Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉 (酒谷)
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“予言者” 小燐森


PC名:(シャオ)燐森(リンセン)

二つ名:“予(預)言者” “蒼帝の覇者”

レベル:90

種族:ハーフアルヴ

職業 メイン:〈神祇官(カンナギ)

   サブ:〈星詠み〉

ギルド:無所属→〈記録の地平線〉

HP:9280

MP:11637

身長:158cm

 

【挿絵表示】

 

 

 元〈放蕩者の茶会(デボーチェリ・ティーパーティ)〉メンバーで、生粋の戦巫女型〈神祇官〉。でも、どのビルドもできるように装備はそろえてある。

 黒い瞳に白の長髪。前髪が長く、本人は割と邪魔だと思っているがアバターの設定なので諦めている。

 いわゆる器用貧乏なので、一つ一つのスキルはその手のスペシャリストに劣るが、組み合わせ次第で通常の何倍もの威力を発揮させることができる。

 勘が鋭く、当たる確率は九割五分。そのため、〈予言者〉または〈預言者〉(多くは前者、シロエ、班長は後者を使う)と呼ばれている。また、非常に高い演算能力の持ち主で、本当はインテルが入っているんじゃないかと思われることも。

 シロエとはリアルでの付き合いが長いため非常に仲が良い。彼は彼女をリアルの愛称である「クロ」と呼ぶ。

 右目周辺にじっくり見なければ分からないぐらいだが、掌で覆えるぐらいのやや大きめの火傷の痕がある。

 

 

戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)

 未来のある一点から現在に向けて逆算して、その後、その未来を改変するように現在から未来へ計算をぶち込んでいくリンセ独自の戦闘スタイル。戦闘終了という「結末」に至る「物語」を「文章」に分けて「文」にした後にそれを自分好みに書き換えて「物語」を再構築しながら「読む」という戦法。

 ようは無修正の「物語」を巻末から読んでいき、それを添削しながら自分好みの「物語」に書き換えて「読む」ということ。

 

 

〈星詠み〉

 〈占い師〉または〈学者〉のいずれかのレベルを一定以上に上げることで転職可能となる特殊な上級サブ職業。

 〈占い師〉と〈学者〉の中間のような性質を持ち、トラップや不意打ちなど危険の感知に補正のある占術要素と、地図系アイテムの鑑定、読み解きといった特定分野に限定された学者要素を兼ね備えている。また、天文学や占星術に関する専門家として、〈星詠み〉固有の能力も持つ。月齢や潮の満ち引きに影響を受けるという設定の時限クエスト、ダンジョンの周期を知ることができるなど、ユニークな能力も多く、特に不定期に発生する時限レイドについては〈星詠み〉がいない限り挑戦すら困難なケースもある。

 〈星詠み〉への転職クエストは、他の上級サブ職業と同様に、前提となるサブ職業のレベル要件を満たした上で、各地にいる〈大地人〉の〈星詠み〉と接触することで転職クエストを受けるという一般的なものである。ただし、〈星詠み〉はヤマトにおける神職として特殊な立ち位置にあるためか、転職クエストを受けられる場所が聖宮イセなどヤマト全土で数ヶ所程度しか存在しない。また、クエスト内容は多くが聖域の祭儀の補佐というもので、供物の用意、祭具の手入れ、儀式中の裏方など、細かな段取りを要求されるため、そういった面でも転職のハードルが高い。一方で、クエスト中は限定の特殊な和風装束を身にまとうことができることから、このビジュアルに惹かれて転職に挑戦する者もいた。

 

 

使用アイテム

 

青龍偃月刀

 エッゾ、イースタル、ウェストランデ、ナインテイルの四ヶ所同時開催の大規模クエスト〈四神の覇者〉のイースタルクエストのドロップ品。初期クエストはそこまで難易度は高くはないが、後半になるにつれて難易度が跳ね上がりドロップ率は反比例して低くなっていくことから、最終ボスからのドロップは非常に困難であった。青龍偃月刀はイースタルクエストボスからドロップできる〈幻想級〉装備。全武器アイテムの中でもトップスラスのクリティカル率を誇る。リンセはこのアイテムを取得した当時は“蒼帝の覇者”の二つ名を持っていた。

1.HP,MP自動回復量増加

2.HP,MP回復時(ポーションを含む)の回復量+10%

3.フィールドゾーン:森・草原時に攻撃力倍増

4.AI型アイテム:青龍 特殊召喚時全ステータス上昇

 

薄氷の祈祷衣

 耐魔・耐呪に優れた〈神祇官〉専用の〈秘宝級〉装備。薄氷蚕の絹糸を用いて作られる薄い水色を基調とした祈祷衣。防御力は低いが、〈神祇官〉の特技の威力増大や耐毒・耐魔・耐呪効果、最大MP上昇、即死耐性ありなど、付随能力が軒並み高い。

1.〈神祇官〉の特技の威力(回復・障壁を含む)+15%

2.耐寒・耐毒・耐火・耐魔効果大

3.最大MP+10%

4.15%の確率で即死耐性あり

 

マーウールの髪飾り

 3つで1つのヘアリング状の髪飾り。光の加護により回避率があがる。また、最大MP上昇の効果がある。〈秘宝級〉アイテム。

1.回避率上昇

2.最大MP+15%

 

魂換の籠手

 装備するとHPとMPのステータスが入れ替わるアイテムで、使いどころに困るプレイヤーが多い〈魔法級〉。HPとMPの入れ換え以外に特に効果はなく防御力もない。

1.HPとMPのステータス(最大値と現在値)のスイッチング



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extra
extra 1


一日目終了時の三人の小話


 この世界に来てからはじめての食事を悲しみとともに咀嚼したあと、不意にシロエが私に話しかけてきた。

 

「そういえばさ、クロはこの世界に来て最初の方はどうだった?」

 

 なんとも曖昧なシロエからの問いかけに私はコテンと首を傾げた。

 

「どうだった、とは?」

「その、焦ったりとか混乱したりとか」

「ああ、そういうこと」

 

 シロエにそう言われてこの世界に来てからの自分のことを思い返す。そういえば、驚きはしても焦ったり混乱したりということはなかったように思う。

 

「何となく、この世界が〈エルダー・テイル〉もしくはそれに酷似した〈異世界〉だということはわかってたから」

「いつもの勘ってやつか?」

「うん」

 

 直継の言葉に私は素直に頷いた。そこに問いを重ねたのはシロエだった。

 

「怖いとかは、なかったの?」

「んー……別になかったかなぁ」

 

 思い返した感情の中に不思議と恐怖はなかった。あったのは面倒くさいことになったという思いとちょっとした高揚感だ。

 

「この世界の存在を確認したあとは、なんだか楽しくなってきてね」

 

 そう言えば2人は不思議そうな顔をした。それにクスリと笑みを返す。

 

「思ったより私は適応能力が高かったみたい。ここが異世界で元の世界に戻る術がないっていうのに私はすごく冷静だった」

 

 それこそ呑気に歩き回ってたくらいだからね、と私は笑う。そんな私を見る2人の反応から察するに彼らは相当混乱していたのだろう。

 

「すごいね、クロ」

「そうでもないよ。危機管理能力が人より乏しいだけ」

 

 シロエの言った言葉に私は首を横に振った。私は間違ったことは言っていない。私は他者に比べて自己防衛能力が乏しいことは確かなのだ。

 

「でもさ、考えてみたんだ」

 

 急に立ち上がった私に驚いたのか2人とも僅かに肩を揺らす。そんな2人に背を向けて私は眼下を見渡した。そこには漏れ始めた光に照らされはじめたアキバの街がある。

 

「日本人は約1億人。その中でこの世界に閉じ込められたのは約3万人。それは実に全体の0.03パーセント」

 

 アキバの街並みの向こうからはどんどんと太陽の光が溢れ出している。

 

「その確率で、私たちはこの世界に閉じ込められた。でも、それもやっぱり運命で、私たちの人生なわけで」

 

 その確率で私たちは非日常に“閉じ込められた”――非日常を“与えられた”。

 だから、どんなに理不尽な状況でも。

 

「今この世界が私たちの現実なら、この世界が私たちの人生なら――」

 

 そこまで語って私は2人に振り返った。

 

「やっぱり、楽しまなきゃ損だと思うんだよ」

 

 そう語れば、これから昇ってくるであろう太陽の幽かな光に照らされた2人は呆然としていた。

 

「実に1万人に3人、イコール約3333人に1人の確率。その確率で私たちはこの景色を手に入れることを許された」

 

 再びアキバの街に視線を戻す。その光景は現実世界ではおそらく見ることは出来ないであろう景色だ。

 

「それを幸と取るか不幸と取るかは人それぞれだけど」

 

 もうすぐ朝が来る。太陽の光がどんどん溢れてくる。私はその景色をとても美しいと思う。

 

「確かに、こんな状況は不安で辛くて苦しいかもしれないけど。こんな体験しなくてもいいだろうし、命の危機にさらされている状況なんて知らなくてもいいものだろうけど」

 

 それでも――と私は目の前の光景に手を伸ばした。

 

「それでも、これが私の人生なんだよ。だったら思いっきり楽しみたいし、いろんなことを体験したい」

 

 これからの困難を思えば暗い気持ちにもなってしまうだろう。

 だけど。

 

「私は、この世界を愛したい。辛いことも苦しいことも、全部全部ひっくるめて」

 

 そう、この世界の全てを。

 全てを掴み取るかのように私は両の手を握りしめた。

 

「この世界には、まだまだたくさんのことが待ってる。それを0.03パーセントの確率で体験できるってさ」

 

 私は呆然とし続けている2人に顔を近づける。

 

「ちょっぴりわくわくしてこない?」

 

 そう言った私の瞳は、いつもからは想像もつかないくらい輝いていたと思う。

 

 

〈朝焼けに笑う猫〉

 

 

 ――朝焼けを背負った彼女は、今まで見てきた中で一番瞳を輝かせて笑った。



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extra 2

直継とリンセの対面


 直継にとって(シャオ)燐森(リンセン)という人間はわりと衝撃的な人物だった。

 

 直継は彼女に初めて出会ったのは〈放蕩者の茶会(デボーチェリ・ティーパーティー)〉時代。まだ〈放蕩者の茶会〉が集まりはじめたころのことだった。

 ある日、突然にゃん太が彼女を〈放蕩者の茶会〉に連れてきたのだ。

 

「あれ、班長? その子、どうしたんですか?」

 

 偶然そこにいたメンバーがそう言うと周りもその存在に気付いた。

 にゃん太の左脇には見覚えのない和装の少女、白い髪を一つ縛りにした女性アバターがいた。

 

「彼女は小燐森ですにゃ。とても腕のいい〈神祇官(カンナギ)〉ですにゃ」

 

 彼いわく、メンバーに誘ってみたところ面白そうだとか言うので連れてきたのだそうだ。

 

「小燐森です。どうも」

 

 第一印象はあまり良くなかった。態度が悪いというわけではないのだが、なんというか、やる気が感じられないといったところだろうか。とりあえず直継の彼女に対する印象はそれほど良くなかった。

 彼女が自己紹介ともいえない簡素な挨拶をした直後、シロエがやって来た。直継が彼に挨拶しようとするとその前に彼は真っ先に少女に声をかけた。

 

「クロ? どうしてここに?」

「にゃん太さんにここのこと聞いて、面白そうだから連れてきてもらったの」

「おや、シロエちは彼女のことをご存知なのですかにゃ?」

「はい」

 

 彼女に会ったシロエはいつもより明るかったように直継には感じられた。その違いに直継は、おっと、もしや? となった。

 

「シロ、その子、えーっと、燐森ちゃん? とどういう関係なんだよ? 彼女か?」

「そんなんじゃないって。彼女は、えーっと……」

 

 そう言い淀んでシロエは彼女に話しかける。特に何かをしようとしていたわけではない彼女はシロエの呼びかけに応えて言ってもいいよと言った。

 

「そっか。あのね、彼女は僕のリアルの後輩なんだよ」

 

 シロエは友人を紹介するように言った。

 

「ちょっとやる気が見えないけどやるべきことはきちんとやるし、結構頼りになる子だよ」

 

 僕よりプレイヤー歴が長いしね、とシロエが明るく言う。そうか、と思いながら直継はシロエの話を聞いていた。

 そのとき、直継は急に彼女に声をかけられる。

 

「すいません」

「おっ、どうした?」

「今、自己紹介してまわってるんですけど」

 

 実に平坦な声が直継に要件を告げる。

 

「そうか。俺は直継っ! よろしくなっ!」

「直継さんですね。先ほどもご挨拶しましたが、小燐森です。みんなリンセって呼ぶんでリンセって呼んでください」

 

 抑揚のない声で自己紹介したリンセに直継は内心掴み所がないなと思った。けれど、それはリンセを拒絶する理由にはなり得ず。

 

「おうっ。俺のことは直継でいいぜ。あと敬語もナシなっ。仲良くやろうぜっ!」

「そう。じゃあよろしく、直継」

 

 そうして、直継はリンセに出会ったのである。

 

 

 ――そんな出会いから1ヶ月。

 

 直継は度々リンセとパーティーを組んでフィールドに出掛けた。回数で見れば多いとはいえない回数。しかしその数回のパーティーで直継は早くも彼女の異質さに気付く。

 

 その日はシロエを含め、3人のパーティーで行動していた。

 

「クロ、次はどのくらい?」

「4」

 

 シロエとリンセの主語のない会話。最初のうちは主語を入れろよと思っていた直継も次第にその会話に慣れていく。

 

「はいよっ、4体な」

 

 普通の会話をしているように見えるが実はマップ上に敵のマークはない。だがリンセが来ると言えば来るのだ。たとえマップ上にマークがなくても。

 

 そんな会話をした少し後、マップに敵のマークが出現する。数は4。

 

「よしっ、いくかっ!」

 

 フォーメーションはいつもどおり。前衛で直継が敵を引きつけ撃破。その援護をシロエが行い、リンセが補助をする。

 いつもどおりの戦闘を行いながら直継は思う。

 

 リンセはどうしてマップ上に出てもいない敵の数がわかるんかねぇ。

 

 そう、常に彼女の敵の数の予測はドンピシャなのだ。マップに出ていない敵の数なのにだ。完全に把握していると言ってもいい。それくらいの的中率だった。なんでわかるのか不思議に思って彼女に疑問をぶつけてみたが、返ってきたのは「ただの勘」だった。

 ただの勘にしても当たりすぎだろ、と直継は思う。

 

「直継、追加で3」

「え?」

「聞こえなかった? 追加で3体来るよ」

「おう、了解した」

 

 また、だ。またマップに出ていないのに敵の数を叩き出す。一体どうやっているんだ。

 直継は首をかしげながらも、とりあえず今は敵を倒すかと頭を切り替えた。

 

 *

 

「今日は結構やったな」

「そうだね」

「もうねむい」

 

 探索を終えて3人は〈帰還呪文(コール・オブ・ホーム)〉を使ってアキバまで帰ってきた。

 

「じゃあ、私はこの辺で今日は上がるよ。お疲れっしたー」

「お疲れ様」

「おう、お疲れっ」

 

 そう言ってリンセが一足先にログアウトした。残されたのはシロエと直継だ。

 

 そういえば、シロはリアルでリンセの先輩だったよな。

 

 唐突に直継はその事実を思い出す。そして、シロエに聞けばリンセのあの勘の良さの秘密がわかるかもしれないと思った。

 思い立ったが吉日。直継はすぐにシロエに尋ねた。

 

「シロ、ちょっといいか?」

「ん? どうかした? 直継」

「あのよー、リンセってなんであんなに勘がいいんだ? なんか秘密でもあったりするのか?」

「秘密?」

 

 ちょっと驚いたようなシロエの声。そして、すこし間が空いたあと笑いを耐えるような声が聞こえてきた。

 

「秘密、秘密かぁ。あったら僕もとっくに聞いてるよ」

「はい?」

「クロのあの勘の良さはなんの種も仕掛けもないんだよ」

 

 いつだって、どんな状況だって、デスクトップに情報が流れてくる前に予測する勘の良さ。シロエは種も仕掛けも無いと言った。

 

「本当にないのか? なんかこう、周りのやつらがここでどのくらいの数のモンスターに遭遇したとかの情報を集めてたとかさー」

「ないみたいだよ。それにクロの勘の良さは〈エルダー・テイル〉に限ったことじゃないから」

 

 つまり日常生活でもその勘の良さを働かせてるってことか? と直継は信じられない思いになる。

 

「あの子の勘は95パーセントくらいの確率で当たるよ。僕も最初は疑ってたけど彼女の勘の良さは本物だよ」

「ほえー、そんだけ当たればすげぇもんだな」

「本当だよね」

 

 シロエは可笑しそうに笑っている。しかし、直継は画面の向こう側で何とも言えない顔だった。

 勘の良さは本物だって言うが、それにしてもあの勘の良さはちょっと異常じゃないか?

 そんなことを思った直継だったが、彼女の勘にさらに驚かされることになるとはこのときは微塵も思っていなかったのである。

 

 

第六感の申し子(シックスセンス・ガール)

 

 

 ――彼女の勘の良さは予言に匹敵するほどの的中率。

 ――まさに、“予言者”だよな。



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extra 3

彼が彼女を呼ぶ理由


 ススキノからアキバへの帰還途中のときの夕食の時間。僕たちは他愛ない話で盛り上がっていた。そのとき、ふとアカツキがこんな話題を出してきた。

 

「主君、前々から不思議に思っていたのだが」

「なに?」

「なぜ主君は、リンセ殿のことをクロと呼ぶのだ?」

「呼び間違えたからだよ」

 

 そう答えたのは僕じゃなく、呼ばれている本人だ。その顔は必死に笑いを耐えている。

 

「ゲーム内で初めて会ったとき、シロくんが呼び間違えたんだよ」

「呼び間違えた?」

 

 首を傾げるアカツキに苦い思い出が甦る。

 あれは、まだ僕が〈エルダー・テイル〉を始めた頃のことだった。

 

  *

 

 初めてのゲーム、しかもオンライン。どんなものにも限らず、はじめはわくわくするものだ。自分のキャラをどう育てよう。どんな装備を持とう。そんなことを考えながらプレイしているときに、僕はそのプレイヤーに出会った。

 白い長髪に巫女装束。そんな真っ白な中に朱が映えるアバターのプレイヤーは、ちょうど僕が行きたいと思っていたダンジョンの近くにいた。向こうも僕のアバターが近くにいることに気付いたのか、こちらにチャットを飛ばしてきた。

 

『どうも、はじめまして。もしかして、この近くのダンジョンに行く方ですか?』

『そうです。これから行こうと思ってて』

『そうですか。自分今ソロなので、もしよかったら一緒に行きませんか?』

 

 突然のお誘いにタイピングの手が止まった。僕が一緒にいっても大丈夫なのか、と。そんなことを考えていると続いてチャットが飛んできた。

 

『もしかして、都合悪いですか?』

『そうではなくて、自分が一緒に行っても大丈夫ですか?』

『全然構いませんよ』

『なら、お願いします』

『ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします』

 

 そうして僕と相手のプレイヤーは一緒にダンジョンに行くことになったのだ。

 パーティーを組んだ後、もし大丈夫ならボイスチャットに切り替えても構わないかと提案されたのでそれを了承してチャットを切り替えた。

 一体どんな人なんだろうと不安半分に期待半分でいると、自分のヘッドセットから僅かに物音が聞こえた。そして、息を吸う音。

 

『こんにちは』

 

 聞こえてきた声に心臓が激しく鼓動を打ち鳴らす。

 ヘッドセット越しで現実で聞くよりだいぶ違う音質、けれどそれは驚くほどに聞き覚えのある声だった。

 

 ――一緒に遊ぼう!

 

 夜の公園の記憶が蘇る。

 幼かった日にそんな言葉と共に差し出された手、それが僕には大きく見えたのだ。

 

「……クロ?」

 

 揺れる黒髪と同系色の瞳、日本人にしては色素が薄い方に入る肌。あの日、1人だった自分に手を差し伸べてくれた女の子の名前を思わず呟いていた。

 

『え?』

 

 ヘッドセット越しの呆けたような呟きに我に返った。今、自分は何を言ったのか。

 

「あ、いやっ……何でもないですっ」

 

 すいません、と慌てて謝罪すると驚きの言葉が返ってきた。

 

『もしかして……城鐘恵? シロくんですか?』

 

 それは、僕のフルネームと彼女が僕につけた愛称だった。

 

「え、本当にクロなの?」

『あ、はい。黒沢(くろさわ)羽依(うい)、ですけど』

 

 黒沢羽依、正真正銘彼女だった。

 まさか、こんな偶然があるなんて。あまりゲームをするような印象のなかった彼女がゲームをしていることにも驚きを感じたが、それよりも全世界で運営されているオンラインゲームで知り合いに意図せずして出会うなんて。

 

『いやー、こんな偶然あるんだね。びっくりだよ』

「僕も驚いた。クロ……じゃなくて、えっと、プレイヤー名は何て読むの?」

 

 小燐森と表示されているが、どう読むのか。普通に漢字の読みを当ててみるが、どうにもしっくりくるものがない。ゲーム内でクロとリアルのあだ名で呼び続けるのもあまりよくないだろうと思って、僕はそう聞いてみた。

 

『ああ、シャオリンセンって読むの。中国語読みでね。でも、大抵の人はリンセって呼ぶからそれでいいよ』

 

 そういうシロくんは実に分かりやすい名前だね、と彼女は笑う。

 

『シロエだからシロくんって呼び続けても大丈夫かな? それとも、ちゃんとシロエって呼んだ方がいい?』

「どっちでも好きな方でいいよ」

『じゃあ、シロくんで!』

 

 自己紹介も終わったしいざ出発! そう言ってアバターをダッシュさせてダンジョンに向かうクロ、否、リンセを追って僕もダンジョンに潜り込んだ。

 

  *

 

「そこまではよかったんだけどね……」

 

 僕たちはそのときのプレイを思い出して、片や苦笑い、片や笑いを堪えられていなかった。

 

「ダンジョン攻略中の会話で、シロくんの呼び方が、まあ安定しない安定しないっ。プレイヤー名で呼べば『リンセ、さん』ってぎこちなくなるし、気を抜けばクロ呼びになって慌てて謝るしで戦闘中にも関わらず大爆笑で危うく死にかけたよっ」

 

 そんなに笑うな、とクロを睨み付ける。

 しかし、事実ダンジョン攻略中に僕がクロのことを呼ぶたびに彼女は必死に笑いを堪えていた。いや、あれは堪えられていたと言っていいのだろうか。ヘッドセット越しでも分かるくらいに呼吸が震えていたが。

 でも仕方ないじゃないか、と心の中で反論する。もう何年も呼び続けているあだ名なのだ。急に呼び方を変えろと言われても難しい。しかも、プレイヤー名を覚える前にクロとして認識してしまったのだし。

 

「まあ、そんなわけで私の腹筋が崩壊するからいつもの呼び方でいいよってことになったんだよ」

 

 クロはそう言ってにっこりと笑った。

 それにしても。

 

「……クロ、何してるの?」

「何って……」

 

 昔話をしている間、クロはなぜか班長の顎の下をわしゃわしゃと弄っていた。

 

「ご隠居の顎をもふもふしてるんだけど」

「いや、何で?」

「何でって……」

 

 ねえ? とクロが班長に問いかければ、班長は、にゃぁ、と返した。

 

「再会できたら触らせる、という約束だったのですにゃぁ」

「そういうこと」

 

 触り心地最高、とうっとりした様子でクロは班長の顎を触り続けている。班長も止める様子はなく、気が済むまで触らせる気でいるようだ。

 

「そういえば、クロはもしかしてススキノに班長がいたこと知ってたの?」

「ああ、うん。知ってたよ。というか〈大災害〉後に最初に連絡とったの、ご隠居だし」

「え、そうだったの?」

「うん」

 

 情報交換のためにね、とクロは言う。

 〈大災害〉直後、メニューが開けるのなら念話が出来るはずと思ったクロは、フレンド・リストを開いて周囲のログイン状況を確認したらしい。そのときに珍しくログインしていた班長の名前が見えて連絡を取っていたのだそうだ。

 

「それなら、最初から言ってくれればよかったじゃねーか、リンセ」

「黙ってた方がわくわくが増えて面白いかなって」

 

 そう笑うクロに直継と2人でため息をついた。〈大災害〉後のあの状況で楽しみという意味合いだけで知り合いの情報を秘匿するとは。流石としか言いようがない。

 

「まあ、期を見て報告する気ではいたよ。というか、それ以前にフレンド・リストを確認していれば分かるだろうと思ったんだけど」

 

 言っていることはわかるけど、まさか知り合いがセララさんを匿っているとは思うまい。そんなことを考えてクロを見ていれば僕の考えていることが分かったのは、クロは口角を上げた。

 

「ま、世間は案外狭いって話だよ。シロくん」

 

 こうして会えたのだから結果オーライだ、とサムズアップを決めたクロに、僕はもう一度だけため息をついた。

 

 

〈白と黒と愛称と〉

 

 

 ――初めてつけられた愛称。

 ――僕がそれを捨てる日は、きっと来ないのだろう。



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extra 4

にゃん太班長・幸せのレシピRecipe06から始まるリンセとにゃん太の出会いの物語


 その日はアキバで人気のおにぎり屋「えんむずび」の試作品の試食会が〈記録の地平線〉のギルドハウスで開かれていた。そこでちょっとしたきっかけからにゃん太がかつて所属していたギルド〈猫まんま〉の話が上がった。にゃん太の若手時代の話を聞いて、五十鈴が言った。

 

 ――今は〈猫まんま〉なんて名前のギルド、聞かないよね。

 

 それもそのはず。〈猫まんま〉はすでに解散してしまっているのだから。

 にゃん太は〈猫まんま〉のその後を詳細には語らなかった。そんな彼を見て、意図したわけではないが話のきっかけを作ってしまったシロエはやってしまったと頭をかいた。

 

 その後、試食会も終わりにゃん太はギルドハウスの屋上にいた。そこにシロエもやってくる。

 

「ここからの眺めはいいですにゃあ。星が降ってきそうです。シロエちがこのギルドに誘ってくれた時もこんな夜でしたのにゃ」

 

 にゃん太は夜空を見上げて笑う。言われてシロエはそのときのことを思い出して顔を赤くした。

 

「今思えば大きく出たもんだよね。班長が昔いたギルドのこととかぜんぜん知らなかったのにさ」

 

 そこでシロエは先程のことを謝罪する。自分が〈猫まんま〉の名前を出さなければ、と。にゃん太は気にした素振りもなく、構わない、栄枯盛衰は世の理だと告げた。

 突然柱を無くしたギルド。行き着く先は崩壊で、懸命な努力も虚しく立て直すこともできないまま、結局〈猫まんま〉は散り散りになってしまった。名前の由来となったのはギルドマスターだった玉三郎の夜食だった。ログイン中にデスクに置いてプレイしながら短時間でかき込む、そうやって冒険するほど彼らは〈エルダー・テイル〉に熱中していた。

 今はただ何もかもが懐かしいと語りながら、にゃん太はシロエに試作した具材を頂戴して作った猫まんまを差し出す。

 

 そして、その記憶を探ると必然的に彼女との冒険の記憶も付随してくる、とにゃん太は心の中で呟いた。

 

  *

 

 にゃん太が彼女に出会ったのは今から10以上年前。

 仲間内でダンジョンで狩りをしているときに出会ったヒーラーが彼女だった。〈神祇官〉をメイン職にしたそのプレイヤーは、敵モンスターの行動を的確に把握して回復魔法とダメージ遮断魔法を使いこなし、パーティーが取りこぼしたモンスターの後処理まで完璧にこなした。その上、手にしている装備が軒並み〈秘宝級〉や〈幻想級〉であることから相当のヘビープレイヤーであることが伺えた。

 そのプレイヤーも含めて彼らはダンジョンの最奥部まで攻略した。

 

「助かったよ、〈神祇官〉さん!」

『お役に立てたようで良かったです』

 

 パーティーの仲間のボイスチャットにそのプレイヤーはテキストチャットでそう返してきた。小燐森と表示されているそのプレイヤーに、にゃん太は覚えがあった。実際に一緒に冒険をしたことがあったわけではない、一方的に知っているだけの情報であったが。

 その人物は様々な高難易度クエストに挑戦しては輝かしい戦績を残しているプレイヤーとして有名になりつつある人物だった。その上、何かしらの追加要素があると掲示板などにバグ情報を残していくプレイヤーとしても有名だった。

 そんな〈エルダー・テイル〉でも中々の有名人であるプレイヤーは、プレイ中のやり取りを見ても礼儀正しく思慮深く対応しており、にゃん太の中の印象は悪くなかった。

 その日はダンジョンを出るまで共に行動をし、フレンド登録をして解散となる。

 

 後日、再びにゃん太は〈エルダー・テイル〉でそのプレイヤーに遭遇する。

 

「おや。(しゃお)さん、お久しぶりですにゃ」

『にゃん太さん、お久しぶりです』

 

 その日もそのプレイヤーはテキストチャットだった。その頃はまだそこまでボイスチャットが主流ではなかったため、にゃん太は特に気にせずに話を続ける。

 

「今日もお一人ですかにゃ?」

『はい。にゃん太さんもですか?』

「ええ」

 

 それなら一緒に冒険に行きませんか? とそのプレイヤーは言う。にゃん太はその提案に快く頷いた。

 

 二人でパーティーを組んで世話ばなしをしながら辿り着いたダンジョン。その入口でそのプレイヤーはそうだったと思い出したように言う。

 

『そういえば先日、ようやくボイスチャットの環境が整ったんです。テストしようと思って忘れていました。申し訳ないのですけど、今テストさせていただいてもよろしいでしょうか?』

「にゃ? そうだったんですか。構いませんにゃ」

『ありがとうございます。今準備しますね』

 

 そのチャットを最後にアバターの動きが止まる。にゃん太は何をするでもなく相手の準備が整うのを待った。

 そうして少し経った頃。

 

『準備が整いました。今からボイスチャットに切り替えます』

「了解ですにゃあ」

 

 その言葉を合図に通話が繋がったような音がして、そのプレイヤーが声を発する。そしてにゃん太は驚きに目を見開くのだ。

 

『もしもし、聞こえていますか? 音声は良好でしょうか?』

 

 え?

 

 にゃん太は画面越しにぽかんと口を開ける。その声は彼が想像していたよりもずっと、ずっと幼い少女の声だったのである。

 

『音声大丈夫ですか?』

「え、ええ。問題ないですにゃ」

 

 答えながらにゃん太は先日の彼女の動きを思い返す。礼儀正しく、思慮深く、いっそそういった礼儀作法について教育を施されたのかと思うほどに品行方正だった。その様子と声色の乖離具合がひどく歪だった。けれど、それを問うほど彼らは互いを信頼していたわけでもなく。

 結局にゃん太は彼女に抱いた歪さを口にすることなく、共に冒険をしたのだった。

 

 それからもにゃん太は何度か彼女と共に冒険をした。彼女はにゃん太伝いで知り合った〈猫まんま〉のメンバーとも冒険をするようになり、時折、大規模戦闘攻略にも参加したりしていた。

 小燐森というプレイヤーは気がつけば〈猫まんま〉というギルドに恐ろしく馴染んでいた。相手の考えを的確に読み取りプレイするスタイルは、どのメンバーとも衝突することなく彼女の存在を浸透させていった。けれど一方で、どこか一線を置いているような不思議な人物だとにゃん太は思っていた。

 

 そんな日々が続いたある日のこと。にゃん太は久しぶりに彼女と二人で冒険に出掛けていた。その時刻は本来であれば子どもは寝ているべき時間である。いや、もしかしたら声が幼く聞こえるだけで実年齢はもっと上なのかもしれないが。ネットで知り合っただけの自分が口を挟むのは如何なものかと思いもするが、それでも気になってしまったにゃん太は疑問を口にする。

 

(しゃお)ち、こんな時間まで起きていていいんですかにゃ?」

『もしかして、私の体調を心配してくれていますか?』

 

 にゃん太のヘッドセット越しからクスクスと面白そうな笑い声が聞こえてくる。

 

『大丈夫ですのでご心配なく。……明日は家から出られなくて学校にも行けないので』

 

 は?

 

 突っ込みどころがありすぎて一瞬だけにゃん太の思考が止まる。

 まず、家から出られないということ。一体どんな理由で家から出られないというのか。そして学校にも行けない、とは。

 それに、それらの言葉を付け加えた彼女の声がどこか押し殺したような他人事で。

 

「……大丈夫ですかにゃ?」

 

 にゃん太は彼女を気遣う言葉を口にしていた。

 途端、機械越しの声が止む。彼女から冷たい無言が流れ、にゃん太の方から何か言うことも憚られた。

 何度か言い淀むような気配がした後、小さく息を吸う音が聞こえる。

 

『えと……どうでもいいことなので、その……聞き流していただければと思います』

 

 そう言った彼女はぽつりぽつりと吐露しはじめる。

 明日は母親の命日で、その傷跡が未だ深い父親と一緒にいなければいけないこと。その関係で明日だけは自由に動くことが出来ず、外出も出来ないこと。そして、芋づる式に小学校にも行けないこと。

 

『でも、いいんです。父は笑ってくれるし、他の大人の人たちも父親思いのいい子だって……』

 

 母のようになれば大切な人たちが笑ってくれる、だから母のようになりたくて、母のやってきたことを一つずつ覚えていこうと、その過程で〈エルダー・テイル〉を始めたのだと、このアバターも名前の一部も母のものを真似たのだと、彼女はどこか他人事のような声で小さく語った。

 にゃん太はその話が嘘だとは思えなかった。そして、その話を聞いてにゃん太はなんて歪な子どもなのだろうと思った。周りに像を押し付けられて、それを演じきってしまう、歪で、心優しくて、どこか迷子の子猫のような哀しい子ども。

 きっと誰も彼女を否定しなかったのだろうとにゃん太は考える。でも、それはきっと間違いなのだ。

 なら、自分が否定してやればいいとにゃん太は思った。

 

「……“リンセ”ち」

 

 母のものを真似たというキャラクター、その中で唯一真似ていない部分である彼女自身の名前をにゃん太はあえて呼ぶ。

 

「リンセちはリンセちですにゃ。他の誰かになれるわけがない、そして、他の誰かがなれるわけもないのですにゃ」

 

 ましてや生者に死者の像を押し付けるなど、どちらに対しても礼を失しているどころの話ではないだろうと彼は画面越しに眉を顰める。

 

「誰かを目標にすることは悪いことではありませんにゃ。けれど、それを理由にするのは間違っていますにゃぁ」

 

 自分以外の誰かを理由に自分の歩く道を決めること、それは責任の放棄でもあるし自分の存在を踏み潰すことにもなるだろう。誰かがそう言ったから、誰かにそう言われたから、と自分の選択の理由を他者に求め続ければ、いずれ自身の生殺与奪権を他者に与えることになるのだ。

 

『…………にゃん太さんは』

 

 小さく震えた声がにゃん太の鼓膜を震えさせた。

 

『私のことを叱ってくれるんですね』

 

 そして、彼女はそれを理解していた。自分が間違ったことをしていると。けれど誰も彼女を叱らなかった、否定しなかった、それが正しいことなのだと言い続けた。崩壊を恐れて彼女はそれに言葉を返すことが出来なかった。

 それじゃ駄目なのだとにゃん太は言った。それは彼女がずっと大人たちに求め続けた答えだった。

 

 機械越しの音声が震える。

 

「いいんですにゃ、泣いても」

 

 にゃん太は優しく語りかける。彼女の押し殺すような声にきっと泣くことすら許されないと思っているのだろうと察したからだ。

 許されて、そして、機械越しに子どもらしい泣き声が聞こえる。抑えることもなく、自分の感情のままに訴える声が。

 母親という唯一の存在を亡くして、その母親の像を押し付けられて、どうにもできなかっただろう。よくここまで耐えたものだとにゃん太は感服する。なぜなら、彼女は逃げなかったから。その手段は間違っていても、彼女は周囲の人を守ろうと戦い決して逃げなかったのだ。

 

 にゃん太はただじっと彼女の声を聞き続けた。

 それはきっと、彼女が殻を破って生まれ落ちた産声だったから。

 

  *

 

 思えばそのときくらいだ、彼女の心情を把握できたのは。

 

 〈水棲緑鬼(サファギン)〉で作った猫まんまだとネタバレしたらそれを吹き出したシロエの隣で、にゃん太は数瞬過去に想いを馳せていた。

 いや、あれは把握できたに含まれるのだろうかと自問自答するが、むしろあの頃のリンセでないと考えていることなど分からないと答えにならない答えを出す。

 彼女は歳を重ねるにつれて思考回路も高度になっていったし、言葉で心情を覆い隠すことを覚えてしまった。今ではもうのらりくらりと躱されるくらいだ。そういった意味では彼女は彼らの中で最も〈猫〉であった。それと同時に、にゃん太にとっては殻を破ったばかりの小さな小さな雛鳥でもあった。生まれたばかりの姿を目の当たりにしたからか、どうしても彼女には親心が湧いてしまうのだ。手のかかると表現しているが、にゃん太の方から手をかけていることも少なくはなかった。

 

「あれ、シロくんにご隠居じゃん。こんなところで何してるの?」

 

 突如聞こえてきた声にシロエとにゃん太は後ろを振り返る。そこにいたのは白い髪を揺らしたリンセだった。にゃん太がシロエに告げた言葉を同じ様に口にすれば、確かにここ眺めが良いですよねとリンセはシロエの左隣に腰を下ろした。

 

「あれ、シロくん。その猫まんまって」

「ああ、うん……」

 

 リンセに思わず遠ざけてしまった猫まんまを指摘されてシロエは何とも言えない表情をした。具材が〈水棲緑鬼〉であることがよほど衝撃だったらしい。

 

「私も食べたい、一口ちょうだーい」

 

 言いながらリンセはシロエの回答を待つまでもなく、シロエから箸を取り上げると猫まんまを一口分すくって口に放り込んだ。その隣でシロエは知らないよと言わんばかりに呆れたように顔を顰める。そんな2人のやり取りを微笑ましそうに見ていたにゃん太は、これまたシロエに告げたことを同じ様にリンセに伝える。

 

「リンセち……その猫まんま、〈水棲緑鬼〉で作ったやつですにゃ」

「え、そうなの? あの魚モンスターいい味出すじゃん」

 

 ただし、リンセはシロエと違って猫まんまを吹き出すことはなかった。なんで気にせず食べられるの? と疑問を呈したのはシロエである。そんな彼にリンセは口に入れば一緒などと答えている。シロエは納得のいっていない表情をしているが、食に関して無関心であるリンセに何を言っても無駄だと悟ったのかそれ以上言及することは諦めたようだ。

 

 異世界で流れる平和で穏やかな時間。それに身を委ねながらにゃん太は静かに目を閉じた。

 その裏に映るのは、あの日の続きである。

 

 泣き止んだ彼女は少し枯れた声でこう言った。

 

『もう大丈夫です。逃げてもいいって分かったので。逃げることは悪いことじゃない、生きるためには時には大事なことなんだって』

 

 にゃん太はその言葉に息を飲んだ。何かを言おうとして、しかし言葉が出てこない。そんなにゃん太に彼女は追い打ちをかけた。

 

『だから、にゃん太さんが何かから逃げていたとしても、それはとても大事なことだと思います。にゃん太さんがにゃん太さんとして生きるために』

 

 にゃん太は今度こそ言葉を失った。この少女に畏怖を抱いた。何を知っているんだ、と。それなのに彼女の真っ直ぐな声が耳の奥で反響してじっくりと脳に染み渡っていく。失う苦しみを知っている彼女の言葉だからこそ、その重みは桁違いだ。

 それ以上、彼女はそのことについて何も言わなかった。いつもと同じトーンで冒険に行きましょうと笑った。

 にゃん太には分からなかった。どうして彼女がそんなことを言えたのか。それでも分かることが1つだけあった。きっと彼女は自分を肯定してくれたにゃん太を肯定してあげたかったのだと。

 にゃん太はただ、それだけは理解できた。

 

 変わらない、相手の心情を読み取って寄り添うように在る、その姿は。

 

 瞳を開いた先にいるシロエとリンセ、2人のやり取りを見てにゃん太はそう思った。

 

「ねえ、ご隠居」

「にゃ?」

 

 外側から眺めるようにしていたにゃん太にリンセが声をかける。その隣ではシロエが、本気か? と言いたげな目でリンセを見ていた。どうやらにゃん太が過去に意識を飛ばしている間に彼らの中で何かあったらしい。にゃん太は首を傾げて2人を見た。

 

「〈水棲緑鬼〉が食べられるなら〈緑子鬼(ゴブリン)〉は食べられないの?」

「…………にゃ?」

 

 さすがに無理でしょ、というシロエに、レベル90の〈料理人〉であるご隠居ならできそう、というリンセ。その表情からは本気なのか冗談なのか判別が付かない。その事実に、こういう話のときくらいはもう少し読める表情をしてくれないかとにゃん太は思った。

 

「リンセち、もし食べられるとして何の代用にするにゃ……」

「え? 新しい食材で良いんじゃないの?」

 

 駄目だ、突拍子もなくて理解が追いつかない。

 シロエとにゃん太の心の声が重なった。それを察したのかリンセは同じこと思わなくていいのにと呟く。はぁ、とにゃん太がため息を吐けば、お疲れ様とシロエがにゃん太に同情の視線を向けた。

 

「なんでため息吐くのさ」

 

 そう言って口を尖らせるリンセに、にゃん太はもう何度目になるかも分からない台詞を言う。

 

「誰のせいですにゃ」

「私かな!」

 

 リンセはニコニコ笑顔でサムズアップを決める。

 そんな彼女の姿に影はなくてにゃん太は人知れず安堵するのだった。

 

 

〈雛鳥〉

 

 

 ――雛はいずれ巣立ちのときを迎える。

 ――ただ、今はまだその事実から目をそらしたままで。



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異世界のはじまり
chapter 0


 右前方には全身鎧(プルプレート)の大柄な男。その隣には風のように駆け抜ける燕のような少女。背後には(スタッフ)を持った眼鏡の青年。そして、陣形の中心には薙刀を持った少女。

 

 周りから聞こえるのはモンスターの鳴き声。陣形の中心にいる少女はそれらに対して手にしている薙刀で応戦する。

 

 やっぱり、あたらないなぁ……。

 

 薙刀を持った少女は自身の攻撃が外れたことに対して独り言ちた。

 本来、レベル90であるプレイヤーの攻撃が格下のモンスターに当たらないなんてことはない。ここが“ゲームであったならば”。しかし、嘆いたところで現状は変わらない。

 

「シロくん」

「わかってる。〈ナイトメア・スフィア〉っ!」

 

 薙刀を持った少女の声に眼鏡の青年は即座に応える。彼から放たれた呪文は無色透明な精神波動を撒き散らした。波動に巻き込まれたモンスターは移動速度が低下した。それを確認するや否や、薙刀を持った少女は高らかに叫ぶ。

 

「直継、アカツキー。いくよー。〈見鬼の術〉そして〈天足法の秘儀〉っ」

 

 その瞬間、大柄な男の瞳が薄青く輝いて燕のような少女のくるぶし付近に翼が生えたようなエフェクトが現れる。

 

「おっ! これ狙いやすいなっ!」

「感謝するぞ、主君、リンセ殿」

 

 薙刀を持った少女の呪文を受けた2人は明るく返してきた。

 それから、ちょっとした軽口を叩きながら2人は次々とモンスターを倒していく。大柄な男と燕のような少女が取りこぼしたモンスターは、眼鏡の青年が拘束して薙刀を持った少女が一撃を加えることで始末していく。

 

「よっこいせぇ!」

「はっ!」

 

 大柄な男と燕のような少女の鋭いかけ声とともに最後のモンスターが消滅した。

 

「これで終いか?」

 

 大柄な男の問いに眼鏡の青年は頷くことで答えた。薙刀を持った少女は一通り周囲を見渡す。敵影は、ない。

 

「周辺にはいなさそうだけど……」

「うん。けど、ちょっと見張っておいたほうがいいかな。――悪いけど3人で回収しちゃってくれる?」

 

 薙刀を持った少女の言葉に続いた眼鏡の青年の声に大柄な男と少女2人は従った。

 モンスターを倒した際のドロップ品を回収している最中に薙刀を持った少女の耳に届いた深いため息。作業を中断させて彼女はそれが聞こえた方に視線を向けた。発生源はどうやら眼鏡の青年のようだ。

 

 あの感じは、また暗いこと考えてるなぁ……。

 

 そう考えながら薙刀を持った少女は僅かに目を細めた。そして他の2人が戦利品を回収し終わるのを見計らって、彼女はため息の発生源に声をかける。

 

「終わったよ、シロくん」

 

 青年は彼女の声に僅かに肩を揺らした。

 

「クロ」

「さあ、行こうか」

「あ、うん」

 

 優しく微笑んで待っている2人の方へ歩き出した彼女の背を追いかけるように、青年は一歩踏み出した。

 

 土を踏みしめる感覚、草木が揺れる音。これらは全て現実だ。

 薙刀を持った少女は、眼鏡の青年のため息の理由を想像して僅かに眉をひそめる。

 

 これが、今の彼女たちの“現実”。

 MMORPG〈エルダー・テイル〉の世界に閉じ込められてしまったらしい、彼ら〈冒険者〉たちの“現実”だった。



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chapter 1

 老舗MMORPG〈エルダー・テイル〉。それは20年の歴史を誇るオンラインゲームの古参タイトルだ。

 その日は12番目の追加タイトル〈ノウアスフィアの開墾〉の解禁日だった。しかし、その日を境に私たちの「現実」は変わってしまった。

 

 肌をなぞる風。湿った空気。何もかもが自分の五感で感じ取れた。画面の向こうで見慣れた風景が、今、目の前に存在している。

 

 ここは、どこだ?

 

 そんな疑問の答えは既に分かっていた。私が持っている異常ともいえる程よく当たる勘が必死に答えを叫んでいた。

 

「ここは〈エルダー・テイル〉の舞台〈セルデシア〉。そして〈弧状列島ヤマト〉の日本サーバー最大の街〈アキバ〉かぁ……」

 

 その日、私は異世界の土を踏みしめていたのだ。

 

 *

 

 ありのままに今起こったことを話そう。

 気がついたら見知らぬ大自然の中にいた。

 

 なぜ自分はこんな大自然の中にいるのだろう。さっきまで自分はデスクトップPCの前でいつも通りオンラインゲーム〈エルダー・テイル〉をしていたはずだ。それがどうしてこんなことになっているのか。

 

「……まいったなぁ」

 

 自分の格好を確認してみれば陰陽師の着ていそうな和装、つまり、先程まで自分が操作していたキャラクターにそっくりな格好をしていた。おまけに右目にかかっている髪は白い。私は髪を染めてもいなければ地毛が白いわけでもない。その白は完全に自分のアバターの髪色だった。

 

「何がどうなっているんだか」

 

 一瞬だけ思考を巡らせたが原因は全く想像もつかない。

 ここでじっとしていても何も得られないだろうと思った私は、とりあえずアキバの街を歩き回って自分の置かれてる状況を確認してみることにした。

 

 元いたところから少し離れると、自分と同じような状況に陥っている人が多数いた。その人たちの表情はどれも暗い。中には悲鳴を上げる人もいた。私はあまりの声量に思わず眉をひそめる。

 

「……元気だなぁ」

 

 その光景を目の当たりにした私の口をついて出たのはそんな皮肉だった。

 

 沈み込んでいる人々を傍目に周囲を歩き回る。その散策で確認することが出来たのは画面の向こう側で見慣れたアキバによく似た風景だった。崩れかけた廃墟。建て増しを重ねたバラックの酒屋。この世界での現代に残された〈神代〉の遺産。聳え立つ古代樹。機能してないないが見慣れたトランスポート・ゲート。明らかにここが自分が今まで生きてきた世界ではないことは確かである。

 

 ここは〈エルダー・テイル〉もしくはそれに酷似した〈異世界〉。

 

 それが不思議な光景を目の当たりにして出た結論だった。

 この結論が出てもなお、それなりの冷静さを保っている自分の適応能力に地味に感動した。それどころかちょっとだけわくわくしている自分がいる。我ながら呑気というか好奇心旺盛というか。いや、これは危機感がないだけだろうか。

 

 それはともかくとして、ここがゲームの世界ならば。

 

「どうにかすれば、メニュー画面が開けるはず」

 

 そう結論づけて、トランスポート・ゲート付近の静かなところを探して腰を下ろす。

 メニュー、メニュー……と考えていると視界に二重写しのようにメニューが開かれた。それにびっくりすると集中力が散漫したせいかそれはフッと消えてしまう。再度額のあたりに集中すると、それはもう一度視界の中に二重写しのように出現した。操作しようと意識することで操作ができそうなので一通り内容を確認していくことにした。アイテム、装備品、キャラレベル、特技、エトセトラ。どうやら、データ的にはこの状況になる前と変わっているところはなさそうだ。ただ、ログアウトはできないらしい。それと報告機能の障害報告も使えない。というか、その箇所が空白だった。

 

「ですよねー。そんな予感はしてたよ」

 

 メニューからこの現象が解決できるとは全く思っていなかったので問題はないが、これでこの現象がイベントである線は完全に消えた。元からイベント関連ではないような気はしていたので、確証が取れただけでも今後の方向性を決めることができるだろうと前向きに考えることにする。

 そうして一通り確認し終えた後に私はそれに気付いた。

 

「これ、フレンド・リストから念話できるんじゃない?」

 

 思い立ったが吉日とでもいうように、私はフレンド・リストからログイン中のフレンドを確認していく。その中で目に付いたのは〈エルダー・テイル〉で10年以上の付き合いを持つプレイヤーだった。名前が白く光っているのでログインしているらしい。

 少し戸惑いながら念話機能を立ち上げて彼を呼び出す。しばらくコール音が頭の中で響いたあと、彼と念話が繋がった。

 

「……あの、ご隠居ですか?」

『その声は、リンセちですかにゃ?』

「はい」

 

 脳内に直接響くような不思議な感覚で届いたのは落ち着いたトーンの声色だった。

 安心感すら感じる声に取って付けたかのような猫語尾。〈エルダー・テイル〉をはじめてから最初に念話機能で会話した相手、猫のご隠居ことにゃん太である。

 

『久しぶりですにゃ』

「ええ。ご無沙汰してます。あの、突然で悪いんですが……」

『今、この状況についての情報ですかにゃ?』

 

 自分の言いたいことを分かっている彼に少しだけ口角が上がる。そう、今の状況では情報収集が最重要事項なのだから。

 

「はい。何もわからないんじゃ今後の身の振り方も決まらないので。情報交換がしたいです」

『我が輩もそう思っていましたにゃ』

「やっぱりですか」

 

 以前と変わらない会話。以前と変わらない声色。それは少なからず互いを落ち着かせるものだった。胸の中にあったもやが少し晴れたような、そんな気がしたのだ。

 

「それで、今ご隠居はどちらに?」

『ススキノですにゃ。リンセちは?』

「私はアキバです。おそらく合流は難しいかと」

『まさか……』

「はい。確認したところ、現在時点で都市間トランスポート・ゲートが機能してないみたいなんです」

『そうですか。〈妖精の輪(フェアリー・リング)〉を使うことも今は危険ですにゃ』

「ですよね。もうWebは見れませんし」

 

 思考する。

 おそらく足を使って行けたとしても、アキバから一歩外に出ればそこはモンスター出現区域となる。今の状態では今までどおりの戦闘はほぼ不可能だろう。ショートカットキーも無ければメニューから特技を使うのも戦闘の中では厳しいものがあるだろう。完全に、特技を「使う」ことと「使い慣れる」ことは別物となってしまっていると考えていい。

 

「うーん。まいったなぁ」

『まだまだ情報が足りないですにゃ』

「そうですねー。とりあえず、お互いにこの世界についての情報を集めて、定期的に連絡でも取りますか?」

『それが今できる最善でしょう』

「それじゃ、そうしましょう」

『ええ。では、また情報が集まり次第連絡しますにゃ』

「はい。こちらでもやっておきます」

 

 別れの挨拶をして彼との念話を切る。比較的向こうも冷静なようで少し安堵した。これなら情報収集はうまくいきそうだ。

 

 さて、ひとまず今ある情報だけで少し考えをまとめてみようか。

 日本サーバーには約120万のキャラが存在しており、そのうちの10万程のキャラがアクティブである。自分のフレンド・リストのログイン率からみると、大体3割が〈ノウアスフィアの開墾〉が導入された瞬間にログインしていたと考えられるだろう。つまり、単純計算で約3万人の日本人が今この異世界にいる計算になる。そして、おそらくこの状況の早期解決は見込めない。仮に帰る術が存在していたとしても私はその術を知らないし、現時点で知っている人間はいないだろう。となると元の世界に復帰できるまでここで生きていくしかない。イコール、モンスターとの戦闘は少なからず行わなければならない。

 実に難儀なことだ。

 

「多分、少ししたらみんな戦闘要員の確保とかに動き出すんだろうなぁ……」

 

 みんな一緒なら怖くないとでもいうように集団を作り始めるだろう。おそらくこれからギルド勧誘も増えるし新しく設立されるギルドもあるだろう。

 元々「運営」という機関がルールを定めていた世界だ。現在、その運営にこちらから報告という形で干渉することはできないと考えるべきだ。つまり、今この世界は自分たちにとって無法地帯と化したわけだ。

 幸いアキバの街は戦闘行為禁止区域となっている。しかし、その「戦闘」がどの程度のことまでを指すのかは分からない。相手に悪意を持って害を与えることなのか。いや、そもそも「害」とは肉体的なもののみなのか、それとも精神的なものも含まれるのか。恐喝、強姦などは含まれるのか。

 

「考えるんじゃなかった……」

 

 自分の思考に吐き気を感じて思わず顔を歪める。心底気持ち悪い。鳥肌が立ってくる。

 そのとき、念話機能の呼び出し音が鳴った。その音に肩を思いっきり揺らしながらもメニューを開く。表示されていた名前は「シロエ」。リアルでも〈エルダー・テイル〉でもとても仲良くしてもらっている1つ年上の先輩だった。

 念話を繋いで声をかける。

 

「もしもし」

『クロ?』

「君が間違いなく私にかけたのなら、私が出るんじゃないかな? シロくん」

 

 つい一昨日も聞いた声に彼が間違いなくシロエだと判断する。

 

『クロ、今どこにいる?』

「トランスポート・ゲートのところから少し離れたところだよ。シロくんは?」

『ギルド会館前にいるよ』

「そう。じゃあこれからそっちに向かうよ。情報交換がしたい」

『うん、僕もそう思って掛けたんだ。じゃあ、お願いできるかな?』

「うん。じゃあ、また後で」

『また後で』

 

 用件のみを話して念話を切り、私はシロエと合流するべく歩き出した。

 

  *

 

 歩き出してしばらく。のんびりしていたせいか、途中で〈冒険者〉同士の乱闘に遭遇したからか、少々時間はかかってしまったがようやく待ち合わせ場所に辿り着いた。

 さて自分の先輩はどこにいるのかなと辺りを見回すと、ゲーム内で見慣れた白いローブマントとその横に佇む全身鎧を見つけた。向こうもこちらに気付いたのか、駆け足で寄ってくる。

 

「クロっ!」

「走んなくても私は逃げないよ、シロくん」

 

 目付きの悪い三白眼に丸眼鏡。駆け寄ってきた先輩――シロエはリアルのまんまの顔だった。その後ろから駆け寄ってくるのは、もしや。

 

「もしかして、リンセか?」

「そういう君は、直継? 復帰したんだ?」

「ああ。新しい拡張が来るって聞いてな」

「そう。まあ、巻き込まれて災難だったね」

 

 リアルの事情でしばらく休止していた直継だった。その顔も以前リアルで会った彼によく似ていた。

 

「ていうか、2人共そのまんまだね」

「そういうクロこそ、やる気のなさそうな若干死んだ目とかそのまんまだよ」

「黙れ、腹ぐろ」

 

 感じたことをそのまま告げれば、シロエからオブラートにも包まない言葉が帰ってきた。一昨日となんら変わらないやり取りに、やっぱり本物かぁ、と独りごちているとシロエが目の前で手を振ってきた。

 

「……なに?」

「いや、なんかぼそぼそ言い出したから、大丈夫かなって」

「大丈夫ですー」

 

 言いながら、目の前で振られていた手を軽く叩き落とす。

 そして、とりあえず時間がもったいないので歩きながら情報交換をすることになった。

 

「……で、2人はどこまで情報得られた?」

「正直、全然集まってないよ」

「さっき〈三日月同盟〉ってところのギルドで少し情報交換したとこだけどなぁ」

「〈三日月同盟〉っていうと、マリーのところか」

 

 〈三日月同盟〉とは〈施療神官(クレリック)〉のマリエールがギルドマスターを務める中小ギルドだ。マリエールは典型的な関西人のお姉さんといった感じの人である。

 

「彼女の様子はどうだった?」

「やっぱりちょっと参ってそうだった……?」

「なんで、疑問形なの」

 

 尋ねればシロエは何とも言えない微妙な表情になった。私が首を傾げると彼はその表情の意味を教えてくれる。

 

「言動はいつも通りだったからね……」

「ああ、なるほど」

 

 苦笑するシロエに私は理解したと頷いた。

 何となく想像できた。あの人のことだからまた女子高癖を出してきたんだろうな。

 

「大丈夫だった? 直継。あの人、初対面じゃ少々扱いにくかったでしょ」

「あー、なんつーかなぁー……」

 

 直継の反応を見るとやはり洗礼を受けてきたらしい。ご苦労様なことで。

 それはそうと、本題に戻ろう。

 

「収穫は?」

「マリ姐のところもあまり掴んでないみたいで。今のところはトランスポート・ゲートが使えないことぐらい。あとはマーケットのこと、自衛とかについて話してきたよ」

「ふーん。まあ、ゲートのことは実際見てきたからわかるよ」

「そうだよね。それでクロの方はどう?」

「こっちも似た感じだね。どこの都市も同じ感じってことと、アキバの街の戦闘行為禁止区域っていうのはおそらく継続中。さっき通りすがりに〈冒険者〉同士の乱闘にあってね。衛兵が来てたからシステムとしては機能してると思っていい。ま、どの程度までが引っかかるかは……」

 

 話していて、さっき考えていたことが頭をよぎった。

 ――恐喝、強姦などは含まれるのか。

 今、気付いた。これは禁止に含まれない、ノーだ。

 

 不意に言葉が止まった私を不思議に思ったのか、シロエと直継が不思議そうな顔でこちらを見る。

 

「どうした? リンセ?」

「クロ?」

「……恐喝、強姦、その他の“武器を使用せず一定以上の苦痛またはダメージを与えない”行為は、おそらく戦闘行為禁止区域の条件に引っかからないと思う」

 

 私の言葉に2人が息を呑んだ気配がした。難しい顔をしたシロエが私の目を凝視する。

 

「……どうしてそう思ったの?」

「“武器を使用せず”っていうのは、まあ戦闘といえば武器が出てくるからそこから逆算。“一定以上の苦痛またはダメージを与えない”っていうのは、ちょっとした喧嘩じゃ引っかからないことと、あとは勘」

 

 勘、と言い切った私に2人は神妙な面持ちになる。

 昔からそうだ。私が勘を頼りにものをいうとみんなこの顔をする。一体、何だっていうんだ。

 

「ただの勘だから、外れるかもしれないよ?」

「いーや、お前の勘が今まで外れたことはなかった!」

「ただの、偶然でしょ」

「ただの偶然だったら、今頃“預言者”なんて言われてないでしょ」

「シロくんまでそれを言うか」

 

 “預言者”または“予言者”。

 これは何故か定着してしまった私の二つ名だ。由来は私の勘がよく当たる、むしろ当たりすぎて怖いからだそうだ。

 

 まるで未来を“予言”しているかのように。

 まるで巫女が神から“預言”を授かったかのように。

 

 それくらい私の勘はよく当たる。それに加えてメイン職が〈神祇官(カンナギ)〉でサブ職が〈星詠み〉なもんだから、周りがますますそのことを騒ぎ立ててしまったのだ。非常に迷惑な話だ。

 一つため息をついてその話題を切り上げる。

 

「で、話を戻すけど。今、この世界に閉じ込められてる日本人はおそらく約3万。これはシロくんも計算できたと思うけど」

「うん。そして、早期解決は見込めない」

 

 シロくんの意見にはっきり頷く。

 それにしても。

 

「シロくん、少しイラついてる?」

「え?」

 

 ちょっとだけいつもの彼と違う感じがする。なんというか“空腹時のイラつき”みたいな。

 

「なんかそんな気がする。どうかした?」

「うーん、特に思い当たらないけど……」

「そう。ならいいけど」

 

 空腹時のイラつきのような気はしたが、そもそもこの世界に空腹という概念は存在するのか。少し考えてみたが私自身がまだ空腹感を覚えていないので何とも言えない。

 ということで、この疑問は後回しにすることにした。

 

「何はともあれ、まず情報を集めないことには何もできないなぁ」

「ほんとだぜ」

「早速、情報収集をしようか」

 

 シロエの提案に私と直継は素直に頷いた。

 

  *

 

 ――あれから4日。

 

 シロエたちと合流してから、私たちはアキバの街を巡って馴染みのプレイヤーなどと情報交換をした。

 

 聞き込みをしてから気付いたのはこの世界にも空腹という概念が存在することだった。

 シロエがいつもと違うと感じたあとで自分自身も多少の空腹感を感じた。だが、そこまで支障が出るようなものではなかったのでしばらく放置しておいた。しかし、シロエと直継は緊張感や恐怖が勝っていたらしくその違和感に気付いていなかったらしい。おそらく私が「お腹がすいた」と発言するまで気付かなかったかもしれない。

 私は元々少食なのでそのへんの果物1つくらい食べることができれば全然問題ないのだが、成人男性2人はそうでもないだろう。足が棒になるまで聞き込みを続けて、とうとうシロエと直継が先に空腹に負けた。そして、明け方になって食事をとるためにシロエと直継が合流したという廃ビルまで戻ってきたのだ。

 

 結論としては。

 そこでとんでもなくやりきれない体験をすることになった。シロエと直継は、だが。

 

 私はあまり量を食べる方ではない、というか周りに言わせれば食に関して感心が薄いらしいので、林檎やオレンジなどの素材アイテムを買って食せばいいという考えに至った。一方、シロエと直継はやはりしっかりとした食事がしたかったらしく食料アイテムを買ってきた。

 

「え? クロ、もしかして、それが食事?」

「うん」

 

 私がりんごを丸かじりしようとしたらシロエが驚きを全面に出した表情で聞いてきた。その横で直継も信じられないような顔をしている。

 

「……ダメかな?」

「いや、リンセがいいならいいと思うぜ」

「うん」

「ふーん」

 

 2人の、主に直継の「コイツのリアルの食生活どうなってんだ」とでもいうような視線を無視して、私は手にしていた林檎に齧り付く。うん、美味しい。ちゃんと林檎の味がする。どうやらこの世界の食べ物はしっかりと味が付いているらしい。せっかく食べるなら美味しいものがいい。これなら食には困らないなーと私は自然と笑顔になった。しかし、そんな私とは裏腹に食料アイテムを口にした2人の顔がどんどん微妙な表情になっていく。

 

「どうしたの?」

「…………」

「…………」

 

 私が声をかけても2人は微妙な顔をしたまま食料を噛み締めている。訳が分からず首を傾げると、ようやく直継が言葉を発した。

 

「なんだ、これ……」

「?」

 

 発言の意味が全く意味がわからない。もしかして美味しくないのだろうか。そう思っていると今度はシロエが口を開く。

 

「味が、しない」

「?」

 

 味がしないとはどういうことだ。今私が食べている林檎はきちんと林檎本来の味がするのに。

 

「じゃあ、それはなんなの?」

「なんつーか、まったく塩味がしない煎餅を水分でふやけさせたモノ、みたいな」

 

 想像できない、というか想像したくないな。

 直継の言葉に自分の表情が歪むのが分かる。その表情を取り繕うことを諦めて本当なのかと確認するようにシロエに視線を向ければ、直継の言葉に同意するかのように彼は頷いた。

 

「うーん、私の味覚がおかしいのかな? 林檎はちゃんと林檎の味がするよ?」

 

 次の瞬間、2人の目が光ったような気がする。あれだ、野生動物が獲物を狙うような目だ。

 しばらく私たちの間に沈黙が流れる。その沈黙に耐えかねて私は苦笑した。

 

「…………食べてみる?」

「いいのか!?」

 

 私が食べかけの林檎を差し出すと、2人の顔がほんの少し明るくなった。

 

「ど、どうぞ……」

 

 まず直継が先に林檎を受け取り一口食べる。すると分かりやすく彼の目が輝いた。次にシロエが一口。こちらも同様の反応である。

 

「あ、味がするぜ!!」

「ちゃんと林檎の味がするよっ!」

 

 どうやら私の味覚がおかしかったわけではないらしい。

 2人が感動している間にこっそりシロエが食べていたものの端っこを頂戴する。見た目は普通だがそんなに微妙なのか。恐る恐る口に含んで咀嚼する。そして途端に何とも言えない顔になった。ああ、これは確かに。

 

「味のしないふやけた煎餅だ……」

 

 食べ物の形をした無味の物体に何ともいえない気持ちになる。強烈に不味いわけでもないから余計にタチが悪い。食べれば食べるほど絶望というか空虚な気持ちになってくる。しかし、空腹は満たされるのだから一応食事として機能していることになるのだろうか。

 

 その後、成人男性2人が私の食べかけの林檎で満足するはずがなく、結局彼らは微妙な食料を強引に胃に流し込んで食事を終了させていた。そのときの2人の表情に少食でよかったと本気で思った瞬間だった。

 

「さて。これからの食事事情だけど……」

 

 悪夢のような食事を終わらせたばかりの2人に少々酷な話だろうが、これからのことを考えると真面目に話し合いをしなければならない。

 

「私は果物とかだけでも平気だけど、2人はそうもいかないでしょ?」

「それだけだと空腹は満たせないだろうからね……」

「多分このことに気付く人はこれからどんどん増えていくだろうから、在庫もどんどんなくなっていくだろうね。さっき買いに行ったときもほとんどなかったし。ざっと見積もっても明日明後日くらいには買い占められてると思う。やっぱり味のないしけた煎餅を食べるしかないね」

 

 私が軽く計算してその結論を叩き出すと、2人から反論はなかったがやはり絶望したような顔をしていた。

 

「仕方ないでしょ。それとも餓死する?」

 

 この世界に餓死という概念があるのかわからないが、そう言うと2人は無言で首を横に振った。

 

 その後、主にシロエと直継が希望を捨てられずに色々試した結果、判明したことがある。

 まず1つ。素材アイテム、つまり、オレンジや林檎、釣ったばかりの魚やノンプレイヤーキャラクターから購入した塩や砂糖はそれ本来の味や性質があるということ。

 2つ目、本来の味や性質がするそれらを使ってメニューから食品を作成しても、全部湿気た煎餅になるということ。もしかしたらメニューから作成というインスタントな調理がよくないんじゃないのかと考えた私たちは、調理法を改善する、つまり、実際に自分たちで調理してみることにした。

 しかし3つ目、実際に調理すると出来あがるのは食品とも呼べぬダークマターであること。つまり、どうあがいても味のある食事に辿り着くことは出来なかったのだ。

 結果、今後の食事は食材アイテムと私が買い占めていた素材アイテムを5対1ぐらいの割合でいくという方針になった。

 

 その後、芋蔓式に排泄があることが分かった。

 これは男性2人より私の方が絶望することになった。しかし、これも仕方がないことなので死ぬ気で屋外ですることに慣れた。トイレットペーパーの代わりにあまり固くない葉っぱなどを利用した。これには羞恥と絶望でいっぱいだった。

 唯一救いがあったとすれば自分が少食で排泄が多少少ないということだった。

 

 食事、排泄とくれば睡眠が必要なことも何となく想像できた。それに加えて眠って起きたら元の世界、なんていううまい話もなかった。さらには、今現在この〈エルダー・テイル〉の世界においても死からの復活は適用されていた。

 死なないのに空腹と排泄と睡眠を要する、というひどく矛盾した世界。その法則を解明するのも面白いかもしれないなんて思ったのは私だけの秘密である。

 

 それと戦闘について分かったこともあった。

 私は中学生時代、よく言えばお転婆、悪く言えば荒くれ者だったので非常に喧嘩慣れしていた。そのおかげか戦闘での恐怖感は他の人たちと比べたら圧倒的に少なかっただろう。しかし、他の2人、特にシロエはやはりというか相当の恐怖を感じたと言っていた。

 確かに荒事に慣れていない人間からしたら、狼や斧を振り回す緑の小鬼が襲いかかってくる光景は相当な恐怖だろう。何故自分がここまで冷静なのか自分でも不思議だが、冷静であるに越したことはないのでそれでいいかと思った。

 そして、自分より格下の敵の攻撃は自分たちにあまりダメージを与えられないことも判明した。相手がどんなに恐ろしい攻撃をしてきてもそれは小学生にパンチを受けたのとあまり変わらないくらいの衝撃しかないのだ。しかし、ダメージを受けないことと戦闘ができることは当然のことだがイコールでは結ばれない。そして思ったとおり、今の状態では特技を「使う」ことと「使い慣れる」ことは今や別物となってしまっていた。

 そもそも、今の戦闘は自分の視界を頼りにするしかない。よって安易にステータス画面が開けず、連携も作戦もくそもない状態になっているのである。私のような回復職は前線には出ないし〈付与術師(エンチャンター)〉のシロエも前に出ないから戦場を見渡せる。しかし前線に出る〈守護戦士(ガーディアン)〉である直継はステータス画面を開いて確認している暇などないのだ。

 

「こればっかりは、慣れるしかないよねぇ……」

 

 湿気た煎餅味の中華まんを食しながら独りごちる。同じく中華まんを食していた直継が深い溜息をついた。

 この状態だと絶対に同格相手じゃ通用しないだろう。わたわたしている間にあっという間に神殿送りだ。

 結局は訓練代わりに経験値も得られないような雑魚と夕方まで戦闘を繰り返すしかない。しかし喜んでいいのか、どうやら冒険者の肉体というのは強靭にできているらしく、私たちの身体は疲労とはほぼ無縁だった。

 

 そうしたことから、私たちは日中は外で過ごして夜は情報収集というスタンスで過ごしてきた。

 その間に少しではあるがご隠居とも連絡を取り合いアキバ以外の状況も把握していった。

 

 また、想像通りというかなんというか。

 マーケットからは品物はどんどん無くなり、ギルド勧誘合戦、未所属の人間によるギルド探しも始まった。集まったところで無条件の救いがあるとは思えないのだが、やっぱり多くの人はそうでもないらしい。それに加えてアキバの街の居心地も関係しているのだろう。ここ何日かで随分とプレイヤー間やギルド間で摩擦が多くなったと思う。それに戦闘行為でなければ衛兵は出てこないので地味な嫌がらせなどは全然出来るのだ。そして、その被害は小規模ギルドに多い。全くアホな連中だと大規模ギルドに対して思ってしまった。

 

 そんな日々を過ごしながらアキバの街の人気のない街路で何度目かの情報交換をしているとき、私はあることに気付いた。

 それはシロエとマリエールが話しているときのことだった。何気なくメニューを開きゾーン情報を確認していると、見慣れた情報とともに見慣れない情報があった。

 

「え……」

「ん? どうかしたんか、リンセやん?」

「いや、ちょっと面白い情報を見たというか、いや面白くないんだけど、笑うしかない情報が……」

「どういうこと?」

 

 見間違いじゃないかもう一度確認するが、結果は同じだった。

 

「クロ?」

「シロくん、直継、マリー。アキバが販売対象になってるよ。購入額金貨7億枚、月間維持費金貨120万枚で」

 

 私の指摘にシロエはすぐ自分でも確認したみたいで目を見開いている。直継とマリエールも最初こそ笑っていたが自分のメニューを確認したあと絶句していた。ケタ的には個人購入できる額ではないが、金額が設定されている以上、絶対に購入できないわけではない。誰かが購入してしまえば侵入制限は当然かけられるだろう。つまり、合法的にギルドや個人をプレイタータウンから追放することができる。

 その後にマリエールに確認してもらったところ、ほとんどのゾーンが販売対象になっているらしい。ダンジョンであれ、フィールドであれ、市街地であれ。例外は既に所有者がいるところだ。しかし、そこもゾーンの所有権を証書のアイテムに還元する選択肢が追加されているらしい。

 

 これは、大手ギルドの拡大が見過ごせなくなってきたな。

 

 これには私も面倒くさいなと思わず舌打ちをしてしまった。

 ゾーンが購入可能であるということ。それは、一つのギルド、一つの人間による独裁政治が可能な基盤が出来上がっているということを示しているからだ。



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chapter 2

 5日目の朝、私たちはいつもの宿を出てマーケットに向かっていた。今日の食料を手に入れるためだ。ちらりと横を見れば珍しくテンションの低い直継がいる。理由はわからなくもないけれど。

 

「直継、朝からそんなに落ち込まないでくれる?」

「つってもよぉ……」

 

 見るに見兼ねて声をかければ、こちらまでテンションが下がりそうな対応をされた。そんな直継にシロエはすこし首を傾げる。

 

「どうしたの?」

「なんかよぉ。あのマズメシを食い続けるのかと思うと、俺ぁ、しょんぼりな気分だよ」

 

 私は元々食に関心がなくて生命活動ができる最低限の食で過ごしてきたから、あまりそのへんは気にしていなかった。でも2人はそうでもないらしく、直継に釣られてかシロエまでなんだかげっそりし始めた。

 

「リンセはその辺どうなんだよ?」

「私? 私は別に気にしないけど。元々小食だったから、1日1食っていうのもよくあったし。1週間10秒メシってときもあったから」

「うげっ……。それ、大丈夫なのか?」

「生命活動が維持できていたから問題ない」

 

 直継が信じられないものを見るような目でこちらを見ている。その向こう側にいるシロエも同じような目だ。いいんだよ、生きてるんだから。それに飲み物もちゃんと飲めるものなんだし。どの飲み物もただの水の味しかしないけれど。突然放り込まれた世界にしては多少は親切設計だと私は思う。

 

「……あれしかないんだよね」

「まあ、それはそうなんだけどさぁ。刑務所だってもうちょっとなんか、ましなもの喰わせてると思うんだよ。俺がTV特番で見た網走刑務所の給食って結構美味そうだったもの」

「うん」

「まあね」

 

 確かに一般的には全部が湿気た煎餅のここよりはマシだろう。私ももう少し食に関心があれば2人と同じ状態だったんだろうなと思った。

 

「で、俺思ったんだけどさ」

「何?」

「なにさ?」

 

 直継のセリフにシロエとハモった。

 

「これって、俺たちにマズメシを喰わせ続ける神様の拷問部屋なんじゃね?」

「……うえぇ」

 

 それはそれですごく嫌だ。だったら食べない方がいいじゃん、と私は思ってしまう。空腹って一定時間経つと感じなくなるじゃないか。まだこの世界で餓死するかどうかは分からないのだし。そもそも餓死したとしてもきっと神殿で復活してしまうのだろうが。

 

「だとすれば、拷問センスがかなり良い神様だよね」

「同感」

「俺もそう思う」

 

 シロエの言葉に直継と一緒に同意する。

 

「毒みたいな味で食うと血反吐を吐いちゃうんだけど、食わせ続けられるって、地獄っぽいじゃん? 鬼の獄卒が無理矢理食わせるとか。でも、そうじゃないんだよな。多分栄養はあるし、毒じゃない。味だって、我慢すれば我慢できなくはない程度の不味さ。1食くらいなら、まあ平気。でも、それ以外が一切無いの。その味しかない訳よ。際限なく続く。どんどん暗い気持ちになってくる訳だ。それって嫌がらせとしてはかなりハイエンドだぜ?」

「やだ、レベル高い。その神様、レベル高すぎてついていけない」

「だからそのあたりが拷問センスなんだよ。その、やなセンスだけど」

 

 直継のたとえ話にげっそりしていると突然脳天に痛みが走った。

 

「つっ」

 

 思わず頭を抱えて蹲る。すると、気付いた2人が驚いたようにこちらを向いた。

 

「えっ、どうしたの?」

「なんか、ぶつかった。……小石?」

 

 周りを軽く見渡すとちょっと離れたところに小石があった。誰かが投げてきたんだろうか。

 シロエが立ち上がって周りを見渡す。そして何かを見つけたらしい。

 

「アカツキさんだ」

 

 シロエの視線を辿ると、元は何かの商店だった3階建ての崩れかけた建物の入り口があった。そこには黒髪、黒装束。目立ちの整った長身の男性がいた。

 

「知り合い?」

「うん。この人はアカツキさん。〈暗殺者(アサシン)〉だよ」

 

 シロエがアカツキに近付きながら私たちに紹介する。何となく口数の少なそうな人だなという印象を受けた。これは、あれだ。雰囲気を大事にするタイプの人だろう。そういうゲームの楽しみ方もある。でも、なんだろう。変な違和感を感じた。男の人、だよね?

