い目で見られないような気もするんですけど」

「え?子供?いえ、むしろどこかのやんちゃなお姫様がハンターをされているのかと思ったのです。お姫様なら女の奴隷を連れていても不審ではないと思ったのですが、違うのですか?」

 

なんでお姫様?と、考えて思い出したわ。聖属性魔法って神殿とか王宮とかが絡んでくる面倒くさい魔法だったわね。そうすると、あたしみたいな女の子が高位の聖属性魔法を使えば王族関係と思われても不思議はないわね。

 

「あー、あたしはお姫様じゃありませんよ。ちょっと特別な理由があるので秘密にしてほしいんですが」

「そうなんですか。それでもお許しいただけるのならアサミさんにご主人様になってもらいたいです」

 

なんで、そんなにあたしが良いのかは分からないけど、奴隷紋関係は後でどうにかするつもりだから、それほど気にしなくてもいいかしらね。

 

「わかりました。それで、どうすれば良いんですか?」

「あたしの、奴隷紋にアサミさんの血を1滴垂らしていただければ契約できます」

 

その日、あたしはマルティナさんのご主人様になった。



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第79話 帰還

マルティナさんとの奴隷契約を結んだあと(うう、いやだなあ。現代日本人としては奴隷のご主人様なんて犯罪者だもの)、今はとりあえずエリアの入り口にいるギルドの係員のいる場所に向かって歩いている。

 

そこで『くぅ』マルティナさんのお腹から可愛らしい音が聞こえた。そういえば昼ごはんにお弁当食べたけど、あたしも少しお腹減ったわね。お弁当は、夕方遅くなった時用にお昼のお弁当と別に、サンドイッチを持ってきてあったはず。

 

「マルティナさん、これよかったら。瑶さんも」

 

少し大きめに作ったサンドイッチ、と言ってもまだ無発酵パンに焼いた肉を挟んだだけのものなのだけど街の屋台で買う食べ物や保存食に比べたら絶対美味しい。

ひとりひとつずつ渡して、食べる前に探知魔法で周囲に人がいない事を確認して

 

「クリーン」

 

うん、これで大丈夫。クリーンを掛けておけばお腹こわすなんてことにはならないはず。

あら?マルティナさんの表情が変ね。

 

「マルティナさん。パン苦手だった?」

「い、いえ。むしろその……」

「朝未。朝未のクリーンに驚いただと思うよ」

「え?でも今更じゃないですか?今回あたしマルティナさんの前では出し惜しみなく色々やらかしてると思うんですよね」

「あ、あの。さっきの本当にクリーンなんですか?発動句はクリーンでしたけど、わたしの知っているクリーンとは色々と違ってたのですけど」

 

あ、瑶さんの言葉が当たりだったのね。

 

「クリーンですよ。なぜかあたしが使うと余計な効果がくっついてくるだけで」

 

マルティナさんは納得のいかない顔だったけど、これはこういうものだと思ってもらうしかないものね。

 

「それより、サンドイッチどうぞ。あたしのお手製だから好みにあうか分からないけど。クリーン掛けて悪い物は消えてるから心配はありませんよ」

 

朝作ったサンドイッチを常温で持ち歩いて夕方って普通なら怖いものね。痛みかけた食べ物にクリーン掛けると悪くなった部分だけ綺麗に消えてちゃんと食べらえるようになるのは確認済。とっても便利。

 

「えと、普通クリーンにそんな効果ありませんよ」

 

あら?マルティナさんに大丈夫だからと説明したのに、またなんか不穏な情報が追加されたわ。あたしは視線で瑶さんに助けを求めることにした。

 

「あー、マルティナさん。朝未のクリーンは特別だって事で納得は出来なくてもあきらめてくれ。それとこれも一応内密に」

「わかってます。そもそもこんな話を信じる人はいません」

「あの、特に神殿や王宮関係には漏れないようにお願いしますね。あたし監禁されたり兵器扱いされたくないので」

 

本気で国や神様関係の人たちが来たら逃げるしかないわよね。逃げる時には瑶さん一緒に逃げてくれるかしら。ううん、きっと一緒に逃げてくれると信じてるけど、そういう事になってほしくないわね。

 

「あ、色々ありますけど、そのサンドイッチは食べて大丈夫ですから」

 

マルティナさんに勧めて、自分でもパクリと食べる。うん日本で食べてたサンドイッチにはとても及ばないけどちゃんと食べられる味。出来ればパンをもう少しなんとかしたいところね。でもきっとイースト菌だとか普通には売ってないわよねこの世界じゃ。天然酵母でも作ろうかしら。他にもミンサーみたいな道具があればハンバーグとかも作れるのになあ。あ、だめだわ、ソースとか無いもの。でもデミグラスソースならなんとかなるかしら。あ、あたしの知ってるデミグラスソースの作り方にはウスターソースが必要だったわ。うー、なんとかソースを作れるようになりたいわね。作り方は昔何かで読んだけど、うろ覚えなのよね。時間が出来たら実験的に色々作ってみるのもいいかしら。どのみちすぐには日本に帰られるものでは無さそうだし。生活の質を上げないとストレスでいつかヤバい事になるかもしれないもの。

 

「どうかしら?」

 

マルティナさんがハムハムとサンドイッチを夢中になって食べている。気に入ってくれたようね。その食べ方にほっこりしながらあたしも手に残ったサンドイッチを食べた。

 

 

 

ギルドの係員に今日は終わる事を告げてエルリックに向かう。

 

ちょっとだけ迷ったけれど、マルティナさんを含めて補助魔法をかけた。だって普通に歩いたら時間かかりすぎるのだもの。それにマルティナさんの前ではもう盛大にやらかしているし秘密を守ると約束もしてもらっているのだから今更よね。

 

そしてハンターギルドの前まで来ると、中から大声が聞こえてきた。

 

「だから、あんたの言う有望な新人たちは、死んじまったんだよ」

「ヨウ様とアサミ様に限ってそんな無謀な戦いをするとは思えません」

「何度も言わせんな。そんなのはあんたの思い込みだってんだ」

「それに、あなた方もメンバーが1人足りませんね」

「巻き添えを食ったんだよ。まったく可哀そうなマルティナ……」

 

そこまで聞いたところで、隣から何か怖い物が吹き出して、マルティナさんが飛び出した。

 

「何をふざけたことを言っている!!」



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第80話 元奴隷の奴隷の怒り

「え?おまえはマルティナ。それに後ろにいるふたりもなんで生きて……」

 

ここまで口しておきながら、レオナルドさん、いえ、さん付けする必要は無いわね、明らかに敵対しているのだし、レオナルドは慌ててしまったと口を閉じたわね。

 

「そりゃ3人で2体の変異種をぶちのめして生き延びたからよ。あたし達は救援要請に応えただけなのに、あのタイミングでよくもあたしを変異種の前に突き飛ばしてくれたわね。あたし達じゃなかったら死んでたわよ」

 

あ、あたしったら、こんな汚い言葉を使ってどうしましょ。でも、敵対した以上は相応の覚悟をしてもらいましょうか。

 

「言いがかりはやめてもらおう。ギルドの中での中傷は罰則規定に触れるぞ」

 

こいつ、何をいってるの?まさかこの場に至って自分のやったことを誤魔化すつもり?いえ、それとも本気であれが敵対行動だって思っていない?

 

「ギルドの罰則規定には他のハンターに危害を加える事を禁止することの方が上位に位置していたはずだが、そこはどうなんだ?」

 

あ、瑶さん、静かだけど、これ怒りを向けられた相手はかなり怖いと思う。実際かなり顔色も悪いものね。うん、でもその程度で済ませられるレベルじゃないもの、自業自得よね。それに周囲の人の目も随分と胡乱な目で女神の雷をみているのがわかる。これは随分と自分達に都合の良く盛った話をしていたんでしょうね。

 

「く、そうだマルティナ。いつまでそっちにいるつもりだ。奴隷は主人であるオレのところに来るのがあたりまえだろう。さっさとこっちに来い」

 

マルティナさんは、レオナルドを睨んだまま1歩も動かない。当然よね。もうマルティナさんはレオナルドの奴隷じゃないのだもの。

 

「なぜ来ない。奴隷紋の縛りを受けたいのか」

「無駄よ。もう貴様のような下衆の言葉を聞くことは無いわ」

「……。いいだろう、奴隷というものがどういうものか分からせてやろう。マルティナ、命令だ。オレの横に来い」

 

マルティナさんは……、動かないわね。ちょっと心配だったけど。レオナルドとの奴隷契約はきっちりと切れているようね。

 

「ど、どうした。さっさと来い。いくらマルティナでも、奴隷紋からの苦痛に耐えられるわけが……」

 

やっぱり勝手が違って焦っているわね。奴隷契約の制限について把握してなかったってことね。

 

「レオナルド。あんたは奴隷契約について、何も知らいのね。奴隷だからって何をしても何をさせても良い訳じゃないのよ」

「なん、だ、と?」

「契約にもよるけれど、あたしみたいな剣奴程度だと無謀な戦いを強制した段階で奴隷契約は切れるのよ。今回の場合の無謀な戦いが何を指すのかは分かるでしょう。ただ、たまたま、一緒に巻き込まれたのがアサミさんとヨウさんだったから生き延びられた。ただそれだけのことなんだから」

 

「ふざけんな、お前を買うのにいくら払ったと思ってやがる。契約が解除されたなら再度契約すればいいんだろう。こっちにこい」

「再契約なんかすると本気で思っているの?だいたいもうわたしには新しいご主人様がいるから契約できないけどね」

「なんだと。それは誰だ。奴隷は主人の財産だ。それを勝手に奪えば犯罪だぞ」

「その前提が既に間違っているって分からないのか。レオナルドがわたしに死出の戦を強制した時点でわたしはお前の奴隷でなくなっているんだ」

「それでも、お前は俺の財産……」

「違うね。契約が解除された時点で、あたしはお前の財産ではなくなっている。ただの野良奴隷だ。そして先にも言ったがわたしには既に新しいご主人様がいる。つまりあたしはそのご主人様の財産だ。奪おうとするならレオナルド、お前は犯罪者だ」

 

あ、レオナルドが剣に手を掛けたわ。あいつそれなりに強いけど、オークの変異種への対応を見てたけど、あれなら瑶さんどころかあたしでも取り押さえられそうなのよね。

 

「そこまでだ」

 

あたしが身構えたところに狙ったようにギルドマスターステファノスさんが出て来た。

 

「ギルマス。ハンターギルドとして、こいつらの横暴を許すわけではないだろうな」

 

レオナルドの叫びにステファノスさんは眉をピクリと動かしただけで相手もしないわね。

 

「ヨウ、そしてアサミよく無事で戻った。ふたりが死んだと聞いた時には耳を疑ったぞ」

「あたし達が、死んだ?」

「ああ、女神の雷の話ではそうなっていたな。クククッ」

 

ステファノスさんが、意地の悪い顔で薄く笑いながらそう言うと、それまで強気でいたレオナルドが急にオロオロし始めたわね。

これは、ふーん。

 

「あたし達は、こうしてちゃんと生きてるわよ。何をもって死んだって言ったのかしらね」

「ふふ、彼らは倒れたお前たちに魔物が集中しているのを見たと言っていたんだ。そして自分達はやむを得ず魔物の敵意がそれている間に逃げてきた、とね」

「変異種の前で倒れて?ちょっと転んだ程度でなく?それで生きて帰るってのはさすがに無理があるんじゃないですか?」

「ああ、無理だろうな。ただ、彼らはお前たちが死んだことに確信を持っていた。状況に差がありすぎるな」

 

あたしと、そこまで話したステファノスさんはレオナルドに鋭い視線をむけて口を開いた。

 

「さてレオナルド、ここで今再度聞こう。ヨウとアサミが変異種の前に倒れ死亡したのを確認したと言ったが、本人はここに生きている。どういうことかな?」

「あ、……いや、……、くっ。そうだ、きっと3人が倒れたように見えただけだったんだろう。オレも焦っていたからなあれだけの敵の前で地に伏せれば死んだと思っても仕方ないだろう」

「ふざけるな、おまえは……」

 

レオナルドの言葉にあたしは感情を制御できない、言いたいことが口から出ない

 

「この邪悪な人の皮を被った魔物が人語を口にするな。汚らわしい」

 

あたしが怒りに言葉を失っている横で、マルティナさんが吠えた。



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第81話 事情聴取

「双方の認識に相当の差異があるようだな。ではこうしよう、我々がギルドとして双方から別々に話を聞こう。何しろ幸いなことに死者が出ていないようだから、落ち着いて話を聞く時間をとることは出来るだろう」

 

ステファノスさんにそう言われ、あたし達は、あたしと瑶さん、そしてマルティナさんの3人、そして女神の雷の4人にわかれそれぞれのグループで別々に話を聞かれているの。

 

「つまり、変異種2体を相手にやられそうになっていた女神の雷にヨウとアサミが救援に入り、取り巻きの雑魚を処理したところであいつらが裏切って3人を囮にして逃げたと。その後3人で変異種2体を3人で斃して帰還したということか」

 

「しかも、アサミさんを突き飛ばして、な」

 

「まあ、その状況からすると、3人を囮にするには、それしかないだろうが……。そうすると……」

 

ステファノスさんは、そこで言葉を切って考え込んだわね。

 

「お前たちと女神の雷のメンバー以外の目撃者は……いないよな。それでもマルティナが奴隷から解放されたという事実がある以上、女神の雷が彼女に不当な行為をしたというのは間違いないわけだが……」

「目撃者がいないのは女神の雷もあたし達と同じですよね」

「まあ、そこだけを見れば同じ、なんだが……」

 

あたしの指摘にステファノスさんが難しい顔をしたわね。

 

「ハンターランクと実績、ハンターとしての在籍活動期間の違い、ですか?」

「俺やアレッシアは、そういったもの無しでもお前たちの言葉を信じることが出来るが……」

 

瑶さんが言っていたのはこのことだったのね。

 

「でも、女神の雷は認めないですよね」

「認めないだろうな」

「となると、せいぜい注意程度ってことになるわけでしょうか?」

「まあ、救援に入ったお前たちを放置して逃げたこと自体は間違いないからな、多少のペナルティは課すが……。問題は……」

「逆恨み、ですか?」

「ああ、お前たちが生きて帰った事で結果的に女神の雷は評価を大きく下げたからな」

「あたし達が生きて帰ったからですか?」

 

「そうだ。お前たちが生きて帰った事で、全滅するほどでないのにも関わらず、救援に入ったハンターを見捨てた。女神の雷は、そういう事をするパーティだということになったわけだ。これは1パーティだけで依頼を受けるのなら大したことは無いが、複数パーティで受ける依頼となると女神の雷と一緒に請けようというハンターはまあいなくなっただろうし、今回のように窮地に陥った時に救援に入ろうというハンターもいなくなっただろう。これは女神の雷にとってはかなりの痛手だ。だからこそ、なんで生きて帰ったんだと、なんであそこで死ななかったんだという逆恨みをするだろうということだ」

 

さすがにそれは無いんじゃないの?と見回すと、瑶さんもマルティナさんも苦い顔で頷いているわね。

 

「逆恨みをしたとして、女神の雷は私達に対してどういう対応をしてくると思いますか?」

「そうだな。色々と考えられるが、まずは狩場での妨害だな。偶然を装った獲物の横取り、取り逃がしを装って魔獣等を擦り付ける、場合によっては誤射を装った攻撃なんかが考えられるな」

 

横殴りに、MPK、遠距離PKかあ。嫌がらせもネトゲと一緒なのね。あたしは思わずため息をついていたわ。

 

「そうすると、かなり仕事に支障をきたしそうですね」

「瑶さん、蓄えはまだ少しはありましたよね?もし仕事が出来ない状況になったとして、どのくらいもつと思います?」

「そうだね、まだ生活費がはっきり分からないけど、朝未が料理してくれているし食費はかなり抑えられる。光熱費も魔法である程度代わりが効くし、節約すれば3人で月7から8万スクルドかな、あとは季節ごとの必要なものにどのくらい掛かるかだけど、1年は暮らせるんじゃないかな。その先は変動要因が分からないからなんとも分からないね」

「じゃあ、女神の雷が諦めるまでエルリックに引きこもる事もできますね」

 

あら?あたしが引きこもり宣言した途端にステファノスさんも瑶さんもちょっと難しい顔になったわね。

 

「ごしゅ……、アサミさん、短期的にはそれでも良いかもしれませんが、収入が途絶えた状態ではあまりお勧め出来かねます。相手がいつまで執着するかも分かりませんから。それに街中だからと言って完全に安全というわけでもありませんよ」

 

あたしの疑問を感じたのかしらねマルティナさんが説明してくれたわ。

 

「じゃあ。どうしたら……」

「あまり俺がこういう事を言ってはいけないんだが……。拠点を移すのもひとつの方法だぞ。ギルドマスターとしての俺はお前たちにエルリックで活躍して欲しいが、こういう状況じゃやむを得ない面もあるからな。まあギルドの判定が出るまではいてもらわないと困るし、直後に移動すると変に疑われかねないという面もあるが、実際に何度か女神の雷からの嫌がらせを受けたことを別の人間に見せてから移動すれば、そういう事もないだろう」

「別の人間と言われても……」

「ん?簡単だ。別のパーティ、それも出来れば格下のパーティと合同で何度か依頼を受けてみろ。ただし、その別パーティのメンバーは守ってやれよ」



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新天地へ
第82話 誤射?故意?


あたし達は、まず依頼を見繕って下位ハンターパーティが手を出したいけれど、難易度的に少し躊躇するものが無いか探していたのだけど。

 

「良いのないですね」

「中々ちょうどいい依頼ってのはないなあ。って言っても半分以上の依頼は難易度わからないけどね」

 

瑶さんが頭を掻きながら舌をだしてる。

 

「マルティナさんは、良さそうな依頼分かりませんか?」

「申し訳ないけど、わたしは依頼の難易度はよくわかりません。依頼の選定に加わったことがないので」

「そうなのね」

「すみません」

「いえ、謝ってもらうようなことではないんですけど。瑶さん、どうしましょう?」

「いや、やっぱり普通にアレッシアさんに聞けば良いと思う」

 

せっかく依頼掲示板の前に来てるのにそれは無いと思うの。

 

「え、それじゃいつもと変わらないじゃないの」

「仕方ないだろう。私達に経験が足りないのは事実なんだし。ここでミスはしたくないからね」

 

結局アレッシアさんに話をして良さそうな相手を探してもらうことになったのよね。

 

マルティナさんの扱いについても、元主人であるレオナルドの奴隷契約違反によって奴隷契約が解除されたと認定されたので今のところあたしの奴隷ということで落ち着いているの。ま、奴隷紋については、このゴタゴタが落ち着いたところで対処するつもりなのだけど。今はまだちょっとあたしの奴隷のままでいてもらっている。本人がそれを嬉しそうに受け入れているのはちょっと謎なのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

「そ、それではお願いします」

「うん、そんな緊張していると身体が動かないよ。もっとリラックスして。危なそうなときは私達がカバーするから」」

 

今あたし達は7級ハンターパーティ深淵の咆哮と一緒にいる。深淵の咆哮は全員が幼馴染の15歳の男女混合パーティ。若くて有望なハンターという話。そんな彼らと合同でグリーベアの内臓の採取という依頼を受けている。内臓と言っても全部ではなく、対象は肝臓なのだけど。なんでも特殊な薬の原料になるとか。一応対象が動物枠なこともあり7級で受けられるんだけど、7級上位でギリギリ。本来は6級中位が受けるような依頼だという事でアレッシアさんの仲介もあって、あたし達がサポートに入ったのよね。うんアレッシアさんが例の事を忘れていなかったのも大きいと思うの。

 

瑶さんの言葉に深淵の咆哮は隊列を組み山に足を踏み入れていく。あたし達はその後ろからファローをするのが役割なの。

 

山に入ってすぐからあたしは探知魔法を展開している。でも、この子たち、うんみんなあたしより年上なんだけど、もうこの子たちって感じ。この子たち平然と風上から入っていくのよね。本当に有望なのかしら。

 

あ、瑶さんも顔を顰めているわね。どうしよう、まだあたしの探知魔法には大物の反応がないから今ならまだ間に合うけど。

 

「君たち、いつもこんな風に無造作に狩場に入っていくのかい?」

 

あ、ついに瑶さんが我慢が出来なくなったみたいね。

 

「えと、ヨウさん。無造作とはどういう意味でしょうか?」

 

瑶さんの言葉に深淵の咆哮のメンバーが首を傾げる中リーダーのクルト君が聞いてきたわね。

 

「ふむ。ではまず聞こうか。君たちは狩場に入るとき、どういう基準で入る場所を決めているかな?私が見た感じ単に街道に近いというだけで、そこから入っているように見えたんだが」

「え?なんと言いますか、普通に入り口になっている場所からですが……」

「あー、それだとかなりの確率で獲物に逃げられたり、逆に襲われたりしなかったかな?」

「そりゃ、そういう事もありますけど。それは別に特別なことではなく普通のことでしょう?」

「風にのって自分たちのにおいが流れていくと獲物にバレるから」

「え?俺達そこまでにおいませんよね」

 

あ、瑶さんが頭を抱えたわ。あら?ひょっとしてこの世界では人間の匂いに動物が気付くとか、動物の嗅覚がとっても強力とかって意識無いのかしら。一応料理や香水の匂いが風に乗って遠くまで届くって認識はあるけど、自分たちが感じられなければ平気って感じなのかも?

 

「あー、まあ騙されたと思って風下から狩場に入っていくようにしてみてくれないかな」

「はあ、ヨウさんが、そう言われるのなら」

 

 

 

 

少し前から、あたしの探知魔法にちょっと大きめの反応があるんだけど、まだ深淵の咆哮のメンバーは気付いていないわね。足場を気にするようなふりでもしてさり気なく進路を誘導しようかしらね。

 

「あ、あそこ。グリーベアが休んでいる」

 

なんとかグリーベアが気付く前にクルト君が気付いたわね。あと少し気付かないようだったらあたしが見つけたフリするつもりだったけど、よかったわ。

 

「どうやら、こちらには気づいていないようだね。どうする?君たちだけでやってみるかい?」

「ええ、やらせてください」

「うん、何かあったらサポートに入る準備はしておくから頑張って」

 

瑶さんとクルト君の打ち合わせで、とりあえずは深淵の咆哮だけで挑戦するみたいね。

 

「じゃあ、せっかく気付かれていない状況だから、マヌエラの弓で先制。そこから突入で、あとは臨機応変に」

 

うーん、やっぱり盾役はいないのね。まあ、あたし達がそこまで口をだすことではないとは思うけど。そもそも今の深淵の咆哮だと回復役がいないみたいだから簡単にはいかないわね。

そんな事を考えながら見ている間に、マヌエラさんが弓でヘッドショットを決めたのを合図に危なげなく戦闘を進め深淵の咆哮は誰も大きな怪我もすることなくグリーベアを斃していた。

 

でも、あたしの探知魔法にちょっと気になる反応があるのよね。あたしは、瑶さんとマルティナさんに目配せで合図を送り、弓にそっと手を触れてみせた。動物や魔物、魔獣の場合は言葉が分からないので行動指針なんかは移動方向なんかから想像するしかないけど、人はしゃべるものね。隠れて行動しているつもりなのだろうけど、早速嫌がらせに来たようね。

 

”ヒュン”

 

あたし達3人が身構えたところに矢が飛んできた。でも、予測していれば遠距離からの矢なのでそれほどの威力もなく、マルティナさんがあっさりと槍で叩き落した。2の矢、3の矢と続いたけれど、それも瑶さんが長剣で、あたしは短剣で絡み取るように捌いたわ。

 

「誰だ。ここにいるのはハンターだ。獣でも魔獣でも魔物でもない。こちらに顔をだしてもらおう。そしてこれ以上矢を射るのであれば勘違いや事故でなく故意による攻撃とみなし反撃をすることになるぞ」

 

瑶さんが大声で警告をした。

あ、後ろでは深淵の咆哮の人たちが驚いて固まっているわね。

あたし達が警戒し少し待っていると、近くの茂みから女神の雷が姿を現した。

 

「いやあ、すまんな。狩にきて獣と勘違いしてしまったようだ。怪我はなかったか?」

 

レオナルドが白々しい謝罪を口にしつつも後ろのメンバーたちのニヤニヤ笑いがこれが故意であることを物語っているわね。

 

「ふーん、女神の雷は獲物と人間の区別もつかないのね」

「なんだと。私たちをバカにするのか」

「事実でしょうに。実際、今あたし達に矢を射かけてきたわけですしね」

 

あたしの軽い挑発にフランディアが簡単に乗ってきたけど、事実を突きつければ故意だとは言えず黙ってしまったわね。

 

「あたし達なら、あの程度の矢は叩き落せますが、下級ハンターを射殺さないことですね」

 

言い捨てて、あたし達はグリーベアの解体に戻った。

さて次は何をしてくるかしらね。



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第83話 護衛依頼

「お世話になりました」

「ああ、お前たちには、もっとここにいて欲しかったが、この状態ではな。十分に力になってやれず、すまなかったな」

 

今あたし達はハンターギルドでステファノスさんに別れの挨拶をしている。

あれから3カ月下級ハンターパーティのサポートを含め、他のハンター達と合同での依頼を複数回請け、予想はしていたけれど、その多くで女神の雷がそれ1回だけを見ればそうとは判断しきれない、それでも対応を間違えれば命にさえ係わる嫌がらせを受けたのよね。

 

だからあたし達は、それを理由にして拠点を替えることにしたの。

 

「アサミも、すまんな。なんなら王都ギルドに紹介状くらいなら書いても良いが」

「い、いえ。あたし達はもう少し田舎のクリフに行こうって言ってるんです」

 

あたしの言葉に瑶さんも優しく頷いてくれた。

王都だなんてとんでもないわ。いつ”聖女”爆弾が爆発するか分からないじゃないの。

 

「マルティナも、面倒な立場のままで放り出すようですまんな」

「いえ、わたしアサミ様の下にいられる今が幸運と思っていますので」

 

マルティナさんも笑顔でステファノスさんに答えているわね。そしてマルティナさんはいつの頃からか、あたしのことを様付けで呼ぶようになったの。何か気づいたようで、何度言っても頑なに様付けのままで、ちょっと心苦しいのよね。王族って誤解は解いたはずなんだけどなあ。

 

「まったく、お前たちなら、そう遠くない将来3級、いやひょっとしたら1級にもなれるかと思っていたんだがな。……残念だ」

「ま、生きていればまた来ることもあるでしょうから。その時はよろしくお願いします」

「ふう、まったく気楽に言ってくれる。……。そうそう、クリフに行くって言ったか。よかったら護衛依頼受けないか?」

「え?それに護衛は傭兵ギルドの管轄だと思ってたんですけど」

「ああ、まあ確かに通常は傭兵ギルドの取り扱う依頼なんだがな、それはあくまでも護衛が対人戦闘が多いからっていうのが理由で護衛の状況によってはハンターギルドがハンターを斡旋することもあるんだ。そして今回の目的地はクリフの少し手前のグライナーなんだが、あのあたりは魔獣が多くてな、そのせいもあって街に入ることの出来ない盗賊なんかは逆に少ないんだ」

「つまり対魔獣の護衛がメインだからハンターギルドに依頼が来たと?」

「正確には傭兵ギルドと合同で、だな。片道およそ20日で報酬も悪くないし、お前たちにとっては行き掛けの駄賃みたいなもんだろうし、どうだ?」

 

 

 

 

ハンターギルドに挨拶をした3日後、あたし達は予定を少しずらしてエルリックの南門で一緒に依頼を受けた傭兵ギルドの傭兵パーティー「貫く剣」の4人と一緒に護衛対象である行商人のマルタさんを待っている。マルタさんを含め昨日のうちに顔合わせは済ませているので後はここで合流して出発するだけなんだけど、「貫く剣」のメンバーの視線が照れくさいのよね。

 

「ふふ、アサミ様、昨日の顔合わせは大変でしたね」

「はあ、まさか、あそこまで名前が売れているなんて思わなかったわ」

「大人気だったよな。天使ちゃんって」

「もう、瑶さんまで。勘弁してくださいよ」

 

実際に昨日の顔合わせは大変だったわ。傭兵ギルドで合流して護衛同士で先に顔合わせしようってなってたんだけど、傭兵ギルドに入ったとたんに囲まれてしまったのよね。

模擬戦まで申し込まれて。依頼人との顔合わせがあるからって断ったのに、その後ででもいいからって押し切られちゃったもの。翌日護衛依頼が入っているから5人までって言ったら枠の奪い合いが凄かったし。

まさか即席のトーナメントまでやるとは思わなかったもの。

そして勝ち残った5人が物凄い勢いで天に向かって吠えたのには引いたわ。

ただ、模擬戦で1対1だと瑶さんはおろかあたしにも誰一人勝てなかったのはちょっと意外だったわね。しかも補助魔法無しだったのに。一応対人をメインにした傭兵ギルドよね。まあ当てれば勝ちの模擬戦だったからだけど。もし相手が本番のしっかりした防具を付けていたらあたしの剣は半分以上防具で弾かれたとは思うけど。もっともそんな相手にはあたしも剣で相手なんかしないけどね。瑶さん?瑶さんはきっと防具ごと切り捨てちゃうわね。オークの変異種、ハイオークの皮はその辺のプレートメイルより硬かったはずだもの。ゴブリンの変異種だってあたしのファイアーアローを弾いたもの。あれを切り裂ける時点で瑶さんが剣を振るったら生半可な防具は役に立たないわ。

 

そんな事を考えてボーっとしているところに護衛対象のマルタさんが馬車に乗ってやってきた。

 

「おはようございます。皆さんよろしくお願いします」

 

そしてあたし達の初めての護衛が始まった。



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第84話 ????

相手の剣が振り下ろされる。

それを自分の長剣で弾き、そのまま切り降ろす。

そんな私の後ろから、別の騎士が切りかかる。身をひるがえし躱しつつ剣で切り上げる。

更に流れのまま右から来た相手を切り飛ばす。

私の使う長剣は、相手の持つ一般的な長剣と比べても数十センチは長いので常に相手の先手をとれる。

今やっているような10人程度相手の模擬戦で相手の剣を受けるような事はない。

 

召喚されて約半年。私達は戦闘訓練に明け暮れていた。国としては私達をすぐにでもどこかの戦場に向かわせたかったようだけれど、戦いなんて無縁な世界から召喚された私達ではとても即戦力にはならないという判断くらいは出来たみたい。

 

向こうでは大地が盾で相手を吹き飛ばしている。そのまま片手剣を首に突き付けるとその相手は死亡扱い。後ろから切りかかってきた相手は後ろ蹴りで吹っ飛ばして、その勢いのまま体制を整えてる。決してキレイじゃないけど大地のフィジカルを生かした実戦的な戦い方ね。

 

もう10人相手程度の模擬戦では私達の訓練にならなくなってきている。かと言って単純に相手の人数を増やしても意味がない。となればそろそろ実戦に投入されそうね。

 

「ドカン!!」

 

模擬戦に切りをつけた私が、そんなことを考えていると、大きな爆発音が響いた。

 

「小雪の魔法も凄いよな」

 

いつの間にか模擬戦を終えた大地が私の横でそんなことを言っている。

 

「ふふ、聖女のイメージじゃないけどね」

 

小雪は召喚されてすぐに回復魔法が使えたことから聖女と呼ばれている。大地は聖剣を振るう事が出来たということで勇者と、そして私は自分の背丈ほどもある長剣を振るいこの世界の騎士たちを寄せ付けない強さを身に着けたことで剣聖なんて呼ばれるようになった。

 

「結構高レベルな攻撃魔法に回復魔法、そのうえ補助魔法で俺たちの戦力を底上げできるんだからな。もう戦力的には俺達3人だけでちょっとした軍隊並じゃないか。そうは思わないか剣聖様?」

「はあ、まったく大地は能天気なんだから。勇者なんて言われてるけど聖剣はちゃんと使えるの?」

「まあ、普通の剣使うよりは威力あるのは確かだな。でもあれって単なる重たくて普通の人間には持てない剣なだけに思えるんだけどな。重いから当たると威力はあるけど。でも伝説にあるようなトンデモ性能があるようには思えないんだよな」

 

「”勇者の振るう聖剣は巨大なドラゴンを切り裂き、魔王を屠った”ってあれね。多分大げさにすることで勇者への信仰のようなものを作り上げてきたんじゃないかしら」

「ふーん、そんなことして何か良い事でもあんのかね」

「色々とあるわよ。ピンチになった時の勇者召還に説得力持たせるとか。勇者召還に成功した時の威圧感が増すとかね。更に言えば戦いの最前線に召喚した勇者を放りこむのも簡単ね」

 

召喚した側からすれば使い捨てにしても構わない、いえ、はっきり言ってしまえば使い捨ての武器扱いなのは間違いない。これは大地も小雪も気付いて無さそうだし、私も口にのせると下手すれば首が飛びそうだから言えないけど。

 

それ以上は触れず、あとは雑談をしながら大地と並んで城に向かって歩いていると、魔法の訓練を終えたのだろう小雪が合流してきた。

 

「お疲れ様。聖女様の魔法も随分と強力になってきたみたいね」

「真奈美、聖女呼びはやめてって言ったわよね。やめないなら真奈美のこと剣聖様って呼ぶわよ。……魔法はね、大分よくなったわね。最初は詠唱とか恥ずかしかったけど、魔力も大分増えたから最初の頃みたいに1発撃っておしまいなんてこともないわ。その代わり体力はほとんど一般人だけどね」

 

 

 

 

「勇者様方、訓練も順調との報告を受けております。すでに実力としては十分で、あとは実戦で慣れていただくばかりだとか」

 

城に入ったとたんにフィアン・ビダルさんが声を掛けてきた。おそらく私達が実戦を少しでも後にしようとしているのに気付いているのだろうけど、そうと感じさせず、それでいて実戦に出るように圧力をかけてくるのは宗教家というより政治家ね。かと言って、いつまでも引き延ばせるわけでは無いのも確か。ここで下手に大地にしゃべらせると明日にでも出征させられかねない。

 

「司祭長様、私達はこのような戦闘の無い世界から召喚されました。力こそ付いたとは思いますが、まだまだ付け焼刃の域を出るものではありません。実戦において多少のパニックに陥っても身体が動くように十分な訓練をしなければ逆にあなた方の足を引っ張るだけになるでしょうし、悪くすれば味方を傷つけることさえ考えられます。今しばらく訓練期間を頂きたいと考えております」

「な、し、慎重な剣聖様のお考えは分からないではありませんが、そこまでの事は……」

「なら、例えば私がパニックに陥って見境なく剣を振るったならどうやって止めてくれるのですか?」

「そ、それは……」

 

今回の模擬戦を鑑みても私や大地を止められるものでは無いのは間違いない。フィアン・ビダルさんがが口ごもる中、さらに追撃をしておくのが良いでしょうね。

 

「それだけではありませんよ。小雪がパニックになって高火力の魔法を敵味方見境なくばら撒いたら?あれを防ぐ障壁を貼れる魔法使いいます?私だって多分逃げるので精いっぱいです。とても味方を助ける余裕はありません。敵味方全滅した荒れ地に私達3人だけ立っている状況をお望みですか?」



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第85話 盗賊?

