本の虫、銀河の歴史を読破せよ。 (見無)
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リオ・アヤムラのプロローグ

 銀河の歴史の中で多くの英雄が現れ、散っていった。流星のように儚いもの、一等星のようにきらめくもの。時代の流れを作り、動かしたのはそんな人間達であった。

 しかし、そんな英雄ばかりで世界は作られているわけではない。平凡な人々の、ありふれた暮らしも歴史という河の流れの一つであり、彼らは確かにそこに存在していた。時代の奔流に揺さぶられようとも、そんな人々は生き続けた。日常を過ごしてきた。

 

 これは、そのうちの一人の女性の記録である。

 銀河帝国と自由惑星同盟の、長きに渡る戦いの終着点を見届けた多くの人達の中の一人。

 巻き込まれ型の魔術師が率いた艦隊。その隅っこで、ただ平和を願っていた彼女の話。

 

 その人の名は………

 

 

「アヤムラ少尉」

「は、はい!」

 ここは同盟軍、統合作戦本部のとある部屋。

 突然自分の名前を叫ばれて、リオ・アヤムラは飛び上がる思いだった。苦手な上官に呼び出された時点で、なんとなく嫌な予感がしていたのだ。どうせ叱られるに決まっている。内心でため息をついた。上官は眉間に皺を寄せたまま、ぎろりとリオを睨んだ。

「……貴官に問う。なぜ軍人になったのか」

「それは、士官学校を卒業したからであります

「………質問を変えよう。なぜ貴官は士官学校へ入学したのか」

「はっ!小官の実家は貧しく、他の学校へ通う費用が捻出できなかったためであります」

 リオは正直は美徳だと信じていた。しかし、気難しい上官はそう思わないようである。

「アヤムラ少尉……以前から思っていたが貴官には同盟の軍人としての意識が足りていないようだな。国家のために命を捧げ、外敵を排除する……この仕事を、貴官は誇りに思うべきではないのか!」

「は、食いっぱぐれることがないので、ありがたいと思って……」

「アヤムラ少尉!」

「は、はい……」

 上司は顔を真っ赤にして激怒している。リオの呑気な性質はこの上司と全く合わない。

 数十秒の沈黙。張り詰めた空気。リオは生きた心地がしなかった。

「……はぁ、もういい。何も今日は貴官に説教するために呼びつけたわけではないのだから」

 途端に空気が弛緩する。意外だった。上司がリオに呆れて、説教を早く切り上げてくれたことも意外だし、そもそも怒られるために部屋に呼びつけられたわけではないことも意外だった。

「……昇進だよ。アヤムラ少尉」

「はっ……」

 上司が言うには、リオの事務処理能力を評価してくれた人がいたらしい。リオは戦闘において役に立てるような運動神経の持ち主でもないし、愛国心に満ちあふれているわけでもない。しかし彼女は、文章を読み書きすることはかなり得意で、書類仕事には自分なりに情熱をかたむけていた。

「何か感想はないのかね。しょ……いや、中尉」

「……すごく、ありがたいです」

 リオはそう口に出すのがやっとだった。地味な自分の地味な仕事を評価してくれた人がいたなんて。上司は、黙ったままのリオに小言を言う気力も湧かないようである。

「……はぁ。君、次の勤務地ではその調子じゃやってられんかもしれんぞ」

「と、言いますと……」

「いいや、こっちの話だ。ともあれ、おめでとう」

 リオは上司の呟きに不穏なものを感じたが、深く追及しないことにした。

「ありがとうございます」

「……最後に一つ言っておくがな」

 上司はリオをじろりと睨んで言った。

「本に夢中になりすぎるなよ。本の虫同盟代表こと、アヤムラ中尉」

「……ご忠告、感謝します」

 そう、彼女は無類の本好きであった。ついたあだ名は、本の虫の同盟代表。

 平和を願う、平凡な読書家の女性である。

 

♢♢♢

 

 リオは、幼い頃から本が大好きだった。図書館に通い詰め、数学は放棄し、ひたすら本を読み続けた。特別頭は良くなかったが、あまり裕福な家庭に生まれたわけではなかったのでどうにか士官学校に入り、無事に卒業して仕事を得た。大人になってから給料をもらえるようになり、貧乏暮らしだったリオは歓喜した。食料、生活必需品を買い揃えた後の余りは大部分を本に使う。服はまあ無難ならいいよねと店頭のマネキンとお揃いのものを半年に一度買い揃える程度であった。化粧品も、パッケージが可愛いものを気分で少しだけ、という程度であった。もともとの顔が地味なため、流行りのカラフルな化粧はリオに似合わなかったのである。自分の顔が美しいものではないことを、リオはよく分かっていた。

 そんなわけで、彼女は恋人も作らず、若い女性がする様におしゃれなお店を巡ることもなく、ひたすら本を読む生活を続けている。しかしそれが彼女にとっての至福であり、この生活を維持するために働くことは彼女にとって生き甲斐となっていた。

 ようするに、適当にデスクワークをして、本さえ読めればリオには十分なのである。

 

♢♢♢

 

