ソウル・オブ・ゼファー (部屋ノ 隅)
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休養寮のウマ娘編
ヤマニンゼファー 1/10


──…………──

 

──…………ァー…──

 

──………………ファー──

 

 

「……?」

 

‘友達,に呼ばれたような気がして、その『ウマ娘』はゆっくりと瞳を開いた。グラウンド全体を見渡せる位置にポツンと置かれた、休憩用のベンチの上だ。寝ぼけ眼を服の袖で擦りながら意識を覚醒させたそのウマ娘は、キョロキョロと辺りを見渡して声の主を探してみる。……誰もいない。正確にいうと、丁度いまグラウンドで『ウマ娘トレーナー』によるチーム選抜のテストを行なっている真っ最中だから「誰もいない」という訳ではないのだが、少なくとも自分に声を掛けられる距離に人はいない。

 

 

「……夢……かなぁ?」

 

そう結論づけたところで「ふわ……ぁああー……」という大きなあくびが彼女の口から漏れる。

 

────眠い。

 

頭がまるでシャッキリしないし、体全体がこれ以上なく疲れ切っているように感じる。「私、今日そんなに疲れるようなトレーニングしたっけ?」という一抹の疑問すら、瞬く間に微睡みが消しさっていった。

 

 

(……寝ようっと)

 

正直もうそれ以外なにも考えられない。今すぐ横になって、意識を完全に落としてしまいたい。自分が誰で、今が何時で、なにをするべきかすら最早どうでも──。

 

 

「ちょっと! なによそれ!!」

 

「!!」

 

突如として聞こえてきた怒号に、ベンチに横たわろうとしていた体がビクッ! と縮み上がった。「なんだなんだ」と言わんばかりに、落ちかけていた意識が再び覚醒してゆく。怒号が響いてきたのは選抜テストを行なっているコースの方からだった。ジッと目を凝らしてみると、コースの端っこでちょっとした騒ぎが起きている。一人のトレーナーとその側にいる一人のウマ娘に何人ものウマ娘が詰め寄って、なにやら抗議らしき物を行なっていた。幸い「一触即発」のような雰囲気にこそなってはいないが、大多数のウマ娘──たぶん選抜テストを受けていた娘たちだと思う──は明らかに不満顔だし、トレーナーに……と言うより、その側にいるウマ娘に対して抗議を止める気はなさそうな感じがする。

 

 

「……」

 

何故だろう。よく分らないが、なにが起きているのか無性に気になる。幸か不幸か、こういった喧噪は小さい頃からすぐ身近にあった。なにがあったのか話を聞くのも、ケンカを仲裁するのも慣れている。なにせ、実家にいる頃は毎日のようにやったことなのだから。

 

先ほどまでの眠気も何処へやら。彼女はすぐにベンチから立ち上がると、まるでそよ風のような軽やかさで喧噪のただ中へと向かっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっざけんな! あんだけ本気で走らせといてどういう事だそれは!!」

 

「約束と違うじゃないの!!」

 

「いや、だから俺としてもだな──」

 

「今日の為に選抜テストとレースの内容をみっちり予習して、本番のレースと変わらない仕上がりにしてきたのにー!」

 

「私なんて本当は出場できた条件戦を蹴ってまで参加したんですよ!?」

 

「この際合格不合格はどうでも良いですけど、テストの途中で割れちゃった私の蹄鉄って学園持ちに出来ますよね? 出来ますよね!?」

 

ギャーギャーワーワーと止むことのない抗議の声に、中央トレセン学園ウマ娘トレーナーの『柴中(しばなか)』は頭を抱えて俯く。彼女達の抗議はもっともだと理解しているし、正直自分も文句の一つぐらい言ってやりたいのだが……。最終的な決定権はトレーナーの自分にあるから覆そうと思えば覆せるのだが、やはり「あいつ」の判断を全力で信じてやりたい。何より柴中自身も「えー……。この娘たちってウチのチームに入れない方が良いよな……?」と、感じていたのだ。

 

しかし、それでテストを受けたウマ娘達が納得するかどうかは別の話である。前提と約定を破り、不義を働いているのはこちらなのだから。

 

 

(取りあえず相応の謝罪と説明を……。ああそうだ。後で学園の方にも事情を話して、理事長とたづなさんにも謝って、色々とフォローをお願いして──)

 

「っていうかなにさっきから黙ってるんですか!? 私達は──」

 

 

 

 

「────喚くな。民草ども」

 

 

 

 

ピタリ──。と、一瞬で怒号が止んだ。

 

あまりにも不遜で尊大な態度と、無礼で傲慢な物言い。それでいて絶対の強者にしか出せない圧倒的な力を言葉に乗せてウマ娘達を一瞬で黙らせたのは、柴中のすぐ隣に立っているたった一人のウマ娘──つまり、この騒動を引き起こした元凶だ。

 

 

「何度も言わせるな。私がそうと決め、トレーナーが定めた以上、これが覆ることは無い」

 

風にゆられてなびく、サラサラとした美しい黒鹿毛色の髪。どこまでも永遠に続いている(そら)の様な、蒼色一色の勝負服。爆発的な瞬発力と圧倒的な末脚を生み出す、ほれぼれするようなしなやかで強靱な肉体と、常に前を向いて突き進み続ける鋼の如き意思。そして、他者が並び立つことを許さない絶対なる威信。

 

生徒会長を務めるかの「皇帝」シンボリルドルフの同期にして、中央トレセン学園に存在するもう一人の皇帝(・・・・・・・)

 

名を‘ニホンピロウイナー,短距離とマイルのレースを主に戦うウマ娘で、彼女を知らない者、目指さない者はいない──‘絶対強者,の一人。

 

 

「分ったら早々にクールダウンを済ませろ。お前達は合計約五キロもの距離を本気で走ったのだ。仮にもウマ娘レースの出走者ならば、次の走りに支障を残すような真似はするな」

 

「お前なぁ……」

 

ウイナーがギロリと一睨みするだけで、喧々騒々だったウマ娘達は身をその場から半歩下がらせる。非難轟々だった口は言葉に詰まる。唯一トレーナーの柴中だけが全く動じないまま、呆れたような表情を浮かべていた。

 

 

「で、でもよ! 話しが違うじゃねーか! このテストで優秀な成績を収めたら──!」

 

「書類内容をちゃんと読んだのか? 正確には「我らがチームに迎え入れるに足る優秀な人材がいたら」だ。貴様らは誰一人として条件を満たしていなかった。それだけの事」

 

「わ、私達が弱いからってことですか!?」

 

「違うとも言えんが、そういう事ではない。そもそもの話しとして、貴様達は我らのチームには「いらん」これはそういう話しだ」

 

「あ、あのっ! ……ヒィッ! なな、なんでもないです!!」

 

まるで切り捨てる様に言うウイナーに自分もなにか文句の一つも言おうとしたウマ娘は、ジロリと睨み付けられてそのまま縮こまってしまう。まるで古代ローマ皇帝の暴君政治を思わせる光景に、柴中の胃はキリキリと痛みだした。彼女と付き合っていると割と良く見る光景ではあるのだが、流石にここまでの物を見るのは久方ぶりである。やはり自分だけが勧誘テストを行なって、ウイナーには後で撮影した映像を見せる方式の方が良かったのだろうか……。

 

兎に角まずは彼女達の誤解を解いて、ウイナーの事を含めて色々と説明をして、その上で今回のテストの事を含めて色々と謝罪しなければ──

 

 

「あのー……。少し、お邪魔しても良いですか?」

 

「へ?」

 

誰かに呼ばれたような気がして、柴中はクルリと後ろを振り返る。──そこにいたのは、一人のウマ娘。

 

黄金色の琥珀を思わせる、美しくもどこか奥深い感じのする瞳。腰の先まである鹿毛色の長い髪には、空のように蒼くて綺麗な色をした髪留めが前髪の部分に二つほど。身につけている制服のリボンから、高等部所属だということが分る。全体的な筋肉の付き方は決して良いとは言えないが、バ場を軽やかに、けれど力強く走る事が出来そうなスラリとした良い脚をしているな、と柴中は思った。

 

 

「……誰だ貴様」

 

突如として話しに割り込んで来た文字通り邪魔者に、ウイナーはテスト参加者に向けたそれと変わらない瞳を向ける。──部外者は去れ。そんな意図と力が込められたその凄みを、彼女はまるでそよ風の様に受け流して微笑んだ。

 

 

 

「私『ヤマニンゼファー』っていいます! みなさん、さっきから凄く真剣に話されてるから、どうしても気になっちゃって……。もしよかったら、私も混ぜてくれませんか? 私、人の話を聞くのが得意なのでなにか力になれるかもしれません!」

 

 

 

 


 

 



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ヤマニンゼファー 2/10

「はぁっ……! はあっ……!」

上手く呼吸が出来ずに息が詰まる。肺に空気を送るたび、喉が引き裂かれるように痛む。
ゴール板までのほんの数百メートルの距離が、数千メートルにも数万メートルにも感じる。
そしてなにより──

「はあっッ! ああぁっ……!」

脚が──鉛のように重い。勢いもキレも無くなったそれはまるで、燃料切れをおこした車のようだった。
「私」は意地と執念だけで脚を動かして無理矢理ゴールまで辿り着くと、それと同時に頭から倒れた。結果は当然のように20着(最下位)
春空の下で観客から大歓声を浴びる彼女を──幾千の明かりを代表するただ一つの星を、私は文字通り地面に這いつくばりながら眺めていた──。




「『ヤマニンゼファー』……?」

 

ウイナーが「知ってるか」と言いたげな目で見てきたため、柴中は首を軽く振って否定する。一応、テストを受けていたウマ娘達にも目を向けてみるが皆一様に「……誰?」といった顔をしていた。

 

ウマ娘レースのプロを目指す者たちの中でもエリート中のエリートしか入学する事が出来ない(一部例外あり)のが『中央トレセン学園』だ。‘よく知らないが、名前ぐらいは聞いた事がある,というウマ娘は確かに多い──。とはいえ、在校生は『レース科』だけでも二千人以上いるため、全く知らないウマ娘がいてもなんら不思議ではない。少なくともトレセン学園指定の学生服を着ている以上、在校生であることは間違いないと見て良さそうなのだが──。

 

 

「はい! あの、ニホンピロウイナー先輩ですよね。今日はトレーナーさんと一緒にチーム選抜の為のテストをやってるって聞きました。なにかトラブルでもあったんですか?」

 

「ああいや、なんというかその……」

 

「『トラブル』などなにも起きていない。貴様がどこの誰かは知らんが「ヤマニンゼファーです!」……兎に角、部外者が口を出さないで貰おうか」

 

今度は視線だけではなく、ハッキリと口に出してゼファーを拒絶する。確かに多少は騒ぎになったかもしれないが、この程度の喧噪などトレセン学園では日常茶飯事だ。なにより『トラブル』など本当に起きていない。ウイナーはただ『選抜テストの結果を伝えただけ』である。それでウマ娘達から不平不満が出るのは分るが、例え誰に何を言われようがこれを変える気はなかった。

 

 

「んー……。確かに私はテストに参加してた訳じゃありませんし、その結果にどうこういう資格も無いですけど……。あ! じゃあじゃあ『トレセン学園の生徒として』学園で起きたトラブルの解決の為に関わらせて下さい! これなら部外者じゃありませんよね!!」

 

「……ほう」

 

だがゼファーも引かない。直球ではダメと分かるないなや、すぐさま別の建前を用意して仕掛けにきた。こういう風に言われると、皇帝と呼ばれるウイナーもそこまで強く出られない。

 

『そういうのは生徒会や風紀委員の仕事だ』と強引に追い払うこと自体は出来るかもしれないが、その場合『だったら生徒会か風紀委員の方を連れてきますね!』と返されてしまいそうだ。‘理想追い求める女帝,‘シャドーロールの怪物,‘驀進王,──誰を呼ばれるにせよ、面倒臭い事態になること請け合いである。どうするべきか悩んでいると、柴中から声があった。

 

 

「別に良いじゃないかウイナー。どうせテストの結果は変える気ないんだろ? だったら他人にどう口出しされようが構わない。違うか?」

 

「……勝手にするがいい」

 

「ありがとうございます!」

 

何故この一件に関わろうとするのかは分からないが、柴中の言う通り彼女一人が関わったところで何か変わる訳でもなし。

 

 

「────で──って事で──」

 

「ふむふむ……じゃあ……」

 

テストが終って一番最初に伝えた通り、参加者は全員我がチームには必要無い。……それで話しは終わりだ。

 

 

 

 

「──とまぁ、大体こんな感じだな」

 

「なるほど。そういう事だったんですか」

 

柴中の話しが分かりやすかった(慣れている(?))こともあってか、極めて短時間で事態の全容を把握し終えたゼファー。話しを聞いた感想としては『大した事なさそうで良かった』という安心しきった物。最終的な決着を拳による決闘(殴り合い)や、バイクを使用してのチキンレースといった物騒な方法で決めたがる姉達のそれより何倍も楽に解決する事が出来そうだ。

 

ウイナーの意図と信念を慮り、テストに参加していたウマ娘達の不満を取り除いて納得させる──。この場の淀んだ空気に、風の通り道を作る為の方法は既に見当が付いている。

 

 

「あの、ウイナー先輩。少しだけ「お願い」があるんですけど!」

 

「言っておくが、皇帝の名に掛けて決定を覆したりなど──」

 

「違います違います! そうじゃなくて──」

 

要するに──立ち位置を変えてやれば良い。

 

 

「『皇帝』としてじゃなくて『先輩』として、みなさんと話しをしてあげてくれませんか?」

 

「……なに?」

 

ピクッ! と何人かのウマ娘の耳が動いたのをゼファーは見逃さなかった。「ああやっぱり」と心の中で微笑む。

 

きっとウイナーは誤解している──テストに参加したウマ娘達はみな、約束を無下にして横暴な決定を下したウイナー(自分)に怒っているのだと。

きっとみんなは誤解している──ウイナーは自分達の事を「取るに足らない、話す価値すら無いウマ娘」だと思っているのだと。

 

 

「多分このテストを受けたのって、みんなウイナー先輩に憧れてウマ娘レースに出走する事を目指した人達だと思うんです」

 

「ちょっ!?」

 

「あ、あ、アンタ何言って──!!」

 

「え、あ、あれ? みなさんは違うんです……?」

 

「いやまぁその……。小さい頃から先輩のレースは見てましたけど……」

 

ウマ娘達が慌てたように詰め寄るが、ゼファーが口を閉じることはない。

 

 

「確かに先輩は『皇帝』って呼ばれるぐらい凄いウマ娘ですけど、きっとみなさんの中ではそれ以上に偉大な──『憧れのウマ娘』なんですよ」

 

中距離以上のレースが主流で、マイル以下のレースが軽視されていた時代において、常に偉大なる勝者(ウイナー)であり続けることで世間の認識と評価を少しずつ改めさせていった開拓者。あの七冠戴く最強のウマ娘をして唯一『絶対』ではなくなる、もう一人の皇帝。その他者を寄せ付けない圧倒的な走りに魅了され、夢中になり、そして憧れた。

 

その為にトレセン学園に入った娘がいた。その為に厳しい訓練を重ねてきた娘がいた。その為に他のトレーナーからチームへの勧誘があっても保留にし続けた娘がいた。……結果は「必要無い(いらん)」の一言で片付けられてしまったけれど──。

 

 

「……」

 

「だから『皇帝』としての命令でも、チームを率いる『リーダー』としての決定でもなくて、ウマ娘レースを走る憧れの『先輩』としての言葉をみんなに伝えてあげて欲しいんです!!」

 

お願いします! とゼファーは頭を下げる。この喧噪を収めるためではない。偉大なる皇帝と、その走りに憧憬を抱いた彼女達の夢を悲しいすれ違いで終らせない為に。

 

それから暫くの間、ウイナーは何か考えるようにジッ……と目を閉じていたが、不意にテストに参加していたウマ娘達の方を向いた。

 

 

「おい、そこの……ゼッケン10番」

 

「ひゃ、ひゃいっ! なななんでしょうか!!」

 

「……貴様はその落ち着きの無さで本来の実力を発揮する事ができていない。他人を気にして無理に併せようとするな。どうしても掛かってしまうというなら戦法を「先行」から後方待機策の「差し」に変えてみろ。それだけでかなりタイムが良くなる筈だ」

 

「……へ? あ、ありがとうございます……?」

 

「ゼッケン6番はその真逆だな。最後の末脚は見事だったが、幾ら何でもそれに頼りすぎだ。逃げが上手いウマ娘が一人いればそれだけで崩壊しかねんし、前方からフェイントを掛けられたりブロックされた時の対処も拙い。自分のスタミナだけではなくて周りの様子と、好位置をキープすることをもっと意識しろ」

 

「あ、えっと……。おう……じゃねーや、はい」

 

「5番は細かい事を考えすぎているな。策を幾つも用意しておくのは結構だが、レースが始まったのなら最低でも三つに絞れ。あれもこれもと意識して動くと肝心の体の方が動かなくなるぞ。7番はスタートダッシュは完璧だが仕掛けるタイミングが最悪だ。コースや戦術の研究を含めてもう少しシッカリ座学をやっておけ。……あといつまでもメソメソするな。レース本番や授業中でなくとも、破損した蹄鉄は期限までに専用の用紙に必要事項を書いて提出すれば学園持ちに出来る。……入学した際に担任から教えられる筈なのだがな」

 

「……分かった」

 

「マジですか!? ありがとうございます!!」

 

スラスラと『先輩』としてテストの感想を述べていくウイナーに対し、ゼファーは「みんなが欲しかったのってそういうアドバイス(言葉)じゃないと思うんだけどなぁ……」と苦笑いを浮かべる。

 

そもそも話しが拗れた原因はウイナーが『選抜テストの結果を伝えただけ』だったからだ。『皇帝』や『チームのリーダー』として彼女達に告げるべき事はそれ以外に無いからと結果だけ告げて、なんの会話もせずにそのままその場を去ろうとしたから「蔑ろにされた」「あれだけ必死に走っても見向きもされなかった」とウマ娘達の不満が爆発した。

 

全員を不合格にした理由や、走り方に対してのアドバイスをしなかった理由は分からないが……。兎に角これで誤解は一つ解けた。少なくともウイナーが自分達の事を「取るに足らない、話す価値すら無いウマ娘」だと思っているとは思わない筈だ。『先輩』としての彼女は、テストを通してシッカリと自分達の事を見ていてくれていたと分かったのだから。

 

……だからあとは──

 

 

「──これで最後か。もっと詳しい事が知りたければあとはフリーのトレーナーにでも聞くがいい」

 

「あ、あの!」

 

全員にテストの感想を告げ終わり、改めて口を閉じて下がろうとしたウイナーにゼッケン番号10番のウマ娘が喰い気味になって話しかける。恐る恐るといった感じの聞き方だが、そこに数分前のような憂いは無い。ならばこそ、彼女は一番聞きたかった部分へ躊躇なく切り込むだろう。

 

 

「なんだ、まだ何かあるのか」

 

「えっと……。け、結局なんですけど私達は全員不合格……なんですよね?」

 

「我がチームには『必要無い(いらん)』そう言った筈だが?」

 

「それはやっぱりその……。わ、私達の実力が不足しているから、って事で良いんでしょうか……」

 

自分で言った言葉にションボリと項垂れてしまった10番へ、ウイナーは半ば呆れたように言った。

 

 

「それも無い訳ではない────が、今回は‘違う,それ以前の問題として我がチームにはいらん(・・・・・・・・・・)

 

「……? あの、それってどういう──」

 

「どうやら貴様らは本当に私の話を聞いていなかったらしいな」

 

 

 

 

「お前達の素質は『ステイヤー』だ。生粋のな。我らのチームに必要な『スプリンター』でも『マイラー』でもない」

 

 

 

 

「……は?」

 

唖然とした声が、ウイナー、ゼファー、柴中以外から漏れる。テストの内容を見ていないゼファーにはそもそも何も判断が付かないし、仮にも皇帝たるウイナーの相方である柴中は、ウイナーと同様に彼女達の走りを見て既に気付いている。

 

 

「『適正距離』が合っていないと言っている。……我らのチームの方針は知っているな? 『短距離・マイル・2000メートル以下の中距離』のレースを集中的に狙っていく特化チームだ。『長距離』ないし『2000メートル以上の中距離』のレースには基本的に出場せん」

 

どれほど素晴らしい才能があり、勝利と栄光のために必死になって努力したところで、それを活かしてくれるトレーナーと出会えなければ、チームに所属する事が出来なければ意味がない。ウイナーが所属するチームでは、彼女達の持ち味を──ステイヤーとしての才能を活かせずに潰してしまう。

 

 

「嘘だと思うなら後日改めて脚質の適正テストを受けてみるが良い。十中八九、判定員は貴様らの素養を「ステイヤー」だと断じる筈だ。……何回も言っただろう「必要無い」と。折角の良い脚質なのだ。我がチームに所属するためだけにわざわざ余計な修練を重ねてまで脚質を変える事もあるまい」

 

ここまで聞いて、ようやくテストを受けたウマ娘達は気付く。ウイナーははずっと‘不合格,ではなく‘必要無い(いらん),と言い続けていた事に。甘さや未熟さを咎めるような事は言っていても、それを馬鹿にしたり罵倒したりするような事は一言たりとも言ってはいなかった事に。

 

 

「ちょ、ちょっと待って、待ちなさいよ! だって私、ここまでのレースは全部マイル以下の距離で、しかもちゃんと勝って──」

 

「それは二勝以下の条件戦ないしハンデ戦の結果だろ? 毎年あることなんだけど、デビューを迎えて暫くの間は脚質や才能が余程ハッキリとしてない限り短距離のレース出場を勧められるから、そこで首尾良く良い成績を重ねちゃうと自分の脚質はスプリンター、もしくはマイラーなんだって勘違いしちゃう娘が出てくるんだよな」

 

「……!?」

 

苦笑いを浮かべながら、柴中が会話に割り込んだ。「珍しく後輩達と(比較的)上手く喋ってくれているし、暫くは観に徹するか」と傍観していた柴中が突如として動いた理由は単純で──

 

 

「トレーナーの忠言も無しにそういった浅慮な思考をした者に限ってすぐに勝てな──「ま、まぁそれは仕方がないことなんだけどな! 逆に、長距離レースで結構良い成績を残してたのに重賞じゃまったく勝てなくなったウマ娘に短距離レースを走らせてみたらアッサリGⅠを勝っちまったなんてパターンもあるし!!」……」

 

ウイナーが新たな失言をしてしまいそうな雰囲気を感じ取ったからである。折角良い感じに話が収りつつあるのだから、これ以上誤解されるようなことを言わないでもらいたい(全て後輩達を想っての忠言であるというのは分かるのだが)。

 

 

「……なによ、それ……」

 

誤解は解けた。理解が進んだ。納得がいった。──だが、場の空気は良くない。喧噪のただ中にあった数分前とはまた違う淀み(それ)

 

 

「……じゃあ、私達って」

 

「どう頑張っても最初からチームに入れなかったって事ですかぁ……」

 

適正が合っている合っていない云々の話ではなく、自分の脚質すら誤認していた者がウイナーのチームに入れる訳がないという失望と、どう足掻こうが最初から不合格判定が決まっていたのだという諦観。そういった物が、徐々に場を……ウマ娘達の心を支配しつつあった。

 

だが、ウイナーはそれに気づけない。否、失望にも諦観にも気づいているが‘理解出来ない,

 

確かに彼女達はウイナーのチームに入れなかった。だが、一体それが何だというのか。短距離やマイルを走るに適した脚は持っていなかったが、その代わり長距離を走り続けることが出来る素晴らしい脚を持っているではないか。重賞レースを取ることも難しくない逸材も何名かいる。脚質の誤認も出走一年目の新バにはよくある事だし、たった今本当の脚質に気付くことも出来ただろう。嘆く必要などどこにも無いではないか。

 

 

「話は終ったな? 柴中、最後は任せる」

 

柴中にテスト終了と解散の挨拶を促すと、ウイナーは今度こそ後方へ下がろうとして──。

 

 

「ちょっと待ってください」

 

──再びゼファーにダメ出しを食らった。……今度は一体なんだというのだ。ウイナーは多少の怒気を孕んだ低い声で言う。

 

 

「……いい加減にしろ。先の忠言は一理あると思い聞き入れてやったが、もう『先輩』として後続の為に助言できることはなにも──」

 

「‘それだけ,じゃ足りません(・・・・・)

 

「──なに?」

 

その一言には、まるで風のようにウイナーの怒気を吹き飛ばす力があった。例えそれが何者だろうが関係無く吹き飛ばす、大自然のそれだ。

 

 

「ウイナー先輩は皆さんにとってただの『先輩』じゃなくて『憧れの先輩』なんですよ」

 

ウマ娘達の誤解は解けた。理解が進んだ。納得がいった。……だから、今度はウイナーに気付いてもらう。彼女達がいったいどんな理由でここまで来た、どんなウマ娘なのかを。

 

 

「それがどうし──」

 

「『ウイナー先輩のチームに入れなかった』ただ純粋に、それが悲しいんだと思うんです。それだけの為に、みなさんはここまで来たんです」

 

なにか別の素養があったとしても『それ』が癒えるわけじゃない。小さな頃に芽生えたウイナーへの憧れが決して消えないように。レース出走を目指しているウマ娘に『君はトレセン学園に入学出来る才能はない。でも美的センスはあるから、勝負服を造る専門学校なら大成できるだろう』と言っても慰めになどならないように。

 

 

「…………」

 

「だから──」

 

「──いや、もう良い。理解した(・・・・)

 

──だから、彼女達にとっての憧れと目標が『ウイナーのチームに入って一緒に走る』ことだったのであれば──

 

 

「……ああ、そうか」

 

ここまで言われて、ウイナーはようやく、自分の目の前にいるウマ娘達がどういう存在なのかを理解した。

 

 

「お前達は、我が‘民,だったか」

 

民──それはウイナーが自分のファンを差して言う時の言葉だ。他のどんなウマ娘よりもウイナーの勝利を信じ、その夢を託す。栄光をその手に掴んだハレの日も、敗北の汚泥に塗れた雨の日も。レース場の特等席で、テレビやパソコンの前で、ウイナーを鼓舞し続ける。

 

その中でも特に自分に近づき‘その臣下になりたい,そして‘いつか追い越したい,と夢見て努力し続けていたウマ娘。──そういう者達なのだと、ウイナーはようやく理解したのだ。

 

 

「……先の決定は変わらん。お前達は全員、我がチームには必要無い。────だが」

 

ウイナーは改めて、自分の民にして後輩なる者達の方を向く。今度こそ、告げるべき事の全てを言うために。

 

 

「お前達が私の力を必要とするというのであれば、話は別だ。執務や訓練の合間……ホンの僅かな隙を見て差しに来い。都合が良ければ話しを聞くし、私に出来るアドバイスであればしよう。余程時間がある時なら訓練も見てやる」

 

思いもしなかった言葉を受け、ウマ娘達の眼に光が灯る。

 

 

「え、でも……い、良いんですか? だって……」

 

「構わん。貴様らが我が民にして後輩だというのであれば、私は皇帝にして先輩だ。お前達がそうある事を望み邁進し続ける限り、その忠義と憧憬に報いなければならない」

 

ウイナーは告げる。例え同じチームに入れなくとも私はずっとお前達の皇帝(先輩)であり、進む道が違う物になっても、その憧れを捨てる必要など無いのだと。

 

 

「さし当たっては新人のステイヤーを発掘したがっているトレーナーが何名かいたはずだから、そこに渡りを付けさせよう。私と柴中直々の推薦とあれば無碍にもできまい。無論、実際にスカウトされ、その上で大成出来るかどうかは貴様ら次第だがな」

 

失望は威光により打ち払われた。諦観はいつしか新たな目標へと生まれ変わるだろう。

 

 

「また勝手に決めて……。まぁ良いけどさ、俺も似たような事するつもりだったし」

 

「頼む。……それと」

 

バツが悪そうな顔をしながら、ウイナーは『皇帝』にしては小さい、まるで普通の少女のような声色で自らの民に告げた。

 

 

 

「……すまなかったな。お前達の忠義と憧憬に気付かなかった私の愚を許せ。……この失態は次のレースで勝利と栄光を掴む姿を見せることで返す。必ずだ」

 

 

──それでも最後の宣言だけは力強く、威信に溢れる皇帝としての声を取り戻しながら。

 

 

 


 

 

(ふぅ……)

 

喧噪が治まり、淀んだ空気が晴れて行くのを見届けたゼファーはようやく一心地をつく。

 

 

(良かったぁ、上手く纏まってくれそう)

 

悲しいすれ違いが起こらなかった事実に微笑みながらも、内心はそこまで穏やかではなかった。随分と差し出がましい真似をしてしまったと思う。今は柴中がウマ娘達にテストの感想や各種詳細な採点結果と今後の為のアドバイス。それから謝罪を行なっているのを若干離れた場所で見ているが、話しに区切りが付き次第、自分もウイナーや柴中含め全員に謝りに行かなくては。

 

 

「……おい」

 

「う、ウイナー先輩!」

 

いつの間にやら、ウイナーがゼファーのすぐ側にまでやって来ていた。つい数秒前まで柴中の隣にいた筈なのだが……。

 

 

「確か、ヤマニンゼファーだったな?」

 

「はい。……あの! すみませんでした!!」

 

腰までキッチリ曲げて、そのまま地面に付きそうな勢いで頭を下げる。唐突に謝られたウイナーは、随分と怪訝そうな顔をしていた。

 

 

「……なぜ貴様が謝る」

 

「ウイナー先輩が一番最初に言った通り、私がみなさんのお話に横入りしたからです」

 

他人の、それも大事な話し合いに強引に割り込んだばかりか、テストを受けていたウマ娘達の想いを勝手に想像して勝手に語った。それが実際に合っていたかどうかは関係無い。なんにせよ‘余計なお世話,。──失礼な行為であることに変わりはないのだから。

 

 

「私の意見や考えがこの場でどう影響したかは分かりませんけど、結果がどうあれ、人の話に割り込んで言いたいことを言うだけ言ったのであれば、その責任があると思います。……差し出がましい真似をして、本当にごめんなさい」

 

もう一度深々と頭を下げる。ウイナーはそれを見て「そうか」と小さく呟いたあと

 

 

「では私も、貴様に言うべき事を言うとしよう」

 

「……?」

 

「感謝する。少々強引な、しかし気持ちの良いゼファー(そよ風)よ。貴様のおかげで我が民の憧憬を汚さずにすんだ」

 

目を瞑り、ホンの少しだけ頭を前に傾けた。ゼファーのそれとは比べものにもならないが、確かにウイナーはゼファーに対して頭を下げている。

 

 

「よ、よしてください! 私はその……癖? というかなんというか……。兎に角! やりたいことをやって、言いたいことを言っただけですから!」

 

トレーナーの柴中やウイナーのチームに所属しているウマ娘にとっては珍しくも意外ではない光景だが、皇帝ウイナー(偉大な先輩)に頭を下げられているという現状に、この時のゼファーは慌てるばかりだった。

 

 

「だが貴様の力で回避出来た悲劇があり、私が失わずに済んだ物があるのもまた事実だ。皇帝として、貴様の働きに報賞を与えない訳にはいかない。……望みを言え、私に出来る範囲であれば叶えよう」

 

「の、望み?」

 

「ああ。鍛錬と成長を望むならば貴様の走りを見てから相応の訓練メニューを考えるし、トレーナーを紹介して欲しいのなら貴様の力量を見た上でそれ相応の実力者と引き合わせよう。最新技術が使われている訓練施設やリラクゼーション施設を使用してみたいというのならば私の年間優先権を譲る。レースで使う小道具で学園持ちにする事が出来ない物があるならそうだな……少ないが三百万までなら出そう」

 

「い、いやいやいやいやいや!!」

 

それにウイナーが拍車を掛けた。前半はまだ常識の範疇にある提案だが、後半部分がぶっ飛びすぎている。っていうか施設の年間優先権ってそれ他人に譲って良い物なのだろうか。普通に怒られる奴じゃないのか? 「少ないが」の後に百万超えの単位が出てくるのもおかしいと思うし。

 

 

「私、お礼なんていりません! そういうつもりでお話しに割って入った訳じゃないです! トレーナーさんだっていきなり見ず知らずのウマ娘を育成しろなんて言われても困るでしょうし、そういった優先権って本人以外は使えないようになってると思います!」

 

「私の従者として登録すれば問題無く使えるが?」

 

違う、そういう問題ではない。

 

 

「だとしてもいりません。小道具や欲しい物も無いですし、もし有ったとしてもそんなに高い物を貰う事なんて出来ません。鍛錬は……正直嬉しいですけど……」

 

言葉に詰まる。分かりやすく説明しようとするとどうしても『あの言葉』を使う事になるだろう。……自分を卑下するような物言いはあまり好きではないが、それ以外に適切な言葉も見つからなかった。

 

 

「そうか、ならばそうしよう。丁度このあと私もトレーナーも時間が空いている。一時間程度だがな。今の内に訓練用のジャージに着替えて──」

 

「……けど、きっと一時間も持たないと思います」

 

「……? どういうことだ」

 

 

 

 

 

 

「私────とんでもない『もやしっ子』ですから」

 

 



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ヤマニンゼファー 3/10

『もやしっ子』


体力や持久力(スタミナ)があまり無い人物の事を差す劣称・差別用語。運動能力に乏しい者を差している場合も多い。
ヒョロヒョロとしていて弱々しい有様を、植物の「もやし」に例えた。
例・『彼女は少し走っただけでバテるもやしっ子だ』


「はぁ……はぁ……」

 

──上手く呼吸が出来ずに息が詰まる。肺に空気を送るたび、喉が引き裂かれるように痛む。

 

腕がゼリーみたいにプルプルと震えて力が入らない。脚が感電したかのようにピクピクと痙攣し続ける。心臓がエンジンのようにバクバクと鳴り響く。苦しくて苦しくて、呼吸をすること以外何も考える事が出来ない。

 

……持久走(マラソン)をした後は、いつもそうだ。

 

 

「──! ゲホッゲホッ!!」

 

大きく息を吸い込んだらタイミング悪く気管支に空気の塊が詰まってしまい、勢いよく咳き込んだ。女の子にあるまじき醜くて聞き苦しい呻き声を上げながら、私はへたり込むように地面へと這いつくばる。

 

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

ウイナー先輩のトレーナー──柴中と名乗った二十代後半(推定)の男のトレーナーさんが私の側までやって来て片膝をつき、心配そうに様子を伺ってきた。傍らにはウマ娘専用の心拍数測定キットと、呼吸補助用のスプレー缶型酸素ボンベ。それからワザとぬるめの温度にしたスポーツドリンクがある。

 

柴中さんは息も絶え絶えといった感じになっている私を見て「ゆっくり吸い込めよ」と酸素ボンベを口に当ててくれた。いつも通り、ゆっくりと呼吸を繰り返して息を整えてゆく。

 

 

「……すみません、ご迷惑をおかけして」

 

「迷惑だなんて思ってないさ、お前達の事を第一に考えてサポートするのが俺達トレーナーの役目だからな」

 

「……ありがとうございます」

 

三十秒以上経って、ようやく楽に立ち上がれるようになった。柴中さんは「無理するな」と言ってくれたが、折角二人が私の──見ず知らずのウマ娘の為に貴重な時間を割いてくれたのだ。いつも以上に無駄に出来ないし、したくない。

 

 

「いえ、もう大丈夫です」

 

「本当か? ウイナーと後輩達の事は俺も感謝してるけど、もし君があいつに気を使って(唯一まともそうだった)礼を受け取ってるってんなら俺から──」

 

「い、いえ。本当に大丈夫です! あと、決してそういう事ではないので!!」

 

ああもう、また誰かに気を使わせてしまった。……別にこの体質で生まれ落ちたことを恨んではいないし、それを馬鹿にされても気にならないが、こういう時だけはなんていうかこう……色々と申し訳なくなる。人からの心配や気遣いをありがた迷惑などと思ってはいないし、自分が嫌いな訳でもないのだが……。

 

 

「……? おいどうし──」

 

「(ブンブン!)」

 

「うおっ!?」

 

首を大きく横に振って余計な考えを振り払い、ペチペチと頬を打って沈みかけた気持ちを浮かび上がらせる。

 

 

「……ん! よし!」

 

焦る必要は無い、時間はまだたっぷりとあるのだ。私が何をしたいのか、その為にはどうすれば良いのかなんて答え、とっくの昔に辿り着いている。そして、答えが分かっているのなら──

 

 

「まだまだ大丈夫です! 私、一生懸命頑張ります!!」

 

それに向かって突き進むしかない。結局の所、私が夢を叶えるには‘全力で頑張る,それしか方法が無いのだから。

 

 

「……そうか。じゃあ次は五十メートル走を十本。主にスタートダッシュがどうかを見るから、俺が合図したら走り出してくれ」

 

「はい!」

 

柴中トレーナーの指示に従い、私は本来ゲートが設置されるのだろうスタートラインが引かれた場所まで駆けだしていく。

 

 

 

 

「……どうだ、お前から見て」

 

柴中はゼファーの訓練を土手の上から眺めるように見ていたウイナーに問う。締めの挨拶も終わり、ウマ娘達に解散を促したあと急に『返礼としてゼファーの訓練に付き合うから協力してくれ』とウイナーが言ってきた時は「まーた勝手にそういう事を……」と文句を言ったが、実際柴中もゼファーには何らかの形で礼をしなければと思っていた。

 

いつものウイナーのパターンだと言葉が足りず、もしくは後輩達の想いや気持ちを察する事が出来ずに話が拗れ、柴中が言葉を尽くして蟠り(わだかまり)や遺恨が(なるべく)残らないようするという形に収まるのだが……。ゼファーはウイナーの立場を皇帝ではなく先輩としての物へ変える事で言葉を引き出させ、また後輩達が何をもってして悲しんでいるかを察させることで、両者共に傷つけることなくあの場を収めてみせた。

 

ウイナーをよく知る自分ですら、あそこまで綺麗に収められるのは極稀だ。そもそもウイナー同様柴中も、あの娘達がああいう理由で悲しんでいる事を察することが出来ていなかったのだから。

 

その礼として、ゼファーの訓練を見てアドバイスをする。その提案に不満はない。そも、今日はチーム選抜テストを行なった日だ。見るウマ娘が一人増えただけとも言える。ウイナーは柴中の問いに少しだけ考える様な素振りをみせたあと

 

 

「……奴は自分の事を『もやしっ子』だと言っていた。少なくとも自己分析だけは出来ていると判断して良いだろう」

 

「まぁそれは見りゃ分かるけどよ……」

 

柴中はダートコースの上で自分と縄で繋がれたタイヤをヒィヒィ言いながら引きずるゼファーを見る。タイヤの数は普通車の物を一個だけ、それもまだ400メートルも走っていないのに既にバテバテといった状態だ。小学生のウマ娘でもまだ余裕がありそうな気がする。

 

マラソンは十キロは走らせるつもりが、五キロを過ぎた時点でゼファーの身体に異常と限界を感じたため強制中止。スタートダッシュは悪くなかったが、新バの平均より少し上程度のそれ。筋力だけは結構余裕があったらしく、バーベル上げでは柴中の予想を上回る重量を持ち上げてみせたものの、スタミナが無いためか長く続かない。

 

一番重用かつ肝心な部分の測定をしていない為、まだハッキリとした事を言う事は出来ないが……。

 

 

(「質」はそこまで悪く無さそうなんだが「体」の方がなぁ……)

 

ウマ娘に限った話ではないが、生き物が今よりも強くなる為には厳しいトレーニングが絶対に必要だ。そしてそのトレーニングはスタミナがなければ続かない、もとい出来ない。

 

トレーニングをこなせばこなすだけ強くなるという理屈であれば、他の娘より丈夫でスタミナがあるウマ娘はそれだけで大きなアドバンテージを得ているという事になる。逆説的に、スタミナがない、トレーニングをすることが出来ないウマ娘はそれだけで大きく不利だ。

 

 

「典型的な‘虚弱体質,という奴だろう。奴自身の「質」ではなく「体」の方の問題だ」

 

「やっぱそう思うか。でもそうだとしたら『保険医と相談しながらスタミナトレーニングを徹底しろ』以外に言ってやれる事ないぞ。あの娘だってその辺はよく分かってるだろう」

 

「…………そうなんだがな」

 

仮にゼファーがウマ娘レース出走を目指すのであれば、早期の体質改善が絶対条件だ。出来なければ話にならない──とまでは言わないが、大きなハンデを背負い続けることになる。少なくとも重賞レースを勝つのは不可能に近いだろう。もう少しぐらいなんとかしてやりたいが、いくら恩人で後輩とはいえ流石にこれ以上チームメンバーでもないウマ娘の事情に深入りするのは気が引ける。

 

と、二人が少しばかりセンチメンタルな気分になった所で、タイヤ引きをしていたゼファーがこちらに向かって手を振っているのが見えた。どうやら話し込んでいる間にこちらが指示した五百メートルを走り終えたらしい。

 

 

「おっと、タイヤ引きも終ったか。じゃあ最後はダートコースでスピードトレーニングを──」

 

「いや、どうせやるならレースを想定した併走の方が良いだろう。……奴の場合は私が先行して様子を見ながらの方が良いか」

 

少しばかり予想外の提案が出て、柴中はちょっとだけ驚いたような顔でウイナーの方を見た。

 

 

「良いのか? そりゃテストの時は受ける人数が人数だったから、併走トレーニングはお前が直接見てやれなかったけどさ」

 

「構わない。一人だけでレース本番を想定して走れというのも酷な話しだ」

 

「……まぁそりゃそうか。でもなぁ……」

 

ここまでの比較的軽目のトレーニングで既にバテバテになっているゼファーが、ウイナーと併走なんて出来るのだろうか。いや出来はするんだろうが、無理にウイナーのスピードに合せようと無茶するんじゃないのか?

 

反対こそしないし、むしろ能力テストの締めとして併走をするのは丁度良いと思っている柴中だが、若干不安があるのは否めない。

 

 

「無論、斤量(競馬的にはきんりょうの方が正しいですし、公式に積量というワードを使った例は調べた限りなかったので一応以下全部訂正しておきます。)はハンデ分も合わせて積むし、本気では走らん。あくまで奴のポテンシャルを見るのが目的だからな。近くで私が、遠くでお前が見ているのだ。もし何か異常があってもすぐに気づく事が出来るだろう」

 

「……じゃあそうするか。つっても、相手が誰だろうとお前が新バ相手に本気で走る必要があるなんて想像出来ないけどさ」

 

 

 

 

「レ、レースを模した併走ですか!? ウイナー先輩と!?」

 

「ああ、十分後にな。もう時間も無いし、トレーニングの締めとしては丁度良いだろう?」

 

柴中さんから貰ったスポーツドリンクを飲みながら休んでいると、想定外の提案が飛び込んできた。

 

マラソン、スタートダッシュ練習、バーベル上げ、タイヤ引きと来て次は何をやらされるのかと思っていたら、併走トレーニング。しかもただの併走ではなく、レースを模した物にするという。併走トレーニングはレース本番を想定して行なう場合が多いため、それ自体はなんら不思議ではないのだが……。

 

 

「あ、あの。それはちょっと……」

 

ちょっと、困る。正確に言うと『困らせてしまうかもしれない』。私個人としては大歓迎だしとても嬉しいのだが……。

 

 

「やっぱ疲れがあるか? それともウイナーと一緒だから気負ってるか?」

 

「い、いえ! その、そういう事ではなくて……」

 

私は必死になってどうするべきか考える。一応、知識としては何をどうしたら良いか知っている。レースに出る事を夢見て何度もイメージトレーニングをしたし、‘友達,となら実際に何度もやった。

 

けれど──

 

 

(大丈夫かなぁ……? 失礼な事をしなければ良いけど……)

 

「──そう難しい事を考える必要はないさ」

 

悩んでいる私を見て、柴中さんは緊張を解きほぐすように軽い調子で声をかけてくれた。

 

 

「いつも通り走る、ただそれだけで良い。『良い走りを見せよう~』とか『胸を借りるつもりで~』とかそんなややこしい事なんて忘れて、ただ一生懸命走ってくれ」

 

結局の所君の走り(・・・・)が見れなきゃ意味が無いしな。そう言って柴中さんははにかむ。……別にそういう事で悩んでいる訳ではなかったのだが、そう言われると気持ちが楽になった。……そういう事なら、分かりやすくて良い。私の走り(それ)を見て、ウイナー先輩と柴中さんがどう感じるのかは分からないが──

 

 

「分かりました。私、一生懸命頑張ります!」

 

「ああ、その意気だ」

 

それなら──それだけは、私の得意分野だ。

 

 

 

 

 

──ダートコースで併走なんて何時ぶりになるだろうか。

 

そんな事を考えながら、ウイナーはスタート位置に付く。本格的なトレーニングをする前の軽いアップのため毎回のように走っているダートだが、併走自体は一年以上もやっていない。そも、レース本番では芝しか走らないウイナーにとって、ダートでの併走はやる必要がない。

 

唯一その事に対して柴中から質問をされたが「問題無い」と簡潔に返した。一年以上レースに出場していない上で、自分の脚質に合っていないコースを走るというのであれば分からなくもない心配だが、例え己の脚質に合わずともダートは走り慣れている。

 

 

「コースはダートの1000M。諸々のハンデとして、ウイナーには三階級分の斤量を積んである」

 

「へぇー、これが『斤量ジャケット』ですか……」

 

ゼファーは物珍しそうにウイナーが着ている黒くて物々しい、いかにも重そうな雰囲気のある(実際重い)軍用の防弾装備のようなジャケットを見る。

 

斤量──主にレースでウマ娘達の体付きによって発生してしまう諸々の『差』を埋める為のハンデだ。ボクシングなんかでいう所の「階級差」を少しでも埋める為の物だが、今回はゼファーがデビューもまだの新バである事や、直前までトレーニングをしていて疲れが溜まっている事などを加味して、公式のハンデとしては最大級の斤量を積んでいる。スタート位置も、ウイナーがこの距離では不利とされる最内なのに対し、ゼファーは有利とされる外枠(に当たる位置)と優遇されていた。

 

 

「俺がホイッスルを吹いたと同時にスタートな。他は特に言うこともないんだが……ウイナー、お前は?」

 

「そうだな……」

 

チラリ、とウイナーはゼファーの方を横目で一瞥する。『皇帝』として宣言するか、『先輩』として言葉をかけるか少しだけ迷った後、ウイナーは口を開いた。

 

 

「私の背を追えるだけ追ってこい。最終的に2バ身以上放されなければ栄誉をくれてやる」

 

「お前ホンとさぁ……」

 

これが同じレースを走るウマ娘達に対して言うのなら挑発込みのパフォーマンスとして成立しなくもないが、相手はまだデビューもしていない新バだ。ウイナーとしては『胸を貸してやるから気を楽にして走れ』程度のニュアンスなのだろうが、気が弱いウマ娘が相手であれば萎縮してしまいかねない言葉尻である。

 

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

(……ま、この娘だったら大丈夫そうだけど)

 

ピシッ! と腰を曲げて礼儀正しくお辞儀をしてから、ゼファーは改めてスタートラインに立つ。先ほどまでの迷い(?)らしきものは既になく、教科書通りの良い姿勢でスタートの合図を待っている。

 

 

「……」

 

対してウイナーは、ただ腰を低くしただけだ。体重も脚ではなく体全体に満遍なく掛けているし、力も分散させているように見える。

一見してゼファーの方が綺麗でお手本になりそうな構えだが──

 

 

 

──ピッ!

 

スタートのホイッスルが鳴った。

 

 

 

 

──パ  ァ  ン  ! !

 

 

 

 

「────っ!?」

 

その衝撃は、ホイッスルの音を一瞬で掻き消した。

 

衝撃音を放ったのは、言うまでもなくウイナーの──まるでマグナム銃を思わせるような力強いスタートダッシュだ。ゼファーも特段スタートを失敗している訳ではなかったのだが、スタートから僅か2秒足らずで四バ身以上の差が開く。

 

己の脚質と合わないダートで、斤量を最大級まで詰み、不利とされる最内でのスタートで尚これだ。「凄い」以外の感想を抱くことが出来なかったゼファーを後ろ目に、ウイナーは己の威光を見せつけるかのようにグングンと前へ進んでゆく。

 

 

「──よぉし!」

 

ゼファーは色々な意味であまりの衝撃に止まりそうになった脚へ、再び力を入れ直す。

柴中は言っていた「一生懸命走れば良い」と。ウイナーは言っていた「私の背を追えるだけ追ってこい」と。

 

ならば──今の自分に出来る全力を持って、それを遂行するべきである。

 

 

 

 

──これは酷い。

 

柴中が一番最初に抱いた感想はそれだ。ゼファーの走りに対してではない。ウイナーの走りに対してでもない。ウイナーの容赦無い走りに対する姿勢について言っているのである。

 

 

(なぁにが「本気では走らん」だ。今までの中で十本指に入るぐらい完璧なスタートダッシュじゃないか)

 

確かにスタート以降は手を抜いて──ゼファーの様子を後ろ目に観察する事が出来る距離を保って走っているようだが、あれではウイナーが手を抜き続けない限り差が縮まることはないだろう。

 

『奴の場合は私が先行して様子を見ながらの方が良いか』

 

とは言っていたが、なにもああいう風な形でリードを取らなくても良いだろうに。というか並大抵の新バならあのスタートダッシュを間近で見せられた時点で気力を根こそぎ奪われてもおかしくないぞ。

 

 

「……でもあの娘も頑張ってるなぁ」

 

今度はゼファーの方に注目して、柴中は呟いた。

 

脚の踏み込み方、腕の振り方、体の姿勢と、どれもこれも平均より若干上な程度で特筆すべき事は特に無い──強いて言うなら少しばかり妙な位置取りをしている事ぐらいだが、大きく先行するウイナーに必死になって食らい付いていっている。

 

4バ身──3と3/4バ身──

 

ウイナーとの差は着実に縮まっている。表情や伝わってくる気概も活き活きとしていて気持ちが良い。

 

3と2/4バ身──3と1/4バ身──

 

 

「…………?」

 

──いや、って言うか……

 

 

「差……縮まりすぎじゃないか……?」

 

 

 

 

 

ターフを駆ける時の感覚はウマ娘それぞれだろうが、私の場合は「まるで風になった様だ」──と思う。

 

どこまでもどこまでも吹き荒ぶ風となって、このターフを翔けていく(・・・・・)

 

何者も寄せ付けない、近寄ることを許さない風の──否、嵐の壁となって猛者達を吹き飛ばし、当然のように勝利の栄光をつかみ取る。嵐を鎮める事の出来る生物など、いはしない。仮にいるとすれば、私と同じく神威を纏った皇帝か、でなければ生物としての限界を超えたなにか(・・・)だけ。

 

それが私だ。それが皇帝だ。それが勝者だ。

 

──だから

 

 

フワッ

 

 

その後ろから吹いてきたか弱いそよ風の事を、最初は自然風かなにかだと疑いもしなかった。

 

 

フワッ

 

 

そも、余程強烈な物でない限り、走っている時に風のことを気にするウマ娘などいない。そよ風程度が、自分達の力強い走りを脅かすようなものである筈がない。

 

 

フワッ

 

 

「…………?」

 

だが、そのそよ風は一向に止まない。それどころか、少しずつ強くなっている。チラリと後ろを見てみるが、3バ身以上離れた位置に例の……ヤマニンゼファーがいるのみ。

 

脚の踏み込み方は(少なくとも私からしてみれば)甘く、腕の振り方はなっていないし、姿勢もまだまだブレがある。表情と気概だけは悪くないが、ただそれだけだ。奴の走りからは畏怖を少しも感じない。

 

それなのに私は──

 

 

「…………」

 

少しだけ、ホンの少しだけ、試すように速度を上げてみた。──差が縮まる。

 

少しだけ、加速してみた。──差が縮まる。

 

少しだけ、加速して速度を上げてみた。──差が縮まる。

 

 

「……!!?」

 

ここまできて私はようやく、このか弱いそよ風の正体が、奴から感じ取れる威風なのだと理解したのだ──。

 

 

 

 

(凄い──こんなに気持ちの良い風、初めて君と走った時以来かも)

 

ダート特有の柔らかい砂を後方に力一杯蹴り上げながら、私は一生懸命に走る。

 

──正直、体全体がもの凄く苦しい。

 

二本の脚はもう疲れたと私の意に反してサボりだすし、腕はまるで感電したかのように痺れ、前傾姿勢を保つための腰と背骨が疲れを訴え続ける。約三バ身という、僅か十メートルにも満たない距離にいるウイナー先輩が何百メートルも何千メートルも先にいるように感じる。

 

とてもじゃないけど追いつけない、追いつける訳がない。相手は「皇帝」だ。私みたいなもやしっ子が相手になる筈がないし、そもそもこれは私の力量を見るための物なんだから辛かったらスピードを落として良いし、なんなら走るのを止めたって良い。

 

 

(──うん。私、もっともっと走っていたい。走るのを止めたくない)

 

そんな事を考える度に、風が弱音を吹き飛ばしてくれた。頬を、髪を優しく撫でて吹き荒ぶそれがもうたまらなく気持ちよくて、私は頑張って走り続ける。

 

 

『追えるだけ追ってこい』

 

ふと、開始前にウイナー先輩が言った言葉が頭を過ぎり、改めて気を引き締める。全身にもう一度力を込め直す。

 

 

(うん、分かってる。まだ──まだ──!)

 

 

まだやれる。もっともっと──一生懸命、全力で、頑張らなくっちゃ。

 

 

 

 

 

「ウソ、だろ……!」

 

柴中は目を大きく見開いた驚愕の表情でその光景を眺めていた。

 

ハンデはある。脚質の違いもある。ブランクもある。けれど、それでも確かにニホンピロウイナーが、絶対強者たるマイルの皇帝が、デビューもまだの新バに──ヤマニンゼファーに、差し迫らんばかりの勢いで距離を詰められ続けている。

 

 

「どうなって──!」

 

一体どこに速さの秘密があるのかを確認する為、もう一度ゼファーの走りに──身体全体へと目を凝らす。脚の踏み込み方。腕の振り方。走る姿勢。やはりどれもこれも平均より若干上な程度で、特筆すべき事など特にない筈だ。当然、差を詰める事が出来ているのだから脚の回転数自体はかなり早いが、ただそれだけである。

 

スーパークリークの様な力強さはない。タマモクロスの様な巧みなステップはない。オグリキャップの様な超前傾姿勢で走れる訳でもない。ただ必死に脚を動かして走っているだけにしか──

 

 

「──いや、待て。まさか……本当に?」

 

本当に、ただ一生懸命走っているだけなのか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

『分かりました。私、一生懸命頑張ります!』

 

併走を始める前、ゼファーが宣言していたことを思い出す。その時は「良い気概だ」と軽く流しただけだったが──本当にそれだけで、ウイナーに食らい付き続けているというのか? レース前から疲れ切っていたであろう体で?

 

 

「──ッ!」

 

「全力は出さない」と宣言していたウイナーは、その前言を撤回していた。彼女はもう一切の手加減などなく、迫り来るそよ風(ゼファー)を突き放すべく完全に本気で走っていた。だが、それでも差は広がらない。スピードこそ遅くなったものの、確実に差は縮まっている。

 

 

 

残り100メートル──2と3/4バ身

 

 

 

「──たぁあああああああああああああっ!!」

 

ゼファーが最後の力を振り絞るべく魂の限り叫ぶ。

 

 

 

残り50メートル--2と3/5バ身

 

 

 

「──お、ぉおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

ウイナーがレース本番さながらの声で力の限り吠えた。

 

 

 

残り25メートル──2と2/5バ身

 

 

 

「────ッ!!」

 

柴中は記録を取るのも忘れて、その「レース」に魅入っていた。

 

 

 

──二人がゴール板を通過する。

 

 

まずはウイナー、続いてゼファー。最終的な差は2と1/4バ身。決着を見届けた柴中は、二人の元に全速力で駆け出していく。

 

 

 

 

 

「ハァッ……ハアッ……ハアッ……ハアッ……!」

 

息と体を落ち着けるようにゆっくりと速度を落としながら、私は未だダートコースを走り続けていた。

 

普通のウマ娘であれば全力で走った後でも疲労感に身を任せ、倒れ伏してさほど問題はないが、私みたいな虚弱体質ならば話が別だ。倒れ伏したが最後、そのまま暫くのあいだ動けなくなりかねない。人間の様に走り続けながらも速度を落とし、荒くなった呼吸を整える。

 

 

「ふひゅー……ふひゅー……」

 

走っている内にだいぶ呼吸が落ち着いてきた。私は更に「歩く」と言えるスピードになるまで速度を落とす。

 

──1000メートル。たった1000メートルの距離を全力で走っただけなのに、この疲労感だ。これで以前よりはずっと「マシ」になっているのだから笑えない。ちょっと前に「時間はまだある」とは思ったものの、実際あと数年でどうにかなるのだろうか。

 

 

「……ふふふっ」

 

それなのに──私は笑っていた。頬が自然と緩み、口元がUの字に曲がる。

 

 

「ははっ! あははっ!!」

 

小さい頃、初めてレース用のシューズを買って貰った時の様に、私は笑う。

 

──久しぶりだった。本当に久しぶりだったのだ。

 

あそこまで気持ちの良い風を感じる事ができたのも。必死になって誰かの背中を追いかけたのも。全身を襲う疲労をすら心地よいと思ったのも。

 

全部、そう全部──

 

 

「……おい」

 

「う、ウイナー先輩!」

 

コースを走り終えてなお走り続け、終いにはクスクスと笑いだした私にウイナー先輩が声を掛けてくる。……今更だけど、客観的に見て今の私はかなり頭のおかしな子に映るんじゃないか?