護衛初日は、事前に聞いていた予測通りに何という事もなく無事に街道を進むことが出来た。

予定では最初の5日ほどは野営で、6日目あたりで途中の村に補給を兼ねて1泊だって聞いているので当然初日は野営ね。

昼は携帯食をモソモソと食べている貫く剣やマルタさんを横目に「エルリックの家」で最後に作ったサンドイッチを食べていたのよね。そうしたら、どうにも視線が集まってきたのよ。

 

「そ、その、ヨウ殿。その食べ物はいったい?」

 

我慢が出来なかったらしくてマルタさんが瑶さんに質問してきたのよね。

 

「これですか?これはサンドイッチといって、うちの朝未が作ってくれた、まあ携帯食のようなものですね」

「あ、あの、お金は払いますので分けていただくことはできませんか?」

 

ここでみんなの視線があたしに集まってしまったのよね。

 

「はあ、まったく。初日のあたし達用に作ってきただけなので数がないんですよね。それにお金をって言われても売るつもりで作ったものではないので値段だって付けようがないですし」

 

依頼主のマルタさん、マルタさんの使用人2人、それに貫く剣のメンバー4人。まさかマルタさんだけに渡すわけにもいかないだろうし……。かと言って、依頼主であるマルタさんの要望を無下にするのも問題よね。

あたしは手持ちの食料を思い出しながらどうしようかと考えた結果。

 

「ひとりひとつまで。それからマルタさん。確か荷物の中に小麦粉とリンゴがありましたよね。お金と別にそれらを少し分けてください。その条件でよければお分けします」

 

全員が我慢できなかったらしくて、あたしたちの夕ご飯が無くなったのよね、悲しい。

そこで、あたしは仕方なく昼休憩の間にパン生地の仕込みをすることにした。午後いっぱい程度じゃ1次発酵は十分には進まないけど過発酵よりは多分マシだし、無発酵パンよりはいいんじゃないかなということで準備。

 

「天使ちゃん。サンドイッチ美味しかったよ」

「本当は、あれあたしたちの夕ご飯だったんですけどね。あ、瑶さん、このリンゴをジュースにお願いします」

 

マルタさんのお礼にちょっと嫌味を入れながら、瑶さんにリンゴをわたす。あたしからリンゴを受け取った瑶さんはリンゴを右手に持ち鍋の上で握りつぶしてジュースにしてもらったの。

もらった3個のリンゴをジュースにしてもらって横を見るとマルタさんの顔が引きつっているわね。何かあったのかしら。

あたしは、そのまま鍋のリンゴジュースにクリーンを掛け残り少なくなっている天然酵母に足して馬車の隅に置かしてもらっている荷物の中にしまった。相変わらずキラキラエフェクト付きのクリーンだけど、もう散々やらかしてきてるのでこのくらいは気にしないことにしたの。

 

「朝未、なにやってるんだ?」

「え?これからのご飯のための準備ですよ。天然酵母が残り少なくなっていたので追加しておいたんです」

「いや、私の知ってる天然酵母は使い切って別で作るものばかりだったんだけど」

「え?果汁100パーセントのジュースを入れると最短1日くらいで増やせるんですよ。知りません?」

「それは私の知ってる天然酵母の作り方使い方と大分違うな。朝未は物知りだな」

 

瑶さんが、不思議そうに聞いてきたけど、そんな不思議なことじゃないとおもうけどなぁ。

 

「なんにしても、これで明日作るパン生地用の天然酵母が確保できます」

 

 

 

 

 

 

「天使ちゃん、気をつけなよ。そろそろ盗賊たちのテリトリーに入るからな」

 

エルリックを発って3日目の朝、貫く剣のリーダーのフアンさんがあたしに声を掛けてきた。

 

「はい、ありがとうございます。でもなぜあたしに?このメンバーなら瑶さんに声を掛けるものじゃないですか?それとその呼び方やめてください。」

「ああ、見た目だけならそう見えるのは確かだけど、実質天使ちゃんが色々仕切ってるだろ」

「失礼な。あたしは瑶さんにおんぶに抱っこで、すすめてもらってますよ」

「ふふ、まあ、そういう事にしておこうか。なんにしても今日明日が一番盗賊に狙われやすいから気を付けてくれ」

「そういう事にじゃなく、実際そうなんだってば」

 

あたしの答えに右手をひらひらと振ってフアンさんは貫く剣の方に戻っていった。

もちろん、油断をするつもりなんかないから、常時最大で探知魔法は展開している。今となっては使い慣れたからかあたしの探知魔法の有効範囲はざっくり半径200メートルくらいある。この世界でこんな範囲外から届く攻撃なんて遠距離型の魔法か、大型のバリスタくらいじゃないかしらね。そんなものが使える盗賊なんていないだろうし、そもそもそんなものを使っていたら普通の商人を襲っていたら割が合わないし、更にそんなものを使えるなら盗賊になる必要も多分ない。

 

「ということで、今日明日は少し気を付けてってことでした」

「うん、でも朝未の探知魔法で十分に警戒はできるよね」

「そうですけどね、クリーンくらいならともかく、半径200メートルの探知魔法とか上級聖属性魔法とかは出来れば使えることを知られたくないですね」

「まあ、そうだろうね。探知魔法に関しては話さなければたまたま気づいたってことで通るだろうから、あとは補助魔法と攻撃魔法だけでなんとかしようか」

 

そんな話をしていたのはフラグだったのかしらね。

 

「瑶さん、早速ですが探知魔法に反応がありました」



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第86話 初めての……

「フアンさん、街道脇、右前方、あの茂みの陰に盗賊らしきものがいます。どうしますか?」

 

あたしの指摘にフアンさんは目を細めてあたしの指摘した場所を見ている。

 

「あそこか?お、わずかに枝が不自然に揺れたな。確かにあそこに何かがいるのは間違いなさそうだが。天使ちゃん、よく気づいたな」

「あたし達目は良いので。で、どうします?それとあたしは朝未です」

「うーん、あそこだと矢を射っても枝が邪魔であまり効果なさそうだしな。天使ちゃん確か攻撃魔法使えたよな。あそこに爆発系の魔法を放り込んでくれないか」

「え?いきなりですか?多分盗賊だとは思いますが違ってたらまずくないですか?」

「大丈夫だ。あんないかにも隠れていますという場所に居る段階で盗賊じゃないなんて言い訳は聞けない。となれば殺されても文句は言えないってことだ」

「あーそういうものなんですね。あたしまだ人は殺したことないのでちょっと抵抗感あるんですが……」

「……。気持ちは分からんではないが、あいつらを放置すれば別の善良な人間が理不尽に殺されることになる。ここは目を瞑って協力してくれ。爆発系の魔法を何発か放り込んでくれるだけでいい。近接戦闘で直接手を下すよりまだ心理的にらくだろう。あとは俺たちが始末をつける」

 

フアンさんはそういって離れていったわ。

 

「私もやろう。朝未だけに負担を掛けるわけにはいかないからな」

「わたしも、アサミ様の僕として引き受けさせていただきます」

「ふふ、瑶さんもマルティナさんも、大好き。一緒に頑張ろうね」

 

目標までの距離残り30メートル。瑶さんとマルティナさんに補助魔法をかける。そして、

 

「いきます。ファイヤーボール」

 

魔力マシマシの初級火属性魔法を投げ込んだ。

 

「な、無詠唱?天使ちゃん、あんた」

「呆けてる暇はありませんよ。突入しないとうちのパーティーが全部頂いちゃいますよ」

「おっと、いかんな。天使ちゃん馬車の護衛を頼むな。よし、全員突撃、盗賊を逃がすな」

 

瑶さんとマルティナさんが突撃していく姿にフアンさんが慌てて声を上げ、貫く剣のメンバーが駆け込んでいった。

 

あたしは馬車の直掩に入っているんだけど、さっきから探知魔法に後ろから近づいてくる反応があるのよね。

 

「マルタさん、後ろから別働隊が来ます。あたしが相手をしますので、とりあえず馬車の中に入っていてください」

 

数は3。魔法をあまり長距離から撃っても避けられて魔力の無駄遣いになるだけだから、もう少し引き付けてから多分ファイヤーアローを2発で2人は斃せる。残り1人は近接戦闘するしかないわね。

迎撃ポイントまであと10メートル、あと5メートル。あたしは深呼吸をして覚悟をきめ腰の短剣に右手を添える。あと1メートル。ゼロ。

 

「ファイヤーアロー」

「ファイヤーアロー」

 

2連射したファイヤーアローが両端の盗賊の胸に大穴を開けた。

そのままあたしは短剣を引き抜きファイヤーアローで両側の仲間をいきなり失い驚いている残りにダッシュで接近して首を狙う。

ゴロリと転がった首が光の無い目であたしを睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

「朝未、大丈夫か?」

「大、丈夫です。ただ、少し、休ま、せてください」

 

前方の戦いも終わったらしく、吐き気をこらえてうずくまっていたら瑶さんが労りの言葉をかけてくれたけど、ちょっと今はそっとしておいてほしいわ。

そんなあたしの想いに気付かないのか瑶さんがあたしの横に腰を下ろしたのが感じられた。

 

「朝未」

 

気付いた時には、あたしは瑶さんに抱き寄せられていたの。

 

「無理をしなくていい。13歳、いやそろそろ14歳か。それでもそんな年の女の子が平気なわけがないことくらいは私でもわかる」

 

そういうと、あたしの頭をそっと撫でてくれる。その手はとても温かくて、気づいた時にはあたしは瑶さんの胸に顔をよせていた。

 

 

 

どれだけの時間がたったのかしら。あたしはいつの間にか落ち着いて瑶さんの胸から顔を上げた。

 

「瑶さん、ありがとうございます。もう落ち着きました」

「うん、顔色も戻ったね。無理はしなくていいから」

 

 

「アサミ様、ヨウ様。後始末が終わりました。そろそろ、移動です」

 

後始末をしてくれていたのだろうマルティナさんが声をかけてくれた。あたしと瑶さんは顔を見合わせ、立ち上がる。

 

「マルティナさん、後始末を押し付けてごめんね」

「いえ、アサミ様はこういった本当の対人戦闘は初めてとのこと。むしろ戦えただけでもご立派です。このくらいはさせていただきます」

「それで、本当に相手は盗賊だったということで間違いないのよね」

「はい、賞金首3人を含む盗賊団でまちがありませんでした。アサミ様が心を痛めておられるのは理解しますが、アサミ様は、これから罪もない旅人が命を散らすのを防いだのです。あれらは、人ではありません。魔獣以下の存在です。あまりお気になさりませんよう」

「ん、マルティナさん、ありがとう」

 

 

 

「ん、天使ちゃん、もう大丈夫か?もう少し休んでいってもいいぞ」

「そうですよ、アサミ様。特に後方からの盗賊への対応は初めての盗賊討伐で近接戦闘ですからね。私達は助かりましたけど、まだお若いアサミ様の心にはご負担だったと思います。もう少しなら時間も余裕があります。まだお休みいただいて構いませんよ」

 

フアンさんもマルタさんも気遣ってくれるけれど、これはお仕事だもの、甘えすぎてはいけない。

 

「お気遣いありがとうございます。でも、もう大丈夫です」



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第87話 ついでに別依頼

3日目より後は、特に言うべきイベントもなく予定通り5日目の昼過ぎに最初の村フレイに到着できた。

 

「では、明日の朝出発しますので、それまでは自由にしていただいて構いません。

ただ、その……。アサミ様にお願いがあるのですが」

「あたしにマルタさんから、お願いですか?」

「ええ。この5日間、アサミ様にサンドイッチを提供していただいていますが、町や村に泊まった時を除いてグライナーに到着するまでの間、正式に提供をお願いできませんでしょうか?もちろん、材料はこちら持ちで、それとは別に報酬をお支払いします」

 

どうしようかしら。パンだけなら多分どうにかなると思うんだけど。たしか事前の打ち合わせだと村と村の間の移動は4日から6日だって聞いてる。そうすると、生鮮食品はあたしのクリーンがあるとは言っても移動初日以外はさすがに使いにくい。毎回干し肉のサンドイッチっていうのは仕事として請けるには抵抗があるわね。

 

「うーん、提供すること自体はいいんですが、使える食材って何があります?お仕事として請けるとなれば今までみたいなパンに干し肉を挟んだだけのサンドイッチばかりというのは抵抗があるんで、使わせてもらえる食材と調理道具をみせてもらえると嬉しいんですが。あ、提供するのは全員分ということでいいんですよね」

 

見せてもらったものは結構色々あって、鍋釜と簡単な調理用の刃物、日持ちのする食材がいくらか。特に大きめの鍋釜は大人数に提供するなら助かるわね。足の短い食材も高価なものでなければ村で少しくらいなら仕入れてくれるということなので少しは変化も付けられそうね。

 

「わかりました。途中の村や町に宿泊するとき以外でグライナーに到着するまでの食事を作ることお請けいたします。瑶さん、マルティナさん、いいわよね」

「朝未が良いのなら構わないよ。それに私が手伝えることがあれば言ってくれれば手伝うよ」

「わたしも、アサミ様のご意思に従います」

「助かります。正直アサミ様の作ってくださる食事は非常に美味しいので単調な移動時のモチベーションにとても良い影響をいただいています。正直言いますとずっと一緒に来ていただきたいくらいです」

「あはは、美味しいと言っていただけて嬉しいです。ただ、あたし達にも色々事情がありますので同行は護衛時のみにさせてください」

「そうなのですね。ハンターの事情に口を出すのはタブーだというのは分かっているので詮索はしませんが、機会があった時にはまたお願いします」

「はい、ありがとうございます」

 

 

 

あたし達は、とりあえず、宿の部屋を確認すると、村の散策に出た。

 

「お米ほしいなあ」

「そうですね。でもまだこちらでは見たことないです。お野菜も穀物も向こうのものと似たようなものがありますから、お米もある可能性はあるとおもうのですけど、このベルカツベ王国では麦が主食みたいですから、ひょっとすると発見されていないか、気候の関係でこの近くでは栽培されていないのかもしれませんね」

 

こちらの世界に来て半年余り、エルリックは王都では無かったけれど辺境伯領の領都だったのだからこの世界の中ではきっと豊かな街だったと思うのだけど、お米は1度も見かけなかったのよね。最近、瑶さんは食料を買いに行くたびにお米がないか気にしていたものね。余程お米を食べたいんでしょうね。この世界に転移してもう半年だもの、わからないではないわね。あたしはまだそこまでではないけれど、やっぱりあれば嬉しいかな。

 

「食料を扱っている店は、ここだけみたいだね」

「品揃えは、あまり良いとは言えないわね?塩は少しはあるみたいだけど砂糖はおろか香辛料もない感じかしら。でもハーブは少しはあるみたいね。でも、この程度のハーブなら移動中に採取できそうね」

「アサミ様、ヨウ様。この規模の村なら、この程度が当たり前です。値段の張る香辛料など仕入れても売れる前にダメになってしまいますから」

「それでも、ちょっと気になる食材はあるわね。あの根菜とか、あのあたりのキノコとか……。拠点を構えていれば買いたいところだけど、持ち運びや鮮度のことを考えるとちょっと沢山は買えないかなあ」

 

結局見た目カブのような根菜と干しキノコを少し、それとイノシシ(たぶん)の肉を少しずつ買って帰った。ハーブも買おうか迷ったけど、野営地で大体採取できるのを思い出したので初日の昼ご飯用に少しだけにしたし塩はマルタさんの手持ちを使わせてもらえるから買わなかったのよね。肉はこの世界で一般的に使われている多少の防腐効果のあるらしい葉っぱにくるまれているのであとでクリーンを掛けてしまっておけば1日2日は大丈夫ね。買ったといってもマルタさんから預かったプレートを見せるだけでマルタさん支払いなので買ったって感じしないのだけど。あとは乳製品とかもあったら嬉しかったんだけど、このくらいの村だと難しいのかしらね。エルリックには少しは売っていたんだけど。感じとしては酪農はまだ始まったばかりなんでしょうね。それとも地域限定的な産業なのかしら。

 

 

 

「今日の夕食と明日の朝食は、宿の食事ですよね?」

「そうなるだろうね」

 

まだしばらく天気は良さそうだし、朝にパン生地の仕込みだけして、あとはその時々で準備すればいいわね。なんか楽しくなってきちゃったな。



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第88話 パンとスープとハンバーグ

『バンバン、バシン』

 

今、あたしは宿の部屋でパン生地を作っているの。早朝まだ日が出るかどうかの時間なのだけど、結構な大人数分のパンを準備するとなるとそれなりに時間もかかるもの。ただ、そうは言ってもこれだけの音をさせては周りに迷惑なので風属性魔法で遮音結界を張ってある。ふふふ、あたしって気配り上手ね。気配りついでにナッツ類を小さめに砕いて混ぜておいたわ。今日はナッツ入りのパンにするつもり。

 

良い感じに仕上がったパン生地を鍋に入れ、火属性魔法で軽く人肌程度に温め、粗めの布で軽くフタをする。これで昼前までには1次発酵が終わるはず。マルタさんに昼休みの少し前に馬車の中で少し作業をする許可はもらってある。そこでガス抜きをして生地を1時間ほど休ませ、成形してさらに1時間ほど2次発酵。そのくらいでちょうど昼休憩になるはず。計算通りにいけば。さすがに宿の調理場を借りるわけにはいかないので昼に焼いて焼き立てパンを食べてもらうことにした。夜は昼に焼いたパンと買い込んだ食材でちょっとしたものを作ればいいかな。

 

 

 

「おはようございます。アサミ様」

「マルタさん、おはようございます。出発の準備はよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです。今日も護衛よろしくお願いしますね」

 

朝食の後、マルタさんと朝の挨拶をしているのだけど。

おかしいわね。普通、この手の挨拶は護衛チームのリーダーがするものじゃないかしら?

瑶さんを見る。苦笑しているわね。マルティナさんは、なんかキラキラした目で見てる。

それならとフアンさんに視線を向ければ。満面の笑みで親指を突き出してきているわ。この世界でも同じ意味なのかしら。

でも、仕方ないわね。あたしは大きく深呼吸をして号令をかけたの。

 

「出発」

 

ゆっくりと動き出す荷馬車とそれに合わせて周囲をあたしたち護衛チームが固める。村の出口の簡素な門を出るところで、あたしは探知魔法を展開した。

うん、特におかしな反応はないわね。野生動物らしいものの反応はいくつかあるけど、それは問題ないわ。普通の野生動物は、あえて人間に近づいてきたりしないから。人の反応は村の中からだけ。

人の住む場所のそれも街道沿いでは魔獣・魔物・盗賊のどれもがめったに襲って来ないっていうことなので初日は探知魔法の練習をかねて普段より魔力をつぎこんで展開範囲を広げてみている。魔力の回復量より多めに消費しながら探知範囲を確認。当然戦うことも想定するので魔力がある程度減ったのを感じれば通常の範囲に切り替えるのだけど、魔力をモリモリ消費すれば探知範囲が今のあたしだと最大で半径500メートルくらいまで……、あ、探知魔法を5つ重ね掛けしてるから5倍消費しているはずね。

試しに展開する探知魔法をマナセンスだけにして魔力をつぎ込んでみた。あら、同じ消費量ならやっぱり広がるわね。探知範囲が大体1500メートルを切るくらいかしら。次にマインドサーチで同じことをしてみた。やっぱり同じように大体1500メートル弱まで行けたわね。これはちょっと実験が必要かもしれないわね。次に町か村で泊まるときに限界まで魔力消費したらどこまで探れるか実験してみようかしら。

そんな事を考えながら時々パン生地の発酵状態を確認して進み、そろそろ発酵状態も良い感じになったので、あたしはマルタさんとフアンさんに声を掛けに行くことにした。

 

「しばらく食事の準備に馬車の一部を使わせてもらいますね。護衛が必要な状態になるようでしたら参戦できるようにはしておきますので安心くださいね」

 

1次発酵の終わったパン生地を捏ねてガス抜きをして、丸く小分けにする。大きめのお鍋をいくつか借りてクリーンを掛け、そこに小分けにしたパン生地を並べて上からクリーンでキレイにした布にウォータで出した水で湿らせて上にふわっとかけて一旦作業は終了。ここから20から30分ベンチタイムで生地を休めないとね。あっと忘れてた、少し温度を低めにするのに水属性魔法でやや大ぶりの氷をいくつか作って布の上においておくのがいいわね。

ピョンっと馬車の後ろから飛び降りてマルタさんとフアンさんに声をかけておく。

 

「作業が一区切りついたのでしばらく護衛に戻りますね。ただ、また少ししたら作業があるのでよろしくお願いします」

「俺たちの飯の準備をしてくれてるんだろう。ありがとうな天使ちゃん」

 

そう言うフアンさんに頭を撫でられちゃった。子供扱いされてるようで微妙な感じね。

 

「一応14、あ、この国の数え方だと16歳の女の子なので、あまり子供扱いされるのは抵抗があるんですが」

「え、あ、すまんな、俺の娘と同じ年代に見えたものでつい、な」

 

子供扱いの意味が違ったのね。実の娘さんと同年代かあ。

 

「娘さん、おいくつなんですか?」

「ああ、16歳だ。天使ちゃんと同じ年だな。もう少しで嫁に行くことになってるんだ」

 

なんかフアンさんが視線を遠くに向けて寂しそうな顔になったわね。それにしても、この世界だとあたしの年だともう結婚する人がいるのね。あれ?そういえばエルリックでは、あたし年齢より下に見られること多かったのだけど、フアンさんは年齢を見間違わなかったわね。

 

「ねえ、フアンさん。あたしエルリックでは年より下に見られること多かったんですけど、ちゃんと16歳にみえます?」

「ん?いや天使ちゃん普通に16歳くらいに見えるぞ。なんで下に見られたのか分からないな」

「そうですか。ありがとうございます」

 

そんなやりとりの後、あたしは瑶さんの横で探知魔法の練習をしながら護衛についた。

 

 

 

 

 

「どうぞ、召し上がってください」

 

あのあと、成型と2次発酵を終わらせ、土属性魔法で作った竈で焼き上げたナッツ入りのパンに村で仕入れた肉で作ったステーキで昼ご飯をつくり提供した。

 

「おう、旨いな」

「前から思っていましたけど、アサミ様の焼くパンはフワフワでいい匂いで美味しいですね。私は仕事の関係もあり、王都にも何度か行ったことがあるのですが、これだけのものは味わったことありませんよ」

「ふふ、料理を美味しいって言ってもらえるのはうれしいですね。夜にはパンはこれですけど、ほかにもうちょっと凝ったものを作ってみる予定です。期待していてください」

 

午後は、特に準備もないので探知魔法の練習をしながら普通に護衛として馬車の横をついていった。

 

「この辺りは魔獣とか出ないんですか?」

「この辺りは魔獣の出る領域と盗賊の出る領域の境目あたりだな。盗賊も魔獣に十分に対応できるレベルの盗賊になってくるから少々手強くなるな」

「魔獣と戦えるレベルの強さがあるのにわざわざ盗賊になるんですか?普通にハンターでも傭兵でも稼げると思うんですけど」

「実力的には天使ちゃんの言う通りなんだけどな、性格的な問題でな……」

 

フアンさんの言葉にあたしは女神の雷やハンターギルドでいきなり絡んできたガルフという6級ハンターを思い浮かべた。つまりはそういうことなのね。

 

「その盗賊はやっぱり町や村の近くには出ないんですか?」

「そうだな、町や村の人間が出歩く場所ではさすがにすぐに討伐隊が組まれるからな。街道までとなるとさすがに国や領主様も手が回らないから、盗賊たちはそういったあたりで獲物を待ち伏せるわけだ」

「そうすると、今日は?」

「まあ今日明日は多分大丈夫だな、明後日あたり盗賊、その翌日から魔獣が襲ってくる可能性がある感じだ」

 

 

 

フアンさんの話を聞きながら午後の護衛を終えて、今は夕食の準備中。

まずは、村で仕入れたキノコと野菜をベースにスープを作って、冷めないように小さめの焚火に掛けておく。

次が本命。買っておいた肉を包丁代わりのナイフで叩くように刻む、いい具合にミンチ状になったところで、玉ねぎっぽいものを細切れにして香草や香辛料を一緒に練りこむ。水魔法で冷たい層を作った両手でパンパンとキャッチボールをするように叩いて空気を抜いて形を整えてパティの完成。

これをフライパンで焼き上げてできあがり。本当はソースも作りたかったんだけどさすがに無理なのでこのままそれぞれのお皿にとりわけて配る。スープも器によそって。パンは昼に多めに焼いたものを自由に取れるように置けばいいわね。

 

「はい、みなさん。夕ご飯の準備できましたよ。スープはまだありますからお代わりしてくださいね」

 

あたしの言葉の終わるのも待たないで食べ始めたわ。美味しそうに食べてくれるのはなんか嬉しいわね。

 

「「「「「ごちそうさま。美味かったよ」」」」

「はい、おそまつさまでした」

 

スープは鍋をひっくり返して最後の1滴まで飲み干し。お腹をさすって満足そうにしているのを見ると異世界に転移して護衛依頼中だなんていうのが嘘みたい。まるで日本でキャンプでもしてるような錯覚におちいりそうね。

 

食器類をクリーンでキレイにして片付け、夜の見張りの順番を決めてそれぞれ休んだ。



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第89話 また来た

夜中、あたしの見張りの順番の時、探知魔法を展開したまま、朝食用のパン生地の準備をしていた。そして、ちょうど1次発酵のために鍋に生地を入れようとしたタイミングで探知魔法に反応があった。動きからして動物の類じゃないわね、一直線にこちらに向かってくる感じでもないから魔獣とも違いそう。となれば盗賊の可能性が高そうね。まだ距離はあるし、あたしは、鍋をしまって、自分にクリーンを掛けた。

 

「瑶さん。多分盗賊が近づいてきています。距離はあちらに約200メートル、数は12人です。どうしましょう?」

「200メートルとなると、気付いたことをこちらでも知らせるには少し早いね。向こうの会話を聞いておいてくれるかな?私はいくつか簡単な罠を仕掛けてくる。どのみちこっちから何かするには遠すぎるしね」

 

 

ウィンドイヤーに注意を傾け盗賊見込みの集団の会話を拾ってみると、まだ遠いからと油断しているのか、いろいろしゃべってる。

どうやら、かなり遠くで焚火の光を見つけて当たりをつけてきたみたいね。弓使いが3人いて、最初に見張りを弓矢で始末して、さらに火矢を射かけてくる予定なのね。そして混乱に乗じて襲ってくると。盗賊のくせにいやらしい作戦たててくるものだわ。

それにしても、また対人戦。人相手の殺し合いなのね。

この世界に転移して、エルリックでこの世界の常識を学んで、覚悟を決めていたはずだったのだけど、初の対人戦では情けないところを見せて、自分の覚悟がまだ甘かったのは感じたけど、やらなければやられるのがこの世界なのよね。

そんなことを考えていたら瑶さんが戻ってきたわ。

 

「で、朝未。あとどのくらいの位置にいる?」

「あと100メートルってところですね。森の切れ目まできたところであたしと瑶さんに矢を射かけて、続けて火矢でテントを焼く手はずになってます」

「ああ、矢かあ。夜に矢は面倒だなあ」

「そうですね。明るい時間帯なら普通の矢くらい叩き落せますからね」

「それに火矢ってのも面倒だね。叩き落しても火は残るから」

「火矢って油か何かを使うんですよね。そうなると相手の手元で落としても火事が怖いですよね」

「うーん、相手が火を使うってわかっていると……。朝未、火矢がなくなるまでは魔法は水属性メインで、そのあとも油への引火がいやらしいから、火属性魔法は今回やめておいてくれるかな」

「そうですね。相手も最初は森の中ですし、流れ魔法が森を燃やしても面倒ですね。生木だけなら簡単には燃えないんですけどね」

 

「じゃあ、私は見回りに出て気付いたことにしてみんなを起こしてくるよ」

 

そこからは流れるようにあっという間だったの。

瑶さんに指示された場所に向かって中級の水属性魔法アイスランスをばらまくように打ち込み、盗賊を罠のあるエリアに追い込み、盗賊が混乱している間に貫く剣が包囲してあっという間に倍以上の数の盗賊を打倒し追い散らした。半分以上逃がしたけど討伐でなく護衛なのでこれで正解なのだとか。あたしとしても今回近接戦闘をしなくて済んだのは精神的に助かったのは間違いないのでそれ以上は突っ込むのはやめておいたの。

 

「マルタさん、とりあえず今夜はもう襲ってくることはないでしょう。まだ休む時間はあります。馬車でおやすみください。天使ちゃんとヨウも見張りは交代でいいぞ。朝まで休んでくれ」

「フアンさん、ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく休ませてもらいますね」

 

あたしと瑶さんは割り当てられているテントに一緒に入っていった。

最近では、瑶さんと一緒の毛布にくるまって寝るのが当たり前になっていて、瑶さんの胸に甘えて寝させてもらっているのよね。試しに一度一人で寝てみようとしたこともあるのだけど、不安と恐怖で寝るどころじゃなかったの。その時の様子を瑶さんに見られてから瑶さんもあたしに夜ひとりで寝るようには言わなくなった。マルティナさんとふたりでならと思ったこともあったけど、だめだったし。瑶さんはただ、『朝未が安心できるように守るよ』と言ってくれたの。今は同じテント内でマルティナさんも寝てるので周りからはとりあえず変なことは言われてないと思う。

 

そのあとは特にまた盗賊が襲ってくるようなイベントもなく、あたしは朝食の準備中。買ってきた肉でステーキにして軽く切れ目を入れ、夜の間に仕込んでおいたパン生地を焼いたプレーンなパンに挟んでいく。味付けは塩と香辛料、それに野営地近くで摘んできたハーブ。この世界のハーブなんて知らないから何となくそれっぽいものを摘んで匂いをかいで、よさげなものを口に入れて食べてよさそうか確認して使ってる。どうやらあたしには毒耐性があるみたいで毒のある草を食べてもちょっと口が痺れるだけだけど、さすがに他の人の食事に使うわけにはいかないものね。

 

そんなことを考えながら準備を進めていたら、ふっとマルティナさんと一緒にハーブを摘んでいた時のことを思い出した。あたしが適当に匂いを確認しては口に入れているのを見て『それ毒草です』なんて言って慌てて吐き出させようとしてたわね。あたしが平気な顔してるのを見てマルティナさんは自分でも食べて、途端に苦しみだしたのよね。慌ててキュアポイズンで解毒してあげることになったんだっけ。あのことが無かったら、あたしきっと自分が毒耐性あるなんて思いもしなかったわね。その流れで瑶さんにも毒耐性があるってわかって、最初の1カ月に食べたものにきっと普通の人だったら死んじゃうような毒物もあったかもって怖くなったり笑ったりしたのよね。

 

「さて出来た。これでお昼のお弁当まではできたから、今日はしっかり護衛のお仕事できそうね」

「あ、アサミ様。できたのですね。片付けとお運びは、わたしがさせていただきます。アサミ様は少しでもお休みください」

 

マルティナさんが、そういって、出来上がった朝ごはんと、お昼のお弁当、それに夕飯用に分けたパンまで仕分けをしてそれぞれを持って行ってくれた。出来上がってすぐに来てくれたってことはずっと見ていたのかしら。でも、何か嬉しそうにしてるのでお願いしてしまおうかしら。



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第90話 子供?大人?