 帰宅したリオは、自分の昇進を知らせるメールをじっくりと読み込んだ。本が散乱した小さな部屋の中で、リオは呑気にグリーン・ティーを飲みながら文字を目で追う。

 給料について、今の職場の引き継ぎについて、軍人のメンタルケアについて。

「いや違う、そうじゃなくて勤務地は……」

 無機質な文字の群れを読み飛ばし、目当ての項目を探す。

 勤務地の項目を見つけ、お茶を含みながら横目で眺めた。

 そこにはこう書かれていた。

(えーっと)

『勤務地……第十三艦隊』

「⁉︎」

 その四文字を見た途端、リオはお茶を噴き出した。横にあった書類がうっすらと爽やかなグリーンに染まった。そんなところに爽やかさはいらない。

「じゅうさん、かんたい……」

 布巾を探すことすら忘れて、リオは呟いた。第十三艦隊とは、あの何かと噂の種を抱えた第十三艦隊だ。

 つまり、ボスはあの男。英雄、魔術師……彼を讃える言葉をリオはいくつも知っている。若くして活躍、出世。アスターテでも、エルファシルでも、彼は名声を得るにふさわしい戦いぶりを見せたそうだ。

 ただの転勤と思ったのに、そんな指揮官の下で働くのか。私はしょせん中尉で、しかも戦闘員ではないからかなりの下っ端だが、あのウェンリー・ヤンの部下として。

「ちがう、逆だ」

 彼の姓名表記はE式だ。なるほど結構混乱しているらしい、とリオはどこか他人事のように思った。

ヤン艦隊なんて、もっと他人事だ。

「……私、上手くやれるだろうか」

 以前ホログラムで見かけたヤンの姿を思い浮かべようとしたが、うっすらと覚えていたのは彼がリオと同じような黒髪の持ち主であることだけだった。リオは、あまり人の顔に興味がないので英雄の顔すらも覚えていないのだ。

 えーと、髪は黒。割と歳が若くて……。

「………ダメだこりゃ」

 リオは諦めがいい方だ。

「まあ……どうにかするかぁ」

 思い出せないものは思い出せない。未来のことは分からない。どうせダメなら本読んで寝よか。

 彼女はそう結論づけた。変なところで変な肝が座っている。

 リオは、傍にあったファンタジー小説を携えてベッドの中にダイブした。これから先の人生、彼女が飛び込むことになるのは歴史という川の激しい流れの中だとも知らず……。

 

♢♢♢

 

 こんな調子で、リオ・アヤムラは同盟軍の一員として戦いに参加……もとい、『なんだか知らないうちに巻き込まれ』ていくのである。のんきに本を読んでいたい。そんな彼女の願いはどうなるのだろうか。まだ誰にも分からない。

 銀河の歴史を、また一ページ。

 読み進めるリオ・アヤムラなのであった。



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ファースト・インプレッション

 勤務地が変わって最初の朝、目覚ましのアラームが鳴るよりも早く目が覚めてしまったため、リオは不機嫌だった。しかし彼女のどんよりとした気分の原因はそれだけではない。

「……あーあ!」

 窓から差し込む朝日や、鳥のさえずりはこんなにも爽やかなのに。リオはなぜだか有名人のいる職場にお引越し。

 軍人としての意識に欠ける私が、英雄だの魔術師だのと言われている男についていけるわけがない。どうせ怒られるに決まってる。私は毎日のんきに生きたいのに。

「あ〜あ、良い天気。最高のヤン艦隊日和だ。おはよう」

 寝転がったまま呟いたが、返事があるわけもない。一人暮らしとは、気ままさと引き換えにこんな瞬間の孤独に耐える義務が生まれてしまうものなのだとリオは感じた。

 トーストをかじりながら見た情報番組の占いコーナーによると、今日のリオの運勢は最悪だそうだ。

『ざんねん!今日は 新しいことに チャレンジするのは やめた方がいいかも!』

 既に自分の一日にケチがついた気がする。

「……いや、こんなのは迷信だ」

 そう強がって、リオは紅茶を口に含む。

 熱すぎて口内を火傷した。

 

 ♢♢♢

 

 どんなに嫌でも、仕事に行かなければいけない。それが大人という生き物の宿命である。

 どうにか支度を整え、玄関の鏡で全身のチェックをする。そこには見慣れた軍服姿の自分。

 しかし、いまいちしまらない。半開きの瞳、もっさりとしたハーフアップの髪の毛。

 行きたくないという気持ちが全身至る所に現れてしまっている。

「……ああ、そうだ」

 ちょっとしたことでいい、気分を変えるきっかけは自分で作らないと。

 リオはハーフアップにしていた髪の毛をほどき、きつめのポニーテールに結び直してから家を出た。晒された首に涼しい風を感じる。

 

 ♢♢♢

 

「……大丈夫だろうか。この艦隊は」

 というのが、正直な感想だった。

 まずは一日目ということで、顔合わせのようなものとして第一三艦隊の全員がちょっとした会場に集められ、整列している。リオはこっそりと周囲を見回しているが、周りの人々の様子がなんだか妙なのである。

