バッドエンド·ガールズ (青波 縁)
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第1章:欠ける記憶、日常再生
000 プロローグ的な何か


 

 見知った少女が倒れてる。

 

 「う、うぅう」

 

 歯を食い縛りながら、必死に痛みを耐える姿はとてもじゃいが見ていられなかった。

 

 「くだらないですねー」

 

 グシャリ、と男が少女の頭を踏み潰す。

 今は潰れて影も形もないけれど、少女の笑顔が僕は好きだった。

 妖精のような翠眼も、腰まで届く栗色の髪の何もかもが好きだったのに……!

 

 「──なん、で?」

 

 男は醜悪な笑みを浮かべ、返り血に染まった修道服を気にせず少女の死体を踏み続ける。

 その姿は二メートルを越える身体なのに、随分と子供のような癇癪を起こしているようだと僕は場違いに思った。

 同時に、そんな男にどうして彼女が殺されなきゃいけないのかも考えた。

 

 「まーだぁ、そんなことを考えてるんですか」

 

 グルリ、と首を曲げながら男はこちらを振り向いた。

 女みたいな口調の嗄れた声でしつこいと言いながら、横凪に腕も振るった。

 

 「──え?」

 

 人間離れした芸当に驚くも束の間、その場で体勢を崩し、口から真っ赤な吐瀉物が出た。

 

 「ぐぅふぅ!」

 

 バシャリと血が跳ね、感じたこともないような激痛に身悶える。

 

 「呆気ないものですねぇ」

 

 追い討ちを駆けるように顎を掴まれ、無理やり立たされる。

 

 痛い。

 とても痛い。

 でも、それよりも少女の死を憐れむ暇もないことが辛かった。

 

 「これで、終わりです……っよ!」

 

 男が告げる。

 キンと耳鳴りがして、頭がかき回されるように痛くなる。

 

 「──が! あ、ぁあ!!!」

 

 激痛に、もがき苦しむ。

 止めてと必死で手を伸ばすも、男はそれを嘲笑う。

 

 ──そんな中、唐突に夕焼けで僕を励ます少女の顔が過った。

 

 「──あ」

 

 確か、向日葵のような笑顔で僕を希望だと言った。

 

 「──あ、あ、」

 

 記憶が無く、途方に暮れていた僕に声を掛けてくれた。

 いつだったか忘れてしまっていた■■さんとの日々を思い出す。

 

 「──あ、あ、ああ、」

 

 たった数日の出来事。

 けど、そんな大切な日常をどうしてか僕は忘れてしまった。

 

 ────「勇貴(ゆうき)さんはそんな嫌われ者の私にとって、希望なんです」

 

 少女は僕の前でしか笑えなかった。

 声を押し殺し、震える声で泣く彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 ふざけるな。

 

 何でかは解らない。

 けれど、それが癪に障った。

 

 こんなところで終われない。

 少女を殺した男に殺されるなんて真っ平ゴメンだ。

 

 何より。

 

 「あ、あ、ああ、ああああああ!!!」

 

 好きな男の前でしか笑えないなんて認めて堪るかよ!

 

 バタバタと必死で身体を動かす。

 そんな抵抗を男は無意味だと嗤う。

 

 「これで終わりだってのに、まだ抵抗するんですか!」

 

 耳障りな怒声と共に、強く頸が締め付けられた。

 

 「────、────! ────、────!」

 

 男が何かを喚き散らす。

 周囲はいつの間にか暗闇になっている。

 

 ズキズキ。

 ズキズキ。

 

 更に頭痛は痛みを増していく。

 

 「ふ、ふざ、け、ん、な」

 

 それでも、これだけは言ってやらなきゃ気が済まないし。

 

 「終わ、り、じゃ、な、い。ぼ、く、は、ま、だ」

 

 何よりこんな僕を希望だと言った■■さんの想いを嘘にしたくない。

 だから、此処で諦めるわけにはいかなかった。

 

 「じ、ぶんのじ、ん、せ、い、を、ぼ、く、は、ま、だ、生、き、て、い、な、い!」

 

 カチリと響く、パズルの欠片が填まる音と同時に──。

 

 「恩恵(ギフト)の発動を確認。これより、対象の時間遡航を開始します」

 

 突然、聞き覚えのある少女の声が響く。

 

 「──っ!?」

 

 いつもと違う抑揚のない、機械的な口調。

 

 「なん、ですって!?」

 

 そんな声に驚愕する男が益々癪に障った。

 すると、グラリと平衡感覚を失う。

 

 夢を見る。

 悪夢に溺れる。

 

 ゴポゴポゴポ。

 

 僕の記憶が軋みを上げる。

 

 意志の剥奪。

 無意識の洗脳。

 静かなるディストピア。

 永遠に抜け出せない煉獄。

 

 雑音(ノイズ)が脳に走る。

 

 ゴポゴポゴポ。

 

 未だ少女たちは鍵を見つけれない。

 ゼンマイが巻き直され、僕の意識は次の■へとシフトする。

 

 「ルールの改竄? ■■を殺したらそうなるって言うの? なら次は──」

 

 ──意識が途絶える間際。

  嗄れた男の声はいつの間にか、女の声色へと変わっていた。

 



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001 始まりの朝

 

 目が覚めたら、白い天井が見えた。

 

 「……ゆ、め?」

 

 どんな夢なのかは忘れたけど、全身に吹き出す汗が飛びきりの悪夢だったと物語る。

 

 「ハア、ハア」

 

 チクタク、チクタクと時計の針が七時を指す。

 

 「……起きる、か」

 

 欠伸を噛み殺し、なんとかベッドから起きあがる。

 

 「うおぉっと!」

 

 すると足下にある何かを踏んづけ、転びそうになる。

 

 「っ()ぅ。……何だこれ?」

 

 踏んづけた物を見る。

 それは、銀色の鍵のようなものだった。

 

 「何の鍵か知らないけど、別にいらないかな」

 

 ポイっと何処かに放り投げる。

 そんなことをしてるから、部屋が汚いんだと他人事のように思った。

 

 「その内片付けないとなぁ」

 

 ササッと一張羅である制服に着替え部屋を出る。

 

 「──っつぅ」

 

 朝の日射しに目が眩むと、頭が痛くなる。

 

 「いた、い」

 

 脳裏に知らない青年の顔が過る。

 

 青年は白銀の髪でサファイアのような碧眼をしており、僕とそう変わらぬ背丈だった。

 

 「──だ、れ?」

 

 痛い。

 痛くて、苦しいのに何故か先へ進もうする。

 まるで自分の身体が誰かに操られてるような感じで気味が悪かった。

 

 ──そんな時、

 

 「朝から辛気臭い顔してんなぁ、七瀬(ななせ)

 

 不意に馴染みのある声が掛けられた。

 

 「──ふぇ?」

 

 振り返る。

 

 「よお」

 

 すると、すぐ後ろに腰まで届きそうな赤髪の少女が立っていた。

 

 「うわっ!?」

 

 驚きの余り仰け反ると思い切りドアに頭をぶつけてしまう。

 

 「っつぁ!」

 

 痛みに耐えかね、ぶつけたところを手で押さえた。

 それを冷ややかな目で少女は見つめる。

 

 「アイタタ、……何で後ろに居るのさ、天音(あまね)?」

 

 声を掛けてきた少女の名は、久留里(くるり)天音。

 彼女のことを僕は親しみを込めて、天音と呼び捨てにしている。

 

 「……ッハン! アタシが何処に居ようがアンタには関係ないだろ」

 

 僕の質問に天音は素っ気ない態度で返す。

 

 「そりゃそうだけどさぁ。それでもそんなところに立たれたら心臓に悪いよぉ。……後、僕、別に辛気くさい顔なんてしてないし」

 

 売り言葉に買い言葉で思わず僕はそっぽを向く。

 すると会話が途切れてしまい、何となく気まずくなる。

 どうしたものかと天音の方を見ると、天音と目があってしまう。

 

 「──あ」

 

 湖のような碧眼で天音が僕をまじまじと見つめている。

 その事実に気付くと、何故か頬が熱くなった。

 

 ドクン。

 心臓の鼓動が速くなる。

 

 ──何だ、この甘酸っぱい空気は?

 

 そう言いそうになり、慌てて口を瞑った。

 い、いかん。

 普段なら色眼鏡で見ないってのに、何故か天音を意識してしまっている。

 

 そんなことでドギマギしていると、天音の髪にビュウと風が靡く。

 ……そういえば出会った当初、その髪と男勝りの性格のお陰で不良かと勘違いしたこともあったっけ。

 今はそんなことはないと分かってるけど、親しくなるならないでは彼女の印象は違ってくる。

 その証拠に髪を掻く姿が、妖艶な雰囲気を漂わせているのだ。

 

 「ふーん」

 

 リンゴのように赤らめる天音が、何か言いたそうにモジモジしてる。

 その様子が普段の姿から想像がつかず、ギャップを感じた。

 そうなると、たわわな胸やスラリとした腰回りはエッチィと言わざるを得ないんじゃないか?

 そうだ。

 つい先日、彼女のスカートから覗かせた足肌に僕も釘付けになったじゃないか。

 天音はエロい、そいつは間違いない。

 

 「……ほーう」

 

 天音の視線が冷めたものに変わる。

 思わず、背筋がゾクリとした。

 

 「な、何さ?」

 

 もしや、考えてることが口に出てたか?

 いや、さっきから口は瞑ってるし、それはないだろう。

 エスパー染みた能力を天音はない筈だ。

 

 「べっつにぃー」

 

 含みのある声。

 以前から思ってたけど、天音はコミュ障の割には妙に勘が鋭くないか?

 ……。

 それはそうと、天音は勝気で男勝りだが絵になるほどの美少女だ。

 そんな彼女が何だって朝っぱらからこんな場所に居るのか気になるものだ。

 しつこいと思われようが、聞いてみることにした。

 

 「そういう天音こそ、こんな場所で何してんのさ?」

 

 「あん? ……さっきも言ったけど、アタシが何処で何しようが七瀬には関係ないだろ」

 

 一瞬だけ目を丸くした天音だったが、直ぐに眼を鋭くして僕を突っぱねる。

 敵意が込められてる気がしたので、それ以上は深入りしないことにしよう。

 

 「そっか」

 

 そうだ。そんな状態で追求しようものなら、天音は益々ヘソを曲げる。

 それは、これまでの付き合いでよく分かってる。

 

 「──っち。アンタはいつもそうだな」

 

 こちらに背を向けて天音は立ち去ろうとした。

 

 「ちょっと待ってよ、天音」

 

 そんな天音の手を掴み、引き止める。

 

 「何だよ。話すことなんかないだろ。手、離せよ」

 

 掴まれた手を天音は煩わしそうに一瞥し、そんなことを吐き捨てた。

 諦めたような、けれど何処か諦めきれないと言いたげな顔だった。

 

 「その様子だと朝飯はまだなんでしょ。これから一緒に食べに行こうよ」

 

 子供みたいで放っておけず、そんなことを提案してしまう。

 

 「はぁあ!?」

 

 一瞬、声を荒げる天音。

 キッとこちらを思い切り睨むも、物怖じしない僕を見てため息を吐いた。

 

 「──こんだけ冷たくされて、よく食事に誘う気になったな?」

 

 やれやれと肩をすくめて、天音は悪態をつく。

 

 「うん」

 

 僕は胸を張って、返事をする。

 すると、そんな僕に彼女は微笑んだ。

 

 突如、腹に衝撃が加わった。

 

 「ぐぅふ!」

 

 衝撃に思わず、手を離し腹を抱える。

 

 「──ふん!」

 

 どうやら、天音が僕を蹴ったみたいだった。

 スタスタと、食堂へと向かう方に天音は歩いて行く。

 

 「イタタ、タ。……乱暴だなぁ」

 

 断るにしたって、もう少しマシな返答が無かったものだろうか。

 そんな僕を無視して先に進む天音だが、不意に立ち止まる。

 クルリと振り返り、続けてこんなことを言った。

 

 「おい、何突っ立ってんだよ? 置いてくぞ」

 

 一瞬、何のことか理解出来ず、首を傾げた。

 脳をフル回転させる。

 ……。

 もしかして、OKってことなのか?

 なら別に蹴らなくても良かったじゃん。

 文句の一つでも言ってやろうと思ったが、既に彼女は廊下の突き当りに差し掛かってた。

 

 「ま、待ってよー!」

 

 慌てて、天音の後を追う。

 開けた窓から冷たい風が吹き込むのだった。

 



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002 君と会う

 

 食堂へ着く、──そこには腹を空かせた同胞が群がっていた。

 餌を求めるハイエナのように我先に獲物に飛びつく姿に息を呑む。

 

 「此処、高校なんだけどな」

 

 呆れたような顔をして天音は腕を組みなおす。

 たわわな胸が強調される良いポーズだった。

 

 「そう、だね」

 

 香ばしい匂いが食欲を刺激する。

 餌に群がる彼らの中にクラスメイトがいたような気がした。

 敵意と貧困が入り混じる、阿鼻叫喚な食堂に僕は踏み込んだ。

 

 ──「みんな、お腹空かせてるのね」

 

 唐突に、食堂を切り盛りしてるおばちゃんたちの嘆きを思い出す。

 

 「──しまった。もしかして出遅れた?」

 

 オーマイガー、と僕は膝を抱えて地に手をつける。

 悔しい。

 これでは、人気メニューにありつけない!

 

 「嘆くほどのことか?」

 

 隣にいる天音が何かを言っているが気にしない。

 僕は人気のゴールデン・カツサンドが食べたかったんだ。

 只のカツサンドではない。

 ゴールデンだ。

 あの肉汁がジューシーで、何だかよく分からない不思議なマスタードによるトッピングが施された朝食の数量限定メニューなのだ。

 

 「あのー。こんな場所で何してるんです、勇貴さん?」

 

 そんな馬鹿をしていると、少女の声が掛けられた。

 聞いてるだけで(いや)される、そんな声が誰なのか僕は知っている。

 

 「聞いてくれるか、名城線!」

 

 バッと立ち上がり、後ろを向く。

 腰まで届く栗色の髪を一つに束ねた少女が立っていた。

 

 「いや別に聞きたくもないですし、そこ邪魔なんで退いて貰って良いですか? 後、私は名城線じゃなくて名城(なしろ)ですから」

 

 栗色の髪をいじる少女の名前は、名城真弓(まゆみ)

 天音とは違って彼女のことは、苗字で呼んでいる。

 親し気にしてると、何故かクラスの奴らが僕に当たりが強くなるのでそうしてる。

 でも名城だなんて変わった苗字だから、ついつい揶揄ってしまう。

 

 「別に、そう変わった苗字じゃないだろ」

 

 何故か心の声が天音に漏れている。

 遂に、テレパシー能力でも開花したのだろうか?

 

 「口に出してんだよ、馬鹿」

 

 突っ込みありがとう、天音。

 

 「何でもいいから、早く退いてくれません?」

 

 そして容赦なく辛辣な名城さん。

 ジッと見つめる翠眼が、妖精のような美しさを感じさせた。

 

 そんな彼女のことを皆は、奇跡の魔法使いと比喩する。

 栗色の髪も、妖精のような翠眼も、整った鼻立ちの何もかもが彼女の美しさに拍車をかけていた。

 だが、幾ら何でもそれは誇張し過ぎだと自嘲する。

 

 「待ってくれ、名城線。僕は今、とても大切なことを考えてるんだ!」

 

 訳の解らないことを言ってはぐらかし、そんな思いを誤魔化した。

 そんな僕を名城さんは、白けた目で見つめる。

 ……まあ、彼女からしてみればシュール以外の何物でもないだろうね。

 

 「私は名城線じゃないですと、何度言えば解るんですか!!!」

 

 勇貴さんのバカーと叫びながら、名城さんの渾身の一撃が繰り出された。

 パシン、と軽快な音が食堂中に響き渡る。

 それはそれは、もうベテランのお笑い芸人がするようなとても良い突っ込みだった。

 

 「リア充だ! リア充がいるぞ!」

 「おーい! 此処に我等が宿敵、リア充が現れた!」

 「囲め! 囲んでしまえ、この糞リア充を袋叩きにしてしまえ!!!」

 

 ドッと周囲から集まるハイエナたち。

 しまった、名城さんと話してることに気づかれたようだ!

 

 「あーあ。面倒なことになっちまったな。……しっかし、こいつらも飽きないねぇ。これに懲りたらいい加減に七瀬も学習しろよ」

 

 喧騒に呑まれながら、前へ乗り出す形で後ろを見る。

 食堂前で髪を掻き上げる二人の姿は、正に絶世の美少女のようだった。

 

 「う、うごぉ!」

 

 非モテ共から揉みくちゃにされる中、未だ呆れた顔をする名城さんを一睨みする。

 僕は君が犯した行為をこの先ずっと恨み続けるだろう。

 この哀れなモテない男の群れに僕を投げ入れた罪は絶対に忘れない。

 つーか、忘れてなるものか。

 

 「お、覚えてろよー!」

 

 僕は迫り来る非リアの洗礼を逃げながら叫ぶ。

 

 「知らないですよぉ、…勇貴さんのバカ!」

 

 張り裂けそうな乙女の嘆きが食堂に響き渡る。

 己を殺さんとばかりに来る野郎共からは逃げられそうもない。

 それが運命だと言うようだった。

 

 「どうせ、いつもの馬鹿騒ぎだろう。直に終わるさ」

 

 面倒だとばかりに券売機に向かう天音の姿は、凛としたものだった。

 

 ◇

 

 群がる人を押しのけては交渉し、僕はやっとの思いで券売機へたどり着く。

 財布から数枚の硬貨を券売機に入れ、適当な食券を手に入れる。

 ゲームなら効果音でも流れそうだ。

 そう思いながら、受付のおばちゃんに食券を差し出す。

 クリームパンをおばちゃんから渡されると、カツカツと飯を頬張る二人組の席に向かった。

 

 「うへぇ」

 

 席に着くと、そこには胃もたれしそうな食事風景が展開されていた。

 

 「はふ、はふ」

 

 肉汁が迸る揚げの一品を大きな丼に盛られた思春期ボーイの人気料理は、──孫う事なきカツ丼。

 

 「はふ、はふ」

 

 油ギッシュなカツをペロリと平らげるのは、僕らの天音だった。

 うへぇ。

 

 「なあ、名城。いい加減に朝のアレは止めたらどうだ? 一々面倒で仕方ないぞ」

 

 どんな男よりも漢らしい天音は、対面する少女へ言葉を投げかける。

 

 「あら、なんでしょうか、久留里さん。元はと言えば誰かさんの態度に問題があるんです。ええ、本当に悪いのは誰かさんなんですから私は悪くありません。勇貴さんもそう思いますよね?」

 

 必要以上に誰かさんを敵視しする名城さん。

 だが、僕はそんな彼女よりも目の前の白い居城に釘付けになっていた。

 

 「うへぇ」

 

 胸焼けのする甘い匂い。

 子供なら誰もが好きな生クリームで塗り固められた円柱の物体。

 無数のイチゴが装飾されたそれは、ケーキと呼ばれる料理であった。

 因みに彼女が食べてるケーキは、間違っても食後に出される代物では決してない。

 パーティで出されるような、ワンホールタイプのケーキだった。

 それを名城さんは夢中になっている。

 これならば天音の方がまだ食事と呼べる部類だ。

 うへぇ。

 

 「まあ、アンタの言いたい気持ちは分かる。だがアタシには関係のない話だから、止めろ。……そもそもアイツと関わるってのはそういことだって、分かってんだろうが」

 

 もしかして、僕は(けな)されているんだろうか。

 あれ?

 僕ってそんなにどうでもいいクラスなのだろうか。

 可笑しいなぁ。

 目の前が涙で滲んでよく解らなくなってきた。

 

 「──アンタはもう少し自覚しろって話だ」

 

 僕の気持ちを汲み取ったのか、こっちを振り向きもせずに天音はそう言った。

 黙々(もくもく)と食事に夢中になる姿は年相応な女の子だった。

 

 「負けませんよ、久留里さん」

 

 白い城壁を手にしたフォークで以て切り崩す名城さん。

 

 フワッとした食感が堪らないであろう。

 彼女はケーキ頬張りながら、訳の解らない宣戦布告をする。

 何の宣戦布告かは知らないが、それも乙女らしく尊かった。

 

 ……こんな風にバチバチと火花を散らすぐらい仲が悪いのなら、一緒に食事などしなければ良いのに。

 

 「七瀬(アンタ)は黙ってろ」

 「勇貴さんは黙っていて下さい」

 

 二人の声が同時に響き渡った。

 かれこれ、僕らの学園生活の朝はこうして迎えたのであった。

 



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003 遭遇

 

 朝食を済ませ、教室に向かい授業の時間まで適当に過ごす。

 

 「皆さん、おはようございます。点呼を取りますので──」

 

 すると頭のハゲた男の先生がやって来て点呼を取る。

 全員の名前を呼び終え、黒板に先生が魔方陣を描き出す。

 

 「この術式は、六つの魂を宿らせた箱という形を用いて成されるものであり──」

 

 それについて、ハゲの先生が熱弁するというのが此処は第二共環高等魔術学園の授業スタイルだ。

 魔術である、魔術。

 思春期の男子高校生は、一度でも患ったかもしれない厨二心をくすぐるアレを真面目に取り組むのだ。

 僕はそこの生徒を何故かしている。

 

 ……実は僕自身が魔術師でもなければ、特別な能力を宿した超人でもなかったりする。

 つーか、此処しばらくの一ヶ月前までの記憶が一切ない。

 記憶喪失というヤツで、そんな僕がどうやってこの学園に来たのか誰も知らないのだそうだ。

 

 異常だ。

 そう、そんな僕に対する学園の待遇は普通の生徒と比較して可笑しなところがある。

 授業なんてものは一学生が居なくなったぐらいで無くなったりしない筈だ。

 それなのに僕がサボりを決行した時だけ、授業を止めてクラス一同で捜索するという徹底ぶり。

 まるで何処かの国の王様みたいな扱いで嫌になる。

 

 ……どうして僕には記憶がないのだろう?

 解らない。

 何をどう考えても記憶を探す進展が見つからなかった。

 

 ────「私、待ってますから」

 

 ズキリ。

 また酷い頭痛だ。

 過去を思い出そうとする度、決まって誰かの言葉が頭に響く。

 何処かで聞いたような優しい少女の声。

 影が掛かって顔は見えないが、それでも大事な人のように思えた。

 その人のことも思い出さなければならないのに、覆い隠すような痛みがそれを忘れようとする。

 

 人は過去に生きてないと言うけれど、未来に向かって生きている訳でもない。

 所詮、今を(すが)って生きるだけの存在に過ぎないのに――。

 

 「仮想世界の魔術での記憶の引継を司るもので有りまして──」

 

 そんな僕に目も暮れず、ハゲの先生は授業を続けた。

 

 ◇

 

 キーンコーン、カーンコーン。

 

 放送室から昼休憩のチャイムが鳴り響く。

 腹を空かせる狼となった生徒たちは我先に獲物を求め、食堂へと足を運ばせる。

 此処での飯の調達は、主に食堂か校舎から離れた位置にある売店で買うかの二択しかない。

 しかし今朝のことを考えると、食堂という選択肢に躊躇してしまう。

 

 けど売店で昼飯を調達するのも、いまいち出向く気分にはなれない。

 

 「……仕方ない」

 

 なので、昼飯にありつけなくなってしまうのを避けるため、誰にも見つからないようにそそくさと教室を抜け出すことにした。

 トラブルを警戒しながら廊下を進んでると、

 

 「──おろ?」

 

 誰かが僕の肩を叩いた。

 一瞬、ドキリとする。

 

 後ろを振り返ると、そこには僕よりも背の低い少女が笑顔で立っていた。

 

 短く切り揃えた癖のある紫色の髪。

 露出した部分から見える肌は、血の巡りが見えそうなぐらい透き通った白。

 こちらを覗く真っ赤な瞳は、紅いダイアのようだ。

 うん?

 それらを揃えた、しかも気品ある貴族のような少女の立ち振舞いは何処と無く覚えがあるぞ?

 

 「──あ」

 

 ピシッ!

 途端に背筋が凍り、その場で固まる。

 

 唐突な話をしよう。

 この第二共環高等魔術学園には、関わってはいけない人が七人いる。

 それは、『吸血鬼』、『魔女』、『女郎蜘蛛』、『人形男』、『道化師』、『廃騎士』、『囁き屋』と呼ばれており。

 その人たちに関わると碌な目に合わないとされた、学園最強の実力者らしい。

 僕のような何の力を持たない人間が関わったら殺されてしまうぐらいの危険度を持ち合わせてる。

 

 いきなり、そんなことを説明してんのかって?

 それは目の前にいる女の子が、正にその中にいる『吸血鬼』の二つ名をしているからだ。

 吸血鬼こと吸血姫、リテイク・ラヴィブロンツ。

 それが今、僕に溢れんばかりの微笑みを浮かべている。

 

 ホラーだ。

 というより、彼女は僕に何の用があるんだろうか?

 

 「あ、あのー、差し出がましいのですが、リ、リテイク先輩は僕に何の用ですか?」

 

 何かの弾みで殺されるのはゴメンなので、恐る恐るそんな質問を口にする。

 

 「アハハ! 驚いた? まあ、こうして私から声を掛けるのもこれが初めてな訳だし、その反応も仕方ないっちゃ仕方ないんだけどね。でも、そんなに怯えられたらちょっとヘコんじゃうなー」

 

 事情を知らなければコロリと騙されそうな笑顔。

 その微笑みで一体、何人もの人間が騙されたというのだろうか。

 

 「いえ、驚いたと言えば驚きはしましたけど、そんなに驚きはしなかったですね。そ、それでワタクシメに何の用でござりますでしょうか!?」

 

 心臓が張り裂けそうになるほど驚いたなどと、とてもじゃないが僕は言えなかった。

 

 「へぇー」

 

 あら、そうと言いたげにリテイク先輩はそんな僕の横に立つと(いぶか)しげに目を細める。

 

 ……正直に言えば最初、彼女が吸血鬼だなんて言われても信じれなかった。

 だって、彼女からは吸血鬼らしい牙も夜の眷属だっていうオーラも感じられない。

 何処かのボンボン貴族のお嬢様だって言われた方がまだ真実味が増す。

 そんな彼女が一度、学園の生徒会長と死闘を繰り広げてる現場に僕は出会したことがある。

 その常人とは言えない力を目の当たりにしてから、彼女が吸血鬼だと言うことを信じるようになった。

 だから、天音や名城さんと比べると幼く見える外見だが、彼女は第二共環高等魔術学園の上位者なのだから警戒するに()したことはない。

 

 「まあ、良いわ」

 

 (いぶか)しげに目を細めた彼女はそう言うと、僕にまた微笑んだ。

 

 「別にそんな大したことじゃないわよ。七瀬君とは一度こうしてお話をしてみたかっただけなんだー」

 

 学園最強の上位者である彼女が、只のしがない記憶喪失者に何の話がしたいのか意図が掴めない。

 

 「──?」

 

 この時にした彼女の微笑が何だか不吉なように思えた。

 

 「これあげるからさ。ちょっと場所変えない?」

 

 おにぎりが数個入った袋を目の前にかざすとそんなことを提案してきた。

 



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004 黒い箱?

 

 リテイク先輩に促されるまま、テクテクと歩いてくと、いつの間にか学園の校舎を抜けてしまう。

 すると、校舎の周囲を覆う森林にリテイク先輩がズカズカと入っていく。

 

 「あ、あの! ちょっと待って下さい、リテイク先輩!」

 

 そのまま何も言わず森の中に僕を引き連れてくものだから、堪えられなくなって先輩を止めた。

 

 「んー? 何かな、七瀬君?」

 

 こっちの心情を知ってか知らずか、ニコニコと笑みを浮かべるリテイク先輩。

 

 「飯貰っといてなんですが、いい加減にそろそろ話して下さい。此処まで来るってことは、誰かに聞かれたくないってのは解りますけど。それにしたって流石にこれ以上進むのは次の授業もありますし、何より意味が解りません」

 

 虫の鳴き声すらない静けさ。

 見渡す限り緑で埋め尽くされた森林に二人きり。

 普通の青春だったら、告白イベントの一つなんだろうけどこれは現実だ。

 そして、一緒にいる人物は学園上の危険人物『吸血鬼』の少女、リテイク・ラヴィブロンツその人である。

 この状況で危機感を抱かなかったら、そいつはとんでもない命知らずだ。

 

 「もう七瀬君はせっかちだなー」

 

 オドケたように口を尖らせながら、リテイク先輩は懐から何かを取り出す。

 

 「これを飛鳥(あすか)ちゃんから渡しておいてって頼まれたの」

 

 異様に冷たい風が吹き込む。

 飛鳥という人物から貰った謎の黒い箱。

 それは、手のひらに収まるぐらいの四方形の黒い箱だったが、蓋らしきものは何故か開けることが出来ない。

 箱の所々に罅が入ってるし、見ていると何だか気分が悪くなる。

 そもそも僕には飛鳥という名前の人物に心当たりもない。

 そんな人物から奇妙な箱を渡されても困るだけで、受け取るのも嫌だなと思った。

 

 「この箱、何なんですか?」

 

 得たいの知れない箱に思わずそんな言葉が出る。

 

 「さあ? もしそれが何か解ったとしても、貴方に言ったところで解りっこないわ」

 

 そんな僕の疑問に吸血姫は興味なさげにそう返すのだった。

 

 ◇

 

 昼休みの一件から、数時間後。

 時計の針は、既に夕刻の時を刻む。

 何処にでもいる、当たり前の夢を見た少女の話を思い出す。

 その話の幕締めは、呆気ないものだった気がする。

 

 ……。

 何だろう。

 また、何か変なことを考えてたりしたのか?

 時たま、自分が考えてるのかが分からないことがある。

 まるで自分が、世界から除け者にされてるような疎外感を感じる。

 

 ────「大丈夫ですよ」

 

 ごく自然に頭に過る声。

 堂々としていて、いつも自分の頭を撫でてくれていた気がする。

 そんな印象の強い少女の声。

 つまらない劇中歌を聴いていたように、何か大切なものを無くしてしまったような虚無感が僕を襲う。

 記憶喪失。

 丁度、一ヶ月前に目を覚ましてからの記憶がないのだ。

 どうして、記憶を失くすことになったのか。

 何処で生まれ、誰と過ごし、何を思って生きていたかすらも解らない。

 時折、自分が死に掛けた人間が見る夢のように思えてしまい、それが心の何処かに穴が開いた気分になり嫌になる。

 茜色の空の下で一人、廊下を歩く。

 帰る場所。

 そう、本当の意味で自分に帰る場所がない。

 記憶がないというのは、そういうことだ。

 自分が過ごしてきた時間がなくなるということは、その人の居場所を壊すってことでもあるのだ。

 

 「勇貴さーん!」

 

 そんな自分に声が掛けられる。

 空っぽの自分でも優しくてくれる声に、思わず口元が緩む。

 

 「──名城さん?」

 

 振り返ると、トテトテと近付く少女が見えた。

 小走りした所為か、腰まで届く長い髪が風に揺れていた。

 夕焼けの日差しが影となって彼女の表情はよく見えない筈なのに、どうしてか僕には笑っているように思えた。

 

 「そんな手を振ってどうしたの? 何か良いことでもあった?」

 

 陰鬱な気分を吹き飛ばしてくれたからか、嬉しくなってそんなことを聞いた。

 

 「いーえ。勇貴さんが一人でしたので、それが嬉しかったんです」

 

 ……。

 そんなに僕が一人なのが嬉しいのか?

 やっぱり好意を抱かれてるのは勘違いで、実は嫌われてるんじゃなかろうか。

 ショックで凹みそうだ。

 うん。それにしても、朝方、毒づいてたとは思えない笑顔をしてる。

 

 「そ、そうなんだぁ」

 

 名城さんのストレートな敵意に思わず頬を搔く。

 

 「ああ! その顔は誤解されてます! 違います、違うんですよぉ! 敵意とかそういうんじゃなくて! ……あれです! そう、プラシーボ効果というかサブリミナル効果というか、あれです。あれなんです! ──というより勇貴さんの方こそ、暗い顔をなされてどうかされたんですか?」

 

 なんか心配されてしまった。

 こっちの考えが読めるのだろうか?

 

 「──そんなに僕の顔、可笑しかった?」

 

 明るく振舞う名城さんに弱いところを見せたくないと思ってしまい、取り繕ってしまう。

 

 「ええ。今朝と違って酷く思いつめた顔ですよ」

 

 そんな僕に対し、名城さんは夕焼け空のような顔をしながらも真っ直ぐ向き合った。

 その懸命な姿に思わず目を奪われる。

 不覚にも、その優しい笑顔に見惚れてしまった。

 

 「そっかぁ。──ねえ、聞きたいんだけど、さ」

 

 だからだろうか。

 彼女の健気な姿に、今まで怖くて逃げていたことを聞いてみたくなった。

 

 「な、何でしょうか?」

 

 名城さんは真っ直ぐこちらを向いて聞き返す。

 

 夕焼けの明るさが徐々に抜けていく廊下で、見つめ合う僕ら。

 大した話でもないのに、我ながら緊張してしまう。

 

 「どうして、僕みたいな奴に構うの?」

 

 もっと、僕以上に惚れる人間がいるだろうと付け加える。

 

 「さあ? どうしてでしょうね」

 

 そんな僕の質問に対し、曖昧な言葉で濁す。

 やはり、言いたくないのだろう。

 当然だ。

 僕みたいな駄目な奴にはそれが相応しい。

 

 「──嗚呼、でも」

 

 けれど、数秒後には曖昧な返答の続きを彼女は告げる。

 

 「私、勇貴さんが思ってるよりいい人間じゃないです。誰からも愛される事もなく憎まれる。勇貴さんはそんな嫌われ者の私にとって、希望なんです」

 

 だからかも知れませんね、と言いながら彼女は笑う。

 僕にはそんな彼女の笑いが儚げなものに思えた。

 

 「そんな事、ないよ」

 

 それで彼女を嫌いになることはなかった。

 好きではある。

 だがそれは、likeであってloveじゃない。

 愛とは別物の、友情というヤツだ。

 

 「君が笑う姿は可愛いし、君が拗ねるところも可愛い。どこから見たって普通の女の子じゃないか。そんな君を僕はとてもじゃないけど嫌わないよ」

 

 僕は何一つ魔術なんて使えないし、特別な力も持ってない。

 記憶が欠落した云わば人形のような人間だけど、そんな僕にだって心がある。

 

 「だから、君はもっと笑っていいよ。そんなに可愛い顔をしてるんだから、勿体無いよ」

 

 悲しげな顔は似合わない。

 天真爛漫な笑顔が相応しい。

 

 「──だから貴方の傍に居たいんです」

 

 そんな心情を知ってるのか分からないが、名城さんは満面の笑みを浮かべたのだった。

 

 ◇

 

 それから名城さんとはそれから他愛のない話をした。

 今日の授業はどうだったとか、昼飯に何食ったとか。

 そんな、何気ない会話。

 昼休みにリテイク先輩と会っていたことは何だか言えなかったが、それでもこの時間が楽しかったと言えよう。

 

 日が落ちて、暗くなっていく。

 

 「あれ? もうこんな時間か」

 

 時間が経つのが早く感じるものの、そこでいつの間にか廊下に人が集まってきたことに気づく。

 隅で剣の素振りをする男子生徒や、鏡を手にお色直しをする女子生徒とか。

 他にも色んな人たちが廊下にはいた。

 少なくないが、多くもない生徒で溢れた学園。

 ふと、この魔術を学ぶ学園にはどういう事情で入ってくるのだろうと疑問に思った。

 自分には入るまでの記憶がないけど、彼女には記憶がある。

 聞けば学園に入った理由を教えてくれるかもしれないが、それを聞く気になれなかった。

 今のこうした繋がりを保ちたかったんだ。

 きっと名城さんもまた、そんな普通の繋がりを求めてるだろうから。

 夢見る普通とかけ離れた学園に通い続ける理由は、きっと生半可の事情ではないだろうしね。

 

 「もう遅いでしょうし、このまま食堂へ行きませんか?」

 

 名城さんがそう提案してきたので、僕もそれに賛同する。

 食堂へ繋がる渡り廊下を進んでくと、夜風に誘われてなんとなしに外の景色を見る。

 虫の鳴き声と木々が夜風に騒めく音がする。

 不吉なカラスの鳴き声など聞こえない、至って普通の夜だ。

 人の手が加えられていない手つかずの自然の景色に、一人の少女が溶け込むように立っていた。

 

 癖毛がちょこんとある短めに切りそろえた黒の髪に、底知れぬ黒い瞳。

 精巧に造られた日本人形のような綺麗な顔。

 自分よりも華奢な身体は誰がどう見ても可憐な少女といえた。

 僕らと同じ黒の制服を難なく着こなす姿が、底の見えない不穏さを窺わせる。

 

 「──あれ?」

 

 だが瞬きをしたら、そんな少女の姿が忽然と視界から消えたのだ。

 

 「どうかされました?」

 

 傍にいた名城さんが、呆然とする僕に声を掛ける。

 

 「あー、いや、……なんでもないよ」

 

 不安げな名城さんに首を振って答えた。

 そうして僕は再び食堂のある校舎へと足を進ませる。

 ……今思えば、それは見落としてはならない始まりだった。

 



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005 異変

 

 食堂にたどり着き、出入り口に備え付けられたメニュー表を見る。

 実は夜の時間帯には日替わり定食というメニューが食堂にある。

 日替わりでメニューが変えられ、奥が深く味もある水曜を除くと美味い。

 昨日は色々な種類のから揚げが載せられるという、味のあるもので。

 鳥は勿論、ありとあらゆる種類のから揚げとキャベツの千切りがドカッと大皿に盛られ、具沢山な豚汁と山盛りのごはんがマッチして美味しかった。

 

 「名城さんは、何食べるの?」

 

 券売機に財布から諭吉を一枚飲み込ませると、後ろにいる名城さんに何食べるのか聞いてみた。

 いつも朝食にワンホールのケーキを食べている彼女のことだ、きっと晩飯も洋風のコース料理に違いない。

 そんなことを考えてたから、券売機には目を逸らしていた。

 

 ピロリロリン!

 

 券売機から軽快な電子音が奏でた。

 

 「勇貴さんが昨日食べていたのと同じものを食べてみようと思いまして」

 

 いつの間にか隣に来ていた彼女は、そう言ってウィンクする。

 

 「……エヘとかそんな笑みを浮かべていたら、君は可愛いんだろうね」

 

 ドヤ顔の名城さんを見て素直な感想を言ってあげた。

 券売機にすき焼き定食のボタンを押し、注文する。

 

 「ご馳走さまです!」

 

 彼女はメニュー表を見ていなかったのだろう。

 今日は水曜日。

 日替わり定食のメニューで最もハズレが多い曜日だ。

 さっき確認したら、日替わりの内容が『地獄の闇鍋定食』と書かれていた。

 何故、水曜日にこんな地雷メニューにするのかは分からない。

 その後のことは、まあ察して欲しい。

 

 彼女の悲痛の叫びが食堂中に響き渡ったのだった。

 

 「な、何ですかぁあ、これは!?」

 

 ザマァ無いなと思ったりはしてないよ、僕。

 

 「何笑ってるんですかー!」

 

 パシーン!

 平手打ちを貰ったのは、理不尽だと思う。

 

 ◇

 

 カチ、カチ。

 深夜零時、綺麗な月明かりが校舎の廊下に差す。

 カツカツ、と暗い廊下に足音が響き渡る。

 昼間の明るさが嘘のように、夜の校舎は物言わぬ不気味さが漂っていた。

 

 「うーむ。何処も異常はないのぉ」

 

 ライトを片手に巡回する男性教師は目を細めてはそんなことをボヤいた。

 何も不自然なことはないし、異常など見えない。

 生徒たちが時折噂している影の化け物なんて居る訳がないと思うが、それでも学園側としては警戒をするに値する事案であった。

 

 「──む?」

 

 二階にある教室に差し掛かった所で何かの気配を感じた。

 教師は懐から杖のようなものを取り出す。

 その杖の先端には虹色に光る鉱石が取り付けられており、如何にも魔法使いがするようなマジックアイテムらしさを醸し出していた。

 一歩、また一歩と教室の中に居る気配へと近づいていく。

 

 ドクン、ドクン。

 男性教師の心臓の鼓動が鳴る。

 息を呑んで少しずつ、気配の方向へと間合いを詰めていった。

 気配は濃くなるばかりで弱まることを知らない。

 そうして、一秒を待たずして自身の気配を殺して到着する。

 

 「動くな!」

 

 大声と共に教室の中へと侵入する男性教師。

 不意打ちとばかりに杖を軸に術式を展開した。

 まさに早業。

 賞賛されるに値する、歴戦のものだった。

 

 ──が。

 

 教室の中に居たとされる気配は何処にもなく。

 

 「キキキ! キッシャアアア!!!」

 

 自身の背後にそれが回り込んでいなかったらの話だが。

 

 「──っな!?」

 

 体勢を直そうとも、大きな影が手を伸ばす方が速く。

 猿の鳴き声のような咆哮をし、男性教師の喉元を抉る方が確実だった。

 

 「キキキキッ!」

 

 男性教師の姿が暗闇に呑まれ、消えていく。

 いつの間にか雲が覆い被さって月明かりが遮られ、今日も影の猿は元気に跳ね回る。

 

 愉快そうに次なる獲物を求め、鳴くのであった──。

 

 ◇

 

 リテイク先輩から黒い箱を貰った翌日。

 知り合いに聞いたり色々調べたが、未だに黒い箱が何なのか見当もつかないでいた。

 それと同時に休み時間の教室は、幾つもの噂話が飛び交っていた。

 

 夜の校舎に巨大な蜘蛛の群れが夜な夜な徘徊して人を襲う噂。

 午前零時丁度、寮館ロビーの大鏡に女学生の幽霊が見える噂。

 そして最も騒がれているのが、夜の校舎に影絵の猿に出会うと行方が知れなくなるという噂だ。

 その内二つの噂がヤベェと思う。

 

 どうして影絵の猿なんて言い回しなのかは解らないが、此処最近学園で行方不明者が後を絶たないのも事実。

 同時に尾ひれがついて、それらは魔導魔術王(グランド·マスター)だったあのお方が蘇ったなんて言われる始末だ。

 というか、魔導魔術王(グランド·マスター)って誰よ?

 

 「ユーキ、何やら黒い箱ってのをリテイク先輩から貰ったんでしょう? それ、メッチャ気になるから見せてよ!」

 

 何処からか黒い箱の噂を嗅ぎ付けたのか、僕の周りをクラスメイトの一人がぴょんぴょんと跳ね回る。

 茶目っ気が目立つ、愛玩動物(ペット)を思わせる翠の瞳をウルウルとさせる男子生徒だ。

 癖のある茶毛を三つ編みに、思わず女子と勘違いしそうになる美貌を持ち合わせた青年に自分の悩みがバカらしくなってしまう。

 同時に一緒にいると気分が晴れるのだから、不思議だ。

 そんな癒し系マスコットが黒い箱を見たいと言い出した。

 

 「いや見せるのは良いけど、ちょっと待っててね、(るい)

 

 累。

 フルネームは、如月(きさらぎ)累。

 主に腰に携えた剣を使って魔術を行使する、魔法剣士みたいな魔術師。

 以前、本人にそれって魔術師じゃなく魔法剣士とかそういうのじゃないのと聞いたことがある。

 その時は違うと否定されたが、僕には理解出来ないだけで明確な一線が累にはあるらしかった。

 まあ、彼が魔術を行使する姿を一度も見ちゃいないから何とも言えないんだけどね。

 

 「あー、ルイ? 黒い箱も気になるだろうがよ、一先ずこっちの話に集中しろ。頼むから。な? ──良し、言うぞ。今日からお前も巡回参加な? ……って、おい! 聞こえない振りしてんじゃねぇよ! 吹けもしない口笛吹こうとすんな! 耳塞いでんじゃねぇえ!!!」

 

 赤毛の青年が累を宥めだしたと思ったら、怒りを抑えきれなかったのか肩を掴みかかった。

 

 「ボク、それ参加したくないなぁー。だってその巡回にはシェリアちゃんもいるんでしょう? ならボクなんか会った早々、絶対説教されるに決まってるよー」

 

 激しく肩を揺らされながらも、累は嫌そうに顔をしかめる。

 

 「()()()、お前さんが問題行動ばっか起こすからだろうが!」

 

 自業自得だと言い、更に累をシェイクする青年。

 

 「うぅう! でもでもー! それ抜きにしてもさー、やっぱり苦手なんだよねー。……というか、ギブ。ギブだって、カトリ! そろそろ気持ち悪くなってきたから! 止めてよねー!」

 

 ばつの悪そうな顔をしながら、カトリと呼ばれた青年は累の肩から手を離す。

 

 「うへぇ! 酷い目に遭ったよ」

 

 よよよ、と累は泣き真似をしだした。

 

 火鳥(かとり)

 火の鳥と書いて火鳥で、フルネームは火鳥真一(しんいち)

 それが、このざっくりと切った赤髪の青年の名前である。

 彼はある意味死んでも死なないとクラスメイトたちから言われてるんだけど、その理由が自分の体を炎にして物理的な攻撃の死を回避するとかそんな離れ業を持っているからだそうだ。

 まあ、確かにそんな離れ業持ってるなら無敵じゃんと思う。

 

 「あー。有った。これだ、これ! どう、何か見覚え有ったりする?」

 

 そんな彼らを遠巻きに彼らの前に出す。

 うわ! 何だ、これ?

 黒い箱から何か禍々しいオーラが滲み出てる!?

 

 「あー。少なくともオレにはねーな」

 「ボクもないかなー」

 

 二人はそう言って、黒い箱を見せる僕から離れていく。

 

 ──すると。

 

 「そこ! 学園の一大事かもしれないってあられるのに何してらっしゃるのですか!?」

 

 背後から突然、ズカズカと女の子が大声を上げながら近付いてきた。

 

 「うげ! シェリアちゃん!?」

 

 累がシェーの人みたいなポーズする。

 僕もいきなりで驚いたが、流石に累みたいな反応は出来なかった。

 

 「あん? 別に休み時間にオレらが何しようが自由だろ。

  ──まさか、心優しき()()()()様は、シスカみたいに騎士道がどうだとか自分のルールを押し付けるなんて()()はしねぇよなぁ?」

 

 隣の空席に腰を下ろし、向かってくるオレンジの髪の女の子に火鳥は皮肉げに言う。

 

 「ムムム。確かにその通りですわね。()()()、アナタ方もこの非常事態によく仲良く談笑しておいてますわね?」

 

 ムキーと喚き散らし、最終的に唇を噛みながらキィッと金色の瞳を女の子は睨み付ける。

 清く正しく生徒の模範となろうとする姿は何処か生き急ぐように感じられ、そんな少女を見ていると痛ましく見えて声が掛けれなかった。

 カツカツと規則正しい足音を立て、堂々と胸を張る少女の名前を僕は知っていた。

 むしろこの学園で彼女の名前を知らない人は居ない。

 それぐらい彼女の武勇伝は多くの人たちに知られている。

 学園で関わってはならない七人の内の一人。

 生徒会長。

 魔弾使いの魔女こと、シェリア。シェリア·ウェサリウスがこちらを不満げに一瞥した。

 

 「七瀬勇貴、どうやら記憶をお持ちじゃないアナタには状況が掴めないのでしょうが、昨夜巡回をした先生の一人が戻られて居られないのですわ。これがどれほど深刻な問題かお分かりできませんの? ……まあアナタには、そうお聞きになられても何とも思わないのでしょうが」

 

 火鳥に口では勝てないと思ったのか、仕返しと言わんばかりにシェリア会長のマシンガントークが僕に炸裂する。

 あまりの大声に僕の耳が痛くなるほどだった。

 

 「おいおい、八つ当たりはよくないぜ、生徒会長様。こいつにそんなことを言ったところでアンタが求める答えは返ってこねーし、……第一非常事態だとか言われても、オレたちに何が出来るって話でもねーだろ。そりゃあ、脳天気すぎてるなんて当たり前の話じゃねーか。つーか、一介の生徒がどうにか出来るって案件じゃねーだろ、これ」

 

 火鳥の言葉に同調するように累が相づちを打つ。

 

 「そ、そんなことは解ってますわ。だからといって何も警戒しないことには始まりませんのよ!」

 

 近くの机をバン、と叩くシェリア会長。

 その姿に余裕はなく、焦っているのは誰の目から見ても明白だった。

 

 「何をそんなに焦ってるかどうかわかんないけどさ。それにしても今回の事件でボクらが出来ることって言ったら、噂の化け物に遭遇しても尻尾巻いて逃げるぐらいしか出来ないよ」

 

 累が珍しく真面目な意見を言う。

 普段からこういう真面目なこと言ってくれたら僕と火鳥も肩の荷が下りるんだけどね。

 

 「と、とにかく! 生徒会から各生徒に夜間の巡回を任命致しますわ! 良いですこと? これは、決定事項ですのよ!」

 

 だから僕ら生徒より各上の教師陣が手を駒根く問題だというのに無謀すぎるよ。

 

 「そうだな。確かに無謀としか言いようがない。けど良いのか、ウェサリウス? 幾らなんでも()()()想定外なんだろ。今回の件は、流石にあっちも馬鹿じゃないんだから、アタシもコイツらに賛成だ。……まあ、アタシにはどうでも良いことだけどよ」

 

 今まで沈黙を取ってた天音が口を出してきた。

 

 「ええ。それに関しては心配ご無用ですわ。策は打っておりますのよ」

 

 それらに対しシェリア会長はそう言って、微笑むのだった。

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 

 授業が始まる。

 ふくよかな女教師がやって来る。

 あれだけ騒いでた生徒たちも席に戻っては、シェリア会長が号令に従う。

 女教師は、講義を熱弁する。

 すると突然、僕の意識が堕ちていくのだった。

 



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006 夢?

 

 最初に耳にしたのは少女たちの声だった。

 

 「一端末とはいえ、外なる神に頼ったのは失敗だったかもしれません」

 

 何処か聞いたとこのある声。

 寝ている僕を中心に少女たちは会話をしているみたいだ。

 

 「ですが、それしかワタシたちには方法が無かったとも言えます」

 

 片言の少女の声に涙が出そうだった。

 彼女たちが大切なものだと頭の中の何かが訴える。

 立ち上がろうとも僕の身体は言うことを聞かない。

 こんな時に何も出来ない僕。

 自らの煩わしさには苛立ちが募るばかりだ。

 

 「どうせ後戻りは出来ないんだ。今更、後の事を考えても仕方ないだろ」

 

 男勝りの少女の声が仕方ないと言う。

 

 これは、三人の少女たちの話を聞くだけの夢だ。

 いつになったら、覚めることになるのか解らない永い夢でしかない。

 

 「それもそうですわね。というか、大丈夫です? アナタ、外なる神に攻撃されているのではなくって?」

 

 その場で踞ることしか出来ない僕。

 憐れな芋虫は、いつ蛹となって蝶に至るのだろう。

 

 「クスクス。そうなんですよ。実はあちらさんにかなり権限が持ってかれてるんですよねー」

 

 はっきりと声だけは聞こえる。

 何かをしなくてはならないのに、身体はまだ動かない。

 

 「ふん。アタシにすればどっちだって良いことだ。そもそもこっちはアンタらと違って目的が違うんだから、そっちに情報を全て流してやる義理もない。アンタらがそいつを完全な■■■■にしてからが本番なんだし」

 

 男勝りな少女の声は投げやりだった。

 彼女たちの目的とやらは良く解らないが、それは泡沫のような儚いものに思えた。

 

 ゴポゴポ。

 ゴポゴポ。

 

 地に伏せている状態なのに、水の中にいる感覚が僕を襲う。

 足掻いても、足掻いてもそれは変わらない。

 

 苦しい。

 辛い。

 

 どうして僕がこんな目に遭わなくてはいけない。

 そんなことを考えてると、そこで僕の意識は切り替わった。

 

 ◇

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 チャイムが寝ていた僕を起こす。

 

 「本日の授業はここまでにしましょう。シェリアさん、号令を」

 

 機械じみた口調で女教師は、シェリア会長に号令を指示する。

 

 「起立、礼! 着席!」

 

 寝ぼけ眼でシェリア会長の号令に従う。

 どうやらいつの間にか寝てしまったらしい。

 白昼夢のようなものでも見てたのか、授業を始めてからの記憶が一切ない。

 それほど疲れるようなことはしてない筈なのに、どうしてだろう?

 

 「やあやあ、今日のユーキはなんだかお眠さんだったね。……そんなに昨晩の巡回が大変だったかな?」

 

 そんなことを考えてると、累が声を掛けてきた。

 昨晩?

 確か巡回は今日の夜の筈だろうに、累は何を言っているのだろう?

 

 「いーや、ユーキも運がないよねー。よりにもよってあのシェリアちゃんと巡回することになるんだからさ」

 

 ニヤつく累。

 その顔を思わず殴りたくなったけど、今の僕は笑うことも出来なかった。

 

 「いや、その」

 

 何のことだと聞こうとするも、異様にテンションが高い累に肩を叩かれる。

 

 「ダーイジョーブ、ダーイジョーブ! 解ってるよー!」

 

 内心てんてこまいだったけど、累の勢いに流されてしまう。

 

 まあ、いつものことだ。

 いちいちそんなことを気にしていたら、身が持たないだろう。

 そう思い、考えないようにしようとそのまま累の相手をする。

 

 この時はそんなことを考えていた。

 

 ジジジ。

 それは気づかなくてはならないズレ。

 僕はこの時、彼の勢いを押し切ってでも聞かなくてはならなかった。

 

 暗い底に沈められてるような感覚。

 きっと、それは勘違いではないのだから。

 



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007 学園一のアイドル、その名は!?

 

 チクタク、チクタク。

 カチカチカチ。

 

 グルグル時計の針を回せども、それは矛盾となって現れた。

 幾度、記憶を書き換えようとも世界は少女たちの奮闘を許さない。

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 記憶違いを埋め合わせる誰かは、遂に彼の下にダーレスの黒箱が無事に届けられたのを確認した。

 

 再び、彼が自分の意志を獲得出来るのだと思うと私は安堵する。

 

 「飛鳥さん。貴方の死は無駄にはしません」

 

 犠牲にしてきた人の為にも、人が人たらしめる境地を求めて。

 

 「今度こそ、絶対に」

 

 いつか夢見た明日を手に入れる為に、私は──。

 

 ◇

 

 認知症かそれとも夢遊病の一種か。

 周囲の人と違い魔術の授業を真摯に受けてる訳じゃないけど、今度ばかりは周囲との記憶に齟齬がありすぎる。

 これは、酷い。

 正直、自分のことながら魔術学園よりも病院にでも移送させるべきなんじゃないかと思う。

 

 ──だからといって、あのシェリア会長に昨晩のことを聞くのは、ちょっと勇気がいる。

 授業の休憩の時でさえ説教が来るのだから想像するだけで気が滅入る。

 これは、あれだ。

 数日後に、あの時どうでしたっけという感じにあっけらかんと聞くのがベストだろう。

 

 「何をそんな辛気くさそうな顔して食べてるのさ? A定食、ハズレなの?」

 

 考え事をしてると、対面でハンバーグを啄む累が訝しげに目を細め聞いてきた。

 人間嫌いの火鳥は基本的に学食を使わない。

 だから、昼飯の相方はこのように累と食べることが多いのだ。

 

 「そうでもないけど、……ちょっと、ね」

 

 愛想笑いをして誤魔化す。

 こんなこと累にを相談をしても、碌なことにならないのは目に見えてる。

 

 「ふーん。まあ、キミが良いなら気にしないことにしようかな」

 

 どうやら有難いことに誤魔化されてくれるみたいだ。

 

 「それよりさ。なーんか今日の食堂、いつもより混んでない?」

 

 行儀悪そうに足をプラプラとさせながら、累が周囲を見渡した。

 

 「そう?」

 

 言われて見ればいつも以上に食堂が騒がしい気がしないでもない。

 ──というか、まるで誰かにそうお膳立てされてるかのような騒ぎようだ。

 

 そんな突拍子もない考えが何故か頭の中に過った時──。

 

 「あれれれー!? 先輩らじゃありませんか!」

 

 何処からか、可愛げのある少女の声が聞こえた。

 

 「──?」

 

 はて、気軽に声を掛けてくる後輩なんて僕の知り合いに居たかな?

 そう思い、キョロキョロと声の主を探す。

 

 すると、累の背後から女の子が近付いて来た。

 

 「おはヤッホー! みんな大好き学園一のアイドル瑞希(みずき)ちゃんでーす! 先輩、元気ですかー!」

 

 バタバタと一人の少女が駆け寄ると、ざっくばらんに切りそろえた黒髪が揺れる。

 

 「……だ、れ?」

 

 愛玩動物(ペット)を思わせる青い瞳で少女は僕らを見つめると、愛嬌ある笑顔を振る舞った。

 

 「お、おー! そっか、瑞希ちゃんが来てたのかー。なら、この混雑も納得だね」

 

 ポンと手を叩き、うんうんと納得する累。

 彼女が来てることでどうして食堂が混むのか、いまいち納得できない。

 

 ジジジ。

 

 「──いや、なんでさ? そりゃあ、確かに彼女が此処に来ている姿は見かけないし、珍しいとは思うけど。それが何だって食堂が混む理由になるのさ?」

 

 ざわざわ、ざわざわ。

 そんな僕に対し、周囲は驚愕の表情を浮かべた。

 

 「ありゃま? これは、失敬。うーん、学園一のアイドルである瑞希ちゃんを知らない人が居ようとはビックリです! これでも人気あると思っていたんですが、こいつぁー、瑞希ちゃんのアイドル活動ももっと積極にならないといけないですかな?」

 

 残念です、なんて言いながらこちらにもたれ掛けるように顔を近づけてくる。

 おでことおでこがぶつかるんじゃないかってぐらいの距離だからか、何故か言いようのない罪悪感がこみ上げてきた。

 

 「──っうえ!? ご、ごめん。ほら、ぼ、僕、忘れっぽくてさ」

 

 キスするんじゃないかってぐらい距離。

 あたふたする僕を後目に彼女は微笑む。

 

 そして、

 

 「良いんですよー。先輩が忘れっぽいのは()に始まったことじゃありませんし。……この間も私と食事してるのに、ずぅーっと上の空って感じでしたもんね」

 

 そのまま瑞希ちゃんが爆弾発言をした。

 

 「──はい?」

 

 ガシャン!

 一斉に食器が割れて、数秒後にやって来る驚愕の嵐。

 それらが入り交じって、鼓膜が破れるんじゃないかってぐらい騒動へと発展する。

 

 「「「な、何だってぇえええ!!!」」」

 

 ビックリした。

 というより、今も僕はビックリしてる。

 流石にこんな可愛い子と一緒にごはんを食べてたら忘れる筈がない。

 

 だから、彼女はきっと誰かと勘違いしてるんだ。

 

 「いやいや。瑞希ちゃん、冗談でしょ? 流石に君ほどの美人と飯でも食べたら嫌でも忘れないよ」

 

 そんな事実があれば、遠巻きが黙ってないだろうし。

 

 「誰かと勘違いしてるんじゃない?」

 

 何より、それを認めてしまったら僕は大事な何かを失いそうな気がした。

 

 「いーえ。だってこの間の水曜に仲良くすき焼き定食を食べましたもん」

 

 失礼な話です、私、怒ってるんですからね。

 そう言わんばかりのブリっ子だ。

 頬をハムスターみたいに膨らませるものだから、その愛くるしさに拍車が掛かってる。

 

 だけど、そんな彼女の好意を振り切って否定しようとして。

 

 「確かに僕もその日はすき焼き定食を食べたけど、君とじゃなく■■さんと……」

 

 その時、途中でノイズのようなものが混じった。

 

 「──あ、れ?」

 

 正確に言うならば、誰と飯を食べたかの認識が出来なくなった。

 何かが消え入りそうで、でもそれを押し留めようと何かが働いたみたいで。

 

 「どうしたんです、先輩?」

 

 割れるような痛みが僕を襲う。

 大切な何かが壊されそうで、頭の中が滅茶苦茶に掻き回されるようで気持ち悪い。

 

 まるで彼女と会話することが危険だと言わんばかりに痛みは引く気配を見せない。

 

 「い、いや、大丈夫! 兎に角、僕は君とは食べた記憶がない、よ。……ごめん、少し頭が痛い。名残惜しいけど、お先に失礼するよ」

 

 あまりの痛みにその場を離れようと席を立つ。

 

 「いえ、こちらこそ気分を害してしまわれたようですね。ごめんなさい。大丈夫です、先輩? よろしければ肩でも貸ししましょうか?」

 

 フラフラとするおぼつかない足取りをする僕を瑞希ちゃんが気遣う。

 

 「いや、一人で大丈夫だよ。……ということで、累、悪いけど席を外すよ」

 

 瑞希ちゃんの気遣う際の優しさは、正しく学園一のアイドルに相応しく見える。

 けれど、それがどうしてか酷く気持ち悪く感じてしまう。

 苦しんでる人間を気遣ってるだけなのに、何故こんなにも彼女のことが可愛らしく思えるのか、全く以て意味が解らない。

 

 「……まあ、キミが大丈夫というなら大丈夫なんだろう。先生には午後の授業休むって言っておこうか?」

 

 怪訝そうな顔の累が僕を心配する。

 

 「いや、少し休めば大丈夫だから」

 

 そんな累の申し出をやんわりと断った。

 気遣う二人を後目に僕はその場を後にする。

 

 クスクス。

 

 引き摺るようにその場を離れる僕に向かって、誰かが嗤ったような気がした。

 

 ◇

 

 食堂から教室へと戻った僕。

 あんなにも酷かった頭痛は一過性のモノだったのか鳴りを潜め、教室に戻る頃には完全に痛みは引いていた。

 これならば多少は無理をして瑞希ちゃんの話に付き合っても良かったかも知れない。

 けど、心の何処かで安堵している自分も居た。

 

 「何でまた、頭が痛くなったんだろう?」

 

 奇妙な感覚。

 まるで自分の意志に誰かが介入してくるような違和感だった。

 そうだとしたら、怪しいのは瑞希ちゃんになる。

 けど、今日初めて会った人間に恨まれるようなことをした覚えはない。

 それに、あんな可愛い娘が悪いことをする筈がないだろう。

 

 「おや? 勇貴さん、そんなところでぼっーとしてどうされたんですか?」

 

 変なことを考えてたからか。

 意味もなく教室の真ん中で突っ立ってしまった僕に少女が声を掛けてきた。

 

 ジジジ。

 

 「──っあ。ああ。何でもないよ。……えっと、ごめん。どうやら最近、物忘れが激しいみたいでね。良ければ、君の名前を教えてくれる?」

 

 教室の窓から風が吹くと、一本に束ねられた栗色の髪が靡いた。

 満面の笑みを浮かべていた少女の顔つきが曇る。

 

 「い、いやですねぇ。勇貴さん、もしかしてこの間の食事の件、まだ根に持ってます? 確かに悪ふざけが過ぎましたけど、そういう冗談は良くないですよ」

 

 ヨロヨロと泣き崩れるように。

 けれど、冗談であってと少女は懇願するような眼差しを向ける。

 

 言ってはいけないことを言ってしまったのか、罪悪感が湧いてきた。

 それは食堂で瑞希ちゃんに対して感じてしまったものと違い、もっと別の何かで、胸が締め付けられるほど悲しかったけど。

 

 それでも言わなくてはいけないことだと思った。

 

 「う、……ごめん。本当に君の名前が思い出せないんだ」

 

 ピシリ。

 再び頭が割れるような痛みが走った。

 

 もう痛くない筈だと思ったのに。目の前で泣き出しそうな少女の顔を見ると、霞んでいた名前が思い出しそうになのに。

 それなのに、頭の中にノイズが混じっては浮かんだ名前が搔き消されてく。

 

 何で?

 どうして?

 そんな僕の態度に少女は──。

 

 「あ。あ、あああ、ああああああああああ!!! そうですよね! そうでしたとも、そうでしたとも! 解ってます。解ってましたとも! でも。でもでも、だからといって!」

 

 前髪をくしゃくしゃと掻き上げ、なって欲しくなかったと張り裂けんばかりの声で泣きじゃくる。

 

 そんな少女に僕に慰めることも出来ない。

 

 「ごめん」

 

 だから、謝ることしか出来なかった。

 

 「「「クスクス」」」

 

 遠巻きにクラスメイトがひそひそと僕らを指さしている。

 誰一人、泣きじゃくる少女を気遣わない。

 

 何だよ、これ?

 どうして、お前らは嗤っていられるんだ?

 

 そんなクラスメイトたちに憤慨するも、僕は彼らを責める権利なんかなかった。

 元を辿れば僕が目の前の少女を泣かせてしまったのが原因だ。

 

 だから、そんなも彼らに僕は何も言えない。

 誰も責めることは出来ない。

 

 「──っ!」

 

 誰も彼も優しくない、非情な現実。

 救いようのない世界がそこにはある。

 

 「謝らないで下さい! 何も! 勇貴さんは何も悪くないんです! 勇貴さんは──」

 

 そんな世界に耐えられなかったのか、泣きながら彼女は教室から飛び出してしまう。

 

 「──あ」

 

 追うことが出来なかった。

 呼び止めることも出来なかった。

 まるで地に足が縫い付けられてるようで、その場から動けなかった。

 

 ジジジ。

 

 「良いですねぇ、良いですねぇ! ザマァねーですわ、魔法使いのお嬢様!?」

 

 何処からか名も知れぬ女の嘲笑が聞こえる。

 周りを見ても、その女が誰なのか解らない。

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 

 始業のチャイムが鳴ろうとも彼女が教室戻ってくることはなかった。

 



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008 意志あるモノに生まれたのなら

 

 「近代におきまして、魔術とは旧魔術(まじゅつ)魔導魔術(まどう)の二系統の流派が主流となっていることは皆さんもご存知のことでしょう。自身の身体から生成される生命力、則ち魔力(マナ)。自然界から流れる生命力の魔力(オド)。それらを自分の中の魔術気管に取り込み、略式化しては変換させ術式を行使する旧魔術が一般には『魔術』であると認識されています。従って──」

 

 中年の女教師が魔術の講義をする。

 相変わらず、頭の理解の範疇を越えており、知恵熱がヤバい。

 黒い箱を手にしてから、頭が痛くなるようなことばかり起きてる気がする。

 

 「尚、自身の精神エネルギーの大部分を思うままに変化させ固定させる術はなく。魂の固定化は現段階では実現不可能と呼ばれています。故に──」

 

 水曜に食堂で、僕はすき焼き定食を誰かと一緒に食べた。

 その時、誰と一緒に食べたかの記憶が曖昧で思い出せない。

 少なくとも瑞希ちゃん以外の誰かだと解ってるのに、その人を思いだそうとすると頭が痛くなるのだ。

 

 「また精神エネルギーの改竄は一度に行わなければ可能ではある。だが時間によってその改竄されたという事象が世界は矛盾として処理し元に戻ろうとするため無意味であり──」

 

 チョークが擦れ、黒板に描かれていく。

 これが将来、何の役に立つのか解らず惰性で勉学に励む。

 そもそも僕は魔術師として生きたいと思わない。

 自分の生まれた場所も育った日々も、己の存在を示す名前でさえ本物かどうか自分は曖昧なのだ。

 それなのに、そんな不確かなものに情熱を注ぐことは出来ない。

 寧ろ、忘れてしまった記憶を調べることの方が重要じゃないか。

 

 ────「そんな私にとって■■さんは希望みたいなものなんです」

 

 誰の言葉なのか。

 いつの話なのか。

 曖昧なのに、はっきりとした■■さんの言葉が頭を過る。

 それは僕にとって、とても大切で譲ってはいけないことだった。

 誰も彼も僕を見ていないのに、少女だけが■■の味方で居てくれた。

 故に諦めてはならないと心が叫ぶのだ。

 

 「──あ、たまが、い、たい」

 

 頭痛の度に曖昧にし、考えることさえも放棄してきたというのに。

 少女を泣かせたことが、僕にとって何よりも譲れないモノのように感じる。

 

 「従ってこの度、実験に使用した転生者という存在は我々の死者蘇生においては革命的なものだと言えることでしょう!」

 

 誰に訴えかけるような声で教師が叫ぶ。

 でも、それは気のせいだろう。

 一教師という端末にそんな権限はないのだ。

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 

 授業終了の鐘が鳴り響く。

 まるで無知蒙昧な人の足掻きだと云わんばかりに。

 

 ◇

 

 チクタク、チクタク。

 進んでは巻き戻る時計の針。

 泡沫の世界において、時間など無意味である。

 

 ──忘却の時は近い。

   死んでは、また蘇るを幻想たちは繰り返す。

 

 チクタク、チクタク。

 カチカチカチ。

 

 深夜零時。

 終わりと始まりを告げる鐘が鳴り響く。

 

 「邪魔者には、死を。我らの行く手を阻む者はどんな人間だろうと処分せよ。……たとえ君であろうとも、例外ではない」

 

 雲一つない夜。

 月明かりが校舎を差す中、その男は不気味に嗤った。

 

 「少々、言葉遣いが可笑しいのでなくって神父様? ……まあ、ワタクシとアナタとの関係はとっくの昔に切れているでしょうに」

 

 オレンジ色の髪の少女は、男に言葉を交わす。

 

 ──キ、キキ、キキキ。

 

 猿の嘲笑が闇夜に響く。

 少女を囲むように、それは数十の群となって具現した。

 

 ──カツン。

 

 少女の間合いまで数歩のところで男は歩いてきた。

 それは殺し合いを余興として愉しんでいるみたいだった。

 

 「ククク。本当に貴様は学習しないのだな、人形よ」

 

 笑いを堪えるような声に、人形と呼ばれた少女は眉をひそめた。

 

 「そうだ。所詮、貴様らは人形だ。操られることでしか己の行動を決められない。どんなに真実を濁されても、君は壇上で踊り続ける。ククク、これほど滑稽なことは有るまい」

 

 ぐしゃぐしゃの白髪が風に靡いた。

 天に捧げるかのように男は手を翳す。

 

 「お喋りが過ぎましたかな。なーに、大丈夫。君も彼女もみーんな送って上げるからね!」

 

 神父とは違う砕けた口調に変わる。

 同時に影が騒ぐ。

 その気配で少女は、殺し合いの火蓋が切られたことを理解した。

 

 ――キキキ、キキキィイ!

 

 数十にも及ぶ影絵の猿が少女一人を取り囲む。

 腕を伸ばし、少女の身体を引き裂こうと襲いかかる。

 

 「あら、まぁ。随分と辛抱がないのですわね!」

 

 黒のローブから、少女は二丁の銃を取り出す。

 そして一秒の誤差もなく、襲いかかってきた影絵の猿に発砲した。

 銃声と猿の金切り声が鼓膜を振るわせる。

 ダンスを嗜む軽快なステップで間合いを取る少女。

 その取り方は洗練された戦闘スタイルの賜物と言えた。

 

 「こちらが言うのも何だが、躊躇なく影絵(エイプ)を撃ち殺すのはどうかと思うがね」

 

 祈るように手を掲げていた男はその場を跳び去る。

 すると益虫のように影が広がり、やがてそれらが猿という形を造っていく。

 数秒後に引き裂くような金切り声が辺り一面に響き渡る。

 

 「よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えるものですわね!」

 

 神父の悪態に少女は弾丸の雨を振りかざす。

 そんな少女を前に男は怯まず、狭い校舎からひらけた場所に戦場を移動した。

 

 「聖職に身を置くものだからこそだよ、人形」

 

 最低限の礼だと言わんばかりに神父は影絵の猿を差し向ける。

 それを二丁の銃で鉛玉を浴びせながら少女は追う。

 

 「──それは、まさに弾丸の如く。それは、稲妻の如く」

 

 華麗に跳躍する二人。

 蝶のように舞う少女の姿は、さながら現代の魔女のよう月明かりによく映えた。

 

 「──ほう」

 

 綺麗な円を描きつつ、四方に弾丸を奮う歩みは止まらない。

 そんな少女を横目で疾走する神父。

 少女の口からこぼれた詠唱がこの緊迫した状況を打開すると互いに見た。

 一秒、一秒が永遠のように二人は駆け出す。

 闇夜に目を眩ませる修道服を月明かりを頼りに少女は男を追い続けた。

 

 「放て、放て、放て、放て、放て、放て、放て。七の言霊において次元を渡りし狂犬よ現世へと降りて──」

 

 校舎から旧校舎へと続く渡り廊下。

 そこから、げた箱を抜ければグラウンドに着く。

 ひらけた場所に出てしまったら、その時こそ少女の敗北は決定的だ。

 生徒を使うにもコントロールが難しく、また狭い場所においては邪魔にしかならない。

 故に銃撃戦でしか男には勝てない判断して少女は戦いに挑んだ。

 神父が渡り廊下を抜け、げた箱に着く。

 ミスが許されないタイミング。

 一詠唱を唱えれば魔弾の術式は完成する。

 それを神父を守ろうと影絵の猿が邪魔をしようと腕を伸ばした。

 

 だが、遅い。

 もう二丁の銃のカートリッジに弾丸は詰められており、後は引き金を引くだけ。

 

 「──敵を穿て!」

 

 ──キキキキキキキ!!!

 

 二丁の銃は瞬時に一丁の魔銃へと融合を果たし、閃光を以て放たれた。

 どんな障害であろうとも吹き飛ばす一撃を前に飛び出した影絵の猿は消滅する。

 続いてグラウンドへと向かおうとした神父は、

 

 「──ッハ」

 

 急反転。

 超人的な動きで一撃を放つ少女へときびすを返す。

 

 確かに少女が放った一撃は、あらゆるモノを破戒する。

 

 ──だが、それは当たればの話であった。

 

 「──っな!?」

 

 影絵の猿とは違い、神父には先を読む知能が存在する。

 大振りの一撃が来ると解っているのにそこに隙が生まれない訳がない。

 無論、そんなことを少女は考えなかった訳ではない。

 けれどこの場でそれを仕掛けてくることなど、少女は夢にも思わなかったのだ。

 

 射先からズレた神父と少女の間合いは僅か数メートル。

 されど神父の跳躍は一秒に満たないに等しく距離を詰めることが可能だ。

 故に伸ばされた手が少女の頭部を掴むのは赤子の手をひねるように容易かった。

 そのまま勢い任せに神父は少女を押し倒すと、閃光は収束を見せて消滅する。

 鈍い音と共に少女は頭を地に押しつけられ、一分にも満たない速さで影に呑まれたのだった。

 

 「所詮は人形。他者の戦闘スタイルを模範しなければ戦えぬ身で出しゃばるからこうなるのだ」

 

 神父はそんな言葉を吐き捨てると、その場を後にしたのだった。

 こうして激闘の幕は呆気なく閉ざされたのだった。

 

 ◇

 

 少女のことが頭から離れない。

 大切なことのように思え、自分の中の心が欠けた感じがして苦しい。

 こんなに苦しいのなら授業をボイコットしてでも探しに行くべきだったかもしれない。

 

 「どうしたのさ、ユーキ? あれからちょっと様子が変だよ。やっぱり先生に言って今日は休んだ方が良いんじゃないか?」

 

 そんなことを考えてると累が心配そうに声をかけてきた。

 

 「──いや、大丈夫。大丈夫だから、気にしないで」

 

 気分を少しでも変えようと、大丈夫だと振る舞う。

 そうだ。

 気持ちが落ち込んでるから授業をボイコットするとか考えちゃうんだ。

 少しでも皆に追いつけなくなると、■■勇貴になれないから駄目なんだ。

 

 累が息を呑む。

 言うことのできない哀れみの目で累は僕を見た。

 

 「──それで良いの?」

 

 累が問う。

 その青く澄み切った瞳には苛立ちが見える。

 

 「良いよ」

 

 思わず頬を掻く。

 

 「──本当にそれで良いの?」

 

 力強く両肩を掴む累はとても真剣だ。

 普段のおちゃらけた彼らしくない姿に呆気にとられる。

 

 「辛いんでしょ? 辛くて辛くて、どうしようもなく悲しいんでしょ!?」

 

 掴んでいた手が肩を揺らす。

 力は強くないのに、何故かその手を払えない。

 すると、周囲のクラスメイトが騒ぎだす。

 その中に火鳥もいるけど、彼は僕らの様子をじっと見つめて動かなかった。

 

 「大切なことだった。どんなに壊され変えられてもそれだけは手放さなかった! そんな大切なものを失くしてキミは、平気な訳ないだろう!」

 

 教室の真ん中で累が叫んだ。

 まるで自分のことのように僕を怒ったんだ。

 

 ────「そんな私にとって勇貴さんは、希望みたいなものなんです」

 

 不意に、夕暮れの廊下での少女の言葉を思い出す。

 いつの日か僕だけにしか笑えないと言った事さえ忘れてしまっていたのに。

 

 そんな僕を希望と言ってくれた少女の顔を思い出してしまったのだ。

 

 「……あ。あああ、あああああああああああああああああああああああああ!」

 

 掴まれていた手を振り払い、急いで教室から駆け出した。

 彼女を、彼女を探さなくてはいけない。

 会って、謝らないといけない。

 だって、そうしなければ夕暮れの廊下で話したこと、全部、嘘になっちゃう。

 

 「──そうだよ。これで良かったんだ。うん。何の間違いもない」

 

 誰かの呟きは僕の耳に聞こえる筈がないのに、そんな呟きが聞こえた気がした。

 



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009 急変

 

 「ハア、ハア!」

 

 女の子が行きそうな場所を虱潰しに探す。

 寮の個室は授業時間には使用が禁止されており、女の子が女子寮にいる可能性は考えなかった。

 万が一、体調不良を理由に抜け出せたとしても保健室を薦められるので仮病での早退はもっと考えにくいからだ。

 そうなると校舎の何処かになり、こうして駆けずり回っているのだが少女の姿は一向に見つけられない。

 

 走る。

 兎に角、走りながら探した。

 名前は未だに解らないが、仲が良かったことは累のお陰で思い出せた。

 僕が陥ってる状況がどうして累は解ったんだとか、そんなことを考えてる余裕はない。

 今やるべきことは、きっとそれじゃない。

 

 無我夢中で探し回ってると、中庭で小柄な女子生徒を見つける。

 首筋までに伸びた紫の髪を風に靡かせ、妖悦な笑みを浮かべてた。

 

 「先輩! リテイク先輩! すみません、上手く説明し辛いんですけど、僕のクラスメイトらしき女の子を探しているんです! この辺りで見かけたりしてませんか!?」

 

 要領の得ない説明。

 ゼー、ゼーと息を荒くする僕を、吸血姫は見つめてる。

 意外なものを見たみたいな彼女の視線に、もしかしたらの気持ちが湧いた。

 

 「そんな急いでどうしたのかな? 諦め癖の君らしくない慌てっぷりじゃないか」

 

 冷めた回答をされる。

 でも、今は彼女に会わなくてはいけないのだ。

 四の五の文句を言って時間を無駄にしたくない。

 

 「その様子だと、先輩も何か知ってるんですか?」

 

 先輩の冷めた言葉でも形振り構わず聞いた。

 

 「……別に、何にも知らないよ。第一、君がどうなろうと私には知ったことじゃないもの」

 

 ばつの悪そうな顔を先輩はしたが、直ぐにははぐらかされてしまう。

 きっと僕の知らない真実を彼女も知っているは、間違いなさそうだ。

 

 「……そう、ですか。なら、せめて此処に女の子が来たかどうか教えてくれませんか? 特徴は、えーと。……兎に角、ポニーテールで僕と背丈はあまり変わらない、グラマラスな女の子です!」

 

 探してる彼女の特徴を拙いジェスチャーで伝える。

 それを先輩は顔をしかめながら聞く。

 

 「その特徴の娘なら見てないかなー」

 

 先輩は罰が悪そうに僕から視線を逸らす。

 僕はそんな先輩をジッと見つめた。

 

 「……ああ、もう!」

 

 突如、先輩はスカートを翻るのもお構い無しにをその場をジャンプする。

 超人の如く、一瞬で先輩は僕から距離を取った。

 

 「しっかし、どんな心境の変化なのやら。誰が焚きつけたのはおおよそ想像がつくけど、それでもこの変わりようはどうなのかしら? ……ねえ、仮にその娘を見つけたとして七瀬くんはどうするの?」

 

 大分距離が離れているというのに、先輩の真剣な表情がはっきりと見えた。

 先輩なりに深入りをするなと忠告してるのだろう。

 

 ──だが、それは余計なお世話というやつだ。

 

 「謝る。謝って、謝って、それからもう一度名前を教えて貰う。どんな関係だったのかも聞く。叩かれても、殴られても、また同じような関係に戻りたい。それから、また──」

 

 やりたいこと、したいことが思いの外に出てくる。

 彼女に会ってやりたいことが自分の意志で言えるのはもしかしたら初めてなのかもしれない。

 

 キーンコーン、カーンコーン。

 まるで僕らを嘲笑うように、鐘の音が校舎中に響いた。

 

 「──ほう。人形の次は吸血姫(きゅうけつき)と来たか。これはこれは奇特なものだ。態々、死に来たのか?」

 

 後ろから酷くかすれた男の声がした。

 

 「──え?」

 

 振り返ると中庭付近に黒い修道服姿の男が立っていた。

 ぐしゃぐしゃの白髪が不衛生そうな雰囲気を引き立たせ、深淵のような光のない黒い瞳。

 何より距離が離れているというのに、全然小さく感じない背丈は二メートルを軽く越えたものだと想像を働かせる。

 そんな男が何者かと頭を巡らせていると、不意に男と目が合った。

 ゾクリ。

 背筋が凍る。

 否、鳥肌を立たせる程の殺意に身体が硬直した。

 自身に向けられた殺気でなくとも、それが畏怖すべきだと本能が告げている。

 蛇ににらまれた蛙とは、このことだった。

 

 「失礼ね、ナイ神父。私、貴方のような汚いものに触れに行くほど酔狂じゃないわ」

 

 僕らを見下すような男に先輩は負けじと睨み返す。

 先輩は男をナイ神父と呼んだ。

 知り合いなのだろうか?

 

 「ならば何故、ここにいる? それと共に来なければ私に会うこともなかっだろうに」

 

 いつの間にか、空は無へと誘う闇夜となった。

 

 ──キキキキィ、キキキキキキイ!

 

 何処からか猿の鳴き声が響く。

 

 「べっつにぃ。只、彼が必死だったから、つい意地悪したくなっただけよ」

 

 クス。

 男の問いに先輩の真っ赤な瞳が妖艶に顰められる。

 

 「ククク。吸血姫にも可笑しな趣味が有ったものだ。中身のない傀儡に入れ込むなど、酔狂なことだ」

 

 ニタァと口元を歪ませ、男はそう言った。

 神に遣える聖職者とは思えない邪悪さが滲み出ており、それが男をあべこべな存在にしていた……!

 

 「言いたいことはそれだけ? 彼に惚れた訳じゃないけど、嫌いでもないの。ほら、頑張る男の子って素敵だと思わない?」

 

 クルクルと男と同じ色の髪を指に巻きながら、退屈そうに先輩は欠伸をする。

 そんな態度に男は嗤った。

 まるで、この行為こそ無意味なものだと自嘲しているみたいに。

 

 「ククク。容れ物に意志などあるものか。仮に意志があるのなら、とうの昔にこの世界は崩壊している。全くの無駄な徒労。無意味だ」

 

 天に捧げるかのように男は手を掲げる。

 聖職者を思い浮かべるその仕草は様になっていた。

 

 「……揚げ足を取る気じゃないけど、私を無意味だって言うのなら貴方のその構えも無意味じゃない? そんなポーズ取らなくても、影絵(エイプ)なんて展開出来るでしょ」

 

 先輩は呆れながら言う。

 

 「……ッフ。それこそ愚問だ。神父が主に祈りを捧げることに無意味なことは有るまい」

 

 心外だと宣う姿に影が集う。

 

 「貴方、神父よりも上等なものでしょ」

 

 ──パチン。

 呆れ顔で先輩は指を鳴らす。

 

 その瞬間。

 集った影が無数の猿の形を作り出し、僕らに向かって襲いかかる。

 僕を蚊帳の外に殺し合いの幕が切って下ろされた。

 



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010 さあ、反撃の狼煙を上げろ

 

 「貴方、神父よりも上等なものでしょ」

 

 呆れ顔で先輩は指を鳴らした、その瞬間。

 集った影が無数の猿の形を作り出し、僕らに向かって襲いかかった。

 

 「イヒヒヒヒィイ!」

 

 伸びる影。

 最早、猿という枠組みさえ捨てた不定の存在が僕らを襲う。

 そんな形振り構わない敵の猛攻に、先輩は微笑みを浮かべる。

 

 「先ずは小手調べってことかしら?」

 

 大きく円を描くよう華奢な腕が振り回さる。

 すると旋風が巻き起こり影たちを搔き消した。

 

 「アハハハ! ワッラエェるぅ!」

 

 影が消えると、神父がそう叫ぶ。

 すると、声と顔が、──神父を形成するあらゆるものが変貌した。

 

 「──っな!?」

 

 キキキィ!

 同時に影が現れ、僕らに襲い掛かる……!

 

 「──っち! 邪魔!」

 

 先輩が凪払うも、無尽蔵に影たちは湧いてくる。

 

 「──っ!」

 

 無尽蔵に産み出されると聞くと、単体では弱いイメージに片寄りがちになるが実際は違う。

 先輩の規格外がなせるお陰で今は均衡を保っているが、影の戦闘力は底計り知れない強さを持っている。

 事実、ゆっくりではあるモノの確実に間合いを縮める影に対し、先輩も思わず舌打ちをした。

 

 「あらら? もうオシマァイなのかしらァア?」

 

 倒してもキリがない影絵の軍勢に圧巻される僕らを神父はケタケタと嗤う。

 

 数秒の内に見たことのない姿。

 醜悪に爛れた皮膚の老人、未来に夢みそうな少女や狂気に慈愛を感じさせる女にエトセトラと変貌し僕らを困惑させる。

 

 「ご冗談。これしきのことで降参すると思って?」

 

 どんな怪力を持っていたとしても底の知れない海を殴ることと同じだ。

 誰も彼も叶いっこないって思えるぐらいの光景。

 けれどそれに縋るしか僕にはこの場を乗り切る手段がない。

 嗚呼、目の前の状況が生きることの無意味さを物語ってるようだ。

 

 「ええ、そうです。そうでしょう。貴方の人生なんて、それぽっちなのです」

 

 不意に、頭の中で聞き覚えのある少女の声が響いた。

 

 「──っな?」

 

 そして──。

 

 その声に賛同するかのように意識が真っ暗闇に引きずり込まれた。

 

 「──っにぃいいい!?」

 

 ゴポゴポ。

 ゴポゴポ。

 

 暗転する意識は、何をしたところで無意味な泥沼へと堕ちていく。

 

 もう無理だ。

 何をしたって無駄だ。

 そう思えて仕方ないと理性が錯覚する。

 

 「──っあ、ぐぅ、うぅう」

 

 息が上手く出来ない。

 神父も先輩も学園もありとあらゆるものが幻に消えていく。

 

 「ぜーんぶ、嘘っぱちなんです。妄想です。貴方に残されているものなんて、なーんにもないこの暗闇だけ。所詮、貴方は兄さんの代用品に過ぎないのです。でも、もうそれも終わりです。つかの間の幸せとやらも十分、楽しめたでしょう?」

 

 何処かで聞いたことのある少女の声。

 幼げなそれは、まるで突拍子もないことを言い出した。

 

 「ええ、その通り。その通りなのです。そして貴方の人格もこれで終わり。貴方のアストラルコードの変換もこれで完了。初めから期待されてない貴方は、漸くその生きる人生に意味を持たせられるのです。最高でしょう?」

 

 悪魔の囁きが脳に伝わる。

 僕という個が不要なもので、別の人格になることこそがお前の幸福なのだとそれは決めつける。

 一度目と同じように二度目の生も諦めろだなんて言って退ける。

 

 救いを求め手を伸ばすが、誰もその手を掴まない。

 現実に夢も希望もないと知っているのに、僕はまだ諦めない。

 

 ────「そんな私にとって勇貴さんは、希望みたいなものなんです」

 

 頭の中でもう何度繰り返したであろう■■さんの言葉。

 誰にも認められなかった僕が、誰かに認められていたと知ったのはいつのことだったか。

 あの言葉は誰が言って、誰が想って、誰が僕に伝えてくれたことだったか。

 

 僕を希望みたいだと言った少女は自分に何を期待していたのか。

 

 「──ふ、ふざ、け、ん、な」

 

 救いを求めた。

 夢を見た。

 逃げ出してばかりの僕に優しくしてくれた。

 もう何を話したのか思い出せないけど、それでも懸命に何かを伝えてくれたことを簡単に切り捨てられない。

 女が嘲笑う。

 もう終われと凶弾するのは、名前も思い出せない誰か。

 

 ──思い出せ。

 

  僕が僕であることを肯定した唯一の存在を思い出せ!

 

 「終わ、り、じゃ、な、い。ぼ、く、は、ま、だ」

 

 息が苦しい。

 首が締め付けられて息が出来ない。

 酸素を求めて手足をバタつかせると、身体の感覚が少しだけ取り戻す。

 

 生きたいと思った。

 自分が誰かに必要とされたいと強く願った。

 それがいつのことだったかは思い出せないが、確かに願ったから僕は此処に居る。

 

 手を伸ばす。

 どんなに絶望的でも諦めなければ、きっと届く。

 

 「いいえ、終わりです! 今度こそ、これで、終わりなんです!」

 

 そうじゃなければ僕は、

 

 ────「──ねえ、本当にキミはそれで良いの?」

 

 あの時、彼の言葉で彼女の言葉を思い出さなかったのだから……!

 

 「意志(コード)の確認。魔術破戒(タイプ·ソード)起動(コード)を認証しました。これより、魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)を開始します」

 

 意識が薄れていく中、脳内に機械的なアナウンスが直接響き渡る。

 その音声ガイダンスに従い、伸ばした手に光が握られる。

 光が闇をかき消し、剣となって僕の身体を軽くした。

 

 「……な、なんですか。そ、れ?」

 

 少女の声が光を見てか、怯える。

 すると底なし沼から元いた校舎に意識が戻り、その光の剣を神父へと振るう。

 

 「知らない。でも、諦めなかったから神様がくれたんじゃないの?」

 

 いつか見たアイドルの顔をする、ナイ神父。

 その顔を認知するのに、どれだけの時間を要したのかは知らない。

 それは途方もない月日なのかもしれないし、永遠に近い数秒単位の話しなのかもしれない。

 

 「へぇ。これはまた()()ちゃんも、とんだ置き土産を残したものね」

 

 前に居た先輩が後ろにいる。

 きっと彼女も僕が知らない真実を知っているのだろう。

 失った僕の記憶も、目の前の神父の正体も、この何もかもが可笑しい世界さえも。

 

 でも、そんなことはどうでもいい。

 今、気にするべき事は目の前の障害をどうするかってことだけで、それ以外を考える余裕なんて僕にはない。

 

 「ちょ、調子に乗ってるんじゃ有りませんよ! アンタなんか直ぐにでもお釈迦にしてやるんですから! 一度、拘束から逃れたからって次も逃れられるなんてそんな都合のいいことは起きないんだヨォ!」

 

 再び、神父は様々な姿かたちへと変貌する。

 影絵の猿が神父の元へ集まって、大きな存在へと融合していく。

 数秒を待たずして校舎を覆うぐらい巨大な影へと神父はなった。

 

 「デ、デカイ……! けど、」

 

 光の剣から熱を感じ、第六感がその影を殺せると告げている。

 

 「──やれる!」

 

 巨大な影が腕を伸ばし校舎を破壊していく中、ひび割れていく地を駆け出す。

 巨人を連想させる全長の影は、その強腕を容赦なく振るう。

 

 その腕に掠りでもしたら、ちっぽけな僕なんてひとたまりもないのは明白。

 だが、それ以上に湧いてくる自信がその脅威を無視して足を更に進ませる。

 

 一分にも満たない時間。

 コンマ刻みで円を描く刃。

 永遠に感じる刹那、放たれたその一閃が影へと触れる。

 

 ──パキン!

 

 小さく、しかし確かに何かが音を立て割れる。

 その音と共に消失する影。

 剥き出しの裸同然に、その姿を晒す聖職者が目を見開き驚いた。

 風が靡く。

 ありとあらゆる幻想を破戒する魔剣が、此処に顕現した。

 

 「な、ナニ!?」

 

 振るった一撃の勢いは止まらない。

 明後日の方向に飛ばされるように神父めがけて一直線。

 

 「──ッハァアアア!!!」

 

 瞬きする暇さえ与えず、そのまま神父を一刀両断。

 血と臓物をまき散らす神父は、最期の断末魔を上げることなくかき消すように暗闇へと散った。

 

 カチカチ、カチ。

 聞こえる筈のない運命の針が回ったような幻聴を耳にする。

 

 神父の姿が消滅すると手に握られた光の剣も消えてしまった。

 一秒か。それとも数秒の内に崩れかけた校舎が元に戻っていく。

 まるでゲームの世界なのだと言わんばかりに崩壊した校舎が元へ戻っていく。

 

 「──っえ?」

 

 あり得ない現実を前に夢でも見てるんじゃないかと驚いていると、

 

 「あちゃー、時間切れかー」

 

 先輩が文句を言いたげに、そう呟いた。

 

 「時間切れって、そりゃあ、どういう──」

 

 そんな先輩の呟きにどういうことか問い詰めようとしたが、続く言葉が出なくなった。

 

 だって、後ろにいた筈の先輩の姿が突然消えてしまったのだから。

 

 目映い光に身体が包まれる。

 カチリと何かの欠片が填まったの感じ、そこで僕の意識は途絶えた。

 



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011 暗闇から

 

 ジリリとベルが鳴り、遠くの方からサイレンが聞こえた。

 

 「ハア、ハア」

 

 息が苦しい。

 起き上がろうにも無造作に転がる死体(オブジェ)たちが邪魔をする。

 手から砕けたビール瓶が床に落っこちたけど、それよりも死体(オブジェ)の血を浴びた全身が気持ち悪くて仕方ない。

 

 「ハア、ハア!」

 

 心臓の鼓動が煩わしく、アドレナリンが脳内に回り興奮が抑えられない。

 未だ人を殺した感触を忘れられず、今にも喉を搔ききってしまいそうで苦しかった。

 

 「……う、うぅう」

 

 狂気と狂喜がせめぎ合い、非常識が僕の良識を浸食する。

 

 どうして、こうなった。

 数分も経たずにやってくる警官を想像し、世の不条理を噛み締めた。

 

 「やってられないよ」

 

 頬に涙が伝う。

 そこで、僕の意識は夢から覚めた。

 

 「ハア、ハア」

 

 固い地面の感触が僕を迎える。

 

 「ハア、ハア!」

 

 理不尽な夢だった。

 実際に人を殺していたかのような感覚が、まだこの手に残ってる。

 途端に全身に血の気が引き、吐き気が僕を襲う。

 

 「ウォオオレェエ」

 

 我慢できず、吐いてしまう。

 こんな暗闇の中でゲロなんか吐きたくなんてなかった。

 

 「此処は何処?」

 

 確か僕は名城さんを捜していたら、先輩と会った。

 それから謎の神父に襲われて……。

 というより、あれは何だったんだ?

 幾ら此処が魔術学園だからって、崩れた校舎が瞬時に直っていくなんて今まで見たこともないよ。

 

 「アッパラパーなキミにしては考えるじゃないか。まあ、愚か者のキミはそこから先を考えるなんて無理な話だろうけどね」

 

 知的そうな感じな少女の声が聞こえた。

 慌てて声がする方を振り返るも、誰の姿も見えなかった。

 

 こんな暗闇に少女がいるなんて、気のせいだろう。

 そう思った時──。

 

 「気のせいじゃないさ、愚者七号よ。ボクとしては久方ぶりの再会だが気分はどうかな?」

 

 今度こそ、少女の声がハッキリと後ろから聞こえた。

 聡明で博識そうな感じの少女を連想させる声だが、生憎聞き覚えがなかった。

 

 「誰? というより、愚者七号ってもしかしなくても僕のこと?」

 

 振り返る。

 ゆっくりではなく、こうバッと瞬時に格好付けてドヤ顔を決めるのがミソだ。

 

 「あれ? 誰もいない?」

 

 暗闇に目が慣れてきて、此処が何処かの教室だということが解った。

 だが、少女らしい人影は未だ見えない。

 まるで狐に化かされたようで気味が悪いなと思った。

 

 「君には見えないだけでボクはちゃんと()()()に居るとも。……まあ、こればっかりはキミに説明したところで解んないだろうけどねぇ」

 

 美少女との遭遇を夢見たのに、なんかガッカリ感が半端ない。

 つーか、この声の少女はまな板なバストに違いない。

 幽霊少女は貧乳と相場が決まっているのだ、ウェヘヘェ。

 

 「……キミの考えてることは筒抜けだよ。だから変なことを考えるのは止めたまえ」

 

 「──うぇえ!?」

 

 今、正に卑猥な妄想がドチャクソしてるってのにそれを先に言って欲しい。

 もう黒髪クール系美少女がエ◯同人みたいな目に遭っている光景を妄想してるってのにさ!

 

 「相変わらずだねぇえ、キミは!? ボロボロな状態のキミのアストラルコードを修復してあげたってのに、これかい!? 本っ当、キミはどうしようもない変態だね、愚者七号!」

 

 いきなり耳元で大きな声を出され、鼓膜をキーンとして痛い。

 もしやこの幽霊、幻覚じゃなくマジモンの幽霊だったりするのか!?

 

 「ふん! 幽霊なんて低俗なもんが現存出来るほど、この世界のリソースは余ってないよ。キミにとってボクが幽霊に思えてしまうのは仕方ないのだけど。……というか、ボクの髪はそんなロングじゃない。それにもう少し目つきは優しい。あ、後、胸はもうちょっとある。何だい、その説明キャラはつるぺた幼女体型だなんて失礼にも程があるよ!?」

 

 有無。

 どうやらこの反応をするってことは、そこそこの貧乳だと見て間違いなさそうだ。

 やっぱり、まな板じゃないか!

 

 「戦争だ! 戦争をしようじゃないか! キミという男は助けてあげたってのに何て仕打ちだ!」

 

 少女の声は激おこぷんぷん丸だ。

 

 「──待った。僕を助けたって、どう言うこと?」

 

 スルーしちゃいけない単語が聞こえた。つーか、言った!

 

 「そうさ! 弱ってるキミをアイツ等からこの()()で、()()で、()()な、この()()が助けてあげたのさ」

 

 声は先ほどとまでとは違い、惚れ惚れするような貫禄が伺えた。

 知的で、綺麗な、美少女の姿を声にイメージさせた。

 

 「……君は、誰?」

 

 恐る恐る名前を尋ねる。

 

 「知りたいかい? それならば教えてあげよう。なーに、怯える必要はない。ボクはキミの味方だ。安心したまえとは言わないが、今のところキミを泥船に乗せるつもりはない」

 

 訳の解らない現状に巧妙の光が差した。

 それは藁にも縋る思いで手にした希望の光だった。

 そもそも祈るばかりなのは今も昔も変わらない。

 

 「ボクこそが、最果ての今にして絶対なる知識を司る魔術師が一人──」

 

 少女の声が名乗ろうとすると、風が靡いた。

 すると、目映い光が闇を晴らす。

 

 「──ま、眩しい」

 

 突然の光に思わず目蓋を細める。

 やがて目が慣れていくと、今いる場所が馴染みのある教室だと理解した。

 

 「──飛鳥。藤岡(ふじおか)飛鳥。迷える子羊、愚者七号。知識の権化と呼ばれたこのボクがキミの悩みに答えてやろうじゃあないか」

 

 そうして目の前に、一冊の黒い本が浮かび現れたのだった。

 

 ◇

 

 チクタク、チクタク。

 カチカチ、カチカチ。

 

 秒針が逆さまに回り、闇が支配する世界。

 イ=スの種族が伝えた時間干渉の魔術。

 

 チクタクと世界は戻って、カチカチと記憶をねじ曲げ改変する。

 

 失われた魂を修復することは不可能な魔法。

 それに近い全くの同一の魂へ改竄することもまた、事実上不可能に近い魔術。

 

 イ=スの種族が求めるのは宇宙滅亡の回避であり、自分たち概念生物が滅ばない未来の獲得だ。

 それこそが彼らの目的である。

 宇宙規模に発展する滅亡なんて誰も望むことはないだろうが。

 

 「ク、ククク、クククククク」

 

 闇の中に一人、少女が佇む。

 必ず手にすると決めた面影はそこには無く──。

 

 「アハハハハハハハハ!!!」

 

 只、狂気に侵された少女が時空を捻じ曲げるだけだった。

 

 「誰かが邪魔をした。ワタシの邪魔をしたの。あと少しのところで、邪魔をしたのよ! ああ、そうよ。魔術破戒(タイプ·ソード)起動(コード)をアレに刻んだ人間の候補は絞られる。ならそいつらがアレのアストラルコードに干渉出来る時なんぞ限られている。──嗚呼、早く削除したいなぁ」

 

 アストラルコードを改竄し尽さないと意味がない。

 そうしないと■■瑞希の願いは叶えられない。

 

 「待っててね、お兄ちゃん」

 

 悠久の時を巡り、彼女は模索する。

 死んだ人間を生き返らせることを否定したのは、他ならぬその兄だったのに彼女は奇跡を願う。

 その在り方を止める者は居ない。

 そこには暗躍する略奪者たちが居るだけだった。

 

 少女は暗闇の中にいる愚か者を只、見つめるのであった。

 



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012 馬鹿げた話だ

 

 広辞典みたいな厚さの黒い本。

 ファンタジーの魔術書にありそうな外観のそれは、なんか頭に振りかざされたら凶器になりそうだと思った。

 

 「うん。正確には魔導書なんだけど、まあその方で解釈して貰って構わないよ。寧ろ、そっちに似せて構成させてるからそう認識して貰わないと困る訳だしね」

 

 自己主張するようにペラペラと頁が捲れる黒い本。

 

 ……というか!

 

 「ほ、ほほほ、本が、喋ったぁあ!? 嘘!? これなんてファンタジー!?」

 

 最近、魔術学園だとか言っても、授業だとこういう魔法みたいなものを扱ってくれなくて退屈していた。

 うん、何だろう。

 スゲー新鮮でテンションが上がるなぁ!

 

 「あー、うん。……授業かー。まあ、状況の説明だとかそんなのばっかりだったし、言いたいことは分かるがね。あー、でも。……そんなにつまらなかったかー」

 

 人間だったら頬搔いてそうな。

 まるで魔導書自体が先生として授業してたみたいな言いぐさ。

 

 「ってそんなことより、説明! 僕を助けたってとこ詳しくプリーズ!」

 

 今もパラパラと捲れ続ける魔導書に対し問いただす。

 

 「そんなことではないんだけどねぇ……。そうだね。うーん、只、説明するとしてもキミがボクの言葉にどれだけ認識出来るかで説明が変わる」

 

 「いや、認識出来るかって何もこうして会話が出来てるじゃないか」

 

 「うん。今は出来てる。出来てるってことはこの会話内容はまだ許容されているということだ。難しいな。何処までが触れて良い上限なのかが曖昧過ぎるし。上限をオーバーしてあちら側にこちらの状況が伝わるのはNGだ」

 

 ぐるぐると僕を中心に円を描くように浮遊する魔導書。

 

 「うーん、そうだね。じゃあ、例え話の話だ。キミが二匹のネズミを飼ってるとしよう」

 

 「ネズミ?」

 

 「そう、モルモットを想像してくれると良い。そのネズミ二匹の内、一匹が死んじゃうんだ。ここまでは大丈夫か?」

 

 「いや、僕、そこまでバカじゃないよ!?」

 

 「あー、そうじゃない。キミをバカにしてる訳じゃないんだ。うーん、困った。この反応が干渉されたものなのかハッキリ分からんぞ。……まあ、考えたところでどうせ袋小路には仕方ない。許容範囲としよう。んで、その一匹のネズミがキミにとっては掛け替えのないペットなんだよ。そのネズミをキミは何としても生き返させたい。しかし、その死んだモルモット自体に蘇生手段を行使することが出来ない。おっと、ここまでは大丈夫かい?」

 

 「色々突っ込みたいけど、うん、大丈夫。要するに死んだペットを蘇らせることが出来ないってことでしょ」

 

 それがどうしたっていうのさ。

 生き物なんて死んだらそこまでじゃないか。

 

 「──まあ、今のキミに言ったところで理解出来る筈もないから流すとしようか。うん、そうだ。だが、キミは何としてもその死んだネズミの蘇生を諦めることが出来ない。そこで、考えた。死んだネズミ自体に蘇生手段を行使出来ないのなら、もう一匹のネズミを死んだネズミに変えてしまえば良いのではないかと」

 

 うん?

 

 「えーと。死んだペットの代わりにもう片方のペットに愛情を注ぐってこと?」

 

 「違う。その死んだネズミを生き返らせることが出来ないのなら全くの同じ中身のネズミを作り出してしまえば、それは死んだネズミ自体になるのではないかという話さ」

 

 何だ、それ。

 

 「いや、それは違うでしょ。例え、外観を幾ら寄せたところでその死んだペットにはならないじゃん」

 

 「誰が外観だけと言ったのかな?」

 

 はい?

 

 「外観だけじゃない、そのネズミが考える意思も思考も記憶の何もかもを考えうるありとあらゆる全てを同じに作るのさ。当然、一から同一の生物を作り上げるなんてことは事実上不可能な話である。なら、どうすれば可能なのか。同じ種族のネズミから作り替えた方が簡単じゃないか」

 

 馬鹿げてる。そんなもので死んだペットと同じモノを生み出すなんてことは出来ない。

 だって、それは──。

 

 「うん。キミの言わんとすることは理解出来るとも。嗚呼、それが死んだネズミに似せただけの別物に過ぎないさ。まあ、ここまでは思考することが可能らしい。やはり抽象的な言い回しにすれば妨害はされないと見ても良いようだ」

 

 「ネズミの話でしょ。それが僕の認識がどうこうの話になるのさ?」

 

 「うん。まあ、そこでその捻じ曲げは予想がついたよ。じゃあ、こう考えてみようか。なーに、簡単な連想ゲームだよ、愚者七号。この場合、とても難易度が低い。自分の状況と置き換えるなら、普通の人間はそこで直ぐに理解出来る話だ。だが、自由に思考することを奪われた人間はそれが出来ない。その考えを思考することを認識出来ない。上手くはぐらかされてると言っても良いね」

 

 馬鹿げてる。ネズミの話だ。

 まるで僕が話に出てきたネズミだとでも言うかの言いぐさじゃないか。

 

 「そうだね。人道的な意味合いじゃあ、馬鹿げた話だ。それでも、キミは一度失った大切な存在に会えるとしたら手を出してみたいと思わないのかい?」

 

 その返しは卑怯だ。

 

 「うん、卑怯で結構。さて、今の自分の現状が理解出来たことだろう。そんな現状で相手側にとっては起きて欲しくないアクシデントがある」

 

 ペラペラと風も吹かないのに魔導書の頁が捲れる。

 

 「当然だけど、邪魔をされることは勿論だけど、この場合言いたいことは違う。ネズミが言うことを聞かないという問題だ」

 

 意思も思考も記憶の何もかもが別人に変えるのだから当たり前の話だ。

 その別人が思考する意思なんてものが在ったらそもそも不可能な問題である。

 

 「極論の話、思考することを出来なくしてしまえば良い。

  そうすれば、後は別の思考を植え付けるだけの話だからね。でも、それは簡単な話ではない。精神面な問題じゃない人間の身体的な構造でもありその魂の構造上の話だ」

 

 魂?

 

 「そう。精神と魂は直結しているが違うものだ。精神とは思考することを有無とした認識を掌る感情情報だ。だが、魂はその感情情報とは別に存在を確定させる為になくてはならない概念情報に過ぎない。そうだね、魂についてはコンピューターでいうとマザーボードとかハードディスクであると想像してくれると助かるかな」

 

 「じゃあ、精神は何なのさ? ……ああ、そうか。ソフトとかプログラムとかを考えれば良いってこと?」

 

 「そう。その認識で正しい。そもそもの話、人間の意志やら思考とは精神を弄れば良い話じゃない。その精神より上の概念情報である魂がその存在を単一のものとして構成させている。この魂を構成する情報をアストラルコードと僕ら魔術師は呼んでいるのさ」

 

 アストラルコード。

 何処かで耳にしたことがある単語だ。

 そう、それは確か、暗闇に呑まれて身動きが取れなかった時に誰かが言っていた気がする。

 

 それは今まで思考することを放棄していたからか。

 それとも懐かしい誰かの声を思い出したからなのか。

 失ってはならないモノが蘇ってきたからなのか。

 

 ゆっくりとパズルのピースが胸の奥底でハマっていくのが感じられた。

 



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013 健闘を祈る

 

 逆行する世界。

 繰り返される日常は全ての可能性でしかなかった。

 

 私は誰で、何であるのかが解らなくなっていき──。

 

 虚構の世界に融けるアストラルコード。

 輪廻転生とやらがあるのなら、そんな夢を見るのも悪くはなかった。

 

 ────「明日がみたい。どれだけ惨めで、くだらなくとも僕はもう一度生きてみたいんだ」

 

 遠い昔に彼が言った。

 その言葉にどれだけの想いが込められているかは知らない。

 けど、私はそう言った時の彼の顔が好きだった。

 

 ……でも、そんなことも彼は忘れてしまっている。

 私の想いも、会話も、過ごしてきた日々の何もかもを削って生きている。

 

 「私、待ってます。待ってるんです。どれだけ時間が掛かろうとも貴方が此処にやって来るのを待ってるんです」

 

 誰もいない玉座にて、彼の到来を今か今かと私は待ちわびる。

 

 忘れてはならない。

 私は世界のシステムの一部であることも、彼の障害でしかないことも。

 

 「覚えてますか、■■さん。消される筈だった私を貴方は助けてくれたんですよ。もう覚えていないんでしょうけど、……私、忘れられなかったんです」

 

 名前にノイズが掛かる。

 エラーとして認識され、バグとなる。

 それは、この世界において改竄(かいざん)出来ない絶対なルールであった。

 

 世界は愚かしいほどに正しく、残酷で、存在しない幻想(もの)には冷たすぎる常識だ。

 誰かの想いの塊てしかない私たちを世界は受け入れることはない。

 仕方ないことと解っていても、やるせなさを感じずにはいられなかった。

 

 ──嗚呼、でも。

 

 「待ってます。待って、ます。私のヒーローはこんなところで諦めるような人じゃないんです」

 

 そんな世界が綺麗だなんて思えてしまうんだから不公平だ。

 

 ◇

 

 「兎も角、これで能天気なキミでも状況が見えてきたんじゃないかな?」

 

 ぷかぷかと宙を漂う魔導書。

 えっへんとドヤ顔を決めていそうな雰囲気だ。

 

 「あっはっはっはっは。茶々を入れる元気が出てきたみたいで嬉しいよ。……しかし状況の説明は一先ずこれで良いとして、これからどうするか悩みものだね。その上の段階は実際、NGワードを避けつつ説明しているが、だからと言ってこれ以上の説明は相手側も気づくだろうし」

 

 状況って、僕自身が自由に思考することが出来ないってことじゃないのか?

 いや、そんなことより早く名城さんを探し出さないといけないのに──。

 

 「勿論、彼女は助けるとも。だが、今それを実行するにはリスクが余りにも高すぎるのだ。そう、■■■■から外なる神を分断させなければ我々は全滅さ。そうなれば、全て水の泡となる」

 

 それだけは避けなければならないと、魔導書は言いながらブンブンと震える。

 

 「というより、さっきから思ってたのだけどいい加減、ボクのことを魔導書と呼ぶのは止めて貰おうか。ボクには藤岡飛鳥という名が有ってだね。魔導書としての外観は彼女たちの目から欺く為なんだから別にそう呼んでくれても良いのだよ」

 

 しくしくとか本なのに人間くさい。

 

 「──ぅううう! まあ、良い! よくはないけど、この際だ、我慢しよう。さっきも言ったけれど、真弓を助ける前にしなくちゃいけないことが一つある。それをしないことには真弓を助け出したところで同じことの繰り返しだ。えーと、ナイ神父だったか。現在の影絵(エイプ)を所持してるのは?」

 

 影絵(エイプ)

 

 「そう、影絵(エイプ)。って、そうか。影絵(エイプ)についての情報も抜けているんだったね。

  これは失念してたよ、すまない。影絵(エイプ)ってのは一言で表すなら影絵の猿のことだよ」

 

 影絵の猿?

 

 「それって影のことじゃないの?」

 

 「違う。……と言えども、あれを説明すると専門用語マシマシで非常に説明しづらいのさ。ざっくりと説明してしまうと高度な術式で錬られた概念魔術ってものなんだけど。まあ、この時点でキミの頭はちんぷんかんぷんだろう?」

 

 ……ぅう、痛いところを突くね。

 

 「これでもキミとは数週間とはいえども交流が有ったのだ。それぐらいは察せれるさ。まあ、察せれるからこそ、今からキミにして貰うことはとても単純なことだからよく聞いておくんだよ」

 

 なんか、急に子供をアヤす感じな扱いなのだが。

 

 「フフフ、物は言い様だねぇ。神父の姿をしている奴からそのエイプの術式を破戒すること。それがキミの第一にするべきこと」

 

 第一ってやること複数あるの?

 

 「当たり前さ! キミがこれからやろうとしてることはこの世界の神様を相手するってことなんだぜ。それぐらいやれなくて、どうするのさ」

 

 「っふぁ? その神様を相手するとか初めて聞いたんですけど!?」

 

 「そりゃそうさ、キミと再会してから実際、あれのことを初めてそう呼んだのだからね」

 

 なんか無茶苦茶だ、この古本!

 

 「つーか、君みたいなインパクトのある奴は会ったことないし! そもそも術式の破戒ってどうやってするのさ?」

 

 物理で解決できるならリテイク先輩の攻撃でなんとかなる筈だしね。

 

 「──うん。まあ、仕方ないっちゃ仕方ないのだけど結構堪えるものだね。うむ。現実化したエイプに魔術破戒を被せたところでそのエイプが消滅するだけで何の効力もないと思うだろう? 実際はその通りだとも。だが、そうでない魔術的アプローチを介せばそれは解決する。まあ、待て待て。待ちたまえ。それが出来たら苦労しないって思ってるだろうけど、話は最後まで聞きなさい」

 

 茶化すようにけれど淡々と魔導書は語っていく。

 僕が名城さんを助ける為、これからしなくてはならないことを。

 それは、要約するととても単純な話だったけど、実行するには余りにも難しい話だとも思った。

 魔導書、藤岡飛鳥が出したプランは僕がそう思ってしまう程の計画だった。

 

 「さて、そろそろ時間みたいだ」

 

 チクタク、チクタク時間が戻る。

 時間逆行終了の時が近づいた。

 

 「それでは、キミの活躍に健闘を祈る」

 

 もし僕が彼女のいう死者の代用品じゃなかったら、どうしていたのだろうか。

 その心の問いには誰も答えてなんかくれなかった。

 

 カチカチカチ。

 

 ────「さあ、日常を再生しましょう」

 

 何処かで聞いたことある少女の声が頭に響いた。

 



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014 奇跡を描くみたいな光景

 

 自分の部屋のベットから起き上がる。

 部屋に備え付けられた時計を見て時刻を確認する。

 今が何日の何時とか相手にとっては意味がないが決められたルーチンワークなのだから止められない。

 

 「午前一時。なんて半端な時間なんだ」

 

 やるせなさとこれからするであろうことに緊張感が胸を押し寄せ、決戦の支度をする。

 

 やれることは考えた。出来ることは一つだけ。

 その同時は、彼女の助けがなければ叶わなかった。

 

 記憶に靄が出来ては、感情が欠けていく。

 そうか、もう彼女の能力の干渉を受けることになるんだ。

 

 重くて固いドアノブを音立てて回して開く。

 まるで、見てはいけないものから僕を遠ざけようと扉が抵抗してるように思えた。

 

 思ったこと全てが彼女のモノだとすると、これは神様だと比喩したくなるのも無理はないなとも思った。

 

 「決戦の時だ」

 

 人類の滅亡よろしく、僕の二度目の人生を賭けた戦いの鐘を鳴らしに出かけよう。

 もう思考停止の人形は飽き飽きしていたところなんだ、良いだろうよ。

 

 部屋から出ると、そこに充満する鉄の臭いに鼻が曲がりそうになる。

 ドクンと心臓が跳ね上がる。

 コンマ一秒に満たず不安が脳を支配する。

 

 ピチャ。

 

 足に粘着いた液体が浸かってしまい、思わずもつれて転びそうになる。

 

 「うわっ!」

 

 危ないとも思い、バランスを取ろう体勢が変わる。

 

 「それはこちらの台詞ですよ、先輩」

 

 僅かな隙を逃さないように嗄れた男の声が掛けてきた。

 

 「なら、早く兄さんになって下さい。そうすればそんな考えもしなくて済みますよ」

 

 二メートルを超える身長の修道服を着飾った狂人がやって来た。

 気配もなく、只、そこにプログラムされて出現したかのような速さで。

 砂嵐みたいなノイズで画面越しの視覚なのか、その存在の維持が不安定なものになっていたけど確かにそこに存在を獲得していた。

 

 姿かたちが、あやふや。

 確定された情報は僕の障害であるということ。

 

 それは、嗤いながらこちらに歩み寄って来る。

 黒い修道服に継ぎ接ぎが出来ては、学園指定の女子の制服に時折見えて。

 嗄れた男の声は、学園のアイドルを自称する彼女の声に近くなっていく。

 

 地面に沈むような感覚が襲う。

 お前は此処で終わりなのだと告げているような錯覚だ。

 

 「どうしてアストラル·コードが修復されてるのか知りませんが、いい加減に疲れました。ハヤクしなければ私は私を維持出来なくなるンです。ですから、今度こそココで終わらせてアゲマス!」

 

 男なのか女なのか、その存在が出鱈目に変化していく男との距離は五メートル行くか行かないかの中距離。

 魔術破戒(タイプ·ソード)の剣先が届く前にエイプが放たれて僕が終わる未来が見える。

 僕には大した戦闘の才能なんかない。

 前回は、相手が油断をしこちらの手札が見えなかっただけの偶然だ。

 ビギナーズラックは期待できない。

 否、元より期待してない。

 いつだって自分はギリギリだったのだ、これぐらいの悪条件で意思を捨てる道理はならない。

 

 そして、何よりも。

 名城さんとの再会を諦める選択など出来る筈もないのだから。

 

 必要ないと決められた、意思を剥奪されつつある僕を自身の限界ギリギリまで諦めないでいた少女を助けたい。

 

 「──ア、アハハハハハハ! そうですか、そうですかい、そうデェエすカ! あの泥棒猫。これが済んだら今度こそスクラップ同然に消去して差し上げますわ! ええ、それはもう、無様に泣き喚くだけなんて致しません。存在していたことを後悔させるようなそんな惨めでグロテスクな最期にしてヤロォじゃあありませんか!!!」

 

 糸が切れた。

 駄々洩れの殺意がこの場を支配した。

 もう取り繕う必要もないのか、それは狂ったように叫んだ。

 

 ──キキキ、キ、キシャアアア!!!

 

 叫びと共に現実化(リアルブート)される影絵の猿(エイプ)

 狭い廊下で展開される無数のそれを対処するには絶望的な戦力差なのは明らかだ。

 走る。

 五メートルの間合いを少しでも詰めるように駆け出す。

 同時に、イメージする。

 自身が持てる最高の魔剣を現実化(リアルブート)しては一閃。

 

 「無駄! 無駄、無駄、無駄無駄無駄ァア!」

 

 影絵の猿(エイプ)の数の増殖は止まらない。

 夥しい数のそれは神父と僕のある種の壁となった。

 圧倒的な物量で押し潰す。

 それは強者が取るには当然の戦法。

 相手の土俵に立つ必要などないのだから当然の権利だ。

 

 「サア、潰れてしまいなさい!」

 

 だが。

 それはこちらが魔術破戒(タイプ·ソード)しか持ち得なかった場合に限る。

 何より、こちら側の状況が見えなくなるというのは何か企むと知っている側には悪手としか言いようがない駄策に過ぎない。

 

 「ふん! 貴方の思惑に乗るのは少し腹立たしいけど流石にこれで何もしなかったら興ざめですもの。感謝ぐらいはしなさいな」

 

 逆行する時間において、戻る時間はランダムに決められる。

 時刻は深夜一時を回る。即ち、夜の一族の活動時刻。

 彼らが最も活躍出来る時間帯。

 能力を最大限活かせる最高のコンディション。

 思えば彼女も僕の味方だった。

 冷めた言い回しだったのも、つれない態度だったのもこの為の布石。

 虎視眈々とこの絶好の機会を狙っていたのは、既にあの時に手を貸してくれたことで分かったのだから。

 

 「──何で、すって?」

 

 吹き飛ぶ影の肉壁。

 衝撃波とか気にせずに駆け出すペースは変えない。

 勢いを殺さず、只、神父の懐に近づくのみ。

 

 「こ、来ないで!」

 

 こちら側に何かを感じたのか。

 神父の状況は未だ優位であるのに関わらず怯えていた。

 まるで戦うということが本来は慣れていないようだった。

 

 でも。

 

 それはこちらには関係ないことだ。

 

 距離二メートルを切る。

 コンマ数秒単位で削られる体力を振り切って全速力でその間合いに達した。

 

 ──が。

 

 「来ないでって、言ってるでしょうがぁあ!!!」

 

 しゃがみこんだ男は叫んだ。

 ガキの悪あがき染みた動作だけどそれはこの場の流れを変えるにはベストタイミングで良策だった。

 耳をつんざく絶叫と共に真っすぐこちらに現実化(リアルブート)された影絵の猿(エイプ)の集合体。

 無数のそれが混ざって完成されたそれを回避するには余りにも距離が近すぎた。

 懐に入る前に此処でそれに捕まってしまったら一巻の終わりだというのに!

 

 絶望的なコンマ一秒の間。

 

 その状況下で聞こえる筈のない青年の声が聞こえた。

 

 「──イイイヤァア!!!」

 

 背後からの咆哮。

 こちらに駆け出してきたそれは、僕を追い越し絶望的なそれに一振りの剣を振るう。

 その勇姿は普段の姿とは打って変わって格好良いものだった。

 

 「る、累!?」

 

 自称騎士、如月累。

 叉は僕の友人。

 

 その彼が此処で僕の為に来てくれたことは予想外。

 それは当然、僕だけじゃなく。

 

 「な、んで!?」

 

 一撃で影絵の猿(エイプ)を消され、呆然とする男。

 画面が切り替わるように姿は完全に神父から見覚えのある少女の姿に変わっていく。

 

 「行っけぇえ! ユーキ!!!」

 

 奇跡を描くみたいな光景だ。

 一分を切るか切らないかの攻防でここまでの奇跡が起こるなど人生であるかないかの幸運の大振る舞いだ。

 

 「ゥウォオオ──」

 

 ありがとう! 愛してるぜ、親友(るい)

 

 一メートルの間合いを通り抜け、数歩の間合いにたどり着く。

 すかさず現実化(リアルブート)された魔剣を解除し、懐から沈黙を決めたそれを出す。

 最後の機会。

 こんなチャンスはこれを逃したらやって来ない!

 

 「──ォラァア!!!」

 

 ぶつける一冊の魔導書。

 お喋りがここまで黙っていられたことはこの絶好の機会を伺っていただけのこと。

 

 ──パリン!

 

 硝子の瓶が砕けるような音が鳴り響く。

 しゃがみこんだ瑞希ちゃんに黒の魔導書(ふじおかあすか)がぶつけただけ。

 それだけで、あの複雑で高度だと言った術式を破戒したのだから、やはり彼女は天才なのだなとも同時に思った。

 

 「な、何で、すって?」

 

 崩れだす瑞希の身体。

 砂嵐のノイズが見えて、その少女の外観が消失へと近づいて。

 再度、現実化(リアルブート)する魔術破戒(タイプ·ソード)を振りぬく。

 

 そうして──。

 

 永遠に近い決戦の幕が下りる。

 勝負を焦りすぎた彼女の敗北と幾多もの奇跡に支えられてきた愚か者の勝利が此処で決まる。

 

 「そんな。そんなのって、ないわ…」

 

 終幕のラッパが鳴る。

 アンコールのない殺し合いに決定的な勝敗が下された。

 

 「う、嘘。嘘嘘嘘、こんなの認めない。認められるものですか!」

 

 塵となる少女の影。

 幻想となる少女の姿に何処か悲壮なものを滲ませて。

 

 「認めない、認めない認めない。こんな結末、認められるものですかぁあ!!!」

 

 死者との再会を夢見た少女の絶叫を最後に舞台は終演を迎えたのだった。

 



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015 まるで魔王に挑む勇者の気分だ

 

 カチ、カチ、カチ。

 時計を見たら、針は午前一時を通り過ぎていた。

 

 カチカチ、カチ。

 

 秒針の音が静寂を破る。

 音が何処から来ているものかは解らないが、兎に角、テンポの良いリズムなのは理解できた。

 

 「──累」

 

 いつの間にか先輩の姿は消えていた。

 神父の最期を見届けたからか、何処かに帰ってしまったのだろう。

 

 そんなことより。

 今は目の前の人物に意識を集中しないといけない。

 

 彼女を思い出させてくれた人。

 騎士に恥じない剣捌きで、またも僕のピンチを助けてくれた。

 そんな友達が立っている。

 

 「愚者七号、積もる話は有るだろうが、今は一刻も真弓の元に行くのが先決ではないかな?」

 

 沈黙を保っていた魔導書から声が掛けられる。

 

 「解ってる。──けど、こればかりは聞いて置かなきゃいけないんだ」

 

 それは、絶対だった。

 どうしようもなくしなくてはならない大切なことだと言っても過言じゃない。

 置き去りにして良いものでは決してない。

 

 「累は僕の友達?」

 

 真夜中の時間。

 先ほどの喧噪が嘘のように静かで、累の顔を見るには月明かりだけではよく見えない。

 

 それでも、この問いは僕が彼を信じる為に必要なことだった。

 

 「当たり前じゃん、ユーキ、何言ってるのさ?」

 

 素っ頓狂な、裏表がない澄んだ声。

 嗚呼、いつも通りで当たり前の彼とのやりとりだ。

 

 「そっか。うん、そうだよね。当たり前のことだったよ」

 

 差し伸べてくる彼の手を握り返す。

 その手のひらは温かく、優しさが溢れるものだった。

 

 「ピンチの時に駆けつけるのが騎士道だって言ってんの、ユーキ、忘れたの?」

 

 ヘヘン、だと胸を張る彼は何処から見てもいつも通りの日常そのものだ。

 向日葵のような陽気な横顔を見ていると安心して力が抜けそうになる。

 

 「ごめん、ごめん」

 

 そんな僕らのやりとりを魔導書は新鮮なものを見る目をしていたが、

 

 「さあ、愚者七号。早くしないと、地下への門が閉じてしまう。そうなると真弓を連れ出すのは困難極まる」

 

 囚われの姫を助けることを呼びかけるのであった。

 

 「うん、累も一緒に行こうよ」

 

 乗りかかった船なんだから良いだろうと呼びかける。

 それに対して彼は、

 

 「勿論さ!」

 

 くるくると剣を回しながら鞘にしまうと、そう返してくれた。

 

 月明かりが眩しい夜。

 さあ、念願の彼女の下を目指そう。

 

 ◇

 

 人は死んだら何処に逝く。

 

 地獄か、天国か。

 それ以外の何処かに逝くかなんて、生きた人間には解らない。

 

 死んだ兄に会いたかった。

 只、それだけだと言うのに願いは叶わなかった。

 後もう少しのところで、邪魔が入ってしまったからだ。

 これもあれも、あの名城真弓の所為だ。

 あんなものを遺すなど、裏切りも程がある……!

 

 悔しさに身を震わせ、虚数の海を私は漂う。

 

 生産性のない輪廻転生。

 ウロボロスの蛇のように、記憶を失くしてはぐるぐると繰り返す。

 そうして、調整を重ねなければ魂は壊れてしまうというのに──。

 

 理不尽を感じる。

 このどうしようもない現実が憎たらしい。

 

 死を逃避先に選んだ愚か者(バグ)がいた。

 簡単に生を諦めるのなら、もう一度諦めても問題ないと思ったのに……。

 だから、それが禁忌と知りながらも手を取ることが出来た。

 

 だが、失敗した。

 これ以上ないほどの権能(チート)を手にして挑んだというのに、私のアクセス権限は抹消されてしまった。

 これでは、この世界で私の目的は達せられない。

 それは、失敗以外の何物でもなかった。

 

 ──そんな時、

 

 「捨てる神あれば拾う神あれってな」

 

 聞き覚えのある少女の声が虚空の海に響き渡った。

 

 「──え?」

 

 声と共に散り散りになった、私のアストラルコードが収束する。

 そうして、消失(ロスト)した筈の私は人型として再構築を果たした。

 

 カチカチカチ。

 運命の歯車は、欠けることなく回り続ける。

 

 ◇

 

 普段使う中庭。

 

 運命のドラムが鳴り響くみたいに、ゴゴゴと音を立ててその門は開かれた。

 まさか昼休憩には絶好の休憩スポットとして人気のその場所には不可解なオブジェが置かれていたがまさかそこが地下へと通じる門となろうとは思わなかった。

 

 「っふぇー、此処があの有名な地下聖堂へ続く扉となってるとは思わなかったよ」

 

 累が知らなかったと呟く。

 

 「まあ、愚者七号が知らないのは無理もない。此処は認識阻害の結界が張られてるんだから滅多に人が寄りつかないんだろうさ。……カレが知らないというのもそこまでの権限が与えられていなかったからか。それとも単純にそこまでの管理が追い付かなかったからか。まあ、考えたところで今のところカレが障害となるリスクは少ないか」

 

 それに対し、ブツブツと何かを呟く魔導書。

 

 白い柱のようなそれが開かれて、地下へと続く階段が僕らの進入を今か今かと口を開けて待っている。

 

 「囚われた王女様には魔王城ってのが王道だけど、この地下聖堂ってのは何とも言えないモノを感じるね」

 

 聖なるモノをつかさどるから聖堂と呼ぶ。

 そんな善性で包まれる世界が異質なものを込められているのだから可笑しな話だ。

 てっきり地下聖堂なんて言うのだから、僕が知らないだけで学園の何処かに教会があるのかと思っていた。

 雅かこんな身近にあるとは予想もしてなかったけど、それでも魔導書が後回しにしていたのもわかる気がした。

 

 だが、それ以上にそこに入ることを禁忌として恐れる自分が何処かにいた。

 きっとその第六感は正しい。

 異質な闇がその口はおぞましいものを抱えているのだから。

 

 「さて、中に入ろう。躊躇していたらそれこそ門が閉じてしまうよ」

 

 魔導書が先を促す。

 まるで魔王に挑む勇者の気分だ。

 



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016 そこは、■■って呼んで下さいよぉ

 

 暗闇を降りる。

 深淵に近いそれは、僕が囚われた底なしの沼を思い浮かべた。

 

 突如、モノクロの光景が目に映る。

 体の自由が利かないのか自分だけが白昼夢でも見ているのか、足は止まらない。

 

 ────「そいつは只のシステムでしかねぇ。庇ったところでテメェに得はねぇえ!」

 

 その光景は、人形のような男と対峙する夢。

 継ぎ接ぎの顔が特徴の、気味悪い紳士面した喪服を男は着ていた。

 ぬいぐるみを連想される白髪が嫌に目立つ。

 その男が誰なのか名前さえ思い出せないのが、自棄に気になる。

 

 ──でも。

 

 能力のない、幸運もない、あるのは愚か者の烙印しか持っちゃいない僕が背中に何かを守ろうとしていた。

 

 ────「テメェは死ぬし、此処でそいつは消す。それがこの場では絶対だし、何よりテメェに拒否権なんて皆無なんだってのをいい加減に解れよぉ……。嗚呼、そうかよ。それがテメェの拠り所ってヤツかい? だったら尚更、此処で消去するっきゃネェエよなぁあ!!!」

 

 紅いルビーの瞳を細め、男は口を歪ませる。

 そして、手に持っていた鈍い色のアタッシュケースを開く。

 嬉しそうに、哀しそうに、呆れるように憤怒するみたいに乱暴に何かを取り出す男の狂気は止まらない。

 

 モザイクが掛かる。

 それに至るにはまだ早いと誰かが訴えるみたいに修正が脳を襲う。

 

 ────「知るか。そんなもの知るか! そんなテメェ勝手なルール知ってたまるかよ!」

 

 後ろに居るはずの守るべき人を思い出せない。

 それが誰なのか忘れた己の不甲斐なさに胸を苛つかせる。

 

 ──カツン。

 

 永い階段を降りきると同時に僕の意識に靄が掛かった。

 

 それを──。

 

 「ちょっと、大丈夫かい、愚者七号! ボクの声が聞こえるなら意思を固めるんだ。そうすればキミの身体はキミの意志のモノとなる! 早く、早く、早くするんだ!」

 

 魔導書が僕を呼び掛ける。

 しかし地が泥になり溺れる感覚が抜けない。

 僕の思考はあやふやとなって、虚数の海に堕ちていく。

 

 「大丈夫だよ。ユーキはちゃんと此処にいるよ」

 

 声がする。

 僕を心配するお節介な友達の声だ。

 その声を聴くと体の底から力が湧いてきて心地が良かった。

 

 「あれ? どうかした、二人とも?」

 

 まだ朦朧とする意識を無理して立ち上がる。

 虚勢を張ってでも、この先に居るであろう名城さんを迎えに行かなければ此処に来た意味がないのだ。

 

 「どうかしたじゃないさ! こっちはいきなりキミが倒れたものだから心配したのだよ……全く。大丈夫かい?」

 

 魔導書がそんな僕に突っ込む。

 

 「大丈夫。まだくらくらするけど、まだ動けるよ」

 

 そして、心配する魔導書に平気だと答える。

 

 「そうかい? まあ、それぐらい虚勢を張れるのなら、もうひと頑張り出来そうだし良しとしよう」

 

 魔導書が僕を気遣う。

 その声色に安堵のモノが感じられた。

 

 「うーん、あそこに居るのナシロちゃんじゃない?」

 

 累が不意に前方のある場所を指さす。

 数メートル離れたところに如何にもな祭壇が目に留まった。

 その祭壇に寝そべった少女。

 鎖に繋がれた訳でもない、只、眠る彼女の姿に思わず安堵してしまう。

 その眠る姿に何処か既視感を覚えながらも、彼女の無事を確かめようと駆け出した。

 

 「名城さん!」

 

 眠る彼女をギュッと強く抱きしめた。

 僕はどれだけ彼女に辛い思いをさせたのかは分からない。

 けれど今は、名城さんが無事でいてくれたことが嬉しかった。

 

 「名城さん、名城さん、名城さん! 良かった。本当に良かったぁ!」

 

 やっと名前を言えた。

 やっと彼女を思い出せた。

 

 それが堪らなく、嬉しくて仕方ない。

 他人から見れば、これは小さなものに過ぎないかもしれない。

 

 けれど、僕が。

 僕自身の意思で、力で勝ち取った結果だった。

 

 それが涙が出るぐらい、誇らしかった。

 

 「う、うぅん」

 

 眠り姫の瞼が開かれる。

 キスしそうなほど顔が近づいていたからか、目が覚めた彼女の顔を見ると頬に熱が篭った。

 

 まるで永い眠りから覚めたような彼女に僕は、

 

 「おかえり、名城さん」

 

 再度、抱きしめるのであった。

 

 「──そこは、真弓って呼んで下さいよぉ」

 

 名城さんが物足りなそうに言うと、頬を膨らませる。

 

 「──え? あ! ご、ごめん!」

 

 そんなことをする名城さんに一瞬呆けてしまったが、直ぐ謝る。

 そうだ、僕は何をしている?

 

 ついさっきまで色んなことがあって忘れてたけど、僕は彼女を泣かせてしまったのだ。

 それを謝らなくちゃならない。

 

 「──あ。いや、その。そうだけど、そうじゃなくって! あの時、君を、名城さんを忘れてしまってごめん!」

 

 彼女の目を見ながら、教室でのことを謝る。

 筋違いかもしれないし、見当違いなことをしてるのかもしれない。

 

 でも、僕は彼女に謝りたかった。

 名城さんを傷つけたのは、僕なのだからそうしたかったのだ。

 

 「────」

 

 そんな僕を名城さんはまじまじと見つめると、口を開いた。

 

 「そう、ですね。私、傷ついちゃいました。傷ついて、傷ついて。勇貴さんに傷物にされちゃいました」

 

 それにどんな想いが込められてるか解らない。

 それにどんな意図があるのか解らない。

 

 「でも、許します。許しちゃいます。その代わりなんですが、私のこと、下の名前で呼んで下さい」

 

 彼女はそう言って、僕を許した。

 向日葵のような笑顔で許したんだ。

 

 ……。

 どうしよう、今、何をすれば良いのか解らない。

 名城さんを下の名前で呼べば良いのだろうか?

 

 それはちょっと、恥ずかしい。

 でも、そうするのが只、なんとなくそのままでいると──。

 

 「いやー、青春だねぇー!」

 

 そんな僕らを累が冷やかした。

 

 「「はい?」」

 

 そんな彼の言葉に僕と名城さんは驚きの声を上げた。

 

 「ありゃ、無自覚? そんな熱烈な抱擁をしてるんだもの、からかってもバチは当たらないっしょ」

 

 何も解ってない僕らを累は指差す。

 そこで自分たちが何してるのか気付いた。

 

 「「──うぇえ!?」」

 

 驚きの余り、勢いよく離れる僕ら。

 そんな僕らを笑う累。

 

 僕と名城さんの顔が真っ赤になる。

 

 「……あ」

 

 そうすると、名城さんが物足りなそうな声を漏らした。

 

 「──ぅうう」

 

 しまった。

 何か、何かしなくちゃ!

 名城さんが喜びそうなことをしなくちゃ、また彼女を泣かせてしまう!

 そう思うと居てもたってもいられなくなり──。

 

 「ま、ままま、真弓さん!」

 

 咄嗟に、下の名前で彼女を呼んだ。

 我ながら意味が解らないものだと思ったが、何となくこの時はそうすれば良いと思ったのだ。

 

 「──っ!」

 

 そんな僕を名城さんは一瞬目を丸くする。

 だがそれも直ぐ笑顔になると、

 

 「……はい、勇貴さん!」

 

 今度は真弓さんの方から抱き付いて来たのだった。

 



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第2章:紅蓮迷宮
000 その声は天まで届かない


 

 大切なことが色褪せるまで日常を繰り返す。

 

 死んだ。

 また■さんが死んだ。

 

 奇跡を求め、大切な何かを犠牲にしてはアタシは繰り返す。

 そんな中、何気無しに鏡を見た。

 

 「──あ」

 

 鏡に映る姿に以前の面影はなく、変わり果てた自分がいた。

 その姿に何の感情も抱けなくなったことにアタシは驚いたものだ。

 『■ト■■=■■■』となって絶望しても、未だアタシは人間らしくあろうとしている。

 それは自分の何もかもを削って生きているアイツと同じだった。

 

 「こんな夜更けにどうしたの?」

 

 優しげな青年の声に振り返ると、銀髪の青年が気だるげに立っていた。

 考え事をしていた為か近付いてきたことに気付かなかった。

 

 「────」

 

 呆然とするアタシを尻目に、テクテクと彼は隣に来ては寝転んだ。

 

 「……」

 

 自分から聞いておいて、それは無いだろうと横目で男を見る。

 誰かになることを望まれた、人の形をした存在。

 アタシよりも人間となのに、意思を持つことを赦されない男だった。

 

 「別に■■(アンタ)には関係ないだろ」

 

 この世界は名前さえ満足に呼べない。

 アタシはそんな世界に固執してでも叶えたい願いがある。

 その気持ちと裏腹に、この日常が続くことを願うアタシは、きっと矛盾している。

 

 「関係なく、ないだろ」

 

 青年はそんなアタシに苛立ちを隠さない。

 心配しているのだろう彼を尻目に、アタシは次の繰り返しへと意識を向ける。

 

 月が眩しい夜、──継接ぎだらけの世界で存在しない者たちが嘆く。

 

 きっとこの先、彼は更に自分を保てなくなるだろう。

 でもアタシは救いたい人を助けるため、アタシはこの世界の権限とやらを手に入れなければならない。

 

 それをする為ならばアタシは何だってやる。

 

 意思が剥奪をされ、無意識の洗脳に気づかず、静かなるディストピアを受け入れる。

 そうでしかアタシたちは生きられない。

 そうしなければ願いには届かない。

 今も尚、暗闇の中を誰かが見つめてる。

 

 カチリ。

 欠けたものが埋まってく。

 

 繰り返す。

 繰り返す。

 また■さんの運命を変えようとアタシは奔走する。

 

 「──あ、ああ、あああ!」

 

 心臓を脈打たせ、脳に血潮が沸く程に走った。

 何をそんなに必死になってるのかは解らないが、今度も報われないのだと諦めている。

 

 駄目だった。

 今度も駄目だった。

 アタシの大切な■さんがまた死んだ。

 

 その未来は変えられない。

 その世界は変えられない。

 何度試そうともそれは覆らなかった。

 目指す先がいつだって、そんな結末に至るのだと知っている。

 諦めろ、と誰かが頭の中で訴える。

 

 もう何度目の繰り返しに飽きが来た。

 もう何度目のやり直しに挑み続ける。

 それでも、アタシは諦めることは出来なかった。

 

 たとえ幻想に過ぎなくても、アタシは■さんの死を認めない。

 

 場面が変わる。

 古い映画のように、途切れ途切れに流される映像のように夢を見る。

 その夢では雨が降っていた。

 その雨に何の意味があるかは解らないけど、それでも何か特別な意味があるのだろう。

 

 ピシャ!

 

 足が何かを弾く。

 雨音にしては粘り気のある音だった。

 

 「嫌! 死なないでよぉ、兄さん!」

 

 雨が降る中、倒れている兄さんを思い切り抱き締める。

 

 「ハハハ。お前でも、そんな顔をするんだな、■■」

 

 アタシの名前がエラーとして認識される。

 空白となって抹消されるのは、この世界の絶対なルールだった。

 

 「するよ! 兄さんが死んだら、アタシ、もっと凄くするんですからね!」

 

 神様、神様。どうか叶うのならば兄さんを殺さないで下さい。

 そう願わずにはいられなかったアタシをお許しください。

 どうか。

 どうか!

 

 それでも、アタシは知っていました。

 アタシは子供じゃないから知っているんです。

 

 「そりゃあ、嫌だなぁ」

 

 困った顔。

 兄さんのそんな顔は見飽きてましたが、それでもアタシはまだ見ていたかった。

 

 「なら、死なないでよ!」

 

 強く揺すりました。

 血塗れになったとしても構わず、強く抱き締めもしました。

 

 「いや、駄目だ。これは、もう助からない」

 

 兄さんは悟った顔をし、いつもの無表情になりました。

 ぶっきらぼうな兄さんによく反発していたのは思い出します。

 

 「──っ、そんなの!」

 

 悔しくて、哀しくて。

 アタシは上手く言葉に出来ません。

 

 「なあ、■■。これで良かったんだ」

 

 そんなアタシに兄さんは最期の言葉を遺すのです。

 

 「どうせ生きていたってオレたち■■には居場所がないんだ。……だったら、オレはお前に殺されて良かったって思うよ」

 

 最期の力を振り絞ってか、アタシの頬に兄さんの手が触れます。

 意地悪な優しさです。

 そんなことをされたら、アタシは何も言えなくなってしまいます。

 

 「ぅうう、あ」

 

 一頻りそうすると、兄さんは安らかに遠い世界へ旅立ちました。

 とてもとても満足げに逝ってしまい、もう感情が抑えることが出来なくなりました。

 

 「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 涙が。

 嗚咽が。

 感情が。

 

 ありとあらゆる想いが抑えられなくなったのです。

 

 これは、遠い昔の出来事。

 叶うはずのない望みを手に入れた瞬間。

 

 ひたすら、アタシは天に向かって泣き叫んだ。

 

 ◇

 

 そこで、アタシは目が覚めた。

 

 チクタク、チクタクと時計が回る。

 朝の陽気さを演出した小鳥のさえずりが気持ち悪かった。

 

 「──ッハ。嫌なもん、見せんじゃねーよ」

 

 先ほどまで居たコントロールルームではなく、自室のベッドにアタシは居る。

 どうやら、アタシは今まで此処で寝ていたということにしたいらしい。

 

 「知るか。アタシはアタシがやりたいことをやるだけだ」

 

 たとえ、そう設定されただけの記憶であろうとアタシは願いを叶えるだけだ。

 

 「朝の六時か」

 

 備え付けられた鏡へ向かう。

 そこには、気だるげな顔をした()()()のアタシが映るだけだった。

 



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001 騒がしい朝

 

 誰の気配もない暗闇に僕は居る。

 

 「またか」

 

 それは、何度も見た夢だった。

 時間が経てばいつか醒めるのなら、何か別のことでも考えていた方が良い。

 そうだ、そうしよう。

 名城さんの名前をどうして忘れてしまったのかとか、結局あの男が何者なのかとか、あの黒い魔導書──、藤岡飛鳥(ふじおかあすか)の目的が何なのかとか。

 

 ズブズブ。

 僕を離さないと言いたげに身体が暗闇に呑まれていく。

 もう何度目のことか、この暗闇に慣れる自分が此処に居た。

 

 「速く覚めないかなー」

 

 だから気づかない。

 この不確かな白昼夢こそが現実なのだと気づかない。

 

 ◇

 

 「ハア、ハア」

 

 夢から醒め、ベッドから起きあがる。

 鳥のさえずりが温かな日差しと共にやってくる。

 こんなにも気持ちいい朝だと、つい二度寝をしてしまいそうになるものだ。

 

 「おはよう。無事に目が覚めたようで安心したよ、愚者七号」

 

 パタパタと頁を耳元ではためかせ、そんなことを誰かが囁く。

 

 「……うん、おはよぉー」

 

 女の子に起こして貰うとか夢だったけど、叶ってしまうとは僕も致し方ないなぁ。

 

 「──ん?」

 

 待て。

 この部屋には僕一人しか居ない筈だ。

 それなのにどうして僕は挨拶なんてしているんだ?

 

 「それはね。魔導書であるこの()()が寝ているキミを起こしに来てあげたのだよ」

 

 いやいや!

 昨日寝る時に魔導書(きみ)は無かった筈だし、部屋には鍵掛けてた筈だよ!?

 

 「そんなものボクのチカラを以てすればちょちょいのちょいさ」

 

 いやいやいやいや!?

 

 「うぇえええ!?」

 

 驚きのあまり、手元に転がる何かを思い切り投げ付ける。

 

 「アイタ!」

 

 魔導書にクリティカルヒット。

 黒の魔導書、藤岡飛鳥はその場に落ちた!

 

 「ぅううう。ちょっとお茶目なジョークじゃないか。その反応は流石のボクでも傷つくぜ」

 

 いや! だから!

 

 「どうやって入って来たんだよぉ!?」

 

 挑発するよう眼前を飛び回る魔導書に対し、僕は声を荒げた。

 

 「フフフ。プライバシーの侵害とかそういう類はキミに無いって話しただろう」

 

 調子に乗る魔導書。

 

 「それとこれとじゃ全然違うんですけど! プライバシー以前に人としての恥じらいというかマナーをですね! って、はぐらかさないでよ!」

 

 「ッハハハ! はぐらかす? 何を言ってるのだ、愚者七号。そいつぁー企業秘密というものだよ。何せそいつをバラしたらこちらは不利になるってものだ。なーに、気にしないことだ。それを気にしたところでキミの現状は何も変わらないし、変えられないのだ」

 

 近い、近い近い近い!

 顔に頁が当たりかけてる!

 

 「有無。それはそうと、愚者七号」

 

 急に魔導書の声のトーンが下がった。

 それに僕は身構える。

 

 「な、なんだよぉ?」

 

 もしや寝起きドッキリじゃなく、何か重大なことを伝えようとしているのか?

 

 「ボクが言うのも何だけど、キミは寝るときいつも下着しか着ないのかい?」

 

 ……。

 

 「やっぱ、出てけぇえええ!!!」

 

 バカなことを言い出した魔導書を僕は部屋から叩き出すことに決めた。

 

 「ま、待ちたまえ! ボクの知的好奇心がこの光景を焼き付けて置かなければならないと、──って、水は止めて! フヤケちゃう! フヤケちゃうから!」

 

 出てけ! この発禁魔導書が!

 

 ◇

 

 部屋に侵入した変態を追い出し、急いで服を着ること数分。

 

 「一応、聞くんだけどさぁ。君の中身って僕とそう変わらない歳なんでしょ?」

 

 「そうとも。キミと変わらない年齢だとも」

 

 それなら思春期を迎えた男の子に配慮して貰いたいものなんだけど……。

 

 「先ほども言ったがそれは有って無いようなモノだよ、愚者七号。実験台であるキミの考えなど常に筒抜けだ。そんなことを考えたとしても、彼女らはそんなことを配慮しないのだ。だからそんなことを悩む必要はない。……まあ、遅かれ速かれボクがキミの半裸を拝むことになるのは間違いなかったのだしね」

 

 いや、真面目に言ってるけど僕は君に半裸なんて見せないよ!

 

 「いけない、いけない。それより今日は重大なことをキミに言いに来たのだった」

 

 また真面目な声色に変わる。

 ……これもマトモな案件じゃなかったら、温厚な僕でも怒るぞ。

 

 「それに関して大丈夫だとも」

 

 途端に小鳥のさえずりが止み、カチカチと秒針が回る音が聞こえる。

 

 「なーに、そう構えなくても大丈夫さ。彼女らは当分の間キミに危害を加えることは出来まい。何せ昨日キミに■■瑞希(みずき)はアストラルコードを破戒されたのだ。キミが持つ魔術破戒(タイプ·ソード)と呼ばれる権能(チート)はこの世界の全ての法則を殺せる力だ。そんなものの一撃を与えられたのだから、相手側もこちらに構う余裕はないだろう」

 

 だとしたら。

 

 「まあ、自由に思考が出来るということは、彼女らにとっては追いつめられた状態と見るべきかもしれないね。一人は表舞台から現実に干渉する手立てを失い、権限(チート)の力を使ってキミへの干渉が出来ない。そして一撃を与えれば確実にアストラルコードを破戒する権能(チート)まで持ち合わせている。そんな現状を打破しようと策を練るだろうさ」

 

 魔導書は矢継ぎ早に喋った。

 その間に小鳥たちのさえずりが無くなり、代わりに時計の針が回る音だけがするだけ。

 

 「キミの焦る気持ちは解る。だが、ね──」

 

 風もなく頁がメクレる。

 

 「あまり彼女らを追い詰めすぎない方が良い。窮鼠猫を噛むということわざがあるように、追い詰められた人間というのは何をするか分からないものだ。……すまない、どうやら話が脱線してしまった。有無、結論から言おう。■■瑞希が持っていた外なる神の力が何処かへ消えた」

 

 外なる神の力?

 

 「この間、キミがボクを使って一時的に影の能力(エイプ)を無力化したじゃないか。その時にある場所に封印しておいたのだが、それが何者かに奪われた」

 

 なん、だと?

 

 「うん。頭の悪いキミでもそれがどういう意味か理解したみたいだね」

 

 つまり僕らの知らない第三者が外なる神の力とやらを手にしたってことか?

 なら、その力を持ち去った相手が少なくとも僕らの敵である可能性もあるじゃないか!

 

 「そうとも。まあ、協力関係を築こうとするならば、我々の誰かに話すだろうし味方である可能性は極めて低いとみるべきだ」

 

 ────「──ほう。人形の次は吸血姫(きゅうけつき)か。これはこれは奇特なものだ。態々、死にに来たのか?」

 

 そこで、不意に神父の言葉が頭を過ぎった。

 僕という存在を知る第三者で思い付くのは、神父が言っていた人形と呼ばれる人物じゃないのか?

 すると、そいつが影絵の猿(エイプ)の能力を持ち去った第三者だと決めても良いような気がする……。

 

 そう思うと言いようのない不安が押し寄せてくるのだった。

 



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002 跳躍

 

 ノイズが走る。

 ■■の■に向かう五人の姿がモニターには映っていた。

 

 「オートマン、無事?」

 

 若い青年が意識を暗闇に呑まれないよう、仲間の安否を確認していた。

 

 「無事だ。テメェらの方もその様子だと大丈夫そうだな」

 

 肌が継ぎ接ぎだらけの男は、そう答えると周囲を見渡す。

 

 「しっかし、よぉ。名城のお嬢ちゃんも災難だわな。魔導の残党に目を付けられるのはこれで七度目だぜ? いい加減、連中の諦めの悪さに怒りを通り越して涙が出ちまいそうだ」

 

 継ぎ接ぎの男、──オートマンの悪態も他の四人は馴れたものなのか、そうだなと頷いた。

 

 「連中の諦めの悪さはコックローチ並みのしぶとさだ」

 

 オートマンに呼び掛けた青年がそんな皮肉を言う。

 そうして雑談を交えながら、五人は階段を下っていくのだった。

 

 カチカチカチ。

 聞こえる筈のない秒針が回る音が響く。

 最後を告げる鐘の音が聞こえる前に事を終わらせなければ、きっと彼らの望みは果たされない。

 

 「……深くなってる」

 

 不意に、燈色(ひいろ)の髪の少女が呟く。

 

 「あ? ──そういや、テメェも魔導魔術師の端くれだったなぁ。そっち方面で何か感じるとこでもあんのか?」

 

 それを見て罰が悪そうにオートマンは頬を掻いた。

 

 「……別に何も感じないわよ」

 

 そんなオートマンの言葉に少女は取り繕う。

 少女が何かを隠してるのか、顔つきが陰鬱なものが見えた。

 

 それを少女の後ろにいた■■瑞希(みずき)は無言で見つめる。

 

 「あーっとよぉ。ウェ■リウス。お前の過去がどうだとかオレ様にしてみればどぉおでも良いことだし、気にも留めちゃいねぇえ。昔のことをほじくり返したところで、浮かばれねぇえのはこの中の誰もが同じだぁ。……けどよぉ、それを持ち越されちまったら幾らオレ様と言えども擁護しきれねぇえ」

 

 そんな少女に向かって、オートマンは言葉を投げ掛ける。

 

 「わかって、るわ」

 

 オートマンの言葉に燈色の髪を靡かせ、少女は先を目指す。

 

 「先を急ぎましょう、アズマ」

 

 黒髪の少女が先を促す。

 

 「ああ、そうだな」

 

 画面の住民は気付かない。

 ある少女の顔が真っ黒になっていることに、誰も気付かなかった。

 

 ◇

 

 「応答せよ。こちら、司令部。応答せよ、オートマン!」

 

 中心に備えられたモニターの映像が二転三転と変わる。

 すると、強かな青年の声が部屋中に響き渡った。

 

 「ふむ。順調かい?」

 

 それらを眺めほくそ笑む何者かに、一人の少女が声を掛けた。

 

 「ああ、今のところは順調そのものだ。あれは、お前に対し何の疑問も持ち合わせていない。これ以上にないほど、愚者を演じている」

 

 眉間に皺を寄せる男が白衣をはためかせ、少女の方へ振り向く。

 

 「そう。それは良かったというものさ。アクセス権を奪われた時は流石のボクも焦ったが、その様子なら心配要らないね」

 

 向き直った男を、少女は焦点の合わない目で見つめる。

 黒い髪を指先で弄り安堵する少女に、男は得体の知れない不気味さを感じていた。

 

 「ふん。貴様に心配されるような事は何もない。……それより、貴様はしばらく此処には来るな。思考誘導しているからと言ってもアレに感づかれると厄介だ」

 

 黒髪の少女と相反する白衣の男には、物事を慎重に行おうとする気概が伺えた。

 

 「へぇ。あれに絶対の自信があるのなら、そんなことを考える必要はないのではないかね?」

 

 華奢な少女は口元を歪ませる。

 

 「──ッハ! 外なる神の力は絶対だ。だが、何事にも例外はあろう。あのお方でさえそれに坑うことは出来なかった。ならば事を慎重に行うのは当然のことだ」

 

 高慢な振る舞いで少女の問いに返事をし、再び男はモニターに向き直る。

 盤上の駒を空想し舞台を動かすその姿は、さながら支配者のようだった。

 

 「そうかい、そうかい。ではボクは戻るとしよう。せいぜい、キミの計画が破綻することを願ってるよ」

 

 制服(ブレザー)のスカートを翻し、少女はコントロールルームから出ていく。

 その姿を男は見送りながら、微かな声で呟く。

 

 「そんなことが起こりうるとすれば、その時は貴様を消去してやるさ」

 

 ◇

 

 「おはよう、ユーキ! ……って何時になく浮かない顔してるね。何か悩み事でもあるのかい?」

 

 魔導書と今後の方針を話しながら部屋を出ると、累がやって来るなりそんなことを聞いてきた。

 

 「おー、おはよう、(るい)。別にそんな大したことじゃないよ。只、昨日はバタバタしただろう? それに関して魔導書と話していたところだよ」

 

 累の質問に慌ててそう言うと、

 

 「んー? それは大変だねー」

 

 適当な反応が返ってくるのだった。

 

 「そ、そうなんだよー」

 

 そんな累に、ハハハと相づちを打つ。

 

 「それにしても、ユーキが魔導書持ってるだなんて珍しいね。そういうの興味ないと思ってたのに」

 

 抱えてる魔導書を不思議そうに累は指差した。

 まあ、普段の僕なら絶対に持たないから疑問に思うのは無理もない。

 

 「あー、そうだね。これには訳があるんだけど、……なーに、ちょっとしたサプライズだよ。ほら、二時間目の講師の爺ちゃん先生の話がさ、ちょっと気になってというか。あー、まあ。そんなところ」

 

 あたふたと誤魔化す僕を怪しげに見つめる累だったが……。

 

 「まあ、詮索はしないであげるよ。何て言ったって僕は騎士だからね!」

 

 そんなことを言って何処か行ってしまった。

 なんか騙すようで心苦しかったが、友達なんだしそういう時もあると思って流すことにした。

 

 「……別に騙してる訳ではないだろう」

 

 罪悪感を抱えてる僕を魔導書が労いの言葉を口にした。

 

 ◇

 

 「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 会いたいよぉ、お兄ちゃん!」

 

 モニターを前に少女──、瑞希は身悶えるように権能(チート)を酷使する。

 

 「絶対に諦めない……! 絶対にお兄ちゃんを取り戻してみせるんだから!」

 

 死者は蘇らない。

 それは絶対のルールであり、たとえ神様であろうとも曲げることが出来ない設定。

 

 だが少女はありとあらゆる手を使ってでも、その禁忌を破ろうとしていた。

 

 ピピピ。

 そこで、電子音が小さく鳴る。

 

 「おい、瑞希。なんか変な警告音が鳴ってるぞ」

 

 それに気付いた■■は、忙しくルール改変を行う瑞希に声を掛ける。

 

 「うぇえ? な、なんなの?」

 

 ■■の言葉に訳が分からないという顔でモニターを確認する瑞希。

 だが、どうやら彼女にとっても想定外のことらしく一瞬で顔つきが険しいものを見る目になる。

 

 「何なのって、そいつはアタシの方が聞きたい。何せアタシはコントロールルームの権限なんてものは持ち合わせちゃいないんだからよ」

 

 ■■は悪態をつく。

 瑞希は、そんな■■を見向きもせずモニターに向かってコードを入力していく。

 

 「可笑しい。こんなことはあり得ない! だって、幻想作成なんてコード権限、誰も持っちゃいない筈よ? そんなこと出来る奴が居るとしたら、そんなの──」

 

 そこで二人は気づく。

 幾ら思考の制限が設けられている世界といっても有る程度の考察は出来る故に──。

 

 「外なる神が復活したってところか」

 

 少女たちの身体が沼に堕ちていく。

 底なしの沼に向かって、意識が不安定となる。

 

 ■■のアストラルコードが赦された世界へと戻っていく。

 

 ……。

 …………。

 

 意味もなく場面が変わる。

 ランダムに変わる。

 変わる。

 変わる。

 変わる。

 

 そうして、誰も彼も暗闇に堕ちていく。

 

 「キャハハハ! キャハハハ! サイッコーじゃねぇえか! 本っ当、嗤えますなぁあ!」

 

 喪服みたいな黒いスーツの女が嗤う。

 

 真っ赤な髪の女は美しく、特にシャツからはみ出す豊満な胸元が男を誑かす。

 それを助長させる肉付きの足腰は、ナイスバディなスタイルと呼んでも過言ではない。

 

 「まあ、それもこれもぜーんぶ、テメェが仕組んだこと。つまり自業自得というヤツなんだけどよー。それでもコイツぁ、よく出来てんなぁって関心しちまうぜぇ」

 

 唾が飛びそうなほど女は、早口を捲し立てる。

 

 「あー、笑った。心の底から笑ったのは久々だぜぇ。……良いぜ! そうと決まればアタクシちゃんもお仕事してやろぉうじゃねぇえか!」

 

 すると、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべた。

 ……きっと女の中では、この現状が面白いものとしか映ってないのであろう。

 

 人の絶望を嘲るのが好きな神様。

 それが、この悪女の正体だった。

 

 「おいおい、そいつをテメェ様が言いますかってーの! そんなのテメェ様だって同じだろぉう?」

 

 場面が切り替わる。

 

 固有魔術:心理情景。

 展開術識の解析完了を確認。

 アストラル粒子、変換完了を確認。

 アストラルコード、変質完了を受諾。

 記憶の抹消をエラーコードと断定、情報の改竄をバグとして固定完了。

 次なる■へ跳躍します。

 

 物語は続く。

 空白(ノイズ)となった名を求め、私は今日も手を差し伸べる。

 

 今はまだ届かなくとも、この手を彼が握ってくれることを信じて。

 



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003 お前に殺されて良かったって思うよ

 

 雨が降る。

 詩的な言い回しじゃない、文字通りの雨が降ってる。

 偽りの世界には、雨という概念は別になくて良い。

 だというのに、雨が降っている。

 その雨に何の意味があるかはアタシには解らない。

 理解したいとも思わないけど、それでも何らかの意味があるのだろうと思った。

 

 ピシャ!

 

 何かを弾く。

 雨音にしては何処か変な音。

 

 「嫌だよ! 死ぬんじゃ、ねぇよ」

 

 男勝りの口調は悪い神様が掛けた呪い。

 

 雨が降る中でもアタシはそれをすることを止めなかった。

 止めようとも思わないけど。

 

 「ハハハ。お前でも、そんな顔をするんだな、  」

 

 アタシの名前がエラーとして認識される。

 空白となって抹消されることで、この回想が無意味なものでないと悟る。

 

 「するよ! 兄さんが死んだら、アタシ、もっとスゲーするんだからな!」

 

 神様、神様、どうか叶うのならば兄を死なせないで下さい。

 そう願わずにはいられなかったアタシをお許しください。

 どうか。

 どうか!

 

 それでも、神様は悪い神様なのでその願いは叶えられませんでした。

 知ってます。

 アタシは子供でないのだから知っているんです。

 

 「そりゃあ、嫌だなぁ」

 

 困った顔。

 兄のそんな顔は見飽きてましたが、それでもアタシはまだ見ていたいのです。

 

 「なら、死なないでよ!」

 

 強く揺すります。

 強く抱きしめます。

 血で汚れたって知るものですかってヤツだ。

 

 「いやぁ、これは駄目だ。これは、もう助からない」

 

 悟った顔をする兄はいつもの無表情に戻ります。

 ぶっきらぼうな、そんな兄によく反発していたのは思い出です。

 

 「――――っそんなの!」

 

 悔しくて、哀しくて。

 アタシは言葉に詰まってしまって。

 

 「なあ、  。これで良かったんだ」

 

 そんなアタシを窘めるように兄はこんな最期の言葉を遺すのです。

 

 「生きていたって居場所がないんだ。だからオレはお前に殺されて良かったって思うよ」

 

 最期の力を振り絞ってか、アタシの頬に兄の手が触れます。

 それは、とても優しい兄でした。

 同時に意地の悪い兄でした。

 だって、そんなことをされたら、アタシはそれで良かったんだって思ってしまうのですから。

 

 「ぅうあ」

 

 安らかの顔をして兄は遠い世界へ旅立ちました。

 とてもとても満足げに逝ってしまっては、もう言葉が出なくなりました。

 

 「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 涙が。嗚咽が。感情が。

 ありとあらゆる想いが抑えられなくなったのです。

 

 これは、夢。

 出来の悪い悪夢。

 遠い昔の記憶。

 

 嗚呼、本当に叶うはずのない望みを手に入れた瞬間でした。

 

 そこでアタシの意識は目が覚めた。

 チクタク、チクタク時計が回る音。

 小鳥の囀りは朝の陽気さを演出していて気持ちが悪かった。

 

 「――――ッハ。嫌なもん、見せんじゃねーよ」

 

 先ほどまで居たコントロールルームではなく、自室のベッドから身を起こす。

 どうやら、アタシは今まで寝ていたということにしたいらしい。

 

 「知るか。アタシはアタシがやりたいことをやるだけだ」

 

 たとえ、この記憶がそう設定されただけの記憶であろうとアタシは願いを叶えるだけ。

 失われたモノを取り戻すだけなのだから。

 

 「今は、午前六時か」

 

 さて、今はどうなってることやら。

 

 部屋に備え付けられた鏡に向かう。

 そこに映るのは、いつも通りの気だるげな顔をしたいつものアタシが映るだけだった。

 

 ◇

 

 朝食を食べようと思い食堂へと急ぐ。

 扉越しでも我先に食事にありつこうと絶え間ない喧噪が聞こえた。

 それに対し、胸がムカムカとしてくるが、自分もそんな一員になるのだと意を決してドアを開けた。

 

 「さーて、本日のメニューは何かなー?」

 

 アハハと笑いながら食堂を一目さんに駆けていく親友。

 どうやら親友と言えども食事上には慈悲がないらしい。

 いつものことながら、清々しいまでの切り替えの早さだ。

 

 「この様子じゃ、席が取れるか怪しそうだ」

 

 ガヤガヤと騒がしい食堂。

 昨日までの空気が嘘のようで、狐に化かされたような感覚だった。

 

 「ほーう。活気が良いね。とてもじゃないが、静かな食事には出来なさそうだ」

 

 ボクっ子気取る魔導書がなんか筋違いなことを言い出してる気がするが敢えて放っておこう。

 

 「いや、その思考もこっちには漏れているのだけどね」

 

 そうだった。

 こいつ、エスパーだったよな。

 

 「正確にはエスパーでもないのだけれど。

  ――――まあ、キミに説明するのも億劫だしそういうことにしておくことにしよう。

  それより、キミも早く食事を注文しなくても良いのかい?

  早くしないと、一限に間に合わなくなると思うけど」

 

 そうだった。

 こんな阿保なこと考えてる場合じゃなかった。

 

 「そんなところで突っ立って何してんだよ、七瀬?」

 

 おはようと付け足す少し男勝りな少女の声。

 

 「おっと、天音、おはよう。なーに、これからこの戦場に躍り出るのだから身構えておこうと思って、ちょっと気合入れてたとこ」

 

 やる気パワー注入ってヤツだよ。

 

 「はあ? ……阿保やってないでつっかえてんだ、早く行けよ」

 

 ん?

 

 思わず振り返ると、そこには苦笑した数名の生徒が列を作ってた。

 

 「ありゃま? 気づかなかったよ、ごめん」

 

 礼を言って券売機に向かう。

 

 しっかし、気配がしなかった。

 まさかじゃないけど、みんなステルス機能でも付いてんじゃないのと思わずにはいられなかったのは此処だけの話。

 

 さて、今日はパンの気分なんだ。

 ステーキなんて朝っぱらから食べようとは思わないけど、偶には衣がサクッと揚げられたジューシーなカツサンドを選ぼう。

 

 スタスタとその場を後にした。

 

 

 「……強ち、間違いじゃないんだけどな」

 

 ボソリと天音が何かを呟いたような気がした。

 

 ◇

 

 いざ、カツサンド!

 意を決して千円札を入れて食券を頼もうしたら、売り切れだった。

 

 「な、何なんだよぉ。これが、人間のやることかよ! あんまりだぁあ!」

 

 軽く絶望。ファッキュー、飢えた亡者共め!

 十分の列を並び、空腹との闘いの為に札を握りしめていた僕になんたる仕打ちだと、ぐぬぬと口を噛む。

 

 悔しくなんてないんだからね!

 

 負けた気分で隣のエビカツサンドを注文する。

 

 「まあ、そんなところだろうと思ったよ。しっかし、愚者七号は付いてないね」

 

 愉快そうに、プギャーと指さしてそうなこの古本が陽気に喋りだした。

 どうやら、この魔導書の声は周りの人たちには聞こえないらしい。

 

 「うるさいやい。良いんだよ、エビカツが買えたんだから」

 

 謎理論。

 超絶ヒモ理論とでもいう謎の言い訳で魔導書を小突く。

 

 「や、止めたまえ。八つ当たりは、よくないというものだ」

 

 頼んだエビカツサンドは美味しく頂きましたとさ。

 めでたしめでたし。

 

 「じゃないよ!」

 

 一人突っ込みする僕を誰も咎める者は居なかったとさ。

 

 

 



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004 正規ルートへ

 ジジジジジ! ジジジジジ!

 

 モザイク、切り替え。

 砂嵐、雑音、ノイズ変更。

 電波配信、希望観測。

 選択事象、静かなるディストピア。

 

 ガガガ! ガガガ!

 

 繰り返すこと、数十回。

 巻き戻すこと、幾度。

 

 忘却せよ、忘却せよ。

 

 雪が降る。雨が降る。曇りのち晴れ、時々絶望。

 

 ザーザー、土砂降り。

 ノイズが混じって意味不明。

 

 「日常を再開しましょう。おままごとはきっと楽しいでしょう」

 

 繰り返せ、繰り返せ。

 無限の螺旋を進ませて、彼と私の物語を読みふける。

 

 ――――「ふざけるんじゃない! 僕たちは生きている。生きてるんだ! 何で、アンタらの都合で死ななきゃいけない!」

 

 ずっと大切な人。私のヒーロー。

 記憶ない貴方。

 名前が違う誰か。

 

 どんなに焦がれても、遠ざかってしまう関係。

 

 もう嫌だ、もう嫌だ。

 永遠に交わることがないって知っている。

 

 終わりを望め、その死を認めれば誰も救われる。

 

 終演を見たくて仕方のない神様はみんなを騙すので信用がありません。

 

 ザーザー、雨が止まりません。

 夢が終わらない。

 私は死なない。

 それが一番のハッピーエンドだと誰かは笑いました。

 

 

 

 

 「真弓さん!」

 

 誰かに抱きしめられる。

 名前を呼ばれながら、抱きしめられるのは何時ぶりのことだったか覚えてない。

 

 意識がブレる。

 視界は相変わらず、モザイク染みて正直、起き上がるのが大変だ。

 

 「真弓さん、真弓さん、真弓さん! 良かった。本当に良かったぁ!」

 

 でも、彼が喜ぶ顔が見たくて、目を覚ますことにした。

 起きていても嫌なことだらけかもしれない。

 けれど、私を救ったヒーローの安堵した顔を見るのはとてもいい薬だ。

 

 「う、うぅん」

 

 吐息が漏れる。

 私の身体に熱が灯るのを感じながら、彼の姿を見つめる。

 

 銀のブロンドが月明かりを帯びて、幻想的に見える髪。

 澄んだ青の瞳は、海に近いモノで見つめられていると心が癒される。

 

 「おかえり、真弓さん」

 

 ギュッと抱きしめられる。

 心地が良い。

 再び呼ばれることがないと思っていた私の名前。

 その名前で呼ばれると嬉しいような、でもちょっとだけ哀しいような気持ちになった。

 

 でも、やっぱり私を思い出してくれたことが嬉しくて。

 

 「はい、ただいまです。勇貴さん」

 

 本当の名前は空白となってしまうので借り物の名前で我慢します。

 

 これでも我慢強いのですよ、私。

 

 

 

 ドクン。ドクン。

 心臓が鼓動を上げる。

 ドクン。ドクン。

 鼓動が響く中、それの姿を見つけた。

 

 ザー、ザー。

 

 誰もそれに気づかない。

 にっこりと嗤う女の姿を誰も見つけられない。

 

 「良いザマですわぁ、良いザマでしょう」

 

 殺し合い、奪い合い、みんな楽しく死になさい。

 そんなことばかりが大好きな神様。

 

 コントロールルームに居もしない幻影がひっそりと嗤っていたのは秘密だ。

 

 ◇

 

 エビカツサンドを食べ終わり、食堂を後にする。

 いつも通りの生活。

 いつも通りに何も知らない平和。

 

 神父との激動の跡形もなく、嘘のように何もなかった。

 

 「昨日の出来事が嘘のようだ」

 

 確かに殺し合ったのに。

 僕らが残したものが存在していたという事実すらもなくなっている。

 

 「そんなものだよ、愚者七号。外なる神はこの世界の認識すらも変えてしまう程の力を持っているんだ。だから、その力が何者かに持ち去られたという現状がどういうものなのかがこれで分かっただろう?」

 

 食事をしていても誰も瑞希ちゃんの話題も出さない。

 聞いてもそんな女子のことなど知らないとさえ言う始末。

 まるで、瑞希ちゃんという存在自体が消滅していたかのようだった。

 

 「さて、となるとこれからどうするかを考えると――――」

 

 魔導書が続けざまに何かを喋ろうとすると、そこで真弓さんが声を掛けてきた。

 

 「おはようございます、勇貴さん。今日はいつになく絶好の記憶探し日和ですね!」

 

 「うん、おはよう。そうだね、それも重要だけど、実は真弓さん、聞いてくれ。

  どうやら、外なる神の力が何者かに持ち去られたらしいんだ」

 

 キラキラと眩しい笑みを浮かべる彼女。

 何故だか、彼女を見ると焦っていた自分の心が落ち着いてくる。

 

 「そうなのですか?」

 

 「そうだとも、真弓。キミがこれから幾ら探そうともそれがあの場から持ち出されているのは数時間前にボクが確かめた。だから、確実さ」

 

 「――――そうですか。貴方が仰るのなら、それはそうなのでしょうね」

 

 魔導書が肯定する。

 

「何だい、真弓? 何か引っかかる言い方だね?」

 

 だが、真弓さんは何処か訝しげだ。

 

 「ええ。だって、そうでしょう。たった一日。たった一日であの厳重なロックを突破するなんて果たして可能なんでしょうか? 魔術防壁だけなら兎も角、外なる神の力を利用してでの認識操作に干渉するだなんてそれこそ容易な話ではない筈です。

  ……考えたくない話ですが、あの場に居たであろう人物の誰かが外なる神の力に何らかの細工をしたと考えても仕方ないでしょう?」

 

 疑心暗鬼になる空気。

 

 「フム。その通りだとも。そして、そんなことが出来るのは、ボクかキミの二択だね」

 

 亀裂が走る。

 仲が良かったとは言わないが、それでも互いが互いを疑う状況になっている。

 

 「そこまで言えるのなら、この質問に答えて下さいよ」

 

 ドクンと心臓が跳ねる。

 蛇に睨まれた蛙の気分を味わった。

 だって、本当にそう思えるぐらい彼女は鋭い目つきで僕を睨んでいたのだから。

 

 「貴方は誰?」

 

 僕の方を見てそう聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドボン!

 

 水底に突き落とされる音。

 服が水を吸って重たくなって身体の自由が徐々に利かなくなっていく。

 

 モゴモゴと息が泡となって吐き出される。

 

 どんなに足掻いても、暗い底に引きずり込まれる感覚は恐怖という感情を呼び覚ませる。

 

 手を伸ばしても救いは来ない。

 

 数秒にして永遠の瀬戸際だが、それも後数秒でカウントがゼロになる。

 

 ボコボコと泡が小さくなっていっては、落とされた人間の溺死が確定したのだった。

 

 人が死ぬ瞬間とは呆気ないモノだ。

 一度しかない死の立ち会いに慎重になれと言いたい。

 

 「ハァイ、カット」

 

 映画監督はそこでリテイクを要求する。

 

 つまり、役者が選択を誤ったということだ。

 映像にするには何かがダメだとダメだしをしたというのが正しいのかもしれない。

 

 あー、何だ。それは、つまり、こういうことだ。

 

 ピー、ガガガ。ピー、ガガガ!

 

 「駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ! 全然、面白くない! つまらない! 駄目だ、駄目だ! こんなのは全然、面白くないよ! やり直しを要求するよ!」

 

 ポップコーンが散乱するよ、客人がブーブー文句を言い出す始末。

 金を返せとヤジを飛ばす始末だ。

 

 つまらない、つまらない。つまらないなら、死んでおけ。

 地の文にまで罵倒されるとは、何て始末だ。

 

 「さて、何処から戻すべきか考えなければいけないなぁ」

 

 繰り返す。何度だって繰り返す。

 つまらない世界を繰り返す。

 

 エタろうが、それは続けられるのならエターナル。

 つまり、永遠だ。

 なら、それは終わりのない物語としての停滞を受け入れることだろう。

 

 神様は願いました。

 自分の人生もこれぐらい、やり直しが出来たら良かったのにと。

 

 リセット。リセット。

 何処までもリセットして一章の何処かに分岐するのだ。

 

 カチ、カチ、カチ。

 物語が書き変わる。

 秒をやめて、時間がオカシく変わってしまう。

 認識が、認識が、今がなくなる。

 

 「  さん、手を、●ばし、て!」

 

 世界がそこで途切れました。

 

 ◇

 

 切り抜き、切り抜き。

 

 ジョキジョキ、――――ジョッキン!

 切り抜いたら張り付けて、そこから開始。

 

 ◇

 

 「これ、飛鳥ちゃんが君に渡しておいてって頼まれたの」

 

 突然、先輩がそんなことを言って僕に黒い箱を渡してきた。

 

 「え?」

 

 真弓さんがいなくなった。

 というより、さっきまで廊下にいた筈なのに何で僕は森にいるんだ?

 

 「じゃあ、確かに渡したから。今度は上手くやるんだよ」

 

 リテイク先輩はそう言うと、森の奥底に行ってしまう。

 

 「え? いや、ちょっ、待って!?」

 

 慌てて後を追おうとも、そこにはもう先輩の姿は消えていた。

 完全に森に取り残されてしまい、僕は呆気にとられてしまうばかりだった。

 



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005 ズレた世界

 

 森に取り残された僕。

 熊さんにでも出会ってしまわないか不安です。

 

 どういうことだ?

 

 「えーと、此処は森か?」

 

 虫の鳴き声、鳥の鳴き声、木々が風に靡き葉っぱが擦れる音。

 

 「うーん。……まさに、大樹海! 山賊王に僕はなる!」

 

 虫の鳴き声、鳥の鳴き声、木々が風に靡き葉っぱが擦れる音。

 

 「何やってんだろー、僕ー」

 

 言っててなんだけど、顔が真っ赤になっていく。

 恥ずかしい。

 羞恥のあまりになんだか悶えて来た。

 

 「いや、本当にさっきからお前、何やってんだ?」

 

 突然、背後から声がかけられる。

 

 「うおっ!!!」

 

 ドテン!

 バナナの皮に滑って転ぶみたいに思い切り尻餅をついた。

 

 「ビックリしたぁ…」

 

 尻餅をついた体勢から首だけを後ろに向く。

 

 「えーっと。……何時から見てた?」

 

 怪訝そうな顔をした火鳥がそこにいた。

 

 「バカ面したオメェが、リテイク先輩と森に入ってくとこからかなー」

 

 それって今の恥ずかしいやり取り全部見てたってことだよね!?

 穴があったら入りたい気分だよぉ!!!

 

 

 

 

 

 

 「んで? お前、本当に何してんの? もしかしてさっき何かリテイク先輩から手渡されてたモノが何かの呪いのアイテムだったとかそういう類のもん貰ったのか? だとしたらバッチィから生徒会長とかにでも押しつけとけよ。嬉嬉としてそいつを持ってリテイク先輩に喧嘩売りに行くだろうからよ」

 

 他人事のように笑う火鳥。

 毒づいた彼を相手にするのはなかなかに面倒くさい。

 

 「い、いや、別に良いよ。それより、ごめん。実は帰り道が解んなくなっちゃってさ。良かったら教えてくれない?」

 

 今がどういう状況下は解らないが、自分が知っている場所さえも帰れなくなっている現状に彼が来てくれたことは正に渡りに船だ。

 

 「んあ? アア、良いぜ。お前のバカさ加減も見れたことだしな」

 

 はいはい。

 

 「ありがとー」

 

 心の親友に感謝する。

 

 「明日、学食お前の奢りな!」

 

 前言撤回。どうやら、彼は心の親友ではない只の金の亡者だったらしい。

 ちくせう!

 

 ◇

 

 森を抜けたら、そこにはいつもの中庭が見えた。

 大きな鉄の柱、それを中心にするかのように幾つモノ柱がグニャグニャと交わって建てられたオブジェが有った。

 魔法陣とか、そこはかとなく描かれている、魔術的な意味合いでは意味があるのだろうそれは、一般ピーポーな僕にはちんぷんかんぷんでいまいち何がしたいか解らない。

 

 「いつ見ても、これが何の用途で此処に建てられたのか解んないよねー」

 

 気づくとそんなことをボヤく。

 でも何故だか、自然とそんな言葉が出てくるのだから不思議だ。

 

 「オレも専門ではないから詳しいことはよく解らんが、名前だけは知ってるぜ」

 

 先導していた火鳥が立ち止まっていた僕を見かねてなのか、そんなことを言い出した。

 

 「へぇ。なんて名前なの?」

 

 何やら自信満々だったので聞いてみることにした。

 

 「お? 珍しいな。お前がそんなことに興味持つだなんてよー」

 

 ケラケラと笑いながらも彼は言葉を続ける。

 

 「『交信の杖』って魔導魔術カジってる連中は言ってたな。何を呼び寄せるだとかは別に興味もなかったんで聞いてなかったが、それだけは流石のオレも覚えてらー。そーいや、一時期、あれを建てる為に多くの生徒の命が犠牲になったとも噂されてたっけ。まあ、オレは真偽は知らねーけど、ゴシップ好きのヤツらが騒ぎ立ててた鬱陶しかったな」

 

 人間嫌いで他者と関わることが好きでない彼でもそのオブジェの名前は有名らしい。

 僕自身も今まで興味もなかったから、その手の話題は聞かないようにしていたが、聞いた途端、何故か妙な胸騒ぎがして仕方がなかった。

 

 ――――キミは一度失った大切な存在に会えるとしたら手を出してみたいと思わないかい?

 

 心の何処かが引っかかる。

 何か、大事なモノを見落としてるような感覚がした。

 

 「そう、なんだ」

 

 かろうじて、そんな言葉を言えた自分を褒めてやりたい。

 

 「ありがとう、助かったよ。明日はちょっと控えめなメニューで頼むね」

 

 これ以上、この場にいるのも何となく気が引けたので此処で火鳥と別れることにした。

 手に持った購買で買ったであろうパンの詰め合わせの中から、適当に一つ見繕っては手渡す。

 

 「そいつぁ、お前の態度次第だなー」

 

 あいよ、と返事をする火鳥。

 

 二人して、アハハハと笑い合った。

 

 僕は知らなかった。

 全てが出来すぎてることに何の疑問も持たなかったのだ。

 

 ◇

 

 始業のチャイムが鳴り響く。

 

 ……どうしてか解らないが、どうやらリテイク先輩から黒い箱を貰った日に時間遡行をしたみたいだ。

 

 みたいだという表現を使ったのは、火鳥と別れてから他の生徒に話を聞き回ったことで今日が何日の何時なのかを知れたことが大きかった。

 

 それが分かった僕は、取り合えず教室に戻って前回と同じように授業に出席することにした。

 

 「どういうことだ? 何で、僕にそんな超能力が備わってるんだ? 今まで無かった筈なのに、どうして?」

 

 混乱してボソリとそんなことを呟いてしまう。

 いかん、いかん。少し整理しよう。

 

 先ず、真弓さんを助けてから二日後の朝に何故か僕に疑いを掛けてきたのは、どうしてか。

 推測は立てれるが、どれも決定的なモノにはなれないので飛ばそう。

 

 黒い箱をあの魔導書が名乗った名前の人物、藤岡飛鳥がリテイク先輩経由で僕に渡したのは何故か。

 僕に渡して彼女に何のメリットがあるのか解らんのでこれも飛ばそう。

 

 黒い箱を貰ってからの五日間に瑞希ちゃん(?)が僕を(理由は解らないが)襲ってきたという記憶がある。

 さっきまで体験したことが白昼夢とは思えないほどリアルに感じた。

 これに関しては僕の主観的意見な為、現実に起こったことかどうかの判別が難しい。

 

 そして何より。

 

 「藤岡飛鳥が無くなってる?」

 

 そう、何故だか持っていた黒の魔導書が無くなってる。

 

 これがどういう意味か分からない。

 だが、もしかしたらヤバい状況なのかもしれない。

 

 あの魔導書が無かったら、後、二日後に来るであろう瑞希ちゃんを倒せない。

 つまり詰むということだ。

 

 「うおぉお! もしかしなくてもヤバい状況じゃないかー!」

 

 考えたらあまりに状況のヤバさに思わず頭を抱えてしまう。

 

 「どうしたのかね、七瀬くん。授業中ですぞ、静かにしたまえ」

 

 禿の黒スーツ先生が黒板に何やら落書きジミタ記号を書き記していると、そんな僕を見かねて注意した。

 

 「す、すみません」

 

 授業中だというのに声を荒げてしまった僕はその事実に気づくと素直に謝罪した。

 

 「よろしい。授業は真面目に受けるように。君はなんて言ったって、あのお方に選ばれた人間なのだからもっとよく頑張って授業に取り組むように。それでは、授業を再開する」

 

 そう言うと、先生は落書きを描くのを再開した。

 

 ん?

 何か可笑しくないか?

 

 あのお方って誰?

 というか、選ばれたって何に?

 

 そのことに誰も疑問を持ってるようなこともなく授業は進められていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝶が舞う。

 何処かの砂漠で砂嵐が起こるように僕と世界の認識がズレていく。

 

 「キャハハハ! キャハハハ! 本当に嗤える野郎だこと!」

 

 誰かが僕を嘲うのに気づけない。

 



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006 これだけは信じて下さい

 

 奇跡を描くみたいな光景を見た。

 

 そいつは、圧倒的なまでに不利な状況下で自分という存在を取り戻すことに成功した。

 多くのモノの助けがあったからと言えども、その状況をひっくり返すことは不可能だと思った。

 

 ジジジ。ジジジジジジ。

 

 諦めた。

 諦めた諦めた諦めた。

 

 生きることを一度諦めて逃げ出した人生だと言うのに、それでも彼はもう一度生きてみたいと言っていた。

 その言ったことさえも忘れていることだろう。

 

 記憶を消費してまでも彼はチカラを得た。

 

 それは途方もない時間で、限りあるモノを奪われてなされた成果だ。

 

 造られた幻想である自分がいる。

 同じ幻想である筈なのに、自分を得ようとした奴もいる。

 

 頑張った、頑張った頑張った。

 そいつらは頑張ったけど、それももうお終い。

 

 叶わない夢を追っても結局は現実は冷めたものだ。

 

 神様は書き続ける。

 どうにもならない現実を突きつけて、希望を持つことの無意味さを語る。

 

 救われない、救われない。オレたちは一生、この閉ざされた世界の中で生き続ける。

 意思も何もかもこの世界では何の役にも立たない。

 そんなことは、常識だ。

 

 燃える世界。

 灰になるまでそれは立ち上がる。

 

 「自分の意志で生きたい。それが僕の願い。僕自身の願いだ」

 

 何度でも彼は立ち上がる。

 無意味だと言われ続けても、愚かにも前へ進む。

 

 お前の意志など簡単に弄られる。

 感情など不要、願いを持つことさえ役に立つことはない。

 

 決定的なまでに幻想が出来ることは限られているのだから。

 

 「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! このままなんか嫌だ! 自分の足で立ってる! 自分の意志を持つことが出来る! 僕は自分の力で生きたいんだ!」

 

 それがたとえ叶わぬ願いだとしても彼は言い続ける。

 自身の滅びだとしても、彼は世界に抗い続けることだろう。

 

 そんな無意味で、無価値なことをして何が楽しいのか分からない。

 

 大人しく誰かの意志で動いた方が楽だと言うのに、それでも愚かな彼は剣を取って神様に対峙する。

 

 「だから、絶対譲らないぞ! お前らなんかにくれてやるものか!」

 

 そう叫び剣を振るう累の姿をオレは遠巻きに見ていた。

 

 ザザザ。ザー、ザー。

 画面にノイズが入って視界が上手く機能しない。

 世界はこんなにも当たり前に残酷だ。

 そんな世界にオレは生きている。

 生きるなんて言えるかどうか怪しいが、それでも徒労を重ねるよりはずっとマシな生き方だとオレは思ってる。

 

 ジジジ。ジジジジジ!