「また盗賊って襲ってきそうですか?」

「うーん、多分もう盗賊は気にしなくていいと思うぞ」

「盗賊は?」

「ああ、そろそろ魔獣の領域に入るからな。ここからは天使ちゃんたちの専門の領域だな。ここまでだけでも3人の実力が飛びぬけているのは分かったけどな、ここからは特に期待してる」

 

村を発って4日目、盗賊についてフアンさんに聞くと、こんな風に言われてしまった。でも、正直言って盗賊相手とは言っても人間との殺し合いは心に来るので、できれば避けたいあたしとしても少しほっとしてしまった。

実際、魔獣は人間と違って難しい作戦とか使ってこないので探知魔法の扱いは楽なのよね。マナセンスの反応で強さを、マインドサーチでこちらへの敵意を主に見ていればいいので。夜だとヒートアイで地球でいうところの赤外線映像みたいに見えるのも役に立つわね。グラウンドセンスは地形がわかるし、穴に隠れていたり地面の状態や魔獣が動く時の振動がわかるから便利は便利だけど、有効性は少し落ちるのよね。

 

そして今は、探知魔法の練習を兼ねてマナセンスだけに魔力をつぎ込んでいる。この練習は結構効果があるみたい。本当にわずかずつだけど、それでもはっきりと探知範囲が広がっていることがわかる。街や村のような場所で安心して眠ることのできる夜は寝る前に魔力を全部使い切るようにして魔力枯渇に慣れる練習をしていた。その成果として今では魔法が使えなくなるほど魔力が枯渇しても気を失うほどのことはない、もちろん魔法は使えないけど、意識を失わなければ最低限、物理戦闘力は維持できるから。そして、その練習の副産物として、あたしの魔力量は急激に増加してきたのよね。今では変異種と戦った時の3倍はあるわ。それでも聖女専用といわれる最上位の聖属性魔法、パーフェクトプロテクション、パーフェクトシェル、リザレクションはまだ使えない。どれだけ魔力が必要なのよ。死が隣にいるようなこの世界、リザレクションは早く覚えたいのに。

 

ブチブチと誰にも聞こえない小声で愚痴をこぼしながら、探知魔法で周辺を監視し護衛として馬車についていっているけど、幸いにして次の中継点の村につくまでは魔獣は現れなかった。

 

「あたし達、護衛は初めてなんですけど、襲われる頻度ってこんなものなんですか?」

「いや、盗賊がこれまでの10日程度の旅程で2度も襲ってくるのは珍しいな。大抵は護衛なんて一緒に歩いているだけで戦うのはめったにないな」

「ということは今回は、運が悪いんですねえ」

 

あたしは思わずため息をついてしまった。

 

「いや、運というのとはちょっと……」

 

そんなあたしにフアンさんは気まずそうに口をはさんできた。

 

「え?何か理由があるんですか?あ、ひょっとして今回運んでいる荷物に特別価値のあるものがあるとか?」

「いやいや、そんなのじゃないぞ。そもそも価値の高いものを積んでいたとして盗賊がそんなもの知ってるわけないだろ」

「そっか、言われてみればそうですね。となると別に理由があるってことですか?」

「うーん、天使ちゃんにこんなこというのは少々憚られるんだが、今回は依頼主のマルタさんと天使ちゃんのふたりも女性がいるだろ?盗賊ってのは基本的に男しかいないからな。その色々と……」

「ああ、そういう。あたしみたいな子供を狙うってのは別にしても……。なんとなく把握しました」

 

あたしがそう言うとフアンさんはちょっと微妙な表情を見せたわね。

 

「いや、天使ちゃんのことを子供って対象外にする男はそういないから、気を付けた方が……、いや天使ちゃんなら返り討ちにできるか」

「え?あたしみたいな子供をそういう対象に見る変態がそんなに多いの?」

 

あら?またフアンさんが微妙な表情になったわ。

 

「天使ちゃん、自分の事を子供だって本気で思ってるの?」

「え?エルリックでも周りの人たちみんなが、あたしのこと子供って見てましたよ」

「エルリックでの周りってハンターギルドだよな?傭兵ギルドでは天使ちゃんは普通に対象にされてたぞ」

「それって単に普段会わないから想像の中のあたしを対象にしてただけじゃないですか?」

 

「中にはそういう奴もいたかもしれんが、ほとんどの傭兵は天使ちゃんのことを知っていたぞ」

「ほとんど?なんでですか?あたし傭兵ギルドとは、これまで接点ありませんでしたけど」

「天使ちゃん。あんた自分がエルリックでどれだけ有名だったか知らんのか?」

「ええ?そんなにですか?あたし達エルリックには半年足らずしか滞在してなかったんですけど」

 

「登録したその日に絡んできた6級ハンターを簡単に返り討ちにして、8級で登録し、あっという間に6級ハンターまで昇格、5級ハンターパーティ女神の雷が逃げ出したゴブリンとオークの変異種を討伐し、女神の雷からの嫌がらせをことごとく跳ね返した。そんなハンターなら戦闘職ならずとも気になるもんだ。それも天使なんて呼ばれる可愛い女の子だってんだからなおさらだな」

 

「でも、そんな様子感じられませんでしたよ」

「そりゃ大勢で大挙して行かなきゃ気づかないだろうさ。別に敵意をもって見るわけでもないからな」

「うーん、そんなもんですか」

「それに、天使ちゃん達にもメリットはあったはずだぜ」

「メリット?」

「例の女神の雷な、あいつらがエルリックの街中では手を出してこなかっただろ。ありゃ、傭兵ギルドのメンバーが入れ代わり立ち代わり近くに居たってのも大きいはずだ。ハンターですらない傭兵ギルドのメンバーが目撃者じゃあいつらもやりにくかっただろうさ。そんなわけで、傭兵ギルドのメンバーのほとんどは天使ちゃんの事を知ってたってわけだ。で、そいつらみんな天使ちゃんのことを子供だなんて言ってなかったぜ。若手の奴らなんか嫁にするとか張り切ってたぞ。まあヨウにべったりの様子見て俯いてにげてくるようなヘタレばかりだったたけどな。ワハハ!」



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第91話 それってワニって言わないかな

「ごちそうさま。いつも天使ちゃんの作ってくれる食事が美味すぎるな。なあヨウ、マルティナ、お前らっていつもこういうの食ってるってことだよな?」

「そうですね。エルリックで家を借りてからこっち朝未の作ってくれる料理を食べてますよ」

 

護衛を受けたマルタさんの目的地グライナーまであとおよそ3日となった夕食時、フアンさんが瑶さんとマルティナさんとおしゃべりしているわね。

 

「くう、こんな食事を毎日とか羨ましすぎる。戦えば並の傭兵じゃ10人がかりでも敵わないほど強くて、魔法も得意で、こんな美味い食事をつくれる可愛いくて天使と呼ばれるほどに優しい女の子。完璧じゃないか。傭兵ギルドのメンバーに嫁にしたいって思われてた以上だからな」

「へえ、傭兵ギルドでは朝未ってそんなに人気があったんですね」

「アサミ様の魅力を知れば、そうなっても不思議ではありません。むしろハンターギルドでの扱いが……いえ、あれはあれでアサミ様の魅力は浸透していましたね」

 

ああ、なんか3人であたしを褒め殺し?褒め殺しなの?顔を上げられないわ。

って、あら?拡大したマナセンスに反応があるわ。

 

「瑶さん、食事は匂いや音が出ます。盗賊ならあまり関係ないかもしれませんが、この辺りは魔獣が脅威らしいですから、一度見回りに行きたいんですが、一緒に行ってくれませんか?」

「っと、そうだね。一度しっかり見回りしてきた方がいいだろうね」

 

あたしの視線に事情をたぶん察してくれた瑶さんが、すぐに同意してくれてよかったわ。気づいてくれなかったらどうしようかと思ったもの。

 

「マルティナさんは、野営地の護衛をお願いします。魔獣相手の警戒は傭兵さんたちよりマルティナさんのほうが慣れていると思いますから。……一応ウィンドイヤーで聞いてますから、何かあったら呼んでください」

 

あたしは最後はマルティナさんだけに聞こえるように囁いて立ち上がる。

 

「わかりました。こちらの事はお任せください」

 

槍を構えてマルティナさんが頷いてくれた。

あたしは、そんなマルティナさんに笑顔で軽く手を振って”見回り”にでかける。そんなあたしの左斜め前を瑶さんが長剣を手に進んでいる。

 

「朝未、誘導頼むね。私の探知魔法では、まるでわからないから」

「はい、大丈夫です。あ、少し左方向です。距離はここからだとだいたい800メートル。数は5ですね。ただ、マナが結構大きいので少し手強いかもしれません」

「ふむ、具体的にはどのくらい?」

「そうですね、普通のオークの2倍までいかないくらいですね。今までの経験からするとマナセンスで感じるマナの大きさに強さは大体比例してた感じがするのでオーク以上ゴブリンの変異種未満と言った感じだと思います。戦力的には相性次第ですが、あたしと瑶さんのふたりなら対応できると思います」

「他には?」

「さすがに、この距離だとこれ以上はちょっと。もう少し近くなれば少しは分かると思います」

「わかった。もう少し近づいてからどうするか判断しよう」

 

あたし達は慎重に近づいていく。少しだけ風下側に回り込んだので遠回りになったけれど、距離が500メートルを切ったところで拡張したマナセンスとウィンドイヤーでの探知からグラウンドセンス、ヒートアイ、マインドサーチを追加した探知に切り替える。探知範囲が500メートルまで落ちるけど、情報量は増えるので探ってみるのにはいいのよね。そこで、いったん瑶さんの肩に手を置いて止まってもらった。

 

「相手は、おそらく4本足、地面への圧力からして1体あたり500キロくらいの体重、体重のわりに足音が小さいですね。知能というか言葉を使うかは分かりませんがとりあえず、あたしの理解できる言葉は口にしていません。あと敵意は結構強いです。放置すれば野営地を襲うと思います。」

「……。わかった、私と朝未で対処しよう。もう少し接近して目視で確認してから作戦を決めるということでいいね」

 

あたしの囁きに瑶さんが返してくれたのは予想通りの返事だったわ。あたしは小さくうなずいて探知魔法に意識をむけなおした。

 

慎重に近づきそろそろ目視出来そうな距離……、あ、もう日も暮れて暗くなっているのよね。あたしはヒートアイで普通に見えてるけど、瑶さんにはそこまで見えてないはず。うっかりしてたわ。

 

「瑶さん、そろそろ目視できる距離ですけど、暗いですよね。見えます?」

「ん?ああ、大丈夫だよ。朝未ほど上手じゃないけど、私も探知魔法使えるからね。ヒートアイだけ程度なら戦闘中にもできるさ。朝未みたいに全属性の探知魔法を常時展開なんてことはできないし、探知範囲も数十メートルで限界だけどね。ま、近接戦闘なら私のヒートアイでも間に合うから大丈夫だよ。ただ、ここからだとボンヤリとしか分からないな。いるのは分かるけど細かいところは分からない感じだね。なんか随分と背が低そうかなとはわかるくらい」

 

「そうですね、じゃあ、簡単に見た感じを説明しますね。見た感じは大きなトカゲですね。動きもそんな感じです。小さい物が全長3メートルくらい、大きい個体だと5メートル近い感じです。マナサーチの反応でも大きな個体ほど強そうですが、何倍も強い感じはありませんけど、あれがリーダーっぽいです。戦闘になればわかりませんけど、移動速度はそれほど速くはないですね」

 

「朝未、それってワニって言わないかな、ひょっとして」

「あ、言われてみれば。距離があって小さく見えたからですかね最初にトカゲって思っちゃったみたいです」

「しかし、ワニか。となるといつのも朝未の開幕ヘッドショットは難しいかもしれないな」

「え?別に距離的には当てられると思いますよ。特に皮が硬いとかだときついかもしれませんけど」

 

「ああ、いやいや。これは地球のワニの場合ではあるんだけどね。ワニの脳って10g前後しかなくて、大きさとしてはそれこそクッキーくらいの大きさらしいんだよ。だからさすがにね」

「あはは、それは無理ですね。当たったとしても運ですよね。となると、最初1体くらいをファイヤーアローで頭ごと吹っ飛ばすのがせいぜいでしょうか」

 

「そうだね。そのあとは剣で仕留めるしかないかな」

「とすると、近接戦闘では瑶さんお願いします」

「あはは、もちろん。あと朝未は魔法で牽制頼むね」

「はい、森の中なのでホーリーで弱らせてストーンミサイルとアイスランス使いますね」

 

激しく動いている戦闘中だと魔法も外れることあるから森の中での戦闘では土属性魔法か水属性魔法になるのよね。風属性だとちょっと戦闘向けの魔法はちょっと上級になるうえに効果も微妙だもの。それだったらホーリー使ったほうがマシね。

 

風下から接近したので気づかれることなく20メートルくらいまで近づけたわ。あたしは瑶さんと自分自身に補助魔法をかけていく。そして、

 

「いきますね。ファイヤーアロー」



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第92話 動物?

中央の大き目のワニの頭があたしのファイヤーアローで大きく抉れ、その個体はそのまま動かなくなった。

瑶さんが長剣を構え駆け出し、あたしは右手に短剣を持ち、そのまま魔力を練り上げる。

 

「ホーリー」

 

ホーリーは青い光でワニの群れ全体を覆うように発動した。発動したのは間違いないのだけど。

 

「え、動きが変わらない!!あ、いけない、アイスランス」

 

先頭のワニに向かった瑶さんに横から襲い掛かろうとしたワニにアイスランスを放つ。頭は外したけど背中に大き目の傷をつけることが出来た。あたしの放ったホーリーはそのまま青い光をたたえて存在しているのに動きが鈍らない。

なぜ?あたしの頭の中は疑問符でいっぱいになってしまったわ。

 

「朝未、今は検証している時じゃない。先に斃すよ」

「あ、は、はい」

 

あたしが呆けている間に瑶さんは、1頭のワニの頭を切り落としていた。けれど、そのすきに別のワニが大口を開けて瑶さんに襲い掛かってきてしまった。

 

「ストーンミサイル」

 

慌てて放った地属性魔法がワニの口の中飲み込まれ、とたんにのたうち回り始めたわ。慌ててたから狙いもいい加減だったけど、外側はある程度上部でも内側はお約束で柔らかいみたいね。

 

のたうち回るワニはとりあえず放置して瑶さんは別のワニに切りかかっている。

 

「うわ!」

 

突然のたうち回っているワニが振り回した尻尾が瑶さんの足元にたたきつけられたわ。瑶さんも見えていたみたいで危なげなくかわしたけど、ちょっとビックリしたわね。

 

「つっ、お前はこっちだ」

 

瑶さんは相手をしているワニに長剣を突き出し挑発して、のたうち回っているワニから引き離そうとしている。たしかにあんなのの側で戦っていたらいつとばっちりを受けるか分からないものね。あたしも魔法で援護をしないとね。

 

「アイスランス」

 

瑶さんの左後ろから魔法で援護をする。もう1頭、一番大きな無傷のリーダーっぽいワニも体をくねらせながら向かってくるわね。そちらにも牽制の魔法を放つ。

 

「アイスランス」

 

こちらは外れた。でもこっちに来ようとしていたリーダーワニが戸惑うように動きをとめる。

その間に瑶さんが、ワニの右前脚を切り飛ばした。

リーダーワニが動きを止めたのなら狙えるわね。あたしは一瞬ともいえるわずかな時間に練り上げられる魔力をかき集めて一番使い慣れた攻撃力の高い魔法を放つ。

 

「ファイヤーアロー」

 

その瞬間、リーダーワニがわずかに動いて避けようとした。そのせいで頭を狙ったファイヤーアローは少しずれてリーダーワニの頭の左側面を削るだけで終わってしまった。ダメージは与えたけど、残念ながら斃すには足りなかったわね。

 

でも、そのダメージで動きが鈍くなったみたい。

 

「瑶さん。あたしは向こうのリーダーワニを魔法で牽制します。そっちはお願いします」

「わかった。無理はしないようにね」

 

あたしは、リーダーワニを観察しながら瑶さんから離れた。あたしの魔法でダメージを受けたことをわかっているらしくその敵意はあたしに向いている。

 

あのワニ左目潰れてるかしらね。魔法でのダメージが微妙な位置だわ。

 

あたしは、どうにかしてリーダーワニの左側に移動しようとステップを踏むけれど、さすがに簡単に回り込ませてはくれないわね。

 

それでも瑶さんからは引き離せたから少しだけ引き付けておけば、瑶さんはすぐに今相手をしているワニを斃して来てくれるとは思う。チラリと瑶さんの背に目を向け、思いついた。

 

「瑶さん。目くらましにライトを使います。消えるまで、こっちを見ないようにしてね」

「あ、ああ、わかった」

 

あたしは瑶さんの返事を聞くとすぐに魔力を練り上げる。単にライトを発動させるだけなら、あたしは発動句さえ要らない。でも今回は違う。直接見たらしばらくは目が見えなくなるくらいの強烈な明るさ。発動時間は1秒もあれば十分ね。

 

「ライト」

 

目をつぶって、それでもあたし自身が直接見なくて済むようにあたしの頭の上、少し後ろ10センチくらいの位置に本当に短時間強力な光を発生させる。

ライトの魔法を消して目を開けると目の前のリーダーワニの動きがとまっていた。

急いでリーダーワニの左側に移動して魔力マシマシで魔法をはなつ。この距離で止まっているなら外さないわ。

 

「ファイヤーアロー」

 

今度こそ、あたしの放ったファイヤーアローがリーダーワニの頭を吹き飛ばした。これで止めと周りを見回したとき、”ドンッ”あたしの身体が強い力でふきとばされ、近くの木に打ち付けられてしまった。

 

「朝未!!」

 

あたしは何が起きたのか分からない中、瑶さんの慌てたような声が聞こえた。

 

「うっぐ」

 

身体の痛みに、うめき声がでる。何が起きたかは分からないけど、どこからか攻撃を受けたのはまちがいない。

 

「リムーブペイン」

 

まずは、リムーブペインで痛みを軽減した。

痛みに閉じていた目を開き、身体の状態を確認する。最初に目に入ったのは関節以外で曲がっている左腕。それに、この呼吸の苦しさは肋骨が折れているわね、ひょっとしたら肺に穴があいているかも。でも手も足も欠損は無い、これならエクストラヒールはいらないわね。

 

「ハイヒール」

 

おかしなところで曲がっていた腕がまっすぐになる。呼吸も楽になって、リムーブペインで消しきれなかったわずかな痛みもなくなった。

 

「朝未、大丈夫かい?」

 

残りのワニを仕留め終えた瑶さんが気遣わしげに声を掛けてきてくれたわ。

 

「はい、もう完全に回復しました。でもいったい何があったのか分からないです」

「リーダーワニが最後に尻尾を振り回したんだよ」

「え!!頭を完全に吹き飛ばしたはずだったんですけど」

「そこが、爬虫類の怖いところだね。他にも魚類もそうだけど。完全に死んだはずでも体の反射だけで最後にひと暴れをしたりするんだ。あの手の相手の場合は止めを刺したら離れないと危ないね。私も朝未に説明し忘れたのがいけなかった。ごめんね」

「い、いえ。あたしが油断したのがいけなかったので、瑶さんは悪くないです。それより、ホーリーが効かなかったのが気になります」

 

「それなんだけど、ひょっとするとこのワニって魔獣とか魔物じゃなくて動物なんじゃないのかな」

「え、でも、このワニたち明らかにあたし達に敵意を向けてきてましたよ。動物はそういうのじゃないって言ってませんでしたっけ?」

「正確には動物には”少ない”だね。このワニは人間に普通に襲い掛かる動物で、だからホーリーが効果なかったんじゃないかな。だから解体してみれば魔石もないんじゃないかな」



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第93話 焼肉?

「な、なんだこれは?」

 

あたしが朝食の支度をしていると、起きてきたフランさんが叫び声をあげた。でも、あたしは手が離せないのよね。瑶さんは、と見回した視界にはいないし。

 

「昨夜の獲物です。今はちょっと手が離せないので、説明は後にさせてください」

 

夜だったことと、野営地の護衛のことを考えて、あたしたちはワニの解体は現地では諦めたのよね。一応血抜きだけはしておいたけど。なので今この野営地にはかなり大きなワニの死体が5体横たわっている。重量的に持ってくるのは無理かなって思ったのだけど、あたしと瑶さんの身体が思ったより高性能になっていて引きずってくる分には平気だったのよね。10代の乙女としては自分の力に現実逃避したくなったのは秘密なのだけど。事実としてあたしは1体だけでも数百キロはあるだろうワニの死体を野営地まで楽に2体引きずってきてしまった。瑶さんにいたってはリーダーワニを含めて3体を引きずってきたのだけど、あれは1トンを超えているわよね。

 

 

 

 

「それで、あれは?フォレストクロコだよな。どうしたんだ?」

 

朝食の準備がだいたい終わったところで、マルティナさんが片付けを引き受けてくれているので、あたしの手が空いているのをいいことにフランさんとマルタさんが聞いてきたわね。

 

「昨夜、あたしたちが見張りに立っているときに襲ってきたワニですね。少し離れた場所で斃したんですけど、魔獣じゃなさそうだったので食料にでもならないかなと思って持ってきておいたんです。あれフォレストクロコって言うんですか?」

 

「知らずに2人で戦ったのか。5頭相手に?こいつら普通の個体でもオークより手強いっていうし、このでかいのリーダーだろ?よく勝てたな」

「でも、ハイオークよりは弱かったですよ。あたしの魔法も瑶さんの剣も普通に通りましたから」

 

「さすがにハイオークと比べるのは……。さすがはクリフに3人で行こうってだけはあるってことか」

 

ん?クリフに行くのってそんな風に言われるようなことなのかしら。

まあ、行くことは決まっているんだから、行けば分かるわね。

 

「そんなにいうほど強いんですか、このワニ?」

「強いはずだな。俺たちは傭兵なんであまり相手をすることはないが、1頭あたり5級以上のハンター1パーティであたるのが当たり前だと聞くぞ」

 

そんなに強かったかしらね。それよりも今は、このワニが食べられるかどうかよ。

 

「それで、このワニ、フォレストクロコですか?これは食料になりますか?」

「ん、ああ。高級食材だぞ。とは言っても全部が全部食べられるわけじゃない。内臓や頭はほぼ食べられない。骨も使い道がない。実際に食用肉になるのは全体の半分といったところだろうな。それでも、この量だと……」

 

5体でおそらく2トン近いワニの死体。食用になるのがその半分程度だとしても約1トン。うん、とても食べきれるものではないわね。内臓は食べられないというのは腐りやすいからだと思うのだけど。とは言っても何でもかんでも口にするのはちょっと気が引ける。それでも肝臓と心臓は試してみたいわね。もし毒があっても、あたしや瑶さんなら平気だと思うし、マルティナさんなら、何かあってもあたしが治療すればいいもの。

となれば、少なくとも1体は朝食前に解体してしまいたい。いえ、むしろ朝食用に使うのがいいわね。

 

 

 

「今日は、昨夜襲ってきたフォレストクロコのステーキをつけてみました」

 

「アサミ様。アサミ様とヨウ様、それにマルティナ様の前にあるのはステーキだけでないようですが」

 

マルタさんが目ざとくあたしたちの前の皿の料理について聞いてきたわね。

 

「あー、これは。フォレストクロコの肝臓と心臓を少し焼いてみたんです」

 

レバーとかハツとか言ってもわからないだろうとこういう名前で説明したけどわかるかしら。

 

「え、それは……。食べることができるのでしょうか?」

「それは、実はわからないんです」

「わからないものを食べるのですか?」

 

マルタさんの目が見開かれた。

まあ、そうよね。この世界の医療レベルだと、何かあったらそのまま死んじゃうだろうし。

どう説明しようかしらね。

 

「わからないと言っても、予想もつかないというわけではないので」

 

あら、マルタさんが首をかしげて不思議そうな表情になったわね。多分大分年上だと思うけど、こういう顔をするとかわいらしいのよね。っとそうじゃなくて今は説明よね。

 

「肉は普通に食べられていますので毒は多分無いだろうなと思うんです。それでいて内臓はほぼ食べられないといわれたので、おそらくは街に持ち込むまでに内臓は傷んで食べられない状態になってしまうのではないかと思うんです。となれば、フォレストクロコを狩った人も無駄に重荷になる内臓は捨てるようになって、普通は食べられない、という話になったのだと予想したんです。ですが、ここでなら新鮮な状態で食べられますから、食べてみようかと……」

 

あたしの説明にマルタさんの視線が瑶さんに向いたわね。

 

「私達は、食べ物について朝未を信頼しています。朝未が大丈夫と言えば試すのはやぶさかでないですね」

 

あ、瑶さんその言い方はちょっと違うでしょう。あたしと瑶さんはちょっとくらいの毒なんか平気だっていうのが前提なのに。

 

「そうは言っても、普通は口にしないものとなれば皆さん抵抗があると思いましたので、これはあたし達だけで試そうと思ってこうさせていただきました。もちろんご希望があれば同じものを準備できます。ほかの肉と違って量は限られますけど」

 

あたしの言葉に納得した顔のメンバーを見て、あたしは、まずはレバーを試す。うん、美味しい。変な感じも無いので毒もなさそうね。見ると瑶さんもマルティナさんも美味しそうに食べているじゃないの。次はハツを口に運んでみる。うんこっちもコリコリした食感がいいわね。味も美味しい。

 

「あ、あの、俺たちにも焼いてもらえるかな?」

「ええ、いいですよ」

 

最初に言ってきたのは貫く剣のみんな。塩とハーブで味付けをしたレバーやハツを美味しそうに食べてるわね。

うんやっぱり美味しいは正義だわ。



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第94話 後方拠点(?)グライナー

結局マルタさんまで含めて全員で美味しくいただいて楽しい朝食だったわ。あとは、この大量のフォレストクロコの処理よね。

 

「それで、マルタさん。このフォレストクロコ、全部とは言いませんが買っていただけませんか?私達だけで食べるには量が多いですし、私達はグライナーからクリフに移動するので荷物もあまり増やしたくないという事情もあるもので、引き取ってもらえると助かります」

「そう、ですね。中々の高級食材ですし買取したいのは山々なのですが馬車の空きから言って1体が限界です、すみません」

「そうですか。まさかグライナーまで引きずっていくわけにはいかないから、残りは埋めるしかないな。朝未、ちゃちゃっと穴掘って埋めよう」

 

あたしは瑶さんに協力してもらってマルタさんに引き取ってもらう1体を解体したうえで、初級水属性魔法”フリーズ”で氷漬けにした。魔法の氷は溶けにくいから、これでグライナーまではもつと思う。ここで、ふっと思いついて残りのワニの肝臓と心臓だけ取り出して氷漬けにして自分たちの荷物にしまっておいた。美味しいは正義。

 

もろもろの片付けを終えて、あたしたちはグライナーまでの最後の1日を馬車の横で歩く。さすがにこれだけ人の住む領域に近い街道だと襲われにくいらしく、その日は特に何もなくグライナーに到着できた。

 

「みなさんお疲れ様でした。今回は盗賊に2回、野獣に1回襲われ、普通より危険の多い旅程でしたがみなさんのおかげで無事にここグライナーに到着できました。また機会があればよろしくお願いしますね」

 

マルタさんのねぎらいの言葉と依頼書へのサインをもらって、あたし達の20日にわたる初の護衛依頼は終わった。

 

 

 

「朝未、ホッとしているのは分かるけど、先にギルドに行くよ。そのあとで、とりあえず今日の宿を取ろう。マルティナさんはもう準備できてるよ」

「はーい」

 

見れば、瑶さんもマルティナさんも、もう荷物の入ったリュックを背負っているわね。あたしも自分のリュックを背負って瑶さんの横に並んだ。

 

「ね、瑶さん。宿はギルドで紹介してもらえば早いですよね」

「そうだね、そうしようか」

「クリフに向かうのは2,3日。休養をとってからにしたほうがよろしいかと思います」

 

あたしと瑶さんが、話しているところにマルティナさんが提案してきたわ。マルティナさんが、こんなふうにあたしと瑶さんの話に割り込んでくるのは珍しい。

 

「おふたりが、とても強いのは分かっております。それでも慣れない護衛で精神的な疲れはあるのではないでしょうか。資金的にも困窮しているわけでもありません。特に急ぐ旅でもないなか、安全のためにも休息をとることをお勧めします」

 

あたしは特に疲れを自覚してなかったのでちょっと首を傾げたけど、このあたりはマルティナさんの方が、あたしや瑶さんより経験を積んでいるからその方が良いのよねきっと。そう思って瑶さんに目を向けると目があったので、お互いに苦笑しながらうなずいて、マルティナさんの提案をうけることにした。

 

 

まずは、ハンターギルドに向かった。途中街の様子を見ていくと、田舎と言われる割には大きな街で、領都エルリックには当然及ばないけど色々と賑わっている感じがした。

 

「ハンター向けの店が多い気がするかな」

「そうですね。武器防具も質の高い物が多いように見えます。食料品は携行食料向けが多いようですが、これもハンター向けと考えれば納得ですね」

「このグライナーはクリフの後方拠点的な街ですからね。ハンター向けの店が多いんですよ」

 

あたしと瑶さんが感想を言い合っていたら、マルティナさんが説明をしてくれたわ。でもわざわざ後方拠点?そんな街があるのね。そこから街を見物しながら、ギルドにむかった。

 

 

 

しばらく歩くと、街の規模のわりにこじんまりとしたハンターギルドの建物をみつけ中に入る。

時間が中途半端なせいかギルドの中はがらんとしていたので適当に受付カウンターに向かう。

 

「こんにちは」

「はい。いらっしゃいませ。どのような御用でしょうか?」

「護衛でこちらまで来た。依頼達成の確認と宿の紹介を頼む」

 

受付のお姉さんに瑶さんがそう言ってマルタさんにサインをしてもらってある依頼達成の書類を渡している。

 

「はい、確かに。すぐに報酬を準備しますので、そちらで少々お待ちください」

 

あたし達は、言われたように隅にあるベンチに並んで腰を下ろした。

 

「ね、マルティナさん。ここのギルドって街の規模のわりに小さく見えるんですけど、ってあたしはエルリックのギルドしか知らないんですけど。こんなものなんですか?」

「いえ、ここは……」

 

ちょっと考えるようなそぶりを見せたマルティナさんの説明によると、このグライナーという街は少し前まで魔獣の領域との最前線だったそうで、今はその役目を、あたし達がこれから向かうクリフに引き継いだそうなのね。それで比較的安全になった関係で人が増えて街は大きくなったけど、ギルドの仕事はちょうど一般のハンター向けに切り替わっている途中ってことでこんなふうなんだって。え?ってことはクリフって魔獣の領域との最前線なの?

 

「ね、マルティナさん。マルティナさんが拠点の変更先にクリフを勧めたのは?」

「おふたりが力をつけたいと言われていたのでちょうど良いかとおもったものですから」



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第95話 装備

「つまり、クリフってところは魔獣の領域との境界で、人の領域ではめったに見かけない魔獣や魔物がうろついていて、上級ハンターがゴロゴロしてる町だってことですか」

「ゴロゴロっていうのは言い過ぎですけど、そうですね、多分他の街よりは多いと思います」

「例えば1級ハンターがいたりとかするんですか?」

「さすがに1級ハンターはいませんでしたけど、3級ハンターは確か1人、ほとんどが5級ハンター以上で、4級ハンターもかなりいましたね」

 

マルティナさん、随分とクリフについて詳しいわね。ひょっとして?

 

「マルティナさん、ひょっとしてクリフに居たことがあるんですか?」

「……ええ、5級ハンターになった直後に少しだけ」

 

なんか少し訳ありぽいわね。これ以上は聞かない方がいいかしら。何か他のことに話題を変えた方がいいわね。

 

「魔獣や魔物がいるとは言っても人の領域よね。ってことは、クリフでのハンターのターゲットはゴブリンやオーク?ひょっとして変異種も?」

「もちろんゴブリンやオークもいますし、日常的に変異種も現れます」

 

え?あれが日常的に?