 

 

「あ、えーっと! ありがとうございました!! 私、あんなに必死になって誰かの事を追いかけたのって初めてで! 走ってる時に感じる風とかも凄く気持ちが良くて! 色々とその……嬉しくて、つい笑いが……」

 

「…………そうか」

 

そう言ったっきり、ウイナー先輩は口を紡いだ。ただ──驚愕? なにか信じられないような物を見るような目で私の事を見ている。

 

 

「……? あの、それで差し出がましいんですけど私の走りはどう──」

 

「お、おい! おーい!!」

 

ゼーゼーと荒く息を吐きながら、柴中さんが(人間にしては)もの凄いスピードでこちらへと走って来た。酷く慌てているような、けれど、なにか凄く嬉しそうな、そんな表情をしている。……もしかして──

 

 

「……差は?」

 

「に、2と1/4……」

 

「……そうですか」

 

着差を聞いて、私は内心でホンのちょっぴりへこんだ。柴中さんの様子からして期待していたそれとは違った物だったからだ。

 

 

‘私の背を追えるだけ追ってこい。最終的に2バ身以上放されなければ栄誉をくれてやる,

 

 

ハンデを積に積んでもらったとはいえ勝てるとは微塵も思っていなかったが、それでもウイナー先輩が言った最低(・・)合格基準……「2バ身以内」にはなんとかして入り込んでみたかったのだけれど──。

 

 

(今の私じゃそれも無理って事かなぁ……)

 

なら──これからは、もっともっと頑張らないと。

 

 

「な、なぁウイナー! この娘は、この娘を──!」

 

興奮覚めやらぬといった様子で自分に詰め寄ろうとする柴中さんを手で制したウイナー先輩は、逆に私の方へと詰め寄る。

 

 

「…………質問に答えて貰おう、ヤマニンゼファー。貴様──

 

 

 

 

 

 

──レースはおろか、こうして誰かと一緒に走るのも殆どやった事がないな?」

 

 

 

 

 

 

「────は?」

 

柴中が呆けた声を上げ、数十秒前のウイナーと同じ驚愕の表情で固まった。

 

 

「ご、ごめんなさい! やっぱり失礼な事をしちゃってましたよね!?」

 

ゼファーが勢いよく頭を下げ、隠し事をしていたまま走っていた事を謝罪する。

 

 

「……」

 

「言い訳になりませんけど、私、見ての通り体力が全然無いんです。だからスタミナが付くようなトレーニングを基本的にやってるんですけど、いつもスグにバテバテになってしまって……」

 

「そりゃまぁ……分かるけど……」

 

最初のマラソンは予定の半分で既に吐きそうになるぐらい参っていたし、タイヤ引きは一個を500メートル引きずるだけでヒイヒイ言っていた。これだけでも異常にスタミナがないことが見て取れる。

 

そんなゼファーが普通のウマ娘と同様のトレーニングをし続けたら一体どうなるか──想像に難しくない。

 

 

「その疲れもみんなより取れるまで時間が掛かるから、併走や模擬レースをする頃にはもう走る体力が全然残っていなくて……。併走は併走にならないし、レースも殆ど最下位だったから『お前とじゃトレーニングにならない』って事らしいんです」

 

「……」

 

「確かにそうだって思ったし、それでみんなに迷惑を掛けるのも嫌だったから、ある程度スタミナが付くようになるまでは「併走もレースもしない」って決めていて……。でもでも! 最近は以前と比べてスタミナが付いてきたし、疲れも早く取れるようになったんですよ! お医者さんからも「良い調子」って褒められたんです!」

 

だから嬉しかった。だから笑っていた。相手が誰だとか、結果がどうだったとかは関係無い。ゼファーにとって、他のウマ娘と一緒に走るという事それそのものがとても喜ばしい事だったから。

 

嬉しそうに言うゼファーは、ここで再び頭を下げた。

 

 

「だからその、誰かと一緒に走る時のルールとか暗黙のマナーとかそういうのに疎くて……。黙っていて本当に──」

 

「──ああ、そうだな。本当に無礼なことをしてくれたものだ」

 

威圧的な口ぶりとは逆に、ウイナーの口元は優しく緩んでいる。

 

 

「なにがそよ風(ゼファー)だ。貴様がその程度の器であってたまるものか」

 

「……? それってどういう──」

 

言葉の意味が分からず、ゼファーが質問をしようとした時だった。終業時間間近を知らせるチャイムが学園中に鳴り響く。

日は既に7割以上が地平線に沈み、もうすぐ夜の帳が落ちようとしている。

 

 

「ちっ、もうこんな時間か……続きはまた今度話してやる。今日はもう寮へ戻って休むがいい」

 

「え、ちょっ! おい!?」

 

「は、はい。分かりました……」

 

柴中は急に慌て出すが、ウイナーが態度を変えることはない。ゼファーも結局自分の走りはどうだったのかだけでも聞きたかったのだが、門限を破って心配を掛けるような事はしたくなかったので、素直にそれに従うことにしたのだった。

 

 

 

 


 

 

「……なぁ、良いのかよ。だってあの娘……」

 

「良い訳がないだろう。だが焦ることはない。 と く べ つ に 片付けやその他の雑務は私一人でやっておく。貴様は今すぐに総務課へ『優先交渉権』を獲得しに行け。……あれは、あのウマ娘は、貴様と私の夢を同時に叶えるかもしれん逸材だ」

 

「……驚いたな。お前の夢はまだしも、俺の夢も叶うかもしれないなんて言うなんて。お前、俺の夢がなんなのか分かってるよな?」

 

「無論だ。もっとも、例え奴であろうともそれを叶えさせる気は無いが──。それでも、貴様にとっては貴重なチャンスだろう?」

 

「……ああ」

 

「皇帝の勅命だ。絶対に奴を……ヤマニンゼファーを他のチームに渡すな」

 

「……ああ、分かってる!」



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ヤマニンゼファー 4/10

今回から独自解釈&オリジナル要素が少しずつ出てきます。


「はあっ……はあっ……」

 

 

『総務課』

 

その名の通り、トレセン学園に関するあらゆる務を果たすその御役所に今、あるトレーナーが息も絶え絶えになりながら駆け込んできた。マイルの皇帝、ニホンピロウイナーが所属するチームのトレーナー……つまりは柴中である。

 

本日の業務終了時刻三十分前──もっと言えば最終受付時刻ギリッギリで予約番号紙を専用の機械からちぎり取った柴中は、御役所ならではの整然と並べられた椅子へ力尽きるように腰掛けた。

ゼファーを寮へと返してから、今までの人生で一番と言って良いぐらいの全速力でここまで走って来たのだ。総務課の役員を含め、中にいた数名の人間やウマ娘に「なんだなんだ」と怪訝な目で見られるが、そんな事は気にもならない。

 

彼女を……ヤマニンゼファーというウマ娘を、少しでも確実にチームへ招き入れるためだ。明日の朝一番では遅すぎる(・・・・)。そう判断する事が出来るだけの価値が──自分とウイナーの夢を託すだけのそれが、ゼファーにはある、そう確信している。

 

なんとしてでも今日中に──

 

 

『予約番号58番でお待ちの方、準備が整いましたので1番カウンターまでお越し下さい』

 

「──っと!」

 

予想よりも随分と早く自分の番が来た事に驚きつつも、柴中は急いで指定されたカウンターへ向かう。そこにはまだ新人とおぼしき若い受付嬢が席の向こう側に座っていた。

 

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」

 

「ウマ娘をチームに引き入れる際の『優先交渉権』ってありますよね。その受付用紙と手続きのための書類を頂きたいのですが」

 

 

『優先交渉権』

 

 

プロ野球で言う所のドラフトと似たような物で、新入生並びにまだトレーナー契約をしていない将来有望なウマ娘を先んじて発掘したトレーナーが、トレセン学園の用意した専用の書類を提出する事で得られる、その名の通り‘ウマ娘と優先的に契約する事が出来る権利,だ。無論、ウマ娘側から拒否する事は可能だが、その書類を先んじて提出さえしておけば他のチームとウマ娘の取り合い──つまり、競合するような事は無くなる。

 

……もっとも、現在学園で最も巨大で強大なチーム『リギル』なんかはそんな面倒臭い事をせずとも、強いウマ娘達が自然と集まってくるのだが。

 

受付嬢はチラリと柴中の胸元にあるトレーナーバッジを確認してからニッコリと営業スマイルを浮かべて

 

 

「了解いたしました。ではまずそのウマ娘さんのお名前を教えていただけますか?」

 

「‘ヤマニンゼファー,です」

 

「分かりました。少々お待ち下さい」

 

柴中が言った名前を手元のパソコンに手早く打ち込んでゆく。パソコンの中にあるのは、学園内のウマ娘に関する様々なデータが登録されている膨大なデータベースだ。流石にプライバシーや家庭の事情に関わる物などは、本人や契約しているトレーナーの許可が下りた物以外は記録されていないが、トレセン学園に所属、ウマ娘レースに出走、その他様々な仕事を依頼されるにあたって必要最低限の情報は全て記録されている。

 

 

「……? ……あの、ウマ娘さんのお名前って、ヤマニンゼファーで合ってます?」

 

「? ええ」

 

だから彼女の──ヤマニンゼファーの事もスグに詳細な情報が出てくる……その筈だった。

 

 

「……いません」

 

「……は?」

 

 

 

 

「ですから──‘ヤマニンゼファー,さんなんてウマ娘、登録されていないんです」

 

 

 

 

柴中は一瞬、受付嬢が新人だからパソコンに表示されたデータを見間違えたか、あるいはキーボード入力を打ち間違えたんじゃないかと思った。

 

しかし、受付嬢が証拠とばかりに見せてきたノートパソコン内に表示された学園のデータベースには「No Data」と確かに何も表示されていない。検索欄も「ヤマニンゼファー」と一文字一句間違わず入力されている。

 

 

「少なくともレース科には所属していません。お名前を間違われていませんか?」

 

「そんな、馬鹿な……!」

 

混乱しかける頭で必死に思考を巡らせる。

 

ヤマニンゼファーというのは嘘の名前だった? 可能性として考えるなら無くはないが、低いと思う。あの娘から虚偽の風貌は一切感じられなかったし、そんな様子は見られなかった。

 

ではゼファーはトレセン学園のウマ娘ではない? これも無い。地方ならばまだ兎も角、ここはウマ娘レースの未来を背負う有望な若人達が集まる『中央トレセン学園』だ。流石に国家経営の自衛隊基地とかと比べれば大きく劣るだろうが、警備体制はそんじょそこらの会社や銀行なんかよりも優れている。

 

……一部、例外的な「コネ」や、意味不明な「術」なんかを使って学園内に入り込むような人物もいるが、そういう例外枠でもない限り、おいそれと侵入する事が出来るような場所ではない。

 

──となれば、自然と答えは限られてくる。

 

 

「すみません! 『レース科』以外の娘にも検索を掛けて貰うことって出来ますか!?」

 

ヤマニンゼファーは『レース科』……つまり、レースに出走する為に学園に入ったウマ娘とは違う科に所属している──この可能性が一番高い。一つ問題があるとすれば、ゼファー本人がウマ娘レースに出走する為に特訓をしている様な事を仄めかしていた事だが……。

 

 

「は、はぁ……。出来なくはないですが、レース科以外のウマ娘さんを検索するのであればまた別の……。具体的に言いますと、その科事に担当している者から検索許可を得る為の手続きが必要ですけれど……」

 

なんでレース科以外のウマ娘をチームに引き入れようとしているんだろう……? と、いった風な目で受付嬢が見てくるが、柴中は気にも止めず「そういやそうだった……!」と呻いて頭をボリボリと掻く。

 

素直に考えれば日を置いて正式な手続きを踏んでから改めて調べて貰えば良いだけのことなのだが、万が一ゼファーが別のチームから接触されたり、想定外の事情を抱えているウマ娘だったりした場合の事を考えると、彼女がどんなウマ娘なのか少しでも早く知っておきたい。

 

 

(こういうのはあんま好きじゃないんけど……仕方ないか)

 

柴中は表情を引き締め直し、スーツの内ポケットから自分のトレーナー免許を取り出して提示する。その免許証を囲っている金色の枠を見て受付嬢が叫んだとたん、総務課の内部が騒がしくなった。

 

 

「じ、GⅠトレーナー免許……!?」

 

「レースチーム『ステラ』専属トレーナーの柴中です。GⅠ免許修得者としての権限を使用して、検索可能範囲を最大まで広げることを要求します。至急‘ヤマニンゼファー,というウマ娘について得られる限りの情報と、先ほども言いましたが、優先交渉権を得るための受付用紙と書類をお願いします」

 

トレセン学園に所属するウマ娘トレーナーには、いわゆる『階級制度』というものが適応されている。その実力と功績によってウマ娘を育成し、評価を高める内に自分の階級も上がり、学園側に要求出来る事も増えていくというわけだ。

 

最下底が新人で、若葉をイメージした緑色の枠。それ以降はウマ娘レースの階級と同じく1・2・3・と続き、枠縁の緑がどんどん濃くなってゆく。OP特別に当たる白が挟まり、重賞以降がGⅢの銅。GⅡの銀。そして最上位に位置するGⅠの金。特にGⅠ免許は最終試験(面接)を理事長が担当して直々に合否を判定するため、GⅠ免許修得者は‘理事長直々のお墨付き,を得ている……つまりは学園トップクラスの超エリートトレーナーである事の証だ。

 

 

「え、ええっと……」

 

受付嬢が困った様な顔で固る。本来、GⅠクラスのトレーナーが総務課へ足を運ぶ機会は少ないのだ。優先交渉権なんて面倒臭い物を得ずとも自分が見出したウマ娘に声を掛ければまず喜んでチーム入りしてくれるし、その権限で優先的に出来る事も多い。なんなら理事長に直談判して無茶を通すような事だって不可能ではない。精々数年に一回、トレーナー免許の更新をする時ぐらいである。

 

つまり、この新人の受付嬢はGⅠクラスのトレーナーが所持している権限と、その適応具合を詳しく知らなかったのだ。

 

 

「しょ、少々お待ち下さい。ただ今係の──」

 

「あっれ、GⅠトレーナーって誰かと思えば柴中ちゃんじゃん。どったん?」

 

受付嬢の後ろ、つまりは幾つものデスクが所狭しと並べてある総務課の奥からヒョッコリと顔を出したのは、ボチボチ白髪の交じった黒髪に無精髭を生やしたスーツ姿の男。年齢は五十代前半位で、割とガタイの良い体付きをしているその風貌は、一昔前に流行った‘ちょい悪オヤジ,そのものといった具合。

 

 

「そ、総務部長!?」

 

総務部長──つまり、この総務課のトップに立つ男だ。

 

 

「ご無沙汰してます、三坂さん」

 

「あんまウチの新人虐めないでやってくれよなー」

 

からかう様に言いながら、そのちょい悪オヤジ──三坂は「ああ、ここ俺がやっとくから。もう定時間近だし今日は上がっちゃって」と受付嬢を退かして代わりに椅子へと座る。

 

 

「んで、何か用? まぁ大分話しは聞こえてたんだけどさ。珍しいじゃん、柴中ちゃんが免許出してまでウマ娘の事を探ろうと……延いてはチームに迎え入れる為に動くだなんて。──そこまでの逸材かい?」

 

「少なくとも俺とウイナーの見解は「絶対に他のチームに渡せない」で一致しました」

 

「へぇ……」と三坂は面白そうな笑みを浮かべる。「久々に面白そうな案件が舞い込んで来やがった」とでも言いたげな表情だ。

 

 

「驚いたな。柴中ちゃんの眼を疑ってた訳じゃないけど、あのマイルの皇帝様にまでそう言わせるか。スゲーなその娘」

 

「ええ、まるで……。それこそゼファー(そよ風)みたいな気持ちの良い走りをする娘でしたよ」

 

スタミナが底辺かつ、併走やレースを殆どしたことが無い上でなおあの速さ。幾つものハンデがあるとはいえ、誇り高いウマ娘であるウイナーに本気を引き出させたあの気概。レースを見ていた柴中を熱中させ、一陣の風を感じさせたあの走り。

 

なんとしてでも自分達のチームに……もっと言えば、自分が担当するウマ娘になって欲しい。一人のトレーナーとして、彼女の走りを支えてやりたい。

 

 

「……よし分かった!」

 

そう言って、三坂はカウンターに置かれた柴中のトレーナーカードをひったくる様に受け取った。

 

 

「俺と柴中ちゃんの仲だ。任せときな、仮にその娘が学園のトップシークレットだろうと必ず見つけ出してやるからよ」

 

「いやそんな大袈裟な……」

 

呆れた様に言う柴中を半ば無視して、三坂は柴中のトレーナーカードをパソコンと繋がっているカードリーダーに通し、なにやら色々と設定し始める。

 

 

「取りあえず色んな可能性を加味して、中央だけじゃなくて全国区で検索を掛けてみるか。権限解除ランクGⅠ──検索箇所を‘中央トレセン学園レース科,から‘日本ウマ娘トレーニングセンター学園全域,に変更。……んで、名前が──」

 

「‘ヤマニンゼファー,です」

 

「や ま に ん ぜ ふ ぁ ー っと……。なんだ、レース科じゃないだけでアッサリ出て来たし所属も中央で間違いな──」

 

ピタリ──。検索を掛けてからたっぷり三秒ほど、三坂はパソコンに表示された検索結果を見て固まった。目も若干見開いているように見える。ただ事ではない結果が出た事は安易に察せられた。

 

 

「……あの、なにか?」

 

「あー……。柴中ちゃん、そのヤマニンゼファーってこの娘で間違いない?」

 

なんとも言えない──強いて言うなら困惑した様な微妙な表情になった三坂が、パソコンを柴中の方に向けて画面を見せてくる。そこに表示されていた写真に写っているウマ娘は間違いなく‘ヤマニンゼファー,その娘だったのだが──。

 

 

「──あ」

 

写真の上。詳細な所属が書かれている部分を見て、柴中はこれまでのゼファーの言動に納得がいった。

 

 

 

 

『私、とんでもない『もやしっ子』ですから』

 

『見ての通り体力が全然無いんです。だからスタミナが付くようなトレーニングを基本的にやってるんですけど、いつもスグにバテバテになってしまって……』

 

『最近はお医者さんからも「良い調子」って褒められたんです!』

 

 

 

 

「そういう事か……!!」

 

短距離・マイル路線志望のウマ娘達が誰一人として彼女のことを知らなかったのも、スグにバテてしまう虚弱体質なのも、医者に掛かっているような事を言っていたのにも全てに説明がつく。むしろ何で今の今まで気付かなかったのか。

 

 

 

 

「この娘『休養寮』のウマ娘だぞ? しかも三年選手な上に今年クラシックレースを迎えるはずの。一応、一週間後に退院予定ではあるみたいだけどさ……。そんな娘をチームに入れるって、本気かい?」

 

 

 



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ヤマニンゼファー 5/10

『──って事らしい』

 

「……なるほど」

 

完全に夜の帳が落ちきった後。選抜テストに使用したコースやトレーニング用具の点検をし終えたウイナーは納得したように頷いた。

 

本来はコースの点検もトレーニング用具のチェックも専門職の整備員ないし、その資格を習得したトレーナーの仕事なのだが、ウイナーと柴中はその辺りの最終チェックを必ず自分か柴中(ウイナー)にやらせるようにしている。他人の腕が信用出来ない云々の話ではなく‘自分達の事なんだから自分達で責任を持つ,と言う理屈である。

 

 

「色々と腑に落ちたぞ。‘休養寮,……それも三年選手とはな」

 

ウイナーは自分のスポーツバッグからまだ新品のタオルを取り出して頬や首元にジンワリと滴る汗をゴシゴシ拭うと、スマホ越しに聞こえてくる柴中からの一連の報告を聞いてある寮に思いを馳せる。

 

 

 

『休養寮』

 

 

 

書いて字の如く、レースの世界に疲れたウマ娘達が休養を行なうための寮────ではない(・・・・)。ここで言う所の‘休養,は、一般的なそれとは少しばかり意味が異なる。

 

──体が弱すぎてスグに体調を崩す。全速力で走ると必ず窒息しかける。なにをどう頑張ってもコーナーを曲がれない──

 

普通の怪我や故障、病気ではなく、現代の科学技術においてなお治療困難ないし原因不明とされる『体質異常』そういう物を抱えたウマ娘達が‘治療を行ないながら無理のないリハビリ(トレーニング)を積む,為の、病院の役割を兼ねた専用施設(・・・・)

 

ただし、仮にも中央トレセン学園が経営している施設だ。他の病院などとは違い、理事長ないしスカウトマン達が『体質(これ)さえなんとかなれば中央の入学試験すら突破出来る(出来た)だろう』と判断したウマ娘だけが、退院後中央へ編入する事を条件に特別待遇で入寮することを許されている。

 

それこそが休養寮。多大なるハンデを抱えて尚、夢を叶える事を諦めない者たちが己を研ぎ澄まして機を伺う修羅の国──

 

 

(──そうであれば、話は簡単だったのだがな)

 

実際問題として、休養寮を退寮してレースに勝ったウマ娘はほぼ(・・)いない。重賞ともなれば、長い歴史を持つトレセン学園でも五人もいたかどうかという所。理由は幾つかあるが、やはり一番大きい要因は、ウマ娘にとって‘一番大事な時期,──その殆どを棒に振ってしまうからだろう。

 

話しは少しズレるが、人間と同じくウマ娘にも成長期というものがある。

 

体がスクスクと強く丈夫に育ちやすく、トレーニングの成果が一番大きく出ると言われているジュニア(一年目)

肉体が完成へと近づき、レースでも一番力を出すことが出来る時期と言われているクラシック(二年目)

身体がほぼ完成しきり、トレーニングで大きな成長を促す事が出来る最後の時期と言われている三年目(シニア一年目)

 

この通称『最初の三年間』の半分以上を怪我や病気などで無碍にしてしまったウマ娘は‘勝機を逃す,と言われている。その後どれだけ必死にトレーニングをしようと、身体の方が成長をしなくなるからだ。

 

人間であれば例え成長期を過ぎても必死にトレーニングを積めばそれなりの成長が見込めるが、ウマ娘は少し違う。彼女達の肉体の成長は、ある時期を境にピタッと『止まる』のだ。衰える事はあれど、成長することがなくなる。それが起こると言われているのが、シニアで二年と半年を過ぎた辺り。そこからはもう、そこまでに鍛えた抜いた身体とレース経験、あとは戦略で勝負していくしかない。

 

 

「……一年と三ヶ月か」

 

『ああ。普通に考えて、ハンデとしちゃあちょっと大きすぎる』

 

ゼファーはジュニアクラスの二年前に当たる時期から休養寮に入ったらしく、今年は栄光あるクラシックレースに参加する事が出来るはずだった年だ。つまり、最初の三年間に当たる部分だけを数えても一年と三ヶ月。それ以前を含めると実に三年以上もの時間を棒に振ってしまっている。怪我や故障、病気なんかで‘レースに出られなかった,のとは訳が違う。体質が改善し、ある程度激しい運動が出来る様になるまで‘まともなトレーニング一つ出来なかった,のだ。

 

──元々の虚弱体質に加え、一年と三ヶ月以上の時間。

 

 

「ああ、そうだな────────それで(・・・)? 優先交渉権は獲得出来たのだろうな」

 

『そりゃ当然(・・)

 

ウマ娘レースの出走者にとってあまりにも大きなハンデがある事を理解して尚、ウイナーと柴中はゼファーをチームに入れる事を躊躇わなかった。

 

休養寮所属のウマ娘が出て来て若干懐疑的な表情になった三坂に『それでもお願いします』と頭を下げて頼み込み、色々と面倒臭い手続きを(若干黒い手法で)すっ飛ばして、いち早くヤマニンゼファーの優先交渉権を手に入れていた。

 

自分達ならそれだけのハンデがあってもなんとでもしてやれるだとか、もし完全に回復された時に他のチームに所属されていたら強敵になり得るだとか、そんな小賢しい理由ではなく、ただ単に彼女が自分達のチームに必要だと思ったから。

 

 

「そうか、ならば良い。……確か奴の退寮まで一週間だったな? 万が一の可能性まで潰す。奴がこちらに越して来る前……つまり、休養寮にいる内にチーム編入書類にサインをさせておけ」

 

『分かってるさ、他のチームに交渉に割って入られるなんて展開はごめんだ』

 

シンボリルドルフが所属している、学園最強と名高いチーム『リギル』の東条ハナ──通称「おハナさん」や、少数精鋭かつ問題児揃いだが一騎当千の強者が揃っているチーム『スピカ』の沖野。チームとしてはまだまだ新規だが、難関たる中央のトレーナー試験を意図も容易く──それも、考え得る最短のルートで合格してきた『カノープス』の南坂などは、前情報無しでゼファーのポテンシャルを見抜きかねない。否、彼らならあの走りを見れば一発で気付く筈だ。

 

もっとも、例に挙げた三人はその方向性こそ違えど全員ウマ娘の事を第一に考える誇り高いウマ娘トレーナーなので、こちらが優先交渉権を握っているのならゴネたりなどしないだろうが……。

 

 

『取りあえず優先交渉権と一緒に休養寮の訪問手続きもして貰ったから、明日の面会受付時間一番で会いに行ってくる。色良い返事が貰えるように精一杯アピールするさ』

 

「任せた、早朝トレーニングとチームの指揮はこちらでやっておく。……貴様がいつも付き合っている‘花姫,の花壇の手入れもな」

 

『頼んだ。‘手伝えなくてごめん,って謝っておいてくれ』

 

スマホの通話を切り、ウイナーはこれからの事を考える。肝心のスカウトに関してはトレーナーである柴中に一任するとして、チーム『ステラ』のメンバーにしなければならない報告の事。正式にチームに加わった後に起こるであろう数々の課題の事。そして一番重要な、ゼファー個人の育成計画の事。

 

問題は山積みで、やらなければならない事は気が遠くなる程あるのに、ウイナーの口元は自然と緩んでいた。──その先の光景(・・・・・・)を容易く思い浮かべることが出来たからだ。

 

 

「ああ────良いな」

 

フワッ──と、夜のターフに一陣の風が吹きすさぶ。それを全身で感じながら、ウイナーは更に笑みを強くした。

 

 

「新しい風というのは、いつ見ても気持ちが良い物だ」

 

 

 

 


 

 

──ピピピピピピピピピピピピピ!

 

 

「ん……ん……ううん……」

 

もぞもぞとまるでイモムシの様にベットを這いながら、脇にある目覚まし時計を止める。……いつも以上に寝起きが悪い──っていうか眠い。昨日予定にない運動をしてしまったからだろうか、まだ若干体に疲れが残っているような気がする。そのまま二度寝しそうになるのをグッと堪えて、ヤマニンゼファーはベットから起きた。

 

 

「ふわぁ……」

 

洗面台へと足を運び、朦朧とする意識を覚醒させるべく冷水で顔をジャブジャブと洗う。「……ぷはぁっ!」とゼファーが一息入れた時には完全に眠気が吹き飛んでいた。

 

看護婦さんが毎日取り替えてくれる清潔なタオルでゴシゴシ顔を拭くと、今度は湯沸かし器からお湯を洗面器に注ぎ、そこにタオルを浸してギュッと絞る。出来上がった温タオルで髪を強めに梳いて寝癖を直し終ると、ゼファーは寝間着を脱いで運動用のジャージへと着替え始めた。今やすっかり日課になったが、まさかあれだけ体の弱かった自分が‘早朝トレーニング,なんて物が出来る様になるだなんて……。お医者さんや看護婦さん。それから休養寮で働くスタッフの皆さんにはどれだけ感謝してもしきれない。

 

 

「……よしっ! 今日も頑張ろう!!」

 

まだ日が昇り初めて間もない時間。ゼファーは気合を入れ直すと、脱いだ寝間着を抱えて静かに自室を出て行く。今日のトレーニングメニューはウォーキングを5㎞マラソンを5㎞。その後ベンチプレスを600で20分に、余裕があればダートコースでスピードトレーニングを──

 

 

──約一時間後──

 

 

「はぁ……はぁ……はぁっ……!」

 

「──する前にいつも通りスタミナが底をついてくたばったと。毎回言うんだけどさ、スタミナの上限が増えたからってそれギリギリに合せたトレーニングするの止めなってホント……。ほら、立てるかい?」

 

休養寮お抱えのリハビリジムで床に倒れ伏したゼファーは、ジムの管理とジム内でのウマ娘達の監視を任されている休養寮の役員──清瀬(きよせ)志織(しおり)によって介抱されていた。「介抱」とは言っても彼女がやったのはゼファーを床からベンチに運び、呼吸が落ち着いてきた所で脚と腕を軽くマッサージしてやったぐらいなのだが、運動後のクールダウンもまだだったゼファーにとってはこれ以上なくありがたい。

 

 

「はい、終ったよ」

 

清瀬がゼファーの両脚から手を放す。脚に纏わり付いていた疲労感は、驚くほど薄くなっていた。

 

 

「ありがとうございます。すみません、毎回毎回……」

 

「そう思ってるならレース科の娘達みたいな激しいトレーニングをしようとするのは止め────あー……そういやアンタ、あと六日で退寮してレース科に移るんだっけ」

 

思い出したように言う清瀬に、ゼファーは「はい!」と元気よく返事をした。清瀬は「……そっか」と素っ気ない口調で返した。

 

 

「ま、退寮するウマ娘が出るのはこっちも歓迎さ。精々ぶっ潰れないようにしなよ。分かってると思うけど、レース科のトレーニングは休養寮(ここ)のリハビリの比じゃないぐらい厳しいからね」

 

軽い口当たりで脅す様な雰囲気を放ちながら、清瀬はゼファーに忠告した。

 

日本全国から‘走る事,に長けたエリート中のエリートが集い、その身と魂を削って厳しいトレーニングを積み続ける魔物の巣窟。弱ければ話にもならず、強くても勝てるとは限らず、例え勝利しても運に見放されれば故障して終わる。どのような形であれ、引退するその日まで決して止まることは出来ない。野球やサッカー、将棋や囲碁のそれと何ら変わりないプロの世界(この世の地獄)

 

それを覚悟の上で集った真の強者(イカレ野郎)。そんなウマ娘達と、ゼファーはこれから永延と戦っていかなければならないのだ。

 

 

「はい! だから私、これからはもっともっと──今まで以上に頑張ります!」

 

清瀬の忠告を聞いてむしろ気合が入ったのか、目をキラキラと輝かせて力強く宣言するゼファー。これには清瀬も苦笑いをするしかなかったのか、隠していたもう一つの理由を切り出して再び忠告する。

 

 

「バーカ。そうじゃなくて‘頑張りすぎてぶっ潰れないようにしろ,って意味で言ったんだ。アンタ察しが良いんだから気付いてるだろ? 大手振って出て行ったのに即こっちに出戻りなんてオチ、私はゴメンだからね」

 

「えへへ……」

 

清瀬は笑って誤魔化そうとするゼファーに軽くチョップをかますと、そのままシッシ! と追い払う様に手を振って退室を促した。

 

 

「ほら、さっさと行った行った! 私はこれから休養寮の娘(ここの娘)専用のトレーニング機器の調整や整備で忙しいんだよ。アンタも休日だからってポヤポヤしてると朝飯食いっぱぐれるぞ!」

 

「はい! 改めて、ありがとうございました!!」

 

丁寧に一礼し、軽い足取りでリハビリジムを後にするゼファー。一人残された清瀬はゼファーの退室を見届けてから、扇ぐ様に天井を見上げる。

 

 

「──もっと頑張る……か」

 

清瀬はまるで自傷するかの様に小さく笑った。

 

小さな頃から身体が弱く、それが原因で碌なトレーニングを積めず、改善までに数年単位の時間を無駄にして、それでもなおレースに勝てるなら、勝つ事が出来るというのなら──

 

 

「──そりゃもう‘ウマ娘,なんかじゃない……。正真正銘‘神の子,って奴だよ、ゼファー」

 

 

 

 

「……ここだな」

 

学園認可を受けている移動用のバイクを指定された場所に止めて、柴中はその建物を見上げた。

 

休養寮──中央トレセン学園の端っこにポツンと存在する、学校のような病院のような施設。本校に付属されている物とは比べものにならないが、ダートのレースコースに屋内プール、トレーニングジムまである。医療用の施設に限って言えば物資は兎も角、機材や設備の幅広さなら本校のそれを上回っている。‘小さなトレセン学園,とも言える場所。

 

逆に、中央地方問わず、トレセン学園に必ずある‘ある物,が無い。使う機会などまず無いだろうし、合理的と言ってしまえばそれまでなのだが……。どことなく寂しさを覚えてしまう柴中だった。

 

 

(……予約時間五分前だけど、まぁこの位なら良いだろ)

 

服の襟を整え、目立つ皺を軽く伸ばす。いくつかの書類とチーム編入届けが入った鞄を手に、柴中は寮内へと踏み込んだ。入ってスグの所にある受付で名前を言ってトレーナー免許を提示すると、すぐさま如何にも‘病院の院長,といった風貌をした、白髪交じりで白衣を着ている男が姿を現した。

 

 

「訪問予約をさせて頂いた柴中です」

 

「理事長よりこの施設の運営とウマ娘達の治療、並びに療養を任されています、遠藤と申します」

 

名刺交換を早々に済ませた後、「立ち話もなんですから」と柴中はそのまま5階(正確には4階)にある院長室へと案内された。

 

 

「……! ど、どうも……」

 

途中ですれ違った何人かのウマ娘が、なにか信じられない物を見る様な目でこちらを見ていた。確か随分前に研修で休養寮(ここ)に来た時も、今と似た視線を感じたような気がする。

 

 

「……」

 

「もし不快だったら申し訳ない。新人トレーナーの研修時期でもないのに本校のトレーナーが訪問するなど、滅多にない事ですので……。みんな珍しがっているんです」

 

「ああいえ。そうではなくて、その……」

 

……上手く言葉にすることが出来ない。否、あの視線に含まれた幾つもの感情や想いに見当は付いているが、それを気軽に言葉にするのは躊躇われた。

 

例えるならば、児童養護施設なんかで予定の無い来訪者があった時に「もしかしたら」とどうしても目で追ってしまう子供のような……。彼女達自身、自覚があるのか定かではないほどあまりにも淡く、そして儚い‘期待,。どれだけ頭と理性が「有り得ない」と否定しても沸いてきてしまう、都合の良い‘夢,

 

……意味の無い感傷である事は分かっている。レースで結果を出せず、故郷へ戻ることになったウマ娘を初めて見た時に感じたそれと同じだ。

 

 

「こちらです、どうぞ」

 

遠藤にそう言われて、柴中はいつの間にやら院長室手前までやって来ていた事に気づく。

 

 

「どうも」

 

軽く会釈をしてから中へ入り、促されるまま来客用のソファーへと腰掛ける。他にあるのはモニターが大小三つほど連結している大型のパソコンと、それが置かれているシックなデスク。壁に設置された薄型テレビと、その横には難しそうな医学書が所狭しと並べられた本棚があった。

 

一息ついた後、遠藤の方から話を切り出す。

 

 

「三坂総務部部長様よりお話はお伺いしております。なんでも、是非柴中様のチームに加わって欲しいウマ娘がこちらにいると……」

 

少しばかりせっつく様に(自覚がない)柴中は答えた。

 

 

「はい。『ヤマニンゼファー』という栗毛色で長髪のウマ娘が現在こちらに入寮していらっしゃる筈ですよね。一週間後に退寮して本校のレース科に移るという事は知っていますが……。彼女ほどの逸材であれば、すぐに私以外のトレーナーもその実力と魅力に気付くでしょう。ですので是非とも休養寮に所属している今の内に、私とニホンピロウイナーのチーム『ステラ』に入って貰いたいんです。優先交渉権も既に入手しています」

 

柴中は鞄から昨日入手した優先交渉権を含め、チーム編入に必要になる様々な書類を机の上へ並べてゆく。暗に‘ヤマニンゼファーとチーム入りの交渉がしたいから彼女をここに呼び出して欲しい,と言っている柴中に対し、遠藤は「あ~……彼女ですか」と声を漏らし、なんとも言えない表情を浮かべた。

 

 

「んー……」

 

(……なんだ、この反応)

 

──困惑? 躊躇? ……否。‘困っている,というより‘戸惑っている,‘躊躇している,というより‘迷っている,といった感じだ。

 

 

「あの、もしかしてまだ体質や健康などに不安が?」

 

「ああいえ! 決してそういう訳ではなく……。確かに彼女の体質──‘先天的持久力発達障害,は八割方治っていますので、もうレース科の本格的なトレーニングをさせても問題ないです。身体の調子も悪くありませんし、このまま行けばあと一年と経たずに完治が望めるでしょう。勿論、寮を移っても完全に治るまでは定期的に病院へ通って検査を受けてもらう必要がありますが……」

 

ほっと胸をなで下ろす。無論、ここの長であり医者でもある彼から「NO」と言われれば否応なく諦めるしかないのだが、あれほどのウマ娘が──ゼファーが、レースの一つも経験することなく全盛期を終える可能性が僅かなりともあるのでは? と内心不安だったのだ。

 

 

「……では何故?」

 

身体の問題ではないのなら、どうして遠藤はゼファーの名を聞いてああも微妙な反応を見せたのか。柴中の質問にたっぷり十秒以上沈黙を貫いてから、遠藤は溜息を一つ付いたあと吹っ切れた様に喋りだした。

 

 

「──いえ、分かりました。すぐに彼女を呼び出しますので少々お待ち下さい」

 

「え? あの──」

 

柴中が声を掛ける間もなく、遠藤はデスクの上に置かれている内線電話でどこかに連絡を入れる。すぐさま休養寮全域に『ピーンポーンパーンポーン!』というお決まりのチャイムが響き渡り、続いて呼び出しを告げるアナウンスが流れ出した。

 

 

『ヤマニンゼファーさんヤマニンゼファーさん。遠藤院長がお呼びです。至急、院長室まで来て下さい。繰り返します。ヤマニンゼファーさんヤマニンゼファーさん──』

 

 

「……」

 

取りあえず第一関門は突破した。これでゼファーに会えるし、チーム入りへの要求とアピールをする事が出来る。……だが、今一スッキリしない。やはりどうにも遠藤の反応が気に掛かるのだ。改めてその事を尋ねようと柴中が口を開く前に遠藤が小さな、しかしシッカリとした声で喋りだす。

 

 

「GⅠトレーナーであるあなたならもう察しているかもしれませんが、この休養寮にいるウマ娘は『なんとしてでも病気を治して本校へ転入してやる』というどこか暗い雰囲気を携えた新人か『もう何をやってもダメなんだ』と全てを諦めた長期入寮者が大半を締めます。仮に退寮してレース科に移っても殆どの娘が一度もレースで勝てず、それどころか最下位に近い着順になり続けて────自ら命を絶ってしまった娘までいるんです」

 

「……!」

 

最後の辺りはもう、絞り出す様な声になっていた。

 

 

「ヤマニンゼファー……。彼女はとても明るくて真っ直ぐで……それでいて、風の様に爽やかな性格をしているウマ娘です。この休養寮でも決して腐らず、レースに出ることを諦めず、日々努力を怠らず……。そんな彼女を慕っている娘も少なからずいます。まぁ、少々頑張り過ぎるきらいがあるので他の娘同様‘色々と,手は掛かりましたが……。なので、なんと言いますかその……」

 

言葉に迷っているのが手に取るように分かる。吐露したい感情めいた物はあるが初対面の人間に対して言う事でもないだろうし、仮に言った所で普通に失礼な発言になってしまいかねない--そんな感じ。

 

結局良い感じの言葉が見つからなかったのか「すみません、変な事を言ってしまって」と言って遠藤は頭を下げて軽く愛想笑いを浮かべると、再び口を閉ざしてしまった。

 

 

「……」

 

一方、ある程度の事情を把握した柴中は考える。このなんとも言えない沈黙をどうしたら良いか……ではなく、もっと先の──

 

 

コンコンコン

 

 

柴中が頭を回しだしたのとほぼ同時。小さく三回ドアがノックされ、次いで若干緊張したような声が聞こえてきた。

 

 

「あの、ヤマニンゼファーです。アナウンスを聞いて来ました……。入ってもよろしいでしょうか」

 

 

 



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ヤマニンゼファー 6/10

「…………」

 

パチン! パチン! という小気味の良い園芸バサミの音が辺りに響く。上空ではどこぞのウマ娘が飼っている鷹(本人曰く鷹という名のコンドルらしいが)が力強く鳴き、遠くグラウンドの方では模擬レースでも行なっているのか、ウマ娘が走る騒がしい足音と喧噪が聞こえてきた。

 

──その筈なのに、実に静かだと思える。手を誤って花を傷をつけない様にと集中しているのもあるだろうが、チームの中で私の質を柴中に次いでよく分かっている彼女が気を使っている(寡黙を貫いている)というのが大きい。

 

……園芸は特段好きではない──むしろ少しばかり苦手意識がある──のだが、彼女と行なうのならば話は別だ。誰にも話しかけられず、独り自然のままに単純作業に集中する事が出来るのは、こう意識がスッ──とクリアになる感じがあってなかなか悪くない。

 

あの‘女帝,なんかがそうだが、人は精神的な限界を迎えた時、掃除や料理といった「分かりやすい目標がある作業」に没頭することがある。一見、自ら負担(仕事)を追加している様にも見えるが‘ただ淡々とそれをこなせば良い,‘それ以外に何も考えなくて良い,というのは、普段から頭を働かせている者にとっては想像以上に気が楽になる物だ。……「仕事」で行なう場合など、一部例外はあるが。

 

 

「…………」

 

パチン! パチン! 

 

……黙々と葉を切り続けてどれ程経っただろう。あと一つで全ての処理が終るといったところで、今の今まで別の作業をしていた‘花姫,が話しかけてきた。

 

 

「お疲れさまですウイナーさん(陛下)。こっちでやっていた腐葉土と肥料の混ぜ込みは終わりました。そちらはどうですか?」

 

「ご苦労、こちらもあと一つで終わる。……よし、これで全部だ。一応、全て貴様自身の目で確認しておけ。……植え付け前の下葉処理など初めてやったからな。私も注意はしたが、不手際がなかったとも限らん」

 

花姫は一瞬だけ嬉しそうに微笑み、ペコリと丁寧に頭を下げてくる。……トレーナーが不在故の代理とはいえ、自分が好きな事をウイナーが嫌がる素振りもせず手伝ってくれて嬉しい、といった所だろうか。

 

 

「ありがとうございます。でも、その前に少しだけ休憩しませんか? 今日は少し暑いですから、水筒に薄めの紅茶を冷やして入れてきたんです」

 

「……姫の厚意とあらば無碍には出来ん。貰おう」

 

無理な体勢で作業をしていた訳でも無し。本当はまだまだ余裕があるのだが、作業が一段落付いたというのは事実。流れ的にも時間的にも一息入れて良い頃合いだろう。私の返事を聞くと、花姫はガーデンテラスのテーブルに置いておいた大小多種多様な花々が所狭しと描かれた(正直ここまで徹底的に隅から隅まで描かれていると不気味に思える)水筒を持ってきて、中身を紙コップへ注ぐと私に差し出した。

 

 

「どうぞ」

 

「ああ……」

 

一口、もう一口と、熱く淹れた紅茶を飲む時の様にゆっくりと口を付ける。炎天下でトレーニングをし続けた結果、脱水症状一歩手前の状態になったとかそういう本気で余裕が無い時ならば話しは別だが、そうでなければ例えどれほど暑かろうが飲み物を煽るように飲む様な真似はしない。‘はしたない,だとか‘マナーが悪い,だとかそういう問題ではなく、単純に皇帝らしくない(私らしくない)振る舞いだと思うからだ。

 

一滴残らず飲み干し終わり、カラになった紙コップを姫の方へと返す。

 

 

「いい塩梅だった。濃さもそうだが、単純に茶の淹れ方が上手くなっている。……腕を上げたな」

 

「ありがとうございます、これも陛下のご教授の賜かと。……今度はクッキーも一緒に焼いてきますね」

 

賛美の言葉を聞いてニコニコと嬉しそうに提案してくるが、それは勘弁して欲しい。紅茶の一杯程度ならば兎も角、花姫手作りのお茶菓子まで一人で独占したとあれば柴中と臣下達、あと‘空騎士,から睨まれかねない。昔から「食い物の恨みは恐ろしい」と言うし。そう伝えると「ふふっ。お戯れを」と笑いながら返された。……ノリで言ったのは否定しないが、半分ぐらい冗談ではないのだが。

 

 

「……そういえば、一体何があったんでしょうトレーナーさん。今朝急に‘UMAINE,のチーム連絡網で『すまないが大事な用が出来た。今日のトレーニングとチームの指揮はウイナーに一任するから、アイツの指示に従ってくれ』って連絡が来ましたけど……。陛下はなにかご存じで?」

 

「……まぁな」

 

不思議半分疑惑半分といった感じで尋ねてくる花姫に対し、詳しい内容は口にせず‘詳細は知ってるぞ,という事だけを肯定する。花姫は「やっぱりですか」と軽く頷いていた。

 

 

「別に隠していたつもりもないが、やはり気付くか」

 

「あ、えっと……」

 

流石だな──と私が言うよりも前に、花姫が若干言い淀むように割り込む。「どうした」と聞くが、酷く言いづらそう(尚且つ少しだけ恥ずかしそう)に視線を逸らしてしまった。

 

 

「いえその、気付くと言うより……」

 

「……?」

 

「……個人UMAINEの方に──『花壇の手伝いをすっぽかすことになってすまない。ウイナーが「代わりに私が手伝おう」って言ってるから、良かったらアイツを頼ってくれ』──って連絡があったんです。連絡をくれる時点で陛下がトレーナーさんの代わりにお手伝いしてくれる算段が付いているなら、なにか知ってるんじゃないかなって……」

 

……何をやってるんだあの間抜けは。約束を破ったことに対する謝罪の文は当然の礼儀だから良いとして、そんな一文を加えたら「(ウイナー)は仔細を把握している」と宣言するような物ではないか。

というか何で至極当然のように花姫と個人UMAINEを形成しているんだ。‘太陽,のようなコミュニティ能力に長けた(?)者ならば兎も角、花姫が我がチームに入ってからまだ半年と経ってはいないのに。

 

 

「あ、あの! 大丈夫です! 私その、ちょっと気になっただけで、詳しく聞こうとは思っていませんから!!」

 

一気に渋い表情になった私に、花姫は慌てて言葉を付け足す。先ほど言った通り奴の事を隠すつもりもなければ、言及されて困るような事でもない。ただ柴中のウッカリに少しばかり呆れただけである。

 

 

「先も言ったが、特段隠すような事でもない。……貴様が知りたいというなら話そう。今はまだ言いふらされるのは困る故、チーム内のみに話しを止めるよう緘口令は敷くがな」

 

「んー……。いえ、やっぱり良いです」

 

若干迷うような素振りをした後、花姫はニッコリとした笑顔でハッキリと申し出を断った。逆に興味が湧いて(粗方の予想は付いていたのだが)「ほう? なぜだ」と聞いてみる。

 

 

「陛下は‘隠すほどの事ではない,と仰いましたけど、同時に‘チーム内に話しを止めて欲しい,とも言いましたよね? 緘口令も敷くと」

 

「……」

 

「それってつまり『近い内に私達のチームに関わる重要な話し、あるいは出来事がある』って事ですよね?」

 

隠すほどの事じゃないのは、どうせ時期が来れば話すから。チーム内に話しを止めておいて欲しいのは、自分達(チーム全体)に関わることだから。

 

 

「でしたら、それを皆さんにお話しするタイミングはトレーナーさんと陛下にお任せします。お二人が話し合って判断したのなら、それが一番良いと思いますから」

 

「……素晴らしい、正に‘快刀乱麻を断つ,と言った所か。理解していた事ではあるが、貴様の精神、肉体、そして頭脳は同世代のウマ娘を大きく上回っているな。トレセン学園初の飛び級入学という快挙を成したのも当然か」

 

その天才(異質)さ故に苦労することもあっただろうに、それを全く感じさせる事なく花姫はいつも蕾のように笑む。今はまだ本格的なレースに出られる時期ではないが、いずれは優しくも力強く咲き誇る花のようにターフの上へと君臨するだろう。──奴と対決することも何度かあるかもしれんな。

 

 

「……ほぼ貴様の想像通りだ、花姫よ。近い内──早ければ六日後にでも緊急集会を行なう。私と柴中の独断ですまんが、これからのチームにとってどうしても必要な──」

 

──会話を遮るように突如としてスマホの着信音が鳴り響いた。

 

初期設定のまま放置してあるこの味気ない着信音を響かせるスマホを持っているのは、チームで私だけだ。……‘噂をすればなんとやら,という奴か? テーブルの上でけたたましく鳴り響くスマホを手に取ると、着信画面には予想通り「柴中」と表示されていた。すぐさま通話ボタンを押して電話に出る。

 

 

 

「私だ。…………そうか、それなら────なんだと?」

 

 

 

 


 

 

 

「単刀直入に言う。ヤマニンゼファー、君をスカウトしに来た。是非俺とウイナーのレースチーム『ステラ』に入って欲しい」

 

「はい、良いですよ」

 

「専属トレーナーのスカウトを受けて二人三脚でやっていく道もあるんだが、チームに入るメリットを具体的に説明すると……って、良いのか? そんなアッサリ」

 

チーム勧誘をまさかの即答で快諾したゼファーに若干拍子抜けしながら、柴中は確認を取る。彼女の性格からして「やっぱり止めまーす」なんてふざけた事は(少なくとも即座には)言わないだろうが、チームに入るという事の意味をキチンと理解しているかは最低限確かめておく必要がある。

 

『マンツーマンでやっているウマ娘と違い、トレーナーがトレーニングを見てくれる機会が減る』『基本的にチームの方針に従わなければならない』『合宿参加が義務付けられる』

 

各チームによって色々と差はある物の、ザッと挙げるだけでもチーム入りにはこれだけのデメリットがあるのだ。(無論、それ以上のメリットもあるのだが)

 

『馴れ合うのが嫌』『トレーナーとウマが合わない』『マンツーマンの方が性に合っている』『チームのみんなに迷惑を掛けてしまいそう』

 

そんな理由でチーム入りを断り、中にはトレーナーすら付けずに一人でトレーニングを続けるウマ娘も少しばかりいる。昨日知り合ったばかりでこんな事を言うのもあれだが、ゼファーはそういう質をしていないとは思っていた。思ってはいたのだが……。

 

 

「勿論ですよ。休養寮の娘は退寮してレース科に移ってもチームに入る所か、トレーナーさんに付いてもらえるかも怪しいって噂で聞いてたから凄く嬉しいです。……というか、柴中さんこそ良いんですか? 昨日あれだけ見苦しい所をお見せてしまったのに……」

 

ゼファーの言う‘見苦しい所,とはマラソンとタイヤ引きで見せた圧倒的スタミナの無さの事だろうが、そんな事はどうでも良くなる位の‘凄い所,をウイナー共々見せて貰っている。スタミナの事も身体の事情を知った今となっては「むしろよくここまで回復したな」と感心した程だ。「いやいや」と首を横に振りながら

 

 

「それこそ勿論だ。ウイナーなんか『絶対にチーム入りを了承させて来い』ってスゲー威圧感出してたし、俺も心からチームに入って欲しいって思った」

 

「え、えっと……。ありがとうございます」

 

熱く語る柴中とは対照的に、少し照れながらもやはり困惑気味のゼファー。これまでの経歴的に言って仕方がない事かもしれないが、彼女は今の自分の力量とそれに至るまでの軌跡がどれだけ凄い物なのかまるで自覚していない。

 

だがGⅠトレーナーである柴中にはよく分かる。出会ったのはつい昨日だが、ゼファーとウイナーの併走を一目見ただけで確信出来る事があった。彼女の走りは既に──

 

 

「……ふふっ」

 

「どうした?」

 

「いえ、でも驚いちゃったなって。何の音沙汰もなく急に院長室に呼び出されて、来てみたら柴中さんが座ってたんですもん。『一体なんだろう……?』ってちょっとだけ不安だったんです」

 

「あー……。最初にも言ったけど、急に尋ねてきてすまなかった。けど、どうしても俺達のチームにはお前が必要だって思ったからつい……」

 

こちらを責める気は一切無いと感じられる柔らかな言い方と雰囲気ではあるが、やはりそこを突かれるとバツが悪い。なにせ彼女が部屋に入ってきての第一声は『し、柴中さん!?』という気が動転したのがありありと分かるそれで、目は柴中が廊下ですれ違ったウマ娘達も欠くやと言わんばかりに見開かれていた。

 

……やはり性急が過ぎただろうか。なにせ昨日の今日だ。柴中もちゃんとアポは取ったのだがそれはあくまで休養寮にであって、ゼファー本人からしてみれば寝耳に水も同然だろう。

 

 

「気にしないで下さい。確かに色々とビックリしちゃいましたけど……。私、本当に嬉しいんです」

 

柴中の顔を真っ直ぐ見つめながら、ゼファーは本当に嬉しそうに笑った。‘マイルの皇帝,ニホンピロウイナーやGⅠトレーナーの柴中から信じられない位の高評価を貰ったのも、その二人が指揮をする学園屈指の強豪チーム『ステラ』に勧誘されたというのも勿論あるが、他の何より一番嬉しかったのは──な事だった。

 

 

「──じゃあ改めて聞くぞ、ゼファー。俺達のチームに……」

 

「はい、是非入らせて下さい。お二人の期待に応えられるよう、全力で頑張ります!!」

 

力強く、迷いのない返事と宣言と瞳。ゼファー自身の容体やら事情やらが絡んで来たら色々と手こずる事になるのではと懸念していたチーム編入の交渉は、時間にして十分と経たずに終了した。

 

 

「決まりだな。これからよろしく頼む……っと、じゃあそろそろ遠藤さんを呼んでくるか。今のお前の責任者兼主治医はあの人だから、書類にも色々とサインをして貰わなくちゃいけないし」

 

柴中はいそいそとソファーから立ち上がり、早足で廊下の方へと急ぐ。‘トレーナーがウマ娘を勧誘するのはこれ即ち、ある種の告白と同義である!,‘そして、告白とは基本一対一で行なわれる物だ!,という数年前に理事長が定説した訳の分からない伝統がある為か、遠藤はゼファーにある程度の事情を説明し終えると

 

『廊下でお待ちしておりますので、彼女と話しが付きましたらお呼び下さい』

 

と言って部屋から立ち去ってしまったのだった。別に校則という訳でもないのだし、律儀に守っているトレーナーも少ないのだが……。彼は随分と真面目な性格をしているようである。

 

 

「すみません。終わりまし──うおっ!?」

 

ドアを開けて廊下へ出ようとした柴中は、思わず除けるようにその身を引いた。何故か。

 

──院長室の前の廊下。そこで何人ものウマ娘が列を成していたからだ。

 

その数、ざっと十人以上。それもその殆どがまるでへばり付くように壁へ耳をピトッ──と当てている。……どう見ても盗み聞きだった。寮の入り口から院長室へ案内された時に何人かのウマ娘とすれ違っていたが、そこから話しが広がったようだ。

 

『ねぇねぇ聞こえる?』とか『んー、やっぱ無理。っていうかボソボソ喋ってる音も聞こえなくなっちゃった』とか『スカウトに来たって話し本当なのかな?』『まさか。あの娘の事だし、またケンカの仲裁でも買って厄介事に巻き込まれたんじゃないの?』『それにゼファーってそんな速く走るイメージな無い……って言うか、休養寮(ここ)の模擬レースにすら出てるの見た事ないんだけど……』なんて会話まで聞こえてくる。

 

そんな彼女達の後ろで渋い顔をしながら頭を抱えている、苦労顔をした白衣の男が一人……つまりは遠藤である。

 

 

「…………」

 

「君たちねぇ……。気持ちは分かるけどいい加減に──っ!?」

 

声を上げようとしたタイミングで目が合った。数秒の間、なんとも表現し難い微妙な空気が二人の間に流れる。

 

 

「あのぉ……」

 

「も、申し訳ない。お見苦しいようですが、やはり彼女達はトレーナーがここにいる事が随分と珍しいようでして……。あー、ほらほら君たち! もうすぐ午前のリハビリの時間だろう。早く行かないと遅刻するよ!」

 

遠藤は柴中に声を掛けられてハッとしたように密集していたウマ娘達に解散を促すが、彼女達は『えー?』と文句を垂れて中々その場を離れようとしない。それどころか院長室から出て来た柴中に興味津々のようで、多種多様な意味が込められた目を向けてくる。

 

 

「柴中さん? いったいどうし…………あの、みなさん何してるんです?」

 

「あ、ゼファーだ」

 

流石に異変に気付いたのか、ゼファーも院長室から出て来た。柴中同様、密集しているウマ娘達を見て困惑したような表情を浮かべる。そしてそれを見てこの後の展開を察したのか、より渋い顔になったのが遠藤である。

 

 

「いや、なんでもない。すぐに行くから柴中さんと一緒に部屋に戻っていなさ──」

 

「ねぇねぇお姉ちゃん。トレーナーさんからすかうと(・・・・)されたって本当?」

 

「え? ああ、ええっと……」

 

その場に集まったウマ娘の中でも一番幼い子が質問したのを皮切りに、ウマ娘達が一斉にゼファーと柴中の方へと詰め寄ってきた。

 

 

「一体何があったんだよ。確かお前昨日は‘編入前の下見,って名目で本校の方に出かけてた筈だろ?」

 

「その時にそこの……トレーナーさんと何かがあったって事だよね?」

 

「そういえば昨日寮に帰ってきた時、めっちゃ疲れた顔してたけど何か関係ある?」

 

「落ち着きなって。そもそもそいつがゼファーをスカウトしに来たのかどうかまだ分かんないじゃん。退寮した後なら百歩譲ってあり得るとして、一応まだ休養寮(ここ)にいる奴を本校のトレーナーが態々スカウトしに来ると思う?」

 

「それにゼファーって毎日毎日体質治療を兼ねた専用のリハビリトレーニングばっかやってたし、トレーナーを惹くような走りが出来るとは思えないんだけどなぁ……。ここ数ヶ月じゃない? 治療度外視のガチなトレーニングしだしたの」

 

「でもでも、ゼファーとトレーナーを置いて院長だけ先に部屋から出て来たんだよ? それってつまり────はっ! もしかしたら勧誘(スカウト)勧誘(スカウト)でも恋の勧誘(スカウト)な可能性が!?」

 

「ええい! いい加減にしないか!!」

 

ワイワイギャーギャーと、病棟を兼ねている施設にしては異常すぎる騒がしさになった廊下に堪忍袋の緒が切れたのか、遠藤の一喝が響く。

 

 

「お客様の前ではしたないよ君たち! それと『休養寮では静かに』!! 決まりを守れない娘は病気が治らない娘だっていつも言っているだろう!」

 

それをもって廊下はシン──と静まりかえった。何名かのウマ娘は『院長の声が一番うるさかったじゃん』と言いたげな表情だったが、遠藤はこれを完全に無視して柴中へ頭を深く下げる。……気のせいか、数分前よりも白髪が増えているような気がした。

 

 

「本当に申し訳ない。すぐに彼女達を解散させて向かいますので、どうぞ部屋の中でお待ちください」

 

「…………」

 

だが、柴中はこれに反応しない。先ほどから何か考え事をするように静かに俯いている

 

 

「……? あの、柴中さん?」

 

目的は既に達成された。ゼファーの勧誘には成功した。あとは彼女と遠藤に書類へ必要事項を書いて貰うだけだ。それさえ終わればもう休養寮には用など何も────無い訳があるか。

 

 

 

「すみません。今度は遠藤さんと二人でお話したい……もとい、お聞きしたい事とお願いしたい事があるのですが」

 

 

 



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ヤマニンゼファー 7/10

「ああ……。そうか、分かった。ではまた後でな」

 

柴中から報告を一通り受けて、私はようやく通話を終える。随分と長く話し込んでしまったような気もするが、実際にはまだ五分と経っていなかった。

 

空気を読んで別の作業をしにこの場を立ち去ってしまった花姫には悪いが、その気遣いをありがたく受け取ろう。私はあらためてテラスの椅子へと腰掛け、様々な事を思案する。

 

 

(……考えなければならん事が一気に増えそうか)

 

ゼファーの勧誘は無事成功した。チーム編入に必要な書類や提出物も一通り書かせ終わり、あとは総務課か理事長の秘書へでも提出するだけ。──それで終わりの筈が、勧誘へと向かった筈の柴中が予想外の事を提案してきたのだ。

 

建前としての理由だけでも分からくはないし、私としても‘なるべく早い方が良かろう’(クォーテーションはクォーテーションで挟みましょう 上下で挟んだり前後との空間を作ったりしたいなら「」が無難ですが作品で統一できれば大丈夫です)とは思っていたのだが、流石にここまで急だと建前ではなく本音の理由まで聞き出さなければ色々と危うい。柴中としても建前だけで私を納得させるのは不可能だと理解しているからか、戻って来た後で全て話すと言っていた。

 

 

「…………ふう」

 

静かに息を吐き、ゆっくりと目を閉じて、今ある情報を元に脳内でシミュレートを開始する。

 

レース場・天候・バ場状態・出走数・枠と番号・風の向きと強さ。それらを毎回ランダムに変えながら、1回2回3回と数を重ねてゆく。……暫くの後、静かに息を吸って、ゆっくりと目を開いた。

 

 

「仮に奴のプランに乗ったとして、不安要素があるとすれば主に二つだな」

 

シミュレートの結果はどれも殆ど同じ物となったが、それでも幾つかは望むそれとは違う結果が出る。絶対の物など無いので当然と言えば当然だし、仮にそうなった所で大した問題ではないが、ただでさえ奴にやらせなければならない事が山積みなのだ。一番最初に躓いて時間を取るような真似は出来る限り避けたい。それを前提に考えた場合、やはり冷静な判断ではないと断言せざるを得ないのだが──

 

 

「どう言った所でそれを通すのだろう? 我がトレーナー(柴中)よ。──それで問題ない。結局の所、私も貴様のそれと大差無いプランを考えていたのだからな」

 

ニヒルな笑みを浮かべながら、マイルの皇帝は呟いた。──彼女は知っている。ああいった声色になった時の柴中は、必ず自分の考えを貫き通すのだという事を。

 

 

「さてと、では予定より数段早いが……。準備に移るとするか」

 

 

 

 


 

 

「こらそこ! また無理して持ち上げようとしてるね。アンタは二ヶ月前に三回目の腕の施術を受けたばっかなんだから、負担を掛けすぎるのは控える! 折角神経が出来て自分の意思で動かせるようになったんだから油断すんじゃないよ! そっちは逆に手を抜きすぎ! 頑張りバカ(ゼファー)を見習えとは言わないけど、スタミナってのは基本食事と運動を繰り返して少しずつ付けていくもんなんだ。サボればサボるだけ快復するのがドンドン遅くなるからね!」

 

『はい!』

 

(……随分厳しいな)

 

トレーニングの‘激しさ’では流石に比べ物にならないが、トレーニングの‘厳しさ’なら本校のそれに負けていない。むしろ色々なハンデを背負った上でよくぞ──いや、‘だからこそ’か? 『体質を克服する』という明確な目標がある為か、下手なチームよりも気合が入っている感じがすると柴中は思う。ジムトレーナーの激しい叱咤と指示が飛び、ウマ娘達がそれに答えるという至極単純な形ではあるのだが、GⅠトレーナーの柴中をもってして中々に目を惹かれる光景だった。

 

 

(──っと)

 

チラリ──と何人かのウマ娘から、もう何度目になるかも分からない視線を向けられる。分かっていた事ではあるのだが、休養寮のウマ娘はどうしても『トレーナー』という未知の人材の事が気になるらしい。やはりトレーニングルームには邪魔をするんじゃなかったか? と少しばかり後悔している柴中である。

 

 

 

 

 

 

『休養寮の見学……ですか?』

 

『はい、是非お願いします。……ダメでしょうか』

 

集まってきたウマ娘達をようやっと解散させ終わり、柴中と共に院長室へと戻った遠藤は、そこで思いもよらない要求をされる事になった。

 

 

『構いませんが……。その、なんの為に?』

 

廊下で既に‘お願い’とやらがある事は聞いていたが、それはゼファーに関係する物……具体的に言えば、彼女がここへ来てからの詳細なカルテやトレーニングデータが欲しい、的な事を言われると思っていた(当然、そういった担当ウマ娘の資料や詳細なデータはトレーナーにとって必要不可欠な物であるため、即了承するつもりだったし、仮に言われなくても渡すつもりでいた)のだが……。

 

 

『もちろん決まってます。彼女……ゼファーの為です』

 

『……?』

 

どういう事か今ひとつピンと来ない遠藤に、柴中は若干困り顔になりながら例える。

 

 

『そうですね、お医者様である遠藤さん風に言うなら患者の──病気にしましょうか。後天的に原因不明の奇病を煩ったウマ娘がいるとして、少しでも快復の手がかりになりそうな事があるなら調べますよね?』

 

『ええまぁ。知りたくても手に入れられない情報も多いですが……』

 

血液検査やCPR検査など病院の検査機で調べられる物は当然として、日々の食生活に家庭環境や血縁関係。家の立て付けに部屋の日照時間、発症以前に何かしらの病気を煩って医者に掛かっていた場合はその時のカルテ──極論、患者やその周囲のプライバシーの侵害だとかそういった倫理的な価値観を排除するならば、病気の治療や予防をするのにいらない情報など無い。意外な所に治療の手がかりがある事も──ああ、なるほど。合点がいった。

 

 

『はい、それと同じです。ゼファーが今までどういった環境で育ち、どういうリハビリをして、どういう人間関係を築いていたのか……。医学的な分析に基づいたデータや資料だけでなく、トレーナーである私自身の眼で確かめておきたい』

 

トレーナーとしてこれから彼女と付き合っていく為に、少しでも役に立ちそうな物があれば知っておきたい──。まだまだ若いが、柴中はこれでも学園屈指のトップトレーナーだ。今まで育成してきたウマ娘達との経験や、幼き頃から志している先立の教えにより分かりやすいデータや資料だけではなく、自分の眼で見て、関わって、話し合わなければ分らない、解決しない事があるというのを知っている。

 

加えてゼファーは、柴中のトレーナー人生でも初となる大きなハンデを背負ったウマ娘だ。ならばこそ、彼女が今まで過ごしてきた休養寮の知識と情報が欲しかったのである。ここには新人の時に研修で数回ほど来た事があるが、それでは到底足りない、足りるわけが無い。そも、その時はゼファーはまだ入寮すらしていなかったのだから。

 

中央のトップトレーナーとして至極当然の事を言ったまでなのだが、院長の遠藤は歓心しきった表情を浮かべている。「まだ若いのになんと真面目な青年だろう」という老婆心が透けて見えた。遠藤は「ええ、ええ」と二回ほど頷くと

 

 

『そういう事でしたら是非どうぞ。生憎私はこれから仕事がありますのでご案内する事はできませんが……。よろしければ係の者をお付けしましょう。なんでしたらゼファーくんと──』

 

『ありがとうございます。ですがお気遣いなく。こちらの勝手な都合で来訪して急な見学までさせて頂くんですから、これ以上ご迷惑をお掛けする訳にはいきません。ゼファーも、やって貰いたいことがあるので『指示があるまで身体を休めててほしい』って自室へ帰したんです』

 

自分をチームへ勧誘しに来ただけな筈の柴中の指示に『分かりました』と笑顔で即答して自室へ帰ったゼファー。……彼女が空気を察せるウマ娘で良かったと思う。‘その先’までは流石に読めていないだろうが、少なくとも指示の‘意図’は理解出来ている筈だ。

 

 

『やって貰いたい事?』

 

『ええ』

 

基本、トレーナーがウマ娘にああいった指示をする場合は三つ。

 

一つ レース並びにトレーニング終了後に行なうクールダウンの指示。

二つ 緊急の用事並びになんらかのトラブルがあった場合に行なう待機の指示。

 

そして三つ目が──

 

 

 

『トレーニングですよ。早速ね』

 

 

‘余計な事をして疲れを溜めるな’──トレーニング前に行なう、注意に近い指示だ。

 

 

 

 

 

 

 

「ほら脚が止まってるよアンタらぁ!! 余所見しないで集中集中! トレーニングの一つも真面目にこなせないような娘はレースに出る事すら出来ないよ!!」

 

柴中へ意識を向けたウマ娘にジムトレーナー兼アドバイザー──清瀬志織の怒号が飛ぶ。怒鳴られたウマ娘達はビクッ! と身体を縮み上がらせると、ランニングマシンの上を再び全力で走りだした。それを見届けてようやく一心地付いたのか、清瀬は脇に抱えてあったカルテボードへ付属のペンで何やら色々と書き込んでいく。……話しかけるならば今か。

 

 

「すみません、突然お邪魔してしまって……。ご迷惑をお掛けします」

 

清瀬の方へ近づき、まずはと頭を下げて謝罪した。予定していたトレーニングに突如として乱入される──学園内で割とよく見る光景な気がしなくもないがそれは置いておいて──結果的な善し悪しに関わらず、それがどれだけ計算を狂わせる事になるかという事を、柴中はよく知っている。

 

「ああいえ、お気になさらず……。むしろ感謝したいぐらいで」そう言って愛想笑い(苦笑いか?)を浮かべる清瀬は、トレーニングを積むウマ娘達の方を向いて呆れたように言った。

 

 

「明らかに普段より気合が入ってますよ、あの娘達。『本校のトレーナーが視察に来てる』って話しが広まったせいか、普段は部屋に閉じこもって一人でリハビリしてるような娘まで来てますし」

 

「……なるほど」

 

恐らくは部屋の一番奥で補助付きのフィットネスバイクをしている娘と、二番目と五番目のランニングマシンを走ってる娘の事だろうなと、既に当たりを付けている柴中。『休養寮に長期入寮しているウマ娘は走る気概を無くした物も多い』と院長である遠藤から聞いていたからウマ娘達の気合の入り方に違和感があったが、そういう事なんだろうか。「良い刺激になってます」と清瀬は言うが、柴中の存在が原因でウマ娘がトレーニングに集中出来ていないのもまた事実だ。謝罪を取り下げる気は無かった。

 

 

「……まったく。みんな普段からこれぐらい本気でやってくれればきっと──」

 

──『早く治ると思うのに』──

 

思わず口から出そうになったその言葉を慌てて飲み込む。自分の目の前で必死に頑張っているウマ娘達こそが一番……狂おしいまでに快復(それ)望んでいる事をよく知っていたからだ。

 

ここは休養寮。どんなに望んでも体は治らず、神に祈ってもなにもしてくれず、医者を頼っても匙を投げられる。──己の夢を叶えようとする権利すら剥奪されたウマ娘が‘それでもここならば’と一縷の希望にすがり、学園から退去を命じられるその日まで夢を見続ける(努力をし続ける)、トレセン学園屈指の地獄。

 

ならばせめて、そこへ水を差す事だけは出来ない……してはいけない事なのだ。

 

 

「……」

 

「あと二十分程で今日のリハビリメニューは終わりですので、もし良ければ最後まで見ていってください。……あ、この後グラウンドで特別編入の娘達が模擬レースをする予定なんですが、よろしければそちらもどうぞ」

 

「……はい。ありがとうございます」

 

そう言って再びウマ娘達が適切なトレーニングをしているか見回りに向かう清瀬。……彼女は気付かなかった。柴中は確かにウマ娘の事をその眼で観察していたがそれと同時に、トレーナーである清瀬の事もシッカリ観ていたのだという事を。

 

 

 

 


 

 

「……うーん」

 

休養寮の自室のベットに横たわりながら、私は一人うんうんと唸っていた。

 

休養──という名の治療が目的の寮とはいえ、本校にある寮の制度と同じで部屋割りは基本二人一組なのだが、三年程前──つまり、私が休養寮に入って数ヶ月も経たない内に、同室だった大先輩が治療を終えて休養寮を退寮してからは、ずっと一人でこの部屋を使わせてもらっている。気兼ねなく考えを口に出来たり、好きに時間を過ごせるのは良いのだが、一人部屋を希望している娘達からは時々羨ましがられて──

 

 

「って、違う違う」

 

変な方向に行きそうになった思考を停止させ、呼吸を整えるように首を軽く横に振った。……どうもさっきから考え、というか思考回路がシャッキリしない。昨日と今日とで色んな事が起こりすぎたせいだろうか。

 

喧噪を放っておけなくて間に割り込んだと思ったらウイナーさんからトレーニングに誘われ、併走までしてもらったばかりか、翌日にはチームにまで誘われた。

 

三年以上ものあいだ治療とリハビリそしてトレーニングを毎日毎日頑張って、一ヶ月前にようやく退寮の許可が下りた。これでやっと夢に近づく事が出来ると一人意気込んでいた所へ奇跡のように舞い込んで来た、‘マイルの皇帝’ニホンピロウイナーを頂点とする学園屈指の強豪チーム『ステラ』からの勧誘。日本最高峰のウマ娘トレーナーである柴中からの耳を疑うような好評価。

 

正しく夢にも思わないような、想像すらしないような展開だ。数日前の自分に言っても相手にされないか、自分は近い内に頭がおかしくなるのだろうかと心配されかねないだろう。

 

期待に昂揚、混乱と不安。ウキウキドキドキと心と感情は高まるばかりなのにそれに身を任せきれなくて、私はボーッと天井を見上げ続けている。

 

 

(あれって多分そういうこと(・・・・・・)だよね? じゃなきゃああいう言い方にならないと思うし……)

 

『指示があるまで身体を休めててほしい』

 

柴中はそう言ってゼファーを自室へと帰した。つまり‘これから前準備として身体を休める必要がある指示をする’と受け取る事が出来るし、恐らくそういう意図で言っている筈だ。チーム入りを表明してまだ一時間と経っていないが、早速トレーニングの一つでもするのだろうか。‘善は急げ’と言わんばかりの早さである。

 

……仮にここまでの推測が全て当たっているとして、一体何をするつもりなのだろう。レースチーム入り直後にするトレーニングと言えば、素養を見直すための再テスト──大きく分けて五つに分類される各種トレーニングを全て満遍なく行なうのが通例だとは聞いた事があるのだが、どうにも違うような気がしてならない。……根拠など何も無いただの勘だけど。

 

まぁ何をさせられるにせよ、全力で──

 

 

ルルルルルルルルル

 

 

「──!」

 

気持ちと思考を上手い具合に切り替えようとした所で、ベット横にある受信機からコール音が鳴った。病院なんかで使われているのと同じ、休養寮専用の内線通信だ。ウマ娘達に割り当てられた個室内では滅多に鳴る事が無いそれが鳴り響いた事に若干驚きつつも、素早くベットから起き上がって受話器を手に取る。

 

 

「はい。214号室のヤマニンゼファーで…………」

 

『あ、ゼファー……で、間違い無いよな?』

 

手に取った受話器から思いもしなかった声が聞こえてきて、驚いて目を丸くした。つい一時間ほど前まで院長室でチーム編入と契約の話しをしていた、これから私のトレーナーさんになる人の声だ。

 

 

「柴中さん!? え、なんで──」

 

『ああ。UMAINEか何かで連絡が取れれば良かったんだけど、まだお前とは連絡先の交換もしてなかったから職員の人に事情を説明して内線を借り──って違う! すまないがちょっと今手が離せなくてな。本当は俺が直接部屋まで迎えに行って色々と説明するつもりだったんけど、出来そうにないんだ。悪いんだけど運動用のジャージに着替えて休養寮のすぐ近くにあるファミウマまで行ってくれ。で、アイツが来てる筈だから指示に従って欲しい』

 

「え、あの……」

 

──なんで休養寮の内線から? そう続けようとした私の声は若干バツが悪そうな、それでいて少し焦っている様に聞こえる上ずった声で喋る柴中さんに思考諸共掻き消される。どうやら柴中さんも柴中さんで慌てているらしかった。

 

手が離せない? ジャージに着替えてファミウマに行け? 内線を使って連絡をしてきた経緯は分かったが、そもそもなんでそんな事態に? 突然の事態かつ有無を言わさない勢いで指示をされたせいか、頭が混乱する。状況を把握できない。そんな私を知ってか知らずか、申し訳なさそうな声で柴中さんは続ける。

 

 

『ホンッと悪い! 俺としても普通に予想外というか、ここまで反響があるとは思ってなか──!』

 

 

──ねー、トレーナーさん! 私! 次は私ね!!──

 

 

話に割り込むように受話器から聞こえてきたのは、まだ幼い女の子の声だった。……恐らくは、休養寮に特別所属している初等部のウマ娘。「……ん?」と怪訝な顔になった私は、内線本体にグイッと耳を近づけて神経を集中させる。

 

 

──あ、ずるい! ちゃんと順番守ってよー!──

──ずるくないもん! れーすで勝った人からってやくそくでしょー!──

──あの、じゃあ私があーちゃんよりも先な筈じゃ……?──

 

──ああもういい加減にしなアンタら!! こんな事でケンカなんてするならトレーナーさんにはもう帰ってもらうからね!!──

 

『分かった、分かったからちょっとだけ待っててくれ。ちゃんと全員分見るから!』

 

微かに聞こえてきたのは子供達による喧噪と、それをビシッと叱りつける聞き覚えのある女性の声。そして騒ぎ立てるウマ娘達に応じようとしている柴中さん。……そう言えば、今日は初等部の娘達がグラウンドで模擬レースをする予定があったような──

 

 

(──ああ、もしかして‘そういう事’かな?)