 集まった軍人達は大体二つに分けられた。緊張した面持ちではあるが澄んだ目をしているものと、もはや緊張すらせずどんよりと目を濁らせているもの。

 前者が新兵、後者はアスターテの生き残りである。異例な艦隊とは知っていたけど、ここまで明確に差が出るものなんだろうか。

 どんより組と緊張組、リオはそのどちらにも属せずにやたらと視線を動かして暇を潰していた。

「というか、そもそも……」

 私、なんでここにいるんだろう。

 ハイネセンでデスクワークしてたはずなのに。特に何もやらかしていないのに。私は新兵でもない。アスターテ会戦に参加していたわけでもない。特殊そのものみたいなこの艦隊に、なぜわざわざ私のような軟弱な軍人を………

 リオは下を向き、無機質な床を見つめて不安感と緊張感を誤魔化そうと努力した。しかしあまり効果はない。こんな時、リオはいつも自分の臆病さが嫌になる。

 ああ。新天地なんて望んでいない。大人しく、家で本を読んでいたいのに。美しいユニコーンや、天才的な探偵や、素敵な恋人たちが待っている、小説の中の世界でずっと………

「あー、諸君」

 マイクを通した声が聞こえて、リオは顔を上げた。途端に意識は現実世界に引き戻される。

 なにやら偉い人が挨拶をするらしいが、前に並んでいる人の背が高くて見えない。

 リオはぐっと背伸びをして前方を注視する。人の頭の隙間に、声の主の姿が見えた。

 壇上で話しているのは、あれは……

「私が、第一三艦隊の司令官……ヤン・ウェンリー少将だ」

 リオはハッとした。

 黒い髪と瞳、優しげな眉毛、ホログラムで見た時の彼とは印象が少し違うが間違いない。

 同盟の有名人。そして、英雄。

 あれが、ヤン・ウェンリーだ。

「ああ!」

 霞がかかったように思い出せなかった彼の顔を見ることができて、リオは思わず声を漏らしてしまった。

 いけない。彼女の声は思いのほか大きかったらしく、周囲の人間の視線がリオに突き刺さる。『司令官の挨拶の序盤で騒ぐなんて、この女はなめているのか』と言わんばかりだ。やや小心者のリオはすっかり萎縮してしまう。

 ヤン少将が一瞬だけこちらに視線を投げた気がしたが、気のせいだろう。気のせいと思いたい。

 権力者に目をつけられるとろくな事にならないと、リオは今まで読んだ様々な小説から学んでいる。海辺に転がる貝殻のように、ひたすら静かにするよう努めた。

(それにしても……)

 リオは改めてヤンを観察する。知的だがどこか間の抜けた表情、いまいち覇気に欠ける声、情熱的とは言い難いスピーチ………。

 正直、思ってたのと違う。

 もっと精悍な顔つきで、筋肉がついていて、軍服を自然に着こなしている、軍人の模範のような人だと思っていたが、今こうして壇上で喋っている人物はそのどれにも当てはまらない。軍人というより、生徒になめられがちな学校の先生のようにすら見える。

(いやいや、油断は禁物だ)

 ヤン少将という人を語るにはまだ判断材料が少ない。

 きっとこの姿は周りを欺くための演技。彼は、英雄と呼ばれている今でも昼行灯を演じて、初対面の相手を油断させているのだろう。そうだ。敵を騙すにはまず味方からということに違いない。彼はそのうち秘密結社を作って、同盟政府を乗っ取って、世界を悪に染めて、それからそれから……

 幼い頃から読書ばかりしていたリオの文学的想像力は、かなり豊かである。

 そうこうしているうちにも、ヤン少将のスピーチはさくさくと進んでいく。

 いけない。この調子で壮大な妄想をしていたら話を聞き逃す。リオは広げかけた妄想の翼を大人しく畳んだ。

 他の上官の話はいつもいつも長いが、やっぱり彼は一味違う。もう本題に入るようだ。

 リオは耳を傾けて集中する。

「……それで、我が艦隊の最初の任務は」

 一呼吸おいて、ヤンが言う。

 早速、それなのか。

 その場にいる全員が耳を澄ませた。

 緊張と期待が空間を満たしているのを肌で感じて、リオは思わずつばを飲み込む。

 周りの人々は例外なく肩をこわばらせ、若い司令官の言葉を待っていた。

 どうなんだ。

 この一筋縄ではいかなそうな艦隊の、最初の仕事は……

「イゼルローン要塞の、攻略だ」

 ヤンは、さらりと告げた。

「えっ?」

 リオは、またも声を上げてしまった。

 まずい。今度のは絶対に会場全体に聞こえた。リオをにらむ周囲の人々の視線の鋭さと数はさっきの比ではない。

『この女はまたなのか、いい加減にしろ』と彼らのつり上がった目が物語っている。

 リオは心の中で必死で謝罪した。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…

「……えーと、驚くのも無理はないと思う」

 少しの間をおいて、ヤンが続ける。

 彼はちらり、とリオが並ぶ列の方を見た。

 ばちり、とリオとヤンの視線が交錯する。

「……!」

 リオは、はっとした。

 彼の視線の先はリオのいる列ではない。彼が見ているのは、リオ本人だった。

(今、絶対に目が合った……!)