 

「アカツキさん。どうしたんです?」

 

 シロエの質問にアカツキは顎を僅かに振るという仕草で意思を示した。どうやら私たちを招いているらしい。

 私たちはアカツキの招きに応じて薄暗い廃墟に入る。

 

「なぁ。シロ。こいつどういうヤツなんだ?」

「アカツキさんはロールプレイヤーだよ。無口だけど……腕は良い。すごく。でもこんな事になっちゃやっぱりへこんでるよなぁ」

 

 直継の小声の質問にシロエはやはり小声で答える。そんな会話に耳だけを傾けて視線はアカツキを追う。しかし、すぐにアカツキの姿は見えなくなってしまった。

 やっぱり、彼の姿にどこか違和感を感じた。

 

 進んでいくと、テーブルや椅子、ソファが斜めになったりひっくり返ったひどく混乱した空間についた。アカツキはそこで振り返ると、私たち、特に私と直継を困ったような、何処か咎めるような視線で睨んできた。

 一体、なんなんだ。

 シロエはその意図に気付いたのか気付いていないのか分からないが、アカツキに私たちを紹介した。

 

「アカツキさん。これは直継。〈守護戦士(ガーディアン)〉。そして、こっちの女の子は(シャオ)燐森(リンセン)。〈神祇官(カンナギ)〉。2人共、僕の古い知り合いで、かなり頼りになる人たち。信用して良いよ」

「俺は直継。よろしくなっ! お前がオープンだろうとむっつりだろうと、おぱんつは全てを歓迎するぜっ」

「はじめまして。小燐森です。周りからはリンセと呼ばれてます」

 

 シロエに紹介されたので、とりあえず簡素に自己紹介を済ます。だが、未だにアカツキに対する違和感は消えない。その正体を探ろうとアカツキの思い詰めたような表情を僅かに目を細めて見つめる。

 沈黙が流れる中、シロエの方を横目で見ると何か考えていた。

 しばらく流れた沈黙を裂くように、幽かな声が響く。

 

「探してた」

 

 発生源はアカツキ。それはとても頼りない声だった。そしてその声を聞いた瞬間、さっきまで感じていた違和感の正体が分かった。

 そして“彼女”の要件も。

 

「僕に用事?」

 

 シロエの言葉にアカツキは頷く。

 それもそうだろう。アレを持っている人物はかなり限られるだろうから。なんせ、限定アイテムだからなぁ。

 そのアイテムは大分前、多分私が〈エルダー・テイル〉をプレイし始めて3、4年たった頃にイベントで配られたアイテムだったと記憶している。

 

「〈外観再決定ポーション〉」

「え?」

 

 私の突然の発言にその場にいた私以外の人がこちらを向く。その中でも“彼女”は人一倍驚いていた。

 

「アカツキさんの用事ってそれでしょ?」

 

 私の問いにアカツキは頷く。そしてシロエの方に向き直った。

 

「〈外観再決定ポーション〉を売ってほしい」

 

 アカツキの言葉にシロエの動作が停止した。

 確かに考えてみればそういう状況に陥っている人も少なくないだろう。最近ではボイスチャットが主流のオンラインゲームでも、通常のチャットが残っている以上アバター情報を偽るプレイヤーも少なくない。シロエも実際より数センチ身長を高く設定してあったらしく、度々転んでいた。それが性別がリアルと異なっているとなれば、それは文字通り危機だ。

 

 しばらく動作が停止したシロエがようやく動いた。

 

「ア、ア、アカツキさん。も、もしかして……」

 

 シロエの態度にアカツキはにらみつけるような視線を注いでいる。

 

「女性、だよね。アカツキさん」

 

 私が確信を持っていうと彼女は素直に頷いた。

 おそらく彼女は私たちと同じくらいの年頃の女性なのだろう。

 

「これまたびっくりだわ」

 

 シロエの隣で直継も固まっていた。

 

  *

 

「とりあえずシロくん。〈外観再決定ポーション〉持ってきてあげたら?」

「う、うん。行ってくるよ」

 

 私がそう促せば、シロエは驚きを隠せないまま急いで銀行の貸金庫に向かった。

 

「とりあえず、立ってるの疲れたから座って待たない?」

 

 シロエを見送って私がそう言えば、直継とアカツキは各々頷いた。

 

 シロエが出て行ってから、それ以上誰も言葉を発さない。直継は視線をあっちこっちにやっていて落ち着かない。逆にアカツキはどこか一点を見つめているようだ。私はそんな2人を確認したあと静かに瞼を閉じる。

 そんな沈黙を破ったのはアカツキだった。

 

「燐森、殿だったか?」

「え、はい。そうですけど、リンセでいいですよ」

 

 アカツキに声をかけられて私は閉じていた瞼を開けて彼女を見る。

 

「そうか。ところで、リンセ殿。何故……」

「女だと確信を持っていたか、ですか?」

 

 アカツキはこくりと頷いた。

 

「最初に見たときからなんか変な違和感があったんですよ。“本当に男の人なのか”って。で、声を聞いて確信したんです」

 

 私の勘はよく当たるから、と続ければ、そうか、という短い返事が返ってきた。

 

「ま、リンセは“予言者”だからな」

「“予言者”?」

 

 このタイミングでさっきまで何も言わなかった直継が余計なことを口走った。

 

「おい、直継。その顔面に一発拳を叩き込んでもいいかな?」

「別に、事実なんだからいいじゃねーか」

「黙れ」

 

 こうやって周りが騒ぐから不本意な二つ名が知れ渡ってしまうんじゃないか。

 そんな文句を言ったところで時間は戻せない。アカツキは直継の言葉を聞いて考え込み始めていた。どうか知りませんようにという私の切なる祈りは、およそ5秒後に裏切られる。

 

「アカツキ、さん?」

「もしかして、リンセ殿はあの“預言者”なのか?」

「うっ……」

 

 どうやら彼女の記憶に該当する情報があったらしい。思わず顔をしかめる。

 

「前に、シロエ殿が言っていた。『よく勘があたる“預言者”が知り合いにいる』と」

「…………」

「もしかして、違っていたか?」

「いや……あってますよ……」

 

 情報源はあの“腹ぐろ眼鏡”かと私は頭を抱えてしまった。あの腹ぐろ後でシバく、と心に固く誓う。

 一方、頭を抱えた私にびっくりしたのかアカツキは目を丸くしていた。

 

  *

 

 私がシロエをシバくと決意してから少しして彼は帰ってきた。私はシロエが戻ってきた瞬間に彼の脛に軽く一発蹴りを入れる。突然の暴挙に何するんだと痛みに顔を顰めたシロエに対して、よくも“預言者”のことを吹き込んでくれたなとアカツキを指差せば、シロエはサッと視線を反らしてそのまま手にしていた薄いオレンジ色の薬瓶をアカツキへと手渡す。アカツキは私とシロエのやり取りに少々面食らっていたが、それを受け取るとほっとした様子だった。

 

「少し待っていて欲しい」

 

 アカツキはそう言うと店の奥に消える。奥とは言っても別の部屋ではなく、厨房との敷居にあるついたての影のような部分だ。警戒心がないのか、そこまで気が回っていなかったのか。どちらにしても無用心だなと思わざるを得ない。

 

「大丈夫かー?」

「心配ない。……うっ」

「どうしました?」

「このポーション、結構痛い」

 

 アカツキは早速ポーションを飲んだらしく、ついたての向こうからポーションと同じ色の光が漏れてくる。彼女の声には苦痛の音か混じっており、私は嫌な予感に顔が青ざめた。

 

 絶対、嫌な感じだよこれ。

 

 私の予想は見事に的中。光と同時に割り箸を数本まとめてへし折るような音や、濡れた雑巾をそのまま千切り引き裂くような、どうやったらそんな風な音が発生するのか決して知りたくない響きさえも漏れ出した。

 

「うわぁ……」

 

 思わず鳥肌が立つ。その音に混じってアカツキのうめき声も聞こえる。自分のアバターを自分に似た感じで設定しておいて良かったと心底思った。でなければ私も自分の〈外観再決定ポーション〉を使う羽目になっていた。自分の体からあんな音が出るのは勘弁願いたい。

 

 光も消え嫌な音もやんだあと、ついたてから小柄な、おそらく私よりも10cm弱小さいであろう少女が出てきた。目が覚めるほどの美少女だ。顔に薄く火傷の痕がある私とは大違いの。

 

「うわっ。美少女だぜ。ホンモノだわ」

 

 直継の意見に頷いて同意する。

 この世界では、顔の作りには現実世界での自分の容姿が引き継がれるらしい。私も宿屋の鏡で確認したら、幼少期に負った右目を覆うようにできた火傷の痕があった。今の黒眼の大きな瞳に、白い卵形の頬、墨で引いたような眉毛というアカツキの容姿から考えて、現実世界でも相当の正統派美少女であるに違いない。

 

「駄目だな、お前」

 

 アカツキに見惚れていると直継がそんなことを言った。

 

「何が駄目なの? 美少女じゃん」

「そこじゃねーよ。さっきの言葉は訂正だ。お前はオープンスケベにもむっつりスケベにもなれない。なぜなら男じゃないからだ。お前はおぱんつをはく側だ。身分を弁えろっ」

 

 なんだ、そっちか。直継が美少女を否定したのかと思った。アカツキは直継の言っていることが理解できずキョトンとしている。

 

「シロエ殿、リンセ殿。この人は頭がおかしいのか?」

「頭がおかしい訳じゃなくて……えーっと」

「おかしな人なだけ」

「なんでそうなるっ!!」

「おかしいという点では一緒だな」

 

 姿は女性に戻っても男口調のままだ。でも声はやっぱり可愛らしい。そのギャップを少しだけ微笑ましく思う。

 

「誰がおかしいってんだっ! おパンツを愛好するのは1人前の男に生まれたものの崇高なる使命なんだぜ。まぁ、お前のような女子供にいっても判らないだろうがな……」

「……いや、やっぱり足でしょ。特に太もも」

 

 あまりにも直継がパンツパンツいうから思わず言い返してしまった。やっぱり愛でるべきものは足だよ、足。

 

「クロ、今はそういう話はいいよ。乗らなくて」

「ごめん」

 

 シロエに咎められ素直に口を閉じる。私と直継がその類について話し始めると収集がつかなくなることは自覚している。

 

「でもま、苦しそうだったな。まぁ、飲めよ」

 

 直継がひょいと飲み物の入っているボトルを投げる。それは最終的に何を買っても同じだと諦めた私たちが最近買っている一番安い井戸水だ。

 

「世話をかける」

 

 アカツキはちょっと意外そうな顔をして水筒をキャッチする。そして結構な量を一気に飲み干した。それもそうか。あの姿じゃ満足に動けないだろうし、動けたとしても長身の男が女性の声で話していたら絶対にトラブルに巻き込まれるし、巻き込まれたら対処しきれないだろう。

 

「それで、以前パーティーを組んだときにシロエ殿が話していた〈外観再決定ポーション〉を思い出した。それがあれば……とりあえずこの苦境は脱出できると」

「なるほどね」

 

 そしてその予想はこうして結果を出した、というわけか。

 

「なんだかなぁ。そもそも、最初からこのちみっこモデルでプレイしてれば良かったのに」

「ちみっこいうな」

 

 彼女は鋭い目つきで直継を睨んでいる。アカツキの視線は強い。さっき初めて会った時からもそうだったけど、こうして自分自身の姿を取り戻した今でもその意志の強い生真面目な視線は健在だ。

 

「ちみっこはちみっこじゃん」

「おかしな人に言われたくはない」

 

 しかし、アカツキの視線を直継は気にせずにからかう。しかし、荷物から飲み物や食料を出して勧めたり、さり気なく気を使っているようだ。アカツキもそれが分かっているから本気で反抗できないでいるらしい。

 

「現実には出来ないことをするのがゲームってもんだよ、直継」

「そうだ。ファンタジーだろうがSFだろうがそうではないか。私にとっては高身長がそれだったんだ」

 

 私が珍しくフォローをすればそれにアカツキが拗ねたように同意する。

 

「あー、そりゃまぁ、仕方ねぇか」

 

 その様子に直継は同情したような声でアカツキをちらりと見る。

 あ、これまずいな。痛い目見るよ、直継。

 

「……」

「うん、仕方ないよな」

「直継、そのへんにしておくのをおすすめするよ」

 

 これまた珍しく人に忠告したが直継は気にせず話し続ける。

 あーあ、もう知らない。私は肩を竦める。

 

「アカツキは悪くない。俺はアカツキの味方だ。人間誰だって夢見る権利はあるもんな」

 

 そう言い切った瞬間、アカツキが直継の顔面に綺麗に飛び膝蹴りを叩き込んでいた。私はその華麗なポーズに思わず拍手を送る。

 

「膝はないだろっ! 膝はっ! あと、リンセっ! 拍手するなっ!」

「いや、あまりにも綺麗だったもので」

「シロエ殿、おかしな人に膝蹴りを入れて良いだろうか?」

「入れたあとに聞くなよっ!!」

 

 実に微笑ましい。シロエも笑いを堪えることが出来ていない。それも含めて、とても微笑ましい光景だった。

 笑ってしまったシロエは、直継から「1人で良い子ちゃんになりやがって」という非難を受け、アカツキからは「もうちょっとこの変な人をどうにかして欲しい」という要請を受けている。

 私はそんな3人を見ながら我関せずだ。

 

 シロエとアカツキは前にパーティーを組んだことがあるからだろうけど、直継とアカツキは初対面のはず。でも、あっという間に馴染んでいる。それはやはり直継の空気のお陰なのだろう。

 そんなことを考えていると、とんでもない会話が聞こえてきた。

 

「男の身体は格好良いしリーチもあるけれど……とても困る」

「そっか? そんなに困るか?」

「えっと……トイレが困る」

 

 思わずため息をつく。

 直継、それセクハラだよ。ここが現実世界だったら、訴えられるよ。

 そう思っていると、直継はさらに追い打ちをかけた。

 

「あー。ちんちんついてるもんな!」

「直継、それはセクハラだよ。完全に訴えられたら負けるよ。というか、仮にも年頃の女の子の前なんだから自重しなよ」

 

 呆れたように私が言うとシロエが咳払いをした。

 

「話を変更するとして! その外観はだいたい本当の体型とリンクしたサイズにしたんでしょう?」

 

 シロエは下手くそな話題転換をしてアカツキに聞いた。

 今の彼女の身長は私よりも小さいのだから一般女性の平均よりも低いことがわかる。わざわざ本当の体型とリンクさせずにここまで低身長になる意味もないだろう。

 

「うん、そう」

「じゃあ、身長差の問題は解決だな。歩行も楽になったろ?」

「助かった」

 

 ぶっきらぼうな口調でシロエをじっと見つめながらお礼をいうアカツキ。その姿は寡黙な職人という印象を受けた。

 

「幾ら払えば良い? わたしの全財産でいいかな?」

 

 そして随分生真面目な方らしい。私だったら無料であげてしまうくらいのものなのに。シロエもそう思ったのか、びっくりしたような顔だ。

 

「3万くらいしかないんだけど。これで許して欲しい」

「そんなの、良いよ」

「そう言う訳にはいかない。さっきのポーションはイベント限定アイテムだといっていた。と、いうことはもう入手不可能な希少アイテムだ。本来であれば値段なんてつけようのないアイテムのはず。3万なんてはした金なんだろうけど」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 筋は通っているだろう。けれど私が貸金庫の肥やしにしているのと同様に、シロエも貸金庫の肥やしにしていたはずだ。全財産をもらうのはさすがに気が引けるだろう。

 

「その。あー。……無料じゃダメかな?」

「忘恩の誹りを受けたくはないのだ」

「そんなに気になるんだったら、そのお礼はおぱんつにしようぜっ――がっ」

 

 また鋭い膝蹴りが綺麗に直継の顔面に叩き込まれる。そしてまた私は拍手をしてしまった。

 

「アカツキさんは運動神経良いんだなぁ」

「ちょ、おいむっつりスケベ。お前はどっちの味方なんだよっ! あと、リンセ。だから拍手するなって」

「だって素晴らしいフォームだったから」

「シロエ殿。この変態に膝をたたき込んで良いだろうか?」

「だから蹴る前に相談しろよっ」

 

 だんだん型が決まってきた会話に思わず笑みが溢れる。仲いいなぁ。

 

「まぁ、いいや。んなポーションの値段よりさ、おいアカツキ」

「呼び捨てするな」

「それはどうでも良いからさ、ちみっこ」

「ちみっこいうな。それにこれは大事な話なのだ。シロエ殿の限定アイテムを無料でせしめたとあっては末代までの恥となる」

 

 粘るなと思う。さすがにこの話を続けても決着はつかないだろう。そろそろ助け舟を出すか、とシロエを横目で見て、そのあとアカツキに向かって私は口を開いた。

 

「アカツキさん。そんな事より、しばらく私たちと一緒に行動しませんか?」

 

 私が言えば直継も同感だというように頷く。

 

「――え」

 

 その言葉はアカツキにはよほど意外だったようで、一時停止をかけたようにその動きが止まった。

 

「どう思う? シロくん。私は悪くない話だと思うんだけど」

「……うん。僕も悪くない話だ、と思うよ」

 

 私から急に話を振られて困っているようだが、はっきりした口調でシロエは言った。説明はこの腹ぐろ参謀に任せようと思ったけど、彼はそれを説明するには少し気恥かしさがつきまとっているみたいだ。

 仕方ない、少しフォローをしてあげようと口を開く。

 

「ほら、アカツキさんは私と同じ女の子ですし。全体の整合性がとれても、何かしらのトラブルに巻き込まれると思いますよ。ま、それは現実社会と同じで女の子の宿命ってやつです。きっとこの世界でもそれは変わらない」

「うん。何よりアカツキさんは、未だにギルド未所属だし。どこかギルドに入るあてはないの?」

「どこかに所属するのは苦手だ。一匹狼が〈暗殺者〉の生き様だから」

 

 私に続いたシロエの言葉にアカツキは思い詰めたような顔をする。

 

「まぁ、そうだろうなぁ。俺たちも似たようなもんだ。フリーの冒険者だ。自由気ままだぜ。自由なおぱんつフリーダムだ」

「……黙れ変態」

「直継、シャラップ。今無所属の人間がふらついてると結構絡まれると思います。私も無所属だけど、ここ何日かで相当絡まれましたし。大手ギルドが戦力増強を企てて片っ端からスカウトをかけてるんです。私たち女性プレイヤーなら、なおさら」

「そうなのか……」

 

 同じ女だからやっぱりそのへんは多少なりとも心配になる。だからこその話だった。

 

「ねぐらの確保とか、今の状況の情報の共有。……多少つながりはあっても、いいんじゃないかな」

 

 シロエの言葉にアカツキは頷く。

 

「良いじゃん。〈暗殺者〉ってのは、暗殺が得意技なんだろ? 俺たちが戦っている隙に背後に忍び寄ってさくっとモンスターを一撃。ナイスコンビプレー。悪者成敗祭りだぜ」

 

 訳が分からない祭りはともかくとして直継の言うことは連携としては正解だ。

 

「むぅ。シロエ殿は、それでも良いのか?」

「歓迎だよ。4人になった方が何かと心強いしね」

 

 それでも悩んでいるアカツキに私から一言背中を押す。

 

「そんなに悩むんだったらこう考えません? “お金が払えないなら身体で払う”って。つまり、アカツキさんの働きでポーション代を払うって考えるんですよ」

 

 これなら納得できない? と聞けばアカツキは意志を持って首を横に振った。

 

「そうか、では忍びとしてシロエを主君と仰ごう」

 

 迷いはなくなったのか、アカツキはシロエを真っ直ぐな眼差しで見ながら頷いた。

 

「絶体絶命の男性化の危機から救ってくれた恩であるからには、それ相応の働きで返さなければならないだろう? これぞ報恩というものだ。私はこれから主君の忍びとして身の回りを守ろうと思う」

 

 アカツキが目を泳がせながらぼそぼそといった。それを微笑ましく見ていると直継はニヤニヤしながらシロエを見ていた。

 

「よし、決定」

「んじゃ、そう言うことでチーム結成だ。よろしくな、ちみっこ」

「うるさい、バカ」

「えらくでこぼこチームだけどな。お手柔らかに」

 

 私たちは金色の光が差し込む薄汚れた店舗の中で、それぞれの手に持った水筒を打ち鳴らして、チーム結成を祝った。

 

  *

 

 アカツキが私たちとともに行動するようになってから数日。

 私たちは活動の中心をアキバの街近郊のフィールドゾーンに移しつつあった。というのも、この世界での戦闘になれることが理由の一つだった。

 この世界の戦闘は、以前のディスプレイ越しで行うものとは訳が違う。ゲームだったころは、プレイヤーの置かれている状況などは一切関与しなかった。しかし、今は実体を伴って戦闘を行わなければならない。そうすると、武器の使い方、足場の確認、移動、といった細かい要素まで気にしなければならない。さらに、画面の前でなら全体を見ることが出来ていたが、今は自分の視界のみしかフィールド情報が得られないし連携も取り辛くなっている。何より、恐怖感といった精神的な問題のハードルが高い。

 アカツキは〈暗殺者〉という完全なる戦闘職なので、戦闘に慣れておくことがこの世界で生き抜くことに繋がる。しばらくの間は一緒にいることになったので、その間に戦闘の基本を身体に染み込ませようという話になったのだ。

 

 それ以外の理由としては、〈三日月同盟〉の存在だった。

 私たちは、あれからも度々〈三日月同盟〉のギルドハウスに通って情報交換をしていた。私たちと違って〈三日月同盟〉には生産職の人もいる。そこで街中でも顔が利く彼らに街中での情報収集をしてもらい、私たちは実地訓練も兼ねてフィールドゾーンの調査をしたほうが効率がいいと考えた。

 

 アキバの街には、まだ相変わらずこの状況を信じられないでいる人たちが溢れている。誰かが助けてくれると思いたい気持ちもわからなくないけれど、私の勘じゃそんなものは絶対に現れない。もしかしたら本当に助けが来るかもしれないが、そんな可能性に賭けて何もしないくらいなら今出来ることをして助けを待つほうが断然有意義じゃないか。

 幸い、アキバの街は日本サーバー最大の街で新規の人のスタート地点だ。プレイヤー都市はどこでもそうだけど、その周辺は初心者でも比較的プレイしやすいような低レベルモンスターが出てくる場所が多い。私たちはそういったところをひとつひとつチェックしながら徐々に高レベルゾーンに向かっていくことにした。私たちは全員レベル90なので、低レベルのモンスターに襲われてもほとんどダメージを受けない。それを利用して、多くの経験を積むことにしたのだ。

 やっぱり現実となった以上、モンスターに襲われたときは一瞬足がすくんでしまうし、画面越しでは分からなかった耳障りな獣の呼吸音、息の詰まるような血の匂い、向けられる殺気もきちんと感じてしまう。こればかりは経験なので、どんなに雑魚のモンスターであっても、戦ったことがなければ数回は相手をして動きの癖や対処法を研究するために実験を繰り返した。

 

 私たちの基本的なフォーメーションは、直継が前衛で敵を引きつけ、アカツキがそれを撃破する。シロエと私は前線から離れ、シロエは指示を出し、私は3人のちょうど真ん中あたりで全体のサポートにまわる、といった形に落ち着いた。

 

 思ったとおり、前線で戦闘を行いながらステータスを確認するのは至難の技らしい。前まではクリックひとつで特技が使えたが、今は自分の体で踏み込み、回避し、武器を操らなければならない。敵が目の前に迫ってくれば当然視界は狭まるし、相手がどんな動きをしているか確認できないこともある。故に、誰かの目が別の誰かの目にならなければいけない。

 私はシロエと一緒に仲間のステータス、主にHPとMPに気を配り、相手の攻撃がどの程度のダメージを与えるか計算し、先回りしてダメージ遮断やHP回復を行う。そして戦闘状況を見ながら攻撃と防御・回復を臨機応変に切り替えることがメインになっている。

 

 そして一週間が経つ頃には、私たちは50レベルほどの敵を相手にすることができるようになった。



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chapter 3

 そんなこんなで、私たちは少しずつこの世界に慣れていったわけだけど。

 ちらりと横目で右隣にいるシロエを見る。彼はまたため息をついていた。

 

「シロくん」

「どうかした、クロ?」

「憂鬱になるのも分かるけど、あんまり考えすぎると本当に精神病んでくるから気をつけなよ」

「う、うん……。分かってはいるんだけどね……」

 

 そういって彼は肩をすくめる。

 シロエのその性格はよく言えば思慮深い、悪く言えば考えすぎだ。別に物事は慎重に進めるに越したことはないけど、考えすぎというのは時に精神を蝕んでいくこともあるのだ。

 

「シロくんに言ってもあまり効果はないんだろうけど、少しは楽観的になってみない?」

「あはは……」

 

 自分なりの精一杯のアドバイスだったが、やっぱり彼には難しいようで苦笑いしか返ってこない。それには私も苦笑いしか出なかった。

 

「なんか、ごめん」

「謝らないでよ、気持ち悪い」

 

 彼の謝罪を一蹴すると、彼の右目の目元がぴくりと動いた。その後、どんどん眉間に皺が寄っていく。どうやらいらないことを言ってイラつかせたようだ。

 

「ごめん、気持ち悪いは言い過ぎた」

「別に、いいけど」

 

 昔に彼を本気で怒らせたことがあるので、ここは素直に謝っておくことにした。すると拗ねたような返答がくる。機嫌を多少損ねたようだが、本気で怒ってはいないらしい。

 彼とそんなやりとりをしている、直継とアカツキの荷物の整理が終わったようだった。それを確認するとシロエが帰ろうかと声をかけてきた。私はそれに頷く。もう夕暮れだし今日はこのへんで引き上げても良いだろう。シロエの意見に直継とアカツキも同意した。

 

 さっきまで戦っていた〈人喰い草(トリフィド)〉と〈刺茨イタチ(ブライアーウィーゼル)〉の骸は、少しもしないうちに光の粒になって消える。その2体のレベルは48と52でここの世界に生息しているモンスターの中ではなかなかレベルが高い部類に入るが私たちと比べると40も低い。当然、経験値などもらえるわけもなかった。

 ここ何日かで、この世界と〈エルダー・テイル〉の共通点が見えてきた。おそらく経験値が入るのは私たちより5レベル下のモンスターだろう。そのレベル帯のモンスターは1体くらいなら相手にできるかもしれないが集団では今の私たちに勝ち目はないと思う。

 そんなことを考えながら直継とアカツキのステータスを確認する。ポーションを飲んだからかHPは大丈夫そうだ。

 実体験だが、モンスターからダメージを受けるときの痛みは現実世界より随分緩和されている。といってもさすがにHPを大幅に削られるとさすがに生理的な涙が出てくる。直継は大笑いするけど私は正直可能ならば避けたいところだ。

 その辺のダメージをフォローするのが回復職の仕事だろう。一応私も回復職だが回復以外にも色々かじっているので、そのへんを一点特化した回復職には回復量が劣る。今の所はそれでも回復量が足りているが今後はそうとも限らない。シロエもそう思っているのか少し眉間に皺が寄っている。私が回復に特化した回復職だったら彼にそんなことを心配させずに済んだのにと少し申し訳なくなる。

 

「ごめん、シロくん」

「え? 急にどうしたの? クロらしくないね」

「いや、私がもうちょっとしっかりした回復職だったらシロくんも悩まなかったでしょ?」

 

 図星だったのか、シロエは息を呑んだ。まあこれは今までプレイ方針の問題であり、今更考えたって仕方ないことなのだが。

 

「さて、2人とも待ってるから早く行こう。私、眠くなってきちゃった」

 

 シロエのローブマントを引っ張って2人のもとに向かった。

 

 4人で行動するようになって数日が経ったが、私たちの案外は相性は良かったらしい。でも、やっぱりというか、シロエがいわゆる「悩み役」だ。私は彼の「悩んだ結果」を「確信」に変えることしかできない。本人も「悩み役」だと分かってはいるらしいが、こちらとしてはいつか心労で倒れないかと心配だ。

 

「じゃあ、撤退しようか。明かりはいる?」

 

 シロエが〈マジックライト〉の準備すると、アカツキが振り返った。

 

「いや、主君」

「アカツキさん、その主君っていうのやめようよ。シロエにしない? 仲間なんだから」

「じゃあ、わたしのことも『アカツキ』って呼び捨てにして」

 

 また始まった。

 シロエがアカツキの自分への呼び方を指摘するといつもこうなる。シロエが照れてるのが分かるのでそれはそれで微笑ましいのだが。ちなみに、私も彼女のことをさん付けで読んでいたが「敬語とさん付けでなくていい」と言われたので今では普通に話している。

 シロエもさっさと折れればいいのに。

 慌てふためいているシロエに追い討ちをかけるかのようにアカツキが一歩踏み出すもんだから、直継と顔を見合わせにやにやするしかなかった。

 

「主君」

「えーっと、なにさ。――おい直継とクロ、にやにや笑うなよっ」

 

 わー、かわいいー。

 そんなことを思っていたらツッコミを入れられて、思わず吹き出してしまった。

 シロエは私をジト目で見つつも、アカツキに先を促している。

 

「帰り道は私が先行偵察に出るぞ」

「どうして?」

 

 アカツキの言葉にシロエは首を傾げたが私はその理由がなんとなく想像がついた。多分、能力を確認しておきたいんだろう。幸いこの辺はさっきの2体が一番格上だっただろうから、アカツキならまず死ぬことはないと思う。

 

「平気だと思うよ、シロくん」

 

 私の予想と一緒にシロエに告げればアカツキはその通りだと頷く。するとシロエは少しばかり考える仕草を取った。

 

「うん。でもあんまり油断しないでね。合流は南のゲート付近で。こっちは〈マジックライト〉で照らしながら行くから、そちらから見つけてください」

「わかっている。同じゾーンにいれば位置は分かる」

「んじゃ、またあとでなっ。ちみっこ」

「うるさい、バカ直継」

 

 相変わらずのやり取りの後、アカツキは少しの音もたてずに消えていった。

 

「おー、さすが」

「やるじゃん、ちみっこ」

「草木が揺れる音も立てなかったね」

 

 アカツキの能力に思わず拍手。これが〈暗殺者〉にして〈追跡者〉か。

 アカツキを見送ったあと、シロエに〈マジックライト〉を使ってもらってその光を頼りに森を歩き出した。

 

「アカツキって〈追跡者〉もちだったんだなぁ」

「一本筋が通ってるよね」

 

 先程先行偵察に出るといったときに彼女は〈隠行術(スニーク)〉と〈無音移動(サイレントムーブ)〉と言っていた。これはサブ職業〈追跡者〉の特技だ。

 

「そういえばさ、2人から見たら彼女どんな感じ?」

 

 私の質問に2人は少し考える。最初に答えたのは私の右斜め前にいるシロエだった。

 

「――前線での動きが軽い。集中力が高い」

「ほうほう。シロくんの中では評価は高い、と。直継は? そうだなぁ、負担とか」

「負担は――減ったな。3人でやってるときに比べて、殲滅速度が桁違いだもんよ。場合によっては、相手をしようと振り向いたときにはもう事切れている雑魚敵もいるほどだ。あれはちみっこだけど、強いちみっこだなー」

 

 直継は私とシロエの先を歩きながら答える。

 やっぱり負担は減っていたか、と納得する。なぜなら私から見てもその負担の減少がはっきりと見て取れていたからだ。

 

「そういうクロはどう?」

「私? まあ、本職に完全に気を配れるようになったよ」

 

 彼女と一緒じゃなかった頃と比べると周りのHP管理に気を配れるようになった。前まではHP管理をしつつ直継の援護という感じだったので、HP管理だけに集中するわけにもいかなかったのだ。

 

「大きな戦力だよねー」

「本人は姿が変わったことでリーチが短くなったとか、攻撃に重さが乗らなくなったとかいってるけど?」

「リーチについては、俺には判らないなぁ。おれはちみっこになったこと無いからもんよ。でもあの速度と身の軽さがあればリーチなんて関係ないんじゃね? あいつの飛び膝くらってみろって。まじで瞬間移動だから。気が付いたら目の前に膝あるから」

「それは遠慮願いますわー」

 

 いや、あれはマジで食らったら危ない。私は直継と違って紙装甲なのだ。

 しかし、攻撃に重さが乗らなくなった、か。ゲーム時代だったら重量によるダメージ増加システムなんてなかったから問題にならなかったが、ここはもう現実、ありえないとも言い切れないのが現状である。

 

「でも、そこで失われた威力なんて、シロが補助呪文でどうとでも解決できるだろ? お前ならさ」

「そーそー」

 

 直継の言葉に同意する。

 確かに〈付与術師〉は1人じゃ戦えないけれど、逆に言えば、仲間がいればなんでもできる。だからこそ私は〈付与術師〉を高く評価していた。

 〈付与術師〉は、全ての職業の中でもっとも人格を反映する職業だ。そんな職業で周りに認められているのだから、シロエはもうちょっと周りをみてもいいと思うのだ。別に今も周りを見てないとかそういうことではなくて、もっと遠慮なしでやればいいと思う。しかし、こういうことは総じて本人が気付かなきゃ意味がないものだ。

 私の前を歩くシロエと直継を見て小さくため息をついた。

 

 その後、アカツキと合流して私たちは隣のゾーンへと向かった。

 随分とのんびりしすぎたのか、もうとっくに日が暮れてしまっていた。

 

「もう、はやくねたーい」

「そうだな。さくさく行こうぜ。宿が恋しいや」

 

 私が欠伸を噛み締めていると直継は先頭を切って歩き出した。彼はときどきこちらを振り返って私とシロエとアカツキを確認する。多分、私たちの体力のことを心配しているのだろう。でも、私たちだってレベル90の〈冒険者〉だ。直継ほどとはいかなくてもそこそこ体力はある。だからそこまで気にしなくてもいいのにと思ってしまう。

 そのときだった。私は脳の奥がざわめくような嫌な予感がした。

 

「ゴブ襲ってこないな~」

「そりゃ、来ないだろう。こっちは90レベル4人だぞ」

「私はあの恐竜の骨をかぶってるゴブが好きだ。偉そうにしているところが滑稽で可愛い」

 

 3人が何か話しているけれど、今はそんなことどうでもいい。

 精神を集中させて、その違和感の正体を探る。

 

「ああいうのが好きなのか? アカツキは」

「だいたいの所、魔術師系の敵というのは偉そうにしているくせに装甲は紙でHPは少ないのだ。それならそれで下がっていればよいものを、のこのこ前線まで出てくるゆえ狙うのは至極簡単だ。〈ハイド・シャドウ〉でこっそりと接近して首筋に小太刀をぞぶり、と突き入れる。身体の力がすとんと抜けて糸の切れた人形のように崩れ落ちるのがたまらない」

 

 うん、そうだね。確かに紙装甲だね……ってそれどころじゃない。なんだ、この感じは。モンスター、ではない。まさか、人?

 収まる気配のない嫌な予感に自然と足が止まった。

 いやいや、まさか。

 

「いや、僕ら魔術師だって、いざとなればそこそこ根性出すんだよ?」

「ん? 主君だって紙装甲だ。――いいではないか、主君は忍びであるわたしが守る」

 

 私が止まったことに気付いていないのか、彼らは先に進む。でもそれを気に留めることが出来ないくらい私は精神を集中させていた。

 この嫌な気配が人であるなら、殺意を持った人である。だとしたら目的は――。

 

「ここはアキバの隣接ゾーンですから。そんなに高レベルのモンスターが出現するわけないでしょう。出現していたら新人プレイヤーは全滅しまくりですよ……ってクロ?」

 

 近づいてくる足音が聞こえた。どうやら私が止まっていることに気付いた3人が戻ってきてくれたらしい。

 

「どうしたの、クロ?」

「リンセ?」

「リンセ殿、いきなり立ち止まって……」

「PK」

 

 アカツキの言葉を遮って私が放った一言に3人が顔色を変える。

 

「クロ、それってどういう……」

「この先に、きっといるよ。PKが」

「なんだって?」

「私の勘だと4から6人くらいかな」

 

 そう、モンスターではないのに敵意を向けられているような勘。モンスターじゃないならば、それは人間からだ。それも戦闘ができるとしたらPKだ。

 

「それは勘?」

「もちろん」

 

 シロエにはっきりと答える。

 そう、これは勘。私の異常ともいえる勘によるものだ。

 私の言葉を聞いたシロエは顎に手をあててしばし考える。

 

「アカツキさん、先行をお願いします」

「ああ、分かった」

 

 シロエに指示を受けたアカツキは先ほどと同じように音もなく消えた。それを見送って私は2人に問いかける。

 

「ねえ、2人とも。どうしたい?」

 

 今回の相手はモンスターではない、私たちと同じ人間だ。そう簡単に決断できないだろう。モンスターを倒すのとはわけが違うのだから。

 私の言葉に2人はしばし考える。といっても、考えてるのはシロエだけかもしれない。直継はPK嫌いだからぶっ飛ばしたいとか思ってるかもしれない。

 

「行こう」

 

 覚悟を決めた目でシロエは言った。その言葉に私と直継は頷く。そして簡単な作戦会議を開いた。

 

「おそらく向こうは不意打ちでやってくると思うの。だから騙されたふりをしよう。多分そのほうがボロが出る。アカツキにそういう方向で念話しておいて」

「わかった」

 

 私たちは罠に嵌ったふりをするために歩を進めた。

 

  *

 

 リンセの言葉を信じて歩みを進めている俺たち。

 俺はリンセを振り返る。その顔は暗がりのせいであまり見えないが、いつもにも増してやる気がないように見えた。いや、これはやる気がないんじゃないな。面倒くさいと思ってる感じだ。

 

 ――PKがいる。数は4から6。

 

 相変わらず勘がいいんだな、リンセのやつ。

 いつだってそうだった。アイツの勘は“外れたことがない”。だから多分、今回も当たってるんだろう。

 

 俺から見たら周りに遠慮しているシロだが、そのシロがリンセに対しては唯一遠慮していないように見えた。周りにはどういうふうに遠慮していて、一方リンセに対してどう遠慮していないのかと聞かれるとはっきり答えられないが、なんとなくそんな気がするのだ。

 なんつーか、リンセには何も言わなくても分かってるっていう信頼っつーか、なんていうか。

 あの2人の間には言葉こそないがどこか別のところで繋がっているという感じがする。シロにとってはそれはとてもいいことだけど、なんだか自分の〈守護戦士〉の役目を取り上げられているような、そんな腹立たしさを感じるのも事実だった。

 

「直継」

「ん? なんだ、リンセ」

 

 リンセに名前を呼ばれて意識を戻す。リンセはここじゃないどこか別の場所を見ているような目をしていた。

 

「多分、真っ先に拘束魔法が飛んでくるから。別にかかってもかからなくてもほとんど変わらないと思うけど、少しは注意してみて」

「おう、了解した」

 

 リンセの声はいつもより感情がこもっていない。すこし苛立っているようだった。

 

「クロ」

「なに、シロくん」

 

 今度はシロがリンセを呼んだ。リンセはシロには視線を向けずに別の場所を見ながら応えている。

 

「今回は本職必要?」

「必要ない。から、私はPKの後ろに回るよ」

「わかった」

 

 そう言ってリンセは盛大なため息をついた。こっちも幸せまで持っていきそうなため息だ。

 

「どうした、リンセ?」

「ねむい」

 

 あまりにもなため息に理由を尋ねればそんな風に返ってきた。リンセの目は面倒くささと眠気でいつもより半分位閉じられている。そんな彼女に軽くデコピンをした。

 

「おいおい、戦ってる最中に寝るなよー」

「わかってるって」

 

 あー面倒くさい、と言っている彼女を微笑ましく思った。

 全く、頼りになりすぎる仲間だぜ。

 

  *

 

 歩いていって「ロカの施療院」への坂までやってきた。クロの言っていた通り、いくつかの気配を感じる。直継とクロとアイコンタクトをとって、弾けるように四方に散った。直継が突っ込んでいった方からは苦鳴が聞こえる。それは明らかに人間のものだ。クロの勘を疑っていたわけではないが、実際に対面すると口中が干上がるのを感じた。

 そのとき、金属の束を引きずるような低い連続音が響く。それはクロが言っていた拘束魔法だった。それは直継目指して伸びていく。直継が完全に拘束される前にと〈ディスペル・マジック〉を唱えた。

 

「直継っ。直列のフォーメーションっ! 敵PK、人数は視認4つっ。――位置を確定するっ。――そこっ!!」

 

 それと同時に〈マインド・ボルト〉を放つ。その一線の光に照らされて闇に隠れたPKを視認できた。

 

「敵視認っ!」

 

 直継が敵を視認したことを確認すると、そのまま直継を少し下がらせる。

 

「良い度胸だな。PKだなんて。……おぱんつ不足でケダモノ直行か? 不意打ち気分で祝勝気分とは片腹痛いぜっ」

 

 今まで〈エルダー・テイル〉におけるPKは成功率の低さなどからあまり遭遇しない、流行らない行為だった。けれど、それも異世界に巻き込まれたとなれば事情は違ってくる。

 この異世界における戦闘ではミニマップは脳内メニュー内部にも存在しない。またいくら高レベルの冒険者であっても本人が意思をしない限り無意識の回避等ということはありえない。

 

 そう、ありえないのだ……“普通ならば”。

 

 しかし、ここにはクロがいる。“預言者”などと呼ばれているクロがいるのだ。彼女に関して言えば普通の不意打ちは不意打ちにならない。彼女の異常ともいえる勘が全て見抜くからだ。

 相手が悪かったな、と僕はPKに手の小指の爪の甘皮くらいの同情をした。

 

  *

 

 とりあえず四方に散ったタイミングで周りの木々に身を隠したから、相手に私の存在はバレていないだろう。まずは様子見だな、と戦場を観察する。

 現れた影は4つ。戦士風が1人。盗賊風が2人。回復役風が1人。

 だいたい予想通りの構成にうんうんと頷く。この場に出てきていない残りの2人はアカツキが片付けてくれるだろう。とすると、私の仕事は回復職潰しか。

 

「黙って荷物を置いていけば、命までは取らないぜ?」

 

 そっちがその気でもこっちは完全に取る気でいるけどね、と心のなかで嘲笑する。

 それよりもシロエは大丈夫だろうか。モンスターを相手にするのとは訳が違う。相手は人間、明白な「悪意」をぶつけてくる知的生命体だ。色々考えて後手に回らなければいいけれど。

 

「〈守護戦士〉に魔術師か。無駄なあがきをしてみるか? こっちは4人なんだぜ?」

 

 PKの発言に、こっちも4人です、なんて言えるわけもなく。しかし、少しばかりシロエと直継のことを甘く見過ぎてはいないだろうか。

 私は敵に気づかれないように後方にまわる。ちょうど敵の回復役の後ろにこっそりと。そうしている間にも戦況は徐々に動いていた。

 

「……直継どうする?」

「殺す。三枚におろしてからミンチにして殺す。そもそも他人様を殺し遊ばせようって連中だ。当然他人様に殺されちゃったりする覚悟なんておむつが取れる前から決まってるんだろうさっ」

 

 直継はPK行為に相当怒っているようだった。でも、彼の頼もしい声でシロエも落ち着きを戻したようだ。そのことに密かに安堵する。

 

「直継はPK嫌いだもんね。……僕はお金払ってもいいんだけどさ、一度くらいなら」

 

 シロエがそんな発言をするものだからPKが彼を思い切り舐めはじめる。確かに、彼の風貌からして荒事には慣れてなさそうに見えるけれど。

 でも私は知っている、シロエは争いごとが嫌いであっても決して苦手ではないということを。

 

「でも、あいにくお前たちには払いたくない」

「よく言ったぜ、シロ」

 

 シロエの言葉に思わず笑みが溢れる。

 私もそろそろ行くかと、背にある薙刀を握り締めた。

 

「第一標的左前方の戦士っ! 同時に盗賊への阻害もまかせたっ」

「そこの鎧の厚い戦士は俺たちにまかせろ、お前は魔術師をさくっと殺しちまえっ!!」

 

 シロエの指示と野盗のリーダーが怒鳴り声が同時に響く。

 

 多分足の踏み出し方からして長髪の盗賊がシロエに向かう。そこで、シロエが〈アストラル・バインド〉をかける。それを受けて野盗はすぐに作戦変更をする。そしてリーダー自身がシロエへと向かう。そのあと直継が〈アンカー・ハウル〉を発動して、シロエが目眩ましの〈エレクトリカル・ファズ〉を飛ばす、かな。

 回復役を仕留めるなら相手の目が眩んでるときだろう。

 

 2人の声を聞いてから勘で未来を辿る。すると、私の目の前で想像と同じ光景が流れた。

 直継のHPバーの減り方から考えて彼が持つのはおよそ30秒。それだけあればケリがつく。

 シロエから〈エレクトリカル・ファズ〉が放たれた瞬間、私は一気に相手の回復役の背後から突っ込んだ。詠唱阻害効果を付与する消費アイテムを使って寝てる相手が気付いて悲鳴を開ける前に的確に喉を叩き潰す。死にはしないだろうけど呪文が詠唱できないから回復もできない。

 そうしている間にシロエの〈ソーンバインド・ホステージ〉を受けた敵が直継から一発もらっていた。

 

「落ち着け! そいつは設置型のクソ呪文だっ。解呪しろっ! ヒーラーっ!! 〈武士(サムライ)〉に回復を集中しろ! こっちは倍の数が居るんだ、負けるはずはネェっ!!」

 

 確かに〈エルダー・テイル〉の仕様において、回復役というのはかなり強力な存在だ。けれど、仲間のステータスなんて気にしないで戦ってる人間に異変なんて分かるはずもなく。

 その間にも直継の剣は〈ソーンバインド・ホステージ〉の茨を裂いていく。けど、さすがにそろそろまずいだろう。なぜなら彼の脇腹はガラ空きだったからだ。

 仕方ないなー、と私は呪文の準備を始める。

 

「はっ! それがどうした。脇腹が留守だぜっ!」

 

 長髪の盗賊が大きなナイフを直継の脇腹に突き込もうとしていた。

 でもね、“遅い”よ。それは、届かない。

 

「ヒーラーの有無が勝敗を分けたなっ! 兄ちゃんたち、あんまり舐めてるんじゃネェよっ! あはははははっ! せいぜい神殿で悔し涙でも流すがいいさっ!」

 

 長髪の盗賊は、確実に突き刺したと思った。野盗のリーダーも他の野盗も、確実にダメージを負わせたと思った。“思い込んで”いた。

 しかし、いつの間にか長髪の盗賊のナイフと直継の間には障壁が張られていた。

 ナイフと直継の間、わずか35センチメートルの間に。

 

「その戦況把握は正しいです」

「そちらさんのヒーラーが仕事してればっ。だけどなっ!!」

 

 私は直継に障壁をかけたあとそのまま相手の〈武士〉に向かって薙刀を振るった。吹き飛ぶでもなく血しぶきを上げるでもなく粒子のように消え失せていく、異様に静かな幕切れ。つい一瞬前まで刀で激しい剣戟を加えていた〈武士〉の突然の有様に、野盗のリーダーの笑い声は後半を断ち切ったように途切れてしまう。

 

「残念だったね」

 

 突然現れた私に野盗たちは驚く。

 

「――な、なんだよっ。お前ら何をしやがった!? 麻痺か? おい、ヒーラーっ!! 何をやってんだ、早く回復をしろっ!!」

「鬱陶しいぞ、お前っ。綺麗な月夜に不細工な雑魚台詞をまき散らすなよっ!」

「なっ! なっ!?」

 

 その光景を眺めつつ気配に気を配る。どうやら向こうも終わったようだ。さすがだ。

 

「クソっ! もういいっ! おい〈妖術師(ソーサラー)〉っ! 〈召喚術師(サモナー)〉っ! ここまで来れば総力戦だ、この男を消し炭にしちまえっ!」

 

 野党のリーダーが叫ぶ。その叫びを聞いて私は呆れたように首を横に振った。

 全然なっていない。紙装甲でHPも少ない魔術師をほったらかしは大変宜しくない。

 

「おい、早くしろっ! こいつをやっちまえっ」

「駄目だなぁ」

「……詰みだ」

「その通りだ、主君」

 

 森の奥からアカツキが2人の魔術師を引き摺ってきて、そのままゴミを捨てるように投げ出した。うわぁ、アカツキ可愛い顔して随分と雑に扱うんだな。

 その光景に野盗のリーダーが取り乱している。

 

「な、なっ。何やってるんだよ、お前らっ!? な、なんで報告しないんだよっ!? ヒッ。ヒーラーっ!! HPの管理はしておけってあれほどいっただろうっ。お、お前まさかっ。俺たちを裏切って……」

「そんなんだからお前らはダセェんだよっ」

 

 野盗の言葉に直継は堪忍袋が切れたように左腕に持っている盾を叩きつけた。あれは相当お怒りのようだ。

 

「仲間くらい信じた方が良いよ。そっちのヒーラーは寝てるだけ。そもそも戦闘の最初から寝ていたし」

「ちなみに詠唱阻害がついてるからすぐに回復できないよ」

 

 シロエの宣告のあとに続けて私は言う。それは今仮にヒーラーが目を覚ましても詠唱が出来ないということ。いや実際はもう目を覚ましているのだが、詠唱できず声も出ないから報告もしようがなかったのだ。

 

「主君の呪文をバカにするのは良くない」

「っ!」

「お前たちは電気の火花をすっかりバカにしていたらしいが。それだけ目の前がバチバチ明るければ、森の暗がりなんか見えるはずがない。後ろで支援しているはずのヒーラーが寝ているのにも気が付かなかったな。――お前たちの連携は、穴だらけだ。戦闘に夢中でHP管理も仲間の状態確認も出来なかったお前たちの伏兵なんて、簡単に暗殺できたぞ」

 

 アカツキの言葉が終わると、直継は自分の長剣を振り上げそのまま長髪に振り下ろす。すると、その人はあっけなく絶命した。

 

「お、俺たちを殺したってすぐ復活だ。お前たちに負けた訳じゃねぇっ」

 

 野盗のリーダーは強がっているが首筋に当てられたアカツキの小太刀に何もできない。

 アカツキは視線でシロエに許可を求めている。確かに、このまま縛り上げるとかして拷問するのも可能だろう。しかし、シロエの性格上しない、絶対に実行不可能だった。

 シロエの仕方ないとでもいうような頷きを合図に赤く濁った血が空を舞った。

 

「さて、直継、アカツキ、シロくん。さっさとアイテム回収して帰ろうか。私、もう寝たいや」

 

 晴れない表情の3人に向かって私は気を取り直すように笑った。

 3人はまだ少し暗い顔をしていたけれど、私の意見に頷いてくれた。

 

  *

 

「治安悪くなってるっていう話は本当だなー」

 

 アイテム回収をしている直継にヒールをかけていると直継がそうぼやいた。シロエはその言葉に肩をすくめる。その様子を見てシロエからしたら楽勝というわけでもなかったということを理解した。

 

「シロくん、今回は辛勝だったと思う?」

「あぁ、うん。多少はね。確かに、こちらにもヒーラーがいるからそう簡単に直継が落とされるとは思わなかったけど、向こうが過信してくれてなかったらちょっと危なかったかもね」

「ふーん」

 

 確かに、相手の過信がこちらの勝利に繋がっていたのは事実だ。

 

「クロはどう思ってたの?」

「私からしたら、勝ち確の勝負だったんだけど」

 

 確かに相手は6人でそのほとんどがかなり高レベルで直継のHPは半分くらい削られた。でも、それは私がヒールを使っていなかったからであり、使わなくても直継のHPは持つと判断したからだ。それに最初から人数はあらかた割れていたし、私たち4人とも奥の手は隠していた。それを切り札として使用するには冷静さが必要だが、それは私たちの連携で何とでもなる。

 

「そっか、クロは確信してたんだ」

「うん。不意打ちにかかったふりをすれば、過信とかボロを出してくれると思ったからね」

 

 そのへん、直継はきちんと役目を果たしてくれた。私にはその瞬間から勝ちが見えていたのだ。

 シロエとそう話している間に、アカツキと直継はアイテム回収を終えたみたいだ。

 

「他にもPKたちが潜んでいるかな」

「それはないんじゃないかな」

 

 アカツキが言った言葉に返答したシロエに同意する。ここよりアキバに近づけば、アキバの街に逃げ込まれる可能性がある。それはPKにとって非常に不利益だ。襲い損になりかねないからだ。

 それにしても、物騒になったなと思う。直継は「治安が悪くなった」なんて表現しているけど、それは若干、いや全くといっていいほど前提が違う。

 治安などと言っているけれどもとよりこの世界に法なんて存在しないのだ。それに加え、死んでも復活するなんていう命の概念が軽くなる情報が流れてしまっている。故に、ストレスや苦痛、そういったものから逃げるため、または何もすることがないため、PK――人を殺す行為が横行し始めたんだろう。

 いずれにしても、カッコ悪い。それに面倒くさい。

 

「〈ドレッド・パック〉ねぇ……。何かこう、ありきたりな名前だ」

「それは仕方がない。PKなんてするギルドにセンスを求める方が贅沢だ」

 

 直訳すれば恐怖の群れといったところだろう。何にせよセンスが無いというアカツキの意見には同意だった。

 そして、今回のギルド以外にもPKを行なっている集団は一定数いるらしい。

 

「私もそんな噂は聞いている」

「聞いた話だと他にも〈たいだるくらん〉とか〈ブルーインパクト〉だとか〈カノッサ〉とかがPKやってるっていう話だよね」

「なんだかなぁ。そりゃさー。色々てんぱってるのは判るよ。判るけどさ。……なんつぅかなぁ、他にやることあるんじゃねぇかな」

「たとえば?」

「おぱんつについて語るとかさぁ」

 

 直継の発言に私はため息をついた。アカツキなんか二歩引いている。

 

「二歩退かれた……。二歩だぜ……?」

 

 落ち込む直継をシロエと励ましつつ、直継のおぱんつ講義を聞き流す。

 それにしても、他にやること……か。

 

「ないから、PKとかに走るんだろうけど」

「そうだね。命を繋ぐだけなら安い食事があるし、衣服についても同じ。寝床だって、快適さや安全面を気にしなければどうにでもなる」

 

 私の零した呟きにシロエが反応してそう言った。

 シロエの言葉をさらに突き詰めるなら、生存競争をしなくちゃならないわけでもないから生きる目的がないということだ。それが「他にやること」がない状況に繋がっているわけだ。

 

「生きる目的? 他にやること? んなもん、自分で決めて自分で邁進すれば良いじゃねぇか。おぱんつについて語るとか。女の子を守るとか」

「そう簡単に言いのけられる人間は案外少ないんだよ、直継」

 

 自分で決めて何かに打ち込める人間とそうでない人間。ぶっちゃけて言うと、私は実は後者に近かったりする。でも私は面倒くさいこともしない主義なので、PKなんて考えないが。

 ぼけーっとそんなこと考えていると直継が声を上げる。

 

「ちょ、うっわ!」

「どしたの?」

「あいつら、合わせて金貨62枚しかもってなかったよ。どんだけしょぼいんだっての」

「アイテムの方はそこそこだったぞ」

 

 どうやら直継とアカツキが拾い集めたアイテムの確認をしていたらしい。確かに金貨62枚はしょぼい。けれど日常的にPKをするぐらいだからリスクは認識しているようだ。

 

「そりゃそうでしょ」

「よほどのバカじゃなきゃ、必要最小限のアイテム以外は貸金庫に全部預けてきてあるよ。そのアイテムだって、他の人から奪ったものだと思うよ?」

 

 私とシロエの言葉に2人は「儲け損ねた」と深いため息をついた。その様子に私はくすりと笑った。

 

  *

 

 トラブル――PKに遭遇したため、アキバの街に戻ってきたのは夜も半ばの時間帯だった。さっさと宿に戻って布団にもふもふしたいというのが私の正直な感想だった。

 もふもふといえば、確かご隠居は猫人族だったなー。もふもふしてそう。会ったら真っ先にもふもふさせてもらおう。

 それにしても、とアキバの街を眺める。

 勘など働かせなくても、ここ数日で街の雰囲気が変わっているのは理解できた。みんな、互いを警戒しているのだ。個人的な意見としては、今この状況で互いに警戒しても自分の身を滅ぼすだけだろう、と思っている。

 この世界には確かに日本人だけでも3万人いる。でも、それは今まで共に生きてきた日本人口の0.03パーセント。自分たちの同じ人間は1パーセントにも満たないのだ。そんな状況なのだからもう少し必死になってもいいだろうに。私は少なからずこの状況に絶望していた。

 何か本気で対策でも考えようか。例えば自治団体をつくるとか。まずはどこかのゾーンを購入して、それから団体作って、なんて考えていると直継のげんなりした声が聞こえた。

 

「どっかで買ってく? それとも食ってく?」

「あー。どうします、主君?」

 

 どうやら今日の晩飯についてらしい。直継とアカツキの投げやりな調子に苦笑いが浮かぶ。私としては少量で腹が膨れるから味はそんなに気にならないけど、3人は違うらしく食事の度に憂鬱そうだ。

 

「ん……。ちょい待って。マリ姐のとこ、起きてるなら寄っちゃおう」

 

 そう言ってシロエはマリエールに念話をし始めた。

 向こうの話が終わる間、アカツキが私に声をかけてきた。

 

「リンセ殿」

「ん、何? アカツキ」

「リンセ殿はあの食事をどう思う?」

「別に、お腹が膨れるんだからいいと思うけど」

 

 私の返答にアカツキがすごい顔をする。それでも可愛いから世界って不平等だ。そんな彼女に直継が諦めたように言った。

 

「ちみっこ。リンセに飯のこと聞いても意味ないぜ」

「ちみっこいうな」

「おい直継、それどういう意味?」

「飯に関心ゼロのやつに聞いても無駄ってことだよ」

「そりゃ悪かったね」

 

 食事イコール生命維持のための行動と思っている私はあまり味に固執しない。確かにずっと食べ続けていると少し変化がほしいなと思うが、所詮その程度だ。

 私が少し口を尖らせているとシロエの方の話が終わったらしい。けれど、どこか様子がおかしい。

 

「どうした? シロ」

「〈三日月同盟〉で何かあった?」

 

 シロエの気配に直継も気付いたらしい。

 私たちの言葉にシロエはこちらを振り返った。

 

「〈三日月同盟〉へ行こう。どうやらトラブルが起きたらしい」

 

 嫌な予感に私は目を細めた。直継やアカツキも何か感じ取ったのか、神妙な表情をしている。

 そんな私たちは、各々の予感を消せないまま〈三日月同盟〉へと向かった。

 

 訪ねた〈三日月同盟〉のギルドホールは慌ただしかった。みんな、何かの準備をしているみたいだ。案内されたマリエールの執務室も前より散らかっていて、それでも何とか確保した応接セットにお茶が準備されている。

 

「すいません、シロエ様……。って、うっわぁ! アカツキちゃんじゃありませんかっ!」

 

 ヘンリエッタは箒を放り出してアカツキに思い切り抱きついた。掃除はいいのだろうか。

 

「おかえりな。4人さん。ちょーっと散らかっとるけど、その辺はお目こぼししたってな」

 

 小さく両手を合わせて器用にウィンクをするマリエール。それにため息をついたシロエを視界に入れつつ、私はヘンリエッタに声をかける。

 

「へティ、片付けはいいの?」

「今はアカツキちゃんですわ!」

「ああ、そう」

 

 アカツキに同情の目を向けると助けろと目で訴えられた。それを華麗にスルーしてマリエールの方を向く。

 

「何があったんですか。マリ姐」

「まぁ、ま。そう急かさんと。座ってや。水入れたげるからっ。色つきでお茶風味! えへへへ」

 

 マリエールは笑って言うがその笑顔に違和感しか覚えない。絶対に何か無理をしている。

 とりあえず、マリエールの勧めに従ってソファの肘掛に寄りかかる。なぜならソファは直継とシロエで満席だからだ。ちなみにアカツキは未だヘンリエッタの腕の中だ。

 

「……あー。うん」

 

 全員座ったけれどマリエールはなかなか話しはじめない。なんとなく要件は感づいてはいるけれど実際に聞かないことに判断できない。なかなか口火を切らないマリエールに痺れを切らせてシロエが話を切り出した。

 

「遠征ですか?」

「うん、そや」

「どこに?」

「えーっとな。エッゾっていうか……ススキノ」

「ススキノ?」

 

 まだトランスポート・ゲートが復旧したという話は聞かない。なのに、何故このタイミングなのか。

 

「もしかして、誰かを迎えに行くの? マリー」

「リンセやん。うん、そうなんや。前にもいうたけど、うちら〈三日月同盟〉は小さなギルドや。メンバーは、いまはちょい増えて24人。殆ど全員は、アキバの街にいるし、いまはこの建物の中におる。でも1人だけ、ススキノにおる娘がおるねん。名前はセララってゆーんやけど、まぁ、これが可愛い娘でな。〈森呪遣い(ドルイド)〉や。うちの中でもまだ駆け出しで、レベルは19。まぁ、そんなのはどうでもええねん。ちょっと気が弱いところがあって、人見知りなんやけどな。商売やりたいって〈エルダー・テイル〉始めた変わり種で」

 

 視線を落としたまま話を続けるマリエールのあとに続いてヘンリエッタが言葉をつなげる。

 

「〈大災害〉があった日、セララはススキノにいたのですわ。ススキノで丁度レベル20くらいのダンジョン攻略プレイの募集がありまして。その時はギルドに手の空いてる人もいなくて、狩りに出掛けて腕を磨きたかったセララは1人でススキノに……。一時パーティーでした。ススキノで募集をしていたメンバーと合流して遊んでいたらしいのですが、そこで〈大災害〉に遭遇しました。トランスポート・ゲートは動作不良になって、セララは取り残されてしまったのです」

 

 なるほど、話は理解した。確かに低レベルの仲間を1人にしておくのも心配だろう。だからといって、移動方法は現状自分たちの足しかない。

 

「わたしたちはよく知らないが、事件後にススキノに向かったプレイヤーは居るのか?」

「いないね」

 

 アカツキの問いに私ははっきり答える。マリエールもそれに頷いた。

 

「そうなんよ。みんな今日を生きるので精一杯や。他の都市のことなんか気にかけてられないのはよぉ判るんよ。攻略サイトを閲覧できない今〈妖精の輪〉を使うのは自殺行為やしな。かといって徒歩や馬でススキノ目指そう思うたら二週間以上はかかると覚悟を決めなならん。途中には結構な難所も幾つかあるはずや。好奇心でふらふら行ける場所や無いやろ」

 

 それはもっともだ。だけどマリエールたちはそれをしようとしている。しかも、彼女は二週間以上と言ったがそれは甘すぎる見積もりだった。

 何故、今なのか。考えを巡らせて答えに辿り着いた。そういえばご隠居が言っていたな。

 

「ちょっと待った。〈帰還呪文(コール・オブ・ホーム)〉は……。ああ、そっか」

「ええ。〈帰還呪文〉は五大都市に入った時点で、自動的に上書きされますわ。いまセララが〈帰還呪文〉を使ってもススキノに戻れるだけ。……この街に戻ることは出来ません」

「今、救援を出す理由は、何?」

 

 私たち4人の疑問をアカツキが切り込む。

 

「それは……」

「あー。な。うん……。救援は、前々から出す予定だったんよ。あんな北の最果てにひとりぼっちじゃ心細いやろ?」

 

 マリエールの言い方にシロエはまっすぐマリエールを見る。私も少し目を細めてマリエールを見た。

 

「マリー、私はそんな取り繕った言葉を聞きたいわけじゃないんだけど」

「リンセやん。別にそんなつもりは……」

「……マリ姐」

「そんな目で見ちゃだめやで、シロ坊。シロ坊の目つきはちっとばかし鋭いんやから、可愛い娘さんにもてへんようになってまうで?」

「マリ姐」

 

 言葉に逃げを感じたらしいシロエは重ねて問いかける。一方、私はなかなか言い出さないマリエールにとうとう痺れを切らせた。

 

「はぁ、もう。はっきり言ったら? マリー。ススキノはここより治安が悪いって」

 

 私の言い方が少しきつかったのか、マリエールの瞳が少し揺れた。

 

「ん。……うん。リンセやんの言う通りや。ススキノはこっちよりも治安が悪いんよ。……セララなぁ、なんか柄の悪いプレイヤーに襲われたん」

 

 やっぱり。

 市街地は戦闘行為禁止区域だが、恐喝、強姦、その他の“武器を使用せず、一定以上の苦痛またはダメージを与えない”行為は、おそらく今まであったシステムに引っかからない。禁止をかいくぐって犯罪的行為をすることは可能なのだ。相手が女の子なら、なおさら。

 

「あ。いやな。まだ大事にはなっとらんのよ。そこまではいっとらんの。でもな、ススキノはそもそも、人少ないやん。話によると、いま二千人を超えるか超えないかっていう人口らしいんよ。そんな街で、何時までも逃げ隠れる訳にも行かないやろ? うち、助けにいってやらんとあかんのやん。うちんとこのメンバーやもん。それが当たり前やろ?」

 

 気持ちはわからなくもない。けれど、さすがに〈三日月同盟〉だけで解決するのは色々と無理があるだろう。

 そう思っている私を置いて話はどんどん進んでいく。

 

「で、こっからが相談なんやけどな。えーっと、悪いんやけどさ。うちのメンバーも、まだひよっこが多いやろ? みんな良い子なんやけど、まだちょっと頼りないんよ。今回の遠征で精鋭の連中は連れて行かな、そもそもエッゾまでたどり着けないと思うん。そのあいだ、こっちに残す子の面倒を見たってくれないかなぁ?」

 

 それに加えてヘンリエッタからもお願いされる。頭まで下げられてしまった。私としてはお断り願いたい。他人の面倒なんて無理だ。私には絶対無理だ。それにマリエールたちの旅はきっと、いや絶対に失敗する。これは勘だ。けれど今までずっと付き合ってきた私の勘だ。今回に限っては外れるなんてことはない。失敗する条件もきちんと明白だ。

 ちらりとシロエを見ると難しい顔をしていた。きっと彼も自分と同じ解答を叩き出す。だからこそ彼が思考の渦に飲まれる前に引き上げなくてはならない。あと5秒のうちに。

 

 彼の言葉が私たちを導くのだから。

 

「シロくん」

 

 私の声にシロエは意識を戻す。私が口角を上げれば直継とアカツキはこともなげに頷いた。

 

「言え、シロ」

「主君の出番だ」

 

 直継とアカツキの言葉を風に彼は帆船を進めるだろう。その航路を後押しするのが私の役目。

 

「シロくん、私も同じ考えだよ」

 

 さあ、私たちの道を決めておくれ。

 

「僕らが行きます」

 

 そう、それが最善解。この場において叩き出せる、もっともベストな解答だ。

 

「え?」

「僕らが行くのがベストです」

「そんな。シロ坊っ。うちらそんなことねだってるわけやっ」

 

 マリエールの抗議を無視してシロエは私たちを見る。

 

「もちのろんだぜ」

「主君と我らにお任せあれ」

 

 なんとも絶妙なタイミングで返答を返す直継とアカツキ。話は終わったとばかりに直継は立ち上がり、アカツキもそれに続く。

 

「俺たちが遠征に行く。マリエさんたちが留守番だよなー。ひよっこの面倒を見るなんて、俺たちにゃ無理無理っ」

「忍びの密命に失敗の文字はない」

 

 2人の頼もしい言葉に思わず笑いが溢れる。それに対し、シロエは格好つけてしまったことに対して気恥かしそうにしている。こちらもこちらで微笑ましい。

 

「リンセやんもなんとか言ってやっ」

「へ?」

 

 いきなり声をかけられて間抜けな声が出た。マリエールの方を見ると目で訴えられる。

 でも、やっぱりこれが一番なのだ。

 

「マリー。これが最善解だよ。私たちが迎えに行って、マリーたちが留守番。マリーの役目は帰ってくる子を笑顔で迎えてあげること」

「明朝一番で出発する。任せておいて、マリ姐。ヘンリエッタさん」

 

 シロエの恥ずかしさを押さえつけた言葉に思わず吹いてしまったのは秘密だ。



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chapter 4

 〈三日月同盟〉のギルドホールから出てきて、明日に備えて寝ようということになった。その前に久々に連絡でも入れておくかと思い、脳内メニューのフレンド・リストから彼の名前を出す。もしかしたらもう寝てるかも、と思ったが伝えておいて損はないだろうから。

 何回かのコール音の後、目的の人物に繋がった。

 

「もしもし」

『こんばんは、リンセち。数日ぶりですにゃ』

「そうですねー、ご隠居。最近は戦闘訓練してるもんだから宿に戻るとすぐ寝ちゃって」

『そうにゃんですか。でも、元気そうで何よりですにゃ』

 

 そう、我らが元〈放蕩者の茶会〉のご隠居様だ。

 

「夜遅くにすいません」

『それは構いませんにゃ。それより、こんな時間にかけてきたのですから、何か用事があったのではないですかにゃ』

 

 久しぶりのご隠居の声に向こうも変わらずだったんだと知る。

 

「ああ、そうだった。実はですね、明日ススキノに向かってアキバを発つんです」

『にゃ? ススキノに来るのですかにゃ?』

「そういうことです」

 

 ご隠居は不思議そうな声色だ。それもそうだろう。まだトランスポート・ゲートは復旧していないのだから。

 

『一体何故?』

「実は、知り合いのギルドの子が1人ススキノに取り残されちゃってるんですよ。その子を迎えに行くんです」

『そうにゃんですか』

「ええ。多分、その子、最近ご隠居が言ってた〈ブリガンティア〉に追っかけ回されてるんだと思うんです。えっと、セララっていう子なんですけど」

『おや、セララさんのことでしたか』

「え、知ってるんですか?」

『ヒューマンの〈森呪遣い〉レベル19の女の子ですにゃ』

「そう、多分その子です」

 

 どうやら知っているらしい。話を聞けば匿っているとのこと。これは思ってもみない状況だ。不幸中の幸いとはこういうことを言うのだろう。ご隠居ならそう簡単にやられることはないし、と私は少し安心した。

 

『街の隅で丸まっていたのを拾ったのですにゃ』

「拾ったって……。猫じゃないんですから」

『どちらかというと、子犬ですにゃ』

「いや、拾ったって表現を変えてほしかったんだけど……まあ、いいや」

 

 ご隠居のこういった言い回しは昔から変わらないと肩を落とす。私も出会った頃は小動物の様に扱われていたし。それはともかくとして、だ。

 

「その子、無事なんですよね」

『今のところは、ですけどにゃ』

「ならいいです。そのまま匿ってあげてください」

『無論ですにゃ』

 

 ご隠居の落ち着いた声に思わず笑みが零れる。いつだって、彼は“ご隠居”なのだ。

 

「そっちにはグリフォン使って行くから結構早いと思います」

『そうですかにゃ。ところで、お1人というわけではにゃいでしょう?』

「ああ、うん。4人です。その内、私とあと2人はご隠居の知ってる人ですよ」

『ほう。その2人とは一体誰ですかにゃ?』

「んー、秘密にしといた方が面白いでしょ?」

 

 ちょっとでいいからご隠居をびっくりした顔がみたいと思ったので、シロエと直継のことは黙っておこう。そんな私の考えを見抜いているかのようにご隠居は小さく笑っている。

 

「なんで笑うんですか」

『そういうところも変わってないなと思いましてにゃぁ』

「ちっ」

 

 これじゃ完全に子供扱いじゃないか。確かにご隠居から見たら私は十分子供なんだけど。

 

『女の子が舌打ちは良くないですにゃ』

「はいはい」

『返事は一回で十分にゃ』

「はーい」

『伸ばさない』

「はい」

 

 そんなやり取りをして2人同時に笑いだす。夜遅くなのでなるべく声を殺して。

 

「なんか、久し振りですね。こういう会話」

『最近は情報交換が中心でしたからにゃあ』

 

 確かに今の状況になってからの連絡は情報交換が主だった。だからこんな軽口を叩くことなんて少なかった。今それができているということは、少しは余裕が持ててきたということなんだろうか。もしくは現状に諦めがついたということか。ご隠居に限ってそれはないか。

 それはそうと、この状況になってもご隠居の私の扱いは変わらない。

 

「なんていうか、お兄ちゃんみたいですよね、ご隠居って」

『そんなこと言うのはリンセちだけですにゃ』

「そう?」

『そうですにゃ。でも我が輩にとってもリンセちは妹みたいですにゃ』

「手のかかる、でしょ」

『よくわかってるにゃ』

 

 ひどいと言いつつ、思いっきり言い返せないのが癪だ。周りからもよく言われていたことだったのも言い返せない理由の一つである。

 

『リンセち』

 

 不意に真剣な声になったご隠居に私ははてなを浮かべる。

 

「ん? 何です、ご隠居?」

『無理は禁物ですにゃ。何かあったら“必ず”連絡するのにゃ』

「善処します」

『リンセち』

 

 暗に約束できないと告げればご隠居の声のトーンが下がった。これは口だけでも素直に従っておくべきだろうと返事を変更しようとした。

 

「はい。わかりまし……」

『口先だけじゃ駄目なのにゃ』

 

 したのだが思い切り見抜かれて鋭い声が返ってくる。コイツなんで分かるんだ、顔も見えていないくせに。そういうところは鋭いんだから、と肩を竦める。

 

『リンセち』

「……はい。頑張ります」

 

 向こうのため息が聞こえた。別にそこまで心配しなくてもいいのに。

 付き合いが長いせいか、彼は結構私の世話を焼きたがる。別にいやという訳ではないが子供扱い過ぎないかと思うことは多々あるのだ。

 

『リンセち?』

 

 私が不意に無言になったせいか、ご隠居が不思議そうに尋ねてくる。

 

『大丈夫ですかにゃ?』

「いや、別になんでもないですよ」

『何かあったら、言ってくださいにゃ』

「はいはい。じゃあ、一つお願いしてもいい?」

『何ですかにゃ?』

「再会できたら、もふもふさせてください」

 

 言ったらご隠居から返事が来なかった。あまりにもふざけたお願いだったからだろうか。

 

「やっぱ駄目ですか?」

『……いいえ、構わないですにゃ。ちょっと斜め上にきたからびっくりしただけにゃ』

「そう。ならよかった」

 

 これでご隠居をもふもふできる。そう考えたら楽しみになってきた。きっと綺麗な毛並みでふわふわなんだろうな。

 そんな話をしていたら、そこそこ時間が経過していた。

 

「じゃあ、そろそろ寝なきゃだから切りますね」

『わかりましたにゃ。気をつけて来てくださいにゃ』

「はい。では、おやすみなさい」

『おやすみなさいにゃ』

 

 そして軽い電子音を立てて通信が切れる。静かになったそこで明日からの旅に一瞬だけ想いを馳せた。

 

「さてと、寝ますか」

 

 そして自分の布団に潜り込み、そのまま意識を落とした。

 

  *

 

 早朝、私たちは「ウエノ盗賊城址(ウエノローグキャッスル)」にいた。私たちを見送りにきたマリエールはもう何度目になるかわからない確認をする。

 

「本当にええんか?」

 

 見送りに出てきてくれた〈三日月同盟〉のギルドメンバーたち数人もマリエールの後ろで同じような表情をしている。

 

「心配要らないって。マリエさん。その娘、可愛いんだろう? 俺がナンパする前に他の男には触れさせないぜ。遠征ナンパ祭りっ!」

「黙れ馬鹿」

 

 直継が取り方によっては不謹慎になりそうな発言をする。そんな直継にアカツキが肘鉄をいれた。

 

「大丈夫です。野営慣れもしてるし、この二週間くらいで訓練したから……」

 

 確かに昨日言ったことは間違いではない。けれど、シロエは昨晩切ってしまった見栄が恥ずかしいようでなかなかマリエールと視線を合わせられていなかった。

 

「シロくん、見送りに来てくれたんだから。それに会話するときは人の目を見る」

「でもさ……」

「行くって言ったんだし、それは間違いじゃないからもっと胸張りなよ」

 

 そんなシロエに対して私はため息をつく。すぐに出来ることじゃないのは分かっているけれど。

 

「これ。……いつもので悪いんだけど、食い物だから。道中でさ、食って。シロ先輩、ごめんな」

「アカツキちゃん。これはメンバーが作った傷薬ですわ、お気をつけて」

 

 〈三日月同盟〉からの心ばかりの支援物資を受け取りながらシロエとアカツキは言葉少ないながらも感謝する。〈三日月同盟〉のギルドメンバーはそれをきちんと受け取ってくれた。

 

「マリ姐こそ気をつけてください。……その、PKとか」

「うん、うちらは平気っ。ちゃんと情報も集めておくっ」

「ばっち任せておいてよ。マリエさん」

「あはははっ。直継やんも、ちゃんと帰ってくるんよ? シロ坊はいらんみたいだから、直継やんにもませたげるからなっ。ほれほれ。お姉さんのは柔らかいぞぅ」

 

 そう言うとマリエールは直継を胸に抱き込んだ。朝っぱらから何しているんだこの人は、と若干頭を抱える。

 

「ちょ、マリエさんっ。タンマっ」

「なんだよぉ。直継やんもシロ坊と同じく拒否組なのかぁ?」

「そういうわけじゃないけどさっ」

 

 相変わらずマリエールは照れくさくなると下ネタに逃げ込む。相手にされている直継も大変だな。アカツキはそんな直継にぼそっと何かを囁いていた。〈三日月同盟〉のギルドメンバーの様子を見ると苦笑しており、聞けばどうやら日常的な光景らしい。

 

「無事に帰ってきたら、うちの脂肪なんかどうしたっていいからさ。……行ってらっしゃい、うちらのためにありがとう。気をつけてな」

 

 マリエールの言葉を受けて私たちは歩き出す。

 遥か北の地へと。

 

  *

 

 出発してから私たちは馬を使って崩れた高架道路――古代時代においては首都高と呼ばれた陸上橋のような道路を通って北へと進んでいた。

 この世界でも、馬はホイッスルを吹くとどこからともなくやってくる、という親切設計だった。こういうところはゲームっぽいんだけどな。

 そうして私たちはいくつものフィールドゾーンを経由して地道に進んでいくそうしてしばらく、私たちは昼過ぎになってから休憩を取ることにした。適当な場所で馬から降りて休憩ができそうな場所を探す。

 

「馬はいいんだけどさ、馬術とかは体が勝手にやってくれるから。でも、やっぱり尻は痛くなるよな」

「そうだね」

「私も同感」

 

 そう話す私たちをアカツキは怪訝な表情でじっと見つめてくる。そりゃそうか。軽そうだからなアカツキは。重さがない分負荷が少ないのだろう。

 そのあとも、毎度恒例となった直継とアカツキのじゃれあいが始まった。私はシロエの斜め左後ろを歩きながら周りを見渡す。するといいものを発見した。

 

「シロくん。あれ、あの大きな岩。テーブルに使えそうじゃない?」

「本当だ。2人とも、あそこで休憩にしよう」

 

 シロエの提案にアカツキと直継は頷いた。

 岩の上にクロスを敷き、食料と水筒、そしてシロエは地図と筆記用具を広げる。

 

「これはどうしたんだ? 主君。ずいぶん立派な地図じゃないか」

 

 その地図はアカツキの言う通り随分詳細だった。なんでだろうと考えてシロエのサブ職業を思い出した。

 

「そっか。シロくん〈筆写師〉だっけ」

「うん。アキバの文書館にある地図を写してきた」

「なるほど。主君、やるな」

「で、俺たちはどの辺なんだ?」

「この辺」

 

 私は水筒の水を飲みながらアキバに近い一点を指す。全然進んでないなとか、午後は飛ばすなんて会話をしながら湿気た煎餅味のターキーサンドを食べた。私は半分くらい食べたあたりでお腹がふくれたので、そこで手を合わせる。

 

「ごちそうさま」

「もういいのかよ」

 

 私の目の前に残されたターキーサンドを見て直継は眉をしかめる。

 

「うん、もういいの。直継、あげるよ」

「いらねぇよっ」

「なんだ、残念」

 

 食べかけが嫌なのか、それとも湿気た煎餅味はいらないってことか。残ったこれはどうしよう、ひとまず何かに包んでマジックバッグにでもしまっておくか。

 その後、3人がなんともいえない表情でターキーサンドを食べてるのを眺めながら、水を飲む。

 

「……このまま、ギスギスするのかな」

 

 ふとアカツキが小さく呟いた。その言葉の真意は私には分かりかねるけど、そうなるべきではないという確信はあった。

 

「そんなことはないよ」

「そんなのはつまんねー」

「ま、そうなるべきじゃないよね」

 

 シロエはまっすぐに、直継が言葉通りに、私は笑いながら。アカツキの言葉を否定する。

 

「身内が泣いてたら助けるっしょ。それ普通だから。『あいつら』が格好悪くたって、俺らまでそれに付き合う義理はねーよ」

「直継の言う通り。格好悪くなる義理なんてない。堕ちる理由もないし」

 

 そもそも、そんなことしてる場合じゃないと思う。私たちはこの世界で少数派なのだ。そんな世界で互いに堕ちる理由があってたまるかって話だ。

 

「ったくだぜ。無理矢理襲うなんてのは、風情がなくていけねぇよ。もっとさ! こー。なんてんだ。ちらっ、みたいな」

 

 さっきまで格好いい雰囲気だったのに台無しだった。そして直継の意見に私は反対だ。

 

「直継、見えたら終わりだよ。見えるか見えないかのギリギリのラインが一番人間の想像力が発揮されるのに」

「いや、見るまでが勝負だろっ」

「違うねっ」

 

 私と直継のだんだん白熱していく下ネタ会話に今回は珍しい人物が乱入してきた。

 

「えー。直継とクロとしては、じゃあ、どういうのが好みなのさ」

 

 それはシロエだった。珍しい乱入者に私と直継の口が回りはじめる。

 

「そんなの色々あるよ。メイドさんとかナースさんとか」

「でも、やっぱり後輩がスタンダードじゃない? 私としては2歳以上年下がいいな」

「おっ、さすがリンセっ! わかってんじゃねーか。そういう基本が大事なんだよっ」

「基本は大事だよな。戦闘連携だって基本の積み重ねだもんねっ!」

 

 私と直継の会話に乱入してきたシロエはなかばやけくそのように叫んだ。分からないなら乱入してこなければよかったのに。

 そんな私たちをアカツキが白けた目線で見ていた。

 

  *

 

 食事兼休憩も終わりそろそろ出発しようと片付けをした。そして私は召喚笛を出そうとマジックバックを漁り出すが、なかなかお目当てのものが見つからない。

 

「んー……」 

「おい、リンセ。まさか持ってないだなんてことはないよな?」

「……わからない」

 

 貸金庫に預けた覚えはないから持ってきているはずなのだが。とりあえずマジックバックを逆さにしてみた。すると、どさどさっと中身がばらまかれる。それらをマジックバックに仕舞いつつ目的のものを探す。そして、それはあった。

 

「お、あったあった」

「見つかったか」

「クロ、見つかった?」

「うん」

 

 不思議そうなアカツキの視線を受けつつ3人で召喚笛を吹く。その音に導かれてそれらはやってきた。

 

「グリフォンではないかっ」

 

 そう。それは〈鷲獅子(グリフォン)〉だ。

 昔〈放蕩者の茶会〉でくぐり抜けた死霊が原(ハデスズブレス)大規模戦闘(レイド)で〈翼持つ者たちの王(シームルグ)〉にもらったものだ。あれはいい思い出だな。

 そんなことを思いながらグリフォンに餌の生肉を与えて鞍を装着した。

 

「なんでそんなもの持ってるんだ」

 

 普通の人にとってみたら希少アイテムだからか、アカツキはそんなことを聞いてきた。

 

「びっくり隠し芸のとき便利だろう?」

「びっくり隠し芸って……」

 

 直継の言葉に呆れ顔になる。気持ちは分からなくもないけれど。

 グリフォンの背に乗って私と直継は準備完了。シロエとアカツキの準備完了を待っていると、その2人が面白いやり取りをしていた。シロエの「お腹の肉は掴まないでっ!」発言に直継と2人で笑っていたらシロエとアカツキから非難を受けたが、それもそれで面白いもんだからますます2人で笑ってしまう。

 

「あははっ! さてと行きますか」

「お先に失礼っ!」

 

 直継と一緒に空へ向かう。風に乗ってひとつ縛りの髪が揺れた。

 

「あー、気持ちいいー」

「リンセ、年寄りみたいだぞー」

「うっさい」

 

 空にいることが思いの外気持ちよくて天を仰ぐ。その青はどこまでも澄みわたっていた。

 

  *

 

 アキバの街を出発してからはや3日。ここまでは概ね順調、シナリオ通りといった感じだ。

 そして到着した「ティアストーン山脈」には〈鋼尾翼竜(ワイヴァーン)〉が生息していた。空中で複数のワイヴァーンと戦闘になると厄介どころの話じゃないので、私たちは諸々の事情から考えて〈パルムの深き場所〉を抜けて北へと向かうことにした。

 〈パルムの深き場所〉は「ティアストーン山脈」の地下深くにある古代の坑道とトンネルからなる複合建造物である。いざ足を踏み入れたそこは土塊作りの粗雑なものではなく、人の手が加えられたあとの廃墟という印象だった。

 コンクリートで作られたライトグレーの広い地下通路を進んでいく。基本的に高レベルプレイヤーに対しては低レベルのモンスターは襲ってこないので、私たちは道中ほとんど戦闘をせずにここまでやって来ていた。

 

「この部屋は、そこそこ安全っぽいな。――どうする、シロ」

「えっと……。そだね。休憩にしよう。直継はドアの近くへ。クロは周辺を警戒して。僕はマリ姐に定時連絡をする。アカツキは……」

「偵察してくる」

 

 闇に溶けたアカツキを見送りつつ私はシロエの近くで感覚を研ぎ澄ます。〈大災害〉が起こってからというものの私の勘は少し鋭くなったように思う。なんというか、レーダーみたいだ。私の分担はその勘を用いたものだった。シロエが「クロにはその勘を使って周辺を警戒してほしい」なんて言ってきたときはぶん殴ってやろうかと思ったけれど、何だかんだで一番ベストな役割なのは理解している。

 精神を集中させて周囲を警戒していると、シロエが念話をしている間にアカツキが帰ってきた。

 

「おかえりなさい」

「ああ」

 

 アカツキに声をかければ短い返事が返ってきた。シロエの念話がし終わるまで彼女も報告も何もできないのでアカツキはシロエの近くでじっとしている。その姿が何とも小動物っぽい。

 シロエの念話が終わりアカツキがシロエに声をかける。

 

「主君、状況はどんな感じだ?」

「~っ!」

 

 シロエの驚きっぷりに思わず吹き出しそうになるがギリギリのところで耐えた。

 マリエールの話によると状況は大きな変化もなく継続中らしい。まあ、セララのことはご隠居がいるから私たちがつくまで状況は維持されると考えていいだろう。

 そのあと、アカツキの報告を聞いてシロエは地形を書き出していく。相変わらずうまいなぁ、さすが専門なだけはある、と感心した。

 

「こんな感じでいいかな?」

「うん、正確だと思う。……主君はこういうことが得意だな」

「CADみたいなものだよ。僕は〈筆写師〉だしね」

「CADとはなんだ?」

「パソコンでやる製図。大学でやるんだよ。工学部だしね」

「主君は大学生なのか?」

「もう卒業だけどね」

 

 シロエは頷いた。

 それにしても大学かぁ。もう随分と遠い昔の話のようだと思う。ひたすらプログラムを組んでゲームを作っていた頃が懐かしいとすら思った。

 そんなことを思っているとアカツキが言った。

 

「そうか。ではわたしとほとんど同じ年なんだな」

「え?」

「まじかよっ!?」

「やっぱりか」

 

 反応は三者三様。話の流れからそんな感じはしたけれどこれはまたなんというか。

 

「そんなに意外か?」

「冗談だろ、ちみっこ。だって、ちみっこ身長ないじゃぎゃふっ」

 

 一発入れられている直継を見て、身長のことはもう触れてやるなよ、と苦笑する。

 アカツキは胸のことについても言及した直継にもう一発入れた後、自身の台詞に疑問符を付けていたシロエの方に向き直った。

 

「まさか主君もわたしが未成年だと思っていたのか?」

「別に身長っていうか――年齢っていうか。困るな」

 

 その質問と鋭い視線にぼそぼそと話し始めたシロエ、という絵面が面白かったのは多分私だけだっただろう。

 

 *

 

 長い長いトンネルを抜けた私たちを迎えてくれたのは、山々の稜線を彩る夜明けの最初の光だった。ずっと閉鎖的空間にいたせいかとてつもない開放感だ。

 

「とうとう越えたね」

 

 静かに呟く。白い髪が風に靡いてまとめられた後ろ髪が尻尾のように揺れた。

 

「綺麗だぞ」

「すっげぇーなぁ」

 

 仲間たちの短い感嘆の声を聞きながら〈彼女〉の姿を思い出す。

 確かに、こんな景色が見れるなら絶望してる場合じゃない。突然現実になった無法の地。だけど、まだ諦めるには、絶望するには早い。アキバもススキノも。

 この“初体験”こそが冒険だ、と〈彼女〉は言った。

 わからないからこそ楽しいんだ、と〈あの子〉は言った。

 双方に通ずる未知は私には手に入れることがとても難しいものだけど、やっぱりこの世界は捨てたものじゃないのだと思う。

 

「僕たちが初めてだよ」

 

 過去に思いを馳せているとシロエが言った。私は彼に振り返る。

 

「僕たちがこの景色を見る、この異世界で最初の冒険者だ」

 

 シロエが初めて意識して“異世界”と言った。そのことに私は少しだけ驚く。

 そう。そうなのだ。この世界は時々刻々と変化していく光景をラグなしで伝えてくる。

 ここは異世界で私たちは――冒険者なんだ。

 

「そうだな。俺たちが一番乗りだ。こんなすごい景色は〈エルダー・テイル〉でだって見たことはねぇ」

「わたしたちの、初めての戦利品」

「うん」

 

 これが、私たちの現実(リアル)で私たちの人生なんだ。

 

「さあ、行こう。ススキノへ」

 

 シロエのその言葉を合図に、グリフォンの召喚笛の音が空に響いた。



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chapter 5

 〈パルムの深き場所〉を抜けて北上していった私たちはススキノの街のすぐ近くへとやって来ていた。そこで偵察用のキャンプを築いている。

 

「今のところ、警戒すべきところはないな。主君」

「だけど、うろんな雰囲気だぜ。活気がねぇ」

「ま、理由はわからなくもないけど」

 

 ススキノの現状をご隠居から聞いている私はススキノの方角を横目で見て眉間に皺を寄せた。

 

 シロエは紙に簡単なススキノの地図を書きながら作戦を解説する。

 ススキノの街はメインストリートが中心となっていて、繁華街は東側を通っている。私たちは西側から侵入するにした。

 

「街の外で待ち合わせではまずいのか?」

「それは下策だな。ちみっこ」

「そうなのか? エロ直継」

「今はその会話はなしだよ。直継、アカツキ」

 

 いつものような言い合いが始まる前に私は2人に制止をかける。さすがに状況が状況だ。二人ももとよりそれ以上の言い合いをする気はなかったのだろう、すぐに口を閉じる。

 

「私たちはアキバ、セララちゃんはススキノが復活場所だからね」

「もし万が一全滅してしまったら、僕らはアキバ、セララさんはススキノとはぐれて最初からやり直しになってしまう。それは避けたい」

「そうか。うん」

 

 アカツキが理解したところで次はフォーメーションの確認に移った。

 

「まず、アカツキ……は最初から〈隠行術〉と〈無音移動〉を使用。気配を消してついてきてくださ」

「敬語禁止」

 

 相変わらずの2人に吹き出してしまった。すると聞こえていたらしいシロエがジト目でこちらを見てきた。思わず顔を反らす。

 

「うー、わかった。クロ、笑わないでよ。――直継と僕とクロ、そして気配を消したアカツキは通常どおりゲートから街に侵入。合流地点の廃ビルを目指す。アカツキはどこか付近の隠れられる場所を見つけて、ビル全体を監視。トラブルがあったら僕に念話で連絡して」

 

 シロエの指示にアカツキは頷く。

 

「直継はビルの入口付近に陣取る。できれば通りと内側の両方が見える場所がいい。その場所で外側と内側のトラブルに備えて待機。クロは異変に即時対応できるように僕についてきて。それから、僕たちはそのままビルの中に入り、セララさんと合流。速やかに連れ出して直継のところまで戻る」

「了解」

「おっけー。えーっと、なんだ。協力してくれる第三者ってのはどうするんだ?」

 

 シロエの指示に私と直継も頷く。そして私は続いた直継の質問に思わずにやけてしまう。2人とも会ったら驚くだろうなぁ。

 

「まだ、はっきりとはしてないんだ。個人的には、とりあえずその人もろとも一回ススキノからは脱出しちゃおうと思う。アキバまで一緒に行くかどうかはともかくとして――って、なんでクロ、にやけてるの?」

「い、いや何でも?」

 

 にやけていたらシロエに怪訝な表情をされた。それもそうか。こんな状況でにやけてるのもおかしいだろう。

 

「ま、その第三者って人、案外知り合いだったりね」

 

 私の言葉に3人は不思議そうな顔をした。私はそれに言葉を返すことなく笑った。

 そのあとも細かい作戦を確認していく。こういう最悪の事態を考えて行動するからシロエは考えすぎとか内向的って言われるんだろうけど、最悪の事態なんていくらでも起きるから取り越し苦労になるくらいがちょうどいいと思う。

 シロエの作戦を聞き終わって私と直継とアカツキは大きく頷いた。

 

「早ければ1時間後にはススキノをさらばだな」

「主君の作戦を支持する」

「うまくいくって保証するよ。私の勘がそう言ってるからね」

 

 勘もそうだけど、なんせこちらは腕のいい〈暗殺者〉に頼れる〈守護戦士〉、そして“腹ぐろ眼鏡”参謀の〈付与術師〉がいるのだから。全然余裕ですね、余裕過ぎて欠伸が出てしまいそうだ。

 それからさらに細かいコールサインや非常時の待ち合わせを打ち合わせて、私たちはススキノへと向かった。

 

  *

 

 街のゲートを抜け市街地へと向かう私たち。ススキノにいるノンプレイヤーキャラが歩いているけどその表情は暗いものだ。いや、ちょっと言い方を間違えたな。“ノンプレイヤーキャラ”じゃなくて〈大地人〉っていうこの世界の先住民の人々だ。そして、その中に混じっているプレイヤーもどこか元気がない。

 

「やっぱり、みんな舐めてるね。この世界を」

 

 自分でも聞き取れるか取れないかくらいの声で呟いていた。

 アキバもそうだが、みんなこの世界を舐めている。必死にこの世界で生きようとしていない。生きる理由を探さない。やることを見つけない。私たちは3万人だけだっていうのに何一つ出来ていない。もちろん私も。そのことに嫌気がさすが自分を嫌悪している時間すら惜しい。早く、早く決めなければ。意志を、覚悟を。手段ならいくらだって“作れる”のだから。

 ――“何もない”からこそ“何でもできる”。

 

「……これ、いけるんじゃない?」

 

 このまま何もしないままの世界の未来から、逆算。そして現在までの時を辿る。物語を再構築。退廃から革命までの経路をつくる。セララちゃん救出からアキバまで。アキバへ帰還、再構築。再構築後の予測。資金が必要、再構築。そのためのルールを作る。金銭、会計――。

 そこまでいって私の思考を止める声が響いた。

 

「クロ?」

 

 私が意識を戻すと真正面にシロエの顔があった。

 

「わっ! な、なに、シロくん?」

「いくら声をかけても反応がなかったからどうしたのかなって」

「ううん、ちょっと考え事してただけ」

 

 シロエは随分と私に声をかけていたらしい。全然気が付かなかった。

 考え事の部分に引っかかったのか、シロエはあれこれ聞いてくる。そんな彼を無理やり納得させて先を急いだ。

 

 ススキノに入って約6分。「ラオケBO」と書かれている壊れた看板の廃ビルのところでシロエがついてきているであろうアカツキにハンドサインした。どうやらここが待ち合わせ場所らしい。

 直継とエントランスで別れてシロエと一緒に2階へと向かう。奥へ進んでいくとどこからか声がした。

 

「あ、あのっ」

 

 2人分の足音にシロエと振り返る。片方は分からないけれどもう片方は知った人物だと勘が言っていた。

 

「〈三日月同盟〉のセララですっ。今回はありがとうございます」

「にゃー」

 

 セララの背後にいる長身の影、聞きなれた落ち着きのある低い声。

 

「あ、ご隠居。久しぶりです」

「って、班長じゃないですかっ!!」

 

 〈放蕩者の茶会〉で「班長」「猫のご隠居」と呼ばれていた〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉のにゃん太である。

 緩やかに手を振る私の右隣でシロエが最大限のツッコミをする。思い通りの反応で私は思わず吹き出すように笑ってしまった。

 

「おや、誰かと思えばシロエちではないですかにゃ。リンセちと一緒に来るというのはシロエちのことでしたかにゃ」

 

 そういう彼は私を〈放蕩者の茶会〉に誘った本人であり、私がこの〈エルダー・テイル〉で最も関わった時間が長い人物である。よく〈茶会〉メンバーからは面倒見のいい兄と手のかかる妹と称されていた。そんなにご隠居の手を煩わせた覚えはないんだけどな。というかご隠居が心配しすぎるだけなんだ。

 

「……っと、自己紹介するの忘れてた。はじめまして、セララちゃん。私は(シャオ)燐森(リンセン)といいます。ほら、シロくんも」

「あっ。えっと、すいません。セララさん。僕はシロエといいます。こっちのご隠居と知り合いです」

 

 私の自己紹介に続いてシロエも自己紹介をする。

 

「そうそう、セララさん。シロエちはとっても賢くてよい子だにゃあ。そして、その隣にいるリンセちはちょっと手がかかるけど周りを気遣える子だにゃあ。2人とも、見所のある若者なんだにゃあ。彼らが来てくれたならば今回の作戦成功間違いなしなんだにゃー」

「とってつけたような猫語尾は健在ですね班長」

 

 〈茶会〉時代から変わらない2人のやりとりに懐かしさを覚えながら少し周りに警戒する。

 脳の奥がざわめくような嫌な予感、もうすぐ来そうだ。

 

「3人はお知り合いなんですか?」

 

 ご隠居とシロエの暢気なやり取りに目を白黒させていたセララがやっとの思いで疑問を口にした。

 

「わりと知り合いだにゃあ。シロエちには、昔は蚤取りをお願いしてたにゃ。リンセちとはもう長い付き合いだにゃ。手のかかる妹みたいな感じだにゃ」

「そんなことをした覚えはありません」

 

 そんなご隠居の返事を聞いてセララはまた目を白黒させていた。

 

「シロエちとリンセちが来たということは……あとの2人は?」

「1人は直継ですよ、ご隠居」

「ええ。もうひとりはアカツキという女の子です。〈暗殺者〉で90。腕はいいです」

「直継っちもきてるですかにゃ。それに新しい仲間ですかにゃ? ……よいことですにゃ。シロエちも、そういう時期ですにゃ」

 

 そういう時期、か。確かにそうかもなぁ、とご隠居の言葉を聞いてそう思った。それと同時に、もうそろそろシロエも腰を落ち着けるかなとも思った。

 

「班長……〈猫まんま〉は?」

「風雪に耐えかねて母屋が倒壊したにゃ。我が輩も、このススキノの地を離れてアキバへと赴けという思し召しかもしれないにゃあ」

「ふうん……」

 

 なんとなく状況は把握出来た。そっか、ついにあのギルドももう。最後に少しくらい話くらいはしたかったなと思うけど、もうそれも無理だろう。

 少しだけ昔に思いを馳せるとどうやらシロエに念話がかかってきたみたいだ。ついにお出ましのようだ。

 

「ご隠居、このビルに裏口はある?」

「ありますにゃ」

「ならそこを使おうか。シロくん」

「うん。今、アカツキから連絡がありました。こっちに向かってくる集団を発見しました。〈武闘家(モンク)〉を筆頭にした6人パーティー。心当たりは?」

「おそらく〈ブリガンティア〉のリーダー、デミクァスだにゃ。90レベルの〈武闘家〉で仲間も同じようなレベルにゃ。……今回の事件の首謀者。つまり敵だにゃ」

 

 ご隠居が敵と言い切ったあたり相当だろうな。シロエも覚悟を決めた目をしている。私も今一度気合いを入れ直すべきか。

 

「じゃあ、ご隠居。裏口まで案内して」

「わかりましたにゃ」

 

  *

 

 にゃん太を先頭にセララとリンセは手を繋いでそのあとに続く。その後ろにはシロエだ。

 

 にゃん太さんと知り合いなんだ。……ちょっと気むずかしそうだけど賢そうなひとだなぁ。

 

 セララはシロエの鋭い目つきにそう思った。

 それに……と彼女は自分の手を引いて走る女の人を見る。顔の半分以上を覆う白い髪、そこに出来た僅かな隙間からはどこを見ているのかいまいち判別の付かない深い黒色の瞳が覗いていた。

 

 この人もにゃん太さんと……。なんかやる気のなさそうな目をしてるなぁ、って失礼だよ、わたしっ。

 

 自分より少しだけ背が高い彼女を見ながら、セララはそう思った。

 彼女に手を引かれるまま、一行は西側の大通りへと向かっていく。そして到着したゲート付近にも〈ブリガンティア〉のメンバーがたむろしていた。

 

「うっわ、思ってたよりいかついねー」

「ススキノの街は戦闘行為禁止区域ですにゃ。あいつら何考えているんだか……」

「1回は見過ごすつもりでしょう」

「ほう……」

「そういうことですかにゃー」

 

 セララに気を遣ったのか、にゃん太とシロエは言葉少なく言葉を交わす。それに知らず知らずのうちにセララはゾクリとした。

 

「どうすればいいでしょう……。わたし」

「……そうですね」

 

 遠くを見るような瞳になりながら表情が抜け落ちていくシロエ。そんな彼を見てセララは少し怖く感じた。そんな彼女の心境を感じ取ったのか、はたまた事態を深刻に考えていないのか、リンセが真剣味の欠けた、気の抜けたような声で言った。

 

「出してくれるっていうなら、出ちゃえばいいんじゃない?」

「そうだね、脱出しちゃおう。街から出れるなら好都合だし」

「……え?」

 

 シロエとリンセの言葉にセララは目を丸くした。街から出てしまえばそこは戦闘行為禁止区域ではないのだ。

 捕まってしまえば――殺されてしまう。

 セララはそう考えていた。いくらここにいる自分以外の人たちが手練れでも数が違うのだ。

 そんなセララを置いてシロエとリンセの話は続く。

 

「ま、でも逃げ切るにしても隙が必要だね」

「うん。近距離から追跡を受ければススキノの街を出たあともどこまでも追われることになる」

「向こうは多分、セララちゃんに協力者がいて、その協力者が少数であることも予測済み」

「なら、戦闘行為禁止区域から多少離れたところで包囲PK戦闘。優先目的は、協力者。その上でセララさんの意志をくじいて、支配下に置く。この路線でほぼ確定したと思う」

 

 シロエとリンセのあまりにも分析的な言葉はどこか他人事のように聞こえる。

 

「わたしたち、やられちゃうんですよ!? それをそんなにっ」

「まぁまぁ。セララさん。そう心を波立ててはいけないですにゃ。シロエちとリンセちがそうだというなら、そうなのですにゃ。そしてシロエちとリンセちがここにいるから、だいじょうぶなのですにゃ」

 

 どこかのんびりとしたにゃん太をセララは理解できなかった。思わずリンセと繋がっている手を握りしめてしまう。その直後、自分の頭にぽんという軽い衝撃。それに見上げればリンセが繋いでいない方の手でセララの頭を撫でていた。

 

「大丈夫だよ。“負けない”から」

 

 自分の方を真っ直ぐ見る彼女の黒曜石の瞳は確信に満ちていた。

 

 どうして、そんなにはっきり言えるかな……?