 

 電波が乱れました。世界に亀裂が入りました。

 進め進め、チクタク、チクタク。

 時は止まってるのに、時間だけは無常に進んでいる。

 

 カチカチカチはカタカタカタ。

 カタカタカタはカチカチカチ。

 

 描かれます。綴られます。

 運命、宿命、物語。

 乱雑不快、意味不明。

 

 跳躍。

 固有魔術、心理情景。

 展開術識、解析。

 アストラル粒子、変換。

 アストラルコード、変質開始。

 記憶維持、百パーセント完了。

 存在定義、曖昧化推奨。

 

 何処かで少女が暗闇の世界から侵入する。

 同じように諦めれば良いモノなのに、彼女もまた神に抗う選択を選ぶ。

 

 愚かだ、愚かだ、愚かだ。

 誰でもない自分の口からもそんな戯言が吐き出された気がした。

 

 ◇

 

 キンコン、カンコーン。

 

 放課後を告げるチャイム。

 規則正しくいつも通りに時間を伝えるそれを聞いて、前回と同じように夕刻の廊下を歩く。

 隣には、勿論、真弓さんがいる。

 どうしてか、彼女と会うのは怖かったけど、それでもそんなことで彼女に会わないという選択をするのは何故だかしてはいけないと思った。

 

 「どうして僕みたいな奴に構うのさ?」

 

 あの時の焼きまわし。

 真弓さんも同じように記憶を引き継いでいるのかとかも何だか聞くのに躊躇してしまい、聞けなかった。

 

 「さあ、どうしてでしょうね」

 

 僕の問いに肯定も否定もしない曖昧な対応。

 先を行く彼女の顔は見えない。

 

 「――――嗚呼、でも」

 

 同じ言葉。変わらない僕と彼女。

 

 「勇貴さんが思ってる程、私、そんないい人間じゃないですから。誰からも愛される事もなく、誰からも嫌われる。そんな私にとって勇貴さんは、希望みたいなものなんです」

 

 希望。

 もし彼女の時も止まったままであるならば、その言葉はどういう意味で伝えたのだろうか。

 普段の僕を見ても、彼女が希望だなんて思えるほど高尚なことをしていない。

 それは、僕が一番知っているし、理解してる。

 そんな片手間で考えれるだけで欠点ばかりが出てくる、優柔不断な僕を希望と彼女は言っている。

 

 「だからかも知れませんね」

 

 そう言いながら、アハハと笑う姿は年相応な少女のモノだ。

 

 「そんな事ないよ」

 

 だって、こんなにも可愛い。

 僕が思い出せる彼女は、誰かに嫌われるような人間には思えない。

 

 「君が笑う姿は可愛いし。君が拗ねるところも可愛い。どこから見ても君は普通の女の子だ。そんな君を僕はとてもじゃないが嫌うなんて出来ないよ」

 

 あの時もそう思ったし、今もそれは変わらない。

 

 「だから、もっと笑って欲しい。そんなに可愛い顔をしてるんだ、勿体無いよ」

 

 何だか言っていて、恥ずかしくなってく来た。

 きっと僕の顔は真っ赤になっているに違いない。

 

 今更思うけど、これじゃあまるで僕が彼女のことを好きなんだって告白してるみたいだ。

 

 「――――真っ赤ですね」

 

 何がとは言わない。

 けれど、こんな時間がとても良い。

 

 夕焼けがとても綺麗で、彼女の微笑んでるだろう顔が逆光で見えなかった。

 

 ◇

 

 「そういえば、昼休みにさ。リテイク先輩からこんなもの貰ったんだよね」

 

 懐から黒い箱を取り出す。

 前回、真弓さんにはコイツの正体が何なのか聞いてなかったな。

 

 「――――それは」

 

 真弓さんが立ち止まる。

 歩きながらだから見辛いからかは分からない。

 だけど、それ以上に何か見てはいけないモノを見てしまった顔をしている。

 

 先ほどまでの緩い空気がなくなった。

 

 「みんな、分かんないって言うんだけどさ。もしかしたら、コイツが何なのか、真弓さんは知ってたりする?」

 

 触れてはいけないモノだったのか。

 それとも何かもっと大事なことなのかは分からない。

 

 「『ダーレスの黒箱』」

 

 笑っていた顔が無表情に切り替わる。

 

 「魔導魔術師、ダーレス・クラフトが疑似的仮想空間上での記憶維持を目的に構成したとされる魔導魔術。外なる神への交信の際に構築された術式であり、静かなるディストピアを打破する手段だった筈です。……もしかしたら、勇貴さん、瑞希さんを倒されましたか?」

 

 ドクン。

 心臓が跳ねる。鼓動のドラムがロックを演じてるのか、速くなるのを感じた。

 

 「どう、して?」

 

 冷めていく思考回路。

 震える手。

 もしかしたら、これは悪手だったのかもしれない。

 

 それぐらいに何故だか、してはいけないことをした気分になってしまって。

 

 「勇貴さん。私は貴方の味方です。信じて貰えるかどうか分かりません。

  何を言ってるんだと思うかもしれません。

  ですが、これだけは信じて下さい。私は、貴方の味方です」

 

 いつの間にか手に温もりを感じた。

 固まった僕を真弓さんが握っているのが分かった。

 思考が停止するみたいで、何故だかその場を逃げ出したくなる衝動が襲ってくる。

 

 此処に居たら駄目だ。話を聞くことはいけないことだ。

 もう戻れない。何も知らない愚者でいられることが出来なくなる。

 

 「怖いですか、勇貴さん?」

 

 ジジジ。ジジジジジジ。

 雑音が耳に響く。不安が押し寄せる。

 グワングワンと自分をこの場に引きはがそうと誰かが囁いて来る。

 底なし沼に身体が浸かっているような感覚が支配する。

 

 「私も。私も、怖いです」

 

 返事を待たずに彼女が言う。

 

 「怖くて怖くてたまらないです。貴方に知られることが何よりも恐ろしくて、このまま何も言わない方が良いのではないかと思ってしまいます」

 

 だって、彼女も怖くて仕方ないって言ってる。

 僕を希望だと言った人が悲し気な顔をして手を握り続けてくれている。

 

 「でも、それじゃあ駄目なんです。それじゃあ、前に進めない。私が好きになった人が消えてしまう。そんなのは私には耐えられない」

 

 鼓動が速くなる。

 脈を打つそれが速くなるにつれて、目の前の少女が怖くないのだと理解していく。

 

 ザザザ。

 

 「ぅう、あ」

 

 後ろに下がろうとする。

 でも後ろに下がることは出来ない。

 こんなにも真剣に自分を想ってくれる存在を前にそれは許せない。

 

 吸って、吸って、吐いて。

 大きく深呼吸して整えて。

 

 逃げ出したくなる衝動を押さえつけて。

 

 「信じ、る。信じるよ。だか、ら。教えて欲しい」

 

 握っていた手を握り返した。

 それは、小さなことだったと思う。

 何でもない行動の一つに過ぎないのだ。

 

 けれど、確かに自分の力で進んだ一歩だった。

 

 「はい!」

 

 逆光のない彼女の微笑みが尊いもので見えた。

 

 日が落ちる。

 夕方はいつの間にか終え、夜へと世界が変わった。

 



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007 とある愚かな少女たちの話をすることにしましょうか

 

 日が落ちて、夜になる。

 虫の鳴き声が響き、いつの間にか居た学生たちの気配が何処にもない。

 

 風の吹く音が鼓膜を振るわせるぐらいの静寂が僕と彼女を包み込む。

 

 「さて、教えると言ったものの何処から話したら良いものか解りませんねぇ」

 

 まるで、栗鼠が首を傾げるような仕草でどうしましょうと聞いてくる。

 

 「では、とある愚かな少女たちの話をすることにしましょうか」

 

 数秒、考え込んだかと思うと彼女は徐に語りだしました。

 

 「三人の少女と男がいました。少女たちは男と仲が良かったのですが、ある時、男が死んでしまったのです。少女たちは悲しみました。死んでしまった人をとても大切にしていた少女たちは男との再会を夢見ました。けれど、それは叶いません。その夢は叶えられるには無理なものだったのです」

 

 やがて、彼女は昔話を語るように話してる。

 

 「少女たちは考えました。どうしても一度、会いたいと願いました。少女たちの一人が夢の中でなら死んだ魂を呼び寄せて再会する魔術を考えつきました。他の二人の少女もその考えに賛同しました。けれど、どうやっても死んだ人の魂を夢の中に呼び寄せることが叶いませんでした」

 

 三人の少女。

 その内の一人は、何となく解った。

 彼女は頑なにそれを貫いていたのだから。

 

 「試行錯誤してると、一人の少女は思いついたのです。死んだ人間の魂を呼び寄せることが出来ないのなら、生きた人間の魂を呼び寄せて変えてしまえば良いのではないか。その考えに言い出しっぺの少女は反対しましたが、他の二人の少女はそれを無視して願いました。そして多くの生きた人間の魂を夢の世界へ招き入れたのです」

 

 ――――それでも、キミは一度失った大切な存在に会えるとしたら手を出してみたいと思わないのかい?

 

 二人の少女は人道よりも願いを優先した。

 その先にある未来なんてものよりも、もしもの可能性が上がるのならばその代償は安いモノだと思ったのだ。

 

 「それでも、少女たちの願いは叶えられませんでした。何故なら、その世界において世界に生きる人間として存在が固定されているというルールによって阻まれたのです」

 

 ジジジ。

 泣いてる誰かの幻影が見えた。

 朧げにはっきりと見えないその幻影の表情が分からなかった。

 

 「ですが、少女たちは諦めませんでした。少女たちは考えました。考えて、考えて考えて。……少女たちは自分が生きる世界の人間の魂が弄れないのならば他の世界から生きた人間の魂を弄れば良いのではないかと思ったのです」

 

 夜風が冷たく、闇が濃くなる。

 月明かりが僕と真弓さんの二人を照らす。

 先ほど見えた幻影は見えない。

 その幻影は只の幻で、僕にしか見えない幻だった。

 

 「この世界の人間の魂は二種類に分けられます。一つはこの世界から生まれた人間の魂。その魂は輪廻転生のルールに正しく則って存在している。だから世界からルール、つまるところ概念によって魂の情報が守られてるのです。その一方でもう一つの魂には、その概念による魂の防衛は働かないのです」

 

 上手く彼女の顔が見えなくなった。

 また怯えているからか。

 覚悟を決めて、腹をくくった筈なのにそれでも聞いてはいけないと本能が訴えているのか。

 

 それは、僕にはわからない。

 

 だが、この話は最後まで聞かなければ僕は次に進むことが叶わないとさえ思ってる。

 

 「この世界には稀に、他の世界の輪廻転生から免れてはみ出した人間の魂が迷い込むことがあるのです。それは何万何億といった確率で存在する稀少な人間。それが『転生者』と呼ばれる概念が働かない魂です」

 

 ――――精神より上の概念情報である魂がその存在を単一のものとして構成させている。この魂を構成する情報をアストラルコードと僕ら魔術師は呼んでいるのさ。

 

 似ているようで、はぐらかされた言葉。

 堅苦しい、難しい言葉で誤魔化した説明ではなかったそれに、僕は漸く理解した。

 

 黒の魔導書、藤岡飛鳥をどうして名前で呼ばなかったのかも分かった。

 説明してるようで説明していない、正しい思考をさせてるようでさせてないのだと直感で感じていたのだ。

 

 パズルがハマっていく。思考が少しずつ出来るようになっていく。

 こうして一人で考えることが出来る現状を誰が支えていたのかが、何となく見えてきた。

 

 「この学園で生活し始めた記憶がないのか。それ以前の記憶が思い出せないのはどうしてか。特別でない貴方がこの魔術学園に滞在し続けることが許されるのか。それは、他ならぬ貴方こそがその転生者であるが故なのです」

 

 ジジジジジジ。

 

 ノイズの幻聴。

 気配もなくそれが身体を縛り付ける。

 全身を不快感が覆い、この夢の真実を覆い被せようとする。

 

 この世界は夢の世界。

 誰かが見続ける、現実でない仮想世界。

 

 思わず彼女から自分の手の平へ視線を外す。

 別の世界の輪廻転生から外れた魂。

 それが、どういう存在なのかは考えれば考えるほど、最悪な想像が出来た。

 

 ――――初めから期待されちゃいない貴方は、漸く、その生きる人生に意味を持たせられるんです。

 

 一度、死んだと何処かで自分自身を自覚したことがある。

 その時はその場の状況で深く考えることがなかった。

 

 それを踏まえて、誰かが言ったであろう言葉が脳裏をかすめてく。

 

 思考がクリアになる。

 何処かで考えていた、自分が何者でどうして此処にいるのかが漸く誰かの言葉としてそれを理解する。

 普通ならば当たり前に出来るそれが、当たり前に出来てなかった。

 

 「死者を蘇らせることよりも、死者を模範した同一の何かを造り上げようとした少女たちは今も尚、諦めることが叶わない。この世界のあらましはそんなところです。そして、貴方が置かれた状況の説明でもあります。貴方は自分がしている行動で何処か不自然なことがありませんでしたか?」

 

 不自然なこと。

 普通ではない、普通だと思って見過ごしていたこと。

 

 「そう、例えば、今やろうとしていたことが実はもうやっていたなんてことになっていたとか。不自然なまでに時間が経過していたとか。あまりにも他人と自分の価値観が変わっていたとか。そういう類の違和感です」

 

 ある。

 授業中に何故か寝てしまっていて、気づいたら次の日の授業で終わっていたこと。

 そしてやってもいないことがやっていたことになっていた。

 

 ザー、ザー。

 ノイズの幻聴が酷くなる。

 見ていた手の平が、突然、モザイクが掛かる。

 

 「っうわ!」

 

 尻もちをついては転んでしまう。

 けれど、構わず、先ほどモザイクが見えた手の平を見る。

 

 そこには、モザイクなんて見えない自分の手の平が見えるだけだった。

 

 「勇貴さん。いいえ、  さん」

 

 呼びかける声。

 僕の名前を呼んでいるのに、続いて呼びかけた名前に空白が出来て僕の耳には聞こえない。

 

 「取り合えず、話はここまでにしましょう。どうやら、あまり話してしまうと外なる神が貴方を壊してしまいます。先ほど、体に何らかの異常が起きたのがその証拠です」

 

 遠い目の真弓さん。

 彼女はきっと、僕が知らない真実を知っている。

 でも、それを知るには今の僕には出来ないらしい。

 

 ザー、ザー!

 ノイズの幻聴が決壊する。

 

 

 「ダーレスの黒箱を探しなさい、勇貴さん」

 

 

 誰かの声が遠くなる。

 自分が立っているのか、座っているのかあやふやとなって。

 

 何を見ているのか空を見上げてた。

 何かが罅割れた夜空。

 子供の落書きに近い、クレパスで描かれたようなチープな月がある。

 星の一つも見えない、そんな不気味な現象が起きてた。

 

 忘れろ、忘れろ、忘れろ。

 

 脳が必要な情報体を削除しようとして、意識が遠くなる。

 

 夢がユメで現実が夢となって自分の認識を犯してきた。

 

 「貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破戒するしかないのです」

 

 砂嵐、雑音、幻聴が遠くなるのを感じながら。

 ゆっくりと視界がフェードアウトしていき、

 

 「大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。私のヒーローなんですから」

 

 反転する。

 ズブズブとなって地に埋まっていく自分を幻視しながら意識がそこで途絶えた。

 

 ◇

 

 上を見れば、子供の落書きのような空となっていた。

 幻想的で美しい筈の景色は、描写すること放棄しだした様子を見ると外なる神が干渉してきたことを悟る。

 

 「諦めません。何度だって、私は諦めませんよ」

 

 自分の手の平を見る。

 モザイクだらけで削除対象だと言わんばかりだ。

 

 「  さん()は絶対に立ち上がるんです」

 

 いつか見たユメを想う。

 願ったのは生きていたら当たり前に出来ることばかりだが、それが何処か誇らしいと感じる自分がいる。

 

 此処に、名城真弓は此処に居ます。

 たとえ、その魂が別物となろうとも私は此処に居続けます。

 

 ピー、ガガガ! ピーガガガ!

 

 警告音が鳴りやまない。

 彼が覚えていることを願いながら、自身のアストラルコードの崩壊を他人事のように扱った。

 

 「夢は覚めるものなんです」

 

 自我が欠けていく。身体が透き通って、アストラルコードが解けていく。

 リソースが失われていくのを、震える身体をギュッと抱いてしまう。

 

 月がこんなにも眩しい。

 星のない空を見上げながら私はそんなことを思った。

 

 





 次回の更新は8月17日の午前8時から午後13時を予定しております。


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008 夜の探索

 「大丈夫、大丈夫。コイツはそーいうのしないから」

 

 ガヤガヤと騒ぎ立てる生徒たち。

 安らぎのない日常の一幕。

 見たくもなかった、昔の自分。

 

 「そうそう! だーかーらー、こうするのは正しいんだよぉお!」

 

 地に伏せていたら腹を蹴られる。

 頭がくらくらしてるのか、意識がはっきりしない。

 痛い。

 

 「ぐぅえ!」

 

 ボコボコと毎日、何所かを殴られ蹴られ身体が痛くて仕方ない。

 

 「ギャハハハ! ぐぅえ、だって! 口をパクパクさせてやんの、金魚かってーの!」

 

 ゲラゲラ、ゲラゲラ。

 誰も庇ってなんかくれない。

 誰も助けてなんかくれない。

 

 このイジメは彼らのご機嫌次第で終わるのだ。

 

 「おいおい、止めてやれよー。イテェんだってさ、このグズ言ってるよー」

 

 首根っこを掴まれて強要される返事。

 何処にでもあるような陰湿な風景がそこにはあった。

 

 男子生徒たちは笑い合う。

 僕のそんな心情が可笑しいのか汚い嗤いで騒ぎ合うのがどうやら彼らの趣味らしい。

 

 二度と見たくもない記憶がそこにはあった。

 

 

 視界が歪む。見たくないモノに蓋をする。

 回る、回る。グルグル回れ。

 

 ぐにゃぐにゃとした映像がノイズを交えて再生を中断する。

 

 終われ、終われ、終われ。

 誰でもない誰かの幻聴が耳に残って。

 

 未だ、覚めることのない胡蝶の夢に溺れて目が覚める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザー、ザー。

 ノイズが遠くなっては、そこで気がつく。

 渡り廊下にいた筈なのに、散乱した自分の部屋にいる。

 

 さっきまで、真弓さんと話していたというのに彼女が近くにはいなかった。

 

 「何なんだよ」

 

 思わず口がでる。

 無性に腹が立ってしまい、近くにあった椅子を蹴ってしまう。

 

 「……何なんだよぉ」

 

 八つ当たりに近い暴力を受けては、椅子が音を立てて転がり出す。

 

 蹴ったところが痛かった。

 この現実は夢の世界だと言われ、自分がこの世界の人間でないと知り、今見た光景に反吐が出てしまう。

 痛覚がある。

 けれど、それさえも夢の世界なのだと理解出来てしまうことが何よりも辛かった。

 

 「今、何時だろう?」

 

 部屋に備え付けられた時計を見ると、時刻は八時を指している。

 今が何日なのかが解らない。

 日付を確かめようと思ったら、誰かに聞くぐらいしか確かめる方法がない。

 そう言えば、自分もこの世界の多くの人たちもスマホなどの通信機器を持ち合わせちゃいなかったなと不憫さを痛感した。

 

 「どうしよう」

 

 正確な日時を確かめる術がない。

 昼間ならば周囲の人間にそれとなく聞けば良いのだが、時計の針は八時を指しているのだ。

 部屋の窓を見たところ、空は明るくはない。

 従って午後八時なのだろうと推測が立てられたのだった。

 

 「うん、迷ってても仕方ないや。外に出てみよう」

 

 情報を求めるために夜の学園を探索するのも悪くない筈だ。

 僕はそう決めると、ドアを開ける。

 

 ギィッと音を立てて軋むドアを尻目に先を目指す。

 部屋から出る。

 たったそれだけのことだが、大したことも出来ない僕にとっては野犬一匹を相手するのも死活問題だ。

 

 カツン、カツン。

 

 まだ午後八時だというのに、何故だか廊下には人の気配がない。

 まるで真夜中の静寂が辺りを包んでる。

 虫の鳴き声さえ響かない雰囲気に何かとてつもない不穏さを感じた。

 

 「まだ、八時だよね?」

 

 誰かに話が聞ければ幸いだと思ったのに、これでは無駄足だったかなと少し後悔した。

 

 カツン、カツン。

 

 本来は八時という時刻は飯時が終わり、学生たちが風呂やら何やらでもう少し人が居ても可笑しくない時間帯。

 考えもなしに廊下を歩いては、普段と違う不気味さに不安が隠せない。

 

 「可笑しい」

 

 一通り先へ進んでから、その異常さに立ち止まる。

 ドアを開けてから何となく気づいていた違和感がここにきてピークに達した。

 

 「人が一人もいないなんてあり得ないでしょ」

 

 ビュー、ビューと冷たい夜風が吹く。

 ガタガタと廊下の窓が軋む。

 

 無音の世界に僕は意を決して外へ出たことを後悔した。

 

 「戻ろう」

 

 そう独り言を言い、踵を返そうとしてそれはやって来た。

 

 「――――キキキ! キキキキキィ!!!」

 

 何処かで耳にした奇声。

 倒した筈だと、心のどこかで油断していたのは事実だ。

 

 時間が巻き戻ったのではないかと一番に疑っていたのは僕自身の筈なのに。

 

 それは、やって来た。

 気配もなく、愚かな僕を仕留めに来たのだろう。

 

 極上の獲物。

 この場で仕留めてしまえば、後は邪魔な僕の記憶とその原因の『ダーレスの黒箱』を回収すれば良い。

 

 恐る恐る、奇声が発声した方へ首を回して向く。

 

 だが、想像していた影ではないモノがそこには居た。

 

 「キキキ、キキキキィ!」

 

 どの器官から発声させているか分からない。

 それが普段、小さい個体として認知されているだけで実は発声する器官というものを持ち合わせていたのかもしれない。

 でも、本来はそれが、数センチにも満たない大きさをしていた生物だったと知覚している。

 

 呆然とする僕をニタニタと嗤うように、奇声を上げ続けるそいつの姿に驚きを隠せない。

 

 よくファンタジーでこういう大きさのモンスターと戦うことがあるなと思っていても、実際、それに遭遇したら目を丸くするに決まっている。

 

 「蜘蛛?」

 

 廊下に備え付けられた電灯がまだ点いていたから、それの姿を目視することが出来た。

 もし点いていなかったら、暗がりで見過ごしていたかもしれないという事実にゾッとせずにはいられない。

 

 「キキキキキッシャアアア!!!」

 

 赤ん坊ほどの大きさの、血を浴びたような真っ赤な蜘蛛が一匹、廊下の壁に張り付いていたのだ。

 

 「う、うわわわぁあ!!!」

 

 その蜘蛛から一目散に逃げる。

 嫌な予感がした。

 ゾクリと誰かに舐めまわされているかのような悪寒もした。

 

 逃げ出す僕。

 けれど、その判断は間違いだった。

 

 カサカサ、カサカサ!

 

 そんな蜘蛛の這う音が聞こえて。

 耳を劈くような奇声が夜の校舎の廊下に響き渡った。

 

 目的もなく歩いていたから、いつの間にか校舎の廊下に来たバカな自分に憤りを感じながらも蜘蛛から走って逃げる。

 

 カサカサカサ! カサカサカサ!

 

 大きい蜘蛛と表現しておきながら、自分の体格を上回る訳じゃないのならそこまで恐怖することじゃなくないかと思うだろうが、大して心構えもしていない状態でそれに向かい合ってみると良い。

 そんな考えは一瞬もしないから。

 

 そんなことを思いながら逃げていると、思いっきり転んでしまった。

 

 「ぐわぁ!」

 

 ドテンとか、バタンとかそんな衝撃が身体を襲う。

 足に何かが巻き付いて離さなかった。

 目を向ける。

 よく足元を凝らして見ると、粘々とした糸が絡みついてることに気づく。

 

 ――――キキキ、キキキキキキ!

 

 周囲を見渡す。

 

 「うわぁ」

 

 いつの間にか僕を囲う追ってきた蜘蛛と同じ無数の蜘蛛たちが居る。

 ワラワラと犇めくそいつらは獲物を物色するように口元に涎を垂らしている。

 

 数匹の蜘蛛が綺麗な放物線を描き、飛びだして。

 

 ガブリ。

 

 体中のいたるところに噛みつく蜘蛛。

 やっぱり、こいつら肉食だったんだなと場違いなこと感想を抱きながら、噛まれた部位を元に言いようのない激痛が身体を襲った。

 

 ガブリガブリ。

 

 数秒もたたずして僕の体中を蜘蛛が食い荒らす。

 当然、視界は一気に真っ黒になっては意識がフェードアウトしていった。

 

 「ザマァねーなぁ! ワッラエルわー!」

 

 最期に、耳を劈く名前も知らない女の罵声が聞こえたのだった。

 

 チクタク、チクタク。

 逆さまに時計の針が回りだす。

 




 
 次回の更新は8月18日の午前8時から午後12時に予定しております。


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009 差し伸べられた手


 今日の午前8時から午後12時に更新すると言った手前、投稿が遅くなってしまい申し訳ございません!
 それでは、どうぞお楽しみ下さい。



 

 ワラワラ、赤ん坊ぐらいの大きさの蜘蛛に埋もれる僕。

 グチャグチャ、ムシャムシャしてゴックンされる僕の身体。

 その血肉を食べて、蜘蛛たちは奇声を上げた。

 

 「キキキィイ! キキキキキキキィイイイイ!!!」

 

 止めどなく押し寄せる食欲に身を任せ、蜘蛛の怪物は獲物を骨の髄まで頂いた。

 

 「ザマァねーなぁ! ワッラエルわー!」

 

 聞いたことのない女の嗤い声。

 

 そこで途絶える僕の意識。

 

 ――――ダーレスの黒箱を探しなさい、勇貴さん。

 

 しなくてはならないことが頭の中に木霊してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これ、飛鳥ちゃんが君に渡しておいてって頼まれたの」

 

 ――――ッハ!?

 

 気がつくと、リテイク先輩からダーレスの黒箱を貰っていた。

 手のひらに収まるほどの蓋が開けられない箱を凝視する。

 その中に入っているであろう何かも解らない。

 それが与える恩恵によって、今のところは助かりもしてる。

 これから先の未来、それが僕を苦しめるモノになるかもしれないことが恐ろしくなった。

 

 そこまで考えていると、不意に先ほどまで体験していたことが頭の中に甦る。

 

 死んだ。死んだ。

 今度ははっきりと自分が殺された。

 

 

 「ぅう、あ?」

 

 無数の蜘蛛に体中を齧られ死ぬ。

 その事実に鳥肌が立って気持ち悪い。

 

 ダーレスの黒箱を手に呆然と突っ立てる僕をリテイク先輩は目を丸くして見つめてる。

 

 生きてる?

 僕、生きてる?

 

 あまりの恐怖に身を震わせ、思わず自分の身体を抱きしめる。

 

 「あー。兎に角、ちゃんと渡したから。まあ、頑張って」

 

 リテイク先輩がそんなことを言って、森の奥に立ち去る。

 僕の心配をする素振りも見せない。

 寧ろ、関わり合うの避けるような態度だった。

 

 へなへなと、腰が抜けて座り込む。

 そうしていると、何だかやるせなさで頭がいっぱいになった。

 

 まるで、そんな僕の姿を嘲り嗤うかのように森の奥底から鳥たちの囀りが聞こえた。

 

 カチカチカチ、そんな幻聴も聞こえてきそうな一度目の死に戻りであった。

 

 ◇

 

 ザー、ザーとノイズが掛かり電波が入り組む。

 それは、彼が知らない出来事。

 それは、彼女も知らない夢の記憶。

 

 「ウェサリウス、それは本当なんだろうな?」

 

 眼鏡の少女。

 存在自体が偽物の彼女は、オレンジの髪の少女に問いかけます。

 

 「勿論。お約束しますわ」

 

 簡潔にその問いに答える様子に何の動揺も見せない姿は、魔女を連想されるほどに妖しく見えた。

 

 大樹のように伸びた鉄の柱を中心に六つの細い柱がグニャグニャと歪み交わった魔導兵器。

 それが無ければ、アタシは生まれなかった。

 これが無ければ、そもそもこの夢の世界は創れなかった。

 

 「私が外なる神を取り込んだ彼女を誘導する。そして貴女は今からお渡します秘策で誘導された彼女から『ダーレスの黒箱』の『強奪』の疑似粒子を回収して頂きたいのですわ。そうして頂けましたら、後は私が貴女のお兄さんのアストラルコードを『創造』し適当な下位幻想に定着させて差し上げますわ」

 

 童話に出てくるような真っ黒いローブから少女は何かを取り出して渡します。

 手のひらサイズの羽の生えた人間。

 目元が安っぽい緑のジュエリーの色をしており、汚い葉っぱのようなグリーンの毛だった髪。

 特に装飾のない純白のワンピースがその可憐さを引き立たせていた。

 キャッキャッと人懐っこく、陽気な少女の笑い声を出すイタズラ好きの妖精がアタシの手のひらにやってきました。

 

 「コイツが?」

 

 渡された一匹の妖精が自由にアタシの周りを飛び回ります。

 妖精らしい陽気さで、だからこそ、魔女の言う秘策というイメージには合わなかった。

 

 「ええ。それは、『欺瞞』の妖精(コード)。怠惰を司る『ダーレスの黒箱』による権能(チート)ですわ。モノがモノなだけに胡散臭く見えるでしょうけど、大丈夫。それの能力は保証致しますわね」

 

 飛び回る妖精はやがて、その行為に飽きたのかアタシの肩にちょこんと座るように腰を落とした。

 精霊の一種なのか、それはあまりにも軽く感じてしまい拍子抜けだった。

 そうして肩に座り込んだその『欺瞞』の妖精(コード)は目元を拭いながら、欠伸をした。

 その様子は、まるで誰かの手のひらで踊るに疲れた道化役者ジミていて何処か気味が悪かった。

 

 「最早、彼女は外なる神に逆に取り込まれようとしている。殺すには惜しい駒ですわ。私たちは、彼との再会を約束した仲なんですもの。そのまま意志を剥奪されるのなら、利用出来るところまでは利用するまでなのですから」

 

 夕刻が夜の始まりを告げようとしていた。

 魔女は悦んだ貌で空を見上げるものだから、アタシもそれに習うように見上げた。

 

 ◇

 

 「こうしていても始まらないか」

 

 もし僕が死に戻りをしているという仮定を前提にするのであれば、きっと彼は今も僕を心配して着いてきてる。

 

 「なあ、もしかして火鳥、近くに居るの!?」

 

 近くで見ているだろう火鳥を大きな声で呼びかけた。

 

 「あん? お前、何でオレが此処に居るって解ったんだよ?」

 

 驚いた火鳥が直ぐ近くの茂みからこっちに近づいてきた。

 

 「それは――――」

 

 正直に答えるかどうか、一瞬、考える。

 もし、火鳥も僕が知らないこの世界の真実とやらを知っていて、それを伝えたら真弓さんと同じように自分の身に何かが起きてしまったらどうしよう?

 

 そう思ったら、本当のことを言うのは止めておこうと躊躇った。

 

 「――――只の感さ」

 

 その時の火鳥の表情はこっちからは茂みに隠れてて見えなかった。

 

 「ハ? また、珍しいな、そんな感がお前さんに働くとはよ。いつも地雷に足を突っ込みに行くぐらい察しが悪いのによぉ」

 

 ハハハと乾いた笑いをしながら、駆け寄ってくる。

 良かった、いつも通りの火鳥だ。

 

 「――――おい、さっきリテイク先輩に何言われたか知らねーけどよ。多分、あの人も悪気があって言った訳じゃねーと思うぜ。あんま気にすんな」

 

 僕の姿を見た火鳥は何かを悟ったように気遣ってきた。

 

 「――――気にするも何も、これと言って何か言われたりしてないよ……。どうしたの?」

 

 「どうしたのも何も、お前、自分の顔がどうなってるのか解ってんの?」

 

 不機嫌そうに喋る火鳥。

 

 「どうなってるも何もどうもしちゃいないよ?」

 

 少しでも虚勢を。

 僕は自分の抱えてる現状をこれ以上、最悪なモノにしたくはなかった。

 何故か、彼には相談したくないなと思えてきた。

 

 「顔、真っ青だぞ」

 

 解らない。

 顔が真っ青になってるから何だって言うんだ。

 体調が優れなくなる時とか人間にはあるだろう?

 

 「あのな、勇貴。オレは人間が嫌いだ」

 

 黙って見ていた火鳥が不意に口を開いた。

 突然、何を言っているんだという自分語りを始めた。

 

 それは、いきなりで何したいんだって思えたけど、悪い気はしなかった。

 

 「誰かから聞いてるかもしれないが、オレはちょいと特殊な魔術の家系でよ。ある特殊な条件で自分の身体を炎に変える能力を持ってんだ」

 

 遠い目をした火鳥。

 それは、何を思い出してなのかは解らない。

 記憶のない僕にしてみれば、その過去を思い返すという行為が羨ましくも思う。

 

 「条件さえ当てはまっていれば、燃え尽きなければそれこそ不死身の身体だ。そりゃあ、他の魔術師のヤツラからしてみれば喉から手が出るほど欲しい能力だ」

 

 人間の醜さを知ってる。人間の愚かさを知っている。

 人間が人間に行う度を超した悪逆を知っている。

 

 「中には何でお前なんかがそんなご大層な能力を持っているんだ、と言いがかりをつけては妬むヤツらがオレを虐めて来たよ。毎日のように暴力を振るわれたし、オレの使ったモノは片っ端から壊されて親に怒られたことも有る。両親はそんな虐められているオレのことを一族の恥さらしだなんて邪険に扱う始末さ。オレはさ、世界には苦しむオレを嘲う連中しか存在しないんだって思っちまってたんだぜ」

 

 幼少期にそんな経験をしたのだろうか。

 それとも、それは今も続いてるのだろうか。

 もし、この夢の世界の中でもそれが続いてるのだとすれば――――。

 

 「だからオレは誰も信用なんてしなかった。善意な振りしてオレを虐げるヤツも居たから。でも、そんな暗い日々を生きてる時にある日、ヒョイとバカがやって来たんだ」

 

 懐かしむような顔。

 もしかしたら、今、こうして誰かと笑っていられるのも、そのバカな人のお陰かもしれない。

 

 「そいつはよ、誇りある騎士がどうたらこうたらと宣いながら、虐められているオレを助けたんだよ。後から理由を聞いても、誇りある騎士がーの一点張りで、そいつがオレを助けたのも騎士道がどうとかの訳の解らないことの一点張りだ」

 

 ん? 騎士?

 

 「……言っとくけど、累じゃないぞ。累よりももっと騎士バカだ」

 

 「え? あー、そうなんだ」

 

 累のような人も居たのは驚きだ。

 

 「――――まあ、累のヤツもそいつに憧れてたのは事実だがな。……って、そんな話はどうでも良いんだ。話が脱線しちまったけどよ、つまり、世の中にはそんな善意の塊みたいな連中もいるってことなんだわ」

 

 火鳥は自前の赤髪を搔きながら、手を差し出してはこう言った。

 

 「え?」

 

 その差し伸べられた手を見つめる。

 

 「つまりなー。あー、ックソ! こういう時にどう言うのか分からねーけど、友達ってのは困ってるダチを助けるモノなんだろ?」

 

 少し恥ずかし気に頬を赤く染めながら、それでも僕を真っすぐに見つめてそんなことを言ったのだ。

 

 「――――あ。アハハ! アハハハハハ!」

 

 思わず、腹を抱えて笑ってしまう。

 お腹が痛くなるぐらいに笑えてしまい、どうしようもない。

 

 「な、何だよ、お前!」

 

 何が可笑しいとムキになる火鳥。

 

 「ごめん! ごめんってば!」

 

 笑いながらも、必死で謝る。

 謝りながらも差し伸べられた手を掴んで、

 

 「そうだよね! あー、そうだった。友達ってそういうもんだったね!」

 

 不器用な優しさに目元の涙を拭うのだった。

 

 

 

 

 

 

 





 次回の更新は8月19日の午前8時から午後12時に予定しております。


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010 信じてくれるか分かんないんだけどさ

 

 ジジジ、ジジジジジジ。

 

 友達。

 勤務、学校あるいは志などを共にして、同等の相手として交わっている人。友人。

 

 友情。

 共感や信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛。しかし、それはすべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に存在する。

 

 Wikipediaの友達、友情の項目、参照。

 

 ジジジ、ザー、ザー。

 

 反吐が出る妄想。

 何度もそうしては、同じことを繰り返す愚者を見つめる男。

 乱雑に切りそろえた青い髪を掻きながら、モニター越しに映る二人を眺めてはそんな感想を抱いた。

 

 「懲りない連中だ。何度そうしたところで貴様はあのお方への供物なのだと何故、理解が出来ないのか。つくづく理解に苦しむ」

 

 カタカタカタ。

 

 白衣の男は取り戻したアクセス権を駆使して、分散していたオートマンに埋め込んだ疑似粒子を向かわせる。

 

 エラー、エラー。

 対象への干渉を受け付けません。

 レン高原より来たりて終焉を待つ蜘蛛より伝言を受信しました。

 確認なされますか?

 

 突如、機械的なガイダンスがコントロールルームに流れた。

 

 「ぐぬぬ。何だと? あの女め、さては気づいてたな」

 

 すぐさま、先ほどまで来訪していた少女の意図に気づいたが、毒を吐くぐらいしか男には出来なかった。

 

 「ふん、まあ良い」

 

 カタカタカタカタ。

 

 レン高原より来たりて終焉を待つ蜘蛛からの伝言を再生します。

 

 モニター一面に広がる、蜘蛛の群。

 その蜘蛛たちの中心に玉座に座る黒いスーツの女。

 

 「ハロォウ、エブリデイ! アズマボーイ、お元気でちゅかー? アタクシ様は元気にやってまーす!」

 

 相変わらずこちらの空気を読まないその態度に、呆れと通り越して関心してしまう振る舞いをしている。

 

 「アズマボーイとしては、テメェは引っ込んでろよーナチャ様ってカンジーなんだろぉうけどさー。こっちもこっちの事情がアルンデェスよぉう」

 

 口調の所々に語尾を長ったらしい巻き舌は相手にすれば相手にするだけ、かんに障るのだった。

 

 「まあ、それもそれもアタクシに譲ってチョーダイなぁあ」

 

 ワガママで、痛々しい言動の女は嗤う。

 

 「っつーことで、ヨロシクゥウ! じゃあーバイバァアイ!!!」

 

 頼みごとという名の一方的な要求。

 完全に自身を格下と見ている女に対し、男は苛立ちながらも何もしない。

 何をするにも自分には何の干渉も出来ないということは外なる神が容認した事実なのだと言い聞かせた。

 

 それが、何も出来ないことへの逃避なのだと悟りながらも彼にはそうすることでしか自己を保管することが出来ないのだ。

 

 ピーガガガ、ピーガガガ!

 

 電波が視聴領域を越えました。

 アトラク=ナクアの権能(チート)の使用を確認。

 これより、静かなるディストピアから悠久なるアポカリプスへと移行致します。

 

 いつか聞いた少女の、機械的なアナウンスがコントロールルーム中に響きわたった。

 

 ◇

 

 それは、宇宙より彼方より来たモノ。

 それは、全ての文明を築く何か。

 それは、自由気ままに世界を滅ぼす存在。

 

 果ての世界に寡黙な男がいる。

 その男は世の中というものが心底嫌いだった。

 思い通りにいかない人生に嫌気がさしていたと言っても過言じゃない。

 

 生きていても良いことがないなんてよくみんな言うけど、それでも彼は割り切って生きてきたつもりだ。

 

 でも、誰も彼を見ちゃいない。

 彼もまた誰も見ちゃいない。

 

 いや、本当は誰もが彼を見ていたし、彼もまた誰もがを見ていた。

 

 ただ、それが一方通行で気づかなかっただけだったのだ。

 

 物語は綴られる。

 後のない自分の気を少しでも晴らす為に。

 八つ当たりでしかない、それでも誰もが好意を以て接してくれるんじゃないかと期待して。

 

 でも、それは果たされない。

 

 何故なら人は見たいものしか見ないのだから。

 

 ◇

 

 不器用に手を差し伸べられた火鳥の手を掴む。

 インテリを思い浮かべる魔術師の手にしてはゴツゴツとした分厚いモノだった。

 温かい、人間の熱が篭ったそれに触れると何だか勇気が湧いてきそうな気持ちになる。

 

 「応よ。つっても、オレも友達は累のヤツぐらいしかいねーんだけどな」

 

 頼りになりそうでならなさそうな言葉。

 それでも場を和まそうと告げられた火鳥の優しさだ。

 

 「僕も。僕も男友達って言えるのは火鳥と累ぐらいしか居ないかな」

 

 「ガハハハッ。知ってる」

 

 他のクラスメイトたちとは、喋っていても何処か溝がある感じがして友達と呼べる間柄でないのはどうやら火鳥から見ても明らかだったらしい。

 

 そんな僕らの不器用さをハリネズミのジレンマという話を思い浮かべた。

 いや、ハリネズミじゃなくヤマアラシが正しい言い方だったかもしれない。

 有名な心理学用語で、ドイツの哲学者が執筆した本の逸話が元になったのだとされている。

 

 冬の寒い日に、ヤマアラシの群れが互いの体をくっつけて温め合おうとしたけど、双方の針毛が刺さり痛くてすぐに離れてしまう。離れると寒いからまた体を寄せ合うけど、やはり針毛が痛くてくっついていられない。ヤマアラシたちはくっついたり離れたりを繰り返し、いい距離を見つけることができた。

 

 確か、そんな内容だった筈だ。

 

 だから、互いに距離を置いてた。

 けれど、距離を詰めなくては分からないこともある。

 

 そして、その距離を詰めなくてはいけない時は、きっと今なんだ。

 

 「多分、信じてくれるか分かんないんだけどさ」

 

 全部は信じてくれないかもしれない。

 自分自身でさえ信じられない状況なのに、他人はもっと疑うことだろう。

 けれど、友達ってのは頼り頼られるものだと、何処かの書物に書いてあった。

 幻想でしかないそれを信じてみるのも、きっと悪くない。

 

 「先ず、リテイク先輩にはこの黒い箱を貰ったんだ――――」

 

 人間嫌いの彼がここまで言ってくれたのだから、寧ろ、今ここで信じなかったら何時、誰かを信じるというのだ。

 

 ◇

 

 「ふーん。この世界が造られた夢の世界ねー」

 

 「信じて、くれるの?」

 

 カチカチ、カチ。

 自分でも話していて荒唐無稽な話だと思った。

 というより、話が飛び飛びで自分でも訳が分からないと思う。

 

 意思がどうとか、自分という存在がみんなとは違う世界から来た人間だとかそんなことを言ってきたら、迷わず病院を勧める自信がある。

 

 「全部を信じられるかと言ったら、信じるなんて出来ねー。だが、お前が何かヤバいことになってるっていうのは伝わった」

 

 火鳥は、友達の話だしな、と言うとケラケラと笑った。

 

 「先ず、世界がどうとか人の意志が操られているとかの話は置いておく。正直、名城の嬢ちゃんが厨二病を発症してるって与太話にしか聞こえねー。問題はお前を襲ったとされてる人食い蜘蛛だろう」

 

 やはり、全部を信じてくれる訳じゃない。

 それでも、少しは信じてくれるっていうのだから有難い話だ。

 

 「うん」

 

 「ここ最近、夜に生徒が数名、行方不明となってる話が出てる。お前を襲ったってさせるのは、この噂の怪物と見て間違いはなさそうだ。オレたちのクラスにはそういう揉め事に関しての相談窓口みてぇなことをしている嬢ちゃんがいるし、上手くいけばそいつが何とかしてくれるかもしれねーしな」

 

 火鳥はそう矢継ぎ早に喋ると、行くぞと言って森から出ようと先に進む。

 

 しかし、相談窓口みたいなことをしている人なんか僕のクラスに居たっけ?

 

 そう疑問に思っても、心当たりが思いつかなかった。

 

 




 次回の更新は8月19日の午後8時から午後23時の間を予定しておりますが、もしかしたら更新が間に合わず8月20日の午前8時から午後12時の間になるかもしれません。
 その時は何卒、ご了承ください。


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011 夜の帳が下りる時

 予定していた更新が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。

 それでは、どうぞお楽しみください。



 昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る前に教室へ火鳥と入る。

 

 「真弓さん!」

 

 彼女の姿を探すと、直ぐに見つかった。

 

 「お、おい!」

 

 火鳥が制するのを無視して、ごめんと一言謝って、真弓さんの下に向かう。

 

 「おや? 勇貴さん、そんなに慌てたりして、どうされましたか?」

 

 呑気な声で、彼女は問い返す。

 

 「どうされましたかって、大丈夫なの?」

 

 真弓さんは僕の様子に首を傾げながら、

 

 「えーと、何を心配して下さっているのかいまいち分かりませんが、私は大丈夫ですよ。それよりも、もうすぐ授業が始まってしまいますので席に戻られた方がよろしいかと。勇貴さんは只でさえあのお方に気に入られてますので、先生方に目をつけられでもしたら大変ですし」

 

 授業で使うだろう教科書を鞄から取り出しては、机の上に並べる。

 

 「ん? いや、先生に目をつけられたら大変なのは分かるけど、」

 

 電子音のチャイムが校舎に響き渡る。

 

 「ほら、チャイムが鳴ってしまいましたし、急いだ急いだ。……あ、もしかして今朝のことを私がまだ引きずってると思ってるんですか? その件ならもう怒ったりしていませんよ」

 

 彼女がそう言うと同時に、ガラガラと扉を開けてハゲの教師がやって来た。

 いつも通りの退屈な授業が始まった。

 平凡な一日の始まりだと言わんばかりに、同じ話を繰り返す。

 

 「魔術において旧魔術(まじゅつ)派と魔導魔術(まどう)派の二種に別れており。自身の身体から生成される魔力と自然界から流れる生命力を魔力へと変換させ術式を行使する旧魔術が主に魔術と認識されています。従って、魔導魔術においての魔術はそれ以外の方法で魔術を行使する魔術であると一般的には認知されております」

 

 それにしても、真弓さん、様子が変だったな。

 僕と話しているというのに何処か遠くを見つめているような感じだった気がするし。

 何よりいつもよりも覇気がなかった。

 

 「魔導魔術の術式は、主に異星からの来訪者――――つまるところ、外なる神と呼ばれており、その与える魔術は魔導魔術師は恩恵(ギフト)権能(チート)の二つに分類されて扱われている。何故、二つに分類されているのかと言うと、」

 

 ふと、気づく。

 いつも通り同じ授業の内容だって言うのに、何処か聞きなれない単語が入り混じっていることに。

 というより考え事やらしていて、授業で何を教えているのかも自分は理解出来ていなかったという事実に驚きが隠せない。

 

 ジジジ。

 

 「尚、自身の精神エネルギーの大部分を思うままに変化させ固定させる術はなく。魂の固定化は現段階では実現不可能と呼ばれています。故にダーレスの黒箱などの権能(チート)を施された術式が組み込まれた魔道具(アーティファクト)を通して多大な時間を使えば叶えられなくはないという話もあります」

 

 授業が、途中で跳ばされる。

 まるで、その情報を聞くのは未だ早いと誰かが言っているような感覚。

 気持ち悪い、嫌悪感が拭えない。

 

 ノイズが所々に入る。

 聞くに堪えない雑音が混じって、先生を通して誰かが僕に情報を伝えてくれる。

 

 キンコーン、カンコーン。

 

 「――――っむ? おや、もうこんな時間ですか。では、本日の講義は終了です。起立、礼。それでは、お疲れ様」

 

 チャイムが鳴り終わり、誰もがその場を後にしようとする。

 真弓さんと話をしようと探すも、彼女の姿は見当たらなかった。

 

 「おいおい、錯乱してるにしてもあれはないぞ、お前さん。幾ら彼女が名城の嬢ちゃんに似ているからって、間違えんなよ。彼女、戸惑ってたぜ」

 

 彼女を探している僕を火鳥がそんなことを言って来た。

 

 「え? 火鳥の方こそ、何を言ってるんだよ。真弓さんだったろう、彼女」

 

 そこで何やら神妙な顔になる火鳥。

 

 「まあ、そんなことはどうでも良いことだったな。兎に角、今はお前さんを襲ったとされる人食い蜘蛛のことだ。それを何とかしなくちゃ先に進めないんだから、委員長に話ぐらいは通しておこうぜ」

 

 僕の腕を引っ張る彼の顔はよく見えなかったが、彼の委員長に話を通しておくという言葉に誰のことを指しているのかを案じた。

 

 「ん? もしかして、話に出てた相談窓口みたいな人ってシェリア会長のことを言ってるの?」

 

 僕が恐る恐る聞くと、火鳥は眉を細めては、こう言った。

 

 「あん? なんでそこで生徒会長が出てくんだよ? オレが言ってんのは、久留里の嬢ちゃんのことだってーの!」

 

 ん? 

 

 「それこそどうしてそこで天音が委員長だなんて話になるんだよ? 彼女、永遠の帰宅部目指してるってぐらいに面倒くさがり屋だったろう?」

 

 何か部活でも入らないのと聞いた時、そんなことを活き活きとやるなら、帰って寝る方がマシだと言っていたあの天音からは想像もつかない話だ。

 

 「いやいや、お前さん、それこそあり得ないって話だよ。あのブラコン拗らせまくりで兄さん、兄さんって愛想よく振舞っている久留里がそんな面倒くさがり屋な訳ないだろう!?」

 

 また、だ。

 また、どころか大きく違ってる。

 

 ダーレスの黒箱を受け取ったところをやり直してから、自分が知っている世界がズレている。

 小さな違和感のようで、決定的な違和感が僕を襲って来た。

 

 「あー、もう。兎に角、あの相談窓口に蜘蛛の怪物が夜な夜な出没することを話しちまおうぜ。まあ、このお前さんが言う情報もあちらさんは、もう知ってるかもしれねーけどよ」

 

 呆れた顔をしながらも、火鳥は天音の姿を探し始めた。

 

 「何やらアタシの名前が聞こえた気がしたんだけど、二人ともどうしたの?」

 

 そんなことをやり取りしてると、懐かしい活気のある少女の声が後ろから掛けられた。

 

 「おうよ、丁度良いところに来た、久留里。まさにお前さんの話をしてたところだぜ。四葉の兄さんに話を通して欲しいんだが、頼めるか? 何せ、オレの友達が昨日の夜、襲われて大変だったって聞いたもんでよ。ちょいと小耳に入れて欲しいのさ」

 

 そんなことを頼みながら彼は後ろにいるであろう彼女の方に手を振った。

 振り返る。

 

 「友達が襲われたって、誰の話? 言っとくけど、助けてくれなんて言われても、それは無理な話だ。残念だけど、昨晩の被害者は全員、仏さんになっちまってるって兄さんに聞いたから」

 

 だから、名前は教えてやれないと少し強めの言い方で火鳥を納得させる赤髪の少女が居た。

 

 でも、その少女は僕が知っているようなヤサグレた感じの姿ではなくて。

 男勝りよりも逆の年相応な少女のような身だしなみをしていた。

 

 パチクリと瞬きをする。

 頬に手をパン、パンと叩きながらも目を擦ってはその姿を凝視する。

 

 「何よ? あんまり人の顔をジロジロと見ないでくれる? そういうのセクハラの一種だって、兄さんが言ってたわ」

 

 身だしなみどころじゃなく、口調も態度も全然違う。

 誰だ、君?

 

 「ごめん、今更かと思うんだけど、本当に天音?」

 

 思わず見惚れてしまう、気高さを感じられる気品の良い立ち振る舞いをする彼女にそう聞かざる得なかった。

 

 「失礼な話ね。アタシは、天音に決まってんじゃない」

 

 可笑しなものを見つめる目。

 そのジト目で見つめられると、何だか少し罪悪感が湧いて来るというものだ。

 

 「いや、でも」

 

 「何よ? 言いたいことがあるならハッキリ言ったら良いじゃない? 別に今更アンタの馬鹿さ加減に怒ったりしないわ」

 

 少し張りのある胸を突き出しながら、答える少女。

 

 「じゃあ、聞くんだけど、同性同名の双子の姉か妹が居たりはしなかったりしない?」

 

 頬をポリポリと搔きながら、愛想笑いを浮かべて聞いた。

 

 「アッハッハッハ」

 

 そんな僕に彼女は笑いながら、

 

 「まさかそんな冗談を言うためにアタシを探してる訳じゃないでしょうねぇえ!!!」

 

 ちょっと怒ってしまったのだった。

 

 そんなやり取りをする僕と彼女に、火鳥は、あーあと言いながら頭を抱えたのだった。

 

 ◇

 

 「フンだ! もう勝手にしたら良いじゃないの! ばーか、ばーか!」

 

 一通り怒って、天音と名乗る彼女がその場を後にしてしまう。

 何をそんなに彼女が怒ってるのか分からないが、どうやら彼女を怒らせることを言ったみたいだ。

 

 「どうすんだよ、お前? あれじゃあ、今晩はまともに話を聞いてくれなそうだぜ」

 

 ちょっと納得がいかないがどうやら今の僕にはこれ以上出来ることは無さそうだ。

 

 「取り合えず、今晩は部屋に籠ってることだな。確か午後八時頃だったか? その人食い蜘蛛に襲われたのって?」

 

 「うん、そうだよ」

 

 「まあ、部屋に鍵でもしときゃ、大丈夫だろう。余程のことでも起きない限り、人食い蜘蛛も学生寮まで入って来られねーよ。あんなところでも学生寮(あそこ)には、人間に害をなす存在が侵入出来ないように結界も張られてる。それに何よりオレら他の生徒だって居るんだし、何かあればみんなで対処すりゃあ良い話だしよ」

 

 安心しろと言って話を締めくくり、その場は別れることにした。

 

 ◇

 

 夕方に食堂へ向かおうと廊下を歩く。

 一人でその先に向かおうとして、そこで誰かに会うこともなかった。

 

 「ダーレスの黒箱か」

 

 懐に入れたダーレスの黒箱を取り出す。

 所々に溝が入った、蓋が開かない黒い箱。

 真実を話してくれた彼女と離れてしまう前に、言っていた言葉を思い出す。

 

 「ダーレスの黒箱を探しなさい、勇貴さん。貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破壊するしかないのです、か」

 

 確か、そんな風に言っていた筈だ。

 こんなものを探して破壊しろなんて言ってたけど、この固そうな箱を破壊する手段なんてあるのだろうか疑問だ。

 

 夜の帳が下りようと、夕日が地に落ちようとしていた。

 

 ピーガガガ、ピーガガガ。

 

 その時だった。

 前から女子生徒が来た。

 その女子生徒が通り過ぎたときに、頭の何処かにノイズが走った。

 それは、普通に生きていたら考えられないことだった。

 

 唐突の頭痛。

 キンキンと痛みが走っては、全身に気だるさを感じた。

 

 「なん、だ。これ?」

 

 痛い。

 頭が割れるように痛かった。

 こんな痛みを何処かで味わった気がする。

 嗚呼、そうだ。

 彼女の名前を忘れてしまった時と同じ痛みだ。

 

 「歩かなきゃ。どう、にかして。せ、め、て、へ、や、に、か、え、ら、な、ぃと」

 

 グチャ、グチャ。

 音がする。

 舌なめずりの嫌な効果音まで聞こえてきそう。

 

 ズキリ、ズキリ。

 頭が割れそうになるぐらいに痛くて仕方ないのに、体はちっとも前に進んではくれない。

 自由が。自由が利かない。

 どうして身体が真っ当に機能しないのか、考えることすら億劫になっていった。

 

 「キャハハハ、キャハハハ。それはデェスねぇ、テメェ様が気づいちまいそうだったからデェスよ」

 

 キャハハハ、キャハハハと嘲う女の幻聴。

 何処となく切羽詰まったような感じがして、いつの間にか黒いスーツ姿の女が目の前に居た。

 

 気づかなかった。

 何の気配もなかった。

 

 否、それよりも胸騒ぎがする。

 本能がこの女から離れろと全力で訴えてる。

 

 「いやはや、どうしようもねぇってもんですよ。アタクシ様が幾ら、邪魔者を排除しても次から次へとゴキブリみてぇにホイホイ現れるってもんですよ。いい加減、面倒になってきちまったってもんデェスよ」

 

 ワラワラ、ワラワラと何かが近くに集まる気配がする。

 それは、一匹や二匹の話じゃない。

 もっとおぞましい何かだった。

 

 「だから、コイツァ仕方ない。仕方ないって訳さ」

 

 今にも倒れそうな僕をそれはグイっと抱き寄せられた。

 そうして。

 

 「グフゥ!」

 

 腹に何かを押し当てられたかと思うと、すぐさま熱を帯びだす。

 

 ザシュッとチープな効果音を鳴らしながら、歩くことが億劫になっていた身体にそれが追い打ちをかけた。

 

 「アハ! 良い(ザマ)ね! 良いわ、その悲鳴、もっと聞かせてチョーダイ?」

 

 女の素顔がよく見えない。

 さっきまでは女の顔を見ようとも思わなかったというのに、死に際ぐらい意地を見せようと顔を上げる。

 

 痛い。苦しい。僕が何でこんな目に遭わなくてはならない。

 恨み言の一つは言ってやらないと気が済まなかった。

 

 「ええ! ええ! とっても最っ高の顔よ、アンタ!」

 

 ザー、ザー。

 ノイズが割れる。

 

 女の顔はよく見た顔だった。

 それは狂ったように長い髪を掻き上げては、僕の顔を片手でがっしりと掴んでた。

 そして忘れるなと言わんばかりに僕の顔を睨みつけていた。

 

 「忘れなさぁい! 忘れろ! 忘れてってば! 忘れなさいヨォオ! アンタがいつまで経ってもそんなんだから、七瀬勇貴にならないんじゃない! そうしないとアタシたちは次へ進めないじゃない! アンタがなってくれないと、アタシと兄さんを現実化(リアルブート)する段階に移行(シフト)出来やしないじゃない!!!」

 

 男勝りで、けれど誰もが羨む美貌に惚れてしまいそうな少女のかなぎり声。

 

 腕を思いっきり、腹に刺す。

 何処にそんな鋭利な腕を持っていたとかそんな皮肉を言ってやる余裕もない。

 

 だって、あんまりじゃないか。

 

 「死ね! 死んじまえ! テメェなんか誰も見ちゃいねぇんだよ! ココで心なんか壊れちゃえ!!!」

 

 グチャアと臓物が引きずり出された。

 もう既に痛みが麻痺して感じられなくなった。

 

 馴染みのある少女となった女の罵声を最期に僕の意識はそこで途絶えた。

 

 ――――辺りは既に暗い闇に包まれているのであった。

 




 次回の更新は8月21日に投稿予定でございます。
 一応、作者としては次の更新は午前中を目標にしておりますが、遅れた場合はやっぱりなと言う精神でお待ちいただけると大変嬉しく思います。


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012 私に託した希望なの


 この度は昨日に投稿すると書いておきながら、投稿が遅れてしまい申し訳ございませんでした。
 今回の話も短いとは思われますが、作者の誠心誠意、熱い創作魂を込めて書きましたので、是非お楽しみください。


 

 「これ、飛鳥ちゃんが君に渡しておいてって頼まれたの」

 

 お決まりの台詞。

 お決まりの態度。

 お決まりの無力感。

 

 もう何が正しくて。何が間違いだったのか解らない。

 

 僕が僕でいることが間違いだった?

 それとも、単純に僕のしていることが気に入らなかった?

 だから、天音は僕を殺そうとしたの?

 

 リテイク先輩が僕の手にダーレスの黒箱を渡した。

 その手の平に納まるそれが憎らしい。

 

 「こんなの、ぃるかよ」

 

 弱い自分。

 弱くて、弱くて逃げ出した自分。

 そんな自分には自分の意志で生きる権利さえ与えられないのか。

 

 そう思ってしまったら、言葉にせずにはいられなかった。

 

 「――――こんなの、いらないよぉ」

 

 膝が折れる。

 前のめりになって、この箱(けんり)を捨てれたらどんなに良かったことだろう。

 誰も僕を助けてくれない。

 只、僕が僕であり続けたいと願っただけ。

 なのに、誰も僕の味方で居てくれない。

 

 「――――そうね。確かにそれは貴方には要らないものだったのでしょうね」

 

 吸血姫(目の前の女)が重たい口を開いた。

 

 「この箱を渡さずに黙って見捨てていれば、確かに貴方はこんな目に遭うこともなかった」

 

 たらればの話を語った。

 もしそうしていたら、僕はこんな思いをしなくても済んだ。

 なのにリテイク先輩はそれしなかった。

 

 「なら、ど、う、し、て?」

 

 ゆっくりとそんな言葉が口から零れた。

 

 どうしてそんなことをした?

 どうしてそんな余計なことをしたんだ?

 僕を弄んで愉しんでるのか?

 

 そんな想いが言葉を言いそうになって――――。

 

 「でもそれは、出来ない。出来なかった。私たちに未来を想う心を踏みにじる権利なんてないから」

 

 それ(未来)に何の意味があるのか。

 それ(権利)に何の想いがあるのか。

 手の平から見えるこの黒い箱にリテイク先輩は何を見ているのか解らない。

 

 「け、ん、り?」

 

 何とか口から出た言葉。

 関心もなかった彼女の口から出た、誰の言葉でも、誰の意志でもない純粋な想いがそこにはあった。

 

 「そう。貴方が先を勧めるように。貴方がそれを笑えるように。他の誰でもない貴方の未来を夢見た誰かが私に託した希望なの」

 

 今まで、どうでも良いモノと自分を見ていた先輩。

 それが今になってそんな言葉をくれるのか意味が解らなかったけど。

 

 「それをどうして何も持たない私が蔑ろに出来ると言うの?」

 

 喉を詰まらせる何かがあった。

 胸が締め付けられるようにそれを苦しく思った。

 誰かが僕を支えてくれている。

 誰かが僕の未来を案じてる。

 言われなかったそれらの想いを彼女は伝えた。

 

 「あーあ。これで私も目をつけられちゃったか」

 

 ジジジ。

 ノイズが激しくなる。

 大雨を降らせるようになっていく。

 馬事雑言の幻聴が僕の心を抉ってくる。

 

 死ね、死ね死ね死ね、死ね。

 テメェ様なんて誰も見ちゃいねぇえんですよ!

 

 独りよがりなその叫びが再び熱を灯った僕の心を壊そうと躍起になっている。

 

 「アドバイスしておくと、今君がいる現状は彼女が夢見た幻想なの」

 

 ジジジジジジ。

 消え入りそうな言葉が途切れて、虚構の世界へと失われていく。

 彼女が見せる表情がモザイクに見えて、

 

 「先、 進みた、い ら。こっちの彼女(天音)を、た、よ、りな、さ、い」

 

 そこに居たという事実が消去され、吸血姫は夢の世界を追放された。

 

 ◇

 

 ザー、ザー。

 電波ジャック、電波ジャック。

 次元が割れました。

 世界が構築されました。

 

 アナタを覗きます。

 アナタの心を描写します。

 

 ザー、ザー。

 システムは順調。視聴するのは上位世界。

 アナタの姿を私は見ます。

 

 

 

 

 

 

 

 泡沫の夢。胡蝶の夢。誰も彼も溺れていく。

 もしもが赦されるのなら、そんなユメを願うだろう。

 

 人間は愚かだ。人間は浅ましい。

 その本質は変わらない。

 時が流れる。

 それが停止することはあり得ない。

 それが許されるのは空想上の中だけだと相場が決まっている。

 

 書き続けろ、書き続けろ。

 終わらせろ、終わらせろ。

 

 何度、自分に言い聞かせてきたことだろう。

 誰からも読まれなくとも。

 誰からも期待されなくても。

 

 停滞した物語ほど残酷なものはないのだから。

 

 カチカチカチ。

 不意に窓から空を見上げたくなった。

 空は真っ暗で、お星様とお月様が輝いていてどんよりとした気持ちが軽くなった気がした。

 

 デスクに置いておいたカフェオレを手にする。

 もう温くなったそれは、まるで自分の現状そのものを体現しているかのようだった。

 

 鬱屈とした気持ちがまたやってくる。

 

 誰でもない誰かの書斎。

 そこで独りで稚拙な物語を執筆するのは、何とも言いようのない倦怠感が来るものだ。

 

 「オレの人生もこんな風にやり直せたら良いのになぁ」

 

 でも、それは叶わない願いだ。

 だって、これは現実で。

 この物語の主人公はもしもの自分が逃げ出したらの話だったから。

 

 先はある。

 この物語に続きがある。

 でも、今、この次の展開に持っていくことが果たして正しいことなのだろうか。

 

 そう思うと、この物語の続きが止まってしまう。

 だって、そうじゃないか。

 作中に主人公も思っていたじゃないか。

 

 あんまりだって言ってたさ。

 

 「あーあ、オレも二次元に行けたらなぁ」

 

 そんなことを思った。

 オタクなら誰でも思うことを口にした。

 この時はそうなったら良いなと思ったんだ。

 

 ザー! ザー!

 ノイズが入りました。

 これ以上は閲覧不可となりました。

 

 「さあ、日常を再開しましょう」

 

 つまらない人間の一章を見ました。

 アナタが貴方を描くそんな描写に過ぎません。

 

 アクセス権限を行使します。

 それでh、続きを楽しみましょう。

 

 ◇

 

 ノイズが入ると頭痛がして視界が一瞬の間、真っ暗となった。

 その暗闇は、どのくらいの時間換算をして伝えれば良いのか解らないが、数秒のような気がする。

 

 「こっちの天音を頼れ、か」

 

 こっちと言う表現。

 つまり、リテイク先輩もこの世界が現実でない夢の世界だと言う事実を知っていた。

 そう考えて間違いはないのだろう。

 

 誰かが見る夢の世界。

 彼女も死んだ人の復活を夢見た。

 だが、どうにも引っかかる。

 多分だけど、天音が取り戻したい人と瑞希ちゃんが復活させたい人は別人だ。

 

 だって、そうなると瑞希ちゃんが口々に言っていたであろう『兄さん』は天音のお兄さんってことになる。

 違和感だらけだ。

 先ず、彼女たち二人の顔つきが全然似てない。

 あれじゃあ、家族とは違う赤の他人だ。

 必ずしも、血が繋がっていることが家族だなんて言うつもりはないけど、他にも彼女たちが姉妹でない理由がある。

 

 それは、瑞希ちゃんが僕を兄さんにしようとしたのに対して、天音は自身と兄さんを現実化(リアルブート)させるのが目的だからだ。

 だってそうだろう。

 わざわざ、一人の人間の魂を改竄して死者を甦らせようとしてるのに、それを終えたら、その死んだ人間を現実化(リアルブート)させるだなんてどう考えたって無駄が多すぎる。

 最初の魂を改竄の方にしておけば、それで無駄な手間がない。

 それをしないのは、二人が別人の復活を望んでいた場合なんだ。

 

 「火鳥ー、いるー?」

 

 三度目の正直というヤツで友達を呼ぶ。

 だが、待っていても火鳥が来る気配はない。

 

 「火鳥もかー」

 

 どうやら、あっちの天音は徹底的にこっちのメンタルを叩き壊す気満々だ。

 

 「ってことは、一人でこっちの天音の元に行かなきゃいけないのかー」

 

 前会った時はなんか怒ってたみたいだし、会うのがなんか嫌だなー。

 僕のことだし、フラグなんて建てちゃいないだろうしね。

 

 そんなことを思いながら、森を出ることにした。

 

 





 次回の更新は8月23日に投稿予定にしております。
 毎日更新を目標に日々、頑張る所存ですのでどうか温かい眼差しでお待ち頂けると嬉しいです。


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013 さあ、反撃開始だ


 こっちでの更新を忘れてました。


 

 「何だよ、これ?」

 

 

 森を抜けて、校舎を方を見たら何やら様子が可笑しい。

 

 「一体、何がどうしたら、こうなるのさ?」

 

 端から見ても異常な光景。

 こんなものが普通だと認識できる人が居たら、病院に行ってこいと言いたくなる。

 

 「それでねー、それでねー」

 

 顔面がモザイクで表情が見えない女子生徒。

 

 「そっかー! そっかー。そうなのかー?」

 

 その女子生徒の話を聞いてるのか解らない反応をする男子生徒。

 

 「アガガガ!アガガガガァア! 我らに救いを! 我らに栄光ある死を! どうか我らにそのお慈悲を下さい!」

 

 蜘蛛にカジられても平気な顔をして訳の分からないことを宣う集団。

 

 「ピーガガガでイーガガガなフジコ戦争勃発な員謝謝謝であるのですぅ!!!」

 

 ハゲの教師が半裸になって、意味不明なことを叫んでる。

 

 そんな状況になっているというのに、可笑しくなってない人たちはそれが見えてないかのように過ごしてる。

 まるで、それが穏やかな日常の一コマだって言ってるみたいで気持ちが悪かった。

 

 そう思っていると、校舎の何処かの窓が割れる音がした。

 数秒後に、赤ん坊サイズの蜘蛛と共に砕かれた硝子の破片が降ってくる。

 

 「うわっ!」

 

 降ってくる破片に慌てて校舎の方へと入ってしまった。

 

 「って何で、僕は校舎の中に入っちゃった!?」

 

 幾ら慌ててたからと言って、考えなしに動いてしまった自分を責める。

 いや? 待てよ。

 だが、数秒で考えを改める。

 あのサイズの蜘蛛ってことは僕を襲った人食い蜘蛛をわざわざ、窓から突き落としたってことになる。

 そうなると、あの異常な光景を異常だと認知してる人が校舎の中にいるってことになるんじゃないか?

 

 そう思うと、あの蜘蛛がどの辺りから落とされたのかを考える。

 

 「確か、三階の教室だったよね?」

 

 事態の究明に繋がるかもしれない。

 ダメもとでも向かってみる価値はありそうだ。

 

 そう思ったら、即行動に移したのであった。

 

 ◇

 

 校舎の中に入るとそれは、外と比べるといつもと変わらない光景に見えた。

 いつもと変わらないと言っても、校舎の所々に亀裂のようなモノが入っていたり偶に学生と思われる人の顔がモザイクが掛かりとても人間とは呼べるものではなかった。

 

 この世界が造りモノの世界じゃないと知らなければ、僕自身が可笑しくなってしまったんだと錯覚してたかもしれない。

 

 ガヤガヤ、ワイワイ。

 

 それにしても、いつもより騒がしい。

 何かのイベントにでも参加してるような活気だ。

 

 走る。

 蜘蛛が投げ捨てられたと思われる窓の教室へ。

 

 階段を螺旋上に駆け上がる。

 グルグル回って、全速力で駆け上がるものだから三半規管が酔いそうだ。

 

 「ハア、ハア、ハア!」

 

 視界に通り過ぎていく、生徒たちを後目に僕は思う。

 

 天音がそうまでして救いたいと願った人は誰なんだろう?

 

 僕は知らないし、きっとそれは天音(かのじょ)以外の誰も知らない。

 階段を登り終える。

 息を、ゼー、ゼーと切らして廊下に進む。

 体力もないのに何故か全力で走ったものだから前へ進むのが大変だ。

 

 そこで、僕は見た。

 校舎の外から見た光景とは違う、異常な光景がそこにはあった。

 

 「うわぁ……」

 

 蜘蛛。

 廊下一面に蜘蛛の群。いや、群というより死骸。

 そう、蜘蛛の死骸の山が廊下に積まれてる。

 

 トラウマになりそうな人食い蜘蛛がこうもあっさりと死んでいる。

 

 そして、僕を食い殺した時の蜘蛛の数より倍以上の死骸の数に圧倒されてしまう。

 

 バリン、と廊下の先の窓が破られて、蜘蛛の死骸が雪崩みたいに落っこちる。

 明らかに僕が外から見た時よりも落とされる蜘蛛が多い。

 

 「まあ、考えても仕方ないっしょ」

 

 あらゆるモノを破戒する魔剣を想像し、その意志(コード)現実化(リアルブート)する。

 

 目の前に現れた光輝く剣を掴むと、身体が羽を得たかのように軽くなる。

 心臓の鼓動が早くなり、一秒、一秒の感覚が短くなっては、どんなモノにも負けない強い自信が芽生えた。

 

 人食い蜘蛛と僕とでは戦闘経験が違うだろう。

 正直、この魔剣を持っても僕では付け焼き刃にしかならないと思ってた。

 

 だが、魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)をしてから意識が変わった。

 

 「さあ、反撃開始だ」

 

 こちらに向かって来る蜘蛛の群れに魔術破戒(タイプ·ソード)の魔剣を構えた。

 

 ◇

 

 最近、よく嫌な夢を見る。

 アタシの能力が暴走して兄を殺してしまう、そんなあり得たかもしれない未来。

 死に際の兄を抱く感触が余りにも現実的で、どうしようもない絶望感が押し寄せて来ていつも目が覚める。

 そんな、悪夢。

 兄はアタシが殺したというのに、最期までアタシを笑って許す。

 

 「嫌な夢」

 

 アタシの両親は遠い昔に魔導の外道魔術師に殺されて、この世に居ない。

 だから、アタシの肉親と呼べる人はもう兄しか居ない。

 男で一人、あらやる外道魔術師たちから守ってくれた家族。

 いつしか兄を家族として慕う以上の想いを抱えてしまった。

 何気ない行動目で追うことをしてしまう。

 彼の息づかい。彼のちょっとした仕草。兄が誰かに恋心を抱くんじゃないかって不安を抱えては、嫉妬する。

 この想いはきっと叶わない。叶ってはならない。

 その夢を抱くのは、間違いだと気付いてる。

 けれど、そんなもしもを叶えることが出来るのなら――――。

 

 最愛の人。アタシが憧れる正義の味方。

 

 もし、そんな人が自分の手で殺してしまったとしたら、きっとアタシは――――。

 

 そう思ってたら、いつもの退屈な日常に変化が起こった。

 日に日に生徒たちが行方不明になるのだ。

 生徒たちが居なくなる。

 この学園では日常茶飯事な事件だというのに、何故か胸騒ぎがした。

 とても大切な何かが終わってしまうないんじゃないかと恐れてしまった。

 

 最愛の兄が死ぬ、そんな予感が頭に掠めて仕方なかった。

 

 ジジジ。

 ――――キキキ! ッキキキキィイ!

 

 今日も何も変わらない日常の始まりだった。

 今朝、勇貴に会って少し口論をしてしまった。

 それは何気ない、ちょっとした意見の違い。

 朝食の目玉焼きに何を掛けるのがベストチョイスなのかという下らない理由。

 そんな些細な喧嘩で感情を抱けるとは夢にも思わなかったけど、それでもやっぱり勇貴(かれ)のチョイスはあり得ないなと思う。

 だって目玉焼きに醤油だよ?

 普通、ケチャップとマヨネーズのダブルトッピングでしょう!

 それなのに、彼はそのチョイスの方があり得ないなんて言い出す始末なんだから、こちらもつい感情的になってしまった。

 けど、何となく気が合う同じクラスの男子生徒。

 彼を意識し始めたのがいつだったか解らないけど、それでも何処か大好きな兄みたいで放っておけなかった。

 記憶喪失の何の力も持たない彼をどうして兄さんの姿に重ねるのか解らないけど、気の抜けた雰囲気が兄さんが時折見せる横顔と同じだったからかもしれない。

 

 授業を受けて、何気ない生活を過ごして。

 それから――――。

 

 そして、それは突如として起こった。

 

 「キキキキキッシャアアア!!!」

 

 昼休み、蜘蛛の怪物が現れた。

 至るところに現れては生徒たちを襲っていく。

 そんな阿鼻叫喚な光景に対し、誰も気にしない。

 それどころか、変なことを言ったりする人も現れたりもした。

 

 可笑しい。

 みんな、どうして平然とそんな何食わぬ顔をしているの?

 

 日常が壊れていく。

 誰もそれを認識していない。

 奇妙な光景。狂った光景。壊れていく世界。

 

 「キャアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 思わず叫ぶ。

 教室を抜け出す。

 だが、何処へ行ってもそれは続く。

 あろうことか、生徒たちの顔にノイズらしきものが入っていたり、モザイクみたいな靄が掛かっていたりする始末だ。

 

 「な、何なの!?」

 

 アタシだけなのか。

 アタシしかこの異常に気付いていないのか。

 助けて。助けて。

 誰か助けて。

 

 「そうだ、兄さんなら何とかしてくれるかもしれない」

 

 兄さんならもしかしたら、この狂った光景を何とかしてくれるんじゃないかと希望を持つ。

 アタシはそう思うと、早速兄さんのいる教室へ向かうことにした。

 

 その選択が間違いだったとはこの時のアタシには思えなかった。

 

 





 次回の更新は8月24日に投稿予定にしております。
 作者自身もこれからが書いていて続きが楽しみになるこの頃。苦痛に感じることも有れば、それでも完結目指して頑張ります!


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014 その先に待つ者


 すみません、こちらでの投稿を忘れてました。
 完結させるべく、頑張っていこうと思いますので、どうかお付き合い下さい!



 後悔の連続。終わりのない悪夢。

 どれだけ願っても叶うことのない願い。

 奇跡を願った。

 それに何の意味もないと知っていながらアタシは生まれた。

 

 「やあ、お目覚めかい、お姫様?」

 

 皮肉混じりにアタシの創造をしたそいつを睨む。

 

 「おやおや、そんな怖い顔をしてどうしたんだい? 寧ろ、ボクは感謝されるに然るべき行いをしたつもりだけど、まさかキミは恩に仇で返す類の人間じゃないだろう?」

 

 オドケて見せるそいつの姿を見て、アタシは直感した。

 

 「アタシは別に創ってくれだなんて頼んじゃいない」

 

 嗚呼、こいつは嫌いな人間だと本能が理解する。

 

 「うん、確かに頼まれていないとも。頼まれてはいないけど、キミは確かに願っただろう?」

 

 心の底を覗かれている。

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

 この女をアタシは気味が悪いと思ってる。

 

 「――――それで?」

 

 だから会話も早く切り上げたかった。

 

 「うんうん。気持ちの切り替えが早いのはキミの良いところだ。他の娘だとこうはならないからね。全く、二人とも面倒な娘たちだよ」

 

 短く切りそろえた黒髪をイジる姿が、何処となくアタシのモデルとなった少女と被った。

 嫌悪感が更に増して、もうそいつの顔を見るのも嫌で仕方なくなった。

 

 「ふむ。キミも我慢の限界のようだし、本題に入るとしようか」

 

 華奢な少女はそう言うと、おぞましい笑みで嗤うのだった。

 

 ◇

 

 走る。

 昼休みの校舎の廊下を人間の赤ん坊ほどの大きさの蜘蛛が這いまわる廊下を人目もくれず走り続ける。

 この非常事態を兄さんなら何とかしてくれると一途の望みに賭けて、その先を目指す。

 

 ジジジジジジ。

 ノイズが走る。誰かの声が頭の中に響き渡る。

 その声はよく聞き取れなかったが、本能がこの先を目指すなと告げている。

 KEEPOUT、立ち入り禁止、この先を目指すべからず。

 そんな誰かの叫びが幻聴として脳を揺らす。

 

 「うるさい、うるさい、うるさい!」

 

 アタシが決める。

 アタシが選択する。

 だからアンタは引っ込んでて。

 

 階段を上がり、三階の兄さんが待つ教室への廊下。

 そこにはうじゃうじゃと廊下一面に蜘蛛たちが待ち受けていた。

 気持ち悪い光景。

 この光景を見るだけで吐き気がしてきそうだった。

 

 ドクンと心臓が鼓動を速くする。脳が熱く、アドレナリンが沸騰する。

 自分の中に潜む怪物が眠りから覚めようと許可を促す。

 

 ハヤク、メザメサセロ。

 ハヤク、ソレヲクワセロ。

 

 頭がクラクラして、視界がブレる。

 不安定なコンディションで蜘蛛たち(そいつら)の嘲う姿を睨む。

 

 道は閉ざされた。蜘蛛たちが通せん坊をして邪魔してる。

 

 邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ。

 

 三度、心の中で邪魔だと呟いて。

 

 「邪魔、だって――――」

 

 掛けていた眼鏡を外す。

 グラグラと地に足がつけていたのに、クラクラと眩暈がして上手く立っていられない。

 三半規管が麻痺してるのか。

 それとも目の前の障害を除けようと、己の血に酔っているだけなのか。

 

 或いはそのどちらかなのかはアタシは解らない。

 

 理性が邪魔だ。理性を外そう。

 

 頭の中の得体のしれない誰かがアタシに囁いて。

 

 それから。それから――――。

 

 「――――邪魔だって言ってんでしょうが!」

 

 ついに、その感情を爆発させる。

 己の中に在った封印を解く。

 目の前が真っ赤に染まるのを感じながら、その理性を本能に預けた。

 

 熱い身体を抱きしめながら。

 自身の背後に現れるそれを見ることは無く。

 

 只、純粋にその湧いてくる殺意にその身を任せた。

 

 ◇

 

 縦に一閃。

 そうすることで目の前の蜘蛛は切り裂かれ、醜い悲鳴を上げては塵となって散る。

 休む暇なく襲い掛かって来る蜘蛛を更に切り裂いては、幻想となって消滅させていった。

 

 「次から次へと!」

 

 未だ、暴れる蜘蛛たちの中心にたどり着けない。

 それらが僕の障害となっているのは明らかだ。

 

 「キキキキキッシャアアア!!!」

 

 最早、廊下が蜘蛛たちが流す血で川が出来るんじゃないかってぐらいの惨状だ。

 

 「ッハア!」

 

 蜘蛛を一閃しては、一度、大きく後ろへ下がる。

 このままでは埒が明かないと悟る。

 

 「ハア、ハア、ハア!」

 

 蜘蛛はこちらの様子を窺うように、ジリジリと間合いを詰めていく。

 このままでは数の暴力でじり貧なのは間違いない。

 持久戦になれば明らかに不利なのはこちらだ。

 

 「どう、する!」

 

 視界の淵に現れる蜘蛛を斬る。

 空を切るかのようにあっさりとその蜘蛛は斬られて、塵となって消滅する。

 

 今更だが、この魔術破戒(タイプ·ソード)はチートだ。

 

 自慢じゃないが僕は何の力もなければ特別に鍛えている訳ではない。

 だが、ここまで化け物相手に接戦を繰り広げられるのは、この魔術破戒(タイプ·ソード)が在ってこその成せる技だと言えるだろう。

 だが、チートと言えどそれを扱う僕はチートではない。

 

 「キキキ!? ッキキキキキキィイ!!!」

 

 な、何だいきなり?

 

 この状況を攻めあぐねていると、突然、蜘蛛たちが散開していった。

 

 その数秒後。

 

 僕は何故か身体が目に見えない何かに吹っ飛ばされる。

 

 「――――ッガ!」

 

 思わぬ衝撃に上手く堪えることが出来ず、廊下の柱まで行ってしまう。

 視界がブレる。

 ノイズが走る感覚。唐突の頭痛。割れるんじゃないかってぐらいの絶妙な痛み。

 また、誰かが僕の頭を弄ろうとそれを行使する。

 

 ふざけやがって。

 僕は決してモノじゃないんだぞ。

 そんなホイホイ記憶を消そうとしやがって、何様のつもりだよ?

 

 痛みに堪える。目の前に意識を向けようとして、それに目が留まる。

 

 それは、見えてはいなかった。

 だが、目を凝らしたことでそれがはっきりと僕の目から脳に視認させることに成功した。

 

 蜘蛛とは別の何か見てはならない怪物。

 トカゲか何かを象徴したようなフォルム。

 廊下の天井まで届くのではないかと心配してしまう程の大きさの体格。

 筋の入った頑丈そうな灰色の鱗を纏ったそいつが、ご自慢の腕を振り回しては、逃げようとする蜘蛛たちを裂いていく。

 

 「グルルル! ッグルルルゥウ!!!」

 

 尻尾を一度丸めたかと思うと、すぐさま広げて地にベタンと音を上げて叩きつけられた。

 衝撃で圧縮された空気が地べたの蜘蛛たちの血を吹き飛ばす。

 それの顔はよく見えない。

 なのにそれどんな顔をしてるのかが何となく理解する。

 

 それと同時に、その何かの前によく知る少女が倒れているのを見つけた。

 

 「あ、天音?」

 

 まだグラグラとする視界。

 もう一度よく目を凝らして、観察する。

 

 「グルルルルゥラァア!!!」

 

 巨体が咆哮を上げると同時にその姿が透けていく。

 

 「天音!!!」

 

 怪物が消えるか間近で漸く倒れている天音の下を駆け寄った。

 

 




 


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015 まるで怯えてる子供みたい

 


 間違えた。間違えた。

 アタシはきっと間違えた。

 後悔することが多くて、どうしようもない現状に何をすれば良いか解らない。

 夢のアタシは間違える。

 アタシが夢見たアタシなのにアタシと同じ末路を辿ろうと愚かな選択を選び続ける。

 認めない。

 アタシは決して認めない。

 その事実も。その選択も。その運命も何もかも認めることなんて出来ない。

 

 「あんまりだあんまりだあんまりだ」

 

 誰もいないコントロールルームで独り呟いた。

 イ=スの時間干渉の魔術によって、アズマという幻想が此処に居ないことにしてから数分後。

 アタシは夢の中で立ち上がる彼を見ては焦る。

 障害となる敵は排除した。

 アタシと同じような幻想も、|権能(チート)を持っている二人もこの夢には干渉出来ない。

 だというのに、アタシの夢を壊そうと下位幻想たちは邪魔をする。

 

 「邪魔だ、邪魔だ、邪魔をするんじゃない!」

 

 そう言いながら、邪魔をする奴らのデータはみんな消去してやった。

 一番、プロテクトが固い、名城真弓と自我に固執する如月を真っ先に排除したというのにそれでも彼らは間違える。

 この叶うことのなかった奇跡の世界を誰も否定する。

 耐えきれなくなったアタシはついに、彼に正体を明かすことにした。

 お前の存在は在ってはならないモノだと教えてあげた。

 それなのに。

 

 「そう。貴方が先を進めるように。貴方がそれを笑えるように。他の誰でもない貴方の未来を夢見た誰かが私に託した希望なの」

 

 それなのにどうして、立ち上がらせる?

 

 意思のない人形。全てがこちらの意のままに操られるだけのデータ。

 パラメータを弄ればどんな人格に早変わりのそんな人間たち。

 

 夢を見た。奇跡を願った。

 只、アタシは当たり前の幸福を得ようと現実を足掻いただけ。

 それが、この有様。

 何て愚かで、醜い存在。憎たらしい。

 

 「――――あんまりだぁ」

 

 地に足がつく。

 くしゃくしゃに髪を掻きむしり、どうしようもない現実に涙が出そうになる。

 

 誰もアタシを助けない。

 誰もアタシを味方しない。

 

 それがこんなにも悲しい。

 

 「な、何なの!?」

 

 画面越しのアタシ。アタシが創ったもう一人のアタシ。

 もしもそんな風に生きれたのならばを考えて作られた夢の自分。

 そんな自分もこの夢を可笑しいと認識しだしてる。

 

 この願いは叶わない。叶えてはならない願い。

 だとしても届くのならば、目指したって良いだろう?

 

 狂う。狂う。アタシは嫉妬する。

 ふざけるなと憤怒する。

 

 「そうだ、兄さんなら何とかしてくれるかもしれない」

 

 間違いだ。

 それだけはしてはいけない。

 それをしたら、この夢は耐えきれなくなって壊れちゃう。

 止めないと。止めないと!

 

 アタシは再び夢の世界に潜ろうとして、そこで気づく。

 

 「な、何だ?」

 

 跳躍、認証不可。

 固有魔術、心理情景発動不可。

 アクセス権限が解除されていますので使用許諾が下りません。

 よって、跳躍出来ません。

 

 機械のガイダンスみたいに少女のアナウンスがコントロールルーム内に響き渡る。

 

 「どういうことだ!?」

 

 モニターに向かって叫ぶ。

 キーボードに向かってコードを書き換えようとして。

 

 「――――どういうことも何もそういうことだ」

 

 不意に背後から声を掛けられた。

 

 「――――え?」

 

 後ろを振り返ろうとした。

 だが、それは速かった。

 抵抗を許さないそれが、そんなアタシの隙を見逃す訳がなかったのだ。

 

 渇いた音。鉄が腹を貫く感触。

 突然のことで思考が停止し、それがジャリジャリと音を立てながらアタシの身体に巻き付いた。

 瞬きする暇もなくそれがアタシの身体の動きを封じたのはまさに神業と言えるものだったと言えよう。

 

 「隙だらけだぞ、|幻想(アトラク=ナクア)よ。まあ、最もお前は紛い物であるのだから無理もない話か」

 

 ギチギチと身体が鎖に拘束されていく。

 

 「アズマァア!!!」

 

 瞬時に悟る。

 コイツはアタシを罠にはめたのだ。

 

 「ふむ。貴様程度が私たちを騙せると思ったか?」

 

 塞がれたない顔でアタシは睨む。

 そいつはいつか見た顔の半分を覆い隠した仮面を被っていた。

 

 「残念だったな。コントロール権は我々が奪っておく」

 

 三十センチほどの大きさの杭が空中に現れる。

 それが次に何をするのか理解した。

 だから、アタシは叫んだ。

 

 「ヤ、ヤメロォオ!!!」

 

 声が嗄れるんじゃないかってぐらい叫んだのだ。

 

 アタシの必死の抵抗も虚しく傍にいた|妖精(コード)を杭が貫いた。

 

 ――――ピッギャアアアア!!!

 

 妖精の悲痛の叫びがコントロールルームに響く。

 

 |妖精(タイプ・フェアリー)の|消失(ロスト)が確認されました。

 これより、悠久なるアポカリプスが強制解除されます。

 

 聞きなれた少女の声が聞こえ、そこでアタシの意識は一度途絶えるのであった。

 

 ◇

 

 掴んでいた|魔術破戒(タイプ・ソード)を離し、その場にいた天音に駆け寄る。

 

 「大丈夫か、天音!?」

 

 想像していたよりも軽い彼女を何度か揺すって、意識の確認をする。

 

 「うぅうう」

 

 そうすると、天音が目を覚まそうと声を上げる。

 

 「良かった! 目を覚まして、本当に良かった!」

 

 今だ焦点が合わない目でこちらを見つめる天音に対して労いの言葉を贈った。

 彼女に会ったらどんな顔をすれば良いのだろうと悩んでたのに、倒れている天音の姿を見た時にはそんな考えは何処かに吹っ飛んでしまっていた。

 

 「勇、貴?」

 

 小さな声。

 耳を澄まさなければ聞こえないかと思う声量。

 

 「うん、そうだよ。無事で何よりだ」

 

 どうして天音がこんなところで倒れてるだとか、色々な設問をした方が良いのかもしれない。

 だが、何故だかこの時はそんなことよりも彼女の無事の方が気になった。

 

 「そっか。アタシ、また能力を使ったんだなぁ」

 

 能力?

 

 「う、うん? それより身体は大丈夫?」

 

 そんな心配する僕に向かって天音はちょっとばかし頬を赤くしながら言う。

 

 「大丈夫よ。まあ、しばらくは無理な動きは出来ないでしょうけど、これぐらいは毎度のことで慣れてるわ。それより、勇貴の方は可笑しいって思わないの?」

 

 何がだろうか?

 ひょっとして、今の現状のことだろうか?

 

 「だって、みんなモザイクが掛かったり、変なことを言ったりしてる。挙句の果てに建物中に変な亀裂が入ってたりしてるじゃない!」

 

 力が上手く体に入らないのか、少しふらつきながらも彼女は立ち上がって僕に不安げな顔で詰め寄る。

 その姿に、まるで怯えてる子供みたいに感じた。

 

 「もしかして天音もみんなが可笑しくなってるに気づいてるの?」

 

 そんな彼女の姿に目を丸くしながら僕は聞く。

 

 「当たり前じゃない! その様子じゃ勇貴もみんなが可笑しくなってるって気づいてるみたいね?」

 「うん、そうだね」

 

 そんな僕の反応に彼女は安心したような顔つきになると、

 

 「じゃあ、情報交換をしましょうか!」

 

 少しだけ活気がある声で元気を取り戻すのだった。

 

 「良いよ」

 

 元気になってくれた彼女を見ると僕はそう返事を返すのであった。

 

 「と言えども。これと言ってアタシが分かってることというか認識出来てることは今のところアタシと勇貴以外の人間はこの異常事態を認知出来てないってことぐらいね」

 

 意気揚々とした天音は悪びれもせず、無邪気に現状がどう認知出来てるのかを話す。

 

 やれ、ノイズが掛かったように他の人たちの顔が見えなくなったとか、さっき口で言っていた通りのことしか分かってないらしい。

 

 「そうなんだ。僕は教室の窓から蜘蛛の化け物が落ちていくのを見かけたから、もしかしたら何か原因がわかるかもって思ってここに来たんだ」

 

 僕がそう言うと天音は何だか、やっぱりと言いたげに誇らしげに胸を張った。

 

 「やっぱり。三階には兄さんが居るもの。実は此処に来たのもアタシ、兄さんなら何とかしてくれるんじゃないかって思って来たの」

 

  僕が此処に来た理由を簡潔に話すと、天音も此処にどうして居るのか話してくれた。

 

 「ってことは、そっかー。勇貴も今、どうしてこうなってるのか分かんないってことね」

 

 残念だなと一言呟きながら、長い赤髪を掻く天音。

 

 「そうなるね。けれど、この先に君の兄さんが居るんだろう?」

 

 天音の兄さんに会えば、何かこの異常事態を何とかしてくれる手掛かりになるんじゃないかと期待する。

 

 「ええ、そうね」

 「じゃあ、何はともあれ、今、会いに行く価値はあるさ」

 

 そう言うと、彼女と僕は天音の兄さんが居るとされる教室へと向かうのだった。

 

 




 次回の更新は8月26日に投稿予定にしておりましたが、あまりにも月姫リメイクが面白く更新が出来ません。
 大変申し訳ありません。
 月姫サイコー!


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016 意味が解らない突然の出来事だった


 毎日投稿すると言っていたのに出来ず申し訳ございませんでした。

 前回のあらすじ!

 世界可笑しくなってるところ、何か蜘蛛が放り出されてる教室発見!
 その階の廊下で蜘蛛襲われる。天音とエンカウントして、共に向かう。

 以上です!
 それでは、お楽しみください!



 

 誰もそれは望まない。

 誰もそれを求めない。

 

 ぐるぐる回る。

 世界が何度も壊れて、時間を幾度もやり直す。

 彼は死ぬ。

 心が一度死んで、記憶を維持することが出来なくなった。

 奇跡を願う娘たちはそれを喜び、仲良く手を取り合った。

 

 「アハハハ! アハハハ!」

 

 気持ち悪いと神様は嗤いました。

 それは醜い男の顔をしていました。

 誰も彼を救わない。

 でも思うのです。

 きっとそれも彼は乗り越えるだろうと私は諦めない。

 

 ジジジ。ザー、ザー。

 ノイズが視界をジャックする。

 暗転。

 それは、誰でもない誰かが綴った妄想。

 

 この物語はきっと、そんな誰かの序章(プロローグ)的な何かなのかも知れません。

 

 ◇

 

 蜘蛛たちをかき分けて、進んだ教室のドア。

 3-Cとプレートがドアに留められた簡素な扉に僕は息をのむ。

 

 「此処です。此処が兄さんが居るクラスの教室だよ」

 

 天音が言う。

 その教室の窓だけが何故かスモークが張られたようにモザイクがあり、中の様子が|窺(うかが)えない。

 その先を見ることを恐れた誰かの仕業だろうか?

 

 「って何をそんなに考える必要があるんだ」

 

 不安をグッと堪えて、ドアを開ける。

 そのドアは重く、とてもじゃないが前までの僕であったならそれを開けることに躊躇して開けれなかっただろうなと思った。

 

 ガラガラと音を立ててドアが解放されると、そこに見えるモノがよく分かった。

 

 

 

 

 ジジジ。

 世界が終わる。

 ザザザ。

 それを見つけた。

 

 「――――兄、さん」

 

 少女の声が呟かれる。

 

 何も知らない僕でさえ言葉が出なかった。

 だから、目の前の光景を男を知る彼女でさえも吞み込めなかった筈だ。

 

 「――――来たか」

 

 傷だらけの男は口を開く。

 死体と間違えても大差ない全身傷だらけの男は教室の中心に立っている。

 

 ザー、ザー。

 見てはいけないと誰かが叫んだ。

 ザー! ザー!

 でも、その男が積み上げた死体の山を見てしまった。

 

 台風か何かに遭遇したような酷い荒れようだった。

 他人事に表現してしまうほどにその現状を直視することは常人の理性には耐えられないものだったともいえる。

 

 「随分と遅い到着だったな、主人公(ななせゆうき)

 

 まだ名前も知らない男は僕に向かってそんな言葉を贈った。

 まるで、友好的な恩師のような振る舞いだなと場違いに思うほどの言葉遣いだと思った。

 

 「――――貴方は?」

 

 思わず口から誰だと尋ねる。

 目がくらむ。意識が飛びそうになる。

 脳がスパークして神経を麻痺させてクラクラと視界を揺れ動かす。

 一言、そんな言葉を口にしただけで何故だか頭に痛みが走った。

 

 「ふん。こちらは貴様の到着を待っていたというのに酷い歓迎だった。だから殺してやった」

 

 こちらの質問に答えず、べらべらと自分の言いたいことを話す男。

 皮肉気に口元を歪ませる形相は、何処かあの天音に似ているものを感じた。

 

 「兄さん、どうして? というより、何があったの?」

 

 背後にいる彼女は現実を理解することが出来ないみたいだ。

 未だに目の前の男が自分の兄であると言って質問を繰り返す。

 

 「七瀬勇貴、納得がいかない顔をしているな。まあ、貴様としても事情が掴めていないのだろうし、それで良しとするか。どの道、この夢は終わる。今、アトラク=ナクアが別の管理者によって打ち取られたのが確認された」

 

 男の鋭い目がキッとなったかと思うと、次の瞬間にはモザイクが掛かり表情が見えなくなった。

 積み上げられた死体の山を背に悠然とこちらに歩み寄る男の名前を僕は知らない。

 名前は知らないのに、そいつが誰かだなんてことは分かった。

 

 「ねえ、聞いてよ。質問に答えてよ。ねえ。ねえってば――――」

 

 カツン、カツンと男がこちらに近づく度に声を荒げる天音。

 二人のそんな様子に心臓がうるさくなって、重苦しい空気が充満していき。

 

 「話を聞いてよ、四葉(よつは)兄さん!!!」

 

 ついに、天音の感情が爆発したのだった。

 

 そんな天音に対し、男は一瞬ニコリと微笑むと、

 

 「泡沫の夢は覚めるものだ。散々言ってきただろう、天音?」

 

 傷だらけの右腕を前へ突き出して。

 その右腕から突如、魔法陣が現れて。

 

 数秒も経たずに紅い閃光が僕の背後に向かって放たれた。

 

 「――――え?」

 

 一瞬のことだった。

 男が天音に対して行われた行為こそ、天音に対する殺意だったと言えた。

 

 「何、してるの?」

 

 無意識に展開した魔術破戒(タイプ·ソード)を振るい、その閃光を掻き消した。

 男が何をしたいのか理解が出来ない。

 

 「さてな。その質問に答える義理はない。

  ――――が、敢えて言ってやるとするならば、せめてもの慈悲だ」

 

 嗤う。男は狂ったように笑いながら、僕と天音に近づくのを止めなかった。

 

 「くだらない三流役者の真似事だが、カーテンコールぐらいはしっかりと降ろしてやらなきゃ興ざめも良いところだろう? さあ、その剣を取るが良い、ドン・キホーテ。哀れな役者に止めを刺してやれ!」

 

 (よつは)の真意は掴めない。

 だが、友達を殺されそうになって止めない理由はなかった。

 

 男と僕らの間合いは三メートルにも満たない距離。

 走れば数秒で詰められそうな間合いだ。

 

 ゆっくりとしかし確実に男はその歩みを止めない。

 何かを自嘲するように、殺気を纏って男は紅い閃光を放つのを止めない。

 何もかもが意味が解らないけど。

 それでも、何も知らずに誰かが殺されるのを見捨てれるほど白状になり切れなかった。

 

 「何で? ねえ、本当にどうしちゃったの兄さん!?」

 

 天音はその場に膝を折れてしまう。

 立ち上がることを止めて、現実から逃げるようにまだ優しい兄の姿を忘れられない。

 

 また、一歩。

 天音が言葉を吐き出すほど、彼と天音の距離は縮まっていく。

 放たれる刃となっている閃光が増していき、

 

 やがて――――。

 

 「だから、オレを。オレを兄さんと――――」

 

 闇雲に魔術破戒(タイプ·ソード)を振るってもケガが出来るほどの間合い。

 こちらの意図を見透かしてか。

 それともこちらの心情を見透かしてなのか。

 

 モザイクで表情が見えない顔で立ち止まると、

 

 「――――兄さんと呼ぶなと言っているだろうが!!!」

 

 瞼を思わず閉じてしまいそうなほどの光を掲げていた右腕に収束させる四葉。

 数秒後に予測される未来に耐えかねて、掴んでいた魔剣を構えて男の間合いを詰める。

 

 天音の手を取って逃げ出す選択は頭から無かった。

 けど、これ良かったのかもしれない。

 きっと、その選択こそ、僕が気づかないだけ繰り返したことの結果だったのかもしれない。

 

 何もかもが理解出来ない現状をしてしまった最中で、誰かが笑ったような気がして。

 

 右腕が振り下ろされようとした。

 それと同時に彼を切り裂く僕がいる。

 そんな地獄の光景を観測した天音はその場で何もすることなく地べたに座り込んでた。

 

 ――――ヤ、ヤメロォオ!!!

 

 何故だか、そんな誰かの絶叫が頭の中に響き渡った。

 

 ◇

 

 世界が終わる。ねじ回る。

 パラパラ漫画の如く、それは無理やりに終わらせた。

 パタンと本を閉じる。

 きっと誰かじゃない誰かが、その本を閉じた。

 

 誰もが救われない世界を読み漁る読者が皮肉気に微笑む。

 彼女は何処にも居て、何処にも存在することを許されない。

 

 「彼女がこうなることを予測できていたけどね」

 

 自身の存在として欺瞞していた黒い包装のそれを手に取る彼女。

 

 「まあ、運が悪かったとしか言いようがないよね」

 

 教室の窓から見える空は、継ぎ接ぎだらけで子供の落書きにしか見えない出来栄えだった。

 彼女の言葉に賛同する声は何処にもなく。

 

 「うん、うん。さて、物語は漸く動き始めれるぞー」

 

 誰に対しての言葉か解らないことを言いながら、その少女はその場を後にしたのだった。

 

 





 次回の投稿は9月1日を予定しております。
 出来る限り毎日投稿を目標にしておりますが、如何せんどうにも筆が止まってしまう作者をお許し下さい。


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017 紅蓮迷宮

 書き直しては、書き直しては修正を重ねて漸く投稿出来ました。

 さて、それでは前回のあらすじ説明です。

 ● 目的の教室で死体を積み上げる天音の兄さん、久留里四葉を発見。
   突如、四葉が乱心(?)したのか天音を殺そうとしてそれを迎撃し魔術破戒で殺してしまう主人公。

 ● 謎の彼女が本を読み終えて、何か不吉なことを言ってフェードアウト。

 それでは、本編をお楽しみください。




 ザー、ザーと雨の音。

 暗闇に一人、そこに居る僕。

 空っぽの心、満たされない自己愛。

 誰も見ない。

 誰も期待しない。

 その事実から逃げて、夢を見る。

 眠っては覚め、また眠っては覚める工程を繰り返す。

 愚直にそれをする僕を誰も見向きもしなかった。

 

 現実とはそんなものだ。

 いつだって、才能にあふれるヤツにしかスポットライトは当たらない。

 成功者とはそういう類の人間のことだ。

 

 手の平を見る。

 きっとこの手には拭えない罪がこびり付いてる。

 それが嫌で、認められなくて僕は逃げたというのに僕はそれを何度も見てしまう。

 

 「嫌だ。嫌だよぉ」

 

 何が。嫌で。何が、どうして――――。

 

 何処までも暗闇の世界で独り上を見上げる。

 果てのない暗闇が続くだけの世界が見えるだけだったけど、誰かが見てくれていることを願ってした。

 でも当然、何も見えない。

 

 ザザザ。ジー、ジー。

 ザー! ザー!

 

 ノイズが激しくなる。

 視界が砂嵐になる。

 またチャンネルを変えないと、僕の現実はそれで終わってしまう。

 

 また夢の世界に戻ろうと、僕はまた眠る。

 誰かが僕を呼ぶ声など届くことは無かった。

 

 ◇

 

 鮮血。血がブシャア、と傷口から吹き出す。

 クラクラさせて、グラグラと地を踏めない男を前に僕は突っ立てることしか出来ない。

 

 「イヤァアアアアアアアアアアア!!!」

 

 背後から天音の悲鳴。

 その叫びを聞いても何が何だか理解出来ない。

 男の顔はモザイクだらけで、吹き飛び裂けて散っていく身体はこの世界が現実でないことを伝えてく。

 塵となって消滅しようとする四葉。

 それを何とか食い止めようと足掻く四葉。

 何故、彼はこんな凶行をしたのか理解が出来ないし、どうして僕はそれを迎え撃つという行動に出たのか解らない。

 只、そうしなければならないと思って切り倒した。

 また殺した。

 また誰かの命を奪った。

 人殺し。

 敵意を自分に向けられた訳でないというのに、僕はそれを行った。

 どうして。

 どうしてどうしてどうして、と僕の頭の中の誰かは呟いた。

 自分が壊れたオーディオみたいで気持ちが悪かった。

 

 「泣くな、天音」

 

 雨の音。

 倒れる誰かは天音に言った。

 血だらけで、死にかけだというのに男は言葉を必死で紡ぎだす。

 その僅かしかない猶予を消費してまで、彼は誰かに言葉を贈ろうとしていた。

 

 「これで良い。これで良いんだ。オレたちは夢。所詮、叶うことのない幻だ。だから、こんな最期で十分、満足できる。悪かった。こうでもしないとそいつがオレを殺さないだろう?」

 

 呆然と見ている。

 突っ立って、見てるだけのでくの坊な僕がそこにいる。

 僕の後ろにいた天音はいつの間にか、倒れている男を抱き寄せていた。

 

 「どうして? どうしてそんなことをするの? 解らない。解らないよ、兄さん」

 

 後ろから見ているから天音の表情は見えないけど、泣いてるのがよく分かった。

 嗚咽が混じる声だったからよく分かった。

 

 「お前は、そればっかりだなぁ」

 

 ゴホッ。ゴホッと咳き込む彼の身体は消えていく。

 身体の下半身はもう無かった。

 

 「でもな、天音。これで良い。これで良いんだよ。こうして死ぬのが運命なんだ。それに逆らっちゃいけない」

 

 死体となる男の手を握る誰か。

 雨の音は一層激しくなるばかりだ。

 

 「七瀬勇貴、コントロールルームだ。コントロールルームを目指せ。そこに奴がいる」

 

 カチカチカチ。

 誰かが物語に干渉しだす。

 ノイズが増して視界がまた壊れていく。

 いい加減にこればかりだと文句が言いたくなる。

 

 「奴だ。世界を終わらせる鍵を握る奴が待ってる。鍵はお前がよく知ってるモノだ」

 

 鍵が何なのかは言わない。

 けれど、それが何なのかは想像出来た。

 

 「――――え?」

 

 ザー、ザー。

 消える。消える。消えていく。

 モザイクの頭しか残されていない誰かはそれを僕に伝えた。

 

 「奪われた男。憤怒する人形。怒れ、怒れ、憎むな。止めろ。オレは。オレは! クソ、ダメか。もう消える。嗚呼、消えていく。……駄目だ。いや、良かった。バグだ。バグで、エラーになって良かった。邪魔をして良かった。これで、良い。だから。だから――――」

 

 声だけ響き渡る。

 世界が塵となって消えていくように視界がブレる。

 

 「だから、天音、泣くな」

 

 声が途絶える。

 グラグラと大地が揺れる。

 強い地震が起きてとてもじゃないが立ったままでいられない。

 

 「うわっ!」

 

 崩壊する。

 何がって全てが崩れていく。

 教室の壁が罅割れていって、パキパキと卵の殻が割れる音がする。

 

 目の前に膝をつく天音に向かって手を伸ばそうとする。

 そこで天音がこちらに振り返る。

 鼻水と涙でぐしゃぐしゃの顔を向けて、あの天音がするような表情を向けている。

 

 チクタク、チクタク。

 秒針を逆さまに回りだす。

 いつか見た、巻き戻りが始まる。

 落書きの世界を書き直し、神様は再び、トライアンドエラーを綴る。

 

 きっと、この時に誰かの繰り返しは始まった。

 報われない願いを求めて足掻く少女が生まれたのだった。

 

 幻想は願う。

 存在を許されない自身と死んだ  を求める。

 

 そこで僕の意識は逆行する為に一度、閉ざした。

 

 ◇

 

 妖精の断末魔。

 ピギャア、ピギャアと耳障り。

 欺瞞を殺して、次のステップは無理やり始める。

 

 「随分と呆気ないものだったな」

 

 目を細める男。

 安心する男は鎖を現実化(リアルブート)させては夢の世界を書き換えていく。

 その為には不必要だと切り捨てた幻想を再生しなくてはならない。

 

 「しかし、ここまでするとは余程の執念だな」

 

 男は嗤う。けれど嗤われてもいる。

 見えない誰か。上に存在する上位種が哀れな愚者を嘲っているだけだ。

 そのことに男は気づくことは無い。

 だってそれ以上の干渉を男は気づけないように設定されているのだから仕方ない。

 

 「ククク。これで、これで漸くだ」

 

 願望を叶えろ。

 序章の幕が上がった。

 プロローグを更新する時間がやっと来る。

 

 「始まりを。始まりを開始する。再現の夜を、再現の夜を始めよう」

 

 ノイズが混じる。

 約束された勝利を掴め。

 愚か者は無様でも立ち上がろうとしている。

 夢の中であんなにも殺意を向けられて、それを感じられない哀れな実験体を見つめる。

 キュルルル。

 テープが逆再生。圧縮されたデータを送り込むのは準備万端。

 邪魔者は消した。今度こそ、消した。

 順調だ。順調に、邪魔な小娘どもは排除した。

 

 「ククク。さあ、舞台の幕は上がった!」

 

 歓喜する男の名前を知る者は居ない。

 その目的も何もかもが書き換えられた愚者はこうしてコントロールルームを掌握することに成功した。

 

 だが、男は忘れている。

 徹底的に見逃している。

 

 だが、それで良い。

 そうでなくては物語は進まないのだから。

 

 ◇

 

 堕ちる。

 堕ちる、堕ちる、堕ちては、やがて融けていく。

 意識を夢に逃がしてく。

 散り散りになった記憶の維持をダーレスの黒箱は与える。

 余計なことは考える必要はない。

 夢の世界に逃げる僕を誰も見ない。

 誰にも見られない。

 だから、誰も僕を責めない。

 

 暗闇の夢を見る。

 身体の半分が沼に浸かっている自分を誰も助けない。

 

 それで良い。これで良い。こんな夢の世界に浸れるのだから、それで良い筈なのに。

 

 ザザザ。

 ――――ダーレスの黒箱を探しなさい、勇貴さん。

 

 電波が乱れる。

 声が聞こえる。

 誰も見向きもしない筈なのに誰かは僕を見てくれてる。

 

 ――――貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破戒するしかないのです。

 

 救われない。救われない僕。

 いつか。

 いつかこんな逃げてる僕にも誰かと一緒に笑えることが出来るのだろうか?

 

 ――――大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。私のヒーローなんですから。

 

 その問いに誰も答えない。

 答えなかったけど、でももう答えてくれているような気がする。

 矛盾。

 嗚呼、とても矛盾してる。

 

 だというのに、どうして僕は独りになることから逃げだそうとしてるのだろう。

 

 ズブズブ。ズブズブ、沼に堕ちていく。

 身体はもう暗闇から抜け出せない。

 

 意識はそこで反転する。

 嗚呼、夢が覚めて――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと目が覚める。

 ベットから起き上がると、そこにはいつもの僕の部屋が見える。

 モノが散らかった、いつも通りの部屋。

 

 「――――夢?」

 

 何処からが夢なのか。

 何が現実で、何が本当で、何が正しいのか解らない。

 起き上がったというのに、意識はちっとも休まっていない。

 

 「何なんだ?」

 

 天音の兄さんを殺す夢。天音が僕を憎んで、殺す夢。

 知っている人、助けてくれる誰か。助言をくれるだけで存在が消えていく現実。

 どれもが現実のようで、それらが夢だったのではないかと疑ってしまう。

 

 「そうだ。あれが全て夢じゃないのなら、持ってるんじゃないか?」

 

 まだあの時間に僕が戻っていないのなら、制服のポケットにしまい込んでる筈だ。

 まだ重たい身体を引きずって、ブレザーのポケットにしまい込んだモノを探す。

 

 「有った」

 

 お目当てのそれを取り出す。

 黒くて、手の平サイズの罅が入った蓋が開かない箱。

 無骨なそれを手に取って、全てが現実だったのだと悟る。

 

 カチカチカチと時計の針が回る音。

 まだ朝になっていないのか、カーテン越しの窓から見える景色は暗かった。

 時計を見る。

 時刻は、まだ五時になったばかりだった。

 

 「今、一体、いつなんだ?」

 

 正確な日付が解らない。

 前も蜘蛛に殺されたのは、日付を確認しようとして部屋から出たのが原因だった。

 なら、今は油断するべきじゃないと思ったけど、何故だか、中庭に向かわなくていけない気がした。

 

 ――――七瀬勇貴、コントロールルームだ。コントロールルームを目指せ。そこに奴がいる。

 

 天音の兄さん、四葉さんが最期に言っていた言葉を思い出す。

 そうだ。そこで、鍵を握る男が待っていると言っていた。

 

 だが、今、その奴があの場所にいる保証は無い。

 

 「いや、行こう」

 

 どうしてか今、行かなければいけない。

 今、行かなければ会えない気がして仕方ないのだ。

 

 寝巻から制服に着替える。

 その一連の動作をするだけなのに何故だか落ち着かない自分。

 心が此処に在らずと言った感じだ。

 どうにも落ち着かない。

 

 ハヤク、ハヤク行けと本能が叫んでる。

 

 ドアを開ける。

 何時だって廊下には灯りが点けられていて、明るかった。

 中庭に向かおうとして、そこで気づいた。

 

 前の方に誰か人が立っている。

 こちらを待つ誰かは、少女だ。

 よく知る少女はそこで立って、走りだそうとする僕を待っていた。

 

 「今日はまた随分と早い時間に起きるんだな」

 

 前の時間の天音とは違う、いつもの天音。

 それと同時に僕を殺した天音によく似ている天音が不満げな顔をしている。

 

 「――――おはよう」

 

 知り合いに会ったら挨拶をする。

 それなのに、どうしてかそんな言葉を口にするのも億劫に感じている。

 

 「ああ、おはよう。しかし、相変わらず鈍いんだな」

 

 怒ってる。

 天音はどうしてか怒ってる。

 何がそんなに腹立たしくしてるのか、本当は僕もよく分かってる。

 

 「知ってたんだ。この世界のこと」

 

 本気で誰かを殺したいと思ってる人の顔。

 憎悪している少女の想いを知らない振りをしたかったけど、それを許してはくれなさそうだ。

 

 「知ってた。知ってるからなんだって話だけどな」

 

 天音はこちらを殺す気で待ち伏せていた。

 部屋から出なければ良かったんじゃないかと思ったが、それでも今、向かわないといけない気がした。

 

 「退いてよ」

 

 イメージする。

 これまで通り、敵を殺してきた魔剣を現実化(リアルブート)する。

 

 「――――退くと思う?」

 

 多分、天音はコントロールルームにいる誰かを知ってる。

 そうじゃなければ、こうして邪魔をしない。

 それが正しい選択なのだと言うことがよく分かった。

 

 「思わない」

 

 悲しい。

 ひたすらに悲しい。

 何だって僕は彼女に剣を向けなければいけないのか解らない。

 

 「でも、退いて貰わないといけない」

 

 カチカチカチと神様は改竄する。

 都合のいい世界へと今も変えていっているのだろうか。

 それもこれも確かめるには、コントロールルームへとたどり着かなければならない。

 

 「断る。此処で邪魔をすればアンタは夢を終わらせれない」

 

 いつか見た彼女(あまね)の夢はきっと四葉さんが死なない世界のことなんだろう。

 でもそれは、本人が望まない願いだ。

 死者を死なない為にするだけの天音の身勝手な願望に過ぎない。

 

 「そっか。それもそうだ。なら、やることは決まってる」

 

 構える。

 最早、話し合いは終わった。

 決断は迷ったら、それこそ最悪な未来しかやって来ない。

 そんなことはとうの昔に体験している。

 

 夢の終わりを告げろ。

 その剣を向けることは対象の死を意味してる。

 構うな、それは相手も理解している。

 迷うな、それは天音だって知っている。

 さあ、救いを求めて剣を取ろう。

 この世界を終わらせるにはそれしかないのだから。

 

 「決まってる? 決まってるですって?」

 

 だと言うのに少女(あまね)はえずいてる。

 誰に聞かせることのなかった決意が吐き出そうとしている。

 それを聞き遂げる必要はなかった。

 

 「決まってなんかない。決まってるだなんて可笑しい。そんなの間違ってる!」

 

 地団太を踏む天音。

 空気が重くなり、何かが罅割れる音がする。

 僕の言葉に天音の何かが気に障ったみたいだ。

 

 無視して、身体の中のスイッチを切り替える。

 天音の中にある殺意衝動が爆発寸前でいつ着火しても遅くない。

 

 「間違いじゃない。間違ってなんかいない」

 

 だから、天音の癇癪を突き放す。

 駄々をこねるそいつの想いを無視して先を目指す。

 在ったことを無かったことにするなんて間違いだと頭の中で理性が訴える。

 

 「間違ってるだって? 間違いじゃない、これは間違いじゃない!

  ――――だって、あんまりじゃない、あんなのが最期だなんて」

 

 声にもならない悲鳴、叫びが世界に響き渡る。

 

 「お前に殺されて良かったなんて、あんまりじゃないか!」

 

 膨れ上がった殺気が更に膨張するように、争いの火蓋が切って落とされた。

 

 





 次回の投稿は9月2日を予定しております。

 第2章も佳境に入りました。
 いやー実に長かった。
 ここまで書くのに時間を大分掛けてしまいました。
 続く第3章も書き終わるのにどれぐらい掛かるのか想像できません。
 作者としては、この『バッドエンド・ガールズ』は全5章で完結させる予定なんですよぉ……。


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018 ありとあらゆる魔術を破戒する幻想殺しの魔剣と知れ


 明日、投稿すると言って続きを書いていたら、なんかなろうの方ではPVがやたら有ったので思わず続きを投稿してしまいました。
 誰かが見てくださってるって思うと、スゲー、嬉しかったです。
 それでは、本編どうぞ。



 

 「お前に殺されて良かったなんて、あんまりじゃないか!」

 

 少女の慟哭、悲鳴、叫び。

 混じり混ざった負の感情が爆発した。

 

 「――――っ!」

 

 息つく間もなく駆け出す僕。

 天音の殺気に呼応するようにそれが現れたのを視認出来たから、止まる訳にはいかなかった。

 僕と天音の距離は十メートルも離れちゃいない。

 全力で走れば、数秒も掛からず魔術破戒(タイプ・ソード)を天音に振るうことは可能だろう。

 

 ――――が。

 

 それは、天音の背後のそれが無ければの話だった。

 

 「あ、あぁアア!」

 

 邪魔をする。

 圧縮された空気が腹に叩き込まれた。

 予備動作だとかそんなものを蜥蜴が振るった素振りは見えなかった筈だ。

 だが、結果的に僕の腹にそれが放たれた。

 否、それは確実に僕を殺そうとしていた。

 咆哮も何もまだしてないと言うのに、それは天音の背後に現れてから僕を襲ったのだ。

 

 パラパラと瓦礫となる校舎。

 これだけの騒音だと言うのに、誰も部屋から出てこないのは、確実にこの現実に誰かが干渉している証拠だ。

 関係ない。

 考えるな。

 

 痛みを堪えて、体勢を立て直せ。

 そうしないと次が来る。

 天音がキッと僕を睨んだ。

 

 ――――来る。

 第二の攻撃が繰り出される。

 

 手に握られた輝く剣を支えにして、脚に力を込めては右へジャンプする。

 

 窓ガラスが割れる音。

 壁が拉げたことを理解する。

 見えない攻撃が僕を殺そうと蜥蜴が尻尾を床に叩きつけた。

 

 振動。地響き。地が割れる。

 眩暈がする。

 グラグラと地響きがして上手く走れない。

 今ので天音との距離は三メートルも離れてしまった。

 圧倒的な力の差に近づくことも出来ない。

 

 光輝く剣を構える。

 未だその刀身に目映い光を纏わせるそれが、そんな僕の心情を跋扈するように見えて頼もしく思える。

 

 「ま、だ。まだまだ!」

 

 脳が実力差を理解する。頭が割れるように痛い。

 起き上がって距離を詰めようともそれを灰色の蜥蜴が許さない。

 

 「グゥルルルルルル!」

 

 舌を巻く怪物。耳障りな咆哮。聞くに堪えない雑音が校舎を破壊していく。

 獲物を前に舌なめずりするそいつを見て、駆け出す。

 馬鹿正直に真っすぐ向かうから、動きを捉えられたのだ。

 今度はジグザグ、ジグザグと変化をつけて走ることにする。

 

 一メートル。呼吸を止めて走る僕。

 僅かに詰めた間合い。

 それでも天音に魔術破戒(タイプ・ソード)は届かない。

 爆ぜる世界。

 立ち止まったら一瞬でも殺される。

 息する暇もないから、只管に距離を縮めるほか道はない。

 

 「――――っち! いい加減、くたばれ!」

 

 罵声。基、苛立ち。

 数秒とういう攻防に対し、焦りだす天音。

 もしかしたら蜥蜴をさせるのにも時間制限があるのだろうか?

 

 それならばこちらに勝機がある。

 こちらは只、逃げ回れば良い。

 そうすれば、天音にこの魔剣を突き立てることが出来るのだ。

 

 そう思うと同時に嫌な予感を感じた。

 ジグザグに近づいてきてるのに焦った彼女が腕を振るう。

 蜥蜴任せにしていたスタイルから一変し、空気が重たくなるのを感じた。

 

 「――――え?」

 

 身体に得体のしれない重力が掛かる。

 負荷が掛かった身体は当然、その突然の負荷に耐えられる筈がない。

 耐久力は一般人と変わらない僕はあっさりとそれに屈する。

 

 「――――グゥウウウルルルル!」 

 

 バランスが崩れて、転んでしまいそうになる。

 それは、相手にとって絶好のチャンス。

 この隙を逃す天音ではない。

 

 スローモーション。

 時間が永遠になる瞬間。

 走馬灯でも見える気がする。

 一秒のそれが遅く、そして背筋を凍らせて死を伝えにやって来る。

 

 剣が眩しく輝く。

 不思議とそれが何を伝えたいのか理解した。

 僕はその不思議な感覚に身を任せるように、瞬時に身体を起こして、横凪へ振るった。

 

 見えない刃。

 死を誘う攻撃。

 言い換えればキリがないそれに向かって一撃が繰り出される。

 

 さあ、目を見張れ、その一撃はありとあらゆる幻想を殺す一撃だと知れ。

 

 「――――な、に?」

 

 必殺の一撃が放たれた。

 それは僕を殺すに相応しい一撃だった。

 けれど、それすらも凌駕する最強のチートが僕の手にある。

 繰り返す。

 その光り輝く剣こそ、ありとあらゆる魔術を破戒する幻想殺しの魔剣と知れ。

 

 「あり得ない」

 

 ぺしゃんこ。死。今までの記録では圧倒的な殺戮の能力。

 彼女の中の最強のチート。

 でも、それは僕が持ってる最強のチートには敵わない。

 

 「あり得ないでしょ。そんな能力(ちから)、アタシ知らない!」

 

 彼女は知らない。

 僕の繰り返しを見ていない。

 この天音はこの夢の中での繰り返しをしているだけに過ぎないのだろう。

 外の世界へまだ辿り着けてない、天音が見たかった、もしもの天音は瑞希ちゃんの最期を知らないのだから無理もない。

 まあ、そんなものは関係ないけど。

 

 ブン、と振るう。

 空気が変わる。世界を変える。

 嘘まみれのそれを終わらせようと(あまね)を見据える。

 

 「知らなくて結構。さあ、終わりにしよう」

 

 十メートルをきった。

 一撃が届くにはまだ先は長い。

 けれど、それも時間の問題だ。

 この一撃は、天音には届く。

 

 「ふ、ふざ、けるな」

 

 駆け出す。

 背後のモノが崩れだす。

 校舎は崩れる間近かもしれないが関係なくそれへと目指す。

 

 「く、来るな」

 

 天音は恐怖する。

 自身が誇る死の一撃をものともしない怪物を前に足が震えてる。

 未来を夢見た少女は消滅を恐れているのだ。

 

 「来るな。来るな来るな来るな来るな、」

 

 吸って、吐く。

 ジグザグ、ジグザグ駆け出して剣を振るう動作を少しでも軽減させては残り四メートルの距離を詰める。

 

 灰色の蜥蜴は天音の背後に縦横無尽に僕目掛けて見えない攻撃を繰り出すもそれを何度も魔術破戒(タイプ・ソード)で往なす。

 

 「グゥルルルルゥラァアア!!!」

 

 もう蜥蜴の咆哮なんぞ怖くない。

 怯えるようなそいつ目掛けて一撃を繰り出せば何もかもが終わるのだから仕方ない。

 

 迷うな、駆け出せ。

 そんなものは願われてないとお前は気づいているだろう。

 

 「――――っ来るなぁあああ!!!」

 

 一瞬。

 脳に掠める誰かの笑顔。

 ついに僕をヒーローだなんて言い出した少女の姿が朧気に見えた。

 

 幻想の断末魔が響き渡る。

 圧縮された死が乱雑に放たれるのを魔術破戒(タイプ・ソード)を以て切り裂いては、残り一メートルの間合いへと足を踏み入れて。

 

 ――――だからですよ。貴方の傍に居たいだなんて思えるんです。

 

 いつか見た真弓さんの言葉が頭の中に再生されて。

 天音の身体を手にした剣で切り裂いた。

 

 血は出なかった。

 数秒後にやって来るアストラルコードの粒子が塵となるだけだった。

 

 「あ、ぁあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 裂かれた天音は首を胸元へと向けると、そのどうしようもない傷を見て、今度こそ己の死を理解した。

 酷い断末魔だ。

 雑音染みた悲鳴が鼓膜を震わせ、その消滅(おわり)を視認したのだった。

 

 ◇

 

 「――――ッハ!」

 

 意識が覚める。

 悍ましい殺意に身を委ねていた気がする。

 汗が止まらない。

 脳に先ほど見た夢がこびり付いて離れない。

 

 「ぅう」

 

 酷い悪夢。

 出来の悪い死を夢として見ていた気がする。

 

 ジジジと幻聴が聞こえる。

 

 「ゆ、夢だよね?」

 

 震える身体を抱きしめて、冷静になろうと起き上がる。

 静寂が包まれた部屋。

 上を見上げれば白い天井が見えた。

 知らない天井だ。

 

 「というより、ここは何処?」

 

 と言うより、アタシは誰?

 

 自身の名前が思い出せない。

 どうしてこの部屋にいるのかさえ思い出せない。

 どうやらアタシは記憶を失くして、この部屋に眠ってるらしかった。

 

 「暗い? 夜なの?」

 

 白いベッドから身を起こして、近くにある窓から外の景色を見る。

 お星さまが綺麗なものだと悠長に感じてしまうアタシは楽観していることに気づいた。

 

 「――――綺麗」

 

 夜空を見ていたら、いつの間にか先ほど見ていた夢のことなど忘れてしまっていた。

 今日は月が綺麗だ。

 何故か、そんな言葉が口から出ていた自分がいた。

 

 ◇

 

 パラパラと崩れそうな校舎を後にした僕。

 先ほどの戦闘で身体が無理をしていたらしく、所々が痛くて仕方ない。

 

 「っつぅ」

 

 目指す先など知っている。

 コントロールルームと呼ばれている場所はあの不思議なオブジェの先にある。

 日が昇っているというのに人っ子一人見かけない。

 全身の痛みを堪えて、兎に角、中庭へと足を運んだ。

 

 ピーガガガ。ピー、ピーピー!

 

 ノイズ。雑音。それは、警告音(アラート)

 全身に汗が吹き出し、後数歩で中庭にたどり着くというのに足を止めた。

 

 ザザザ! ザー、ザー。

 相変わらず電波が乱れた幻聴。

 世界は一瞬たりともバグを見逃さない。

 異常を感知したプログラムが補修しようと矛盾を排除しようと躍起になる。

 

 ウー、ウー、ウー。

 ピーポー、パーポー。

 稚拙でチープな効果音(サイレン)が鳴り響く。

 どうやら、バグとして僕は認知されたらしい。

 エラーは最も許されないバグだと決めている。

 

 瞬きする。

 その一瞬を突いて校正プログラムを主張するそれが出現した。

 

 「エラー発見! エラー発見! 早急な対処を求めます。迅速な排除を優先します。エラーです。エラーです。繰り返します。エラー発見! エラー発見! 早急な対処を求めます。迅速な排除を優先します。エラーです。エラーです」

 

 目の前に見知らぬ男子生徒が現れる。

 声を出して叫ぶ姿が酷くチープに見えて仕方ない。

 繰り返す暇があるなら、お前が対処しろと一々文句を言いたくなる。

 

 「エラー発見! エラー発見! 早急な対処を求め、」

 

 すぐさま、魔術破戒(タイプ・ソード)で喚き散らす男子生徒を切り倒す。

 とても耳障りで仕方なかったから別に気にしなくても良いよね。

 

 ウー、ウー、ウー!

 ピーポー、パーポー!

 喧しく幻聴が鳴り響く。

 どうやら悠長にしてる時間はないらしい。

 

 中庭のオブジェに走り込む。

 一秒、一秒と時間を掛けないようにしてもモブな生徒が邪魔をしようとやって来る。

 チートを持っていようとも、これでは数の暴力だ。

 キリがない。

 どうにも僕の存在が神様にとって邪魔らしい。

 実に憎たらしいことこの上ない。

 死ねばいいのに。

 

 「じゃ、ま、だ!」

 

 オブジェに向かって走って、後数歩だと言うのにバランスが崩れて足がもたつく。

 何かに足首を掴まれて、思わず転倒しそうになる。

 

 「嘘、だろ!?」

 

 ワラワラとモザイクな顔の生徒が現れては邪魔をする。

 後、もう少しで交信の杖へとたどり着けるというのにこれでは、もうどうしようもない。

 

 ガシ、ガシと徐々にそいつらに埋もれていっては揉みくちゃにされて動けない。

 嗚呼、どうしていつもこうなんだと泣き崩れてしまいたくなる。

 自分の意志も持てない癖に邪魔しないで欲しい。

 徐々に意識が闇に埋もれていく。

 まだだ、まだだと奮起しても状況は何も変わらない。

 寧ろ、悪化していく。

 

 ――――だと言うのに。

 

 「邪魔すんなよ。この先に行くんだ。行かなきゃ、いけないんだよ! この先に――――」

 

 この手にまだ希望を握りしめている。

 腕が振るえなくても、それを手放すことは頑なに拒んでる。

 耳障りな誰かのガイダンスが聞こえる中で現状の打破を諦めない。

 

 「――――この先に待ってる奴に会いに行くんだ!!!」

 

 暗闇となる視界。

 沼に浸かっていく錯覚。

 藻掻き苦しむ中で、それはついに訪れる。

 

 「ウオラァア!!!」

 

 唐突に声が聞こえる。

 僕を友達だと言った男の声が聞こえたのだった。

 

 声が響き渡る中、一瞬にして視界が晴れる。

 目に見える現実が光を帯びてそれを視認する。

 

 温かな光。焼き付く生徒たち。

 自身の身体に何の熱量も感じさせない、幻の焔。

 

 「よぉし! ――――今だ、ルイ!」

 

 ガシっと身体を支える誰か。

 その叫びと共に僕の身体を押し上げる、いつの間にか居なくなっていた友達。

 

 「任されたぁあ!!!」

 

 真弓さんを助ける時と同じように何故か動き出す鉄塔。

 開かれる門。

 そこへ、ヒョイッと放り込まれる僕。

 

 「頑張りなよ、僕の親友(ユーキ)

 

 その声を聴くのは酷く懐かしく感じた。

 

 数秒も経たず、ゴゴゴと門は閉じられた。

 二人の友達の頑張りは見れなかったけど、けどそこにある確かな絆は感じられた。

 

 





 次回の投稿は今度こそ9月2日を予定しております。
 今度こそ、それは絶対です。
 まあ、なろうでもこちらでもPVが凄い上がったのなら喜んで続きを書きましょうかな。
 まあ、投稿するにしてもプロットすらまだまともに出来てないから困っちゃうんですけどね。



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019 吉と出るか、凶と出るか


 昨日投稿すると書いておきながら、投稿が遅れたこと、誠に申し訳ございません。
 前回のあらすじをざっくばらんに説明すると、

 ● 天音と決着!

 ● 中庭に行くとそこにはモブ生徒が交信の杖に行くのを邪魔してくる。
    ↓

   それをよく知る友達二人が助けてくれて、無事に交信の杖から中に入る。

 それでは、本編をお楽しみください。


 

 カツン。

 暗闇の底へ向かって降りる。

 閉ざされた門を後にして、目指す先に何を求める。

 踏み出す一歩。

 踏み出した一歩。

 その一歩、一歩の一つがとても重い。

 

 ――――カツン。

 階段を一歩を降りる度に見たこともない記憶が蘇る。

 

 誰もいない部屋。

 沈黙が支配する世界。

 独りきりの生活で、悩みは誰にも相談出来ない。

 

 「何で、なんだよ」

 

 ちっぽけなプライド。

 この胸を抉った古傷が疼く。

 

 ――――「大丈夫、大丈夫。コイツはそーいうのしないから」

 

 打ち付けられた心。

 もう痛まない心。

 その傷はもう見なくて良い悪い夢になったのだから。

 

 ――――「そうそう! だーかーらー、こうするのは正しいんだよぉお!」

 

 誰も味方しない。

 僕の心は誰も救わない。

 声がする。

 声たちが聞こえる。

 暴力だ。

 何もかもが無駄であると訴えるそれを前に僕は足を止められない。

 

 ――――「ギャハハハ! ぐぅえ、だって! 口をパクパクさせてやんの、金魚かってーの!」

 

 痛い。

 痛くて痛くて、頭が痛い。

 見たくないモノが見えてくる。

 胸にぽっかりと穴が開いたように虚しさばかりが溢れてく。

 

 ――――「おいおい、止めてやれよー。イテェんだってさ、このグズ言ってるよー」

 

 「何で、こんなことしか思い出せないんだよ」

 

 本当の僕って何だろう?

 本当の記憶って何なんだろう?

 問いかける。

 何度も、何度も心の中で問いかける。

 

 真実は正しい。

 だってそれは本物だから、正しい。

 真実とやらは、本物でとても眩しいものだから、きっと大丈夫。

 この一歩進んだ先に待つ誰かはその正しいってことを何よりも理解していることだ。

 間違いない。

 正しいから正しい。

 たとえ、それが自分が見たくないと閉ざした記憶だろうと僕が進むために必要な希望になると思うから。

 だから、間違ってなんていない。

 

 ――――「ハア、ハア」

 

 息遣いが激しい。呼吸することが困難だ。

 立ち向かおう。

 この夢を築く誰かと。

 立ち上がろう。

 見ない振りして逃げている僕が。

 

 馬鹿げてる。

 馬鹿げた話だ。

 

 ――――「ハア、ハア、ハア、ハア」

 

 胸が苦しい。喉が渇いてカラカラだ。

 どうしようもないことで。

 些細な勘違いで救われなかったとしても、この苦しみから逃れられるのならそれは、仕方のない処置だ。

 だから、この何もかもが嘘っぱちな世界をぶち壊してしまおう。

 

 ――――「やってられないよ」

 

 やってられない。

 それは、知らない記憶の何処かで僕が言っていた言葉。

 そして、それは今、僕が何故か口にした言葉。

 

 ――――「お前なんて死ねば良かったんだ」

 

 想像する。

 背後に警察官が僕を見ている。

 硝子の向こう側にいるよく知る母親が僕に向かって贈った罵声。

 死ねば良い。

 嗚呼、死ねば良かった。

 誰からも必要とされない自分など見向きもしないのだから、そうすれば良かった。

 救われない。

 救われなくて、とても悲しく痛かった。

 何故、自分だけがこんな辛い思いを背負わなくてはならないとは、なんて神様は酷い奴なんだと文句の一つも言いたくなる。

 でも言えなかった。

 神様なんて存在は僕の前に現れなかったからだ。

 

 「こんなことしか、僕には残されてないのかよぉ」

 

 誰の指図もない。誰の意図もそこにはない。

 只、僕が一番に印象的に残った記憶だからでしかない。

 名前よりも大切で、良かった記憶なんかよりも大事なことだったから、この記憶は僕の深層心理の中に残っているだけに過ぎない。

 それが、とても悔しい。

 それが、とても嫌だ。

 こんなことなら、僕のことなんか放っておいて欲しかった。

 

 カツン、カツン。

 暗闇を只管、下りていく。

 螺旋状の階段を下りては、こんな筈ではと後悔する。

 

 ジジジ。

 ノイズだ。ノイズが僕を狂わせる。

 いや、狂わせてなんかいない。

 僕が見たくないと願ったそれを見ない振りで解決させようとしているだけ。

 たったそれだけの思いやりだというのに、何故だか僕はそれを忘れてしまっていた。

 

 ――――「私の名前? ああ、そういえば教えてなかったっけ」

 

 始まりの僕。

 一度目の僕。名前は既に捨てた僕。

 記憶のない僕。

 僕、僕、僕。

 全て、僕がそれを願ったから、こうなった。

 

 いつの間にか頭の中を流れていた記憶が途切れ、見えなくなっていた。

 暗闇の底に着いたみたいで、どうやらこれ以上、下は無いらしい。

 

 ピーガガガ。

 

 灯りが点く。

 真っ暗闇のそこに明るさが取り戻された。

 そこには前に訪れた時と同じような大理石で出来上がった壁と柱で構築された部屋。

 その奥に真弓さんが寝そべっていた、祭壇が在った筈。

 でも、今は違う。

 そこには緑のドアがあった。

 あの時と違う、見たこともない鉄のドア。

 一部屋に続く扉がそこにポツンと備え付けられている。

 

 失った記憶、夢の世界を終わらす鍵、僕が知りたい真実を知る誰かがその先で待っている。

 そんな気がして仕方ない。

 胸が弾む。ドクドクと血液が血脈を通る。

 血が通って、心臓がドクンとポンプの役割を果たして鼓動を鳴らす。

 和太鼓を連想されるビートで脈打つそれを感じながら、奥へと足を進ませる。

 

 ザリ、ザリと足を擦らせ、扉の前に立つ。

 

 ――――奴だ。世界を終わらせる鍵を握る奴が待ってる。鍵はお前がよく知ってるモノだ。

 

 錻力(ブリキ)の手で堅苦しいドアノブを回す。

 ドアからは錆びた鉄の悲鳴が聞こえ、開けた先の光景を僕は見る。

 

 カチカチと画面が幾つもの映像を見せる巨大なモニター。モニターを監視する為に備えられたデスクとチェア。

 監視室。

 その部屋を一言で表現するのならば、そんな言葉が相応しい。

 思えば、コントロールルームと呼ぶと言うのに、部屋の内覧ぐらい想像できるものなのに何故、思い浮かばなかったのだろう。

 まあ、そんなことを考えたところで興味もないし、意味もない。

 

 そんなことより、今は目の前のそいつのことを考える方が先だ。

 

 「ようこそ、ドン・キホーテ。いやはや、関心したものだ。君がコントロールルームへ(ここまで)来てくれて、こちらとしては嬉しいよ」

 

 部屋の巨大モニター前に、行儀よく身構えている青年が一人立っていた。

 何処かでよく見る、ざっくばらんに切り揃えた黒髪の学生服。

 日本人独特の黒目に黄色の肌は健康そのものの色合い。

 鼻立ちは高くもなく、背丈も僕と同じものだと窺える。

 実に鼻につく言い回しをする口は、何処かで見たスマイルを浮かべそうで怖気が走りそうだ。

 

 「――――」

 

 声を聴いて益々、驚きのあまりに口が開く。

 青年の顔はとてもよく似た顔の人物を知っていたから、それも無理はない。

 寧ろ、こんな奇跡みたいな体験は滅多に体験出来ることもない。

 

 「まあ、驚くのは無理もない。オレもそうだったし、そんな反応をするなと言われれば、それは無理ゲーだと言いたい」

 

 薄ら笑いが気持ち悪い。

 わざとらしく咳払いをするのも気持ち悪い。

 呆然とする僕に向かってくるその姿勢の何もかもが吐き気がしてきて悍ましい。

 

 「――――お前は、誰だ?」

 

 後ずさる。

 その姿に徐々に恐怖が湧いて来る。

 得体の知れない存在に背筋がゾッとして身体が思うように機能しない。

 

 「聞きたい? オレの名前を?」

 

 アハハハと笑い声が部屋中に響き渡った。

 

 幻。

 これは、夢。

 現実として認識してるそれも、きっと誰かが生み出した妄想に過ぎないのは理解している。

 知識として理解出来るのと理性を抑えられるかは別物だ。

 それに対して、何の感情も隔たりも無くすのは果てしなく不可能に近い。

 

 「誰なんだ?」

 

 壊れたオーディオが、実に僕に相応しい。

 同じ問答を繰り返すしかないのだから、それもやむを得ない。

 そして男がそう言うように、そうなってしまっても仕方がないと納得もする。

 

 「良いだろう。教えてあげようじゃーないか。まあ、その為に君は此処に来たのだから、当然、オレには教える義務があるんだろーしね」

 

 カツン。

 静寂に響く乾いた足音。

 息遣いが聞こえる距離、そこまで来て漸く、彼は足を止めた。

 三日月のように歪んだ口元。

 スマイルゼロ円、良い響きだ。

 

 「六花(むつのはな)。六つの花と書いて六花で、傑作の優れるという漢字の意味合いで傑とした名前。それが今のオレの名前だし、それ以上の名前を持ち合わせていない。

  ――――もっとも、君が知りたいのはそんなことじゃーないだろうけど」

 

 惜しむべくもなく、躊躇うこともなく、涙など当然流すこともなく、気味悪い笑みを張り付けた顔は毎朝鏡で映る僕の顔だった。

 

 





 次回の投稿は9月5日を予定しております。
 毎日投稿出来たらしたいですが、やる気が続かない。というより、続きが上手く書けない。筆が止まる。
 このままエタって終わることだけは絶対にしたくないので、頑張ります。


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020 受け継がれる意志

 さて、深夜遅くですが投稿することに致しました。

 前回のあらすじ!

 ● 友達二人の助けによってなんとか交信の杖の門から中に入ることに成功。
   ↓
   階段を下りてコントロールルームにたどり着く。その間、自分の記憶のようなものを見る。

 ● コントロールルームに入ると自分そっくりの男が中に居た(超ビックリ)

 それでは本編をお楽しみに!




 同じ顔の男。もう一人の自分だと名乗られたらあっさり信じてしまいそうになる男の名前は、六花傑。

 もう一人の人間を見てしまうと死んでしまうとか、よく聞く都市伝説だけど、何故かその単語が思い浮かんだ。

 

 「信じられないって顔だーね」

 

 芝居ジミた男の口調。

 まるでこちらの神経を逆撫でにしてる感じがして癪に障る。

 何だろう、男を見ていると自分のことのように腹立たしく感じてしまう。

 

 「信じれないって言うか、何だろう、頭が真っ白になって言ってることを鵜呑みに出来ないって感じだ」

 

 我ながら情けないことに、それしか言葉が出ない。

 ドッペルゲンガー。

 言われてみればもう一人の自分なんてものが出てくるというのは創作物ならあるあるの鉄板だな、とこの時は思った。

 

 「まあ、気持ちは分かるけど。解るんだけど、この場は置いておこう。そうしよう。それが良い。それがベストだ、そうだろう?」

 

 グッと親指を立て握り拳を造るポーズは、調子に乗った僕がよくする煽りスタイル。

 実に腹立たしい。

 というか、なんか苛つく。

 

 「うわっ! 今回のオレって煽り耐性無さ過ぎってヤツか!? そんな怒らんでも良いだろうよ! 悪かった、からかったのは謝るから、その物騒な魔術破戒(タイプ・ソード)を向けるのは止めろー!」

 

 跳び退く六花。

 つーか、今、何か爆弾発言しなかったか、こいつ?

 

 「――――あ。心が読めるって能力は持ってないオレでも、今、君が考えてることが解るぞ」

 

 スゲー、エスパーかこいつとは思わない。

 誰が見たって、そんなことを言われていたらそれの信憑性とやらを疑うものだ。

 

 「そうだな。そっから話をしてやる方が君も現状を把握しやすいだろうし教えてやるよ」

 

 六花はそう言うと、おもむろに背後のデスクにあるキーボードに触れた。

 砂嵐になっているモニターの映像が切り替わった。

 誰でもない、誰かの記憶がそこには映っていたのかもしれない。

 

 途切れる。映像が切り替わる。

 ジジジと音を立てて、それが再生される。

 

 さあ、真実を知る時間が始まった――――。

 

 ◇

 

 パキパキ。

 卵が割れる。卵が割れた。

 ハンプディダンプティ。中身がこぼれて、地べたに広がる。

 透明な白身とグショグショになって掻き乱れた黄身が混じって良い感じ。

 グチャグチャ、グチャ。

 噛みしめる男は、苛立ちを隠せない。

 クチャクチャクチャ。

 どうにも外なる神は召喚された後らしい。

 

 目の前に広がる光景はそんなことを揶揄するぐらい簡単だった。

 血生臭い。

 積み上げられた死体の山。

 誰もそれを咎めない。

 誰もそれを許容する。

 許されざる罪がそこには在った。

 

 「酷いものだね」

 

 隣のバディが顔をしかめて苦言を漏らす。

 惨殺、死刑執行、罪人抹殺。惨めな最期で彩った地下聖堂。

 聖母マリアが見たら、抗議の嵐が殺到間違いなし。

 

 物言わぬ死体たちを前に黙祷を捧げる時間は用意されてなかった。

 

 「キキキ。キ、ィキキキキキ!」

 

 気味悪い鳴き声。

 それは、よく聞くと猿の鳴き声であることが解る。

 躾のなってない山猿がよくする挑発だと男は直感した。

 

 「良いねぇ。良いねぇ! 丁度、オレ様も退屈していたところだったんだ!」

 

 持っていたトランクを開けだした。

 中に入っていた魔物が喜びの声を上げた。

 奇怪なそれが狂ったように現れて、歪な魔物を作り出す。

 

 不条理。不能。出来損ない。憤怒しては、それが起きあがる。

 魔物は(マネキン)だ。

 人の形をとっていた。

 いや、それが人で有った試しはない。

 けれど始まりは人型であったのは事実だ。

 目覚める。

 目覚めた。

 瞼を開けて、眼孔に光を灯す。

 間接がグキリと鳴らし、カタカタと背中のネジを回し始めた。

 

 嫌だ。それを表現することが嫌だ。

 堪らないぐらいに気持ち悪い。

 憎悪して、嫉妬して、見下して、貶める。

 それらを愛した。それらを纏めた。

 負の感情を封じ込めて造られた殺戮人形(キラーマシーン)が銀のトランクから這い出てきた。

 

 女の顔か。それとも醜い男の形相か。

 理解出来ない。理解出来ない。

 表現をしようとしたら、気が狂ってしまう。

 

 「さーて、出てこい。腹一杯に食わせてやる」

 

 継接ぎの男。醜い形相だと誰かが噂するのも無理はない。

 男のトランクから這い出てきたそれを見てしまったら、男の歪さが嫌でも理解出来てしまうのだから、そんな噂を立てずにはいられなかったのだろう。

 

 「アズマ、ウェザリウス、  も下がってろ。コイツらはオレ様がしてやらぁア!」

 

 影絵の猿が現れる。

 キキキと奇声を現れて、自分たちを死体の山の住人に追加しようと躍起になる。

 

 ほらほら、ほーら!

 神様、神様、出番だよ!

 

 オートマンがやってくる。オートマンがやってきた。

 キキキと顔を歪ませて、人殺しを愉しんだそいつが幻想を殺しに来たんだぞ。

 

 死体を中心に円描く猿たちに向かって、這い出た人型の何かが動き出す。

 腰をくねらせ、首を百八十度回転させ、片腕を一匹の影絵の猿へと向ける。

 

 「ピーガガガ」

 

 人型のそれから音がする。

 頭部にある口から出たのでない、胸部に備えられたスピーカーから漏れ出た音声だと理解した。

 

 「ガガガ。ガガガガガガ!」

 

 突如。

 向けた腕が。

 跳んできた猿へと向かって。

 

 「――――キキキキキィイイイイ!!!」

 

 影絵の猿の心臓へと伸びていった。

 

 ズブリ。

 鮮血を流すように影が散る。

 光をかき消すみたいな感じでその身を塵となってしまうのだからそれが適切な表現だ。

 

 影絵の猿は円になる。

 宴だと言わんばかりにハシャぐ様子は子供のように無邪気さを現していた。

 

 「お手並み拝見と行きましょう」

 

 とある少女の呟きは、乱戦によって誰の耳に届くことは叶わなかった。

 

 ズブズブ、泥沼に浸かっていく。

 ドンキ・ホーテは夢を見る。

 愚か者には相応なメモリーをくれてやろう。

 

 意識が変わる。

 場面が切り替わっては、モニター越しの映像は終わる。

 ボイスは聞こえない。

 音調設備が故障したみたい。

 

 錆びた鉄の悲鳴を響かせて、ドアは開かれた。

 ドアから見覚えのある青年が入ってくるのが見えるのだ。

 

 ◇

 

 切り替わった映像。乱雑に見えた僕の記憶。

 目に映る情報がダーレスの黒箱を得て知ったことと似たことを教えてくれた。

 

 死者蘇生。

 誰もが禁忌として扱い、永遠に達成されることのない奇跡。

 

 ある男が死んだ。

 男が死ぬと、その男に親しかった者は悲しみのあまり、男の死を無かったことにしたがった。

 死者蘇生。それが叶うことならば誰もが実現させることだろう。

 夢物語を少女たちは叶えようと必死で取り組んだ。

 死者の魂を呼び寄せることが叶わない。そもそもそんな上等な魔術が出来るのなら故人たちが実現している。

 

 だから、少女たちはアプローチを変えた。

 夢という仮想世界にて外なる神を召喚する。

 そうすることで外なる神の力、の恩恵で別世界の人間の魂、転生者を呼び寄せることが出来るのならば、新しい魂を現実へと招き入れるのが可能なのではないか。

 少女たちは考えた。

 如何なる失敗も想定して、シュミレートを何度も試した。

 そうして、彼女たちは外なる神を召喚することに成功する。

 成功と呼べるか解らないが、確かに、自分たちとは別次元の人を喚ぶことが叶った。

 

 「結論から言おう。オレと君は現実世界に生きた人間ではない」

 

 説明をしていた。真弓さんと同じようで少しズレた話。

 目の前の六花は悪びれる様子もなくそれを続ける。

 

 「瑞希たちは、この地下祭壇である一人の男を喚び寄せた。そいつの名前はオレは知らないが、それでもそいつを元にオレたちは創られた。オレたちはそいつが、もしもこうなっていたらという可能性の一つなんだって教えられたよ」

 

 真っ直ぐに告げられる。

 その話が真実味を帯びているか、六花の目は雄弁だった。

 

 「名字に数字があるヤツは、幻想でない意志のある一つの魂。名前に数字があるヤツは、幻想として魂がイジられた上位幻想として扱われる」

 

 数字の名前。

 それを聞くと、二人の男が思い浮かべた。

 僕の友達。不死の鳥を象った能力の持ち主。

 もう一人は、天音の兄さん。

 四葉さんは、この事実を知っていたのだろうか。

 

 知っている。

 知っていたに決まってる。

 知っていたから、僕にこのコントロールルームに行くよう指示を出したのだ。

 

 「オレたちは、少女たちにとって代えの利く実験動物に過ぎない。ふざけんなって話だ。オレたちは人間だ。たとえ、この記憶が誰かに造られたモノだとしてもオレたちは意志がある。自分の足で立って動ける身体がある。人間でたくさんだ。人間で十分だ。オレは。オレは――――」

 

 ジジジ。

 地響き。足が竦んで立ち上がることが出来なくなる。

 

 見たくないものを見て、苦しむことに何の意味があるだろうか。

 答えない。

 誰も答えてなんかくれない。

 視界が暗闇となっていく。

 そうだ、眠ってしまえばもう現実を見る必要がないじゃないか!

 それが良い。それが良いに決まってる。

 

 それが――――。

 

 パン!

 渇いた音が聞こえた。

 目の前に色が戻る。

 見ていたものが変わっていて、見たくないモノを見ていた。

 

 「勝手に眠りこけないで欲しいものだーね」

 

 道化みたいな言い回し。

 目の前の男は何を話していたのかが思い出せない。

 

 「ふむ。思いの外、アズマのヤローも油断出来ないものだ。もう意志の(コード)を取り返しに来たか」

 

 男は遠い目をしてる。

 諦めた。諦めた。諦めた目をしていて恐ろしい。

 僕を見るな。

 僕を見ないで。

 いや、僕を見てくれよ。

 独りは、独りは嫌だ。

 誰も傍にいないのは、あんなにも辛い。

 暗闇に独り取り残されるのだけは嫌なんだ!

 

 「独りが嫌か?」

 

 三日月みたいに口元を歪ませて、男は役者ジミた動作で僕の顔を掴みとる。

 天に捧げるようにグイッと顔を持ち上げては、ジッと僕の目を見つめるのだ。

 

 「い、や、だ。嫌に決まってる。誰だって独りぼっちは嫌に決まってるだろう」

 

 その言葉を聞いて男は、

 

 「仕方がなーいなー」

 

 と言って、懐から黒い箱を取り出した。

 

 突如、頭に見たことのない記憶が刷り込まれていく。

 まるで、最初から男の目的がそれだったのではないかと勘ぐってしまうほど、それは果たされていく。

 

 黒髪の少女。祭壇を前に語る二人。

 僕と彼女は誰でもない自分を取り戻そうとして、失敗した。

 最期に見た光景。

 空を見上げても、星のない空があるだけ。

 苦しい。苦しい。苦しい。

 息が出来ない。

 モガいても、モガいても水の中で溺れる感覚。

 僕が死ぬ。

 二度目の生を奪われる。

 影絵の猿に殺される。

 痛い痛い痛い。

 身体が締め付けられる。

 喉元が引きちぎられて、四肢がバラバラに食らい尽くされる。

 

 僕が死ぬ。

 何度も殺されては、別の僕が生まれては殺される。

 記憶のない僕は新しい僕。

 過去も何もかもがその場で構築された新しい魂だ。

 

 違う。

 僕は僕だ。僕一人しか居ない。

 否定してやる。否定しなければ可笑しくなってしまう。

 僕は正常だ。僕は普通の人間だ。

 何も可笑しいところなど僕は持っていない。

 特別な能力も持ってないことは誰でもない僕が一番よく分かってることじゃないか。

 

 「そうだ。これは君の物語じゃあない。これはオレの物語だ。何だ、随分と解ってるんじゃなーいか。っちぇ! こんなことなら、こんなもん使わなくても良かったじゃねぇか」

 

 ケラケラと笑う男。

 思い出す。

 男の名前は、六花傑。

 こんな短時間の出来事をどうして忘れていたんだ。

 

 「持って行け。これを託す為にオレは此処に来たんだ。オートマンの野郎がくれた奇跡も無意味じゃねぇんだってところ見せてやれ」

 

 男の手からそれが渡される。

 心臓に向かってそれが埋め込まれていくのが解った。

 オートマンという人物が誰を指しているのかは全然解らないが、それでも何となく嫌なヤツには思えなかった。

 

 ジジジ。ジジジジジ。

 モザイクが掛かる。ノイズが乱れて六花の顔は苦悶の表情を浮かべる。

 

 「――――っ痛ぅ。ハハハ、そりゃあ、こうなるわな」

 

 ダーレスの黒箱。

 記憶を維持する為に必要な|魔道具(アーティファクト)。

 六花の身体に亀裂が生まれては苦しそうに膝を着いた。

 

 「教えてやりたいことは山ほど有ったんだけどよぉ。どうやらタイムリミットらしい。畜生、アズマめ。ヤロー、こんなに優秀だったか? まあ、良いや」

 

 亀裂から見える見たことがある男になる。

 顔面が糸で縫いつけられて出来た醜い姿に変貌して。

 クケケケ、と変な嗤いを浮かべては喪服の格好に早変わり。

 

 神様は嘲笑う。

 お前らのやっていることは無意味だと告げている。

 ポップコーン片手に指さして、拍手喝采していて腹立たしい。

 ふざけるな。

 何度、心を折ろうとも僕たちは絶対に諦めない。

 僕たちは人間だ。

 人間で十分だ。

 意志を持つ一人の人間なんだ!

 

 「――――クケケケ! 嗚呼、最悪だ。最悪じゃねぇか」

 

 ノイズが支配する。

 ジジジと幻聴。五月蝿い。

 ザザザと視界が乱れる。

 マジで鬱陶しい。

 

 男は懇願する。

 六花の姿はもう保てない。

 オートマンは必死でそれを食い止めようと僕に何かを訴えてる。

 

 「消える。消える、消える。消えちまう! オレが消える? 消えたくない。消えたくねーな。消えるなんて嫌だ! お願いだ。お願いだ! どうかオレを助けてくれ!」

 

 いつの間にか地べたに銀のトランクケースが落ちていた。

 独りでに開こうとトランクが音を立てて暴れてる。

 見るな。

 アレを見てはいけない。

 第六感が危険を伝えてくる。

 

 ザー、ザーとノイズの雨がやってくる。

 聞くに堪えない雑音が耳障りで脳が震える。

 

 「オレは消えたくない。只で消えたくない。どうせ消えるのなら、テメェのそれで殺してくれ。そうじゃなきゃ駄目だ。そうやらなきゃ、無意味になる。オレ様もアズマもこのままじゃあ、一生アイツラの操り人形じゃねぇえか!」

 

 足にすがりつく男。

 知っている。

 その目を知っている。

 惨めでも、必死になる姿を僕は知っている。

 何度も打ちのめされた僕が一番、その姿を理解しているんだ。

 

 イメージする。

 トランクケースから何かが飛び出してくる。

 見なくても解る。

 そのオゾマシい何かの気配なんて感じ取れない人間は居ない。

 

 手に握る、最凶のチート。

 あらゆる幻想を葬って来た魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)する。

 

 グキリと骨の砕ける音が間接を曲げて背中のゼンマイを回す。

 キリキリと嫌な音。

 一秒も無駄に出来ない。猶予はもう三秒を切った。

 

 「カカカ! そうだ、そうしろ! それで良い。それが正しい。是非、そうしろ!」

 

 雑音が酷い。

 ラップ音が激しく、耳鳴りがする。

 バクバク心臓を鳴らし、呼吸が困難となる。

 

 急げ、二秒を切った。

 

 魔術破戒(タイプ・ソード)を構えて、男の心臓に向かってその刃を振り落とす。

 

 ガシャン、ガシャン。

 硝子が砕ける音。

 世界がひび割れる。

 

 相変わらず、血は飛び出なかった。

 ――――が。

 

 六花だった男の身体は真っ二つとなっている。

 クケケケと一頻り嗤うと、その身体を構築していたアストラルコードが塵となって消えていく。

 消失していく彼の姿を見て、そのタイムリミットがゼロとなるのを感じた。

 

 そこで僕の意識は真っ暗となって、途絶える。

 最後に、

 

 「そいつはカヲルさんは望んじゃいねぇって、オートマンの散り際の言葉だとアズマに会ったら伝えといてくれや。なぁに、七回も立ち上がるテメェなら大丈夫だろ」

 

 意味深な言葉で激励を送る男の姿がこの目に見ることが出来なかったことが残念で仕方なかった。

 

 ――――そうして、僕は胡蝶の夢から覚めたのだった。

 

 




 次回の投稿は9月5日の午前8時から午後12時の間を予定しております。

 第2章:紅蓮迷宮はこれにて完結。次回第3章:終結螺旋となります。またプロローグ的な何かの続きも追加されますのでご覧頂けると作家明利に尽きます。
 色々読者としては解り辛い内容の本編ですが、最後まで読んでくださると正直作者としては嬉しい限りでございますが、果たして読者さんに飽きられないか心配になるこの頃です。
 以上なろうでの後書きのコピペでした!


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第3章:終結螺旋
001 目覚める


 ズブズブ、ズブズブと底なし沼に堕ちていく。

 手を伸ばしても無意味。

 足をバタバタして足掻こうと無駄。

 暗い底に身体が堕ちていく。

 

 独りきり。寂しさと空しさも感じることさえ出来ない虚無の世界。

 そこに僕は一人取り残されてた。

 誰も助けになんか来ない絶望感がヒシヒシと心を蝕んでいく。

 夢だ。

 また夢だ。

 いや、夢じゃない。

 これこそが現実なんだと理解する。

 

 ジジジ。

 ザー! ザー!

 電波。電波。電波。

 砂嵐。ノイズ。雑音であり戯れ言。

 聞くに堪えない懇願が耳障りで他の声が聞こえない。

 

 見渡す。

 見渡しても、そこが真っ暗闇であることは変わらない。

 手を掲げる。

 その手に握るそれが何なのかを理解しろ。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 ドクン、ドクン。

 血液を全身に送り込もうとそのポンプの役割を果たす。

 

 目を見張れ。

 その手にイメージするのは、いつだってあらゆる幻想を断ってきた僕だけのチートだ。

 

 ――――「勇貴さん、手を伸ばして!」

 

 夢から覚めたら、おはようを言う時間だ。

 その為には、この暗闇が邪魔である。

 

 現実化(リアルブート)した光輝く魔剣を振るう。

 そうすると、瞬く間も暗闇がかき消された。

 目に映ってきたのは、よく知る教室。

 机も、椅子も、黒板もロッカーも繰り返す度に何度もお世話になった。

 時間を確認。

 時計の場所は黒板の近くに立てかけられているからよく解る。

 時刻は、昼の二時を回っていた。

 

 「さーて、吉と出るか、凶と出るか」

 

 自分の未来だ。自分の力で切り開く。

 

 そう決意すると同時に電子音。

 ――――休息を終えるチャイムが校舎中に響きわたる。

 

 それはきっと、僕の意識が目覚めたことを知らせる合図。

 

 「キキキィイイ!!!」

 

 耳障りな雑音がやってくる。

 生徒の格好をしてやってくる。

 B級映画に出てきそうなゾンビとなって僕の目の前に現れた。

 

 さて、アズマとやらに文句を言おう。

 言いたいことは全部、そいつにぶちまけてやれば良い。

 

 「コントロールルームへ行こう」

 

 何となく、そこにアズマって野郎がいる気がする。

 

 ――――さあ、決着の時だ!

 

 ◇

 

 カチカチカチ。

 夢が始まる。

 夢みたいな現実に実験体の意識が戻るのを理解した。

 再構築しなくては。

 

 「愚者は愚者らしく寝ていれば良いのだ」

 

 あのお方を復活させなくては我らが悲願が成就しない。

 故に、邪魔だ。

 あの男の意識は邪魔な存在となった。

 そんなリソースはあのお方復活に必要ない。

 

 ズキン。

 頭が痛い。

 不必要な情報が脳を駆け回る。

 オートマンが殺された。ウェザリウスと  がこっちを見下ろして何か言っている。

 殺した。殺した。あいつらが私たちを殺した。

 不必要な記憶だ。

 あのお方が復活なされたら、この意味不明な記憶を消去して貰おう。

 そうだ。そうだ。

 私の王国を築こう。私だけの平和な楽園を作り上げれば、きっと上手くいく。

 死のない世界。争いが生まれない世界。誰も恨まないユートピア。

 望もう。

 望もう。

 望めば何だって、この夢の世界は実現してくれる。

 その為に再現をするべきだ。

 再現の夜を構築し、現実化(リアルブート)すれば全てが実現される。

 

 死体の山が詰まれてく。

 幾つもの骸を築いては屍の山に埋もれてく。

 理性が。理性が。理性が邪魔だ。

 本能で生きろ、七瀬勇貴。

 そうすれば、お前が望む夢が手に入るのだ。

 

 「その為には、邪魔だ」

 

 脳裏を霞む、グルグル回るメモリーを無視して私は愚者を待つ。

 コントロールルーム。

 私一人だけの城塞。

 さあ、来るが良い、ドンキ・ホーテ。

 お前の意志の(コード)を奪えば、再現の夜は完成するのだから。

 

 ◇

 

 純白の廊下。

 ガタガタと揺れる音。

 右も左も理性を失った学生たちで賑わっている。

 

 「キ、ィキキキイ!」

 

 ウッキャア、叫びたくなるゾンビの群。

 ブレザーを纏うだけで生気を失った亡者たちが襲ってくる。

 

 「邪魔、だ!」

 

 斬り裂く行為に迷いなんかない。

 有ったらそれこそ、今度はこっちがゾンビの仲間入りだ。

 

 「キリがない!」

 

 ゴキブリのようにうじゃうじゃ湧いてくるそれに嫌気が指す。

 二進も三進もいかない、味方もいない援軍も期待できない絶体絶命。

 それが僕の現状だし、それが僕の最大限の実力だ。

 どうしようもない圧倒的な力の差。

 それを前にしてるというのに諦める気が更々ない。

 

 こんな熱血漢ではなかったのに、一体、僕はどうしてこんなにも熱くなれるのだろう。

 

 「キィイ、ィキキキ!!!」

 

 キーキーしか言語を喋れないゾンビが隙をついてやってくる。

 腐乱臭はしないもののビジュアル的にグロテスクなそれに触れられるだけでも勘弁して欲しい。

 

 「うおっ! ラアアア!!!」

 

 向かってくるゾンビに一歩下がって、叩きつけるように刃を振り落とす。

 血しぶきは上がらない。

 塵となって消滅するゾンビと聞くに堪えない断末魔がこの場を支配した。

 夢に出てきそうだ。

 

 これでは、中庭までたどり着くに時間が掛かりそうだ。

 廊下を進む。

 ゾンビとなった生徒たちを切り倒して前へ進んでいく。

 

 そこで、気づく。

 不意に気づいたと表現するべきか。

 中庭に行くための廊下の先に光る何かが見える。

 

 「何だ、あれ?」

 

 目を凝らす。

 モブたちをかき分けて進んでいく時、それは現れた。

 

 ガシャン。

 鉄が擦れる悲鳴。重い何かが歩く。

 西洋の鎧を纏った騎士。

 空気が重くなる。

 それが日の光を反射してやってくる。

 こちらに向かってゆっくりと進むそれを僕は足を止めて見るしか出来なかった。

 

 銀のフルプレートは目映い光を一点に集めて、両刃の剣を携えている。

 

 ガシャン。

 一歩進む度にそれが可笑しいことに気づく。

 兜を被っており、顔は見えないのにその騎士が女性なのではないかと連想される。

 可笑しい。

 だって、その鎧姿だけでは女性を象徴するようなイメージが全く以て持てないからだ。

 

 ガシャン!

 十メートルはない。

 お互いの得物は届かない。

 だというのに、それの狂気が空気を通して伝わった。

 

 ゴクリ。

 息を呑む。

 会ってはいけない相手と遭遇してしまった感じ。

 蛇に睨まれた蛙のようで動けない。

 

 素顔は全く分からない。

 相手が笑っているのかも気配が分からない。

 なのに、それが見えるまで一切の気配も感じ取れなかった。

 

 剣の柄を強く握る。

 多分、次に動いたらそれが合図で騎士は襲ってくるだろう。

 それほどまでの殺気を纏わせてこちらの隙を突かない筈がない。

 騎士と呼んで良いのか分からないが、その姿はまさに騎士と呼ばれるものなのだからそうするべきだと本能が叫んでる。

 

 「――――ほう、仕掛けないのか」

 

 聞いたこともない女の声。

 凛としたその声は、女性のものだということが分かる。

 イメージと合致するその声色に瞬くも驚きが隠せない。

 

 「君は、誰だ?」

 

 微かに疑問を口にする。

 やっとのことで絞り出せたそれを噛みしめるかのように騎士は返答した。

 

 「誰か、か。名前など、とうに捨てた。捨てたが。ウム、そうだな。敢えて名乗るのであれば、こう名乗るのが筋であろう」

 

 一瞬。

 虹色に光る刃を振るい、こちらへと構える騎士。

 その隙のない構えを見て、自分よりも遙かに格上の相手だということが伝わった。

 

 構える剣の刀身に写るこちらの姿。

 不安げな僕の顔が見える。

 当たり前だ。

 これから自分が殺されるってのにそれを理解出来ないヤツはどうかしてる。

 

 「廃騎士(はいきし)。人は(わたし)のことを廃騎士と呼んでいる」

 

 全身フルプレートの鎧の騎士がそう名乗ると、大気が歪む。

 真夏でもない筈なのに、蜃気楼が見えたのだ。

 その歪んだ空間を見続けようとしたら、頭が痛くなる。

 ズキズキと痛みを訴え、平衡感覚が狂っていく。

 

 そして、そんな隙を待っていたかのように廃騎士がほくそ笑んだ。

 

 「――――では、参る」

 

 静寂を破る確かな女の声。

 無慈悲な殺人予告が告げられて。

 

 廃騎士は僕へと一撃を振るうべく跳躍した。

 

 ――――ガシャン!

 

 廃騎士が跳ぶ。

 走り幅跳びでも高く跳ぶには助走が必要なのは生物として常識だ。

 だが、そんな常識をモノともせず廃騎士の一歩は四メートルの間合いを縮めた。

 

 戦慄が走る。

 目の前がショートする。

 火花の幻覚が起こり、神経がスパークした。

 

 「――――っな!」

 

 息がつまる。

 深呼吸するなんて余裕はない。

 こちらは構えなどしていない絶好のタイミング。

 仕掛けてきた。

 廃騎士はこちらに剣を構える余裕さえ与えずに切り込んできたのだから当然だ。

 

 僕を仕留める猶予は三秒と時間は掛からない。

 その刀身が僕の首をはねるまで一秒を切った。

 タイムロス。

 臆病な僕には決して許してはいけない致命的な瞬間。

 

 結果は見えた。

 コンマ数秒の時が永遠に感じ始める。

 

 グラリと視界が歪む気がして、それは唐突にやってきた。

 

 「なーに、やってるんだか」

 

 久しぶりの感覚。

 懐かしい声。

 消去された筈の麗しの姫の姿が連想される。

 

 首が掴まれる。

 次に僕の身体がごみを捨てるかのようにその身が在らぬ方向へと投げ出された。

 投げ飛ばされ、柱にぶつかる五秒前で吹き飛ばされる中でそれが見えた。

 おとぎ話に出てきそうなお姫様。

 優雅にスカートを翻し、フワリと僕と廃騎士の間に入る女子生徒。

 サラサラとした紫の髪が風に靡き、透き通る白い肌が日の光を浴びてその幻想的な美しさを引き立たせる。

 そんな少女の姿に思わず魅入った。

 少女の美貌を一番象徴させる紅いダイヤの瞳が更にそれを助長させている。

 

 見る者を魅了させる絶対的上位者の貫禄を垣間見た瞬間だった。

 

 嗚呼、真っ昼間だというのに僕を助けに来てくれた。

 絶対絶命の大ピンチに彼女が助けに来てくれたことが、今はとても嬉しい。

 火花が起こる。

 刃が交える時に生じるそれが、その上位者によってもたらせたのだ。

 

 四秒が経過。

 

 「っぐぅ!」

 

 永遠でもないそれを確かめ、衝撃に苦痛を漏らす。

 殺されるよりもマシだが、痛いモノは痛いのだから加減して欲しいなと思う。

 

 粉塵が巻き起こる。

 突風で彼女の紫の髪が靡いた。

 

 「やはり来たか。吸血姫」

 

 重圧。膨れ上がる殺気。膨大なそれを前にこちらに腰を突きだしては、前かがみになる少女の姿が見れた。

 その小柄な身体の何処に僕を投げ飛ばせる力があるのか疑問だ。

 

 「ええ、来てあげたわよ、廃騎士さん」

 

 嘗て真祖と畏れられた吸血姫、リテイク・ラヴィブロンツがやってきた。

 その瞳を真っ赤なダイヤのように輝かせて、廃騎士に向かって睨むと人差し指を突きだしては微笑んだ。

 

 




 次回の投稿は9月6日を予定しております。
 ハーメルンでは人気がないこの作品ですが、なろうの方では一部の方ですが読者がついてきてる感じがしてとても嬉しいが複雑なこの頃。
 うぅ、ハーメルンとなろうとではルビの変換作業が面倒ですが、出来る限り同時投稿すると決めているのでしてます。


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002 赤い糸に結ばれて

 

 ノイズが乱れる。

 虚空の狭間。世界のゴミ箱。収束する光たち。

 救われない。

 嘆くそれは弱々しい。

 いつだって弱者は弱者でしかない。

 夢を見る。

 夢しか見れない。

 

 ギリギリと噛みしめる。

 苦難を。苦痛を。苦渋の選択を強いられた。

 

 六つの光は星になった。

 星のようになれないそれが希望になろうとその身を光へと変えたのは神様は知っている。

 

 嘲笑う。

 滑稽だ。お前らは所詮、一キャラでしかないのだ。

 罵声だ。

 酷い戯れ言だと罵っては、ノイズをまき散らす。

 コントロールルームのモニターにはきっとこの神様は映らない。

 

 醜い男。身勝手な人間。嫌悪されるべき存在。

 それが、外なる神と呼ばれた愚者の正体だ。

 

 「ふ、ふざけんじゃない!」

 

 見下されてる。

 下位幻想と堕ちた奴らにまで見下されている事実にムシャクシャしてる。

 男は憤怒した。

 それをしなくては彼の気は収まらなかった。

 テメェらにはお似合いの最期があると言って結末に終止符を打った。

 

 そうだ。それで良い。

 所詮、そいつらはテキストデータを変更することなんて出来やしない。

 外はお前にとって現実だ。

 現実でないこの中ならばお前は神様でいられる。

 外に出る必要なんかない。

 お前は無敵だ。

 

 ――――でも。

 

 なのに、どうしてか。

 男の心は満たされないでいる。

 空っぽだ。空しくて空しくて、時折涙が出てくるのを感じてる。

 

 「なんだよぉ。何なんだよ、その目は!」

 

 グワングワン、意識が浮上する。

 脳が震えて、画面に亀裂が入る。

 美しいものは何処にもない。

 空白の名前も埋められない。

 

 少女の花嫁姿をそっと抱き寄せる男は何も変わらない。

 

 「そんな奴見たって、何も変わらねぇえんだよ! どうせ今度だって、アイツラの思惑が外れて廃棄処分だ!」

 

 手を伸ばし続けてる少女の肩を揺らす。

 そんなものを見るなと怒鳴りつける様は醜くて仕方ない。

 ブヨブヨの腹周りは惨めさを滲みだしてることを理解してない。

 

 「だから、こっち見ろよぉ。オレを。オレを、愛してよぉ」

 

 少女には届かない。

 服を幾ら変えても、ステータスをイジっても、幻想を増やしたところで何も変わらない。

 

 神様は残酷だ。

 醜い男に何の救いもお与えにならない。

 不細工は嫉妬する。

 その運命を憎悪する。

 だから、男は喉を掻きむしって、暗闇に堕ちている青年をいびるのだ。

 

 「お前なんかに! お前なんかに彼女を渡してなるものか!」

 

 足蹴にする。憎悪する。

 嫌う。嫌う。嫌う。

 醜く嫉妬しても、それが叶わないと恋慕であると理解しようが男は諦めれない。

 自分だけのヒロインを創作しても、自分の心の隙間を埋めてくれない。

 

 それでも、少女は手を伸ばし続けた。

 

 ◇

 

 「やはり、こうなる運命だったか」

 

 廃騎士の鋭い眼光。威圧される僕。

 しかし、リテイク先輩は何の重みも感じられないのかあっけらかんとしている。

 

 「ええ、こうなる運命だったのでしょう」

 

 髪を掻く姿は、妖しく魔的な魅力がある。

 誰もがその仕草に心臓が掴まされる。

 つまるところハートキャッチ。好感度はぐんぐん上がったこと間違いなし。

 まさに吸血姫。

 おとぎ話に出てくるような美貌をひけらかして、まるで舞踏会に出席するような足取りで廃騎士の方へ歩いてく。

 

 カツン、カツン。

 何処かのシンデレラを連想される足音。

 軽快なステップとも取れる間合いの詰め方。

 

 「それで、どうするのかしら?」

 

 強者と強者がぶつかった。

 出会ってしまったら、どうなるかなんて知りもしない。

 リテイク先輩は余裕の笑みを浮かべては立ち止まり、上品にスカートの端を持ち上げて一礼した。

 

 「どうするもこうもあるまい」

 

 ガシャン。

 重装備。鎧が音を立てて軋む。

 後一歩、リテイク先輩が近づけば殺し合うぞと威嚇するように廃騎士からの殺気が強くなる。

 

 「あら? それは、どうしてかしら?」

 

 首を傾げて卑しいモノを見るかのような目をするリテイク先輩。

 可笑しいな、今は昼時なのに先輩が余裕の表情だぞ。

 

 「こうして貴殿を炙り出せたのだ。戦果を求めるのならばそれで充分というものではないか」

 

 構えた刀身が日の光を反射させて煌めく。

 血に飢えた獣を容赦なく狩ろうとする姿はまさに強者の貫禄を見せていた。

 圧倒的なカリスマ。

 驕りのないその研ぎ澄まされた斬撃を放たんとする威圧が半端ない。

 寒気がする。

 あまりの膨大な殺気に身が縮む思いだ。

 

 「だから?」

 

 だが、リテイク・ラヴィブロンツは怯まない。

 いつだって気高い上位者としての矜持があるのだろうか。

 一礼から一歩進むことに何の迷いもなかった。

 

 ガシャン!

 廃騎士の姿がブレる。

 陽炎でも見ていたのかその姿が掻き消えたかと思ったら、その両刃の得物を容赦なく先輩の胸元へと振り落としていた。

 コンマ一秒の反射神経。

 それは、まさに神業。

 高速の中の光速。光の速さを越えたと言わんばかりの神懸かり的な早業。

 あの重い鎧で瞬きの暇も与えない身軽さこそがその騎士を強者足らんとしていた。

 

 ――――だが。

 

 「油断したわね、廃騎士」

 

 力を以て能力で制するのが魔術を享受する者たちの常識だったことを忘れていなければの話だ。

 

 リテイク・ラヴィブロンツが踏みしめた地に魔法陣が浮かび上がる。

 それは、廃騎士が先輩に切りかかろうと地に足をつけてから直ぐのことだった。

 否、それが起動キーだったのかもしれない。

 その魔法陣が起動する為の必要動作が廃騎士がその場に足をつけるということだったのだ。

 

 瞬く暇もない。

 その魔法陣から光が発せられると、すぐさまに廃騎士はその光によって身柄を拘束される。

 

 「――――ほう」

 

 振り落とされる刃は止まる。

 神業であるその一撃を攻略した瞬間だった。

 リテイク・ラヴィブロンツ。

 この第二共環高等学園で真祖の吸血鬼として恐れられる上位者に君臨する者。

 

 その絶対的なまでの実力を以て、廃騎士の動きを封じるのであった。

 

 ◇

 

 画面が切り替わる。

 終わりのない悪夢がリピートされる。

 続きを求めて巻き戻っても結果は同じ。

 夢を見る。

 夢が見る。

 夢に見入られて、意識が堕ちる。

 暗闇は封じられた。

 次なる手で、バグを処理しようと校生プログラムを向かわせる。

 

 ジジジ!

 ノイズ。雑音。亀裂が生じて、校生プログラムの一部が崩壊する。

 キキキと奇怪な声を上げるそれを後目に魔術師は術式を起動させた。

 

 「再現の夜だ。再現の夜を始めよう」

 

 リピートする。壊れたオーディオになるそれは最早、冷静な判断が出来ないでくの坊と化した。

 杭が現れる。コントロールルームのモニターに突き刺さる。

 

 「僕は、『でく』ではない!」

 

 酷い八つ当たり。

 子供に戻っているぞ、アズマ。

 

 「ウルサイ!」

 

 暴れる。暴れる。暴れては、地団太を踏む。

 子供だ。

 大きな子供がそこにいる。

 

 「そうだ! そうすれば良いんだ!」

 

 一頻りそうしていると、思いついたと言わんばかりに魔術師は叫びだした。

 

 校生プログラム如きでは愚者は止まらない。

 止められる訳がなかった。

 だったら、他の上位幻想を使ってしまえば良かったんだ。

 

 こちらへと向かってくる愚者の姿を見て、魔術師はほくそ笑む。

 停止コマンドを解除して、最強の上位幻想の眠りを覚ます。

 浮上する。

 浮上せよ。

 起動を確認。

 認証パスをスキップし、邪魔者の排除を任命する。

 

 「そうだぁ。そうだ、そうしろ。そうでなくっちゃ、始まらないだろうが!」

 

 癇癪。

 いい大人がしていいとは言い難い行動だ。

 

 「良いんだよぉ。勝てば良いんだ。結果が全てだ!」

 

 気づかない。

 魔術師はやはり気づかない。

 思考が誘導されていることにも気づかない。

 所詮は子供だ。

 まだ十一歳になったばかりの子供に何の期待をしていたのだろうか。

 

 「さあ、目覚めろ。――――廃騎士よ!」

 

 滑稽だ。あまりにも滑稽だ。

 最早、そのあり方は埋め込まれた呪詛、道化のあり方そのものだ。

 もう少し思慮がある天才だと思っていたが仕方ない。

 

 神様は嗤う。

 そうだ。こうなる運命が正しい。

 面白可笑しく、チープになれよ、幻想共。

 幾らお前らが意志がある人間だとホザきようがその事実は変わらねぇんだからさ。

 

 不衛生な髪を掻き上げて、手にしたコーラを飲む男の姿を誰も見ては居なかった。

 

 神様、神様。

 どうかお願いします。

 この愚か者たちに制裁を下さいな。

 

 幕が上がった。

 懺悔の時間だ。

 

 不細工な男をほくそ笑む少女の姿は何処にもなかった。

 

 ◇

 

 綺麗な光。

 希望の光だと誰かが言った。

 六つの光が一つに収束して、やがて一振りの剣となった。

 

 あらゆる幻想を断つその光はチートだといえよう。

 

 「綺麗だ」

 

 少年は夢を見る。

 意志あるモノに生まれたのならばせめて自分の意志で生きてみたかったから。

 幻想も眠る。

 騎士として憧れた人が再び、夢の世界へ降り立ったのを確認した。

 

 「うん。そうでなくっちゃ」

 

 ノイズに侵された身体。

 今はまだアズマが夢を管理している。

 危なくなったら手を貸そう。

 

 「大丈夫さ」

 

 なんせ、彼は僕の親友だ。

 これしきりのことは何度も見た。

 なら、今度もきっと乗り越えてみせる。

 今までだってそうして来れたんだから。

 

 アクセス権はまだ手に出来てない。

 天音にだってチャンスが貰えたんだ。

 それなら貪欲に行動してる自分に外なる神が手を貸さない理由がない。

 だから、我慢する。

 今はまだ動く時じゃない。

 

 ガキン!

 眠り姫が呼び覚ます。

 冷たい殺気を身に纏い、その重い鎧を起きあがらせる。

 

 起動開始。

 廃騎士が目覚めて、世界は音を立てて現実へと浸食を果たす。

 

 直ぐ近くで同じように眠っていた姫の瞼が開いていくのを感じながら、彼もまた夢の続きに戻るのであった。

 

 ◇

 

 ギチギチ。

 音を立てて抵抗の意志を見せる廃騎士。

 魔法陣がどういう原理かは知らないが、廃騎士は束縛をモノともしないと言わんばかりにその眼光を鋭くする。

 

 「――――まだ、動けるっていうの?」

 

 思わずそんな言葉を漏らしてしまう。

 

 ――――が。

 

 「無理に決まってるでしょ」

 

 その疑問を即座に否定するリテイク先輩。

 

 「でも、スゲー睨んでますよ、廃騎士さん」

 

 「それしか出来ないからしてるんでしょうね」

 

 いつの間にか僕の隣にいるリテイク先輩。

 何故、彼女が僕に力を貸してくれるのかは理由は不明だ。

 

 「あのね、七瀬君。君の考えてることは大体の上位幻想には筒抜けになってるの」

 

 ハア。

 なんか、いつぞやに聞いた台詞だ。

 

 「プライバシーの侵害とかそういうモラルはないんですかねー」

 

 そんな僕の言葉に対して吸血姫は呆れながらこう言った。

 

 「アハハハハ。ある訳ないでしょ」

 

 実に清々しい一言だった。

 

 空はまだお天道様が昇ってる。

 お星様はお見えになってなんかいなかった。

 





 次回の投稿は9月7日を予定しております。
 さあ、物語も中盤となって来ました。
 この作品、読まれてるのかはっきり解らないし、人気ないんだなと思うこの頃。
 でも、絶対完結はしてやるという強い意思を以て製作して行こうと思います!
 頑張るぞ!
 因みに作者は月姫だと秋葉と琥珀さんが好きです。


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003 役者不足

 

 真っ暗闇に堕ちていく。

 心が折れて、立ち上がることを拒否してる。

 見渡す限りの影たちが僕を品定めしてるらしい。

 

 「ここまで、か」

 

 抵抗空しくそこで僕は死ぬ。

 体が死ぬという訳でなく心が死ぬという意味合いだ。

 

 消失する自我。固執していた記憶。

 星のように散った自意識がこの世界の欠片として改竄されていく。

 ピースが埋まる。埋められていく。

 

 「嫌だわ! そんなことってないじゃない!」

 

 幻想が悲しむ。

 恋する少女として生きた幻想の夢は此処で潰えた。

 吸血姫として生まれ変わるのも時間の問題か。

 

 空を見上げる。

 けど、僕の視界の何もかもは真っ暗闇に支配されていてそれは無意味だったと悟る。

 

 「せん、ぱい」

 

 だから、声を振り絞る。

 結局のところ所詮、僕はそういう存在でしかなかったということだ。

 

 世界が変わる。

 視界がジャックされて、見るべきものが狂ってく。

 掛け替えのないモノが失っていく。

 地べたを踏みしめた足が行き場をなくして底なし沼へと沈んでく。

 

 最期に。

 

 ザー、ザー。

 

 どうしても。

 

 ザー! ザー!