 

「アサミ様達とお会いした時のオークの変異種は特別です。あそこまで強い変異種はめったに現れません」

 

あたしの表情から読んだのね。そりゃあれが日常的に現れたら大変よね。それとも上級ハンターなら平気なのかしら。

 

「その言い方だと偶には出るのね。あたしのホーリーで弱体化させて補助魔法で強化した瑶さんでも大けがしたのに上級ハンターはあれを普通に斃せるの?」

「ヨウ様の場合、実力不足というより武器が追い付いていないのではないかと思います。アサミ様もそうですが、おふたりの使っている武器は、初心者には悪い物ではありませんが、決して高級とは言えないごく普通の数打ち鉄の剣です。クリフで活動しているハンター達はもう少し高級な、言い換えれば高性能な武器を使っています。重くなるので力と技術は必要ですが、それだけの効果はあります。おふたりなら十分に使えます。そうすればあれくらいなら十分に戦えるようになるでしょう。それに単一パーティーであれと戦えるのは4級以上の一部だけですよ」

 

そっか、てっきり高性能になったあたし達の身体より強い人たちがいるのかと思ったのだけど、武器が違うのね。

 

「えと、マルティナさんから見て、あたし達ってどのくらいの強さに見えますか?」

 

あたし達はこれまで上位ランクのハンターをほとんど見たことが無いのよね。唯一の例外があのクソ5級パーティーだもの。それ以外は単独か、格下パーティーとしか一緒に活動してこなかったから。

 

「そうですね……。単独での戦闘能力という意味であれば、現時点ではヨウ様が4級下位、アサミ様は5級上位といった感じでしょうか。でも、おふたりが揃ってアサミ様の魔法を加味するとパーティーとしての戦力は4級上位パーティーに近い戦力かと思います。また、対魔獣、対魔物の場合、アサミ様のホーリーがありますので更に1段上と考えてよろしいかと」

 

「となると、強い武器を手に入れる必要があるってことですね。でもそういう武器って高いですよね」

「高いですね。今すぐ手に入れるのはちょっと難しいくらいに」

 

高いとは言っても手に入れないという選択はないわね。あたしは魔法があるから瑶さんの剣を優先かしら。あ、そういえばマルティナさんの槍。

 

「ね、マルティナさんの槍はどのくらいのものなの?」

「わたしの槍ですか?」

「あたし達の剣が弱いことは、わかったわ。そしたらマルティナさんの槍も強い槍にしないと」

「わたしの槍はクリフの最前線で敵を斃すには少々ものたりませんが、クリフ周辺の浅い場所でなら十分な力があります。それに今のわたしの役割は中衛での牽制が主ですので当面は使えます。そしてアサミ様は後衛職で魔法での攻撃とサポートが主ですよね。ですからまずはヨウ様の武器防具から強化していくのが良いと思います。ただアサミ様も割と前に出られることが多いのでアサミ様の装備も早めに整えたいですね。本当は後衛職らしくもう少し後ろでサポートに徹していただきたいのですが……」

 

「うん、瑶さんの装備強化を最優先はあたしも同意見ですね。でもあたしは純粋な後衛職じゃないですよ。それなりに剣でも戦ってますよ。エルリックにいた頃傭兵ギルドでの模擬戦で全勝したの覚えてますよね」

「う、分かってます。本当にアサミ様、後衛職なのにあの近接戦闘力はどうしたものなんですか?」

「どうと言われても。出来るものは出来るとしか。それに前に出てもやってることは瑶さんのサポートですけどね」

「普通はあれをサポートとは言わないんですけど……」

 

「とにかく、優先順位としては瑶さんの装備の強化を第1に、次にあたしの武器かしら?」

 

「待った。私の装備よりも朝未の防具を優先するよ」

 

あたしとマルティナさんの話に瑶さんが口を挟んできたわね。

 

「え?ダメよ瑶さん。一番前で戦う瑶さんの装備が一番重要じゃないですか」

 

そんなあたしの言葉に瑶さんは首を横に振った。

 

「私が安心して戦えるように朝未の防具を良い物にしてほしいんだよ」



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第96話 高い

「それで装備の強化をするとして、当然お金が必要ですよね。マルティナさん、どのくらいのお金があればいいかわかります?」

「それは……。ピンキリとしか」

「あ、まあ当然そうですよね。とりあえず、現実的なレベルでどんなものがあるかからですかね」

「わたしは槍使い中衛なので、それ以外の装備に関してあまり詳しくはありませんが、アサミ様の防具に関してはまず今使われている軽量な鉄の鎖帷子を最低限ブルーストーンベースのものに変更すべきと思います。そのうえに後衛の場合通常はローブなどの軽量な布装備を使うのですが、アサミ様はその、若い女性としては非常に体力がおありですので、鎖帷子の上に魔獣素材を使ったハードレザーの軽装部分鎧を。その軽装部分鎧も要部にブルーストーンの補強が入ったものが良いでしょう。アサミ様は攻撃魔法も使えますので武器は当面そのままで、余裕ができた時点での変更といったところでしょうか」

 

あら、さすがにあたしの身体が高性能なことにも気づいているのね。そりゃそうか。これだけ一緒にいれば気付くわね。もうひとつ魔獣素材のハードレザーって、魔獣って素材になるの。

 

「それで、その装備を整えるのにどのくらいかかりそうなの?それに魔獣素材って」

 

あ、あたしがお金の話をしたとたんにマルティナさんの目が泳いだわね。これは相当に高いってことよね。

 

「おそらく、ブルーストーンの鎖帷子が100から150万スクルド、軽装部分鎧が150から200万スクルドといったところだと思います。魔獣素材に関してはエルリック周辺ではゴブリンやオーク、スリーテールフォックス、まれにナインテールフォックス程度でしたからね。あれらでは一般向けの素材にしかなりません。もう少し上位の魔獣・魔物の皮や骨、牙、角といったものは武器防具の素材になるんです。なので討伐報酬以外にも素材売却での収入も期待できます」

「うわ、結構な値段だし、まさか討伐報酬以外にそんな収入減があるなんて。でもそういった強い魔獣や魔物を斃せるようになってからよね」

 

合計で250から350万スクルドって日本円で500万円以上ってことじゃないの。高級車が買えるわ。エルリックでは稼いでいた方だと思うけど、さすがに半年程度じゃこんな蓄えはないわ。売り物になる魔獣や魔物については装備がそろってからよね。

 

あたしはため息をついて瑶さんの様子をうかがう。そっとうかがったつもりだったのだけど、瑶さんと目が合っちゃったわ。

 

「え、えと。瑶さん。どうしましょう?」

「クククッ。お金が足りないのはどうしようもないからね。とりあえずは現状の装備でできることをするしかないね。マルティナさん、クリフの周辺の浅い場所なら現状の装備でもどうにかなるんじゃないかな?」

「そうですね。クリフ周辺ならフォレストウルフ、グレーボアあたりの魔獣かゴブリンやオーク、たまにオーガに単体で出くわすくらいですから、おふたりならよほどまで対応できると思います。ハイディング持ちもほとんどいないですしね」

 

瑶さんに笑われちゃった。でも、それしかないわよね。それにしてもマルティナさん、以前いたことがあると言うだけにクリフについて詳しいわね。それと最後に気になる言葉があったわね。

 

「あの、マルティナさん。ハイディングって気配を消すってことであってますか?」

「はい、その通りです。クリフの周辺では少し奥に入るとシークキャットやハイディングバイパーといった待ち伏せを得意とする魔獣もいます。奥に入っていくには、その対応ができるようになるまではハイディングを見破ることのできるハンターと組むのがセオリーですね」

 

ハイディング。あたしの探知魔法で見つけられるかしら。いえ、これはその領域に足を踏み入れるときになったところで確認すればいいことね。それでもこのあたりの情報はマルティナさんともそろそろ共有しておいた方がいいかしらね。

 

「マルティナさん。実はあたし、全属性の探知魔法が使えるの」

「え?全属性ですか?」

 

やっぱりそこまでは気付いてなかったみたいね。

 

「ええ、それも探知距離が500メーグ程度であれば全属性で同時にね」

 

正確には分からないけど、この世界での距離の単位メーグは1メーグが大体90センチくらいなのよね。面倒だから1メーグを1メートルとして話しているのだけど、この程度の違いは大したことじゃないからいいわよね。

 

「それで、質問なんだけど、ハイディングって探知魔法をだませる?」

 

実はずっと疑問だったのよね。もし、探知魔法から隠れられないなら探知魔法ってぶっ壊れスキルって言えるもの。



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第97話 マジックバッグ

結局、探知魔法を無効化できるハイディングがあるのかどうかは分からなかった。マルティナさんもそこまでは知らなかったのよね。瑶さんも一緒に話した予想では熟練度とか込める魔力とかそういったもので隠れているがわと探知する側のどちらが上回るかで決まるんじゃないかと思うのだけど。

 

「護衛依頼達成報酬の準備ができました」

 

そんなことを話していると依頼達成の処理を終えた受付のお姉さんが声をかけてくれたので、瑶さんが腰を上げた。

 

「こちら報酬の200万スクルドです。ご確認ください」

「……確かに受け取った。ついでと言ってはなんだが、宿を紹介してほしい」

「ハンターギルドからご紹介できる宿はいくつかありますが、どのような宿をご希望でしょうか?」

「そうだな、防犯を優先に、あとは食事が美味ければ言うことはないな。食事に関しては自炊ができるのでも構わない。……な?」

 

最後はあたしへの確認ね。なのであたしは頷いて同意をする。当然、というかキッチンがあるなら色々とやってみたいわ。フォレストクロコのレバーやハツを含め冷凍したお肉を持っているもの。このグライナーって街もそこそこの規模だからハーブや調味料も探してみたい。それに馬車で20日も移動したのだものエルリックになかった食材も少しは期待したいわ。この世界だと魔法が使えて食材を冷凍保存できたり、時間停止機能付きのマジックバッグを持っているお金持ち以外は生鮮食品は現地でしか手に入れられないもの。美味しいものがあるといいなあ。

 

「ありがとうございました。行ってみます」

 

受付のお姉さんから宿を聞いた瑶さんがカウンターから離れたので、あたしとマルティナさんもついていく。というか、マルティナさんってこういう時には自然とあたしの斜め後ろに控えるような位置でついてくるのよね。ハンターの仕事をするときにはあたしの前に出てくれるのだけど。まあ理由は分かるけど、普通にしてほしいわ。

 

紹介された宿は『囁くペリドット』という名前の中世ヨーロッパ風でちょっといい雰囲気の宿。

 

「ハンターギルドで紹介されたんだが、3人泊まれるか?できればキッチン付きの部屋があればなおいい」

「はい、大丈夫です。2部屋でしょうか?」

「1部屋で」

「え?」

 

即言い放ったのはマルティナさん。2部屋にするとあたしと瑶さんが1部屋でマルティナさんが1人になるので気にするのよね。受付のおじさんは、別の意味にとったんだと思うけど。瑶さんへの風評被害は我慢してもらいましょ。

 

 

 

 

部屋を確保したあたし達は買い出しを兼ねてグライナーの街を散策している。

 

「あ!!」

 

あたしは魔道具屋で古ぼけたリュックを見つけて驚きの声を上げてしまった。

 

「瑶さん、瑶さん、これ見てください」

「うん、ずいぶんとくたびれたリュックだね。それがどうかしたのかい?」

「これマジックバッグですよ」

「え?あ、本当だマジックバッグって書いてあるね。値段は20万スクルド?えらく安いじゃないか。店主に聞いてみようか」

 

 

「ああ、それは容量増加だけのマジックバッグだからだ」

「?それでも役に立つのでは?」

「いや、嬢ちゃん。そのサイズで1000グルもあってみな。運ぶことなんかできないだろう。それでも保管場所代わりにはなるからってことでその値段だ」

 

確かに1000グル、約500キロもあったら普通なら運ぶにはフォークリフトが欲しいわね。でも今のあたしや瑶さんなら運べそうな気はする。問題はそんな重さにこのリュックの肩ベルトがもつかってことなんだけど。

 

「ね、おじさん。この肩ベルトってそんな重さでも切れないの?」

「ん?ああ、そのあたりの強度は大丈夫だぞ。魔法の素材でな無駄に強度があるんだ。まあそんな強度持たせても誰が運ぶんだって話なんだがな」

 

ガハハと豪快に笑うおじさん。あたしは瑶さんとアイコンタクトをすると。

 

「買います」

「嬢ちゃん、話は聞いていたかい?容量こそ、この店いっぱいより大きいが軽くなるわけじゃないんだぞ」

「うん、大丈夫ですよ」

 

これはあたし達のためにあるようなマジックバッグよね。買わない理由がないわ。

 

 

 

 

「あ、このハーブいい香り。……あ、こっちのは、なんとなく醤油っぽいにおいがする。ねえお姉さん、こっちの調味料って味見できませんか?」

 

マジックバッグが手に入ったのをいいことに、あたしは食料品を買い込んでいる。小麦っぽいものも何種類か。今まではパンしか作ってこなかったけど、醬油っぽい調味料が手に入ったのでうどんあたりにも挑戦してみたい。醬油っぽいのはちょっとにおいに癖があるから多分魚醤ね。ちょっと高かったけど香辛料も何種類か。

 

「なあ、朝未。朝未がそれ担ぐの平気なのは分かるけど、ほどほどにしておかないと宿の床が抜けるぞ。それにあそこの奴は嫌な目つきで見てるの気付いてるかい?」

「はーい、このトウモロコシっぽいのまでで我慢します」

 

瑶さんに注意されちゃったわ。でも変な目つきって……、あらあれって犯罪者の目つきね、クフフ、ちょっと脅かしてやるのもいいかもしれないわ。

 

あたしは、マジックバッグを片方の肩に掛けて店を出た。

 

「今日は良いものが買えましたね」

「まあ、朝未の気持ちもわからないではないけど、ほどほどにね」

「わかってますよ。でもこんな機会中々あるものじゃないですから」

 

そんな雑談をしながら宿に向かって歩いている。そしてちょっとした路地に入ったところで後ろからさっきの不審者がマジックバッグに手を伸ばしてきた。

 

”ドスン”

「グエッ」

 

重たい音に続いてカエルが潰れるような声が続いた。

 

「何をしようとしたのかしら?」

 

あたしは笑いを堪えながらマジックバッグをお腹に乗せて動けなくなっているそいつに声をかけた。

 

「あ、が、た、たす、げ……」

「あたしは、あなたが何をしようとしたのかって聞いてるんですけど。まあ予想はついてますけどね。マルティナさん街の衛兵さんを呼んできてくれませんか」



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第98話 クリフ到着

「つまり、お嬢さんが肩から下げていたカバンをこいつがひったくろうとした、いえ、実際にひったくり、そのカバンの下敷きになって動けなくなっていると……」

 

衛兵さんをマルティナさんが呼んできてくれたのだけど、随分と困惑しているわね。

 

「そ、んな、ごと、いいが、ら、たず、げで……」

 

あら、まだしゃべる元気あるのね。あたしが知らない顔していると衛兵さんがバッグのベルトに手を掛けて、驚いた顔をしているわね。

 

「あ、あの。本当にお嬢さんがこのかばんを肩に掛けていたのですか?」

「そうですよ」

 

衛兵さんが聞いてきたので、ひょいっと持ち上げて見せる。と、とたんにひったくり犯が逃げようと動き出したのでポトンと落としてやったわ。

 

「グエッ」

 

数百キロの重さにつぶされていた割に元気ね。一般人じゃないのかしら。でも逃がすわけないじゃない。

 

「わかっていただけました?」

「は、い。か、く、に、んしま、した」

「じゃ、あとはお任せしますね」

 

にっこりとあたしが言うと、衛兵さんがカクカクと古いロボットのようにうなずいてくれた。

 

 

 

そんなおもしろおかしいアクシデントはあったものの3日ほど休養をとったあたし達はグライナーを離れ、クリフに向かっている。

あ、例のひったくり犯はハンター崩れだったらしいわ。中途半端に身体が丈夫だったのはそのせいらしいの。

 

 

クリフへの街道を歩いているのだけど当然探知魔法は展開しているの……。

初日は良かったの、何事もなかったし。

でも2日目からは街道を歩いているだけなのに探知魔法にひっかかる魔獣がではじめ、3日目の今日はそれの多い事。しかも街道を歩いているのに襲い掛かってくるのだものビックリよね。まだ、低位の魔獣ばかりなのでサクサクと斃して討伐証明部位だけ取っているのだけど、これだけでも結構な稼ぎじゃない?

 

「グライナーから3日離れるだけでこんなに違うのね。街道から離れないでも、これだけ魔獣が出てくるのならクリフって稼ぎやすそうですね」

「アサミ様、これを稼ぎやすそうと言えるハンターはあまりいませんよ。まあ、クリフにいるハンターはそっち側の人たちではありますけど」

 

マルティナさんが苦笑しつつ口をはさんできた。でも、索敵もなにも街道の周りなら小さな茂みくらいはあっても森の中のように群れで不意打ちされる危険性はほぼ無いのだから、低位魔獣ならどうにでもなるとおもうのだけど、そう思ってあたしはコテンと首をかしげる。

 

「そっち側?」

「一応言っておきますけど、低位魔獣とは言えおふたりのように鎧袖一触で斃せるハンターは少ないですからね」

「そうなの?でもそう言いながらマルティナさんもサクッと斃してますよね」

「いえ、わたしの場合は、アサミ様の補助魔法のおかげという面が大きいですから」

 

当然ながら無駄に怪我したり時間を使っても意味がないので、あたしは各種補助魔法を切らさないようにしている。

 

「うーん、テンプレなら、このあたりで貴族の馬車が襲われてたりするんだけど、そういうのはないわね」

「それはミーガンさんで消化したんじゃないの?それに朝未が貴族につかまりたくないからこうして目立たないようにしながら力をつけてるんでしょ」

 

そうだったわ。最近楽しくなっててうっかりしてたけど、この世界で使いつぶされないようにするためにこうしてるんじゃないの。

 

「う、瑶さん、ごめんなさい。最近こうしているのが楽しくなってきてて調子にのりました」

「ふふふ、朝未が元気でいてくれるのは私も嬉しいから、そこは良いよ。ただ、王宮や神殿から目を付けられないようにということだけは忘れないようにね」

「はい、気を付けます」

 

 

 

 

しばらく歩いていると探知魔法に反応があったので、気にしているとハンターがいた。

 

「あら?瑶さん、あそこでゴブリン狩りをしているパーティーがいますね」

「お、本当だ。さすがにあっさりと斃していってるね」

「あれは、街道周辺の魔物掃除ですね。クリフのハンターには定期的に、ああいった街道近くに出没する魔物を掃除することが義務付けられているんです」

「義務ですか?」

「ええ、ハンターだけならそれほど気にすることはないのですけど、物資の輸送やクリフに訪れる商人が強い魔物に襲われすぎないように間引きしているんです。魔物に勝てても物資が届かないとクリフという町が成り立たなくなりますからね」

 

マルティナさんが説明してくれたクリフならではの事情に納得しつつ、戦っているハンターパーティーを横目にクリフへの街道を進む。グライナーを出て5日目、城壁だけは立派なこじんまりとした町にたどり着いた。

 

「へえ、ここがクリフなのね。町の大きさの割に城壁は立派なんですね」

「アサミ様、それはここが魔物や魔獣との戦いの最前線だからです。このくらいの壁がないと町中でも安心して暮らせないんです。クリフには腕の立つハンターが大勢いますが、ハンターも人間ですから、休息が必要ですからね」

 

そんなマルティナさんの説明を聞きながら町の入り口の門で中に入るために門番にハンター証を見せた。

 

「ふん、6級ふたりに5級ひとりか。死なないようにな」

 

やっぱりクリフでは6級はそういう位置づけなのね。

 

「ま、とりあえずギルドに行こうか」

 

瑶さんに促されて、あたし達はハンターギルドに向かった。

 



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第99話 マルティナの事情

マルティナさんに案内してもらったハンターギルドはややこじんまりしているもののしっかりした作りの建物だった。

 

「いらっしゃいませ。ハンターギルド、クリフ支店へようこそ。わたしパオラと申します。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

受付のお姉さんが明るい声で対応してくれるのはどこのギルドでも一緒ね。

 

「これから、ここを拠点にしようと思う。私は瑶だ。後ろにいるのはパーティーメンバーの朝未とマルティナ」

「え、マルティナ?」

 

パオラさんの驚いたような声にマルティナさんが照れくさそうに前に出てきた。

 

「久しぶりね。パオラ」

「ほ、本当にマルティナなの?」

「たった1年で友人がわからなくなるほど薄情じゃないわよね」

「生きていてくれたのね」

「この通り5体満足よ。アサミ様とヨウ様、おふたりのおかげでね」

 

パオラさんがカウンターから飛び出しマルティナさんに抱きついて泣き出してしまったわ。

過去に何かあったのは察せられるわね。ひょっとしたら、あのクソハンター絡みかしらね。

 

 

 

朝晩の混雑する時間でこそないけれど、ギルド内にはそこそこ人がいる。気付くとあたし達は注目の的だったの。ちょっとこれは何とかしたいと瑶さんに視線を向けるけど、泣いて抱き合っている女性2人に対して男の人としては対処に困っているようね。

 

「あ、あの、再会を喜んでいるところ申し訳ないのだけれど、場所を変えませんか?ほら周りの目とかもありますし」

 

困りながらも、瑶さんが間に入ってくれた。

 

「あ、申し訳ありません。こちらへ」

 

そういうと、パオラさんは、あたし達3人を奥の部屋に入れてくれた。

 

「マルティナ、本当によく生きていてくれたわね。あの時ほど自分に力がないことを悔やんだことはなかったわ」

「いえ、今となっては、あれがあったからこそアサミ様とヨウ様に出会えたとも言えるので、気にしないで」

「でも、その2人は6級なのでしょう?」

「それは単に活動期間が短いからよ。アサミ様もヨウ様もわたしよりずっと強いわよ」

「へー、女の子の方はともかく男の人はそうは見えないけど」

「おふたりとも、ハンター登録して5カ月を超えたところ。アサミ様は近接戦闘もできる強力な魔法使いだし、ヨウ様は数打ちの剣でゴブリンやオークの普通の変異種なら単独で斃せる強力な戦士よ。実力では2人ともわたしより圧倒的に上のハンターね」

「は?登録5カ月で6級?5年じゃなくて?しかも5級のあなたより強い?」

 

そこでパオラさんがあたしと瑶さんに疑わし気な視線を向けてきた。

 

「私と朝未の実力については、これからの活動で判断してもらうしかないですね。どう言葉で伝えても信じることができるかどうかは別ですから」

「とりあえず、マルティナが信じているようなので、期待はしておきます」

「期待に応えられるようにがんばりますね」

 

あたしと瑶さんの実力については疑問符付きの判定で落ち着いたみたい。別にいいんだけどね。

 

「それにしても、マルティナ。この2人と一緒にいるってことは例の奴隷紋はどうにかなったのね」

「いえ、わたしは現状アサミ様の奴隷よ」

「なんですって」

 

あ、パオラさんの冷たい視線が痛いわ。

 

「い、いえ。それはあたし達の秘密を守ってもらうために暫定的にそうしただけで、落ち着いたところで奴隷紋をどうにかするつもりだったんです。ただ、ここまでそういう余裕がなくて、なし崩し的にそのままになっているだけです」

「ふーん、ならマルティナを開放するつもりはあるのね」

「も、もちろんですよ」

「あの、わたしとしては、このままアサミ様の奴隷のままでいいんですけど、というよりむしろこのままにして欲しいんですが、ダメですか?」

 

「マルティナ。せっかく開放してくれるって言っているのになんで?」

「わたしは、ずっとアサミ様にお仕えしたいんです」

「マルティナさん、奴隷じゃなくたって一緒にいられますよ」

「アサミ様の奴隷でいれば、おかしなちょっかいをかけられたり、特に親の意向で勝手にされることもありませんから」

 

過去に何かあったのは察していたけど、親絡みってことなのかしらね。でもそれならあんなクソハンターの奴隷になっているのはちょっと違いそうなんだけどな。

 

そこからマルティナさんは、事情を話してくれた。クリフで5級ハンターとして活動していたマルティナさんは、その容姿と戦闘能力を偶々クリフを訪れていた貴族に見初められ、護衛兼側妃として求められたそうなの。

 

「うーん、それって奴隷になってまで避ける事態?」

「相手が普通の貴族であれば、相手への好意の程度はあっても受け入れたかもしれません。でも……」

 

そこから続いた事情は本当に胸糞の悪くなる話だったわ。何人もの護衛兼側妃を使いつぶし、側妃になることを受け入れないと家族の生活も成り立たなくさせ、強引にものにしていくやりくち。マルティナさんの親は少し離れた街に住んでいるそうなのだけど、お金を積まれてマルティナさんを差し出そうとしたらしい。

誰も信じられなくなったマルティナさんは自ら奴隷になることを選び、そこでその貴族より1歩先にマルティナさんを奴隷商から買ったのが件のクソハンター女神の雷のリーダーレオナルドだったとのこと。

 

「貴族からは逃げられたけど結局は使いつぶされそうになったんですけどね」

 

マルティナさんは自嘲するように薄く笑った。

 

「でも、そのおかげでアサミ様と出会えました。これは幸運としか言いようがなかったと思っています。ですからわたしはアサミ様の奴隷のままにしておいてほしいのです」



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第100話 クリフの街散策

あたし達の目の前にあるのは、パオラさんに当面の宿として紹介してもらった「辺境の止まり木」。

 

「いい雰囲気の宿ね」

「そこそこ高級感があるね。お高そうな宿ではあるかな」

「でもパオラの紹介なんですから大丈夫でしょう」

 

本当は家を借りたいと言ったのだけど、即日はさすがに無理とのことで紹介してもらったのよね。ごはん、美味しいといいいな。それともキッチンがついていたらあたしが作ろうかしら。

 

「ハンターギルドからの紹介された。3人だが部屋はあるかな?」

 

 

 

 

 

「いい部屋ね。田舎って聞いていたから、どんな宿かなって心配していたんです」

「ふふ、アサミ様。このクリフは確かに田舎で、魔獣や魔物の脅威にさらされている町ですけど、それだけに上位ハンターが多くいるんです。そんな町では安宿は流行りませんよ」

「え、そうなの?」

「そうですよ。上位ハンターは稼ぎますからね。田舎とはいってもクリフには高級品や贅沢品がわりと集まるんです。宿も当然一部の物好きなハンターを除いてある程度以上の宿に泊まります」

「あ、なるほど。お金があるのに安宿に泊まるって普通はありませんもんね」

「ただ、武器防具はグライナーの鍛冶屋で主に作られているから新しい武器防具が欲しい時にはグライナーに移動して買ってくる事が多いですね。クリフの鍛冶屋からは投擲武器や鏃のような使い捨ての武器を買うとか、あとは簡単なメンテナンスを頼むくらいですね」

 

鍛冶屋さんは拠点を移動するのは中々大変だとかでグライナーが最前線だったころからいて腕が上がった人たちはそのまま居ついていて、クリフにはその弟子だった人が独立して店を構えているそうなの。だからグライナーで買った武器防具のメンテナンスを喜んでやってくれるし、クリフで腕を上げて自立するつもりで頑張っているらしい。グライナーの鍛冶屋の弟子ってことでクリフの鍛冶屋も信用されてある程度の仕事はもらえるようになっているそうで、これはこれでいい循環になっているのね。そして、クリフの先に全線が移ったころにはクリフの鍛冶屋が腕利きになっていて、その弟子がそっちに行くと。

そう考えると、RPGの定番、最前線に行くほど高性能な武器が手に入るが実現してくるわけね。本当にRPGみたいな世界ね。でもゲームで王都で手に入る武器がしょぼいのはちょっと納得いかないけど。

 

 

 

 

「とりあえず今日は、部屋を取ったら街の様子を見て歩こうか。仕事は明日からということでいいよね。マルティナさんには案内をたのむ」

 

この瑶さんの言葉に、あたし達は街を散策している。食料品店、雑貨屋、飲食店は食堂や酒場、このあたりは豊富ね。少し値段は高そうだけど、品質は悪くなさそう。逆に服屋さんや装飾関係みたいなお店は少な目ね。

 

「あれ?マルティナさん。こっちの通りには行かないんですか?何件かお店あるみたいですけど?」

「そ、そっちはあまり治安のよくない通りなんです。それにお店も、そのアサミ様には向かないお店が集まっていまして……」

 

治安が良くない通りで、あたしに向かないお店?となると、あれかしらラノベでも触れられる人類最古のお仕事。

 

「きれいなお姉さんが男の人のお相手をするお店ですか?別にあたし、そういうのに偏見ないですよ。ただ、その、もし瑶さんが行くのなら、あたしの知らないところで行ってほしいかなって思いますけど。あと、病気には気を付けてほしいかな」

「朝未、そういうところに理解を示さないでいいからね。逆にいたたまれないから」

 

あら?「不潔!!」とか言って欲しかったわけではないとは思うけど、瑶さんの反応が予想と違うわね。

 

「でも、男の人って我慢しきれないものじゃないんですか?そういうところで変なストレスは溜めなくてもいいと思うんです」

「朝未、そういう知識はどこから手に入れてくるんだ?いや言わなくていい。でも世の男全部がそうじゃないからね」

「でも……。あ、まさか、あたしと。だ、ダメですよ。いえダメじゃないですけど。ダメです。日本に帰ることができないってわかった時は、その瑶さんと……んしても……いいですけど。今は」

 

ああ、あたしは何を言っているのかしら。

 

「もう、他を見て回りましょ。マルティナさん、案内お願いします」

 

もう、顔が熱いわ。マルティナさんもなんか微笑ましそうな顔しているし。

 



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第101話 100話突破記念SS 異世界で冒険してみたい

「ふう、面白かった」

 

剣と魔法の世界で、主人公は幼馴染の恋人を勇者に奪われ、もう一人の幼馴染のヒロインに支えられて結婚して一緒に冒険の旅に出る。冤罪で故郷を追われ、様々な悲劇が主人公を襲うけど強い心とその身に宿した力ですべてを乗り越える王道ファンタジーだった。最近のあたしの好みど真ん中。フワフワとした余韻の中、あたしは目をつぶってヒロインになった自分を空想している。

あたしは悲しみにくれる主人公に「あたしも、ずっとあなたの事を好きだったのよ。彼女のこと忘れてなくてもいいよ。ひとりで抱え込まないで。一緒になってから少しずつ忘れていってくれればいいから」そう言って一緒に人生を歩きはじめる。

いくつもの悲劇を2人で乗り越え、一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に冒険の旅をして、いつしか彼も「愛してるよ」って言ってくれて……。

 

「……み、朝未ってば!!」

「え?あ、雪ねえ。どうしたの?」

「もう、またお話の中に入って行ってたわね?」

「う……、だって雪ねえがお勧めしてくれたこの本がすっごく面白くて夢中になっちゃったんだもの」

「紹介した本を面白いって言ってくれるのは嬉しいけど、もう19時よ。わたしの家とはいえ小学6年生の女の子が居て良い時間じゃないわよ」

「う、うん」

 

雪ねえに言われた通り、そろそろ帰らないといけない時間ね。名残惜しい思いにあたしは手元の文庫本に目をむけた。

 

「はあ、しかたないわね。その本貸してあげるから家に帰って読み返すなり、余韻に浸るなりしなさい」

「うわ、嬉しい。ありがとう雪ねえ。大好き」

「本当に、最近の朝未はファンタジー小説スキよね。この前紹介した転移ものもその前の転生物の時も読み終わったあとで物語のヒロインになった気持ちで世界に入り込んでいたんでしょ」

「だ、だって素敵なんだもの。主人公の男の子と一緒に笑って泣いて、苦しさも悲しさも喜びも幸せも分け合って、とっても強い絆で結ばれて、お互いを何より大切にして」

「まあ、分からないではないけどね。わたしも時々思うもの。異世界転生してチートで無双してみたいとか」

「雪ねえ。それはあたしのとは違うと思うの。高校生になっても中二病が残っているのは、さすがにどうかと思うの」

「朝未、どっちもどっちだって分かって言ってるでしょ」

 

 

「わたしは転移して女勇者として活躍したいかな」

「あたしは、勇者より横で勇者を支えるのがいいな。一緒に冒険の旅に出て、一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に強くなっていくの」

「あはは、なら一緒に異世界転移して冒険の旅に出るのも良いわね」

「うん、あたしが雪ねえをサポートしてあげる。一緒に世界を救おうね」

 

「あたしが勇者なら、朝未は聖女ね。でも、2人だけだと危ないから戦士と魔法使い、偵察や罠察知のできるスカウト、あとできれば遠距離物理攻撃のアーチャーが欲しいわね」

「うーん、スカウトはマー君がなってくれるかも。でも他はあたしのお友達にはいなそう」

 

あたしが俯いたら、雪ねえがあたしのあたまをぽんぽんと叩いて首をふった。

 

「大丈夫よ。そんな時にはあたしの友達がいるから」

「あ、ラグビー兄さんなら身体も大きいし戦士に向いてそう、マー姉ちゃんは頭も良いし魔法使いっぽいかも」

「あははダイは、そのままだけど、マーは、剣道やってるし剣士って感じかもね」

「むう、そうすると魔法使いが足りない」

「ふふ、朝未。聖女なら色々な魔法が使えそうじゃない?」

 

「あ、そういえば最近の聖女ってバフやデバフ、それに回復は当然として攻撃魔法も使えるお話多いわよね。ほかにもお話によっては物理攻撃も並の戦士より上だったりもするわね。え?そうするとあたしってバフデバフ掛けた後はメイスか何かもってモンスターを殴りに行くの?」

「もう、話を飛ばしたわね。モンスターに攻撃魔法を撃てばいいじゃないの」

「でも、魔力の少ない初心者はメイスや杖で殴りに行くのはRPGでも定番でしょ?」

「そこはほら、最初はわたしみたいな前衛に任せてくれればいいんじゃない」

 

「そっか、じゃあ転移したら、やっぱり冒険者ギルドに登録して薬草採取から?」

「定番だけど、異世界の薬草って朝未見分けられる?」

「え?異世界どころか日本の薬草だって知らないかも。ヨモギが止血や消炎、アロエが貼り薬として火傷に効くとか、お腹の調子をよくするとか、クズが痛み止めになるとかくらいしか知らない。言われれば思い出すかもしれないけど」

「中学1年生で、それだけ知っていれば詳しい方じゃないかしら?でも、異世界の薬草って無理があるでしょ」

「うー、そうすると雑用から?」

「そうね、雑用を一生懸命こなして、報酬も少ないだろうから最初は安宿に泊まる感じかしらね。お風呂なんかもないだろうから朝未が清浄魔法できれいにしてくれて頑張れるとか?で、そんな苦労を共にした仲間と討伐依頼を受けるようになって少しずつ強くなるのね」

「仲間と一緒にってロマンね」

 

「そしていつの間にか名前を知られるようになって王宮に呼ばれてわたしが勇者認定されるのよ」

「うわあ。素敵」

「その時にその場にいる神官が朝未の聖なる気に気付いて朝未が聖女認定されて、私達が勇者パーティーとして世界を救う旅に出るの」

 

あたしと雪ねえは、夢中になって異世界で冒険をする話をしていて、気が付くとあたしの家の前まで来ていた。

 

「雪ねえ、異世界に行くときは一緒だからね。置いていっちゃダメだよ」

「うんうん、もちろん。朝未と一緒にだよ」

「じゃあ、雪ねえ、送ってくれてありがとう。また遊びに行くね」

「うん、いつでもおいで」

 

雪ねえ達と異世界で冒険かあ。楽しそうね。

 

こんな話をしたわずか1週間後あたしは本当に異世界に転移するなんて思ってもいなかった。



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力をつけるために
第102話 暁影の空


「クリフだとゴブリンやオークの討伐は常設依頼なのね」

「ええ、クリフに来ているパーティーという段階でゴブリンやオークの通常の変異種までは問題なく対応できると判断されているんです。なので特別に依頼が出るのは、わたしがアサミ様に救われた時のような特別な変異種が発生した場合か、より上位の魔物が近場に現れたような場合。それと魔物素材の採集依頼があった時ですね」

 

あたし達はハンターギルドで依頼を確認しているのだけど、エルリックと違ってほとんどが魔物や魔獣相手、しかもエルリックでは見たこともないオーガやトロールなんてものの名前まで上がっている。

 

「マルティナさん。オーガやトロールってどのくらいの強さなの?」

「そう、ですね。オーガもトロールも単体でオークの通常の変異種くらいの強さ、でしょうか。ただオーガもトロールもあまり群れない魔物ですので変異種に遭遇する心配はほぼ無いと思っていいと思います。クリフ周辺の森の第1層までは、ですが。私達であれば、むしろ第1層ではホブゴブリンやオークジェネラルの方が負けることはないにしてもやっかいではないかと思います」

 

あら、強さならオーガやトロールの方が上だと聞いているのだけどなぜかしら?