 

情報がある程度揃ったおかげで大まかな見当が付いた。ベットから降りて窓際の方へと向かい、閉じていた白いカーテンをゆっくりと開けてキョロキョロと休養寮のグラウンドを見渡す。案の定、レース場の隅っこの方でウマ娘達に囲われる柴中さんと清瀬ジムトレーナーがいた。子供達と柴中さんのどちらが言いだしたのかは分からないが、つまりは大体そういう事なんだろう。

 

大体の状況を把握出来て頭がスッキリとした私は、改めて柴中さんへ返事を返す。

 

 

「分かりました。すぐに準備します」

 

『頼む。一応言っとくとこれから早速トレーニングをしてもらうんだけど、肝心のメニューと何をどうしたら良いかとかは全部アイツに一任してある。準備も運動用のジャージと靴以外なんも用意しなくて良いから』

 

「はい。……それと、ありがとうございます」

 

私がそれを言うのは筋が違う──頭ではそう理解していても、お礼の言葉は自然と口から出ていた。私はもうすぐここから退寮する身だけれど、この寮で過ごしてきたウマ娘の一人として、皆に親切にしてくれる柴中さんにどうしてもお礼が言いたかったのである。

 

柴中さんは内情を見透かされた事を自嘲するように「ははっ」と軽く笑った。

 

 

『良いんだよ。俺がやりたいからやってるだけで──もう分かったって! と、兎に角、気合入れすぎて怪我しない程度に頑張れな!』

 

それを最後に通話は切れた。受話器を置いてから改めてグラウンドの方を見ると、柴中さんが未だワーワーと騒ぐ娘達をなだめすかしつつ何かを言っているのが見て取れる。子供の扱いには慣れていないのか悪戦苦闘しているが、決して悪くない対応をしてくれているのが一目で分かった。そう、一言で言うなら──

 

 

「──よぉし! 私も負けてられません!!」

 

──凄く、頑張ってくれている。それも多分……私の為に。

それに少しでも応え、報いるべく、私は急ぎ運動用のジャージに着替えて部屋を飛び出した。

 

 



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ヤマニンゼファー 8/10

「えっと……」

 

柴中の指示に従いファミウマ──コンビニ前の駐車場までやって来たゼファーは、キョロキョロと辺りを見渡して周囲に誰かいないかを確認する。指定された‘休養寮近くのファミウマ’……他に候補が無いしここで間違いないと思うが、一目見て「‘アイツ’ってこの人か」と分かる人物は誰もいなかった。

 

柴中の言い方的に、彼の代理となる‘誰か,がここに来ているとみて良い筈なのだが……もしかして中にいるのだろうか。ここですれ違いになる事も無いだろうし、少し覗いてみよう。

──そう考えたゼファーが、ファミウマ入り口のドアノブに手を伸ばした時だった。

 

グイイッ──と店側の方から扉が開き、独特の機械音と共に中から一人のウマ娘が姿を現す。

 

 

「遅かったな」

 

 

知っている顔だった。有名な人だった。昨日、柴中と共に自分のトレーニングを見てくれたウマ娘だった。

 

 

「う、ウイナーさん!?」

 

それは、見紛う事なき‘マイルの皇帝’だった。彼女は学園から支給されている物とは違う黒いスポーツバッグを肩から提げ、同じく学園から支給されている物とは違う蒼と黒のジャージを身に纏っている。突如として現われた皇帝に驚いて戸惑うゼファーをよそに、ウイナーは何も言わずスタスタとコンビニから離れていってしまう。

 

 

「ちょちょ、ちょっと待って下さい! あのっ! 私、柴中さんから──」

 

「仔細は聞いているのだろう? 本来であれば我が国で新たな臣下の参入を祝う宴を一番に開くところだが、生憎貴様はまだ正式には我が臣下ではない。……奴の立案した計画に乗るかはまだ定かではないが、それは近日……勝利の凱旋と共に盛大に行なう事とする。今は鍛錬の時だ」

 

「は、はぁ……?」

 

慌てて追うゼファーだが、半ば一方的に喋るウイナーの話しを聞いて余計に混乱してしまった。柴中の行っていた‘アイツ’とはほぼ間違いなくウイナーの事なんだろうし、こうして無事に合流することも出来たのだが、それ以外の何もかもが分からない。取りあえずウイナーに付いていけば良いんだろうし、なんとなく『歓迎会はまた今度してやる』的な事を言っているのも分かるのだが……。

 

 

「──おい待て。まさかとは思うが、貴様柴中から何も聞いていないのか……?」

 

話しを聞いてポカンとした表情を浮かべるゼファーにようやく違和感を感じ取ったのか、ウイナーは一旦歩みを止めると、怪訝な目でゼファーを見てきた。

 

 

「あ、えっと……はい……。『これからトレーニングをする』って事と『アイツがいる筈だから、準備をしてファミウマに行ってくれ』って事は聞いたんですけど……」

 

「……ほう?」

 

「で、でも! 柴中さんは悪くないんです! ちょっと予想外の事が起きて詳細を伝えられなかったというか、人に優しくしようとした結果というか、私としてもお礼を言いたいぐらいで!!」

 

ギロリ──と威圧感まるだしの凄い目で休養寮の方を睨み付けたウイナーをなだめすかすようにゼファーは柴中の事を弁護する。実際仔細は何も聞けなかった訳だが、肝心の部分は全部伝えてくれていたし、恐らくではあるがウイナーの方には詳細を伝えた上で色々と話を付けてくれている筈だ。でなければ『トレーニング内容は全部あいつに任せてある』なんて言葉は出てこないだろうし。「……はぁ」とウイナーは軽く溜息をついて

 

 

「休養寮のウマ娘達に助言の一つもしようとして集られたか?」

 

「……ええっと」

 

「図星か」

 

ゼファーの反応を見て大方の事情を察したのか、ウイナーは「ならば赦そう」とぼやく様に言った。

 

 

「良いんですか?」

 

「構わん。その辺の凡夫とどんなに格が違かろうが、奴はトレーナーだ。そして本来その役割に担当、チーム、それ以外のウマ娘などといった垣根など無い」

 

トレーナーとは、ウマ娘レースに出走するウマ娘に夢を託し、誰よりも信を置き、その身と魂を捧げて彼女達を輝かせる者の事を言う。そしてそれは、自分の担当ウマ娘や担当するチームのウマ娘だけに限らずとも良い。程度や信の置き方に差はあれど、自分の担当でなくとも、他のチームに所属していたとしても、助言をしたりトレーニングを見てはいけないというルールは無いし、あってはならない。──少なくとも、ウイナーはそう考えている。

 

 

「トレーナーとしての責務に殉じようとした結果なのだろう? ならば取りあえずは良しとする。……『助言する前にこうなる事を予測出来んのか』と嫌味は言うがな。……あとで花姫に手土産付きで謝罪に行かせてやる」

 

「ふん」と鼻を鳴らした後、視線を休養寮の方からゼファーの方へと移す。──直後

 

 

「──ッ!?」

 

「これからトレーニングをするという事だけは把握しているのだったな? 付いてこい。そして──」

 

ニヤリ──と。ウイナーの瞳が、面白そうな玩具を前にした純粋な子供のような、どこまでも楽しさを追求する無垢な悪魔のような瞳へと変わった。

──ゾクッとする気配が風に乗って伝わってくるようなこの感じに、ゼファーは覚えがあった。‘面白そうな奴(強敵)’とケンカをする時の姉達のそれと、実によく似ている。

 

 

「──喜べ。貴様が今まで経験した事が無い過酷なトレーニングをさせてやる」

 

「……望むところです!!」

 

 

 

 


 

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

両膝に手をついて荒く息をする柴中に、複数人のウマ娘(子供)がタタタッと駆け寄ってくる。

──柴中の事が心配だからではない。

 

 

「すごーい! 本当に楽にコーナーを曲がれるようになったよ! 前よりも疲れなくなった!!」

 

「わ、私! 私も! 右腕が全然動かないのに、言われた通りにしただけで1秒もタイムが縮んだの!! こんなの初めてだよ!」

 

「トレーナーさん! 次ぎはあたし!! 次はあたしね!!」

 

ギャーギャーと小うるさく騒ぎ立てるのも、柴中へハエのように集るのも、ただ単に嬉しくて嬉しくてテンションが上がっているだけである。──自分の望みを意図も容易く叶えた大人を過剰に慕い、頼る。……この年頃の子供にはよくある話しだ。近くで見物兼見張りをしていた清瀬は柴中から「大丈夫です」と念押しされたからか、最初のように子供達へ一々注意をしなくなっていた。……というか、先ほどから何も──

 

 

「ねーねー! トレーナーさんってばー!」

 

「分かってる。ちゃんと約束通り全員見るよ──けど」

 

「分かってるって! ちゃんと約束通りリハビリを優先するし、お医者さんや先生達の言う事もちゃんと聞くから!!」

 

柴中がもう何度目かも分からない‘確認,をしようとしたら、全部言い終わる前に一番元気の良い娘に割り込まれた。「ホントかー?」という半ばからかう様な言い方に「ホントホント!」と必死なのに軽い感じの返事が返ってくる。

 

 

「んじゃ、続けるけど──一番最初に言った通り、これはあくまで今の君達のカルテとリハビリ兼トレーニングメニューを今日初めて見た、医者でもなんでもないただのトレーナーがするちょっとした‘アドバイス’に過ぎない。俺の言う事を守っていれば速くなれるとか強くなれるとかそういう……いや、それ以前の問題か。そもそもの話、君達の身体が‘治る’のを阻害する走り方をアドバイスしている可能性だって捨てきれないんだ」

 

少しばかり脅す様な口調で最初に言った事を繰り返す。特に、最後の方は念入りに。なんども同じ事を注意をされたくなどないだろうが、これだけは耳にタコが出来るぐらい聞かせるつもりだった。休養寮──異常な体質や原因不明の奇病でレースに出る事が難しいウマ娘が所属している、病院の役割を兼ねた総合施設。その初等部に特別所属しているまだ子供のウマ娘とあれば、一トレーナーとして当然である。

 

 

「だから、今日俺の言う事を聞いて速くなれたからっていい気にならない事。リハビリメニューやトレーニングメニューは基本的にお医者さん達の提案した物だけをやって、もし個人的に量を増やしたり内容を変えたりしたいなら自分一人で判断せずにちゃんと相談する事。今お前達が一番優先するべきなのは‘身体を治す事’だっていうのを忘れない事。良いな?」

 

「うん! あたし、トレーナーさんの言うことちゃんと守る!」

 

私も私も! という合意の大合唱が始まり、結果として余計に喧しくなってしまった休養寮のグラウンドで、柴中はこれからの事を考える。()に入り込むための布石はもう幾つも打った。──だからあとは

 

 

(──どうやって話しを聞き出すか、だな)

 

 

 

 

 

 

一時間半──それが、休養寮に特別編入している初等部のウマ娘達のリハビリ兼トレーニング時間だった。

 

午前に一時間半。午後も一時間半。あわせて合計約三時間。個人的に追加で行なわなければならないような物は除くが、そのたった三時間が、まだ子供のウマ娘達にさせてやれるトレーニングの限界。一人一人違う体質の治療と平行して行なわなければならず、更には急な体調の変化(善し悪し問わず)などでも様々な方向に予定を変えなければならないとあって、その難易度は普通のウマ娘にするトレーニングやコーチングの数倍は難しいと言われている。

 

故に、休養寮は昔からトレーニングメニューに大した変化が無い。一人でも出来るリハビリの延長。体質の改善を最優先に考えた、無理のない優しいメニュー。……一人一人に合せた適切な措置は、治療とリハビリだけで精一杯なのだ。そも、まず体質をなんとかしなければレースどころの話しでは無いため、優先順位として当然である。

 

……その筈、なのに。

 

 

「…………」

 

柴中とウマ娘達の側で見物兼見張りをしていた清瀬志織は、その光景を見続けた結果途中から黙り込んでしまった。

 

 

「ええっと、じゃあ次は──」

 

(なんだ、これ……)

 

──訂正する。柴中の手腕を見た結果、黙り込んでしまった。

 

 

「はい、そろそろ右足首が痺れてきた頃だろ? それ以上無茶すると明日以降に響くから今日はもう脚を使ったトレーニングは控える。どうしてもまだやりたいなら基本的な筋トレメニューだけにしておきな。足首が痺れてきた=君にとっての危険域だって事は最低限覚えておいてくれ。そっちは腕を強く振りすぎ。さっきも言ったけど、腕の振り方と脚の上げ方は密接関係にあるんだ。足の遅さをカバーしようとして腕の振り方だけを意識したら逆効果になるぞ」

 

清瀬から借りた子供達のカルテをパラパラと速読して、トレーニング兼リハビリを一通り見て、最後に模擬レースを一度だけ見た。

 

 

「違う違う。そうじゃなくて、もっとこう──さっき見せただろ? 地面に倒れ込むんじゃなくて、地面に吸い寄せられるように身体をこうクイッ──と自然体で……そうそう、そんな感じそんな感じ。他の娘と比べて腹筋と背筋、それから腰周辺の筋肉が発達してる君なら多分出来ると思ったよ。ただし、脚の筋肉が完全に治るまでは姿勢維持のトレーニングだけに止めてくれ。くれぐれも実戦で使わないように」

 

柴中がこの一時間で得る事の出来たウマ娘達の情報は、たったそれだけだ。……それだけの筈なのに。

 

 

「なんでって? 全力で走ってる最中に一気に姿勢を低くして強引に加速するからさ。足と腰へ一気に負担が掛かるから、怪我や故障のリスクは当然高まる。……オグリキャップって知ってるか? 赤ん坊の頃は一人で立ち上がる事すら出来なかった‘芦毛の怪物’。母親が毎日毎日根気よく丁寧に膝のマッサージを続けたおかげで、あいつは驚異的な柔軟性と、急激な負荷にも負けない強靱な膝を手に入れたわけなんだが……。そう、今の君と同じだな。脚が上手く動かなくたって焦る事はないさ。みんなにも言ったけど、体質が根治してからが本番なんだ。今は治療に専念しつつ、自分に合ったリハビリとトレーニングを毎日ちゃんと続ければ良い。……なに、いずれここを出て本校に通える様になったら、嫌でも速くなるよ」

 

(なんだよ、こいつ……)

 

あまりにも的確な指導だった。凄まじく正確なアドバイスだった。知りえない筈の事を知っていた。

 

12番の栗毛の子が、体質の影響で右足首に負荷が掛かりやすいのも。

5番の白毛の子が、なんとかして脚の遅さをカバーしようと手を尽くしているのも。

8番の黒毛の子が、つい最近まで自分の脚で走る事すら出来ず、それでも出来る事をしようと筋トレだけは必死に続けていたのも。

 

ウマ娘達の体質、癖、筋肉の付き方やその気質に至るまで。そのほぼ全てを把握した上で一人一人に合った無理のない……それでいて、より効果がありそうなトレーニングメニューを提案しては、清瀬から貸してもらったカルテボードにそのウマ娘を視た感想を含めてスラスラ書き込んでいく。──まるで、なんでもない事のように。この程度、ウマ娘トレーナーならば出来て当然だと言わんばかりの涼しげな顔で。

 

 

「……」

 

チリチリと胸の奥が焦げて燻るような痛み、暗くて黒い夜の海に飲みこまれるような苦しさ──そんな物を感じながら、清瀬はその光景をただ見ている事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「本当にすみません。こんなにお時間を取らせてしまって……」

 

頭をキッチリ下げて、柴中は清瀬に謝罪する。……時間にして、約一時間。いつもならばもうとっくに終わっている筈のトレーニング時間をギリギリまで引き延ばしてもらい、ようやく初等部のウマ娘全員に‘ちょっとしたアドバイス’を終えて子供達を解散させたときには、それだけの時間が経ってしまっていた。清瀬にも色々と都合があっただろうに、彼女は最後まで自分達に付き合ってくれたのだ。

 

 

「ああ、いえ。こちらこそ申し訳ない。あの娘達の我が儘に付き合わせた挙げ句、こんなに丁寧なカルテまで……。今後の参考にさせて頂きます」

 

「いいえ、お気になさらず。俺が好きでやった事ですから」

 

「……やっぱり凄いですね。G1クラスのトレーナーっていうのは」

 

柴中から返されたカルテを捲り、追加で書き込まれていた内容と注釈に改めて感心しながら清瀬は言った。

 

とても一時間で仕上げたとは思えない出来映えだった。初見だと信じられないほど正確だった。‘恐らくは’という前提が書かれているが、このウマ娘が今後どういう成長を遂げるか、どういう所に気を付けて付き合うべきか、懸念される危険性はなにか──そんな未来予想まで書いてあった。

 

──とてもじゃないが、私には無理だ。

 

 

「いやいや。流石に俺も初見のウマ娘でここまでのカルテを作るのは無理ですよ」

 

「……そうなんですか?」

 

「ええ。今まであの娘達の事を指導してきた清瀬さんが作ったカルテがあってこそです」

 

確かに柴中はカルテにも書いてなかったウマ娘の細かい癖や気質、今の身体の具合や治療進行度まで見抜いたが、それは清瀬が今まで作ってきたカルテが正確な物である事が大前提でなければならない。

 

 

「ウマ娘一人一人の体質や、身体特徴と治療内容に関する事柄が中心の……。‘どうにか治って欲しい’っていう清瀬さんの思いが伝わってくる、そんなカルテでした」

 

踏み込んだ内容や細かな注釈、トレーニングによるウマ娘の成長記録こそ今一つ(柴中基準)だったが、少なくとも体質とその影響による身体の不具合と副作用、そしてそれを治療する為の治療内容とその記録に関しては間違い無く正確だと断言できるカルテによる情報があったからこそ、ああも的確な指導が出来たのだと柴中は言う。

 

 

「良いウマ娘トレーナーですね、あなたは」

 

「……違いますよ」

 

だが違う。そう、あまりにも違いすぎた。

 

 

「私はウマ娘トレーナーじゃありません。勉強して勉強して、四年以上の時間を費やしてそれでも中央のトレーナー試験を突破出来なかった……落ちこぼれです。理事長の推薦で休養寮のジムトレーナーに就職するのが精一杯でした」

 

才能も、知能も、努力や執念といった計測しづらい物でさえも……何もかもが違いすぎる。足下にも及ばない。僅か一時間足らずの追加トレーニング時間だったが、柴中の指導と、それを受けるウマ娘達の様子を見れば嫌でも分かる。

 

 

「そうなんですか?」

 

「ええ」

 

トレーニングであんなに嬉しそうにはしゃぐ子供達の姿なんて、今まで見た事もなかった。あんなに真剣に話しを聞いてくれる事も無かったし、言う事だっていつも素直に聞いてくれなかった。……初等部のウマ娘だけの話しではない。中等部以降の娘は予定に無いトレーニングを勝手にやったり、トレーニングに来ないような娘までいるが──恐らく、そのウマ娘達も柴中ならば。

 

 

「流石に本職の方はこう、色々と違いますね」

 

──これが本物、これこそが中央トレセン学園の超一流ウマ娘トレーナーなのだ。

 

 

「やっぱり理事長に進言して定期的にトレーナーさんを寄越してもらうべきなのかなぁ。その辺り、どう思います?」

 

「……さぁ、どうですかね。スタッフの方が若干少ないかなとは思いますが」

 

からげんき気味に笑む清瀬に対し、言葉を濁す様に言った。「あー、確かにまずはそっちから手を付けてもらわなくちゃいけませんかね」と話しを続ける清瀬をよそに柴中は思考する。──これでようやく、必要な情報が半分程手に入った。もう半分を手に入れる算段もすでに付いている。──だから

 

 

(そっちは任せたぞ、ウイナー)

 

だから後は、肝心のゼファーをどこまで仕上げられるか、にかかっている。

 

 

 

 


 

 

「本日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。ゼファーとの契約締結が正式に完了した後、ご挨拶を含めもう一度お邪魔させて頂きます」

 

「いえいえ、こちらも──子供達の面倒まで見て頂いたのに、大したお構いも出来ず申し訳ない。……彼女の事、どうかよろしくお願いします」

 

あれから施設内をあちこち見学して、時は既に夕刻。陽もその姿の殆どを地平線の彼方へと沈めた頃。ようやく帰る事にした柴中はわざわざ入り口まで見送りに来てくれた遠藤に御礼の意味を込めて深く頭を下げる。遠藤も遠藤で例の盗み聞き事件や初等部の娘のトレーニングの事を申し訳なく思っているのか、彼も姿勢を低くして柴中に頭を下げた。……その後方には中が指導した初等部の娘を中心としたウマ娘達が集まって、様子を伺う様にこちらを見ている。バイバイ、と小さく手を振っている子もいた。

 

 

「ええ。近い内に必ず、レースで彼女が勝利を手にする姿を休養寮のみなさんにお見せします」

 

「……それは楽しみですね。あの娘も必死に頑張って重賞を勝つ事が出来たのですから、彼女だってきっといつかは──」

 

──いつかは勝てるでしょう。遠藤がそう締めようとした時、キィイイッ--という休養寮入り口ドアの開閉音が響く。

 

 

「…………」

 

「よ、お帰り」

 

「ぜ、ゼファーくん?」

 

後ろを振り向くと、そこには柴中の予想通りの姿になったゼファーがいた。

 

顔が伏せられているため表情こそ窺えないが、着ているジャージは汗でジットリと湿りきり、体中から何か得体の知れない疲労感的なオーラがどんよりと滲み出ていて、履いている靴の紐は何故かズタズタになっていた。

今まで見た事が無いぐらいボロボロになっているゼファーのありさまを見て、院長の遠藤や遠巻きに見ていたウマ娘達に動揺が走る。どうやらウイナーは初日から一切の遠慮をせずに、ゼファー(期待の新人)をシゴキ倒したようだ。……実にいつも通りの事である。

 

 

「おいちょっと、大丈夫なのかい!?」

 

「…………」

 

心配そうな遠藤の声を半ばスルーし、ゼファーはフラフラとした足取りで柴中の方へと歩み寄っていく。

 

 

「柴中さん、私──」

 

「……で、どうだった?」

 

柴中の質問に答える様に、ゼファーは俯いていた顔を上げる。

 

 

 

「──すっっっっごく楽しかったです!」

 

 

 

その満面の笑みを見て、柴中は思わず口端を吊り上げた。

 

 

「本当に凄かったんですよ! 私、あんなの初めてで……。いや殆ど初めてやる事ばっかりだったんですけど、何というかその──」

 

眼には未だ興奮醒めやらぬ熱意が籠もり、顔全体がこれからの期待で満ち溢れていて、口調からは喜びと、疲れなんて微塵も感じさせないほどの力強さが感じられる。

柴中本人がそう指示したのだから当然ではあるのだが、柴中はウイナーがゼファーに何のトレーニングをさせたかは知っているが、それがどういった内容でどういう経過だったのかは今この時まで知らなかった。故に、少しばかり不安な所もあったのだが……。

 

 

「そりゃ良かった。でもかなりキツかっただろう? あいつ新人にも……いや、新人だからこそ(・・・・・)一切容赦しねぇ質だし」

 

「ええまぁ──‘なんで今までこっちのトレーニングはやってこなかったんだろう’って思うくらい怒られたし叱られちゃいましたけど……。それでも私、‘ああ、今まで頑張ってきて良かったなぁ’──って思いました。そのぐらい嬉しかったんです」

 

「……そっか」

 

「ウイナーさんにそう言ったら‘そういうのはせめてレースに勝利した時に思え’って余計に怒られちゃいました」と、ゼファーははにかみながら言った。どうやら‘余計な心配’という奴だったらしい。そのまま放っておいたら今日やったトレーニングの全容とその感想を永延と語り出しそうな勢いのゼファーを手で制し、今日の所はと話しを区切る。

 

 

「そんじゃ、ウイナーから言われてるだろうけど明日も午後からトレーニングするぞ。……あいつと連絡先は交換してあるよな? 迎えに行く連絡するから、その時に軽いウォーミングアップ始めといてくれ。──あ、遠藤さん」

 

「あ、はい。なんでしょう」

 

「……医者としてゼファーに聞きたい事もあるでしょうが、今日の所は勘弁してやってくれませんか。かなり疲れているでしょうし、風呂に入って飯食ったら多分朝までグッスリ寝てしまうと思うので」

 

「……ええ、分かりました。そもそも彼女は既にあなたのチームに入ったのですから……そちらについては、私からはなにも。彼女達にもあまり余計な詮索はしないよう注意しておきます」

 

満面の笑みを浮かべるゼファーを見て、ほっと胸をなで下ろしていた遠藤は安心したように和やかな、それでいて少しばかり寂しそうな表情を浮かべてそう言った。柴中はそれを聞いてもう一度深々と頭を下げる。

 

 

「ありがとうございます。ではこの辺で──ゼファー、また明日な」

 

「はい! また明日、よろしくお願いします!!」

 

それを締めの挨拶として、柴中は休養寮を後にする。

 

──向こうへ帰ったらまずはウイナーへお礼を言って色々な事を説明し、それが終わり次第ウイナーからゼファーを含めたチームメンバー達の今日のトレーニングと成果はどうだったかを聞き出す。その後トレーナー室に戻ってパソコンで今日のレポートと提出書類を書きつつ、次のレースに向けた計画を練って──

 

……やらなければならない事が山の様にある。故に、時間はあっという間に過ぎていくだろう。そして、勿論それは柴中だけの話しではない。

 

 

──ゼファーが休養寮を出るまで、残り六日。彼女達にとっての別れの時が、刻一刻と迫っていた。

 

 



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ヤマニンゼファー 9/10

「たぁああああああああああっ!!」

 

──ここだ! とゼファーは自分で思ったタイミングでスパートを掛ける。最後の直線コースに入った直後からだ。そのまま一気に指定されたゴールまで走り抜けようとしたのだが、その前にウイナーから激しい叱咤が飛んできた。

 

 

「そこでは仕掛けるのが早いと言っただろう。貴様の耳は念仏も満足に聞けんロバの耳か? 理想と現実は常にかけ離れているのだと思い知るがいい。……息を入れ次第すぐにもう一度だ!」

 

「は、はい!」

 

素直に受け入れ、上がった息を整えつつ再びスタート位置まで小走りで駆けていく。……ウイナーから注意されている事はよく分かるし、自分でも「なるほど」と深く頷ける理論だったのだが、どうしても前知識と余計な感覚が邪魔をして、指定されたそれとタイミングがズレてしまう。

 

『400mダッシュ』

 

ダートコースの一角、コーナーを回りきり直線コースに入った位置からゴール板までの距離を利用して何度も行なわれているそれは、レース開始時のスタートダッシュと瞬発力。そしてレース終盤に掛ける最後のスパートを集中的に鍛える事が出来るトレーニングだ。短距離からマイルにかけてのレースを主に狙う特化チーム「ステラ」御用達のそれを、ゼファーはここのところ何度も何度もやらされていた。それこそ、毎日のトレーニング時間の約三割をこれで消費するぐらいに。

 

 

「……大丈夫です!! いけ」

 

ピッ!

 

「──ッツ!?」

 

「息を入れ終わりました」と合図をするやいなや、即座にスタートを告げるホイッスルが鳴らされる。慌ててスタートを切るゼファー。

所謂「出遅れ」に当たるスタートとなったにしては悪くない落ち着きようだが、‘マイルの皇帝,と呼ばれるウマ娘からしてみれば拙いにも程があったようで──

 

 

「自分で宣言をしておいてこれか? レースにおいて‘勝負所,とされる重要なタイミングの一つが‘スタートダッシュ,だ。ゲートに入ったのなら一瞬たりとも気を緩めるな」

 

走り終えた途端にこれだ。柴中とウイナーのチーム「ステラ」へ入りトレーニングを開始したあの日から、容赦の無い厳しい叱咤が毎日ゼファーを襲い続けている。

 

走る時のフォーム。通常時とスパート時における脚と腕の動かし方。仕掛けるタイミング。前傾姿勢の保ち方。……この四つを中心として、ゼファーが一本走り終える度に何らかの叱責が毎回のように浴びせられるのだ。デビュー戦もまだの新バ故の拙さや慣れの無さなど一切考慮せず、むしろそれを徹底的に叩いて矯正していくウイナー独自のトレーニング方針。

 

 

「……これで10本目だったな。一度休憩を入れるぞ。上がった調子を維持しつつ、疲労のみを上手く抜いておけ。……貴様の得意分野だろう?」

 

「は、はい!」

 

そう言うとウイナーはスマホを取り出して連絡用のアプリを起動すると、文章らしき物を手早く打ち込み始める。ゼファーはゼファーで歩きながらゆっくりと息を整え、それが終わると今度は立ったまま足や腰の筋肉をゆっくりと時間をかけて丁寧に揉み解しだした。

 

 

(……やはり上手いな)

 

メールを打ちながら横目でそれを眺めていたウイナーは口には出さないものの、心の中で感心する。有酸素無酸素に関わらず運動行為全般に言える事だが、激しい運動をした後は身体の‘クールダウン,並びに‘ケア,が兎に角大事だ。緊張で張り詰めた心と筋肉を冷ましながら解きほぐし、その後に起こりうる怪我や故障のリスクを低くする事が出来る、スポーツを嗜む者にとって必須とも言える作業。……の筈なのだが、新バは疎か古バになって数年も経つウマ娘でもこの辺りを蔑ろにしがちな者が少なくない。

 

不意に起きる怪我や故障の恐ろしさをよく分かっている筈の中央トレセン学園に所属しているウマ娘ですら「下手だからその辺りは専門職の人を雇って任せている」という者が何人かいる始末だ。優秀な人材が減り、過疎化が進んでいる地方に至っては言うまでもないだろう。

 

‘専門的な知識や技術がある人物に委ねる,なるほど確かに最適解かもしれないが、だからといってそれは当事者である自分が勉強を怠ったり技術を磨かなくて良いという理由にはならない。「トレーナー任せ」或いは「ウマ娘任せ」‘のみの,トレーニングが酷く怠惰で、危険極まりない行為であるのと同じように。

 

その点、ゼファーはかなりシッカリしている。「どこの筋肉がどれぐらい疲れているか」をキチンと自覚し、それぞれの箇所にあった適切なマッサージをする。スタミナが完全に切れ、誰かの助けがなければ立つことも出来ないほど酷く疲弊している時などを除き、彼女はトレーニング後の身体のケアを素晴らしく丁寧に行なっていた。トレーニング初日にその事について尋ねてみたが、ゼファー曰く

 

 

『私、以前お話した通り昔はトレーニングどころかリハビリでも毎回のようにスタミナ切れで倒れちゃってまして……。だからリハビリ後のケアなんかも、ほぼほぼ看護婦さんや職員さん任せだったんです。なんとか起き上がって自分でやろうとしても‘そういうのは向こうに行ってから学べば良いんだ,‘早く身体を治す方が余程大事だ,って』

 

……分かる理屈ではある。怪我、故障、病気。そういった物からいち早く快復する為には適切な治療やその後のリハビリも大切だが、なにより一番大事なのは‘医者の忠言に従う,事だ。自分自身で身体を‘鍛え,治さなければなければならないリハビリはまだしも、ただ疲労した身体を回復させるだけならば自分の手で行なう必要はない。その道のプロに任せた方が何倍も効果があるし、むしろ素人の手で下手なケアを行なうと余計な怪我や故障に繋がる恐れまである。先ほどと正反対の事を言っている気がするが、あれはあくまで健康体の場合の話であり、何らかしらの患いがあったりする場合は話が別だ。

 

‘確実に治す,病院を兼ねている休養寮の職員としては当然の考えであり、その思考回路に一切の非は無い。……色々と時間が無い者の‘夢,を潰しかねないというデメリットがある点を除いては。

 

 

『大抵の人がそう言ってたんですけど──

 

‘こういうのはちゃんと今の内に……ある程度で良いから自分で出来るようになっときな。じゃないと、いつか本校に行けた時に後悔するよ。ただでさえあんたは他の娘よりも疲労が抜けにくい体質をしてるんだから,

 

──って皆さんとは真逆の事を言いながら、凄く親切で丁寧にやり方を教えてくれた人がいたんです。だからこれは、その人が指導してくれたおかげなんです』

 

ということらしい。『まぁついこの前もトレーニング中にスタミナ切れを起こして立てなくなっちゃったので、その人にケアをしていただいたんですけど……』とゼファーは苦笑しながら言った。どうやら休養寮の方にもウマ娘達の事を真剣に考え、根気良く指導してくれる優秀なトレーナーがいたようである。

 

 

「ふぅ……。ん……よし! 大丈夫です! まだまだ頑張れます!!」

 

休憩開始から約10分後。全体の筋肉を満遍なく揉みほぐし終わり、水分補給も完了したゼファーは笑顔でウイナーの方へと駆け寄る。

 

 

「いいだろう。では‘仕上げ,だ。昨日と同じく、スタート位置から1200mを通して走り切れ。……柴中が説明した戦略概要とそれに値する策は覚えているな?」

 

「もちろんです!」

 

頭の中で柴中から言われた事をもう一度思い出してシッカリと意識しなおす。チーム入りして早々、勉学もトレーニングも今まで殆どやってこなかった──慣れない事ばかりをやらされ続けているゼファーだが、それ故に気概は良く、様々な意味でやる気に満ちあふれていた。

……この調子なら心配要らない。二日後もきっとなんの憂いもなく──

 

 

「……? あの、ウイナー先輩?」

 

「──なんでもない」

 

徐々に仕上がっていくゼファーを見る度に自分達以外全員の唖然とした表情がありありと脳裏に浮かび、それがたまらなく愉快で思わず口元が緩む。果たして彼ら彼女らは、‘それ,を事実だと信じられるだろうか。なにせ、もしこれが他人事だとすれば皇帝たるウイナーですら驚かない自信が無いのだから。

 

しかしそれもつかの間。すぐにいつもの凜々しい表情に戻ると、威厳に満ちた声色でゼファーへ次の指示を出した。

 

 

「では行け。走り終わり次第、場所を移して次ぎのトレーニングに入る。こちらも‘仕上げ,だ。……覚悟は出来ているな?」

 

「はい! 頑張ります!!」

 

 

 

 


 

 

「はぁ……はぁ……ああっ、もう…!」

 

走った後に息を整える為のウォーキングさえしんどくなって、そのウマ娘は休養寮のグラウンドに設置されたランニングコースを避けて木陰の方へ寄ると、尻餅をつくようにその場にへたり込んだ。口から吸い込んだ空気で喉が乾くように痛むのを堪えながら何度も呼吸を繰り返し、ようやく深呼吸が出来るようになった頃。自分と同じようにトレーニングからギブアップしたウマ娘がこちらへやってくるのが見えた為、あらかじめ脇によって場所を開けておく事にする。

 

 

「と、となり……良いかな……?」

 

「お好きにどうぞ」

 

ゼーゼーと息を切らしながらやってきたそのウマ娘は了承の返事を聞いて小さくお辞儀をすると、もう限界と言わんばかりに前のめりにドサッと倒れ込む。流石に心配になって「ちょっと大丈夫?」と聞くと、無言のまま小さな頷きが返ってきた。

 

 

「……自分の限界くらい分かっときなさいよ。なにあのバ鹿みたいな無茶しちゃってるの」

 

整った顔立ちをしている上に鹿栗毛の長髪なのも相まって、スタミナ切れでぶっ倒れるそのウマ娘の姿が自分の中で‘あいつ,と被る。「あはは……」とバツが悪そうに笑う様子なんかもうそっくりだった。

 

 

「な、なんていうかそのね。えっと……」

 

「どうせゼファーとゼファーをスカウトしに来たトレーナーの影響でしょ? ここ最近になってリハビリメニューを急に追加した奴らなんて大抵そうだと思ってるけど違うの?」

 

「……あってましゅ」

 

噛んだ。蚊の鳴くような小さな声だったけど確かに噛んだ。羞恥で顔を紅くするそのウマ娘を「はっ」と鼻で笑いながら、吐き捨てるように言う。

 

 

「アホらし……。なーにみんなして今更必死に努力なんてしちゃってんだか」

 

あのトレーナーが休養寮にゼファーをスカウトしに来てから早三日。彼から直接アドバイスを受けたという初等部のウマ娘達を中心に、最近急にリハビリを真剣にやり始める娘が‘また,少し増えた。今年に入ってから──より正確には‘あの人,が重賞レースに勝利してから少しずつ増えていたから、一概にゼファーとトレーナーの影響だけではないのだが……。

 

リハビリメニューを追加する。身体の状態により一層気を使う。先生や院長に言われた事をちゃんと守る。それ自体は良い事だと思うし、別に咎める気など無い──けれど‘どうせ無価値になる,そんな諦観にも似た大前提が彼女の中にあった。そしてそれは、なにも自分一人だけの思想なんかじゃない。この寮で生活している大抵のウマ娘に少なからず根付いている物だ。

 

必死に努力する事を「無意味」だとは思わないが「無価値」だとは思っている。──少なくとも、この休養寮に入った……入るしかなかったウマ娘には。

 

 

「で、でもゼファーちゃんは……。それに大先輩だって──!」

 

「あの人は‘例外,ここでの治療もリハビリも想いも無駄にならなかったけど、それはあの絶望的な虚弱体質を運良く……奇跡的に治療する事が出来たからよ。‘努力したから無駄にならなかった,んじゃなくて‘身体が治ったから努力が無駄にならなかった,。分かる? そもそもあの人、体質そのものは完治はしたけど後遺症は普通に残ってるって話しじゃない。ゼファーに至ってはデビューすらまだの新バでしょ。それも正確にはまだ休養寮(ここ)から退寮すらしてない病み上がり。……あいつがいつデビューするのかは分かんないけど、あの人や他の娘同様、目も当てられないぐらいボロ負けするんじゃない?」

 

「うぅ……」と叱られてしょぼくれた犬の様に落ち込むそのウマ娘を見て「言い過ぎたかな」と少しばかり反省しなくもないが、彼女としては空気を読んで‘その先,を言わなかっただけ気を使ったと思っている。

 

その先──つまり、何度も何度も敗北を繰り返した後。レースに一度たりとも勝利する事が出来ず、それどころか入着する事すら出来なかったウマ娘の末路。悔しさに泣きながら故郷へ帰る事になるか、勝利を諦めきれずに地方のトレセン学園へと転校するか、あるいは──人生を走る事すら止めてしまうか。

 

いずれにせよ、休養寮出身のウマ娘は体質を完治させて本校へ移った所で大抵そうなる。確かに大先輩を含めて重賞レースに勝利したウマ娘も何人かいるが、休養寮に所属した事のあるウマ娘全体の何百分の一とかいう奇跡にも近い確率だし、彼女達だって転入して一年位は散々なレース結果ばかりだったのだ。

 

 

「……だから「私もいつかあんな風にー」みたいに不用意に憧れたり、それを理由に無茶な努力したりすんのは止めといた方が懸命──」

 

「流石に聞き捨てならないな、それは」

 

「な──!?」

 

横合いから不意に話しかけられ、流石にビックリしながらバッ──! と後ろを振り向く。「やぁ」という気さくな挨拶と共に木の陰からスッと姿を現したのは、二十代後半と思われる人間の成人男性。

 

 

「あ、アンタ……」

 

休養寮では見ない顔だが、その顔と声には覚えがあった。なにせ、ちょうど四日前に直接顔を見たばかりだ。

 

 

「ぜ、ゼファーちゃんのトレーナーさん!?」

 

「柴中な。柴中」

 

四日前に着ていたスーツとは違う、上下共に蒼と白を基板として薄い桃色の文様のような装飾が所々にちりばめられた──恐らくこれが、彼独自のトレーナー服なのだろう──‘魔術師,や‘呪い師、といった部類の人間が着ているイメージがある、全体的にゆったりとしたローブのような服を着ていた。

 

 

「なんでアンタがここにいんの……。ゼファーだったらもうとっくにトレーニングしに出かけたけど」

 

「ああ、もちろん知ってる。っていうか昨日も一昨日も俺がトレーニングルームまで送り迎えしてるしな。明日には退寮だから、引っ越しの荷物纏めなんかもかねて今日はかなり早めに上げる予定だし」

 

柴中はそう言うと、脇に抱えたクリップボードに挟んでいる紙へスラスラとなにやら書き込んでいく。クリップに挟まれた紙は大凡十枚以上あるようで、その一つ一つに七面倒くさそうな……まるで重要書類や契約書みたいな事細かな文章が書いてあった。

 

 

「じゃあなんで──」

 

「そんなの決まってるだろ? ゼファーの……いや違うか。俺の為さ。やらなくちゃいけない事と知っておかなくちゃいけない事がまだあるから、遠藤さんにあいつとの正式なトレーナー契約締結完了とその報告を兼ねてここに来たんだよ」

 

「えっと……し、知りたい事って一体……?」

 

「ゼファーの事さ」

 

このあいだ遠藤に言った時と同じ、どこまでも真摯で単純な理由を躊躇無く口にする柴中。

 

 

「……意外ね。アンタ確か、GⅠトレーナーって奴なんでしょ? 休養寮であいつが今までやってきた治療行為の内容とかリハビリにトレーニングメニューの情報なんてとっくに手に入れてるだろうし、それに加えて今までの経験則があれば……所謂‘育成計画,なんてもう十分立てられるんじゃないの?」

 

「育成だけの話しじゃない。これからあいつと一緒に歩んで行くにあたって、トレーナーの俺が知っておくべき事はまだまだ沢山ある。どんな食べ物が好きで、どんな信条があって、なにを目的としてレースを走るのか--とかまぁ色々な。あと、休養寮出身のウマ娘を担当するのは俺も初めてだから、いつも以上に色々と慎重になってるんだ」

 

書類だとかカルテだとかレポートだとか……。そういった事実的な根拠に基づいた情報資料は確かに大事だけれど、それだけじゃ分からない事は間違いなくある。特に、今までゼファーと一緒に過ごしてきた休養寮の職員やウマ娘達の‘生の声,は貴重だし、凄く参考になる。

 

 

「‘速くて強くて丈夫なウマ娘を育てる,だけが俺達ウマ娘トレーナーの仕事じゃない。担当のウマ娘が何の憂いもなくレースに挑めるように最善を尽くす。気持ちよくターフを走れるように出来る限りの事をする。調子が悪かったり不安になった時とかに可能な限り寄り添って力になるのも立派な仕事さ」

 

その姿勢から仕事に──否。ウマ娘に対する‘情熱,という物をありありと感じる。詳しくは知らないが、GIトレーナーって奴はどいつもこんな奴らばかりなんだろうか。ともすれば愛しい恋人へ向ける想念に近いものさえ感じさせる柴中に、少しばかり気後れしてしまうウマ娘二人であった。

 

 

「そんな訳でここの人達に話しを聞いて回ってるんだけど……。良ければ君達も知ってることや思ってることなんかを聞かせてくれないか」

 

そして、例え自分ではなくともウマ娘に……特に、休養寮の娘に対して真剣に向き合ってくれる一流トレーナーの頼みとあらばそう無碍にも出来ない。

 

 

「わ、私は別に良いですけれど……。でもその、あんまりプライベートな事や休養寮の機密に関するかもしれない事なんかは……」

 

「もちろんその辺りは省いてくれて良い。特に、プライベートやあいつの信条に関する事なんかは例え知ってても話さないでくれ。教えて欲しいって言った手前あれだけどな」

 

先ほどとは真逆にも近い事を言いだした柴中だが「そういうのはいずれ俺がゼファー本人に直接聞く。で、‘話しても良いな,って思った時に教えて貰えれば良いんだ」との事らしい。……自分の担当になるとはいえ、人の過去や事情を勝手に調べておいて今更何をと思わなくもないが、どうやらそれが彼なりの‘易々と踏み越えてはならない一線,なのだろう。

 

 

「……」

 

すぐに了承した後から来た方と違い、先に木陰に来ていた方のウマ娘は少しばかり考える。そも、自分はゼファーの事なんて大して知りはしないし、別段思い入れがある訳でも無い。精々、リハビリを兼ねたスタミナトレーニングを毎日欠かさずやり続けていた事と、ケンカやもめ事なんかに首を突っ込んでは良い具合に収まるまでトコトン付き合い続けていた事。それから、走ってる最中に妙な事を口走る時が極希にあったから不思議に思っていた事があるくらいだ。

 

……教えて困る様な事などなにも無いが、逆に言えばワザワザ教えてやる義理も無い。

 

 

「……ねぇ。その前にちょっと聞きたいんだけど」

 

「なんだ?」

 

「さっき言ってたじゃない。‘ちょっと聞き捨てならないな,って。あれどういう意味? やっぱ一流のトレーナーとしては無駄な努力ーって単語が気に入らなかった訳? それとも不用意に憧れるなーの方?」

 

だから、先にこっちから聞きたい事を聞いてやる事にした。

 

 

「……アンタ、休養寮の娘みんながみんな‘速く病気を治して本格的なトレーニングがしたい。レースに出て走りたい,って思ってるって勘違いしてるんじゃない?」

 

「……」

 

我ながら嫌みったらくてトゲのある言い方だと思いつつも、思った事をそのまま口にする。どうせどう思われようがこれ以上縁がある事はないのだし、気にする必要も無い。……不穏な雰囲気を感じて自分の隣で顔を強張らせている娘には悪いけど。

 

 

「……‘建前,って奴よ。本当はもうとっくに退寮出来るのに、何かと理由を付けてここから出て行きたがらない娘もそこそこいるの。なにせ、休養寮を出たら本校のレース科に移らなくちゃいけない。‘体質に異常がある,っていう恰好の免罪符を取っ払われて、全国から集いに集った化け物達が棲む場所に行かなくちゃいけないんだから」

 

休養寮から出て行くということは、体質が(大まか)改善したということ。体質が改善したということは、みんなと平等になるということ。みんなと平等になるということは、贔屓目抜きで‘比べられる,ということだ。無論、最初の辺りは良い結果が出なくても‘最初だから,‘病み上がりだから,と自分や周囲を納得させられるかもしれないが、だいたい一年も経てばそうはいかなくなる。

 

あれだけ必死に闘病生活を送り、やっとの思いで体質の改善に成功したと喜び勇んで本校のレース科に行っても、重賞を幾つも勝つような怪物(ウマ娘)は疎か、OP戦にすら出られないような娘にまで羽虫のように蹴散らされ、嬲られ、目を覆いたくなるような大敗を繰り返し続ける。体質異常を治療する時に残った後遺症なんかがある場合はまだマシで、本当に何の理由も無くただただ負け続けたウマ娘は‘走る意味を見失う,。──そして、そんなどうしようもない自分に絶望する。

 

 

「……多少大袈裟に言ったけど、休養寮から出てったウマ娘の殆どがそんな末路を辿ってるのよ。GIクラスのレースで当然のように良い成績を残すようなウマ娘ばっか育ててきたアンタには分からないかもしんないけど──」

 

 

 

 

 

「じゃあ止めるか? 走るの」

 

 

 

 

 

ピタリ──と。そのたった一言だけで、彼女は世界丸ごと時間を止められたような感じがした。

 

 

「止めたくないから、ここにいるんだろ?」

 

「……ッツ!」

 

「気付いてるか? 君さっきから‘走りたい,‘レースに出たい,‘勝ちたい、負けたくない、みんなを見返してやりたい,──そんな事ばっか言ってるぞ」

 

負けるのが恐いのならレースなんか出なければ良い。負けても良い理由が欲しいのなら努力なんてしなければ良い。絶望したくないのなら走らなければ良い。そもそもの話し、身体の異常体質をなんとかしたいだけなら医療関係者がもっと沢山勤務していて、設備や機材なんかも充実している有名な大病院にでも入れば良いのだ。金銭面の問題だとかそういう物もあるかもしれないが、少なくとも休養寮に拘る必要などなにも無い筈である。

 

そして、建前としての理由も恐怖に塗れた本音も関係無く、彼女の言葉から余計な物を取っ払えるだけ取っ払えば、休養寮のウマ娘達の本当の‘願い,がありありと見えてくる。

 

──‘だから勝ちたい。体質を治して休養寮を出て、トレーニングを積んでレースに勝って、もっともっと走り続けたい,──そんな純粋な願いが。

 

 

「あとなんか勘違いしてるみたいだから誤解を解いておくけど、俺が‘聞き捨てならない,って言ったのは‘誰かに憧れて無茶な努力するのは危険,って思想じゃなくて、その前」

 

「……その前?」

 

ホンの一分程前の事なのに自分でもなんて言ったかよく覚えていなくて、そのウマ娘は思わず聞き返す。「おいおい」と柴中はあきれ顔でツッコんだ。

 

 

「‘デビュー戦でゼファーがボロ負けする,って言っただろ? そっちだよそっち」

 

「……ああ。確かに言ったけど、それがなに?」

 

柴中に言われて発言の内容を思い出し、特に悪びれることもなく肯定する。柴中がいつゼファーをデビュー戦に出させるかは知らないが、仮に今年中にデビューさせると仮定した場合、目処はだいたい秋頃になるだろう。今は三月だから、凡そ七ヶ月ちょっと。たったそれだけの期間で病み上がりのスタミナ皆無(もやしっ子)が、デビューを遅らせてまで入念に準備を重ねてきたウマ娘達に勝てるようになる訳がない。仮にボロ負けはしなくとも、入着なんてとても期待出来ないだろう。

 

 

「もしかして‘GⅠトレーナー(自分)ならそんな短期間でも病み上がりウマ娘をレースで勝たせられる,って言いたい訳? ハッ、そういう事なら──何で頭抱えてんのアンタ」

 

「いや、なんて言うかその……アイツって本当に誰とも併走しなければレースにも出なかったんだなってさ……。やっぱ‘あれ,言われたの休養寮でじゃないな。もっと過去を、いやでも流石にこれ以上は……」

 

頭を抱えながらなにやらブツブツと小声で呟きだした柴中を怪訝な眼で見るウマ娘二人。‘ゼファーが負ける,という発言が気に入らなかったのはよく分かったが、どうやら柴中の話し、もとい言いたい事はまだ終わりそうにない。

 

一旦息を整えてから、柴中は姿勢を正すともう一度ウマ娘の方を見た。

 

 

「──違う。‘トレーナーがウマ娘(俺がゼファー)を勝たせる,んじゃなくて‘トレーナーの指示を聞いたウマ娘が(トレーニングを積んだゼファーが)勝手に勝つ,のさ」

 

「……ふうん」

 

強気に。不敵に。彼女の華々しい勝利を欠片も疑っていない自信に溢れた表情で、柴中は言う。……トレーナーとしては実に良い口上だと思うし、ここまで強く断言されると期待の一つもしたくなるが、流石に半年では──

 

 

「だから、君達も見に来てくれよ」

 

「は……?」

 

柴中はそう言うと、手提げ鞄の中から二枚のポスターを取り出して二人に手渡す。「是非応援してやってくれ」と笑う柴中をよそに、口が悪い方のウマ娘は途方もない違和感を感じていた。

 

 

「あのぉ……‘見に来てくれ,って、一体何を……」

 

「決まってるだろ? レースだよレース。折角のデビュー戦なんだ、応援席で見てるのが俺一人だけってのは流石に寂しいだろうからな」

 

「あ、アンタさっきから何を──」

 

……こいつはさっきから一体何を言っているんだ? デビュー戦? 応援? 半年以上も先のレースの出走枠を予約なんて出来る筈が──

 

 

「──! まさか!?」

 

癖で丸まったそのポスターを破りかねない勢いで開き、そこに書いてある内容を隅から隅まで見る。レース階級は新バ限定の‘メイクデビュー,。レース場は中山で、コースはダートの1200。雨天決行で、開催日が……。

 

 

「え……え、えぇええええ!?」

 

「アンタ……バカじゃないの!?」

 

それを確認した瞬間、大人しい方のウマ娘は目を見開いて絶叫し、口が悪い方のウマ娘はあと一歩で柴中に掴みかかるところだった。

 

 

「これ、明日やる(・・・・)レースじゃない! まさか碌なトレーニングもやらせないでレースに出させようっていうの!? 何考えてんのよ!?」

 

もはや‘期待出来ない,だとかそういうレベルの問題ではない。

 

 

「別に休養寮のウマ娘はレースに出ちゃいけないなんて決まりは無いよ。それに、ゼファーなら勝てる」

 

「無理に決まってるでしょ!」

 

声を今まで以上に大きく荒げる。騒ぎを聞きつけたのか、二人の他にグラウンドでリハビリをしていたウマ娘達も「なんだなんだ」と野次ウマのように寄ってきた。

 

 

「アンタあいつを何だと思ってんの!? 自他共に認める生粋の‘もやしっ子,なのよ!!?」

 

スタミナ切れを起こして毎日のようにグラウンドやトレーニングジムでくたばっていたゼファーの姿を思い出す。

 

マラソンはいつもたったの5㎞でバテバテ。バーベル上げもボクササイズもタイヤ引きもルームランナーもみんな長く続かない。いくら虚弱体質が大まか改善しているとはいえ、碌にトレーニングも積めていない休養寮出身の病み上がりウマ娘がレースに勝てる訳がない。

 

 

「今からでも出走を取り消すべきよ! ‘ボロ負け,なんてもんじゃない! あの人のデビュー戦と同じで、ブービーから大差以上の差を付けられる……。それこそ、‘もう二度と走りたくない,なんて思っても不思議じゃない最悪の記憶になるわ!!」

 

「……一応聞いておきたいんだけど、やっぱり君もそう思うか?」

 

「え!? ええっと……そ、そのぉ……。ぜ、是非勝って欲しいなぁとは思ってますけどぉ……」

 

柴中を責め続ける口が悪い方のウマ娘に同意しているのかどうか尋ねるが、大人しい方のウマ娘はゴニョゴニョと言葉を濁すと気まずそうに目を逸らしてしまう。その数秒後、小さくコクリと頷いたのが見えた。「そっか」と柴中も小さく頷いて──

 

 

「いや実はな? さっきゼファーとの正式なトレーナー契約の締結が完了した連絡と御礼、それから二日後のメイクデビュー戦に出走させるから是非応援に来てくれって院長さんと清瀬トレーナーに伝えに行ったんだけど、今と似たようなこと言われちゃってさ」

 

「あったりまえでしょうが……!」

 

ただの寮生として一年間一緒に過ごしただけの自分ですら、ゼファーの圧倒的もやしっぷりを知っているのだ。その三倍以上の時間をずっと見守ってきた二人からすれば、それこそプロスポーツ選手志望の長期入院患者を退院後即試合に出場させるような暴挙に感じられただろう。

 

 

「院長さんは「絶対に必要なことなんです」って言ったら渋い顔で了承してくれたけど、清瀬トレーナーは凄かったな。礼儀も外聞も知ったこっちゃないって感じで『アンタ本当にGⅠトレーナーなんだろうな!?』って思いっきり怒鳴られたよ。っていうか院長さんが止めてくれなかったら多分胸ぐら掴まれてた」

 

ハハハッ──と笑いながら柴中は語る。「何がおかしいのよ……!」と口が悪い方のウマ娘が聞くと、嬉しそうな顔で再び口を開いた。

 

 

「ああ、ごめんごめん。四日前にここを尋ねた時から‘そこまで深刻な問題は起こってなさそうだな,って思ってはいたんだけど──。俺の予想以上に‘良い環境,で過ごしてたみたいで良かったなって思ってさ」

 

「……い、良い環境……ですか? 休養寮が……?」

 

「ああ」

 

ハッキリと力強く頷く。

 

 

「ここで過ごすウマ娘の事を第一に考えてそれぞれにあった治療やリハビリを指示してくれる院長と医療スタッフにウマ娘トレーナー。種類こそ豊富とは言えないけれど一つ一つ丁寧に整備された機材や各種設備に、好みをある程度聞き入れつつ、栄養バランスがシッカリと考えられている食事メニュー。それと、君達みたいな友達。……これでどうして‘悪い環境,だなんて言えるんだ?」

 

所属しているウマ娘の割合が本校と比べて圧倒的に少ないから当然と言えば当然なのだが、職員やトレーナーが一人一人のウマ娘に割ける時間や情熱が本校のそれとは段違いだ。~一人一人に合った教育と育成を~なんて謳い文句のマンツーマンサポート制の塾は多いが、それと似た物を感じる。医療現場を兼ねているとくれば尚更だった。

 

 

「……アンタ、私の話聞いてたの? どんなに体制が良くても休養寮はね──!!」

 

「君の言う通り本当に‘怖がってる奴,と‘諦めてる奴,しかいないような頑張りがいのない場所ならゼファーは三年もここに入ってないよ。途中退寮して別の所で体質をシッカリ治してから中央トレセンに殴り込みを掛けてくるさ。‘大人しくて前向きな主人公タイプ,と見せかけて行動力があるし、とんでもないド根性持ってるからなあいつ」

 

「ぐっ……!」

 

言葉が詰まる。まだゼファーと出会って一週間と経っていない筈の柴中の断定するような言い方が、そしてそれに納得してしまっている自分がいる事が何故だか無性に腹ただしかった。大人しい方など「と、友達……友達かぁ……友達、で良いのかなぁ?」と先ほどまでブツブツ言っていたのに「あー……。確かにゼファーちゃんならするかも……」と思いっきり同意してしまっている。

 

 

「……君達の不安も心配も分かる。傍から見れば病み上がりのウマ娘……それもデビューもまだの新バをいきなりレースに出場させるような暴挙でしかない。もしこれで結果が出なかったら新聞やネットの記事で散々と叩かれるだろうな。……いや、結果が出ても同じか?」

 

──ここだけの話し、柴中は休養寮の誰よりも理解しているし、知っている。

 

 

「まぁそこは良いや。最低でも二週間以内にはデビューさせるつもりだったからその辺は大差無いだろうし、なにより必要な事だしな」

 

自分がやろうとしている事が、常識外れにも程がある行為だという事も。確実に、そして堅実に勝ち星を重ねていく方法も。リスクを限りなく低くして、それでいて数年後にはGⅢクラスのレースで勝利する事が出来るだろう育成プランすら頭の中にあった。

 

 

(……けれど、それじゃダメだ)

 

それでは届かない。ゼファーの、ウイナーの、自分の夢は叶えられない。……GⅠのレースには勝てない。

 

時間は有限で、ライバル達は強大で、体質はまだ完全に治ってなくて、その改善に時間が掛かる大きなハンデまで背負っている。──だから今しかない。彼女が大成する為には、今この時期にデビューさせるしかない。

 

 

「その上で言うぞ『ゼファーは勝つ』。過去に休養寮出身のウマ娘達が悉く振わないデビュー戦を飾っていようが、その日同じレースでデビューする有力ウマ娘がいようが、俺とウイナー(あいつ)以外の誰もが勝利を期待してなかろうがだ」

 

そして、だからといって負けるレースになる気は微塵もしていない。仮に「分が悪い」と判断したのであれば、あと一週間はデビュー時期をズラしている。あくまで「勝てる」と思ったからこそ出走させるのだ。

 

 

「で、でも……」

 

「だからってこれは……」

 

GⅠトレーナーである柴中の熱弁を聞いてなお、二人は半信半疑だった。仕方がないことではあるのだが、やはり今の休養寮のウマ娘達(中等部以上)は自分達の事を過小評価し過ぎている。

 

 

「そう思うならレースを見に来てくれ。そして、ゼファーを応援してやってくれ」

 

ならばこそ彼女達は──否。休養寮のウマ娘達は、彼女のレースを見に来るべきだ。柴中は今日、それを大目的として休養寮を訪れたのだから。

 

 

 

「‘仲間達の声援,。それがあいつの負け筋を無くす最後のピースだからさ」

 

 

 

 


 

 

「……ああもう! 良いんですか院長!?」

 

休養寮の院長室に清瀬の鬱憤たまった大声がこだまし、その影響で来客用の机の上に置いてあった三杯のコーヒーカップがカタカタと音を立てて揺れた。呼びかけられた遠藤は遠藤で先ほどから渋くて苦々しい、それでいて迷いや困惑が垣間見えるなんとも言えない表情のまま俯いてしまっている。

 

 

「……」

 

「前代未聞どころの話しじゃないですよ、あんなの……!」

 

一方の清瀬は躊躇なく怒りを露わにして、柴中が出て行ったドアを睨み付ける。一頻り、それもほぼほぼ一方的にゼファーと彼女のこれからに関する説明をして、彼は部屋から立ち去ってしまった。実際の所、柴中は二人に対して失礼極まりない態度を取ったり発言をしたりなどしていないのだが、彼が宣言したゼファーの育成プランがあまりにも性急かつ強引な物に映った為、思いっきり印象を悪くしてしまっている。

 

無論、柴中は一つ一つ順序立てて「今デビュー戦をしなければならない理由」について懇々と説いたし、ゼファー本人もそれに納得してレースの為に調整に入っていると伝えた。結果、院長である遠藤は渋々ゼファーのレース出走を了承したのだが……。

 

 

「そりゃあゼファーはあの娘に負けず劣らずリハビリもトレーニングも毎日しっかりやってましたけどね! それはあくまで休養寮基準の‘体質の治療,を大目的としたただの‘運動,なんですよ! レース科のウマ娘達がやっているような本当の‘トレーニング,なんかと比べたらの話しですけどね!!」

 

「……ま、まぁまぁ。どうか落ち着いてくれ清瀬くん。……私だって快く思ってはいないよ」

 

上司兼年配者として取り乱す清瀬を宥めようとするその口調には覇気など無く、表情も影が差した様に暗いままだ。やはり内心ではまだ完全に納得する事が出来ていないらしい。

 

確かにゼファーの体質はレース科で行なわれているような本格的なトレーニングを行えるくらい快復した。正直な話し、体調面だけを考慮するというのであればウマ娘レースに出走しても特に問題ないだろうと遠藤も思っている。……それ以外の、特に‘勝ち負けの一切を度外視している,とも思うが。

 

 

「だったらなんで──!」

 

「……無理だからさ」

 

レース科に異動する事が一ヶ月以上も前に決まり、学園でもトップクラスのトレーナーが担当に付いた上、彼が率いるレースチームにも正式に所属する事が決まった以上、もはや自分達がゼファーの育成に介入する事が出来る余地など微塵も残されていない。仮に介入する事が出来たとして、その上で遠藤が今回のレース出走を認めなかったとしても、柴中は現在のゼファーの体質状況と治療具合が印されたカルテなんかを根拠にして半ば強引にレース出走へこぎ着けることが出来てしまっただろう。もしこれが柴中の独断で決められた出走であればまだいちゃもんの一つも付けられるかもしれないが、肝心のゼファー本人がレースへの出走を望んでいるというのであればもうどうしようもない。

 

……そんな理由(言い訳)を頭の中で反復しながら、遠藤は深く溜息をついた。

 

 

「それに、その……あれだ。彼は理事長本人が実力と人格を認めた学園屈指の名トレーナーなんだし、急なデビュー戦でもひょっとしたら──」

 

「────勝てるかも(・・・・・)。とでも思ってるんですか?」

 

自分を睨み付けるように見るその瞳があまりにも憂いと悲しみに満ちていて、遠藤は一瞬、完全に言葉を失ってしまった。もう一度深く呼吸をして、色んな意味で慎重に言葉を紡ぐ。

 

 

「……清瀬くん、それは──」

 

「……すみません。軽率な上に院長にもゼファーにも……いえ、休養寮の娘全員に失礼な発言でした」

 

軽く頭を下げて発言を謝罪する。‘休養寮出身のウマ娘はレースで勝てない,と受け取られかねないような発言もそうだが、義理立てて色々とこれからの説明をしに来てくれた柴中に対し、未だに駄々を捏ねているような自分の見苦しい姿の事も。

 

まだゼファーとトレーナー契約をしていなかった四日前ならば兎も角、ちゃんとした手続きを踏んで正式な契約が交わされた今、柴中は二日後──ようは転校初日にデビュー戦をさせる事なんてワザワザ伝えに来なくても良かった筈なのだ。なにせ、ゼファーは明日の昼過ぎには休養寮から出ていく。

 

縁が切れる。関係がなくなる。別に会えなくなる訳ではないが、少なくとも‘休養寮のウマ娘,ではなくなる。それで良いと思っているし、もう二度とここでは会いたくない。明日には他人になる自分達の為に、忙しいなかワザワザ時間を取ってまで直接ゼファーの事を伝えに来てくれたのだ。子供達のトレーニングにも根気よく付き合ってくれていたし、十分過ぎるほど親切で義理堅い性格をしているのは分かる。

 

「ですが」と、そう前置きをして清瀬は喋り続ける。

 

 

「ウマ娘トレーナーにとって一番大事な仕事は担当のウマ娘をレースで‘勝たせる様にする,ことです。特にデビュー戦は絶対に勝たせたい」

 

『ウマ娘レースに出走する者にとってデビュー戦とは、ある意味でGⅠレースより何倍も“重い”』

 

とある『伝説』のウマ娘が残した言葉だが、これ以上ないほどに真理を突いている。なにごとも最初の一歩こそが肝心なのだ。

 

最初に力強い走りを見せて勝つことが出来れば、それだけ見に来てくれた人達に良い印象を残しやすい。ともすればURA上層部からの認可を受ける事で飛び級し、一気に重賞クラスのレースに出場することも夢ではないのである。

 

逆に、負けてしまった場合は悲惨だ。接戦の上で敗北したならば兎も角、一位と大差──10バ身以上の差を付けられてしまえば「弱い」という最悪の印象を一番最初に世間に与えてしまう。当然、努力と鍛錬をもってして成長し、次のレースで勝つ事が出来れば話は別だが──そう簡単に拭い去れる物でもない。なにせ「第一印象」なのだから。

 

そして、それを承知の上で柴中はゼファーを明日行なわれるデビュー戦に出走させるという。

 

 

「……それを分かっていて何であの人は──!」

 

肝心の初戦で圧敗を喫し、そのせいで散々苦労したウマ娘の事を清瀬は誰よりもよく知っている。だからこそ、何故学園最高クラスのトレーナーである柴中がこんな愚行に走ったのかが理解出来ないのだ。

 

 

(勝てるわけがない……!)