 ヤンは正面に視線を戻し、何事もなかったかのように話を再開する。

「……公式的には、この艦隊の初めての大規模演習ということになっているんだが……」

 リオはもう話を聞くどころではなかった。

 まずい。すごくまずい。とてつもなく、まずい。目をつけられたかもしれない。自分の話を遮った私を、よく思うはずがない……。

 リオの頭を不吉な想像が駆け回った。

 いやみを言われる程度ならマシだ。けどもしも、ヤンが自分の部下に対してとてつもなく厳しい人間だったら……?

 リオは、腰が抜けそうになるのをどうにか耐えた。

(………いや…でもちょっと待って)

 ヤン少将が私みたいな雑魚を気にするだろうか。たまたま目が合っただけだろう。

 騒いだ人がいたのは分かっただろうが、顔までは覚えていないはず。

(うん。きっとそうだ)

 私が、これから大人しく過ごせばみんなこの程度のこと忘れるはず。

 もはや自己暗示の域である。リオは、見たくない現実から巧みに目を逸らした。

 彼女の豊かな想像力は、現実逃避にも有効なのである。

 

 ♢♢♢

 

「……具体的な作戦は、また後日知らせるから……」

 そんなかんじで、いまいちしまらないままヤン少将のお話は終わった。

 リオは小さくため息をつく。どうにか、無事に終わったみたいだ。

 しかし、イゼルローン要塞か。

 目が合った衝撃で忘れかけたが、ヤン少将もとんでもない仕事を任されたものだ。

 リオも含め、新兵はもちろん、アスターテの生き残りの兵士も皆一様に不安げな様子だった。

 彼の言う『具体的な作戦』とはなんなのか。

 あのイゼルローン要塞を陥すというからには、それなりの策があるのだろうが……。

 しかし、この艦隊でイゼルローンを攻略するという、それ自体があまりに無謀過ぎる。

 結局、難しいことはヤン少将に任せよう、と多くの人が考えることを放棄した。彼の考えを予想することなどできるわけがないというのが彼らの言い分だったが、そもそも彼らは敗残兵とひよっこの集まりなのだ。これ以上心配事を抱えている余裕もないのである。

 リオも、例に漏れず考えるのをやめた。

 もっともリオの場合は、イゼルローン要塞の攻略などよりも自分の新しい職場における人間関係の方が気がかりだったからに他ならなかった。

 リオは、ヤンの姿を脳裏に思い浮かべた。

 彼の声、表情、立ち姿、そして瞳……。

(……ヤン・ウェンリー少将か)

 よくわからない人だ。リオは彼がどんな人間なのか、まだまだ判断できそうにない。

 判断できないからには、リオのことをどう思っているのかも分からない。自分などが彼と接する機会があるとは思わないが、相手はあのエルファシルの英雄だ。油断ならない。

 距離をとるにこしたことはないはずだ。

「なるべくなら、関わらない方がいいかもね」

 リオ・アヤムラ中尉は、今度こそ誰にも気付かれないように小さな声で呟いた。

 しかし、関わるかどうかは、リオの意思とは関係ないのである……



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地味な人間はやらかしも地味

 結論から言おう。

 ヤン・ウェンリーはすごい。

 リオは今回の作戦で、嫌というほど理解した。英雄には英雄と呼ばれるだけの理由がある。

 リオのような凡人とは全く違う。

 それはそうとリオにもリオなりに、凡人なりのちょっとした事件が色々とあった。これからその一部をご覧いただこう。

 

 ♢♢♢

 

 ヤンがこの前言っていたように、今回の艦隊ピクニック(リオは心の中でそう呼んでいる)は公式的には大規模演習ということになっている。

 そんなわけで、やたらとワープを繰り返して移動している最中、作戦決行の日も目前という時だった。

 第十三艦隊の面々は、召集されて作戦の最終確認をしている。といっても、ヤンは司令官としての仕事で忙しい。主に話をしてくれているのは、ムライ参謀長とパトリチェフ副参謀長である。その場にいる全員が真剣な顔で聴いている。彼らも、それぞれに思うところがあるのだろう。

 リオは、心の中であの二人のことを漫才のコンビのようだと思っていた。なにもかも正反対なのに、不思議と引き立て合う。

 特にムライのことは、石頭おじさんと勝手にあだ名をつけていた。

 そうしたくなるだけの、理由があるのだった。

「……それで、アヤムラ中尉。この作戦の概要は?」

 ムライ参謀長がなぜだかリオを指名する。

 そう。リオは周りの新兵よりも少し経歴があるというだけで、なぜだか雑用係の総元締めのような扱いになってしまったのだ。

 おまけに、このムライ参謀長という人は一見真面目そうなリオを新兵の先輩としてちょうど良いとすら思っているようなのである。

 しかし、リオとしてはご勘弁願いたい。

「は、はい。まずは通信を撹乱。その後に偽の救援要請を受けて、イゼルローンの駐留艦隊がのこのこと出撃します。その後、シェーンコップ大佐がラーケン少佐に変身して潜入、帝国軍の要塞司令官を力技で人質にとって交渉して、要塞を乗っ取ります」

「……ん、ところどころ気になるが、まあ大体そうだ」

「……は、はい」

 恥ずかしい。

 つい頭の中で描いていた『シェーンコップ冒険譚』の一部の文章を抜粋してしまった。

 リオは、シェーンコップ大佐という人のことをうっすらと知っている程度だ。分かっているのは、ローゼンリッターの強い人ということ、そして、彼が危険な魅力の美丈夫だということくらい。