 

 微塵の不安も感じさせない彼女の瞳にセララは少しだけ見入ってしまう。

 彼女は少しだけ笑うと、そのまま前を向いてしまった。

 

「班長」

「にゃんですかにゃ?」

「そのリーダーは1対1なら」

「愚問ですにゃー」

 

 シロエの質問にこくりと頷いたにゃん太にセララはびっくりしてしまった。いくらベテランだといってもPKとの戦闘はわけが違うとヘンリエッタから聞いていたからだ。

 しかし、その直後にセララはもっと驚くことになった。

 

「クロ」

「はいはーい?」

「周りの数はどのくらい減らせる?」

「どのくらい減らして欲しい?」

 

 シロエの問いに驚きもせずリンセは問いで返す。

 

「3」

「割合? 百分率?」

「百分率なわけないだろ」

「はいはい。わかりましたよー」

「リンセち、返事は1回だにゃ」

「はーい」

「伸ばさない」

「……はい」

 

 さっき以上の衝撃だ。PK戦闘であるというのに多人数との戦闘を要求したシロエとそれをあっさりと承諾したリンセ、そのことに何の疑問も持たずリンセの返答の仕方につっこむにゃん太。はっきり言ってセララには何を考えているか分からなかった。

 

「ではその作戦で行きましょう。まずはゾーンから4人で出る。〈ブリガンティア〉は街に逃げ込めないような多少距離があるところでPK戦を仕掛けてくる。敵ボスを倒したらその隙をついて脱出する」

「りょうかーい」

「ばっちりですにゃー。相変わらずですにゃ、シロエち」

 

 あまりにも作戦とは言えないような行き当たりばったりな作戦にセララは青ざめた。それを咎めようとしてもうまく声にならない。

 

「そうだ、クロ。勝率は?」

「それ、聞いちゃう?」

「え、駄目だった?」

「いや、あまりにも敵さんが可哀想な結果になるからさ」

「そっか。それが聞けただけでも十分だよ」

「そう」

 

 その言葉にセララは開いた口が塞がらない。

 

 この人は何を言っているの?

 

 そんなセララを知ってか知らずか、一行はどんどんゲートに近づいていく。

 

「久々に食い散らかしますから、セララさんもよく見ているですにゃー。大丈夫、セララさんには手出しをさせないですからにゃ」

 

 何も分からなかったが、にゃん太の様子にセララはどんな恐怖にも耐えようと思うのだった。

 

  *

 

 ゲートを出て少し。予想通り〈ブリガンティア〉はゲートから少し離れたところで周りを包囲してきた。心底めんどくさい。シロエは3割削れと言ったけれど、普通〈神祇官〉のような回復職に頼むことじゃないだろうと思う。多少の恨みを込めてシロエを見つめれば何だとでも言うような視線が返ってきた。

 

「シロくん。思ったけどさっきの頼みごとさ、回復職に頼むことじゃないよね?」

「普通だったらね。でも、クロだから頼んだんだよ」

「私をなんだと思ってんだ」

「クロはクロでしょ」

 

 何を言っているんだとでも言いたそうに返ってきた返事に思わず半目になる。そんな私を知ってか知らずかシロエは作戦を開始する。

 

「こちらでいいでしょう。〈ブリガンティア〉のデミグラスさんってのはどなたですかぁ~っ?」

 

 シロエのあからさまな挑発に思わず吹き出す。その横で手を繋いでいるセララは顔を真っ青にしていた。周囲のプレイヤーも騒然だ。

 

「やあやあ。シロエち。人の名前を間違えるのはよくないにゃ。それに、そんなに大声を出してものを尋ねるのは失礼なのにゃー。我が輩が知っているにゃ、あそこにいる大男にゃ。――おーい、デミクァス~」

 

 とんだ茶番だ。確かに敵さんが可哀想になるなとは思ったけど、こんな形でなるとは思っていなかった。

 あまりに笑う私にセララはどんどん青ざめていく。

 

「だ、大丈夫だよ。セララちゃん。絶対“負けない”から」

 

 笑いすぎて涙が溜まった目でセララにいう。そんな私を信じられないですとでも言いたそうな目でセララは見る。

 私が笑っているうちにどうやらデミクァスが出てきたらしい。内面をよく表した人の悪そうな顔をしている。

 

「セララの周りを飛び回っていたのはお前たち3人っていう訳か」

「我が輩だけなのにゃ。それから1人じゃなく、1匹なのにゃん」

 

 ご隠居、今それどうでもよくないですか?

 思わず口にしそうになった言葉を飲み込む。そして、やれやれと背中にある薙刀に手を伸ばした。

 私が周りの敵の人数、職業を確認している間にも話は続く。曰く「若者の無軌道は世の常」だの「許容するのが大人の器量」だの「鼻をへし折るのも大人の務め」だの。

 

「はっ! なにをいってやがる。なんで俺たちがお前たちの流儀に付き合わなきゃならねぇんだ。こっちは10人の仲間がいるんだぜ?」

「お話中すみません。あなたじゃなくてもこちらは構わないです。むしろ、その……灰色のローブの。それって『火蜥蜴の洞窟』の秘宝級アイテムですよね? あなたの方が強そうです。〈武闘家〉じゃなくあなたと戦ったほうがどっちも納得できる。にゃん太班長、あの魔法使いとやり合おうよ」

「俺が“灰鋼”のロンダークと知っているのか」

 

 ロンダーク――その名前を聞いた瞬間、何か引っかかったような感覚を覚える。どこかで聞いたことがあるような、ないような。多分聞いたことがあるんだろうけど、そんなに記憶に残らない人物だったのだろうか。それにしてはすぐに引っかかったような。

 ロンダークを見ながら考えていると向こうもこちらを見た。そして驚きの表情を浮かべていた。一体何だっていうんだ。

 

「“灰鋼”のロンダークさんでしたか。二つ名持ちですね。そっちのデミクァスさんよりも僕らも納得できる。こっちは〈盗剣士〉のにゃん太班長がお相手します。勝負と行きましょう。逃げるつもりは」

「そこの魔術師」

「え」

 

 いきなりシロエの言葉を切ったのは話題に上がっていたロンダークだった。一体どうしたというのだろうか?

 シロエも言葉を切られて不思議そうにしていた。

 

「横にいるのはもしかして……小燐森、か?」

「私?」

 

 え、なんで知ってる。最近は大人しくしてたのに。

 私はいきなり名指しで呼ばれて内心動揺していた。

 

「その薙刀……。間違いない、“蒼帝の覇者”小燐森だな」

「え」

 

 なんでその二つ名知ってる。嘘でしょ。

 私が顔を引きつらせると、その場にいたセララとにゃん太以外の人間の目がこちらに向く。シロエも例外ではない。私はガン見してくるシロエから思いっきり顔を反らした。

 

「……今はそんなことより白黒つけることが先なんじゃないかな?」

「それもそうにゃ。その装備ならお前も一流の術師にゃ。戦闘で白黒つけるのが、お前たちのやり方にゃんだろう? 我が輩のレイピアが怖くて一斉攻撃にこだわるデミクァスは放置するにゃ」

 

 私の苦し紛れの話題変更にご隠居が乗ってくれた。ありがとう、ご隠居。この恩はこの戦闘中くらいは忘れないと思う。

 私がそんなことを考えていると、ご隠居の挑発に乗ったデミクァスがにゃん太に殴りかかった。その後ろでロンダークがデミクァスを制止していたけどそれも聞いていない。

 

「……さてと、私もお仕事しなきゃね。セララちゃん、シロくんの近くにいてね」

「え?」

 

 セララをシロエの近くに押しやって薙刀を構えて2人の前に出る。

 

「シロくん、3割でいいんだよね?」

「うん」

 

 シロエの返答を聞き、駆け出すタイミングをはかる。

 デミクァスの戦い方はわりと上手い。でもそれは完璧じゃない。あの闘い方じゃうちのご隠居は落ちないだろうな。HPはデミクァスの方が多いが押されるのはデミクァスで間違いない。仕掛けるとしたらデミクァスが一斉攻撃を命じたときだろう。

 後ろでシロエがセララに「合図をしたら全体に脈動回復呪文を」と命じている。私には何も言ってこないあたり、おそらく攻撃に集中しろということだ。

 

「くそっ! しゃらくさい。こんな決闘ごっこなんてやってられるかっ!! ヒーラーっ! 俺の手足を回復しやがれっ、〈暗殺者〉部隊っ! この猫野郎をぶち殺せッ!!」

 

 デミクァスの命令によってできた一瞬の間隙。その時間、3秒。その隙に私は敵に向かって駆け出した。

 ――背後に直継の気配を感じながら。

 

「〈アンカー・ハウル〉っ!!」

 

 直継の咆哮に引きつけられた8人に目標を定める。

 

「おいで〈青龍〉」

 

 私は薙刀に語りかける。すると私の頭上に青き龍が現れた。その姿に周りの時間が0.5秒だけ止まった。

 

「〈雲雀の凶祓い〉」

 

 そのスキルから始まり、私は薙刀を振るいはじめる。

 直継に引きつけられている敵の背後から斬りかかる。クリティカル。

 その調子で相手のHPを削っていく。全ての攻撃がクリティカルなのでダメージは相当のはずだ。

 〈禊ぎの障壁〉で自分の受けるダメージを削りつつ相手のHPを削っていく。その合間に直継を確認すれば彼のHPダメージはそこそこといったところだった。

 

「〈禊ぎの障壁〉っ。シロくん、まだっ?」

 

 敵のHPを削りつつシロエに尋ねる。すると、私の問いの答えは返ってこなかったが合図は返ってきた。

 

「呪文準備」

 

 きた。

 

「そろそろ行くぜっ。シロっ! 〈キャッスル・オブ・ストーン〉っ!!」

 

 その叫びとともに直継は不破の盾となる。そんな彼の背に回って敵を視線誘導する。ある程度人がほぼ一箇所にまとまったところで一発かまそうと詠唱を頭の中で構築した。

 

「〈神楽舞〉〈式神遣い〉〈剣の神呪〉」

 

 出来上がった数式を口早に詠唱する。校則詠唱、ステータス上昇に範囲攻撃魔法。〈青龍〉の加護を受けて虚空から降り注いだの剣が範囲内の敵のHPを容赦なく削る。そしてHPが削れていた敵のうち2人が落ちた。

 

「なっ!?」

「嘘だろっ!?」

 

 周りにいる敵が驚きの声をあげる。それもそうだろう。自分たちの仲間のキルを取ったのが〈神祇官〉であれば。

 こちらの敵が動揺して止まっている2秒。その間に決着はつく。

 シロエの〈ソーンバインド・ホステージ〉の再使用規制時間は15秒。1発目の設置後、その時間が残り1秒になった今ご隠居が動いた。0.2秒の連続攻撃の5発目と6発目の間に〈ソーンバインド・ホステージ〉の2発目が設置される。それらを全て破壊されれば10000を優に越えるダメージソースとなる。いくらHPの高い〈武闘家〉でも耐えきることは出来ないだろう。

 崩れ落ちて動くこともままならないデミクァスを見つめて鼻で笑う。

 敵に動揺が広がっていく。疑心暗鬼と絶望が広がっていくのがわかった。

 

「剣を引けっ、お前たちっ!」

 

 直継の叫びに続いて後方から聞こえた悲鳴。どうやらそっちもオッケーってところか。

 そちらの方を振り返れば〈暗殺者〉の少女がロンダークに小太刀を押し当てていた。それは空白の3秒を最も効率よく使ったアカツキだった。

 シロエはデミクァスとアカツキが取り押さえたロンダークに向かって語りかける。

 

「僕たちは『パルムの深き場所』を越えてやってきました」

 

 そう語るシロエの横に並ぶ。

 

「アキバの街とここは、もはや往来できないほどの距離ではありません。僕らがその方法も地図も手に入れ、報告しましたから。――こんな騒ぎは、もうお終いです」

 

 シロエの断定的な口調で放たれた言葉は相手に深い敗北感を植え付ける。

 アキバとススキノの往来、それが容易ではないことは事実だ。けれど“絶対”に出来ないことではないことも事実、私たちがその証明だった。

 

「この場は僕らの勝利です。――残りの首は、預けておきましょう」

 

 シロエが言い切るか切らないかくらいのタイミングで私は地に伏して動けないデミクァスに薙刀を振るった。支えをなくしたものが転がり落ちる。転がる音が聞こえるんじゃないかと思うくらい、周囲は痛い静寂に包まれた。

 その凍りついた静寂を切り裂いたのはグリフォンの鋭い鳴き声だった。

 

「セララさん。来るですにゃっ!」

 

 レイピアを納めたにゃん太はセララを抱えてグリフォンに飛び乗る。直継はそれよりも先にグリフォンに乗り一歩前に出た。そしてシロエはアカツキに手を伸ばす。

 

「アカツキ、行こうッ!」

 

 アカツキはわずかにシロエの手に触れ、彼の後ろに乗る。

 

「行くぜ! 出発進行、脱出祭りだぜぇっ!」

 

 それを合図に空に向かう直継のグリフォン。私もそれに続こうとすると後ろから声がかかった。

 

「燐、森…………」

 

 息も絶え絶えなロンダークの声に私は一瞬思考した後グリフォンから降りる。

 

「クロっ!」

「大丈夫。先行ってて、シロくん」

 

 後ろで制止してきたシロエに声をかけてロンダークに近付く。

 

「ロンダーク?」

「お前は……覚えて、いないのか…………」

「覚えて?」

 

 やっぱりどこかで会ったことがあるんだろうか?

 記憶を探っていく。そして、ある可能性に行き当たった。

 

「その、ローブ……。そっか、あのときの」

 

 以前一緒に『火蜥蜴の洞窟』に行ったあのプレイヤーだ。すっかり忘れていた。

 

「えーっと、久しぶり?」

「取り、繕ったような……言葉はいい……」

 

 はっきり言われると辛い。苦笑いしか出てこない。でも思い出せば次々に蘇る記憶。あのときは楽しかったな。〈茶会〉でもギルドでも味わえないであろうたった2人きりの冒険だった。

 

「ま、確かに忘れてたけどさー」

 

 目を合わせないロンダークに背を向けてグリフォンに飛び乗る。

 

「楽しかったのは覚えてる。またいつか、一緒に冒険できるの楽しみにしてるよ。ロンダーク」

 

 そう言って私は先に行ったシロエたちを追いかけるように飛び立った。

 

「…………“またいつか”か。あのときも、同じことを……言って、いたな」

 

 少しだけ悲しげに言ったロンダークの言葉など知らずに――。



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キャメロットの騎士たち
chapter 6


 シロエたちから遅れること数分。私は「ライポート海峡」を越えてオウウ地方へと向かっていた。その上空からシロエたちを確認して彼らのもとへ降り立つ。

 

「よっこいせ」

「おかえり、クロ」

 

 グリフォンに肉を渡しているとこちらに気付いたシロエが声をかけてきた。

 

「どうも。マリーには連絡した?」

「うん。今したところ」

 

 それならマリエールも安心しただろうとほっとした。すると、今回の救出作戦で無事ススキノから脱出することができた彼女が声をかけてきた。

 

「あ、あのっ! 燐森さんも、本当にありがとうございましたっ!」

「リンセでいいよ、セララちゃん。ん、どういたしまして」

 

 勢い良く頭をさげた彼女の頭をくしゃくしゃと撫でる。なんだか近所の年下の子って感じで実に可愛らしい。

 

「そういえば、シロエさんとリンセさんとにゃん太さんは、昔からのお知り合いなんですか?」

「そうだぜ、俺もなっ」

 

 横から割り込んできた直継が言葉の続きを引き取る。

 

「そうですにゃ。我が輩とシロエち、リンセち、直継っちは、その昔、〈エルダー・テイル〉がまだゲームだった時代には、よく連れ立って暴れたものなのですにゃあ」

 

 ゲームだった時代、か。そういや、かれこれどのくらいこの状況なんだろうか。私がこんなにPCを触らない日々があっただろうか。いや、ないな。

 元の世界に戻りたくないといえば嘘になる。でも実際問題、願ったとことで帰れるというわけではない。そのことに暗い気持ちにもなるけど沈んでなんかいられない。そんなことで時間を浪費したくはないのだ。

 アカツキが「野営の準備をしないと」と声をかけたことで暗かった空気が飛んだ。沈んでいたセララもほっとしたように気持ちをきりかえて天幕を張る場所を探し始めた。

 もう既に日が暮れていたので、野営の準備を終え火を熾したのはグリフォンが着陸してから2時間くらい経ってからだった。けれどセララ救出の山場を越えたためかみんなの顔は明るかった。

 

  *

 

 野営の準備を終えた私たちの目の前では焚き火が火の粉をあげていた。そこからは香ばしい匂いと脂の焼ける音がする。それを見た私は自分の勘が当たっていたことに微笑んだ。

 

「やばい。なんだこれ、すげぇよっ!!」

「主君、主君っ。これはなんというべきか、至福だっ」

 

 直継とアカツキが感極まった声をあげる。それもそのはずだ。

 

「これは成功と取っていいんですか? ご隠居」

「にゃあ、リンセちの予想通りですにゃ」

 

 そう、今私たちの目の前にあるのは「食料アイテム」ではなく「料理」。味のある、れっきとしたそれだった。

 

「シロくん、どう?」

「おいしい……けど。――なんでっ?」

 

 シロエの驚きも当然だ。何せこの世界では「すべての食料アイテムには味がない」というのがルールだと思っていたからだ。そのルールが今覆されたのだ。

 

「おいしい! これすっげえよ。にゃん太班長すごいっ! ぱんつの次くらいに愛してる!!」

「大げさですにゃぁ」

 

 鉄串に肉を差しながらご隠居は笑う。その隣ではセララが付け合せのタマネギを剥いていた。

 

「班長っ。おい! にゃん太先生っ。なんでこんな味なんだ? っていうか、なんで煎餅味にならないんだよっ!? 被告の証言を求めます祭りっ」

「ふふっ」

「なんだよ、リンセ。不思議じゃないのかよ?」

「いいや」

 

 私が笑っているのが不思議なのか、直継が首を傾げる。私は説明をどうぞというようにご隠居に視線を向けた。

 

「料理をするときに、素材をそろえて作りたい料理を選ぶと、食材アイテムが完成するですにゃ?」

「でも、それは――」

「それはやってみましたけど、その方法でやっても結局は謎アイテムが出来るだけでは? 魚を焼こうとしたときも魚とは無関係な奇妙な消し炭か、スライムみたいなペーストができるだけだったし」

「それはね、シロくん」

 

 シロエの言葉を遮った私をシロエ、直継、アカツキの3人が見る。そんなにガン見しないでほしいんだけどという言葉を飲み込み、私は続けた。

 

「みんなが〈料理人〉じゃない、もしくは〈料理人〉レベルが足りてないからだよ」

 

 その言葉に3人はクエスチョンマークを浮かべた。

 

「実際に料理するにもここでは調理スキルが必要なんだよ。〈料理人〉がメニューを使わず料理する。これが肝だったんだ。じゃなきゃ、まず塩をかけるという動作自体がおかしいのさ。メニュー画面にそんなものなかったからね」

 

 誰でも生産職の場合は経験値が5くらい入った状態でスタートだ。だからこそ「塩をかける」という最低限の調理ができたわけだ。ならば90レベルの〈料理人〉であるご隠居ならきちんとした料理が作れるのでは? と思った私はこの推測をご隠居に実践してもらったのだ。

 

「無事、成功したってことでよかったよ」

「にゃー」

 

 私とご隠居は顔を見合わせて笑った。

 

 そのあとも賑やかな晩餐は続いた。その中でご隠居が改めてセララを紹介した。

 

「はじめましてっ。ご挨拶も遅れましてっ。今回は助けていただいてありがとうございます、〈三日月同盟〉のセララですっ。〈森呪遣い(ドルイド)〉の19レベルで、サブは〈家政婦〉で、まだひよっこですっ」

 

 セララは礼儀正しく立ち上がってお辞儀をする。少女らしい顔つきと動作に何故か小動物のような印象を受けた。

 そんな彼女の姿に和んでいると直継が口を開いた。

 

「クラス3大可愛い娘で3番目なんだけどラブレターをもらう数は一番多いとかそんな感じだぜっ」

「は、はひぃっ!?」

 

 直後、アカツキの膝が神速の勢いで直継に飛んでいった。

 直継、君ってやつは……。そんなことばかり言ってるからアカツキの膝が飛んでくるんだよ、と呆れた目を向けてしまった。

 

「膝はやめろっ! 膝はっ!」

「主君、失礼な人に膝蹴りを入れておいた」

「しかも事後報告かよっ!?」

 

 アカツキのそれはとうとう事後報告になってしまったようだ。今回は両手に鹿肉串を持っているため、直継はそれを落とさないように彼女の膝蹴りに耐えていた。その様子を見ていたセララは笑みを零していた。今のところは平和って言っていいのかな。実に微笑ましい光景だ。

 

「ふふふっ」

「あー。これは直継。〈守護戦士〉。腕は信用できる」

「でも下品でおバカ」

「頼りがいはあるんだけど残念な人だよ」

 

 シロエとアカツキ、そこに続いた私の解説に微笑んだままセララは頷いた。

 

「前線での活躍、見てました。私の拙い回復呪文(ヒールスペル)では回復しきれなくてすみません」

「気にすんなよ、あれで十分助かったぜ」

 

 いや、むしろこのレベルであそこまで出来るのだから上出来だったと思う。集中力と全力投球の果断さ、あれは十分評価できるものだ。きっとこの娘はいいヒーラーになるだろう。同じ回復職としては嬉しい限りだ。

 

「直継っちは昔からこうなのですにゃ。えっちくさい人だと思って大目に見てあげてほしいのですにゃ。それに、さっきの台詞はセララさんを褒めているのですにゃん」

「え?」

 

 そりゃ、さっきの発言からは褒めているというよりは変態の方が合っているから何とも言えないだろう。ははは、と乾いた笑いが出てきた。

 

「クラスで一番もてる。そういってくれてるのですにゃ」

「まあ、直継は照れ屋だからね」

「おい、ちょっとまて班長とリンセ。別にそういうわけじゃねぇ。俺は美少女よりもおぱんぎゅっ!!」

 

 馬鹿め。本日何度目だろうか、直継。

 また直継に綺麗にアカツキの膝蹴りが決まった。相変わらずスカっとするくらい美しいフォームだ。

 

「痛っぇ~。だんだん容赦がなくなるな、ちみっこ」

「主君、変態の頭を陥没させた。あと肉を没収した」

「え? あっ。あ~っ!!」

「おー、お見事アカツキ」

「大したことではない」

 

 さっきの蹴りのときの掠め取ったのだろう。アカツキはいつの間にか持っていた鹿肉をもぐもぐと食べていた。

 

「そんなのねぇよ……」

 

 落ち込んだ直継にご隠居は新しい鹿肉を渡していた。その後アカツキの方を見て、そちらのお嬢さんは? と尋ねる。それに応えてシロエがアカツキの紹介をはじめた。岩の上で正座をしていたアカツキはシロエからの紹介が終わるとご隠居に向かって丁寧に頭を下げた。

 

「若輩者のアカツキです、老師」

「俺のときとは随分態度が違うじゃねえか」

「当たり前だ、バカ直継」

「なんだと、ちみっこ」

 

 また始まった2人の果てしない小競り合いに他の4人から笑いが零れる。

 

「そして、この2人がシロエちとリンセち。我が輩が以前所属していた団体で、参謀役とその補佐をやっていた賢い若者たちですにゃ」

 

 紹介された2人で軽くお辞儀をするとセララは恐縮しきった様子で何度も礼を言ってきた。

 

「本当に、ありがとうございましたっ!」

「いえいえ、どういたしまして」

「いや、大したことじゃないので……」

 

 素直に礼を受け取る私と違いシロエは謙遜する。実際は十分大したことなのだが、どうもそういうことに慣れていないシロエはいつもこうだ。そんなシロエを見てセララは不思議そうな顔をする。

 

「あー、気にしなくて大丈夫。シロくんは恥ずかしがり屋なだけだから」

「え? あ、はい」

 

 戸惑いながらも返事をするセララに私は笑いかけた。

 

  *

 

 雑談代わりにシロエが話しだした双子の話を聞きながら私の意識は別の方に向いていた。その先はかつて所属していたギルドの友人だ。フレンド・リストを確認したときに〈大災害〉に巻き込まれていることを知った。まあ、約一名は確実に巻き込まれているだろうと思っていたけど。

 今頃彼女たちはどうしているのだろうか。いつも通り猪突猛進行き当たりばったりなあの子に振り回されているんだろうか。連絡を取らなくなってから随分経つけど、今でも私のことを探してるのだろうか。

 ……なんて、今考えても仕方ないことなのだが。

 

「へぇ、そんな双子がいたのかぁ。そんで?」

「それで、って?」

「その双子のそのあとのことはわからないのか? 主君」

 

 意識を戻すとどうやら雑談代わりの出会い話は終わっていたらしい。他のメンバーがシロエに疑問をぶつけていた。

 

「フレンド・リストにはいるよ。……実はあの〈大災害〉のあとにも何度か見かけた」

「やっぱし巻き込まれたのか」

「直前まで一緒にいたからね。僕もあっちもアキバの街に引き戻されたけど、そこでばらばらになっちゃった」

「わたしも廃墟に転移させられた」

 

 かくゆう私もフィールドからアキバの街に転移させられていた。ご隠居とセララも同じような感じだったのだろう。

 

「声、かければよかったのによ。あっちはあっちで大変だったろうに。素人なのにこんなことになっちまって」

「ま、あの直後はバタバタしてたし、シロくんたちも精一杯だったし、声かける余裕もなかったでしょ」

 

 言いながら、ご隠居が注いでくれたお茶を飲んでぼんやりと思う。あの頃は勧誘が激しかったし、シロエに限らずみんなが自分以外のことを考える余裕がなかった。

 シロエの話じゃそのあとに見かけたときには、もうギルドに所属していたらしい。

 その話を聞いて、あまりいい予感はしなかった。

 

「帰ったら、ちょっくら連絡とってみようぜ。デート祭りっ。俺が前衛! そしてシロエが後衛! やっぱ女の子はいいよなっ」

「まぁ、そりゃ認めるけど」

「シロはおぱんつ好きだな!」

「好きじゃないよ!? 世の男子一般と同じくらいにしかパンツに興味ないよっ」

 

 何の話をしているんだこいつら。いや、別に悪いとは言わないけど。

 テンション高いなーと思いながら直継たちを見ていると、シロエが首を傾げた。

 

「クロ?」

「何? シロくん」

「いや、この手の話題に真っ先に食いついてくるのに」

「さらっと人を変態扱いしてくれるね、シロくん」

 

 一体、シロエの中で私はどういうイメージなのか。失礼だな。

 そう思いながらふと思った。周りに遠慮しがちなシロエだが、さりげなく私に対しての扱いだけが酷い。勘を使って周辺警戒しろだの、対人戦で多人数相手にしろだの、わりと無茶ぶりをしてくる。信用されてる証なんだろうけどわりと厳しいときもあるから、そのへん少し配慮してくれてもと思わなくもない。

 

「だって、クロ結構下ネタの会話に食いつくじゃない」

「まあ、うん、否定はしないけど」

 

 否定できないの間違いか。自分の日頃の言動を思い出してしょうがないかと苦笑する。

 そのとき、直継が不意に別の話題を振ってきた。

 

「そういえばリンセ。お前、あの〈ブリガンティア〉の……なんだっけ?」

「なんだっけって言われても、重要なとこが分からないと答えようがないんだけど」

「あの、魔術師だよ」

 

 魔術師? どいつだよ? と思ったが私に関係がある魔術師は1人だったと考える。

 

「……ああ、ロンダーク?」

「それだ、多分。そいつと知り合いだったのか?」

 

 その話題に他のメンバーもこちらを向く。そんなに注目されてもちょっと困るんだけど。興味津々な視線を向けられて居心地が悪くなりながらも直継の問いに答える。

 

「彼は、前にちょっとね。一回だけ一緒にダンジョンに潜ったんだよ。私も話すまではすっかり忘れてた。フレンド登録も何もしてなかったから連絡も取ってなかったしね。向こうが覚えてたことにびっくりしたよ」

 

 いや、あれは本当にびっくりした。もう大分昔のことだったし。

 そういえばアイツ無駄なことも口走ってくれたんだっけ、とあのときの会話を思い出す。

 

「……リンセ殿。リンセ殿のその薙刀は、あの〈青龍偃月刀〉なのか?」

「……アカツキ、それ言っちゃう?」

 

 言うな触れるな気にするなと念じたのは無駄となってしまった。嘆息を漏らすとまずいことを言ったと思ったのか、アカツキは申し訳なさそうな顔をした。

 

「別に禁句ってわけじゃないから気にしなくていいよ。……と、シロくん。その“やっぱりか”と“信じられない”というのが混じった視線を向けるのはやめてくれない?」

 

 言うとシロエはサッと視線を反らす。私は言いながらそういう目になるのも仕方ないかとため息を吐く。なぜなら、〈青龍偃月刀〉は古参プレイヤーなら知らないものはいないと言える〈幻想級〉アイテムだからだ。

 

「あのー……。にゃん太さん、〈青龍偃月刀〉ってそんなにすごいものなんですか?」

「そうですにゃ。レア中のレア、イベント限定の〈幻想級〉装備ですにゃ」

 

 昔、エッゾ、イースタル、ウェストランデ、ナインテイルの四ヶ所で同時開催された大規模クエスト〈四神の覇者〉というものがあった。〈青龍偃月刀〉はそのイベントのイースタルクエストのドロップ品なのだ。このイベントクエストは初期クエストはそこまで難易度は高くはないが、後半になるにつれて二次曲線的に難易度が跳ね上がりドロップ率は反比例して低くなっていくことから、最終ボスからのドロップは非常に困難だった。

 〈青龍偃月刀〉はイースタルクエストボスの青龍からドロップできる〈幻想級〉装備でクリティカル率が非常に高い。

 

「そして、その装備をはじめにドロップしたのがリンセちで、そこから“蒼帝の覇者”の二つ名がついたのですにゃ」

「レアだってのは知ってたがそんなすごい装備だったのかよ!?」

「あはは……。黒歴史だからあまり詮索しないでいてくれると嬉しいんだけど……」

 

 事細かく説明してくれたご隠居にぐぅ……と苦虫を噛み潰したように呻く。そして、その内容に驚いた直継に生気の抜けた目を向けた。あの頃は本当に廃人だったから記憶をあまり掘り起こしたくないのだ。あー、やだやだ。

 もうこの話は終わり! と叫べばみんなが笑い出した。くっそ、不愉快だ。

 

 そのあとはギルドのことや互いのことなどを飽きもせず話し合っていた。

 ようやく就寝したのは空が白みはじめてからだった。

 

  *

 

 その翌日からの旅は順調に進んだ。時間に迫られているわけでもないので、前半よりもゆっくりとしたペースで進んでいく。その中でちょっとした発見もあった。それはセララがご隠居に惚れているらしいということだった。私個人としてはものすごくどうでもいいことだったけれど直継とシロエはそうでもないらしく、特に直継なんかは悪ガキのような顔をしていた。ついでに言うとアカツキはシロエのことを気にしているようだった。

 全く、実に平和なことだ。アバターに恋してるっていうのが何とも。

 

 そんなこんなで私たちは〈アーブ高地〉までやってきていた。すると視界に暗雲が見えた。

 これは一雨来るな。

 

「おーい。シロ~、にゃん太班長~。雨雲がぁ、きてるみたいだぞ~」

 

 私の横を飛んでいた直継が念話機能を立ち上げることもせず叫ぶ。その声に気付いたシロエに私は指で暗雲の方向を示す。ご隠居も気付いたらしい。その雨に巻き込まれる前にと私たちは〈アーブ高地〉にある集落の一つに降り立った。

 着陸してすぐに天候が一気に変化した。私たちは急いで村の中心部を目指す。天気の変化に気付いたらしい〈大地人〉たちも小走りに駆けていたり、足早に農具を片していたりしている。こうした風景を見ているとやっぱり彼らも生きているんだなと感じる。

 そんな風景を横目に見ながら私たちは中心部に辿りついた。そこには大きな建物がある。おそらく倉庫と公民館を兼ねているのだろう。先陣を切って木造の大きな建物に入っていく直継に続いて私も中に入った。

 

「はいはい。旅人さんかね」

 

 出てきたのは村の世話役を名乗る〈大地人〉だった。事情を話すと格安で一晩屋根を貸してくれると言ってくれた。直継は中にあった藁の山に喜びの声を上げて、それに同意したのはご隠居とアカツキだった。そのあと晩御飯の心配をしだしたご隠居をセララちゃんが引っ張っていく。アカツキと直継は早速寝床を作るために藁の山を崩しだした。じゃれ合いながら寝床を作っていく2人に、シロエと2人で苦笑した。

 その後、老人とシロエが話しているのを軽く聞きながら外を眺める。激しく雨が降っている。私は倉庫の入口のところに行き、そこに背中を預けて目を閉じた。ひんやりとした空気、雨の匂いと音、地面に落ちて跳ね返ってくる水の冷たさ。それがここが私たちの現実(リアル)だと知らせてくる。

 なんだか少し気分が落ち込んできた。そのせいで色んなことが頭の中を駆け巡る。

 始まりのアキバの街。目の前に肉体を持って現れたモンスター。背景でなくなった風景。プログラムではなくなった〈大地人〉。〈冒険者〉がそれらに気付くのはいつになるだろうか。

 

 ――私たち〈冒険者〉の方が、異端で異質な存在であるということに。

 

「リンセち?」

 

 聞こえてきた声に瞼を持ち上げる。そこには首を傾げたご隠居と嬉しそうなセララちゃんがいた。

 

「おかえりなさい、ご隠居とセララちゃん。どこ行ってたの?」

「ご近所を何軒かまわってきたのですにゃ」

「それで、話をしたら色々な物を売ってくれたんです!」

「……なるほど」

 

 セララちゃんがやたら嬉しそうなのはそのせいか。よかったねと笑いかければ、本当に嬉しそうな笑顔が返ってきた。可愛いな、セララちゃん。

 

「シロくんに報告してきたらどうかな?」

「そうですねっ! 行きましょう、にゃん太さんっ!」

 

 私がそう言えばセララちゃんはご隠居を引っ張って倉庫へと戻っていく。二人の後ろ姿を見つめていると彼が一瞬こちらを振り返った。その瞳は僅かに細められていて、その目が“無理はするな”と語っているのが分かった。

 

「何か考えているのは、お見通しですか……」

 

 相変わらずいい意味で人をよく見ている人だなと苦笑する。そして私は、中の賑やかな声をBGMに雨音を気が済むまで聴き続けた。

 

  *

 

 その晩、ご隠居の作ったご飯を食べて雑談をして、夜もいい時間になったところでみんなで藁の上で眠りについた。だが私は一向に眠れなかった。私は藁の中からそっと抜け出し外に出る。雨は止んでいて雲の隙間から月明かりが見えた。残念ながら星は見えないようだったが。

 冷たい風が優しく吹く。その気持ちよさに思わず目を細めた。

 その風に誘われて私は少しだけ散歩をすることにした。

 

 地面はぬかるんでいて歩きにくかったが空気が澄んでいて心地がいい。ところどころにある家には当然明かりはついていない。それでも人の温かみを感じることが出来た。

 それと比較されるのはススキノだった。

 温もりとは無縁の冷えた無法の地。力あるものが制し、力を持てぬ者は制される。それを悪だと責めることは出来ない。それも一つの社会形体なのだから。けれど許容できるかと言われれば、許容したくないのが私の紛れもない本心である。

 悩んだところで私がススキノに出来ることはない。助けを求める声に耳を傾けることは出来ない。完全なる力不足だった。

 ため息を一つ吐いて近くにあった岩に腰掛ける。空を見上げてそのまま瞳を閉じる。風の音に耳を澄ましているとそれに混じって足音が聞こえた。

 

「こんなところにいましたか」

 

 聞こえた声にゆっくりと瞼を開ける。声の発生源の方に視線を向ければそう遠くない位置にご隠居が立っていた。

 

「どうしたんですか、ご隠居」

「目が覚めてしまったのですにゃ。それで周りを見てみたらリンセちがいなかったので、探しに来たのですにゃぁ」

「そうですか」

 

 私が少し横にずれてスペースを作るとご隠居が隣に座った。

 

「風が気持ちよくて、月明かりが綺麗ですね」

「そうですにゃぁ。星が見えないのが少し残念ですにゃ」

「ですね。でも“When it is dark enough, you can see the stars.”という言葉もありますし、雲の上で輝いてるんでしょうね」

 

 ふと思い出した格言を口にした。

 “どんなに暗くても、星は輝いている”

 いつだって星は輝いている。滅びに向かって燃え続けている。私たちが気付かないだけなのだ。気付きさえすれば理解できるのだろうか。この世界は、何も変わらない。生きるための力は変わらない、はずなのに。

 

「何を考えているのですかにゃ?」

「……別に、大したことは」

 

 空を見上げながらご隠居の言葉に答える。すると隣から盛大なため息が聞こえた。

 

「大したことではないとしてもにゃ。今のリンセちは何か考え込んでいる顔をしていますにゃぁ」

 

 ご隠居の指摘に思わず私は地面を見つめる。ご隠居の声から私のことを心配しているのが分かった。

 私たちの間を風がすり抜ける。私は何も言わない、ご隠居も何も言わない。それなのに、隣にいるご隠居から感じる温度が私から言葉を引き出そうとしていた。

 しばらくの無言のあと、私は小さく口を開いた。

 

「本当に、大したことじゃないんだけど、その、なんていうのかな……。私たちは、変わらないじゃないですか。〈冒険者〉も〈大地人〉も、何も変わらない、はずなんです。〈大災害〉前もこの異世界は世界として機能していたかもしれない。〈大地人〉はこの世界で、私たちと同じように生きていたのかもしれない。なのに、私たちは自分たちの認識だけで、彼らを“プログラム”として見ている」

 

 ただの人工知能ではない。ノンプレイヤーキャラクターという記号ではない。彼らは、代替えの利く部品ではないのだ。

 

「歴史を持ち、人格を持ち、記憶を持ち、呼吸し、食事をとって……生きている、のに」

 

 知らず知らずの内に強く手を握り込んでいたのか、手のひらに自身の爪が深く食い込んでいる感触がする。その拳は祈るように震えていた。

 出来ることなら、と願う。何を、とは言わないが、どうか、と願うのだ。

 

「いつになったら理解できる? いつになったら認められる? 自分たちこそが“部外者”だと、いつになったら〈冒険者(私たち)〉は理解できる?」

 

 考えがまとまらないうちにどんどんと漏れてくる言葉。一体、自分のどこにこんなに感情が溜まっていたのか。気付かなかっただけなのか、無意識に目をそらしていたのか、あるいは、ただその場の空気に飲まれただけなのか分からなかった。

 そもそも、理解してくれることを期待していいのかすら分からない。ベテランプレーヤーであればあるほど、ゲームだった頃の常識の檻から抜け出せない。説得したところでどれだけの人が聞いてくれるのか。

 

「……理解させる前に諦めている私も、同類なんだろうけど」

 

 本当に何もしない自分に嫌気がさす。

 半ば吐き捨てるように呟いて嫌悪感に顔を歪めると不意に頭に重みが乗った。

 

「リンセちはいい子ですにゃ」

「……子供扱いしないでください、ご隠居」

 

 私の頭の上に乗ったのはご隠居の手だった。ご隠居はそのまま優しくわしゃわしゃと頭を撫でてくる。私はなすがままに撫でられ続けていた。

 

「私は、何をすべきなんでしょうか……なんて、答えはもう決まってるんだけど」

 

 このままではいけないと分かっている。いつまでもぬるま湯に浸かっているわけにもいかないのだ。

 

「私は風だ。革命者じゃない」

 

 その役目は彼の仕事だ。私じゃない。私の役目は「仮定」を「確信」に変えることだろう。仮定を経て過程を描くのは私じゃない。

 

「リンセちには、どこまで見えているのですかにゃ?」

「どこまで、か……」

 

 別に何かが見えているわけではない。ただ……

 

「見えてるんじゃなくて、こうあってほしいと願ってるだけ」

「そうですかにゃ」

 

 空を見上げれば、雲は大分晴れていて星が見えた。

 

「……いい感じに眠くなってきたな。そろそろ戻りますか?」

 

 私が立ち上がればご隠居も立ち上がる。そして私たちは今日の寝床へと歩いて行った。

 

(ひずみ)に揺れる焔。

傲慢(Superbia)の蜜を飲み下し、帆を上げる馬人宮(Sagittarius)

その刻を運び、途を支えるは磨羯宮(Capricornus)

 

 ――星が告げた言葉に背を向けて。



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chapter 7

 アキバへ帰還した私たちを迎えてくれたのは〈三日月同盟〉のメンバーによる盛大なパーティーだった。どうやら倉庫として使われている部屋以外のギルドホールの部屋を全部使っているらしい。置かれている備品は決して高価じゃないけれどギルドメンバーの精一杯の努力が分かる。振舞われている料理に関しても〈三日月同盟〉の〈料理人〉たちが念話伝いで伝えられた料理方法の下、懸命に努力したのが見て取れた。

 この新しい手法は、今までの世界と同じ手順で料理が作られるから現実で発生する問題も当然起こる。ない材料はどうあがいても料理の中に含まれないし、実力がなければ作れない料理もある。それに加えて難易度の高い料理をしようとするとスキル判定が行われるのは判明済みだ。それに自らの手で作る訳だから当然作る人によって味も見た目も異なる。それも料理の楽しみだと私は思うけれど。

 この“味のある料理”はやはり〈三日月同盟〉でも好評らしい。それもそうか。あんな味のしないもの食べていれば、味があるだけで贅沢だ。

 

「今日はお祝いやから! 飲んで食べて騒いでや!」

 

 マリエールの言葉がホール内に明るく響く。私はそれに顔を綻ばせた。

 

 宴が始まってからしばらくすると、ご隠居は立ち上がりどこかに行くしセララはその後を追っていった。多分厨房だろうなという私の予想は合っていて聞いたところ調理場という戦場で料理に勤しんでいたらしい。ご隠居もよくやるな。疲れてないのかな。

 そういう私は次々と運ばれてくる料理に少し青ざめていた。私は少食なのだ。もう食べられない。見てるだけでお腹いっぱいになって吐きそうだ。

 他の仲間があちこちで引っ張りだこになっているのに苦笑しながら、私は外の空気を吸うためにこっそりとギルドホールを出た。

 

  *

 

 感謝と祝いの言葉、乾杯とご馳走への賛辞の中に賑やかな宴の時間は瞬く間に過ぎていった。メンバーが色々なところで眠りに落ちている中、唯一起きている2人は穏やかな雰囲気の中で片付けをしていた。起きている2人のうちの片方であるシロエは、ふと周りを見渡して1人いなくなっていることに気付いた。

 

「……あれ?」

「どしたん、シロ坊? そないきょろきょろして」

 

 シロエがあっちこっちの部屋を見て回っている様子が不思議だったのか、起きているもう1人のマリエールがシロエが声をかけた。

 

「マリ姐。クロがいないんです」

「リンセやん? ……あれ、確かにおらへんなぁ」

 

 シロエがいなくなっているのに気付いた1人とは、シロエとともにススキノまで遠征にいったリンセだった。マリエールもあちらこちら見て彼女がいないことに気付いたらしい。

 

「ちょっと念話してみます」

 

 シロエはフレンド・リストから名前を探し出して念話機能を立ち上げる。コール音が鳴り始めてすぐに相手が念話に出た。

 

「クロ」

『あ、シロくん。もしかしてパーティー終わった?』

「終わったというか、大半の人が寝落ち」

『ま、でしょうね』

 

 念話の向こう側でリンセはからからと笑った。その声にシロエも笑う。

 

『ごめんね、黙って外に出て。あんな量のご飯久しぶりに見たから、ちょっと気持ち悪くなって外の空気吸ってたんだ』

「そうだったんだ」

『うん。だから、今からそっちに戻るよ』

 

 じゃあまた後で、という言葉を最後に念話は切られた。念話が切れたのを見計らってマリエールがシロエに声をかける。

 

「どないやった?」

「少し気分が悪くなったみたいで外の空気吸ってたようです。今からこっちに戻ってくるって」

「なら、もう少し片付けして待っとけばええかな」

 

 マリエールの言葉にシロエは同意した。

 

 念話から少し経った頃、〈三日月同盟〉のギルドホールに1人分の足音が響いた。そして少しもしない内にシロエとマリエールが最後に片付けをしている会議室のドアから白髪が覗く。

 

「ただいま、帰りましたー……」

 

 声を潜めて入ってきたのはリンセだ。あまり足音を立てないようにそろりそろりと入ってくる。

 

「おかえり、クロ」

「おお、リンセやん。おかえり」

 

 シロエとマリエールも声を潜めて答える。その2人と周りの状況を見てリンセはやってしまったというような顔をした。

 

「片付け、もしかして2人で?」

「あ、うん」

 

 シロエが答えるとリンセは明日は手伝うと言った。それにマリエールが優しげな顔で大丈夫だと首を振った。でも何もしないのは申し訳ないとリンセは言う。頑固やなぁとマリエールが困り笑いしたとき、どこかから寝言のような声が聞こえた。その声に3人は口を緩ませる。

 

「どする? シロ坊とリンセやんも寝る?」

「僕はそんなに眠くはないんですけど……」

「シロくんと一緒」

「ほうかー」

 

 マリエールは2人に近づき顔を覗き込む。

 

「んじゃ、お茶でも淹れよか。ここじゃなんやし、ギルマス部屋にいこ」

 

 マリエールはひとつひとつ部屋を確認していく。全て見終わったあと、マリエールはシロエとリンセを引き連れてギルドマスターの執務室に向かった。

 

  *

 

 マリエールに連れられて、私とシロエはギルドマスターの執務室に通された。ススキノに行く前に入ったファンシーな執務室は今も健在だった。と言っても執務室という言葉にふさわしいのは大きな書類机くらいだ。そのほかは見事にパステルカラーコーディネートだ。

 

「なにがええ?」

「なんでも」

「私もなんでもいいよ」

「んじゃ、ありもんでええな。……えーっと」

 

 私たちが各々そう答えると、マリエールは厨房から残っていた黒葉茶を持ってきてくれた。それを受け取って私たちはソファに座って一息ついた。

 実は、私は今回のような大騒ぎに加わっていくのが少し苦手だったりする。少し距離を取って見守る位置にいるのがちょうどいい。そうしていると大抵シロエと一緒に最後まで起きていることになる。シロエはどうも癖なんだとか。それでご隠居とかから2人揃ってからかわれるんだけど。

 でも、こういった宴のあとの穏やかな空気が私は好きだ。つい顔が綻ぶ。完全な無音ではない、人の温かさがある空間は安心感を与えてくれるのだ。

 

「今回は本当に世話になったん。おおきに」

「もういいですって。僕はなにも大したことはしてないし」

 

 シロエの態度に苦笑する。相変わらずだな。多分、宴中もそういう風に言っていたんだろう。その姿は想像に難くない。

 

「シロくん、毎度言うけどさー、人の好意は素直に受け取りなって」

「あー、うん……」

 

 少し咎めるように言えば苦笑された。何を思ってそういう風な態度を取っているかは分かるけど、とりあえず受け取れるものは受け取っておけばいいのに、と思ってしまう。

 

「あれが大したことやないなら、なにが大したことやねんね。なんかお礼考えとかんとなぁ」

「ほらー。シロくんが素直に感謝を受けとらないから、マリーが困ってるじゃん」

「う……。そ、そうだ。僕たちがいない間、こっちはどうでした?」

「こっちかぁ」

 

 話題そらしやがったな、シロエ。相変わらず下手な話題変換に笑いが漏れそうになったが、マリエールの表情にそれを飲み込んだ。何とも微妙そうなそれに、訳を無理に問いただそうとは思わなかった。

 お茶の入ったグラスを口元にあててマリエールの言葉を待つ。

 

「アキバの街は……いっときより、落ち着いたかなー」

「落ち着いた――ですか」

 

 落ち着いた、という言葉に違和感を覚える。気分が悪くなって外に出たときに気付いたことがあったけれどそのせいなのだろうか。

 

「もしかして、PKとかは減ったけど……っていう話かな?」

「せや。PKは随分と減ったし、治安も……悪うはないんやと思う。いや、どこと比べるかっちゅー話なんやけどな。少なくとも最悪だったときよりはマシに思えるんよ。そこんとこは、マシ」

 

 そこんとこは、マシ。つまり、それ以外のとこに亀裂ができているのだ。それは多分――ギルド間のものだ。格付け、といった感じなんだろう。

 外に出たときに散歩をした。そのときに気付いたのだ。〈D.D.D〉をはじめとした大手のギルドが大きい顔をして、中小ギルドは影で過ごす。そんなバカらしくも発生すべくして発生した亀裂に。

 明確なルールではない。けれど、私たちの社会形体に当然のように組み込まれている原則がそれを半ばルール化しているのだ。多数決の原理がそれを作り出している。

 それは格好いいことではない。けれど、自衛としては最もなことなのだろう。

 PKが減った理由もここに起因するのだろう。強者と弱者、明確なボーダーラインがそこにある。そのボーダーラインが縄張りを作り、今の〈冒険者〉を格付けしている。

 

「それが、格付けいうことなんやと、うちは思う」

 

 私が想像していたこととまるまる同じ言葉がマリエールの口から放たれ、その言葉で締めくくられた。

 別にどこが悪いというわけではない。ただ、言ってしまえば「成り行き」なんだろう。けれど敢えて何が悪いというなら「全員同罪」だ。力あるものには力あるものの行動が、ないものにはないものの行動が、交わすべき言葉があったはずだ。対抗することではなく、向き合うこと。そのタイミング、その意志。ただ、それを見過ごした。

 それだけだが、それこそだった。

 

 マリエールとシロエの会話を傍耳に聞きながら思考する。

 現状のままの未来から、逆算。そしてページを逆さにめくる。物語を逆再生、再構築。革命までの道筋に必要なものは何か。資金、ルール、アキバの街にいる〈冒険者〉たちの――。

 あらかた予測が出来たところで、マリエールが口にした言葉に反応した。

 

「それにな。〈黒剣騎士団〉と〈シルバーソード〉が91を目指してるん」

「え?」

「91……?」

 

 おそらく、いや間違いなくレベルのことだ。〈ノウアスフィアの開墾〉が導入されているのならレベル上限が解放されている。けれど、今この状況下で85レベル以上のモンスターと戦闘しようと、そういうことか。一体なぜ〈黒剣〉は、あの男はそんな危ない橋を渡ろうと。

 

「今だって大手ギルドが強いけど、この先プレイヤーが増えることは望めないわけやろ? だったら人数獲得競争もそうやけど、どんだけ高レベルを抱えられるかが、勢力に大きく影響を与えるって話みたいなん。ほら、もともと〈黒剣騎士団〉はエリート志向やったし……」

 

 思わずため息をつく。あそこも相変わらずなんだな、本当。

 レベル制限を設け、低レベルの入会は受け付けない。完全なる純血主義の戦闘集団。それが〈黒剣騎士団〉なのだ。そんな彼らは今もレベル制限を設けたままらしい。

 そんな戦闘集団だからこそ、嫌な予感がした。

 

「今でも〈黒剣騎士団〉は大手ギルドの名門。でも〈D.D.D〉のメンバー1500名には勢いで押されっぱなしや。〈大災害〉以降、あそこは小さなギルドをいくつも飲み込んだし。そこいくと〈黒剣騎士団〉は入会にレベル制限があるから、小さなところは吸収できひん。やから、レベル90オーバーを目指して、量より質でひっくり返そうとしてるん」

「でも、どうやって――」

 

 嫌な予感が止まらない。もしこの考えがあっていたとしたら、もしかするとシロエの知り合いという双子も巻き込まれているかもしれないのだ。

 どうか否定して欲しい。その思いでその単語を口にした。

 

「マリー。まさかとは思うけど……〈EXPポット〉を使ってる、なんて言わないよね?」

「…………その、通りや。リンセやん」

 

 〈EXPポット〉。それは使用すると戦闘から得られる経験値が2倍近くなるだけでなく、通常なら自分より5つ以上レベルの低いモンスターからは得られないはずの経験値が7つ下のモンスターからでも僅かに得られるようになるという有名なお助けアイテムだ。そして、その入手方法はレベル30以下のプレイヤーへの一日一本の配布だ。

 つまり、その配布が今でも行われているのなら、レベル30以下のプレイヤーを囲い込めばそのアイテムを手に入れられる。

 

「マリー。それ、どこのギルド?」

 

 自分の声が冷え切っているのが分かった。

 私の声にマリエールとシロエが目を丸くしていたけど、そんなことは今はどうでもいい。

 

「こんなに商売に使えるもの、ただで譲るわけがない。どこのギルドかな? 初心者囲い込んで商売してるのは」

 

 静かに言葉を紡ぐ。その言葉に続いてマリエールは重く口を開いた。

 

「……〈ハーメルン〉っちゅうギルドや。初心者救済を謳ったそのギルドは〈大災害〉後、たくさん初心者を集めたん。なんもかんもが混乱してたし、初心者を助けられるような時期でもなかったんは確かなんよ。うちらも、なんもできんかった。でも、その〈ハーメルン〉は――集めた〈EXPポット〉を売りさばいてるん。〈ハーメルン〉は金を儲けてるし、大手ギルドは〈EXPポット〉でレベルを上げようとしとる。誰が悪いのか、悪い人なんておるのかどうかもわからへん。ただそういう流れだけがあって、誰も止めることはできひんねや……」

 

 マリエールの静かな声だけが、執務室に悲しく響いた。

 

  *

 

 〈三日月同盟〉のギルドホールを出て、僕とクロは2人揃って無言で歩き出す。しかし、少し歩いたところでクロの足がぱたと止まった。

 

「シロくん、どう思う?」

「…………」

 

 クロが問いかけてくる。何を、とは言わなかったけれど言いたいことは分かった。でも、それに返す言葉が見つからない。

 

「私はさ、悔しいけど行き着くとこに行き着いただけなんだと思う」

 

 全てを見透かすような黒曜石が真っ直ぐ僕を射抜く。夜の風が僕とクロの間を抜けていった。

 

「考えるだけなら誰にでもできるし、声に出すことだって簡単だ。でも、それだけじゃ駄目なんだよね。言葉なんてさ、時に無力だ。行動した人だけがさ、その真実を掴むんだよ」

 

 クロは目線を下に落とす。その表情は、いつも「仮定」を「確信」にする彼女にしては少し弱々しい。

 

「誰が悪いわけでもなくて、でも、誰もが悪い。私も、シロくんも含めて。人の愚かしさが、少しずつここを歪めていっている。圧力、逃避、無関心……。その全てが、互いに巣食いあって歪んだ規律が出来上がってしまったんだね」

 

 静かに伏せられた瞳。その奥にどんな感情があるか今の僕には分からなかった。ただ、彼女はこの状況になったことを悔やんでいて、それでいて当然だと、そう思っているような気がした。

 

「……クロ。……僕は、どうすればいいのかな?」

「それ、私に聞くんだ?」

「あ……ごめん」

 

 苦笑したクロに思わず謝ってしまった。そうすると彼女は吹き出して、別に構わない、と言った。

 

「それが、私の役目だもんね」

 

 いつもの笑顔でクロはそこにいる。いつも「仮定」を「確信」に変えてくれる、いつも道標を作り出す、その笑顔で。

 

「滅びに向かっているこの場所で、全てをはじめればいいと思う。誰もが目を背け続けて、歪になっちゃったんだからさ。傲慢も身勝手もやったもの勝ちだ。誰もやらないんだし。だからさ、シロくんはシロくんがしたいことをすればいい。どうせなら勝ちにいけばいい。ハンデがあるなら捨ててしまえばいいし、手段がないなら作ってしまえばいい。それをするだけの力がシロくんにはあるし、叶えるための鍵は既に君の手の中だ」

 

 クロの言葉が響く。彼女の言葉はいつだって明快で難解で、それでも僕の迷いに一筋の光をさしてくれる。

 

「望むことは罪じゃないし、誰に規制されることでもない。ましてや、君が諦める理由もない。もう言い訳は必要ないんじゃないかな」

 

 クロの瞳に自分の姿が映る。

 

「ねえ、シロエ。……君は、いつまで逃げるつもりかな」

 

 どくん、と心臓が大きく跳ねた。「シロくん」ではなく「シロエ」と。その呼び名の変化から僕は彼女が真剣に警告してきたのがわかった。

 一瞬だけ時間が止まる。周りの音が消えてこの世界にただ2人だけが存在するような感覚に陥った。

 

「毎度言うけどさ、シロエはもう少し人の好意を素直に受け止めるべきだよ。……じゃなきゃ、気付けるものにも気付かずに、築けるものも築けないまま腐っていってしまうよ」

 

 だから気付いてあげてほしい、と彼女は言った。その声が少しだけ震えていた気がした。

 

「さてと。私の役目はここまで。最後にひとつだけ言っておくよ。君なら、何もないところでならなんでもできる。この言葉は、君の後輩からの純粋な思いとして受け取っておいて」

 

 暗に、いつもの勘から来たものではない、と言われた気がした。それは小燐森からの、そして、シロエではなく現実の自分の後輩からの純粋な思いの言葉である、と。

 

「それじゃ私はこの辺で。おやすみなさい、先輩」

 

 小さく手を振り去っていく彼女の背中を僕はただ見つめていた。

 

 *

 

 クロが去ったあと、アキバの街を歩きながら彼女の言葉を反復する。

 

『誰かが悪いわけではなくて、全員が悪い』

 それはきっと間違いないのだ。ひとつひとつは小さな悪で“黒幕”なんてお伽話のようなものはない。

 どうしたらいいのか?

 都合のいい答えなどなかった。けれどクロは言った。『傲慢も身勝手も、やったもの勝ちだ』と。

 僕に、できるのだろうか?

 ただ見過ごしてきた自分なんかに、一体何ができるというのか。ギルドというコミュニティから逃げ、その上で自分の好みや都合を押し付けてきた、自分に。

『シロくんはシロくんがしたいことをすればいい』

 僕がしたいことをしてもいいのだろうか。勝手に逃げ回って溜め込んだツケを背負って、勝手にそれをハンデだと思って、できないと決めつけた、僕が。

『ハンデがあるなら捨ててしまえばいいし、手段がないなら作ってしまえばいい』

 このハンデを捨てるには、このツケを払うには、どうしたらいい。

『それをするだけの力がシロくんにはあるし、叶えるための鍵は既に君の手の中だ』

 そう、答えは知っていた。ただ逃げ続けていただけ。ただの身勝手で、ただの傲慢で、目を逸らした。

『もう言い訳は必要ないんじゃないかな』

 その通りだった。したいことをするなら、叶えたい望みがあるなら、思想だけでは言葉だけでは駄目なのだ。

 行動した人だけが、真実を掴む。

 

 夜風がチュニックの裾をはためかせる。涼しい風が僕の横を通り抜けていった。

 

 望むことは罪じゃない。規制もない。諦める理由も、本当はない。

 逃げ続けては、何も変わらない。

 クロは、僕に、向き合うことを望んだんだろうか。

 

「ギルド、か……」

「シロエちは未だにギルドは嫌いですかにゃ?」

 

 自分の独り言に返事が返ってきたことに驚いた。声の聞こえた方を向けばそこには班長がいた。

 

「いや、そんなことはない……と、思う」

 

 確かにそういうものを嫌っていた。出会いの中の不運がそうたらしめていた。けれど今になってわかった。それは傲慢だったのだと。

 それでも、ギルドというシステムは腐敗しやすくもあるのだ。

 

「……まあ確かに、そういう側面はあるかもしれないにゃ」

 

 でも、と班長は続ける。

 

「腐らないものがあったら逆にそれは信用ならないのにゃ」

 

 生病老死は三千世界の理で、生まれ出てたものは必ず死を迎える。それを否定しては誕生を否定することなのだ、と。

 

「シロエちはわかっているはずなのにゃ。たとえば〈あそこ〉は確かに特別に居心地がよかったけれど、それは居心地をよくしようとみんなが思っていたから居心地がよかったのにすぎないのにゃ。誰もがなにもせずに得られる宝は、所詮、宝ではないのにゃ」

 

 言われて気が付いた。本当にそのとおりだ。その努力が当たり前で努力だとも気付かなかった。

 それはきっと今までのアキバにも言えたことなんだろう。そこで誰かが見えない努力をしていたからアキバがあのアキバであり得ていたのだろう。それが今この状況に陥っている。クロの言葉を借りるなら『誰もが目を背け続けて歪になった』結果、なのだろうか。

 

「班長。僕はどうすればいいのかな……」

 

 なんとなくは分かるのだ。クロが答えを示してくれたような気がしたから。けれど、他の人がみんなクロのように自分を肯定してくれるわけではない。だからこそ別の人の言葉も聞いておきたかった。

 

「一番すごいことをするといいにゃ」

「すごい……」

「シロエちは遠慮をしすぎにゃ」

 

 ――遠慮。その意味とは。

 

『シロエはもう少し人の好意を素直に受け止めるべきだよ』

 これはきっと彼女からの最終警告。ここで気付かなければならない、という最終警告。遠慮の意味を真剣に考えて、少しずつ飲み込んでいく。

 僕が直継にしていたこと、僕がアカツキにしていたこと。あのふたりは、そんなことはとっくにわかっていて。その2人がわかっていることをわかっていて、クロは警告したんだ。

 

「僕、待たせてたのか」

「そうにゃ」

「待ってくれてたのか」

「そうにゃ」

「他のところにもいかないで。僕のそばにいてくれたんだ」

「そうにゃ」

 

 僕がギルドに誘うのを、待っていてくれたのか。

 2人は僕に期待してくれていた、買ってくれていた、待っていてくれた。彼女はそのことに気付いてと、その好意を受け入れてやれと、そう言っていたのか。

『受け入れてあげなきゃ、気付けるものにも気付かずに、築けるものも築けないまま腐っていってしまうよ』

 腐っていってしまう。それはきっと僕のことだったのだ。気付かないまま澱んでしまえばきっと抜け出せない。そのまま、きっとそこで朽ちてしまう。彼女はそれを警告したんだ。

 目の前にあるものに気付いて、と。

 

「間に合うかな」

「もちろんにゃ」

「にゃん太班長。班長も、僕のトコにきて。……班長が一緒にきてくれると、うれしい。班長がいないと、困る」

「いい縁側が欲しいにゃ」

「うん。僕と僕たちが作るから。格好いい縁側を、用意するよ」

 

『望むことは罪じゃない』

 そうだとしたら、僕は「一番すごいこと」を望むだろう。大きな責任を伴うけど考えつく策があるから。共に背負ってくれる仲間がいるなら。

『君なら、何もないところでならなんでもできる』

 彼女のその言葉が、僕の背中を押してくれる気がした。

 

  *

 

 シロエが立ち去ったあと、にゃん太は青年の言葉をリピートした。

 

『待っていてくれたのか』

 その言葉はある1人には向けられていない気がした。そしておそらく合っているとにゃん太は確信している。あの青年はある1人に対してだけ遠慮がない。そして、その1人もそのことを理解している。

 いつだって青年の左斜め後ろには彼女がいた。いつだって青年の「仮定」を「確信」へと導いていた。いつだって青年は彼女に無意識の絶対の信頼を寄せていた。

 きっと今回もそうなのだろう。彼女はついてくる、と青年は思っているのだろう。

 

「いつでも私がいる、とは限らないのにね」

 

 突然聞こえてきた言葉に心を読まれたのかと思った。

 

「こんばんは、ご隠居」

「リンセち」

 

 声が聞こえたのは上の方からだった。にゃん太はその方向に振り返る。彼女は木の太い枝に腰をかけていた。こちらに手を振ってくる彼女は黒曜石の瞳でにゃん太を見つめる。風に煽られて彼女の白い髪が揺れた。

 しばらく2人の間に沈黙が流れる。

 

「……リンセちは、どうするつもりですかにゃ?」

「どうするって?」

 

 にゃん太の言いたいことは理解しているはずなのに素知らぬふりをする彼女。こういうとき、彼女は昔から掴めない態度をとるのだ。そのことに、にゃん太は思わずため息をつく。そのため息にリンセは困ったように笑う。

 

「幸せが逃げるよ、ご隠居」

「誰のせいですにゃ……」

「私、かな」

 

 困った表情のままリンセは呟く。

 彼女はいつだってそうだった。そこにいるのに、掴めない。何が目的で、何がしたいのか。何を望んでいて、何を求めているのか。

 かれこれ10年の付き合いになるが未だに彼女の考えはわからない。彼女の心情を探ろうとするがのらりくらりと躱されてしまう。

 まるで猫のようだとにゃん太は思う。

 

「リンセちはシロエちについていかないのかにゃ?」

「さあ? どうだろう」

 

 挑発するような笑みで彼女は軽い動作で地に降り立つ。彼女の動きに従って白い髪が尻尾のように舞った。

 黙したままのにゃん太に背を向けて彼女は口を開く。

 

「私なんていなくても、シロくんは大丈夫だよ」

 

 彼女にしてはめずらしくか細い声だった。どこか頼りなさそうな、今にも消えてしまいそうな。

 

「リンセち?」

「シロくんはもう大丈夫。彼はもう恐れないよ。独りじゃないからね」

 

 冷たい風が吹く。そこまで距離はないのに、その背中は目の前に在るのに、にゃん太はリンセが遠く感じた。

 

「シロくんは、一番すごいことをするよ」

 

 さっきまでとは違った力強い声。確信を持った言葉。

 

「彼は革命者になる」

 

 リンセは空を見上げる。にゃん太からリンセの表情は見えないが笑っていると彼は思った。そんな彼女の背中ににゃん太は問う。

 

「それは……」

「ん?」

「それは、いつから思っていたのですかにゃ?」

「いつから、かぁ……」

 

 リンセは半身でにゃん太の方を振り返った。

 

「初めて〈エルダー・テイル(ここ)〉で出会ったときから」

 

 真っ直ぐな瞳でリンセは言い切った。その言葉ににゃん太は小さく笑う。彼女は最初から彼の可能性を見極めていたのだと。

 

「さすが“預言者”なのにゃ。しかし……」

 

 にゃん太は言葉を切って表情を翳らせる。リンセはその表情に首を傾げた。

 

「ご隠居?」

「そこにリンセちはいないのですかにゃ?」

 

 リンセはにゃん太の言葉に目を見開く。そして一度瞬きをして口角をあげた。

 

「さあ? どうだろう」

「リンセち」

 

 また、だ。また彼女は曖昧な返事で自分を隠すのだ。

 にゃん太の咎めるような口調をものともせず、リンセはただ笑う。

 

「シロくんには、言ったんだけどな。私の役目はここまでだって。……気付いてくれたのかな」

 

 少し悲しげにリンセは視線を落とした。

 

「私の役目は『仮定』を『確信』に変えることで、ともに在ることじゃないんだよ。きっと」

 

 リンセはにゃん太に背をむけて歩き出す。その背をにゃん太は引き止めた。

 

「リンセち」

 

 にゃん太の声に止まる足。

 

「リンセちはそれでいいのですかにゃ?」

 

 リンセは首だけをにゃん太に向ける。

 

「……いいんじゃない?」

 

 にゃん太はそれ以上彼女を引き止めることはしなかった。

 

  *

 

 僕はフレンド・リストを開いて、ある名前のところで指を止めた。

 時間も時間だしもう寝ているかもしれない。それでも彼女には一番に伝えなければと思った。出来ることなら、直接。

 意を決して僕は彼女にコールした。しばらく鳴り響いたコール音のあと、相手はすんなりと念話に出た。

 

『シーロくーん。この時間の念話は非常識だと思うよー』

 

 言葉とは裏腹にその声は楽しそうだった。

 

「ごめん。寝てた?」

『寝てはいないよ。星を見てた』

「そっか」

 

 そういえば昔からクロは星が好きだった。元の世界でも話す話題の半分が星座の話だった気がすると懐かしく思える記憶に笑みをこぼす。

 

『こんな非常識な時間にかけてきたんだから、なんか重要なことなんでしょ?』

「うん。これから少し時間ある? 直接話したいことがあるんだ」

『別にいいよ』

 

 そう言えば彼女は二つ返事で答えた。そんな彼女にありがとうと伝えてから、待ち合わせを設定して念話を切る。僕は何故か気持ちが先走り、その場所に向けて駆け出していた。

 

 僕がそこに着くとクロは手頃な岩に座って空を見ていた。彼女は僕が来たことに気付いて視線をこちらに向ける。

 

「やっほー、さっきぶりだね。夜ふかしはよくないよ」

「クロもでしょ」

「まあねー」

 

 クロが横にずれて作ってくれたスペースに腰をかける。彼女との間は15センチメートルくらいだったが嫌な気はしなかった。

 

「それで、話ってのは何かな?」

 

 僕の方を見ずにクロは口を開いた。直接言いたいと思って今この場を設けたのはいいけれどなんだか緊張してきた。

 大きく深呼吸をして僕はその言葉を伝える。

 

「……新しいギルドを作る」

「そっか、ようやくか」

 

 少し苦笑したような、それでも安心したような声だった。その声色に緊張がほどけていくのを感じながら言葉を続けようとした。けれど、僕が言葉を発する前にクロが言い放った。

 

「おめでとう、そして、ごめんね」

「……え?」

 

 少し悲しげに彼女は笑う。

 クロが言った言葉が飲み込めなかった。彼女は一体、なんと言った? “ごめん”と、そう言ったのか?

 

「ごめんね、シロくん。入れない」

「……どう、して?」

 

 突然のことに声が震えた。目の前が真っ暗になりそうだった。

 まさか断られるとは考えていなかった。クロだから、いつもみたいに肯定して“入ってくれるだろう”という「仮定」を“入る”という「確信」にしてくれると、そう信じて疑わなかった。

 それが、はじめて、覆された。

 

「そう言ってきたってことはようやく気付いたんでしょ。直継がいることに、アカツキがいることに。なら私の役目はもう終わりだよ。君はちゃんと気付いた。だからもう大丈夫。私がいなくても君はもう見失ったりしない」

 

 クロのやけに穏やかな声に、自分がだんだんと焦ってきているのがわかった。このままでは彼女がどこかに行ってしまいそうな気がした。それがひどく恐ろしくて。

 

「だから……」

「嫌だ」

 

 気が付けばそんな我が儘じみた言葉で彼女の言葉を遮っていた。

 

「クロにいてほしい。僕と僕たちの場所に。役目とか、そんなこと関係ない。クロがクロだから、いてほしいんだ。一緒にきてほしい」

 

 思ったことをそのまま吐き出せばクロは目を丸くしたあと曖昧に笑った。

 

「うーん、なんだかな……。私がいても変わらないと思うよ。むしろ、迷惑かける気がする」

「迷惑なんて……」

「シロくん。私は君が思ってるより厄介な人間なんだよ。多分、私をギルドに入れたら、ずっとその厄介が付きまとうと思うんだ」

 

 クロのいう迷惑というのがどんなものかは分からない。厄介というのがどの程度のものかなんて想像もできない。

 

「それでも、いてほしいと思うよ。クロがいないってことが、考えられないんだ」

 

 クロがいないこの先を想像しようとしても全くビジョンが浮かばない。無理やり今までの記憶からクロを消してみても残るのは気持ち悪くなるくらいの違和感だけだった。

 

「僕たちには……少なくとも僕には、クロが必要だよ」

 

 いつだって「仮定」を「確信」に変えてくれた、そばにいてくれた、その存在が。

 言葉にしながらようやく僕は気付いた。どうやら僕は随分と彼女のことを頼って甘えていたらしい。それこそ、今彼女の手を離してやれないくらいには。

 

「……負けた」

「え?」

 

 呟かれた言葉に首を傾げる。発した本人は、参ったような、悔しいような、それでも少し嬉しそうな、そんな色んな感情が混じったような表情をしていた。

 

「負けたよ。まさか、シロくんからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。私の完敗だね」

「そんな言葉って……」

「『少なくとも僕には、クロが必要だよ』って、一体誰に愛の告白してんのさ」

 

 僕の言葉を反復してクロはからからと笑う。僕はしばし言葉を噛み砕いてその言葉の重大さに気付く。

 愛の告白、確かにそう取れる。

 胃が痛くなるような感覚と顔に熱が上がっていく感覚がした。

 

「そっ、そういう意味じゃ! 別にそういうことじゃないからねっ!? 旧友としてってことで他意はないよっ!?」

 

 僕はなんて恥ずかしいこと言ったんだ! 羞恥で死ねるとはこのことか、と頭の隅で思った。

 クロは相当面白かったのかお腹を抱えて笑い出した。

 

「わかっ、わかってるって! っあー、面白いっ! あと一週間はこれで笑っていられそうだし、からかえそうだわっ! あはははははっ!」

「クロっ!」

 

 ついには座っていた岩から転げ落ちて地面に蹲りながら笑っている。地面を叩いている握り拳はものすごく震えていた。その姿がものすごく腹立たしい。

 さんざん笑って疲れたのか、ぜーぜーと息を切らしながらクロは座り直した。

 

「あー、ゲホッ……。笑いすぎた、肋骨が痛い」

「ああそう」

「冷たいなー、シロくん」

 

 自分の発言であんなに笑われれば大抵の人は気分を害すと思う。僕は不機嫌を隠すこともせずにクロを睨んだ。

 

「ごめんってば」

「僕の発言が面白かったんでしょ?」

「うん」

 

 聞けば即答される。これは謝る気がないな。口では謝罪をしているけれど隠しきれないくらいに口元が歪んでいる。

 

「本当にごめんってば。それからさ……これからも、どうぞよろしく。ギルマスさん」

 

 クロはそう言って僕に右手を差し出してきた。はて、と思ってその手を見つめて彼女の言葉を思い返す。

 ああ、そうか。負けた、と言っていた。僕の説得が功を奏したのだ。……あんなに笑われたけど。

 

「……よろしく、クロ」

 

 白み始めた空の下、僕はようやく差し出された手を握り返すことができたのだった。



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chapter 8

 借りている宿屋で私はシロエに任された仕事を進めながら彼との会話を思い返していた。

 

 それはシロエがギルドを作ると言ったあとの話だ。

 『アキバの街を掃除する』――シロエはそう言った。そう言うことは予想していたし、そのための一歩がギルドを作ることなんだと思っていたから何の疑問も抱かなかった。むしろ重要なのはそのやり方だ。

 

「どうするつもり?」

「とりあえず、資金が必要だ」

「へえ……。いくら?」

「金貨500万枚」

 

 金貨500万枚。

 普通ならあり得ない金額だと人々は言うだろう。確かにゲーム時代ならありえない金額だ。けれどもうここはゲームではない。ならばありえない金額ではない。なにも知り合いの間だけで集める必要はないのだ。言ってしまえば不特定多数から奪ってしまえばいい。周りから引っ張ってくればいい。奪うということは略奪だけを意味するわけではない。みんなが喜んでお金を“持ってくる”ルールがあればいいのだ。そして、それはルールがないこの世界だからこそ出来ることでその材料は揃っている。

 それにしても、金貨500万枚か。その金額を導き出すための情報を脳内から探し出す。探し出して納得した。

 

「無理じゃない金額だね。そして民主主義政治か」

「それ、どういう意味?」

 

 私の発言にシロエは訝しげな表情を浮かべた。私はそれににやりと笑う。

 

「金貨500万枚。それは“ギルド会館”が購入できる金額。“脅し”にはぴったりだなと思って」

「独裁政治をするつもりはないからね」

 

 真っ直ぐシロエは言い切った。

 彼の目的はあくまで「アキバの街の治安改善およびその自治」であって「一つの頂点の独裁政治」ではないのだ。それだけならば脅し程度で事足りる。絶望を見せつける必要はない。

 それだけで大体の内容は把握出来た。シロエの策はきっと私の考えていたことと同じだ。少し前に〈三日月同盟〉のギルドホールで考えていたこととシロエの策を照らし合わせて思わずため息をつきそうになった。一体シロエはこの計画をどのくらいのスピードで進める気なのだろう。多分、最短で2週間といったところか。

 

「これから忙しくなるね」

 

 苦笑混じりに言えば、シロエはそうだね、と返してきた。その目には頑固たる意志があった。彼はやるといったら「やってしまう」人間だということを私はよく知っている。そして、それに毎度巻き込まれるのは私だ。

 

 分かってはいたけれど、これはなんというか。

 

「鬼かっ!」

 

 高々と積み上げられた紙を前にして私は叫んだ。ここに積まれている紙はシロエに頼まれた仕事を済ませた紙だ。これだけの量の仕事を済ませたのか、私は。頑張ったな私、と思わず自分を褒める。なぜ私はこんな殺人級の量の書類と格闘していたのか? それは私がシロエから引き受けたからだよ、と疲れすぎて変な自問自答までしてしまった。もう一つ言わせてもらうと頼まれたことの大半は私の専門分野ではない。そのおかげで余計に疲れている。

 そんな私の目の前に一つのカップが置かれた。それを置いた手を辿っていくと見慣れた猫人族がいた。

 

「あ、ご隠居」

「お疲れ様ですにゃ、リンセち」

「ご隠居こそ」

 

 直継、アカツキ、にゃん太、私、そしてシロエで結成されたギルド〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉のメンバーは、シロエの指示の下それぞれの役割を果たすべく行動している。それぞれが慌ただしく動いているはずだが、なぜここにご隠居がいるのか。

 

「シロエちからの指示ですにゃ。リンセちに休憩をさせろ、とのことですにゃあ」

「それはどうも」

 

 目の前に置かれたカップを手に取り中身を口に含む。お茶の風味豊かな香りが口いっぱいに広がって疲れを癒してくれた。一口飲んで一息つく。私の様子にご隠居が笑った気配がした。

 

「相当お疲れの様子ですにゃぁ」

「そりゃそうですよ」

 

 まさかここまで仕事がまわってくるとは思わなかったのだ。今後のスケジュールの作成に始まり、必要な資材や素材アイテムの量の算出と入手方法とそのルート、これからやることがアキバに与える影響、どこをどのように動かして目的まで持っていくかの計画まで、ありとあらゆる“他の人に回せないであろう”雑用をシロエは私に全部押し付けてくれたのだ。本気であの丸眼鏡を叩き割ってやろうかと思った。

 

「……まあ、疲れてるのはシロくんからの仕事のせいだけじゃないけどね」

 

 積まれている書類とは別にまとめた書類を見つめる。それは仕事の息抜きとしてはじめたものだった。けれどいつの間には息抜きが息抜きでなくなり余計に疲労する原因となってしまったものだ。これは自業自得なのだけれど。

 私は積まれている書類を魔法の鞄(マジック・バッグ)に詰め込んで席を立った。カップに残っているお茶を飲み干して空になったそれをご隠居に渡す。ご隠居は笑ってそれを受け取ってくれた。

 

「これからシロくんと合流します。お茶ご馳走様。美味しかったです、ありがとう」

「どういたしましてにゃ」

 

 自分の頬を叩いて気合を入れる。大きく一つ深呼吸をして宿屋の扉に手をかけた。

 

「いってきます」

「いってらっしゃいですにゃ」

 

 ご隠居に見送られて私は扉を開いて一歩踏み出した。

 

  *

 

 〈三日月同盟〉のギルドホールの会議室。そこにはギルドマスターのマリ姐とヘンリエッタさん、小竜、そして僕がいた。今回は僕が声をかけて実質的に〈三日月同盟〉を率いているこのメンバーを集めてもらったのだ。集まってもらった理由は、力を貸してほしいから。僕のしたいことに力を貸してほしいからだ。そのために〈ハーメルン〉に所属させられている知り合いの2人を助けたいという話からはじめ、その〈ハーメルン〉にアキバから退場してもらうこと、そして、それらは全てもののついでで、アキバの街を掃除すること――したいことを全て真正面から話した。

 

「アキバは僕らのホームタウンです。日本サーバにいるプレイヤーの半分以上の本拠地です。日本サーバ最大の街です。それが格好悪くて雰囲気が悪くてギスギスしてて、なんだかみんなが下を向いて歩いているって……。それはないでしょう?」

 

 僕らは格好悪くなるために生まれてきたわけじゃないと、そう伝えたい。何が悪いだなんて口が裂けても言わないけど、それでも自分たちの首を絞めているこの現状は見るに堪えないのだ。それは、この異世界で新人を泣かせてまで、協力することを蹴飛ばしてまで、することではないはずなのだ。

 

「みんな、舐めてませんかね。異世界を甘く見すぎています。必死さが、足りないです」

 

 誰もが背を向けた。誰もが甘く見すぎていた。気付くタイミングはいくらでもあったはずだ。それを見過ごしていた。そろそろ向き合うべきなのだ。この街と、この異世界と。

 

「力を貸してください」

 

 真っ直ぐに〈三日月同盟〉の3人に頭を下げる。

 言葉だけでは、思想だけでは駄目なのだ。言葉を実現するための行動が必要なのだ。叶えたい望みがあるなら、それなりの行動が必要なのだ。

 

「シロエ様? 他のお仲間はどうなさいました?」

 

 口を挟んできたのはヘンリエッタさんだった。彼女の言葉に僕は重要な挨拶を忘れていたことに気付いた。

 

「調査と準備にかかっています。挨拶が遅れてごめんなさい。僕シロエがギルドマスターとして、ギルドを結成しました。〈記録の地平線〉っていうのがその名前です。直継、アカツキ、にゃん太、小燐森、そして僕の5人がそのメンバーで、今回の任務(ミッション)は、その最初の作戦になります」

「ギルド……作ったんや」

「はい。誘ってくれていたのに、すみません」

「ううん……」

 

 マリ姐の好意に謝罪するとマリ姐は子どものように首を振った。

 

「ううん。そんなん、ぜんぜん謝ることない。そか。シロ坊……。おめでとうな? ギルド、作れたんや。シロ坊、作れたんやね。おうち作れたんやね」

 

 マリ姐は小さな涙の粒を浮かべて言った。その言葉は、その涙は、心からの祝福だったように思う。

 

「ギルマス。……話だけ、聞いちゃダメかな? 俺、興味ある。俺たちは街での活動も多いし、やっぱシロエさんのいうような悪い雰囲気、感じてきたよ。この街はずっとこのままいっちゃうのかって、不安に思ってきた。ずーっともやもや思ってたんだよ」

「ええ、協力できるかどうかは手法によります。まったく目処が立たない計画に乗る訳には参りませんでしょう? シロエ様」

 

 小竜の言葉にヘンリエッタさんがそう添える。それに続いてマリ姐が「シロ坊、話してや」と促してきた。ほんの半瞬、僕は頭の中で内容を反復して口を開いた。

 

「資金が必要です。とりあえず、金貨500万枚」

 

 この金額を告げれば大半の人間があり得ない金額だと言うだろう。むしろ無理じゃない金額だと言ったクロが特殊なのだ。現にヘンリエッタさんは悲鳴を上げ、マリ姐と小竜の口からは絶望的なうめき声が零れた。

 それもそうだろう。おそらく〈三日月同盟〉のメンバーの資産をなげうっても到底足りない。個人で5万枚も持っていれば相当に資産家である状況を考えれば、金貨500万枚というのは桁外れもいいとこな金額だ。それはきちんと理解している。けれど、クロが『無理じゃない金額だ』と言ったのだ。彼女はどうあがいてもできないことは肯定しない人間だ。その彼女が無理じゃないと言ったのならそれは無理ではないのだと思う。

 

「ヘンリエッタさんはどう思いますか?」

「わたし、ですか?」

「ヘンリエッタさん、元の世界では経営学の修士とって会計の仕事してるんですよね? 僕はいけると思っています。まだ、この世界ではみんなが“舐めて”ますから。別に大したことじゃないです。ようするに、ただ引っ張ってくればいいだけで。お金なんて“とりあえず”です。一番の難関にはほど遠い」

「引っ張って……」

「どんな資金かとか、誰の資金かなんて、深く考えなくていいんです。どうせ向こうだってルールを守る気はないんですから。違うか。……『ルールがないのがここ』なんです。自分たちで狭いルールを作ることはないんです」

 

 ある意味むちゃくちゃなことを言っているのはわかる。けれど、それがこの世界なのだ。何もないところでならなんでもできる。つまり、そういうことなのだ。ないのなら縛られる必要はない。ないのなら作ってしまえばいい。必要なものは自分で作ればいいし、必要ないものに縛られる必要なんてありはしない。

 やろうと思えば、きっとなんだってできる。

 

「……いけ、ますわ。わたしたちは、その資金を集められます」

「へ?」

「ええっ!?」

 

 ヘンリエッタさんの答えにマリ姐と小竜は驚きの声を上げた。その声には答えずヘンリエッタさんは続けた。

 

「500万を集めたとして、それでおしまいではありませんわよね? その先はどうするのですの?」

 

 当然だ。むしろ資金集めはただの序の口に過ぎない。

 

「500万を集めるのは入り口です。一番の難関はその先にあります。それは――みんなの善意と、希望です」

 

 クロはそれに苦笑した。不確定要素がある策を実行して尚且つ勝ちにいこうというのならいつも以上の労力を要する、と。なぜなら、アキバに住む多くのギルドがアキバの街の雰囲気なんてどうなってもかまわないと思っているのならば、その場合は僕たちは負けてしまうのだから。けれど、もしそうなってしまったのなら僕はアキバの街に未練はなくなるだろう。

 でも、そんなことはないと僕は信じている。

 

「アキバの街を好きな人は、嫌いな人より、多いはずです。今更ですけれど、セララさんの件を恩に着せて協力を強要するつもりはありません。〈三日月同盟〉に声をかけたのは、その力が必要だからです。マリ姐にも、ヘンリエッタさんにも、小竜にも、やってほしいことがあるからです。もう一度いいます。力を貸してください」

 

 もう一度3人に深く頭を下げた。どうか力を貸してほしいと、その想いを込めて深く。

 

「うちは……。うちら〈三日月同盟〉は……〈三日月同盟〉はシロ坊の作戦に乗ろうと思う。――うちたちだって、この街にはもっと格好いいところであってほしいから。このままだと何かが決定的になくなってしまいそうだから。で、でもな。うちらも苦しい所帯やねん。だから、夜逃げだけは勘弁してほしいんやけど……。でも、それもしゃあないか。見て見ぬふりをいつまでも続けたら、気持ちの方がすっかり腐ってしまうんよね。――魂の問題やから。だから、うちらも賭けてみる。教えて、シロ坊。その方法を。もしそのために何かができるときに、何もせえへんかったら、うちらずっと後悔しそうやから」

 

 ギルドマスターの表情でマリ姐は答えた。そして、答えてくれた。僕の頼みにそう答えてくれたのだ。

 

  *

 

 協力を得られたあと、もう少しだけ時間をもらえないかを聞いた。

 

「ええけど。何かあるん?」

「多分、もうすぐクロがこっちに来ると思うんです。クロが来たら作戦の詳細をお教えします」

「わかったわ」

 

 そう話した直後くらいに念話を知らせる鈴の音が鳴った。表示されているのは先ほど話題に出した彼女だ。マリ姐たちに断りをいれて席を立って念話に出る。

 

「お疲れ様、クロ」

『本当だよね、この腹ぐろ眼鏡野郎』

 

 いつも以上に起伏のない声と普段より悪くなった言葉遣いに、僕は彼女が相当疲労しているのを理解した。そして、それとほぼ同時にそこまで疲労するほどの仕事を任せてしまったことに罪悪感を覚え、後で一発怒りの拳をもらうだろうという予想に苦笑を浮かべた。けれど連絡を入れてきたということは僕が任せた膨大な仕事を片付けたということか。彼女は自分の実力を見誤ることをほとんどしないから、おおよそ予想どおりのペースだったのだろう。

 

「今、ちょうどマリ姐たちとの話が終わったところだったんだ」

『その様子じゃ、うまくまとまったみたいだね』

「うん」

『それはよかった。それじゃ、これから〈三日月同盟〉のギルドホールに行くからマリーに伝えておいて』

「うん、伝えておくよ」

 

 ぷつりと多少乱暴に念話が切られた。このあとに任せたい仕事があったけど少し減らしたほうがいいだろうか。そんなことを考えていると後ろから肩をつつかれた。

 

「どないしたん、シロ坊? 念話、終わったん?」

「マリ姐。すいません、少しぼうっとしてました。終わりましたよ。これからクロがこっちに来るので、入場制限の方お願いします」

「わかったで」

 

 念話が切れてから少しして和装の女性が〈三日月同盟〉の会議室に入ってきた。その彼女は言わずもがなクロだったが色んなところがボロボロだ。髪はボサボサだしいつもやる気がなさそうな目がいつも以上に生気がない。そこそこ白い肌はさらに白く、大丈夫なのかと心配になるほどだった。

 

「リンセやんっ!? いつもに比べてずいぶん覇気がないけど大丈夫なんっ?」

「ああ、マリー。大丈夫だよ、割と慣れてるから」

「慣れてるって……」

 

 顔を引きつらせている〈三日月同盟〉の3人に大丈夫だと笑ったクロは、表情を消して僕の方を向いた。それに僕は思わず身構えてしまった。つかつかと僕の真正面まで歩いてきた彼女は黒曜石の瞳で僕の目をじっと覗き込んできた。その視線に顔が引きつるのを必死で抑えていると不意に脛に鋭い痛みが走った。引きつった声を出した僕を〈三日月同盟〉の3人がぎょっとした表情で見てくる。けれどそれを気にする余裕がないくらい痛い。どうやらクロに思いっきり脛を蹴られたようだ。

 

「……クロ、脛は痛いって」

「知るか、クソ眼鏡。こちとら不眠不休なんですけど?」

「うっ……。それは、ごめん」

「ま、引き受けた私も私ですけど? もう少し量を考えてもらいたいものですね?」

 

 そう言いながらクロは魔法の鞄から次々と紙束を取り出し会議室の机に並べていく。ソファーに座り直してまだ残る痛みに耐えながらそれらを見ていく。どうやら内容別にきちんと分けられているらしい。そのへんの整理はさすがといったところだ。〈三日月同盟〉の3人はその書類の山を不思議そうに見ている。

 書類を全て出し終わった頃にはそれは机を覆う量になっていた。確かにこれは多すぎたな。確実に一日でやる量ではない。不眠不休にもなるわけだ。僕の予想ではここまで多くなる予定ではなかったんだけど、と改めて頼んだ仕事の量を思い返した。やっぱり予想より多い。多すぎる。

 

「ここまで多くなる予定じゃなかったんだけど……。クロ、何かした?」

「別に特別何かしたわけじゃないよ。ただ予想できる状況に応じたものを何パターンか用意しただけ」

 

 空いているソファーに座ったクロが言ったことに目が点になる。何パターンか用意しただけ、とはいうが、それはつまり、僕が任せた仕事のひとつにつき複数の結果を持ってきたということだ。それなら僕が予想していた量よりも多くなるのは当然だ。単純に考えて、2パターン用意してきたのなら仕事量は2倍、3パターン用意してきたのなら3倍になるのだから。

 

「これだから、不確定要素を含んでる策を実行するのは嫌なんだよ。処理する問題が時と場合によって変わってくる。だからその分、考えなきゃいけない策は増えるし、それに伴って結果が変わってくるし……」

 

 クロは疲れきったため息をついた。

 忘れていた。彼女はできないことは肯定しない。その反面、できることに対して妥協しないのだ。一分の隙もないくらい完璧に外堀を埋めてくる。彼女は僕のことを考えすぎだと言うけれど僕から言わせてもらえばクロの方が考えすぎだ。

 

 勘の良さが際立っている彼女だが実はそれはちょっとしたオプションで、彼女の能力の真髄はその演算能力の高さにある。あらゆる可能性を想定し、それぞれの事象が起きるという仮定のもとで対応策を講じ、その上、その時々によって変化する状況まで加算して考えたうえでそれぞれが起きる確率を算出する。彼女にかかれば人の感情論さえも数値化され確率計算に組み込まれてしまう。

 そんな彼女だから一つの問題に複数の解決方法を用意してくることは簡単に予想できたはずなのに、すっかり失念していて割と多めの仕事を頼んでしまった。結果、自分より用心深く1パーセントの誤差も嫌う彼女は可能性に応じてあらゆる策を講じてきたために不眠不休、というわけだ。

 

「でも、楽しかったといえば楽しかったし、脛への一発で許してあげよう。シロエくん」

「あ、ありがとう」

 

 急に変わった呼び名と目が据わっている彼女に言われても恐怖しか残らない、と本人に言ってしまえば確実にもう一発来ることは安易に予想できたので言わないでおこう。

 

 クロが仕上げてきた書類の束をひとつひとつぱらぱらと流し読みをしていく。内容を見る限り、彼女にしては内容が大まかなものだった。といっても普通の人から見れば十分詳細な内容だが。

 

「シロ坊? それ、いったい何なん?」

「これは、クロに作ってもらったこれからの大まかなスケジュールです」

「スケジュール、ですか?」

 

 マリ姐の質問に答えれば今度はヘンリエッタさんが首を傾げた。その問いに答えたのはクロだった。

 

「そ。これから私たちがすることの手順とそれにかかる時間を予想して組んだスケジュール」

 

 〈三日月同盟〉と〈記録の地平線〉のメンバーで内容は別だけど、とクロは続けた。並べられた書類の一部をマリ姐に渡しつつクロは内容を事細かに説明していく。

 

「これは大まかな作戦内容。こっちが全体のスケジュールで、こっちがそれぞれの担当のスケジュール。それで、これがおそらく必要とされる物品のリストと最も効率がいいと思われる入手ルート。あ、でもあくまでもこれは全部私の独断だから、これからここにいるメンバーで詳細を話し合ってもらおうと思うんだけど……」

 

 言いながらクロは次々と書類をマリ姐に渡していく。渡された側のマリ姐はというとぽかんとしていて話が飲み込めていないようだ。それを気にも止めずクロはヘンリエッタさんに向き直った。

 

「会計の方はへティに任せることになるけどよろしく」

「え、ええ。分かりましたわ……」

 

 いきなり話を振られたヘンリエッタさんは動揺したように返事をした。

 

「それで、シロくん。こっからの作戦詳細は任せていい?」

「うん、わかった」

 

 僕がクロから書類をもらうや否やクロはソファーに深く沈み込んだ。

 

「寝る。なんかあったら起こして」

「え?」

 

 クロはそう言うと靴を脱ぎ器用に身体を丸めてこてんとソファーに寝転がった。そして3秒もしないうちに寝息をたてはじめたのだった。

 

「え、ちょっとっ! クロっ?」

 

 軽く肩を揺らしても全く起きる気配がない。

 

「すいません、マリ姐」

「ええよ、ええよ。……それにしても、寝入るの早かったなぁ。相当疲れとったんやな、リンセやん」

 

 所有者の許可も取らずに寝入ってしまったクロの代わりに謝ればマリ姐は優しく笑った。

 クロの長めの前髪で隠された瞼はきっと固く閉じられているだろう。人に寝顔を見られることを嫌う彼女が人前であっさり寝てしまった。つまり、そのくらい疲れていたということだろう。罪悪感と感謝とが入り混じって何とも言えない気持ちになった。

 僕は着ていたローブマントを脱いで布団代わりに彼女にかけた。この世界で風邪を引くのかは分からないけれど何も無いよりはましだろう。

 

「へぇー……。シロ坊、リンセやんにはそんな顔するんやなぁ」

「え?」

 

 突然聞こえてきたマリ姐の笑いを含んだ声に振り返って彼女を見た。マリ姐の顔は言葉で表現するならにやにやと言った表情だ。その隣にいるヘンリエッタさんは驚いたように口元に手を当てている。

 

「……なんですか」

「いやー、な? ヘンリエッタ?」

「そうですわねー……」

 

 マリ姐とヘンリエッタさんがなんだか生暖かい目で僕を見ている。小竜は視線をあちらこちらにさまよわせていた。一体何なんだろう。僕はなにか変なことでもしたのだろうか。

 

「あの、シロエさん。ずっと気になっていたんですけど……」

 

 視線を彷徨わせながら小竜は何か言いにくそうにしていた。

 

「何?」

「その…………リンセさんと、付き合っているんですか?」

 

 〈三日月同盟〉の会議室を沈黙が支配した。

 えっと、小竜はなんて言った? 『リンセさんと、付き合っているんですか?』と言ったのか? リンセってクロだよね? え?