 

先ほどのように言葉には出さず、しかし心の中で強く想う。

 

 

 

(勝てるわけがないでしょう!! 治療とリハビリに集中してたせいで他の娘と比べて碌にトレーニングを積んでいない! 休養寮上がりで病み上がり! スタミナなんて目を覆いたくなるような酷さ! 模擬レースはおろか併走一つまともにした事が無いようなウマ娘が! いきなり中央のレースに出て勝ったりなんてしたらそりゃもう本物の奇跡かなにかでしょうが──!)

 

 



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幕間~デビュー前夜、休養寮で~

「ねぇねぇ聞いた? 例の話し!」

 

「ゼファーの事でしょ? 『見た目と性格に対して思い切った事をする時がある娘だなぁ』って前から思ってたけど、まさかここまでとはねぇ」

 

──もやしっ子(ゼファー)が休養寮を立つ前にレースに出走する。担当トレーナーである柴中本人からの宣伝もあってか、そのあまりに唐突で衝撃的な知らせは瞬く間に休養寮全体へ広がった。急な知らせだった為か

 

『ちょっとちょっと冗談でしょー!』

『明日の昼に(ゼファーには内緒で)退寮祝いのミニパーティやる予定だったのに一体どうすれば……』

『お弁当にして向こうでやれば良いんじゃない?』

『『それだ!!』』

 

と何名かのウマ娘が食堂で騒いでいたので(そんな事より前代未聞のデビュー戦をする事になったゼファーの心配をしなよあんたら……)と心の中でツッコんだのを思い出す。

 

二人が今話しをしているのは食堂に隣接された休憩室だが、今や室内廊下屋外問わず、そこかしこで明日行なわれるゼファーのデビュー戦について話されている。……五日前にも似たような事があってそれはもう色々と騒がれた気がするが、前回の「祝福」や「羨望」といった想念が込められていた物と違って今回は──

 

 

「……で、どう思う?」

 

「決まってるでしょ? 無謀だよ無謀」

 

「だよねぇ? ホント何考えてるんだろう……」

 

驚き、呆れ、怒り、心配する。起こしたリアクションは人それぞれだが、共通項として‘誰も期待などしていなかった,という事実が上げられる。

 

ゼファーが本格的な‘トレーニング,を始められる様になった(もちろん本校のそれとは比べ物にならない)のはここ数ヶ月で、柴中と契約して指導を受け始めたのはたった五日前の事だ。彼女同様、なんとしてでも体質を治してレースに出てやる──! といった気合の入ったウマ娘もそこそこいるが、それはあくまで‘本格的なトレーニングを十分積んでから,の話である。退寮して本校の方へ移りゆっくりと時間を掛けてトレーニングを積んだのならば兎も角、今のゼファー(休養寮のウマ娘)が、本校でトレーニングを延々と積み続けたウマ娘に勝てる訳がない。

 

 

「いや、別に……少なくともトレーナーの方は‘考え無し,じゃあないと思うよ。‘うわぁ、エグい上に容赦無い事するなぁ,とは思ったけど」

 

‘無謀だとは思うけど,そう前置きをした上で、聞かれた方のウマ娘は感想を述べる。

 

 

「ん? あれ? もしかしてレースに出るの肯定的?」

 

「……地方のトレセンだけど、私はレース科にいたからね。ホンの少しならトレーナーの「育成方針」ってのが読めるんだ」

 

「ほうほう。……で?」

 

「……レース場の空気だとかターフの上の景色だとかを一番最初に味あわせておきたい、ってのもあるかもしれないけど……。多分、入学して即やらせられる模擬レースよろしく‘今の自分の実力,っていう現実を身をもって知って欲しいっていうのが本命だと思う。あれだよ‘負けという経験,って奴」

 

今の自分(現実)を知らなければ、目指すべき自分(理想)を思い描くことなど出来ない。強くなる為に知らなくてはならない事があるのならば、例えそれが屈辱的な物であろうと味あわせる。勝ち負けを度外視した、経験を積ませる為のレース。

 

 

「多分、ゼファーみたいな明るさと根性値が振り切れてるような奴なら絶望的な負け方をしても大丈夫って判断なんじゃないの?」

 

そう考えると、このあまりに性急過ぎるように見えるデビューは決して悪い手ではないと思える。模擬レースで良いじゃんと思わなくもないが、そこまでは知らないし興味がない。

 

 

「んー。でも噂じゃ「トレーナーさんは勝つ気満々だった」って話しなんだけどなぁ……」

 

「当然だよ。‘担当するウマ娘の勝利を疑うべからず,トレーナーが一番最初に教官から指導される心構えじゃん」

 

出走するレースに化け物染みた強さのウマ娘がいたとしても、最悪の天候で超が付くほどの不良バ場になってしまっていたとしても、抽選で引いたら終わりとまで言われている大外の枠を引いてしまったとしても、間違っても「負ける」とは言わない。口に出さない。勝利だけを信じてターフへ送り出す。

 

それこそが真のウマ娘トレーナーとしての最低条件だと、昔からそう言われている。──‘建前上は,の話しだが。

 

 

「だからどれだけ勝気な態度でも本心は──って事なんじゃない? 知らないけど」

 

「そうなのかなぁ……?」

 

「……そんなに気になるなら直接……ってそうか。あの娘今日帰ってこないんだっけ」

 

ゼファーに会って詳しい事情を聞き出したり忠言をしたりしようにも、彼女は今日のトレーニングが終わり次第最終調整に入り、明日は朝一で現地入りをするため今日は休養寮へ戻ってこないらしい。柴中がワザワザ休養寮を訪ねてきたのも、院長から外泊の許可を貰う為だという噂だ。

 

 

「うん。スマホも休養寮じゃ連絡手段として使う必要ほぼ無いから院長以外誰も電話番号知らないし、仮に知ってたとしてもトレーニングに集中してるなら多分出ないと思う……。あ、大先輩の方から連絡を入れて貰おうとした娘はいるらしいんだけど──」

 

 

 

『大丈夫大丈夫! 心配なんていらないいらない!! ゼファー(あの娘)なら余裕で勝つから!! あ、私はどーしても都合が付かなくて応援に行けないんで、私の分まで目一杯応援よろしくねー!!』

 

 

 

「──って逆に応援のお願いされて電話切られちゃったんだって」

 

「まったくあの人は……。自分が休養寮きっての‘偉人,だからって……」

 

口調どころかニコニコした自信満々の表情までありありと想像出来てしまい、思わず溜息をつく。一体何の根拠があって言っているのか、どうやら大先輩は本気でゼファーの勝利を疑っていないらしい。

 

 

「……で、どうする? 私達も行く? ゼファーが時々面倒見てた初等部の娘達は‘せめて応援に行きたい!,って院長や担当の職員に直談判してたけど」

 

そのウマ娘は返答に困った。レースで惨敗する事を前提に考えるなら、自分達の存在がゼファーにとって毒となるだろう事は想像に難しくないが、久々に外出する事が出来るチャンスでもある。正直な所レースの結果やそれでゼファーがどうなろうと個人的には興味など無いし、どうでも良いことでしかない。そも、結果など既に見えているのだから。

 

適当な慰めの言葉を考えておいて、帰りにショッピングモールかどこかで買い物でも……。

 

 

「……いや、やめてお『ちょっとちょっと! なんでアンタ当り前のようにケーキ作ろうとしてるのよ!?』『え? だってゼファーってフルーツケーキ好きだし』『……悪くは無いけどお弁当なのに一番最初に作るのがケーキって……』『大丈夫、ちゃんとごはんになるようにベーコンと玉ねぎ入りのも作るから』『『違うそうじゃない』』やっぱあのバ鹿三人が色々とやらかさないか心配だから行く。放っておいたら休養寮の恥になりかねないよあいつら」

 

「あはは……。じゃあ私もそうしようかな」

 

「でも学園の外に出るのなんていつぶりだろー」と暢気に感想を述べるそのウマ娘を尻目に、一応(重用な事らしい)学級委員長的な役割を担っているそのウマ娘はバカ三人にツッコミを入れるため、食堂奥にある調理場へ駆け込んでいく。

 

 



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幕間~数週間前~

──中央トレセン学園──カフェテラス近くの休憩所──

 

 

「──とまぁ、そういう訳なんで近々転入して来るそいつと相部屋をやれる……もとい、やっても問題無いような奴を探してるんだけどさぁ……」

 

「…………」

 

中央トレセン学園本校に付属する形で建てられている二つの学生寮の内の一つ、美浦寮の寮長を務めるウマ娘──‘女傑,『ヒシアマゾン』は、普段はあまり見せない疲れたような顔を隠そうともせず、自分の対面に座っている無骨面に話しかける。

 

 

「ホント参ったよ。みんな普通の──ああいや、この言い方はちょっと良くないね。よくある怪我とか病気の娘の補助なら兎も角、ほぼ完治しているとはいえ休養寮出身のウマ娘と相部屋は‘もし何かあった時に責任が取れないから嫌,だとさ」

 

「…………」

 

「‘自分の発言や行動に責任が取れないような事はしない,。それが普通の考えだってのは分かるし、無責任に色々引き受けようとするような考え無しよりは何倍もマシなんだけどさぁ……。じゃあどうすりゃ良いんだいって話になるわけじゃないか」

 

傍から見ても一方的な会話にしか見えないそれは認識として正しく、その無骨面は疲れた様子のヒシアマゾンを労いもせずに彼女から差し出された弁当をガツガツとかっ食らっていたし(要するに半分以上話しを聞いていない)、ヒシアマゾンもそれを承知で喋り続けていた。

誰かに話しを聞いて貰えるだけで気が楽になる──それが宿敵と呼べるような間柄なら尚更だ。結果として悩みのタネを解消することが出来ずとも、その無骨面のウマ娘──‘シャドーロールの怪物,こと『ナリタブライアン』は確かにヒシアマゾンの力になっている。

 

 

「このままじゃ寮長であるアタシの独断か、さもなくば本当にクジ引きかなにかで相部屋になる奴を決めることになっちまう」

 

「……それの何が問題だ? 今の美浦をシメてるのはアンタだろう。独断だろうがクジだろうが好きにすれば良いし、それで文句を言ってくる奴などいないと思うが」

 

「それがダメなんだよなぁ。もちろんアタシも美浦の寮長として色々とフォローはするつもりだけど、それだって限度ってもんがあるだろう?」

 

独断にしろ公平にしろ、嫌々相部屋になってしまったウマ娘達は大抵‘よくない空気,を纏いやすくなる。生きていく上で絶対必要な衣食住のうち「住」をこれからずっと共にするのだ。部屋だけではなく食事やトレーニングなんかも共にするような仲が良いペアもいれば、常にケンカしているような、それでいて互いの事を最大のライバルと称して認め合っているような奇妙なペアもいるが、どんな形であるにせよ、なるべく「良い関係」を築いて貰いたいというのが寮長であるヒシアマゾンの心情だった。

 

部屋に帰るだけでテンションとやる気が下がる──などといった事態は避けなければならない。なにせ、ここに住むウマ娘達は中央のウマ娘レースに出走する「選手」だ。それも全国各地から選びに選び抜かれた超一流の。単なるルームシェアのように「この人とは気が合わないから距離を取ろう」といった心構えで居続ければ良いという話しではないのである。

 

……普段であれば「最初っから‘良い関係,を築けるような奴なんてそうそういないよ。少しずつ少しずつ、上手い具合に互いをすり合わせていきな」とか「あーもう面倒くさい! 文句あるなら走りでも何でも良いからタイマンで決着付けてきな! それが美浦のやり方だよ!!」といったヒシアマゾンらしい半ば強引な解決策で対処する事が出来るし、それで問題無いと本人も思っているのだが……。「休養寮のウマ娘」とくれば少々話しが別だ。関係が悪化してからでは「遅すぎる」

 

 

「何十年も前の話とはいえ、一回ガチで死人が出てるんだ(・・・・・・・・)。それも、相方と良い関係を築けず、病院への連絡が遅れに遅れたのが原因でね」

 

急に持病が悪化して夜に部屋のベッドで唸っていたのを「どうせいつもの発作だろう」と軽く見た、‘ただ住居を共にしているだけ,の相方に眠られた結果、その休養寮出身のウマ娘は延々と苦しみ続ける事になった。朝起きてから「流石におかしい」と気付いた相方が当時の寮長に連絡。そのまま救急車で病院に搬送されてなんとか一命を取り留めたのだが……。彼女はもうレースはおろか、まともに運動が出来る身体ではなくなってしまっていた。

 

 

「……? 確かに胸クソ悪い話しだが、一命は取り留めたのだろう? ではなぜ──おい待て、まさか」

 

ヒシアマゾンの話しを聞いて「飯が不味くなるだろう」と言わんばかりに渋い顔していたブライアンは、その可能性を思い付いてより顔を顰める。

 

 

「お察しの通り。折角拾った命だってのに自分で捨てちまったんだとさ」

 

「ちっ。本気で気分が悪くなる話しだな」

 

搬送された病院の屋上を利用しての飛び降り自殺。休養寮から期待のエースとして送り出されたのにクラスメイトはおろかルームメイトにもまるで馴染めず、肝心のレースでも大惨敗を繰り返し続け、色々と限界が来ていたところで「あなたはもう走れません」という医者からの宣告がトドメになったらしい。

 

まだ‘グレード制度,が導入されてすらいない──主立った八つの特別なレースから「八大競走」とウマ娘レースが呼ばれていた時代の話しだが、当時はもう相当な騒ぎになったという。生徒への配慮や心体のケアなどの気配りがたらなかったとマスコミ各処に謝罪した学園側への批判もそうだが『そもそも走る見込みの無い病気持ちの生徒を入学させるな』という、休養寮そのものを無くすべきだという過激な意見まであった。紆余曲折と年単位の時間、それから当時の理事長並びに教職員の尽力を得て少しずつ騒ぎは収束していったのだが、そのトレセン学園の歴史上トップクラスの汚点は何十年も経った今でも「休養寮のウマ娘」というネーミングに‘しこり,を残している。

 

身体が弱く、訳の分からない奇病を患い、肝心のレースでもまるで勝てないのに伝統ある中央トレセン学園にいる厄介者(要介護者)──そういった最悪に近い印象を未だに残しているのだ。頭に「元」が付く事になろうが、それは大して変わらない。

 

 

「『常にとは言わないけど、少なくとも部屋にいる間は空気を読んで気を配ってくれるような奴を相方にしてくれ』って理事会からお達しまで来てるんだよ。流石に無視する訳にはいかないだろう」

 

だから建前としての対応は兎も角、内心は嫌がってるようなウマ娘に任せる訳にはいかない。万が一にもあの時と同じ事を繰り返させる訳にはいかないのだ。

 

 

「……なるほどな」

 

「っていうかアンタ仮にも副会長だろう? なんで知らないんだい」

 

「今の私達(学園)に関わる事なら仕事としてこなしてきたからある程度把握しているが何十年も前の、それも汚点と言って差し支えない‘学園の歴史,などまるで興味が無かったからな。会長やエアグルーヴなら当然知っているんだろうが」

 

肉や米の一片まで余さず食べ終わり、完全にカラになった弁当箱をヒシアマゾンへ返しながらブライアンは言う。何時もの不敵な無骨面が、なんだか少しばかり陰っているようにヒシアマゾンは見えた。

 

 

「……悪いね。飯時にこんな話ししちまって」

 

「全くだ。おかげで普段より飯が喉を通らなかったぞ。……それはさておき、どうするつもりだアマさん」

 

「それがまるで思い付かないから困ってるんだよアタシは……」

 

学園の上層部である理事会から直接要望が来ているのであれば、ヒシアマゾンお得意の「最初は合わなくても後から(半ば勢いで)すり合わせていく」という方針は使えない。最初から「こいつなら問題無い」と思える人材を相方として起用する必要があるが、寮長であるヒシアマゾンがそう思えるウマ娘達は既に全員相方がいる。美浦だけに限らず、トレセン学園の寮は基本的に二人一組で使う事を前提として造られているから三人目として部屋に追加する訳にもいかないし、例の事件の事を考えると休養寮上がりのウマ娘を一人で空き部屋に突っ込むのは躊躇われる……というか理事会が了承しないだろう。

 

色々考えを巡らせるが、地頭の出来は良くてもそこからの発展が苦手なヒシアマゾンは結局なにも思い付かず「はぁ……」と小さく溜息をついて

 

 

「しゃーない、やっぱフジにも相談するかぁ。重賞レースに勝った休養寮上がりの先輩が向こうにはいるし、何かのアドバイスはしてもらえるだろ。上手く組めそうな奴が向こうにいるなら、転入生(そいつ)の寮を美浦じゃなくて栗棟の方にしてもらえるよう申請する事も考えないといけないしな」

 

「悪いが私も大した案は思い付かん……が、アマさんが困っていたと会長に伝えておく。奴ならそう時間を置かずに良い解決策を思い付くだろうさ」

 

二人が会話と昼食を終えて席から立とうとした──その時だった。

 

 

 

 

「Cad a tharla?」

 

 

 

 

明らかに日本語ではない言語で話しかけられ、ヒシアマゾンは一瞬ギクリと固まる。初対面の時に思いっきり英語(それもかなり拙い)でペラペラと話しかけてしまって大恥を掻いたトラウマもあってか、ここ半年でもう何度も耳にしている筈のこの言語に未だ慣れないでいた。

……英語のようで英語ではないこの言語。かのイギリス諸国と切っても切り離せない関係にあるこれは──アイルランド語だ。

 

 

「あーっと……」

 

「……失礼。どうカ、しましたカ?」

 

片言ながらも不慣れな日本語での会話に切り替えたその人物は、美浦寮に所属している外国のウマ娘だ。つい半年前に‘天才少女,「ニシノフラワー」と共に中央トレセン学園に突如として転入してきた期待の新鋭にして、フラワーと同じくチーム『ステラ』の厳しい選抜試験に一発合格した‘ケルトの女戦士,。

 

 

 

 

「私で良けれバ話しをききまス。寮長」

 

 

 



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ヤマニンゼファー 10/10 出走前

「……改修された直後から思ってたけど、やっぱ凄く綺麗になったよなここ。別に前のが汚かったとかそういう訳じゃないんだけどさ。なんていうかこう、一気に近未来的になった? 気がする」

 

「どうした急に」

 

 

──中山レース場──

 

 

千葉県は船橋市(一部市川市)に存在する「日本四大レース場」の一つ。年末に行なわれる日本屈指のウマ娘レース「有マ記念」の開催地として有名だが、他にも「皐月賞」「スプリンターズステークス」「ホープフルステークス」「中山グランドジャンプ」「中山大障害」などといった名だたるGⅠレースを初め、一年を通して計27回もの重賞レース(GⅠ6回、GⅡ9回、GⅢ12回)が開催される、ウマ娘レースファンにとっての一大聖地だ。

 

近年スタンド施設を中心とした大型改修工事が行なわれ、同年12月には駅連絡地下通路(ナッキー・モール)がリニューアルオープンするとともに、グランプリガーデンが新規オープンして新しく生まれ変わった中山レース場の観客席に、その二人組の男はいた。

 

二十歳は過ぎているのだろうが、まだまだ若輩者加減が抜けきっていない雰囲気から、恐らく大学生かそこらの年齢である事が窺える。着ている服や背負っているリュックなども大手量販店で安売りされているような物ばかりで、一見すると‘ミーハーなウマ娘レース初心者,という印象を受けるのだが……。

 

 

「やっぱ今更か?」

 

「そりゃそうだろう。中山(ここ)が改修されてからもう何十回来てると思ってるんだよ」

 

「いや、なんていうか改修当時に『うおー! スゲー!!』とか言ってメチャメチャはしゃいだ記憶はあるんだけど、そういや『綺麗』だとか具体的な感想は言ってなかったような気がしてさ」

 

この二人、侮るなかれ。なんとまだ小学生の頃から毎日のようにテレビやラジオでレースを楽しみ、GⅠレースがある日はコツコツ溜め続けたお小遣いを解放してレース場へと足を運び、高校生になってバイトが出来るようになってからは地方のレース場なんかにも躊躇無く足を運ぶようになり、今では暇さえあればGⅠはおろか、重賞クラスのレースすらない日でもレース場へ観戦に行くようになった猛者だ。

 

それでいて、自分達の事を「まだまだにわかファンの若造」と正しく(・・・)認識している辺り、彼らのウマ娘レースにかける本気っぷりが窺える。この道二十年三十年といった古参ファンがゴロゴロいるのがウマ娘レースの世界なのだと、彼らは理解していた。

 

 

「えーっと……。次の第7レースは今日二回目のメイクデビュー戦だったか」

 

「お決まりのダート1200だな。時間もまあまあ経ってるし、朝方の不良バ場状態よりかは多少マシになってると思う」

 

つい先ほど第6レースが終了し、今は次の第7レースにむけて各ウマ娘が出走前の最後の準備をしている所だ。昨日の一五時辺りから朝方前にかけて雨が降り続けた結果バ場が荒れに荒れ、第1レース開始時点で芝のコースが「重」ダートコースが「不良」という発表。幸い第5レースである障害競走が終了してお昼を回った頃には溜った水も若干捌けてきて、今は芝が「稍重」でダートは「重」となっている。

 

 

「バ場が荒れてる時のレースも嫌いじゃないし、むしろそれが得意で映える娘もいるけどさ。やっぱデビューする娘には良バ場を走ってもらいたいなぁ俺は」

 

「泥まみれになってたもんな、午前中にダートコースでデビューした娘達。初めてのレースが不良バ場じゃあ大変だろう」

 

小太り気味で眼鏡を掛けている男の意見に、緑髪でパーカーを着ている男も同意する。‘泥に塗れながらも勝利という栄光を掴む,──字面としては良いが、実際に走っているウマ娘達からしてみれば堪ったものではないだろう。ウマ娘レースという競技に参加している以上、天候によるバ場状態の変化は避けては通れないし、『代表』や『名優』のように荒れたバ場こそが得意というウマ娘もいるが、彼女達だって別に好き好んで泥まみれになりたいという訳でもあるまい。メイクデビュー……自分という存在を初めて世間に披露する場とくれば尚更の筈だ。

 

 

「ええっと、一番人気が‘バンコソンガー,で二番人気に‘カガクノパワー,三番人気が‘ヨビリンスコール,と……。注目してる娘とかいる?」

 

「お前なぁ、情報が少なくて予想が難しいメイクデビューで素人の意見聞くか普通? ……取りあえずパドックで見た感じだとやっぱ一番人気のバンコソンガーは調子も良さそうだし、このなかじゃ頭一つ抜けてる感じはするな。それ以外だと四番人気の‘フェンスザヒメ,以降はみんなどっこいどっこいじゃないか?」

 

「やっぱそう思うか。俺も大体一緒なんだけど──」

 

‘メイクデビューでここまで予想出来る素人がどこにいるんだよ,と二人の隣に座っていた中年のおじさん達が呆れたように見てくるが、二人は視線に気付くことなく会話を続ける。

 

 

「けどなんだよ?」

 

「一人気になる……っていうか「なんだこの娘?」って思った娘がいてさ。ほら、12番人気の──」

 

──おーい! ゼファー!!

 

人気下位になって当然の情報しかない彼女の名前を言おうとした瞬間、二人がいる席からそう遠くない場所でちょっとしたザワツキが起こった。なんだなんだとそちらを見てみるとレース場の観客席ではそこそこ珍しいことに、まだ年若いウマ娘の集団が形成されている。それも、全員が中央トレセン学園指定の制服を着ていた。

 

 

「……中央の生徒さん達?」

 

眼鏡を掛けていない方の男が首を傾げる。重賞クラスの大レースが開催されない日でも友人やチームメイトがレースに出走するなら応援に駆けつけることはよくある為、観客席でトレセン学園制服を着たウマ娘を見かけること自体は珍しくない。

 

──負けるのは良いけど怪我だけはすんじゃねーぞ!!

──無茶しないでねゼファー! ゴールまで走りきればもうそれで良いから!

 

しかし、ここまで大勢で固まり、全員でたった一人のウマ娘を応援しているという状況は流石に珍しい。開催されるのがGⅠレースで、二大皇帝や彼女達に匹敵する大物が出るというのなら学内で形成されているファンクラブのメンバーが来ているのだと納得出来なくもないが、今日中山で開催されるレースのグレードは最大でもOP戦だ。それだって「強豪」と呼ばれている、もしくは今後呼ばれるであろうと予想されるウマ娘は出走しないし、そもそも彼女達が応援しているのは次に行なわれるメイクデビュー戦に出る──

 

 

「ゼファー……ってあれだろ? お前が気になるって言ってた12番人気の──」

 

「‘ヤマニンゼファー,の事で間違いないと思うんだけど……。でもあの娘って確か……」

 

「『休養寮上がり』のウマ娘だって話しだったよな。──ってことはあそこで応援してるのも休養寮の娘か?」

 

二人は先ほどパドックで見た鹿毛色の少女のことを思い出す。スラリとした程よい体躯に気負いが無さそうな表情と、見た目だけならそこまで悪くはなさそうな感じがするウマ娘なのだが、観客ならびに関係者達へ事前に開示された彼女の経歴ないし直前までのトレーニング内容が、その人気を16人中12位にまで落としていた。彼女以下の人気のウマ娘はすでに一回目のメイクデビューを終えて、入着も出来ずに惨敗という結果を残した者が殆どである。

 

肝心のゼファーは正真正銘今日が初のレースで、実力未知数なのにも関わらずこの低人気──それもその筈。

 

 

「……可哀想な気もするけど『休養寮のウマ娘』。そのデビュー戦ってんじゃ、人気が低くても仕方ないんじゃないか?」

 

‘休養寮上がりのウマ娘は勝てない,‘少なくともデビュー戦は敗北する,──ウマ娘レース界において何十年も前から言われている規定概念の一つだ。休養寮を出て暫く経った後──本校へと移って本格的なトレーニングを行い、さまざまなレースで経験を積んだ後であれば話しは少し別なのだが、休養寮上がりであればどんなに将来有望なウマ娘でもデビュー戦は勝てないとされている。

 

先天的か後天的か。何万人に一人という確率で発生する特異体質や奇病を抱えてしまったウマ娘。‘それさえ治せば見込みがある,とスカウトされ、トレセン学園が造りあげた病院兼任の特別施設──休養寮で治療に専念すること数年。望んだ通り体質が幾分かマシになり、いざ本校のレース科に転入してデビュー戦に挑んでも、それまでずっとトレーニングを積み続けてきたウマ娘達に完膚なきまでに蹂躙される。……要するに休養寮とそれ以外のウマ娘の間には絶対的な「時間の差」があるのだ。過去にどれだけ素晴らしい成績を収めていても、怪我や故障で一年以上レースに出ていないウマ娘がいきなりGⅠレースで勝つ事が出来ないのと同じように。

 

 

「いや、俺が気になってるのはゼファー本人やその人気じゃないよ」

 

「? じゃあなにが気になるんだ?」

 

「……俺もどんなに考えても分からなかったんだけど──」

 

再び首を傾げながら、眼鏡を掛けた方の男はその疑問を口にした。

 

 

 

 

 

「なんだってあの娘のトレーナーは、こんな滅茶苦茶な育成をしたんだろう──ってさ」

 

 

 

 


 

 

『さぁ始まります。本日の第7レース‘メイクデビュー,!』

 

ウマ娘レースファンには既に聞き慣れた、とある女性実況アナウンサーと瓜二つ──強いて言えば少し明るくて若々しくなったような声色が、大型の拡声器を通して中山レース場へと響いた。その声を聞いて「……ん?」と何名かの観客が小首を傾げる。驚くほどよく似ているが、間違いなく緑髪太眉毛がチャームポイントの「赤坂アナウンサー」の声ではない。

 

 

『ここからの実況はつい先日新人アナウンサーとしてデビューしました──『ウマ娘レース実況と言えば「赤坂」。赤坂といえば「妹の方」』といずれは言われるようになりたい私こと「赤坂友恵(あかさかともえ)」。解説は午前に引き続き、井川URA名誉委員でお送りいたします。井川さん本日はどうぞよろしくお願いいたします』

 

『よろしくお願いします』

 

「──ああなるほど」とでも言いたげに、スタンド席で何人かの観客が同時に頷く。確かに先日赤坂アナウンサー(姉)のウマッターアカウントでも

 

『あの小さい頃から生意気だった妹がとうとうアナウンサーデビューしてしまいました!! ……報道の世界は母が作ってくれるお菓子みたいに甘くないぞ! 頑張れ!!』

 

的な事を赤坂(姉)本人が呟いていた筈だ。今日はその妹のウマ娘レース初実況の日という事か。それを把握した初老の男性数名から「頑張れよー妹ちゃん!」「姉ちゃんに負けねぇようになー!!」と野次みたいな声援が飛ぶと、赤坂(妹)から『ありがとうございまーす!』とキラキラした雰囲気を纏った返事が返ってくる。

 

 

『さて井川さん、さっそくなんですが本日2回目のメイクデビュー戦です。今回は午前中に行なわれたメイクデビューより更に大勢の……計16名のウマ娘が出走するわけですが、やはり午前のレースと同様に前日から降り続いた雨の影響が心配されています。そのあたり如何でしょうか』

 

『そうですねぇ……。やはりウマ娘レースですから天候によるバ場ないし各選手への影響はどうしてもありますし……どうしようもない、仕方がないことなんですけれども……。やはりこう、一番最初のお披露目であるメイクデビューは綺麗な状態のターフで行わせてあげたいという気持ちが私にもありますね。不良バ場でしたし、初めてレースに出るウマ娘にとっては脚への負担も想像以上の物になるでしょうから』

 

『なるほど確かに。午前中のレースに出走したウマ娘はほぼ全員、体操着がドロドロに汚れてしまっていましたね。すでに何度も経験してある程度場慣れているのでしたら兎も角、本日デビューするウマ娘には未だ過酷なレース環境かと思われます』

 

新人アナウンサーにしてはスラスラと自然に出てくる会話とフリに「おー」と誰からともなく小さな感嘆の声が漏れる。新人とは言え、そこはプロアナウンサー。会話の引き出しにぬかりはない様だ。

 

 

『現在URAの定めた規定では「メイクデビュー」戦は最大二回まで出走する事が許されていて、今回が正真正銘のデビューレースとなるウマ娘は16名中4名。ヤマガタヒツジ、ウエノタンパクセキ、イイシラセ、そしてヤマニンゼファー。以上のウマ娘には色んな意味で厳しいレースとなりそうです』

 

『ええ、是非とも気をつけて走って貰いたいですね』

 

 

 

 

 

 

 

『──どうだ、ゼファー()の様子は』

 

第7レース開始まであと十分足らず。レースの様子を一番間近に観戦出来るスタンド最前席──その更に前方、実質的にはターフの上。コースとの間にあるのは弱々しいフェンスのみという、ウマ娘レースの関係者しか入ることが出来ない狭い空間にいた柴中がウイナーから掛かってきた電話に出ると、彼女は普段の素っ気ない挨拶すらなく開口一番にゼファーの事を聞いてきた。

 

 

「今朝お前が見た通りだよ」

 

こちらも挨拶無しの軽い口調でサラッと返す。彼のすぐ前、前方数メートルの位置にはすでに体操着にゼッケンを付けたゼファーがいて、視線に気付いたのかこちらへと歩み寄ってくる。

 

 

「身体全体に気合が乗ってるのに気負いはない。レース開始直前になっても落ち着いてるし、何より眼が良いな。有り体に言って‘ワクワクしてる,んだろう」

 

『そうか』

 

「そんなに気になるならお前も付いてくりゃ良かったのに。今丁度目の前にいるけど代わるか?」

 

『必要無い。皇帝としての勅命と、先輩としての激励は昨日既に済ませた。……あとはトレーナーたる貴様の言葉で戦場へと送り出してやれ』

 

「もう用事は済んだ」とでも言ってそのまま通話を切りかねないウイナーを引き留めようと挑発めいた言葉を交えて言うが、ウイナーはまるで意に介そうとしない。その言葉を最後に通話を切られてしまった柴中は「やれやれ」と小さく呟きながらスマホを服の内ポケットへとしまう。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「なんでもないよ。器用なのに不器用で心配性な皇帝様が、大会前の親御さんよろしく俺に電話を掛けてきたってだけだ」

 

そんな抽象的な表現でも大体の事を察したのか、ゼファーは「あぁ……」と頷きながら軽く微笑んだ。

 

 

「ウイナーさん、本当に良い人ですよね。色々と忙しい筈なのに、この一週間ずーっとトレーナーさんと一緒にトレーニングを見ててくれましたし。……私が不甲斐さ過ぎて思わず手を焼かせてしまったというのもあると思いますけど」

 

「それだけお前に期待してるんだよ。もちろん俺もな」

 

柴中がそう言うと、ゼファーは照れ臭そうに顔を紅くして頬を人差し指でポリポリと掻く。

 

 

「正直な所、まだちょっと実感が沸いてないんです」

 

子供の頃から虚弱だった体質がこうして改善した事も。それで栄誉ある中央トレセン学園本校へと転入出来るようになった事も。学園屈指の強豪チームにスカウトされた事も。皇帝たるウイナーとGⅠトレーナーの柴中がゼファーの願いを叶える為に、こうして無茶な育成計画を建てて実行してくれているという事も。あまりにも出来すぎていて「これはもしかして夢か何かなんじゃないか」と下らない事を頭が考える度に「それは‘皆,に失礼だ」と心が強く否定した。

 

「ゼファー!」とこちらを向いて叫ぶ休養寮のウマ娘達に軽く手を振りながら、彼女は言う。

 

 

「……お礼を言いたい、言わなくちゃいけない人達が沢山います」

 

応援してくれた家族に。互いに励ましあった友達に。病魔から助けてくれた大人に。大切な事を教えてくれた指導者に。憧れの先輩に。ずっと見守ってくれていた  ──に。

 

ただ全力で走る(・・)。ウマ娘にとっての本能をさえ満足に充たす事が出来なかった自分が、選ばれた者しか立つことを許されない夢の舞台(トゥインクル・シリーズ)にいるのだ。どれだけ言葉を尽くしたところで内から湧き出る感謝の意を示しきれるものか。

 

 

「……そうか。だったら──」

 

「はい! だから私、全力で頑張ります!!」

 

だから走る。全力で頑張って走ってレースに勝つ。その姿を皆に示す事こそ、今の自分に出来る最大の返礼となる筈だ。──だがそんな気勢に満ちた表情のゼファーを見て、柴中は色んな意味で笑った。

 

 

「おいおいそれは良いけど『作戦』は忘れないでくれよ?」

 

ゼファーも自分が言ったことが打ち合わせの『作戦』と真逆である事に気付いたのか、思わず「ふふっ」と吹きだす。

 

 

「ごめんなさい。でも大丈夫です、ちゃんと分かってますから。────『頑張るな』ですよね!」

 

「ああ、じゃあ行ってこい!」

 

「はい!」

 

元気良く返事をしたゼファーは今度こそ柴中へ背を向け、ゲートが置かれたスタート位置へと移動していく。

 

 



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ヤマニンゼファー 10/10 中山ダートバ場「重」天候「曇り」第7レース「メイクデビュー」

──諦めずに努力を続ければ、いつかきっと夢は叶う。

 

そんな綺麗な言葉をバッサリと否定出来るほど、私は落ちぶれていない。かつて病魔を克服し、笑顔で休養寮を出て、数え切れない程の惨敗を繰返してなお夢を諦めなかった──みんなが「大先輩」と呼び慕うあの娘がレースで見せてくれた星のような輝きとファンへ向けた満面の笑みが、私に腐ることを許さない。

 

……鋼のような意思と極限にも思える努力で‘運命,すらも乗り越えてしまうウマ娘は、きっと他にも沢山いるのだろう。そういうウマ娘こそに世間は惹かれ、魅了されるのだろう。

 

──けれど、なら、だったら。

 

────なぜ今まで努力する事すらも許されなかったウマ娘達は、ただ初陣で惨敗しただけで「弱い駄バ」と断じられてしまうのだろうか。

 

 

「……あの娘らだって休みたくて休んでた訳じゃないってのに」

 

ボソリと小さく吐いた呟きは「きよせんせー!」という子供達の自分を呼ぶ声に掻き消された。中山レース場のメインスタンド、その一番前の席だ。思考の沼に落ちて半ばボーッとしていた清瀬は慌てて「なに?」と言いながら横を振り向く。

 

 

「さっきからボーッとしてるけどどうしたの? もしかして眠いの?」

 

服の裾をクイクイと引っ張っりながら心配そうに顔を覗き込んでくるその子供(ウマ娘)を安心させるべく、清瀬は取り繕ったような笑みを顔に浮かべた。

 

 

「なんでもないよ。ただちょっとだけ疲れ──」

 

「お腹でも空いたんじゃない? だってもうお昼過ぎなのにご飯まだだしね」

 

「分かる。私もそろそろ限界が近くて普通にお腹鳴りそう……お弁当つまみ食いしたい……」

 

「……まぁ事実ではあるし、あえて否定はしないよ」

 

清瀬が言葉を紡ぎ終える前に会話に割り込んできたのは、昨日の夜から食堂のキッチンを借りてお弁当(?)を造っていたウマ娘達だ。どうやら腹が減っているらしいのだがそれは彼女達だけではなく、清瀬が引率しているウマ娘達の約半分位が少しばかりやつれたような表情をしている。

色んな意味で前代未聞のデビュー戦に挑む事となったゼファーを励ますため、何名かのウマ娘と共に休養寮を出てから約四時間半。時刻は既に一三時を回っており、人間である清瀬自身もそこそこの空腹感を感じ始めた頃だ。次はいよいよゼファーがが出走する第7レース。

 

 

「ゼファーなら先に食べ始めてても怒らない……。きっと怒らな痛ったぁ!」

 

なにやらブツブツ言いながらリュック──もとい、その中にあるラップを幾重にも重ね掛けされたパウンドケーキ(フルーツケーキ)を取り出してそのまま齧りつこうとしたウマ娘の手と頭を、彼女の両脇に座っていた別のウマ娘が咎める様にピシャリと叩く。一人は昨日柴中に食って掛かろうとした口が悪いウマ娘。もう片方が、昨日の夜に食堂のキッチンで騒ぎ立てようとした三バカをド突きに行ったウマ娘だ。

 

 

「うぐぅ……。ゼファーが怒らなくても他に怒る娘がいたかぁ……」

 

「いやそれ以前の問題だから。ケーキを囓りつくように喰おうとするな。それもラップごと」

 

彼女の手からフルーツケーキを取り上げて、自分のリュックの一番奥にしまい直す。みんなで指定された席についた時から……もっと言えばレース場に着いた当初からバカ三人や子供達が小さな騒ぎを起こし続けた結果、周囲の観客達に「なんだこの娘ら」と言わんばかりの奇特な眼で見られてしまっている辺りもう完全に手遅れ感があるが、やはり付いてきて正解だったと思う。

 

正直今からでも他人のフリをしたい──もとい、この場から全力で逃げ出したいのだが、仮にも休養寮で「1グループのまとめ役(前にも言ったが不本意)」を担う者としてのプライドが、同僚達の暴走を認めなかった。……例え、この後のレースで色々と悲惨な目に合うだろうゼファーの姿を間近で目撃する事になったとしても。

 

 

「あんたらねぇ……。少しは集中しなさいよ! あともう数分でゼファー(アイツ)が出るレースが始まるのよ!?」

 

──なんで付いてきてしまったんだろう。

 

口から出る強気な言葉とは裏腹に、頭と心はまだそんな事を考えていた。

 

レースの結果など、すでに分りきっている。柴中がどれだけ規格外の超一流トレーナーだろうが、たった一週間足らずの短期トレーニングで休養寮のウマ娘を本校のウマ娘に勝てるように出来る訳がない。仮に出来たとしたら、それはもう「人間」ではなく「魔法使い」か何かだ。

 

応援や声援が「勝つ為に必要な要素」であるとするならば、そもそも勝ち目のないレースには端から必要が無い。ただ何度か一緒にリハビリをやったことがあるだけの同僚の為に、わざわざこんな遠くまで足を運ぶ意味など無い。……その筈なのに。

 

 

『応援してるのが俺だけってのは、流石に寂しいだろうしな』

 

 

その言葉を受けて脳裏に過ぎった光景がどうしても頭から離れず、気が付けばあの時隣にいた彼女と一緒に外出許可証を提出してしまっていた。こうして付いてきてしまった以上、一観客としてちゃんと応援はするつもりでいる。……レース後のゼファーにどんな慰めの言葉を掛けるべきか──そんな後ろ向きな事を、頭の片隅で考えながらだが。

 

 

「まぁまぁ……。あと少しの辛抱なんだし、みんな我慢しよう? 折角ゼファーの好きな物ばっかり作って貰ったんだからやっぱり一緒に──」

 

「あ、あの! あれゼファーちゃんだよね!? 今ターフに出て来たゼッケン13番の娘!!」

 

「あ、本当だ! おーい! ゼファー!!」

 

いよいよもってターフへ出て来た新バ達。その中にゼファーの姿を発見し、数人のウマ娘達から声があがる。

 

 

「負けるのは良いけど怪我だけはすんじゃねーぞ!!」

 

「無茶しないでねゼファー! ゴールまで走りきればもうそれで良いから!」

 

「大好きなフルーツケーキ作って来たんだけど、万が一勝てたら全部食べちゃって良いからねー!!」

 

全体的に後ろ向きな声援ではあるものの、結果を悟りつつもこうして素直に彼女を応援することが出来る娘達の事が、清瀬と二人のウマ娘は少しばかり羨ましかった。

 

 

 


 

 

『さぁ準備が整いました! 各ウマ娘、続々とゲートへ入っていきます!!』

 

「ふぅ……」

 

軽く息を吐いたあと静かに目を閉じて、数秒後に開く。背筋を反らしながら大きく空気を吸って、そのあと背中を丸めつつ深く息を吐く。スタート位置に設置されたゲートの前で、ゼファーは深呼吸を繰返しながらゲート入りの順番を待っていた。

 

……どうも先ほどからピリピリとした空気が辺り一面に満ちている。長きに渡るウマ娘レース人生で計2回しか出走する事が出来ない、そう遠くない内に1回しか出走権利が無くなるだろうと言われているメイクデビュー戦。その直前ともなればどんなウマ娘だろうとピリピリもするか。これでもかと漂ってくる緊張や不安、執念や焦りを肌で感じ取り、ゼファー自身も若干の緊張を覚えそうになった時。

 

 

──ザ ァ ア ……

 

 

気持ちの良い風、強くて暖かな春風が、それをぬぐい去るようにレース場へと吹き荒んだ。

 

 

「……あははっ!」

 

思わずポカンと呆けた表情をしたゼファーだが、次の瞬間にはクスクスと笑っていた。

最高のエールを貰った気分だ。何が吹き出すほどおかしかったのか分からないウマ娘達が怪訝な顔でこっちを見てくるが、もう気にもならない。

 

 

「次、ゼッケン番号13番。準備が出来次第ゲートへ」

 

「はい、大丈夫です! よろしくお願いします!!」

 

ゲート係のURA役員や、出走するウマ娘達に改めて一礼すると、ゼファーはすんなりゲートへ収まる。

 

 

 

 

 

中山──ダート1200──バ場状態「重」──天候「曇り」──第7レース「メイクデビュー」──

 

 

 

 

 

『さぁ16名の新バが全員ゲートに収まりまして……どうやら体制が完了したようです!』

 

 

──ガシャコン!

 

 

『スタートしました!!』

 

ゲートが開いた瞬間、16名のウマ娘が一斉に飛び出していく。

 

 

『ほぼ揃ったスタートとなりました。真ん中から12番バンコソンガーが出て行って、それを追うように内から4番ガーディドレス。ガーディドレスがまずは先手を取ってそれと競り合うように外から14番ヤマガタシツジ、6番ボクシングソンガーが続いています!』

 

「……ああっもう!」

 

赤坂(妹)の気合の入った実況をよそに、休養寮のウマ娘の殆どがスタート直後200メートルの展開を見て既に悲痛な顔で頭を抱えたり「ですよねー」とでも言いたげな呆れた表情を浮かべる。……それもその筈。

 

 

「ゼ、ゼファーちゃん……」

 

「だから言ったじゃない! 無理に決まってるって!!」

 

ヤマニンゼファー──200mを過ぎて後ろから5番手。先頭との差は約9バ身。スタートダッシュそのものは悪く無かったのだが、100メートルと経たない内に後方へズルズルと置いていかれてしまい、その後は付いていくので精一杯といった様子。

懸念だったスタミナをあまり消費しない短距離ならあるいはと始まる前は思わなくもなかったが、端からこれではまるで話しにならないだろう。

 

 

「……?」

 

だがそんなゼファーを見て、他のウマ娘とは違った怪訝な表情を浮かべるウマ娘が一人だけいた。元々はレース科に所属していた、例のまとめ役ウマ娘だ。地方のそれとはいえ模擬レースにも選抜レースにも出走したことがあるその経験が、ゼファーの走り方に些細な違和感を感じさせていた。

 

 

「ま、まぁまぁまぁ! レースに絶対は無いんだし、最後まで応援を……。どうしたの?」

 

「いやその……私の思い違いな可能性はあるんだけどさ──

 

 

 

──幾ら何でも遅すぎじゃない? 流してる……というか『頑張って』すらいない気がするんだけど、あれ」

 

 

 

 

 

『さぁ先頭集団第3コーナーを回って残り600Mを切りました! 1番人気のバンコソンガーは外側から3番手に付いて脚を溜めつつ様子を見守っています!』

 

(ダメダメ。まだだよ……まだ我慢しなくちゃ……)

 

雨に濡れた砂の香りが風に交じって鼻をくすぐる。「とっとと行こうぜ?」とでも言いたげな風を感じつつも、ゼファーは必死に頑張らないように頑張りながら(・・・・・・・・・・・・・・)後方に待機していた。

 

柴中に言われた作戦--『頑張るな』を忠実に実行している結果なのだが、やはりどうにも自分の脚と作戦が噛み合っていない。それを承知の上でやっているのだから当然と言えば当然なのだが、本来の走り方をしないだけでこうもやり辛くなる物なのか。まるで大好きなご飯を前に飼い主から「待て」という命令を受けた犬のような気分になりながら、ゼファーは集団に埋もれないように少しずつ外へ外へと自分の位置をズラしてゆく。

 

 

『先頭集団残り400Mを通過して最後の直線コースへ入っていきます!』

 

(あと少し……)

 

レースはもう終盤も終盤。本来ならば全神経を集中してもって当たるべき大事な場面だというのに、ゼファーは柴中とウイナーから言われたことを思い出す。--二人は言っていた。ゼファーのレースに掛ける願いの一つ。正式にチームへ入る時に一番最初に二人に告げたそれを、彼らなりの「命令」として口に出してくれた。

 

 

『残り300M! ガーディドレス、ヤマガタヒツジ、フェンスザヒメ、ヨビリンスコール、ボクシングソンガーの5名が横に大きく広がってこれは混戦となりそうでしょうか!?』

 

(もうちょっと……!)

 

 

──淀んだ空気も、下らない規定概念も、理由を盾にした諦観も──

 

 

 

『おおっと! それを纏めて差そうと外から1番人気バンコソンガーがスパートを掛けてそのまま先頭に代わりました! 残り200(・・・・・)!!』

 

「今だ!!」(──!!)

 

 

 

──お前が全部吹き飛ばせ!

 

 

 

柴中の合図とゼファーの判断はほぼ同時。彼女は予定通り頑張らないことを止めた。──次の瞬間

 

 

先頭に代わったバンコソンガーは、必死に食らい付いていくフェンスザヒメは、置いて行かれまいと粘るヤマガタヒツジとボクシングソンガーは、力尽きて後方へと下がってゆくヨビリンスコールは

 

 

 

 

 

──ゴ ウ ッ ツ ! !