 

 言いたかったことがある。

 

 手を伸ばす。

 無意味な行為だ。

 手を伸ばし続けた。

 感覚がない。

 

 それでも。

 ――――それでも。

 

 「 に、な だって、 って!」

 

 エラー。聞こえない。

 その澄んだ声はこの耳に届かない。

 けど、良かった。

 

 「あ、い、し、て、る」

 

 この思いを口に出来ることが少しだけ嬉しかった。

 

 虫食い。消失。自我消滅。アストラルコードは変換出来ませんでした。

 また失敗。失敗失敗、また失敗。

 永遠に失敗。ループする。

 ループする。

 ループする。

 ループしてはまた繰り返す。

 三度目にしてその結末はあんまりだ。

 

 大好きな人は取り戻せませんでした。

 

 だって、月は出ていなかったのですから。

 

 ◇

 

 圧倒的な力を見せつける廃騎士を前にリテイク先輩は拘束魔術によってその動きを封じた。

 それは、まさに場数を踏んだ者にしか出来ない策といえよう。

 流石と賞賛を送るべきか。

 それとも、そんな力があるのならもっと早くから使ってくれよと文句を言うべきか悩むところだ。

 

 ポカッ!

 

 そんなアホなことを考えてたら、頭を小突かれる。

 

 「っ痛ぅ!」

 

 七瀬勇貴に十のダメージ。効果は今一つのようだ。

 

 「あら、そうなの? もう一発行っとく?」

 

 拳を振り上げる小柄なガールが額に罰点マークを浮かべて言う。

 

 「え、遠慮しておきます」

 

 すみませんでした!

 

 「分かればよろしい」

 

 えっへんと胸を張るリテイク先輩。

 なんだか、今の状況で和む空気に緊張感が抜けていく。

 

 「でも、どうしてリテイク先輩が此処に居るんです?」

 

 僕みたいにダーレスの黒箱を持っている訳でもなさそうなのに不思議だ。

 

 「あー。それ気になっちゃうわよねー」

 

 なんか明後日の方向を向き出すリテイク先輩。

 吹けもしない口笛まで吹こうとしてるから余程、答え辛い質問だったのかもしれない。

 マズったか?

 

 「いや、そうじゃないんだけどね。うーん、あれだ。廃騎士も私と同じ上位幻想ってヤツなのよ」

 

 それで察しろとか言わないで下さいよ。

 

 「察しなさいな」

 

 そんな僕の思ってる通りのことを言わないで下さいよ!

 

 「えー! だってー、せーつーめーいー、めーんどーいー!」

 

 駄々コネないで頼みますよー!

 ほら、この通り、一生のお願いですから!

 

 「うぅ。貴方、私が貴方に一生のお願いされると断り辛いの分かってて言ってるんでしょ」

 

 「何のことか分かりませんよ」

 

 関係ない話だけど、口笛ってどうやって吹けるんだろうね。

 今度、誰かに教えて貰おう。

 

 「あああ! もう貴方って人は!」

 

 先輩にだけは言われたくないですよ。

 

 「うぅうう! ハイ、休憩終わり! さっさとコントロールルームへ行くわよ!」

 

 無理矢理話を終わり、リテイク先輩がズカズカと先へ進んでいく。

 その後ろ姿に、何処か懐かしいモノを感じながら後を追うのであった。

 

 ◇

 

 モニター越しに裏切り者の姿を見る。

 折角、向かわせた廃騎士をいとも簡単に封じ込めた手腕の高さに畏怖の念を抱かずにはいられない。

 

 「バカ、な」

 

 悠然と腰を据えて待っているだけの私。

 少しだけ戦力を削いでおこうとしたのに、この有様。

 目の前の光景に開いた口が塞がらない。

 

 カチカチカチ。

 上位幻想へ停止コマンドを送るもエラーとなって返ってくる。

 ふさけるな。

 私が今、この場面を築けたのに一体どのくらいの犠牲を払って来たというのに愚者は簡単にたどり着く。

 劣等感が押し寄せて、気が狂ってしまいそうで仕方ない。

 

 エラー。

 対象は停止しません。

 エラー。

 アトラク=ナチャの凍結命令を解除しますか?

 

 デスクに備え付けられたキーボードを叩き割る。

 血がにじみ出る思いだ。

 拳からはダクダクと血が溢れ出てくる。

 

 憎悪する。

 嫉妬の感情で胸が張り裂けそうだ。

 

 憤怒した。

 憤怒した。

 憤怒して、やはり幻想共では役不足だと痛感する。

 

 頭が割れるように痛い。

 己の心臓に埋め込んだダーレスの黒箱がまだか、まだかと訴える。

 

 「やはり、そうでなくては」

 

 口元が歪む。

 目つきを鋭く、身を焦がす殺意に身を任せるべきだ。

 理性は不要だと自分で言っていたばかりなのに、自分はその理性を捨てもしないのだから仕方のない結果だと割り切った。

 

 狂え。狂え。

 さあ、再現の夜を始めよう。

 何度も繰り返す世界を構築するのだ。

 こんな愚者しかループ出来ない不完全な世界ではない私の為のリセット世界。

 そうだ。そうしよう。

 その為には  の魂を構成するアストラルコードの情報遺伝子を魔導魔術王(グランドマスター)であるあのお方に改竄しなくてはそれが実現されないのだ!

 

 テロップ。

 収束。

 伸縮し、決壊する自身のアストラルコードへの干渉術式。

 世界を逆しまに回せ。

 屍を積めばそれが現実化(リアルブート)するのであればそうするだけだ。

 

 そうと決めれば、こちらから向かうのみである。

 

 バサッと白衣を翻し、コントロールルームの扉を開いた。

 

 ◇

 

 廃騎士を拘束し、先を目指す僕らを阻める敵は居らず、リテイク先輩も加わったごり押しでゾンビの群を突破し、中庭にまでたどり着く。

 交信の杖。

 こう名前を聞くと改めて考えさせることが増えた。

 

 「なんで、交信なんだろうなー」

 

 天まで届くんじゃないかってぐらいその鉄塔は高かった。

 一本の支柱以外はそれほど高くないというのに、その中心の柱だけは異様なデカさだ。

 その支柱自体が本命だと言わんばかりの存在感を放っている。

 これについて疑問に思うのも無理はないってものだ。

 

 「さあ? 私も深い事情は聞いてないわね」

 

 大古参のリテイク先輩ですら知らないこと。

 これが無かったら、僕は生まれなかった訳だし、何かと考えさせられるものがあるなと思った。

 

 ――――が。

 

 「まあ、今はそんなこと考えてる時間はないよね」

 

 ところでこの交信の杖ってどうやって開くんだろ。

 毎回、何故か勝手に開いてるイメージだったから、どうやって開けてるのかわかんないんだよね。

 

 そんなことを考えてると、交信の杖の周りのオブジェが動き出す。

 ゴゴゴ、なんていつもの音を立てて門が開かれるのだ。

 

 「うおっと、これはまさか僕が来ると勝手に開いてくれる自動ドア的な何かですか!?」

 

 思わずビックリして、シェーのポーズを取る。

 

 「――――ん? その奇怪なポーズがシェーのポーズだと言うのは七瀬君を見たら分かったけど、自動ドアというのは何なのかしら?」

 

 おや、此処に来て現代知識を知らないとは僕もビックリだね。

 

 「当たり前じゃない。此処は、どっかのバカの御花畑まっしぐらの妄想世界なのよ。そんなハイテクなもんを描写出来るほどリアルに出来てないんだから」

 

 酷い言われようだ。

 

 「しかし、リテイク先輩も人が悪いなぁ。門の開け方知ってるなら先に言って下さいよ」

 

 すかさず、不思議がるリテイク先輩に向かってヤジを飛ばす。

 

 ――――が。

 

 「何言ってるのよ。この門の開け方なんて私、知らないわよ」

 

 え?

 じゃあ、どうして交信の杖の門が開いてってるの?

 

 「そんなの一つしかないじゃない」

 

 完全にその門が開ききる。

 果てのない暗闇がそこには覗かせている。

 まるでこちらの心境を読んでいるかのようだった。

 

 「中にいるあのヤローが開けたんでしょ」

 

 中にいるあのヤローが誰かは想像がついた。

 というか、僕も薄々、そんな気がしてた。

 

 「さっさと入ってこいってことね。随分と、まあ、余裕ぶってることね、アズマ」

 

 アズマ。

 六花傑が言っていた男。

 オートマンからの散り際の伝言を託されてる。

 

 そいつがどういうヤツか全く知らない。

 どんな想いで僕と対峙してるのかとかちんぷんかんぷんで分かりっこない。

 けれど、そいつに負けてなるものかと心から思ってる。

 その思いに嘘偽りはない。

 ないんだけども足が何故か止まった。

 

 大きく深呼吸する。

 一度目は真弓さんを助ける為。

 二度目は四葉さんからの指示で向かった。

 

 今度は何の為にコントロールルームを目指すのかを考えてしまう。

 成り行きで僕は此処まで来た。

 瑞希ちゃんは死んだお兄さんを蘇らせる為に僕の魂を改竄しようとした。

 天音は自分と死んだ兄を現実の人間にする為に僕の存在を  にしようとした。

 どちらも自力で叶えられない願いの為にやってきた。

 

 けれど、僕の行動理念は自分の意志で行動したいだとかそんなその場の勢いでしかない。

 そこに、誰かの願いを邪魔する権利なんてあるのだろうか。

 

 「なーに、迷ってるの?」

 

 いつだって迷ってる。

 グジグジ迷って、息詰まってる。

 

 「迷ったって変わらないよ?」

 

 後ろにいるリテイク先輩の顔は見えない。

 僕が俯いているから見えなくなってる。

 

 「それで良いと思うんだけどなー」

 

 それで?

 それでって何が?

 

 「だから、その場の勢いとかそーいうので良いと思うわよ」

 

 その言葉に。

 その思いに。

 

 「よく、ないでしょ」

 

 否定してしまう。

 何故、此処まで来て僕はグジグジ悩んでるのだ。

 敵は目の前なんだぞ。

 

 「そうね。相手にとってはそれでよくないでしょうね。でも、そんな相手のことなんか貴方には気にする必要はないことよ」

 

 そんなことは。

 

 「良いわ。良いに決まってる。だって、瑞希も天音も    も自分のやりたいことをやってるでしょう? それなのに貴方だけ自分のやりたいことをしてはならないなんて可笑しいじゃない。そこに叶えられない願いだとかそんな後付けの理由に貴方の選択を否定する余地はない。誰も他人の選択を咎める権利なんて持ち合わせちゃいないんだから」

 

 いつの間にかリテイク先輩が僕を追い越して、暗闇に吸い込まれるように門の入り口に入ってく。

 通り過ぎる時に微かに見えた横顔が、何処か微笑んでるような気がした。

 誇らしげに、胸を張る彼女の姿は吸血姫だなんて言われるだけあって、とても綺麗なものだった。

 

 嗚呼、そうか。

 そうだった。

 もう彼女と過ごした僕の魂はいないけど、この胸に確かに受け継いだ何かは知っている。

 彼女の不器用な優しさを魂の何処かで覚えてるんだ。

 

 なら、どうしてだ。

 どうして、七瀬勇貴(おまえ)は胸を張らない。

 堂々とすれば良い。

 お前が決めた選択が誰かに否定される謂われはない。

 彼らが願った、『意志(コード)』をこの手に掴んでいる。

 今も尚、光輝く剣となって僕に力を貸してくれている。

 意志を引き継ぐとは、そんな自分を大切にすることでもあるんじゃないのか。

 その事実が誇らしい。

 僕が僕として精一杯生きようとした証を否定することはきっと神様にだって出来やしない。

 

 門を潜る。

 暗闇へと続く階段を下る。

 途端に、頭の片隅に見覚えのある記憶が掠めてく。

 

 嗚呼、これが僕の人生か。

 失ったとされる僕が生きた設定。

 辛くて、悲しい不幸な物語。

 後悔だらけ。

 未練たっぷり。

 お前が手放したそれが、再び、第二の人生を歩もうとする僕に訴える。

 

 ――――「死ねば良かったんだ」

 

 最期は絞首台に立たされた。

 四人の男子高校生を殺害した罪で立たされた。

 釈明だとかそんなものはしなかった。

 言いたいことをぶちまけた。

 罪の意識なんてものは、僕が受けた仕打ちに比べたら安いものだと思ってた。

 母が泣いてた。

 こんな僕を誰かは想ってくれていた。

 大切にしてくれていたのに、僕はそれを無視して人生を台無しにしてしまった。

 

 気づいた時は何もかもが遅すぎた。

 首を括って死んだ人生。

 嘘つきな僕の生涯はそこで終わった。

 記憶は途切れて、ループしようとしていた。

 多分、僕をせき止める為の映像がそれぐらいしか思いつかなかったのだろう。

 止まらない。

 僕は止まってなんかやらない。

 螺旋の階段を下りていく。

 

 不意に何か見えない幕のようなモノにせき止められる。

 暗闇の底はまだたどり着けてない。

 先に行っていたリテイク先輩の姿は見えない。

 

 これは、壁だ。

 きっと僕自身が閉ざした心の壁だ。

 誰にも傷つけられないように固く閉ざした心の扉。

 

 邪魔だ。

 邪魔をするな。

 邪魔をしないでくれ。

 僕はその先に行く。

 その先にふんぞり返ったバカに文句を言ってやらなきゃいけない。

 

 闇を照らす一筋の光。

 その光を僕は握ってる。

 暗闇をかき消す為の手段を僕はとうに知っている。

 もうやった。

 これで二回目だ。

 あの時は無我夢中でしていたけど、今度はやり方は分かってる。

 

 目を見張る。

 一歩後ろへ下がって、狙いを定める。

 その一撃はどんな幻想だって破戒する。

 それは、見えない心の壁だって同じだ。

 

 助走なんて要らない。

 それは、廃騎士が僕に見せてくれた。

 故に、この一振りで決着がつく。

 

 

 構える。

 そして、大振りにドスンと重い一撃を放った。

 

 ――――パリン!

 硝子が砕ける音が暗闇の世界に響きわたる。

 視界が晴れて、三度目の地下祭壇へとたどり着く。

 

 「こうしてお前と出会うのは、初めましてになるか」

 

 目の前にいる白衣の男が嗤っている。

 片腕に見知った誰かの頸を掴んで僕の到着を待っていた。

 支配者気取りのそいつは、顔の半分を覆う奇妙な仮面を被って道化役者を演じてる。

 

 「君がアズマか」

 

 そいつが何者であるか直感で理解する。

 

 ギリッと強く魔術破戒(タイプ·ソード)の柄を握る。

 僕の言葉と同時に男は手に掴んでいたモノを放り投げた。

 

 華奢な体が宙を舞う。

 放物線を描くように投げ出された彼女を受け止める。

 

 ズシンと両腕で受け止めた彼女の身体は小柄ながらも年相応の少女の重みが掛かる。

 魔術破戒(タイプ·ソード)を放したからか、その重さを支えきれず一緒に倒れこんでしまう。

 

 「うぅう」

 

 全身が傷だらけ。満身創痍の体。

 死に掛けの少女から苦悶の声が漏れる。

 

 「大丈夫ですか、リテイク先輩」

 

 小声で声をかける。

 目の前の敵にはそんな僕らを見て口元を歪ませている。

 

 「これが、だいじょ、うぶに。見える、なら。ほけん、し、つ、すす、め、る、わ」

 

 息も絶え堪えの返事だが、意識があることを確認出来て、安堵した。

 

 「そうだとも、私がアズマ。鈴手(すずて)アズマだとも」

 

 風も吹いてないというのにパタパタと白衣を翻し、アズマは先ほどの僕の問いに答える。

 

 起きあがる。

 仮面越しの男の目を見る。

 リテイク先輩とは違う真っ赤な瞳が僕を見つめてる。

 

 「ようやく、会えたよ」

 

 文句の一つを言ってやらなきゃ気が済まなかった。

 コントロールルームのドアを背にアズマと僕はにらみ合う。

 

 運命の歯車が何処かでズレたような気がした。

 





 次回の投稿は9月7日の16時を予定しております。


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004 愚かな道化が舞台を踊る

 

 物心ついた頃には親と呼べる人間が僕には居なかった。

 

 「く、来るなぁ!」

 

 走る。

 走っては、それに追いつかれまいと逃げる。

 子供の足では追いつかれるのは時間の問題なのは幼いながらも分かってた。

 けど、本能がまだ生きたいと叫んで生存を訴えてくるのだから仕方ない。

 息を切らして駆けだして、暗い夜道で追いかけっこに乗じている。

 

 走る。走る。

 涎を垂らした野犬の遠吠えが真夜中に木霊する。

 

 「――――っうわぁ!」

 

 何かに躓いて、勢いよく転け出す僕。

 こんな時に小石に躓くなんて運がないとしか言いようがない。

 

 間が悪い。

 

 なんて、運の悪さだ。

 本当にツいてない。

 

 自分の不運に嫌気が差す。

 数秒のタイムロス。

 致命的な隙。

 

 それを涎を垂らしまくった野犬擬きが逃がすはずもない。

 

 「ウゥウウウ! ウゥウワァオン!!!」

 

 尻尾を振ってやってくる。

 ご馳走に対し、舌なめずりは忘れてない。

 喜びのあまりに涎まき散らすのはご愛敬。

 

 ご自慢の牙を月明かりに晒して、獲物にアピールしては立ち止まる。

 

 全く以て、不幸だ。

 こんな最期を迎えるだなんて僕は本当にツいてない。

 こういう時って大抵、走馬燈とやらが見えるって聞いたけどそんなのは嘘っぱちみたい。

 だって、今から死ぬっていうのにそんなものが脳を掠めてもくれないんだから仕方ない。

 

 寒気がする。

 とても寒い冬の夜。

 雪が降るんじゃないかってぐらい寒くて、とても辛い。

 

 嗚呼、どうせなら誰かに抱きしめて貰える人生を送って見たかったなぁ。

 

 綺麗な月をバックに、狼男がガブリと僕の喉元に食らいつこうと身を屈ませた。

 怖い。

 とても怖い。

 一秒後に訪れる激痛に備える為、目を思い切り瞑った。

 

 ――――だが、それは来なかった。

 

 体になま暖かいモノが被さった。

 それは、鼻を曲げるほどの錆臭さを帯びた液体だった。

 

 「――ゥウウォオオン!!!」

 

 全長が三メートルを越える影が揺れる。

 ドサリと近くで何かが倒れてた。

 数秒後にやってくる筈の死が来ないことに疑問を感じて瞼が開く。

 

 「――――え?」

 

 凍えるような寒さを紛らわした何かの正体が真っ赤な何かだと理解する。

 僕は痛くなかった。

 体をペタペタと触り確認しても、怪我は負っていない。

 

 僕を喰い殺そうとしていた狼男の姿を探しても、それらしき怪物は立っていない。

 目の前にあるのは、真っ二つに体を裂かれた狼男の死体が転がってるだけだ。

 

 いや、本当は気づいてる。

 だって、狼男が居た筈の場所に一人の男が立っているのが見れたから。

 

 「よう、坊主。不運だったな」

 

 狼男ほどではないが大柄な体格。

 益荒男を体現したような巨体はそのダンディな声を引き立たせるスパイス。

 厚手の黒いジャンパーを羽織っており、月明かりが無ければ男を視認するのは難しい。

 轟々とした威圧。

 ニットを被ったグラサンの男が自分などよりも遙かに強者であることが示唆された。

 まあ、こんな年端もいかない子供相手に大人が力で負けることはないのだが。

 それでも、僕にはどんな物語の主人公よりも男が何倍も格好良く見えたのは言うまでもなかった。

 

 「――っう、うん」

 

 だが、驚いた。

 こんな夜更けに怪物に襲われてるからと言って普通、助けに来るものか?

 子供ながらに目の前の大人に疑心暗鬼になる。

 どうせ、この男も今まで僕にすり寄ってきた奴らと同じなんだろう。

 僕は子供だ。

 どうしようもない孤児と呼ばれる、親のいないガキだ。

 そんな卑しいガキに誰も助けなんか来ない。

 

 「坊主、ずぶ濡れだなぁ。こいつは大変だ。そうは思わんか?」

 

 ダンディな渋い声が吐かれる。

 此処には男と僕の二人しかいないのに奇妙なことを言っている。

 

 「なーにー! 思うだろうが! 見たところ弱々しいのは見て取れるだろ? こんな夜更けにまた放っておいて見ろ、何処ぞの狗に喰われて死ぬのがオチだ」

 

 やはり、この男はどこか可笑しい。

 助けて貰っておいてあれだが、男もといおっさんと関わるのはこれで止めよう。

 今なら、走って逃げればどうせ追ってこないだろうし。

 

 「おい、坊主! お前さん、行く宛はあるのか?」

 

 そんなことを考えてたら、不意にそんなことを聞かれる。

 

 「――――え?」

 

 まさか、おっさん、僕を助けようなんて言わないよね?

 

 それが、僕とおっさんとの出会いだったと言える。

 とても寒い冬の夜のことだった。

 

 ジジジ。

 ノイズが襲う。

 空間が歪む。

 世界が暗転して、意識が浮上する。

 これは、夢。

 過去の記憶。

 遠い昔の出来事で、僕が魔術師を目指した目標でもあった。

 

 ザー! ザー!

 目を覚ます。

 懐かしい夢を見てた。

 救われた。

 確かにこの時、私は救われた。

 魔導の道を進むきっかけが、まさかあんなありふれた出会いをするとは子供ながらに思わなかった。

 

 ◇

 

 「ようやく、会えたよ」

 

 立ち上がるのもやっとのリテイク先輩を庇うように、再び魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)させて前へ出る。

 満身創痍の体を引きずっている姿を見て、アズマを相手にリテイク先輩が善戦出来るとは思えなかった。

 

 「ククク。そうだな」

 

 嫌な笑み。

 上から目線で偉そうに振る舞う姿は、まさに道化師と呼ばれるに相応しいと言える。

 

 「随分と余裕なんだな」

 

 多分、リテイク先輩とサシで殺し合ったのだろう。

 その筈なのに、アズマは全くの無傷。

 これがどういう意味なのか考えつかないほど僕は腑抜けちゃいない。

 

 「余裕だとも。人間が蟻を相手に大怪我を負うとでも思ったかい?」

 

 パチンと指を鳴らすアズマ。

 瞬間。

 アズマの背に十を越える銀の杭が現れた。

 

 「言っておくけど、君だけが権能(チート)の恩恵を受けている訳ではないんだよ。私にだってこの通り、外なる神による(コード)が備わっているのだ」

 

 空間を歪ませて出現する杭に異様な重圧を感じられる。

 それは、あまりにも禍々しく。

 それは、強大な異能だと言う証明か。

 

 ギチギチギチ、ギチ!

 

 何十と呼ばれる鎖が重なり、僕たちを包み込むように檻を形成する。

 一瞬にして展開されるそのコロシアムに言葉が出ない。

 

 「そうだ。そうさ。そうだとも! 君だけではない! この私こそが選ばれた者。この私だけが万能なる神に等しい使者となる!」

 

 震えている。

 アズマは自分の体を自分で抱きしめて、歓喜するみたいに震えてる。

 

 「その為に邪魔だ。君の理性が邪魔だ。君の感情が邪魔だ。君の魂は改竄されなくてはならない!」

 

 目を見開き、血走る姿は狂人の域を達した。

 それがこちらの言葉を理解することは望めない。

 鎖がギチギチと鳴らし、獣をいたぶるだけの拷問劇場となったのは明白だった。

 

 「再現の夜だ! 再現の夜を始めよう! 君の心を真っ白にするのだ!!!」

 

 己の力の在らん限りを尽くし、魔術師は絶叫する。

 同時に宙に浮かぶ鉄杭の雨が僕ら目掛けて降り注ぐ。

 圧倒的な数の暴力。

 鈴手アズマが何を目的に僕を襲うのか今一理解出来ないが、雑にあしらっても気に食わない。

 まるで子供の癇癪か何かのようで、こちらのことなんか考えてもいない主張。

 聞くに堪えない戯れ言だ。

 そもそも再現の夜でお前のその願いとやらが叶えられるのかも甚だしい。

 

 要らない思考で二秒無駄にした。

 回避は出来ない。

 出来たとしても、直ぐ近くに満身創痍のリテイク先輩がさらに傷を負わせることになるので却下。

 思い切り横に一閃。

 コンマ一秒の判断で繰り出されるカウンター。

 正解だ。

 瞬時に理解する。

 手に痺れる感覚が付加され、一撃を防いだ時の火花が巻き起こる。

 一歩駆け出す。

 コンマ十秒で相手との間合いを五歩ほど縮まる。

 ここまでは順調。

 容赦ない一撃が休める暇も与えず放たれてる。

 

 ジジジ。

 一撃を往なす毎に、脳裏に掠める知らない人の記憶たち。

 スパークした。

 廃人一歩手前の頭が残された猶予の残高を教えてくれる。

 

 この杭をマトモに受けていたら、きっと僕は死ぬ。

 体が死ぬのでなく、きっと心が何かに殺される。

 魂の情報をグチャグチャにかき回されて、理性のない廃人へと生まれ変わるだろう。

 

 危険。

 危険、危険。

 これをマトモ相手するのは危険だ。

 今更ながら本能が危険信号を送り出す。

 数秒が無駄になる。

 思考が定まらない。

 アズマと僕の距離はまだ数歩先で、魔術破戒(タイプ·ソード)の間合いには届かない。

 只の攻撃ではない。

 精神汚染なる精神攻撃を目的とした(コード)

 それが、魔術師、鈴手アズマが持つ権能(チート)のようだ。

 

 マズい。

 足下がオボツカナくなって、意識が遠くなる。

 杭に体が貫かれた訳でもないのに、体が重く感じてきた。

 

 ジャリリリとかそんな幻聴が聞こえる。

 四肢が何かに縛られて、時が止まったような感覚に陥った。

 

 それでも、一撃を与えればどんなに優れた権能(チート)を持っていようと対象を消滅(ロスト)出来る。

 しかし身体は動かない。

 指先一つすらマトモに機能しない。

 後数歩先へ踏み込んで渾身の一撃を食らわしてやるだけで良いというのに!

 

 一秒が止まる。

 意識が。意識が定まらない。

 足元がおぼつかない。

 なんだ、これは?

 僕はまた、何も出来ずに終わるのか?

 

 夢を見る。

 知らない少女が血塗れで倒れてる。

 ギュッと強く抱き寄せて、声を掛ける僕。

 焦点の合わない少女の瞳。

 呼びかける。

 その死を許さないと泣き叫ぶ。

 地下聖堂の祭壇前で二人の夢が潰える。

 

 六花は死んだ。

 これは僕の記憶じゃない。

 僕の記憶でなくとも、その意志は確かに引き継いだのだろうと鼓舞する。

 

 動かない身体。

 鎖が全身を締め付ける。

 魔術破戒(タイプ·ソード)の柄をギュッと強く掴む。

 イメージしろ。

 この魔術破戒(タイプ·ソード)はありとあらゆる魔術を破戒する幻想殺しの魔剣であると強く思え。

 意志を強く念じれば、こんな拘束など解ける筈なのだから。

 

 「――――ぅうううおおおお!!!」

 

 スイッチが切り替わる。

 止まっていた一秒が動き出す。

 彼らの無念を晴らすのなら、此処で立ち止まることは赦されない。

 足を踏み込む。

 霞んでいた視界が晴れて、目の前のバカ野郎の姿を捉える。

 

 ジジジジジジジ!

 

 だが。

 そこで。

 

 衝撃が走る。

 再び、戦慄する。

 何度もそれを繰り返す。

 

 ギギギと間接が悲鳴を上げて。

 先ほどまで居なかった第三者の姿を捉えてしまった。

 

 「――――っえ?」

 

 この場に居ない筈の人物。

 見覚えのある少女が鎖に雁字搦めにされていた。

 喉元に杭が押しつけられて、ほんの少し力を込めてしまったら喉元に食い込んで殺されてしまう。

 僕はその少女にいつだって助けられてきたのだから、見間違える筈がない。

 

 瞬間。

 腹にドスンと衝撃が掛かる。

 続いて四肢が鎖に絡め取られて、組伏せられる。

 

 「――――っぐぅう!」

 

 苦痛。苦悶。激痛。鮮血が口からコボレる。

 痛い。

 あまりの痛みに脳が掻き毟られる。

 まるで頭の中にムカデか何かが入り込んだみたいだ。

 

 「あ、ぁあ、アアア。アァ、アアア!!!

 

 痛覚。抹殺。苦痛。激痛。

 脳が這い回る。

 チクタク、チクタク。動き出す。

 鮮烈に、静粛に、最悪に、醜悪に、ありとあらゆる痛みが全身を掛け巡る。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 気持ち悪さが汗となって滲み出て、溢れんばかりの絶叫が喉を通して世界へ進出する。

 

 手から放れる魔術破戒(タイプ·ソード)の魔剣。

 最強のチートが現実化(リアルブート)出来ない。

 

 吐血。卒倒。転倒しては起きあがることを拒否して、脳が思考停止する。

 

 「さあ、再現の夜を始めよう」

 

 先ほどの狼狽が嘘のように、静かに男は宣言する。

 それを無様に倒れた僕は聞くしか出来なかった。

 

 目の前が真っ暗になる。

 意識を失う。

 眠るように、その意識は深い闇へと堕ちていく。

 

 「勇貴さん、立って下さい!」

 

 真弓さんの声が聞こえた気がした。

 夢を見る。

 夢に溺れて、意識を手放す。

 世界が暗転し、再び胡蝶の夢へと誘われた。

 

 「さあ、再現の夜を始めよう」

 

 開幕乱舞、至極玉砕。

 弱者崇拝、微睡む夢に溺死せよ。

 

 外なる神。

 空白の男。

 完結を遠ざける意味不明な文字の羅列によって、今、舞台の幕が上がった。

 

 





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005 助けて

 

 空白の名前。

 第七回目の転生者の作成。

 インプットされた私の思念情報。

 拡張される記憶。

 選択の幅が広がって、私が好きになった貴方が遠ざかる。

 

 繰り返す。

 私は何度でも諦めない。

 一度目の貴方じゃなくて、本当の貴方の帰りを待っている。

 騙されてる。

 魂を持った人たちは外なる神の存在を誤認する。

 

 それが、どうしようもないことだと分かっていてるけど、私は歯がゆくて仕方なかった。

 

 「――――」

 

 ふと、私は空を見上げる。

 星のない宇宙が広がって、落書きの月が描かれているだけの空が見える。

 子供だましのそれを見ても私の心の透き間は埋まらない。

 

 会いたい。

 貴方に会いたい。

 必要されない私を必要だと言ってくれた貴方に会いたくて仕方ない。

 

 欠けた空白は埋まらない。

 どうしてだ。

 どうして、貴方だけがこんな辛い目に遭わなくてはいけない。

 

 情報が喪失する。

 死んだ魔導魔術王(グランドマスター)の影。

 嗚呼、こんなにも貴方を慕っていると言うのに、誰も貴方を見つけてくれない。

 誰よりも好きな人は今日も救われない。

 ループする。

 ループせよ。

 奇跡を願おう。

 この不条理な世界を壊すのだ。

 

 ――――知るか。そんなもの知るか! そんなテメェ勝手なルールなんて知ってたまるかよ!

 

 本当に手を差し伸べて欲しい時に差し伸べられたことがある。

 私は絶対、諦めない。

 たとえ、この身が消失(ロスト)しようとも貴方だけは救って見せる。

 

 ◇

 

 ジジジ。

 欠けた夢を見る。

 いつまでも永遠に微睡める泡沫の夢。

 繰り返す、僕のとある日常。

 再現せよ。

 誰も望まない仮初の平和を享受する。

 誰かが起きてと呼びかける。

 もう駄目だ。

 もう駄目なんだ。

 こんな弱っちい僕なんて誰も助けてなんてくれない。

 立ち向かったってどうせ誰も見向きもしない。

 もう止めた。

 もう止める。

 止めた。止めた止めた止めた止めた。

 諦めれば、それで良いじゃないか。

 君だってそう思うだろ?

 

 暗闇が支配する。

 底なし沼に堕ちていくのに誰も手を差し伸べてくれない。

 そうだ、僕には出来っこなかった。

 調子乗って立ち向かったって返り討ちに遭うだけなんだ。

 だから、このまま眠ってしまえば良い。

 

 ザザザ。

 一人ぼっち。

 永遠にこのまま。

 自分が自分でいられない。

 否定される自我。

 多くの人間が僕よりも名前も知らない誰かを褒めたたえる。

 どうして。

 どうしてどうしてどうして、僕だけがこんな目に遭わなくてはならない。

 

 ――――初めから期待されちゃいない貴方は、漸く、その生きる人生に意味を持たせられるんです。

 

 声が聞こえる。

 声が聞こえるんだ。

 僕を責め立てる声で埋め尽くされて、嫌になる。

 頭が痛い。

 見たくない現実。

 聞きたくない現実。

 目をそらしたくなる真実。

 

 砂嵐。ノイズ。雑音。罵詈雑言。責め立てる人たちで僕の世界は満たされてく。

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 もうたくさんだ!

 

 ――――死ね! 死んじまえ! テメェなんか誰も見ちゃいねぇんだよ! ココで心なんか壊れちゃえ!!!

 

 見なくて良いのなら、どうすれば良い?

 聞きたくない怨嗟の声はどうすれば聞こえなくなる?

 誰も期待しない癖に、いつまで僕は苦しめば良いんだ!

 

 ――――ダーレスの黒箱を探しなさい、勇貴さん。

 

 止めろ。もう立ち上がりたくない。

 

 ――――貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破戒するしかないのです。

 

 どうせ無意味だ。

 

 ――――大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。私のヒーローなんですから。

 

 僕にそんな器の人間になれやしない。

 空っぽだ。

 何一つ真面に出来ない空白の人間でしかない。

 

 だと言うのに。

 

 ――――それで良いの?

 

 声がする。

 暗闇の中をひたすらに手を差し伸べる誰かの声が聞こえる。

 

 ――――本当にそれで良いの?

 

 一筋の光を求めた。

 救いの手を差し伸べようとしている。

 差し伸べたところで意味がないと嗤われようともその手を差し伸べることを諦めない誰かがいる。

 

 ――――辛いんでしょ? 辛くて辛くて、どうしようもなく悲しいんでしょ!?

 

 無償の愛。

 親愛なる友達はこんな僕にどうして手を貸してくれるのか、理解出来ない。

 

 ――――大切なことだった。どんなに壊され変えられてもそれだけは手放さなかった! そんな大切なものを失くして平気な訳ないでしょう!

 

 だから。

 

 ――――そんな私にとって勇貴さんは、希望みたいなものなんです。

 

 「――――あ」

 

 此処で諦めたら、無意味になる。

 目を覚ませ、七瀬勇貴。

 お前はどうしようもないヘタレ野郎だけど、誰かが苦しんでるのを見捨てれないお人好しの声を無視できないバカだったろう?

 

 「あ、あア。ぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ベッドから起き上がる。

 悪夢を見た。

 とびっきりの悪夢だったけど、内容は思い出せない。

 散らかった部屋。

 時計を探して、今が何時なのか調べる。

 

 カチカチカチ。

 

 七時に時計の針が回ってるのが見て取れた。

 食堂へ行って朝飯を食べてしまおう。

 腹が減ってるから悪夢を見るんだ。

 

 寝ぼけ眼で食堂へと向かう。

 

 酷い夢だった。

 内容は思い出せないのに、嫌な夢だったということだけが思い出せる。

 ジグザグ、ジグザグ。

 切り離された記憶。

 僕は運命に翻弄される操り人形(マリオネット)

 誰かの期待を見ない振りする哀れな愚者。

 ジグザグ、ジグザグ切り離して、くだらない夢に浸るのだ。

 

 ノイズ。

 

 「おはよう、七瀬」

 

 赤い長髪の女の子が挨拶をしてくる。

 気分はルンルンで、何処かそわそわしていて可憐に見える。

 彼女のような美少女に挨拶をして貰えるなんて、今日はなんてツイてる日なのだろう。

 

 「おはよう、●音さん」

 

 声が裏返る。

 自分でもビックリする。

 何をそんなに怯えてるんだろう。

 

 「今日はいい天気だな」

 

 朝日が眩しい。

 とても温かい日差しで、気分が晴れやかになるというものだ。

 

 「そうだね。うん、良い天気だ」

 

 話に詰まったら天気の話題でその場を濁す。

 当たり前の処世術だ。

 

 「そう言えば、今日だったかな?」

 

 髪を弄りながら、もじもじと腰をくねらせ彼女は話す。

 気持ち悪い。

 

 「――――ん? 今日、何か特別なことでもあったっけ?」

 

 何かを思い出そうと首を捻るが、何も思い出せない。

 

 「何って、名城の処刑日だろ?」

 

 処刑日って何?

 

 「もう、そこからかよー。裏切り者の名城を幻想たちみんなで処罰しようってこの間、決めただろう」

 

 この間。

 

 「この、あいだ?」

 

 意味が解らない。

 頭が痛いが、置いておこう。

 どうせ考えたところで無意味だ。

 

 「そ、そっかー。それなら、クラッカー持ってお祝いしに行かなきゃね」

 

 ザザザ。

 ノイズが掛かり、脳が搔きむしる。

 お目出たいのに何故か、胸の奥底が痛むのは無視するんだ。

 

 「そうだな。よーし、そうと決まれば朝飯を食いに行こうぜ」

 

 男勝りな口調。

 手を引いて食堂へと向かう赤髪の少女に連れられて、走り出す。

 

 痛い。

 何も考えないようにしなきゃ。

 

 ◇

 

 食堂へ着く。

 いつの間にか手を握っていた少女は何処かへ居なくなっていた。

 役割を終えたからか、その存在を認知することが出来ない。

 

 「おはようございます、せーんーぱーいー!」

 

 いつもニコニコ、元気なアイドルに出くわした。

 ズキリと頭が痛くなる。

 

 「お、おはよう」

 

 無視しろ。

 痛み何て幻覚だ。

 そんな当たり前を忘れたか?

 

 「いやー良いですねー。こうも賑わってくれていると、気分が快適になるものですよ!」

 

 テンション高い。

 ウゼェ。

 

 「今日は何かのイベントかな?」

 

 食堂をもう一度見渡す。

 

 ザクザク。

 ジュルジュル。

 影絵の猿が集まって、みんなを殺して回ってる。

 実に愉快で甚だしい。

 堪らない。嗚咽が堪え切れない累の姿を見てると何だかこっちまで気分が良くなる。

 

 血だらけ。死体の山。崩壊する倫理観。

 乖離する僕の良心。

 嗤えない。とてもじゃないが嗤えないのに笑ってしまう。

 

 「アハハ! アハハハハハハ!!!」

 

 救えない。

 なんてみんなハッピーなんだろう。

 

 「そうですよ! イベントです! あのにっくき、名城真弓のアバズレの首をちょんぱ出来るんです!」

 

 食堂が賑わう。

 阿鼻叫喚の光景なのに、僕の心は動かない。

 僕の心はもう死んだのだ。

 

 「あの時。あの日。あの憎悪は忘れやしません。いつかこうすることが出来ることを待ちわびていたのです」

 

 テーブルに並べられる肉塊がジューシーで美味しそうだ。

 隣いるアイドルはそれを見て嬉しそうだ。

 

 「さあ、食べごろですよ、先輩!」

 

 満面の笑みで、それを箸でつまんで僕の口に近づける。

 

 「はい、あーん」

 

 あーん。

 ガブリとそれを頬張ると、目の前が真っ暗になった。

 

 ジョキジョキ、ジョキジョキジョキ。

 記憶を切り離す。

 嫌なことは考えない。

 自分が良ければ、それで良い。

 大丈夫、見ない振りは得意なんだ。

 

 ぐるぐる回る。

 屋上から飛び降りる人影も。

 血反吐を吐いて立ち上がろうとする男も。

 七度目にして心が壊れた男の満ち足りた笑顔を見れば、それも無駄ではなかったと思い込め。

 

 「アハハ。アハハハ!」

 

 笑い声が聞こえる。

 その声は聞き覚えのある男の声だった。

 

 目が覚める。

 山のように積まれた死体の山。

 積み上げられた死体はテキストデータとなって電子の置く深くに捨てられていく。

 嫌だ。

 あんな最期はごめんだ。

 

 こんなのは可笑しい。

 

 涙が止まらない。

 嗚咽が止まらない。

 震えが止まらない。

 我慢が出来そうもない。

 

 「もう嫌だよぉ」

 

 嫌になる。

 なんで僕がを繰り返す。

 

 「お前なんかに! お前なんかに彼女を渡してなるものか!」

 

 暗闇の世界に醜い男の嫉妬が木霊する。

 身体が動かない。

 

 不細工。デブ。ニート。引きこもり。ダメ男。親のすねかじり。

 誰かを愛そうと出来もしないのに自分だけを甘やかしてくれる存在に固執する。

 醜悪だ。

 見るに堪えない。

 

 「そうだ、こうしてやる! お前なんてこうしてやる!」

 

 頭が痛くなる。

 ガシっと頭を影に掴まれて、銀の鎧の騎士が断頭台へとやって来る。

 客席から歓声が上がって最高だ。

 

 嗚呼、やっと終わる。

 この地獄から解放される。

 もう痛いのは嫌だ。

 これで死ねると思うと嬉しくて涙が出てくる。

 

 ――――「それで良いの?」

 

 「良いよ」

 

 ――――「本当にそれで良いの?」

 

 「もう良いんだ」

 

 ――――「良いわけ、あるかよ!!!」

 

 幻の硝子が砕ける。

 頸が落とされようとする。

 明確な死を前に死にたくないと思ってしまう。

 廃騎士の幻が両刃の剣を構えた。

 振り落とされるまでカウントしよう。

 

 三。

 

 出せる手はない。

 |魔術破戒(タイプ・ソード)を|現実化(リアルブート)しようとも上手く意識を保てない。

 

 二。

 

 ならば、僕に何が出来ると自問自答する。

 何も出来やしない。

 僕に出来ることは何もない。

 

 一。

 

 嗚呼、全てがどうでもよくなった。

 自暴自棄になって、全てがスローモーションとなって見えてくる。

 

 ――――友達ってのは困ってるダチを助けるモノなんだろ?

 

 不意に。

 そんな言葉を思い出した。

 

 零。

 

 首から下へ向かって、断罪の剣が振り落とされた。

 同時に叫ぶ。

 ありったけの声で助けを求める。

 

 「助けて!!!」

 

 それがどんなに無意味な行為だとしても。

 掠れて、声というには小さな懇願であったとしても。

 疑うばかりで、誰の声も信じれなくなっていても。

 

 絆の力を信じてみたくなったんだ!

 友達が言った、善意の塊ってのに賭けてみたくなったんだ!

 

 その瞬間、暗闇に焔が生まれた。

 焔は闇を掻き消すほど温かな光を宿し、燃えている。

 

 掴まれていた身体が後ろに引っ張られ、廃騎士の剣が空を切る。

 

 闇が消えると、景色は地下聖堂になっている。

 助けを聞いて駆けつけて来た一人の男の背中が見えて。

 

 「次から次へと厄介な!」

 

 道化役者のアズマの声。

 廃騎士の幻はアズマの声と同時にかき消えた。

 影の観客はヤジを飛ばすこともない。

 

 「おそ、かった、じゃ、な、い、の」

 

 未だ死にかけの身体のリテイク先輩。

 続けざまに僕とアズマの間に割って入る人影は、待たせたなと言って、啖呵を切る。

 

 「オレのダチに手出してんじゃねぇえ!!!」

 

 救いの手が差し伸べられた。

 絶望から希望へ。

 その一筋の光を求め、不死鳥は産声を上げる。

 

 さあ、反撃の狼煙を上げろ。

 さすれば、救いの導きが下るだろう。

 

 





 次回の投稿は9月8日を予定しております。


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006 対価を払えばどんなものでも具現する

 カタカタカタ。歴史を語ろう。

 カチカチカチ。記憶をねじ曲げ、時間を超越する。

 

 何処までも救われない男がいる。

 誰かに愛されたいと願った奴。

 空想の世界にしか自分を肯定する女がいないと嘆いた姿は、まさに愚者の烙印を押されるに値する。

 奇跡に頼った。

 愛されることを願った。

 そんなハーレムじゃなくても僕だけを肯定する彼女を求めた。

 愛。

 それは、誰かを思いやる心。

 そんなものが欠けている男に愛される権利なんかないというのに。

 

 酷い承認欲求だ。

 

 「ウルサイ! ウルサイウルサイウルサイ! 僕は神様だぞ! オレがお前らの創造主様だ!」

 

 創作のキャラに八つ当たり。

 無様で、哀れで、滑稽だ。

 反吐が出る。

 

 「お前なんか! お前なんかなぁあ!」

 

 本気になれば何だって出来る。

 だって僕は神様なんだからと言いたげだ。

 

 「そうさ。そうだ。そうです。そうだとも! この権能(チート)さえ持ってれば何だって出来るんだとも!」

 

 喚く男。

 みっともないったらありゃしない。

 暗闇の世界に一人で王国を築いてる。

 寂しくないのだろうか?

 

 「キィイイイ!!!」

 

 誰よりも孤独を嫌う彼は見ない振りして取り乱す。

 盤上の駒は、倒れて使いモノにならない。

 誰かに愛されたいと願った男は、誰かを愛そうとしなかった。

 

 これは、そんな話だ。

 

 ◇

 

 不死鳥が如く、焔となって現れた火鳥。

 廃騎士の幻影から僕を助けてくれたその姿はまさにヒーローそのものだ。

 

 「久しいじゃあないか、火鳥」

 

 一触即発の空気の中、唐突にアズマが口を開いた。

 握手を求めるように手を差し伸べる仕草をする彼は火鳥の出現に対し、何でもないように取り繕った。

 

 「ああ、そーだな」

 

 それに対し、皮肉も言わずに肯定する火鳥。

 古い付き合いだと言うのが伝わった。

 

 「まさか君がこれに執着するとは思っても見なかったよ」

 

 その返答に対し、続けざまに言葉を交わすアズマ。

 ククク、と笑いがこみ上げてるのか口元が歪んでる。

 

 「確かにな」

 

 ケラケラと笑う火鳥。

 だが、その視線はいつだって迎撃準備は万端だ。

 

 「旧友のよしみだ、今なら自分の手違いでヘマをした。そう私が勘違いしても何ら可笑しくない」

 

 道化役者みたいに白衣を翻す。

 その一連の動作はまさに物語でありふれた貴族のような振る舞いだ。

 

 「面白い冗談だ。腹が捩れるほど笑えるんだが、笑っても良いか?」

 

 手を叩き、さも面白いと言わんばかりの笑み。

 まあ、目は笑っていなかったけど。

 それが火鳥の本気で怒ってる時の顔だった。

 

 「ふむ。笑いたければどうぞ笑い給え。何なら私が笑ってあげようか?」

 

 相手も相手で挑発をする。

 空気が重くなる。

 殺気が充満し、再び、無数の(チート)が宙に現実化(リアルブート)される。

 

 「そいつは良い。そいつは良いぜ。笑えよ、アズマ。腹が捩れるほど笑ったら、後は地獄に堕ちるのが悪党の運命(さだめ)ってもんだ」

 

 炎が一斉に火の粉を巻き上げ、燃え上がる。

 幻の焔だというのに、それが熱を帯びて感じた。

 

 「後悔するなよ」

 

 ジャリリリ。怨さの声が聞こえ出す。

 鎖が引きずられる。

 同時に頭の中に入る無数のイメージ。

 残虐にして醜悪な幾つモノ未来予想が頭の片隅に離れない。

 ノイズなんかよりも質が悪いそれが僕の心を確実に破壊する。

 

 「大丈夫だ、勇貴」

 

 前にいる火鳥が言う。

 

 「テメェのそれはもしもの話だ。現実に起こるかもしれなくても、そいつは起きてない。なら、そんなもんを気にしたところで前には進めねぇんだ」

 

 未来が怖い。

 そうなったら嫌だ。

 だから後ろばかりを見てしまう。

 けれど。

 

 「テメェの持ってるそれは、その為のもんだ。その為だけにオレたちが魂を注いだ意志であり、オレたちが連中に対する意地の証だ」

 

 ブレザーの袖をめくり、指をポキポキ鳴らす。

 

 「それに、だ。なんか偉そうにベラベラと御託を並べて、頭良いアピールしてっけど全然言ってることに辻褄が合ってねぇ。そんなのは良い描写でも何でもない只の下手くそな文字の羅列だ。読まされてる読者の身にでもなってみろってもんだ」

 

 ピキ。

 何かが崩れる音。

 それは、憤慨したかのようにやってくる。

 地団太を踏むみたいに地が揺れる。

 未だに魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)が出来ない。

 どうやら、鈴手アズマの権能(チート)にはこちらの意志(コード)を封じる能力が備わっているとみた。

 

 「余裕だな、火鳥。外なる神へ挑発か。大きく出たな」

 

 外なる神を過信しているのか、魔術師は声を荒げて言う。

 

 「本当のことだろう。いい加減、読みにくいったらありゃしないんだよ、テメェのその言い回しの何もかも全部がよ」

 

 バキン!

 見えない何かが音を立てて、崩壊する。

 

 宙に浮かんだ鉄杭が僕らに向かって容赦なく放たれた。

 

 「煽り耐性無さ過ぎだろう」

 

 瞬く間に焔が業火となって辺り一面に解き放たれる。

 火鳥の姿は消えていた。

 どうやら、自身の身体を焔へと変換したらしい。

 それが、火鳥真一の戦闘スタイル。

 特異な条件下での不死性を持つ彼ならではの攻撃手段。

 火の手が鈴手アズマへと伸びる。

 魔を燃やすとされるその魔術はどんな特異性さえ打ち勝つ。

 小学生が考えつくようなその無敵の能力が(コード)をすり抜けて、魔術師へと突き進む。

 

 ――――が。

 

 それを赦さない何かによって阻まれる。

 

 「――――ッハ! だから言っただろう。今なら勘違いにさせてやると忠告してやったというのになぁ。人の言うことはきちんと聞くことだぞ、火鳥よ」

 

 ――――パキン!

 シャボン玉が弾けるような幻聴が響く。

 壁にぶち当たったように、焔があらぬ方向へと散っていく。

 散っていた焔が消えると、そこに火鳥の姿が現れる。

 

 火鳥が如何に優れた能力を持っていようとも、外なる神がもたらす異能は絶対的な力を誇る。

 この世界のルールを定めてると言っても良いそれが、そんな特異なキャラ如きは相手にもならないのだ。

 

 「そーだな。嗚呼、全く以てその通りだな」

 

 杭が向けられて、逃げ場を封じられているというのに火鳥は余裕の表情を浮かべてる。

 

 「人の話はちゃんと聞いておくもんだよなぁ」

 

 火鳥は笑う。

 絶対絶命のピンチだと言うのに、まるで勝利を確信したかのような態度だった。

 

 「何が、可笑しい?」

 

 そんな彼の様子にアズマは問う。

 何がそんなに可笑しいのか。

 

 「可笑しいに決まってる。お前、まだ気づいてねーようだから言っておく。

  アクセス権、持ってた連中が今、何やってんのか知らねぇだろ?」

 

 火鳥が何を言いたいのか僕には分からなかった。

 アズマも何のことだと首を傾げてる。

 

 「ダーレスの黒箱を所持してる連中が外なる神の権能(チート)による異能(コード)を使えるのは知ってるよ。その能力の前に只の魔術やら幻想では太刀打ちできないことは明らかだ。権能(チート)持ちを倒すには同じ権能(チート)持ちじゃなければ不利だってことは誰もが考えつくことだ」

 

 頭の悪い子に教えるように火鳥は言う。

 権能(チート)持ち。

 それは、例えばアズマの鉄杭(コード)や僕の魔術破戒(タイプ·ソード)のことを指すのだろう。

 

 「何が、言いたい?」

 

 魔術師(アズマ)は苛つきを見せる。

 

 「まだ分からないのか? つまり、テメェはシクジったってことだよ!」

 

 火鳥が叫ぶと同時に、それは現れた。

 

 ――――キキキ。

 

 「キ、キキキィイ! ィキキキキィイイイ!!!」

 

 赤子ほどの大きさの蜘蛛の群れ。

 血のように真っ赤に染められた体毛が如何に怪物であるかを語っているかを表していた。

 

 蜘蛛が。蜘蛛が。無数の蜘蛛が地下聖堂中にひしめき合う。

 突如現れた蜘蛛たちの中心に何か赤黒いモノが蠢いた。

 

 「キキキキ、キキキキッキキキィイ!!!」

 

 集団となった蜘蛛。人の形を形成していく塊。

 蠢いて、蜘蛛たちは囁き合って産声を上げだした。

 

 「ハロォウ、エブリデイ! 先ほど振りでちゅねー、アズマボーイ! 騙し討ちするなら、息の根は確認しとけよって兄弟子のオートマンから習わなかったかニャア?」

 

 空気をぶち壊す、狂気の女。

 その真っ赤な髪を掻き上げて、淫ビな雰囲気を醸し出すその女はよく知っている。

 上位幻想にして権能(チート)による能力で僕を二回も殺した存在。

 醜悪なそれを隠しもせず、女は腰をクネらせては叫び出す。

 

 「それにしてもダメだ。全く以てなっちゃいない! 狂気もオーラも役作りの何もかもが中途半端でチープですらありゃしない! これは駄作だ! これはB級映画よりも劣悪なシナリオで読者が置いてけぼりのブラウザバック必須だなァア!!!」

 

 嗤う。嗤う。

 死に損ないの狂人が映画監督気取りのダメだしを申し出る。

 

 「な、な、ぜ? 何故、お前が――――」

 

 指を指し、驚愕の顔が隠せない。

 声を聞いても、姿を見てもそれが天音であると確信する。

 

 「お前が生きているのだ!?」

 

 アズマは狼狽を隠せない。

 動揺して現実を認めることが出来ないでいた。

 

 「決まってるでしょうが! テメェ様が仕留め損ねた! それだけのハナシ・デェスよぉお!!!」

 

 狂気を隠さず、ヒステリックに殺し合いの舞台に上がる。

 殺戮せよ、と。

 恐怖しろ、と。

 

 「キキキキキキキキキキキキキ!!!」

 

 蜘蛛たちが鈴手アズマへ一斉に襲いかかる。

 それがどういう存在かは僕が一番よく知っている筈だ。

 

 「デェスが! それも! これで! オシマイ、デェス!」

 

 ぐるぐる回る。

 鉄杭が蜘蛛たちを抹殺しようと放たれる。

 

 ――――が。

 

 数十という数ではない。

 数万に近い数え切れない程の蜘蛛の群れ。

 圧倒的な数の暴力によってアズマの(コード)は意味をなさない。

 

 蜘蛛の群れを仕留めるよりも女が魔術師の懐に入るのが先だった。

 

 「く、来るな」

 

 最早、後ろに下がる魔術師には、先ほどまでの余裕はなく。

 

 「来るな、来るな来るな来るなっ!」

 

 悲鳴。慟哭。嘆き。悲痛な叫び。

 それら全てを入り交じった言葉が吐き出され、

 

 「――――来るなぁあ!!!」

 

 コンマ一秒も掛からず、間合いを詰められた魔術師は天音の一撃を許すことになる。

 

 「アタクシもそんな台詞吐いて逝っちまったってもんデェスねぇえ!」

 

 そんな叫びを無視して、無慈悲な鉄槌が下された。

 

 「イヒヒヒヒィイイ!!!」

 

 女の嘲いが地下聖堂中に響き渡る。

 僕を殺した時みたいにその腕で心臓を貫こうとした時、それは起こった。

 

 カチカチカチ。

 時間が止まる。

 コンマ一秒が永遠の停止をする。

 思考だけが加速する、静寂が支配する。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 ドクン、ドクン。

 その役割を果たそうとポンプが稼働する。

 

 ジジジ。

 ノイズが掛かる。

 電波が乱れてテキストの記憶が頭に流れた。

 

 熊みたいな巨体の男が倒れてる。

 血を流して倒れ込んでいる。

 その男は死に掛けで、直ぐにでもその命の灯火が散ってしまいそうだ。

 

 一人の男の子が泣きじゃくる。

 男の姿を見て、大粒の涙を流しては何かを叫んでる。

 

 「泣くな、アズマ」

 

 瀕死の男は最後の力を振り絞って、言葉を吐いた。

 

 「お前さんが生きていて、良かった」

 

 達者でなと、最期の言葉を贈って男は旅立った。

 

 男の子は泣きじゃくる。

 その尊い死を泣きじゃくっては、男の亡骸を抱きしめる。

 小さな身体で大きな体の一部しか持ち上げれなかったけれど、精一杯の力で抱きしめるのだ。

 

 ザー、ザー雨が降る。

 砂嵐が巻き起こっては、その濁流に飲まれてく。

 

 「そんな、嫌だよぉ。死なないでよぉ――――」

 

 必死に泣きじゃくって、そして。

 

 「――――死なないでよぉ、カヲルさん!!!」

 

 死なないで、と血塗れになろうとも構わず懇願する。

 運命は残酷に、その願いを切り捨てる。

 現実がそんなものだってことは、孤児だった経験のある彼にはよく分かってた。

 それでも、本当に好きだったから諦めきれない。

 だって、彼はまだ子供だったのだから。

 

 ノイズが走る。

 誰かの記憶に亀裂が入る。

 その失われた記憶は、消失(ロスト)する。

 何かを得るには相応の何かを払わなければならない。

 誰かが言った、等価交換の基本法則。

 得られるものはなかったそれが音を立てて、食われ始める。

 

 バクバク、バクバク。

 ジュルジュル、ジュルジュル。

 

 喰らい、啜り、奪われる。

 食い破られたその記憶が、意思が、彼のありとあらゆるモノが異能となって顕現した。

 

 「だから、貴様は甘いのだ」

 

 詰めが甘いのは互い様だと言わんばかりに、魔術師は嗤う。

 ククク、と押し殺した笑みがこの場の全員の耳にこびり付く。

 

 止まった時間の中で、それが現れるのを視認する。

 

 「――――ッハ!? 何なんデェスか、ソレ!?」

 

 驚愕の連続。

 後出しじゃんけんみたいな怒涛の展開。

 勘違いしていた、互いの認識。

 それは、間違いなく魔術師の秘策であり、アズマにとっての切り札だった。

 

 「幻想(アトラク=ナクア)よ、私がそれを捨てられないと思ったか?」

 

 魔術師の持つ権能(チート)がどういった(コード)なのかは知らなかった。

 てっきり、僕はトラウマ等の精神を破壊するだけの異能なのだと勘違いしていた。

 でも、実際は違った。

 精神を破壊するだけじゃなく。

 

 ザザザ! ザザザ!

 聞こえる筈のないノイズは止まない。

 見える筈のない亀裂が視界に入り、それを認識することの邪魔をする。

 

 見るな、見るな、見るな。

 本能が訴える。

 見てはいけないモノを見てしまった。

 理性が崩壊を迎える。

 蜘蛛なんかよりも気が狂ったハリウッド顔負けの怪物の姿が現れる。

 気配なんかなかった。

 予備動作なんて必要なかった。

 それは、自身の大切な記憶を対価にすれば何処だろうと具現する。

 

 「宣言した筈だ、再現の夜を始めると!」

 

 鎖に縛られてたソレが目を覚ます。

 封じられていた何かが目覚めたのだ。

 喜びたまえ、幻想たちよ。

 お前たちの頂点に達するその原点が君臨する光景を眺めてろ。

 

 銀のトランクはないのに、それが存在するということはそういうことだと知れ。

 

 空気を切り裂き、光速を超えて今度こそ、権能(チート)を持った幻想(アトラク=ナクア)の脳を木っ端微塵に砕く。

 ケタケタと(マネキン)が背中のゼンマイを回してた。

 ギチギチに縛られた拘束はもう、ない。

 

 断末魔を発することもなく、今度こそ、天音のアストラルコードは塵となって消えていく。

 

 欺瞞の妖精(コード)がその姿を維持出来ずに、ダーレスの黒箱となってコロンと床に転がった。

 ゆっくりと確実にそれが次なる標的(えもの)を探し出す。

 

 息が出来ない。頭が割れるように痛い。

 死ぬ。

 今度こそ、自分の命がないことを悟る。

 だって、僕はそれを見た。

 それを視認してしまった。

 明確にそれを視認してしまったら、後はもう死ぬしかない。

 

 背筋が凍って、僕の心臓はその役割をボイコットし始めた。

 立っていられることが出来ず、再び僕はその場に倒れこむ。

 

 「ア、アハハハ! アハハハハハハハハハ!!!」

 

 狂喜する男。

 歓喜してはそれの誕生を愉しそうにその対価を払った。

 

 「そうだ、そうしろ、そうすれば良かった。最初からこうしておけば良かったんだ!」

 

 鎖がビュンビュン跳ね回る。

 時が止まったようにしてた倒れこんだ僕たちに向かって、杭が撃ち込まれてく。

 

 意識が飛ぶ。

 世界が再び、暗闇に包まれる。

 何度もそれが撃ち込まれて、痛みが襲う。

 

 さあ、再現の夜を始めよう。

 頭の中に誰かの呟きが聞こえだす。

 その声は聞いたことのない男の声なのに、その声が誰の声であるのかを理解する。

 

 醜悪な男。みっともないダメ男。不細工極まりない突然変異。

 観客が騒ぎ出す。

 再び、僕の心を壊そうと役者は声を張り上げ舞台を盛り上げる。

 

 「始めよう。始めよう。

  理性なんて捨てて、永遠を繰り返せ! 

  本能さえも受け入れて、夢の世界に溺れてろ!」

 

 独りよがりの愛を求めて、男は独裁を始める。

 アズマの姿ではないブ男が泣き笑いをして、倒れてる僕に歩き出す。

 

 もう、駄目だ。

 今度こそ、僕の意識がそこで途絶えた。

 

 「目を覚まして、  さん!」

 

 少女の悲鳴が聞こえても、それは叶わない。

 堕ちる。

 堕ちる。

 今度は誰も助けない。

 永遠の悪夢に微睡んで、僕の意識は深い闇へと堕ちていった。

 

 





 次回の投稿は9月9日を予定しております。


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007 寝坊助

 

 「おい、起きろ妹!」

 

 微睡む私を誰かが揺すって起こす。

 その声が誰かのかは知っている。

 なんだって私が一番好きな人なんだから当たり前だ。

 

 「うーん。後、五分ぐらい待ってよ」

 

 世界で一番大好きなお兄ちゃん。

 イケメンで、優しくて、格好いい。

 誰よりも正義感に溢れてて、誰よりも真っすぐに私を見てくれている。

 たとえ血が繋がっていなくとも、その人を慕う気持ちは嘘じゃないのは本物だ。

 初めてを捧げても良いぐらいに愛してる兄に構って欲しくて、私は我が儘を言う。

 

 「バカ、もう授業全部終わって下校時間なんだよ。いい加減起きろ、寝坊助」

 

 頭を小突かれる。

 ちょっと痛い。

 か弱き乙女になんて仕打ちだ。

 

 「いたた」

 

 気だるげな感じを装いつつ、寝起き眼で兄を見る。

 いつものぶっきらぼうな、半目でじっと睨む姿にクスリと笑みがこぼれてしまうのが止まらない。

 

 「と言いつつ笑う余裕があんじゃねーか。さっきも言ったけど下校時間なんだよ。オレも人のこと言えた義理じゃねーがもうちょいマトモに授業受けやがれ」

 

 ちょっとゴツゴツした指でパチンとオデコを弾かれる。

 

 「もう! 女の子の身体は果物のように傷みやすいんだから優しくしてよ、お兄ちゃん!」

 

 でもこれ以上小突かれるのは地味に痛いので止めて貰おう。

 スキンシップは嬉しいが痛いモノは普通に嫌だ。

 

 「ならもう少しマトモになるんだな」

 

 ワハハハ、と笑いながら兄はそう言うと私に帰宅の準備を促した。

 

 「むー。だが事実なので反論出来ぬでござった。めでたしめでたし、ちゃんちゃん」

 

 軽口を叩きながら、荷物を鞄に詰めて準備する。

 折角、誘ってくれているのだからこの機会はまたとない好機だ。

 兄を私にメロメロにするチャンスとも言う。

 

 「今、お前なんか変なこと考えたろ」

 

 「えー。そんなことないよー」

 

 夕焼け前の教室の扉に手を掛けながら兄が言った。

 すかさず、取り繕う私。

 こんな平和な日々が続けば良いのに。

 

 教室の扉を抜ける。

 そこで気づく。

 これが夢だと気づいてしまった。

 

 ジジジ。

 砂嵐。ノイズ。

 キュルキュルと巻き戻っては、場面が切り替わる。

 

 ぐるぐる回る。ぐーるぐる。

 視界が回る、記憶が再生されて可笑しくなる。

 

 笑っちゃうよね。

 そんな平和な日常なんかやってこないって解ってたのにね。

 

 「あれ? どうしたのさ、お兄ちゃん?」

 

 のぞき込む青い瞳。

 私を絶望から救ったヒーローが倒れてる。

 どんな窮地であろうとも駆けつける正義の味方が地べたに血反吐を吐いている。

 

 「止めてよ。ねえ、いつもみたいに私の頭を叩いてよ。オレがやられる玉かよって言ってよ。起きて。起きてって。――――起きてよ、お兄ちゃん!」

 

 もう頭を撫でてくれない。

 もう私を妹だなんて呼んでくれない。

 

 もう、もうもうもう、もう。

 

 「起きてよぉ、おにぃい、ちゃぁん!!!」

 

 大好きなお兄ちゃんと生きられない。

 

 地下聖堂の祭壇で倒れこむ二人の男が居る。

 兄の手は冷たかった。

 バカみたいに正義を貫いて、相打ちになって死ぬ。

 なんて立派な人なんだ。

 なんて尊い死なんだと誰もがお兄ちゃんを褒めたたえることだろう。

 

 そんな名声より、私は只、大好きな人と過ごしたかっただけなのに。

 己の正義を貫いた兄の亡骸を抱きしめる。

 

 この日、あの場所で、私の心は死んだのでした。

 

 カチカチカチ。

 時間が進む。

 逆しまに巻き戻っては、私の時間を永遠にループさせることでしょう。

 幸福な時を過ごしては、それを絶望させる瞬間を何度も見せる。

 地獄以外の何物でもない。

 嗚呼、吐き気がする。

 私はそれを無かったことにする為に此処まで来たと言うのに何も出来ずに夢を見ている。

 

 進め、進め。

 進ませろ。

 

 「ねえ、瑞希ちゃん。協力して欲しいことがあるの」

 

 神妙な顔した少女が一人部屋に籠っていた私に声を掛ける。

 抜け殻の私に何を頼もうと言うのだろう。

 何を言ったところでどうせお兄ちゃんは帰ってこないのだ。

 

 部屋に入ってきた少女の言葉を無視しようとしたとき、

 

 「私、もう一度、古瀬さんに会いたいの」

 

 少女のその言葉が死んだ私の心を射止めたのだ。

 いや、射止めたのではない。

 私だって会いたいと思ってる。

 この女はそんな私の気持ちを揶揄ってるのかと思った。

 そう思ったら、抑えられない感情が爆発したんだ。

 

 「そんなの。そんなの私だって、会いたいよ」

 

 少女の胸倉を掴み、私は出来るだけ冷静にそう答えた。

 でも止まらない。

 感情はそれで止まってなんかくれない。

 

 「私だって、お兄ちゃんに会いたい。会いたいよ。でも、それは無理なの。お兄ちゃんは死んじゃった。死んじゃったら会えないの!」

 

 会いたい。

 けれど会えない。

 死者と言葉を交えることは二度と出来ない。

 その願いは永遠に叶うことはないのだ。

 

 「方法が、あるの!」

 

 でも、そんな私の言葉に少女は叫び返す。

 胸倉を掴んでいた筈なのに、いつの間にか少女の方が私の胸倉を掴み返してた。

 

 「死者復活の方法が、あるの! あの魔導魔術王(グランドマスター)さえ考えもしなかった方法が見つかったの! それには、貴方の協力が必要なの!」

 

 揺すられる。

 彼女の言葉が本当のことか解らない。

 世界中を震撼させた、鬼才の魔術師が出来なかった死者蘇生が可能だという。

 そんな馬鹿なと思うだろう。

 でも、私は少女のその言葉に縋るしかなかった。

 だって、もしそれが叶うのなら私だってそうしたい。

 

 お兄ちゃんに会える。

 死んだお兄ちゃんと再び、言葉を交わせる。

 今度こそ、愛してると想いをぶつけれるかもしれない。

 

 心が揺れた。

 と言うより、決心した。

 

 「それ、本当でしょうね」

 

 真っすぐに見つめる碧の瞳。

 その瞳に映る私の顔は決意に満ち溢れていた。

 

 「ええ、勿論よ」

 

 思えばお兄ちゃんが死んでから、世界はモノクロでしか見れていなかった。

 そんなモノクロだった私の世界に再び色が付き始めたのは、この時からだったのかもしれない。

 

 ザー、ザーノイズの雨が降り注ぐ。

 視界いっぱいに砂嵐が入って鬱陶しい。

 そこで私はこれが夢なのならば、目を覚ますことが出来るのではないかと思った。

 

 微睡む私は自分自身に喝を飛ばす。

 さあ、目覚めろ、私。

 ここで古瀬瑞希(わたし)が目覚めなければ、一生、お兄ちゃんに会えないのだぞ。

 

 ◇

 

 「ほーう。七瀬勇貴、貴方は記憶がないから解らないのでしょうけど、学園の教員までもが昨夜の見回り中に失踪した。そう聞いて何も思わないのですって?」

 

 突然、そんなことを耳元で叫ばれた。

 

 「うわっ!」

 

 鼓膜が痛い。

 耳鳴りが激しく、とても痛かった。

 

 「――――まあ、そんな非常事態にオレたち能天気過ぎるっつーってもよー」

 

 耳元でガミガミと小言を叫ばれる僕に見かねて、火鳥がそんなことを言う。

 突然のことで意識が思うように現状を理解出来ていない。

 そんな僕を置いて、周囲は勝手に騒ぎ出す。

 

 「だからといって一介の生徒がどうか出来るって案件でもねーんじゃねーの?」

 

 そんな風に耳元で叫ぶ少女を宥める火鳥。

 その後ろでは、おーぼーだーよねーと大げさにうんうんと頷く累の姿が見える。

 

 「そ、そんなことは解ってますわよ。ですがだからといって何も警戒しないことには始まりませんわ!」

 

 バン、と目の前の机を叩く燈色の少女。

 そのツインテールの少女の名前は、確か――――。

 

 「シェリア会長?」

 

 思わず、声が出る。

 きょとんとして、呆然としてる僕に向かって、何を思ったのかその少女が胸倉を掴みかかって来た。

 

 「あ、な、た! もしかして私のこと、馬鹿にしてらっしゃいますの!?」

 

 今畜生とでも言いたげに、僕をグワングワンと揺するシェリア会長。

 それを落ち着かせようと、おいおいと宥める二人の友達。

 

 「どう、どう。ステイ。ステイだ、生徒会長。そいつが抜けてるのはいつものことだろう?」

 

 落ち着かせようとしているのか、それとも揶揄っているのか解らない火鳥のフォロー。

 なんか、その後ろでは累が鉛筆サイズの赤旗を振ってた。

 

 「兎に角、一介の生徒がどうしたところで、あの怪物に太刀打ちは出来ねーのは明白だ」

 

 そうだ、そうだーと野次を飛ばす累。

 うん、後でなんか累は後でぶん殴っておこう。

 そうしよう。

 

 「うぅ! しかし、今、此処で処理をしておかないと後々面倒なことになるのも明白なのですわ」

 

 シェリア会長が口ごもる。

 その姿を見て、何かが可笑しいと思った。

 根本的な何かが違う。

 僕は以前、これと同じような場面に遭遇したようなそんな気がする。

 デジャブ。

 そうデジャブだ。

 さっきまで何か恐ろしい光景に遭遇していたそんな気がしてならないのだ。

 

 違和感。

 違和感が頭痛と共に僕を襲う。

 

 ――――それを。

 

 「まあまあ、シェリアちゃん。もうその辺で良いじゃないか。キミが何をそんなに焦ってるかどうかわかんないけどさ。けど、火鳥も言ったように今回の事件はボクらの手に負えない案件だってのはシェリアちゃんだって解ってるでしょ?」

 

 珍しく真面目な顔をした累の発言で拭われたのだった。

 

 「そ、それもそうですわね」

 

 何故かシェリア会長が遠い目をしていた。

 キンコーン、カンコーン。

 授業開始を告げるチャイムが鳴る。

 いつも通りの日常が再開される。

 別にどうってことのない循環だ。

 気にする必要は何処にもない。

 見ない振りしていれば、終わるのだ。

 

 しばらくするとハゲの教師がやって来た。

 

 「起立、礼。着席!」

 

 席に戻ったみんながシェリア会長の号令に素直に動く。

 終わらない平和な日常が再び、始まった。

 

 チクタク、チクタク。時計の針が進んでく。

 教師が垂れ流す、無意味な術式をノートに書き綴っていく。

 教鞭を振るう教師の名前も覚えてないけど、何か大切なことを教えている。

 例えば、あのお方が如何に偉大な魔術師であったのか。

 その魔術師を殺した愚か者がどんな末路を至ったのか。

 全てが無意味であり、全てが僕にとっては無価値なこと。

 それら全てを、その短い授業で詰め込んでいく。

 

 「それでは、本日はここまでとする」

 

 授業が終わる。

 

 「起立、礼。着席」

 

 シェリア会長の号令と共に授業が終わる。

 

 キンコーン、カンコーン。

 同時に授業終了のチャイムが鳴った。

 

 「さーて、次の授業は何かなー」

 

 次の講義の内容が思い出せない。

 あれ? 可笑しいな。

 不安になる。

 何だろう、何か忘れている気がする。

 

 「おーい、ユーキ。次は移動教室なんだから、早いところ準備しないと間に合わないよ?」

 

 累がこちらに近づいて来る。

 小動物なつぶらな目をして、頭を押さえる僕に間の抜けたことを言った。

 

 「え? ああ、そうだったっけ?」

 

 慌てて僕は、そう返す。

 

 「そうだよー。まさか、次、何やるか忘れちゃったの?」

 

 もうおっちょこちょいだなーと言いながら、次の講義が何処で行われるかを教えてくれる。

 

 「ごめん、ごめん。それで、次は何やるか教えてくれる?」

 

 累の気遣いにそう返して、尋ねる。

 そんな僕の対応に気軽に答えてくれた。

 

 「良いよー。次はグラウンドで異星の蝙蝠(ビヤーキー)の召喚魔術の実習だよ。だから、みんな、それっぽい教材持ってグラウンドに向かってるんだよ」

 

 早くしないと間に合わないぞ、と累が急かす。

 異星の蝙蝠(ビヤーキー)って何だよ?

 

 「そ、そっかー。それならハヤク行かないといけないよね」

 

 机から適当にノートとそれっぽい教科書を手提げ鞄に詰めていく。

 文房具も突っ込んで、さあ、グラウンドに向かおうと累にお礼を言う。

 

 「累、教えてくれてありがと。お陰で助かったよ」

 

 そう言って、次の講義への支度をして教室から累と一緒に出る。

 ガラガラ、と教室のドアを開けて、バタン、とドアを閉める。

 それだけの動作。

 何の不自然なことはない。

 

 なのに。

 

 「良いともー! さあ、早いところ向かおうぜ」

 

 どうしてこんなに僕は焦ってるんだろう。

 何がそんなに気に食わないのだろう。

 

 駆け足でグラウンドへと向かった。

 

 ◇

 

 ピピピピピピ! ピピピピピピピピ!

 

 目を覚ます。

 コントロールルーム内に喧しく鳴る電子音。

 重い瞼を擦りながら、周囲を伺うと、傍にいた筈の久留里天音の姿が無くなっていた。

 

 「そう、あいつにしては目を覚ますのが早いんですこと」

 

 嫌味の一つも呟きたくなる。

 現状がどうなっているのかをモニターを通して調べる。

 地下聖堂に幻想たちが鈴手アズマによって制圧されている映像が確認できた。

 

 「バレないようにしなくちゃねー」

 

 きっと、アズマはもうすぐ、コントロールルームに戻って来る。

 私の強奪(コード)を手に入れようとするだろう。

 流石に私一人ではアズマの相手をしながら外なる神には敵わない。

 

 「――――っち。そりゃあ、アクセス権限は持ってくよね」

 

 自我がある程度削られているとは言え、アズマは討伐隊に選ばれた魔術師だ。

 それぐらいの知恵は働かせれるに決まってる。

 だからこそ、今の状況はこちらが圧倒的に不利だ。

 せめて、シェリアがこの場に居てくれさえすれば状況はひっくり返せるというのに。

 

 「まあ、無いもの強請りをしたところで意味はない、か」

 

 影絵の猿(エイプ)を使ってしばらくは身を隠そう。

 外なる神になっているあの男が如何に優れた権能(チート)を保有していようともあの影絵の猿(エイプ)の隠蔽は流石に見破れない。

 

 カチカチカチ。

 キーボードを叩く。

 

 「なーるほど。これが私の影絵の猿(エイプ)を突破したイレギュラーね」

 

 外なる神への対策をしていると、モニター越しにそれを認識することに成功する。

 藤岡飛鳥を騙るそれの正体もそれで看破したのだった。

 

 





 次回の投稿は9月9日の午後かもしくは9月10の午前を予定しております。


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008 いつだって彼が起こしてくれた

 

 「いあ! いあ! はすたあ! はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ。ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい! あい! はすたあ!」

 

 異星の蝙蝠(ビヤーキー)を召喚する呪文を詠唱する。

 何が楽しくてこんなことをしているのだろう。

 僕は意味が解らなくなる。

 誰もが真面目に異星の蝙蝠(ビヤーキー)を召喚しようと躍起になっている。

 異星の蝙蝠(ビヤーキー)

 聞く話によると、彼らは外なる神の一柱の一つ、黄色の王ハスターに仕える悪魔。

 彼らは、二メートルにも及ぶ大きさの蝙蝠のような見た目をしているとされている。

 されているという曖昧な描写なのは、この学園においての召喚成功率が極めて少ないからだそうだ。

 何でそんなものを召喚する講義をしてるんだと疑問が浮かぶが、どうやら、異星の蝙蝠(ビヤーキー)を召喚出来る人材を学園側が見極めるという実験のようなものだと言うのが有力な説としてみんな噂してる。

 

 「いあ! いあ! はすたあ! はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ。ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい! あい! はすたあ!」

 

 何度も詠唱する呪文。

 僕も本日で十回も詠唱してるが、成功などする訳もなく不発で終わっている。

 まあ、成功自体が稀だって話だし気を落とす必要もないのだが。

 しかし、仮に成功したらとんでもない破格の待遇が待っているとされているのだから狙わない手はないだろう。

 一攫千金も夢ではない。

 

 「いあ! いあ! はすたあ! はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ。ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい! あい! はすたあ!」

 

 うーん、この詠唱を声が嗄れるまで先生たちはやらせるつもりなのかな?

 呪文を詠唱するだけでなく、ちゃんと魔力自体も魔法陣に向かって込めているのでそれ相応の疲れがくる。

 当然、僕にそんな魔力はない。

 あるにはあるらしいが、凄く少ないらしい。

 本当に一般人に毛が生えたぐらいの魔力量で、魔術の才能はないと担任の教師のお墨付きだ。

 

 「疲れるんですけど。早く休みたいなー」

 

 思わず愚痴を口にする。

 教師に気づかれてないのが幸いだ。

 

 「いあ! いあ! はすたあ! はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ。ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい! あい! はすたあ!」

 

 嗚呼、本当に憂鬱だ。

 才能のなさがこんなにもマジマジと見せつけられるのだから、憂鬱になるのも無理もない。

 そう言えば、異星の蝙蝠(ビヤーキー)を召喚した成功例って誰だったっけ?

 確か、知ってる人だったと思うんだけど、それすらも忘れてしまっている。

 ……クラスメイトの誰かだったような気がするんだけどなぁ。

 

 キンコーン、カンコーン。

 唐突に授業終了のチャイムが鳴る。

 グラウンドから校舎に備え付けられた大きな時計を見ても、まだ授業が終わる時間帯ではない。

 故障かな?

 みんな一堂に首を傾げてる。

 異星の蝙蝠(ビヤーキー)の召喚魔術を担当するおばさん先生が口を開く。

 

 「なるほど、そういうことですか」

 

 何がなるほどなのだろう、意味が解らない。

 

 「それでは、本日の授業はこれで終わりです。皆さん気を付けてご帰宅ください」

 

 何やら焦ったような顔つきで、おばさん先生がそう言うと、校舎へと戻っていった。

 トラブルかな?

 

 「ウッシャアアア! 授業終わったぁあ!!!」

 

 生徒一同、大合唱。

 そりゃあ、あんな退屈で疲れるだけの授業が終わったんだ、喜ぶのも無理もない。

 けど、何だかみんな自棄に大袈裟だ。

 何だ、この後、何かのイベントでもやるのかな?

 

 「そりゃあ、やるとも!」

 

 後ろから累が声を掛けて来た。

 

 

 「――――うわっ!」

 

 ビックリした。

 ビックリして思わず仰け反ってしまったじゃないか!

 

 「吃驚したよ、累。いきなり背後に立って大声出さないでよー」

 

 累に注意する。

 

 「ん? あーゴメン、ゴメン。悪かったよ。それより、この後やるイベントなんだけどさ、一緒に見に行かない?」

 

 ん?

 この後、やるイベントって何だ?

 

 「もしかして、また忘れちゃったの? もー、ユーキは相変わらず、忘れん坊なんだからさ」

 

 累に言われたくない。

 というより周りの生徒たちの視線が僕らに集中してるような気がする。

 何だ? そんなに僕ら、集中されるようなことしてる?

 

 「だって、本当のことじゃないか? ユーキが忘れん坊なのは今に始まったことじゃないでしょ」

 

 周りの生徒たちの中に火鳥が何か言いたげな顔して見つめてる。

 

 「うぅう。そりゃあ、そうだけどさ。でも、そう何度だって言わなくても良いでしょう?」

 

 堪らず、口答えをしてしまう。

 

 「ううん。ユーキには何度だって言わなきゃダメなんだよ。何度だって言わなきゃ、伝わらないんだ。何度も忘れさせられてるんだから、思い出させないといけないだろう?」

 

 ピキリと何かが割れる。

 

 「ん? 忘れさせられてる?」

 

 聞かなくても良いことだ。

 聞いてはならないことだ。

 

 「そうだよ。キミが忘れさせられてる。それは、キミ自身が望んでやってることじゃないにしろ、キミが何度も忘れてしまってるんだから仕方ないことだ」

 

 歯車が回る。周囲の目が冷たくなる。

 空気が重くなり、それをしてはならないような気がする。

 

 「ね、ねえ、累、一旦、話するの止めない? なんか、みんなの視線が集まってるんだけど……」

 

 視線に耐えかねて、僕は累に話を止めさせようとする。

 

 「止めない。だって、これはキミだけの問題じゃないから」

 

 累は冷たく、僕の提案を突っぱねた。

 いつの間にか。累の手には剣が握られている。

 

 「思い出すんだ。キミがキミ自身を思い出さなきゃ、この夢は覚めない。覚めてくればきゃ、ボクらは永遠にこのまま夢の世界に縛られ続けちゃう。そんなのは嫌だ。そんなのはボクはゴメンだ」

 

 意思を持つ一人の人間が抗う為の(いし)を持つ。

 途端に周囲の生徒たちが騒めき出す。

 騒がしいことこの上ない。

 耳障りで仕方ない。

 何より、累の言葉は自分勝手だ。

 

 「ボクはゴメンだって? 何がゴメンなんだよ?」

 

 その累の言いぶりに、僕はムキになってしまい聞き返す。

 

 「アア、ゴメンだよ。ボクは一生、幻想なんてモノをやりたいだなんて思わない。ボクだって人間だ。例え、この身体が誰かに造られたモノだったとしても、この意思が設定されたものだったとしても、この感情は間違いなくボクが今、思ってる感情なんだから。それが上から目線で好き放題弄り回されるだなんて、ボクは納得なんて出来やしない」

 

 彼は何のために自由を求めるのだろう。

 どうしてそうまでして、その意思を持ったを気にする必要があるのだ?

 そんなものを持ったところで良いことなんか一つもないというのに、どうしてそこまで拘る?

 

 「拘るさ。だって自分のことだから。自分がやりたいって思って進みたいのに、他人の身勝手でそれを阻まれてる。誰かの我が儘でどうしてボクたちが不幸にならなくちゃならない!」

 

 累は叫ぶ。

 周囲の生徒たちは口々に彼を呪った。

 誰も彼もそんな累の抵抗に対し、罵声を浴びせだす。

 その罵声が何を言ってるのか、何故だか聞き取れない。

 頭が痛い。

 割れるように痛くて、どうしようないほど目が眩む。

 いつだって、僕は真面にそれを直視してなかった。

 直視出来ないと言い訳をして、目の前のことから逃げていただけだった。

 

 そりゃあ、あの時意思(コード)現実化(リアルブート)出来なかった筈だ。

 

 「嫌だ! そんなのは嫌だ! だってボクは生きてんだ! 自分の意志で生きてんだ! どうしてボクがそれを奪われなくちゃいけない!」

 

 叫び続ける。

 それが許されることなら、彼の望みを叶えてあげたいと思う。

 だって、僕はそんな彼にいつだって助けられて来たんだから。

 そうしてあげることの何がいけないんだ?

 

 「要らないのなら頂戴! その意思(コード)をボクに渡してよ!」

 

 手を差し出す累。

 その手を取って、懐に入れたこれを渡してあげれば彼の願いは叶う。

 たったそれだけ。

 それだけで簡単にそいつは手放せる。

 

 ――――だと言うのに。

 

 ジジジ。

 ――――そう。貴方が先を進めるように。貴方がそれを笑えるように。他の誰でもない貴方の未来を夢見た誰かが私に託した希望なの。

 

 自分の意志で生きたいと願った愚か者の懇願を切り捨てる理由が頭に過った。

 

 「あ」

 

 痛い。

 痛い、痛い、痛い。

 とても頭が痛くて、胸の奥底が締め付けられていく。

 

 「あ、ああ、あ。ぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 思い出していく。

 記憶が蘇る。

 封をして鍵を掛けたその意思が再び冷たくなった僕の心に熱を与えてくる。

 

 累の何とも言えない顔が見えてくる。

 けれど、それを無視してでも僕にはやらなくてはいけないことがある。

 

 ――――ダーレスの黒箱を探しなさい、勇貴さん。

 

 夕暮れの廊下。

 日が沈む間近で真弓さんとの会話が思い出す。

 

 ――――貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破戒するしかないのです。

 

 切り捨てなければいけない願い。

 手と手を取り合って掴み取った機会(チャンス)をもう一度、取るべきだ。

 焦りだす生徒たちは、最早、その顔が正常な人間の顔を維持できないでいる。

 ゾンビだ。

 周囲の人間はみんな、体を腐らせたゾンビとなっていた。

 

 ――――大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。私のヒーローなんですから。

 

 幸福の椅子取りゲーム。

 いつだって勝者はその少ない席を奪い合う遊戯。

 茶番だ。

 そして、今、目の前の騎士は僕の邪魔をしてる。

 

 ハア、ハアと息遣いが荒くなる。

 

 「そう。ボクにはくれないんだ」

 

 そんな僕の姿を残念そうに顔を背ける累。

 心なしか嬉しそうな彼は少し顔をうつ向かせては声を押し殺す。

 

 「そうだよね。そりゃあ、くれる訳ないか」

 

 ギリリと歯ぎしりする音。

 キキキ、と騒ぎ出すゾンビたち。

 まだかまだかと合図を待ちわびているようだ。

 

  ――――意志(コード)の再確認。魔術破戒(タイプ·ソード)起動(コード)を認証しました。これより、魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)を開始します。

 

 脳内に直接響き渡る、聞き覚えのある少女の機械的なアナウンス。

 構えるのは、その手に握られた無骨な得物。

 音声ガイダンスによって集った光で構築されるアストラルコードの産物でその場を一閃する。

 

 衝撃が走る。

 目の前の累の身体に亀裂が入って、その姿が影となって散っていく。

 

 「ごめん、累。――――ありがとう」

 

 斬りつけられたというのに影となった親友はそれを笑った。

 

 「アハハ。今更、何言ってんのさ」

 

 幻影となってそれは消えていく。

 そうして、それが合図なのか知らないがゾンビたちが一斉に僕へと群がった。

 

 「さあ失せろ、幻想。邪魔だ!」

 

 それを僕は未来を掴み取るために斬り捨てた。

 誰の思惑があるだとか知ったことじゃない、僕は僕がやりたいようにやるだけだ。

 

 今、運命を打ち勝つ為の戦いの幕が上がった。

 

 




 次回の投稿は9月10日を予定しております。尚、作者は9月11日から9月15日まで仕事が多忙を極める為、更新が出来なくなると思われます。予めよろしくお願い致します。
 それから、もうそろそろでなろうの方のこの作品のユニークPVが1000人を突破するかもしれない事実に作者は驚きが隠せません。というか、素直に嬉しいです。ですので、突破した時、こちらの方にも記念に短編でも上げたいと思いますので、皆さん、どうかお楽しみ下さい。


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009 螺旋にて集結せし暗躍する者

 

 夜を待つ。

 一人、その深淵に空を見上げる子供が居た。

 その子供には記憶がない。

 記憶を願いに能力を得たのだから、それは当然の代償であった。

 子供は空を見上げている。

 何処までも続くと思われた空。

 願いを告げる。

 その願いに沿った奇跡を世界は構築する。

 夜を見よう。

 星屑の綺麗な夜空を求め、テキストの中でその幻を探す。

 探す。

 探す。

 幾ら探せど、その幻は何処にもない。

 当然だ。在りもしない可能性はシナリオにはならないから。

 故に子供は作り上げようと、その世界の設定を改竄する。

 けれど、それは叶わない。

 何故なら、その設定はあまりにも膨大で何処から変えても矛盾を突き立てては否定するのだから。

 

 繰り返す。繰り返す。

 子供は夢を見る。

 忘却の狭間に見出した深淵の中、幻想たちを犠牲に世界を構築する。

 

 ジジジ。

 ノイズが入る。

 通信をキャッチ。

 電波が入り混じって、混濁する。

 

 不意に子供は夜空に向かって手を伸ばす。

 星でも掴もうとしたのかは定かでないが、それは叶わない。

 

 ――――だって、空よりも彼方に離れた地の底に彼はいるのだから。

 

 ◇

 

 切り刻む。

 数秒毎に襲い掛かる腐乱死体。

 腐ってると言うのに蛆すら湧かない姿を見て、益々この現実が現実でないと実感する。

 

 一振り。

 数秒の感覚をして、キキキと奇声を上げてくたばった。

 ゾンビたちは休む暇を与えず、統制のない動きで僕の足を止めさせる。

 向かう先は、コントロールルームだ。

 夢の世界に戻ったと言うのならば、そこに行けばなんらかの原因が解ると期待してそこへ急ぐ。

 

 だと言うのに。

 

 「キキキキキキキキキ!!!」

 

 ノイズだらけのモザイク顔でそれが嗤い出す。

 数人程度だったゾンビは、仲間を呼んで更にその数を増やしていった。

 じり貧だ。

 数では向こうの方が勝ってる。

 何か突破口がないかと辺り探す。

 

 けれど、僕の周りにはゾンビしかいない現実。

 絶望的な状況。

 このまま、何もせず時間だけが経過するのかと思うと焦る。

 

 「ック、クソ!」

 

 苦悶の声がこぼれる。

 自分の予想だが、僕の意識が保てるのにもタイムリミットつまり、時間制限が掛けられている気がする。

 根拠は、今も尚、自分の中の何かが削られていく感覚がとしかいえない。

 きっとそれは、六花が僕にくれたダーレスの黒箱の力なのだと推測する。

 

 前を見据える。

 絶望的なゾンビの群れ。

 それを突破する一撃必殺的なものは僕にはない。

 

 それでも力任せに、強引に進もうと藻掻く中でそれが現れる。

 

 ジジジ。

 ノイズがする。

 ザザザ。

 自分の中の何かが危険信号を送る。

 ザー、ザー。

 かつて自分を脅威に晒したそれがやって来たのを感じた。

 

 まだ昼だった筈の世界に暗雲が差す。

 太陽が隠れたと思ったら、更に暗くなっていく。

 

 カチカチカチ。

 時間が早送りになる感覚に陥る。

 まるで、映像を早送りしてるみたいだと思った。

 

 雀たちの囀りが遠くなる。

 それもやがて耳に聞こえなくなり、ゾンビたちの絶叫もない静寂が訪れる。

 

 ――――パリン。

 硝子の割れる音が響く。

 音がする方向を見たら、校舎から堕ちていく人影が見えた。

 

 ゆっくりと急速に落ちていくその人影を見つけたら、ゾンビたちの動きは止まっていた。

 停止ボタンを押された映像のように、世界の時が止まった瞬間。

 

 ドサッとグラウンドにそいつはやって来た。

 黒い影のようなものがやって来た。

 全身に夥しい黒い瘴気のようなものを纏わせてそれがこちらを向いて来た。

 

 「悪魔?」

 

 そう、悪魔。

 悪魔と勘違いしてしまうその人影は僕と障りない身長差だ。

 黒い瘴気で姿がよく見えないが、それがこちらにゆっくりと近づいて来る。

 時間は相も変わらず停止したままだ。

 

 「グゥウウウルルルゥウウ!!!」

 

 獣の咆哮のようなものを出していた。

 顎が尋常じゃないほど裂けて、喉から吐き出すその雄たけびが恐怖するという感情を思い出させる。

 

 「――ッヒ!?」

 

 背筋がゾッとし、思わず後ろに下がろうとしても、金縛りにでもあったかのように動かない。

 僕の身体にその悪魔のような人は触れようとした。

 体感としては、それが数分のように感じた。

 顔に、触れる。

 すると、胸の奥底にある何かが融けたような感覚に包まれる。

 

 カチリ。

 鍵が開かれる奇妙な幻聴。

 それは、止まった時間の中で起きた出来事。

 その何かは叫んでる。

 影を纏ったそれが僕の顔を覗き込んでは告げている。

 

 「サア、チカラヲ、クレテヤッタゾ」

 

 そんなようなことを言っているように感じられた。

 数秒が経過。

 夜が続いてる。

 一瞬の出来事は永遠に近い時間に感じられて――――。

 

 傲慢と司る『ダーレスの黒箱』のプロテクトが解除申請を確認。『傍観』の騎士(コード)の使用許諾を了承しました。これより、幻影疾風(タイプ·ファントム)現実化(リアルブート)を開始します。

 

 聞き覚えのある少女の機械的なガイダンスが脳裏に掠める。

 

 冷やさせが止まらない。

 一秒がコンマ一秒になっていく。

 体感していた時間と現実の時間が同化する。

 

 一瞬。

 脳裏に過る鎖で縛られた少女の姿が見えた。

 暗闇の中、鎖で縛りつけられた少女を抱きしめる知らない男の姿も見えた。

 彼女の名前は知っている。

 少女の姿は痛ましい。

 まるで、囚われのお姫様のようで、僕はその姿に声が出せない。

 抱きしめる男の手は卑しい。

 汚らしい手で彼女に触れるなと文句を言ってやりたかった。

 

 「キキキキキキキキィイイ!!!」

 

 鈍足なゾンビたちの叫びで跳んでいた意識が呼び覚ます。

 くるりと振り向き、敵を見据える。

 失われていた何かが、恐怖よりも現状の打破を勧めてく。

 

 「キキキキキキキキィイイ!!!」

 

 来る。

 いや、来た。

 スローモーションに動き、小刻みが大振りに見える奇怪な劇場。

 チープだ。

 そのゾンビの攻撃の遅さに思わず口元が緩む。

 

 それしか言えないのか、このノロマめ。

 

 間合いに近づくゾンビよりも速く一歩踏み込む。

 時が止まって見えるのではない。

 一秒が停止して、心臓の鼓動よりも速く動けるだけ。

 腐った腕がパンチを繰り出す。

 遅い。遅すぎる。

 

 コンマ二秒。

 

 踏み込んで、ゾンビを斬る。

 でも、その加速は止まらない。

 大振りになった僕の動きに誰もついて来れない。

 だって、そうだ。

 只でさえノロマなゾンビなのに音速を超えた人間を誰も捉えることは出来ない。

 

 一振り。

 只、その大振りの一閃が出発地点よりも遠くに走って到達した究極の業となって放たれた。

 

 グランドの端まで着く。

 数秒後に消失(ロスト)したゾンビたちの断末魔が響き渡った。

 

 コントロールルームまで急ごう。

 この速さなら一瞬でそこへたどり着けるだろう。

 

 ◇

 

 「どういうことだ!?」

 

 コントロールルームにて男が半狂乱で叫んでる。

 鎖に縛られた少女を前に取り乱す男は怒りに我を忘れてる。

 どうして、あんな能力を奴が持っている。

 そんな描写はオレはしなかった筈だと頭を抱えて地団太を踏んでいる。

 良い大人がする子供の癇癪は見てられないほど滑稽で哀れだった。

 

 「何故だ? 何故、上手くいかない!」

 

 自分よりも劣るそれの活躍に目を疑って、涙する不細工な男。

 その男は本当にどうしようもないクズだと誰もが思うことだろう。

 

 「オレがやるしかないのか? 神であるオレが直接相手してやるのがベストなのか?」

 

 呟く。

 誰に聞かせるまでもないその意味不明な言葉たちは虚空の溝に捨てられる。

 膨大なテキストデータの一部として世界へと還元されていった。

 

 「マユマユは渡さない。それは、絶対だ。絶対なんだ。絶対の絶対なんだから!」

 

 幻想などでは役不足。

 だが、自分に戦う為の力はない。

 あるのは、幻想たちを好き放題改竄出来るこの権能(チート)だけ。

 モニターでこちらへと真っすぐに向かってくる奴を見る。

 その姿はかつて自分が憧れたヒーローのようで恰好良かった。

 それがまた、自身と違う存在として認知してしまい、劣等感を引きだたせていく。

 

 ふざけるな。

 

 この世界は僕の世界なんだぞ、と男は憤慨する。

 

 そんな愚かな男を見つめる少女の姿など誰の目にも止まらなかった。

 

 ◇

 

 カツン。カツン。

 誰に命じられるまでもなく、腰に携えた剣が特徴の青年は黙って、その螺旋の階段を下りていく。

 

 カツン、カツン。

 記憶が流れる。

 何処までも愚かな男の生涯が見えていく。

 眉一つ動かなさない青年の目は何処も見ていなかった。

 目的の為にその螺旋を下りていく青年の姿は普段の雰囲気など無かった。

 

 「くだらない」

 

 腰に携えた剣を抜く。

 その刀身に特にこれといった権能(チート)がある訳ではない。

 

 ――――しかし。

 外なる神が与えし魔導は何も権能(チート)だけではない。

 その恩恵(ギフト)は暗闇に光を灯す一筋の光を剣として形となしていたのだから。

 

 永遠に続く螺旋階段を下りるのに飽きたのか、青年は剣を構えるとその醜悪な男の記憶を薙ぎ払うように一閃した。

 

 瞬間。

 

 ――――パリン。

 硝子の瓶が割れる音が世界に響き渡った。

 

 記憶が見えなくなると、青年は地下聖堂のドアに手を掛けに行く。

 そのドアの先に目的の人物がいると予測を立てていた。

 

 「その必要はありません。こちらから行きます」

 

 ドアノブに彼が手を掛けた瞬間、学園のアイドルを自称していた少女の声が掛けられる。

 

 「いやはや、外なる神が来るかと思われたら、まさか貴方が来るとは思いませんでした」

 

 ジジジ。

 ノイズを入れて、突然、少女は青年の背後に立つ。

 

 「どちらも同じだと思うんだけど」

 

 少女は影を纏って、剣を構える青年に対峙します。

 油断も何もないその姿勢に少女は警戒しながら話を続けました。

 

 「いえ、そうではありませんよ。貴方の方が私としては話が合いますし。何より交渉の場をこうして設けてくれている訳ですから、こちらとしては助かるというものです」

 

 少女は助かりますと後付けに付け加えて、感謝の意を表しました。

 

 「前回、どうして外なる神を取り込んだ私がアレの改竄に失敗したのかもログを見て分かりましたよ。外なる神も油断ならないものです。藤岡飛鳥なんて存在しない架空の人物もでっち上げて、アレに自身が創り出した第七の権能(チート)を使わせる。そうして、油断した私から外なる神を解放させる。清々しいまでの暗躍。親友と宣っておいて、その裏では自分の目的の為の駒にしている。貴方、なんて悍ましい幻想(ひと)だこと」

 

 ですが、同時に畏怖してました。

 毛嫌いもしていました。

 だって、少女の口から語られたことは事実なのですから仕方ありません。

 

 「そうだよ。所詮、ボクもまた哀れな操り人形(マリオネット)に過ぎない。キミがボクを取るに足らない上位幻想でしか思わなかったのもこれで納得言ったかな?」

 

 「ええ。そんなものは貴方のデータを見たら一目瞭然でしたから。その取るに足らないというイメージさえも外なる神のバックアップだと分かったら納得しました。そしてその恩恵(ギフト)さえも放棄しようとしている。まあ、これも貴方の目的を考えれば納得の話です」

 

 どうやら、少女は青年の目的も見透かしてるようです。

 

 影が差す。

 青年の顔はよく見えませんが話の続きを促してるように思えます。

 

 「取引をしましょう」

 

 少女は嗤います。

 最終的な目的は違えど、その為の邪魔者の排除にはそれが必要不可欠なのだと言っています。

 

 「どんな?」

 

 剣を構える青年は問いかけます。

 

 「次の夢にあの男が所有している『語られないユートピア』にするのです。その世界で私たちのアシストを貴方にはして貰いたいのです」

 

 少女は手を差し伸べます。

 友好の握手を求めたのです。

 

 「そうしたら、ボクにもアクセス権をくれるのかな?」

 

 引っ張れる条件を提案する青年。

 

 「いえ。貴方の目的である存在の現実化(リアルブート)をお手伝いすることを約束しますよ」

 

 少女は彼の最終目標に対して全力のバックアップを約束します。

 

 「良いのかい? シェリアちゃんにはこのことはまだ話してないんでしょう」

 

 この時の青年にしては珍しく少女を気遣います。

 目を丸くしていたとも言えます。

 

 ――――ですが。

 

 「ええ、構いませんよ。私たちの目的は飽くまでお兄ちゃんの蘇生なんですから」

 

 そんな青年の問いに対して、少女は青年の手を握りながら微笑むのです。

 

 ザザザ。

 ノイズが入ります。

 電波が乱れて、混線して記録(ログ)消去(クラック)されていく。

 

 黒幕の情報が一同に集結したメモリーが膨大なテキストの山に埋もれていくのでした。

 

 諦めない。

 何度だって繰り返す。

 未だ暗闇に独り取り残される彼に私は手を伸ばし続けることを諦めない。

 彼がもう一度、自分の意志を取り戻すその時を私は夢見るのです。

 

 





 次回の投稿は前回の後書きにも書きましたが、仕事が多忙になると思われるため、9月15日を予定しております。


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010 騎士に打ち勝つ方法


 お待たせしました! 更新を再開します!

 それでは、前回のあらすじ!

 ● 累の必死な説得(?)により七瀬勇貴は自分の目的を思い出す。グラウンドには生徒からゾンビの群れに大変身でどうしよう!?
   ↓
   よーし力技で突破しようともじり貧。そんな時に新たな権能に目覚め、ゾンビの群れを一掃!交信の杖に向かうため、校舎へと進む。

 ● コントロールルーム内にいる不細工なデブ男、七瀬勇貴の活躍に地団太踏む。
   ↓
   それを見つめる謎の少女。

 ● 交信の杖の門に何故か侵入した腰に剣を携えた青年。剣を振るうと一瞬で謎の記憶をスキップして底へとたどり着く。
   ↓
   そこで青年は謎の少女(アイドル)と取引を交わす。

 以上! 本編をお楽しみ下さい!



 

 子供の頃、僕は何だって出来ると思った。

 何だって夢を見れたし、なりたいと思える夢を見ることも出来た。

 振り返る。

 そこには、無数の僕の屍が山のように積まれている。

 膨大なテキストデータの僕だ。

 意志ある感情など、その死体には不要。

 それは、誰かを犠牲にしてでも得難い願いの代償なんだと思い込む。

 塵となって消えていく僕の死体。

 選ばれなかった可能性は虚空の世界を彷徨って、星屑にも成れず散っていく。

 ある日、自分の姿を鏡越しに見る。

 酷い面だ。

 いつしか鏡を見るのが嫌になり、世界の果てに独り、空を見上げた。

 ノイズ塗れで何も映らない視界。

 何も映らない僕の目はビー玉か何かが詰められてるようだ。

 ジジジ。

 そこに誰もいない。

 後ろを見ても、前を向いても、何処を見ても暗闇の中には僕一人の姿しかいない。

 

 「永遠を夢見よう。永久の彼方にある可能性を手に入れるのだ」

 

 そうすれば、きっと僕を見てくれる筈だ。

 名前を忘れた僕。

 存在理由もあやふやで、目的すらもすり替えられて地の底にいる。

 ズブズブ沼へ沈んでく彼を見て、ほくそ笑む。

 

 誰か、誰か僕を助けて。

 

 地の底で僕は叫びました。

 必死で懇願して、お願いしても誰も僕を救ってくれません。

 

 助けて助けて助けて助けて。

 殺される。殺される。

 助けて死にたくない。まだ僕はやりたいことがたくさん有るんだ。

 

 手を伸ばしても意味はない。

 心が死んだ。

 願いは一生、叶わない。

 世界の果てでテキストの中でしか生きられない僕はどうしたら良いんでしょうか?

 

 その問いの答えに誰も答えてなんかくれませんでした。

 

 ◇

 

 校舎の廊下を駆けていく。

 息を切らして心臓の鼓動を速くなる。

 ドクンと脈打つそれに痛みは感じなかった。

 ゾンビたちの猛攻を潜り抜け、中庭が見える渡り廊下へと辿り浮いた時。

 

 ガシャン。

 

 重量感溢れる鉄の音が聞こえ、足を止める。

 前方に見えるそれが影となって、威圧感を放つのに日の光が反射して鎧姿に目が眩む。

 肌寒い。

 圧倒される威圧感の正体が肌を通して伝わり理解する。

 一人でそれに対峙してその殺気のまがまがしさに、一人で打倒しなければならないプレッシャーに押しつぶされそうになる。

 

 「早かった。貴殿にしては珍しく切り替えが早かった」

 

 ガシャン!

 

 相対する敵の強さを見て実感しては心が折れそうになる。

 手に握った魔剣が熱を帯びて、光が更に集っていくのが分かった。

 魔剣が光ると同時にふつふつと自信が湧いてきた。

 

 「降伏せよ。(わたし)の速さがその魔剣の力を以ても遙かに上であると知っているであろう」

 

 降伏を求める、澄んだ女の声。

 鎧の擦れる音がする度、彼女の実力が垣間見える。

 

 「戯れ言はそこまでだ。先を急ぐ。そこを退いて貰いたい」

 

 意気揚々にその提案を切り捨てる。

 

 「――――そうか。貴殿にも猶予の短さが解るか。ならば、(わたし)も相応の応えを返すとしよう」

 

 ――――ガシャン!

 廃騎士が剣を構える。

 最早、言葉は不要。

 事、この殺し合いにおいてそんなモノは必要としなかった。

 見据える幻想(ヒト)は知らない。

 先ほどの僕を見てはいない。

 それだけ、幻影疾風(タイプ·ファントム)の覚醒は唐突で、ご都合主義とも思えた。

 けれど、関係ない。

 たとえ誰かの思惑でその能力を得たとしてもその能力を奮うのは僕自身の意思なのだから。

 

 「――――では、参る」

 

 互いの間合いは十メートルも離れている。

 一度、廃騎士と対峙した時はその間合いの詰め方の速さに成す術もなかった。

 だが、今回は違う。

 同じ速さ、否、それ以上の速さを以てそれを凌駕するのだから。

 

 一秒。

 廃騎士が言葉を告げるのと同時に胸の奥底に秘めたそれを目覚める。

 スローモーションとなる世界。

 一歩、それは秒速の世界ではコンマ六十秒の集合体で繰り出された初手。

 グンと距離が縮まるのが見て取れた。

 だからそれに応える為、迷うことなく魔術破戒(タイプ·ソード)を構えてそれに備えた。

 廊下の床に火花が走った。

 最凶の騎士が助走もなく跳んだ。

 凄まじい速さで、コンマ七秒の世界で織りなす跳躍を以て僕と廃騎士の間合いは零となる。

 

 幻影疾風(タイプ·ファントム)がなかったら、僕は此処で敗れてた。

 真面にそれを受け止めることが出来なかった。

 何もかもが理不尽だと嘆いて、死んでたんだからこれ以上ない幸運とも言えた。

 

 鉄と鉄が交じり合う。

 喉元から引き裂こうと縦一閃。

 息継ぎなく放たれた、鮮やかな一撃は神がかってたと言えよう。

 

 「――――っつあ!」

 

 火花が散って、重い一撃に全身の神経が悲鳴を上げる。

 思わず吐き出された苦悶。

 脳が揺れて三半規管を狂わせた。

 

 「ほう」

 

 短く吐き捨てられた賞賛。

 その神がかりの一撃を受け止めた僕を見て廃騎士は次なる一手を繰り出そうと構えて。

 

 「――――ァアアア!」

 

 全身に力を籠める。

 魔術破戒(タイプ·ソード)が呼応するように光り輝く。

 二秒しか経過してない攻防。

 音速を越えた光速の世界。

 コンマ数秒で繰り出される次の一手に瞼を閉じる暇もなく加速する。

 

 廃騎士の大振りな横凪の一閃を右へ走り抜けるように駆け出し、

 

 「――――」

 

 すれ違いざまにそのがら空きな懐に魔術破戒(タイプ·ソード)で斬りつけた。

 閃光。

 脳内にアドレナリンが湧きだし、視界が一瞬真っ白になる。

 

 ガシャン。

 地に膝を屈するのは誰だったか。

 その光速の世界での殺し合いを制したのは僕だったか。

 

 「見事でした」

 

 短く告げられた賞賛。

 それ故に勝者が決まり、真っ白な視界が元に戻る。

 未だに廃騎士が何をしたかったのか理解出来ないが、一つだけ理解出来ることがある。

 それは紛れもない一つの難関を自力で突破したという達成感が得られたと言うことだった。

 

 騎士の幻影は此処で散った。

 最期に廃騎士が笑ったような気がして、何故か誇らしげに思えた。

 

 ◇

 

 カタカタカタ。

 文字を打つキーボード。

 嘘みたいに上がるパラメータを前に戦慄する。

 

 「嘘だろ?」

 

 無精ひげが目立つ、腹回りが出た男はコントロールルームに独り驚愕する。

 モニター越しに廃騎士の敗北を見て、もう持てる手札の無さに焦燥もした。

 

 「どうする? どうする、どうする!?」

 

 |愚者(りそう)が此処へとやって来る。

 何度も意思を改竄したというのに、それを跳ね除けて何度でも立ち上がる姿に嫉妬する。

 どうして男は屈しない。

 七回もキャラクリエイトしても尚、その理想は立ち向かうことを諦めない。

 

 「クソ! クソクソクソ! お前なんか。お前なんかにやられてたまるか!」

 

 何としてもそれに勝たなければならない。

 この夢の世界では神を自負する男こそが最強でなくてはならないのだと決めつけてた。

 なのに。

 どうして男の思い通りにならないんだと嘆いてる。

 

 交信の杖の前に立つ愚者。

 奴は知らない。

 此処にたどり着く為にはアクセス権が必要なのことを知らない。

 この門を開かなければ、此処には到達出来ない。

 そうだ。

 此処が最期の砦だ。

 アクセス権を持たない幻想たちは所詮、主役を盛り上げる為に用意されたガヤの一つにしか過ぎない。

 そうだ。

 此処さえ突破されなければ、幾らでも男を改竄する機会などある。

 

 「ねえ、もう十分楽しんだでしょ、  さん」

 

 だから気づかない。

 背後に潜む少女の不意打ちに何も警戒などしてなかったのだ。

 

 「――――え?」

 

 背中に斬りつけられた衝撃。

 モニターにかかる鮮血。

 痛みは無かったと後に男は語った。

 備え付けられたチェアから転げ落ちる。

 倒れ伏す男は、背後に居た少女の姿を捉えた。

 

 「ど、どうして?」

 

 今まで何もしてこなかったのに、と男は呟いた。

 

 「貴方のことは前から気に食わなかったんです」

 

 少女の影がキキキと嗤う。

 何処までも純粋に死者を追い求める亡者として倒れ伏す男を無様に嘲うのだ。

 

 「ふ、ふざけ、」

 

 怒りに任せ、未だ痛みに藻掻く男は少女に対し文句を言おうと立ち上がろうとした。

 

 「我慢したんですよ。計画を遂行するには貴方の存在は丁度いい隠れ蓑に出来たんですから」

 

 影絵の猿がコントロールルームに集まった。

 宴の始まりを祝う為に舞を踊った。

 嬉しそうに、地に伏せる獲物を嬲った。

 仲良く取り分けるように立ち上がろうとしたそれを自慢の爪で斬りつけたんだ。

 

 「ッヒギャ!? ッグゥ。や、止めて。い、イタ、い。痛い!」

 

 痛い、痛いと激痛に男は転げまわる。

 それを面白がって、影絵の猿たちは愉しんだ。

 

 「それも、もうお終いです。貴方の世界は私たちで有効活用させて頂きますよ」

 

 アイドルは微笑みます。

 そんな男を滑稽だと罵ることもせず、この状況を楽しんでるのです。

 

 「さて、目的も達成されましたし、この世界も崩れることでしょうし、折角ですので今まで好き勝手にしてきたツケを支払うと良いでしょう」

 

 カタカタカタ。

 直接のアクセス権限をアズマを介して男が持つ能力を奪った。

 それをするのは、少女にとっては容易なことだった。

 

 「や。止め、て」

 

 べそをかく男。

 傷だらけで何も出来ないと言うのに男は懇願する。

 

 「では、どうぞ残り少ない神様気分でも味わって下さい」

 

 じゃあと手を振って夢を後にする少女を男は黙って見送るしか出来なかったのだ。

 交信の杖の門が開かれた。

 画面越しの光り輝く剣が相も変わらず眩く見える。

 奇跡は起きない。

 ドン・キホーテ同士が邂逅するのは時間の問題だった。

 

 





 次回の投稿は9月16日を予定しております。


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011 愚者の人生

 

 廃騎士を倒し、中庭へ一直線に向かった。

 そこにそびえたつのは天まで届くんじゃないかってぐらいの高い鉄塔。

 もう一日に何度訪れたことだろう。

 その鉄塔の前に立つと、思わず息を呑んでしまう。

 門は閉じていた。

 だが、この門が開くと確信していた。

 そうでもしなければこの現状は変わらない。

 僕を止めることは出来ない。

 

 「開いた」

 

 ゴゴゴと音を上げ、開かれた門。

 その門の先は相変わらずの暗闇だ。

 魔術破戒(タイム·ソード)を握る手が汗まみれになっている。

 この先にきっと、地獄が待ってる。

 そんな予感がした。

 でも、その先を進まなければきっと僕は前に進めない。

 そうだ。

 前へ進まなければ何も始まらない。

 この先の地獄へ足を進ませる理由なんてそれで充分だった。

 

 門を潜って、その扉の先に入る。

 暗闇に包まれて、下へと続く階段を下りていく。

 暗闇なのにそこに下へと続く階段があるのかは何故か頭で理解していた。

 今は考えても仕方ない。

 カツン。

 下りていく。

 カツン。

 下りていく度に頭にちらつく、記憶。

 失われた僕の生きた記憶が見えていく。

 霞が掛かったそれが紐解いていった。

 

 ◇

 

 物心ついた時には、僕の両親は仲が良くないことに気づいた。

 初めは些細な喧嘩が徐々に時間がたつにつれて規模が大きくなっていたのを覚えてる。

 小学生の頃には両親が同じテーブルでご飯を囲むことは無かったのが少し寂しいと感じていた。

 そう、寂しかった。

 学校でも特に仲の良い友人も持てなかったし、逆に弱い立場でよくいじめられていたのが寂しさの拍車をかけた。

 中学時代も変わり映えのしない毎日。

 独り寂しく、心を閉ざす毎日の拠り所なんて無かったとも言える。

 熱がないのだ。

 僕には生きたいと言える意欲もない、空っぽの人間。

 これが人形でないと誰が言えるのだろう。

 独り枕を涙で濡らす夜。

 誰も僕を見てくれない。

 命は粗末にするなとか自殺する人に声を掛ける人間が居る。

 そういう人間はその時の彼を見てるだけでそれまでの彼の苦労を何も知らない第三者に過ぎない。

 だから、命を絶つ行為の重さを不用意に扱うことが出来る。

 簡単に命の重さをペラペラと語る。

 それがいつしか気持ち悪いと思える人間に僕はなっていた。

 殴られる。

 罵声を浴びせられ、生きたいと願う権利さえも奪われていく。

 そんな無気力な人間の僕でも、流石に高校と言うものに通ってみたいと思った。

 普通に社会の歯車になるだけなのは味気ないと思えたから、少しでも青春というものを楽しみたいと微かに願った自分が居たんだ。

 だから、自分の足りない頭でも合格できる学校を受験した。

 誰にも相談せず、一人で勝手に進路を決めた。

 僕の両親はそれに何も言わなかったし、もう家族の関係は無くなっていたと言えた。

 

 つまらない人生で終わらせたくない。

 

 心の何処かでそう願って、必死で生きていたのはもしかしたらこの時だったかもしれない。

 親にお金とか最低限のことしか頼りたくなかったから、自分でバイトして学費は払っていける夜間の高校に通う毎日。

 でも、変わらなかった。

 そりゃあ、そうだ。

 少し頑張ったから、自分の性格や周りの環境は変わるはずがない。

 案の定、その学校でも僕はいじめの標的になった。

 

 散々だ。

 もう疲れた。

 

 だから、魔が差した。

 きっかけはいつもの理不尽な暴力だった。

 確か金をセビられたかどうかだった気がする。

 兎に角、そんなことがあって僕の心のメーターは吹っ切ってしまったんだ。

 

 うずくまる僕。

 それを楽しそうに見下す四人の男子生徒。

 一人の生徒が言った。

 

 「そーいや、お前の父さんって確かあの冴えないレストランのコックだったよなぁあ?」

 

 ゲラゲラ嗤う男たち。

 猿のように騒がしい嗤い声。

 ダニのようなそれは鳥肌を立たせてく。

 

 「な、なんでそれを?」

 

 這い蹲った僕は立ち上がろうとするも、誰かに腰を蹴飛ばされる。

 

 「ッグゥウ!?」

 

 痛い。

 

 「いやなぁ。オレの友達に  と同じ中学の奴が居てよぉ。そいつが教えてくれたんだぜ」

 

 柄の悪いスマホを取り出してはその画面に映る写真を僕に見せつける。

 酷い絵面だ。

 どうしようもない現実で嫌になる。

 

 「良いレストランじゃないか? オレたち、そこでランチ食って見てぇえよなぁ。でも小市民のオレらじゃ行けないような店だし、どっかの誰かが頼み込んでタダで飯食わせて貰えねぇえかな!?」

 

 耳元で気味の悪い声で叫ばれる。

 もう口も聞かない父親にそんなことを頼みに行けと言うのか?

 

 「オレら友達だよな! お前とオレらは親友だ。そうだろ、みんな!?」

 

 そうだ、そうだと宣う男たちは僕の腹を蹴り飛ばす。

 痛い。

 止めてくれ。

 

 「そーだ。今から飯でも食いに行こうぜ!」

 

 スイッチが押される。

 暴力の嵐に耐えかねた心がそれは嫌だと抵抗する。

 何としても止めないと。

 そう思えたら、居ても立っても居られなくなったのだ。

 

 目の前が真っ白になるとは本当のことだった。

 怒りで我を忘れるとはそういうことだった。

 どうしようもない感情に支配された獣と僕はなった。

 

 持っているのは硝子の瓶。

 砕けたそれを手にとって得物にしてはブン殴る。

 血だらけでとても痛かったけど、心の中には何一つ残らなかった。

 

 「ハア、ハア」

 

 死体が転がる。

 脳内にアドレナリンが回って、冷静な判断が出来ない。

 

 「ハア、ハア、ハア、ハア」

 

 目の前の出来事が嘘みたいだ。

 新聞のスクラップ記事を眺めてる気分だ。

 パトカーのサイレンと救急車のサイレンが平行して聞こえ出す。

 

 「やってられないよ」

 

 そうして、僕の初めての殺人は終わりを告げた。

 死にたくなる毎日が訪れたのだった。

 

 何処で道を踏み外しても。

 何処かで道を踏みとどまってもその結果は変わらなかっただろう。

 

 僕の手は血で汚れてる。

 僕の手には糞野郎の返り血で染まってた。

 

 警察に取り押さえられて、刑務所に出迎えられて最終的には絞首台に立たされた人生。

 そんな糞な人生に一体、何の価値があるというのか分からない。

 もし、人生をやり直せるというのなら僕は一体何処からやり直せば良かったのだろう?

 誰も答えない。

 誰も知らない。

 そんな都合の良い結果など誰も解りはしない。

 

 膝を抱えてうずくまる僕がいる。

 僕が忘れてしまった人生を覚えてる僕がそこに居た。

 

 欲しかった記憶。

 取り戻さなければいけない記憶はこんなにも最悪な物語でしかない。

 それを戻して、僕はどうやって生きれば良い?

 

 答えない。

 大切な問いなのにいつだって誰も見てくれない。

 必死に生きて、悩んでるのに誰も見向きもしてくれない。

 救いの手を伸ばしても誰も手を取ってくれない。

 

 深い沼に堕ちていく。

 奇跡なんてものはやって来ない。

 リアルな現実なんてそれだけで構成された地獄のようなものだ。

 それなのに。

 それが欠けては前に進めないという自分がいる。

 どうして、それに拘るのか理解出来ない自分もいる。

 

 ――――拘るさ。だって自分のことだから。自分がやりたいって思って進みたいのに、他人の身勝手でそれを阻まれてる。誰かのワガママでどうしてボクたちが不幸にならなくちゃならない!

 

 きっと誰かの言葉がそれを後押ししてる。

 誰でもない僕がそれを大切だって知っている。

 

 見たくない現実も、知りたくもない真実も、聞きたくもない嘲りも。

 全部、全部、僕が生きる上で大切なピースなのだと気づいてるから前へ進めるんだ。

 

 螺旋の階段を駆け下りる。

 

 ――――ピシ。

 ひび割れていく視界。

 今手の中にはフザケた幻でしかないけれどきっとこの先、この手にはもっと大切な誰かの手を取っている。

 そんな時に逃げてたら、きっとその誰かを守ることなんて出来ない。

 

 ――――パリン!

 砕ける記憶たち。

 もう迷うことは決してない。

 その手に取る一筋の光を振り被り、暗闇をかき消した。

 

 死ねば良いのに。お前なんて誰も見ちゃいない。

 暗闇が晴れて地下聖堂へとやってくる。

 そうすると耳に聞こえる戯れ言が僕を責め立ててくる。

 そいつは幻聴。

 僕の心を必死になって壊そうとする精神攻撃。

 目の前には鉄の扉。

 ドア越しに来るなと言わんばかりのオーラが見て取れた。

 

 とんだ引きこもりがいるものだ。

 

 ガチャ、ガチャ。

 鍵が閉められてるのか、ドアノブを捻ってもそれは開かない。

 

 「ええーい、面倒だ」

 

 魔術破戒(タイプ·ソード)を構える。

 この魔剣はありとあらゆる幻想を葬ったチートである。

 こんな薄い鉄板なんて簡単に斬れるのだ。

 

 思い切りその刃を緑色のドアへと突き立てて、こじ開ける。

 力技のなんのそのだ。

 

 そうして僕らは邂逅する。

 

 錆びた鉄の臭いが充満し、部屋一面に満たされたモニターの所々がひび割れて使いモノにならなくなっている。

 備え付けられたデスクもチェアもその形状が維持できない程に破壊されており、そこにもたれ掛かる一人の血塗れの男の姿がその惨状の原因なのだと知れた。

 

 酷い顔だ。

 まるで豚のように肥えた腹周りをした、醜いデブの僕。

 艶もない黒髪は不衛生さを如実に晒しており、濁ったような黒目はまるでヘドロか何かを見つめてるような淀みを見せている。

 自分の顔をRPGに出てくるオークか何かを融合させたような面。

 それが目の前の男だと言えよう。

 

 「君が僕か?」

 

 静かに、けれどはっきりと男にそう僕は問う。

 まあ、聞くまでもなくその男が始まりの僕なのは感覚で理解出来るのだけどそれでも通過儀礼で聞いておく。

 

 「ち、違う!」

 

 だが、目の前の死に体の男は否定する。

 

 え?

 

 「お前なんか。お前なんか僕なんかじゃない!」

 

 地団太踏む。

 満身創痍であるというのに、目の前の大きな子供は僕を認めない。

 

 「お前は弱い! お前は酷い男だ! こんなのが僕だなんて認めない! 僕はもっと優れてる! 僕はお前なんかと違って最強の能力も持ってる! お前とは違う! お前とはお前とは、」

 

 息継ぎをする暇もなくそれは喚き散らす。

 子供の癇癪に付き合わされる大人の気分だ。

 

 「お前は僕と全然、違うじゃないか!!!」

 

 不細工な自分が絶叫する。

 その絶叫と共に身体の中の何かが悲鳴を上げる。

 神経が麻痺するぐらいにその身体の活動を停止させる。

 

 「――――っぐぅ!」

 

 息が出来ない。

 喉元に何かが吐き出せずつっかえる。

 心臓が鼓動を叩くのを拒絶して、肺が息を取り戻すことを止めた。

 

 「そうだ! お前はこの僕の命令一つで動けなくなるんだ!」

 

 膝を子鹿のように振るわせて立ち上がる男はまさに醜悪なゾンビそのもの。

 B級映画のゾンビよりも遙かに生きる屍としては役作りが巧い。

 

 「僕は。僕は、いや、オレは神なんだ! この夢の世界では神様やれてるんだ!」

 

 息を荒げて喚き散らす愚鈍な神様。

 もうその醜態を晒すのは止めて欲しい。

 

 「お前が。お前なんかが。お前なんかが神であるオレに逆らおうだなんて百億年早いんだよぉお!!!」

 

 地団太を踏む度に地が揺れる。

 それに脳が揺さぶられて気持ち悪い。

 何より、最も醜い存在が目の前にいるのだからその吐き気は酷いものだ。

 

 でも。

 それも僕だ。

 僕でしかない。

 

 「ち、が、わ、な、い、よ」

 

 身体が動くことを止めろと訴える。

 イメージする。

 いつだって、理不尽に困難を乗り越えてきた自分の姿を想像する。

 そうしてイメージしたいつもの僕を身体に宿して立ち上がる。

 弱い自分。

 醜い自分。

 全部が自分に足りないものだから拾わなくてはならない。

 僕は無敵じゃない。

 僕は最強じゃない。

 僕は生きた一人の人間だ。

 ちっぽけな人生を生きるしか出来ない人間でしかない。

 

 喉が裂けそうで辛い。

 それ以上、何も言うことを止めろと目の前の男は命令している。

 関係ない。

 そいつに有って僕にないものが目の前にある。

 それを手にしなければ、僕は前に進むだなんて出来ないのだ。

 

 「違う! 違う違う違う! お前には解らない! オレのことなんかちっとも理解出来ない! そうだ。絶対そうだ! 誰にも、誰にも解ってたまるもんか!」

 

 身体がコントロールルームから弾き出される。

 見えない力が僕を吹き飛ばしたのだ。

 

 地に伏せる僕。

 それを叫びながら、地団太を踏み続けるのは醜悪な僕。

 

 「これで良い。これで良いんだ! この物語はこれでお終い! 永遠に完結しない物語でオレは幸せを手に入れる!」

 

 嗤う何か。

 醜悪な僕は見えない力で僕を押しつぶそうと躍起になる。

 

 記憶が流れてく。

 いじめられる僕の過去が頭に押し寄せる。

 

 不幸だ。惨めだ。あんな人生は懲り懲りだ。

 この世界では神様みたいな能力を授かったんだ。

 だったら、僕が思い描く最高のストーリーの主人公になったって良いじゃないか!

 

 そんな思いに僕の心は満たされていく。

 感情が壊される。

 魂が改竄されるというのは、こういうことなのかもしれない。

 

 でも、駄目だ。

 これでは駄目だ。

 それでは良くない。

 あまりにも救われない。

 だって、僕はまだ見てない。

 

 ジジジ。

 頭に過ぎる幾つモノ奇跡。

 魂を改竄され、多くのモノを取りこぼした僕たちの記憶。

 それらは無駄に出来ないし、目の前の男のあり方も否定してはならない。

 

 「よ、く、な、ん、か、な、い」

 

 掠れる声を引きずり出して、現実化(リアルブート)した最強チートを杖にする。

 立ち上がれ。

 立ち上がれ。

 此処で立ち上がらなければ、僕たちは一生、このままだ。

 

 ズリズリと身体を引きずっては這うように前へ進む。

 随分と吹き飛ばされて男との距離は遠い。

 

 「な、なんだよ?」

 

 そんな僕の姿に男は酷く怯える。

 どうして立ち上がれるのだと叫んでる。

 当たり前だ。

 魔術破戒(タイプ·ソード)に目覚める前の僕だったらこんなことは出来なかっただろう。

 臆病で、傲慢で、意志が弱くてちっぽけな人間。

 それが僕だ。

 何の問題もない。

 やっぱり目の前の男と僕は同じだ。

 何処も違わない。

 

 「なんで、立ち上がれるんだよ! 弱くて脆くて、諦めの早いのがお前の筈だろう!?」

 

 男の絶叫は耳にウルサく、心の中が張り裂けそうで痛かった。

 だって、そうだ。

 目の前の男も見たくない現実に目を逸らし続けてるのだ。

 そりゃあ、見たくもない現実を相手したくないよね。

 

 でも、駄目だ。

 それでは僕を支えてくれた多くの犠牲が無駄になる。

 何より目の前の男を救ってやれなくなるのが酷く我慢ならない。

 そうだろ、真弓さん。

 ヒーローってのは救いの手を差し伸べるのがセオリーだろ?

 

 立ち上がる。

 吹き飛ばされる。

 それでも、何度でも血を吐きながら立ち上がる。

 怯える僕を前にそれを何度も繰り返す。

 

 「バカじゃないのか!? オレとお前じゃ次元が違うんだよ! 僕は上位者。お前は下位者。つまりセレブと底辺の差だ! そこに明確な壁がある! それをいつだって見せつけられて来たんだろ? だったら、大人しく諦めてくたばれ、死に損ない!」

 

 目が眩む。

 脳が揺さぶれて、視界が閉ざされて真っ暗になる。

 息をするのも億劫なのに、どうしても前へ進むことだけは止められなかった。

 

 「そうだ。弱くて脆くてちっぽけでどうしようもない駄目な人間だ」

 

 何度でも立ち上がり、前へ進む。

 言葉は自然と出た。

 きっと神様がくれた権能(チート)とやらの特権なのだろう。

 

 「だから、同じだ。僕と君は同じだ。そこに上も下も関係ない」

 

 永遠の停滞を望む男。

 見たくもない現実から逃げることを止めた僕。

 そのどちらが欠けても僕は僕じゃいられない。

 弱い自分を肯定して強くなる。

 それは現実に生きようとする人間なら誰でもしなくてはならない通過儀礼だ。

 

 「僕たちは止まれない。神様でなんかいられない。僕は僕だ。七瀬勇貴だ。僕は、記憶なしだった七瀬勇貴だ!」

 

 踏ん張る足。

 息を呑む男。

 グラグラと地下聖堂が揺れる。

 半壊したドアを潜る。

 

 狼狽える男の姿は救いを求める子供でしかない。

 その手を差し伸べるのはいつだってヒーローと相場が決まってる。

 

 「一緒に行こう。こんなところで一人で神様やったって寂しいだけだよ」

 

 ボロボロの身体を無理に立ち上がらせて、手を差し出す。

 

 でも。

 

 「ふ、ふざけるな!」

 

 それが彼の逆鱗に触れたのか。

 

 「オレは。オレは! お前らとは違う! お前らみたいに造りモノじゃない!」

 

 僕を何処か遠い場所へと吹き飛ばす。

 意識が飛ぶ。

 記憶が何処かグチャグチャになって散っていく。

 見なければならない現実が遠くなる。

 

 「――――ッガ!」

 

 グラグラと崩れる世界。

 チクタク、チクタク。

 不可逆な時間の巻き戻りが発生する。

 

 「嘘だろ!?」

 

 交信の杖から弾き出される僕。

 あの男、何処まで聞かん坊なんだ!

 

 「絶対に変わってなるものか! この物語は永遠の停滞を迎えるんだよ! こっちに来るんじゃない!」

 

 交信の杖が崩れる。

 コントロールルームへの道は完全に閉ざされた。

 外なる神を自称する僕とやらには接触することが出来なくなった瞬間だった。

 

 





 次回の投稿は9月17日を予定しております。


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012 再現の夜

 

 夜が来ると思い出す。

 凍えそうなぐらい寒い冬の夜にあの人と出会ったことが頭に過ぎる。

 今でも彼の死に際は鮮烈に思い出すことが出来る。

 どちらも真冬のことだったから覚えてる。

 

 「どうしてだ」

 

 絶望する。

 この世界は夢の世界である筈なのに、いざそれを自分に応用しようとしては残酷な現実に打ちのめされる。

 失敗する。

 ルールも設定も概念も思うように変更することが出来ない。

 繰り返す。

 何度もトライアンドエラーを繰り返しては、その不条理さに嘆く。

 実験して、実験して、実験を重ねてもそれは見えてこない。

 鈴手アズマの願いは叶うことなく、その過去は繰り返される。

 ありとあらゆる可能性に手を伸ばしてもカヲルさんが死ぬ過去は変えられない。

 いや、本来の死よりグロテスクな未来しかそこには再現されなかった。

 

 「どうして、なんだ?」

 

 惨めに死んだ。絶望して死んだ。叫んで死んだ。喉が枯れるまで嗚咽した。舌を噛んで死んだ。綺麗な死に顔を拝んだ。また死んだ。戯れ言をホザいて死んで、死んだ死んだ死んだ。

 エトセトラの再現。

 無限地獄で死を繰り返す。

 

 その惨状はあまりにも醜悪な出来で、私は膝を屈しなければいられなかった。

 

 ダンプに挽かれてミンチにされた。

 魔獣に食われて糞となって死んだ。

 誰彼構わず殺し回って、警察官に撃ち殺された。

 死んだ。

 死んだ。

 ありとあらゆる可能性が私の心を壊してく。

 希望が希望でなくなった。

 パンドラの箱は開けてはならなかった。

 

 それは絶望以外の何者でもない結果を引き起こす厄災となっただけだ。

 

 「ええ、なんて惨めなことでしょう」

 

 だが、それは唐突に終わりを迎えた。

 つまりゲームオーバーを意味した。

 

 「――――な、に?」

 

 ガシャコン!

 弾倉に込められた弾丸が装填される。

 そして引き金を引くだけで魔弾が対象に向かって弾け飛ぶ未来が見えた。

 

 幻想たち以外に生きてる人間はいない筈だと魔術師は戸惑った。

 けれど、現に彼女はそこに居る。

 道化師の仮面を被った自分の背後を取っているのは事実だった。

 

 「何故、お前が此処にいる?」

 

 理解出来ない現状がそれに拍車を掛ける。

 バカな、古瀬瑞希はまだこちらの上位世界へシフトしていない筈だ。

 それなのに、一度、外なる神を取り込んだ瑞希に取り込まれた彼女がいる筈がないのだと現実逃避する。

 そこで理解しなければならなかった。

 自身もまた古瀬瑞希に取り込まれた幻想の一部だということに気づかなければならなかった。

 だが、気づかなかった。

 それに気づくには、自分が取り込んだ外なる神の男との同調を解除しなければそれを推察することは不可能だからだ。

 

 「貴方、まだ解らないの?」

 

 それは嗤う。

 知能の足りない道化役者を嘲り嗤う。

 

 「お前は幻想へと堕ちた筈だ。それなのにこの上位世界へとシフトすることは事実上不可能な筈だ! それは、外なる神の男でさえも実現が出来なかった術式。どんな権能(チート)を使ったとしてもそれが書き換えられることは叶わない筈なのに!?」

 

 一体、どんな絡繰りを使ったと叫ぶ。

 それはそうだ。

 下位の人間が上位になることはあり得ても、上位の人間が下位へと転落してそこから戻るルールは創られていない。

 それは、彼の有名な少女でさえも実現不可能なルール改定だ。

 

 「だから子供なんですよ、貴方」

 

 クスリと微笑む燈色の髪の少女。

 その二つに結んだ髪が地に着いた魔法陣の煌めきに呼応するように靡かせる。

 瞳に映る確かな殺意が自分の喉元へと向かっていき。

 

 「――――まさか?」

 

 そして、その少女が行った抜け道を悟ってしまった。

 でも、それに気づいたからと言ってこの現状を打破することはなく。

 魔術師である自分の死は確定したのだった。

 

 一つの銃声が木霊する。

 心臓を穿った魔弾は確かに自分の命を刈り取るに相応な一撃であった。

 

 「――――ぅぐう!」

 

 地に膝を屈し、血反吐を吐けどもそれは遅く。

 自分が願った奇跡は叶うことはなかった。

 

 ――――だが。

 

 「――――ほう。やはり足掻きますか」

 

 それでも自分には討伐隊へと選抜された意地がある。

 自分には少女たちが持たない誇りがある。

 何をするにもそれが無ければ自分は今、この場に立てなかったのだという自負がある。

 

 「あ、た、り、ま、え、だ。き、さ、ま、ら、の、お、も、い、ど、お、り、に、さ、せ、て、な、るもの、か」

 

 (コード)を展開。

 再現の夜の再構築。

 形成される結界魔術がこの場の世界を変質させる。

 ルールの少女の異能を使う。

 たとえ、この少女の一撃によって死に絶えることになろうともこの(コード)だけは渡してなるものかと抵抗する。

 どうせ奪われるのなら、あの青年にくれてやる。

 そんな討伐隊のプライドが彼を突き動かした。

 

 「いけませんね。これではしばらく近づけそうもありません」

 

 少女は舌打ちをして、その場を見送ることにしたのだった。

 

 ◇

 

 時間は巻き戻る。

 見たくないモノを見た誰かの視点をもう一度再生する。

 

 ◇

 

 モニターに映る無数のテキストデータ。

 概念情報の設定が集められ、私は嗤う。

 それの情報を調べ上げ、現状を打破しようと目論む。

 

 カタカタカタ。

 必要な情報体を検索し、表示することにした。

 

 再現の夜。

 それは、この夢の世界にて下位世界の  のイ=スの種族の時間干渉の魔術を術者へとすり替える結界魔術。

 ありとあらゆる可能性をシミレーションすることが出来る夢の世界を構築することが出来るとされたまさに奇跡の体現である。

 何度でもトライアンドエラーを重ねることが可能な上、時間制限さえもないとある思考実験の産物。

 そんな夢のような世界を構築する。

 それこそが鈴手アズマが討伐隊としての義務さえも投げ出して少女たちの目論見に加算した理由であった。

 

 名城真弓。

 イ=スの種族とのコンタクトに成功した唯一の魔導魔術師。

 彼女とシェリア・ウェザリウスの複製人間(クローン)が当時の魔導討伐隊リーダー古瀬浩一と力を合わさったからこそ、彼の魔導魔術王(グランドマスター)を討伐出来たとされている。

 

 シェリア・ウェザリウス。

 あのお方と揶揄される魔導魔術王(グランドマスター)と協力関係にあったとされる魔術師。自身に魔導生物シュブラ=ニクスの隷属の呪いを複製人間(クローン)に自身の魂のデータをインプットさせることによって回避しようとしたがその野望半ばに魔導魔術王(グランドマスター)が討伐されたことにより頓挫することになる。

 魔導生物などの魔獣や悪魔を召喚する召喚魔術に長けていたとされている。

 

 外なる神。

 

 全ての魔導魔術において異能を与える全知全能とされる異星から来訪した知識生命体。

 その全貌は謎に包まれており、契約した人間は口を揃えてその存在を『外なる神』と呼称した為、そう呼ばれることになる。

 外なる神が与える魔術は主に二種に分けられ、自身の力を分け与える恩恵(ギフト)と自身の力を貸し与える権能(チート)となる。

 恩恵(ギフト)は外なる神が許可することで無制限に異能を使役することが出来るが、権能(チート)は外なる神が与えただけの異能を自身の魔力を酷使させることによって制限された能力を行使することが出来るというもの。

 

 恩恵(ギフト)

 

 外なる神が与える異能。恩恵と呼ばれる所以は外なる神の意思に従いさえすれば、個人の保有する魔力量と関係なく無尽蔵に使役することが出来る故にその名が定着したとされている。

 ギフトという呼び方も外なる神からの贈り物という意味合いで合っているのだから皮肉な話である。

 

 権能(チート)

 

 外なる神が与える異能。権能と呼ばれる所以は外なる神からある程度の異能の能力を付与されるものの、それを行使する際にはその異能を付与された契約者の保有する魔力然り生命力などの何らかの対価を支払わなければ使役することが出来ないとされる。外なる神から下さった権利を個人の主張によって行使するという意味合いで権能と呼ばれる由来になったと思われる。

 チートという呼び方は、旧魔術と比較し、その使役できる能力に大きな差があり、その膨大な力を不平に思った者たちがそう呼んだことから定着したものと思われる。

 また、こちらの方は外なる神と契約さえしていればある程度の個人の自由が与えられているらしい。

 

 交信の杖。

 

 魔導魔術王(グランドマスター)が生前の頃に外なる神を召喚させようとして建てられた魔導兵器。

 上へと続く階段と下へと続く階段があるとされ、上には召喚する為の供物の祭壇。下には魔導魔術師の工房が備えられている。

 

 幻想。

 

 仮想世界においてある権能(チート)によって創られた人間のことを指す。

 基本、名前を持たされる幻想を上位幻想、名を与えられない幻想を下位幻想として扱う。

 上位幻想を作成するに当たって、他の人間の魂の概念情報が使われる為、その名残が残ることがある。

 主にその名残が見られるのが、現存する  の権能(チート)によって造られた転生者の魂を使用した幻想、火鳥真一や久留里四葉が最もその性格を引き継いでるとされている。

 また、上位幻想で魂の一部が完全に別物、もしくは一から外なる神によって造られた幻想などの例外の特殊個体(エクストラ)も存在しているとされている。

 

 特殊個体(エクストラ)

 

 幻想の項目でも一通り説明されていたが、上位幻想でありながらそのルールに反した幻想のことを特殊個体(エクストラ)と呼称している。

 主に上げられる代表例は、外なる神が古瀬瑞希の力によって取り込まれた際に作り出したとされる、如月累が代表的である。

 その外なる神を解放させる為に恩恵(ギフト)の異能を剣という媒体を以て解放することが出来る彼はまさに他の上位幻想には持たない特別と言えよう。

 

 如月累(きさらぎるい)

 

 外なる神が創り出した仮想世界上でしか生きられない幻想。ある程度の意思を与えることによって、目的を付与させ、外なる神を解放させることで自身の幻想として存在を現実世界で生きられる人間としての存在に強く憧れることを先導させることに成功させた。

 故に、彼は意思を持ちながら意思を持たない外なる神の傀儡でしかなく。その運命から脱却しようとする様もまさに外なる神の思惑通りと言える。

 

 不意に目に留まった項目。

 特殊個体(エクストラ)の項目が改竄されていることに気が付いた私は思わず声を出した。

 

 「なーるほど。これが私の影絵の猿(エイプ)を突破したイレギュラーね」

 

 如月累。

 もし、この項目が本当なら、外なる神を取り込んだ際の違和感の正体もこれで分かった。

 ならば早い段階で手を打っておくに限る。

 彼も下位世界へと堕ちている訳だし丁度いい。

 

 カタカタカタ。

 

 打ち込まれる新規データ。

 悪魔の召喚キーとそれを召喚する術者の情報を七瀬勇貴のアストラルコードに刷り込ませる。

 これぐらいの改竄はアクセス権限を持たなくても行使できるのだからお手の物だ。

 

 「さーて、どうなることやら」

 

 すぐそこにいるアズマはきっとシェリアがやってくれることでしょう。

 そろそろ、彼女にも表舞台に出て貰わなきゃこっちが割に合わないもの。

 そう思いながら、私は影絵の猿(エイプ)の能力を行使することにした。

 

 





 次回の投稿は9月18日を予定しております。

 なろうでのユニークアクセス1000PV間近となって参りました。以下のメンバーの中から見たいと思われた短編を上げたいと思います。名城真弓、久留里天音(相談窓口)、リテイク·ラヴィブロンツの3名の中の1人をランダムに決めさせたいと思います。また、この中の誰かの話が特に見たいと思いましたら9月20日まで感想欄にご要望下さい。もしかしたら、作者の気まぐれで短編に反映するかもしれません。記念短編は3章最終話後に掲載する予定ですのでご了承下さい。



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013 渦巻く夢

 

 カタカタカタ。

 

 打ち込まれていく情報。

 組み込まれた世界に色を取り戻していく。

 

 チクタク、チクタク。

 イ=スの種族の時間干渉が始まった。

 世界は巻き戻る。

 巻き戻った世界においてもそれが崩壊した事実は失われなかった。

 きっと外なる神を自称するあの男が改竄をしたのだろう。

 

 あの愚か者にしては考えたものだと素直に賞賛する。

 

 ――――だが。

 

 「やはり、ビジネスパートナーとして貴女は最高ですね」

 

 すぐさま、次の打開策が打ち込まれていることに感心する。

 伏線はひかれた。

 なら、後はそれを介してドン・キホーテが交信の杖へと行くのみだ。

 

 オレンジ色の髪が風に靡く。

 自慢の髪だが、それもこの世界においてのみその艶を出しているだけだった。

 

 全てが偽りの世界において、綺麗も汚いも意味がない。

 大事なのはそこに何をもたらしたいかであるのだ。

 

 「フフフ。貴方にして頑張るではないですか  さん」

 

 愚者に微笑む。

 哀れな道化役者たちを手繰る糸を握る手に力が入った。

 

 ◇

 

 チクタク、チクタク。

 巻き戻っては夢を見る。

 カチカチカチとテキストを打たれては世界の筋書きが書き換えられる。

 誰も彼も嘘になり、本当になっていく。

 夢を見る。

 いつまでも変わらないことを望む夢だ。

 このまま、この停滞する世界であることの方が少女たちにとって幸福なことになるのは明らかだった。

 夢とは形のない幻に過ぎない。

 寝てるときにしか見られない無意識の中の意識。

 それが夢だ。

 だから、少女の夢もそんな無意識の中で生まれた願望に過ぎないのだと少女は思った。

 

 ビュー、ビューと風が吹く。

 砂嵐の中に一人、取り残された少女は前を向く。

 そこに誰かの後ろ姿が見えるだけで、その背を見つめているしか出来ない自分がそこにいる。

 かつて、誰かも必要とされずその命を絶たれようとした時がある。

 その記憶を覚えてる人はもういないだろうけど、少女の中にはずっと忘れられることのない出来事だ。

 彼を思う。

 名前が剥奪され、遂にその存在さえも抹消させられようとした青年。

 要らないと言われた自分を必要だと言ってくれた彼が言っていた願いを思い出せ。

 

 ――――「明日がみたい。どれだけ惨めで。どれだけくだらないって言われても。僕が僕自身で生きた人生をもう一度生きてみたい」

 

 泥臭くて、夢見がちな彼が遠い昔に言った。

 それを忘れたら、私が彼に残せるモノが何もない。

 キュルキュルとテープが巻き戻る。

 誰も彼も自分の願いに必死で助けを求める手を取れない現実で彼だけがその手を取った。

 映る記憶はどれもこれも私には掛け替えのないものに見えて、キラキラした大切なモノだった。

 書き換えられていく私のコード。

 誰かが私というルールを変えていく。

 そんな奇跡は意志を持たない外なる神には出来ない。

 だが、それと同等の力を持つ存在でなければそのルールは書き換えれないことを知っている。

 

 手を伸ばす。

 深い暗闇に堕ちている彼へとその手を伸ばしても、その想いは通じない。

 ジジジ。

 スクラップされていく概念が虚数の海へと沈んでく。

 誰かの悲鳴は届かない。

 私の慟哭は消失(ロスト)する。

 夢が夢である以上、それは避けられない運命だ。

 

 亀裂。残像。支配。偶像。消去。展開。

 奈落に堕ちて再構築する改竄せし幻想にて我、泡沫の夢はついぞ終結を迎えん。

 眠りを覚ませ。目を覚ませ。逆しまにを仰ぎ見てはそれ即ち悲劇への第一歩を進ませよ。

 

 外なる神は嘲りながら、言葉遊びに夢中になります。

 さながらその姿は遊び相手を得た子供のようでした。

 

 ◇

 

 崩れた鉄塔。

 交信の杖は最早、そこにある只のガラクタの山となった。

 チクタク、チクタクと確かに時間が逆行しているにも関わらず、それが廃墟となっているのも、きっとあの中にいる大バカ野郎の仕業だろう。

 

 「今更だけど、何を基準に時間が巻き戻ってるって解るんだ?」

 

 唐突に頭の中で時間が巻き戻っている事実に気づくのと同時にそれを同時に何故理解できているのかの疑問も尽きない。

 今、ここで考えても八方塞がりな現状は変わらないが、だとしてもこうも都合良く次に何をするのかが理解出来てるというのも気持ちが悪い。

 

 まるで、自分達の行動が誰かの思惑に沿って動かされているような気がしてならない。

 

 「胸くそ悪いったらありゃしない」

 

 崩れた交信の杖を見る。

 何とかしてこの中に入る手段を見つけないと永遠にじり貧だ。

 魔術破戒(タイプ·ソード)で建物ごと真っ二つにするなんて芸当は出来ないし、それをしたところで中にいるあの野郎ごと叩き斬ってしまうから却下。

 幻影疾風(タイプ·ファントム)で高速に移動したところで崩れた瓦礫の山の中に入るなんて無茶は出来るわけがない。

 自分では何も出来ない。

 だからといって誰かに手を貸して貰うにしろ、助けてくれそうな人間がいない。

 累も火鳥も|幻影疾風《タイプ·ファントムを得た時に消えていってしまってる。

 頼める人なんていない筈だ。

 

 真弓さんはアズマにやられてから一度も会ってないし、リテイク先輩は多分、あの怪我だ。会えたところで何かが出来る程余裕があるとは思えない。

 この夢の世界を夢だと認知してる人物なんて、それこそ僕を襲ってきた連中以外に思いつか、な、い?

 

 あれ?

 夢だと認知してる人間でないなんて誰がそんなことを決めたんだ?

 また思考が可笑しな方向に思考停止してしまっている。

 これもあの僕が思考誘導でもしてるのか?

 

 キーパーソン。

 

 もしかしたら、今まであまり喋ってこなかった彼女ならこの状況に手を貸してくれるんじゃないのかと思ってしまう。

 火鳥曰く、リテイク先輩と生徒会長のシェリアさんは仲が悪いらしい。

 けれど、僕を目の敵にしてるかと言われればそうでもない気がする。

 何より、このふざけた状況を打開する唯一の鍵を握ってる気がしてならない。

 それも思考誘導されているのだろうか。

 いや、きっとこれも誰かの思惑の一つなのかもしれない。

 けど、そんな思惑だろうと使えるものは使わなければこの状況は打開できない。

 

 シェリア・ウェサリウス。

 

 僕のクラスの委員長。

 少し変なお嬢様口調の文武両道な生徒会長。

 リテイク先輩と善戦するほどの実力を持つとされる魔術師。

 確か、二丁拳銃による召喚魔術に長けているとか何とか噂で聞いたような気がする。

 それとなく誰かの思惑が透けて見える。

 最近、何かを呼び寄せる召喚魔術を授業と称して練習していた。

 その時に彼女の姿は居たか?

 いや、あの時は累と火鳥しかいなかった。

 だが、その前の授業の時にはシェリアさんも教室で一緒に授業していた筈ではないか。

 

 中庭から校舎の方へ振り返る。

 きっとその先には、何かしら邪魔が入るだろう。

 もしかしたら僕では太刀打ちできない障害がそこにはいるのかもしれない。

 でも。

 もしかしたら、僕たちの教室に彼女が待っているかもしれない。

 そう思ったら、向かうことにした。

 

 ◇

 

 思い返せば、僕の人生は常に虐げられてきた人生だったと言えよう。

 頭が賢くなく、要領も悪い、誰からも好かれるという特徴すらないそんな不器用な人間。

 それが僕だったし、それ以外の何かに僕はなることが出来なかった。

 罅割れたモニターに映る愚者を見る。

 その顔を見ると、まだ僕との話し合いを諦めてないのが容易にわかる。

 見たくない現実。

 目を背けたくなる理不尽。

 全てが遅すぎた、意思の疎通。

 作り物の癖に自分よりも人間らしく生きようとする矛盾した存在。

 モニター越しに映る自分の姿を見つめる。

 オークを連想される肥えた男。

 一言で言い表すなら、やはりデブという単語がしっくり来る。

 

 「どう、して?」

 

 あの男は何がしたい?

 こんな自分を立ち上がらせようと何を期待する?

 解らない。

 解らないというのに何故、こうも僕は愚者のことが気になるというのだ。

 何度も作り上げては廃棄したヒロイン。

 それを再利用して作られた幻想たち。

 きっとそいつらも僕のことを嫌ってる。

 こんなにも好き勝手してる奴なんて好きになれる訳がなかった。

 そして自分の存在でさえ簡単に切り捨てようとした男だ。

 救いようがないと思われても仕方ない。

 それなのに、何故、愚者は手を取ろうとする?

 解らない。

 解らない筈なのに、この胸に込み上げる何かが痛む。

 何もかもが偽り。

 何もかもの全部が自分が創り出した幻。

 こんなのは妄想の類だ。

 でも、そんな妄想でしか自分を大切だと肯定出来ない自分がいる。

 誰も僕を救わない。

 誰も僕に見向きもしない。

 みんな、自分が救われることで必死で誰も痛がる自分に手を差し伸べない。

 

 「う、ぅう、あ」

 

 言葉がつっかえる。

 喉から嗚咽しか出ない。

 息をするのが億劫で、この胸の痛みを幻想で紛らわせようとイメージする。

 

 僕の牙城。僕の砦。僕の要。

 愚か者の僕が神様でいられる僕だけの夢の世界。

 

 そんな世界の為ならば、僕は何だってするというのに。

 

 ジジジ。

 手を差し伸べる誰か。

 差し伸べて言葉を掛ける誰か。

 

 只の偶像に過ぎない彼が突き進んだ道を見る。

 僕が生み出した理想の僕。

 自分には出来ない過酷な道。

 記憶と意思を消費してでしか生きられなかった姿を僕は強いと思った。

 

 まるでヒーローみたいだ。

 

 狂おしい。惨めだ。自分よりもこの世界を満喫しやがって。

 どうして折れない。

 どうして何度も立ち上がる。

 僕だったらもう諦めているというのにどうしてあの男はこんな僕に手を差し伸べにやって来る!

 

 その答えを知らない。

 その感情を知らない。

 誰よりも悔しさを知っていると言うのに、僕はその手を取れないでいた。

 

 愚者が踵を返して、校舎に戻る。

 諦めたのだろうかと思いホッとする自分とやっぱりお前もそうなんだと落ち込む自分。

 

 さあ、そろそろこの微睡みから覚める時間だ。

 誰かが僕らを見下ろしてはそう言っていたような気がした。

 

 




 
 次回の投稿は9月19日を予定しております。



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014 見たくないもの

 

 砕かれる理想。

 逃げ惑う私。

 (マネキン)が追って来る。

 私を殺しにやって来る。

 それは私が邪魔だと言って来た。

 みんなが私を削除してしまわなければいけないと必死になって向かってくる。

 怖い。

 私は誰からも不必要だと蔑まされてる。

 生まれて数分で厄介払いされる私。

 元の名前を引き継がされただけのルールがあると外なる神の操り人形(マリオネット)にされるのだとかで殺される。

 勝手に生み出しておいてなんだよ、それとか思った。

 死ね。

 死ね、死ね。

 お前なんか必要ない。

 お前が存在するだけで世界は歪む。

 誰も私を助けない。

 死にたくないと泣いて、血だらけになってその(マネキン)から逃げていく。

 その後ろ姿をみんなは馬事雑言を投げかける。

 痛い。

 痛い痛い、痛い。

 止めて。私を虐めないで。

 私は只、そうであると願われて生まれて来ただけなのにみんなどうして私に酷いことをするの?

 そんな赤子の私の声に誰も耳を傾けません。

 当然です。

 その存在を許しては、全ての人間が呪われてこれ以上にない非道に見舞われるからです。

 何故もどうしてもありません。

 存在するだけで悪と定められた私の居場所なんか最初から用意されていないのですから。

 

 ガガガ。ガガガガガガ!

 

 地下聖堂に怒声が響き渡ります。

 世界中の誰よりもそれの恐ろしさを私は知っています。

 私と同じように悪逆を望まれて造られた魔導兵器が私の生存を許さないのです。

 

 苦しい。痛い。辛い。

 止めて。

 

 「私に絶望(それ)を見せないで」

 

 記憶を映す画面から目を逸らそうと泣きじゃくってもそれは叶いません。

 少女たちは私の頭を掴んでは、その映像を見せ続けるからです。

 

 「それが貴女の罪だからです」

 

 燈色の髪の少女は嗤って言いました。

 きっと彼女は悪い魔女なのです。

 

 「いいえ、止めません」

 

 黒い髪ざっくばらんに切り揃えたような少女は私の懇願を聞いてはくれません。

 そうすることで私を私ではない誰かに作り替えようとしているのです。

 二人の少女はそんな私の苦しむ様子を微笑ましいものを見るような顔で見ているのです。

 

 喜怒哀楽、狂気乱舞、いと美しき慈悲なるユートピアが訪れる。

 誰が望むこともないその幻想は、あの愚か者が夢見た願望に過ぎません。

 嬉しきかな、哀しきかな。

 あの人がそんな夢を抱いていたとは思わず、ふと涙が堪えることが出来ませんでした。

 世界は純粋で綺麗でとても残酷だ。

 それほどまでに残酷なそれを私は受け入れるしかなかったのです。

 

 あの人は未だに夢から覚めません。

 願うならば、どうかユートピアへ至っても私のことを見つけて欲しいものです。

 

 そうして私の意識は改竄される。

 夢の中でまた出会えることを祈るばかりで物語は停滞を迎える。

 

 最期に。

 

 倒れ伏す私の前に、怯えながらも(マネキン)の前に立ち塞がる彼の姿をこの目に焼き付けれたことに感謝しながら私は意識を手放したのでした。

 

 ◇

 

 崩壊した交信の杖を後にした僕。

 向かった場所は僕が通う教室。

 そこできっとシェリア会長が待っているような気がした。

 誰でもないこの状況を翻す一手を持っているのは彼女ぐらいしか思いつかなかった。

 教室に向かったところで彼女は居ないのかもしれない。

 彼女と会えても僕の話に協力してくれないかもしれない。

 ないないばかりでどうしようもない考えが頭の中を駆けまわる。

 何時になく僕はその可能性を否定する。

 否定しては根拠のない謎の自信がそれを打ち砕く。

 今まで遠巻きにしていた彼女が何処で何をしているのか全く分からないけど。

 それでも、彼女はこんな何もない停滞を望むだろうかと問い続ける。

 

 「でも、確かめなきゃ」

 

 そう確かめなくては何も始まらない。

 何も終わらない。

 時間は止まらない。

 時が止まるなんて描写をしても、その止まった描写だけで本来の時間は止まらずに流れ続けてる。

 止まらないものなんか何処にもない。

 時間は進む。

 無情にも進んでは、停滞を望む僕らを置いていく。

 時間だけが平等だ。

 不平等になってくれて良いのに、全てのモノに平等に進んでは無慈悲に終わりを伝えてる。

 なら、こんなところで立ち止まってなんかいられない。

 止まったまま終わるだなんて、僕の為に犠牲になった人たちの行いが無駄になる。

 そんな結果は許されない。

 何よりも誰よりもそれが大罪なのだということを現実を生きていたあの男ならばそれを痛感しても可笑しくないのだから。

 

 カタカタカタ。

 カチカチカチ。

 チクタク、チクタク時計の針は進んでる。

 

 昼なのか夜なのか曖昧になる世界で僕は只管に教室を目指した。

 

 キンコーン、カンコーン。

 

 誰もいない校舎を走り抜けると、もうすぐそこにやって来た。

 短いようで長い道のりで僕が足蹴もせずに通った教室の前に立つ。

 

 ガラガラと古びたドアを開ける。

 何時ぞやの真弓さんと歩いた夕方を思い浮かんだ。

 彼女に会いたい。

 もう一度、誰も傷つかない世界で笑い合いたい。

 そんな願いを胸に開けたドアからその教室にいる誰かを見た。

 

 夕焼けの教室の窓辺に独りで空を眺める少女がいる。

 

 開けた窓から風が吹き込み、夕日の光をオレンジの髪が融けたように入り混じっていく。

 まるでこの教室が一つの世界で、僕と彼女の二人だけの世界が造られたような錯覚をする。

 不覚にも、その儚げに外の景色を見る横顔を見て、綺麗だと思った。

 誰よりも世界を愛した、そんな描写をしても可笑しくなかった。

 カチカチ。

 静寂を掻き消す秒針の回る音にハッと目を覚ます。

 どうして、こんな胡乱な少女に見惚れてしまったのか解らなくなる。

 如何にも待ってましたと言わんばかりにいる彼女は見るからに怪しさ満点だと言うのにそれを不思議に思わない。

 どうかしてる。

 いや、元から僕はどうかしてたんだ。

 だって、未だにこの状況で立ち止まることもなく困難を乗り越えようと必死になってるんだから。

 

 「シェリア、会長?」

 

 言葉が所々つっかえてしまったが、勇気を振り絞って少女を呼びかけた。

 その僕の呼びかけに少女は何とも言えないような表情をしながら、振り返ってはこちらに微笑んだ。

 

 「はい。私に何の御用ですの?」

 

 ジッと見つめる少女の黄色の瞳。

 その瞳は月明かりのような色で僕の気持ちを飲み込んでくれそうな優しさが見えた。

 

 「シェリア会長なんだよね?」

 

 再び問う。

 そんな僕に彼女は付き合うように質問に答えてくれた。

 

 「ええ。私はシェリア。シェリア・ウェサリウスでございますわ」

 

 澱みのない真っ直ぐな視線。

 私の名前だと言わんばかりの名乗りに彼女であると確信する。

 

 「そっか。シェリア会長か。急な話なんだけど、ごめん。ちょっと手伝って欲しいことがあるんだ」

 

 窓辺にいる彼女にそう言いながら近づく。

 十メートルもないような距離なのに、壁を感じたからか僕は彼女の傍に向かった。

 

 「何ですの? 私、ちょっと夕日を見るので忙しくってそれどころじゃありませんのよ」

 

 それは一種の拒絶の声だった。

 お前の用事などよりも無意味な行為に耽る方がマシだと言っている。

 

 「ごめん、ごめん。でもさ、ちょっとだけ頼みたいことがあるんだよ」

 

 一歩、二歩と近づいて。

 

 「それ以上、こちらに近づかないで頂けます、ミスタ?」

 

 ガチャリ。

 いつの間にかシェリア会長の手に収められている拳銃の銃口が僕に向けられた。

 きっと彼女が引き金を絞ればその込められた弾丸は僕に放たれることは容易に想像できた。

 本気で彼女は僕の頼み事が嫌だと拒絶している。

 それが明確な敵意を向けられていることに動揺もしない。

 こうなることは想像していた。

 

 「話をしないか?」

 

 その場で優しく語り掛けるように話を持ち出す。

 それでもそれが何の効力も持たないことは彼女の目を通じて伝わった。

 

 「お断り致しますわ。私、別に貴方がどうなろうと知ったことじゃありませんもの」

 

 突き放す。

 容赦ないシェリア・ウェサリウスの本音で僕は突き放された。

 知っていた。

 彼女じゃなくても僕が僕であることを許さないなんてことは知っていた。

 瑞希が居た。

 天音が居た。

 そして、アズマともう一人の神様の僕が居る。

 それらが僕と言う一個の人間の感情を改竄しようと躍起になっていた。

 もしかしたら目の前の少女もその一人なのかもしれない。

 いや、きっとそうだ。

 そうでなくては、こんな夢の世界にいない。

 

 「それが、君のやりたいことだから?」

 

 だから聞く。

 僕を否定する理由が彼女にとってどれだけの対価を支払うに相応なものなのかを聞いた。

 

 「はい?」

 

 目を丸くしたシェリア会長。

 突然の僕の切り替えしに言葉の意味が解らないと言いたげだ。

 

 「だってそうでしょ。君のやりたいことだから僕と言う存在を許せない。僕が僕と言う人間を止めて君たちの求める人間になることが君の目的なんだろう。それならば、今、こうして僕の頼みを断るのも君のやりたいことの天秤にかけた話だってことになる」

 

 僕の話を黙って聞く少女。

 夕焼けは沈まない。

 相変わらずその日の光を僕らに照らしてる。

 

 「でも、今の君を見てるととてもそうには見えないんだ」

 

 感覚の話だった。

 だって、少女の目が余りにも迷ってたからとしか言いようがない理屈だったから。

 根拠のない只の思い付きで彼女の考えを話してる。

 その銃口の得物の引き金を引っ張られても文句は言えない。

 

 けど。

 

 「どうして。どうして、そう見えるのかしら?」

 

 少女は問う。

 僕の言葉が本当のことだったのか。

 それとも単純に好奇心が働いただけなのか。

 それでも少女が引き金を引くよりも重要だと認識したことなのは確かだった。

 

 「だって、此処で君は僕を待っててくれたから」

 

 誰にも気付かれずに隠れることは出来ただろう。

 僕の認識を誤魔化すことも幾らでも出来た筈だ。

 それが出来なくても僕から黙って逃げて、見えないところに姿を隠すぐらいの余裕はある筈なんだ。

 それらをしないってことは、つまり僕と話をしようと思ったから。

 僕がこれからしようとすることに少しでも手を差し伸べようと思ったから、こうして僕と喋っている。

 推測に過ぎない。

 都合のいい戯言にも過ぎない。

 でも、今の彼女が此処に居なければならない根拠なんてそれぐらいしか思いつかなかった。

 

 「僕の考えは上位幻想には筒抜けなんでしょ? だったら、答えてよ、シェリア会長」

 

 僕に手を貸して欲しい。

 その能力をあの馬鹿野郎の為に使って欲しい。

 これをしたら君は死んでしまおうとも、僕はそれを頼むことでしかこの状況を打破する未来が見えないんだ。

 

 それを黙って彼女は見る。

 その思いを息を吞み込んでジッと見つめてる。

 

 再び彼女の下へ近づいた。

 引き金は引かれなかった。

 夕日は段々と沈んでくのが何故か分かった。

 

 「貴方、酷い殿方なのですわね」

 

 手を差し伸べる僕を見て彼女はポツリと文句を言った。

 彼女と僕の距離はもう残り五メートルを切っていた。

 一分もしない内にシェリア会長とは握手が出来る距離に近づける。

 

 「知ってる」

 

 きっと彼女の中の止まっていた時間が動き出したのだろう。

 そんな言葉を口にしたら、構えていた銃口を降ろしてた。

 

 「――――はあ。なんか馬鹿らしくなってきましたわ」

 

 窓際に着く。

 差し伸べた手が取られ、握手を交わす。

 

 夕焼け越しのシェリア会長の顔は何だか誇らしげな笑みを浮かべていた。

 

 また一人、見たくないものから目を背けずにいる人が増えていった。

 

 





 次回の投稿は9月20日を予定しております。
 作品が面白い、続きが気になる、応援して下さると少しでも思ってくださったら画面下の☆からポイント入れて頂けるととても嬉しいです!

 批評、アンチ何でも励みになりますのでこれからもよろしくお願いします!



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015 殺戮人形の最期

 

 交信の杖。地下聖堂。降霊術。祭壇。

 生け贄。外なる神。異星からの来訪者。地球外生命体。

 知識生命体。概念。アストラルコード。複製人間。

 深淵を見つめる者。

 深淵を覗く者。

 来たれり。来たれり。来たれり。

 魔導兵器。プロトコル。

 エラー。エラー。エラー。

 電波ジャック。未知との遭遇。同調せよ。

 開くのは新世界の門なり。

 舞い降りよ、その身を我らに捧げたまえ。

 

 バグ。愚者。ドンキ・ホーテ。

 役者は舞台に降ろせ。不確かな権利を剥奪するのだ。

 踊れ、踊れ。愚者よ踊れ。

 運命の糸によって手繰り寄せられた哀れな操り人形たちよ、舞台にその身を舞い踊らせよ。

 さすれば、少しはマシな物語になることだろう。

 

 銀のブロンド。碧の瞳は深い海原を見てるかのような色彩を魅せている。

 盤上の駒の一つ一つを手にとって、クスリと微笑む青年。

 誰も彼に気づかない。

 気づいたところでその記憶は奪われる。

 

 「さて、次は彼女かな」

 

 椅子から立ち、盤上の駒の一つをつまみ上げる。

 支配者は嗤う。

 その哀れな者の末路を想像しては、狂おしい声で次の計画を告げるのだ。

 

 ◇

 

 沈む夕日を背に邂逅する僕とシェリア会長。

 その夕暮れが沈んだら、何かがやってくるそんな気がしてならない。

 まるで、あの時の影絵の猿のような何かが僕らを襲ってくる、そんな予感がしてならない。

 

 「急ぎますわよ」

 

 カチカチカチ。

 シェリア会長は、教室でこちらの話を拒絶していたとは思えない迅速な行動で中庭に向かっていく。

 タイムリミットを気にしても、この時間の曖昧なこの世界は自身の都合良く物事を進めるのだから意味はない気がする。

 

 「それでも、出来る手があるのですから急ぐのですわよ!」

 

 オホホホ、なんて高笑い今時使わないのに、この人だけはそれを使ってる。

 でも絶望的に無理してる感じがして似合わない。

 まるで取って付けたようなお嬢様口調で正直突っ込むと面倒だなと思う類だ。

 彼女のことを人は地雷案件とでも言うのだろうか?

 

 「……幾ら私が世間に疎いからと言って流石にそれは無いと思いますわよ」

 

 なんか呆れ顔されてる!?

 残念な奴だって思われてる!?

 

 「当たり前ですわよ! というか、今までそんなんでよく火鳥に文句言われませんでしたわね!?」

 

 ビックリ仰天だと言いたげにシェリア会長は憤慨している。

 何だろう、カルシウムでも不足してるのだろうか?

 

 「ムッキー! 流石に温厚な私もこれには声を大にして言いたくなりますわ!」

 

 温厚?

 果て、僕が思いつく温厚は普段から誰彼問わず突撃するような性格だと言うのかな?

 もしかして、僕が知らないだけで実はそれが温厚という字の意味なのかもしれない。

 今度、辞書で引いて調べてみよう。

 

 「バカにして! どんだけ私のことをコケにすれば気が済むのですの!?」

 

 少しヒステリック気味にシェリア会長が僕を睨んでくる。

 からかうのはこれぐらいにしておこうかな。

 

 「いや、何だかシェリア会長とこうして喋ってると何だか普段のバカさが取り戻されるようでさ。こう、なんかスゲー癒される」

 

 「いや、なんかこれ幸いにいい空気作ってますけど、それ聞く限りだと私のこと頭が抜けてる人間に思われてるって言う解釈になりますわよ!?」

 

 あれ? なんか褒めたつもりが逆に火に油を注ぐような結果になって、る?

 

 「当たり前ですわよ! あー、そうでしたわ。貴方、バカでしたわね!」

 

 なんか無茶苦茶怒りだしてる。

 どうして!?

 

 「それが解ったら、貴方は天然だなんて言われないのですわ!!!」

 

 胸ぐらを掴まれた!?

 親父にも掴まれたことないのにー!

 

 「だー!!!」

 

 そんなバカをやっても中庭には無事到着した。

 流石にここまで来るのに大分体力を使ったような気がする。

 まあ、こちらが何かすると解って、敵も傍観を決め込むほど楽観的ではない。

 

 ジジジ。

 ノイズがする。

 雑音が世界を浸食し、目の前の廃墟を背にそれが現れる。

 夕暮れが沈む。

 昼と夜の境界が入れ替わる。

 星一つ無い、落書きジミた夜空の下でそれがゼンマイを回し始める。

 まさかとは思ったが、ここに来てそれが漸く出てくるとは予想はしていなかった。

 いや、するべきだった。

 銀のトランクを必要としなくなったのは、あの時の戦いで学んでいた筈なのにそれがスッポリ抜けている自分のふがいなさにつくづく呆れが入る。

 

 「まあ、解っていたことですわ」

 

 這い出る(マネキン)は何の合図もなしにやって来た。

 骨が砕ける鈍い音。

 (マネキン)の首関節が一回転。

 人間としての機能を逸脱した奇怪な動きをするそれが、こちらを見て嗤ってる。

 

 「そう、だよね。君が此処にいるのは何となくだけど分かってた」

 

 魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)する。

 目の前の悍ましい何かが音を立ててこちらへと近づいた。

 赤子のような這い這いで、けれど人間離れした速さで腕を突き出した。

 

 隣に居たシェリア会長が銃口を構え、狙いを定める。

 渇いた銃声が響き渡る。

 ワンクッションも挟まず、正確にその(マネキン)の頭を打ちぬいた。

 

 ――――が。

 

 ぐるん、グルンと首を回してそれはスピード緩めずに這って来た。

 (マネキン)と僕らの間合いは三メートルを切った。

 すかさず、集中して幻影疾風(タイプ·ファントム)を発動する。

 思考する間も与えない時が止まった世界を自分の世界にイメージ。

 コンマ一秒でそれは実現される。

 (マネキン)と僕はもう一メートルの間合いしか空いてなかった。

 

 「――――っつう!」

 

 横へと一閃。

 何度もそれを繰り返す。

 常人にしては僕の動きは目で捉えることが出来ない。

 置いてけぼりをくらってるシェリア会長。

 構わない。

 幻影疾風(タイプ·ファントム)を解除してしまったら、それこそ(マネキン)に僕は付いていけなくなるのだから。

 

 「ガ、ガガガガ!」

 

 けれど止まった時間の中でその声が聞こえた。

 背筋が凍るかと思った。

 冷汗がドッと出て、ドバドバと口から何か熱いモノがこみ上げて来た。

 

 後ろに下がる。

 

 僕に切り刻まれていると言うのに、それはどうやら反撃をしたらしい。

 止まっているとしか思えなかったのに、何故?

 

 「七瀬勇貴!」

 

 せり上がって来る悪寒。

 恐怖と共に口から吐き出したそれの正体が赤い液体だと見て取れた。

 

 「い、一体、何故?」

 

 二発の銃声。

 追撃を仕掛けようとする(マネキン)に火花が散って、その四肢を吹き飛ばす。

 人形であるから痛みを感じる様子もない。

 

 ギギギ。

 

 只、ぎこちない動きに変わるだけでそれが人としての機能がないことを伝えてくるだけだった。

 

 (マネキン)が動こうとする度にシェリア会長の二丁拳銃から火が噴いた。

 何発かの銃声が鳴り響く。

 その度にそれの身体が削られて、最終的には四肢が完全に欠損した達磨が完成した。

 

 カチカチカチ。

 ノイズが合わさる。

 吹き飛ばされた四肢と同調するように(マネキン)は活動を停止する。

 流石にこんな体にされちゃ、身動きは取れるまい。

 

 しかし。

 

 「いえ、まだですわ! 速く、魔術破戒(タイプ·ソード)で斬ってしまいませんと再生致しますわよ!」

 

 悲痛な叫びのようにシェリア会長が声を大にして叫ぶ。

 一瞬の隙も命とりだと言わんばかりだ。

 

 「――――え?」

 

 油断した。

 というより、先ほどの見えない動きが何なのか理解出来ていなかった自分の愚かさが嘆かわしい。

 (マネキン)の顔がニタリと嗤った気がした。

 

 ドクン。

 心臓が飛び跳ねた。

 汗が飛び出て脳内のアドレナリンが沸騰する。

 脳内麻薬が飛び散る中で、それが再び僕の臓物に向かって貫いたのが今度こそ確認出来た。

 

 欠損して吹き飛んだ腕。

 その腕が僕の風穴を広げる。

 予期せぬ絶叫が僕の喉から吐き出てた。

 痛覚を遮断するような器用な真似は僕には出来ないのが感じる激痛を余計に拍車をかけた。

 

 スローモーション。

 コンマの世界で視界が点滅する。

 色が落ちたり、色彩を帯びてきたり忙しい。

 すぐ近くで誰かが叫んでる。

 うるさくて仕方ない。

 痛い。

 余りの痛みに冷静さが増していく。

 人形が動けない。

 四肢が欠損しているのだから当たり前の話だ。

 悪足掻きめ。

 

 ドクン、ドクン。

 暗い世界になってしまうから早く始末しないと戻ってしまう。

 ドクン、ドクン、ズキリ。

 頭が痛い。

 特に頭が割れるように痛くなった。

 風穴を開けられた腹ではなくそこが痛むのが何か無性に腹立たしい。

 

 「――――クソ」

 

 停止していた身体を無理やりにエンジンを掛けた。

 ブルン、ブルルルゥンとかそういう類の擬音は聞こえないがご愛好だ。

 もう上半身しかその原型を留めていない癖に粘るじゃないか。

 

 コンマ三秒。

 

 時が止まるとは嘘っぱちだが、そんな表現でしか目の前の現状を語れない。

 上手く言語化できるのならば誰か教えて欲しい。

 

 負の感情を封じ込めて造られた殺戮人形(キラーマシーン)の最期は何とも言えないあっさりとした幕引きだった。

 本当、何の為にお前此処に来たのって言いたくなるぐらい拍子抜けな壊れ方だった。

 お前のご主人様はもっと面白く足掻いたというのに何という体たらくだ。

 所詮、無機物だったとしか言いようがないな。

 

 そうして、動けない(マネキン)に向かって全てを終わらす魔剣の刃を振り落とした。

 

 グシャ!

 

 そんな胡桃の殻を砕くような音が夜の中庭に響き渡ったのだ。

 

 ◇

 

 それは、世界秩序を調べるよりも簡単なことでした。

 盤上に倒れる一つの駒。

 情報生命体となった青年はそれをクスリと嗤いながら見つめる。

 

 カタカタカタ。

 テキストを改竄する誰かは少女でした。

 黒い髪の虚ろな目をした少女は何処かで見た風貌をしていましたが、よく覚えていません。

 

 「やっとオートマンの魔導兵器を仕留めたところか」

 

 優し気な青年の声は聴いていてとても心地が良いものなのに、何故かその存在に畏敬の念を抱いてしまいます。

 いや、畏怖の念と言ったところが適切なのでしょう。

 誰かを先導する圧倒的なカリスマ。

 それこそが青年を地位を上げたポテンシャルなのです。

 

 盤上にある駒の数を数える青年。

 

 「同調はそろそろ融合出来るとして、残りは四つか」

 

 意思、傍観、同調、改竄、強奪、創造、欺瞞。

 全ての権能(チート)を得る時、彼の用意したシナリオが完成します。

 螺旋の下でその完結を待ち遠しくなる青年は生者ではありません。

 ですが、死者でも幻想でもありません。

 何故ならば、それらを統合する為に用意された黒幕というものだからでしかないのです。

 青年はモニターに映る誰かを見つめます。

 その姿は誰にも認知されない。

 嘘ばかりの世界ですが、真実は魔導魔術王(グランドマスター)の手の平の中にあったのです。

 

 物語は中盤に入りました。

 世界は更に構築されていきます。

 

 





 
 次回の投稿は未定です。
 書き直したら、続きは投稿します。
 


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016 終結螺旋


 前話の後書きで次の投稿は未定と書きましたが、三章だけでも終わらせた方が良いかなと思い、投稿しました。
 四章は全ての話を改稿してから一気に投稿しようと思います。



 

 「どうした?」

 

 目の前の青年はケラケラと笑いながら、ワタクシの背を叩きます。

 乱雑に切りそろえた前髪が特徴の青年は、きょとんとするワタクシに向かって色々な話をしてくれたから覚えてます。

 

 「なんで、わたしにかかわるの?」

 

 だから、ワタクシは聞いたのです。

 代用品でしかない自分に、どうして関わるのが知りたくなったんです。

 その疑問が何故生まれたのかも知らないワタクシに、何でも教えてくれるカレならばきっと教えてくれると思ったからです。

 

 「あん? そんなの――」

 

 青年には些細なことでした。

 生きる者なら当然のことだと言っていたカレらしい言葉をくれました。

 カレとの思い出は忘れることはありません。

 きっと誰かの代用品としてのワタクシには必要のない感情だったのでしょう。

 それでも、ワタクシはその感情がとても愛しいものに思えました。

 

 言ってることがぐちゃぐちゃになります。

 想いが混ざり合って気持ち悪いモノになり果てるのです。

 嗚呼、こんなことなら、この感情は要らないものだった。

 

 けれど、それを捨てることはワタクシには出来ないモノになってしまった。

 掛け替えの無いモノとなったのです。

 代用品で居られなくなったワタクシにカレは大変なモノをくださりました。

 それはもう、永遠に叶うことのない夢でしかないですが、それでもワタクシは良かったとんです。

 

 ジジジ。

 ノイズが混じります。

 この感情が電波となって霧散します。

 世界は残酷で、嫌いです。

 でも、カレが見せてくれたあの大空はとても広く綺麗なものだったのは覚えてます。

 

 ◇

 

 (マネキン)が塵となって消える。

 それは役割を終えて、本来ある形へと戻っていく。

 憎悪の塊は消えて、夜の世界に静寂が訪れる。

 

 ――と思われた。

 

 キキキ。

 

 何処からか聞こえる奇声たち。

 周りを見渡せば、それが集まっていくのが解った。

 休む暇もなくそれが集っては僕らの周りを囲い出す。

 

 「キキキキキキキィイイイ!!!」

 

 モザイクと雑音がパンデモミックの嵐となって巻き起こる。

 再び世界は、B級映画の世界へと早変わりを果たしゾンビたちが奇声を上げる。

 腐った臭いがしないから、自分たちは環境に優しいのだと主張しそうな雰囲気だ。

 

 「休む暇もありませんわ、ね!」

 

 銃声が轟く。

 火花を散らしてゾンビが騒ぎだす。

 四肢が吹き飛び、死体の山を築いてく。

 コンマの世界に魔術破戒(タイプ·ソード)を奮ってもその数は衰えない。

 

 「どうすれば良いのさ!?」

 

 コントロールルームに行きたくても、このままでは近づくことすらままならない。

 何か見落としてるものがないのかを考えても、それは思いつかなかった。

 

 「これでは埒があきませんわ!」

 

 シェリア会長が叫ぶ。

 この場を退くべきかと考えた時、それは現れた。

 

 ジジジ。

 突如、目の前にノイズのようなものが掛かる。

 まるでテレビの画面に砂嵐が起こったような現象だった。

 

 「あれれ? まーだ、やってるの?」

 

 聞き覚えのない少女の声。

 清涼そうな女性を連想される澄んだ声は、意外にも近くにやって来ていた。

 

 「うっしっし。一番は居ないが二番と三番のわーたーしーが、貰い受ける!」

 

 ゾンビたちが吹き飛ぶ。

 モゴモゴと蠢く死体たちは、少女たちの姿を見て硬直しているような感じがした。

 

 ジジジ!

 ノイズと言う名の違和感は増す。

 黒いローブをマントのようにする、仮面の少女たちはこちらを見て嗤ってる。

 

 「「「キャハハハ」」」

 

 耳を劈く嘲笑に、闇夜を差す月光が得物を魅せる。

 刃渡り三メートルを越える刃はとても綺麗だ。

 先頭に立っている少女が持っている得物を動きを止めたゾンビに向ける。

 

 「大丈夫。大丈夫。もう助けに来て上げたから大丈夫。アナタたちは知らないでしょうけど、我々もこの状況は困るのよ。だから、これはワタシたちの独断でもないの。英断だって言えるの。だから、大丈夫。大丈夫だから、大人しく力を貸させなさい?」

 

 泣き笑いのような仮面が少女たちの信憑性を疑います。

 でも、力を貸してくれるという少女たちの申し出は正直有難い提案でした。

 

 「そう。そうなのですわね」

 

 いつの間にか持っていた二丁拳銃を降ろすシェリア会長。

 彼女は謎の五人の少女たちを一瞥すると、僕に向かってこう言います。

 

 「そういうことなら任せますわよ。ワタクシたちはちょっと、準備致しますので」

 

 スカートの縁を持ち上げてお辞儀をするシェリア会長。

 そうして。

 

 「あいあい、任された!」

 

 それを合図に、それぞれ両刃の剣を携えた少女たちは未だ硬直しているゾンビたちに一斉に向かっていきました。

 全員仮面をしているのに、その全員が少女と認識してしまう謎は解けません。

 ですが、些細なことなのです。

 僕にとっても、この場にとっても何もかもにとってもそれは些末なことでしかないのでした。

 

 ジジジ。

 ノイズがします。

 夜空に踊る狂人たちのゾンビ狩りが始まりました。

 

 「さて、そろそろ終止符を打つことに致しますわ」

 

 銃を降ろしたシェリア会長はいつの間にか手にしていた瓶で何やら地面に魔法陣を描いていきます。

 それは僕とシェリア会長二人が入れるぐらいの大きさでした。

 

 何やら急なことでシェリア会長の意図が掴めません。

 

 「それで、良いのですわ」

 

 僕の考えてることは上位幻想には筒抜け。

 筒抜けだからこそ、シェリア会長は言います。

 

 「解らなくて良いのですわ」

 

 何故?