 けれど勝手に空想はする。

『シェーンコップ冒険譚』の原案はあくまでヤン・ウェンリーでありリオは味付けをしたまでなので出版するつもりはないが。

 それはそうと、リオとしてはこの冒険譚の序章……つまりイゼルローン要塞の攻略がどうなるのか、おおいに楽しませてもらいたいところだった。

(いや、すごい良くないんだけどね)

 頭では分かっている。

 それでも、無茶な任務を不安がりつつも、リオはなんだかんだでこの面白い筋書きを前にして心を躍らせずにはいられないのだ。

 だって彼女は愉快なストーリーが好きだ。

 事実が小説より奇なのか、おおいに確かめてみたい。

 この舞台、役者はみんな一流だ。

(……なら、私は観客席……それもS席に座らせてもらおうかな)

 リオが場にそぐわない、にやりとした笑みを浮かべたのでムライ参謀長はぎょっとした。しかし彼は巧みにその動揺を押し隠した。

 もしかして、この中尉を新人のまとめ役にするのは間違いだったか……

 いつも冷静な参謀長は、少し不安に思っていた。

 

 ♢♢♢

 

 さて、作戦当日。

 皆、慌ただしくそれぞれの持ち場で働いている。リオも例外ではなく、そこまで派手ではないがきちんと任務をこなしている。

 もちろん白兵戦で役に立てるわけがないし、どちらかというと彼女は任務が終わった後の事故処理の方が主な業務だから彼女の仕事が目立ったり、派手になるわけもないのだが。

 しかし、目立たなくともそれなりに重要な任務が彼女には言い渡された。

 それは、『ラーケン少佐とその部下達』を作り上げるという仕事だった。

 上官の指示のもと、彼のIDカードを偽造したり、ゼッフル粒子の発生装置の個数を確認して配布するお手伝いをした。

 リオも一応、毎日真面目に働く軍人なのだ。

 しかしそれらの仕事は既に終えてある。

 では今、彼女が担当しているのは……

 

「では、失礼して血糊を」

 リオは筆を手に取り、赤い塗料を練る。

 横にはシェーンコップ大佐。

 そう、彼女が担当するのはラーケン少佐のメイクアップである。

 今回の作戦、重傷のラーケン少佐が悲壮感を漂わせながら司令官に会わせることを望む、という筋書きだ。

 つまり、どれだけ『ものすごい怪我をしてる感じ』を出せるかどうかというのが重要な問題なのである。

 リオは緊張していた。

 任務が重大というのはもちろんだし、部屋に二人きりというのが一番つらい。彼女は年上の男性というのがそもそも苦手なのだ。相手が美形なら尚更である。

 それに加えて、リオには勝手に彼の冒険譚を作ってしまっていることに対する気まずさがある。彼を前にして緊張しない方がおかしい。

 リオはやたらと血糊をつけ、容赦なく包帯に塗りつけた。

「……そんなに血糊をつけたらかえってわざとらしくないか?」

 シェーンコップからもっともな指摘が飛ぶ。

「そ、その……重傷にしろとの指示で……」

 嘘である。そこまでは言われていない。

 リオは責任を架空の上官になすりつけた。

「……うん、そういうものか」

 シェーンコップは、気弱そうな尉官に一応話を合わせながらも思った。

 この血糊、俺が自分で包帯に塗るものだったのではないか。

 リオも思った。

 この血糊、大佐に塗ってもらうものだったのでは?私は少し包帯を巻くお手伝いだけすればよかったのでは?

『アヤムラ中尉、血糊と包帯を持って行って、メイクアップの方もどうにかしてくれ』と上司の一人に指示されたから、てっきり私は。全部やるものだと思って。

『これもメイクだし多分女性に任せた方がいいだろう。アヤムラは暇そうだし』みたいな雑な考えで任された雰囲気だったが、つい使命感に駆られて。

 いや、大佐は血糊くらい一人で塗れるだろう。

 私は馬鹿か。今すぐ消えたい。

 しかし、時すでに遅し。ここまでしたら全部やって何事もなかったかのようにやり切るしかない。

 リオは腹をくくった。くくりどころが変だ。

「……包帯、巻かせていただきます……」

 リオは一刻も早く消えたかった。重傷に見えるように、包帯をやたらとぐるぐる巻きにする。

 直せば直すほど、分厚くなっていく。

 完成した姿は、まるでB級ホラー映画のゾンビのようである。しかし、今更巻き直したくもなかった。

「……お、わりました……」

「……ああ、ご苦労だった」

 その労いがかえって恐ろしい。

 逃げるが勝ち、という都合のいいことわざがリオの頭に浮かんだ。

「で、では!小官はこれにて失礼します」

 リオはなるべく無礼にならない程度に急いで挨拶し、部屋から廊下に飛び出した。

 シェーンコップは、もはや何も言わなかった。

 リオの挙動不審っぷりと無礼さに、怒るを通り越して呆気にとられてしまったのである。

「……一体なんだったんだ」

 首をひねりながら思わず呟く。

 やや地味な印象の大人しそうな人間だった。実際そうなんだろう。黒髪をポニーテールにしただけのシンプルな髪型と、自身なさげな瞳がそれを物語っていた。

 なのに、なぜだか挙動不審だった。全体的に。

 特に悪意は感じられないし、ただの善良な小心者なのだろうが……

 それにしてもだ。

「……ふむ」

 彼女の手によって巻かれた頭の包帯に手をやる。

 何枚も重ねられたためか妙にふかふかとした手応えのそれは、彼女のおっちょこちょい加減を象徴しているかのようだった。

(どうにもやらかし癖があるらしいな)