 

 

 

 

 

後方の大外から吹いてきた『何か』に纏めて吹き飛ばされるような錯覚を覚えた。

 

 

 

「たぁああああああああああああああああ!!」

 

「は……ぁ?」

 

溜めに溜めた脚でより全力を出すためにゼファーは腹の底から吠え、レースをしているターフの上から、観客のいるスタンドから、関係者しか入れない特別席から、中山レース場のあちらこちらから誰が呟いたかも分からない声が漏れる。

 

 

──まず最初に4人──残り150m

 

 

『……や、ヤマニンゼファーです!! 大外からヤマニンゼファーが突っ込んで来ました!!』

 

「……うそ」

 

一瞬前まで声すら出せずに諦観的な表情をしていた休養寮のウマ娘達は、その光景を疑うように大きく目を見開いた。

 

 

──続いて3人──残り100m

 

 

『9番手から3番手まであがってそのまま一気に先頭に代わろうという勢い!』

 

「おいおい……」

 

「……マジかよ」

 

スタンド席でレースを見守っていた青年二人は、予想と大きく違う凄まじい激走に思わず呟いた。

 

 

──最後に2人──残り50m

 

 

『ヤマニンゼファーこれは強い強い! あっという間に先頭に立って2バ身以上のリードを開いた!!』

 

「……ちょっと拙かったけど、まぁ予定通りかな?」

 

関係者席にいた柴中は、周囲の唖然とする様子を気にも止めずに最後の最後までレースだけを見ていた。

 

 

──遮る者がもう誰一人としていなくなったそよ風が、ゴール板を駆け抜ける。

 

 

『そしてそのままゴールイン!! なんという強さでしょうかヤマニンゼファー! 第4コーナー手前ではまだ中段後方! 残り200を切ってから一気の末脚で前方のウマ娘達をまとめて薙ぎ払いました!!』

 

予想を裏切る劇的な展開。素晴らしい激走だったというのに、スタンドから歓声は殆ど上がらなかった。あまりに信じられない事が目の前で起きたため、殆どの観客が声すら出すことが出来なかったのである。

 

 

『場内が唖然としております! 勝ったのは大方の予想を大きく裏切り12番人気のヤマニンゼファー!! つい昨日まで休養寮の方に所属していたという事ですが、一体どんなトレーニングを────え?』

 

「……詐欺だろう……!」

 

ゼファー並びにレースに出ていたウマ娘全員がゴール板を駆け抜けた後、ゼェゼェと息を切らしながらターフの上でウマ娘の誰かが叫んだ。

 

 

「詐欺だろうこれは!! なんでこんな重賞レース級の化け物がいる!? なんでこんな奴がつい昨日まで休養寮なんかにいたんだ!? なんで──!!」

 

『た、ただ今彼女を担当しているトレーナー、もとい中央トレセン学園から提出された最新のトレーニング経歴を確認したのですが……。し、信じられません!! なんとヤマニンゼファー選手! 本格的なトレーニングを始めたのはほんの六日前!! しかもその七割以上の時間をウイニングライブの練習を兼ねたダンストレーニングに割いております!! それ以外はスタートダッシュを兼ねたスピードトレーニングのみで……え、あの、この書類正しいものなんですよね!?』

 

半ば放送事故のようになってしまっている実況がレース場に響く。観客やレース関係者、それどころかゼファーと共に暮らしてきた筈の休養寮のメンバーや、今まさに彼女に吹き飛ばされたウマ娘達ですら現実を疑っている理由がそこにあった。

 

話は少し変わるが、ウマ娘レースという競技においてURA*1が定めた規定の一つに『レース出走前の一定期間内におけるウマ娘のトレーニング内容の提出』というものがある。

 

レースに出走するウマ娘がどのような状態にあるのかをURAが把握するだけではなく、観客へ向けても発信することでウマ娘レースの楽しみである『勝者予想』のヒントとする為だ。具体的な内容や成果まで提出してしまっては情報の過剰漏洩となるため、各種トレーニングを『スピード』『スタミナ』『パワー』『根性』『賢さ』の五つに分類し、‘どの分野に該当するトレーニングをどれだけの時間行なったか,という程度の物だが、観客はURAから公開されたその情報や今までのレース結果を元にして‘どのウマ娘がレースに勝つか,を予想するという訳だ。

 

無論、関係者でもなんでもないただの観客(ファン)が行なう予想に過ぎないので大きく外れることも時たまあるのだが……。今回の場合、URAへ事前に提出されたゼファーの詳細資料に書かれていた内容が大問題だったのである。

 

‘休養寮出身,で、本格的なトレーニングをし始めたのは‘一週間前,。それもトレーニングの7割がウイニングライブの練習を兼ねた‘ダンストレーニング,。──この情報が正しければゼファーは『碌なトレーニングを積んでいない病み上がりの新バの筈』なのだ。100人中100人が『なんでこれでレースに参加した(させた)んだ?』と疑問を持つような状態での出走。それでも最下位人気にならなかったのは休養寮のメンバーと、担当が‘あの柴中,だと分かり「もしかして……」と勘ぐった一部のファンや、逆張り好きの物好き達が票を入れていたからだった。

 

 

『……これはとんでもないメイクデビューとなりましたヤマニンゼファー。ウマ娘レース界に蔓延っていた常識を強風の如く吹き飛ばし、初のレースでみごと勝利を飾りました!!』

 

 

 

*1
正式名称を『Umamusume Racing Association』主にトレセン学園、トゥインクルシリーズ、ウイニングライブなどを企画運営している国家経営の団体のこと。



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ヤマニンゼファー 10/10 レース後ー‘頑張れ,

「ハァッ……ハアッ……ハアッ……ハアッ……!」

 

──上手く呼吸が出来ずに息が詰まる。肺に空気を送るたび、喉が引き裂かれるように痛む。

 

腕がゼリーみたいにプルプルと震えて力が入らない。脚が感電したかのようにピクピクと痙攣し続ける。心臓がエンジンのようにバクバクと鳴り響く。苦しくて苦しくて、呼吸をすること以外何も考える事が出来ない。

 

もうとっくにレースが終わったにも関わらず、私は未だ一人でダートコースを走り続けていた。ゴール板を完全に駆け抜けたと確信した辺りでいつものようにゆっくりと速度を落としながら丁度コースを一周──つまり、レースがスタートした位置まで戻ってきて、ようやくまともに思考をする事が出来るようになる。

 

 

「…………」

 

──勝った。本当に勝った。あまり実感が沸かないが最後の直線コースで自分の前を走っていたウマ娘全員を抜き去った記憶があるし、レース場に設置されている大型電光掲示板の一位の位置には間違いなく自分のゼッケン番号が点灯している。

それを確かめた途端、心の中に自分で想像していたよりも遙かに高い喜びの感情が沸き、それに比例するかのように頬がドンドンと緩んでゆく。嬉しくて嬉しくて、感情が高ぶった結果逆に暫くのあいだ何の言葉も口に出す事が出来なかった。──レースに勝ったから、ではない(・・・・)

 

 

「……これなら、本当に夢を叶えられるかも……!!」

 

ゼファー(自分)起源()。それの実現が現実味を帯び始めた事に対する──遙か彼方にある楽園の影の影の影がようやく見えた事に希望を見出した、旅人のような喜びだった。

 

 

 

 


 

 

「…………勝ったね、ゼファー」

 

「……うん、勝っちゃった」

 

「……そんなにケーキを一人で全部食べたかったのかな?」

 

今だ殆どのメンバーがボーッとしている中、三バ鹿と呼ばれている例のウマ娘達はポツリと呟くようにレースの感想を言った。いつもなら三人目のボケに「「んなわけねぇだろ」」と鋭くツッコむ二人もその気力までは無いらしく、やはり他の娘達同様にボーッとしながら目をパチクリさせている。引率役の清瀬にいたっては、一分前とは別の意味で全く声が出せていない。唯一子供組だけが「ゼファーお姉ちゃんすごーい! ビュオンッ! ってなってたよビュオンッ! って!!」と清瀬や他のウマ娘の裾を引っ張りながら無邪気にはしゃいでいた。

 

 

「……なに? あの娘ってあんなに強かったの?」

 

「わ、私に聞かれても……。いっしょに併走したことも無いから分かんないよ……」

 

スタート直後のゼファーの様子から「もしかして「追い込み」をするつもりなんじゃないか」と予想していたまとめ役のウマ娘すら考えもしなかった爆発的な末脚を見せられて若干引きつった顔で聞いてくるが、そのウマ娘もプルプルと首を横に振ることしか出来ない。

 

 

「い、今まで手を抜いてた……って訳じゃないよね? ゼファーちゃん、多分そういうの好きじゃないと思うし……」

 

「……あ……え、うん。それはない……筈」

 

気弱なウマ娘がおどおどと確認するように聞いてきて、ようやく我に返った口悪ウマ娘が拙い口調で同意する。そも、ゼファーは休養寮で模擬レースはおろか、誰かと併走したことすら無かった。体質を改善させる為の治療とそれに伴うリハビリ、それから持久力を少しでも身に付ける為のスタミナトレーニングのみを、ただ只管にやり続けていたのだ。それ以外のトレーニングもするようになったのは退寮の目処が立った数ヶ月前だが、それだって本校のレース科と比べればあまりにも優しい「運動」と言って差し支えない程度の物。

 

要するに今まで寝食を共に過ごしてきた休養寮のウマ娘達は誰一人として『レースを想定した‘ゼファーの全力,』を見たことが無かったのである。

 

 

「……つまり、あれがアイツの──」

 

「ああ、それは違うだろうな」

 

「……へ? きゃあっ!」

 

「おっと悪い。また驚かせちゃったか」

 

「な、なにしに来たのよアンタ!!」

 

思考と発言の間に割り込んで来たのは、ゼファーのトレーナーである柴中だった。いつの間にスタンド席(ここ)までやって来たのだろうか、つい先ほどまで関係者しか入れないターフの内側でレースを見守っていた筈だったのだが。

 

 

「し、柴中トレーナー……」

 

「本日はゼファーの応援に駆けつけてくださり、ありがとうございます」

 

柴中は引率役を担っているであろう清瀬に対して軽く頭を下げる。一方、昨日怒鳴りつける所まで行ってしまった清瀬は色んな意味であまりにも気まずすぎるのか、言葉に詰まってしまっていた。

 

 

「──で、どうだった?」

 

「俺の言った通りだっただろ?」と柴中は得意げな顔でウマ娘達を見る。口の悪いウマ娘なんかは「ぐっ……!」とまだ何か言いたげな表情だったが、新バ戦や条件戦はおろか、将来的には重賞レースにだって勝ててしまいそうな走りをまざまざと見せつけられてはもう黙るしかない。

 

 

「トレーニングの殆どをダンス練習に割いていたって知った時は『本当に何を考えてるんだ』──って思いましたけど。……本気で「勝てる」って思ったから、休養寮ではあまりやらないダンストレーニングをさせていたって事ですか」

 

「……ええ。休養寮にはウイニングライブ練習用のスタジオと、屋外ステージがありませんから」

 

六日間に「小さなトレセン学園」とも言える休養寮を訪れた際に柴中が感じた、どことない‘寂しさ,。その理由は「ウイニングライブに関する施設が何一つとして存在しない」からだった。ダンス自体はリハビリとして少しだけメニュー組み込まれているのだが、トレーニングと同じく本格的な物はまずやらない。

 

そもそもウイニングライブは‘レースに勝利したウマ娘,が自分を応援してくれたファンへ返礼として行なう物だ。「勝利する可能性が皆無」である休養寮のウマ娘には必要のない物。必要のない物に貴重な経費を使うことは出来ない。──そうみなされていたのである。

 

だからこそ、柴中とウイナーはトレーニング初日から頭を抱える事になってしまった。

 

 

「正直焦りましたよ。ゼファーならCⅠまでだったらほぼ勝てると踏んでたので、一番の懸念材料だったダンス力の測定並びにそのトレーニングを初日からさせてみたんですけど……」

 

ゼファーのダンス並びに観客へ向けたアピール能力は、二人の想定を下回っていたのだ。踊る時の表情が笑顔で固定されず、気持ちが先行してしまうのか魅せる(・・・)動作はどれもぎこちなかった。身体のキレと歌の上手さはなかなかの物だったが、‘歌いながら踊る,となると何故だか上手く噛み合わなくなるようで──。初日からウイナーにその一挙一動をビシバシと容赦なく指摘され、延々と踊り続けさせられた結果、ボロボロの状態で休養寮へと帰ってきたという訳である。

 

今まで全くダンストレーニングをしてこなかった、もとい出来なかった弊害が思わぬ形で現われ、それを矯正するのに多大な時間を要してしまった。幸いゼファーの飲み込みが悪く無かったため、全体の三割程度の時間は『スピード』トレーニングに当てることが出来たが、そうでなければトレーニングの全てをライブ練習に費やすことになっただろう。チーム『スピカ』を担当している沖野が嘗てスペシャルウィークの育成でやらかした‘完全棒立ち状態のウイニングライブ,を再現するわけにはいかないのだ。

 

 

「……凄かったですよ。本当に……」

 

荒くなった呼吸を整えるため未だターフの上をゆっくりと走っているゼファーの方を見ながら、清瀬はポツリと呟くように言った。その瞳は、あまりにも遠い場所へ行ってしまった教え子を見るかのような哀愁に溢れている。──否。そもそも最初から、ゼファーが本来いるべき場所はターフの上(あそこ)だったのだろう。休養寮で自分のような三流以下の……トレーナーですらない者の指導を聞いて、毎日のようにくたばっている方がおかしかったのだ。

 

 

「……そうね、認めてあげるわ。……アイツは強い。私なんかとは違う、正真正銘の『特別』って奴だったみたい」

 

「あれがゼファーちゃんの素質……。本当の実力なんですね……」

 

悩みの種である体質さえ改善してしまえばご覧の通り。そよ風(ゼファー)なんてとんでもない。暴風(サイクロン)のような走りでもって他者を圧倒する、万に一人の逸材──正しく『特別』なウマ娘だ。自分達なんかとはあまりにももの(・・)が違いすぎ──

 

 

「んー……。まぁ確かにゼファーが全体的に頭一つ抜けてるのは認めるけどさ。それは君達だって同じだろう?」

 

「はい?」

 

「いやだから──君らだってCⅠまでならほぼ勝てるようになるだろうし(・・・・・・・・・・・・・・)

 

柴中があまりにもサラッと言う物だから、ウマ娘達は最初言葉を聞き間違えたか、さもなければ質の悪い冗談じゃないかと思った。

 

 

「なに……、言ってるの、アンタ……」

 

「そもそもの話しなんだけど……。っていうか、よくよく考えれば当り前の事なんだけどさ」

 

 

 

 

「君たちって『体質さえ改善してしまえば入学試験を突破出来ただろう』ってあの娘──じゃなかった。学園長とスカウトマンに認められたから休養寮に入ってるんだろう? それってつまり、ウマ娘レース出走者として絶望的なハンデを背負っているのにトレセン学園が『このままにしておくのは惜しい』って思った、‘とんでもない才能の持ち主,って事じゃないか」

 

 

 

 

柴中自身休養寮に何度も訪れ、リハビリやトレーニングをその眼で見てようやく気付いたことなのだが、休養寮には才能溢れる逸材が沢山いるのに、その殆どが自分の凄さに気がついていない。ゼファーが最も良い例だ。あれだけの気概と根性のある良い脚を持っておきながら、彼女は柴中とウイナーにスカウトされるまで自分の事を‘頑張るしか得意な事がない凡ウマ娘,だと本気で思っていた。

 

ただでさえ休養寮という狭い世界の中に今までいた上に、誰とも併走をせず模擬レースにも参加してこなかったのだから己の異常さに気づけなくて当然と言えば当然なのだが──。

 

 

「体質の影響で‘実力の十分の一も出せない,ような娘までいたらしいし、今までずっとその状況だったっていうなら勘違いしても仕方がないんだけどさ。君らも似たような状況にあると考えれば、本当の実力は五倍十倍──」

 

「ま、待って、ちょっと待ってください!」

 

たまらず清瀬が声を荒げる。

 

 

「……おかしいじゃないですか。もしそうだとしたらなんで──!」

 

「そういう風習があるからですよ」

 

「……は?」

 

──なんで休養寮を出たウマ娘達は今までずっとレースで勝てなかったのか。答えは至極単純で「トレーナーが付かなかったから」だ。

 

中央トレセン学園とはURA──延いてはこの国が長きに渡って運営してきた一大機関である。全国各地から選別(スカウト)されたエリート中のエリートウマ娘のみが在籍しているこの学園では、「才能がある」事にあまり意味がない。なぜなら在校生全員がそう(・・)だからだ。故に、トレーナーがウマ娘をチームに入れる際に最重要視するのは‘才能がある事,ではなく‘ハンデが無いこと,。

 

現在トレセン学園には「ナリタタイシン」というデビュー前の小柄なウマ娘がいるが、そのウマ娘は中長距離の模擬レースで中々の好成績を納めているにも関わらず、誰もトレーナーが付こうとしない。彼女自身がスカウトを突っぱねているというのもあるが、それ以上に彼女をスカウトしようと考えるトレーナーがいないのだ。──『体格が小さい上に脚質がパワーを必要とする追い込み、おまけに適正距離が中距離以上』という‘ハンデ,があるからである。

 

それでもタイシンの場合は「なんとでもなるはずだ!」と考えた少数人のトレーナーからスカウトをされた事があるのだが──。休養寮のウマ娘がトレーナーのスカウトを受けてチームに入ったという例は、ゼファーを含めてたったの二回(・・)だ。

 

多少素養が劣っているようなウマ娘だろうと毎日厳しいトレーニングを積み続ければ挽回する事が出来るし、仮にも中央トレセン学園のライセンスを習得したウマ娘トレーナーにとって、それはそこまで難しい事ではない……。しかし、医者でも匙を投げるような特異体質や奇病持ちのウマ娘は難しい。(あまりにも飛び抜けた才能の持ち主ならば話しは違ってくるのだが)

 

──「怪我をしやすい」「特殊な悪癖がある」「奇病持ち」「虚弱体質」──そういった「ハンデ」があるウマ娘を好んでスカウトしたがるトレーナーが滅多にいないのである。例え完治に近い状態だとしても「浪費した時間」という絶対的なハンデがあるのに変わりはない。

 

 

「だから、全部自分一人でやるしかなかったんです。徹底した選抜式のエリート校故の悪癖ですね。俺だって、ゼファーと出会っていなかったら休養寮の娘に眼を向けられていたかどうか分かりませんから」

 

自己管理も、トレーニングも、レースの出走日程や作戦も、学生としての勉強も。ただでさえ病み上がりなのに、今までずっと治療に専念してきたウマ娘が、誰の指導もなくそれら全てをそつなく熟す事など出来る訳がない。──故に圧敗。故に惨敗。……当然の結果である。

 

 

「そんな……そんなのって……ッ……!」

 

「大小色んな理由でトレーナーが付いていない──所謂『フリー』のウマ娘がトレセンにはいますし、それで本来はトレーナーがするような事を全部一人で熟してGⅠレースに勝っちゃうような娘も確かにいますけど……‘休養寮のウマ娘,は無理ですね。トレーナーのサポートがほぼ必須で──」

 

「…………なんでよ」

 

蚊の鳴くような小声で、しかし腹の底から絞り出すような声で、口の悪いウマ娘が言った。

 

 

「だったらなんで、あんなこと言ったのよ……!」

 

「あんなことって?」

 

「──ッ! 『レースで勝てる』って言ったでしょう!!」

 

グイイッ!! ──と、柴中は胸ぐらを掴まれて引き寄せられる。そのまま吠えるように怒鳴りつけられた。

 

 

「『勝てるようになる』って言ったでしょう! でもそれって『トレーナーが付いてくれたら』の話しなんでしょう!?」

 

話しが矛盾している。‘休養寮のウマ娘,にこそ‘トレーナー,というサポーターが必要不可欠な筈なのに、‘ハンデがあるから(休養寮のウマ娘だから),という理由でスカウトされず、選抜テストからも落とされるというのならば、‘休養寮のウマ娘は勝てない,という事実に変わりないではないか。

 

 

「だったら……なんで……!!」

 

結局の所体質か。休養寮に入らなければいけないような……走るのに向いていない身体で生まれてきてしまったのが、万に一つの奇病を患ってしまったのが悪いということなのか。──今までの努力や想いが全て水泡に帰したような気さえして、口の悪いウマ娘は目尻に涙さえ浮かべて力なく俯く。

 

 

「……‘速くて強くて丈夫なウマ娘を育てる,だけが、ウマ娘トレーナーの仕事じゃない」

 

「……?」

 

「おいおい、昨日言っただろ?」と柴中は未だ胸元を掴まれながら軽く笑うように言った。

 

 

「『契約したウマ娘の‘望み,と‘願い,を出来うる限り‘叶えさせる,』。究極的に言って、それがウマ娘トレーナーの仕事だって俺は思ってる。自分と契約したウマ娘に……ゼファーに‘夢,を託すんだ。それぐらいはしないとな」

 

「……なにが言いたいのよ」

 

「六日前……俺と正式な契約を結んだ時に、ゼファーが言ってた」

 

柴中は思い出す。自分のウマ娘トレーナーとしてのポリシーを熱く語り

 

 

『そういう訳なんだけど、なにか‘望み,や‘願い,はあるか? このレースに勝ちたいとか、こういった路線を進みたいとか、そういう現実的な物じゃなくても全然良い。教えてくれ』と聞いた時のこと。

 

彼女は『うーん……』と困ったような顔をしながら暫く考えた後に『……これは私個人の「夢」じゃないんですけど……。大先輩の「夢」に共感しただけの、ただの同調なんですけど……』と前置きをした上で‘望み,を話してくれた。

 

 

 

 

 

休養寮(ここ)には私なんかよりずっと速い娘がいます。ずっと強い娘がいます。ずっと凄い娘がいます。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、諦めずに夢に向かって頑張っているウマ娘が沢山いるんです』

 

 

『ここだったから、休養寮のウマ娘だったから、私は頑張り続ける事が出来ました。清瀬トレーナーや遠藤院長。他にも沢山の良き人達が、毎日笑顔でウマ娘を支えてくれる場所なんです──だから』

 

 

一瞬だけ眼を閉じて、すうっと息を深く吸って、ハッキリとした力強い口調でゼファーは告げる。

 

 

 

 

 

『私も、レースに勝って証明したいです! みんなは──休養寮のウマ娘は、絶対に‘ハンデがあるから,‘大抵負けるから,‘育成が面倒臭いから,なんて理由で蔑ろにされていい存在なんかじゃない。‘弱い駄バ,なんかじゃないんだって事を!!』

 

 

 

 

 

「…………あの娘が……」

 

「ゼファーちゃんが、そんな事を……?」

 

「想像が出来なくて」ではなく、むしろその光景がありありと想像出来てしまって、休養寮のウマ娘達は反射的に聞き返す。‘淀んだ空気,がなにより嫌いで部屋の換気を毎日欠かさず行い、嫌な感じの空気が人と人との間に漂っていれば無理矢理にでも関係をこじつけて会話に加わり、なんとかして間を取り持とうとするお人好しウマ娘だ。風潮蔓延る休養寮の現状に心を痛めていたとしてもなんら不思議ではない。

 

 

「だから取っ払わせるよ、風潮」

 

そこまで言ってようやく胸元鷲づかみ状態から解放された柴中は口悪ウマ娘だけではなく、清瀬を含めた休養寮のメンバー全員に語りかけるように言った。

 

 

「ただのレースじゃない。重賞──GⅠレースで何度も何度も勝って、‘休養寮のウマ娘は弱い,なんて誰も言えなくなるぐらいの、風潮を文字通り空の彼方まで吹き飛ばすぐらいのスターウマ娘にさせてみせる」

 

溢れんばかりの自信を携えた瞳と表情で、柴中は力強く宣言する。彼個人としてもゼファーと契約をして今まで以上に休養寮について深く調べていく内に、トレセン学園及びウマ娘レース界に蔓延る‘嫌な風潮,に嫌気が差してきていたのだ。

 

 

「まぁ結局、風潮を取っ払ったところでトレーナーからスカウトを受けられるかどうかは君たち次第なんだけどさ。中央地方問わず、トレセン学園は常時トレーナー不足……延いては人手不足だし」

 

むしろウマ娘レース界全体としてはそっちの方が深刻な問題だった。中央だけで2000人以上在籍しているウマ娘に対し、中央のライセンスを習得出来ているトレーナーの数があまりにも少なすぎるのである。つまりそれは、休養寮のウマ娘にトレーナーが付かない事の遠縁にもなっている訳で……。優秀なトレーナー候補生の確保並びに育成は、URAをしても常に頭を悩ませている案件だった。

 

 

「……本気で言ってるの?」

 

確かにそこまで強いウマ娘が休養寮から誕生すれば、トレーナーや世間に蔓延る風潮を取り払う事は難しくないだろう。‘休養寮,という施設の存在を世間に知って貰う良い機会にもなるだろう。──だが重賞、特に【GⅠ】レースに勝利したウマ娘は、長いウマ娘レースの歴史においても極僅かしかいない。

 

現在中央トレセン学園で会長を務める‘シンボリルドルフ,や、副会長の‘ナリタブライアン,。彼女達の先輩にあたる‘ミスターシービー,なんかの所謂【三冠馬】が良い例だが、GⅠレース(それ)に幾度も勝ったとくれば、‘その時代を象徴するウマ娘の一人,と言っても過言ではない。──その高みにゼファーを……休養寮出身のウマ娘を押し上げてみせると、柴中は言っているのだ。

 

 

「逆に聞きたいんだけど、出来ないと思うか?」

 

ようやくコースを一周(正確に言えば一周以上)し、最後の直線コース……つまりはスタンド席前方へと戻って来たゼファーを見ながら柴中は言う。休養寮のウマ娘一人一人とゼファーがどんな関係にあるのかそこまで詳しくは知らないが、例えどんな仲だろうと今まで一緒に過ごしてきたからには、柴中よりもずっと色々な事を知ってる筈だ。そう思ったからこそ、柴中は昨日ああしてゼファーの事を聞きに休養寮まで足を運んだのだから。

 

 

「…………」

 

「もう一度聞くぞ? 出来ないと──」

 

「ねー! トレーナーさん!!」

 

難しい話しが続いて痺れを切らしたのか、この中では一番年下らしい子供のウマ娘が会話に割り込んでくる。

 

 

「もしふーちょーっていうのが無くなったら……。トレーナーさんが付いてくれたら、私もレースに勝てるようになるかなぁ。お姉ちゃんみたいに毎日毎日頑張って病気を治して、リハビリもして、本校に通えるようになったら……。トレーナーさんが付いてくれたら……私も、あんな風に勝てる? お父さんとお母さんに「ごめんね」じゃなくて「おめでとう」って言って貰える?」

 

「──ッツ!」

 

その子の願いがあまりにも純粋で、それでいて子供の頃の自分とモロに被っていて、口の悪いウマ娘は今度こそ完全に黙り込んだ。--自分も最初の頃は、こんな願いを持って毎日リハビリに励んでいた筈だったのに。

 

 

「……ああ」

 

そのウマ娘の頭を軽く撫でて、シッカリと目線を合わせながら、先ほどと同じ溢れんばかりの自信を携えた瞳と表情で、柴中は力強く宣言した。

 

 

「それがゼファーの目標なら、俺も頑張ってそれを叶えさせてみせる。──だから」

 

「……うん! 私も頑張る!! 頑張って頑張って……夢を叶えるよ!!」

 

そう言って、彼女はターフの上でこちらに向かってヒラヒラと手を振るゼファーに元気よく手を振り返す。それを見て清瀬や他のウマ娘達も我先にとスタンド席前方ギリギリまで躍り出て、手を振ったり称賛の声を掛けたりと一気にその場が騒々しくなる。

 

 

「──ああ、頑張れ!」

 

この世界にいる‘ウマ娘,全員に声が届くように願いながら言った柴中のエールが、会場に沸いた数多の声援に掻き消されていった。

 

 

 

 

 



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そよ風を待つ者

『……これはとんでもないメイクデビューとなりましたヤマニンゼファー。ウマ娘レース界に蔓延っていた常識を強風の如く吹き飛ばし、初のレースでみごと勝利を飾りました!!』

 

「──それで? 貴様達は奴をどう思う。発言を許す故、聞かせろ」

 

──中央トレセン学園はどこかの室内に、超薄型の大型テレビから実況者の声が響く。映し出されているのは勿論、今日ゼファーが挑んだメイクデビューレースだ。それを見た‘彼女達,の反応は様々だったが、少なくとも悪印象は抱かれていないだろうとウイナーは確信する。--闘志に火が付いたようなその瞳を見れば一発だった。

 

 

「まだお会いしたこともない人の、それも走りだけを見て何かを言うのは気が引けますけど……。そうですね、気持ち良さそうに走る人だなあって思いました。チーム入りの件、心から歓迎します」

 

『花姫』『天才少女』『春花』──ウマ娘‘ニシノフラワー,がまず最初に和やかな笑顔と共に頷くと

 

「はいはーい! カレンも歓迎でーす☆ 今まで私達のチームにいなかった‘正統派主人公タイプ,の人っぽいし、あの人はカレンの‘可愛い,をより磨いてくれそうな何かを持ってそうな気がしまーす!」

 

『可憐なる小悪魔』『閃光乙女』『可愛いの権化』──ウマ娘‘カレンチャン,

 

「ボーノも大歓迎だよー! 体質異常? っていうのがあっても大丈夫! ボーノの作ったおいしいご飯をいっぱい食べて毎日しっかりトレーニングすればドンドン強くなるし、きっと仲良くなれそうな気がするの!!」

 

『心優しき巨人』『大地揺らす一挙一足』『豊穣(料理)の化身』──ウマ娘‘ヒシアケボノ,

 

次々と賛同の声が上がってゆくなか、「恐れながら」と挙手をしたのは‘帝王,と呼ばれている、チーム「ステラ」の№2ウマ娘だ。

 

 

「許す。言ってみろ」

 

ウイナーから直々の許可が出て、『マイルの帝王』『皇帝(ウイナー)の側近』『驚愕の‘二の矢,』──ウマ娘‘アキツテイオー,は語り出す。

 

 

「では──なぜ奴に己の脚質と異なる『追い込み』で戦うよう指示を?」

 

「あ、やっぱり違うんですか?」

 

カレンはアキツの明言に納得したかのようにコクリと頷くと、特出し過ぎないよう可愛らしくデコられた鞄からゴソゴソと何かを取り出した。

 

 

「ほう、カレンも気付いて……。おいちょっと待て。一体なんだその極彩色の不気味な本は」

 

「タキオンさんとフクキタルさんが共同して作った『ウマ娘分析占い全集(祝)』です☆」

 

カレンの非常に可愛らしい笑顔の横に世にも奇妙な……。人によっては見ているだけで気持ち悪くなりそうな極彩色の本が並び、そのあまりにミスマッチ加減にアキツは会議中だということも忘れて思わずツッコんだ。

 

 

「確かに見た目は最高に可愛くないですけど……。結構凄いですよこれ。ギリッギリでトレセン学園の学則や憲法の定義に接触しないような各ウマ娘の個人情報を元に統計を算出……。つまりは科学的に分析した占い結果が乗っているんですけど──「あー、結構当たってるかも……」って思う事が色々書いてあるんです」

 

「あの大問題児共が……!!」

 

アキツとしては会議を放り出して今すぐ二人の事を〆に行きたい気分だった。大方‘タキオン,の方が『そのまま科学的な根拠に基づいた資料として纏めるとよろしくない』とでも思ったのだろう。万が一の時の為に‘フクキタル,と共同開発をして‘占い(オカルト),紛いの文献にする事で逃げ道を確保したのだ。制作者の時点で嫌な予感しかしなかったが、この本にはトレセン学園にとって決して流出してはならないタイプの情報が記されているとみてまず間違いない。アウトかセーフか、炎上するかしないかの問題ではなく、悪用されるかされないかの問題だ。

 

 

「で、当然走り方や戦法、それから脚質に関しても科学的な占い結果が書いてあるんですけどー……。それを元に考えると「あの人、あんまり追い込みをやりそうに見えないのになぁ」……って思ったんですよ」

 

「……貴様がどんな手を使ってその本を手に入れたのかはこのさい聞かないでおいてやるが、ぜっっっっったいに情報を流出させるなよ? それと、私は別に良いが陛下とトレーナーには後で必ず本の内容を確認させろ」

 

「はーい☆ ……でも、ホントに大丈夫です。そういうのの‘怖さ,はカレンがよーく知っていますから」

 

パラパラと極彩色の本を捲りながら、カレンは頷く。アキツのカレン個人への言及があまりなかったのも『カレンならまぁ問題あるまい』という信頼から来る物だった。口頭に‘ある意味で,という単語は付くが、その辺りの危機管理能力はまだ中等部の少女ながら、カレンが学園一長けている。

 

 

「……話しがズレたが、兎に角あの‘ヤマニンゼファー,というウマ娘。奴の脚質適正は恐らく──」

 

「──‘『先行』の筈だ,……と言いたいのだろう?」

 

静かに、しかし一瞬でその場を纏め上げるような‘力,を持った言葉を放ったのは当然、皇帝たるウイナーだ。

 

 

「流石だな‘帝王,よ。源氏武者のように果敢で荒々しく、しかして切子職人のように繊細な貴様の慧眼をしてこその確信を持った看破だった」

 

ウイナーにしては珍しく手放しでの称賛に、アキツも「……恐れ入ります」と頭を下げる。──フラワーのようにウイナーの真意を推し量りきれないことに不甲斐なさを感じながら。

 

 

「貴様の慧眼に免じ、意を答えよう。無論、このレースに勝たせる為だ」

 

「ん、んん? どういう事ですか陛下ー?」

 

ヒシアケボノが首を捻る。ウマ娘が自分の脚質と合わない作戦やバ場(芝/ダート)で走った場合、タイムがガクッと落ちるというのが普通だ。確かにバ場と違って作戦の方ならば多少自分の脚質と合ってなくとも走れるため、シニアクラスに上がったウマ娘が時折‘奇策,としてやってくるが、それは同じレースを走るウマ娘達が自分の事を‘知っている,という大前提があってこそ成立する。相手の予想と違う事をして動揺を誘ったり、特殊なトレーニングを重ね実際に脚質を変質させておいたりして不意を突くわけだ。

 

しかし、今回はゼファーにとって初のレースとなる「メイクデビュー」だ。当然ゼファーの事を意識しているウマ娘などいる訳がないし、むしろ六日前まで休養寮にいたという情報を聞いて侮っていたウマ娘の方が圧倒的に多いだろう。わざわざ自分の脚質と合っていない走り方をする必要性が──

 

 

「……‘負け筋を無くす為,、ですか?」

 

素晴らしい(Excellent)! その通りだ。愛らしき、されとて強き花姫よ」

 

たった一度のレースを見ただけで己が真意までおも看破したフラワーに、ウイナーは最上級の褒め言葉を賜わす。

 

 

「貴様達なら此度のレースを見れば分かったと思うが、奴は条件戦やOP戦如きで止まるようなウマ娘ではない。重賞……複数回のGⅠ勝利が視野に入る逸材だ。故に今回のメイクデビューも奴本来の脚質である「先行」でも十分勝てただろう」

 

なにせ、直線200Mを切ってからの末脚だけで‘あれ,だ。彼女に一瞬で追い抜かれた新バ達は暴風に吹き飛ばされたように感じたかもしれない。

 

 

「しかし、当然‘絶対,ではない。力強い「逃げ」ないし「逃げ寄りの先行」をする事が出来る秋津や、同じ先行型でも学園最上位のパワーを持っている東雲(しののめ)にはあまりない発想だったかもしれないが……」

 

「下手するとバ群に飲まれちゃうんですよね。私もあまりパワーがないので、囲まれた時の恐ろしさはよく分かります」

 

ウマ娘レースにおける最悪の状況の一つとして「囲まれる」という事がある。集団が一つに纏まって団子状態になってしまった際にその中段に当たる位置に入ってしまった状況を指す言葉だが、こうなってしまうと例えどれだけその囲われたウマ娘が強くとも、勝つのは難しい。なにせ四方八方に自分に沿って走り続ける‘壁,があるのだ。ペースと呼吸は大きく乱され、最後の直線コースに備えて脚を溜めることも容易ではなく、大抵の場合はそのままズルズルと下位に転落していく。

 

これを打破するにはバ群を強引に抜く事が出来る圧倒的なパワーか、数少ない正解の走行ルートを見出すことが出来るセンスと観察眼が必須だ。当然、まだデビュー前でロクに併走もした事がなければ才能も基本平凡で、そのうえ病み上がりのゼファーはどちらも不可能。つまり、‘もし囲まれてしまえば負ける可能性が高い,のである。

 

それを回避するにはどうするか──簡単だ。そもそもの話し、囲まれるような位置で走らなければ良い。

 

 

「選択肢は二つ。上手くスタートダッシュを決めてハナを切り、そのままゴールまで先頭に立ち続ける「逃げ」を決めるか、そうでなければ──」

 

「……今回のような「追い込み」で集団後方に位置取り続け、最後の直線で一気に躱すか、ですか」

 

「その通り。幸い……と言うのは癪に触るが、ゼファーは休養寮出身のウマ娘。それも碌なトレーニングを積んでいないとあって、出走者のほぼ全員が奴のことを舐め腐っていたからな。後方に位置取り続けていれば誰も気に止めんだろうと柴中は踏んだらしい。……まぁ肝心のゼファーは自分の「気質」を制御するのに大分手こずっていたが」

 

主に(トレーナーとして当り前の事かもしれないが)柴中が考えた作戦『頑張るな』とは要するに「追い込み」の事なのだが、わざわざ遠回しな言い方になった理由はゼファーの気質にこそあった。彼女は‘頑張る,ことこそを信条としている根性系ウマ娘だ。トレーニングでもダンスでもサポートでもなんでもかんでも‘頑張ろう,と張り切るのである(それに伴う結果は兎も角として)。現在トレセン学園に在籍しているウマ娘で言えば、チーム‘スピカ,の「スペシャルウィーク」に近いだろう。

 

子供の頃に抱いた大志を胸に、真っ直ぐ夢に向かって笑顔で突き進む。幾多の困難が迫ろうとも努力と根性で乗り越える。兎にも角にもなんでも頑張ろうと張り切るのだ。カレンが言った‘正統派主人公タイプ,のウマ娘。

 

逆に言えば、頑張らない──もとい‘力を出し渋る,という事が、彼女にとっては難しい。要は「追い込み」に必要な「後方に待機して脚を溜める」という行為があまり得意ではなかったのだ。どうしても気持ちが身体を前へ前へと押しやってしまう。一種の「掛かり」にも近い状況だった。

 

柴中から『‘頑張らない,って考えるからダメなんだ。そうだな……。最後の200Mまでは大体前から9番目ぐらいの位置をキープするように‘頑張って,、200Mを切ったら‘もの凄く全力で頑張って,ゴールまで一気に駆け抜ける──こんなイメージで考えてくれ』

 

というアドバイスを受けて気持ちに納得がいったのか、レース前日にようやく及第点まで仕上がったのである。ただの「逃げ」ではなく「大逃げ」を打ってくるウマ娘がいた場合が面倒だったが、その場合は素直に作戦を「先行」へ変更すれば良い。

 

 

「……大小様々な条件が揃ったが故の奇策でしたか。差し出がましい上に浅慮な意見でした」

 

「お許しを」とアキツが頭を下げれば、ウイナーは「よい、許す」と即座に返す。ウイナーとしては、むしろ謝罪しなければならないのは自分の方だと考えていた。情報の漏洩を避けるためとはいえ、大事な臣下達にゼファーのチーム入りの件はおろか、自分達がこの数日間何をしていたのかすら今の今まで明かしていなかったのだから。

それに関しての謝罪と、自分達が不在の間の労働への労いはこの後しっかりやるとして──

 

 

「──ところでだ。先ほどから黙りっきりだが、何か思う所は無いのか?」

 

「…………」

 

そのウマ娘はテレビで放送していた第7レースが終了した時から、静かに目を瞑って只管に何かを考えていた。──それだけで身震いするほど華麗だった。

 

 

「我が臣下達の中でゼファー()と一番最初に戦場でぶつかるとすれば間違いなく貴様だ。何を思ったかくらいは聞かせろ」

 

「承りましたわ、陛下。──ですが、そうですね。特に何も(・・・・)

 

そのウマ娘はウイナーの命を受けて口を開き、サラリと自分の意見を口にする。──それだけで耳が心を奪われた。

 

 

「ほう?」

 

「確かに陛下とトレーナーが見出しただけの事はあるのでしょう。諸々の事情を加味しても一年……いいえ、私と同じ舞台まで駆け上がってくるだけなら半年もいらないかもしれませんね。いずれにせよ、彼女はトレセン学園に吹き荒ぶ新たな風となるでしょう」

 

そのウマ娘は皇帝たるウイナーを前にして尚、自分という存在こそがこの場で一番高貴な存在だと信じて疑っていなかった。──その高慢さをして優雅だった。

 

 

「ですが、逆に言えば今はまだ‘そよ風,程度のそれです。その気概にこそ惹かれますが、驚異と感じるには至りませんわ──そして」

 

 

 

『至上の紅玉』『走るお嬢様』『古きより続く大貴族』

 

 

 

「いずれその時が来たのなら、真っ向からお相手させて頂きますわ。──『華麗なる一族』として、私の背中を永延と魅せてさしあげます」

 

 

 

『華麗なる一族』──ウマ娘‘ダイイチルビー,

 

 

ここ数年におけるウマ娘レースの短距離路線においての最注目株。いずれはチーム「ステラ」を牽引する存在になると誰もが信じて疑わない、誇り高きウマ娘だった。

 

 

 

 

 


 

 

「…………ええっと」

 

ウマ娘、ヤマニンゼファーは状況が理解出来ずに戸惑った声を上げる。

 

上手いことメイクデビューを制し、初勝利を納めることに成功したゼファーは、そのあとトレーナーである柴中と共に清瀬を含めた休養寮のウマ娘たち全員に揉みくちゃにされるほど祝われ、レース場にあるフードコートで退寮祝い件祝勝を祝う昼食パーティーをする事になった。

 

途中、例の三人組が騒ぎすぎて清瀬と委員長に〆られたり、スタミナを付けるためのマラソンに何度も付き合ってくれた娘から『本校(むこう)で会える時が来たら絶対に併走してもらうからね! いままでアンタが避けてきた分も含めて徹底的に!!』と宣戦布告めいたことを言われたり、遠藤院長から祝言の電話が掛かってきたりとてんやわんやしていたが、兎に角パーティーは終わり、その後に行なわれたウイニングライブもシッカリと全力でやり遂げて、皆と一緒にトレセン学園へ帰還したのだ。

 

休養寮のウマ娘達と別れ、柴中に美浦寮の前まで送られて、寮長であるヒシアマゾンから歓迎の挨拶(?)をされて、いざこれから自分が暮らしていく事になる部屋の前まで案内された時だった。突如として扉が向こうから開いたと思えば、中から明らかに勝負服と思わしき服を着た一人のウマ娘が出て来る。──一瞬思考が固まったゼファーを前に、彼女は開口一番にこう言った。

 

 

「Is laoch gaoithe bródúil tú」

 

「…………ええっと」

 

申し訳無いとは思うのだが、何を言っているのかサッパリ分からない。体質がある程度改善して本格的なトレーニングを始める事が出来るようになる前まではその時間を座学に当てていたから、ゼファーはこれでもかなり一般科の成績が良い方なのだが、そのゼファーをして初めて聞く言語だった。少なくとも英語ではない事だけは分かるのだが……。

 

 

「大丈夫、安心しな。時折自分の国の単語がポロッと出ちまうらしいけど、別に日本語を喋れないわけじゃないからさ。勝負服姿なのもこいつなりの礼儀や歓迎の証って奴だからあんま気にしないで良い。戦士って奴の矜持だとか、部族独特のコミュニケーションだとか、私らの常識や考えとは違う部分も色々あるんだが……。こいつは良い奴だよ、掛け値無しにね」

 

「……失礼しましタ、寮長」

 

ペコリと軽く頭を下げて、彼女は今一度ゼファーの方を見る。──それだけで、ゼファーは屈強な戦士と相対した様に感じた。

 

 

「初めましテ。そしてようこソ。いずれ誇り高キ‘風の戦士,となるだろう私の戦友」

 

美しい褐色の肌。くすみ掛かった銀色の髪。服越しでも分かる、鍛えに鍛えた古代の剣闘士を思わせる身体。

 

 

 

『戦う者』『ケルトの女戦士』『力強き信念』

 

 

 

「──シンコウラブリイだ。……よろしク」

 

 

 



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チーム‘ステラ, 1/9

「…………フゥ」

 

日本ウマ娘トレーニングセンター学園──通称「トレセン学園」に所属するウマ娘の朝は基本的に早い。

 

早朝トレーニングをしつつ今日のコンディションを確認する為というのが主な理由だ。ウマ娘じたい寝起きが良い生き物(個人差有り)というのもあって、朝早くからグラウンドやトレーニングジムに学生の集団が出来ているのもそこまで珍しい話しではなかった。

仲間や友達と和気藹々とトレーニングを行なうか、一人黙々と鍛錬をしようとするかはそのウマ娘次第だが、兎に角いまトレセン学園のグラウンドには早朝トレーニングをするために何名かのウマ娘が出ている。──が、その殆どが動きを止めてしまっていた。……なぜか。

 

 

 

「──ハアッ(Hah)!!」

 

 

──ゴウッッ!!

 

 

 

「……すっご」

 

たった一人のウマ娘の走りに目を見張るほど圧倒されてしまっていたからだ。感嘆に溢れる声が、見学していたウマ娘の一人から漏れる。彼女が走っているのは芝の1400M--所謂短距離レース用に設計されたコースだが、そこでトレーニングをしていたウマ娘達は彼女の圧倒的なパワーとスピードに併走はおろか、付いていくことすら出来ていなかった。

かの三冠馬、ナリタブライアンのそれを思わせるレースへの姿勢と意気込み。圧倒的な実力を持ってして敵を真正面からねじ伏せるようなその様は、正しく「戦士」と呼ぶに相応しい走りだ。これでまだデビュー前の新バだというのだから末恐ろしすぎる。

 

 

「やっぱ理事長が直々にスカウトしてきたって噂はマジなんですかねぇ?」

 

一見幼女にしか見えないが実はちゃんと成人している--ように見せかけてやっぱり普通に幼女なんじゃないか疑惑のある色々と謎が多い中央トレセン学園理事長が、彼女の故郷(アイルランド)に出張へ行った際に直接スカウトして来たという噂があるのが彼女──シンコウラブリイだった。

傍若無人で自由奔放。なにより何十何百という戦士や王と夜を共にしたと言われているかの愛多き女王に仕えたとされる、神代の時代から続く伝統あるウマ娘の一族──その末裔らしい(あくまでラブリイ談)が、なるほどあの走りを見せられては納得するしかない。強豪とされる外国ウマ娘への反感か「先祖や伝統がなんだ。重用なのは彼女自身が強いかどうかだろう」と転入早々併走をふっかけたウマ娘の殆どを歯牙にも掛けず返り討ちにしたという武勇伝を持つラブリイは、今や中央トレセン学園の大注目ウマ娘の一人となっている。

 

トレセン学園最強と名高いチーム‘リギル,に匹敵するとされる唯一のチーム‘ステラ,の選抜試験に一発合格した後はトレーナーの指導を受けてその強さに更なる磨きが掛かり、その噂を聞きつけたのかまだデビュー前だというのに専属取材をしたいという申し込みまであったらしい。

 

 

「私じゃ敵わない訳ですよそりゃあ」

 

「たはは」と独り言をぼやき続けるそのウマ娘は力なく笑った。数日前に「あの‘帝王,に並びうる強さ」と称されるにまでになったラブリイに興味本位で模擬レースを持ちかけてあえなくぶっ飛ばされた記憶が蘇る。彼女が最も得意とする距離である芝の1600Mだった事を差し引いても完敗と言って良いほどの差が付いていて、もう笑うしかなかったのだ。来年には彼女を始めとした次代の強豪ウマ娘達がクラシックないしシニア級に続々と上がってくる訳で──

 

 

「……焦るなぁ」

 

思わず溜息が出る。同期には‘帝王,。次代には‘女戦士,に‘坂路の鬼,、‘黒き刺客,に‘世界の遺産,。そして先達には現役最強ウマ娘と言われている‘名優,。それ以外にも虎視眈々とGⅠレースでの勝利を狙っているトゥインクルシリーズ現役のウマ娘が山のようにいるのだ。自分だって決して悪い成績をしていないし、ぶっちゃけ中央トレセン学園全体でも上の上に入る強いウマ娘だと自覚しているのだが、その程度では一着に手が届かない事をそれ以上に理解している。このままではいつまで経っても「Ms.三着」「優秀なウマ娘」のままだろう。最悪の場合、そんな評価すら剥奪されるようになってしまうかもしれない。

 

……このままではいけないと分かっているのに、具体的になにをどうしたら良いか分からない。専属トレーナーの一人でも付いてくれれば色々とアドバイスをしてくれたりサポートをお願い出来るのだろうが、彼女はそんな所でも「Ms.三着」なのか毎回のように「惜しい」という評価を受けて、最後の最後──最終選抜でふるい落とされてしまうのだった。

そんな彼女にとって‘強い,と言われているウマ娘のトレーニングを見学するのは、重用かつ大事なトレーニングメニューである。

 

 

「──貫く(Penetrate)!」

 

「……うーみゅ」

 

周囲の視線を欠片も気に止めず、力強く走り続けるラブリイをもう一度見る。具体的になんと言っているのかはサッパリ分からないが、多分気合が入るような事でも叫んでいるのだろう。コーナーを曲がりきり、直線コースに入ったタイミングでその走りにより一層‘キレ,が増し──

 

 

「──ッ!?」

 

「へ?」

 

そこで何を目撃したのか、ラブリイは急ブレーキをかけて方向を変える。というか、コースを仕切っている柵を楽々跳び越えて全速力で自分の方へ走ってくるではないか。

 

 

「え、え、ちょっ!?」

 

鬼気迫るようなラブリイの表情に、思わず身体がビクリと震える。なんだ? もしかして知らないうちに彼女の逆鱗に触れるような行いをしてしまっていたのか? まさかここ数日のあいだトレーニング時間が丁度重なっていたのを良いことにジロジロと見続けていたのが勘に障っていたりしたのか?

 

 

「わ、わわわっ! なんだかよく分からないけどごめ──「大丈夫かゼファー(Zephyr, an bhfuil tú ceart go leor)!?」──ん?」

 

瞬く間に距離を詰められ、訳が分からないまま取りあえず反射的に謝罪の姿勢を取ろうとしたそのウマ娘のすぐ横を、ラブリイは瞬時に通り過ぎていく。一体なにごとかと行き先を目で追ってみれば、そこにはダートコースの上で這い蹲っている栗鹿毛のウマ娘がいた。……典型的なスタミナ切れだろうか。息も絶え絶えといった様子で砂の上に両手両脚をつき、浅い呼吸を何度も繰り返している。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

(あの人って確か、一昨日休養寮から転入してきたっていう……)

 

そう、確か名前は‘ヤマニンゼファー,だった筈だ。彼女が所属している学年は高等部だが、中等部である自分達の間にもその噂は流れていた。なんでも「体質異常のせいで今まで碌なトレーニングを積めていなかったウマ娘が転入初日にデビュー戦に挑み、かなり強い勝ち方をした」という話しだ。

他にも「初めての併走で‘マイルの皇帝,に追いすがった」だの「レース前はウイニングライブ用のダンストレーニングしかしていないらしい」だの「実は希代の詐欺師で、休養寮所属という経歴は造られた物」だの眉唾物の噂を、一部の物好きな娘達がお昼休みに話していたのを思い出す。「ラブリイの計らいで彼女と同室になった」とも言われていたが、この様子だとどうやらそれだけは事実らしい。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

「Breathe go mall──落ち着いテ、草や木の様ニ、ゆっくり息をしロ」

 

駆け寄ってきたラブリイにゆっくりと背中を摩られ続けること約一分。ようやく呼吸が落ち着いたのか、ゼファーはよろよろとした覚束ない足取りで立ち上がった。ラブリイの先導でコース際の柵を乗り越えると、そのまま芝の上へドサリと座りこむ。

 

 

「……あ、ありがとうございますラブリイさん。すみません、もう昨日から何度もこうして助けて頂いて……」

 

「気にするナ。寮長だけではなク、陛下やトレーナーからモ、お前の体質が完治するまでは気に掛けるよう命を受けていル。──そんなことよりモ」

 

「……ええ、もう大丈夫です。暫く休んだら再開しますね」

 

そう答えながらも、ゼファーは疲れが溜まった自分の脚と腕を入念にマッサージしていく。まだまだダートコースを利用したスタミナトレーニングをする気満々のようだ。傍から見ると本当に大丈夫なのかと心配になる具合だが、ゼファーにとって‘スタミナ切れでぶっ倒れる,なんていうのは既に日常茶飯事だったし、ラブリイもそれを窘めるどころか「良い根性だ」と褒める始末である。

 

 

「だが気ハ抜くナ。己の限界を超えた先にこそ勝利はあるガ、その前に倒れては元も子もないゾ」

 

「たはは……。はい、気をつけます」

 

ゼファーに大事が無いことを確認し終えたラブリイは「アア」と頷くと、そそくさと芝のコースへ戻っていってしまう。「え、それだけ? もっとこう、せめて傍にいてあげるとかしなくて良いの?」という思いの籠った視線がラブリイに集中するが、まるで気にしていない。──しかし、ゼファーは違った。

 

 

「みなさんもすみませーん! ラブリイさんのおかげで(・・・・・・・・・・・)無事ですのでお気になさらず!!」

 

「少し休めば回復しますから!」とゼファーは周囲のウマ娘に呼びかけるよう叫ぶ。自分は兎も角、ラブリイが周りから「冷たい人だなぁ」という印象を持たれるのは嫌だし困る。倒れ方こそ派手だったが実際はいつものスタミナ切れであり、大してスピードも出していなかったから特にこれといった怪我も無かった。

ゼファーの訴えを聞いて心配そうに様子を伺っていた何人かのウマ娘達も「まぁ大丈夫そうか」と各々行なっていたトレーニングを再開し始める。それを見て「ふう」と息を吐いた。朝・昼・夕方・夜と自主トレーニングを行なっている時間帯はウマ娘によって様々だが、なるべく早く、そして多くのウマ娘とトレーナーに早く自分の体質を知って貰わねばならない。そうでなければ本当に危なくなった時に助けて貰えないからだ。意外に映るかもしれないが、ゼファーは他人の手を借りたり誰かに助けて貰う事を躊躇しないウマ娘である。

 

 

(『じゃないと誰も助けられないし、頼ってくれない』。……だよね、お母さん)

 

幼き頃に母から教えられた‘信念を上手に貫く為の方法,。ゼファーが自分(ゼファー)らしく生きるためだけに考えられた、他のウマ娘には引用できない教えであるが、それは確かにゼファーという一人のウマ娘を上手く導き、ずっと彼女の心と夢を守ってきた。

 

──そして、ゼファーが小休憩を入れてから大凡十分後。

 

 

「──よぉし!」

 

パン! と両手で頬を叩いて気合を入れ直す。どんなトレーニングをするにも、まずはそれをこなすだけのスタミナが無ければ話にならない。休養寮にいた頃と同じように、しかし前より一層気合を入れて、ゼファーはマラソンをする為にダートコースへと戻ってゆく。

 

 

 

 


 

 

「いやぁ……キラキラしてますなぁ」

 

ラブリイのトレーニングを見学兼偵察していた例のウマ娘は、ゼファーとラブリイ両名のさり気ない気遣いを見てほっこりと微笑んだ。我ながら何とも婆臭い心持ちをしているとは思うが、そう感じてしまったのだから仕方がない。

 

ラブリイが早々とその場から立ち去ったのはゼファーに競争相手(自分)の事を過剰に意識させないため。──ただ只管にマラソンに打ち込もうとするゼファーの気を乱さないため。

ゼファーが大声で周囲に呼びかけたのは誤解を解くため。──頼もしい相方であり、チームメイトであるラブリイの印象を悪くさせないため。

両方ともやってることはさり気ないのに、どちらも相手の事を慮っての行動だと分かるのが何とも微笑ましいではないか。──彼女は気付いていない。今この場でラブリイとゼファーの考えと気遣いを看破出来ているウマ娘は、自分一人だけだということに。

 

 

(やっぱりあれかなぁ? 心?? 精神??? そういう所から来るのかなぁ、ああいうキラキラって)

 

ラブリイの古代の戦士を思わせる誇りと執念、ゼファーのただ只管に夢へ向かって努力し続ける信念。

 

‘自分を奮い立たせる強き心,──それがあるから、主役たり得るウマ娘達はああも眩しく輝くことが出来るのだろうか。……だとしたら、確かに今の自分では無理かもしれない。

 

 

(……私には無いもん、そういうの)

 

‘必ず日本一のウマ娘になってみせる,‘相手の尻尾に噛み付いてでも勝つ,‘誰だろうが喰らい尽くす,‘どれだけ挫折しようが決して屈せず、自分を曲げず、夢を諦めない,‘バクシンバクシンバクシン,──(何か最後に変なのが混じった気がする)他にも色々あると思うが、主役級のウマ娘達が必ず持っているであろうそういった激しい慟哭、狂おしいまでの想念が無い。自分の心にあるのは‘何が何でも一着になりたい,‘GⅠで勝ちたい,といった執着ではなく‘いい加減一着取りたいなぁ……,という淡い願望のようなそれだ。主役級のウマ娘達が抱くそれらとは比べものにすらならない、同列にする事すらおこがましいと自分でも思う物。

 

──前記の通り「なんとかしたい」と思ってはいるのだが、‘何が何でも勝ちたい,と思えるような状況や衝動などいきなり沸いてくるはずも無い。

 

 

「……さて、私もそろそろ始めますか」

 

彼女はトレセン学園指定のジャージの上に来ていたジャケットを脱いでスポーツバッグの中にしまうと、その場で準備体操を始める。

──だから、せめて自分に出来る努力だけは毎日し続ける。「こんなに頑張ったんだから絶対勝てるし勝ちたい」という思いだけでも心に抱く為に。

 

 

「ん、ん……よし! じゃあまずは「すみません」──はい?」

 

準備体操を一通り終えた彼女に、後方から声が掛かった。まだ年若い青年男性だ。中央のトレーナーバッジを胸に付けている事から、ウマ娘トレーナーだということだけは分かった。

 

 

「ナイスネイチャさんですよね? 僕はこの中央トレセン学園でトレーナーをしている南坂と言います」

 

「は、はぁ……」

 

一体なんの用か怪訝な顔になった彼女に、細目の優男はニッコリと笑って話しかける。

 

 

「スカウトですよ。私のチーム‘カノープス,の主戦力として、あなたをスカウトさせていただきたいんです」

 

「────え?」

 

 

 

 

 



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チーム‘ステラ, 2/9

今更ですがゼファーの容姿はアニメ二期に一瞬だけ登場したあの娘そのままです。


「はーい、みなさんお静かにー!」

 

水面に餌を撒かれた魚の様にざわめく生徒をなだめすかす、まだ年若い女教師の声が室内に響いた。中央トレセン学園は高等部の教室内だ。朝のホームルームの時間になって担任と共に教室に入ってきたその見慣れないウマ娘を見て「この時期に転入生?」という疑問が生徒達の頭に浮かぶ。

 

秋は勿論、春の新入生にしても規定された時期より三週間ほど早い「突如として現われた転入生」--これが普通の学校であるならば親や家庭の都合などで極普通に有り得ることなのだろうが、ここは伝統ある‘中央トレセン学園,だ。夏と冬に行なわれる入学試験において優秀な成績を収めるか、もしくはスカウト権限のある人物に直接スカウトされるかしなければ入学することは出来ない。

 

 

「今日はみなさんに転入生を紹介します」

 

そんな中央トレセン学園において「時期はずれの転入生」が来るとすれば、大きく分けて二つの理由が考えられる。

 

1つは前記の通り、スカウト権限のある人物にその才能を買われて特別編入した‘特別なウマ娘,。そして、もう一つが──

 

 

「今日──正確には昨日なんですけど、休養寮から転入してきた──」

 

「ヤマニンゼファーです。みなさん、どうかよろしくお願いします!」

 

休養寮での難病治療を終えてこちらへとやって来た、‘厄介な(特別な)ウマ娘,だ。

 

‘休養寮からの転入生,--それを聞いてなんとも言えない微妙な表情になった生徒達に気付くことなく、担任の女教師は「みなさん、仲良くしてあげてくださいねー」と暢気に喋りながらクリップボードに纏められた資料をパラパラと捲りだす。一方のゼファーは教室の端から端まで──これからクラスメイトになる生徒達の顔をサッと一瞥すると、何か思案するように少しの間だけ瞳を閉じた。

 

案の定、噂で聞いていた通り殆どのウマ娘が‘面倒臭い奴が来ちゃったなぁ……,とでも言いたげな顔をしている。理由は勿論、ゼファーが‘休養寮のウマ娘,だからだろう。

 

数十年前にトレセン学園で起きた、元休養寮所属のウマ娘による自殺事件。あの事件以来、中央トレセン学園に『困っていたら手を貸そう』『みんなで協力、支え合おう』という一種のスローガンめいた風紀的マナーが出来た。それ自体はとても素晴らしい事なのだが、年月が経って事件の事が忘れさられていくにつれて『休養寮上がりのウマ娘には気を使え』『心体共に過重な負担を掛けるな』『なにかあったら最悪の場合連帯責任になるぞ』という‘厄介者の対処法,に変化していってしまったのである。

 

 

(なんとかしたいなぁ……)

 

厄介者を見るなんとも言えない視線に晒されながら、ゼファーは思う。

 

‘大した成績も残せないのに伝統ある中央トレセン学園にいる要介護者(厄介者),という風潮が、事故や事件を防止するための良識あるマナーによって作られてしまっているという皮肉。誰かに気を使ったり場の空気を読んだりするのは本来強制してまでさせるべき事ではないし、向き不向きの面も大きい。相手に気を使っていることを悟られない……もしくは悟られてもそこまで気にされないよう気をつけて立ち振る舞う必要があるなど結構コツ(・・)がいるし、それを負担に感じない精神性も必要だ。

 

注意喚起やマナーの普及としてああしようこうしようと呼びかけるのは絶対必要だが、そこまで意識されて動かれると気を使われる方としても色んな意味で負担にしかならない。……逆にこっちが気を使って立ち振る舞わなければならなくなる程に。

 

 

「ええーっと、今まで休養寮に所属していたからレース経験は当然無し……じゃないですね! つい昨日メイクデビューに出走して、しかも勝って……え!? て、転入初日に初レース初出走(・・・・・・・)でしかも二馬身差勝ち!?」

 

担任の女教師が放った言葉の意味を理解する事が出来た一部のウマ娘が、先ほどとは別の意味でザワつき始める。

 

 

(ちょ、ちょっと待ってそれってつまり……!)

 

4戦4勝 プリンセス・オブ・シンデレラ──『イソノルーブル』

 

 

(ねぇねぇシスターちゃんシスターちゃん。なんでみんなあんなに驚いてるの? ただデビュー戦で勝っただけじゃないの?)

 

10戦4勝 3着3回 無垢なる気迫──『ヌエボトウショウ』

 

 

(……重用なのは‘勝ったこと,ではありませんよ、シスターヌエボ。その前──‘休養寮出身かつ初レース初出走,の方です)

 

3戦3勝 最美の巡礼者──『シスタートウショウ』

 

 

(あら、一目見て素敵な娘じゃないと思ったけど……ふふっ! これから楽しくなりそうね!)