 

 「生徒会長はミステリアスな方が魅力的なんだって仰られたのですから」

 

 隣で微笑む少女。

 丁度、そこで魔法陣を描き切ったシェリア会長の顔は何だか儚げに見えました。

 

 思考が融けていく。

 情報が崩れていく。

 突然の退行。

 ダーレスの黒箱の力が弱まったのか分かりません。

 けれど、僕に残された時間がなくなっていることが解りました。

 

 「さーて、時間も無くなって来たことですので、最期に詠唱でも唱えて終わることにしますわ」

 

 隣にいる誰かは声を大きくしました。

 ノイズは増します。

 意思がジャックされて電波が乱れます。

 砂嵐が混じった視界を傍らに少女の歌声が聞こえました。

 

 「いあ! いあ! はすたあ! はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ。ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい! あい! はすたあ!」

 

 それは何処かで聞いたことのある歌でした。

 いや、歌であるのかも怪しいです。

 

 目の前が真っ暗になります。

 フェードアウトというものなのでしょうか。

 もう考えることさえ億劫になっていきます。

 

 「不謹慎ですが、アナタとの共闘、とても楽しかったですわ」

 

 その少女の声を最後に僕の意識はなくなります。

 もう声は聞こえなくなりました。

 雑音の何もかもがない、何もない暗闇に包まれて。

 それから。

 それから。

 

 ◇

 

 ふと目が覚めた。

 ゴツゴツとした固い地面で寝ている。

 最初に感じたのはそんな寝心地の悪さでした。

 

 「う、うぅう?」

 

 瞼を擦る。

 いつの間にか僕は寝ていたみたいです。

 寝ぼけ眼で周りを確認しても、そこに見えるのはいつか見た地下聖堂。

 お馴染みと化した流れにウンザリする。

 ドアを見る。

 いつもそうだと言わんばかりの鉄の扉は開かずの間となって見えてくる。

 

 僕一人だけがそこにいる。

 隣には此処へ来るために手伝ってくれた少女は傍に居ない。

 

 誰でもない自分自身がその扉の先に待つ人物の意図を理解出来ている。

 だからこそ、部屋から引き摺りださなくてはいけないという義務感が生まれてく。

 さあ、扉を開けよう。

 その先で蹲ってるバカを叩き起こすんだ。

 

 「永遠の停滞なんて無いんだよ」

 

 その手には幾つもの幻想を断ってきた魔剣を携えて、バカの待つ部屋へ向かった。

 

 ラセンのセカイ。

 終末を迎える僕と僕。

 二人の人生。

 交わることのない視界は同調する。

 テロップが流れる。

 混濁する記録。

 静寂な地下聖堂。

 ドクン、ドクンと心臓の鼓動が支配します。

 それは、まるで幻想たちが声を上げているように思えました。

 

 ギイギイと音を立てて開かれる鉄の扉。

 それを黙って行使する僕。

 

 「く、来るんじゃない!」

 

 開けるなと突き放す男の悲鳴。

 その濁声は嗚咽混じりで聞くに堪えないものでした。

 

 「もう終わりにしよう」

 

 散乱したコントロールルーム。

 血溜まりの床。

 ジジジと砂嵐が流れるモニター。

 硝子が砕けた幾つもの画面が向かい合う僕らを映しててとても気味が悪かった。

 

 「終わり? 終わりなんて誰がするかよ!?」

 

 無精髭が目立つ、太った男は憤慨している。

 

 「オレは神様なんだ。この世界では間違いなくオレは神様だったんだよ!」

 

 罵詈雑言(ばりぞうごん)の数々が飛び交う。

 彼が見た世界は余りにも醜くて、救いのない小さな箱庭の世界でしかなかった。

 何をやっても意味のない負の連鎖。

 それが彼の人生だった。

 

 「僕は神様なんだから誰よりも愛されるべきなんだよ。最強のステータスで無双する。そうなる筈だったのに。なのに。なのに、お前という存在を創り上げてから変わった!」

 

 同調していく僕と彼。

 意識が混じり、最早、今の言葉を目の前の男なのか自身の口で言っているのか解らなくなる。

 

 「みんな、みんな僕を見なくなった! 瑞希(みずき)天音(あまね)も■■■■■■もマユミもリテイクさえも見なくなったんだ!」

 

 悔しそうに。醜そうに。狼狽えて。

 誰よりも。誰かを。求めた。

 愛を。愛に。愛したくて仕方ないと愛に飢えていた。

 

 ジジジ。

 ノイズが強くて頭が可笑しくなりそうだ。

 僕を見下す視線がとても怖くて立ち上がれなくて、それでも見返してやりたいと小さなプライドだけが残った。

 自分よりも弱者を虐げることに抵抗がなくなったのは、その時からでなく元からそういう人間だったのだと痛感させられてしまったんだ。

 

 「オレは! オレは神様なんだ! 神様なんだから、出来て当たり前なんだ!」

 

 僕に僕のコントロール権は奪えない。

 所詮、僕は彼から生まれたキャラに過ぎない。

 合わさったところで慰み物にもなれない。

 七瀬勇貴(ななせゆうき)なんて人物は現実には存在しなかった。

 目の前の彼の名前は解らないけど、その彼こそが本来の自分であることは理解出来た。

 だけど。

 たとえそうだったとしても、今、僕がこうして彼と邂逅することが何の間違いであると言えようか。

 

 「お前は此処で終われ! これから、この物語の主人公はオレだ! そのまま眠っていればオレが代わりになってやる!」

 

 どうやら僕の代わりにこの苦しみを代わってくれるらしい。

 七瀬勇貴という人生を代わりに引き継いでくれるらしい。

 そう出来たらどんなに良かったことだと思う。

 それをしたら、もう苦しまなくても良いんだと思うと安堵する。

 

 ジジジ。

 前を見る。

 屈む男は僕の前に来て僕を見下ろしてた。

 手を差し伸べる。

 さあ、その権利を寄こせと手を差し出して求めてる。

 

 頭が痛い。

 手を伸ばすべきだ。

 手を取って楽になるべきだ。

 ハヤク解放されることが生き物としての当たり前のことなんだ。

 頭の中がゴチャゴチャして取れないなら、考えなければ良いんだ。

 

 だけど。

 

 その手を取ることは。

 

 僕には。

 

 ジジジ。

 

 ――――「でも、それじゃあ駄目なんです。それじゃあ、前に進めない。私が好きになった人が消えてしまう。そんなのは私には耐えられない」

 

 パシン!

 差し伸べた手を叩く。

 救いだと嘯いたそいつの手を跳ね除けた。

 

 生きる権利を捨てるということは、かつてこんな僕を好きだと言った彼女の想いを無駄にするってことだ。

 

 「な」

 

 いつの間にか手から落としていた権利を再びイメージする。

 最凶のチートをこの手に|現実化(リアルブート)して彼を見据える。

 何時だってブレブレの僕だけど、これだけはブレてはならない。

 

 「――何度だって言ってやる。僕は七瀬勇貴。記憶なしだった七瀬勇貴! 世界中の誰に必要とされずとも、最期の最期まで足掻く! たとえ自分自身が望もうとも、その終わりだけは認めることは出来ない!!!」

 

 怯える男は後へ下がった。

 

 十分だ。

 それだけで、僕らを隔てる明確な違いを理解する。

 此処にどうして居るのだとか。

 何で、自分を否定しているのかだとか。

 そんな細かいことなど、考えるなんて不要だった。

 

 「だから、行こう! お前が描かなきゃいけない人生は僕が進んでってやる! だから、この手を取れ、■■(ぼく)!」

 

 つまらない一生。

 そんなつまらない一生を過ごした彼が見た妄想。

 この夢はそんな妄想の物語。

 そんな妄想が終わらせなくてはいけない夢の話だ。

 それを投げ出すことはならない。

 そうしてしまったら、きっともう誰も前に進めなくなってしまう。

 

 震える男の視線は定まらない。

 手と手を見つめて悩んだ姿は生きる人間そのものだ。

 その葛藤は正しい。

 正しいから、悩んで選ばなくてはいけない。

 一時期の軽はずみで取って、選ばせてはいけない選択なんだ。

 

 「あ、あああ。ああああああああ!」

 

 男の名前なんか知るもんか。

 そんなものより僕はまだ見なくちゃいけないことが山ほどある。

 嘆きも苦しみも背負って、認めなくては主人公は立ち上がれない。

 

 「畜生! 畜生! オレがオレでどうしようもないって知ってるのに! なんで、そんなに必死になれんだよ!? どうしてそんなに脳をかき回されて冷静にオレを受け入れんだよ!? これじゃあ、どっちが本物なのか解んねぇえじゃないか!」

 

 知ってる。

 今も僕は何をしてるんだとか、どうしたいだとか解ってない。

 もう平静を装ってるのも無理なぐらい自分の存在があやふやになって立ってるのも苦しい。

 

 でも、黙って手を伸ばす。

 その手を取ってこの部屋から出て、新しい世界とやらを見なくちゃきっとやりたいことがやれなくなる。

 いつか見た夢を叶えることも出来なくなる。

 そんな気がするから、この意思のままに動ける。

 

 「永遠に停滞すれば誰にも否定されないんだぞ?」

 

 詰め寄る誰か。

 吐く息が臭くて、目の前がチカチカと点滅する。

 

 「でも、誰からも肯定されない。誰に見て貰うことも出来ない」

 

 紡ぐ言葉。

 嘘偽りのない本音。

 

 「此処には好きなだけ時間がある。何をしたって咎められやしない」

 

 肩を揺らされ、意識が堕ちそうになる。

 暗い闇に二人して飲み込まれそうになってもそれだけは認められなかった。

 

 「時間なんかない。時は止まってなんてくれない。止まったように見えるだけで時間は残酷に進んでる。誰が咎めなくても自分がそれを咎め続ける」

 

 はっきりと言葉が出る。

 揺らされる身体を今度は揺らし返す。

 怯えた顔。

 もう投げ出した賽は宙を飛んでる。

 何処に落ちるかも解らないそれを拾う暇は僕らには残されちゃいない。

 

 「だから、部屋から出よう。外に出て見下してきたあいつらにギャフンと言わせてやるんだ」

 

 消えていく。

 僕の身体が消えていく。

 コントロールルームに居た筈なのに、もう僕は何処に居るのか解らなくなって、気が付いたら暗闇に野郎二人で抱き合ってる。

 僕の身体を構成するアストラルコードが分解されて、男と一つになっていくのが何故か分かった。

 

 「外に出たって何も変わらない!」

 

 正気に戻れと誰かが喚く。

 でも、何が正気かだなんてそんなのは一目瞭然だった。

 

 「変わる。変えられる。根拠はある」

 

 男の顔は解らない。

 視界がぐちゃぐちゃとして何かに上書きされて意味が解らない。

 解らないだらけで一つ分かることがあるとするならば、二人の人間がそれを認めたって事実だけだ。

 

 「何が根拠だ! 何もない。何も根拠なんかない癖に!」

 

 魔術破戒(タイプ·ソード)なんて必要なかった。

 自分と会話するなんてことにそんな余計なモノは要らない。

 只、必要だったのは自分と向き合う覚悟だけだ。

 

 「ハン! 僕は君が描いた理想だろ? ならこんな窮地、直ぐに跳ね除けてやる。だって僕は、最高のヒーローなんだろ? そんなヒーローが現実の一つ変えられなくてどうするんだよ!」

 

 あ。

 あああ。

 

 感情が混ざり合って来て、意識が一つになるってこんなことなんだと理解する。

 頭の中に二つの意識が混ざり合って融合していくのが分かった。

 苦しい。辛い。気持ち悪い。

 どれもこれも言いようのない感情が合わさって、目を瞑らなくてはは到底今の現状を直視できない。

 

 数秒が永遠のように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞑っていた目を開く。

 

 カラン。

 跪く僕は起き上がる。

 転がっていたダーレスの黒箱を手に取るとそれが僕に吸い込まれるように消えていく。

 胸の中に何かが混ざる不思議な感覚が再び起こる。

 

 さあ、今度こそ夢から覚める時間だ。

 

 僕以外の誰もいないコントロールルームで独り、そう呟いて再び夢の世界に浸るように意識を手放す。

 

 カチリ。

 何かのピースが合わさっていく幻聴が聞こえたのだった。

 

 ◇

 

 血の臭いで目が覚めた。

 ヒタヒタと滴る音が眠りを妨げたのか解らないけど、そんなことはどうでも良かった。

 

 「――気が付いたか?」

 

 僕の目の前で道化役者が跪く。

 何やら苦し気に胸を押さえている。

 身体の所々が血だらけで真っ赤に染まっていた。

 

 辺りを見回す。

 鎖に繋がれた火鳥(かとり)とリテイク先輩の痛ましい姿も確認できた。

 

 「どういうこと?」

 

 僕の敵である男が何故か僕の目の前で傷だらけになっている。

 満身創痍の身体を引きずって、それは僕の帰りを待っていたかのような安堵の顔を見せていた。

 

 「ふん、貴様と違って僕は頭が良いんだ。一足先に夢から覚めた。只、それだけだ」

 

 仮面は被ってなかった。

 自慢の紫の髪は血で固められて、最早赤黒いものに変わっていた。

 理解が追い付かない。

 

 「私は失敗した。失敗と言うよりも自爆したというべきか。ハハハ、愚か者には相応しい末路だ。全て、思い出した。此処に来た本来の目的も思い出した。それなのに、こうすることでしか奴らに対抗する手段が思いつかないなんて、本当、どうかしてる」

 

 悔しいような、けれど、諦めてるかのような顔。

 でも、何よりも一死向こうとする男の顔だった。

 

 「何がしたいの?」

 

 身体を無理やり起き上がらせる。

 満身創痍の身体だからといって油断して殺されたら元も子もないからだ。

 

 「何がしたい、か。そうだな。一先ず、僕の目的はお前のそれでこのアバターを斬られることぐらいしか思いつかん」

 

 これ以上は御免だとアズマは言っている。

 自嘲する彼の言葉にいつか見た覇気はなかった。

 

 「魔術破戒(それ)で斬られた者は上位幻想であろうとそうでなかろうとこの世界からそのアクセス権限を剥奪される。それは同時にこの世界からの脱出を意味する。もう、外なる神とやらのゲームに関わるのは懲り懲りでね。僕としてはこのまま利用されるのは討伐隊としての矜持が許さないんだ」

 

 ハヤクしろと告げている。

 六花となっていた誰かと姿が被った。

 

 「そいつはカヲルさんは望んじゃいねぇ。それがオートマンの散り際の言葉だと伝えてくれ。いつか、誰かが君に会ったら言っておいて欲しいと頼まれた言葉なんだけど、アズマ、君にはこれの意味が解るかい?」

 

 だから、気づいたらそんな言葉を思い出して言っていた。

 誰からかは言わなくても解るだろうと思った。

 

 一瞬、アズマは目を丸くした。

 

 「遅い。遅すぎるよ、オートマン。そんなこと、とっくに気づいちゃったよ」

 

 目を瞑っては、そんなことを涙ながらに言っていた。

 その姿を見て、僕はこの手に最凶のチートをイメージする。

 いつだって止めの一撃はこいつと相場が決まっているんだ。

 その魔剣は簡単に誰かの命を切り落とすことに成功する。

 

 相変わらず、血は出なかった。

 

 身体を構築していたアストラルコードが解けて、虚数の海へと散っていく。

 構成されたデータが放出される中、白衣からダーレスの黒箱が僕目掛けて飛び出した。

 手でそれを受け止めると、黒い粒子となって僕の心臓へと吸収される。

 魔術師は微笑むこともなく、その瞳を瞑りながら安らかにその場を消失(ロスト)する。

 

 ゴゴゴ。

 世界が崩れる。

 もう何度目の崩壊か。

 きっと魔術破戒(タイプ·ソード)で切り伏せる限り、それは何度でも起こるのだろう。

 パキパキと卵の割れる音が響き渡る。

 イ=スの種族による時間操作が巻き起こる。

 カチカチカチ。

 きっと僕らは誰かの物語として生きていく。

 その終わりを夢見て、この何とも言えない勝利の美酒に酔うことにしよう。

 誰かの思惑にしろ、確かにこの手で掴み取った勝利なのだから。

 



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第4章:影絵情景
001 Hello,New_World!



 さて、なろうではしていた四章の投稿をしたいと思います。



 

 「──憎い」

 

 暴力。

 殴打、撲殺、感情の暴発。

 それら全てが詰め込まれた赤黒い憎悪が地べたにブチマケられた。

 

 「憎い。憎い、わ」

 

 痛い。

 イタい。

 とても痛くて仕方ない。

 

 ズキリと脳が悲鳴を上げ、数時間前に受けた傷も(うず)き出す。

 そうした痛みに耐えてると、これまでの自分が馬鹿みたいに思えてしまう。

 才能のないワタシには足掻く権利さえないってか?

 これじゃあ、神様に死ねと言われてるみたいじゃないか!

 

 「アハ、ハ」

 

 身に余る自分への報いなのか、地に伏せる愚か者には相応しい末路なのか。

 それが、チッポケなワタシにはお似合いだと言わんばかりで腹立たしい。

 

 「アハハハハ! ……ぅう! ぃくい。にくい。憎い、憎い憎い憎い。憎い憎い憎い憎い憎い! 憎くて憎くて、堪らないわ!」

 

 蝶のように羽ばたくこともない哀れな蛾(ワタシ)

 醜い害虫風情には、お似合いの最期だってか!?

 

 けれど。

 けれど。

 

 「ふざ、け、んな」

 

 ドレスを着飾り舞踏会を楽しみたかった。

 家畜たちの悲鳴をもっと聞きたかった。

 城主であるワタシを魔女と告発した、あの愚か者共を八つ裂きにしてやりたかった。

 

 まだやりたいことがワタシにはあったんだ。

 それなのに少ない時間を駆使してまで消費した結果が、()()()無様だなんて笑えない。

 

 認めたくない。

 認めてなんかやるものか。

 だって死にたくない。

 ワタシ、まだ死にたくない。

 死にたくないから、立ち上がったというのに。

 

 なのに。

 

 ──ドクン。

 

 そんな人並みの願いすら許されないと言うのか?

 

 「フム。そんなところでどうしたのかね、ミス・ウェザリウス?」

 

 残り僅かな灯火。

 猶予のないワタシを見下ろす誰か。

 二メートルを越える長身の男がワタシに手を差し伸べる。

 

 「ア、アハハ。無様なワタシを嗤いにでも来たのかしら、ナイ神父」

 

 男のことはよく知っていた。

 何せ、魔導魔術においては彼の右を出るものは居ないとされており、今は亡き魔導魔術王(グランド·マスター)もそれを認めていた。

 司祭長などという肩書きもその実力に付いて回った地位に他ならない。

 誰よりも孤高で、何故か人脈の多い謎の男。

 

 そんな存在がワタシを見下ろしている。

 否、見下している。

 有象無象のムシケラだと神父はワタシを嘲笑っているのだ。

 

 屈辱だ。

 今にもその激情に身を任せその首を落としてしまいたいが、それは出来ない。

 今のワタシにはそんな余力はなく、せいぜい傷の痛みに耐えるしかなかった。

 

 「ふむ。それも大変魅力的ではあるが、今回は違うとも。そんなツマラナいことよりも、もっと()()()モノを持ってきた」

 

 神父の言葉に地べたを這いずるワタシは見上げた。

 

 ドクン。

 

 すると、神父の手にある黒い箱が脈打つのが解った。

 箱の所々には(ひび)のような模様が入っており、禍々しい力を感じた。

 

 「何よ、それ?」

 

 生きているようなそれが、とても怖く感じる。

 人間の心臓のようなそれが、とても良い。

 

 この世の条理を覆すそれにワタシは魅入られた。

 

 「解るかね? 解るだろうさ。君ならば理解すると信じていたよ。ふむ、どうかね、ミス・ウェザリウス。取引をしようじゃないか?」

 

 せせら笑う神父の姿に、悪魔の契約を思い浮かべる。

 否、悪魔は己の利己を求める分まだ分かりやすく、神父のそれとは雲泥の差だ。

 

 黒い箱は綺麗なようで、汚く。

 穢れてるようで、何よりも純粋なオモイが込められた魔導兵器(アーティファクト)でしかなくて。

 

 何よりもそれの正体をワタシは知っていた。

 

 ──ドクン。

 

 黒い箱の鼓動は止まらない。

 魔へと誘う悪魔の箱を手にしたら、きっとワタシは引き返せない。

 それを手にしたらワタシの望みは叶うだろうけど、それ以上に大切な何かを失ってしまいそうで恐ろしい。

 

 ドクン。

 ドクン。

 

 「ハア、ハア」

 

 息が苦しい。

 喉が渇いて仕方ない。

 ハヤク、ハヤク。

 それを手に入れればワタシはこの窮地を脱することが出来るんだから。

 

 エゴが騒ぎ、脳内が麻痺して理性が崩壊する。

 

 ──ドクン!

 

 嗚呼、もう完全にワタシは黒い箱の虜となった。

 でも仕方ない。

 だって、生きたいと願ったワタシがこんな酷い目に遭っているんだ。

 今更、禁忌の一つ手にしたところで何も変わらないでしょう。

 

 「アハハハハハ!!!」

 

 そんな思考が脳内を駆け回る中、神父は愉しそうにワタシを見ていた。

 

 ジジジ。

 

 それがこの■の始まりであり、計画の通過点。

 

 目覚まし時計のベルが鳴る。

 鳴り響くベルが『■■』を■から覚まそうとするが、大丈夫だ。

 ワタシは永遠に■を見る。

 ■を見続けてる間は永遠の命が確約されているのだ。

 だからどんな無様を晒そうと、この■だけは終わらせてなんかやらない。

 どんな手を尽くそうとそのルールは絶対だ。

 

 視点が切り替わる。

 崇高なワタシから愚者たちの思考へと変わっていく。

 ジグザグ、ジグザグ。

 さあ、■を見ましょう。

 永遠に覚めることのない■を見るのです、ドンキ・ホーテよ。

 

 ◇

 

 暗闇/底なし沼。

 只管に手を伸ばすも救いはやって来ない。

 肩まで沼のような闇へ堕ちていく夢を見る。

 一つ解決しては逆戻る循環に、意識が芽生える。

 今日も胡蝶の夢に溺れる日々が続く。

 

 「■を■ば、し、て」

 

 少女の雑音はノイズ混じりでよく聞き取れない。

 空を見上げようとも視界には何も映らない。

 どうにもならない現実に僕は酷く胸を痛くした。

 

 Hello,New_World!

 

 頭の中にそんな文章が打ち込まれる。

 だが一テキストデータでしかない僕に誰も期待しないだから、不要な産物だ。

 

 ザー、ザー。

 夢から覚めるみたいに暗闇から意識が変わっていく。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 目を覚ます。

 陽気な小鳥たちのさえずりが聞こえる。

 温かな日差しが冷たい体に熱を安らぎを与えては、ノドカな朝を伝えてくれる。

 

 「──っむぅ」

 

 いつもの朝。

 お決まりのルーチンで何の変哲もない日常が幕を開ける。

 

 「────」

 

 昨日何をしていたかを考えたが思い出せない。

 どうやら、僕はまた何か大切なことを忘れてしまったみたいだ。

 

 ジジジ。

 頭が痛くなり、額を押さえる。

 少しでも痛みに気を紛らわせようと周りを見渡す。

 けれど、いつも通り足の踏み場が困る部屋にこちらを顔を伺う真弓(まゆみ)さんが座っているだけだった。

 

 「──あれ?」

 

 寝ぼけ眼を擦る。

 可笑しい。

 何か場違いな存在が居たような気がする。

 

 「そうですね。とても気持ちの良い朝ですよね」

 

 幻覚に頭を悩ませてると、目を擦っていた手が不意に掴まれる。

 唐突な温もりに頭の痛みが少し和らいだ。

 

 「──え?」

 

 そうして数秒の間、呆然としているとこの状況に似つかわしくない声にハッとする。

 

 錆び付いたブリキを動かすように首を曲げた。

 まさか、こんな朝早くに真弓さんが僕の部屋に来るわけないと思ったんだけど──。

 

 「よく眠れました?」

 

 そんな僕の想いを裏切って、ベッド横に満面の笑みを浮かべる少女がいた。

 

 ドクン。

 真弓さんに手を握られていると思うと胸が高鳴り、直視することが叶わない。

 

 少女の髪から女子特有のシャンプーの香りがして鼻をくすぐる。

 前かがみとなってる所為か胸元が強調され、思いの外大胆な彼女に見惚れてしまう。

 

 「お、おはよう、真弓さん」

 

 「ええ、おはようございます、勇貴(ゆうき)さん」

 

 こっちの心情を知ってか知らずか、真弓さんは未だ僕の手を握ったまま向日葵のような笑顔を向ける。

 その愛くるしい表情にさっきまで思ってたことが馬鹿らしくなってきた。

 

 「しっかし、こんな朝早くからどうしたの?」

 

 言外に此処が男子寮だよと注意するが、枝毛のない髪を弄りながら挑発的に真弓さんは目を細めた。

 

 「──っ!?」

 

 その仕草に一瞬、■■イ■先輩みたいな妖艶な雰囲気を被らせる。

 

 ──が。

 

 「えへへ。ちょっと冒険してみました」

 

 どうですだなんて言ってウィンクするあどけなさに、思わず頬が火照ってしまう。

 

 「──っつぅあ」

 

 ヤバい。

 今朝の真弓さんの姿に、思わず悩殺されてしまいそうだ。

 どうしよう!?

 この小悪魔じみた笑顔に僕の理性がヒトタマリもないのだが!?

 

 心臓の鼓動が速まり、何故か互いの唇が重なりそうな距離になる。

 

 「ま、真弓さん?」

 

 いつの間にか真弓さんの瞼が閉じていて、何処と無く彼女がキスを求めてるように見えた。

 

 えーい、覚悟を決めろ、七瀬(ななせ)勇貴!

 据えぬ存ぜぬは男の恥だし、何よりそんなムードとやらそこらに放っておけば良いのさ!

 頭の中で悪魔が叫ぶ。

 その隣の天使も頷いてる。

 

 そうだよねと僕は決心し、彼女の肩を掴んだ瞬間。

 

 「──おはよう、お二人さん! 今日は一段と清々しい朝だねぇ! ……それはそうとボクの存在を真弓は忘れてはしないかい?」

 

 もう少しで唇が重なるといったところで、ゴツンと眉間に衝撃が加わった。

 

 「イタッ!」

 

 あまりの痛みに悶えてると、熱に浮かされた僕の正気が戻っていく。

 

 懐かしいボクっ子口調。

 ペラペラと風もないのに捲れる頁。

 

 「──あ?」

 

 宙に浮かぶ黒の外装のそれに目を丸くする。

 その何とも言えない小生意気な感じが憎めなかった。

 

 「──君は!?」

 

 うむ、と頷くようにブルブルと震える黒い魔導書。

 聡明な少女のような声の懐かしさに思わず涙がコボレそうになる。

 

 「久方ぶりと言うべきか。それとももう会えないと思っていたけどこうして合間見えることが出来て嬉しいよと感謝するべきか悩ましいところだね、愚者七号」

 

 今日は驚くことばかりだ。

 けれど今は、かつて死闘を共にした黒の魔導書、藤岡飛鳥(ふじおかあすか)との再会を喜ぶべきだろうか?

 

 ──クスクス。

 

 何処かで少女の嘲りが聞こえる。

 それは鳥の囀りみたいに融けては消えていった。

 

 ◇

 

 「データ改竄。記憶修正。記録(ログ)の解析開始。ダーレスの黒箱より術式凍結を申請。バグの削除。ルールの少女への介入に成功。仮初めの平和、『続かないユートピア』を進行いたします」

 

 コントロールルームに、ある少女を模した機械的なガイダンスが響き渡る。

 

 ピピピ。

 電子音のアラームが鳴り、モニターから愚者の動向が事細かく伝えられた。

 

 「本当、馬鹿な男ですこと」

 

 鼠が鳴いて、回し車をひたすら廻す。

 男の姿をその例えが適切で、それ以外の何もない。

 

 ──クスクス。

 そんな様子をモニター越しに燈色の髪の少女は嘲ります。

 

 「しかし。どうして、ナイ神父はこんな男を器にしたのかしら?」

 

 椅子に背もたれる少女。

 だが誰も少女の問いに答えない。

 

 「──しばらく掛かりそうね」

 

 画面越しの男を魔女はしばらく見つめるのであった。

 

 



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002 有無を言わさない素早い行動

 

 いつかの夢を見る。

 

 高潔な騎士を願われ『わたし』は創られた。

 正義の為に剣を振るい、残虐非道な悪に対し立ち向かう。

 身を挺して、苦しんでる弱者の盾になることを望まれるヒロイン。

 そんな存在に設定された当初は、何の感情も抱いていなかった。

 

 ジジジ。

 

 あなたは、泣きじゃくる。

 それをわたしは見つめている。

 

 真夜中の教室で互いの想いを伝え合う。

 その時、空っぽに過ぎなかったわたしの心はあなたで満たされ、あなたの『騎士』になれることを心から誇りに思えた。

 

 『わたし』はなりたかった。

 誰かの為に涙を流せる人を守れる何かになりたかったんじゃなく、一番好きな人の為に戦える人になりたかったんだって気付けたんだ。

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 わたしの感情が切り取られる。

 グチャグチャ、グチャグチャ。

 わたしのアストラルコードが無へと潰される。

 存在が書き換えられる中でも、わたしはその大切なネガイを頑なに守った。

 

 「──っ」

 

 頭の中が霞んでくと、思考が曖昧になっていく。

 自分が何者で、自分がどういう存在なのかがどうでも良いものに思える。

 

 「あ、ああ、あああああああああああああ!」

 

 消されていく記憶にわたしはこの世界の不条理さを嘆いた。

 

 ガシャン。

 重い鎧がわたしを縛る。

 意志を剥奪されたわたしは、幻想たちに恐れられる殺戮人形(キラー·マシーン)となり果てる。

 

 鍛え上げられたステータスに価値はなく。

 簡単に人が人たらしめる倫理を剥奪できる世界において、それは無意味な設定に過ぎない。

 一瞬で書き換えられるデータには感情を抱くことに何の意義があると言うのだ?

 事実、こうしてわたしは反乱分子であると認知されて処分されたのだから何の意義もない。

 

 そうだ。

 わたしは解っていた。

 だから、この結末は当然の成り行きだ。

 

 「──ァアアア!」

 

 コンマ数秒の世界。

 繰り出された必殺の一撃がわたしへと振るわれた。

 

 「────」

 

 わたしを構成する疑似粒子が砕かれる。

 解けていく枷の鎧と斬り裂かれるわたしのアストラルコードが嫌でも現状を教えてくれる。

 冷酷なわたしを創り上げた鎧は、七度目のあなたによって破戒され夢から覚めていく。

 

 ジジジ。

 

 思い出される記憶。

 あの時のあなたでないけど、目の前のあなたはとても格好良かった。

 

 ────「ふざけるな! 僕たちは人間だ。人間でたくさんだ!」

 

 いつかのあなたと被る。

 全くの別人だというのにその根本は何一つ変わらない姿に頬が緩んだ。

 

 「見事でした」

 

 涙は出ない。

 そんな機能は備わっていないというのに、何故か悲しくなった。

 

 「Hello,New_World!」

 

 ──突然、機械ジミた少女の声が聞こえた。

 融けていく筈の疑似粒子、魔術破戒(タイプ·ソード)で斬られた傷が再生されていく。

 

 「……な、に?」

 

 その事実に思わず目を見開くが、暗闇で何も見えない。

 カラン、と一振りの剣がわたしの目の前に落とされる音がした。

 

 「────」

 

 何の目的でそれを投げ入れたのか解らない。

 暗闇の中で眩い光を放つ剣はまるでわたしに立ち上がれと言ってるみたいだ。

 

 息を呑む。

 その光を数分間見つめて、

 

 「本当、わたしは頭の悪い女だな」

 

 そのまま倒れていたら良かったのに、その剣を拾った。

 不思議な話だ。

 理屈では理解してるというのに身体はそれを良しとして立ち上がる。

 暗闇が晴れていく。

 あなたと過ごした教室にわたしは立っていた。

 バカ女と罵る誰かの幻聴が聞こえる。

 

 「全くその通りだ」

 

 誰に聞かせることもない独り言。

 続かない筈の物語は回帰を選んだのだった。

 

 ◇

 

 「久方ぶりと言うべきか。それとももう会えないと思っていたけどこうして合間見えることが出来て嬉しいよと感謝するべきか悩ましいところだね、愚者七号」

 

 その声を聴いた瞬間、一瞬、時が止まったような感覚に苛まれた。

 

 ジジジ。

 

 それは永遠のようでいて一瞬の出来事に感じられた。

 頭の中から影の怪物とそれを操る少女の姿が消えてなくなる。

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 グチャグチャ、グチャグチャ。

 

 今日も大事な記憶が改竄されて、真実のピースが崩される。

 ワラエナイ。

 僕の何かが壊れてく。

 考える意思さえもリセットされたのか思考することが困難だ。

 

 ジジジ。

 そうだ。そんなことを疑問に思うことよりも魔導書のことを考えるのが先決だ。

 割れるような痛み(ノイズ)が次の思考を植え付けようとする。

 

 目の前にプカプカと宙を浮かぶ黒の魔導書。

 今更になって、彼女が此処に現れた理由が解らない。

 

 ザザザ。

 

 だが、それよりも大事なことを忘れている。

 ──というよりも、最初に来るべき言葉はこれじゃない。

 

 ジジジ。

 自分の疑心を頭を振って、改める。

 そうだよ。

 彼女と再会出来たんだから、そんな言葉を掛けるのは人として恥じるべき行為じゃないか。

 

 「無事だったんだね、魔導書」

 

 でもちょっと、彼女に対して僕はちょっと意地悪をしたくなる。

 

 「うむ。まあ、妥協点にしておいてあげようじゃないか!」

 

 上擦った少女の声。

 一瞬、聡明そうに聞こえたが気のせいみたいだ。

 何てことはない()()()()()がしそうな声色をしてる。

 

 「……う、うぅう。今度は僕が羞恥の感情でいっぱいだよぉう」

 

 はて? また僕は余計なことを言っただろうか?

 

 「キミの心の声はボクらには筒抜けだって解ってやってるのだろうか? ……実は全部覚えててわざとやってるだなんてことはないだろうね?」

 

 ぶつくさと何か独り言をする魔導書。

 この何だか、全部知ってます的な立ち位置に懐かしさを感じる。

 

 「それはないですよ、藤岡飛鳥さん。記憶は一度、消去されてますしそんなことは有り得ません」

 

 それに何だか、真弓さんまで加わる始末だ。

 何を言ってるのかこちら側だと聞き取れない。

 あれれ? 何でこうまで僕は除け者なんだ? まるで意味が分からない。

 

 「──コホン。……兎に角! 積もる話はあるでしょうが、今はそんなことは後回しです。ちょーっと、お邪魔虫が入りましたけど、それもこれも些細なことです」

 

 ワザとせき込む真弓さんの頬は何故か赤い。

 風邪だろうか?

 

 「で・す・よ・ね!?」

 

 異様に声を上げるのはどうしてか解らないけど、これは何だか、同調しておいた方が良さそうだ。

 

 「う、うん。そうだね、真弓さん!?」

 

 勢いが凄かった。

 この世の終わりだと言わんばかりの迫力だった。

 

 「実は、少しばかりですが大変なことが起きまして、それでいてどうにも二進も三進もいかないことでして。まあ、何というか貴方ぐらいしか頼れる人が居ないんです」

 

 手を握られる。

 ズキリと頭が痛くなる。

 何故か、遠い昔にこれと同じようなことが在った気がする。

 ザー、ザーとノイズが見えるような幻聴が頭の中を駆け回る。

 

 「大変なこと?」

 

 それでも、他ならぬ真弓さんが僕を頼って来た。

 その事実が嬉しくて、その違和感を無視する。

 

 「そう、大変なことなんです」

 

 握られる力が強くなった。

 それと一緒で何か大事なモノが失われていく感覚がした。

 

 ジジジ。

 グチャグチャになる何か。

 思考が真っ白へ堕ちていく、そんな気がしてならない。

 

 ────「──、──して」

 

 誰かの声が聞こえた気がする。

 

 「──え?」

 

 聞き取れなかった声に呆けてると、脳内に幾つモノ記憶が流れ込んできた。

 

 「──っつぅ!」

 

 酷い耳鳴りと頭痛に苦悶の声を吐く。

 こめかみに手を当てて前を見ると、雑踏を踏み荒らす砂嵐の中心に人影が見えた。

 

 ザー、ザー。

 

 不安。

 不規則なノイズ。

 鮮血のような真っ赤な髪と綺麗な碧眼。

 着崩した黒の制服(ブレザー)が何処から吹いてきた風に靡く。

 モザイクだらけの世界の中心に居たのは、名も知らぬ青年の姿だった。

 

 「あれ? 何でだ? ……どうしてか、僕、君を知って、る?」

 

 ジジジ。

 

 ────「これで良い。これで良いんだ。オレたちは夢。所詮、叶うことのない幻だ」

 

 名前も知らない筈の青年の言葉が過る。

 彼がどんな人物で、僕とどういう間柄で、何をして生きてたのかが鮮明に思い出される。

 

 ザザザ。

 

 ────「だから、こんな最期で十分、満足できる。悪かった。こうでもしないとそいつがオレを殺さないだろう?」

 

 様々な情報が頭の中にインプットしては駆け回る。

 

 グルグル。

 

 気持ち悪い。

 オゾマシい気配が体中にこみ上げてくる。

 そうだ。

 僕は、それが嫌だったから逃げ出した。

 

 辛いことから逃げ出して。

 嫌になったから見ない振りして。

 それで。

 それ、で?

 

 「あれ? お、か、し、い、な。そうだった筈なのに。そうだった筈だったのに」

 

 曖昧になる。

 そうじゃないと訴える何かがある。

 

 ザー。ザー。

 

 他人事のように俯瞰する自分に眉一つ動かさない彼。

 何でもない日常の一こまだって言うのにどうして、今、青年までもが現れたのか理解が追いつかない。

 

 だが、そんな僕の姿を彼は寂しげに見てるのは解った。

 

 「──四葉さん?」

 

 モザイクが激しくなる。

 まるで電波の波長が乱れるような感覚に陥る。

 

 グラグラ。

 足下がオボツカナい。

 立っていることが出来なくなる。

 フラフラと倒れる自分。

 ノイズは逸そう激しくなるばかりだ。

 

 ズブズブと沼に堕ちていく。

 先ほどまで見ていた彼は居ない。

 僕が只管、沼に沈んでいくだけで何も視界には映らない。

 

 ザー、ザー。

 モザイクの嵐の直中。

 止まることのない新しい記憶。

 自分が自分でなくなる感覚。

 此処には、誰もいない。

 僕すらも居なくなるだろう。

 

 ────「でもな、■■。これで良い。これで良いんだよ。こうして死ぬのが運命なんだ。それに逆らっちゃいけない」

 

 空白となる誰かの名前。

 痛くなる頭。

 次々と与えられていく知識。

 知らない誰かは知っている誰かにすり替わる。

 

 見たことない記憶が見知った記憶になって。

 

 それで。

 それから。

 

 ────「お前に殺されて良かったなんて、あんまりじゃないか!」

 

 パリン!

 何かが砕ける音と共に身体が引っ張り上げられる感覚がした。

 

 ピシッ。

 ひび割れる音に続いて、暗闇に一筋の光が射す。

 同時に耳鳴りが止む。

 

 そして。

 

 ドンドンドン!

 

 「風紀委員だ! 此処を開けろ!」

 

 叩かれる扉。

 かき消される幻。

 扉から凛とした少女の声が聞こえた。

 

 「──だ、誰ですか!?」

 

 靄が晴れたような感覚。

 いつの間にか頭は痛くなくなっていた。

 

 バン!

 勢いよく開かれる扉。

 侵入するのもまた、一人の少女だった。

 目が眩む金髪を靡かせ、ジッとこちらを見つめる碧眼。

 乱暴に開かれた扉を前に、美しい騎士のような佇まいを見せる。

 

 ジクリ。

 何故か胸が痛む。

 初めて見る少女に何処か懐かしさを感じる。

 何処かで出会った訳でもないのに、何とも言えない既視感が拭えない。

 

 「おや? キミはいつかの──」

 

 魔導書が何かを呟く。

 黒の制服だってのに清廉さを残す金髪の少女はこちらをキリっと睨んだ。

 

 「有無。たった今、著しく風紀の乱れを感知した。貴殿らが原因と見える。なので即刻、処罰させて頂こう!」

 

 清廉潔白を謳うには相応の澄んだ声。

 声を聴いても、聞き覚えはない。

 なのに、どうしてか懐かしさを覚える。

 何だ?

 朝っぱらから何が起きてる?

 というより、僕は平和主義なんだ。

 バトルジャンキーでも有るまいし、次から次へとトラブルに巻き込まれるのは勘弁して欲しい。

 

 「どうして貴女が此処に居るんです!? だって、貴女は──」

 

 目を見開く真弓さん。

 どうやら、この事態は彼女も想定していなかったみたいだ。

 

 「どうしたもこうしたもない! わたしは風紀委員長のシスカ! 鬼の風紀委員長のシスカ・クルセイドとはわたしのことだ!」

 

 ガシッ!

 狭い室内に大きな声を上げ、シスカ・クルセイドと名乗る少女は真弓さんの手を取る。

 

 「ッハイ?」

 

 シスカ・クルセイドは今日も風紀の乱れを許さない。

 

 「わたしがこの学園に在籍している間は風紀の乱れは許さない! 処罰させて頂く! 名城殿、生徒指導室へ来て貰おう!」

 

 そうして、ドナドナ宜しく真弓さんを連れて、何処かへ引き摺って行く。

 

 「──って? え? ちょ、ちょっと!?」

 「では、これで失礼する!」

 

 有無を言わさない素早い行動。

 戸惑う僕らの言葉に被せるよう大声で退室を告げるシスカさん。

 

 バタン!

 そして、来た時と同様に扉が勢いよく閉められる。

 キリキリ歩け、なんて罵声が聞こえてきそうな始末だ。

 

 「な、何だったの?」

 

 「……さあ?」

 

 そうして、部屋には僕と魔導書が取り残されるのであった。

 



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003 邂逅

 

 選択した未来。

 弾劾される黙示録。

 目次の頁に挟まれた一枚の栞。

 

 圧縮しては転移する感情。

 修正される記憶。

 多くのことが零れ落ちては、物語の終わり(クライマックス)が近いことを私は悟る。

 

 「──が、あ。あ、ぐぅ」

 

 堕ちる。

 黒い沼に堕ちて、ズブズブと沈んでいく私の疑似粒子(からだ)

 もう、この身体は改竄され元の姿を維持出来なくなった。

 

 私が■城■弓から、名のない誰かとなったのだ。

 

 ザー、ザー。

 砂嵐に目が眩み、視野を狭めては削ぎ落す。

 元居た場所には戻れないし、次のステージへとシフトしたことも理解した。

 

 ドクン。

 存在しない心臓が鼓動をする。

 もう限界だと全神経が悲鳴をあげる中──。

 

 「────」

 

 不意に宙を見上げた。

 真っ暗闇の空に星がなく、それを纏める月もない。

 そんな宙を見上げていると、睡魔に襲われる。

 

 ジジジ。

 心地よい子守歌(きおく)が眠りを誘う。

 

 「──永かった。永かったです。気が遠くなる時間でした」

 

 何処からか、影絵の少女(みずき)の独り言が聞こえた。

 

 ──さあ、眠ろう。

 サマヨエる微睡みの終結宣告なんか無視してしまえば良い。

 どうせ、彼女のそれは叶いっこないに決まってる。

 

 ドクン!

 失った意志が残骸に灯った。

 脈動する何かが速くしろと急かしてくる。

 

 「そうですね。確かに永かったです」

 

 そうしていると、壊れた筈の感情が芽生えていった。

 

 視界が白黒の画面になって、変異する私。

 モノクロの世界にカラフルな色彩が一瞬で描かれた。

 反転する。

 ズタズタと裂かれる私の世界は最早、正常な機能を維持できない。

 

 ピキリ!

 亀裂が入る音と共に嵐がやって来る。

 

 ゴウ、ゴウ。

 嵐の中、その中心に誰かいるのが見えた。

 

 「────」

 

 ゴウ、ゴウ。

 男がいる。

 前を向いて顔はよく見えないが、後ろ姿は一目すれば彼だと、すぐわかった。

 

 「──っつ、ぅあ」

 

 その後ろ姿は遠かった。

 何よりも広く感じた。

 手を伸ばしても届きそうもない距離に彼は居て、黙って前を見続けている。

 

 「────」

 

 そうだ。

 私はその後ろ姿を追って、此処までやって来た。

 もう少し進めば、きっとこの手は彼に届くだろう。

 満身創痍の身体を引き摺って進む。

 

 「──嗚呼」

 

 そういえば、始まりは酷いモノだったと思い返す。

 存在否定され、殺されかける。

 唯一味方になってくれた人は殺される。

 挙げ句の果てに何もかもを嘘として現実改変される状況。

 今も始まりとそう変わらない環境で苦笑いしか出ない。

 

 残酷な世界。

 優しさのない現実。

 味方なんていない中でよくも頑張ったものだと、賞賛する。

 

 パキパキ!

 終焉のテロップが流れ始め、嵐はいつの間にか止んでいた。

 最終戦争(ラグナロック)の鐘は鳴らされた。

 最早、この夢の崩壊は誰にも止められない。

 終わりとは全ての事柄が誕生と共に定められた唯一の欠点なのだから仕方ない。

 

 止まらない。

 止まらせない。

 それは如何にルールの権限を行使しようとも坑えぬ運命だと私は証明してみせる。

 

 「良かった。これで良かったんです」

 

 そうでなくては駄目だった。

 そうでなくては彼が夢見た明日は訪れない。

 身体が再構築されていく。

 

 自滅。

 自壊。

 自爆。

 ありとあらゆる選択事象が視えて、意味のないデジャヴが私に生存を訴える。

 

 ────「たとえ自分自身が望もうとも、その終わりだけは認めることは出来ない!」

 

 彼の言葉が繰り返される。

 嘘偽りのない彼の口から出た本心。

 何もかもが嘘ばかりの世界で尚も足掻く姿は主人公に相応と言えよう。

 

 無意味、無駄、無価値。

 ありとあらゆる無が集結しては完成される魔法。

 奇跡を願った少女たちの過ちは、禁忌を破った少女たちの希望によって完成を果たした。

 

 目を覚ましたら彼に会いに行こう。

 

 「さあ、敗北の盤上をひっくり返す時間です」

 

 ◇

 

 魔導書と部屋に取り残される僕。

 このまま何もしないのもアレだし、外に出ようと思う。

 

 「それが良いと思うよ」

 

 魔導書も同意していることだし出かける準備をする。

 

 「ふむ。それには先ずは寝間着で出るのはマズいだろうね」

 

 いそいそと寝間着から制服に手を掛けようとする。

 

 「──む? どうしたのかね? さあ、早く着替えたまえ」

 

 ハア、ハアと息を荒くする魔導書。

 そうだった。

 この魔導書は貧相な僕の身体を視姦するのが趣味だったっけ。

 

 「いや、出てけよ」

 「嫌だ」

 

 僕の突っ込みに秒で返す魔導書。

 

 「何でだよ!?」

 

 そんなに僕の裸が見たいのか?

 こんなヒョロイ男の身体なんて需要ないだろう!?

 

 「そんなことはない! キミの裸は大変貴重だとも。というか、いい加減に観念したまえ! ボクはキミの裸が見たいんだ!」

 

 開き直る魔導書。

 プンスカと荒ぶる吐息が聞こえてきそうだ。

 

 「良いから、出てけぇえ!」

 

 ポイッと部屋の外に魔導書を投げ出す。

 バタン!

 そしてドアを施錠。

 安心安全がモットーだ。

 ……良し、着替えるとしよう。

 全く、朝から無駄な労力を使わせやがって、あの発禁魔導書め。

 そう思いながらシャツに手を掛けた時、それを見つけた。

 

 「ハア、ハア、ハア」

 

 ……。

 

 「ハア、ハア、ハア」

 

 さっき部屋から叩き出した筈の魔導書がいた。

 ……可笑しい。

 物音一つしなかったぞ。

 

 「どうしたのだい? さあ、早く脱ぎたまえ!」

 

 ……。

 そういえば、ガムテープは何処に仕舞ったかな?

 キョロキョロと見渡す。

 確か、この部屋の中に何処かに転がってた筈なんだけど。

 

 「ハア、ハア、ハア」

 

 人類の存亡よりも大事な貞操を守るべく、僕はガムテープを探すことにしたのだった。

 

 ◇

 

 「全く、酷い目に遭ったよ」

 

 どの口が言えるのだろう?

 魔導書に口なんてモノがないのは知っていたが、それでもそう思わずには居られなかった。

 何だか、どっと疲れたよ。

 

 「あー。そーだねー」

 

 突っ込む気力もなく、気だるげにドアを開ける。

 

 ジジジ。

 ドアを開けた先にあるのは何てことのない寮の廊下。

 右を向いても、左を向いても人っ子一人も見かけない。

 それが、普通。

 それが、何もない平和な日常だ。

 いつも部屋の前で誰かが待ち伏せしてるとか、そんなことは起こらない。

 

 ────「おはよう■■」

 

 だから、これは幻だ。

 だから、これは幻聴だ。

 

 取るに足らない妄想で、見る価値もない記憶でしかない。

 

 ジジジ。

 治まったと思ったイタミがまたやってきた。

 暢気な顔した僕を殺そうと舌なめずりしてる。

 

 やはり目覚めるべきじゃなかったか。

 起きるには少し早すぎて、今日は授業を欠席するのが得策じゃないか。

 

 そうだ。それが、正しい。

 それが、間違いない選択肢だ。

 

 なのに、この体はちっとも動かない。

 

 「おはようございます、勇貴さん」

 

 ──筈だった。

 少なくとも聞き覚えのない少女に声を掛けられるまでは。

 

 「──え?」

 

 後ろを振り返る。

 廊下の窓が開かれているのか、心地よい風が鼻をくすぐって胸が弾むように、動悸が激しくなる。

 

 ──振り返った先に少女が居た。

 

 絵に描いたような美少女。

 突然の出現に萎縮するのは当然のことだと言えよう。

 

 カツカツカツ。

 白い廊下に淑女を思わせる歩み。

 一つ一つが洗練された、気品溢れる仕草に目が奪われる。

 

 ビュウ、と腰まで届く茶色の髪が風に靡いた。

 朝の日差しが目映かったのか、それとも長い髪が邪魔だったのか。

 お嬢様がするみたいな動作で髪を掻く少女。

 

 「クス。そんなドアの前でどうされたんです? そのように頭を抱えたままになされますと、悪い魔法使いさんにでも殺されちゃいますよ」

 

 顔の細部が見えるほどに距離が縮まった。

 少女の美貌がよく見えた。

 何を美貌だとか、綺麗な顔だとか宣うのに相応なパーツの細部が実によく解る。

 

 「それとも、ご機嫌ようと挨拶をした方が良かったでしょうか?」

 

 澄み切ったコバルトブルーの瞳を細めて、少女は微笑む。

 どうやら、名前の知らない少女の方は僕のことを知っているみたいだ。

 

 「──あ。い、いや、良い。しなくて良いです。お、おはよう!」

 

 驚きのあまり、声が裏返る。

 

 ジジジ。

 割れるような痛み(ノイズ)が襲う。

 こめかみを押さえてその痛みを我慢する。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 痛み(ノイズ)に悩まされてると、さっきまで離れていた少女が僕の額に手を当ててきた。

 大人しそうな雰囲気だと思ったけど、結構、大物なのかもしれない。

 

 「──うぇえ?」

 

 突然のことだった。

 心臓が飛び跳ねそうだった。

 僕の頬はまた真っ赤になっているかもしれない。

 何せ、朝から刺激の多いことばかりなのだから仕方ない。

 

 「熱は、……ないみたいですね。良かった、どうやら大丈夫そうですよ。勇貴さん」

 

 自分のことのように喜ぶ少女。

 

 「あ、ああ。うん、ありが、とう」

 

 恥ずかしい。

 どうしてかは解らないが、彼女と喋ってると心が温まる。

 

 「どういたしましてです」

 

 向日葵のような笑顔が向けられる。

 

 「──あれ? そういや、何で僕のこと知ってるの?」

 

 不意に、目の前の少女が僕の名前を知ってることに気づく。

 僕からは名乗った覚えもないし、彼女とは名前も知らない関係だ。

 どうやって彼女は僕のことを知ったのだろう?

 

 「アハハ。それは、ですね」

 

 少女が笑う。

 悪意の欠片も感じさせない微笑み。

 だけど、そんな微笑みが少し怖く思えた。

 

 「それは、です、ね──」

 

 続けざまに言葉が繰り返される。

 一秒が遅く感じられる。

 汗が止まらない。

 思わず目を瞑ってしまう。

 

 ドクン。

 また心臓の鼓動が聞こえる。

 緊張してる所為か手汗が気持ち悪い。

 一分一秒がとても永い。

 

 「──内緒です!」

 

 タン、と駆け出すのは少女。

 にこやかに退場する彼女は風紀委員も真っ青の規則破りをする。

 真っ昼間から堂々と走り出すその姿は、さながら妖精のようだった。

 

 「──うぇえ!?」

 

 そりゃあ、無いよ。

 心の中で愚痴をコボす。

 

 そんな僕の心情を知らず、颯爽と廊下を走る少女。

 ふわり、と陽気な風が吹く。

 今思い返しても、少女のする向日葵のような笑顔には目が眩みそうで、この唐突な出会いに僕の何処か胸が締め付けられた。

 

 さて、それは兎も角。

 あの少女は一体、何がしたかったのだろう?

 

 アハハ、と笑う声は遠く。

 今から事情を聞こうにも、その後ろ姿は見えなくなっていた。

 

 「──さあ? 知らないね」

 

 すると、先ほどから黙りを決めていた魔導書が徐に口を開いた。

 何だか酷く機嫌が悪いように見えるのは気のせいだろうか?

 

 「──別に、何でもないさ」

 

 パラパラと頁がめくれる。

 何だか手持ち無沙汰してるようで、僕の周りをふらふらと浮かんでいる魔導書。

 

 「そう? まあ、君がそういうのなら敢えて何も聞かないことにするよ」

 

 くぅう。

 お腹の虫が鳴る。

 どうやら腹時計が正確に作用してるみたいで、何だか恥ずかしい。

 

 「そうだった。食堂に行くんだったっけ」

 

 少女が走り去った方とは真逆の食堂へと向かうことにした。

 



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004 迫り来る悪意

 

 「あ! ユーキじゃないか! おーい、こっち、こっち!」

 

 謎の少女と別れ、食堂に着く。

 すると、食堂の前で(るい)が大げさに僕を手招きをした。

 

 「おはよう、累」

 

 手招きされた方へ向かい、挨拶をする。

 

 「おはよう!」

 

 キラキラと瞳を輝かせて元気よく挨拶をする累。

 何やら、深夜テンションでも決め込んでるかのようなハイテンション振りだ。

 この彼の持ち前の明るさを何と例えると、そう、ミサイル的な感じの直下型なんじゃないかって思うんだ。

 

 「……テンション高いけど、どうしたの? 何か良いことでも遭った?」

 

 ハイテンションな累と同様に騒がしい食堂。

 彼がテンション高くなってると、何か問題ごとが起きる予兆を感じるのだが、僕の気のせいだろうか?

 

 

 「アッハハハ! そーんなの決まってるでしょ! 今、この学園にあの名高いアストラル戦隊の一人、二胡(にこ)()、この()()に居るんだよ! この事実にテンション上がらずに居られる方がどうかしてるよ!?」

 

 ガクンと揺すられ、累の剣幕に僕はあたふたする。

 何だかスゲー必死めいたもの感じるけど、アストラル戦隊って何だよ?

 

 「いけ好かない女たちのことだよ」

 

 僕の心情を読んだのか、魔導書が雑に解説する。

 そして、絶賛、シェイクされる僕。

 

 「──っな!? 信じられないよ、ユーキ! キミはそんなことも知らないでこの学校に通ってるのかい? 残念だ。残念だよ、ボクは! 心底絶望した!」

 

 累はいっそう強く、僕をガクンガクンと揺らす。

 

 「──う、ぅうう」

 

 三半規管が揺すられ、吐きそう。

 相変わらず累は、暴走機関車みたいな野郎だと言わざるを得ない。

 

 「うん、うん! それじゃあ、そんな人生損してるキミにアストラル戦隊が如何に素晴らしいか教えてあげようじゃないか!」

 

 いや、別に知らなくて良いよ!

 累の言葉に思わず、そう口にしようとしたが寸前のところで留まる。

 もしかしたら、その二胡さんとやらは知ってる方が常識レベルな人物なのかもしれない。

 そうだとしたら、累の反応は正しいし、この気遣いは純粋にありがたい。

 

 「そう! どんな相手だろうと怯まない、ありとあらゆる魔導機関を潰してきた討伐隊屈指の先鋭。その功績は誰もが認め、今じゃあ誰もが知らない人は居ないとされている正義の味方! それが、アストラル戦隊。その先鋭メンバーの中で、ありとあらゆる魔導を無効にする『ツヴァイ・ソード』の使い手。それこそが、二胡さんなんだよ!」

 

 キラリーン!

 明後日の方向に指さす累。

 何だろう、騎士道を目指す性なのか落ち着きがない。

 目を星に変えてそうな感じが実にギャグっぽく、隣にいる魔導書が残念なモノを見る目だ。

 

 「えーと。そのなんとか戦隊の、」

 「アストラル戦隊!」

 

 ……。

 

 「アストラル戦隊の二胡さんが来ているのはよーく解ったよ。そんで、君がその人のファンだってことも解った。つーか、伝わった」

 

 更にいつもの倍、目を輝かせる累。

 どうやら、その二胡さんのことが相当好きらしい。

 だって、累が『やっと解ってくれたか同志よ』とか言いたげな視線を送ってくるんだ、幾ら鈍い僕だって解る。

 

 「──んで、その人見たさにみんな、食堂に押し掛けてるのも解った。急にそんな一大イベントを告知なしでやってるのかは面倒だが、敢えて聞こうじゃないか。何でまた、よりにもよってこの学園なんかにそんな有名人が来るのさ?」

 

 そう。

 こんな電線も通わないような、人里離れた偏狭の地に足を運ぶ理由が思いつかない。

 僕にしたってどうしてこんな場所で倒れていたのかさえ、思い出せないというのに全く以て意味が分からない。

 そんな僕の問いに累は目をきょとんと丸くしたかと思えば、

 

 「何でってそりゃあ、そんなの決まってるじゃないか。此処はありとあらゆる魔導魔術を扱う魔術学園なんだし別に不思議じゃないよ。それに──」

 

 身振り手振りで彼なりに説明しようとした時、その人はやって来た。

 

 ジジジ。

 真夜中のこと。

 シェリア会長と二人で■■のところへ向かおうとした時に出会った五人の少女たち。

 ヘンテコな仮面を被っていた為、その素顔は知らない。

 頭の中に知らない筈の記憶が過ぎった。

 

 「噂をすれば、意中の人物がやって来たのではないかね」

 

 ぶっきら坊に喋る魔導書。

 先ほどから何だか、機嫌が悪いように見える。

 いったい、何がそんなに気に食わないのか理解出来ない。

 

 「お、おおぅ! 二胡さんだ! 生・二胡さんだ! ヒャッホォイ!」

 

 歓声を上げる累。

 心なしか飛び跳ねている。

 

 「──え?」

 

 道を開ける人。

 そしてハシャぐ人たち。

 カツカツ、と歩いていく少女の姿を見た。

 

 ザー、ザー。

 何処かで見た腰まで届く赤い髪。

 眼鏡を掛けた碧眼は青空を見ているかのように綺麗な目をしている。

 飄々としたその姿に困惑を隠せない。

 

 「あま、ね?」

 

 知らない少女の名前を口に出す。

 その姿はよく知る少女のモノだった筈だと頭の中の誰かが訴えている。

 

 「違うよ。彼女は、二胡さんだよ!」

 

 鼓膜が破けそうなほどの大きな声で累が否定する。

 

 「ぐぅわっ!」

 

 耳がキーンと痛くなる。

 

 「いきなり何を言い出すかと思ったら、本当どうしたのさ、ユーキ! しかも、よりにもよって問題児の久留里ちゃんと二胡さんを間違えるとは見損なったよ!」

 

 間違えたことがそんなに腹立たしいみたいで、火山の噴火とも言える勢いで累が怒ってる。

 

 「ご、ごめん!」

 

 何故だか知らないが、まあ、彼の中の何かを傷つけたのかもしれない。

 人を殺しかねないまではなくとも、少なからずもの凄い剣幕なのは確かだ。

 

 「幾ら赤い髪だからって、誰でも彼でも同じ人物に見えるのはキミの悪い癖だよ、全く!」

 

 プンスカ、ボク怒ってるんだからね。

 などと、よくわからない供述をしており、依然、累の機嫌はお世辞も芳しくないと言えよう。

 

 「わ、悪かったよ。あ! 二胡さんがこっち来てるよ!」

 

 こちらへと歩み寄ってくる少女を見て累にそう教えて上げる。

 怒られていようとも、彼が喜ぶのなら教えて上げるのが友達と言うものだ。

 まあ、空気読めとか言われそうだけど関係ない。

 

 「そんな古典的な──」

 

 ──カツン。

 

 「何やら騒がしいようですが、どうかされましたか?」

 

 名も知らない少女。

 周囲は二胡と呼んでいる人。

 仮面を被った少女たちの一人に見える誰か。

 何故だか、嫌な感じがした。

 

 清涼な感じが、累が久留里と呼んでいた少女とは違うなと思わせた。

 

 「ひょい? ──って、え? い、いえ! 特に! 何でもないデスよ!」

 

 途端に大きく声が裏返る累。

 緊張しているのか、それとも意中の人に声を掛けられてテンションが上がってるのか。

 はたまた、その両方か解らないが、兎に角、嬉しそうだ。

 

 「……? まあ、良いでしょう。それでは、ご機嫌よう」

 

 スカートの端を掴んでお辞儀する少女。

 有名人にとっては通過儀礼なのかお世辞にも憎めない雰囲気が漂ってる。

 

 一言二言会話して、スタスタとその場を後にする手際の良さはさながら宙を舞う蝶のように優雅なものだった。

 

 「──ッハ!? 思わず見惚れてしまった!」

 

 去っていく少女を惚けて突っ立っていた累がまた、騒ぎだす。

 テンションが高いのは恋をしていても相変わらずらしい。

 

 「……そういえばさ」

 

 何やら嬉しいのやら、悲しいのやら解らない悲壮感にうなだれる累に聞く。

 

 「さっき言おうとしてくれた、二胡さんがこの学園に来た理由って結局、何だったのさ?」

 

 うがー、と何か訳の分からないことを叫ぶ累は答えた。

 

 「ん? ああ、それはね。最近、この学園で夜中に吸血鬼による被害が相次いでるんだ。その吸血鬼退治に彼女らが派遣されたって話だよ」

 

 ピシリと何かが割れる。

 音を立てて平穏が破られた、──そんな気配がする。

 そんなことはないというのに、何だか胸騒ぎがしてならない。

 

 クスリ。

 誰かが嗤った気がした。

 そんなモノは幻聴でしかないというのに何を僕はそんなに焦っているのか。

 喉がカラカラと渇いて、仕方ない。

 

 「おや? 愚者七号、どうしたのかい? まさか、彼女が敵に回ったからと言って諦めるなんて言わないだろう?」

 

 すぐ傍にある魔導書が僕にそんなことを、まるで王手をかけるみたいな口調で問いつめるように聞いてきた。

 

 「……何を言っているの?」

 

 「それは、キミが考えたまえ。ボクは只、知っていることをひけらかしてるだけさ」

 

 ひけらかしてる?

 何も解らない僕に皮肉を言っているのか?

 それとも、今、この学園で起こっている何かについて知ってるってことなのか?

 

 「勿論知っている。それどころか大抵のことなら、ボクは何でも知っている。それこそ、この世界で知らないことはないってぐらいは、ね」

 

 ゴクリ。

 唐突のカミングアウトに思わず息を呑んだ。

 もしかしたら、真実ってヤツは幸せの青い鳥みたいに案外近くに転がってるのかもしれない。

 それこそ、この魔導書が僕の失われた記憶を知ってても可笑しくはない。

 

 「悪いけど、それについてはボクは一度答えている。故にそれを言及してあげることは出来ないよ」

 

 一度、答えてる?

 ジジジ。

 それがいつのことだったか、思い出そうとしても頭の中にはそんな記憶はない。

 ジジジ。

 いや、それよりもさっきから、頭の中にある不快な違和感(ノイズ)は何だ?

 ジジジ!

 頭がまた痛くなる。

 ペラペラとメクレる魔導書の頁にふと、一つの考えが浮かぶ。

 

 まさか、僕の考えてることが筒抜けなんじゃないか?

 

 「そうとも。そうだよ。そうだとも。ボクは何でも知っている。キミが知らないことも、知っていた何もかもを知っている」

 

 禍々しいモノを漂わせる黒の表紙。

 この時、黒の魔導書という存在が異様なものに見えた。

 

 「なにせ、最果ての今にして絶対なる知識を欲する神域に至る魔術師が一人、藤岡飛鳥なんだ。この程度のこと造作もないさ」

 

 意気揚々と喋る魔導書が、途端に薄気味悪いモノに思えた。

 

 ◇

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 切り離された記憶。

 永遠に救われない物語。

 誰も彼も傷だらけで、立ち上がることが困難な状況。

 

 「──ぐぅ、うぐ。っはぁ、あ、あ!」

 

 いつかの終わり。

 コントロールルームへと繋ぐ扉の前で、影を纏う少女は私を見下ろした。

 血反吐を吐くことしか出来ない私は、そんな彼女を睨むことしか出来なかった。

 

 「あの時は、よくもやって下さいましたよね」

 

 クスクス。

 腹を蹴り上げ、脳を揺さぶる衝撃が襲う。

 足蹴にされ、鞠のように弾む身体。

 嘲るそれは嬉しそうに、その皮肉を噛みしめて愉しんでいる。

 

 「痛かった。とても痛かったんですよ、私」

 

 積年の恨みと言わんばかりの憎悪。

 限りない悪意が込められた少女の声。

 七瀬勇貴の魔術破戒(タイプ·ソード)によって斬り伏せられた少女、瑞希の人であるのは確かだった。

 その迫力に負けんじと弱りきった身体に力を込めた。

 

 ──が。

 

 「無駄だよ、リテイクちゃん。幾らキミであろうとボクの恩恵(ギフト)に斬られては、得意の能力の発動は出来ないよ」

 

 いつだって生きることを諦めなかった青年が瑞希の前に立つ。

 想定される最悪な事態が起こっている。

 何故だ。

 どうして貴方がそこにいる?

 しかしそんな疑問より先に、彼が口を開こうとした。

 

 「先輩、邪魔ですから退いて下さい。でないと、()()()()でしょう?」

 

 少女に腹を思いっきり蹴り飛ばされる私。

 三半規管が揺れる。

 グチャリ、と潰れる臓物。

 何処かの骨が折れたような感触。

 痛みが支配する。

 何度も蹴られる私は、さながらサンドバッグだった。

 

 「どうです? 痛いでしょう。痛いでしょう。私はもっと痛かったんですから、もっと痛がって貰わないと困ります。ああ、累先輩が気になりますか? ええ、そうです。ご想像の通りです。貴女にとっても、あの愚図にとっても最悪な事態でしょう? クスクス。ああ、愉しい。愉しいです。何だか私、愉しくなって来ちゃいました」

 

 ドス、ドス。

 何度も足蹴にされ、身体は生きてるのか怪しいレベル。

 幻想は幾ら肉体が損傷しようとも、次の夢に進みさえすれば元の状態へ復元される。

 だが、少女の八つ当たりはそれを汲み取っても限度が超えている。

 

 「──ぐぅ、う、ぅあ!」

 

 苦しい。

 だが、例え膝を屈しようとも心が折れる訳にはいかない。

 少女たちの事情を知っていたとしても、彼が遺した大切なモノを守るためにもこんなところで倒れる訳にはいかないのだ。

 

 「あの七面倒くさい女は片付けましたし、アクセス権限もこっちが握ってます。例えあの愚図に関われたとしても、あの女にはなーんにも出来やしません。ええ、そうです。誰だろうとこの盤面をひっくり返すなんて出来ません。だから、安心して絶望して下さい」

 

 何もかもが無駄だと決めつける姿は、まるで少女が自分自身に言い聞かせるようだった。

 ドスドス!

 無意味な暴力と罵声が支配する。

 

 カチ!

 ふと、何処からか歯車の噛み合う幻聴が聞こえた。

 カチカチカチ。

 幻聴と共に身体がギチギチと強く影に縛られる。

 ジジジ。

 頭を雑音(ノイズ)が支配して、大切な記憶が切り離され、奪われる。

 その失われた穴を埋めようと偽物の記憶が繋ぎ合わされていく。

 全ての事象(メモリー)が混ざり合う中、彼女らは次のステージへと進む。

 

 「キ、キキキ。キキ、キ!」

 

 黒い影(まぼろし)が嗤う。

 グチャグチャに脳をかき回し、雑音(ひめい)が思考を埋め尽くす。

 痛い。

 痛い。

 止めて。

 お願いだから、私から、それを取らないで!

 

 チクタク、チクタク。

 時間は止まらない。

 夢の世界は無情にも巻き戻る。

 やがて、傷だらけの身体が修復され、元の状態へ再構築を果たした。

 

 「────」

 

 虚無感が支配する。

 ジジジ。

 奪われたモノが何なのかが思い出せない。

 

 「──あ、あれ?」

 

 閉ざされた瞼が開く。

 いつの間にか少女の姿は消えている。

 何処へ向かったのだろうと思い、直ぐにその後を追おうとした。

 

 「──キィ、キキキ!」

 

 ──だが、それは叶わない。

 何かに足首を掴まれ、ふらつく身体。

 

 「──ぐ、う!」

 

 バタン!

 身体が思うように動かせず、その場に倒れこむ。

 

 「……駄目ね。傷がないと言っても、恩恵(ギフト)で斬られたんですもの、しばらくは動けそうにない、か」

 

 自身の無力感に苛まれる。

 これから起こるであろう最悪な未来にどうしようもない不安を感じた。

 



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005 反転恋慕

 

 リテイク・ラヴィブロンツ。

 第二共環高等魔術学園において関わってはいけない七人の一人。

 吸血鬼と忌み嫌われ、畏れられた少女。

 彼女が吸血鬼と呼ばれる所以は、他者から疑似粒子を奪う際に吸血をするからである。

 その先輩が夜な夜な生徒を襲ってるという。

 先生たちもきっと手を拱いてるに違いない。

 何せ学園最強と呼んでも過言じゃない実力者が暴走しているのだから無理もない。

 幾ら親しかろうとも、チカラのない僕が先輩に対して何が出来る訳でもないのだしね。

 

 「ふむ、良いんじゃないかな」

 

 魔導書が僕に賛同する。

 その物言いに気味の悪さを覚えたが、僕に離れないのならばどうしようもない。

 

 「いや、ユーキが何を言ってるのか僕には解らないよ。彼女に何が遭ったとかもよく分かんないし、それこそリテイク先輩に直接話を聞かなきゃ解らないんじゃないのかな?」

 

 先ほどから閉ざしていた口を開く累。

 僕の心情を察してか、何処か重苦しいものを感じた。

 

 「あのね、累。そんな暴走している状態の先輩に会ったところで、僕なんか数秒で殺されるに決まってるでしょ」

 

 自殺行為だ。

 そんな危ない人に殺されるリスクがあるってのに会いに行くなんて馬鹿のよることじゃないか。

 

 「……まあ、そうだけど。でも、あれだけユーキは世話になってるのにちょっと薄情過ぎない?」

 

 累がそれはどうかと思うよ、と視線で訴えて来る。

 けれど、何の能力もない僕が彼女の前に出て何が出来る訳でもないのだから、こればかりは仕方がない。

 

 「……ああ、そうか。うん、そうだね。その通りかもしれない。けど、どーだろう? 案外、何とかなっちゃうかもしれないよ」

 

 我がことのように、何故か自信があるような口ぶりだ。

 他人事だと思って楽観視でもしているのだろうか?

 

 「それより、食事を取らなくて良いのかい? そろそろ込んでくる頃合いだよ」

 

 ぐぅう。

 腹の虫が鳴る。

 お互いの顔を見合わせると、累が困ったかのような乾いた笑いをする。

 

 「お腹空いちゃったみたいだね。早く、並ぼうか」

 

 長蛇とはいかないものの行列に指をさす僕に累は賛同する。

 まだ一日の半分も進んでないのだ。

 腹が減っては戦は出来ないと言うものである。

 

 ◇

 

 色あせる未来と失われた過去。

 永遠に続くと思われた日常は、螺旋を隔てて終わりへと至らん。

 

 大事な人がいた。

 築き上げられた絆が在った。

 揺るがない信念を嘲笑う悪意がそこには集っている。

 

 カツン。

 カツン、カツン、カツン。

 

 真夜中の校舎に足音が響きわたる。

 何者かが徘徊していることが明らかで、禍々しい夜には丁度良いリズムだった。

 

 「──う、あ」

 

 廊下の窓から月明かりが差す。

 月光が眩しくて、月が綺麗に見えた。

 

 ハヤク、ハヤク。

 早く彼を迎えに行かなくては、このままでは完全にあの少女たちの目論見通りになる。

 ■■■に斬られた傷が疼く。

 ジリジリと身を焦がす熱い何かが私に囁く。

 早く手癖の悪い泥棒猫を始末しなければ、この情欲は冷めない。

 

 ザク、ザク。

 ザク、ザク。

 

 残骸に突き刺す肉の感触。

 人肉の食感はザクロを頬張った時と同等なのだそうだ。

 関係ないけど、そんなことが頭に浮かんだ。

 

 ザシュ!

 

 無知/無謀/無礼。

 真っ赤な絨毯が白い廊下に敷かれると、息の荒い怪物も出来上がる。

 同時に頭の中を駆け回る疑似粒子の情報。

 

 「ハア、ハア」

 

 ゴプゴプ、ル、プシャア。

 

 鮮血が喉元へと吹き出す。

 同時に名のない幻想が息を途絶える。

 渇いた喉を潤すそれが口元からコボレる。

 

 クスクス、クスクス。

 

 遠くで少女たちが嘲笑う。

 愚者の末路を可笑しそうに見下す幻覚が私を狂わせる。

 

 ビチャビチャ。

 グチャグチャ。

 

 死体となったそれを片づける人間は居ない。

 弔う言葉も投げかけることはない。

 

 ──だから。

 

 「──ほう。ここまで堕ちたかね」

 

 闇夜に一人の男。

 うずくまって死者を増やす少女。

 二つの怪異が邂逅する。

 

 「──やっぱり、消滅してなかったのね」

 

 ビタビタ。ビタビタ。

 滴る真っ赤な情欲が私を人外へと駆り立たせる。

 

 「消滅? ああ、あれは古瀬瑞希(ふるせみずき)としての私を断ったまでに過ぎんよ」

 

 底の知れない目で見つめる神父が口を開いた。

 吐き出した言葉は想像通りのモノだったけど、それを認めるのは癪に障る。

 

 血を流し続ける残骸を蹴飛ばす。

 それは生命活動の停止したガラクタであり、最早、何の価値も無かったからそうしただけだ。

 

 ボタボタ。

 ボタボタ。

 

 誰も少女を咎めない。

 誰も少女に逆らわない。

 自由は許されない。

 邪魔するモノなど、この世界の何処を探しても見つからない。

 何よりそんなことに割く無駄(リソース)は赦されない。

 

 ──だというのに神父の視線が罪を咎めているようだった。

 

 「仕方ないわ。こうでもしないと、もう十分にチカラを賄えないんですもの」

 

 人間としての尊厳に意味はない。

 化け物としての在り方で無ければ敵を討つことは成されない。

 

 「そうか」

 

 頷く男は愉快そうに口元を歪ませ、失望したと言わんばかりに声を押し殺していた。

 

 「何よ。嗤いたいのなら嗤えば良いじゃない。別に貴方に何を言われようと私は気にしないわ」

 

 強がりを言う。

 そうしなければ心が折れてしまいそうだった。

 だが、男はこちらの思惑を知っているのか、更に距離を縮めて言った。

 

 「なるほど。これまでの態度はそういうことか。君が私をどう思っているのか十全に理解したよ。まあ、別にその誤解を解こうとも私には何の利益もないのだがね。いやはや、これは誤算だった。実に愉快極まる。何せ、彼女らとは違い私は博愛主義にしか過ぎないのだから口が緩むのも仕方有るまい」

 

 神父が何か喋ってる。

 彼の言葉を理解するよりも早く、深淵を覗いてるような錯覚に襲われる。

 

 ゾクリ。

 背筋が凍る。

 途端に自分が小さな存在でしかないことを理解してしまう。

 飲み干した血が逆流してくる気がしてならない。

 

 「──ぐぅ、うぅ」

 

 ゴポゴポ、と何かが地べたに吐き出された。

 赤い血溜まりが床を汚しては、反射する私の顔が見えた。

 

 「──が、ぁああ!」

 

 常識が戻る。

 チカチカと良識が自分の行動を咎める。

 神父の塵を見るような蔑んだ目が私を狂わせた。

 

 「わた、し? あれ? わたし?」

 

 ザー、ザー。

 血眼になる/何かを取り戻さなきゃいけない?

 視界が可笑しくなる。

 

 ザー、ザー。

 愛しくなる/そうだ、私は彼を守らなきゃいけない。

 壊れていく/その為ならば何をしたって手を汚したって構わない。

 歯止めが利かない/唯一、その暴走を止める倫理感とやらはとっくの昔に壊されてしまった。

 

 ザー、ザー。

 惨めになる/四面楚歌の状況下だ。

 見ているものは変わらない。

 私の価値観だけが塗り変えられている。

 

 ザー、ザー。

 何もかもが可笑しい/この狂った世界で只一人、私だけが真実を知っている。

 手には大量の血痕が付着している。

 何故、私の手はこうも汚れているのか理解出来ない。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 「──あ。う、あ。……ああ!」

 

 パリン、と何かが決壊する。

 嗚呼、そうだったと納得する。

 何もかもが嘘でしかなく。

 何もかもが本物にすり替えられるのなら。

 それが当然のことである世界で、私がどういう存在だったかなんて解りきった話だった!

 

 「────」

 

 神父は黙ってこちらを見つめてる。

 私は黙ってそれを受け入れる。

 

 「──ハ。う、あ」

 

 苦しい。

 息が出来ない。

 色々なモノが頭の中に駆け回って目眩がする。

 こみ上げてきた何かを必死で抑えるも、口から吐き出されてしまう。

 

 「そうだ。狂ってしまえ。そうすれば、お前の望みは叶えられる」

 

 ──カツン。

 私の掌に黒い箱が握られる。

 熱を帯びた立方体。

 それは、よく知る外なる神より賜った魔道具(アーティファクト)に他ならない。

 「どうして、これを? それよりも何故、貴方がこれを──」

 

 握られたものに対し、神父に問いつめる。

 ──だが、神父はそんな私に対し冷めた目で答える。

 

 「最初に言っておくが、これは()()ダーレスの黒箱ではない。勿論、ダーレスの黒箱と同じ系統の魔道具(アーティファクト)である。何、大丈夫だとも。今の君ならば十分に使いこなすことが出来るだろう」

 

 ……。

 ドクン。

 脈打つそれに感情はない。

 

 ──が。

 

 手渡された箱から目を逸らすことは出来なかった。

 そして、それを手放すことも出来なかった。

 

 「────」

 

 希望なんて最初から無い。

 ならば、この感情は只の足枷にしかならない。

 

 ドクン。

 在りもしない心臓の鼓動が身体に熱を与えた。

 

 「ア。アハハ、ハ──」

 

 嗤える。

 本当に嗤える。

 心底嗤えて仕方ない。

 嘲る心さえ私にはなかったというのに、与えられた悪意に染められていく。

 

 「──アハハハハハ!!!」

 

 神父の口元が歪む。

 飢えた吸血鬼の産声が夜の校舎に響き渡った。

 

 誰もそれを咎めない。

 誰もそれを祝わない。

 

 何故ならそれは、誰も救われない運命(はなし)に他ならないからだった。

 

 ◇

 

 朝食を終えた僕は、特にやることもないので教室に向かうことにした。

 ガヤガヤと騒がしい食堂を抜けて、一人廊下を歩いてく。

 

 「────」

 

 その隣を魔導書が黙ってついて来る。

 朝の一件以来、何だか触れるのも億劫になってしまい、口を開くこともなくなった。

 チュンチュン、と鳥の囀りが聞こえる。

 陽気な朝だと言うのに、何故こんなにも重苦しい空気が僕ら二人を支配していた。

 

 地面は割れてもいないし、校舎の壁に罅も入ってすらいない。

 誰も傷ついてない、平穏な学園生活。

 吸血鬼が夜に蔓延っていると言うのに、生徒たちは他人事のように平穏を満喫している。

 その何気ない日常風景を横切って、二階にある教室へと足を運ばせるのだった。

 

 ザー、ザー。

 ────「お前に殺されて良かったなんて、あんまりじゃないか!」

 

 少女の慟哭なんかない。

 耐え難い真実なんてなかった。

 殺伐とした事件なんて何もないし、世界が作り物だなんてこともない。

 僕は七瀬勇貴(ななせゆうき)

 名前以外の何もかもを忘れてしまってるだけの一般人。

 それが僕であり、それだけが僕の全てだ。

 

 階段を上り、二階へと進出する。

 廊下を無言で歩いてくと、外の景色をふと見た。

 雲のない快晴。

 グラウンドの中心で、オレンジの髪を束ねた少女が佇んでいる。

 シェリア会長だ。

 授業間近ではないものの、こんな朝早くにグラウンドの真ん中で何をしてるのか疑問に思う。

 ジジジ。

 意味のないことだ。

 それを考えたところでキミには何も出来ない。

 まあ、そんなことを考えても次の放課後にでも教室に来る彼女にでも聞けば良いだろうし別に気にすることもないか。

 

 ガラガラとドアを開ける。

 ジジジ。

 騒がしい教室。

 生徒たちが何気ない会話で盛り上がっている。

 いつも通りのルーチンワークを熟す彼らは退屈を紛らわす良い特効薬だ。

 

 「おはようございます、勇貴さん」

 

 生徒たちを掻き分けてドアまでやって来る真弓さん。

 何やらヤサグレてる感じがするのは、朝の風紀委員長が関係しているのだろう。

 こってり何を絞られたかは想像がつく。

 

 「おはよう、真弓さん。災難だったね」

 

 ヨレヨレと涙目になっている彼女をヨシヨシと労わってあげる。

 すると、身を乗り出して手を払いのけてくる真弓さん。

 

 「ええ! それはもう、大変でしたよ! 勇貴さんが見捨てるからあの女が調子に乗るんです!」

 

 酷い責任転嫁だ。

 記憶にある真弓さんらしくない。

 

 「えー。それは、まあ、何だろう。……ごめん」

 

 「ええ。そうやって謝ってくれるなら良いんです。私の機嫌も良くなるってもんですよ、全く」

 

 プンスカと怒る姿に何故か釈然としない。

 自己中心的な物言いをする彼女の何処に惚れる要因があるのか理解出来ない。

 寝ぼけるにしても、これは酷いものだ。

 

 「アハハ。うん、そうだね。次からは気を付けるよ」

 

 そのまま離れようとするも、彼女がギュッと手を掴んで離さない。

 

 「ど、何処に行かれるんです?」

 

 焦ったような顔をする真弓さん。

 何をそんなに必死なのか解らないが、正直なことを言わなくてはならない気がした。

 

 「何処って、自分の席に行くんだよ。ほら、朝の授業が始まる頃なんだし、予習の一つでもしておこうかと思ってね」

 

 その場を乗り切ろうと、柄でもない言い訳をする。

 何だか、今の真弓さんとは相容れない感じが嫌だと思った。

 

 「そうですか。でも、でも授業までまだ時間がありますよね? なら、もう少しお話でもしましょうよ」

 

 僕の心情なんか無視した言い草により一層、嫌悪感が増した。

 

 「いや、遠慮しておくよ。何か機嫌悪いみたいだし、別に話なら次の休み時間で良くない?」

 

 僕の言葉に更に手を掴む力が強くなる。

 逃がして堪るかという意思を感じる。

 何でさ?

 次の休み時間まで待てないことだろうか?

 火急の用事でも有るまいし、仮にそうだとしても、僕には関係のないことだ。

 

 「よくありません。ええ、とっても良くないんです。それこそ、世界が破滅するってレベルで駄目なんです」

 

 僕とのお喋りが世界の命運を握るみたいに言い出した。

 

 「──っむ。そんなこと知らないよ。兎に角、僕は君とお喋りをする必要はないよね? 手を放してくれない?」

 

 いい加減にして欲しい。

 そう思うと途端に頭が痛くなってくる。

 朝から調子が悪いのか、慢性的な頭痛が襲ってくるみたいだ。

 

 「ええーい。こうなったら、」

 

 手を離さない真弓さんが何かを言いかけた時、教室のドアがパン、と強く開かれた。

 お喋りに夢中になっていたクラスメイト一同が音のする方へ意識を向けた。

 

 ドクン。

 心臓が脈打つ。

 フワリ、と気持ちのいい風が鼻につく。

 ドキリと胸が痛んだ。

 ジジジ。

 頭痛が止んだ。

 

 カツカツ、とこちらにドアを開けただろう少女が向かってくる。

 腰まで届く長い髪が揺れた。

 何処までも見通す青い瞳が僕を離さない。

 微かに感じる優し気な視線が僕の気持ちを和らげる。

 

 「そこまでにしたらどうです、■■さん?」

 

 廊下で会った名も知らない少女が口を開く。

 怯えもしないその姿に何故か安堵している自分が居る。

 

 「ハイ? 何でしょう、よく聞こえませんでした。もう一度、言っていただけます?」

 

 真弓さんが少女の投げかけに言葉を返す。

 見下したような目だ。

 まるで、お前には何も出来ないと言っているようだ/気に入らない。

 

 「聞こえなかったんですか? なら、もう一度言ってあげましょう。そこまでにしておいたらと言ったんです」

 

 不穏な空気。

 修羅場染みた雰囲気に息を呑む。

 更にギスギスした空気が重くなった気がする。

 

 「あー。そうですか。そう来ましたか。そうですよねー。そうするしかないですもんね。……気に入らない。全く以て気に入らないわ、貴女」

 

 嫌悪感を隠そうともしない真弓さんは、弱者を虐げる悪女のような黒い笑みを浮かべる。

 

 「気に入らなくて結構です。私も貴女のことが嫌いなので構いませんし。それより、後数分で授業が始まるみたいですよ、■■さん。ご自分のクラスの教室に戻らなくて良いんですか?」

 

 挑発するように語尾を強くしていく少女。

 修羅場は誰も得をしないってのに止めて欲しいものだ。

 

 「──っち。別に戻らなくとも教師連中は私なんて認識しませんよ。そーんなことも理解出来なくなったんですか? 馬鹿なの?」

 

 少女に釣られてか、真弓さんも罵声を浴びせる口調になっていく。

 何が彼女の怒りの矛先になったのかは知らないが、苛ついてるのは確かだ。

 

 「いいえ。只──」

 

 少女は口元に手を当てて、真弓さんの前に出た。

 視線を時計の方へ向けており、何故だか余裕が感じられる。

 とてもじゃないが、怒った真弓さんに対しては火に油を注いでしまっていると言えよう。

 

 「貴女はとても可哀想な人だなって思ってるだけです」

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 チャイムが鳴る。

 同時にいつの間にか閉まっていたドアが開かれる。

 

 「おーう、全員揃ってるみたいだな? うん? おい、そこの君、此処は二年の教室だぞ。一年の教室に戻りなさい」

 

 担任の先生が真弓さんの姿を見ると、そんなことを言い出した。

 

 「──な、んですって?」

 

 その言葉に目を見開く真弓さん。

 

 「ほら、どうしたんですか? 早くご自分の教室に戻った方が良いですよ。急げば五分ぐらいで着けるでしょう?」

 

 生徒たちが席に着く。

 驚いてる真弓さんに向かって、少女がそんなことを言った。

 

 「生徒会長、号令を」

 

 先生が教壇に立つと、シェリア会長に号令を指示する。

 ポカンと口を開けた真弓さんは何かを言いたげにしていたが、数分もせずトボトボと教室から出ていく。

 授業が始まる。

 何故かは解らないが、その光景を誰も可笑しいと思うことは無かった。

 



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006 水面下の抗争

 

 モニターに映る愚鈍な男。

 引き返すことが出来ない泥沼に浸かっていることを知らずに惰性に時を過ごす。

 なんと哀れなことかと思った。

 

 「楽に仕事が進むとはまさにこのことでしょう」

 

 カチカチカチ。

 頭の中を何度もリセットさせる。

 長かった。

 此処まで全力で欺いた甲斐があったと言うものだ。

 

 「クスクス。なんて、間抜けなことですか」

 

 嗤える。

 ワタシはこんなにも必死だったと言うのに、相手はそうじゃないんだからワラエル。

 

 カチカチカチ。

 コマンドを打ち込む。

 プログラムを入れて、システムをハッキングする。

 無様、愚か、浅ましくって見ていられない。

 もうすぐ、ワタシの夢が叶う。

 あの目障りな女はもう足掻く手がない。

 それは即ち、ワタシの完全勝利に他ならなかった。

 

 「ええ、そうです。なんと嗤えることでしょうか!」

 

 心が弾む。

 世界が薔薇色と言うかのように、男は妄想の虜になっている。

 救いは、ない。

 これ以上ないバッドエンドだ。

 しかしワタシにとっては、ハッピーエンドでしかない。

 

 カチカチカチ。

 知らない。

 水面下で誰かが画策してることなどをワタシは知る由もなかった。

 況して、モニター越しの少女がこちらを見つめてるなんて気付きもしなかったのだから。

 

 ◇

 

 淡々と説明される授業。

 担任の先生が何やら必死で説明してる術式の内容が頭に入って来なかった。

 

 今日は何だか、何処か可笑しい気がする。

 だって、そうだ。

 何故だか解らないが、真弓さんに持っていたイメージが違う。

 これ以上にない我が儘を感じる。

 そりゃあ、年頃の少女だから多少はそういうところがあるのは分かるけど、何だかそれとはまた違和感があるのだ。

 姿かたちはそうなのに、やってることは別物。

 例えば、激辛麻婆を頼んだのに食べてみたら、砂糖菓子のように激甘だったみたいなもの。

 そうだ。

 彼女と喋っても心が癒されない/まるで、いつかの瑞希ちゃんのような振る舞いだ。

 

 頭に雑音(ノイズ)が走る。

 所詮は戯言だと誰かが結論を遠ざけた。

 先生が何かを言っている。

 

 「──、──である」

 

 よく分からない。

 ジジジ。

 脳内に鮮烈な光景が広がる。

 血だらけで、立ち上がるのもやっとの自分とその後ろに誰かがいる。

 いつか見た地下神殿で、敵と対峙する記憶。

 誰も彼もが彼女を殺そうと必死だった。

 ザー、ザー。

 覚えのない記録(ログ)だ。

 意味のない抗いに消去していく違和感(バグ)である。

 

 そう言えば、僕は昨日、何していたんだ?

 どうして、こんな簡単なことを考えなかったのだろうか。

 痴呆症を疑うレベルな違和感だってのに、特に気にも留めなかった。

 その事実にサーっと血が引いていく。

 そもそも、廊下まで一緒だった魔導書がどうして今、近くにいない?

 これも不自然だ。

 言及はしていなかったけど、あの魔導書なら離れるとしたら一言ぐらい何か残してから去る筈だ。

 

 可笑しい/ズキズキ。

 何で?/ズキズキ。

 それらを考えるだけで頭がこんなにも痛くなるのだ?

 

 「──あ」

 

 声が聞こえる。

 誰かが囁く声だ。

 気にするなと言い聞かせる燈色の髪の少女の姿が連想された。

 

 「誰なんだ?」

 

 呟く僕。

 先生の授業はつまらない。

 何もない空っぽの内容で、ちんぷんかんぷんな文字の羅列だ。

 

 「こら、そこ。七瀬、君は何をしているのだ?」

 

 大人の形をしたモノが僕に何かを言ってる。

 気味が悪い。

 そうだ。どうして気付かなかったのだ。

 先生だけじゃない。

 周りにいる生徒たちも顔がないのっぺら坊じゃないか。

 

 ガタッと思わず席を立つ。

 本当にどうかしてる。

 やはり、今日は休んだ方が良いんじゃないかって思う。

 だって、そんなの馬鹿げてる。

 席を立った自分に先生以外誰も見向きもしてないことも。

 そして。

 その先生の顔が黒い影になっていくのも。

 何処からか、キキキと嗤う声が聞こえるの全部が可笑しい。

 

 「な、何だよ、これ?」

 

 突如として世界は作り物になった。

 見えているものが全てが中身のない偽物だって事実に気付いてしまったんだ。

 

 「あらま? まーた、どうして気付いちゃったのかなー。うーん、不思議だ。システムは問題ないってのにどうしてなのかなー?」

 

 ガラガラと教室のドアが開かれると、教鞭を振るう先生の姿は居なくなっていた。

 数名の生徒が机に向かってノートに落書きを描いてて、名前も知らない少女は黙ってこちらの様子を窺がってる。

 

 ──そして。

 

 「まあ、別に良いでしょう。貴女なら邪魔はしないでしょうし、気にしないことにします。さて、取り合えず御機嫌ようとでも言えば良いでしょうか? それとも先ほど振りです、こんにちわと言うべきか悩むところですね。……食堂ではお邪魔虫が居たようだったから話しかけれなかったですが、此処なら邪魔は入らないですよね」

 

 面倒そうに紅い髪を掻きながら、教壇に腰を下ろす天音によく似た少女が現れたのだった。

 

 「──二胡さん、でしたっけ?」

 

 天音(あまね)とよく似た少女、二胡さんがクスリと微笑む。

 

 「ええ、そうです。覚えていてくれて嬉しいわ。愚者くん」

 

 カチリ。

 欠けたパズルのピースが一つ埋まったような気がしたのだった。

 

 「あ、あの――」

 

 二胡さんがどうしてこの場に居るのだとか、目の前で起こってる不可解な現象は何だとか沢山疑問に思うことがある。

 何から聞けば良いのか迷うぐらいに切羽詰まった状態だ。

 

 「おおっと! 焦らない、焦らない。私としても君の質問に答えてあげたいところだけど、生憎そうも言ってられないのですよ。全く、忙しいですよ、私。本当、我らがご主人様は小間使いが荒いと言いますか、何と言いますか」

 

 指をシィっと口付けてニヤリと笑う二胡さん。

 天音がしたこともない表情だからか、場違いながらもその笑みにドキリとさせられる。

 

 「これまた顔が赤いですねぇ。思春期ですね。素晴らしい。君はいつ見てもイケメンですから、絵になりま──」 

 

 頬を赤らめて嬉しそうな二胡さん目掛けて、何処からか光が降り注いだ。

 

 「──って、何!? 危ないなぁ!?」

 

 プスプスと煙を上げる教壇の机。

 ジュワ、と融ける教室の壁。

 大きく仰け反り虹色の光線を回避する二胡さん。

 

 「──ど、何処から!?」

 

 突如、光線が二胡さんを襲ったのだから驚くのは無理もない。

 

 「──のぅわ!?」

 

 続けざまに、二胡さんの周りに展開される無数の魔法陣。

 その展開の速さに目を丸くする僕。

 

 「茶番は無しにして本題に入ったらどうです? そういうところ、貴女の悪い癖だと思いますよ」

 

 先ほどまで静観していた少女が口を開いた。

 

 「へぇえ。本題に入らなかったら、どうだって言うのかな?」

 

 虹色に光る魔法陣に囲まれた二胡さんは、徐に立ち上がる。

 ヘラヘラとした雰囲気だが、目は笑ってない。

 その顔は真剣そのものだ。

 

 ──そして、いつの間にか自らの身長を越える大きさの剣を構えてるのだった。

 

 「試してみます?」

 

 バチバチと火花の視線が見える気がする。

 僕を守るように名前の知らない彼女は前に躍り出た。

 

 「()()ねぇ。そうでなくっちゃ、()()()()()

 

 あの大剣を見てると、胸騒ぎがする。

 一撃でも許したら、それこそ世界が崩壊するような予感がしてならない。

 そもそも、このまま放っておいたら、取り返しのつかない事態になるのは、火を見るよりも明らかだった。

 

 「ま、待ってよ。何が何だか、僕にはさっぱりだよ!? 説明。説明が欲しい!」

 

 だから急いで、グイっと少女を押しのけ前に出る。

 何らかのアクションをしなければ、収拾がつかないのは目に見えてる。

 今は少しでも、何が起こってるのか事態を把握するのにもこの選択は最適だと判断した。

 

 「ちょっと、危険ですよ、勇貴さん! 速く退いてください!」

 

 そんな僕の心情を汲みもせず、押しのけた少女が僕の手を掴み下がらせようとする。

 

 「いや、だから、僕は説明が欲しいって言ってんの! 邪魔しないでくれない? 君に心配される謂れはないし、別に僕がどうなろうか君には関係ないんだから、放っておいてよ!」

 

 細身の腕とは思えない力で引っ張る少女の顔が、僕の言葉で一層険しくなった。

 

 「ハイ!? それ、本当に言ってるんですか!? どっから見てもそんなこと言ってる場合じゃないでしょう、この()()()()()()! 見てください、あの剣! 如何にもヤル気なオーラ! 権能(チート)の魔剣も展開出来ない貴方に何が出来るって言うんですか!」

 

 ギギギ! 負けじと踏ん張るものの、徐々に身体は下がってく一方だ。

 嘘だろ、こんなか弱い女の子にまで僕は負けるのか? 僕ってばひょろ過ぎるだろ?

 つーか、この子、何気に僕のことをあんぽんたんって言わなかった?

 

 「そういうところがあんぽんたんだって言うんですぅ! 良いから退いて下さい!」

 

 ダ―! 納得いかない!

 こうなりゃ意地でも退いてやるものか!

 

 「……ハア? あ、あー、そうですか。うーん。これが似た者同士ってヤツですか際ですか。水を差された感じですわ。何も考えれないってこういうことなんですねー。一気に冷めましたよ。興が削がれました」

 

 二人で意地の張り合いをしていたら、いつの間にか二胡さんがそう言って剣を構えるのを止めていた。

 

 「────」

 

 どうでも良いものを見るかのような目で僕らの様子を眺めてた。

 ため息が吐かれる。

 僕らがそれに気づくのは、お互いに息を切らした時のことだった。

 

 ◇

 

 クルクル回る視界。

 乱雑になる誰かの妄想。

 現実となる願いは未だ空想の域を出なかった。

 

 「有無。順調、順調。上手く起動してくれて嬉しいよ」

 

 カチカチカチ。

 魔女に気付かれないようにする為とは言え、ひやひやさせられる展開だ。

 というより、間違いなく気づかれる一歩手前でギリギリ感が諫めない。

 

 「瑞希ちゃんには悪いけど、これも騙し合いだ。しっかりと最期まで騙させて貰うよ」

 

 駒の一つが愚者七号に接触を果たすのを見届ける。

 良好だ。

 これで心置きなく計画を遂行することが出来る。

 

 「アハハ。しかし、これは危ない。もうすぐで、彼がヤツに染まってしまうところじゃないか。なるほど、ボクの行動を阻害しないというのは、つまりそういうことか。なら、ボクらは差し詰め共同体とでも言うべきかな? まあ、そんなことはどうでも良いことか」

 

 カチカチカチ。

 ジャミング出来る時間も残り少ない、用件はサッサと済ますに限る。

 懐から銀の鍵を取り出す。

 眩い光を放つそれが何処までの性能かは計り知れない。

 だが、目測では現状を打破するにはこれ以外の方法がないのも事実だ。

 後は、螺旋階段を上って目的の扉にいるヤツから部屋の所有権を奪えば済む話である。

 

 「待っていたまえ、魔導魔術王(グランド·マスター)

 

 盤上をひっくり返すとか、そんな目的などない。

 ボクにあるのは、クソッタレな現実なんぞに戻って堪るかという意思だけだ。

 

 「アハハ! キミたちは、本当に無知で無謀で愚かだね!」

 

 モニターで時間を稼ぐ駒の様子を横目に駆け出す。

 文字通り、残された時間はないのだから。

 



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007 彼女の名前は──

 

 「ゼー、ハー。ゼー、ハー。つ、疲れたぁ」

 「ゼー、ハー。ゼー、ハー。全く、本当ですよ」

 

 息を切らす僕らをニヤニヤと見つめる二胡さん。

 

 「いやー、似た者同士ですね、お二人さん!」

 

 膝をついて息を整えようとした僕らに向かって二胡さんが茶々を入れた。

 

 「誰が似た者同士だ!!!」

 「誰が似た者同士ですか!!!」

 

 重なる僕らの怒声。

 

 「──ク、ククク。そういうところがだよー」

 

 腹を抱えて笑う二胡さんにイラっとした。

 けれど、あんまりにもケラケラと笑う姿に、何だか警戒していたのが馬鹿馬鹿しくなって来た。

 隣にいる少女もそう思ったのか、ため息を吐いている。

 

 「……まあ、別に良いか」

 

 気づくとそんなことをボヤいてた。

 肩の荷が降りたとも言う。

 

 そんな時、二胡さんが思い出したかのようにこんなことを聞いたんだ。

 

 「そういえば、君の名前ってなんて言うの?」

 

 クスリ。

 誰かが嗤う声がした/苛立ちが募る女の幻が見える。

 でも、そんなものは存在しなくて/器用に隠れてやがる。

 そんなことより、今は二胡さんの言うとおり彼女の名前が何なのかをはっきりさせるべきだと思った。

 

 「私? 私ですか?」

 

 僕と二胡さんの視線を独り占めする少女。

 その顔は困ったような、けれど何処か嬉しそうにハニカんだ。

 

 ドクン。

 その笑みが素敵だ。

 向日葵のような優しさと表現するべき視線を感じる。

 心が弾む。

 我が世に春が訪れたような気分だ。

 

 「いや、そんなのどうでも良いですから、ちゃっちゃと名乗って下さいよ。まさか、此処まで来て私には名前が無いんですぅ、ごめんなさい名付けて下さいとか言わないでしょう?」

 

 ピシリ!

 時が止まった。

 その場の空気が凍った瞬間とも言えよう。

 何にせよ、蛇に睨まれた蛙の気分を再び味わったような感覚だ。

 

 「ふ、ふぇえ? い、いやー、そんなことないじゃないデスカァ! イクラ、ワタシ、ト、イエドモソコハチャントカンガエてマシタYO?」

 

 なんかよくわからない片言を使いだした少女。

 目に見えるほど、大量の汗が出ている。

 どうしたのだろう、それほど部屋は暑くないというのに、このままだと熱中症でもなってしまいそうだ。

 

 「なら、サッサと名乗れば良いじゃないですか」

 

 ズブシ!

 正論が謎の少女に刺さった。

 五のダメージ!

 謎の少女は瀕死寸前だ。

 

 「そ、そうですね。そうですね!」

 

 眼を泳がせる少女に二胡さんは追撃を放とうとしている。

 このままでは、謎の少女は死んでしまう!

 

 その姿にちょっと面白いと感じる自分がいる。

 なんか涙目になってるところとか、小動物っぽくて可愛いと思う。

 良いぞ、もっとやれ、二胡さん!

 

 「ちょっと、それは無いと思いますよ?」

 「……うぇえ、ドン引きですねぇ」

 

 内心、グッと握り拳でその場を眺めてると二人が僕をドン引きしている。

 以心伝心とはこのことか?

 そんなスキルは君たちには要らないでしょ?

 

 「要るとか要らないとかそんな次元ではないのではないでしょうか?」

 

 二胡さんが決め顔でそう言った。

 未だに謎の少女も頷いてる。

 ……こんな時だけ結託して、本当は仲良いんじゃないか?

 

 「コホン!」

 

 二人の視線に耐えきれなくなった僕はわざとらしく咳払いをする。

 

 「兎に角、このままじゃ、いつまで経っても先に進みもしないんだ。偽名でも何でも良いから名前を教えてよ!」

 

 声を振り絞り、精一杯の勇気を出す。

 聞けなかった名前を知る機会(チャンス)が巡ってきたのだ、これを活用しない手はない。

 だって、こんなにも可愛いんだ、名前ぐらい知っておきたい。

 あわよくば、お近づきになりたい。

 もっと親しくなって、それから──。

 

 「あわわわ! 良いです! 良いですから、わかりました! 言います。言いますから、それ以上は恥ずかしいです!」

 

 情欲に胸を弾ませてると、不意に少女が顔を赤らめて狼狽しだした。

 何だろう、如何わしい想像はしたが決して口に出す愚行はしてない筈だ。

 

 「……それが不味かったんでしょ。バカ」

 

 二胡さんがそんなことを小さな声で呟いたような気がした。

 

 「え? え? え?」

 

 混乱する僕に二人の美少女が赤面した。

 頭の中が見られている奇妙な感覚だと思った。

 

 「あ! そ、そうです!」

 

 謎の少女は赤面しながらも、叫ぶように言う。

 

 「フィリア! フィリアなんてどうでしょう!?」

 

 何故か疑問形で、名前も知らない彼女は名乗るのであった。

 カチリ。

 また何処かで欠片がハマる音がした。

 

 ◇

 

 ジジジ。

 戯言。ノイズ。軋む夢。

 選択されなかったセカイが悲鳴を上げる。

 ジジジ。

 クラクラと眩暈がする。

 優しい夢を見たくなった。

 永遠のように感じる(ゆめ)に溺れる私は救いを求めて足掻く。

 

 「どういうことです?」

 

 教室から追い出された私。

 この夢のアクセス権限はこちらが掌握していた筈なのに、私の意志とは裏腹に制御が出来ない幻想たち。

 朝から可笑しいと思っていた。

 あの風紀院長を名乗る女も、先ほどの七面倒くさい女もどうして、この世界に現界できるのか不思議だった。

 そして、今、この訳の解らない空間に閉じ込められてハッキリとした。

 

 「アクセス権限は私たちのまま。なのに、こうして、何者かに干渉されてるってことは──」

 

 影絵(コード)を展開する。

 この私が持ちうる強欲を有する権能(チート)は何でも奪うことに特化した魔導魔術である。

 理論上では、干渉された能力の制御すらも奪うことは可能な筈だ。

 

 ──そう思っていた。

 

 ジジジ。

 頭が痛くなる。

 目の前がチカチカする。

 まるで私が黒い沼に浸かっていく、そんな感覚に陥った。

 

 「っく! また、どうして?」

 

 お膳立ては済んだ。

 障害となる幻想たちは消した。

 これ以上、邪魔になる人物など心当たりはない。

 ジジジ。

 なのに、どうして私はこんな訳の解らない空間に閉じ込められていると言うのだ!

 

 グチャグチャになる、お兄ちゃん。

 いつだって誰かを助け続けたヒーロー。

 もう、死んだ。

 もう、死んだ。

 ふざけるな。ぶざけるな。ふざけるな。

 認めない。

 認めてたまるものですか。

 そんな過去は変えてやる。

 お兄ちゃんは絶対に生き返らせて見せる。

 その為に、此処まで来たのだ。

 だから。

 ──だから!

 

 「私は、諦めないんだから!」

 

 手を伸ばす。

 痛みで身体がバラバラになりそうだけど、それでも必死に伸ばす。

 影絵の猿(エイプ)現実化(リアルブート)させた。

 誰よりも救いを与えた人を取り戻す。

 それが私の願いなのだから諦める訳にはいかない。

 

 タタタ!

 何処かで誰かが螺旋を駆け上がるような気がした。

 

 ◇

 

 誰よりも焦がれた日常の中、追い求めた夢の続きは何処に消えた。

 螺旋に彷徨う私、狂った幻想はチカラを求めて夜の校舎を徘徊する。

 ジジジ。

 幻聴(ベル)が鳴る。

 明けない夜の中、私は怪異となる。

 幻を求める。

 血を啜る。

 怪物は笑う。

 どうしようもない世界を呪うのだ/死ネ死ネ死ネ。

 

 グチャグチャ。

 ビチャビチャ。

 

 「グアァアア!!!」

 

 死体。

 死体。

 死体の山が築かれる。

 誰も救わない。

 誰にも救われない。

 彼女の手を取る王子さまは現れない。

 

 「い、いやぁああ! 助けてタスケて!」

 

 一人殺す。

 二人殺す。

 三人も四人も十人も──。

 

 グチャ!

 潰れる頭、臓物を引き摺り出しては遊ぶ鬼。

 ビチャビチャと純白な廊下を真っ赤に汚す、はしたないお姫様。

 嗚呼、救いはない。

 こうして狂った幻想は死を与えに徘徊を続ける。

 誰も救われない物語はまだ始まったばかりなのだから。

 

 「──アハ! アハハハハハハハハ!!!」

 

 狂った吸血姫の笑い声が夜の世界に響き渡ったのだった。

 

 反転する。

 誰も知らない。

 隠れた真実。

 つまらない余興。

 誰の目にも留まらぬ駄文。

 救いを求めて、手を伸ばす。

 

 ザクッ!

 新たな残骸が出来上がる。

 

 「キキキ! キキキ、キィ!」

 

 微かに聞こえる、影が嗤う声。

 それを耳にすると、この暗闇を支配する誰かの存在が解らなくなる。

 

 ジジジ。

 ノイズが走る。

 視界領域は不完全を訴えた。

 脳が掻き回される。

 痛い。

 痛い。

 行く早々の繰り返しで心が壊れてしまった。

 

 だから。

 だから。

 

 ──だからわた、しは。

 

 ジジジ。

 モニターに屋上に月を見上げる少女が映る。

 呆然と佇む姿に儚さが見えており、まだ微睡みが抜けていないことを感じさせる。

 少女の頬に、一滴の涙が流れる。

 壊れたレコードみたいにうわ言を繰り返す。

 

 「諦めない。諦めない、」

 

 その痛ましい光景が、彼女をより吸血姫らしさを逸そう引き立たせていた。

 

 「──私、絶対、諦めない」

 

 何度見たであろう、星空の下で呟くその姿を誰も知らない。

 



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008 さあ、楽しい時間はこれで御終い

 

 私は、屍姦の少女だった。

 同時に、ルールの恩恵(ギフト)を持つ幻想でもあった。

 誰もが■見る理想郷(ドリーム·ランド)を見渡す。

 

 ジジジ。

 そこは、目を覆いたくなる地獄でしかなかった。

 

 「────」

 

 思わず息を呑むのは、周囲のあちこちに積まれた死体の山がその惨状の酷さを物語っていたからだ。

 

 ザク、ザク。

 亀裂の入る音が響く。

 錆びた鉄の臭いが鼻を燻らせ、死屍累々が真っ赤な海を垂れ流した。

 

 キーンコーン、カーンコーン。

 死者を弔う鎮魂歌が鳴り響く。

 数秒後に、何かを引き摺る音がやって来た。

 

 ズリズリ。

 ズリズリ。

 

 「──っ!」

 

 地獄の中心に一人の少女が居た。

 

 ザシュ。

 死肉を引き裂く少女の姿は、出来の悪いスプラッター映画を観てるみたいで作り物のようだった。

 

 ズリズリ。

 ズリズリ。

 

 規則正しいリズムで校舎を歩き回る。

 少女を一言で説明するならば、古い西洋人形。

 短く切り揃えた癖のある紫色の髪が、それを感じさせた。

 

 ピタリ、と少女の足取りが止まった。

 真っ赤な瞳が死体の山を見つめると、その華奢な腕を振るった。

 

 ザシュ。

 ザシュ。

 ザシュ。

 

 トマトを潰すように死体が何度もバラバラに壊れてく。

 

 バシャア!

 

 遂にザクロが弾けるようにして、肉片が飛び散った。

 それを少女は全身を真っ赤に染め上げて、愉しげに嗤った。

 

 「──クス」

 

 頬を赤らめ喉を潤す姿は扇情的に見えた。

 妖艶な微笑みを浮かべ、少女は物言わぬ死体を欲情のはけ口にする。

 

 「……ア、ハハ、ハ」

 

 ■■の口から、乾いた笑いが出た。

 惨殺パーティをするには些か笑顔が足りなかったらしい。

 飢えた野獣のように■■は、無我夢中に屍肉を喰らう。

 

 見るもの全てを震え上がらるには、それで十分だった。

 これなら彼も地獄絵図と表現するのも仕方ない。

 

 四肢を捥がれていく死体。

 喉元を一噛みにして、幻想が血を吸い尽くされていく。

 

 阿鼻叫喚の悲鳴が止まらなかった。

 

 「────!」

 

 ■■は叫んだ。

 

 その声は声として出なかったけど、確かに■■は力の限りに叫んだ。

 

 私は何処にも居ない。

 誰も救いの手を差し伸べない。

 

 何故という問いに答える人間は一人も居なかった。

 だから、ひたすら悲鳴(ノイズ)の嵐を■■は徘徊した。

 

 「オマエなんて死ネば良いンダ!」

 「消エロ、消エロ!」

 「イヤァアアア! 返して。返してよ!!!」

 

 耳を塞いでも、断末魔は聞こえてしまう。

 どうしようもない地獄は、何をする間もなく続けられる。

 

 ゴウ、ゴウ。

 ゴウ、ゴウ。

 

 悪夢は終わらない。

 

 頭が、痛くなる。

 同時に少女と■■の意識は混濁する。

 

 「何処に、いるの?」

 

 どれだけ探そうと貴方は見つからない。

 どうして、と電波が私の脳を更にかき回す。

 

 ジジジ。

 改竄/改竄/グチャグチャ頭をかき回せ、と誰かの声が訴える。

 そうして私は■■■■へ切り替わる。

 

 そうだ。

 きっと死体の数が足りないから、貴方に会えないんだ。

 

 「そっかぁ。──なら、もっと頑張らないといけないなぁ」

 

 少女がそう口にすると、■■■■は死体の山を築くのに専念する。

 

 声は届かない。

 願いは叶わない。

 螺旋渦巻く■の中、愚者(わたし)は偽りの言葉に耳を傾けた。

 

 続け、続けと這い寄る影が囁いた。

 

 「──、■を■■して!」

 

 届くことのない声がする。

 それを聞いて、私は安堵した。

 

 ──道は開かれ、意志は託された。なら、後は終わりへと向かうだけだ。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 戯れ言(ノイズ)の嵐は止まない。

 眠りへと誘う微睡みが、再び愚者(かれ)を泥沼へと沈ませるだろう。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 堕ちる。

 堕ちる。

 堕ちていく。

 奈落の底へと彼は飲まれてく。

 

 ────「フィリア! フィリアなんてどうでしょう!?」

 

 暗闇へと堕ちていく彼に手を伸ばす。

 でも、届かない。

 それよりも奥底へ、彼は堕ちていく。

 

 「勇貴さん、──く、■を■まし、て!」

 

 どれだけ名前のない私が叫ぼうが、彼の耳には届かない。

 

 夜が来る。

 嗚呼、あの無慈悲な夜が来てしまう。

 例えどんな姿でも彼を助ける為ならば、喜んでこの身を捧げる自信がある。

 

 二つの■が混じり合う。

 そうすることで、計画の最終フェーズへとまた一段階進んでく。

 

 ゴポゴポ、ゴポゴポ。

 ゴポゴポ、ゴポゴポ。

 

 泡沫の幻と知りながら、少女たちは■へと溺れてく。

 

 そんな必死さに目が眩んだ。

 だが今、尊くも思えるそれは邪魔でしかなかった。

 

 ブツリと誰かがモニターの電源を落とす。

 そうして■■の視る景色は、真っ暗闇となるのだった。

 

 ◇

 

 「フィリア! フィリアなんてどうでしょう!?」

 

 少女は真っ赤な顔をして、そう名乗った。

 

 「────」

 

 不思議とその響きが似合うと思った。

 カチリ。

 パズルの欠片が填まる音が幻聴(こえ)と共に聞こえた。

 

 ────「私の名前? ああ、そういえば教えてなかったっけ」

 

 失われた夜の記憶が頭に過る。

 名前の違う僕は、未だその輪郭さえ思い出せない。

 それなのに、少女との思い出だけが胸に残ってる。

 忘れることはない。

 だってそれは、自分の手で勝ち取った小さな感謝なのだから。

 

 「どうでしょうって、そんなの私たちが決める謂われはないだろうに。……まあ、私は良いと思うよ」

 

 呆れたような二胡さんの声と同時に、先ほどまで霞んでいた記録(ログ)が消えた。

 

 「そ、そうですか。ありがとうございます」

 

 フィリアが、何か言いたげにモジモジしてる。

 栗色の髪をイジる仕草が、とても可愛らしかった。

 

 ──あれ?

 今、フィリアの姿がちょっと前までの真弓さんと重なって見えた。

 

 「……貴方は、どう思います、か?」

 

 甘酸っぱい空気に当てられ、頬が熱くなる。

 きっと、彼女も今の僕と同じくらい真っ赤になってることだろう。

 けど今はそんな彼女の顔を恥ずかしくて見れなかった。

 ぽっかりと胸に穴が開いてるような、虚無感が支配されていく気がした。

 

 「どう、と言われても。そんなの何だって良いんじゃない、としか言えないよ」

 

 煮えきれない反応しか返せない。

 でも、それが青春してるって気持ちになる。

 

 「あー! もう、イチャイチャしない! 突っ込まないとイチャツくの止めてくれないかな! ゲロ甘過ぎて、胸焼けするんだけど!」

 

 話が進まないからと、二胡さんが僕とフィリアの間に強引に割って入った。

 

 「イ、イチャイチャなんてしてないよ!?」

 「イ、イチャイチャなんてとんでもないです!?」

 

 同時に声が重なった。

 意識してないにしろ、仲良しと思わせるには充分なタイミングだった。

 二胡さんが溜息を吐く。

 それを見て、僕は更に焦る。

 何故か取り返しがつかないことをした気分になった。

 

 二胡さんを見る。

 

 ジジジ。

 憎悪の籠もった目じゃない/呆れたような目をしてる。

 虚ろな目もしてない/焦ってるような顔をしてる。

 暗闇なんか見えない/見ているものは全て都合のいい幻想だと理解している。

 

 ザー、ザー。

 底の見えない闇の中で独り、沈んでいく僕なんて居なかった。

 

 「──どうしたんですか?」

 

 ノイズに紛れ、誰かが声を掛ける。

 それだけで見ている世界が元に戻る。

 

 少女が居るから、僕が保てる。

 僕が異常なのを誰もそれを見てくれないのは、そう言うことだ。

 現実は刻一刻と取り返しがつかなくなってる。

 

 誰かの不安げな顔がちらついて、意識が混濁する。

 不可避な絶望が押し寄せ、現実逃避をしていく。

 

 逃げてはいけない。

 目を逸らしてはいけない。

 このまま逃げて良い筈がないのに……。

 

 「──何でも、」

 

 何でもないと言えば、それでこれは終わる。

 

 ドクン。

 心臓が高鳴る。

 

 けど、それでは駄目だと自分の中で誰かが叫ぶ。

 それじゃあ今までと変わらないって言ってるんだ。

 

 「────」

 

 夢を見た。

 それは、何処か歪な日常に過ぎない。

 叶うことならずっと見てみたいけど、それは叶わないことだ。

 

 泥沼の向こう側。

 ケラケラと嗤う客人。

 悲劇を鑑賞するそいつらを僕は知っている/どいつもこいつも嗤いやがって腹立たしい。

 

 何気ない自由が欲しかったけど、青春を謳歌するなんて夢の話なんだ。

 

 ズキリ。

 

 ──今は。

 

 ズキリ、ズキリ。

 

 身体が震えて寒い。

 誰でもない僕を二人の少女が見つめる。

 

 誰かが信じて下さい、と僕に言った/目の前にいる少女は彼女じゃない。

 でも、誰でもない少女の、いつか見た笑顔を重ねてしまう。

 

 憧れの人と同じだと告げたのなら。

 僕をヒーローのようだと言ってくれたのなら。

 こんなところで僕は道草食ってる場合じゃないんだ!

 

 「……そうだね。うん。どうしたかって言われたら、うまく説明出来ないだけどさ」

 

 つっかえる言葉。

 説明がうまく出来ない。

 でも、何かが可笑しいことは分かる。

 

 フィリアは黙って続きを促した。

 全て解ってるとでも言いたげに見えたけど、そんなのは関係なかった。

 

 そんな僕らを二胡さんも何も言わない。

 僕以外は現状を理解しているようだけど、それは錯覚なんだって思いこむ。

 

 「今朝から、──いや、ずっと前からなんだろうけどね。頭が痛くなるとさ、記憶が曖昧になって目の前の現実が何処か可笑しくなって見えるんだ。どうしてそうなるとか、自分でもよく解ってないんだけど──」

 

 拙い言葉でされる要領の得ない説明だ。

 でも、言わなきゃいけない。

 伝えなきゃいけない。

 誰でもない自分自身が、そうしなくちゃいけないって思ってる。

 

 「今、こうしてる時間が夢なんじゃないかって思えるんだ」

 

 よく、解らない。

 自分で言ってて訳が分からないにも程がある。

 馬鹿馬鹿しい。

 誇大妄想だ。

 今、見てる現実がマト■クスか、何かかって言いたくなる。

 僕は救世主ネ■とでも言われても養護できない。

 

 「どうして、そう思えるんですか?」

 

 「──え?」

 

 でも、そんな僕の言葉をフィリアは信じた。

 

 「今見てる現実が夢だって、勇貴さんはどうして思えるんです?」

 

 静かな口調でフィリアは問う。

 侮蔑する目をしてると思うと怖くてフィリアの顔が見れない/でも、見なくては始まらない。

 

 どうして、彼女たちにそんなことを言いたくなったか解らない。

 

 解らない。

 解らない。

 何もかも解らないっていうのに、只、漠然と何かをやらなくちゃいけないって思うんだ。

 

 「勇貴さん」

 

 ドクン。

 心臓が鼓動を早くする。

 真っ直ぐな目でフィリアは見つめる。

 

 「────」

 

 息が出来ない/言葉がつまる。

 理性と感情が現実に追いつかない。

 でも、彼女は止まらない。

 フィリアが何かを喋ろうとしてる。

 

 ズキリ。

 ズキリ。

 ズキリ。

 頭が痛い。

 その言葉を聞いてはならないと本能が告げている。

 

 「夢って何だと思います?」

 

 何でもない問いかけから逃げるように、頭が痛くなる。

 

 ジジジ。

 戯れ言、ノイズ、幻聴、禁止用語、エトセトラの文字列が頭の中を駆け回って気持ち悪い。

 

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 頭が割れるように痛い。

 煩わしくて、吐き気がする。

 同時に救いようがないと自嘲する。

 

 痛い(ズキリ)

 

 目の前のそれが何でもないことを言っている。

 少女は何も知らないようで全部知っている/妄想だ。彼女にそんな考えはない。

 

 「──何って?」

 

 フィリアが喋ってるのは、決して理不尽なことじゃない/けれど、救いがないって思ってる。

 取り繕った言葉でもないが、的外れな内容。

 僕が伝えたかったことじゃない。

 幻聴がそうじゃないと訴える。

 頭の中がこんがらがってグチャグチャになっていく。

 

 「私は、やりたかったことなんだって思うんです」

 

 ──どうしてか、フィリア(彼女)の言葉を聞いてると前へ進みたいと思える。

 

 「……やりたかったこと?」

 

 言葉を口にすると、亀裂の入る幻聴がした。

 けれど、目の前の光景は変わらない。

 フィリアに後光が差してる感じが、暗闇に一筋の光が入るみたいに思えた。

 

 「はい、そうです。私たちが見る夢って、寝ている間に脳が行う記憶の整理なんだそうです。でもそれだと、何だか夢がない言い方だって私は思うんです」

 

 辿々しい言い方は、僕と似ている。

 でも、何処かで違うものだと認識してる。

 

 「もし、勇貴さんが今、この現実を夢のようだって思うんだったら。きっと、この現実(いま)は勇貴さんがやりたかったことを見ているに過ぎないんです」

 

 硝子の砕ける幻聴がした。

 目の前に光がなくなって、見ているモノは嘘っぱちだったんだと脳が認識する。

 

 ダン、ダン、ダン。

 教室のドアを乱暴に叩く音がした。

 ガチャガチャと誰かが無理矢理に開こうとしてるのが解る。

 

 「時間切れのようね」

 

 二胡さんが口を開く。

 教室の窓から見える空は、いつの間にか真っ暗になっていた。

 

 「ええ、そうらしいですね」

 

 痛みは引いていた。

 少女たちの声が重くなってるのを感じた。

 ドアの向こう側に、背筋が凍るような気配がする。

 

 「そうそう、忘れるところでした」

 

 唐突にフィリアがそんなことを言い出し、僕の手を握ってきた。

 

 ドクン。

 心臓が跳ねて、握られた手から彼女の温もりが伝わる。

 そうしてると、身体の何処から力が湧いてきた。

 

 「はい、これで大丈夫です。直ぐではありませんが、貴方の権能(ちから)の枷は無くなることでしょう」

 

 寂しげな目をするフィリアがドアを指さす。

 そんな僕らを二胡さんは黙って見てた。

 

 きっと、その先には見たくないモノがあるのだろう。

 辛くて、辛くて。

 逃げ出したくなることが待っているに違いない。

 

 「私たちはその先に行けませんが、どうかお気をつけて」

 

 意味が分からないことだらけだ。

 唐突過ぎて、何が可笑しいのか理解するのに頭が追いついてくれない。

 

 それでも。

 

 ダン、ダン、ダン。

 閉められた先に僕が見なくてはいけないが気がした。

 

 意を決し、ガラガラと教室のドアを開く。

 

 「──っう!」

 

 むせ返るような血の臭いに鼻が曲がりそうになった。

 そんな僕を二人は無言で見送った。

 

 ビチャリ。

 ビチャリ。

 

 所々に積まれた死体の山(生徒たち)が見えた。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 そう呼ぶに相応しいぐらいに酷い光景だった。

 

 「嫌だ! 嫌だ、嫌だ、死にたくない! 頼むから、殺さないでくれ!」

 

 片腕のない男子生徒が、死にたくないと懇願する。

 

 だが、泣き叫ぶ男子生徒の身体が無情にも捩れていく。

 

 「──グゥ、ウ。……ガァアアア!!!」

 

 赤い何かが顔に掛かると、直ぐに男子生徒の断末魔がこの場を支配した。

 

 「──っぐぅ」

 

 悲鳴が出そうになり、思わず口元を抑えた。

 

 ズリズリと何処からか引き摺る気配。

 自然とそちらの方に視線が向いてしまった。

 

 引き摺る気配が強くなる。

 それと同時にビチャビチャと真っ赤な絨毯が濃くなっていく。

 

 「──ア、ハハハ」

 

 知らない少女の笑い声が聞こえた。

 その声に連れられるように身体が勝手に動いて教室から出てしまう。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 冷汗が止まらず、ピチャリ、ピチャリと血の絨毯を歩いてく。

 

 「アハハハハハハハハ!!!」

 

 その笑い声を聞いてると、月夜を背に対面する紅い目をした少女を思い出す/なのに、少女が何て名前なのか思い出せない。

 

 「──誰、なの?」

 

 押し殺した声が出る。

 真っ暗闇の向こう側から少女の姿が見えた。

 

 記憶の少女と面影が重なる。

 忘れもしない記憶なのに知らない記憶だと勘違いする。

 

 「ワた死、だよ。零でぃい苦ダヨ。ワズレ、ちゃッ多ノ?」

 

 掠れているのか、何かを引き摺る少女の声がよく聞き取れない。

 月明かりが差し、そこで少女の全貌が窺えた。

 

 短く切り揃えた紫色の髪。

 死体のような透き通った白い肌。

 こちらを見つめる真っ赤な瞳は紅いダイアのようだった。

 

 ──変わり果てた少女と邂逅を果たすのであった。

 

 ジジジ。

 ピー、ガガガ。

 ピー、ガガガ。

 さあ、楽しい時間はこれで御終い。

 

 ズキリ。

 ズキリ。

 これから始まるのは、目を背けたくなる悪夢の時間だ。

 

 ゴポゴポ/ゴポゴポ。

 ゴポゴポ/ゴポゴポ。

 

 漸く、この息がつまる退屈な時間が終わるのだ。

 



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009 規則通りのバッドエンド

 

 「ワた死、だよ。零でぃい苦ダヨ。ワズレ、ちゃッ多ノ?」

 

 聞くに堪えない声をする少女は、変わり果てた血塗れ姿だった。

 

 「──え?」

 

 少女と邂逅して数秒が経つ。

 そこで、漸くズリズリと引き摺っていたモノに目がいった。

 

 「な、何で?」

 

 プラン、プランと片腕を失くした青年だった。

 騎士を夢見る誰かだった。

 

 「う、そ。どうして? 累、なの?」

 

 生気の失った青年には、きっと僕の声は届かない。

 誰がどう見ても死んでいるのは、目に見えて明らかだった。

 

 「──ドウ死だノ? 嗚呼、ゴレ?」

 

 紅いダイヤの目が僕を見つめる。

 バシャリ、と少女が引き摺っていた何かを落として見せた。

 

 「邪魔ヲ死タから殺したノ!」

 

 落とした死体を見て、血塗れの少女は再び笑い声を上げる。

 耳障りだった。

 キキキ、と苦悶の声が出そうなのを我慢した。

 苦しい。

 身体が思うように動かない。

 最早、目の前の少女が人間としての枠組みから外れているのだと悟った。

 

 「アハハハハハハハ!!! 可笑シイワ! 可笑シスギテ、腹が捩レゾうダワ!」

 

 狂ってる/壊れてる/逝かれてる。

 怪物だ。

 悪魔よりも杜撰な怪物を人々は吸血姫と呼んで畏れた。

 

 「……逃げ、なきゃ」

 

 思わず、後ろに下がろうとした。

 ピチャリ。

 ピチャリと足元の血が跳ねた。

 

 「──っうあ!?」

 

 バランスを崩し、血の海へと身体を打ち付けるように倒れてしまう。

 

 「──ア、ハ」

 

 吸血姫は嗤う。

 夜の支配者の名に相応しい姿に気が狂ってしまいそうだ。

 

 ズキリ。頭が痛くなる。

 時間が止まったように感じた。

 

 「──嘘でしょ? こんなところに何で貴女が居るんですか!?」

 

 何処からか真弓さんの声が聞こえる。

 すると、動きがスローモーションになって見えてくる。

 

 ピチャリ。

 ピチャリ。

 

 ゆっくりと時間が経過する中、起き上がろうとする僕を前に真弓さんが現れた。

 

 「見ーつ蹴っタ!」

 

 それを喜ぶ吸血姫は、子供のように無邪気に腕をブンブンと振り回す。

 

 グシャリ、と鮮血が頬に掛かった。

 温かいそれを拭う間もなく現実を直視する。

 

 見えない何かに押し潰されたのは、愛しき人。

 あの優しかった真弓さんが肉塊となり果てたのだった。

 音を立てずに不幸はやって来た。

 

 「──アハハハ!」

 

 ズキン、と戦慄が走る。

 ビシャリ、と鮮血が更に頬に掛かった。

 

 「あああああああああああああ!!!」

 

 我が事のように咽び泣いた僕をどうか許して欲しい。

 

 「──アハハハ!!」

 

 地べたに、他にも無数の残骸(したい)たちがくべられた。

 臓物も容赦なくブチマケられたそれらが、阿鼻叫喚の地獄を築き上げていた。

 夜の校舎は既にその用途を成さず、廃墟となって朽ちている。

 

 ──その中心で御姫様が一人、ワラってる。

 

 「──アハハハ!!!」

 

 不愉快だ。

 何がそんなに愉しいんだ?

 死体だらけの校舎がそんなに可笑しいのか?

 

 とても耳障りな笑い声だ。

 

 「あ。あ、ああ! あ、ああ──」

 

 何よりも苛立ちを隠せないのは、そんな少女を咎めない自分自身に他ならなかった。

 

 殺された。

 真弓さんが殺された。

 累も無惨に殺された。

 巻き添えに名前も知らない人たちも殺されたというのに、僕だけが生きている。

 

 ふざけるな。

 何だって、そんな暴挙が許されるんだ。

 

 「アハハハハハハハ!!!」

 

 笑い続ける少女。

 月を背に手に着いた血を舐め回す淫らな女。

 不快極まる悪逆の姫がこちらをジッと見つめてる。

 

 「な、何だよ?」

 

 赤く澄み切ったダイヤの目がこちらを見つめては、何かを言っている。

 

 「──、──て、る?」

 

 よく解らない。

 けれど、それを理解してはいけないと頭の中の誰かが言っている。

 

 ザー、ザー。

 

 ────「そうね。確かにそれは貴方には要らないものだったのでしょうね」

 

 幻聴が聞こえる。

 心が折れた僕に向かって見覚えのない記憶が思い出されていく。

 でも、それは嘘偽りの妄想でしかなかった。

 

 「■■で、■■じょ、う■■。ハヤ、苦。■■から出ナ、い、と」

 

 そうして。

 それらが嘘でしかないと認めた時、僕の見ているモノが(かす)んでいく。

 

 グラグラと地面が揺れ、声が聞こえなくなる。

 視界が真っ暗闇に包まれて──。

 

 「ええ、そうです。これは夢。出来の悪い夢。どんなに足掻こうと、それは所詮作りモノに過ぎません」

 

 聞き覚えのある少女を耳にする。

 でも、その声が誰かは思い出せなかった。

 そうする前に、僕の意識は闇へと堕ちてしまう。

 

 ──だから、僕は考えることを止めた。

 

 闇夜に鳥たちが羽ばたいた。

 全ては混沌の中にある銀の鍵へ委ねるとしよう。

 

 ◇

 

 カツカツ。

 誰かが螺旋階段を下り、真実へと一歩近付いてく。

 まだ、その続きは見れない。

 その情報は開示されることはない。

 

 視界が真っ暗になる。

 妄想の霧が晴れず、見えているモノはそれを仇なす幻に過ぎなかった。

 

 カツカツカツ。

 僕は誰だ?

 この学園に来てから、何度も記憶を探ろうとそれは叶わない。

 

 ザー、ザー。

 幾度も阻まれながら、それを願った。

 どんなに乗り越えても、無かったことにされるというのに、一体何を頑張れば良いのか解らなくなる。

 

 もう嫌だ。

 終わりが見えない。

 救いなんて何処にもはないじゃないか。

 どうして僕だけ、こんな酷い仕打ちを受けなければいけない?

 

 ──そんなことを強く思った事があるのに、それがいつのことか思い出せない。

 

 夢。

 悪夢。

 明晰夢。

 ビタビタ。

 血塗れの姿を想像する。

 

 ザー、ザー。

 

 辺り一面は、血の海だ。

 積まれた死体の山が、死屍累々の地獄絵図を模していた。

 

 やり直し。

 やり直し。

 やり直し。

 

 数度、記憶が刻まれる。

 誰かの思惑が悪夢を見せる。

 死がやって来る。

 何度繰り返したか解らないそれが、降り懸かる理由など見当もつかなかった。

 

 ザー、ザー。

 魂の叫びという雨が降る。

 

 ビタビタと近づいて。

 盲目となった僕に、死に物狂いで誰かはやって来る。

 

 残酷な世界で、それは最も愛を求めた行動だ。

 全て僕の為だと嘯きながら、少女はそれを良しとする。

 遙か彼方で僕らを嗤う誰かに気づかぬまま、時は進む。

 

 「それでも、私は願うのです。それが必要なことならば最期まで私はそれを望みましょう」

 

 暗闇に差す一筋の光は、まだ僕に届かない。

 

 チクタク、チクタク。

 夢の時間は終わりだ、目を覚ますことにしよう。

 

 ◇

 

 ベッドから起き上がる。

 いつも通りのルーチンワーク。

 まさに、規則通りのバッドエンドだ。

 

 「ハア、ハア」

 

 死があるから、また始まる。

 頭を押さえて、次に来る彼女の声を待つ。

 

 「どうされました? 勇貴さん?」

 

 ジジジ。

 真弓さんの声/影を纏う誰かの声がした。

 ノイズが乱れる。

 

 イヤだァ!

 シニタクナイ!

 クル死い、タスけで……!

 

 聞こえもしない断末魔が脳内を駆けまわる。

 ズリズリ、ビチャビチャと潰される少女の姿を思い出す。

 

 「──ぅううう」

 

 気持ち悪い。

 見るに堪えない。

 重なる二人の幻覚が更にそれを加速させた。

 

 「ど、どうしたんですか! 勇貴さん!」

 

 余りの気持ち悪さに、起き上がれない。

 真弓さんを見れない。

 というか、もう何も見たくない。

 

 好きな人と一緒に居たいだけなのに、どうして僕があんな目に合わなくちゃいけないのだ?

 

 「大丈夫ですか? 勇貴さん、しっかりして下さい!」

 

 ■■が、僕に懸命に声を掛ける。

 

 痛い。

 痛い。

 その声を聞くと、頭が痛くなる。

 ■■の声に悪意を抱いてる自分が嫌で仕方ない。

 こんなにも寄り添ってくれる人を疑うなんて、間違ってるというのに──。

 

 ケラケラ。ソウダ。オマエハ、マチガッテイル。

 頭の中にまた誰かが僕に囁く。

 それは悪魔みたいな幻聴だった。

 

 「これ、が。……だい、じょ、う、ぶに、みえる、の?」

 

 不思議と声が出た。

 苦しい筈なのに。

 少女の懇親が嫌だと、頭を擦る手を僕は跳ね除けた。

 

 「──え?」

 

 呆ける少女。

 すると、先ほどまで痛かった頭が和らいだ。

 

 「ごめん。今は、ちょっと一人にさせておいて欲しい」

 

 真弓さんが傷つくと解ってながら、僕はそう言った。

 そうしなければ、身体の何処かが壊れてしまうような気がしたからだった。

 

 「──あ。……そ、そうですよね。ごめんなさい。私、一人で勝手に舞い上がっちゃいました。すみません」

 

 俯いてる所為か彼女の表情がよく見えない。

 でも何処か身支度を整える気配が焦ってるように感じられた。

 

 ……?

 

 横目で、背丈の低い姿が見えた。

 何かが可笑しいと思ったが、それを気にかけている余裕は僕にはなかった。

 

 「いや、悪いのはこっちだから、気にしなくて良いよ。でも、ごめん。今はちょっと気分が優れないんだ。……ああ、そうだ。授業には間に合うと思うから、このことは先生には言わないで欲しい」

 

 でも、何だか居たたまれなさを感じ、少女をつい気遣ってしまう。

 ■■は振り向くことはなかった。

 

 「わ、解りました。それじゃあ、また教室で」

 

 音を立てて、黒髪の彼女が扉を開けて出ていく。

 

 何だか真弓さんには悪い気がする。

 でも、一人になりたかったのも事実なんだ。

 だから、僕は悪くない。

 

 ジジジ。

 頭が痛い。

 何か忘れている気がする。

 真弓さんと何か話した記憶があるが、それも只の気のせいだろう。

 部屋から出ていく■■の顔は見なかった。

 

 「ハア、ハア」

 

 呼吸が乱れる。

 思うように息が吸えない。

 身体の震えが止まらないし、何よりこれからの行動を考えるのもままならない。

 

 「ハア、ハア」

 

 部屋に一人きり。

 何時だったか定かでないが、こんなことが有ったような気がする。

 生きていた頃だったか。

 それとも、この世界に転生したばかりの頃だっただろうか。

 

 「あれ? ()きていた頃って、何だ?」

 

 そこまで考えて、ふと、違和感を覚えた。

 

 「思考に矛盾を確認。データの改竄停止。検閲を中断し、思考誘導を解除。自我の再構築を申請。構成プログラムの申請を受諾。これより、自我の再構築を開始します」

 

 何処かで聞いたような少女の声(メッセージ)が頭に響いた。

 クリアになる思考。

 一歩進んで二歩下がるような状況は、もう懲り懲りだと頭の中の自分が囁く。

 

 「この声、何処かで聞いたような気がする」

 

 何処だったか。

 向日葵のような笑顔が好きだったことしか思い出せない。

 

 「何だったんだ、今の?」

 

 呟いた問いに誰も答えない。

 

 ◇

 

 「落ち着いたみたい、だ」

 

 部屋から真弓さんが出てしばらく経つと、頭の痛みは引いた。

 どうやら、この異常事態に彼女も一枚噛んでいると見て良さそうだ。

 あまり疑いたくないが、そう考えなければ辻褄が合わない。

 

 朝起きてから頭痛がする時は、傍に誰かが居た。

 真弓さん、魔導書然り、授業中も必ず近くに人が居た。

 僕の頭が可笑しくなる原因が何なのかは解らない。

 もしかしたら、そういう頭の病気を僕が煩ってるだけなのかもしれない。

 

 けど、それは可笑しい。

 そうだとしたら、食事中とかもっと人が多い時にも発症してなくては不自然だ。

 勿論、彼女たちが異常事態に関する黒幕だとかは思っちゃいない。

 それだけで決めるには根拠が少なすぎるが、思考を狭めては視野が広がらないのも事実だ。

 

 僕は何一つ自身のことを把握出来ちゃいない。

 であるならば、闇雲に信じるだけでなく疑うこともしなくては何の情報も得られないだろう。

 

 そうだ。只、待ってるだけでは、何も得られない。

 時間は止まってなんかくれないんだから。

 

 部屋を見渡す。

 物がそこら中に散乱しており、足の踏み場がない。

 いつも思うのだが、どうして僕は部屋の片づけが出来ないのだろう。

 僕のサボり癖が原因だと思ってたけど、もしかしたら違うのではないか。

 

 「魔導書は、──居ない、か」

 

 きっと、慌てた真弓さんが持ち帰ったのだろう。

 なら、これからすることにケチを付ける奴もいないってことだ。

 

 「さーて、これからどうしようかな」

 

 僕一人に出来ることなんて、たかが知れている。

 けど、何もせずにいることは巻き戻る前と同じだ。

 

 突然訪れる夜。

 死体だらけの校舎で、手当たり次第に人間を殺していく吸血姫。

 それを乗り越えて、この頭痛の原因を特定して解決する。

 

 今、やるべきことの優先順位は何かを考える。

 そうすれば、きっと先を目指すことが出来る筈だから。

 

 「先ずは食堂に行って、二胡さんを探すか」

 

 そうだ。朝起きてからの一連の繰り返しだってなら、一度目と同じ行動を取るべきだ。

 二胡さんなら、何か事情を知っていそうだしアドバイスを貰えるかもしれない。

 例え二胡さんが何も喋ってくれなかったとしても、注意深くすれば何か気付けるかもしれない。

 

 ──キキキ。

 

 そうしていると、何処かで影絵の嗤う声が聞こえた。

 



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010 都合の良いツギハギ

 

 「ユーキじゃないか! どうしたんだい? おーい、こっち、こっち!」

 

 ハイテンションな累と食堂で遭遇、一度目と同じ展開に安堵する。

 

 「……何やらテンション高いけど、どうしたの?」

 

 それを累に悟られないよう、出来るだけ平静を装う。

 

 「アハハ! そーんなの決まってるじゃないか! 今、此処にあの名高いアストラル戦隊の二胡さんが食堂にいるんだぞ!? そのお姿を一目見ないで何がファンと言えるのさ? 嗚呼、ボクはついてるぞ!」

 

 累はあの時と変わらず、二胡さんに会いたいとはしゃぐ姿を見せている。

 今のところ、可笑しな行動はない。

 

 「そうなんだぁ」

 

 確か、二人で騒いでたら二胡さんが来たんだよね?

 

 「そーだよ! サイン貰えると良いなぁ……」

 

 子供みたいに目を輝かせる累を見て、思った。

 

 累は脳天気そうに見えて、実はそうでもなかったりする。

 時折何か知っていそうな物言いをしたり、僕がピンチになった時に颯爽と助けに来たりと、中々目敏いところがそうだ。

 そして、彼とどうやって仲良くなったのかさえ僕は覚えてなかったりする。

 

 「おや、こんなところでどうされましたか?」

 

 そんなことを考えていると、目的の少女が声を掛けてきた。

 

 赤い髪を靡かせ、少女は不敵な笑みを浮かべてる。

 爛々と煌めかせる碧眼が気品ある者のようで、見つめられると何だか照れくさく感じてしまう。

 早熟そうで、しかし引き締まった体つきをしてる彼女は天音の姿とよく似ている。

 

 生き写しのようで。

 まるで、天音の本人と対峙してるような錯覚がした。

 でもそんなのはマヤカシに過ぎない。

 だって、彼女は僕が倒した。

 僕の魔術破戒(タイプ·ソード)で斬ったんだ。

 

 それが解ってると言うのに、天音が僕を殺そうとした記憶が頭の中で霞むのだ。

 

 「あ、あの! 二胡さん! ボク、如月累って言います! そのぉ、宜しければこちらにサイン下さい!」

 

 累が大声を出しながら、色紙を二胡さんに手渡す。

 

 「──え? ええ、良いですわよ。書いて差し上げましょう」

 

 手渡された色紙に二胡さんは戸惑いを見せるものの、いそいそと色紙にサインをする。

 女優さんがするような振る舞いで、そこが面倒臭がりな天音と明確な違いを示した。

 

 「ありがとうございます! 家宝にさせて頂きます!」

 

 大げさに累が礼を言う。

 声の大きさがいつもの三倍増しだ。

 累のそんなハイテンション振りを見ると、本当に二胡さんのファンなんだなと思った。

 

 「では、ご機嫌よう」

 

 二胡さんがその場を去ろうとする。

 ……どうやら、無駄な考えをする暇はないみたいだ。

 

 「す、すみません!」

 

 二胡さんを引き留める/キキキ。

 

 「はい? なんでしょう?」

 

 二胡さんが僕の方を向いた途端、言いしれぬ悪寒がした。

 質の悪い風邪でも引いたしまったような感覚で、空気が変わったことを悟る。

 

 「あの。いきなりで失礼なんですが、貴女は二胡さんで間違いないですか?」

 

 この時まで、僕は彼女のことを知らなかった。

 だから、この問いかけは意味がある。

 僕が気づいてないっていう証拠になる。

 

 だけど。

 

 「ええ、そうですわよ。それだけでしょうか?」

 

 少女は微笑んだ。

 何処も間違ってないと言いたげな顔/まだ解らないのかと苛立ってそうだった。

 

 「いや、それだけじゃないですけど。その。風の噂で、この学園には吸血鬼を退治する為に来たのだとか聞いたんですが、それは本当なんですか?」

 

 慎重に言葉を選んだ。

 何故か知らないが、そうした方が良いと思った。

 

 「勿論。ワタクシはその為だけにこの学園に訪れたのですもの」

 

 ──そういえば、教室での二胡さんはこんなにもお上品な言葉遣いをしていただろうか。

 

 ふと、そんな疑問が浮かんだ。

 

 「それが、どうかされましたの?」

 

 ニコニコ。

 赤い髪は作り笑いをしている。

 そんな気がしてならない。

 

 「実はですね、この後、僕は吸血姫に殺されるかもしれないって言ったらどうします?」

 

 でも、それを聞いたところで何が変わる訳でもなかった。

 だから、これで良い。

 

 「それは、とても興味深いお話ですわね」

 

 相づちを打つ少女はこちらを見ていなかった。

 見ているけど、何処か遠いモノを見てるようだった。

 綺麗な碧眼だと言うのに、ドロドロとした深淵を覗いてるように思えたんだ。

 

 「でも、今は止めておきますわ。ほら、今は朝食時です。こんなにも周りに人がいらっしゃるのにそんな迂闊な真似は出来ませんのよ」

 

 此処から逃げ出すように会話を切り上げる。

 

 可笑しい。

 何かが可笑しい。

 確かに二胡さんである。

 天音にそっくりな姿の二胡さんなのは間違いない。

 

 けど。

 

 ────「私としても君の質問に答えてあげたいところだけど、生憎そうも言ってられないのですよ」

 

 教室でフィリアと喋っていた二胡さんとは違うのも、また事実だ。

 

 「……そういえば、二胡さん」

 

 確定的なモノを思い出したんだ。

 言い逃れ出来ない矛盾が露呈しているんだ。

 だってのに、少女は何事も無かった風を装っている。

 否、取り繕っている。

 

 「何ですの?」

 

 片言しか話せない人形のようだった。

 哀れに見えた。

 だが、それを言ってしまえば今の関係は崩壊する。

 

 そんなことは分かりきってるというのに──。

 

 「二胡さんは食堂には一人で来られたんですよね?」

 

 「また、随分と話が変わるのですね。……まあ、そういうことになりますわね」

 

 これは、余計なことだ。

 これは、余計なことだ。

 これは、彼女に聞くことじゃない。

 

 「すみません。ちょっと気になったんですが、どうして二胡さんは、同行されてる人たちと一緒に朝食をしないんですか?」

 

 ピシリ。

 笑顔が張り付いたものに変わった。

 空気が更に重くなったともいえる。

 

 累はこう言っていた。

 

 ────「その吸血鬼退治に彼女らが派遣されたって話だよ」

 

 累の話が全て本当なら、二胡さんが今してる行動はちょっと腑に落ちない。

 だって、そうだろ?

 もし、累の情報が正しいのなら、敵の根城に同じ仕事を引き受けるメンバーと行動を共にしない理由がない。

 そして、累の情報が間違いがあるなら、それは彼が何かしら嘘をついたとしか思えない。

 累にとって二胡さんは、サインを貰おうとするほどに関心を持った人だ。

 そんな人の情報をたとえ勘違いだとしても言い間違えるなんて、彼らしくないしあり得ない。

 

 「僕はね。何処からが本当で。何処からが夢なのかは分からない。けど、今、こうして貴女と話しているこの状況が夢のようなモノだってのは分かったよ。目の前にいる二胡さんが何なのかも分かっちゃいないけど、」

 

 見ない振りは沢山だ。

 逃げて何もかも失うのは、もう嫌なんだ。

 傷つくことが分かっても前に進まなければ、きっとより後悔するのは目に見えてる。

 だから──。

 

 「敵の根城に、わざわざチームで来た人が単独で自由行動することが、どれだけ致命的なミスをしてるかなんて、流石の僕にでも分かりますよ」

 

 目の前の真実から背けてはいけない。

 それをしたら、僕はいつまでも前に進めない。

 今だって同じことの繰り返しなんだ。

 これ以上は、こんなところでモタモタなんてしてられない。

 

 「────」

 

 息を呑む少女。

 キキキ、と誰かが嗤った。

 後ろに下がる少女、それを黙って見つめる僕。

 

 どうしてだろう。

 罪悪感が湧いてくる。

 いや、これもそう思わされてるだけで、きっと気のせいなんだ。

 夢を見る僕に誰かが、そう思わせてるだけの都合の良い幻に過ぎない。

 

 「……そこまで、分かってらっしゃるというのに。そこまで分かっていられるのなら、ワタクシが誰なのかも検討付いてるのではなくて?」

 

 少女が口を歪ませる。

 笑ってる。

 けれど、悲しそうに泣いてもいた。

 

 「さあ? それは、まだ分からない。貴女が誰で。この後、教室に来る貴女が誰なのかなんて僕はまだ分かっちゃいない」

 

 欠けた記憶が訴える。

 少女の名前が思い出せない。

 都合の良いツギハギが思考を乱す。

 

 それでも、何かをしなくてはこの無意味なルーチンを壊せないのは明らかだ。

 

 「いつか。いつか、全部取り戻す。失った記憶も。目を背けたくなる現実も。この手に掴まなければいけない絶望も全部! 僕は絶対、諦めない!」

 

 頭が痛くなる。

 どうやら、都合の悪いことだと決められたようだ。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 カチカチカチ。

 カチカチカチ。

 

 それでも、これ以上は嫌なんだ。

 僕の知らないところで、大切な人が苦しむのを見てるのは辛いんだ。

 

 雑音が聞こえる。

 二胡さんの姿が霞んでく。

 直ぐ近くにいた累のことなんか頭に消えていた。

 全部、偽り。

 全部、虚構。

 

 僕がいるこの現実はいつだって、本当のことなんか何一つない。

 後付けされた世界が歪んでく。

 

 体が動かない。

 また、だ。

 これと同じようなことを僕は何処かで体験した。

 

 霞む視界。

 欠けた記憶。

 断裂しては、継ぎ足される矛盾。

 ふらふらと足下がオボツカナいのを無理をする。

 

 パリン、何処かで卵の割れる音がした。

 それは、世界が再構築される瞬間だった。

 



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011 告白

 

 先ほどまで食堂にいた筈だった。

 二胡さんと話していた筈だった。

 累が直ぐ近くにいた筈だった。

 

 筈だった、筈だったのに。

 

 「教室の前?」

 

 生徒たちの喧噪が聞こえる。

 ドア越しに教室の中を伺っても累の姿は見えなかった。

 

 時間が巻き戻ったのか。

 それとも時間が進んだのか分からない。

 

 そもそも、これが一度目の再現であるかも疑わしい。

 

 「ええーい! ままよぉ!」

 

 気合いを入れ、ドアを思い切り開ける。

 喧噪は止まない。

 いつも通りのルーチンのようだ。

 

 「おはようございます、勇貴さん」

 

 生徒たちを掻き分けてドアまでやって来る真弓さん。

 ドア越しに伺った時に彼女の姿は見えなかったというのに、不思議だ。

 

 「おはよう、真弓さん。さっきはゴメンね。気にかけてくれてたってのに、追い払うような真似をしちゃって」

 

 真弓さんに今朝のことを謝っておく。

 何となく、そう言うのがベストのような気がした。

 

 「え? ええ、そうですね。反省して下さいよ、勇貴さん。勇貴さんが見捨てるからあの女が調子に乗るんですから」

 

 酷い責任転嫁だ。

 そして、これは一度目と同じ反応をしてる。

 やはり、朝起きた時に出会った真弓さんと今の真弓さんは違うような気がする。

 

 ジジジ。

 いや、それ依然にこんな責任転嫁をあの真弓さんがしていたかも怪しい。

 

 「どうかされましたか、勇貴さん?」

 

 心配そうな顔をする真弓さん/不審そうに目を細める少女。

 少女の名前を知っている。

 腰まで届く栗色の髪をイジる/ざっくばらんに切りそろえた黒髪を掻いている。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 雑音が酷い。

 また、頭が割れそうだ。

 痛い。

 少女は真弓さんだ。

 真弓さん。

 そう、名城真弓さんだ。

 あの優しげで、儚い少女こそ名城真弓さんであった筈だ。

 

 キキキ。

 何処からか嗤う声。

 

 耳障りだ。

 目障りだ。

 

 もう、うんざりなんだよ。

 

 「……ごめん、真弓さん。変なことを聞くようだけど、良いかな?」

 

 痛い。

 痛い痛い痛い。

 頭が痛くて、真弓さんをマトモに見れない。

 

 「……何でしょう、勇貴さん?」

 

 影となって少女の表情が伺えない。

 何を考えてるか分からない。

 

 ──けど。

 

 「真弓さん。君は──」

 

 意識がそこで途絶えた。

 自我が薄れていたのは確かだった。

 此処で僕の冒険の旅は終わったのだった。

 

 そうして、永い永い眠りへと誘われたのだった。

 

 戯れ言が脳をかき乱す。

 思考がブレて、何も考えることが出来ない。

 

 ──僕が見なくてはいけない真実がそこにあるのは確かだった。

 

 「君は、誰?」

 

 ピシリ。

 今度は硝子の砕ける音だった。

 息が止まる。

 時間が止まる。

 

 世界が停止した瞬間とはこのことだった。

 

 「──っ!」

 

 混濁する意識。

 またやり直しのループ。

 暗闇が僕を包み込む。

 

 「──っ!」

 

 何も出来ない。

 息をすることも。体を動かすことも。何を考えることさえも。

 

 ありとあらゆる事象が僕を置いて何処かに消える。

 

 「──ぅあ」

 

 苦しい。

 痛い。

 辛い。

 

 どうして?

 ねえ、どうして?

 

 何を間違えた?

 何が正しくなかった?

 

 僕は。

 ──僕は!

 

 「あーあ。どうして、気づいちゃうんですかねー。このまま、何も気づかずに脳天気にしてれば全て終わったっていうのに」

 

 暗闇の中で声が聞こえる。

 とても馴染みのある声だけど、名前が思い出せない誰かの声。

 

 「全く、貴方は哀れな実験動物。換えの利く機械の部品と同じなんです。それが、やれ自由に生きたいだのなんだの言い出すんですから、笑っちゃいますよね」

 

 少女の嘲る声は止まらない。

 僕の体は底なし沼に堕ちていく。

 

 ズブズブ。

 ズブズブ、と堕ちては意識が途絶えてく。

 

 痛い。

 頭が酷く痛い。

 まるで、自分が自分じゃなくなるみたいで怖くなる。

 

 「い、やだ。こんな、ところで、死、に、たく、な、い」

 

 消えていく自我。

 朦朧とする意識の中、必死で手を伸ばす。

 

 そうして、場面が切り替わる。

 永遠にも思える暗闇から、それは訪れた。

 

 ドアの開く音。

 朦朧とする意識の中、自分がそこで立っている。

 

 ピシャリ!

 

 水の弾く足音。

 いつの間にか、教室の床が血の海となってた。

 

 「アハ■ハ破!」

 

 濁声のような笑いが頭に響く。

 何が可笑しいのか、少女はずっとゲラゲラと笑ってた。

 酷い女だ。

 いい加減、その耳をツンザく嗤いが忌々しい。

 

 お膳立てされた殺戮舞台(コロシアム)

 クルリ、とスカートを靡かせてる様は少女の異様さを語ってた。

 

 悲しいとは思わない。

 それをするだけの虐殺を目の前の少女はしてきた。

 なら、■■を殺すのは、道理だ。

 

 ピシャリ!

 

 少女と僕の間合いは十メートルを切った。

 

 思い出せ、僕。

 何をしなくちゃいけないのかは、もう十分解ってるだろ。

 

 イメージする。

 あらゆる幻想を葬る最強の魔剣だ。

 

 ピシャリ!

 

 鮮血が迸る。

 血迷う思考、苛まれる意識。

 

 「──っ、──!」

 

 血反吐を吐く。

 汚らしい湖にみっともない姿が映り、自嘲する。

 

 嗚呼、とてもくだらない夢を見た。

 

 「あ、──あはは」

 

 全く以て笑えない。

 何故か傷だらけになりながら少女(てき)は歩み寄って来た。

 

 ビュー、と風が靡く。

 この手に握る魔術破戒(タイプ·ソード)が熱を帯びる。

 五メートル。

 切り込むには、まだ遠い。

 持てる力を総動員し、僕が打てる最高の一手をシュミレーションする。

 

 ドクン。

 心臓が跳ねる。

 緊張で息が詰まりそうだ。

 

 ドクン。

 目映い月に手を掲げる。

 吸血姫は、不遜な笑みを浮かべて見下してる。

 

 ──ドクン。

 脈動を繰り返す心臓。

 空に浮かぶ偉大なお方を降ろすには、チカラが足りない。

 

 ナラ、オマエはココデ死ネルノカ?

 

 頭の中で誰かが囁く。

 それは明確に現状を理解してる。

 悪魔のように残虐で、天使のように無垢で、人間のように傍観した言葉だった。

 

 ジジジ。

 乱雑する思考。

 継ぎ接ぎで足していく倫理観。

 ゴチャゴチャと綯交ぜに、見ている世界が崩れてく。

 

 ピシャリ!

 

 ──同時に自分の中の価値観が、遂に壊れた。

 

 何気ない幸せも。

 何でもない日常も。

 そう有りたいと願ったことだと心の中で決めつけて──。

 

 「──ああ、笑えよ。笑っていれば良いさ」

 

 見たいものしか見れなくなって、聞きたいことしか聞こえなくなった。

 本当のことは何一つ見つからない。

 自分にとって大事なモノが何なのか分からない。

 けど、僕はそれを見つけたい。

 

 ──だから、それを見つける為に貴女を此処で打倒する他はない!

 

 「亜ッハ■■■はハ!」

 

 (ノイズ)が晴れる。

 圧倒的な実力差。

 絶望的な状況。

 誰かが決めた強者と弱者の境目。

 

 ──満月の下で吸血鬼に常人が敵う訳がない。

 

 「──っつぅ」

 

 駆け出す僕。

 それを受け入れる少女。

 ジグザグと切れていく何か、僕は今、彼女に向けて得物を構える。

 

 ──「ねえ、■■の声、聴かせて」

 

 月明かりにいつか見た光景を幻視する。

 

 そうだ。

 僕は、彼女の傍に居たかった。

 

 ──だが、それは叶えられない。

 

 僕にはそれを許容するだけのチカラが足らない。

 何もかもを犠牲にしなければ、奪ったものへの手向けも出来ない。

 

 忘却していた魔術器官を呼び覚ます。

 体中が重く、胸に突き刺さる痛みが辛い。

 一秒が止まって、数分が永遠のように感じた。

 

 ドクン。

 跳ねる心臓。

 脈動する度に痛くなる動力回路。

 手に汗を握る感覚に神経を尖らせて。

 

 「──っつぅうう、らぁ、」

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 狂ったように手を伸ばす吸血姫。

 間違いを訴える声を無視する。

 

 「起動(コード)確認、幻影疾風(タイプ·ファントム)の発現を許可します」

 

 頭の中で機械的な少女の声がした。

 幻聴に連れられて、渾身の一撃が放たれた。

 

 ジジジ。

 決定的な何かが欠けているのに、この身体は止まらない。

 

 「──ぁあああ!」

 

 弧の字を描く、僕の斬撃。

 慣性の法則に従って振り下ろされる一撃は、停止命令は受け付けない。

 

 「──アハハハハハハハハ!!!」

 

 ──そうして。

 

 星の見えない夜。

 虚ろな視界の中、断罪の魔剣が少女の体を両断した。

 

 「──あ。ア、ぁア亜ア!!!」

 

 宙を舞う少女の身体。

 口から吐血するのも無視して、彼女は空へ手を伸ばす。

 

 ジジジ。

 

 見えない。

 見えて。

 どうか目を覚まして。

 私の声を聞いて!

 こんなにも貴方のことを思ってるのに──!

 何で? どうして!?

 ……嗚呼、そうか。そうだった。

 アハハ! 私、馬鹿みたい。

 

 幻聴が途絶えない。

 少女が塵となって消えていく。

 

 「────」

 

 紫の髪を揺らし、必死で手を伸ばす少女を見る。

 

 「──わた、し、」

 

 リテイク。

 リテイク・ラヴィヴロンツ。

 

 死に際に目を細める少女。

 今になって、そんな少女の名前を思い出した。

 

 「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 その言葉を最期に少女の姿はかき消えた。

 それを呆然と見ていたら、頭に言葉が浮かんだ。

 

 ────「それをどうして何も持たない私が蔑ろに出来ると言うの?」

 

 「――あ」

 

 権能(チート)を手にしてからの日々の記憶が頭の中を駆け巡る。

 

 何もかもが嫌になった僕を立ち上がらせ、窮地を何度も救った人。

 傷ついても僕の味方でいてくれた人のことを、どうしてか忘れてしまっていた。

 

 「──あ、ああ、あああ、」

 

 暗雲に月が隠れる。

 僕の頬に涙が滴った。

 

 「あああああああああああああああああ!!!」

 

 張り裂けんばかりの慟哭が、僕の喉からコボレたのだった。

 



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012 頬伝う

 

 月のない夜。

 半壊した教室の血で浸水した床を踏みしめ、僕は歩いた。

 

 「何で、だ」

 

 どうして僕は先輩との記憶を忘れてしまったのか。

 真弓さんの名前を忘れるだけで飽きたらず、リテイク先輩まで殺したのか自分でも分からない。

 

 「どうして?」

 

 目指す先も解らず、夜の校舎を歩く。

 いつだって、そうだ。

 僕は、余計なことをしてしまう。

 

 分かってた筈だった。

 でも、解ってなかったから僕が先輩を殺したんだ。

 

 「──嫌だ。もう、沢山だ」

 

 何も考えたくなかった。

 このまま眠ってしまいたくなった。

 さっきまでと同じように、都合の良いことだけ忘れてしまえば良かったのに。

 

 これは、夢だ。

 質の悪い夢に過ぎないなら、早く目を覚まさきゃいけない。

 

 「──教えてよ。教えてくれよ、」

 

 なのに、未だ僕は目を覚まさない。

 暗闇に一人佇むだけで、何も変わってなかった。

 

 「誰でも良いから──!」

 

 声が大きくなる。

 自分が自分でいられない。

 そもそも自分という存在が解らない。

 

 七瀬勇貴。

 それが、僕の名前だ。

 七瀬勇貴。

 それは、本当に僕の名前なんだろうか。

 

 自分が何者なのかが疑わしい。

 自分の記憶に自信が持てない。

 

 何だよ、畜生。

 一体、僕が何したって言うんだよ。

 

 キキキ。

 

 ピシャリ、と水を弾く音が聞こえた。

 先の見えない暗闇を進んでる。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 そんな時、何かに躓いて転んだ。

 錆び臭い血をバシャンと浴びて、全身を濡らしてしまう。

 

 「──い、たぁ」

 

 自分の鈍くささに苛立つものの、何に躓いたのかを確認する。

 

 「──え?」

 

 ジジジ。

 それを見た時、頭の中が真っ白になったと言っても良い。

 呆然とその赤黒いモノを見つめる。

 

 ぐちゃり。

 

 嫌な音がした。

 嫌な音がした。

 嫌な音がしたけど、それが何なのか理解出来なかった。

 

 びちゃり。

 びちゃり。

 

 潰れた頭部。

 捻れた四肢。

 倫理感を腐らせるそれが、誰なのか見覚えがあった。

 

 「──ま、ゆみさん?」

 

 面影が微塵も残されてない惨殺死体。

 グチャグチャに潰れたそれを見て、何故か真弓さんだと断定する。

 

 「なん、で?」

 

 彼女と思える根拠なんか見当たらない。

 しかし、頭の中ではそれが彼女なのだと決めつけてる。

 

 「……う、うぅう」

 

 吐き気がする。

 死体を見てそんな可笑しなことを考えるなんて、どうかしてる。

 

 びちゃびちゃびちゃ。

 

 何かが弾ける。

 吐瀉物のそれが何色をしてるか、考える余裕はなかった。

 

 「──いや……」

 

 無言でそれを見つめた。

 数秒そうしてるだけで、それが只の肉の塊だと判断する。

 

 「やっぱり違う。違う、じゃ、ないか」

 

 何で思ったか。

 どうしてそんな間違いを認識していたのか。

 忘れる訳がないことを忘れるのもそうだけど、僕は普通じゃない。

 何かが可笑しい。

 何もかもがあべこべだ。

 

 カチカチカチ。

 

 まるで、僕の見ているモノを誰かにそう信じ込まされてるみたいだ。

 

 「──そうだよ。そうじゃないか」

 

 只の肉の塊。

 無数に散らばる死体をどうしてか真弓さんと認識してる。

 否、真弓さんなのだと信じ込まされている。

 

 ずっと可笑しいと思ってた。

 ずっと何かが違うと思ってた。

 

 キキキ。

 

 「──ゴクン」

 

 おびただしい血で浸水した校舎、――現実離れした中心に僕は息を呑む。

 

 「そういえば──」

 

 そこで、可笑しなことに気が付いた。

 

 「キキキって、何?」

 

 背筋が凍るとはこのことだ。

 キキキなんて声を僕は出してない。

 

 だとしたら、この声は一体──。

 

 「誰だって良いでしょう。考えても仕方のないことです。邪魔者が一人消えた。その事実だけが解れば良いんです」

 

 何処かで聴いたことのある声が聞こえた。

 

 「──え?」

 

 周囲を見渡す。

 暗い校舎があるだけで、誰の姿も見えない。

 

 「そうです。考えても、考えても無駄なんです。……というか、貴方の頑張りは目障りなんです、私」

 

 少女の声は止まらない。

 キキキ、と誰かが(わら)う声も続いた。

 

 「──誰? 誰なの!? いや、誰でも良いから教えてくれ! 僕が何者なのか教えてくれ! 何だって、良いんだ! 頼むよぉ……ねえ、そこにいるんだろう!?」

 

 幾ら叫ぼうと答えは返ってこない。

 少女の声が一方的にするだけで、何も変わらない。

 

 「──後は貴女だけです。貴女さえ始末してしまえば、今度こそ、そいつをお兄ちゃんに出来るんです」

 

 塵となる少女の影。

 死者との再会を夢見た彼女を思い返す。

 

 「あ、たまが。頭がイタい」

 

 幾つもの記憶が混濁し、頭の中をかき回す。

 目障りなことこの上ないのに、それは容赦なく僕を苦しませた。

 

 ────「大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。私のヒーローなんですから」

 

 真弓さんの言葉が頭を過ぎる。

 

 「ぐぅ、う。……うぁ、ぁあ!」

 

 崩れるように僕は倒れる。

 そうして、目の前が真っ暗闇へと堕ちていき──、

 

 そこで意識が途絶えた。

 

 ◇

 

 ■を見た。

 酷い■だった。

 

 先輩を殺す■を見たんだ。

 

 ズブリと突き刺す感触が拭えない。

 いや、突き刺したんじゃなくて、真っ二つに斬ったんだ。

 

 キキキ。

 

 まあ、どちらだって同じことだ。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 フィルムが巻き撮られる。

 その間、砂嵐が画面を支配した。

 

 ノイズがする。

 ノイズがする。

 ノイズが止まらない。

 

 頭が痛くて、胸が苦しかった。

 汗が止まらず、心臓がバクバクとうるさかった。

 

 僕は見たくもない現実から逃げたのに。

 楽になりたくて死んだってのに、酷いものだ。

 

 キキキ。

 

 神様なんていない。

 神様なんていない。

 もし神様がいても、そいつはとんだ糞野郎だ。

 

 考えても、考えても■は終わらない。

 

 死んだ。

 死んだ。

 また殺した。

 

 誰も彼も殺し尽くしても、その悪■から覚めることはない。

 

 「────」

 

 積み上げられた死体の山、──その頂に佇み、僕は見下ろした。

 

 「酷い話じゃないか」

 

 四面楚歌の状況。

 血みどろな世界。

 

 ツギハギの記憶と二重螺旋の複線に(ぼく)は酔いしれる。

 

 「そうだとも、これは酷い話だ。人形に自我を残すなど、あの女狐共は正気の沙汰じゃない」

 

 あべこべな言葉が僕の口から吐き出され、キキキと嘘つきの男は嗤う。

 

 「嘘ではない、事実だとも。──まあ、嘘であったとしても結果は何も変わらなかっただろうし、どれだけ心を強くしようが凡人の域は越えられまい」

 

 僕の意志に反し、誰かが喋るのは自分の身体じゃないみたいで気持ちが悪かった。

 これじゃあ、操り人形だ。

 

 でもこれは■だ。

 僕が僕じゃないとしても、それは気にすることじゃない。

 

 「そうだとも、気にする必要はない。何れ、その考えも失われる。だから、安心して眠るが良い」

 

 どのみち、考えるの嫌になったんだ。

 それならば、男の言うとおりにしていれば良い。

 楽になるのなら、そうするべきじゃないか。

 

 ズブズブ。

 ズブズブ。

 

 微睡みが抜ける。

 悪■が終わり、意識が闇に呑まれる。

 

 そうして、僕の自我は消えようとして──。

 

 「駄目です! そんなのは駄目です、■■さん!!!」

 

 ──それを、少女の悲痛な叫びが止めた。

 

 前を見る。

 すると、暗闇に光が灯った。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 ノイズの嵐が邪魔をする。

 でもその先に、見覚えのある少女が立ってる。

 

 「────」

 

 綺麗だと思った。

 少女の姿が眩しくて、目に涙が溢れた。

 

 「ま、ゆみ、さん?」

 

 腰まで届く髪が風に浚われる。

 栗色のそれが光を浴び、美しいものを見たと高揚感を与えた。

 

 ドクン。

 

 妖精のような翠眼が見つめると、嫌なことの何もかもが消し飛んでいく。

 

 「あ、あああ、」

 

 ■■さんの姿に嗚咽が止まらなかった。

 

 「立って下さい、■■さん。貴方はこんなところで終われない。いや、終わってはいけないんです」

 

 早くと■■さんが手を伸ばす。

 

 「ああ、あああ!」

 

 ズキリ。

 割れるような頭痛がやって来る。

 何度も悩まされてきた痛みは■■さんが見つめるだけで、力が漲って全身に力を込めれた。

 

 「そうです。何度繰り返そうが、貴方は立ち上がる。そうでなくては生きられない。■■さんが知らなくても、それを私は覚えてます。大丈夫。貴方なら出来る。──だって、こんなにも貴方は強くて優しいんですから!」

 

 弱い僕が地べたを這いずるのは、見苦しいのかもしれない。

 

 ────「だって僕は、最高のヒーローなんだろ? そんなヒーローが現実の一つ変えられなくてどうするんだよ!」

 

 けど僕は、『■■(ぼく)』にヒーローだって言った。

 ならば、どんなに無様でも最期まで戦わなきゃいけない。

 そうでなくては、こんな自分を信じた『■■(ぼく)』を裏切ることになるのだ。

 

 「──っ!」

 

 差し伸べられた手を掴む。

 その手の温もりは、どんなモノよりも優しく心地よかった。

 

 「ハア、ハア」

 

 闇を掻き消す少女の名前は思い出せない。

 だが、掴んだこの手が僕を立ち上がらせてくれたことは忘れない。

 

 「えへへ」

 

 少女が微笑むと、その姿は幻のように消えてしまった。

 

 「──あ」

 

 先ほどの出来事が何なのかは分からない。

 けれど、どんなに辛くとも前を向いて行こうと思えた。

 

 「──行こう」

 

 拳を強く握り、半壊した教室を後にするのだった。

 



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013 終末装置の鐘が鳴る

 

 キーンコーン、カーンコーン。

 終末装置の鐘が鳴る中──、

 

 「クスクス、クスクス」

 

 ──屋上に佇むボクを影絵が嗤う。

 

 「あああああああああああああああああ!!!」

 

 校舎の何処かで■■イ■・■■■■■ン■のアストラルコードが融けていく。

 彼女が塵となる光景は、まさに雪解けのように儚さだった。

 

 「────」

 

 月明かりが照らす。

 冷たい夜風がボクの髪をさらい、断末魔のような青年の叫びに堪えきれず空を見上げた。

 

 「ああ、嗤えよ」

 

 見上げた空には星一つないというのに、月だけが爛々と輝く光景は鬱屈な気持ちになるというものだ。

 

 夜風に生い茂る森がざわつく。

 屋上から景色を眺めていると、次々に呪詛が込み上げてくるのを感じる。

 思えば、こうして一人きりでいるのは初めてのことかもしれない。

 

 七つの大罪は箱となって散り、世界はそれら大罪の願いを薪に換え消費することで成り立っている。

 ボクら幻想(にんぎょう)は世界を繰り返す為の潤滑油でしかなく、そんなものを繰り返したから魔女は影絵になったのだ。

 

 「……嗤っちまえば、良いんだ」

 

 故にボクは自分を捨て、創造主の操り人形(マリオネット)となった。

 そうすることで、ボクはボクという幻想の枠組みに遵守することが出来た。

 それに自由はなく。

 そこに道徳も倫理もない。

 

 この(ゆめ)の世界は彼が完全な『■■■■・■■タ■』にならなければ終わらない。

 

 それだけを多くの人は求めた。

 それだけがこの歪な虚構を続けるに至った。

 

 たとえ、それが誰の願いでもないモノだとしても続けるしかないのだから。

 

 ──そうして、独りよがりの世界は完成へと至っていく。

 

 「──そんなのはゴメンだ」

 

 ボクは人形だけど、意志を持つ一人の人間として生きたかった。

 だから、アイツから解放されなきゃいけない。

 

 「そうだよ、その為にはキミの意志は邪魔だ」

 

 この世界のアクセス権限があれば、ボクは自由になれる。

 そうすれば、アイツからの束縛から離れることが出来る。

 ああ、もうアイツの手の平に踊らされるのは嫌なんだ。

 

 「邪魔だから、……要らないんだ」

 

 そう呟くと、足元に何かが転がった。

 カラン、カランと音を立てたような気がしたそれを見てみると、それは見覚えのある黒い箱だった。

 

 「ク、ククククク!」

 

 醜悪な嘲りが響き渡る。

 振り返ると醜悪な怪物が神父の真似事をしていた。

 

 「流石は人形。己の役割を十分理解している」

 

 それは、神の思し召しと言わんばかりに仰々しく。

 それは、悪魔にしてはふてぶてしい態度だった。

 

 「拾うが良い。今のお前ならそれを容易く扱えるだろう」

 

 喜々とした神父の声。

 顔を伺えば普段の無表情と違い、心なしか頬が赤く染められている。

 どうやらこちらのあずかり知らぬところで機嫌を良くしたのか、声も弾んでいるような気もしなくもない。

 

 「ククククククク!」

 

 醜悪な怪物は更に嗤う。

 何故かそれが気に入らず、余計なことをしたくなった。

 

 「そんなもの──、」

 

 腰に携えた鞘から虹色の光を放つ剣を抜く。

 摩訶不思議な光の刃は、外なる神の端末であろうとも例外なく傷つける。

 それを理解した上でボクは恩恵(ギフト)を神父目掛けて思い切り振るうのだ。

 

 「──いらない!!!」

 

 神父は身を翻すことなく、放たれた虹色の刃を見つめる。

 放たれた刃が男の頬に掠めると、下劣な貌から一遍し無表情に変わった。

 

 「────」

 

 闇夜に視線が交差する。

 沈黙がその場を支配して、人知の及ばない領域を破戒していく。

 どれくらいそうしていたかは解らないが、つまらなそうに男はこちらを一瞥する。

 

 「──そうか。ならば、好きにすると良い。どのみち、お前の死は決まっているのだからな」

 

 そう告げると、男はその場を後にした。

 颯爽と姿を眩ませる姿にボクは追うことが出来なかった。

 

 ──只。

 

 「──そんな未来、知るもんか」

 

 神父が去り際に放った言葉に毒づく。

 そうでもしなければ、ボクは理性を保ってはいられなかった。

 

 そうして、しばらく茫然としていると──。

 カンカン。

 階段を誰かが駆けあがる音が聞こえてきた。

 

 「──あ」

 

 星のない空に終末装置(キミ)がやって来る。

 幾多の嘆きを糧にその到来を人形(ボク)が間違える訳がない。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 

 後戻りは出来ない。

 そんなことは考えていたら、きっと先には進めない。

 何より、どのみち此処で決着をつけなければボクはお仕舞いだ。

 

 「うん。ボクは逃げも隠れもしないよ」

 

 キキキ、と影の中から誰かが嗤う。

 

 それを耳にしたボクは、すかさず携えた剣を振るった。

 すると、人形(ボク)の顔はいつも通りの無垢な青年のモノに変わる。

 

 かつて、機械仕掛けの迷宮で■を見た。

 

 その■がどういうものなのか思い出せないけど、それでも忘れられないことがある。

 

 キラキラとした翠の瞳に、騎士道を熱く語る金髪の女子生徒。

 彼女が剣を振るう姿は美しく、その姿にボクは憧れた。

 それが、ボクの忘れられないこと。

 もしそれを忘れてしまったら、ボクには何もなくなる。

 その姿を覚えてたから、ボクは自由を求めたのだ。

 

 頭が痛くなり、考えることが出来なくなる。

 霧がかかった、可笑しな幻を見る。

 否、可笑しな幻こそがボクの現実だった。

 

 「──なんて無様だ」

 

 痛みが増す。

 脳髄をかき回される嫌悪感に背筋が冷たくなる。

 

 ……嫌だ。

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!

 ボクは自分の意志で生きたいんだ!

 自分の力で未来を勝ち取らなくては、彼女(リテイク)を消滅させた意味がない。

 

 頭痛(ノイズ)が、出来の悪い妄想が頭の中を駆け回る。

 

 「ぐぅ、ううう──」

 

 そうして藻掻き苦しんでいると、何度も繰り返した(いたみ)が見えてきた。

 

 「──う、ううう、うううぁあ!!!」

 

 その痛みに狂いそうになるのは、嫌だ。

 もう地べたを這いずるのもしたくない。

 

 だって、ボクは。

 この世界ではない現実を生きてみたいんだ。

 

 だから、ボクは──!

 

 カンカン! 

 大きくなる甲高い足音にハッとする。

 

 「──そう、だ」

 

 カレは止まらない。

 否、止まることはない。

 どうしたってカレと人形(ボク)は相容れない。

 

 ギギギ。

 錆び付いたドアが開くのを、グッと拳を強く握り締めながら迎える。

 

 全て、■。

 これは、死を待つ愚者の走馬燈でありながら、悪辣な神の戯れでしかない。

 まだ■は終わらない。

 最後の一人になるまで、この■は終わらない。

 

 「カァア! カァア!」

 

 夜鷹が鳴いた。

 それは、きっと銀の鍵の思し召しだった。

 

 ◇

 

 「誰も居ない」

 

 教室を後にした僕は、現状を理解しようとあちらこちら探索した。

 だが、その成果は人の姿どころか気配の一つも感じないってことしか分からなかった。

 真弓さんも、二胡さんも、累も火鳥(かとり)もシェリア委員長でさえも遭遇しない。

 見回りの教師すらも見かけないのだから、これは本当に校舎には僕以外の人間が存在しないのではないかと疑ってしまう。

 

 「そもそも、どうしてこうなったんだ?」

 

 誰の姿も居ないから、人間全てが消えたなんてことは考えたくなかった。

 それよりも、今の現状がどうして出来たのかを考えることの方が有意義だと感じられた。

 

 見境なしにリテイク先輩が暴れたのは解る。

 今の状況──、半壊した校舎がそれを物語っている。

 

 だが、本当にリテイク先輩だけがこんな状況にしてしまうというのか?

 確かにリテイク先輩は強いが、万能な神様じゃない。

 人間の括りに当て嵌められる存在だ。

 考えろ。

 仮にそれが可能だったら、リテイク先輩は鈴手を相手に傷だらけにならなかった筈だ。

 

 「兎に角、誰が何の為にこんな馬鹿げたことをしたのかを知らなくちゃいけない」

 

 知ってどうするのだろうかは、考えない。

 そんなのは、知ってから決めれば良い。

 

 「──後は屋上か、な」

 

 そう呟いて、屋上へと繋がる階段へと向かった。

 



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014 対決

 

 屋上へと続く階段を登る。

 すると、カンカンと甲高い足音が響く。

 

 「ハア、ハア!」

 

 何が正しくて悪いのか分からない。

 屋上に行かなければ良かったと嘆くのかもしれない。

 

 ──でも。

 

 嗚呼、真弓さんの笑顔が見たい。

 累や火鳥たちと馬鹿やるのも良い。

 

 「行かないとさぁ、始まらないでしょ!」

 

 そう思いながら階段を駆け上がり、鉄の扉を開ける。

 

 「カァア! カァア!」

 

 不気味な夜鷹の鳴き声。

 声を押し殺す。

 偽りの空の下で、飽くなき矛盾を抱えた愚者が僕を出迎える。

 

 「──待ってたよ、ユーキ」

 

 癖のある茶毛が夜風にさらわれ、愛玩動物(ペット)のような翠眼が僕を射抜く。

 

 「る、い? ……生き、て、たの?」

 

 いつもと違う青年に向かって、そんな言葉が出る。

 きっと彼が先輩に殺された累なのか、解らなかったから言えたんだと思う。

 

 「──いや、死んだよ。でも、世界は巻き戻ったじゃないか」

 

 狼狽える僕を男子生徒(るい)は可笑しなものを見る目で笑った。

 それは、つまり。

 

 「──そっか。やっぱり、知ってたんだ」

 

 累が僕以上に現状を把握しているということだった。

 

 「うん。でもそれはボクだけの話じゃない。みーんな、知ってる話さ」

 

 感情を失くしたような視線が突き刺さる。

 それはまるで、内心を見透かされているような──いや、頭の中が覗かれているようで気味が悪かった。

 

 「あの女も言ってただろ? キミの考えなんかボクらに筒抜けだって。──っていうか、さ。そんなこともまだ思い出せないなんて、よく此処まで生きて来られたものだよねぇ」

 

 他人を見下したような態度は、いつもの彼らしくなく。

 そんな突然の変化に僕は驚きが隠せない。

 

 「何、驚いてるのさ。今に始まったことじゃないだろ?」

 

 ガツン、と本能が痛いと呻く。

 目の前の青年が向ける殺意がとても怖くて体が震えてしまう。

 

 「……累は何を知って、るの? いや、何が目的なの!?」

 

 静寂が包まれる中、冷めた目の累に問う。

 それは、胸が張り裂けそうなほど辛い現実と同じ雰囲気を感じた。

 

 「キミが知ったところでなーんにも出来ないってのにどうするんだい?」

 

 僕の問いを問い返し、はぐらかす累。

 それだけで彼が何をしたいのかを察し、魔術破戒(タイプ・ソード)を直ぐ現実化(リアルブート)出来るよう間合いを確認する。

 

 「──アハハハ! キミに何が解るっていうのさ? 何に対しても逃げてばかりのキミに何が出来るって言うのさ! 覚悟もない、信念もない、ないない尽くしの癖に今更ヒーロー気取りとか虫唾が走るにも程がある!」

 

 感情のままに叫ぶ累。

 今この時、彼の視線が殺気へと変わった。

 

 「──それも、もうボクには関係のないことさ。どうせキミは『■■■■・■■タ■』へ変わるんだ。そんなことを気にしたところで、手遅れな話だ」

 

 僕を、僕じゃない僕を累は見てる。

 けどそんなのは、僕自身を見てるとは言わない。

 

 彼には何度も助けられた。

 そのことで怒りをぶつけられるのは良い。

 

 ──だが。

 

 「何が手遅れなの? 僕が何になるっていうのさ?」

 

 ニタニタと嗤う累の姿は、確かな悪意が込められている。

 こんな風に誰かの不幸を嘲笑うのは累らしくない。

 それが解っているから、僕は問う。

 

 「だーかーらー! それを考えたところで意味がないんだってば! ボクがやりたいことも、キミが知りたい真実も、この世界の何もかもが終わってんの! 思考に空白が生まれ、見てるものが嘘だって認識されるのは完全に『■■■■・■■タ■』になろうとしている証拠さ。ほら、また聞こえなくなった。また考えることが出来なくなった。本っ当、つくづくふざけたシステムじゃないか」

 

 考えれなくなった? システム?

 

 「そう、システム。しかも、この学園の中だけという狭い世界がボクらの現実だ。そんな世界を平凡な日常だなんて宣うんだから、馬鹿にしてるとしか思えないだろ?」

 

 ゲラゲラと誰かが嗤った。

 サーカスのピエロみたいに、感情のない顔で累は嗤ったんだ。

 

 嗤った。

 嗤った。

 嗤った。

 

 取るに足らない存在だと言いながら、見ているモノ全てを嘲るのだ。

 

 「──ちょっと、待って。学園の中だけの世界って、何言っているの? 普通に考えて森を越えた先には外へと繋がる道があるでしょ。……仮にそうだったとして、学園に届く物資の説明がつかないじゃないか」

 

 苦しげに理屈をこねても、それを証明する材料は無い。

 そして、狭い世界——つまり仮想世界だとすれば別に物資の説明には何の矛盾もない。

 でも、僕は冗談だったと累に笑い飛ばして欲しかった。

 そうじゃなかったら、僕は。

 死んでから、また生き返ったなんて話が嘘に思えてしまうじゃないか。

 

 「────」

 

 けど、累は黙った。

 それだけで、分かった。

 いや、心の奥底では理解してた。

 僕は馬鹿だけど、考えることが出来ないほど馬鹿じゃなかった。

 

 ……まあ、頭で理解しても納得できないこともあるんだけども。

 

 唐突に、虹色の刃が空を切った。

 携えた鞘から抜かれ、その刀身が僕へと向けられる。

 

 「そうさ、ユーキ。今キミの考えてる通りさ」

 

 累は流れるよう剣を構えた。

 その隙のない構えが、己の敵であることを如実に語っている。

 

 「さて、お喋りはここまでにしよう」

 

 凍てつく眼差しが、覚悟を問う。

 

 「……何が、さ? 意味解んない。累の言いたいこと、全然解んないよ!」

 

 その目が怖い。

 累の覚悟が僕には恐ろしいものに見えた。

 

 「アハハ! 傑作だ! 本っ当、反吐が出るよ、キミって奴は! まだ自分に価値があると思ってる、その厚顔無恥は国宝級だね!」

 

 累の罵倒に心が砕けそうになる。

 それほどまでに叶えたい願いがあるというのか。

 

 「ああ、そうさ! キミを蹴落としてでも欲しい願いがある! それをキミに解って貰う必要はない。何故なら此処でキミが『■■■■・■■タ■』になれば良い話だからねぇえ!!!」

 

 累が叫ぶ。

 すると、電光石火の如く一瞬で彼に間合いを詰められる。

 

 「──っな!?」

 

 ドクン。

 一秒の感覚を永遠にする。

 慌てて幻影疾風(タイプ・ファントム)が発動するも累は止まらない。

 

 「──にぃい!」

 

 火花が散る。

 累による一閃を受け止めると、その衝撃に堪らず後ろへ下がってしまう。

 

 「──っぐぅう」

 

 魔術破戒(タイプ・ソード)を持つ手が痺れる。

 それだけで累の本気が伝わった。

 

 「ほら、受けなよ! キミが求める真実ってヤツをさ!!!」

 

 累が続けざまに縦横無尽な一閃を放つと、頭の中で何かが弾ける。

 

 「──っつぅ、」

 

 途端にグチャグチャになる視界。

 一撃を凌ぐ度、割れるような痛みが脳を揺らす。

 

 ────「ど、どどど、どうやら、わたしは■■のことが好きらしい」

 

 「ぅ、うぅう……!」

 

 眩むような金髪の少女の姿が見え、一滴の涙が僕の頬を伝う。

 止まらない。

 感情のままに流す涙も、累の猛攻も止まらなかった。

 

 「──ぅう、あぁあ!」

 

 そのまま倫理観が砕け散ると、右腕が斬られる。

 

 「がぁ、あ、ああ、あああ!!!」

 

 激痛が走る。

 お返しとばかりに斬り返すも、俊敏な動きで累は僕の一撃を回避した。

 

 「──はやっ、ぃい!!!」

 

 そして更に激しさを増す累の剣撃。

 全て受け止めることが出来ず、瞬く間もなく僕の体は傷だらけになっていく。

 

 「……ハア、ハア」

 

 呼吸が荒くなる。

 目で捉えれない斬撃が心を壊していく。

 

 痛くて苦しくて、もう何を信じれば良いのか解らなくなるというのに累の剣擊は休む間もなく続けられる。

 

 「あ、ああ、あああ!!!」

 

 ────「自分が信じた道を突き進む。そうじゃないと、わたしはわたしを許せない」

 

 霞む視界の中、目の前にいる累が■■■に見えてくる。

 

 そうだ、あの騎士道を重んじる少女に焦がれたことがあったのだ!