 突然のことに混乱した。そして少しして小竜が言った内容が理解できた僕はハッと我に返る。

 

「付き合ってないよっ!? そういう関係じゃないって!!」

「えー……。そうなん? シロ坊」

「なんで残念そうなんですか、マリ姐っ」

 

 はっきり否定すればマリ姐は口を尖らせて本当に残念そうにした。それに突っ込めばさらに口を尖らせる。

 

「だって今、シロ坊、すっごい優しそうな目でリンセやんのこと見てたで? 本当に付き合っておらへんの?」

「付き合ってません。ただ、付き合いが長いだけですよ」

 

 再びはっきりと否定すれば、そうなんかー、とマリ姐は肩を落とす。

 

「付き合い長いってどのくらいなん?」

「今は時間が惜しいので話しません。クロが起きる前にスケジュールの詳細決めますよ」

 

 やたらにやにや顔で突っかかってくるマリ姐にぴしゃりと言う。マリ姐は再び残念そうにしたが、それもそうやね、と本題に戻ってくれた。よかった。

 

  *

 

 夢を見た。とても懐かしい夢を。

 それは、はじめて彼に出会った日のことだった。

 

 母が早くに亡くなり父子家庭に育った私は、その日、父の帰りが遅いということで、普段は禁止されている夜の街の1人散歩をしてやろうと意気揚々と出掛けたのだった。

 商店街を抜けて宛もなくただ足を進めた。いつもとは違う夜の街の雰囲気に気分は高揚していく。周りの明かりが少なくなってきた場所で空を見上げれば満天の星空が見えた。その光がとても綺麗でさらに楽しくなってきた私は勢いよく駆け出した。

 人通りの少ない道で両手を広げながらくるくると回る。私にとって夜とは星に出会える最高の時間だった。

 

 散々歩いたり走ったりした私はどこか休める場所を探した。そして、そこにたどり着いたのだ。

 彼と出会う、夜の公園に。

 

 1人でベンチに座っている男の子に目を引かれた。悔しそうな、苦しそうな、寂しそうな、そんな消えてしまいそうな男の子。どうしてそんなに悲しそうなのだろうと思った私はその男の子の笑顔が見たくてその子に近寄った。

 

「ねえ、何してるの?」

 

 目の前に立って声をかけてきた私に驚いたのか、その子は肩を大きく揺らして顔を上げた。けれど、それ以上の反応は返ってこない。何も言わないことに私は首を傾げた。

 

「どうかしたの?」

 

 それでも返事が返ってこなかった。返事が返ってこないのだから、その子がどうしてそんなに悲しそうなのか分からなかった。それでも笑顔になってほしくて私はその子の手を掴んだ。

 

「一緒に遊ぼう!」

 

 掴んだ手を引きその子を立たせる。

 

「何をしようか? かけっこ? 砂遊び?」

「……僕は、別に」

 

 やっと返ってきた声にもの凄く喜んだ記憶がある。

 

「じゃあ、お話しよう!」

 

 あまり動きたくなさそうだったから私はその子の手を引いてベンチに戻った。

 

「何、話そうか? あ、私ね、星が好きなんだよ」

 

 そう言って私は歳に合わない星座の神話の話をしたのだ。それでも話しているうちにその子が笑ってくれたことが嬉しくて、そのまま話し続けたんだっけ。そうしていたらその子からも話をしてくれたんだった。

 それから帰らなきゃいけない時間までずっと話し込んでいたのだった。

 

  *

 

 身体が揺すられる感覚に意識が浮上していく。緩やかに瞼をひらけば目に映ったのは白。手で触って見ればそれは布だった。それを少しめくるとそこにはいつものローブマントを着ていないシロエがいた。

 

「おはよう、クロ。起きた?」

「お、はよう……」

 

 どうやらシロエが私を揺すって起こしてくれたらしい。まだ少し寝惚けている頭で起き上がると私にかかっていた布がぱさりと落ちた。掛かっていたのはシロエのローブマントだったらしい。それをつまみ上げてぼうっと見つめる。

 

「……掛けてくれたんだ。ありがとう」

「どういたしまして」

 

 ローブマントを返すとシロエにしては珍しく感謝を受け取った。私のありがとうは受け取るのにどうして他の人のありがとうは受け取らないんだろう、と回っていない頭で考えていた。

 

「おはよう、リンセやん。よう眠れた?」

「……うん、ありがとう。マリー」

「ええんよ。これだけの資料、一日で作ったんなら疲れとるはずやわ」

 

 机の脇に寄せられている紙の山を見ながらマリエールは苦笑した。

 

「シロくん、私、どのくらい寝てた?」

「そんなに寝てないと思うよ。ざっと一時間半くらいじゃないかな?」

 

 そんなに寝ていなかったらしい。夢を見ていたせいか随分と寝た気がしたけど気がしただけだったようだ。

 

「クロ、詳細案をまとめ終わったから見てもらってもいい?」

「んー、私が確認しなくてもいいでしょ?」

「保険だよ」

「はいはい」

 

 シロエが差し出してきた書類を受け取ってパラパラとめくっていく。見ていくうちにだんだんと自分の顔が歪んでいくのが分かった。

 

「……シロくん、本当にこのスケジュールでいいの?」

「なるべく早く終わらせたいんだ」

「その気持ちは分かるけどさー」

 

 渡されたスケジュールは最短も最短だ。限界突破どころの話ではない。タイトという言葉では生ぬるい。無理とは言わないが、かなりの無茶が要求されるだろう。

 

「まあ、〈三日月同盟〉の3人がいいって言うならいいけど」

 

 ちらっと3人を見れば少し苦い顔をしていたが決意のこもった目で頷いた。これは私も腹をくくるべきだろう。一つ深いため息をついてシロエに向き直る。

 

「これでいいんじゃない?」

 

 シロエに頷けば彼は口角を上げた。

 

  *

 

 その翌日から4日間、怒涛の準備期間となった。

 思っていた通りの慌ただしさと限界を超えた量の仕事で、がむしゃらに進められたスケジュールは予定通りに進められた。まあ、少しでも遅れが出たらそこは予定を立てた当事者4人で埋めてでも予定通りに進めるつもりであったけど。

 それにしても、何なんだろう。この状況は。

 

「うちの会計はすご腕やからね。数字見せて読み違いは万にひとつもおこらへんよ。ヘンリエッタに帳簿持ってすごまれたら、地獄の鬼だろうがラッパ持った天使だろうが小便漏らして謝罪するねんでー」

「私の管理能力なんてたかが知れていますわ。シロエ様の容赦も呵責もない立案の悪辣さこそ言語道断驚天動地です。まったくシロエだなんて冗談のよう。真っ黒クロエと名乗った方がよろしいのに。アカツキちゃんがいなければ抱かれに伺うところですわ」

「僕の黒さなんて自覚してるだけ子どもだましですよ。マリ姐の天然には敵いません。疲れ切ってるメンバーだってあんな笑顔で励まされたらもう一働きってなるじゃないですか。マリ姐に褒めてもらうためだったら、ゾンビだって生き返ってご奉仕しそうです」

 

 マリエールに出来上がった書類を持ってきた私の目の前で繰り広げられていたのは、発案者のうちの3人の功績と責任の押し付け合いだった。マリエールはたわわな胸を張って言うし、ヘンリエッタは褒めてるのか貶しているのか分からないし、シロエに至ってはずり落ちた眼鏡をかけ直しながら真顔だ。

 そんな3人の様子に思わずため息をついた。だから本当にこのスケジュールでいいのか聞いたのに。

 

「それに、僕の黒さよりクロのスペックの方が驚天動地ですよ。インテル入ってるんじゃないの? クロ」

「入ってないからね」

 

 真顔のままこちらを向いたシロエにぴしゃりと言い放った。

 責任の押し付け合いに私を巻き込むな、腹ぐろ眼鏡。

 

 それはともかくとして、そんな無茶に無茶を重ねたスケジュールに従って〈記録の地平線〉メンバーはもとより〈三日月同盟〉メンバーももれなくへとへとになるまでこき使われている。経験の浅い〈三日月同盟〉のメンバーにとってはもう「死線」といっても差し違えないだろう。それでもそれぞれの叱咤激励でゾンビのように復活させられた作戦参加者たちは全ての用意を終えて作戦開始の朝を迎えるのだった。

 

  *

 

 翌日。アキバの街の3ヶ所にその仮設店舗は突如出現した。各店舗の形は多少異なるが風にたなびくのぼりには同じ文字が書かれている。その文字は〈軽食販売クレセントムーン〉。おそらく今のアキバで最も珍しい商売だろう。なんといっても今までの常識でいうなら食料は全て同じ味しかしないのだから。高レベルの食料アイテムにはステータスを一時的に上昇させる効果があるため、戦闘ギルドのメンバーが求めることもあるがそれも全体から見ればごく稀だ。

 私たちはその常識を崩すことで商売をして資金を集めようと考えたのだ。味のない食事をしていた〈冒険者〉に味のある食事を提供すれば〈冒険者〉は十中八九喜んで金貨を出す。つまり“みんなが喜んでお金を持ってくるルール”を提供して金貨を引っ張ってこようというわけだ。

 

「まあ、これも言っちゃえば前哨戦なわけだけど」

 

 マリエールが半ばヤケクソで叫んでいるのを近くの廃墟から見下ろした。その近くでマリエールに負けないように声を上げながらセララがチラシを配っている。

 今までならなかった香ばしい匂いや魅惑的な匂いに釣られ、野次馬客が商品を購入していく。そして、叫んだ。

 

「なっ! なっ! なんだこれぇっ!?」

 

 思った通りの反応に口角が上がる。

 味がする。それだけのことだがそれほどのことなのだ。常識が崩されるとは、こういうことなのだ。

 一時間もしないうちに、〈軽食販売クレセントムーン〉はアキバの街に衝撃を与えるだろう。

 

「さて、今後の流れの再計算をしなくちゃな」

 

 賑やかになっていくアキバの街を見下ろしながら私はそうぼやいた。

 

 諸々のことを計算しきった結果、〈軽食販売クレセントムーン〉がアキバの街に与えた影響は大きかった。予想していない範囲ではなかったけれど、それでもため息をつきそうになるくらい大きかった。それに伴う商品の廃棄率と素材の備蓄量を踏まえてこれからの様子を再計算しシミュレーションする。算出された結果はもって4日というところだった。どんなにパターンを変えても5日以上はもたない。

 

「どうするかは……まあシロくんたちが決めるか」

 

 ここのところほぼ不眠不休で作業していた私はあっさりと考えることを放棄した。

 私は再計算結果を持って別の作業をしているであろう彼のもとに向かった。

 

  *

 

 まだ販売が終了していない時間であるというのに、クロが持ってきた書類には今日の販売の集計予想が書かれていた。相変わらず予測計算が早い。こういうときに本当にインテルが入っているんじゃないかと思ってしまう。

 

「思ったより廃棄率予測が低いね」

「それだけ衝撃が大きかったってこと。それにこの予測は前提が“このままのペースでいけば”だからね。噂がアキバ中に広まった以上、需要が格段に上がるのは間違いないよ。全く供給が間に合わない」

 

 クロが言ったことは最もだ。

 クロの計算結果からいえば、売り上げ予測は約4万4000枚。来店者数は1200人、客単価はおよそ37枚だ。ここで、問題となってくるのが用意できる店舗数と商材の量だ。どんなに頑張っても〈三日月同盟〉の規模では1日に対応できる人数は1000人ちょっとが限界である。他から人を集めるわけにもいかない。

 

「でも、今回の目的は売り上げじゃないからね」

「そりゃそうでしょ。売り上げだけで金貨500万枚なんてどれだけ時間かかるんだって話だし、販売を続けるにしてもうまく事が運び続けるわけがない」

 

 クロの言葉を聞きながら頭の中で計画を確認する。きっと今後の数日間は僕とヘンリエッタさん、マリ姐がそれぞれ担当する交渉を成功させなくてはならない。

 

「はあー、私が交渉役じゃなくてよかったー」

 

 僕の考えを知ってか知らずか、多分、クロのことだから知っていて彼女はため息をついた。

 

「心配しなくても、マリーとヘティの方の交渉は大丈夫だよ。よほどの馬鹿じゃなければ断らない」

「それは大丈夫だと思ってるよ。でも、これで無様に負けたら、その責任は僕にあるとしかいえないよな」

「まあ、否定はしないけど」

 

 僕の言葉に励ましも慰めもなくクロは言った。別にそういうものが欲しくて言ったわけではないが。

 周りの期待以上の働きに自分は彼らに相応しいのか考えてしまう。けれど自分は相応しくなる責任がある。

 

「いけると思うよ。販売がはじまってから少しアキバの街を歩いてみたけどさ、シロくんの予想通り、アキバの街が好きな人は、嫌いな人より多いよ。絶対に勝てる」

 

 だから私たちはそれにたどり着くように進んでいけばいい。クロはそう笑った。

 

「うん、そうだね」

 

 今は目の前の作戦を成功させることに腐心すればいい。そのための下準備はちゃくちゃくと進んでいる。

 

「クロ、会議の根回しの下準備よろしくね」

 

 自分が集計やら交渉やらで動き回っている間に僕の代わりに下準備を進めておくのが彼女の役割だ。

 

「おっけー。任せておきなさい」

 

 クロは親指を立てて不敵に口角を上げた。その自信たっぷりの笑みに無条件に安心してしまい、僕はまた彼女に甘えてしまっているなと心のなかで苦笑するのだった。



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chapter 9

 〈軽食販売クレセントムーン〉が開店してから早数日。アキバの街の10のギルドに同じ文面の招待状が届いた。その内容は「アキバの街について」。〈三日月同盟〉のマリエールと〈記録の地平線〉のシロエの連名で届いたそれは少なからず10のギルドの興味をひいた。その届け人が“予言者”小燐森ならなおさらのことである。

 

  *

 

 時は遡り、〈クレセントムーン〉が第4店舗目を開店させる前日。

 マリエールとヘンリエッタ、そしてシロエがそれぞれの交渉を成功させた。そのおかげで、大手生産ギルド〈海洋機構〉〈ロデリック商会〉〈第8商店街〉からは軍資金金貨500万枚を手に入れ、そのうちのギルドの1つである〈第8商店街〉から仕入れを取り付け、そして、元〈放蕩者の茶会〉メンバーの〈剣聖〉で今は〈西風の旅団〉のギルドマスターであるソウジロウ=セタの協力を得たのだった。

 

「リン先輩っ」

 

 後ろからかけられた声に振り向くと、そこには幼さの残る顔の〈武士〉がいた。

 

「あ、ソウジ」

「お久しぶりです」

 

 和服に袴、そして腰には二本差しという出で立ちの彼は、〈西風の旅団〉ギルドマスターであるソウジロウだった。ある意味〈放蕩者の茶会〉の影響をもっとも受けたうちの1人で〈茶会〉が解散することをもっとも惜しんだ人だ。そして極度のハーレム体質である。今日は珍しく1人らしいが。

 

「元気だった?」

「はい。リン先輩はどうですか?」

「まあ、変わりないよ」

 

 見たところソウジロウはこの〈大災害〉でへこたれてはいないようだ。自分もだが、基本的に〈放蕩者の茶会〉のメンバーは総じて楽観的というわけではないが、どんな状況でもどこか冒険半分の観光半分で捉えているところがあるらしい。

 

「そういえば、つい先日シロ先輩に会いましたよ」

「あー、うん。聞いた」

 

 今日の朝、昨夜の真夜中に約束を取り付けてソウジロウに会ってきた、とシロエが言っていた。ソウジロウと〈西風の旅団〉の力を借りるために。

 

「そうだったんですか。今はシロ先輩の一緒にいるんですよね?」

「うん。シロくんのギルドのギルドメンバーとしてね」

 

 私の言葉にソウジロウはやっぱりそうでしたかと笑った。シロ先輩とリン先輩はいつも一緒ですからね、とも。

 

「そんなに一緒にいる、かな?」

「僕はそう思いますけど。シロ先輩がギルドを作ったって言ったとき、絶対リン先輩も一緒なんだろうなって思いましたし」

 

 そんなにシロエと一緒に行動していたつもりはないが周りから見たらそうでもないらしい。別にそれが特別悪影響を及ぼすことはないだろうが、セットで考えられるのも如何なものか。現実世界でもそれなりに一緒に行動していたからだろうか、〈エルダー・テイル〉でも気が付いたらそんな感じになってしまっていたのだろう。はぁ、とため息を吐く。

 

「どうかしたんですか? リン先輩」

「……いや、なんでも。それよりソウジ、シロくんの話を聞いてくれてありがとう」

 

 言えば彼からは明るい笑顔が返ってきた。

 シロエの話によれば彼の返答は本当に二つ返事だったらしい。前衛バカだから作戦を聞いても半分も分からない、だから説明に時間を取らせたくない、といって作戦の詳細も聞かなかったとか。

 

「シロくん、すごく嬉しかったと思う。これからもシロくんをよろしくね」

「はいっ。こちらこそっ」

 

 私もシロくんもいい後輩に恵まれたな、と笑みがこぼれた。

 

  *

 

 〈クレセントムーン〉が販売を開始してからアキバでは大きな変化が生まれた。1つ目はアキバにいる冒険者が小銭稼ぎのためにフィールドに出るようになったこと。これは〈クレセントムーン〉の物価がマーケットよりも割高であることに起因していた。味のない食事から味のある食事に戻った人々にとって、また味のない食事に戻ることはとてつもない苦痛だった。結果、味のある食事のために少しくらいは小銭稼ぎをしようという考えになりフィールドに出るようになったのだ。ほんの少しの変化だろうが、今まで何もすることがなかった人々が食事という“生きるための何か”に対して行動するようになったというのは大きな動きだ。また、マーケットにも動きがあった。これは主に〈第8商店街〉の影響だ。そしてフィールドに出るということは、装備の修理や消耗品の売買も出てくる。こうして、三大欲求の一つである食欲の与える影響は街一つを変えるほどのものになっていた。

 今まであった娯楽のほとんどが存在しない今、噂話は娯楽の大部分を占める。そしてその中に〈三日月同盟〉の話はもちろん、シロエや直継、ご隠居そして〈放蕩者の茶会〉の話もぽつりと存在した。アキバの街の〈冒険者〉はそれぞれの憶測の話に花を咲かせている。

 

「……でも、それだけじゃない」

 

 アキバの街で情報収集をしていた私は〈冒険者〉ではない人たちも噂話をしていることに気が付いた。〈冒険者〉ではない人たち、つまりそれは〈大地人〉。彼らは噂話だけでなく〈クレセントムーン〉にも関心を示しており商品を購入していく人もいる。やはり彼らも生きているのであって、そこには意思も感情も存在するのだ。

 自治組織の結成、あのシロエのことだから失敗することはないだろうが、もしかしたらということがある。だからこその情報収集なのだ。――今後の〈冒険者〉と〈大地人〉の関係を作り上げていくための。

 

「……うまくいってくれるといいけど」

 

 私は空を見上げた。その空は現実と変わらない清々しいほどの青空だった。

 

  *

 

 その日、アキバの街のギルド会館にはこの街を代表する面々が揃っていた。それは、昨日リンセが自ら赴いて招待状を渡しに行った10のギルドのギルドマスターたちだ。彼らはギルド会館の最上階、会議室にある円形のテーブルを囲むように座っている。戦闘系ギルドからは〈黒剣騎士団〉のアイザックに〈ホネスティ〉のアインス、〈D.D.D〉のクラスティ、〈シルバーソード〉のウィリアム=マサチューセッツ、〈西風の旅団〉のソウジロウ=セタが。生産系ギルドからは〈海洋機構〉のミチタカ、〈ロデリック商会〉のロデリック、〈第8商店街〉のカラシン。小規模ギルドの代表として、またギルド未加入者の代表として〈三日月同盟〉のマリエールと〈グランテール〉のウッドストック=W、〈RADIOマーケット〉の茜屋=一文字の介が出席していた。そして、その中に発案者兼開催者として〈記録の地平線〉のギルドタグを付けたシロエがいた。

 リンセはにゃん太の隣で静かにその光景を見ていた。

 

「お忙しい中集まってくださって――ありがとうございます。僕は〈記録の地平線〉のシロエといいます。……今日は皆さんにご相談とお願いがあってお招きしました。多少込み入った話なので、時間がかかると思いますが、お付き合いください」

 

 頑張れとリンセは心のなかでエールを送る。ここからが、彼の戦場なのだから。

 

「挨拶は適当に切り上げてかまわない。〈放蕩者〉のシロエ」

 

 別に知らない仲じゃあるまいし、と声を上げたのはアイザックだった。それに続き、苛立たしそうに「いったいなんだってんだ、この場は」と漏らしたのはウィリアムだ。その様子を見るに短気な性格なのだろうとリンセは片眉を上げる。

 

「お言葉ですので、早速用件に入ります。ご相談というか、提案というのは現在のアキバの街の状況についてです。ご存じの通り〈大災害〉以降、僕たちはこの異世界に取り残されてしまいました。元の地球に帰れる目処は全くたっていない。これについての手がかりは僕の知るところではまったくありません。非常に辛いですが、事実です。一方、そんな状況下で、アキバの街の空気が悪化している。多くの仲間がやる気をなくしていますし、逆に自棄になっている人もいる。経済の方はぼろぼろで、探索の効率はちっとも上がっていない。この状況を、僕たちはどうにかしたいと考えています。集まっていただいたのは、そのためです」

 

 直後、ざわめきが起こる。それを抑えるようにアインスは問う。

 

「それは以前失敗した中小ギルド連合のようなものですか?」

「近いです」

 

 しかしそれは失敗したと聞いた。そう言いながらシロエは当事者を見遣る。それは〈グランテール〉と〈RADIOマーケット〉だ。ふたつのギルドは青ざめて頷いた。

 失敗の原因は、集まったギルドが自分たちの利益を守ろうとするものだったから。どんなに協力しようと言っても、その根底が自分たちの利益のためならば、当然辿りつくのは破綻である。

 ――では、今回の会議はその続きなのか。参加者の脳裏にそんな考えが浮かんでいるのが見て取れる。実際はそんなことはないんだけど、とリンセは場を冷静に見渡した。

 

「今回はすこし趣旨が違います。現在のアキバの町の状況の改善です」

「そういうことなら、俺たちは抜けさせてもらうわ」

 

 そう言って席を立ったのはウィリアムだった。リンセは薄々気付いていたと目を伏せた。どうせ、アキバはアイテム換金の場だとかいいだすんだろう、とリンセが思っていたらその考えが見事にビンゴする。彼はそれだけ言い捨てて会議室を出て行った。そのことに場はざわめいたが、リンセの本音では〈シルバーソード〉が離脱したところでそこまで大きな影響はないと思っていた。ここで席を立ったのが生産系・戦闘系それぞれの最大手である〈海洋機構〉や〈D.D.D〉だったら、それこそ自分の持ち得るありとあらゆる手段で引き留めただろうが、こういっては失礼だが()()()〈シルバーソード〉である。あそこは必須条件ではないとリンセは計算していた。それにいくつかのギルドが会議から離脱することはリンセの中では必然であった。

 

「11席になってしまいましたが、先を続けます」

 

 〈シルバーソード〉が抜けたことで騒然とした会議の中でシロエは冷静に続けた。この会議の趣旨はアキバの街の自治問題について話し合う〈円卓会議〉の結成とその機関の当面の目的――アキバの街の雰囲気と治安の改善について話し合うことであると。その言葉に対しての返答は互いの返答を探り合う故の静寂だった。

 ここからが本番、さて皆さんはどう出るのかな、とリンセは目を細める。

 

「その前に、メンバー選出の基準を教えていただけるかな」

 

 最初に切り出したのは〈ホネスティ〉のアインス。その言葉への返答は当然シロエである。

 

「わかりました。――まず〈黒剣騎士団〉、〈ホネスティ〉、〈D.D.D〉、〈西風の旅団〉の各ギルドは、戦闘系の大規模ギルド、もしくは功績の高いギルドを選ばさせて頂きました。お帰りになった〈シルバーソード〉もそうです。〈海洋機構〉、〈ロデリック商会〉、〈第8商店街〉は生産系を代表する三大ギルドとしてお招きしました。〈三日月同盟〉、〈グランデール〉、〈RADIOマーケット〉は小規模ギルドの代表として、です。誤解ないように願いたいのは、この3つのギルドに対しては、ギルド単体としてお呼びしたというよりは、ギルドに参加していないようなギルド未加入者や、この席にはお呼びできなかった小規模ギルドの意見を汲み上げるために選ばさせていただいたということです。ギルド自体が小規模であるからと言って、その発言の重みには無視すべきではありません。また、もしこの会議が成立するとすれば、そのような行動をお願いすることになるかと思います」

「君は?」

 

 シロエの返答にクラスティが問い返す。

 

「僕は開催者兼発案者として臨席しています」

 

 ギルド選抜基準を見れば、本来シロエに参加資格はない。結成されたばかりのたった5人のギルドのギルドマスターでしかないのだから。それでもこの場に立っている。それは彼自身がそうでありたいと願い、そうしたいと望み、そうさせるのだと行動したからだ。待っているだけでは駄目だとそれは今のアキバの街が証明している。その通り、傲慢も身勝手もやったもの勝ちなのだ。

 

「つまり、参加資格を得るために、わざわざ主催をして招待状を送った訳だね?」

「その通りです」

 

 クラスティの質問にシロエは堂々と答える。

 

「仮にその会議が発足したとして、どんな手段で治安を維持する? いや、そもそもこの場合問題にしている治安の悪化とはなんなんだ?」

「一部のギルドが、保護を名目に、初心者を軟禁状態に置いているのは周知の事実ですよね? そのような状況は健全だといえません」

 

 アイザックの質問にシロエは真っ向から切り込んだ。そんな彼に返されたワードは読めてはいたがやはり〈EXPポット〉だった。あれは法に反していない、と。突然出てきたワードだが、その場の半数は「やはり」といった反応だった。

 法に反していない、という発言にシロエは返す。プレイヤーには現在法なんて存在しないと。存在しないものを破っていないなどただの詭弁である、と。

 

「別に、ことは〈EXPポット〉の件に限定していません、問題は僕たちプレイヤーにとっては“法”なんてないということです。今のこの世界では実際にはやりたい放題ではないですか。もちろん僕らにとっては、それでもほとんど不利益はありません。自分たちさえよければ、ですが」

「それこそいいがかりだ」

「なら、聞きますけど」

 

 突然の第三者の声に一同がそちらに視線を向ける。その先は沈黙を守っていたリンセだった。

 

「突然なんだ? “予言者”」

「いえ、別に。ただ、アイザックさんは本気で“戦闘行為禁止区域においてのペナルティ”が(law)であるとお考えなのかな、と」

 

 “予言者”の発言にアイザックは息を呑む。それは、今まさに自分が盾にしようとしていたものを否定する発言であったからだ。先を読まれた、と。

 

「戦闘行為禁止区域においてのペナルティ。あれは、“原因”に対して“結果”があるというだけの事象です。言ってしまえばこの世界の機構(structure)であって法律(law)ではない。それを法と認めるならば、この世界の統率は一体誰に託されているのでしょうか。そもそも、この世界は現時点で統率されているのでしょうか」

 

 僅かに細められた片のオブシディアンに、誰というわけでもなく口を噤む。

 心を引き付けて、なお見透かすような瞳。強弁すら許されない、圧倒的な先手。それが彼女が“予言者”たる所以であった。

 リンセによって静まり返った場でシロエは再び語りだす。

 

「たとえば、僕は先日ススキノの街にいきました。そこでは〈ブリガンティア〉というギルドが、ノンプレイヤーキャラクターの若い娘をさらっては、プレイヤーに奴隷として売りつけるビジネスを行なっていました。先ほどの話でいえば、これは“違法”ではありません。衛兵に攻撃されませんから。でも“法”ってそういうものですか? この世界ではありです。少なくとも仕様上可能ではある。“可能か不可能か”でいえば、可能です。でも“法”ってのはそれとは違いますよね」

 

 でも、そうではない。問いたいのは“自分たちが自分たち自身に対してそれをありと認めるか否か”なのである。自分たちを律するルールをどこに置くかなのである。

 言い訳はなんとでもつくだろう。新人の軟禁にしても、ノンプレイヤーキャラにしても。保護のためやら、AIに人権などないやらと言ってしまえばいい。けれど、リンセはそれらを個々に論破する気はなかったしする時間ももったいないと思っている。目下の目標はこの世界において自己を律する必要性を認識させることなのだから。

 

 現時点でシロエの言葉に反応は二つ。片や、ルール作りは必要であるという意見。片や、そのような合意形成は不可能であるという意見。その喧噪の中で、冷静かつ的確な質問がクラスティからシロエに投げかけられる。

 

「〈シルバーソード〉は会議には参加しないといって席を立ちましたが、会議の続行自体は認めていたようです。――もし仮に会議の存在自体を認めない勢力がアキバの街に現われたらどうします? つまり、会議の方針に逆らう勢力ということです」

「戦います。具体的にはアキバの街から追放します。仮に潜入したとしても、その活動は非常に困難になるでしょう。解散させることも当然視野に入れます」

 

 ギルドの解散、ギルドの追放。両者とも言葉では簡単だが実行には困難を極めるだろう。この世界では、死はその意味では抑止力になり得ない。その状態において、正攻法でギルドに致命的ダメージを与えることは難しいことは、重々承知である。しかし、この場にいるメンバーが同意すれば可能になる。

 

「だがそりゃ、俺たちみたいな戦闘ギルドの助けがなきゃできねぇだろうがよ」

 

 アイザックの指摘に、口々に同意の声が発される。

 確かに〈黒剣騎士団〉のような大手が反旗を翻せば、例え武力行使で勝利したとてギルドに決定的なダメージは与えられない。経済面でも同じく、大きな効果は発揮されないだろう。それらを踏まえると、この会議が成立しても大手ギルドが権限を持つことになり、現在の状況と変わらない。

 ――正攻法であれば。

 

「やはり現実味が薄いといわざるを得ないのではないでしょうか?」

「その会議を成立させる意味はあると考えます。しかしそれは……ある種のポーズであり、実際的な拘束力を発揮するとは思えません」

 

 ならばどうすればいいのか。実際的な拘束力を持てばいい。単純な話だ。

 

「本日――いまから4時間ほど前ですが。僕はこのギルド会館というゾーンを購入しました」

 

 大きな相手と戦うのだから切り札は用意して当然だ、とリンセはほくそ笑む。

 

「当然ながらゾーンの設定権は僕にあって、その権利にはゾーンの入退場に関するものも含まれています。――つまり、僕がブラックリストに入れた人たちは、ギルド会館を使用できません。それはとりもなおさず、ギルドホールも銀行施設も貸金庫も使用できないことを意味します」

 

 これを死刑宣告ととるか、譲歩ととるかは個人次第だろう。これをリンセは譲歩と取った。

 誰かが、脅迫だと叫んだ。その言葉の意味も理解できる。ギルド会館はアキバの主要施設のうちの一つである。アキバのギルド会館は通常の会館の役目であるギルドの結成や入会、脱退、高レベルのギルドの特典の受け取りなど、ギルドに関するシステム的な事務手続きに加えて、エントランスホールに銀行の受付が存在する。そこは、金銭、アイテムを預けることが出来るのだ。大量の金銭や装備していない通常のアイテムを持ち歩くのは不用心であるため、普通は銀行に預けて管理する。その管理場所の入場制限が1プレイヤーに管理されているということは実に恐るべき事実である。銀行自体はどの街にも存在して口座も同一であるが、各都市間の移動がトランスポート・ゲートの停止により制限されている今、シロエの宣言は銀行の預金封鎖に等しい。これを脅迫と言わずしてなんと言うのか、という主張も全うだろう。

 

「銀行の預金封鎖をするだって!? お前、それが脅迫じゃなきゃなんだってんだ!?」

「僕はアイザックさんの質問に答えただけです。その質問は“例え会議が成立したとしても、案件次第では大手ギルドが拒否権を発動して戦争になるのではないか?”というものでした。答えとしては、戦争は起きません。戦争勢力はアキバにおけるギルド会館の使用権を失いますから」

「だからそれを脅迫だと――」

「そうおっしゃるなら脅迫かもしれません。しかし、僕がやったことが脅迫だというのならば、“都合が悪い提案をされたら戦争起こすぞ”といっているアイザックさんを始め大手ギルドの方々のやっていることは脅迫ではないんですか? どこに違いがあるんです? 僕は“会議を設立して話し合いたい”といっているだけです。都合が悪い言葉を無視するつもりもありません。どちらが常識的な申し出か考えてみてください」

 

 会議参加者にしてみれば悪夢のような話だろう。だが、リンセ個人の意見としては「実に良心的な話じゃないか」といったところだった。ギルド会館ならマシじゃないか、まだアキバでの金銭やアイテムの管理が出来なくなるだけだろう、と。復活の権限が失われる訳じゃないのだから。

 話は進み、購入のための金貨の出処になり〈海洋機構〉などからの融資が発覚。それに対して円卓に座ったメンバーだけでなく随行メンバーや参謀までも恐慌状態になり、あらゆる質問が飛び交う。

 

「静かにしてくれ! 騒がしいぞ!」

 

 一喝したミチタカが視線を落とした先を見てリンセはひとり口角を上げる。それは余りにも単純かつ高すぎる価値を持つ資料。それはこの世界のルールなど関係ない、本来存在しないシステムなのだから。

 

「シロエ殿にはまだ言うべき事があるのだろう?」

「そうですね。シロ先輩はどういいつくろっても、現在脅迫可能な位置にいるのは間違いないです。そして人間は相手が脅迫可能だと知るだけで平静を失って、ことによっては脅迫されたと感じる生き物なんです。それはわかるでしょう?」

「いわれることはごもっともです。僕だって、こんな強権をたったひとりが握っている街は理想的だとは思いません。そこで最初の話に戻ります。皆さんはこの街が――もっと大きな話でいうならば、この世界における〈冒険者〉が本当にこんな状況でよいと思っていますか? 僕の方から出す方針提案は二つ。ひとつは街に住む全ての人々、引いてはこの世界に活気を取り戻す事。もうひとつは、少なくともこの街に住む〈冒険者〉を律するための"法"をつくって実施する事。ここまでのところで反対をする人はいますか?」

 

 沈黙。それは当然のこと。別に個別では悪い話ではないし、活気を取り戻すこと自体もいいことで生産系ギルドも戦闘系ギルドもメリットがある。ただ方策において負担が大きいならば誰が貧乏くじを引くのかという話になる。それでも現時点で反対するような話ではない。法の制定についても同様。制定自体には反対要素はないとリンセは分析している。

 

「わかった。そこまでいうのならば、この会議に提案する――〈記録の地平線〉の具体的な方策とやらを聞かせてもらおう」

 

 机を叩き一同の混乱を背負い込むように切り込んだアイザックに、シロエは胸を張った。

 そう、それでいい。その想いを、熱を、言葉に乗せて伝えればいいのだ。リンセはシロエを見つめ小さく頷く。それを見たシロエもほんの僅かに口角を上げた。

 

 シロエからの提案はふたつ。地域の活性化と治安の向上。活性化のアウトラインは〈三日月同盟〉のマリエールからだ。

 〈軽食販売クレセントムーン〉の秘密。それは種も仕掛けもない現実世界ではごく普通の調理法だ。ここがゲームの世界であるという思い込みによるフィルターがそのことに気付くことを遅れさせていた。ただそれに気付いただけの単純かつ革命的手法だった。

 

「これは……ずいぶん多くの示唆に富んだ発見だと、僕は考えます。この発見自体はここにいるにゃん太班長によるものですが、この発見がなければ、僕はこの席を設けられなかっただろうし、設けようとも思わなかった。――ミチタカさん。結果出ましたか?」

「出たぞ」

 

 驚愕の念が宿っている表情のミチタカ。会議が始まってから生産系ギルドのトップが沈黙を保っていた理由がここにあった。

 

「我がギルドは……〈ロデリック商会〉〈第8商店街〉と協力してだが、先ほど蒸気機関の開発に成功した」

 

 蒸気機関の開発――シナリオ通りだとリンセは笑った。とはいえさすが生産系ギルドのトップクラス、半日足らずで素晴らしい成果だと素直に思う。その報告に首を傾げたのはアイザックだった。

 

「おい……。そりゃ、蒸気機関はすごいがよ。つまり、それは、いったいどういうことなんだ?」

 

 その質問に〈ロデリック商会〉のロデリックが答えた。曰く、“生産の職人スキルを習得したプレイヤーが、作成メニューを使わないで実際に両手をもって作成すれば、作成メニューに存在しないアイテムを作り出すことが出来るということが証明された”と。続き〈第8商店街〉カラシンが“作成メニューにはないアイテムを作り出すことが可能、しばらくの間は発明ラッシュ”と発言した。それにミチタカも頷く。

 新しい発明が増えれば新しい需要が喚起される。お金を稼ぐ手段も必要性も増える。つまり、街の活性化だ。配慮すべき問題も出てくるだろうが対処のしようがある。

 この事実が生産系ギルドを動かした。

 

「俺たち〈海洋機構〉〈ロデリック商会〉〈第8商店街〉は〈円卓会議〉の設立を支持しよう」

 

 これで決まったな、とリンセはひそかに微笑んだ。これで多大な経済的効果が見込まれる。戦闘系ギルドの面々が息を飲んだ。

 

「戦闘系ギルドの方にも仕事が増えるかと思います」

 

 素材の入手や探索、護衛等の任務、会議が発足したら予算をつけて〈妖精の輪〉の完全調査の依頼など、それが終わればゾーン情報の蓄積。ゆくゆくは史料編纂、そして新聞等の情報媒体の発行。予算さえあればやるべきことは山ほどある。

 

「次に治安問題です。“法”の制定とはいうと不自由さを感じる人もいることでしょう。でも、さほど窮屈にしても仕方ないとは思っています」

 

 ここは中世的な異世界であるし法で縛り上げずともうまくやっていける文化があると信じている、とシロエは語る。狩り場の占有や縄張り争いも競争のうちだと考えれば一方的に否定するようなものでもない、とも。ただし行き過ぎは抑制すべきだ。たとえば低レベルゾーンでのPKの禁止など。そして人権問題。自由権の保証において死が絶対的な終着点ではない以上、拉致監禁はこの世界においては元の世界よりも重罪と考えるべきだ、と。ギルド入会、脱退も本人の自由意志に任せること。そして何より、異性に対する性行為の強要は極刑だ、と。

 

 ――それは、盛り込まざるを、えないだろうな。

 

 議会内で同意の色が濃く見える。彼らも問題がないとは思っていなかったのだろう。しかし、今までは監視や処罰の実行が困難だった。けれど、預金封鎖というカードがあるならば話が簡単になるのだ。

 話の流れが“〈円卓会議〉を設立するか否か”から“〈円卓会議〉設立後にどうするか”に変わっていった。けれど、最後にリンセたちには盛り込みたい案件があった。

 

「そして、最後になりますが――この人権問題は〈冒険者〉に限らず〈大地人〉にも適用されるべきです」

 

 シロエの言葉にリンセは静かに目を伏せる。その脳裏に浮かぶのは彼女がいつかの夜に考えていたことだ。

 この世界が〈エルダー・テイル〉の世界ではなく、そこに酷似した異世界であることに気付いている〈冒険者(にんげん)〉は何人いるだろうか。“ゲームの世界”ではなく“とあるひとつの世界”であることに至っている〈冒険者(にんげん)〉は何人いるのだろうか。

 

「はっきりさせるためにいいますが、この世界の本来の住人は彼らで、僕たちの方が寄生虫なんです。アキバの街は元々〈冒険者〉の街ですから、比較的〈大地人〉が少ないですが、世界全体でいえば〈大地人〉の方がずっと多いはずです。世界に対する役割として、〈冒険者〉と〈大地人〉は違いますけど、このままではまともな関係を築くことも出来ない」

「関係……?」

 

 シロエの発言にマリエールが補足を入れる。〈大地人〉も〈クレセントムーン〉に買いに来ている。彼らもおいしいものが食べたいのだと。それは彼らに味覚が存在し、意志が存在することの表れだ。ノンプレイヤーキャラなら、ただのAIなら、そのように“存在しない”ものを買いに来る動作などプログラミングされていないはずだ。それなのに“存在しない”ものを買いに来る。彼らはプログラムではない、ただの記号ではない、この世界に存在し、歴史を持ち、人格を持ち、記憶を持ち、呼吸し、食事をとって、生きているのだと。

 〈冒険者〉は確かに特権階級であるようだがこの世界の多数派勢力は〈大地人〉だ。〈冒険者〉は〈大地人〉抜きではこの世界で暮らすことはできない。けれど〈大地人〉のほうは〈冒険者〉抜きでもおそらく暮らしていける。そんな世界で自分たちを律せずにいては取り返しがつかないことになる、とシロエは言い切った。

 

 誰もが衝撃で動かなくなった中、静かに口を開いた男がひとり。

 

「――シロエ君は、〈大地人〉と戦争の可能性があると示唆しているのか?」

「それは僕が今考えることではなく〈円卓会議〉が考えることだと理解しています」

 

 クラスティの問いにシロエは無責任に言い放った。

 

 賽は投げられた。よほど理解力のない人間でなければこの会議を成立させるだろう。そのときを待つようにリンセはその場を観察する。最初に動いたのは、クラスティだった。

 

「我ら〈D.D.D〉はアキバの街を自治する組織として〈円卓会議〉の設立に同意し、これに参加する」

 

 それに続くは〈剣聖〉。

 

「僕たち〈西風の旅団〉も同意しましょう。シロ先輩の全力管制戦闘、久しぶりに見ました。――やっぱりうちに欲しかったですね」

「アキバを割る訳にはいかないだろ。〈黒剣騎士団〉も参加だ」

「〈ホネスティ〉も同意する。今後は〈大地人〉との関係改善に努めよう」

 

 〈黒剣〉アイザックに〈ホネスティ〉アインスも同意。生産系ギルドも変わらず、〈グランデール〉や〈RADIOマーケット〉同意。

 

「〈円卓会議〉設立。……まあ、だいたい想定内かな」

 

 想定のシナリオを読み切ったリンセは小さく安堵の息を吐く。

 今ここに〈円卓会議〉が設立されたのだった。

 

  *

 

 ほっとしたような、活気が出てきた雰囲気の中、クラスティが不意に声を上げた。

 

「シロエ君」

「なんですか? クラスティさん」

「実は会議前から気になっていたのですが……」

 

 そう言葉を切ったクラスティは、ある人物へと――正確にはある人物のギルドタグに視線を移した。

 

「彼女はシロエ君と同じギルドタグをつけているようだが……それは、“予言者がひとつの場所に留まった”ということでいいのかな」

 

 視線の先、リンセはその瞳をゆっくりとクラスティに向ける。

 

「……なにか、問題でも?」

 

 酷く冷え切った瞳に同様の声色。それに動じた風もなくクラスティは彼女の瞳を見返した。

 

「いえ、“私個人としては”何の問題もありませんよ。ですが、あのギルドと〈黒剣騎士団〉は以前“予言者”の件で一悶着起こしていたなと思いまして」

 

 それと、と言葉を続けた。

 

「〈円卓会議〉設立の裏にあなたの“操作”が入っていないとも限らない」

「言ってくれますね」

「私はそうは思っていませんが、そう思っている方も少なからずいるのではないか、と」

 

 その言葉に一気に会議室が騒めいた。

 リンセの言った“厄介”、そのうちの一つがこれだった。“予言者が裏で全て手引きしているのではないか”。全てを予測していそうなリンセに対しての畏怖が、時としてありもしないことを作り上げてしまうのだ。リンセのついたため息にごく一部の人間がわずかに反応した。

 

「……何もしてないですよ。あ、何もしてないはちょっと語弊があるか。事務作業しかしていません。全ての取り決めはここにいる主催のシロエですよ」

 

 半ばやけくそのように言い放ったリンセは、もう一度深いため息をついた。

 

「まあ、そういう件に関しては基本的に信用がないのはわかってますけどね……」

 

 その言葉とともに表れたのは諦めにも似た苦笑だった。

 

「皆さんがどう思ってるかは知りませんが、もうこの話は止め! 休憩入れて、今後の方針について話しません?」

 

 苦笑のまま打ち鳴らされた手に先ほどまでの騒めきは消えて〈円卓会議〉設立直後の空気が戻ってきた。そのことにほっとしてリンセは再びため息をつく。

 

「リンセち、大丈夫ですかにゃ?」

「ああ、うん。大丈夫です、大丈夫」

 

 言葉とは裏腹な疲れた表情のリンセににゃん太は僅かに顔を顰める。そして静かに彼女の頭を撫でた。

 

「だから、子ども扱いしないでくださいってばー」

「我が輩から見たらまだまだ子供ですにゃぁ」

 

 そりゃ、どうあがいても歳の差は埋まらないけれども。このご隠居は、いつになったら子供扱いを止めてくれるのか。

 リンセは、先ほどとは別の意味でため息をついた。

 

 しかし、だ。

 

「ひとまずは、シロくんお疲れさまってとこかな」

「ですにゃぁ」

 

 2人の視線の先には、自身の意志でやりたい事をやり遂げた青年の姿があった。



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chapter 10

どうがんばっても暗い展開を逃れられなかった……。



 〈円卓会議〉設立後、アキバの街は大きく変わった。民主的な方法で選ばれたわけではないメンバーによる機関であったため反発がなかったわけではなかったが、それを見越して設立の趣旨や当面の活動目的とその手法を事細かに書いたビラを掲示、さらに〈クレセントムーン〉によって知らされた新しい調理法を惜しげもなく公開した。そのおかげか、アキバの街には一夜にしてありとあらゆる食べ物があふれかえった。そして、アキバの街には昨日まで想像もしなかった「食べ歩き」という娯楽が生まれたのだ。この変化に〈冒険者〉のみならず〈大地人〉も歓迎していたというのは、私個人としては一番の収穫だと思う。

 各代表者の演説は、演説というよりも馬鹿騒ぎのほうが近いような雰囲気もあったがそれはそれでよかったのだろう。

 

 その日から早一週間。〈料理人〉のみならず、さまざまな生産職の人々によって新しいものが日々供給されている。新しいニュースが流れ、どこそこの誰々が何をしたなどの情報が飛び交う。まさにアキバの街には活気がもたらされたというべきだろう。そんな明るい景色の中、私は一抹の不安を抱えていた。

 

 ――それは“予言者がひとつの場所に留まった”ということでいいのかな。

 

 クラスティの一言。それが重くのしかかっているのだ。シロエの言葉に負けたからといっても結局は自分で決めたこと。けれど、それを〈あの子〉が認めるだろうか。考えて思わずため息をついた。

 

「おーい、リンセ。さっきからため息多いぞ」

「あ、直継」

 

 呆れた声に床に向いていた視線を上げれば、声色通りの表情をした直継。その手には掃除用具。ああ、そういえば今日も今日とてギルドの拠点となるかつてはオブジェクトだった廃墟の掃除をしていたんだった。

 

「はぁ……」

「おいおい……。まじでどうしたんだ?」

「いや、このあとのことを考えたら、ね……」

 

 直継は訳が分からないといった表情で首を傾げた。

 来なければそれでいい。来たら来たでどうにか対処しなければならない。そう考えて、シロくんに逃げるなどうのこうのって言った割に自分のほうが逃げ続けているじゃないか、と自嘲した。

 

  *

 

 時は戻り、昨晩。

 とあるギルドホールではこんな会話が繰り広げられていた。

 

「ねえー、なんでかな? なんで、あそこにあの人がいるのかな?」

「知らないわよ、そんなこと」

「ちょっとー、さっちゃん冷たいっ!」

 

 桃色のショートヘアの女性がゴシック調の服の狐尾族の女性に突っかかる。

 

「ちょっと! 突っかからないでよ、まったく」

「だってだってだってー! 絶対おかしいよ! なんであんなとこにリンリンがいるのさ!」

 

 あの人の居場所はここでしょ!? と半ば発狂気味に叫ぶ彼女にさっちゃんと呼ばれた女性は耳をふさいだ。

 

「まあまあ、マキちゃん。落ち着こうよー」

「落ち着けるわけないじゃん!? なんでロゼッタはそんなに落ち着いてるの!?」

 

 あり得ない、とヒステリックに叫ぶ桃色のショートヘア――マキに肩を思い切り揺らされて目を回しかけているのはロゼッタと呼ばれたツインテールの少女だ。

 

「きっと、あの“腹ぐろ眼鏡”になんかされたんだよ! そうに違いないって!! ねえ、そうでしょ!?」

「マキ、気になるのであれば御本人に直接聞けばよいのではないですか?」

「その手があった! 今なら、居場所もはっきりしてるし、善は急げだね!!」

 

 すぐさま飛び出そうとしたマキの襟首を掴んで引き留めたのは、直接聞けばいいと言ったに黒髪のボブカットのエルフの女性だった。

 

「ちょっと! 聞けばいいって言ったのになんで止めるの!? 夕湖(ゆうこ)!!」

「時間を考えてください。今の時間では迷惑極まりないです」

「うぅー……。わかったよー」

 

 じゃあ明日の朝一にリンリンのところにいくよ! とにこやかに言ったマキに周りにいた3人は言いようのない不安を覚えた。

 

  *

 

 〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉の新たな拠点に近づく足音、そして遠慮なく蹴破られた扉の音に、ギルドメンバーは何事だと顔を見合わせた。

 

「おいっ! 〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉のシロエってのは、誰!?」

 

 響いた女性の大声に顔を見合わせていたメンバーは怪訝な顔をした。ただ1人、小燐森を除いて。

 

「なんだなんだ、道場破り祭りか?」

「ちょっと見てくるよ」

 

 先に動いたのは、名前を叫ばれたシロエだった。

 

 *

 

 僕が一階に降りていくと、そこには4人の女性プレイヤーがいた。

 ゴシック調の服の狐尾族に黒髪のボブカットのエルフ、アカツキに負けず劣らずの低身長なツインテール、そして、腕を組んで仁王立ちをしてこちらを睨んでくる桃色のショートヘアの4人組だ。ステータスを確認すると、狐尾族の女性が佐々木、エルフの人が夕湖、ツインテールの子がロゼッタ、ショートヘアの女性がマキ=ルゥというらしい。

 

「あの……」

「アンタがシロエ?」

 

 睨みつけてくる彼女に僕は嫌な予感がした。顔が引き攣っていく感覚を覚えながら答える。

 

「……そうですが」

「へぇ……」

 

 とりあえず相手の質問に答えると彼女は目を細めた。

 自分の知り合いにこの女性はいただろうか、と考えを巡らせてみたが生憎該当する人物はいなかった。じゃあなぜ僕はこの人に睨まれているんだろう。その女性は目を細めたまま僕の方に近づいてくるといきなり拳を振るってきた。突然のことに反応できずその拳をまともに食らってしまい、僕は体制を崩して床に倒れ込んだ。殴られたときにバキッといい音がしたし、結構勢いよく床に倒れ込んだので結構痛い。

 物音に気付いたのか、複数の足音が階段を下りてくるのが聞こえた。

 

「今、すげー音したけど何があったんだよ?」

「どうしたのですにゃぁ?」

「主君っ」

 

 降りてきたのは僕以外の4人だった。

 直継は首を傾げて、班長は僅かに目を細めている。アカツキは僕のそばに来て身体を支えてくれた。その支えで僕は立ち上がる。クロは無表情でただ相手の4人組を見つめていて、その彼女を見て桃色のショートヘアの女性は目を輝かせた。

 

「リンリンっ! 久しぶりだねっ! 元気にしてた? アタシは相変わらずでね。まさか新しい拡張で〈大災害〉なんてビックリしちゃったよっ! でも、またこうやってリンリンに会えたから結果オーライかな? それで……」

「マキ、何しにきたの?」

 

 ショートヘアの彼女――マキさんのマシンガントークをクロは感情のこもらない声で切った。それに嫌な顔をせずマキさんは笑った。

 

「何しに来たの、なんておかしなこと聞くね。ここにきた理由なんて一つだよ」

 

 その彼女はクロに手を伸ばし、そのまま抱きついた。

 

「迎えに来たんだよ、リンリン。帰っておいでよ、私たちのギルドに」

 

 その瞬間、一瞬だけクロの表情が強ばったような気がした。

 

「リンリン。アタシたちにはリンリンが必要なの。だからさ、帰っておいでよ。みんな待ってるよ?」

 

 クロから離れた彼女はクロの手を取り首を傾げる。そんな彼女を見てクロは僅かに顔を歪めた。

 

「……悪いけど、マキ。私は……」

「もうギルドに入ってる、なんて些細な問題だよ。ギルドなんてやめちゃえるんだからさ」

 

 口を三日月のように歪ませたマキさんはそう言い放った。その言葉にクロは一歩引いた。否、引こうとした。けれど、それをマキさんの手が阻む。

 

「一体、どんな手を使われたかは知らないけど大丈夫だよ。誰が相手でも、アタシがリンリンを守るんだから」

 

 だから一緒に来てくれるよね? とマキさんは笑う。その笑みが僕にはとても不気味に見えた。

 そのとき、2人のやり取りに口を挟んだ第三者がいた。

 

「……おーい、さっきから話聞いてるけどよ、一体何の話かさっぱりなんだが。つーか、その4人組はリンセの知り合いか?」

 

 マキさんとクロのやり取りに割り込んできたのは直継だった。腕を組み首を傾げた直継は本当に何がなんだかわからないようだった。かくいう僕もさっぱり理解できていないけど。僕の横にいるアカツキもそんな感じだ。しかし、班長だけは目を細めてやり取りを見ている。

 口を挟まれたことが不愉快だったのか、マキさんは苛立ちを隠しもせず舌打ちをする。

 

「……あのさ、今アタシはリンリンと話してんの。一体誰の許可得て話に割り込んできてんのよ。空気読みなさいよ、脳筋」

 

 クロとの対応の差に直継は言葉が出ないみたいだった。アカツキも大きな目を瞬かせている。

 

「で、話は戻すけど。一体どんな手を使われたの? そこの冴えない根暗眼鏡に弱みでも握られた? 多分そうだよね、じゃなきゃリンリンが他のギルドに入るなんてしないもんね。よし、分かった。その眼鏡はアタシがぶちのめしてあげるから、リンリンは安心して帰っておいでよ。ね?」

 

 再び始まったマキさんのマシンガントークに僕は開いた口が塞がらなかった。いつの間にやらマキさんの中では〈記録の地平線〉にクロがいるのは僕が脅したからということになっているみたいだ。とんだ冤罪だ。

 マシンガントークを終えたマキさんは僕を睨みつけてきた。これは本当に僕は彼女にぶちのめされるフラグが立っている。

 

「ま、待ってください。弱みを握っているなんて、そんなことないです」

「はぁ? 何言ってんの? アンタがリンリンになんかしたんでしょ!? じゃなきゃ、リンリンがアタシたちのギルド以外のギルドタグ付けるなんてありえないもんっ!」

 

 否定するとそんな批判が返ってきた。一体何の根拠があっての言い草なのか。

 親の仇を見るかのような目で僕を見てきたマキさんは、拳を握りそれを再び僕に振りかざしてきた。それに反応してアカツキが僕の前に出て対抗しようとしたが、それより早く別の人物がマキさんの動きを止めた。

 

「マキ」

 

 名前を呼ぶだけでマキさんを制したのはクロだった。感情のこもらない目線でマキさんを見ている。その視線にマキさんはたじろいだ。

 

「……なんで? どうして、かばうの? どうしてアタシじゃなくてこの〈記録の地平線〉のギルマスをかばうの? ねえっ!?」

 

 急に声を荒げはじめたマキさんはクロに掴みかかる。

 

「どうして、ねえ、どうしてっ!? リンリンッ!」

「……マキ。私は、自分の意志でここにいるの。自分自身でこの場所を選んだ。本当だよ」

 

 掴みかかられながらもクロは冷静に言葉を返した。

 クロの言葉にマキさんは絶望したような顔をする。クロの服の襟を掴んでいた手からは力が抜けたらしく、そのまま重力に従ってぶらりと下がった。

 

「リンリンは……ここを……選んだ、の?」

「うん。自分自身で」

 

 クロの言葉にマキさんは俯いた。握り締めた拳は震えていた。そして、ぱた、と透明な雫が落ちる。

 

「……んで、なんで、なんで、なんでっ!? じゃあ、リンリンはアタシたちのギルドに帰ってきてくれないの!? そんなのダメだよっ! ダメダメ、絶対ダメッ!」

 

 顔を上げたマキさんは泣きながら叫ぶ。透明な雫は次々とマキさんの頬を滑り落ち、ギルドハウスの床を濡らした。

 

「そんなの嫌だよっ! みんな待ってるんだよ!? リンリンが帰ってくるの、待ってるんだよっ!? なのに、どうしてっ!?」

「……ごめん」

「うそ、うそだよ……うそだって言ってよっ!!」

「嘘じゃない」

 

 クロの身体を揺すりながら泣くマキさんにクロははっきりと告げた。その言葉にマキさんはわなわなと震えだす。

 

「ダメッ! 他のところのギルドタグつけてるなんて、絶対ダメっ! そんなことあっちゃいけない、そんなの許さないっ!!」

「マキ」

 

 クロが彼女の名前を呼ぶと同時に乾いた音が響いた。僕の目に何かを振り払ったあとのような形で止まるクロの手と、何かに弾かれたようにクロとの距離が開いたマキさんが映る。

 

「もう、やめよう。私はもう、みんなのマスターじゃない」

「や、だ……みとめない……」

 

 ふるふると怯えたように首を横に振るマキさん。それでもクロは無表情で手を差し伸べることもしない。

 

「マキ」

 

 諌めるようにクロがマキさんの名前を呼ぶ。

 

「う、そ。みとめない……アタシは、みとめない」

「マキ」

「ぜったいに、絶対にっ!! 認めないっ!!」

「いい加減にしてっ!!」

 

 滅多に聞かないクロの怒声にその場の時間が一瞬止まった気がした。そんな周りを見渡してクロはハッとしたように俯いた。

 

「……ごめん、怒鳴って。ちょっと頭冷やしてくる」

 

 そのまま顔を抑えてクロはマキさんの横を足早に通り過ぎてギルドハウスから出ていってしまった。

 崩れ落ちるマキさんを傍目に見つつ、班長たちの方に振り返る。

 

「班長、ここは任せてもいいかな?」

「分かりましたにゃ。シロエちは早くリンセちを」

 

 班長は微笑みながら、けれど真剣な目で頷いた。

 今の状態のクロを放っておくことなど当然できず、僕は彼女のあとを追うようにギルドハウスから飛び出した。

 

  *

 

 出て行ったシロエを追うように飛び出そうとしたマキ、それを止めるようににゃん太は彼女の前に立ち塞がった。

 

「……何よ」

「リンセちを追おうとしているのなら、ここを通すわけにはいかないのですにゃ」

 

 にゃん太は目を細めてマキを見る。そんな彼をマキは恨みがましく睨みつけた。その視線を気にすることなくにゃん太はそこに立ち続ける。

 

「……マキ、いい加減にしなさい」

 

 にゃん太を睨みつけているマキに呆れたように狐尾族の女性が口を開いた。

 

「さっちゃん、アンタまで〈記録の地平線(ここ)〉の味方?」

「違うわよ」

 

 盛大にため息をついた狐尾族の女性は直継たちの方を向く。

 

「ごめんなさいね、うちのギルマスが」

「そう、だな……」

「ああ……」

 

 事情が全く飲み込めていない直継とアカツキは曖昧に返事をする。

 

「その、事情説明を求めます祭り、なんだが……」

「それもそうね。自己紹介もまだだったし」

 

 恐る恐る手をあげて説明を求めた直継に狐尾族の女性は長い紫髪を払いながら応じた。彼女は未だににゃん太をにらみ続けているマキの身体を無理矢理直継たちの方に向けて、他の2人に横に並ぶように言った。その指示に従って他の2人は一列に並ぶ。

 

「自己紹介が遅れてごめんなさいね。私は佐々木。レベルは90。見たとおり狐尾族でメイン職は〈妖術師(ソーサラー)〉でサブ職は〈画家〉よ」

 

 狐尾族の女性――佐々木が自己紹介を終えると、ツインテールの少女が勢いよく手を上げる。

 

「はいはーいっ! じゃあ、次は私ねー。私はロゼッタ。種族はドワーフで90レベルの〈施療神官(クレリック)〉ですー。サブ職業は〈交易商人〉ですー。よろしくねー」

「では、次は僕が自己紹介します。僕は夕湖と申します。1人称が“僕”ですが、れっきとした女です。エルフで90レベルの〈暗殺者(アサシン)〉をやっています。サブ職業は〈毒使い〉をしています。どうぞお見知りおきを」

 

 ツインテールの少女――ロゼッタのあとに自己紹介をしたエルフ――夕湖は無表情で丁寧にお辞儀をした。その3人に続いて直継とアカツキ、そしてにゃん太が自己紹介をする。

 そして、一同は最後に残った1人を見る。

 

「……私は、マキ=ルゥ。90レベルの〈武闘家(モンク)〉のヒューマン。サブは〈決闘者〉」

 

 ふてくされたような様子の彼女は、そのあとにこう続けた。

 

「それプラス、ギルド〈Colorful〉のギルマスやってる。ここにいる3人はそのギルメン」

 

 3人を指差しマキはぶっきらぼうに言った。そして彼女が言った言葉にアカツキが反応を示す。

 

「〈Colorful〉だと?」

「何だ、ちみっこ。知ってるのか?」

「ちみっこ言うな、バカ継。ああ、知っている。女性プレイヤーの間では有名だ」

 

 男性アバターでプレイしていたとはいえアカツキも女性だ。彼女たちのギルド〈Colorful〉のことはよく知っていた。

 

「〈Colorful〉は女性プレイヤー限定のギルドだ」

「そして、女性プレイヤーのガチ勢ギルドとしても有名ですにゃ」

 

 アカツキの言葉ににゃん太が続いた。にゃん太の言葉に佐々木はため息をついてロゼッタは照れたように頬を掻いた。夕湖は相変わらず無表情でマキは少しだけ眉を潜める。

 

「……そして、かつてリンセちが所属していたギルドですにゃ」

 

 その言葉にアカツキと直継は少なからず驚いた。別に、ギルドに所属したことがない、とリンセの口から聞いたことはなかったが、彼女はなんとなくずっとソロでやっていたような雰囲気を醸し出していたので直継とアカツキは勝手にそう思っていたのだ。

 

「その言い方はちょっと納得できないわね」

「確かにー」

「そうですね。その表現は的確ではありません」

 

 にゃん太の発言に〈Colorful〉の面々は渋い顔をした。特にマキは思いっきり眉間に皺を寄せた。自分の発言のどこに間違いがあったか分からないにゃん太は不思議そうに首を傾げる。そんな彼にマキが言った。

 

「〈Colorful〉はね、リンリンが“所属していた”じゃなくて“創設した”ギルドだよ」

 

 マキのその言葉に〈記録の地平線〉メンバーは息を呑んだ。

 

  *

 

 フレンド・リストでクロの大まかな居場所を確認しつつ、僕は彼女を追っていた。走り回ってしばらく、見つけた彼女はアキバの町の南西にある巨木、銀葉の大樹の下にいた。大きな根に腰をかけてぼんやりと空を見ている。

 

「……クロ」

 

 僕の声に答えることなく空を見つめ続けるクロ。そんな彼女から少し離れたところに僕は腰掛けた。

 空を見ているクロの横顔を見る。その顔は感情が抜け落ちたようだった。あるいは、感情を無理矢理押さえつけているような、そんな表情だった。

 何か言葉をかけるべきかと思ったが、それすらはばかれるような空気が僕とクロの間にあった。

 しばらくの沈黙のあと、ようやくクロが口を開いた。

 

「ごめん、シロくん。突然、修羅場っちゃって。それに、痛かったよね? あの子、加減てものを知らないからさ」

 

 彼女から告げられたのは謝罪だった。

 

「修羅場はびっくりしたし、痛かったけど、クロが謝ることじゃないでしょ」

「そう、かもしれないけど」

 

 言いながらクロは視線を下に落とした。地面の上をクロの視線がさまよう。

 

「半分くらいは私のせいだからね」

 

 いきなり怒鳴っちゃったし、と悔いるような声色だった。

 

「あの人たちとはどういう関係? 無関係、なんてことはないだろ?」

 

 問いかければクロは素直にうんと頷く。そして、ようやく僕のほうを見た。口元だけ微かに笑った彼女は寂しさと悲しみが混じった瞳をしていた。

 

「あの子たちはね、元々同じギルドの仲間だった」

「ギルド……」

 

 その言葉に少なからず驚いた。僕は勝手に、彼女はギルドに属さずソロでずっとやってきたと思い込んでいた。でも、どうしてギルドに入っていたのにやめてしまったのか。

 

「〈茶会〉が解散してからすぐのことだった。ソロでいつも通り冒険していたときに、あの子たちに出会った」

 

 静かに目を伏せてクロは語りだした。

 

  *

 

 それは本当に偶然だった。

 〈茶会〉が解散したあともふらふらと冒険をしていた私は、ある日、4人組の女性プレイヤーに出会った。その4人組こそ、のちに一緒のギルドの仲間となる佐々木、ロゼッタ、夕湖、そしてマキ=ルゥだった。

 その4人組は、とあるダンジョンの前にいた。私はたまたまそこを通りかかっただけだったんだけど、急に声をかけられた。

 

「ねぇ、そこの和装の人! これからダンジョンに行くんだけど、一緒に行ってくれない?」

 

 元気な声で私に話しかけてきたのは、桃色のショートヘアの女性アバターだった。

 

「……なんでですか?」

「アタシたち4人じゃ、ちょっと心許なくてね。うちのとこのヒーラーさんさ、完全なる殴り僧なんだよー。だから、回復職がもう1人欲しいなーって話してたんだ!」

 

 そしたら君がここを通ったってワケ、と明るく言う。

 初対面の人に随分とフレンドリーに接してくるな、とちょっとげんなりした。初対面の人にはもう少し礼儀を持って接するのが普通じゃないのか。でも、困っているって言うなら断るのも嫌だな、と思った私は彼女たちと一緒に行くことにした。

 

 ダンジョンを進んでいく途中で、自己紹介を忘れていたことに気付いた。

 

「自己紹介忘れてましたね。私は小燐森と言います。ステータス見てくれればわかると思いますけど〈神祇官(カンナギ)〉です」

「あっ、アタシたちもしてなかったね! ごめんごめんっ! 私はマキ=ルゥ。〈武闘家〉だよっ」

「私は佐々木といいます。狐尾族の〈妖術師〉よ」

「はいはーい。私はロゼッタですー。ドワーフの〈施療神官〉で殴り僧やってますー」

「では、最後は僕ですね。僕は夕湖と申します。エルフの〈暗殺者〉です。スナイパービルドでやっています。1人称が"僕"ですがれっきとした女です」

 

 そのあと、それぞれの年齢を確認したところ、このパーティで一番歳下なのはマキでその次が私だった。でも最年長の佐々木さん(なんとなくさんをつけたくなる雰囲気を醸し出していたので)が敬語じゃなくていいというので、敬語を外して話すことになる。

 

 自己紹介が終わったあと、どんどんダンジョンを進んでいった私たちは、ダンジョン攻略が済む頃には連携の取れるいいパーティになっていた。

 

  *

 

「そのあとも、誘われればパーティ組んだりして冒険してたんだ。結構楽しかったんだけどなぁ……」

 

 クロはそう締めくくった。その声には哀愁があった。

 そこで湧いた疑問が一つ。

 

「どうして、ギルドを抜けたの?」

「……まあ、色々あったんだよね」

 

 あはは、とクロから乾いた笑いが漏れる。その笑いも空元気なようで見ていて痛々しかった。ギルドを抜けた理由を聞きたい衝動に駆られたが、そこにこちらから踏み込んではいけないと僕の何かが静止する。

 

「聞かないんだね。ギルドを抜けた理由」

 

 シロくん絶対気になってると思ってたのに、とクロは呟く。その発言に僕はため息を飲み込んで口を開く。

 

「聞いたら、答えてくれる?」

「多分、答えないかな」

 

 予想通りの返答を返してきたクロに苦笑いが漏れる。そんな僕を見てクロも苦笑した。

 

「……あの子たちが今所属しているギルドはさ、私が作ったギルドなんだよ」

「……え?」

 

 僕から視線を外したクロが微かに笑う。僕は突然の告白に思わず目が点になった。

 

「〈エルダー・テイル〉はさ、男性プレイヤーが全体の約7割を占めてるMMORPGだ。逆に言えばさ、女性プレイヤーは全体の約3割しかいないんだよ。あの子たちは、そのせいでちやほやされるのが嫌いだった。それでも、〈エルダー・テイル〉が好きだからゲームをやめることはしなかった」

 

 確かに〈エルダー・テイル〉のような玄人向けのゲームはどちらかといえば男性に好まれるゲームだ。それでも女性プレイヤーはいる。けれど、男性プレイヤーの全員がゲーム目当てでやっているわけでもない、という面もある。簡単にいえば、女性プレイヤーと絡みたいがためにゲームをやっているプレイヤーもいるわけだ。きっと彼女たちはそういうプレイヤーを嫌ったのだろう。

 

「だから、そんなあの子たちのために何かしてあげたかった。同じように思っている人に声をかけて、人をあつめてさ……ギルドを作ったんだよ。女性プレイヤー限定のギルド〈Colorful〉を」

 

 そのあと色々あって一ヶ月くらいでギルドを抜けたんだけどね、と昔を見つめるような遠い目をしたクロはそう言った。

 

「ギルドを抜けるときに、マキが聞いてきたんだよ。『帰ってきてくれるの?』って。私は、答えられなかった。だから、曖昧に誤魔化したんだよ。……それが、いけなかったんだ」

 

 膝を抱え込んでクロは膝に顔を埋めた。

 

「帰る、とも、帰らない、とも言わなかった。ただ、もしかしたらね、と返すことしかできなかった。それが、あの子たちに変に期待を持たせてしまっていたのかもしれない。だから、他のギルドタグをつけた私を連れ戻そうとしたのかもしれない。……それが、今回の騒ぎを引き起こしたんだろうね」

 

 くぐもったクロの声が静かに響いた。

 

  *

 

「……ギルドを抜けるとき、リンリンは言った。『もしかしたらね』って。だから、アタシはリンリンのその言葉を信じて待ち続けたんだよ。ずっと、ずっと、彼女が帰ってくるのを……」

 

 マキさんが語ったリンセとの出会いからのギルド設立、そしてリンセがギルドを去るときの言葉を聞いて、俺はリンセらしいなと思った。

 他人のためにギルドを作ったことも、本心を隠して曖昧に返事をするところも。

 

「だから、他のギルドタグをつけていることが信じられなかった。信じたくなかった。……裏切られた、と思った」

 

 悲しげに瞳を揺らしたマキさんは、恨めしく俺たちを睨みつけてきた。

 

「どうしてアンタたちなの? どうしてアタシたちじゃないの? アンタたち、リンリンに何したわけ?」

「はぁ? 何もしてないっつーの!」

「そうだっ!」

 

 マキさんの言い草にカチンときた。なんで俺たちが悪者扱いされてるんだ。冤罪祭りだっつーの!

 アカツキもそうだったのか、キツめの口調で言い返している。

 

「じゃあ、なんでアンタたちと同じギルドタグつけてんのよっ!? おかしいじゃん!」

「何がおかしいんだよ?」

「リンリンの帰ってくる場所は〈Colorful(アタシたち)〉のとこのはずなのに!」

 

 まず、その前提が正しいのか? マキさんの主張する『リンセの帰ってくる場所』っつーのは本当に〈Colorful〉だったのか。

 そんな前提を崩したのは〈Colorful〉のギルドメンバーだった。

 

「やめなさい、マキ。そんなこと言ってもリンセは帰ってこないわよ」

「さっちゃん……。じゃあ、諦めろって!? リンリンは〈Colorful〉に帰ってこないことを受け入れろって!?」

 

 マキさんにそう言ったのは佐々木さんだった。そんな佐々木さんにマキさんは掴みかかる。

 マキさん、よく人に掴みかかるなぁ。

 掴み掛かかられた佐々木さんは、マキさんを引き剥がして言った。

 

「……そもそも、リンセにとって〈Colorful〉が帰ってくる場所だっていうのが間違いなのよ」

「……え?」

 

 苦しげに佐々木さんが言った言葉は、ギルドハウスに静かに響いた。

 

「な、に言ってんの? さっちゃん……」

「〈Colorful〉は私たちの居場所で、確かにリンセが作った場所よ。けど、そこはリンセの居場所ではなかった。そういうことよ」

 

 佐々木さんの言葉に同意するようにロゼッタさんと夕湖さんが頷く。そんな3人を信じられないものを見るような目でマキさんは見ていた。

 

「リンちゃんは優しいです。だから、私たちに居場所を作ってくれたのです」

「けれど、そこは僕たちの居場所であって、マスターの、リンセ様の居場所ではありませんでした」

 

 ロゼッタさんは優しく笑って、夕湖さんは無表情で。そう言って自分たちのギルドマスターを諭す。

 

「薄々感づいてはいたでしょ。リンセは帰ってこないかもしれないって」

「……なんでっ」

 

 マキさんは拳を握りしめて俯く。

 

「なんで、そんなにすぐ諦められるの!? 信じらんない!?」

 

 叫んだマキさんは勢いよくギルドハウスから飛び出していってしまった。

 

「あっ!! マキちゃんっ!!」

「ほっときなさい、ロゼッタ。少しすれば、いつも通り頭冷やしてるわよ」

「さっちゃん……」

 

 出て行ったマキさんを追おうとしたロゼッタさんを佐々木さんが引き留める。

 

「い、いいのか?」

「大丈夫よ、よくあることだから」

 

 佐々木さんに聞けば、佐々木さんは平然とした顔で答えた。

 よくあることなのか……。

 それにしても。

 

「あの、マキさんだっけ? リンセのこと大好きだな」

「ええ、当然よ。……あの子だけじゃないわ」

「え?」

「あの人は、私たちにとって希望であり願いであり唯一なのよ」

「だから、ギルマスはあの人が他の人についたことが許せなかったのです」

 

 少しだけ目を伏せた佐々木さんは静かな、けれどはっきりした口調で言った。続いて夕湖さんがまっすぐな瞳で。二人の言葉に続いて微かにロゼッタさんは笑った。

 

「私たちは、それが重荷になっていることはわかってたのです。でも、私たちはリンちゃんの優しさに甘えていたのです。……今日、ようやく思い知らされました。私たちが、どれだけの苦痛を強いていたのか」

 

 リンちゃんがあんな風に怒鳴ることなんて今まで一度もなかったですから、とロゼッタさんは俯いた。

 

  *

 

 膝から顔を上げたクロ何かに耐えるように目を伏せていた。

 

「あのギルドに戻るつもりはなかった。かといって、他のギルドに所属するつもりもなかった。他のギルドに所属してしまえば、あの子たちが傷付くとわかっていたから」

 

 クロの告白を聞いて僕は目の前が真っ暗になったような気がした。

 他のギルドに所属するつもりがなかったクロをギルドに所属させたのは、紛れもない僕だ。あのとき僕はクロに辛い選択をさせていたのか? そのせいで今クロが傷付いている? 僕のせいで?