 

4戦3勝 豊満なる心・技・そして体(未完)──『ダイナマイトダディ』

 

 

(……なんだろう、急に空気が──)

 

「──いずれ警戒に足る逸材になるかもしれない。──そう思った奴らだろうさ」

 

教室最後方の窓際の席。学生服の上から分厚いパーカーを羽織い、机に肘を付いて手の平で顔(というより顎)を支えているウマ娘が、空気の変化を敏感に感じ取ったゼファーに呼応するかのようにボソリと呟く。女教師や他のウマ娘達とは違ってそこまで驚愕の表情を浮かべてはいないが、その宝石のような輝きを放つ瞳は、まるで見定めるかのようにゼファーの事をジッ──と見ていた。

 

未出走 元不良にして、日本史上最強の**──『レガシーワールド』

 

 

「えっと……」

 

「ほら、隣座んなよ。どうせここしか席は開いてないんだし、先生もそのつもりだったでしょ?」

 

ゼファーが「そうなんですか?」と言って担任の方を見ると、担任の女教師は困ったような表情をしながらもコクリと頷いた。

 

 

「え、ええ。でもまずはその、軽く自己紹介をしてもらってからというのが通例なので「レガシーワールド」いやレガシーさんに言ってないですから!?」

 

そんなやりとりに思わず笑いそうになってしまうのをグッと堪える。実の姉二人を思わせるような粗暴な外見から繰り出される天然発言に一種のギャップを感じてしまったのだ。コホンと一回だけ咳払いをしてから、ゼファーは改めてテンプレートに則った自己紹介を始めた。

 

 

 


 

 

 

「……それで、貴様はどうしてそうまでやつれているのだ?」

 

正しく不思議そうな顔をしながら、マイルの皇帝『ニホンピロウイナー』は自分の対面に座る柴中に聞いた。まだ人がまばらな、開店直後のカフェテリアだ。朝食を摂る時間も惜しいほど仕事が多忙な時、もしくは徹夜明けで疲れ切っている時、柴中はここの一番端に位置する席に陣取り、雑務をこなしながら朝食を摂る事にしている。

 

テーブルの上には如何にも難しそうなことが書いてある契約書やら計画書が端の方に積み重なっていて、あとは最新のノート型パソコンが一つと、柴中が頼んだであろうクロワッサンとミニサラダ、スクランブルエッグがワンプレートに纏められた朝食セット(人間向け)が全く手つかずのまま放置されていた。

 

 

「お前なら予想ぐらい付いてるだろうが……」

 

「だが所詮は予想に過ぎん。貴様自身の口から「そうだ」と確認するまではな」

 

ウマ娘を育成して一流の選手へ育てていくにあたって必要なデスクワークなども基本的にトレーナーの仕事ではあるのだが、チームメンバーがGⅠレースを控えている時期でもなしに、柴中がこうも多忙に追われているというのは珍しい。肝心の育成能力だけではなく、こういった書類仕事もそつなくササッとこなしてこそのGⅠトレーナーだ。皇帝たるウイナーのトレーナーともなれば当然である。

 

 

「……昨日のレースだよ」

 

柴中は軽く溜息をついてから質問に答えた。彼の頭を悩ませている原因は、ウイナーの予想通りつい昨日行なわれたゼファーのデビューレースについてだ。

 

 

「やはり中傷と批判が来たか? ‘無謀な挑戦だった,だの‘結果論として勝っただけの無茶苦茶な要求,だのは勝手に言わせておけ。奴の願いと将来性を考えるのならば、例え性急であろうとも早々にレースを経験させるべきだった」

 

レース終了後、ウイナーズサークルで何人かの記者に囲まれてインタビューを受けていた柴中とゼファーを思い出す。マスコミ各社によるインタビューに答えるのはウマ娘レース出走者の義務だが、昨日のそれは少々毛色が違った。重賞レースじゃなければOP特別でもない、ただのメイクデビュー戦にも関わらず、そこそこの記者がウイナーズサークルに集まったのである。

 

それを異常と呼べるかと言えば否で、メジロの令嬢達などを始めとした将来性に期待出来るウマ娘にはデビュー戦──もっと言えば未出走の時から専属取材を申し込まれる事まであるのだが……。昨日のそれはどちらかというと『一体何だこいつは』とレースを見て思った報道陣が急遽集まったといった感じだった。

 

休養寮出身で、転校初日。レースはおろか、まともなトレーニングすら殆どしていない。誰も勝利を期待していなかった無名のウマ娘が、最後の直線200Mを切ってから一気の追い込みで前方にいた九人を纏めてちぎって大勝利してしまったのだ。注目されない方がおかしい。そしてそれは称賛や喝采だけではなく『なぜこのような勝ち目が無いウマ娘をレースに出したのか』という追求があったことを意味している。

 

「勝ったからよし」ではすまされないのがウマ娘レースの世界であり、無茶な育成計画を練ったトレーナーへマスコミからの批判である。

 

 

「いや、‘そっち,は存外少なかった。経歴はどうであれ「あれ程の実力ならば転入後即レースに参加させるのも納得出来る」って事らしい。むしろ「これだけの逸材を休養寮から発掘してきた某トレーナーは流石の慧眼であると言わざるを得ない」って称賛する反応の方が大きいな」

 

「……ではなぜだ?」

 

「……逆説的に「本当に元休養寮所属のウマ娘なのか?」「仮にそうだとして、転校初日だとかトレーニングメニューの部分は捏造されているんじゃないのか?」って疑惑の声が幾つか上がっててな。悪意がある物だと「秘密裏に育ててきた秘蔵のウマ娘を世間に注目させる為に経歴を詐称した」なんてのまであった。いやデビューまで存在を伏せてたってのは事実なんだけどさぁ……」

 

ゼファーをレースに出した事に対する自分への批判や中傷ならある程度は素直に受け入れるつもりだったが、その経歴を疑われるのならば断固として否定する構えだった。彼女の十何年にも渡るであろう必死の努力と闘病生活を、詐称だ捏造だなどという誹謗中傷で汚すわけにはいかない。

 

柴中も言葉を尽くしてマスコミ各処に説明等をしたのだが、疑惑を完全に晴らしきることは出来ず──

 

 

「なるほどな、それで公式に発表する為に奴の経歴書を改めて作り直しているという訳か」

 

「連絡した時はもう夜遅かったのに、遠藤さんや三坂さんがゼファーに関する書類を分かりやすく纏めた物を送ってくれてホント助かったよ」

 

ウイナーは大きくあくびをする柴中に「苦労を掛けるな」と労いの声を掛ける。「気にすんな」と返事をして完全に冷めてしまった珈琲を一気に飲み干すと、ブザーを押して店員を呼び出し、珈琲のお代わりを注文した。やって来たウェイトレスウマ娘に『「いつもの」でよろしいですよね?』と聞かれたのでコクリと頷く。

 

 

「ゼファーの経歴書に、みんなの育成計画書類。それから今年度の大まかな目標GⅠレースへの出走届けと……。うん、今のペースならなんとか二徹で済みそうだ」

 

「私が言えたことでは無いが、あまり根を詰めすぎるなよ。前みたく不意に倒れても知らんぞ」

 

「あー……。いやだってあれはさぁ……」

 

少しばかり照れながらバツが悪そうに頬をポリポリと掻く柴中。確かにあの時は焦りからか体調的に少々無茶なスケジュールを実行していたが、あれは多少無茶でも頑張らなければいけない所だったと今でも思っている。なにせ‘トゥインクルシリーズ,は勿論、‘ドリームカップトロフィー,に‘レジェンドレース,更には団体競技の‘アオハル杯,に至るまで、その年の集大成と言っても良い一大レースが連続して開催する時期で、それら全てにステラのメンバーが出走するという未曾有の事態だったのだ。

 

当然、チームトレーナーである柴中には各種レースへ向けてのウマ娘の育成と調整、トレセン学園並びにURAへ提出する書類の作成などといった大仕事が山積みになっていた訳だが、例え無茶でも全ての仕事を一つ残らずこなさなければならなかった。どれも彼女達が勝利を手にするためには必要不可欠な事だったからだ。死ぬほど忙しく、連日寝る暇も無いほどだったが、今までの中で一番気合が入っていたようにすら思う。

 

……まぁその結果ものの見事に質の悪い風邪をひいてチームメンバーに心配を掛けてしまった、柴中という人間にしては珍しい要反省案件なのだが。

 

 

「貴様の信念(それ)を尊重はするが、それはそれとして貴様に倒れられたら困るのでな。私達にやらせて問題無い事であれば躊躇無く言え。そういう決まり(・・・・・・・)だろう、我がチーム()は」

 

「ははっ、あの時も言われたよな、それ。……大丈夫。お前達にやってもらう予定の仕事はちゃんと分けてあるし、本当にキツいと思ったら素直に休むからさ」

 

分かっているようで分かっていない柴中に、ウイナーは苦笑いを浮かべながら言った。

 

 

「阿呆が、そうなる前に頼れと言っているのだ。最悪の場合私の勅命で花姫か東雲辺りに見張り兼付き人をやらせてやるから覚悟しておけ」

 

「勘弁してくれ。ただでさえ二人にはちょくちょく弁当作って貰っちまってるのにこれ以上負担なんてかけられ──「お待たせしましたー」あ、どうも」

 

お代わりの珈琲がテーブルに置かれたのとほぼ同時、始業開始十分前のチャイムが学園全体に鳴り響いたのを聞いて、ウイナーはゆっくりと席を立つ。

 

 

「ならば精々そうならないように努力しろ。無茶も無謀も、そしてそれによって倒れることでさえも、無償で他人から手を差し伸べられる若者の特権だ。トレーナーである貴様がして良い事ではないのを忘れるな」

 

「はいはい分かってるよ、ウイナー」

 

スタスタと静かにカフェテリアを後にするウイナーを席から見送りながら、柴中はようやっと朝食プレートのクロワッサンを手に取って一口だけ囓る。続けざまにお代わりの珈琲を口に含んで──そこでようやっと気が付いた。

 

 

「……これ、俺が何時も頼んでる奴(エスプレッソ)じゃないじゃん」

 

「適当ぶっこきやがったな?」とキッチンの方を若干睨みはしたもののワザワザ店員を呼んで中身を変えて貰うのも面倒臭く感じた柴中は、仕方なしにそのままやって来たキャラメルマキアートを供にささやかな朝食を取り始める。

 

 



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チーム‘ステラ, 3/9

「それで──はい、そうなんです。ですからみなさんもそこまでお気になさらないで大丈夫ですので……ありがとうございます。そうですね……もし本当に危ない時は──」

 

一時限目が終了して最初の休み時間。転入生ないし転校生という物の宿命か、自分の席周辺へ一斉に集まってきたウマ娘達から寄せられた数々の質問に、ゼファーは一つ一つ丁寧に返答していく。……これだけだと極普通の光景に感じるかもしれないが、細部が大きく違った。殆どのウマ娘が似たような質問しかしてこないのである。

 

 

『マジで休養寮にいたの?』『ぶっちゃけどんな病気?』『何か気をつけて欲しい事とかある?』『本当にこっちに来て大丈夫なの?』

 

質問の内容は大体こんな感じだが、‘ゼファーというウマ娘をよく知るため,‘仲良くなるため,にするそれというよりは、警戒──例えるならば、突如として自分達の縄張りに紛れ込んで来た迷い猫を牽制する猫達の様に見えた。

 

‘知りたい,ではなく、‘情報を得たい,と言えば分かりやすいだろうか。質問内容にゼファーの趣味嗜好に関するそれが一切入っていないのがその証拠である。‘いざという時の対応,を聞き出しているからには非常時に傍にいればそりゃあ助けてくれるのだろうが、逆に言えばそれ以外──平時に置いては「あんまり関わりたくない」という内心が透けて見えている。

 

 

(うーん……)

 

仕方の無い事だとは思いつつも、学園に蔓延る休養寮への風潮をなんとか出来ないかと思案するゼファー。具体的にどういう事をすれば良いかは分かっているのだが、現状とっっかりが掴めない。(まずはこの空気をなんとかしないと……やっぱりあの話題しかないかな?)そう思った時だった。

 

 

──むにゅん♪

 

 

「──へ?」

 

という何か柔らかくて感触の良い物が後頭部へと押しつけられる。席に座っている自分に後ろから誰かが抱きついてきたのだという事はすぐに分かったが、並大抵の女性では到底持ち得ないであろう圧倒的な質量と柔らかさを持つそれに、ゼファーは一瞬だけ思考が停止してしまった。

 

 

「はーい♪ じゃあ次は私から質問するけど良いかしら~?」

 

にゅっっと覗き込むように後ろから顔を覗かせたのは、とても綺麗な栃栗毛の髪を持つウマ娘だ。髪の丁度ド真ん中にスッ──と縦に入った一本線の白髪も十分特徴的だが、それ以上に目を引くのはやはりその身体だろう。

 

スラッとした長くて丈夫そうな脚に、クラスでも1.2を争うほどの高身長。絶妙な細さのウエスト、素晴らしく豊満な胸、抱きつかれているゼファーが少しばかり力を入れた程度ではとても振りほどけそうに無いぐらいの力がある腕。同性であるゼファーですら、思わず見とれてしまうような抜群のスタイル。

 

 

「‘ダイナマイトダディ,よ。これからよろしくね、そよ風ちゃん♪」

 

ぎゅーっ! と苦しくない程度に更に力を入れられて抱きしめられる。勘の良いゼファーはこれが彼女なりの気遣いだとすぐに分かったし、例え気付かずとも特段振りほどく気は無かった。周囲の視線と態度を見れば一目瞭然である。

 

凡そ半数が「相変わらずだなぁ」とか「早速やってるよ」という微笑ましくも呆れたような視線をダディに向け、残りの半数はなんだか羨ましそうな目でゼファーの事を見ていた。彼女が会話に加わってから空気の流れが変わった事を鑑みても、彼女がこのクラスの中心人物の一人であろう事は容易に察せられる。

 

 

「はい、よろしくお願いします。……それで、ご質問というのは?」

 

「そうそう! みんなが凄く大事な質問をしてくれてるから、私はゼファーちゃん本人の事を聞こうかなってね。趣味とか得意な事とか……それと、好きなことと嫌いな物を教えて欲しいわ」

 

「ね、みんなも気になるでしょう?」とダディが微笑みながら周りのウマ娘に言うと「まぁまぁ」だとか「うんうん」という曖昧なれど肯定的な返事と態度が帰ってくる。周囲の雰囲気や警戒度合いも、いつの間にやら「中」から「低」ぐらいになっていた。(……ありがとうございます)と、心の中でダディに感謝を告げる。如何にゼファーが空気やその流れに敏感とはいえ、転校初日にそれを良き方向へと持って行くのは少し難しい。クラスメイト達の気質やこのクラス独自の法則を掴めていないし、掴んだところで慣れるには時間が掛かる。

 

こういう強引な換気は休養寮だと大先輩ぐらいしかしなかったし、ゼファーでは現状における「最適解」だと理解していても出来なかったから本当に助かった。

 

 

「好きなことは草原を走る事で、嫌いな物は籠って淀んだ空気ですね。実家では部屋の換気を毎日必ずやってました。得意な事はやっぱり一番最初にご挨拶させていただいた通り‘一生懸命頑張ること,だと自分では思ってます。これでも姉達からは『お前には誰にも負けねぇ強い魂と凄ぇ根性がある』ってよく言われましたから」

 

「あら、お姉さんがいるの?」

 

「ええ、二人。どちらも破天荒な性格で、地元じゃ大問題児扱いされてましたけど……。とても強くて、いざという時はすっごく頼りになる姉達なんですよ」

 

「そう……。良い家族を持てて幸せね!」

 

「──! はい! 私の数少ない自慢なんです!」

 

姉達の事を褒められたように感じて、自然と笑みがこぼれる。喧噪だとか抗争だとか割とシャレにならない問題に巻き込まれるような事も結構あったが、ゼファーにとって姉達の在り方(強さ)は一つの目標であり、かけがえのない大切な家族だった。個人的にはこれを期に姉達の事を話したいのだが、今の話題は他ならぬ自分の事なので自重しておく。

 

……さて、では空気も和らいだところでそろそろ鬼札を一つ切るとしようか。

 

 

「あとは母が化粧品会社に勤めていた美容研究家だったので、お化粧や美容に関する知識については少しだけ自信があります」

 

 

──ピクッ

 

 

現在進行形でゼファーに抱きついているダディを筆頭に、何人かのウマ娘の耳と表情がピクリと動いた。予想通りの反応をするクラスメイト達を見て、心の中で(──よし)とガッツポーズを取る。

 

 

「へぇ……。ちなみになんだけど、どんな事を知ってるの?」

 

ユラリ──と、全く動いていないはずのダディの影が大きく動いたようにゼファーは見えた。ダディ及びその他クラスメイト達のなんとも言葉にしがたいある種の気迫に少しも怖じること無く、ゼファーは話を続ける。

 

 

「んーと、スキンケアのコツとか化粧品の上手な使い方だとか色々ありますけど……。一番得意、もとい母が専攻してたのが生活習慣に関する美容知識ですね。「こういう事に気をつけて生活すると良いよ」っていうアドバイス的なやつを幾つか」

 

「ふぅん……」

 

「どちらかと言えば美容と言うよりは健康的な面が強いでしょうか──」とゼファーは続ける。話しを聞いているのかいないのか、クラスメイト達は先ほどよりも明らかに距離を詰めてきていた。

 

それをシッカリと把握すると、ゼファーは鞄から何やら一枚の紙をスクラップにした物を取り出して、その場にいる全員に見えるよう机の上に置く。本屋などでよく見かける、ティーンズ向けの雑誌の表紙だ。丸机に座った綺麗な人間の女性モデルが頬杖をついてスマホを下向きに眺めつつ、対面に座っているという想定であろうこちら(カメラ)をチラリと見るというこれまたよく見かける構図になっている。

 

 

「突然ですが問題です! この写真の女性は‘綺麗になるための仕草,におけるNG行動を三つもしてしまっています。一体それはなんでしょうか」

 

「……?」と不意を突かれて一瞬周囲が固まる中、ゼファーは声のテンションを一段階高くして宣言した。唐突ではあったもののやはり興味を引かれたのか、その表紙がより見やすい位置に何名かのウマ娘が移動してくる。

 

 

「そうねぇ、綺麗な人だし、一見してなにかシテはいけない行動をしているようには見えないけど……。強いて言うなら、スマホを眺めるときに猫背になっちゃってる事かしら?」

 

「正解です! 三つのうち二つが大体同じ事なので纏めて言ってしまいますが『猫背』の維持は美的にも健康的にもNGでして。猫背になって骨盤が後傾すると首、背骨、骨盤がゆがんでしまって肩こりや腰痛などの引き金になりますし、ぽっこりしたおなかにもなりやすくなってしまいます。なので背筋は日頃からピン! と伸ばすことを心がけましょう。具体的に言うと「背もたれ」を使わないで椅子やソファーに座ったり、スマホやパソコンを見る時は「目線と同じ高さ」を心がけると良いですよ」

 

「へぇー……。『「猫背」は良くない』ってテレビや雑誌でもよく言われてるイメージがあるけど、やっぱりそうなのねぇ」

 

「ええ。まぁでも常に気を張っているのもそれはそれで良くないので、あくまで「心がけ」と言うことで──あと一つ、なんだと思いますか?」

 

「んー……」

 

ダディが口を閉じて考え込み、他のウマ娘達も見当が付かないのか首を捻ったり周りと友達と相談したりしている。(ちょっと難しかったかなぁ?)と思ったゼファーが正解を口にしようとした時だった。

 

 

「……もしかして「頬杖」ですか?」

 

「その通りです! よく分かりましたね」

 

斜め後ろから聞こえてきたその声に反応して、ゼファーは椅子に座ったまま振り向く。そこに立っていたのは透き通るようなサラサラの髪をした鹿毛のウマ娘だ。パッと見ただけでは特徴的な部分は無いものの、見る人が見れば髪や肌の手入れを毎日丁寧にやっていると分かるだろう。具体的に言うと、毎日厳しいトレーニングをしているレース科のウマ娘にも関わらず、各処における‘ダメージ,が極端に少ないのである。雑にオールインワンの化粧水を使っているだけだとまずこうはならない。

 

──率直に言って、とても綺麗なウマ娘だった。ドレスか何かで着飾れば……否、そんなことをせずとも、どこかの国のお姫様に見えそうなぐらいだ。

 

 

「え? 頬杖ってダメなの? モデルさんとか役者さんとか、綺麗な人がよくやってるポーズの印象があるけど……」

 

今一ピンと来ないのか、クラスメイト達が疑問を口にしてゼファーに尋ねてくる。

 

 

「はい。仰るとおりモデルさんや役者さんがよくされているポーズなんですが、実は‘日常的に行なう仕草としてはNG,なんです。頬杖ってこう──片方の腕の肘を机に置いて、手の平で顔の顎から頬にかけての部分を支えるように持ちますよね? これを日常的に行なっていると‘顔全体がダレてきてしまう,んですよ。手と頭で頬の筋肉に圧力を掛けている状態なので、当然と言えば当然なんですけどね」

 

「あ……確かに……」

 

「言われてみれば、そうねぇ……」

 

「‘女性的に見える構図,な上に姿勢としても楽なのでついつい日常的にやってしまいがちなんですが、そもそも顔って洗顔やメイク、あとはマッサージとかをする時以外は基本的に触らない方が良いんです。これは顔に限った話しではなくて、肌自体が‘過剰な摩擦や圧力は厳禁,ですから。なので、お風呂で顔や身体を洗う時もあまりゴシゴシ擦りすぎないように気をつけています」

 

『へぇー……』という感心したような声が、集まったウマ娘達から自然と漏れる。彼女達のような常日頃から激しいトレーニングを行なうウマ娘レース出走者だとどうしても身体を痛めつけてしまいがちで、健康は兎も角美容なんて二の次という姿勢のウマ娘も少なくないが、やはり内心ではこういった事に惹かれたり興味がある娘が多いようだった。

 

 

「凄いわ、本当に詳しいのねそよ風ちゃん! それとルーブルちゃんも! 流石はこのクラスのプリンセスね!!」

 

「いえいえ。少しばかり心得があるっていうだけで、私なんて本職の人のそれと比べれば素人知識もいいとこです。母から教えられたことでも、ちゃんと実践出来ている物はかなり少ないですしね。うっかり忘れていたり、覚えていても出来なかったり、NGだと分かっていてもついついしちゃう物とかもありますし」

 

「わ、私は写真の人がそれ以外になにかしている様に見えなかったってだけですよ。美容とか健康とか、そういうのあまり詳しくも無いですし……たまたまです、たまたま!」

 

ゼファーはあまり過大な評価を頂かないようにやんわりと言葉のクッションを挟み、ダディからプリンセスと呼ばれたウマ娘──‘イソノルーブル,は頬を若干赤らめながらぶんぶんと首を横に振った。

 

 

「そうなんですか? 失礼ですが髪も肌も凄く綺麗なので、てっきりそういう方面にも詳しい方だとばかり思っていました」

 

「い、いやいやいや! 私みたいな田舎の庶民が綺麗だなんてそんな──」

 

半ば口説いてるように受け取れなくもないゼファーの発言にルーブルはさらに強く首を振り、ダディは「うんうん」と二回ほど頷く。

 

 

「分かるわぁ。ルーブルちゃんってとっても綺麗ですものねぇ……。でも‘詳しくない,っていうのは多分本当よ。これで化粧品の類いは一切使ってないって言うんだからホント羨ましいわぁ……」

 

ダディとクラスメイト一同から女性としての羨望の視線を向けられて気まずそうに目を逸らすルーブル。一方のゼファーはゼファーで(自覚があるか無いかは兎も角、恐らく‘化粧品,を使っていない、詳しくもない、ってだけでしょうね)と当たりを付ける。ウマ娘レースと同様、美と健康は決して一日そこらで成る物なんかじゃない。特定健康食品だとか特定美容品だとか、栄養素だけが詰め込まれたようなサプリメントを何も考えずただ単に使っただけでは何の効果も望めない。最低でも一ヶ月以上、肉体改造と呼ぶに近い物ならば、それこそ年単位の時間と努力が必要になる。

 

 

「そうですか──なら、もっと凄いですよ」

 

心の底からそう思うと、ゼファーは言った。彼女には分かる。ルーブルの美しさは‘楽して綺麗になりたい,という怠惰な願望から来る表面だけを整えるような上っ面のメイクや、薬品の過剰摂取、無理のある整形手術なんかでは決して再現する事の出来ない物だ。ウマ娘レース出走者として行わなければならない厳しいトレーニングによる髪や肌へのダメージを毎日毎日丁寧にケアし続け、地道な努力を積み重ねる事でしか形作られない……職人の手によって磨き上げられた、一粒の真珠の様な美しさ。

 

その美しさ(努力)を尊敬し、敬意を払うべく、ゼファーは心の底から言った。

 

 

「お、大袈裟ですって! 私なんてその……えっと……。わ、私! ちょっと走ってきます!!」

 

「ちょ、ちょっとルーブルちゃん!? 二時限目まであと五分も──」

 

顔を赤らめてその場から走り去ろうとするルーブルにダディは大声で呼びかけるが、時既に遅し。パニック状態で警告が耳に入っていないのか、ルーブルは教室のドアを開けて廊下に飛び出そうとして──

 

 

「それでね──うわぷっ!?」

 

「あわわっ! だ、大丈夫ヌエボちゃん!?」

 

「……なにをしているんですか、シスタールーブル」

 

丁度ドアを開けて教室に入ろうとしていた‘ヌエボトウショウ,に思いっきりぶつかった。ルーブルの胸の真ん中にヌエボの顔が「ぽふん」と埋め込まれるような形だ。彼女と一緒に教室へ戻って来た‘シスタートウショウ,がそれを見て呆れたような声を出す。

 

 

「ご、ごめんねヌエボちゃん! あとシスターさんも……」

 

「んーん、私は大丈夫だよ! ダディちゃんほどじゃないけど、ルーブルちゃんもおっぱい大きいし!!」

 

「ぬ、ヌエボちゃん!」

 

「もうすぐ二時限目の開始時刻です。余程の急用でもなければ、着席して授業を受ける為の準備をする事をオススメします──みなさんもです。転入生(ゼファーさん)とお喋りするのは結構ですが、時間と相手の都合はちゃんと考えてください。……主にあなたに言っているんですよ、シスターダディ」

 

「はーい♪ じゃあとりあえず解散しましょっか。今度はお昼休みにって事でどう? そよ風ちゃんもそれで良いかしら」

 

シスターの忠告を受けて授業開始まで数分も無い事に今更気づいたのか、ゼファーの周辺に集まっていたウマ娘達はダディの提案に手早く頷くと、慌てて自分の席へと戻っていく。

 

 

「はい、構いません。でも放課後は外せない用事があるので、それまではお付き合い出来ないと思います」

 

「外せない用事?」

 

「ええ────

 

 

 

────‘歓迎会,を開いて頂けるらしいんです。チーム‘ステラ,のみなさんで」

 

 



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チーム‘ステラ, 4/9

ようやくモチベ含めて執筆することが出来る状況が整いそうなので復帰として軽く……。
長い間お待たせして本当に申し訳ありません。


「ふっふふん♪ ふっふふん♪ ふっふっふーん♪」

 

どこかで聞いたような鼻歌を歌いながら、その類い希なる巨躯を有するウマ娘──ヒシアケボノはチームルームのキッチンに立っていた。

彼女は手に持った包丁でキャベツや豚バラ肉、各種食材を丁寧に下処理しては適当な大きさに切って、直径50センチはあろうかという三つの大きな土鍋に次から次へと詰め込んでゆく。にんじんや椎茸を花形にしたり十字に切り込みを入れたりするのも忘れない。──随分と慣れた手つきだった。

 

 

「みーんな綺麗に並べたら、あとはボーノ特製のおいしーいお出汁を注いでー……。うん! 準備オーケーなの!」

 

土鍋の蓋を閉めてコンロの上にガチャンと置く。後は火を点けて暫く煮込んで灰汁を取った後、塩なり醤油なりで味を調えるだけだ。何のひねりも変哲もないただの寄せ鍋だが、チームステラの「歓迎会」なら‘これ,は外せない。

みんなで一緒においしい鍋を囲む──。新メンバーを迎え入れる歓迎会として、これほど相応しい物は無いとヒシアケボノは考えている。

 

 

「フラワーちゃーん、そっちはどうかなー?」

 

「はーい、ちょっと待ってくださいね……。よいしょっと」

 

同じく台所に立ってなにやら色々と動いていた童女──ニシノフラワーに声を掛けると、彼女は冷蔵庫の冷凍室から大きな二つのボウルを取り出し、大きなスプーンで中身をジャクジャクとかき回し始めた。辺りにふわりとバニラの良い香りが立ちこめる。

 

 

「うーん、まだ少し水っぽいですね。20分後にまた冷凍室から取り出してかき混ぜておきます」

 

「分かった! でもそれはここの片付けと一緒にボーノがやっておくから、フラワーちゃんは‘謁見室,の準備をしてるみんなの──主にルビーちゃんのお手伝いをして欲しいな!」

 

言うが早いか、ヒシアケボノは使い終えた調理器具を纏めて放り込んでおいた流し台に立つと、蛇口を捻って桶に水を溜め始める。

 

 

「えっ、でも……」

 

「いいのいいの! ボーノがあっちに行っても、高いところの飾り付けをするぐらいしか出来ることなんて思い付かないし、それに──」

 

 

『──おい! ちょっと待てなにをしている貴様ら!!』

 

 

ヒシアケボノの言葉を遮るように、怒号にも近い叫び声が遠くの方から聞こえてきた。チームメンバーにとっては既に聞き慣れた、アキツテイオーの声だ。

 

 

『ヴェ!? な、なぜにアキツ先輩がここに!?』

 

『生徒会役員ならびに教師陣との会合が予想以上に早く済んでな……。で、貴様らは一体何をしているんだ?』

 

『なにってそのぉ……。Welcome的なパーティをするってルビっちに聞いたんで、会場をデコるサポ的な?』

 

『この季節感も無ければ統一感も無い頭の悪い装飾でか? それとルビィ!!』

 

『わ、私の所為ではありませんわ! このバカがクソダル──このおバカさんが私に執拗に粘着してくるのが悪いのです!!』

 

『だったらせめて止めるなり私なり陛下なりトレーナーなりに連絡を取れ! 何故一緒になってこいつの悪行を手伝っている!?』

 

『そ、それは……』

 

『ルビっちってマジでウチの煽りに対して耐性ゼロだよねー。あと善意のお手伝いに対して悪行って言い過ぎっしょパイセーン! マジつらたんなんですけどー。統一感ゼロなのはー……和洋折衷的な? っていうか、パーティするならウチらも混ぜてくださいおなしゃす!』

 

『貴様がステラ(我ら)の趣旨を勘違いしている事と、全く反省していない事はよーく分かった。取りあえずそこに直れこの痴れ者共が』

 

 

 

「……あ、あはは」

 

「……ね? 早く行ってあげて。このままじゃ収集つかなくなっちゃいそうだから」

 

キレたアキツテイオーの怒号がキッチンにまで響き渡るなか、フラワーは彼女にしては珍しく力の無い笑顔を浮かべながら、それでも自分に出来る事があるのならばとカオスと化した謁見室へ小走りで駆けていく。

 

 

 

 

──中央トレセン学園──生徒会室──

 

 

 

「──それで? 何の用だシンボリルドルフ。会合が終わりもしない内から「少し残って貰いたい」などと呼び止めておいて」

 

マイルの皇帝‘ニホンピロウイナー,は、内なる不機嫌さを全く隠そうともせず、自分の眼前でソファ-に座る皇帝‘シンボリルドルフ,に話しかけた。広大な学園の敷地内において、最も内装が凝っていると言っても過言では無い生徒会室の中だ。

中世における大貴族──その当主の部屋をイメージとした内装や装飾品は、生徒会長専用の机から本棚に照明、窓枠に万年筆の一つに至るまで選び抜かれたオーダーメイドの高級品である。

 

彼女達以外に人はいない──皇帝二人の間に割って入れる者などいない。

お茶は出さない──息を入れなければならない程の時間など、掛けるつもりはない。

 

中央トレセン学園の生徒会長にして、初代七冠ウマ娘である彼女は彼女で「相変わらず、君はつれないな」と、ウイナーの気迫を笑顔でサラリと受け流しながら質問に答えた。

 

 

「こうして君と二人だけで話しをするのも何時ぶりになるかな? まだ私と君がトゥインクルシリーズのレースを走っていた頃以来に感じるよ」

 

「仕事のしすぎでとうとうボケたか? 去年の聖蹄祭の打ち合わせをした時にもこうして貴様から呼び止めただろう。しかも肝心の内容が八割方‘帝王,の自慢兼惚気話だったぞ。あの時ほど‘無駄な時間を過ごした,と思った事はない」

 

「おや、では約半年ぶりか。それにしても酷い言いぐさだ。私としては君とこうして話す時間こそ、一刻千金に値すると思っているのだけどね。それと、確かにあの時は少々本題から逸れた話しをしすぎてしまった自覚はあるが、まだまだあの程度では語り足りな──待った、冗談だから無言で席を立たないでくれないか」

 

そのまま扉の方へ向かって歩き出しかねないウイナーを手で制すると、彼女は「次は無い」と言わんばかりの視線でルドルフを一瞥して用意された席へ腰をかけ直す。

 

 

「やれやれ……。かつて君が言った意見と主張は覚えているし理解出来るが、もう少し‘戯れ,に付き合ってくれても良いんじゃないか?」

 

「私達は‘必要以上に顔を合せるべきでは無い,仕事だろうがプライベートだろうが戦場(レース)だろうがな。……私も暇ではないんだ、とっとと本題を言え」

 

「ふむ‘暇ではない,というのは、君のチームに入るウマ娘の件でかな?」

 

──ピクリ、とウイナーの耳の先が僅かに動いた。

 

 

「……それが?」

 

「いやなに。世の中や学園の流行に疎い私だが、昨日のレースを含め学園内でそこそこ話題になれば流石に耳にも入るのでね。レースも見たが……ふふっ、色々と期待出来そうな娘じゃないか。偶然か必然か──いずれにせよ、彼女をいの一番に見出した君と柴中トレーナーは流石の慧眼だと言わざるをえないな」

 

「‘とっとと本題を言え,──そう言ったはずだが? その様な事を聞かせる為に声を掛けたわけではあるまい」

 

ゼファーは勿論、ウイナーや柴中の事まで褒めちぎるルドルフだが、当のウイナー本人はそれを鼻で笑うことすらせずに言葉を紡ぐ。

 

 

「本心だよ。まぁ確かに本題じゃないのは事実だが──他ならぬ君の事だ、見当は付いているんだろう?」

 

「……我が意図に反する異端者共が沸いて出て来た──それだけの話しだろう」

 

尊大な態度と物言いを全く崩そうとしないウイナーに「意味は分かるがもう少し言い方をだな……」とルドルフは苦笑いを浮かべながら独り言ちる。自分が言えた口では無いが、ウイナーは‘皇帝らしい物言いや佇まい,をするよう常日頃から心がけている節がある。それも、ルドルフよりもずっと強く意識して──それこそ四六時中変わらないのではないかと感じさせるレベルでだ。

 

 

「今はまだ表立ってなにか動いているわけでは無いが……。君の、より正確に言うなら彼女の言動と活躍によっては本格的に横槍を入れてくるかもしれない。ああ、先に言っておくが君個人の心配はしていないよ。彼女ないし君の周りにいるウマ娘達の事を案じているんだ」

 

「随分な物言いをしてくれるな、シンボリルドルフ。我が臣下達が異端者共の悪意程度に倒れるとでも? これが貴様の言の葉でなければ侮辱と受け取っている所だぞ」

 

「ほう? 侮辱と受け取らないのであれば、どう受け取るんだい?」

 

ホンの僅かな、だが確かな怒気を放ったウイナーを見て流石のルドルフも飄々とした態度を取る気がなくなったのか、真面目に表情を引き締めて‘対談,に取りかかる。──とてもではないが、まだ高等部に所属する学生二人が醸し出せる雰囲気とは思えない──そんな皇帝二人の気が、生徒会室に満ちていた。

 

それから少しだけ時間を置いて、ウイナーが言葉を返す。

 

 

「心配性でお節介焼きな貴様からの「警告」──そう受け取っておいてやる。この学園で唯一無二、私と同じ‘皇帝,である貴様の言葉をな」

 

「そうしてもらえるとありがたいよ。私としても言葉を意図していない形で受け取られてしまうのは本意ではないからね。心配性なのもお節介なのもそこまで否定する気は無いが、こうして君に一言だけでも良いから何か言っておきたかったんだ」

 

「それがお節介だと言うんだ」

 

ウイナーから大凡望んでいた言葉を聞く事が出来て満足したのか、再び和やかな表情へ戻るルドルフ。ウイナーはそれを見て「話はすんだな」と言わんばかりにソファーから立ち上がり、そそくさと扉の方へと歩いて行く。

 

 

「本当につれないな。私としては君ともう少し気軽に談話をする事が出来る関係になりたいと思っているのだけどね」

 

「──ハッ」

 

ウイナーはルドルフの意見を鼻で笑う。私とこいつが気軽に談話する事が出来るだって? ──無い。そんな可能性は絶対に有り得ない。

もしもそれが成立する時が来るのならそれは──

 

 

 

 

 

「私と貴様のどちらかが‘皇帝,ではなくなる時だ。それを成したいと本気で思っているならマイルレース(我が領域)に進行してこい、完膚なきまでの敗北をくれてやる」

 

 

 

 

 

その言葉を締めとして皇帝二人の対談は終了した。ウイナーを見送り、一人生徒会室に残されたルドルフは少しだけ目を閉じて一言ボソリと呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マイルレースに参る……フフッ」

 

 

 



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※重用なお知らせ

みなさまこんにちは、作者の部屋ノ隅です。

 

約3ヵ月もの休養期間(仕事の多忙とそれに伴うモチベの低下、積んでいたゲームの数々)を得て再開した「ソウル・オブ・ゼファー」の事なんですが……。

この度、公式でウマ娘「ヤマニンゼファー」が実装される事が発表されました。その事とこれからの執筆について、色々とお話ししたいことがあります。

 

まず一つ、大前提として知っておいて欲しい事として、私はこの前上げた第2話「チームステラ」その4話を書き上げて投稿し、感想欄を見に行くまで‘ゼファーが実装されるということを知りませんでした,

 

これは完全に私の趣味嗜好なんですが、私はアプリやオンラインのゲームにおける公式のツイッターや生放送などを一切確認しない人間です。理由としましては「事前に色々と情報を得てしまったら驚きやワクワクが薄まってしまう」という物。

故に、感想でみなさまに教えていただくまでゼファーが実装されることを全く知らず、感想欄を見て「は!?」と大声が出てしまうありさまでした。

 

その上で話しますが、公式で描かれるだろうウマ娘「ヤマニンゼファー」と、この作品のウマ娘「ヤマニンゼファー」ではキャラ、もとい元となった競走馬から考えるイメージが‘大きく異なっている可能性があります,

 

私は実在した「ヤマニンゼファー」という競走馬とそれにまつわるエピソードから「貧弱なもやしっ子」「気性難の姉がいる」「美容と健康について詳しい」「凄まじい負けん気と根性の持ち主」という要素を抽出し、アニメ2期9話に一瞬だけ出てくるゼファーが元となったであろうウマ娘の外見から「明るい主人公タイプ」という気質を当てはめて「ヤマニンゼファー」というオリジナルウマ娘を創作しました。

 

しかし当然の話ではあるのですが、公式でもそういうキャラになるとは限らないですし、そもそも「休養寮」なんて施設はトレセン学園に存在しないでしょう。(似たような施設ならばあっても不思議では無いかもしれませんが)

 

故に、本作品では公式でウマ娘「ヤマニンゼファー」が実装されても「オリジナルキャラ」にまつわるタグは外さずに書き上げようと思っております。

あくまでヤマニンゼファーが公式で実装される前に妄想した‘別のキャラ,とお考えください。(と言うか前記の通り、外見を完全に2期9話に出てくる娘で想定していたので……)

 

 

2つめに、週1投稿(毎週日曜夜0時)を‘毎日投稿,(深夜0時)へと移行させていただきます。

 

 

これも完全に私情なのですが、私は少しでも決められたルーティーンを休んだり逸れたりすると再びスイッチが入るまでに時間が掛かる人間です。

今までは文章としての収まりの良さやキリの良いところまでなどの「見栄えの良さ」を重視して大体八千文字から一万文字程度のそれを投稿していたのですが、この度ゼファーが公式で実装されるにあたって「その前までに出来る限り物語を進めておきたい」という考えが自分の中で浮かびました。

 

「公式でこうだから」と彼女のキャラや設定などを大きくブラす気はありませんが、それでも私が影響を受けるだろうことは間違いありません。

それを少しでも回避するためには、物語をなるべく先に進めるのが最善手。

 

なのでモチベーションの長期維持と物語を早く先へと進める為に、1600から2000文字程度のそれを日曜日と月曜日以外の五日間、来週の火曜日から毎日投稿したいと考えております。(不可能な場合は活動報告にてお知らせします)

今までと違い、不自然な場所で文章が区切られたり、文としての見栄えが悪くなる可能性が高いですが、どうかご了承ください。(1話が終わるごとに「まとめ」として今までの投稿を見やすいように纏める予定です)

 

 

私からのお知らせは以上です。「公式と大きな解釈違いがあったらどうしよう」などと色々と不安に駆られている私ですが、ずっと推しの競走馬として自分が挙げてきたウマがウマ娘として実装されるのは凄く嬉しいと思っています。

(ガチャを天上まで回してでも必ず入手しますし、出来る事ならピースをつぎ込んで☆5にしたい)

 

公式とは別のキャラとなっていることほぼ間違い無しですが、これからも彼女を、ひいては「ソウル・オブ・ゼファー」をよろしくお願いします。



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チーム‘ステラ, 5/9

「ええっと……。確かここだったはず……」

 

腰の先まである鹿毛色の長い髪を持つウマ娘──ヤマニンゼファーは放課後、自分のトレーナーとなった柴中の指示に従って指定された場所へと赴いた。

中央トレセン学園の学舎に沿う形で建てられている大きな建物──総務課の駐輪場前だ。広大な学園の敷地内を人間の脚でも難なく移動するため、中央トレセン学園が独自の移動用バイク(騒音を極限まで排除した物)を開発して希望する者に無償で貸し出しているため、中央のトレーナー及び役員はその大半が二輪車の免許を習得している。

 

 

「よ、来たか」

 

「トレーナーさん!」

 

バイクが所狭しと止まっている総務課の駐輪場、その端っこの方に柴中はいた。別件の仕事があったのか、いつものトレーナー服と違ってシッカリとしたスーツに身を包んでいる。まるで別人のよう──とまではいかないが、サイズがピッタリ合っていたり、ベルトと靴の色が揃えられていたりと、所々でお洒落に気を使っている箇所が見受けられる。

いつものラフな感じも良いが、これはこれで彼とマッチしている様にゼファーは感じられた。

 

とととっ──と小走りで彼に近寄る。

 

 

「結構早かったな。転校初日っつーのもあるけど、もう少し色々あって遅れてくるかと思ってた」

 

「いえいえ。私も時間にキッチリしてる方じゃないですけど、折角チームの皆さんが歓迎会を開いてくれるっておっしゃっているんですから遅刻なんて出来ませんよ」

 

チーム──そう、チームだ。マイルの皇帝‘ニホンピロウイナー,が率いる、スプリンター(短距離)マイラー(マイル)のスペシャリストを集結させた特化チーム。クラスメイトや同期のウマ娘とはまた違うそれ。トレーニングや研究会、合宿などを共に行なう仲間にして、凌ぎを削りあうライバル。

 

そんな関係になるであろうウマ娘達と初となる顔合せだ、間違っても遅刻など出来ない。別段「良い印象を持って貰えるように頑張ろう」と意識しすぎている訳ではなく、あくまで基本的な礼儀作法としてそう考えているゼファーである。(勿論、仲良くなれるに越したことは無いし、機会があれば自分からバンバン話しかけていく腹づもりなのだが)

 

 

「どうだった、トレセン学園は。クラスの奴らとは馴染めそうか?」

 

「はい、勿論」

 

「……なんつーか、凄い自信だな」

 

父や母が息子ないし娘に話しかけるような雰囲気で質問した柴中に対し、ゼファーは考えるような素振りを全く見せずに即答した。少なくとも、クラスメイトのウマ娘達はいい人ばかりだと思う。少なくとも明確な‘敵意,や‘害意,を持っているような娘はいなかった。今はまだ自分という新しい風に戸惑っているような気配があるが、それも時間の問題だろう。ダイナマイトダディやイソノルーブルのような、親切で人当たりの良いウマ娘が中心となっているのがなによりの保証だ。

ゼファー自身が誠意を見せて色々と動いていかなければいけないという前提はあるが、それは彼女にとって当然のことなので割愛している。

 

 

「ま、さほど心配してたって訳でも無いんだけどさ。なにせ、お前は先輩(ウイナー)と後輩達との仲裁役を買ってでるようなコミュニティ強者だしな。すぐにって訳にはいかないだろうけど、じきに良い具合に収まるだろ」

 

「あ、あれはそのー。自分で言うのもなんですけど私の悪い癖なので、あんまり言わないでいただけると……」

 

バツが悪そうな顔を浮かべて頬を掻く。‘困っている人を放っておけない,という善意ではなく‘悪い空気(雰囲気)や風を感じたくない,という自己満足からくる小さい頃からの癖は、確かに多くのすれ違いや仲違いを丸く収めてきたが、傍から見ればただの余計なお節介だ。

『部外者が余計な口を挟むな』なんてもう何度言われたか分からないし、実際その通りだとゼファーも思うのだが、いざそんな場に出くわすと考えるよりも先に身体の方が動いてしまうのである。「よくないなぁ……」と思いながらも、治す気が一切無いので質が悪い。

 

 

「悪い悪い。んじゃ、ランニングがてら走って付いてきてくれ。ウチのチームハウスは色々と特殊でな? 普通のチームハウスが密集してる場所とは違う所にあるから、初めての奴だと辿り着くのは難しいんだよ」

 

「へぇ……。そうなんですか」

 

バイクに跨がってエンジンを掛ける柴中を端目にゼファーはランニングシューズの口紐をシッカリと結び直し、それが終わると同時に走り出した柴中の先導で学園の敷地内を軽やかに駆けていく。

 

 

 

──それから、約五分後。

 

 

 

「……あの」

 

ゼファーは目の前に現われたそれに半ば絶句していた。「ナンですかコレ」と若干片言になりながら、隣に立つ柴中に問う。

 

 

「なにって、ステラ(ウチ)のチームハウス」

 

「……お城?」

 

ゼファーが冷静であれば「それは流石に言い過ぎだろう」と思えただろうが、口から自然とその単語が口に出ていた。まずデカイ。通常のチームハウスが災害時などに建てられる簡易的な住まいを思わせる程度のそれであるのに対し、これはその何十倍もの大きさだ。

そして華がある。小さくとも愛らしく、色とりどりの花が咲き誇る花壇に、綺麗に整えられた生け垣と植木、そして芝生。玄関から入り口の門まで続く道にはシッカリと磨かれた大理石が踏み石として埋め込まれ、狐を思わせる生き物の銅像が玄関の脇に置かれ、チームハウス自体にも壁や屋根など様々な場所に細かい装飾が施されているのが見て取れる。

 

城というのは少し言い過ぎかもしれないが、都内某所の住宅街にある大豪邸に匹敵するレベルだ。ポカンと口をあけるゼファーを見て「な、イカレてる(特殊)だろ?」と柴中は楽しそうに笑った。

 

 

「何で俺らにだけこんなデカイチームハウスが割り当てられてるんだとか、聞きたい事は色々あるだろうけど細かいことは後にしてくれ。もう全員集まってるって連絡が来てるし、早いとこ行かないと俺がウイナーに小言を言われかねないからな」

 

そういって、柴中が鉄製の門の脇にある読み取り装置的な機械にカードを通すと「ガチャン!」という音と共にロックが外れる。そのまま門を開けてスタスタと敷地内へと入っていく柴中を、ゼファーは慌てて追いかけていった。

 

 

「……え?」

 

入り口にあった鉄門と同じ、カードキー式のドアを開けて家の中に入った柴中に続いたゼファーは、その光景を見て再び絶句する。

 

──部屋が、無い。いや、正確に言えばある。あるのだが、文字通り一つしかない(・・・・・・)

「壁」と呼べる存在を全て排除し、家の中全体を一つの空間としてくり抜いたような超大部屋がゼファーの眼前に広がっている。

 

──そして、その大部屋の形状と装飾もゼファーを絶句させた要因の一つだ。

 

まず目に飛び込んでくるのは(もとい目立つのは)部屋の中心にあるとても大きい円形状の机だ。真っ赤なフキンがテーブル全体をすっぽり覆うように掛けられ、中心にあたる部分が丸くくり抜かれているそれを見て、確か「ラウンドテーブル」って奴じゃなかったっけと、ゼファーは怪しげな記憶を辿る。

 

部屋の一番奥には小さな──段差と呼んでも差し支えがないほど小さな階段があり、その先にはやたらと大きなイスと机は一つずつ。階段には所謂レッドカーペットと言う奴が敷かれていて、大きなイスには月桂樹を思わせる金色の装飾が各処に施されている。部屋の端に見える幾つかの窓は、その全てが大きくて分厚いカーテン(紅)を掛けられている大窓で、床はなんと全面が大理石。一定の距離を保って壁に設置されている不思議な模様の球体は恐らく電灯の装飾で、夜になるとその役目を果たすのだろう。

 

ぶっちゃけ、どう見てもRPGなんかで出てくるような「玉座の間」だった。休養寮で子供達がやっていたなんちゃらクエスト的な奴に丁度こんなのがあった気がする。

 

家の外見としては極々普通(?)な洋風の豪邸なのに、中身が‘これ,だから頭が混乱しそうになる。しかもこれが「チームハウス」だというのだから、なるほど柴中のイカレてる(特殊)という言の葉も納得がいく。

 

 

「えっとぉ……」

 

「……一応断っとくけど、俺の趣味じゃないからな? あいつの好きにやらせてやりたかったから、止めなかったのは事実だけど」

 

久々に「どういう言葉を掛けたら良いか分からない」状態になったゼファーに、柴中は若干苦々しい顔で言う。半ば察していたことではあるが、柴中の趣味ではないという事はつまり──

 

 

「……ウイナーさんの?」

 

「『‘皇帝,が常在する場所なのだからこれが当然だ』ってな。大粒のダイヤを中心に色んな宝石が埋め込まれたガチの王冠を外国の職人に依頼しようとした時はホントどうしようかと思ったよ」

 

ハハハハと乾いた笑い声を出す柴中。これまでの彼の苦労と奮戦を想い、その想像を得て「これからは私も全力でフォローに回ろう」と心の中で硬く決意したゼファーが、さっそく労いの言葉を掛けようとした時だった。

 

 

「おい、いつまでそんな所で雑談をしているつもりだ」

 

「──!」

 

さほど大きくはないが、なぜだか王座の間全体に響くような存在感のある声が耳に突き刺さり、ゼファーはバッ! っとそちらを向いた。いつの間にやら、ラウンドテーブルのすぐ横に一人のウマ娘が立っている。

 

鷹のような猛禽類を思わせる、鋭くて凜々しい顔と瞳。解けぬようにシッカリと大きく一つに結ったポニーテール。これだけ遠く離れていても分かる強者特有の風貌。──間違いない、GIウマ娘だ。それも、複数回の勝利を納めたであろう特級の。

 

 

「陛下がいらっしゃるまでは話していても構わんが、せめて中でやれ。今回の招集の主役が端にいてどうする」

 

「だってさ」

 

そう言って靴を履いたまま部屋の中へと入っていく柴中に習い、ゼファーも後に続く。床が全面大理石であることから半ば察してはいたのだが、どうやらこのチームハウスはマナーも洋式のそれらしい。

 

 

「わぁ……!」

 

こうして部屋の中に入って改めて感じる、もとい分かる事だったが、思っていたよりもずっと煌びやかだ。所詮は形だけのまねごと──などと思っていたつもりは微塵も無いが、本家本元の「王の間」という奴に比べても見劣りしないように感じる。──この建物全体に‘そういう空気,が満ちているからだろうか。初めて来る場所、初めて入る家、初めて見る装飾品ばかりなのに、なぜだかとても落ち着く。

 

 

「……ヤマニンゼファーだな?」

 

ジロリ、とまるで品定めされるかのような視線を向けられ、ゼファーの背中に些かの緊張が走る。

 

 

「はいっ! これからよろしくお願いします!! えっと──」

 

「チームステラが第八席、‘帝王,アキツテイオーだ。陛下──ニホンピロウイナーからは、恐れ多くも我らがチームのまとめ役を仰せつかっている」

 

「あなたがあの……」

 

──アキツテイオー。トップスピードを長く保つことが出来る持久力を兼ね備えたその強靱な脚を武器とした‘逃げ,戦法を得意とするウマ娘。かつてマイルチャンピオンシップと天皇賞秋で共に5バ身差という圧勝劇を見せつけ、その翌年の安田記念では前走となるスプリングCでハナ差で惜敗したダイナムヒロインを一バ身差に沈めて勝利を飾った、人呼んで‘マイルの帝王,

 

早速トンでもない名ウマ娘の登場だ。短中距離のスペシャリスト集団とは聞いていたが、まさか初手で‘帝王,とは。

 

 

「ウイナーは?」

 

いつものだ(・・・・・)。……少し前まで狼藉者がいてな。追い出すのに多少手間取った為、あともう少しだけ準備に時間が掛かるかもしれん。だが──」

 

「あーっ、アキツさんずるーい! もう新人さんとお喋りしてる!」

 

快活で可愛らしい……蠱惑的とも言える声がすぐ真横から聞こえてきた。巨大なカーテンに隠されているため一見して分かりにくくなっているが、自分達が入って来た正面の扉とは別に、奥の方にもう一つドアがあったのだ。

 

そこにいたのは勿論ウマ娘。それも、とびっきりキュートな娘だ。クリーム色の短髪に黒くて艶のある耳カバー。クリクリとした大きくて円らな瞳がアキツテイオーに不満を訴えているが、その不満げな表情すらも可愛らしく映る。

 

どこからどう見ても「可愛いウマ娘」──なのに

 

 

「はじめまして、チームステラが第七席、閃光乙女の‘カレンチャン,でーす! よろしくお願いしまーす!!」

 

(……小悪魔?)

 

第一感で、ゼファーはそう思った。先記するが、彼女は決して悪い意味で「小悪魔」という表現を用いたのではない。美容研究家の母を持つゼファーであるからこそ一見して気付いたことではあるが、彼女の「可愛らしさ」は「後天的な物(養殖物)」だ。ただし、先天的な物(天然物)を遙かに上回る価値を持っている。

 

どれだけ素材が良くても、頬の膨らませ方や視線の向け方といった動作の一つ一つに至るまで意識して自分を可愛らしく「魅せる」為には途方もない鍛錬がいる。髪や肌のダメージケアを毎日欠かさず、メイクも今の自分の身の丈に合った背伸びをしすぎない程度のそれに止め、纏う香水もすぐ近くの人間にほのかに甘い匂いを感じさせる物を選ぶ。

 

そこまで自分を磨き上げて尚、動作の一つ一つにいたるまで可愛く見られるよう、それでいてなるたけ不快には感じさせないように気を配る──。イソノルーブルの、分からないなりに毎日毎日積み重ねるような努力によって醸し出される魅力も凄かったが、彼女はそれ以上だ。シッカリとした目的と意識を持ってあらゆる部分を研磨しているという大きな差がある。プロのモデルや一流のアイドルともまた違う独自の魅惑さが、彼女を小悪魔(それ)だと認識させる。

 

 

「小悪魔──男の心を翻弄する魅力を持った若い女性を差していう言葉だが、こいつ程この言葉が似合うウマ娘はそうそういないだろう」

 

「アキツさんひどーい! カレンは男の人‘だけ,を魅了したりなんてしません。老若男女全ての人を魅了するとっても可愛いウマ娘です! あ、でも「小悪魔」っていう風潮はむしろドンと来いかなぁ」

 

アキツテイオーに心の中で思った事をズバリ口に出されて、ゼファーは思わず「口に出しちゃってましたか!?」と口走りそうになったが、当のカレンチャンは「小悪魔」呼びにノリノリのようだった。内心でほっとしつつ「ヤマニンゼファーです」と挨拶をして差し出された手を握る。

 

 

「…………」

 

ジー……ッ。と、先ほどのアキツテイオーと同じ、それでいて別の意図が込められているような視線で手と顔を見られた。

 

 

「……? あの──」

 

「ゼファーさんって────すっごく綺麗ですね!」

 

「……へ?」

 

「でも普段からお化粧をしてるような人には見えないからー……。もしかして美容とか健康とか、そっちの方向にも詳しい人じゃないですか? カレン、あとで色々お話してみたいなぁ」

 

(……ああ、なるほど)

 

手を握ったままキラキラとした表情でグイッと迫ってきたカレンチャンに一瞬キョトンとしてしまったゼファーだが、色々と察してすぐに笑顔で切り返す。

 

 

「ふふっ、ありがとうございます。でもカレンさんの方こそ綺麗……ううん、とても可愛いし素敵だと思いますよ」

 

「えへへー。カレンの事、いち早く分かってくれてありがとうございまーす!」

 

お礼を言いながら可愛らしくはにかみ、自然な動作で手を離して半歩だけ後ろに下がる。‘可愛らしさ,を常に絶やさず周囲を翻弄するカレンチャンだが、直接視線を向けられたゼファーはそれに惑わされることなく気付いた。

 

 

──この娘は私の同類(・・)だと。

 

 

 



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チーム‘ステラ, 6/9

「──で、あとどれぐらい掛かりそうだ?」

 

ゼファーとのファーストコンタクトが終わったカレンチャンに柴中が問う。アキツテイオーに続き彼女もこの場へやってきたという事は、もうさほど時間は掛からなそうではあるのだが──

 

 

「もう陛下の準備は終わってるよ? 今はむしろアケボノちゃんの仕度が出来るのを待ってる状態かなぁ。結構ギリギリまで盛り付けに時間掛けてたから」

 

「ラブリィとフラワーは?」

 

「ラブリィさんはいつも通り陛下の護衛。……フラワーちゃんの事なら、私よりお兄ちゃんの方が詳しいんじゃない? カレンの次に秘密の連絡先を交換して、毎週花壇の手入れを手伝ってるくらいだし」

 

「つーん」という効果音が聞こえてきそうな、若干拗ねた表情でプイッとそっぽを向くカレンだが、そんな可愛らしい動作もトレーナーである柴中にはまるで効果がなかった。「あのなぁ」という言葉を皮切りに、まるで本当の兄妹がするような言葉の応酬(じゃれあい)が始まる。

 

 

「ただUMAINEで個人LINEを形成してるってだけだろうが! あと花壇の手入れは俺の代わりにお前らが手伝っても全然良いんだが? つーか頼むから俺の代わりに手伝ってやってくれ。お前達のほうがフラワーも気兼ねしないし、効率良く作業できるしで助かるだろう」

 

「だーめーでーすー! っていうか今かーなーり女の子的にNGな事を言っちゃったからね? ホントそういうとこだよお兄ちゃん」

 

「意味が分からねぇ……。俺が手伝えないような時は揃って手伝おうとする癖に……」

 

「何を言う、幾ら手慣れているとはいえあいつ一人に庭作業を任せる訳にはいくまい」

 

「そうそう! それにお兄ちゃんがいないんだもん、当然でしょ?」

 

「だったら普段から手伝ってくれよ……作業する人数が多いに越したことはないだろ……」

 

「だからそういう問題じゃないのー!」

 

「……ふふっ」

 

今さっきまでの小悪魔めいた圧倒的魅惑は完全に鳴りを潜め、年相応の少女のような雰囲気になったカレンチャンと柴中のそれを見て思わず笑みがこぼれるゼファー。形式も度合いも全く違うが、このじゃれあいめいたやり取りには覚えがあった。

「仲が良いんだなぁ」と素直に思う。互いに深い信頼と絆で結ばれていなければ、そもそもこんなやり取りは出来ない。気兼ねなく思った事を言える、話せる。そんな素晴らしい間柄なんだろう。

 

 

「あっ、ほらー! お兄ちゃんが的外れなことばっかり言うからゼファーさんも笑っちゃってるよ!」

 

「す、すみません。とても仲が良いんだなって、つい微笑ましくなってしまって--」

 

「ぷんすか!」という表現が似合うむくれた表情でカレンチャンが柴中に文句を言い、笑っている事を指摘されたゼファーは慌てて双方に対するフォローを入れる。

 

 

「えー? 本当にそう見えたんですか?」

 

「はい、まるで本物の兄妹みたいでした」

 

「……ふーん」

 

ゼファーの感想に「えぇ……?」と困惑顔を浮かべる柴中と、あまり感情が読めない一種のポーカーフェイスに近い表情になるカレンチャン。アキツテイオーは「何時もの事だ」と言わんばかりに、呆れたようなため息を吐いている。

続けて「何故そう思ったか」という理由までゼファーが話そうとした時だった。

 

 

 

──コツン

 

 

 

靴の裏にはめられた蹄鉄が、床の大理石を踏みならす甲高い音が聞こえた。──それと同時に、空気が変わった。

 

 

 

──ふわっ

 

 

 

ゼファーの丁度真後ろ。カレンチャンが入って来ただろうドアを覆い隠していた巨大なカーテンが、音すら立てずにゆっくりと八の字へと開いていく。──裏側からカーテンを開いたのは、勇ましい風貌をした戦士のようなウマ娘と、ツインテールのとても大きなウマ娘。戦士のようなウマ娘には覚えがあった。急に転入してきた自分を快く受け入れてくれた恩人にして、歓迎会のことを教えてくれた美浦寮の同室ウマ娘──シンコウラブリイである。

 

 

 

 

「──全員揃ったようだな」

 

 

 

 

その場全体を、ひいては空間そのものを手中に納め、支配するかのような声が響く。──開かれたカーテンの真ん中から、悠然とした足取りで勝負服を身に纏った‘ニホンピロウイナー(皇帝),が部屋の中へと入ってきた。それに付き従うかのように皇帝の左右、斜め後ろに控えていたウマ娘二人が後に続く。

 

一人は、ショートカットのまだ幼い容姿をした小さなウマ娘。一人は、この場の誰よりも美しいと感じさせる、超一級の宝石のような雰囲気を纏ったウマ娘。三人が完全に部屋の中に入ったのを確認すると、ラブリィと大きなウマ娘もカーテンを閉じて後に続いた。

 

 

「…………!」

 

……声が、出なかった。何も言えなかった。つい数日前まで自分を鍛えてくれた時のウイナーとは、空気も、雰囲気も、なにもかもが違いすぎる。初めて彼女と会遇した時もウイナーは後輩達にむけて圧を放っていたが、その時とはまるで比べものにならない重圧だった。

……手を抜いていた? 自分の姉二人に匹敵しかねないような圧で?

 

 

 

「ならば早速始めるとしよう。新しき臣下にして、我が円卓の一つを埋める事になるウマ娘の──叙任式だ」

 

 

 



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チーム‘ステラ, 7/9

一つ──汝、須く三女神の導きを信じ、その命令に服従すべし

 

一つ──汝、須く己が信奉者を尊び、かの者たちの守護者たるべし

 

一つ──汝、我らが偉大なる皇帝と、その国家を愛すべし

 

 

コツン──コツン──コツン──と。その手に儀礼用の剣を持ったウイナーが文言を一つずつ告げ、その度に最敬礼の姿勢を取るゼファーの肩を剣で叩く。玉座の間──その最奥にある王座の手前、小さな小さな階段の前で叙任式(それ)は行なわれていた。

──ウイナー以外、誰も、何も言わない。彼女の声以外、なんの音も聞こえない。ウマ娘達はその儀を見守るように部屋の左右に横一列へと並び、トレーナーである柴中はウイナーの斜め後ろで彼女の秘書のように控えていた。

 

 

一つ──汝、例え誰であろうと、敵を前にして退くことなかれ

 

一つ──汝、異教徒に対し手を休めず、容赦をせず戦うべし

 

一つ──汝、神の律法に反しない限りにおいて、臣従の義務を厳格に果たすべし

 

 

コツン──コツン──コツン──。儀礼剣で肩を叩かれる度に、ウイナーの告げた文言が物理的に身体へ染みこんでいくような気がした。……とても神聖で、清らかで、大切な儀式。かの昔、ヨーロッパ諸国などで実際に騎士へと叙任した人達も、今の自分と似たような感覚を味わったのだろうか。

 

 

一つ──汝、己が誓言に忠実たるべし

 

一つ──汝、寛大たれ、そして誰に対しても施しを為すべし

 

一つ──汝、いついかなる時も己が信じた正義と善の味方となり、その信念に殉ずるべし

 

 

コツン──コツン──コツン──。これで、確か九つめ。この儀式めいたやり取りが「騎士の叙任式」と「騎士の十戒」を元ネタにしているのなら、あとは──

 

 

 

「一つ──汝、常に鍛錬を怠らず、栄光を求めて前へと進み続けるべし──以上、我が円卓における十戒である」

 

(……?)