そんなあたしの疑問に気付いたらしく、マルティナさんが説明してくれた。

 

「たしかにオーガやトロールは強いです。でも所詮は単体戦力です。それもわたし達であれば対応できる程度だと考えます。むしろ単体での強さはそこまでではなくても数で押してくるホブゴブリンや、単体でもそこそこ強く下位のオークを多数統制して攻めてくるオークジェネラルは、3人という少ない人数で動くわたし達にはやっかいだということです」

 

「ああ、数の暴力的な?」

 

あたしの返事にマルティナさんはやや苦笑気味にうなずいてくれたわ。今のやり取りに苦笑するところあったかしら?

 

「まあ、ゴブリンやオークが常設なんだから、しばらくは浅いところで肩慣らし的に狩ってくればいいんじゃないかな?ここまでの街道での具合からして探すのに困るってこともなさそうだし」

 

苦笑する瑶さんの言葉にしたがってあたし達はとりあえず森の浅い場所でゴブリンとオークを狩ることにした。

 

「狩りに行くまえにパーティー名をつけましょう」

 

さあ、行こうというところでマルティナさんが提案してきた。

 

「あの、パーティー名を付けるのはいいのですけど、なぜこのタイミングで?」

「むしろこのタイミングだからです。アサミ様もヨウ様も、色々と秘密にしたいことがおありですよね。そしておふたりとも、ここクリフの地ではまだ名前が知られておりません。そこで最初からパーティー名を名乗ることでおふたりの名前をパーティー名の下に薄めることができます。何かあってもアサミ様やヨウ様個人の能力としてというより、パーティー全体の力として認識されるからです。そしてどうしてもごまかしきれない事態に陥った場合はパーティー名を捨て、新たなパーティー名を名乗ることである程度の隠蔽も可能となります。ですので今のうちにパーティー名をギルドに登録し、そのパーティー名を前面に出して活動するのが良いかと」

 

マルティナさんの言葉になるほどと納得したので3人でパーティー名を決めることにしたのだけど、中々いい名前って浮かばないのよね。

 

「天使の剣」

「却下です」

「ふむ、天使ちゃんとゆかいな仲間たち」

「それも却下です。クリフでまで天使なんて呼ばれたくありません」

 

瑶さん、思いつかないからってこれはないわ。

 

「聖者たちの夢というのはどうでしょう?」

「マルティナさん。それもちょっと避けたいかなと。聖者とか聖女とか連想させるものはやめてください。お願いします」

 

ふたりであたしをからかっているんじゃないでしょうね。

 

「なら朝の揺らぎはどうでしょう?」

「もろにあたしと瑶さんじゃないですか。それじゃパーティー名に隠れることが出来ないでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クリフでの狩りに慣れるには、ここからが良いと思います」

 

ギルドにパーティー名「暁影のそら(あきかげのそら)」を登録したあと、マルティナさんの言葉にあたし達は、クリフの南の森に来た。

 

「これ探知魔法を使うまでもなく、ゴロゴロしてますね」

 

ゴブリンやオークの群れがそれほど距離をとることなくたむろしているじゃないの。これって古典的なRPGみたいなエンカウント率になるやつじゃないの?いえそれどころか、1つの群れを狩ってる間に近くの群れが襲い掛かってきて延々と戦うパターン?まあ探知魔法を展開した感じ変異種はいなさそうだからよほどまで大丈夫だと思うけど。

 

「これは。朝未、弓で頼む」

 

は、そうね。向かっていけば囲まれるのならこっちに引いてくれば良いのよね。それにはあたしの弓が一番。あたしはいつもの補助魔法を掛けた後カタンパルの弓を構えた。

 

一番近くの群れの一番近くにいるゴブリンを狙う。いつもなら頭を狙うのだけど、今回はあえて胴体、それも肩口を狙い矢を放った。

 

「ギャギャギャ」

 

そのゴブリンは矢を肩に残したまま、あたしに向かってくる。狙い通りね。

いつもなら自ら飛び込んでいく瑶さんも今日は迎え撃つスタイル。

 

瑶さんを先頭に、その左後ろに槍を構えたマルティナさん、そしてあたしは右後ろで短剣を構えフォローする。

 

先頭のゴブリンは瑶さんに任せ、群れの中ほどの中程度のゴブリンにいつも通り魔法を放つ。

 

「ファイヤーアロー」

 

頭を失ったゴブリンがその場で崩れ落ちる。直後に続いていたゴブリン2体がその死体に躓いて転がったわ。その後ろの3体がそれを避けて1列に並んだ。チャンスね。いつもの初級火属性魔法ファイヤーアローでなく中級火属性魔法を選ぶ。

 

「フレアアロー」

 

同じアロー系の魔法だけど、威力が桁違いのはず。これまで実戦で使うことが無かったのは単にその機会がなかったからだけど、その威力は凄かった。

 

「ドゴン!!」

 

3体のゴブリンの身体を貫通しさらにその先の地面に直径3メートル近いすり鉢状の穴を作ってしまっている。

その威力にあたし自身も呆然としてしまった。そうしている間に3体のゴブリンの身体がサラサラと崩れ落ちる。

 

「え?ウソ!何が起きたの?」



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第103話 中級魔法

あたしが放ったフレアアローに腰の引けたゴブリンの群れなど瑶さんとマルティナさんの前には敵ではなく、後ろから続いてきていた2つの群れを含む40体近いゴブリンは瞬く間に殲滅されてしまった。

 

「で、朝未。さっきの魔法は?」

「単なる中級火属性魔法のフレアアローです。同じ中級でもファイヤーランスより威力は落ちるはずなんですけど」

 

あんな威力が出るほど魔力込めたつもりはなかったのに。

 

「最近朝未は魔法に通常より魔力込める練習と魔力増加の練習をしているよね」

「え?ええ。大分効果が出てきてるのを感じてます」

 

マルティナさんと出会った頃に比べて魔法に魔力を込める速さも、込められる魔力量も、そしてあたしの中の魔力総量も3倍では済まない程度に向上しているのがわかる。それでもリザレクションを含む聖女専用魔法は魔力不足で使えないのよね。

 

「とっさのことで想定より多くの魔力を込めてしまったということは無いかな?」

 

瑶さんの言葉に、あたしはちょっと考え込む。どうだったかしら。

 

「ファイアーアローより貫通力のある魔法って思ってそれ以外は何も考えないで使っただけだから、そんなに魔力を込めてはいない……と思います。そんな大量の魔力を込める時間もなかったし……うん、魔力もそんなに減ってないです」

「……より上位の魔法は発動の敷居は高いけど、発動できれば効率は高いってことかな?それで朝未が使うと威力が高い?」

 

瑶さんが、何か考えているわね。

 

「でも、エルリックにいたころにはあんな威力はありませんでした。エルリックではファイヤーアローでほとんど済んでいましたからフレアアローを使う機会はあまりありませんでしたけど」

 

「色々、想像できることはありそうですけど、どこかで確かめてみるのは必要かもしれませんね。幸いクリフの周囲は、色々と特別ですので、少し森の中にはいってしまえば多少のことなら誰も気にしませんから」

「でも、森の中に入っていったらオーガとかトロールとかも出てくるんでしょ?」

「そうですね。でも、今の戦闘を見た感じ、まず問題は無いと思います」

 

マルティナさんが無茶を言い出したわね。

 

「でも、武器の性能が不足しているって……」

「ええ、確かにヨウ様とわたしの武器は森の中の魔物を斃すのに力不足と言わざるを得ません。でも、それでも斃せないまでも抑えることはできます。その間にアサミ様が魔法を使っていただければ大丈夫です」

 

それって大丈夫って言えるのかしら。ちょっとさすがに無理があるような気がするのだけど。

 

「勘違いをされないでくださいね。あくまでも現状のアサミ様の魔法の確認をするだけです。積極的に森の中で狩りをするわけでも、ましてや森を攻略するわけでもありません。森の中に入るのはそれを秘匿するためです。アサミ様も魔力に余裕をもって確認作業をしていただけるようお願いします」

 

 

 

 

「バシュッ」

「ドゴン」

「スパン」

 

 

あたし達の目の前には砕けた岩、地面が抉れて出来たクレーター、切り倒された巨木が並んでいる。そしてその音に引き寄せられたゴブリンやオークが瑶さんとマルティナさんに鎧袖一触斃されていく。

 

「オーガです。アサミ様の魔法を試すのに最適です。わたしとヨウ様で抑えます。中級の攻撃魔法を試してください」

 

オーガ、身の丈5メートル近い巨体がそこにはいた。

 

フレイムアローであれだけの威力があったのよね。同じ中級魔法でも貫通力の高いファイヤランスならどうかしらね。

使い慣れない魔法だから少し慎重に狙わせてもらおうかしら。瑶さんとマルティナさんがオーガの気を引いてくれている

からあたし自身は足を止めていられるものね。

深呼吸をして集中する。オーガが瑶さんに向けて振りかぶったところにマルティナさんが槍を突きつけオーガの動きが止まった。

 

「ファイヤーランス」

 

使い慣れたファイアーアローなら頭を狙うのだけど、実戦では初めて使うファイヤーランス。間違っても外すわけにはいかないわよね。となれば狙いは胴体、それも低い位置だともしもの時に瑶さんやマルティナさんを巻き込みかねないから胸部を狙った中級火属性魔法は頑丈と言われるオーガの胸部を貫通した。それはもうあっさりと。

 

「え?」

 

驚きのあまり呆然とするあたしをよそに、胸に大穴の空いたオーガは動きを止めそのまま倒れ、オーガの胸に大穴を開けたファイヤーランスはその向こうの木を薙ぎ倒し空の向こうに飛んで行ってしまった。

 

次に来たのは大きめのゴブリンの群れ。ざっと20体はいるわね。

 

「ストーンレイン」

 

中級地属性魔法にある範囲攻撃魔法。これも威力がおかしいわね。魔法書に書いてあった内容だと1センチ程度の石を3メートルくらいの範囲に降らせるような魔法だったはずなのに、野球のボールくらいのサイズの石が直径10メートルくらいの範囲に盛大に降り注いでいるじゃない。ストーンレインの降った場所には20体近いゴブリンの惨殺死体が転がっていた。どうやらもともと攻撃魔法としては威力の小さい地属性魔法ならその死体が崩れ落ちて消えるということはないみたいね。そんな確認をしながら最後に残った1体のゴブリンの頭をファイアーアローで消し飛ばした。

 

その後も、水属性魔法アイスランスを使った時には周辺ごとトロールが氷漬けになり、中級風属性魔法ストームカッターでグリーズベアを細切れにした時にはマルティナさんに

 

「これでは毛皮も取れませんね」

 

と、ため息をつかれてしまった。

 

「朝未、これだけ魔法を乱発したわけだけど魔力の残りはどうかな?」

「……全然問題ないですね。この程度の間隔でこの程度の魔法を使う分にはいくらでもいけそうです」

 



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第104話 冒険者とハンター

「”暁影のそら”さん。これが今日1日の戦果ですか?」

 

あたし達が持ち込んだ魔物素材や討伐証明にパオラさんが目を見張っている。

 

「ああ、状態が悪すぎますか?」

 

瑶さんがちょっと気まずそうね。

あたしの魔法の実験で特に素材は穴あきだったり焼けこげたりしてるものね。

 

「い、いえ、そういう事ではなくてですね。クリフでの討伐初日ですよね。肩慣らしって言ってましたよね」

 

あら?ちょっと方向が違いそうね。瑶さんもちょっと不思議そうな顔で首を傾げているわ。マルティナさんだけは楽しそうな笑顔だけど。

 

「ふふ、だから言ったでしょうパオラ。アサミ様もヨウ様もわたしよりも強いって」

「それにしてもマルティナ、初日からこれだけの数のゴブリンやオークだけじゃなくオーガやトロールまで複数狩ってくるなんて思わないじゃない」

「まだまだよ。これは”暁影のそら”としては肩慣らし。特にアサミ様は、まだご自分の力の上限を確認すらされていないくらいだし、ヨウ様にしたってその実力に武器がついてきていないしね」

 

そんなドヤ顔で言わなくても良いとは思うのだけど、なんかマルティナさんが楽しそうだからいいか。

 

 

 

 

パメラさんに驚かれるという場面はあったけど、特にトラブルということもなくギルドで少なくない報酬をもらって今は宿で休んでいる。家を借りるという話は”もう少し待って”とのこと。早く家を借りられると良いのだけど。

 

「さて、今日の狩りで朝未の魔法の威力がわかったわけだけど……。わかったんだよね?」

 

瑶さんが、少し不安そうに聞いてきた。

 

「えと、わかったと言えばわかったんですけど。わかっていないと言えばわかっていないです」

「それは、どういう意味?」

 

どう説明しようかしら。少し考えてからあたしは口を開いた。

 

「とりあえず、発動しただけの中級魔法の威力はわかりましたけど、他の魔法でやっていた魔力を練り上げてつぎ込むことはしてませんから、どこまで威力を上げられるかはわからないです」

「ああ、前にも言っていたやつだね?」

 

ああ、瑶さん覚えていてくれたのね。

 

「あと、感覚なんですけど、あたし少なくとも今のままだと魔力が増えても、いわゆるゲームで言うところのレベルみたいなものが上がっても多分聖属性魔法以外は中級魔法までしか使えない感じがします」

「いや、あれだけの威力があれば十分じゃないかな。あれでも相当な威力だったよね。しかも朝未の場合、さらに魔力をつぎ込んで威力を上げられるんだよね。ねえ、マルティナさん。朝未の魔法の威力ってどのくらいのレベルに見えるかな?」

 

「そうですね、わたしは魔法使いではありませんし、魔法についてそれほど詳しいわけではありませんのでハッキリとした事は言えませんが、過去に聞いた話と比べるなら、今日見せていただいたアサミ様の魔法は少なくとも上級魔法に匹敵すると感じました。もっと言わせていただくのなら、初級魔法として使われている魔法の数々が威力としては伝え聞く中級魔法を凌ぐように感じています。加えて言わせていただくのなら、アサミ様の魔法には聖属性が付与されますよね。あれは魔物や魔獣への効果が高くなります。さらにアサミ様は極めて強力な聖属性魔法を使われます。欠損した腕を再生するなぞ少なくともわたしは聞いたこともありません」

 

マルティナさんの勢いに腰が引けてしまったわ。

 

「えーっと、つまり?」

 

「防具さえ整えば、このクリフでもかなり奥まで狩場にできると思います。あ、アサミ様は防具無くても油断さえしなければ何とかなりそうですが。でも、アサミ様も人間……ですよね。なのでできる準備はしたほうがいいと思います。ただ、現状では攻撃をアサミ様の魔法頼りになりすぎるのが悩むところですね。ですから」

「ですから?」

 

ちょっと途中に気になる部分はあったけどそこは聞かなかったことにします。あたし人間よ。この世界のじゃないけど。

 

「装備が整うまでは浅いエリアを狩場にしましょう」

「結局のところ結論は一緒なのね」

「朝未、結論は一緒だし、やることも一緒だけど、意味が違うよ」

「え?」

 

瑶さんが言うには、理解したうえでやるのと、手探りでやるのは違うそうな。まあ、言われてみればその通りね。

 

「でも、冒険的なワクワク感は無くなるわね」

「そりゃ、この世界では冒険者じゃなくてハンター、つまり狩人だからね」

 

あ、そういうことね。ストンと腑に落ちたわ。



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第105話 装備を整える前に

クリフに来て、およそ1カ月。あたし達「暁影のそら」は、森の浅いエリアでの狩りを続けてきた。とは言っても少しずつ活動エリアを広げてきてはいるのだけど。

 

「多少は減ってきているのかしら」

 

初日こそオーガやトロールも出てきたものの、そのあとはほぼゴブリンやオークとその変異種。変異種にしたところでエルリックで相手をしたような強力な個体は出会ったことが無いのよね。あ、ちょっと大きな猪も出てきたわね。ゴブリンやオークを軽々と蹴散らすようなの。さっくりと斃してあたし達のご飯にしたけど。ご馳走さまでした、美味しかったです。

 

「さすがにこれだけ狩ってきていますので、全体としては敵影は薄くなっているとは思いますが、元が多いですからね」

「それよりも、そろそろ、朝未の防具を揃える金は十分に貯まったと思う。明日にでもグライナーに注文をしに行こうと思うんだがどうかな?」

 

マルティナさんの答えに微妙に方向を変えた瑶さんの言葉が重なったのだけど、あたしとしては全員の装備を同じレベルにそろえたほうがいい気がしてるのよね。

 

「あたしの防具だけ先にグレードアップしても仕方なくないですか?これまでのマルティナさんの説明から察するに森の奥に行くには瑶さんやマルティナさんの装備も強化しないといけないでしょ?逆に今の狩場で活動する分にはあたしの装備も今のままでも問題ないわけですし」

「それもそうだね。もう少し貯めて全員の装備をまとめて強化するほうが効率的かな」

 

 

そんな話をした更に1か月後、あたし達はグライナーの街で装備を見繕っているのだけど。

 

「まずは朝未の防具からだね」

 

そんな瑶さんの言葉にマルティナさんも頷いたので、今あたしは防具のためのサイズを測定中。

 

「ふむ?これまで使っていた鎖帷子がこれか。随分と窮屈だったんじゃないか?サイズが合わなくなったなら早めに調整するものだぞ」

「え?5か月前に大き目で作ったんですけど」

 

確かに少し窮屈になってきたかなって思ってはいたけど、そんなに言われるほどだったのね。

 

「ふむ、なるほど、嬢ちゃんアサミといったか。まだ成長期ってことかの。そうするとどうするのがいいか。ピッタリに作るとあっという間に合わなくなるかもしれん、かと言って大きめに作ってそこまで成長しなんだらもったいないが、どうする?」

 

店主のアルベルトさんが選択を迫っている。たった半年でそれほど身体が成長したとなればこれからもまだ大きくなることが期待できるのよね。あたしは自分の身体を、特に最近育ってきているある部分を見下ろして考えた。

 

「うん、大き目でお願いします」

 

そのあと、瑶さんとマルティナさんの採寸を済ませ、いよいよ詳細の打ち合わせに入った。

 

「まずはヨウの防具からでいいか?」

「いや、朝未の防具を最初にしてくれ」

「ん?アサミは後衛だろう。それほど大げさなものはいらんと思うんだが」

「それなんだが、朝未は割とやんちゃなんでな。後ろでじっとしていてくれないんだ」

 

ん?アルベルトさんに対する瑶さんの返事がちょっと気になるわね。

 

「ねえ、瑶さん。やんちゃってどういうことかしら?」

「だってなあ。訓練でのはともかく、朝未、戦っているとすぐに前に出てくるじゃないか。ハンターに登録してからこっち半年ばかりで何回骨折した?アバラをやったのだって1回や2回じゃないよね」

「う、だって瑶さんのフォローをするにもあのくらいの位置にいないとだし。そもそも、あたしだって瑶さんほどではないけど剣でも戦えるもの」

 

あたしが反論したら瑶さんが肩をすくめてアルベルトさんに声を掛けた。

 

「な、こういうことだ」

 

アルベルトさんの呆れたような視線が痛いわ。そしてため息をついて諦めたような口調で口を開いた。

 

「わかった。とりあえず、おまえたちの戦い方を説明しろ。それに合わせて見繕ってやる」

「理想的な進行だと、目視した段階であたしが弓で先制攻撃ですね。そこからは迎え撃つか、攻め込むかで多少の違いはありますけど、瑶さんが前面で剣を振るい、マルティナさんが槍でサポート、あたしが魔法で相手の中間に攻撃をしつつ、回り込んでくる敵には剣で対応って感じですかね」

 

あたしが使う魔法の内容は説明しないわよもちろん。そんなの話したら面倒が山ほどやってくるのは間違いないものね。

 

「うーん、嬢ちゃんは後衛から前衛までこなすのか……。となると本来は前衛としての装備が良いんだが」

 

そう言いながらあたしを頭のてっぺんから足の先まで見て悩んでいるわね。

 

「ま、とりあえず、3人とも動きを見せてくれ」

 

 

と言うわけで、お店の裏手の中庭(?)に来ているのだけど、なにをしたら良いのかしらね。剣の素振り?

 

「まずは、3人の武器を振って見せてくれ」

 

ちょっと迷ったけど、とりあえず補助魔法は無しで振って見せる。

しばらく振って見せていると、アルベルトさんが倉庫らしき建物から剣と槍をいくつか出してきた。

 

「色々な重さの模擬剣と槍を持ってきた。自分に丁度よさそうなものを選べ」

 

あらアルベルトさんちょっと微妙な顔ね。

それでも言われた通りに剣を選んで持ってみる。今までの短剣も随分と軽く感じるようになってきてるし、威力を考えれば少し重めがいいかしらね。

 

「嬢ちゃん。その短剣を選んだ理由は?」

「そうですね。まずあたしの身長じゃこれより長いのは扱いにくいので短剣を選んだんです。で、重さですけど、今までつかってきた短剣が軽すぎるので少し重い物をって思ったんですが、正直言えば、ここにある短剣はあたしとしては軽すぎるんですよね。それでも一番重い物を選んだ感じです」

「全部軽すぎるだと?よく言ったな。ならこれを付けて模擬戦をしてみせろ」

 

そういってアルベルトさんが持ち出してきたのはなんか袋を皮ひもで繋げたもの。それをあたしの肩から下げて縛り付けた。

 

「これなんですか?」

「嬢ちゃん達の体力を見る道具だ」

 

瑶さんと、マルティナさんにも同じものを付け終わったアルベルトさんは、あたしにつけた袋にドサドサと何かを入れながら説明してくれる。

あ、これあれだわ。日本でパワー何とかって言って売られていたのの異世界版だわ。よく見ると袋に入れているのは鉄の塊じゃない。結構な量を入れているわね。いったい何キロくらいあるのかしら?

 

「よし、これで動きをみせてもらおう」



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第106話 新しい装備を選ぶ

「いやあ、嬢ちゃん体力あるなあ。まさか300グルの重り付けて平気だとは思わなかったぞ。ヨウもな。マルティナも150グルまでは平気だったのは予想外だったしな。つか150グルだって普通はあんな動きができるもんじゃないんだがな」

 

アルベルトさんの呆れたような評価にあたし達は苦笑しつつ着けていた重りを外した。

 

「で、わざわざこんな事をしたのは何故です?」

「まあ、簡単に言えばどこまでの装備を考えていいかを知るためだ」

「どこまでって?」

「極論すれば、一般人にフルプレートアーマー着せたら、一歩も動けんだろう。そういう事を回避するためだ」

「ふーん、それでアルベルトさんの見込みだと、あたし達の防具はどの程度がよさそう?」

「嬢ちゃんとヨウは何でも装備できそうだ。それこそフルプレート着ても走り回れそうだ」

「朝未、フルプレートは防御力は高いけど、ガチャガチャとやかましいから狩りには向かないぞ」

 

あたしが、ちょっとワクワクした顔を見せたとたんに瑶さんが指摘してきたわね。

 

「いいじゃないちょっとくらい。ドレスアーマーとかちょっと憧れるもの」

「ドレスアーマーって。朝未ちょっとはしゃぎすぎ」

「あ、瑶さん、ドレスアーマーやっぱりわかるんですね」

「そういうことじゃなくてだな」

「いいじゃないですか。別に本気でドレスアーマーにするわけじゃないです。でも姫騎士とかかっこいいって思いません?」

「わかったわかった。余裕が出来たらお遊びで作ればいいよ。今は、わかっているね?」

「もちろんです。というわけで、アルベルトさんとしてのおすすめだとどんな感じですか?」

 

「何が、と言う訳なのかはわからんが、

ヨウが一番前に出るんだよな。聞いている予算からすれば、ヨウはブルーメタルのチェインメール、レッドメタルのブレストプレート、ガントレットもレッドメタル、ボールドロンとクーターはブルーメタルで良いだろ。足はサバトン、グリーブ、ボレイン、クウィス全部ブルーメタル。武器はレッドメタルの長剣といったところか。

 

次にマルティナだが、槍使いってことだからな。チェインメール、ブレストプレートをブルーメタルで。ボールドロンはいらんだろ。クーターもブルーメタルで作って、手はガントレットより、トロールの皮のグローブの方が向いてそうだな。足もサバトンとグリーブ、それにボレインはブルーメタルで作るにしても、クウィスはいらんだろう。槍は穂先をレッドメタルにして柄は太刀打ちと石突の補強にブルーメタルを入れたカタンパルでいいだろ。

 

あとは嬢ちゃんだが、嬢ちゃん本来は後衛の魔法使いが前にも出るっちうことだからな。防具はヨウと一緒でいいだろ。武器は長剣だと嬢ちゃんの体格的に振り切れんだろうから短剣をつくるとして、本来ならレッドメタルを使いたいところだが、予算オーバーになるからのブルーメタルで我慢してもらおうか。嬢ちゃんは魔法もあるからそれでいいだろ」

 

とつらつらと並べてくれたのだけど、何が何を表すのかわからないわね。

 

「あの、チェインメールとかブレストプレート、ガントレット、グローブは分かるんですけど、他の防具が何のことかわからなくて、教えてもらえませんか?」

「ん?駆け出しハンターでもないだろうに、知らんのか?」

 

「いえ、あたしと瑶さんは6級ではありますけどハンター歴半年の駆け出しです」

 

「半年で6級?まあいい。一応商品の説明の範囲っちゃ範囲だからな。ボールドロンてのは肩当てだな。ブレストプレートだけだと肩が出るからそこを保護するもんだ。クーターは肘当て、サバトンは金属製の靴だ、グリーブってのは脛を保護するプレート、ボレインってのは膝に着ける保護具、クウィスは主に腿の前側に取り付けるもんだ。サバトン以外はフルプレートと違ってそれぞれ皮ベルトで取り付けるようになっているから多少サイズが変わっても使える。そして何よりそれぞれが干渉しないからフルプレートと違ってカチャカチャとやかましい音が出ないのがハンターには利点だな。その代わり後側の防御力はほぼ無いから気をつけろよ」

 

「そういうことですね。わざわざ難しい言い方しなくても良いとおもうんですけど。肩当とか肘当てでいいじゃないですか」

「いや、それだと防具って感じしないだろう」

「まあ、いいですけど」

「朝未、そのくらいでいいだろう。ところでアルベルトさん、物はいつ頃受け取れますか?あとお支払いは?」

「ん、そうだな。3人分丸っとだからな、作るのに20日、そこで一旦仮合わせをして、問題が無ければそのまま渡せる。問題があればその程度次第でってとこだ。支払いは、まず半額を前金。残りは物と引き換えだな。あ、武器は在庫があるが、持っていくか?これは当然全額もらうが」

「そうですね。武器を強化するだけでも安全性は上がりますから。そうさせてもらいます」

 

瑶さんが、そう言って支払いを済ませてくれた。今のところあたし達のお金は全額瑶さんが管理してくれているのよね。一人でどこか行くこともなかったし不都合もないから。いえ、ちょっとだけあったわね。さすがに替えの下着を買いに行ったときは瑶さんも気まずそうにしてて、それ以来少しだけあたしもマルティナさんも個人でお金持ってる。

 

「で、どうする?さすがに20日も、ここで待ってるのももったいないとは思うけど?」

「わたしは、おふたりの意向に従います」

「あたしは、色々と作ってみたいです。ほら、小麦とか香辛料とか買い込んだけど結局今まで通りの天然酵母パンとサンドイッチやハンバーグまでしか作ってないじゃないですか。あと狩りに出るの前提だと作れるものも限定されちゃうので、この機会にせっかく色々な小麦あるし醤油っぽい調味料もあるしパスタとかうどんとか作ってみたいです。そろそろ寒くなってきそうなので練習して素麵にも挑戦してみたいですし」

「ふふ、朝未は本当に食べ物に熱心だよね。私達も美味しいものが食べられてうれしいから、狩りは少な目にして朝未の美味しいご飯を楽しむ時間を作るようにしようか」



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第107話 朝未の料理①

「えっと、必要なものは……」

以前何かで読んだ小麦粉作りの工程を思い出しながら必要そうなものをそろえていく。目の違う大きめの篩を何種類か。風で飛ばした麦を受け止める箱は、そのものが売られてなかったので木工職人さんにお願いして作ってもらった。調質で寝かせるための箱もついでに。問題はその次の工程。全粒粉にするのならこのまま石臼で細かく挽いてしまえばいいのだけど……。日本では確か速さの違うベルトの間を通して皮を剝いていたけど、そんなものはここでは手に入らない。少しだけ考えて目の粗さの違う石臼を数種類準備して試してみることにした。現代日本では、その後も何工程も使って高品質な小麦粉にしていたはずだけど、さすがにそこまでは出来ないので、皮を剥いてできた胚乳をそのまま最終的な粉にすればいいわね。

 

 

 

「こんなにいくつも道具がいるんですね」

 

マルティナさんが興味深そうに見ているのでちょっとだけ説明。

 

「趣味に近い部分があるので絶対に必要なだけじゃなく少し良いものになるように揃えたのと、どのくらいのものが良いのかわからなくて種類をいくつか余計に揃えたので多くなってますね」

「そうなんですか。麦なんてそのまま石臼で挽いてしまえばいいと思ってました」

 