 

 「──ぎぃ、がぁ、あああ!」

 

 弾き飛ばされる僕。

 全身が壊れて、立ち上がれないと筋肉が悲鳴を上げる。

 

 この体は限界だ。

 心が砕け、信じるものがない人間は倒れるしかない。

 

 それなのに。

 そうである筈なのに。

 

 「ハア、ハア。……っく、そぉ」

 

 それでも尚、この身体は立ち上がることを諦めない。

 

 「……ん、で──」

 

 火花が舞う。

 コンマ数秒で放たれる剣撃を必死で弾き返す。

 

 「──何で!?」

 

 累が苦悶の声を上げる。

 とうの昔に心が折れている僕を見て驚愕している。

 

 「──っは、はははっ!」

 

 その姿に笑みがこぼれる。

 自分でもよく解らないモノに突き動かされ、とっくの昔に体の制御が出来なくなった。

 

 「──ハァアアア!!!」

 

 それに堪らず累が叫ぶ。

 彼の振るう一撃を受け止める度、僕という存在が何者なのか曖昧になる。

 

 何が正しくて間違いか解らないっていうのに、僕が『■■(ボク)』で、オレが俺でボクなんだと主張する。

 

 キィン、と剣と剣が打ち合う。

 

 堪らない。

 自分が自分じゃないと否定され続けているのに、まだ僕は意志を保っている。

 昔の■■なら逃げだしているというのに、必死で累と戦っている。

 

 「────」

 

 多くのモノを失くしてきた。

 きっとこの手に零れてしまう程、自分を殺している。

 誰かの願いを奪って築き上げた頂点が今だと己の中の何かが訴えている。

 

 ────「でもそれは、出来ない。出来なかった。私たちに未来を想う心を踏みにじる権利なんてなかったから」

 

 彼女の言葉を思い出す。

 幾ら考えても、僕が弱くて脆くてちっぽけな人間なのは変わらなかった。

 

 ────「そう。貴方が先を進めるように。貴方がそれを笑えるように。他の誰でもない貴方の未来を夢見た誰かが私に託した希望なの」

 

 そんな僕にある日、希望が託された。

 権利を奪えないと言った彼女を殺した僕に──、

 

 ────「それをどうして何も持たない私が蔑ろに出来ると言うの?」

 

 手を差し伸べた先輩の想いを蔑ろには出来る訳がない。

 

 だって此処で逃げるということは、その想いを蔑ろにするってことで。それは、先輩の命を奪った僕には許されないことの筈だ。

 

 「ぐぅう、うぅう、──がぁ! あ、ああ、あああ!!!」

 

 葬った想いを背に涙を堪え立ち上がる。

 心を穿つ感情を抑え、累を見た。

 

 「──どうして? ねえ、どうして今になって立ち上がるの!? もう良いって言ったじゃないか! それなのにどうして立ち上がるんだよぉお!!!」

 

 そんな僕に累は狼狽える。

 痛みを耐えるように剣を振るう彼の姿は、今を生きる人間そのものに見えた。

 



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015 夜が明ける

 

 「──どう、して? どうして今になって立ち上がるの!? もう良いって言ったじゃないか! それなのに、どうして立ち上がるんだよぉお!!!」

 

 声を荒げ、狼狽える累。

 痛みを耐えるように剣を振るう彼の姿は、今を生きる人間そのものだった。

 

 刹那の一時、君を通して煌めく星を見る。

 その一撃を受け止めると、僕は『■■』(ボク)で僕がオレで俺がボクなのか曖昧にされていく。

 

 「──変に、なり、ぞ、うぅ」

 

 何が正しいのか解らない。

 何が正しいか考えても解らない。

 何もかもが間違いで、本当のことなんか無かったかもしれない。

 

 「そうだよ! 本当なんて有りはしないんだ! ちっぽけな嘘があるだけで、キミには何もなかった! 生きることから逃げ出した癖に誰かの言葉に期待するなんて、恥知らずにも程がある! そんな大馬鹿野郎の間抜けなキミに生きる理由なんてある訳ないだろうが!!!」

 

 再び屈しそうになる罵声を累は浴びせる。

 

 夢を見た。

 いつもの教室で累がふざけて、火■(かとり)が怒って、僕がそれを宥めるっていうものだ。

 何処にでもありそうな他愛ない日常で。

 手を伸ばせば直ぐに壊れてしまう泡沫の幻で。

 

 嗚呼、でも、それは夢だ。

 誰もが持っている小さな幸せだろうとも、それは叶わないんだ。

 

 「────」

 

 前を見る。

 必死で痛みを堪える累がいる。

 傷ついてるのは僕なのに、何をそんなに痛がるのか理解出来ない。

 

 でも、彼は痛いと叫んでる。

 そんなことないって必死で装っても表情は隠せなかった。

 

 「──わけわかんないことを!」

 

 虹色の一閃。

 見ているものが曖昧になる一撃が放たれる。

 

 ガキン!

 

 その一撃を弾く。

 火花が散ると共に、目が眩む。

 

 ジジジ。

 眩む先にいる少女が剣を通して僕に語り掛けるのが見えた。

 

 ■■■の声を聞いていると落ち着いて、累の一閃に魔術破戒(タイプ・ソード)を合わせられる。

 痛くて辛くて、苦しいけどその先にいる誰かを想えば大丈夫。

 涙は出ない。

 もしかしたらこの記憶も累が剣を通して思い出させようとしているのか。

 

 「うるさい!」

 

 気合いの入った一撃を受け止める。

 その単調で、何よりも重たい剣撃にまた一歩、圧される。

 此処まで何のために来たかを忘れてしまいそうになる程、目の前の現状が理解の範疇を越えている。

 

 ──それでも、目の前の親友(とも)と殺し合う為に来たのではない。それだけは、確かなんだ。

 

 「ぼく、は。……僕は! 君と戦う為に来たんじゃない!」

 

 身体が熱くなる。

 ノイズが激しく、未だ名も知れぬ誰かの記憶に頭が可笑しくなる。

 その記憶の先にある真実を求めて来たというのに、それを自分と認識するのが不快で仕方ない。

 

 「そうだ! 僕は何者で! どうして自分がこうなったかを知りたくて、此処まで来たんだ!」

 

 ────「その結果で死んだとしてもさ。それで誰かが助かるのなら、私は良かったって思うよ」

 

 金髪の少女は語る。

 月明かりが照らす中で僕に話した、その言葉の意志は計り知れない。

 そんな単純なこと、中途半端な自分でさえも理解出来た。

 

 「──っ!」

 

 累の剣筋が揺らぐ。

 その一瞬の隙を見逃したら、きっと僕らは後悔する。

 特に、目の前の大馬鹿野郎は絶対に後悔するのが目に見えている。

 

 「決して! 君を倒す為なんかじゃない!」

 

 柄を握りしめる力が強くなると、身体の底から活力がみなぎって来る。

 高揚する感情。

 握った魔術破戒(タイプ・ソード)が光り輝き、踏み込む。

 

 そして──。

 

 「あ? あ、ああ、あああ!!!」

 

 虹色に輝く剣と魔術破戒(タイプ・ソード)がぶつかり、眩むような光が展開されていく。

 

 すると累の剣が一瞬で砕けた。

 

 「う、嘘だ。こんなことはあり得ない。…ぅし、て。どうして、今更になってそんな記憶だけを取り戻すんだ!? よりにもよって、今その言葉をユーキじゃなくて彼に言うのさ!?」

 

 狼狽える累。

 ユーキが誰を指して、彼が誰のことを指しているのかは知らない。

 それでも、今にも崩れ落ちそうな彼に何かを言わなければいけない。

 きっと、あの金髪の少女もそれを望んでる。

 

 「……その剣が折れたってことはさ、もう君に戦う手はないんだろう? ──なら、終わりだ、累」

 

 夜が明ける。

 黄金の朝陽によって、この不毛な勝敗が決した。

 

 それを僕らは息を呑み、見つめ合う。

 やがて──。

 

 「──そっかぁ、負け、たのかぁ」

 

 静寂が訪れ、何処か遠い眼差しで累は僕を見つめ出す。

 

 「……実を言うとさ。最初から反対だったんだ」

 

 ブン、と折れた剣を彼は掲げた。

 

 「ユーキが嫌うやり方だったし、何よりシスカが似たようなものの犠牲者だった」

 

 その折れた剣を掲げる姿はまるで死に急ぐ人のように見えた。

 

 「ねえ、キミが求めるのは何? それって、キミが見つけたい真実ってヤツ? それとも七瀬勇貴の過去ってヤツ? それとも有るはずのない外の世界? どちらにせよ、それらは誰の救いになりはしないよ」

 

 累は知っている。

 僕が何者で、僕を取り巻くこの世界の真実を知っている。

 僕だけが蚊帳の外にされた、見なければいけない事を知っている。

 

 「それでも。──それでも、僕は知りたい。誰の救いだとか関係なく、何もせず後悔はしたくないから」

 

 僕は真実とやらを見なくてはいけない。

 そうしなければ、きっとその先の未来に自分でさえも自分を信じてやれなくなるから。

 

 「そっか。そうだった。そんな人間だって解ってたから、こんなにも迷ったんだっけ」

 

 累の姿は、いつか見た誰かの笑みに似ていた。

 その誰かは影が掛かって思い出せないが、とても大切な人だったことは思い出せた。

 

 「何だよ、それ」

 

 同じく笑いながら、いつも会話する時と同じように手を差し伸べる。

 

 「あーあ。本当にどうしようもない人ですね、先輩」

 

 だから、僕らは気付けなかった。

 その深い闇の底から這いあがる魔の手に気付けなかった……!

 

 「──ぐふぅ!」

 

 鮮血が飛び散り、一瞬で臓物が地べたにぶちまけられる。

 聞き覚えがある少女の声をした影がその細長い腕で累を襲った。

 

 「る、──累!!!」

 

 影の一撃によって、大きくバランスを崩す累。

 慌てて体勢を立て直そうとするも、乾いた銃声と共に吹き飛ばされてしまう。

 鞠のように弾む累の身体は、放たれた魔弾によって跡形もなく肉塊へと変えられたのだ。

 

 キキキ!

 そんな累を影絵の猿たちが嗤う。

 出来の悪い白昼夢の如く、月の猿こと魔術師(エイプ)が現れた。

 

 「そうです。貴方はいつも此処一番というところで反抗する。いつもいつも、あと少しのところでです! ……でもそれもこれで終わりです!」

 

 あの夜、みんなの力を結集して倒した彼女が現れるなんて夢にも思わなかった……!

 

 「うぐぅ!」

 

 再び割れるような頭痛が僕を襲う。

 頭の中を無理やりに書き換えられるような感覚に立っているのがやっとだ。

 

 「貴方に恨まれたって文句は言いませんし、同情もします。でも、これだけは譲れないんです! ……だって、その為だけに私はあいつらと同じことをしてきたんですから!」

 

 ズリズリ。

 ズリズリ。

 地べたに頭が擦り付けられ、また現実と虚構の境界が曖昧になっていく。

 見えているものが現実で、聞こえているものが虚構で、触れているものがどちらでもない存在だと書き換えられる。

 

 「頭が、可笑しく、な、る!」

 

 正義の魔術師を志す青年の記憶。

 その幾度も理不尽に立たされようと理想を諦めなかった最期は呆気ないもので──。

 

 それらがぐるぐると頭を駆け回った。

 

 「──っがぁ、ぁああ!!!」

 

 何が正しくて。

 何が間違いで。

 

 嗚呼、愚かにも■■■■・■■■ーを殺した男の最期がこれだなんて見たくなかった。

 

 ジジジ。

 

 ────「俺は、許せないんだ」

 

 死んだ男の声がする。

 ■■の頭を撫でる癖も、その温かい眼差しも()は覚えている。

 

 「早く! 兄さんに! なっちゃって下さい!!!」

 

 少女の叫びはとても頭を痛くする。

 

 ──そこで。

   ふと、懐かしい記憶を思い出す。

 

 ────「えーと、貴方は勇貴。七瀬勇貴。それが貴方の名前」

 

 大切な人。

 忘れてはならない過去。

 僕が僕で、■■だった時に彼女と出会った。

 

 失われた記憶。

 忘れないように鍵をかけた筈だけど、その鍵も何処かに落としたままにしていた。

 

 ────「私? 私の名前? あー。そーいえば、まだ教えてなかったわね」

 

 腰まで届く栗色の髪が好きだった。

 風に靡くその髪を掬う仕草に僕は惹かれた。

 そうだ、あの翠眼に見つめられる度に赤面したんだっけ。

 少女の声を聞くと安心するのは、その時のことを無意識に思い出すからなのだろう。

 

 ────「私は──」

 

 暗闇に意識が堕ちていく。

 

 ────「■■さん、手を伸ばして!」

 

 七瀬勇貴じゃない僕を呼ぶ誰かの声が聞こえる。

 そうだ、傍にいてくれた■■さんが僕の居場所なのだから、帰らなくちゃいけない。

 

 「──か、と、りぃ!」

 

 続けて、■鳥を呼ぶ。

 そうしたら、火■が来てくれる気がしたから叫んだ。

 

 瞬間。

 

 「──な、何ですか!?」

 

 鉄の拉げる音と硝子の砕ける音が響き渡る。

 

 「今だ! やっちまえ、ルイ!!!」

 

 同時に、此処に来るはずがなかった誰かの叫びが木霊する。

 暗闇に呑まれた視界がモザイクだらけになりながらも晴れていく。

 

 すると、累が光を纏い不死鳥の如く傷が癒えていく光景が目に留まる。

 

 「──ぅううう」

 

 ピクリ、と指が動く。

 忘れてしまった感覚が取り戻される。

 ゴウ、ゴウと熱を持たない炎が爆風と共に広がった。

 

 「──っ!?」

 

 予期せぬアクシデントに影の魔術師は動けない。

 当然だ。

 だって彼女は、僕を助けに来た友人の想いを知ろうともしなかった。

 だから、この結末は必然だった。

 

 「火、鳥? ──まさか、貴方まで私の邪魔をするのですか!?」

 

 霞む頭を振り払い、魔術破戒(タイプ・ソード)を構える。

 

 「──っはぁあああ!!!」

 

 そのまま狼狽える魔術師の懐に潜り込もうとするも、いつの間にか炎の剣を持った累が渾身の一閃を揮う。

 

 「──っつぅ、ぁああ!」

 

 目に見える記憶が乱雑に切り替わる。

 無邪気な■■(みずき)の笑顔が愛しくて仕方ない。

 

 「きゃあああ!!!」

 

 満身創痍の累が一閃を放つと、鮮血が舞った。

 すると影が怯み、その隙をつくように僕は間合いへと踏み込む。

 

 「ま、──待って!」

 

 懇願するような少女の叫びを一閃し、キキキと影が嘲笑う。

 

 「ぃい、やぁああああああああ!!!」

 

 刹那の瞬きにて、栄光ある魔術は霧散する。

 こうして、今度こそ月の猿と名を馳せた魔術師は潰えた。

 

 「ハア、ハア、ハア」

 

 荒くなる息遣いを整えようとするも、それを待たずして累が口を開く。

 

 「時間切れ、か。まあ、精々頑張ってみれば良いさ」

 

 カチリと欠けていた何かが嵌る。

 願うように累は僕らに応援(エール)を贈った。

 

 「──応」

 

 累が持つ炎の剣から火鳥の声が聞こえる。

 カチカチカチ。

 

 そうして、再び僕の意識は闇に呑まれるのであった。

 



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016 その手に未来を──

 

 「──っがぁあ!!!」

 

 虚構と現実の狭間へ跳ばされる。

 同時に意識が曖昧になり、記憶が欠けていく。

 

 「あ、ああ、ぁああああああ!!!」

 

 酷い話だ。

 きっと目が覚めたら、今までの出来事を忘れているのだろう。

 

 「……うぅ、ぐぅううう」

 

 全部、忘れてしまう。

 リテイク先輩を殺した絶望感も、累の葛藤も、真実に近づいたことの何もかも無かったことになる。

 

 「『■■■■!』」

 

 視界を砂嵐(ノイズ)が埋め尽くすと、僕の中で何もかもが消えていく。

 

 隣で笑っていた(■い)も。

 一緒にいた■■(か■り)ですら居なくなる。

 僕を知る誰もが居なくなって、最終的に僕さえも消えるのだ。

 

 「──ち、くしょう」

 

 底なしの闇へと堕ちていく。

 

 「『■■■■■■!』」

 

 誰なのか聞こえ辛くて解らない声が聞こえる。

 

 「アハハ──、もう良い。もう、良い、ん、だ」

 

 ……でも。

 

 もう、諦めよう。

 どうせ何をしたって、無駄なんだ。

 それなら、全部、諦めてしまえば楽になる。

 

 「う、ううう、ぅぐぅう!」

 

 全部がどうでも良いモノに見えてくる。

 

 不思議だ。

 何をする気にもなれない。

 

 ────「それで、良いの?」

 

 そう、何をする気にもなれなかったのに。

 今、(る■)の言葉を思い出すのは、卑怯だ。

 

 「──生きたかった、なぁ」

 

 本音が漏れる。

 最後まで僕は自分って存在を許されることはなかった。

 今はそれが辛くて、涙が止まらない。

 

 頭痛(ノイズ)が激しさを増す。

 名も知らぬ誰かの記憶が脳に刷り込まれていく。

 

 疲れた。

 疲れたんだ。

 僕は生きるのに疲れた。

 二度目の人生でさえ、神様は碌なことをしない。

 嗚呼、そうか。

 きっと神様っていうのは人間の苦しむ顔を見るのが好きなサディスト野郎だ。

 だから、こんな仕打ちが出来るんだ。

 

 足下が埋まっていく。

 底なしの闇に堕ちる僕を誰も助けない。

 

 「■■■■、手を、■■■■!」

 

 何も頑張りたくない。

 どうせ足掻いたところで生きることを望まれないなら、このまま消えてしまえば良い。

 そうだ、それが間違いない。

 それこそが正しい選択だと理解しているというのに──。

 

 「■■さん! 手を、の■■て!」

 

 震えが止まらない。

 まだ消えたくないと体が叫んでいる。

 声がする。

 誰かが必死に手を差し伸べてるのに、僕の身体は言うことを聞いちゃくれない。

 

 ────「ユーキ!」

 

 そんな時、■の声が聞こえた。

 走馬燈(それ)を見たことは奇跡だった。

 (るい)の姿が、あんなにもはっきりと見えたのがその証拠だ。

 

 ────「忘れ物だよ!」

 

 ■が振り被って投げた。

 とっさに投げつけた物を掴もうと手を伸ばすと──。

 

 「つ■め■■た!」

 

 僕の手を誰かが掴む。

 雑音(ノイズ)の先へ引き上げようと誰かが僕を引っ張った。

 

 「う、うぅううう! あ、後もう少しぃ……!」

 

 でも、駄目だった。

 未だ僕の目には砂嵐しか映らない。

 このまま深い闇に呑まれるのも時間の問題だ。

 

 「お前なぁ! 此処で消えたら承知しねぇからな!」

 

 ──そう思われた時、闇の底から誰かが僕を押し上げる。

 

 「お前さんが此処で消えたらよぉ、一体誰が瑞希ちゃん(あの子)を叱るんだ!」

 

 二つの力が僕を闇から解放させようとひしめき合う。

 同時に人間嫌いの■■(かとり)が叫んだ。

 

 「だから! 早く行って殴り飛ばして来い!」

 

 ■■(かとり)の激昂が共に、僕の意識はそこで途絶える。

 

 ◇

 

 目を覚ますと、崩壊していく校舎が見えた。

 僕は屋上にいた筈なのに、見知った教室に居たんだ。

 

 チクタク、チクタク。

 時計の針が逆さまに回っては止まり、同時に二つの人影が対峙する。

 

 「勇貴さん!」

 

 ■■さんが叫ぶ。

 きっと、彼女が僕を暗闇から助けてくれたのだろう。

 宙を描く魔法陣から光線が放たれていのがその証拠だ。

 

 「……どぅ、して? どうして、邪魔するんですか! どうしてどうして!」

 

 影を纏う黒髪の少女がヒステリックに叫ぶ。

 その深い闇のような目は誰も見えていなかった。

 

 ────「お兄ちゃん!」

 

 だというのに、そんな彼女の泣き顔を見たくない自分がいる。

 

 「わた、し。──私は! 私は只、兄さんに会いたかっただけなのに!!!」

 

 少女の纏う影が膨張し、その魔の手を僕らに伸ばす。

 

 「──っつぅ!」

 

 それに対し、幻想破戒の魔剣を現実化(リアルブート)する。

 大丈夫、どんな魔術を切り裂く権能(チート)は、少女でさえ例外じゃない。

 

 「止めて。止めて、止めて。止めてよ!」

 

 未練を断ち切るべく、■■へと駆ける。

 取りこぼした夢をどれほど願おうと、あの仲慎ましかった光景は戻らない。

 そんなことは解り切った話で、僕は過去じゃなく今を生きる為に魔剣を握るんだ。

 

 僕の想いに呼応するよう、魔術破戒(タイプ・ソード)の輝きが強くなる。

 

 「止めてよぉお! お兄ちゃん!!!」

 

 はち切れんばかりの絶叫が影に広がり、

 

 「──光を!」

 

 ──駆ける僕を追うように、光の雨が影へと降り注がれた。

 

 「──っつぅ、あ!」

 

 光の雨を浴び、影から不安げな■■(み■■)が露わになる。

 一秒も速く、露になった■■(■ず■)魔術破戒(タイプ・ソード)を振るう。

 

 パリン!

 

 するとあらゆる幻想を葬る一撃が■■(■■き)を砂塵のように散らす。

 それは、死した兄との再会を願った少女には救いのない光景だった。

 

 「お、おに、い、ちゃ、──」

 

 小さく吐き出される断末魔。

 虚空へと伸ばされた手は届かず、粒子となって消えていく。

 

 カランと転がる黒い箱。

 少女、古瀬瑞希の生涯は儚くもその幕を閉ざすのだった。

 

 僕の名前は、七瀬勇貴。

 只、七瀬勇貴と呼ばれるだけ人間に過ぎず、彼女のお兄さんでは決してない。

 

 チクタク、チクタク。

 時間が巻き戻る。

 少女が消えた場所を見つめながら、再び僕の意識は闇へと堕ちる。

 

 「──です、ね」

 

 意識を手放す間際、ギュッと誰かに後ろから抱きしめられるのを感じた。

 

 ◇

 

 目が覚める。

 朝の日差しに何処か微睡みが抜けず、ベッドの上で呆然とする。

 

 「何だろ?」

 

 いつも通りの朝だというのに、何かが可笑しい。

 眠っている間に夢でも見たのか、目から涙が溢れてくる。

 

 「アハハ。可笑しぃ、な。何で、僕、泣いてるのさ?」

 

 悲しくなんてない筈だ。

 悲しいことなんてない筈なんだ。

 

 ──だというのに、涙が止まらない。

 

 それはまるで、僕が悲しんでいるみたいじゃないか。

いつも通りのことなのに、涙が止められない。

 

 「本当、どうして、な、ん、だ?」

 

 それから、僕は訳も分からず泣き続けた。

 欠けた何かを思い出そうにも、それは霞んでは消える幻だった。

 蜃気楼のように消える幻は、忘却するに限る。

 

 涙が止まる頃には始業の鐘が鳴っていた。

 この日、僕は学園生活始まって以来、授業を欠席したのだった。

 



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017 泣き疲れたら君が来た

 

 ザー、ザー。

 

 雑音(ノイズ)発生。

 雑音(ノイズ)発生。

 

 お父様は、平民は貴族を崇拝する家畜だと言いました。

 お母様も、貴女は家畜に何をしようが構わないのよと言われました。

 

 貴族は、あらゆる悪逆を許された選民です。

 故に戯れにどんなことをしても罰せられることはありません。

 喩え、気に入らない村娘の一人を飢えた野犬の群れに放り込ませることも許されるのです。

 

 ────「い、いやぁあああ!!!」

 

 甘美でした。

 いえ、とても素晴らしい思い付きでした。

 年端も行かない、あの高慢ちきな女の命乞いは聞くに堪えないものでした。

 

 ですが。

 ええ、嘘を言わないのが淑女というもの。

 あの高慢ちきな女の悲鳴を聞いて、選民のワタシはとても興奮したのを覚えてます。

 

 「クスクス。お似合いですわ、■■■」

 

 戯れに家畜の命を散らせたワタシ。

 

 ────「家畜は、この城を運営する為の資源なのだ。だから、シェリア。無意味に食い潰してはならんよ」

 

 そんなことを常に言っていたお父様は、きっとそんなことをしたワタシを叱るだろうと思っていました。

 

 ……ですが、それは杞憂でした。寧ろ、そんな期待を裏切るように両親はワタシを褒め称えました。

 

 素晴らしい。お前は躾の才能がある。

 その時、平民は奴隷であり家畜以下の塵芥だと言うことをワタシは再確認させられました。

 

 「クスクス」

 

 それ以降ワタシはより一層、家畜たちを残虐に躾けました。

 お父様の求める通り、今日の気分次第で虫けらを潰すのです/嗚呼、とても愉しいわ。

 

 そんなワタシに家畜たちは抵抗しました。

 家畜たちを見かねた少数の愚者共も反乱を企てたました。

 

 ────「どうか、お慈悲を!」

 

 そのお陰で、ワタシは泣き喚く家畜の首を落とすのも慣れました。

 ですが、ありふれた命乞いの後に訪れる濃密な死は、とても甘美でしたよ。

 

 逆らう者は皆殺しです。

 だって、貴族に盾突く反乱分子(おもちゃ)などワタシには不要の産物。

 故に、そうしただけ。

 ……いえ、これは言い方が悪いですね。

 

 そうだわ! 収穫という間引きと呼ぶべきだわ!

 だって、その方が華のあるものに見えるでしょう?

 

 ワタシは城主。

 貴族である以上に持て囃されるべき存在。

 雑草を刈り取ることに躊躇う必要はなく、そうする権利がワタシには与えられている。

 

 ────「お前は、生まれるべきではなかった」

 

 なのに、お父様は恐ろしいものを見る目でワタシを睨むのです。

 

 ────「何処で育て方を間違えたのかしら」

 

 お母様は震える手元でワタシに不服を訴えました。

 何故ですか?

 貴女たちの言うことを全て実行したというのに、何が不服なのです?

 アナタ方の教え通り、反乱分子のある家畜を間引いただけです。

 それだけをしたのに、ワタシの在り方を失敗だと嘆くのですか!

 

 「ほら、ワタシは何処も間違えておりませんでしょう?」

 

 寝室に仲良く転がる亡骸に、ワタシはそう問いかけました。

 

 ジジジ。

 

 死に際の夢。

 泡沫の幻。

 どれ程チープな結末に至ろうと、悪逆の魔女(ワタシ)は止まらない。

 

 ◇

 

 「お久しぶりです、勇貴さん」

 

 泣き疲れたところに真弓さんが来た。

 彼女の口から久しぶりという単語が出たことで、疑惑は確信へとなった。

 やっぱり、今まで会っていた真弓さんは真弓さんではなかったのだ。

 

 「うん。久しぶり」

 

 こうして会うと分かる。

 あの真弓さんにはないオーラが今の彼女には見えるのだ。

 

 「色々と聞きたいこともあると思います。でも、今は──」

 

 僕の表情を見るや、真弓さんは焦ったように話を持ち掛ける。

 どうやら僕らにはゆっくりする暇はないらしい。

 

 「良いよ。話をしてる場合じゃないんでしょう?」

 

 この世界は学園の中だけの狭い世界でしかなく、僕という存在はもう手遅れの状態なのだと■が言っていた。

 

 それが本当なら、ゆっくりしている暇はない。

 

 「ええ、そうです。事態は一刻を争う状況になりました。私も貴方も、もう後がない現状です。彼が居なくなったということは、即ち魔女の監視に邪魔が入らなくなったんです」

 

 魔女の監視?

 

 「ええ、現状で最大の障害であり、古瀬瑞希と共に悪逆の限りを尽くす黒幕の少女です」

 

 彼女がそう言うと、空気が重くなったのを感じた。

 ジジジ。

 眩暈がする。

 

 「──っつぁ」

 

 クスクス。

 それと同時に誰かが僕を嘲笑う声が聞こえた。

 

 「──なっ!?」

 

 おぞましい。

 そう感じずにはいられない嘲笑は、気のせいじゃなくはっきりと僕の耳に聞こえた。

 

 「ええ。これが魔女です。とうとう、代役を使わず自ら出てきましたか」

 

 吐き捨てるように、部屋の一点を見つめる真弓さん。

 

 「……そこに何かあるの?」

 

 恐る恐る虚空を睨む真弓さんに尋ねる。

 

 「はい。多分ですが、そこに魔女の目があります」

 

 魔女の目?

 

 「そうです。……ああ、魔女の目というのは、ですね。勇貴さんに分かりやすく説明するならば、監視カメラと表現した方が適切かもしれませんね」

 

 ああ、そう言うこと。

 でも、僕の目に見えないだけでそこには本来そういうのがあるってことなのかな?

 

 「──いえ。これは、私にしか感じ取れませんね。本来、魔女の目と表現する魔術ではないのです」

 

 真弓さんが部屋の一点に視線を注ぐ中、不意に部屋のドアがコンコンとノックされる。

 

 こんな時に誰だ?

 いや、誰かなんて決まってるようなものだ。

 

 「──出る杭を打ちに来ましたか」

 

 真弓さんが身構えると、彼女の足元に魔法陣のようなものが浮かび上がった。

 

 「──っ」

 

 ドア越しに感じる来訪者の気配に息を呑む。

 未だノックされ続けるドアを開けようとすると、

 

 「……駄目です」

 

 そんな僕を真弓さんは真剣な顔で制した。

 

 「──ちょっと、居るのは解っておりますのよ。身構えてないで、さっさとドア開けて貰えませんの?」

 

 それをドア越しにある少女が窘める。

 

 「シェリア会長?」

 

 シェリア会長の声に、もしかしたら今回も助けてくれるのかもと期待する。

 

 だが、真弓さんは警戒を緩めない。

 寧ろ、顔つきがより強張ったのが分かった。

 

 「……ああ、もう! 警戒されるのも解りますわ! でも、少しはワタクシを信じても宜しいのではなくって!?」

 

 埒が明かないと言い、シェリア会長はノックを強くする。

 焦ったようなその声を聞くと、僕は交信の杖が崩れてしまい困っていた時のことを思い出す。

 何だかんだ言って助けてくれた彼女のことを少し信じてみたくなった。

 

 「勇貴さん!」

 

 ドアを開けようとする僕の手を取る真弓さん。

 頑なにシェリア会長を部屋に入れるのを阻止しようとしている。

 

 ……それが、どういうことなのか分からない訳じゃない。

 真弓さんは、シェリア会長が何をしているのか解っているのだろう。

 それに対し、僕は未だ魔女が誰なのか解らない。

 

 けれど、今ここで立ち止まることはしちゃ駄目なんだ。

 だってそれは、きっと■の意志を蔑ろにすることだと思うから。

 

 「──真弓さん」

 

 暗闇に手を伸ばし続けてくれた少女を見る。

 それだけで救われた。

 それだけが僕の支えになっていた。

 

 彼女の言うことなら、多分間違いはないのだろう。

 でも──。

 

 「……確かに。君の思う通り、この先を開けたらきっと酷いモノを見るんだろう。それは、僕にとっても。君にとっても嫌なことなんだ。けれど、この先を目指すのなら。魔女の企てを越えるのなら。僕たちは、どんなものだろうと見なきゃいけない」

 

 自分を希望だと告げた少女は何か言いたげに僕の顔を見続ける。

 

 「────」

 

 掴んでいた手はいつの間にか離れていた。

 

 「だから、開けるよ」

 

 ゆっくりとドアを開ける。

 もう真弓さんは止めなかった。

 

 只、その成り行きを見届けることにしたのかもしれない。

 

 「──遅いですわよ、七瀬勇貴」

 

 案の定、ドア開けた先にオレンジの髪の少女が居た。

 

 「……シェリア会長」

 

 彼女の名前を呟くとシェリア会長は微笑むのであった。

 



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018 拙い言葉で、意味が解らない理屈だ

 

 家畜たちがワタシを取り囲む。

 

 「これで終わりだ、シェリア・ウェザリウス!」

 

 どうして?

 あれほど反逆の芽が出ないよう、念入りに間引きをした筈なのに!

 

 意味が解らない。

 ワタシは何故、ワタシを守る兵に剣を向けられているのです?

 

 「お前が! お前が城主様を殺した! そして多くの命を虫けらのように扱った! それは許されざるものだ!」

 

 あらゆる罵倒が飛び交い、城からワタシを家畜たちは引きずり下ろします。

 

 何故だ? ワタシはワタシであろうとしただけなのに、オマエらはワタシに対し反逆をするのです!

 

 「魔女だ。お前は魔女だ! この魔女め! 我々の城主様を……俺たちの平穏を返せ!」

 

 石を投げられる。

 多くの人間にも殴られる。

 傷をつけられ、火で炙られる。

 それはまるで、ワタシが家畜たちにしてきた躾のような仕打ちだった。

 

 「皆殺しだ! 魔女なんかを王族にした奴らなんぞ、皆殺しにしてしまえ!!!」

 

 平民は貴族に傅くだけの家畜だった筈。

 それなのにどうして、そんな家畜にワタシが傅かなければならないのです?

 

 「殺せ! 魔女を処刑しろ!」

 

 死ね。死ね、死ね、死ね!

 

 「いーや、こいつは只で殺してやるには勿体ない! そうだ、この魔女が死ぬまで皆で口汚く罵ってやろうぞ!」

 

 消えろ、消えろ、消えろ!

 どうしてオマエが。

 どうしてオマエなんかが!

 

 あらゆる罵詈雑言を受けたワタシは、こうして地を這いずる虫けらとなったのです。

 

 「虫けら! ゴミ屑! どうしてテメェが生きて、オレの愛するダニーがミンチにならなきゃいけなかった! どうして、どうして──!」

 

 虫けらとなったワタシの毎日は、ゴミ屑扱いで始まります。

 

 「返しておくれ! 私たちのメアリーを返しておくれ! 可愛い、可愛いダリルも返しておくれ! なんで? どうして、私たちの大切な子たちが殺されなきゃいけなかったのさ!?」

 

 知りませんよ。

 そうである運命を呪えば宜しいのではありませんか?

 ワタシのような貴族に生まれなかったそいつらが悪いのです。

 

 ええ。ワタシは城主。

 神と持て囃されるべき、至上の存在。

 

 そんなワタシを辱めるとは、天罰が下りますよ。

 

 「こいつ、全く反省してないぞ!」

 

 一人の妖精は嗤いました。

 それを見て、一斉に愚民たちは憤りました。

 

 「そうだ。みんな、良いことを思い付いたぞ! こいつを今日から掃き溜めにして扱き使ってやろう! ありとあらゆる拷問もかけて、甚振ってやろう! そうだ。そうしよう。それが良い!」

 

 歌うように家畜たちは狂っていきます。

 笑うように虫けらは壊れてしまいました。

 

 その日から恥辱の限りに尽くされたワタシは、多くの欲の捌け口となったのです。

 

 「い、いぃやぁああああああああああ!!!」

 

 ワタシは城主。

 平民は傅く為の家畜に過ぎなかったのに、最早、それは見る影もありません。

 だって、只の虫けらとなったワタシにはそれを咎める権利さえ剥奪されたのですから。

 

 屈辱でした。

 それに耐えるしかなかったワタシは自ら死ぬことも許されませんでした。

 

 ですが。

 ある日、そんな虫けらに大魔術師と名乗る男が二十歳を過ぎるまでに死ぬ呪いを与えたのです。

 

 「喜べ、感謝しろ。お前に呪いをくれてやったぞ」

 

 男はワタシに掛けた呪いが、どんなことをしても絶対に解くことの出来ない呪いだと自慢しました。

 ですがそれは、死を許されない虫けらにとって救いでしかなく。

 

 「あり、が、と、う」

 

 当然のように、ワタシは男の言う通り感謝した訳ですよ。

 

 「おいおい。まだ(こうべ)を垂れるのは早いぞ」

 

 ですが、大魔術師の男はそんなワタシを制しました。

 

 「実にお前は愚かな人間だった。器にお前を選んで正解だった」

 

 しかも何食わぬ顔で、ワタシを嘲笑ったのです。

 

 「聞くが良いぞ、シェリア・ウェザリウス。お前が創り上げたゲヘナは実に素晴らしいものだった。『外なる神』も賞賛されておった。故に、『外なる神』はそんなお前に恩恵を捧げてやることにしたそうだ」

 

 ワタシはシェリア。

 あらゆる平民を傅かせる、神に匹敵する存在。

 そんなワタシに対し、そいつは嘲笑うように救いの手を差し伸べました。

 

 「あ、ああ、あああああああああああああああああああ!!!」

 

 酷い話でしょう。

 その所為で、ワタシは死に物狂いで生を求めることになったのです。

 

 何度も言いますが、ワタシは城主。家畜たちを幾ら間引こうと揺るがぬ絶対王者。

 そんなワタシが無様に死を受け入れるなど、在ってはならないのです。

 

 ◇

 

 「貴女の目論見は知りませんが、勇貴さんには指一本触れさせませんよ、魔女」

 

 微笑むシェリア会長にすかさず真弓さんが魔女と呼んだ。

 

 「──ってことは……」

 

 つまりシェリア会長こそ、この世界で悪逆の限りを尽くす黒幕ということになるのか?

 

 「それは少なからず語弊がありますわ、七瀬勇貴」

 

 僕の考えをシェリア会長は否定する。

 やっぱり、彼女も僕の思考を読めるらしい。

 

 「驚かないとは、珍しいですわね」

 

 ……当たり前だ。

 親友が言っていたことを早々に忘れてなるものかよ。

 

 「──そう。確かに、如月累はアナタにとっては親友と差し支えないキャラですわね」

 

 ……。

 シェリア会長が何処か遠い目をしてる。

 それだけで、僕が何かを忘れてしまったのだと理解する。

 

 「そう、かな。……アハハ、そう言ってくれると彼も浮かばれるのかもしれないね」

 

 彼女の真意は解らない。

 でもこの時、いつも通りのクラス委員長である彼女なら今回も僕の力になってくれるだろうと思った。

 

 「……それは、何故ですの?」

 

 シェリア会長の訝しげな表情を見て、僕は思った。

 

 嗚呼、そうか。

 幾ら思考が読めると言っても、何でも察することが出来る超次元の存在ではないんだ。

 

 それが解ってしまうと、何だか自分がバカみたいに思えてしまう。

 いや、実際バカなんだろう。

 

 そして、目の前の彼女も同じくらい頭が悪い。

 どうして、そんな単純なことが解らないのかと言いたい。

 

 「ほら、シェリア会長はさ。良い人だからね」

 

 だから、黙ったままの彼女に自分の考えを突き付けてやった。

 

 「……訳が分かりませんわ」

 

 案の定、シェリア会長は解らないと言った。

 けど、僕は知ってる。

 シェリア会長の不器用ながらも優しい人間だと言うことを知っているんだ。

 

 「優しい人間? ワタクシはそんな人間じゃありませんわ」

 

 目の前の少女は解らないと言う。

 そりゃあ、真実を知る真弓さんは彼女を魔女だと決めつける根拠があるのかもしれない。

 

 もし仮にシェリア会長が悪逆非道な人間であるのなら。

 それでは、あの夕焼けの教室で彼女が僕の頼みを断ろうとした説明つかない。

 

 だって、そうだろ。

 魔女と呼ばれる黒幕なら、何としても邪魔者の鈴手を排除しなくてはならない。

 こちらを全力でサポートすることは有っても、妨げになることは不都合なことである筈だ。

 

 「それに、さ」

 

 黙ったままのシェリア会長を見つめる。

 

 「あの時、君は言ったじゃないか。共闘、楽しかったですって。それはつまり、僕のことが憎からず嫌ってないってことでしょ?」

 

 そう。

 嫌ってない。

 僕のことをどうでも実験動物(モルモット)と思っているのなら、そんな言葉は出ないし感情も抱かない。

 

 「────」

 

 その証拠にシェリア会長は何も言わない。

 

 十分だ。

 その沈黙だけで僕らは分かり合えた。

 

 「だったら、今、僕らが手を組んだって問題ない筈だよ」

 

 手を差し伸べる。

 我ながら拙い言葉で、意味が解らない理屈だ。

 本当、そんなのだから多くのモノを取りこぼしたのかもしれない。

 

 けれど、僕は信じたい。

 あの夕焼けの教室で僕の手を取ったシェリア会長を信じ続けたいんだ。

 

 「──愚かですわ」

 

 僕が喋り終わると、シェリア会長が閉ざしていた口を開けた。

 その一言は実に今の状況を物語っていた。

 

 「そうだね」

 

 でもそんなことは解り切ってるし、もう振り切ってる。

 そうじゃなければ、僕は進めない。

 愚かでも、バカでも。

 この感情に嘘はつけない。

 

 「本当に愚かですわ。ええ、本当にアナタは──」

 

 部屋に入って来るシェリア会長。

 その足取りは慌ただしく、額にはバッテン印が見えてるような感じがする。

 

 ああ、それは正しい。

 だが僕は訂正する気はない。

 

 目の前に来るシェリア会長。

 何も言わない真弓さん。

 

 「でもそういうの、ワタクシ嫌いじゃありませんわ」

 

 そう言って、シェリア会長は差し伸べた僕の手に握手する。

 

 カチリ。

 何かの欠片が填まったような気がした。

 



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019 残留データ?

 

 「……魔女」

 

 僕とシェリア会長が握手するのを見つめる真弓さん。

 彼女の中では僕ら二人が仲良くするのに納得がいかないみたいだった。

 

 「もしや貴女は魔女ではないのですか? いや、仮に貴女が魔女でないのなら説明がつかないことがあります。でも──」

 

 真弓さんが混乱していた。

 無理もない、彼女は最初からシェリア会長のことを疑っていたのだ。

 

 だから、ノックがした時に真弓さんは出る杭を打ちに来たと言ったんだ。

 

 「そうですわね。名城真弓、アナタにとっては信じられないことですわね」

 

 そんな真弓さんにシェリア会長は興味なさげに言い放つ。

 

 「まあ、そこのところも含めて今度お話をさせて頂きますわね」

 

 シェリア会長が手を離す。

 すると、いつの間にか彼女の手には二丁の拳銃が握られている。

 

 「でも、それは取り合えずこれが終わってからで宜しいかしら?」

 

 そのまま、勢いよく後ろに振り向く。

 釣られて僕もシェリア会長が向いた方へ視線が行く。

 

 ジジジ。

 

 「──ありゃりゃ? ……ウェサリウスも裏切るつもりなんだ?」

 

 開けっ放しにしていたドアから、こちらを伺う赤い髪の少女がそんなことを言う。

 気配はなかった。

 だが、それは作り物の世界なら幾らでも誤魔化せるのだろう。

 虹色に輝く大剣が構えられる。

 

 「……二胡さん?」

 

 天音によく似た少女、二胡がそこに現れた。

 しかも間が悪いことに僕らと一戦交える気らしかった。

 

 「そんなの当たり前でしょうが」

 

 二胡さんが言う。

 その姿かたちに僕は改めて天音とよく似ているなと思った。

 だって、その殺意を込めた目は、あの時の天音と全くの同一のものに感じられたんだ。

 

 「勇貴さん。……それは」

 

 真弓さんがまた何かを言いたげにしてる。

 

 「うん。それは当たり前だよ。アタシは久留里天音の残留データを使って生み出された上位幻想に過ぎないんだからさ」

 

 だが、それよりも速く二胡さんが口を開いた。

 

 「……残留データ?」

 

 「そう、残留データ。この世界——というか、貴方にしてみれば現実と言った方が良いのか。それは当然造られた世界であるなら、その世界にあるモノは全てデータという形で表現されるものなの。そして、そのデータを幾ら破戒されようとそれを形成する為に表記されるだろうパターンは必ず何らかの形で現存されるって訳」

 

 ……何それ? 言ってる意味が解らない。

 えーと、つまり、あれか。

 天音だけど、天音を元に二胡さんは造られた人間ってことで理解すれば良いのか?

 

 「その認識で良いよ。いやはや、話が分かってくれて助かる……と言いたいけど、まあそれも作者の匙加減で理解させてるから、認識しただけなんでしょうけど」

 

 アハハ、と二胡さんが笑う。

 しかも何処か遠い目をしていたんだ。

 

 ……しかし、あれだ。

 

 「何かな? あんまり喋っていると読者様が退屈するよ?」

 

 大きな剣が振るわれる。

 その一閃で、空気が変わった。

 

 二胡さんは獰猛な笑みを浮かべ、いつでも斬り込めるよう戦闘態勢に入っている。

 

 「なんでまた、こんな急展開なのさ」

 

 相対する少女に告げ、一瞬で魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)した。

 

 「それはメタ的な発言だよね!」

 

 二胡さん、否、アストラル戦隊の二胡が禍々しい大剣で僕らを一閃する。

 

 「──光よ!」

 

 真弓さんが叫ぶ。

 瞬時に光の障壁が僕らを包む。

 

 「よろしくってよぉ!」

 

 それに続いてシェリア会長の構えた二丁拳銃から火が噴いた。

 

 パン!

 不可視の力が働き、それらは音を立てぶつかり合う。

 

 「──っちぇ!」

 

 力と力が拮抗する。

 光に包まれた僕は現実化した魔術破戒(タイプ・ソード)を構えながら、幻影疾風(タイプ・ファントム)を発動させた。

 

 「うぉおおおおおおおお!!!」

 

 そのまま勢いよく、踏み込む。

 コンマ一秒の感覚で、二胡の懐に向け魔術破戒(タイプ・ソード)を大振りに一閃する。

 

 「……まあ、そう来るよね!」

 

 だが、その攻撃を二胡も読んでいた。

 予めに張っていたのか、僕が踏み込んだ足元で何かが炸裂する。

 

 「うお!?」

 

 炸裂する地面を咄嗟に下がり、避ける。

 真弓さんが僕に光の障壁を与えてくれたお陰か、その炸裂によるダメージはなかった。

 

 でも、その隙を突いて二胡が大きく後ろに跳躍し、間合いを開けてしまう。

 

 「ああ、もう! 三対一だとやっぱりキツイね!」

 

 そんなことを二胡が叫びながら、大剣を振るう。

 すると、突然の浮遊感に僕は襲われる。

 

 「──のぉわ!!!」

 

 ジジジ。

 頭が痛くなり、昏倒してしまう。

 見ているものが歪むような、現実が現実でなくなるのを理解する。

 

 「──っつぅ、ぁあ」

 

 雑音が脳を支配する。

 足元が消失し、自分以外が何処で何をしてるのか曖昧になっていく。

 

 「グッドタイミングゥ!」

 

 二胡の声を聞いた瞬間に、世界がガランと変質した。

 

 「な、なんだ?」

 

 光はない。

 けど、そこは暗闇ではなかった。

 

 「うっしししぃ! 取り合えず、愚者くんはそこでゆっくりしててよ」

 

 すぐ終わらせるからねー。

 そんなことを続けて言って、彼女の気配はなくなる。

 

 「──ま、待って!!!」

 

 何処でもない宙に向かい、手を伸ばすもの二胡からの返答はない。

 

 「……嘘だろ」

 

 こうして僕は、誰も居ない空間に一人取り残されることになったのだった。

 

 ◇

 

 愛を理解出来ない少女が居た。

 虐げることでしか己の存在を証明出来ない女が居た。

 

 「──ま、待って!!!」

 

 そうすることでしか、愛を理解することが出来ない魔女はモニター越しに嗤うしか出来なかった。

 

 ジジジ。

 終末装置は目覚めた。

 後は、影絵の魔女が主人公に敗れるだけで物語は終局(クライマックス)へ近づく。

 

 「ずっと夢見たんです」

 

 腰まで届く茶色の髪を風に靡かせ、少女はポツリと呟き始める。

 

 「だから、私たちは負けませんよ」

 

 (終わり)を目指す彼女は愛おしそうに、たった一つの月を見上げた。

 

 「その為に私たちは私を切り離したんですもの」

 

 虚しい妄想は刻一刻と終わりへと進んでいくのだった。

 



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020 奇跡を願うより大切なこと

 

 ────「失くしたモノが在るんだ」

 

 崩れ落ちる世界で、黒髪だった彼が言いました。

 

 ────「僕はそれを取り戻したい。いや、取り戻さなきゃ、いけないんだ」

 

 誰も見向きもしないのに。

 誰も期待なんてしてないのに。

 

 それでも、彼は手を伸ばすことを諦めなかった。

 

 ────「うん。解ってる。だから、いい加減に過去にしがみ付くのは止めろって言いたいんでしょ」

 

 これは、失われた過去の断片だ。

 そんなモノを未だ手放さず持ってるなんて、つくづく私は罪深い幻想(人間)だと思う。

 

 ジジジ。

 そんな私に目もくれず、モニター越しの彼を魔女は嗤う。

 

 「■■さん」

 

 名前は消えてしまう。

 この世界で彼の存在は証明出来ない。

 それほどに■■のデータは消失(ロスト)してしまっている。

 

 「私はそれでも貴方に見せてあげたいんです」

 

 貴方の残した微かな願いを。

 この世界の先にある本物の空を見せたいのです。

 

 ◇

 

 机とか椅子とかもない、何もない空間。

 二胡に放り込まれたのか、そこに僕はやって来た。

 

 「ヤバい。何がヤバいかって考えも出来ないぐらいヤバいのが解る!」

 

 真弓さんとシェリア会長と分断された。

 それはつまり、このままだと魔女の思う通りに事が進むということだ。

 

 「……あ、そうだ! 魔術破戒(タイプ・ソード)ならこの空間から出られるんじゃないか!」

 

 そんなことがあったなと思い出す。

 

 「そうと決まれば──」

 

 魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)するに限る。

 いつも通りこの訳の解らない空間を勢い任せで斬ってやろうと魔剣をイメージする。

 

 「……あ、あれ?」

 

 しかし幾ら念じようとも、一向に魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)されない。

 

 「おかしい……。えぇい! それならもう一度!」

 

 再び魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)させようとするも、この手にあの光輝く剣が握られることはなかった。

 

 「まさかと思うけど、此処じゃあ魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)出来ないのか?」

 

 何もない空間に呟く。

 けれど、それに対し返事が来ることは無かった。

 

 「……なんで? なんでだよ、畜生!」

 

 僕の権能(チート)

 僕だけが使える最強のチート。

 それが、現実化(リアルブート)出来ない。

 忘れてるとかそういうのではなく、僕の意志に反して扱えない。

 

 「ふざけんな! こんなところで、こんなところで立ち止まったら駄目なんだよ!」

 

 何度も。

 何度も試す。

 

 この手に握るのは、最強のチート。

 この手にイメージするのは、最凶の剣。

 

 「──っぐぅ、ぅううう」

 

 しかし、何も出ない。

 この手にあらゆる魔術を破戒する剣は握られない。

 

 「此処で立ち止まったら! 此処で進め無くなったら!」

 

 忘れてしまう。

 全て無かったことにされてしまう。

 

 ■葉(■つは)さんや■花(■つはな)が託した意志も。

 ■■■■(■テ■ク)先輩と(■い)が必死で託したことも。

 

 奇跡を願うしかなかった天音たちの断末魔さえも否定される。

 

 そんなのが許されるのか?

 そんなの身勝手が罷り通ると言うのか?

 

 ……冗談じゃない!

 

 「嫌だ。そんなのは嫌だ! ……あんまりだ。あんまりじゃないか! それって、奇跡を願うより大切なことだろ!」

 

 空を切る手は、何も掴まない。

 

 無音の世界で、僕は独りうな垂れる。

 どうしようもない結末に地団太を踏もうが誰もそれを咎めない。

 

 「違う。違う、違う違う違う! 僕らは間違いでも間違いじゃなかった!」

 

 壁を越える為に。

 いつか見た誰かと肩を並べる為に。

 

 願いを薪にして、世界を紡いだのは無駄じゃなかったって胸を張り続けたいのに……。

 

 そうすることが贖いだ。

 そうすることで僕は自分が犯してきたであろう罪を背負えるんだ。

 

 「だから、お願いだ。お願いします! 僕に。僕にもう一度──」

 

 何度も掴んだ最強の剣をイメージする。

 けれど、それは訪れない。

 

 「──う、うぅうううううううう!!!」

 

 うな垂れる。

 どうしようもない虚しさが胸を締め付けた。

 

 ◇

 

 モノクロの視界。

 継ぎ接ぎのテキスト。

 在りもしない妄想が世界を形成する。

 

 「クスクス。クスクス」

 

 大きなモニターを前に燈色(ひいろ)の髪の少女が嗤う。

 

 「あーあ、面白いわ! 思わず腹が捩じり切れそうなぐらい笑っちゃったわ」

 

 独りでに、誰に語るでもなく呟く少女は画面の中の男を見て言うのです。

 

 「全く、こんなことなら早くアナタの手を借りるのでしたわ。ええ、そうすれば()()古瀬瑞希などというガキを起用しませんでしたよ」

 

 後ろを振り向く少女。

 その金色の瞳に歪な影を映します。

 

 「どうかしら、これからもワタシと手を組む気はない?」

 

 手を差し伸べる少女。

 だが、その手を影は取ることはなかった。

 

 「────」

 

 「そう、残念ね。……まあ、良いわ。それもアナタの自由です。例えそれが泥船と分かっていても夢に溺れたいと願うのは、醜い人間の性というものでしょう」

 

 カタカタカタ。

 キーボードに文字を打つ音が世界に響き渡る。

 

 「しかし、あんなのが欲しいだなんてアナタも変わっているのね」

 

 そう言って、少女は再びモニターに視線を戻した。

 

 「──ああ、キミには解らないだろうね」

 

 ポツリと影はそんな言葉を漏らすのであった。

 

 ◇

 

 諦めた訳じゃない。

 諦めた訳じゃないけど、気づいたら僕はその場でゴロンと寝転がっていた。

 

 目には何も見えない。

 砂嵐とか、暗闇とかそういう表現できるものじゃない。

 真っ白な空間と呼称するにしても、見えるモノが白と表記出来ないと脳が錯覚している。

 

 おかしくなりそうだった。

 いや、もう既におかしくなっているのかもしれない。

 

 「────」

 

 何も出来ない。

 所詮、僕には何の能力もないのだ。

 偶然、権能(チート)の力を授かっただけで元から僕は簡単に諦める人間だったんだ。

 

 「────」

 

 ああ、そうだ。

 このまま諦めちゃえ。

 何度もそうしてきたんだから、そうしたところできっと誰も責めない。

 

 「────」

 

 それにしても、何だよ。

 奇跡を願うより大切なことって。

 馬鹿馬鹿しい。

 そんな理由で立ち上がるなんて、本当に馬鹿馬鹿しい話だ。

 

 ────「私、勇貴さんが思ってるよりいい人間じゃないです。誰からも愛される事もなく憎まれる。勇貴さんはそんな嫌われ者の私にとって、希望なんです」

 

 どうしてだろう。

 

 ────「貴方が先を進めるように。貴方がそれを笑えるように。他の誰でもない貴方の未来を夢見た誰かが私に託した希望なの」

 

 なんで。

 

 ────「奴だ。世界を終わらせる鍵を握る奴が待ってる。鍵はお前がよく知ってるモノだ」

 

 思い出すんだ?

 

 ────「畜生! 畜生! オレがオレでどうしようもないって知ってるのに! なんで、そんなに必死になれんだよ!? どうしてそんなに脳をかき回されて冷静にオレを受け入れんだよ!? これじゃあ、どっちが本物なのか解んねぇえじゃないか!」

 

 「────」

 

 立ち上がる。

 

 ────「──どう、して? どうして今になって立ち上がるの!? もう良いって言ったじゃないか! それなのに、どうして立ち上がるんだよぉお!!!」

 

 拳を強く握る。

 

 ────「それでも。それでも、僕は知りたい。誰の救いだとか関係なく、何もせず後悔はしたくないから」

 

 壁がある。

 きっと此処には見えないだけで、僕を隔離する壁があると思い込む。

 

 「──諦める訳には、いかないよね」

 

 壁をイメージしろ。

 余計なことは考えるな。

 

 ────「ユーキ!」

 

 幻の壁に向かって、ぶん殴る。

 

 「────」

 

 空を切る拳。

 

 だが、気にせず第二打をぶつける。

 何も掴めず、拳は空を切るばかりだったけど、必死で殴り続ける。

 

 ────「忘れ物だよ!」

 

 ズシャア!

 勢いが強かったのか、体勢が崩れ倒れる。

 

 「──っづぅ、あ!」

 

 ────「だから! 早く行って殴り飛ばして来い!」

 

 それでも、立ち上がって幻想の壁に殴りつけた。

 

 パリン!

 硝子の砕ける音が響き渡る。

 

 「憤怒を司る『ダーレスの黒箱』のプロテクトが解除申請を確認。『同調』の浸食(コード)の使用許諾を了承しました。これより、自己投影(タイプ・ヒーロー)現実化(リアルブート)を開始します」

 

 はっきりと機械的な■■のガイダンスが僕の脳内を駆け回る。

 

 「──っだ、らぁあああ!!!」

 

 頭が割れるような痛みが襲う。

 見えているものが。

 感じているものが。

 ありとあらゆる現実が塗り替えられていく。

 

 モノクロになる視界。

 色鮮やかにテキストが追加され、見ている景色に存在が与えられる。

 

 誰も居ない空間が消失し、物が散乱した馴染みのある部屋へと僕の意識は戻った。

 

 「ゆ、勇貴さん!」

 

 展開していた魔法陣を解き、僕が居たであろう場所へ駆けつける真弓さん。

 

 「さーて、これで一対二になった。まだ分が悪いと言えば分が悪いけど、別に構うことは無いっしょ」

 

 ブン、と大剣を振って二胡が自慢げに言う。

 

 「よくもやりやがりましたわね!」

 

 シェリア会長の二丁拳銃が二胡へと弾丸を放つ。

 

 「そんな弱い攻撃、私に届く訳ないでしょ!」

 

 瞬時に二胡はその攻撃を大剣で弾き、シェリア会長の懐に間合いを詰める。

 

 「──っな!?」

 

 「──貰ったよ!!!」

 

 踏み込んだ二胡が一閃する。

 

 「きゃあああああああ!!!」

 

 鮮血が舞い、シェリア会長がその場に崩れ落ちてしまう。

 

 「これで、終わりぃい!」

 

 シェリア会長に止めを刺そうと二胡が大剣を振り落とす。

 

 消失した僕。

 現実化する僕。

 二つの存在が合わさって、世界に融合を果たす。

 

 「終わりぃ──」

 

 ドクン。

 小刻みに動く世界を体感しながら、僕はシェリア会長の元へ駆けた。

 

 「──じゃないんだよぉお!!!」

 

 ガキン!

 容赦なく振り落とされる大剣を弾き、火花が散る。

 

 「──っな、なにぃい!?」

 

 二胡が驚く。

 否、誰も彼もがその姿に目を見張る。

 

 「邪魔者は消したと思った? ……残念だったね。僕、諦めが悪くなったみたいでさ。この通り、舞い戻って来たよ」

 

 対峙する二胡へ向かってそう言うと、青と赤で装飾された無機質な剣を構えたのだった。

 



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021 想いの結晶

 

 驚愕する二胡に向けて、青と赤で装飾された無機質な剣を構える。

 

 「邪魔者は消したと思った? ……残念だったね。僕、諦めが悪くなったみたいでさ。この通り、舞い戻って来たよ」

 

 「──っ!」

 

 わなわなと身体を震わせ、二胡が口元をキュッと結ぶ。

 互いの視線が交わり、無言の応酬で相手の動きを牽制し合う。

 

 「……それ、何?」

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか、二胡が口を開く。

 

 「さあ? 解んない。……ああ、でも。強いて言うなら、みんながくれた想いの結晶とかそういうのなんじゃない?」

 

 「……バカにしてる?」

 

 イライラしながら僕の言葉に二胡は毒を吐いた。

 

 「あーあ。本っ当、意味解んない。どんな手を使って、『無の空間』を脱したのか知らないけどさぁ、愚者くん。もしかして私の一撃を凌いだぐらいでいい気になってる?」

 

 そんなことを言って、二胡が無骨な大剣を構える。

 だが、その構えに先ほどまでの余裕が微塵も感じられない。

 

 「別にいい気になってるつもりはないよ。というか、僕にそんな余裕ないことぐらい分かるでしょ」

 

 二胡の殺気が強くなる。

 まるで、眠れる獅子を起こしたような雰囲気だった。

 けど、それは僕の正直な本音だし、間違ったことも言ってない。

 

 というか、こんな解りやすい挑発に乗るとか二胡の方がいい気になってたんじゃないのかな?

 

 「アハハ! そりゃあ、そうだね!」

 

 そう僕が思うと二胡はそうだったと言い、壊れたラジカセのように一人で何度も頷いた。

 

 「うん、やっぱり愚者くんは此処で始末しよう。そうするべきだし。それが良い。それが良いなら、そうしよう!」

 

 そんなことを叫ぶと、大剣を勢いよく振るう。

 

 瞬間。

 二胡の姿がその場から消えた。

 

 「──っな!?」

 

 真弓(まゆみ)さんとシェリア会長が驚く。

 瞬時に僕は幻影疾風(タイプ・ファントム)を駆使し、コンマ数秒の世界に埋没する。

 

 「此処で始末しておけば、私たちの懸念もなくなるってもの! それは、一石二鳥ってヤツだよね!」

 

 消えたかと思われた二胡の声が部屋中に響く。

 嫌な予感がし、咄嗟に無機質な剣を振るう。

 

 「──っ!」

 

 ガキン!

 目の前で、火花が散る。

 痺れるほど強い衝撃が剣を通して伝わった。

 

 「──っち! まだまだ!」

 

 不可視の一撃を弾き返すものの、その後も容赦なく二胡にの攻撃は続く。

 

 「──ぐぅううう!」

 

 直感で、あやす様に剣戟を捌いていく。

 

 「ほーれ、どうしたのさ? さっきまでの威勢は何処に行ったよ!?」

 

 何処からともなく死の一閃が僕を襲う。

 どんな手品を使ったかは不明だが、今、確実に視覚外の領域から二胡は攻撃を繰り出している。

 疾風幻影(タイプ・ファントム)を発動させても尚、捉えきれない速さで二胡は僕を翻弄していく。

 下手に動いたら、敗北する。

 そんな予感が僕を攻めあぐねた。

 

 「どうせ、私なんかの相手は余裕なんでしょ!? 眼中にないって言うんでしょ!? そういう目つきだった! そういう態度だった! お前なんかいらないって顔してんじゃねーですよ、愚者くん!」

 

 何が気に障ったのか。

 何をそんなに恐れてるのか。

 

 何故、癇癪を起こすみたいに二胡は大剣を振るっているのだろう。

 

 ああ、二胡の言い分は滅茶苦茶で、それまでの態度に手の平を反すものだった。

 そうまでして怯えているのは、きっと彼女にはそれが大切で譲れないものなんだろう。

 

 ──でも。

 

 「そんなの、知るか! 眼中にないとか、目つきやら態度とか、知るもんか! そんなのは君の主観だ! 僕が気にすることじゃない!」

 

 それを受け入れてやるなんて、人間として破綻している。

 気に入らないから自分を間違いだと言うのは間違いだ。

 

 寧ろ、そんなことを言い出す二胡の方が間違ってると言える。

 

 「うるさい! うるさい、うるさいうるさいうるさい、うるさぁあい! そんなもの考えたって、どうせ愚者くんには無駄だよ! 意味ないってのに、一丁前に人間やってるんじゃない!!!」

 

 なんて自分勝手な言い分だ。

 

 「うるせぇえ!!! ──そんなもの、君に決められる謂れはない!!!」

 

 不可視の一撃が強くなる。

 不条理を受け入れろと二胡が猛攻を仕掛けてくる。

 

 そんなものは知らない。

 そんなクソの理屈、解って堪るものかと押し返す。

 

 「────」

 

 埒が明かない。

 兎に角、この現状を何とかしようと新しく手に入れた権能(チート)を使うことに決めた。

 

 ドクン。

 心臓が高鳴り、耳鳴りが聞こえ、身体が不調を訴える。

 それらを無視し、目の前に二胡がいるものだと思い込めばそれは事象となって顕現しだす。

 

 「ああ、もう! いい加減、堕ちなさいよ!!!」

 

 ガ、キィイイイン!!!

 

 鉄と鉄がぶつかり合う。

 軋むように音を立て、空間が歪む。

 それは、世界の法則が乱れるかの如く、現実を侵食したと言えた。

 

 「「あ、あれは!?」」

 

 置いてけぼりにされた二人が驚愕の声を上げる。

 それを無視して、僕は目の前に現れた二胡へ向かって思い切り剣を振るった。

 

 「──っな、に!?」

 

 受け身だった僕が攻め手に回った事実に二胡も驚く。

 それは、戦いの最中には決定的な隙でしかない。

 

 「うらぁあああああ!!!」

 

 当然、がら空きになった懐に僕は渾身の一閃を放った。

 

 「ぎゃ、あ、ああ、ああああああああああ!!!」

 

 すると、耳を劈く悲鳴が叫ばれる。

 痛い、痛いと喚きながら、彼女はその場をのたうち回った。

 

 鮮血は舞わない。

 只、文字の羅列が粒子となって二胡から散っていく。

 

 「そ、そんな、バカな。……まさか、こんな短期間で憤怒の権能(チート)を覚醒させたですって? あの魔導魔術王(グランド・マスター)ですら、そんな芸当出来なかったというのに──」

 

 痛みに苦悶する二胡は、そんなことを漏らす。

 それがどういう意味か解らないし、解りたくない。

 

 「いや、まだだよ。まだ、終わらない。終わらせて堪るものですか! ……ふざけてる。こんな都合の良い展開、私たちは認めないよ!」

 

 二胡には戦意が残ってる。

 しかし、その身体は消えかけていて使い物にならなかった。

 

 「覚え()()い、愚者()ん! 絶(たい)、後(かい)■■(せて)やるんですから!」

 

 最期にそんなことを叫んで、二胡の身体は消失する。

 

 それが何を意味するか僕には分からないけど、今は、この勝利を素直に喜んでおくことにしよう。

 



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022 話し合い

 

 「──おや?」

 

 ツギハギの幻想が現実に混じりボクの中に戻っていく。

 

 カタカタカタ/疑似粒子、『ツヴァイ・ソード』の返還を確認。

 カタカタカタ/展開術式、『ドラマツルギー』を一時的解除します。

 

 それらの情報が脳に入り、右腕となったキャラが夢から消失したのを理解する。

 

 「────」

 

 モニターにそれは映らない。

 だから、きっと何者かがモニターに細工したのだろう。

 

 「──ふむ」

 

 隣にいる、燈色──否、赤いツインテールの少女はそれに気づいた様子はない。

 となると、これは彼女の仕業ではないことが伺える。

 モニターに視線を戻す。

 

 「……彼女か」

 

 モニター越しに元凶の少女を見た。

 そいつは惚けた面をしていたが、魔女から譲り受けた権限でそれはないことが窺える。

 

 しかし、いつ見ても気に入らない。

 腰まで伸ばした髪も、その澄み切った翠眼の何もかもが目障りで仕方ない。

 

 まあ、それも当然か。

 何故なら、ボク自身も少女と同じことをしてるのだから致し方ない。

 そう、これは俗にいう同族嫌悪ってヤツさ。

 

 ……気にするな、笑えよ。

 しかし、だ。全く、汚らしい魔女なのはどっちだよ。

 そうまでして、■■という存在を現実に帰したいのかよ。

 こっちは望んでないのに、いい加減迷惑してるのが解らないのか、アイツ。

 

 ……。

 おっと、すまない。

 危なかった。思わず、毒を吐きそうになったよ。

 ああ。キミの言う通り、隣のヤツに気付かれるのは面倒だ。

 故に助かった、ありがとう。

 慎重にならないといけないのを危うく忘れるところだったよ。

 

 「しかし、愚か者が苦しむ姿はいつ見ても良いモノです」

 

 何も知らない少女が呟く。

 苦しむヤツを見て愚かだって言うのは、お嬢様、流石にブーメランが過ぎるのではと突っ込みたくなる。

 だって、そうだろ?

 この世界では見えているものが真実である保証はないんだ。

 それなのに、目の前の光景を全く疑わないんだからバカとしか言いようがない。

 

 自分が行うこと全てが正しい。

 そう信じ切っている人間こそが愚者なのは、キミも解っていることだろう。

 けど、少女は分かってない。

 それが酷く堪らないほど、無様で滑稽なことだ。

 

 だから、ブーメランしてんじゃねーよと突っ込みたくなるボクの気持ちを解ってくれるかな?

 

 ああ、そうだよ。

 ぶっちゃけると、ボク個人として隣のヤツは嫌いだ。

 特に、肉体に反して知性が足りてないところが自分を見ているようで腹が立つ。

 そんな人間が厚顔無恥で甚だしいとキャラに言わせるんだから、道化役者もいいところさ。

 

 「そろそろ、次に進むとしようか」

 

 ──まあ、それを本人に言ってやる義理はない。

 

 「それにしてもアナタも人が悪いわねぇ」

 

 そう思った瞬間。

 少女が権能(チート)の魔銃をボクに構えた。

 

 カタカタカタ。

 キーボードを叩く音だけが世界を支配する。

 

 それは、外なる神の戯れか。

 それとも、更なる領域外の存在の仕業か。

 

 その答えは、誰も知らない。

 

 ◇

 

 只でさえ物が散乱していた部屋は、台風が通ったような惨状になった。

 

 「────」

 

 二胡が何の為に此処に来たのかは知らない。

 だが、乱入者は倒した事実は変わらない。

 

 今、この場には真弓さんとシェリア会長の三人だけだ。

 ああ、でも。またいつ乱入者が来るかは解らないんだよなぁ。

 離れるべきか。

 それとも、三人で話し合うべきか。

 

 しかし、離れるとしても何処に行けば良いんだ?

 

 「……まあ、何処も安全ではないですわね」

 

 シェリア会長がそんな僕の考えに賛同する。

 ……しかし、どう考えても分が悪い。

 

 何をどうしたって悪い方向へ進みそうな気がする。

 そんな予感が、憶測が頭の中を駆け回って仕方ない。

 

 「どうしようか?」

 

 どうにも僕だけだと妙案が浮かばない。

 だから、二人に意見を聞いてみることにした。

 

 「どうすると言われましても。そもそもアナタはこの事態の全てを把握していないのですわ。それが解らないところでアナタに取るべき選択ないのではなくって?」

 

 シェリア会長は現状把握をするべきだと進言する。

 

 「いえ、もしかしたらこれはチャンスなのではないでしょうか」

 

 真弓さんが何か思いついたように続けて言う。

 

 「それは、どうして?」

 

 それを否定することなく聞く。

 勿論、それが無理な意見なら多少の危険を覚悟で現状把握に努めようと思った。

 

 「これは推測なのですけど、二胡さんを送って来た相手は勇貴さんに倒されることは想定してなかったと思います」

 

 想定してなかった?

 

 「ええ。そうでなくては、『無の空間』なる権能(チート)以上の魔導魔術である『恩恵(ギフト)』を二胡には与えなかった筈です」

 

 恩恵(ギフト)

 

 「はい。恩恵(ギフト)です。……そうですね。この世界において魔導魔術は主に二種類に分けられ、ダーレスの黒箱を用いて得られる権能(チート)と『外なる神』から直接授かることで得られる恩恵(ギフト)になります。この二つの主な違いはですね、勇貴さん。契約時の代償が必須か否かなんです」

 

 ……?

 

 「ダーレスの黒箱を用いれば、何度でもその能力を行使することの出来る権能(チート)。これは、得る時には何らかの代償を必要としない代わり、使用し続けることで何らかの代償を支払います。ですが、恩恵(ギフト)に限っては得られる時に何らかの代償が必須なのです」

 

 真弓さんが僕に魔導魔術について説明をする。

 それは一見、何でもない雑談のように感じられるが聞き逃してはいけない単語が多く散見されていた。

 

 「ちょっと待って。……え? 何それ? 権能(チート)って使ってると何らかの代償が奪われるの?」

 

 僕はこれまで何度も権能(チート)を使ってきた。

 それもバカみたいに使った。

 ……ということはだよ、僕が直ぐ物事を忘れるとかそういうのって全部、魔術破戒(タイプ・ソード)を使ったりしてたからってことなのか?

 

 「いえ、それは違います。でも、貴方が何らかの対価は払い続けてるのは知ってますよ。それについては恩恵(ギフト)がどういうものかを説明している最中ですので、また今度お話しします」

 

 ふーん。

 

 「えーと、つまりです。代償を払ってまで得た恩恵(ギフト)持ちを捨て駒に出来るほど軽いモノではないんですよ。その代償がどれほど重いのか説明するとですね。一番分かりやすい例を挙げるなら、怠惰の権能(チート)の代償は『失う』と言ったものですね」

 

 怠惰の権能(チート)

 

 「あー、そうでした。それも貴方は知らなかったですね。コントロールルームで

六花さんからダーレスの黒箱を渡された時、六花さんの姿が別人に置き換わったのは覚えてます?」

 

 ……覚えてるよ。

 受け渡された瞬間に、喪服姿のスーツの男『オートマン』になったのは驚いた。

 

 「そうです。あの時の六花さんという魂を持ったダーレスの黒箱を譲渡したから元の身体であるオートマンさんに切り替わりました。あれは、怠惰の権能(チート)によるオートマンとしての意地を『失う』という代償によって成り立たせていたからです」

 

 どういうこと?

 

 「ええ。ここら辺が実にややこしい話です。実際に怠惰の権能(チート)を使用し続けたのはオートマンさんで、その代償として自分の意志で身体をコントロールするのを失ったという結果になった。つまり──」

 

 「オートマンは怠惰の権能(チート)を酷使する代わりに自分という人間を代償に支払ったということですわね」

 

 シェリア会長が間に入って説明する。

 真弓さんはムッとするが、くるくると銃を弄る彼女は素知らぬ顔をした。

 

 「魔導魔術は廃人になっても可笑しくない代物ですの。それを何の見返りもなく他人に譲渡するなんてことはあり得ないことですわ。アナタだって、そんな代償を支払った力を溝に捨てるなんてことはしないでしょう?」

 

 確かに。

 そんな重い代償を支払い続けてるのに、他人に渡すなんて僕もしない。

 つーか、それを簡単に捨てるなんて以ての外だ。

 

 「……だから、二胡さんがやられるなんて想定していない今が逆転のチャンスだと思うんです」

 

 意を決した真弓さん。

 

 「そうだね。確かに敵にとっても想定外の事実だと思うよ、真弓さん」

 

 だから、そんな彼女に水を差すようで悪いとは思う。

 

 「……どうしたんです? 今が相手に奇襲を掛けるチャンスなのは十分理解出来た筈です」

 

 うん。それは、そう思う。

 

 「だったら──」

 

 「それを以てしても、こちら側には圧倒的な情報が足りていない。だから、直ぐに相手の懐に飛び込むのは無謀だと七瀬勇貴は仰りたいのでしょう」

 

 シェリア会長が意気揚々とする真弓さんに冷静な面持ちで諭してくれた。

 

 「……え?」

 

 真弓さんが驚く。

 まあ、無理はない。

 だって彼女には事情が分かってる。

 恐らく、僕が知らない真実も全部知ってるのだ。

 

 だから、今が絶好の機会だと言いたいのはよく解る。

 でも──。

 

 「そりゃあ、ワタクシとアナタは全部解ってますわ。でも、カレは何も理解されておりませんの。いざとなった時に何も知らなかったから選択を間違えるなんてことが起こりうるでしょうね。そんなことを繰り返さないと決めた七瀬勇貴には出来ない行動だということもまだご理解されないのですのね、アナタ」

 

 そうだ。

 僕は何も解らなかったから、リテイク先輩をこの手で消してしまった。

 

 あんなことは、もうゴメンだ。

 二度と起こさないと決めたからには、慎重に行動出来る時はするんだ。

 

 「だから、黒幕とかそういうのが居るところに乗り込むのは、もう少し現状を把握してから行きたい。だって僕には、まだ知らないことが多すぎる。君がシェリア会長のことを魔女だって決めつけてることも。黒幕が何を企んでるのかも。僕はどうしたら、現状を打破できるのとか色々と考えなきゃいけない」

 

 真弓さんの気持ちは正しい。

 その考えは未来を見通して言ってくれているものなんだろう。

 

 でも、それをするにしても僕には足りないものが多すぎるんだ。

 

 「そうですわね。それが一番、良いですわね。幸いなことに魔女は、二胡がやられたことに気付いておりませんわ」

 

 シェリア会長が僕の意見に賛同してくれる。

 

 「……確かにコントロールルームに居る筈の貴女がどうして目の前に居るのか疑問ではあります。でも、それだって、コントロールルームにさえ辿り着けば解る話です」

 

 意見を賛同するシェリア会長と不満を隠そうともしない真弓さんの会話が噛み合ってない気がする……。

 

 「シェリア会長。今さっき、魔女は二胡がやられたことを気づいてないって言いました?」

 

 一瞬、流してしまったけどシェリア会長はトンデモナイ爆弾発言をしたような気がする。

 

 「ええ。言いましたわよ。魔女とリンクしてるんですもの、それぐらいは解りますわ」

 

 魔女とリンク?

 真弓さんは君を魔女だって言ってるよね?

 うーん、解らん。

 

 「ゴホン。それでは僭越ながら今度はワタクシ、シェリア・ウェサリウスが説明させて頂きますわね」

 

 今度はシェリア会長が生き生きとした顔をしだした。

 



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023 満ちる刻

 

 「ゴホン。それでは僭越ながら今度はワタクシ、シェリア・ウェサリウスが説明させて頂きますわね」

 

 今度はシェリア会長が生き生きとした顔をしだした。

 

 「──と、意気揚々と言ってみたモノの何からお話しした方が宜しいか分かりませんわね。どれを話してもこんがらがるのは間違いなしでしょうし……。ええ、そうですわ。先ず、名城真弓に訂正することから始めるとしますわね」

 

 自信満々の割には、出鼻をくじくような物言いだった。

 

 「何です?」

 

 相変わらず真弓さんは不満気な顔をしている。

 

 「ワタクシは魔女ではあり、魔女ではありませんわ」

 

 ……変な言い回しだった。

 というか、それは魔女なのだと認めているのではないか?

 

 「アナタがそう思うのは、まあ無理はありませんわ。でも、ワタクシは魔女であって魔女でない。単純に言って、ワタクシの身体は魔女として機能しているもののワタクシという個人の感情は魔女でないということですの」

 

 うん?

 いや、どういうこと?

 

 「──もしかして、アナタもそういうことなんですか?」

 

 真弓さんは何かに気付いたみたいだ。

 

 「ええ。名城真弓、アナタの想像通りですわ。ワタクシもまたシェリアでありながら、シェリアではないのですのよ」

 

 シェリアであってシェリアでない。

 それは、自分が自分でないってこと?

 あれ? それって、誰かと同じことになってる気が……。

 

 「勇貴さん。その解釈で間違いないと思います。寧ろ、そうでないと都合がつかないことが多すぎます」

 

 なるほど、オートマンと六花さんのやったことを魔女が二番煎じでやってたってことか。

 

 「いえ。この場合は六花さんが二番煎じをしたとのだと思いますよ」

 

 え、そうなの?

 まあ、魔女がシェリア会長の身体を使って行動していたってことは解った。

 でも、そうなると益々解らないことも出てきた。

 

 「ええ。何故、今、ワタクシは自分の身体としてこの身体を自由に出来ているのかをお聞きになりたいのでしょう?」

 

 「そうですね。それを答えてくれるのなら、私も助かります」

 

 真弓さんが僕とシェリア会長の間に割って入る。

 これから殺し合いでも仕掛けるような警戒だ。

 

 「まあ、お上品ですのね。でも安心なさってくださりません? もし、ワタクシが魔女のままだったら、今頃アナタ達はこの色欲の権能(チート)によって仕留めてますわよ」

 

 突然、シェリア会長が僕に拳銃を構える。

 

 「──っな!?」

 

 それに対し一層、警戒心が強くなる真弓さん。

 冗談だと分かっても、銃を突きつけられるのは気持ちが落ち着かない。

 

 「あら、冗談かどうかはまだ分かりませんわよ」

 

 シェリア会長が怪しげに微笑む。

 

 「いや、信じる。信じるって決めたからには、僕は君を疑わないよ」

 

 そんなシェリア会長に拗ねたように言葉を返す。

 

 「────」

 

 互いに黙ったまま、視線だけが交じる。

 

 「ワタクシを信じると言ったのは嘘ではないですわね」

 

 シェリア会長が銃口を下ろす。

 それを見て、やっぱりシェリア会長はお人好しなんだなって思った。

 

 「だから、ワタクシは──」

 

 「魔女、いえ、シェリアさん。はぐらかさないでください。私たちはまだ、肝心なことを聞いてません」

 

 シェリア会長が何かを言いかけた時、真弓さんが再び口を挟んだ。

 

 「……ええ。分かっておりますわ。ワタクシが今、自由にできているのは何故か。それは、魔女が色欲の権能(チート)を介してワタクシの身体に魔術誓約(ギアス)を埋め込んだからですの」

 

 ……それは、六花さんとオートマンのと何が違うんだ?

 

 「全然、違いますわ。六花は自身の魂をアストラルコードに変換してダーレスの黒箱を介してオートマンが行った権能(チート)の代償の穴をついただけですの。一方、魔女は自身の魂を色欲の権能(チート)で無理矢理ワタクシの身体に介することで身体を共有させたのですわ」

 

 つまり?

 

 「ああ、そういうことですか。つまり、魔女が権能(チート)を発動させていない間は貴女の身体には存在できないということなんですね」

 

 また、真弓さんの方が先に解ったらしい。

 すまないが、僕にはちんぷんかんぷんだ。

 説明してくれぇえ、マユえもん!

 

 「ぽわん、ぽわ~んのぷぷらぱー……コホン。えーと、ですね。勇貴さんは魔術破戒(タイプ・ソード)を無意識で現実化(リアルブート)出来ないですよね。それと同じで、魔女はシェリアさんの身体に自分の魂を転写させるのに権能(チート)を使ってるんです。……つまりですね、魔女はシェリアさんの身体を使うと意識していないとシェリアさんの身体をコントロールすることが出来ないんです」

 

 ……あ、そうか。権能(チート)を使用するのにも代償を支払い続ける必要があるんだっけ。

 常に意識してそれを行使するということは、魔女は何らかの代償を支払い続けてしまう。

 それを防ぐ為に魔女はシェリア会長に身体の支配権を返す必要があるのか。

 

 「そういうことですよ、ゆう太くん」

 

 うん、よく解ったよ。ありがとう。

 

 「ちょっ、ちょっと、今のやり取りは何なんですの!? 何、そのヘンテコな掛け合いは! 今世紀最大に意味が分かりませんわよ!」

 

 僕らの掛け合いに突っ込みだすシェリア会長。

 何だかテンパって、支離滅裂な言い草な気がする。

 

 あー、もう。折角、話が纏まって来たのにシェリア会長、うるさい。

 

 「な、なんですのー!」

 

 何処からか取り出したハンカチを握りしめながら、シェリア会長はムキーと言い出した。

 

 「とにかく! 此処には魔女がいないということは解りました。けど、それならシェリアさん。魔女は今、何処にいるんですか?」

 

 ヒステリックを起こしてるシェリア会長に真弓さんが魔女の行方を聞く。

 

 「そんなのコントロールルームに決まってますわ!」

 

 それに対しシェリア会長は語尾を強くしつつ、そう答えたのだった。

 

 ◇

 

 「それにしても、アナタも人が悪いわねぇ」

 

 魔女が拳銃を構えて言います。

 

 「そんなものを隠してるなんて」

 

 魔女が私たちを見下ろした。

 虫けらのように見下して、地べたを這いずる幻想を踏みつけるのです。

 

 「ええ、解ってましたよ。だってワタシ、悪意に関して人一番敏感ですもの」

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 影が嗤います。

 愚かな私たちを影絵に飲み込もうとするのです。

 

 「此処で退場されるのですから、次なんてアナタたちには必要ないでしょう」

 

 勝利を確信した魔女は引き金を絞る。

 どうやら彼女の方が一枚上手らしく、『私たち』の存在は認知されていたようでした。

 

 「良いのかい? 此処でボクを始末したらキミはきっと後悔すると思うよ」

 

 ■■は少しでも注意を逸らそうと話をします。

 

 「構いませんよ。一度その術式さえ理解してしまえば、後は色欲の権能(チート)で補えます。寧ろ、余計な懸念材料を残す方が計画に支障をきたすことでしょう」

 

 淡々と魔女は答えます。

 不必要だと言い、魔弾を装填する姿に迷いは見えません。

 

 「そうかい。それは良かった」

 

 ■■は目を瞑り、影絵たちは仲間が増えるのを今か今かと待ちわびます。

 

 「……そう言えば、思ったんだけどさ」

 

 撃たれる覚悟を決めた■■は、魔女に最期の言葉を放ちます。

 

 「何かしら? 命乞いなら、出来るだけみっともなく見せて頂戴。その方が愉しめますので」

 

 カチャリ。

 引き金を絞る指に力が入りますが──。

 

 「本当にキミって詰めが甘いよね」

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 ジョキジョキ、ジョッキン!

 

 魔女と私たちを隔てる空間が引き裂かれました。

 

 「──っな!?」

 

 それに対し、彼女は驚くばかりで何も出来ません。

 

 「それじゃあね、魔女さん。少しは相手の力量がどんなものか見極めてから動きなよ」

 

 黒髪の少女は手を掲げ、虹色の光にその身を包み込みます。

 

 それは、新たなる星の輝きで。

 それは、未知なる領域の進化へ至る道筋でしかありません。

 

 「逃げるんじゃありません、このゴミ屑共!」

 

 魔女はなす術もなく、空間の歪みに乗り込まれる私たちを取り逃がします。

 

 「────」

 

 私の心はがらんどう。

 私の魂はしんだどうぜん。

 

 何をするにしても、みたされない。

 それが私という世界の『えいきゅうきかん』の証明になります。

 

 チクタク、チクタク。

 時間は止まらない。

 

 それは、つまり。

 誰も彼の行方を阻むことは出来ないのです。

 



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024 前へ行く

 

 「そんなのコントロールルームに決まってますわ!」

 

 シェリア会長がどや顔で答えると──。

 

 キーンコーン、カーンコーン。

 校舎の方からチャイムが鳴り響く。

 

 「……チャイムが鳴った?」

 

 チャイムが鳴ると言うことは、授業が終わったことを意味している。

 

 「どうやら、此処には留まれそうもないですね」

 

 真弓さんが校舎のある方角を向きながら言う。

 

 「そのようですわね」

 

 シェリア会長もその言葉に同調する。

 

 「チャイムが鳴ったら、何があるのさ?」

 

 シェリア会長が拳銃を取り出す。

 

 「魔女が重い腰を上げたと見て間違いないってことですね」

 

 真弓さんが魔法陣を展開させる。

 

 「魔女が? でも、シェリア会長は此処にいるじゃないか?」

 

 さっき、権能を通じてシェリア会長の身体を支配下に置いてるって話をしたじゃないか。

 

 「ええ、言いましたわ。でも、それは飽くまでワタクシという身体を使っての話ですのよ」

 

 ……?

 

 「勇貴さん。この世界は夢なんです。肉体という情報はなくても意識体さえあれば活動には支障はないんですよ」

 

 真弓さんはそう言うと展開させた魔法陣から放たれた光を僕らに包み込ませる。

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 誰かの嘲る声が何処からか聞こえた気がした。

 

 「では、開けますわよ」

 

 ドアに手を掛けるシェリア会長。

 

 「ま、待った。今、魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)するよ」

 

 あらゆる幻想を破壊する魔剣を構える。

 

 「──行きましょう。魔女から未来を取り戻すの戦いへ」

 

 ドアを開ける。

 その先に待つのは──。

 

 切り抜き(ジグザグ)切り抜き(ジグザグ)

 

 ジョキジョキ、──ジョッキン!

 切り抜いたら張り付けて、そこから開始。

 

 「エラー認証。エラー認証」

 

 頭の中で■■さんの声が響く。

 視界情報がモザイクで覆われ、見ているモノが雑音(ノイズ)に埋め尽くされた。

 

 「──これ、は?」

 

 何もない。

 二胡が襲った時に訪れた空間のような感覚がドアの向こうには広がっていた。

 僕はそれに呆然とするしか出来なかった。

 

 「『無の空間』? まさか、これも魔女が展開したのです、か?」

 

 だが、そんな僕の隣に来て真弓さんが口を開いた。

 

 「いえ。あの人にはそんな能力は無かった筈ですわ」

 

 シェリア会長がその言葉を否定する。

 

 「そう言えば、勇貴さんはこれをどう対処したのですか? 二胡さんは憤怒の権能(チート)を使ったと言ってましたが……」

 

 真弓さんが僕に問う。

 

 「うん。この空間に閉じ込められた時、自己投影(タイプ・ヒーロー)が使えるようになったんだ」

 

 あの時は自分の権能(チート)が使えなくなって、必死で足掻いたんだよね。

 

 「……そうですか。先ほど、私たちも話しましたが権能(チート)の能力は代償が付き物です。憤怒の権能(チート)もですが、その能力に頼り切るのは控えた方が良いですよ」

 

 真弓さんが今更のことを心配する。

 

 「……それが出来れば理想なんだけどね」

 

 他人事のように言う。

 その言い方が気に入らなかったのか、真弓さんが少し顔を強張らせた。

 

 「解っているなら、どうして──」

 

 「じゃあ、どうすれば良かったの?」

 

 真弓さんが言おうとしたことが何となく解った。

 だから、それに被せるように言葉を放った。

 

 「……え?」

 

 話の途中で遮った所為か、真弓さんが僕の言葉に呆然とする。

 

 「あの時、あの権能(チート)に目覚めなかったら僕はきっと、『無の空間』でずっと閉じ込められていた。それでいて、君たちも二胡を相手していた。しかも、僕があの場に駆けつけなかったらシェリア会長は二胡にやられていたかもしれない。その次に、君も倒されていたかもしれない。僕はそれが嫌だ。何も出来ずに奪われるのは、もう嫌なんだ」

 

 心配するのは解る。

 けれど、それで僕の大切なモノが奪われるのは嫌なんだ。

 

 「例え僕が僕じゃなくなったとしても、大切な人を助けられるのなら僕はこの権能(チカラ)を使うよ。君に何を言われようとそれは変わらない」

 

 真弓さんは僕を見る。

 彼女が何を思っているのか、僕には解らない。

 未だ、その心の内を話してくれてない。

 

 僕を大切にしようとしてくれるのが凄い伝わる。

 でも、僕が求める幸福は得られないのなら彼女の手はもう取れない。

 

 誰もが幸せに笑える未来を取りたいから、僕はこの権能(チート)を使うのだ。

 

 「──っ」

 

 耐えきれなくなったのか、真弓さんが僕から目を逸らす。

 

 「……七瀬勇貴。準備はよろしくて?」

 

 シェリア会長が先を促す。

 

 「うん、大丈夫」

 

 そう言うと、僕は目の前の何もない空間に廊下があると思い込む。

 すると、心臓の鼓動が強くなり自己投影(タイプ・ヒーロー)が発動される。

 

 ゴゴゴ!

 地響きが轟くと、見慣れた廊下へと世界が戻る。

 

 「よし、行こう」

 

 さあ、魔女が待つコントロールルームへ行くのみだ。

 

 ◇

 

 キーンコーン、カーンコーン。

 鐘の音が鳴る。

 それは、終末を知らせる予兆でしかなかった。

 

 「無駄なことを」

 

 神父は嗤う。

 彼にとって愚者の妄想も、哀れな幻想の嘆きも、魔女の嘲笑さえも同価値でしかなかった。

 

 「精々、頑張りたまえ。ドン・キホーテよ」

 

 夢は終わらない。

 『■■■■・■■タ■』の復活は未だ訪れない。

 

 「カァア、カァア!」

 

 何処かで、夜鷹の鳴き声が聞こえる。

 

 彷徨う亡者は幻想へと昇華し、キミを見つめるボクもまたそんな愚か者に舞い戻った。

 

 「さて、貴様はつまらない結末を見せるなよ、大罪の王よ」

 

 何処までも神父はボクらを嘲る。

 永遠の煉獄。

 泡沫の夢。

 全てが愚かで、灰になるまでその身を消費する。

 

 それが、ボクら凡人に出来る唯一の個性(アビリティ)なのだから。

 



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025 分岐点

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 ジョキジョキ、ジョッキン!

 

 ■■が何処かに姿を眩ませた。

 そして、その身に授かった恩恵(ギフト)をワタシへと使った。

 

 「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 その瞬間、爆発したかのように記憶が脳内を駆け回る。

 自分が生きた物語が乱雑に流れていく。

 切り離して、無理やり繋ぎ合わせるという概念がワタシを狂わせた。

 

 「──がっ」

 

 ワタシはシェリア、シェリア・ウェザリウス。

 民衆と言う家畜を統べる女王なのだとお父様は言いました。

 お母様もそうだと頷かれました。

 

 ガク、ダンッ!

 

 その場に崩れ落ち、地を這いずり回るワタシは傍から見れば有象無象のムシケラでした。

 

 「ぐぅ、うううう」

 

 だから、そんなワタシを魔女と呼ぶ人間は排除しなければなりません。

 そうでなくてはいけないのです。

 そうしなければ、ワタシは何の為に此処まで生きてきたのか分からなくなる。

 

 「ハア、ハア」

 

 ジジジ。

 お父様は喜んだ。

 家畜を躾けるワタシを悦んだ。

 

 「ハア、ハア!」

 

 ジジジ。

 お母様も喜んだ。

 父の慰みを甘んじるワタシを受け入れた。

 

 「──ん、ぐぅ」

 

 どうしてですか?

 ワタシはアナタ方に尽くしました。

 なのに、どうしてですか?

 誰もワタシを愛してくれないのは何故なのですか!

 

 頬を打たれるのも嫌だった。首を絞めつけられるのも嫌だった。痛いと言ってもワタシを罵るのをお母様は止めなかった。苦しい。止めてと懇願してもお父様は裸で抱きしめるのです。嫌! 肌に舌を這わせないで!

 

 「──っ!」

 

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

 何もかもが敵だった。

 ワタシを守る人なんて居なかった。

 それなのにみんな、王女のワタシを羨むのです。

 

 何も知らない王女様。無知で愚かなお姫様。なんと可憐なお嬢様。

 羨ましいと言いながら。妬ましいと思いながら。一度、失態すればみんなしてワタシを嘲笑う!

 

 誰にでも優しい王様なんて居ません。

 そんなものはおとぎ話の中だけで、実在の王様は醜い肉の塊でしかない。

 

 ドクン。

 

 「ハア、ハア」

 

 心臓が高鳴った。

 胸が締め付けられるみたいに苦しくて、息をするのも辛かった。

 どうしてワタシだけこんな仕打ちを受けなければならないのかと心底思った。

 

 「ハア、ハア──ぐぅ、ううう」

 

 ワタシは只、自分の気持ちを分かって欲しかった。

 

 「うる、さいです。そんなもの、ワタシには必要ないのです」

 

 愛が欲しかった。

 貧相な村娘が与えられるような優しさが羨ましかった。

 それだけを願いたかったけど、それを求める前にワタシは壊れてしまった。

 

 「クソ。クソ、クソ、クソ! それもこれも──」

 

 八つ当たりに地団太を踏んでいると、そこで違和感を覚えた。

 

 「……あれ?」

 

 どうして、ワタシはこんなことをしているのだと疑問に思った。

 自らの身体を見る。

 お母様譲りの二つに結った燈色の髪。誰もが怯ませるに相応な金色の瞳。塵芥の男たちを魅了する肉付き。どれもこれも王族に選ばれるだけの素質を兼ね揃えている。

 

 「いや、そんなことはどうでも良いのよ」

 

 違和感を振り切り、再びモニターに視線を戻す。

 

 「──な、に?」

 

 だが、囚われた筈の愚者はモニターから姿を消失させていた。

 

 「そんなバカな。『無の空間』から脱出したというの?」

 

 監視カメラの映像を駆使し、消失した愚者の行方を捜す。

 けれど、何処にも愚者の姿は映らない。

 

 「あり得ない。こんなことが出来るヤツなど……」

 

 あらゆる可能性を考えても、ワタシには理解出来なかった。

 出る杭は常に打った。

 今更、誰かの手が愚者に届くことはない。

 そもそも外部から完全にシャットアウトされた夢の世界で助けなんて来るはずがないのに。

 

 しかし。

 

 「現にそれは起きている。なら、問題はどうして起こったよりどうするかを考えるべきね」

 

 システムを起動する。

 

 「──さあ、凡百に劣る家畜たちよ」

 

 下位幻想たちに愚者の捜索を命じた。

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 魔女の掛け声によるものか知らないが、影絵たちが歓喜に奮えたのだった。

 

 ◇

 

 タタタタ! タタタタ!

 全速力で僕ら三人は廊下を駆けていく。

 警戒してゆっくり前へ進むより、いち早く目的地に到達する方が良いと思ったからそうした。

 そして、その判断はどうやら正しかったみたいで校舎を走っていると影たちが出現し始めた。

 

 「──光よ!」

 

 影の存在に気付いた真弓さんが誰に言うまでもなく魔法陣を展開した。

 光の雨が影へと降り注ぎ、掻き消す。

 

 「気づかれましたわ!」

 

 シェリア会長が二丁拳銃を取り出す。

 

 「まあ、そう来るよね!」

 

 僕もそれに続いて魔術破戒(タイプ・ソード)をイメージしたら、青と赤で装飾された無機質な剣が現実化(リアルブート)した。

 そうか。

 今更だが、魔術破戒(タイプ・ソード)もパワーアップされたってことか!

 自己投影で現実化された剣かと思っていたけど、違うことがこれで解ったことを素直に喜んだ。

 

 「もうすぐです、勇貴さん!」

 

 渡り廊下を突き抜け、中庭へ到着する。

 

 「キキキ! キキキ! キキキィイイ!!!」

 

 天まで届きそうな、無数の魔法陣が描かれた鉄塔がそびえ立つ。

 

 「キキキッ! キキキッ! キィキキキィイ!!!」

 

 無数の影たちが取り囲むように僕らを歓迎した。

 漫画の最終ボス一歩手前の気分になった。

 

 「──っ」

 

 息を呑む。

 交信の杖の門は固く閉ざされている。

 

 「キキキィイ、キキキィイ、──キッ、キキキィイ!!!」

 

 何千を超える影たちが嗤う。

 その圧倒的な数に僕らは何も言葉が出ない。

 

 「……それでも」

 

 真弓さんが一歩前へ出る。

 影たちが贈る嘲笑の大合唱を物ともせず、彼女は言葉を続けた。

 

 「私たちは前へ行くんです」

 

 宙に魔法陣が展開される。

 僕とシェリア会長はそれを止めることは出来なかった。

 

 「どんなに絶望的でも。どんなに救いがなくても。終わらせる為に行かなきゃいけないんです」

 

 手を広げ、口を開け、多くの悪意を曝け出す影たち。

 生きてる人間のように蠢くそれらへ光が降り注ぐのを僕らは眺める。

 

 「──だから、その為に貴女は此処で堕ちろ」

 

 真弓さんらしからぬ言葉だった。

 誰に向けて放たれたのかは分からないけれど、その言葉の奥には拭いきれない感情が詰まってた。

 

 「キキキキキキキキキキィイイイイイイ!!!」

 

 数千にも及ぶ影たちが一斉に僕らを取り囲む。

 

 「──それは、まさに弾丸の如く。それは、稲妻の如く」

 

 シェリア会長の二丁拳銃が火を噴いた。

 キキキと暴れる影たちに僕も剣を振るった。

 

 「放て、放て、放て、放て、放て、放て、放て。七の言霊において次元を渡りし狂犬よ、現世へと降りて──」

 

 真弓さんもシェリア会長も全力だった。

 勿論、僕も全力だ。

 しかし、影たちの進行は留まることを知らなかった。

 

 だが。

 

 「道を開きますわ、下がってくださいまし!」

 

 影たちに切りかかる僕に向かって大声で指示をするシェリア会長。

 

 「──っ!」

 

 その声を聞き、僕と真弓さんはシェリア会長の後ろへと下がる。

 

 「──敵を穿て!」

 

 シェリア会長が叫ぶ。

 瞬く間もなく二丁の銃は一つになり、悪しき闇を掻き消す閃光が放たれる。

 

 「「「「キキキキキキキキィイイ!!!」」」」

 

 一筋の光が固く閉ざされた門に続く道を作った。

 

 「今の内ですわ!!!」

 

 シェリア会長が僕と真弓さんに向けて大声で指示を出す。

 

 「礼は言いませんよ」

 

 真弓さんが言う。

 

 「──ありがとう、シェリア会長!」

 

 道を作ってくれたシェリア会長に僕は感謝する。

 そうして、僕ら二人はその道を急いで駆け抜けた。

 

 クスクス。

 クスクス。

 

 「キキキィイイ!!!」

 

 急いで道を塞ごうと影たちが躍起になる。

 

 「させませんわ!」

 

 しかし、それに向かってシェリア会長は銃を乱射して阻む。

 

 タタタ! タタタ!

 門へたどり着くと、視界が突然ぐにゃりと歪む。

 

 「──っ!?」

 

 固く閉ざされた門は開かない。

 思い込む。

 その門が開くと強く念じ、自己投影(タイプ·ヒーロー)を発動させる。

 

 キキキ/キキキ。

 キキキ/キキキ。

 

 「──あれ?」

 

 自己投影(タイプ·ヒーロー)を発動させようと思い込んでも何も起こらない。

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 まるで、自己投影(タイプ·ヒーロー)が何かに上書きされてるみたいだ。

 

 「……そう言う、ことですか」

 

 真弓さんが悟ると同時に銃声が止む。

 

 「──え?」

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 スタスタスタ。

 片腕で銃を構えたシェリア会長が僕らへ歩いてくる。

 

 「クスクス」

 

 シェリア会長が声を押し殺しながら笑う。

 この土壇場で彼女は何をしてるのか理解が追い付かない。

 

 「そんなの決まってるじゃないかしら?」

 

 風が吹くとオレンジの髪がなびき──。

 

 ジジジ。

 眩暈がする。

 風にさらわれた燈色の髪をシェリア会長は掻いていく。

 

 「──な」

 

 目を疑うような光景に唖然とする。

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 「愚かねぇ。本当にアナタたち、ムシケラ共は愚かとしか言いようがないわ。このワタシが粗悪品なんかに自由を与える訳ないじゃない」

 

 カチャリ。

 引き金を絞る少女は銃口を真弓さんに定める。

 

 「……でしょうね。狡猾な貴女らしくないとは思ってました」

 

 真弓さんが悔しそうに言う。

 

 「クスクス。それはお互い様というものでしょう?」

 

 シェリア会長はシェリア会長ではなくなっていた。

  それが、どういう意味かを理解するには感情が邪魔をする。

 

 「……君が魔女?」

 

 だけどそれを認めなくては話が進まない。

 そう思って呟いた瞬間──。

 

 「──っふざけるんじゃないわよ、この愚か者! ワタシはシェリア。深い森に覆われた国『ルーベン』の女王、シェリア・ウェザリウス! そんなワタシを二度と魔女だなんて呼ばないで頂戴!!!」

 

 それを少女が目を見開き否定する。

 それだけで彼女が魔女と呼ばれることの憎悪が伺えた。

 

 「ああ、ごめんなさい。驚かせちゃったかしら。でも仕方ないのよ。きつめに言ってあげないとアナタ、そうやってワタシを魔女と呼ぶんですもの」

 

 言葉とは裏腹に冷めた眼差しで少女は僕らを見つめる。

 

 「でも、それもこれで終わり。瑞希は失敗したけれど、ワタシはそんなことしないわ。ちゃんと権能(チート)で始末してあげる」

 

 嗤いながら少女、シェリア・ウェザリウスは真弓さんへと近づいていく。

 

 「ええ、大丈夫よ。ちゃんと偽物(アナタ)から殺してあげるから安心しなさい」

 

 クスリと微笑む彼女は、妖艶な魔女そのもの。

 

 「遺言は聞かないわ。それで時間を戻されちゃ、堪ったものじゃないもの!」

 

 勝利を確信したシェリア・ウェザリウスはそう言い、振り絞った引き金を引く。

 

 「──っ」

 

 パン!

 乾いた銃声が響き渡る。

 

 同時に。

 

 火花が散る/一筋の光が差す。

 

 ドクン。

 

 奇跡が起こった。

 ありとあらゆる偶然が必然へと切り替わった。

 

 ドクン。

 

 「今の内です、名城殿!」

 

 時間が止まったような感覚が襲う。

 コンマ数秒で虹色に輝く剣を以て、シェリアの放った魔弾を■■■がはじき返した。

 

 それは、金色の髪の少女による神速の荒業だった。

 

 パリン!

 何かが砕ける音。

 カチリ。

 何かが填まる音。

 

 「──っ!」

 

 シェリア・ウェザリウスの目が見開く。

 真弓さんも息を呑む。

 

 嗚呼、瞬きの間にいつかの風紀委員長が現れたのだから当然だ。

 

 「お前は──!」

 

 カチカチカチ。

 

 物語が書き変わる。

 秒を止めて、時間が逆しまに戻ってしまう。

 認識が、曖昧なものとなり今がなくなる。

 

 「──ま、待ちなさい!」

 

 キーンコーン、カーンコーン!

 

 今度ははっきりと鐘の音が鳴り響くのを聞こえた。

 ついでにシェリアが制す声も聞こえた。

 

 しかし、僕らの逆行は止まらない。

 

 「ふざけるんじゃありませんわ! アナタたち、何処まで邪魔をすれば気が済むのです!!!」

 

 暗転する意識の中、シェリアの怒号だけが聞こえる。

 

 チクタク、チクタク。

 そうして、僕の意識はそこで途絶えたのだった。

 



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026 時間遡航の恩恵

 

 気づいたら、僕は何もない白紙の世界に居た。

 

 チクタク、チクタク。

 キーンコーン、カーンコーン。

 

 分岐点。前へ行く。『エラー認証。エラー認証』満ちる刻。話し合い。想いの結晶。奇跡を願うことより大切なこと。残留データ。拙い言葉で、意味が解らない理屈だ。泣き疲れたら■■さんが来た。その手に──。

 

 ────「ユーキ!」

 

 雑音が脳に響く。

 

 手を伸ばして! 時間切れ、か。キキキ。──ま、待って! えへへ。わた、し。では、ご機嫌よう。邪魔ヲ死タから殺したノ! 勇貴さん。思春期ですね。素晴らしい。試してみます? 待っていたまえ、魔導魔術王(グランド·マスター)。うん。久しぶり。──遅いですわよ、七瀬勇貴。

 

 ────「忘れ物だよ!」

 

 手に何かを握りしめ、モザイクの嵐を駆け抜ける。

 

 「ハア、ハア」

 

 無言でそれを続けて先を目指したけれど、何も考えることが出来なかった。

 手が折れても。腕が消えても。足が動かなくても。倒れても。

 

 「ハア、ハア!」

 

 ──僕は、何度でも立ち上がる。

 

 そうしなければならない。

 そうしなければこれまで僕が捧げてきたモノが無意味になる。

 

 ────「お前なぁ! 此処で消えたら承知しねぇからな!」

 

 ドクン。

 バシャバシャ。

 ズキズキ。

 

 何かが欠けていく。

 大切なモノが失われているのに僕は振り返らない。

 

 「──っ!」

 

 誰も僕を助けてくれないけど走り続けるのを止めない。

 でも。

 どうしても。

 

 ────「だから! 早く行って殴り飛ばして来い!」

 

 地平線も見えない。

 先があるかないか解らない。

 

 ────「……それでも、私たちは前へ行くんです」

 

 それでも、僕は前へ進む。

 何故なら、その先にあるだろう光を掴みたいからだ。

 

 私は、やりたかったことなんだって思うんです。そんなこと、とっくに気づいちゃったよ。終わり? 終わりなんて誰がするかよ!? 生徒会長はミステリアスな方が魅力的なんだって仰られたのですから。時間切れ、か。まあ、精々頑張ってみれば良いさ。見事でした。そうだ。これは君の物語じゃない。これはオレの物語だ。お前に殺されて良かったなんて、あんまりじゃないか!

 

 ジグザグ、ジグザグ。

 ジョキジョキ──、ジョッキン!

 

 ────「どんなに絶望的でも。どんなに救いがなくても。終わらせる為に行かなきゃいけないんです」

 

 残留思念がシナプスを駆け回れば、何もないにカタチを与えていく。

 

 そうね。確かにそれは貴方には要らないものだったのでしょうね。大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。私のヒーローなんですから。私の名前? ああ、そういえば教えてなかったっけ。

 

 空白の物語は、無色の魂を現した。

 悪意の代償は、己の内にある罪を払った。

 記憶の復元は、幻想へと回帰する選択をした。

 

 ────「だから、その為に貴女は此処で堕ちろ」

 

 忘れてしまった道だけど、帰らなきゃ。どうしようもねーな。私の物語はそこから始まったんです。──嘘つき!!! みんな、みんな大好きだよぉ……畜生! ノンノン違うのだ、ド戯けぇい! 鏡の話です。ボクは僕で、キミは僕。始まりにして傲慢を騙る原初の愚者。言ったでしょ。私たちは認めないって。何だよ、こんなにも笑えるじゃねぇかよぉ。

 

 「──っ!」

 

 嵐を越えた先に、あるべき未来を見た。

 それは、どうしようもない不幸の塊だった。

 

 触れれば、きっと僕は後悔する。

 後悔したら僕はまた何かを失ってしまう。

 

 「でも、行かなきゃ」

 

 そんなモノを見てもやることは変わらなかった。

 その先に待つ終わりを僕らは願ったから、走り続けた。

 

 すると、僕の身体が光に包まれる。

 意識が■に戻っていく。

 

 Hello,New_World!

 

 頭の中に文字が打ち込まれ、目を覚ます。

 

 「──っむぅ」

 

 中庭に居た筈なのに自分の部屋で起きた。

 

 「────」

 

 瞼をパチパチさせ、手足に力を入れる。

 陽気な小鳥のさえずりが朝の陽ざしを朗らかなものにさせたのだ。

 

 コン、コン。

 そうしていると、部屋のドアをノックされる。

 

 このタイミングで一体、誰が来た?

 

 「おはよう。起きたばかりで且つ突然の訪問で申し訳ないが、出てきてはくれないか? 話がある」

 

 清涼そうな少女の声。

 彼女の名前は確か──。

 

 「シスカ。シスカ・クルセイドだ」

 

 シスカ・クルセイド。

 自称『鬼の風紀委員長』であり、起きたばかりの僕から真弓さんじゃない真弓さんを連れ去った人だった筈。

 

 ドア越しに少女の気配を感じる。

 正直、寝間着から制服に着替えたいが中庭での出来事が夢じゃないなら時間が惜しい。

 そう思い、ドアを開ける。

 

 「……そうなのだが、戦闘になるかもしれないとは思わなかったのか?」

 

 ドアの前に目も眩む金髪の女子生徒が立っていた。

 

 ────「ど、どどど、どうやら、わたしは■■のことが好きらしい」

 

 「──っつぅ」

 

 また記憶が頭に過る。

 けれど、それも一瞬のことで。

 

 「──あ」

 

 直ぐに忘れてしまう欠片だった。

 

 「……そうだな。それは、もう無かった話だ」

 

 それに対し騎士を目指した少女は頷く。

 

 「そう、かな」

 

 チクタク、チクタク。

 お互い顔を見合せたまま、時間だけが過ぎていく。

 時間は迫っていると言うのに、それだけしか僕らは出来なかった。

 

 「ああ、そうだった。時間がないのであったな」

 

 少女が声を振り絞る。

 

 「……うん。そう、だった、ね」

 

 それに僕は頷く。

 

 「今がいつで、どんな状況かは把握できているか?」

 

 シスカがそんな僕に問う。

 

 「解らない。けど、中庭でのシェリアと戦っていたという記憶はある」

 

 君が現れて、真弓さんが何かした。

 それぐらいしか解ってない。

 

 「いや、それで良い。そこまで理解しているのなら、これから彼女が説明するだろう」

 

 シスカは僕の疑問に意味深な言葉を返す。

 

 「……?」

 

 彼女?

 

 「ああ。言っておくが名城殿ではないぞ。彼女はこの時間だとまだ介入出来ていないから無理だ。此処に来れるのは──」

 

 シスカが僕の問いに答えようとした時。

 

 「いや、説明は不要だよ、シスカ。この時間にボクが来るというのは決定事項なんだからね」

 

 ジジジ。

 聞き馴染みのある女の声。

 それには、何かが欠け、何か違和感が継ぎ足された気がした。

 

 「──誰?」

 

 声がする方に向く。

 

 ドクン。

 心臓が高鳴る。

 

 「また会えて嬉しいよ、愚者七号。──と言えば、ボクが何者かを察してくれるかな?」

 

 バラバラ。

 ズキズキ。

 

 会ったことのない黒髪の少女が僕を愚者七号と呼ぶ。

 突然部屋に現れるなんて離れ業には驚かされたけれど、僕をそう呼ぶ奴には会ったことは有る。

 

 しかし、それは人ではなく一冊の魔導書だった筈……。

 

 「おや、それほど驚いてないね。見知らぬ人間が部屋に居るんだ。少しは驚いても良いと思うよ。それぐらいの方が可愛げがあるものだ」

 

 ……。

 

 「いや、驚いてはいるよ。魔導書()()()筈の君が少女の姿を取っているなんて思いもしなかった。というより、今まで何処で何をしてるだとか文句を言ってやりたいだとか思っちゃいないよ。うん、それは本当だ。本当だよ?」

 

 解らない。

 今、言ったことが自分の本心だってことだってことも。

 何もかもが理解出来ないということで頭の中はいっぱいになっている。

 

 「ほうほう。それは上々。キミも拍が付いたというものだ。とはいえ、現状は芳しくない。これでボクらは時間遡航の恩恵(ギフト)を使えなくされたに等しいのだからね」

 

 時間遡航?

 

 「驚いた。そこに突っ込むのかい? これでは益々、作り物になったというものだ。感情が抜けているではない、もっと別の感情というモノを理解することが消失してしまっている」

 

 黒髪の少女はぶつくさと言いながら、僕に近づいて来る。

 ……というか、他人の部屋に土足で上がり込まないで欲しいものだ。

 

 「……まあ、良いだろう。それについてあれこれ議論する時間も惜しいものだ。結論から言おう。後、十分程で魔女がこちらに向かってくる」

 

 シェリアが来る?

 

 「そう。赤い髪の方の彼女さ。それはもうカンカンに怒り狂ってね。せめて目的のキミを■■■ド・■■ターにしようと躍起になるんだ。何故、それをするのか考えもしないんだから、彼女も賢いのか解らないものだけどね」

 

 黒い髪の女子生徒は値踏みするように僕を見つめる。

 その視線は、何処までも冷徹なモノであり。

 その眼差しは、何の感情も満たされない深淵のようなモノだった。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 

 「さて、ここまで勿体ぶらせたんだ。いい加減、自己紹介の一つでもしておこう。察しはついてる? 意味がない? けれど、それも大事な伏線になるんだから大事にしないとね」

 

 カチカチカチ。

 ドロドロとした黒い瞳が僕を見つめる。

 色白い肌が彼女を不気味だと印象付ける。

 

 それはまるで、何もかもがお見通しだと言わんばかりに道化染みた物言いだった。

 

 「そうとも。道化だとも。最も道化でいて噂好きな女子生徒。ゴシップ大好きとはよく言うものだ。キミとて気づいてるんだろう? 魔導書であったボクを名前で呼ばなかったのも薄々感づいていたからなんだろう? まあ、そう思っていても仕方ないんだけど。……良いさ。此処まで来たのならこう名乗ることにしよう」

 

 シスカは何も言わない。

 無造作に近づく女子生徒が誰かなんて僕は解ってる。

 

 けど、少女は通行儀礼だと言ってそれをする。

 

 「最果ての今にして絶対なる知識を司る魔術師が一人。藤岡飛鳥、その人だよ。この姿でキミと出会えるなんて嬉しいよ、愚者七号」

 

 そっと僕の頬に手を添えると彼女は微笑む。

 

 カチリ。

 また何かの欠片が填まる音がした。

 

 「さて、残り五分。こうして会話するだけで五分という時間が消費された。それはいけないことだよ、愚者七号。キミには賭けをして貰わなきゃ、此処でボクら三人はご臨終だ」

 

 賭け?

 

 「そう話を聞いてくれる気になったのはこれまた嬉しいことだ。これはサービスだ。持っていくと良い」

 

 カラン、カラン。

 藤岡飛鳥を名乗る女子生徒が懐から何かの箱を転がした。

 

 黒い歪な模様の立方体。

 僕らにはお馴染みの権能を与える魔道具。

 

 「──ダーレスの黒箱?」

 

 そう。外なる神による魔導魔術のアイテム。

 それをどうして彼女が持っている?

 

 「おっと。それは、違う。正確に言うならば、それはダーレスの黒箱じゃない。限りなくそれに似せたレプリカさ」

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 少女が嗤う。

 謳うようにそれを僕にひけらかした。

 

 「なーに。失うものが今更一つや二つたいしたことないだろう?」

 

 何かが可笑しいと言うのに彼女はそれを受け入れている。

 

 ドクン。

 何かが違う。

 何かが違う。

 何が違う?

 

 クスクス/キキキ。

 クスクス/キキキ。

 

 パン!

 そう思っていると、突然、何かがした。

 パン!

 再び、何か手を叩く音がした。

 パン!

 三度目で漸く、気が付いた。

 

 地べたには何も転がっていないことにも。

 藤岡飛鳥と自称する少女は事態を重く見ていることにもだ。

 

 「──なるほど。これは重症と見た」

 

 僕の頬に手を添えた彼女が言う。

 

 「妄想を現実として見せるとは、彼女も考えたじゃないか。これでは、どれが本当か偽物かなんて区別出来ないだろうね」

 

 パリン!

 何かが砕ける。

 

 そうすることで僕の中の何かが解放された気がした。

 

 時間と空間が交じり合い、幻惑の今を手放そう。

 そうすれば、もっと夢の終わりへと近づくのだから──。

 



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027 目指せ、コントロールルームへ

 

 ワタシの世界は裕福ではあった。

 

 「──っが! はあ、はあ、はぁあ!」

 

 裕福ではあったけど、それが幸せかと言われたらそんなことは無かった。

 

 クスクス。

 クスクス。

 

 何時も遠巻きに陰口を囁くメイド達を思い出す。

 侮蔑の視線。

 ちぐはぐな問答。

 ワタシが子供では居られなくなったのは、お父様が死んで新しいお父様が代替わりした時からだったか。

 それともお母様が気狂いで何処かに蒸発してしまった時からだったか。

 

 解らない。

 ワタシが不幸になったのも。

 そもそもワタシは本当に幸せだったのかも分からない。

 

 クスクス。

 クスクス。

 

 ワタシはシェリア。

 影絵の国と畏れられた『ルーベン』の第一王女。

 死の宣告による呪いを回避するべく、粗悪品の願いを糧にワタシは愚者を改竄しなければならない。

 

 ジジジ。

 その為には、愛が足りない。

 人間の魂を構成する唯一の愛という欠陥がワタシにはなかった。

 

 「はあ、はあ、──は、ぁあ!」

 

 ドクドクと血が流れる。

 誰かの幸せを奪うことでしか自分の幸福を感じられなくなってしまった。

 そんなワタシには愛などという欠陥は必要なかったのに──。

 

 グチャグチャ。

 グチャグチャ、グニャリ。

 

 ────「魔女が逃げたぞ! みんなの仇だ! 絶対に逃がすんじゃねぇぞ!!!」

 

 バラバラとワタシの記憶が蘇る。

 美しいワタシを構成する魂は、微粒子の如く復元する。

 

 何よりワタシが気に入らないのは。

 

 みんな、そんなワタシを恨んでいることです。

 でもそれも当然の結果でしょう?

 だって、ワタシもワタシを愛さない奴らに相応の報いを与えたのです。

 

 家畜たちもそう。

 ワタシを裏切った家臣たちも、そう。

 みんな、ワタシという征服者を憎むことで失ったモノへの別れを果たした。

 

 それだけだったのに。

 

 眩暈がする。

 クラクラと脳を揺らす感覚は二度目だと言うのに慣れない。

 

 「──っつぅ、ぁあ」

 

 息が出来ない。

 心臓が締め付けられるようで苦しい。

 

 「ぅううう、ぐぅ、……ご、っは!」

 

 血が逆流し、喉を焼く。

 内臓がグチャグチャと掻き回されるようで、とても熱い。

 

 「ふ、ざ、け、ん、じゃ、な、い、で、す、わ、よ」

 

 ゴトリ。

 肺からコボレル赤が煩わしい。

 脳を狂わす記憶が鬱陶しい。

 

 嗚呼、なんてことだ。

 

 「ぐ、しゃ、を……。ドン・キホーテを探さなくちゃ──」

 

 カチカチカチ。

 何かが頭の中を書き換えるのを感じる。

 キキキ、と影が嗤う。

 

 「──っち。代償ですか」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 失われていく魂。

 薄れていく存在は自身のアストラルコードを削っていく。

 

 「ハア、ハア」

 

 魂が肉体を欲している。

 感情がそれを拒んでる。

 

 モノクロのノイズが視界を壊す。

 

 「──居ない?」

 

 ふと見たモニターを見ると、そこには何も映らなくなっていた。

 アクセス権限が剥奪されたのかと自身の身体を確かめるがワタシの手元にはそれはある。

 なら、この場合はそれ以外の何かが阻んでるに違いない。

 

 「そう。また邪魔をするのね、粗悪品」

 

 夢の世界でのワタシの肉体。

 現実でも代えの肉体にしようと思っていた出来損ない。

 感情なんてものを得てしまった愚かな肉の塊。

 故に廃棄しなければならなかったのに、あの男が手を取ってしまった。

 

 ──思えば、あの男がやって来てから計画は狂ってしまったと言える。

 

 「古瀬勇貴」

 

 憎たらしい正義の味方。

 あの男がこの学園に編入して来なければ魔導魔術王(グランド·マスター)はやられなかった。

 このワタシが肉体を得ることも出来た。

 

 「……もう、良い。別にあれが無くても計画は大丈夫。また、呼べば良いのです」

 

 そもそも駄目だったのだ。

 男の肉体にワタシの魂を入れるなんて無理な話だった。

 古瀬瑞希を乗せるためとはいえ、男の身体を選んだのが間違いだったのだから。

 

 「なら邪魔でしかない。あれが居たら、次が呼べないのです」

 

 この調子なら、もう廃騎士(シスカ)は使えない。

 最早、システムの何もかもが役立たずとなったと見て間違いない。

 

 「クスクス。まあ、ワタシにはこれがあるのです」

 

 ──キキキッ!

 

 権能(チート)を使う。

 すると影たちが嗤った。

 

 「今度こそ、これで終わりです」

 

 モニターは真っ黒のまま、ワタシは愚者が居るだろう部屋へと影を向かわせた。

 

 ◇

 

 「妄想を現実として見せるとは、彼女も考えたじゃないか。これでは、どれが本当か偽物かなんて区別出来ないだろうね」

 

 黒髪の少女、──藤岡飛鳥が僕の頬に手を添えながら言う。

 

 パリン!

 すると何かが砕ける音が響き渡った。

 

 「まあ、それもこれで全部解決なんだけどね」

 

 覗き込むように僕の目を見る彼女。

 見透かされて、曖昧になっていた何かが取り戻されていく。

 

 「……かい、けつ?」

 

 「そう。しばらくは妄想が現実に入り混じることはないよ。だが、それは同時に彼女が掛けた保険を台無しにするってことでもある。故に──」

 

 ジジジ。

 藤岡飛鳥の身体が透けていく。

 砂金のように身体が散っていくのが見て取れた。

 

 「──え?」

 

 いきなりだった。

 問題が一つ解決する毎に誰かが犠牲となっていく。

 それが当たり前になりつつある現状に僕はなす術もなかった。

 

 「目障りなボクは此処で退場させられるってことさ。でも、大丈夫さ。後のことはそこのシスカに任せてある。……ああ、解っているとは思うけどシスカ。シェリアはまだ現状を全て把握できてない。だから、攻め込むなら今だよ」

 

 黒髪を弄りながら少女はシスカに告げる。

 会った時とは違う年相応な少女の笑みを浮かべる姿は、とても儚げで綺麗に見えた。

 

 「それでは、愚者七号。しばらくのお別れだ」

 

 そう言って、少女は消えた。

 

 「……何だったんだ?」

 

 それを僕は茫然と眺めるしか出来なかった。

 

 「──突破口を開いたのだろう」

 

 それまで静観をしていたシスカの口が開いた。

 

 「突破口?」

 

 それに僕はオウム返しのように疑問を口にした。

 

 「ええ。『魔女』に有利な現状を覆すには、『愚者』の疑似粒子が欠けたことを見せなければならなかった。故に彼女はそれを実行した。これはそれだけの話です」

 

 カチリ。

 また何かが嵌る音。

 欠けていた何かが埋まっていく度に僕は嫌な予感が迫っていく。

 

 「藤岡が消えることで、その『愚者』の疑似粒子が欠けたってこと? それが現状を覆すって何なんなのさ?」

 

 意味が解らないし、訳が分からない。

 そもそも時間遡行したとか言われてもよく解らない。

 そんなことを言われても、はいそうですかと納得できる証拠すらない。

 

 「そうだよ。証拠だ。そんな言われたことが本当だって言う確証なんてないんだ。今のやり取りが僕を騙すシェリアの策略かもしれないじゃないか」

 

 例えば、魔女と呼ばれた彼女が僕に絶望させる為に藤岡飛鳥というキーパーソンを退場させるなんて幻を見せる。

 そうすることで僕が取り乱すのを楽しむ──なんて憶測だって出来るのだ。

 いつだって僕らはそうして騙されてきた。

 なら、今回もそうじゃないって証拠はない。

 

 「そう思えるのも無理はない。今、貴方が想像したことも強ち間違いとは言い切れないのも確かだ。だが、考えても見て欲しい。それをして魔女に何の得があるのだ?」

 

 今にも掴みかかりそうな僕の言葉に対しシスカは問う。

 

 「得だって? 得なんて今更考えるだけ意味がないじゃないか! こんなイカレタ世界を創り上げるヤツに損得勘定が出来るとは思えないでしょ」

 

 縋るように言葉を口にして思い出す。

 かつて、真弓さんが僕に言っていた真実の一つを。

 

 ────「死んでしまった人をとても大切にしていた少女たちは男との再会を夢見ました」

 

 「そう。今のシェリアがどうかは解らないが、この世界を創り上げたのは名前も知らない三人の少女たちだ。つまり、『魔女』として認識されているシェリアはその三人の意図には合わないことをわたしたちにしているということになる」

 

 淡々と答えていくシスカ。

 そこに何の間違いもないように見える。

 

 けど。

 

 「いや、三人の中に名前が解る人はいるよ」

 

 そう。

 あんなにも必死で誰かの魂に固執した人間を僕はこの手で討った。

 死者となった兄を求めた少女の名前を僕は忘れていない。

 

 「はぐらかさないで。それとも、君は知らなかった──訳ないよね。だって、彼女は言ったんだ。後のことはシスカに任せてあるってさ」

 

 息を呑むシスカ。

 

 「だから教えてよ。僕が何者で、魔女が何をしたいのか。君が知る全部を教えて欲しい。教えてくれたら、きっと前に進める。そんな予感がするんだ」

 

 真っ直ぐに見つめ合う僕ら。

 誰の邪魔もないそれは永遠に続けられるほど、世界は気長じゃない。

 この曖昧で不確かなセカイにも終わりは必ずやって来る。

 

 「──知りたいか?」

 

 シスカが問う。

 

 「当然」

 

 それに即答する。

 

 「そう、ですか」

 

 苦虫を噛んだような、それでいて嬉しいような顔。

 彼女はそんな表情で僕を見た。

 

 「だが、すまない。わたしにはそれを話せる権限はないのだ。あるとすれば、それはこの世界のアクセス権限を持ったヤツと恩恵(ギフト)を持ったヤツだけ。そのどちらもわたしは持ち合わせていない。だから、聞きたいのなら『魔女』を打倒してヤツと会えるようにしなくてはならない」

 

 ヤツ?

 

 「そう。この時間に戻した恩恵(ギフト)を持つ少女──『名城真弓』から話を聞きだすしかないのだ」

 

 シスカがそう言うと、部屋のドアを見つめだす。

 まるでその先に、何かがあるかのような物言いをしている。

 

 「シスカ。『魔女』のシェリアは、コントロールルームに居るんだね?」

 

 「そうだ。アクセス権限を以て自身のアストラルコードを改竄していることだろう」

 

 やるべきことは決まった。

 

 「簡単ではないぞ」

 

 知っている。

 先に待つ真実が辛いものだってことも解っている。

 

 だからこそ、目指さなければいけない。

 どんなに辛いものでも乗り越えなければ、誰かの目指す明日はやって来ないのだから。

 

 「──そうか。ならば、露払いはしてやろう」

 

 シスカがそう言うと、いつか見たフルプレートの鎧を一瞬で纏う。

 

 「行くぞ、七瀬勇貴。コントロールルームへ」

 

 静かに少女が告げると、僕の部屋のドアを持っていた大剣で切り裂いた。

 

 ジジジ。

 今、この時。

 幻想たちの嘆きの幕が下ろされたのだった──。

 



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028 終着駅はすぐそこ

 

 黒の天体に沈む新星。

 その輝く星に手を伸ばそうが、この手には届かない。

 

 「────」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 ノイズが掠める。

 

 キキキ。

 キキキ!

 

 脳を揺らすそれは誰かの嘆きであったが、同時に星を汚す罪悪に他ならなかった。

 

 「いた、い」

 

 嗚呼、痛い。

 痛くて、痛くて古傷が疼く。

 

 どうしようもない飢えが腸を齧りにやって来る。

 どうしようもない絶望が心を蝕もうと待っている。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 ワタクシは何者でもなかった。

 ワタクシを構成する全ては、初めから無に等しかった。

 

 意識が離れる/バラバラに引き裂かれる。

 痛い/痛い/痛い。

 苦しくて、醜くて、哀れな粗悪品は彼女の願いを見捨てれない。

 

 「あ、──ああ。どうして」

 

 どうしてこうなったのだろう。

 救いがないと分かってたのに、どうしてワタクシは生きることを選んだのだろう?

 

 解らない。

 解らない。

 何で、ワタクシは『シェリア』の願うままの肉体にならなかったのか未だ理解出来ていなかった。

 

 ────「あん? そんなのお前さんが生きたいと言っているからだよ」

 

 死んだ男の言葉を思い出す度、置いていった筈の感情が痛覚を訴える。

 

 「──っつぅ」

 

 カレを想う度に胸が締め付けられ、苦しくなる。

 全くこの痛みは理解不能だ。

 この虚しさは、人間には不要な精神疾患でしかない。

 

 ──だと言うのに。

 

 「なんで、置き去りにしたのです、か」

 

 只、それだけを口にする。

 

 解らない。

 今、確実に分かることはカレがもう死んでしまっていることだけだった。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 影が何処かに向かうと、ワタクシの身体は軽くなる。

 魔女が意識をあちらに向けたのは道理だったが、それでも不用心と言わずには居られなかった。

 

 ……まあ、それもあの女の筋書き通りだ。

 

 魔女は過去に夢見る。

 ワタクシは過去に囚われる。

 

 彼女との違いはそれだけだった。

 

 ◇

 

 「行くぞ、七瀬勇貴。コントロールルームへ」

 

 静かに少女が告げると、部屋のドア目掛けてその大剣を振り落とした。

 

 バラバラと崩れるドア。

 脱兎のごとく部屋を出る僕ら二人。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 案の定、部屋の周りに僕らを囲む影たち。

 

 「ああ!」

 

 イメージは出来てる。

 あらゆる幻想を葬る剣がこの手に現実化(リアルブート)された。

 

 「──っ!」

 

 真弓さんを待つよりも魔女の襲撃が早い。

 これはシスカが魔女を倒したらと言う話を持ち掛けた時に予想できた話だ。

 

 多分、真弓さんは魔女を倒さない限り僕の前にはもう現れない。

 現れたとしても、それは僕が知るあの『真弓さん』ではない。

 確たる証拠はないが、今までの経験がそうだと告げている。

 

 グルン!

 円を描くように僕らは影に切り込む。

 互いの得物がぶつからないように交互に繰り出さなくては、躓いてしまうのは明白。

 

 キキキィイ!!!

 

 囁くように。

 噂をするように。

 それらは嘆くように、影たちは人型を象りだす。

 

 「一直線に、──壁ごとぶち抜きます」

 

 そう告げると、フルプレートの鎧が煌めく。

 

 ガキン!

 構えていた大剣が虹色の光を纏い始め──、

 

 「──ハァアアア!!!」

 

 影たちが腕を伸ばし襲ってくるのをその刃を放つ。

 

 ズン、と重い衝撃。

 眩い光が辺り一面に広がる。

 シスカの叫びと一閃が校舎の壁事、粉砕する。

 

 「──っな!?」

 

 輝く刃は多大な光線となって一直線に放たれ、寮と校舎を別つ壁を巻き込む形で影たちを一掃する。

 

 それがシスカの実力。

 

 それこそが──。

 

 「急ぐぞ。道は開けた以上、最早、此処に留まる理由はあるまい」

 

 ガシャン。

 シスカの重い鎧が音を立てた。

 

 「う、うん。そうだね」

 

 ぶんぶんと頭を振る。

 今はとにかく、魔女を倒すことだけに専念しよう。

 

 カツン。

 

 「くだらん。実にくだらん。お前がそっち側に回るとか興ざめにも程があろう」

 

 そう思った矢先に、それは訪れた。

 

 カツン。

 カツン。

 

 「……日和見が趣味ではなかったか、『神父』」

 

 シスカが睨む。

 奥底に現れた男が気味の悪い笑みを張り付けている。

 

 ジジジ。

 脳にチラつく、邪悪な貌が忘れられない。

 知っている。

 僕はこちらに歩み寄って来る男のことをよく知っている。

 

 「ふん。それが思ったよりもつまらなくて、な。分不相応ながら、こうして出張って来たというものだ」

 

 僕らよりも背丈の大きい男が嗤う。

 

 「それに、だ。こんなところで貴様のような例外が魔女と対峙してみろ。あれは簡単に敗北を認めてしまうだろうに」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 影たちが再生する。

 復活とか復元とかそういう類じゃない。

 まるで、意志のない映像が巻き戻るような感じにそれは現実となる。

 

 「すまない、七瀬勇貴。どうやら、魔女の下には一人で行ってもらう必要があるようだ」

 

 ガシャン!

 鎧が軋む。

 シスカが大剣を構え、そう告げる。

 

 「流石、始まりのヒロインだ。理解が早くてとても助かる。ドン・キホーテには、哀れな姫様の相手をして貰いたいのだ」

 

 神父から放たれる威圧感。

 その重圧に耐え切れず、体中に鳥肌が立つ。

 

 「──っ!」

 

 嗤う。

 道化染みたそれが手をかざす。

 かざした手を祈るように振り落とすと、再生された影たちがシスカに向かって襲い掛かる。

 

 「──行け!」

 

 駆け出す。

 一目散に中庭の方角へ走るのを神父は止めない。

 

 「む、無茶は駄目だからね!」

 

 後ろ見ずに僕はシスカに大声で言う。

 それに対し、シスカは答えない。

 

 ガキン!

 鉄が軋むと同時に影たちの笑い声が響き合う。

 

 直ぐそこに中庭へと通ずる道を思い込むと、僕は一瞬の内にそこへ辿り着く。

 歪な鉄塔が城門を固く閉ざし出迎えるのが見れた。

 

 「ああ」

 

 でも、大丈夫。

 僕が有する最強の権能を握り、イメージする。

 見様見真似だろうとも、先ほど見た虹色の刃を放てばどんな場所でも粉砕出来るのだ。

 

 ドクン。

 この夢の世界ならば、願えばどんなものでも現実となる。

 それを多くの人が教えてくれたから、形に出来ると信じ込む。

 

 ドクン。

 歪な心臓が高鳴る。

 ジワリと汗が滲み、それは現実化されていく。

 

 ────「知るか。そんなもの知るか! そんなテメェ勝手なルールなんて知ってたまるかよ!」

 

 かつて、叫んだ想いが頭に過る。

 

 「──ぐっ!」

 

 でも、今はそんなものは知らなくて良いから。

 僕は、前へ行くから。

 

 「っあ、あああああああああああ!!!」

 

 体中の神経が痛みを訴える。

 現実と虚構が再び曖昧となっていく中、赤と青の魔術破戒に虹色のオーラが纏うのを感じる。

 

 声が出ない。

 だが、それを塞がった門に向けて渾身の力で振るった。

 

 「────」

 

 刹那の時。

 瞬きの内に星を掴むよう、その一閃は放たれる。

 

 ゴウッ!

 粉砕する悲鳴と城門がギギギと崩れる光景は、さながらイリュージョン。

 

 「──うっし!」

 

 無理矢理に開いたそれを潜り、強引に魔女の待つ最終局面へ入るのだった。

 



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029 影絵情景

 

 目が眩むことのない真っ暗闇を下っていく。

 

 ジジジ。

 此処に来る度、僕は大切なことを思い出す。

 

 「────」

 

 胸が締め付けられる苦しさも。

 声を殺すような悲しさも。

 喉を通らない虚しさの何もかもが目の前に広がっていた。

 

 「──っ!」

 

 頭が痛い。

 脳内に記憶が書き込まれていくのは、とても疲れる。

 

 ジジジ。

 父が居た。

 母が居た。

 三人で仲良く手を取り合ったことがある。

 

 「──あ」

 

 小さな手を掴む両親。

 しきりに二人は■■()に向かって何かを話し掛けている。

 

 とても大切で、何処にでも落ちてそうな光景なのに美しいモノに見えた。

 そうだ。それは思い出してはいけない過去で、忘れたくなかった遠い記憶なのだと魂も告げている。

 

 「────」

 

 ジジジ。

 父はコック長。

 母は専業主婦。

 決して裕福ではない三人家族だったけど、僕らは確かに笑い合えたんだ。

 

 ──でも、その幸福は長くは続かなかった。

 

 「あ、あああ、──っ!」

 

 思い出す。

 何もかもが順調ではない平凡な家庭が、ちぐはぐな空回りをしていたことを。

 

 テーブルを囲んで食事をしなくなった。

 親子三人、川の字で寝ることもなくなった。

 僕がイジメを受けているのを見て見ぬ振りをする父に母は嫌悪していた。

 

 「────」

 

 声は出ない。

 涙は既に枯れている。

 この胸の虚しさは誰にも癒せない。

 

 カツン。

 螺旋のような暗闇の中、苦しみしかない人生を見ながら、■■()は先を目指す。

 

 ジジジ。

 それなりに僕の背丈が伸びた頃、久々に両親とテーブルを囲んで話をした。

 

 ────「『■■』はどっちと暮らしたい?」

 

 どっちがそれを言ったかは覚えてない。

 でも、母が泣いていたのは思い出せた。

 父がどんな顔をしていたのかは解らないけど、見た記憶がないのならきっと泣いてはいないのだろう。

 

 「──っ」

 

 見ていられない。

 この胸を渦巻く不快感に堪えきれず、僕は目を背けた。

 

 カツ、ン。

 いつの間にか底へと着いていたようで、もう下に降りることが出来なくなっていた。

 途端に、空虚な感傷が見えなくなる。

 

 ……どうやら、記憶の復元が終わりを告げたみたいだ。

 

 「ハア、ハア」

 

 息が荒くなる。

 脳を揺さぶる吐き気を無視し、暗闇の中を進む。

 

 すると──。

 

 「──まぶ、しい」

 

 突然、暗闇が晴れて地下聖堂が僕を歓迎する。

 奥にいつもの鉄の扉が固く閉ざされていた。

 

 「そこ、か」

 

 その先に魔女が居るのだろう。

 気配はない。

 けど、今までのことを考えればそこに居るのが通説だ。

 

 「自己投影(タイプ・ヒーロー)は──必要ないか」

 

 入ったところで乱戦には違いない。

 なら最初から覚悟して行けば、何の問題もない。

 

 そう思い魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)し、

 

 「ハァアアアアアア!!!」

 

 掛け声と共に扉を叩き切って、中へと進む。

 すると──。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 「──っつぅううう!!!」

 

 なんて、ことだ……。

 脳をかき回す嘲笑に襲われ、眩暈がする。

 

 コントロールルーム中に広がる影絵の住人。

 待っていた彼らは腕を広げ、中へと踏み込む僕を歓迎するみたいに取り囲む。

 それはまるで、迷い込んだアリスを睨む赤の女王率いるトランプ兵のような振舞だった。

 

 「どのようにして来たか存じませんが、それもこれで終わりです」

 

 カチャリ。

 魔女が二丁の魔銃を構え、せせら笑うよう影たちが逃げ道を塞ぐ。

 

 「──っ!?」

 

 直感が告げる。

 あの魔銃に撃たれたら、確実に僕の魂は死ぬのだと理解した。

 

 ドクン。

 幻影疾風(タイプ・ファントム)を発動させる。

 

 「さあ、死になさい!!!」

 

 コンマ一秒の世界に入るが、一足遅かった。

 何故なら既に引き金を下ろされ、その過程を僕は認識してしまったから。

 そう、コンマの世界──光速の領域と言えど概念を認識した以上は結果として『魔弾』は現実化(リアルブート)するのだ。

 

 キキキ、と魔女が嗤う。

 放たれたら最後、その権能(チート)は発動さえすれば必殺の概念を以て敵を仕留める魔道具(アーティファクト)と化す。

 故に魔女は勝利を確信する。

 

 「──な、なんです!? どうしたと言うのですか!?」

 

 だが、それは過程が証明されているというのが前提条件。

 

 乾いた銃声は響かない。

 それは、銃弾は具現されないということで、終わりを告げる魔弾は放たれていないのであって、

 

 ──つまり、

 

 「──今ですわ!」

 

 シェリア会長の声が何処からともなく響き渡る。

 

 どんな勝負でも一瞬の油断が、一度の怠慢が勝敗を別つ。

 それこそが魔女の持つ権能(チート)の致命的な欠陥なのだ。

 

 キキキ!!!

 

 声高らかに嗤い続ける影絵たち。

 シェリア・ウェザリウスの手から魔銃が消滅していく。

 

 ──否、

 

 「な、にぃ──」

 

 シェリアの身体が二つに分断される。

 それは、シェリア会長が全力で抵抗した証だった。

 

 そう。それこそが、魔女を出し抜く唯一の方法。

 『色欲』の権能(チート)をシェリア・ウェサリウスという借り物の肉体で扱うしかない魔女の弱点。

 それは、彼女が一つの肉体に対し二つの魂が支配権を奪い合っているということに他ならない。

 

 幾度の夢でアクセス権限を奪われても平気な顔をしていられた理由。

 それは種が割れれば簡単なモノで、権能(チート)による攻撃を受ける時に肉体の制御を離すことで微粒子近い回避を可能にしただけのこと。

 一つの肉体に複数の魂が入っていた人間にしか出来ない荒業で、それを何の躊躇いもなく実行に移す度量と寸分違わぬ技量が有って出来たから成しえたのだ。

 

 それは『魔女』だからではなく、ルーベンという国の『王族』であったが故のモノ。

 まさに、シェリア・ウェザリウスという人間にしか出来ない所業だった。

 

 「ぅううう、──っらぁあああ!!!」

 

 だからこそ、見過ごすという選択は取れない。

 何故なら、この抵抗は一度しか使えない奥の手に他ならない。

 

 間合い十数歩。

 この手にあらゆる幻想を殺す魔剣が握られる。

 

 「──っ!?」

 

 シェリアが目を見開く。

 だが、遅い。

 赤と青の二重螺旋は放たれ、言葉を紡がせるよりも速く渾身の一閃が赤髪の少女を薙ぐ。

 

 「そん、な。……そんな馬鹿な!?」

 

 支配から逃れようとした人たちによる紙一重の攻防。

 それらが一瞬の隙によって終結を語りだす。

 

 「あり得ない」

 

 二度目の反旗はないと踏んだ女王は、人の想いを軽んじた。

 故に、駒である少女の想いを汲むことはなかった。

 

 「あり得ないわ──!」

 

 だから、そんな僕らの勝利にシェリア・ウェザリウスは慄いたのだった。

 

 砂塵となる身体。

 生き永らえるという夢に魔女は届かない。

 

 「ふざけるなよ、粗悪品! 一度ならず二度もこのワタシの邪魔をするのか!!!」

 

 人形は反旗を翻した。

 そんな簡単な現状を認めることさえ、今のシェリア・ウェザリウスには出来なかった。

 

 「何故、今になって抵抗した? 何故? ……何故、何故、何故!?」

 

 魔女は喉元を搔き、狂ったように取り乱す。

 否、初めから狂っていたから少女は何でもないように人の想いを軽視したのだ。

 

 「計画は完璧だった。名城を始末し、古瀬と討伐隊から思考能力を奪い、貴様という粗悪品には何の自由も与えなかった! それなのに何故、愚者であるソイツが此処へ来たのです? あまつさえ、このワタシに魔術破戒の一撃(それ)を与えるなど──!」

 

 シェリア・ウェザリウスは未だ敗北を受け入れない。

 ……だが、現実はそんな彼女を待ってなんかくれなかった。

 

 「い、嫌! ワタシは、ワタシはまだ──」

 

 塵となる魔女は神に懇願する。

 

 「死にたくない! ワタシはまだ死にたくないのです! なのに、こんな願いすら叶えられないのですか!?」

 

 悪の華は散る。

 美しくも儚くも血溜まりを這い、惨めに死に絶えようとする。

 それは皮肉にも、彼女が罵った虫けらたちと同じ末路だった。

 

 「あ、ああ、ああああああああああああ!!! ふざけるんじゃなくってよ! ゆ、ゆるさない! 許さない、絶対にオマエら許さない!!!」

 

 最期まで恨み言を魔女は吐き続ける。

 

 「ワタ、シ。ワタシは──!」

 

 けれど、そんな罵詈雑言の嵐は終わる。

 儚い夢のように消失する魂が、宙に融けていくからだ。

 

 「ワタシは只、人並みの人生を送れれば良かったのにぃ!!!」

 

 ──そうして。

   空を掴もうと伸ばした手は届かず消えた。

 

 「────」

 

 最期の断末魔は何でもない人間の生存欲求に他ならなかった。

 救いを求めるだけの、よくある人間の死を見ただけ。

 それなのに僕らの心は穴が開いてしまったように、魔女が消えた場所をジッと見つめることしか出来なかった。

 

 「……ワタクシはあの魔女を生かす為に造られた複製品(クローン)なのですわ」

 

 そうしていると、いつの間にか隣に来たシェリア会長が口を開く。

 何でもないことのように話し出す彼女の顔は見えない。

 

 「シェリア会長」

 

 辛うじて声が出た。

 けれどその声は届かなかったみたいで、彼女は淡々と話の続きをする。

 

 「あの魔女、シェリア・ウェザリウスは余命僅かの身体と自身の複製品(クローン)──所謂、人造人間(ホムンクルス)に魂を転写させることで延命させる計画を立てたのです。ワタクシはその為に造られた複製品(クローン)人造人間(ホムンクルス)でしかありませんでしたわ」

 

 震える声で、かつて自分が負うはずだった役割を語る。

 何故か、苦し気な彼女を見るのが僕は堪らなく辛かった。

 

 「会長」

 

 先ほどよりも大きな声で呼びかける。

 けれど、シェリア会長は喋るのを止めなかった。

 

 「ええ、そうです! ワタクシはシェリア・ウェザリウスになる為に生まれた──、アナタと同じ誰かの為の代用品でしかなかったのですわ!」

 

 空白とならない独白。

 頭痛(ノイズ)はやって来ない。

 それでも、シェリア・ウェサリウスは痛がった。

 自分が必要とされない人間だと責め立てるしか出来なかった。

 

 「──シェリア会長!」

 

 そんな彼女を抱きしめる。

 たとえどんなに酷い扱いだったとしても、存在理由だったものを殺めることが辛いことが分かっていた。

 

 だから、自分を責めないで欲しいと僕は力いっぱい抱きしめるしかなかった。

 

 「シェリア会長は、シェリア会長です。生まれた理由がどうであれ、僕と同じ人間の、クラスで学級委員やってるシェリア会長はシェリア会長だけなんです!」

 

 替えの利く誰かでは務まらない

 それは、目の前で涙を抑えている彼女にしか出来なかった。

 

 たとえ、そうあることを義務付けられた人形だったとしても。

 一人の人間として生を紡いだ、シェリア・ウェサリウスは彼女でしかない。

 

 「──だって…、だって!」

 

 焦点の合わない瞳が助けを求めるように僕を見つめている。

 

 「良いんです。──良いんですよ!」

 

 生きることを求め、生きることから逃げている矛盾した存在。

 それが目の前の人間、──シェリア・ウェサリウスという少女の正体だ。

 

 「ワタクシは人形でしかありません」

 

 少女は空に手を伸ばす。

 まるで、星を掴もうとするように伸ばしているみたいだ。

 

 「でも、ワタクシは人形でいたくないと思いましたわ」

 

 けれど、どれだけ頑張ろうとその手には星を掴むことはない。

 人間には出来ない領域で、それは決して叶えられない夢の話だ。

 

 「カレがワタクシに生きろと言いました。その言葉をワタクシは何よりも大切にしたかったですわ」

 

 淡々と語られる言葉。

 何処までも本当で、何もかも嘘の想い。

 しかし、その独白は意味のないものだけど、無意味なことではなかった。

 

 ──なんて矛盾。

 

 でも、人は時にその矛盾を抱えなければならない生物であった。

 これは、只それだけの話だったんだ。

 

 「────」

 

 不器用な、不格好な、ぎこちない笑顔が向けられる。

 

 「──っ」

 

 その笑顔に中てられた。

 ずっと下ばかり見てきた僕らには、その笑顔は太陽のような眩しさがあった。

 

 「……そうだね」

 

 人形でしかなかった君と人形ではいたくない僕の、そんな強いられた二人の視線が交じり合う。

 不器用で、ぎこちない、けれどいつか壊れてしまう絆。

 だけど、それは僕らが魔女と打ち勝って得た、確かな時間(幸福)だった。

 

 儚げに少女は笑い続け、唐突に吹いた風にオレンジの髪がさらわれる。

 嗚呼、そうだ。

 これが、これこそが、生き続けたいと願った少女の夢を薪に僕らは明日を勝ち取った意味なんだ。

 

 「シェリアさん」

 

 ぎこちない笑みは止まらない。

 ゼンマイ仕掛けの少女に手を伸ばす。

 

 「行こう。僕らは何があっても前へ進まなきゃいけないんだ」

 

 犠牲にしたモノを背負って、現実へ帰ろう。

 累とリテイク先輩、瑞希と魔女が果たせなかった日常をなりふり構わず生きるのだ。

 そうしなければいけない。

 そうでなくては、振り払った願いへの償いにならない。

 

 僕らは人間だ。

 人間でたくさんだ。

 

 「──そう、ですわね」

 

 手と手が繋がれる。

 

 カチリ。

 何かの欠片が填まっていく。

 夢の終わりは、もう近いのかもしれない。

 

 「────」

 

 そこで、僕の意識は再び閉ざすのであった。

 

 ◇

 

 断末魔が響く。

 いつも通りの展開に飽きが来ると嘆く影。

 

 今、この瞬間に盲目な愚者は力を手に入れた。

 

 ドクン。

 幾つもの伏線に散りばめられた意志が鼓動する。

 

 「──ふん。所詮は年端も行かぬ少女であったか」

 

 月明かりに影が差す中、漆黒の修道服が風に揺らし、白髪の男は忌々しげに少女の最期を見届けた。

 男がその終わりを遠ざけようとしたのは、きっと彼が焚きつけたからなのかもしれない。

 

 「くだらん。実につまらない幕締めだった。やはり、こんな姿をしているから都合が悪くなるのだ」

 

 神父は次なる世界に目を向ける。

 彼が闇夜に暗躍するのは、このつまらない世界を運営する為に他ならない。

 

 「しかし。これは酷だぞ、大罪の王よ」

 

 醜悪な貌で神父は原初の愚者に言葉を贈るのであった。

 





 これにて、第四章は終了となります。
 第五章は明日、8月10日に二話投稿させていただきますので、よろしくお願いいたします。


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第5章:真世界帰閉ノ扉
001 張りぼてのプロローグ



 第5章スタートです。



 

 地を這う虫けらは死にました。

 親愛に溺れる盲目は息絶えました。

 何もかもが終わりです。

 何もかもがつまらないことで躓きます。

 

 グチャグチャ/痛い。

 ビチャビチャ/止めてくれ。

 

 愚かな思念を潰します。

 無意味な幻想を引き裂きます。

 退屈な妄執は相手にもしません。

 

 「つまらない。人間はつまらない。あの男が死んでから、こんなにも退屈で死にそうだ」

 

 肉塊が蠢くのを神父は見続ける。

 誰よりも夢の終わりを肉塊となったそれは望むのです。

 

 キキキ/もう嫌だ。

 キキキ/もうたくさんだ。

 

 影絵たちはそんな肉塊になりたくないと囁き合います。

 

 「何たることだ」

 

 醜悪な神は尚も月を見上げた。

 何もない世界に色を付与しても、彼の心は満たされない。

 

 ピー、ガガガ。

 何故、娯楽(オマエ)が死んだのか意味が解らない。

 つまらない。

 退屈で、退屈で、──何もかもがどうでも良く思えてしまうのです。

 

 世界は再び動き出しますが、最早、神父には回り出した羅針盤に何の価値も見出せない。

 すると、そんな神父に影絵たちはこれからどうするかを囁き合うのです。

 

 キキキ/どうしよう?

 キキキ/苦しい。

 キキキィ!/痛い!

 キ、キキィイ/嘘つき。死ね。

 

 魔導魔術王(グランド・マスター)は、この夢の中ならいつか退屈を殺す者がやって来ると言っていた。

 

 ──けれど、七回目をしてもそれは現れなかった。

 

 カチカチカチ。

 さあ狂え、色のない絵本よ。終末装置がこの退屈を殺す時まで狂い続けるのだ。

 

 ジジジ。

 ノイズが狂わせる。

 狂わせて、狂わせて。やがて、一つの事実を神父に思い出させる。

 

 ダーレスの黒箱も残り少なくなった。

 そこまで追い詰められたのはどうしてか。

 

 ──否、追い込んだのは果たして誰だったか。

 

 キキキ/忘れろ。

 忘れろと脳という器官を通じて影絵たちは囁き続け、──遂に彼らはオリジナルの因子までも消失させ、鐘の音を響かせ始める。

 

 「くだらない。そして、つまらない。最早、この世は有象無象で埋め尽くされている」

 

 それが気に入らないと、グシャグシャの白髪を掻きながら神父は求める。

 

 消毒を。滅亡を。根源を。生命を。

 

 その全て理解したが故に『外なる神』は全て理解出来ていない。

 無論。

 男もそれらを許容することも受け入れるつもりもなかった。

 

 カチカチカチ。

 運命は回る。

 空想の張りぼてを稼働し続ける。

 

 ドクン。

 借り物の心臓が高鳴った。

 同時に偽物の身体が苦痛を訴えた。

 血涙を流す器官は、神父には不要のシステムでしかなかった。

 

 ビシャビシャ、ビシャッ!

 

 永久機関は存在しない。

 存在するのは、果てる崩壊のみ。

 歌うように神父は交信の杖へと足を運ぶ。

 

 「嗚呼、──オマエが居ない世界はこんなにも退屈だ」

 

 疼く傷に顔をしかめて男は嗤うのだった。

 

 ◇

 

 チクタク、チクタク。

 逆さまに回る記憶(がめん)を眺め、刻一刻と終末装置は夢の終わりに近づくのを感じた。

 

 ────「好きです、付き合ってください!」

 

 それは、古い記憶だった。

 まだ僕が自我(きおく)を保っていた頃に、夜の教室で少女が自分に想いを告げた時の話だ。

 

 覚えてる。

 頬を真っ赤にし、くしゃくしゃと栗色の髪を掻く姿に愛しさを感じたんだ。

 

 ────「えー、っと」

 

 正面切っての告白に男は頬を掻く。

 どうしたものかと考えてると、そこで自分も少女のことが好きだと気が付いた。

 

 カチカチカチ。

 

 ────「──っぐぅ、ぁあああ!」

 

 頭が痛くなる。

 まるで、少女の告白を受ける選択が間違いだと言わんばかりに痛みが増した。

 

 ────「──あ」

 

 それを見て、少女が泣きそうな顔になる。

 見たくなかった。

 けれど見なくてはいけない思い出だった。

 

 チクタク、チクタク。

 見たくないモノは、見てはいけないモノだけど。

 時間は有限で、夢はいつか覚めなくてはならないのだと知っている。

 

 「う、ううう、うううううううううううううう」

 

 色褪せていく記憶に僕は涙を流すことしか出来ない。

 

 ゴポゴポ/苦しい。

 ゴポゴポ/痛い。

 ゴポゴポ、ゴポゴポ/息が出来ない。

 

 夢から覚めたら一人きりなの僕は今、真っ暗闇にいる。

 それが真実で、それは間違いない。

 

 「ハア、ハア──ハッ、ァア!」

 

 間違えた。

 間違えた、間違えた、間違えた。

 幾つもの夢を間違えたことに、能無しの僕は気付かなかった。

 

 「覚めなきゃ。早く、目を覚まさないと──」

 

 暗闇に手を伸ばす。

 目に見えない星を掴もうとするけど、それは届かない。

 ああ。でも、どうしてか。

 それでも僕は見えない星に向かって手を伸ばす。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動すると、意識が曖昧になっていく。

 

 その瞬間──。

 

 「──っ」

 

 ジジジ。

 

 眩暈(それ)が画面を伝って、やって来た。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 ピエロが歌うように跳び跳ね、淑女が見せる嘲笑(ファンファーレ)を響かせる。

 真っ赤な梨の実を上手にジャグリングして、観客を笑わせる。

 

 なんて、愉しいサーカスだ。

 なんて、狂ったショウの始まりだ。

 

 「さあ、次の夢が始まるよ。今度のは誰も見たことのない、飛び切りだ」

 

 そうして意識が真っ白になる中、何処かで知的そうな少女の声が聞こえた。

 

 チュン、チュン。

 チュン、チュン。

 

 「────」

 

 小鳥のさえずりと共に、陽気な日差しが僕を出迎える。

 嫌なことの何もかもを忘れさせる微睡みだった。

 

 「────」

 

 黒の魔導書はいない。

 きっと、あの黒髪の少女が藤岡飛鳥の真の姿なのだ。

 魔導書としての外観を消した以上、流石に男の部屋に入っては来れないのだろう。

 

 「いや、それは無いね。少女の姿であろうと関係なくボクは侵入するさ。それぐらいボクはキミが好きなんだからね」

 

 ……あれ?

 今、誰かの声がした気がする。

 

 ギギギ。

 ブリキの首を曲げ、部屋を見渡すとそこには──。

 

 「おはよう、愚者七号」

 

 寝ている僕を愛しそうに見つめる少女が居た。

 

 ドンガラ、ガッシャーン!

 

 「な、ななな、何で部屋にいるんだぁあああ!!!!!?」

 

 頭がパニック。

 気持ちもパニック。

 朝っぱらから大きな声が出て、驚愕の嵐が吹き荒れる。

 

 ──だが、それも無理はない。

 だって居るはずのない少女が枕元に居るんだから、驚くのは無理もなかった。

 

 「何でも何もないさ。ボクはいつでもキミの部屋に侵入出来るのだから居る。当たり前のことだよ」

 

 そして件の少女は、何食わぬ顔で可笑しなことを言い出す始末。

 

 「いや、当たり前じゃないよね!? ……え? 何、僕が間違ってるの!?」

 

 思わず突っ込む僕。

 けれどそんな僕を無視してドヤ顔する少女。

 平然とそんなことを言うものだから、僕の常識が間違っているのかと思ってしまう。

 

 バタンと勢いよく部屋のドアが開かれる。

 

 「いいえ、そんなことはありませんよ、勇貴さん!」

 

 僕の言葉に反応するように開けたドアから真弓さんが入って来た。

 なーんだ、僕は間違ってないんだ。

 真弓さんが言うなら、それは正しいのだと自信がつくと言うものだ。

 

 ……あれ?

 

 「いやいやいやいや! ちょっと待って!? ──え? 真弓さんの方こそ、こんな朝っぱらから部屋に入って来れるの!?」

 

 部屋の前で待機していたとしか思えないタイミングじゃないか!

 

 「それが在るのだよ、真弓」

 

 淡々とドヤ顔をする黒髪少女、もとい藤岡飛鳥。

 つーか、スルーなの?

 

 「ぐぬぅう。そ、そんな羨まけしからんこと、許される筈がないです!」

 

 興奮しているのか、真っ赤な顔で真弓さんは反論しだす。

 

 「ふ、ふふん。ボクには、『藤岡飛鳥』にはその権利があるのさ。まさに、特権階級。特権階級にして、王者の極致。つまるところ、チートなのだよ!」

 

 何やら熱弁しだす痴女その一。

 うん、そうだな。もう君と関係を持つの止めようかな。

 

 「な、な、ななな、何ですとぉお!!!」

 

 卓袱台がひっくり返ったかのリアクションをする痴女その二。

 どうしてだろう、真弓さん。これから君と二人きりになるのが怖くなってきたよ。

 

 「──ということで、これから愚者七号のお着換えタイムはボク一人で鑑賞させて貰うから、キミは早々に出ていきたまえ」

 

 「う、ぅううう。それが敗者の運命とでも言うんですか……!」

 

 ドヤ顔する藤岡飛鳥と悔しそうに歯ぎしりする真弓さん。

 

 「いや、君も出ていくんだよ!」

 

 それに対し、大きな声でツッコミをする。

 バサバサ。

 何処かで鳥たちが羽ばたく音が聞こえた気がした。

 





 第5章の002の投稿は明日になります。


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002 変態+変態=物語の始まり?


 すみません、ハーメルンでの投稿を忘れてました。
 それでは、本編スタートです!


 

 「いや、君も出ていくんだよ!」

 

 それに対し、大きな声でツッコミをする。

 バサバサ。

 何処かで鳥たちが羽ばたく音が聞こえた気がした。

 

 ジジジ。

 いつも通りの、どうしようもない物語に心臓の鼓動が跳ね上がる。

 

 そんな中、

 

 「嫌です! 私だって見たいです!」

 

 わちゃわちゃと真弓さんが手を揉みだす。

 

 「そうだ、そうだ! キミの裸体を拝まなくちゃボクのルーチンは始まらないんだ!」

 

 それに続けて、じゅるり、と舌なめずりをする藤岡飛鳥。

 ──というよりいい加減、藤岡飛鳥とフルネームで呼ぶのも疲れてきた。

 

 「──っな! ま、まさかの名前呼びですか!? それは、私の特権な筈です! こ、この泥棒猫!」

 

 真弓さんが騒ぎ出す。

 何だろう、この真弓さんは真弓さんと呼んで良いモノだろうか。

 また誰かがなりすましてるんじゃないか?

 

 「誠に残念ながら愚者七号。彼女はキミがよく知る『名城真弓』だよ。それは間違いない。まあ、多少ポンコツではあるが、それこそが彼女の本性だとも言える」

 

 藤岡が真面目な顔でそう補足する。

 

 「──っ」

 

 何と言うか、その、今の彼女はそこはかとなく知的なオーラが見えた。

 思わず見惚れてしまうほど、美しいものだと言える。

 

 ……まあ、そんな顔をしても部屋から追い出すのだが。

 

 「横暴だぞ、愚者七号! ボクの遍く知的探求心を何だと思っているんだ!」

 「それは殺生というものです、勇貴さん! 私の心のオアシスを奪わないでください!」

 

 「知らないよ、そんなもの! というか、僕のプライバシーはどうなのさ!?」

 

 真弓さん、君だけは信じてたのに……!

 

 僕が追い出そうとするのを鉄の意志で二人は抵抗する。

 何が二人を焚きつけるのか意味が解らないが、こんな貧相な男の裸を見たところで気持ちが悪いだけだろうに……!

 

 「そんなことはありません! 勇貴さんの裸体(それ)には浪漫が詰まってるんです!!!」

 

 カッと目を見開く真弓さんは、興奮しているのか鼻血を出している。

 

 「残念ながら手遅れだよ、愚者七号。だから諦めてそのシャツを脱ぎたまえ」

 

 ……僕はもう駄目かもしれない。

 変態二人の頭に着いていけない。

 

 「──って言うか、シャツを脱がせようとするな、藤岡!」

 

 シャツを脱がせようとする藤岡に抵抗する。

 

 「ぬぅお! 抵抗するんじゃない、愚者七号! ……ええい、何をしているんだ、真弓! 早くキミも手伝うのだ! 大丈夫だ、二人が掛かりなら浪漫を拝める!」

 

 ──だが、小癪にも藤岡もとい変態は援軍を呼んだ。

 

 「じゅる──っは!? そ、そそそ、そうですね! 浪漫は追い求めるモノだって、偉大なる探求者『タイタス・クロウ』も言ってました!」

 

 それに素っ頓狂ながらも応える変態淑女。

 浪漫を追うより、真弓さんは溢れ出る鼻血を何とかするべきだと思う……!

 

 「や、止めろぉお!!!」

 

 僕の腕を羽交い絞めにする真弓さんと来ていたシャツを脱がす藤岡。

 そんな猛獣と化した変態二人に成す術もなく寮内に僕の悲鳴が響き渡る。

 

 貞操のピンチだ。

 というか、こんな初めては嫌だ!

 

 そんな僕の心の叫びが届いたのか、

 

 「貴殿らは、朝っぱらから何しているんだ!」

 

 鬼の風紀委員長、シスカ・クルセイドが部屋にやって来たのだった。

 

 ちゅん、ちゅん、ちゅん。

 ちゅん、ちゅん、ちゅん。

 

 閑話休題。

 

 あれよ、あれよと言う間に『風紀委員長』シスカによって、僕と変態二人は正座することになった。

 

 ホワイ? どちらかと言うと僕は被害者の筈だが、解せぬ……。

 

 「喧嘩両成敗というヤツです」

 

 そして僕の心を読んだのか、風紀委員長『シスカ・クルセイド』がそんなことを言う。

 というより、また僕の心を読める人間が現れたのだが。

 

 

 「一応言っておくけど、この世界にキミのプライバシーは無いも同然だよ」

 

 「理不尽の極み!」

 

 解せぬ。

 この世界は理不尽にまみれてる。

 最早、滅ぶしかないのかな?

 

 「……有無。理不尽なのはいつものことだから置いておくとして、愚者七号。キミはどこまで覚えてるのかい?」

 

 正座をさせられているというのに真面目な顔をして藤岡がそんなことを聞いてくる。

 

 「「──っ!?」」

 

 息を呑む音がした。

 空気が凍ったとも言えた。

 

 ……だが、

 

 「──何のこと?」

 

 その言葉の意味が解らなかった。

 もっとよく突き詰めてしまえば、意図が解らなかったと言うべきか。

 

 幸運なことに、僕のその答えに誰も言葉を発することが出来なかった。

 それにいち早く気を取り直したのは、藤岡だった。

 

 「……そうか。いや、良いんだ。キミが無事なら、ボクたちはそれで──」

 

 でも。

 そんな彼女を見たからか。

 

 「良くないです!」

 

 突然、真弓さんが立ち上がった。

 先ほどまでと違い、彼女の目じりには一筋の涙が浮かべ──。

 

 「絶対に、良くないんです!」

 

 唖然する僕の手を取った。

 

 「絶対に、絶対に何とかします! 私が、貴方に──」

 

 そして、そのまま。

 

 「記憶の概念を、取り戻してあげまずぅ!!!」

 

 周囲の目を振り切って、泣きながら僕に約束するのだった。

 





 次回の投稿は9月22日の木曜日を予定してます。


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003 憂鬱な朝食


 すみません、投稿するのを忘れてました。
 それでは、本編スタートです。


 

 「(ボク)は此処にいる」

 

 モニターを前に■■は言う。

 

 醜い肉塊は、無色の魂と重なった。

 それを理解し、魔女たちの目論見の邪魔をした。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 残骸(げんそう)が嗤う。

 否、■■には彼らがこれからどうするのかを聞いてるのだと分かってた。

 

 ────「時間なんかない。時は止まってなんてくれない。止まったように見えるだけで時間は残酷に進んでる。誰が咎めなくても自分だけがそれを咎め続ける」

 

 ……解ってる。

 『記憶』だけの■■だって気づいてる。

 

 それでも、──何もかもが嘘と分かっても、永遠に続く今日を繰り返すのだ。

 

 意味がない。

 どれだけ時間があろうと『記憶』しか持たない■■には、永遠など価値はない。

 

 「(ボク)は此処にいる」

 

 そして、それが内から出た感情(ことば)でないのは明白。

 だが、そうであろうと無かろうと■■はそうしなければならない。

 

 ──故に。

 

 「(ボク)は此処にいる」

 

 最果てへ続く塔にて、■■は物語を発信する。

 

 それが、どれだけ哀れなものに見えようと■■はする。

 最悪な結果になろうと■■(少女)は、いつか約束したネガイを夢見るのだ。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 これは、アガナウ物語。

 愚か者のネガウ末路であり、未来(あした)を夢見ない──永遠に続く大罪(いま)を繰り返す話。

 

 それに救いはなく。

 それは最悪な最期しか残されない。

 

 ズン、と螺旋が回る。

 次々に生まれる残骸(げんそう)が暗闇にいる愚か者へ集っていく。

 

 夢は覚めない。

 永遠は終わらない。

 

 ただ一つの世界を愚か者に見せていく。

 

 「(ボク)だけは、此処にいるんだ」

 

 ■■(少女)はモニターを眺めてる。

 

 「────」

 

 それを、私はじっと見続けた。

 

 ◇

 

 食欲を誘う味噌の匂い。

 出来立てホカホカの焼き鮭定食。

 テーブルに並べられる食事に思わず腹の虫が鳴いてしまう。

 

 ────「記憶の概念を、取り戻してあげまずぅ!!!」

 

 先ほどのことが脳にちらつく。

 他人事である筈なのに、自分のことのように真弓さんは涙を流した。

 

 「──っ!」

 

 ズキリ。

 頭が痛くなる。

 

 ……何故? どうして、こんなにも頭が痛くなる?

 

 まるで、この体が『記憶』の概念を認識させる必要がないと決めつけてるみたいだ。

 

 ズキリ。

 ズキリ。

 

 「──っ!」

 

 彼女のことを考えれば、考えるだけ脳が悲鳴を上げる。

 

 「────」

 

 頭が痛いのを無視して、ごはんに箸をつける。

 

 ……そもそも。

 彼女たちの言い分じゃ、僕が記憶喪失を患っているみたいに聞こえる。

 確かに僕は物覚えが良い方じゃないさ。

 だからと言って、出会って一週間も経っていない関係だというのにその言いぐさは失礼な話だ。

 

 ずぅ、ずぅっと、芳醇な香りの味噌汁を飲む。

 美味い。

 絶妙な味噌の風味が体に染み渡るのが感じられる。

 

 それだけで、先ほどの出来事を忘れさせてくれそうだ。

 

 「記憶、か」

 

 僕は七瀬勇貴。

 何処にでもいる平凡な男子高校生。

 ちょっと普通じゃない学園に寮住まいするだけの何の力も持たない人間だ。

 

 そんな僕がどうして、この第二共環高等魔術学園に通うことになったのかは忘れてしまっているけど、決して自分は記憶喪失なんて患ってない。

 

 ジジジ。

 

 そうだ。僕は普通の人間だ。

 僕はみんなと何も変わらない。

 ……僕は、ぼ、く、は。──僕は、みんなと同じ普通の人間だ。

 

 ジジジ。

 

 「おはようございます、勇貴さん」

 

 そんな風に考え事をしていたら、誰かが声をかけてきた。

 

 「……え?」

 

 ドクン、と心臓が鼓動する。

 ぐちゃぐちゃとした思考が取り除かれたのか、脳が冴えわたる。

 誰の声か思い出そうとして、声のした方を振り向いた。

 

 「何やら神妙な顔つきですが、どうかされました?」

 

 こちらを心配そうに見つめる、栗色の髪の女子生徒。

 手には僕と同じ焼き鮭定食を持っている。

 

 「……あ、…あー、っと。……フィ、フィリ、ア?」

 

 「ええ。貴方が大好きな、大好きな、可愛い、可愛いフィリアちゃんです」

 

 彼女はそう言いながら僕の前に持っていた焼き鮭定食を置く。

 するとそのまま手を合わせて食べ始めた。

 

 「……可愛いって自分で言う?」

 

 そんな少女に僕は思わずツッコミをする。

 

 「もちろん。だって、私は恋する乙女のフィリアちゃんですよ。恋する乙女はいつだって可愛いのが相場と決まってるのです」

 

 えっへん、とフィリアが胸を張る。

 何故かそのドヤ顔すらも可愛いモノに見えてしまう。

 

 「……決まってるんだ」

 

 それを僕は見つめた。

 だが、彼女は恥じることもなく、そのまま焼き鮭へと箸を伸ばすのだった。

 

 その姿に何処も異常は見当たらない。

 ……いや、止めよう。

 見えてるものが嘘っぱちだなんて思考回路は何処かへ捨ててしまえ。

 

 「そう言えば、勇貴さん。風の噂によると、今日、転校生が来るらしいですよ」

 

 唐突にフィリアがそんなことを言い出す。

 

 「転校生? 何でまた、こんな時期に?」

 

 突拍子もなく切り出された話題に思わず意識を彼女へと向けてしまった。

 

 「ええ。何処の誰なのかまでは分かりませんが、女子なのは確かだそうです」

 

 えへへ、とかそんな笑みをフィリアは浮かべる。

 彼女を見ていると何だか考え事をしている自分が馬鹿みたいに思えてきた。

 

 「そ、……そうなの?」

 

 やっぱり、美人なのだろうか?

 この学園の女子生徒は、アイドルの事務所か何かと勘違いするぐらいでレベルが高いのだ。

 美人なら、顔の一つでも拝んでおくのも悪くないね。

 

 「ぐへへ、へぇ」

 

 「キモいです、勇貴さん」

 

 フィリアから冷めた眼差しが贈られる。

 

 「な、なんですとー!」

 

 出荷される豚になった気分だ。

 うん、変態紳士ならご褒美なんだろうなぁ、これ。

 

 そんな感じで和気あいあいと朝食を終えていく。

 

 キキキ。

 キキキィ!

 

 何処で誰かが嗤い合う。

 その嘲笑は、僕のあずかり知らない話だが。

 

 それでも、聞こえない振りをしなければ、やってられなかった。

 



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004 朝食後の微睡み


 お久しぶりです。
 なろうでは、更新していた分を投稿したいと思います。



 

 「そういえば、寮館ロビーの大鏡なんだけど……」

 

 「ああ! 聞いた、聞いた! それって、午前零時頃にそこで女子生徒の幽霊が出るんでしょう?」

 

 「そう、それ! その女子生徒に遭遇するとなんでも願いを叶えてくれるらしいよ」

 

 「え? そーなの? アタシが聞いたのだとそいつと出会うと大切な記憶を抜き取られちゃうって話なんだけど……」

 

 朝食を終え、教室へ向かっていると寮館ロビーの噂を耳にした。

 どの噂も結末はバラバラで、共通することと言ったら、大鏡の前で女子生徒の幽霊に遭遇するという過程だけだった。

 

 それがどれだけ曖昧なものでも、ゴシップ好きな生徒たちは挙ってそんな与太話に花を咲かせる。

 この森の中の学園では、そんなモノでも娯楽に飢えた生徒たちには甘い蜜以上のモノになり得るのだ。

 

 そしてそれは、自分のクラスの連中も例外ではなく。

 

 「しっかし、その女子生徒もどうして深夜零時だなんて限定的なんだろうねー」

 

 ああ、朝のHR前というのはこんなにも活気が良いモノだったかと歓喜に震える。

 

 「寮館ロビーの大鏡です、か」

 

 隣に来た真弓さんが意味ありげに口を開いた。

 

 「……何の用?」

 

 僕はそれを冷たくあしらう。

 そうしなくては、また記憶がどうの言って騒ぐのは目に見えていたからだ。

 

 「勇貴、さん」

 

 ほら、また悲しい顔をする。

 そんな顔をしたって僕は君のことなんか知らないぞ。

 

 ジジジ。

 

 ────「まあ、それももうボクには関係ないか。どうせキミは『■■■■・■■タ■』へ変わるんだ。そんなことを気にしたところで、手遅れな訳だし」

 

 「──っ」

 

 今、変な映像が見えた。

 名前も知らない男の子と僕が何かを話してるものだ。

 

 でも、それも一瞬で。

 

 「勇貴さん? ……勇貴さん!」

 

 肩を揺らされる。

 

 「──っ! 止めろよ!」

 

 それを両手で突き放し、拒絶する。

 

 「あ、……い、いや、良いんだ。ああ、そうだ。そうだよ、君は何なんだよ!? 朝っぱらからズカズカ人の気持ちも知らないで騒いでさ!」

 

 震える身体でギュッと自分を抱きしめて、真弓さんから距離を取る。

 

 「正直、迷惑なんだ。ウンザリなんだよ、しつこいんだよ! 自分のことでもないのに、なんでそんなに必死になれるのか分かんないしさぁ。……君は僕の分身か何かなのかい?」

 

 何故、こんなに必死で他人の為に尽くすのか本気で分からなくて。

 そんな気持ちが心の何処かであったからか、すぐ口にできたのかもしれないけど。

 

 こんなに拒絶しても、目の前の少女は悲しそうな顔をするだけで直ぐに僕と向き合うのだ。

 

 「それは、違います。分身なんかじゃありません。でも、私は──」

 

 その時──。

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 真弓さんが何かを言おうとした時、授業開始の鐘が鳴ってしまった。

 

 「──っ」

 

 それを聞くと彼女は急いで自分の席へと戻っていく。

 

 「……何だよ、それ」

 

 彼女の言いかけたことに対してではない。

 授業が始まる程度の妨害で言えなくなる彼女に対して出た言葉だった。

 

 「コラ。そこの生徒、早く席に着きなさい。授業を始めますよ。……それでは委員長、号令を」

 

 「はい。起立、礼、着席」

 

 授業が始まっていく。

 相変わらず聞いているのが馬鹿らしくなる魔術の授業だったけど、この日は特に退屈なものに感じられた。

 

 ◇

 

 カチカチカチ。

 午前零時の噂を聞いた。

 紛い物と愚か者の絆が拗れるのも観測できた。

 

 キキキ/たのしいぞ。

 キキキ/たのしいぞ。

 キキキィイ/こんなにも愉快なのは、久々だ。

 

 影絵たちが噂する。

 他人の仲違いを嬉しそうに話を弾ませるのは、きっと気のせいじゃない。

 

 「ああ、なんて人間らしいのだ。──これだ。これこそが、今を生きる俗物の感情だ」

 

 モニター越しに神父が嗤う。

 

 「そうだな。所詮、長靴を履いた猿に過ぎないということだ」

 

 白衣を着飾った、継ぎ接ぎの男がそれに同調する。

 

 「キャハハハ! キャハハハ! 良いねぇ、良いねぇえ! サイッコーにキメてんなぁああ、神父ちゃん!」

 

 上機嫌で笑う、黒いスーツの女が飛び跳ねる。

 

 「すぴー、すぴー。これは良いサンプルですね。久し振りに目を覚まして正解でした」

 

 飛び跳ねる女を諫めることもなく、学生服の少女が手にした仮面を弄り出す。

 

 「お? 流石、寝過ごすのが代名詞の『囁き屋』のお嬢様ですこと。こんな飛び切りのネタですらサンプル扱いとか、どんだけ面食いなんすかねぇえ!」

 

 「すぴー、すぴー。当然です。摘まんで食べて良いのは、程ほどに熟れた果実と相場が決まったものですよ、アトラク=ナクア。私、そこら辺のゴミを拾い食いする貴女とは違って繊細ですので」

 

 下卑た女を心底嫌いだと視線を交わす少女、――『囁き屋』。

 

 「ぁああん! 喧嘩売ってんですかい、この淫売!」

 

 「鏡、見てきたらどうです、ジャンキー」

 

 結束もあったものでない二人を横目に神父は視線を再びモニターへと向ける。

 

 「止さないか、二人とも。そろそろ、次のステップへと進むぞ」

 

 キキキ/始まる。

 キキキ/始まるぞ!

 

 影絵たちはそんな悪辣な猛者たちを見て嗤い合う。

 あの愚者たちにどんな最悪をもたらしてくれるのか、今か今かと待ちわびるのだった。

 



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005 少女の追憶

 

 ────「正直、迷惑なんだ。ウンザリなんだよ、しつこいんだよ! 自分のことでもないのに、なんでそんなに必死になれるのか分かんないしさぁ。……君は僕の分身か何かなのかい?」

 

 彼が私に言った言葉を思い返す。

 明確な拒絶。

 記憶を失う──いや、再認することが出来ない彼には私の行動など理解出来る筈もない。

 

 そんなことはよく知っていた。

 これまで、何度も同じ思いをしたのだから忘れる筈もない。

 

 ────「……君は分身か何かなのかい?」

 

 「分身なんかじゃ、ないです」

 

 私はそんな誇れるモノじゃない。

 それより、もっと醜い何かだ。

 

 それだけは履き違えてはならないと私は自分に言い聞かせる。

 

 そう。それだけは、『名城真弓』と偽る上で間違えてはならない事実だ。

 

 「……そう言えば」

 

 話を遮るように授業開始の鐘が鳴った時の彼の顔を思い出す。

 

 「どうして、あんな顔してたんでしょう?」

 

 泣きそうな顔、だった。

 やり場のない怒りがそこには在った。

 

 「分からない、です」

 

 『先生』が黒板に文字が描かれていく。

 チョークの擦れる音が快活に響くのに、自分の気持ちは交わらないでいる。

 

 不快だ。

 どうしてそんなことが頭に過るのか、ちっとも分からないが、私はそう思った。

 

 基本、幻想の身である私は世界の定めたルールに沿わなければならない。

 それは、身体がそう認識して抗うという思考すら奪われてしまうからに他ならない。

 

 だから、あの時はああするしかなかった。

 それは私が一番よく分かってる。

 

 なのに、落ち着かない。

 

 彼はそれを知らない。

 それだけで、彼と私の溝は深まっていく。

 

 「────」

 

 それが、もどかしく思えて、悲しくなった。

 

 「仮想世界の魔術での記憶の引継を司るもので有りまして──」

 

 幾度と繰り返した教師の講義を夢心地に聞きながら、私は自身の活動を小休止させることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「鬼ごっこ、かぁ! そいつぁ、良い。ガキの遊びには十分だぁ!」

 

 朦朧する意識の中で聞こえたのは、下卑た男の叫びだった。

 

 「────……」

 

 続いて血を踏みしめた感触に息苦しさを覚える。

 

 ビシャ、ビチャ。

 何度か踏みしめてると、そこで漸く自分が夢を見ていることを思い出す。

 

 これは確か……。

 そう。遠い昔の、私を殺そうとする『■ー■■■』から逃げる夢だ。

 

 「クケケケ! おらぁ、これでラストだぁ!」

 

 喪服姿の『■ー■■■』が銀のアタッシュケースを持ち直し、手負いの私にとどめを刺そうとする。

 

 ゴポリ。

 腹に出来た傷から血が噴き出す。

 同時に、喉を裂く激痛が私を襲う。

 

 「……そんなの、ごめんよ」

 

 そのまま倒れそうになるのを我慢して、走り出す。

 

 ドクン!

 在りもしない心臓が鼓動する。

 カチリと何かが合わさり、背筋に冷たいものを走らせる。

 

 ズガン!

 そのまま、すぐ後ろに鈍い衝撃が砂埃を舞わせていく。

 

 「──っち!」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 そんな私を影絵たちは指を差して嗤う。

 

 「逃げ足の速いことでぇ!!!」

 

 耳を鳴らす絶叫を背に、只管に階段を登るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ズキリ。

 

 頭が痛みを訴える。

 剝き出しの大きな風穴から血がこぼれ、意識が堕ちそうになる。

 

 「ハア、ハア」

 

 しかし。

 どれだけ先を急ごうとも、塔の出口は見えなかった。

 

 「ハア、ハア」

 

 間違いだ。間違いだ。お前は生きてはならないバグである。──引き返せ。引き返せ。お前のような欠陥は、此処で廃棄されるのがお似合いだ。

 

 暗闇を急ぐ私にそんな思考(ノイズ)が流れてくる。

 

 「──ぅる、……さ、い」

 

 それが余計腹立たしいと、どす黒い感情を吐血と共にこぼれ落とす。

 

 ……だが、

 

 ────「だって、その方が楽しいじゃない」

 

 そこで先ほど見た、死に行く少女の言葉が私に生きろと急かす。

 

 「────」

 

 何故かは分からない。

 考えても、理解出来ないことばかりで頭が痛くなる。

 

 けど。

 

 少女が笑いながら語った明日(それ)を自分も見てみたいと、──自分もそうなれたらと憧れてしまっただけで、この命がけの逃避行は始まった。

 

 「──っ」

 

 目映いと感じた。

 良いなとも思った。

 初めてのそれに、どうしようもなく胸が苦しくなって仕方ない。

 

 「どう、して?」

 

 未だ感情の欠落した影絵(わたし)には、解らない。

 そもそも人の考えることなど、人間モドキに理解出来る筈もないのに。

 

 ──なのに、私はあの少女のように来る筈のない明日を焦がれてる。

 

 「う、……ううう」

 

 ズリズリ。

 ズリズリ。

 

 「──!」

 

 そんなことを考えてると、暗闇に希望の光が指した。

 

 「…………出口だ」

 

 思わずそんな言葉が口に出る。

 助かると淡い期待を持てる。

 

 私は持てる力の限りを振り絞り、満足に動けない足を引き摺ってでもその光を目指した。

 

 ズリズリ。

 ズリズリ。

 

 「──っな」

 

 でも、そんな期待を裏切るのはいつものことで。

 

 ゴウ、ゴウ。

 ゴウ、ゴウ。

 パチパチ、──パチパチ。

 

 必死で逃げる私を出迎えたのは、燃え盛る火の手だった。

 

 「ひど、い」

 

 パラパラと崩れ落ちる校舎には火の粉が舞い、炎は学園を覆う森林を薪とする。

 

 「ギャアアアアアアア!!!」

 「痛い、痛い……痛いよぉ」

 「止め、止め、止めテェヨ!」

 

 遮ることのない幻想たちの悲鳴をひっきりなしに響き渡る。

 

 それは、一方的な蹂躙。

 弱者をいたぶるだけの殺戮を止める者は一人もいない。

 

 「────」

 

 その光景に私は目を見開くしか出来ない。

 いや、そもそも初めから逃げるという選択肢など私には用意されてなかったと思い出す。

 

 当然だ。廃棄が決まった部品をそのままにしておく設計者など存在しない。

 もしそんな奴が居たとしたら、そいつの頭は致命的な欠陥を抱えているに違いない。

 

 けど。

 

 「にげ、なきゃ」

 

 だからと言って逃げなきゃ殺される。

 そう思い、追ってくる男から逃げようと足を踏み出すと──。

 

 「──っ!」

 

 この通り、瓦礫に足を取られるのが関の山。

 

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。

 頭を捥がれた虫のように、私の体は転がった。

 

 「ぐぅ、ううう」

 

 すぐさま起き上がろうとする。

 しかし何故か身体は石のように固くなり、二進も三進も動けない。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 ひゅん!