 

「シロくんのせいじゃないよ。私がはっきり言わなかったせいだよ。今回のことは私が招いたこと。誰のせいでもない」

 

 言葉を発せないでいた僕の方を向いてクロは笑う。その笑顔が痛かった。苦しいなら苦しいと、辛いなら辛いと、そう言ってほしかった。自分の中に全て溜め込んで耐えないでいてほしかった。

 

「クロ、無理して笑わなくていいよ。そっちのほうが見てるのが辛い」

「……ごめん」

 

 先程からずっと自分を責め続けているクロに僕は苛立ちを覚える。それに気付いていないらしいクロは言葉を続けた。

 

「私は、あの子たちを甘やかしすぎたのかもしれない。居場所を作って面倒を見て、甘やかしすぎていたのかもしれないね。……言ったでしょ? 私をギルドに入れたら厄介が付き纏うって」

 

 自嘲気味にクロは言った。そんなクロに僕は首を横に振る。

 

「厄介だなんて、思わない。それはクロが築いてきた人間関係だよ」

 

 クロの優しさが作った絆だ。それを僕は厄介だなんて思えなかった。

 

「そうは言ってもさ、多分これからシロくん、目の敵にされるよ。特にマキからはね。自分で言うのもあれだけどさ、あの子たちには愛されてると思うから。だからこそ、他の人にとっては厄介になるんだけど……」

 

 彼女たちと周りとの板挟み。その中にクロはいた。

 

「分からなかった。どうすれば、あの子たちを傷付けず周りに迷惑をかけないか。結局、私は逃げ続けて、周りを巻き込んで、あの子たちを傷付けただけだった」

 

 何も出来ずにただ甘やかし続けた私が悪いんだ、と自分を責めることしかしないクロにとうとう堪忍袋の緒が切れた。思わずため息をつく。それにクロは肩を揺らした。

 

「どうしてクロは、自分を責めることしかしないのさ」

「どうしてって……それは」

「“私が悪いから”? 本当に?」

 

 クロを問い詰めるように言えば彼女の目が泳いだ。 

 

  *

 

「……ひとまず、今日のところは引き上げるわ。また、日を改めて挨拶と謝罪を」

「では、またですー」

「お邪魔いたしました」

 

 そういって、〈Colorful〉のメンバーはギルドハウスを出て行った。

 彼女たちの背中を見送った後、静かににゃん太は切り出した。

 

「2人はリンセちの勘の良さを知っていますにゃ?」

「ああ、もちろん」

「知っているぞ」

 

 突然聞かれた質問の意図がわからなかったが2人は頷く。〈大災害〉が起きたあとから今まで一緒に行動してきた2人が知らないはずがなかった。

 

「では、その勘の良さは人の感情を察するのにも有効だということは知っていますかにゃ?」

 

 そう言われて2人は今までのことを思い返す。リンセが勘を働かせるのは主に周りのことで、特に人の感情には触れてこなかったような気がする。そこそこの付き合いがあるはずの直継にもそういう面で勘を働かせているという印象はなかった。

 けれど、にゃん太は知っている。

 

「リンセちの勘の良さは人の感情も察してしまうのですにゃ。だからこそ、その人が望んでいることが分かってしまうのですにゃ」

 

 他人の望んでいることが分かって、なおかつその望みを叶えてあげようとする優しさがリンセにはあった。

 

「その想いが彼女自身の思いを潰してしまっていることに、リンセちは気付いていないのですにゃ」

 

 他人の思いを優先してしまう彼女だから、自分の本心に気付かずに他人の思いを自分の本心だと勘違いしてしまう。その想いに飲まれて自分を見失った彼女は独りになる。

 

「〈記録の地平線〉に入るときも、一度は断ったはずですにゃ。〈Colorful〉のメンバーを傷付けないために」

「じゃあ、なんで今〈記録の地平線〉にいるんだ?」

 

 直継の疑問も最もだろう。周りを気遣うリンセは誰かを傷付けることを恐れる。それなのに、なぜ。

 

「……おそらく、シロエちがいたからですにゃ」

 

 割と気を許した相手には甘いリンセだが、特にシロエには殊更甘い。

 

「シロエちが“一緒に来てほしい”といえば、リンセちは動くにゃ」

 

 常にシロエの左斜め後ろにいた彼女。〈茶会〉時代はもうシロエとリンセはペアのように扱われていた。シロエがいればリンセがいる、その逆も然り。

 あの2人の間には他を許さぬ絆がある、とにゃん太は思っている。どういう経緯でその関係を築いたかは分からないが、家族や友人以上の、けれど男女の関係ではない何かが彼らの間にはあった。

 

「“〈Colorful〉に帰ってきてほしい”という彼女たちの望みから、一度リンセちはシロエちの誘いを断ったはずですにゃ。けれど、シロエちの“一緒に来てほしい”という望みに折れたのだと思いますにゃ」

 

 〈Colorful〉のためにギルドの誘いを断り、シロエのために誘いを受けた。そこに彼女の本心はあったのか。言葉にしないながらもにゃん太はそう語ったのだ。

 

  *

 

「ねえ、クロ。確かにクロはあの人たちを甘やかしていたのかもしれない。でも、それに甘えていたのはあの人たちだと僕は思う」

 

 今もクロに甘えている僕が言えることじゃないけど、と苦笑する。それもごく最近気付いたことだ。

 クロの優しさは美徳であり凶器でもある。口にしなくても望むものをくれる。それは拒否も否定も肯定も全てなしに半強制的に与えられてしまう。そして、それが当然だと思ってしまう。けれどそれが当然ではないことを僕はようやく知った。至極当たり前のことなのにそれを人に悟らせてはくれない。クロの優しさは底なし沼のようだ。

 

「クロはもう少し自分勝手でもいいんじゃないかな?」

 

 駄目なものは駄目と、出来ないことは出来ないと、無理なものは無理だと言っていいんじゃないか。

 

「それ、シロくんには絶対言われたくない台詞だなぁ」

 

 あはは、とクロは出来損ないの笑みを浮かべる。それはさっきまでの無理をした笑みよりは全然マシだった。

 

「まあ、でも……あの子たちにはっきり言ってみるよ。ちゃんと正面から。“もう、戻らない”って」

 

 さあ戻ろうか、と立ち上がったクロに続いて歩き出す。

 

 僕はようやく気が付いた。

 ――君の優しさは、いつか君を殺す凶器になるから。



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interval 1

extraというには幹、chapterというには寄り道。
謝罪と和解と乱闘の幕間。


 〈Colorful〉と〈記録の地平線〉が一悶着といっていいのかわからない一瞬の修羅場から数日。その間にもさまさまな訪問者が〈記録の地平線〉にやってきた。その中でも大きな影響があったのは例の双子だった。ご隠居が夕飯の買い出しに行ったときに見つけてきたのだ。曰く、このビルを何回も何回もぐるぐる回っていて自分だったらバター飴になってしまうところだった、と。連れてこられた2人の様子からなんとなく察した私は、これはギルドマスターが必要だな、と小さく笑ってその場を観察することにした。

 

「どうしたんだ? 2人とも。〈三日月同盟〉も、今日は引っ越しじゃなかったっけ?」

「いや。兄ちゃん。あの、さ」

 

 少年の凛とした声が響く。

 

「――兄ちゃんのギルドに入れてもらいに来た」

「へ……?」

「わたしたち、シロエさんに師事したいと思ってきたんです。……〈三日月同盟〉にはこの一週間お世話になりましたけど、ギルドには入会していません。……入会、しなかったんです。わたしとトウヤは、〈ハーメルン〉を出た中では、まだギルドに入ってない唯一の2人組です」

 

 真っ直ぐな弟のトウヤの言葉に、姉のミノリが丁寧な補足を入れる。

 

「兄ちゃんが色々教えてくれたから、俺たちがんばれたんだもん。兄ちゃんがギルド作ったんなら、そこに入りたい。俺、弱いかも知れないけど、強くなるから」

「わたしも足手まといかもしれませんけど……。もう、それを言い訳にするのは、やめると決めました。一緒にいさせてください」

 

 小さな2人の大きな覚悟。まだ“そうすること”の経験の無さからシロエが言葉を失っているのが分かった。その背中を押すように私は笑う。

 

「シロくん、ぼーっとしちゃだめだよ」

「そうですにゃ。ギルマスなんですからにゃー」

 

 他の2人も同様。直継は人の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべ「ったりまえだ」と親指を立て、アカツキはいつもよりほんの少しだけ優しげな表情でこくりと頷く。

 

「よし。僕たち〈記録の地平線〉はトウヤとミノリを歓迎する。新人の最初の任務はギルドの幹部と一緒にカレーライスを食べることだ。……用意はいいか?」

「はいっ!」

「兄ちゃんっ!」

 

 幼い2つの声が加わって、7人。

 アキバの街の外れの古木に貫かれた廃ビルを住処にした、小さなギルドの誕生だった。

 

  *

 

 という心温まるエピソードがあったのだが、現状の〈記録の地平線〉のギルドハウスはなんとも表現しにくい緊張が漂っていた。原因、というものをあえて挙げるのであれば、先日、日を改めて挨拶と謝罪をと引き上げていった〈Colorful〉の面子が再び訪問してきたからだろう。前のときのような修羅場な空気はない。しかし逆に相手側の一部がものすごく沈んだ空気をまとっているのだ。それに対して〈記録の地平線〉の面子もどうすればいいのか、といったところだ。

 いつもは軽薄軽口の〈守護戦士〉はなんともいえない顔でたたずんでいるし、美少女〈暗殺者〉は警戒心丸出し。いぶし銀の〈盗剣士〉もなんだかぴりぴりしている。ギルドマスターである“腹ぐろ”〈付与術師〉は先日の攻撃を思い出し、その箇所を無意識におさえた。事情を知らない双子の〈神祇官〉と〈武士〉は奥の方でおろおろしている。そして、当事者である私は彼女たちの真正面にいた。

 とはいえ切り口が思いつかない。先日のことを思い出すとにこやかに挨拶なんてしてる場合じゃないだろうし、かといって何から話せばいいのか全くわからない。弱ったな、と考えていると静かな声が響いた。

 

「リンセ、先日は突然ごめんなさいね」

「佐々木、さん……」

 

 困ったような、申し訳ないような表情の狐尾族の佐々木さんだった。

 

「ごめんなさいです、リンちゃん」

「申し訳ありませんでした、リンセ様」

 

 それに続いて謝罪の言葉を述べるロゼッタ、夕湖。そして、3人はひどく落ち込んでいる彼女に声をかけた。

 

「ほら、マキ。謝るって決めたんでしょう」

「ねっ、マキちゃん」

「マキ」

 

 訪れた面子の中でひときわ沈んだ空気をまとっていた彼女マキ=ルゥが、仲間に励まされて口を開いた。

 

「……ごめんなさい、リンリン」

「マキ……」

「それと……その、〈記録の地平線〉の人たちも、ごめんなさい」

 

 その謝罪に私以外のギルドの面子は言葉を失っていた。

 

「今でも、やっぱり〈Colorful〉に戻ってきてほしいって思うよ。でも、それはアタシたちの押し付けであって、それでリンリンを苦しめてるって言われて、その、よく考えてみた」

 

 拳を白くなるまで握りこんだ彼女は強く目をつぶる。

 

「アタシたちはっ、ずっと……ずっと甘えてて。でも、ダメなんだよね。このままじゃ、ダメなんだよね……。だから、そのっ……」

 

 一つ一つ詰まりながらも、マキは言葉を繋げていく。苦しくても、辛くても、私に言葉を尽くして想いを伝えようとしてくれている。それならば私も彼女に、否、彼女たちに言葉を尽くすべきだろう。

 

「マキ」

「うっ……うぇ……」

「ごめんね、〈Colorful〉には“戻らない”」

 

 私ははっきりとそう告げた。あの日曖昧に誤魔化してしまったことを悔いながら、今度こそ間違わないと。

 

「……リンリンが、決めたんだよね」

「うん」

「……リンリンが、選んだんだよね」

「うん」

「……なら、引き留めちゃダメだよね」

「ありがとう」

 

 そこが限界だったらしい。マキは小さな子供のように泣き出した。そして、すぐさまそれをあやす3人。私は手を出すべきではないのだろう。それにきっと私がいなくても大丈夫だと漠然と思った。

 

  *

 

 謝罪のあとに子供のように泣き出したマキさんに僕たちは言葉を失っていた。そんなとき、控えめに僕の服の裾がひかれる。

 

「……シロエさん」

「ミノリ、トウヤ」

 

 それは全く事情が飲み込めていないだろう新人2人だった。

 

「あの、これはいったい……」

 

 そんなふたりに掻い摘んで説明する。あの4人はクロの昔のギルドメンバーで先日〈記録の地平線〉に入会したクロを引き留めにきたこと、そのときに一悶着あったこと、今日はその謝罪であろうこと、そして今、多分話に決着がついたこと。それを聞いたふたりは、なんとなく察したのかおとなしくその場を眺めていた。

 

 子供のように泣いていたマキさんは、しばらく泣くとすっきりしたように表情を変えた。

 

「ん、もう大丈夫! ごめんね、みんな」

 

 それはよかったといった感じの〈Colorful〉のメンバーを見ながらマキさんは笑う。そして、こちらに向き直って勢いよく頭を下げてきた。

 

「〈記録の地平線〉のみなさん、ほんとうにごめんなさい。アタシのわがままで迷惑かけて……。ギルマスさんにいたっては殴っちゃったし……」

 

 ほんっとうにごめんなさい! と90度より腰を曲げて謝罪する彼女にそこまでしなくてもと思う。

 

「えっと、大丈夫ですよ?」

 

 だから顔を上げてください、と言い切る前にマキさんは勢いよく頭を上げた。そしてずいっと僕に顔を近づけてきた。その近さに思わず身体を反らせる。

 

「ちょっ、近っ……」

「“腹ぐろ眼鏡”なんていわれてるけど、キミいいひとだねっ!!」

 

 私はマキ=ルゥ! よろしくね! と勢いよく手を握られぶんぶん降られる。ちょっと痛いんだけど、と思っているとクロがスパンとマキさんの頭を引っ叩いた。

 

「痛いっ! なになに? リンリンどうしたの?」

「マキはそろそろ力の加減を知りなさい」

「うー、はぁい……」

 

 無表情で忠告するクロにしょんぼり顔で叩かれた箇所を抑えるマキさん、2人のやりとりがまるで姉妹のそれのようで微笑ましい。

 

「色々あったけど、悪い人たちじゃなさそうだな。シロ」

「うん。多分だけど、クロのことが好きすぎるだけじゃないかな」

「同感だ、主君」

 

 そう話している僕たちに狐尾族の女性が近づいてくる。

 

「〈記録の地平線〉のギルマスね。噂はかねがね聞いているわ。今回は迷惑をかけたわね」

 

 紫の髪をはらいながら彼女は申し訳なさそうに笑った。

 

「いえ。挨拶が遅れて申し訳ありません。〈記録の地平線〉のシロエです」

「〈Colorful〉の佐々木よ。役職的にはサブマスといったところかしら。一応、あそこにいるマキがギルマスなのだけど、そういうことはからっきしな子だから」

 

 〈Colorful〉といえば女性限定のガチ勢ギルドとして有名だ。実は〈円卓会議〉のメンバー候補でもあったんだけど、席の関係で断念せざるをえなかったのだ。

 

「うちのギルドは基本戦闘狂しかいないのだけど、もし何かお困りのことがあったら人員派遣するわ」

「本当ですか?」

「ええ、約束するわ」

 

 あなたが困っているということはリンセも困るということだもの、と佐々木さんは綺麗に笑う。やはりこのギルドはクロのことが好きすぎるらしい。

 

  *

 

「さてと、あまりお邪魔しても悪いしそろそろ引き上げるわ。行くわよ」

「えー、さっちゃんもうちょっといいでしょー!!」

「駄目よ。〈記録の地平線〉は〈円卓会議〉メンバーなんだから暇じゃないのよ。ほら、行くわよ」

 

 ずるずると引きずられていくマキは、私に手を伸ばしながらいやだいやだと駄々をこねている。それを見た周りは苦笑を浮かべた。そのとき、ギルドハウスの入り口の向こうに黒い影が見えた。それはこちらに近づいてくるとギルドハウスの入り口をくぐった。

 

「よお、シロエ。ちょっといいか」

「あ、アイザックさん」

 

 あ、まずい。本能的にそう思った。

 入ってきたアイザックを見てマキを引きずっていた佐々木さんは一瞬止まった。アイザックも佐々木さんを見て一瞬止まった。本当に一瞬だったが佐々木さんに引きずられていたマキがアイザックを認識するには十分すぎた。

 

「てめっ!! “突進魔”!?」

「“黒剣”!? なんでアンタがここにいんのよ!?」

 

 予想していた展開に頭を抱える。〈Colorful〉のメンバーもやばいと顔に書いてあった。

 

「なんなのよ、アンタ!? また、リンリンにちょっかい出しに来たの!?」

「ちげぇよっ!! するか、んなことっ!! それはお前のほうじゃねーのかっ!?」

「勝手に決めつけんのやめてくんない!?」

 

 〈Colorful〉のマキ=ルゥと〈黒剣騎士団〉のアイザックは鉢合わせてはいけない。

 それは両ギルド内で暗黙の了解だった。なぜなら、2人が鉢合わせると自然発生のようにPvPになりかねない乱闘騒ぎが起こるからである。その理由はまた別の機会に語るとして。

 

「やんのか!?」

「やってやろうじゃない!?」

 

 一発触発、戦闘モード突入寸前の2人を止めるのが先決だ。

 

「ストップ!! ここ、アキバの街!! 戦闘禁止!!」

「関係あるか!!」

 

 間に入った私に対してアイザックはそう一蹴した。

 関係あるに決まってんだろ、馬鹿アイク。

 

「マキもストップ!! 駄目だから!!」

「止めないでリンリン。大丈夫だよ、今すぐコイツの息の根止めるから」

 

 マキにも制止をかけるが、彼女は完全に目がイッていた。

 というか息の根は止めなくていいし、むしろ止めるな。本当に危ないなこの子。

 

 お互いに一向にやめる気配がない。本当にまずいぞ。どうすればいいんだ。

 殺気100パーセント、殺る気満々な二人に私は頭を抱えた。

 

「リンちゃん、無理だよ」

「そうですね、リンセ様。あの2人の喧嘩は自然発生的なものですし」

「諦めなさい」

 

 平素と変わらぬ声色でロゼッタ、夕湖、佐々木さんは言った。あなたたちのギルマスでしょうよ、本当に止めて、と私はますます頭を抱える。

 

「リンセち。もしかして、これがあの有名な自然発生乱闘コンビですかにゃ」

「班長、それって掲示板とかで有名な? 見かけたら絶対に近付くなっていう……」

「にゃあ」

「おっ、それなら俺も知ってるぜ」

「私もだ」

 

 のんきに感想を言い合わないでくれ、〈記録の地平線〉ベテラン組。そう項垂れている私の背中を誰かがぽんぽんと叩く。見てみればそこにはお疲れ様ですと顔に書いた双子がいた。心が痛い。

 

「……あー、もう!! やるならフィールドに出て勝手にやってろよ、マキ、アイク!!」

「なるほど!!」

「その手があったか!!」

 

 ほんと何なの、この人たち。なるほどじゃない、その手があったかじゃないんだよ。

 イライラが限界にたちして思わず叫べば、2人は仲良く言い合いをしながら出て行った。

 

「まあ、しばらくすれば帰ってくるでしょ。方法はわからないけど」

「下手したら、神殿送りですねー」

「自業自得です」

「では、今度こそ引き上げるわね」

 

 また、といって自分たちのギルドマスターを心配する様子もなく去っていく〈Colorful〉。

 

「アイザックさんの用事、大丈夫かな」

「思い出したらまた来るだろ」

「うむ。そこまで気にしなくてもよいのではないか」

「そうですにゃー」

 

 〈Colorful〉を見送り、何事もなかったかようにギルドハウスに戻っていく〈記録の地平線〉。

 

「……今日も、いい天気だな」

 

 双方を見送って私は晴れ渡る青空に独り言ちた。

 

 もうすぐ、この世界に夏が来る。



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ゲームの終わり
chapter 11


“主よ。

 みはしらのうずのみこの末子、伊弉諾尊の禊より御生れになられた海原の神は何処(いずこ)へゆかれたのでしょう。

 我らの天宇に、もしくは内に(ましま)す主よ。

 地と共に生きる民は、何人(なんぴと)に救いを求めるべきなのでしょう。

 嗚於、主よ。

 拙僧は、眠るのが恐ろしいのです。

 ――定めは、覆らないのでしょうか。”

 

  *

 

 大丈夫だろうかと不安を覚えながら、彼女の忠告通りとはいかないが“時間ちょうどよりは少し遅れて”到着すれば、当然のように迎え入れられた。

 やはり彼女はこちらに連れてくるべきだったか、と今更後悔しても当の本人は夏季合宿真っ只中だろう。

 

 〈エターナルアイスの古宮廷〉。ここはアキバの街からほんの二時間ほどの場所にある古アルヴ族の造った宮廷という設定の城だ。現実世界における東京の南側――港区相当の場所に存在するこの城は主人の居ない巨大な建築物で、現在〈自由都市同盟イースタル〉の諸侯により共同で管理されている。何故ここに僕――シロエひいては〈円卓会議〉の代表が来ているのか。その理由は一か月ほど時を遡る。

 

 始まりは〈円卓会議〉に届いた一通の書状だった。それは〈自由都市同盟イースタル〉領主会議とその舞踏会への招待、いわゆる〈自由都市同盟イースタル〉への参加要請だった。

 招集された〈円卓会議〉は慎重に分析した。要請を受けた場合、受けなかった場合、それぞれにどのような影響があるか。その結論、〈円卓会議〉は〈自由都市同盟イースタル〉への参加を決定し今に至るというわけだ。

 そこで次に問題になるのが会議へ参加するメンバーの選出。まず第一に代表が行かなくては話にならないということで〈円卓会議〉代表のクラスティさんが必須である。そして、クラスティさんが戦闘系ギルド最大手〈D.D.D〉の代表でもあることから生産系ギルドから一名出すのがいいだろうということになり、少々ごたごたしたもめごとの後に〈海洋機構〉のミチタカさんが同行することに。そしてバランスを考えて実務方面や情報関係の分析が可能な人材を3人目に選ぶ、と方向が固まった瞬間、全員の視線が〈円卓会議〉設立者である僕に向いた。その視線から逃げられるはずもなく、3人目に僕――〈記録の地平線〉のシロエが選出されたのだった。

 3人目に選出された僕には必然的にアカツキが従者としてついてきた。誤算はアカツキの参加でヘンリエッタさんが同行することになったことだろう。夏季合宿には直継と班長に言ってもらうことにしたが、ここで問題となったのがクロである。情報分析担当の補佐として〈エターナルアイスの古宮廷〉へ同行してもらっても十分役割を果たしてくれるだろうし、夏季合宿の引率としても申し分ないだろう。

 

「と、いうわけなんだけど」

「それで、どっちがいいって聞くのもすごいよね」

 

 夕食が終わった後にクロに尋ねてみたら、いつもだるそうな目が一層だるそうに細められた。

 

「正直、どっちでもいいし。むしろ留守番でも可」

「留守番は却下かな」

 

 さすがに留守番としてアキバに置いておくにはもったいない人材であることを、彼女自身はまったく理解していない。彼女の極めて高い演算能力は情報分析の類においても発揮されるのだ。彼女に一つの情報を渡せばそこから十の情報を返してくる。まさに一を聞いて十を知る、というやつだ。

 

「シロくんが好きに決めていいよ」

「好きにって……」

 

 それが一番困る回答であることはおそらく認識しているだろうが、回答した本人は我関せずだ。まいったな。どっちのほうがよりよい選択なのか必死に頭を回していると、クロの気の抜けた声が集中を途切れさせた。

 

「じゃあ、シロくん。1番と2番、選んで」

「え?」

「いいから」

 

 右手で1、左手で2を示したクロは、さあ早くと手を突き出してくる。

 

「じゃ、じゃあ……1番」

「じゃあ、夏季合宿いくよ」

 

 どうやら彼女のなかで2番が領主会議の派遣団だったらしい。

 それじゃ夏季合宿の方よろしくね、と頼んだ次の瞬間に彼女は言った。

 

「あらかじめ言っておくけど、〈エターナルアイスの古宮廷〉に行くときは早めに行き過ぎないことをお勧めするよ」

 

 何故? と思わず首を傾げるとやる気のない目はそのままでこちらを見る。

 

「それ、田舎者のすることだから。むしろ、その手のパーティーは少し遅れていくのがマストというか常識。王侯貴族になるとその傾向強いし」

「……なんでそんなこと知ってるの?」

「逆になんで知らないの?」

 

 心底不思議そうに尋ねてくる彼女に再び首を傾げてしまう。

 

「……そっか、日本じゃメジャーじゃないよね」

 

 クロはふと思い出したかのように言った。というか、多分今思い出したんだろう。

 

「ああ、そういえばクロって4年くらい外国行ってたんだっけ?」

「うん。お祖母様の家にね」

 

 実は彼女はクォーターである。普段は前髪で隠れているからわからないが顔立ちも少し日本人離れしている。そしてそのお祖母さんの家が貴族筋らしいのだ。世の中広いのか狭いのかよく分からない。

 

「そういう場には行ったことあるの?」

「何回か」

 

 その返答を聞いた今、彼女は領主会議に連れていくべきだったのではないかと軽い後悔が浮かんだ。

 

「ねえ、クロ。やっぱり……」

「私は夏季合宿に参加、なんだよね。シロくん?」

 

 変更は効かなかった。

 

  *

 

 彼女曰く田舎者の真似をせずにはすんだが、かといってやはりこのような場に慣れていないことは隠せないだろう。なんともいえない居心地の悪さだ。

 通された大ホールにはそこそこ人はいるが、それでも参加者の何割だろうといったところである。やはり彼女の言っていたことは事実なんだろう。

 

「ふん。なかなかに壮観だなこりゃ」

 

 これは緊張だ、と声を上げたミチタカさんは宮廷の装飾や設備を無遠慮に眺めている。

 

「周りがモンスターだと思えば落ち着くさ」

「そいつぁ、お前さんだけさ」

「そのとおり。モンスターに囲まれていた方が落ち着くのはあなただけです。ミロード」

 

 そう言ったのははクラスティさん。それにからからと笑うミチタカさんのあとに、クラスティさんに発泡酒を手渡しながらいさめたのは〈D.D.D〉の高山三佐という女性だ。

 

 その後、徐々に人が増えていってもアカツキは僕の背中に隠れるようにくっついているし、ヘンリエッタさんは艶然と微笑みながら僕の方に身を寄せていた。

 

「シロエ君は流石だな。悠然としたものじゃないか」

「まぁ、こいつほどの英雄になると。ぷっ。こんな大舞台でも、女を2人囲うくらいのことは……あー。余裕でできるらしいな。なぁ?」

「失礼な。このような舞踏会など陰謀の餌食。真っ黒シロエ様の草刈り場に過ぎないのですわ」

 

 悠然ではなく呆然、わかってて笑い者にしてるし、方向性が曲がっている。とんだ誤解とからかいと買いかぶりに頭を抱えた。

 やはりクロはこっちに連れてくればよかった、と僕は何度目かの後悔をした。

 

  *

 

 〈神代〉の反動を受けたのかと思うくらいの一面の緑の中、並足で馬を走らせる一行。それはザントリーフ地方――現実世界でいうところの房総半島を中心とした地方に訪れていた。その中に私もいた。

 ああ、平和だ。至極平和だ。そんなことを思いながら馬を走らせていると誰かが隣に並んだ。

 

「気の抜けたような顔ですにゃ」

「気が抜けてるんですー」

 

 それはご隠居だった。彼に気の抜けた声で返事を返しつつ、〈エターナルアイスの古宮廷〉へと向かった彼を思い浮かべた。

 今頃お貴族様の相手をしているんだろうな、向こうは。それを考えたら気楽も気楽だ。あの時シロくんが1番を選んでくれて本当によかった。……と思いたいのだが、どうも1週間くらい前からぽっかりと何か大事なものを落としてきてしまったような嫌な予感がしているのだ。何かを忘れているような、そんな気がする。けれど、考えても考えても靄がかかったように思い出せないのだ。

 

「……まあ、気のせいだよね」

「どうかしたんですか、リンセさん」

「ああ、なんでもないよ。ミノリちゃん」

 

 独り言を言っている私に気付いたのか、小さな〈神祇官〉が鈴のような声で訪ねてきた。彼女は我が〈記録の地平線〉に入会した双子の姉、ミノリである。

 

 なぜ私たち一行がザントリーフ地方に来ているのか。それはマリエールの言葉からはじまった。

 

 ――海行きたい。海でかき氷とラーメンとカレーライス食べたいっ。食べたいったら食べたいっ!! ねぇねぇ! だめ? だめかなぁ? 海行きたい! いこーっ!!

 

 ようは〈三日月同盟〉のギルドマスターの我が儘である。気持ちはわからなくもないが残念ながら私はそこまでアウトドア人間ではない。夏にバカンスに行きたい派よりは過ごしやすい場所で惰眠を貪りたい派の人間である。

 話を戻して、マリエールはバカンスに行きたいと言い出した。しかし、マリエールおよび〈三日月同盟〉は今や〈円卓会議〉の中心である11ギルドの一つであり、ギルドマスターのマリエールは評議員の1人である。故に、そうやすやすとバカンスでアキバの街を離れることが出来なくなっていた。なにしろ〈円卓会議〉が設立されてまだ2ヶ月しか経っていなのだ。毎日のように新しい情報が飛び交いアキバの街が刻一刻と変わっている大事な時期に、評議員が長期間バカンスで不在というのはなんとも体裁が悪い。しかし、それで諦めるマリエールではなかった。ヘンリエッタや小竜をいいくるめて一つの計画を考えたのだ。それが今回ザントリーフ地方に来ている案件である「新人プレイヤー強化夏季合宿」というわけだ。その案は新人プレイヤー支援を問題として取り上げていた〈円卓会議〉であっさり了承され、「40レベル以下の新人プレイヤーに対する支援策の一環として夏季合宿を行なう」ことが〈円卓〉承認行事として告知された。そして〈円卓会議〉承認のものとなれば、責任を1ギルドに押し付けるわけにもいかず引率やらなんやらで話は膨れ上がり、結果として60人ものメンバーが参加する大規模な合宿となり今に至る、というわけだ。

 それと時期を重ねて〈自由都市同盟イースタル〉の領主会議が開催され、〈円卓会議〉がそれの招待を受けて選抜メンバーで参加していることは余談である。

 

 ザントリーフ地方の半島部分は森と山地と緩やかな起伏を持った丘陵部からなる。そこにある広い河はザントリーフ大河と呼ばれ、その河が海に注ぐ辺りが今回の目的地チョウシの町、現実世界でいう銚子と呼ばれる地域である。

 大河のほとりを離れ、林を迂回したところにある神代の学校の校舎のような廃墟。そこが今回の寝床である。

 

「おーっし! みんなぁ! 今日からしばらくのあいだ、ここがうちらの寝床やで! 事前に班分けしていたとおり、今日は教室3つを掃除する。一階の東の端から3つや。1部屋20人で寝泊まりする予定。……余裕を持ちたかったら明日からも掃除して、なんとか住みよくするんやでぇ!」

 

 マリエールがそう指示を出す。

 そこから、先行偵察していた大手ギルドのメンバーとも合流。近隣の村への買い出しなどもあり、一行は合宿の準備を慌ただしくはじめた。そのなかで私の担当は掃除となっていたのだが、これがなかなかに重労働だった。元々はオブジェクトとして機能していたであろうそこは当然の如く廃墟で、さほど古びていないといっても人の手が入らなくなってどのくらいだというほどの汚れがたまっていた。砂埃、泥、その他エトセトラ。掃除する人数はそこそこいるといっても、今日は寝床を確保するのに精一杯。集中して掃除しているといつの間にか空はすっかり藍色に染まっていた。

 

  *

 

 一行が寝泊まりすることに決めた廃坑のグラウンドは、いくつものたき火で赤々と照らし出されている。そして、私から少し離れたところで〈記録の地平線〉の新人の片割れがある〈武士〉がとある単語に疑問符を浮かべた。

 〈ラグランダの杜〉――ダンジョンのようなその名は“ような”ではなく正真正銘ダンジョンの名前である。

 

「あんな、ミノリ。ダンジョンいくらしいぞ?」

 

 知ってた? という問いにミノリは驚きの声を上げた。

 

 今回の夏季合宿は、レベルごとに細かく分けてさまざまなカリキュラムを行うのが基本方針となっている。非常にレベルの低い20未満のプレイヤーは、校舎周辺で野生動物などと、海岸で巨大カニなどと戦うことになっている。これが海岸組。この組には引率者や回復職が同行するので相当安全かつ順当に経験を積むことが出来る。しかし対象が単体であるのでパーティーを組むことはない。そもそもパーティーでの連携にしたところで自分の職業の特色を理解していなければ連携などとれるはずもなく、そのための個人特訓というわけだ。

 そして、20から35レベルの参加メンバーはパーティーを組んでの戦闘訓練が予定されている。これがダンジョン攻略組である。こちらは屋外と屋内があり、屋外は〈カミナス用水〉での訓練、屋内が先ほど片割れのトウヤが疑問符をつけた〈ラグランダの杜〉での訓練である。〈ラグランダの杜〉での戦闘訓練は、ダンジョンがここから半日移動したところにあることもあり泊まり込みでの攻略である。

 レベルが36以上のメンバーは、人数の関係上、この校舎を中心に個人訓練となる。

 トウヤは〈ハーメルン〉の狩猟パーティーにいたらしく現在29レベルでダンジョン攻略組に組み込まれたいたが、片割れのミノリは現在21レベル。本来なら海岸組でもいいのだが、トウヤと別々より同じ班の方が何かと安心だろうという意見のもと、ダンジョン攻略組に組み込まれている。少々荷が重いかもしれないが私個人の意見を言わせてもらえば、あの“腹ぐろ眼鏡”に師事しているのだから焦らずきちんと教わったことを実践できれば相当優秀な〈冒険者〉になるだろう。彼女自身、シロエの後ろ姿を追っているだろうし、彼女の姿に付き合いの長い幼馴染ともいうべき彼の面影を見ることになるかもしれないと思うと、実に今から楽しみである。

 楽しみではあるのだが。

 

領主会議(あちら)は順調なんですかねぇ……」

 

 目下、私の興味は私が行くもう1つの候補だった〈エターナルアイスの古宮廷〉で行われているイベントにあった。気になるくらいならそっちに行けばいいじゃないか、と言われそうだが、経験上、お貴族様のお相手は骨が折れるため遠慮願いたかったのだ。なら、なぜシロエに選ばせたのか。単純にお貴族様のお相手の面倒くささとそこで得られるであろう情報の価値がどっこいどっこいで、さらに、それと夏季合宿で得られるであろうものがどっこいどっこいだったからである。

 個人的には〈大地人〉の政治にはかなり興味がある。現実世界の日本の政治体系とは違って、おそらく世界観に合わせた中世ヨーロッパ的な政治体系なのかな、と。仮にそうだとすると、しきたりとして適齢期にたちした淑女の社交界デビューなどがあるんだろうか。そして綺麗事で話が進む。それを踏まえると向こうの交渉はタフなものになっているんだろう。がんばれシロくん、と軽いエールを心の中で送る。そして、あわよくば舞踏会で美人さんと一曲踊ってこい、いい経験だ、とも。私がそんなことを考えているときに、彼が〈円卓会議〉のオブザーバーとして参加したヘンリエッタとともに周りの陰口を黙らせることに奮闘していたことなど知りもせず。

 

  *

 

 翌日、海岸組とダンジョン攻略組を見送った私は、基本的に担当することになっている36レベル以上のメンバーとともに校舎付近で個人の戦闘訓練の監督を行なっていた。

 武器の構え方、振り方、特技の使用タイミングなどなど。より精密なコントロールを指導していくのだ。指導、といっても、私の場合は自身の戦闘方法が特殊であることを理解はしているので、あまり下手なことが言えない。“この場面ではこうする”といった定石を少しだけ細かく指導するしかないのだ。なんとも使えない引率だと、ひそかに落ち込む。それでも指導を受けている側の人たちははとても素直だし、ここはどうすればいいのか、こういう場合は別の方法があるのか、など積極的に聞きにくる。そして、その中に数人、懐かしさを覚えるギルドタグをつけたメンバーがいた。

 

「あの、燐森(リンセン)さん」

「ん? マルガレーテさんとトウジョウさん。どうしたの?」

 

 初級のものより少しだけレベルの高い装備をした少女が2人。片方は見た目から典型的な聖職者の格好をしたドワーフ、もう片方は全身鎧の典型的な戦士の狼牙族、〈施療神官(クレリック)〉のマルガレーテと〈守護戦士(ガーディアン)〉のトウジョウだ。戦士が槍持ちなのは全然構わない、むしろ武器種別からしたら正解だ。しかし、聖職者の方は見た目にそぐわない厳ついバトルアックス持ち。要するに殴り僧、ビルド的には私のビルドに近いものがある。そして、その2人のギルドタグは〈Colorful〉。タグを見たときに、ああなるほど、と思ってしまった。これは戦うことに重点を置いたガチ勢だと。

 

「もう! 私のことはグレーテルでいいって言ったじゃないですか!」

「君が私に敬語を使わなくなったら考えるよ」

「ですが、あたしたち〈Colorful〉の中では、燐森(リンセン)さんはなんというか、“伝説”なので」

 

 ため口はちょっと恐れ多いといいますか、と苦笑いを浮かべるトウジョウに重いため息がひとつ零れた。

 まったく、あの創立メンバーは加入メンバーに何を吹き込んでいるのか。

 

「それはもうっ! “予言者”としても〈Colorful〉の設立者としても素晴らしいお方であると!!」

大規模戦闘(レイド)では負けなし。それにあの伝説の集団〈放蕩者の茶会(デボーチェリ・ティーパーティー)〉でもご活躍なさっていた、と」

「予測は百発百中! まさに“予言者”!!」

 

 もう惚れちゃいますよー! とはしゃぐマルガレーテと尊敬の意を瞳に込めて見つめてくるトウジョウに若干押され気味である。

 

「あー、はいはい。それで? なにか聞きたいことがあったんじゃないの?」

「あ、そうでした! 特技の取捨選択についてなんですけど……」

 

 戦闘中どの特技を使用するか、あるいは、どの特技を使用しないか。これは結構重要な話で、戦闘中でなければMPは自動回復する、逆にいえば、戦闘中はMPに上限がある。その上限の範囲内で使用するべき特技または乱用するべきではない特技が存在するのは仕方ないことである。その選択を誤ってしまえば、やるべきところでその特技が使用できない、使用できるタイミングだったのにそれを逃してしまう、ということが起きる。それは、パーティーでも個人でも戦闘不能に繋がることなのである。

 また、特技によっては使用するのに適した距離というものがある。これは主に範囲対象のある特技だ。効果範囲がある以上、最も効率のいい距離と効率の悪い距離というものがある。下手をしてしまえば特技を使用しても()()ということが十分あり得るのだ。その間隔の調整は距離の計算とタイミング、そして慣れである。何度も繰り返してアタリ判定を探る。それがゲームでは基本ではあるのだが。

 

「でも、今の状況でアタリ判定なんて明確にあるんですかね……?」

「それに関しては、現時点でも微妙としかいいようがないけど」

 

 どうしたものか、と考えてふと思いついた。

 

「モンスターと戦う前にちょっと私と模擬戦してみる?」

「模擬戦、ですか?」

「うん」

 

 モンスターとの戦闘と違ってPvPのようになってしまうが、それでもモンスター戦と違ってすぐにストップがかけられるし同じようなシチュエーションを繰り返し試行が出来る。人数もそう多くはないから個々に行なっても大した作業量ではない。

 そうと決まればさっそく実践である。

 踏み込みの甘さ、タイミングのずれ、よりよい選択の試行錯誤。模擬戦が終われば次は実際にフィールドに出てモンスターとの実戦。

 指導側もされる側も実際に対峙してわかることがある。職業として出来ることと出来ないこと、人として出来ることと出来ないことが存在するということだ。“できないことをしなくていい、できることを見つめて”とは、いつだったかの彼の言葉である。

 

 そうして、私の夏季合宿の戦闘訓練監督は過ぎていったのだった。



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chapter 12

 〈エターナルアイスの古宮廷〉の一角。僕は夜の中庭で魔術師のリ=ガンと名乗る男に声をかけられ、彼に今まで知らなかった区画に連れてこられた。そんな僕の頭の片隅では〈円卓会議〉設立の際に彼女がこぼした言葉が駆け巡っていた。

 

 ――今のところ、この世界においての“死”はその意味では抑止力にならない……だろうけど、もしそこに別の意味の抑止力があったとしたら、どうだろう? なんてね。

 

 続けて「ただの独り言、ごめん、忘れて」と間髪入れずに言われたせいで深く聞けずにはいたが。

 

 リ=ガンさんに通されたそこは数千冊をこえるほどの書物がある書斎だった。天井が高くまた奥へ奥へと直線的に続くこの部屋は通路の延長にしか見えない。連れてきた本人はテーブルや机の上をかき回している。僕と一緒にいたアカツキは勝手にソファの上にあったもののいくつかを床の上の山に重ねて、勝手に座れる場所を確保した。

 

「いや申し訳ない。どこかに飲み物用のポットが用意してあったと思うのですが」

「かまわないですよ」

 

 そのくらいのことか、と僕はバックからグラス数個と大きな瓶に入った黒薔薇茶を取り出した。定番化したこれはほうじ茶をさらに濃くしたような味わいだが、渋みが少なく、蜂蜜や砂糖などを入れて飲むものだ。それを3人分のグラスに注いだ。

 

「ありがたい。自分のものを探すのが全くの不得手でして」

 

 そう言ったリ=ガンさんは、僕が黒薔薇茶を取り出したバックを見た。

 

「それは、〈ダザネックの魔法の鞄(マジックバック)〉ですね?」

「はい。以前作ってもらいました」

 

 〈ダザネックの魔法の鞄〉はレベル45になると受けることが出来るクエスト『魔法の鞄を手に入れろ』によって作ってもらえるアイテムだ。紫炎の水晶と翼竜の皮が必要だ、と彼は言った。どうやらこのリ=ガンという人は、そのクエスト内容をかなり正確に把握しているようだった。〈大地人〉とは思えないほどの知識量だ。

 

「失礼しました。改めまして。わたしの名前はリ=ガン。先ほどは魔術師を名乗りましたし、魔術も使えるのですが、正確にいうと魔法学者です」

「魔法学者?」

 

 僕の疑問にリ=ガンさんは答えた。魔法学者とは一般的な魔術の講義もできるが研究が専門の研究者である、と。

 『エターナルアイスの古宮廷』に住み着いて30年になるらしい。元々ここは師匠の研究室だったが、数年前に師匠が他界、後に師匠の衣鉢を継いで研究をしているのだという。

 そこで僕はここに連れてこられる前に彼が言った自己紹介を思い出す。

 

 ――わたしはミラルレイクのリ=ガン。魔術師です。

 

「――ミラルレイク。……ミラルレイクの賢者、ですか?」

 

 それはゲーム時代にクエストや街の噂、書籍などで耳や目にしたことのある名前だ。たとえば、ある大規模戦闘のキーアイテムを作った人物である、とされていたこと等だ。けれど所詮ゲームの盛り上げのための背景情報だと思っていたが、実際にこのように会うことになるなんて。

 

「ええ、まぁ。とはいっても、わたしもそう名乗ったことはほとんどありませんで。まだまだ気分的には弟子が抜けてないんですねぇ。その名を呼ばれても師匠のことにしか思えません」

「もしかして、“ミラルレイクの賢者”は世襲制なのですか?」

「そうなりますね。わたしのことは、リ=ガンとお呼びください」

 

 賢者、という名を継いだにしては随分と腰の低い挨拶だった。

 

 ゆっくりと黒薔薇茶で喉を潤しながら考える。今回この領主会議に出てきたのは相手方の要請があった以上に現在の状況について情報収集したかったからだ。この会議に出ればこの世界の支配者階級、少なくとも貴族との面識が得られる。そうすれば街の噂と比較にならないほど広い情報が手に入ると思っていた。けれど、まさかこんな大物が引っかかるとは。

 

 僕たちがこの世界に来てからすでに三ヶ月が経っていた。その間、ゆっくりではあるけれどこの世界の情報は確実に自分たちに流れてきている。少なくとも日々を過ごすためのものはなんとか揃った。

 けれど知れば知るほど痛感する。自分たちは何も知らないのだと。

 三ヶ月前。この世界について何も知らない、自分たちというある種の異質が3万人、この世界に入り込んだ。その異質の半分がアキバの街に集結していた。約150万人ほどしかいない日本サーバー管理区域でその異質がこっそりと暮らすことなどできるわけもなく。さらには、その人口の多さは何かアクションを起こしただけで世界に波紋のような影響を与えてすぎてしまう。現に新しいアイテムの作成方法はこの世界に大きな影響を与えた。それについて責任を感じているわけじゃないが、影響を与えたという自覚は持つべきだ。そして、これからも同じようなことが起こることは避けられない。その結果をなるべく穏やかに破壊的でないものにするには深い知識が必要だ。その知識が自分たちには圧倒的に足りていない。

 だからこそ、今この会見には大きな意味がある。

 

「先ほど私は魔法学者、魔法研究者だと名乗りましたが、魔法といってもその種類は膨大です。また、扱う範囲も広範にわたります。わたしはその中でも世界級魔法を専門に研究しているのですよ」

「――世界級?」

 

 聞きなれない言葉に僕は首を傾げた。

 リ=ガンさん曰く、魔法をその効果の規模で分類するやり方だそうだ。その分類は、動作級、戦闘級、作戦級、戦術級、戦略級、国防級、大陸級、そして世界級と分けられるのだという。規模で分類する以外にも、エネルギーを扱うものや物のありようを変化させるもの、召喚を扱うものといった特徴からの分類も可能だそうだ。特徴の分類の仕方は、例えば〈妖術師(ソーサラー)〉の扱うエネルギーや〈召喚術師(サモナー)〉の扱う召喚関連のものなどで分類するのと同じだろう。また、術者の実力、プレイヤー風にいうならレベル別の分類もあるのだとか。

 

「規模による分類とは、魔法を規模の面か現象学的に、あるいはその目的と合わせて考察する際の分類方法です」

 

 曰く、動作級とは一つの動作を魔法で代替できる程度の魔法を指す。例をあげれば、剣を振るって魔物に傷を負わせる、これを魔法で行うのが動作級である。この動作級魔法は僕の用いる中では基本的な攻撃魔法〈マインド・ボルト〉が当てはまるようだ。ダメージや副次的効果は付帯的な条件に当てはまるだけで基本動作は「弓を射た」に等しい。

 そのように分けていくと、戦闘級はひとつの戦闘の行く末を左右する魔法、作戦級は二つから三つの戦闘をまとめて左右するものであるという。戦術級は作戦級の上の段階、1日から数日、城塞ひとつ、塔ひとつ、館ひとつなどを一撃で左右する。戦略級は一つの戦争を左右するもの、国防級とは国家ひとつ、大陸級は大陸ひとつを左右する。それでいくと、世界級は。

 

「世界の存続、法則、運命を左右できる魔法……ということですか?」

 

 リ=ガンさんが説明してくれた内容に続ければ、彼はそのとおりですと頷いた。

 概念としてなら理解できる。けれど話の規模が大きすぎてピンとこないのも事実だった。

 

「その……。失礼ですが、仮定というか、分類そのものは理解できるのですが、実際そのような魔法が存在するのですか? それともこれはあくまで理論上の話なんですか?」

「存在します」

 

 僕の質問に、彼は唇の端を吊り上げどこか愛嬌のあるを浮かべて否定した。

 

「私が文献や実際に確認しただけでも、3回はその魔法が行使されている。その魔法は〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉と呼ばれています」

「……〈大災害〉、ですか」

 

 全貌は計り知れない、されど実在する魔法。自分たちが扱う技術の1つとしてだけでなく、世界の背景として世界の中に存在するというなら納得がいく。

 

「あなた方は5月に起きたあの事件を〈大災害〉と呼んでいるのですね。〈大地人〉たちはただ単純に〈革命〉とか〈五月事件〉等と呼んでいるようですが、私は〈第三の森羅変転(ワールド・フラクション)〉と呼んでいます。今回お招きして言葉を交わそうと考えたのは、あなた方の持っている〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉の情報をなんでもいいから得るためなのですよ。私は研究者として、どんなことでも知りたいのです」

 

 目の前の彼は、誠実そうな瞳でそう語った。

 

  *

 

 世界には人間、アルヴ、エルフ、ドワーフの4つの種族が暮らしていた。互いに栄華を誇り、国々は平和で富んでいた。4つのうちの1つ、アルヴの民は魔法文明の先駆者であった。その強い力とは裏腹に彼らは民を増やすことが出来なかった。少ない民が魔法の技術を持つ、それに憤った他の3種族の連合国家はアルヴの王国を滅ぼした。国を失ったアルヴの民は自分たちの持つ知識や技術を奪われ、世界の奴隷となり売り買いされることになった――。

 

「リンセやん、なに真剣に読んどるん?」

 

 順調に日を重ねている夏季合宿中の夜。日中に戦闘訓練をしていた新人たちは大半が寝静まっている時間に、1人廃校舎の陰で〈燈明招来(バグスライト)〉の明かりで何かを読んでいたリンセにマリエールは声をかけた。

 

「ああ、これ……? 前にアキバで調べたこの世界の歴史、かな」

 

 リンセはマリエールの問いに読み物から目を外すことなく答えた。

 彼女は、以前“息抜き”と称してアキバの文書館で調べたことを自分なりにまとめたメモを読み返していたのだ。

 

「〈大災害〉について何かわかるかなと思ったんだけど……そうすんなりとはいかないね」

 

 調べてみたはいいものの、公式の説明にあった世界観設定以上の内容はなかなか手に入らなかった。分かったのはそれぞれの種族の少しだけ詳細な歴史くらいだった。

 それでも何かないかと、彼女はそれを未練がましく何度も読み返しているのだ。

 

「はあ……。やっぱり、だめだな」

 

 普段はまとめている白い髪は今は解かれて地面に無造作に散らばっている。ぼりぼりと頭をかけばそれによってわずかに髪が揺れた。

 

「真剣にやってるのもええけど、ちゃんと寝ないとあかんよ?」

「ああ、うん……」

 

 マリエールの忠告に対してリンセは生返事だった。それだけ今目の前のものに集中しているのだ。そんな彼女に肩を竦めたマリエールは軽く彼女の頭を撫でて寝床である廃校舎に戻っていった。

 

  *

 

 アルヴの王国を滅ぼした3つの種族は多くの魔法技術を手に入れた。しかし、それをうまく扱うことはできなかった。そして、いつしか3つの種族の国々は争い始めた。その間で世界は大きく形を変えていった。

 

「やっぱり公式以上のことはないなぁ。……あとはシロくんたちのほうでどれだけ情報が集まるか、か」

 

 メモを傍らに置いて軽く伸びをする。そのまま空を見上げる。多少雲はあるがその隙間から星が見えた。

 

 〈大災害〉といえば、自分自身の中で〈大災害〉のあとに大きな変化があったことはサブ職業だった。

 ――〈星詠み〉。

 この職業は〈占い師〉または〈学者〉のいずれかのレベルを一定以上に上げることで転職可能となる上級サブ職業だ。特技としては占術系や知識系のものが習得できるけれど性能としては〈占い師〉や〈学者〉と比べると劣る、ようは器用貧乏になりやすいサブ職業だ。けれど、特殊でユニークな能力も多くて面白い職業でもある。

 それのどこが大きく変化したのか。簡潔にいえば、実際に星の道行きを読み解けるようになっていたということだ。それによって実際に人や社会の動きも分かったりした。また、サブ職業は関係ないかもしれないが、時間感覚や方向感覚が現実のときより正確になっている気がするのだ。元々それらは結構良い方だったけれどそれ以上になっていると感じた。どうやら前に比べて勘が良くなったと思ったのはこれが影響しているらしい。

 

「まあ、それも気になるけど、前に見たあの沖合の泡立っているような白いラインも気になるよね……」

 

 誰もいないので独り言になっていることは気にせず、あのときの風景を思い出す。

 それは36レベル以上の個人訓練の合間に見に行った、20レベル未満が訓練をしているメイニオン海岸の風景だった。

 

 その日、個人訓練監督の休憩と称して私は馬を使ってのんびり海岸に向かいマリエールと軽く雑談していた。そのとき、なんの気なしに沖合を見たマリエールが首を傾げた。

 

「なあ、リンセやん。あれなんやろ」

「え?」

 

 彼女が指差した先、そこには白く泡立つ水平線のラインがあった。私もそれが何かは分からず首を傾げる。しばしマリエールと私は顔を見合わせた。そのとき、近くを小竜が通りかかったのでマリエールは彼を手招いた。

 

「なあ、小竜ー。あれなんやろなぁ」

 

 マリエールの指した先を見た小竜を首を傾げた。

 

「んぅ。なんでしょうかね。……泡? 航跡、かな。うーん」

 

 私は気になったのでグリフォンにでも乗って見に行こうとしたが、運悪く個人訓練の方から呼び出しがかかり、結局確認せずに終わってしまったのだ。

 

「結局、なんだったのかな……」

 

 合宿が始まる一週間くらい前から感じている嫌な予感も相まってどうにも落ち着かなかった。何か、そう何か大事なものを見落としていそうな気がして仕方ないのだ。

 一体、何を忘れているというのか。

 その忘れていることが私自身のことなのか周りのことなのか、〈大災害〉以前のことなのか以降のことなのか。それすらも定かではなかった。

 

「……とりあえず、一通り考えてみるか」

 

 方向性が定まっていないことに関しての思考は疲れるので好きじゃないが、万が一、後々で取り返しのつかないことになっても後味が悪い。

 私はあらかじめシロエにもらっておいた紙とペンを取り出した。そこに思いつく限りの議題を上げていく。自分について、周りの人や事について、〈大災害〉前の〈エルダーテイル〉について、〈大災害〉後の〈エルダー・テイル〉について、そして拡張パックについて。

 私は箇条書きで記された議題をどこか他人事のように見つめた。

 

  *

 

 リ=ガンさんは僕たちに語る。

 〈大災害〉が〈第三の森羅変転(ワールド・フラクション)〉ならば、過去に二度、〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉が発生しているということ。

 〈第一の森羅変転(ワールド・フラクション)〉は、アルヴの王国を滅ぼした3つの種族の同士討ちの陰に隠れた復讐者、アルヴ王国の姫君たち〈六傾姫(ルークインジェ)〉が打ち取られようとしたときに発生した。その結果が〈緑子鬼(ゴブリン)〉や〈水棲緑鬼(サファギン)〉、亜人間の発生だったのだという。

 

「亜人間の発生といいますが、ことは異種交配であるとか生化学的な問題ではないとわたしは考えています。これは師匠がやっていた辺りの研究なのですが、どうもこの〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉には〈魂〉が関係しているのではないかというのが、現在わたしの立てている仮説です。少なくともその当時、世界には非常に多くの魂素材が溢れていました。度重なる戦争により世界人口は半数近くにまで激減していたからです。そして、その魂素材が、亜人間発生の材料として使われた。戦争によって減少してしまった人類は、あちこちから雲霞のように沸いてきた亜人間によって一挙に窮地に追い込まれます。多くの都市が陥落し、無敵を誇っていたはずの軍は壊滅。国という国のほとんどは解体されてしまいました。今現在、このヤマト列島において、この3300年前の国家として残滓が残っているのは〈古王朝ウェストランデ〉のみです。〈自由都市同盟イースタル〉の街や都の数々などは、田舎の小村でしかなかった。亜人間の発生により、世界は現在のような『亜人間の侵攻と戦いながら狭い文明圏を必死に守る人類』という構図に大きく変化を遂げたのです。世界は暗黒に閉ざされました。人間たちは、追い詰めた〈六傾姫(ルークインジェ)〉を倒しますが、彼女たちの復讐は成功したといってよいでしょう」

 

 その後、亜人間に対抗するために〈猫人族〉〈狼牙族〉〈狐尾族〉の獣族と〈法儀族〉が人為的に作られた。また、人類は信仰の力で〈古来種〉を誕生させた。けれど、どんな技術を用いても人類の滅亡を食い止めることはできなかった。亜人間は殺しても、その個体は生まれ変わり、また戦場に戻ってくる。これは、おそらくゲームとしての仕様上の問題なのではないかと思う。

 そして〈第一の森羅変転(ワールド・フラクション)〉から60年が経ったとき、再び〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉は起きた。リ=ガンさん曰く、数少ない記録によれば、人間とエルフ、ドワーフ、そして多くの〈法儀族〉を動員した神聖召喚術が使用されたという。

 それが――

 

「今からちょうど240年ほど前。――〈冒険者〉の出現です」

 

 そして、歴史は現在に繋がるのだという。

 

「〈冒険者〉ですか。……そういえば、リ=ガンさんは、僕の名前を知っていましたよね? あれはなぜなのですか?」

 

 中庭で会ったときに、確かに教えていないはずの名前で呼ばれたのだ。それがふと気になり尋ねてみた。

 

「シロエ様は大魔術師ですからね。〈冒険者〉の中での事情に明るいと考えたんですよ」

「大魔術師……?」

 

 一体どういうことだ、と首を捻る。そんな評判を得るような高位クエストを実行した記憶は僕にはなかった。

 

「シロエ様が歴史にはじめて現れるのは98年前のこと。もちろん他にも長命な冒険者の方はいますが、活動の頻度から見ても、シロエ様が大魔術師であることに間違いはない」

 

 そうでしょう? と笑うリ=ガンさんの発言に思考回路が一気に起動する。

 この世界の時間は現実世界の12倍、つまり98年前は自分が〈エルダー・テイル〉をプレイしはじめたとき。そして240年前はオープンβの開始だ。

 さらにリ=ガンさんは続ける。

 

「それに、シロエ様がいらっしゃるなら(シャオ)燐森(リンセン)様もご一緒かと思いまして」

「え?」

 

 小燐森――まさか、ここでクロの名前が出てくるとは思わなかった。

 

(シャオ)様は珍しい〈星詠み〉の巫女様でいらっしゃいますから、一度お会いしてみたかったのですよ」

 

 今回はいらしていないようで残念です、とリ=ガンさんは肩を竦める。

 

「小様はシロエ様よりも長命でいらっしゃいますよね」

「そう、ですね」

 

 確かにクロは僕よりも〈エルダー・テイル〉のプレイ歴は長い。そういった意味では僕より長命と言えるだろう。彼女のサブ職業である〈星詠み〉は特殊な職業だから珍しいというのも間違ってはいない。

 

「小様の噂は古今東西で耳にしますよ。本当に優秀な〈星詠み〉の巫女様で〈透き目の巫女〉とも呼ばれています。その力は潮の満ち欠けや天候といったものにとどまらず、人や国家の運命すらも知りうる。小様に読めないものはないとも言われています」

 

 そんな小様に〈第三の森羅変転(ワールド・フラクション)〉についてお話を伺いたかったのですよ、とリ=ガンさんは言うのだった。



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chapter 13

 今日も今日とて絶賛夏季合宿中だ。個人訓練中の人たちも随分としっかりした戦闘をするようになってきたし、海岸組の方も着実にレベルを上げている。直継やご隠居の話によればダンジョン組のダンジョン攻略もいい感じに進んでいるようだ。

 間違いなく夏季合宿はいい方向に進んでいると言える。目下の不安事と言えば、私がたった1人で抱え込んでいる嫌な予感だけである。

 考えても考えても答えは出てこない。警鐘は鳴りやまず、それどころが日を追うごとに不安の影は濃くなり、嫌な予感は増していくばかりだった。

 

 目の前の風景を瞳に映しながら、昨晩までの思考をまとめる。

 

 まずは自分自身について。〈大災害〉直後にも確認したが、ステータスや特技、レベルなどに見落とした点はなさそうだった。職業に関しても同じく。まあ〈星詠み〉に関してはあの日の認識の同じだが。他に考えることといえば、プレイヤーとしてではない自分自身について。これも特に気になることはなかった。この世界に来て劇的に性格が変わったわけでもなければ、不本意ながらよく当たる勘が鈍ったということもなく、いたって普通、変化なしだ。

 では、次に周りについて。といっても私1人でそこまで周りについて情報があるかと問われれば否だ。1人でそんなに情報が集まるわけはない。なので自分のわかる範囲で考察する。まず自分に一番近しいギルド〈記録の地平線〉から。メンバーは割愛、それぞれに多少環境の変化に伴う変化はあったように思うけど、何か見落としがあっただろうか。考えて考えて結局見つからなかった。ならば他のギルドはどうか。それも似たり寄ったりで、これといったものは見つからなかった。あ、でも〈狂戦士〉はちょっと何かあったっぽいけれど。それが今回の予感に何か影響がありそうか、といわれると微妙なところだ。

 

 昨晩までの脳内会議の結論はこんなものだった。目新しい発見もなく、不安要素も見当たらず、収穫はなし。果てには、何のために睡眠を削ったのか分からなくなっていた。

 

「……さん、……セさん」

 

 はあ、と重いため息を吐いた私に少し強めの声がかかる。

 

「リンセさんっ!」

「うぇっ!? あ、小竜か」

 

 私に声をかけたのは私から少し離れたところで若手相手に訓練をしていたはずの小竜だった。

 小竜かじゃないですよ、と咎めるように自分を見てくる彼に首を傾げる。

 

「何をそんなに口を尖らせてるのさ」

「さっきからずっと呼んでるのに、反応すらしてくれないからじゃないですか!」

「え、呼んでた?」

「呼んでました」

 

 これはやってしまった。今回は完全に私に非があるようだ。

 どうやらシロエ曰く、私には考え事を始めると周りの声に気付かない悪癖がある、らしい。今回はその悪癖が顔を出していたようで、私は今の今まで全く小竜の声に気が付いていなかった。

 

「あはは……ごめん」

 

 苦笑いで謝罪すれば呆れたようなため気が返ってきた。

 

「俺が呼んでるのにも気付かないほど、何考えてたんですか?」

「えー、あー……」

 

 軽く首を傾げる小竜に何ともいえない声が出た。考えていたことが言えない訳ではないが、何か変なことを吹き込んで不安を煽っても申し訳ない。

 

「ううん、特に何でもないよ。気にしないで」

「そうですか……」

 

 その答えに納得がいかなかったのか、小竜は怪訝そうな顔をした。そんな彼にこれ以上問い詰められても嫌だし、あまり考え事ばかりしていては仕事放棄にもなってしまう。私はさっきまでの考え事タイムを終わりして、小竜から逃げるように訓練監督に戻った。

 

  *

 

 若手を相手にしているときに視界に入ったリンセさんは個人訓練している人たちを眺めていた。リンセさんは基本的に個人訓練の全体監督のような役割で、最初の1~2日は実戦訓練もしていたが、それ以降はもっぱら全体の観察やアドバイスを行っていた。

 今日も同じなんだろうと思いながら若手の相手をしていたがどうにも様子が変だ。なんというか、心ここに在らずといった感じだった。いつもは訓練しているメンバーをしっかりと見ているのに今日はその目がどこか虚空を見つめている。

 相手をしていた若手が休憩に入るタイミングで俺は彼女に声をかけてみた。

 

「リンセさん」

 

 その声にいつもならすぐ返事が返ってくるのだが、今日は一切の反応がない。

 

「リンセさん?」

 

 少し声を強めて再度呼びかけるも結果は同じ。下唇に右の人差し指と中指を添えている彼女は、ぼうっとしているというよりは考え事をしているようだった。そして不意にリンセさんはやけに重いため息をついた。

 

「リンセさんっ!」

「うぇっ!?」

 

 先ほどよりも強めに声をかければようやく反応が返ってきた。よほどびっくりしたのか妙に声が裏返っている。

 あ、小竜か、と明らかに今気づきましたとでもいうようなコメントに本当に全く気付いていなかったのかと思った。

 何をそんなに、という彼女にさっきから呼んでるのに気付いてくれないからだと口を尖らせる。それで自分の非に気付いたのか、彼女はやってしまったという顔をした。

 

「あはは……ごめん」

「俺が呼んでるのにも気付かないほど、何考えてたんですか?」

「えー、あー……」

 

 俺がそう問いかければリンセさんはばつが悪そうな何かを濁すような情けない声を上げた。その後、少し考えたような様子の後で何でもないと笑う。

 その後、まるで逃げるように訓練監督に戻ったリンセさんの背を見送って俺はどうしたんだろうと首を傾げた。

 

 シロエさんが信頼を置くベテラン〈神祇官(カンナギ)〉のリンセさん。シロエさんと付き合っているのかなんて疑っていた時期もあった。いや、今も少しだけ疑っているけれど。それだけあの2人の距離は近く見えた。こう、物理的な距離というわけではなくて精神的にあの2人の距離は近く見えたのだ。何を根拠にと言われたら、根拠と言えるほどのものはないと答えるしかない。でも、そう、シロエさんの態度というか目が違うのだ。リンセさんを見る目と他の人を見る目が。極めつけはアキバの状況改善のために〈三日月同盟〉に協力を求めてきたあの日の、シロエさんのリンセさんへの行動だ。寝てしまったリンセさんにあんなに優しい顔で自分のローブをかける姿は、直視していたらなんだかこっちが気恥ずかしくなってしまった。

 もしかしたら片思いなのかもしれないとも思ったけど、リンセさんは身近な人の好意に気付かないほど鈍感だろうか。勘がいいと聞いているし、付き合いも長いとシロエさんは言っていた。

 いや、気付かない云々の前にシロエさんにそんな気はないのかもしれないし。だとしたら、あの優しい顔の意味は何なんだ。

 

 自問自答していたらあの気恥ずかしさが戻ってきてしまいそうで、慌てて頭を振る。

 今は夏季合宿中、訓練中は気をそらしている場合じゃない。

 そう気合いを入れ直した俺を呼ぶ声がして俺はそちらに向かった。

 

  *

 

 すっきりしないまま、今日も時間は流れて空には星が輝いていた。そして、私は最近の日課になりつつある廃校舎の陰での考え事に耽っていた。

 

 昨日までで大方自分や周りの人については見直し終わっただろうか。

 箇条書きで書かれた議題を見ながらそう思った。もう一度さらりとおさらいしたが、結果は昼間の脳内まとめと同じだ。それを紙にまとめた後、次の議題に取り掛かる。

 

 それは〈大災害〉前の〈エルダー・テイル〉と〈大災害〉後の〈エルダー・テイル〉について。

 

 変化したことはたくさんあっただろう。そもそも生活環境が変わったし、というかファンタジー世界が実際の世界になった。その中でもっとも大きかったのは、きっと〈冒険者(プレイヤー)〉と世界の関係だ。

 〈大災害〉前後で変化した〈冒険者(プレイヤー)〉と世界の関係事情。

 まずは対人関係からいってみよう。それに関してもっとも大きなものは〈大地人〉との関係だろう。最初にそこを掘り下げる。

 一体どのように変化したのか。〈大災害〉前、私たちは彼らとどのように接していたのか。

 ただのNPCだと思っていただろう。それが今は1人1人が現実を生きているのだ。そんな彼らと私たちは今どのように接しているのか。繰り返しではない会話をしている、温度を感じる。歴史を持ち、人格を持ち、記憶を持ち、呼吸し、食事をとって、私たちと変わらず生きている。

 そこまで考えて最初に戻る。

 かつて〈冒険者〉と〈大地人〉の関係はどうだった? プレイヤーとノンプレイヤーキャラ、操作側とプログラム、人間とシステム。それは、きっとどれも正解だ。けれど、最も多かった関わりはきっと“クエスト”、その一言に尽きるだろう。そう、クエスト受注者とクエスト発行者――それが〈冒険者〉と〈大地人〉の関係だった。だが今はどうだ。〈大災害〉で発生した変化の対応に追われていた〈冒険者(クエスト受注者)〉は、〈大地人(クエスト発行者)〉が出したクエストの多くを放置していた。

 

 なら、次はクエスト放置によって生じるものを考えていく。

 

 クエスト、それは〈エルダー・テイル〉のみならず、多くのゲームでストーリーを進めたり、アイテムを入手するための機構である。けれど、放置したからといってそこまで困るようなことではないはずだ。

 ――ゲーム時代では。

 それなら、今は。

 クエストの放置、それはもしかしたら〈大地人〉の生活を脅かすのではないか。それに加え、今までクエストを受注してくれていた〈冒険者〉がある日突然クエストを受注しに来なくなったことに対して〈大地人〉はどのように感じたのか。他にも――。

 嫌な予想は泉のように湧き出て来る。自分でも追いつくのに必死にならなければならない速度で回る頭に、落ち着けと気休めのような言葉をかけてはゆっくりと確実に思考を繰り返す。

 クエスト放置によって生じる不安要素、それは一体何か。不安要素、というくらいだから良くないことだというのはなんとなく分かる。良くないそれがどれほどの範囲なのか。頭を捻っていると不意に頭の中のデータベースで何かが引っかかった。その引っかかりを必死に追う。

 

 検索。〈大災害〉、拡張パック……いや、これじゃないな。

 再検索。クエストの放置、モンスターの討伐、イベント。……タイムアップ。

 

「タイム、アップ?」

 

 何かが引っかかった。それはクエスト放置によるタイムアップ。

 

「何が、一体……?」

 

 今まで見聞きした情報すべてを引っ張り出して条件に合うものを探し出す。

 そして、それはヒットした。

 

 『ゴブリン王の帰還』。

 

 それは定期的に発生するゲームイベントだった。

 オウウ地方の深い闇の森〈ブラック・フォレスト〉の最深部に存在する〈緑子鬼(ゴブリン)〉族の城〈七つ滝城塞(セブンスフォール)〉で、2年に一度〈緑子鬼(ゴブリン)〉の王が戴冠する。戴冠するのは周辺〈緑子鬼〉6部族のうちもっとも強力な族長である。

 ゲーム的な解説でいうと、地球時間にして2ヶ月に1度起きるイベントだ。〈七つ滝城塞〉ゾーンへの入り口が2ヶ月のうち1週間だけ解放され、その期間中にこの城へと忍び込み〈緑子鬼〉の王を討伐すると強力なアイテムを手に入れることが出来るというイベントだった。

 これは割と人気のあるイベントだった。その理由の一つとしてあげられるのが、ゴブリン王の強さや城の警備が可変であるということ。その条件がオウウ地方に散在する〈緑子鬼〉の拠点を襲撃して事前にゴブリン勢力を削いでおくことだ。そのことにより〈七つ滝城塞〉の〈緑子鬼〉勢力が弱体化できた。そして、この時期は〈大地人〉からのクエストで『ゴブリン王を倒してくれ』という類のものがあったと記憶している。

 討伐期間は現実世界でいう一週間。なら、こっちの世界では。

 確か〈エルダー・テイル〉での時間の流れは現実世界の12倍だった。よって一週間、つまり7日間の12倍、84日。およそ3ヵ月より少しだけ少ない日数。

 今は何月――8月。〈大災害〉はいつ――5月。下手をしたらタイムアップしていてもおかしくない。

 そして、このイベントの追加記述は以下の通り。

 討伐期間にゴブリン王が討伐されなかった場合、周辺地域の〈緑子鬼〉部族をまとめあげ、数十倍に膨れ上がった軍勢になる。

 もしこの予想が正しければ。

 

「あの海の白いラインは、モンスター?」

 

 水棲生物のモンスターか。だとしたらおそらく〈水棲緑鬼(サファギン)〉だ。

 

 その大群が、メイニオン海岸に接近している?

 

 〈水棲緑鬼〉のステータスは確か、レベル帯は22~48、ランクはノーマル、出現場所は水中と沿岸部、そして水没ダンジョンだ。それに比べて、海岸組のレベル帯は高くても20と少しだろう。監督をしている高レベルプレイヤーがいるからといっても数で責められたら手に負えるかどうか。

 夏季合宿は中止にするべき、か。いやでも確定条件が何一つ揃っていない。そんな状態で話しても下手に混乱を招くだけだ。

 どうする、と自問する。何が最善解なのか、珍しく答えが出なかった。

 誰に相談をするべきなのか。そもそも誰かに相談するべきなのか。もう少し情報収集するべきか。でも、それで手遅れになったら。

 

 そこで、はたと気付く。〈冒険者(私たち)〉は困らないのだと。

 

 そもそも、何のための領主会議への招待だったのか。今回の招待にはきっと『この世界の社会統治機構の一部である〈自由都市同盟イースタル〉が〈円卓会議〉を自らの一員として認めてその立場を明確にしよう』という意図があったはずだ。その立場が明確化されているのか分からない状況で〈円卓会議〉に統治されているアキバの〈冒険者〉が下手に手を出してもいいものか。

 

 分からないなら、確認すればいい。

 

 そう思った私はフレンド・リストを開き、そういう情報をまとめているであろう彼に念話をかけようとして、止まった。

 話して、どうする。聞いて、どうする。そもそもこんな時間にかけるなんて非常識極まりないだろう。

 でも、としばし自問して、結局決められずに頭を乱暴にかいてため息とともに地べたに寝転んだ。

 私が悩んでいる間も空には星が爛々と輝いている。綺麗だな、と思いながらぼんやりと見つめていた。

 

 そのとき、何かが頭をよぎった。

 

黄道十二宮(Zodiac)、今ここに途は開かれた”

 

 あの日に聞いた星の声だった。

 

“地と共に生きる民、憧憬のうちに堕ちる天蝎宮(Scorpius)

 二つに分かたれた生を再び結ばんと契り交わし

 (あずま)()()()()()()()()()()()、理に叛逆す”

 

 星の声は止まない。

 

“みはしらのうずのみこの末子、伊弉諾尊の禊より生まれし海原の神。

 かの者は、森羅の変転のちに何処(いずこ)ともなくゆかれた。

 地と共に生きる民は、救いを乞うものを失った”

 

 みはしらのうずのみこ――三貴子、その末子とは素戔嗚尊のこと。素戔嗚で有名な話と言えば出雲で八岐大蛇を退治した英雄譚か。出雲神話の英雄。……出雲の英雄?

 出雲、出雲、〈エルダー・テイル〉で確かそんなワードがあった。

〈イズモ騎士団〉――それは〈エルダー・テイル〉世界を守護しているという〈全界十三騎士団〉の一つで、日本サーバーに存在する〈古来種〉による騎士団だ。

 それがどうしたとあの声は言った? かの者は森羅の変転のちに何処ともなくゆかれた、とそう言った。

 森羅の変転、それが何を指すかは分からないが、何処ともなくゆかれた、と言った。どこというあてもあく、ゆかれた。もしかして。

 

「……〈イズモ騎士団〉の行方が分からない?」

 

 ならば、“地と共に生きる民は、救いを乞うものを失った”、その意味は。

 〈大地人〉は彼らから生まれた英雄的な存在である〈古来種〉で組織された人類の切り札に救いを求められないということ、なのでは。そんな彼らが最後に助けを求められるのは。間違いなく〈冒険者〉であろう。でも、今の〈自由都市同盟イースタル〉にとって〈冒険者〉とは実に不安定な戦力と言えるのではないか。だって、そうでなければ『立場の明確化』を求めて領主会議に招待なんてしない。ゲーム時代と何ら変わらない認識だったのならそのままにしておけばよかったのだ。向こう側はそれができない状況と踏んでいい。

 そんな状況で、どうやって彼らは自分たちの領土を守ろうというのか。

 

 手遅れどころの話ではないのかもしれない。私が1人で考えていていい話ではないのかもしれない。

 どうする、どうすればいい。やっぱり話すべきなのか。

 再び開いたフレンド・リストを前にまたしても動きが止まった。本当に、話していいのか。言ってしまえばいつものただの勘だ。私が今聞いた声だって勝手に自分で星の声などと言っているだけだ。

 ガシガシと乱暴に頭をかいて、ええいままよ、と念話をかけた。呼び出しの音を聞きながら、出たら話す、出なかったら話さない、そんな無責任なことを考えていた。

 

  *

 

 〈エターナルアイスの古宮廷〉に与えられた居室で書類を整理していた僕は、突然響いた鈴の音にその動きを止めた。この音は聞きなれた念話の呼び出し音だ。ミノリからかかってくる毎日の報告はもうずいぶん前にかかってきた。そもそも、今の時間は夜中といっても差し支えない時間だ。そんな時間に一体誰がかけてきたのだろう。

 フレンド・リストの通知に表示された名前は、小燐森――クロの名前だった。

 彼女が夏季合宿に、僕が領主会議に行ってからは連絡なんて取っていなかった。そんな彼女が非常識とも呼べるこの時間に一体何の用で念話をかけてきたのか。

 妙な胸騒ぎを感じながら僕は念話を繋ぐ。

 

「クロ? どうかした、こんな時間に」

『えっ、あ……』

 

 念話に応じてみれば、向こう側からは心底驚いたような声が上がった。

 

「どうしたの?」

『あ、いや、まさか出るなんて思わなくて……』

 

 普段はほとんど聞く機会のない戸惑った声色に、僕は無意識に眉間に皺を寄せた。

 

「出ない、と思ってかけたんだ……」

『いやっ、五分五分かなって……』

 

 そのあとに静かな声で、ごめん、と言ったクロが念話してきた意図が全く分からなかった。そもそも、何かはっきりした用件以外で彼女からかけてくることなんてひどく珍しいことだ。もしかして夏季合宿の方で何か問題でもあったのだろうか。特にマリ姐や直継、班長とかからそういった報告はなかったけど、彼女だけが気付いたことがあったのかもしれない。

 

「何か問題でもあった?」

『あー、うん……。問題があった、というよりは、これから起きそう、かな。……確証、はないんだけど』

 

 歯切れの悪い会話。クロの様子がまるで別人、何もかもが珍しかった。

 

『その、さ。そっちの様子はどう? 会議は、進んでる?』

「え?」

 

 突然切り替わった話題に僕は少々間抜けな声を上げた。

 

「そのことを聞きたかったの? でも、さっきの話からだとそんなわけじゃないんだろ?」

『そうなんだけど……ちょっと、そっちの状況次第で報告内容が変わる、から』

 

 その報告が聞きたい、と言ったクロの声は先ほどよりかは芯があった。

 

 僕はここ数日のことを思い返す。

 〈自由都市同盟イースタル〉の貴族たちは〈円卓会議〉に個別に接触してきていること。要請は様々だが兵力派遣の希望は少なく、技術供与や通商条約を結びたいというところがほとんどだったこと。思ったよりもしたたかで賢い、そんな印象であること。また、魔術式蒸気船試作機の情報を掴んでいる貴族が少なくなかったこと。それらについて〈円卓会議〉として受け入れる申し出と受け入れない申し出について。

 そこまで話して、僕はふいに言葉を止めた。

 〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉そして〈魂魄理論(スピリットセオリー)〉。それらについて話してもいいのだろうか。特に〈魂魄理論〉については非常に繊細な問題だった。

 結論から述べれば、この世界において『死』はノーリスクではなかった。

 リ=ガンさんの述べた〈魂魄理論〉から察するに、『死』は自分たちの精神を駆動するエネルギーである魂を用いて肉体を駆動するエネルギーである魄と肉体を再生させる。そのたびに自分たちはわずかな記憶を失うようである、と。

 

『シロくん?』

 

 ふいに言葉が止まった僕に念話越しに不思議そうな声がかけられた。

 

『申し出の受け入れについてはわかった。それで、他に何かあった?』

 

 そう聞いてくるクロの声に彼女が前に零した言葉を思い出す。

 

 ――今のところ、この世界においての『死』はその意味では抑止力にならない……だろうけど、もしそこに別の意味の抑止力があったとしたら、どうだろう? なんてね。

 

 もしかしたら、クロは勘づいていたのだろうか。

 

「クロ……〈円卓会議〉が設立したときに言った言葉を覚えてる?」

『へ? どの言葉?』

「『死』に別の意味の抑止力があったら、ていう話」

『ああ、あの話か』

 

 覚えてるよ、と答えたクロにあの時聞けなかったことを聞こうと口を開く。が、僕が言葉を発するよりも先にクロが続けた。

 

『その様子だと、そのことについて何か確証が得られるような情報があったんだね』

「っ……!」

 

 目の前にいないのに、あのオブシディアンの瞳が見透かすように細められるのが分かった。

 

『無限の命、なんて都合のいいものがあるとは思わなかったからね。むしろ、そこに何かしらの抑止力が働きそうな何かがあった方が自然だと思ってた』

 

 でなければ私たちは『死』に対して意味を見いだせない、それは生に意味を見いだせないのと同義だ。そうクロは締めくくる。

 何も言葉が出なかった。

 彼女の言葉には恐怖なんてなかった。それどころか、どこか安心したような声色だった。

 

『ま、その話は後で詳しく聞こうかな。ちょっと難しそうだし』

 

 とりあえず今までの話をまとめようか、とクロは続けた。

 

『今のところ兵力要請はほとんどない。基本的には物流関係の要請である。〈円卓会議〉は〈自由都市同盟イースタル〉での位置を確定していない、と……』

 

 こんな感じかな、と問いかけてくるクロに肯定の返事を返した。

 

『……となると、状況は芳しくないね。領主の方から情報は降りてこないと考えた方がよさそうか』

 

 そう言ったきり、クロは言葉を発さなくなった。

 

「クロ?」

 

 呼びかけても反応が返ってこない。僕が予想するにまたクロの悪癖が出たな。考えこむと外界の情報をシャットダウンする、あの悪癖だ。こうなると彼女の思考が一時停止するタイミングを見計らって大きめの声で呼ぶか、彼女の考えが自己完結するまで待つかしないと彼女は自分の思考の世界から帰ってこない。

 

「クロっ? 聞こえてるっ?」

 

 何度か呼びかけてみるが、うまい具合に一時停止のタイミングがつかめないようで一切返事は返ってこない。話が進まない、と大きなため息をついたとき、どうやらうまくタイミングが噛み合ったようだ。

 

『あ、ごめんシロくん。ちょっと考え込んじゃって』

「いいよ、おかえり」

『うん、ただいま』

 

 申し訳なさ半分自己完結が半分、そんな声色のクロは念話の向こうで深呼吸をした。

 

『まず、結論から話すと『ゴブリン王の帰還』が発動しているかもしれない。それによってメイニオン海岸に〈水棲緑鬼〉の大群が向かってきているかもしれないということが2つ目。もしかしたら〈緑子鬼〉も接近しているかもね』

 

 その言葉だけでも相当な衝撃があったというのに、続けてクロはさらに驚きの言葉を口にした。

 

『最後に、もしかしたらこのヤマトには今〈イズモ騎士団〉がいないのかもしれない、ということ』

 

 驚いた。一体どこからその情報を入手したのか。自分自身も〈イズモ騎士団〉が機能しているのかの確認は取れていなかったから不安要素にはしていたが、こんな形で外部から情報が入ってくるとは思わなかった。

 

「その、かもしれないっていうのは、いつもの勘?」

『そう……と言いたいけど、実のところ微妙なラインだね』

 

 いつもなら、ただの勘だ、で済ます彼女が言い淀む。

 

『その微妙なラインの話をするには、〈大災害〉後の私のサブ職業の変化について話す必要があるかな』

 

 彼女のサブ職業――〈星詠み〉。ゲーム時代は〈占い師〉と〈学者〉から転職可能である特殊な上級サブ職業だった。特技から見れば占星術や知識面の特技が幅広く習得できるようになるだけで器用貧乏になりやすい。けれど、それ以外の特技が実にユニークなのだ。それは、月齢や潮の満ち引きに影響を受けるという設定の時限クエストやダンジョンの周期を知ることができるというもの。特に不定期に発生する時限レイドについては〈星詠み〉がいない限り挑戦すら困難なケースもある。

 そのサブ職業がどのように変化したのか。

 生産系ではないその職業で何か新しいものが作れるようになったというのは考えにくい。

 

『簡単にいうと、仕組みはよくわからないけど現象的には()()()()()()()()()()()()()()()()()と言えばいいのかな。『ゴブリン王の帰還』の発動に関してはいつもの勘だけど、〈イズモ騎士団〉の方はサブ職業の方が関係してて。だから、今までの勘の正確性と比較するとどの程度のものなのか、まったく予想がつかないんだよね』

 

 フレーバー、それは対象の背景にある物語でいわば味付けのようなものだ。それがそのまま適用されているとなると、星の道行きを読み解いて未知の事象を解き明かす、そういうことなのか。

 それならば、そこからもたらされた情報はおそらく今までの彼女の勘以上の正確性を持っていると考えられる。つまり、いつもの勘で導かれた『ゴブリン王の帰還』はもちろんのこと、サブ職業の影響から得られた〈イズモ騎士団〉の行方不明も真実である可能性が高いということだ。

 

『それで『ゴブリン王の帰還』のことなんだけど。〈大災害〉以降、〈大地人〉からのクエストもモンスター討伐も、ゲーム時代に比べたらやってる人なんて激減しているでしょ。だからイベントが発生しているとしたら今までの規模とは段違いなものになる。もし仮に『ゴブリン王の帰還』が発動していたとして〈イズモ騎士団〉が行方不明だというのが真実なら、〈イースタル〉はアキバに派兵を依頼しなきゃならないと思う。そんな中、彼らの中で立場が明確化していないアキバの〈冒険者〉が領主会議(そちら)の結論無しに手を出していいものか。そこが一番の疑問なんだけど』

 

 言っていることは分かる。個人の判断で行動してそれが〈円卓会議〉ならびにアキバの街と〈自由都市同盟イースタル〉の間に波紋を生むかもしれない。彼女はその可能性を言っている。

 その状態で、もし戦わなければならない状況になったらどのように対処するのがベストなのか。

 

『それに、『死』もノーリスクじゃないっていうなら、たとえ〈冒険者〉であってもリスクなしに戦えない』

 

 答えは、出せなかった。問題が大きすぎるのだ。

 

『えっと、私が報告したかったのはこんなもの。それで、私たちはどうすればいいかなって相談がしたかったんだけど、とりあえずは警戒と待機くらいしか選択肢がないかな』

「そう、だね……」

 

 まったくクロの言う通りで、僕はそれに同意した。

 じゃあ明日の朝にでも引率組には『ゴブリン王の帰還』が発動しているかもしれないことは話しておく、とクロは言って念話を切った。

 

 念話が切れて静かになった空間で僕はリ=ガンさんの言葉を思い出す。

 

 ――その力は潮の満ち欠けや天候といったものにとどまらず、人や国家の運命すらも知りうる。小様に読めないものはないとも言われています。

 

 フレーバーがそのまま影響しているかもしれないと、クロは言った。

 リ=ガンさんの評価が正当なら、近いうちに彼女に読めないものはなくなるんじゃないか。

 

 そう思ったら、僕はひどく寒気がした。




2016/6/30 15:53 加筆修正


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chapter 14

 翌日の朝一番に夜中にシロエに話したことを引率組に簡潔に伝えた。前に私とマリエールと小竜が確認した沖合の白いラインのことも含め、モンスターの大群が迫っているかもしれないことを。ダンジョン組の方にはご隠居の方に念話で。けれど新人組には混乱を招かないように現段階では伝えないことになった。その分引率組が警戒しておくことにも。

 

 そんなことを話し終わった午前中。私はいつも通りに全体の監督をしていた。そのとき、同じ場にいた小竜が叫んだ。

 

「全員を集めろ! 至急だ!」

 

 彼は身近にいた〈神祇官〉の若手に叫んでいた。私はそんな彼に近づいた。

 

「小竜、何かあったの?」

「マリエさんから念話があって、海岸の方に〈水棲緑鬼(サファギン)〉が出たって……」

 

 その報告に2人して顔をしかめる。今朝私が言ったことが現実になったのだ。

 まさかこんなに早く来るなんて。

 

「とりあえず、海岸の方に行くよ」

 

 言葉なく頷いた小竜は先ほど声をかけた若手に続けて指示を出す。

 

「全員集合した時点で、そちらから念話を入れてくれ。――10分おきに定期連絡もだっ!」

 

 そう叫んだ小竜が馬の召喚笛を出そうとしたがそれを手で押さえ私は自分の召喚笛を吹く。ばさりという羽音と共に現れたのは〈鷲獅子(グリフォン)〉だ。

 

「小竜、馬よりこっちの方が速い。乗って」

 

 素早く跨った私は押さえたままの小竜の手を引き自分の後ろに乗せる。そしてそのまま海岸を目指して飛び立った。

 空をかける〈鷲獅子〉の背で私は小竜に問いかける。

 

「小竜っ、向こうの様子はどうっ?」

「詳しい状況は何もっ。ただ戦闘してるのが分かるくらいでっ……」

 

 その声から彼が切迫感に襲われているのが分かる。それにかけてやれる言葉は見つからない。

 私はただできる限りの速度で目的地に向かうように〈鷲獅子〉に指示を出すだけだった。

 

 風を切る〈鷲獅子〉のおかげで馬で来るよりもずいぶん短い時間で海岸に来ることが出来た。空から見下ろす海岸は〈水棲緑鬼〉が埋め尽くしており、高レベル〈冒険者〉が仲間を守るように戦っていた。そのなかにマリエールもいる。

 

「〈鷲獅子〉、高度を下げて。小竜、飛び降りるよ」

 

 〈鷲獅子〉に指示して飛び降りられる高さまで下降してもらう。そして、その高度になった瞬間に小竜と2人で飛び降りた。

 敵の上空に降り立った私は空中で〈剣の神呪〉を詠唱する。虚空から現れた無数の剣はマリエールを囲うようにいた〈水棲緑鬼〉の群れを葬り去った。敵が一時的にいなくなった空間に小竜と2人で降り立つ。

 

「マリエさんっ!」

「小竜っ! それにリンセやんもっ!」

 

 蒼白なマリエールをかばうように立ちふさがった小竜に視線だけで合図をする。そして私は愛用の薙刀を構えて〈水棲緑鬼〉の群れに突っ込んでいった。

 薙刀を振り回し、〈水棲緑鬼〉を吹き飛ばす。

 まずは新人たちの退路を確保しなきゃならない。新人はマリエールが誘導しながら守り、そのマリエールを小竜が守る。なら、そこまでこの大群を通さないのが私を含めた高レベル〈冒険者〉の役割だ。この状況で出し惜しみはしていられない。