 

必要な物が準備できたまずは篩で仕分ける。

目の細かいものから順番にふるっていく。小さな砂粒が落ちていく。

 

「アサミ様。これは何をされているんですか?」

「いまやっているのは小麦に混ざっているゴミを取り除く作業ですね。ほら、砂粒や小さな石が落ちていくでしょう。少しずつ粗い目の篩に変えていって……、うん、3番目の篩が砂粒を仕分けられるサイズね。次は、ほらこういう麦わらの残りなんかを目の大きな篩でより分けるんです」

 

説明しながら篩に掛けていると3番目と5番目の篩を使うとちょうどいい感じに分けられた。小麦の種類によって違う可能性もあるので買ってきた小麦の種類別に丁度いい篩を調べていく。

ふるい分けが終わったところでそれぞれを別々の箱に入れて水を加える。

 

「アサミ様、いきなり水を掛けて何をされるのですか?」

「うん、こうしてしばらく置くと殻を取りやすくなるの。さ、これで1日放置します」

「かなり手間をかけるのですね」

「うん、せっかく色々な小麦が手に入ったから、こだわってみようかと思って。売ってる小麦粉も悪いとは言わないけど、色々余計なものが入っているから、こうやって作った、ちゃんとした小麦粉で料理したいと思っていたのよね」

 

次は、そうだ、香辛料も色々買ってあったわね。となれば異世界転移で求める定番ね。

 

「ちょっと食材買ってきます」

 

異世界でもクリフは色々と売っていてお買い物も楽しい。生鮮食料品に関してはそのまま食べる度胸はないけど。あたしにはクリーンもホーリーもある。お店で売っているレベルのものなら大丈夫だものね。

 

まずは八百屋さんって言えばいいのかしらね。野菜を主に売っているお店。

 

「そこのジャグンと、カーム、あ、コロネもあるじゃない……」

 

ジャグンはジャガイモっぽい、カームは玉葱っぽい、そしてコロネは人参ぽい。この世界に来て色々と試したから食材もなんとなく日本のものと対比して似たものが選べるようになったのよね。色とか形が違うから最初は大分失敗したけど今となっては普通に売っているものなら迷うことはないわ。

 

次は肉屋さん。この世界の食文化は、まだ発展途上みたいであたし達日本人なら喜んで使う材料が捨てられてたりするのよね。そういうものは捨てようとしているところで言うとタダでくれたりする。もちろんそのお店で別のものも買うわよ。

 

「おじさん、ボア肉4グルと、その骨捨てるならちょうだい」

「はいよ、いつもありがとうな。それにしても、こんな骨なんか何に使うんだ?」

「ふふ、そこは内緒です」

 

その他にもいくつか買い込んで家に帰る。

 

「さーて、これからが今日のお楽しみよ」

「朝未、悪いけど先に昼飯にしてもらえないかな」

「あ、忘れてた。瑶さんごめんなさい。マルティナさんもお腹空いたわよね。すぐに準備します」

 

まずは、朝のうちに仕込んでおいたパン種を出してくる。うん、いい感じに膨れているわね。そして、家を借りてすぐに土属性魔法で作った石釜風オーブンを火属性魔法で予熱する。うん、火属性魔法であってると思うのだけど、魔法書には載ってないのよね。なんかやってみたら出来たあたしのオリジナル魔法。聖属性ものっているから汚れもきれいさっぱり。そこに準備したパン種を並べる。きっと普通ならとっても熱くて火傷しかねないのだろうけど、素手で平気なのよね。むしろ服が焼けないように腕まくりして作業する。

 

そこまで済ませたら今度は、ボア肉を包丁で叩いてミンチにしていく。ミンチにしたお肉にみじん切りにしたカームや香辛料を混ぜて、水魔法で冷やしながら成型する。今日のお昼ご飯はハンバーグ。

乾燥キノコを鍋で煮込んで出汁を取って、そこに醤油っぽい調味料を追加。ちょっとスプーンですくって味見。うん、あたしとしてはちょうどいい感じ。

チラリとオーブンを確認して今度はフライパンでハンバーグを焼いていく。多分ハンバーグが焼きあがるころにパンも焼きあがると思う。

最後に大根みたいな味の根菜をおろし金ですりおろして、ハンバーグに山盛りにのせる。

 

「はい、できましたよ。今日のメニューは、おろしハンバーグとクリッカーパンですよ。ハンバーグにはソースをお好みでかけてくださいね。今回はスープ無しでごめんなさい」

「いやいや、朝未の料理はいつもうまいからね。毎食スープをとか贅沢言わないって」

「そうですよ。ハンターでアサミ様のほどの料理を作られる人は見たことも聞いたこともありません。本来であれば奴隷であるわたしがお作りするべきところをいつもありがとうございます」

「美味しく食べてもらえれば、あたしとしてはそれだけで嬉しいので気にしないでくださいね。さ、冷めないうちにたべましょう」

 

 

クリッカーは味と食感がクルミによく似たナッツ。これを初めて見つけた時には、その見た目にちょっと引いたのよねえ。もっとも今では大好物なのだけど。

 

焼きたてクリッカーパンとおろしハンバーグ。自画自賛になっちゃうけど美味しいわ。瑶さんもマルティナさんも美味しそうに食べてるわね。作った側としては美味しそうに食べてくれるのは最高にうれしいわね。

 

「朝未、和風おろしハンバーグだよね。懐かしくて美味しいよ」

 

ちょっと、瑶さん涙ぐんでない?大げさじゃないかしら。

 

「アサミ様、これは初めて体験する美味しさです。おふたりの国の料理なのですか?」

 

喜んでもらえたので最高ね。

 

「ふふ、喜んでもらえて嬉しいわ。夜はちょっと刺激的なご飯を予定してるからそっちもちょっと期待してね」

 

午後にはしっかり仕込みしないとね。



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第108話 朝未の料理②

「さってと、夕飯の仕込みにかかろうかしら」

「アサミ様、お手伝いできることはありませんでしょうか?」

「えっと、すぐには無いと思います。でも少ししたら交代でスープの番をしてもらっていいですか?ちょっと長時間かかるので」

「はい、もちろんです」

 

マルティナさんってあたしに凄くよくしてくれるのよね。奴隷のままになんて本当はしておきたくないけど、事情が事情だから、権力に対抗できるように強くなるまでは仕方ないのかしらね。

 

「まずは、材料の確認をしないとね。コロネにカームに鶏ガラにスパイス各種と、あミノの肉買うの忘れてた。マルティナさん、申し訳ないのだけど、ミノのもも肉と赤身肉をそれぞれ2グルずつ買ってきてくれませんか?あたしはその間に下ごしらえをしておきますから」

「わかりました。お任せください。いいところを買ってきます」

「あ、いえ、そんなに良いところでなくて大丈夫です。直接それを食べるわけではないので……」

 

あたしが言い切る前にマルティナさんは駆け出してしまった。

まあ、悪くなるわけではないからいいことにしよう。

 

マルティナさんが戻るまでにあたしは買ってきた骨から血合いを取り除く作業に入った。日本ではここまで手を掛ける時間もなかったけど、一度やってみたかったのよね。日本では簡単に味を調えることのできる調味料がいくらでもあったから、ここまでする必要もなかったっというのもあるのだけど。

 

血合いを取り除き終わった骨を軽く下茹でしてこれの下ごしらえは完了。この世界には魔道具のコンロがあって火加減の調整がIH並に簡単なのは楽でいいわね。

鍋から取り出しているちょうどそこにマルティナさんが息を切らして帰ってきた。

 

「ハアハア……。アサミ様、買ってきました」

「マルティナさんありがとう。まずはそのもも肉の方を小さめに切り分けてから軽く炙ります」

 

サイコロ状に切ったもも肉をフライパンで軽く焼き色をつける。

 

「そしたらこれをまとめて鍋に入れて灰汁を取りながらじっくりと煮込みます」

「煮込むってどのくらいですか?」

「うーん、量が4分の3くらいになるまでですね」

 

あ、マルティナさんが固まった。

 

「結構時間が掛かるので、その間1人で灰汁取りをしているときついと思うんですよ。なので時々マルティナさんが交代してくれると助かります」

「ええ、ええ、もちろん、お手伝いさせていただきますとも」

 

マルティナさんが満面の笑顔を見せてくれたわね。

 

 

マルティナさんと雑談を交わしながら交代で灰汁をとること3時間ほど。いい感じに煮込めた。

 

「これをザルで漉しながらこっちの鍋に移します。そして別の鍋にマルティナさんが買ってきてくれたミノの赤身肉をミンチにしたものと、卵の白身、今度は皮を剥いてみじん切りにしたカーム、コロネ、ザックルを入れてよく混ぜます」

 

ざくざくとよく混ぜ、マルティナさんに見せる。

 

「そして、これに先ほど濾したスープを入れてよく混ぜながら火にかけます」

 

混ぜながらよく観察する。たしか沸騰したら混ぜるのをやめるんだったはず。そして火を調整して弱めの沸騰が続くように調整する。

 

「はい、これでこのまましばらく煮込みます」

「アサミ様、またですか?」

「ええ、でも今度はこのまま煮込むだけですよ」

 

時々確認しながら煮込むことおよそ2時間。スープが澄んできたので火からおろし、小皿にとって味見をしてみる。

 

「うん、美味しいスープが出来たわ。これがコンソメというスープです。味見してみますか?」

 

小皿に少し取ってマルティナさんに渡すと、恐る恐る口にした。この世界の常識では食べられるようなものに見えなかったのかもしれないわね。

 

「お、美味しいです」

 

マルティナさんがパッと花が咲いたような笑顔を向けてくれたので思わずドキッとしちゃったじゃないの。

 

 

 

さて、次はカーク、コロネ、ジャグンの皮を剥いて、一口サイズに切ったものを鍋に入れてそのまま軽く炒る。そこに水とコンソメを入れて弱火でコトコト。

 

「マルティナさん。これ焦げ付かないようにゆっくり混ぜていてもらえますか」

「はい。どんな美味しいものになるのか楽しみです」

 

鍋をマルティナさんに任せて、あたしは常時準備しているプレーンなパン種を取り出してきた。30センチくらいの三角形に薄くのばしたものをいくつも作っていく。準備が出来たところで石釜風オーブンをいつものように火魔法で予熱。そこに今作ったものを並べる。

 

マルティナさんに任せた鍋の様子を見るとそろそろ煮えた感じなので、フライパンにラードを投入。本当はバターが欲しいんだけど、まだ見つけてないのよね。ほどよくとろけたところで火からおろして、この世界の小麦粉をふるい入れてザクザクと混ぜる。大体混ざったところで弱火にかけてさらに混ぜて、緩んだところで、準備しておいた香辛料を投入。さらに少し火を通したらちょっと舐めてみる。うん、いい感じ。嘘です。あたしにはちょっと刺激が強すぎました。でもこれくらいにする必要はあると思うの。

 

「マルティナさん。これをそちらの鍋に入れてゆっくり混ぜていてください」

 

マルティナさんに鍋を任せて、あたしは大皿を持ってオーブンに向かう。

 

「うん、いい感じに焼きあがったわね」

 

その頃にはマルティナさんの混ぜる鍋からスパイシーないい匂いがしてきていた。

大皿に焼きあがったものを載せてテーブルに運ぶ。

 

「マルティナさん、そろそろいいわ。ありがとう。瑶さんをダイニングに呼んできて」

 

あたしは、鍋からスープ皿にとりわけてテーブルに並べる。瑶さん喜んでくれるかな。



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第109話 朝未の料理③

ダイニングに瑶さんが鼻をひくつかせてやってきたわ。

 

「瑶さん、今日の晩御飯はマルティナさんにも手伝ってもらって大分手を掛けてみました」

「こ、これはひょっとしてカレーか?」

「はい。この世界にはカレールーどころかガラムマサラやカレー粉に相当するものがなさそうだったのでゼロから作ってみたんです。初めてなので完ぺきとは言えないとは思いますけど、まずまずの出来だと思います。お米を見つけられていないのでナンもどきも作ってみました。」

 

そんなことを話していると、クウーっとかわいらしい音が横から聞こえてきたわ。チラリ見るとマルティナさんがほほを赤く染めて恥ずかしそうにしているじゃないの。これ以上待たせるのはかわいそうね。何より冷める前に食べてほしいし、あたし自身も食べたい。

 

「さ、座って食べてみてください」

 

 

「いただきます」

 

3人そろって手を出す。

あたしは、まずお手製のナンをちぎってそれだけで食べてみる。ナンとしてはちょっと甘いかしらね。ひょっとしたら無発酵パンの方があうかしら。そのままカレーをつけて食べてみる。

 

「う、あたしにはちょっと辛い」

 

急いでコップにウォーターで水を満たしてゴクゴクと飲む。でも味としては美味しいと思うのよね。

 

「はは、ちょっと辛くしすぎたみたいだね。私はこのくらいが好みだけど、辛さの好みの違うメンバーで食べるときには、少し辛さを抑えめにして別で辛さを足すスパイスを準備しておいてくれると良いかなって思う。まあ朝未が作ってくれているのだから朝未の好みで作ってくれれば十分だけどね。このカレーは辛みが少なくても美味しそうだし」

 

うん、瑶さんは気に入ってくれたみたいね。むしろあたしに気を配ってくれたのは嬉しいわ。マルティナさんはどうかしら。あ、舌をだしてヒーヒーしてるわね。

 

「マルティナさん。ちょっと辛すぎましたか?」

 

あたしは聞きながらコップに水を出してマルティナさんに渡した。

 

「んぐんぐ、ヒー。美味しいんですけど辛いです。これがおふたりの故郷の料理ですか?」

 

あ、うしろで瑶さんが肩を揺らして笑ってるわね。

 

「そうですね。カレーと言います。色々なアレンジ料理もあるんですけど、今回はベーシックなものにしてみました。予想より辛くなったのは、あたしがこの国の香辛料に慣れてないのもあります。次からはもう少しマイルドに仕上げて、瑶さん用に追加用スパイスを用意するようにします」

「このカレーって美味しいですけど、香りが立ちすぎるので狩場での野営では食べられそうにないですね」

 

狩場での野営ってそんなに気に入ってくれたのね。

 

「そうですね。野営ではちょっと無理かしらね」

 

「ところで、朝未、お代わりはあるかな?」

 

瑶さんが、何か申し訳なさそうに聞いてきたわね。

 

「大丈夫ですよ。ナンも、もう何枚か焼きましょうか?」

「ああ、あと、そうだね、3枚焼いてもらえるかな」

 

ちょっとあたしとマルティナさんには辛すぎたけど、初めてにしては良かったのよね。

食後はあたしはハーブティー、瑶さんとマルティナさんは最近手に入れたちょっとは飲める味だというワイン

を飲みながら雑談している。

 

「しかし、改めて思うけど、朝未って料理がうまいよね。日本でもこんなに料理してたの?」

「そうですね。元々料理自体は嫌いじゃなかったので日本でもそれなりにやってました。でも、こっちに来てからやってるほどじゃなかったですね。まあ、日本に比べて色々自作しないといけないので手間はかかってますけどね。幸い知識だけはありましたし、日本にいた頃もいつかやってみたいって思っていたので、これはこれで楽しいです」

 

喜んで食べてくれる人がいるのも大きいんだけどね。

 

「明日は、朝から小麦の製粉作業と出来た小麦粉の確認をして……。瑶さん、うどんとパスタどっちが先に食べたいですか?」

「どっちがって、朝未って両方つくれるのかい?」

「うどんもパスタもそれほど難しくはないから作れますよ。素麺となるとちょっとすぐに出来る自信ないですけど。それでもいつかは手延べ素麺に挑戦してみたいですね」

「なるほど、うすうすそうじゃないかとは思っていたけど朝未は料理女子だったんだね。それでうどんかパスタかって話だったね。カレーを食べさせてもらったから、次はうどんが良いな」

「うどんですね。わかりました」

薄力粉相当の小麦があるといいんだけど。そのあたりは明日の確認結果しだいかしらね。つゆは茸出汁と魚醤でなんとかなるかしらね。

 

 

翌日、朝食はいつもの天然酵母パンと、野菜スープ。今日は昨日作ったコンソメがあるのでいつもよりちょっと美味しいスープになって瑶さんもマルティナさんも喜んでくれたわ。

 

「今日は何をするつもりって、うどんを作ってくれるって言っていたね」

「ええ、そのための小麦粉を選びます。いえ、正確には小麦粉にした時の種類を確認しようと思っています。とは言ってもグルテンの量で仕分けるくらいしか出来ないですけどね」

 

ペロリと舌を出しておどけてみせる。でも、きちんと仕分けをした小麦は食生活で大切だものね。お米ってどこかに無いかしらね。



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第110話 朝未の料理④

昨日のうちに水に漬けておいた麦を確認しているのだけど、このくらいでいいのよね。さすがに知識だけで実際にやったことのないことだと自信が持てないのよね。

 

「ま、失敗だったらそれはその時のことね」

 

この世界ではロールでの皮むきなんてできないので、日本ではもう使われない石臼での方法を使うしかないのよね。

 

とりあえず一番目の粗い石臼で挽いてみる。この方法だとどうしても少し皮が混入するらしいという知識はあるのだけどしかたない。

 

石臼から零れてきた小麦は一部粉っぽくなっているけど、割と良い感じに皮が剝けているわね。もちろん皮も実も一緒に混ざっているけど、これならより分けはある程度できそう。

まずは、目の細かい篩で細かい皮の破片をより分けてみる。多少実の部分も落ちて、この世界ではもったいないっていわれるかもしれないけど許容範囲かしらね。

 

次は、風属性魔法で弱い風を当てて、皮だけが吹き飛ばす。ちょっと調整が難しいけど大体飛ばせたかしらね。最後に、木工職人さんに作ってもらった箱に向けて強めの風で吹き飛ばす。うん、ここまではより分けに篩をつかってきたから実と同じくらいのサイズの砂粒がやっぱり残っていたみたいね。砂粒が混ざっていかない程度の風で吹き飛ばすと少しだけだけど砂粒が残ったもの。

 

ここまでくれば後は粉にしていけばいいわね。元の世界だともっと細かく仕分けていくって聞いたけどさすがにそこまでするつもりはないもの。

 

それでも目の粗い石臼から少しずつ目の細かい石臼を使っていく。

 

出来上がった小麦粉は日本で使っていたものと比べれば少しだけ色がくすんでいるけど、これまでこの世界で手に入れてきた小麦粉に比べればずっと白い。粒は少し粗めに挽いてある。パスタでは少し粗挽きのハード系の小麦粉を使うはずだものね。これは料理が楽しみだわ。ナンやパンなら粒の粗さはあまり気にならなかったけど、これから作ろうと思っている麵類だと多分大分差が出ると思うのよね。目的によって仕上げ挽きしたら楽しそうだわ。

 

とは言ってもどの小麦粉を使うかは選ばないといけないのよね。ちょっと迷ったけど、それぞれの粉を一握り分くらいずつ手に取って少しずつ水を加えて練っていく。小麦粉の一部が水で流れていくけどそのまま続けて流れ出すものがなくなるまで続けた。日本での知識だと残ったものがグルテンのはずなのよね。どのくらい違いが出るかしら。

 

「朝未、随分と集中していたけど、どんな具合かな?」

「え、ええ。それぞれの種類で数キロずつくらいずつくらいを粗挽きにして、グルテンの量を調べたところです。嬉しいことに薄力粉、中力粉、強力粉、それに多分元の世界のデュラム小麦に近い感じの小麦まであったのでこれからの食事に期待してください」

 

ふふふ、うどん、パスタ、ピザ、色々なパン、各種ケーキ作っちゃいますよ。あ、ラーメンはまだかんすいを見つけられていないので保留。各種ケーキって言っても牛乳を手に入れられてないので生クリームやバターを使うお菓子は作れないのよね。残念。

 

でも、とりあえず今日はうどんを打ちます。

ひとつまみの塩を混ぜた薄力粉木製のボールに入れて水をまわし入れてまぜまぜ。日本でならステンレス製のボールを使うところなんだけど、この世界で錆びにくい金属ってブルーメタル以上になっちゃうのよね。ぶっちゃけ高すぎる。なのでこういった家庭用品だとどうしても木製になるの。それにこの世界の木製品って実はとっても高性能。むしろこういった用途なら金属より木製品の方が向いているのじゃないかしら。

 

ということで、生地がそぼろ状になるまでまぜまぜ。そぼろ状になったところでこねる、こねる。こねて生地をまとめていく、どんどん変わっていくのが楽しいわね。

 

生地がまとまったところで作業台に薄力粉で打ち粉をしてそちらに生地をだす。ここからがこの世界に来て高性能になったあたしの身体の力の発揮どころね。グイグイと体重をかけてこねる。体重はあまり増えていないのでタイミングと腕力で代わりにこねる。日本にいる頃なら足ふみでこねるところね。

 

きっちりこねて表面が滑らかになったところで丸くまとめて、濡れ布巾で包んでねかす。

ここでちょっと一息ね。

 

「ふー」

 

息を吐いて周りを見回すと瑶さんとマルティナさんが興味深そうにみているじゃないの。ちょっと恥ずかしくなっちゃった。あたし変な独り言とか口にしてないわよね。

 

「おつかれさま、随分と集中してたね」

「えっと瑶さん、いつから見てたんですか?」

「塊になった生地を台に出して朝未が嬉しそうにこね始めたあたりからかな」

「あ、あたし、何か言ってました?」

「いや、特には。ただとても嬉しそうにこねてたね」

 

セ、セーフ。それならセーフね。

 

「き、生地を休ませている今のうちに、うどんつゆを作りますね……」

 

魚醤をうどんつゆに使う場合は確かシンプルに魚醤のうまみを生かすのが良かったはず。出汁にするのは今のところ乾燥茸しかないので茸出汁。でも控えめにして魚醤も生のままだときついからひと煮立ちさせてっと。

小皿にひとすくい。お味見。

 

「うん、ちょっと癖はあるけど良い感じ」

 

あら?瑶さんとマルティナさんがじっと見ているわね。

 

「味見します?」

「もちろん」

「是非お願い致します。」

 

ふふ、瑶さんもマルティナさんも食い気味に返事を返してくれたわ。



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第111話 5級

「ごちそうさま。おいしかったよ」

「ごちそうさまでした。これもお2人の国の料理なんですね。とても美味しかったです。ただ、フォークだとちょっと食べにくかったので、そのお箸というものの使い方を今度教えていただけますか?」

 

うどんをたっぷりと堪能して食後のお茶を楽しんでいると玄関に人の気配がした。別に探知魔法を展開していなくてもこの程度なら分かるようになったのよね。それでも念のためマインドサーチを発動する。

 

「玄関に人です。来客ですかね。マインドサーチには悪意は感じられません」

「わたしが出ます」

 

あたしの言葉にマルティナさんが即座に反応して玄関に向かってくれた。

ウィンドイヤーを発動すれば玄関での会話くらいいくらでも聞けるけど、別に敵意のある相手じゃないしいいわよね。

 

「ハンターギルドからの使いでした」

 

少しして戻ってきたマルティナさんは単なる言伝だったという。

 

「早めにハンターギルドに来てほしいそうです」

「要件は何か聞いている?」

「いえヨウ様、使いの者も単にギルドに来てほしいとの伝言だけだそうです」

「朝未、とりあえず使いの人間からは悪意は感じられなかったんだよね」

 

マルティナさんからの話に瑶さんがあたしに確認をとってきた。

 

「ええ、少なくとも使いの人自身には悪意は感じられませんでした。それに現状あたし達に悪意を向ける理由はハンターギルドには無いと思うんですよね」

「そうだね。とは言っても理由も分からないし、行ってみるしかないかな」

 

瑶さんの言葉にあたし達は身支度を整えてハンターギルドに向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

「暁影のそらのみなさん、お待ちしておりました」

 

ハンターギルドではさっそくパオラさんが声をかけてきてくれた。

 

「何か用があるとか?」

「ええ、要件はふたつありまして、ひとつは、ついでの時でもよかったのですが、みなさんしばらくギルドに顔を出されなかったので、お待ちしている間に別件が持ち上がったものですから」

「ああ、すまない。装備の注文にグライナーに行ってたんだ。それで、せっかくだから装備が揃うまでは狩りを控えめにしようって事になってな」

「そうなんですね。慎重で良いと思います」

 

「ところで呼ばれた要件は?」

「あ、そうでした。こちらへ」

 

 

 

あたし達がパオラさんに連れられて行ったのは、カウンターの奥の部屋。そういえばエルリックでも、こんな部屋につれていかれたことあったわね。

 

「こちらでお待ちください」

 

パオラさんは、あたし達にお茶を出すと、一旦部屋を出ていった。

 

「これってギルマス登場パターンかしらね」

「そうだろうね。そうじゃなきゃ、パオラさんがわざわざ席を外す必要ないからね」

 

あたし達がお茶を飲み終わり、少し手持ち無沙汰を感じ始めたころにドアがノックされた。

 

「はい、どうぞ」

「お待たせしました」

 

パオラさんにドアを開けさせて入ってきたのは予想していたのとは違ったやや優男風の人だった。

 

「ご紹介します。こちらハンターギルドクリフ支部ギルドマスターのアイノアです」

「アイノア……さん?」

 

アイノア……女性名よね。まあ女性と言われても違和感のない見た目だけど、ハンターギルドのギルドマスターが女性ってあるのかしら?

 

「はじめまして。ギルドマスターのアイノアです。こう見えても女ですよ。女のギルドマスターは珍しいので戸惑うのは分かりますが、実力さえあれば女だからって何か変わるわけでは無いですし、これでも元4級ハンターなんですよ」

「ご、ごめんなさい」

「ふふ、気にしなくていいんですよ」

「ギルマス、そろそろ本題を」

 

あたしとアイノアさんのやりとりにパオラさんが、そろそろと口をはさんできた。

 

「そうだな。では、さっそく本題に入ろう」

 

アイノアさんの言葉に、パオラさんが口を開いた。

 

「ヨウ様、アサミ様。ご起立願います」

 

パオラさんの言葉に従いあたしと瑶さんは立ち上がる。

 

「ヨウならびにアサミ。2人の実績および実力を勘案し、ここに5級ハンターへの昇級を認める」

「は?もうですか?」

「ふ、初日からオーガやトロールを単独パーティーで狩ってくるやつらを6級のままにしてはおけんよ。パオラ、ハンター証を」」

 

「ヨウ様、アサミ様こちらが新しいハンター証となります。6級のハンター証と交換になります」

 

あたしと瑶さんが6級のハンター証である銅の板をパオラさんに渡すと引き換えに銀のハンター証を渡された。

 

「はい、これでヨウ様とアサミ様もマルティナと並んで5級ハンターとなります。悪いけどマルティナは5級のまま据え置きね。実力があるのは分かっているからじっくり実績を積んでね」

「分かっている。さすがに4級としての働きはまだしていないのは理解しているわ」

 

「さて、ヨウとアサミのランクアップが澄んだところで、もうひとつの方だ。ああ、座ってくれ」

 

アイノアさんの言葉にあたし達はテーブルについた。

 

「それで、もうひとつのお話というのは、なんでしょうか?」

「まあ、あわてるな。まずは、マルティナはこのクリフ周辺の魔物の種類について知っているよな」

「え、ええ。あまり深いところまで探索したことはありませんが、浅い場所でのものなら。主にゴブリンやオーク、稀にオーガやトロールが出てくるくらいですね。クリフで活動するハンターとしては実力の低いハンターパーティーがオーガやトロールに出会うと痛い目に合うって感じですね」

「そうだ。オーガやトロールは6級ハンターパーティーには少々脅威だが、そんなものはそうそう出てこない。警戒を怠らず浅い場所で狩りをしている分には6級でも十分対応できるはずなんだ。はずなんだが、最近6級ハンターパーティーの未帰還が相次いでいる。さらに、一部ハンターからアンデッドの目撃証言があったんだ」

 

「アンデッドってゾンビとかスケルトンとかですか?」

「主にはその2種類のようだな。他にシャドウが数体確認されている」

 

うわあ、嫌な予感がバシバシするわね。



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第112話 アンデッド?