 ああいう種類の女性はよく分からない。

(いや、女性というより)

 猟師から逃げ遅れたタヌキのような……

「いかんいかん」

 流石にそれは失礼だ。

 そう思いつつも、自分の例えがあまりに的を得ていたので『ラーケン少佐』は思わず苦笑してしまった。

 

 ♢♢♢

 

 さて一方、上官から逃げたタヌキことリオである。

(ああああああ………)

「ああああああ………」

 羞恥のあまり人語を忘れて、本格的に獣になりつつある。

 すれ違う人がいないのをいいことに、リオはやたらと廊下を歩き回っていた。

「………恥ずかしい……よりによって、大佐……」

 なぜあんなに目立つ人物を相手にやらかしてしまったのか。恥そのものである。

「……もう、大人しくしてよう。着実に仕事をしよう」

 無表情な壁に向かってリオは話しかける。

 壁は根気強く彼女の独り言を聞いてくれる。

(……うん。やらかしたことは仕方ない。切り替えて、自分にできる仕事を頑張らないと)

 壁も、自分を励ましてくれるような気がする。

(よし、頑張ろう。ほどほどに頑張ろう)

 リオは覚悟を決め、燦然と歩き出した。

 一歩、二歩、三歩……

「ああ、でもやっぱり恥ずかしい!」

 リオは思わずしゃがみこんで叫んだ。

 リオはこの辺りの廊下なら誰もいないと思って、盛大に。

 彼女の覚悟は僅か三歩の間しか持たなかったわけである。

「うう……消えたい……」

 ところで、壁に耳あり障子に目あり、ということわざがある。

 もちろんリオも知っていた。しかしこの時はそんなことまで頭が回らなかった。

 曲がり角の向こうをたまたま歩いていたある噂好きの軍人が、リオの独り言を最初から最後までばっちり聞いていたということを彼女は知らない……



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リオ、ちょっと悩む。

 リオは、爆発していく帝国の艦隊を見ていた。イゼルローン要塞の内部から。

 ただし、指令室にいたわけではない。そこから離れた部屋に据え付けられたモニターを通して見たのである。

 そう。今回の作戦は無事に成功したのだ。

 詳しい状況までは分からないが、あとはもうこちらに向かってくる敵を撃破するだけのようだ。

 こちらに向かってくる帝国の艦隊の数が、みるみるうちに減っている。

 けれど、そんなに何度も砲撃をしているわけではない。

(それで、この威力なんだ……)

 リオは慄然とする。

「これが、トールハンマー……」

 誰かが呆然と呟くのを聞いた。

 リオは画面から目を離せない。

 一度の砲撃でどれだけの艦が消滅するのだろう。考えるだけで、ぞっとしてしまった。

 司令官の命令ひとつで、あっさりと撃たれる雷神の槌。

 それを手にしてしまったのだ。同盟は。

 いや、ヤン少将は。

 なんとまあ、一滴の血すら流さず。

(血糊は流れたけど……)

 いけない。恥ずかしいことを思い出した。

 ぶんぶんと首を振って始まりかけた回想を断ち切る。

(それにしても……)

 ヤン少将は、どんな気持ちでいるのだろう。

 みんなが今回の勝利に酔い、騒いでいる。

 きっとそれは、この要塞にいる同盟の軍人なら当然の反応だろう。寄せ集めとすら言われた十三艦隊の人々で、不可能と思われた作戦をやってのけたのだから。

 けど、その作戦を考えた張本人は。

 今回の作戦の役者はみんな一流、とリオは思った。

 けど、ヤンはその台本を書いて、主演も務めて、舞台装置すらも自分で考えてしまったようなものだ。

 自分で全部計画して、それをやってのけたということは。

 それに対する責任も全てのしかかってくる、ということではないのだろうか。

 今、どんな顔をしているのだろう。

「……ヤン少将は………」

 リオは思わず呟いた。

 隣にいた誰かが、何かを勘違いしたらしく笑顔で応じた。

「ああ、そうだな!ヤン少将!あの人は英雄だ!」

「あ……」

 その場にいた全員が、笑みを浮かべて強く頷いた。

「ええ、そうですね」

 リオも一応は返事をしながらも、素直にその言葉を肯定できずにいた。

 確かに、今回も彼は英雄と呼ばれるにふさわしい成果をあげた。

 けど、英雄とまつりあげることは、その人を孤独にすることではないのだろうか。

 今まで読んだ本の中で、英雄が自分の孤独を嘆いていたのをよく覚えている。

 そりゃ、小説と現実は違うかもしれない。

 けど、英雄という言葉は、自分達凡人とは違うと見放して、その人に全ての責任を負わせるような。

 そんな、言葉ではないのだろうか。

 だって、リオは見た。

 敵が死んでいく。

 あっけなく。あんなにあっけなく。

『撃て』と言っただけで。

「……はぁ」

 ヤン少将のことはまだよく分からない。

 私の考え過ぎで、彼だって、英雄と呼ばれてまんざらでもないのかもしれない。

 それでもリオは考えずにはいられなかった。

 あの、少し変わった司令官が今この瞬間なにを思っているのだろうと。

 そして、私は彼がどんな反応をしていれば満足できるのかと。

 ヤン少将は、敵の旗艦だけを狙えと命令したらしい、と風の噂で聞いたのはその少し後だった。

 