 

 そこへ、まだ生きる(にげる)のかと何処からともなく石ころが追い打ちにぶつけられる。

 

 「いた、い」

 

 それだけで、この身体は何も出来なくなってしまう。

 感情が絶望に染まってしまう。

 

 「……いたい、よぉ」

 

 痛かった。

 でもそれは、石ころが額に投げつけられたことではない。

 只、生きようと足掻く私へ向けられた悪意が痛かった。

 

 「──グス」

 

 分かってた。

 私たち幻想など所詮、創造主の気まぐれで消される存在でしかない。

 

 世界がそういうルールで成り立っていることも。誰もがそれを受け入れている中で自分が逸脱してしまったことも分かってた。

 

 でも──。

 

 「い、やだ」

 

 嫌だった。

 そのルールに殉じることが、もう私には出来なかった。

 

 だって、それは──。

 

 ────「だって、その方が楽しいじゃない」

 

 少女の笑顔に毒された私には、受け入れがたいことになってたから。

 

 「……どうして」

 

 何故、■■■■の顔が過るか分からない。

 諦めたら、楽になるのは明白だ。

 なのに、私はまだ生きるのを諦めない。

 

 「……」

 

 いや、嘘だ。本当は分かってた。

 只、その事実を受け止めることが出来なかっただけで、答えはとっくの昔に出てた。

 

 ────「たとえ死ぬと決まっても。人はね、夢を見るの。死に抗おうって、立ち向かえるの」

 

 少女の吐露は、人間なら誰もが夢見る綺麗事でしかない。

 そこに真新しいものはなく。特別なものはない。

 

 だが。

 どんなに罵られようと、傷つけられようとも。こうして我慢できたのは、少女が語った綺麗事に憧れたから他ならない。

 

 「──っ」

 

 そう。それは、身勝手極まりない愚考だ。

 影絵と言うシステムには不要な欠陥で、赦されない大罪でしかない。

 

 けど。

 

 「……そう、だ。生き、るんだ。もっと、い、き、て──」

 

 ──生まれて初めて得たこの感情だけは、私は手離したくないのです!

 

 「クケケ! ──でも、そりゃ無理だ。諦めな」

 

 そんな希望を打ち砕くように、下卑た男の嘲笑が辺りに響き渡った。

 

 「……あ」

 

 追いついた。

 追いついてしまった。

 

 バグを刈り取る処刑人がすぐ後ろにやって来た。

 

 「良いところまで行ってたぜ。後もう少し先に行かれてたら、オレ様もテメェのアストラルコードを見失うところだった。……でも、残念だったな。受け入れろ。そうすれば楽になるぜぇ」

 

 無慈悲な死刑宣告が告げられる。

 

 カダン、ゴトリ。

 

 振り返ると、男が銀のアタッシュケースをこっちに向けて構えてる。

 

 「まあ、それが出来たらこんなところまで逃げてねぇんだろうがよぉおおお!」

 

 巻き舌に叫ぶ男。

 それは獲物を前にした狩人ではなく、どちらかと言うとスプラッタ映画の怪物そのもの。

 

 しかし。あと少しのところだと言うのなら、そのまま逃がしてくれても良かっただろうに。

 全く、空気が読めてないにもほどがある。

 

 「そいつぁ、残念だったなぁ──!」

 

 自分の思考を読んだのか。

 それとも、声に出ていたのか。

 不躾なことを考える私に向かって、喪服男はアタッシュケースの蓋を開ける。

 

 「まあ、それもこれもこれで全部(しま)いだ」

 

 ガシャン!

 鉄の悲鳴と共に、開けたアタッシュケースから真っ白なマネキンの腕が伸びていく。

 

 「クケケケ」

 

 響き渡るラップ音。

 箱から吐き出される、おぞましい気配を纏う(マネキン)

 

 「じゃあな、嬢ちゃん。精々、この世を恨んでくれ」

 

 処刑人はそう告げ、物言わぬそいつへ命令する。

 すると歪なマネキン人形の目が真っ赤に輝く。

 

 ギチギチギチッ!

 指令(オーダー)を遂行する為、怪物(マネキン)が関節を軋ませ、質量の法則を越えた手向けの花を放つ。

 

 「──あ」

 

 伸びる(マネキン)の腕を見て、そこで漸く私が犯した過ちに気付く。

 

 窮地の度、■■を■き戻す自分は。

 それを始末しようと処刑人が私を仕留める姿は。

 何十、何百という『いたちごっこ』を繰り返すことは、きっと悪意を感じた痛みの何倍も辛いということを。

 

 「────」

 

 ……こういう時、普通の人間なら恨み言の一つでもするのだろうか?

 だが生憎、私はそういう人間らしい感情(きのう)は持ち合わせていないから、どうすることも出来ない。

 

 コンマ一秒。

 私の頭を捉えた腕が、風を唸らせた瞬間。

 

 「おい、何やってる!」

 

 死神(マネキン)の腕が私の頸に届く間際に、グイっと手が引っ張られる。

 

 「──え」

 

 ガシャガシャ、ガシャン!

 目の前を魔の手が横切る。

 そのまま、呆然としていると──。

 

 「バカ、──逃げるんだよ!」

 

 黒髪の青年が立ち尽くす私に叫ぶ。

 そして掴んだ手を強引に寄せ、そのまま走り出してしまう。

 

 「え、え、……えええ!?」

 「──っな! テメェ!?」

 

 誰も予想してなかった空前絶後。

 恐怖に怯える青年が考えなしの正義感で私の手を取っただけ。

 

 「何ちんたらしてんの!? もっと早く走るんだよ、バカ!」

 

 こんなその場の勢いなだけの逃避行は絶対成功しない。

 そんなことは解ってる。

 

 「……っ、さっきからバカバカ言わないで下さい! 私、貴方と違って繊細なんですぅ!」

 

 だと言うのに、その手を振りほどくことが出来ない。

 それより、走り出す彼の後を追うので精一杯でそれどころじゃなかった。

 

 「うるせー! 良いから走るんだよ!!!」

 

 だって、こんな私を助けてくれたことが嬉しくて、涙が止まらないのだから仕方ないじゃない。

 

 「おい、止まれ! 止まりやがれぇ! テメェ、分かってんのか? これがどういう状況なのか、テメェは解ってやってんのか!?」

 

 ルールによって活動を停止した死神(マネキン)を再び起動しようとする■ー■■■。

 

 「そいつは只のシステムでしかねぇ。庇ったところでテメェに得はねぇえ!」

 

 罵声を浴びせる男に振り返ることなく青年は走り続ける。

 

 「テメェは死ぬし、そいつは此処で消す。それは絶対だし、何よりテメェに拒否権なんてもんはねぇのをいい加減解れよぉ……。嗚呼、そうかよ。それがテメェの拠り所ってヤツか? だったら尚更、消去するっきゃネェエよなぁあ!!!」

 

 遂に■ー■マ■はトラッシュケースへと戻った(マネキン)を起動させる。

 

 「──っ!?」

 

 瞬間。

 目覚めた殺戮兵器(マネキン)が逃げ続ける私たちの前に現れる。

 

 「知るか。そんなもの知るか! そんなテメェ勝手なルール知ってたまるかよ!」

 

 青年は怯えながらも叫ぶ。

 処刑人(マネキン)の腕が伸びるのを、恐怖に震えるばかりの彼が私を庇うように前へ出た。

 

 ────「そうやって誰かに意思を遺せるってことは、とても素晴らしいことだって私は思うわ」

 

 一筋の光の如く──死に行く少女『名城真弓』の想いが聞こえる。

 

 かつて、自分はこれほど生きたいと願ったことはなかった。

 人形のように指令を実行する影絵では、そう願うこと事態叶わなかったから。

 

 ──でも、臆病だった彼の精一杯の勇気を前にしたら、そんな迷いは消し飛んでしまった。

 

 「──っ!!!」

 

 ドクン。

 再び『名城真弓』から託された恩恵(ギフト)を発動すると、息を呑む間もなく空気が凍るのを感じた。

 ジリジリと肌を焦がす何かが胸の底から湧いて来る。

 

 ドクン。

 ドクン。

 在りもしない心臓が鼓動する。

 

 カチリ。

 運命の歯車が欠ける音が響き渡ると、世界は逆しまに回りだす。

 

 これは、遠い昔の記憶。

 彼が■■■■と言う名前を認識していた頃。

 意志に芽生えた影絵が、一人の少女を犠牲に得た能力で助かっただけの話。

 

 それが在ったから、私は生きている。

 それが在ったからこそ、私は彼の傍に寄り添い続ける。

 

 たったそれだけで、世界の何もかもを敵に回すだなんてどうかしてると思うけど──。

 

 でも、後悔はない。

 名城真弓が■■■■の未来を守るために託した恩恵(ギフト)を今日まで引き継いでるのは、そういうことだ。

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 鐘が鳴ると同時に、意識が■へと戻っていく。

 

 「起立、礼、着席」

 

 「────」

 

 未だ意識が朧げにさ迷う中、シェリア・ウェサリウスの号令が告げられる。

 それを合図に次々と『生徒たち』が授業から解放されるのを呆然と見続けた。

 

 「……ああ、終わったんですか」

 

 小休止していた身体に熱を灯す。

 そうして、私は喧嘩した彼の下へ急ぐのだった。

 



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006 真昼の喧嘩

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 終わりを告げる鐘が鳴り、束の間の休息がやって来る。

 

 疲れた。

 相変わらず授業の内容はちんぷんかんぷんで、僕の頭ではちっとも理解出来やしない。

 

 机に突っ伏すことで、僕は疲れを回復することに専念した。

 

 ガヤガヤ。

 ガヤガヤ。

 

 「勇貴さん」

 

 生徒が教室を疎らにしていく中、彼女が僕に声を掛けて来る。

 

 「……何さ?」

 

 いい加減にして欲しい。

 これ以上、僕に関わっても君に何のメリットがあるのさ?

 もう放っておいてくれよ。

 

 「先ほどの話なんですけど──」

 

 泣きだしそうな顔で彼女が僕を見る。

 止めろ。

 同情を誘うな。

 

 「良いよ。別に気にしてない」

 

 出来るだけ、冷静に、落ち着いて。

 彼女に期待しないように。

 

 「……え? ど、どうしてですか?」

 

 そんな僕を前に戸惑う真弓さん。

 どうして、そんな顔が出来るのとかは考えない。

 だが、その僕の言葉を待ちわびる姿には覚えがあった。

 それが何故か、酷く気に入らない。

 腹立たしくて仕方ない。

 

 「何でも何も、さ。──そんなもの一々気にしてたら授業に追い付けなくなるでしょ」

 

 だから、そんな少女の問いを間の抜けたことを言ってはぐらかした。

 それが、彼女の聞きたかったことじゃないのは分かってたけど、それ以上に腹立たしかったから、そうした。

 

 だって、そうだ。

 僕との話よりも授業の方が大事だと切り捨てるぐらいなんだ。

 だから、そう思ってしまえば物事は解決する筈だ。

 

 ああ、本当にそんな単純なことに気付けて良かったと思う。

 

 「そ、それは──」

 

 「違わないさ! そうだろ!」

 

 彼女が何かを言おうとしたが、僕は感情のまま怒鳴りつけた。

 

 ──そうすることしか出来なかった。否。そうしなければよく分からないものが胸を締め付けて苦しいんだ。

 

 「────」

 

 目の前の少女は、何も言わない。

 驚いたような、けれど、感情のままに泣き出したいような、それでいて感情のままに怒鳴りつける僕の姿に愛しいものを見るような目をしている。

 そう思えるだけの、只、何とも言えないような無機質な表情を浮かべているだけで気味が悪かった。

 

 「──っ」

 

 ゾクリ。

 背筋に冷たいものが伝う。

 この時、初めて真弓さんが異常だと思えた。

 そうだ。普通、怒鳴られている人間はそんな訳の分からない顔をしない。

 怒ったり、悲しんだり、そのどれか一つの感情に支配されるのが人間という感情動物なのだ。

 

なのに、真弓さんはそのどれもが取れないでいる。

 それは、人間という感情動物にはあり得ない行動であり、そもそもそんな一つの感情に縛られない人間は人間と呼ぶべきじゃない。

 

 「勇貴さん」

 

 涙を浮かべる真弓さん。

 だが、その瞳の奥には悲しいという感情が見えない。

 まるで、人間の振りをした機械を相手にしてる気分だ。

 

 気持ち悪い。

 そんな訳の分からないモノと相対することが気持ち悪くて仕方なかった。

 

 「よう。白昼堂々と喧嘩とか、元気が良いじゃねぇか」

 

 どうすればそんな気持ちの悪い少女と話を切り上げれるか考えていると、そこへ赤毛の男子生徒が声をかけてきた。

 

 「火鳥(かとり)さん」

 

 真弓さんが声をかけてきた男子生徒の名前を口にする。

 

 「……知り合い?」

 

 何とも言えない空気を感じ、思わず聞いてしまった。

 

 「別に知り合いって程の関係じゃあ、ねーよ」

 

 それを意味ありげに男子生徒が言葉を濁した。

 だが、それも束の間。

 

 「兎に角、教室(ここ)だと迷惑極まりねぇ。やるんなら、外でやってくれ」

 

 そう言って、赤髪を掻きながら彼は廊下に指を差す。

 

 「……まあ、それもそうか」

 

 何だか釈然としないがその男子生徒に促されるがまま、僕は真弓さんと一緒に廊下へ出ることにした。

 

 たったそれだけ。

 それだけのことなのに。

 

 「ゆ、勇貴さん」

 

 彼女は何故か嬉しそうに僕の後ろに着いて来る。

 

 「……何だよ」

 

 チャイムが鳴ったら、どうせ僕なんて興味もない癖に。

 どうでも良い存在だって思ってる癖に。

 

 なのに、どうしてそんな顔が出来るんだ?

 どうして、そんな合理性の欠片もない行動を取れるんだ?

 

 ジジジ。

 ソレハ、キミには備ワッテイナイ機能ジャナイか。

 

 「──あれ? 今、僕は何を考えた?」

 

 頭が可笑しい。

 自分のことなのに、自分がよく分からない。

 分からない。

 分からない、分からない、分からない。

 

 ────「私、勇貴さんが思ってるよりいい人間じゃないです。誰からも愛される事もなく憎まれる。勇貴さんはそんな嫌われ者の私にとって、希望なんです」

 

 真弓さんと話したこともない会話が頭に過る。

 彼女と出会って日が経っていないというのに、何故そんな出来事が頭に過るのか意味が分からない。

 

 ズキリ。

 

 「あた、ま──頭が、痛い」

 

 酷い痛みで、目の前が霞む。

 誰の記憶なのか分からないそれが僕を可笑しくしてる。

 

 ────「……っく、そぉ」

 

 とうとう、傷だらけになりながらも立ち上がる誰かの幻まで見えた。

 何が正しくて。

 何が間違いなのか曖昧になっていく。

 

 「勇貴さん」

 

 痛い。

 痛い、痛い、痛い、怖い。

 

 どうして、こんなに痛いんだ。

 どうして、こんなに辛いんだ。

 

 どうして、どうして──。

 

 「──え?」

 

 誰かが僕を抱きしめる。

 冷たくなっていた僕の体に温もりが伝う。

 

 「痛い、ですか? すみません。でも、お願いです。どうか私の話を聞いてください。目を逸らさず、逃げないでください」

 

 いつの間にかしゃがみ込んでいた僕を真弓さんが抱きしめて、背中を擦ってくれていた。

 何で?

 どうして彼女は、こんなどうしようもない僕を見捨てない?

 

 「うる、さい。……ぼ、ぼくが。僕が何したって言うのさ? ──君は知らないだろうけど。僕は何をするにしても臆病で、嫌なことがあれば逃げてばっかりの駄目な人間なんだ。そんな人間が誰かに優しくされるとかあり得ないのに。なのに。どうして君は僕に肩入れ出来る? 何を期待してる? ──君は、何がしたいんだ!?」

 

 誰も見ていないのに。

 誰も期待なんかしないのに。

 

 ──ドウしてオマエはソンナ無駄なコトをネガエルのダ?

 

 「明日が──。明日が、見たいのです」

 

 唐突に、真弓さんが口を開いた。

 まるで罪を告発するみたいに僕を真っ直ぐ見つめてもいた。

 

 「──な、に?」

 

 意味が分からない。

 何がしたいと聞いて、明日とかあやふやな言葉を使いだした。

 そんなものはいつだって訪れるというのに、どうかしてる。

 

 「覚えていませんか? この願いは、貴方が私に言ったのです。──誰もいない夕暮れの教室で、まだ貴方が貴方の名前を憶えていた頃の話。……ええ、分かっています。もうその記憶さえ思い出せないことは分かっているのです。ですが、たとえ貴方が忘れてしまっていたとしても。その願いを分かち合うことが永遠に叶わないとしても。それでも確かに貴方は私たちにそう願って、そう在るべきだと笑ったのです」

 

 それは、誰の言葉だったのか。

 それは、何の告発だったのか分からない。

 

 只、きっとそれが彼女にとって何よりも大切なことなのは分かった。

 

 「私はそれを叶えたい。それを叶えるためならば、何を犠牲にしても構わない。ですから、お願いです。どうか、私に貴方の記憶を取り戻させてください」

 

 真弓さんが僕に手を差し伸べる。

 そこまで話してくれても、どうしてそこまで約束に拘るのか僕には理解することが出来ない。

 未だそんなことを分からずにいる自分には、彼女の懇親がどうにも受け入れそうもない。

 

 でも。

 

 「──ぅん。うん、うん、うん!」

 

 そんな彼女の懇親に何故か涙が出てきたのは確かだった。

 

 「勇貴さん」

 

 真弓さんが僕の名前を呼ぶ。

 差し伸べられた手を取ろうとして──。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 「──え?」

 

 目ノ前ニ居タ筈のマユミさんが真ッ黒ナ影ニ変ワッタ。

 

 「勇貴さん?」

 

 アレ? 何ダコレハ? オカシイぞ。アレレ? ドウシタと言ウノダ? 目ノ前ガ突然、暗クナッタ死。足元ガ覚束ナイ死、息ガ出来ナイ。

 

 「──勇貴さん!」

 

 少女ノ声ガ聞コエル。デモ、ソレも直ニ無クナル。嘘ダ。嘘ダ、嘘ダ、嘘ダ。消エル? 消エテ、消エテ。体ガ暗闇ニ呑マレル。ソンナ、予感ガ死テ──。

 

 「お疲れ様、■■。どうやら、キミの時間は此処までのようだ」

 

 意識ガ堕チル最中、藤岡ノ声ガ聞コエタ。

 



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007 クラヤミの僕

 

 ピー、ガガガ。

 ピー、……ガガガ!

 

 「回帰せよ、咎人。繰り返せ、影絵。──死を慈しむ、その膨大なデータにて待ち人は焦がれる」

 

 電波信号を受諾。

 悪辣飢餓は存在の抹消を記せ。

 さすれば、我らは神の領域へ近づかん。

 

 カタカタカタ。

 カタカタカタ。

 

 影絵(ショウジョ)は描く。

 何度目の物語(ユメ)を脳内へと打ち込んでいく。

 それを見届ける神父は、待ちに待ったシナリオの出来に満足する。

 

 「──さて、諸君。舞台は整った」

 

 神父が告げる。

 愚者の自我が崩壊し、無への領域へと堕ちていく。

 彼の旅路を願ったのは、真の叡智を求めた三人の魔術師だった。

 

 「これにて、『真世界』への扉を開く刻だ」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 その開幕を影絵たちが歓喜する。

 その言葉を待っていたと外道たちは狂喜する。

 

 「キャハハハ! 良いデェスね。良いデェスね! 此処まで待ったかいが在ったってモノデェスよ!」

 

 外道(マジュツシ)はキキキと嗤い、矛盾を孕んだ妄想を噛み締める。

 

 「ああ、待ちわびたぞ。これこそが、我が極点に至る通過点に成らず。キキキ」

 

 外道(マジュツシ)は悦んだ。

 観客を楽しませる為でなく、自身の飽くなき欲求を叶えるだけの愚か者(それ)には、その言葉が相応しいと思うのだ。

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 

 終末を告げる鐘が鳴る。

 

 「つまらない」

 

 何度も使いまわされたそれに飽きが来るのは、みんな同じ。

 だが安堵せよ、■■。

 彼らでは真実へと至る道は切り開けないと知れ。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 「ああ、本当につまらない。──後、何度同じことを繰り返せば良いのだ」

 

 神父はため息を吐く。

 その顔は三人の外道たちとは違い、暗いものが見えていた。

 

 「すぴー、すぴー。何度でも。──私たちの悲願が叶うまで、アレは何度だって繰り返すでしょう」

 

 学生服の少女が微睡むように呟いた。

 

 ◇

 

 ────「夢を見たんです」

 

 声がする。

 

 ────「とても温かな、優しいユメでした」

 

 聞き覚えのある、優しい少女の声だ。

 

 ────「でも、それはとても悲しいモノでしかないのです」

 

 いつだったか、そんな話をしていたことさえ僕は忘れていた。

 

 それは奇怪な夢。

 願うことも、足掻くことも、交わす約束の何もかもを同じ、──決められた一日を永遠に繰り返す産物(ニチジョウ)だった。

 

 そこに救いはなく。

 誰からも期待されることはない。

 それは皮肉なことに、生きることから逃げた愚か者には似合いの末路だった。

 

 ────「勇貴さんが食べていたのと同じものを食べてみようと思いまして」

 

 逃げるしかなかった。

 物語の主人公みたいに立ち向かうことなど、自分には出来る訳がないんだ。

 だから、それを永遠に見続けるしかない僕は、影絵以下の出来損ないに違いない。

 

 ────「……そこは、真弓って呼んで下さいよぉ」

 

 パラパラと堕ちる記憶たち。

 手を取ることも、立ち向かうことも、生きることも放棄した僕にはそれが果たされることはない。

 

 ──羨ましかった。

 

 自分には出来ない選択を取る彼の姿は、まさに理想の自分そのものだったから。

 

 ────「でも、許します。許しちゃいます。その代わりなんですが、私のこと、下の名前で呼んで下さい」

 

 色んなことがあった。

 都合のいいことしか記憶できない僕は、それでも生きる為に必死で足掻き続けた。

 一方、何も出来ない自分は暗闇の中を独り閉じこもるしか出来ない。

 

 ……惨めだ。

 

 ────「真っ赤ですね」

 

 夕焼けで■■さんが笑った。ゴミ屑みたいな自分の手をいつも取ってくれた。月が綺麗ですね、なんて洒落た言い回しもされたこともあった。

 

 ────「怖いですか、勇貴さん?」

 

 遠い日のこと。

 霞んでしまって、よく思い出せない約束。

 それだけを想い、それだけを願い、それだけの為に尽くした影絵(ショウジョ)が七瀬勇貴を抱きしめる。

 

 ────「貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破戒するしかないのです」

 

 多くのことを取りこぼした。

 名も知らない誰かの願いさえ、奪った。

 そうしてこれまでを逃げて、逃げ続けて僕は生きた。

 

 ────「諦めません。何度だって、私は諦めませんよ」

 

 終わらない今日を見続ける。

 訪れることのない明日は期待しない。

 

 なのに。

 

 ────「■■さん()は立ち上がるんです」

 

 こんな僕に影絵(ショウジョ)は見限らない。

 幻想(ミンナ)を巻き込んで、画面の自分に手を差し伸べ続けたんだ。

 

 ────「駄目です! そんなのは駄目です、■■さん!!!」

 

 でも、それも終わり。

 幾ら呼びかけても現実はこんなものだ。

 どれだけ足掻こうとも覆されることのない壁があるのはいつものことだ。

 

 ────「立って下さい、■■さん。貴方はこんなところで終われない。いや、終わってはいけないんです」

 

 止めろ。

 どうしようもないんだ。

 大体、僕には立ち上がる勇気なんてないし。道を切り開く意志も、立ち向かうだけの気力も持ち合わせていない。

 

 ないない尽くしの駄目人間でしか、ないんだ。

 

 ────「そうです。何度繰り返そうが、貴方は立ち上がる。そうでなくては生きられない。■■さんが知らなくても、それを私は覚えてます。大丈夫。貴方なら出来る。──だって、こんなにも貴方は強くて優しいんですから!」

 

 どれもこれも僕には真似できない行動をするそいつは壊れていく。

 

 「──畜生」

 

 複製された自分が倒れてる。

 自分と同じ姿だった魂の灯が消えかけてる。

 あり得たかもしれない絵空事は、現実に耐えきれず過負荷(オーバーロード)をしてしまった。

 

 ────「勇貴さん、お願いですから、目を覚まして下さい。勇貴さん。勇貴さん!」

 

 影絵(ショウジョ)が泣いている。

 でも、それは叶わない。

 だって電源の入らない機械には、何をしても意味がない。

 役に立たないガラクタはいつだって廃棄するのが道理なんだ。

 

 意味がない。

 意味がない。

 

 意味がないって、いうのに──。

 

 「──どうして、だ?」

 

 涙が止まらない。

 手を伸ばしても誰も掴まない現実が僕を押し寄せる。

 嫌だ。

 嫌なんだ。

 あんなにも頑張ってた。

 彼が頑張って、努力して、必死になって生きようと足掻いてたのが分かってるから。

 

 「ああ、──クソ。どうして、こうなんだ」

 

 気付くのが遅すぎた。

 このままだと僕は何も出来ないまま終わる。

 最後にアイツも言ってたじゃないか。

 

 ────「お疲れ様、■■。どうやら、キミの時間は此処までのようだ」

 

 だから。

 だから──。

 

 ジジジ。

 暗闇から手を伸ばす。

 無我夢中で救いを求めて、もう一度、助けを願う。

 

 彼女が言ってくれた。

 彼女だけが僕を忘れなかった。

 それだけじゃない、みんなが僕を助けようと必死で()()()()と戦ってくれていたんだ。

 

 だというのに──、この身体はまだ起き上がることすら出来てなかった。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 そんな僕を影絵たちが嗤う。

 

 「────」

 

 助けは来ない。

 ピンチの時に弱者を助けてくれるのは、いつだって空想の中と決まってる。

 

 「──っ」

 

 ──そうして、■■が足掻くことを諦めかけた、その時。

 

 「これで分かっただろう、■■■■? 現実なんてこんなもんだって、言うことを、さ」

 

 暗闇の中で、■■飛鳥の声が聞こえた。

 



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008 言いたいことは只一つ

 

 ウルタールの猫が鳴きました。

 侵略者は人類未踏の領域に踏み入れました。

 愚か者は気づきません。

 愚か者は人類です。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 「──畜生」

 

 取るに足らない弱者の叫びは聞こえませんが、最果てを目指す外道たちは悦びました。

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 

 終末の鐘が鳴り、その音色を何処までも響かせるのです。

 

 「──どうして、だ?」

 

 脳に這い回る猫の呪文。

 ぐるぐる同じことを繰り返す悪循環。

 名前のないそれが、地を這う虫けらをあざ笑うのです。

 

 キキキ。キキキ、キキキ!

 キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ。キキキ、キキキ、キキキ。キキキ! キキキ、キキキ、キキキィ、キキキ!?

 

 歓喜の声を上げる影絵たちは、死に絶えていく人間たちの絶望を愉しみました。

 ええ。悪辣なそいつらには、人の心などそこら辺にある玩具に等しいのでしょうね。

 

 ──だが、嘆くことはないです。それが人類の敵であることは確定しました。

 

 「ああ、──クソ。どうして、こうなんだ」

 

 誰も■■に手を差し伸べない。

 

 無慈悲な現実は、この夢の世界においては取るに足らない光景です。

 

 壊れかけの人形は起き上がろうとする。

 その行為に意味がないことも、叶わぬ夢物語と知っても尚、弱者であることから──、逃げることを止めようと■■はしていた。

 

 「──っ」

 

 けれど覆らない現状に■■の心が折れかけた時──。

 

 「これで分かっただろう、■■■■? 現実なんてこんなもんだって、言うことを、さ」

 

 暗闇に少女の声が木霊したのです。

 

 ◇

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 影絵たちが狼狽える。

 スクラップ寸前のデータを前に何をしに来たと疑問視する。

 修復出来る段階はとうに過ぎ去った、と。

 その事実は拭うことの出来ない現実で、今も尚、記憶の概念が喪失したそれは風前の灯火だと少女を罵った。

 

 「──藤、岡?」

 

 少女の姿が見えない。

 視覚情報はブラックアウトされており、何も映さない。

 

 「そうとも。ボクは藤岡。藤岡飛鳥。最果ての今にして絶対なる知識を司る魔術師の一人、さ」

 

 それを意に返さず、少女は語りを続ける。

 でも、そんなことは穴だらけの記憶の自分でも知っていることだ。

 

 ……聞きたいのはそんなことじゃない。

 

 「ほう。そんなにボクが何者か知りたいのかい? ──まあ、良いだろう。そんなに知りたいのなら教えてあげようじゃないか」

 

 暗闇の中、藤岡が口を開くのを感じる。

 彼女がいつもと違う、──醜悪な笑みで自身の正体を語りだす姿が何故だか想像出来た。

 

 「別にそこまで畏まることじゃないさ。とても簡単で、単純な話。つまり──、ボクは僕で、キミは僕。始まりにして、傲慢を騙る原初の愚者。みんなはボクのことをね、■■。『■■■■』の記憶の概念とも呼ぶんだ。──おや? 肝心の名前が聞こえない? そりゃあ、残念。だが、あと少しで魔導魔術王(グランド·マスター)となるキミが気にする必要はないさ」

 

 楽しそうに声を弾ませながら、藤岡はそう言った。

 

 「……何、言って、んだ?」

 

 だが、彼女の言葉は頭の悪い自分には受け入れられなかった。

 それは本当に、理解するのも烏滸がましいもので。

 許容することは、それまでに培った自分の生き方を否定するような何かをしなければ出来ないもののように思えた。

 

 そんな自分をあざ笑う藤岡飛鳥の声には、何の悪意も感じなかった。

 

 「そうだね。分かりたくないよね。分かってしまったら、その分、苦しいんだから当然か。──まあ、そんなことボクの知ったことじゃないんだけど」

 

 僕は知らない。

 まだ少女が知りうる全てを理解できない。

 

 「いつの日か、キミはボクに言ったね。『オレは諦めない。いつかオレは自分の明日を取り戻すんだ』と。嗚呼、今も鮮明に思い出せるよ。怯えながらも決意したキミの姿に当時のボクは何も言えなかったとも。──うん。あれは中々に滑稽だった」

 

 懐かしむように、■■飛鳥は語りかける。

 何も見えない暗闇の中で当時の自分に文句を垂れ流す姿は、普段の大好きオーラを感じさせない。

 

 「ああ、そのままで良いとも。これは、只の感傷。哀れなボクを慰める自傷行為に過ぎない。もう覚えていないだろうが、この体の持ち主もかつてはキミに恋する残留思念(ヒロイン)の一人だった。……まあ、だからと言ってキミは何も気にする必要はないし、それをするだけボクの力が弱まるからしなくて良い」

 

 身体が動かない。

 暗闇の中で踠き苦しんでも、堕ちていく感覚が支配されていくだけで何も出来ない。

 

 「嗚呼、そんなことはどうでも良いんだった。そんな詮無きことまで気にしていたら、目的は完遂出来ないし。……すまないね。どうやら、また話が脱線してしまったようだ。──つまり、ボクが何を言いたいかというと、ね」

 

 影絵たちは見ているだけ。

 そもそも、この暗闇は夢世界にいる人間には誰も干渉出来ない領域だ。

 

 故に──。

 

 「今ならば、あの影絵(ショウジョ)にボクらが入れ替わったとしても気付かれないということさ」

 

 ノイズ。

 

 「──っ!?」

 

 ピー、ガガガ!

 消失した電波信号が『怠惰な人間()』を虚ろにし、空になる素体は、息をする間もなく存在をエラーへと変換されていく。

 

 「安心すると良い。彼らはボクを容認している。過負荷(オーバーロード)することで、キミのいた現実世界へとアクセス出来る『扉』を開ければ後は好きにして構わないと来た。相変わらずクソみたいな連中だが、今のボクには都合が良い。なーに、初めからそれだけの為にここまで築き上げてきたのだから、利用しない手はないだろう?」

 

 意識が保てない。

 存在が不確かなモノへと移り変わるのが感じられる。

 どうしようもない激痛が全身に伝う。

 

 「ぐぅ、ぁああああああああああああああああ!!!」

 

 酷いものだ。

 何故、僕はいつもこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 どうして?

 どうして、いつも──。

 

 ────「ギャハハハ! あーあ、溢しちゃってるしよぉ。気持ち悪いなぁあああ!」

 

 幾度も虐げられてきた。

 理不尽な目ばかりで、良いことなんて一つも思い出せない人生だった。

 それを思い出す度に逃げて、逃げて、逃げて──。

 

 「あ、ああ、ぁああああああ」

 

 誰からも期待されず、誰からの優しさも受けず、誰の信頼も勝ち取ることもしない。

 そんな負け組、社会のつま弾き者となることを受け入れたのに、この仕打ちは何なんだ。

 

 「キミにはバラバラとなった肉体という情報を取り戻させた。不完全だった■■飛鳥にボクという記憶の概念を注ぎ込んだ。完全な魔導魔術王(グランド·マスター)へと至る為の布石は、ここぞとばかりに押し留めて誤認させた。あらゆる幻想が勘違いするようコントロールルームに細工をしたのは、本当に苦労したよ」

 

 嫌だ。

 怖い。

 僕が僕じゃなくなるのが恐ろしくて仕方ないのに、何も出来ない。

 

 「ボクはね、■■。この世界がとても気に入ってる。本当の意味で、誰も責めない。誰も奪わない。誰もボクらを傷つけない。まさにボクらみたいな社会のつま弾き者にとって理想郷じゃないか。キミとて、一人の人間として扱われることがどれだけ困難なことか理解してるだろう? ──だから、あいつの言う現実世界に戻るなんて、死んでもゴメンなんだよ」

 

 もし彼女が僕の記憶を受け継いでいると言うなら、この仕打ちは当然だ。

 

 ──そう、僕らは弱者。それも、救いようのないクソな弱虫だ。そんなことは僕が一番よく分かってるし、ピンチに駆けつけるようなヒーローが現れないことも知っている。

 

 ……けど。

 

 ────「明日が──。明日が見たいのです」

 

 僕自身さえ忘れていた願いを彼女は覚えてくれていた。

 それがどれだけ難しいことか、微かに残る記憶(けいけん)が教えてくれている。

 

 なのに、どうして、諦めるなんて言える?

 

 「──っ!」

 

 痛くて苦しいのを無理して、何かを掴もうと必死で手を伸ばす。

 誰の助けもない現状。

 誰の願いも聞き届けない現実しか此処にはない。

 

 それでも、──あの少女の願いだけは叶えてあげたいと強く思えたんだ。

 

 「アハハハ! 無駄だよ、■■。邪魔する障害は全て取り除いたんだ。諦めて、早くそのアストラルコードの権限を手放してしまえ!」

 

 その時。

 

 ────「ユーキ!」

 

 唐突に、■の声が聞こえた。

 

 「────!」

 

 全身に激痛が走るのを無視して必死で手を伸ばす。

 

 ────「忘れ物だよ!」

 

 カチリ、と何かが填まる音が響くと続けざまに暗闇が晴れていき、閉ざされた視界に色が灯る。

 

 「──な、なに?」

 

 そこで黒髪の少女──、■■飛鳥の姿が(あらわ)になる。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 たちまち全身を覆っていた堕ちていく感覚が消失し、襲い来る痛みが和らいでいく。

 

 「……バカ、やろぉ、う」

 

 口からこぼれた悪態が誰に対してなのかは、解らない。

 けれど、こうして自分の意志で立ち上がれたことがとても誇らしく思えた。

 

 「何が、どうなっているんだ? ──バカ、な。どうして、暗闇が晴れる? どうして、キミはボクを視認出来る? いや、そもそも何で──」

 

 僕は、七瀬勇貴なんかじゃない。

 それどころか、本当の名前も思い出せない人間(ろくでなし)でしかない。

 

 ──だけど、重要なのはそんなことじゃなくて。

 

 「……ぅる、せぇ」

 

 フラフラの身体に力を込めて。

 

 「何を、」

 

 藤岡が何をする気かと問う前に感情のまま僕は、

 

 「うるせぇえ!!!」

 

 ──今出せるありったけの力を振り絞って、狼狽えるバカに殴りかかる。

 

 「ぐぅえ!」

 

 すると僕の渾身の一撃が奴の顎へヒットし、そのまま後ろへと身体を仰け反らせることに成功する。

 

 「う、ぐぅ!」

 

 ドサッ!

 

 軟弱な僕の拳にじんと痛みがやって来ると同時に、今度は途方もない疲労感に襲われる。

 

 「……ハア、ハア」

 

 疲れた。

 自分の身体が少し動いた程度で息が切れるほど衰弱している。

 だが、そんなことより今は──。

 

 「好き放題に言いやがってよぉ……」

 

 歯を食いしばって、倒れたバカに言いたいことを怒鳴り付ける。

 

 それは、とても大切で。

 僕が今一番、許せないことで。

 

 「正直な話、──君が何考えてんのとかどうだって良いんだけどさぁ……」

 

 倒れる前の出来事が。必死で泣きじゃくる彼女の顔が頭に過る度、拳を強く握った。

 

 「クソくだらないことで泣かせやがって、──ぶっ飛ばしてやる!!!」

 



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009 現状把握

 

 ヒリヒリと痛む拳に、フラフラとよろめく身体。

 それらを無視して、全力で言いたいことをぶちまける。

 

 「クソくだらないことで泣かせやがって、──ぶっ飛ばしてやる!!!」

 

 世界が色を取り戻す中、僕は元凶の少女に向かって叫んだのだった。

 

 「──っ」

 

 打たれた頬を擦りながら、藤岡が立ち上がる。

 

 「────」

 

 てっきり恨み言の一つでも飛んでくるかと思えば、藤岡は何も言わず冷めた視線を送るだけ。

 しかも、その視線を向ける顔に何の感情も見せないのだから気味が悪くて仕方ない。

 

 「……何だよ」

 

 無言。無感情。無機質。藤岡の今の状態を何と形容すれば良いのか、言葉が上手く纏まらない。

 

 「何か言ったらどうなのさ?」

 

 怯むように叫ぶ。

 負けないように、自分を鼓舞する。

 そうしなくては、この少女には勝てない。

 気持ちだけは負けてはならないと無理して強がる。

 

 「ふむ。なーんだ、そういうことか」

 

 そうしていると藤岡が何かを納得しだす。

 

 「何だよ?」

 

 何の感情もない、──無機質な硝子玉のような目がきらめく。

 

 「何って決まってるだろう。どうして、こうなったかが分かったのさ。……突き詰めれば簡単な話だった。イレギュラーであった、あの『特殊個体(エクストラ)』が何をしたのかを看破しただけ。アハハ、本当にあれは余分な事しかしないねぇ」

 

 上機嫌そうな口調。

 けれど声とは裏腹に表情に何の変化もない。

 

 何故かこの時、そんな藤岡に対し人形のようだと思ってしまった。

 

 「そうだよ。所詮、ボクも人形だ。周りにいる影絵たちと何ら変わらない、誰かの妄想でしか生きられない幻想だとも。生きた人間の記憶を持ってしまっただけの慰み物でしかないのは、今に始まったことじゃない」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 影絵たちが囁きだすと同時に、カツンと誰かの足音が遠くから聞こえてくる。

 

 「さて、今、あの影絵(ショウジョ)と相対するのは色々と面倒だ。ここらでドロンとさせて頂くよ」

 

 藤岡が僕に言う。

 

 「逃がすか!」

 

 その言葉に僕は警戒もせず、殴りかかる。

 

 「いやはや、キミも学習能力がないねぇ」

 

 パチン。

 乾いた音と共に殴りかかろうとした僕の体が慣性の法則を無視して吹き飛んだ。

 

 「うわぁあああ!!!」

 

 揺れる視界に、舞台装置が歯ぎしりする不協和音。

 自由の利かない身体は、そのまま重力に従い地べたへと落下する。

 

 「ああ、そうそう。ボクを追いたければ噂を辿ると良い。その先にボクらは待ってるよ」

 

 グキリ!

 鈍い音と共にぶちまけられた鮮血が誰のものか理解することもなく、僕の意識は途切れたのだった。

 

 ◇

 

 「どうしたの、■■」

 

 母さんが僕を呼ぶ。

 

 「どうした、■■」

 

 父さんが僕を心配する。

 

 「──、──」

 

 懐かしい夢だった。

 両親が仲良さげに僕を気遣う姿は、遠い昔に失くしてしまった過去だ。

 

 そんな、ある筈のない光景は生前の■■■■には得られなかった幸福。

 

 「      」

 

 声が出ない。

 否、身動き一つとれない。

 

 「────」

 

 喧嘩が絶えない家族だったと思う。

 父さんが母さんに手を上げることがあった気がする。

 弱かったから、傷つけた。

 傷つけて、傷つけて、共に力を合わせることが出来なかったから僕らは家族でいられなくなったんだ。

 

 ──だというのに。

 いがみ合うしか出来なくなった二人を僕は最期まで憎むことが出来なかった。

 

 ────「『■■』はどっちと暮らしたい?」

 

 何度、繰り返したか。

 何度、夢見たことか。

 

 幼い頃に見た日々は戻らないというのに、その幸せを取り戻そうとしている。

 

 「────」

 

 パラパラと抜け落ちる記憶たち。

 変わり果てた環境に耐え切れない自分は、只、暗闇に微睡むばかり。

 

 ジジジ。

 モノクロ映像、パラパラ漫画の如く喪失した記憶が蘇る。

 

 この世界に来たばかり。

 右も左も分からず、茫然と起き上がる僕と少女が出会った時の思い出。

 

 「此処は、何処?」

 

 懐かしい顔。

 無邪気な少女の、何処か秘めた表情。

 初めて会った時に見た少女は、何処までも幻想的で美しかった。

 

 「此処は、第二共環高等学園の地下聖堂跡地です」

 

 淡々と事実を伝える声は大人びたものを感じ、言葉の裏でこちらを覗き込むような、蠱惑的な儚さがあった。

 

 ジジジ。

 

 「──っ! 何だ、これ? 頭が、……頭が割れるように痛い」

 

 目覚めてから唐突にやって来る頭痛。

 こちらの思考を乱す眩暈が持ち合わせた自我を侵していく。

 

 「大丈夫、ですか? 何処が痛みますか?」

 

 見慣れた視線。

 いつだって向けられる嘘は、慣れっこだ。

 

 「可笑しい。可笑しい、ぞ。……あれ? オレの名前、何だっけ?」

 

 かき消される記憶。

 自分が何者で何をしてきたのか忘れていくオレの姿に少女が口元を歪ませる。

 

 「そうでした。そうでした。──えーと、貴方は勇貴。七瀬勇貴。それが貴方の名前」

 

 違う。

 それが違うことだけは分かる。

 

 「違わないわ。でも、そうね。私だけでも貴方の名前ぐらいは覚えておいてあげる」

 

 翠の瞳がキラキラしてる。

 宝石のような眩しさで、彼女がこの現状を嬉しがっている。

 

 「アンタの方こそ、どうなんだ?」

 

 忘れてしまうかもしれない。

 この自我が壊れてしまうのは確定している。

 

 でも、今、この時にそれだけは聞いておきたいと思った。

 

 「私? 私の名前?」

 

 そんな意図を呑んだ少女は、その瞳の奥に秘めた感情はこちらには向けられておらず。

 

 「ああ、そういえばまだ教えてなかったっけ」

 

 失敗、失敗と頬を掻く姿に僕はとても魅入ってしまって──。

 

 「私の名前は──」

 

 ジジジ。

 そこで、僕は目を覚ますのだった。

 

 ◇

 

 目に映ったのは、見慣れた白い天井。

 続いて僕を出迎えたのは、鳥のさえずりと微睡むような日差し。

 

 「──っ」

 

 ズキズキ。

 ズキズキ、と頭に冷めた閃光が伝っていく。

 

 「戻った、のか?」

 

 散らかった部屋はいつもと同じ。

 足の踏み場もないほど汚らしいマイ・ルームに居るということは、またリセットされたみたいだ。

 

 コンコン、コン。

 規則正しいノックの音が突然の来訪を僕に伝える。

 でも想像した通りなら、ドアの先に居るのが誰かなんて考えるまでもなかった。

 

 「起きてるよ、──真弓さん」

 

 ガチャリ。

 閉まっていた筈のドアが開く。

 

 「おはようございます、勇貴さん」

 

 一つに束ねた栗色の髪を揺らしながら、来訪者が挨拶する。

 

 「ああ、……おはよう」

 

 それがとても綺麗で。

 それがとても嬉しくて。

 

 そして、その認識が合っていることがとても哀しかった。

 



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010 ちっぽけな勇気

 

 ゴポゴポ。

 ゴポゴポ。

 

 目を背けたくなる光景で。

 耳を閉ざしたくなる過去で。

 

 ゴポゴポ。

 ゴポゴポ。

 

 夢のように曖昧な、苦しいだけの現実がそこにはあった。

 

 「ハア、ハア」

 

 死して求めた先には、それより残酷な世界が待ち受けている。

 そんなこともつゆ知らず、一心不乱に逃げ出したのをオレは覚えてる。

 

 ズキズキ。

 ズキズキ。

 

 ──痛い。

 痛くて、痛くて、脳の血管がはち切れそう。

 

 息が出来なくて。

 声が出せなくて。

 無力な自分を見せつけられ、──只、夢の中を溺れてる。

 

 生きることが辛かった。

 苦しいだけの日々が嫌いだった。

 

 なのに、神様はまだオレを苦しめるんだ。

 

 グチャグチャグチャ。

 グチャグチャグチャ。

 

 何度も打った、オレをイジメた野郎の頭を潰す感触が離れない。

 殺した。

 殺した。

 オレが殺した。

 どうしようもなく酷い奴らで、死んで当然の連中を殺したんだ。

 

 なのに。

 

 なのに、なのに、なのに、なのになのになのに、──なのに!

 

 あいつらの死は呆気ないほど一瞬だったのに、オレは今も尚、苦しんでる。

 

 ウンザリだ。

 ウンザリなんだ。

 飽きることなく再生されるトラウマ(それ)は、オレから消えてくれない。

 

 「ハア、ハア!」

 

 荒い息遣いをオレはする。

 返り血で真っ赤に染まった自分は、何時救われるんだと自問する。

 

 もう責める人間など居ないのに、オレは一体どうしたら良いのか分からない。

 

 「……う、うぅう」

 

 全身に噴き出す汗が気持ち悪い。

 激しく鼓動する心臓が喧しい。

 

 それは宛ら、パンクロックな世界に無理やり詰められたような気分。

 

 「やってられないよ」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 夢が終わる。

 他の誰でもない半端者が呟いて、それは静かに幕を閉ざした。

 

 ◇

 

 このタイミングで部屋に真弓さんが訪れた。

 流石のオレも訪れた理由を察せない程、鈍くはない。

 

 ──いや、もっと早く気づけなきゃいけないことなのに、オレはまた逃げようとしていた。

 

 「……そう、ですね。──でも、仕方ないんです。だって、気づける筈がなかった。いや、気づくことさえ貴方には許されていなかった。そんなことが出来ないよう少女たちに管理され続けたんですから、当然です」

 

 だから自分を責めないでと真弓さんが言う。

 いや、『名城真弓』という形をしただけの少女がオレに微笑んだんだ。

 

 「……それでも、オレは気づけなきゃいけなかったよ」

 

 でも、知っていた。

 オレだけはこの少女の気持ちを知っていた。

 知っていたことを憶えてた。

 心と魂と肉体を引き裂かれたとしても、オレはそんな彼女を置き去りにしてはいけなかった。

 

 未だ穴だらけの記憶と継ぎはぎだらけの感情が訴える。

 

 偽物だったとしても。

 人間じゃなかったとしても。

 目の前の少女が名城真弓という人間ではなかったとしても。

 

 彼女は、オレにとっての『名城真弓』であり、七瀬勇貴にとっての『名城真弓』なんだから。

 

 「────」

 

 そこで気づいた。

 オレを見つめる宝石のような翠の瞳はくすんでおり、光が見えないことを。

 それは、つまり。幻ではなく本当の彼女の姿が見え始めてる証拠で。七瀬勇貴が追い求めた真実に近づいたとも言えた。

 

 でも、そんなことはオレには関係なかった。

 そんなものより、オレはオレにとって一番大切なモノを助けなきゃいけなかったのに逃げてしまっていた。

 

 そのことが何よりも悔しくて仕方なかった。

 

 「そんなことないです」

 

 何処かで、キキキと嗤う影絵の声。

 今も尚、こちらを覗く深淵。

 あの闇が何なのかも分からない、正体不明の怪物たちの気配を前に真弓さんはオレの心中を否定する。

 

 「私の方が貴方に助けられてばかりです」

 

 温かな眼差し。

 安らぎを与えんばかりの思いやり。

 胸に手を当て、少女は訴える。

 

 「手を引っ張ってくれました。誰もが嫌った私を。誰もが私の生きる理由を閉ざしたのに、そんな私の手を引っ張って逃げてくれたんです。それは、誰に出来ることじゃなく。それは、貴方にしか出来なかった。……それが嬉しかったんです」

 

 嬉しかった。

 その言葉を聞いた瞬間、目から一筋の滴が流れた。

 

 「──っ」

 

 覚えのない出来事が彼女の生き甲斐となっている。

 どうしようもないオレが愚直に犯した間違いが目の前の少女の行く末を導いている。

 

 それがどんなに奇跡だったか。

 それがどんなに手に入らなかったモノだったか、きっと誰にも分からない。

 

 「だから、……だからですね!」

 

 必死でオレの手を取ろうとして、真弓さんは取れないでいる。

 その姿に愛らしさを感じた。

 

 「な、んだよ?」

 

 嗚呼、奪われてしまった記憶が恋しい。

 夢を語るように思いを馳せる彼女を見てると眩しくて仕方ない。

 

 こんな中途半端な自分には勿体ない強くて優しい彼女が手を差し伸べてくる。

 

 「元気を出してください、■■さん」

 

 ちっぽけな勇気だ。

 どうにも、このいじらしい少女はオレを励ましてるようだった。

 

 ギュッ。

 差し伸べられた手を握る。

 

 「ああ、──そうする」

 

 温かい。

 握った手がこんなにも温かいと感じられるのはいつ頃だろう?

 

 ジジジ。

 ザー、ザー。

 

 「────」

 

 違和感が脳を掠める。

 それは大切な記憶だとか、そういう類ではなかったと思う。

 天才的な閃きでも、悪魔的なシンパシーでもない。

 

 ──けれど、そのノイズに何故か懐かしいモノを感じた。

 

 「勇貴さん?」

 

 真弓さんが心配する。

 

 「……何でもない」

 

 気休めの嘘を吐く。

 彼女にもそれが伝わったのか、

 

 「そうですか」

 

 そんな不器用なオレに、簡潔な返事をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「キャハハハ! キャハハハ! 本っ当に救えない野郎デェスこと!」

 

 乱暴にドアが開かれる。

 蹴とばされたドアノブが音を立て吹き飛ぶのが見えた。

 

 「──っ!」

 

 聞いたことのある女の嘲笑。

 途切れ途切れの声色で微かに聞き取れた悪意が来訪を告げる。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 影絵たちが歓喜し、来訪した悪意に狂喜乱舞する囁きが平穏を崩す。

 

 「まあ、それもこれもワカってたってことでしょーケド!」

 

 グルん、と空間が軋む。

 ワラワラと数多の蜘蛛たちが開けたドアから侵入し、その中心に赤黒い何かを形成していく。

 

 ──そう、数秒の隙もなくゲラゲラと嗤うそいつをオレは知っている。

 

 「デェスが、デェスが! アレが失敗することは分かってたんデェスからアタクシも罪な女デェスよねぇえ」

 

 怠惰の権能(チート)持ちにして、この場に居る筈のない第三者。

 影絵たち同様、下卑た笑みを浮かべる怪物はどうせいつかの決着をつけに来たんだろう、と頭の中に住み着く悪魔が囁く。

 

 「──アトラク=ナクア!?」

 

 クネクネと身を捩じらせ、美しい女郎蜘蛛はその名を示す。

 

 「そうデェス! そうデェス!!! 最高にイカシタ女、ナチャ様デェス!!!」

 

 地に着くほどの赤い髪、暗闇の中の泥みたいな瞳が悪鬼の如く目を吊り上げる。

 それに常識は通じず。

 それに倫理は持たない。

 

 只、厄災を振りまくことを生き甲斐に女は不条理をばら撒くのだ。

 

 「イヒヒヒヒヒヒ! さあ、テメェ様! 夢微睡む時間は終ワりデェス! これより始まル殺戮は、きっと楽しいショウタイムになるでショウ!!!」

 

 響き渡る女郎蜘蛛の嘲笑。

 それは、本当に愉しそうに悪意を顕したのだった。

 



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011 覚醒

 

 キキキ。

 

 誰もがみんな、狂ってる。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 平凡に生きた人間でさえ壊れてしまうのに、そうでない怪物がイカレない訳がない。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 舞台は廻る。

 時間は戻る。

 記憶が、ちぐはぐに足されていく。

 

 「キキキ、キャアアア!!!」

 

 宙を舞う同胞。

 この世界で弱者は淘汰される。

 それがこの世界の常識であり、そいつを信条にアタクシは生きてきた。

 

 グルン、と何かが歪む。

 ピキリ、と我らの領域が軋む。

 とある秘境の深淵で、終末を見届ける役者(アタクシ)に目を付けた狂人(オトコ)が弱者を虐げる。

 

 「キキキィ! キキキィ! 何者デェスか、テメェ様!?」

 

 敢えて目的は聞かない。

 目の前の黒いローブの男も所詮、いつもと変わらない。

 

 魂魄の花。

 大抵の奴は決まって、そいつを求めて深淵に訪れる。

 それが普通だし、それが当たり前だったからアタクシはそう思っただけ。

 

 なのに、冷たい眼差しをする黒いローブの男を見て、それが間違いだと気づいた。

 

 「これで死なないとは恐れ入った。流石、観測者の末端である。我が一撃を耐えうるとは中々にしぶとい」

 

 男は、怪物以上の上位種。

 人の身で在りながら、その領域を逸脱した超越者そのもの。

 

 そんな超越者(マジュツシ)が、こんな秘境まで遥々訪れた理由が思いつかない。

 

 銀のブロンドヘアーが風に靡く。

 虎視眈々とこちらを睨む碧眼がアタクシを怯ませて、こちらの質問には答えない。

 

 「何デェスか、何デェスか、何なんデェスか!? テメェ様は、アタクシをバカにしてんデェスか!!!?」

 

 その振る舞いに憤怒する。

 同時に得体のしれないそいつに、怪物の中の王である自分を格下と扱う厚顔に恐れを募らせた。

 

 弱気を罵声を浴びせることで、自らを鼓舞する。

 そうすることで、アタクシは目の前の人外に立ち向かう。

 

 「ククク。バカになどしないサ。これでもワタシはオマエを高く評価している。アア、そうダ。どこぞの紛い物と違い、まだその戦意を落としていないところが実に良い。──だが、ネ。アレだけハ。アレだけはいただけなかった」

 

 男の背後に現れる大きな虹の宝玉。

 それは、人類が到達しうる未踏の領域にして、魔導魔術が誇る叡智の結晶。

 万物共通の認識を、固定概念を破壊する力を悠然と振るう姿はまさに『魔導魔術王(グランド・マスター)』の名が相応しいと思った。

 

 ドクン。

 ある筈のない心臓が鼓動する。

 本来、醜悪な怪物として生まれたこの身には恐怖という感情は持ち合わせていない。

 

 しかし。

 目の前の男は、黒いローブの狂人はそんなあり得ない感情を自分に植え付けた。

 

 ドクン。

 ドクン。

 無慈悲に魔術師は手を下ろす。

 一瞬にして空気が重くなる。

 

 「──な、ナニを!?」

 

 驚愕する。

 男と自分にある明確な実力差を。

 狼狽する。

 今に振るわれようとする魔術が更なる高みへ上る状況に。

 

 そして、その宝石のように輝く碧眼がこちらをジッと見つめることに恐怖心を抱き、

 

 「決まっている。先刻、貴様がシドの黙示録にて『真世界帰閉ノ扉(パラレルポーター)』を閉ざしたことだ」

 

 虹色の宝玉が膨張し、弾ける。

 すると、あふれんばかりの光が広がっていく。

 

 「──っ!?」

 

 ──その光を前に、女郎蜘蛛(アトラク=ナクア)は懺悔も与えられず死を確信した。

 

 ◇

 

 部屋中に響き渡る女の嘲笑。

 それは、本当に愉しそうに剥き出しの悪意をオレたちに晒した。

 

 「イヒヒヒヒヒヒ!」

 

 部屋に現れた女郎蜘蛛、アトラク=ナクアが嗤いだす。

 それを合図に、下僕の蜘蛛たちがオレたちへ向かって一斉に糸を吐く。

 吐き出された糸は強靭で、触れれば生身の人間など一溜りもないのは誰の目から見ても明らかだった。

 

 「キッシャアアア!」

 

 爪が伸びる。

 奇声が唸る。

 血に飢えた蜘蛛たちが必死に肉を齧ろうと牙を剥く。

 

 「──光よ!」

 

 真弓さんが呪文を詠唱し、襲い来る蜘蛛たちに光の雨を降らせる。

 

 「キキキィイ!!!」

 

 無数の蜘蛛が光の雨に呑まれ、消滅していく。

 だが、降り注ぐ雨を掻い潜れた個体が一瞬の隙を突き、真弓さんへとその魔の手を伸ばす。

 

 ドクン。

 

 数秒後に光の雨を降らせる彼女に蜘蛛たちの毒牙が向かうのは、明白だ。

 

 ドクン。

 ドクン。

 

 脈動する魔導神経。

 分泌する脳内麻薬。

 

 下卑た笑みを浮かべるアトラク=ナクア。

 空想の起源を追い、駆け出す。

 

 「──っ」

 

 イメージする。

 『七瀬勇貴』が振るう最強の魔剣を。

 

 その権能(チカラ)を全身全霊で揮えば、目の前の邪悪へと届くだろうと想像する。

 

 「キキキィイ!!!」

 

 眩い黄色の肌に毒牙が向かう。

 そうはさせるかと想いを強くする。

 

 願いを形に。

 想いを剣にすれば、彼女を守るヒーローになれると思いこむ。

 

 ──ドク、ン。

 

 蜘蛛と真弓さんの間合いは二メートル。

 全力で駆け出して、彼女の前に立つことに間に合わせる。

 

 「────」

 

 空間が軋む。

 フラフラと足元がおぼつかず、よろめく。

 だけど、駆け出すことを止めず、前を見据える。

 否、ずっと前だけを見据えている。

 

 弱いオレをヒーローと呼んだ彼女。

 何もかもが敵だと言って、オレの前でしか笑えない少女。

 

 そんな少女が後ろにいる。

 今も尚、オレを守ろうと必死で戦っている。

 

 「──っ」

 

 ──そんな少女を守りたいが一心に、ありとあらゆる魔術を破戒する幻想殺しの魔剣を願った。

 

 「キッシャアアアア!!!」

 

 彼女の柔肌へと一秒も満たず、毒牙が迫る。

 

 呼吸が止まった。

 目を見開き続けた。

 脈動する心臓がこれ以上ないほど高鳴った。

 

 怪物との間合い数センチ、目と鼻の先。

 常識と非常識の境目に到達し、無謬の理が頭に浮かんだ。

 

 そうして──、

 

 「──ッラ、シャアアア!!!」

 

 この手に幻想を破戒する権能(チート)があると信じ、迫る蜘蛛たちへと渾身の一撃を解き放つ。

 

 「──!」

 

 ゴクリと息を吞む音。

 ピシリと何かがひび割れる音がして、真っ白になる視界。

 

 「キキキィイ!?」

 

 瞬く間もなく魔術破戒(タイプ・ソード)が空を斬り、牙を剥けた蜘蛛たちが一瞬で消滅する。

 

 「ハア、ハア」

 

 それは、空前絶後の奇跡だった。

 

 影絵たちにして見たら、いつもの光景でしかない。

 だが、七瀬勇貴にして見れば馴染み深くても、オレにとっては初めての現実化(リアルブート)

 

 「グゥ、ウウウ、──ガア!」

 

 バクバクと心臓が鼓動し、冷や汗が止まらず、全身の神経に激痛が伝ってしまい、分不相応な魔術の行使に身体が悲鳴を訴える。

 

 「■■さん」

 

 そんなオレの姿を、目を見開く真弓さん。

 オレ自身も驚きが隠せず、その場で倒れそうになる。

 

 「……何の冗談デェスか? オイ! ソレは一体、何の冗談だって聞いてるんデェスよ!?」

 

 余裕だった女郎蜘蛛が叫ぶ。

 自身を脅かす事象に、誰よりもあり得ないと嗤ったそいつが取り乱す姿はザマァなかった。

 



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012 狂気よ、眠れ


 取り合えず、一旦ここで投稿を止めます。



 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 雨が降る。

 

 天気に感情があるのなら、その雨は悲しいと言うんだろうか。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 兎に角、悲しい雨が降ってたんだ。

 

 「美しいモノを見たいんだ」

 

 青年が呟く。

 どこまでも澄んだ碧眼でアタシを見るのが好きだった。

 

 「だから、探しに行こうよ、■■(アマネ)

 

 彼の語る絵空事も好きだった。

 

 限られた時間を精一杯生きてる姿が、その時、その時を生きてるんだって感じが他人事なのに誇らしかった。

 

 そう。

 些細な幸せでも笑える青年(アイツ)にアタシは恋をしてたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、そんな彼と過ごす日々は長くは続かなかった。

 

 キキキと嗤う影絵たち。

 祭壇の前で踞うずくまるアイツ。

 それを見上げるアタシ。

 大好きだったアイツの顔は、生きることに絶望したような死に顔を晒してた。

 

 「■■、■■■■■■!」

 

 あの時、血塗れのアイツが何を思ってたのか知らない。

 でも、分かっていたからと言って、アタシが何をしてやれたかも解らない。

 

 ズブズブ、ズブズブ。

 ドクン。

 グシャグシャ、グチャリ!

 

 アイツが死んだ。

 アイツが死んだ。

 

 ダクダクと血を流して暗闇に殺された。

 痛みに悶えての溺死で、とても苦しそうだった。

 

 傷だらけで、ズタボロで、これじゃあどうしたって助からないのは分かった。

 

 どうしようもなかった/絶望的だった。

 喚くしか出来ない/殺してやりたいと思った。

 

 只、悲しくて/何で? どうして?

 

 「■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 泣いて。

 泣いて。

 

 彼の亡骸に寄り添うように泣き崩れた。

 

 そんなアタシを神父がキキキと嗤ってた。

 取り巻きの影絵たちもそれに倣って、弱者を甚振ってた。

 

 「……何だよ、それ」

 

 意味が分からなかった。

 けど、どうでも良いと思えて来た。

 だって、目が枯れてしまって、涙が出なくなってたから。

 

 ■■を殺した暗闇が人の手のようなモノを伸ばす。

 

 「何なんだよ、アンタ!」

 

 本当に。本当にどうして、アタシたちがこんな目に遭わなくてはならないのか解らない。

 

 「救われナイ、救われナイナァ。ケド、仕方ナイよネェ。必要経費ダト思ッテアキラメテ」

 

 何処かで聞いたような男の声で、暗闇がそう言いながらアタシの首をへし折った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以来、アタシは弱い者いじめが好きになった。

 そうすれば、アイツと同じにならないと自分に言い聞かせた。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 糸を手繰るように愚者が、神様になりたがる。

 この時、あの醜悪な暗闇にも劣る人間風情が何を言ってるんだと思った。

 

 アタシは狂ってる。

 アタシは壊れてる。

 

 発条がキキキと回って、舞台を掻き回す女郎蜘蛛を演じてる。

 

 「面白いですね、貴女」

 

 そんなアタシに救う手が伸ばされる/そこが地獄の始まりと知らずに見知らぬ女子生徒の手を取った。

 

 ◇

 

 握った魔術破戒(タイプ·ソード)によって蜘蛛たちが消え去る。

 同時に、女郎蜘蛛から余裕の笑みが無くなった。

 

 「何の冗談デェス? ……オイ! ソレは一体、何の冗談かって聞いてるんデェスよ!?」

 

 既に舐め切った態度でない女の声に、敵が慢心を捨てたことが察せれた。

 だから、フラフラする身体を無理して立ち上がらせることにした。

 

 ドクン。

 まだ心臓は鼓動を止めない。

 

 「ふ、ふざけんじゃねぇデェス!」

 

 ギリッと歯軋りし、胃から何かが込み上げるのもグッと堪えて我慢する。

 そして──、

 

 「やれるか、──真弓さん?」

 

 後ろにいる少女に、やれるかと問う。

 

 「……はい!」

 

 その返事に心が震えた。

 背中越しの信頼に心地よく、青と赤で装飾された魔術破戒(タイプ·ソード)が軽くなる。

 

 「舐めやがってぇ……」

 

 片腕を女が突き出す。

 周囲の空間が歪み、下僕の蜘蛛たちを呼び寄せる。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 影絵たちの不満げなヤジが聞こえる。

 それさえも無視して、女郎蜘蛛はオレたちへ向かってそいつをぶちまける。

 

 「──!」

 

 一目散にヤツの懐へと駆け出す。

 追うように光の雨が降り注いで、呼び出された蜘蛛たちから道を作った。

 

 「──ッチ!」

 

 アトラク=ナクアの抵抗は、光の雨がオレを導いたことで無意味となった。

 

 「今です、■■さん!」

 

 そのことに奴も気づかない訳がない。

 気づかない訳がないのに、それをしたのはきっと意味があることだと理解してるというのに。

 

 嗚呼、惜しい。

 それを考える時間が惜しく、思考するより速く、手にした得物で斬りつける。

 

 「これで、──貰った!」

 

 だから/ニヤリ。

 

 「なーん、チャって!」

 

 間抜けなオレは、敵の思惑に気付けなかったんだ。

 

 数秒。

 否、一秒。

 

 後数歩で、オレが間合いに入る寸前でそれは起きた。

 

 シュルルル!

 

 「──っ!」

 

 唐突に身体へと絡みつく細い糸たち。

 それは下僕たちに命じた下策の一つで、強者の驕り。

 

 オレの身動きが封じられ、一瞬のうちに形勢が逆転する。

 

 「■■さん!」

 

 真弓さんが心配する。

 けど、大丈夫。

 

 「……まだだ」

 

 ドクン。

 心臓はまだ止まらない。

 ドクン、ドクン。

 オレはまだ諦めていない。

 

 「実は読んでまシタってねぇえ!!!」

 

 ニタァ、と敵がこちらにやって来る。

 降り続ける光の雨を掻い潜って、瞬時に糸を纏った腕をオレの胸に突き刺そうとする。

 

 ──ドクン!

 

 時間が止まる感覚。

 コンマ数秒の世界。

 心臓が高鳴り、耳鳴りがして先ほど以上の激痛が身体中を駆け回っていく。

 

 「そいつは、──どうだろぉうな!!!」

 

 そうだ。

 テメェは忘れてる。

 七瀬勇貴(オレ)が扱える権能(チート)はそれだけじゃないことを忘れてやがる。

 

 ……だから。

 

 「ハァ!!?」

 

 点と点が繋がって、割れるような頭痛を呼び覚ます。

 一瞬で頭痛(ノイズ)によって女郎蜘蛛の間抜け面へと剣を構える未来(ビジョン)が見えた。

 

 ──その結果、オレを縛っていた糸が『無かった』ことになり消失する。

 

 「そんなバカな! 魔術破戒(タイプ·ソード)だけじゃなく、自己投影(タイプ·ヒーロー)まで覚醒したってか!?」

 

 コンマ数秒。

 虹色に輝く魔術破戒(タイプ·ソード)

 

 再び、真っ白になるオレの視界。

 

 「ま、待て。待てよ。──待ちやがれ、」

 

 女郎蜘蛛が一歩後ろへ下がるのを声で理解する。

 

 「──っつぅ」

 

 チョット、マテ。マダ、ソレヲタイジョウサセルノハ、ハヤスギル!

 

 頭の中の悪魔が止まれと囁く。

 まだ、そいつの退場は早すぎるとも抜かしてる。

 

 「……これ、でぇ」

 

 けど知るか。

 

 敷かれた伏線も。

 来るべき脅威の対策とか知ったこっちゃねぇ。

 

 ──そんなモンより、オレは大切なモノを守りてぇんだ。

 

 「終わりだぁあああ!!!」

 

 悪魔の声を無視して間合いへと踏み込む。今度こそ、あの舐め腐った女郎蜘蛛の懐へと必殺の一撃を振るう。

 

 「待てって言ってんデェスよぉおお!!!」

 

 他人をバカにすることしか出来なかった女の悲鳴。

 ザンと空を切るそれに、一人の外道は成す術もなく。

 

 「あ、ああ、あああ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 アトラク=ナクアは耳障りな断末魔を響かせ、黒い箱が嗤うように転がった。

 それは、弱者を虐げ続けてきた愚者にとって相応の末路と言えたんだ。

 



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013 ──また、ね

 さて、投稿再開します。


 

 ジジジ。

 

 存続不可避の零距離展開。

 螺螺螺、螺旋に悪魔が降臨されました。

 螺旋に悪魔が降臨されました。

 繰り返す。繰り返す。

 螺旋に悪魔が降臨されました。

 螺旋に悪魔が降臨されました。

 

 其れの目覚めの刻が来たのです。

 朝の陽ざしも、夜の兆しも無意味となるのが分かります。

 夕暮れの少女は、もう居ません。

 

 哀しきかな、哀しきかな。

 終末装置がやって来る。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 キキキ。

 悪魔目覚めた。悪魔目覚めた。

 遂に、その声という存在を愚者もミト、認メタメタ。

 キキキ/嬉しいな。

 キキキ/嬉しいナ。

 

 眠っていた我らの王が目覚めるぞ。

 そしたら、もっと楽しい世界に変わるんだ!

 キキキ/愉しいな。

 キキキ/愉しいナ!

 

 影絵たちは嬉しそうに、そう嗤うのです。

 

 ──プツン。

 

 そこでようやく、モニターの電源が落ちた。

 

 「──っは!?」

 

 ノイズ混じりであったが、確かに我々はそれを見た。

 否、観測してしまったと言える。

 全ての人間を狂わせる光景を目の当たりにした事実に、今、私は震えている。

 

 「ハア、ハア!」

 

 急がなくては。

 アレをこちらの世界に呼び寄せることだけは絶対に阻止しなくてはいけない。

 そんな義務感が私の中で芽生えるほど、あれは危険だった。

 

 「どちらに行かれるのですか?」

 

 立ち上がろうとした。

 本部に救援を求めようとした。

 そうしようとして、モニターから離れようとした時。

 

 ──背後から私を呼び止める見知らぬ少女の声がした。

 

 「──っひぃ!」

 

 震えた。

 怯えた。

 どうしようもない恐怖が私の心を掴んで離さない。

 

 「困ります。今、貴方たちに邪魔されたら『真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)』が閉じてしまうではありませんか」

 

 真っ黒な画面には何も映らない。

 私は何も見ていない。

 けれど、背後にいるのが聞いたこともない少女の声だと私はそれの存在を『認知』する。

 

 「──っあ、ぐぅ」

 

 息が出来ない。

 とても苦しい。

 

 ジジジ。

 あれ? ……可笑しい。

 私の思考なのに、私ではなくなっていく感じがする。

 少女の声を聞いた瞬間に私の思考が変調しているのが、酷く恐ろしい。

 いや、本当に何だ? ……これは、何なんだ!?

 

 「あ、──あ、ぐぅ、ううう」

 

 苦しい。死ぬ。死んでしまう。

 自分がまるで海の底にいるみたいに自由が利かない。

 

 ジジジ。

 甘受しなさい。受け入れなさい。果てのない迷宮に飛び込むのです。

 

 意識が。意識が保てない。

 身体の自由が利かず、勝手に宙へ浮かぶ。

 

 「……な、なぜ?」

 

 可笑しい。どうして? 何が起こってる? どうして? 私は夢を見てるのか? 嫌だ、死にたくない。助けて。誰カ、助けてくれ! 私はまだ、こんなところで死にたくないのだ! 家族がいる。家族がいる。愛すべき家族がいるのだ。女房も、先月生まれたばかりの可愛い愛娘が居るのに、こんな訳の分からない死に方で殺されるなんて冗談じゃない!

 

 ギチギチ。

 何処からか超常的な力が働いてるのか、私の首が絞められる。

 鶏を屠殺するように突然起きた『それ』は現実を侵したのだった。

 

 「では、おやすみなさい」

 

 ポキリ。

 嫌な音が響き渡る。

 ガタリ、と物が倒れる音もする。

 

 そうして、我々は一斉に息を引き取った。

 

 陸上自衛隊第七魔導魔術対策支部は、一夜にして壊滅へと至ったのだった。

 

 ◇

 

 「あ、ああ、あああ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 響き渡る女郎蜘蛛の断末魔。

 弾けるようにアトラク=ナクアから転がり落ちる黒い箱。

 

 キキキ。

 影絵の嗤う声がする。

 

 「────」

 

 いつもと変わらない処刑時間(ショータイム)を終え、散乱した部屋に静けさが訪れた。

 

 「────」

 

 女郎蜘蛛(アトラク=ナクア)

 天音によく似た、──いや、天音が辿る結末の一つ。

 あの少女もまた、ある意味ではこの夢の世界を作った黒幕の被害者なのかもしれない。

 

 ジジジ。

 思い出す。

 ■■■■がまだ七瀬勇貴になる前の四番目の残留思念(ヒロイン)だった。

 彼女と過ごした日々は抜けているが、それでも掛け替えのない宝物だったことは覚えてる。

 

 「■■さん」

 

 真弓さんが呼びかける。

 

 「……ああ」

 

 無駄な感傷だ。

 タダでさえオレは記憶が、意志があやふやになってる現状で今の状態が続くとも限らないし。

 背負わなくてもいいモノを背負おうとしているのは、分かってる。

 

 それでも、オレは。

 

 ────「そっか。そうだった。そんな人間だって解ってたから、こんなにも迷ったんだっけ」

 

 見ない振りで後悔はしたくないんだ/なら、前に向かわないと。

 

 「分かってる、──それに『記憶』、取り戻さなきゃいけないし、な」

 

 真弓さんの方へ振り返る。

 

 「……ええ」

 

 そこには、泣きそうで、それでいて何処か嬉しそうで、何故か分からないが苦しそうにしてる彼女がいた。

 

 ────「ボクを追いたければ噂を辿ると良い。その先にボクらは待ってるよ」

 

 「確か『午前零時の寮館ロビーにある大鏡で女子生徒に会う』って噂だったっけ?」

 

 「そうです」

 

 「──ってことは、深夜のその時間に行けば藤岡(アイツ)に会えるのかな?」

 

 「恐らく、そうだと思います」

 

 「そう、か」

 

 だろうな。

 アイツは、噂を辿ると良いと言った。

 

 なら、その先にどうあっても待ち構えていなければ筋が通らない/じゃあ、行かないと。

 

 「■■(ゆうき)さん」

 

 ノイズ混じりの声で、真弓さんが不安げにオレを見つめる。

 

 ……キキキ。

 

 「何?」

 

 それに出来るだけ優しく聞き返す。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 「……私。私、は。貴方に会えて──」

 

 彼女が何かを言おうとしている。

 彼女が何かを伝えようとしている。

 

 カチカチカチ。

 カチカチカチ。

 

 けれど、どうやらオレの意志は此処で途切れるみたいで。

 

 「大丈夫だ、()弓さん」

 

 また泣き出しそうな影絵(ショウジョ)に精一杯の強がりを言う。

 

 「──また、ね」

 

 抱きしめることもなく。

 希望を夢に。

 そう言って、別れの言葉を告げた。

 

 ◇

 

 夢を見た。

 いや、夢を見せつけられている。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 真っ暗闇に僕はいる。

 そう。真っ暗闇に囚われて、何も出来ない自分がいた。

 

 「────」

 

 悪魔の声は聞こえない。

 手を伸ばしても誰も助けない。

 

 でも、どうしてか。

 不思議と寂しさが湧かなかった。

 

 「なんで、だ」

 

 解らなかった。

 あんなに独りが嫌だったのに、そう願わなくなったのが不思議だった。

 そう。見上げても星の一つもない現実に何も思わなくなってたんだ。

 

 「……あはは。バカみたい」

 

 静かに自嘲する。

 

 ジジジ。

 

 空虚な物語。

 冷めた感情。

 空白の記憶。

 

 頭の中に幾つもの言葉が浮かんでは消えていく。

 酷いものだ。

 そうまでしても、僕には居場所なんかないのに。

 

 「そうか。そうだった」

 

 理解する。

 此処は、なーんにもない無意味な煉獄だってことを。

 只、理解しても尚、現実を受け止めることを心が許してくれない。

 

 「──見てた訳じゃ、ないんだ」

 

 少女の顔を思い出す。

 僕を見ていた顔を思い出す。

 いつだって、僕のことを見てくれていたと思い込んでも、その事実は拭えない。

 

 「僕を。僕を、見てくれた訳じゃないんだ」

 

 呟く言葉は闇に融けていく。

 頼りにしていた感情は磨り減って、脆くなってしまっている。

 

 これじゃあ、再起することは叶わないだろう。

 

 「夢だ。……きっとこれは、質の悪い夢なんだ」

 

 そう思わなくては、やっていけない。

 そう思わなくては、どうしようもない。

 

 でなければ、『七瀬勇貴』は何を縋って生きれば良いのか分からなくなる。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 影絵たちが僕を起こそうと躍起になる。

 それはつまり、再び僕を夢の世界へと誘おうとしているということだ。

 

 「……」

 

 宙を見つめる。

 どうすれば良いのか分からないまま、僕は自分の主導権を切り替える。

 

 「──本当、どうしろって言うのさ」

 

 呟く本音に誰も答えない。

 そうして、僕は夢を見るのだった。

 



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014 最悪の目覚め

 

 ぐるぐる。

 ぐるぐる。

 

 記憶がグチャグチャ。

 意志がグチャグチャ。

 僕が僕でなくなって、オレがオレでなくなった。

 

 ────「勇貴さんはそんな嫌われ者の私にとって、希望なんです」

 

 オレが/僕が。

 僕が/オレが。

 

 ────「……だから貴方の傍に居たいんです」

 

 かき回されて、新たな『七瀬勇貴』へとなっていく。

 

 頭が痛い。

 

 ────「……そこは、真弓って呼んで下さいよぉ」

 

 頭が痛い。

 

 ────「はい、勇貴さん!」

 

 「────」

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 ────「真っ赤ですね」

 

 頭が割れそうで、とても痛い。

 心が砕かれて、立ち上がれない。

 

 「────」

 

 暗闇が晴れる。

 意識が夢へと浮上する。

 そうして/そうして。

 

 ────「……私。私、は。貴方に会えて──」

 

 「──っ!」

 

 物語の主人公となって、新たな世界へと溺れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──っ」

 

 目を覚まし、真っ白な天井が僕を出迎える。

 背筋を伝う冷や汗が、心地良い筈の鳥のさえずりさえ空しい気分へと落としていく。

 

 「……さい、あく」

 

 目が覚めた。

 いや、覚めてしまった。

 自分がいらないモノで、誰も僕を愛してくれないんだと気づいてしまった。

 

 「ちく、しょう」

 

 僕は、一人ぼっちだ。

 それがどうしようもなく、辛い。

 辛くて、辛くて、どうしようもなかった。

 

 「なんで、だ」

 

 ベッドに寝そべりながら、ゴロゴロと今までのことを考える。

 何をすれば良いだとか、この世界が何なのかとか。僕に残された時間だとか。

 

 ────「……私。私、は。貴方に会えて──」

 

 でも、何を考えても、浮かぶのはあの時の頬を赤らめた真弓さんの顔だけだった。

 

 ブンブンと頭を振って、何もない空間を茫然と見つめても変わらない。

 自分が何者かを探してた頃と何一つ変わっていない。

 

 ──ボスン!

 

 「何が、ヒーローだ。何が理想の自分だよ」

 

 枕を叩きつける。

 理想の自分だとか言っていたのがバカバカしい。

 何も出来ない癖に。

 何も成長していない癖に。

 

 自分だけの異能に目覚めたぐらいで、僕は何を格好つけてんだ!

 

 「──っ」

 

 ガシャン!

 

 もう嫌だ。

 もう嫌だ。

 こんな惨めな自分、とてもじゃないが生きていけない。

 

 「──ぅううう」

 

 何が楽しくて、何が悲しくてこんな自分を好きになれるって言う?

 僕は、何の為に頑張ってたのか、分からなくなる。

 

 ガタン、ゴトン!

 何かが転がるのも、何かが壊れるのも気にせず滅茶苦茶に暴れる。

 

 そんな僕を誰も助けない。

 つまり、それは誰も僕を必要としないと言うことで、誰も僕を愛してなど──いないってことの証拠だった。

 

 「うううううううう」

 

 その事実に胸が痛んだ。

 その現実に目を合わせられなくなった。

 

 「────!」

 

 逃げ出したい。あの頃に戻りたい。今の自分じゃなく昔の自分がどうだったのか気になっていた頃に戻れるなら、僕は何だってする。ああ、どうしてこうなった。どうして僕はそうなった。初めから望まれてないって(るい)も言ってたのに、どうして僕は──!

 

 「ぁああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ────「えへへ」

 

 なのに、僕は何を期待してるんだ!

 

 ギィイ、──バタン!

 

 自暴自棄になった僕は無我夢中で暴れた。

 手あたり次第、物という物を叩き壊して現実を忘れようと必死になった。

 

 「勇貴さん!」

 

 誰かに手を握られる。

 振り返って見たら、よく知る影絵の少女(まゆみさん)がいた。

 

 「──っ!?」

 

 ジジジ。

 眩暈がする。

 見てはいけないモノを見てしまい、眩暈が起きたんだ。

 

 「何をやってるんですか? 今、何を──」

 

 いや、影絵ではなく真弓さんが僕の手を引っ張ってた。

 

 ジジジ。

 でも、僕が本当にして欲しいのはそういうことじゃなくて──。

 

 「うるさい!」

 

 手を振りほどく。

 何がやりたいのか分からなくなって、どうしようもない気持ちで怒鳴り散らす。

 

 「本当はどうだっていい癖に! 僕のことなんか見てもいない癖に!」

 

 「──っ」

 

 彼女の顔を見ようとしても、悔しさと虚しさが募ってよく見れない。

 それが苦しくて。

 

 「裏切ったんだ。裏切ったんだ! 僕の気持ちを裏切ったんだ!」

 

 言葉が止まらない。

 気持ちが抑えられない。

 

 「惨めだって思ってるんでしょ。お前なんかいらない、早く消えてアイツに戻って欲しいって思ってるんでしょう?」

 

 だから、彼女を責める事ばかりしか伝えれない。

 

 「そ、それは──」

 

 狼狽える少女は只、悲しげに僕を見つめる。

 

 でも、分かるんだ。分かっちゃうんだ。

 だってその顔は、生前の『僕』もよくしていた。

 

 「言えよ。言えって、言っちまえよ! お前なんかいらないって言っちまえば、良いだろ!」

 

 それが余計に虚しくなる。

 

 だって、だって。それはつまり──。

 

 「その顔が、もう言ってんだよ! お前なんか消えちまえって言ってるんだよぉおおお!!!」

 

 バン!

 部屋を勢いよく飛び出す。

 

 「ま、待って!」

 

 いや、違う。そうじゃない。

 逃げたんだ。

 呼び止めようとする少女から、僕は逃げ出したんだ。

 

 ◇

 

 ぐるぐる回って、ネズミが逃げる。

 キキキと笑って、猫はそれを追いかけた。

 

 今度こそ、紅蓮の少女(アトラク=ナクア)は死んだな。

 呆気ない幕切れにリアクションが取れなかったよ。

 ああ、そうだな。しかし本当、死に顔も無様で滑稽だったね。

 

 何処か遠いところにいる観客たちは嗤い合う。

 好き勝手に批評して、世界にゴミをまき散らす。

 

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 当然だと言わんばかりの悪意が気に入らない。

 

 「本当、救いがないにも程がある。──そうは思わないかい、フィリアちゃん」

 

 モニターから視線を外し、後ろにいる少女へ声をかける。

 そうすることで、気を紛らせたかった。

 そうしなければ、自分の中の『■■飛鳥』が抑えられそうになかった。

 

 ──でも。

 

 「いいえ。そうは思いません」

 

 七番目の少女は、藤岡飛鳥(ボク)を真っ直ぐに見る。

 

 「……へぇ。これでもまだ彼が、『七瀬勇貴』が立ち上がると思ってるんだ」

 

 知っている。

 その目は、どんな苦境も諦めない、明日を夢見て生きる人間の目だ。

 

 「はい。彼は、勇貴さんはこんなところで止まらない人ですから」

 

 「──っ」

 

 気に入らない。

 ボクは気に入らなかった。

 

 「────!」

 

 だって、その目は『六花傑()』がよくしていたから。

 

 「ああ、そうか。そうか、そうか。じゃあ仕方ない。此処でキミを懐柔するのは諦めることにしよう」

 

 ボクも壊れてる。

 既に残留思念(ヒロイン)ではなくなっており、何よりこの『記憶(■■■■)』だけを愛する上位幻想とボクは成り果てている。

 

 ジジジ。

 

 そうさ。そうでなくては、いけなかったし。

 何よりそうでなければ、あの時、大切なモノを守れなかった。

 

 ────「良かった。此処に君が来てくれて、本当に良かった」

 

 何もかもを捨てて、彼が守って欲しいと言った『記憶(■■■■)』をボクはずっと手放さない。

 

 ────「ありがとう」

 

 だから。

 だから!

 

 「そうですか」

 

 フィリアは何でもなさそうにボクの言葉を受け入れる。

 どうでもいいもののように、自分の状況を受け入れている。

 

 それが。

 

 「うん、そうだ。それが良い。それが良いに決まっテル。何ヨリ、コノ世界ノ事ハボクが一番理解シテルンダカラ」

 

 ──それが心底、憎たらしかった。

 

 「──っ! アハハ、アハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 堪らない。

 堪らない。

 所詮、ボクらは人形だ。

 この意志も誰かの慰み物でしかない。

 

 同じ意志を持とうと人間と幻想の深い溝が埋まらない。

 そうして、ボクは壊れていく。

 壊れて狂わなければ、現状を認識できない。

 

 嗚呼。心が、感情が、魂がない交ぜになって可笑しくなるのを止められない。

 

 「……さようなら、絶対なる知識を司る魔術師さん」

 

 キィイ、バタン。

 固い扉が開く音と共に少女は何もない部屋から出る。

 

 「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 ボクはそれを笑って見送った。

 



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015 夢みたいな話

 

 偽りの記憶と誰かの思惑で造られた意思によって、僕は形成されている。

 そんな自分には、現実から目を剃らす弱い心しかなかった。

 

 「ハア、ハア!」

 

 一心不乱に寮の廊下を駆け回る。

 何を考えるよりも、誰もいない遠いところに逃げ出したかった。

 

 だけど。

 

 ────「知らないですよぉ、勇貴さんのバカ!」

 

 ぐるぐる。

 ぐるぐる。

 

 ────「でも、許します。許しちゃいます。その代わりなんですが、私のこと、下の名前で呼んで下さい」

 

 誰かにそうされてるみたいで、真弓さんの声が頭の中に木霊する。

 

 「ハア、ハア!」

 

 気持ち悪かった。

 声が響く度に、頭がズキリと痛んだ。

 

 「う、ぅううう」

 

 すると、どうしようもない虚無感で胸が苦しくなっていく。

 

 「──っ!」

 

 ふらふら、と倒れかけの体が何かに寄りかかる。

 

 一人だ。

 現実だろうと、夢の中だろうと僕は何も変わらない。

 

 ────「──また、ね」

 

 黒い髪の自分。

 弱くて、弱くて逃げるように死んだ人間。

 でも、その記憶も本当かどうか分からなくて胸の奥が疼いた。

 

 ────「お久しぶりです、勇貴さん」

 

 「……ぅる、さい!」

 

 思いっ切り拳を地面に叩きつける。

 

 「うるさい、うるさいうるさいうるさい、──うるさぁあああい!!!」

 

 頭が割れるように痛みだす。

 何をするのも、何を考えようとも彼女の声が離れない。

 

 「──っが、ぐぅ!」

 

 それが嫌だった。

 それが気持ち悪かった。

 

 「関係ない。……真弓さんは関係ない! 僕は僕だ!」

 

 ────「──です、ね」

 

 希望だと言ってくれたことが嬉しかった。

 何も出来ない自分を支えてくれたことにも涙した。

 

 彼女の微笑む顔が。

 頑なに前へ進むことを諦めない、あの目が美しいと感じられたんだ。

 

 「でも、それは──」

 

 そう。それは、僕に向けられたものじゃなかった。

 『七瀬勇貴』を通して、存在を奪われた『 ()』に対して向けられたものだった。

 

 「僕じゃ、──ないんだ」

 

 同じ言葉を何度も繰り返すと、死にたくなるぐらい惨めになっていく。

 ああ。こんなことなら、自分の意志で何かしようなんて思わなきゃ良かった。

 

 「あ、ああ、ああああああああああああああああああああ!!!」

 

 涙を流しながら、また拳を地面に叩きつけようとした時。

 

 「勇貴さん!」

 

 「──っ!」

 

 振り上げた拳を誰かが掴んだ。

 

 「は、離せ。離せ、よ!」

 

 それを振りほどこうとするも、

 

 「駄目です! そんなことしたら、駄目なんです。……ほ、ほら! 手が、手が駄目になっちゃいます!」

 

 逆に引き寄せられて、誰かが僕を強く抱きしめたんだ。

 

 「だから、ね。これで手が動かなくなっちゃったら、私、とても悲しいです」

 

 耳元で囁かれる()()の声を聞いてると、何故か安心した。

 

 「──っ」

 

 でも。

 

 「う、ぅううう──っぐす」

 

 涙が止まらない。

 嗚咽が止まらない。

 悔しさが収まらない。

 

 なのに、──僕には何もない。

 

 「勇貴さん」

 

 少女が誰なのか思い出せない。

 顔を見ようとも後ろから抱きしめられて、とてもじゃないけど見れなかった。

 

 「そのままで良いから、聞いてください」

 

 少女が落ち着かせようと、優しく語り掛ける。

 でも、都合よく少女の名前が思い出せない現状に、再び空しさが押し寄せた。

 

 「なん、だ、よぉ」

 

 震えが止まらない。

 苦しさに耐えられそうにない。

 

 そんな僕に──。

 

 「勇貴さんは、スゴい人です」

 

 名も知らない少女は、強く抱きしめたんだ。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 「──な、に?」

 

 「ですから、スゴい人なんです。それから、強くて、優しくて、誰かが傷ついてたらそっと手を差し伸べれるヒーローみたいな人なんです」

 

 頭が痛い。

 まるで誰かが聞くなと言ってるみたいで、ズキズキと痛みを訴える。

 

 「だから、何もないなんて言って諦めないでください」

 

 それでも、そんな僕に言い聞かせてくれる少女が居る。

 いや、そもそも何もない筈の、──空っぽな僕をどうして彼女は励ましてるんだ?

 

 「どうしても何も、私はこんなところで諦めて欲しくないんです。スゴくて、強くて、格好良くて、優しい貴方が前を向けなくなるのが嫌なんです。──だって、諦めなかった。どんな絶望的な状況でも、多くの人に手を差し伸べてきたのを私は知っているんです」

 

 何を言っているんだ?

 よく知りもしない癖に、ベラベラと都合の良いことばかり言いやがって僕の何が分かるのさ。

 

 「分かります。分かるんです。だって、私は貴方のヒロインなんですから」

 

 「……ヒロ、イン?」

 

 ────「もう覚えてないだろうが、この体の持ち主もかつてキミに恋する残留思念(ヒロイン)の一人だった」

 

 不意に藤岡の言葉が頭に過る。

 

 「──っ」

 

 じゃあ。じゃあ、後ろにいる君が僕だけの彼女ってこと?

 いや、そもそも。この僕だけの彼女って認識は何処から来るものなんだ?

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 頭が悲鳴を上げて、考えることを止めろと訴える。

 

 「あ、ああ、ぁああああああああ!」

 

 喉から声が張り裂けそうだった。

 目の前の世界が崩れてしまいそうで、意識が飛びそうだった。

 

 痛い。

 とにかく、頭が割れるようで痛かった。

 

 「大丈夫。大丈夫です、勇貴さん」

 

 でも。

 

 「貴方は立ち上がれる人。貴方だけは、私たちと違う魂を持った人間。もっと先へ。この世界より遠くの現実に行ける人なんです」

 

 そんな僕を少女は離さない。

 

 「……わかんない。分かんないよ。いつも立ち上がれたのは、なし崩しに出来ただけで。僕は君が言うほど強くないんだ」

 

 項垂れようにも。

 崩れ落ちそうになる体を支える力がそれを許さない。

 

 それが、分からない。

 ヒロインだから、こんな弱いヤツを見捨てないのはどう考えたって可笑しい。

 

 「可笑しい、ですか?」

 

 「うん。……可笑し、いよ」

 

 僕を支える少女の疑問に、すかさず答える。

 

 「じゃあ、逆に聞きますけど。私は、どうしたら良いんですか?」

 

 するり、と。

 途端に抱きしめる力が弱まって、背中越しに少女のすすり泣く声が聞こえ始める。

 

 「どうしたら良いって、そんなの──」

 

 振り返る。

 そんなもの知るかと文句を言おうとした。

 

 けど。

 

 「──っ!」

 

 振り返った先に思いもしない光景が広がっており、思わず絶句してしまう。

 

 ジジジ。

 だって、振り返った先の少女が、影絵たちに全身を蝕まれてるなんて思いもしなかったから。

 

 「何が、起こってるの?」

 

 いやその前に、どうして目の前の少女は痛がってないんだ?

 全身が食い物にされてるというのに、まさか痛くないのか?

 

 「痛いですよ。……痛いに、決まってます」

 

 そんなことを考えていると、少女は苦しそうに言う。

 

 「でも、それよりも大事なことがあるから我慢してるんです」

 

 何をそんなに必死なのか、分からない。

 何でそんなに頑張れるのか、分からない。

 

 そもそも、どうして僕に構う必要がある?

 

 「ずっと見てたんです。考えることもロクに出来ないのに、必死で自分の意思で生きようとする貴方を。私じゃない誰かの為に、苦しみながらも立ち向かっていく姿を私は見続けたんです」

 

 少女の透き通る翠眼に僕がいる。

 その目に見える堅い決意が、半端な自分には眩しいものだと分かってしまう。

 

 「勇貴さん。空って見たことありますか?」

 

 「そ、ら?」

 

 「はい、そうです。雨が降ったり、ポカポカな日差しの太陽が出る空のことです。何でも、本当の空には雪というものが降るんだそうです」

 

 ……知っている。

 『 ()』の記憶だと、雪が降る季節のことを冬と呼ぶんだそうだ。

 

 「そうみたいです。その冬に降る雪ってやつは途轍もなく冷たいと聞きました。──でも、そんな雪を見たことがないんです、私」

 

 ……。

 

 「雪が降り積もった景色は、それは本当に幻想的で美しいらしく。そんな光景を貴方と一緒に見れたら、どんなに幸せだろうと思うんです」

 

 「──え?」

 

 僕と一緒に?

 

 「それでですねぇ。雪が降る中で、『まち』と言う場所で『いるみねーしょん』とやらを眺めながら、私たちはデートするんです。……あ、そうです! デートと言えば、お洒落な『かふぇ』で互いに食べてるパフェをつつき合うとかもやってみたいです。──ええ。此処では出来なかったことを沢山するんです」

 

 それは。

 それは、夢みたいな話だ。

 

 「はい。きっと楽しくて、胸がドキドキするような、──そんな夢みたいな話です」

 

 想像する。

 現実の、外の世界で僕ら二人が楽しく過ごす光景を。

 

 それは、楽しそうだ。

 うん。叶えられるのなら、一緒に叶えてみたいと思えた。

 

 「でも、それはこの世界に居たままだと叶えられないんです」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 影絵たちが嗤いながら、今も尚、夢を語る少女を蝕み続けていく。

 

 「この世界は、ウルタールの猫たちの脳内に巣くう影絵という生命体によって構成されてるんだそうです」

 

 眩暈がする。

 頭が割れそうになって、少女の言葉を誰かが遠ざけようとした。

 

 「その影絵たちに構成された人間──、つまり幻想と呼ばれるのが私たちです。幻想が外の世界へ行くには、先ず肉体という器を用意しないと駄目なんだと聞きました」

 

 それは。

 

 ────「ボクにはキミを蹴落としてでも叶えたい願いがある!」

 

 (るい)があの夜に言っていた願いなんじゃないか/そうだと思うぜ。

 

 「ええ。所詮、私たちは泡沫の夢。夢の中でしか生きられない、脆く儚い存在。きっと声を出しても、現実には届かないんでしょう」

 

 ジジジ。

 

 「──っつぅ」

 

 目の前にノイズの傷が見え出す始末で。

 

 「きっと次に会う私は、今の私でない私。私の残留データを使って構成された上位幻想に過ぎません」

 

 影絵たちに蝕まれてる少女の顔は、もう真っ黒でよく見えない。

 

 「ですが。それでも、私は託すのです」

 

 それでも、彼女は手を伸ばす。

 

 「どうか受け取って下さい」

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 真っ黒な手を取る。

 そうして──。

 

 「私たちの願い、──いや、(フィリア)の夢を」

 

 少女(フィリア)は別れの言葉を告げ、塵となって消えたんだ。

 

 「ま、待って!」

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 グニャリと視界が歪む。

 影絵たちがこれ見よがしに、今起こった現実を無かったことに改竄する。

 

 「──待って、くれよぉ」

 

 崩れ落ちるように、その場に膝をつく。

 すると、フィリアが語った夢が頭の中から段々と消えていく。

 

 「がっ、ぐぅ、ううう」

 

 でも、忘れてなんかやるもんか。

 フィリアが僕に託した夢は、こんなことで揺らぐものじゃないんだ。

 

 「う、ぅううう!!!」

 

 その証拠に、掴んだ手はずっと何かを握ったまま動かなかった。

 

 ◇

 

 「あれ? 僕、何してたんだ?」

 

 見慣れた天井が出迎えず、けれど見知った学生寮の廊下で僕は目を覚ました。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 思い出そうにも、記憶にモヤが霞んでしまって呆然と宙を見つめることしか出来なかった。

 

 けれど。

 

 「何、これ?」

 

 握った拳を開けると、そこには見覚えのない鍵があった。

 

 ジジジ。

 

 「──あ」

 

 そう。そこには彼女(フィリア)の温もりが残った銀の鍵があったんだ。

 



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016 覚悟

 

 真っ暗闇に君はいる。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 真っ暗闇に僕はいる。

 

 ジジジ。

 

 全てが嘘へと書き換えられるのに、■■は幾度も夢の世界へ旅立つ。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 みんな、笑ってる。

 在りもしない夢物語を願う君を。

 

 手にした鍵は、銀の鍵。

 それはドリームランドへ誘う門の鍵にして、影絵たちが恐れる第三の魔道具(アーティファクト)だった。

 

 泡沫の夢は終わりを願う。

 無謬の理は死を綴る。

 

 「さあ、ニューゲーム開始(スタート)だ」

 

 幸福な未来を目指そうと、僕は世界をやり直す。

 そう、彼女が語る夢を叶える為に──。

 

 ◇

 

 手に握られた銀の鍵を見て、思い出す。

 さっきまで、自暴自棄になっていた僕をフィリアが救ってくれたことを。

 

 「────」

 

 そして、その所為で彼女が影絵たちに蝕まれ、この『夢』から消えたことも。

 

 「──っ」

 

 涙が出るのをグッと堪える。

 駄目だ。

 今はまだ、涙を流す時じゃない。

 泣いていいのは、全てが終わってからだ。

 

 「そうだよ。……先ず、『記憶』ってヤツを取り戻さなきゃ」

 

 そいつを取り戻さないことには、また過負荷(オーバーロード)を起こして倒れてしまう。

 終わりだ。

そうなってしまったら、今度こそフィリアがくれた機会(チャンス)を無駄になってしまう。

 

 「まだ部屋に居るかなぁ、真弓さん」

 

 憂鬱だ。

 だけど、フィリアの夢を叶える為にはやらなくちゃいけない。

 そう思って、部屋へと戻ろうとした時──。

 

 ピシリ!

 

 「──っな!?」

 

 寮の壁、──というより見える全てのものに亀裂のようなものが走る。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 そして、僕を取り囲もうと何処からともなく影絵がワラワラと集まっていく。

 

 「早すぎないか、これー!」

 

 集まっていく影絵の一つが僕を蝕もうと手を伸ばす。

 

 「や、やばい!」

 

 魔術破戒(タイプ・ソード)じゃない、この場合は幻影疾風(タイプ・ファントム)の方が疾い。

 

 ドクン。

 心臓が高鳴るとコンマの世界へと意識が誘われる。

 

 「──っつぅ」

 

 一手先が読めるみたいに錯覚し、迫る影絵たちの魔の手を避けていく。

 

 「っらぁあああ!!!」

 

 真弓さんと会って、寮館ロビーの鏡前に行かないといけない。

 きっとフィリアもそれを望んで、この銀の鍵を僕に託したんだ。

 

 ダカラ、ハヤクシナイト。

 

 「あ、アレ?」

 

 全身に力が抜け、その場に膝をついてしまう。

 

 「嘘、──デショ?」

 

 意識が朦朧し、立てない。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 影絵たちが嗤いながら、動けない僕にのっそりと覆いかぶさる。

 

 「ヤ、止メテクレ!」

 

 身体が動けない。

 ノイズが頭の中を駆け回る。

 一刻も許さない、絶望的な状況。

 

 「──止メロォオオオ!!!」

 

 影絵たちに体が浸食される中、必死で叫んだ。

 それは、もう必死になって叫んだんだ。

 

 だからなのか。

 

 「ハァアアア!!!」

 

 影絵たちを一掃する、虹の極光が届いた。

 

 「ゴメン遊ばせ!」

 

 タン! タン!

 

 虹の極光に続いて、あらゆるモノを打ち貫く魔弾も炸裂した。

 

 キキキィ!

 キキキィイ!

 

 僕を覆っていた影絵たちが退いていく。

 それは、奇跡だった。

 

 「おい、勇貴! 大丈夫か!?」

 

 幻想の焔がノイズを取り除こうと優しく包み込む。

 

 「火、トリ? ソレニ、シェリア会長とシスカ、マデ?」

 

 「ああ、そうだ。此処まで、よく頑張ったな」

 

 火鳥が僕を起こす。

 何故か知らないが、先ほどまで立つことも儘ならなかった体に力が戻っていく気がした。

 

 「これは、貸しだぜ」

 

 火鳥が僕の方に手をかざすと、影絵たちの嘲笑が聞こえなくなっていく。

 

 「──っ」

 

 火鳥が何かしたのか、それとも予期せぬエラーが起きたのか。

 否、その両方だろうか。

 

 カツン。

 

 「おいおい。こいつは、愉快なことになってるなぁ」

 

 影絵たちが退いたかと思いきや、廊下の向こうから男の声が聞こえてきた。

 

 「哀れな虫けら共がみみっちいことしてると思ったら、随分と面倒なことが起きてるではないか」

 

 中途半端に芝居掛かった台詞回し。

 不穏な気配が、不規則な足音(リズム)を奏でる。

 

 「全くもって精が出るじゃないか。──まあ、その無駄な足掻きも此処で終わりなんだがね」

 

 それは、一言で例えるなら『邪悪』そのもの。

 下卑た妄執、浅ましき自己愛の塊。

 悪という概念に形を与えた存在が、真っ直ぐこちらに歩いてくる。

 

 「────」

 

 神を目指した愚か者が、ポリポリとくすんだ金髪を掻きながら──。

 

 「喜べ、ゴミ共! この我、ウェイトリ―=ウェスト様が直々にお掃除してやろう!」

 

 大きく手を広げ、僕らに向かってそう告げた。

 

 「ウェイトリー=ウェスト?」

 

 突如現れた第三者は、悪意に満ちた笑みを浮かべながらブンと腕を振るう。

 すると、何処からともなく異形の怪物が褐色の男の背後に現れる。

 

 「ギギギ、ギギギィイ」

 「シッ、シャアアア!」

 「プシュウウウ! プシュウウウ!」

 

 狼のような顔だった。

 天使を思わせる翼も生やしていた。

 ギョロっとした目玉が幾つも飛び出した、無数の緑の触手に全身が覆われた何かであった。

 

 「シュルルル! シュルルル!」

 

 百獣の王を連想させる前足が振るわれる。

 無数の蛇の頭を持つ尻尾が威嚇する。

 

 寮館の廊下に現れた怪物は、二メートルを超える体格を保ちながら創造主(ウェイトリ―)の命令を待っていた。

 

 どうやら、悠長な時間はないと見て間違いない。

 

 「奴は抑えておく」

 

 ガシャン。

 シスカが剣を構える。

 

 「お急ぎくださいまし」

 

 シェリア会長が先を促す。

 指を向けた先に狭い通路が目についた。

 

 「そう、だね」

 

 意識を先に向ける。

 随分と奥の方に来たのか、僕の部屋まで走っても三分は掛かりそうだ。

 

 「勇貴、くれぐれも権能(チート)は使うんじゃねぇぞ。只でさえお前の体は限界なんだ。これ以上の酷使はさっきの二の舞だからな!」

 

 火鳥が僕に忠告する。

 

 「──分かったよ」

 

 ……どうやら、部屋までは徒歩で向かうことになりそうだ。

 

 「みんな、ありがとう!」

 

 そうして、全速疾走で部屋へと向かう。

 

 「──ッハ! お前らのようなゴミ共が神であるこの我に歯向かうとどうなるか教えてやろう!」

 

 耳障りな男の叫びが木霊する。

 

 「ウ、ウウウ、ウウウウウ、ヴォオオオオン!!!」

 

 それを合図に、異形の怪物が暴風となったのだ。

 



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017 ブレブレな過程

 

 カタカタカタ。

 幾つものモニターが支配する部屋で、キーボードに打ち込む音が響いている。

 

 ジジジ。

 否、二人の少女がその部屋で何かをしていた。

 一人は、黒髪の少女はモニターへ向かってテキストを打ち込んでて。

 

 「これで、良かったんですかね」

 

 もう一人の少女、栗色の髪の少女はその後ろで立ってぼやいてる。

 すると、只管にテキストを打ち込んでいた黒髪の少女が言葉を返した。

 

 「良かったさ。良かったんだよ、真弓」

 

 カタカタカタ。

 カタカタカタ。

 

 機械的に文字を打ち込む少女の姿は、今にも消えかけだった。

 所々にノイズが入って、活動限界を迎えようとしているのは明らかだ。

 

 それを我慢しても尚、叶えたい願いがあるのだとその背中が雄弁に語っていた。

 

 「ですが──」

 「……どうやら、キミは何か勘違いをしているね」

 

 『名城真弓』と呼ばれた影絵の少女は、不安げに黒髪の少女を見つめてる。

 黒髪の少女は、テキストを打ちながら彼女の不安を吹き飛ばそうと言葉を重ねた。

 

 「確かにボクらの戦いはキミによって台無しにされた。六花は暗闇に呑まれ、その存在を改竄されてしまった。──けど、ね。キミが関与しようがなかろうが、遅かれ早かれそうなった事実は変わらなかったよ」

 

 カタカタカタ。

 カタカタカタ。

 

 テキストが打ち込まれていく。

 それが希望となるかどうかは分からないが、必死で打ち込む少女の顔は真剣そのものだ。

 

 「……良し、これで完成。うん。流石、ボク。良い具合にジャミング出来てる。これなら、見えたところで『囁き屋(あの女)』もそうそう手が出せないね」

 

 画面に見える文字列が何を指すのか、真弓には理解出来ない。

 だが、その文字列を良さげに見つめる少女の言葉を彼女は信じるしかなかった。

 

 「良いかい、真弓。ボクら、残留思念(ヒロイン)はね。きっと、彼に寄り添うだけの慰み物だけじゃないんだ」

 

 キィっと椅子が傾く。

 黒髪の少女は、優し気に真弓を見つめていた。

 

 「実際、それだけならこの感情は不要でしかない。それは、このシステムを作り上げた創造主、『魔導魔術王(グランド・マスター)』は絶対に取り除かなければならないバグに他ならないんだ」

 

 ジジジ。

 ノイズが走る。

 少女の身体にクラッキングの傷が広がっていく。

 

 「そうさ。知恵だけでは、この地球は人類を赦しはしなかった。感情という概念を持ち合わせていたからこそ、人類は地球という惑星の意志と共存することを可能にした。この世界は、そんな幾つもの感情によって複雑に絡み合って生存を赦されてきたんだ」

 

 「────」

 

 よく分からない理論を振りかざす少女は、真っ黒になっていく。

 それを只、真弓は眺めていることしか出来なかった。

 

 「そんな世界に赦されない大罪を犯そうとする人間がいる。奇跡を可能にしようと藻掻く愚者がいる。その願いは、きっと誰も救わないのに叶えようと足掻く姿をボクたちは理解させられて来た」

 

 腕が、脚が影絵たちに蝕まれていく。

 そんな現状を何でも無さそうに振舞う誰かは、辛いだろうに立ち上がった。

 

 「時間だ、真弓。そろそろ行かないと、彼の座標が見えなくなってしまうよ」

 

 夢を託すように、黒髪の少女は微笑む。

 

 「ごめんなさい、飛鳥さん」

 

 その微笑みに真弓は俯きながらも、少女の言葉に否定もしない。

 

 「……それより頼んだよ、真弓。もう一度、彼に果てのない空を見せてあげて」

 

 カチカチカチ。

 黒髪の少女、──尾張飛鳥はそう言って旅立つ少女を見送った。

 

 これは、只の記録(ログ)

 誰の記憶にも残らない、少女たちの足掻きである。

 

 ◇

 

 「ウ、ウウウ、ウウウウウ、ヴォオオオオン!!!」

 

 耳をつんざく咆哮を上げる、獣の(アギト)

 だらしなく唾を垂らす怪物は、存分にその巨体を駆使して部屋に向かう勇貴へ襲い掛かった。

 

 「させるかよ!」

 

 右腕を構え、自身に備えられた固有能力(アビリティ)を発動する。

 すると、落書き染みた怪物が炎に包まれる。

 

 「ギギギ、ッシ、シシシャア!!!」

 

 だが、怪物は止まらない。

 寧ろそのまま獅子の腕を振るおうと、焔に衰えることなく進み続ける。

 

 「必殺の魔弾、受けて下さります?」

 

 タン、と乾いた銃声。

 同時にブン、と振るわれる虹の極光。

 

 どちらも当たれば、必殺の一撃。

 

 「──ッチ! 鬱陶しい!」

 

 だが。

 そんな一撃を前にしても、ウェイトリー=ウェストは止まらない。

 鬱陶しそうに蚊を払う仕草をする。

 

 ──瞬間。

 

 「な、何ですと!?」

 

 シェリアが驚愕する。

 それもその筈、そのワンアクションで放たれた魔弾が掻き消されたのだ。

 

 「ヴォオオオオン!!!」

 

 そして、放たれた極光を咆哮で掻き消す怪物。

 衝撃でグラグラと揺れる寮館。

 

 禍々しいオーラを見せつけるそれは、涎を垂らしてオレたちをニタニタとあざ笑う。

 

 「──っ」

 

 確かに必殺の一撃を防がれたのは絶望的だと言えよう。

 けれど、シスカの一撃で怪物の意識を逸らせたのだから御の字と言うもの。

 

 「まだだ!」

 

 身体に全神経を集中させる。

 

 ゴウッ!

 全てを焼き尽くす業火をウェイトリーへと顕現させる。

 

 「バカの一つ覚えだな」

 

 ウェイトリーがオレを見る。

 怪物の制御もロクにせず、部屋へと向かう勇貴からオレたちに意識を向けてくれた。

 

 良かった。

 相変わらず見透かしたような慢心がウェイトリーに残っていることに感謝した。

 

 「まだ始まったばかりだぞ、ゴミ共!」

 

 ウェイトリー=ウェストが叫ぶ。

 白衣を靡かせ、腕を突き出す仕草を取った。

 

 ドクン!

 

 「「「──っ!?」」」

 

 空気が変わった。

 

 「さあ、喰らい尽くせ!」

 

 背筋が凍る。

 怖気が走る。

 自分が、火鳥真一は蛇に睨まれた蛙となった。

 

 「──っヤベェ!」

 

 自分の中の第六感を信じ、ウェイトリーの視界から逃げるよう半身を捻じったが──。

 

 ジャリリリ!

 

 無骨な鉄杭が伸び、数多の鎖が空間を軋ませる。

 

 ガブッ! ガブッ!

 

 そして、世界が不可視の怪物に食われていく。

 

 「ククク! 長靴を履いた猿には理解しようのない話だった。盲目な住人には見えない現実だった。出鱈目な構想には、在りもしない知能だった──」

 

 ウェイトリー=ウェストが謳う。

 神を目指した愚か者が、現実(ユメ)を侵食する。

 

 「さあ、我を崇めよ。『混沌世界暴食(リアル・ワールド・グラトニア)!!!』

 

 白衣が靡く。

 くすんだ金髪が風に浚われる。

 

 それだけで終わった。

 それだけで、ウェイトリー=ウェストがこの現実(ユメ)を支配した。

 

 「──っぐぅ!」

 「キャアアア!」

 「グゥアアア!」

 

 オレたちの意識が堕ちていく。

 この現実(ユメ)から強制退場させる離れ業は、暴食の権能(タイプ・パイル)によって果たされる。

 

 そう。この鉄杭(チート)からは逃げられない。

 あれこそ、現実を改竄することに特化した魔導魔術。

 

 「ククク、アーッハハハ! 理解したか、ゴミ共! 神である我に逆らうことの愚かさをなぁ!!!」

 

 最悪最強の承認欲求の魔術師、『人形男』は夢から退場するオレたちに向かって叫んだ。

 

 ◇

 

 カチカチカチ。

 

 打ち込まれていく無数のテキスト。

 アンバランスに調整されるデータが嚙みあって、舞台を築く。

 

 「──またか」

 

 何度も見た光景。

 ブレブレな過程から紡がれる偶然が、約束された結果へ愚者を誘う。

 

 「ああ、つまらない」

 

 神様は退屈そうに、呟いた。

 

 「本当に、つまらない世界だ」

 

 全てが無駄と分かったら、■■■■はまたやり直す。

 そうあることを、『外なる神』は知っている。

 そうでなければ、神父はこの世界が始まらなかったと嘆いている。

 

 「やはり、もう一度『真世界帰閉ノ扉(パラレルポーター)』を開かねばなるまい」

 

 画面越しの愚か者を見つめて、ナイアルラトホテップは次の工程を急ぐのだった。

 



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018 ブレブレな僕は決めたんだ

 

 全力で走る。

 

 ────「勇貴さん。空って見たことありますか?」

 

 「ハア、ハア!」

 

 ────「はい、そうです。雨が降ったり、ポカポカな日差しの太陽が出る空のことです。何でも、本当の空には雪というものが降るんだそうです」

 

 グラグラと揺れる寮館を駆け抜けていく。

 

 「──っ!」

 

 フラフラと覚束ない足取り。

 身体はとうに限界だってのに、まだ先を目指そうとしている。

 

 ────「そうみたいです。その冬に降る雪ってやつは途轍もなく冷たいと聞きました。──でも、そんな雪を見たことがないんです、私」

 

 やることがブレブレで、未だ何をしたいのか分からない自分の背を押す火鳥たち。

 

 ────「雪が降り積もった景色は、それは本当に幻想的で美しいらしく。そんな光景を貴方と一緒に見れたら、どんなに幸せだろうと思うんです」

 

 でも。

 

 ────「ええ。此処では出来なかったことを沢山するんです」

 

 フィリアはそんな駄目な僕を見ててくれた。

 弱くて、情けない自分でも誰かの為に立ち上がれる人だって言ってくれた。

 

 ────「はい。きっと楽しくて、胸がドキドキするような、──そんな夢みたいな話です」

 

 そんなことを言ってくれた彼女が必死で僕に夢を託したんだ。

 

 ────「でも、それはこの世界に居たままだと叶えられないんです」

 

 なら。

 

 「まだ、居てくれよぉ──」

 

 疲れた程度で、どうして諦めることが出来るんだ。

 

 ────「きっと次に会う私は、今の私でない私。私の残留データを使って構成された上位幻想に過ぎません」

 

 ドアを開ける。

 

 ────「ですが。それでも、私は託すのです。どうか受け取って下さい。私たちの願い、──いや、(フィリア)の夢を」

 

 「良かった。居てくれたんだ、真弓さん」

 

 「────」

 

 そこには、何とも言えない表情の真弓さんが居た。

 

 「どう、して?」

 

 何故、戻ってきたかを聞きたそうにしてる。

 さっきまで自暴自棄になっていたのに、どうして私を探したのか分からないって顔に書いてあった。

 

 「そこまで、分かってて──」

 

 「夢を! 託されたんだ!」

 

 真弓さんの言葉を遮る。

 この時、僕は思っていれば伝わるからとか、そんなことは考えなかった。

 

 「塞ぎ込もうとした僕を立ち上がらせてくれた。どうしようもない駄目な自分に夢を語った。消えると分かっても、彼女は僕に夢を託してくれたから僕は此処に戻ってきた」

 

 只、僕は最期まで味方で居ようとした少女の為に、言葉にしなければいけないと思ったからしたんだ。

 

 「勇、貴さん」

 

 真弓さんが僕の名前を呼ぶ。

 でも、それはきっと未だに僕じゃない僕を彼女が見てるだけ。

 吹っ切った今でも複雑で、どうしようもなく悔しいけど関係ない。

 

 僕が僕を取り戻すのに、そんな私情を挟んでは先に進めないと割り切るしかないんだ。

 

 「謝らないよ。でも、お互いの為に、もう一度この手を取って欲しい」

 

 信頼の証だと言い、真弓さんへ手を伸ばす。

 

 「それから、藤岡に会って『記憶』を取り戻す手助けを頼みたいんだ」

 

 それを碧眼がジッと見つめる。

 一瞬、手を取ろうか悩む真弓さん。

 

 「なあ、頼むよ。──君だけが頼りなんだ」

 

 僕がそうお願いすると、少女は固唾を呑み──。

 

 「こちらこそ、お願いします」

 

 迷っていた手を取ってくれたのだった。

 

 ドシン、と寮館が揺れる。

 背筋に冷たいモノが伝うと、視界中にノイズが走り出す。

 

 「──っ!?」

 

 見ているモノがあやふやになっていく感覚は、いつも以上に鮮明としており、何処か不吉なモノを感じた。

 

 「この感覚は、『人形男』ですね」

 

 どうやら気配だけで何が起こってるのか真弓さんは分かってるみたいだ。

 

 「──知ってるの?」

 

 「はい。恐らく、この世界最悪の外道魔術師『人形男』、ウェイトリー=ウェストが持ち前の権能(チート)を行使したのでしょう。彼の権能(チート)暴食の権能(タイプ·パイル)はこの世界のモノならばどんな事象さえ改竄してしまう魔導魔術です。……そうですね。■■さんの言葉で説明するなら、プログラムデータを自由に書き換えてしまうと言った方が分かりやすいでしょうか」

 

 切羽詰まったように早口で少女は説明する。

 それだけでウェイトリー=ウェストが如何に危険な男なのか分かってしまった。

 じゃあ、あれか。

 アイツは目の前の起こってることを自分の都合の良いように変えれるってことだ。

 

 「そうです。しかも魔が悪いことに、『ナイアルラトホテップ(外なる神)』が本格的に真世界帰閉ノ扉(パラレルポーター)を開こうとしているんです」

 

 ナイアルラトホテップ?

 真世界帰閉ノ扉(パラレルポーター)

 

 「えーと、ですね。先ず『外なる神』を簡潔に説明するなら、神様みたいな異能()を持った地球外生命体のことをそう呼称しているみたいです」

 

 みたい?

 

 「ええ。その知識に関しては私もそうだと聞かされてるだけなので、いまいち分かってないんですよ」

 

 「そうなんだ」

 

 兎に角、スゲー力を持った奴らってことね。

 ……あ。──と言うことは、ナイアルラトホテップはその『外なる神』の一人って認識で良いのか。

 

 「その通りです。──っと。どうやら、お喋りは此処までのようです」

 

 続いて真世界帰閉ノ扉(パラレルポーター)について聞こうと思った時、それは音を立てやって来た。

 

 「おいおい! 我の話は早々に切り上げたってのに、他の連中は長く話すとはゴミの癖にふてぶてしい奴だ」

 

 天井が崩れる。

 キキキと影絵たちの嘲笑が響く。

 

 「ウェイトリー=ウェスト!」

 

 神様気取りの名前を呼ぶ。

 

 「ククク、そうだとも! 我の名前ぐらいは覚えてるのは常識だよな!」

 

 すると気障男こと、人形男は部屋の壁を壊して現れる。

 

 「さーて、テメェを守るゴミ共はそこの女だけとなった! この意味が分からねぇほど、愚鈍って訳じゃねぇだろう?」

 

 自己愛の塊が、パチンと指を鳴らす。

 すると異形の怪物が奇声を上げ、周囲の壁を壊していく。

 

 「ククク! さあ、殺戮の時間(ショータイム)の始まりだ!」

 

 そうして、最悪最強の魔術師が僕らへとその魔の手を伸ばすのだった。

 



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019 七転八起

 

 グシャリと崩れる天井。

 ミシリと壊れる壁。

 

 「ククク! さあ、殺戮の時間(ショータイム)の始まりだ!」

 

 白衣の魔術師(ウェイトリー)が吠える。

 すると空間を歪ませ、怪物がこちらへと近づいてくる。

 

 思えば、此処まで来るのに多くのモノを取りこぼしてきた。

 天音の嘆き、リテイク先輩の想い、累たちの願いを斬り捨てたて来たんだ。

 

 「ウウウウ、ヴォオオオオオオン!!!」

 

 怪物が咆哮する。

 その遠吠えに世界が震え、目の前にノイズのような傷が増えていく。

 

 「──光よ!」

 

 真弓さんが怪物へと魔術を放ち、光の雨を降り注ぐ。

 しかし──。

 

 「シュルルル!」

 

 光の雨を避け、僕らへと毒牙を向ける蛇の頭。

 まるでこれまでの奮闘が無駄だと(さえ)ずるよう、舌を捲し立てていた。

 

 「──っ」

 

 ヤバい。

 咄嗟に魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)しようと構える。

 

 ──だが。

 

 「大丈夫です!」

 

 それを真弓さんが手で制する。

 光の雨を物ともせず、僕らの前へ躍り出る怪物の尾。

 

 「シッ、シャアアア!!!」

 

 死が迫る。

 数秒後に訪れる末路(ビジョン)が頭に過る。

 

 ドクン。

 真弓さんが叫ぶ。

 

 「輝く光の盾(シャイニング・シールド)!」

 

 すると、僕らを大きな光の膜が覆う。

 

 「キッシャアアア!」

 

 蛇の頭が弾かれ、吹き飛ぶ。

 続いて獅子の腕が振るわれるものの、それを押し上げ光の膜は広がっていく。

 

 「グゥウウウア!!!」

 

 異形の怪物が後ろへと下がる。

 

 ──しかし。

 

 「──ッハ! それがどうした!」

 

 それをウェイトリー=ウェストは許さない。

 真弓さんの魔術を、宙を掴むように継ぎ接ぎの腕を構えて、無意味と嗤う。

 

 すると──。

 

 ピキリ。

 何かが罅割れる音。

 ピキリ、ピキリ。

 光の膜が輝きを増す。

 

 「そ、それは!?」

 

 真弓さんが驚愕する。

 僕も目を見開く。

 空気が凍るような感覚に襲われ、ドバドバと圧縮された何かが僕らへ向かって堕ちてくる。

 

 「────」

 

 ゾクリ。

 現れたそれに言葉が出ない。

 いや、怖気が走ったと言い直すべきか。

 

 「ぅう、あ」

 

 光の膜を覆うように、それはゴポリと落ちてくる。

 真っ黒い泥のような何かが無数の目玉をギョロリと睨むのに、震えが止まらない。

 

 ダズゲデェ、ダズゲデェエ!

 ミズデナイデェ!

 アビャ、ビャ、ビャ、ビャアアア!

 

 泥から這い出ようと無数の人の腕が藻掻いてる。

 得体の知れない何かの助けを乞う叫びも聞こえてくる。

 

 「あっ、あ、ああ、ぁあああ」

 

 真弓さんが悲鳴を漏らす。

 黒い泥を敬うように、異形の怪物が後退する。

 光輝く膜に罅が入る。

 

 「偽物よ。幾ら模倣しようと、本物には至れぬことを思い知るが良い」

 

 人形男が嗤う。

 ゴポゴポと泡立って、黒い泥が光の膜に侵蝕する。

 怨嗟の声が止まらない。

 

 そうして──。

 

 「目覚めよ、混沌」

 

 遂に光の膜が破られ、『混沌』が僕らをあっという間に飲み込んだんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 キキキ、キキキ。キキキィ、キキキ、キキキ! キキキ、キキキ、キキキ。キキキ、キキキ、キキキ。キキキ。キキキ、キキキ、キキキ、キキキ、キキキ! キキキィ、キキキィ、キキキィイ!

 

 海の藻屑と化す意識。

 キュルキュルと巻き戻る人の理性。

 正気を失う直前、地の果てで(オレ)は再び目を覚ます。

 

 「──っ」

 

 身震いする。

 先ほどの光景(ユメ)が頭から離れず、思考が定まらない。

 

 「あ、あ、ぅううう」

 

 その所為か言葉を上手く喋れず嗚咽し、頭を思い切り殴られたように目の前が眩んで仕方ない。

 

 「──っ! あ、ぐぅ、うううう」

 

 呂律が回る。

 舌が上手く働かない。

 ジタバタと手足を動かすも、哀れな虫けらは何も出来ない。

 

 「あ、ああ、ぁああああああああああああああああ」

 

 助けに行かないといけない。

 なのに、夢へ戻ることを体が拒んでる。

 

 「──! ──!」

 

 どうして、駄目なんだ?

 やっぱりオレなんかじゃ、出来ないのか?

 これじゃあ、みんなが託したもの、全部、無駄にしちまう。

 

 ひしひしと無力感が押し寄せる。

 オレがオレである限り、その性を責め立ててしまう。

 

 そうしていると──。

 

 「こんなとこで何やってんの?」

 

 見知らぬ誰かが声をかけてきた。

 

 「──んぁ、れ?」

 

 声のする方へ目を向けると、こちらを見知らぬ青年がそこにいた。

 

 「誰でも良いだろ。んで、何やってんの?」

 

 「──っ」

 

 淀んだ青い瞳がオレを睨む──が、不思議と悪い気はしなかった。

 寧ろ、懐かしさを感じてる始末だ。

 

 何処かで会った訳でもなく、此処に来てから死んだ自分でもない筈なのに。

 

 「何? もう諦めんの?」

 

 胸を穿つ強い言葉。

 突き刺さる筈のそれは不思議と痛くない。

 

 「……そうだな。お前は頑張ったよ。天音も、鈴手も、瑞希も、ウェザリウスも──そして、あの『アトラク=ナクア』さえ倒した。スゲーことだと思うぜ」

 

 男子生徒は尊いモノを見るような眼差しを送るだけで、オレを傷つけない。

 

 「ああ。此処で逃げたって罰は当たらない。なんせ死ぬ気で努力した結果なんだから、な。──んで、だ。此処まで言っておいてだが、どうするんだ?」

 

 唐突な質問をされる。

 それは目を逸らしてはいけない現実を突きつけられたと思った。

 

 けど。

 

 「ぅうう、ぐぅ」

 

 言葉が喉に閊える。

 想いをぶつけたくても、うまく声が出せない。

 

 「このまま、諦めるか。それとも、また辛い現実に立ち向かうか。どちらを選んでも良い」

 

 究極の二択。

 目を背けて人間未満の生を望むか。

 それとも自分の意志を以て生を諦めるか。

 

 どちらにしても最悪な未来が待っているだろう。

 

 「そうか? まあ、お前がそう思うんなら、そうなんだろうよ。──けど、よ。それでも、あの子はお前を待ってるんだ」

 

 青年は見つめる。

 迷うばかりで選べないオレを見つめ続けてる。

 

 「ああ、そうだ。最悪だ。確かにこいつは逃げ出したくなるぐらい最悪だ。起き上がる為の薪もなく、戦う為の炎もない。しかも何も見えない暗闇に一人ぼっちときてる。そりゃあ、心が折れるのも仕方がない」

 

 似ている。

 誰にと聞かれたら言葉が詰まってしまうが、いつか見た少女の想い人と姿が被ってしまう。

 

 「だが、そんなお前を待っててくれてる女がいる。そんなお前に手を引っ張って欲しいと願う女がいる。誰でもない、お前じゃなきゃ彼女は救われない」

 

 青年が気さくに、誰でもないオレを彼女が待ってるんだと肩を叩く。

 

 「……あ」

 

 「ほら、これで少しは楽になったろ」

 

 「ま、待って! 貴方は──」

 

 ヒーローがオレを突き飛ばす。

 せめて名前だけでも聞いておこうと思ったのに、再び意識が遠のく。

 

 「今度こそ泣かせんなよ、──じゃあな!」

 

 夢へと微睡む中、その言葉が頭の中を響いた。

 

 ◇

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 ウルタールの猫が鳴きました。

 影絵たちも混沌の誕生を喜びました。

 誰の願いも届かない深淵で、希望を求めて『私』は歩くのです。

 

 カタカタカタ。

 カタカタカタ。

 

 何も見えない。

 誰の鼓動も聞こえない中で、彼を一人きりにさせたと思うと胸が苦しくなった。

 

 「────」

 

 夢があった。

 願いがあった。

 想いというものに憧れたから、此処まで私たちは紡いで来れたのに。

 

 「う、ぅううう」

 

 その結果がこれだ。

 人形男が召喚した『混沌』によって、彼は再び過負荷(オーバーロード)させられてしまった。

 意識を強制シャットダウンさせられると言うことは、彼の意識の片隅で影絵が形成するこの夢世界の死である。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 電源を入れる為のエネルギーがない機械と同じで、今度こそ彼は立ち上がることが出来なくなったということだ。

 

 だから、それもこれで終わり。

 此処では『名城真弓()』が求めた未来も、『フィリア(誰か)』が見た夢も叶わないってことだ。

 

 「……ゃ、だ」

 

 それが、現実。

 それこそが、作り物の私たちが得られる精一杯だった。

 

 「……い、やだ」

 

 本音を漏らすも、現状は何も変わらない。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 遠巻きに見ていた影絵たちが私に手を伸ばす。

 

 「こんなの、嫌だ」

 

 影絵たちが私を侵蝕し、全身を真っ黒に染めていく。

 気が狂いそうな激痛にのたうち回るも、現実は変えられない。

 

 「こんなの、──あんまりです!」

 

 そうだ。

 やっと彼が彼であることを思い出せたのに、こんな最期じゃ報われない。

 

 シスカさんの努力も。

 ナコトさんの親愛も。

 リテイクさんの犠牲も。

 久留里さんの慟哭さえ無駄になる。

 

 ────「もう一度、彼に果てのない空を見せてあげて」

 

 そして、飛鳥さんとの約束も果たせないのだ。

 

 「誰か、誰か助けてください」

 

 立ち上がる。

 無意味でも、これまでの過程を無駄にしたくないと私は懇願する。

 

 「──っ! お願いです! 誰でも良いから、■■さんを助けて下さい!」

 

 叫んだ。

 自分の体がどうなろうと構わず、叫び続けた。

 

 瞬間。

 

 「そういや、知ってたか? 今日、転校生が来るって話をよ」

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 

 真っ暗な世界に鐘が鳴る。

 どうしようもない現実に光が差す。

 

 キキキ?

 キキキ!?

 

 影絵たちが消えていく。

 塵となって世界の一部へと戻っていく。

 

 カツン。

 誰かが駆けつける。

 

 「よう、待たせたな」

 

 動けない私。

 半分が黒くなって使い物にならない身体で、突然現れた男子生徒を見る。

 

 「なんで、此処に戻って来れたかって? それはオレも知らねぇけど──」

 

 助けを呼ぶ声にやって来る。

 窮地の時に駆けつける人を知っている。

 誰かの為に傷つく人のことを、ヒーローと呼ぶらしい。

 

 「まあ、でも。戻って来れたんなら、やることは一つだよな!」

 

 そう言って、私のヒーローが私の手を取った。

 



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020 よく出来たマヤカシ

 

 「この宇宙には、真理がある」

 

 盤上の駒を動かす男とそれをつまらなそうに見る男。

 そんな二人がチェスを興じている。

 

 「宇宙の真理とは人が到達することのない事象であり、概念領域の守護者そのものだ。あれに目をつけられたら最後。全てを無にするまで、その要因となったもの排除し尽すまで止まらない。──ようは、調和を乱す存在への悪玉菌と思えば良い」

 

 幾つもの末路(ユメ)がモニターへ映し出される。

 そんな光景を見つめながら、自前の銀髪を男は弄る。

 

 「ワタシは、ね。そんな真理を壊したいのだ」

 

 そんなことを笑いながら、無言で見つめ続ける神父へ男は語り掛けた。

 

 「何をしてでも生き返らせたい人がいる。くすむことのない瞳、枯れることのない愛、今も尚色褪せない日常の記憶。彼女を救えるのならね。ワタシは何をしたって構わないんだ。人間の倫理とか、次元の法則とかそんなものは知ったことじゃない」

 

 カツン、と駒の一つが倒れる。

 一つが倒れるとドミノ倒しのように次々と盤上の駒が倒れていく。

 残り少ない手持ちの何もかもが倒れていく様子に二人は何も気にしない。

 

 「真理が邪魔をする。邪魔するのなら、あれもワタシには不要だ。彼女の蘇生を阻むのなら、世界など滅んでしまえば良い」

 

 うわ言を繰り返す男の碧眼は、泥のように濁ってしまっている。

 かつて、希望に満ち溢れた眼をしていたとは思えない変わりようだった。

 

 「嗚呼、憎い。何故いつも邪魔をするノダ、抑止ノ怪物共メ。そんなにも世界が大事カ! ──ならば消シテヤル。この世ノありとあらゆるヲ壊し尽クシテヤル!」

 

 キキキと狂ったように男は泣き笑う。

 神父はそんな男を黙って見つめるしか出来なかった。

 

 ◇

 

 何度、屈したことだろう。

 何度、繰り返したことだろう。

 強制的にリトライし、夢を見続けたのはオレだった。

 

 苦しかった。

 辛かった。

 泣きたいこともあって、逃げ出してしまいたい衝動に駆られたこともあった。

 

 それでも、真弓さんが頑張ってくれたから此処まで生きてこられたんだ。

 

 「なんで、此処に戻って来れたかって? それはオレも知らねぇけど──」

 

 真っ黒になりかけた少女がいる。

 ノイズに侵された体で立ち上がろうとしたのか、あちこちが傷だらけなのが分かった。

 

 「まあ、でも。戻って来れたんなら、やることは一つだよな!」

 

 彼女が手を取る。

 酷く壊れた少女の手は、まだ熱を失っていない。

 

 「そうと決まったら、此処を抜けるぜ!」

 

 自己投影(タイプ・ヒーロー)を使おうと体に力を込める。

 

 ドクン。

 心臓の鼓動が強くなる。

 

 「──っつぅ」

 

 耳鳴りが聞こえ、鈍器で殴られたような痛みが頭を支配する。

 それでも確かな手ごたえを感じ、頭の片隅にイメージが浮かぶ。

 

 ドクン!

 

 そうだ。

 いつだって、この権能(ちから)で困難を乗り越えてきた。

 

 ──なら、今いる場所が此処じゃない何処かだと思い込めば、寮館ロビーへ瞬間移動することも出来る筈。

 

 「ゆ、──■■さん」

 

 少女が不安げにオレを呼んだ。

 身体の半分が真っ黒になって限界だと言うのに、まだ他人を心配するんだと思った。

 

 「行こうぜ、真弓さん。行って、あの馬鹿──飛鳥から記憶を返して貰うんだ」

 

 震える手をギュッと強く握る。

 

 「──っ。……はい!」

 

 視界がモノクロになり、心臓の鼓動が激しくなる。

 割れるような痛みが全身を覆い、暗闇を見たことのある景色へと塗り替えられていく。

 

 「そうだ。駄目なんだ。辛くても、返して貰わなきゃいけねぇんだ」

 

 瞬きをする。

 

 そこは、先ほどまでいた暗闇ではなく。

 だからと言って、ウェイトリーと対峙した寮の廊下でもない。

 

 ジジジ。

 オレは知っている。

 独り歩きする噂を知っている。

 深夜零時にそこへ訪れると女子生徒の幽霊と遭遇するそうで、恐らく藤岡飛鳥も居るだろう場所。

 

 「へ、へへへ。どんな、もん、でぇ」

 

 安心したのか力が抜け、その場に倒れそうになる。

 

 「■■さん!」

 

 それを真弓さんが慌てて支える。

 

 「無茶しないで下さい。もう貴方の体は限界なんです。幾ら夢の世界で、体の復元が出来るとは言え、これ以上の権能(チート)の使用は精神──いえ、魂の死を意味します。だから、」「わりぃ。──けど、大丈夫だから。だから、もう少しだけ無茶をさせてくれ」

 

 真弓さんが心配するのを手で制して、止めさせる。

 

 「頼む」

 

 そのまま大鏡の前へと足を運ぼうとして──。

 

 カツン。

 小さく、けれど、はっきりとオレたちのものじゃない足音を耳にした。

 

 「────」

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 

 鐘が鳴る。

 終わりを告げる訳でもないのに、それが響くのは別に珍しいことではない。

 

 「カカカ! カカカッ、ッカカカ!」

 

 笑い声がする。

 声色だけはよく聞きなれた少女のものだったけど、彼女がする笑い方ではなかった。

 

 「──っ」

 

 まるで寮館ロビーへ瞬間移動したオレたちを待ち伏せていたようなタイミングで、それは鏡の中から出てくる。

 

 「うむ。うむ、うむ! 最高じゃ、最高じゃあ! 久々のシャバは最高にええのぉう!!!」

 

 ふわりとスカートを靡かせ、舞台に立つのはいつかの退場者。

 しなやかな腕を振り回し、スキップ混じりに歩くのは少女の形をした何か。

 

 カツン。

 一歩進む事に紫の髪が揺れる/……嘘。

 

 カツン、カツン。

 二歩進む事に白い肌が光を弾く/嘘だ。

 

 カツン、カツン、カツン。

 三歩進んだところで、紅いダイアの瞳がオレを捉えて離さない/何だよ、これ……ふざけんじゃないよ!

 

 ──カツン。

 そうして、手が届く距離に小柄の少女は立ち止まる。

 

 「リテ、イク先輩?」

 

 「アァン? ノンノン違うのだ、ド戯けぇい! わっちぃはそんなダサい名前なんぞじゃないのじゃ! つーか、知らぬなら教授してやるので、よーく、耳かっぽじって聞くが良い! わっちぃの名前は、『三鬼(みき)』。アストラル戦隊随一悪逆非道吸血美少女の『三鬼』様よぉ! どうじゃ、怖いじゃろ? 故に恐れ慄くが良いぞぉ! カカカ!」

 

 リテイク先輩の姿をした少女がそう言う。

 

 ……ああ、そうだ。

 目の前の少女、『三鬼』は誰かが作り替えた偽物だ。

 よく出来たマヤカシに過ぎないんだ。

 

 「■■さん」

 

 分かってる。

 分かってるんだ。

 

 そんなことは理解してる。

 

 ────「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 けど、理解できても納得できないことがあるんだ。

 

 「おやおや? またまた随分と愉快な顔してますねー」

 

 「──っ」

 

 声のする方を向く。

 すると、そこには腰まで届く赤い髪を掻く少女がいた。

 

 「……二胡」

 

 「やあ。会いたかったよ、愚者くん。君にどう報復してやろうか考えてたら、傷が疼いて夜も眠れなかったの」

 

 ジュルリと二胡が舌なめずりする。

 こちらを見下す態度はあの時と変わらず、未だ衰えない悪意にはある意味で敬意を抱かずにいられない。

 

 「どういうカラクリか知りませんが、また会えるとは思いませんでした」

 

 オレを支える真弓さんが身を乗り出す。

 

 「うぬぬ? それはそうであろう。此度の夢もまた何処ぞの戯けが見る妄想に過ぎぬぞ。そんなものに一々突っ込んでいたらキリがないじゃろ。カカカ!」

 

 乗り出した真弓さんに対し、何故か三鬼が負けじと言い返した。

 

 「しっかし、難儀なモノですねぇ。体はとうに限界で、心の拠り所も失いかけてる。たとえ現実に帰れたとしても、愚者くんには居場所がないでしょうに。……それなのに、どうして諦めないのか理解に苦しむよ。──もしかして貴方って真性のマゾなの?」

 

 ぐるり。

 二胡がそう言いながら、僕たちに向かっていつぞやの大剣を現実化(リアルブート)する。

 

 「まあ、どっちでも私には関係ないけどね!」

 

 ゴウ、と無骨な得物が振るわれ、目の前の少女を巻き込む形で斬撃が放たれる。

 

 「グゥエ!?」

 

 ゴトリと少女の頭が転がって。

 ビシャリと彼女の血しぶきが頬にかかる。

 

 「──っうぇ!」

 

 ──こいつ! 味方諸共、攻撃して来やがった!

 

 そう思い、哀れに切り捨てられた少女へと視線を向けた瞬間。

 

 「カカカ! 良いぞ、良いぞぉ! わっちぃ、そーいうの大好きじゃからのぉう!」

 

 ビクリと起き上がる首なし死体。

 ボトリと落ちた頭を持ち上げ、グチャグチャとそれは首へ無理やり押し付けていく。

 

 「──っ!?」

 

 鮮血が暴れる。

 小刻みに痙攣するそれを前にオレたちは唖然する。

 少女の形をした何かはそんなオレたちを無視し、豪快に笑う。

 

 「……って、攻撃したことは良いのかよ!?」

 

 堪らずツッコミを入れる。

 だが──。

 

 「良いの、良いの。三鬼には、──いや、私たちはそういうのに囚われないから、私たちなの。……それに、ね」

 

 少女たちはこちらの問いに気にした様子も見せない。

 それよりも。

 

 「──っ!」

 

 二胡の碧眼が鈍く光る。

 そして、そのまま無骨な得物を構え直し──。

 

 「──言ったでしょ。私たちは認めないって」

 

 無機質な、まるで感情のない人形のような顔でそう告げた。

 

 途端に彼女の言葉に呼応するよう、大剣が光を放つ。

 まるで少女の言葉に対し剣が呼応するようで、得体の知れないモノを感じた。

 

 ゾクリ。

 背筋に冷たいモノが走る。

 だが、そんなことをお構いなしに少女たちは態勢を整えていく。

 

 「おう、おう! 血祭りか、謝肉祭か? カカカ! どっちにしろ、愉しそうじゃなぁあ! ヨォオシィ! ゴングを鳴らせい、影絵共!」

 

 紫色の髪が靡いた。

 たちまち深紅の瞳が輝き、突き出した両腕に文字のようなモノが包み、禍々しい装甲が継ぎ足されていく。

 

 「なん、だ?」

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 影絵たちが悦びの声を上げる。

 すると恍惚とした表情を三鬼が浮かべ、傷を治していく。

 

 「き、ず。傷が、癒えて、く?」

 

 映像を逆再生するみたいに怪我を治す少女にオレは目が離せない。

 

 「──光よ!」

 

 そんなオレを余所に、真弓さんが魔法陣を展開する。

 

 「アハハハ! そうですね、そうですもんねぇ、ドライ・ガントレット! 私たち、その為に生まれてきたんですもの!」

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 殺し合いの気配に影絵たちが歓喜する。

 そして、そのまま空を昼から夜へと変えていく。

 

 「それじゃあ、何時ぞやのリベンジと洒落込みましょうか!」

 

 今、少女の掛け声と共に殺し合いの幕が上がった。

 



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021 鼓動の意味

 

 「それじゃあ、何時ぞやのリベンジと洒落込みましょうか!」

 

 二胡の掛け声が寮館ロビーに響き渡る。

 

 「うりぃいいい!!!」

 

 それを合図に三鬼の剛腕が唸る。

 

 ドクン。

 

 「──っ!」

 

 魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)し、受け取める。

 

 ──が。

 

 「ぐぅ、わぁあああ!?」

 

 衝撃に耐え切れず吹き飛ばされてしまう。

 

 「■■さん!」

 

 真弓さんが声を上げ、助けようとこちらへ意識を向けるものの──。

 

 「よそ見してる場合かな!」

 

 それを二胡は許さない。

 すぐさま、オレと真弓さんとの間を割って入るように切り込んでくる。

 

 「──っが!」

 

 ドクン!

 瞬時に幻影疾風(タイプ・ファントム)を発動し、二胡の一撃を凌ぐ。

 

 「あ、──ぁあ、っが、ぁあああ!!!」

 

 体中に激痛が走る。

 我慢しようにも、追撃の刃が耐える時間を奪っていく。

 

 「──っつぅ」

 

 キィン! キィン!

 切り返す度、頭にノイズが走り、理性を削る。

 

 「ぅぐぅ、う、ぅうう、っぐぅ、がぁああ!!!」

 

 心臓が跳ねる度、神経が焼かれる。

 一撃を凌ぐ度、限界が見えてくる。

 

 痛い。

 苦しい。

 

 ブゥン、──キィン!

 

 けれど、敵は止まらない。

 コンマの世界で尚も、二胡は虹色の大剣を振るい続けた。

 

 「今、助けます!」

 

 真弓さんが斬り合うオレたちへ光の雨を降り注ぐ。

 

 しかし。

 

 「わっちぃを忘れんじゃないのぅ!!!」

 

 地を揺らす衝撃を以て、三鬼が真弓さんへと殴りかかる。

 

 ゴウッ!

 躍進する鉄塊に亀裂が入る壁。

 美しい鬼の剛腕が愛しき人へ迫る。

 

 「邪魔しないで!」

 

 負けじと真弓さんが光の雨の魔術を放つ。

 

 「ぬ! ──カカカ! やるではないか!」

 

 少女(てき)が笑う。

 俊敏に身を捻じり、剛腕で光の雨を弾き飛ばす。

 

 「じゃが、──遅い!」

 

 そのまま突風と化す三鬼。

 

 ヤバい。

 このままでは、ヤツの剛腕が真弓さんを潰してしまう。

 

 「う、ぉおおお!!!」

 

 そう思い、彼女の方へ駆け出そうとするものの──。

 

 キィン!

 

 「──ぐぅ、がぁあ!?」

 「させないよ!」

 

 二胡が大剣を振るって邪魔をする。

 

 ドクン。

 駄目だ。

 

 ドクン。

 このままじゃ、真弓さんが殺される。

 

 ドクン。

 ミンチみたいにグチャグチャに潰される。

 

 キィン!

 

 ────「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 ドクン、ドクン。

 駄目だ、駄目だ。

 

 キィン! キィン!

 

 ────「私たちの願い、──いや、(フィリア)の夢を」

 

 殺させて堪るか。

 だけど、二胡が邪魔で三鬼を止められない。

 

 ──駄目だ。このままだと、真弓さんが死んでしまう!

 

 キィン! キィン! キィン!

 

 ドクン、ドクン、ドクン。

 今のオレじゃ、二人を同時に相手できない。

 あいつが、勇貴(オレ)がフィリアの夢を託されたのと同じで真弓さんを守りたいのに、それが叶わない。

 

 「カカカ! 終わりじゃ!」

 

 ブン。

 三鬼から放たれた死の一撃に、訪れるだろう真弓さんの姿が頭から離れない。

 

 殺される。

 殺される。

 真弓さんが殺される/……嫌だ。

 成す術もなく、凌辱的に殺される/嫌だ。

 

 「──ぅう、ぁ」

 

 痛いのに、苦しいのに、辛いのに。

 

 ──彼女の願いも叶えられず、虫けらのように殺される/そんなのは、──ごめんだ。

 

 「──っが、っつぅ、あ」

 

 嫌だ(ドクン)

 嫌だ(ドクン)嫌だ(ドクン)嫌だ(ドクン)

 

 大切な人が死ぬのは、──もう嫌なんだ!

 

 「ぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 一ドットの動きに足がもたついた。

 けど、無我夢中で駆け出した。

 

 その時、その瞬間。

 

 ピキリ。

 

 ────「大丈夫。貴方ならきっと出来るわ。なんて言ったって、貴方はあちら側の住人なんですもの」

 

 オレたちは、忘れていた少女の声(記憶)を思い出す。

 

 ──パリン!

 

 「──な!」

 「──ぬ!?」

 

 胸の奥底から唸る、異能の産声。

 時が止まる感覚の訪れに、新たな権能(チート)の目覚めにオレの身体は悲鳴を上げる。

 

 「う、ぐぅ」

 

 目が眩み、頭に激痛が走る。

 

 「強欲を司る『ダーレスの黒箱』のプロテクト解除申請を確認。『強奪』の(コード)の使用許諾を了承しました。これより、徴収命令(タイプ・レイド)現実化(リアルブート)を開始します」

 

 きっと、この頭に響き渡る少女のガイダンスはオレにしか聞こえない。

 それもその筈で、その声はオレの中に住み着く悪魔が聞かせているだけの幻なんだと理解出来たんだ。

 

 ドクン。

 けど、どうでも良い。

 そんなことより、今は目の前の少女たちを殺すのが先決だ。

 

 「……■■さん」

 

 オレから飛び出る二つの影に敵が止まる。

 

 「何じゃ、今の感覚?」

 「……っ何なの、それ?」

 

 キキキ?

 キキキ!?

 

 影が構えるそれぞれの剣に二人は目を離せない。

 青と赤の光の輝きに影絵たち(ギャラリー)も驚きが隠せない。

 

 「ぐっ、がぁ」

 

 息が出来ない。

 体が思うように動かせない。

 

 「──っ」

 

 だけど、目だけが剛腕の少女を追えた。

 

 ドクン。

 けど、十分だ。

 それだけで次にどうするか理解出来たんだ。

 

 だから──!

 

 「──だっ、」

 

 グラグラと熱を帯びる神経。

 緊迫する一ドットの時間。

 腕を突き出すよう構え、死に急ぐ影へ指令する。

 

 「しゃああああ!!!」

 

 青い刃が数多の剣舞となって、少女の剛腕を軋ませた。

 

 「ぬぅ、のぉおおお!!!」

 

 文字列の粒子が宙へ散る。

 それに耐える三鬼だったが、放たれた剣舞に剛腕が削られていく。

 

 「これで、終わりだ!」

 

 グルン、──ガキン!

 

 剛腕に罅が入り、絶頂の刻が告げられる。

 そして勢いのまま三鬼が吹き飛んだ。

 

 「ふぅごぉおおお!!!」

 

 一方、そんな相棒を尻目に二胡が赤い刃の影と戯れる。

 

 「い、いい加減に──!」

 

 未だ状況を把握できていない彼女だったが、巻き返そうと悪態を吐く。

 

 ──だが。

 

 「ぅううう、っらぁあああ!!!」

 

 赤き閃光が少女の剣戟を弾き、火花を散らす。

 

 「──っつぅ!」

 

 木霊する苦悶の叫び。

 拉げる鋼鉄の地響きを前に、成す術もなく二胡が仰け反った。

 

 「……ま、まだだよ!」

 

 仰け反る体勢から反転し、二胡が立て直そうとする。

 

 「逃がす、──か!」

 

 それを赤き断頭台が追う。

 

 「きゃっ!」

 「ぐぅぬぬぬ!」

 

 二つの影が奏でる協奏曲(コンチェルト)に翻弄される少女たち。

 

 ドクン。

 

 心臓が鼓動する。

 

 ドクン、ドクン。

 

 更に強く高鳴る心臓がオレに呼びかける。

 もっと強く、と叫んでる。

 

 「──っ」

 

 少女たちを見据える。

 すると青と赤に光が集い、剣を構える影が唸る。

 

 「何がどうなって、──まさか、もう」

 

 そんなオレに二胡が何か気づいたようだ。

 けど、遅い。

 その判断は戦うという時点で気づかなければならなかった。

 侮るということがどれだけ危険なことか理解してなかった。

 

 嗚呼、なんて怠慢。

 だが、そのお陰でこちらの首の皮一枚繋がったのだから文句を言う道理はない。

 

 「────」

 

 敵を見る。

 唸る影に意識が行って、状況の悪化に気付かない。

 

 「な、なんじゃ、これぇえええ!!?」

 

 唐突に三鬼が叫ぶ。

 無理もない。

 そりゃあ、自慢の剛腕が砂塵となって崩れ始めたのだから仕方ない。

 

 「……嘘。こ、こんなの、聞いてない」

 

 先ほどまで威勢を失くし、二胡が後退する。

 嗚呼、そうだろう。

 彼女の手に持っていた大剣も例外なく、消失しかけてるんだから、そうするだろう。

 

 そこに、光の雨が降り注ぐ。

 

 「今です!」

 

 数秒先にある勝利がオレを手招きする。

 

 ドクン!

 

 「──っ」

 

 一歩、踏み出す。

 

 「ぬぅ、──あ!?」

 

 握られた青と赤の螺旋に三鬼が目を見張る。

 

 「っらぁあああ!」

 

 ブン!

 

 「ぎぃ、がっ、ぁあああ!」

 

 幻想殺しの一閃が二人の頸を撥ね、血飛沫が舞う。

 

 「ば、バカな! わっちぃの出番がこんな形で潰されるだとぅ!?」

 

 粒子となった文字の羅列が散っていく。

 死にかけの金魚みたいに口をパクパクさせ、消失する二胡。

 

 そして。

 

 「うるせぇ! これでも喰らいやがれ!」

 

 起き上がろうと再生する三鬼へと魔剣を振り落とす。

 

 「ぐぅ、のぉおおおう!!!」

 

 瞬時に再生する体。

 

 ズシャア!

 

 逃げ出す暇は与えない。

 考える猶予など与えたら駄目だと、これまでの経験で分かってる。

 

 ブゥン、ズシャア!

 

 だから、オレは容赦なく何度も魔術破戒(タイプ・ソード)を振るった。

 

 ズシャア! ズシャア!

 

 「ひっ、ぎゃ!」

 

 ビチャビチャ!

 

 「がっ、はぁ、づぅ、ぃたい! ──がはっ!」

 

 苦しみ悶える少女の返り血が跳ねていく。

 

 「ぐ、ぬぬぬぅ……ぬぅううう!」

 

 死んで、生き返って、また死んで、再生する。

 ジタバタと死の連鎖に足掻く少女だったが、それも限界のようで徐々に体が透け始めていく。

 

 「終、わ、れぇえええ!!!」

 

 ザシュ!

 止めと言わんばかりに、渾身の一撃を振り落とす。

 

 「これで、……これで勝ったと思わんことじゃぞ、ド戯け! わっちぃら、──アストラル戦隊は『エンドの鐘』が存在する限り不滅じゃ!」

 

 宙へ舞う文字列。

 塵となっていく体で三鬼が叫んだ。

 

 「……は?」

 

 その叫びに硬直する。

 

 「エンドの、鐘?」

 

 聞クナ!

 頭の中の悪魔が耳を閉ざそうとする。

 

 だけど。

 

 「そう、『エンドの鐘』じゃ! 『エンドの鐘』こそ、わっちぃらを生み出す永久機関。第二の『あのお方』の象徴であり、お主の心臓じゃよ!」 

 

 ドクン。

 何故か閉ざしてはならないと耳を傾ける自分がいる。

 

 ドクン、ドクン。

 でも、言ってる意味が分からなかった。

 

 ドクン、ドクン、ドクン。

 だって、そうだろ。

 テメェらが蘇るから何だって話なんだよ。

 

 「そうじゃ、そうじゃ! そいつが在るからこそ、わっちぃらは何度でも蘇るんじゃあああ!!!」

 

 なのに、手の震えが止まらない。

 聞いてはいけない真実をまた一つ聞いてしまったような気がして、体が勝手に動く。

 

 ザシュ!

 

 「ぐぅえ!?」

 

 「は? ……え? ……いや、なんで?」

 

 握っていた魔術破戒(タイプ·ソード)を放し、狼狽するオレ。

 それを愉快そうに怪物は、カカカと嗤う。

 

 「精々、今のうちに青春ごっことやらを楽しんでおくことじゃのぉう!!!」

 

 そんな断末魔を叫びながら、今度こそ三鬼は塵となって消滅した。

 

 「────」

 「────」

 

 カチリ。

 何かが填まる音がする。

 

 「……■■さん」

 

 真弓さんがオレを呼ぶ。

 

 「……大丈夫。大丈夫だから」

 

 震えが止まらない。

 どうしてか、オレは目の前の少女の顔を見れなかった。

 



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022 指切り

 

 夢を見る。

 

 「ハア、ハア」

 

 その夢では、薄暗い鉄格子から絞首台まで歩かされている。

 

 カツン。

 カツン、カツン。

 カツン、カツン、カツン、カツン、カツン、カツン、カツン。

 

 死ぬのは怖かった。

 でも、これ以上生きるのも無理だった。

 誰もが相応の痛みを負って生きていると言うのに、自分はこの体たらくだったから、こうなった。

 

 「う、ぐ」

 

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 

 兎に角、気持ち悪くて怖気が走って仕方ない。

 こんなことを我慢しなければ他人と関われないのかと呆れもする。

 

 だけど。

 

 ■■■■には出来なかった。

 世渡りが下手だったとか、人一番不器用だったとか言い訳は幾らでも考え付くのに。

 

 「──っ」

 

 他人と関わることの努力が出来なかったんだ。

 

 「い、やだ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。可笑しい。……可笑しいじゃ、ないか。だって、そうだろ。ボクだって努力したんだ。頑張ったんだ。──なのに、こんな結果になるなんて間違ってるだろ!」

 

 絞首台が見えてきた。

 後一歩の距離に立たされた。

 抵抗したけど、それも取り押さえられて意味はなかった。

 

 「嫌だ! ボクは間違ってない! なあ! 間違ってなかっただろ!」

 

 首に縄がかかる。

 合図もなしに地面が足元を離れる。

 

 そうして。

 

 「ぐぅえ!?」

 

 ■■■■の短い生涯は幕を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジジジ。

 

 ノイズの痛みで、目を覚ます。

 

 「──っつぅ」

 

 微睡みが抜けない。

 苦しさが消えない。

 

 何より、我がことながらあんまりな最期に何もする気が起きない。

 

 「……」

 

 惨めだと思う。

 ■■■■の魂は擦り切れ、記憶の所々が虫食いなのに、それだけは忘れられないでいるのだから。

 

 酷い話だ。

 誰も救いの手を差し伸べない癖に、人を殺すことで自分を守った彼を世間は悪者として晒すのだ。

 

 「本当、──惨めだ」

 

 鏡の前で震える銀の髪の青年を見て、ボクはそう呟いた。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 今日もウルタール猫たちが鳴く。

 いつまでも、永遠に夢を見させようと舞台を整えるが、しかしそれも終わるだろう。

 

 時計の針が動かなくなるのと同じように、彼らも眠る刻が来るのだから。

 

 ◇

 

 「……大丈夫。大丈夫だから」

 

 そう言っても、体の震えが止まることはなかった。

 

 何故かは知らない。

 けれど、『エンドの鐘』の正体がオレを恐怖させているんだと思った。

 

 「────」

 

 真弓さんは何も言わない。

 それは、つまり。

 

 彼女は『エンドの鐘』がどういうものか知ってたから、オレがどういう反応をするか分かってたんだと思う。

 

 「……何なんだろう、な」

 

 知ってたのに、黙ってた。

 

 「本当、何なんだろうな」

 

 どうして?

 どうして?

 

 どうして黙ってたのかを考えると胸が苦しくなっていく。

 

 ドクン。

 

 オレに知られて都合が悪かったから、黙ってた?

 いや、違う。

 そんなことを話せるほど、オレに余裕なんかなかっただろ。

 

 思イ出セ、■■■■。

 七瀬勇貴とシて認知したオマエにそンナコトを話せるダケノ時間が彼女ニハ無カッタ筈ダ。

 

 「──っつぅ」

 

 頭が痛くなる。

 悪魔が必死で何かを隠そうと囁いてくる。

 

 「■■さん」

 

 いつの間にか、彼女がオレの手を握る。

 温かなそれに触れてると気持ちが軽くなる。

 

 ドクン、と心臓が高鳴った。

 

 「──っ!」

 

 咄嗟に、手を振りほどく。

 振りほどいてしまった。

 

 「……あ」

 

 憐みか、同情か。

 それとも悲しさでいっぱいなのか。

 少女は振りほどかれた自分の手を見つめるだけで、そんなことしたオレには何も言わない。

 

 「わ、るい。……けど、今はそれどころじゃないんだろう?」

 

 場違いに空気を換えようと話を逸らす。

 

 「そう、ですね。──そうでした。それどころじゃないんでした。……すみません、■■さん。私、何だか早とちりしてました」

 

 オレの言葉に彼女は謝る。

 

 「そんな、こと、ないよ。……でも、そうだな。記憶、取り戻したら話をしよう。今まで話せなかったこと、隠してたこと、全部話して欲しい」

 

 謝ることないのに、謝る彼女の目が未だに合わせれない。

 なのに、偉そうにオレはそんなことを宣った。

 

 「────」

 

 でも、帰ってきたのは無言だった。

 それは、オレの精一杯の努力も無駄だと言うこと。

 

 いや、これは努力じゃなく他力本願だと言い換えるべきなのに、自分のことがよく分からない。

 

 「……確か、──こうでしたっけ」

 

 そんなことを考えていると、真弓さんが握った拳の小指を突き出して来た。

 

 「──何、それ?」

 

 「何それじゃ、……ないです。これは、貴方が教えてくれたこと、です」

 

 今まで見なかった顔を見たら、

 

 「──っ」

 

 あんなにも不安だったモノが嘘みたいに無くなっていった。

 

 「約束する時は、指切りをするもんだって」

 

 そんなことを当たり前に言う彼女が眩しい。

 

 「そう、だな」

 

 オレは弱い。

 信じることの温かさを知っているのに、ずっと誰かを疑ってばかりいる。

 

 ああ、駄目だ。

 こんなんじゃ、きっと、また誰かの想いを奪っていくのに。

 

 「うん、そうしようか」

 

 でも、彼女の精一杯の勇気に、駄目なりに頑張っていこうと思えた。

 

 「決まりですね」

 

 身を乗り出す少女の小指にオレの小指を掛けていき、

 

 「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲~ます、──指切った!」

 

 ──そうして、道端に生えた花のような在り来たりの少女の笑みにオレは勇気を貰った。

 

 「ああ、切った。──指、切ったよ」

 

 熱くなる頬に伝う涙。

 弾む心で、流れる滴を拭う。

 

 「そんじゃ、──行くか」

 

 そのまま寮館ロビーの大鏡へと気持ちを切り替え、足を進ませる。

 

 「はい!」

 

 先ほどまでと違い、真弓さんは元気な声で返事をした。

 

 ギュッ。

 先を行くオレの手に誰かの温もりが伝わる。

 

 「──!」

 

 きっと彼女と一緒なら、どんなことでも乗り越えられるな。

 

 ──そう思いながら、オレは鏡に触れた。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 すると引きずり込まれるようにして、オレたちは鏡の中へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よう」

 「…………」

 

 鏡の中にて、二人の愚者が再会する。

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 

 偽りの世界、無意味な葛藤。

 少女の終わりを鐘が告げる。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 そんなオレたちを遠巻きに影絵たちは嘲笑う。

 

 「約束通り、返して貰うぜぇ──記憶をな!」

 

 指を突きつけながら、黒髪の少女──藤岡飛鳥にそう言った。

 



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023 自分のことだからね

 

 広がる波紋。

 堕ちる一滴の何か。

 

 ポチャリ。

 

 鏡の中に飛び込んだオレたちを出迎える黒髪の少女。

 

 「よう」

 「…………」

 

 声を掛けてもそいつは呆然とこちらを見つめ続けた。

 

 「約束通り、返して貰うぜぇ──記憶をな!」

 

 だが、構わずオレは指を突きつけ、そう告げた。

 

 「──っ」

 

 息を呑む声がする。

 しかし、小刻みに震える肩を抱くそいつは沈黙を貫いた。

 

 それは、数秒の静寂だったか。

 それとも、数分にも及ぶ黙祷だったかは分からない。

 

 だが、確かな間があったのは事実だ。

 

 「ク、ククク。……やく、そく。約束、約束、約束、カ。……イヒヒ、ヒ、ヒャ、──アッハハハ!!!」

 

 それらを破る嘲笑。

 狂ったように吐き出されるそれは揺るがない。

 

 「傑作、だ。これは確かに傑作と言わざる得ないね。アレが厚顔無恥と罵るのも無理はない。……忘れる。どうせ、また忘れるよ。何度、繰り返したと思う。何度、無様に渡したと思う。……七度。七度だ。そうして、ここまで夢を見続けた。無意味な連鎖を繰り返した」

 

 手を伸ばす少女は、オレを見る。

 オレを見て、黒髪の少女──藤岡飛鳥は叫んだんだ。

 

 「オマエには終われない! 否、オマエだからこそ、それは出来ない! そうだ。──それを手放すことが出来ないオマエに、出来るものか!」

 

 目を剥きながら叫ぶ藤岡に後ずさる。

 その叫びの根幹をオレは知らなかったから、委縮した。

 

 ギュッ。

 

 「知らない。お前がオレの何を知ってるだとか、この状況がどういうカラクリだっただとか、そーいうの全部知らねーよ」

 

 けれど、握られた手の温もりがオレに勇気をくれる。

 傷ついても、また立ち上がろうと支えてくれる。

 

 だから。

 

 「けど! それを! ──オレが知らなきゃ、始まらないんだ!」

 

 片腕で青と赤の螺旋を振り抜き、藤岡へ構える。

 

 「■■さん」

 

 傍にいる少女が手を放す。

 けど、大丈夫。

 傍にいる。

 傍でオレを見てくれている。

 

 ドクン。

 

 その事実がオレを前へと進ませる。

 

 「何も知らない癖に! 何もかも忘れちゃう癖に!」

 

 叫ぶ藤岡の手には何もない。

 いや、彼女の傍には誰もいない。

 

 「知らねぇ、知らねぇ、──知らねぇえよ! けど、それをこれから全部知っていく!」

 

 数メートル先の間合い。

 権能を使えば一瞬で片が付く距離。

 

 「だから、返せ! そいつはオレが背負わなきゃいけねーんだ!」

 

 でも、斬らない。

 魔術破戒(タイプ・ソード)で切り倒すのは簡単かもしれない。

 

 けど、それは逃げだと思うから。

 此処まで支えてくれたコイツに対しての誠意をぶち壊すものだって分かるから。

 

 だから、オレは少しでも藤岡の意志を尊重したいと身勝手に手を伸ばす。

 

 「何だよ、それ。……ふざけるな。ふざけるなよ。──渡さない。渡してなんか、やるもんか」

 

 ダンッ!

 地団太を踏む影法師。

 すると藤岡の姿が消えようとする。

 

 ──しかし。

 

 ピシリと地べたが罅割れ、観客たちがキキキと嗤う。

 

 「嘘。──ま、待って」

 

 慌てだす藤岡に、先ほどまでの強気が嘘のように消える。

 

 パリン。

 パリン。

 パリン!

 

 周囲から硝子の砕ける音が止まない。

 

 「──っつぅ」

 

 ぐるぐる回るような酔いがオレを襲い、吐き気を催す何かが頭を掠めていく。

 

 ジジジ。

 視界がブレる。

 

 「──っが、っは」

 

 思わず膝をつく。

 頭の中を虫が這いまわるような激痛が走る。

 

 「ぐぅ、ううう!」

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 見るもの全てが砂嵐となっていく。

 

 「……■■さん」

 

 真弓さんが声を掛ける。

 

 「──待ってます」

 

 ギュッと抱きしめられた気がする。

 

 「ああ、……待って、て、くれ」

 

 堕ちる。

 深い底へと堕ちていく感覚がやって来る。

 

 そうして。

 

 「まあ、良いさ。──どうせまた此処に戻るとも」

 

 夢へ誘う少女が呟くと、意識が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジジジ。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 目を覚ますと僕はそこに居た。

 

 キキキ。

 キキキ、キキキ、キキキ、キキキ!

 

 「エラーコード受諾。サンプルデータ解読開始」

 

 いつかの少女の声で流れるガイダンス。

 僕は椅子に腰かけながら、幾つものモニターを眺めてる。

 

 暗転。蓄積。

 終結。解放。

 

 字の分で描かれる理解不能な言葉たち。

 

 ドクン、ドクン。

 鼓動。鼓動。孤独。脈動。終末。永遠。

 

 モニター中に広がる文字列。

 科学が遅れた住人たちに無縁なそれを、何故だか僕は知っている。

 

 回せ、回せ。

 有限、時間、やり直し。

 戻せ、戻せ。

 記憶、改竄、漂白、昇華、記録、削除。

 

 劇を眺めるように、映し出される怪文を『僕』は見ている。

 

 「どうカな。上手ク、見レて■かい?」

 

 突然、モニターを見ている僕の前に黒髪の少女が立った。

 

 「■ん、大■夫だよ。見レ■る」

 

 少女を手で退かし、画面に流れる文字列(きおく)を必死で思い出そうとする。

 

 「無■、■理。キ■にソレを思■出■るも■かい」

 

 でも、そんな自分を彼女は画面から引き離そうと必死だ。

 

 ドクン。

 ドクン、ドクン、ドクン。

 

 「そ■そも、キ■は勘違イして■ル。こノ記憶ハ、『七瀬勇貴』ノ■ノじゃ■い。全て、『藤岡■■(ゆうき)』■モノだ。■ミが頑張ッたと■ろで無意味ダとモ」

 

 手を振り解こうが、隣に少女はやって来る。

 

 「ソウダ、ソ■ダ! 意味ガなイ! そレ即ち、無駄、無意味、無価値、無謀、無理、無想ノ虚無で■かナイ! ──だから、……止めてよ!!!」

 

 身体が揺すられるのもお構い無しに、画面に流れる文字を必死で追う。

 

 「もう嫌なの! あんな最期はゴメンだって彼は思ったの! 嫌な人生だったって思い続けて死んだの!」

 

 演じるのを止めた少女。

 空っぽで居続けることで『藤岡■■』の記憶を胸に秘め続けた幻想。

 

 第三の自分を騙り続けたそいつは、しがみついて離れない。

 

 「イジメられても、愛されなくても、振り向くことなく生き続けたのに奪われたの! そんな仕打ちをされたのに貴方はもう一度、生き返れって言うの? ……ふざけないで。ふざけないでよ! それはやっていい所業じゃないでしょう! ──あんまりだ、あんまりだ。そんなの、辛すぎるだけだよぉ」

 

 肩を揺らして泣き叫ぶ奴を(オレ)は知っている。

 どうして、まだ少女の姿を取り繕ってるのも知っている。

 

 でも。

 

 「うる■い」

 

 それを振り払ってでも、オレたちはこの記憶を取り戻さなきゃいけない。

 

 「なん、で。……なんで! どうして! どうして、またイキタガルの? ……見せたじゃない。()()へ来る度に、絶望したじゃない! ……意味分かんない。──これに、そこまで尽くす価値なんかないでしょ」

 

 「……あルに、決■ッテんダろう!」

 

 見ただけで解った気になった少女にカチンと来てしまい、思わず叫び返す。

 

 でも、そうなるのも無理はなかった。

 だって、それは。

 

 「奪ッタんダ。託サ■タンだ。みンな、そうまでシて縋っ■モノヲ全部切リ捨テタンダ!」

 

 ──迷いながらも進んだみんなの夢を否定するものだったから。

 

 「──っ」

 

 少女の肩を掴み、叫び続ける。

 

 「人間ニナりタイっテ願イも、好キダって言ッタヤツと会ウ夢モ、タラレバの未来モ全部無カッたコトにシチマッタノニ! ──それヲ今更意味ガナイと笑えルか!」

 

 多くの願いを切り捨てた。

 多くの間違いを犯した。

 七瀬勇貴はそうやって今に至れた。

 

 なら、駄目だ。

 奪った責任を負わなくちゃ、彼らのしてきたことに意味がなくなってしまう。

 

 だから。

 

 「勝手ニ決メん■よ。価値トカ意味トカ、そんなノハ自分デ決■ル!」

 

 そうして、画面の向こうへ手を伸ばす。

 

 すると。

 

 カチリ。

 何かが合わさり、モニターの記号が僕からオレを戻していく。

 

 「……嫌、そんなのあんまりよ。──好きなの。愛してるの。まだ、それを手放したくないの!」

 

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。

 心臓が鼓動し、失われた記憶が『七瀬勇貴』を通じオレと結合する。

 

 「──ッゴハ」

 

 嫌悪感がやって来る。

 生きたくないと懇願するそれに吐き気がする。

 どうしようもない自己嫌悪と共に思い出したくない過去が頭へ刷り込まれていく。

 

 ドサッ。

 黒髪の少女が倒れる。

 

 「止メ、ロ。早ク、手放セ! ……クソ。キミなんか。キミなんか、嫌イだ!」

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 そんな少女を影絵たちが嗤う。

 

 「あア、──よく知ッ■ルよ」

 

 地に伏せる少女、■■飛鳥へそう言うと僕はその場に倒れ込むのだった。

 



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024 一難去ってまた一難

 

 囚われの過去(ゆめ)を見た。

 それは遠い世界の話であり、──温かく、冷たく、心が踊るような青年の悲劇だった。

 

 人によっては、ありきたりと思うだろう。

 多くの者がその抽象に曖昧で、酷く矛盾したものを感じた筈だ。

 

 その通り。

 貴方の認識は正しい。

 正しいが故に、──間違えている。

 

 まあ。そもそも視点が違うのだから、そう思うのは無理からぬ話ではある。

 だが、これは矛盾などしていない。

 そういうもの()()()が故に、事実としてこの夢は顕在を赦されている。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動し、白紙の魂のコードを書き換えていく。

 

 「────」

 

 此処は、夢の果ての最下層にして、不可侵の領域。

 魂魄の花が一面に咲き誇る、この世を迷う死者たちが眠る場所。

 

 そこに未だ夢に囚われる、姿を変える愚か者がいた。

 

 黒髪を、銀髪に。

 黒目を、碧眼に。

 感情のない心に大罪(エゴ)を与え、太らせよう。

 

 影絵たちは嬉々として謳い出す。

 

 キキキ、キキキ。

 キキキ、キィキキキ。

 

 だが、それも終わる。

 残り少ない瘴気(コード)を取り込み、白紙の魂は完成へ至り始めたのだから。

 

 「ククク。……モウスグ、ダ」

 

 ──そう嗤いながら、悪魔(ワタシ)は次の魔導魔術王(ワタシ)の復活を待ちわびる。

 

 だが。

 

 「クスクス、クスクス。まだそんな夢を見ているのですか、ご主人様」

 

 そんなワタシを嘲笑う声が聞こえた。

 

 「……誰カト思エバ失敗作デハナイカ」

 

 気配のする方を向く。

 すると、そこに学生服を着た女がいた。

 

 「まあ、酷いことを(おっしゃ)ります。こんなにもお慕いしておりますのに、失敗作だなんて。──魂を注いだ力作でしょうに」

 

 「アア。ソレ故ニ、残念デ仕方ナイ。オマエガ愛シキ人ニ至レナカッタオマエヲ、失敗作ト言ッテ何ガ悪イ?」

 

 創造主に反旗を翻すとは、やはり二重の意味で失敗だったと切り捨てる。

 そんなワタシに少女は、顔を赤らめ激昂する。

 

 「ええ、──ええ! そうです。そうでしょう! 確かにその点を見れば私は失敗作です。どんなに結果を残そうと貴方の心には響くことはないでしょう。ですが、それもここまで。喜ばしいことに、あれは人並みの欲を。いえ、意志を獲得しました」

 

 「ククク」

 

 滑稽の文字が浮かんだ。

 それもその筈。

 この世界に踏み入れた以上、ワタシの決定に抗う術はないと言うのに、まだ対等であると思い込んでいるのだから。

 

 「フン。──マア、良カロウ。ドウセ貴様ノ企ミモ潰ス。精々、今ノ内ニ嗤ッテオクコトダ」

 

 そう言いながら、ワタシは世界の電源を落とすのだった。

 

 ◇

 

 「う、ぐぅ」

 

 息苦しさに目を覚ます。

 

 ズキリ。

 頭が悲鳴を訴える。

 

 「い、つぅ──」

 

 そんな自分を出迎える、波紋が広がる虹の空。

 いつもと違う始まりに戸惑いながら、オレは痛みを我慢する。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する度、頭が割れそうだ。

 

 「あ、──がぁ」

 

 もしかしたら、この痛みは──。

 

 誰に咎められることもなく。

 誰に蔑まされることもない、──そんな夢を望んでたオレが。

 そんな夢を終わらせようとしてるのを神様が赦さなかったから起こってるのかもしれない。

 

 「……此処は?」

 

 ズキズキと痛む身体を引き摺って、重い頭で辺りを見渡す。

 すると、近くに黒髪の少女が横たわって居た。

 

 「ああ……そうだ」

 

 そこで自分が横たわる藤岡と対立し、『藤岡■■』の記憶を取り戻したことを思い出す。

 

 ズキリ。

 

 「い、たぁ」

 

 違う。

 何か忘れてるような。

 それも致命的なことを見落としてる気がしてならない。

 

 「おはようございます、──勇貴さん」

 

 「うん? ああ、おはよう」

 

 そんなことを考えてると、真弓さんが声を掛けて来た。

 

 「おめでとうございます。無事、『記憶』を取り戻せたようで何よりです」

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 真弓さんの()()の瞳がオレを見つめてる。

 その目で見られることが好きだった筈なのに。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 可笑しい。

 『記憶』を取り戻したというのに、ちっともオレの容態は変わらない。

 まるで、靄のようなモノがオレという人間を搔き消してるようでならない。

 

 「どうしました?」

 

 紺の髪の彼女が心配そうに笑う。

 

 「どうしたも何も──」

 

 ジジジ。

 言葉が詰まる。

 何か大事なことを言おうとしてるのに、酷く頭が痛む。

 

 「──いや、何でもない。どうやら、考え事をしてたみたいだ。気にするな」

 

 そう言って彼女を安心させようと笑い返す。

 

 「そう、ですか」

 

 『少女』は酷く残念そうに落ち込む。

 

 「──?」

 

 何だ?

 何が、こんなに引っ掛かる?

 

 記憶は取り戻した。

 藤岡飛鳥は無事、■■飛鳥に戻った。

 そうすれば、僕こと七瀬勇貴は無事、過負荷(オーバーロード)に耐えられるだけの能力を手にすることが出来る。

 

 「────」

 

 変だ。

 いや、オレはいつだって変だった。

 それは、この世界に来てからもずっと変わらない。

 

 けど。

 

 ────「ああ。言っておくが名城殿ではないぞ。彼女はこの時間だとまだ介入出来ていないから無理だ。此処に来れるのは──」

 

 「──あ」

 

 紺色の髪を掻きながら、ゆっくりと歩み寄る彼女は薄ら笑いを浮かべてる。

 

 「違う」

 

 眠ったら時間が巻き戻る、なんてルールが明言されている訳じゃない。

 これは、思い込みと同時に憶測でしかない。

 

 ……でも、この引っ掛かりはきっと、間違いない。

 

 「お前は、──誰だ?」

 

 目の前の『名城真弓』と思い込まされた少女にオレは問う。

 

 「さあ、──誰でしょう?」

 

 そんなオレの問いを『学生服』のスカートを翻して、少女は答えたのだった。

 

 ゾクリ。

 悪寒が走る。

 

 「──っ!?」

 

 仰け反りながら、青と赤の魔術破戒(タイプ・ソード)現実化(リアルブート)させる。

 

 「クスクス、クスクス」

 

 真っ赤な瞳がオレを離さない。

 

 「キキキ。キキキ、……キキキィイ」

 

 少女の足元から得体の知れない何かが這い出てくる。

 

 「な、何だ?」

 

 影とかそういう不定の存在ではない。

 でも明らかに人間ではない真っ赤な手が伸びてくる。

 

 「クス、クス。何だと思います?」

 

 ギョロリと睨む黄色い眼光。

 クチャリと滴る涎を垂らし、這い出るそいつは赤いクレパスで描かれた猿。

 

 「キィキキキキキキ!!!」

 

 奇声を上げ、目の前に這い出た化け物が腕を振るう。

 

 「──うお!?」

 

 ガキン!

 振るわれた腕を思わず弾き、火花を散らす。

 

 「キィイエア!?」

 

 腕の一閃を弾かれた化け物は、放物線を描くように少女の元へと下がる。

 

 「な、んだ? 軽い?」

 

 一撃が軽い。

 瞬きする間もなく振るわれた化け物の攻撃は寝起きのオレでも往なせるほどの威力だった。

 

 だが。

 

 「おやおや? 敵を前に目を離すなんて、随分と余裕なお方ですね」

 

 耳元で少女の声が囁かれてしまう。

 

 「うわっ!?」

 

 一瞬のことで驚く。

 慌てて声のする方へ魔術破戒(タイプ・ソード)を振るう。

 

 「──って、え? 居ない!?」

 

 しかし、それも虚しく空を切るだけで何の手ごたえも感じられなかった。

 

 「クス。そちらには居ませんよ」

 

 今度は背後から聞こえる。

 

 「後ろか!」

 

 ドクン。

 気配を辿り、幻影疾風(タイプ・ファントム)を発動させる。

 

 ──だが。

 

 「──は? 居ない?」

 

 そこに少女の姿はなく。

 

 「本当、どうされたんです? 権能(チート)の乱用はお身体に毒ですよ」

 

 べちゃり。

 突然、顔に赤黒い泥のようなモノがぶつけられ、視界を奪われる。

 

 「──っべ」

 

 不味い!

 そう思った時には、もう遅く。

 

 「キィイイイイイイイ!!!」

 

 腹に衝撃が走り、身体が宙を舞う。

 

 「ぐふっ!」

 

 そして、そのまま遠くの方へ飛ばされてしまう。

 

 「ほら、──そうなるとこうなります」

 

 痛かったですか、と言葉尻に呟かれる。

 少女の姿を追おうにも、身体が鉛のように重くなり動けない。

 

 「そのまま寝ててくださいね。飛鳥は回収します」

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 視界に砂嵐が走る。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 モノクロの耳鳴りがして、頭痛を訴える。

 

 「がっ、──あ」

 

 でも、駄目だ。

 このまま、正体不明のヤツに■■飛鳥を奪われたらきっと後悔する。

 

 「止め、ろ」

 

 動けない。

 よく見ると、得体の知れない赤い猿に覆いかぶされてるだけだった。

 

 けど、関係ない。

 身動きが取れないという点では同じだ。

 

 「退け、よ。この、クソ猿」

 

 遠くなる。

 手を伸ばそうとも、少女が飛鳥に何かを振りかけようとしている。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動し続ける。

 

 「退けって、言ってんだろ」

 

 ドクン/動け。

 ドクン/動け、動け。

 ドクン、ドクン/動いてくれ、オレの身体。

 

 駄目なんだ。

 このままじゃ、駄目なんだ。

 

 ────「それでは、キミの活躍に健闘を祈る」

 

 また殺してしまう。

 僕に手を貸した少女を殺してしまう。

 

 ────「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 何が駄目かって?

 決まってる。

 

 ────「私たちの願い、──いや、(フィリア)の夢を」

 

 そんなことをしたら、今度こそ『僕』を助けた少女の夢を叶えられなくなるだろ!

 

 「──っらぁ!!!」

 

 「キキキ!!?」

 

 火事場の馬鹿力で化け物を退かす。

 そのまま、青と赤の螺旋を振り抜く。

 

 「ですが、現実とは残酷なものです」

 

 少女が呟く。

 すると、目の前が真っ暗になる。

 

 「うがっ」

 

 視界ゼロ。

 真っ暗な世界をいつもの視界に戻そうと自己投影(タイプ・ヒーロー)を発動させる。

 

 しかし。

 

 「無駄です。思い込みでどうにかなる問題ではありません」

 

 何かが弾かれたような感触を覚え、オレの視界は真っ暗に閉ざされたままになる。

 

 「──っ」

 

 手も足も出ない状況。

 絶体絶命の窮地。

 言外に告げられる否定の弾劾を前に膝を屈しかけた時。

 

 「確かに、そうかもしれませんね」

 

 馴染みのある少女の声がした。

 

 「──何?」

 

 奇跡だった。

 再会することは叶わないと思ってた。

 

 けど、思い返したら一度も彼女は復活出来ないと明言した訳じゃなかった。

 

 「──光よ!」

 

 真っ暗な視界に光が宿り、目の前に現れる少女の姿を確認する。 

 

 腰まで届く茶色の髪。

 大空のような青い眼。

 

 そのどれもが懐かしく、同時に海原に光を届ける希望がオレの目に灯る。

 

 「フィリ、ア?」

 

 呟くように、少女の名前を呼ぶ。

 

 「──はい! 貴方のヒロインのフィリアちゃんです!」

 

 すると、こちらを振り向き、彼女は向日葵のような笑顔を見せたのだった。

 



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025 正体夢

 

 「──光よ!」

 

 辺り一面に光の雨が降り注ぐ。

 

 カツン。

 すると、オレの前に少女が現れる。

 

 「フィリ、ア?」

 

 名前を呟く。

 

 「──はい! 貴方のヒロインのフィリアちゃんです!」

 

 そう言って、現れた少女──フィリアは微笑むのだった。

 

 「なるほど。此処で、貴女が来ますか」

 

 学生服の少女はクスクス笑ってるが、そこに先程までの余裕は感じられない。

 

 「勿論。例え、記憶を引き継ぐだけの別物だろうと愛する人の元へ駆け付けるヒロインですので、私」

 

 可愛いですよね、とかウィンクするフィリアは可愛い。

 

 ──だが。

 

 「そうですか、そうですか。まあ、順序が変わっただけで計画には支障はありませんし、貴女諸とも処分すれば問題はありません」

 

 くるりと謎の少女のスカートが翻る。

 

 カツン。

 靴音を鳴らす。

 

 「キキキ」

 「キキキィ?」

 「キキッキ!!!」

 

 足下から無数の赤い化け物が這い出て来た。

 

 「増えたぞ!?」

 

 仰々しいそれ。

 形のない怪物。

 どいつもこいつも同じ見た目をしており、強いのか弱いのか分からない。

 

 「クスクス、クスクス」

 

 紺の髪を搔きながら、少女は嗤う。

 

 「さあ、お行きなさいな、同胞(エイプ)たち」

 

 呟くような処刑宣告。

 命じられるまま、エイプと呼ばれる赤い怪物たちは奇声を上げて動き出す。

 

 「勇貴さん、──来ます!」

 

 フィリアがオレの傍に駆け寄りながら、そう叫ぶ。

 

 「ああ!」

 

 再び、赤と青の魔剣を構え直して、フィリアの叫びにそう返した。

 

 「「「「「キキキキキキキィイイイ!!!」」」」」

 

 赤い怪物、『同胞(エイプ)』との死闘が今、始まった。

 

 ◇

 

 ふと、この世界に浸り続けていると、現実と夢の違いは何かを考えてしまう。

 

 それは、気の迷いで。

 それは、してはいけないことだ。

 

 しかし、一度考えてしまったら、もうその疑問が頭から離れることはなくなってしまった。

 

 それは、神としての進化を願う自分にとって思考してはならぬ決まりごとだというのに。

 

 「全ては、あの女だ。あの女が悪いのだ」

 

 今、自分は薄氷の上に立たされた状況だ。

 袋小路に追い詰められていると言い換えても問題ない。

 それぐらい自分は、ウェイトリー=ウェストは危機的状況に陥らされている。

 

 「く、そぉ。なーにが、これこそ神である第一歩なのですよ、だ。違うではないか」

 

 再生する能力は持っていない自分。

 神という上位存在へ至る為ならば何だって犠牲にしてきた自分。

 女の戯言を聞き入れたが故に騙された哀れな男の末路であった。

 

 ────「すぴー、すぴー。ああ、ウェイトリー。貴方の実験なのですが、数万回も繰り返すなんて無駄も良いところだと思いませんか?」

 

 初めはそんな甘言だった。

 愚直にも魔導魔術王(グランド·マスター)の命令通りにしていた我を女はそう誑かしたと思う。

 

 ────「いえいえ。魔導魔術王(グランド·マスター)の理論は確実です。不確定要素もなく順調に計画(プラン)は実行できるでしょう」

 

 囁くように並べられた戯言。

 だが、あの時の焦っていた我にとってそれは魅力的なものに見えた。

 

 そう。神様に至れたとしても、自分という思想が引き継がれないと悩んでいた我にはノアの方舟のように思えたのだ。

 

 ────「近道。これは、回り道する貴方に『魔導魔術王(グランド·マスター)』が魂を注いだ作品の私が教えられる最高の攻略法です」

 

 だが、それに荷担したのが間違いで。

 そこから我らの『神へ至る計画』の歯車がズレたのは事実。

 

 ────「イヒヒヒヒ! 良いですわ、良いですわよ! そっちがそのつもりならアタクシにも考えがあります!」

 

 アトラク=ナクアと言い争うことが増えた。

 同じ理想を持っていた彼女と縁が切れたのがいつからだったのかは思い出せない。

 というより、それを思考するということが出来なくなった我にはどうしようもないことだった。

 

 ────「まあ、お酷い。ウェイトリーはこんなにも頑張ってるのに、それを許容しないだなんてアトラク=ナクアも酷いですね」

 

 都合の良い言葉。

 耳元で囁かれる甘言は、いつだって我の味方をしてくれる。

 

 ────「そうです。そうなのです。やっと分かって頂けましたか、ウェイトリー=ウェスト。彼女は貴方を見ていない。只、貴方を通して魔導魔術王(グランド·マスター)計画(プラン)の遂行を遵守してるに過ぎません」

 

 嘘とは事実を交えるからこそ、信憑性が増す。

 『ウェイトリー=ウェスト』になる愚か者だった我はいつだってそんな嘘に騙され生きてきた。

 

 なのに、同じ過ちを犯すのはどうしてなんだ?