「そのアンデッドっていうのは普段は近くにいないのよね」

「そうだ」

「奥にはいるものなの?」

「いる。が、今回のように大量にというのは確認されたことはないな」

「それでも、今までもいたということは、斃せるんですよね」

「ゾンビやスケルトン、そしてその上位種たるグール、スケルトンナイトなんかは殴り切りふせ魔石を破壊するか、もしくは取り出せば斃せるし、思い切りバラバラにしてしまえば行動不能になって脅威は排除できる」

「先ほどお話のあったシャドウは?」

「あー、そっちは。実体が無いから普通の武器はすり抜けるだけだ。だから攻撃するなら武器に聖属性を付与して殴るか、聖属性魔法を当てるかだな」

 

アイノアさんの言葉で、予想が出来てしまったわね。

 

「ステファノスさんから連絡でもありましたか?」

「ステファノス?誰だいそれ?」

「エルリックハンターギルドのギルマスです」

「ああ、そういえばそんな名前だったか」

 

あら?ステファノスさんがあたしの聖属性魔法について連絡したのかと思ったのだけど、違ったみたいね。

 

「チガッタナライイデス。ツヅキヲオネガイシマス」

「?まあいい。聖属性魔法の使い手なんてのは神殿か王宮にしかほぼいない。聖属性を付与できる付与術師も一緒だな」

「え、それじゃシャドウっていうのが出てきたときはどうするんですか?」

「逃げる。全力で逃げる。それだけだ」

「逃げられなかった場合はどうなるんですか?」

「聞きたいか?」

「え?そんなにヤバい奴なんですか?」

「聞きたいか?と聞いている」

 

ああ、あれかしら。ドレイン系の攻撃を受けるってやつ。ならこちらから言ってみようかしら。

 

「ひょっとして触れられると力が抜けるとか、命を吸い取られるとかだったり?」

 

あ、アイノアさんが驚いたように目を見張ったわね。じゃあ追撃。

 

「逃げられても場合によっては以前より弱くなってしまったりするとか?」

 

アイノアさんは少しの間あたしの顔をじっと見てため息をついた。

 

「まあ、シャドウ程度ならそれほど致命的じゃないが、アサミの言った通りの攻撃を受ける。今は確認されていないがレイスあたりになると割とシャレにならないレベルで吸い取られるな。しかも、普通の攻撃は通用しない。だからこそ、逃げるわけだ」

「その、魔法も聖属性以外は効かない感じ……なんですね?」

「そうだな。過去には火属性魔法でシャドウを斃したという記録はあるにはあるがな」

「え、それじゃあ……」

「ただ、その火属性魔法を放ったのは聖女だ。意味はわかるだろう?」

「ただの火属性魔法じゃなく、聖属性ののった見た目だけ火属性の魔法ってことですか」

 

あたしは思わずため息をついてしまった。でもここまでアイノアさん、あたしに対してばかり話しかけてるわね。見ればアイノアさんはニコニコしているし。

 

「いつからですか?」

「いつ、とは?」

「あたしについて気付いたのはいつかって聞いてるんです」

「気付く?……ああ、そういうことか。お前たちのことはエルリックからの書簡で連絡を受けているぞ」

「え?さっきステファノスさんから連絡を受けていないって」

「連絡を受けていないとは言っていないぞ。エルリックのギルドマスターがステファノスだということを忘れていただけだ」

 

「……?あ、あああ!」

 

さり気なく会話に叙述トリックを仕込んでくる。この人あたしの苦手なタイプの人だわ。

 

「で、私達に何をやらせたいんですか?」

「できれば、アンデッドを積極的に狩ってほしい。ついでにアンデッドがあふれてきた原因調査が出来ればなお良いな」

「強制ではないですよね」

「もちろんだ。それに指名依頼にするのでなく、この部屋で個別に話していることで配慮をみせているつもりだ」

 

ここにきて瑶さんが、対応を変わってくれた。ちょっと返事に困っていたので助かったわ。

でも、これって体のいい強制よね。

 

「わかりました。ただ、どうするかはパーティーメンバーで話し合って決めます」

「うんうん、もちろんだ。いい返事を期待しているよ」

 

瑶さんがうまくまとめてくれたので、あたし達はハンターギルドを辞して、家に帰ってきた。

 

 

「で、瑶さんどうしましょう?」

「私より、朝未の方がアイディアありそうに見えるんだけど?まあいいか。とりあえず状況を整理しようか」

 

あたしとマルティナさんが頷いたのを見て瑶さんがひとつひとつ上げていってくれる。

 

「まず、アンデッドには実体のあるゾンビやスケルトンとその上位種と、シャドウ、レイスといった実体のないタイプがある。そして実体のあるゾンビやスケルトンは普通の武器でも斃せるけど、実体のないシャドウやレイスは普通の武器では斃せない。ここまでは良いかな」

「実体のあるアンデッドが普通の武器で斃せると言っても、魔石を取り出すとか行動不能なくらいまでダメージ与える必要がありますよね」

「まあ、それでも普通の武器でも対応可能ってことだね。対して実体のないアンデッドは聖属性魔法でないと対応できない。しかも攻撃を受けると力を抜かれる。ここまでは良いね」

 

あたしもマルティナさんもそこまでは理解している。

 

「となると普通に考えれば、実体のあるタイプは私とマルティナさんが対応して、朝未には実体のないタイプが出てきた場合に備えてもらうというのが基本になりそうだね」

「あ、あの。確実じゃないですけど可能性のあることがあって、実験してみたいんですけど」

 

あたしはそっと手を挙げた。



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第113話 エンチャント

「朝未、実験って屋内でいきなり剣を持ち出してどうするの?」

「日本で読んだラノベにあったんです。出来るかどうかわかりませんけど、ちょっとやってみます」

 

とりあえず、古い方のあたしの短剣を持ってきて魔力を練る。それを少しずつ剣に押し込むようにして……。

 

「パン!」

 

小さな破裂音とともに部屋を青白い光が照らした。

 

「失敗したあ」

 

目がチカチカする。これ庭でやってたらご近所から人が集まってきちゃってたわね。

 

「で、朝未。今のは何をしようとしていたんだい?」

「えっと、あたしの魔力って、それ自体が聖属性あるみたいじゃないですか。なので、武器にあたしの魔力を浸透させて聖属性の魔力剣に出来ないかなと思ったんです。今のは失敗しちゃいましたけどね」

「なんでそんなことを……」

 

あたしは迷った。瑶さんに言うべきかどうか。そして迷ったうえで言うことにした。

 

「瑶さん、気付いてますか?」

「気付くって何に?」

「……瑶さんの魔力にも聖属性がのっていることに気付いていますよね?」

 

あ、瑶さんが固まった。気付いてなかったのね。まあ、瑶さんは攻撃魔法使わないものね。でも生活魔法使うとん以下キラキラするのは気付いていたはずなのに……。そっか、最近はそのあたりもあたしが全部やってたわね。効果も効率もあたしがやった方がいいから。

 

「私の魔力に聖属性が?」

「ええ。エルリックにいたころ瑶さんが生活魔法を使うと何かキラキラしてたじゃないですか。あれはまず間違いなくそのせいです。それに汚れたシャツでの実験でも瑶さんの着ているシャツがきれいになったでしょう」

「そういえば、そんなこともあったね。でもそれと今回の実験に関係があるのかな?」

「あくまでも実験ですけど、うまくいけば瑶さんもあたしも剣でシャドウやレイスなんかの非実体系のアンデッドにダメージを与えられるかもしれないですし、剣だけでなく防具にも魔力を込められればアンデッドに対する防御力も上がるかもしれません。ひょっとしたらエナジードレインに抵抗できるようになるかも」

 

「あ、あのそうするとわたしは対アンデッドの戦いの場では戦力外でしょうか?」

「そんなことないですよ。まずギルマスの話からすれば実体のあるアンデッド相手なら今のままのマルティナさんでも十分戦えると思うの。それにこのあと試してみたいことがまだあるのだけど、それがうまくいけばマルティナさんも非実体アンデッド相手でも戦えます。だから少し実験に付き合ってください」

 

「朝未が、対アンデッド戦に向けて戦力強化をしようとしていることは何となくわかったけど、もう少し詳しく説明してもらえないかな?」

 

マルティナさんに説明していると瑶さんが説明を求めてきちゃったわね。ゲーマーな瑶さんなら言わなくてもわかるかと思ったのだけど……。あ、あたしがやろうとしている事はゲームじゃなくてファンタジー系のラノベの方のやり方だったわ。失敗したわね。頑張って最初から説明するしかないか。

 

「えと、まず前提条件として、アンデッドには聖属性が乗った攻撃が有効、特に非実体のアンデッドでは聖属性での攻撃以外は意味がないですよね」

 

瑶さんとマルティナさんが頷いたのを見て続ける。

 

「あたしの場合は、聖属性魔法が使えるので有効な攻撃が出来ます。でも、無詠唱で魔法を撃てるとは言っても今のあたしでは魔法を発動させるのにどうしても溜めが必要です。となると咄嗟の際に間に合わない可能性もあるってことです」

「でも、アサミ様の魔法の発動より早く対応するというのは簡単ではないと思います。かなり上位の剣士が近接しているときくらいじゃないでしょうか」

 

マルティナさんが、あたしの欲しい答えを出してくれたわ。

 

「かなり上位の剣士のレベルはわかりませんが、あたしが剣を振るう速さもあたしが魔法を発動させるよりは速いと思っているんですがどうですか?」

「た、たしかにアサミ様の剣技も並ではありませんが……」

「なので、剣にあたしの魔力を纏わせることが出来たなら、近接戦闘の役に立つのではないかと思ったの。今は失敗しちゃったけどね」

「アサミ様の言われることは分かりますが、さすがに……できるのですか?」

「さっきの感じだと、練習すればできそうなのよね。で、それが出来たら常に聖属性の乗った剣を振り回せるってことになると思うの。そうしたら咄嗟の時にも対応できるわよね」

「そう、ですね。でも、それはあくまでもアサミ様の戦力向上ですよね。やはりわたしは……」

 

「ま、まってまって。あくまでもあたしが自分の魔力を自分の剣に纏わせるのは第1段階よ」

「第1段階、ですか?では第2段階もあると?」

 

「もちろんですよ。自分の剣に魔力を纏わせることが出来たなら、次は自分以外の人の持つ武器に魔力を纏わせることが出来るようになりたいのよね。言い換えれば自分の手から離れた後もある程度の時間魔力を纏った状態にしたいの」

「そんなことが?まだご自分の持つ剣にというのであればわかりますが、手を離れた後までとなると想像もできません」

「でも、できたら素晴らしいと思わない?一緒に戦ってくれる仲間の武器にあたしの魔力を纏わせて強化する。それに可能であれば、あたしのもうひとつの武器、弓を使うときにも矢に魔力を纏わせて強化することもできることになるわ」

「あ、それは確かに素晴らしいですね。アンデッドだけでなく魔物・魔獣に対しても効果が期待できます」

 

他にもあるのだけど、今はここまでで良いわね。



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第114話 エンチャント練習

「パン!」

「パン!」

「パン!」

 

何度となく繰り返し剣へ魔力を押し込む。その度に弾ける光。

 

「うーん、やり方が悪いのかしら」

「あ、あの先ほどからパンパンと弾けていますが、アサミ様のお身体に影響は無いのですか?」

「いえ、あたしはなんともないですよ。むしろ剣の方が……。あ、ひょっとしたら……。マルティナさん、あたしの新しい剣を持ってきてくれませんか」

「は、はい」

 

マルティナさんがあたしの剣を取りにパタパタと走っていく後姿を眺めながら、何度も何度も剣に魔力を押し込む。

 

何度押し込んでも「パン!」と弾けるばかりで留まってくれないのよね。でも、感じとしては剣に魔力が透って行って貯まり切れないで弾ける感じ。そう、いうなら、風船に空気を入れていくけどそれに耐えきれず、風船自体が割れるような感覚なのよね。剣は壊れてないけど。この鉄の剣だと何かが耐えられないみたい。いえ、ひょっとするとあたしが慣れれば鉄の剣でも魔力を込められるようになるのかもしれないけど、少なくとも今のままでは無理そうなのよね。だから、マルティナさんに新しい剣を持ってきてもらうことにした。

 

「アサミ様。お持ちしました」

「マルティナさん、ありがとうございます」

 

マルティナさんから新しい短剣を受け取り、さっそく魔力を込めていく。さっきまでの苦労がウソのように魔力が浸透していく。剣が青白い光を帯び、聖属性が付与されたのが感じられた。

 

「あ、なるほど。さっきは無理やり押し込んだけど……」

「アサミ様?」

「あ、ううん。ちょっとやり方がわかったかもしれなくて。ちょっと前の剣でやってみるわね」

 

あたしは、もう一度鉄の剣を持って魔力を込める。今までのように無理やり押し込むのではなく包み込んでしみこませるように。するとブルーメタルの短剣に込めるよりは抵抗を感じたけれど少しずつ魔力が浸透してくのを感じる。最終的にはブルーメタルの短剣に込めることが出来た魔力よりは少ないけれども魔力を込めることが出来た。

 

「出来た」

「アサミ様、凄いです」

「これなら多分、非実体のアンデッドにもダメージ通ると思う。ただ……」

「何か問題があるのですか?」

 

マルティナさんが首をかしげて聞いてきたので、あたしは持っていた2本の短剣をそっと床に置いて見せた。

 

「あ、これは……」

「わかります?あたしの手から離れるとすぐに纏わせていた魔力が散ってしまうんです」

 

それから、何度もやり直してみたのだけど、何度やってもあたしの手を離れるとただの短剣に戻ってしまった。

 

「うーん、これは何か根本的なものが違うのかしらね」

「朝未。根を詰めすぎるのは良くないよ。もう半日近く練習し続けているよ。少し休憩したらどうだい」

 

そう言いながら瑶さんがお茶を入れてきてくれた。

 

「ありがとうございます。中々うまくいかないです。あ、でも瑶さんもこの持っている剣に魔力を纏わせるのは練習してくださいね。役に立つと思いますから」

「わかった。私も練習してみるよ」

 

 

 

中々定着しないわね。魔力の流し方を変えたほうが良いのかしら。そんなことを考えながら練習をしていると剣に魔力を流し込もうとしている瑶さんが目に入った。苦戦しているみたいね。

 

「瑶さん。うまくいってないみたいですね」

「ん。うん、私は普段あまり魔法を使わないせいか魔力をうまく操作できなくてね」

 

ああ、そっか、普段の戦闘では瑶さん前衛で物理だものね。うーん、それならと、瑶さんが魔力を込めようとしている手にあたしの手を重ねてみる。

 

「え?朝未、何を?」

「えと、瑶さんの手を通してあたしが魔力を操作してみます。ひょっとしたら魔力の動きとかのヒントになるかもしれないので」

「ああ、なるほど。頼む」

 

 

 

瑶さんの手を通して剣に魔力を纏わせていく。包み込みしみ込ませるように。間に瑶さんの手が入っているぶん少し感じが違うけど、少しずつ、それでも確実に。

 

「瑶さん、魔力の動き分かりますか?」

「う、うん、なるほど、こういう感じなんだね。なんとなくわかる。今まで私はなんというか力ずくで押し込もうとしていたんだね。なるほどなるほど。朝未、ありがとう。今度は自分でやってみるよ」

 

あたしが重ねた手を離すと、瑶さんが自分でソロソロと魔力で剣を覆うように纏わせ始めた。まだ拙い感じだけど普段から魔法を使って魔力の扱いになれているあたしと近接戦闘をメインにしている瑶さんじゃ勝手が違うのは当然だものね。でも、この感じならそう時間をかけることなく成功しそう。その間にあたしは自分から離れたあとにも魔力が残るように工夫をしないとね。それにさっき瑶さんの手越しに剣に魔力を送った時の感じ、あれは補助魔法を使った時の感じに近かったのよね。もしかしたらという感じがある。せっかく思い付いたのなら試してみないとね。

 

 

 

 

まずは、普通に補助魔法を剣に対して使ってみる。何が良いかしらね。うん、選ぶ必要はないわね。全部かけてみよう。

 

「プロテクション、シェル、マッシブ、アクセル、ハイアジ、アキュラシー」

 

もし反射してこちらにダメージ来たら怖いのでリフレクだけはやめておいた。

 

「まさか本当に剣に補助魔法を掛けられるとは思わなかったわ」

「あの、アサミ様。剣に補助魔法を掛けられたようですが、それにどのような意味があるのですか?」

「これ自体には意味はありません。いや、ひょっとしたら後々意味があることが分かるかもしれませんけど、今はあたしの手が離れた状態であたしの魔力を纏わすための前段階の練習ですね」

 

マルティナさんが不思議そうな顔で見てくるけど、あたしだって自信があるわけじゃないもの。

 

「さ、次の段階に挑戦ね」



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第115話 ?????

「勇者様方。そろそろ模擬戦では訓練の意味が無くなってきておりますな」

 

フィアン・ビダルさんが今日は特に強い口調で指摘してきた。わかっている、召喚されて10カ月程、そろそろ聖堂騎士を含め人間相手の模擬戦では技術的にも体力的にも精神的にも私達の能力の向上は望めなくなってきている。となれば彼らとしては実戦に向かわせたいと思うだろうことは予想できていた。そして、それを断るのは既に悪手だろう。

 

「ふう、そうですね。ですが、実戦となれば思わぬ失敗もつきものです。難易度の低いものからお願いします。以前にも申し上げましたが、私達は生き物を殺すことなど無い世界で生きてきました。戦闘訓練でこそ慌てる事がなくなりましたが実戦はまた違うでしょう」

「わかりました。最上様の言われる事、まったくその通りと存じます。適当な魔物をお探ししましょう」

「ありがとうございます。私達も最善を尽くしましょう」

 

わたしの受け答えに満足したようにフィアン・ビダルさんが笑みを浮かべながら去っていくと早速大地が寄ってきた。

 

「おい、今の司祭長のおっさんだろ。何を話してたんだ?」

「実戦よ」

「なんだって、ずっと拒否してきたじゃないか。今更なんで……」

 

やっぱり大地は現実を見られていない。多大な手間をかけて強力な兵器を手に入れたのに使わないわけないじゃないの。

 

「多少は相手の望みを叶えておかないと廃棄処分されるってことよ」

「え、廃棄処分?なんだよそれ。あいつらにとって俺たちは強力な戦力なんだろ。それを廃棄処分なんてないだろ?」

「わかってないわね。彼らにとって私達は、強力な戦力ではなくて強力な兵器よ」

「なんだよ、戦力だろうと兵器だろうと一緒だろ」

 

やっぱり大地はわかってないわね。私はため息がでるのをこらえられなかった。

 

「戦力ってのは軍団だとか兵団だとかを含めて、あくまでも人よ」

「ん?なら兵器ってのは?」

「わからないの?……そうね、例えばこの剣よ」

 

私に与えられた長剣を大地に見せる。

 

「剣だな。普通の剣の中ではかなり良い物だって聞いてるけど」

「まだわからないの?剣は武器、この世界基準でなら兵器といっていいでしょうね。役に立たない武器はどうすると思う?」

「役に立つように整備するんじゃないか?」

「そうね。そして、十分に整備した武器がなお役にたたなかったら、どうすると思う?」

「そりゃ整備しても役に立たなけりゃ捨てるだろ?置いておくだけ邪魔だからな」

「わかっているじゃないの。言ってみればその武器を整備するのに該当するのが私達がやってきた戦闘訓練よ。そして向こうとしては、訓練は十分、言い換えれば十分に整備が終わったと考えているわ。それでも使えないとなれば」

 

大地に向かって首の前で親指を左から右にスッとかき切るように動かして見せた。

 

「勝手に召喚してきておいて、しかも俺たちは人間だぞ。物じゃない」

「ふう、まだわからないのね。この世界ではおそらく人権なんてものは無いわ。そしてもっと言えば、同じ役に立たないのなら置いておくだけで衣食住の必要な人間より、どこかの物置にでも突っ込んでおけばいいだけの物の方がましって思われるわ」

 

「じゃあ、俺たちの場合は……」

「ええ、とりあえず魔物を狩って見せる必要はあるでしょうね。時々魔物を狩って見せながら時間を稼ぎながら少しでもこの世界の情報を集めて、元の世界に戻れるのかどうかを調べるの」

 

「戻れるなら?」

「戻るための方法次第だけど、この国の力で戻れるなら協力するしかないでしょうね」

「なら戻れないなら?」

「戻れないと確信できた場合は、2通りね。まずこの国での私達の扱いがまともなら、このまま国に協力して国に生活を保障してもらう」

「まともでないなら?」

「チャンスを探して逃げるの。小雪が言うには元の世界の小説にある冒険者みたいな職業で今の私達なら十分にやっていけると思うから」

「なるほどね。まあ今のところは待遇は良いからな」

「ええ、しばらくは様子見ね」

 

 

 

 

 

「では勇者様方。護衛の騎士団をお付けします。何かご希望がありましたら騎士団長のカロルにお申し付けください。では実戦演習からの無事ご帰還をお待ちしております」

 

あれから4日。私達はフィアン・ビダルさんに見送られ護衛という名の監視役の騎士団に囲まれて魔物討伐に出発した。目的地は聖都トランから東へ馬車で5日ほどにあるパキリドという町。日本の環境に慣れた私達には馬車は見た目だけは豪華だけど乗り心地が悪いし、食事はまずい。水も煮沸しないと飲めたものではない。控えめに言って苦行だわこれ。

 

 

 

 

「こちらで一泊したのち、明日から討伐に入っていただきます。期間は予定通り3日間です」

「わかりました」

 

カロルさんと軽い打ち合わせをしたうえで私達は用意されていた部屋で休むことにする。なんにしても、まずは疑わせないこと。大地は話をしたそうだったけれど、こんな壁の薄そうな宿で打ち合わせをするなんてありえない。

 

 

 

「では、わたくしどもがゴブリンを追い込みます。討伐はお任せいたしますのでよろしくお願いいたします」

 

カロルさんの言葉通り、森の中で騎士団がゴブリンを追い込んでいる。もう少しすれば、森の入り口で待機している私達の前に追い込まれたゴブリンが姿を現すのだろう。

 

「お、来たみたいだな」

 

少し奥から騎士団が追い込んでいる音が聞こえてきたのに大地が最初に気付いて口にした。この手のことには日本にいたころから大地が一番鋭い。なんなのかしらね。

 

「さ、隊列作って待機するわよ。ほら、大地先頭に立って。小雪は一番後ろから魔法で攻撃とサポートお願いね」

 

あたしの言葉に前に出る大地と、小声で詠唱を始める小雪。小雪は補助魔法を掛けてくれるつもりなのだと思う。

小雪の詠唱が終わるたびに、力がみなぎり、動きの精度があがる。他にも防御力を上げてくれているようだけど、そちらは今の段階では実感できない。

 

「来るわよ。大地引き付けてね」

「おう、盾役は任せろ」

「ターゲットは真奈美に任せるけど、深追いはしないでね。そういうのはわたしが魔法で対処するから」

 

大地と小雪が役割を意識して返事をしてくれる。この方法を提案してくれたのは小雪。日本にいたころに遊んでいたオンラインゲームを参考にしているそうだ。

 

そんなことを考えているところに茂みから人より少しだけ小さい緑色の肌の魔物が飛び出してきた。これがゴブリンなのね。

 

「オラー、お前たちの相手はこっちだ!!」

 

相手の注意を引くように大地が飛び出した。

 

「あ、大地出すぎ」

 

そんな大地に後ろから小雪のちょっと焦った声が飛んだ。でも、さすがにもう手遅れね。私も前に出て攻撃に加わることにする。

大地は、5体のゴブリンを相手に盾で攻撃を防ぎつつ聖剣を振るっている。大地の攻撃が当たったゴブリンを選んで私も長剣を切りつけた。ダメージに怯んだゴブリンは下がろうとしているけれど、そこにわたしの後ろから火の矢が飛んでとどめを刺してくれた。小雪のフレアアローだろう。

 

「いい感じよ。続けていくわよ」

 

わたしの掛け声の後ろから大地に青白い光が飛ぶ。ゴブリンの攻撃を一人で引き受けている大地に小雪からの回復魔法ね。

 

「小雪サンキュー」

「そんなお礼を言ってる余裕があるならしっかり防いで」

 

大地と小雪のそんなやり取りにちょっと頬が緩むけど、すぐに気を取り直してわたしも次のターゲットに向かう。

 

 

 

「お疲れ様です。初めての実戦なのに素晴らしいですね」

 

あのあと混乱もなくゴブリン5体を斃しきった私達にカロルさんが賞賛の声をかけてくれた。初の実戦ではもっとグダグダになると思っていたそうだ。

 

「ありがとうございます。思ったより体が動きました。それでも油断しないように少しずつ慣れていきたいと思います」

「少ししたら次の群れを追い込みますので、それまで休憩をしてください」



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第116話 エンチャント実験

あの後、ついにあたしは手を離してもあたしの魔力を纏わせたままに出来るようになったのだけど、次の問題はあった。

 

「アサミ様、アサミ様の魔力を纏わせていただけるのは良いのですが、さすがにこんな短時間では……」

「あはは、そうよね。でも大丈夫。練習して実用的なレベルまで使えるようにしてみせるから」

 

現状では魔力を纏わせておける時間が30秒くらいなのよね。いまのままでも矢に使うには十分だけど、マルティナさんの武器に使うには足りないし次の段階に向かうのはまだまだ先ね。それとは別に思い付いた事もあるので、そっちは実験してみようかな。

 

「ちょっと買い物にでてきます」

「あ、アサミ様。お買い物なら、わたしが……」

「ううん、そこまでじゃないから大丈夫よ」

「なら、わたしもご一緒します」

「えと、来てくれるのは良いけど。別に特別なとこに行くわけじゃないわよ。武器屋と雑貨屋に行ってくるだけだから」

「え、武器ならもうありますよね。何か不具合でもありましたか?」

「違いますよ。ちょっと実験用に安い木剣が欲しくて。木剣ならそんなに高くないでしょ?」

「そうですね。高い物は高いですが、それでもアサミ様の実戦用の剣に比べるような値段ではないですね。安い物ならそれこそ外食1回分程度からありますし」

「そうなのね。でもそういうのが欲しいの」

 

 

 

 

 

武器屋に行くとマルティナさんが言ったように木剣の値段はそこそこお値打ちな値段で売っていた。色々と実験してみたいので10本ほどでいいかしらね。

 

「おいおい、嬢ちゃん。そんなに木剣ばかり買って何しようってんだい?そりゃ金払ってくるんだから売るのは良いが無駄じゃないか」

「ちょっと特殊な練習するつもりなんです。多分そんなにもたないと思うので多めに欲しいだけですよ」

 

そんなやり取りをしながら買った木剣をマジックバッグにしまう。

次は雑貨屋さんね。

 

「こんにちは。薪を一束ください」

「ほいよ」

「いえ、そっちの割ってないほうをください」

「こっちを一束だけかい?5束以上まとめて買ってくれたら家までもっていってやるが、どうするね」

「いえ、1束だけでいいです」

「そうかい、でも嬢ちゃんにはちっとばかり重いと思うがね」

「大丈夫ですよ。あたしこう見えて結構力持ちですから」

 

そう言ってあたしが薪をひょいっと持ち上げると、ちょっと驚いた顔になったわ。これそんなに重いのかしら。あ、そうか今のあたしは街着を着てるからハンターには見えないのかもしれないわね。適当に誤魔化して支払いを済ませて家に帰ることにした。

 

 

 

家に帰るとあたしは早速実験をすることにした。

薪を立て的にして、薪割りの要領で魔力を纏わせた木剣を振るう。

って魔力が入っていかないじゃない。なんというか木剣の根元で止まっているような感じね。これは無理に流し込もうとしても最初の頃と同じ失敗を繰り返すだけかしら。

それでも何度も繰り返すうちになんとなくコツのようなものがわかり、少しずつ木剣に魔力を浸透させられるようになってきた。そしてしばらく試行錯誤と練習をくりかえしどうにか魔力を木剣に纏わせることに成功した。

そして、あたしの考えが正しければ。

”ストン“

振り下ろした木剣によって薪がきれいに縦に割れた。木剣を確認しても特にへこみも何もない。

 

「やっと出来た」

「それは、木剣に魔力を纏わせたのかい?」

 

とたんに後ろから声がかかり飛び上がってしまったわ。

振り向くと瑶さんが興味深そうに見ていて、ちょっと顔が熱くなってきた。実験に集中しすぎて瑶さんが近くに来たのに気付かなかったんだもの。

 

「え、ええ。でも、金属製の剣に比べて随分と魔力を浸透させるのが難しかったですね」

「で、結果がこれかい?凄いな、すっぱりと切れてる」

「ラノベなんかで武器に魔力を纏わせると威力が上がるような描写がよくあったので試してみたんですけど、とりあえず第一段階はうまく行きましたね」

 

「これで第一段階なのかい。次は何をするつもりかな?」

「えと、魔物によって効果的な攻撃がある可能性があるとおもうんですよね」

「そうかな。とりあえずここまではそういうのは感じなかったけど。朝未の魔法もだいたい火属性魔法だったよね」

「あくまでも可能性です。それに普通の生き物は大体火に弱いですから。でもここは魔法のある異世界です。火に耐性のある敵がいるかもしれないじゃないですか」

「うーん、まあ可能性の話ならあり得るのかなn」

「ええ、なのでこうすると」

 

あたしは、魔力を木剣に注ぎ込む。ただし、そこに水属性の魔法のアイスアローを込めるイメージで行った。

うん、これは一発でうまく行ったみたいね。

そのままもう一度薪を的に切りつけた。

 

「今度もきれいに切れたね。さっきと何が違……。冷たい?」

 

あたしが切った薪を調べて瑶さんが驚いているわね。

 

「今回は、アイスアローを込めるイメージで魔力を注いでみました」

「なるほどね、いきなり手の平を返すようだけど、これだと爬虫類なんかが相手にしたときに効果がありそうだね。ちょっと私にそれを貸してもらっていいかな」

「いいですけど、まだあたしの手を離れるとあっという間に効果切れちゃいますよ」

「あ、そっか。そうだったね。それでも一度試させてもらえるかな」

「いいですよ。どうぞ」

 

あたしから木剣を受け取ると瑶さんはすぐに薪に切りつけた。間も何もなく切りつけられた薪はきれいに2つに分かれて倒れたわね。

 

「どうですか?試した感覚として」

「凄いな。これ木剣なのに普通の鉄の剣より切れる。まあ朝未が薪を切った時点でそうだろうとは思っていたけど、ここまで切れるとは思わなかったよ。……あれ?まだ魔力が抜けてない?もういままでだったら効果切れている時間だよね」

 

そこから試した結果、10分ほど維持できるようになっていて。いい方向に予定と違う効果も確認出来たわね。



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第117話 新装備

「マルティナさん。マルティナさんも武器に魔力を纏わせる練習しましょう」

「え?アサミ様、わたしは聖属性に適正ありませんが……」

「シャドウやレイスみたいな非実体のアンデッドには聖属性が必要ですけど、実体のアンデッドそれこそ普通の魔物や魔獣には物理攻撃が有効ですし、それに動物には聖属性は必要ないですよね」

「はあ、そうですけど」

「で、武器に魔力を纏わせるとタダの木剣でもこんなふうに」

 

あたしは木剣に魔力を纏わせ薪を切って見せた。

 

「え?」

「ね、魔力を纏わせるとタダの木剣でもこんな切れ味と丈夫さになるの。これを本物の武器や防具に纏わせたら1ランクも2ランクも上の武器や防具と同じになると思わない?」

「でも、わたしは魔力というものを感じることが出来ないんです」

「そこは、あたしにまかせて。多分大丈夫だから」

「はあ、まあやってみます」

 

そう言って槍を持ち出したマルティナさんの後ろから抱きつくようにして腕を回しあたしはマルティナさんの手に手を重ねる。

 

「あ、あのアサミ様、何をされるのですか?」

 

あら?なぜかマルティナさんが耳まで真っ赤になっているわね。

 

「何って、魔力を纏わせる練習をするんでしょ。こうすればコツみたいなものを伝えられると思うから。瑶さんで実績もあるんですよ」

「そうなんですね。でも、出来れば先に言っていただけると心の準備が出来るので……」

「ごめんなさいね。次からは気を付けますね。それで魔力を纏わせるにはこんなふうにするんです」

「あ、何かほわっとした感じがします」

「うん、それが魔力です。その動きを感じて覚えてください」

 

そうして、何度かマルティナさんの手を通して槍に魔力を纏わせていると、マルティナさんもなんとなく分かったようで自分で魔力を動かし始めた。マルティナさんの動かす魔力を少しずつ誘導してやり方を伝えていく。

 

「アサミ様、なんとなく分かった気がします。しばらく自分でやってみます」

「うん、マルティナさんならきっと出来るようになるから、頑張ってみてね」

 

 

 

マルティナさんに槍への魔力の纏わせ方を教え始めて4日。マルティナさんは、あたしの補助なしでも何となく魔力を纏わせることが出来るようになってきた。そこに瑶さんが声を掛けてきたの。

 

「マルティナさんも武器へ魔力を纏わせることができてきているし、そろそろ防具も出来ている頃だしグライナーに行こうか」

 

瑶さんはマルティナさんが槍に魔力を纏わせられるようになるのを待っていてくれたみたいね。

 

今回はグライナーまでの街道で襲われることもなく順調に到着できた。到着した時間も昼前だったので早速武器屋に向かう。

 

「アルベルトさん、防具は出来てるかい」

「おう、あんたらか。2日前に出来てきたとこさ。まずは試着してみな」

 

瑶さんの言葉に軽く返事をしてくれたアルベルトさんだったけど、あたしを見てちょっと首を傾げている。

 

「嬢ちゃん、あんたエンチャントしてるだろ?」

「え?エンチャント?」

 

あたしは確かに最近は探知魔法と一緒に防具に常時魔力を通すようにしているけど、わかるの?そしてだいぶ安定してきたので実は次の段階を考えている。

 

「なんでわかるかって顔だな。ポンチョの陰からチラリと見えたチェインメイルが独特の光を帯びていたから気づいたんだよ」

「ああ、見る人が見ればわかる感じですか?」

「まあ、そうだな。それでもあの程度なら晴れた日の昼間屋外でならほとんど気づかないかもしれんが。それはそうとこれらを注文に来た時には使ってなかったよな」

「あれから覚えました」

「は?あれから?こんな短期間で?あの時までもずっと練習していて最近出来るようになったのではなく?」

「はい、あのあとクリフに戻ってから練習して出来るようになりました。最初は武器だけだったんですけど、今は防具にも同時に出来るようになったんですよ」

「いや、武器にだけエンチャントできるようになるのだって普通は高位の魔法使いが年単位の修練をしてやっとなんだが」

「でも、武器だけならうちのパーティーメンバー他の2人もあれからの練習で出来るようになりましたよ」

 

あ、アルベルトさんが口をパクパクさせて声もないみたいね。

 

「エンチャント出来るハンターならもっと、あ、いや予算がネックか……」

 

気を取り直したアルベルトさん、何か独り言を口にしてるけど予算は有限だから高い武器は欲しくても買えないからね。

 

そんな中でも瑶さんとマルティナさんが防具の試着を進め問題が無いことを確認していた。

 

「さ、あとは嬢ちゃんだ」

 

衝立の裏側で今までつけていた防具を脱ぎ、新しいものに着替える。そうすると今までの防具がかなり小さくなっていたことに改めて気付いた。半年前にかなり大きめにエルリックで作った防具がこれほど小さくなるほど身体が大きくなっていたことには驚いたわね。今回も大きめに作ってもらったので、あちこちにサイズ調整のベルトがあるので、それを締めてサイズを合わせる。こんなものかしらね。鏡なんてものは無いので自分で適当に調整して表に出る。

 

「ふむ、ちょっとこっちに来な」

 

アルベルトさんに呼ばれていくと、いくつかのベルトを調整してくれた。さらにフィット感が良くなったわね。

 

「どうだ?」

「ええ、動きやすいですね。特別に負担のかかる感じも無いです」

 

ついでに魔力を通してみる。

 

「え?」

 

思わず声が出ちゃったわ。ものすごく魔力が通りやすい。

 

「驚いたな。そんな簡単にエンチャントできるのか」

「凄く魔力がなじみます。瑶さんもマルティナさんも試してみると良いと思いますよ」

 

あたしが呼びかけると、2人の防具がふわりとわずかに光を帯びる。ふたりとも驚いた顔をしているわね。

 

「これは凄いな。これなら武器と防具両方同時に魔力を込められる」

「わたしもこれほど簡単に魔力を込められるのなら少し練習をすればできるようになりそうです」

 

でも、ふたりより驚いている人がいたわ。

 

「な、なんだ。3人が3人ともエンチャントできるとは。ひょっとして実は3人とも高位の魔法使いなのか?」

 



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第118話 新しい武器とエンチャントの効果

グライナーからクリフに戻ったあたし達は、さっそくハンターギルドに顔を出した。あ、補助魔法てんこ盛りで走ったら馬車で5日ほど掛かるところを1日で着いちゃったのよね。正確な速さはわからないけど、日本にいたころに興味本位で調べた感じだと、この世界の道路事情からすると馬車は1日で70キロくらい移動してると思うから、その5日分を補助魔法ありでとはいえフル武装で1日で走り切れるあたし達は今更ながらかなり人間離れしてきてるかもしれない。

 

 

 

「装備は揃った。例の件。情報がほしいんだが」

「はい。参加していただけるのですね。ありがとうございます」

 

瑶さんが、受付カウンターに座っていたパオラさんに声をかけた。

パオラさんは、その場でクリフ周辺の地図を出してきて説明を始めようとしたので、ちょっと焦った。

 

「え?ここでいいの?」

「はい、この情報自体はハンターの安全のためにも周知していますから大丈夫です。このあいだのは、特殊でしたから」

 