 ♢♢♢

 

 しかし、呑気に考え事ばかりしてもいられない。

 リオの本来の仕事はデスクワーク。

 そう、敵から奪った要塞のお片づけなどのいうのは、彼女の本職そのものだ。

 首都ハイネセンに帰還した後には、リオはひたすら働いた。もう、猛烈な勢いで。

 だってやることはいくらでもあるのだ。

 捕虜の管理についてはもちろんだが、穀物貯蔵庫の状態について、病院の数やその設備など、同盟がまだ知らないイゼルローン要塞の情報はいくらでもある。

 ひたすらコンピューターとにらめっこして、データを整理したり保存したり。

「……帰りたい。帰って寝たい」

 リオはコーヒーをすすりながらぼやいた。

 彼女がコーヒーを飲むのはブーストをかけたい時だけである。

 椅子に座ってひたすら作業を続けてもう何日目だろう。

 尻が痛い。目の下のクマも気になる。

(……なにより、本を読めていない)

 家に帰ったらベッドに直行する毎日だ。

 けど、まだまだ休めそうにない。

 今回の作戦でかかったお金についてとか、中に工場まである大きな要塞をどう管理していこうかとか、そういうことまでこれからお仕事になるのだろう。

 まるで働きアリのように。

 これじゃ、リオ・『アリ』ムラだ。

 大して面白くもない冗談で気分が晴れるわけもなく、リオは思わずため息をついた。

「これからヤン少将が戦果をあげればあげるほど、私は忙しくなるんだろうな……」

 仕事に対する情熱が欠けた彼女の呟きに、隣に座っていた顔見知りの男性が応じてくれた。

「ああ、そうだな。英雄の下で働くのも楽じゃねーや」

 彼が大げさに肩をすくめて言ったので、つい笑ってしまった。基本的にリオは年齢問わず男性が苦手だが、リオはこの人は話しやすいし、好ましいと思っている。

「そうですね、あの人……新しいあだ名は魔術師とか、奇蹟……でしたっけ?」

「そうだな。俺たちみたいな高い志がないまま、うっかり軍人になったような奴らとは違うよな」

「あはは……。うん、本当に」

 リオは心から頷いた。

 そうだ、私には高い志などない。

 毎日無難に生活して、本を読めればそれで満足。

(そうだ……本当にそうだよ)

 私はつい、ヤン少将のことをもっと知りたいなんて思うところだった。

 この前、トールのハンマーの絶大な力を知ってしまってから、その気持ちが大きくなっていた。

 危ない。うっかり彼を崇拝したり、尊敬したりするようになったら大変だ。

 あんな目立つ人について行くなんてとんでもない。もし死ぬまでついて行くことにしたら、ろくにお休みももらえなそうだ。

 何より、私は優秀な人間ではない。

 彼と私は違う。

 彼を知りたいなんて思うこと自体、身の丈に合わない欲求だ。

 知る必要もない。彼の人となりも、彼がどんな気持ちで『撃て』と命令しているのかも。

「そう、私は凡人だから」

 リオは自分に言い聞かせるように言った。

 司令官の気持ちを知りたいなんて、私らしく無かった。

 人生はのんびり気楽に、目立たずに。

 それが私のモットーだ。

 なのに何故か、この艦隊で働き始めてから少し調子が狂っている。

 それもこれも全て、ヤン・ウェンリーのせいだ。

 つい、彼は他の上官と違うんじゃないかと思ってしまう。

 違ったらなんだというんだ。

 そりゃ違うに決まってる。

 だってあのヤン・ウェンリーだ。

 私はその英雄のもとで忙しく働く。

 毎日あたりまえに生きて、そのうち死ぬ。

「……それでいいじゃん」

 そのはずなのに。

 リオの脳裏からは、破壊された帝国の戦艦の姿が離れないのだった。

 戦争の残酷さなんて、分かったつもりでいた。

 それなのに。

(……最近、余計なことばっかり考えてしまう)

 ヤン少将は違うと思いたいのか。

 ヤンが司令官に値する人間かどうか、偉そうにジャッジでもするつもりなのか。

 彼はただの、戦果にしか興味のない軍人じゃないとでも思いたいのか。

 リオと彼の間には、なんの関係もないのに。

 自分でもよく、わからないままだった……。

 

 ♢♢♢

 