 

「おいで〈青龍〉」

 

 呼ぶと私の上空に青い龍が出現した。

 私の持つ〈青龍偃月刀〉は実はAI型アイテムで、このように〈青龍〉を召喚すると全ステータスが上昇する優れものだ。

 それはともかくとして、こちらに〈水棲緑鬼〉が出てきたことを考えるとダンジョン組の方にも何かモンスターが襲撃したと考える方がいいかもしれない。一度念話でコンタクトを取りたいところだが。

 

「まずはここを切り抜けるべきだね」

 

 愛刀を握りなおして、私は再びそれを大群に向かって振りかざした。

 

  *

 

 海岸において壮絶な撤退戦が行われているとき、ザントリーフ半島中央部の山地でも戦闘が始まっていた。敵は〈緑子鬼(ゴブリン)〉。その小隊規模の小集団が森の中に多く徘徊していたのだ。

 その時点でにゃん太は山中に偵察に向かい、残ったメンバーはダンジョン攻略の際に使っていたキャンプの撤収と周辺警戒を行っていた。

 

「ったく、まさかこんな形でリンセの予想が当たるとはな」

 

 テント解体をしながら直継はつぶやいた。

 今朝にゃん太にかかってきたリンセの念話は、もしかしたら『ゴブリン王の帰還』が発動しているかもしれないから警戒してくれ、というものだった。それを聞いたにゃん太、直継、そして〈黒剣騎士団〉から引率で来ていた〈施療神官(クレリック)〉のレザリックは、新人たちが午前中のダンジョン攻略の準備をしているなか、ひそかに周辺を警戒していた。そして〈緑子鬼〉の小集団が複数徘徊しているのを見て即座に予定変更を通達。「ラグランダの杜」前の広場で襲撃してきた〈緑子鬼〉の撃退を行なうに至る。

 

「“予言者”と呼ばれているのは知ってますが、まさか本当に当たるとは」

 

 レザリックは何度か〈黒剣騎士団〉の大規模戦闘にサポートで参加していた白髪の〈神祇官(カンナギ)〉を思い浮かべる。ギルドマスターであるアイザックは彼女のことを気に入っていて、何かと理由をつけて大規模戦闘(レイド)に彼女を誘っていた。確かに優秀な〈神祇官〉ではあったが、まさかこんなにドンピシャに当たる勘の持ち主だったなんて。どうりで戦闘中に見たことがない攻撃でもいつ飛んでくるか的確に当てられたわけだ。それはアイザックでなくとも重宝する、と認識を改めた。

 そのとき、偵察に向かっていたにゃん太が戻ってきた。その顔は厳しい。その様子に直継とレザリックはにゃん太のもとに集合した。集まってきた2人ににゃん太は報告する。

 

「よくない雰囲気にゃ。大規模行軍――少なくとも数千規模の〈緑子鬼〉軍が、屋根ひとつ向こうを進軍中にゃ。本当のところはいったいどれほどの数がいるのか……それはわからないにゃ」

 

 その言葉に報告した本人も含め確信した。『ゴブリン王の帰還』が発動している、と。でなければ、こんなところまで大規模行軍することはない。

 

「ちっ。仕方ねぇや。連絡は?」

「シロエちには報告したにゃ。どうやら、昨日の夜中の時点でリンセちから連絡があったらしいにゃ。そのリンセちとマリエールさん、小竜くんは連絡が取れないにゃ」

「とれない?」

「昼寝してるのか、戦闘などで取り込み中か、お互い念話をしている相手がいるのか。それはわからないにゃ」

 

 にゃん太の声は落ち着いているがいつもの余裕はない。昼寝なんてぼやかしているが、マリエールはともかく小竜とリンセはその可能性は低い。リンセに至っては、眠っていても緊急の念話をかけたときは必ず起きることをにゃん太は知っていた。その会話を聞いたレザリックは海岸にいる〈黒剣〉のメンバーに念話をかけるも、こちらも連絡がつかなかった。

 

「こちらに〈緑子鬼〉の襲撃があったのだから、向こうにも何らかの襲撃があったと考えるべきでしょう」

 

 連絡がつかない理由としては一番近いであろうレザリックの言葉に引率組は思考を巡らせる。

 にゃん太が連絡したうちの1人であるリンセは、基本自分と同格の高レベルモンスターと戦闘している以外は戦闘中でも念話に出ることが多い。そのリンセが出ない、ということはそれほど海岸の状況は緊迫していると考えるべきか。かといって新人たちを置いて海岸に急行するわけにもいかない。山中に〈緑子鬼〉の集団が潜んでいることも考えるとなおさらである。

 

 にゃん太の話によれば、谷を進んでいるのは大規模な略奪部隊(プランダートライブ)。その中には〈鉄軀緑鬼(ホブゴブリン)〉や〈灰色大鬼(トロウル)〉もおり、おまけに魔獣部隊も備えた本格的な侵略旅団である、と。

 

「じゃあ、わたしたちがさっきまで遭遇していたのは、先行偵察小隊なんですね?」

 

 引率組の会話に割り込んだのはミノリの声だった。その方を引率組が見ればミノリたち下位パーティーの5人が立っていた。表情を見るに会話を聞かれていたらしい。

 

「数千……屋根ひとつ向こうか」

 

 意志を宿した表情で〈妖術師(ソーサラー)〉のルンデルハウスが言う。そのあと、引率組が言葉を失っている間にセララが続いた。

 

「わたし、〈三日月同盟〉で新人の世話をしてましたっ。あの、だからっ。みんなのこと、全員フレンド・リストに入れてあります。ねっ? 五十鈴ちゃんも入れてるよねっ」

「う、うんっ。もちろんっ」

 

 セララに聞かれて同じように答えたのは〈吟遊詩人(バード)〉の五十鈴。そんな2人に引率が声をかける前にミノリが言う。

 

「連絡して、状況を聞いてみてもらえませんか?」

 

 それに答えたセララと五十鈴はフレンド・リストを開いて念話をかけ始めた。2人が会話をしている中、不意ににゃん太にコールがかかってきた。相手は小燐森――リンセだった。にゃん太は急いで念話を繋げる。

 

「リンセちっ!」

『あ、ご隠居。さっきは出れなくてすみません。ちょっと立て込んでたもので』

 

 平時と変わらない穏やかなリンセの声に最悪の事態ではないと思ったにゃん太は人知れず胸を撫で下ろした……のもつかの間、彼女の口から魔法の詠唱が聞こえてきたではないか。

 

「リンセち、もしかして……」

『あはは、まだちょっと戦闘中でして。とりあえず用件だけ伝えてしまおうかと』

 

 リンセの声の背後、剣戟の音、魔法が空を裂く甲高い物音が繰り返している。さらにはすぐ近くからは〈水棲緑鬼〉の歯ぎしりのようなうめき声、そして戦いの蛮声が聞こえてきた。どうやら彼女は戦闘の真っ最中ににゃん太に念話をかけてきたようだ。

 

『メイニオン海岸に〈水棲緑鬼〉が上陸。それにより〈水棲緑鬼〉との戦闘が発生。そこで訓練していた新人はマリーの誘導で廃校舎の方に退却、それを護衛しているのは小竜。他の引率は殿として交戦中です。マリーが廃校舎に到着し次第、〈円卓会議〉の方に連絡を入れる手筈になってます。そちらは新人を連れて廃校舎に向かってマリーと合流してください。それが難しいと判断したならマリーに直接連絡、救援を要請してください』

「ちょっと待つにゃ、リンセちっ!?」

 

 それだけ口早に説明したリンセはにゃん太の止める声も聞かずに念話を切った。

 珍しく声を荒げたにゃん太に驚いた直継は、セララと五十鈴の集めた情報を頭でまとめながら彼に話しかけた。

 

「班長、どうしたんだ?」

「今リンセちから念話があったのにゃ。現在、海岸組は〈水棲緑鬼〉からの退却戦中でマリエールさんが新人たちを廃校舎に誘導しているから我が輩たちも廃校舎に向かうように、だそうにゃ」

「なるほど。あっちの2人と同じ報告だな」

 

 言いながら、直継は先程まで情報を集めてくれていた2人を見る。それを見ながらにゃん太はため息をついた。

 思い出すのは先ほどの念話の音声。聞こえてきた他の引率の声はリンセからだいぶ離れていたように思えた。それに加えて〈水棲緑鬼〉の声は彼女のすぐ近くからしていた。おそらく彼女は殿の中でも一番後ろを務めているのではないだろうか。そんな状況の中でこちらに念話をしてきた。まったく集中力が切れて取り返しのつかないことになったらどうするんだ、とにゃん太は呆れ交じりに心配した。

 そんなにゃん太の重いため息に直継は首を傾げる。

 

「どうしたんだ? 班長」

「相変わらず、リンセちは無茶な行動をすると思っただけなのにゃぁ」

 

 非常に呆れた表情で額を押さえるにゃん太を見て、ああまたリンセが何かをやらかしたのか、と直継は妙に納得した。

 まあ、そうだよな。念話していた2人の話を聞く限りじゃ、今は退却戦の真っ最中で殿は引率。ということはリンセも殿、絶賛戦闘中なわけだ。そんな中念話かけてくるとは、さすがリンセ、やることが違うわ。

 直継は半目になりながら思った。

 

 それはともかくとして、向こう側から廃校舎への集合するようにと指示が来たのだ。まずはそこに向かうことを考えなければならない。

 

「よっし、これから廃校舎キャンプへと帰還する。先頭は俺とにゃん太とレザリックの3人パーティーだ。3人ぼっちだけど、お前らひよっこにはまだまだ負けないから安心しておけよ? わかったな。で、殿は上位パーティーだ。しっかり務めろ。後方警戒怠らず、だが俺たちと距離を開けすぎるな。隊列中心には下位パーティーだ。前方で俺たちが戦闘になった場合、フォローを任せる。中央部だがらって気を抜くなよ!!」

 

 直継の指示のもと一行は馬に乗る。そして、そのままザントリーフ中央丘陵地帯を突っ切るのだった。

 

  *

 

 その日の朝、〈エターナルアイスの古宮廷〉にいる〈円卓会議〉の代表一行にザントリーフの異変を伝える念話が届いた。それは昨日の夜中にシロエにかかってきたリンセの念話の予想に一致するものだった。それの対策会議を行うため、シロエたちはひとつの居室に集合していた。といってもそこにいるのは代表3人と他数名で、それ以外は情報収集に出ていたり会議室の警護に出ていたりしている。

 時を同じくして、アキバのギルド会館の最上階にある円卓の間において緊急〈円卓会議〉が招集されていた。

 こうして、多少不便ながらも〈円卓会議〉は開催することができたのだった。

 

「まずは状況だな」

 

 そう言ったミチタカに答えるように、シロエが現状分かっている情報を読み上げる。

 

「ザントリーフ半島において本日午前中から、多種の亜人間による襲撃が確認されました。ザントリーフ半島にはアキバの街から新人プレイヤーを含む68名が、夏季訓練合宿のために滞在しています。侵攻勢力は、海上に〈水棲緑鬼〉。総数は不明ですが、最低で数百匹。中央部丘陵森林地帯に、〈緑小鬼〉を中心とした大規模な略奪部族。こちらは最低兵力1万」

 

 1万、その数を誰かが呆然と繰り返した。

 この数は通常の大規模戦闘である中隊規模戦闘(フルレイド)24人、その4倍である大隊規模戦闘(レギオンレイド)96人のおよそ100倍の総数だ。しかも、これは少なく見積もって、だ。実際の規模はきっともっと上である、というシロエの発言にクラスティが疑問の声をあげる。

 

「どういうことかな?」

「今回の侵攻の原因です」

 

 何か心当たりがあるんですか、と問いかけたのはアキバのギルド会館で会議に参加している〈西風の旅団〉のソウジロウだ。

 

「今回の侵攻の背景にあるのは『ゴブリン王の帰還』だと思われます」

 

 シロエが昨夜リンセから聞いた考察も含めて説明すると、会議室に押し殺したような静寂が流れた。誰もが言葉を失ってしまった。しかし、その問題の中で夏季合宿中の一行の無事が確認できていることが救いだった。

 

「〈イズモ騎士団〉はどうでしょう?」

 

 静まった部屋の中、ためらいがちに発せられたマリエールの代理であるヘンリエッタの声に会議参加者から同意の声が上がる。しかし、その言葉を聞いたシロエは昨晩のリンセの言葉を思い出す。

 

 ――もしかしたらこのヤマトには今〈イズモ騎士団〉がいないのかもしれない。

 

 他の人が言った言葉なら心配性じゃないかということもできた。けれど、よくも悪くもあの“預言者”の言葉なのだ。自分と長い親交がある、的中率九割五分を誇る神秘的ともおぞましいとも思える勘を持つ彼女が、〈星詠み〉から導き出した答えだ。

 シロエの中には、彼女の言葉を安易に否定する術はなかった。

 

  *

 

 夏季合宿組は無事に廃校舎に集合していた。海岸組は厳しい撤退戦を強いられたがなんとか切り抜けた。ダンジョン攻略組も隊列を崩さず中央丘陵地帯を突っ切って廃校舎に到着した。その廃校舎の校庭にひとつ残された大きな天幕には先程から何人かの〈冒険者〉がひっきりなしに出入りしていた。その中では90レベルの引率プレイヤーによる会議が行われている。

 大天幕の中でため息をついたマリエールに声をかける直継、その心遣いが嬉しくなったマリエールは自分の格好も考えず照れ隠しに直継を抱きしめる。慌てる直継に首を傾げながらも抱き締め続けているマリエールをにゃん太が穏やかに止めた。

 そんな一連の流れを見ていた私ははため息をついた。

 

 何をやっているんだ、この3人。いや、2人……1人か。

 

 現在、私たちは廃校舎に集まったメンバーの点呼中だった。

 先ほど自分の格好に気付いたマリエールが衝立の向こうに駆け込んでいったのを見送ったあと、1人の〈冒険者〉が入ってきた。

 

「失礼しまーっす! 30レベルオーバー班、点呼終了! 全員そろってますっ」

 

 その報告をご隠居が受けた。これで点呼は終了、はぐれた参加者はいなかった。

 ひとまずは一安心、といったところか。さて、これからどうするべきか。考え始めようとしたとき天幕の外が騒がしくなった。何かあったのだろうかと外に出てみれば、丘陵地帯の森の中を小さな無数の明かりが動いているのが見えた。

 

「……松明」

 

 ぽつりと呟いた私の隣でご隠居が頷いた。ざっと見たところで100から150といったところ、それが〈緑子鬼〉の最低数ということだ。明かりをあんなにも堂々と灯すのだからもう隠れて移動することは止めたのだろう。それは、これから自分たちを襲うという強迫に他ならない。

 〈キール〉や〈西風の旅団〉からやってきていた高レベルのメンバーが地図上で〈緑子鬼〉の位置を計算している。その地図をちらりと確認して、再度〈緑子鬼〉の集団を見た。

 進行方向、数、それらの情報をインプットして脳内の地図に書き込んでいく。そこに、さらに日があるうちに空中偵察をしていたご隠居の情報を追加していく。そこから導きだされた答え。

 

「ねえ、ご隠居」

 

 南東の方角に眼を凝らしていたご隠居に声をかける。

 

「リンセち」

「困ったことに……いや全然困らないけど、困ったことになりましたね」

 

 横目でご隠居の方を見れば、ご隠居も同じ考えのようで厳しい表情をしていた。

 

「このままいけば、どうなると思うにゃ?」

「分かっているでしょう、ご隠居。……落ちますよ、チョウシは」

 

 今見えている部隊の狙いは進行方向を見るに、ザントリーフ大河の河口に位置し漁業で栄える港町チョウシだ。おそらく今向かっている部隊は略奪部隊、つまり〈緑子鬼〉はチョウシの町を食糧庫にする気なのだろう。あの町には城壁がない、朝まで持つまい。間違いなく落ちる。

 同じことを考えていたご隠居とミノリはそれをマリエールに伝えた。そしてマリエールは判断を下した。

 チョウシの町方向へ全員で移動する、という消極的な判断を。

 〈冒険者〉である私たちは〈大地人〉の町を防衛する動機はない。おそらくマリエールとしてはチョウシの町の防衛にあたりたいだろうが、新人を引き連れているこの状態で安易に動けるはずもない、かといって見捨てるのも後味が悪い。なら警告くらいはすべき。そんな考えに基づいてだろう。

 

 でも、実際に事態が動いている場にいる人間全員がそんな思惑に従っているわけもなく。

 

 その一行は夏季合宿参加者のなかで真っ先にチョウシの町に向けて出発していた。それはダンジョン攻略組の下位パーティー、ミノリたちの一行だ。彼女たちは妙に素早く準備をしていち早く廃校舎を出発していった。

 その様子を思い出し、そして呟く。

 

「若いっていいなー」

「おいおい、その発言はオバサンだぞ」

 

 私の呟きにツッコミが返ってきた。

 

「直継、人の独り言にツッコミ入れないでよ」

「いや、独り言って大きさじゃなかったぞ」

 

 直継の方に向けば、ご隠居と小竜、レザリックさんも一緒だった。

 

「みなさん、おそろいで」

「まあな。勝手に悪巧みをはじめる若い衆はいないかどうか見回りってやつだ!」

 

 見回りと言いつつ向かう先は一つなのが丸わかりだ。直継に向かって口角を上げれば彼もニカっと笑う。ご隠居、小竜、レザリックと見回せば、みんな目的は同じのようだ。

 

「じゃあ、行きますか」

 

 私たちは、“勝手に悪巧みをはじめる若い衆”を探しに行った。

 

  *

 

「……だから――守りません」

 

 向かっていった先、そう言った少女が弾かれたようにこちらを見た。

 

「あ……」

「ん。ミノリっちも、勘がよくなったにゃぁ」

「勝手に悪巧みをはじめる若い衆はいないかどうか、おにーさんたちが見回りにきたぜべいべっ!」

「我が輩は年寄りなのにゃ」

「あ、これ、私はおねーさんですって訂正すべき?」

 

 私たちに気付いた一行はそれぞれの反応を示した。セララはご隠居の腕にぶら下がるようにしがみつき、トウヤは直継の名を呼び背筋を伸ばした。ミノリは引き下がる気などない視線でご隠居を見上げる。

 

「許可してください」

「おう。にゃん太班長も、直継師匠も、リンセ姉も、ここは黙っていかせてくれるのが男だぜ」

 

 頭を下げたミノリのトウヤは並ぶ。この際、一応女である、というツッコミはなしだ。

 それにしても、と私はミノリを見る。

 思った通りだ。だんだんと頭角を現わしてきている、それも私の幼馴染ともいうべき彼の影をともなって。いずれはこうなると思っていたけれど、ここまで急激に似始めるとは。ダンジョン攻略で何か掴んできたみたいだ。

 そんなミノリをご隠居は真っ直ぐ見る。

 

「許可も何も。〈冒険者〉は自由なのだにゃ。もし、本当に決めたのならば、たとえ相手のレベルが上だろうと、ギルドで世話になっていようと、貫く自由が〈冒険者〉にはあるのだにゃ。――だけどミノリっち。それはそれで、なかなか大変なのだにゃ」

 

 ご隠居の言葉にミノリは力強く頷く。

 

「わかりましたにゃ。夜は短い。――夏はさらに。パックもいってることですから、急ぐとするにゃ。ね? ミノリっち」

 

 そういって、ご隠居は綺麗にウインクをした。



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chapter 15

 現在、私たちの南方にミノリたちはいる。

 では、私たちはどこにいるのか。それは〈緑子鬼(ゴブリン)〉略奪部隊のほぼ中央である。

 

 ミノリが提示した作戦は至ってシンプル。守りきれないのなら先手を打って数を減らせばいいという略奪部隊への浸透打撃だ。別に全てを殲滅しなければならないわけでもない。〈緑子鬼〉は亜人間、ある程度の打撃を与えれば戦意を削れるし敵前逃走するものもいる。町を守るにしても、先んじて数を減らせば防衛の難易度はぐっと下がるのだ。

 その作戦のため、私たち高レベルパーティーが〈緑子鬼〉たちの中央部に突撃して注意を集めながら殲滅、私たちの討ち漏らしを自分たちより南方、つまりチョウシの町に近い側に構えているミノリたちが各個撃破しているのだ。

 だとしてもだ。この作戦はそもそも町自体を防衛する戦力がなければ話にならないのだが。そこでマリエールに作戦を伝えて残りの引率と夏季合宿のメンバーでチョウシの町を守ってもらうことにした。

 この作戦は当然合宿の責任者であるマリエールを差し置いたものだ。完全なる命令違反なので連絡したミノリはこってりと怒られたようだ。けれどマリエールのことだから役目をきっちり果たしてくれるだろう。

 

 私たちの即席パーティーは私、直継、レザリックを縦軸として、攻撃に〈盗剣士(スワッシュバックラー)〉のご隠居と小竜だった。

 

「北西に小隊、エンカウント45。この辺はそれで最後です」

「はいっ」

「了解ですにゃ」

 

 私が指示した方向に現れた小隊は、ご隠居と小竜の広範囲の連続攻撃によって殲滅された。

 

「じゃ、進行しましょう。ご隠居は時間になったら定期連絡を」

 

 私たちは言葉なく互いを見て、足を進めた。

 

 進行しながら現状を確認する。

 ここまではおおむね予測通り。〈緑子鬼〉の殲滅を目的に部隊に攻撃を仕掛けているわけだが、進行方向、敵数ともにほぼシナリオ通り。この調子なら大きな被害も出ずチョウシの町は守れる、と思いたい。

 本当なら守れると確定させたいところだが、何せ敵戦力全体を把握していないものだから予測が難しいのだ。それに今は夜、視界が良好とはいえない状況での戦闘、予測するにしたって悪条件と不確定要素(ノイズ)が多すぎる。こんな悪条件で考えるなんて〈円卓会議〉設立以来じゃないか。いや、あのときは悪条件というよりは不確定要素だらけだったのが問題だったのだが。

 でも、不確定要素だらけだからといってやめるわけにはいかない。やると決めてはじめたことなのだから。

 

 現在、作戦開始から12720秒経過。朝日が昇るまで、だいたい16200秒といったところか。

 〈緑子鬼〉だって自分たちの特性、数、そして夜襲の有効性は理解している。朝になれば撤退していくのはわかる。だったら、そこまでは何としても凌ぎ切る。

 

「各人、回復アイテム残量は?」

 

 移動しながらそれぞれの所持品を確認する。

 周りの自己申告からこの先の消費量を計算した。直継は大丈夫そう、ご隠居と小竜は限りなく大丈夫に近いけど1割ぐらいは不安だな、レザリックさんも大丈夫そうかな。まあ、最悪の場合は私のポーションを渡せばいい。ミノリたちにもいくつか渡してあるから大丈夫だろう。

 ふ、と短い息を吐きだして気合いを入れなおした。

 

  *

 

 〈緑子鬼〉の基本戦術は飽和攻撃。簡単にいえば数の差で攻めようってやつだね。といっても多少の数の差じゃ駄目なことはあちらも理解してる。だからこそ〈緑子鬼〉は〈冒険者〉たちが対処できないような小規模部隊を一斉に繰り出す。そのための集合や攻撃のタイミングをずらすために、その数を先に減らすっていうのは有効な手だ。

 さすがシロくんに教えてもらってるだけあるね、とリンセさんは笑った。

 

 そこから続いたリンセさんの言葉はまるでその戦場が見えているようで、現状自分たちが置かれている状況そのままだった。

 セララさんがにゃん太さんから受けた連絡では現在北北西へ3キロメートル移動しているとのこと。そのことを地図上で辿る。その地図にはリンセさんが薄く書き込んだ進行予測があった。現時点で自分たちはその通りに移動していた。していたとはいうけれど、決してその通りに移動しようと思ったわけではない。ただ敵の殲滅という目的のもと移動していたら、ちょうどリンセさんが示した予測と同じ道を辿っていただけだ。

 ただの偶然だと思いたかったけれど、ここまでくると偶然じゃないんだと思う。

 やっぱり、シロエさんが言っていた“預言者”っていうのは本当なんだ。

 話を聞いた当初はそんなことあるのかな、なんて疑問に思っていたけれど、こんな形で示されてしまえば疑う余地なんてなかった。

 

「どうする? ミノリ」

「いったん谷間に降りて、西から北西に移動します。警戒体制維持で行きましょう」

 

 私は広げていた地図をまとめて立ち上がる。そして、隊列を崩さす歩き出した。

 

  *

 

 それから一晩。即席パーティーで敵の探索と殲滅をしていた私たち高レベル組は、朝というには遅い時間にミノリたちと合流した。

 

 念話で自分たちの現在地を伝えて休憩をしていると、複数の足音が聞こえてミノリたちがやってきた。一晩警戒と戦闘を行っていたのだ。疲れはたまっているだろう。けれど彼女たちの顔から生気は失われておらず、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「大丈夫か? やい、トウヤ。みんなのこと守ったか?」

「はい、直継シショーっ!」

 

 そう言った直継にトウヤは最敬礼で応えた。そんな少年の頭を直継は撫でる。セララは予想通り、ご隠居に飛びついていた。ミノリは、私と小竜、レザリックに昨晩の戦闘状況を報告してくれた。ミノリの言葉を元に戦況を追う。だいたい予測通りの戦闘が行われたらしい。大きな怪我もなく、装備の消耗も今のところは大丈夫そうだ。とはいえ結構な数の戦闘をこなしているし、アキバに戻ったら修理に出させた方がいいだろう。

 

「リンセさん」

「どうかした? ミノリちゃん」

「あの、ポーションを譲っていただいてありがとうございました。作戦の途中で足りなくなるかもと思ったので本当に助かりました」

 

 そうミノリは頭を下げた。気にしなくていいし役立ったのならよかった、と頭をあげさせれば、再度ありがとうございますという言葉が来た。

 礼儀正しくていい子だな、おまけに頭もいいし。きっとシロくんも教え甲斐があるだろう。

 

「さて、休憩はこれくらいにして町に帰りましょう。この目で見るまでは心配です」

 

 生真面目なレザリックの言葉に私たちは頷いてチョウシの町を目指して歩き始めた。

 

 しばらく進んでいくと〈緑子鬼〉族の死体が所々に積まれている光景が見えた。それはマリエールたちが町の防衛に対応した後だろう。そのひとまとまりたちを横目にチョウシの町に入れば夏季合宿に参加していた〈冒険者〉たちが声をかけてくる。その声に応えながら町を見渡せば荒らされた様子はない。どうやら〈緑子鬼〉族は町に侵入できなかったようだ。

 とはいえ、警戒すべきは〈緑子鬼〉だけではない。

 ここまでの戦いは言ってしまえば前哨戦だ。まだ海岸の方には〈水棲緑鬼(サファギン)〉もいるし、他のモンスターが攻めてこないとも限らない。

 

 言葉を交わしている〈冒険者〉たちの声を遠くで聞きながら、私は自分で持ってきた地図を広げた。それを自身の指で辿りながら考える。

 

 おおよそ〈緑子鬼〉族の進行経路は関東北部の丘陵森林地帯あたりから四方にわたる。朝、アキバにいる〈Colorful〉の佐々木さんから突然念話が入ってきて、その彼女の話によるとアキバの方では今日の早朝に〈円卓会議〉からの布告(クエスト)として遠征軍が編成されたらしい。遠征総指揮は〈D.D.D〉のクラスティ、戦闘の規模を考えれば最適任者だ。先行部隊をクラスティ、本隊をシロエがひとまず指揮している形だそうだ。〈緑子鬼〉族の侵攻の程度を考えれば完全に〈冒険者(こちら)〉はイニシアチブ失っているから拙速を重視で準備が出来次第〈冒険者〉を送り出しているはず。

 一方、ここの海岸には接近中の〈水棲緑鬼〉がいる。その対処は多分ここにいる〈冒険者〉だけじゃ厳しい。救援は来るだろうがどれくらいかかるか。ここで〈水棲緑鬼〉にメイニオン海岸を突破される訳にもいかない。そもそも、なぜここだったのだろうか。

 

 そこまで考えて、意識的に最後の項を考え事の項目から消した。

 今は、どうしてよりもどのようにここを守りぬくかを考えるべきだ。

 

 私は、短く息を吐いてまた思考を開始させた。

 

  *

 

 〈大地人〉の皆さんが酒場に仮眠場所を提供してくれるということで順番に休憩しようという話になった。私は仮眠場所までトウヤと歩き始めた。そのとき視界の端にしゃがみこんだリンセさんが見えた。私が立ち止まったことでトウヤも立ち止まる。

 

「どうしたんだ? ミノリ」

「トウヤ。リンセさんは休憩の話を聞いてると思う?」

「リンセ姉?」

 

 私が見た方向を見てトウヤは首を傾げた。とりあえず確認してみようと私たちはしゃがみこんでいるリンセさんに近づいた。

 リンセさんは地図を広げてそこに小石を乗せて何かを辿るようにするすると指を動かしていた。

 

「リンセさん?」

 

 リンセさんのすぐ近くに立って声をかけたが、彼女が私たちに気付く様子はない。

 

「リンセ姉、休憩しないのか?」

 

 今度はトウヤが声をかけたが結果は変わらない。リンセさんはただ無言で地図に指を這わせている。

 

「おや、ミノリっちにトウヤっち。どうしたのですにゃ?」

 

 背後からかかった声に振り向けば、そこにはにゃん太さんがいた。

 

「リンセ姉が反応ないんだ」

 

 トウヤがリンセさんを指差す。その方向を向いてにゃん太さんはにゃぁと言った。

 

「リンセちは考え事中ですにゃ。ああなったら、リンセちの中でいったん区切りがつかないと周りの声は聞こえないのにゃぁ」

 

 その言葉は気のせいか棘があったように聞こえる。なんでだろう、と首を傾げているとにゃん太さんは柔らかい声で言った。

 

「リンセちのことは我が輩が見ているから、ミノリっちとトウヤっちは休憩にいくといいですにゃぁ」

 

 さあ、と背中を押されてそれに促されるまま、私たちは村の酒場に向かった。

 

  *

 

 双子を休憩に行かせて、さあどうするか、とにゃん太はため息をついた。

 この娘の集中力は実に凄まじいものであることをにゃん太は重々承知している。しかし一晩戦闘を行った後だ。考え事は後にしてまずは休息を取るべきだ。故に、強引にでも考え事を中断させるべきだろう。

 

「リンセち」

 

 強めに声をかけてみる。やはり反応はない。再度かけるも結果は同じ。

 出来れば声をかけることで集中を切らせたかったがやっぱり無理か、とにゃん太はスッと目を細める。仕方なく肩を叩いて集中を切らせようと思い、にゃん太は彼女の肩に手を置こうとした。しかし、その手は彼女の肩に触れることなくその彼女に手首を掴まれた。

 

『彼女の悪癖は考え事をはじめると周りをシャットアウトすること、でもそれはあくまで最初の段階です』

 

 そうにゃん太に語ったのは彼女の幼馴染とも呼べる青年だ。彼曰く、もっとひどいものがあるらしい。それは、彼女が外界をシャットアウトしているときに物理的な衝撃を与えようとすると反撃を喰らう、というもの。

 そして、にゃん太は今その反撃を喰らっていた。

 

 リンセは回復職である。力で言えば武器攻撃職であるにゃん太の方が強いが、リンセも魔法攻撃職に比べれば力は強いほうだ。その上、反射で動いている彼女は力の加減が一切できていない。つまり、にゃん太は決して力の弱くないリンセに全力で腕を握られている。そのせいでリンセの白い手には若干青筋が立っているし掴まれたにゃん太の腕はギリギリと鈍い音を立てていた。

 HPが減るほどの威力ではないがそれでも痛みは走る。振り払おうとしても握る強さが強さであるためなかなか振りほどけない。勢い任せに振り払ってもいいが相手は女性。〈冒険者〉で身体が丈夫だからといって無闇に痛みを与えたくはない。

 鈍い痛みに耐えながら、先に双子を休憩に向かわせておいてよかった、とにゃん太は小さく息を吐く。

 

「リンセちっ!!」

 

 半ば叫ぶように名前を呼べば、リンセは我に返ったように身体を揺らした。

 

「え、あっ、ご隠居……?」

 

 リンセにとってはいつの間にか近くにいたにゃん太に首を傾げる。いったいどうしたのか、と尋ねようとして自分の手が何かを掴んでいたことを認識した。その先を辿れば自身の手の中にはにゃん太の手首。彼の服の皺の寄り具合から見るに、自分が相当な力で彼の腕を握っていたのがリンセには分かった。そこでリンセはようやく自分が何をしでかしたか理解して、勢いよく手を離す。

 

「ご、ごめんなさいご隠居っ! 気付かなかったとはいえ……」

 

 にゃん太が大丈夫だと言っても頭を下げているリンセはそのまま項垂れた。

 

「本当にすみません。周りをシャットアウトするのはまあいいとして、いやよくないですけど。せめて反撃する癖はどうにかしなきゃと思ってるんですが……」

 

 現実とは総じてうまくいかないものである、とリンセは深いため息を吐いた。

 

「確かに、この癖は直すべきですにゃぁ」

 

 リンセに掴まれていた手首を無意識に擦りながらにゃん太はため息をついた。いつもは紳士的に言葉を発する彼にしては少々刺々しい。それもそのはず、誰かに怪我を負わせてからでは遅いのだから。

 

「ですよね……。善処します……っと、それでご隠居、何か私に用ですか?」

 

 リンセに近づいてきていて、尚且つこの悪癖を知っていて彼女の思考を止めたのだ。何か用があったと考えるべきだろう。

 

「〈大地人〉の方々が酒場に仮眠場所を提供してくれるそうですにゃ。いくら高レベルの〈冒険者〉だからといっても休憩は必要にゃぁ」

「……なるほど」

 

 考え事をする前に休憩しろ、と彼はそう言いたいのだとリンセは理解した。

 

「無理はいけないのですにゃぁ」

「はいはい、わかりましたよー……」

「リンセち、返事は1回だにゃ」

「はーい」

「伸ばさない」

「……はい」

 

 まるで親のように1つ1つにゃん太はリンセの言動を注意する。このご隠居は相変わらず自分に対して過保護だ、とリンセは苦笑いでため息をついた。

 

  *

 

 半ばご隠居に引きずられるようにしてやってきた酒場には、だいたいの合宿参加者が集っていた。だいたい、とういうのは交代で街中の警備をするために担当のメンバーが見回りに出ているからだ。

 それにしてもと私は酒場の中、正確には酒場で休憩を取っている新人プレイヤーの顔を見渡した。なんだか顔つきが変わっているように思える。それだけチョウシの町の防衛を考えているのだろう。まあ、新人ということは、だ。〈エルダー・テイル〉というゲームにそこまでの先入観がないということ。それは、そこにいるものを“生きているもの”と捉えやすいということだ。ゲームという無機質なものを見る感覚ではないからこそ、そこにあるものを守ろうと思うのだ。直で見るからこその感覚、というわけだ。

 

 そのとき、どうやらマリエールに何か連絡が入ったようだ。少し話した後、彼女の顔つきが変わった。

 念話は町中の警備に出掛けた新人3人組からで海岸線方向の白い波を見つけたとのこと。様子見として数人のベテランプレーヤーが報告の場所に向かったが、まだ〈水棲緑鬼〉は上陸してはいないようだが状況としてはよろしくないそうだ。

 その報告を受けて急いで残りの合宿組で駆け付けると、その風景は良くない意味で圧巻というべきか。水平線を覆うような白い波、数は思う桁よりも1つは多そうだ。

 チョウシの町の特徴としては漁業と農業を中心とした町というのが挙げられる。そのため、町の構造上、ザントリーフ大河に寄り添うような形状になっているのだ。川の氾濫や潮の干潮を考えて作られてはいるが、それでも川や海岸に近い事には変わりない。

 骨が折れるでは少々現状を表現する言葉としては甘いだろうな。それでも彼らはやるのだろう。町を守ると誓った〈冒険者〉たちは。

 呆れ半分関心半分で笑みを零すと、弓を引き絞る音があちらこちらから聞こえる。それは新人の暗殺者や多くの戦士たちがつがえている弓からだ。

 

「マリエさん、いっちょ景気づけに号令頼むわ」

 

 直継の言葉と笑顔にマリエールは声を張り上げた。

 

「あ、あんな、みんなな! 今まで力を貸してくれておおきに。みんなの力で、チョウシの町は1人の犠牲者も出さず、多くの田畑を荒らされもせずに、ゴブリンからの攻撃はしのいだ。これは本当に嬉しいことや。でも、もうちょい。こっちの敵も倒さんと終わらん……。この町を守りきる事にならん。もう一戦、力を貸してや……。うち、みんななら出来るって信じとる」

 

 マリエールの言葉に一同は決意を秘めたその目で応える。

 

「いこうっ!! 出陣やっ!!」

 

 それを合図に弓矢は放たれた。

 

 斯くして海岸線でのチョウシ防衛戦の火蓋は切って落とされたわけだが、アキバの街や遠征軍はどうなっているのだろうか。まあ、クラスティが総指揮を取っているのだから落ちることはそうそうないだろう。そもそも、クラスティで手に負えないのならアキバの街の誰が出ても手に負えないだろう。シロエはおそらく本隊で部隊構成と配置決めを担当している感じか。

 さて、フル稼働しているであろう輸送艦の到着までこの場がどれだけ耐えきれるか。最悪の場合、奥の手を使うしかないか、と私は自分の所持品を確認した。

 

  *

 

 息を整えながら現状に苦く笑った直継は、自分とパーティーを組んでいる面々、否リンセに視線を向けた。

 表情は普段と変わらないように見える彼女だが、事実、パーティーの司令官にサブの回復役、そしてマリエールの指揮のサポートと1人3役をこなしている。

 直継たちのパーティーの小休止はこれで3回目だが、前の2回も10分とは取れていない。その中での1人3役はパーティーの誰よりも肉体的および精神的疲労は溜まる一方のはずだ。それなのに、その休憩中ですら各パーティー、さらには戦場全体の動きの把握、サポートをしているのだから見ているこっちが心配になる、と直継は眉をひそめた。

 そして、現在も彼女の視線は戦場を駆け回っており各方面に的確な指示を出している。

 一体どうしてそこまで身体が、いやMPが持つのか、直継は不思議だった。

 メイン職の戦闘方法の関係上、戦闘中に他人のステータスを確認することはできないため、このような小休止のときに直継は彼女のステータスを確認するのだが、戦闘後であるにも関わらずMPはさほど減っていないのである。

 一体どんな裏技を使っているのか。そう思っている直継の横で、にゃん太が何かを危惧して僅かに眉を寄せていることには誰も気付かなかった。

 

 リンセは自分が周囲に観察されていることなど気にもとめずに戦場を見渡していた。

 現在、彼女の目の前では新人たちのグループ3つが戦いを繰り返していた。その戦闘の様子を観察しながら、リンセは戦場にいるメンバーの挙動をパターン化し脳内にインプットしていく。あらかたのインプットが終了したのち、彼女はパターンを数式に組み込んで現在地点から先の未来を構築する。その未来から逆算、そして望む結末になるように再構築した。

 

 そろそろ交代か、とリンセが意識を脳内の計算から目の前の戦場に戻したとき、チョウシの町の北広場の方から鋭い破裂音が響いてきた。確かあれは〈泣きキノコの絶叫(シェリーカーエコー)〉、〈森呪遣い(ドルイド)〉の特技の一つだったはずだ、とリンセは海岸線にいるセララに視線を向けた。

 

「セララちゃん!」

「は、はいっ!」

 

 リンセに突然声を掛けられたセララは驚きながらもしっかりと返事をした。

 

「今のは君の?」

「はい!」

 

 なら警報用に設置しておいたのか、とリンセは納得する。その間にミノリたち5人は海岸線から撤退し、音の聞こえた方角に走り出す。

 

「俺たちが行くぜ、シショっ!」

「よろしくお願いしますっ」

「はははっ! 任せておきたまえよ! 出陣だっ」

「あ、あのっ! にゃん太さんも、頑張ってっ!」

 

 そんな5人の最後尾でミノリがリンセたちに振り返った。

 

「セララさんに頼んでおいた警報代わりの精霊の反応ですっ。おそらく山間から、ゴブリン族の再侵入。この戦いは、〈吟遊詩人(バード)〉さんがいて継続戦闘能力があるわたしたちのほうが向いています。――海岸の方をお願いします、直継さんっ! リンセさんっ!」

 

 口々にそう言ったメンバーの後ろ姿にリンセは嫌な予感がした。不意にあの言葉が蘇る。

 

 ――地と共に生きる民、憧憬のうちに堕ちる天蝎宮。

 

 リンセの嫌な予感は確実な足取りで確信へと近付いていた。待て、と止めようとしたリンセの声は、しかし、ミノリの表情に、瞳に、感情に、なす術もなく飲み込まれてしまった。一度世界を切り替えるかのように瞬きをしたリンセは息を吸い込んで声を掛ける。

 

「ミノリちゃんっ!」

 

 はい、と返事をしたミノリにリンセは笑みを浮かべる。無意識のうちに眉間に寄っていた皺は、幸か不幸かリンセの長い前髪に隠されミノリには見えていない。

 

「何か少しでも不安要素が出来たら、誰でもいい、救援を要請すること。……気をつけて」

 

 リンセの言葉に、はいっ、と力強く頷いたミノリは先に向かっていったメンバーを追いかけて海岸から去っていった。

 その背を見送るや否や、リンセはミノリたちに任された海岸へと向かう。それにすぐ反応し駆けだしたのは小竜とレザリック、いいのかと尋ねてきたのは直継だった。

 

「いいも悪いも緊急事態、仕方ないでしょ」

 

 ほら行くよ、と背中を叩かれて直継も海岸へと向かっていった。その背を追い駆けだしたリンセを止めたのはにゃん太だった。

 

「大丈夫だと、本当にそう思うかにゃ?」

「いや、大丈夫じゃないでしょう。さっきから嫌な予感が止まらないんです。でも、あの子たちがここを頼むと言ったんですから、ここを守りきることがあの子たちへの信頼だと、思うんです」

 

 あの子たちがそう望んだから。リンセの言葉に、にゃん太はいつかアカツキと直継に言った言葉を思い出す。

 それが本当にリンセ自身の望みなのか、と問いただしそうになったにゃん太は唾を飲み込むことで言葉も一緒に飲み込んだ。きっと問いだたしても彼女はそうだとしか言わないのだから。

 ため息すらも飲み込んで、にゃん太はリンセに声を掛ける。

 

「……我々もいきますにゃ、リンセち」

「はい、ご隠居」

 

 先に出た3人に追いついたリンセは薙刀を構えて限界まで集中力を高めた。

 

「直継、小竜、レザリックさん、ご隠居。これからミノリちゃんたちの抜けた穴を補正します」

 

 そう宣言したリンセは空いた穴を埋めるための再構築を始めた。抜けた戦力の程度、パターンを叩きだしていた数式から要素を引き、そのマイナスを埋めるように残存戦力の行動パターンを変更。その行動までの誘導を頭の中に書き出したリンセは、パーティーにそして戦場全体にそのシナリオを染み込ませた。

 目線、声、素振り、使えるもの全てを使って戦況を誘導した彼女は、その間に挟まれるラグに神経を集中させて一つ一つ虱潰しに消していった。

 

 一瞬にしてミノリたちの抜けた穴が塞がった、と理解したのはにゃん太だけだった。シロエと行動をし始めてからはほとんど使われることがなくなった戦法。それは、あらゆる可能性から“自身の望む”最善への最短距離を神憑りな勘で抜き出す、彼女独自の戦い方。

 

 ――戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)

 

 誰が呼び出したのかも分からないそれは、シロエの全力管制戦闘(フルコントロールエンカウント)とはまた違った戦法である。

 シロエのそれが、敵の撃破という「文」を戦闘という「文章」に仕立てて戦術という「物語」に再構築しながらそれを「読む」ということならば。リンセのそれは、「結末」という勝敗判定に至る経緯を「文章」に分けて「文」にした後に、それを自分好みに書き換えて「物語」を再構築しながら「読む」ということ。簡単にいえば、無修正の「物語」を添削して自分好みの「物語」に書き換えながら読んでいる、ということだ。

 時々刻々、リアルタイムで決定されていく戦場だからこそ発揮される、彼女の第六感と類稀なる演算能力が叩きだす戦法は、感じる人によっては“操られている”という印象を受ける。

 そもそも、リンセの第六感も勘なんて言葉で表現してはいるが、その実は彼女のこれまでの経験の蓄積と観察眼によって構成された演算式なのだから驚きを通り越して畏怖を覚える人もいるだろう。

 リンセはその切り札を今ここで持ち出した。つまり、ここからがリンセの本当の意味での“全力”、彼女の意識がフローまたはゾーンと呼ばれる超集中状態に移行することを示していた。

 こうなったリンセは誰が何と言おうと止まらない、彼女自身の集中が切れるまでは。

 ゲーム時代ならまだよかった、実際に生身で戦っているわけではなかったのだから。しかし今は違う。生身で極度の集中状態で戦うとなれば集中が切れたときに反動がくるのは必至。

 ただでさえリンセはMP回復のために少々無茶な戦い方をしている。その上での超集中状態への移行。まさしくそれは、にゃん太が危惧していた“無茶苦茶な戦い方”に他ならなかった。



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chapter 16

 リンセが戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)を行使してから早数時間。戦況は彼女の書いたシナリオ通りに進行していた。とはいっても、交戦中の〈冒険者〉たちの疲労も想定通りに蓄積していっているのだが。

 そんな中、リンセの驚異的な集中力はまだ途切れていなかった。けれど彼女はその最中で知らずに奇妙な体験をしていた。しかし当の本人はその変化を“異常”と認識していなかった。それどころかフロー状態に陥っている彼女はその変化を瞬時に“有用なもの”と判断し、それすらも掃討作戦の手段として自身の戦法に組み込んでしまっていた。

 そして、その異質さに気付いてしまったのは彼女とパーティーを組んでいた4人だった。

 

 その変化に素直に恐怖を覚えたのは彼女との戦闘経験が最も少ない小竜だった。

 目の前の敵を倒して次に向かおうとすればリンセから指示が飛んできた。その指示は、そこで10秒待機した後に指定した特技を指定した方角に発動すること。その方角には現在敵はいない。なぜと思いながらもその指示通りに行動すれば、なんと特技を撃った瞬間に射程に敵影が入り込んできて、次の瞬間には自分の撃った特技によってその敵影は地に沈んでいた。一瞬ぽかんとした小竜に構うことなく司令塔から次の指示が飛んできた。それを何度か繰り返したとき、小竜はその気持ち悪さに鳥肌が立った。

 まるで自分がチェスの駒にでもされている気分だった。それも両者の駒を1人で動かしている盤上の、だ。

 何も考えずにただ指示通りに動けば、ただただ敵が殲滅されていく。その感覚に小竜は人知れず嫌な汗をかいた。

 

 そんな小竜の反面、素直に感心していたのはレザリックだった。

 戦闘集団である〈黒剣騎士団〉に属しているレザリックは、そのギルドの性質上、大規模戦闘の経験が多い。そして、その分リンセとの戦闘も行なっている。優秀な彼女はギルドマスターであるアイザックのお気に入りで、彼は何かと理由をつけて大規模戦闘のみならず普通の狩りにも彼女を誘うことがあった。

 その彼女の完全な指揮下で戦うのは今回が初めてだったが、その指揮能力は確かに凄かった。こちらの出来ること、出来ないこと、全てを把握した上での指揮は自分が最も戦いやすい戦場を作り上げてくれた。凄い、素晴らしい、そんな言葉でまとめるには惜しいものだ。ドンピシャに当たる勘の持ち主ならアイザックでなくとも重宝する、と認識を改めたところだったが、これほどの指揮能力の持ち主なら、とさらに認識を改めた。

 

 一方、彼女の行動に明確な違和感を覚えたのはにゃん太と直継だった。

 〈茶会〉時代を経て〈大災害〉後も共に行動してきた彼らだが、今まで経験したことのない戦闘だった。

 ゲーム時代にはマップ外の敵を瞬時に当てる勘の良さを組み込んだ戦法も確かにあったが、今行われているそれは当時のものと比較すると明らかな差があった。指示に沿って動いていると操られている感覚は以前から変わらないが、それ以外の箇所での明白な違い。それは明確な指示以外での戦闘だった。自分が武器を振るえば計ったかのように敵が自分の射程、それも武器を振るった場所にピンポイントで入り込んできて殲滅される。敵の行動も味方の行動も全て把握して、両者がタイムラグなく衝突し、尚且つこちらが敵を制圧できるようにリンセが動かしているのだ。

 なら、彼女はどうやって離れている敵の行動までも把握しているのか。その疑問の答えこそが今彼女に起こっている現象だった。

 

 敵味方関係なく、その配置が感覚的に把握できている。

 

 リンセは、いわば感覚によってゲーム時代のマップが取得されている状態に陥っていた。その現象から彼女は目視範囲外であろう敵の数、進行方向、速度を完璧に把握し、そしてその行動パターンを組み込んだ指示を出して戦況を誘導していたのだ。

 

  *

 

 日が沈んだ頃、海の果てに一隻の船の影が現れた。それは輸送艦〈オキュペテー〉だ。そう、援軍の到着である。ちょうどそれを確認したのが小休止に入るところだったからか、集中力が限界だったのか、あるいはその両方か、原因はいくつも思いつくが、まあ、その登場が私の集中の外乱の1つとなった。

 つまり集中力が切れたのだ。

 切れた、と思うのと、まずい、と思うのはほぼ同時だった。急速に戻ってくる意識という感覚に限界値を超えた疲労を脳が認識した。まず頭痛とも眩暈とも言えない感覚が戻ってくる。次いで、身体のだるさや痛みが。足元から急速に力が抜けていく感覚に咄嗟に薙刀を地に突き刺してそれを支えにすることで何とか体勢を整えた。

 

「…………っは、あっ……ぐ」

 

 息を吸おうと足掻けば足掻くほどその空気は口から漏れていく。血が凄まじい勢いで身体中を駆け巡っているかのような感覚に思わず呻く。それが聞こえていたのか、ご隠居や直継、小竜やレザリックさんが駆け寄ってきた。

 

「おいっ!! リンセ、大丈夫なのかよっ!?」

「だ、いじょぶっ……集中、が……切れた、だけっ……」

「その顔で言われても説得力ねーぞ!!」

 

 そう言った直継に身体を支えられたが、そのときの僅かな衝撃で大きく咳き込み持っていた薙刀を取り落とした。拾ったところでまた取り落とすのが目に見えて、ひとまずメニューをいじり薙刀はバックの中にしまう。その操作をしている間に直継に背負われ、海岸線から少し離れた松の根元で下ろされた。私はそのまま地面に転がり仰向けになって左腕で目元を覆った。先程よりは呼吸はましになったが、世界がぐるぐると回っているような眩暈と万力で締め付けられているような頭痛、そして風邪をひいた様な関節の痛みはまだ続いていた。

 

 4人が口々に心配そうに私の名前を呼んでいるのを他人事のように聞きながら、自身の回復と状況把握に努める。

 どうやら戦闘中にいわゆるハイになっていたのが一気に切り替わり、正常の状態になったのだろう。それよりも、今の状況で各人の配置が手に取るように把握できるこの現象はいったい何なのか。意識をそちらの感覚に偏らせればさらに詳細な情報が入ってくる。正直にいうと気持ち悪い。まるで自分という存在が周囲に拡散し、意識だけが一点にあって、自分の上に物が配置されているのような、何といえばいいのかよくわからない感覚だ。

 けれど悪いことばかりでもなさそうだ。いや、気持ち悪い感覚なのは確かなのだがこれは使える。

 感覚による戦況の把握。その場の地形はおろか、そこにいる敵や仲間、あらゆるものの配置が分かる。観測できるのなら干渉できる、干渉できるなら制御できる。観察からのパターン化、パターン化からの組み込み、組み込みからの計算。そこまで出来ればあとは自分好みに「物語」を書き出すだけ。

 無意識下の私もそう結論付けていたようで、無意識に再構築を重ね、無意識にその指示を出していたようだ。

 

 そこまで考えていればどうやら身体は落ち着いたようで、まだ多少の疲労は残るものの動けないほどではなくなった。

 よし、と気合いを入れて起き上がる。

 

「だ、大丈夫なんですか!?」

「大丈夫だよ、小竜。とりあえずはね。さ、援軍も来たことだし、もうひと踏ん張りだよ」

 

 薙刀を装備し直してそれを杖に立ち上がった。一度固く目を瞑り、息を吐きだしてからしっかりと前を見る。

 

「……あの子たちに託されたんだから、しっかり守りきらないとね」

 

 〈オキュペテー〉がやってきたこと、そして、それと同タイミングでなぜかシロエがチョウシの町の方から現れたことで〈水棲緑鬼〉の物量作戦に疲弊していた防衛部隊は戦意を取り戻し、新人プレイヤーに至るまでが三面六臂の活躍で〈水棲緑鬼〉を殲滅していった。

 

  *

 

 戦闘が何とか〈冒険者〉の勝利で終わったのは夜中だった。

 フルタイムで戦っていた合宿組は、まだ体力に余裕がある〈オキュペテー〉で到着した部隊に街の防衛や見張りを交代して、ザントリーフ大河と浜辺の中間にある開けた集会場に集まって休息を取っていた。

 私といえば、もうひと踏ん張り、守りきらないと、と意気込んでいたが、やはりそれまでがオーバーワークを超えたオーバーワークだったらしく、戦闘終了を確認した瞬間に今度こそ砂浜に崩れ落ちた。砂に顔面を突っ込む形で倒れてしまったが、もう指先一つ動かすのも億劫だ。だというのに、なぜか周囲の把握は出来ているのだからいいのか悪いのかといったところだ。

 動けないどうしよう、とぼんやり思っていると自分に近付いてくる数人を把握した。これはシロエにご隠居、それに直継、小竜、レザリックさん、マリエールまでいる。そんな、みんな疲れているのだから走ってこなくてもいいのに。

 

「クロっ!?」

 

 一番最初に私のもとに辿り着いたのはシロエだった。彼は俯せになっていた私の身体を仰向けにすると、顔に張り付いた砂をやや乱暴にだが払ってくれた。閉じていた目をうっすらと開ければ、こちらが心配になるほどの顔面蒼白なシロエがいた。

 

「……シロ、くん。顔、青い、けど……大丈夫……?」

「それ、こっちの台詞だからっ……!!」

 

 大丈夫なのか、とシロエにしては荒い口調で聞かれたので、疲れただけだからと手をひらひらさせて答えれば彼の眉間に深い皺が刻まれた。どうやら言葉の選択を間違えたらしい。

 

「完全なるオーバーワークにゃ、リンセち」

 

 後から続いてきていた面々の中で真っ先にご隠居が口を開く。その目が何だが凄まじい怒気を帯びているのは気のせいと思いたい。

 

「ただでさえフルタイムの戦闘だったのに、それに加えて〈魂換の籠手〉使用による連続的なHPとMPのスイッチング、戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)に伴う長時間のフロー状態、それが切れた上での戦闘継続――倒れない要素を探す方が無理というもの……ですにゃ」

 

 ご隠居の言葉を聞いて、やはり〈魂換の籠手〉のことはしっかりばれていたか、と心の中で苦笑した。

 この〈魂換の籠手〉という装備はちょっと変わったものなのだ。装備するとHPとMPのステータスが残量含めて入れ換わるという特性があり、それ以外には特に効果もなく防御力もない装備なのである。そんなものどこに使うんだと思うプレイヤーも多いらしいが、使ってみると中々面白い品なのだ。何せ、装備を外す・着けるの動作だけでHPやMPが即時回復するのだから。

 ご隠居の言った連続的なHPとMPのスイッチングとは、MPが尽きそうなときに装備変更でHPとMPを入れ替えてMPを回復し、HPが回復した後でMPが尽きそうになったらまた装備変更でMPを回復して、という戦法のことだ。おまけに私の使っている〈青龍偃月刀〉にはHP、MPの自動回復量増加の効果があるので、装備変更、HP回復を待つ、回復したら装備変更、HPの回復を待つ、の繰り返しでMPの枯渇を防いでいたのだ。

 まあ、それはイコール戦闘中にメニュー画面で装備変更を行っていた、ということなのだが。

 

 〈大災害〉が起きてからこの戦法を使ったのは初めてだが、感想としては「もう緊急時以外はやらない」である。というのもだ。どうも特技というかMPの減りは頭痛や眩暈に変換されるらしく、HPの減りは肉体への負荷になるらしいのだ。それを連続でスイッチングするものだから、症状もスイッチングされて、結果、双方に多大な負荷をかけることになってしまったのである。

 

 ご隠居がネタバレをしたからか、シロエの目にも怒気が帯びはじめてしまった。結果的に無茶苦茶な戦闘をしていた自覚はある。あるのでそんなに怒らないでほしい。本気で怒った彼は本当に恐いことを身を持って知っているからこそ、そう思った。思ったのだが、先程シロエに疲れただけだからと言ったのを最後に私の声は枯れたらしく、何かを言おうとしても喉が焼け付くように痛くて音にならない。それどころか、その痛みで咳き込んでしまい、さらに痛んで、のループにはまってしまった。

 げほげほ、と情けなく咳き込む私に周囲を囲んでいたメンバーが一様に慌てだす。その風景が面白かったのだが、どうやら笑うだけの表情筋を動かす余力も私にはなかったらしい。そのまま、あれよあれよという間に私は直継に背負われていた。

 もう随分と聞きなれた声が「おつかれさま」の音を響かせたのをどこか遠くで聞きながら、私の意識はそこで途絶えた。

 

  *

 

 まだチョウシの町には防衛や見張りを置く必要があるが、〈水棲緑鬼〉の殲滅が終わり一息つけるだろう状況までは持っていった。まだ体力に余裕がある〈オキュペテー〉で到着した部隊に防衛や見張りについてもらって、合宿参加者には休んでもらうように話をつけたとき、視界に砂浜に崩れ落ちた白い影が映った。白い長髪を一つにまとめているその姿は自分の見間違いでなければクロだ。

 さすがに疲れたよな、と思いながら彼女に向かって歩いていったが、その途中で彼女がピクリとも動かないことに気が付いた。周りを見れば、全員疲れてはいるが思い思いの格好で勝利を喜んでいる。その中で彼女だけが倒れたままピクリとも動かない。その事実に悪寒が走った。

 

 何か、何かあったのでは。

 

 気が付けば、僕はただひたすらクロに向かって走っていた。

 駆けだした僕とその先に倒れているクロに何かを感じたのか、後ろから何人かが自分と同じように走ってくるのを認識しながら僕はクロのもとに辿りつく。

 俯せに倒れている彼女の身体を仰向けにしてその顔についている砂を払い落とせば、夜の暗さのせいではない青白い顔がはっきりと見えた。ピクリと瞼が動き、やがてうっすらと目が開かれる。少しだけ宙を彷徨ったオブシディアンが自分を見た。

 意識ははっきりしていそうだ、とほんの少しばかり安心したところでクロの口が億劫そうに動いた。

 

「……シロ、くん。顔、青い、けど……大丈夫……?」

「それ、こっちの台詞だからっ……!!」

 

 死人のような顔色をしている相手に顔が青いと言われるとは思わなかった。

 

「大丈夫なのかっ!?」

「まあ……疲れた、だけ、だから……」

 

 疲れただけ。それ自体は理解できるが、それでもここまで顔面蒼白になるとはどういうことだ。一体どれだけの無茶をやらかせばこんなことになるんだ、何をしたんだ、馬鹿なのか、と叫びそうになるのを奥歯を噛みしめることで耐えた。

 そのとき、背後から静かな怒気を孕んだ声が響いた。

 

「完全なるオーバーワークにゃ、リンセち」

 

 声の主は班長だった。その言葉は酷く冷静に紡がれた。

 

「ただでさえフルタイムの戦闘だったのに、それに加えて〈魂換の籠手〉使用による連続的なHPとMPのスイッチング、戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)に伴う長時間のフロー状態、それが切れた上での戦闘継続……」

 

 倒れない要素を探す方が無理、といつも以上に取って付けたような猫語尾で語られた事実に、何をしているんだ、というのが正直な感想だった。

 それは、言ってしまえば戦闘中にメニュー画面を開いていたということに他ならないし、一時的とは言えギリギリのHPで前線に出ていたということ。さらにフロー状態が切れた上での戦闘ということは限界値を超えた上での戦闘ということだ。

 もしも、それで死亡してしまったら。

 この世界での“死”はノーリスクではないとクロは知っているはずだ。それなのにそんな無茶苦茶な戦闘をするなんて本当に馬鹿じゃないのか。

 僕が文句の一つでも言ってやろうかと思っているのが分かったのか、何かを言おうとするようにクロは口を開いた。しかし言葉は出てこない。それどころか、げほげほと乾いた咳を繰り返す。あまりにも止まらないそれに、ひとまずここから離れて休ませなければという思考が働いた。

 直継に背負ってもらったときにようやくクロの咳はおさまり、呼吸も少々荒いが正常なものに戻りつつあった。そのことにひとまず安心する。

 

「それじゃあ、直継。頼んだよ」

「任せとけ祭りだっ!」

 

 広場に向かっていく合宿参加組の背に小さく「おつかれさま」と呟き、頭を切り替える。

 まだ警戒は抜けない。やるべきことはまだあるのだから。

 

  *

 

 そんなこんなでチョウシの防衛戦、ザントリーフ半島のゴブリン殲滅戦は一先ず幕を閉じた。

 チョウシの防衛戦はリアルタイムで参加していたから戦況は分かっているのだが、ゴブリン殲滅戦の方は人伝いというか参加していた〈Colorful〉経由で聞いた話だ。

 どうやら殲滅戦の方はゴブリン王を倒したわけではなく、その略奪軍をザントリーフ半島に封じ込めて殲滅をしただけであるらしい。この作戦はクラスティ率いる浸透打撃大隊がゴブリン将軍(ジェネラル)を倒してから約一週間で完結したという。

 未だ監視を続けている〈七つ滝城塞(セブンスフォール)〉には、おそらく数千の軍が潜伏しているとか。数だけで見れば略奪軍の5分の1程度だが、それがイコール戦力にはなり得ないのだから厄介なところだろう。

 そんなゴブリン王の討伐はひとまず後回しらしい。理由の一つとしては〈自由都市同盟イースタル〉との条約締結を先に済ませるべきだという判断が働いたからだそうだ。もう一つは〈七つ滝城塞〉攻略戦に〈D.D.D〉が不参加を表明したことだ。どちらにしても、裏に様々な思惑があるのはわかっているので納得している。ただ戦闘集団の〈Colorful〉のメンバーはその事実に不完全燃焼らしく、事あるごとに念話なり対面なりで愚痴を言ってくる。正直勘弁してほしい。

 

 遠征の後処理や〈イースタル〉との条約締結の事務処理などで〈円卓〉ひいてはアキバはばたばたとしていた。その中で僅かに挟むことのできた小休止、そこで私とシロエは彼の部屋で書類に埋もれながら一息ついていた。

 

「で、シロくん」

 

 そろそろ例の件の話が聞きたいんだけど、と切り出せば過剰労働で以前より少々顔色が悪くなったシロエが私を見た。

 

「例の件って?」

「『死』はノーリスクじゃないって話だよ」

 

 それは私が『ゴブリン王の帰還』の発動に関しての警戒の念話を入れたときに後回しにした話だった。

 私の言葉に思い出したのか、ああ、とシロエは少々苦い顔をした。

 ふう、と一つため息を零したシロエは、ミラルレイクの賢者から聞いたことなんだけど、と前置きをして語り出した。

 魔法の分類の一種、〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉、〈魂魄理論(スピリットセオリー)〉。この世界の歴史、学問について話して、シロエはこう締めくくる。

 

「リ=ガンさんの述べた〈魂魄理論〉から察するに、『死』は僕たちの精神を駆動するエネルギーである魂を用いて、肉体を駆動するエネルギーである魄と肉体を再生させる。そのたびに、僕たちはわずかな記憶を失う……」

「なるほど」

 

 理論があればすんなりと納得できる話だった。

 あれだ。熱力学第二法則。第二種永久機関は存在しない、というやつに近いのだろう。

 

「……現象としては至極真っ当だね。逆に安心したよ」

「怖い、とは思わないの?」

「なんで?」

 

 なんでって……、とシロエは言い淀んだ。そんな目の前の彼に笑う。

 

「前にも言ったけど。そうでなければ、私たちは死に対して意味を見いだせない、それは、生に意味を見いだせないのと同義だ」

 

 そうであるなら、生は死よりも恐ろしいものになるだろう。私はそちらの方がとても恐ろしいと思った。

 

  *

 

 はっきりとそう述べたクロにすごいなと素直に思った。同時にそれとほぼ同義の言葉を言っていた彼にも。

 そう、〈D.D.D〉のクラスティさんだ。

 

 ――もしそこに意義が見いだせないのならば、死よりも生の方が恐ろしいのは、どちらの世界でも一緒ではありませんか?

 

 〈エターナルアイスの古宮廷〉で緊急で開かれた〈円卓会議〉に対してこの世界の『死』について告白したとき、クラスティさんは優しいともいえるような声で決意を込めてそう囁いた。

 その決意は、覚悟は、一体どれだけのものだったのだろうか。考えてもおそらく簡単にはわからないだろうが。

 自嘲交じりに笑うと、その空気を変えるようにクロが声を上げる。

 

「もう一つ、聞きたいことがあったんだった」

「何?」

「ルンデルハウス=コードについて」

 

 僅かに細められた瞳に背筋が凍る。

 ルンデルハウス=コード、チョウシの町の戦闘が終わった後に〈記録の地平線〉に新しく加入した〈冒険者〉だった。

 僕が彼に行ったこと、それは〈大地人〉をギルドに加入させてその身分に〈冒険者〉を与えるという契約。それは、異世界のルールの変更、〈エルダー・テイル〉に搭載されては“いない”魔法の開発。

 ――それは、世界の法を脅かすような行為。

 世界への反逆ともとれるこの行為は、この異世界に承認されて新しいルールとなった。

 クロはおそらくそのことを指している。

 

「“地と共に生きる民、憧憬のうちに堕ちる天蝎宮(Scorpius)。二つに分かたれた生を再び結ばんと契り交わし、(あずま)()()()()()()()()()()()、理に叛逆す”」

 

 まるで(うた)を詠むように紡がれた言葉に虚を突かれた。突然クロは何の話をし出したのか。

 

「君がルンデルハウス=コードにしたこと、当ててあげようか?」

「え……」

「〈大地人〉であった彼はチョウシの町の防衛戦の最中に死亡した。さっき聞いた〈魂魄理論〉で言うと、落魄と散魂――(こん)(はく)の間の接続が切れた状態になったんだろう。それに対処するために、そうだな……シロくんはきっと〈筆写師〉の技能で契約書か何かを作って彼を〈冒険者〉にする契約をした。……どうかな?」

 

 当たっている。自分のしたことが見抜かれている。

 きっと誰かから聞いたわけではない。けれど、何かから情報を得て彼女はその推測に至ったのだろう。

 

「……どうやってその推測に辿りついた?」

「種明かしをしようか。この推測に至った経緯、それは全てある一点に収束される。前にも言ったと思うけど、“一つの現象として〈星詠み〉のフレーバーがそのまま適用されている”、この一点だよ」

「……まさか」

 

 それが事実なのだとしたら。もし、そうだとしたら。リ=ガンさんのあの言葉が現実になっていたとしたら。その力は潮の満ち欠けや天候といったものにとどまらず、人や国家の運命すらも知りうる、そういうことになる。

 

 “地と共に生きる民、憧憬のうちに堕ちる天蝎宮”、これは即ち大地人であるルンデルハウス=コードの死の暗喩。そして、“二つに分かたれた生を再び結ばんと契り交わし”というのはおそらく魂と魄の接続およびその方法を。“東のとのおおいしるすつかさ”、とのおおいしるすつかさは外記の和訓――つまり、東の外記。ルンデルハウス=コードを〈冒険者〉にした一件で、どうやら西では君をそう称する準備が進んでいるらしい。“理に叛逆す”の部分は言わなくても分かるよね。

 先程の詩のような言葉をクロはそう解説した。丁寧に読み解かれたそれは、確かに自分がルンデルハウスに行なったことを示している。

 

「これは星を見ているときに突然聞こえてきた言葉なんだよ。私は、この現象が〈星詠み〉のフレーバーの具現化だと思ってる」

「その正確性と基準は?」

「残念ながら、全く分からない、というのが正直なところ。もしかしたら私以外にも同じ現象に陥っている人がいるかもしれない。もしかしたらいないかもしれない」

「でも、ここにクロっていう例が1つ存在する」

 

 それは今後、職業やアイテム、フィールドに至るまでの全てがその在り方を変える可能性があるということだ。それはクロも理解しているのだろう。

 可能性があるのならば、それを考慮にいれなければならない。

 また調べなければいけないことが増えてしまった。思わず頭を抱えて唸っていると、正面から押し殺したような笑い声が聞こえてきた。視線を目の前に戻せば、クロが口元に手を当てて笑いをこらえている。

 

「なんで笑ってるのさ」

「いや、悩み役のシロくんにさらに悩みの種吹っ掛けちゃったなって思ったら申し訳なくて」

「申し訳なかったら、普通は笑わないと思うけど!?」

 

 そう目の前の彼女を睨み付ければ、ついに耐えきれなくなったのか咳き込みながら声を出して笑い出した。その様子をじっとりと睨みつけていれば、笑いすぎて出てきた生理的な涙を拭ったクロが言った。

 

「私個人としては実に興味深い案件だなと思ってるんだよ。まあ、大抵のことは興味深い対象に入るんだけどね。ようは研究対象だよ。この世界から現実世界に戻るにせよ、諦めるにせよ、“分からないこと”が分かった。これだけで今後の方針を探っていく上では相当有意義なことだよ。“分からないこと”が分からない状態で分析も活用もしようがないんだから」

 

 クロの言っていることは理解できる。けれど“分からない”ということに対して確実に不安の気持ちがあるのも事実だった。

 戻るにせよ、諦めるにせよ、それ以前にこの世界で生き抜かなければならない。それはアキバにおける〈冒険者〉の共通認識だろう。そのためには情報が命綱になる局面が少なくはないだろうし、情報の集積は〈円卓会議〉が自治を行なう上でも不可欠なものだ。どのような事態であれ、周辺事情が判らなければ正確な判断など下せるはずがないのだから。

 隠しきれないため息が自分の口から盛大に漏れていく。それにクロがくすりと笑う気配がした。

 

「そんなに抱え込まなくっていいんだよ。別に1人でやらなくちゃいけないわけじゃない。私だって、その辺の分野は出来ないわけじゃないし」

 

 ね? と小首を傾げるクロに内心敵わないなと思った。こうして先回りして望む以上のものを差し出してくるのだから。

 クロのこういうところが心底恐ろしいと、そう認識した。そのはずなのに、それでも縋りたくなってしまう。差し出される手が当然ではないということをしっかりと意識しなければ、あっという間に飲み込まれる。

 わかっているのに。

 そんなクロに甘えてしまう僕は、すでに彼女の底なし沼にはまっているのだと自嘲するしかなかった。

 

「まあ、でも。目下の試練はマイハマで行われる条約締結を祝う祭典だよね」

 

 せいぜい顔を売ってくるんだね、と心底面白そうに笑うクロに先程の自嘲の念は急速に霧散し、分かってて言ってるだろ、と口角をひくつかせた。

 

  *

 

 そんな話をした数日後、マイハマでは条約締結を祝う祭典が開かれていた。

 その祭典に私も参加しているのだが、見たところヤマト北東部から多くの貴族たちが集まっているようだ。どうやら参加自体は義務ではないらしいのだが、数少ない〈冒険者〉の知己を得る機会であるとあってほとんどの貴族が集結しているらしい。

 それもそうか。通商条約が締結された今、領主たちにとってこれは自分たちの領地の特産を売り込んだり、優先的な契約を結ぶための大きなチャンスなのだから。

 そんな貴族たちの熱気に押されてアキバの街のギルドもまた活発に活動している。商業系ギルドは新しい工夫を行なう事で大きな利益を得られる可能性に、戦闘系ギルドは護衛や希少なアイテムの採集などで熾烈な交渉合戦が巻き起こっている。

 今のアキバは、経済が目まぐるしく回っている、といった表現がお似合いだろう。

 そういったわけで、マイハマの都は一時的に通常の人口の倍にもふくれあがっているらしい。

 そんな都を情報収のためにぶらついていた私は、混雑のせいもあり1人の女性とぶつかってしまった。思ったよりも大きな反動に大分強くぶつかってしまったことを認識した私は、瞬時に女性が倒れないようにその腕を引いた。

 

「あっ、すみません! 大丈夫ですか?」

「……はい。ありがとうございます」

 

 すみませんでした、ともう一度謝れば、気にしないでください、と笑って女性は去っていく。

 その女性は若草色の髪に同系色の瞳を持っていた。ステータスを確かめれば、年代記作家のヒューマンの〈大地人〉、名前はダリエラ。

 

 ――なぜ、“西の納言”がここに。

 

 ミナミにいる元〈Colorful〉のメンバーから告げられた存在、〈Plant hwyaden(プラント・フロウデン)〉のギルドマスター、濡羽。確か狐尾族の〈付与術師〉で自分の情報を書き換えるという魔法を開発したとか。報告してきた〈彼女〉によると、あの姿はその魔法で書き換えた姿なのだとか。一体どんな方法でその情報を入手したかは知らないが、実際に存在しているところを見ると事実なのだろう。

 

 シロエの意思がアキバの街を変化させたように、他のプレイヤータウンも誰かの意思が作用して変化している。

 アキバの街に流れた時間は他の場所でも確実に流れている、というわけだ。

 

 この世界に迷い込んだ〈冒険者〉の問題は、徐々に目の前に突如出された問題からシフトしつつある。それは、彼らの意思の問題、あるいは――。

 白と黒、それで二分できない灰色の問い。それはいっそ混沌と言ってもいいだろう。あらゆる意思が絡み合って構成されるのが社会なのだから当然といえば当然のことだ。

 

 不意に、自分の踏みしめている地面の下から形容しがたい闇が今か今かと出てくる瞬間を伺っているような感覚に陥った。

 きっと人は、この感覚を嵐の前の静けさと呼ぶのだろう。

 

  *

 

 嗚於、主よ。我らの天宇に、もしくは内に(ましま)す主よ。

 拙僧は、眠るのが恐ろしいのです。

 

 ――定めは、覆らないのでしょうか。




2016/11/3 1:50 加筆修正


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アキバの休日
interval 2


天秤祭に行く前に箸休め。

にゃん太班長・幸せのレシピ より Recipe.07~09
いわゆる、シロエの一日レンタルをかけたカレー選手権回。


 ザントリーフ半島の掃討戦から約2ヶ月、この世界にも秋が訪れようとしていた。

 

 この掃討戦の後始末は中々に手間取っていたが、それもすでに終わりに近づき〈自由都市同盟イースタル〉と新しい関係を築くというステップにシフトしつつある。

 そんな中、我が〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉ギルドマスターは暴力ともいえる量の報告書や事務作業に忙殺されていた。イコール、彼の手助けを申し出た私も同じく事務作業に忙殺されていた。

 そんな私たちの仕事は、連日深夜にまで及んでいた。

 

 本日は部屋に仕事を持ち帰るのすら面倒で、シロエの自室兼執務室の片隅を借りて作業していたのだが書類が驚くほど減らない。むしろ増えている気さえする。あまりの多さに私はすでに確認して仕分けしての作業を機械的にこなす他なかった。シロエはというとため息が絶えず漏れており、ついには小声で叫ぶという器用なことをやってのけた。

 

「みんな僕のこと引きこもり言うけどさ……書類に目を通すだけで一日が経過するわっ」

 

 ああああーっ、と小声で叫んだシロエは頭を掻き毟っている。その光景を無感動に見つめながら私は一言、うるさい、と言い放った。

 

「ごめん……。でも、本当この作業いつ終わるんだろ……」

「やらなきゃ終わらない。なに分かりきったことを」

 

 そこで私もため息をついた。

 ああ、だめだ。集中力切れそう。いや、切れた。

 一度リセットするか、と執務室に繋がるドアのところにいたご隠居に声を掛けた。

 

「ご隠居、朝食の仕込みが終わったところ悪いんですけど、何か飲み物もらえませんか?」

 

 私の言葉にシロエはハテナを浮かべる。するとドアが開いてご隠居が顔を出した。

 

「お疲れ様ですにゃー」

「班長……」

 

 どうやらシロエはご隠居の存在に気付いていなかったらしく、ひょこっと出てきた彼の顔に驚いていた。

 

「シロエちも飲み物いりますかにゃ?」

「あー……じゃあ、お願いします」

「了解ですにゃ」

 

 それだけ短く告げると、ご隠居はドアを閉めてキッチンへと戻っていった。それを確認した後、私は座っていたソファーに倒れ込んだ。

 

「クロ……手伝いを頼んだ僕が言うのもあれだけど、大丈夫?」

「集中切れた。もうやだ、なにこれ、死ねってか、死ねっていうのか。もういっそ殺せよ」

「……相当きてるね」

 

 抑揚のない調子で言えば、それで私の状態を把握したらしいシロエがもう一度ため息をつく。その音にシロエの方に視線を向ければ、ばちっと視線が合った。しばし互いを見合った私たちは、今度は同時にため息をつく。

 けれど、ここで愚痴を言い合ったところで書類の山が減るわけでもないので、私はしぶしぶ起き上がって、ご隠居が戻って来るまで仕事をしよう、と紙の山から一枚書類を手に取った。

 目頭を押さえて書類を確認していると、シロエの方から、カレーかぁ、という呟きが漏れた。

 

「カレー?」

「うん。天秤祭の出店申請リストにカレーの屋台があったんだよ」

 

 天秤祭。それは生産系ギルド連絡会が主催となって開催される『秋祭り』の企画だ。その背後には、〈アキバのひまわり〉がお祭りをしたいと駄々をこねた、というものがあるとかないとか。

 その祭りの申請書類もこちらに回ってきていたようである。

 

「カレー、ねぇ。確かシロくん、カレー好きだったよね?」

「うん。そういえば、高校のころ、近所のカレー屋によく食べに行ったよね」

「ん? ……ああ、あそこか」

 

 私としては、“食べに行った”というよりは“食べに行かされた”が正しい。シロエには悪いが、私は特別カレーが好きというわけではないのだ。むしろ……

 

「……確か、カレーに入ってる肉をひたすら自分の皿に移された記憶があるな」

「移したよ、欠片も残さずに」

 

 カレーは普通に食べる方だ。でも、その中に入っている肉だけは苦手だった。だから、食べに行けば必ず同行者の皿に肉を移していたし、自分で作るときは入れずに作っていたりもしたのだ。

 

「でも、まあ。おいしいよね、カレー」

「うん」

 

 私の言葉を肯定したシロエは椅子の背もたれに体重をかけながら、いいなカレー……僕も食べたい……、とぼやいた。

 そのタイミングでご隠居がトレーにカップを二つのせて戻ってきた。一つをシロエの執務机に、もう一つを私の目の前のテーブルに置く。香りから判断するにハーブティーの一種だろう。気分転換という意味ではいいのだろうが若干眠りに落ちそうなそれに、選択を間違えたか、と思った。

 

「シロエちもリンセちも、無理は良くないですにゃ」

 

 暗に、キリの良いところで休め、と言いたいらしい。それに2人して苦笑い。

 

「りょ、了解です、ご隠居……」

「にゃぁ。では、我が輩はこの辺で失礼しますにゃ」

「うん。ありがとう、班長」

 

 おやすみなさい、と出ていくご隠居に各々返事をする。パタン、と極力音を立てないように閉められたドアに、私は小さくため息をついてご隠居の持ってきたお茶に口をつけた。

 相変わらず、おいしい。

 キリの良いところで、とご隠居は暗に言っていたし私もそれに了解と返したが、それを反故にするまでがワンセットだと、きっとご隠居も分かっているはずだ。

 いい感じにリセットがかかったので、よしと気合いをいれて再び書類に向き合った。

 

 翌日の朝にそれがばれて静かに叱られるまでがワンセットであることに、そのときの私はまだ気付いていなかった。

 

  *

 

 翌朝。

 こっそりとシロエの執務室から持ってきた書類を片付けていたらいつの間にか日が昇っていたらしく、さらに、朝食の時間だというのにやってこない私を心配して起こしに来たご隠居にその現場を見られ、完徹後の朝からお叱りを受ける羽目になった。自業自得なので何も言えないが。

 やや怒り心頭気味なご隠居に連れられて朝の食卓にやってきたわけだが、徹夜明けということもあり、普段から量を食べないのに今日はさらに食欲が湧かない。せっかく作ってくれたのだし、食べなければ作ってくれたご隠居にも材料にも申し訳ないと思い手を伸ばすが、それを口元に持ってきたところでどうしても手が止まる。

 やっぱり徹夜なんてするものじゃないな、とため息をついた。

 

「リンセさん、大丈夫ですか?」

 

 そう聞いてきたのは、チョウシ防衛戦の後に〈三日月同盟〉から〈記録の地平線〉に移ってきた〈吟遊詩人(バード)〉の五十鈴だった。

 

「あはは……。大丈夫、寝不足で食欲ないだけだから……」

「完全徹夜すれば寝不足にもなりますにゃ」

 

 まだ怒っているのか、ご隠居の言葉に明確な棘がある。おまけに、いわゆるジト目というやつで私のことを見ている。顔を逸らしても感じる視線に、やや口を尖らせる。

 

「だから、ごめんなさいって言ってるじゃないですか……」

「そう言いつつも反省していないことが、経験上、分かっているから言っているのにゃ」

 

 やはり、長い付き合いとなるとそこまで見抜かれているのか。正論にぐうの音も出ない。

 ひとまず朝食を食べたら少しでも寝なさい、と言うご隠居に、そんなことしたら書類が溜まるじゃないか、と反論すれば、寝不足で作業しても効率が下がるだけ、とばっさり斬られた。またもや正論であるため反論できない。

 

「それ以前に、昨日僕が切り上げるのと一緒にクロも切り上げたよね?」

「あー……」

 

 私が徹夜しているということを疑問に思っていたらしいシロエがそう聞いてくる。それに明後日の方向を見つつ曖昧な返事をすれば、ご隠居の呆れたような声が響いた。

 

「大方、こっそり持ち帰った仕事を片付けていた、というところですにゃ」

 

 ばれている。本当にこの人はセンサーが働きすぎじゃないのか、と顔が引き攣った。

 

「いや、でも、全体量で見ればシロくんより仕事してないし」

「でも、リンセ姉はたまに一緒にフィールドに行くよな?」

「うん。リンセさん、たまにわたしたちの修行見てくれてますよね?」

「まあ、うん。そうだね」

 

 仲良く首を傾げながら聞いてきたのは、〈武士(サムライ)〉のトウヤと〈神祇官(カンナギ)〉のミノリだ。

 それも、まあ仕方ないだろう。せっかく自分と同じメイン職業の人間がいるのだから、その修業は見てあげたいと思うじゃないか。そういうわけで、毎日とは言わずとも週に2、3回は彼らの修行に同行している。

 つまり、最近の私のルーチンワークは、日中はフィールドに、夜間は事務作業、というわけだ。

 別に、それが嫌だとかいうわけではない。むしろ、好きでやっていることなので全然構わない。しかし、周りはどうにもそういうわけにはいかないらしい。

 

「どう考えても働きすぎだぜ? リンセ」

「そうだ」

 

 主に年少組の修行に同行している直継とアカツキにはそう言われ。

 

「ミス・リンセは少し休んだ方がいいんじゃないか?」

「そうですよ! 無茶は良くないですって」

 

 〈記録の地平線〉メンバーの中では最も新規な2人、〈妖術師(ソーサラー)〉のルンデルハウスと五十鈴にはそう説得され。

 

「僕もそれがいいと思う。クロのおかげで割と書類は片付いている方、だと思うし……」

 

 自分と同じく寝不足気味なはずのシロエにも言われ。

 

「リンセち」

 

 ご隠居はもう言葉ですらなかった。

 

「はいはい、分かりました。この後、睡眠とればいいんでしょ……」

「返事は一回で十分だにゃ」

「はーい」

「伸ばさない」

「……はい」

 

 そうして、私の今日の午前中の予定は半ば強制的に決定したのだった。

 

  *

 

 半強制的に取らされた睡眠から覚めると、何やら〈記録の地平線〉のギルドハウスにお客さんが来ているようだった。感覚を頼りに向かってみると、ちょうどシロエの執務室から何人かが退出してきた。1人はヘンリエッタ、もう1人は〈西風の旅団〉で元〈茶会〉メンバーのナズナ、最後の1人は〈D.D.D〉の高山三佐だった。3人とも何やら急いでいる様子だ。何かあったのだろうか、と思いながら執務室に入ると、そこには部屋の主とご隠居がいた。

 

「あ、クロ。おはよう」

「ああ、うん。おはよう」

 

 さっき出て行った3人のことを考えながら挨拶をしたら、やや生返事になっていたらしく、シロエがどうかしたのかと聞いてきた。

 

「いや、さっき出て行った3人が妙に慌ただしかったから、何かあったのかと……」

「ああ、それは……」

「明日、シロエちの貸し出しをかけた料理勝負をすることになったのですにゃ」

「……は?」

 

 何がどうなっている。

 まったく予想していなかった展開に、素直に首を傾げた。

 事のあらましを聞けば、やってきた3人がそれぞれの用件のためにシロエを口説き落とそうとし、でもシロエは当然1人しかいないので1度に1か所にしか行けない、さらにはまだ仕事が残っている、そこで料理対決で決着をつけて勝ったギルドにシロエの一日貸し出しを許可することになった、ということらしい。

 まず、一ついいだろうか。

 

「当の本人はそれで納得してるの?」

「ま、まあ。いいんじゃないかな……?」

「そう。本人がいいならいいけど……」

 

 料理対決のお題がカレーであるあたり、おそらく、ご隠居は深夜のシロエのぼやきを聞いていたのだろう。あのときドアの外にいるのは分かっていたし。ついでに、料理対決を明日にしたのは仕事を片付けるための時間稼ぎ、といったところか。

 面白いことになりましたとにこやかに笑っているご隠居に、策士だなと思った私は悪くないと思う。

 

 しかし、その料理対決とやらは三つのギルドだけに治まらないだろう。すでに、1ギルド追加で参戦決定のようだし。

 ドアの向こう側で聞き耳を立てている2人に乾いた笑いが漏れた。

 

  *

 

 そうして迎えた翌日。

 優勝チームにはシロエの1日貸し出し権という話が広まりに広まって、〈記録の地平線〉ギルドハウス前に集まったのは30チーム。やっぱりこうなったか。予想はしていたけど、みんな集まりすぎというか、必死すぎだろう。

 

 セララをサポートに置いたご隠居が開会を宣言する。

 ルールは4つ。1、2人一組であること。2、〈新妻のエプロン〉使用可。3、使用する食材は調理者が用意する。4、シロエとにゃん太が一番おいしいと判断したものが優勝。

 みなさんの力作を楽しみにしております、というご隠居の声を合図に、全チームが一斉に調理を開始した。

 

 ちなみに、今回使用可になっている〈新妻のエプロン〉というアイテムだが、メイン職レベルの一時的低下と引き換えに、中級程度の料理人スキルを得ることが出来る、というものだ。確か、4年前の期間限定クエスト〈キャリィの花嫁修業〉の報酬アイテムだったと記憶している。しかしこのクエスト、参加条件が『〈料理人〉レベル70以上』と厳しめな上に毒舌NPCキャリィへ料理を納品するおつかいが「苦行」「マゾ向け」と不評だった結果、クエストを達成できた根気強いプレイヤーはほんの一握りだったという。その一握りにご隠居も含まれる。

 〈大災害〉前は単なるコレクター品扱いだったが、現在では〈料理人〉でなくとも調理が可能になる希少アイテムとして価値が急上昇し、マーケットでは大手ギルドが日夜目を光らせているとかいう話だ。

 

 会場を見回してみると、〈三日月同盟〉からはマリエールとヘンリエッタが出場している。おいしいカレー作るさかい、見とってな! と笑顔で手を降るマリエールに、隣にいたヘンリエッタから、お鍋が噴いていますわよ! と声がかかった。それを見たマリエールは、じゃあまたあとで、と調理に戻っていった。

 マリ姐まで出てるのかと驚いているシロエに、昨日は遅くまで準備してたみたいですよとセララが言う。続けて〈第8商店街〉さんにエプロンを探してきてもらったりして、と言うところでセララの言葉が止まった。どうしたのだろうとセララを見ると、彼女は何かを見て固まっていた。その方に視線を向けて私も思わず固まった。