とパオラさんは笑顔でウィンクをする。

どうやら、あれは、本当にあたし達に対する配慮のためだったみたいね。ありがたいわ。

 

「場所は、北の森ですね。わりと浅い場所からゾンビやスケルトンが出没します。少し奥ではグール、スケルトンナイト、シャドウが確認されています。この辺りですね。その奥はレイスが出没するため、ほとんどのハンターが入りたがらず、詳細がわからない状況です」

「アンデッド以外の魔物や魔獣は?」

「通常より少ないようですが、浅い場所にはゴブリンやオーク、マーダーボアあたりが出ます。そうは言ってもこのあたりの魔物、魔獣なら、ここクリフで活動しているハンターには問題になりませんね。問題はこの辺りでも普段はめったに目にしないオーガやトロールも出始めていることです。少し奥に入るとオーガやトロールが小さめの群れで出没します。さらに奥は現状は確認できません。平時であれば魔獣はブラインドバイパー、動物ではありますが猛獣のワイルドティーガーが出ます。それがこの辺り。これより奥は現状では十分に探索されておらずよくわかっていないというのが正直なところです」

 

あ、瑶さんがあたしに視線を向けてきたわね。あたしはちょっと考えて頷く。

 

「わかりました。とりあえずひと当てして、状況を確認してくることにします」

 

 

 

ハンターギルドから出て、あたし達はすぐに北門に向かう。

門の番をしている衛兵さんに軽く挨拶だけして森へ向かおうと足を踏み出すと、その衛兵さんから声を掛けられた。

 

「北の森は今アンデッドが溢れているそうだ。不慣れなハンターが何パーティーも未帰還になってもいる。気をつけてな」

「ありがとう。無理はしないさ。少しずつ探索を進めることにするよ」

 

どうやら気にかけてくれたようね。瑶さんが返事をして手を振る。

さて、さすがに門から出て即接敵というわけではないようだけど、探知魔法を展開して基本の補助魔法だけは掛けておこうかしらね。

 

「朝未、探知魔法の反応はどうかな?」

 

森の入り口で瑶さんが声をかけてきた。ちょっと嫌そうな顔をしているのは風が後ろから吹いているからかしらね。この風はあたしも嫌だもの。

 

「あ!」

「朝未。どうかした?」

「いえ、ちょっと思いついたことがあって。やってみますね」

 

火属性を意識して魔力をそっと展開する。そして周りの空気を上に向けて動かす。

森の中から緩やかな風が吹いてきたのが確認できたわね。

 

「うん、うまくいきました」

「なるほど、森の手前に大きな上昇気流を作ったんだね」

「はい、ファイヤーウォールを少しアレンジしてごく弱い熱の壁を展開してみました。ここに数時間は上昇気流が続くとお思います」

「アサミ様、普通の魔法使いはそんな簡単に魔法のアレンジなんて出来ないんですが。さすがはわたしのご主人様です」

 

マルティナさんが何かキラキラした目で見ててちょっと照れくさいわ。

 

「えーと、とりあえず風向きの心配はいらないということで行きましょう」

 

なんとなく瑶さんがニヤニヤしてる気がするけど見えない、見えなければそれは無いのと一緒なの。

 

というわけで、森の中に入ってきたのだけど、探知魔法にはたっぷりと反応がある。

 

「瑶さん、敵の反応はたっぷりあります。前と同じように弓で引いて群れ別に斃します?」

「そうだね、とりあえずはその方向で」

 

いつものように一番近いゴブリンの群れの1体に矢を放つ。これは敵意を引くためなので余計なことはしない。矢は狙い通り群れの真ん中あたりにいた1体の肩に刺さった。

 

予定通り群れごとこちらに寄ってくる。あたし達はまずは補助魔法だけ掛かった状態で相手をする。これは以前の武装との違いを確認するため。

瑶さんは長剣で、マルティナさんが槍で、そしてあたしは短剣でゴブリンに対し突き、切り、払う。あっという間に寄ってきたゴブリンの群れ2つを殲滅し終わった。

 

「かなり違いますね」

「ああ、こんなに違うとは思わなかったね」

「マルティナさんも軽々と狩ってましたね」

「はい、以前の槍とは1ランクも2ランクも違います。しかも今はこれに魔力を武器に纏わせて強化できると思うと……」

 

「じゃあ、さっそく魔力を纏わせて戦ってみましょう。瑶さんもマルティナさんも消耗は無いですよね」

 

2人とも頷いてくれたので早速次のターゲットを定めて弓を引く。

魔力を剣に纏わせた結果は鉄の剣で切るのがステーキをナイフで切るくらいとすれば、新しい剣は豆腐を切るくらい、そしてそれに魔力を纏わせると、まるで素振りをするような感じだったわ。ゴブリン相手だとオーバーキルかしら。

 

「武器の消耗も抑えられるみたいだからできるだけ魔力を纏わせて戦った方が良いと思う」

 

あたしがオーバーキルだからって言ったら瑶さんは常に魔力を纏わせているべきだという判断だった。理由も納得のできるものなので、あたし達は戦闘中は常時武器に魔力を纏わせることにした。



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第119話 初・対アンデッド戦

あたし達が北の森の浅い狩場でゴブリンやオークをサクサクと狩って、およそ半日。ちょっと鼻を突く臭いが漂ってきたわね。これはいよいよアンデッド、それもゾンビかしら。

 

探知魔法には反応しているのだけど、目視するまではマナセンスの反応でなんとなく強さがわかるだけで、相手がゴブリンなのかオークなのかはたまたゾンビなのか今のところはわからないのよね。レベルが上がれば情報量が増えるとかあるのかしら?今のところは探知範囲が広がるだけなのだけど……。

 

見つけたのはゾンビとスケルトンの混ざった群れだった。結構数も多いわね。

 

「さて、いよいよ対アンデッド戦なわけだけど、今までと一緒でいいかな?」

 

瑶さん自身も嫌そうね。あたしもスケルトンはともかくゾンビはちょっと近接戦闘したくないわね。だって腐った肉とか飛びりりそうじゃない。そうでなくても巨匠のアニメの出来損ないの巨人兵器みたいにドロドロしてきても気持ち悪いし。と言うことで提案することにした。

 

「ゾンビは、基本的にあたしが魔法、ホーリーで斃そうと思います。あたしの魔法を抜けてきたスケルトンは瑶さんとマルティナさんにお願いします。数も多いみたいですし、聖属性の範囲魔法で一気にやっちゃいますよ」

 

あたしの提案に瑶さんもマルティナさんも少しほっとした顔で頷いてくれた。

まずは敵を迎えうちやすそうな場所に移動。そこからどう範囲を指定したら効率が良いかを考えて狙いをつける。少し多めの魔力を込めて魔法を発動した。

 

「ホーリー」

 

最初は一番手前のゾンビ集団をまとめて範囲に入れたホーリーを放つ。青白い光の範囲にいた多くのゾンビと一緒に巻き込んだスケルトンが崩れるように斃れていった。

ホーリーの効果が切れるのを待つことはない、そのまま右端の大きめのゾンビ集団を狙う。

 

「ホーリー」

 

その頃になると自分たちが攻撃されたことに気付いたゾンビとスケルトンがまとまってこちらに移動しようとし始めた。でも簡単に来させはしないわ。何のために最初のホーリーを一番手前に放ったか。ゾンビやスケルトンがまとまってこられないようにするための防壁を兼ねているのよね。さすがに全部をまとめて覆うことは出来ないけど、数を制限するように配置するくらいはできるんだから。

 

そして最後のゾンビの集団にホーリーを放つ。今回はホーリーはこれで最後。魔力が劇的に増えたあたしだけど、これだけの規模のホーリーを3連発すると魔力を半分近く使ってしまった。もうゾンビはいないので瑶さんとマルティナさんにお任せしちゃおうかしら。

 

冗談半分の考えを浮かべながら瑶さんとマルティナさんの様子をうかがう。それでも、あたしも短剣に魔力を込めてフォローできる位置に移動した。

マルティナさんの武器は槍。本来ならスケルトンを相手にするのには向かないとは思うのだけど、魔力を纏わせた槍での的確な突きと力強い薙ぎ払いであっという間にスケルトンが行動不能になっていく。瑶さんに至っては纏わせる魔力が聖属性なのだからスケルトンを当たる幸いの1撃が当たればそのまま崩れていく。

 

わずか数分で数十体残っていたスケルトンを殲滅し、今あたし達は討伐証明ともなる魔石を拾っている。

この2人にとって、いえ、あたし達”暁影のそら”にとってアンデッドは相性が良すぎる敵だったわね。

 

「これだけの数のアンデッドより10分の1の数のオークの方があたし達にとっては手ごわいくらいですね」

「確かに、相性が良すぎるね。うっかり油断しそうだ」

 

瑶さんが苦笑している。

 

「そうは言っても、アサミ様のホーリーが無ければ、あの数はそれなりに脅威だったとは思います」

 

マルティナさんの言葉に瑶さんも頷いている。

 

「ところで、あれだけの規模のホーリーを使うと朝未の魔力が心配なんだけど、魔力の残りはどうかな?」

「そうですね。さすがにあれだけの魔法を使うとごっそり持っていかれますね。今ので半分近く減った感じです。エルリックに居たころなら、1発だけで気を失っていたくらい魔力を込めましたからね」

 

「そうか、半分か。なら今日は一旦撤収しよう」

「え?まだお昼にもなってませんよ。魔力も少し休めば回復しますし」

「いや、朝未の魔力は対アンデッドでは私達の主戦力だからね。それが半減しているんだから、ここは撤収の一手。安全第一だよ」

 

瑶さんに押し切られあたし達は、今日は買えることにした。

帰り道は殲滅後だからかアンデッドはおろかゴブリンとも出会わなかったけど、これだけの数との戦闘をするとなると聖属性魔法が無い普通のハンターだとちょっと大変かもしれないわね。今回は実体のあるアンデッドだったからどうにはなるとは思うけど。

 

北門まで戻り、衛兵さんにハンター証を見せる。

 

「早かったな。森の入り口から魔物が多くて驚いただろう。ま、安全第一だから良いと思うぞ」

 

魔物の数に驚いて逃げ帰ってきたと思われたみたいね。そのくらいの方が目立たなくていいかしらね。ギルマスあたりには目立っちゃってる気もするけど……。なんて思っていたらマルティナさんが不満そうに口を開こうとしたので手を開いて抑えておく。

マルティナさん、強いし良い人なんだけど、ちょっとあたしへの行き過ぎた敬愛を感じるのよね。

 

「この時間だとギルドは空いているだろうから、とりあえず魔石の買取をしてもらって必要なら報告、それから昼食。その後で明日以降の計画の打ち合わせをしようか」

 

瑶さんの先導であたし達はハンターギルドに向かった。



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第120話 探索方針

「な、なんですか、これはあ!!」

 

あたし達がハンターギルドに持ち込んだ魔石を前にパオラさんが女性らしからぬ声を上げた。

 

「パオラ、いくらここがハンターギルドでも、少々はしたないのではないですか?」

「いや、でもマルティナ。この魔石の量は。しかもこっちはアンデッドの魔石よね」

「あなたは、わたし達の事を少しは知っているでしょうに。しかもアンデッドとは言っても、これらはまだゾンビとスケルトンですよ」

「わかっていないわね、マルティナ。まだお昼前よ。これだけの数を午前中で狩ってきたってことは普通じゃないわよ」

「わかっていないのはパオラの方よ。まだ北の森の探索を始めた初日よ。この程度で驚いていたらアサミ様のお側にはいられないわ」

 

ああ、やっぱりマルティナさんのあたし推しがまぶしいわ。

 

 

 

「はん、量が多いだけで、どれも雑魚のクズ魔石ばかりじゃないか」

 

マルティナさんとパオラさんのやり取りをほっこりしながらみているところに、後から妙な事を言ってきた人がいるわね。

マルティナさんの目つきが変わったので、とっさに手を握って首を振った。こんなの相手をしても何の理も利もないものね。それに、この手の手合いの相手は瑶さんの方がきっと得意だもの。必要な瑶さんが相手をしてくれるでしょ。そっと瑶さんを見ると苦笑しつつ肩をすぼめているわね。とりあえず相手をする気もないってことかしら。

 

「はい、査定終了しました。ゴブリンの魔石36、オークの魔石41、ゾンビの魔石43、スケルトンの魔石32、合計228000スクルドになります」

「ありがとう」

 

「おい、無視するんじゃねぇよ」

 

あたし達が、そのままハンターギルドを出ようとしたからか、前をふさいできたわね。あら?この人獣耳と尻尾が。この半年人間しか見なかったからいないのかと思っていたけど、いたのね。

 

「は、もう。レアル、いいかげんにして。あなたとは関係ないでしょう」

 

あら?マルティナさん知り合いなのかしら?

 

「関係ないってのはさすがに寂しいじゃないかマルティナ。元パーティーメンバーとしては……」

「そのパーティーメンバーは、あの時どうしてくれたの?」

「それを言われると。……でも、それなら、そいつらだって一緒だろう。貴族にたてつくなんて事が出来るわけがないじゃないか。それにオレだってあの頃よりは少し強くなっている」

「そう思うのなら、思っておけばいいでしょう。それにあなたが少し強くなったくらいでどうにかなるものではないこともわかっているでしょうに」

 

マルティナさんは少し寂しそうに、それでもきっぱりと言い切り、話はここまでだとあたし達のほうに来た。

 

「お待たせしました。行きましょう」

 

マルティナさんの後ろでは、まだ何か言いたそうなレアルさんが名残惜し気に見送っていた。

 

 

 

 

家に帰ったあたし達は、テーブルを囲んでお弁当のつもりにしていたサンドイッチを食べている。

 

「さっきのギルドで絡んできた、レアルさんでしたっけ。マルティナさんの知り合いなんですか?」

 

マルティナさんは少し言いにくそうな感じがしたけど、思い切って口を開いてくれた。

 

「わたしが、以前このクリフでハンターとして活動していたことはお話しましたよね。その時のパーティーメンバーなんです」

 

レアルさんが当時所属していたハンターパーティ「辺境の英雄たち」は4級ハンターのレアルさんを含めた5人パーティーだったそうで、ここクリフではかなり上位のパーティーだったそうなのね。

貴族に狙われた時、匿ってくれたりはしてくれたそうだけど結局貴族には逆らえずってことだったらしい。

 

「いっそ他の国に逃げちゃうって選択は無かったの?」

「他の国に、ですか。正直なところ、考えもしませんでした」

「さすがに国から出ちゃえば、その貴族も追いかけては来なかったんじゃないかと思うのだけど?マルティナさんの能力なら他の国に行ってもなんとかなりそうだし」

 

このあたりは文化の違いかしらね。日本でも江戸時代とか村から外に出る事すらなく一生を過ごす人がほとんどだったなんて話も聞いた事あるし。国外脱出が選択肢に入るようになるのはもう少し文明が発達してからかしら。

 

「国外に逃げる選択肢を普通に思いつくのはアサミ様がもともとこの国の方でないからでしょうか」

「あたし達の生まれた国では、必要があれば国外に出かけるのが普通だったから……。習慣の違いでしょうね。だからあたしや瑶さんは必要があれば国から出ますよ。もしマルティナさんが狙われたなら、国から逃げるのも選択肢にいれますからね。武力としては貴族とでも戦えるかもしれませんけど、武力だけじゃないですからね」

「アサミ様、ありがとうございます」

 

あら、マルティナさんが涙浮かべてる?仲間を助けるのは当然じゃない。しかもあたし達元々この国の人間じゃないから国外に出たって別に大したデメリットないしね。ハンター証があるから身分証明的にも問題ない。そういう意味でも5級に上がれたのは多きいわね。

 

「ま、レアルさんについては、このくらいでいいでしょ。それで、これからどうしたら良いと思います?」

 

ここからは、あたし達のこれからの方針を話し合わないとね。

 

「私としては安全策を取っていきたいかな」

「瑶さん、安全策って?」

「今日くらいの勢いで狩れば、浅い場所の魔物はアンデッド含めてかなり減らせるんじゃないかと思うんだ。だから外側から減らしていって、少しずつ奥に探索範囲を広げていくようにしたいかな。もちろん全体を減らせるわけじゃないだろうけど私達の探索エリアだけでも魔物を減らしながら奥にいきたいね。そうすれば、いざという時に逃げやすくもなるとおもうしね」



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第121話 エンチャント効果

翌日から、あたし達は北の森の浅いエリアでの探索をすすめた。ターゲットは主にゴブリンやオークで、出てくればゾンビやスケルトンも殲滅して回った。それでも10日も探索をすすめると探索エリアが少し奥になってきているのよね。

 

「大分奥まで探索が進んだね。ハンターギルドの情報だと、そろそろシャドウが出てくるエリアのはず。シャドウが出た時は朝未、頼むよ」

「はい、でも余裕があったら瑶さんの魔力を纏わせた剣でも切ってみてくださいね。多分ダメージを与えられると思うので」

「うーん、朝未の言う事も分からないじゃないけど、私の魔力の聖属性って朝未に比べたら微々たるものな気がするんだよね」

「いえ、多分あたしの予想が正しければ発現の仕方の違いだけで同じくらいだと思うんですよね」

「うん?まあ、実際のところ強い魔物が出てくる前に一度は試しておいた方が良いかな」

 

「ええ。それとマルティナさん。あたしの手を離れた状態でも1戦するくらいの時間は魔力を保持できるようになってきてるのでアンデッドが出た時には一度マルティナさんの槍にあたしが魔力を纏わせますね。余裕があったら、切れる都度魔力を纏わせるようにします」

「はい、その時はお願いします」

 

 

 

今あたし達は、北の森の入り口近くを歩いているのだけど、魔物の陰がない。あたしの探知魔法の端に少し反応があるだけなのよね。

 

「随分と魔物が減りましたね」

「さすがに、あの勢いで狩って減らなかったらちょっとね」

 

マルティナさんと瑶さんは森の様子を見て少しホッとしているみたい。そりゃそうよね、いくら狩っても溢れてくるほど魔物がいたらちょっと怖いわ。

 

 

「さて、パオラさん情報だと、そろそろ少し強い魔物が出るはずのエリアなわけだけど。朝未、探知の方はどうかな?」

「そうですね、一番近いのは右奥の方に小さめの群れの反応があります。今までのエリアの魔物より少し強そうなはんのうですね」

「ふむ、アンデッドかどうかはわかるかな?」

「すみません。まだそこまでわからないです。マナセンスでたまに違いが感じられることがあるので、慣れたら知ってる魔物はわかるようになるんじゃないかって思ってますけど……」

「マインドサーチで意思のようなものは?」

「今まで魔物からはあまりはっきりした意思を感じられないので差がわからないんです。人間相手だとかなりはっきりした感情というか意思を感じられるんですけど」

「魔物は、ある程度組織的な戦い方をすると聞いていたし、実際に戦っても拙いながら作戦のようなものも感じられるのにマインドサーチでは意思を感じられない?」

「今のところは、ですけどね」

「わからないものは仕方ないね。とりあえず朝未の探知でわかる範囲で魔物の配置を説明してもらえるかな」

 

 

「じゃあ、まずはこの他と少し離れている群れを相手にひと当てして強さを確認しよう。その後は楽に斃せそうならこのルートで、多少でも手こずるなら、こっちのルートで、アンデッド戦については……」

 

瑶さんがいくつも想定される状況に応じた探索ルートと作戦を話してくれる。こういうところ瑶さん頼りになるのよね。

 

 

最初に向かったのは瑶さんが指摘したように他の群れと少し離れている15体くらいの群。

 

「アンデッドですね」

 

いつものように、目視できるギリギリで観察すると、アンデッドの群だった。

 

「種類はわかるかな?」

「ゾンビ?いや、もう少し強そうだから、あれがグール?が7体、剣と盾を持ってるスケルトンてことはスケルトンナイトですかね、が6体。ふよふよと浮いているのは、初めて見ますけどあれがシャドウでしょうか。2体で、合計15体ですね」

 

あたし達3人の中では、あたしが一番目が良いのでこういうのは以前からあたしの役目。地面に相手の配置状態を描いてみせるのは最近になってからだけどね。

 

「こんな感じになってます。割と集合してるのでホーリーでまとめてダメージ与えるのも有効だと思います」

「それは、そうだろうけど、今回は全体に対してはやめておこうか。ホーリーはこのグールの塊にだけで、あとは私達の剣がどの程度通じるかを確認のために剣で戦おう」

「はい、じゃあ、まずはグールとスケルトンナイトを斃して、シャドウは出来れば1体残す感じですね。で、最後に瑶さんがシャドウを切ってみるということで。マルティナさんの剣には最初あたしが魔力を纏わせますね」

 

そして、補助魔法を掛けなおす。森に入るときには基本的に補助魔法を掛けているけど、戦闘前には掛けなおすの。

準備が終わったところで、相手が反応しない範囲で近づく。

 

「じゃあ、いきます。ホーリー」

 

あたしはアンデッド集団の一番グールの多い範囲にホーリーを発動させた。すぐに瑶さんとマルティナさんがダッシュで近づき魔力を纏わせた剣で切りつける。

 

「わーお、このあたりでも鎧袖一触ね」

 

サクサクと倒していく2人の後ろからあたしもフォローにはいった。でもほとんど瑶さんとマルティナさんが倒しちゃったわね。あとは、そうシャドウ。本当は1体だけ残すつもりだったのだけど、あまりに殲滅が速かったので2体とも残っているのよね。なら丁度いいわ。

 

「瑶さん、右側のシャドウを。マルティナさんは左側のシャドウを攻撃してみてください」

 

せっかくならあたしが魔力を纏わせて保持しているマルティナさんの槍の効果も見たいものね。

 

結果は、

 

「あっさり斃せました。アサミ様のエンチャント凄いです。

「私もまさか、自分の魔力がここまで効果あるとは思わなかったね」

 

という、瑶さんとマルティナさんの言葉どおり2人とも1撃で斃せたのよね。

 

「これなら、かなり安心してこの辺りも狩れそうですね」



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第122話 朝未無双?

最近あたし達の間では北の森のゴブリンやオーク、ゾンビ、スケルトンが出るあたりを第1層、その奥の最近あたし達の探索しているあたりを第2層と呼んでいる。そんなことをしていたらパオラさんも、あたし達の呼び方に合わせてくれるようになったので説明が楽になったのよね。

 

「第2層に入っても暁影のそらさんは順調ですね」

「探索とアンデッドの駆除は順調といえるだろうけど、原因の調査に関してはまださっぱりだけどな」

「いえ、ハンターギルドとしては、アンデッドの駆除だけでも随分と助かっています。特にシャドウを斃せるハンターは貴重ですから」

「秘密にしてくださいね」

「わかっています。そんなことを口にしてせっかくのハンターが離れてしまえばハンターギルドとしても損失ですから」

 

「王家、貴族、神殿あたりからの要請からも守ってもらえるのですか?」

「さすがに、そのあたりまで行くと直接的に守るのは難しい場合もありますが、逃げる時間を稼ぐくらいはしますし、そもそも情報がそちら方面に流れないようにします」

「それはありがたいですね」

 

 

「それで、探索の方ですが、そろそろ第3層も見えてきているのではないでしょうか?グール、スケルトンナイト、シャドウのアンデッドに加え、オーガやトロールもかなり狩られてきてますよね」

 

パオラさんの言葉にあたし達は頷きあった。

 

「ええ、以前地図で教えてもらった第2層の一番奥あたりを今探索してますね。それで再度その奥、仮に第3層としておきますが、その第3層について分かっていることを確認させてもらえたらと思うんです」

 

確認させてもらった第3層についての内容は、以前聞いたことと変わらなかった。ワイルドティーガーと言う大型のトラがいること、ブラインドバイパーという隠蔽能力持ちのヘビの魔獣が現れる。アンデッドはグールやスケルトンナイト、シャドウに加えてレイスが出没する。レイスは稀にレベルドレインを使うと……。

 

「第3層からは、戦闘時にはマルティナさんの防具にもあたしがエンチャントしますね」

「わたしの防具にまでですか?」

「ええ。確実ではないですけど、レイスの攻撃に対して多少なりと耐性が上がる可能性があると思うので。瑶さんは、自分で武器と防具に同時にエンチャントできるようになったって言ってましたよね」

 

予想ではあたしと瑶さんにはレイスのエナジードレインは効かないとは思うのだけど、防御力を上げておくのに越したことはないと思うの。そういう意味ではここからはマルティナさんが一番危険かもしれない。

 

 

 

と言う訳で、いよいよ第3層の探索に入ったわけですが、さっそく出会いました。いえ、探知に入っていたので突然ではないのだけど。

 

「ゾンビ7、グール12、スケルトン14、スケルトンナイト9、シャドウ3、あとあれがレイスかしら1。いつものようにゾンビとグールは、ホーリーでまとめて。スケルトンとスケルトンナイトは瑶さんとマルティナさんお願いします。その間にシャドウをあたしが、レイスは、……瑶さん切ってみませんか?もしくはあたしが、触られてみようかしら」

「朝未!!また朝未は、そういう危ないことを考える」

「瑶さん、そんな怒らなくても……。あたしだってガッツリ触らせたりするつもりはありませんよ。でも、今のうちにそういうリスクも把握しておく必要があると思うんです。わかりますよね。あたし達はこのせ……、この国の人達と色々と違っているってこと」

「……わかった。でも無理はしないようにね」

「大丈夫ですよ。ホーリーの準備して触らせますから。触らせて危なそうなら即発動させます」

 

瑶さん、ちょっと呆れた顔であたしを見たけど、一応は納得してくれたみたいね。

さて、テスト兼ねて頑張りますか。

 

「ホーリー」

 

いつものように補助魔法を掛け、マルティナさんの剣と防具にあたしの魔力をエンチャント。そして、ゾンビとグールを範囲に入れたホーリーを放つ。続いて瑶さんとマルティナさんが駆け出し、スケルトングループを叩き伏せていく。そこに後ろから近づこうとするシャドウ3体には、あたしが剣を振るう。シャドウは頭の中に響くような金切り声を上げて消えていった。

 

残りスケルトンとスケルトンナイトが数体となったところで、それまでまるで指揮官のように奥に控えていたレイスが動き出す。狙いはマルティナさん?あたしはレイスの前に立ちふさがって少しだけ考える。スケルトン達は瑶さんとマルティナさんですぐに斃せる。となれば、予定通りにあたしは剣と防具に掛けていたエンチャントを解いて慎重にレイスに近づく。もちろんすぐにホーリーを発動できるように準備はしてある。

さて、あたしにレイスのドレインは効くのかしら。そっと手を伸ばしレイスに触れようとしたその時、レイスがスッとあたしに飛びついてきた。

 

「きゃっ」

「朝未!!」

「アサミ様!」

 

思わず悲鳴を上げたあたしに瑶さんとマルティナさんが駆け寄ってくる。

 

「だ、大丈夫です。ちょっとビックリしただけです」

 

レイスに触れられながら、あたしが返事をすると、それでも2人ともが心配そうな視線を向けてきた。

 

「本当に大丈夫なのかい?」

「はい、特にダメージも入った感じないです」

 

そんな会話をしている間にレイスがそのまま消滅してしまった。レイスがいた場所にはレイスが逃げたわけでは無い事をしめすように大き目の魔石がコトリと落ちた。

 

「朝未、ホーリー?」

「い、いえ。何もしていません。むしろ武器防具のエンチャントも解いてあります」



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第123話 ワイルドティーガー

「脱力感や疲労感もないんだね」

「はい、まったく違和感ありません」

 

「……朝未の存在自体が聖属性?」

「ちょっと誤解を招きそうな表現ですけど、ある意味予想通りですね。おそらくは、あたしは聖属性の力を纏っているような状態なんだと思います」

「まあ、朝未の無謀な挑戦も意味があったってところかな」

「無謀って何ですか、無謀って。ちゃんと勝算あったんですからね」

 

第3層での初戦を危なげなく終え、あたし達は魔石を拾いながら軽口を叩いている。

 

「いくら戦闘をつつがなく終えたと言っても、ここでこんな軽口を叩けるのはお2人くらいですよ」

 

マルティナさんはちょっとあきれ顔ね。

そんな少し弛緩した空気の中、あたしの探知魔法には急速に近づいてくる反応がひとつ。

 

「探知魔法に強めの反応がすごい勢いで近づいてきています。数は1。速さから今まで接敵してきた魔物とは違うと思います」

「今まで戦ったことのない敵。しかも速い?となると……」

「この辺りで速い敵ならワイルドティーガーの可能性が高いです。単体で4級ハンターパーティーでも単独パーティーだと不覚をとることのある強力な肉食獣です。その毛皮は非常に高価で取引されます」

 

「マルティナさん、今は毛皮の値段の情報いらないと思うの」

「何を言いますかアサミ様。ハンターたるもの獲物の価値は常に把握しておくべきです。生死ギリギリの戦いならともかく多少なりと余裕があるのであれば、より価値の残るように斃すのもハンターですよ」

 

なるほどマルティナさんプロね。

 

「となれば、無駄に毛皮に傷を付けずに斃さないとってことですね。そして、魔物や魔獣ではないから聖属性は意味がないと……」

「最上は、目を狙って脳を破壊することです。次善は胸部のこの部分、心臓と肺が重なる部分に突きで……」

 

マルティナさんが、地面に簡単な絵を描きながらワイルドティーガーの価値を下げない斃し方を説明してくれた。でも、動きが速いのよね。まだバインド系の魔法は使ったことが無いから自信ないし。少し冷やしたら動きが鈍くなったりしないかしらね。

 

「マルティナさん。ワイルドティーガーって冷やしたら動きが鈍くなったりしない?」

「どう、なんでしょうか。ワイルドティーガーは、この辺りのような暖かい地域にのみに住むと言われていますのでひょっとしたら有効かもしれませんが……」

 

確証はないって事ね。でも生き物は冷えれば大体活動が低下するものね、魔力も十分に残っているしやってみてもいいわよね。

 

「もう近いです。マルティナさん、動物ならあたしのエンチャントは必要ないはずです。マルティナさん自身のエンチャントの方が時間切れが無いので有効だと思います。ただ、防具へのエンチャントだけはしておきますね」

 

まだマルティナさんは、武器と防具両方への同時エンチャントがうまくいっていないので防具へのエンチャントはあたしがしておいた。

 

「補助魔法掛けます」

 

いつも通り、基本にしている補助魔法を掛けていく。これで戦闘準備完了。

 

「右手、その藪の右側くらいから来そうです。あと約5秒」

 

そう言って、あたしはコールドの魔法を発動する。自分が指定したエリアの温度を下げる風属性魔法。今回は、エリア内の温度、地球の温度計を持ってきたらマイナス50度以下に下げられたはず。エリアの地面が白く凍り付く、空気中の水分がダイヤモンドダストになってキラキラときらめく。

 

飛び込んできたのは、5メートルはありそうな巨大なトラ。尻尾を伸ばせば7メートルにはなりそう。

 

「やはりワイルドティーガーです。爪による引っかきと咬みつきが強力ですが、この大きさだと体重も1000グル近くあります。のしかかられるとやっかいです。気を付けてください」

 

マルティナさんが警告の言葉を叫んだ。

 

「そこのエリアにはコールドの魔法を掛けました。即効性は無いかもしれませんが、その中に追い込んでおけば動きを鈍らせることが期待できます」

 

「それにしても、あっという間の凍土とダイヤモンドダストの世界ですね。相変わらず、アサミ様の魔法は規格外です」

 

そう言いながら、マルティナさんは槍で牽制し、瑶さんは無言のまま剣を振るい、コールドの魔法のエリアにワイルドティーガーを押し込めてくれている。

それなら、さらに魔力を込めたコールドの魔法を放つ。

ワイルドティーガーの全身が白く凍り付いてきた、吐く息がそのまま凍り地に落ちる。動きもかなり鈍くなってきている。

 

「もう一段冷やします。コールド」

 

毛皮と分厚い肉に守られたワイルドティーガーに予想通りコールドの魔法は即効性が無かったけれど、時間経過とともに地につく足は凍り貼り付き、動くたびにその皮膚を引き剝がした。極限まで温度を下げた空気はワイルドティーガーの肺を凍らせ呼吸を困難にしたはず。見開いたその目は既に凍り光を失っている。

 

「瑶さん、マルティナさん、そろそろとどめを」

 

その時、まるで起死回生の1撃を狙ったかのようにワイルドティーガーが大口を開け瑶さんにとびかかった。

 

「瑶さん!!」

 

ワイルドティーガーの巨体の陰に瑶さんの姿が隠れる。

すべての動きが止まったように感じたのはどれだけの時間だったのかわからない。いえ、冷静に考えればせいぜい数秒のはずなのだけど……。

ワイルドティーガーは、その巨大な口を牙を閉じることが出来ず、そのまま横倒しに倒れる。

その口には瑶さんの長剣が柄まで刺さっていて、その向こうには瑶さんの苦笑いが浮かんでいた。



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