 

この儀式が始まって初めて、ゼファーの脳内に僅かなノイズが走った。言っている事は分かるし、もっともだとも思うのだが、少々予想していなかった文言だ。率直に言うと、元ネタのそれと文言が違う。今までのそれは「騎士の十戒」──フランスの騎士道文学の研究者、レオン・ゴーティエが長年の武勲詩の研究に基づいて編纂した、中世盛期騎士道における十の戒めをそのまま、もしくは少しだけアレンジした物だったのに対し、これは全く違う物になっている。

 

「鍛錬を怠るべからず」──似たような戒めは当然あるのだろうが、少なくとも「騎士の十戒」としては存在しない文言だった。疑問に思うゼファーを置き去りにして、ウイナーは儀礼剣を後ろに控えていた柴中へ渡し、逆に柴中から持っていた薄く平べったい箱のような物を受け取ると、それをそのままゼファーの方へ差し出す。

 

 

「──受け取れ。これこそが我が国の誇り高き騎士とならんウマ娘にのみ与えられる、一番最初の栄誉だ」

 

差し出されたそれを、恭しく両手で受け取った。そのままゆっくり蓋を開けてみる。中に入っていたのはマルタ十字を模したと思われる小さなバッジと、透き通るような蒼色をした一枚のカード。恐らく双方共に‘ステラ,の一員である事を示す身分証明証のような物なのだろう。何も言わず、最敬礼の姿勢を保ったまま再び頭を深く下げる。

 

 

「新しき騎士と、その未来に栄光あれ──!」

 

ウイナーが放ったその言葉を持って、静寂は途絶えた。横一列に並んでいたウマ娘達と柴中から一斉に拍手が巻き起こる。人数が人数のため割れんばかりのそれとはいかなかったが、それでもこの玉座の間一杯に轟いた。

 

 

(当事者の私が言うのもなんだけど、本当に騎士の叙任式みたい……)

 

──これが、チーム‘ステラ,(ここ)の流儀。チーム‘ステラ,(この国)の歓迎会。トップであるウイナーの趣味嗜好が多段に盛り込まれていることは間違い無いだろうが、なぜだかとてもこの場の空気に合っているような気がする。

 

 

「……これにて叙任の儀を終了とする。────あとは好きにしろ(・・・・・)

 

「──へ?」

 

「あー、キツかったぁ! やっぱりカレン、こういうのあんまり得意じゃないなぁ。次からはもっと可愛い形式にしましょうよ陛下ー」

 

ウイナーがニヤリとした笑みを浮かべてその場をゆっくりと離れた次の瞬間、綺麗に整列していたウマ娘達が一斉にその姿勢を崩し、ウイナーの宣言通りそれぞれ好き勝手に動き始めた。

 

まず真っ先にカレンチャンが身体をほぐすように伸びをして、ツインテールの大きなウマ娘が「ボーノ! じゃあ早速お料理を取ってくるの!!」と部屋を出て行き、ショートカットのまだ幼いウマ娘が「じゃあ私は配膳の準備をしておきますね」と木製の籠からシッカリと絞られた布巾を取り出してラウンドテーブルをせっせと拭き始める。

 

 

「あら、そうですの? 私が言うのもあれですが、モデルなり雑誌の仕事なりで慣れているものとばかり思っていましたわ」

 

「そういうお仕事の時は陛下みたいに「ゴウッ!」って本気(ガチ)なオーラを醸し出し続けるような人はいませんもん。いたとしても陛下ほどじゃないですよ。あとカレン、実は演劇みたいなお仕事は殆どやったことないでーす」

 

「不敬だぞカレン、陛下の嗜好を‘演劇,の一言で片づけるな」

 

「不敬……皇族ニ対する不敬ハ、時代によってハ死罪デス……処しますカ?」

 

「処さんでいい!! カレン! 貴様も「キャー☆ カレン怖ーい」などと言っている場合か! ラブリィ(こいつ)は半ば冗談が通じん性格をしているんだぞ!!」

 

「いえ、普通に冗談デスけど」

 

「あの、戯れるのも結構ですがゼファーさんに改めてご挨拶をしなくてよろしいんです? 既に顔合わせを済ませているお三方は良いかもしれませんが、私は食事が始まる前にすませておきたいのですが」

 

ギャーギャーと、先ほどまでとはうって変わって喧しく騒ぎ立てるウマ娘達。これもまた、このチームにおける一つの側面──いや、むしろこっちの方が「素」なのだろう。空気を読んで何も言わずに「叙任の儀」とやらを受けたが、そういった重要な場面以外では中々にラフな雰囲気のチームなようだ。

 

 

「悪いな、殆ど説明も無く付き合わせて」

 

今の今までウイナーの後ろに控えていた柴中がなんとも言えない──ぎこちない笑顔で声を掛けてくる。

 

 

「ああいえ……。でも、これが?」

 

「ああ、中世ヨーロッパの「騎士の叙任式」をモデルにした、新しくチーム入るウマ娘を仲間の一員として認める為の儀式──お察しの通りウイナーがやり始めた事なんだが、今じゃすっかりステラ(ウチ)の名物になりつつある」

 

やっぱり。と、ゼファーは小さく独り言ちる。となると部屋の中心にある大きなラウンドテーブルはやはり「円卓」に違いない。アキツテイオーとカレンチャンが言っていた「~~席」も英国最大の英雄譚に出てくる王と騎士達を模した物なのだろう。

彼女自身の立ち振る舞いや、チームメンバーに名乗らせている二つ名。この部屋の装飾などから、ウイナーの趣味嗜好が大凡理解出来たゼファーである。

 

 

(……あれ? でもだとしたらなんで──)

 

「なぜ‘汝、教会とその教えを守らなければならない,が無いのか──でしょう?」

 

一旦話しが落ち着いた為──もとい、他の三人がまだ幼いウマ娘と大きなウマ娘の手伝いをしに行って話しが中断された為、唯一その場に残ったウマ娘がゼファーに話し掛けてきた。一級の宝石のように紅くて艶のある髪をハープアップに纏めた、とても美しいウマ娘だ。その礼節を重んじる高貴な立ち振る舞いと言葉遣いも相まって、まるで物語の中に出てくるような本物の貴族を思わせる。

 

 

「えっと──」

 

「失礼しました。トレーナーさんから仔細を聞いて余計に疑問に思ったような表情をしていたので、つい。──不快に思われたのなら謝罪いたします」

 

「いえそんな、不快だなんて……。あ、ヤマニンゼファーです。休養寮から本校(こちら)に転入してきたばかりですが、どうかよろしくお願いします!」

 

美しい貴族風のウマ娘は深く頭を下げたゼファーに対し「これはどうもご丁寧に」と同じように深く頭を下げる。

 

 

「チームステラが第六席‘紅玉,のダイイチルビーですわ。こちらこそ、よろしくお願いいたします。……世間では「華麗なる一族」の次期党首としての名の方が、未だ通りは良いでしょうか」

 

「──!?」

 

思わず動揺する。声にこそ出さずにすんだが、顔の表情には驚愕を示すそれが現われてしまっていただろう。だってまさか、本当に貴族だとは思わないじゃないか。

 

 

──華麗なる一族。

 

 

古きは英国からこの国へと移住してきた、とある大貴族ウマ娘とその血統を差して世間が言い始めた別称だ。レースでの実績とその内容は勿論、金銭、宣伝、内外における政治や運営協力などの各種支援を始め、彼女達は日本のウマ娘レース界に様々な形で関わり続け、それを牽引し続けてきた。

 

財界とトレセン学園での影響力こそかの名門メジロ家に若干劣るが、家の古さとその格、そして出で立ちとこれまでの功績から、政界及びURAへの影響力においては他の追随を許さないほど強い力を持つ、まさしく大貴族だ。日本のウマ娘レースに関わる人物にとって、その名を知らない者などいないと断言できるほどの超ビッグネーム。彼女はその跡取りだという。

 

一呼吸だけ置いて、ゼファーは改めて口を開く。

 

 

「ダイイチルビーさんですね。はい、よろしくお願いします」

 

そんなウマ娘を前にしてなお、ゼファーはいつも通りに、他のウマ娘達にするのと変わらない挨拶をした。……これがもっと礼節を重んじなければならないような場所や雰囲気ならば話は別だが、ここはウイナーの国(ステラのチームハウス)であり、彼女は自分と同じウイナーの臣下(チームのメンバー)だ。それが一番大事な、重んじなければならない事柄であり、それ以外の事は風が吹けば飛ぶような些事に等しい。──そう考えるのが一番だと、ゼファーは直感していた。

 

一方のルビーもゼファーの考えを即座に察したのか、彼女を気遣うように、それでいて少しだけ嬉しそうに微笑む。

 

 

「ルビーで結構ですわ、みなさんもそう呼びますので。……それで、何故十戒に‘汝、教会を守らなければならない,が無いのか、ですが──答えは至極単純でして」

 

そこまで言ったルビーの微笑みに、いたずらに成功した子供っぽいそれが加わっていた。

 

 

「これを私達の立場で置き換えるなら‘汝、学則を守り、生徒の見本とならなければならない,とまぁ、こんな具合になるんでしょうけれど……。私達には不要な物です」

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故なら私たちはその‘逆,──異教徒(生徒会)ならびに敵国(URA)へ真っ向から弓を引いた円卓の騎士(クルセイダーズ)なのですから」

 

「────────え?」

 

 

 

 



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チーム‘ステラ, 8/9

──むかーしむかしのお話です。かつてこの中央トレセン学園に一人のウマ娘が入学してきました。

 

 

名を‘ニホンピロウイナー,──勉学に芸事、武道に政治と、その名の通りありとあらゆる分野での勝者であり、絶対的な強者でもある凄まじいウマ娘ですが、そんな彼女もやはり根はウマ娘。‘走る,という生まれ持った本能には抗えず、トレセン学園へと入学します。

 

例え何をしようが、その頂点に立つことが出来るであろう逸材──。しかし、当初各種メディアや世間の人々は彼女にそこまで注目をしていませんでした。

 

同期に史上三人目の三冠馬となる‘ミスターシービー,後記する内容の更に後の話しですが、それに続く四人目の、それも無敗での三冠を達成する事になる‘シンボリルドルフ,という規格外の存在がいた影響も少なからずありましたが、当時のウマ娘レースは八大競走──今で言う所のGⅠに格付けされるレースが‘桜花賞,を除き、全て「中距離以上」のレースだったため「そちらの方が格上」という風潮が長年蔓延っており、それに反して「短距離路線」のレースやそれに出走するウマ娘達は格下とみなされ、蔑ろにされていたのです。その路線に進むウマ娘達本人ですら「長年続く伝統だし仕方がない」と諦観していました。

 

それに断固として「否」を叩き付けたのが、他ならぬニホンピロウイナーです。なんとしてでもこのふざけた風潮を吹き飛ばさんと、彼女はウマ娘レースにおける己が師としたトレーナーと共に行動を開始します。

 

彼女はトレーナーの期待通り、その脚質に適合する範囲において無類の強さを誇りました。クラシッククラスの前半こそ振いませんでしたが、その後は数々のレースをまるで蹂躙するかのように制覇し続けます。そうして実績を作ると同時に、彼女は表面下──レースとは直接関係の無い部分においても積極的に動いていました。

 

──淀んだ風潮を排除し、ウマ娘レース界に革命を起こす──

 

自分達に賛同的な姿勢を取る者達には礼儀を尽くして協力を要請し、中立的な姿勢を取る者達は利という理を乗せた言の葉をもって懐柔し、敵対的な姿勢を取る者達は実績と利権という刃を持って切り伏せる──。これまでの人生で培ってきたありとあらゆる技能とコネを使い、彼女は己の信奉者を次から次へと増やして行きました。

 

そして、遂に彼女は世論と言う名の風と他勢力からの圧力という破城槌を用いて、URAに「グレード制」という近代日本ウマ娘レースの基礎となる制度を認めさせ、マイルと短距離のレースに最高位の重賞──GIレースを創設させることに成功します。

 

それはまさしく、一つの歴史が作られた瞬間でした。

 

グレード制度が導入されてからは記念すべき第一回マイルチャンピオンシップと翌年の安田記念を制覇し、マイル路線における絶対強者──‘マイルの皇帝,と呼ばれるようになったウイナーですが、未だに「中距離以上のレースこそ至高であり、短距離路線はそれについて行けないウマ娘達の救済措置」という風潮は完全には無くなりません。

 

一体どうすれば良い──ウイナーとそのトレーナーは頭を悩ませます。なにか……そう、短距離やマイルを積極的に走るようなウマ娘でも、中距離以上のGⅠレースを走るウマ娘に勝つ事が出来るということを世間に示す事が出来れば──。

 

その思考に辿り着いた二人の答えは、奇しくも一致しました。──今までと同じように、自分達が示せば良い。現役最強王者と言われている、かの‘皇帝,シンボリルドルフを下して──

 

しかし、マイル及び短距離に脚質適正が無いかの皇帝がこちらの土俵に降りてくることはまずありません。それを討ち取るためには、ウイナーの方から相手の土俵へと上がるしかない。

彼女のトレーナーが、そして誰よりも彼女自身が理解していた事ではありますが、ウイナーが最も力を発揮する事が出来る脚質適正距離は芝の1400m。勝利したマイルチャンピオンシップや安田記念の1600mですら、ほんの少しばかり長い距離です。

 

──それでも、やるしかない。彼女は一度やると決めた事を覆す気はサラサラありませんでした。

 

狙うはただ一つ。最も距離が短い中距離のGⅠレースにして、ウマ娘レースにおける重賞が八大競走と呼ばれていた時代から存在する由緒正しきレース──天皇賞「秋」

 

距離という限界を克服するため、かの皇帝を討ち取るため、そしてなによりも、自分の周りに蔓延り続ける気に入らない風潮を完膚なきまでに吹き飛ばすため、ウイナーの猛特訓が始まりました。今までの「適正距離における自身の能力とスキルの強化」や「最高の力を発揮することが出来る状態にする」調整とは訳が違います。正真正銘の「脚質改造」と呼んで差し支えないそれです。

 

周囲が呆れかえるようなその特訓すら平然とした表情でこなしながら、彼女は自身の能力を限界まで高めていきました。──そして、レース当日。

 

大歓声に包まれる東京レース場に、天皇賞「秋」に出走するウマ娘達は揃いました。ウイナーは三番人気。一昨年走った今回と同じ芝の2000mレースである「皐月賞」の20着(当然最下位)という結果から鑑みれば信じられないような人気ですが、それでも現役最強王者たるシンボリルドルフという大スターと比べれば霞んでしまいます。

 

ですが、ウイナーはまるで意に介しません。かつて大敗を喫した距離のレースで、相手は‘皇帝,と呼ばれるウマ娘なのに、彼女は少しも動じないまま、勝利の栄光を掴む為にゲートに入っていきました。今まで歩んできた己の覇道を信じ、トレーナーを始めとした、ウイナーの事を最強だと信じる彼女の信奉者達の声援と共に────

 

 

 

 

 

 

 

「──と、まぁ格好良く言っておいてなんだが肝心の結果はルドルフと0,1秒差の3着。しかも肝心のルドルフは1着じゃなくて2着。‘皇帝,と呼ばれた二人のウマ娘は、真に己の限界を越えた力を発揮した‘恐るべき襲歩,に二人纏めて差されたってオチな訳だ」

 

「な、なるほど」

 

アッハッハッ! とまるで喜劇でも語るかのように柴中は笑う。それも、本当に楽しそうな顔で。おかしくって仕方がないと言わんばかりに。柴中の語り口がとても上手かったというのもあるが、そんじょそこらの物語顔負けの実話にこれ以上無く引き込まれてしまったゼファーとしては、唐突にやって来たオチに苦笑いを浮かべるしかない。

 

 

「毎度言うがなトレーナー、陛下のトゥインクルシリーズにおける革命と栄光の物語を笑いながら話すのは止せ。例え──」

 

「構わん。あの時あの場でシンボリルドルフと共に大笑したのは他ならぬ私だ。それにこの結末を喜劇と言わずしてなんという? 考えられる最高のオチだとは思わないか、帝王よ」

 

「……ですが「あ、アキツさん。お代わりは如何です?」っとすまん、貰おうか」

 

火の消えたカセットコンロの上で未だグラグラと煮え立っている土鍋。まだ童女と呼べる年齢のウマ娘はその中身を手に持ったオタマで適量掬うと、そのまま受け取った容器に注いでアキツの方へと差し出した。ステラのチームルーム、そこにある円卓の机の上だ。古代英国は円卓の騎士を模したその部屋とあまりにも場違いな料理とその匂いが、辺り一面に立ちこめている。

 

 

(ちゃんこ鍋……)

 

「正直最初は色々どうかと思ったけど、今じゃすっかり慣れたよなぁ。っていうか下手な店で出てくるやつよりずっと美味いから、鍋料理は基本ここでしか食べなくなったし」

 

「ああ。こう言ってはなんだが、我々は二人に胃袋を完全に掴まれてしまったな。抜け出すのは容易ではなさそうだ」

 

「そうそう! とっても美味しいからついつい食べ過ぎちゃうんですよねぇ……。おかげで体重管理が結構大変で「あ、じゃあカレンの分のデザートは俺が──」ちょっと! 食べないなんて言ってないでしょお兄ちゃん!! っていうか、カレンが食べ過ぎても大丈夫なように手取り足取り指導するのがお兄ちゃんの仕事でしょー!?」

 

部屋全体に漂っていた高貴な雰囲気はとうに消え去り、トレセン学園の教室や食堂で毎日のように繰り広げられている大小様々な団欒と大差無い空気が場を支配する。ともすればこの場において煩わしいとすら感じられてしまうだろうそれを、皇であるウイナーは咎めることなく淡々と鍋を突いていた。

 

 

(でも、確かにスッゴく美味しい)

 

鶏ガラと野菜ベースの出汁は相当丁寧に灰汁を取っているのか、シッカリとした旨みがあるのに味に淀みや濁りがない。具材として入っているのは鶏挽肉で作ったつくねを始め、春菊と椎茸、花形に飾り切りされたにんじんに、時季の野菜として春キャベツがどっさり入っている。どれも硬すぎず柔らかすぎず、絶妙な煮込み加減だ。

 

……柴中が口に出していたが、もしかしてこのチームでは何らかの会議や集会がある時は必ず食事会めいたものが開かれるのだろうか。現金な話しだが、だとすれば今後が少々楽しみになってきてしまうゼファーである。

 

 

「えへへー♪ そんなこと言っても量を大盛りにするぐらいしかしてあげられること無いよー? あ、ゼファーちゃん。どう? お口に合うかなぁ? デザートにアップルパイとアイスもあるから楽しみにしててね!」

 

とても大きな巨体をもつウマ娘がズイッ──とその身をゼファーの方に寄せて聞いてきた。勿論即座に返答をしたかったのだが──。

 

 

「アケボノさん、自己紹介自己紹介。場の流れでそのまま食事会になってしまいましたが、あなたとフラワーさんはまだ名前を名乗ってすらいませんわよ──アッツ!」

 

「──ドウぞ(スッ)」

 

ハフハフと息を吐きながらちゃんこ鍋を食べるダイイチルビーに、まだ使っていない自分の布巾を差し出すシンコウラブリィ。熱さで食材を口から吹き出しかけたのを誤魔化すためか、ルビーは「コホン!」と一度大きく咳払いをしてからありがたくそれを受け取ると、口の周りを上品に拭き始めた。

 

 

「あ、そうだった! ありがとねルビーちゃん。──ボノボーノ! はじめまして!! チームステラが第二席‘東雲(しののめ),のヒシアケボノだよ! これからよろしくなの!!」

 

「ご挨拶が遅れてしまってごめんなさい。チームステラが第十一席‘花姫,のニシノフラワーです。あの、よろしくお願いします!」

 

とても元気よく挨拶をするヒシアケボノと、ペコリと恭しく頭を下げるニシノフラワー。二人とも先のカレンチャンと同様まだ本格化を控えた未出走のウマ娘だが、トレセン学園でも難関と言われているチームステラの選抜試験に合格してチーム入りを果たした超有望株だ。特にニシノフラワーは、中央トレセン学園史上初となる‘飛び級,で入学を果たした、まだ小学生の天才ウマ娘。

 

やはりというか何というか、当然の事ではあるのだがちょっと凄い人ばかり集まりすぎてやしないだろうか。URAならびにその試験官達が日本全国(一部海外)から選りすぐった精鋭中の精鋭しか入学する事を許されないため、ここに入学出来ている時点でエリートウマ娘たる何よりの証ではあるのだが、このチームはそこから更に選別を重ねた上澄みの上澄みと呼んで差し支えないウマ娘ばかりが揃っている。

 

──正直な話、今の自分ではチームメンバーとして不相応だろう。基本的にネガティブな思考にはならないウマ娘であるゼファーだが、頭の片隅でそう思わずにはいられない。

 

 

(うん! だったらこれからはもっともーっと頑張らないとね!!)

 

 

「はい! こちらこそ、どうかよろしくお願いします!! ──あ、すごく美味しいです!!」

 

だったら、頑張って追いつけば良いだけの話しだ。そうやって前を向ける──それこそが、ゼファー本人すら自覚していない彼女の最も強い魅力であり、強さだった。

 

 

「んで、話を戻すけどー……。言った通り、ウイナーはウマ娘レース界に「革命」を起こした。手伝った俺が言うのもなんだけど、こいつが成した功績はグレード制度の設立を含めてあまりにも計り知れない」

 

自分の器に注がれたちゃんこ鍋を汁も含めて全て平らげたあと再び語り出した柴中に、ゼファーは何度も頷く。そりゃあそうだろう。風潮の排除を目的としたグレード制度の設立と、怒濤の快進撃。自らが短距離路線を象徴する‘皇帝,となって力を示し続けることで、彼女はURAを含めた世間の人々の認識を次から次へと改めさせていったのだ。それこそ、歴史の教科書にデカデカと名前が載ってもおかしくないほど凄い事だと思う。

 

‘革命,を起こした‘開拓者,な‘マイルの皇帝,……そりゃあ彼女に憧れてトレセン学園に入学したり、他のチームからの勧誘を蹴ったり、出れるレースを蹴ってまで選抜テストを受けたりするウマ娘が現われるだろう。

 

 

「あまり尾に鰭付けるな。私からもそうなるよう働きかけたのは事実だが、グレード制度の成立は理事長を筆頭としたトレセン学園勢力全体の賛同と、なによりURAの革新派閥の力が最も大きい。奴らが自ら動こうとしなければ、いくら私が覇を示したところで意味が無かった。……とっくの昔に返したが、シンボリルドルフにも大きな借りを作ってしまったからな」

 

「今の体制が盤石になるように動いたのは事実だろ? あの秋天も脚質適正距離外のウイナーがルドルフに差し迫ったからこそ話題になったし、次走のマイルチャンピオンシップも大盛り上がりになった。キッチリ連覇したしな」

 

懐かしさに少しだけ顔を綻ばせながら、柴中は言う。その第二回マイルチャンピオンシップをもってニホンピロウイナーはトゥインクルシリーズから引退し、ドリームカップトロフィー──通称DTリーグへと移籍した。現在はその最上位クラスであるAクラスで己に匹敵するウマ娘達と鎬を削っているというわけである。

 

第二回マイルチャンピオンシップ終了から約数週間後。引退式すら行なわず、突如として移籍を発表したウイナーは取材に現われた記者達にただ一言だけ、こう告げた。

 

──「もうこのシリーズにおいて、私が成すべき事は無い」──

 

やるべき事を全てやり、既に次の目標へ向かって邁進していたウイナーを引き止めることなど、誰にも出来なかったのだ。

 

 

「で、なんだけど。そんなウイナーの起こした「革命」によって救われた、躍進した奴もいれば、被害を被ったり、その地位を追われたって奴もいる。グレード制度に反対してたURAの一部の上層部──「八大競走保守派」なんかがその筆頭だな」

 

「八大競走保守派……?」

 

「……我が眼前に立ちふさがった蛮族共だ」

 

ウイナーの声が若干低くなったのを、ゼファーは聞き逃さなかった。‘蛮族,という蔑称とその物言いからして、彼女にとってかなり腹が立つ記憶があるのだろう。

 

 

「蛮族って……。……主にURAの運営に携る部門をになっていた、当時のURA最大派閥だよ。主に金銭的、財政的な利益と側面からURAとトレセン学園──延いてはウマ娘レース界全体を牛耳っていた、な」

 

「…………」

 

「「重賞レースは八つだけで良い」──嘆かわしいことですわ。古き伝統を心から重んじているというならまだしも、彼らのそれはただの建前。保身と金欲に塗れた物でしかなかったですもの。……まぁその話はさておき、これでお分かりになられたでしょう?」

 

何故チームステラの十戒に‘汝、教会とその教えを守らなければならない,訳しては‘汝、URAとその教えを守らなければならない,が無いのか──ここまで説明されれば、流石に察しが付くというものだ。

 

 

「当時のそれとはいえ、URAの上層部に剣を向けたから──ですか?」

 

「80点だ。私が剣を向けたのは‘保守派,だけでなく、さまざまな理由からその陣営に付いていた者達の全てだからな」

 

‘保守派,の重役は勿論、彼ら(URA)の指示だからとそれに従っていた当時の生徒会役員や、各種企業に至るまで。ウイナーは保守派の息が掛かっている勢力を次から次へと説得、懐柔、そして殲滅していった。保守派の意思による発展の停滞や居心地の悪さを排除する為とはいえ、ウマ娘レース界における最高存在に剣を向けたのだ。更に言えば、もし必要となればウイナーは今でも、そして何度でもURAへ剣を向ける気でいる。

 

教会だろうがURAだろうが──例え神だろうが、己が眼前に敵として立ちふさがるなら排除する。例え誰であっても、自分達の走りを停滞などさせはしない。

 

 

「故に、我が国の名は‘ステラ,──誰の定めた理にも縛られることなく夜の帳を切り裂き瞬く、一条の流星だ」

 

 



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チーム‘ステラ, 9/9

「……ふぅ」

 

一心地ついたと言わんばかりに、ゼファーはベットの上へ倒れ込む。ステラの歓迎会が終わり、そのまま寮の自室へ直帰してシャワーを浴びた後だ。同室であるシンコウラブリィは「片付けがあル」と他のメンバーと共にチームルームに残っていた。「私も手伝います!」と言うのは簡単だし正直そうしたかったのだが、自分の為に歓迎会の準備をしてくれたのは他ならぬ‘ゼファー以外の,チームメンバー達だ。ここで自分が乱入しては折角の歓迎会の意味と意義が薄まる。「今日はもう帰って休め」と柴中の後押しも有り「ありがとうございました!」とだけ最後にみんなの前で告げて、ゼファーは一人先に自室へと戻っていた。

 

先んじてベッドの上に放っておいた、カレンチャンから入隊祝いにとプレゼントされたふわふわのクッションにボフッと顔を埋める。……なるほど、確かにこれは良いものだ。まるで心までふわふわと和らいでいくような気がする。カレン曰く「ふわふわソムリエのお墨付き」らしいが、一体何者なんだろうか。

 

 

「……」

 

ゼファーはクッションに顔を埋めたまま、今日あったことを頭の中で振り返った。大まかに言ってしまえば「転入初日」「クラスメイトとの初顔合わせ」「チーム‘ステラ,の歓迎会」なのだが、その三つだけに焦点を絞ってもまだ考えるべき事が多すぎる。

 

 

──クラスメイトに挨拶した時に感じられた二つの気配。

 

うち一つは先に退寮した大先輩から時々聞いていた「風潮と偏見」で間違いないだろう。あの淀んだ空気と厄介者を見るような眼にはゼファー自身覚えがあった。小さい頃に何度も何度も味わった、ある種馴染み深い物だ。学園全体に蔓延るこれをなんとかしなくてはならないが、これに関してはゼファー一人ではどうにもならないし、そもそも一人でどうこうしようとする気もない。むやみやたらに賛同者を増やせば良いというものでは無いが、例えどれほどの力を持っていたとしても一人では大した事は成せないという事を、ゼファーはよく知っていた。

 

規模が段違いとはいえ、あのウイナーですらウマ娘レース界に革命を起こす際は方々に助力を願ったのだ。取りあえず近い内に大先輩に会って意見と情報を交わし、トレーナーである柴中や風紀委員に通ずる所があるというアキツテイオーにも助言を請わなくては。

 

もう一つが、ゼファーが今まで味わったことのない類いの物。

 

あれは一体何なんだろうか。警戒というには軽すぎる──否、軽いと言うより「楽」の感情が詰まりすぎている。一部のウマ娘達から向けられた、なにか面白そうな物を見つけた時の子供のようなそれに、ゼファーは困惑していた。

 

自分の隣の席になったレガシーワールド曰く「いずれアンタが脅威になるかもしれないと感じた奴ら」からの視線らしいが、‘評価されている,と受け取れば良いのだろうか?

イソノルーブル、ダイナマイトダディ、ヌエボトウショウ、シスタートウショウ、そしてレガシーワールド……。主にこの五人から感じたものだが、何というか──うん。それがどういう意味を持つのかはまだハッキリとは断言出来ないが‘こうだったら良いな,という願望はあった。もし本当に‘そう,なのであればこれほど嬉しい事はそうそう無いだろう。

 

 

「うーん……」

 

──もう一つゼファーの頭を悩ませているのが、他ならぬチームの事。延いては、今の自分の事だ。

 

見ただけで分かる──なんてふざけたことを言うつもりは微塵もないが少なくとも最低限分かる事として、今の自分の実力はチームメンバーの誰よりも下だ。休養寮から本校に転入してきたばかりで、今まで碌なトレーニングを積んでなくて(中央トレセン学園レース科基準)、なによりまだ体質が完治していないのだから至極当然の事かもしれないが、例えこれから柴中の元でトレーニングを積んだとしても今までの頑張る(それ)では全く届かないだろう。

 

‘マイルの帝王,‘閃光乙女,‘華麗なる一族,‘東雲,‘天才少女,‘ケルトの女戦士,そして‘マイルの皇帝,──柴中曰く、海外遠征に出ているメンバーを加えればもっといるらしい。カレンチャンとヒシアケボノは「本格化」がまだ来ておらずトゥインクルシリーズへの登録を控えている状態だが、それでも今の自分よりは何倍も強い筈だ。

 

誰も彼もが圧倒的な実力でレースを席巻するだろう一線級のウマ娘。そんなウマ娘達が登録している強豪チームの一員に、何の因果かもやしっ子の自分がいる。……今後への不安は勿論あるが、それは恐れ多いとか臆してるとかそういう話しではなく──

 

 

「‘私らしく,いつづけられるかなぁ……?」

 

こういう話し──強くなっていく過程で‘自分を見失わないか,という話しだった。強くなれるかとか、レースで勝てるかとか、チームに相応しいウマ娘になれるかとか、ゼファーはそういう心配は一切していない。必ず強くなるし、レースで勝つし、チームに相応しい名ウマ娘になる。自分で‘そう,と決めた時点で、それは決定事項(・・・・)だ。例えそれが途方もない時間を掛けるような物であっても、その過程がどれだけ困難で、幾重もの敗北を味わおうとも、決して諦めない。そこまで自己評価が高くないゼファーだが‘そういう事,なら自信があった。なにせ、あの傍若無人で唯我独尊を地で行く姉二人からのお墨付きだ。

 

故に、彼女が真に恐れるのは副作用の方。ゼファーの二人の姉すら恐れた、自分の芯が揺らぐ(・・・)事。──とても大切で尊い、大事な気持ちを失ってしまうこと。

 

それは、とても怖い。凄く、凄く恐ろしいことだと思うのだけれど──

 

 

「──ん!」

 

ゼファーは突然クッションから顔を上げると、自分の両頬を手でバチン! と挟むように強く叩いた。……気合を入れ、弱気な気持ちを叩き直す為だ。

不安が消えるわけではないが、その辺りは考えたって仕方がない、というか考えた所で解決など出来ない。結局の所、それが起こりうるとすれば自分が凄く強くなった未来の話しであり、今の自分にはそれを怖がるだけの資格すら無いのだから。

 

 

(そもそも、今そんな事で悩んでたら強くなれるわけ無いもんね)

 

故に、ゼファーは思考を切り替えてこの日最後の疑問への考察に取りかかった。──最後の最後。歓迎会が終わり、解散の流れになる直前。ウイナーから受け取ったバッジとカードの説明を柴中から受けた時だ。結論から言うと、やはりあの二品はチームステラに所属していることを示す物で、カードの方はチームハウスの門と玄関の鍵に対応したカードキーになっているらしい。

 

「ああやっぱり」と思ったゼファーはその場でカードを箱から取り出し、裏面に書かれている文字をなんとなしに読んでみた。チームメンバーが名を名乗る時に使っていた物とよく似た文章だ。これからは学園内では自分もこう名乗った方が良いのだろうか──ゼファーが頭でそう思うよりも前に、声が上がった。

 

 

「な……!?」

 

「……?」

 

それに反応して、ゼファーは顔を上げる。誰の上げた声だったかは定かではないが、ウイナーと柴中を除く全員がそれぞれ驚愕の感情を抑えきれないと言わんばかりの顔をしていた。アキツテイオーが「陛下……。あなたは、そこまで……」と呟くように言う。問われたウイナーは何も言わず、ただジッ──とゼファーの方を見つめていた。

 

──場の空気と雰囲気が、驚きのそれへと一変している。理由はどう考えてもあの場で自分が読み上げた、カードに書かれていた文章だろう。彼女達に何がそこまで驚かれたのか未だに分からず、ゼファーはベッドの上で再びカードを箱から取り出してみる。

 

 

そこには、こう記されていた。

 

 

 

 

『チームステラ 第十二席‘そよ風,のゼファー』

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

カタカタと、パソコンのキーボードを打つ音が部屋へと響く。チームステラの二階に用意されているトレーナールームの中だ。後日トレセン学園の総務課へ提出する各種レポートを作成しながら、柴中は今日の事を頭の中で振り返る。

 

……歓迎会の進行と内容はチームステラ特有のいつも通りの物だったが、最後の‘アレ,にチームのウマ娘達はみんな随分と驚いていた。「よもやそこまで──」とでも言いたげな表情でウイナーと柴中を見つめる彼女達の顔が想像以上に新鮮で、柴中は思わず「ふっ」と思い出し笑いをしてしまう。

 

 

「なにかおかしいですか?」

 

「う゛おぁっ!?」

 

直後、突如として真後ろから声を掛けられて驚き、情けない声を出しながらバッ! と勢いよく後ろを振り返る。──見慣れた顔のウマ娘が、手に珈琲カップを持ってそこに立っていた。

 

 

「なんだフラワーか……驚かすな」

 

「ごめんなさい。でも、何回ノックしても返事がなかったので……。陛下からも『奴が仕事に集中しているならノックしたところでどうせ気付かん。勝手に入って良いぞ』とお許しが」

 

「あいつ……いやまぁ確かに気付かなかったけどさ……「はい、これどうぞ」っと、ありがとな」

 

フラワーから差し出された珈琲カップ受け取る。淹れたてのコーヒーの香ばしく華やかな香りが鼻腔をくすぐった。そのまま口に運ぶ──美味い。思わずほっとするような旨みのある苦みが口いっぱいに広がっていく……柴中の好みにピッタリとハマるエスプレッソだ。

元から料理が上手かったフラワーだが。ここ最近は更に上達が著しいように思う。ヒシアケボノという頼もしい料理友達を持ったからだろうか。食後のデザートとして出て来たアップルパイも格別だったし。……恐らくフラワーは、歓迎会の片付けが終わったと珈琲(差し入れ)片手に報告しに来てくれたのだろう。

 

 

「謁見室ならびに王城の片付けはほぼ終わりました。最後に各処の点検をしたら、陛下以外は寮に戻りますね」

 

「ん、了解。助かったよ。……でも良かったのか? 俺も手伝いに加わらなくて」

 

いくら人間とウマ娘相手とはいえ、柴中は大人で彼女達は子供──と言うと、一部不機嫌になるウマ娘がいるのでこう表現する──未成年だ。「私達のために働いてくれているのだから」と彼女達から歓迎会の準備の時点で「こちらの手伝いではなく自分の仕事をしてくれ」と柴中に言ってきたのだが、やはり少しばかり思う所がある。

 

 

「はい! むしろトレーナーさんには常日頃から色々と助けて頂いてるのに、こういう形でしかサポート出来なくて申し訳ないぐらいですから。……あと、大人だからこそ、こういった未成年(私達)でも出来るお仕事は積極的に任せてくれて良いんですよ?」

 

「……お前はなんて言うか、ホントいい娘だなぁ」

 

思わず彼女の頭に手を伸ばしてよしよしと撫でる。こちらの心情を慮る配慮、背伸びはしても無理はしない冷静さ、そしてさり気ない気遣い──まだ小学生の子が意識して出来ることか? ゼファーもかなり場の空気や雰囲気という奴に機敏で鋭いウマ娘だが、感覚はともかく対処法や気の遣い方なんかはフラワーの方が上かもしれない。頭を撫でられて「えへへ……」と若干恥ずかしそうに俯く様はどう見ても年相応のそれなのだが……。

 

 

「……あ、そうそう。今の内に言っとくけど、ゼファーがチームに加わって「席」が一つ埋まったから名簿の更新と椅子の追加がある。近い内に職人に仕事を頼むから──」

 

「はい、職人さんがいらしたらトレーナー、あとゼファーさんに連絡ですね?」

 

「ああ、頼んだ」

 

やはり「円卓の騎士」を模したのだから、当然ゼファーにも座るべき椅子がなければならない。ゼファーの座高や脚の長さなんかのデータは既に把握しているが、実際に彼女に座って貰う以上に座り心地の良さを確かめる良い方法は無いだろう。

 

 

「……皆さん、やっぱり驚いてましたね。──‘十二席,とは」

 

あの時の光景を振り返るようにフラワーは言う。他ならぬフラワーも驚いた一人ではあるのだが、他のウマ娘達と比べると冷静な方ではあった。

 

 

「やっぱお前の眼から見ても意外か? 俺も最初は‘五,か‘十一,のどっちかを渡すもんだと思ってたよ」

 

「意外というか……うーん……」

 

フラワーは少し考え込むように頭を捻る。

 

 

「……陛下の感覚とお考えですから、私なんかじゃ計り知れない部分が殆どですが‘十二,をゼファーさんに渡したとなると、恐らくただ強くなる事、だけを期待しているんじゃ無いと思います。席が席ですからね。つまりは‘そういうこと,だと思うんですけど……でも……」

 

円卓の騎士と彼らの王を描いた物語には王と宮廷魔術師を除き、特に物語のキーパーソンとなった騎士が何人か存在する。‘第四席,‘第十二席,‘第十三席,主だっていうとこの三名だが、その中の一つ──かの王とその姉の息子(諸説有り)でありながら、最終的にかの王へと剣を向けた‘反逆の騎士,──輝かしいかの物語を終わらせたその騎士が座っていたとされるのと同じ席を、ウイナーはゼファーに渡したのだ。

 

 

「でも肝心のゼファーが‘そういうこと,を起こすとは思えない──って奴だろ。俺もそう思う」

 

「ええ。ですのでやはり──‘運命を感じた,のではないかと」

 

基本的に「異世界における前世がある」と言われているウマ娘には、他のウマ娘に何か特別な感情を抱く時がある。抑えきれない、どうしようもない程のそれは、親愛だったり友愛だったり宿命だったり同調だったりと様々だが、レースで好成績を残すような優秀なウマ娘であればあるほどそれを感じることがあると言われている。──前世からの因縁──という奴だ。

 

 

「案外、前世じゃ本当に親子だったりしてな」

 

「もう! 本当にそうならシャレになりませんよ。なにせ──」

 

ハハハ! と笑いながら言う柴中に、フラワーは忠言するように言った。ウイナーが大好きな偉大なる王と円卓の騎士達の物語。その終焉は──

 

 

「させないよ」

 

強く、断言するように、花姫たるフラワーを安心させるように柴中は告げる。──チームステラが宮廷魔術師(トレーナー)‘  ,の柴中として。

 

 

 

「俺はどこぞの宮廷魔術師みたいに、世界の終わりまで楽園に閉じこもるような真似をする気は毛頭ないからな」

 

 



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重賞 1/26

「たぁあああああああああ!!」

 

ダダダダッ──! と、ダートコースを勢いよく駆ける。「パワー」の訓練を兼ねた走行練習だ。柴中から言われた通り‘蹴る’のでも‘押す’のでもなく、足裏全体を使って‘砂をはじき飛ばす’あるいは‘水の上を走る’というイメージを頭の中に描きながら、ゼファーは次のレースへ向けて身体を仕上げていく。

 

 

「んー……」

 

それをコース外から見ていた柴中だが、今一表情がパッとしない。ゼファーの走りに対して思う所は色々あるのだが、そもそもの話──

 

 

「どうだ、奴の調子は」

 

芝の方のコースで他のメンバーをしごいていた筈のウイナーが、いつの間にやら自分の横へとやって来ていた。やはりレースが近いチームメンバーの様子は気になるのか、あるいはゼファーだからこそか。

 

 

「……ん、まぁ調子は良いな。少なくとも次のダートの条件戦で良い結果が残せない、って事は無いと思う」

 

身体全体に良い具合に張りがあるし、表情も悪く無い。気合の乗り方なんかは言わずもがなだ。体質異常によるスタミナの無さだけは相変わらずだが、完治間近とは言えそれはすぐにどうこう出来る話ではない。

 

 

「では何を考えている? 貴様の様子を見る限り、あまり良い意味で悩んでいるとは思えんが」

 

「……これからの育成計画のことだよ」

 

柴中の頭の中にあるいくつかの育成プラン。その殆どが、二戦目を終えた後に長期のレース休養ならびに身体の成長と発展を促す基礎訓練の徹底を基板としていた。柴中としてもそれが一番良いと思ってるし、最終的にはその方針で育成を進めるつもりなのだが──

 

 

「その場合、再始動が多分秋の中頃になる。その時になってみないとハッキリとした事は言えないけど、諸々上手く行ったとしてGⅠレースに出れるようになるまで実績を積めてるのが多分……」

 

「年末の‘スプリンターズ・ステークス’か」

 

「ああ、しかも今からやってもかなりギリギリの調整になると思う」

 

本格的に柴中がトレーニングを見るようになって改めて認識させられた事だが、ゼファーの虚弱体質によるハンデが想像以上に大きい。一般的なウマ娘レース出走者が行なう半分以下のトレーニングしか出来ないのだ。ただでさえ積み重なっている‘時間’という名のハンデが、このままではドンドン大きくなっていく一方だろう。それをなんとか改善させるには長期の休養期間を取って虚弱体質の完治を目指しながら、基礎トレーニングなどを徹底させて身体を強くて丈夫な物に造り替えるしかない。

 

しかし、当然の事ではあるが長期の休養期間を取るということは、それ即ちレースに出られないということだ。感覚を養う。駆け引きを学ばせる。──怪我や故障などで物理的に‘レースに出られない’のであればやむを得ないが──本番のレースでのみ培える様々な経験は、とても貴重で大切な物だ。それらを手に入れる機会を自ら減らすということでもある。

 

 

「さて、ではどうする? 我が魔術師(トレーナー)よ」

 

「…………」

 

体質の改善と身体の強化改造を行なう為の長期休養は絶対に必要だ。しかし、レースでの実戦経験が少ないというのもそれはそれで大きなハンデに繋がる──と、なると。

 

 

 

「──こうするっきゃないかなぁ」

 

 

 

 

 

「ふしゅー……ふしゅー……」

 

「あのー、大丈夫ですかー? カレンのとびきりスマイルいりますかー?」

 

いつも通り疲れ果てて地面に突っ伏したゼファーに可愛らしい声が掛かる。いわずもがな、ジャージ姿も可愛らしいチームメイトのカレンチャンだ。右手にスポーツドリンク、左手にタオルを持ったマネージャースタイルで彼女はゼファーを慮る様にその場へ座り込むと、その両方を笑顔で差し出した。

 

 

「あ、ありがとうございますカレンさん……。でも、まずはクールダウンをしないと……」

 

ゼファーはカレンの差し入れを一旦拒否すると、四肢に力と気合を入れ直してゆっくりとその場に座り直し、いつも通り丁寧に身体全体のマッサージを始める。その反応に一瞬だけキョトンとした表情になったカレンだが、すぐに元の可愛らしい笑顔へと戻った。

 

 

「……ゼファーさんのそういう基本的な所を忘れず、疎かにしないところ、カレンも見習わなくっちゃいけないなぁ。あ、そうだ! カレンも一緒にクールダウンして良いですか? 陛下とお兄ちゃんから‘ゼファーさんのクールダウンの技術と知識は専門家並’って話しを聞いたんです! なにかコツみたいなのがあれば教えて欲しいなぁ」

 

「いやいやいや!」

 

「……ダメですか?」

 

一瞬で瞳を潤ませたうえ、ポーズまでガッチリ決めた上目遣いでこちらを見つめてくるカレンチャンだが、違うそっちじゃない。‘専門家並’だと言われるのは素直に嬉しいが、あまりにも過大評価だと、ゼファーは首をブンブン横に振って否定したのだ。百歩譲って知識はまだ良いとして、技術は間違い無くその手のプロには劣る。

 

 

「そうなんですか? でもゼファーさんって確かに疲れるの(というか倒れるの)がビックリするぐらい早いですけど、そこから回復するのも結構早いですよね? 疲れるのが早ければ疲れが取れるのも遅い体質──って話しなのに」

 

「あはは、ええまぁ……」

 

凄い観察眼と指摘だ──ゼファーは自分の事を棚に上げてそう思った。彼女が柴中とウイナーのレースチーム‘ステラ’に正式に入ってからまだ二週間足らずだと言うのに、GⅠトレーナーである柴中や皇帝たるウイナーは勿論、自分と似た匂いがするカレンチャンや、天才と謳われるフラワーなんかにも自分の癖や性格、それから持っている技術──というのも憚られるとゼファー自身は思っている──なんかを色々と看破されている気がする。

 

 

「なによりお兄ちゃんが眼で視てそう思ったのなら間違いないと思ったんだけどなぁ……」

 

「……なら、私に色々と教えてくれた方がとびっきり上手だったんですよ。本物の専門家で、何度も何度も根気よくクールダウンのやり方を教えてくれましたから」

 

確かにゼファーはその手の専門家でもある清瀬に疲労で倒れた所を助けられる度に講義と教習、それから実戦を受けて技術と知識を年単位で培ってきたため多少はそういう類の心得に自負があるが、清瀬本人の技術(それ)には遠く及ばないだろう。事実、彼女にしてもらうのと自分でするのとでは疲労の抜け方と身体の回復速度に大きな差があるとゼファーは強く感じている。

 

 

「へー……。そんな人がいるんですか」

 

「ええ。遠藤委員長……私の治療にずっと付き合ってくれたお医者さんと並ぶ、私の恩人です」

 

「──うん! なら尚更一緒にクールダウンしたいな!! ゼファーさんがそこまで言うなら、きっと教わったのも大事な物ばかりだろうし!」

 

言うが早いか、カレンはゼファーの隣に同じような姿勢で座った。ゼファーは「はい、それ自体は全然オッケーですよ。……私の説明で上手く伝えられるかは分かりませんけど、精一杯頑張ります!」と意気込み、まずは肩の部分に手を当てて揉みほぐし始める。

 

 



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重賞 2/26

「このかつて「八大競走」と呼ばれていた重賞レースが、現在で言う所のクラシック重賞レース……桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、菊花賞。それから秋と春に行なわれる天皇賞と、年末の有馬記念ですね。グレード制度が導入される前はこの八つが特に重要なレースという扱いになっていました」

 

担任の女教師がカツカツという音を立てながら、黒板に白いチョークで文字を書いていく。決して見にくいとか汚い文字をしているとかそういう訳ではないのだが、もう少しハキハキと喋れないものかと彼女──シスタートウショウは思う。仮にも「教え、導く者」として壇上に立つのでれば皆が「この人に付いていきたい」と思う、思わせるだけの毅然とした態度と喋り方をする必要があるのではないか。まぁ一重に言ってしまえば‘カリスマ性,のような物なので、性格や個人としての差があるのは仕方が無いのだが……。ここの学生寮より何倍も厳格な教会の中で生まれ育ってきただけあって、どうしてもその辺りが気になってしまうのだった。

 

 

問題──現在URAによってⅠからⅢまでのグレードが定められたレースを「重賞」と呼ぶが、この「重賞」とは一体何を意味しているか答えよ。

 

 

「じゃあこの問題を……。はい! 今私と眼が合ったシスターさん!」

 

入学前から既に頭の中に叩き込んである内容をノートに書き写しながら頭の片隅でそんな事を考えていたシスターだが、少しばかりジロジロと見つめ過ぎたのか女教師と眼が合う。そのまま回答者として指名されるが、彼女は少しも動じなかった。前記の通り、この程度の内容は今更学ぶまでもなく頭の中に入っている。

 

 

「はい。毎年繰り「重」ねて行なわれる「賞」なので「重賞レース」と言います。重要の「重」だと勘違いしている方も大勢いますし、事実、重要な賞であることは間違いありませんが、そちらは意味としては後付けです」

 

スッ──と椅子から立ち上がってスラスラと、しかしハキハキとした口調で答えるシスター。「はい! 大正解です、流石ですね!!」と教師が笑顔で正答である事を告げると「おー!」という小さな歓声が教室から上がった。

 

 

「へー、そういう意味だったんだぁ! うんうん、さっすがシスターちゃんだね!!」

 

「……つい一昨日あなたの勉強に付き合った際にその辺りはご教授させて頂いたはずですが、シスターヌエボ」

 

「……そうだっけ? なら忘れちゃってた!」

 

「えへへ~」と、恥ずかしいのかなんなのかよく分からない笑顔を向けてくるヌエボトウショウに、シスターは座りながら溜息をついた。どうせ次の定期テスト前も、そしてその後も勉強に付き合わされることになるんだろう。前者は赤点を回避するため、後者は結局取ってしまった赤点による補修の為に。

 

……既に慣れてしまった事ではあるのだがなんでこの娘はやたら自分を頼り、ことある度に絡んでくるんだろうか。彼女の性格と人柄ならばもっと──

 

 

「えーと、じゃあ次の問題は……。はい! じゃあゼファーさん! 答えられるかな?」

 

次なる問題の回答者として選ばれたゼファーに注目が集まったのを感じ取り、シスターは降って湧いた余計な思考を頭から取り払って授業に集中する。

 

 

問題──かつて「八大競走」と呼ばれていたレースは桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、菊花賞、天皇賞春、天皇賞秋、有馬記念の八つだが、この八つに相当すると見なされていたレースが他にもあり「十大競争」と呼ばれる事もあった。そのレースを答えよ。

 

 

「これはちょっと難しいかもしれないけど、どう?」

 

(……なるほど)

 

問題を確認して思わず唸る。シスターはこの問題も答えられる自信があるが、なるほど難易度が自分が答えたそれよりも上だ。しかも問題文の書き方からして回答者のミスを誘うような仕掛けが──

 

 

「はい! 宝塚記念、ジャパンカップ、エリザベス女王杯です!」

 

さほど大きな声ではないのに、その解答はハキハキと力強く教室に響いたようにシスターは感じた。……自信に溢れているからだろうか。

 

 

「え? でもそれじゃあ全部で十一個だよ? 十大競争なんだから十個なんじゃないの?」

 

「宝塚記念とジャパンカップ、もしくは春と秋に行なわれる天皇賞二つがまとめて一つのレースとして考えられてたんです。ですからこの三つを足して十個になります」

 

「せ、正解です。今してくれた説明を含めて全部合ってます」

 

女教師が呆気に取られたような顔で完全解答である事を告げると「うおー!」という自分の時よりも少しだけ大きな歓声が上がる。現在全てGⅠに定められているレースなので、一つや二つならば適当に言っても当たるかもしれないが──。問題文にワザワザ八大競走と呼ばれていたレースとその名前を記した上で「十大競争」と強調している為、普通に考えると二つしか解が無いように見える引っかけ問題だ。完全解答は問題の答えとその理由をちゃんと理解していなければ不可能だろう。

 

つい数日前、ゼファーがこのクラスに転入してきた日の昼食会で「身体の調子が悪くてトレーニングが出来ないって日も結構ありまして……。はい。なのでそういう日は基本自室で自習してました」とゼファー自身が言っていたのを思い出す。確か彼女がまともにトレーニングをすることが出来る様になったのが数ヶ月前で、休養寮に入ったのが今から約三年。大ざっぱかつあまり根拠の無い推測ではあるが、諸々計算に入れて凡そ約二年以上もの間、彼女は‘知識トレーニング,をずっと行ない続けてきたのだ。

 

 

(──で、あればこの程度の問題は答えられて当然ですか)

 

チラリ、と横目で気恥ずかしそうに再び席に座ったゼファーを見る。レースの方は兎も角、勉学(こちら)の方では色々と良いライバルになってくれること間違いなさそうだと、シスターは内心でほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇシスターちゃん? やっぱり悔しいの? 自分が答えた時よりもみんなの歓声が大きかったから──って痛ったあ! な、なんでチョップするのぉ!?」

 

 

 




フラワーガチャ大爆死しました。


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重賞 3/26

史実のレース日程とズレている部分がありますが演出上の都合ですので気にしないでください。


『──さぁ、最終コーナーを回って最後の直線コースに入りました! ここから抜け出す娘は出てくるのか!!』

 

 

ふうっ……と、軽く息を入れて身体のスイッチをもう一段階切り替える。長かったこのレースもはや終盤──残るは最後の直線コースのみだ。この直線を駆け抜け、一番最初にゴール板まで辿り着いたたった一人のウマ娘のみが「勝者」としての栄光を手に入れる事が出来る。……故に、どんなに苦しく辛かろうともウマ娘達は誰一人として足を止めるような事はしない。

 

疲労で震える身体と足に走り抜く力を。速さでスッキリしすぎた頭と心に鋼の意思を。全ての力を振り絞れるよう己の魂を震わせて。

 

──走れ、走れ、走れ、走れ、走れ。

 

それが本能だろうが理性だろうがなんでも良い。小難しい事や余計な事なんか全部忘れろ。今自分が成すべき事はたった一つ──全力で走り抜く事だけだ!

 

 

 

 

「「「──たぁぁあああああああああああ!!」」」

 

 

 

そうして、ウマ娘達は内から沸き立つ何かを吐き出すかのように吠えたのだ──

 

 

 


 

 

 

『シスタートウショウ! シスタートウショウです!! みごとチューリップ賞を制しました!!』

 

『仕掛け所が抜群でしたね。彼女にしては少し早めなのではないかとも思いましたが、完全に杞憂でした。あとは集団からの抜け出し方が非常に上手く──』

 

「……ふぅ」

 

眼を閉じて気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと息を吐きながら、シスタートウショウは掲示板をチラリと一瞥する。そこに提示されている自分の番号をその眼で確認すると、彼女はようやくその張り詰めた気を緩ませた。

我ながら上々──とはそこまで強く言えないし思えないが、身体が良い具合に仕上がってきているのは間違いない。解説者が既に告げているが、仕掛け所と抜け出し方に関してもかなり上手くいったという自覚がある。

 

 

(──「前哨戦」で‘これ,ですか……)

 

勝利を素直に喜びたい気持ちは勿論あるが、正直なところ、僅かながらとはいえ己の中にあった甘さを恥じる気持ちの方が大きかった。言っておくが、シスターは神に誓って対戦相手のウマ娘達を侮っていたり下に見ていたりした訳では無い。むしろ‘希代の名女,──現時点で既に重賞を2勝している凄まじいウマ娘が出走しているとあって(彼女が出走すると知ったシスターが自分からぶつかりに行ったのだが)格上挑戦に臨むような気持ちですらあった。

 

前哨戦ないし試金石。本番が目前に迫った今だからこそ難敵が出るレースに挑み、自分の実力という物をシッカリと把握しておく良い機会──

 

 

──考えが甘かった。

 

 

前哨戦? 試金石? その為に用意されたレースである事は確かだし、今後もそういった目的でレースに出走する機会はあるだろうが、そんな負けた時の言い訳めいた理由を前提に考えてレースに臨んでいたら勝てる訳がない。「目的」を「理由(言い訳)」にしてはならないのだ。

 

重賞レースじゃ無いから。前哨戦だから。本番を控えているから。──だから‘全力を出すのは色々とリスクがある,──合理的に考えたらどうしてもそういう結論が出てしまう。……そんな考えではデビュー前は愚か、入学したての新入生にすら敗北するだろう。

 

そんな自分が一着になることが出来たのは、観客の声援と神の加護。そしてなによりも同じレースに出走したウマ娘達が強すぎて、勝つためには小難しい事や余計な事を忘れ、後先考えず全力を出さざるを得なかったから(・・・・・・・・・・・・・・・)だ。──自分の甘さを、彼女達の強さが正してくれた。

 

 

「──神よ、私は全てに感謝します」

 

ターフの上で膝をつき、天上の父へと祈る。本番で使う予定だった策も。見せる予定の無かった脚も。今の自分が持ちうる全ての力を出し切って、シスターはこのレースに勝利した。合理的では無いと言えば勿論そうなのだが、今のシスターはどこか満足そうな表情をしている。次のレースでは今回の傾向と結果を踏まえた対策をされると分りきっているのに──それでも。

 

 

「──さて、次は観客の方々に御礼の言葉を述べなくてはなりませんね」

 

勝者としての責務を果たすため、シスターはウイナーズサークルへ向かう。例え本番のレースがどういう結果になろうと、このレースの勝者は間違いなく私なのだと。これだけ強いウマ娘達に勝利したのだと、自分を信じて祈り続けてくれた信徒達へ伝える為に。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『強い! 強すぎるぞイソノルーブル!! これで5戦5勝の、うち重賞2勝! しかも今回含め5戦中2戦が2着のウマ娘と3と1/2バ身差!!』

 

『ええ、実に素晴らしい走りでしたね。彼女自慢の逃げが今回もバッチリと決まったようです。今年のティアラ路線は近年極稀に見る大激戦区となりましたが、その中でも「主役」と言えるウマ娘は彼女かもしれませんね』

 

「あ、あうう……」

 

放送席の実況者ならびに解説者のあまりに大袈裟な物言い(だと彼女は思っている)に、ルーブルは両手で紅くなった頬をグニグニと押した。「あ、そう言えば顔の筋肉ってあまり触らない方が良いんだっけ」というゼファーの忠言すら一瞬のノイズにもならない。スタンドは観客席からの大歓声に半ば混乱しながら、ルーブルはウイナーズサークルで彼らに向かって半ば無意識でヒラヒラと手を振っていた。

 

 

「ルーブルー! お前ホントすげぇよ!! トリプルティアラ夢じゃないって!!」

 

「桜花賞、楽しみにしてるからねー!!」

 

「あ、えっと……あ、ありがとうございます!!」

 

手を振りながらペコペコと頭を下げる。デビューしてからもう5戦目になる上に毎回ここに立っているというのに、どうしても‘こういうの,には慣れない。自分には不相応な声援(繰り返すが彼女「は」そう思っている)だと分かっていても、どうしても嬉しくて嬉しくて心がふわふわと舞い上がりそうになってしまう。……童話や物語に出てくるような王子様(プリンス)お姫様(プリンセス)はどうして皆からあれだけの祝福を受けても毅然としていられるんだろう。それとも、彼らも本当は今の自分のようにふわふわとした幸せな気分を抑えきれなかったりするんだろうか。

 

そんな事を考えながらルーブルが観客からの祝福と声援を受けていると、正装に身を包んだアナウンサーが何名かの記者と共にルーブルへ近づいてきた。彼女にとって初の重賞挑戦となったラジオたんぱ賞の時も味わった、重賞以上のレースでのみ行なわれるテレビ放送用のインタビューだ。

 

 

「えー、放送席放送席。ただいま勝利者インタビューの準備が整いました。──まずは改めましてイソノルーブル選手、報知杯制覇おめでとうございます」

 

「は、はい! ありがとうございます!!」

 

「ルーブル選手にとって2度目の重賞挑戦となりました今回のレースですが、どうですか、今のお気持ちは」

 

「そうですね……。やっぱり、嬉しい。凄く、凄く嬉しいんだと思います」

 

取りあえずそれだけは間違いないのでそう言っておいた。──本当のところ、この自分の中にある‘何か,をどう言い表したら良いのか分からないだけだ。そも、それを制御出来たのならもっと毅然とした態度を取れている……と思う。

 

 

「ティアラ路線のクラシックレースGⅠ「桜花賞」が間近に迫っていますが、今回を通じてなにかこう、手応えの様な物は掴めましたか?」

 

「うーん……。その、申し訳ないんですけどそういうのは特に……。なんていうかもう、レース本番は毎回必死なので──「あ、今のよかったな」とかそういう感じはその……感じたくても感じられないと言うか……」

 

「なるほど……それだけレースに集中されていたということですね?」

 

「あ、はい! そういう事です!」

 

ルーブルにマイクを向けているインタビュアーは流石プロのアナウンサーなだけあって、和やかな笑顔と口調でルーブルから上手く言葉を引き出してくれている。あまり‘こういうの,が得意ではないルーブルにとっては本当にありがたい限りで、なんならその場でお礼を言いたいぐらいだった。

 

 

「次走はいよいよ桜花賞になるとURAならびにトレセン学園広告部からレース前に発表がありました。今年のティアラ路線は有望な選手が多く、近年稀に見る大激戦になると予想されています。「五強」と言われる五人のウマ娘──その中でも特に強いと言われているルーブル選手ですが、他の選手について何か思う所や意識している方はいますでしょうか?」

 

「あ、えっとその……」

 

言葉に詰まった。インタビュアーからの質問への返事に困ったから──ではない。

 

 

「……? あの、ルーブル選手?」

 

(大変申し訳ないんですが、恥ずかしい上に恐縮なので「五強」とか「特に強い」とかそういう言い方は止めてくれませんかぁ……!?)

 

大体こういう事である。クラシック級はティアラ路線に挑むウマ娘達の中でも最有望株と言われるようになるまで強くなったルーブルだが、彼女にその自覚と自信は無かった。

 

 

 

 


 

 

 

『ヤマニンゼファー! ヤマニンゼファーです!! 前走同様、この中山のダートで勝利をもぎ取りました!!』

 

『直線コースに入ってからはドンドンと前へ前へと抜け出ていけていましたね。最後かなり苦しかったですが、見事、前のウマ娘を捉えきりました。根性のハナ差勝利です』

 

「はあっ……! はあっっ……!!」

 

ぜえぜえと荒く、自分でも半ば制御不可能になった呼吸器官を落ち着けるようにゆっくり速度を落としながら、ゼファーは砂埃舞う中山のダートコースを走り続けていた。

──デビュー戦となった前走から早二週間。ゼファーにとって二回目のレースとなったのは、一勝以下の‘条件戦,*1。デビュー戦と同じレース場の、同じダートコースの、同じ距離のレース。……その筈なのだが。

 

 

(全然違う……!!)