 

 いや、これは仕方ないと思う。

 だって、最大手ギルド〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉が、ふりふりの〈新妻のエプロン〉をして調理していたのだから。

 

「くくくくクラスティさん!?」

 

 シロエが、うわああああーっ! と叫び声をあげた気持ちはよく分かる。

 

「何やってるの、クリュー!?」

 

 私も思わずつっこんでしまった。いや、だって、インパクトがすごい。印象のインパクトもだが、見た目が。

 周りにいる〈冒険者〉諸君も同じようで、あれって〈D.D.D〉のギルマスだよな、とか、大規模戦闘で鬼つえー〈狂戦士〉なんだろ? とか、〈円卓会議〉の総代表がなんであんな格好……、などと言っているのが聞こえる。

 

「じつは料理が趣味だった……とか?」

「いや……多分違うんじゃないかな?」

「我が輩、食材は料理人本人が用意するという条件にしましたから、何か彼にしか獲れない食材を使うつもりなのかもしれないですにゃ」

 

 〈狂戦士〉が獲ってきた食材とか、相当難易度高いと思う。

 

 私は肉の解体を行いますのでソースは頼みましたよ、とクラスティは三佐に告げる。それに、お任せを、と答えた三佐はぐつぐつと音を立てる鍋の中身をかき混ぜていた。その様子はさながら魔女のスープのようだった。

 

 その一方で、昨日ドアの前で盗み聞ぎしていた2人はと言うと、初っ端から前途多難そうだ。

 カレーってどう作るんでしたっけ? と聞くミノリに、とりあえず食材を煮込んでカレー粉を……、とアカツキは答えるが、そもそもこの世界にカレールーというものがまだ存在しない以上、スパイスから作るしかない。大丈夫なのかと思って見ていると、ミノリが、エプロンを借りたしルーからだけど学校のキャンプでカレー作ったことあります、と何やらアカツキに気を遣っているようだ。アカツキさんが獲ってきてくれた〈砂漠エビ〉もおいしそうで、とミノリが手に取ろうとした瞬間、まだ生きていた〈砂漠エビ〉がビチビチと跳ねて逃げていく。アカツキは、逃げたエビを追うからミノリは調理を進めていてくれ、と駆け出していった。その背中にミノリが手を伸ばすもそれが届くはずもなくミノリは、アカツキさん~……と頼りない声を上げた。

 

 ああ、ものすごく手伝ってあげたい。手が出せなくても口ぐらいは出していいか、と主催に尋ねたくなるぐらいには手伝ってあげたい。ダメ元で聞いてみれば、ダメだ、と即答されてしまったが。

 

 時間は刻々と過ぎていき、次々と出来上がったカレーが運ばれてくる。ご隠居は口をつけた1つ1つにコメントを入れていく。これはなかなか、これはカレーというよりもシチュー、などなど。当然、参加チームの数だけカレーが出来上がるわけなので、1つのカレーにつき1口以上は厳しいだろう。シロエも同感のようで苦笑いを浮かべた。

 そんな中、〈三日月同盟〉のカレーが運ばれてきた。

 

「シロ坊! うちらのカレーも食べたってな!」

「〈三日月同盟〉秘蔵のスパイスセットに特別アレンジを加えて作った、月見ドライカレーですのよ」

 

 卵をくずしてどうぞ、というヘンリエッタに続いて、うっとこの畑で採れたひよこ豆が入ってるんよ、とマリエールが笑う。ありがとうマリ姐、と言ったシロエは、じゃあ、と一口食べて、固まった。

 シロ坊? と首を傾げるマリエールの後ろでご隠居も一口食べてビクッと身体を震わせた。

 

「こ、これは……なかなかスパイシーな……大人の味ですにゃ」

 

 大人の味? とぎょっとしているマリエールの横で、わかってらっしゃる! と微笑んだのはヘンリエッタだ。

 

「隠し味に〈火蜥蜴(サラマンダー)〉の尻尾と〈火薬ハバネロ〉を入れ、殿方がお好きそうな情熱的な味に仕上げましてよ」

 

 それを聞いて真っ先に思ったのが、それ隠し味にしては隠れてなくないか、ということ。マリエールも、アンタいったい何入れて、とカレーを一口食べて、辛ぁあああああ! と叫んだ。

 

「梅子~~! 何やのこれ!! めっちゃ辛いやん」

「ちょっと! 梅子って呼ばないで。それに大げさですわ。ちゃんと味見しましたわよ」

 

 試食者曰く激辛カレーを口にしてヘンリエッタは恍惚とした表情で、この刺激的な味! たまりませんわぁ、と頬に手を当てて味わっている。どうやら彼女、相当の辛口らしい。

 

 そんな〈三日月同盟〉の刺激的なカレーの後は、〈D.D.D〉のお出ましだった。

 

「ほほ肉とイエロースピナッツのカレー、エルダーテイル風です」

 

 出されたカレーはいかにも専門店のような盛り付けがされており、ライスの上にはシロエの似顔絵とめしあがれの文字が書かれた旗が刺さっている。

 いい香りです、と言ったご隠居とシロエがカレーを口にした。その瞬間、パッと目の色が変わる。

 

「! ……おいしい」

「ほう、これは……」

 

 2人の反応にセララが物欲しそうにご隠居を見ている。どんな味なんですか? という彼女に、一口どうです? とご隠居はカレーを差し出した。それを口にしたセララは花をまき散らせながら、まるで高級料理店のカレーですね、と目を輝かせた。

 それはよかった、と返すクラスティに対し、私としてはもっと甘口でもよかったと思いますが、と三佐は砂糖と蜂蜜を手にしゅんとしている。それを見たクラスティは、高山女史しまいなさい、と彼女を咎めた。

 

「……失礼しました。こちらのカレーですが、我が〈D.D.D〉が抱える優秀な〈料理人〉考案のレシピで作っております」

 

 カレーソースはシンジュク御苑の森深部で採れるレッドターメリックをベースに十数種類のスパイスを配合、メインの肉には〈テンタクルイエティ〉を用いて、最新型の圧縮鍋でじっくり煮込んだのだという。さらっと言ってはいるが、シンジュク御苑の森はレベル80はないと厳しい地帯であるし〈テンタクルイエティ〉に関してはボスモンスターだ。様々な料理の結果、イエティ系モンスターの肉が大変コクがありカレーに適している、いう結論になったのでその親玉である〈テンタクルイエティ〉の肉ならばさらに美味しいカレーが出来るのでは、と思い使用したそうだ。さすがアキバ最大手ギルド、やることの規模が違う。

 しかし、その〈テンタクルイエティ〉、モンスターとしてのグラフィックは相当グロかったはずだ。

 

「そうそう、当然使う部位にもこだわっておりまして、特にほほや眼球付近を中心とした、顔の柔らかい部分の肉を使っております」

 

 三佐がそう告げたとき、ちょうどセララが掬い上げたスプーンの中にその目玉がごろりと転がった。はうう~~、と倒れたセララに、少し刺激が強すぎたかな? ……のようですね、と〈D.D.D〉の2人は言い合ってる。さすがアキバ最大手ギルド、やることの規模が違う。

 

 そんなこんなで食べすすめていたが、残りチームもあと少しと言ったところまで来た。

 

「シロエちは、気に入ったカレーはありましたかにゃ?」

「え……?」

 

 その一言でシロエも確信を得たらしく、班長聞いてたんだね、と言った。尋ねてきた3人にあんな提案を持ちかけたのも僕の作業時間を稼いでくれるつもりだったとか? とも。

 

「どうでしょうかにゃあ。結果的に大事になってしまいましたから」

 

 ただ最近あまりにもお疲れのようでしたから、とご隠居は言う。

 

「〈円卓会議〉の発起人であるシロエちにいろんな仕事が集まるのは仕方ないことかもしれないですにゃ。でも、我が輩には少し集まりすぎのように思えたのにゃ」

 

 その意見には同感である。

 集まりすぎ? とクエスチョンマークを浮かべたシロエに、みんながシロエに頼りすぎということだ、とご隠居は言う。

 

「我が輩がシロエちの希望を叶えてカレーを作るのは、簡単なことですにゃ。けれど、今回のことを通して、みんなに少しでも考えてほしかったのですにゃ」

 

 シロエがどんなカレーが好きなのか、どんなカレーなら喜んでもらえるのか。食べる相手のことを考え料理を作る。それが“料理は愛情”と言われる所以だ、とご隠居は語る。それでシロエも今までのことを振り返り、ちょっと根詰めすぎてたかも、と頬を掻いた。

 その後ろから2人を必死の声で呼ぶ2人がいた。

 

「シロエさん!」

「老師!」

 

 振り返れば、そこには我が〈記録の地平線〉メンバーのアカツキとミノリがありったけの力で作ったカレーを持って立っていた。がんばって作ったんです! と差し出されたそれは、本当に、本っ当に申し訳ないが、何と形容すればいいか分からないものだった。さっと視線を反らした私の横でシロエとご隠居も一瞬にして顔色を変えた。

 

「ふ、2人も参加してたんだ……」

「はい! アカツキさんが素材をそろえてくれて」

「ミノリが主な調理を担当してくれた」

 

 前にご隠居が作った海老団子をシロエがうまい! と言っていたのを思い出して真似して海老を入れてみた、とアカツキは言うが、すり身じゃなくてそのまんま入れてしまったらしい。ミノリはミノリで、この間直継とおつまみの話をしているときに柿の種とかほしいよねと言っていたので柿を入れてみた、と言う。ミノリ、それは柿違いだよ。

 

「さあ、主君。食べてくれ」

「ご試食お願いします!」

 

 2人からカレーを差し出されるシロエの構図は、前にどこかで見たような気がする。しかし、今回は差し出されているものがモノだ。班長~、と助けを求めるシロエに、ご隠居は良い笑顔でサムズアップを決めた。

 

「シロエち……料理は愛情ですにゃ!」

 

 その言葉で完全に逃げ場を失ったシロエは、勢いよく手を合わせ一口食べた。そして、ぽろっとスプーンを落とした。想像以上にきつかったらしい。

 これはまずいと思った私は、状態異常回復呪文を準備する。そして、必死に一口飲み込んだシロエに向かって間髪入れずに発動させた。

 

 ステータス上では問題のなくなった状態だが、それでも影響は体に残り、シロエはご隠居に介抱されていた。それを見て、アカツキとミノリは申し訳なさそうにしている。

 まあ、うん。料理は愛情、されど技術も必要、というわけだ。

 

 そんな私たちにセララが最後のカレーを持ってきた。

 シロエとご隠居の目の前に出されたカレーは、ハート型のライスの周りにカレールーが漂っている。ニンジンは飾り切り、しかもシロエの好きな茄子入り。ここに来て、全部持って行ったな。そう思った私の勘は当たり、そのカレーを口にしたシロエとご隠居の顔色が今までにないくらい輝いた。

 

「スパイスの調合具合、とろみ・風味・舌触り。どれをとっても一級品。洗礼された味わいながら一晩寝かせた家庭のカレーのように深いコクとぬくもりがありますにゃ」

「しかもこの触感は茄子……僕は茄子が入ったカレーが大好きだ! こんな、こんなカレーをこの世界で食べられるなんて!」

 

 2人そろって大絶賛だ。

 文句なし、優勝はこのカレーで決まりです、とご隠居が声高々に告げる。そのカレーを作ったのはなんと〈西風の旅団〉の〈吟遊詩人(バード)〉ドルチェだった。どうやらドルチェは料理が得意なんだそうで。

 カレーが一晩置いた様な味になったのは裏技らしく、作りたてのカレーを氷水で冷やして温めなおすと一晩置いたようなカレーになるのだそうだ。厳つい見た目にそぐわず実に家庭的だな、この人。

 

 そう言ったわけで、シロエ1日貸し出し権を得たのは女子力の高さを示した〈西風の旅団〉だった。

 そのレンタル内容は何なのか、と聞いてみるとなんと稀代のモテ男のハーレム形成だった。

 ご愁傷さま。でも、たまには書類から離れて外に行くのも悪くないだろう。

 さあ行きましょう、とソウジロウに背中を押されて去っていくシロエの背をご隠居と2人で手振りつきの笑顔で見送った。

 

  *

 

 こうしてシロエをかけたカレー選手権は終わった。

 作ったカレーは参加者や付近にいたみんなで分け合うことになった。そんな中、私はミノリとアカツキが作ったカレーの入っている鍋の中を見つめていた。

 

「どうかしたのですにゃ? リンセち」

「ああ、いや、なんでもないです」

 

 声をかけてきたご隠居に私は手を振ってそう答えると、ミノリの方に駆け寄った。

 ミノリに近付いた私は、お疲れ様、とミノリに声を掛けた。

 

「リンセさん!」

 

 カレー食べないんですか? と尋ねてくるミノリに、後でね、と答えて私は本題に移る。

 

「ご隠居から借りた〈新妻のエプロン〉持ってるのってミノリちゃん?」

「あ、はい。そうです」

「よかった。あのさ、それちょっと貸してくれないかな?」

「え?」

 

 ご隠居には自分から返すから、と言うと首を傾げながらもそれを差し出したミノリに、ありがとう、と言ってそれを預かる。

 

「何かするんですか?」

「まあ、ちょっとね」

 

 私のことは気にしなくていいからミノリちゃんはカレー食べておいで、と背を押せば、ミノリは少々こちらを気にしながらも、カレーを食べている面々に交じっていった。

 一方、エプロンを受け取った私は、再度ミノリとアカツキが作ったカレーを見て、そこの調理台に残っている食材を確認した。目に映る要素を数字に置き換えてカタカタを計算を繰り返し、さて、とエプロンを装備する。

 

「いっちょやってみますか!」

 

 そうして、私はそのカレーに挑んだ。

 

  *

 

 最初にその匂いに気付いたのはトウヤだった。

 

「あれ? あっちの方からおいしそうな匂いがする……」

「ん? 本当だな……」

 

 トウヤの指差した方向に鼻を利かせて同意したのは、隣でカレーを食べていた直継だ。

 

「でも、あっちの方ってミノリが作ってた方じゃ」

「……行ってみっか」

「おう!」

 

 戦士職の師弟はひとまず匂いの元に向かってみることにした。

 

 少し歩いていった先、そこは間違いなくあの2人が調理していた場所だった。しかし、現在そこには〈新妻のエプロン〉をしたリンセがいた。

 

「あれ? リンセ姉、何やってんの?」

「ああ、トウヤくん。何って、カレーのリカバリ?」

 

 小皿片手に鍋の中身をかき混ぜながらリンセは言う。その鍋は、確かミノリのアカツキが作ったカレーが入っていたものだ。どうやらこのおいしそうな匂いはそこからするらしい。

 

「リカバリって、まさかできたのか?」

「うーん、特別美味しいってわけじゃないけど、普通に食べられはするんじゃないかな?」

 

 味見してみる? と差し出された小皿を直継は恐る恐る受け取る。見た感じは普通のカレールーだし、匂いも普通に美味しそうだ。それを口元に持っていき口内に流し込めば、一般的なカレーよりは甘めの、それでも十分美味しいと言える味が口の中に広がる。

 

「え、普通にうまいじゃんこれ」

「あ、本当? ちょっと甘すぎかなと思ってレッドペッパーでも入れようかと思ったんだけど」

「確かに甘口ではあるけど、まろやかで食べやすいぞ」

 

 ならこのままでいいかな、とリンセは鍋の中身の出来栄えを確認した。

 

「食べられるっていうなら、これも消費しちゃおうか。残すのも勿体ないし」

 

 余ったらギルドハウスに持って帰ろう、と言ってリンセはお玉を直継に託した。

 

「え、師匠。食べられるの?」

「普通にうまいぞ」

「マジで?」

 

 直継の言葉をとりあえず信じたトウヤも恐る恐る味見をする。直後、トウヤは驚いたように目を瞬かせた。

 

「うめーっ!!」

 

 その味に驚いたトウヤは大声でミノリを呼ぶ。その声に気付いたミノリはもちろんのこと、他の〈記録の地平線〉メンバーも集まってきた。

 

「どうしたの? トウヤ」

「あんな、ミノリが作ったカレーをリンセ姉が手直ししてくれたんだ!」

 

 うまいから食べてみろよ、と差し出されたそれをミノリはパクリと食べる。そして目を見開いた。

 

「お、おいしいっ」

「だろ!? リンセ姉、すげーな!」

「それはどうも。でも、元があったからできたんだよ」

 

 ミノリの反応に、まだリンセの手直ししたカレーを食べていないギルドメンバーは次々にスプーンを差し出して味見する。そして、皆一様に美味しいと零した。

 

「ホントだ、美味しい! リンセさん、料理までできるんですか?」

「実においしいカレーじゃないか、ミス・リンセ!」

「成り行き上、ある程度はね」

 

 五十鈴とルンデルハウスは目を輝かせてそのカレーを楽しんでいる。その横でアカツキも黙々と食べていた。にゃん太も試食して、さすがだ、と言った。

 

「せっかくですにゃ。残りはギルドに持ち帰って、今日の夕飯にしたらどうですにゃ?」

「おお! いい案だな、班長!」

「さんせー!」

「は、はい! 私も」

「いいね、そうしよう!」

「ああ、いいじゃないか!」

「私も異論ない」

 

 〈記録の地平線〉メンバーはにゃん太の提案に口々に同意する。ただ1人、手直しした本人はそれでいいのかと苦笑いだったが。

 

「では、決まりですにゃ」

「あ、本当にいいんだ……」

 

 わいわいと賑わうギルドメンバーを見ながら、まあいいかとリンセは肩を竦めた。

 

 その夜、宣言通りにリンセがリカバリしたカレーが〈記録の地平線〉の食卓に並んだ。それを食べたシロエも実に満足気だったという。

 

  *

 

 夜も深まり、そろそろ深夜と呼ばれる時間帯になった頃。にゃん太はキッチンで明日の朝食の仕込みをしながら今日あったことを考えていた。

 

 それは、カレー選手権の後片付けが大方終わったときのことだ。

 

「ご隠居、あのさ……」

「なんですにゃ?」

 

 口を開いたリンセは何かを言葉にするでもなく一度口を閉じ、改めて息を吸い込み言葉を発した。

 

「やっぱり、私もシロくんに寄りかかりすぎ……なのかな?」

「にゃあ?」

 

 リンセの言葉ににゃん太は素直にクエスチョンを浮かべた。

 にゃん太の主観ではそれはありえない。むしろ立場が逆にも思える。シロエの方がリンセを頼っているように見えるのだ。それなのに頼られている側が、寄りかかりすぎなのか? と思っているとは、これは如何に。

 

 にゃん太が今回の件を考えた裏の裏には彼女のこともあった。シロエが動いているからリンセも動いているとしたら、もしかしたらシロエが休めば彼女も休むのではないかと考えたのだ。

 事実、昨日は仕事をするあまり集中しすぎて気が付けば完徹という状況に陥っていた。本人はシロエほどやっていないというがそれは事務作業に限った話である。それ以外にもリンセは日常的にシロエとは別行動しているのだから、事実ギルドメンバーが言うように彼女は働きすぎなのだ。

 誰かの手助けをする、彼女のこの行動はおそらく人の感情を察する勘の良さから来ているものなのだろうが限度と言うものがある。リンセの“他人を優先する”という行動は彼女が今〈記録の地平線〉に属していることにも、チョウシ防衛線での無茶な戦い方にも繋がっている。チョウシ防衛戦に至っては1人で何役も引き受けて、その上、自身の限界を超えた上で戦闘を継続し、あまつさえ倒れる始末である。それだけの無茶をしでかしているのに本人はほぼ無意識であるから恐ろしい。

 

「リンセちは、逆に周りを優先しすぎですにゃ」

「いや、そんなことないでしょ?」

「いいえ、先程もミノリっちとアカツキっちの手伝いをしたい、と。それが証拠ですにゃ」

「証拠って……困っていたら手を差し伸べる、普通はそうじゃ……」

「ススキノはどうですにゃ」

 

 普通はそうじゃないんですか、と言おうとしただろうリンセの言葉をにゃん太は遮った。

 ススキノ。その一単語で。

 それにリンセは苦虫を噛んだような表情をした。

 

「それは……私じゃ力不足で……」

「それも正しい判断ですにゃ」

 

 自分の実力以上のことを無理に背負うべきではない。確かに何もせずに見ているだけは苦しいものがあるが、自分の実力以上のことを抱え込んでどうにもならなくなってからでは遅いのだ。

 

「リンセち。リンセちは〈記録の地平線〉に入ってから極端な無茶をするようになったと、我が輩にはそう見えますにゃ」

 

 おそらく、本人が意識していないところで。

 

「リンセちはもっと自分自身を見て、もっと周りに頼ってもいいと思いますにゃ」

 

 うーん、と唸ったリンセは気まずそうに頬を掻きながら苦笑いを浮かべた。

 

「頼る、ですか……」

 

 リンセの声色は困惑と諦めが滲んでいる。

 

「そうですにゃぁ。まずは自分が本当にしたいことを口にするところから初めてみるのはどうにゃ?」

 

 リンセはその言葉を受けて、ただ肩を竦めただけだった。

 

 “初めて”言葉を交わしてから10年以上。彼女はいつでも年齢にそぐわない献身さを持っていた。いっそ、そう在らなければならない、とでも言うように。

 何が彼女にその意識を芽生えさせたのか、その概形を掴みつつあった彼だからこそ恐ろしく思うのだ。

 いつか――その“いつか”がいずれ訪れるのではないか、と。

 

 そこまで考えたにゃん太は(かぶり)を振った。

 

 その“いつか”が訪れてからではきっと遅いのだから。

 だから、彼は彼女に言葉を尽くす。いつかが訪れる前に彼女からその意識を刈り取るために。




2021/03/06 06:00 加筆


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chapter 17

「ナイアードの泉?」

 

 その夜、私は出来上がった書類を持ってシロエの執務室にいた。

 

 基本的に私は夜にシロエの仕事の補佐をしている。毎晩、日々あちらこちらから入ってくる情報を分析してまとめ、それをシロエに報告するのだ。

 しかし今日は日中にシロエの代わりに進めていた作業の報告をしていた。何故ならば本日はシロエが珍しく日中に外に出ていたからだ。

 なぜシロエは外に行くことになったのか。それは〈黒剣騎士団〉で何やら問題が起こったらしく、その調査に向かったからだ。そんなわけで今日は私がシロエの代わりに書類を片付けていたのだ。

 で、その〈黒剣〉の問題の原因というのが先程私が口にした単語である。

 

 〈ナイアードの泉〉。

 それは“水霊ナイアードが宿る泉で水源は恋多き彼女の涙。この湧き水を飲んだ者は、一昼夜うなされ、時に激しい求愛行動に出る者もあると言い伝えられている”というフレーバーテキスト付きの泉である。

 〈黒剣騎士団〉に起きた問題とは、その泉の水を飲んだ人たちが謎の体調不良を起こしたというもの。〈ロデリック商会〉の調べでは、そこの水質に問題はなかったという。

 となるとだ。問題の原因はどこにあるのか。

 そこでいきついたのが“フレーバーテキストの現実化”だった。普通ならまずあり得ないと驚くところだが、如何せん、自分が体現してしまっているとあって否定できないのが現実だ。

 

「これで二件目、というわけだね」

「うん。フィールドのフレーバーテキストの具現化も確認できたとなると、そろそろ目を逸らすわけにもいかないけど……」

「このまま公表ってわけにもいかない。大騒ぎになりかねないからね」

 

 ひとまずアイザックには他言無用と伝え、ロデリックには伝えて検証開始、といったところらしい。

 なんというか。

 

「シロくんじゃないけど、次から次へと出てくるねぇ問題が……」

 

 興味深いとは思うけれど、時間が足りないと思うのは仕方ないことだと思う。

 

「まあ、この件については私もリックさんと話して色々検証してみるよ」

「任せていい?」

「おっけー。まあ、自分のことでもあるしね」

 

 私は日中にまとめた書類をシロエに手渡し、シロエはシロエでフレーバーテキストの件の書類を渡してきた。受け取った書類を机で少々整えてから脇に抱える。

 

「じゃあ、今日はこの辺で。シロくん、ちゃんと寝ないと駄目だよ?」

「その言葉、そのままそっくり返すよ、クロ」

 

 そう言い合って、無理だな、と心の中でハモるまでがセットになりつつある私たちは、一向に減らない書類に2人してため息をついた。

 

  *

 

 深夜と呼ぶべき時間帯、書類を片付けていた私に念話がかかってきた。非常識とも呼べるこの時間に最近かけてくる人間と言えば、例の〈彼女〉だ。念話に応答すれば鈴の音のような可愛らしい声が聞こえてくる。

 

『こんばんは、リンセ様』

「どうかしたの? ラァラ」

 

 ラァレイア=ドードゥリア。通称、ラァラ。現在、ミナミを統括しているギルド〈Plant hwyaden(プラント・フロウデン)〉に所属している〈吟遊詩人(バード)〉の〈冒険者〉である。

 

 シロエがギルド会館を購入したように、〈Plant hwyaden〉のギルドマスターである濡羽は大神殿を購入したのだという。そのやり方を私も考えないわけではなかった。

 一つの頂点による恐怖政治。

 多少のリスクはあるものの、それでも本来ならば出来ない死んでからのやり直し(ニューゲーム)が可能となったこの世界で、その手段を封じられることは耐えがたい恐怖となる。彼女はそこに至るまでにも色々手をつくしたようだが。その一つがオーバースキル〈情報偽装(オーバーレイ)〉なのだろう。聞く話じゃ〈大災害〉からひと月で会得したとか。〈大災害〉以前も相当優秀な〈付与術師(エンチャンター)〉として彼女のことは知っていたが、ここまでとは。運か、努力か、才か。いずれにせよ、末恐ろしいものだというのが正直な所だ。

 

 思考が逸れたが、その彼女が主である〈Plant hwyaden〉に所属しているラァラだが、元々は〈Colorful〉のメンバーで私とも面識があった。

 〈大災害〉以降、半ば強制的に〈Plant hwyaden〉に所属させられた彼女は、その後、何かにつけて私にミナミの情報を渡してくるようになったのだ。〈Plant hwyaden〉という一つの頂点による統制によりミナミの内部的な情報が漏れにくいものとなっているこの現状で、だ。

 〈Plant hwyaden〉は厳しい統制をしいている単体ギルドだと言う話だが、だとしたらラァラがやっていることはスパイにも等しい。最悪の場合は死亡してそのまま、という事態を招きかねない行為であるのに彼女は嬉々として情報を流してくる。

 そのことに対して前になぜだと聞いてみたこともあった。返ってきたのは。

 

 ――わたくしめは、リンセ様のためならば死ねるのです。いや、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉を聞いたとき、眩暈と悪寒と鳥肌と、分かりやすく言うなら、真面目にドン引き、だ。しかし、それにすら恍惚とした声色で愛を囁いてくるものだからもう諦めた。

 そんな風に私に対して盲目的な崇拝を向けてくる彼女が連絡してきたということは、だ。何か西に動きがあったということだろう。そのことを尋ねればラァラは、ええそうでした、話し始める。

 

『アキバでは明後日……いえ、もう日付を越えていますから明日ですね。天秤祭なる秋祭りが開かれるとか』

「良く知ってるね」

『ええ。リンセ様のことなら何でも知りたいという欲求です』

 

 なんで私のことを知りたい欲求で天秤祭の情報を手に入れたのかはさっぱりだが、まあそれは置いておこう。

 

「それで、天秤祭がどうかしたの?」

『どうやらですね、西の貴族が〈円卓会議〉に対して攻撃を仕掛けようとしている様子が窺えたのです』

 

 一応お耳に入れておこうかと思いまして、とラァラはクスクスと笑った。

 

「あー、やっぱりそうなんだね」

『さすが〈透き目の巫女〉リンセ様。やはり御見通しだったんですね』

「確証はなかったんだけど」

『確証がない、だなんてご謙遜を。貴女の第六感に、〈星詠み〉に、間違いなど存在しないでしょう?』

 

 間違いがないなんてことはあり得ないと常識で分かるはずなのに、それでもないと断言する彼女にため息が漏れる。そのため息にすら恍惚として声が返ってきた。

 

『ああ、ため息もなんて素敵なんでしょう……』

「ああ、はいはいどーも」

『投げやりな態度も麗しいです、リンセ様。ところで、ですね』

 

 急な話題変換を持ち出したラァラに訝し気に、何? と尋ねると、なぜ何も言わないのですか? と返ってきた。

 

『第六感、〈星詠み〉、私という情報源……。ここ最近はいずれから得た情報の大部分を秘匿していますよね? なぜですか?』

 

 至極不思議だ、とでもいう声色に思考が冷えていくのを感じた。

 

「確証のない情報は無意味に混乱を招くだけだよ」

『ですが、“予言者”である貴女の言葉なら届きます』

「私が納得できないんだよ」

 

 ただそう言い切れば、そうですか、と納得したように返される。

 

『わたくしとしたことがっ……出過ぎた真似でした……。リンセ様! わたくしはいつでも、リンセ様はリンセ様の望むままに動けばよいと思っております』

 

 ですから一度でも出過ぎた真似をしたことは死をもって償いますのでちょっと死んできます、と真面目な声色かつ早口のノンブレスで言い切ったラァラを全力で止めた。

 

「いい、いい、しなくていい。いや、本当に」

『まあ、リンセ様。こんなわたくしに対してもそのような慈悲をかけてくださるなんてっ……』

 

 貴女が女神だったのですね知ってましたけど! と今度は恍惚とした声色の彼女に、やはり扱いきれないと思った私は悪くないはず。

 はぁ、と頭を抱えている私を知ってか知らずか、また何か情報が入り次第ご連絡いたしますとラァラは念話を切った。

 

 私は座っていたソファーの背もたれに寄りかかって思い切り息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出した。私の重さに沈み込んだ背もたれが僅かに軋んだ音を上げる。

 

“空ろの船、渡るは商人”

 

 珍しく安直な“声”に逆に不安に思ったが、そのままでよかったようだ。

 西の貴族の攻撃、か。

 〈大地人〉からの攻撃と認識すればいいのか、西からの攻撃と考えればいいのか。いずれにせよ、ほぼ確定の情報が入ってきたからこのことに関する項目は事実になると見ればいいのだろう。まあ、それがわかったところでどうにかする手段などないに等しいのだが。

 もちろん、〈円卓会議〉で話し合えば対処法は見つかるだろう。けれど、それには私は聞いた“声”と西からの情報を説明しなければならない。

 私の聞いた“声”に関しては、いつものように勘だと言えばいいのだろうがクラスティ辺りには嘘だとばれるかもしれない。そうなると誤魔化しようもなくなる。今この状況でフレーバーテキストの件について言及されるのも、ただいたずらに混乱を招くだけだ。

 それに、西、つまりラァラからの情報であると伝えるにしてもその情報源について言及することになる。そうなれば黙ってはいないだろう。誰が、と問われれば〈記録の地平線〉のギルドマスターが、だ。彼のことだ、当然西の情報規制がどのようになっているか把握しているだろう。そんな中で西の情報を流してくるスパイのような存在なんて、信用できるかと言われたらすんなりそうとはいかないだろう。彼女がどういう人間か知っている私ならともかく、それ以外の人からしたら彼女の行動理由が分からないのだから。

 さらに、自分たちの行動が筒抜けだと西に察されてしまえばラァラに危険が及ぶかもしれない。彼女は私のために死にたいだのと宣っているが私はそれを許容できない。

 

 つまり、“何も言わない”のではなく、“何も言えない”が正しい。不用意な発言は混乱を招き、混乱は不安を煽り、その不安は空ろの恐怖を生み、その幻影は人々の精神を侵す。

 何事に関してもそうだ。結局は信用に足る情報を持ってして制するしかない。

 

“神々の盃にわたつみ在りて”

 

 あの日から続く“声”は止まない。

 

  *

 

 翌日。

 所用で出掛けていた私がギルドハウスに戻ると、入り口でヘンリエッタに遭遇した。手に持っている書類から察するにシロエに用事なのだろう。同じくシロエに、と言うよりはシロエの執務室に積まれている書類にだが、用事があった私も彼女と一緒にシロエの執務室に向かう。その途中で、やってられないわ、んなもんっ! と言う叫びが聞こえてきて2人して苦笑してしまった。

 

「シロくーん。外まで聞こえてるよ」

「あ、クロ。それにヘンリエッタさんも」

 

 ドアをノックして入れば、そこには何やら散らばった書類と疲れた表情のシロエがいた。どうやら、書類にてんてこ舞いになっているところに風か何かで書類を煽られたらしい。ヘンリエッタがシロエの肩もみをしている間に散らばった書類をかき集め、それと山になって積みあがっているものから自分のお目当ての書類を探し出す。複数あるそれを他の山を崩さないようにそっと抜き取って集めていき、あらかた収集し終わったところでそれをわきに抱えた。

 

「じゃあ、シロくん。この辺の書類は処理しとくから」

「あ、クロ。ちょっと待って」

 

 書類を持って退出しようとすれば後ろからシロエに呼び止められた。ドアの前で彼に振り返れば、シロエも先程の私と同じように山を崩さないように何枚かの書類を抜き出している。

 

「何?」

「この書類もお願い」

「んー?」

 

 手渡された書類にさらっと目を通す。なるほど。どうやら私が主に処理している書類に関係したものらしい。受け取ったそれをひらひら揺らしながら了承すればよろしくと返される。それに了解と返して今度こそ私は自室へと向かった。

 

  *

 

 シロエから書類を受け取って執務室を出て行ったリンセの背を、ヘンリエッタはじっと見つめていた。

 〈大災害〉後にシロエを通じて知り合った彼の旧知の仲であるという小燐森は、ヘンリエッタから見ても随分と優秀な人間だ。そして、何か一点に特化しているというわけではなくあらゆる方面でその優秀さを発揮している。先ほどの会話もその一つだ。シロエが何の遠慮もすることなく数枚の書類を頼んでいる。つまり事務処理もできるということ。

 それにしても、とヘンリエッタは思った。

 〈大災害〉から5ヶ月、未だにシロエとリンセの関係性がはっきりと見えてこない、というのがヘンリエッタの正直な感想だった。友人にしては近すぎる、かと言って男女の関係でもない、兄妹、幼馴染、親友、どれを当てはめても僅かにずれて嵌らない。

 おそらく、考えたところで分からないのだろう。

 その結論に至ったヘンリエッタは早々にその事についての思考を切り上げた。

 

 ヘンリエッタは本来の目的であるものをシロエに差し出す。

 

「これ、頼まれていたものです」

「あ、すみません」

 

 わざわざ持ってきていただかなくても、とシロエは言うが取りに来ると言いながら彼は全然取りに来ない。たまに手が空いているときにリンセが彼の代わりに取りに来る始末だ。

 

「シロエ様はずっと根を詰めていると聞いたので、陣中見舞いも兼ねて来たんです」

「それは、どうも」

 

 天秤祭の方はどうだと尋ねてくるシロエに、順調だとヘンリエッタは返す。そして、この機会に少し休んでは、という提案もした。それに対してシロエは、祭りの間は騒がしそうだし、と返したがヘンリエッタが言いたかったことはそういうことではない。

 

「いい機会ですし、ギルドのお仲間と親睦を深めてください」

 

 そして、とヘンリエッタはシロエに詰め寄った。

 

「今回の祭りには〈三日月同盟〉も各種露店を出しますからね。〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉も〈円卓会議〉代表のギルドのひとつ。身体を張って盛り上げていただけますわよね?」

「あー……。善処します」

「約束ですよ?」

 

 ヘンリエッタにさらに詰め寄られたシロエは、若干身体を引きながら引き攣り気味の声で、はい、と答えた。

 

「アカツキちゃんもミノリちゃんも可愛いですからね。今から楽しみでたまりませんわぁ。いえ、ほんともう……。この妄想さえあればわたしご飯3杯は行けますっ。人はパンのみにて生きるにあらずと申しますが、パンと妄想があればエブリディヒートアップです。神様ぁ……」

 

 そう言って頬を押さえながら身体をくねらせるヘンリエッタに恐怖を覚えたシロエは、一先ずの対応としてその手伝い内容を聞いておくべきだろうと口を挟む。

 

「どんな手伝いなんですか?」

「話は簡単。冬物衣料即売会のお手伝いをやっていただきたいだけです」

 

 ここでヘンリエッタは先程ここまで一緒にやってきた彼女を思い出した。そういえば彼女もシロエほどではないが引きごもり気味、と言うよりは、仕事をし過ぎている傾向がある。彼女もこの機会に休むことをしたほうがいいだろう。

 

「リンセ様にもそのようにお伝えください」

 

 ヘンリエッタの言葉を聞いたシロエは、一度驚いたように目を瞬かせるとその表情を苦笑に変えて、あー……、と何とも言えない声を零した。

 

「一応、伝えておきます……」

「ちゃんと、伝えておいてくださいね?」

「あ、はい……」

 

 その返事を聞いたヘンリエッタは、アカツキやミノリのことを考えながら〈三日月同盟〉のギルドホールに戻っていくのだった。

 

  *

 

 クロにも伝えておいてくれ、とは言われたがどうしたものか。

 はっきり言ってしまえば、クロと祭り、相性はさほど良くない。クロは祭り、というかこういった騒ぎに加わるのが苦手なきらいがある。おそらく天秤祭もギルドハウスに籠もるか、祭りから少し離れたところで過ごす気だったに違いない。

 しかし、頼まれてしまったものは仕方がない。参加させなければ何が待っているかも分からない。これはきっとクロのためにもなるはず、と自己暗示をかけた。

 

 出向いたクロの部屋で彼女は先程僕のところから持っていった書類を片しているところだった。入ってきた僕を珍し気に見たクロに、天秤祭のことなんだけど、と話を切り出す。ヘンリエッタさんに言われたことをそのまま伝えると、彼女はふーんと気の無い相槌を打った。

 

「天秤祭の盛り上げをギルドで?」

「うん」

「そう。頑張ってね」

 

 頑張ってね、とは随分他人事だ。しかも驚くほど爽やかな笑顔付きだ。そういう事ではなくクロも参加してほしいということなんだけど、と伝えてみると再び同じ言葉が返ってくる。

 

「ふーん、そう。頑張ってね」

「だから、クロもさ……」

「いや、私がお祭りの盛り上げとか無理だから。本当に無理だから」

 

 何が悲しくてわざわざ苦手な分野で働かなきゃいけないんだ、というのがクロの主張だった。無理だ無理だと言いながらクロは目の前に机にべたりと凭れ込む。

 

「あの、いや、シロエさん。一体どう盛り上げろっていうんですか」

 

 敬語でそう告げ、顔だけ上げてこちらを見てくるクロの目はいつも以上にやる気がない。むしろ生気がない。いわゆる死んだ魚の目というやつである。それに苦笑しながらヘンリエッタさんに聞いておいた手伝い内容を伝える。

 

「冬物衣料即売会の手伝いだって」

「それって売り子って事?」

「……多分。……それと、他にもステージのモデルとかあるかも」

「は?」

 

 バッと上体を起こしたクロは怪訝そうに眉を顰めた。

 

「それって、いわゆるファッションショーってことだよね?」

「うん……そうなるね……」

「それこそ私必要ないと思うんだ。可愛いミノリちゃんや美人なアカツキがいれば済む話じゃん!」 

 

 絶対出ない、と叫んだクロはもう話はないと言わんばかりに再び書類にかじり付いた。ここで諦めてしまったら絶対梃子でも動かなくなってしまうのは目に見えている。なんとか説得しなくては、ヘンリエッタさんに何を言われるかも分からない。

 

「ギルメン全員で手伝いすることになると思うし、クロだけ出ないっていうのは厳しいよ」

「いやいや、むしろ私みたいな不細工は出ない方がみんなの目のためになると思うんだよ」

「不細工って……」

「顔に傷跡とか完全にアウトじゃない? ファッションモデルとしては」

 

 そうは言うが実際は言うほど目立つものでもない。それに、それがあったとしてもクロは美人の部類に入ると思う。睫毛は長いし、鼻筋もすっと通っている。普段はやる気がなさそうな目も普通に開けばぱっちりしている。前髪で大部分が隠れてしまっているから周りに気付かれていないだけだ。

 

「……シロくん。考えてることが口からだだ漏れだけど」

「え」

「フラグ乱立させて楽しい? というか美人じゃないから」

 

 目の前のクロは口元を引きつらせていた。何言ってんだコイツという視線を全面に押し出してくるクロに、口を噤んで手を当てたがこぼれ出た言葉はどうあがいても戻ってこない。

 

「べた褒めだったねぇシロくん。シロくんがそんなに私のこと見てたなんて知らなかったなぁ」

「そういうわけじゃないって! これ一般的な見解だよ!?」

 

 先程より悪化した視線を向けられて、ちょっと待ったと右手を突き出す。

 今考えていたことは確かに自分の意見ではあるのだが、リアルの知り合いも同意見の人間が多かったことも事実である。

 

「とにかくっ! クロもちゃんと手伝ってよ」

「うー……分かったよ。やればいいんでしょやれば!」

 

 あぁー……、とクロは再び机にべたりと凭れ込む。言質は取ったし、祭りが苦手なクロには悪いがこれで当日はきちんと参加してくれるだろう。

 机に凭れ込んだまま恨み言を吐き続けるクロにある種の恐怖を感じながら、そっと部屋から退散する。

 

 その後、アカツキとミノリに祭りのケーキバイキングに誘われ、祭り当日に偶然通りかかったクロに大爆笑付きで揶揄われることになるとは、このときの僕は知りもしなかったのである。



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chapter 18

 シロエから〈三日月同盟〉の冬物衣料即売会の手伝いを頼まれ渋々了承した翌日。

 私は手伝い以外で絶対に参加するものかと思っていた天秤祭の街中を歩いていた。これには深い訳があるのだが、ここでは置いておこう。

 

 祭りを巡るにあたって必要不可欠であろうパンフレットを片手に、アキバの街を練り歩いていれば、前方に何やら興味深い団体を見つけた。男1人に少女2人。これだけ見てもロリコンかなという疑問が湧いてきそうなグループだが、その男が自分の良く知る幼馴染ともいえる先輩で少女2人がこれまた自分の良く知っている可愛い女の子たちであるとなれば興味を示すなという方が無理である。さらに3人が向かっている方向というのが、〈ダンステリア〉というギルドが主催している異性同伴が出場条件のケーキバイキング会場の方向というのも興味深い。

 両手に花でデートというやつか。俗に言うリア充爆発しろというやつか。

 まさかあのシロエが恋愛戦争の渦中、いや、攻略対象になる日が来るなんて。おめでとうと拍手付きで祝ってあげたいが、目前で繰り広げられている現状を見ていると全力でからかいたい。からかい倒して何事も無かったかのように立ち去ってこっそり観察したい。

 

 実際に観察できるかどうかは置いておいて、ひとまずからかってやろうと足音を消して気配を殺しこっそりとシロエの背後に忍び寄る。そして射程圏内に入った瞬間、人差し指を立ててシロエの肩を叩いた。

 

  *

 

 叩かれた肩にシロエが振り向けば、ぷすりと頬に何かが刺さった。それは細くて白い指だった。

 

「やあ、シロくんっ。両手に花でデートかな?」

「ク、クロッ!?」

 

 小学生のようないたずらの犯人はリンセだった。

 シロエの目の前でにっこりと笑っているリンセは髪を一つに縛り、七分丈の黒いデニム生地のパンツに黒いジャケットを着ている。その中に着ているシャツも黒で、黒のキャスケットにゼブラ柄のストールを緩く巻いている。全体的に黒でまとめられた服の中で唯一色のあるマウンテンブーツは、よく見るとボルドーのレース生地が重ねられていた。

 そんなメンズルック寄りの服装だったため、シロエの両脇にいたミノリとアカツキは一瞬誰だか分からずぽかんとした。

 

「リンセ、さん?」

「リンセ殿、か?」

 

 クエスチョンマークを付けて自身の名前を呟いた2人にリンセは首を傾げながらも軽く左手を振る。

 

「こんにちは、ミノリちゃんにアカツキ」

 

 そう言うリンセにアカツキは心ここに在らずといった感じに返事をし、ミノリも同じような調子で軽くお辞儀をした。その様子に無理もないかと思ったのはシロエだった。

 

 メンズルックもそうだが、今のリンセはいつも下ろされている前髪を左側だけ耳に掛けていて普段よりも顔周りがすっきりとしている。そのおかげで、普段は三分の一ほどしかさらされていない素顔が半分まで見えるようになっているのだ。さらされているフェイスラインは美しいと称せるほどに綺麗な線を描いている。あまり見る機会のないリンセの目尻は綺麗なラインを描いており、それに加えて長い睫毛の縁取りが余計にそのラインを際立たせていた。

 リンセは俗に言う中性的な顔立ちというやつだったのだ。

 

 中性的な美人とはこういう人のことを言うのだろうと思ったのはミノリだ。アカツキもアカツキで普段のやる気のなさそうな印象とはガラッと変わっているリンセに暫し見惚れていた。

 その2人とは対照的にシロエはやっぱり私服はこの系統かと苦笑した。というのも、リアルのときは大体私服はメンズルックだったからだ。髪は長くはなかったし顔立ちが少々日本人離れしていて中性的であることも相まって、その服装は恐ろしいほど似合っていたことをシロエは思い出した。ついでに彼女が女性にナンパされていたことも思い出してしまい、シロエは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 それはそうと……

 

「今日は引きこもってると思ってたのに。何かあった?」

 

 首を傾げるシロエにリンセは、ちょっと私用が出来て外に出ざるをえなくてねと嫌そうに肩を竦めた。

 

「それより、可愛い女の子2人引き連れてケーキバイキングとはやるねぇ!」

 

 この野郎、と脇を肘でつついてくるリンセにシロエはあからさまに鬱陶しいと思っているのを顔に出した。しかし、リンセはそれすら面白いのかますますにやけ顔になる。

 

「いやー、シロくんが女の子とデート! しかも可愛い上に2人も! やっぱり男の子だねぇ、お姉さん嬉しいよ!」

「お姉さんってなんだよっ! クロの方が年下だろっ」

「いやいや、こういうのは人生経験の差だって」

 

 リンセは顔をやや赤らめながら反論してくるシロエが面白くて仕方なかった。

 

 シロエとリンセの付き合いは長いが、はっきりとした彼女がいたことのない彼がこんな恋愛シミュレーション的展開に陥るとは彼女も予想していなかった。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。おそらくここが自室だったらリンセは床に転がってドンドンと拳を床に打ち付けて笑い転げていたところだろう。

 まだからかい足りないリンセは、シロエの脇腹を両手の人差し指でつつきながらああだこうだと楽しそうに喋り続ける。よくそんなに言葉が思いつくなと呆れ交じりに半ば感心していたシロエだが、いい加減腹立たしくなってきて、うるさい、と彼女の頭に軽く平手打ちを叩き込む。シロエが思っていたよりも綺麗に決まったそれはスパンと小気味いい音を辺りに響かせた。

 

 何するんだと叩かれた箇所を押さえるリンセと子どものようにそっぽを向くシロエ、そんな2人のやり取りを見ながらミノリとアカツキはそれぞれ思うところがあった。2人の間にある信頼に、ミノリは羨望と少しの息苦しさを、アカツキは自覚している思慮から来る明確な嫉妬を。

 

 ミノリにとってシロエと旧知の間柄であるリンセは彼に次ぐ良き先生であった。同じメイン職業ということもあって特技のことを聞くならリンセに聞くといいとシロエからも推薦されている。ビルドは異なるもののリンセはオールマイティに物事をこなすので、基礎部分だけなら十分過ぎるほどの技術を持っていた。ミノリが扱いやすい戦術を提案し指導してくれるリンセのやり方は、自分からこうしたいと言わなくてもミノリに望むものを与えてくれた。

 そんなリンセは自分たちの指導の傍らでシロエの補佐的役割も担っている。それはつまり、ギルド内でシロエと最も関わっているのはリンセで、シロエを最も助けているのもリンセだということである。もちろんミノリもシロエの手伝いをすることはあるが、どうあがいてもリンセのそれには敵わない。ミノリは素直にそんな彼女のことを尊敬していたが、同時に自分のヒーローである彼を助けることのできる立場と能力を持っている彼女のことを少しだけ羨ましくも思っていた。そして、その2人の関係性に最近は少しだけ息苦しさも。

 

 アカツキが〈大災害〉が起こった後に出会ったリンセは、自分のコンプレックスに触れない人間だった。下に見ることもなく上に見すぎることもなく適度な評価をする人だった。シロエに助けてもらった恩を返すために彼を主君と仰いだときは、アカツキの働きで恩を返せばいいと提案してくれた。働きで返せるほどの能力を持っているという判断を下して提案したわけではないだろうが、自分の望む立ち位置へと背中を押されたのは事実だった。

 しかしいつからだっただろうか、自分の能力を見てくれたリンセを妬み始めたのは。いつの間に芽生えたか分からない男女に関する好意を自覚したときからだろうか。それともそれ以前からか。

 シロエの側にいればいるほどアカツキはその存在の大きさに気付かされた。〈円卓会議〉設立の際、彼が最も仕事を任せたのは彼女だった。〈Colorful〉との騒動のとき、彼は真っ先に彼女を追いかけた。〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉を作るとき、誘いを断った彼女に彼は懇願したらしい。

 それほどまでに彼に慕われている彼女が羨ましかった。

 2人の間にそのような好意は見て取れないが、もし何かの拍子にそれが生まれてしまったら。アカツキは自分の中に芽生えた想いを自覚してしまったとき、同時にその恐怖にも気付いてしまった。

 リンセは自分よりもずっと大人らしい大人だし、よく気が付き知らずにフォローしてくれる優しさを持っていた。同性であるアカツキから見てもいいひとだ。〈Colorful〉のメンバーがあれだけ慕っていたのも分かる気がする。だからこそ、リンセにその気はなくともシロエの方は、などと考えてしまい、そこから誤魔化しようもない嫉妬が生まれてしまうのだ。

 

 シロエに叩かれた頭をさすっていたリンセは、先程から何も話さないミノリとアカツキの様子を覗き見る。そして、2人の表情を見てやってしまったと苦い顔をした。

 シロエをからかいすぎたのが良くなかったのか。いや、おそらくシロエと自身の距離が近すぎたのがいけなかったのだろう。可愛い女の子2人から嫉妬を買ってしまっていることにリンセは気が付いてしまった。人の恋路を邪魔するやつはなんとやら、この場は退いておくのがベストだろう。そう判断したリンセは違和感を持たれないようにさり気なくその場を離脱した。

 その甲斐あって、ミノリとアカツキはリンセが自分たちの心境に感づいていると気付くことはなく、3人はケーキバイキングの会場に向かった。

 

  *

 

 違和感を持たれることなく恋の戦場から離脱した私は次の問題の解決策を考えていた。それは、いかにしてシロエのケーキバイキングデートを覗き見るか、ということだ。野次馬根性甚だしいなとは自分でも思うが、こんなに面白いことを逃してたまるかと拳を握りこんだ。

 しかし、どうしたものか。現場、否、戦場はアキバの街のほぼ中心部、大交差点に特設されたケーキバイキング会場だ。外からこっそり見るにしては少々見晴らしが良すぎる。そんな場所で長い間、正確に表現すれば45分、何もせずにじっとケーキバイキング会場を覗き見ているなんて不審者に思われても仕方ない。最良は自分自身もケーキバイキングに参加して観察することだが、如何せん最適と思われるパートナーが思い当たらない。〈記録の地平線〉メンバーはすぐにシロエたちに気付かれそうだから却下。そもそも手が空いているメンバーが少ない。にゃん太は〈三日月同盟〉の手伝いに行っているし、ルンデルハウスは五十鈴と一緒に行動しているだろう。直継はアレだ、彼も彼でどこぞの純粋培養大阪お姉さんの恋愛シミュレーション攻略対象になっているから駄目だ。トウヤも駄目、さすがに双子の片割れの恋愛事情の野次馬に付き合わせるのは申し訳ない。ではギルド外の人間はどうかというところだが、実は私の交友範囲は割と広く浅くで自分から連絡を取ってデートまがいに付き合わせることが出来る人間は少ないのだ。

 これは諦めるしかないかとため息をついたとき、私がチョウシの防衛線の中でいつの間にか身に着けてしまっていた異常、仮にマッピングとでも呼ぼう、この能力の把握のために展開していた指定領域(エリア)に1人の男が近付いてきた。

 

「あ……」

 

 それは〈D.D.D〉の〈狂戦士〉だ。私に気付いた彼はほんの僅かに目を見開く。

 

「珍しいですね、君がこんなお祭り騒ぎの中、外に出ているなんて」

「ちょっと私用があって外に出ざるをえなかったんだよ。そういうクリューは今暇そうだね」

「ちょうど空きができたところでして」

 

 目の前に立つ彼を上から下にざっと見る。珍しい私服姿、それも派手ではない。これはちょうどいいタイミングで遭遇したんじゃないか? ちょうど空きができたところということは彼は今緊急の予定はなく暇である可能性が高い。そして何より彼は面白い事を常に求めている人間だ。少々面倒くさいことにはなるだろうけど、背に腹は代えられない。

 

「クリュー、ちょっと私とケーキバイキングに行かない?」

「は?」

 

 突然の誘いにクラスティは驚いたようにそう漏らした。彼にしては珍しく半開きになった口は閉じることはない。そんな彼に私はにやりと笑う。

 

「今“腹ぐろ眼鏡”が女の子2人連れてケーキバイキングに行ってるんだよ」

「同行しよう」

 

 即答だった。

 クラスティがきらりと眼鏡を光らせたところで、私はキャスケットの鍔を引き下げて笑った。

 

  *

 

 ケーキバイキング会場の隅の席。クラスティという協力者を得たリンセは、ケーキバイキング会場にさらりと潜り込んでシロエたちの席の様子を観察していた。1人4つがノルマであるこのバイキング、シロエたちの席にももれなくケーキが運ばれていた。ただ1つ他の席と違う点を挙げるとしたら、カットケーキではなくホールケーキである点だ。1人4個で3人で計12個、それだけの数のホールケーキがシロエたちを取り囲んでいた。

 なんとなく予想していたとはいえ、百聞は一見に如かずという言葉があるように実際に目の当たりにするとその衝撃は凄まじかった。リンセはその光景を見てテーブルへ控えめに拳を打ち付けて悶えている。クラスティもにやにやと口角が上がっていた。

 

「これは、想像以上に、面白いっ……!」

 

 最高かよっ! とリンセは腹を抱えた。さすがにこの場で大爆笑するわけにもいかないので必死に声は抑えているが。

 

「随分と楽しそうじゃないか」

「そういうクリューも顔にやけてるけど?」

 

 自分たちのテーブルに並べられたカットケーキそっちのけで2人はシロエたちのテーブルを観察する。

 

 ここが地雷原になっていることを認識したらしいシロエが頭を抱えている。そんな彼に藤色の小振袖に藍色の袴で着飾ったアカツキがフォークでアップルパイを差し出していた。世間的にあーんと言われている行為にシロエは顔を青くしている。しかし突きつけられてるそれを断ることもできずにシロエはそれを受け入れる。それを見たピンクベージュのカーディガンスタイルのミノリが瞳をきらめかせて同じ行動をしてきた。それも邪険に扱うことができず、シロエはそれも受け入れるしかなかった。

 これはロリコンと言われても仕方ない現場である。

 

 地雷原で見事なタップダンスを披露してくれるシロエにリンセの腹筋は崩壊寸前だ。

 

「ぐっ……ふ、ふふっ……! 知ってたけど“腹ぐろ眼鏡”も女の子相手じゃ勝率ひっくいなぁ」

「参謀の姿は影も形もないですね……」

 

 同じ空間の隅で笑いを堪える2人を見ているものはいない。なぜならケーキバイキング会場全体がほんわかピンク色だからだ。漫画で表現されるならハートマークのトーンが飛んでいるに違いない。

 

 〈大災害〉が起きてから早5ヶ月。どうやらアキバの街では他人が恋人に変化する事例も多数あったようだ。色々騒がしい5ヶ月だったが、学校の文化祭の準備などでもあっさりカップルは出来上がるのだから有りといえば有りなのだろう。もっと肯定的に見れば、環境が激変したからこそ心休まるものが欲しかったのかもしれない。

 

「……平和だなぁ」

「本当にそう思ってますか?」

 

 リンセの口から零れ落ちた言葉を意識するまでもなく拾い上げたクラスティは、特に何に気を遣うでもなくそう言った。リンセはシロエたちに向いていた顔はそのままに、目線だけをクラスティへと移す。

 

「どういう意味かな?」

「額面通りに受け取ってもらえれば」

「額面通りに、ねぇ……」

 

 クラスティの言葉を繰り返したリンセは正面を向いていなかった顔も彼に向けた。先程まで必死に笑いを堪えていた姿は霧散して跡形もない。

 

「思ってるよ、平和だなって」

「今は、という言葉を飲み込んだようですけど?」

「気のせいじゃない?」

 

 リンセは口早にそう言った。

 ようやく手をつける気になったケーキにフォークで切れ目を入れながらリンセは続ける。

 

「そういうクリューはどう思ってるの?」

「どう思っていると思いますか?」

「ははっ、分かると思ってるの?」

 

 エスパーじゃないんだよ私、とリンセは一口大に切ったケーキを口に放り込む。それに倣ってクラスティもケーキを切り分けて一口食べた。

 

「おや? “予言者”の呼び名はどうしたんですか?」

「私はその呼び方を受け入れているわけじゃないんだよね。分かってる?」

「なら、そういうことにしておこうか」

 

 疑問と疑問の応酬。

 向かい合った2人は微笑みながらティータイムを続けるが、その空気はあまりにもティータイムの和やかさとは程遠かった。

 

「それで、君は今のヤマトの状況をどこまで把握しているんですか?」

「ふうん、あっさり同行してきたと思ったら目的はやっぱりそれ?」

 

 やけに即答で気味が悪いと思ってたんだ、とリンセは右手で頬杖をついた。そんな彼女に気を悪くした風もなくクラスティは話を続ける。

 

「気味が悪いとは随分な言い方ですね」

「あれ? 妖怪相手には正しい表現だと思ったんだけど」

 

 リンセの空いている方の手はさくさくとフォークでアップルパイを切り崩している。きちんと切ろうとしていないせいかパイはボロボロと崩れたが、リンセはさして気にする事もなく食べすすめる。それに対してクラスティは綺麗に一口大に切り分けながら食べすすめていた。

 

「君の人脈なら各プレイヤータウンにいるんでしょう?」

「何が?」

「君の信者が」

 

 へえ、と零したリンセはフォークについているパイのかすを綺麗に舐めとっている。綺麗になったそれをパイに突き刺しながら、彼女は透明なレンズの向こう側にある鳶色を見据えた。

 

「その話を出してきたってことは、もしかして〈D.D.D〉(君のおうち)にもいるのかな?」

〈Colorful〉(狂信者)ほどの崇拝ぶりではないけどね」

 

 自分の元ギルド仲間に随分な言い方をしてくれるなとリンセは思ったが、実際のところを見るとそのような傾向の人間が多いため否定するのも憚られた。したがって、その辺りはつつかないことにして彼女は話を進めた。

 

「それは良かった。もしそこまでいっていたらどうしようかと思ったよ」

「そうだな……尊敬と表現するのが適切でしょう。別に君と直接話した人間ではないですから」

 

 それでも噂だけを聞いて“予言者”に惹かれる人間は少なくない、とクラスティは片のオブシディアンを見つめ返す。アップルパイを崩壊させながら食べ切ったリンセは苦笑いを浮かべて、今度はショートケーキに突き刺したフォークを左右にぐりぐりと動かした。

 

「一度君について行ったら、下手をすれば戻って来られないですからね」

 

 悪気など一切感じない声色でクラスティはさらりと言いのけた。それを聞いたリンセは、無造作に動くフォークによって崩壊しながらも一口大に切れていくケーキを見つめ深いため息をついた。

 

「人を誘蛾灯か何かと思ってない?」

「誘蛾灯?」

 

 その言葉を鼻先で笑ったクラスティは口角を上げてリンセを見る。その笑みは普段の物腰柔らかそうなものではなく、良くないことを考えていることを隠しもしないものだった。その表情のままクラスティは吐き捨てる。

 

「麻薬の間違いじゃないか?」

 

 投げつけられたそれにリンセは一瞬呆けた。そしてぷっと噴き出した。先程の大爆笑とまではいかないが肩を揺らして笑い出したリンセを見てクラスティも口元を押さえて笑い出す。

 

「麻薬かぁ……いい得て妙だね」

 

 さすがアキバ最大手ギルドのギルマスとクラスティを称賛したリンセに、それは今関係ないと思いますがとクラスティは返した。

 

 適当すぎるフォーク使いで荒らされたケーキは原形を辛うじてとどめているに過ぎなかった。それから強引に一口分を剥ぎ取ったリンセはケーキを口に含んだ後、皿の上に散っているクリームを先程とは打って変わった丁寧なフォーク使いで綺麗に削ぎ落した。

 

「話を戻そう。君は今のヤマトの状況をどこまで把握していますか?」

「どこまでって言われても、そう大したことは把握してないよ」

 

 そう言いながらもこの場でリンセは多くの情報を秘匿していた。しかも、秘匿している情報の大部分を自身のギルドマスターであり〈円卓会議〉設立の立役者であるシロエにも隠している。

 重要な情報を秘匿するのはリンセの悪癖でもあった。不用意な発言から起こる混乱を忌避してのことでもあるが、言った方が事態が好転する場合でもリンセは自分から口を開かない。自分の中で他者を納得させる説明ができると判断できていない情報を容易に口にしないのだ。

 

「話す気はない、と」

「要らない混乱を招きたいなら洗いざらい吐こうか?」

 

 リンセは目を細めながらゆっくりと口角を上げた。その表情は普段の彼女からは想像できないほど仄暗い。それは、長い間一緒にいるシロエにすら見せたことのないリンセの影の部分だった。

 要らない混乱を招きたいなら、つまり彼女はそのように誘導することも可能だということを暗に示している。

 

「遠慮しておきましょう。一部ならまだしも全てとなったら予想の範囲外ですから」

「あれ? せっかくの想定外のものなのに?」

「君のそれは次元が違う」

 

 表情こそ変わらないものの、クラスティは本気でリンセのそれは次元が違うと思っていた。その鱗片は〈円卓会議〉設立の集会時に示されている。

 恐ろしいのはその能力ではなく中毒性だ。心を引き付けてなお見透かすような瞳、声、その姿が、人に畏敬の念を抱かせることを彼女は正しく理解していない。理解していないのにそれを制御しているのだから恐ろしい。

 クラスティがそう思っていることを理解しているのかいないのか、リンセは不意にまとっていた暗さを消し去って椅子の背に凭れ込んだ。

 

「予想はしてたけどね。本当に、クリューと話してると嫌でも自分のことを顧みることになる」

 

 リンセは帽子を取ってくしゃりと前髪を掻き上げた。しかし、癖もなく見る人によっては憎たらしいほどさらさらの白髪はすぐに重力に従いリンセの素顔の半分を覆い隠した。

 

 互いにケーキにフォークを差す動作を止めることなく言葉の応酬は続く。

 

「君は僕と同じ性質(たち)でしょうからね」

「勘弁してくれないかな。そうだとしても、私は君ほど鈍くない」

 

 クラスティの発言にリンセはイチゴにフォークを突き刺して反論する。赤い果汁が僅かに飛んだ。

 

「飽きやすいのは同じでしょう」

「それは否定しないけど、悪戯小僧じゃないし」

「野次馬精神は旺盛そうですが」

「うるさいな。面白いものを見たいと思って何が悪いのさ」

「悪いとは言ってないですよ。ですが、相当退屈しているようですね」

「そんなことないよ。君と一緒にしないでくれる?」

「それはそれは。すみませんでした」

 

 ここまで軽快に繰り広げられる言葉のキャッチボールだったが、それらは全て2人が想定していた範囲でしかなかった。リンセがクラスティをケーキバイキングに誘い、彼が了承して、ここまでの会話の流れ全て。クラスティがリンセに掴んでいる情報を尋ねてくることをリンセは承知でしていたし、クラスティもリンセが容易に情報を口に出さないことを分かっていた。それでも、互いが互いの予想を裏切ってくれることをほんの僅か期待して、今この場にいたのだ。

 

 クラスティがリンセのことを自分と同じ性質だと言ったのはここに起因する。

 リンセとクラスティ、この2人はつまるところ優秀なのだ。あらゆる能力が軒並み高いと言っても差し支えないだろう。その能力の高さ故に世界は彼らの予想の範囲内で動く。だから、程度はあれどそのことに退屈を感じているのだ。ただギルドの古参メンバーの数人に飽きっぽいことを知られているクラスティとは違い、リンセは上手いことやりすぎて周りに認知されていないが。故に、彼女は思考という一人遊びに没頭して、類まれなる演算能力を持つに至る。

 

 やはりそう簡単にはいかないかとリンセは諦めを表すかのように肩を竦めた。

 

 綺麗にケーキを平らげたリンセは膝の上に置いておいたキャスケットをきちんと被り直して席を立つ。クラスティも綺麗になった皿を一か所にまとめて立ち上がった。

 

「ま、今はせいぜいシロくんの策に乗って踊らされてるんだね」

 

 馬鹿にしたように笑みを浮かべたリンセは失礼にも人差し指をクラスティに向ける。その言葉にクラスティは今日リンセと会ってからはじめて嫌な方向に表情を歪めた。

 

「一体どこまで読んでいるんだか……」

「そうだなぁ……」

 

 暫し考える素振りを見せたリンセはにやりと笑う。

 

「天秤祭は滞りなく進むんじゃないかな?」

 

 くるりとクラスティに背を向けたリンセに合わせて、一つにまとめられた白い長髪がふわりと舞った。




クラスティの口調がいまいちわからないので、ふわっとしたですます調。


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chapter 19

 アキバの街の南端にかかっている橋、ブリッジ・オブ・オールエイジス。アキバの街の中と外をつなぐこの石橋は、アキバの街の〈冒険者〉たちが出撃の起点とする場所である。現在、私はそこにいた。

 天秤祭が催されていることもあっていつもより大地人の出入りが多い。私は通行人の邪魔にならないように橋の出入り口の門の脇に立っていた。

 なぜこんなところにいるのか。それは、ある人物がアキバにくるというので待ち伏せをするためだ。意識を集中させて指定領域を現在の自分の限界値まで広げて待ち人の情報を探る。私の目の前を通り過ぎる荷馬車を見送り始めて数十分、その人物はやってきた。

 ある一つの荷車から降りてきた女性が2人。ふわりとした若草色の髪の〈大地人〉と女郎花色の髪を一本の三つ編みにした〈冒険者〉だ。どうやら目的地が同じということで行商人の荷車に乗せてもらって来たらしい。ありがとうございました、助かりました、と言って行商人と別れてアキバの街に歩いていく2人に声を掛ける。

 

「こんにちは」

 

 私の声に振り返った2人は、こんにちはとにこやかに返してきた。私は大地人の女性の方に近付いてにこりと笑いかけた。

 

「はじめまして、ではないですよね? 確か、マイハマでお会いしたと思うんですけど」

「……ええ、覚えています」

 

 にこやかな笑みを崩すことなくスカートの裾を持ち上げてお辞儀をする姿は、どこかの立派な令嬢かと思わせるほど美しい姿だった。

 なぜアキバにと聞けば、祭りを見に来たんですと女性は視線をアキバの街に移した。楽しんでいってくださいねと一歩引くと、ありがとうございますと言って女性はアキバの街の雑踏に消えていく。その背を見送った私は顔に張り付けていた笑みを消すと、眉を顰めて残された〈冒険者〉の方を向いた。

 

「君が来ることは聞いてなかったんだけど」

「またまた。言わずとも分かっていたのでしょう?」

 

 でなければここで待ってなどいないのではないですか? と可愛らしく首を傾げて彼女は笑う。相変わらずの様子に私は隠しもせずに大きなため息をついた。

 

「それで、何しに来たの? ラァラ」

 

 〈冒険者〉ラァレイア=ドードゥリアは私の声に笑みを深めるだけで何も言わない。

 確かになんとなくあの〈大地人〉と一緒に誰か来るだろうなということは感じていたが、まさかラァラが彼女と一緒に来るとは思わなかった。

 

「随分と気に入られているようだけど?」

「ええ、そうみたいで。お供することを許してくださったのですよ」

 

 そうと一言だけ返すと何を思ったのか焦ったように、私がお慕いしているのはリンセ様ただ1人ですのでご安心を! と食い気味の主張してきた。別にそこを心配した気は一切ないんだがと苦笑いになる。そんな私とは対照的に絶えずにこにこと可愛らしい笑みを浮かべているラァラに、段々頭が痛くなってくるのを感じた。

 

「ラァラ、面倒事だけは起こさないでよ……」

「あら、しませんよそんな事なんて。リンセ様のご迷惑になるようなこと等いたしませんわ、誓って」

 

 ラァラは指を胸の前で組んで穏やかな笑みを浮かべているが、その真意は全く読み取れない。自分を慕ってくれるのは一向に構わないのだが、こういうところが本当に恐ろしいと思う。

 彼女は自分の好んでいる相手とそうでない相手の扱いの差がひどいのだ。それで人と揉めることも少なくない。せっかくの天秤祭でそのような問題は起こされたくないのだが、本人がその事に関してひどく無自覚だからと歪む表情を隠せない。

 

「そうですわ! 今から一緒に天秤祭をまわりませんか?」

「いや、遠慮する」

 

 いい事を思いついたとでも言うように満面の笑みを浮かべてそう提案してきたラァラに、祭りのようなにぎやかな場所はそんなに得意じゃないことも含めて断れば、残念そうにしながらも割とあっさりと身を引いた。

 

「では、私は天秤祭に向かいますね」

「ああ、うん。最後にもう一回確認していい?」

「はい?」

 

 なんでしょう? と笑みを崩さず首を傾げたラァラの一挙手一投足を見逃さないように彼女を注視する。

 

「ここに、何しにきたの?」

「……ふふ、何を心配しているのかはわかりませんが、害を及ぼそうなどとは思っていませんよ?」

「……そう」

 

 ラァラの形作られた笑みは崩れない。ここでこれ以上探ったところで真意は分からないだろう。

 不安は大いに残るものの仕方ないと引くことにして踵を返す。

 

「じゃあ、楽しんでおいで」

「はい!」

 

 ではまた、と笑みを深めるラァラを残しギルドハウスへと歩を進める。しかし、背後から聞こえてきた呟きを私は聞き逃しはしなかった。

 

「……ええ、害を及ぼそうなどとは思っていませんよ。元ギルドメンバーに挨拶しに行こうと思っているだけで」

 

 その声色は懐かしい相手に会いに行くようなものではなく、むしろ呪いに行くような声色だった。

 これだから恐ろしいのだ、ラァレイア=ドードゥリアという人間は。

 

  *

 

 ミナミからアキバの街まではるばるやって来たラァラは同行者と別れて1人で天秤祭を散策していた。散策といっても街中を歩いているだけで、露店になど一切目を向けてなどいない。ただただすれ違う人々を見ながら、いや、すれ違う人々のステータスを確認しながら特定のタグをつけた人間を探していた。

 

 なかなか見つからないものですね……。

 

 ラァラはなかなか見つからない探し物に苛ついたように眉間に皺を寄せる。

 

 彼女がアキバにやって来たのは天秤祭が目的ではなかった。〈彼女〉に誘われたからというのもあるが、本当の目的は元ギルドメンバー、ひいては、リンセに会うことだった。

 

 運命の日――〈大災害〉。

 あのとき、現実となった異世界に立ったラァラは真っ先にフレンド・リストを確認した。そこで自分がこの世で最も慕っているリンセもこの世界にいることを知った。その瞬間、ラァラはこれは運命なのだと思った。一度も現実で会うことが叶わなかった最愛の彼女と直に会い、言葉を交わし、その存在に触れることが出来る、と。これまでの機械越しでしか言葉を交わせなかった苦痛の日々はこのためにあったのだ、と。

 それから5ヶ月、ようやくラァラは自身の女神に出会うことが出来たのだ。

 

 そこに辿りつくまでには様々な出来事があったのだが、それは今回は割愛しよう。

 

 そしてもう一つ、ラァラが〈大災害〉に感謝することがあった。それはリンセに直接会うことが出来るように元ギルドメンバーにも会うことが出来ることだった。それもただの人としてではなく〈冒険者〉としてだ。ただ、そこにはリンセに対して思うような感情は全くなく、むしろ逆方向のベクトルの感情だけが存在していた。

 ラァラは元ギルドメンバー、否、マキ=ルゥという人間が心底嫌いだったのだ。あそこが気に食わないとか、そりが合わない、その程度ならよかった、いや決してよくはないのだが、それだけならどれだけよかったことか。ラァラはそういった相性の問題以前に、マキ=ルゥという人間がこの世に存在していることに嫌悪を抱いていた。リンセにあれだけの負荷をかけたマキ=ルゥという存在が心底嫌いだった。それこそ反吐が出るくらいに。

 だからこそ、せっかく会うことが出来るのだから実際に会って完膚なきまでに叩き潰してやろうと思っていた。痛めつけて、踏み躙り、二度と這い上がってくることの出来ない絶望の沼に叩き落して、肉体も精神も粉々にして存在を抹消してやろうと思っていた。そう、これ以上リンセの害にならないように。

 自分の唯一(小燐森)に、これ以上迷惑がかからないように。

 その思いを胸に完璧に作った笑顔を貼り付けて、ラァラはこのアキバまでやってきたのだ。

 

 それにしても見つからない。こんなことならあの女をフレンド・リストから削除しなければよかったとラァラはため息をついた。

 アキバの人口が多いことは知っていたがまさかここまで多いとは思っていなかった。まさか〈冒険者〉の祭りでこれほどの〈大地人〉が来ているとは彼女も予想していなかったのだ。しかし、彼女が慕うリンセはそのことまで見抜いているはずだ。さすがリンセ様! そう叫びそうになったラァラは口を押さえることでその衝動に耐える。

 やはり〈自由都市同盟イースタル〉との条約締結が関係しているのだろうか。

 そこまで考えてラァラは思考を放棄した。それは彼女の仕事ではないからだ。自分はただ、マキ=ルゥという存在をリンセから永遠に引き離す、いや、マキ=ルゥという存在を葬りさることだけを考えればいい。それだけを考え、実行し、リンセの平穏を守ることだけに心血を注げばいい。

 極端に言ってしまえば、小燐森の存在さえ守ることが出来れば世界が滅びたって構わない、彼女はそんな人間だった。

 

 少しどこかで休もうか。ラァラが思ったとき、視界の端に探していたものが映った。そう、〈Colorful〉のギルドタグだ。付けている人物は残念ながら自分の知っている人ではなかったが、まあいいだろう。

 ラァラは笑みを深めてその人物たちに近付いた。

 

「こんにちは」

 

 背後から聞こえた声に2人組の女性、トウジョウとマルガレーテは振り返った。

 そこにはふんわりとした女郎花色の髪を揺らして微笑んでいるエルフ族の女性がいた。しかし、その人物に2人は見覚えがない。一体誰なのだろうと女性の情報を確認すれば、ギルドタグの箇所に〈Plant hwyaden〉の文字を見つけて2人は身構えた。何せそのギルドは〈大災害〉以降、ミナミを統率しているというギルドだったからだ。そのメンバーがアキバに何の用なのか。

 2人の警戒にラァラは薄ら笑いを浮かべた。その警戒心がギルドタグに対してのものであると気付いたからだ。

 

「そんなに警戒しないでください。わたくしはラァレイア=ドードゥリア、元々〈Colorful〉のメンバーだったものです。今回天秤祭に乗じてようやくアキバに来ることが出来たので、是非ギルマスのマキさんに一度お会いしてお話がしたいと思いまして。よろしければ、彼女の元までご案内してはいただけませんか?」

 

 表情を申し訳なさそうな笑みに変えたラァラに、トウジョウとマルガレーテは互いに顔を見合わせて、どうする? と視線だけで相談した。元々〈Colorful〉のメンバーだったのなら連れて行っても問題はないだろう。でも、それが本当かどうかは分からない。

 悩む2人にラァラは出来るだけ罪悪感を煽るような苦笑を浮かべて、無理ならいいんですと告げる。その態度を見た2人は断ることに罪悪感を覚えて案内を買って出た。彼女の思惑通りである。

 内心ほくそ笑むラァラを連れてトウジョウとマルガレーテはギルドハウスまでの道を案内した。

 

 辿りついたギルドハウスでトウジョウとマルガレーテが幹部の誰かに声を掛けようとしたところ、偶然そこから出て来る人物がいた。

 

「あっ! ロゼッタさーん!」

 

 ぴょこぴょこと可愛らしい効果音の付きそうなステップでギルドハウスから出てきたのは超特攻型神官戦士であるロゼッタだった。

 自身の名前が呼ばれたことに気付いた彼女は、はーい! と元気よく返事をしてマルガレーテたちの方を向いて、目を見開いたまま数瞬固まった。

 

「え……あれ……? もしかして、見間違いじゃなければラァラちゃん?」

「お久しぶりです。ロゼッタ」

 

 久しぶりー、と駆け寄ってくるロゼッタにラァラは微笑み返す。自身の胸程しかないロゼッタに抱き着かれてラァラは仕方なくロゼッタの頭を宥めるように撫でた。

 

「あ、もしかしてトウちゃんとレーテちゃんが連れて来てくれたの?」

「はい!」

「元ギルドメンバーと伺いまして……」

「そっかそっか! ありがとうー」

 

 ロゼッタの反応に、ここに連れてきたのは正しかったのだと2人は安堵のため息をついた。

 2人が天秤祭に出掛けたことを知っていたロゼッタは、彼女たちに祭りに行ってきていいよと笑った。その言葉を受けて2人は天秤祭へと向かっていった。

 

 2人が去って行った後、そこに残ったのは先程までのにこやかなロゼッタとラァラではなかった。ラァラから離れたロゼッタは双のアベンチュリンに真摯な光を宿して、目の前の女郎花に縁どられたヘミモルファイトの瞳を見つめる。

 

「本当に……よく、アキバに来る気になったね。ラァラちゃん」

「ちょっとしたご縁がありまして……」

 

 自身よりも随分と小さいロゼッタを見下ろして、ラァラは先程までの笑みを綺麗に消していた。その表情を見て、やはりラァラは自分たちを許してはいないのだとロゼッタは悟った。

 

「……あの、ラァラちゃんに言うことじゃないんだろうけど、その……ごめんなさい」

「そうですね。わたくしに言うことではありませんね」

 

 ロゼッタの謝罪をラァラはばっさりと切り捨てる。その切り捨て様にロゼッタは思わず視線を落とした。彼女の様子にラァラはクスリと笑う。その声に視線を上げたロゼッタはラァラの小さな苦笑を目撃することになった。

 

「……別に、わたくしは貴女のことを責めるつもりは毛頭ありませんよ?」

「……嘘だよ」

「本当ですわ」

 

 ロゼッタの言葉をラァラはまたもすっぱりと切り捨てた。ロゼッタを真っ直ぐ見つめながら、ラァラは語り出す。

 

「わたくしは貴女や佐々木さん、夕湖や他のギルメンに対しては負の感情を抱いていないのです。……貴女たちはきちんと理解していたのですから」

 

 リンセ様がギルドを抜けた理由を。

 そう続けられた言葉に、ロゼッタはいつだったか〈記録の地平線〉に乗り込んだ日のことを思い出した。重荷になっていることを知りながら優しさに甘えていた自分たちが、リンセにどれだけの苦痛を与えていたのかを思い知らされたあの日。〈Colorful〉はリンセの居場所ではなかった、それを他のメンバーが薄々感じ取っている中、マキだけは諦めることが出来ていなかった。帰ってくると信じて、帰ってきてほしいと懇願して、帰ってくるべきだと強制しようとした。

 初めて聞いたリンセの怒声をロゼッタは今でも思い出す。それは、普段なら他人を気遣って声や感情を荒げたりしないリンセの心からの叫びだったのだから。

 

「貴方たちは気付いていた。けれど、マキ=ルゥだけは気付かなかった、いえ、気付いていたけれど認めなかった」

「でも……マキちゃんもね、〈大災害〉が起きてリンちゃんとお話ししてちゃんと謝れたんだよ?」

「それだけであの方の傷が癒えるとでも?」

 

 厳しい声でラァラにそう言われ、ロゼッタは唇を噛み締める。

 あの日、リンセを追おうとしたマキを止めた猫人族の〈盗剣士〉がいた。彼女の前に立ちはだかった彼の細められた目はひどく冷たかったとロゼッタは記憶している。きっと彼は知っているのだ、自分たちのせいでリンセが負った傷が一体どれだけ深いのかを。

 

「〈Colorful〉のギルマスが貴女か佐々木さんや夕湖だったら、まだマシだったのでしょうね」

 

 残念でならないといった声色のラァラにロゼッタは何も言うことが出来なかった。

 何がマシだったのか、言葉にされずともロゼッタは理解していた。それはリンセの傷の深さのことであり、また〈Colorful〉の今の形のことでもあり、〈Colorful〉が存在している理由のことでもある。

 沈黙が支配する空間でラァラとロゼッタが互いに一歩も動けずにいると、ギルドハウスから人が出てくる気配がした。

 

「ほら! 早く天秤祭行こうよ!」

「はしゃぎすぎよ。少し落ち着きなさい」

「だって、楽しみなものは楽しみなんだもん!」

 

 冷静に諫める声に活発過ぎて耳に痛い声。それはひどく聞き覚えがある。ラァラとロゼッタが声の聞こえてきた方に視線を向けると、ゴシック調の服に今紫の長髪を靡かせた狐尾族、そして、活発そうな服装をした桃色のショートヘアのヒューマンがギルドハウスから出てくる姿が見えた。

 見間違えるはずもない。

 

「佐々木さんに……」

 

 ラァラの声に反応して出てきた2人が振り返る。レッドアゲートとアマゾナイトの瞳が驚愕に見開かれた。その片方、アマゾナイトをその目に捉えてラァラは憎悪に顔を歪ませた。

 

「……マキ=ルゥ」

 

 ラァラにとって目にするのも耳にするのも言葉にするのも嫌な名前だった。

 自分の唯一を深く傷付け、その上、彼女に寄生する害虫の名前。

 ロゼッタは謝ったと言ったが、それだけで人間の性格が矯正出来たら苦労はしない。きっと、この女は同じことを繰り返す。その前に駆除しなければならない。小燐森の害になる前に。

 

「……なんでアンタがここにいんのよ? 裏切り者の〈楽聖〉さん」

「あら、相変わらずお頭が弱いみたいですね? “突進魔”さん」

 

 勇み足で近付いてくるマキにラァラは冷笑を浴びせる。マキがその笑みに怒りを覚えないはずがなく、直情型の彼女はその怒りのままラァラに掴みかかった。

 

「アンタはもう〈Colorful〉じゃなく〈Plant hwyaden〉でしょ!? さっさとミナミ(ホーム)に帰りなさいよ!」

「ええそうです。わたくしはもう〈Colorful〉のメンバーではありません。ですから貴女にわたくしの行動を制限する権利はありませんよね?」

 

 ラァラの人を小馬鹿にするような態度にマキの怒りのボルテージが急速に上がっていく。その様を見てラァラは相変わらずだと鼻で笑った。それでマキの堪忍袋の緒が切れた。ラァラの服に掴みかかったままマキは彼女の顔面目掛けて拳を振るった。バキッといい音がしてラァラが地面に崩れ落ちる。

 

「何してるのよ、マキ!」

「あわわっ!? ラァラちゃん大丈夫!?」

 

 突然のことに止めに入る間もなかった佐々木はその直後にマキを引き離し、ロゼッタは倒れたラァラを支える。

 

「ちょっと!? 離してよさっちゃん!!」

「離すわけないでしょ! すぐ力に訴えるの、あなたの悪い癖よ」

 

 マキは自分を羽交い絞めにした佐々木に訴えるが、佐々木は訴えを却下して彼女を戒めた。

 

「ご、ごめんね……! マキちゃんが……」

「貴女が謝る事じゃないですよ、ロゼッタ」

 

 ロゼッタはラァラを支えながら悲痛の表情で彼女に謝罪した。ラァラはゆっくりと立ち上がりながらロゼッタに笑い返す。

 

「ちょっとロゼッタ! なんでそんなヤツのこと気にするのよ! ソイツは〈Colorful〉から出ていった裏切り者でしょ!?」

「あら、ギルドの入会や退会は個人の自由のはずでは? まさか、アキバの街は人権を無視した拘束が許される街なのですか?」

 

 ラァラのそれはアキバの街の名を出してはいるが、その実〈Colorful〉に対する侮辱に他ならなかった。〈Colorful〉はメンバーの入会や退会に制限を設けるギルドなのか、と。

 リンセの作ってくれた居場所に対する侮辱。それにマキが耐え切れるはずもなく、彼女は理性を失った獣の様に叫び狂う。

 

「ふざけんな! よくも言ってくれたな、クソアマ! リンリンが作ってくれた場所を、〈Colorful〉をよくも侮辱したな!? 今すぐ消し炭にしてやる!」

 

 荒れ狂うマキを佐々木1人で抑えるには無理がある。それを見かねたロゼッタもラァラから離れてマキの制止に回る。佐々木とロゼッタに押さえられているマキを見ながら、ラァラも内心怒りを燃やしていた。

 

 ふざけるな、それはこっちのセリフだ。あの方の作った場所をいい様に扱って貶めているはお前の方だ。

 

 ラァラは目の前の女にそう言ってやりたかった。リンセがどんな思いを込めてギルドを作り、〈Colorful〉という名前を与えたのか。それを知らずに〈Colorful〉をいい様に扱ってのうのうと生きているこの女に。

 ラァラは思いの一切を口にせず、マキを一睨みしてその場を立ち去る。その背を見送り、マキは地面に唾を吐いた。

 

「あの女……今度会ったら絶対に神殿送りにしてやるっ!!」

 

 怒りの治まらないマキの姿を見て、佐々木とロゼッタは互いに顔を見合わせる。佐々木のレッドアゲートには危惧が、ロゼッタのアベンチュリンには懸念が宿っていた。

 

  *

 

 まだ日が出ているうちにギルドハウスに戻ってきた私は、今ギルドメンバーは何をしているのか確認するためにダイニングエリアの黒板を確認した。

 どうやらご隠居と直継は祭り見物、五十鈴とルンデルハウスはわんこの散歩らしい。わんこの散歩? と首を捻ったが直後になるほどと思い出す。確かルンデルハウスがわんこっぽいやらなんやらの話を聞いたような聞かなかったような。実際に共用の黒板にルンデルハウスのことをそう書いた五十鈴は大物になりそうだなと思わず笑った。例のシロエはどうやら帰ってきているらしい。それもそうか、あの量のケーキを食べて動き回ろうだなんて思えないだろうし。あれは実に傑作だった。いや、本当に。最高に笑わせてもらった。あとでそれとなくシロエにお礼を言っておこうと思った。

 

 それにしても。

 

「祭り、かぁ……」

 

 近くの窓から祭りが行なわれている街の中心地を見つめる。

 祭りというか、ああいったにぎやかな場所はいつまでたっても慣れない。離れた場所で見ているのが一番心地がいい。いや違う。安心する、のか。

 別に嫌いなわけではない、そう苦手なだけなのだ。ただ単純に。

 はぁ……と祭りの賑やかな雰囲気にはそぐわないであろう重いため息をつく。

 

「もう今日は大人しく部屋に引きこもってようかな……」

 

 明日はどうあがいても祭りに参加しなければならないのだ。だったら今日くらい引きこもっててもいいはずだ。

 誰に言い訳をするわけでもないのに、そう1人でもごもご呟いて私は自室に引きこもった。




 現在、活動報告にて今後の展開についてのアンケートを実施しております。
 お時間がありましたらご協力よろしくお願いいたします。


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chapter 20

 天秤祭2日目。

 朝のアキバは喧噪に包まれていた。想定より規模が大きくなり多くの人が全体像を把握していないであろう天秤祭。規模の拡大につれて主催は事務作業に忙殺されており、本来であれば街は大混乱に陥るはずだった。それが起きなかったのはアキバに住む〈冒険者〉の日本人気質と若さと有り余る暇がいい方向へ働いた結果である。

 そんなアキバの街の大通り、ブリッジ・オブ・オールエイジスには大きな天幕が張られていた。4本の支柱に屋根だけのそれに出入りするのは〈黒剣騎士団〉の面々だ。そしてその中心にはギルドマスターである“黒剣”アイザックが堂々と座っていた。

 天幕の中は街の喧噪をそのまま映したように騒がしかった。

 アキバ有数の戦闘系ギルド〈黒剣騎士団〉はレベル85以下お断りのエリート集団である。しかし、その実情はただの騒がしい集団だった。何度か彼らとともに大規模戦闘に挑んだことのあるリンセの言葉を借りるなら、馬鹿騒ぎが好きなだけの脳筋集団である。

 

「やい、おまえらどやかましいっ」

 

 天幕の周囲でやんややんやと騒ぐギルドメンバーにアイザックが一喝する。しかし、そこに返されるのは「うるせぇ」だの「座っててください」だの「バカなんだから考えるな」だの敬意とは程遠い言葉たちである。けれど、当のアイザックは褒められでもしたかのようにカラカラと笑う。これが彼らの流儀なのだ。それを憐れむように見たレザリックにもアイザックは今日も元気だなと言う。

 そんな中、外から戻ってきた3人組にアイザックはご苦労と声をかける。そして、そのまま彼らの報告を聞いた。

 側道にはまっていた馬車の救助1件、口論の仲裁4件、支払いの訴え1件を処理。

 報告の仕方はこれでいいんだっけ? と首を傾げながら報告したギルドメンバーにアイザックはその通りと鷹揚に頷いた。

 ここで彼らがブリッジ・オブ・オールエイジスに天幕を張ってこのような報告をしている理由を述べよう。

 〈黒剣騎士団〉は自主的に街の警邏を行なっているのである。そう、日本人気質と若さと有り余る暇がいい方向に作用した結果である。

 規模が大きくなりすぎた天秤祭は、アキバの中小ギルド、生産系大ギルドの範囲を越えて付近の〈大地人〉貴族や商人の知るところとなった。そうなれば当然それに伴うトラブルというのも増えていく。主催である〈生産系ギルド連絡会〉は頑張ってはいるのだが、何せ規模が規模であるため対処できない部分も当然出てくる。その対処できない部分を補おうとアイザックひいては〈黒剣騎士団〉は警邏と〈大地人〉の受け入れチェックを行なっていたのだ。

 

 そんな彼らの元にやってきた人物がいた。

 

「暇そうですね」

 

 眼鏡をかけた偉丈夫、〈D.D.D〉のギルドマスターであるクラスティだった。

 

「うっせぇ。そっちはどうなんだ」

「こちらも問題は取り立ててなく」

 

 鋭い視線とともに投げかけられた言葉にクラスティは小さく口角を引き上げて答えた。その笑みは先日リンセに見せたそれよりも穏やかな印象を受ける。

 

「おうよ。だがよ」

「?」

 

 クラスティの答えを聞いたアイザックは椅子に座ったままでクラスティを見上げる。そんなアイザックをクラスティは、何か? とでもいうように見下ろした。

 

「こうなんもないと、だれるな。なにか起きねぇかな」

「どうですかね」

 

 アイザックの言葉にクラスティはそう返しながらも1つの記憶を引き摺り出していた。それは昨日の“予言者”との会話である。

 

 ――天秤祭は滞りなく進むんじゃないかな?