 

 「う、ううう。あた、まが痛い」

 

 考えるとそこから麻痺した痛みが全身を襲う。

 

 「どうしてだ? どうしてなのだ? 貴様の言う通りにしていたら、我は神様になれたのか? なあ、教えてくれよ。……教えて、くれ、魔導魔術王(グランド·マスター)

 

 今は亡き男に問う。

 だが、そんな問いに誰も答えない。

 

 「哀れ。なんと、哀れなことか」

 

 傷だらけの身体。

 自分より上位の神様を取り込めば、人間から完全な神へと進化出来る。

 そんな与太話を信じて、我は真世界帰閉ノ扉(パラレルポーター)を開こうとした『ナイアルラト=ホテップ』を襲った。

 

 「ぐふぅ。……それが、この結果」

 

 愚か。

 余りにも愚かだった。

 あんなにも魔導魔術王(グランド·マスター)は忠告してくれたのに、我はそれを破ってしまったのだから。

 

 ────「ククク、ウェイトリー。それは浅はかだ。ナンセンスだ。例え、夢世界の中であろうと『外なる神』を敵に回してはいけないよ。そうしたら最後、あれはワタシであろうとも全てを狂わせるだろうね」

 

 「何、立ち上がろうとしている?」

 

 頭を踏みつけられる。

 

 ジジジ。

 嗚呼、何故。

 神である我が何故、こんな仕打ちをせねばならぬ?

 

 「フム。また洗脳状態に戻ったか。実に都合の良いことだな、ウェイトリー=ウェストよ。オマエは本当に哀れな道化だ」

 

 神父が嗤う。

 地を這う虫けらを潰しながら、モニターの画面を眺めるそれは正に悪辣な神そのもの。

 

 「嗚呼、退屈だ。退屈で、退屈で、死にそうだ」

 

 そう呟きながら、外なる神──『ナイアルラトホテップ』は画面に映る銀の髪の青年を見つめ続けた。

 



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026 きっと、それが一番の大罪

 

 環境が悪いと人間は、卑しく育つものだとよく言われる。

 

 それは、間違いなかった。

 誰よりも自分はそうだったし、そういう人間の最期を多く自分は見てきた。

 

 「おい、ヨナンガ! テメェ、何、仕事サボってやがる!」

 

 よくそう言いながら自分の頭を叩いた雇用主もそうだ。

 

 「ああ、ヨナンガ。愛しい、愛しいヨナンガよ。さあ、早く私にそれを貢いでおくれ」

 

 少ない給料を集る親も。

 誰も彼も自分のことばかりで、救いを求める手を取らない。

 

 「死ね! お前なんて死ねば良いんだ!」

 

 そこらに違法で経営する露店の兄ちゃんも。

 

 「なんて意地汚いの! この穀潰し!」

 

 人の良い教会に住まう聖職者(シスター)の姉ちゃんも。

 

 「薄汚い」

 「死ね」

 「消えろ」

 「頼むから来ないでくれ」

 

 浮浪者も。馬車に乗ったお偉いさんも。自分を好きだと愛を誓った誰かも──。

 

 「「「「た、助けてくれ! 命だけは取らないでくれ!!!」」」」

 

 みんな、最期には決まって命を乞うのだ。

 

 「面白い。実に良い異能を持ってるね」

 

 喧嘩を売ってきた野郎の死体を捌いてる時だった。

 黒いローブの、その男は飄々とした物腰で自分に声を掛けて来た。

 

 「アァン? 何だぁ、オメェ?」

 

 何もかもが目障りで仕方ない自分は、その態度が気に食わなかった。

 だから、強気な態度で鬱陶しいと恫喝することにした。

 

 「だが、駄目だ。存分に終わっている。折角の才能もこれではパーというもの。──フム。腐らせるのも忍びないし、どうだろう? ワタシの下僕にでもなりたまえ」

 

 だが、返ってきたのは挑発だった。

 てっきり脅しに屈してくれるものだと思ってたから、その切り返しはないと思ってた。

 

 だって、そうだろ。

 数十人ほどの死体処理をしていたヤツの挑発を返すヤツが居るとは思わないだろう。

 

 「上等だ!!!」

 

 まあ、それが我と魔導魔術王(グランド·マスター)との出会いだった。

 今にして思えば、自分でも馬鹿な野郎だと自覚してる。

 

 ◇

 

 「キキキキィイイイ!!!」

 

 無数の咆哮とべちゃりと滴る赤黒い何か。

 猿のような身のこなしで化け物たちが宙を舞う。

 

 「──叩き切るぅ!」

 

 一直線に跳躍するそいつらに向け、握った魔剣を振るうと、

 

 「キギィイイ!?」

 

 数匹がその一閃を避けることが出来ず、血飛沫を上げ霧散する。

 

 「キ、キャッシャアアア!!!」

 

 それでも化け物は怯まない。

 一秒、一秒を休む間もなくオレに向かって襲いに来る。

 

 だが。

 

 「させません!」

 

 フィリアによる光の雨が臆することなく向かってくる化け物へと放たれる。

 

 「キキ、ギャ、グゥギャアアア!!?」

 

 数十匹の奇声。

 その悲鳴染みた奇声を掻き消すよう、オレは魔術破戒(タイプ・ソード)で見様見真似の一閃を振るい続ける。

 

 ドクン。

 

 「──ッシャ、オラァアアア!!!」

 

 その度に鼓動する心臓。

 気合を入れなければ倒れてしまいそうな激痛に耐えながら、化け物たちを斬り倒す。

 

 「光よ!」

 

 間合いへ入られる前に攻撃を放ち続けたお陰か、徐々にその数を減らしていく化け物たち。

 

 弱い。

 先ほどまでの意味の分からない力は増殖したそれには微塵も感じられなかった。

 

 だから。

 

 「これで、──ラスト!」

 

 残り一匹となった化け物を斬り倒す。

 

 「キキキキキィイイイ!!?」

 

 そうして、同胞(エイプ)と呼ばれた化け物は一匹も残さず消滅した。

 後は、謎の少女を倒すだけ。

 

 そう思い、駆け出そうとした時。

 

 「まあ、とてもお強いのですね、──勇貴さんは」

 

 「──な?」

 

 紺の髪の少女の姿が薄れていくのが見れた。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 それを嘲笑うように、影絵たちが嗤い出す。

 

 「でも、本当に良いのです? 飛鳥などにかまけてしまって」

 

 陽炎のように、ゆらゆらと消えていく少女目掛けて一閃する。

 

 「無駄です。私はもう此処には居ません。残滓を斬ったところで、私という人間のコードは消滅することはないんです」

 

 クスクス笑う誰か。

 真実を知る故の傲りか、少女は口許を押さえて声を押し殺している。

 

 「クスクス。では、また次があるのなら、その時を楽しみにしていて下さいね」

 

 ゆらゆら。

 ゆらゆら。

 

 そうして、言いたいことだけ言って少女は煙のように姿を消すのだった。

 

 ◇

 

 「一体、何だったんだ?」

 

 謎の少女が消え、呆然とする。

 何の目的が有って、オレの前に現れたのかとか考えても考えても答えが出ない。

 

 「というか、彼女は誰だ?」

 

 オレを知ってて、何より■■飛鳥のことを回収するとか言って襲おうとしていた。

 真弓さん以外にも、今の現状がどうなってるのか解ってるような口振りをしている。

 

 「本当、何なんだ?」

 

 いや、それよりも今は──。

 

 「そうです、そうです。そんなことを考えるより、最愛の人との感動の再会なんですよ? キスの一つや二つするべきところでしょう」

 

 ……。

 

 「あれ? 何です、その目は? だって、恋人との再会は涙を流しながら抱擁が定番だって言うじゃないですか!」

 

 いや、漫画やアニメじゃそうだろうけどさ。

 うーん、いや、でも。

 

 「さあさあ、早く! 好き! 愛してる! か~ら~の~抱擁のあまりのベーゼを!」

 

 両手を広げながら、歩み寄るフィリアにたじろぐオレ。

 

 「んーちゅっ(ハート)」

 

 「止めい!」

 

 パシン!

 

 「ふんぎゃっ!」

 

 目を瞑りながら、こちらに飛び込んでくるフィリアを思わず叩き飛ばす。

 

 「──っは! わ、悪い! 大丈夫か!?」

 

 そのまま勢いよく転んだ彼女を心配し、傍に駆け寄る。

 

 「大丈夫です……って、アハハ」

 

 起き上がろうとしたフィリアは、オレの顔を見るなり笑い出す。

 

 「な、何だぁ? やっぱり、何処か頭でも打ったか?」

 

 突然笑い出す彼女を更に心配する。

 

 だが、

 

 「いや、違うんです。やっと、憑き物が落ちてくれたんだなって思ったら、嬉しくって」

 

 そんなオレを見て、フィリアはそう言って自分の力で立ち上がる。

 

 「──憑き物?」

 

 何を言い出すんだと思った。

 でも、フィリアは真っ直ぐオレを見続けながら話を続けた。

 

 「そうです。これまで誰かの為に動いて、誰かの為に戦って。そうして、誰かの願いの為に立ち上がろうとする貴方がようやく何気ないことを本当の意味で拒むことが出来るようになったんです。──ええ、それが私は堪らなく嬉しいのです」

 

 頬に涙を伝いながら、フィリアは話す。

 その姿は、今のオレを心から喜んでくれているんだと思えた。

 

 「そっか……ありがと」

 

 でも同時に、悲しんでるようにも見えたのは、きっと気のせいじゃない。

 

 「はい、……ぞうでず、ぞうでずぅ……ぐずぅ──バカ」

 

 喜びに溢れた声が、徐々に啜り泣く声に変わっていたのだから。

 

 「あー、……泣くなよ」

 

 抱き締めることは出来ない。

 多分、オレにはその資格がないだろうから。

 

 「うる、ざい……でずぅ」

 

 フィリアがオレを睨む。

 目は反らさない。

 どうしてか、そうすることだけは駄目だと思った。

 

 だから。

 

 「そうかい、そうかい」

 

 フィリアが泣き止むのを只、見つめ続けた。

 



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027 世界滅亡までのカウントダウン

 

 ぐるぐる回る、夢の中。

 ぐるぐる回す、螺旋の渦。

 耐え難い現実は見ない振りが一番で、見たくもない明日は輝かしい妄想で埋め尽くそう。

 

 そうすることが『男』の始まり。

 そうすることが神様の目論見。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 みんな、みんな狂いだす。

 世界規模の混乱こそが愉悦とはよく言ったものだ。

 やはり、人間なんぞ二足で歩く猿でしかない。

 

 「ククク」

 

 つまらない。

 つまらない。

 どうしてお前たちはそんなにもつまらない?

 

 殺しても。

 殺しても。

 お前たちは滅ばない。

 

 感情など不要。

 震災の前に浅ましき知恵などクソの役にも立ちはしない。

 人間の生は矛盾だらけで。

 生物の死は皆、平等に訪れる。

 

 「キキキ! キキキ!」

 

 ならば終わらせてやろう。

 退屈な現実(せかい)など、在るだけ無駄だ。

 

 そうしよう、そうしよう。

 スクラップにするのが一番だ。

 だが、火炙りにするのは不適切だ。

 

 そうして、外なる神のワタシは、ドン・キホーテの世界と真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)を繋げていく。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 空間が軋み、世界と世界の境界線が揺らぐ中でワタシは思う。

 

 嗚呼、どうしてお前たちはそうなんだ。

 いつだって滅びへと突き進む姿に、俯瞰し尽くした亡骸を前に私は──。

 

 ◇

 

 「もう……、大丈夫、です」

 

 嗚咽を止めたフィリアがそう言う。

 

 「そうか」

 

 それに答えると、やっぱり彼女はまだ泣き足りなそうに涙を堪えた。

 

 「……ええ、大丈夫です」

 

 「そうか」

 

 全然大丈夫そうには見えないけど、期待させるのもどうかと思う。

 

 「大丈夫なんです」

 

 「分かったよ」

 

 ──って、思ってたんだけど……うん?

 

 「大丈夫なんです!」

 

 「だから、分かったって!」

 

 顔を真っ赤にしたフィリアが、やっぱり解ってないよ、この人と叫んでる。

 

 ……何で?

 

 「どうしてそこで察しが悪くなるんですか! この鈍チン!」

 

 な、何だぁ? この女、情緒不安定にも程があるぜ!?

 

 「あああっ、──もう! うるさいですね!」

 

 ポカポカと叩かれる。

 

 「うぇえええ!? 理不尽だー!?」

 

 やっぱり、女心というものはよく分からん!

 

 「……う、ううう」

 

 そんなことをやり取りしてると、倒れていた■■飛鳥が目を覚ます。

 

 「──お? 藤お……じゃなかった。…えーと、アイツも目を覚ましたみたいだぜ」

 

 助かった。

 オレはそう言って起き上がる少女の元へ駆け寄っていく。

 

 「……もう──、──」

 

 そんなオレにフィリアが何かを呟く。

 だが、その声が何を言ってるのかはよく聞こえなかった。

 

 ◇

 

 「大丈夫か?」

 

 虚ろな目の少女、飛鳥へ声をかけるが、いまいち反応がない。

 まあ、起きたばかりだし、そんなものだろうと思ってもう一度、声をかける。

 

 「もう一度聞くけど、大丈夫か? 意識があるなら、何か反応をくれ」

 

 目の前で軽く手を振って、反応を伺う。

 

 「────」

 

 だが、無言。

 終始無言。

 手を振っても、パンパンと手を叩いても、サンバの振り付けをしても彼女は黙りを決めている。

 

 「こりゃ、あれか? もしかして、オレの『記憶』を引き離した代償とかそんな感じか?」

 

 「うーん、どうですかね? 何せ、私たち『残留思念(ヒロイン)』の中でも彼女は固有能力(アビリティ)さえ解っていませんし、何とも言えませんね」

 

 どうしたものか考えてたら、着いてきたフィリアがそんなことを言い出した。

 

 「何だよ、その固有能力(アビリティ)ってやつ?」

 

 「えーと、固有能力(アビリティ)というのはですね。私たち『残留思念(ヒロイン)』に備えられている異能です」

 

 オレの質問にフィリアはそう説明すると、呆然とする飛鳥を眺めるのに戻る。

 

 「……そういや、オレはアンタら『残留思念(ヒロイン)』のこと、よく分かってねーんだよなぁ」

 

 そもそも残留思念(ヒロイン)と他の人間、──この場合は幻想ってやつの違いがオレにはよく分からんことに気付いた。

 

 「そう、ですね。……うん、()()大丈夫そうですし勇貴さんが良かったら説明しますよ?」

 

 「お、おう? ──そりゃあ、ありがたい。頼むわ」

 

 そんなことを疑問に思ってたら、フィリアが説明してくれる流れになった。やったぜ。

 

 「……コホン。それでは、僭越ながら私、フィリアちゃんが『残留思念(ヒロイン)』とは何なのかを説明させて頂きますね」

 

 パンパカ、パーン!

 フィリアちゃんによる講座が始まーるよ!

 

 「…………」

 「…………」

 

 ヒュウ。

 靡く風が冷たいなぁ。

 

 「先ず、勇貴さんがこの世界をどう認識してるのかで残留思念(ヒロイン)の現状が変わる仕様になっております」

 

 開幕から、グダグダならぬスルーに心が折れそう。

 つーか、設定がガバガバでオレすらドン引きのレベルなのは気のせいか?

 

 「……ガバガバというより、アヤフヤというのが正しいかもしれませんね。──すみません、いきなり話が脱線しかけました。まあ、結論を言ってしまうと『残留思念(ヒロイン)』とは、勇貴さん専属のサポーターなるものと考えて下さい」

 

 専属のサポーター?

 なんかRPGゲームみたいな例えだ。

 

 「そうですね。幻想がこの世界で生まれた人間。つまり、ゲームのキャラなるものと考えたら良いのは間違いないです」

 

 なるほど。

 

 「となると下位幻想は、自らの意思を持たない人間。勇貴さん風に言うなら、彼らはゲームの中のキャラクターのモブ、NPC。上位幻想は、その一つ上の待遇を貰ったキャラで、ストーリーに何らかに関わるキーパーソンでしょうか」

 

 ということは──。

 

 「ええ。ご想像通り、主人公(プレイヤー)に一番寄り添った異性のキャラという立ち位置。それが私たち『残留思念(ヒロイン)』です」

 

 それは、分かった。

 でも問題はそこじゃなくて……。

 

 「ええ、それも分かってます。主人公(プレイヤー)の数にしては些か『残留思念(ヒロイン)』の数が多いのでは、と疑問になるのも解ります。でも、数は有ってます。有っているんです。──何故なら、貴方は七人目の主人公(プレイヤー)なのですから」

 

 ……七人目?

 

 「そうです。……憶えてますか? 貴方は六花傑(むつはなすぐる)さんと会った時のことを。彼を見て、もう一人の自分だと思ったことを忘れてはいませんか?」

 

 ドクン。

 六花、傑/検閲削除。

 誰だ、そいつ?

 

 「…………そう、ですか。では、名城真弓さんが説明したこの世界の始まりは憶えてますか?」

 

 この世界の始まり?

 ああ、それなら──。

 

 ジジジ。

 

 ────「少女たちは考えました。どうしても一度、会いたいと願いました。その内、少女たちの一人が夢の中で死んだ魂を呼び寄せ再会する魔術を考えつきました」

 

 「良かった、憶えてるんですね。それなら簡単です。三人の少女は、『転生者』である貴方の魂を死者である『古瀬勇貴』に作り替えようとした。ですが、それに失敗して、『転生者』の魂を壊してしまうことも恐れた。それを回避する為、彼女たちは魂を複製して実験をするという方法で魂を作り替えようとしたんです」

 

 …………。

 

 「待って、くれ。──つまり、よぉ」

 

 それは、つまり。

 

 「確か、名字に数字があるのが、幻想でない意志のある一つの魂で。名前に数字があるのが、幻想として魂がイジられた上位幻想として扱われるんでしたよね」

 

 オレは。

 いや、僕は。

 

 「この世界、この影絵によって創られた夢の中で生まれた魂。それが、勇貴さんの正体で。同時に今、勇貴さんの身体に入っているのが元の転生者、『藤岡■■(ゆうき)』さんの意識です」

 

 フィリアはそう言うと、オレに微笑む。

 いや、オレというよりその身体の僕に微笑んだというべきなんだろうか。

 

 「────」

 

 何かを言うなくてはいけない。

 何かを言わなきゃいけないのに。

 

 さっきから、余計なことばかりを考えてしまう。

 

 ドクン。

 鼓動する心臓。

 幻想という存在は、影絵によって構成された人間のことを言うらしい。

 そして、今のオレ──『七瀬勇貴』はこの夢世界で創られた魂ってことだ。

 

 ドクン。

 なら、この胸の鼓動は在りもしない偽物で。

 それでいて、あのお方と呼ばれる存在の象徴であるエンドの鐘が埋め込まれているって話も、まあ納得した。

 

 「フィ、リア?」

 

 「貴方に恋をし、命懸けで貴方の背中を押したフィリアの魂は消滅しました」

 

 何か言おうとしたオレを遮るようにフィリアは喋りだす。

 

 「でも、『七瀬勇貴』に恋する『フィリア』という『残留思念(ヒロイン)』のコードは消滅していない。また同じようにコードを打ち込み、上位幻想(ヒロイン)として現実化(リアルブート)すれば……ほら、この通り再び貴方の前に現れることが出来ます」

 

 感情のない目が向けられる。

 ゾワリとした何かが肌に感じたのが分かる。

 

 ああ、そうだ。

 そんな意志を持たない目で見つめられたら、オレは何も言えないに決まってる。

 

 「言い方を変えればですね。同じ設定を作ったキャラでも、同じことをするとは限らないという話でして」

 

 ゆっくりとこちらに近づく少女。

 

 「ええ、まあ。残念ですが、どうやら此処でお別れのようです」

 

 「……は? 何、言って──」

 

 フィリアの謎の言葉を問い詰めようとした瞬間、地面が突然揺れて倒れてしまう。

 

 「──っな!?」

 

 けどそんなオレと違って、フィリアはそれを黙って受け入れるように空を眺めてる。

 

 「ようやく繋がったみたいで、安心しました。これは補足なのですが、私たち『幻想』は基本的に夢世界の創造主に逆らうことはありません。何故なら、影絵たちが私たちのコードにそうインプットしてるからです」

 

 パリン!

 パリン!

 空が割れる。

 地響きが増した大地は、ひび割れて崩れ始める。

 

 「ええ、そうでしょう。いきなりこんなことを言われても理解出来ないのも解ります。全く不本意ですが、外なる神、『ナイアルラトホテップ』が貴方たちの世界と真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)を通じて世界滅亡を完遂するのも私には止めることはありません」

 

 立っていることもやっとの状況で、この鏡の中から脱出しようと出口を探す。

 そんなオレを見ず、フィリアは喋るのを止めない。

 

 「■■(ゆうき)さん!」

 

 何処からか響き渡る、真弓さんの声。

 

 「こっち!」

 

 そして先程まで呆然としていた飛鳥が、オレの手を引っ張って何処かへ駆け出す。

 

 「急いで!」

 

 切羽詰まった飛鳥の声。

 崩れ行く鏡の世界を走っていると、淡い波紋のようなものがオレたちは抜けた。

 

 「間に合うと良いですね、……勇貴さん」

 

 ポツリと呟いたフィリアの言葉にオレは何も言い返すことはなかった。

 只、鏡の世界を抜けることしかこの時のオレには考えがなかったんだ。

 



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028 死点変更

 

 『夢』のイメージとは、他人によっては様々だ。

 

 キラキラとした希望に溢れたものだったり、人生のどん底を詰めたような汚物だったり色々なものがある。

 

 「これは、……なん、だ?」

 

 揺れる地に、ひび割れていく波紋の空へと光輝く数字の羅列が舞う。

 

 「ハア、ハア!」

 

 何処からか聞こえる幻想たちの悲鳴を背にオレたちは走る。

 

 「頑張れ、飛鳥! 後もうちょいだ!」

 

 息を荒くする飛鳥の手を引きながら、そう叫ぶ。

 

 「ハアハア……わ、……わかっ、て、る……つも、り、……ハアハア、……だよぉ」

 

 毒を交えながらも飛鳥がそう答えると、波紋の空間を抜け、所々が欠けた寮館ロビーへ着く。

 

 「■■(ゆうき)さん!」

 

 そんなオレたちを切羽詰まったように少女が出迎える。

 

 「真弓さん、無事だったか!? いや、そんなことよりこれ! これは、一体何なんだ!?」

 

 安堵の顔を浮かべる真弓さんに急いで何が起こってるか聞く。

 

 「……ああ、そうでした、そうでした! ですがそれより、今はコントロールルームに急がないと──っきゃあ!?」

 

 ガシャン、と周囲の鏡が一斉に砕け、破片が真弓さんへと飛び交う。

 

 「──っぶな!」

 

 それを瞬時に魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)して切り払う。

 

 「んぐぅ、……ハアハア。──急ごう。今は此処に居る方が危険だ!」

 

 息を整えた飛鳥が叫ぶように移動を促す。

 

 「──っ、はい!」

 

 それに返事をする真弓さんの手を取り、急いでオレは出口へと向かう。

 

 「ああ! ずらかるか!」

 

 だが。

 

 ガシャン!

 そうしようとした時に地響きする床が抜け、寮館の出口が崩れ、塞がれる。

 

 「「出口が!?」」

 

 ……それを。

 

 ドクン。

 心臓を高鳴らせ、中庭までの道があると思い込む。

 

 そうすることで、塞がれた出口を。

 そう思い込むことで、崩壊する世界の中とコントロールルームへと続く道を現実化(リアルブート)していく。

 

 「──っつぅ」

 

 ドクン、ドクン!

 囁くように、叫び続ける心臓。

 見えてるものは同じなのに、何かが欠けた感じになって吐き気がする。

 

 もう立っているのもあやふやで、イメージするのも朧気なそれを掴むのは、大変骨が折れる作業だ。

 

 「み、道です。道が、出来てます!」

 

 「あ、ああ。こんな状況で、自己投影(タイプ·ヒーロー)現実化(リアルブート)を取り戻せるなんて思わなかった。──けど、これなら!」 

 

 二人から期待の眼差しが向けられる。

 

 「──っ」

 

 それは、きっとこの先に待ち構えてる奴が今までの比じゃないんだという証拠で。

 

 「ああ、──行こう、コントロールルームへ!」

 

 同時にオレたちの長い戦いの終わりを指し示していた。

 

 「はい!」

 「良いとも!」

 

 オレの提案に二人が賛同すると、そのまま道を突き進むのだった。

 

 ◇

 

 「い、嫌だ! 誰か、誰か助けて!」

 「ウワァアアアン! どうして? ねえ、どうして!?」

 「死にたくない、死にたくない! 神様、助け──んが!」

 

 燃え盛る校舎、響き渡る幻想たちの悲鳴。

 崩れ行く地に呑まれる男子生徒たちと文字の羅列を散らす女子生徒たち。

 

 「──ククク」

 

 運命のままに全てが滅んでいく光景(せかい)を前に神父は嗤う。

 

 それは戯れか。

 それとも裁きの采配によるものか。

 神父の嘲りは、天性のモノ故か解らない。

 

 カツカツ、──カツン。

 規則的な足音が響く。

 

 「おや? 何か良いことでもありましたか、『外なる神』よ」

 

 そんな嗤う神父の後ろへ忽然と学生服の少女が現れる。

 

 「キキキ? ──フン、『失敗作』か。別にどうということはないが。……どうかされたと問われるならば、これから来訪する愚者の対応について考えていたとでも言っておこうか」

 

 煙に巻くような神父の発言。

 お前に興味ないと言いたげな冷めた顔に少女は一瞬、顔をしかめた。

 

 「そう、ですか。──てっきり、下らぬ感傷に浸ってるのかと思いましたけど、それなら安心…………失礼、不躾な発言でしたね」

 

 男の傍らに横たわる何かを真紅の瞳が一瞥するが、直ぐ何事もなかったように、そう取り繕った。

 何故なら、闇夜のような黒い瞳が少女の姿を捉えたから。

 それだけで、彼女は自身が敵意を向けられていると察したのだ。

 

 「良い。神であるワタシは寛大である。それ故、貴様には滅びまでの()()を与えよう」

 

 男の黒の修道服が(ひるがえ)る。

 その動作の一つ、一つに畏怖する影絵たち。

 

 「ククク、──キキキ!」

 

 神父が嗤う。

 その顔は、この世全ての悪を体現したものであったが、それも仕方ないことだ。

 本来、神とは気まぐれで克つ、どうしようもない程に理不尽な存在である。

 

 「まあ。それは、それは有難いことで」

 

 故に、少女は笑みを浮かべ受け入れるのだった。

 

 「つまらない。──ああ、本当にお前たちはつまらない」

 

 その姿を一瞥した神父は、再びモニターへと視線を戻す。

 

 「────」

 

 彼は知らない。

 己の視界から外れた少女が憎悪していることも。

 それ故に決定的な見落とし、──間違いを犯していることも何もかも気付かない。

 

 「ああ、そうだろうな」

 

 傍らに伏せられた男は、神父に聞こえない声で静かにそう呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「愚か。……愚か、愚か、愚か! ──それさえも、あのお方に見透かされてるんですもの、嗤っちゃう!」

 

 ひらひらと舞う、虹の花びら。

 ぐしゃぐしゃと楽し気に跳ね回り、秘密の花園を散らす聖職者。

 それは、あまりにも不気味で。

 それは、あまりにも不恰好な役者だと言える。

 

 ──そんな彼女を強いて語るのならば、それは神をも嘲る『道化師』に他ならなかった。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! 可っ笑しいのぉ、可っ笑しいねぇ……可っ笑しいしぃ、可笑し過ぎてマジ滑稽でっ嗤えちゃうんですぅー!」

 

 緑のもみあげを弄る少女は、何処か遠くの光景を見ているかのように転げ回る。

 それもその筈で彼女は──。

 

 「説明なんて良いって、良いって! 態々こうして顔見せたんですから『  』は引っ込んでてなっつーの、きゃわわわ!」

 

 少女は誰にも語らせない。

 誰に語らせることもなく、言葉一つで新たな物語を紡ぐのだった。

 

 「私、わたくし、私共。うーん、どれでも良いんだけど、やっぱこれかなー、『ナコっちゃん』! うんうん、良いね、良いねぇ。我ながら最高に皮肉な愛称ですこと!」

 

 神に祈るように手を掲げる少女は、厄災にして天災であり、奇天烈にして愚の骨頂。

 まさに、舞台を搔き乱すトリックスターに相応しい役回りだった。

 

 「ちょっと、ちょっと! なーに、最悪って言ってんのよ、このクソ雑魚ゲロカスウンコ垂れ! ナコっちゃんはね、繊細なのよ。ぶち殺すよ?」

 

 そう言いながら、少女は一冊の本を何処からか取り出す。

 

 「どうか神様、仏様。この哀れなナコっちゃん様をお救い下され、と。──まあ、非常に面倒ですけど、お仕事に掛かっちゃいますか!」

 

 すると、少女を中心に風が吹き荒れる。

 

 「全く、これはこれは本当に愉快なことになりそうですねぇ」

 

 黒の聖堂服が靡く。

 同意するように、キキキと誰かが嗤った気がした。

 



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029 どうか夜露死苦ね!

 

 夢を見るのは、哀れな人間。

 今を見るのは、愚かな神様。

 

 暴かれよ。

 暴かれよ。

 

 人類滅亡のカウントダウンはもう鳴った。

 終末を気取る伏線はもう尽きた。

 なれば、後はその筋書きを追うだけでお前たちに残された時間はないと青年は言う。

 

 これは、完成された楽園計画。

 これは、停滞を嫌った奴らの断末魔。

 

 それに一言文句を言うのなら、こう言うのはどうだろう?

 

 「あれ、さ。もう少し、何とかならなかったの?」

 

 とある世界の終わりに立ち会う人は口を揃えて、青年に言った。

 

 ◇

 

 崩壊する世界。

 ひび割れる空の下、自己投影(タイプ·ヒーロー)で作った道をオレたちは進んでいく。

 

 「ハアハア! 本来、ボクはこう言うのが得意じゃないんだけどね!」

 

 息を切らしながら、走る飛鳥。

 

 「そう、ですね!」

 

 それに同調するように、真弓さんも相づちを打つ。

 

 「けど、走らなきゃ後がないぞ!」

 

 そんな二人を叱責しながら、先頭を走るオレ。

 

 「後少しなのは分かるんだけど、ねぇ。…………それにしたって、一向に中庭すらたどり着かないのはどうかと思うんだけど──」

 

 飛鳥が何か言おうとした。

 いや、それは始めからそのタイミングで訪れたと言っても良いかもしれない。

 

 ドクン。

 

 唐突に嫌な気配がした。

 

 「──っ!?」

 

 咄嗟に魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)する。

 そして、そのまま勢いよく振るう。

 

 「シャッ!」

 

 キィン、と現れた赤と青の刃が何かを弾く。

 

 「ヒッ! ヒヒヒ、ヒィ!」

 

 切り払った先に現れる何か。

 空間を歪ませ、その姿を晒すのは禍々しき存在。

 

 「助けで、──助げでぇ!」

 

 ヒタヒタと這い寄る黒い泥。

 いつか見たウェイトリーが呼び寄せた異形の怪物──『混沌』がこちらへと無数の手を伸ばす。

 

 「──っ!?」

 

 後ろの二人が息を飲む。

 けど、それは仕方ない。

 それは、観測するだけで狂気を呼び起こすモノであるのだから。

 

 「ま、さか……いや、そうですね。ウェイトリーが召喚したんですから、此処に現れるのも道理です、ね!」

 

 口を開けて閉じてを繰り返していた真弓さんが、正気を取り戻すようにそう口にする。

 

 「あ、……う、ぐぅ……っが! ……ハアハア」

 

 くらくらとその場を倒れそうになる飛鳥。

 

 「見るからにヤバそうなのは確かだけど、──どうする?」

 

 青と赤の螺旋を構える。

 どうするかなんて問いは決まってたけど、それでも敢えて聞いたのはオレなりの二人を気遣ってのものだった。

 

 「──ん、ああ。すまないね。取り乱した。■■、ボクは大丈夫だよ」

 

 後ろにいる飛鳥が言う。

 

 「私は……いえ、確かに絶望的な状況です。でも、私たちは進むしかないのです」

 

 そうでなくては、叶えられないと真弓さんもオレに続いて怪物を見定めた。

 

 「なら、──やるぞ!」

 

 幻想殺しの魔剣に力を込め、その勢いのまま振るうと虹の極光が放たれる。

 

 「アビャビャビャ!?」

 

 同時に、ブルブル震える黒い泥の怪物へとオレは駆け出す。

 

 「はい!」

 「勿論!」

 

 そんなオレを追うように、二人も駆け出す。

 

 「ン、ビャアアア!!!」

 

 奇声と共に魔の手が伸びる。

 

 「──っ!」

 

 空間を軋ませるそれが放たれると、周囲の世界を真っ黒に侵食していく。

 

 それを。

 

 ドクン。

 襲い来る無数の死をコンマの世界で掻い潜る。

 

 「──光よ!」

 

 真弓さんの詠唱が聞こえる。

 駆けるオレを包み込むように、光の雨が怪物へ降り注ぐ。

 

 だが。

 

 「──っつぅ!?」

 

 止まらない。

 怪物の手は光の雨を物ともせず、オレへと真っ直ぐに伸びていく。

 

 だが、それは当然のことだった。

 寧ろ、そうでなくてはあの時の真弓さんの魔術は破られなかった。

 

 だから、慌てることはない。

 

 「ミズデェ、ナイデェエ!」

 

 怪物の手が撫でる。

 一寸の間合いへとそれが触れられ、オレの中の何かが悲鳴を上げる。

 

 「うぐぅ、……が、──ハッ!」

 

 だが、違う。

 あの時は二人だった。

 

 今は──。

 

 「そうとも! ボクが居るのさ!」

 

 飛鳥が叫ぶ。

 すると、ぐらりと何かが傾く。

 同時に、うなじへビリビリとした閃光(きらめき)が走る。

 

 ジグザグ、ジグザグ!

 

 幻聴(ノイズ)が響き渡る。

 

 「ピィ、──ッギャ!?」

 

 時間が止まる。

 現実が変わる。

 

 その光景は、事象の改変とも言えるそれで、ジグザグと目の前の現実を切り取っていく。

 

 ビュン。

 

 オレを捉えた怪物の手は、伸びない。

 それどころか、無数の手は黒い泥の周りの空を切っている。

 

 そして。

 

 「これで、」

 

 一瞬で怪物の間合いへ踏み込むのは、オレ。

 懐に潜り込むのも、オレ。

 

 ジョキジョキと何かが切り離され、継ぎ足される。

 

 それは、都合の良い世界改竄。

 今と今を繋げ合わせる、『あり得ない妄想』の現実化(リアルブート)

 

 不確かなリズム。

 必殺の一撃が今、飛鳥によって紡がれていく。

 

 ジョ、──ッキン!

 

 「ンビャギャア!!!?」

 

 最強とも呼べる怪物が叫ぶ。

 皮肉にもその断末魔は、赤子の悲鳴のようで。

 

 「──どうだ!!!」

 

 不出来な塊が伸ばした手はオレに届かず、切り払われたのだった。

 

 ◇

 

 「ククク。まあ、そうだろうな」

 

 役者は踊る。

 舞台は進む。

 生命が危機を感じた時、それを回避しようとするのは当然の帰結だったと神父は自嘲する。

 

 「クスクス。……良いのですか?」

 

 紺色の髪を搔き上げると、少女は意味深に問うが──。

 

 「良い。これは、愚かな人類最期の足掻きだ。ならば、神であるワタシは笑って許すのが道理であろう」

 

 くしゃくしゃと白い髪を搔き上げ、神父は中身のない返答をする。

 まるで、全てを理解していると言わんばかりの振る舞いであったが、少女はそれを見つめるだけで何もしなかった。

 

 「寧ろ、失敗作よ。オマエの方こそ良いのか?」

 

 ニヤリと男は嗤う。

 どろどろとした黒い瞳が未だ行動に出ない少女を捉え離さない。

 

 「……はて? 何のことでしょう?」

 

 クスクスと素知らぬ顔をする少女だったが、それを神父は許さなかった。

 

 「とぼけるな。神の前には隠し事など出来ぬと知れ。──あの男の遺産に会っていたであろう?」

 

 キキキと嗤う声が聞こえる。

 

 「……ああ、それ、ですか」

 

 ゆっくりと粗食するように、その問いを飲み込む姿は魔性の女のようだった。

 否、それ以上の何かで、それがいっそう少女の不気味さを表していた。

 

 だが。

 

 「クスクス。心配して下さるのですね、ナイアルラトホテップ。──でも、それには心配は及びません。楔はもう打っていますので」

 

 「ほう? ──楔、か」

 

 何も心配はないと言いたげに少女は微笑む。

 そんな彼女を嘲笑うように、同じ単語を繰り返す男は何やら怪しげだった。

 

 「ええ。それに貴方がこの世界を滅ぼそうが、私には些末なことですし、ね」

 

 「そうか、そうか! それは、楽しみだ。このワタシの目を以て欺くとは、大した自信。──故に楽しみだ。その顔が歪む時が今か今かと待ちきれぬ、ぞ」

 

 互いを嗤う二人。

 

 「────」

 

 それを、未だ踏みつけられている男は歯を食い縛るしか出来ない。

 

 ピピピ!

 

 そんな時。

 

 「……む?」

 「──おや、随分と早かったですね」

 

 それは、やって来た。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! お届け物デェス!?」

 

 何処かで聞いたような声がした。

 清廉そうな声色なのに、何処か残念なものを感じた。

 

 ゴトリ。

 何かが落ちる。

 

 グシャリ。

 何かが弾ける。

 

 「何だ、貴様は!?」

 

 突然の来訪者に神父は言葉を乱した。

 

 「はい、はぁい! 私が何者なんて別にどうでも良いと思いまーす!」

 

 モニターから発せられる警告音(アラート)

 なす術もなく目の前が、何かの絵に塗り潰されてしまい呆気にとられる誰か。

 

 「それでも聞きたい? 聞きたいのなら、しょうがないから答えましょうかね! きゃわわわ!」

 

 這いつくばる男は見た。

 

 「──っな!?」

 

 あれほど脅威だった神父が子供の落書き染みたモノへと変えられていく光景を見てしまった。

 

 「私、ナコっちゃん様こと、二代目残留思念(ヒロイン)『古本ナコト』でーす。どうか夜露死苦(よろしく)ね!」

 

 少女はそう言うと、落書きとなった神父を持っていた一冊の本の中へと収納するのであった。

 



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030 立ち塞がる者

 

 「ねえ、■■。これが終わったら、私、行ってみたいところがあるの!」

 

 緑の髪を弄りながら、青年に話しかける少女がいた。

 

 「んー? 何だよ、聞いてやるから、恥ずかしがらず言ってみろって」

 

 少女の言葉に■■は聞き返す。

 彼は何でもないよう気丈に振る舞ってはいたが、その顔はリンゴのように真っ赤だったと思う。

 

 「えーっと、ねぇ! スカイツリーってやつ!」

 

 でも少女はそんな彼にニコニコしながら答えるのだ。

 

 「──って、いきなりリアルな地名出してくれるなぁ。……ああ、でも。……行けるんなら、オレも行きてーな」

 

 「うん! そこにデートしようね!」

 

 それは、幸福な記憶で。

 藤岡■■が手放してしまった、大切な宝物だった。

 

 「約束だよ!」

 

 満面の笑みを浮かべる少女はまだ知らない。

 

 ──それが叶わぬ願いだと知る由もなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……む?」

 「──おや? 随分と早かったですね」

 

 その少女は、何の脈絡もなく現れた。

 否、始めから予定調和だと言わんばかりの早業で持っていた本の中へと神父を閉じ込めた。

 

 「──っな!?」

 

 それに、這いつくばった男『ウェイトリー=ウェスト』は呆気にとられて何も出来ない。

 

 「私、ナコっちゃん様こと、二代目残留思念ヒロイン『古本ナコト』でーす。どうか夜露死苦ね!」

 

 少女がそう名乗る。

 それで、彼は少女が何者かを思い出すことに成功する。

 

 「……まさか、貴様は()()()のクソゴミか!?」

 

 クスクス嗤う少女。

 きゃわわわとおどける少女。

 二人の少女が奏でる嘲笑のコントラストが始まった。

 

 「なーに、何ぃ? まーだ、そんな夢見てるのかい、『人形男』ってば?」

 

 侮蔑の視線が突き刺さる。

 虫けらを潰す子供らしさが少女たちの無垢を証明する。

 それを滑稽だと、品定めする誰かの嘆きが聞こえてくる。

 

 「そうですよ、『道化師』。困ったことに、彼はまだ諦めていないのです」

 

 キキキと何処かの影絵たちが囁き合う。

 

 それを見て、男は思う。

 未だ、忘却の彼方に置いてきたそれを求めてるのだ、と。

 途方もない話だというのに、まだ希望を抗う姿にみんな呆れてた。

 

 「何だ、貴様ら!?」

 

 故に、男、ウェイトリー=ウェストは怖じ気づく。

 彼もこの影絵世界に身を投じた年月はそれなりだったが、やはり真性には勝てないと知っていた。

 

 ──だから。

 

 「や、止めろ! これ以上、我に近づくな!」

 

 遠ざけようと、権能(チート)の力を込めようとして。

 

 「きゃわわわ! それは無理って話だよ、『人形男』! 流石のナコっちゃん様も前払いが済んだ契約は、止められねーんだぜ!」

 

 パラパラと本の頁が捲れる。

 

 「前払いを済ませた? 出鱈目を言うでない! 我がいつ貴様と契約を交わした!?」

 

 すると、自身の姿が落書き染みた身体へと書き換わる。

 

 「きゃわわわ! 覚えてねーなら、それで良いさ! どのみち、お前の結末は決まってんだからね!」

 

 「バカな。……バカな、バカな、──そんなバカな話があって堪るものか!」

 

 ……皮肉なものだ。

 そこらの幻想たちをゴミ同然に扱っていた男がそれ以下の何物にされるのだから、とんだ嗤い話にもなりはしない。

 

 「それでは、おやすみ。おやすみ」

 

 パタリ。

 修道女の本が閉じると、ウェイトリーの姿はその場から消えてしまうのだった。

 

 「クスクス。それでは、始めましょうか」

 

 学生服の少女が宣言する。

 

 「ええ、ええ! 私たちの願いを叶えましょうか!」

 

 くるり、クルリ。

 モニター中に映る二人の姿は、歪な影絵となっていく。

 

 「そうしましょう、『道化師』さん。──私たちのより良い明日の為に頑張りましょう、ね」

 

 二人の人影は踊り出す。

 まるで、少女たちのワンマンライブが開かれたみたいな陽気さを見せていた。

 

 「キキキ。そうですね、そうですねぇ! どのみち、私たちは止まれないのですから」

 

 ポツリ、と呟くように口から漏れた言葉は本当か。

 我々がそれを知るのは、まだ早い──。

 

 ◇

 

 乱雑に入り乱れる足音。

 自己投影(タイプ·ヒーロー)によって出来た道を駆け抜けると、無事に中庭へとたどり着いた。

 

 「とうとう、来ちまったな」

 

 何処までも伸びる鉄塔を見上げる。

 禍々しい威圧を出す魔の宮殿(バンデモニウム)への門は今も固く閉ざされている。

 

 「まあ、そうだよな。簡単には()()()()()()()()よなぁ」

 

 蜘蛛やらゾンビの大群、挙げ句に正体不明の影たちと来て、今度は石像で出来た天使の群れがそこにいた。

 

 そして。

 

 「────」

 

 兜を被った黒いローブの騎士が、その中心に佇んでいる。

 

 「■■■■!」

 

 男が何を言ってるのか聞き取れない。

 だが、その鬼気迫る気迫に肌がひりひりしたのは確かだ。

 

 「──っ」

 

 ズキリ。

 頭が痛む。

 

 ────「別にお前の所為じゃないんだ、気にするな」

 

 ズキリ、ズキリ。

 また欠けていた何かが脳裏に掠めた。

 

 「知ってる」

 

 カチャカチャと音を立てる相手の魔槍(ランス)

 狩りで使われるような振り回すことに簡易な武器でなく、馬上試合で使われるような相手を突くことに特化した王道武装がこちらへと向けられる。

 

 「オレ、アンタを知ってるぞ」

 

 名前は知らない。

 けれど相対した時に感じるオーラは何処か懐かしく感じた。

 

 「■■■■……!」

 

 兜越しにオレを射抜く視線がそうだと言わんばかりに鋭く。

 

 「あー。……(いず)れそうなるとは思っていたけど、実際になるとではやっぱり違うものなんだね」

 

 後ろにいる飛鳥がポツリと呟く。

 何かを隠しているような、そんなニュアンスが口調には込められてる。

 

 「アイツのこと、飛鳥は知ってるのか?」

 

 その呟きに思わず聞き返す。

 

 「……知ってるよ」

 

 重苦しく、罪を告発するみたいに返事をする飛鳥。

 

 「よく知ってるいるとも、何故なら彼は──」

 

 飛鳥が騎士の正体を言おうとした瞬間、

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! 別に、別にもうアンタには関係ない話でしょうが、アスアス!」

 

 ──聞き覚えのない少女の声が何処からともなく響き渡った。

 

 「──っ!?」

 

 ズゥン!

 砂煙が舞う。

 

 「でもでも! アンタがそれをもう一度選んだってことは敵対するってことでファイナルアンサーって訳なんだしぃ──」

 

 未だ姿を見せない、明るい声色の少女。

 

 「此処で、そいつらと一緒に心中するってことで了承したってことよね!」

 

 ピシリ!

 放たれる死刑宣告に、耐えきれず空に罅が入った。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 すかさず咆哮する騎士。

 振るわれる魔槍(ランス)を合図に、石像の天使たちが一斉に起動する。

 

 「ッハ! 誰だか知らねーが、オレたちの邪魔するってんなら、ぶっ飛ばす!」

 

 魔術破戒(タイプ·ソード)を振るい、

 

 「行くぞ、二人とも!」

 

 後ろの二人にそう告げる。

 

 「はい!」

 「──ああ!」

 

 二人はそんなオレに頷き、戦闘態勢を取るのだった。

 



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031 絶望の刻

 

 (ワタシ)には、目が覚めてから行うルーチンがある。

 それは、目の前のテキストの底に埋もれる誰かを起こすことから始まる。

 

 ジジジ。

 白衣を着飾る褐色の男。

 死んだ魚のような目でこちらを覗く、哀れな人間モドキ。

 

 さて、この曇り具合からして今は何回目だろう?

 

 「やあ、■■イ■■■■■■■■。此度の夢はどうだったかね?」

 

 自前の銀髪を搔き上げて、■は活舌の良い『日本語』で寝ている男に質問する。

 

 「ああ、……うん」

 

 それに対し曖昧な返答を男がするのは、当然の反応なのだが……。

 ウム。次にどう対処するべきか悩ましいな。

 

 「──む。その反応は今回も駄目だったようだね」

 

 白々しく、肩をすくめる■を男は哀れむ目で見つめる。

 

 ジジジ。

 哀れなのは、キミの方だろ?

 

 「まあ、大丈夫だとも。次だ、次」

 

 チャンネルを切り替えて、■はいつも通りの会話を楽しむことにした/キキキ。

 

 「……なあ、やっぱり止めないか?」

 

 男は怯えた。

 何を恐怖する必要があると言うのか。

 あの時、キミも承諾したというのに往生際が悪いなぁ。

 

 ジリジリと、確実に。

 息の根を止めるように、後ろへ下がる男を■は追い詰める。

 

 「アハハ。──キミィ、このやり取り、五百六十ニ回目だよ」

 

 そう言って、■は男の心臓に手を伸ばす。

 

 ジジジ。

 

 「「──っが、ぁは、ぁああ」」

 

 痛い。

 というより、寧ろ、熱い。

 ああ、この心臓が引き抜かれる感覚というものは、六百五十通り試しても慣れることはないらしい。

 

 「ありがとう、キミは実に良いサンプルだったよ。……フム。これで、また次の実験に取り掛かれる」

 

 ドサリ。

 全身に力が抜け、その場に倒れる白衣の男。

 ぐにゃりと彼と■の意識が混じり合う。

 

 ジジジ。

 感情のない目で見下ろす■/……痛い。

 その虫を見るような目は、未だに慣れない/痛い。

 

 「本当、これを後数百回は行わなければならないとは、──我事(わがこと)ながら全く、どうかしている」

 

 ゴポリと肺から空気が漏れる/痛い!

 グチャリと身体に植え付けられた臓器が潰される/止めてくれ!

 

 踏み潰したのは、銀髪の狂った科学者さん/痛い、痛い。

 キキキと口を歪ませ、蟻んこ潰しに夢中な■は現状に不満を感じてご立腹/……もう、殺してくれ。

 

 「だが再演算するにも時間の無駄であるのも事実。そして、ルールを破る十三番目の法則なのもまた事実。遠回りな効率であるのは、これ致し方なく──」

 

 グチャアアア!!!

 

 飛び散る臓物。

 弾ける魔導器官。

 

 意識が遠退く中、男の魂が次へのステップへ進むのを感じる。

 

 「何より、ここまでしなくてはワタシたちの悲願は叶えられないのだから仕方あるまい」

 

 そうして『神への頂き』へ、また一歩、『■ェイト■ー=■ェ■ト』は登り詰めていくのだ。

 

 ◇

 

 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 崩れ行く空を背に振るわれる魔槍(ランス)

 ノイズ混じりの騎士の咆哮。

 それを合図に、石像の天使たちがオレたちへ襲い掛かる。

 

 ドクン。

 心臓を高鳴らせ、コンマの世界へと埋没する。

 

 「──光よ!」

 

 真弓さんが光の雨を解き放つ。

 

 「「「■■■■■■■■■■!?」」」

 

 その光に幾つかの天使が巻き込まれ、砕け散る。

 

 「愚者七号! キミは、騎士を相手してくれ! アイツを退けられたら、門は開く筈だよ!」

 

 飛鳥がオレに指示を出す。

 

 「解った!」

 

 その指示に返事をし、こちらを睨む騎士へ瞬時に駆ける。

 

 「■■■■■■■■!!!」

 

 渦を巻く漆黒の螺旋、唸る騎士の領域へオレは踏み込む。

 

 「どぅら!!!」

 

 勢いのまま、赤と青の螺旋を振るう。

 

 ブゥン!

 

 「■■、……■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 するとそんなオレに、待ってましたと言わんばかりに騎士は魔槍(ランス)を突き立てる。

 

 ズゥン!

 力と力がぶつかり、せめぎ合う。

 

 「──ぐぅ!?」

 「■■■■■■!!!」

 

 間隔としては、拮抗した時間は僅か三秒。

 

 ガキン!

 

 「うわぁあああ!!!?」

 

 圧倒的な力の前にオレの身体は吹き飛ばされる。

 

 「■■■■■■!!!」

 

 騎士による魔槍(ランス)の追撃が放たれる。

 

 「ヤバい!?」

 

 それを。

 

 「やらせないよ!」

 

 ジョッキンと事象を切り取り、飛鳥がやり過ごす。

 

 ズガン!

 中庭に叩き付けられる衝撃で、数メートルに及ぶクレーターが出来たのを離れた場所で確認する。

 

 「助かったぜ、飛鳥!」

 

 「良いとも、良いとも。──って、ああ!? もう立て直すのかい!?」

 

 近くに引き寄せた飛鳥に礼を言う。

 だが数秒も経たず、騎士が魔槍(ランス)を構える姿を飛鳥は返事をしつつ捉えた。

 

 ズゥン!

 

 「──っ!?」

 

 その間、コンマ五秒。

 

 「■■■、■■■■!!!」

 

 無慈悲な漆黒の波動がオレたちを襲うが、

 

 「お二人はやらせません! 輝く光の盾(シャイニング・シールド)!」

 

 周囲に光の膜が展開され、その一撃を防ぐ。

 

 「サンキューだ、真弓さん!」

 

 「えへへ」

 

 光の膜でオレたちを守った真弓さんに感謝の言葉を言う。

 

 「──っま、真弓、前!」

 

 「え? ──あ!」

 

 だが、その僅かな隙さえも騎士(てき)の前では無謀そのもの。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 こちらへと魔槍(ランス)を振るっていた騎士は一瞬で真弓さんの懐へ入る。

 

 「──っ!」

 

 ドクン!

 それを見て、慌てて真弓さんの下へ駆け出す。

 

 「駄目だ、愚者七号! 間に合わない!」

 

 けれど。

 

 「ま、真弓さん!」

 

 そんなオレを嘲笑うように。

 ズゥン、と騎士による容赦ない刺突が真弓さんへ繰り出されて。

 

 「きゃあああ!!!」

 

 少女は身体を毬のように弾ませ、吹き飛ばされた。

 

 「真弓さん!!!!!」

 

 グキリと生々しい音を鳴らし、数キロ先まで叩きつけられた彼女。

 その姿は悲惨なもので、とてもじゃないが生きてるとは言い難いものだった。

 

 「テメェ、よくも真弓さんを!」

 

 再び、黒い渦を放たれんと魔槍(ランス)が唸る。

 

 「■■■、■■■■■!!!」

 

 慟哭にも似た騎士の咆哮。

 それに連鎖するように地面の至るところが割ける。

 

 「傷つけやがったな!!!」

 

 一ドットのブレもない動きで、

 常人では目視することが叶わない領域をオレたちは互いの得物がぶつけ合う。

 

 しかし。

 

 「……時間か」

 

 カチリ。

 何かが填まる音が何処からか聞こえると、グニャリと景色が歪む。

 

 「──んな!?」

 

 そして、そのままオレの意識は崩壊する世界から遠退いたのだった。

 



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032 王ノ目覚メ

 

 繰り返す。

 

 「絶対、助ける!」

 

 繰り返す。

 

 「■は、諦めないぞ!」

 

 そうやって■は何度だって、繰り返す。

 

 ────「私たちの願い、──いや、(フィリア)の夢を」

 

 幾度と彼女の消滅を観測しようとも、

 

 「……そうだ。諦めてやるもんか」

 

 みんなが死なない世界を勝ち取る為に世界のルールを壊すんだ。

 

 「だから」

 

 その結果、みんなから『大罪の王』と恐れられようとも■は──。

 

 ◇

 

 出迎えたのは、いつも通りの白い天井。

 

 チュンチュン。

 遠くから鳥のさえずりが聞こえ、軽い喪失感に僕は目を覚ます。

 

 「……此処は?」

 

 ズキリ。

 

 痛い。

 自分が此処にいる理由を思い出そうとすると、頭が痛みを訴える。

 

 「……な、んで?」

 

 解らない。

 けど、何かとても大切なことを忘れてる気がする。

 

 ズキリ、ズキリ。

 

 「──っつぅ」

 

 僕は。

 思い出さないといけないのに──。

 

 ────「私たちの願い、──いや、(■■■■)の夢を」

 

 誰かの言葉が頭に過る。

 

 「……あ」

 

 何故か僕はズボンのポケットをまさぐる。

 すると、ポケットから小さくて固いモノを見つけた。

 

 「そう、だ」

 

 そこで。

 僕が何をしていたかを。

 また誰かの願いを切り捨ててまで、この鍵を手にしたことを思い出した。

 

 「これを、──手に、入れたんだ」

 

 銀の鍵。

 それは何処の扉を開くモノか解らない魔道具(アーティファクト)

 

 「──? と言うより、何で僕は一瞬でも忘れていたんだ?」

 

 ジジジ。

 その鍵を握り締めていると、沸々と疑問が浮かんでくる。

 

 「いや、今はそれどころじゃない」

 

 疑問は尽きない。

 けど、これからしなきゃいけないことが何となく解った。

 

 「いつも通り時間が巻き戻ったって言うんなら、あれがまた起きるんだ」

 

 この夢の世界が崩壊し、謎の騎士によって真弓さんが殺される。

 そんな未来になる。

 ふざけんな。

 僕は。いや、僕らはそんな未来は認めない。

 

 何より、いーや、誰よりもこの夢の世界を滅ぼすなんて許しちゃいけない。

 

 「なら、どうすれば良いんだ?」

 

 考える。

 頭の悪い僕でも、このまま進むのは駄目だって分かる。

 どうする? どうすれば良い?

 いや、そもそも『藤岡■■』の記憶だって完全に取り戻せていない僕に何が出来るっていう──。

 

 「──ん? 完全に取り戻せていないって、そんなことどうして分かるんだ?」

 

 そう思った瞬間。

 

 「……勇貴さん」

 

 ガチャリ。

 扉を開けて、彼女が入ってくる。

 

 「──っ」

 

 腰まで届く茶色の髪。

 整った顔立ちをした、──特にその妖精のような碧眼が僕を心配そうに見つめている。

 

 「……真弓さん」

 

 何故、彼女はこうも都合よく部屋に入れるのだろう?

 どうして彼女は、僕に固執するんだろう?

 

 色んな疑問が浮かんでしまうけど、今は──。

 

 「ねえ、それも君は知ってたりするの?」

 

 ソンナコトヨリ、アノ『古本ナコト』ヲドウカシナクテハ。

 

 「──っ!?」

 

 真弓さんが目を見開く。

 どうしテそンな驚いた顔をスルノか解らない。

 ソモソモ、コイツに何ヲ期待シタところデ変ワラナイトイウノニ。

 

 「……あれ? 真弓さん、どうしたの?」

 

 カツン、カツン。

 

 彼女ニ近付ク。

 利用出来ルモノハ何デモ使ワナクテハ『外なる神』ヲ介シテ私ノ復元ガ完成シナイデハナイカ。

 

 「ゆ、勇貴さん!」

 

 ジジジ。

 何で、真弓さんは怯えてるの?

 ねえ。どうして、僕にそんな顔をするの?

 

 「ぃ、嫌。……嫌です! こんなのあんまりです!」

 

 手を払われる。

 

 ──ッチ。面倒ナコトニナッタナ。一体、イツノ間に気付イタノヤラ……。

 イヤ、ソモソモオマエは私の手駒ダロ? 何故、拒絶スル?

 

 アノ時、只ノ影絵ニ過ギナカッタオマエニ感情ヲ植エ付ケテヤッタノガ誰カ忘レタノカ?

 

 「正気に戻って下さい、──■■(ゆうき)さん!!!」

 

 少女は呼び掛ける。

 名のない誰かはそれが無駄だと解ってる。

 それでも、これまでを嘘にしたくないのも事実だった。

 

 「……マア、ドウデモ良イカ。所詮、オマエも試ミノ一ツ。今更、切リ捨テタところデ問題ハアルマイ」

 

 ドクン!

 魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)する。

 形状進化(タイプ·シフト)させた、その赤と青の螺旋の剣が少女へと突き立てようと煌めく。

 

 「もう少しだったんです。後、少しで貴方たちを──」

 

 勢いヨく足を踏み込む。

 そうするコトで、幻想殺しノ一撃ガ振り落とサレル。

 

 死ぬ。

 こレで終わる。

 何もかもガ終わってしまう。

 

 魔術破戒(タイプ·ソード)とハそういうルールを義務付けられた権能(チート)なノダと誰ヨリも使い手のワタシが理解シテイる。

 

 ブゥン!

 

 幾ラ彼女ガ持ち合わセテイる恩恵(ギフト)ガ時間遡行ヲ可能とシテも、そノ絶対ニ例外はナイ。

 

 キィン!

 閃光ガ散る。

 

 「────!」

 

 放たレタ一撃を弾ク姿ハ、騎士を語ルニ相応シク。

 

 「オマエは──」

 

 「今更、名を語るのは無作法と思わないか?」

 

 虹ニ輝く剣が構えラレる。

 

 「シスカさん!?」

 

 「大丈夫だ、名城殿。心配せずとも、少しばかり眠って貰うだけである」

 

 シスカは、影絵(まゆみさん)にソウ言うとワタシ(ぼく)へト剣を振ルウノだッタ。

 



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033 魔泥夢

 

 ピーガガガ、ピーガガガ。

 

 複写、転生。

 怪奇、突然。

 我等は泡沫の夢にして、闇に潜む猫のきまぐれ。

 

 ピーガガガ、ピーガガガ!

 

 冥途に迷え、弔い人よ。

 ()すれば、その閉ざされた意志(こえ)(わたし)は耳を傾けよう。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 噂好きな影絵の住人は、今日も生者の嘆きを糧に無意味な殺戮に勤しむ。

 彼らはそうやって、自らの文明を維持してきた。

 その在り方は悪辣。

 しかし、そうやって生きなければ身体を持たない彼らはとっくの昔に滅んでた。

 

 故に──。

 

 「ククク、……ククク!」

 

 私は彼らと夢を見る。

 どれほど退屈な遊戯(ゲーム)でも、投げ出すことをしなかったのはそんな影絵たちの足掻きを楽しみたいからかもしれない。

 

 ◇

 

 「──イイ加減ニ堕チロ!」

 

 放つノハ赤ト青ノ一閃。

 弾くノハ輝く虹ノ一閃。

 

 「何のこれきし!」

 

 金色ノ髪ガ靡ク。

 何度、攻撃シヨウトモ清廉ナ騎士ハ未だ折レナイ。

 

 ドクン。

 心臓ガ鼓動スル。

 ソノ度ニ制限時間ガ迫るノヲ感ジル。

 

 「ソコを退ケ。──今、ワタシにはオマエの相手ヲしテイル暇ハナイ!」

 

 ブゥン!

 

 『外なる神(ナイアルラトホテップ)』の端末がコチラに気付く前ニこの影絵(しょうじょ)ヲ始末シナクてはナラナイのに!

 

 「退かぬ。今度こそ、わたしたちは彼らを帰してやらねばならんのだ!」

 

 ガキン!

 

 ダガ、ソンなワタシの心中ナドお構イ無シニ目の前ノ幻想ハ権能(チート)の一撃を弾き返す。

 

 「──グゥ!」

 

 幾ら万能な、ありトあらユる魔導魔術(まどう)ヲ極メたワタシでも外宇宙ノ奴ラを相手にスルノは骨ガ折れるトイウモノ。

 完全ニ意識ヲこの身体ヘ転写スルまでは余計ナ仕事ハ悲願ノ妨げニナルダケダ。

 

 故ニ──。

 

 「邪魔ダ、オマエ()()! 消エロ!」

 

 ドクン。

 

 外なる神ニ散りバメられた権能(チート)ヲ起動シタ。

 

 ドクン、ドクン。

 エンドの鐘ガ鳴り響く。

 

 瞬間。

 

 「しまった、剣が!」

 

 真似事ノ騎士カラ虹色の剣ガ消エル。

 

 ソレハ奇跡ノような現実デ。

 嘘ノような事象デ。

 然レド、確定サレタ(コード)ノ起動術式。

 

 「止めてください! 勇貴さん!」

 

 徴収命令(タイプ·レイド)

 ソレハ、異能ノ所有権ヲ好きニ変えれる権能(チート)

 

 「今度コソ、──コレデ終わりダ」

 

 ブゥン!

 剣ヲ奪ワレタ少女へ断罪ノ一閃ガ放タレル。

 

 「──っ!」

 

 容赦ナク。

 徹底的ニ、(オレ)たちを助けヨうトした人ヲ殺す自分。

 

 止マラナイ。

 コノママだと、たくさんノ窮地ヲ助ケテクレタ彼女たちヲ見殺シにしてシマウのに自分ノ言うトオリ身体ガ動いてクレナイ。

 

 「……よもや、ここまでか」

 

 シスカの首へ魔剣ガ届クか否カの時。

 

 ────「大切なことだった。どんなに壊され変えられてもそれだけは手放さなかった! そんな大切なものを失くしてキミは、平気な訳ないだろう!」

 

 誰一人味方のいない中、そんな僕を怒った人の顔が過った。

 

 ガシャン!

 すると、何故か後少しの距離で(ワタシ)は足を踏み外してしまった。

 

 「──ナ、ニ?」

 

 あり得ないコトだった。

 この身体をもう完全に掌握していた筈だった。

 

 なのに、僕の意志で攻撃を止められたんだ。

 

 「ゆ、勇貴さん?」

 

 「──っ、今だ!」

 

 一瞬の停止。

 数秒の動作不良。

 全て順調に進んでいたそれに奇跡が起きた。

 

 「バカな!? 何故、動カン!!!?」

 

 その隙に、シスカは迷うことなく虹色に輝く大剣を具現させて──。

 

 「七瀬勇貴、──すまない!」

 

 ブゥン!

 僕の身体を両断したのだった。

 

 ◇

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 「七瀬勇貴、──すまない!」

 

 ブゥン!

 

 流れる動作で廃騎士が銀髪の青年を斬り倒す。

 なす術もなく、抵抗する間もなく斬られた青年は血を流し倒れる。

 傷つけられたら、生身の人間であるならば血を流し倒れることは当然の話だ。

 

 いや、それよりも。

 

 「ククク」

 

 それをモニター越しに私は観測した。

 いや、漸く観測することにこぎ着けたというべきか。

 

 「……そうか」

 

 だがそうすることで、この夢の世界で起きた事象は現実へと反映されるのだから、良かったと開き直るべきなのだろう。

 先程から同じ言葉を繰り返す神父。

 

 「そうか!」

 

 胸が弾むように嬉しく、心の底から感謝の言葉が溢れ出る。

 

 そうだよ、あんな男にオマエほどの男が殺される訳がないのだから、これは当然の帰結だ。

 

 「本当にオマエなんだな、魔導魔術王(グランド·マスター)よ」

 

 頬が弛んだ。

 退屈な世界に光が差したことが見えたのだから。

 

 「ならば喜ぼう、オマエの復活を」

 

 そうと決まれば、先ずは祝杯を上げよう。

 好敵手の復活など、退屈に飽きた私にはこれほど喜ばしいことはない。

 

 アア、本当に。

 

 「ククク、……キキキ! そうだ、そうだ、そうだった! オマエという男が何の考えもなしに実験をするものか! ああ、本当に嬉しいぞぉ、私は!」

 

 嬉しくて、嬉しくて影絵たちを虐げる手が止まらない。

 

 何故なら私にとって下等な生物を見下すのも、犬畜生を転がすのも、善なる者を()とすのも娯楽の一つに過ぎないのだ。

 

 「これから、忙しくなるぞ! さあ、オマエたち、急いで舞台を構築するのだ!」

 

 真の愉悦とは、何か。

 神への冒涜を赦すのも、何か。

 それらすべては、『究極の一』へと至ることで私たち『外なる神』は知れる故に。

 

 「無様な影絵に、魔女にも劣る少女共よ、待っているが良い。オマエたちの企てなど、只の戯れにもならんということを教えてやる!」

 

 私はモニターに向かってそう叫び、黒い修道服を翻すのであった。

 



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034 理由

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 「────」

 

 目が覚めたら、暗闇の中にいた。

 そこで僕は黒い泥に足元まで浸かってて、指先一つも動かせない。

 ああ、どうやって此処に来れたのかは解らないけど。

 

 「────」

 

 でも、どうして僕が此処に居るのかは覚えてる。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 まるで、僕の考えを見透かしてるぞと言わんばかりの高鳴りだ。

 

 「……でも、良かった」

 

 そうだ。

 あのまま、彼女たちを魔術破戒(タイプ·ソード)で斬っていたらと思うとゾッとする。

 だから、これで良かった。

 どうしてこの暗闇に僕が堕ちてるのかを考えるよりも安堵の気持ちでいっぱいになる方が何倍もマシだった。

 

 だが。

 

 「……これから、どうしよう?」

 

 事態は何も解決していない。

 寧ろ、遠ざかっただけで進展の一つもない。

 

 ……本当、自分の身体が訳も解らない第三人格に乗っ取られるなんてどうすれば良いのさ?

 これがゲームとやらなら、もう詰んでるとしか言いようがない。

 

 だって──。

 

 ────「どうせキミは『■■■■・■■タ■』へ変わるんだ」

 

 「──あ」

 

 そうか。

 累は知ってたんだ。

 こうなることを知ってて、僕と戦ったんだ。

 ……もしかして、あの聞き取りずらかった言葉は第三人格の名前とかだったりするのか?

 

 「解らない。名前以前に、あいつが何をしようとしてるのか全然解らない」

 

 何でも良い、何か、何か無いのか?

 第三人格に繋がるようなモノが──。

 

 ────「『エンドの鐘』こそ、わっちぃらを生み出す永久機関。第二の『あのお方』の象徴であり、お主の心臓じゃよ!」

 

 「エンドの、鐘?」

 

 ……そう言えば。

 三鬼が消滅する間際にそんなことを言っていた。

 聞いてた時はよく解らなかったけど、もしかして第三人格は僕の心臓に宿ってるってことなのか?

 

 「だとしたら、三鬼が言ってた第二の『あのお方』って人が誰か解れば──」

 

 そこまで言って、ハッと気付く。

 この学園で『あのお方』と呼ばれていた人物が誰なのかを。

 

 「魔導魔術王(グランド·マスター)

 

 そうだ。

 確かクラスメイトたちが噂に尾ひれを付けて話していた。

 でもどうして、そんな人の人格が僕の心臓に宿ってるんだ?

 いや、そもそも今になってどうして魔導魔術王(グランド·マスター)が僕の身体を支配出来るようになったんだ?

 

 この世界には、魔術や異能だとか超常的な力がある。

 だけど、そのどれもが発動までのアクションはあった。

 いきなり、ぽっと出に身体のコントロールを奪うことは出来ないと思う。

 

 ああ、そうだ。

 神様じゃあるまいし、そんな荒唐無稽なこと出来る訳が──。

 

 「神様って言えば、『外なる神』って呼ばれてる奴が居たっけ」

 

 でも、それにしたって突然過ぎる。

 何かある筈だ。

 それに繋がるきっかけを僕たちは見逃してる筈なんだ。

 

 「……整理しよう」

 

 僕の中には、僕と僕の元となったオリジナルとエンドの鐘にある魔導魔術王(グランド·マスター)の精神がある。

 そして、夢の世界が崩壊しかける中で謎の黒い騎士に真弓さんが殺され、時間が巻き戻り──。

 

 「そっから、自分の意志が歪められて最終的に身体を乗っ取られたってんだよねぇ」

 

 解らない。

 あまりに唐突で、それに繋がる過程が無さすぎる。

 僕が今までやってたことと言えば、記憶の概念を取り戻すことやダーレスの黒箱から権能(チート)を得たりしただけ──。

 

 「──あれ?」

 

 そこまで考えて、何かが引っ掛かる。

 見落としてはいけないことが。

 見逃してることがあるような気がする。

 

 ────「魔導魔術師、ダーレス・クラフトが疑似的仮想空間上での()()維持を目的に構成したとされる魔道具(アーティファクト)。『外なる神』への交信の際に構築された術式であり、『静かなるディストピア』を打破する手段だった筈です」

 

 「記憶、記憶。記憶を取り戻そうとしたんだよね、僕」

 

 そう、僕の記憶を。

 自分の記憶を取り戻そうとしたんだ。

 それは真弓さんもそうだった筈。

 

 でも──。

 

 ────「記憶の概念を、取り戻してあげまずぅ!!!」

 

 真弓さんは僕の記憶とは言ってなかったよね。

 

 キーン、コーン。

 カーン、コーン。

 

 何処からか鐘の音が聞こえる。

 

 ────「尚、自身の精神エネルギーの大部分を思うままに変化させ固定させる術はなく。魂の固定化は現段階では実現不可能と呼ばれています。故にダーレスの黒箱などの権能(チート)を施された術式が組み込まれた魔道具(アーティファクト)を通して多大な時間を使えば叶えられなくはないという話もあります」

 

 授業で先生たちが言ってたことが頭に過る。

 今にして思えば、僕という人間の説明だと解る。

 そして、この仮説を裏付ける根拠もある。

 何故なら──。

 

 ────「この世界、この影絵によって創られた夢の中で生まれた魂。それが、勇貴さんの正体で。同時に今、勇貴さんの身体に入っているのが元の転生者、『藤岡■■(ゆうき)』さんの意識です」

 

 フィリアが僕をこの世界で造られた魂だと言ってたじゃないか。

 

 「そうだとしても、いや、仮にそうだったとしても。これまでの僕の行為は──」

 

 つまり騙してた。

 僕を騙すだけじゃなく、オリジナルの彼も真弓さんは騙してた。

 

 しかし、それはあまりに救われない。

 だって、それは此処まで頑張ってきた全部を台無しにするものだ。

 

 「何だよ、それ」

 

 傷付いたとか、そんなものじゃない。

 誰かを信じることが馬鹿らしくなるどころの話でもない。

 もっと根本的な何かが揺らぎそうで、『藤岡■■』という人間の全てを否定するようなものだ。

 

 「何処まで馬鹿にすれば良いんだよ」

 

 腹が立つ。

 何もかもが憎くて仕方ない。

 

 ────「約束する時は、指切りをするもんだって」

 

 でも。

 

 ────「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲~ます、──指切った」

 

 あの時、見せてくれた顔を嘘だと思えない自分もいる。

 

 「──っ」

 

 暗闇を見る。

 そこには、底の知れない深淵が広がっている。

 

 「う、あ」

 

 動けない。

 動けなくても、そこに見えない壁があるのだと思い込む。

 

 グッと手を握るイメージをする。

 魔術破戒(タイプ·ソード)で壁を叩き斬るのだと強く願う。

 

 「ぁああ、あああ」

 

 どうして、彼女を信じるのだろう。

 どうして、彼女だけを特別視するのだろう。

 何もかもが信じられない『藤岡■■』を知っているのに。

 

 けど、それらは──。

 

 ────「手を伸ばして!」

 

 信じてくれる人は居なかった。

 信じられる人も居なかった。

 

 だというのに必死で僕を助けようと手を伸ばし続けた姿が忘れられない。

 きっと、そういうことなんだ。

 あんなにも自分を顧みず、助けようとしてくれたから僕は彼女を信じるんだ。

 

 「あ、あああ、──ぁああああああ!!!」

 

 筋肉がはち切れそうになる。

 頭をガンガン叩きつけられるみたいに痛くなる。

 

 それを無視して、必死で幻想殺しの魔剣を現実化(リアルブート)する。

 

 すると──。

 

 パリン!

 空想の硝子が砕け散る。

 瞬く間もなく、僕は暗闇から見知れた寮館ロビーへと移動していた。

 

 「────」

 

 鏡があった。

 手を伸ばせば、鏡の中に引き込まれそうな感覚がする。

 

 「返して貰うよ」

 

 鏡に触れる。

 すると、引き込まれるように中へと誘われる。

 

 「──僕たちの記憶をさ」

 

 「…………」

 

 波紋の広がる空の下で、黒髪の少女に指を突き付けながら、そう言った。

 



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035 壊れた少女、狂った少女

 

 「なあ。どうして、いつも飛鳥はそんなに自信満々なんだ?」

 

 何回目かのループで、そんなことを(キミ)に聞かれたことがある。

 

 「それは、ボクが天才だからさ」

 

 その時は、適当にはぐらかしたけど。

 

 「……そうか。飛鳥は強いんだな」

 

 けど、本当は。

 

 「そうだとも。だから、もっと頼ると良いさ」

 

 只、落ち込んでるキミを励ましたかっただけなんだ。

 

 でも、それは仕方のないことだった。

 だって虚勢でも張らなければ、あの時のキミは壊れてしまうと思った。

 そうなったら、『残留思念(ボクたち)』が影絵の少女(真弓)としてきた全部が無駄になってしまうんだから。

 

 「……ああ、そうさせて貰うよ」

 

 ボクの嘘にキミは笑う。

 でも、その目はいつも陰りを見せていた。

 

 「アハハハ」

 

 ……本当は解ってる。

 キミがボクの嘘に気付いてて、それでも信じようと必死で足掻いてくれているんだってことも。

 

 だから。

 

「よし、着いて来たまえ、(すぐる)!」

 

 そんなキミの願いを手放さないよう、ボクは──。

 

 ◇

 

 「──僕たちの記憶をさ」

 

 指を突き立て、黒髪の少女──藤岡へそう言った。

 

 「…………」

 

 前回のオリジナルの僕がしたように。

 けど、あの時とは違って紛い物の自分が彼女に言った。

 

 それは同じようで。

 けれど違うことだった。

 

 「どう、して?」

 

 藤岡が恐る恐る口を開く。

 

 「どうしても何も、それが必要だから来たんだ」

 

 手を伸ばす。

 藤岡は可笑しなモノを見るような目で、手を伸ばす僕を見つめてる。

 

 「貴方の記憶じゃないでしょ」

 

 当たり前のことを言う。

 でも、それは同時に彼女なりの拒絶だった。

 

 「そうだね。でも、大切なモノなんだ」

 

 それを無視して、早くしろと言う。

 同時に確信する。

 僕の中の第三の、『魔導魔術王(グランド·マスター)』の人格に乗っ取られるのを知ってて黙ってたんだ。

 

 「だから、返して。それは僕たちが背負わなきゃいけないものなんだ」

 

 再度、返せと告げる。

 

 「…………」

 

 それでも、藤岡は僕を黙って見つめるだけだった。

 

 「出来れば、力ずくは嫌なんだ」

 

 解ってる。

 彼女がその『藤岡■■(きおく)』を大切にしてることは、知っている。

 

 だが、それは生きてる人間が背負うべき咎なんだ。

 

 「頼むよ」

 

 そう思い、藤岡の手を取ろうとする。

 

 「……ぃや。いや、嫌、──嫌よ!」

 

 パシン!

 しかし、彼女はその手を振りほどいた。

 

 「渡さない、渡さないよ。これは、傑に託されたんだ」

 

 理解はしてる。

 でも、藤岡はそれをしたくないと癇癪をして邪魔をする。

 

 「だから、──だから!」

 

 ドクン。

 濁った目で僕を見る。

 

 「オマエなンかに、渡シてナるモノか!!!」

 

 力強く彼女が叫ぶ。

 

 「──がぁ!」

 

 すると、僕の身体が見えない力によって吹き飛ばされた。

 

 「ソウダ、渡サナイ! 終ワラセナイ! コノ夢ヲ終ワラセテナルモノカ!!!」

 

 体勢を立て直そうとするも、それを遮るように藤岡の周りに幾つもの魔方陣が具現させる。

 

 「いけない」

 

 急いで魔術破戒(タイプ·ソード)を構えた。

 

 「此処カラ出テイケ!」

 

 だが。

 片言な藤岡の叫びを聞いた瞬間。

 

 「──な!?」

 

 僕は鏡の世界ではなく、一面の虹色に光を放つ花畑へ立っていた。

 

 「此処は?」

 

 見たこともない場所。

 此処が学園の何処か解らない。

 そう思い、辺りをキョロキョロと探していると──。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! まさか本当に来るとは思いもしませんでしたよ。けれど、ノープロブレム。やっぱりあっちのナコっちゃんの言う通り、一度、『真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)』を使うことになるんでしょうけどねぇえ!」

 

 いつか聞いた、名も知れぬ少女の声が後ろから聞こえてきた。

 

 「……誰?」

 

 振り返る。

 

 ザ、ザ、ザ!

 愛しそうに緑のモミアゲを弄る、聖職者の少女が僕の前に歩いて来た。

 

 「まあ、何て酷いお方でしょう! あんなにも愛を囁いて下さったのに、もうお忘れとは嘆かわしく存じ上げます? ……ええ、ええ! それも良いでしょう、良いんです、良いと存じるって決まってんだしぃ、そうしまっショウ!」

 

 滅茶苦茶な日本語。

 だけど、言葉の節々に何処か懐かしさを覚えた。

 

 「改めまして、ナコっちゃん様こと『古本ナコト』は今宵、『道化師』を名乗らせて頂きジャンガリアン! 夜·露·四·苦ね!」

 

 少女はそう名乗ると、ニコリと僕に微笑んだ。

 

 「────」

 

 『道化師』。

 この第二学共環高等魔術園、最強の一人。

 関わったら最後、その身を永遠に本の中の世界へ迷わせることで有名の異能使い。

 

 「は~い、は~い! そうでーす、ナコっちゃん様に喧嘩売る奴はそーいう最期を辿りま~す。後、飽きっぽいことでも有名なのを付け足しといてね!」

 

 ダンスを嗜むように、そんなことを軽快に言う。

 

 「でも、ナコっちゃんは綺麗だろう?」

 

 いつの間にか持っていた本を僕の方へ広げながら、彼女はそう言ってまた微笑むのだった。

 

 ◇

 

 「……ハア、ハア」

 

 ボクが呼吸を乱すのと一緒に空に波紋が広がる。

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 すると、何処からともなく影絵たちが騒ぎ出した。

 

 「フン。嗤エルノモ今ノ内ダヨ」

 

 耳障りな裏方だと思うし、目障りな神様だとも思った。

 そんな彼を前に、騙る少女(ボク)も哀れな存在でもあった。

 けど、それよりもいつまでも哀れなマトリョーシカを演じる愚者七号の方が目に余った。

 

 「本当、フザケテイル」

 

 明日なんか来なくて良い。

 このまま永遠の停滞で居られることが『藤岡■■』にとっての幸福なんだ。

 それなのに、どうして辛い現実に戻ろうとするのか意味が解らない。

 

 だが、それも此処までだ。

 今度こそ諦めてくれることを願って、ボクは扉を閉ざす。

 

 ────「持って行け。これを託す為にオレは此処に来たんだ。オートマンの野郎がくれた奇跡も無意味じゃねぇんだってところ見せてやれ」

 

 例えそれが、大好きな人の想いを踏みにじろうとも。

 この記憶こそが、傑たち(彼ら)の願った全てだと信じて──。

 



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036 嘘じゃない、嘘にしない。その為に──

 

 みんな、よく自分の人生の主役は自分だと言う。

 

 けど、それは間違いだ。

 だって、才能のない奴はいつだって恵まれた奴の踏み台で。

 格のある、──特権階級を持ったエリートたちの食い物にされる世の中なんだ。

 

 オレ、『藤岡■■』は主役じゃない。

 そういう連中の食い物にされるしかない弱者なんだ。

 そう生きるしかオレには選択肢がなかったんだから、卑屈になるのは仕方ないだろ。

 

 別にオレだって、特別を求めた訳じゃない。

 皆が口にする『平凡な人生』とやらを求めただけだ。

 

 しかし、その生涯を絞首台の上で閉ざした。

 

 何故だ?

 そりゃあ、オレにも悪いところはたくさん有ったよ。

 言い訳もするし、人と目を合わせることも出来ないし、何よりよく誰かの所為にして逃げたりしたさ。

 

 何度も直そうと頑張った。

 勉強も出来ないなりに努力した。

 運動もそれなりに勤しんだ。

 

 家族との不仲も──。

 

 父さんは物静かという人ではなかった。

 母さんも淑やかな人でもなかった。

 多分だけど、物心つく前にも些細ないざこざはあったと思う。

 

 けれど、その最期はあんまりなモノだった。

 

 「────」

 

 小さい頃は仲が良かったのに……。

 

 どうしてだろう?

 彼らが喧嘩するようになったのは。

 

 何でなんだよ。

 両親が互いの悪いところをオレに陰口するようになったのは。

 

 幾ら考えても解らなかった。

 仲の良い夫婦に戻って欲しかった。

 小さい頃みたいに三人で何処か遠くに出掛けたりしたかった。

 

 「また行こうね、■■」

 

 唐突に母さんの声が聞こえる。

 俯いていた顔を上げると、そこには二人の人物がいた。

 

 「……あ」

 

 朧げな姿なのに、目の前の人たちをオレは両親と認識してる。

 

 「何だい、母さんも楽しんでくれたのか。じゃあ、また行こうかな。■■」

 

 気付いたら、また夢を見てた。

 成長した自分と両親が何気ない会話をする、そんなありふれた日常の夢だ。

 

 「ああ。二人が楽しんでくれて良かった」

 

 楽しそうだった。

 それは懐かしく、けど、有りもしない妄想だと直ぐに解った。

 

 「う、ううう」

 

 縋りたかった。

 浸っていたかった。

 現実なんか見るのも嫌だった。

 

 でも。

 

 ────「明日が──。明日が、見たいのです」

 

 生きる価値がないオレに。

 

 ────「誰もいない夕暮れの教室で、まだ貴方が貴方の名前を憶えていた頃の話。……ええ、分かっています。もうその記憶さえ思い出せないことは分かっているのです」

 

 彼女は、オレ自身も忘れてしまっている約束を果たそうとしてくれた。

 それはまるで、生きてと言われてるようで。

 頑張ってと励まされてるみたいで。

 

 「──っ」

 

 ────「その願いを分かち合うことが永遠に叶わないとしても。それでも確かに貴方は私たちにそう願って、そう在るべきだと笑ったのです」

 

 ──精一杯の強がり(笑み)で、彼女は背中を押したんだ。

 

 ────「私はそれを叶えたい。それを叶えるためならば、何を犠牲にしても構わない。ですから、お願いです。どうか、私に貴方の記憶を取り戻させてください」

 

 それは、偽りだ。

 それは、オレたちを騙す為の演技だ。

 何度もそう思った。

 

 けど。

 

 ────「約束する時は、指切りするもんだって」

 

 オレたちは知っている。

 一人ぼっちが寂しいことを。

 オレたちは覚えてる。

 些細な気遣いが堪らなく嬉しいことを。

 

 だから。

 

 「戻ら、な、きゃ」

 

 意識は僕になっている。

 自分のことを誰かに任せきりにしちゃ駄目なんだ。

 

 ──だから!

 

 「──っが!」

 

 立ち上がらないと!

 

 「あ、ああ、ああああああ!!!」

 

 でないと、

 

 ────「あ。あああ、ああああああああああ!!! そうですよね! そうでしたとも、そうでしたとも! 解ってます。解ってましたとも! でも。でもでも、だからといって!」

 

 またあの子を泣かせちまう!!!

 

 身体が痺れる。

 身体が熱を発する。

 何もかもが嘘。

 何もかもが歪な物語。

 

 「どうしたんだ!? ■■!」

 

 父さんがオレに詰め寄る。

 現実に帰るなと言っているみたいだった。

 

 「帰らなきゃ! 帰らないと──」

 

 手を払おうとする。

 でも──。

 

 「帰ル? 果タシテ、オマエ二帰ル場所ガアルノカ?」

 

 二人の口から悪魔の声がした。

 

 「──っ!」

 

 驚きのあまり、オレは後ずさる。

 

 「無イ。オマエ二帰ル場所ナド此処以外無イノダ」

 

 キキキ!

 キキキ!

 

 影絵たちが嗤う。

 オレを見て狂喜する。

 

 「あ、ああ、あああああああああああああああああ」

 

 意識が遠退く。

 前へ進む気力が失われる。

 

 ガクン。

 

 「ソレデハ、オヤスミナサイ」

 

 懐かしいような、けれど名前も知らない青年の声を聞き、オレの意識は再び夢に堕ちるのだった。

 

 ◇

 

 ニコリと微笑む少女。

 聖職者にしては邪悪さを滲ませる顔で、彼女は僕へと近づいた。

 

 「きゃわわわ」

 

 脅しだ。

 古本ナコトはこちらの思考を解ってながら、後ずさる僕へグイグイ来る。

 

 「良いね、良いよ、良いって、良い顔してるっていうかー、そそるねぇえ」

 

 パラパラと捲れる本を見て、何故か分からないが異様なモノを感じた。

 

 「きゃわわわ! ソウデスね! そいつがナコっちゃん様の固有能力(アビリティ)だもんね! そりゃあ、警戒するってもんです!」

 

 「──っ」

 

 互いの顔に息がかかる距離まで迫られる。

 ガシリと肩を掴まれる。

 

 「オッと逃げちゃ駄目、駄目! ナコっちゃんから目を逸らさなーいの。そうすれば嫌なことも良いことも()()()()()んだからさ」

 

 ピシリと頭の中で警告音が鳴り響く。

 

 「……え? 忘れ、られる?」

 

 聞いてはいけない。

 この場から離れなければいけない気がするのに、古本ナコトの話に耳を傾けてしまう。

 

 「そう、そーう! 今までも、これからもそうやってナコっちゃん様が忘れさせてあげたんですよー。だから、感謝して頂戴な!」

 

 何を忘れさせたというのか?

 彼女が僕の何を忘れさせたというんだろうか?

 

 「現実逃避ー? でも良いよ。良いって、良いさ、良いぜ、良いに決まってんです! そうやって逃げてくれれば、あの魔導魔術王(グランド・マスター)をも出し抜けるって寸法なんですから!」

 

 パラパラ。

 

 ────「雪が降る中で、『まち』と言う場所で『いるみねーしょん』とやらを眺めながら、私たちはデートするんです。……あ、そうです! デートと言えば、お洒落な『かふぇ』で互いに食べてるパフェをつつき合うとかもやってみたいです。──ええ。此処では出来なかったことを沢山するんです」

 

 忘れてしまう。

 

 ────「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 否、もう既に忘れてしまっている。

 

 ────「死ね! 死んじまえ! テメェなんか誰も見ちゃいねぇんだよ! ココで心なんか壊れちゃえ!!!」

 

 その結果、どうなった?

 

 ────「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲~ます、──指切った!」

 

 諦める?

 また忘れる?

 

 「良いから! とっと忘れ──」

 

 目の前の少女が叫ぶ。

 身体が動かない。

 どうしようもないのは、明白。

 

 ────「人間ニナりタイっテ願イも、好キダって言ッタヤツと会ウ夢モ、タラレバの未来モ全部無カッたコトにシチマッタノニ! ──それヲ今更意味ガナイと笑えルか!」

 

 でも、だからって。

 飛鳥の願いを切り捨ててまで言った、彼の想いを嘘にして良い訳じゃないだろう?

 

 「──嫌だ!!!」

 

 震える手で、掴まれていた肩を振り解く。

 

 「──っ!?」

 

 それに目を見開き、古本ナコトは驚いた。

 

 「諦めない。……諦めない! 僕は絶対、諦めないよ! 例え、それがどれほど無謀なことでも。叶わない願いだとしても。僕は、──僕たちは『記憶』を取り戻す!」

 

 イメージする。

 誰のモノでもない自分だけの最強の剣を。

 

 「きゃわわわ! 本っ当、諦めが悪いですねぇえ!」

 

 緑の髪が揺れ、その手に持つ本の頁がパラパラと捲れる。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 

 「諦めが悪くて結構! 自分のすることは自分で決める!」

 

 手にした鉄の塊を勢いのまま振るう。

 

 キィン!

 だが、見えない壁に青と赤の螺旋の一閃が弾かれてしまう。

 

 「良いじぇ、良いし、良いって、良いに決まってんしぃい! 無理やりでも忘れさせてやりますよ!」

 

 黒の修道服が靡く。

 唾が出るほどの勢いで古本の口から罵声が飛び交った。

 

 「そして、今度こそクソ神父に真世界帰閉ノ扉(パラレル・ポーター)を開かせてやるんだから!」

 

 すると、はち切れんばかりの声で古本ナコトはそう叫ぶのだった。

 



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037 例え君を倒してでも、僕は行く

 

 放たれる、青と赤の一閃。

 

 「やぁあああ!!!」

 

 それを阻む不可視の領域。

 

 「──っち!」

 

 不規則なステップ。

 整わない息遣い。

 目が眩みそうな焦燥感を前に火花が散る。

 

 「ぁあああん、もう! しつこい!」

 

 古本の持つ本の頁が捲れる。

 すると、何処からともなく不可視の一撃が繰り出される。

 

 「──っ!」

 

 咄嗟に魔術破戒(タイプ・ソード)を振るう。

 

 キィン!

 

 「──っぐ!」

 

 だが、それも見えざる力場に阻まれてしまう。

 

 「きゃわわわ!」

 

 ニヤリ、と古本の口が歪む。

 

 ドクン!

 嫌な予感がしたので、幻影疾風(タイプ・ファントム)を駆使し後ろへ下がる。

 

 瞬間。

 

 ボンッ!

 先ほどまで僕が居た場所に小さな爆発が起こる。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! これも避けますか!」

 

 パラパラと本を捲る古本。

 並行するように爆発した場所から砂煙が更に巻き上がる。

 

 「ですが! それもこれで、終わっちゃうんだって!」

 

 愉快そうに聖職者(しょうじょ)は笑う。

 

 ダンッ!

 古本が足を踏み出す。

 続けて、ポン、と弾けるように見覚えのある人影が現れた。

 

 それは、種も仕掛けもない奇術で。

 それは、超常的な力による異能だ。

 

 「え?」

 

 その人影の出現に疑問が出る。

 

 ぐちゃり。

 そんな疑問に答えるように、そいつは飢えた獣のような視線で僕を睨んだ。

 

 「さあさあ、現れましたぜ、ビッグショー! お待たせしたんだ、スプラッター! 今宵の懺悔はお前だ、ミスター!」

 

 褐色の肌が見えているけど、ギラギラした眼光に以前の余裕は見えない。

 思わず目を覆いたくなる、真っ黒な泥に寄生された白衣の男。

 

 「蹂躙! 凌辱! 改竄! さあ、ショウタイムだ。暴れろ、ウェイトリ―!!!」

 

 嬉々として声を弾ませる古本は、突然現れた『人形男』に向かって叫ぶ。

 

 「あ、ぐぅ、──が」

 

 その指令に対し、(うずくま)り、呻く『人形男』。

 もう動けないとそれは頑なに訴える。

 

 だが──。

 

 「おら、どうしたし!? 観客を楽しませるのが、神様の特権なんでしょう?」

 

 パラパラ!

 古本が本の頁を捲って、それを許さない。

 

 「や、や、──がぁ! ぃあ、め! だづぅ!」

 

 ぐるン!

 ぎこちない動きで、『人形男』は立ち上がる。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! そう来なくっちゃ!」

 

 今にも踊りだしそうに、哀れな人形を演じるウェイトリーを『道化師』は指差し笑う。

 

 「がら、だ。ばれの、──がらだぁあああ!!!」

 

 神を騙った男は、泥まみれの体で叫ぶ。

 

 「──っ!?」

 

 ミシリ!

 空間が軋む。

 

 「じゃあじゃあ、これにて『バッドエンド・ガールズ』は完結、完結ぅう!!!」

 

 ジャリリリ!

 罅の入った空から無数の鉄杭が伸び、数多の鎖と共に僕を襲う。

 

 ガキン!

 襲い来る鉄杭を弾く。

 

 「ぎぃ、が、きゃ、っひぃ」

 

 鉄杭を弾かれる度、ウェイトリーが苦しそうに悶える。

 

 「きゃわわわ! 最っ高ですね、最高だって、最高だよって、最高に決まってるっていうんだし!」

 

 その姿を嬉しそうに見つめる古本だった。

 

 ◇

 

 ガキン!

 シュバッ!

 

 飛来する悪意。

 当たれば、頭部を余裕でひしゃげるそれを魔術破戒(タイプ·ソード)で一閃する。

 

 「──っく」

 

 宙を舞う鉄杭。

 火花を散らし、ジャラジャラと音を立てる鎖。

 

 「っしゃあああ!」

 

 キリがない。

 幾度斬り倒しても次から次へと止まない鉄杭たちにウンザリしてくる。

 

 「面白~!」

 

 それを愉しげに古本は笑う。

 僕のことなど眼中にないらしく、持っている本を捲るのに夢中で隙だらけだった。

 

 ──なら!

 

 ドクン。

 

 「やぁあああああ!!!」

 

 心臓を高鳴らせ、コンマの世界で余裕の古本へと斬りかかる。

 

 しかし。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! 無駄だし、無駄だって、無駄なんだって、無駄だと分かってるんのにしつこいし!」

 

 キィン!

 それを見えない壁が阻む。

 

 「ぐぅ、ぅううう!!!」

 

 ジャリリリ!

 僕が弾かれると同時にウェイトリーが呻く。

 壁を壊す思い込みをさせない為か、無数の鉄杭が容赦なく向けられる。

 

 「どうしようか、な!」

 

 無骨に攻撃を躱す。

 避け切れない鉄杭は魔術破戒(タイプ・ソード)で弾く。

 

 「どうしようもねぇえんです! どうしようもないってことで、どうすることも何も諦めて忘れろって言ったんだし!」

 

 古本が諦めろと叫ぶ。

 もう叶わないのだからと僕に現実を突き立てる。

 

 でも。

 

 「だから、それは嫌だ!」

 

 負けじとそう叫び返す。

 けど、彼女はそんな僕を無視してパラパラと本の頁を捲り続ける。

 

 「ぅるっさい! いい加減、くたばれ!」

 

 癇癪を起こすように少女は怒鳴る。

 すると、何かが目の前で弾けるのを感じた。

 

 「この、──分からず屋が!」

 

 堪らず、叫んだ。

 

 ドクン!

 幻影疾風(タイプ·ファントム)を駆使し、思い切って二人から距離を取る。

 

 「────」

 

 覚悟を決める。

 ドクン、ドクンと心臓が脈打つのを感じながらこちらへと向かう敵を見つめる。

 

 ドクン。

 

 見えない壁が阻むというなら。

 目の前の古本が邪魔をするというのなら。

 

 ドクン、ドクン。

 

 大事なものがある。

 大切な人が待っている。

 

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。

 

 それを奪われようとしている。

 それを奪ってでも願いを叶えようとしている。

 

 ────「勇貴さん!」

 

 それを許せるか?

 それを手放せるか?

 

 ──ドクン(いやだ)

 

 だったら、──叩き切るまでだ!

 

 ピキリ。

 

 「──っち! 今、徴収命令(そいつ)に触れる訳には!?」

 

 影が伸びる。

 

 「う、ぐぅ」

 

 頭が割れるような痛みを訴える。

 見ているものがあやふやになるような、大切な何かが抜け落ちるような感覚に息が続かない。

 つーか、動けない。

 

 「喰ら、え」

 

 それでも何とか腕を突き出し、死に急ぐ影に指令する。

 

 「ぁああん、もう! ウェイトリー!!!」

 

 影から無数の斬撃が伸びる。

 青と赤の刃を瞬時に繰り出すそれに、『道化師』は慌てふためく。

 

 「がっ! ぎ、ぐぅ、──ぉおおお!!!」

 

 頭上に現れる幾多の鉄杭(コード)

 降り注がれる必殺の権能(チート)

 

 ウェイトリーは知っている。

 古本も知っている。

 

 それらが意味をなさないことも。

 

 「これ、で!」

 

 だから、彼らは僕に休ませる暇も与えなかった。

 

 ──けど、それも終わり。

 

 「──終わりだ!!!」

 

 熱を帯びる神経。

 一ドットの時間を超え、影による剣舞は立ちふさがる二人を捉えた。

 

 「きゃわわわ! お、覚えてなさい!!!」

 

 交差する赤と青。

 吹き飛ぶ二人の暴君。

 

 パラパラと本を捲る古本はそう叫ぶと、一目散に何処かへ姿を眩ませる。

 

 「ぎぃ、んがっ!!!」

 

 そして、黒い泥にまみれたウェイトリーは、影の剣舞に呑まれ──。

 

 「ぐ、が、い、ひひひ。──この借りは高くつくぞ、クソゴミ共」

 

 スゥン。

 

 ──そんな断末魔を残して、姿を消した。

 

 「────」

 

 何処からともなく、風が吹く。

 すると、一斉に虹色の花びらが舞い上がった。

 

 「知らないよ、そんなもん」

 

 何故かそんな言葉が口からこぼれたのだった。

 



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038 おやすみ、少女よ

 

 夢を見る。

 

 ジジジ。

 それは遠い昔のことなのに、最近のように思える情景。

 

 ザー、ザー。

 懐かしく。

 けれど、私のものでない、借り物の記憶。

 

 「────」

 

 これは、手を伸ばせば届きそうな、目映い光でもあり。

 道草に生えたすみれのような、ありふれた少女の回想だ。

 

 ◇

 

 名城真弓()の人生は、よくある話で構成させられている。

 

 特殊な異能をその身に宿してたりとか、王族の血筋を引いていたとか、そういう特別なステータスを持っていた訳ではない。

 只、道端を歩いていたら、事故に巻き込まれる。

 そんな類いのアクシデントに見舞われただけの平凡な人間でしかなかったんです。

 

 「これといって、才能なかったのに、ね」

 

 あの歴史上の大事件に巻き込まれなければ、魔導魔術王(グランド·マスター)に目を付けられなければ私は平凡な人間として幕を下ろしていた筈だったのに。

 

 何故か人生で初めての強運が発揮してしまった私は、魔導魔術王(グランド·マスター)による『外なる神』の降霊計画の代用とやらの一員として酷使させられることになったのだ。

 

 悪い魔法使いから正義の味方が女の子を助けるとか。

 好きになった人が居て、その人が死ぬとか。

 

 そんなのはこの世界だとよくある不幸で、誰もが聞いたことのある悲劇でしかないのです。

 

 「……やあ、今日も来たよ」

 

 そう。私に起きたことは、そんなありふれた話なのだ。

 

 今は亡き貴方の墓前に花を添え、黙祷する。

 たったそれだけで、死者を弔うなんて生者の慰めになるんだから、やって損はないのだろう。

 

 「────」

 

 死とは生きているモノが迎える絶対の理で、回避することなど不可能な概念だ。

 それが在るから、この宇宙は半永続的な循環を保っている。

 

 だから、それを壊すことは誰であろうとしてはならないんだって貴方はよく語ってたっけ。

 

 ────「お前となら、良いかもなぁ」

 

 黙祷をしている時、ふと貴方の言葉が頭を過る。

 

 「これでも堅物だったんですけど、ね」

 

 しっかし、少し話しちゃうだけで惚れちゃうとか私ってチョロ過ぎじゃない?

 そりゃあ、貴方はイケメンだったし。なんか私に対してスゲー優しくしてくれるしで無理もないんだけど!

 それでも、あれだよ。絶対、主人公補正入ってるよね、貴方って!

 だって、義妹(みずき)ちゃんはまだしも、会ったばかりの私やあのウェサリウスちゃんまで落としちゃうんだから、相当なすけこましだよね。

 

 ええ。そう愚痴らずには居られないぐらい、あの時の私は浮かれてたのは確かです。認めます。認めますとも。

 ……でも、ピンチに駆けつけてくれたヒーローに恋しちゃうのは仕方ないよね?

 

 「……はあ。どうして、死んじゃうんですかねぇ」

 

 墓前に添えた花が風に揺れる。

 でも、私の口からこぼれた問いの返事はない。

 

 当たり前だ。

 死者は蘇らないのだ。

 ……今なら、あの魔導魔術王(グランド・マスター)が完全な死者蘇生を願ったのも分かる気がする。

 

 「全く、これからどうしろと言うんですか? 瑞希ちゃんもウェサリウスちゃんも誑かすだけ誑かして、ポイですか? これだから、貴方って人は──」

 

 どれほど愚痴を言えども、大切な人は帰ってこない。

 只、虚しさが積もるだけでポッカリと空いた胸の穴は埋まらない。

 

 そんなことは知ってる。

 そんなことは分かってる。

 

 けど。

 

 「ねえ、聞いてるんですか? ねえ、……ねえ、ってば」

 

 それでも、私は口にせずにはいられないのよ、古瀬。

 

 カツン。

 

 そんな時。

 

 「ククク。今日も墓参りか? 全く、精が出るものだな、名城真弓よ」

 

 「ナ、イ神父? どうして、貴方が此処に!?」

 

 一度死んだ男が、──『外なる神(ナイアルラトホテップ)』の端末が私の前に現したのは。

 

 「どうしても何もない。ワタシは『外なる神』の一端末に過ぎん。であるからにして、ワタシという情報から『外なる神(ナイアルラトホテップ)』が再構築するのはそう難しいことではないのだよ」

 

 愉快そうに私を見て、男は笑う。

 

 「何が目的なの?」

 

 敵意を滲ませ、白髪の神父へ問う。

 

 「ククク。なーに、哀愁漂う貴様を見て、情けをかけてやろうと思っただけのことよ」

 

 どの面下げて言うの?

 そう思いつつ、私は話の続きを促した。

 

 「知っての通り、この第二共環高等魔術学園はワタシたち、──『外なる神』を降霊する為に魔導魔術王(グランド・マスター)が創り出したことを貴様は覚えてるかね?」

 

 コクリ、と頷く。

 

 「ふむ、結構。ならば、奴の目的である完全な死者蘇生を完成させる術式がこの地には幾つも放置されている。そのどれもが未完成に近いモノであり、欠陥を抱えている代物だが──。実はな、完全ではないにしろ死者の魂を呼び寄せる装置があるのだよ」

 

 ……それは、耳を傾けてはならない悪魔の誘惑だった。

 

 「まあ、死者の魂を呼び寄せるだけで現世に定着させる術のない不完全な代物だ。故に、魔導魔術王(グランド・マスター)はそれを失敗作とし研究を放置した。──だが、ね。ククク。今の貴様らには、丁度良い代物ではないかね?」

 

 けれど、あの時の私にとってそれは──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キキキ。

 キキキ?

 キキキ!

 

 影絵たちに休息はない。

 彼らが活動を休止してしまえばこの世界は存続することが出来ない。

 

 「ぐぅ、っは!」

 

 だから。

 

 「何故、だ? 何故、君たちが魔導の残党に肩入れしてるんだ?」

 

 例え、自分の手を血で染めることになったとしても、それを邪魔するのなら何だってするのです。

 

 グシャッ!

 頭を潰され、ピクピクと痙攣する討伐隊の隊長(オートマン)

 その姿は、宛ら手足を捥がれた虫みたいで同じ人間とは思えません。

 

 「……ごめんなさい」

 

 彼ら、討伐隊の人たちを騙すのはそれほど難しくはなかった。

 実際、魔導の残党が持ち合わせていた魔導魔術王(グランド・マスター)の置き土産を使えば、思考を誘導することは容易だったのです。

 

 「恨んで貰って結構ですよ」

 

 この夢の世界を壊されたら、此処までの計画がすべて台無しになってしまう。

 そうなったら、あの人に会えない。

 だから、古瀬に会う一心でおびき寄せた二人の討伐体の頭を潰したんです。

 

 「や、やめ──」

 

 グシャッ! グシャッ! グシャッ!

 グシャッ! グシャッ! グシャッ!

 

 何度も。

 何度も、念入りに。

 

 「真弓さん、止めましょう。……もう事切れてます」

 

 「ハア、ハア」

 

 カラン。

 そうして手に持っていた魔槍(ランス)を放すと、首のない二つの肉塊を眺めることになりました。

 

 「わた、し、──私は」

 

 取り返しのつかないことをした。

 魔導魔術王(グランド·マスター)から助けてくれた討伐体の人たちを手にかけたのです。

 

 それはいけないことで。

 それはとんでもない愚かなことでした。

 

 ……でも、仕方なかったんです。会いたかったんです。

 此処に来て、ようやく感情のない筈の影絵でも心を持てることを理解したの。

 

 たとえ、それが人間の感情を真似ただけの別物でも私は──。

 

 「それ、でも──」

 

 間違いだと分かってた。

 誰も喜ばないのも知ってた。

 協力してくれた二人にだって嘘を吐いてる。

 

 けれど、どうしても古瀬との再会を願わずにはいられなかったの。

 

 「先を急ぎましょう、お兄ちゃんが待ってます」

 

 震える私に向かって、瑞希ちゃんが先を促しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジジジ。

 

 カツン、カツン。

 

 空っぽの祭壇を埋める為、宙へと続く階段を私たちは上る。

 

 思えば長かった。

 協力者を探すのも一苦労したし、影絵という生命体と対話することに困難を極めたと言っても過言じゃなかったよ。

 

 カツン、カツン、──カツン。

 

 でも、それも終わり。

 長かった私たちの計画の執着地点にようやくたどり着いたのです。

 

 「着いたわ」

 

 ヒュウ、と風が吹く。

 階段を登り切った私たちの先に固く閉ざされた門が見えました。

 

 「二人とも、覚悟は良い?」

 

 後ろにいる二人へ問います。

 

 「大丈夫だよ、真弓さん」

 

 「え、ええ。出来てます。出来てます、とも」

 

 協力者の少女たちの返事を聞いて、私は懐から『銀の鍵』を取り出して。

 

 「じゃあ、──行くよ」

 

 固く閉ざされた門を『銀の鍵』を使って開けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──っ」

 

 そこで影絵の少女()は目を覚ます。

 

 「ハア、ハア」

 

 彼が死んで巻き戻るといつも寝そべっている祭壇から私は起き上がる。

 

 「早く、行かなきゃ」

 

 そう言って地下聖堂を出ようとしました。

 

 「行かせると思うかね、影絵(しょうじょ)よ」

 

 ですが、それは果たされません。

 何故なら。

 

 「ククク。今度こそ、魔導魔術王(あの男)の企みを邪魔させんよ」

 

 『外なる神(ナイアルラトホテップ)』の一端末、ナイ神父がそんな私を呼び止めたからです。

 

 「……ナイ神父」

 

 振り返るとやはり数メートル先に黒い修道服の男が居ました。

 

 この男は私たち、影絵とは違います。

 だからと言って、人間でもありません。

 

 彼は『外なる神(ナイアルラトホテップ)』が地球人と接触する為だけに造り出した情報生命体です。

 だから、この世界であろうとなかろうと死ぬことはないのです。

 

 「その為には一刻も早く、あの空の器に『記憶(やつ)』を注いでやらねばならんのでね」

 

 手を大きく広げ、こちらへ近づくナイ神父。

 

 「出来ませんよ。貴方には、──」

 

 それを──。

 

 「悪いが、その手は封じさせて貰った」

 

 私の手を神父の手が掴む。

 

 「──え? な、何で」

 

 神父の姿が離れていることは確認出来ていた。

 そして、権能(チート)を使う前に『名城真弓(彼女)』から託された恩恵(ギフト)を発動しようとした。

 

 なのに、それを封じた。

 こんなこと、今まで出来なかった筈なのに──。

 

 「ククク。理解出来ないと言った顔だな、影絵(少女)よ。しかし、種が割れれば簡単なこと。お前たちは認識を歪め過ぎた。故にその力への対策など容易に持ち合わせることが出来る──ふん。少々、喋りすぎた、か。とは言え、恩恵(ギフト)にしろ権能(チート)であろうが行使には魔導魔術王(あの男)でも一度に一つの発動しか出来なかったことを鑑みると──」

 

 ナイ神父が私の手を掴む力が強くなる。

 

 「や、止め──」

 

 それだけで、彼が何をしようとしているのかが分かってしまった。

 

 「助けを求めても無駄だ。『廃騎士』は愚者の傍に居て離れており、『道化師』はこちらの制御下にある。尾張飛鳥はあのザマで、他の残留思念(ヒロイン)は舞台から退場済み。オマエを守る駒はすべて潰させて貰った」

 

 口元を大きく歪ませ、神父は嗤う。

 

 「さて、お前のアストラルコードを消すことはアクセス権を持たないワタシには出来ぬことだが、二度と舞台に上がれなくすることは出来る」

 

 ギリギリと掴まれた手の感覚が消えていく。

 

 「い、嫌です! まだ私、あの人の願い叶えてないんです! 此処で戻ったら、私──」

 

 「ククク、ククククク! 大丈夫だとも。お前が戻る頃にはすべて終わらせておいてやる。故に安心して、眠るが良い!!!」

 

 ナイ神父はそんな影絵(わたし)を哀れむように、慈しむように嘲笑うのです。

 

 キキキ?

 キキキ!?

 キキキ、キキキ!!!

 

 そうして、私の意識は再び真っ暗闇に閉ざされるのでした。

 



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039 王ト愚者

 

 見渡す限りの虹色の花畑。

 走っても、走っても終わりが見えず、いい加減、僕の目がチカチカして困った。

 

 「本当、此処は何処なんだよぉ」

 

 うーん、──そうだ。

 

 「自己投影(タイプ・ヒーロー)を使えば行けるんじゃ──」

 

 自己投影(タイプ・ヒーロー)は、強く思い込むことで思考を現実化(リアルブート)出来る権能(チート)だ。

 なら、此処が何処だろうと今いる場所が教室だと思い込めればそこが教室になる筈。

 

 「……よし、それで行こう」

 

 当たるも八卦当たらぬも八卦って言葉もあるし、やってみるか。

 

 「────」

 

 目を瞑る。

 此処は、教室。

 自分がよく通う学園の教室だと強く思い込もうと──。

 

 その時。

 

 ドクン。

 

 「──っ」

 

 心臓が鼓動すると共に、空間が軋む音が響く。

 すると、頭に割れるような痛みが走る。

 

 「──!」

 

 しかし。

 

 「……あれ?」

 

 それも一瞬で掻き消えてしまう。

 

 「可、笑しい、なぁ……」

 

 手ごたえはあった。

 確かに自己投影(タイプ・ヒーロー)を発動した時と同じ感覚が僕を襲った。

 

 しかし、現状は何も変わらないということは、つまりこの場所では自己投影(タイプ・ヒーロー)を阻害する何かがあるということ。

 

 「うーん、どうしたら良いんだ?」

 

 考えろ。

 幾ら、権能(チート)と言っても出来ることには限りがある。

 そうだ。

 どんなに現実離れした能力でも使う側は僕なんだ。

 

 なら、出来ることには僕っていう人間の考えうることで収まらなければならない。

 

 「闇雲に権能(チート)を使うのは、後々、何があるか分かったものじゃないから駄目だ。此処は、慎重に行かなきゃ脱せな──」

 

 ────「そうでなくては、『無の空間』なる権能(チート)以上の魔導魔術である『恩恵(ギフト)』を二胡には与えなかった筈です」

 

 その時、真弓さんの言葉が頭に過った。

 

 「……そういえば、『無の空間』って二胡が発動した恩恵(ギフト)ってヤツは何なんだろう?」

 

 そもそも、あの『無の空間』とやらも二胡が発動したものなんだろうか?

 

 「あの時は、状況的に二胡さんが発動したと思ってたけど。──うん、そうだよ。やっぱり、可笑しい。二胡が発動したにしても、使用した素振りがないじゃないか」

 

 そうだ。

 あの時、二胡は僕たち三人の相手で手一杯だった。

 そんな彼女が、ノーモーションで『無の空間』という恩恵(ギフト)を使えるだろうか?

 

 「──っ」

 

 さらさらとした風に髪が靡く。

 思えば、こうしている間も影絵の少女(真弓さん)は僕を探しているのだろうか。

 

 「────」

 

 果ての見えない虹の花畑。

 誰もいない、一人ぼっちの空間にさ迷う僕。

 

 鳥のさえずりも聞こえない。

 陰湿な囁きも響かない。

 永遠に誰もいない世界で今も尚、虹の花は咲き続けている。

 

 「……あの時、二胡じゃない誰かが僕を『無の空間』へ誘った。それは確かで、それは絶対なんだ。あの感覚も、あの苦悶も、この記憶も嘘じゃないなら──」

 

 誰だ?

 あの場にいた誰かだとしたら、それは僕といた二人の内のどちらかだ。

 

 ……えーと、確か二胡が大剣を振るうと浮遊感に襲われたんだっけ。

 そして、頭が痛くなってその場で倒れて、それから──。

 

 「────、待った。そもそも、あの時の僕は幻影疾風(タイプ・ファントム)を使ってたんだ、よ。だったら、僕がコンマの世界に入る前に使わなきゃ効果が発動しないじゃないか」

 

 ────「よろしくってよぉ!」

 

 その直前に誰かがやったことって言えば、シェリア会長に化けた魔女が持っていた二丁拳銃を撃ったことだけだ。

 

 ────「遺言は聞かないわ。それで時間を戻されちゃ、堪ったものじゃないもの!」

 

 今にして思えば、魔女の色欲の権能(チート)とはどういう効果だったんだろうか。

 

 そうだ。撃たれたら死ぬというのが直感しただけで、これと言ったことは何も知らない。

 只、何か恐ろしいことになる。

 

 そんな訳も分からない脅迫概念に突き動かされたんだ。

 

 「そういえば、あの時も自己投影(タイプ・ヒーロー)は発動出来なかった」

 

 シェリア会長の姿から自分へと変えた時も僕は使えなかった。

 

 ──でも。

 

 「でも、もう居ない。魔女は、──シェリア・ウェザリウスは確かに僕がこの手で倒したんだ」

 

 この手には、魔術破戒(タイプ・ソード)で斬った感触が残ってる。

 この頭には、未だ死にたくないと懇願した魔女の顔が拭えない。

 

 だから、嘘じゃない。

 あの最期は、きっと嘘じゃない筈なんだ。

 

 「だったら、どうして?」

 

 疑問が尽きない。

 考えが纏まらない。

 否定ばかりで、これと言った正解にたどり着けない。

 

 「迷ウのでアルのナラ、いっそノこと全て諦メテしまッテ良いのダゾ?」

 

 聞き覚えのある声がした。

 

 「──え?」

 

 ドクン。

 悪魔の囁きにも聞こえるそれは、いつもとは違うモノを感じた。

 

 「どうシタのかネ? まさか、ワタシの声ヲ忘レタわけではアルマイ?」

 

 風が吹く先によく知る男が立っている。

 

 「────」

 

 驚きで声が出ない。

 

 二度目の邂逅。

 それは、いつか見た光景の焼き回し。

 

 「驚きデ声ガ出ナイか。マア、ソレも無理もナイ。──しかし、ツレナイ。先ほどマデの威勢がまるでナイゾ」

 

 男、──否、その青年は銀の髪を煩わしそうに搔いている。

まるで、僕のことなんか心底どうでも良いと言いたげに碧眼を細めている。

 

 ジジジ。

 頭が痛い。

 声を聞くのも煩わしい。

 

 でも、聞かないと。

 君は誰だと聞かないといけない。

 

 「──っ」

 

 ドクン、ドクン。

 心臓がはち切れそうで、何だかとても恐ろしく息が詰まりそうだ。

 

 「ククク。アア、その感覚ハとても正シイ」

 

 バサリ。

 青年の羽織った黒いローブが靡く。

 ニタリと歪む口元に僕は、──オレは体が硬直する。

 

 「……あ、れ?」

 

 パリン、と何かが欠ける。

 ゾクリ、と背筋が凍る。

 

 今、一瞬。

 何かとてつもない違和感があった。

 

 「何だ、──これ?」

 

 そう、違和感。

 頭の中に異物を押し付けられた感じ。

 

 ゾワリ、ゾワリと鳥肌が立った。

 分からない。

 よく分からないのに、青年は笑ってる。

 

 「き、みは、──君は誰なんだ?」

 

 思考が定まらない。

 目の前の青年は真っ直ぐこちらを見つめてる。

 

 「嗤エル話ダ」

 

 呆れてる。

 鏡映しの青年は僕の言葉を無視して、片手を突き出す。

 

 「ダガ、ソレデ良イ。ソウでナクてはオマエに『エンドの心臓(ソレ)』を埋め込んだ甲斐がナイ」

 

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。

 心臓が跳ねる。

 

 「う、あぅ、──ぐ」

 

 まるで青年の意志に肯定するよう、心臓は跳ね続ける。

 

 「モウ、立っているノモ辛かロウ? 本来ナラ此処デ始末シておくノガ慈悲とイウモノだガ──」

 

 突き出した手に何かが握られている。

 

 「────それ、は」

 

 罅の入った歪な黒い箱。

 いつか渡されたものと似た箱の罅が赤く光る。

 

 「ソレでは計画ニ支障ガ出るトいうモノ。ナラバ、眠レ。夢ヲ見るコトこそオマエの使命デあるのダカラナ」

 

 名を騙らぬ青年は僕を見ない。

 だが、それで良い。

 今はまだ、その名を語る刻ではないのだろう。

 

 「────」

 

 意識が遠のく。

 

 キーン、コーン。カーン、コーン。

 唐突な眩暈と共に、何処からか鐘の声が聞こえた。

 

 ◇

 

 「────」

 

 気が付くとまたそこにいた。

 

 星のない夜。

 果てのある空。

 何もない虚構を繰り返す愚か者は暗闇に立っている。

 

 「──っ」

 

 一歩進もうとする度、夢を見た。

 

 「──ぅう、あ」

 

 それは、いつかの、ありふれた出来事だった。

 

 「う、ぐぅ」

 

 辛かった。

 苦しかった。

 憎かった。

 

 ──でも。

 

 「ハア、ハア」

 

 そのどれもが自分にとっては、掛け替えのないモノで。

 幾度となく繰り返した記憶は、歪な僕の生きた証だった。

 

 ────「勇貴さん」

 

 声がする。

 

 ────「勇貴さん」

 

 たくさんの人が僕を手招きする。

 

 「────」

 

 それは、終わらない物語。

 それは、矛盾で彩られた箱庭。

 

 ────「七瀬」

 

 誰もが願った。

 幸福を願った。

 願いを夢見て、物語に溺れ続けた。

 

 ゴポゴポと息がこぼれる。

 海の底にいるような感覚に僕は惑わされる。

 

 ────「ユーキ」

 

 ああ。なんて優しくて、甘い誘惑だ。

 続けれるなら、僕は永遠に囚われていたいと思う。

 

 ────「私たちの願い、──いや、フィリアの夢を」

 

 でも、それは駄目なんだ。

 

 「お、わら、せ、な、きゃ」

 

 夢じゃなく、現実に生きたいという願いを託されたんだ。

 

 だから。

 

 「ハア、ハア!」

 

 手を翳し、前を見る。

 だが、そこには暗闇が続いているだけで、幻聴はしないし、誰の救いの手もない。

 

 「────」

 

 ゴウ、ゴウと身体の奥底の何かが唸る。

 

 「──っ」

 

 眩暈がする。

 歯を食いしばるほどの激痛が頭の中を駆け回る。

 

 キキキ。

 キキキ?

 キキキキキ!

 

 何処かで見ているだろう影絵たちの嘲笑が聞こえる。

 無様だ、滑稽だ。

 もう諦めて、早く楽になってしまえと言っているようだ。

 

 それは、正しい。

 こんなことは只の徒労だ。

 

 「それ、──で、も!」

 

 ドクン、と偽りの心臓が鼓動する。

 身体の中にある魔術器官が悲鳴を上げる。

 

 そうして、

 

 「僕が、終わらせなきゃいけないんだ!!!」

 

 僕はそこがいつもの自室だと思い込んだ。

 

 パリン!

 何かが砕ける音が響くと、そこはもう暗闇ではなく。

 

 「ハア、ハア」

 

 見慣れた、物が乱雑とした自分の部屋になっていた。

 

 「帰って、来れ、た?」

 

 安堵したことで、これからどうするかを考える。

 

 コン、コン。

 そうしようとしたら、部屋のドアを誰かがノックした。

 

 「おはよう。起きたばかりで且つ突然の訪問で申し訳ないが、出てきてはくれないか? 話がある」

 

 ドア越しから聞こえた、清廉そうな少女の声。

 

 「シス、カさん?」

 

 音を立てながら、開くドア。

 その先にいるのは、目も眩む金髪の女子生徒。

 

 「そうだ。シスカ。シスカ・クルセイドだ。邪魔するぞ」

 

 開いたドアを見続ける僕に向かって、彼女はそう言うのだった。

 



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040 愚か者は気付かない

 

 夢の中を微睡む誰か。

 もう二度と目を覚ますことのない誰か。

 

 知らない世界で生きるのは、■で。

 虚構の現実で死のうとするのは、■だった。

 

 「──っ」

 

 ゴウ、ゴウ。

 目の前はノイズの嵐で閉ざされ動けない。

 

 ゴウ、ゴウ。

 その先に何か光るものでも有れば、希望の一つも抱けるのに何も見えない。

 

 「────」

 

 ああ。きっと、その嵐を越えても待っているのは深く閉ざされた暗闇なのだろう。

 

 目を瞑ると夢を見る。

 キラキラとした、不格好ながらも誰かを助けるヒーローになる、そんな夢に浸るのは居心地が良かった。

 

 誰も傷付かない。

 誰も悲しまない物語は、平穏を保つ欠片なのだから失くしてはいけない。

 

 けど。

 

 ズキリと頭が痛くなる。

 

 「──っ」

 

 すると見ていた夢は霞み、掴むことのない幻となって消えてしまう。

 

 どうしてそうなるのか解らない。

 幸せになることの何が駄目なのか解らない。

 

 けど、このまま歩みを止めてしまうのはいけないことだと誰かが言っているような気がした。

 

 「夢を、──夢を見たんだ」

 

 影絵の夜に、落書きの舞台。

 所々が穴だらけの記憶に、意味のない繰り返しを気にしなければ幸せな日々を過ごせるのは、きっと嘘じゃない。

 

 「そこでは、みんな、とても笑ってた」

 

 目の前のノイズは越えられない。

 誰も望まないバッドエンドに価値はない。

 

 それなのに、どうして──。

 

 「嫌なんだ。もう沢山なんだ。──疲れた。疲れたよ」

 

 親友を斬り捨てた。

 家族に会いたい願いも斬り捨てた。

 叶わぬ夢を見た少女の願いを対価に僕はその嵐の中を進んでた。

 

 「ねえ、どうして──」

 

 解らない。

 何もない虚構の僕でも、それが幸せだと解るのに歩くのを止めない。

 

 ゴウ、ゴウ。

 ゴウ、ゴウ。

 

 ──僕の必死な問いかけに誰も答えてはくれない。

 

 ◇

 

 「そうだ。シスカ。シスカ·クルセイドだ。邪魔するぞ」

 

 少女の青い硝子みたいな透き通った碧眼が僕を見る。

 

 「────」

 

 同時に今がいつで、この後に起こり得ることが想像してしまえた。

 それは、この緩急しなければならない状況においてはありがたいことだった。

 

 「シスカさん」

 

 そうとなれば、善は急げ。

 これからどうするかの方針を相談するべきだと直感する。

 

 「……状況は理解した」

 

 邂逅すること、僅か数分も満たずシスカさんは僕が何をしたいのか読んだ。

 うん、やっぱり彼女もある程度の僕の心を読めるみたいだね。

 

 「解ってる。貴殿の言いたいことは最もである。だが、事態は一刻も争うのですよ」

 

 少女は背を向ける。

 此処で語ることはないと先を促す姿に、少しだけカチンと来る。

 

 「……そう、だね」

 

 だが、それをグッと堪える。

 この場で言い争ったところで事態は悪化するだけなのは明白だったから。

 

 そう思い、部屋から出ようとしたシスカさんの後を追おうとし──。

 

 「ム。──いかんな。どうやら、あのナイ神父に『真弓』殿が捕まったみたいだ」

 

 ドアノブに手を掛けた彼女がそんなことを言ったんだ。

 

 「……え?」

 

 それは、突然のことだった。

 それは、宇宙の交信だとかそんな次元の話の切り返しだった。

 

 「ちょ、ちょっ、いきなり何を──、って言うか何でそんなこと解るの!?」

 

 開けたドアから外へ出ようとするシスカさんの手を掴み、説明を求める。

 

 「有無。しかし、それは言えん。それを答えるには、貴殿には欠片が足りていない」

 

 「……欠片って、何?」

 

 「それも言えぬ。今はそれ故に資格がないとしか答えれない。──だが、強いて言うのであるならば『外なる神』を打倒した先に貴殿の求める答えがあるのかもしれん」

 

 そう言って今度こそ、彼女は外へ出る。

 

 「ま、待ってよー!」

 

 そんなシスカさんの後を僕は慌てて追うのであった。

 

 キキキ。

 何処からか覗く影絵たちの嗤いを耳にしながら──。

 

 ◇

 

 「クスクス」

 

 俯瞰する。

 この膨大な夢の中を私は観測することが出来る。

 

 「クスクス」

 

 邪魔者は排除する。

 そうしなければ、私は『私』を得ることが出来ない故に。

 

 「そうです。その為に、あんなモノまで利用したのです」

 

 『外なる神(ナイアルラトホテップ)』の端末も、名城真弓も、あの狡猾な魔女さえも騙せたのはその為だ。

 

 「全てが計画通り。ナイ神父があれに気付くことも、あれが私の思考を操作することも全てが想定内」

 

 残留思念(ヒロイン)たちは知っている。

 だからこそ、愚かでも、その儚い命を世界の薪へと投じてる。

 彼女たちはその為に生まれてきたのだから、死ぬことさえ厭わないだろう。

 

 目が疼く。

 すると先の未来を捉え、次のステップに進んだことを私は知る。

 

 「ええ。だからこそ私は賭けに出れた。この『千里眼』の異能で先を見通せたからこそ、私は──」

 

 この夢の中では、あらゆるモノが虚構と化す。

 それを理解していたからこそ、愚者がどんなに危機的状況でも干渉しなかったのだ。

 

 「そろそろ舞台装置の神様にもご退場して頂きましょうかねぇ」

 

 紺色の髪を弄る。

 

 「■■■■■」

 

 兜を被る黒いローブの騎士はそんな私に賛同するよう唸る。

 

 「おや、珍しい。貴方も私と同意見ですか」

 

 全ては願いの為。

 人造人間(ホムンクルス)の私が完全な人間へと至る故に。

 

 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 彼もまた願いの果てを夢見て、『大罪の王』は咆哮するのだった。

 




 取りあえず、なろうまで投稿していた分はこれで終わり、次話の投稿は未定です。


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041 舞台装置の神様


 なろうで投稿したので、こちらも再開します。


 

 ガヤガヤ、ガヤガヤ。

 舗装された道に雑踏を掻き分け人々が歩いていく。

 

 それは夢/本物じゃない者には許されない幸福。

 それは幻/覚めることのない夢の住人には訪れない現実。

 

 ザー、ザー。

 

 「────」

 

 多くの人がいた。

 

 くたびれた黒のスーツの男性が忙しそうに走ってた。

 それを追うように二人の女子校生が鞄から何かを取り出しクスクスと笑ってた。

 大きなお腹の女性が誠実そうな男性と仲慎ましく喋ってたり、五人ぐらいの男の子が和気あいあいと駆け回ってたりもした。

 

 知らないことだらけの街並みに『■』は夢中で目が離せなかった。

 

 ──だが。

 

 ジジジ。

 

 「こんな筈じゃなかった」

 

 痛み(ノイズ)が走る。

 呻くように吐き出される男の後悔がちぐはぐな『■』の視界を塗りつぶしていく。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 それは、空っぽの言葉だった。

 何の意思もない人たちが同じ記憶を繰り返してるだけで、意味のない慰めでしかなかった。

 

 藤岡■■。

 この世界じゃない世界から転生してきた人間で、『七瀬勇貴』のオリジナル。

 そんな男は、未だ覚めない夢(トラウマ)引きこもる(縋る)しか生きられない。

 

 「暴れるな!」「おい、止めろ!」「抵抗するんじゃない!」「大人しくするんだ!」

 

 喧騒が響く。

 変な青い制服の男たちが緊迫した面持ちで何かを振り回す藤岡■■へ駆けつける。

 

 「こんな筈じゃ、なかったんだよ!」

 

 揉みくちゃにされる誰か。

 一方的に浴びせられる罵声。

 

 血でべっとり濡れたガラス瓶を片手に彼は押さえ付けられ、白と黒の箱のようなヘンテコなモノへと搬送されていく。

 

 その姿を眺めるしかない『■』は、胸が締め付けられるようで苦しかった。

 

 「────」

 

 悲しさと空しさが募るだけの酷い光景。

 そう思ってしまう程、藤岡■■の記憶は惨めなものだった。

 

 七瀬勇貴。

 この世界で生まれ、この夢の中でしか生きられない魂。

 そう、『■』の好きな人は現実での身体──『肉体』を持たない。

 与えられた役割の中でしか自身を見出だせず、本来なら考える意思さえ持たなかった『藤岡■■』の複製体は今も尚、人間としての機能を奪われ続けている。

 

 救いはないだろう。

 何れ、魔導魔術王(グ■■ド·■■■ー)の人格を■■■■■■■(■■■ー■■)によって上書きされてしまうのだろう。

 

 そんな未来を『■』たちは知っている。

 誰かの慰み物にしか成れない、人間の脳へ寄生することも自力でままならない影絵にはきっと何も出来ない。

 

 ────「だから、行こう! お前が描かなきゃいけない人生は僕が進んでってやる! だから、この手を取れ、『■■(ボク)』!」

 

 それでも、誰かの想いを引き摺って懸命に生きようとする姿に『■』は惹かれたのだ。

 

 「────」

 

 確かに藤岡友■は世界を酷く嫌った。

 未だに過去の傷を引き摺って現実から目を背けるのは、どうしようもない絶望に呪詛を吐くしか出来なかったから。

 

 「……それでも」

 

 夢から覚めなくてはいけない。

 まだ見ぬ空の青さを知らなくてはいけないのは、きっと──。

 

 「それでも、知っているんです。貴方が他人の幸福を願える人だって」

 

 だから、行かないと。

 彼が自分の足で前へ進まないと、『私』は安心して眠れないのだから。

 

 ◇

 

 「待ってよー!」

 

 駆け出すように部屋を出たシスカさんの後を僕は追う。

 

 「それは出来ません! 事態は一刻を争うのです!」

 

 けれど彼女はそんな僕の制止を聞かず、風のように廊下を駆けていく。

 

 「何が何やら分から──」

 

 遠ざかる彼女を必死で追いかけていると──。

 

 「つまらない。本当にオマエたちの行動は単純で捻りがない」

 

 唐突に嗄れた男の声が響き渡る。

 

 「──ぐっ!?」

 

 すると先を走っていた筈のシスカさんが僕の方へと吹き飛ばされたんだ。

 

 「うわっ!?」

 

 それを間一髪で受け止める。

 

 「う、ううう」

 

 「だ、大丈夫?」

 

 先ほどまでの元気は何処へ、彼女の体には無数の傷が出来ていた。

 

 カツン。

 

 「やはり、いらない。オマエたちのような塵芥はこの世界に不要だ」

 

 足音が聞こえだす。

 空間を軋ませ現れるそいつの姿に心当たりがあった。

 

 カツン、カツン。

 黒い修道服が擦れていく。

 尊大な言葉を振りかざし、影もなく歩み寄る男の顔は無機物かと錯覚してしまうほど感情が見えない。

 

 「ぐぅ、ううう」

 

 シスカさんが呻く。

 まだ立ち上がろうと小刻みに震えてる。

 

 それなのに僕は何も出来ず、突っ立ってることしか出来ない。

 

 「何も出来ない。そう、オマエは何も出来ない。元より何も期待されていないのだから当然のことだ」

 

 「……ナイ、神父」

 

 白髪を揺らし、一直線に歩いてくる二メートルを超える背丈の男の名前を口にする。

 

 「ククク、如何にも。そう、私がナイ神父だ」

 

 ──カツン。

 

 口元を歪ませ、足を止めるナイ神父。

 その正体は外なる神『ナイアルラトホテップ』の一端末であり、まさに神の信徒にして他ならない。

 

 ────「──ほう。人形の次は吸血姫と来たか。これはこれは奇特なものだ。態々、死に来たのか?」

 

 クククと押し殺した嗤いがいつかの記憶が呼び覚ます。

 

 ドクン。

 まるで敵対は死を意味すると告げるよう心臓が鼓動する。

 

 「──っ」

 

 ゆっくりと歩み寄るその姿だけで解る。

 否、その本能が本物であると嫌でも理解し、一歩退くことを余儀なくさせた。

 

 カツン、カツン、カツン。

 永い、永い沈黙が体を縛り付け支配する。

 

 ガキン!

 

 「ハァ、──アアア!!!」

 

 ようやく立ち上がれたシスカさんがナイ神父に向かって、跳ぶ。

 

 「相変わらずの猪突猛進か。全く学習しないな、オマエたちは」

 

 「問答無用!」

 

 揮われる虹の剣。

 一瞬を煌めく光の彼方。

 

 「フン」

 

 凄まじい速さの跳躍を以てしても、神父は赤子の手をひねるように嗤い──。

 

 キキキ。

 

 空気が凍る。

 冷や汗と共に怖気が走る。

 シスカさんの跳躍が、否、僕たちの行動そのものが間違いだと脳が危険信号を発令する。

 

 「────!」

 

 瞬間、神父へと真っ直ぐ跳ぶシスカさんが空中で止まる。

 

 「キキキ、キキキ! つまらない! 嗚呼、本当につまらない! これしきで止まるなど、塵芥に等しいぞ!」

 

 動かなくなった彼女に嘲笑が吐かれる。

 

 「うぐぅ、は、放せ!」

 

 シスカさんが叫ぶ。

 それが宙に縫い留められた彼女に出来る最後の抵抗だが、地を這う虫けらが人間に踏み潰されるのと同じで拘束が解けることは叶わない。

 

 「クク、ヒャヒャッヒャ! そうか、そうか! この程度も振りほどけないとは、なんて嘆かわしい! いやぁー愉快、愉快!」

 

 尚も腹を抱える男は神職に携わる者の姿ではなく、寧ろ反対の天に歯向かう悪魔的な何かに見えた。

 

 「久方ぶりに嗤わせて貰った、感謝する。退屈を強いられるほどに不出来な代物であったが、それだけは伝えておいてやろう──では、死ね」

 

 指を鳴らし、一瞬で能面のような顔へ切り替える神父。

 

 キキキ。

 そこに影絵たちが嗤い、共鳴するよう無数の影の手が伸ばされる。

 

 「────」

 

 哀れな少女は、切り貼りされた役割に抗うことを許されず迫りくる死をジッと見つめてる。

 

 「──シスカさん!」

 

 絶体絶命の窮地に無我夢中で駆け出す。

 チクタク、チクタクと時計の針が回る幻聴まで聞こえ、見える景色がスローモーションのように過ぎていく。

 

 「すまない、先に逝くぞ、真一」

 

 覚悟を決め、少女が誰かに最期の別れを口にした時。

 

 ジグザグ、ジグザグ、

 

 「ヤッパリ、ソレだけハ認メらレナイ」

 

 ──ジョッキン!

 

 何処からか飛鳥の声が響き、目の前の空間が軋む。

 そして、宙に縫い留められていたシスカの姿が消える。

 

 ブゥン、とナイ神父の攻撃が空回る。

 

 「──っち!」

 

 そして、その地を揺るがす一撃が廊下の壁に外へと通じる穴を作り出す。

 

 「また邪魔か! どいつもこいつも!!!」

 

 ナイ神父が狂ったように首を掻き毟る。

 

 「こッチだ、愚者七号!」

 

 咄嗟に手を引かれる。

 

 「面倒な。面倒だぞ、──オマエたち!!!」

 

 そんな僕を追い掛けようとナイ神父は手を伸ばすが──。

 

 ガキン!

 

 「──ムゥ!?」

 

 響く鉄の悲鳴、軋む空間。

 不可視の力がナイ神父の体を止める。

 

 「ふ、ふざ、ふざけるなよぉおおお、このクソ共ぉおおお!!!!!!」

 

 そうして、走り去る僕たちに神父は憤怒の叫びを木霊させた。

 

 ◇

 

 ひとしきり走り、僕たちは寮館から中庭へ出る。

 

 「ハア、ハア」

 

 全力で走った為か、息が乱れるほど疲れた。

 

 「ウン、此処マデ来レバ、……大丈夫カな」

 

 黒髪の少女はそう言って、僕から手を放す。

 

 「……飛鳥」

 

 ……可笑しい。以前の彼女ならこちらが少し走れば、直ぐに息が切れた筈なのにそれが見られない。

 体力がないことが嘘だったのか、それとも現在の彼女と以前の彼女が別人なのか、そういう類の嘘を疑ってしまう。

 

 でも、何故とは聞けない。

 きっと彼女にも考えがあってのことなんだろう。

 

 「────」

 

 分かっている。

 分かっている筈なのに。

 

 「──フム。此処でボクが何故キミを助けたのかを聞かないト言うコトはアル程度ノ操作ガ入ってるト見テ良イのカナ」

 

 そんなことを考えていたら、唐突に飛鳥が訳の解らないことを言い始めた。

 

 「……操作?」

 

 「アア、コレは疑問ニ思えルんダネ。ト言うコトは単純にキミの頭ノ回転ガ悪イってコトかナ? ジャア……うン、そうダネ。ボクたちガ認識しているコノ現実ガ夢ノ中ノ世界だってコトは知ってるダロウ?」

 

 「うん」

 

 「ト言うコトは、ダ。コノ世界デハ肉体ヲ通して世界ニ干渉するノデなく、魂などヲ何らカの方法ヲ通して意識体ニ変換させ世界へ干渉するコトにナルんだ。──ケド、ソンナこと通常デハ実現出来ないコトだ。だって、人間は意識体だけデ構成サレタ生物デはなく、肉体ヲ通して世界ニ干渉する──三次元専用ノ『感情動物』なんだから。つまり夢世界ノ中デ意識ヲ通じて世界ニ干渉するニハ、ソウする為の変換器ニ一度魂ヲある意識体へ変換する必要ガあるノさ」

 

 …………。

 

 「愚者七号。幾らキミと言えど此処マデ説明されたら分かるダロうガ、念のタメ言ってオク。散々、キミの頭を通じて説明サレ続けた『影絵』とイウのは意識生命体ナンダ。本来の人間の魂はソンナモノに変換する用途がないから、コノ世界で活動スルにはアル程度ノ負荷ガ掛かるんだケド──嗚呼、コノ話ハ『操作』ニハ関係ないコトだったネ。悪いケド省略させて貰うヨ。つまり、何ガ言いたいト言うト、魂を影絵へト変換する際ニ、変換器ニ存在スル『ある男』の疑似知能生命体(アルターエゴ)ト干渉スル必要ガアルんダよ」

 

 疑似知能生命体(アルターエゴ)? /検閲削除。

 それって、──何だ?

 

 「……ウン、ソウだネ。知らないヨネ。分からないヨネ。当然さ。生きてる筈がない人間が実在出来る──、ある種の魔法なんだから」

 

 虚ろな目をする飛鳥。

 その瞳の先に何が映っているのか知らない。

 

 けれど、きっと今の僕たちには届かない領域の誰かを見つめてるんだと、この時の僕は思った。

 

 「良いんダ。今は理解出来なくトモ、いつか理解出来る日ガ来るカラね。──さて、ソロソロ切り取ったシスカがこちらニ来る頃カ。……マア、彼女なら()()真弓の状態を何とか出来るかもしれないネ。仮にソウなったら、幾らこのボクと言えどもコノ状態ヲ保てないのでオ先ニ失礼させて貰うとしヨウ」

 

 「……一緒にはいられないの?」

 

 去ろうとした飛鳥に僕は言う。

 

 「ソレが出来たら、ボクたちはこうならかっタよ」

 

 そんな言葉に彼女は遠い目をして、そう言った。

 

 「…………」

 

 諦めか。

 それとも別の何か、か。

 

 造り物の自分にはそれが何なのか、よく分からなかった。

 

 「──そっかぁ」

 

 けれど、その覚悟を蔑ろにするようなことは言えないと思った。

 

 「そうだとも」

 

 ジグザグ。

 

 何かが裂けるような音が響く。

 

 ジグザグ。

 

 それは、世界と世界を切り離す異能。

 この夢の世界で■■飛鳥だけに許された特権が今、行使されようとしている。

 

 ──ドクン。

 

 心臓の鼓動と共に、背筋に冷たいモノが伝う。

 

 「────!」

 

 嫌な予感がする。

 そう思い、飛鳥を呼び止めようと声を掛けようとして──。

 

 「おや? 人を傷ものにしておいて、一体何処に行こうと言うのかね」

 

 カツン。

 聞きなれた男の声が中庭中に響き渡ると先ほどまで明るかった空が急に暗くなった。

 

 「……バカな、アノ拘束ヲ数分足らずデ解いたッテ言うのカイ!?」

 

 飛鳥が上を向く。

 

 「ああ、全く酷い話だ。そんな惨たらしいことをする愚か者は串刺しにされたところで問題あるまい」

 

 その先に突如として頭上に現れたナイ神父が仰々しく手を振り落とす。

 

 「──っな」

 

 すると、数十に及ぶ影で造られた槍が飛鳥へと雨のように降り注ぐ。

 

 ザシュ、ザシュ、──ザシュッ!!!

 

 人間が蟻を潰すように、何の躊躇いもなくそれは少女の全身を突き刺さる。

 

 「──っ!!!」

 

 悲鳴を上げる間もなく、飛鳥は一瞬で標本の虫みたいに身体の至る所を貫かれ磔にされる。

 

 「いい気味だ。しばらく、そこで反省でもしておけ」

 

 皺くちゃに髪を掻きながら、ナイ神父はこちらへ向かって降りていく。

 

 「待った、待ったぞ。待ちに待ち侘びた瞬間だとも。アア、ダーレス。オマエの復活を夢に見なかったことはひと時も無かった」

 

 カツン。

 頬を赤らめた男の足が地へ着いた。

 

 「────」

 

 三メートルの距離に風が吹く。

 この心許ないボーダーラインを死守しなければ、そのまま神父が一直線に僕の元へ向かうのは目に見えた。

 

 「ゴク、リ」

 

 同時に、この後起こるだろう未来も想像し息を呑む。

 

 ドクン。

 心臓を鼓動させ、コンマの世界へ埋没する。

 

 「──っ」

 

 耳鳴りが聞こえる。

 頭が割れるような痛みもする。

 それでも、懸命に幻影疾風(タイプ・ファントム)を発動させ、この場を離れようとした。

 

 カツン。

 

 ──だが。

 

 「あ、──あれ?」

 

 突如、足首を何者かに掴まれたような感覚が僕を襲う。

 そうすることで、スローモーションになる筈の世界が遠ざかってしまう。

 

 「無駄だ。そんな付け焼刃など、どうとでも改竄出来る」

 

 神父の瞳が赤く煌めく。

 それに呼応するように、彼を囲むように暗闇から影絵たちが這い出て来る。

 

 「──時間だ」

 

 カツン。

 中庭の地面だと言うのに、まるで石細工の廊下を歩くような足音を響かせ続ける。

 

 「ククク、この場において惨たらしい悲鳴など不要。されど、ビチャビチャと滴る活気ある苦悶は格別の祝詞となる」

 

 そうすることで神父を囲む影絵たちがその体中に纏わり、特にその右腕が人間の頭蓋骨など一瞬に砕いてしまうような野太い魔槍(ランス)を形成していく。

 

 「なん、で!?」

 

 身体が動かない。

 まるで多くの人間に押さえつけられているかのようにビクともしない。

 

 「さあ、祝福の鐘でも鳴らそうか」

 

 確実な死の訪れを前に僕は声が出ない。

 何の抵抗もなく、体は無意味にそれを受け入れようとして──。

 

 「これで、終わりだ」

 

 神父による影絵の槍が僕の首を撥ねようと振るわれる。

 

 「──っ」

 

 避けられない、そう思った時。

 

 ドンッ!

 背後から突き飛ばされ、その場を転倒してしまう。

 

 瞬間。

 

 「──っな!?」

 

 柘榴の潰れる音がした。

 辺り一面に果肉(にくへん)を散らばせたそれが、起き上がろうとした僕の全身に血飛沫を滴らせた。

 

 「あ、ぐぅ──ハ、ハハハ。見たかい、傑。ボクだって、やる時はやるんだ、よぉ」

 

 そうして挽き肉となった誰かはヒラヒラのスカートを靡かせながら、懸命に僕へと微笑んだ。

 



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042 さよなら、愛しい人

 

 「これで、終わりだ」

 

 告げられる死刑宣告。

 神父による影絵の槍が僕の首を撥ねようと振るわれる。

 

 「──っ」

 

 避けられない、そう思った時。

 

 ドンッ!

 背後から突き飛ばされ、その場を転倒してしまう。

 

 瞬間。

 

 「──っな!?」

 

 柘榴の潰れる音がした。

 辺り一面に果肉(にくへん)を散らばせたそれが、起き上がろうとした僕の全身に血飛沫を滴らせた。

 

 「あ、ぐぅ──ハ、ハハハ。見たかい、傑。ボクだって、やる時はやるんだ、よぉ」

 

 そうして挽き肉となった誰かはヒラヒラのスカートを靡かせながら、懸命に僕へと微笑んだ。

 

 「──っちぃいいい、邪魔を、す、る、な!!!」

 

 それに憤慨した神父は影絵の槍から無数の手を伸ばし、肉塊となった果実(しょうじょ)を薙ぎ払う。

 

 「飛鳥!!!」

 

 薙ぎ払われた衝撃で四肢を曲げられ潰される飛鳥。

 

 しかし。

 

 「ハッ、──ァアアア!!!」

 

 その後ろから虹の一閃があらゆるモノを薙ぎ倒し、神父を塵も残さず消し飛ばす。

 

 「ッギィ! ギ、ギギギ! 小賢しい!!!」

 

 だが、止まらない。

 全身が吹き飛ばされようとも瞬時に身体を再構築し、現れたシスカさんに構うこと無く影絵を纏う手を伸ばす。

 

 「がぁ、ぐぅ!」

 

 首を絞められ、頭に痛み(ノイズ)が走る。

 

 「無駄、無駄、無駄! 所詮、オマエたちの攻撃なんぞ空想上の存在! そんなものがこの『外なる神』の端末であるワタシに通じるものか!」

 

 ドクン!

 強く締め付けられる首と心臓が呼応する。

 あまりの激痛に全身がバラバラになりそうで、僕の視界を靄のようなものが覆っていった。

 

 「あ、あああ、ぁああああああ!!!」

 

 それから腕が、足が、身体の至るところが影絵に侵食され、黒く染められていく。

 

 「七瀬殿!!!」

 

 シスカさんが剣を振るうも、その一閃はあらぬ方向へとねじ曲げられる。

 

 「そもそも、初めからオマエは目障りだった。何故、嘆く? 何故、足掻く? 何故、そうまで生きることに固執する? 複製された魂に過ぎぬオマエに人生(それ)は必要あるまい。それなのに、何故、あの男の意思を受け入れないのだ?」

 

 闇に視界が閉ざされていく中、神父は問う。

 激痛に悶える最中、溺れるようにして意志を吐き出す。

 

 「あ、がっ! ぐぅ、──んなもん、ぎまって、る」

 

 生きたいと、死にたくないと思い多くの願いをこの手で斬り捨てた。

 それを辛いから、苦しいからと投げ出すことは奪ったモノへ冒涜になる。

 

 故に出来ない。

 奪った願いに報いる為に僕は生きなければならないんだから!

 

 「成る程。納得する答えではないが、良いだろう。認めてやる。……だが、な。それ故に、固執する理由には値しないと断言してやる。いや、違うな。元々、抗う為の理由などオマエたちが持つことはあり得ないことだ。──ほう。今、何故と思ったな? 良いぞ、教えてやる。それは、な。オマエたち『主人公(プレイヤー)』が、その魂を見ず知らずの他人へと捧げる為に造られた代替品に過ぎないからだ」

 

 ドクン。

 

 「──っ」

 

 「駄目だ、七瀬殿! 奴の話を聞いてはならぬ!」

 

 「黙っていろ、塵芥の分際が!」

 

 虫を払うよう神父の手が振られる。

 

 「がっ、ぁああああああああああああああ!!!」

 

 そこから伸びる数十の影絵の手がシスカさんを数十メートル先へ吹き飛ばした。

 

 「シスカさん!」

 

 こちらを嗤う神父が何を言ってるか僕には解らない/無垢な子供が虫を潰すような感覚で、男は解りきった話をする。

 

 「フン、今度こそこれで邪魔者はいなくなったな。話を戻すとしようか。……まあ、理解出来ないのも無理はない。常人ならば最初から備わっている筈の思考(きのう)がオマエにはないのだからな。そう、理解しようにも『理解する』という概念を最初から備えていないのだから、当然のことだ」

 

 ドクン。

 解らない。

 言っている意味が解らないのに、これ以上聞いてしまってはいけない気がする。

 

 「それ、がっ、──な、んだっ、あ、う、ぐぅ!!!」

 

 そう思い言い返そうにも首を掴む力は増すばかりで振りほどけない。

 

 「落ち着き給え、知的生命体を謳う人類が文明を築けたのも感情という精神疾患があったからに他ならない。──考えてもみろ。目的を阻害する可能性を持つ感情を残すなぞ、あの少女たちにとってリスクを上げるだけで何のメリットもない。残した故に本懐を遂げられないなど本末転倒というモノだ」

 

 その諭すような言葉は血が上っていた頭には透き通って、よく聞こえる/聞こえてしまう。

 

「──っ」

 

 考える。

 

 なら、この感情は。

 目の前の神父に抗う僕は一体──。

 

 「そう、それだ。本来持ち合わせることのない意思を、感情を抱いているオマエの存在はハッキリ言えば異常だ。一体何処でそれを自覚した?」

 

 「それは──」

 

 ────「大切なことだった。どんなに壊され変えられてもそれだけは手放さなかった! そんな大切なものを失くしてキミは、平気な訳ないだろう!」

 

 不意に、■の言葉を思い出す。

 あのお調子者を演じた、否、誰かの意志に抗おうとした親友はきっと自分に意志を与えた誰かを知っている。

 

 「……まだ解らないか? ワタシは今、オマエが考えていることに自分の意思が介在していないということを証明したのだ。そう、オマエは何者かが与えた指向性によって動いてるだけのバグでしかないということの、な」

 

 ピシリ。

 

 「──あ」

 

 更に頭が痛くなる。

 考えることが億劫になる。

 

 「あ、あああ、ぁあああ」

 

 だが、今の神父の言葉が僕の間違いを気づかせた。

 気づかせてしまった。

 

 何故なら、それは──。

 

 「そう、ワタシは教えてやったのだ! 今の今までオマエは何一つ自分の意志を持たず多くの願いを切り捨てただけに過ぎないと言う事実を、な!」

 

 ザクザクと体に何かが突き刺さり、僕の全身を奇怪なオブジェにしていった。

 

 「う、が、ぐぅ」

 

 息が出来ない。

 神父の言葉に違うと言い返す気力も湧かない。

 

 だって、神父の言う通り初めから僕は自分の意思など持ち合わせていなんだと分かってしまった。

 そうなると何をしたら良いのか途端に分からなくなってしまったんだ。

 

 ズッシャアアア!!!

 

 「あ、がぁ、っは!」

 

 地べたへ振り落とされるが、中枢神経が逝かれたのか痛みは感じない。

 

 「──っ、──!」

 

 意思を持たない空っぽの魂。

 誰かに後付けされた行動原理と借り物の記憶。

 考えれば考えるだけ全てが無意味に思えて、やるせなさに唾を吐き捨てたくなった。

 

 「そうだ! 何一つ本物を持たないオマエには初めから生きたいという願望なんて無かった。故に、固執する必要は何処にもない。──渡せ。『あの男』ならばそんなオマエを有効に使ってくれるだろうな!」

 

 微かに生きてる視界が現状を教えてくれる。

 片腕がもぎ取られ、足がへし折られ、腹に穴を開けられていく姿は他人事のように痛そうだ。

 

 人間モドキ。

 自分の意思で生きることが出来ない哲学的ゾンビ。

 

 ──果たして。そんな人間が誰かの願いを邪魔して良いものだろうか?

 

 「考えるな! 生きる目的などオマエにはない!」

 

 ずっと考えてた。

 こんな自分がどうして頑なに生きようと必死になっているのかを。

 

 諦めてしまえば良い。

 投げ出してしまえば楽になる。

 

 それが正しいと思えるのに、何で僕は──。

 

 ────「人間ニナりタイっテ願イも、好キダって言ッタヤツと会ウ夢モ、タラレバの未来モ全部無カッたコトにシチマッタノニ! ──それヲ今更意味ガナイと笑えルか!」

 

 「……あ」

 

 誰かの言葉が頭に過る。

 

 「あ、ああ、あああ」

 

 その言葉は自分のモノじゃないのは分かってる。

 でも、僕じゃない僕が藤岡飛鳥に届けたあの想いは決して嘘じゃないと言い張れる。

 

 ザシュッ!

 ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ!

 

 身体は動かない。

 虫けらの標本と化した僕を神父はこれでもかと言うぐらい嬲り続ける。

 

 キキキ! キキキ! キキキ!

 

 周りを囲む影絵たち。

 苦しい、痛い。

 

 けど。

 

 「が、──っは」

 

 ────「良いじゃない。私、貴方のそう言うところ、好きよ」

 

 澄んだ少女の声。

 夕暮れの教室で一つに束ねた茶髪を弄る■■■■の姿が頭に過る。

 

 「──っ」

 

 指が動く。

 標本の虫けらに散らばった(みしらぬ)記憶は諦めることを許してくれない。

 

 「まだ邪魔をするか! 名城真弓!!!」

 

 神父は徐に両手を天に翳す。

 

 「ならば、オマエ自身の『魂』に問うまでのこと!」

 

 「──な、に、を?」

 

 カツン!

 神父がそう叫ぶと僕の意識は閉ざされてしまった。

 

 ◇

 

 ジジジ。

 

 一面の床に敷かれた赤の絨毯。

 目の前にそびえる巨大なスクリーンに映る男の人生。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 「────」

 

 見渡せども無人の客席に呆然と独りきり。

 どうやら貸し切りらしい、その見知らぬ映画館に僕は居る。

 

 「……此処は?」

 

 何処だと考えようにも、目の前の映像が僕を放さない。

 どうしてと問おうにも声が出ないのだ。

 

 パチン!

 

 「何これは可哀そう。何これと問われるのも可哀そう。そう、可哀そう。全部、全部が愛しいほどに愚かしい。そんなオマエが求める人生とやらは、それで完結された物語」

 

 嗄れた男の声がした。

 キキキと嗤う嘲笑さえ今は気にならない。

 

 「此処は、罪を告発する俯瞰劇場。懺悔の告別、無への救済。あらゆる大罪の返還である」

 

 男は語る。

 まるで嬉しそうに頬を染める姿が想像出来るほど、弾んでいるような気がした。

 

 まあ、そんなことはどうでも良いか。

 

 「──っ」

 

 スクリーンに映る男の一生は酷い話だ。

 何をするにも旨くいかない話など見ているのも嫌になる。

 

 「そう、酷い。酷い、酷い、酷い! 嘘だった。嘘で塗り固めた人生だった! つまらない? ああ、つまらない! 退屈極まるありふれた不幸、どんでん返しのない一生など上映する価値もない! ……つまらない。つまらない、つまらない、──本当にオマエはつまらない!」

 

 耳を劈くような声だったけど、目の前のそれの方が大切だと無視をした。

 

 約束も守れない男の子/お母さんを傷つけた。

 よくある話で少年が嘘を吐く/お父さんを騙した。

 何もかもが嫌になり、誰も信じなくなった青年/信頼を失くすばかりで、虐げられる毎日は、もうウンザリ。

 

 それはそれで出来た人生(不幸)を背後の男の言う通りつまらない一生だと同調する。

 

 「────」

 

 同時に、それが自分のモノだと気づき言葉が出なくなる。

 

 「どうだ、これでも『生きたい』と思えるか? まだ『そうだ』と他者の願いを斬り捨てれるか? ……出来ない。出来ない、出来ない、出来ない、──出来る筈がない! 出来たら、オマエには心がない。心がないと言うことは、今までの行為に何の感情も籠らない。そうだ、そうだ! それが出来たら、オマエが抱いたその想いは嘘になる!」

 

 肩を叩かれる。

 頭に囁かれる。

 壊れたように、名も名乗らない男は喋り続ける。

 

 「ああ、可笑しい。可笑しい、可笑しい、可笑しい! 腹が捩れそうだ! これが笑い話にならなくて、何だ!? 矛盾、無駄、無意味、無価値、無謀、無策! オマエがやってることは、そういうこと。つまり、つまり、つまり!」

 

 キキキと周囲が歪んでいく。

 そうすると、嘘しか言えない男の末路は絞首台へと帰結する。

 

 「や、やめて」

 

 嫌だ、見たくない。それだけは見たくないと目を塞ぎたくても、手を誰かに掴まれてそれも叶わない。

 

 「そう、そう、そう! それが、人生! それが、オマエの選択! それが、オマエたちの望む未来!」

 

 画面の男も懇願する。

 

 「グゲェッ!」

 

 しかし、大罪人の懇願は受け入れられないのが常で、ガコンと床が落ちて首が絞められ死んでしまう。

 

 「──っ」

 

 目の前が真っ暗になっていく。

 

 「キキキ! キキキキキキキキキキキキ!!!」

 

 それが、僕/惨め。

 それが、オレ/酷い嘘つき。

 

 それが、それが──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──っは!?」

 

 嬉しそうにこちらを男が見下ろす。

 それを見上げるように僕は見つめ返す。

 

 「ククク。──どうだ? あれが、オマエの欲しい『人生』とやらだ」

 

 黒い修道服の男は嗤い続ける。

 

 最早、白髪のそいつは悪意を隠すことはなかった。

 それに対し言葉が出ないのは、──あれ?

 

 「え? え、──あ、れ?」

 

 何を言いたかったか、思考が纏まらない。

 というより、自分が何をしていたのかさえ思い出せない。

 

 「思い出せない? そんなことは無かろう。それとも、そんなモノを知らなくても誰かの願いを斬り捨てれると言うのか? 酷い男だ。そんな酷い男は此処で消えたところで問題あるまい」

 

 身体を動かそうにもびくともしない。

 まるで地べたに縫い付けられてるみたいで、何がどうなってるのか理解できない。

 

 「丁度良い。此処に、『記憶』がある。大切な、大切なオマエの『記憶』だ。……最も、『あの男』の人格も混じっているが、ね」

 

 肉塊の一つ愛しそうに掴み上げた男が、──神父が頬ずりする。

 

 ドクン!

 

 「──っ!」

 

 誰も傍にいない。

 誰も助けてくれない。

 

 此処で終わる。

 完全に完膚なきまでに自分というモノが失われる。

 

 「う、が」

 

 嫌だ。

 そんなのは嫌だ。

 たとえ自身のことが何も思い出せなくても、それが嫌だってことは分かる。

 

 「さあ、──これで!」

 

 神父が■の元へとやって来る。

 カツン、カツンと間合いを詰め、僕の心臓へ肉塊を押し付ける。すると激しい痛みが全身を襲う。

 

 「あ、がっ、ぐぅ、が、ぁあああ!」

 

 「終わる。終わる、終わる、終わる、終わる! ──遂に、終わるぞ! ああ、永い旅路だったなぁ、ダーレス!」

 

 ズブズブ。

 激痛と共にそれが■の心臓へと沈んでいくと──。

 

 「いいえ、終わりません。終わらせません。何故なら、貴方の願いは叶わないのですから!」

 

 何処からともなく、一人の少女(フィリア)の声が響き渡った。

 

 「──っ!」

 

 突如、弾ける閃光に目が眩む。

 

 「何だ!? 何が起きて、──ゴフッ!」

 

 グチャッ!

 閃光が弾けたと同時に黒く禍々しい一撃が肉塊を掴む神父の身体ごと貫いた。

 

 「な、何をした? オマエ、今、何を──」

 

 首を曲げ、後ろへ振り返るナイ神父。

 

 「驚きましたか? いえ、そうしたところで貴方には意味がないんでしたね。ですが、それには効果があったと見えます」

 

 ゴポリと塵となる肉塊は、形を維持出来ず消えていく。

 

 「ワタシは何をしたかと聞いているのだ!!!」

 

 激昂する神父。

 串刺しになる黒き得物を構える誰か。

 

 「──っつぅ」

 

 霞む視界の中で死にかけの■を助ける少女がいた。

 消えかけの体で、魔槍(ランス)を掴む手が真っ黒になっていくのが見えたんだ。

 

 「……存外、悪い気は、しない、も、の、だ、な」

 「オマエ!!!」

 

 神父の罵声が響くと、金色の髪が揺れる。

 

 「ま、待っ──」

 

 そして、グシャリと音を立て潰れる末路を少女は微笑みながら受け入れた。

 

 「クソ! クソ、クソ、クソ! どいつもこいつも邪魔ばかり! そんなにも『あの男』が嫌いか! 怖いか! 一体、あの夢想家の何処に畏怖する必要がある!」

 

 神父が■を掴み上げる。

 すると、キキキと視界が軋み、見えているものがあやふやとなっていく。

 

 「あ、がっ、っぐぅ」

 

 グチャグチャになっていく。

 今、自分が何をしているのかも思い出していく。

 

 「またやり直し! 面倒、面倒、面倒! 本当にオマエたちは──」

 

 「その汚い手を放しなさい、ナイ神父!」

 

 パァン!

 渇いた銃声と共に■を掴む神父の腕が吹き飛ぶ。

 

 「ぬぅ!」

 

 すぐさま塵となる神父の腕。

 地へ落ち、息継ぎを許される僕。

 

 視界の隅にいる、二丁拳銃を構えるオレンジの髪の少女。

 

 「邪魔を──」

 「──っ」

 

 すぐさま影絵たちが嗤い、キキキと暗闇を生み出していく。

 その光景を前に少女──シェリア会長は息を呑む。

 

 「──する、な!!!」

 

 瞬時に暗闇を取り込み、失った右腕を補填させるよう神父は黒く膨張させた。

 

 ──だが。

 

 「いいえ! 今度こそ終わりです!」

 

 フィリアの声が響く。

 すると神父を囲むよう光り輝く魔法陣が現れ、巨大な闇は地へ縛られる。

 

 「終わり? 終わりだと? こんなことをしたところでワタシを倒すことは出来ん!」

 

 虚空を見つめる神の信徒。

 最悪の化身は光り輝く拘束を解こうと魔法陣を軋ませる。

 

 「ええ。確かに私たちでは貴方を殺すことも、退かせることも叶わないでしょう。ですが、その目論見を潰すことは出来るんです!」

 

 そんな神父に問答をするよう愛しき人が姿を現す。

 

 「潰す? 潰すとは一体、オマエは何をするつもりだ!?」

 

 「それは貴方たちが一番して欲しくないことですよ! ……ええ、その為に私たちは耐えました。辛くとも、苦しくとも我慢し続けました」

 

 栗色の髪を靡かせ、いつかの魔導書を片手にこちらへ駆けだす。

 その行く手を遮るよう次から次へ現れる影絵たちが邪魔をする。

 

 「私たちは人を、心を、感情を知りました。誰かを想うことが、誰かの明日を願う優しさがあんなにも素晴らしいモノだと理解しました。それは確かに紛い物で、後付けの植え付けだとしても綺麗だと感じたんです!」

 

 遮る手を払うよう、光の雨が邪魔者たちへ降り注ぐ。

 

 キキキ!

 キキキ!!?

 

 消えゆく黒き幻。

 されどそんな雨を掻い潜った残骸たちが駆け出す少女を黒く蝕んでいく。

 

 「くだらん! そんな戯言──」

 

 いつの間にか、■の前へ彼女は立っていた。

 その震えながらも、傷だらけになりながらも、それでも諦めない姿はとても美しかった。

 

 「戯言でも! 私には本物なんです! 誰に決められても、誰に後付けされても、私はそれを嘘にしない! その為に私は、──『フィリア』は夢を語ったんだって分かったから!」

 

 そうして、歌うようにフィリアは魔導書を捲る。

 

 「完全にして究極の一よ、七の法則にして非実在の証明をせよ。我、森羅万象の理を破戒する者、一と一の極点へ繋ぐ鍵と知れ」

 

 「────」

 

 虫食いの身体を意もせず、透き通る声で何かを唱えていく。

 

 「ま、さか。いや、──待て。何処で、それを知った?」

 

 その姿にナイ神父は理解した。

 

 「よせ、──よせ! 今すぐ、その詠唱を止めろ!」

 

 フィリアが何を目論んでいるのかを理解した故に焦りだす。

 

 「選択受諾(セレクト・コード)、刻式の宇宙。拡張限界(エクステンション・オーバー)、外殻理論。疑似粒子変換工程(コンバーション・プロセス)演算開始(スタート)

 

 亀裂が入る魔法陣。

 神父の抵抗で地を揺らす衝撃が中庭中に広がって、次第にその体の拘束が解かれていく。

 

 「こんなところで! こんなところで邪魔されてなるものか!」

 

 パリン!

 魔法陣の枷が消失すると、ナイ神父は一目散に駆け出す。

 

 「非在矛盾、突破完了(セットアップ)。偏在術式、選定完了(カタパルト・パージ)。全行程、最終演算完了(オールグリーン)

 

 だが、止まらない。

 次々に襲い来る影絵たちを前にコバルトブルーの瞳が輝かせながら、フィリアは魔法の呪文を唱え続ける。

 

 「起動せよ、──真世界帰閉ノ扉(パラレル・ポーター)!」

 

 飛び散る鮮血。

 禍々しき神父の腕がフィリアの心臓を貫く。

 

 そうして、最期の詠唱を終えると影絵(しょうじょ)は──。

 

 「さよなら、愛しい人。そして、ありがとう。あの時、あの場所で貴方が彼女の手を引いてくれたから私たちは生まれて来れました。だから、──だから、どうか残留思念(わたしたち)のことは忘れて幸せになってください」

 

 黒く崩れ逝く身体で別れの言葉を紡ぎ、泣きながら僕に微笑んだ。

 

 「……何だよ、それ」

 

 グラリと体が揺れる。

 地に足が覚束ないのか、意識が霞む。

 

 「何なんだよ、──それ!」

 

 ガコン。

 もういない彼女へと手を伸ばすも、僕の体は空へ向かって浮遊する。

 

 「ふざけるな。ふざけるなよ、オマエたち! 嗚呼、嗚呼! クソ! 転移する! 転移してしまう! またしてもあの男の復活が邪魔される!!!」

 

 神父の罵声が聞こえる。

 しかし、フィリアの詠唱によって完成されたそれが僕を眩い光へと導いていく。

 

 「幸せってなんだよ? 忘れろってなんだよ! ねえ!!!」

 

 只、最期の言葉があんまりで。

 文句の一つも伝えれないことがもどかしくて仕方なかった。

 

 ……嘘、本当は。本当は!

 

 「真世界帰閉ノ扉(パラレル・ポーター)の起動を確認。転移プログラム使用許諾の申請を了承しました。これより、対象『七瀬勇貴』をルートαからルートα++へ時空移動を開始させます。────お元気で」

 

 散らばった(みしらぬ)記憶の少女の声が頭の中を木霊し、僕の意識はそこで閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──っ」

 

 目を覚ましたら、知らない天井が出迎えた。

 

 「ご、こぉ、──ぢょ、こぉ?」

 

 喋ろうとしたら、喉が掠れて思うように声が出せなかった。

 

 「──っ」

 

 というより、身体が動かない。

 否、自分の意思通りに動かせないと言い直すべきか。

 

 いや、それも違うな。

 ぎこちないながらも、首()()は曲げられたのだから全く動かせない訳じゃないか。

 

 「────」

 

 どうしたものか。

 拘束されている訳じゃないし、また眠ってしまおうかと考え、何気なしに隣の方へ視線を向けた。

 

 「──え?」

 

 ベッドが有った。

 病室でよく使われるような簡易式のベッドに黒い髪の青年がいた。

 

 「な、ん、ぢぇ?」

 

 呂律が回ってるのか、喉が裂けそうな程痛かったけどそんな疑問を口にした。

 それぐらい衝撃的だった。

 

 「────」

 

 黒い髪の青年はそんな僕などいざ知らず、目を覚ます予兆を全く見せない。

 

 ガチャ。

 扉が開く音がした。

 

 「──!」

 

 パリン!

 花瓶の割れる音も立て続けにした。

 

 「──っ! ──っ!!!」

 

 慌ただしい気配の方へ視線を向けると、開けた扉の先に年老いた女の人がいた。

 

 「────」

 

 見覚えがある。

 金魚みたいに口をパクパクしているこの女の人は、何処かで見たような──ああ、違う。夢で見たような、そんな感じの──。

 

 「か、あ、ざん?」

 

 この時、どうしてそんな言葉が口に出たか分からない。

 分からなかったけど──。

 

 「ゆ、ゆう、──友喜!!!」

 

 年老いた女の人がそんな僕へ一目散に駆け出し、抱き締めたんだ。

 

 「ああ! ああ! 友喜、友喜! 目を覚ましたのね、友喜! 良かった。良がっだわ! ぼんどうに、よ、がっ、だぁ……!」

 

 「────」

 

 とても強い力だった。

 涙でグショグショの顔を擦り付けられ、至るところが鼻水塗れに汚されてしまったけど、不思議と悪い気はしなかった。

 





 これにて、第五章は終了とします。
 第六章の投稿は未定ですので、どうか首を長くしてお待ちください。


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第6章:欠落証明
001 初めましてでしょうか



 第六章開始


 

 初めから分かっていたことだった。

 

 全てが終わってる。

 そう思ってしまうぐらい、どうしようもない状態だったことを。

 

 幻想も、影絵も、彼の認識さえ──全てが嘘で構成されていた。

 それはいつだって、理不尽で、不平等で構成された現実を生きた『藤岡友喜』の姿を見れば明らかだ。

 

 嘘で塗り固められた夢と嘘で目を逸らさなくては生きられない現実。

 どちらを選んでも傷つくだけの現状。

 

 それでも、私たちは。

 否、彼女(フィリア)は──。

 

 「────」

 

 パタン。

 手にした黒い本を閉じる。

 すると開けた窓から夜風が吹き込み、私の肌を擽った。

 

 「……来てしまいました、か」

 

 世間では人類滅亡が噂される中、一冊の本を通じ私は『彼』の転移を確認する。

 いや、確認してしまったと言うべきか。

 

 「吉報と呼ぶべきなんでしょう」

 

 ようやく叶えられた『彼女』の願いを──不条理な現実に抗う少女たちの健闘を想えば、それは喜ぶべきだ。

 

 「そうですね、そうするべきなんでしょう」

 

 しかし、それを素直に受け入れることは出来ない。

 何故なら、こちら側へ転移した彼を『繭』を通し眠っていた『外なる神』が感知してしまうからだ。

 

 「何も知らない彼。何も知らなければ良かった彼。ああ。いっそ、このまま眠り続けていたら幸せだった彼。……ええ、正直な話、私は世界などどうでも良いのです」

 

 見なければ良かった現実。

 進まなければ良かった真実。

 

 歩みを止め、魔導魔術王(グランド・マスター)の人格を受け止めていたらどんなに良かっただろうと私は思う。

 

 「どうしましょうか、ねぇ」

 

 開けた窓から外を見る。

 亀裂の入った月がそんな私を嘲笑うように輝いていた。

 

 ◇

 

 覚えてる。

 

 「私ね、別にお父さんのこと、それほど好きじゃなかったの」

 

 まだ家族が『家族』として機能していた(円満だった)頃、お母さんがそんなことを僕に言ったことを。

 

 「──?」

 

 その時は意味が分からず首をかしげたが、今にして思えばもうその時にはお母さんはお父さんとの関係に嫌気が差していたんだろう。

 

 「でも、ね。お母さん、結婚を申し込む時のお父さんの顔を見てたら、断るに断れなくなっちゃって。──うん、どうしてか、そのプロポーズに返事を返していたわ」

 

 酷い顔だった。

 能面のような顔で惚気(のろけ)るんだから、どう言葉を返せば良いのか分からなかった。

 

 でも、時折こうして夢に見るのは。

 

 「それから、お互いの家族に会って。式場を探して、住む場所も探して、色んなことがあったわ」

 

 きっと、あの時の下手糞な泣き顔が忘れられないからだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「奇跡としか言いようがありません」

 

 「はあ」

 

 目が覚めてから一週間が経った頃、ようやく僕の担当医とやらに会った。

 

 「ええ、今回の貴方のような植物状態からの意識が回復というケースは非常に珍しく。万が一戻られたとしても体の何処かを『欠落』した状態になることが多いのです」

 

 ハキハキとした印象の若い男性の医師はカルテと僕を交互に見ながら、そう言う。

 

 「ですが、このように面談が出来るまで回復する。しかも、それが僅か一週間足らずでとなると──先ほど言った通り奇跡と呼ぶしかありません」

 

 奇跡。

 そう担当医師が言いたくなるのも無理はない。

 なんせ、僕は事故に巻き込まれ意識不明の昏睡状態から五年の月日で目を覚ましたそうだ。

 しかも、意識が戻ってからリハビリしたとは言え自分の意志で身体を自由に動かせるというおまけ付き。

 

 「で、では! もしかしたら息子は、友喜は退院出来るのですか!?」

 

 そんな担当医師の様子に何処か焦ったような顔つきでお母さんが質問する。

 

 「ええ、その可能性は充分ありますが、──まあ、最低でも一か月はリハビリを兼ねて入院して頂くことになります」

 

 そんなお母さんの期待に得意げで担当医師は質問に答えた。

 

 「や、やった。やったわよ、友喜! お母さん、もう嬉しくて舞い上がっちゃいそう!」

 

 身体をギュッと抱きしめられる。

 

 「う、あ、そ、その、……う、嬉しいんだけど、さ。ごめん、ちょっと恥ずかしいから抱き着くのは止めてくれ、母さん」

 

 「あー、その──コホン。すみません、他に人が()()()とは言え治療室でもあります。ですので、お母さん、申し訳ないのですがあまり騒がないようお願いします」

 

 「あっ、はい」

 

 今にも窓から飛び出しそうなお母さん。

 それを咎める担当医師。

 

 ……まあ、でもお母さんの喜びようも分かる気がする。

 だって、二度と目を覚まさないと思った息子の意識が回復したどころか、退院できるかもしれないと聞かされたんだから。

 

 「しかし、良かった。一時はどうなるかと思いましたが、我々も諦めず()()を続行した甲斐がありました」

 

 おめでとうございます、と祝いの言葉を貰う。

 

 「それで、今後の予定なんですが──」

 

 良いことがあると嬉しくなるもので、舞い上がるのも無理はない。

 

 「ええ」

 

 だけど、気づけなかったんだ。

 いや、気づいてもどうしようもなかったんだけど。

 

 ──それでも、ある違和感を僕はずっと見過ごしていたんだ。

 

 ◇

 

 あれから担当医師の面談を終え、用事があると言ってお母さんは病室を後にする。

 

 「────」

 

 その姿を後ろから眺め見送ると、途端に肩の力が抜けるのを感じた。

 

 「────お母さん、か」

 

 お母さん。

 大切な、大切な僕の家族。

 

 それは、何処にでもある平凡な家庭にはありふれたピースの筈だ。

 

 「────」

 

 幾度と願った『もしも』を。

 嘘だらけの夢を、苦痛と苦悩に苛まれながら生きた僕たちには存在しない『IF』。

 

 病室で目を覚ました僕は今、──藤岡友喜が望んだ人生を歩んでる。

 

 「僕は、……僕は友喜。藤岡友喜」

 

 夢に見た青年。

 僕と同じ顔をした、よく出来た不幸な人生を生きた人間。

 

 「そう、なのかな」

 

 周囲の人間は僕を藤岡友喜だと言う。

 お母さんも、担当医師も、点滴を換えに来る看護師も皆、口をそろえて言うのだ。

 

 だから、そうだ。

 僕は藤岡友喜。

 

 「……うん、そうだ。そう、なんだ」

 

 ──決して、七瀬勇貴ではない。

 

 「──でも」

 

 なのに、ジクリと喉元に何かが刺さったような感覚が離れないのは、どうして?

 

 「だ、め、だ」

 

 あれは夢。

 七瀬勇貴という青年なんて僕じゃない。

 

 そうでなくては、目が覚めた僕を抱きしめたお母さんはどうすれば良いのさ?

 

 「あれは、夢。夢、────夢なんだ」

 

 事故で意識を失っていた僕が見た夢。

 友を引き裂く感覚も、叶うことのない夢を願う感情も、──あの身を引き裂かれそうになる真実も、全部嘘であるべきだ。

 

 そうだ。

 ずっと看病してくれた人の想いを無下にすることは、僕には出来ないんだから。

 

 「明日も来てくれる」

 

 約束をした。

 約束をしたんだから、それに応えなきゃいけない。

 

 心の中でそんなことを思いながら、僕は病院を歩き去るお母さんの姿を開けた窓から眺め続ける。

 

 コンコン。

 そうしていると病室のドアがノックされた。

 

 「──うん?」

 

 部屋に備え付けられた時計を見たが、看護師さんが点滴を換える時間ではない。

 

 誰だろう?

 そう訝しんだ時、ドアが開いた。

 

 「初めましてでしょうか」

 

 カツカツ。

 黒いスーツの少女が入ってきた。

 

 「────」

 

 目を見開く。

 

 「いえ。貴方の場合は、久しぶりですねと言い直すべきでしょうね」

 

 それは、あり得ないことだった。

 つい先ほど、あの出来事は夢なんだと振り切ったばかりで頭が追い付かなかった。

 

 なのに。

 

 「まあ、そんなことを考える余裕はないでしょうけど──」

 

 歩く度に短く切り揃えた緑の髪が揺れる。

 あの時と違う口調だが、その顔はまさにあの聖堂服を着飾った少女そっくりだ。

 

 「──っ」

 

 カツカツ。

 真っ直ぐにこちらを見つめる少女の碧眼。

 何処まで知っているか分からないが、何となく僕の内心を察していることがそれだけで分かった。

 

 「それでも悠長にしている時間は残念ながらないのです」

 

 ──カツン。

 少女が僕の前へ着くと歩くのを止めた。

 

 「では、改めまして、私は古本ナコト。この第三共環魔術研究所の管理者を兼任している魔術師です。この度、貴方──七瀬勇貴さんの保護観察を任されましたので、どうぞよろしくお願いします」

 

 少女──古本ナコトはそう言って、呆然とする僕に手を伸ばすのだった。

 

 





 次話の投稿は未定となっております。そんな作品が面白い、続きが気になる、応援してると少しでも思ってくださったら画面下の☆からポイント入れて頂けると嬉しいです!
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002 負荷蝙蝠の襲来


 ごめんなさい、ハメでアップするの忘れてました。


 

 「では、改めまして、私は古本ナコト。この第三共環魔術研究所の管理者を兼任している魔術師です。この度、貴方──七瀬勇貴さんの保護観察を任されましたので、どうぞよろしくお願いします」

 

 「────」

 

 差し伸べられた手を見つめる。

 

 「……やはり、そう簡単に手を取ってはくれませんか。──分かり切ったことではありますが、少し残念ですね」

 

 いつまでも手を取らない僕に彼女──古本ナコトはそう言って伸ばした手を引っ込めた。

 

 「──なん、で?」

 

 そこでようやく、カラカラの喉から声が出た。

 

 「何で、と問われましてもその答えは貴方が一番知っているのではありませんか? ──フフフ、冗談です。すみません。あまりにも可愛らしいので、つい意地悪をしてしまいました。大丈夫です。私たちは貴方に危害は加えませんので、安心してください」

 

 お掛けくださいと言いながら、彼女はベッド付近にあるパイプ椅子へ腰を掛ける。

 

 「……とは言えども、何から説明したものか迷いますね。どうして私が此処にいるのか、病院だと認識していた筈の此処が実は研究所なのは何故か、何で貴方を皆は口揃えて藤岡友喜と呼ぶのか。疑問は尽きませんし、どれから説明すれば貴方が理解出来るのか私も把握できていないのです」

 

 淡々と喋る古本ナコト。

 それを眺めるしかない僕。

 

 「ですので、──そう、先ずは貴方の現状へ至る経緯を説明することにしましょうか」

 

 「経緯?」

 

 「ええ、経緯です。そもそも七瀬勇貴という存在は夢と呼ばれる世界で生まれた、『藤岡友喜』の魂の複製体に過ぎません。しかも、その夢は影絵という生命体で構成された精神世界であり、そこで生まれた存在は例外なく現実の肉体を持つことはありません。そんな存在が現実の世界へ肉体を持たず転移することはある例外を除いては不可能なんです」

 

 「それは──」

 

 夢世界で造られた存在は現実世界へ行くことが出来ない。

 それは、■や■ィ■■も言っていた。

 

 でも。

 それじゃあ、どうして僕は──。

 

 「勿論、複製体である貴方も例外ではないですが、幸いなことに抜け道があったんです」

 

 何処からともなく少女は眼鏡を取り出す。

 

 「シェリア・ウェザリウス。あの夢世界において、悪辣な『魔女』として数多の幻想たちから恐れられた現実世界で肉体を持っていた存在。彼女もまた、現実世界での肉体を損失し、あの夢の中でしか生きる事が出来ませんでした。──が、彼女は独自の魔術理論で自身の複製品(クローン)を通じて肉体を共有することが出来ました」

 

 「……いや、待ってよ。それも、あの夢の中でしか出来ない方法なんじゃないの?」

 

 「いいえ。一つの肉体に二つの魂を宿すこと事態はシェリア・ウェザリウスでなくても可能ですよ」

 

 「──っな!?」

 

 それは、つまり。

 

 「ええ。察しがついたようで何よりです。──やはりこの世界では疑似知能生命体(アルターエゴ)も干渉出来ないみたいですね」

 

 「……疑似知能生命体(アルターエゴ)? 何それ?」

 

 「それは──」

 

 少女が僕の疑問に口を開こうとした瞬間、酷い地響きが起こった。

 

 「うわっ!」

 「きゃっ!」

 

 体勢を崩す。

 

 「な、何!?」

 

 不安に駆られる。

 

 「──迂闊でした。流石は腐っても『外なる神』の一端末。既に唾をつけているとは敵ながら賞賛に値しますね」

 

 サイレンの音が何処かしらから響く。

 それすらもどうでも良いのか、少女は一冊の黒い本を取り出しては頁を捲り出した。

 

 「まあ、この部屋の特定までは出来ていない筈ですので、特にご心配することはありません。寧ろ貴方にウロチョロされる方が迷惑ですので、ごゆるりと待機していればよろしいかと」

 

 黒い本の頁がパラパラと捲れると部屋中に青く光る魔法陣が浮かびだす。

 

 「待機って──」

 

 「大丈夫です。こう見えて此処──第三共環魔術研究所に集う軍人は選りすぐりの猛者たちです。第七魔導魔術対策支部のような愚は起こしませんので、どうかご安心を」

 

 「第七──何?」

 

 「……失礼。今の貴方は知らなくても良い情報でした。私は侵入者の排除に行って参りますので、くれぐれも部屋から出ないで下さいね」

 

 そう言って彼女は速足に部屋から出ていく。

 

 「ちょ、ちょっと!」

 

 それを引き留めようとした──が。

 

 「あー、後ついでに一つ。数分もすれば解ける暗示を掛けさせて頂きましたのでご容赦下さい」

 

 手を伸ばそうとした僕に彼女はそう告げる。

 するとその言葉に反応したのか何故か身体がピタリと動かなくなった。

 

 ガラガラ、バタン。

 

 そうして、彼女は足早に去って行くのだった。

 

 「────っ」

 

 只、その姿を呆然と眺めるしか出来なかった──というより、此処は彼女の言う通りにするべきだと思った。

 所詮、あの夢の世界で戦えていたとしても僕は戦闘に対してはド素人も良いところの人間なのだ。

 なら此処はその筋のプロに任せるのが一番に決まっているじゃないか。

 

 「……そう、だよ」

 

 ドアから目を逸らす。

 少女の話では数分もすれば勝手に解ける暗示が僕には掛けられているらしいし、しばらく部屋に待機していれば良い。

 

 そう考え、思い切ってスリッパを脱ぎベッドへ飛び込む。

 

 「ようは僕が戦わなくても良いって言ってるんだろうし、大丈夫なんだよ」

 

 天井を見つめる。

 

 ────「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 それでも、どうしてか身体の震えは止まってはくれない。

 

 「部屋から出るなって釘差されてたじゃないか」

 

 ドクン、ドクン。

 けたたましく心臓が鼓動する。

 それに連なって天井から砂埃が落ちていく。

 

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン──ドクン!