 なんだか重苦しい考えばかり続いているので、ついでにリオの愉快な体験についてもお話して、口直しとしよう。

 それは、ある夕方の帰り道ことである。

 仕事もどうにか一段落して、リオはご機嫌に歩いていた。

 まだやる事はあるが、とりあえず山場は超えることができたので今日は早く帰宅できる。

 なんにせよ、これからしばらくはもう少し楽になるだろうと肩こりをほぐしながらリオは考える。

「良い肉でも買って帰っちゃおうかな……それとも、気になってた本……いや、映画……」

 鼻歌を歌いながらも、リオは自分へのご褒美を何にするべきかと真剣に脳内会議を開いていた。

(司令官のこととか、イゼルローン要塞のこととか、一旦全部忘れちゃおう)

 一旦面倒な考えを断ち切って、ゆっくり休むことの大切さを彼女はよくわかっていたし、何よりもうそろそろ楽しい想像をしたかった。

(酒でも飲んで、やっぱり肉を……)

 そうだ。この近くに、持ち帰りに対応している美味しいお店があったはず。今日はそこのお肉をたらふく食べよう。そうしよう。

 目的地を定めた彼女は、大通りを右に曲がり脇道に入った。

 あまり知られていない通りなので、人がちらほら見える程度だ。

 近くを歩いているのは老婆と、若い女性が何人かと、親子連れ……

(……ん?)

 遠くにちらりと見える親子連れが、リオの目にとまった。

「……なんだろう、あの既視感……」

 というか、あれは親子なのだろうか。

 二人の男性が連れ立って歩いているが、なんだか親子と言うには微妙な違和感がある。

 若い方の男は亜麻色の髪にすらっとした体。美男子であることが遠くからでも雰囲気で分かる。

 しかしもう一人の方は……

 黒い髪となんだか頼りない雰囲気が、美形というよりも優しそうな印象を与える。

「……なんだかなぁ」

 あの、駆け出しの学者を思わせる背中を、私はどこかで見たことがある。

 優しそうで、ちょっと頼りなくて、黒い髪、中肉中背、駆け出しの学者………。

 リオはなんだか笑ってしまう。

「ふふ、その特徴だとまるで、うちの司令官みたいな……」

 いや待て。

 リオはハッとした。

『まるで』『うちの』『司令官』?

 思わず漏れた笑いが引っ込む。

 いや。『まるで』じゃない。

 リオは確信した。

(あれは、ヤン・ウェンリーだ……)

 なぜ気がつかなかったのか。

 分かってしまえば、もうヤンにしか見えない。

「というか、横の人は誰……?」

 距離のせいではっきりとは見えないが、まだ若い、というよりは幼い顔をしている。

 しかし、可愛らしい顔立ちながらもいかにも女性にもてそうな雰囲気で、ヤンとは何もかもが正反対に思える。

(一体どういう関係なんだ……?)

 もしリオがもう少しヤンという人間に親しかったり、そうでなくても興味を持っていたりしたら彼がヤンの同居人の少年だと分かったかもしれない。

 しかし、リオは残念ながらそのどちらにも当てはまらなかった。

 こういう時、リオの妄想癖はいつも暴走を始める。

(……きっとあの男の子は、不思議な国からきた王子様……?)

 そして前世が騎士だったヤン・ウェンリー卿は、王子様を国に帰すためのお手伝いをしている……

「いや、ないない」

 騎士って感じじゃない。

(それじゃ、あの男の子は実は司令官の腹違いの弟で……)

 きっとスパイの組織か何かに追われてて、それを怪盗ヤン・ウェンリーが華麗に助けてくれる。

「う〜ん、しっくりこないな」

 怪盗って感じでもない。

 リオの頭の中で、ヤンとユリアンはもはや着せ替え人形のようになっている。

 こうなってしまえばもう妄想列車は止まれず、加速し続ける。

 夢中になりすぎたリオがうっかり電柱にぶつかって正気に戻るまで、彼女の妄想は続いた。

 どうにかその日の夕食を調達してから帰宅したが、肉を食べている間もおでこが少し痛んだ。

 しかし、久々に妄想を心ゆくまで楽しめたのでリオはご機嫌である。

 風呂の後はじっくりと本を読んで、眠くなるまで布団でごろごろしていた。

 近頃彼女は自分の中に司令官に対する期待のようなものを感じて悩んでいたが、空想で頭を使ったおかげか今夜は久々にぐっすりと眠れそうだ。

 そういう意味では、リオにとってヤンと謎の美少年は安眠を連れてきてくれる恩人となった。

 そろそろ寝ようかと掛け布団に潜りながら、リオは彼の顔を思い出す。

「というより、ヤン・ウェンリーは同盟みんなの恩人かぁ……」

 リオは夢うつつで呟いた。もうかなり眠たい。目を閉じたら、すぐ意識を失ってしまうだろう。

(せっかく魔術師さんのおかげでイゼルローンを手に入れられたんだから、同盟にも、こうやって眠るみたいに静かで平和な時代が訪れると良いのに……)

 リオは意識を手放す直前に思った。

 いくらリオでも、未来の飛ばし読みはできない。

 これから起きる戦争や、帝国と同盟の行く末を知らない人々が今分かるのは、ヤン・ウェンリーがイゼルローンを攻略したという事実だけだった。

 そしてもちろん、これで同盟も平和になるのではと期待している人も多くいるのである。

 なんにせよ、ゆっくり眠ろう。

 

 銀河の歴史を、また一ページ。

 読み進めるリオ・アヤムラなのであった。



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