 

 その言葉に裏には“自分たちが対処できる範囲で”という一文が隠れているようにクラスティには思えた。それはつまりアイザックの言う“なにか”が起こる可能性を示唆している。

 

 ――ま、今はせいぜいシロくんの策に乗って踊らされてるんだね。

 

 全て手のひらの上というわけか。

 

 非常に気に食わないことではあるが、おそらくそれが事実――というよりは彼女の中の正史なのだろう、とクラスティは考える。

 

 〈大地人〉は喧嘩うってこねぇなというアイザックに、これだけ戦力格差があればごぶだろうとクラスティは返す。それも彼女が下手に介入しなければの話だ。〈大地人〉も今やプログラムではなく、ただの記号でもなく、この世界にそれとして存在している。それは彼女の介入の余地が多分に残されているということだ。そうなれば行く先はどこまでも不透明である。

 

「なぁ」

 

 彼女に関する考察からクラスティの意識を引き戻したのはアイザックの声だった。

 

「はい」

「あいつぁ。あの“はらぐろ”は。どうだかな」

「どう、とは」

 

 アイザックの問いをそのまま返したクラスティに、アイザックはクラスティをぎろりと睨みつける。しかしクラスティはその視線に平然とした顔である。別に彼には問いをはぐらかす意図はなかったのである。それに気付いたアイザックは肩を竦めて切り込んだ。

 

「あの“はらぐろ”はバカなのか賢いのか」

「別に両方兼ねちゃいけないこともないでしょう」

 

 アイザックの問いにクラスティから明確な答えは返ってこなかった。そこにアイザックはこう続けた。“はらぐろ”を〈黒剣騎士団〉に誘ったことがあるのだと。〈放蕩者の茶会〉の名前で誘ったわけではなく本人のプレイを見て判断したことである。しかし、当のシロエから返ってきた答えは。

 

 ――僕にはすぎたお誘いだと思います。

 

 その答えを聞いてアイザックはどうでも良くなった。対軍(レイド)モンスターを倒す気概がないなら用はないと。しかし、そのシロエが〈大災害〉後、あのような形でアキバの街に影響力を持つとは思っていなかったのである。

 そんなシロエの資質を見抜けなかったのは自身の眼が曇っていたからか。

 

「あれは、策士なのか、それとも賭博師なのか。……枯れてるのか、まだいけるのか」

 

 それがアイザックの中で引っかかっていた。

 

「シロエくんはね。――“なんでもあり”の方が生きるタイプだろうね」

 

 アイザックの引っかかりにクラスティは1つの解答を提示した。 

 

「彼は策士なんかじゃないと思うよ。なりふり構わず、手段を選ばず、一切の見返りを求めず、目的以外気にかけない。そういう状況では無類の強さを発揮する。あれは妖刀のたぐいだ」

 

 その言葉の内容自体は理解できなかったが、それでもアイザックはすとんと納得できた。つまり、そういうことなのだろう。かつてアイザックが見ていたシロエは抜け殻だったのだと。あの会議でのシロエが本気の彼なのだ。そう思うとアイザックはむやみに楽しくなってきてしまった。

 

 その妖刀が今は書類に埋もれて唸っているわけか、と。

 

 次に抜かれるのはいつになるのか。そう口にしてアイザックはその後ろに隠れた存在を思い出した。

 こちらの全てを見抜かんとする黒曜石の瞳。〈円卓会議〉設立の場にて唯一その瞳に捕らえられたアイザックは、喉元に刃先を突きつけられたかのような威圧を感じていた。

 

「……“はらぐろ”が妖刀だとすれば、“予言者”は何になる」

 

 アイザックの問いにクラスティはすぐに言葉を返さなかった。

 

 〈円卓会議〉設立の場ではリンセに対して一種の畏怖を感じていたアイザックだが、別にそれによって彼女を苦手とすることはなかった。なぜならギルドメンバーとともに馬鹿騒ぎする彼女を知っていたからだ。その光景を知っているからこそアイザックは1人の人間として好ましく思っていた。簡単に言うなら“気の合う友人”だと思っていた。そして、それは今でも変わらない。アイザックにとってアイクと勝手に愛称で呼んでくる彼女はひどく居心地のいい仲間だった。その彼女を取り巻く〈Colorful〉(環境)はひどく荒れているのだが。

 

 一方で、あれは一言で表せるものではないとクラスティは思う。小燐森という人物はともに在る対象によって性質が変わる存在だからだ。故に、どんな場にも彼女は適応できる。だからこそ〈黒剣騎士団〉の騒がしい集団という性質にもすぐに適応できたし、〈Colorful〉の唯一神でもあり続け、なおかつ自身と真っ向から言葉という刃で切り合える存在で在った。

 二面性ではない、おそらく彼女の中の最適解で行動しているだけなのだろう。相手が求める像を的確に掴み取ってそれを演じる――彼女は()()()()()()()()()()()

 だから、あえて一言で言うのならクラスティはこう称するのだ。

 

「――麻薬のたぐいでしょうね」

「はぁ?」

 

 クラスティの出した解答にアイザックは訝しげに眉を顰めた。

 

「シロエくんが一定の盤面で真価を発揮する妖刀なら、彼女は盤面そのものを自分の求めるものに作り変えるタイプだ」

 

 相手が求める像を的確に掴み取りそれを演じきるということは、“彼女こそが自身の求めていたもの”なのだと相手に錯覚させるということだ。それこそ、麻薬が対象の精神と行動に著しい変化を及ぼすように。それを当の本人は理解せず、けれど適切な場所で適切なものを与えるという意味で制御している。そうして彼女は盤面そのものを操作している。

 ……というのがクラスティの考察だった。

 そう、リンセの適応力はそのまま干渉力に置き換えられるのだ。そして、その干渉力は影響力とも言う。

 だからこそ、あのときのあの言葉が出てくるのである。

 

 ――〈円卓会議〉設立の裏にあなたの“操作”が入っていないとも限らない。

 

 盤面さえあれば無類の強さを発揮するシロエ、そして、盤面を自分好みに操作してしまうリンセ。彼らが共にいるという状況。それがどれだけ危うい状況なのか、理解できた者はどれだけいただろうか。

 

 クラスティの解答を聞いたアイザックは大きく首を捻る。

 盤面を操作するとは戦いの場においては戦場を操作することだ。そういった意味では戦場への貢献度はシロエとリンセはさして変わりないだろう。しかし、クラスティはシロエとリンセの評価を分けた。ならどこかに違いがあるはずだ。

 考えて、考えて、アイザックは思考を放棄した。片や妖刀、片や麻薬、自分の頭で考えたって完全に理解できる代物ではないのだろう、と。

 

 何はともあれ、まだまだシロエにもリンセにもおいしいところが残っているのだろうと、アイザックは楽しそうに笑った。

 

  *

 

 僕は1つの扉の前で突っ立っていた。それはクロの私室に繋がる扉である。今の僕にはそれが難攻の城壁に見えていた。

 なぜ僕がこの場にいるのか。それは朝目が覚めてからギルドアウス内を見回ってもクロの姿が見えなかったからだ。それをいうなら班長以外のメンバーの姿も見ていないのだが。しかし、それは各々用事や助っ人などで出掛けているからで。でもクロは違う。フレンド・リストを確認してみれば彼女はギルドハウス内にいることが分かった。それでも姿を見かけないということは。

 

 ――最後の抵抗、だよなぁ。

 

 祭りのたぐいが苦手なことは重々承知だ。けれど、ここで引きこもってしまえばヘンリエッタさんに文句を言われるのが目に見えている。誰がと問われれば僕とクロがだ。僕が色々言われるのは構わないんだけど、それがクロに飛び火するのはできれば避けたい。

 とはいっても、目の前にある彼女の城からクロを引きずり出せなければ話にならない。

 意を決して扉をノックすれば中からガタガタと何かが動く音がした。そして、少しすると目の前の扉が少しだけ開いた。そこからぬっとクロの片目が覗く。その光景は軽くホラーだ。夜中に見たら軽く悲鳴を上げるレベルの。

 

「……ああ、シロくん。来てしまったんだね」

 

 ぼそりと恨み言のように吐かれた言葉に苦笑する。

 

「そろそろ〈三日月同盟〉の手伝い行かないとだよ」

「えぇ……まだ早いでしょ」

 

 確かに〈三日月同盟〉が出店する冬物衣料展示即売会が始まる時間には少し早い。けれど、その前に食事を取ることを考えれば今くらいの時間がベストである。そのことを告げればクロは拗ねたように頬を膨らませた。

 

「ごはんいらない」

「ちょっと」

 

 班長が聞いたら静かに怒りそうな台詞を吐いたクロに思わず半目になる。

 

「また班長に怒られるよ」

「それは、いやだなぁ……」

 

 はぁ、とこちらの幸せまで持っていきそうなため息を吐いたクロは、ちょっと待ってと言って部屋に引っ込んでいく。そして、少しするとゆっくりとした動作で部屋から出てきた。しかし、クロの格好を見て再びちょっととツッコミを入れることになる。

 

「その格好で行くの?」

「どうせ向こうで着替えることになるんでしょ」

 

 諦めたように肩をすくめたクロは、長袖のロングTシャツにだぼっとしたズボン、そして纏めてすらいない髪で出てきた。まさしく今起きましたといった格好だ。昨日きっちり着替えて出てきたのは何だったんだと思うくらいのズボラさである。

 まあ、本人がいいのならいいだろう。

 クロを部屋から出すというミッションをクリアした僕は、朝ごはんを食べる気ゼロであるクロを引き摺ってカンダ用水の近くにある食堂『一膳屋』へと向かった。

 

  *

 

 私に対して遠慮もクソもない“腹ぐろ眼鏡”に連れられて私は現在食堂の1席にいた。私の相向かいには当然シロエが座っている。恨みを込めて見つめてみても本人は、何? と言いたげに首を傾げるばかりだ。実際この状況になっていることに対しては誰も悪ではないので彼を責めることなどできないのだが。

 さて、天秤祭も2日目――本日が本番と言っても差し支えない。ということは、だ。外部からの客も今日が一番多い。つまり、何か騒動が起きるとしたら今日である。ラァラ曰く西の商人が攻撃を仕掛けようとしているというし、なんだか嫌な予感もするし、例の声のこともあるし警戒するに越したことはないだろう。

 意識を集中させて周囲の状況を追えば、アキバの街の〈冒険者〉たちが慌ただしく準備に追われている様子が分かった。そして、その中に交じる〈大地人〉の数の多いこと多いこと。それもそうか、彼らは祭り見物というよりは仕入れに来ているのだから。それも単なる買付けだけではなく情報収集およびコネ作り込みといったところだろう。それの対処に慣れてない〈冒険者〉がいる中で攻撃なんてされたら溜まったものではないのだが。

 吐きそうになったため息はやってきた定食によってすんでのところで戻っていった。

 

「おまっとうさんよ」

 

 その言葉とともにシロエの前に差し出されたのは焼きサンマ定食である。がっつりおかず付きの定食をよく朝から食べられるものだと半ば感心していると、私の方には白米と味噌汁、そしてお新香がやってきた。私のこれは定食ではなく単品のものを3種頼んだ形である。

 

「それ、足りるの?」

「そっちは胃もたれしない?」

 

 お互いにそれぞれの注文に疑問を述べる。そして、私たちはほぼ同時にそんなことないけどと首を横に振った。

 私がぽりぽりとお新香を食べていると、目の前のシロエがサンマと白米を一緒にかきこんで感動していた。

 

「うぁぁ、やっぱり日本人なんだなぁ」

「あー……左様ですか」

 

 正直あまり分からない感覚である。元々食に関心がないというのもあるが、幼少期にフランスで暮らしていた身としてはそちらの郷土料理のほうが故郷の味というか馴染みがあるというか、そんな感じなのである。それをシロエも理解しているからか、私のコメントには特に口を挟まなかった。

 妙に感動しているシロエを傍目に自分の食事に手を付けていれば、こんな呟きが聞こえてきた。

 

「……やっぱり普通が一番だよな。ケーキ1ダースなんて非日常はいらないよ」

「むぐッ……!」

 

 まさかの不意打ちに口に含んだものを吹き出すところだった。食べ物が気管に入りそうになり咳き込む。ゴホゴホと咳き込んでいる私を見てシロエは目を丸くしていた。

 

「え、何。クロどうしたの?」

「……不意打ち、やめてもらっていい?」

 

 何、じゃないんだよ。急に昨日の光景を思い出させるようなことを言うシロエが悪いんだ。

 そんなことを考えて、そうだと思い出す。

 

「シロくん。昨日はいいもの見せてもらったよ。ありがとう」

「は?」

 

 お礼を言おうと思ってすっかり忘れていたと思い出し感謝を述べると、シロエは不可解そうに顔を顰めた。どういうことだと問いたげな視線を無視するとシロエは食べる手を止めて考え込み始める。別に考えたっていいことはないのにと思わなくもないが、気付かれたら気付かれたで面白いので放置してみた。するとシロエは徐々に顔面を蒼白にしていくと、まさかとでも言いたげに私の方を見てきた。

 

「もしかして……〈ダンステリア〉のケーキバイキング?」

Exactement !(その通り!) クリューと一緒にね」

「クリュー……あっ、クラスティさんか!!」

 

 嘘だろ、と忙しく表情を変えるシロエに内心大爆笑しながら私は平然を装って朝食を取り続ける。一方、シロエの方は頭を抱えていた。それにクスクス笑っていたら机の下で足を蹴られた。

 

「ちょっと、いきなり蹴らないでよ。痛いじゃん」

「覗き見とか趣味悪いよ」

「覗き見じゃないよ、堂々と会場で見てたんだよ」

「会場で?」

「うん」

 

 シロエの問いに頷けば、わざわざ会場内で様子を見るためだけにクラスティさんを付き合わせたのか、と呆れられた。別に同意は得た上での行動なのだからいいじゃないかと言えば、シロエは諦めたように食事を再開した。

 

  *

 

 食事を終えた私たちは本日の目的である冬物衣料展示即売会の会場である白銀の広間と呼ばれるホールにやってきた。

 ここは元々廃墟だったのだが2ヶ月かけて綺麗に改装したのだという。廃墟とは言ったが完全に崩れていたわけではなく、上の方のフロアが文字通りぽっきり“折れて”しまっていただけで基礎の部分は完全に残っていたらしい。その上、天井がホテルのように高かったこともあり改装難易度はそう高くなかったようだ。

 白銀の広間の内部はいくつかの大広間と催事場に分かれており、メイン会場に使用されるのはこの建物内で一番大きい1階ホールだ。そこでは多くのギルドが最後の準備に追われていた。そして、私たちが手伝いを頼まれた〈三日月同盟〉も例に漏れない。

 私とシロエが〈三日月同盟〉のブースに行くと先に手伝いに来ていたアカツキがヘンリエッタに準備をされていた。草木染めのチュニックブラウスに黒のアンダーシャツ、アシンメトリーの巻スカートという、普段の彼女の雰囲気とは違った服装だがそれもアカツキによく似合っていた。しかし、どうです? とヘンリエッタに尋ねられたアカツキは言葉に詰まっていた。嬉しいけれどはっきり言うのは恥ずかしい、と言ったところだろう。

 

「可愛いね、アカツキ」

「うん」

 

 彼女たちから少し離れたところで右隣にいたシロエに小声で聞いてみれば、シロエも肯定した。そんな私たちに気付いたヘンリエッタが視線をこちらに向ける。

 

「お気に召しませんでしたでしょうか? ――可愛いですわよね? シロエ様、リンセ様」

 

 ヘンリエッタの一言で私たちがいることに気が付いたらしいアカツキは、へ!? と裏返った声を上げていた。そして、そのままぴしりと固まってしまう。そんな彼女にシロエが言った。

 

「よく似合ってると思うよ」

「同じく」

 

 シロエの言葉に同意すると、ギギギ……と錆びついた機械人形のようにアカツキが私たちの方に振り返る。彼女はどうやら突然の主君たちの登場にややパニック状態のようだ。

 

「いつか――」

「さっきから。僕たちも手伝いに呼ばれてたし」

 

 アカツキの言葉の途中でシロエが言う。その光景はなかなかに微笑ましいのだが、それを見ている間にも時間は過ぎていく。

 私はシロエにアカツキを見せびらかすようにしているヘンリエッタに声をかける。

 

「ヘティ、私は何をすれば?」

「リンセ様にはそちらの服を着ていただきますわ」

 

 ヘンリエッタの視線の先にはすでに私が着る服が用意されていた。それを持って着替えに行こうとすると、後で軽く化粧もするからと言われたので自分でやることを告げて化粧道具一式も借りていった。

 試着室で指定された服を広げてみる。それはプルシアンブルーのシンプルな無地のロングワンピースだった。腰の部分にはアクセントとしてリボンが結ばれており、スカートの裾の部分にはフリルがあしらわれている。アカツキの着ているものがエスニック系だとしたら私の方はクラシカルといった感じだろう。

 これ着てマネキンするのかぁ、と肩を落とすが、やらなきゃいけないものは仕方ない。手早くそれを着てお目汚しにならない程度に化粧をする。そして軽く髪の毛を整えると試着室を出た。

 そのとき、会場の外から涼やかなチャイムの音が響いてくる。直後、一瞬静かになった周囲から期待の声と拍手の音。ヘンリエッタとアカツキ、シロエの方に向かっていったマリエールも嬉しそうに拍手をしている。

 ついに天秤祭のメインイベント冬物衣料展示即売会の開場だった。

 

  *

 

「さぁ、今日は誰がくるんかな! いっぱい売れるとええなぁ。……100着は作りすぎやったかもしれんけど。でもがんばろうな」

「会場が開かれましたわ。シロエ様、アカツキちゃん。……半日の間、よろしくお願いします。ブースでの売り子と、ステージでのモデルですわよ。いっぱい売りましょうね!」

 

 そう言うマリエールとヘンリエッタの嬉しそうな笑顔に負けてシロエとアカツキはこくこくと頷いた。そこに近付くのはリンセである。

 

「マリー、ヘティ、この服はこれで大丈夫?」

 

 着替えてきたのだと察した一同はくるりとリンセの方を向く。そして、そのうちの3人はぴたりと固まった。

 リンセは左手でスカートを軽く持ち上げて軽く小首を傾げている。それが妙に様になっていた。いつもは気怠げな瞳も服装効果なのか憂いを帯びたものに見えてくる。

 “深窓の令嬢”――そんな言葉が似合いそうな姿だった。

 

「リンセやん! めっちゃ似合っとるよ!!」

 

 固まった3人の内、真っ先にリンセに飛びついたのはマリエールだ。リンセの周りを飛び回るように見たマリエールはうんうんと何度も満足げに頷く。そこに続いたのはヘンリエッタだった。

 

「いいじゃないですか! そうですわ、髪型も少しいじりましょう」

 

 マリエールとヘンリエッタのテンションの高さにリンセはぎょっとする。しかしリンセはあっという間にヘンリエッタたちによって拉致されてしまった。その光景を見ていたシロエとアカツキはそれぞれ苦笑したり驚いた表情をしていた。

 

「……随分印象が変わっていたな」

 

 ぽつりと呟くように零したのはアカツキだった。その隣で1人固まっていなかったシロエはクスクスと笑った。

 

「確かに、いつものクロからじゃ想像つかないよね」

 

 そう言うシロエの声色はどこか楽しそうだった。

 リンセの格好は似合っていないわけではない。いや、むしろ似合いすぎているのだ。普段の彼女からはイメージできない服装ではあったが間違いなく似合っていた。それを理解していたアカツキはシロエを見上げて何か言いたげに口を開こうとするが、言葉が出る前にアカツキは口を閉じてしまった。

 

 ――主君は、リンセ殿の格好をどう思う?

 

 そう尋ねるのはなんだが気まずくて。それに、変な風に聞こえてしまったらと思うと口に出来なくなってしまったのだ。

 そんなアカツキの心の中の問いに答えたわけではないが、シロエの口から回答とも言える言葉が出てきた。

 

「でも、やっぱり似合ってるよなぁ。昔は結構あんな感じの服着てたんだよ、クロ」

「え?」

 

 アカツキは思わずバッとシロエを見上げる。彼は懐かしむような瞳でリンセの方を見ていた。

 似合ってると言った。いや、それよりも昔はあんな感じの服を着ていた? どうしてそれを彼が知っているのだろうか。

 アカツキがじぃっと自分を見ていることに気付いたシロエは視線をアカツキの方に向ける。

 

「昔とは、どれくらい……」

「かれこれ10年は前かな」

 

 アカツキの問いにシロエは過去の記憶を辿って答えた。確か自分たちが小学生の頃、リンセは今着ているようなクラシカルなワンピース姿が多かったとシロエは思い出す。そして初めて会ったときも彼女はそういう服装をしていた、と。

 一方、アカツキの方はその年数に正直驚いていた。昔からの知り合いだとは聞いていたが、まさか自分の人生の半分の時間を過ごしていたとは思っていなかったのだ。

 それぞれ色々考えて自分の内側に意識を向けていたが、そこに挟み込まれた声に意識が即売会会場へと戻る。

 

「リンセやん、めっちゃ別嬪さんやん!」

 

 それはマリエールの叫びにも似た弾んだ声だった。続いてヘンリエッタの、まぁ! と驚いたような声も聞こえてくる。その声にシロエはマリエールたちの元へ向かう。アカツキもそれに続いた。そこではリンセがヘンリエッタに髪をセットされていた。リンセの白くて長いさらさらの髪はヘンリエッタの手によってねじりハーフアップにされている。そして前髪の方も整えようとしていたのだろう、ヘンリエッタの手がリンセの前髪にかかっていた。しかし、そこで動きが止まっている。

 

 あー、そういうことか。

 

 この場でリンセの素顔を知っているシロエは納得したように目を細めた。

 傷跡があったとしても彼女は美人の部類に入る、そういったのはシロエだ。そしてそれは事実であった。さらにリンセはお目汚しにならない程度に化粧をしていた、もっと詳細に言えば傷跡が隠れるように化粧をしていたのだ。その傷跡が見えなくなっている今、彼女はまさしく美人だと言っていいだろう。ただ化粧の影響もあって、先日アカツキが目撃した中性的な美人とはまた違っていたが。

 

 それなら、とヘンリエッタとマリエールはリンセの飾り付けを再開する。逆に、テンションの高い二人に囲まれてリンセは辟易としているようだった。

 なすがまま、二人に飾り付けられるがままになったリンセは少しして二人から開放される。

 

「かわええと思わへん? 思わへん?」

 

 先程アカツキがヘンリエッタにされていたように、リンセはマリエールにぐいぐいと前に押し出される。そこでようやくシロエとアカツキは綺麗に飾り付けられたリンセの全貌を目にすることになった。

 深い色のクラシカルなワンピースはリンセの白い肌を映えさせており、ねじりハーフアップにされた髪は綺麗に揺れている。そして、普段リンセの顔の右側を隠している前髪はゆるく横に流されてピンで止められていた。

 アカツキは初めて見るリンセの素顔に、どこか日本人離れしていて西洋人形を彷彿とさせるような顔をしていると思った。

 今の〈冒険者〉の姿は元々ゲームのアバターではあったが顔の作りなどは現実のそれが反映されている。ということは、現実でもリンセはどこか日本人離れしたビスクドールのような容姿をしているということだ。

 シロエがリンセを美人と称したのはそういうことなのである。べつに好みの顔とかではなく、一般的な感性からしてそれに当てはまるという話なのだ。それを当の本人は全く理解しておらず、あまつさえ不細工を自称するのだからシロエからしたら、それマジで言ってるの? となるわけだ。

 

 久々に見たリンセの素顔に、やっぱり僕の感性おかしくないよな、とシロエは頷く。

 

「うん、たまにはこういうのもいいんじゃない?」

 

 シロエが言うとリンセは露骨に顔をしかめた。おそらく、お前それマジで言ってるの? と言いたいのだろう。それを正確に読み取ったシロエはからかうように口角を上げた。その笑みにリンセはげんなりする。

 

「……悪くないと思うぞ」

 

 アカツキも初めて見るリンセの素顔の衝撃が抜けきらないもののそう言ってこくりと頷いた。それを見たリンセはやや疲れたように苦笑する。

 

 何はともあれ、こうして天秤祭2日目、その本番である展示即売会の幕は切って落とされたのである。



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chapter 21

 開場と同時にフロアには人が溢れた。私はその光景に若干青ざめるが化粧のおかげか周囲に気付かれた様子はない。

 さて、会場にやってきているのは物見遊山でやってきた〈冒険者〉の他に、新作の服を安く手に入れようとする女の子たち、そして〈大地人〉の交易商人や旅商人、貴族商人だ。想定の何倍にも膨れ上がった盛況ぶりに販売ブースはどこもかしこもパニックになったように対応に追われていた。それは私が手伝いに来た〈三日月同盟〉でも同じだった。

 

「なぁ、えらいことになってへん?」

 

 うわぁ、うわぁ、と大きな声を上げてうろうろしているのは〈三日月同盟〉のギルドマスターであるマリエールだ。ヘンリエッタがそんなマリエールをとっ捕まえて小さな丸椅子に無理やり座らせている。しかし、彼女たちがそんな漫才をすることが出来たのも開場から30分程度のことである。

 大手ギルドには開場と同時に多くの人がつめかけて長蛇の列ができていた。そして、時間が経つにつれて、並ぶくらいなら空いているブースを見て回ろう、と考える人が出てくるのも自然の流れだった。それによって人の波から外れた位置にブースを構えていた〈三日月同盟〉にも客が押し寄せてきたのだ。

 それは他の参加している中小ギルドにも同じことが言えた。どこもかしこも慣れない商売にてんやわんやである。来るとしたらそろそろだろうか、と私はマッピングの領域を拡大して会場全体を見渡すように配置する。そして、行動を追うのは〈大地人〉に限定して監視を始めた。

 

 1つ2つと増えていく〈大地人〉との交渉。それらの全てが純粋な商人としての交渉ならばいいだろう。けれど、その中に交じる押し問答のような商取引があった。そしてまた1つ、そのような交渉が発生した。行動パターンは読めてきたしそろそろ仲裁にでも入るかと思ったが、シロエが動く方が早かった。なら私は別の方の対処に向かおう。

 そう考えた私はシロエとは別の方向に足を向けた。

 

 向かった先はとある中小ギルドの待機列である。そこで苛立たしげにしている1人の〈大地人〉の中年商人に声をかけた。

 

「こんにちは。本日はアキバの街の天秤祭にお越しくださいましてありがとうございます」

 

 そう言って小さく微笑んだ。すると、その商人はこちらをにらめつけるように視線を寄越す。

 

「なんだ、貴様は」

「わたくしはリンセと申します。なにやらお困りの様子とお見受けいたしましたので、失礼ながらお声がけをさせていただいた次第にございます」

 

 どうかなさったのですか? と懇切丁寧に問いかければ、私の態度に気を良くしたのかブースでの不平不満をつらつらと語りだした。それに言葉で同情しつつさらに言葉を引き出していく。どういったことを望んで、どこからやってきたのか。この祭りで何をするつもりで、どういった行動予定なのか。1つ1つ丁寧に捌きつつ、アドバイスという名の修正を彼の数式に組み込んでいく。そして、待機列が進んでブースを見られる所まで来たところで私は商人から距離を取った。

 

「おや、もうここまで列が進んでいたのですね。ご主人の話が大変興味深くて話し込んでしまいました」

「お前は中々に話が分かるな」

「あら、光栄です」

 

 どうやら妨害への意識を別に逸らすことには成功したらしい。なら最後にとっておきをくれてやろうと私は片足を一歩後ろに引く。そしてもう片方の膝を軽く曲げて、背筋を伸ばしたまま両手でスカートの裾を掴み、軽くスカートを持ち上げて挨拶をした。すると、商人の方も礼に則った一礼をする。そんな彼に小さく微笑んで踵を返した。

 

 さて、随分と面倒なことになったな。

 そう考えていると店番をしていたヘンリエッタの声が私を呼んだ。

 

  *

 

 リンセが向かった先とは別の方の対処に行ったシロエは、苛立つ商人が我慢できずに振りかぶった拳を指先でやんわりと受け止めていた。そして、大気中の魔力(マナ)を集めることで寛容な笑みを浮かべたまま圧迫するようなオーラを出すという圧のかけ方をしていた。その魔力の動きは〈冒険者〉よりずっと鈍感な〈大地人〉ですらもなんとなく感じ取れるほどで、商人は青ざめると不愉快だといって逃げるようにその場を立ち去っていった。

 

「血の気の多い人だったね」

「主君だって相当に追い詰めたではないか」

 

 シロエに制止されるように脇に抱えられていたアカツキはシロエを不満げに見上げる。その視線を受けながらシロエは、彼女を解放しながらたしなめる。

 

「アカツキに任せたら首おとしちゃうでしょ」

「四肢を落としてからだ」

 

 頬を膨らませて言うアカツキにシロエは呆れたように肩を竦めた。そんな彼に助けられたギルド〈ココアブラウン〉のメンバーは礼を述べ、その中でも可愛らしい容貌のドワーフ娘は彼の手を握りしめて涙を流さんばかりの喜びようだった。

 そこに、ブースからいなくなっていたシロエたちを探しに来たヘンリエッタがやってくる。シロエ様とヘンリエッタは呼びかけるが、その声が不機嫌そうになっていることに自分でびっくりしていた。そんな彼女に呼ばれてシロエは首を傾げる。その横でアカツキが仕事をしろということだろうと口にした。彼女の言い返しにシロエは頭を掻きながらそういえばと会場を見渡す。

 

「――会場、騒がしいね」

 

 シロエが言う。その言葉にヘンリエッタとアカツキも周囲を見渡した。

 確かに改めて見てみると会場内は妙に騒がしかった。ヘンリエッタは〈三日月同盟〉のブースで〈大地人〉の対応に追われていた。先程は〈ココアブラウン〉に対して〈大地人〉の商人が押し問答をしていた。そして、この会場内ではそういった類の商取引がやけに多いのだ。

 会場内から感じる違和感、判別のつかない情報はヘンリエッタも掴んでいた。それもシロエの耳に入れるべきかと悩んでいた情報だ。

 

「シロエ様、その……」

「〈大地人〉商人の行動が不審だよね。でも、理解できない。解像度が足りない。情報が、揃っていない気がするんだけど」

 

 呟くように漏れたシロエの言葉に、ヘンリエッタは彼も得体のしれないちぐはぐさを感じていたのだと理解する。

 

「ヘンリエッタさん、クロを呼び戻してください。多分会場内のどこかで情報収集をしてるはずです」

 

 一瞬だけ考え込んだシロエはヘンリエッタにそう言った。その言葉でヘンリエッタはリンセもブースにいなかったのだと思い出す。そして、シロエの指示に従って急いで会場内にいるはずの白髪の娘を探し始めた。

 

 混雑する会場内。その中で1人の人間を探すのはそれなりの難易度がある。ヘンリエッタはそう考えて気合いを入れて捜索に当たった。けれどその気合いも空振りになりそうなほどあっさりとリンセは見つかったのだ。

 会場内の一角、とある中小ギルドの待機列。そこは周囲の雑踏とは異なる雰囲気を醸し出していた。実に穏やかなのだ。騒然としている会場内でそこだけまるでのどかな茶会のような雰囲気が流れていた。その中心にはヘンリエッタが開場直後にセットした白い髪が揺れていた。

 リンセは待機列に並んでいる客の1人と会話をしていた。そして、彼女が作り出す空気に周囲が若干飲まれつつあるのだ。1人、また1人と騒がしくしていた商人たちが口を閉ざす。会話を続けているリンセはヘンリエッタの知る彼女にしてはやや大げさにリアクションを取っていた。まるで相手が求める反応を返すように。そうして話していた彼女は不意に待機列の進み具合を見ると会話を切り上げる様子を見せた。

 そして彼女は。

 

「あら、光栄です」

 

 そう言って背筋を伸ばしたまま片足を引いて挨拶をした。その姿はまさに貴族の令嬢といった感じである。ヘンリエッタが〈エターナルアイスの古宮廷〉に赴いたときに見た令嬢のそれと、いやレイネシア姫のそれとも遜色ない、極めて美しい形だった。それを受けた商人は驚いたように目を瞠ると慌てて胸元に手を当てて深くお辞儀を返している。それに小さく微笑んだリンセは話は終わったと言わんばかりに踵を返した。

 ヘンリエッタはそこでようやく自分が彼女に見惚れていたことに気付き、次いで自分がここまできた理由を思い出す。

 

「リンセ様」

 

 ヘンリエッタが呼びかければ、リンセは一瞬だけ驚いた表情を見せたもののすぐに納得したようにヘンリエッタの元に早足でやってくる。

 

「ヘティ、勝手に持ち場を離れてごめん。シロくんからの招集かな」

「え、ええ」

 

 どうして分かったのかとヘンリエッタは驚く。そんな彼女の考えを見透かしたかのようにリンセは言った。

 

「本格的に攻撃されはじめたみたいだからね」

「え……」

「ひとまずシロくんと合流しよう」

 

 リンセは言いながら目的地を目指して足を進める。リンセの言葉に驚いていたヘンリエッタも進んでいくリンセの背中が完全に遠くなる前に意識を戻し、彼女の後を追い始めた。

 

  *

 

 呼びに来たヘンリエッタとともにシロエの元に向かうと、彼は〈三日月同盟〉のブースでちょうど誰かに念話をしているところだった。おそらく彼も私と同じ結論に辿り着いたのだろう。私たちが合流したところでシロエは頷いて私たちの方を振り返る。

 

「どうやらアキバに攻撃を加えてるやつがいるみたいだね」

 

 シロエの言葉に私は確信を持って頷いた。先程の商人から聞き出した話を分解して再構築した結果、私もその結果に行き着いたのだ。これでようやくラァラからもたらされた情報と〈星詠み〉から推測できる情報を解禁することが出来る。

 

「西、狙いは利益独占の阻止が目下かな。ひとまずは穴が開けばいい」

 

 次の策を考えながら言葉少なげに呟けば拾い上げたシロエが視線で訴えてくる。そんなにガン見しなくても今更口を閉じる気はないのだが。

 私たちは話の内容が内容なので、一時的に〈三日月同盟〉のブースの奥で話をすることにした。

 

「とりあえず西の〈大地人〉商人からで間違いないだろうね。〈イースタル〉との条約締結が引き金になってると思う。で、さらに商人たちをまとめる上がいる。おそらく貴族あたりが妥当かな」

 

 先程話していた交易商人は西の方からやってきたと語ってくれた。そして、私が行なったこの世界での貴族の挨拶に最上位に近い形で返してくれた。つまり、彼ら自体はそこまで地位のある人間ではない。また、即座に礼儀を失することなく対応できるならそういった人種と関係を持ち習慣として身についている可能性が高い。

 そして、その推測の解答はすでにラァラから提示されていた。

 シロエは私の言葉を脳内に叩き込んで思考を巡らせているようだ。

 

「傲慢だと思う?」

「それも込みで、黙認ゆえの暴走じゃないかな」

 

 あの商人の話では相当な人数が今回の攻撃に動員されているようだった。それにも関わらず威嚇や恫喝、流言飛語で交渉を有利に運ぼうというのは〈冒険者(私たち)〉ならまずしないだろう。相手が〈イースタル〉内の〈大地人〉であれば単独の行動だろうが、相手は西。ならば、関与しないという形で黙認されている〈大地人〉の傲慢が引き起こした暴走と言えるだろう。

 ただ私は展示即売会会場での状況しか明確に情報として収集できていないのである。

 

「そっちの情報はどうなの?」

 

 こちらの情報は以上だという意味も込めて聞いてみれば、先程念話していた相手から聞いた情報をシロエが告げる。

 

「〈連絡会〉の方に行ってるミノリに聞いてみたけど、処理すべき案件が急激に増えてるって。それに市中警邏の方もトラブルが増えてきたって言うし」

「ふうん……DoS攻撃に近いね」

 

 DoS攻撃とは、大量のデータや不正なデータを送りつけることでサイトやサーバーをダウンさせるサイバー攻撃の一種である。今回の場合はその中でもF5アタックと呼ばれるシステムに大量の処理要求を送りつけて過剰な負荷をかけるものに近いのかもしれない。これの嫌なところは正規のリクエストと見分けが付きにくいから防ぐのが困難という点だ。

 とはいえやり方自体は原始的で粗雑、いや、粗雑で明確な指揮系統がないからこそ1つ1つをトラブルと認識してしまい、今まで攻撃と見做せなかったのだから賢いと言えば賢いのだ。

 

 シロエとそんな話をしていると緊張した面持ちのヘンリエッタといつの間にかクナイを構えたアカツキが目に入った。そういえばシロエとばかり話をしていて2人への説明を怠っていたことに気付く。

 シロエはアカツキがクナイを構えていることに気付いて手を振った。

 

「いいから、クナイはしまって」

「しかし主君」

「今回は、それの出番はなし」

 

 するとアカツキは非常に不満げにしながらスカートの中にクナイをしまい込む。

 アカツキ、君そんなところに隠し持ってたのか。

 本当の忍者のような隠し場所に私は思わず二度見してしまった。

 

 張り詰めた表情をしているヘンリエッタは、どうやら今回の攻撃のことをうすうすは察していたらしい。シロエに目配せをすれば、彼も同じことを考えていたのかヘンリエッタにある程度の事情を説明する。アキバの街が攻撃を受けていること、その手段は浸透した上での軽度撹乱工作と流言、目的は〈円卓会議〉の信用失墜。

 

「……早急に手を打ちましょう。場合によっては祭も中止しなければ」

「それはいい手ではないですね」

 

 結論を急いだヘンリエッタにシロエがそう言葉を返す。彼の言葉に同意するように私も頷いた。

 祭を中止するということは〈円卓会議〉の危機対応能力を疑わせる隙を相手に与えるということ。つまり、相手の目的が達成されることを意味するのだ。

 

「最善手は問題を最小化して切り抜けること」

「うん。ですから、祭はこのまま続ける必要があります」

「そう……ですわね」

 

 ヘンリエッタの表情は優れない。どうやら、直接目に見えない形で攻撃を受けているという事実にプレッシャーを受けているようだ。それはおそらくシロエも同じことで。私だってそのプレッシャーを感じていないわけではない。ただ他の人よりは“見えている”から対処出来ているという話に過ぎない。

 ここで相手の目的の話になるわけだが。

 

「リンセ様、先程利益独占の阻止が目下と言ってましたけど……」

「ああうん。〈円卓会議〉が〈自由都市同盟イースタル〉と条約を結んだわけだけど。その利益を独占されないためには西の〈大地人〉たちも〈円卓会議〉と条約を結ぶ必要がある。そして、その条約の条件を良くするためにこちらに落ち度を作りたいっていうのが向こうの考えだと思うけど」

 

 ヘンリエッタの言葉に応えながらシロエの顔を覗き見れば少々腑に落ちないような表情をしていた。確かにシロエの性格からしてこういった雑な計画は立てない。作戦の意図は理解は出来るけど美意識に欠けるとでも言いたいのだろう。

 

「西の、ですか……」

 

 私の言葉にヘンリエッタの表情がさらに険しくなる。そんな彼女にシロエはしばらくその情報は伏せておくように要請していた。

 

「それは構いませんけど、これからどうなさるんです?」

「それはまぁ…………戦い(やり)ますよ、そりゃ」

 

 多少の間はあったがシロエはそう宣言した。そう言ってテーブルの上にアキバの地図を広げる。そしてマップピンを取り出して攻撃を受けている箇所にマークしていく。その様子を見ながら私はある人物たちに念話をかけることにした。

 耳元で響く呼び出し音。それが切れると明るい声が聞こえてきた。

 

『はいはーい! こちらロゼッタですー』

 

 その相手は〈Colorful〉の〈施療神官〉ロゼッタだった。

 

「急にごめん。今、暇?」

『リンちゃんからの念話なら24時間365日受付中ですー。それで、今はお祭り満喫中ですけど、どうかしたんです?』

 

 お祭り満喫中、それもそうか。マキはお祭り騒ぎが好きだし、その上楽しむなら周りも巻き込むタイプだ。佐々木さんはきっとマキのお守りだろうし、夕湖も周りが祭見物に行くなら流されるタイプだ。そして、ロゼッタもみんなでワイワイしたいタイプ。彼女達が天秤祭に遊びに行かない理由はない。

 

『もしかして、何かお手伝いがほしい感じです?』

「まあ、簡単に言うとそう」

『じゃあ、今からそのお手伝いしますよ! これからリンちゃんのところに行けばいいですか?』

 

 二つ返事で応えたロゼッタに、いいの? と聞くともちろんと返ってきた。

 

『リンちゃんが頼ってきてくれたの、もしかしたら初めてですよ? お手伝いしない理由はないですねー』

 

 そう言うロゼッタの声はとても嬉しそうだ。その様子に照れくさくなりながらもありがとうと感謝を告げると同時に私の現在地を伝える。すると、みんなを連れて行きますねーとロゼッタは言って念話を切った。みんな、ということはいつもの面子でいるのだろう。もう1人念話をかけよう思っていた人物がいたけれど手間が省けてよかった。

 

「クロ?」

 

 私の念話が終了するタイミングでシロエが声をかけてきた。その表情はやや硬い。

 

「何?」

「念話、何かあったの?」

「ああ、違う違う。シロくんが戦う(やる)って言ったからさ。アクセス遮断(入場制限)は出来ないからサーバー強化(人員投入)するしかないと思って」

 

 ちょっと手伝ってくれそうな人に声をかけたんだと言ったところで、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 

「リンちゃーん! わあ、すっごく可愛いですー!」

 

 次いで聞こえてきた声は先程念話で聞いたばかりのものだ。名前の後に付け加えられた言葉にはあえて反応はしない。それより、思ったよりも到着が早い。彼女も女の子だし元々この展示即売会に来る予定で近くまで来ていたのだろうか。

 人混みをかき分けてやってきたのは想定通りの人物たちと想定していなかった集団だった。集団の先頭でこちらに手を振っているのは間違いなく私が呼んだ人物であるロゼッタだ。そして彼女と一緒にマキや佐々木さん、夕湖も一緒にいる。ロゼッタはみんなを連れて行くと言っていたからここまでは理解できる。けれど、それ以外にも〈Colorful〉のギルドタグを付けた面々だったり、はたまた別のギルドタグを付けた〈冒険者〉も揃っている。総勢10と少し。

 どういうことだと首を傾げる。シロエやアカツキ、ヘンリエッタも虚を突かれたような表情をしていた。

 

「ロゼッタ……これ、どういう状況?」

「ん? さっきまで一緒にお祭り見て回ってたお友達ですよ。リンちゃんのお手伝いに行くなら一緒に行くってついてきてくれたんです!」

 

 状況は分かったけれど、せっかく祭を見て回っていた友達まで引き連れてこなくてよかったんだが。その思いを込めてロゼッタを見つめれば、人が多いほうがいいと思ったのでとニコニコ笑顔である。

 まあ、ロゼッタが他人に強要するとは思えないし自発的に来てくれたのだろう。

 そう考えて使えるものは使わせてもらうことにした。

 

「それで手伝ってほしいことなんだけど、一言で言うなら祭の警備に当たってほしいんだ」

 

 私の言葉に大体のメンバーは、まあこの混雑だしね、といった様子で頷く。けれど、その中でロゼッタと夕湖だけは神妙な顔で互いを見合っていた。

 

「もしかしてリンセ様……主催者側の事務処理が停滞してることに関係があるのですか?」

「それ、私も思った! それに、なんだかお祭りの中にクレーマーさんが多い気がしてたんですー」

 

 私は2人の言葉に頷く。

 

「さすがマネージャーに支店長、鼻が効くね」

 

 それは2人のリアルでの役職である。人材管理や調整など、拠点の管理者としてはおそらくこの場にいる誰よりも経験があるプロだと言っていい。私は経験のある2人に今回攻撃を受けている部分の調整と管理の梃入れをしてもらおうと考えたのだ。

 

「お祭り見て回ってるときにあまりにも気になったから、夕湖ちゃんと一緒に何件か処理してきたんですけどー」

「君たちが神か」

 

 すでに行動を起こしていたらしい2人に思わずそう呟く。すると、ロゼッタはえっへんと自慢気に胸を張り、夕湖は小さく笑みを浮かべた。そんな2人に詳しい状況を説明するべくシロエがさっきまでマークをしていた地図に視線を移した。

 現時点で相手が攻撃を集中させている場所は〈生産系ギルド連絡会〉が何らかの事務処理をしているポイント、街の入り口に倉庫設備、それから展示即売会などの市の巡回調査などだ。さらに〈冒険者〉や〈大地人〉が交流するポイントも攻撃を受けているだろう。

 個々の能力を鑑みてロゼッタには交流ポイントの方へ、〈生産系ギルド連絡会〉には夕湖の方に手伝ってもらうことにした。他の面々は2人がやりやすいように分配してもらって、私はロゼッタとは別の方面から事前の対処に回ろうか。

 それらを指示すればみんな一様に了解だと頷いてくれる。

 

「それじゃ、解散。各自所定の場所に行って作業にかかって」

 

 私がパンと手を打ち鳴らすとそれを合図に彼女たちは行ってきまーすと元気よく駆け出していった。それを見送って私も行動しようとすると何やら3方向から痛い視線が向けられていることに気付く。

 

「えーっと、まずかったかな」

 

 3つの視線の中で一番近い位置からザクザクと刺してくる人物に問いかける。

 

「いや、助かるけど……」

 

 そう言ってシロエはこっちまで力が抜けそうなため息を吐いた。それはどういうため息なんだと視線で訴えると、シロエは若干呆れたような視線を向けてきた。

 

「クロの人脈、改めてすごいなって思って」

「はぁ?」

 

 私の交友関係なんて広く浅くで上澄み程度の薄っぺらいものなんですけど、と突っ込もうと思ったがその前にどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「あれ。シロ先輩にリン先輩じゃないですか。〈三日月同盟〉のブースにいたんですね」

 

 その声にシロエと同時に振り向けば、そこには〈西風の旅団〉のギルドマスターで私たちの旧知であるソウジロウがいた。その周囲には彼には付きものの取り巻きの女の子たちがいる。黄色い声を上げている女の子たちを見て相変わらずのハーレム体質なんだなぁと半目になってしまった。

 

「あ、そうだそうだ。シロ先輩に教えてもらったケーキショップに行ったんですよ。もう、すごいサービスでしたよっ! ホールケーキで16個も出してくれたんです」

 

 ちょっと食べきれなかったので、と話し続けるソウジロウ。そのケーキショップに思い当たるものがあって隣にいるシロエを見れば、彼はへたり込みそうになっていた。

 

「シロくん、教えたの?」

「……うん」

 

 色々思惑があったんだろうけど完全に無に帰したんだろうな。シロエの様子から私はそう判断した。

 なおも続くソウジロウの話にシロエは完全に脱力してしまったらしい。けれど、へなへなになりながらもソウジロウに近付き、その肩に手を置いた。

 

「どうしたんですか? シロ先輩」

「いや、いいところに来てくれた。ソウジロウ。君向きの案件があるんだよ」

 

 どうやらこの腹ぐろ参謀は彼の無意識を利用して事をおさめようと考えたらしい。

 

  *

 

 あれからすぐに私たちは展示会大ホールの入り口近くに急拵えの対策本部を設置した。そこにはシロエを残して私も見回りに出ようとしたのだがシロエに止められたのである。なにゆえと思い首を傾げれば、ロゼッタたちの方の動向も把握しておきたいとのこと。この場で彼女たちと連絡が取れてかつシロエたちの方とも連携が取れるとしたら私ぐらいだから、と。言っていることは理解できるので、渋々残ることにした。

 ロゼッタたちの報告を聞きつつ、マップやメモに記録を残してある程度の傾向を分析していく。そして、シロエの方の報告を聞きつつマッピングを駆使して次に問題が起きそうな場所にピンを立ててロゼッタたちに指示を出し、それをシロエに報告し返して結果をまとめる。

 ほぼ機械的に進めているが、正直言って大規模戦闘戦と同じくらいの処理量だ。

 

「クロ、そっちは今どんな感じ?」

 

 そう聞いてきたシロエは、現在彼自身が口八丁で丸め込んだソウジロウ親衛隊の面々に指示を出しているところだ。そんな彼の問いに私は今思っていることを素直に言ってみた。

 

「PCとディスプレイ2枚ほしいな」

「それはさすがに用意できないな……ってそうじゃなくて」

「今の所対処できないトラブルは起きてないって。そっちは?」

「まあ、順調かな……予想以上に」

 

 声色からでも分かるシロエの複雑な心境に乾いた笑いすら起きなかった。

 頼む、3分でいいから脳を休ませる時間をくれ。

 随時シロエに報告したりロゼッタたちからの念話を受けることを考えると完全に集中し切るわけにはいかないし、けれど、その状態で集中しているときと同じパフォーマンスを要求されている状態なのだ。そんなわけで精神的にも肉体的にもキリキリとエネルギーが削られていっている。

 なんだか〈円卓会議〉設立前の案件を思い出す仕事量に思わず小さな声で滅びろと唱えていた。

 

 そんな感じで恨み言を吐きながら情報を整理しているとまた新たにソウジロウ親衛隊のメンバーがやってきたようだった。そちらの対処は立案者のシロエに任せて私は自分の作業に集中する。

 夕湖の報告では〈生産系ギルド連絡会〉の事務処理は後ろに情報整理を行なうミノリを配置して〈第8商店街〉のギルドマスターであるカラシンと夕湖が協力体制を取って内部での問題処理を、佐々木さんは数人と一緒に倉庫受付の対応に回ってくれたらしく徐々に通常の流れに戻りつつあるとのこと。ロゼッタはマキやその他残りのメンバーを引き連れて、〈冒険者〉と〈大地人〉の交流するポイントで警備をしているソウジロウ親衛隊や〈記録の地平線〉の面々とコンタクトを取りつつ場の安定を目標に揉め事に対応しているという。さらに、天秤祭本部の方が流れを取り戻しつつあることで〈D.D.D〉や〈黒剣騎士団〉の方の警邏も徐々に余裕が生まれつつあるようだった。

 それらの情報を脳内でまとめてマッピングから次の流れを計算し、ロゼッタとマキには次の行き先を指示、夕湖と佐々木さんにはその場で対応を続けるように指示を出した。

 

 そろそろ親玉が動いて瞬殺されてくれないかなーなどと考え始めたとき、アカツキが声をかけてきた。彼女の声にシロエが応える。

 

「どした?」

「ステージの約束はどうするんだ?」

 

 アカツキの言葉に、そういえばステージモデルも頼まれていたんだっけと思い出す。私は出来ればこのまますっぽかしたいのだが。

 シロエはどうするんだろうと見てみれば、何やら腹黒い笑みを浮かべていた。

 

「あー。アカツキ? ヘンリエッタさんに衣装用意してもらって。付近のギルドにも声をかけて、全身コーディネートをどうにかしろっていっておいて。鼻血もののやつな」

 

 シロエの発言に誰が犠牲になるやらと内心でとぼける。アカツキなんかは目を点にして不思議そうに首を傾げていた。そんな私たちを気にせず、シロエは親衛隊のメンバーに不敵な表情で指示を飛ばす。

 

「市中の警邏に出かけるっ! 面倒をかけるがよろしくお願いしたいっ。今日の任務終了後、おいしい食事をおごろう。ソウジロウに可憐なところを見せてやってほしいっ」

 

 色々察してしまって思わずため息を吐く。そして、被害者に対して心の中で合掌した。しかし、その直後彼の言葉に自身も間接的に巻き込まれたことを知る。

 

「それから、何かしら問題が発生しそうならばクロ……じゃなくてここにいる(シャオ)燐森(リンセン)に報告してほしい」

「おい、くそ眼鏡」

 

 まさかの飛び火に思わずそう口にしていた。シロエにガンを飛ばすと彼はジェスチャーでお願いと言ってくる。確かにこの場において一番情報を把握しているのは私だろうし、シロエは向こうに行ったらこっちの状況を把握して指示している暇はないだろう。だからこう言ってくるのは理解できるけど、面倒なものは面倒である。

 けれど、仕方ない。適材適所だ。

 私はシロエに対して追い払うように手を振ると、彼の代わりに親衛隊の女の子たちに指示を出し始めた。

 

  *

 

 それから私が対応に追われている間に相手の親玉は“腹ぐろ眼鏡”参謀の策によってアキバの街から撤退していったらしい。それは、マルヴェス卿という〈神聖皇国ウェストランデ〉の重鎮たる大貴族にして商人である人物だったらしい。

 彼は、〈自由都市同盟イースタル〉のトップであるセルジアット=コーウェンの孫娘であり、現在「〈自由都市同盟イースタル〉に無断で〈冒険者〉に援軍を求めにいった独断に対する謹慎」という体でアキバの街に滞在しているレイネシア姫のミスを偽装し、そこを落ち度として指摘して穴を作る予定だったのだろう。しかし、それがシロエたちアキバの街の〈冒険者〉に邪魔をされて失敗に終わったという。その報告を受けてから格段にトラブルが減った。つまり、私たちはどうにか西の攻撃からアキバの街を防衛することに成功したと言っていいだろう。

 

「あ゛ー……」

 

 トラブルが減ったことで仕事が減った私は、ようやく報告の合間に休憩を取ることが出来るようになった。あとはシロエが帰ってきたらお役目を引き継ぐだけである。

 椅子の背もたれに体重をかけてぼんやりと天を見ていれば、シロエが近づいてくる気配がした。

 

「お疲れ様、クロ」

「おかえりー……」

 

 視界を遮るようにしてシロエが覗き込んでくる。そこでようやく私は背もたれから身体を起こした。私が大きく伸びをする横に移動してきたシロエが苦笑している。てっきり私の疲れっぷりに苦笑しているのかと思ったが、その表情に申し訳無さが混ざっているのを感じ取った私はまさかと顔を引き攣らせる。

 

「疲れてるところすごく申し訳ないんだけど……」

「いやいや、私頑張ったじゃん」

「そうなんだけどさ、こればっかりは僕じゃ止められなくて……」

 

 サァーと顔面が青ざめていくのが分かる。せっかくここで頑張ってすっぽかそうと思っていたのに。そんなことを考えている私のことなんて知らんと言わんばかりに、太陽の花のような明るい声が聞こえてきた。

 

「リンセやん! そろそろ準備するでー!」

 

 それはマリエールの声だ。準備というのはおそらくファッションショーの話だろう。非常に申し訳無さそうにしているシロエに言葉が出ない。口を金魚のようにパクパクとさせるしかない私を捕まえたマリエールは、そのまま抵抗すら出来ずに呆然としている私を引っ張って〈三日月同盟〉のブースへと戻っていく。ずるずるずるとある程度引き摺られたところで私は苦笑で見送っているシロエに向かって叫んだ。

 

「後で絶対にお前の眼鏡指紋でベタベタにしてやるからなぁ!」

 

 そうして私はファッションショーの準備に取り掛かることになった。

 

 日中とは別の服の、エスニック系のポンチョに白のアンダーシャツとスキニーパンツに着替えさせられ、髪型も大いにいじられる。なんとか化粧をする権利だけは勝ち取ったので顔の傷跡を見られることはなさそうだ。

 そうして現在。私は他のモデルたちとともにファッションショーの会場となる広場にやってきていた。そこにはアカツキを始めとした〈記録の地平線〉の大多数も揃っている。

 未だに私の髪の毛をいじって調整しているヘンリエッタが不意に言った。

 

「そういえばリンセ様、展示即売会の会場で綺麗な西洋風のお辞儀をしてらっしゃいましたね」

「あー……」

 

 きっとあそこで商人の相手をしていたときのことをヘンリエッタは言っているのだろう。見られていたのかと私はやや苦い顔になる。不思議そうにするヘンリエッタに私は肩を竦める。

 

「……昔取った杵柄ってやつだね」

「あら、そうなんですか」

 

 彼女も何となく聞いてみただけなのだろう。それ以上の追及はなく、やがて私の髪型はヘンリエッタの納得のいく形になったようだ。前髪は編み込まれて後ろの髪はアシンメトリーにまとめられているらしい。そして小物類を着けて悲しいことに準備は万端となってしまった。

 

「はぁ……」

「大丈夫ですよ、リンセ様。似合ってますから」

 

 ヘンリエッタはそう言うが、不安からくるため息ではないんだよな。出来れば今すぐこの場からの逃走を図りたい。

 そうこうしているうちにマリエールがファッションショーの会場へと向かっていく。どうやら開始時間になったらしい。ここまできたら覚悟を決めるしかない。私は大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。そして、ファッションショーの舞台に向かって足を踏み出した。



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chapter 22

 あれから夜が明けて天秤祭は最終日である3日目を迎えた。最終日の昼間は〈記録の地平線〉の全員で集まり、せっかくの祭であるから「のみの市」見物でもしようという話になっていた。けれど、そこに加わることを拒否するメンバーが1人いた。

 そう、リンセである。

 彼女は3日目の朝が来ても部屋から出ようとしなかった。朝食にすら姿を見せず、ギルドメンバーは一様に訝しげに首を傾げる。その様子を見ていたシロエはそうなるよなと苦笑した。

 

「ミス・リンセはまだ寝てるのだろうか」

「起こしに行ったほうがいいのかな?」

 

 そう話しているルンデルハウスと五十鈴にシロエは首を横に振る。その様子にギルドメンバーは再び訝しげに首を傾げる。疑問を問う複数の視線を受けて、少しばかり言い淀みながらもシロエは答える。

 

「……さすがに、2日連続で苦手な場所に連れ出すのも悪いし」

「リンセ姉、祭が苦手なのか?」

「そんなところ」

 

 問いかけてきたトウヤにシロエは言う。初めて知る事実に反応は様々だ。ミノリとトウヤは純粋に驚いているし、五十鈴やルンデルハウスは不思議そうにしている。アカツキは少し意外そうな顔をしているし、直継はマジか……と言葉を漏らしていた。にゃん太は驚いたように目を瞠ると、直後やや険しい顔になる。そんな彼らにシロエは苦笑を消すことが出来なかった。

 リンセは苦手なことが顔に出にくい人物だ。何かあっても包み隠す技術に長けている人間だ。知られていないのも当然と言える。

 

「そんなわけだから、悪いけどクロ抜きでいいかな」

 

 シロエの言葉にギルドメンバーは各々頷いた。

 そうして〈記録の地平線〉メンバーは3日目の祭へと繰り出した。

 

 彼らが向かった「のみの市」では武器や防具をはじめ、家具やギルドハウスの設備、調度品や書籍や巻物、そして食料品やモンスターのドロップアイテムなど様々な物が取り扱われている。そこには遠方からやってきた〈大地人〉の行商人も数多くいた。

 これだけの商品が揃っていれば当然のように物欲も多くなるというもの。トウヤは新しい赤糸威星兜(あかいとおどしほしかぶと)を買っていたし、直継はポーションを買い込んでいた。シロエもミノリとにゃん太から相談されてギルドの予算を使って共用水槽と絨毯数枚を購入した。アカツキは前日の装いから元の黒ずくめの衣装といつもの表情に戻っており、シロエの警護を務めていた。

 

 一同が祭を満喫している間にも時間は過ぎていき、あっという間に日が暮れた。そしてアキバの街は後夜祭へと突入していく。そこでは様々な人たちの様々な会話が繰り広げられていた。〈記録の地平線〉メンバーも大多数がそこに混ざって祭の間の互いの健闘をたたえ合っていた。

 

 こうしてアキバの街の転機となった“10月の『天秤祭』”は、そのトラブルを知るものも少ないままに幕を閉じた。

 

  *

 

 朝から自室に引き篭もっていた私だったが、予想に反して誰も私に祭に行こうと誘いには来なかった。おそらくシロエが何らかの配慮をしてくれたのだろう。その気遣いに感謝しつつ、お礼に書類でも減らしておいてやろうといくつかシロエの部屋から持ち出し、祭の賑やかさをBGMに処理を始めた。

 いくら祭で賑わっているからといっても誰もいないギルドハウスは相応に静かである。私がペンを動かす音と紙が擦れる音、そのくらいしか部屋の中に響く音はない。

 

「……静か、だな」

 

 ぽつりと呟いてペンを置く。そして、座っていた椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げた。

 こんなに静かなのはいつぶりだろうか。この世界に来てからはほとんど誰かと一緒に過ごしていたから体感としては本当に久しぶりだ。

 静かなのはいいことだ。余計な雑音が入ってこない。その分自分自身で考えることも多くなるのだが、自分を見返す時間というのも大事だろう。

 そんなことを考えながら休憩もどきをしていると、耳元で念話の呼び出し音が響いた。誰だろうと意識を向けると、そこには驚きの人物の名前が表示されていた。

 

 それは、佐々木さんの名前だった。

 

 どうしてと思うのが半分。心当たりがあり苦い顔になるのが半分。なんとなく嫌な予感がして私は少しだけ躊躇った後に念話を繋いだ。

 

「……もしもし、佐々木さん?」

『ごめんなさいね、こっちから連絡してしまって』

 

 佐々木さんの落ち着いた、けれど、少しだけ申し訳無さそうな声が聞こえる。

 彼女たち〈Colorful〉は私がギルドを抜けて以来、自分たちから私に連絡を取ってくることがなかった。おそらく今念話してきている佐々木さんを中心にして私に自分たちから連絡を取らないというルールを決めていたのだと思う。そうでなければマキあたりからは頻繁に連絡が来ていたはずなのだから。彼女たちがそんなルールを定めた理由は私が勝手に推測して語るものではないだろう。

 さて、そんな彼女たちの取りまとめとも言うべき佐々木さんからの念話だ。彼女がルールを破ってまでしてきたということは、やはり例の彼女の件だろう。

 

「それで、用件は何かな?」

『ええ。一昨日ラァラが直接うちに来たわ。それでマキと一悶着あってね』

 

 なんでも売り言葉に買い言葉でマキがラァラに手を上げたらしい。短絡的というか、思い立ったらすぐ行動というか、すぐに手が出るのはマキの短所である。初めて〈記録の地平線〉のギルドハウスに来たときも同じことをしていたとまだ古くない記憶を思い出した。

 そして、マキの短所を引き出すようにあえてラァラはマキを煽る言葉を並べ立てたのだろう。マキが行動で示す反面、ラァラは言葉で相手を攻撃するのが得意だった。そんな彼女たちは昔から相性が良くなかったのだ。

 本当ならあなたに言うべきことじゃないし私たちの中で解決するべき問題なのだけど、と佐々木さんは声を落とす。

 

『彼女は私たちの中でも特にあなたのことを崇拝していたから、一応報告しておこうと思って』

「あー、うん。それはなんとなく知ってるし、アキバに来ていることも知ってた」

『でしょうね。〈Colorful〉を脱退したラァラがあなたに連絡しないなんて考えられないもの』

 

 念話の先にいる佐々木さんは少々呆れたような声色だ。呆れているのはおそらくラァラの盲目的な崇拝に対してだろう。

 

『気をつけなさい、リンセ。あなたはあなたが思っている以上に周囲に影響を及ぼしているの。あなたに何かあったら黙っていない人間が少なくとも1ギルド単位でいることを忘れないで』

「それは、責任重大だなぁ……」

『逆に言えば、あなたの一言であなたに手を貸す人間が少なくとも1ギルド単位で存在するということよ。昨日みたいにね』

 

 うわぁと何とも言えない辟易とした声を漏らすと佐々木さんはクスクスと機嫌が良さそうに笑っていた。

 

『昨日のことだけど、私たちはみんな好きであなたの手助けをしたのよ。直接念話をもらったロゼッタなんて本当に大はしゃぎだったもの。逆にマキはずるいって拗ねていたけどね』

「うん、マキのことは想像に難くない」

 

 きっといつもみたいに加減せずにロゼッタの肩を大いに揺らしていただろう姿は容易に想像できた。思い浮かんだ光景に呆れたように笑えば、佐々木さんも念話の向こう側で小さく笑った。

 

『それじゃ、用件はそれだけよ。また何かあったらいつでも連絡してちょうだい』

「あっ、佐々木さんちょっと……!」

 

 それだけ言うと、佐々木さんは私の言葉も聞かずにさっさと念話を切ってしまった。過去のあれこれはもう気にしていないから、そっちから連絡してきてくれてもいいと伝えようとしたのに。もしかして、それを察してさっさと念話を切ってしまったのだろうか。佐々木さんは自分がこうと決めたことは頑なに変えようとしないから。

 しかし、また言う機会はあるからいいだろうと私はその話題を頭の片隅に留める程度にしておく。そして、中断していた書類仕事の続きを再開した。

 

 そんな私に例の彼女から連絡が来るのは黄昏時のことである。

 

  *

 

 天秤祭最終日。夜闇の中、シロエはギルドメンバーと離れてアキバの街の南の外れにある廃墟にやってきていた。そこで彼はある人物と落ち合う予定を立てていたのだ。けれど、それは失敗に終わった。取り決めていた場所には目的の人物ではなく1人の〈大地人〉の女性がいたのだ。ダリエラと名乗った人物、彼女に対してシロエは濡羽と呼んだ。すると彼女は艷やかに笑う、どうして分かったのかと。シロエは勘だと言ったがそれは強がりだった。ここで会うはずだった人物とは別系統ソースから得た情報と直感にすぎなかった。

 西の総領、濡羽。シロエは彼女に用件を問うた。せっかちだと笑う彼女は殿方に合わせましょうとシロエの問いに答えた。

 

「シロ様を誘いにきたんです。〈Plant hwyaden〉へ。――わたしの隣へ。わたしと共に歩き、わたしを守ってもらうために」

「なぜです」

「いったままですわ。シロ様のことが欲しいのです。……恥ずかしい話ですけれど、シロ様のことはずっと以前から存じ上げていました」

 

 その話自体は驚くことでもない。シロエも濡羽も〈エルダー・テイル〉では人気のない職業である〈付与術師(エンチャンター)〉だ。そして、ゲーム内で同職の他プレイヤー、それも自身より腕のいいプレイヤーがどのようなプレイングをしているのかを知ることは自身の技術を向上させることに繋がる。結果的に分母の少ない〈付与術師〉の中でさらに腕利きのプレイヤーとなれば知る人も多いというものだ。故に彼らは()()()()()()()()()()()

 シロエはそう思っていた。けれど、濡羽は違うという。シロエが特別だから、濡羽はそう言った。

 彼女から語られる言葉は徐々にシロエを絡め取っていく。他の誰でもなくシロエを乞いにアキバまで来たということ、嘘か本当かも分からない不器量な女の物語、変転(フラクション)、現実への帰還方法、その完成。

 シロエにとって濡羽の持つ技術と情報は興味深かった。彼女の創り上げた組織の力を用いれば今よりずっと何もかもが手に入れやすい。それは効率がいいと言ってもいい。現実への帰還を考えるならば最短ルートと言えるだろう。

 

 ――いや、そんな理屈は言い訳だ。

 

 自分を特別だと呼んでくれる誰かはひどく魅力的だった。求めてくれるという存在はただそれだけで理由になり得た。

 濡羽の誘いに頷きかけたシロエだったが、そこに1つのノイズが響く。

 

 ――シロくん。

 

 雫が1つ湖に落ちるように響いた音は誰よりもシロエの近くに在った唯一の声だった。とても小さな小さなひとしずくだった。けれどそれはシロエにとってどうしても手放せないひとしずくだった。縋ってはいけないと、甘えてはいけないと思いながらも離してやれない手だった。それだけは彼女の言葉がなくともシロエの中の「確信」であった。

 ぱちりと1つ瞬きをするとシロエの中にあった誘惑への熱が霧散していく。

 目の前の濡羽の言葉は、確かにシロエの自意識をくすぐった。濡羽を止められるのは自分しかいないのではないか、と。目の前の濡羽の存在に、確かにシロエは責任を感じていた。そこに罪はなくとも罪悪感を感じていた。

 だからこそ。彼女はきっと言うのだろう。

 

 ――君はもう気付いたんでしょう?

 

 触れ合うほど近くなった距離で濡羽はシロエの耳元に唇を寄せる。自身を言い訳に、理由にしてくれと。自身を言い訳にしてありとあらゆる我が儘なことをしてもいいのだと。けれど、理由は理由であって言い訳にはなり得ない。それを肯定してしまえば行動の結果そのものを貶めることに他ならないからだ。

 できるはずがなかった。触れ合った指先を、感謝の微笑を、あんなに楽しかった夜通しの宴を、左右からつきつけられた甘味を、みんなで出掛ける広大な原野の冒険を――握り返した白い手を、貶めることなんてできるはずもなかった。

 〈記録の地平線(理由)〉を得たシロエだからこそ言い切れることだった。もし濡羽に好意を感じるのならば、ほんの少しでも愛情めいた何かを感じるのならば、決して彼女を“言い訳”に使うべきではないのだと。

 シロエは、濡羽を“言い訳”に使うことを拒むように彼女を押し剥がす。

 

「貴女が話した『作り話』は全部真実だということに()()()()。けれどご一緒はできません」

 

 シロエがそう告げると濡羽の表情が凍り付いた。彼女は諦めきれないようにシロエの瞳を覗き込み、失意し、それでもなお縋るように唇を震わせる。

 

「……なぜです?」

 

 シロエはそんな彼女の心情が手に取るように分かった。それはあの日の自分と、彼にとっての唯一である彼女に覆されたときの自分と同じだったからだ。だからこそ、強引に彼女の手を引いてしまったシロエが濡羽の手を取るわけにはいかなかった。

 

「貴女の味方になるよりも、貴女の敵でいた方が、貴女の願いに添えるでしょうから」

 

 シロエはようやく自らの意思で濡羽の瞳を見る。そして、自分の意志を確認するように一語一語明瞭に口にした。その言葉が剣のように濡羽に突き刺さる痛みを共に感じながら、シロエはひんやりとした濡羽の頬に触れる。

 

「いずれ貴女が理由を探すときのために、敵でいることにします」

 

 その言葉が鎖となる音を聞いた。そしてそれを聞いたとき、濡羽は1つの言葉を思い出した。それはシロエと会う前、ラァラを通じて対面した彼女の言葉だった。

 

 ――自分を言い訳にしないことをお勧めします。

 

 誰よりも真っ直ぐに濡羽を見た彼女は、誰よりも濡羽に近く、そして、誰よりも濡羽に遠かった。

 

  *

 

 〈記録の地平線〉のギルドハウスの屋上。

 少しだけ風に当たろうと思って来てみればそこには先客がいた。ビルを突き抜けている大樹の下、静かに座っているその姿は。

 

「……クロ?」

 

 夜風に揺れる白い髪は見間違いようがなかった。近付いて顔を覗き込んでみれば固く瞳は閉じられている。どうやら寝ているようだった。

 ふわりと白い髪が夜風に靡く。すると普段は隠れている右目が前髪の隙間から覗いた。そして同時にうっすらと残る傷跡も。静かに手を伸ばしてクロの顔の右半分を覆い隠す前髪を耳にかける。さらさらな髪はそれだけじゃ完全にどかすことは出来なくて、何束かはするりと落ちてきてしまった。けれどクロの素顔を見るには十分だった。

 閉じられた瞼、綺麗なラインを描く睫毛は長く、1つ1つの顔のパーツは整っており、作り物のように端正な顔立ちをしていた。芸術品とでも言うべきだろうか。あまりにも整っているそれは人によっては恐ろしく感じることもあるんだろうなと思う。人形が怖いと思うのと同じ心理だろう。だからこそ、その顔に残る傷跡が彼女を“人”にしていた。

 そっとその傷跡に触れてみる。その傷跡に覆われた瞳は現実の世界では星を宿したような銀色だった。

 後天性虹彩異色症。それがその星の名前だった。この世界ではアバターの設定の関係でその色を見ることが出来ないのが少しばかり残念な気もした。

 

 過去に思いを馳せながらクロの目元に触れていると、彼女の瞼がピクリと動いた。驚いて思わずパッと手を離す。

 ゆっくりと瞼が開かれていく。そしてそこから深い夜の空を写し取ったかのような、それでいて澄みきった黒曜石が姿を現した。少しだけ宙を彷徨った瞳はぱちりと1つ瞬きをすると僕の方をゆっくりと見つめる。

 

「おはよう」

 

 眠りから覚めたクロにそう言えば、うん……とぼんやりとした返事が返ってきた。まだ十分に覚醒していないらしい。ぼんやりしているクロの目の前で手をひらひらさせるとクロは露骨に顔を顰めた。

 

「変態」

「は!?」

 

 覚醒第一声がそれ!? と思わず突っ込んでしまう。けれど、続いたクロの言葉に色々飲み込まざるを得なかった。

 

「だってシロくん、この距離にいるってことは私の寝顔ガン見してたでしょ」

「う……」

 

 言葉に詰まった僕を見てクロは面白そうに笑った。

 

「今更シロくんに寝顔見られても何とも思わないけどね」

 

 まあ思わないだろうなと思った。僕だって今更クロに寝顔を見られたところで何とも思わない。下手をすれば家族よりも一緒の時間を過ごしているかもしれない相手なのだ。それだけの時間が僕らの間にはあると自負していた。

 

 クロが自身の隣を指差した。座ったらどうだということらしい。それに甘えて僕はクロの右隣に腰をかけた。

 また1束、さらりとクロの前髪が顔にかかる。

 

「……君くらいだ」

 

 呟くような小さなクロの声が響く。

 

「何が?」

「そういう風に私の傷跡に触れるのは」

 

 問いかければクロはそう言って静かに目を伏せる。なぜクロが突然そんなことを言ったのかいまいち予想がつかず僕は首を傾げた。それが分かったのか、クロは再び小さく呟いた。

 

「君は、本当に大事なものに触るように触れるよね。最初にこの傷の話をしたときなんて半泣きだったじゃん」

「ず、随分懐かしい話するね……」

 

 カァッと顔に熱が集まるのが分かった。ちょうど夢に見たと言ったクロは、ゆっくりと目を開いて僕の顔を見るとクスクスと笑う。その笑い方が幼い彼女に一瞬だけ重なった。

 それはもう10年以上前、彼女と出会ったばかりの頃の話である。

 照れくさいやら恥ずかしいやらでクロから視線を逸らす。すると笑っていたクロも徐々にその笑いをおさめていく。

 

「色々お疲れ様、シロくん。どうにか大きな問題になることなく天秤祭終わってよかったね」

「うん」

 

 クロの言葉に小さく頷く。

 あれから〈円卓会議〉に対する攻撃は途絶えて、僕たちは久しぶりの休日を楽しむことが出来ていた。クロも最終日である今日だけは苦手なものから離れて休息を取れただろう。

 視線の先にあるアキバの街はすでに夜に沈み、篝火に照らされた中で開かれていた後夜祭も終幕に向かいつつあるようだった。

 

「あ、そうそう」

 

 そういえばとでも言うようにクロが声を上げた。その声に誘われるように僕は視線をクロへと向ける。

 

「濡羽さんに会ったよ」

 

 世話ばなしの延長のように平然と語られたそれは、世話ばなし以上の衝撃を含んでいて。

 

「どういうこと!?」

 

 僕は思わずクロに詰め寄っていた。僕の剣幕に驚いたらしいクロは、うおっ!? と声を上げると僕から距離を取るように身を引いた。

 

「どういうことって、そのままの意味なんだけど……」

 

 あちらこちらに視線を彷徨わせたクロは困惑したように眉を顰めた。言葉を待つように見つめていればクロは小さく肩を竦めた。

 

「一緒に来てほしいって誘いを受けただけで。それはお断り申し上げたので大丈夫だと思うよ」

「本当に?」

「本当に」

 

 額を人差し指と中指で押されて距離を離される。そしてそのまま指を丸めると、クロはビシッとデコピンをしてきた。そこまでの威力ではなかったけれど突然の攻撃に目を瞬かせる。そんな僕の視線の先でクロは幽かな微笑みを浮かべていた。

 

「君はどうなの?」

 

 その言葉に、ああやっぱりと思った。知っているんだ、クロは知っている。僕も濡羽さんに会っていたことを、そしてクロと同じように誘いを受けていたことを。

 

「僕も断った」

「そう」

 

 僕の答えを聞いてクロはやっぱりなとでも言うように肩を竦めた。

 

 彼女は今の西の状況をどこまで知っているのだろう。全く知らないということはまずないだろう。知らないのならば、西――斎宮家が“外記”の名を下賜する準備をしていたことも知らないはずなのだから。けれど、知っていたとしても確信の持てない情報は隠してしまう悪癖が彼女にはある。隠す理由はよく知っているしその気持ちも分かるから裏切りだと思うことはないけれど、それでもどこまで把握しているのか知りたいという感情は少なからずある。

 聞いたところで答えてくれるのか。いや、きっとクロは答えてくれない。分かっている、結局は彼女から話してくれるのを待つしかないのだ。

 

 こういうところは昔から分からない。解像度が足りなくてはっきりしない。本当に大事なところ、彼女の感情が付随する部分は。

 ある程度までは分かる。読み取れる機微は存在する。けれど、彼女が壁を作って立ち入らせないようにしている部分はどうあがいても察することが出来ない。こちらの考えを読んでくるくせに理不尽だと思わなくもないが。

 でも、それが黒沢羽依(クロ)なんだよな。

 

「なーに1人で納得してるの?」

 

 そんなクロの声とともに突然視界のエフェクトが切り替わった。何だと思って目元に手を当てればそこにあるはずの眼鏡がない。ということは。

 

「ちょっとクロ、眼鏡取って何する……」

「いやぁ、指紋でベタベタにしてやるって宣言したくせにしてなかったなと思って」

「しなくていいよ、そんな地味な嫌がらせっ!!」

 

 クロから眼鏡を奪い返そうとするも、僕の動きを読んでいるらしい彼女はひょいひょいと僕の追跡を逃れる。それを何度か繰り返して満足したのか、クロは唐突に僕に眼鏡を掛け直した。それはいいのだが視界が恐ろしいくらいに不明瞭だ。

 

「うっわぁ……すごく汚いんだけど」

「まあ、触りまくったからね」

 

 白く霞む視界の先でクロは楽しそうに笑っている。その笑顔は出会ったときから変わっていない。

 

 ――一緒に遊ぼう!

 

 そう言って僕の手を強引に掴んだあの日から。

 それでいいと思っていた。僕はそれでいいのだと。

 

 耳にかけた前髪はすでに彼女の右目を覆い隠していた。

 

  *

 

 黄昏に沈みつつあるアキバの街。彼女はギルドハウスを出てある場所を目指していた。

 

 その場所にやってきたリンセはそこにいる〈大地人〉を目にして僅かに目を細めた。

 

「おかしいですね。私はラァラに呼ばれてここに来たんですけど。まさかこんな形でお会いするとは思っていませんでした、濡羽さん」

「うふふ……わたしの名前を知っていてくれたのですね」

 

 過去に2度すれ違ったことのある〈大地人〉を見てリンセはそう言った。相手もリンセがそう言うことが分かっていたかのように言葉を返す。

 若葉色の髪が黒く濡羽色に変わっていく。白い肢体は身体のラインを美しく写し取る黒衣のドレスに包まれていく。そこにいたのは〈Plant hwyaden〉のギルドマスター“西の納言”濡羽だった。

 

「てっきり用があるのはシロエの方だと思っていましたよ」

「ふふっ……」

 

 リンセの言葉に濡羽は小さく笑うだけだった。けれどリンセにとってはそれだけで十分だった。たった1つの笑みでリンセは彼女の目的も行動も全てが見えてしまった。だからこそ、彼女は意図せずに先手を打ってしまう。

 

「別にシロエは私の物じゃないし、彼があなたと一緒に行くっていうのなら見送りますよ」

 

 その言葉に濡羽は少女のように目を瞬かせた。どうして、と口にしようとした濡羽だったが、それよりも前にリンセが動く。

 

「斎宮家の方にも関わる気はありませんので、そのようにお伝えいただければと思います」

 

 斎宮家と〈星詠み〉の間には切っても切れない関係があった。彼女も〈星詠み〉へと転職する際に彼らと接触して転職クエストを受けていた。

 そもそも、ここ〈孤状列島ヤマト〉における〈星詠み〉は〈大地人〉の間では聖職として認知されている職業である。星の巡りを司る専門家で国の行く末を導く祭事を為すこともある〈星詠み〉は、実務的な政を為す貴族と表裏で統治を行う重要な存在だとされている。〈ウェストランデ皇王朝〉が滅んだ後、聖都イセにおける〈星詠み〉の宗主である斎宮家が〈神聖皇国ウェストランデ〉を興してからはさらにその傾向が強まったという歴史も存在するのだ。そんな〈神聖皇国ウェストランデ〉ひいては斎宮家がレベル90(最高位)の〈星詠み〉であるリンセに接触を図ろうとするのは何ら不思議ではないと言えた。

 

 リンセの発言にまたもや濡羽は目を瞬かせた。そして若干の畏怖を覚えた。

 ここでリンセに出会ってからずっと濡羽の瞳を真っ直ぐ射抜き続けている彼女の瞳に、自身の最奥、腐り果てた内側を全て見透かされているような気がした。薄汚れていて、さもしげで、みすぼらしい物乞いの彼女を見つめられているような気がした。そんなはずはないと濡羽は思うが、直後そんな考えすら目の前のオブシディアンに読み取られていると感じてしまった。

 その予感は正確であり、リンセは濡羽の奥にいる彼女に気付いて小さく目を細める。それは人の感情をも察してしまうリンセの勘が濡羽の傷に触れてしまった証拠だった。触れた指先が小さく痛み、それを“遠ざけなければ”と彼女の中の優しさが働く。

 濡羽の足が一歩退く――その前にリンセの白い手が濡羽のそれを絡め取った。

 

「濡羽さん」

 

 ひとしずく、湖に落ちるようにリンセの声が響いた。その音は濡羽の鼓膜を揺らしその奥の脳髄に抵抗なく浸透する。

 

「私はあなたを否定しません」

 

 濡羽の心臓が音を立てた。ドクン、ドクンとまるでここにいることを主張するように。

 するりとリンセの指が濡羽のそれに絡みつく。そして絡んだ指が一定のリズムで濡羽の手の甲を叩いた。それは幼子を慰めるかのように。

 濡羽にリンセの言葉の意図は分からなかった。けれど、リンセが濡羽という皮の内側にある彼女を見つけて、その上で肯定してくれたのだと。濡羽はただそれだけは理解できた。

 薄汚れていて、さもしげで、腐り果てたドブのような彼女を厭うことなく、リンセは何も纏わぬ白い手で触れてくれた。腐敗しきった水に嫌がることもなく足を踏み入れ、ぐちゃぐちゃに濡れ果てた身体に駆け寄り、壊れ物を扱うように優しく包容してくれた。

 リンセの温度を指先で感じながら濡羽はここまで伴を許した〈吟遊詩人〉の言葉を思い出す。

 

 ――リンセ様はわたくしの唯一なのです。

 ――あの方はわたくしに居場所をくれたのです。

 ――ここで生きていていいのだと。

 ――わたくしの愛は愛たり得るのだと。

 

 思い返し、反芻し、濡羽は錯覚する。

 

 ――“この人こそ自身の特別なのだ”と。

 

 そして本来の目的であったけれど様相を大きく変えた言葉を口にする。

 

「リンセ様、ぜひリンセ様にも私の元に来てほしいのです」

 

 濡羽はその名の通りの色をリンセに向ける。リンセはそれを真っ直ぐに見つめ返し、けれど言葉を返さなかった。ただじっと見つめ続けるだけのリンセに濡羽は失意の眼差しを向ける。

 

「駄目ですか? やはり一番ではないと……」

「なぜ?」

 

 濡羽の言葉を遮ったリンセはどこか無感動な瞳で濡羽を見ていた。

 

「なぜ、“一番でなければ受け入れてもらえない”と思ったのです?」

 

 濡羽と同系色の、だが明確に違う瞳を向けながらリンセは続けた。

 

 なぜと問われたことに濡羽はなぜと思う。人は誰かの一番に、誰かの特別であることに惹かれるものではないのか。だからこそ一番ではないと受け入れてくれないのではないのか。

 リンセは濡羽の考えを読み取って小さく首を横に振った。そして絡めた指に力を込める。

 

「こうして手を握ること、これは私にとって特別ではありません。濡羽さんは嫌ですか?」

 

 嫌ではない。

 言葉に誘導されるように濡羽は首を横に振る。

 

「濡羽さん、仮に私があなたを求めたとします。ええ、それはもちろんたった一つを望んだわけではありません。嫌ですか?」

 

 嫌では、ない。

 再び濡羽は首を横に振る。何かを乞うように、何かを恐れるように。

 

「つまり、そういうことです。私はあなたに一番を求めません。それでも、あなたが幸せになれる未来を望みます」

 

 リンセはそう言って笑い、濡羽の手から己のそれをほどく。消えていく温度に濡羽は僅かにリンセの手を追うように自身のそれを伸ばした。けれど、再びその手が繋がれることはない。その事実に気付いた濡羽はガラリと何かが崩れ落ちる音を聞いた気がした。

 

「だから、彼に会う前に1つ忠告しておきます」

 

 砂の城だった錯覚が崩れ落ちて目の前に現実が現れる。そこにいたのは神様でもなんでもない1人の女だった。

 

「あなたはきっと最後に言葉を間違えるから……自分を言い訳にしないことをお勧めします」

 

 全て覆い隠す笑みでリンセはそこに在った。その姿は濡羽のように偽りだったかもしれない。けれど、その麻薬のような献身(祈り)だけは真実だった。

 リンセはそれだけ言うと踵を返して去っていく。その背に揺れる白い髪がリンセの誠実を示しているようだった。

 

 彼女は誰よりも真っ直ぐに濡羽を見つめた。そして、誰よりも彼女という存在に近く、誰よりも濡羽という存在から遠かった。



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