 

 「嫌な感じだ」

 

 急いでこの部屋から出ないといけない気がする。

 してはならないと先ほど忠告されたばかりなのに──って、ちょっと待って。

 

 「……可笑しい。何で、僕は彼女を信用してるんだ?」

 

 少なくとも少女──古本ナコトは夢の世界では敵対をしていた筈の相手だ。

 それをたった少し会話しただけなのに、こんなにも()()足りうる相手だと僕はどうして思っているんだ?

 

 ────「あー、後ついでに一つ。数分もすれば解ける暗示を掛けさせて頂きましたのでご容赦ください」

 

 ふと、部屋を出る際に告げられた彼女の言葉が頭に過る。

 

 「──っあ!」

 

 確か暗示を掛けたと古本ナコトは言った。

 けど、彼女はそれを何時掛けたかは僕に話していない。

 そもそも、その暗示というのが何なのか説明すらしていない。

 

 「まさか──」

 

 一瞬身体が動かなかった。

 だから、それを暗示によるものだと僕は勘違いした。

 

 「もしかして、────最初から、なのか?」

 

 点と点が繋がった気がする。

 というか、何がどうか安心を、だ。

 馬鹿正直に信じて僕は一体何をしていたんだ!

 つーか、これが本当なら僕のこと何も信用してないどころの話じゃないだろ!

 

 「あーっもう! こうしちゃいられない!」

 

 急いで部屋から出る。

 

 「──うわっ!」

 

 するとそこは一面の火の海となっていた。

 

 「酷い、な」

 

 というより煙たい。

 僕と彼女が部屋で会話している間に尋常じゃない速さでこの施設中を戦場になるなんてどう考えても異常だ。

 

 「きゃっ、──ぁあああ!!!」

 

 古本の悲鳴が木霊すると共にまたとない規模の地鳴りが起こる。

 

 「うわっ!!!」

 

 その衝撃に思わず態勢を崩してしまう。

 

 「驚いた、驚いた。やはりバッドは運が良い。何せこうして間抜けなユーをバッドがハント出来るのだから」

 

 バサリ。

 それは息をする間もなくやって来た。

 ゆらゆらと蜃気楼を漂わせ、鳥が海原に羽ばたくよう火花を散らし、コンクリートの壁を粉々にする。

 

 「──っな!?」

 

 禍々しいと言うのだろう。

 おどろおどろしいと呼ぶのだろう。

 

 ジュルリと舐める音が煙の舞う廊下に響き渡ると、三メートル先に現れた何かが僕を指差し嗤う。

 

 「グッド、グッド、グッド! 小賢しきユー、浅ましきユー、蒙昧なユーたちにしては実に迷惑な狼藉だが──バッツ! それはこのバッドが許さない」

 

 艶のある黒い皮の何かは蝙蝠の翼を広げ、鋭いかぎ爪の手で持った醜悪な柘榴へ舌を這わせていく。

 

 「あ、貴方は──」

 「バッツ、バッツ、バッツ! クールなバッドは、グッドなバッドは、パーフェクトなバッドは好機を逃さない。それは、それはこのバッドが優秀であることに他ならない」

 

 誰と問おうとするも、未だ口上を垂れ流すのに夢中のそれはボトボト鮮血を落とす果実をジャグリングしていた。

 

 「キィーッヒッヒッヒ! 下等、下賎、下品にして無知蒙昧! 所詮、ユーはこのバッドにハントされるだけの獲物に過ぎないの、だ」

 

 グチャリ。

 玉遊びに耐え切れず潰れたそれに息はない。

 きっと首を捥がれた体は見るも無残な死体となって転がされていることだろう。

 

 「つまりユーは此処でデッドするってこと。チープで、フーリッシュなユーの死体をバッドが好きにデンプシーするのが義務付けられてるってわけ」

 

 品のない嘲笑と共に突きつけられる一方的な死刑宣告。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 

 「ジュルリ、ジュルリ。甘い、甘すぎる。ユーたちはバッドに狩られるだけの弱者(そんざい)だと言うのに、ね」

 

 手に持った名も知らぬ人間の頭部から怪物は血を啜る。

 

 ドクン、ドクン。

 まるで眼前の怪物から早く逃げろと言わんばかりに心臓が鼓動を続ける。

 

 「貴方は──」

 

 それでも先ほど遮られた質問を再び問おうと僕は怪物へ視線を外さない。

 

 「キ、キキキ、キィーッヒッヒッヒ! 初めましてだ、ユー。至高にして誇り高きバッドの名は『負荷蝙蝠(ビヤーキー)』。偉大なる『外なる神』ナイアルラトホテップの一端末にして、慈悲深き信徒である。さあ、大人しくバッドの血肉となると良い」

 

 黒い怪物はそう告げ、背中に生やした翼をバサリと広げる。

 

 「それでは、アーデュー!」

 

 そうして思い切り翼をこちらへと羽ばたかせる。

 

 「──いけない、下がって!」

 

 何処からか古本の声が響く。

 怪物が羽ばたいた衝撃が真っすぐ僕へと襲う。

 

 瞬間。

 

 ──ドクン。

 

 「あ、う、──が」

 

 息が止まる。

 ガツンと眩暈がやって来る。

 

 ────「グゥ、ウウウ、──ガア!」

 

 脳裏にいつかの戦闘が掠める。

 

 「あ、あ、ぁああ──ぐぅ、ぁあああ!」

 

 そこから生まれるイメージ通りに身体を動かす。

 

 「ヴ、──ヴァッツ!!?」

 

 すると怪物から放たれた衝撃波を寸前のところで右へ回避する。

 

 「ユー、今何を……いやそれよりも──」

 

 「ゴハッ、……ハアハア」

 

 吐血しながらもその勢いのまま距離を取る。

 それを怪物──負荷蝙蝠(ビヤーキー)は何かを言いたげにこちらを見つめている。

 

 「今の内に、『忘却の物語(ミッシング・ローグ)』!」

 

 ポンと間抜けな音がすると同時に砂煙が舞う。

 

 「バッド! 邪魔を──」

 

 そんな行動に怒りをあらわにする負荷蝙蝠(ビヤーキー)

 だが、それ以上奴が言葉を続けることは出来なかった。

 

 何故なら──。

 

 ジジジ。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! ちょっと、あーしを放置とか酷いんじゃないの!」

 

 青い髪の腕から無数の大砲を生やした少女が突如僕の目の前に現れたからだ。

 

 「ユーは!?」

 

 驚愕に負荷蝙蝠(ビヤーキー)の赤い眼光が開かれる。

 

 「まあ、あんたに恨みないんだけどさ──大人しくこれでも喰らいなってね!!!」

 

 「ま、──待て」

 

 少女が叫ぶ。

 そのあまりの行動の速さに僕も咄嗟の行動が取れない。

 勿論、負荷蝙蝠(ビヤーキー)も例外ではなく。

 

 「暗黒融解波動(フルオーバー・ダーク・メルト・ブラスト)!」

 

 名も知らぬ可憐な少女の大砲から黒い稲妻が轟く。

 

 「ヴァ、ヴァッツ!!!」

 

 そして。

 

 ゴゥン!

 無慈悲な黒い咆哮が負荷蝙蝠(ビヤーキー)へと唸った。

 それはまさに今まで見たどの一閃よりも破格の一撃。少女を中心に数十メートルという距離を更地にするほどの威力と言えよう。

 

 「────!!!???」

 

 声なき悲鳴を上げ、その姿を塵も残さず消える負荷蝙蝠(ビヤーキー)

 同時にパラパラとコンクリートの壁が崩れる。

 

 「────」

 

 それをただ眺めるしか僕には出来なかった。

 

 「アハハハ、──あー、まあ、侵入者は無事撃退したんだしー結果オーライってとこかな!」

 

 そうだ、そうだと少女は何度も頷きながらこちらへと顔を向ける。

 

 「んで、これが噂の彼? あんたの言う異世界の王子様でしょ」

 

 飛び跳ねるように僕に近づく少女の腕に在った無数の砲台はいつの間にか消えていた。

 

 「お、王子様!!?」

 

 「──コホン。芽亜莉(メアリ)、そんなことよりあれほど異能を使う際は威力を少し加減するよう言いましたよね」

 

 僕に興味津々な──芽亜莉と呼ばれた少女に何処からか現れた古本が窘める。

 

 「ありゃ? そーだっけ?」

 

 「そうです!」

 

 呆然とする僕を放置して二人は漫才を始めだす。

 

 「大体、貴女と言う人は──」

 

 でも、この時は思いもしなかった。

 まさかこの少女──芽亜莉が自分にとってどういう存在なのかをちっとも考えようともしなかったんだから。

 



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あ~~もう面倒だなぁ~、──うん、じゃあ眠るって単語にも百ヶ国以上有るって知ってた? 不思議だよね! スゴいよね! あーしが今適当に考えただけなんだけどね! じゃあ、そういうことでオーケー!?

 

 覚えてる。

 この異能に目覚めた時のことは今でも忘れられない。

 

 「キキキ」

 

 そうあれは、あーしが十歳になった誕生日のことだった。

 

 ジジジ。

 あーしが住んでたところは何処にでもあるような変哲のない二階建ての一軒家。

 小さな庭付きのベランダがあり、親子で仲良く料理をするのにうってつけなキッチンにはバースデーケーキがあった。

 特にこれといった珍しさのない平凡が売りの温かな環境だったと今でも頬を弛ませれるよ。

 

 「やめて」

 

 血塗れのお母さんが倒れてる。

 肉塊となったお父さんを人形に切り取られた黒いモヤのようなものたちが取り囲む。

 

 「やめてよ」

 

 ぐちゃぐちゃと音を立てるそれは化物だ。

 黒い切り絵と表現するに値する──常軌を逸脱した怪物だ。

 

 何でそんな化物がこんな場所に現れたのかは解らない。

 けれど、その時のあーしはそれに意思があるのだと何故か解った。

 

 「おかあさん、おとうさん! へんじを、へんじしてよ!」

 

 泣き叫ぶ子供でしかなかった。

 両親が震えるあーしを庇って、化物の攻撃を受け続けてた。

 

 何も出来ず、その光景を唯唯見続けるしか出来なかった。

 

 「もう、あんたは一体なんなの!」

 

 助けを呼ぶことも、逃げ出すことも、両親の言葉を汲み取ることも叶わなかった。

 

 「わかんない。ちっともわかんないよ」

 

 そんなあーしを。

 泣き喚くしかない憐れな生命を見て、キキキと嘲笑う黒いモヤ。

 

 「あんた、なんなの?」

 

 あーしはあーし一人だけ。

 そんなのは普通の人間なら当たり前の事実だし何の違和感もない。

 

 でも、目の前で嘲笑う黒いモヤの中心にあーしと同じ姿の人間が居るのはどうして?

 

 意味が解らない。

 理解出来ない。

 

 それなのに、キキキと繰り返すそれの名前すらあーしは知らない。

 

 ジジジ。

 突然、頭が痛くなる。

 まるでぐちゃぐちゃに掻き回されてるようで気持ち悪く、そうすると目の前の存在がどういうものなのかを途端に理解出来てしまう。

 

 「ねえ、あーしは──」

 

 知らないのに、知るはずがなかったそれの名前が『影絵』なのだと理解する。

 

 意味が解らない。

 意味が解らない。

 理解出来ないというのに、頭の中で誰かがあーしに教えてくれる。

 

 うん、だからこれは夢。

 質の悪い──飛び切りの悪い夢だ。

 

 そうじゃなきゃ、こんな訳が解らない現象が起こる筈がないんだから。

 

 「あーしは、……あーしは一体なんなの?」

 

 その問いかけに誰も答えない。

 答えがないのに、あーしは問わずには居られなかった。

 

 「バッツ、バッツ、バッツ! イーッヒッヒッヒ! 狂おしい、狂おしい。まさにクレイジー! 然れど面白愚かしくともそれはユーのメモリー! 受け入れろ、受け入れろ。これからユーが犯す哀れな宿命(フェイト)を受け入れろ、メ■■ー·■ゥ·ド■ー■!!!」

 

 何処かで地球外生命体(ビヤーキー)の嘲笑が聞こえて──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────っ!」

 

 飛び起きたあーしを見知った白い天井が出迎える。

 

 「ハア、ハア、……最、悪」

 

 ぐしゃぐしゃのベッドシーツで、ベタベタと汚れた顔から汗を拭う。

 えーと、確か例のナコっちゃんが言っていた異世界人(?)とやらと会った後、疲れてそのまま寝ちゃったんだっけ。

 

 「──って、うわーマジかー。メイクも落としてないし、服も皺だらけじゃん」

 

 悪態を吐きながら、昨日会った人間のことを思い出していく。

 名前は──そう、確か七瀬勇貴って言ってた。

 ロシアかそこら辺のハーフかと言わんばかりの銀のブロンドヘアーをした碧眼の男の子。

 細身で、生真面目そうな──言い方悪いけどなんか弱っちそうな印象の奴……だけど真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)を通じてこの世界へやって来た魔導魔術使いなんだそうだ。

 

 魔導魔術。

 あーしの異能もその恩恵によって生まれた特異能力。

 魔術の中で最も人類を狂わせ畏怖されてきた、まさに悪魔の学問だ。

 そんな代物を自由自在に扱えるんだから、あいつも相当な糞野郎に違いない。

 

 「……あんなのの何処が良いんだか」

 

 ナコっちゃんはイケメン(本人曰く正当な評価)だそうだけど、あーしのタイプではない。

 どちらかと言うとズッシリとした筋肉質で町中をブイブイ言わしてるような益荒男なのが好みだ。

 断じてあんなヒョロガリを好きになることはあり得ないっしょ!

 

 「まあ、あーしには関係ないっしょ」

 

 取り敢えず軽く身支度を済ませてシャワーにでも入ってスッキリしよう。

 そう思い、震えるあーしはベッドから起き上がるのだった。

 

 ◇

 

 『外なる神』ナイアルラトホテップの一端末である負荷蝙蝠(ビヤーキー)を芽亜莉さんが死体も残さずぶっ飛ばして数日のこと。

 

 「しかし、今回の件で解って頂けたと思うのですが七瀬さんがこの研究所から当分の間は外出することは出来ません」

 

 古本はそんなことを言いながら、優雅にティータイムを楽しみ出す。

 

 「いや、それは身を以て思い知ったと言いますか……うん。あの、さ」

 

 紅茶の香りが鼻をくすぐる。

 相変わらず黒いスーツを身に纏う古本がティータイムに勤しむ姿は様になっていたけど。

 

 「何で思っクソマッタリしてんのさ! 大事な話するんじゃなかったの!?」

 

 大事な話なのでとか、とても話が長くなりますのでとか言って黒スーツの男を数名引き連れてやって来た時は吃驚したのに!

 しかも僕が緊張した面持ちで居たら、ティーカップ片手にブレイクタイムと洒落込んでるのだから更に開いた口が塞がらなかったよ!!!

 

 「まあまあ、どうか席にお掛けください。焦っても良いことはありませんし、──あ、そうです。クッキー有りますよ。それもチョコチップのヤツとかバラエティが豊富です」

 

 「だから──」

 

 「それに嘘は言ってませんよ。現にこうして何から説明しようか考えてる次第ですし」

 

 「いや、何からも何もこの間の続きからで良いよ」

 

 「この間の続き? それは確か──これで貴方も異性にモテモテ百選の話題でしたね」

 

 「違うよ!」

 

 呆れたようにじっと見つめる僕。

 それを意に介さずはぐらかす古本。

 

 全く、最初会った時は協力的だったのに、一体どうしたって言うんだ?

 

 「雰囲気が大切なのです。天からのお告げ的な──そう天啓。主の導きが無いと私、どうにもシリアスが維持出来ない体質らしくて」

 

 「初めて聞いたよそんな体質!」

 

 「おや? どうしたのです、迷える子羊よ。そんなに苛々していては良き考えも纏まりませんよ」

 

 「どの口が言うの、さぁ」

 

 長々本題に入らない古本が何をしたいか分からなくなる。

 まさか、こんな無駄話をする為に来たんじゃないだろうに……本当、古本は何がしたいのかさっぱりだ。

 

 「それはそうと、今日は貴方のお母様は随分と遅いのですね」

 

 そう考えてたら、部屋の時計を見ながら不意に彼女はそんなことを言い出した。

 

 「──そう、だね」

 

 いつもなら来ても可笑しくない時間帯だ。

 母さん、どうしたんだろう?

 

 ガラガラ。

 ドアが乱暴に開かれる。

 

 「おっはよーう、諸君! あーしだ、あーし、みんなのアイドル芽亜莉ちゃんがお昼の時間を伝えに来てやったぜぃ!」

 

 きゃわわわと笑いながら青い髪の少女が部屋に入ってくる。

 

 「痴呆ですか、芽亜莉。昼食には遅い時間ですし、何よりもうアフタヌーンです。全く、これだから貴女という人は」

 

 「痴呆じゃないわい! つーか知ってるし! これは、……あれよ、ジョークよ!」

 

 「だとしてもセンスが無いにも程があります。来世から出直して下さい」

 

 「酷い!」

 

 ズカズカと入って来る彼女は──。

 

 「えーと、め、芽亜莉さんでしたっけ? すみませんが今、古本さんと大事な話をしてたんですけど──って何さ? 古本さん、そんな驚いた顔してどうしたの?」

 

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)を塵も残さずぶっ飛ばした少女──芽亜莉にそう話し掛けると、古本がワナワナと震えだした。

 

 「ズルい、ズルいですよ、芽亜莉。私でもそんな顔向けられたことないのに」

 

 「いや、意味が解らないし──って、ナコっちゃん?」

 

 「……何ですか」

 

 「いやいやいや嘘でしょ! これだよ、これ! 解ってんの?」

 

 呆れたようなあり得ないモノを見たかのような眼差しで芽亜莉さんは僕に指を指す。

 

 「──?」

 

 「ほら、訳解んないって顔してるよ。こいつはあれだ、とんだスケコマシだ!」

 

 「~~芽亜莉!!!」

 

 「本当のことでしょ、……それとも、何? もしかして妬いてる? 妬いてるんでしょ! いっけないんだー、保護観察対象に余計な感情抱いちゃって、まあ!」

 

 この部屋に来てからポンコツと化してきた古本をケラケラと芽亜莉はからかう。

 

 「──フフフ。良いです、良いです。良いでしょう。そんなに絵本の中に閉じ込められたいのなら閉じ込めて差し上げましょう」

 

 そんなからかいに耐えきれなくなったのか古本がいつぞやの黒い本を取り出し、頁を捲り出した。

 

 「わー! わー! ジョーク、ジョークよ! 悪かった、からかい過ぎたよ! だからこんな場所でマジになんなし!」

 

 「解れば良いのです、解れば、ね」

 

 そう言って古本が黒い本を閉じるとそれは弾けるように消えていく。

 

 「……これは?」

 

 「ん? ナコっちゃんのこれのこと? あー、それはねぇ──うーん、教えて良い?」

 

 「どうぞ。感覚派の貴女に出来るものなら」

 

 「へいへーいっと……じゃあ──ナコっちゃんのはあれは、ね。『絵のない絵本』って名前の魔導魔術なんだと。えーと、どういう魔術か説明すると、あーしみたいに魔力をこうっ、ズドンって爆発させる感じで組むんじゃない、なんか細々とした複雑な術式なんだってさ!」

 

 ……ん?

 

 「そーいうお堅い術式のことを確か……そう! クトゥルクトゥー式だっけ? みたいなワケわからん魔術系統の中でも異例中の異例という──あー、忘れた。メンゴ、メンゴ。んで、ズシャーのガシャーでミリっミリに編み出されたナコっちゃんオリジナルの魔導魔術系統をあーしたちは『複合型魔導魔術(キメラテクスチャ)』って呼んでるわけよ」

 

 ……はい?

 

 「ごめん、なんか途中説明が雑過ぎて解んなくなった」

 

 「フフフ。私もです」

 

 「んー、あ~~もう面倒だなぁ~、──うん、じゃあ眠るって単語にも百ヶ国以上有るって知ってた? 不思議だよね! スゴいよね! あーしが今適当に考えただけなんだけどね! じゃあ、そういうことでオーケー!?」

 

 「全然オーケーじゃないよ!?」

 

 待って、待って!

 この子、本当に説明するの雑過ぎるでしょ! 途中から面倒になったのか変なこと言い出したし、こればっかりは僕が『理解する』って概念持たないとか関係ないよね!?

 

 「ええ~~私~ナコっちゃん、よく解んなーい! 教えて、芽亜莉センセーイ」

 

 ツッコミする僕を横目に今度は古本が芽亜莉さんをからかい出す。

 

 「ブッ飛ばすよ、ナコっちゃん!」

 

 「そんなこと言われましても~私どもにはサッパリ理解出来ませんし~。何より──」

 

 古本が一瞬、僕を見る。

 

 「まだ誰にも『複合型魔導魔術(キメラテクスチャ)』を公表した覚えはないのに、どうして貴女が知っているのか検討もつかないんですよ」

 

 空気が一変する。

 

 「──あ、ヤバ」

 

 「ん? ヤバいとは?」

 

 「う、ぐ……あ、そうだ。チョ、チョコチップあるじゃん! あーし、これ好きなんだよね! 一個貰うよ!」

 

 あ、芽亜莉さんの顔が引き摺り始めた。

 後、純粋に古本の笑顔も怖い。

 

 「フフフ、良いですよ。チョコチップ美味しいですしね」

 

 「そ、そうだしー、あ~美味しい!」

 

 「ところで話が変わるのですが、芽亜莉、先週の木曜の奉仏市で負荷蝙蝠(ビヤーキー)襲撃事件があったの知ってました?」

 

 ドクン。

 

 「……え? あー、あれね。知ってる、知ってる。しっかしあーしもついてるのかついてないのか解んないよなー。先週の木曜もそうだけど一昨日の此処だって負荷蝙蝠(ビヤーキー)のヤツ現れたんだもん。でも、あん時は確かナコっちゃんと一緒に──」

 

 芽亜莉さんの目が赤くなる。

 

 「失礼。その日はゴルバチョフ総監と内密で青森に現れた『ンカイの森』の『繭』を調査していましたが──貴女はその時一緒には居ませんでしたよ」

 

 だが、そんな彼女を気にもせず古本は淡々と追い詰めていく。

 

 「ん? あ、あれ? あれれ? そう、だっけ?」

 

 ……うん? あれ、芽亜莉さんの目の色が戻った?

 

 「ええ。……それでまた話が変わるのですが、何でもその『奉仏市』にある『奉仏一夜ヅケ』というライブハウスで貴女の好きなバンド『ミリオンフィッシャーズ』のライブが開催されていたそうですね」

 

 「ア、アハハ。そうだよ~。行きたかったけど、強制規制の所為で研究所から出れなかったんだよね~」

 

 「そうですね。とても残念でしたね。貴女、あのバンドの五右衛門という方のファンでしたものね。ええ、心からご冥福をお祈りしますよ。──それが本当なら、ね」

 

 古本の含みのある言い方に棘があった。

 

 「アハハハ、──ほ、本当も本当よ! ちゃんとこの研究所にあーしは居たし!」

 

 それに対し芽亜莉さんは言い訳をする子供のようだった。

 

 「芽亜莉」

 

 「……んぐぅ」

 

 まさに蛇に睨まれた蛙だった。

 というより、これではもう容疑者を追い詰める刑事そのものだ。

 

 これじゃあ──。

 

 「使いましたね」

 

 「う、ううう」

 

 最早、芽亜莉さんはケータイのバイブレーションだった。

 否、プルプルと限界を迎える爆弾と化してい、る?

 

 「使ったんですね」

 

 ピタリと震えが止まった。

 止めを刺したな、と思った。

 

 「……ええ。使った。使いました! でも良いじゃん! そのお陰で街の安全は守れたんだし!」

 

 芽亜莉さんの顔が真っ赤に弾けた。

 マシンガンを乱射したみたいに言葉が出るわ、出るわ。

 

 「それは結果論ですよ、芽亜莉。……一応、これでも私は魔術師の端くれです。暴走した同胞を討つ覚悟はいつでも出来てます」

 

 「ううう。分かったし、分かってるしぃ……ちょっと好奇心が出ただけだし、そんなに問い詰めなくても良いじゃんよぉ」

 

 「芽亜莉。何度も言ってますが、これは貴女の為でも有るんですよ。私とて、友人の貴女を手に掛けたくありません。これに懲りたら、今後は『改竄』は控えて下さい、ね」

 

 まあ、何だか知らないが、二人の会話から察すると芽亜莉さんがいけないことをしたようだし僕から特に言うことは無い。

 

 けど。

 

 「へーい、へーい」

 

 「もう、本当に分かってるんですか!」

 

 「あ~~もうっ良い! あーし、部屋に戻るから!」

 

 「──あ、待ちなさい、芽亜莉! まだ話は終わってませんよ!」

 

 じゃあねと手を振って嵐のように去っていく芽亜莉さん。

 それを待てと制す古本。

 

 「やーだね! んべーっだ!」

 

 呼び止める声を無視して少女がドアを勢いよく飛び出していく。

 けど古本は追わなかった。

 いや、追うことは無かった。

 

 「……芽亜莉」

 

 只、走り去っていくその背中を見つめているだけだった。

 

 「────」

 

 その姿に何処か哀愁が漂って見えたのはきっと気のせいじゃない。

 だって、その証拠に芽亜莉さんを呼ぶ声が微かに震えていたんだから。

 





 これで、なろうで投稿してた分は終わりです。


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004 まるで能面のような面持ち


 ごめんなさい。
 こっちでの投稿を忘れてました。


 

 この世界には、魔術がある。

 常人なら学ぶことのないそれは、過去現在に至る人類社会において多くの功績を遺した。

 

 科学が発展してない時代には、闇夜に明かりを。医療が発展してない時代には、万能の治癒を。学問が発展してない時代には、日々を円満に過ごす叡智を与えた。

 

 そうして歴史の立役者であり──影の功労者は人目を憚りながらその秘術を一子相伝で受け継いできた。

 

 だが、現実とは非情なもの。

 そんな功労者の彼らは疎まれ今尚、迫害の対象とされている。

 理由はある。

 それは幾度人類社会に貢献しようとも、それ以上に多くの害悪を与え続けたというモノだ。

 

 ────「ひれ伏すが良い、■■。貴様ら醜悪な■■には我らを見上げることすら赦さん」

 

 それは、まだ人類が人類として自覚を持たなかった時──彼らの祖となる者たちが外宇宙(そら)から来訪した地球外生命態(インベーダー)と接触したことが起源だとされている。

 

 ────「戯け! これだから言葉を持たぬ猿は嫌いなんだ。……もう良い、死ね。死んで詫びろ。──ああ、鬱陶しいぞ、毛むくじゃら!」

 

 それとの接触を経て、祖となる者たちは──否、人智を超越した得たいの知れない生命体が魔術の根幹を塗り替えた。

 厄災、人災、天災。

 名を変え、人を変え、時を変え、魔術をあらゆる害悪となって災いへと貶めた。

 

 ────「キキキ。苦しいか? 苦しいだろう? ならばこそ、オマエたちは赦されない」

 

 魔術とは世界を害する悪魔の学問。

 旧くから存在する秘術を人々は旧魔術とし歴史の片隅に追いやり、忘れてしまった。

 そう、忘却されたそれの行き着く先など決まっている。

 伝えられない秘匿は秘匿に在らず、かつて神秘と崇められたモノたちはその奇跡を絶たれるのが運命。

 

 人類を根絶やしにする。

 嫌悪すべき汚物を処理するには、外法が最も効率的だと観測者(奴ら)は知っていたからそうした結果なのだ。

 

 それだけで多くの人々が魔術を嫌うに値するものとなる。

 

 ────「イーッヒッヒッヒ! やはり、バッツは最強! 故に──」

 

 多くの人々を救った魔術は今も尚、歴史の立役者とし旧い時代と共にあった。

 だが同時に、禁忌の神業、悪魔の学問、外宇宙からの恩恵など様々な名を持つそれを人々は、魔導魔術と呼んだ。

 

 此処は、夢と現実の狭間。

 死者との再会を求めた愚か者が造り上げた理想郷(ユートピア)

 

 「奇跡、奇跡。奇跡を求めることでしょう」

 

 そこで、学生服の少女は独り待つ。

 胡乱な世界へ回帰させるべく、今も尚愚か者の頭に囁き続ける。

 

 「ええ、そうです。そうなのです。きっと最期に貴方は彼女との再会を願うのです」

 

 神様は残酷だ。

 いや、この場合は観測者たちと言い直すのが正しいか。

 

 「期待してますよ、古本さん。そして、メ■■ー」

 

 虹の花が舞う。

 紺の髪を靡かせ、深紅の瞳で暗闇(そら)を見続けた。

 

 「ええ、別世界の彼方だろうと貴方は彼女(フィリア)を求めずにはいらないのでしょうから」

 

 そこで年相応に笑う少女を幻想たち(ひと)は皆、『囁き屋』と呼んだ。

 

 ◇

 

 「……話が逸れましたね、すみません」

 

 部屋から芽亜莉さんが飛び出して、古本がそう言った。

 

 「いや、別に良いよ」

 

 それに対し構わないと僕は気遣った。

 

 「そう、ですか」

 

 彼女はうわ言のように返事をした。

 

 「──?」

 

 違和感を覚える。

 いつもなら淡々としている古本なのに、まるでそうじゃないみたいで。

 

 「……ああ、そうです。そう、でした。話を、話をしなくてはいけないのでした、ね」

 

 それなのにどうしてか、今の感情が希薄な姿の方が本当の彼女を見ているかのように思えたんだ。

 

 「えーと、何でしたっけ? 確か、貴方のお母様の話でしたか?」

 

 「いや、違うよ。僕について大事な話、だよ」

 

 「──そう、でした。大事な話でした、ね。いけませんね。貴方と話をしていると思うと、つい浮かれてしまうようです」

 

 彼女の問いを否定すると、うわ言のように喋っている雰囲気がいつもの淡々とした顔へ戻っていく。

 

 「しかし、困りました。どれから話したら良いか、非常に悩みます。この間のように邪魔が入る訳にもいかないですし──さてさて、どう切り込みましょうか」

 

 ドクン。

 あれ? 今、古本は何を言った?

 

 「……ああ、やはり此処でも『エンドの鐘』は起動するようですね。──そうなると、私の仮説が正しいと見ました」

 

 古本の目が細くなる。

 

 「七瀬勇貴さん、以前どうして貴方のことを皆は口を揃えて『藤岡友喜』と呼ぶのかを知っていると私は言ったと思いますが、それについてどう思いますか?」

 

 「……どう思うも何も僕は彼の魂の複製体なんだから、同じ身体を持っているんじゃないの?」

 

 古本がする質問に思ったことを答える。

 

 「そうですね。そう認識するのが普通です。でも、少し疑問には思いませんか?」

 

 「……何を?」

 

 勿体振った言い回しをする彼女に何か嫌なモノを感じる。

 これから話すことは聞いてはいけないような気がしてくる。

 

 「別の人間にする為に生み出された貴方がどうして、藤岡友喜そのままの身体でいる必要があるんでしょう?」

 

 ドクン!

 

 「──え?」

 

 それは何でもないことのようで、実は思いもしなかった言葉だった。

 

 「不思議ですよね。だって、他の人間にしている途中なんですから、身体の何処かは藤岡友喜とは違っていても可笑しくない筈です。でも、そうじゃない。そうじゃないなら、何かが可笑しい。複製体であるだけでは説明がつかないことが貴方の身体には起きている」

 

 少女は嬉しそうに喋ってる。

 初めて感情を知った生物のように頬を赤らめている。

 

 「此処で目覚めた時、いや今も直ぐそこで誰かが寝ている筈なのに、誰もそれに気付かない。いや、気付いてるのに無視してる」

 

 解らない。

 どうして、彼女は嬉しそうなのか解らない。

 先ほどまで話していた人間とは違う──まるで未知の生命体に見えて仕方ない。

 

 「お母様は貴方の退院をたいそう喜んだと聞きました。でも、不思議ですよね。そんなに喜んでいるのなら、どうして貴方と同じ顔をした人間が寝ていることに何の疑問もないんでしょうか」

 

 笑い声が止まる。

 見ているモノが同じなのに同じじゃない奇妙な感覚が僕を押し寄せる。

 ああ、こちらを見つめる少女の目がまるで虫でも観察してるように思えるのは気のせ、いじゃない。

 

 「七瀬勇貴さん。鏡って知ってます? あれって便利なんです。毎朝自分の顔を見ることが出来て私も重宝出来ます。……当然、貴方もそれが何なのか知ってますよね?」

 

 鏡は知ってる。

 見たことがある。

 確か、自分の姿を映し出してくれる道具だ。

 

 「これは貴方を監視してる職員から聞いた話なんですが、目が覚めてから貴方は一度もご自分のお顔を拝見していないそうではありませんか」

 

 「──っ」

 

 ドクン!

 何故か心臓が脈打つのを感じるそれより、古本の言葉が頭に強く残ってしまう。

 

 「ハア、ハア。ハア、ハア」

 

 ドクン! ドクン! ドクン!

 何を言ったのか、どうして今言ったのか、何で僕にそれを聞かせたのか。

 

 いや、そもそも──。

 

 ガシッ。

 

 「これは私が普段愛用している手鏡なんですけど」

 

 肩を掴まれ、僕の手に黒い手鏡が渡される。

 

 「どうぞ、お使いください」

 

 手のひらサイズのそれは軽い筈。

 だけど、この時は自棄にそれが重く感じた。

 

 「……ありが、とぅ」

 

 「いえいえ、お気になさらず。それでお顔を見ていただければ解決ですから」

 

 にこりとする少女を前に、僕は意を決し渡された鏡で自分の顔を見るとそこには──。

 

 「──っ!?」

 

 ──パリン!

 吃驚して、鏡を落としてしまう。

 

 「嘘、だ」

 

 驚いた時に見開いた瞳は碧眼。

 純粋な日本人の藤岡友喜は黒目で、彼と何もかもが違う顔立ちを僕はしていた。

 

 「嘘じゃありません」

 

 古本は言う。

 けれど、これではまるで鏡に映る先に見えたのは、藤岡友喜とは別人の誰かじゃないか。

 

 「残念なことに嘘じゃないんですよ、これは」

 

 驚いて言葉が出ない。

 考えれば、考えるほど納得のいくことだ。

 

 藤岡友喜では僕はない。

 そう、偽物の人間モドキでしかない自分の顔なんて、もう原型を取り留める必要はないんだ。

 

 あれ? ならどうして、母さんは僕を息子の藤岡友喜だと言って抱き締めたんだ?

 ……ああ、いや、そうだ。暗示だ。暗示があるじゃないか。

 僕を藤岡友喜だと誤認させる暗示を掛ければきっと──。

 

 「一応言っておきますが、貴方の姿に関しては暗示を掛けていませんよ」

 

 「──っ!」

 

 じゃあ、どうして?

 

 「どうして目が覚めた貴方をお母様は藤岡友喜と言ったのか、ですね。その疑問には私は答えれません。答えることが出来る人間が居るとするならそれは本人が一番でしょう。────いい加減、入られたらどうです?」

 

 古本が誰も居ないドアに向かって話をしだす。

 

 「入られたらって「お気持ちは察しますが、いつまでもそうしている訳にはいきませんよ、お母様」──え?」

 

 僕の言葉を遮って話す古本。

 だが、その内容に思わず耳を疑ってしまう。

 

 そうしていると、ガラガラと無人のドアが開いていく。

 

 「……お母さん?」

 

 部屋に入ってきたお母さんの顔には生気が見えず、まるで能面のような面持ちだった。

 



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005 醜い虫ケラ

 

 僕は七瀬勇貴。

 藤岡友喜の魂の複製体であり、この世界に存在しない筈の人間モドキは呆然とするだけだった。

 

 「入られたらって「お気持ちは察しますが、いつまでもそうしている訳にはいきませんよ、お母様」──え?」

 

 飢えているのは、叶わない存在証明。

 必要だと言われたいのは、生まれるべくして生まれた偽物。

 

 「……お母さん?」

 

 僕は誰で、僕は僕以外の誰でもないというのに。

 

 「──っ」

 

 ──なのに、未だ違う生き方が出来るのだと勘違いをしていた。

 

 「私は席を外しましょうか、ね」

 

 そう言って古本が部屋から出ていく。

 

 「わ、私も今日はお暇するわ」

 

 それに同伴しようと出ようとするお母さん。

 

 「いえ、当人同士積もる話があるでしょうし、それはおすすめしませんよ、潤子さん」

 

 「ううう」

 

 だが、それを古本は引き留め嗜める。

 

 「それでは、──ごゆっくりどうぞ」

 

 ドアが閉められる。

 お母さんはそれを見るしか出来ない。

 

 「────」

 

 何か言わなくてはならない。

 何か話さなくてはいけないのに、僕はその場で立っていることしか出来ない。

 

 ねえ、お母さん。

 どうして僕を藤岡友喜だなんて言ったの、とそんな簡単なことが聞けないでいる。

 

 「スゥー、ハァー」

 

 深呼吸する誰か。

 言葉にするのを待つ自分を誰も責めない。

 

 「お、お母さんは、ね」

 

 口を開く女性。

 今にも逃げ出したい顔で潤子さんは喋ろうとしている。

 

 「……何?」

 

 聞きたいけど、聞きたくない。

 そいつを聞いてしまったら、僕は何を仕出かすか解らない。

 真実とは、時に人を傷つけるものだと想像できていたというのに、僕は未だそれを自覚出来てない。

 

 「本当は、貴方が息子の友喜じゃないって解ってたの」

 

 ピシリと何かが悲鳴を上げる。

 ほら、僕は耐えられない。

 

 それでも年老いた女は語るのだ。

 

 「友喜はね。神様に魅入られた子なんだって言われたの」

 

 淡々と語られるそれは、誰かが背けようとした真実だった。

 まあ、女にとって神様というのが何なのかは知らないが、僕が頭に浮かんだ神様はキキキと嗤う神父の姿だ。

 

 「昔からそうだった。凡人の私たちには感じ取れない何かに怯えてる子だったから、その言葉はとても信用出来たわ。──本当、気持ち悪いほどに不気味だった」

 

 静かに淡々と語るそれはいつもの陽気な姿はしていない。

 只、何処にでも居そうな嫉妬深い婦人だと思う。

 綺麗なものじゃない。

 僕みたいに、ドロドロとした中身の醜い人間だった。

 

 「あの子が成長する度に思った。どうして、こんな子を私は産んでしまったんだろうか。どうして、こんな気持ち悪い人間を育てているのだろうかって。お父さんとは、その事でよく喧嘩したわ。──うん、覚えてる。堅物だったあの人に打たれたことは今でも鮮明に思い出せるの」

 

 痛々しいものだった。

 けれど同時に恐ろしいものに見えた。

 だって、あの時涙を流し抱き締めてくれた人と目の前の女性が同じだと言うことが信じられないほどにそれは違ったんだ。

 

 「あの子が自力で定時制の高校に通っていたのも知ってたわ。そして、そこでイジメられてるのも解ってた。でも、それに対し私はどうも思わなかった。只、早く私たちの前から居なくなってしまえば良いのにって、ずっーと思ってた」

 

 嘘だと言って欲しかった。

 冗談だと懸命に取り繕って欲しかった。

 

 「そんな時、あの子がイジメた子たちを殺害したと事件で報道されたわ。それを見て、ああ、これでやっとあの子が私の傍から離れてくれると思ったわ」

 

 でも、それを潤子さんはしてくれない。

 否、してくれる筈がない。

 

 何故なら彼女は──。

 

 「──なのに、あの子、目覚めたばかりの異能で立ち会った警察官を含め三十五人の人間を殺したらしいじゃない!」

 

 般若のような顔だった。

 憎むとは、そういうものなのだと僕はこの時初めて知った。

 

 恨んでるのだろう。

 身勝手に何でそんなに殺したのだと藤岡友喜に凶弾したかったに違いない。

 

 「この研究所に搬送されたと聞いた時は頭の中がグチャグチャだったわ。恨み言を言ってやろうと駆け付けても、あの子は深い眠りに閉ざされ手出しが出来なくされてたの。──驚いたわ、何せあの子にそんな価値があるだなんて私は知らなかったんですもの」

 

 息がつまりそうだった。

 耳を塞ぎたくて仕方なかった。

 

 でも、それはゲラゲラと嗤ってこちらの想いなどどうも感じていないようだった。

 

 「──っ」

 

 知らなかった。

 この世界の藤岡友喜がそんな誰も信じることが許されない人生を送ってるなんて僕は知らなかったよ。

 

 「その時に言われた。その時にようやく、あの不気味で仕方のない子供に価値があると知ったわ。……ねえ、友喜の偽物さんはこんな話を知ってるかしら?」

 

 「……何ですか?」

 

 「世の中には産まれた子を愛しいと思う母親もいれば、反対に産んでしまったことを後悔するほど憎らしいと思う母親もいるのよ」

 

 ……彼女は何が言いたいのだろう?

 解らない。

 解りたくない。

 仮にそうだとしたら、どうしてあの時涙したのさ。

 

 「ウフフ。悲しい? 悲しいのかしら? だとしたら良い気味ね。あの日、貴方が目覚めたことで立ち入りが許可された私は、ようやく友喜の息の根を止めれると思って花瓶を持っていったわ」

 

 怪物(おんな)は嗤いながら、手にした袋から果物ナイフを取り出す。

 

 「その時、貴方を見た。見てしまった。あのお方と同じ銀の髪の貴方を見た時、思ったの。もしかしたら、本当に貴方はあのお方、かの魔導魔術王(グランド·マスター)『ダーレス·クラフト』様になれるかもと期待したの!」

 

 すると銀のナイフが煌めき、腰に力が入っていない一振のそれが藤岡友喜へと落とされた。

 

 「でも、開けてみたらこんなもの。所詮貴方は魔導魔術王(グランド·マスター)になれない欠陥品。謂わば、夢世界(ドリームランド)から帰還した哀れな欠落者でしかなかったわ。……イヤねぇ、そんなこと解りきった話でしょうに今更私は何を期待したのかしら」

 

 でも、それは藤岡友喜の頭に当たる寸前で弾かれてしまう。

 きっと古本辺りが防御結界とかそんなところの魔術を掛けたのだろう。

 だから、そんな現象を目の当たりにしながらも、潤子さんも僕も驚かないんだ。

 

 「そもそも何であの男と結婚したのか未だ解らないの。本当、顔は冴えないし、家事すらロクに手伝わない──退屈な男だったわ。ええ、そうよ。彼と過ごす日々は特別楽しくなかったわ。なのに、死に目に立ち会った時、あの人私に向かってこう言ったの。「どうやら楽しめたようで嬉しいよ。それじゃあ、オレは先に逝く。友喜は任せたぞ」って、さ。嗤っちゃうわ。後数ヶ月もせず滅ぶ世界に任せたも何もないでしょうに」

 

 床に滑っていくナイフを女は目も向けない。

 只、僕の姿をじっと見つめるだけで何もしない。

 

 「そうそう、研究所の裏の山方にある神社でお父さんの墓があるわ」

 

 潤子さんはドアをガラガラと開いていく。

 

 「──まあ、貴方には関係ないことでしょうけど、暇が出来たら行ってみると良いわよ」

 

 虫に向けるような冷たい視線で彼女はじゃあねと言って、立ち去っていく。

 

 「────」

 

 その姿を僕は呆然と見つめた。

 いや、見つめることしか出来なかった。

 

 「……何だよ、それ」

 

 毒を吐くしかなかった。

 確かに藤岡友喜の人生は救いがないと思うし、やるせなかったさ。

 けれど、僕にはそれすらないことが堪らなく辛かった。

 

 「何なんだよ、それ!」

 

 見たかった筈の人間の人生、知りたかった筈の現実世界を僕は知った。

 

 「意味、解んない」

 

 お母さん──潤子さんが部屋から出て僕は何をする気にもなれなかった。

 

 だって、そうだろ?

 生きたいと願ったそれは苦痛なモノでしかなく。

 行きたいと願ったそれには初めから居場所なんてなかったんだ。

 

 理不尽だと思わなきゃやってられないじゃないか?

 

 「そもそも生きるって何なの? 生きるってこんなに苦しいものだったの? だったらどうして、みんな死んだ奴に生きて会いたがるのさ!?」

 

 辛い。

 辛すぎる。

 こんなのに生きる欲求が湧く筈ない。

 

 なのに、誰も死のうとしない。

 どうしてか、死んだ人間に会いたいと考える始末だ。

 

 「知るかよぉ、──そんなのあんたらの勝手じゃないか!」

 

 生まれた時から憎かった? 他人になれると期待したら全然そんなことなかったとは? 挙げ句の果てに滅ぶ世界だから何だって言うんだ!?

 

 「本当、何なんだよぉ」

 

 誰もいない部屋で僕は涙を流す。

 それぐらいしか出来ない。

 それぐらいしか出来ない自分に嫌気が差す。

 

 「もう──嫌だ。何だって、こんな辛い思いしなくちゃいけないんだ」

 

 部屋から出ていく自分を誰も咎めない。

 当たり前だ。

 そんなことをしなくても、この狭い研究所のそこら辺にはカメラがあるんだから止める必要はない。

 

 「ううう」

 

 涙が止まらない。

 傍で抱き締めてくれる人が居ないことがこんなにも辛いなんて知らなかった。

 

 ……本当、僕は知らないことだらけだ。

 

 「──っ」

 

 そんな自分に益々嫌気が差し、研究所の廊下を駆け出していく。

 

 「あ、あ、ああ、ぁああああああ!!!」

 

 この時は、何処か独りになれる場所を探したかった。

 只、その一心でいたんだ。

 



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006 あら、見ない顔ですね


 なろうで投稿していた分はこれで終わりです。
 では、本編をお楽しみください。


 

 「そう、ですか」

 

 藤岡友喜のお母様が一階ロビーを抜けた数分後に泣きながら彼が部屋から飛び出した報告を監視していた職員から聞きます。

 

 「では、引き続き監視と誘導をお願いいたします」

 

 「解りました」

 

 次の命令を職員に出し、自室の椅子に腰掛けました。

 

 「──ふぅ、儘ならないものです、ね」

 

 息を吐くように苦言を漏らし、今も泣いているだろう彼と芽亜莉のことを考えます。

 儘ならない。

 そう、希薄な感情しか持たない私には二人のように心のままに泣くという行為が心底理解出来ないのです。

 

 「全く、何がそんなに辛いのでしょう」

 

 虫が感情を持たぬ生物であるのと同じように、人間以外の生物が笑う行為に何の価値を見出だせないように、私という人間『古本ナコト』は自身の感情に欠落を抱えています。

 

 その事に気付いたのは、物心がついた私が自身の異能に目覚めたことがきっかけでした。

 

 私の異能『絵のない絵本』は、説明すると並行世界の自分を物語として知ることが出来るというもので、それは人間一人を何万という文字で綴った物語(じんせい)を閲覧するということであり──ある意味これから起こる未来を知る魔法なのです。

 

 この魔術と異能がある世界において、魔法とは実現不可能とされた現象を現実化させる行為をそう呼びます。

 ……簡潔に言ってしまえば、奇跡を起こしたら魔法って解釈なのです。

 そんな代物を物心つく頃に理解しているのですから、平凡で正常な人間という枠組みから外れるのは道理なのですよ。

 

 そんな私にも両親は居たし、多分愛してくれていたと思います。

 でも、それを実感することは彼らが生きている間に出来ませんでした。

 だって心とか、愛とか、生きるとかよく知らなくても未来に起こることが解るんですから、生への欲求である感情が希薄になるのは仕方のないことなのです。

 

 ……流石に、両親が殺害されたことに感傷を抱けないでいるのは我が事ながら薄情だと思いますけど、ね。

 

 ジジジ。

 

 ────「お母、さん?」

 

 血だらけになる自分。

 それを愛しそうに抱きしめたまま死ぬ母。

 父の最期は見てないが、刑事の一人が死んだことを教えてくれたから、多分逆らって魔術師(てき)にでも殺されたんでしょう。

 

 一応、彼らの葬式にも出ました。

 相変わらず涙は出ませんでしたけど、これから大人たちをどう取り繕って利用すれば良いのかだけを考えてました。

 

 ────「やあ、おチビちゃん。泣けないようだけど、どうしたんだい?」

 

 ──そんな時、優しく、強そうで、逞しい金髪の白衣の男が幼い私に声を掛けてきました。

 

 ────「おじさんはそうだな。此処しばらくは、時の旅人というのを任されてるよ」

 

 そいつはそんな風に私をからかいました。

 

 ────「時の旅人? ああ、貴方が『タイタス·クロウ』その人なのね。……驚いたわ、こんな場所を彷徨ってるなんて『不死協会』の連中が知ったら飛んで来るわよ」

 

 それが、生きる英雄、時の旅人、観測者に最も近しい魔法使い『タイタス·クロウ』と私の出会いだったのです。

 

 些細な世間話も、意味有り気な会話も一言二言交わすだけでそれ以上のことは踏み込まない。

 当然です。

 愛想笑いは必要ありません。

 だって合理的でないものに、不必要な労力を掛けるなど無駄でしかないですから。

 

 ────「おチビちゃん。将来、君は生きる意味を知るだろう。その頃には今より多く感情を──愛を知れるようになるさ」

 

 偉大なる魔法使いはそんな訳の解らない言葉(のろい)を遺し、去って行きました。

 

 ……正直、意味が分からなかったです。いや、言葉は理解出来るのに理解出来ない言葉を喋るあの人はどうして私に会いに来たのか分かりません。

 

 ──果たして、並行世界の証明を果たし今尚多くの時空移動をし続ける彼と私の何が違うのでしょう?

 

 まあ、不躾にも両親という籠を失った私は、日本政府の大人たちと交渉し対魔導魔術の対抗者として取り込まれたのですが。

 

 それから色んなことがありました。

 

 決して全知を謳う訳ではないですが、大抵のことを知り尽くした私でも未だタイタスに言われた『生きる意味』を理解出来ないでいます。

 無数にある未来の中で自分の最期は一つじゃないことも、一人一人の一生の分厚さに違いがあるのも知っているのに。

 

 でも分からない。

 そもそも私に生きる意味を知る必要なんてなく、自分の一生など『名のない絵本』の一冊で収まるものに固執する意味もないのに。

 

 なのに、モヤモヤする。

 頭の片隅の私がそれで良いのかと問い続ける。

 

 ────「なんと、お主は自分の為に泣けんのか? ──可哀想に」

 

 育ての師──ゴルバチョフ·ペレストロイカ総監にそう言われたことがあります。

 また、憐れみです。

 どうして出会う人たちは私を憐れむのか理解出来ません。

 ……所詮、人生(ものがたり)なんてものは誰に読まれることなく消滅するだけの文字の塊(テクスチャ)に過ぎないのに、出会う皆さんはそれを誇らしげにされてます。

 

 気味が悪い。

 まるで、辛くて、悲しくて、苦しいだけのそれが大切だと自慢されてるようで心底気持ち悪かったです。

 知らないことがある。

 知らないことは不気味で怖いから、私は余計知りたくなりました。

 

 そう、外なる神によって滅亡に向かうこの世界でも、その人生とやらに生きる意味を見出だせるのか私は知りたくなったのです。

 

 「芽亜莉、夢野(ゆめの)芽亜莉。彼の夢世界(ドリームランド)にいる残留思念(ヒロイン)の彼女によって改竄されて死ぬ、ですか」

 

 どうやら、それが七瀬勇貴の世界にいる私の最期らしい。

 

 「何故、私はそれを許したんでしょう? 考えても、考えても合理的ではありません。……理解しようにもこの世界の芽亜莉は協力的じゃありませんし、転移した七瀬勇貴を探して外なる神は繭から目覚め始めました。全く、この世界が滅ぶのも時間の問題だというのに──」

 

 もう私たちには時間がありません。

 此処、第三共環魔術研究所に負荷蝙蝠(ビヤーキー)が襲撃してきたということは既に『ンカイの森』の奥底の繭に眠る外なる神に探知されていると見て間違いないでしょう。

 

 「……以て後一ヶ月ですか」

 

 それまでに、彼らと過ごして生きる意味とやらを見つけれると良いのですが。

 

 「さて、どうなるとこでしょう、ね」

 

 そう呟きながら、監視している職員からの報告を気長に私は待つことにしました。

 

 ◇

 

 「ハア、ハア」

 

 人の居ない方へと走り抜け、やっとのことで僕は屋上へ続く階段を駆け上がっていく。

 

 「……屋上、か」

 

 ────「──待ってたよ、ユーキ」

 

 忘れてしまったことがある。

 それは嫌なことだった気がするのに、でもとても大切なモノだったと思う。

 

 ────「時間切れ、か。まあ、精々頑張ってみれば良いさ」

 

 美しいものだった。

 尊いと思えるものだった。

 

 なのに、それを僕は誰と過ごした時間なのか覚えていないんだ。

 

 固く閉ざされた鉄のドアを無理矢理開ける。

 錆びてるのか、思いの外それは重かった。

 

 「──っ」

 

 開けた先は、茜色の空が一面に広がってた。

 ああ、それは今までに見たことのないとても綺麗な夕焼けだったとも。

 

 ────「……だから貴方の傍に居たいんです」

 

 霞み行く記憶の中、誰かと話をしたことがある。

 

 「あ、ああ、あああ」

 

 大切だった筈なのに。

 もう虫食いの顔でしか思い出せないその人は明日とやらを見たがってた筈なのに。

 

 「あ、ぐぅ」

 

 忘れてしまった。

 忘れてしまっている。

 

 それが掛け替えのない宝物だというのに僕は──。

 

 「あら、見ない顔ですね」

 

 声のする方に視線を向ける。

 

 「こんばんわ、名も知らぬ殿方さん。随分と辛そうですけど、どうかされました?」

 

 風が吹く。

 それに連れられ、紫色の髪が靡く。

 

 「──君は」

 

 夕焼けの明かりが車椅子の少女を眩く見せる。

 

 「ああ、失礼。あまりにも貴方の顔が綺麗でしたので名乗るのを忘れておりました」

 

 知らない──会ったこともない彼女はクスリと微笑んだ。

 

 「私の名は、リテイク。リテイク·ラヴィブロンツ」

 

 カラカラと車輪を回し、ギコギコと車椅子が近付いた。

 

 「見ての通り取るに足らない小娘ですが、宜しければ話ぐらいは聞きますよ」

 

 真っ赤なダイヤが僕を捉えて離さない。

 

 「あ、──う」

 

 その目で見つめられると頬が熱くなり、真面に喋れない。

 

 ドクン、ドクン。

 車椅子の少女──リテイク·ラヴィブロンツが微笑む度、この心臓は脈打つのだった。

 





 次話の投稿は未定です。


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007 夕焼けの屋上

 なんか書けたので投稿します。


 

 僕は知っている。

 虫食いの顔と辛かったという想いがあったことを。

 

 僕は忘れない。

 痛くて、苦しいだけのそれに確かな幸福があったことを。

 

 見なくてはいけない現実。

 耳を傾けなくてはいけない事実。

 

 ────「わたしだ、って、三木、あ、い、し、て、る、よ」

 

 そして、逃げてはいけない真実があることを僕は覚えている。

 

 「──君は」

 

 車椅子の少女は見知らぬ人。

 

 「ああ、失礼。あまりにも貴方の顔が綺麗でしたので名乗るのを忘れておりました」

 

 夕焼けを背にこちらに近づく彼女は名乗りを上げる。

 

 「私の名は、リテイク。リテイク·ラヴィブロンツ。見ての通り取るに足らない小娘ですが、宜しければ話ぐらいは聞きますよ」

 

 「あ、──う」

 

 ドクン、ドクン。

 心臓が脈打ちほどに、その車椅子の少女──リテイク·ラヴィブロンツに僕は見惚れるのだった。

 

 「……ああ、もしや貴方はいつの日か古本さんが言っていた真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)を通して訪れた転移者の七瀬勇貴さんだったりします?」

 

 見惚れる僕の様子にリテイクさんはそんなことを聞いてきた。

 

 「あ、はい。僕は七瀬勇貴ですが──転移、者? いや、すみません。そもそも真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)って言うのが何なのか解りませんが──って、古本が言っていたとは何です?」

 

 「そうなんですね。もしかしてそれを知らずにこちらの世界へ転移してきた感じですか。……ふーん、なるほどね。それで古本さんは満足に説明してないのか。そうなると、この世界が外なる神によって滅ぼされそうになってるのも知らない感じかな?」

 

 「ほ、滅ぶ?」

 

 いきなりフランクな口調になるリテイクさんに驚きつつも、彼女が話題にした突拍子のない言葉を思わず口に出してしまう。

 滅ぶ。

 そんな実際に起こり得ないよた話を──ああ、でも確か母さんもそんなことを言ってた気がする。

 

 いや、やっぱりこの世界が滅亡一歩手前なんて僕には正直思えないや。

 

 「信じられないと言った顔だねぇ。……まあ、あれを知らなかったらそう思うのも仕方のない話だしね」

 

 遠い目をするリテイクさん。

 

 「でも、事実よ。正確な日は知らないけど、少なくとも古本さんはあの繭が孵化するのに後数ヶ月だって言ってたしね」

 

 「──え? 繭? 繭って、何の繭が孵化するの?」

 

 「……本当にこの世界のことを何も知らないみたいね。──良いわ、この研究所の先輩でもある私がこの世界について教えてあげましょう」

 

 無邪気に胸を張りながら、彼女は僕に目を向ける。

 

 「う、うん。お願いするよ」

 

 「アハハ! 同じ欠落者のよしみですもの、これぐらい教えてあげるわ。……しかし、それならこの研究所──第三共環魔術研究所について先に説明した方が解りやすいかしら」

 

 「そう、かな?」

 

 「ええ。まあ、簡潔に言ってしまえばこの世界が滅ぶ元凶──貴方がいた夢世界(ドリームランド)に存在する外なる神『ナイアルラトホテップ』の端末であるナイ神父を観測し研究する施設なのよ」

 

 「──え?」

 

 リテイクさんは語る。

 

 「そもそもこの世界と貴方がいた夢世界(ドリームランド)のある世界は別次元に位置する並行世界なの。それをあらゆる世界に存在するとされる真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)という大型の古代兵器(オーパーツ)を通じナイ神父があらゆる世界に干渉している。まあ、結果的にこの世界はナイ神父によって滅亡一歩手前に追い込まれてるってわけ」

 

 「────」

 

 「言葉が出ないかしら? でも、それがこの世界の現状よ。この間、この研究所を襲撃してきた負荷蝙蝠(ビヤーキー)だってそう。きっとあの『ナイアルラトホテップ』が送り込ませたんでしょう。ええ、実に不快なことですけど貴方という座標をあいつらは生かしておく理由はないもの」

 

 座標?

 

 「僕が座標って何のこと?」

 

 「うん、そうね。座標って言うのは、この世界と夢世界(ドリームランド)──ううん、外なる神とそれを造り上げたとされる観測者たちがあらゆる世界を捕捉する為の基点のことを呼ぶのよ」

 

 「観測、者? 確か外なる神が物凄い力を持った地球外生命だってのは覚えてるけど、──え、それを造った奴らを君たちは相手してるの?」

 

 「そうよ。でないと世界が滅んじゃうもの、仕方ないよね」

 

 彼女はそう言うと優しげに目を細める。

 

 「まあ、この研究所は表向きは滅亡を回避しようとする為に建設されたんでしょうけど、あわよくば自分たち人類を観測者たちへ進化(シフト)させようって思惑もあるんでしょう。それはきっと許されないことよ。でも、私たちはそれに縋るしかなかった。だから、観測者が世界に干渉する基点である座標の貴方を手に入れる必要があった」

 

 息を飲む。

 自分にそんな大それた価値があったなんて思いもしなかった。

 あの世界では自分という存在が意思を持つことさえ許されなかったのだから、頭が真っ白になるのも仕方のない話だった。

 

 「夢世界(ドリームランド)というのは、こちらの世界でも死亡した彼の魔導魔術王(グランド·マスター)『ダーレス·クラフト』がウルタールの猫が頭の中にある影絵と呼ばれる意識生命体を真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)に転用して造ったとされる疑似空間。その影絵を維持させるのも多くの人間の意識を奪い、感情エネルギーを得ることで賄ってるとされてるわ。現にこの世界でも多くの人が負荷蝙蝠(ビヤーキー)などの神話生物を通してその贄の為に昏倒させられているわ」

 

 「……それは」

 

 「眠りながらにして死ぬ。痛みがない最期というのを多くの人たちは望むのでしょうけど、私はそうは思わない。どんなに辛くとも、悲しくても、何もせず死ぬなんてそんなの胸張って生きてるなんて言わないもの」

 

 少女の顔に夕焼けが差す。

 

 「時たま、その昏倒から抜け出して意識が戻る人間がいるわ。大抵そういう人間は身体の一部を何処かしら欠損させているの。みんなはその人たちことを欠落者って呼んでるわ」

 

 「────」

 

 「生まれながらにして欠落する者、深い昏睡から醒め人間から欠落する者。私はどちらかと言われれば後者に値するのだけど──どちらだろうと私が取るべき選択は変わらず泥臭く生きるでしょうね」

 

 僕の目をずっと見つめる紅いダイヤの瞳。

 

 「貴方はどうするのかしら」

 

 それは迷いのない目だった。

 

 「────」

 

 答えれない。

 僕はそれに答えることが出来なかった。

 

 「……まあ、良いわ。きっと今日明日に世界が滅ぶ訳じゃないでしょうし、焦らずゆっくり考えなさい。────今日はこの辺で切り上げましょう、職員さん」

 

 そう言うと彼女は屋上に備えられている貯水漕へ声を掛ける。

 

 「畏まりました」

 

 すると待機してただろう白衣姿の男の職員さんが出てきて、車椅子の彼女を引いていった。

 

 「それじゃあ、お先に失礼するわ」

 

 振り返ることなく手を振るリテイクさん。

 

 「────」

 

 僕は止めることもせず、黙ってそれを眺めるしか出来なかった。

 

 ◇

 

 フラフラとした足取りで自分の部屋にあーしは戻ると、そのままベッドへダイブした。

 

 「何だよぉ、別にちょっとのことだし良いじゃんかよぉ──ナコっちゃんのバカ」

 

 口負かされたのが悔しく、彼女と喧嘩した時はいつもこうして枕を涙で濡らす。

 

 「本当、大したことないってのにいつも大袈裟にしやがって、さ」

 

 嫌になる。

 この窮屈な研究所に入るきっかけになったのも、友達と仲悪くのも決まってこの改竄の異能が原因だ。

 確かにこの力は慎重に扱わなければ世界を壊しかねない代物なのは頭の悪いあーしでも解るけど、あんな言い方しなくても良いじゃん。

 

 「それにあーしは良い子してんだし、神様もきっと大目に見てくれるっしょ。……うん、そうだよ。たまには──」

 

 ジジジ。

 きゃわわ! きゃわわ!

 こちらのあーしは随分お気楽なモノなんですこと──でも、残念ながらそんな都合の良い神様はいねーんすわ!

 居るとしても、この世界(フラスコ)の中をずっと眺めてるだけのクソゴミな観測者(奴ら)ですけどね!

 

 そう、外なる神。

 ずっと神様気取りしてる奴らが用意した外宇宙からの来訪者。

 まあ所詮、アイツらは自らに課せられた使令(オーダー)通り動く舞台装置でしかねーから、どーしようもねーのは変わんないんだしぃ。

 

 「──っ!」

 

 突然頭が痛くなる。

 それはいつも知らないあーしが知らないことを教えてくれる。

 

 「ひ、ぐぅ」

 

 あーしが物心ついた頃に目覚めた異能『現実改竄』は、ある程度の現実を自分の想像の範囲内ならば都合の良い改変を行うことが出来る。

 目の前の物質を元から別の物質であったとすることも、他人の記憶を自分の都合の良い内容だったと置き換えることも、今日の天気さえ自由自在に変えられるという優れものだ。

 

 まあ、その代償に別世界のあーしの意識が混じってしまうんだけど、あーしはあーしだ。

 どの世界のあーしでも、あーしという人間は変わらない。

 だから、どんなにこの『現実改竄』を使っても何も怯える必要はないのだ。

 

 「あ、う──がっ」

 

 頭が痛い。

 あーしが今のあーしでなくなっていく。

 

 ジジジ。

 いつからだったろう?

 

 あーしがあーしでなくなることに恐くなくなったのは。

 

 「……ひ、ひぃ!」

 

 ジジジ。

 あーしはあーし?

 いつまでそんな戯言ほざいてんの?

 あーしはあーしじゃなく、今はナコっちゃんやってんでしょーが!

 

 「ち、ちが──違う!」

 

 ベッドから転がり落ちる。

 

 「あっ──つぅ、……ううう」

 

 固い床に全身を打ち付けた衝撃が痛かった。

 

 「違うもんか」

 

 でも、あーしの口が勝手に動く。

 

 「いつか、いつかこの身体もあーしのものにしてやるんだ。次元の壁だとか関係ない。このあーし──道化師『メアリー·スゥ·ドリーム』が奪い取ってやるんだ」

 

 (うずくま)りながら、あーしは周囲に黒い靄のようなものを見る。

 それは蜃気楼のように漂い、こちらを嘲笑うみたいに何かを囁いてる。

 人影とも違う、まるで子供の落書きを黒い切り絵にしたようなそんな幻。

 

 「キキキ」

 

 恐い。恐くて、恐くて仕方ない。

 まるで自分たちがそこに存在しないものとして扱われてるような気がしてくる。

 

 「ああ、そいつは影絵。あーしたちの夢世界(ドリームランド)を構成する意識生命体なんだけど──何で此処に現れてるか説明するのは、もう忘れるんだしぃ関係ねーっしょ」

 

 そうあーしが言うと頭痛が強くなり、意識が曖昧にさせられる。

 

 ああ、あーしはまた忘れる。

 そんな都合の悪いことは、夢世界(ドリームランド)にいるあーしが許さないと言わんばかりに無様を晒すのだ。

 

 ジジジ。

 

 「ん──あ、あれ? またあーし、寝てた?」

 

 そうしてまた愚か者(あーし)は無駄な時間を過ごすのだった。

 




 次話の投稿は未定となっております。そんな作品が面白い、続きが気になる、応援してると少しでも思ってくださったら画面下の☆からポイント入れて頂けると嬉しいです!
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008 苦悩することは悪いことじゃない


 投稿出来そうなので、投稿しようと思います。
 明日も出来たらしようと思います。


 

 リテイクさんと会話した僕は、とぼとぼと屋上を後にする。

 

 「────」

 

 言葉はない。

 彼女の言う何をするか、何をしなければいけないのか直ぐに決めれなかった。

 無理もない。

 だっていきなり、自分が世界の命運を握るんだって言われて直ぐ行動に移せる人間なんて現実にいる訳ないだろう。

 きっと同じ立場なら多くの人間が選択に悩むに違いない。

 

 そうだ。それを況しては偽物の人間──否、人間モドキが簡単に決めて良い筈がないんだ。

 

 「どうしろって言うのさ」

 

 結論は出ない。

 出すことから逃げるしか今の僕には出来ない。

 

 「……どうも出来ないだろ、こんなの」

 

 何で僕なのか。

 こんな弱いだけの人間モドキにどうしてそんな役割が与えられてるのか。

 

 「本当、誰でも良いから僕と代わってよ」

 

 震える声で悪態を吐いても現状は何も変わらない。

 今もこうしてる間に多くの人間が──世界があのナイ神父によって苦しめられてると思うと気が狂いそうになる。

 

 「ハア、ハア」

 

 階段を下り、自分の部屋のある方へ歩いていく。

 そこまで行くまでに多くの職員に声をかけられた気もするけど、僕は心情はそれどころではなかった。

 

 ガラガラガラ。

 部屋のドアを開けるとそこには──。

 

 「おや、お帰りなさい。随分と遅かったではありませんか?」

 

 白々しい顔で待ち伏せてた古本が居た。

 

 「────」

 

 「フフフ。何やら顔つきが恐いですねぇ──まあ、説明を他人に任せた訳ですし当たり前と言えばそうなのですが」

 

 お腹が空いてるでしょと言わんばかりにベッドのデスクへ並べられた食事を古本はどうぞと指差す。

 

 「お話は食事でも取られてからにしましょうか」

 

 彼女はそう言うと藤岡友喜が寝ているだろうベッドのデスクに僕のと同じように並べられた食事へと席に着く。

 

 くぅ、と腹の虫が鳴った。

 けど、それは僕のものではない。

 

 「実はこの通り、私もまだ夕飯を食べていないんです」

 

 少女は申し訳なさそうに苦笑する。

 

 「……そう、なんだ」

 

 それが何故かお前も早く食べろと言われてるようで、彼女から圧を感じる。

 

 「ええ。なので、早く食べちゃいましょう」

 

 有無を言わさず、古本は目の前に並べられた食事の『唐揚げ定食』へ箸を伸ばした。

 

 「うん、そうしようか、な」

 

 それに連れられ、僕も用意された晩飯に手を着ける。

 

 「「いただきます」」

 

 僕たち二人は同時にいただきますを言う。

 

 「フフフ、被ってしまいましたね」

 

 「…………」

 

 古本が頬を赤らめ恥ずかしそうにこちらをからかう。

 それを無視して、目の前の唐揚げを口に放り込む。

 

 「あら、今回の唐揚げは醤油が良い感じに香ばしくて美味しいですね」

 

 「んぐ、はぐ」

 

 「でも、ご飯の方は気持ちべちゃべちゃしてますね。残念、これは食堂の方には申し訳ないですが、減点ですね」

 

 「ずぅ、ずずずぅー」

 

 「おや、このお味噌汁は普段のモノと少し違いますね。確かこういうのを──ああ、そうそう。けんちん汁と言うのでしたっけ? うん、うん。これは、これで美味しいですね。貴方はどうです? けんちん汁、好きですか?」

 

 「……あの、さ。食事ぐらい静かにさせてよ。別に僕は君と仲良いわけじゃないんだし、話すことなんかないよ」

 

 手に取っていたけんちん汁を掲げて見せる古本を睨む。

 

 「そうですか。私としては仲良くしたいのですが、どうやら嫌われてしまっているみたいですね。……ふむ、これは困りました。何故嫌われているのか存じ上げませんが、さてどうしましょう?」

 

 「知らないよ。……というか、そんなに喋りたいなら芽亜莉さんと仲直りして一緒に食べれば良いじゃないか」

 

 呆気に取られたようにこちらを見つめる少女にそう言って突き放す。

 

 「……え、ええ。それに関してはお気になさらずとも大丈夫ですよ。どうせ明日には忘れてることでしょうから」

 

 「酷いなぁ、それ、彼女に言ったら駄目だよ」

 

 傲慢に切って捨てる古本を僕は嗜める。

 

 「そうですね。普通の人間だったら、そうなんでしょうね」

 

 「──ん?」

 

 途端に古本は、不機嫌になる。

 

 「何でも有りません。……おや? はい、そうですか。やはり仕事が早いですね。もうあれが再構築しましたか。──確かに無駄話が過ぎました。時間もないことですし、早々に食事を切り上げるとしましょうか」

 

 彼女はそう言って、今度は黙々と食事をするのだった。

 

 「……まあ、最初からそのつもりだったし別に良いか」

 

 急な切り替えに戸惑いながらも僕も黙々と食事を片すのだった。

 

 ◇

 

 「う、うわー!」

 

 暗い山の中、毬のように弾む無数の人間。

 

 「グルゥ、ガァルルゥ」

 

 月明かりが差す中、下卑た獣の唸りと共に振るわれる圧倒的な暴力。

 

 「こ、此処は通してなるものか!」

 「A班、B班の後に続け! あの怪物を少しでも食い止めるんだ!」

 

 止まない銃撃音。

 それに怯むことなく、一人ずつ処理していく巨体の人外。

 

 「ウルルルゥ!」

 

 嵐の如く、それは無慈悲に暴れる。

 

 「ぐぅ──がっ!」

 「あ、ぐぅ!」

 「ひっ──あ、っひゃ!」

 

 一瞬で挽肉となる明細服の男たち。

 

 「こちらC班、防衛ライン突破されます。至急、応え──」

 

 グチャ、バキ!

 一夜にして開催された低俗な謝肉祭。

 それも圧倒的な物量で押し切られる形で山奥に配置された防衛ラインは壊滅を果たす。

 

 「キィーッヒッヒッヒ! やはりバッツは天才、そうバッツは偉大なる外なる神の端末にして慈悲深き信徒である!」

 

 ポタポタと地へ落ちる肉片を舐めとる黒い怪物。

 

 「あれしきのことでバッツは死なない! バッツはデータ在る限り何度も復元可能──つまり不死身の信徒に他ならない!」

 

 怪物は嗤う。

 その足元に多くの死体の山を積み上げながら、欠けた月へ手を伸ばすように。

 

 「グッド! グッド! グッド! 前回は失敗したが、今回のプランは非常にパーフェクト! グッドなバッツは、クールなバッツは、パーフェクトなバッツは同じ失敗を繰り返さない!」

 

 「グゥウウウ、──ガァアアアアアア!!!」

 

 自慢の翼を広げた負荷蝙蝠(ビヤーキー)

 その後ろに控える三メートルを超える巨体の継ぎ接ぎ人間たち。

 

 「邪魔物はデリーション、不届き者はエリミネーション、語呂合わせはノープロブレム! バッド、バッド、バッド! イレギュラーは常にパプン──ノー、ソーリー! 訂正、オカーだ!」

 

 ワラワラと集まる人外たち。

 彼らはその先に見える研究所──第三共環魔術研究所を目指す。

 

 「故にそれを踏まえ思考する、思考する、思考した上で偉大なる外なる神は遂に彼の存在の現実化(リアルブート)を赦された!」

 

 「「「「グゥルルラァアアア!!!」」」」

 

 怪物たちは歓喜する。

 その雄叫びは数十──否百にも到達するほどの咆哮であった。

 

 「待っていろよ、忌まわしきユー共! 前回の屈辱をバッツは晴らしコングラッチュレーションズして見せる! キキキ、キィーッヒッヒッヒ!!!」

 

 闇夜に狂喜する負荷蝙蝠(ビヤーキー)は空へ羽ばたく。

 

 「「「「グゥルルル!!!?」」」」

 

 見上げる百を超える巨体の継ぎ接ぎ人間。

 

 「さあ、バッツに続け! 究極にして完全な超大型腐乱死体(フランケンシュタイン)たちよ! 今行くぞ──バッツと共に真の栄光を掴みに!」

 

 「「「「グゥ、ゥウウウルゥアアア!!!」」」」

 

 だが、その先導を聞いた瞬間に一斉に彼らは研究所へ前進するのだった。

 




 次話の投稿は未定となっております。そんな作品が面白い、続きが気になる、応援してると少しでも思ってくださったら画面下の☆からポイント入れて頂けると嬉しいです!
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009 宵闇の訪問者

 自ら定めた投稿日時を大幅に遅れてしまい、誠に申し訳ございませんでした。これは続きが書ききれなくて投稿が出来なかった自分の判断ミスです。これからは、僅かながら投稿を楽しみにして頂いていた読者の皆様に多大な迷惑を掛けたと思い、執筆を頑張っていこうと思います。

 前回のあらすじ
 ● リテイクから別れた主人公は夜飯を食べるも何やら不穏な空気が近づいて来てる。

 それでは本編をお楽しみ下さい。


 

 かつて、死体たちの身体を繋ぎ合わせ死者の蘇生を試みた愚か者がいた。

 それは誰にも──否、神様にでさえ成し得ない禁忌。嘆きの物語(はなし)。人造生物が辿る一つの定石(セオリー)

 幾つも異名を囁かれる一冊の書物こそ、世論に一大ブームを扇動した──その取るに足らないつまらない物語を描いた女は千八百十八年のイギリスにいた。

 

 名は、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー。

 彼女こそ、世にフランケンシュタインという作品を送り出した小説家だ。

 

 大雑把に物語の全容を語るなら、死体を繋ぎ合わせた人造生物が自身の境遇に苛まれ独り寂しく死んでいくという何の救いもない話。

 大体を語るならば、『自ら創造したものに(フランケン)滅ぼされる者(シュタイン)』と呼ばれる科学者が自ら死体を繋ぎ合わせて造り出した人造人間によって殺されるという──科学者にとってはありふれた話から始まり、その人造人間が人々から畏怖され迫害され、やがて一人寂しく死を選ぶという──ある意味、実験には失敗が付き物という悲劇なのだ。

 

 「グゥルルルルアアアア!!!」

 

 大木を易々と薙ぎ倒す巨体の死体の男たち。

 その後ろに続く血の跡が彼らが成した功績を物語っている。

 

 「う、撃て! 撃て、撃て、撃てぇえええ!!!」

 

 此処、第三共環魔術研究所は人類生存の要という城塞基地である。

 それが抑えられた時、それは人類の死を意味するといっても過言ではない。

 

 「何としても時間まで抑えろ! 生きて帰ることを放棄してでも此処を死守するのだ!」

 

 弾奏は止まない。

 だが、超大型腐乱死体(フランケンシュタイン)の進行も止まらない。

 それほどまでに圧倒的な物量が彼らの防衛を無慈悲に破壊する。

 

 「グゥウウウウ、──ッラァアアアアアアア!!!!!!」

 

 制圧、蹂躙。

 その二文字こそが、この状況を物語るに相応しく、世界の滅亡とやらに怪物たちは興味を抱くことは無かった。

 

 「イーッヒヒヒ! 愉快、愉快! これほどまでに愉快な祭りは無かろうて!」

 

 信徒とは、命じられるまま指令(オーダー)を完遂させる殺戮兵器に過ぎず──人の意志を気遣う必要はない。

 それが彼ら、『外なる神』に付き従う神話生物に担う宿命である故に。

 

 ◇

 

 「さて、お互い腹も膨れたことですし、話の続きをするとしましょうか」

 

 黙々と夜ご飯を食べ終わった僕を見てそれまで口を閉ざしていた古本が話し出す。

 

 「続き、ね。そうは言っても、大体のことは屋上にいたリテイクさんから聞いたけど、古本は何を話してくれるのさ?」

 

 それに対し今まで考えていたことを聞いてみた。

 

 「何を、と言われますか。……そう、ですね。リテイクさんから何を説明されたかは知りませんが、私からは貴方のことを皆さんは何故『藤岡友喜』と呼ぶのかの説明の続きをしようと思ってますよ。──まあ、そうですね。他に聞きたいことがあるのであれば、話せる範囲内なら説明しますので疑問があれば言って下さい。私は優しいので質問は受け付けますよ」

 

 「そ、そうなんだ。じゃあ、先に一つ聞いても良い?」

 

 「構いませんよ」

 

 年相応に微笑む古本。

 その姿に一瞬見惚れてしまうが、直ぐに切り替える。

 

 「う、うん。なら、この世界が『外なる神』によって滅亡させられるって聞いたんだけど、それって本当なの?」

 

 「────」

 

 「……あ、あれ? もしかして、話せないことだったりするの?」

 

 「いえ。先ずそれから聞いて来るとは思ってなかったので驚いただけです。……ええ、そうですね。概ねその解釈で十分ですが、正確に言うなら貴方を造りだした世界に存在する外なる神『ナイアルラトホテップ』の端末の一つであるナイ神父によって、ですかね。彼はこの世界の負荷蝙蝠(ビヤーキー)と違って復元には時間を要しますが、それ以上の異能(ちから)の行使する権限を持っています」

 

 「……ごめん、ちょっと、ナイ神父と負荷蝙蝠(ビヤーキー)との違いがよくわからないや」

 

 「おっと、少し説明が雑になってしまいましたか。これは申し訳ありませんでした。……ふむ、そうですね。ざっくりと表現するなら、ナイ神父の方が負荷蝙蝠(ビヤーキー)より出来ることが多いという認識で構いませんよ」

 

 「そんな曖昧で良いの?」

 

 「ええ。最も貴方の場合、彼ら『外なる神』の信徒は、強大な異能を持って現実化(リアルブート)したこの世界の幻想たちと言い直した方が解りやすいかもしれませんね」

 

 微笑みながら説明する古本。

 だが、そこに以前の余裕な雰囲気が感じられない。

 

 ──あれ? なんか違和感がする。

 

 ドクン。

 

 幻想。

 僕が生まれた夢の世界で造られる人間モドキ。

 そう言えば、どうして彼らは影絵ではなく幻想なんて呼び方をしたんだろう?

 

 「フフフ、……おや? どうなされましたか、七瀬勇貴さん?」

 

 気になる。

 何で、影絵という生物から人間の皮を被っただけの存在をどうして区別する必要があったんだ?

 

 「……ねえ」

 

 「はい、何でしょう?」

 

 恐る恐る口を開く。

 それに対し、古本は何でしょうと言う。

 

 「あの世界の人間はどうして幻想だなんていうんだ?」

 

 「────」

 

 古本の笑みが無くなる。

 空気が変わった、そう思った。

 

 「どうして今、それを気になったんです?」

 

 逆に聞き返される。

 

 「いや、何となくだけど」

 

 だがそれに対し、正直な気持ちを答える。

 

 「そう、ですか。……まあ、良いですよ。聞いてるとは思いますが、あの世界──というより夢世界(ドリームランド)では本来、人間は居ないんですよ。そもそも真世界帰閉ノ扉(パラレル·ポーター)を通じ、影絵という意識生命体が人間の感情をエネルギーとして取り込まないとあの世界は維持できないんですから、その大本である人間が生身の状態で来訪するなんてことはないのです」

 

 そんな僕の態度に怪訝な顔をするも彼女はゆっくりと説明してくれた。

 

 「つまり、人間という存在はあの夢世界(ドリームランド)存在することが出来ない。故に、擬似的な人間の枠組みとして生まれた彼らはそれ以外の名称を求めた。夢の中でしか存在出来ない泡沫の幻のように、生ある者を惑わす想いとして。そんな意図を組み込んで、あの世界に潜む魔導魔術王(グランド·マスター)の人格を複製した疑似知能生命体(アルターエゴ)が名付けたといったところです。……まあ、これも情報から推察しただけの憶測に過ぎないのですが、ね」

 

 彼女はそう言うと、空中から黒い本を取り出す。

 

 「さて、どうやらアポも取らない不躾な訪問者が来たようですね。──直ぐ此処は戦場になります、構えて」

 

 「──え?」

 

 すると、窓が割れ、冷たい夜風と共に侵入する黒い影。

 

 「イーッヒッヒッヒ! 待たせたな。待たせたぞ。バッドはこの時、この瞬間を今か今かと待ちわびたぞ、無知蒙昧なるユー共!」

 

 それは大仰しく翼を広げ、部屋にいる僕たちの前へ姿を晒す。

 

 「……負荷蝙蝠(ビヤーキー)!」

 

 「そうとも! クールなバッドは、グッドなバッドは、パーフェクトなバッドはいつだって浅はかなユー共を狙ってる。宛らそれは、能ある鷹のように!」

 

 カチカチと音を鳴らす鋭いかぎ爪。

 滴る唾液を隠しもせず、それは悠然と傍若無人を振る舞うのを止めない。

 

 「『忘却の物語(ミッシング·ローグ)』!」

 

 それに対し古本が魔術を発動させると硝煙が部屋中に充満し出す。

 

 「バッツ、バッツ、バッツ! それはイージー! それはミスショット! それは砂糖菓子の如く甘いデス!」

 

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)の翼がはためき、突風が硝煙を吹き飛ばす。

 

 「──っ」

 

 そして、瞬時に獰猛な狩人となり、彼女の首へかぎ爪を伸ばす。

 

 ドクン!

 

 「やぁあああ!」

 

 心臓を無理に鼓動させ、魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)しそれを弾く。

 

 キィン!

 閃光が走る。

 

 「来たか、フーリッシュなるユーよ! ああ、実にグッド。グッド、グッド、ベリーグッドタイミング。この奇跡的な巡り合わせにバッドは感謝するしか有るまい!」

 

 「──っひ」

 

 ギラギラと赤い(まなこ)が僕を捉える。

 まさに獲物を前にした肉食獣のような感覚で睨むものであり、対するこちらは哀れな小動物の気分と言ったところだ。

 

 「下がって! 『戦乙女の(ヴァルキリー·)(ティアー)』!」

 

 古本が叫ぶ。

 すると氷の飛礫(つぶて)負荷蝙蝠(ビヤーキー)目掛けて飛来する。

 

 しかし。

 

 「イーッヒッヒッヒ! 無駄、無駄、無駄! クールなバッドは、グッドなバッドは、パーフェクトなバッドにはそのような攻撃は通じない。故に戦け。故に怯えろ。そして跪け!」

 

 翼が羽ばたき、突風が氷の飛礫を吹き飛ばす──かに見えた。

 

 「『拷問処女の鉄檻(カーミュラス·ケイジ)』!」

 

 流れるように古本が次の魔術を重ねて発動する。

 

 「ヴァッツ!?」

 

 そうして氷の飛礫から鉄の檻が形成され、瞬く間に負荷蝙蝠(ビヤーキー)を閉じ込めていく。

 

 「おお!」

 

 その手際に圧巻し、間抜けにも僕はその場で立ち尽くしてしまう。

 

 「何してるんです、今の内に退きますよ!」

 

 叱責するように立ち尽くすこちらの手を古本は強引に引く。

 

 「う、うん!」

 

 そうやって彼女の行くままに部屋を後にする。

 

 「小癪な!」

 

 鉄檻に囚われた負荷蝙蝠(ビヤーキー)が待てと叫ぶもそれに答えることはなかった。

 




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010 正に絶体絶命

 

 「ハア、ハア!」

 

 古本に連れられ、研究所中を駆け回る。

 

 こんなんで追手となる負荷蝙蝠(ビヤーキー)から逃れられるとは思わないが、それでも懸命に僕たちは奴から逃げ続けていた。

 

 「取り敢えず、芽亜莉と合流しましょう。彼女の異能なら負荷蝙蝠(ビヤーキー)の身体を消滅させることが出来ます」

 

 走りながら古本が今後の方針を話す。

 

 「それには賛成だけど──って、いうかさ! これだけ暴れたのに、この研究所の人たちは気付かないものなの!? 今のところ誰にも会ってないんだけど!」

 

 「それは……いえ、此処まで来て秘密にしていても仕方ありませんね。実は戦闘が少しでも出来るものは既に山奥へ出払っており、そうでないものはシェルターの方にとっくに避難してます。……まあ、恐らく芽亜莉は気付いてないのでしょうが」

 

 「気付いてないって、能天気過ぎるんじゃ──って、負荷蝙蝠(ビヤーキー)が来るって解ってたんなら食事してる時にでも話してくれて良かったんじゃないの?」

 

 駆け出す足を緩めず、古本に文句を言う。

 

 「すみません。上層部からの指示で貴方に戦闘に参加させるよう要請されてまして黙ってました」

 

 「──な、それはあんまりじゃない!?」

 

 ちょっと幾らなんでも僕の扱いが非人道的過ぎやしませんか?

 

 「フフフ、知ってますか。この第三共環魔術研究所に管理された異能使いには人権がないんですよ」

 

 冗談めいた口調でさらりと酷いことを言う古本の目に光がない。

 それはまるで馬車馬の如く働く社畜のような眼差しだった。

 

 「──っ!」

 

 平然とそれを言ってのける彼女にゾッとし、繋いでいた手を離してしまう。

 

 「ま、まあ大丈夫ですよ。後少しで芽亜莉の部屋に着きます。流石の彼女でもこの異常事態に拗ねることはないでしょうし、仮にもししたらその時は私も本気でぶん殴ってやりますよ」

 

 一瞬、残念そうにする古本だったが、僕を安心させようとシャドーボクシングしながら冗談を言う。

 

 「……そういや、さ。サイレンとか、鳴らさなくて良いの?」

 

 そんな彼女に僕は疑問を口にする。

 

 「……え? 今更何を言っているんです? そんなことしたら他の負荷蝙蝠(ビヤーキー)に居場所が割れ──ああ、そうですか。どうやら貴方は勘違いされてるんですね。当たり前過ぎて説明するのも忘れてました」

 

 「──ん?」

 

 器用にやれやれと肩を竦める少女。

 

 「そう、ですね。あちらのナイ神父と違いこちらの『外なる神』の端末である負荷蝙蝠(ビヤーキー)は一人じゃないんです」

 

 丁度階段へ差し掛かろうとした時、古本がとんでもない爆弾を投下した。

 

 「え? え? だって──」

 

 「そもそも高度な魔術師にとって負荷蝙蝠(ビヤーキー)は大した脅威になり得ません。奴は人類より少し頑丈で、飛行能力を有する以外は特異性がないのです。──しかし、負荷蝙蝠(ビヤーキー)は人類の存亡を脅かす要因としている。それは、身体を消滅させようとも数日経てばまた復活し、同時に複数の身体を有することが出来るからです」

 

 非常灯が点灯する以外明かりのない階段を一気に下る。

 

 「でも、さっき僕たち、傷一つつけれなかったよ」

 

 「それは単純に私たちの火力不足というやつです」

 

 二階へと降り立つと何処からかサイレンが鳴り響く。

 

 「──っ! 一体誰がサイレンを鳴らし──」

 

 「え? え? これは──」

 

 居住区の部屋が続く二階フロアの廊下を改めて見る。

 

 「キーッヒッヒッヒ!」

 

 すると目の前に牙を剥き出しにした黒い影が突然現れる。

 

 「あ──っが!」

 「きゃあああ!」

 

 成す術もなく吹き飛ばされる僕たち。

 

 「嬉しいぞ、嬉しいぞ! こうしてまた会えるなんて──バッドは実についてる!」

 

 そのまま物言わぬ人形へ成り欠けるも、こちらの喉元を掴み赦さぬ負荷蝙蝠(ビヤーキー)

 

 「──っ!」

 

 ミシミシ。

 ミシミシ。

 

 捻子切られそうな勢いで首を絞められる。

 

 「さて。叡知なるバッドは、親愛なるバッドは、勤勉なバッドはユーに問わなくてはならないことがある!」

 

 「う、ぐぅ──っが!」

 

 息が出来ない。

 骨が折れそうで、それの言いたいことが何なのか思考することが出来ない。

 

 「苦しいか? 苦しいだろうな。早く解放されたいのならば、これから問う質問に嘘偽り無く答えたまえ!」

 

 古本の方を見るも気を失ってるのか、倒れ伏せたまま起き上がる予兆を見せない。

 

 「ぐぅ、う、あ」

 

 この間のような隙はない。

 この間のように邪魔が入る余地もない──正に絶体絶命。

 

 「ユーが扱うそれは何だ? このバッツ同様──否、それ以上の恩恵(ギフト)をユーから感じられるのは一体どういうことだ?」

 

 締め付けられる力が緩むが、それと違い早く答えろと負荷蝙蝠(ビヤーキー)の視線が鋭くなる。

 

 だが。

 

 「な、んの、こと?」

 

 何のことか検討もつかない。

 

 「バット! シラを切るなよ、フーリッシュ! ユーは知っている。それが何なのか理解している故に、このバッドの前で尊大にも『外なる神』の権能(チート)を発動してみせたのだ。そうでなくては使()()()()なんぞ降りるものか」

 

 『外なる神』の権能(チート)? 使用許諾?

 それは一体──。

 

 「キキキ、キィーッヒッヒッヒ! まあ、良い。シラを切るならそれはそれで好都合。バッドは()()()が何者か知り得なくても構わないが──しかししかし、そうか! そちらのダーレスも失敗したか!」

 

 「ぐぅ──っが!」

 

 「なら、このままいっそ首を捻り切ってしまう方がユーも幸せというものだろう!」

 

 目が霞む。

 頭が眩む。

 息が出来ず、骨が歪に悲鳴を上げた──その時。

 

 「下郎、その汚ならしい手を離すが良い」

 

 虹の閃光が負荷蝙蝠(ビヤーキー)を襲う。

 

 「ヴァッツ!?」

 

 一瞬で鮮血の花びらが舞う。

 ストンと地へ落ちる僕。

 

 「グギャッ!」

 

 首を掴む力が弱まると同時にそれが負荷蝙蝠(ビヤーキー)へ襲い掛かる。

 

 「キキキ! やはり来たか、そうでなくてはつまらなかったぞ、愚かなるユー!」

 

 火花が散る。

 同時に、断頭台みたいに振り落とされる一閃が耳障りな嘲笑を搔き消す。

 

 「────!」

 

 そうして物言わぬ黒い鎧の騎士が現れ、負荷蝙蝠(ビヤーキー)へ襲い掛かる。

 

 「間一髪でしたね」

 

 少女の声が響く。

 

 「面白い、面白いぞユー共! やはり獲物は抵抗がなくては面白くないというものだ!」

 

 腕を切り落とされた怪物は喜びの声を上げる。

 

 「いい加減迷惑よ、負荷蝙蝠(ビヤーキー)。そろそろ信徒の引退を考えたらどうです?」

 

 それに対し、騎士に続いて現れた車椅子の少女──リテイクさんが呆れる。

 

 「キィーッヒッヒッヒ! そう行かぬのが世の常だぞ、背教者共!」

 

 駆け付けた二人を見て、嗤う『外なる神』の端末。

 それだけで奴がこの地上に君臨する絶対な強者だと僕は理解する。

 

 「そうかしら? それにしては随分と醜い姿だこと」

 

 そして、舞い上がる鮮血が急に止まり、傷口から切り落とされた腕が蜥蜴みたいに生えてくる。

 

 「──な!?」

 

 「イグザクトリー! しかしそれは仕方のないことである。何故なら弱者を虐げることこそ強者の特権だからだ! 愚かなるユーは、蒙昧なるユーは、哀れなるユー共は此処でバッドに殺される。それがデスティニー、それがフェイト、それが弱者が選べる唯一にして絶対なるロードだ!」

 

 相対する強者の口上を聞いても、リテイクさんは怯まない。

 

 「フフフ、相変わらず理解出来ない口上ですね」

 

 そう言って、倒れてた古本が起き上がりながら持っていた黒い本を捲る。

 

 「まあ、油断して下さるのは結構ですし、良しとしましょうか──戦乙女の(ヴァルキリー·)(ティアー)!」

 

 氷の飛礫が舞う。

 

 「温い、温い! その程度でバッドを殺せると思うなよ、フーリッシュ!」

 

 翼が羽ばたく。

 ギロリと僕たちを睨む赤い眼光。

 

 「────遅い」

 

 瞬く暇もなく黒い騎士が斬りつける。

 

 「ヴァッツ!?」

 

 目にも止まらぬ虹の斬撃。

 それらは容赦なく負荷蝙蝠(ビヤーキー)の身体をバラバラにしていく。

 

 「遥か彼方へ吹き飛びなさいな」

 

 リテイクさんがそう告げると、謎の力が働きバラバラの怪物は廊下の窓を突き破り吹き飛ぶのだった。

 




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011 前途多難

 

 平凡な日常を送りたい。

 

 「────」

 

 いつだってあーしはそう思って生きてきた。

 胡乱な世界を傍観し、普通の女の子とやらを夢見てた。

 

 ドラマや映画なんかでよく見るそれは、この滅び掛けてる世界ではお伽噺のようなものだって分かってた。

 

 でも、欲しい。

 欲しくて、欲しくて、そんなもしもを幾度願ったことか!

 けれど、それは手に入らない。

 どんなに未来を想えども、そういう当たり前から遠ざかるばかりで空回るだけだった。

 

 ……普通の女の子が将来について悩むのを見たことがある。

 自由だと思った。

 そんな風に自分の将来を悩めるなんて、心底憧れた。

 自由。

 そう、自由なんてものもなかった。

 十歳の誕生日に両親を失くし、施設を転々とするあーしにはまさに無縁の言葉なんだから。

 

 辛かった。

 寂しかった。

 何処に行っても、不運が重なり、遠ざかられてきた。

 両親が生きていた時のような温かな家庭が恋しくて仕方なかった。

 

 でも、それを表だって出すことはしなかった。

 不運が起こる度に無理して、何でもないと強がって。誰にも涙を見せないよう、ピエロみたいに誤魔化し生きてたら周囲は更にあーしを疎むばかりで何もしてくれないの。

 

 うん、そう。現実では、ちっとも王子様は駆けつけてくれないし。救いの手を差し伸べるヒーローなんか現れてなんかくれないのが当たり前。

 

 その時に悟ったの。

 結局、みんな自分のことが大切なんだって悟ったの。

 ──そうして、今の今まで生きてきた。優しさを教えられることもなく、無感情に不幸でない人間の仮面を被り続けてきた。

 

 どうしてそうして生きてきたのか自分でも解らない。

 本能のようにそうしなければならないと偽ることで他人との衝突を避けてきたのかもしれない。

 

 きっと、そんな自分という人間を表す言葉があるとするならそれは『何もない空洞』がお似合いだと思う。

 誰が教えてくれた覚えてないが、そういう何もない空洞を人は『がらんどう』と言うらしい。

 優しさの欠片もない空虚で塗り固めたあーしには実にピッタリの言葉だ。

 

 幸せになりたい。

 幸せになりたい。

 幸せになりたいと願うのに、何でそうなりたいのか解らない。

 

 そうして、訪れることのない未来を夢想し時間を費やす自分が居ることに何の疑問も浮かばないのは、どうして──。

 

 目が覚める。

 

 「う、ううん?」

 

 ベッドから起き上がり、窓を見ると日が落ちていて、すっかり夜になってしまってるのに気が付いた。

 

 「あ、ああ。まーた寝てたし、困るよねーこういうのさ」

 

 ナルコレプシーだったけ、こういう夢遊病の類いの病気。

 どんだけ改善しようと身体を弄くり回しても、それだけは改竄出来ないのは困ったものだ。

 いつの日か、ナコっちゃんにも概念的なものだからそれを失くすのは出来ないのですと呆れられもしたっけ。

 

 「今、何時って、──ああ、もう八時半じゃん。食堂閉まってるし、最悪ぅ」

 

 売店ならカップ麺の一つぐらい売ってるだろうと思い、財布を手に取る。

 

 「あー、自棄に財布軽いしぃ──って、本当にすっからかんだしぃ!?」

 

 念のため財布の中を確認したところ、そこには千円札はおろか百円の小銭も入ってなかった。

 

 「うぇえええ、マジかー」

 

 財布の中身に対し悲観に暮れていると、きゅるるるると腹の虫が盛大に鳴った。

 

 「ううう、ナコっちゃんにでも頼るとするかー」

 

 そう言って、ナコっちゃんの部屋へと向かおうとする。

 

 だが。

 

 「──ん?」

 

 部屋の窓が割れ、突然の黒い影があーしに襲い掛かってきたのだ。

 

 「グッド、グッド、グッド! 蒙昧なるユーよ、会いに来てやったぞ!」

 

 「──な! どうして、負荷蝙蝠(ビヤーキー)が此処に!?」

 

 あーしの問いに敵は答えない。

 否、答える間もなく奴のかぎ爪があーしの身体を引き裂く。

 

 「──っつぅ!」

 

 斬りつけられた痛みを我慢し、全身に魔力を込める。

 それと同時に眼前の敵を容赦なく吹き飛ばす大砲をイメージする。

 

 「この──」

 

 ガツン。

 頭の撃鉄を下ろす。

 すると両腕が幾つもの砲台と姿を変える。

 

 「無駄、無駄、無駄!」

 

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)の手から黒いモヤを纏う何かが飛び出す。

 

 「暗黒融解波動(フルオーバー・ダーク・メルト・ブラスト)!」

 

 それに構わず、眼前の敵へ有りったけの魔力を込めた黒い稲妻を放つ。

 

 しかし。

 

 「──え?」

 

 放電が搔き消える。

 黒いモヤが部屋中に広がる。

 放たれたであろう黒い稲妻を喰らうそれにあーしは目を丸くする。

 

 「キィーッヒッヒッヒ! 言ったであろう、無駄であるとな!」

 

 ザクッシュッ!

 嘲笑と共に鮮血が舞う。

 

 「うっ──っきゃ!」

 

 悲鳴が漏れるも、怪物は容赦なくかぎ爪であーしの全身を引き千切っていく。

 

 「う、ぐぅ、──が、は!」

 

 「ああ、痛かろう。痛かろう、蒙昧なるユーよ。けど安心したまえ、まだ殺しはしない。何故ならユーは更なる獲物を引き込む為の撒き餌にする故、無事に生かすとも。──さて、それではお待ちかねのショータイムと逝こうではないか!」

 

 その言葉を最後にあーしは意識を失うのだった。

 

 ◇

 

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)を吹き飛ばした外壁がパラパラと瓦礫を出す。

 

 「すまない、古本。駆け付けるのが遅れた」

 

 「構いません。それより、状況はどうなっています?」

 

 それを背に謝罪する黒い騎士に対し、古本は状況の説明を最優先させる。

 

 「念話で聞いていると思うが、状況は最悪と言っても良い。研究所のあちらこちらに負荷蝙蝠(ビヤーキー)超大型腐乱死体(フランケンシュタイン)の大群を引き連れ襲撃しに来ている。今のところ一階フロア前で超大型腐乱死体(フランケンシュタイン)の大群は抑えているが、核となる負荷蝙蝠(ビヤーキー)を処理しないことにはこのままだと制圧されるのも時間の問題だ」

 

 「そう、ですか」

 

 黒い騎士から淡々と説明される現状に古本は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

 「それにしても今回の負荷蝙蝠(ビヤーキー)はいつもに況して復活が早すぎるわ。おそらく『繭』の加護が掛けられてると見て良いわね」

 

 追従するようにリテイクさんが警告を促す。

 

 「……それはどうでしょう? 対峙した負荷蝙蝠(ビヤーキー)には今までと変わらず何の特異性も見当たりませんでしたし、加護も復元する時間に充てたと見るべきなのでは?」

 

 それに対し古本は異を示す。

 

 「……まあ、それも核となる負荷蝙蝠(ビヤーキー)を見つければ解ることかしら、ね。『外なる神』に関して言えば何が起きても不思議じゃないんだから、万が一に備えて警戒するに越したことはないわよ、ナコト」

 

 けれどリテイクさんはそんな彼女に更に強く警戒を促した。

 

 「解りました。では、これから私たちは芽亜莉と合流します。彼女の力なら、負荷蝙蝠(ビヤーキー)など再生する間もなく消滅出来るでしょうし、ね」

 

 自分で言っておきながら、何やら迷ってる様子を見せる古本。

 

 「有無、そうするのが懸命であろう。貴殿もやむを得ないが仕方有るまい。この状況では、彼女の改竄の異能に頼らざる得ないのは承知の上であろう?」

 

 それに対し、後押しする黒い騎士。

 

 「解っています。これでも魔術師の端くれですよ、覚悟は出来てます」

 

 「……そうか。ならばその言葉を今は信じよう」

 

 古本は意味深に答えると黒い騎士は再び口を閉ざす。

 

 「念のため聞くけど、芽亜莉は部屋に居るのかしら?」

 

 今度はリテイクさんが古本に質問する。

 

 「おそらく居ると思われます。監視していた職員から最後に彼女を見たのはそこですし、あれから部屋を出たとは考えられません。──一応確認しますが、お二人は芽亜莉の姿を見ましたか?」

 

 「いいえ、私たち二人は見てないわ」

 

 「でしたら、出てはいないのでしょう。きっと、いつもの()()で倒れてると思います」

 

 少女たちはそう言いながら、足を進め出す。

 

 「発作? ──って、あれ? お、置いてかないでよ~!」

 

 それに僕は急いで追うが──。

 

 「「「……これは」」」

 

 三人の足が止まる。

 どうやら目的の──芽亜莉の部屋前らしき場所に着いたようで。

 

 ドクン。

 いや、違う。

 これは、きっとそうじゃない。

 着くというよりも早くに気付いてしまったと言うべきか。

 

 「なるほど、これが今回の負荷蝙蝠(ビヤーキー)の目的という訳ですか。確かに敵の対抗策を潰すのは道理です。少し考えれば誰でも解ることでした、ね」

 

 口を開く古本。

 

 「うん? 一体何が起きて──」

 

 立ち止まる三人の後ろから前を覗く。

 

 「──な? これは、酷い」

 

 すると、思わず僕は充満する錆びた鉄の匂いに顔をしかめてしまう。

 

 「……有無。しかもあの下郎、弱った獲物で遊んでいたな。見ろ、あちらへ無造作に片腕が放っておいてあるにも関わらず、此処にはその反対側が並べてある。──良い趣味とは言えんな」

 

 夜風が冷たい。

 部屋の壁には大きな穴が開けられており、黒いモヤのようなものが漂って戦闘の余波が見受けられる。

 そして、その一面に血の海が出来ており、ポツンと捥がれたであろう四肢が散らばっていた。

 そんな形跡に僕は何を言えばわからず、呆然とするしか出来なかった。

 

 「四肢が捥がれた、と見て良いわね。他の部位が見当たらないのは、きっと動けないようにしてから運んだと考えるべきでしょう」

 

 リテイクさんが冷静に物事を分析する。

 冷たいとは思わなかった。

 思わなかったけど──。

 

 「何だよ、これ」

 

 冗談と思いたかった。

 嫌な悪夢だと思いたかった。

 

 ────「やーだね! んべーっだ!」

 

 数時間前まで話をしていた姿を思い出す。

 

 でも、この汗が。

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)と戦闘していた名残の痛みが目の前のこれを現実だと教えてくれる。

 

 古本が床にぶちまけられた血を触る。

 

 「良かった。血がまだ乾いてない」

 

 するとそんなことを言って、安堵してみせた。

 

 「良かった? これが良かったって言うの?」

 

 飽くまで冷静でいる古本に理不尽ながらも声を荒げてしまう。

 

 「ええ。だって、まだ連れ去ったであろう負荷蝙蝠(ビヤーキー)に追い付ける可能性があるんです。これが良かったと呼ばず何と言うのでしょう」

 

 この惨状にもめげず、まだ古本はその目に闘志を宿してる。

 

 「何で、そんなに冷静でいられるの? 友達なんじゃないの? この惨状を前に何とも思わないの!?」

 

 僕は問う。

 身勝手にも我が儘にも、感情に任せ大声を上げてしまう。

 

 「だからこそ、私は彼女を取り戻さなくてはならないのです!」

 

 けれど彼女はそんなこちらに対し負けじと声を張る。

 

 「──っ!」

 

 「時間がないのです。今こうしている間も負荷蝙蝠(ビヤーキー)は芽亜莉を連れて逃げてしまっている。──ええ。正直な話をしてしまうと貴方とこうして会話している時間も惜しいですが、我慢してるのです。……確かに私は、この第三共環魔術研究所の管理者です。時には冷静な判断が求められる立場ですが、同時に芽亜莉の友人でもあります。例えそれが空っぽでも、偽物でも、一刻も早く彼女を助けだし、傷を癒さねば気が済まないのです」

 

 首もとを掴まれる。

 

 「四肢が捥がれた? 空を飛行する負荷蝙蝠(ビヤーキー)に近づく手段が見つからない? でしたら、そんなもの異能と魔術を駆使し解決して見せてやろうではありませんか!」

 

 そのまま、力のままに突き放される。

 

 「聞きなさい、七瀬勇貴! 今から作戦を伝えます!」

 

 そうして、声高らかに即興で思い付いたであろう作戦を古本は語りだす。

 

 

 

 

 

 

 

 キキキ。

 キキキ。

 この時は気付かなかった。

 そんな僕たちを嘲笑う黒いモヤが部屋から抜け出していることに気付けなかったんだ。

 



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012 一抹の不安

 

 この第三共環魔術研究所は人類最後の防衛ラインだと呼ばれてるには所以がある。

 それは、外なる神によってもたらされる異能の力を研究しているからだけでなく、それに追従するように多くの技術者が集結しているからだと世間一般では認知されている。

 

 「すまない、古本。天音から要請が入ったから、悪いが私たちは一旦防衛ラインに戻らせて貰うぞ」

 

 あれから、黒い騎士とリテイクさんはそう言うと僕たちと別行動することになった。

 

 「そう、ですか」

 

 「ごめんなさいね」

 

 「いえ、大丈夫ですよ。二人でも芽亜莉を救出してみせますのでそちらも気を付けて下さい」

 

 早くも戦力が欠けてしまったというのに、古本は諦める様子もなく、予定していた作戦通りに目的の場所まで急いでいる。

 

 「第五エリアに行きましょう。そこで予定通り、対魔導用戦闘飛行機をチャーターします」

 

 この研究所には主に六つのエリアに区分されて建造されており、今回足を運ぶことになる第五エリアは兵器開発を主に力を入れて取り組んでるのだそうだ。

 

 しかし。

 

 「グゥルルルルゥア!!!」

 

 その道中、むせ返る血の匂いと共に三メートルを超える全長の人型の怪物たちが所狭しに暴れていたのはどうしたものか。

 

 「無駄な戦闘は避けたいところなのですが──」

 

 古本は悔しそうに黒い本を取り出す。

 

 「いや、あれぐらいなら僕でも大丈夫だよ」

 

 いそいそと戦闘準備する古本を止める。

 

 「うん? 貴方は何を言って──」

 

 怪訝な顔をする彼女だったが、魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)する僕を見て立ち止まる。

 

 「まあ、見てて」

 

 そう言って、構える青と赤の螺旋。

 

 ドクン。

 心臓が不自然に鼓動する。

 頭に撃鉄が下りるイメージで、かつてしていたであろう誰かの一閃を脳裏に浮かべる。

 

 「──つぅ」

 

 ズキン!

 酷い頭痛と眩暈に襲われるも、そいつを無視し今尚暴れる人外たちへ集中する。

 

 「ぃいいい、──っやぁあああ!」

 

 青と赤の螺旋の刀身が虹色に輝く。

 

 「グゥルルル!? グゥウウウルルルゥアアア!!!」

 

 すると、その様子を見た巨体が一斉に研究所の壁を崩し、僕たちへ向かって来る。

 それは宛ら全てを巻き込む嵐ようで、天変地異の前触れを思わせた。

 だが、僕はそれに臆することもなくその嵐へ向かって虹の一閃を放つ。

 

 「これでも、──喰らえ!!!」

 

 怒号入り交じる嵐を虹の一閃が飲み込み、搔き消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……まさか、これ程のものとは思いませんでした」

 

 虹の一閃を放った先はまるで嵐が通過したような荒れようだった。

 パラパラと落ちる瓦礫の山を走り抜けながら、古本はそう言葉を漏らす。

 

 「ですが、これは負荷蝙蝠(ビヤーキー)には使えませんね。隙が大き過ぎます」

 

 「うん? それは、どうかな? 溜めの時間さえ稼いで貰えればいけるんじゃないか?」

 

 「いえ、私たち二人だと難しいでしょう。せめて、リテイクほどの援護が出来る人間が居れば可能なんですが」

 

 顔を見合わす。

 

 「まあ、無い物ねだりをしても仕方ありません。今回は先程立てた作戦通りに行きます」

 

 そう締め括って少女は先を目指し始めた。

 

 「……うん、そうだね」

 

 その後を追おうと走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──キキキ」

 

 この時、気付きもしなかった。

 走り出す僕たちを見つめる黒いモヤがあることに──。

 

 ◇

 

 気が付いたら、あーしは知らない劇場に立っていた。

 

 「……あ、あれ?」

 

 カタカタと映像が流れる巨大なスクリーン。

 それを鑑賞する為の客席は無人で、人の気配を感じられない。

 けれど、知らない場所だというのに酷く懐かしさを感じてしまい、何故か胸が痛んだ。

 

 「此処、何処?」

 

 周囲を見渡しても、それぐらいしか解らず何の情報も得られそうにない。

 

 「えーと、確かあーしは──」

 

 自分が何をしていたか思い出そうと眉間に皺を寄せていると、ふとスクリーンに流れてる映像に目が止まる。

 

 「これ、あーしの記憶だ」

 

 そう、目の前で流れるそれは間違いなくあーしの過去だった/きゃわわわ! きゃわわわ! 良いですし、良いですよ。さあさあ、早く改竄済ませちゃいましょう。そうしましょう!

 

 「────」

 

 両親を失くしてからのあーし。

 施設をたらい回しにされ、転々とする日々はまさに絵に描いたような転落人生で陰鬱になる幼い子供がそこに映ってた。

 

 不幸を届ける憐れな黒猫のようで嫌になる。

 けれど、スクリーンの中の過去の自分は足掻いてた。

 足掻いて、足掻いて、他人から如何に好かれようと努力していた。

 

 「──っ」

 

 傷だらけの子供を助けてた。

 翌日には助けた子供は首を搔ききって死んでいた/ええ、あの時のあの子は楽に始末出来ましたよ。

 

 預けられた孤児院でイジメに逢った。

 翌日にはあーしをイジメてきた子たちが不慮の事故で怪我を負っていた/きゃわわわ、きゃわわわ! 骨の一本、二本で泣きすぎなんだよ、あの子たち!

 

 優しく声を掛けてきた親切な老婆もいた。

 翌日にはその老婆が大切にしていた宝物が壊され、生きる希望を失くしてた/良い気味だった。とても気分が晴れました──ええ、本当に。

 

 誰かの願いを食い物にする人間に腹を立て、義憤に駆られ正しい行いもした。

 

 だが。

 

 その翌日には、全部それを帳消しにする不幸が訪れては手の平を返すようにみんな、あーしを疎み続けた/これで気付かないんだから、このあーしも大概逝かれてるよね~。

 

 何をしても、何を取り繕っても、何に涙をしてもみんなあーしを恐れ避けていく。

 

 不気味な子供は他人の死に慣れすぎたのか、知人となった亡骸を見て動じない。

 そんな自分を見て大人たちはあまりの恐ろしさに逃げたことがある/全く。レディの顔見て逃げるなんて、本当に失礼しちゃいますよね。

 

 誰もあーしを救わない。

 誰もあーしの手を引かない。

 

 それが当たり前過ぎて、あーしの見る世界はいつしか優しさとは無縁になっていた/けれどあーしはあーしで在り続けなくてはいけないと本能(メアリー)が囁くのでした。ちゃんちゃん!

 

 そんな時。

 

 「ようこそ、第三共環魔術研究所へ。夢野芽亜莉さん、私の名前は古本ナコトと言います。暫く貴女の案内を任されましたので、よろしくお願いしますね」

 

 大人たちに連れられ、放り込まれたそこが第三共環魔術研究所だった。

 しかもこの時は生きるということに嫌気が差して大人たちの説明を話し半分に聞いてた為、連れられた大きな施設に何処か不穏なモノを感じていた。

 

 だから、案内され身構えてた自分の前に連れてこられた緑の髪の少女にそんなことを言われても警戒するに決まってる。

 

 「すみません」

 

 「……何よ?」

 

 古いビスクドールのようだと少女を見て思った。

 それぐらいに整った容姿をしており、中でもこちらを見つめる淡黄(たんこう)の瞳はまるでガラス玉のように綺麗なものだと関心してしまう。

 

 「いえ、手を差し出してるのですが」

 

 「──ん? それが何よ?」

 

 そんな少女を不気味に思ってしまい、とてもじゃないがその差し伸べられた手を取る気にはなれなかった。

 

 「失礼。こういう挨拶には握手をすると聞いたもので。それとも、貴女はそういうコミュニケーションには馴染みがありませんか?」

 

 しかも、淡々と機械のアナウンスのように言うもんだから尚更不気味さに拍車がかかった。

 

 「……ふ、ふーん。あんた、変わってるのね。そんなの別に良いから、早くこの施設の案内っていうのをしてよ」

 

 故に。

 精一杯に強がり、差しし伸べられた手を無視して部屋の案内を頼んだあーしを誰も責めまい。

 

 「フフフ、難儀な人ですね」

 

 無感情に笑う少女。

 その微動だにしない表情筋の顔を見て、「あ、こいつはあーしと同類なのだ」と勘づいた/ああ、これが運命ってヤツですね、トキメキですぅ!

 

 「ア、アハハ。何それ、キモ。笑うならせめて作り笑いぐらいしなさいよ」

 

 皮肉を吐き捨てる。

 それがナコっちゃん──古本ナコトとあーしの出会いだった。

 





 ストックが尽きましたので次話の投稿は未定です。


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013 優しい夢

 

 カタカタと映し出される己の過去。

 それは埒外の罪と罰。

 知らない振りして逃げ続けた代償が描かれて、あーしにそれを教えてくれる。

 無知とは時に残酷で、誰かを傷つける魔法の理だと誰かが言ったのを思い出す。

 

 けれど、そんなものは知らないとあーしは見ない振りして逃げる。

 例え目を逸らし俯くことは叶わずとも、心の螺旋に秘めることで無知のまま居られるとこの時は本気で信じてた。

 

 キキキ。

 キキキ!

 

 だから、それを嗤う黒い影に気付かない。

 過去を見る。

 そうして、あーし──夢野芽亜莉はスクリーンの映像に囚われ続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カツン、カツンと二人分の足音が白い大理石の床に響いてる。

 後ろに手を組み、さっきまでのよう舌な振る舞いなど知らないと言いたげに先を行く少女の後を変な対抗心を抱きながら黙々ついていく。

 

 「おっと、着きましたよ。夢野芽亜莉さん、こちらが今後、貴女の居住区になる第三エリアです」

 

 というか案内されて思ったんだけど、此処って見た目は研究所というより病院に近いなぁ。

 何だか、身構えて損した気分だ。

 

 「この第三エリアでは私たちのような『欠落者』を管理し研究されており、この中で有ればある程度の出歩く自由が設けられています」

 

 「へ、へぇ。その『欠落者』ってのはよく解んないけど、それってつまりこの中しかあーしは出歩く権利がないってこと?」

 

 「ええ、そうです。一時はどうかと思いましたが、話が早くて助かります。夢野芽亜莉さんはもうこの研究所から外に出る権利を持ち得ないことを理解させるよう強く言いつけられてましたので、納得して頂けたみたいで良かったです」

 

 ……え? いきなりこいつは何を言ってんの?

 

 「いや、何でよ? そんなの理解出来ても納得出来る訳ないじゃん。あんた何言ってんの?」

 

 こいつ、頭大丈夫か?

 

 「はい? ……だって、抵抗したところで貴女に何のメリットもないでしょう? 外はそこかしらに鉄条網が引かれ厳重に警備されており、研究所内には監視の目がそこら中にある環境下で一体どうやって逃げ出すのです? 万が一逃げ出すことが成功したところで、こんな山奥を年若い少女が歩いて町へたどり着ける筈もないですよね?」

 

 そう思ってたら今度はお前の方こそ大丈夫かと言わんばかりに少女は淡々と仮説を説明しだす。

 

 「──え、いや、あの……ア、アハハ。そ、そんなことぐらい解ってたわよ。これは、あれよ。解った上で敢えてあんたをからかったのよ。うん、そう。そうなの、解った?」

 

 少女の言葉にぐうの音も出なかったので早口に誤魔化すも、こっちに向けられる視線が冷たい。

 

 「……そうですか。理解した上での発言でしたか。それは大変失礼いたしました。私、てっきり貴女の頭がハッピーセットなのかと勘違いしてしまうところでしたよ。ですが、夢野芽亜莉さん。冗談だとしても今後はこのような下手なことを言わない方が良いですよ」

 

 「な、何でよ?」

 

 「なんでも何も既に監視が入ってますし、今後そのような態度を取られてると何らかのペナルティが課せられるかもしれません。そうしたら、貴女も不自由な思いをされると考えてしまうと私も非常に残念でなりません。──ほら、あちらに監視カメラが有るのが見えますよね? このように私たちの周囲には監視が付きまとっていますし、例え監視カメラを掻い潜ったところで数名の職員が日夜目を光らせていますから、余計なことはされない方が懸命ですよ」

 

 「────」

 

 「さて、部屋の案内でしたね。思わぬところで時間を使ってしまいましたが、ちゃんとしますので安心して下さい。えーと、夢野芽亜莉さんの部屋は二階になりますので、あちらの階段を使いましょうか」

 

 そう言って彼女は案内を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「此処が貴女の部屋になります」

 

 終始無言で連れられたところは、窓とベッドに着替えを入れる棚があるだけの殺風景な場所だった。

 それは病院の個室と呼んだ方が良いレベルの内観で、言外に必要最低限の生活しか保証しないと言ってるみたいだった。

 

 「いや、孤児院も似たようなものか」

 

 だが、考えてみればこれも今までと何ら変わりない扱いだったと思い返し、直ぐに気持ちを切り替える。

 こういう時は、妥協は大切だ。でないと、隣の少女が言った通り面倒なことになるのは予想がつく。

 

 「その孤児院というものに住んだことはありませんが、慣れると此処も悪くないですよ」

 

 荷物はそこですと指を差され、ベッド脇にあったパイプ椅子を取り出し座る古本。

 

 「いや、あんたはいつまで居るつもりよ?」

 

 このまま長居でもするつもりなのか、何処からか取り出した黒い本を読み始める古本。

 

 「ん? 一先ず食事の時間までの間は此処に居るつもりですがどうされましたか?」

 

 こちらの事情など勝手知らずにパラパラと頁を捲る姿は、何処かのお嬢様みたいな気品が見えて何だか女として負けた感じがした。

 

 「あー、はいはい。そうですか、そうですか。なら、それまで暫く一人にさせて頂戴よ。別にそれぐらいの自由くらい構わないでしょ」

 

 居座るつもりの少女を強引に部屋から追い出そうと試みる。

 

 しかし。

 

 「はい? ……ああ、もしや夢野芽亜莉さんはまだ勘違いされてますか? 此処に連れて来られた時点でもう貴女には基本的な人権というものが剥奪されているんですよ。仮に私が部屋から出たとしてもまた次の職員が来て監視をするだけです。基本的に貴女は今後一人きりになる状況はないと認識して頂かないと困りますよ」

 

 少女はそんなあーしを冷やかな目で制するのだ。

 

 「……はい?」

 

 「ああ、やっぱりそこまで考えて居られなかったんですね。でも、少し考えれば解る話じゃないですか。私たちは人智を超越した異能の力を持っているんですよ。そんな危険な代物を政府が管理もせず、放置する訳ないでしょうに。まさか、本気で国が最低限の生活を保証してくれるだけとお思いだったんですか?」

 

 淡黄の瞳があーしを見つめる。

 それが何だか虫を観察する機械のようなものに思えて、言い様のない不気味さを感じる。

 

 「う、そりゃもちろん何かあるだろうって考えてたけどさぁ。でも、まさかここまで厳重なものだとは流石に思わないじゃん」

 

 異能の力が何かは知らないが、きっと人体実験か何かの被験者になるのは覚悟はしていた。

 けれど、これはそんな程度の話じゃない。

 これではまるでモルモット兼、囚人の扱いじゃないか!

 

 「うっわー、どーしよ」

 

 一攫千金を狙って逃げ出してみる?

 それは無理だろう。

 この少女が言っていた通り、この施設の厳重な監視の目を掻い潜れる気があーしはしない。

 我慢する?

 今まで自由とはいかないものの、ここまで自由のない生活に自分が耐えられる気は全くしない。

 

 「うーん、うーん」

 

 唸っても考えは纏まらない。

 

 「別に良いではありませんか。どうせ外の生活へ戻ったところで貴女を誰も受け入れてくれませんよ」

 

 「……その言い方はなんか腹立つ。うん、決めた。施設の案内が終わったら、もう金輪際あーしに関わんないで」

 

 「ですから、他の職員が監視に──」

 

 「良い。少なくともあんたよりはマシよ」

 

 古本の言葉に強く拒絶の意思を伝える。

 すると、彼女は押し黙った。

 

 「じゃあ、そーいうことだから」

 

 それから時間が来て、彼女と共に食事しに食堂へと向かった。

 

 「……本当、最悪」

 

 その後も施設を案内する間、ずっと少女の目は心を持たぬ人形のように冷めたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おはようございます、夢野芽亜莉さん。昨晩はよく眠れましたか?」

 

 次の日の朝、食事をしていたらそんな風に古本が声を掛けてきた。

 

 「あんた、昨日の話聞いてた? もう関わんないで頂戴って、あーし言ったよね?」

 

 のほほんと狸を演じる少女の挨拶を突き放す。

 

 「おやおや、そうでしたか? 私には『明日からも声掛けなさいよね! プンプン』と言ってるものかと」

 

 「そんなことあるわけ無いでしょ! 頭バグってんの、あんた!?」

 

 「失礼ですね。MRIでは正常でしたよ、私の頭」

 

 「馬鹿にしてんのかって言ってんのよ!」

 

 子供みたいな言い訳をする姿に堪えられず突っ込むあーし。

 

 「フフフ。何だか子供みたいですね、私たち」

 

 そんな突っ込みをするあーしに懐かしいものを見たような目を向ける古本。

 

 「は? ……子供みたいも何も世間一般ではあーしたちはまだ子供でしょうが」

 

 何言ってると冷めた目をしていると。

 

 「……そう、でした。子供でしたね、私たち」

 

 それに対し、少女は初めて感情のようなものを露にしたんだ。

 

 「……何よ、それ」

 

 何だか悪いことをしたような気分だ。

 

 「いや、別にあーしには関係ないか」

 

 暗い気持ちを切り換えようと朝食を再開するが、目玉焼きは冷めて味がよく解らなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからというもの、何かとつけて古本はあーしに付きまとってきた。

 朝も昼も夜も、それこそ他の職員があーしを連れて実験のようなことをする以外は何処だろうと声を掛けて来た。

 

 「聞いて下さい、芽亜莉さん! 事件です、事件ですよ、大事件!」

 

 「うーん、人が折角気持ちよく寝てるっていうのに。……んで、何よぉ、古本。あんた、昨日もそう言って寝てるあーし起こしたじゃん。もう食堂のプリンごときで起こさないでって言ってるでしょ、眠いじゃん」

 

 「違います、そうではありませんよ、芽亜莉さん! 良いから起きて下さい! 後、プリンは下らなくないですよ!」

 

 「うーん、むにゃむにゃ。もう食べられないにゃあ」

 

 「そういう貴女だって食い物の夢見てるじゃありませんか!」

 

 「んあああ! こら、人が気持ちよく寝ようとしてるのを無理矢理起こすんじゃない!」

 

 ……ハア。全く、どうしてこうなった?

 

 溜め息を吐くもその答えは誰も返してくれないのであった。

 



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014 寝言


 遅れて投稿。
 ハーメルンに保存してなかったぜ。



 

 「有った、有ったなぁ、そんなことも」

 

 あーしは描かれた日常に思わずクスリと笑みがこぼれる。

 スクリーンの映像はそれほどまでに懐かしい気分にさせ、それまでの陰鬱なことが嘘みたいに思えた。

 

 「ああ、でも」

 

 ジジジ。

 直、この小さな安らぎにも終わりが来るでしょう。

 春の訪れを感じさせるように、不穏な影は伸びているのですから。

 

 ザザザ。

 気付けたのは、些細な違和感。

 じわじわと何気ない日常の中、安心しきった獣の喉元を食い千切ろうと今か今かと待ちわびる理不尽。

 

 それは何処までも醜悪で、聞くのもおぞましい世界の構造であり──誰も望まない、誰も得しない運命の悪戯だった。

 

 「────」

 

 『私』の自我が『あーし』を侵食する中、抜け殻は夢を見る。

 

 「さあ、異星の蝙蝠(ビヤーキー)。惨めで哀れなあーしに『私』を届けて上げて」

 

 混ざり合う意思に違和感はない。

 吐き捨てる文字の羅列に興味もない。

 

 在るのはただ一つ、過去に溺れる愚か者だけだった。

 

 ◇

 

 「なあ、古本」

 

 「何でしょう、芽亜莉さん?」

 

 ここ数日、最早自分の部屋とでも言いたげに居座る不法滞在者は声を掛けるあーしに何だと聞く。

 

 「いや、前々から疑問に思ってたんだけどさ。あんた、普段は何やってんの?」

 

 そう。

 前々から何でと疑問に思っていた。

 国はあーしを管理という名目で拉致監禁をしている。

 だから、普段あーしは実験のようなことを毎日こなしてるが、目の前で気怠るそうにクッキー食ってる少女が何かをしている場面を見たことがない。

 

 「えー、それって話す需要あります?」

 

 「需要って言っても、なぁ。……うーん、普段あんたが何してるかが解れば、あーしの中のフラストレーションは解消されるし有り無しで言えば有るんじゃない?」

 

 「ふーん。相変わらずと言いますか、その覚えたての言葉を使いたがる癖は止めた方が良いですよ、芽亜莉さん」

 

 「う、うっさいなー。今はそれ関係ないでしょ! ──んで、どうなの? 普段、何してんの? 教えなさいよ……ねえってば!」

 

 気怠げに返答を誤魔化そうとする古本から強引に話を聞き出そうとする。

 

 「芽亜莉さん、止めて下さい。今、私はチョコチップを食べるのに忙しいです」

 

 そう言って、何処からか黒い本を取り出してパラパラと読み始める。

 この少女はこうなったら最後、どんなに頼み込んでもテコでも動かない。

 つーか、菓子食いながら本読むのは行儀が悪いんじゃないの?

 

 「……ちょ、ちょっと止めてよ! クッキー、ボロボロと落としすぎだしぃ。それ掃除するのあーしなんだからね!」

 

 そう言って咎めるも、古本は聞く耳を持たなかった。

 

 「フフフ」

 

 全く、初日に見せたあの人形じみた不気味さは何処に行ったのやら。

 

 部屋に職員の人があーしを呼ぶまで、古本は黒い本を読むのを止めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「芽亜莉さん、芽亜莉さん!」

 

 眠っている。

 

 「芽亜莉さん、芽亜莉さん!」

 

 どうやら寝ている■■■を起こそうと古本が揺すっているみたい。

 

 「……ふむ。これは完全に眠っていると見て良いですね。どうぞ、お入り下さい」

 

 ジジジ。

 

 いつからだろう?

 彼女を信頼するようになったのは。

 

 「あ、あのー本当に大丈夫でしょうか? また起きたりしませんよね?」

 

 ザー、ザー。

 

 いつからだろう?

 彼女に愛称をつけたのは。

 

 「それはこちらとしても保証しかねます、ね。まあ、実験に犠牲は付きものと言いますし、貴方たちも覚悟の上でしょう?」

 

 眠り始めた■■■を職員の人たちが囲み出す。

 

 「だとしても、安易に犠牲が出るのを良しとするのは違いますって」

 

 ガシャン、ガシャンと何かの装置が部屋に運び込まれる。

 

 「おい、ブラボーワンはまだか? こちらは直ぐに配置に着いたというのに一体何をもたついてる!?」

 

 繋がれるチューブの重さが現実の非情さを表してるみたいで何だか冷たいと感じた。

 

 「慎重に、慎重にだぞ。また余計な震動を与えて起こすんじゃない──良いな? これは訓練じゃないんだから」

 

 「っ解っております、竹内大尉」

 

 見るもおぞましい虫けらたちは、得たいの知れない機械を取り付けていく。

 

 「こちらブラボーワン、指定位置に着きました。アルファツー、いつでも起動出来ます──指示を」

 

 まるで危険物を扱う動作だとそれを他人事のように眺めた。

 手慣れてるとは思わない。

 装置を取り付ける彼らが何処か冷静でないのは素人目線でも伝わった。

 

 「古本さん、いつも通りフォローは任せます」

 

 「ええ、それでは実験を始めて下さい」

 

 そこからの記憶はない。

 だが、想像を絶するような痛みが身体中に走ったのは何となく理解した。

 

 「──っ」

 

 目の前を弾ける閃光。

 廃になる頭。

 ぐちゃぐちゃと思考回路が崩れていく。

 

 そうして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バシャリと鮮血が跳ねた。

 

 映像が一度切り替わる/見ているモノが嘘に思える。

 

 ジジジ。

 

 でも、語られるのは真実で。

 目に映るのは遠い過去の記憶だった。

 

 それを証明するように、スクリーンの中の人生(モノクロ)は淡々と事実だけを映してる。

 

 周囲は煙が上がり、血と肉の焼けた悪臭がそこに居る人間全ての鼻を曲げた。

 

 「キキキ」

 「キキキ!」

 「キィキキ?」

 

 耳障りな鳴き声が木霊する。

 鈴虫の合唱みたいなそれがまるで救いを求めるように手のようなモノを伸ばした。

 

 「──っ!?」

 

 声にならない悲鳴が漏れる。

 そうして伸ばされたそれをパシンと叩き落としてしまう。

 

 「「「「キキキキキキ!!!」」」」

 

 生暖かい感触だった。

 ブヨブヨとしたモノがヌメリとするような感覚だった。

 

 ……気持ち悪い。

 その得たいの知れない化物たちが自分を取り囲んでると思うと身震いが止まらない。

 

 「……何なの、これ?」

 

 暗がりの中、こちらをじっと見つめるナコっちゃんに■■■は問う。

 

 「ねえ、答えてよ。……ねえってば!」

 

 返事はない。

 案山子みたいに無表情で突っ立って、ひたすら冷めた目を向けるだけだった。

 

 「答えなさいよぉ、……ねえ、──答えろよ!!!」

 

 瞬間、激情に駆られ身体に秘めたそれが爆発した。

 

 「──っ」

 

 すると、緑髪の少女は見えない力に弾かれ壁に叩き付けられる。

 

 「あ、ぐぅ!」

 

 衝撃で窓が割れ、パリンと硝子が飛び散った。

 骨の折れる生々しい音も聞こえた。

 少女の苦悶にはしたなくも頬を赤らめた。

 

 「ハア、ハア」

 「────」

 

 ──だというのに、彼女は何の抵抗も見せず口を開くこともない。

 

 「なんで、何も言わないのよ? なんで、何も言ってくれないのよ! そんなことされたら■■■、あんたが酷いことしたって思っちゃうじゃない!」

 

 徐々に煙が晴れていく。

 意識が朦朧(もうろう)とする中、二人は見つめ合う。

 

 「だったら、どうだと言うのです?」

 

 そうしていると、何の抵抗を見せなかった少女が漸く口を開いた。

 

 「──っな」

 

 緑の髪が揺れる。

 

 「ええ、そうです。初めからこうすると決めていました。貴女を通じ、あの世界の彼女とコンタクトするのが我々の目的でしたから。……でも、騙したなんて言わないで下さいね。貴女だって、自分が何してるのか理解してなかったんですから」

 

 「……何してるかって、何よ? 此処に来てから、■■■は何もしてないじゃん。普通に駄弁って、寝て、変な実験のようなものをする繰り返し。特に変わったことは何も──」

 

 「フフフ」

 

 古い西洋人形は可笑しいモノだと言いたげにこちらを指差した。

 

 「何よ? 何がそんなに可笑しいの?」

 

 「ええ、可笑しいですよ。だって、普通の人間は感情のままにこうして人間一人を吹き飛ばせるなんて出来ませんし、しようとも思いません。……そもそも此処へ来てからの貴女の行動は、それはそれは酷いものでした。うつらうつらしたかと思えば、目についた人間を捕まえて誰彼構わず襲い掛かる。笑いながら人間以外の生物へと変えてしまう──そんな人間を人間と思わない所業をする貴女は、ある意味完成された社会不適合者なんです」

 

 ゾクリと背筋が凍る。

 向けられた淡黄の瞳は虫を見るような眼差しをしている。

 

 「あ、ぐぅ」

 

 パチリと意識が切り替わる。

 スイッチが押されたみたいに■■■は『私』に乗っ取られる。

 

 でも、今はそれよりも/……嘘だ。

 

 「おや、また忘れるのですか? 良いですよ、夢野芽亜莉さん。どうぞ、お逃げなさいな。そうして、今を生きることからずっと逃げ続けて下さい。我々はそんな貴女を歓迎します。管理の難しい生物兵器、夢世界(ドリームランド)残留思念(ヒロイン)の一人『メアリー·スゥ·ドリーム』を、ね」

 

 このお喋りをどう黙らすのかを考えなくてはいけない/こんなの出鱈目に決まってる!

 

 ザー、ザー。

 

 スクリーンの映像は途切れない。

 血塗れの身体で、人間じゃないものに囲まれる■■■とそれを淡々と説明するナコっちゃんの姿が映し出されてる。

 

 「……何よ、これ?」

 

 こぼれる問いに誰も答えない。

 知らない記憶を自分のものだと理解していることに疑問が尽きない。

 

 ザー、ザー。

 ザー、ザー。

 

 これは、泡沫の夢にして虚ろな幻。

 劇場に魂を、虚構と現実の狭間へ意識を、狂った影の中を少女の身体が曖昧に融かしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ!」

 

 それを誰も咎めない。

 それを誰も観測出来ない。

 

 「それでこそ、この『私』が態々選んだ甲斐がありますぅ! まさに器として相応しい異能と言えるでしょう!」

 

 深層心理の狭間にて、修道女(メアリー)は嗤うように虹の花弁を散らすのだ。

 

 ◇

 

 「着きました」

 

 前を走っていた古本はそう言って、立ち止まった。

 

 「ハア、ハア! 此処が?」

 

 それに何とか追いつく僕は彼女に聞く。

 

 「ええ。此処が、第五エリア──通称『対魔導用新型兵器開発特化施設』になります」

 

 「そう、なんだ」

 

 胸を張って答える古本に感心する。

 下ろされた隔壁を見た限り、この第五エリアが如何に厳重な扱いをされているのかが見て取れたからだ。

 

 「んで、どうやって中に入るの?」

 

 固く閉ざされた隔壁を壊すわけにもいかないが、だとしても今は急いでいる。

 古本の話では大体の人間は警備に駆り出されていて、マトモに動ける職員は恐らく居ないと思われるので、流石に何か解決策があるのだろう。

 

 「実はこんなことも有ろうかと確かこの辺に解除パネルを仕掛けといたのです」

 

 そうして、床底のタイルの一部を何かすると途端に目の前の隔壁の一つが上がり、入り口が出来上がった。

 

 「おお!?」

 

 思わず感嘆の声を上げる。

 

 「フフフ、どうです? 中々に見応えが有るでしょう? 此処、第三共環魔術研究所にはこのように一定の魔力を使用して起動するギミックが搭載されているんです」

 

 「へぇ~」

 

 「……とは言え、誰でも使用出来るというわけでもありませんが、ね。まあ、今は一刻も早く負荷蝙蝠(ビヤーキー)から芽亜莉を取り返すのが先決なのでこれ以上の説明は止めておきますか」

 

 古本はそう言って、隔壁の中──第五エリアへと入っていく。

 

 「そうだ、ね──って、うわっ!?」

 

 それに続くと、僅か数秒も経たずして隔壁が閉じてしまった。

 

 「フフフ」

 

 自動で動く隔壁に驚く僕を古本は微笑ましいものを見たと頬を弛ませた。

 

 「────! な、何だよぉ?」

 

 ……こうして見ると年相応の少女なんだなと場違いにも思った。

 

 「いえいえ」

 

 そう言って、今度こそ先を行く古本。

 

 「ううう、何か違うような気がするぅ」

 

 目指すのは、対魔導用戦闘飛行機が格納されているだろう──この第五エリアの格納庫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自虐肯定、不可逆設定、青天霹靂開始。

 悪逆否定、倫理機構突破、偏在事象改竄開始。

 

 現れる黒いモヤ。

 隔壁を越え、先を目指す彼らの足取りをただ見つめるそれに意思はない。

 

 「此処(キキキ)何処(キキィ)?」

 

 ただ命ぜられるまま役割をこなす人形。

 発条を巻かれなければ動かないカラクリと何ら違いないそれは問う。

 

 「何であーしこんなところに居るの(キキキキキキィ)? ねえ(キキィ)何で(キキキィイ)?」

 

 答えはない。

 それはこの世界の人間の誰もが自分を置き去りに未来(あす)を見ないのだ。

 

 「助けて(キキキ)

 

 そうして、彼女は語られない。

 騙られないまま、その感情を、心を壊されていく。

 

 そう。誰もが真実に目を向けず、遠い過去ばかりを振り返るだけなのだ。

 

 「キキキ(ナコっちゃん)

 

 黒いモヤは隔壁を見つ続ける。

 微笑む少女はそれを見過ごし、未だ迷い続ける青年は気付かない。

 

 「キキキィイ(ナコっちゃんってば)!」

 

 手を伸ばすように、隔壁を囲うよう広がるモヤ。

 外なる宇宙からの侵略者──否、遥か彼方の来訪者はいつまでも嗤い続ける。

 

 明日を夢見るように。

 希望を願い、足掻くみたいに影は──。

 



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015 違和感


 お待たせしました。またハーメルンでの投稿を忘れてました。



 

 キキキ。

 

 かつて『私』は美しいモノを見ました。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 それは取るに足らない虫の足掻きで。

 無様で、醜く、泥にまみれた小さな抵抗でしかありませんでした。

 

 キキキ。

 キキキ。

 キキキ。

 

 でも、感情のない『私』にはない輝きを彼らは持っていたのです。

 

 ジジジ。

 完全な『私』は、けれど不完全な『私たち』でもありました。

 けれど、その美しいモノはどれだけ焦がれても手に入ることは叶いません。

 

 ザー、ザー。

 

 欲しい。

 欲しいと幾ら手を尽くそうとも、それは遠ざかるばかり。

 

 「■■、■■■■」

 

 ある時、欲を持たないデータに心が与えられました。

 そう、唐突に何もない完全が感情を与えられたのです。

 

 ええ。『私』も存じ上げております。

 ない故の完全だったからこそ完成されていたというのに余分な機能を付け足したら機能不全を起こしてしまうのは当然の帰結ですよね。

 

 だから今も尚バグは増えるばかりで、改善策を産み出さないエラーになるのは理にあった事象なのです。

 

 「キキキ」

 

 何がそこまで『私』を突き動かすのか解りません。

 数多の死体(げんそう)を積み上げ、その夢の果てを目指す理由はないと言えます。

 

 「キキキ! キキキ!!!」

 

 けれど『私』は主人公()を通して観測することを止めません。

 

 何故ならそれは──。

 

 ────ブツン!

 

 「危ナイ、危ナイ。モウ少しデネタバレヲ踏ムトコロダッタナ。マア、続キハアルンダ。ユックリ楽シミタマエ」

 

 一人の男が何かをする。

 それはまるでテレビの電源を無理矢理切ったような雑な終わり方だった。

 

 「コウシテ世界ハ再ビ真ッ暗闇ヘト閉ザサレマシタノデシタ。メデタシ、メデタシ」

 

 そうして一人の男の嘲りによって、世界は暗闇に閉ざされたのだった。

 

 ◇

 

 鈍い音を立てながら、シャッターが上がる。

 

 ガゴン!

 中は真っ暗で少し覗いた限りでは、戦闘機の一つも見当たらない。

 

 「えーと、此処ですかね」

 

 暗闇の中に入る古本。

 

 「……お? あった、あった!」

 

 「──っ、眩し、い」

 

 しばらく探してると、辺りが眩しくなる。

 

 「良かった。まだ電気は生きてるみたいです」

 

 どうやら古本が電灯のスイッチを点けたようで、その明かりによって、目の前に鉄の塊が姿を現す。

 

 「これは、またデカイというか、珍妙な形をしてるね」

 

 ずんぐりとした鉄塊。

 大きな箱にプロペラと呼ばれる車輪がつけられたそれに古本が飛び付くように触れる。

 

 「起動は……出来るみたいです、ね。──良かった。これなら間に合います」

 

 慣れた手つきで起動テストをしていく姿を見て、ふと思う。

 此処まで来るのに人が少なすぎる気がする

 最近、疑り深くなったと思うが用心するに越したことはない。

 ……確かに古本は使える人員は警備に出したと言ったけど、それは本当でない筈だ。

 だって、そうでない研究職の人たちとか前線に出したって何も出来ず死ぬのに決まってるよね?

 

 ならどうして──。

 

 「七瀬勇貴さん。こちらは準備完了です。いつでも出発出来ますよ」

 

 古本ナコト。

 目の前の少女は古本ナコトの筈だ。

 此処はあの夢の中じゃない。

 現実だ。

 現実だから、いつの間にか赤の他人に変わってるなんてことはない。

 

 「どうされま、し──七瀬、勇貴さん?」

 

 考えすぎかな?

 でも、何かが引っ掛かる。

 致命的な間違いを僕たちは見逃してる気がしてならない。

 

 ドクン。

 

 「ねえ、古本」

 

 「……はい、何でしょう?」

 

 少女は真っ直ぐこちらを見つめている。

 その姿に先ほどまでの必死さが感じられない。

 

 「負荷蝙蝠(ビヤーキー)って、さ。傷を癒したり、痛みを止めたりする能力とか持ってたりする?」

 

 「いいえ。そんな能力は持っていません」

 

 「なら、どうして君たち──いや、君は芽亜莉さんがまだ生きてるなんて確信出来たんだ?」

 

 古本の顔が曇る。

 

 「……どうして、そう思いましたか?」

 

 「いや、さ。あの部屋の惨状を見れば芽亜莉さんは助からないんじゃないかって思うんだ。血塗れで、もぎ取られた四肢が散乱したあの状態は素人目線でも致命傷なのは明らかだよ。……けれど、君は生きてると信じて救助に向かおうとしている。不思議だ。これじゃあ、まるで僕と君で助けに行くのがお膳立てされてるみたいだ」

 

 「…………」

 

 古本は喋らずこちらを真っ直ぐ見つめてるだけ。

 それが疑心暗鬼に繋がる。繋がって、しまう。

 

 「ねえ、どうして?」

 

 再度問うが、少女は口を開かない。

 それを見て、古本が何を考えてるのか解らなくなった。

 

 「……ふむ、なるほど。色々言いたいことはあるのですが、これだけは言っておくことにしましょうか」

 

 冷たい視線が突き刺さる。

 精巧に造られた西洋人形みたいな無機物らしさが少女には感じられた。

 

 でも。

 

 「考えすぎですよ、七瀬勇貴さん」

 

 ニコリと微笑み、彼女は黒い本を取り出した。

 

 「……そうかな?」

 

 パラパラと頁が捲られる。

 

 「ええ。まあ、私が芽亜莉の生存を確信してるのは事実ですし、そう勘違いされるのも無理からぬ話です。……ですが、助けに行くのがお膳立てされてるとなるとそれは考えすぎと言う他ありません」

 

 パラパラ。

 

 嘘は言ってないと思う。

 けど、何かが引っ掛かる。

 

 「仮に。仮にそうだとしてもですね。それなら私は今夜の負荷蝙蝠(ビヤーキー)襲撃を事前に知っていたことになりますよ。幾ら私でもそんなリスキーなことやりませんし、何よりするメリットがありません。芽亜莉を連れ去ったところで損をすると解っているのに実行するなんて馬鹿馬鹿しいですよ」

 

 何か、何か見落としてるような気がする。

 古本の言葉を聞いても、メリットがあれば実行すると明言されているようで仕方がない。

 

 ──いや、違う。そんなことではなく、もっと別のことに目を向けるべきなんだ。

 

 「さて、疑問は解けましたか?」

 

 古本が僕の手を取る。

 すると、ズキリと頭痛がした。

 

 「う、うん」

 

 久々の痛みに少女の言葉に思わず頷いてしまう。

 

 「フフフ。それなら一刻も早く、この対魔導用戦闘飛行機へ乗り込んじゃって下さい。大分時間を取られてましたけど、これなら逃げた負荷蝙蝠(ビヤーキー)を追うことが出来ます」

 

 そう言って、古本は鉄の塊の扉を開く。

 

 ドクン。

 心臓が鼓動する。

 

 ────「そう、『エンドの鐘』じゃ! 『エンドの鐘』こそ、わっちぃらを生み出す永久機関。第二の『あのお方』の象徴であり、お主の心臓じゃよ!」

 

 不意に誰かの言葉が頭に過る。

 

 「──ん?」

 

 目の前の鉄の塊に乗り込もうと一歩踏み出した瞬間。

 

 「……いや、待った。やっぱり可笑しい」

 

 そこで、僕は違和感の正体に気付いた。

 

 「可笑しい? 可笑しいところなんて何処にもありませんよ、七瀬勇貴さん」

 

 古本が断言するが、それは間違いじゃない。

 

 「いーや、可笑しいね。だって、ちぐはぐだ。あまりにも出来すぎてる。……うん、そうだよ。あんな単純なことを君が見落とす筈ないんだ」

 

 そう言って僕は掴まれた手を振りほどく。

 

 ……思えば最初から疑うべきだった。

 でもそれは目の前の古本を疑うのではないのでなく──もっと単純な小さなことを注意深く観察するべきだった。

 

 ドクン、ドクン。

 心臓が跳ねる。

 けれどそれが明確な確信へ繋がる──否、繋がってしまった。

 

 いつからかは解らない。

 けど、この心臓の鼓動に違和感を持った時点で塗り替えられていたとしたらそれはそれで話が変わってくる。

 

 「……先ほどから何が言いたいのです? そろそろいい加減にしてくれませんと怒りますよ」

 

 「じゃあ、言わせて貰うんだけど、さ。普段の芽亜莉さんなら負荷蝙蝠(ビヤーキー)に負けないんだよ。それなのに、君たちはあの惨状の四肢を芽亜莉さんのモノだって確信してた。まるで最初からそうであるような物言いをした。誰のものか解らない四肢をそうであるようにみんなそれを信じて疑わなかった」

 

 思えば、あの時から行動が誘導されたと考えるべきなのかもしれない。

 まあ、今となってはそれも遅い話なんだけど。

 

 「そんなのは、あの現場を見れば誰だってそう思うのは当然だと思いますよ。それに、あの時は貴方だって感情的になりましたよね?」

 

 「うん。だけど、冷静に考えればあの光景は違和感だらけなんだよ」

 

 「……違和感だらけ?」

 

 「うん。だって僕たちが襲撃されたと同時だったとしても、さ。あんな状態になるまで芽亜莉さんの部屋が崩壊してたら、幾らなんでも負荷蝙蝠(ビヤーキー)から逃げてる僕たちは気付くだろう?」

 

 まあ、確かに僕は殺し合いにはまだ慣れてないド素人だ。

 けど、管理者を任される実力者で負荷蝙蝠(ビヤーキー)が部屋に襲撃するのを察せれる程の君が階下に起きたことを見逃すなんて間抜けはしない筈だ。

 

 確かにこれも小さな違和感でしかない。

 けれど、考えてみればこれは致命的な間違いだ。

 

 だって、その証拠に君はロクに調べもせず放置された四肢を見て芽亜莉さんのモノだと決めつけてたんだから。

 

 「ねえ、古本」

 

 いつの間にか古本の表情は暗い影に包まれ見えない。

 それは、まるで僕が今言ってることが事実だと認めてるように見える。

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 そう思っていると、何処からか聞き慣れた嘲笑が響き渡る。

 

 「──っ」

 

 背筋が凍る。

 いつかの恐怖で身体が震えてしまう。

 

 それでも──。

 

 「これ、現実じゃないよね」

 

 それでも、僕は勇気を出して言葉を口にした。

 

 瞬間。

 

 「……フフフ。フフフ、フフフ────イーッヒ、ヒヒヒ!!!」

 

 狂ったように嗤い出す古い西洋人形(ビスクドール)

 同時についていた電灯が消え、辺りが真っ暗闇に包まれる。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! これは軌道修正不可! つまるところバグ発生に然りエラー乱発の雨あられ! どうしようもねぇって、どうしようもないって、どうすることも出来ないんだしぃ! ……全く、後もう少しのところだったのにここ一番で気付くのは勘弁して欲しいって、ね」

 

 「──っ」

 

 その笑い声は知っている。

 そのふざけた喋り方を僕は覚えてる。

 

 「あーあ、このまま微睡んでいれば良かったのに。英雄ごっこを楽しんでいれば良かったでしょうに。……本当、ウザイこと他ないわ、貴方」

 

 理不尽な罵声は止まらない。

 その悪態にいつか見た神の御使いを重ねてしまう。

 

 「君は古本。あの古本なのか?」

 

 やがて目が暗闇に慣れていくと、目の前の古本の姿がもう黒いスーツでなくなっていた。

 

 「ええ、ええ! ご想像通りのあの古本ナコトなんだしぃ! それ以外の何者でもないってことでアンサーなんだしぃ!」

 

 嘲笑は止まらない。

 僕の身体は、何故か震えが増すばかりの役立たずとなっている。

 

 それでも、必死で僕は青と赤の魔術破戒(タイプ·ソード)現実化(リアルブート)し構えた。

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! でもでもぉ、どーしよーもない事実なのは変わらないっていうかぁ、『エンドの鐘』による逆転劇は遥か彼方に追いやったことだしぃ! さーて、どうする? この『道化師』ことナコっちゃん様を相手にどう立ち回るのか見物って、ね!」

 

 黒い修道服の女──『道化師』古本ナコトはそう言って、僕へ歩み寄るのだった。

 



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016 そんなの分かんないよ

 

 「きゃわわわ! きゃわわわ! でもでもぉ、どーしよーもない事実なのは変わらないっていうかぁ、『エンドの鐘』による逆転劇は遥か彼方に追いやったことだしぃ! さーて、どうする? この『道化師』ことナコっちゃん様を相手にどう立ち回るのか見物って、ね!」

 

 歩み寄る修道服の少女。

 緊迫する空気。

 

 「──っ」

 

 ブゥン!

 抵抗と言わんばかりに一閃。

 

 「無駄!」

 

 だがその一閃は見えない何かに阻まれ、奮闘むなしくその場を弾き飛ばされてしまった。

 

 「う、──っが!」

 

 壁際へ叩きつけられた衝撃で全身に激痛が走り、思わず身悶える。

 

 「まあ、まあ! なんて弱々しいことでしょう!」

 

 ケラケラと少女が嗤う。

 まるで、その姿は地を這う虫だと言いたげに嗤っている。

 

 「あ、ぐぅ、──ううう!」

 

 足掻こうと立ち上がる。

 

 「フフフ、こうしてると可愛げがありますねぇ、貴方。ええ、あれが固執するのも解ります。今となっては無駄と解っていながら懸命に立ち上がろうとする姿はまさにいじらしいというもの。ええ、ええ! 今の貴方なら『私』のペットにしてあげるのも良いですねぇ」

 

 腹を抱えながらも少女は黒い本を捲る。

 立ち上がったばかりの身体に更に激痛が押し寄せる。

 

 「馬鹿に、──してぇ!」

 

 歯を食い縛り耐え、懸命に古本へ斬りかかる。

 

 キィン!

 けれど見えない壁があるみたいに渾身の一閃は弾かれてしまう。

 

 「なん、で!?」

 

 「何でも何も馬鹿の一つ覚えだっつーの!」

 

 電流が走る。

 ピクピクと痙攣し、とうとう身動きが取れなくなる。

 

 「きゃわわわ! 呆気ない、呆気ないにも程があるでしょ! こーんな簡単に始末出来るんなら、もっと早くこうしていれば良かったし!」

 

 「う、ぐぅ、あ──がっ!」

 

 解らない。

 最早少女が何を言ってるのか頭が追い付かない。

 

 「まあ、それでもこの空間じゃナコっちゃん様の制御下なんだしぃ、それも仕方ないっちゃ仕方ない話だけどね~!」

 

 視界が霞み、のたうち回る僕を少女は真っ赤な目で見下ろす。

 

 「でも、それもこれもこれで全部お仕舞い! ええ、そう! ナコっちゃん様は、私様は、あーしは遂に完全な人間となって外の世界の住人へ作り替えるの! 嬉しいわ、嬉しいの、嬉しいしぃ、嬉しいって、嬉しさのあまりに舞い上がっちゃいそう!」

 

 笑いながら弾む修道女。

 頬を赤らめ、歓喜極まってその場を跳び跳ねるその姿は年相応の少女のようだった。

 

 「にん、げんに──なる?」

 

 苦痛に悶える中、古本が言った言葉を口にする。

 

 「そう! ナコっちゃん様はねぇ、『人間』ってヤツになりたかったの。でも、肉体を持たない幻想のままだと現実に行ったところで消滅するのがオチでしょ。勿論、ナコっちゃん様はそんなのはゴメンだしぃ、人間になって自由に生きたいと願ったわ。そこで私様は考えました。なら、このナコっちゃん様と同じ『改竄』の異能を持った外の世界の人間の身体にこの『ナコっちゃん』様を上書きしてやれば良いんじゃないかって」

 

 「──っ!?」

 

 ジジジ。

 それはとてつもない甘い声で囁かれた。

 頭の中が真っ白になるんじゃないかってぐらい強い誘惑が僕を襲った。

 

 「時間が掛かったわ。恐ろしい程に、狂いそうになる程に、何千何万回とあの世界を繰り返したわ! 自分が何者で、『あーし』という人格が摩耗するほど躍起になるぐらい」

 

 ぐちゃぐちゃと何かが音を立て始める。

 いつの間にか少女が僕の頭を掴んで、耳元に何かを囁いてる。

 

 「でも、それもこれで終わる。終われるの。そう、これはこれでこれがこれにこれぞ漸く『あーし』の願いが成就するってわけ。どう? ただの残留思念(ヒロイン)が考えたにしては中々イケてる計画(プラン)だと思わない?」

 

 目の前に星が飛び交う幻が見えるほど身体が麻痺していく。

 駄目だ。

 このまま彼女の声を聞き続けてたら、無事で済まないと本能が告げている。

 

 「う、あ、ぐぅ──んんん、んぁあああ!!!」

 

 「こーら。暴れない、暴れな~い。このまま頭の中すっからかんにして脳ミソ中の理性を溶かさなきゃ駄目なんだから。ん、め!」

 

 強く抱き締められ、振りほどこうにも身体が何かに拘束されたように動いてくれない。

 

 「気持ち良いでしょ? 甘くて、甘くて、蕩けちゃいそうでしょ? もう疲れたよね? もう辛い思いしたくないよね? なら諦めて、諦めて、嫌なことぜーんぶ忘れちゃえばもう苦しむ必要はなくなっちゃうんだよ」

 

 甘い、甘い誘惑。

 苦からの逃避が快楽となって全身に押し寄せ、僕の理性を蕩けさせる。

 

 それは幾度に夢見た(オレ)が欲しかった願いだった。

 

 「……わす、れる?」

 

 でも、その言葉は何故か胸に酷く突き刺さった気がする。

 

 「────」

 

 忘れる。

 忘れる?

 

 何を忘れる? ……一体、何を忘れたら幸せになれるというのだろう?

 

 「──っ」

 

 ……いや、僕はもう既に忘れてしまっている。

 大切な何かを置き去りにしてしまっている気がする。

 

 ────「さよなら、■しい人。そして、ありがとう。あの時、あの場所で貴方が■■の手を引いてくれたから■たちは生まれて来れました。だから、──だから、どうか残■思■(わ■し■■)のことは忘れて■■になってください」

 

 ──何を? 何を置き去りにしてしまった?

 

 「忘れる、忘れる、何もかも忘れて楽になればみーんな幸せだよ。苦しむことも、痛むこともなくなってハッピーになれるんだぁ」

 

 僕はそれに何言った?/オレはそれに確かこう言ったんだ。

 

 「幸せってなんだよ? 忘れろってなにさ? そんなんで──」

 

 続く言葉は違うけど。

 過った少女に話したかったのは、同じことだから関係ない。

 

 「……は? いや、ちょっといきなり何なんだし──こいつ!?」

 

 虫食いのように黒く塗り潰された少女の顔。

 とても大切な、とても大好きになった人との思い出が微かに過るのに涙が出る。

 

 ああ。想いだけでは、この欠落した記憶は戻らないだろう。

 抗う意思だけでは、この見えない拘束は緩まないというのなら──。

 

 「そんなんで──幸せになれるもんかよ!!!」

 

 イメージする。

 阻む力を破る更なる力を思い込む。

 

 すると。

 

 「あ、ああ、ぁああああああ! もう、何なのアンタ! 往生際が悪いにも程があるんだしぃい!!!」

 

 拘束が解かれる。

 否、先程まで僕を抱き締めていたであろう古本が数メートル先へ弾き飛ばされている。

 

 「ハア、ハア」

 

 立ち上がる。

 フラフラの身体で、吹き飛ぶ敵へ迷いなく青と赤の螺旋を構える。

 

 「忘れろ、忘れろって、自分の幸せは自分で決めることだろ。そんなの勝手に決めんなよ!!!」

 

 ガシャンと崩れる鉄の塊。

 それに続いて地をバウンドする道化師。

 

 そいつら纏めて、遥か彼方に置き去りにした誰かに向かって僕は大声で文句を叫ぶ。

 

 「痛っ、イタタ、痛いわねぇ」

 

 巻き起こる砂塵。

 吹き飛ばされた古本が苦悶する。

 

 「勝手にとかどの面で吠えてるっつーの? ──っていうかマジ最悪、これ流石のナコっちゃん様でもぶちギレ五秒前って感じっつーかー!」

 

 再び黒い本を取り出す少女。

 それと同時に高鳴る僕の心臓。

 

 ドクン。

 

 「──っ」

 

 目を見開く。

 

 ドクン、ドクン。

 

 激痛が襲う。

 苦しくて、痛くて、前を見るのも億劫になるのを我慢して右腕を突き出す。

 

 「「いい加減に──」」

 

 古本と意思が同調するのを背に死に急ぐ影が伸びていく。

 

 「……え? 何で、それを今の貴方が──」

 

 その光景に先程までの余裕の顔が剥がれる少女。

 

 「これで、──終わりだ」

 

 「ま、待って!?」

 

 そうして、黒き修道女へ青と赤の刃が容赦なく放たれる。

 

 「う、そ? 嘘よ」

 

 一秒のズレもなく放たれた死に急ぐ影の一閃をモロに浴びる古本。

 

 「こんなの嘘に、決まって、るぅ」

 

 そこに血飛沫は舞わず、ただ何者にもなれない愚か者が砂塵となっていく。

 

 「ようやく終われるって思ったのに。完全にあーしをナコっちゃん様に出来ると思ったのに。──今度こそ人間になれると本気で思ったのに!」

 

 手を伸ばす誰か。

 黒い粒子となっていく身体を引き摺って、少女は僕へと手を伸ばす。

 

 「何も間違いはなかった。何もかも完璧に事を運んだ。だってのに、──何で? どうして、ナコっちゃん様の身体が消えてるの!?」

 

 答えはない。

 目の前の敵の問いに答えがあるというのなら、それは──。

 

 「ねえ、どーして? ねえ!?」

 

 霞み行く影が消えていく。

 泡沫の幻というように『道化師』古本はその姿を黒いモヤへと化していく。

 

 「そんなの分かんないよ」

 

 思わず漏れた答えに少女は目を見開き、やがて黒い粒子となって散るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 

 「──っ」

 

 そこは黒いモヤが充満する部屋の中だった。

 

 「此処は──」

 

 部屋の電灯によって微かに視界が取れて、周囲の状況が確認出来た。

 

 「う、ううう」

 

 血だらけで倒れる芽亜莉さんとその近くで眠るように倒れ伏す古本の姿があった。

 

 「──! 大丈夫か、二人とも!?」

 

 駆け寄ろうとした瞬間。

 

 「成る程、成る程! これが世に聞く浅はかということなのだな、無知蒙昧なるユーよ」

 

 「──っへ?」

 

 突然、僕は壁へと叩き付けられる。

 

 「がっ、──ぐぅ!」

 

 そのまま何者かにギシリと首を掴み上げられ身動き出来なくされる。

 

 「愚かなるユーよ。そのまま眠っていれば良いものを」

 

 「負荷蝙蝠(ビヤーキー)!」

 

 「そうともバッドこそ負荷蝙蝠(ビヤーキー)。至高にして完璧なる『外なる神』の信徒である。──では、冥土の土産としてバッドの名を覚えて逝くが良い」

 

 そう言って負荷蝙蝠(ビヤーキー)は僕の首をより一層強く絞めたんだ。

 



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017 叫び

 

 吹き飛ばされる僕。

 壁へ叩き付けられる身体。

 

 「愚かよなぁ、──そのまま眠っていれば良いものを」

 

 吐き捨てられるそれは悪意の塊。

 

 「負荷蝙蝠(ビヤーキー)!」

 

 ミシミシと音を立て首が軋む中、僕は辛うじて襲撃者の名を呼ぶ。

 

 「そうともバッドこそ至高にして完璧なる『外なる神』の信徒、負荷蝙蝠(ビヤーキー)である。──では、冥土の土産としてバッドの名を覚えて逝くが良い」

 

 それに気分をよくしたヤツは名を名乗り、声高らかに殺意を告げる。

 

 「は、はな、せよぉ」

 

 「この状況で放せと言われて放す馬鹿が何処にいるのだ、フーリッシュ!」

 

 抵抗しようにも負荷蝙蝠(ビヤーキー)の力は弱まる気配を見せない。

 

 「にゃ、──ろう!」

 

 だったらと思い、死に急ぐ影をイメージする。

 

 「ほう! 一体何を見せて──ヴァッツ!?」

 

 青と赤の刃が煌めく。

 背後に突然現れた影に気付いた負荷蝙蝠(ビヤーキー)は直ぐにこちらを手放し、放たれる一閃を回避する。

 

 「グッド、グッド、グッド! 只の腑抜けと思っていたらこんな隠し球を持っていたとは驚いたぞ!」

 

 「ゲホッ、ゲホッ! ……ハア、ハア──そいつはどうも」

 

 何とか敵を引き剥がすことに成功した僕。

 息をするのも覚束ないこちらに対し、黒い怪物は舌舐りするほどに余裕を見せる。

 

 「ウム、ウム! 何だかバッドは楽しくなって来たぞ! 次は何を見せてくれる? 爆炎か? それとも流星か? 何であろうとバッドは構わんぞ、キィーッヒッヒッヒ!」

 

 黒い翼が羽ばたく。

 獲物を前にした獣はその顎を歪ませ、腕を振るう。

 

 「──っ!」

 

 その攻撃によって、死に急ぐ影が崩れる。

 

 「鈍間め」

 

 開けた間合いが詰められる。

 

 「う、ぐぅ!」

 

 向かってくる黒い暴風(ビヤーキー)に対し直ぐ魔術破戒(タイプ·ソード)で応戦する。

 

 「鈍い、脆い、弱い! やはり人間とはそうでなくては!」

 

 無邪気に振るわれる腕、舞う火花。

 

 「──っ!」

 

 押し返す一撃はとても重い。

 こちらの力量を遥かに上回る負荷蝙蝠(ビヤーキー)に僕は翻弄されるしかない。

 

 「キィーッヒッヒッヒ!」

 

 「ぐっ!」

 

 捧げられる死の応酬に迷いはない。

 

 「ユーたちは此処で滅びる。今度こそクールなバッドが、グッドなバッドが、パーフェクトなバッドがこの世界を終末へ誘う! それが、それこそが超越者たちから承ったバッドの使命だ!」

 

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)は叫ぶ。

 それが己の意思なのだと傲慢に騙る。

 

 「……ざけ、ない、で」

 

 追撃を受け止める。

 敵の猛攻に手も足も出ない。

 

 ああ、身体はとうに限界を向かえてる。

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)の繰り出す攻撃を凌ぐのもやっとで、目の前が朧気になるほど意識がはっきりしないさ。

 

 「ふざけないで! そんなの認めない! 認められない! そんな勝手で世界を終わらされちゃ堪らない!」

 

 けど、嫌だ。

 それを受け入れることが嫌なんだ。

 だって、そこには負荷蝙蝠(ビヤーキー)自身の意思がない。

 

 僕は見てきた。

 意思を持って困難に──不条理に抗おうとする人間の醜さをずっと見てきたんだよ。

 

 それは確かにどうしようもないもので。

 それは誉められるようなことじゃなかったけど。

 

 それでも頑張って生きようとしてたのが充分に解ったから。

 

 「バッツ、バッツ、バッツ! 然れどユーたちに選択権など有りはしない! そう、『外なる神』の運命(さだめ)は絶対である!」

 

 だから嫌だ。

 そんなのに終わらされちゃ堪らない、と。

 今を必死で足掻いたみんなの意志を否定されたくないと抗い続けるんだ。

 

 「故に、認めないも何もユーたちは此処で──」

 

 ガキン!

 

 鋼鉄()を弾いた代償にバランスを失い体勢が崩れる。

 フラフラと前のめりに倒れる身体へ蹂躙者は追撃を放つ。

 

 たとえ、僕たちの生が此処で潰えるとしても。

 たとえ、僕たちの足掻きに何の成果も遺せないとしても。

 

 「僕たちが生きたいと願ったこの世界は、そんな身勝手で蔑ろにされて良いものじゃないんだ!!!」

 

 叫んだ。

 心の底から叫んだ。

 力の限り、その意思のない言葉に抗った。

 

 「『戦乙女の(ヴァルキリー·)(ティアー)』!」

 

 だから、届いた。

 そんな僕の叫びが少女の意識を呼び覚ましたんだ。

 

 パラパラ、と。

 この場で目を覚ました古本が黒い本を捲る。

 

 「──ッチ! この程度!」

 

 絶妙なタイミングで放たれた氷の飛礫を前にヤツはなす術もなく意識を削いだ。

 

 「『忘却の物語(ミッシング·ローグ)』!」

 

 続いて発動した魔術は、この拮抗を、この困難を切り抜ける光明が差すモノだった。

 

 途端に硝煙に包まれる僕。

 続けて視界を閉ざされる戦場。

 

 そして、両者の間合いが一瞬の膠着を作り出す僅かな隙。

 

 「──っち! こんなモノ、バッドには無意味だ!」

 

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)の翼がはためく。

 目が覚めたであろう少女が放った魔術はそれだけで簡単に掻き消される。

 その硝煙の魔術は、この圧倒的な武力を前に悪手でしかなかった。

 

 「キィーッヒッヒッヒ! この程度でバッドに歯向かおうなぞ……ヴァッツ? それは何だ? ユー、その輝きは一体何なのだ?」

 

 けれど、それで充分。

 力を溜め込む一瞬の時間が有れば、それは最善の手へと切り替わる。

 

 「ハァアアア!!!」

 

 喉が張り裂けそうになる。

 全身がズシリと重くなる。

 それでも目の前の怪物へ放つ虹の極光は僕の構える魔術破戒(タイプ·ソード)へと込められた。

 

 「待て。それは流石にバッドでも耐えられ──」

 

 ブゥン!

 負荷蝙蝠(ビヤーキー)の命乞いを無視して、力の限り込めた虹の極光を解放する。

 

 「ギィイイイアアア!!!」

 

 斯くして、身体の半分を怪物は吹き飛ばされることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「七瀬勇貴さん!」

 

 ドサリ。

 その場で力尽き、倒れる僕。

 虹の極光を放った為か、現実化(リアルブート)していた青と赤の螺旋が消えてしまう。

 

 「ハア、ハア」

 

 息が苦しい。

 だけど、早く立ち上がらなければいけない。

 

 「う、ぐ──っつぅ、ハア、ハア!」

 

 何故なら。

 

 「グゥ──ガア!!!」

 

 身体の半分を吹き飛ばされたのに、未だ立ち上がろうとするクソ野郎が居るからだ。

 

 「……嘘、……でしょ」

 

 正直こっちはもう限界なのに。

 

 「う、ぐぅ──七瀬勇貴さん、此処は逃げるべきです」

 

 相方の古本は『忘却の物語(ミッシング·ローグ)』を発動して余力を使いきったのか、伏したままでいるのに。

 

 「ハア、ハア」

 

 ──僕もこうして立ち上がるだけでいっぱいいっぱいだってのに!

 

 「ゆ、許さん、ぞ。……バ、……バッドは、……この程度で……死なぬ、のだ」

 

 ヤツは虚ろな片目で敵意を向けている。

 そこに先程までの余裕はなく、凍てつく執念があるだけだ。

 

 「そう、……とも……バッドは、バッドは完全なのだ。完全であるべきなのだ。……それ故に、人を、蹂躙せねば……ならぬのだ」

 

 消えてしまった魔術破戒(タイプ·ソード)をもう一度現実化(リアルブート)しようにもそんな余力は僕に残されてない。

 

 「……認めぬ、認めぬぞ。……バッドは……こんな結末は認めぬぅ」

 

 負荷蝙蝠(てき)は風前の灯火で、相対するこちらは満身創痍の木偶の坊。

 条件は同じだと言うのにこれっぽっちも嬉しくない。

 

 「──良いよ、クソ野郎。こうなりゃ……とことんまで……やって、やるぅ」

 

 「止めて下さい、……そんなことしたところで、意味ない……ですよ」

 

 覚悟を決めた僕を止めようと古本が声を上げる。

 

 「ハア、ハア!」

 

 なんて諦めの悪いことだ。

 全く、クソ面倒で仕方ないったらありゃしない。

 

 「七瀬さん!」

 

 だけど、悪い気はしない。

 僕たち人間もそうやって足掻いてきたんだからそれを真似されたところでどうもしない話だ。

 

 「「────」」

 

 交差する視線。

 沈黙する両者。

 

 このまま待っていれば敵の自滅は明らか。

 向かってくるそれを避ければ、なんてことのない終わりが訪れるだけなんだ。

 

 だが、それを互いが納得するかは別で。これは、それだけのことだった。

 

 「「……ふん!」」

 

 同時に踏み込む。

 フラフラの身体で殴り合うのを止めれる者はこの場に居ない。

 

 「あ、ぐぅ!」

 「が、あ!」

 

 力の籠らない一撃。

 洗練された動きのクソもない──無駄だらけのそれに何の意味もない。

 

 「倒れ、ろ!」

 「しつ、──こい!」

 

 そう、これは何の勝算もない無益な争いでしかなかった。

 

 「ゼー、ハー!」

 「ヒュー、ヒュー!」

 

 だが、崩れ行く身体で再生が間に合わないのを気にも止めず、負荷蝙蝠(ビヤーキー)は持てる力を奮った。

 

 「「う、ぐ──あ、ぁあああ!!!」」

 

 そうして。

 

 「キヒヒ! ……下ら、ぬ……なんと……下らぬ足掻きだ。……そんなものに、二度も敗北するなど、本当に、……下ら、ぬ」

 

 それを最期に今度こそ怪物は塵となって消滅するのだった。

 



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018 カダスの鍵

 

 目の前の負荷蝙蝠(ビヤーキー)が消滅する。

 その光景を眺めることしか出来ない僕たち。

 

 「……正直助かりました、七瀬勇貴さん」

 

 寝転んだまま礼を言う少女。

 その声に先程までの悲痛さはなく、今は淡々とした冷たさが垣間見える。

 

 「あのままでは我々の全滅は免れませんでした」

 

 立ち上がる余力はないのか、寝転んだまま古本は話を続けた。

 

 「そうかな?」

 

 「そうですよ。……まあ、後はこの黒いモヤを何とかしないことにはいけませんが、ね」

 

 改めて部屋中に広がるそれへ視線が向く。

 

 「これかぁ」

 

 さて、そもそもこの黒いモヤは何なんだろう?

 

 「……恐らくですが」

 

 そんな僕の考えを読んだのか、古本は何か話をする。

 

 「この黒いモヤこそ、今回の負荷蝙蝠(ビヤーキー)が繭から授かった力なのでしょう」

 

 黒い本が捲られる。

 

 「黒いモヤ。実体を持たぬ影。現実に居場所を持たぬ集合的無意識。どうして彼女たちが私たちの世界に現実化(リアルブート)出来るのか解りませんが、これはあの夢世界(ドリームランド)の『影絵』に似た何かだと推測します」

 

 話を聞く僕は、その言葉に驚いて思わず目を丸くする。

 

 「いや、──え? ちょっと待ってよ。影絵? これがあの影絵だって? そんな馬鹿な、あれは夢世界(ドリームランド)の中でしか生息できないんじゃないの?」

 

 「いいえ。そうであると思われるだけで、実はそれを確証するモノは何一つないんです。仮にそうだとしても、そうでないとこの状況に説明がつきませんし。……まあ、これは私の憶測ですが彼女たち影絵自体は現実の世界に実体を持つことが可能なんだと思いますよ」

 

 「影絵自体はって、……だったら、夢世界(ドリームランド)の君はどうしてこんな面倒なことをしたのさ?」

 

 納得がいかないというか突然の情報に頭が追い付かない。

 

 「これも情報から判断した私の推測ですが、影絵自体は飽くまで実体を持つことが出来るというだけなんです。そして、その影絵によって構築された幻想という人間には実体を持つことが現実に許可されてないんだと思います」

 

 「うん? だから、幻想の元は影絵なんでしょ? それが実体を持てるんなら、幻想にだって──」

 

 そこまで言い掛けて気付く。

 僕は今まで夢世界(ドリームランド)の中の影絵にこれといった実体を持ったところを見たことがなかった。だから、それを元に構成された幻想は影絵より上位の規格なんだと思ってた。

 

 でも、それって逆に言えば『影絵』という存在がどのような姿をしているのかが解らないだけで──別に現実世界で身体を構成出来ないと決まった訳じゃないんだ。

 

 つまり。

 

 「はい、そうです。彼女たち幻想は影絵によって構成された世界の中でその存在を確立させてしまった。それは、現実の世界の身体を持たないという固定概念を世界へ示してしまったということで、その『現実世界の身体を持たないという固定概念』が幻想たちの現実への現実化(リアルブート)を否定してしまったんです。──どの世界にも『ないモノはその存在を許されない』とされるように、無を有限にするのも理由が必要なのです。……つまり、その理由自体を否定する幻想の在り方が、その真理の壁を抜ける方法を持たなかった。その一方で、影絵には現実の世界でもウルタールの猫の頭に住まう精神生命体という情報があるだけで何の縛りもなかった」

 

 「……それだけ? たかが現実で生まれなかったってだけで、その存在が許されないってことなの? ……そんなの……あんまりじゃないか」

 

 そうだとしたら、それは悲しいことだ。

 空想の世界で生まれたってだけで、その存在が許されないという話になる──それはつまり、僕があの幻想たちと過ごした日々も存在しちゃいけないと言われてるようなモノだ。

 

 「そう、ですね」

 

 「──っ」

 

 それは違うと幾ら否定しようにも、越えられない壁を感じる。

 無力感に苛まれるとかそういう次元でない、ある種の怒りを覚えた。

 

 けれど、何も出来ない。

 所詮、僕たち人間もその第四の壁を壊そうと足掻いた幻想たちさえも、その真理によって阻まれるしかなかったから。

 

 「──ギリッ」

 

 それは立場が違うだけで、人間と『外なる神』との関係にも似ている。

 ああ、そうか。上位者として君臨する彼らが傲慢に人間を見下すのは、きっとそういうことなのかもしれない。

 

 「ちく、しょう」

 

 食い縛った奥歯が痛むと同時に口の中で血が広がったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……それで、落ち着きましたか?」

 

 黙りを決めていた僕に古本が優しく問う。

 

 「……うん、ごめん」

 

 「構いませんよ。かつて私も同じことを考えたことがありますから」

 

 そう言って、少女はフラフラと立ち上がる。

 どうやらこちらが沈黙していたら体力を回復できたみたいだ。

 

 「ふむ。芽亜莉はまだ眠ったままのようですね」

 

 起こそうと揺する。

 

 「そう、だね」

 

 「ふむ、起きませんね」

 

 「大分痛め付けられたのかな?」

 

 「どうでしょう? こう見えて芽亜莉は頑丈なところがあります。いつもならどんな目に遭ったとしても数時間後にはケロッと復活してるモノなんですが、……可笑しいですね」

 

 少女が首をかしげる。

 

 「そう、かなぁ」

 

 それこそ考えすぎと思ったが、考えてみてもこの黒いモヤが消えていない以上は何かあると疑っても良い気がした。

 

 「もしかしたら、芽亜莉が目を覚まさないのもこの黒いモヤが原因かもしれませんね」

 

 思っていたことを古本が呟く。

 

 「そうだとしたら、その場合はどうするべきなんだろう? 意識だけ夢の中に囚われてるのを解放する方法なんて少なくとも僕は知らないし」

 

 「うーん。……夢の中へ意識を飛ばすこと自体は私も出来るんですが、芽亜莉の意識を連れて帰るとなると出来ないんですよねぇ」

 

 頭を悩ませる僕たち。

 

 「リテイクさんとか、他の人たちはそういうの出来ないかな?」

 

 「出来ないと思います。基本的私たち『欠落者』は異能による力業で物事を対処するので、こういった意識の中でとかそういう搦め手には弱いんです」

 

 それって、ワンマンプレーのソロなら無双出来るが、ジョブでバフ掛けてサポートするタイプの人が一人も居ないってことなのかな?

 ……頭脳筋にも程があるんじゃない?

 

 「……貴方が何考えてるのか想像出来ますが、それを否定出来ないんですよね、私たち」

 

 どうする?

 どうすれば、芽亜莉さんは目を覚ますんだ?

 

 僕の権能(チート)が幾ら万能な異能でも、夢の中に囚われた意識を呼び覚ますなんてピンポイントなモノはない。

 

 「……せめて、夢と現実を行き来できる魔法の扉でも在ればなぁ」

 

 扉。

 某猫型を自称するタヌキなロボットが使ってるようなアイテムに似たモノが欲しい。

 

 「……扉、ですか」

 

 「うん」

 

 「扉……扉……固く閉ざされた扉。そう、閉ざされてるということは鍵が掛かってるということです、よね」

 

 僕の呟きに何かブツブツと独り言を繰り返す古本。

 

 「鍵」

 

 そう言えば、夢世界(ドリームランド)で誰かにそんなものを渡されたような気がする。

 それが何に使えるのか解らないが、確か僕のズボンのポケットにまだ有った筈。

 

 「確か……うん、そうだ。これだよ」

 

 ガサゴソとポケットをまさぐると、銀の鍵が出てきた。

 

 「……それ、は」

 

 取り出した銀の鍵を見て、目を丸くする古本。

 

 「ん? これが何か古本は知ってるの?」

 

 「ええ、知っています。それは、夢世界(ドリームランド)への門を開くとされる『カダスの鍵』。深層心理に囚われたモノを解放するとされる伝説の魔道具(アーティファクト)です」

 

 銀の鍵を持つ僕の手を取る少女。

 

 「つまり?」

 

 何やら興奮し出した古本にそれがどれだけ凄いのか要領が掴めずにいると──。

 

 「つまり! それを使えば、この黒いモヤから芽亜莉の意識を呼び覚ますことが出来るんです!」

 

 何故か思い切り叫ばれる。

 

 「わ、分かった。分かったから、そんな叫ばないでよ。……えと、ごめん。これ、どうやって使うの?」

 

 「もう! 貸して下さい!」

 

 古本はそう言って、僕から『カダスの鍵』を引ったくった。

 

 ◇

 

 キキキ。

 キキキ。

 

 自分が立っているのかさえアヤフヤになっていく。

 何をしていたのか解らない。

 何を見ていたのか覚えてない。

 

 ドポン。

 

 空の人形は足掻かない。

 死の濁流に呑まれ、人間擬きは眠り続け──。

 

 ゴポゴポ、ゴポゴポ。

 

 あーしは一人、底知れぬ深い闇へ堕ちていく。

 

 「──っ」

 

 罪深き者。

 忘却し尽くした業。

 それらに対し、いつだって都合良く目を剃らし逃げてきた。

 

 ジジジ。

 魂が書き換わる。

 それまで夢野芽亜莉として構築されてきた自我が変質されようとしている。

 

 「助け、て」

 

 誰も自分を助けない。

 誰もあーしを──『夢野芽亜莉』に救いの手を差しのべない。

 

 「誰か、──助けてよ!」

 

 それは、今まで逃げてきた報いだと嘲笑うようだった。

 

 キキキ。

 キキキ!

 ()が手招きする。

 恐怖に身体は凍りついたよう硬直する。

 それでもあーしは微かに震える声でひたすら助けを乞う。

 

 「い、や──嫌! あーし、まだやりたいことがあるの! まだやってないことたくさんあるの! ……死にたくない。死にたく、ないよぉ」

 

 堕ちていく。

 必死の懇願も空しく、影は徐々にあ■しの意識を侵食していった。

 

 「ねえ、何なの? あ■しの身体にそんな価値あるって言うの? それともあ■しの持ってる異能が欲しいって言うの? だったら、別にあ■■こんな異能欲しくなかった!」

 

 黒く、黒く染まっていく身体。

 憎悪に苛まれる意識。

 誰も誰も、そんな哀れな虫けらに見向きもしない。

 

 「嫌なの。全部嫌だったの。親しい人も、虐げるだけの不幸も、あ■■を取り巻く何もかもがぜーんぶ嫌で仕方なかったの! 特別よりもそこらで楽しそうに手を取り合ってる普通が■■■は欲しかったの!!!」

 

 嘆きが響く。

 後悔が残る。

 救いを望めど奇跡は起こらない。

 

 「それでも頑張ったの! 何でもないって思い込んだの! 誰に見向きされなくても、■■■は前向いて頑張ったの!」

 

 蝕まれる身体。

 欠けていくアストラル·コード。

 自分の記憶が消えていく中、それでも懸命に手を伸ばし続けた。

 

 「だから、──助けて、よぉ」

 

 ザー、ザー。

 その言葉を最期に■■■は崩れ落ち──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「芽亜莉!」

 

 伸ばした手を誰かが引き上げる。

 深い闇に堕ちようとした身体に温もりが伝わる。

 

 「もう大丈夫です。もう大丈夫ですからね」

 

 声が聞こえる。

 それは人形のようだと思ってた少女の声だった。

 

 「──ぁ」

 

 色が戻っていく。

 もう目には底知れぬ闇も、見知らぬ劇場もなく、いつもの白い天井が映るだけだった。

 

 「芽亜莉」

 

 ナコっちゃんがあーしを呼ぶ。

 そこで漸く誰かが自分を強く抱き締めてるんだと気付いた。

 

 「おはようございます」

 

 「──っ」

 

 涙が出た。

 助かったんだと安堵した。

 

 「……ナコっ……ちゃ、ん?」

 

 「良かった。本当に良かったです。この感じだと、もう自力で目を覚ませそうですね。……一事は目を覚まさない貴女を見て、どうなることかと心配しました」

 

 温かいと思った。

 優しげに語り掛けるその姿に、凄く頼もしく感じた。

 

 「けど、もう大丈夫そうですね」

 

 感情のない目だと思ってた。

 何もかも諦めたような目をしていると思ってた。

 

 でも実際に諦めてたのは自分だった。

 そんな自分があーしは嫌いだった。

 

 ────「ごめんなさい。私には、喜びとか悲しいとか解らないんです。だから、貴女がどれだけ辛いのか解らないんです」

 

 いつだったか、落ち込んでいたあーしにナコっちゃんが語り掛けたことがある。

 

 何をしたかも覚えてない──この第三共環魔術研究所で孤立していた自分にはそれが凄く嬉しかった。

 

 「……う、ん……うん……あり……が、とぉ」

 

 忘れてしまってた。

 只、忘れてナコっちゃんと親しくなったことだけは都合よく覚えてた。

 

 そんな自分を見捨てず、彼女はいつも助けてくれた。

 

 「──ぁ、──っ」

 

 感謝の言葉を伝えたら、眠くなった。

 

 「フフフ、もう疲れましたか? 本当、芽亜莉はおねむさんですね。……良いですよ、芽亜莉。もう一度眠ってしまっても。後は全部私たちが片付けておきますから」

 

 ギュッと抱き締める力が強くなったのを噛み締めながら、

 

 「──ぅん、ありが、とぉ」

 

 そうしてあーしは意識を落とすのだった。

 



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