 

桁違い──というと流石に大袈裟な言い方になるかもしれないが、肌で感じた‘違い,にゼファーの内心は驚愕に染まっていた。

 

デビュー戦の時は『凄い、本当に凄い……! これがトゥインクルシリーズのレースなんだ……!!』と全身で感じられた物の全てにワクワクして胸を高鳴らせたが、今回は驚愕だ。条件戦──重賞は勿論、OPやPreOPですらない、それらの前座として行なわれる事が常の極ありふれたレース。しかも今回の条件は一番下の「未勝利」に次ぐ「一勝以下」だ。無論、そんな小さい事は少しも意識せず(彼女の性格的に言って‘出来ず,が正しい)油断も慢心も無く今回のレースも全力で挑んだゼファーだが……。率直かつ体感的な話し「熱」が倍増したかのように感じられたのである。

 

──意地と決意、想いと信念が真っ向からぶつかり合う事で生まれる物。魂を荒ぶらせ、心を震わせるようなこの熱く滾る何かと、その熱と共に心と全身を駆け巡るとても気持ちの良い風。

 

少し、結構、かなり違う部分があるが、姉達二人が味わっていたそれもこんな感覚だったのだろうか。毎度のように姉達に注意と説教をしてきたゼファーだが、なるほどこれは下手をすれば病み付きになってしまいそうな感覚だ。

 

デビュー戦、条件戦で「これ」ならばこの上──重賞レースの最高峰であるGⅠは、一体どれほどの熱と風がターフの上に吹き荒んでいるのだろうか。

 

 

「……うん! 少しでも早く辿り着けるように、もっともっと頑張らないとね!!」

 

凄く興味があるが、今の自分はその舞台に立つだけの資格は勿論、それに相応しい実力すら無いのだから。……でも、焦ったり急いたりはしない。気が長い性格をしているというのもあるが、自分の体質とその貧弱さはよく理解している。なにせ三年以上もの間、体質を改善するために休養寮で治療とリハビリを続けて来たのだ。それと比べれば、どうということはない。──少しずつ、一歩ずつ。全力で頑張って前へ前へと進み続けるだけだ。そうして進み続けて、いつか必ず──

 

 

「ゼファー!」

 

自分を呼ぶ誰かの声がして、ゼファーはハッとなってスタンドの関係者席の方を見た。トレーナーである柴中が、少しだけ焦ったような表情でこちらを見ている。

 

 

「ウィナーズサークルとっくに通り過ぎてるけど、まだ息整ってないのか!?」

 

「……あ」

 

いつの間にかゴール板を駆け抜けた後でコースをグルリと一周していたらしい。慌てて足を翻し、ウィナーズサークル目掛けて走る。こちらへ戻って来たゼファーを見て、観客達の声援もより一層大きくなったような気がした。

 

 

「す、すみません! その、少し考え事をしてて……」

 

「ん、何も異常が無いなら良いさ。でも息が整っているならレースの勝者は基本ウィナーズサークルへ、な?」

 

「本当にすみません。じゃあ──」

 

「あ、ちょっと待った」

 

頭を下げてウィナーズサークルへ向かおうとするゼファーを、柴中が呼び止める。「はい?」と再び柴中の方を向いたゼファー。

 

 

「レース終了後早々で悪いんだが、ウィニングライブが終わった後で話がある」

 

何のですか? とゼファーが聞く前に柴中から答えが返ってきた。

 

 

 

 

 

「次走──お前にとって初めてになる「重賞」レースについてだ」

 

 

 

*1
勝利数やレートに応じて一勝以下、二勝以下。レート500以上、レート1000以上……などなど、出走できる条件が決まっているレース。(ウマ娘世界表現)



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重賞 4/26

──クリスタルカップ──

 

 

短距離路線の充実化を図るために、春のクラシック級ウマ娘限定の短距離競走として創設された、中山レース場で毎年四月に行なわれる*1芝・1200mの短距離レースだ。グレードはⅢ。この時期のクラシック重賞レースである桜花賞(GI・芝1600m)・皐月賞(GI・芝2000m)の距離に適性がないスプリンターウマ娘が活躍できる舞台の一つとして知られている。

 

命名はそのまま四月の誕生石でもある水晶(クリスタル)および、中山レース場の第二スタンド「クリスタルコーナー」から。

 

 

 

「……要するにお前を含め、短距離路線に進む予定のウマ娘達が今後を見据えようと集まってくる訳だ」

 

柴中から差し出されたそのポスターをジックリと眺めながら、ゼファーは緊張で口に溜りつつあった唾をゴクリと飲み込んだ。

 

 

「重賞レース……」

 

「ああ」と柴中は頷いた。チームハウスであるキャロット城(命名ウイナー)の二階にあるトレーナールームだ。チームハウス自体もさることながらこのトレーナールームもウイナーの趣味がふんだんに盛り込まれているらしく、巨大な本棚に機能性を重視したレトロチックなソファー。使っているのかいないのか、動物を模した小さな置物がおいてある新品のように綺麗な木製の丸テーブルに、壁に粘着するタイプのクリップで挟まれた幾つもの紙束(書き込み多数)。窓には蒼くて薄いヴェールのカーテンが、そよ風を受けてゆらゆらと揺れていた。

 

まるで現代を生きる魔術師かなにかの部屋を思わせる、奇妙な雰囲気の部屋だ。──扉に『魔術師(トレーナー)の部屋』というルームプレートが取り付けられていたからそう感じるだけかもしれないが。

 

ポスターと共に出されたコーヒーを最初の一口以外口にせず、ゼファーは先ほどから思いを馳せるようにじっと、食い入るようにそれを見ている。

 

 

「今のお前の経歴からして、所謂格上挑戦になるんだが……。色々と考えた結果、次走はこのレースがベストだと判断した。聞くまでもないとは思ってるんだけど、出るか?」

 

「はい!! 勿論出ます! 出させて下さい!!」

 

ポスターを手に持ったまま、机を挟んで向かい側に座っている柴中に飛びつくような勢いでグイイッ! と机から上半身を飛び出させる。「お、おう」と柴中はそれに合わせて若干身を引いた。

……重賞レース、重賞レースだ。‘全力で走れる様になる,という事が最初の目標だったもやしっ子の自分が、トゥインクルシリーズの重賞レースに出走する事が出来るようになる──その日がこんなにも早く来ようとは。ふと白昼夢の可能性が頭を過ぎり、思わず膝の肉を手で抓ってみるが、ちゃんと痛かった。

 

 

「ん、了解。もう提出してある出走届けにそのままゴーサイン出しとく。……ああ、それだけポスターを見てたんだからもう分かってると思うけど、レース開催まで時間が無い。トレーニング時間をギリギリまで詰め込むぞ。覚悟は出来てるな?」

 

「はい! 頑張ります!!」

 

大きく頷く。今まで出た二つと違い、今度のレースは「重賞」だ。格付けとしては一番下のGⅢでも、一回も勝利出来ずにトレセン学園を去るウマ娘が数え切れない程いる魔郷。しかもターフは‘ダート,ではなく‘芝,。芝のターフ自体は今までのトレーニングで何度も走らされてきたが、本番を想定したそれはまるで違う物になると見て間違いない。

 

初めての重賞レースに、初となる芝のターフ。レース開催まで今日を含めても残りあと13日と色々無茶苦茶な気はするが、だからといって出ないという選択肢はハナから有り得ない。GⅠトレーナーである柴中が「ベスト」だと感じたのなら尚更である。

 

 

「うし、じゃあ早速トレーニングするぞ。取りあえずいつものジャージに着替えて、慣し用の芝のターフがある──」

 

柴中がそこまで口にした時だった。ドタバタという足音が近づいてきたと思ったら突如としてバァン! という大きな音を立ててトレーナールームの扉が勢いよく開かれ、廊下から一人のテンション高めなウマ娘と、それを追うようにダイイチルビーが部屋の中に飛び込んで来る。

 

 

「な──!?」

 

「お待ちなさいヘリオス! 今日という今日は許しませんわよ! そこに直りなさい!!」

 

「し、柴っちゃんヘルプミー!! ルビっちが、ルビっちがお嬢様がしちゃいけない顔しちゃってるよー!!」

 

「だ れ の せ い だ と 思 っ て る ん で す か このバカ!!」

 

般若のような顔で、見るからにギャルっぽい派手な、ただし決して見る人を不快には感じさせない様に工夫されているメイクをしたウマ娘に怒鳴り散らすルビー。確かにそのウマ娘の言う通り、世間一般で言う所の‘お嬢様,のイメージからはあまり考えられないような表情をしてしまっているルビーだが、どうやら原因はそのウマ娘の方にあるらしい。トレーナーである柴中は「またか」とでも言いたげな、呆れた表情で二人を見た。

 

 

「……一応聞いてやるけどさ、今度はなにやらかしたんだよお前」

 

「ちょっ! 柴っちゃんテンションダダ下ゲっ!? ドン引きしてないでマジ助っけてくださいおなシャス!!」

 

「……トレーナーを盾にしても無駄ですわよ。この部屋から出た瞬間があなたの最期と思いなさい」

 

「えちょ、イントネーション鬼ヤバっ!? タヒ(シャレ)じゃなくて(マジ)な方の「さいご」に聞こえるんですけど!?」

 

サササッ! と柴中の背後に駆け寄り、そのまま盾にでもするかのようにその背中に隠れるギャルウマ娘。ルビーもトレーナーである柴中の前だからか、それともこの部屋の重要性を理解しているのか、詰め寄って掴みかかったり、暴れたりする事はしなさそうだ。──興奮状態でも多少は話しが出来るならば、話しが早い。

 

 

「あの! すみませんルビーさん。差し出がましいんですが、一体何が?」

 

「──あ、あら。ご機嫌ようゼファーさん。……そういえばこの時間は次走に向けてトレーナーさんとミーティングしているんでしたわね……」

 

話し掛けられてようやくゼファーの事に気付いたのか、ルビーはハッとしたように表情と佇まいを正して軽く頭を下げた。

 

 

「大切なお話の邪魔をしてしまい、申し訳ありません。すぐにあのバカを連れて出て行きますので──」

 

「ああいえ、丁度ミーティングが終った所でしたから……。それで、一体何があったんですか?」

 

正直な話、ゼファー個人の感覚から言ってしまえば今のこの二人は放っておいてもあまり問題なさそうな気がする。柴中の言葉と表情から察するに「何時もの事」みたいだし、なによりあまり悪い風を二人の間からは感じなかった。今はただ激しく吹き荒れているだけに見えるのだ。何というか、某アニメの猫とネズミがケンカという名のじゃれ合いを常にしているような……。

 

 

「……その、すみませんがあまり詳細をお話しする事は……。大変お恥ずかしいのですが、これが原因とはいえ私の醜態である事に変わりありませんし──」

 

「醜態?」

 

思わず口から出てしまったその言葉に、ルビーは「しまった」とでも言うように口に手を当てる。‘これ,と言われたギャルウマ娘が「酷っ!?」と抗議するが「あ゛?」と一睨みで黙らさせられていた。

 

 

「え、ええ。別に大した事では──いや個人的に言わせて頂ければ大した事ではあるのですが、なんと言いますかその……。いつも通りの下らない事ですから」

 

なんだかバツが悪そうに髪を弄るルビーを見て、これまでの三人の言葉と様子、それから今まで培ってきた経験則から何が起こっているのか大体の当たりを付けたゼファー。それが合っているかどうか、また肝心の内容はどういった物なのかを改めて聞きだそうとしたのだが、どうやら「下らない」という表現は許容出来なかったらしく、ギャルウマ娘が柴中の後ろからヒョッコリと不満そうな顔を出した。

 

 

「えぇー!? いやいや下らないは無いっしょ! ルビっちが‘いつもアタシらがどんな事してるのか知りたい,ーって言うから久々にマジアガって色々教えたり実戦したりしたんじゃん!」

 

「ええ。確かに言いましたわよ? ‘トレーニングについて,どんな事をしてるのか知りたいという意味で。何を勘違いしたのか知りませんがゲームセンターだのカラオケだの10U*2だのさんっっざん振り回してくださいましてええ」

 

(あ、やっぱり心配なさそう)──とゼファーは心の中で独り言ちる。そもそも本気で仲が悪いのなら、折角の休日にワザワザそんな場所へ一緒に行く筈がない。

 

 

「……まぁその事については良いです。予想外の休暇でしたが色々と知見が広まりましたし、なんだかんだ楽しかったですから」

 

「でしょでしょー? 特にラストの寮の門限ギリッギリまで耐久したチキンレースカラオケなんかマジで超アガった! 楽しみがウチらの中で超バズってた気がする!!」

 

「──ええ、その最後のカラオケでの事について少しお話が」

 

ピキピキと額の皮膚を#の字に皺ませるルビー。言葉尻へといくにつれて、声が明らかに低くなっているのがよく分かる。……最初から分かっていたことだが、彼女はえらくキレていた。

 

*1
史実では現在(令和四年)既に廃止となっている。

*2
現実でいう109的な建物。



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重賞 5/26

ヘリオスのキャラが難しすぎてどうしましょうかこれ……。


「え、ええっと……」

 

「ヘリオス。あなたこう仰いましたわよね? ‘最近のJkがするカラオケはコスプレをして歌うのが基本,と。確かにコスプレ用の衣装がお店で貸し出されていましたし、後で裏も取りましたが少数派なれど間違った意見ではないようでわすね。ああ、当然その事について言ってるのでもありませんよ? 最終的に折れて了承したのは私ですし。普段の勝負服やステージ衣装なんかとは毛色が違いましたけれど、ああいった衣装を着るのは新鮮さがありましたわ」

 

「で、でしょ!? あの時のルビっちは映像を脳内ネット回線に乗せて世界中に拡散したいぐらいキュートで──」

 

「それは光栄ですわね。具体的にはこんな感じでしょうか」

 

そこまでヘリオスが言葉を紡いだタイミングで、その顔面に突きつけるかのようにルビーが取り出したスマホをヘリオスの方へと押しやる。そこに映し出されていたのは──

 

 

「うおおおっ! え、、エモさと尊みで目が眩むぅうう!! 一体どこの誰なんだこの超絶的美少女JKはっっ!!」

 

「私に決まっているでしょうが!」

 

そう、それは間違いなくダイイチルビーだったのだが、着ている服がおかしかった。……この言い方では語弊がありそうなので訂正する。普段のそれと違った。

 

まず基調となっているのは黒。漆黒と言えるほど濃くはないが、特段と薄い訳でも明るい訳でもない普通の黒色。肝心の服の種類は……なんと言えば良いんだろうか、薄いワンピースの生地を更に薄手にしてそれを何枚も重ねて着ることでふわっとした感じとフリフリした感じを両立しているようなそれだ。当然、ワンピースなのだからノースリーブでもあるのだが、腋の部分は見えないようにシッカリと布が当てられている。アクセントとしてなのか身体のライン、手首や肩の部分に沿うように紅い線が曳かれている──何というか、変わった服だ。

 

他にも靴は黒いロングブーツで、首から紅い宝石が埋め込まれたペンダントのような物を掛けていて、一番特徴的な物として、紅くてメカメカしいとても大きな機械鎌を手に持っていた。

 

普段はまず着ない、GⅠに出走する時の勝負服としてならなんとかギリギリ成立しそうな衣装に、もし本物ならウマ娘であっても取り回すのに苦労しそうな大鎌。……なるほど、詳しくは分からないが一見して何かのキャラクターのコスプレだと見て取れる。

 

 

「えっと……。これは?」

 

「お、なになにゼっちゃんも興味ある系?  『紅玉の薔薇』──ニチアサにやってるアニメ『ウマキュア』に出てくる、敵か味方か未だ不明の神出鬼没なお気楽系キャラなんだけど……この娘が見てて気持ち良いぐらいのパリピでね? 同じ道を歩むギャルウマ娘としてはマジリスペクト不可避っていうかー」

 

「おい待て、ナチュラルにゼファーを巻き込むな。っていうか話しが逸れてないか? 結局ルビーは何にキレて──」

 

なるたけ関わりたくなかったのか今の今まで無言を貫いてきた柴中が、ゼファーまで話しに巻き込まれそうな気配を感じてセーフティーに入る。もう毎度のことなので今更感があるが、彼女は今回何故──

 

 

「あ、あはは……。それはそのー……」

 

「……拡散されたんです」

 

「は?」

 

「ですから! 文字通り拡散されたんです!! このバカに! この私のコスプレ写真とカメラ映像を!!」

 

ルビーはスマホを手早く操作してトレセン学園の生徒専用のSNSアプリを開くと、あるウマ娘が使用しているグループラインでのやり取りを柴中へと見せた。内容は大体こんな感じである。

 

 

 

『コスプレしたウチの(重用)お嬢様がエモすぎて精神がデジたんになった件』

 

 

‘マジしゅき……,

 

‘証拠はよ,

 

‘またかよ,

 

‘一体何イチルビーお嬢様なんだ……,

 

‘はいはいノロばなノロばな,

 

‘証拠はよ,

 

‘本人の知らないところで今日も弄られるお嬢様マジ可哀想(飯ウマ),

 

‘つーかアンタホント好きだねぇ。題に名前出す時は必ず『ウチの(重要)』付けるし,

 

‘嫁なんだから当然っしょ?(真顔),

 

‘ヤベー奴じゃん,

 

‘お前そんな事ばっか言ってるといつか華麗なる一族に消されるぞ……,

 

‘証拠はよ!(バンバン!),

 

‘うっせーぞデジたん(偽)本物と同じようにとっとと尊死してろ,

 

‘辛辣すぎてウケるww,

 

‘ってかそもそも何のコスよ。どーせいつも通りアンタの方からゴリ押したんだろうし、そもそもあのお嬢様が攻めた服なんて着るわけないから精々ナスかチアかってとこじゃね?,

 

‘ほいほい(証拠),

 

‘紅薔薇じゃんwwwwww,

 

‘ネーミング繋がりwwww,

 

‘ウマキュアかよ! え、マジで? クッソ丁寧なコラとかじゃなくて?,

 

‘こいつにそんなテクあるわけねーだろ(無慈悲),

 

‘うそでしょ……うそでしょwwwwww,

 

‘顔真っ赤じゃん…………良いな,

 

‘それなのにポーズはシッカリ原作通り決めてるのプロ意識高い……高くない?,

 

‘あっ(尊死),

 

‘死ぬのがおせーぞ。本物なら写真見てからコンマ1秒と経たずに死んでるわ,

 

 

 

 

「うわぁ……」

 

何というか色々と酷い物を見たような気がして、柴中は頭を抱えた。何が困るかつ大問題って、この頭の痛くなるようなやりとりがルビー本人の承認を得て行なわれているという事だ。

 

当時も当然のように巻き込まれた柴中はよく覚えている。そもそもの始まりはヘリオスが「ルビっちの事をギャルメンと話したい! 語りたい!」と言い出した事だった。当初「好きにすれば良いでしょう」と特に気にもせず承諾したルビーだが……。それから数日経って、彼女はある異変に気付いた。周囲の自分を見る眼と態度がおかしいのだ。功労者を労るような言葉を掛けられたり、苦労している者を見る同情の眼を向けられたりとそれだけでも違和感があるが、今まで話したことも無かった(ヘリオスを除く)ギャル系のグループからやたらと声を掛けられたりトレーニングに誘われたりしだしたのである。

 

……ルビー自身になにかした覚えが無い以上、思い当たる可能性は一つ。即ヘリオスを問い詰めた結果、あっさりと理由が判明した。ルビーに了承を得てからというもの、彼女はルビーの事を頻繁に会う事が出来る友人は勿論、様々な理由で同じ学園に所属しているのに中々会えない友達にまでこのSNSを通じて文字通り語り通していたのである。内容も「ここがしゅき」だの「ルビーしか勝たん」だのとかいう、なんか色んな意味で頭の痛くなる物ばかりだった。思わず苦虫を噛みつぶしたような表情になったルビーだが、ヘリオスが友人として認めている(実は)良識あるウマ娘ばかりのグループだったのもあって話しが広まった所で特段として実害が無かったのと、ヘリオス自身が猛烈に頼み込んできたのもあって‘話しを大袈裟にしない事,‘あまり頻繁に語らないこと,‘最低限の空気を読むこと,を条件にSNSで自分の話をする事を認めたのである。

 

 

……まぁその結果がこれなのだが。

 

 

「ヘリオス、あなた肖像権とかネットリテラシーという言葉をご存じですか? ご存じですわよね? カレンさんやデジタルさん程ではありませんが、あなたも各種SNSに相当詳しい方ですもの。知らないとは言わせません。──それで、私はあの時写真を撮られているということすら知らなかったのですが、何 か 言 い 残 す こ と は ?」

 

「うっそだろ、お前これ隠し撮りかよ!?」

 

「マジすみませんっしたっっっ!! あたしってルビっちの事になるとなんかこう、エモさが頭のなかでパニクってINTとEDUにちょーヤバいデバフが掛かって魂がバーサーカーになっちゃうんです許してつかぁさい!!」

 

「ダメですよ? 親しき仲にも礼儀ありです。隠し撮りも勿論ですが、信頼に値すると思った方々にだけ見せるにしても、ちゃんと事前に本人の了承を取りましょう」

 

下手をすれば反省文や学内の清掃を通り越して謹慎処分になりかねないような事態を引き起こしていたヘリオス(土下座中)に柴中は呆れ、ゼファーは真摯に叱り、ルビーは怒りの様な呆れのような、どうしようもないダメウマ娘を見るような眼で彼女を見る。

 

 

「まったく……。私の優雅さと美しさに我を忘れてしまう方がいらっしゃるのは仕方のない事ですから良いとして、写真をネット上にアップするのであれば本人ないし権利者の許諾を得るのがマナーです。あなたは確かにバカでパリピですが、決してマヌケでも非常識でもないのですからその辺は理解しているでしょう」

 

「あい……。すみません……」

 

(あ、勝手にプライベートな写真を撮られたのは怒ってないんだ)

 

ならばやはりこの二人の関係は一方的なそれではなく、互いに気心の知れた仲なのだろう。どんな出会いとやりとりがあって、その結果どんな因縁が出来たのかは知らないが、きっと浅はかならぬそれの筈だ。

 

 

「どうする? お前がそんなに気になるなら──」

 

「どうにもしなくて結構ですよ。このバカのパリピノリに苦言と忠言と正論を言ってやりたかっただけですので」

 

そう言ってルビーは絶賛土下座中のヘリオスの首根っこをムンズ、と右手で掴んだ。

 

 

「ご計略中の所、大変失礼いたしました。ゼファーさんとトレーナーさんには後ほど改めて謝罪をさせていただきます」

 

「あ、はい」

 

「あ、あの。ルビっち締まってる。首が絶賛ツラたんなんですけど」

 

そのままズルズルと、まるで大きな猫でも引きずるかのように入り口ドアの方へと引っ張っていく。ヘリオスが苦しそうな表情で何か言っているが、無視である。

 

 

「取りあえず数日の間SNS系アプリやサイトの使用停止。それからあなたの様なバカパリピでも常識的かつ高貴な振る舞いが出来るよう各種マナー講座に強制参加。それから当初の目的だったトレーニングの内容暴露とそれを踏まえた合同トレーニング。これで手を打ちましょう。過ぎたことをいつまでもネチネチと引きずるのは美しくありませんから」

 

「私は絶賛引きずられてる最中なんですけどね!? あとSNSとトレの事は兎に角として、マナー講座とか多分正座をする時並に眠気がキャパい予想なんで勘弁「初心者向けの物で、講師は私とパーマーさんですが」良識王に私はなる!!」

 

嫁(一方的な自称)のルビーと、大親友を越えた大親友(ズッ友をこえたズッ友)と公言するメジロパーマーの名前が出て来た事でやる気がアガったのか、引きずられたまま大きく宣言するヘリオス。調子の良い彼女を見て「はぁ……」と大きく溜息をついたルビーと共に、彼女達はトレーナールームを後にし──

 

 

「──ちょっと待った」

 

 

──後にしようとしたところで、柴中から声を掛けられて止まった。……割と真剣な表情だ。「なんでしょう?」とルビーが返す。

 

 

「ああいや、別に大した事でも無いんだが──

 

 

 

 

 

──その合同トレーニング。ゼファーも参加させてやってくれないか?」

 

 



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重賞 6/26

「はぁっ……! はあっ……!」

 

肩で息をしながら、ゼファーは何時もの通りゆっくりと歩きながら、急くことなく呼吸を整えていく。──そうしなければ今にも倒れ伏してしまいそうになるからだ。

 

プロトレーナー(柴中)の適切かつ効率的なトレーニングやその他指示などもあってか、休養寮を出る前と比べて少しは体力が付いたという自負があるが、一生懸命全力で走るとどうしてもこうなる。それはレース本番だろうが、トレーニングだろうが、模擬レースだろうが変わらない。ゼファーにとってはどれも等しく‘一生懸命全力を持って当たるべき事,である。

 

 

「お疲れ様です、ゼファーさん。……スタミナの方はまだ大丈夫ですか?」

 

ゼファーと同じく、歩きながら息を整えていたルビーが声を掛けてくる。その声は多少の乱れこそあれど普段と変わらず優雅で、疲労している様子はあれど美しさは変わらず、身体から漂わせている気配はまだまだ陰りを見せていなかった。──まだまだ余裕がある何よりの証拠である。

 

 

「は、はい! えっと、そうですね……。今からなら10分……いえ、7分ほど身体を休めさせて貰えればまだいけると思います」

 

「……初めてチームでトレーニングをした時から思っておりましたが、あなたは本当にガッツがある方ですね……」

 

ルビーはチームステラでゼファーの歓迎会を行なった翌日の事を思い出す。早速とばかりにゼファーを加えたチーム合同でのトレーニングが行なわれたのだが、そこで彼女は800mの距離をウイナーを除くチームメンバー全員と一人ずつ、合計4800mもの距離を併走をさせられた。新バ……それもスプリンター向きの脚質をしているウマ娘にとっては、あまりにも長いと言わざるをえない距離だ。流石にどうかと思ったのだが、チームのリーダーであるウイナーが特に反対しなかったため、結果としてあまり反論する事が出来なかった。

 

最初こそ良い走りを見せた物の、距離を重ねるにつれてドンドンと足のキレが鈍っていくゼファー。一応、一走事に休憩を設けてはいるのだが多少休んだところでなんとかなる物ではないし、そもそもゼファーは今まで体質異常が原因でスタミナが成長せず、結果として碌なトレーニングを積めていなかった休養寮出身のウマ娘である。無論、ゼファー以外のチームメンバーも同じルールで全員と一人ずつ併走を行なっているのだが、同じ条件だからこそ基礎体力の差という物が大きく響く。一回限りなら兎も角、この形式では勝負になる訳が無い。

 

5番目の相手としてルビーが併走した時には、800mという短距離にも関わらず大差に近い差が付いていた。『そりゃそうだろう』とチームメンバーのほぼ全員が似たような表情で第6走となるシンコウラブリィとのそれを見守ったのだが──そこで、思わず目を見張ってしまうような事態が起きたのである。

 

 

『──たぁあああああああああああああああああっ!!!!!』

 

『──(H)(a)(A)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(a)(h)!!!!!』

 

第5走でルビーに大差負けしたゼファーが、ラブリィとの競り合い勝負では信じられないような粘り腰を見せつけたのだ。断っておくが、決してラブリィがゼファー並に体力が無いもやしっ子だとか、ゼファーがここまで手を抜いて走っていただとか、そういう事ではない。

 

典型的な追い込み型であるルビーと違い、現状のゼファーとラブリィの走りとその位置取りが‘全く同じ,だったのが大凡の原因だろうと、トレーニング終了後に柴中は言った。‘誰よりも頑張ろうとする,‘全力を越えた全力を出そうとする,ゼファーの性質から考えて、競争相手が分かりやすい、捉えやすい位置にいるというのは良い指針になるらしい。──‘彼女よりも前に行ければ勝ちだ,という単純な理論である。

 

結果としてその併走も最後の最後にスタミナ切れで力尽きて1バ身以上の着差が付いてしまったが、競り合ったラブリィは勿論、それを見ていたチーム全員がゼファーの事を改めて仲間として認め、既にトゥインクルシリーズから退いているウイナーとアキツテイオーはシリーズでの活躍に期待を寄せ、いずれシリーズで対決する事になるだろうルビーとフラワー、そしてラブリィはその頑張りと走りを称えつつも早速内心で対抗策を講じだし、本格化前で同じシリーズを走る事が難しいアケボノとカレンは今の自分達に取り入れられる物は無いだろうかと考えを巡らせ始めた。

 

無論、肝心のゼファーも今の自分の実力という物(6戦6敗という結果)をシッカリと噛みしめ、それでも『少しでも早くこのチームに相応しいウマ娘になりたいです』と素晴らしい気概をもって全員に宣誓した。……要するにその日の併走トレーニングは色んな意味で大成功となったのである。

 

当然、その次の日からも様々な形式でトレーニングが行なわれたわけだが、ゼファーはその度に呆気なく力尽きて倒れ伏し、そしてその状態から驚異的ともいえる粘りとガッツで立ち上がっては、定められたトレーニングノルマをこなしていったのだ。

 

 

──凄まじいガッツの持ち主。それがここ数週間のトレーニングを通して出来た、チームステラ全体としてのゼファーの総評だった。

 

 

「い、いえいえ! そんな……。私はただ、やりたい事を全力でやらないと気が済まないってだけですよ。『まだやれる!』って心と魂が叫んでるから、それならもう少し頑張ろうかなって、頑張ってるだけなんです」

 

「……そうですか」

 

「はい!」とゼファーは照れた表情で頷くが、果たしてその意気と気概だけで立ち上がることが出来るウマ娘など、この猛者ばかりが全国から集う中央トレセン学園でも何人いることやら。まさか常に‘レースハイ,や‘トレーニングハイ,みたいになっているという訳でもないだろうに。

しかも、しかもだ。その上でゼファーは──

 

 

「──? あの、ルビーさん? どうかされましたか?」

 

ジッと、何か遠くへと思いを馳せるような表情で自分を見てくるルビーの心情があまり読めず、素直にどうかしたのかと問うゼファー。ルビーは質問に対して軽く首を横に振ると

 

 

「……いいえ、何でもありません。どこぞの誰かさんにも見習って欲しいなと、そう思っただけですので。──ねぇ、そう思いませんか? ヘリオス」

 

「ヴッフ……。脚のニュー酸菌がパンパンでマジヤバタニえん……。気分上昇↑させる為のウェイすら唱えられないのでヒールプリーズ……」

 

自分達の数メートル先で地面に這い蹲っているヘリオスに向けてそう言った。長距離走用(ウマ娘基準)に整備された芝のターフの上だ。典型的なスタミナ切れを起こしたヘリオスのその姿に親近感を覚えるゼファーだが、ルビーはゼファーを労るのとは真逆に、いつも通りのバカを見る眼で(呆れた表情で)彼女を見つめるだけだった。──それもその筈。

 

 

「まずは超長距離走(ランニング)だって一番最初に言ったでしょう。しかもこれはゼファーさんに芝のターフに慣れて頂くための物なんですよ? なにコンセプトを無視して大逃げした挙げ句、力尽きて倒れてるんです? あなた本気でバカなんですか?」

 

「ゴホァア! ……る、ルビっちそれ追撃……回復じゃなくてトドメだから……」

 

「こんな言葉がトドメになるほど、あなたの煩わしさはヤワじゃないでしょう。常にそう思っている私が保証します。……なんならこの際どこまで耐久出来るか試してみますか?」

 

「もう止めて! 私のライフはとっくに0をオーバーしてマイナスよ!!」

 

芝レース未経験のゼファーの為に『まずはランニングを行なって脚に芝の感覚を染みこませる』ことにしたルビーと柴中なのだが……。あろうことか二人のトレーニングに付き合っている身であるヘリオスが、レースさながらの大逃げをかましたのである。『ウェイウェーイ!!』とコンセプトをガン無視してテンションアゲアゲで逃げるヘリオスを見て、ルビーがまたキレるのではと若干思ったゼファーだが、彼女は『あのバカ……』と小さく呟いただけで、トレーナー室に飛び込んできた時のように全力で追いかけるような事はしなかった。『あれは無視して結構ですので』と麗しい完璧な作り笑顔で告げると、ゼファーを先導するようにゆっくりと走りだし……色々とアドバイスなどをしていた時間も含めて合計一時間近く走って、今に至るという訳だ。

 

 

「オマケになんですか、その優雅さの欠片もない倒れ方は……。いや別に今更あなたに優雅さなど期待していませんが、あなたもしかしなくても意図してその倒れ方をしてますよね?」

 

「え、マジ? ルビっち知らないの? 『蹄鉄のウマ娘Season2』に出てくる「団長」って呼ばれてるトレーナーの乙り際。ウマウマ動画とかウマチューブでメッチャバズってる奴。話しの内容は殆ど知らないけど団長とこのシーンだけは知ってるってパンピーも多いよ?」

 

「ワザと倒れたのかそれとも休んでる内に回復しただけなのかは知りませんが、あなたに実は余裕があるということはよく分かりました。とっとと起きろこのバカ」

 

ゲシィ! と軽くヘリオスの背中を軽く蹴るルビー。足蹴にされたヘリオスはヘリオスでそれを気にする事もなく「うぇーい」と気の抜けた返事をしてノソノソと起き上がった。

 

 

「あ、あはは……」

 

「自分のペースを度外視してハナから全力を出すとこうなるという悪い見本ですわ。ゼファーさんも、もし今後レースでこれみたいな大逃げウマ娘とやり合う事になった時はそれに付き合わず、自分の走りを保つことを一番に考えて下さいな。「離されている」という事実に焦ってしまうと、最悪共倒れになりますから」

 

「ゼッちゃんって頑張ろうとするその姿勢はマジリスペクト不可避なんだけど、その辺りちと注意した方がいいかもねー。ほら、レースって結局の所バトロワな訳じゃん? どれだけ長い間道中で1位でも、ゴールする時に1着だぜウェイウェーイ! じゃなきゃあんま意味ねーからバチバチに張り合う必要がねーっしょ的な?」

 

「パーマーさんと模擬レースをすると両者共にハナを譲らんと張り合って、その結果結構な確率で先行集団を道連れに自爆する方の言葉です。是非参考になさってください」

 

「今日のルビっち何時にも増して辛辣すぎワロ「はい?」すみません原因が私なのは分かってます……」

 

「…………あの」

 

途中まで口から出かかったその質問を、ゼファーは飲み込んだ。ここでそれを口に出すのは、少々空気が読めていないと察したからだ。

 

 

「どうかされましたか?」

 

「……いえ。どうせ休憩するのなら、シッカリとした方が良いんじゃないかなって」

 

──もしかして、それを分かりやすく教える為にワザと大逃げを? なんて。それをヘリオスのようなウマ娘に、彼女が嫁と自称するルビーの前で問うだなんて。

 

 

「おお! 良いねゼッちゃん!! そうそうこんな所で希望の花を咲かせている場合じゃなかったっしょ! フラワーちゃんとボノボノ特製の激うまレモンウォーターが私を待っている!!」

 

「ちょっ──! お待ちなさいヘリオス!! っていうかあなたやっぱり余裕が残ってましたわね!!」

 

ダダダダダーッ! と優雅さの欠片もない表情と走りでヘリオスを追うルビーを見てクスリと笑いながら、ゼファーはたった二人から今教わった通りに、自分のペースで二人の後を追っていく。

 

 

 

 

「……なにやってんだあいつら」

 

チームメンバーであるルビーとゼファー、そこにヘリオスを加えた三人の合同トレーニングを遠くから見守っていた柴中は、ゼファーを置き去りにして猛ダッシュで芝のターフを駆けるヘリオスとルビー(バカとお嬢様)を見て思わず呟いた。三人がトレーニングをしている芝のコースの一つ内側にあるダートコースだ。三人と分かれる前に「まずは至極単純なランニングから入るように」と一応の指示を出しておいた筈なのだが……。

 

 

「トレーナー」

 

三人の様子を遠目に見ていた柴中に、後ろから声が掛かる。──こっちのコースで柴中が直接トレーニングを見ていたシンコウラブリイだ。

 

 

「ん、終わったか?」

 

「ああ、全て完遂しタ」

 

「そうか」と軽く頷いて、柴中はダートコースを──より正確にはダートコースの地面を見る。幾つもの足跡が、抉るようにコースに刻まれていた。それも、まるで計ったかのように均一な大きさと深さだ。……言うまでもなく、ラブリイの仕業である。大きさと深さは‘怪物,と謳われたオグリキャップのそれほどではないが、数があまりにも多い。コースのそこら中に穴がボコボコと空いていて、まるでモグラか何かの土棲生物の群生地のようになっている。

 

 

「次の指示をくレ。例えなんであろうガ、こなしてみせよウ」

 

(……何度見ても、信じられない維持能力の高さだな)

 

まだまだ余裕がありそうなラブリイ。その結果を予想する事は出来ていた筈なのに、驚く事しか出来ない柴中。……直線コースを使った500mダッシュ10本。彼がラブリイに出した指示は、そんな実によくあるトレーニング内容だった。──‘最初から最後まで常に全力で走り抜け、尚且つタイムを落とすな,という滅茶苦茶な一文が最後に付かなければ、の話しだが。

 

……そして至極当然のようにそれをこなすのだから、誰だって驚くだろう。

 

‘サイボーグ,と評されるミホノブルボンの機械めいたそれとはまた違う。24時間365日、常時ベストな走りをすることが出来る。その状態を保つことが出来る。まるで常在戦場の戦士のような在り方だ。彼女曰く、自分はケルト神話における愛多きかの女王に仕えた戦士の一族の末裔で、幼い頃から戦士としての心得を学び、修行を積んできたという話しだが、それがそのまま彼女の走りに直結しているんだろうと、柴中は考えている。

 

分かりやすく言うなら、レース及びトレーニングの最中において「不調」並びに「絶不調」状態の「影響を受けない」と言えば、彼女のヤバさが伝わるだろうか。一種のチート染みた話しだが、それがシンコウラブリイというウマ娘の最大の武器であり、他のウマ娘にはない彼女独自の強みだった。

 

 

──そして

 

 

「うし、じゃあ今日のコースを使ったトレーニングはこれで終わり。残りの時間はアケボノとカレンと一緒に室内プールを使ったスタミナトレーニングをしといてくれ。あ、先に言っとくけど、泳ぐんじゃなくて歩くやつな。6時になったら上がってくれ」

 

「……了解しましタ」

 

素直に頷いてはいるが、若干の不満が声と表情から滲み出ているラブリイ。戦士である事に拘る彼女の事だから「上官」である自分の言葉を違えるような真似はしないだろうが、まだまだ余裕がある、もっと激しいトレーニングがしたい、という内心が透けて見える。

その気持ちはよーく分かるが、たとえ希有な才能と能力を持っていたとしても彼女はまだ未出走の新バだ。あまりハードなトレーニングをし続けるのは禁物──というのも勿論あるが、一番の理由として──

 

 

「困るんだよなぁ……」

 

あまり彼女を早々に育成したくない(・・・・・・・)。それこそが彼女のトレーニングを積極的に行なわない最大の理由だった。

 

 



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重賞 7/26

『──さぁ、今年も桜の季節がやって参りました京都レース場。淀に咲き誇る桜達に見守られながら、女王の栄光を手にするのは誰になるのか!!』

 

京都レース場──文字通り、京都府京都市伏見区にあるウマ娘レース場だ。最寄りである京都本線の淀駅から(よど)レース場、あるいは単に(よど)と通称される事も多いそのレース場に、ウマ娘レースファンにとっては聞き慣れたプロアナウンサー(女性実況者)赤坂(姉)の声が拡声器から響く。そしてそれに呼応するかのように、観客の声援はワァッ! と強くなった。レース開始までまだ時間がある……パドックへの入場すらこれからだというのに、この盛り上がりようだ。──それもその筈。

 

 

『本日のメイン。クラシックレース、ティアラ路線が一冠目‘桜花賞,いよいよ開幕です!!』

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアッッ──!!』』』

 

今日はGⅠレースの開催日。それも、一生に一度しか出走する事の出来ないクラシック級レースの一つ──‘桜花賞,の開催日なのだから。

 

 

「‘クラシックレース,と一口に言っても、その形や路線は様々だ。‘クラシック競争,なら、皐月賞、日本ダービー、菊花賞の『クラシック三冠』と、桜花賞、オークス、エリザベス女王杯*1の『ティアラ三冠』レースの事で間違いないんだが、ジャパンダートダービー*2を筆頭とした『ダート三冠』や、新生マイル王決定戦のNHKマイルカップ。他にもクラシッククラスじゃないと出走できないレースはゴロゴロある」

 

「どうした急に」

 

どうもこいつは気が高まると考えている事が口に出る癖があるな、と内心思いながら、青年は自分の隣に座っている友人にいつものようにツッコミを入れる。「いや別に?」と、逆になんでそう聞かれたのか分からないといった顔で言われてしまったが、それ以上ツッコむ気も無かった青年は「そっか」とそれで一旦話しを区切った。

 

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアッッ──!!』』』

 

「……俺らが言える事じゃないけど、盛り上がってるなぁ」

 

「そりゃそうだろう。強いって言われてるウマ娘が沢山いる今年の桜花賞はな」

 

一人、また一人とパドックへと入場してきたウマ娘達を見て更に声援を強める周囲の観客に、少し気圧されつつも深く共感するような表情で頷く。今はまだ冷静でいられているが、いざレースが始まったら自分達も夢中でレースに魅入ってしまうこと間違いなしだ。

 

 

7戦3勝、内重賞2勝で、GⅠレースの阪神ジュベナイルフィリーズでも3着に入った‘ミルフォードスルー,

 

3戦3勝、重賞はこれが初挑戦だが、とんでもない末脚を持っていると評判の‘シスタートウショウ,

 

6戦3勝、内重賞2勝、前哨戦であるチューリップ賞こそシスタートウショウに敗れたが、それでも彼女より人気が高い‘スカーレットブーケ,

 

6戦4勝、内重賞2勝、ここまで入着外経験一度も無しの‘ノーザンドライバー,

 

 

全員が全員、疑いようもない実力派ウマ娘ばかりだ。『今年の桜花賞は、極めてハイレベルなレースとなるだろう』と専門家がテレビで言っていたのを見たが、そんなことちょっとばかりコアなウマ娘レースファンなら誰でも分かる。正直な話、前記したウマ娘は誰が勝ってもおかしくない。

 

──とはいえ、やはり一番期待をされているのは文字通り一番人気の娘な訳で──

 

『さぁ、今パドックに姿を現しました! ここまで無敗の5戦5勝、内重賞2勝! ファンからの通称で‘シンデレラ,と言われている彼女ですが、真にそうなることが出来るか! 本日の一番人気、イソノルーブル!!』

 

「おっと、ようやくか」

 

「イソノルーブルだな。これで‘五強,全員がパドックに揃った」

 

「ああ、こっからは余計な考察は無しだ。素直に楽しむとしようぜ」

 

これまでで一番の盛り上がりを見せる周囲の観客を余所にまるで有識者か何かのようにうんうんと頷いている二人だが、誤解する事なかれ。備わっているの知識や考察力は兎も角として、実際にはなんの変哲も無い、どこにでもいるただのウマ娘レースファンである。

 

 

 

 

「…………来ましたか」

 

黒を基調とした、‘教会にいる修道女(シスター),のイメージそのままの修道服(勝負服)。彼女──シスタートウショウの勝負服は、他のウマ娘のそれと比べると確かに少しばかり地味ではあった。レースでかかる負荷に耐えられるよう本来のそれとは比べものにならないぐらい頑丈に作られてはいるものの、それは彼女が普段使っている修道服をそっくりそのまま勝負服用に仕立てた──見た目としては本当にただの修道服なのだから。

 

刺繍を入れたり、もう少し遊び心がある工夫をしても良いんじゃないかと友人や教職員に言われたりもしたが

 

‘勝負服がそのウマ娘の夢や在り方を現す物だと言うのならば、私にはこれしかありません,

 

と、シスターは頑として普段使いの地味な修道服をそのままコピーする事を仕立屋に望んだ。数々の勝負服を仕立ててきた歴戦の仕立屋も、こいつにはそれが一番良いと頷いた。

 

清楚で清純──だけど、だからこそ、少しばかり近寄りがたい聖女のような雰囲気を醸し出しながら観客に優しく手を振っていたシスタートウショウは、イソノルーブルがパドックに姿を現してから暫く間を置いて彼女へ話し掛けに行った。シスターや他のウマ娘達同様、手を振ったり笑顔を見せたりと自分に出来うる限りファンの声援に応えていたルーブルだが、自分の傍へとやって来たシスターを見てそれを中断する。

 

 

「シスターさん……」

 

「ご機嫌よう、シスター・ルーブル。……三日ぶりですね」

 

URAが定めたグレード制度。その最高峰である‘GⅠ,レースへ出走するウマ娘は、トレセン学園によって開催日の数日前から特別休暇が与えられる。(無論、その分後から補修なり何なりはあるが)

トレーナーやチームの仲間達と共に、最後まで調整に励むも良し。最高の状態でレースへ挑むためにシッカリと休息を取るも良しだが、ほぼ全員に共通するのは、教室へ来なくなるということだ。

故に、クラスメイトでも同じレースに出走するのであれば、数日ぶりに顔を合せるという事態が起こりうる。特段、珍しくも無いことだった。

 

 

「一生に一度しか走る事の出来ない栄光あるクラシックレース、それに出走する事が許されるウマ娘は本当に極僅かです。……この桜の舞台であなたと競えることを、とても嬉しく思います」

 

「は、はい! あの、私もシスターさんや皆さんと走れるのを嬉しく思ってます!! ……思って、るんですけどぉ……」

 

「……やはり、自信がありませんか?」

 

観客は勿論、周囲のウマ娘達にも聞こえないような小声でシスターはルーブルに聞いた。真を突かれたのか一瞬ギョッと、その後すぐに気まずそうな表情になってルーブルは目を逸らす。

 

 

「じ、自信が無いというかその……。わ、私に似合うかなぁ(・・・・・・)って……」

 

「(──なるほど、そちらですか)……今言ったばかりですよ? 栄光あるクラシックレースに出走する事が許されるウマ娘は本当に極僅かだと。今ここにこうして立っている、その事実が何よりもあなたの実力を証明しています」

 

専門家曰く、URAが主催するトゥインクルシリーズのウマ娘レースに出走──ようは中央トレセン学園に入学し、デビューすることが出来るのが約65%*3。そこから1勝する事が出来る確率が全体の約35%。条件戦を勝ち上がり、0P戦まで昇格出来るのが全体の約3%。……たった3%だ。日本全国から猛者が集う中央トレセン学園のウマ娘の中でも、上澄みの上澄みの上澄みしか出走する事が出来ないのが‘重賞,という舞台なのである。

 

つまり、今ここにいるのは並み居る強豪をねじ伏せてその席を勝ち取った、これから先のウマ娘レース界を牽引する事を期待されている猛者の中の猛者。しかも近年稀に見るハイレベルなレースになると予想されている今年のティアラ路線で、イソノルーブルはその最有力候補と見なされている。

 

 

「そのあなたがあまりオドオドしていてはレース全体に影響が出かねません。‘もっと胸を張れ,だとか‘堂々としていろ,とは言いませんが、せめて「自分には不相応だ」と思うのは止めなさい。あなたが倒してきた方々に対して失礼ですし、なによりあなたの夢(その勝負服)が泣きます。……シンデレラになるのでしょう?」

 

ルーブルが着ているその勝負服を称えるように、シスターは言葉を締めた。

 

薄い蒼色を基調としたその勝負服(ドレス)。きっと世界中の誰もが知っているであろう、世界で最も高名な夢の創造者(エンターテイメント会社)が制作した、世界で最も有名なお姫様(プリンセス)の話し。自分も舞踏会に行きたいと願う彼女に魔法使いが与えたそれをそっくりそのまま──とは流石にいかなかったのか、各処にウマ娘を思わせる刺繍やアレンジが施されている──出来うる限り再現した、女性ならば誰もが一度は憧れるであろう特別な服(お姫様の服)

 

『──シ、シンデレラになりたい、です』

 

今でもハッキリと思い出せる。クラスメイト全員が初めて顔を合せたあの日。自己紹介をかねて担任の先生に自分の夢を語るよう言われた時。……クラスの殆どの方がお茶を濁す中、当時まだ知名度も実績も無い‘田舎の灰被り,だったルーブルは、言葉に詰まりながらもシッカリとそう宣誓した。嘲笑にも近いクスクス笑いが聞こえてきたりもしたが、ダイナマイトダディやヌエボトウショウを筆頭とした一部のウマ娘がそれを大いに称賛し、共感し、応援の意を示した事で。そしてなにより、彼女自身が模擬レースやトレーニングなどで圧倒的なポテンシャルを見せつけ、実績を積み重ねていったことで。‘田舎の灰被り,だったルーブルは今ではクラスメイトは勿論、学園の誰もが認めるお姫様(プリンセス)候補生となったのだ。

 

 

「あ、あれはその……! いや決してその場の勢いでとかそういうのじゃないんですけれど……!!」

 

「その栄誉と称号を手に入れるだけの実力(資格)を、あなたは持っています。似合うか似合わないかなど些細なことです。英雄や勇者となどと同様に姫もまた、みんなに‘そうなってほしい,と思った、思われた、思わせた人物がなるのですから」

 

「…………シスターさん」

 

シスターが言葉と紡ぐ度に、あまり元気がなかったルーブルの心と体に力が戻っていく。相手の信条を慮り、言葉で心を解きほぐし、身体に活力を取り戻させる。……この程度、幾人もの苦悩や懺悔を聞いてきたシスタートウショウにとっては造作も無いことだ。

 

 

「──だから、その衣装に相応しい走りをしなさい。あなたがシンデレラになるのではありません。あなたこそがシンデレラなのだと、ファンの方々に思って貰えるように」

 

「……はい!…………はい!!」

 

感極まってしまったのか、目尻に涙さえ浮かべながらルーブルは頷く。──これなら大丈夫だろう。安心したシスターはホッと胸をなで下ろし、今度は自分の言いたいことを言う事にした。

 

 

「最も、申し訳ありませんがこの舞台であなたに夢を叶えさせる気は微塵もありません。──勝つのは私です」

 

ルーブルは勿論、他のウマ娘達にも負ける気は無い。きっと、他の誰もが同じ気持ちだろう。──GⅠレース。それも、二度とは出られないクラシックの舞台だ。──それでも、負けるわけにはいかない。

 

 

「私は今日、このレースに勝ってこの場を神聖なる布教の場としてみせます。……怠惰と不純極まる娼館を、ものの数分で神聖なる布教の場としてみせたかの聖女の偉業(それ)には遠く及ばないでしょうが」

 

少しでも多くの人々に、清く正しい神の教えを。罪への許しを。悩める子羊に救済を。……その為に、自分はトレセン学園に入ったのだから。

 

 

「大丈夫です! シスターさんならきっと……!!」

 

「……取りあえず、涙を拭いて下さい。どんな結末になるにせよ、泣くのはレースが終わってからにするべきです」

 

万が一にも勝負服で涙を拭わないよう、服の内に忍ばせていたハンカチを差し出す。ルーブルはそれをありがたく受け取って、目尻に溜った涙を拭き取った。

 

 

 

 

パキッ

 

 

 

 

「……? シスター・ルーブル。あなた今なにか仰いましたか?」

 

「へ? いえ、別に何も……」

 

「……そうですか」

 

どこからか微かに聞こえてきた、この何かがヒビ割れるような音に不穏な物を感じながら、シスターは再び観客の声援に応えるべく観客席の方を向く。

 

 

*1
1996年にエリザベス女王杯が古馬にも開放され、秋華賞が新たにティアラ路線の最終競走として新設された。

*2
史実では本競走の設立は1999年。

*3
史実ではその年度に誕生したサラブレッドの内、JRAのレースで実戦デビューすることが出来る確率(と言われている)。本作では‘トレセン学園に入学する事が出来たウマ娘の中で,という意味の確率とする。



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重賞 8/26

 

「……あのな、フラワー」

 

「はい?」と、一体なにがおかしいのか分からないといった風な表情で、ニシノフラワーは柴中に返す。桜花賞の会場、京都競馬場の関係者席だ。桜花賞を含め、今日のレースにステラからの出走者は誰もいないが、基本的に中央トレセン学園所属のウマ娘並びにそのトレーナーは、各会場へ事前に電話などで予約をすれば専用の席を都合して貰える仕組みになっている。

 

(けん)──即ち、本番のレースを間近で見ることも立派な勉学であり、トレーニングの一環だからだ。

 

 

「確かに来年の桜花賞には十中八九お前が出てるし(というか出させるし)、そのままティアラ路線に舵を取るなら今年の桜花賞だけは間近で見た方が良いってお前を連れ出したのは俺だし、その礼としてお前が弁当を作って来るってのはまぁ分かる理屈なんだけどさ」

 

「はい! 色々とお忙しいのに、トレーナーさんがわざわざ京都まで連れて来て下さって本当に嬉しいです!!」

 

ニコニコと、純粋無垢で天真爛漫な子供の、それでいてどこか大人びた笑顔と態度と雰囲気でフラワーは柴中に頭を下げる。「ああうん、どういたしまして」と柴中はここまででもう何度も言われたお礼を軽く流しながら──

 

 

「けどさ────ちょっと、気合入りすぎだったんじゃないか?」

 

若干戸惑ったような声色でそう聞く。つい先ほど飲食可能な場所で食べ終わった、彼女から手渡されたお弁当の中身の事だ。柴中は人間であるからして、ウマ娘のそれと違って量はそこまで多くなかったが、内容が凄かった(ヤバかった)

 

一体どこから調達したのか、木製で直径約30×20の弁当箱──高い駅弁とかそういうのに使われる仕切り付きの高級感溢れるそれに、ご飯として海老、穴子、さやえんどう、錦糸卵が乗った、春らしさ溢れるちらし寿司。おかずには豚の味噌焼き、天ぷら(キス、筍、アスパラガス)、さつま揚げ、玉子焼き、サワラの西京漬け、筑前煮、菜の花の和え物。

 

……これはいったい何処の料亭で出してる期間限定(春)の高級弁当なんだ。と最初は思ったが、フラワーが「拙い自作」と言っている以上彼女の手作りで間違いないだろうし、何度も彼女達の料理を口にしてきた柴中には分かる。フラワーが本気を出せばこの位はやってのける、と。

 

 

「えっと……。確かにいつもよりも大変でしたけど、そこまでじゃありませんよ? 味噌焼きと西京漬けは焼き加減にさえ注意すれば基本下処理をして漬けておくだけですし、筑前煮と玉子焼きは作り慣れた物ですから。天ぷらは後片付けが少し大変ですけど、慣れれば平気です。むしろ個人的には時間が無くてさつま揚げが市販品になってしまった事に悔いが……」

 

「あっ、うん。凄く美味かったよ、ありがとうな」

 

何でも無いように語り、あまつさえ悔いが残る結果とさえ言いやがるこの小学生に、柴中はそれ以上言及するのを止めた。最悪、トレーニングやレースにさえ響かなければどの趣味をどんなレベルでやっていようが構いやしない。常日頃から図書室に籠ろうが、定期的に無人島に行こうが、ゲーセンに通い詰めようが、担当トレーナーに怪しげな薬を飲ませまくってネオン色に発光させようが、担当トレーナーとでちゅね遊び(?)をしていようが──倫理的に問題がある物が何個か混じった気もするが、それがそのウマ娘が望む行為であるのならば、なるたけ叶えさせてやろうとするのがウマ娘トレーナーという狂人(人種)である。

 

 

「……でもですね」

 

「ん?」

 

顔を少しばかり俯かせて、ポツポツと。彼女にしては珍しく小さくか細い、途切れ途切れの声色で告げた。

 

 

「その……。と、トレーナーさんとこうして……ふ、二人っきりで……お出かけするのって久しぶりでしたから、少しだけ気合が入ってたのは事実かもしれません……」

 

「…………なるほど」

 

それでようやく、柴中は察した。途中よく聞こえない部分はあったが、大体そういう事だろう。

 

 

「……俺さ、京都の町並みや風景って結構好きなんだよ」

 

「……? はい」

 

柴中が何が言いたいのか分からず、フラワーは小首を傾げる。

 

 

「ここだけの特別な和の雰囲気っていうか、そういうのがさ。盆地も盆地だから夏はクッソ暑いし、冬はクッソ寒いから住むのはごめんなんだけどな。……だからさ」

 

 

 

 

「──レースの見学が終わったら、少しだけ散策に付き合ってくれないか? お代は、俺のお気に入りの店の宇治金時……でどうだ?」

 

「……!! はい! あの、ありがとうございます!!」

 

パァアアアッ! と、まるでその名の通り花が咲いたような笑顔でフラワーは言った。……何の事はない。ようは彼女は自分のトレーナーに構って欲しかったんだろう。あまりにもシッカリしている態度と雰囲気についつい忘れがちだが、フラワーは本来ならばまだトレセン学園に入学することが出来るような年齢ではない。あまりにも飛び抜けた天才的な才能故に、飛び級という異例の事態でここにいる、小学生だ。

 

たまには遊びたい、誰かに甘えたい、構って欲しい──至極当然の願望である。フラワーの齢ならば尚更だ。自分があまりそういう質の子供ではなかったというのもあるが、どうも俺はこういうのに疎いんだよなぁ。と、柴中は彼女の内なる願望に気付かなかった自分に猛省する。……そう言えば最近は(半ば仕方が無いとは言え)朝から晩までゼファーに付き添ってばかりで、他のメンバーは各種トレーニングなんかは直々に見ても、それ以外の時間はあまり取ってあげられていなかった。

 

 

「あ、でも私にご馳走してくれるのなら、皆さんへのお土産も忘れちゃダメですからね? 特にカレンさんのは」

 

「分かってるって、ちゃんと可愛い京菓子を買ってくよ。前みたいにウマッターでさり気なーく呟かれて炎上一歩手前まで行くのはごめ──」

 

 

──ザワッ

 

 

(……なんだ?)

 

今ここにはいないカレンチャンへの軽口を叩こうとした柴中は、そこでターフの上、正確にはスタート地点のゲート前に集まったウマ娘達が少しばかりざわめいたのを肌で感じ取った。……嫌な感じのざわめき方だ。ゼファー風に言うならば、そう。

 

 

「……トレーナーさん」

 

「……あまり良くない風が吹いちまったかもな」

 

 

 

 

 

 

 

「すぅ……」

 

眼を閉じて深く深呼吸をし、レース前の最後の瞑想を行なう。緊張と昂揚でバクバクと際限なく高鳴る心臓の音を抑えることは出来ないが、それで幾分か気持ちは落ち着いた。……これまでに重賞は計二回出走してきたがやはりというかなんというか、GⅠレース(その最高峰)は色々と‘格が違う,。

 

 

「……はぁ」

 

ウマ娘レースに出走する理由は各々様々で、なかには中央に合格して重賞レースにまで出られる程の成績を収めておきながら「やる気が無い」どころか「勝つ気が無い」ような娘までいるらしいが、そんな娘だってきっと自分だけの想いと願いを胸にターフの上に立っている筈だ。

 

そんな強い想いと願い。そして祈り。身の内から溢れんばかりのそれを抱えたウマ娘が、今このターフの上には18人も揃っている。‘ピリピリとした空気,なんてもんじゃない。レース場全体を支配してしまいそうな気さえする、なんと表現したら良いのかすら分からないウマ娘レース独自の物。

 

 

「……よし」

 

全身に降りかかるそれらをはね除け、自分を最後まで押し通せた物こそが、勝者の資格を得る。──分かっている。よく分かっているとも。

 

 

「次ぎ! 4枠7番のイソノルーブル選手、最終チェックを行ないますのでこちらに──」

 

「はい!」

 

そうして彼女にしてはハッキリとした返事をして、係員の元へ歩いて行くルーブルには

 

 

──バキン!

 

 

「…………?」

 

その骨が折れたかのような音が、嫌に遠くから聞こえてきた気がした。……痛みはない。頭の先からつま先まで痛みはどこにもないのだが、足裏に違和感がある。

 

 

「……っ! ルーブル!!」

 

「えっ……。……あ」

 

なにやら随分と慌てたような表情でシスタートウショウが駆け寄ってくる。当事者であるルーブルの方が、その瞬間はむしろ冷静だった。彼女はルーブルの足下付近でしゃがみ込むと、それを大事そうに拾い上げる。──真っ二つに割れた蹄鉄だった。誰の物かなど、言うまでもない。

 

 

 

 

『──お知らせいたします。ただ今4枠7番のイソノルーブル選手に落鉄が発生したため、最装着の時間を取らせて頂いております。レース開始までもう少々お待ち下さい』

 

 

 

 

そのアナウンスを受けてザワッ──と、にわかにレース場全体が騒がしくなった。当然、動揺や心配が主だった要因なので、良い意味などではない。

 

 

「ら、落鉄って……蹄鉄? ってやつが蹄から外れる事だよね? 大丈夫なのかな?」

 

「大丈夫でしょ、大したことなんてないって。むしろ始まる前で良かったじゃない、レースの最中に落鉄するよりはマシでしょ。まさか予備を用意してないなんて事も無いだろうし」

 

高校生らしき女性客の一人が、一緒にレースを見に来ていた友人を安心させる様に豪語する。……確かに彼女の言う通り、最悪のタイミングではなかっただろう。予備の蹄鉄も、当然用意はしてあるだろう。──だが

 

 

「……なぁ、これってさ」

 

「ああ……不味いかもな」

 

丁度彼女達の隣の席に座っていた例のウマ娘オタク達(大学生男子組)は、それを理解してなお険しい表情のままだ。どこの誰とも知らない男達に自分の意見を一蹴されたようで内心「ムッ」となったその女子高生だが、わざわざ赤の他人に口出しするほどのことでも無いと──

 

 

「あの、不味いってなにがですか……?」

 

「ちょっ──!?」

 

本人はそう思っていたのに、肝心の心配していた友人が躊躇いなく聞きに行ききやがった。普段からオドオドしている割に人見知りをしない性格をしている娘だなぁもう! と色んな思いを込めてキッ──! と睨み付けてやる。(なお、睨まれた本人は何故そんな視線で見られたのか分からず普段通りにオドオドしていた)

 

 

「え? ああ……。確かに落鉄──蹄鉄がシューズの蹄に当たる部分から外れてしまう事をそう呼ぶんだけど、それ自体は珍しいことじゃない。さっきその娘が言っていた通り、レースの最中にだって十分起こりうる事だ。滑り止めの役割があるとはいえ、蹄鉄の有無がウマ娘の競走能力に決定的な影響を与えるかっていうと微妙なとこだしな──ただ」

 

「……蹄鉄っていうのは、ウマ娘にとって‘滑り止め,以上の役割が幾つもある大切な道具なんだ。蹄葉炎(ていようえん)なんかの蹄に関する病気の‘予防器具,蹄の過剰な摩耗や消耗を防ぐための‘防具,……他にも色々あるんだが、兎に角ウマ娘って生き物にとってなくてはならない大切な──道具の枠を越えた物なんだよ──だから」

 

 

 

(なんでっ……! よりにもよってこんなタイミングで……っ!!)

 

ガンガンという強い金属音がゲート前に響く。イソノルーブルが予備の蹄鉄を自分のシューズに打ち直している音だった。……ただし、それは明らかに‘打ち直している,と呼べるような行為ではない。

 

焦りからかハンマーを握る手には力が入りすぎてしまっているし、振るうタイミングとテンポも早すぎる。……まるで正しい打ち付けが出来ていない。もう何度も予備の蹄鉄をシューズに打ち込んで、その度に「今度こそ」と履いてみるのだが、何度やっても気持ちの悪い違和感しか沸いてこなかった。……これなら蹄鉄無しで走った方がまだマシだと思うぐらいに。

 

 

 

 

「──だから、それが外れたり壊れたりするとウマ娘は多少なりとも動揺する。……レースを無事に走りきる為の安全祈願。必勝祈願に厄払いみたいな‘お守り,としての役割なんかも、蹄鉄にはあるんだ」

 

「しかもイソノルーブルは‘精神的に脆い部分がある,ってもっぱらの噂だからな。……気が動転してなきゃ良いんだけど」

 

 

 

 

 

(なんでっ……! なんで……っ!!)

 

ガンガンという強い金属音がゲート前に響く。イソノルーブルが蹄鉄をシューズに打ち直し始めてから、既に五分以上が経過しようとしていた。……URAが定めた桜花賞のレース開始時間まで、もう残り五分も無い。既にルーブル以外のウマ娘は枠入り前の最中チェックを為済ませている。

 

 

「はぁ……。はぁ……っ」

 

それを自覚して更に焦る。焦れば焦るほど力が籠り、心臓は嫌な意味で高鳴って、それはいつしか彼女の体調やポテンシャルまでおも蝕み始める。……絵に描いたような悪循環だった。それを見て、このレースに出走するウマ娘の大半が悟る。──彼女は終わった(・・・・)。少なくとも1着にはなれまい。

超強力なライバルの不調に、チャンスだとほくそ笑む者。可哀想にと同情する者。これも時の運だと無関心を決め込む者。内心もその反応も様々だが

 

 

「シスター・ルーブル」

 

そんななか、蹄鉄を打ち続けようとするルーブルに背後から声を掛けるウマ娘がいた。──ルーブルを含め、学園のウマ娘達を「シスター・○○」と呼ぶウマ娘はたった一人しかいない。

 

 

「……シスターさん」

 

修道服を模した勝負服を着た、シスタートウショウその人である。何の様かと問おうとするよりも先に、彼女はある物をルーブルへと差し出した。……なんの変哲もない、どこにでもあるようなただのスマートフォンである。

 

 

「……あの、これは?」

 

「当然ですが、私の物ではありませんよ。ゲートスタッフの物を無理を言って拝借させていただきました。こういった電子機器類も勝負服に関連するような一部の例外などを除き、レースへの持ち込みは許されていませんから」

 

衝撃などで破損する可能性以外にどういう危険ないし不正の可能性があるのかは定かではないが、兎に角現在URAの定めた規定ではそうなっていた。(なお一部のウマ娘達が抗議中の模様)

 

 

「いや、それは分かりますけど……一体何の──」

 

「もう時間がありません、手短に話します」

 

今度こそ何の様かと問おうとしたルーブルに対し、これ以上余計な時間を取らせまいとシスターは再び先んじて口を開く。──レース開始まで、残り4分を切った所だ。

 

 

 

 

「──四の五の言わずに受け取りなさい。そして、とにかく話しなさい。あなたの魔法使い(トレーナー)に繋がっています」

 

 



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重賞 9/26

 

 

 

京都──芝1600──バ場状態「稍重」──天候「曇り」──第10レースGⅠ「桜花賞」──

 

 

 

──ガシャコン!

 

 

『スタートしました! 揃いました綺麗なスタートを切りました! 先行争いですが外を付いてノーザンドライバー果敢に出て参りました、しかし内の各ウマ娘、注目の一番人気イソノルーブルが現在四、五番手。内を回っては──」

 

「──つっぁぁあああああ!」

 

端っから全開で行くと言わんばかりにイソノルーブルが吠える。序盤も序盤、ゲートが開いてからまだ十秒と経ってはいないにも関わらず、彼女は既に全身全霊だ。作戦「逃げ」が己の脚質と合っているウマ娘にとって、序盤にハナを奪えるかどうかはかなり重要な勝利へのファクターである為、そうなること自体は分からない話でもないが──。少なくともルーブルのスタイルでは無いことは確かだった。

 

『やはりかかってしまっているのでは?』『冷静さを取り戻せると良いのですが』と実況および解説者はそうコメントする。確かにルーブルが「かかり」に近い状態になってしまっているのは間違いないが、今回の場合はそう悪く無い。──少なくとも、関係者席からオペラグラスを使ってレースを見ていた柴中はそう思った。ただでさえ「落鉄と、それに伴う精神的動揺」というハンデを背負って出走しているのだ。これを覆して勝利をもぎ取る為にはまず、多少無理を押してでも最高の位置取りをする必要があった。……それでも、何時ものようにハナを切ることは出来ていないのだが。

 

 

『先団4名から4バ身ほど開きまして中段です。内を付いて懸命にスカーレットブーケが差を詰める。中を突くように半バ身差ヤマノカサブランカ、その外を突いてミスタイランドの3名。更にその外から1バ身差でシスタートウショウ、そこから遅れましては──」

 

「……………………」

 

ルーブルを始めとした逃げウマ娘達が開始直後から飛ばしまくるのに対し、シスタートウショウはいつも通り自分の走り方(スタイル)を貫き通している。中段外目の位置をシッカリとマークし、最後の直線コースへ向けて脚を溜める。シスターの必勝パターン……と断言できるかどうかはレースへの出走回数が回数なだけに微妙だが、彼女はこのやり方で今までのトゥインクルシリーズのレースを無敗で飾ってきたのだ。

 

自分達のチームに所属しているウマ娘ダイイチルビーの追い込み(それ)と同じようで、やはり違うその細部。レース展開に合せた細かな位置取りや、残りの距離を逆算しての仕掛けるタイミングなどを、フラワーはシッカリと己が眼に焼き付ける。無論、それはシスタートウショウだけに限った話しではない。ここまで正確かつシッカリとした一線級ウマ娘の‘全力,が見られる(データが取れる)機会など、滅多に無いのだから。GⅠクラスのレース以外だと三年に一度行なわれるアオハル杯の決勝か、メディアやURAの筆頭株主達が主催する特別なレースが行なわれる時ぐらいだろう。

 

こうしてレースを見るのも立派な勉学およびトレーニングである──。フラワーは日々多忙な中でこうして時間を作って京都へと連れて来てくれたトレーナーの優しさを、欠片も無駄にする気は無かった。

 

 

『さぁ800メートルの標識を通過、頂上から坂に入ってこれから一気にペースが上がります! 先頭はトーワディステニーリードを半バ身ぐらい、そしてイソノルーブル、イソノルーブル単独2番手の位置に上がって参りました!!』

 

「位置としてはそこまで悪くはない、けど……」

 

「ああ、彼女(・・)だろうな。勝つのは」

 

二人組の大学生男子達がボソリと呟く。ルーブルの前にいるトーワディステニーを抜かせないだろうから、ではない(・・・・)

 

 

 

 

──ド ウ ッ ッ ! !

 

 

 

 

「────────はああぁっ!!」

 

(シスター、さん……っ!!)

 

『おおっとここでシスタートウショウ外を付いて早めに、そして一気に前へと上がってきた!!』

 

ほんの少し前まで中段の外目後ろに控えていたシスターが、いつの間にやら3番手の位置にまで上がってきている。

 

 

『シスタートウショウ! シスタートウショウ! シスタートウショウが先頭に立って先頭を向いた!! その内ノーザンドライバー!! その内にノーザンドライバーがいる!!』

 

──シスターが勝負を仕掛けたのは、残り800メートルの標識を過ぎる少し前の辺りだ。溜めた脚を解放してあっという間に前を走っていた八人中五人のウマ娘を撒り、絶好の位置で最終第4コーナーを回って最後の直線コースへと入る。シスターの進軍に気付いて同じく仕掛けた、更に言えばシスター以上に絶好の位置取りが出来ているノーザンドライバーのマークを物ともしていない。驚異的としか言えない脚だ。

 

 

(…………つっ!? わた、しは……!!)

 

『シスタートウショウ先頭! シスタートウショウ先頭! 内を回ってノーザンドライバー! スカーレットブーケも懸命に追い込む!! イソノルーブルは下がったか! イソノルーブルここまでか!!』

 

 

 

 

 

『シスタートウショウ! シスタートウショウ! そして2番手争いは──』

 

……直線コースに入る少し前あたりから、アナウンサーの興奮したような実況が嫌に耳に入ってきていた。

 

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアッッ──!!』』』

 

それに反して、空気を振るわす程の観客達の声援が全く耳に入って来なかった。

 

……理由は、自分が一番よく分かっている。

 

アナウンサーの実況がいやに耳に入ってくるのは、それを否定している自分がいるから。観客達の声援が全く耳に入ってこないのは、それどころではないから。

 

自分がトップ? 私が先頭? ……ああそうだろう。現実として間違いなく今先頭なのは他ならぬ私だ。2位のウマ娘にも2バ身以上の差を付けている今、このままいけば今期の桜の女王へ就任するのは自分で間違いない。──だけど。

 

 

 

「──あああぁっ!!」

 

だけどいる(・・)。いるのだ、確かに。自分の前に、そのウマ娘が。

 

 

「────あああぁっ!!」

 

例えそれが一時の幻に過ぎなくとも、私の眼にだけにしか映らないのだとしても、仮にそれを抜かした所で価値など無く、得られる物もなに一つとして無いのだとしても。

 

 

「──────らあああああぁっ!!」

 

意思が、本能が、願いが、その誰よりも尊くて美しいプリンセス(彼女の幻)を追い抜けと、あらゆる理屈を無視して叫び続ける。

 

 

 

 

 

「────────うおらあああああああああああああああぁつっ!!

 

 

 

 

そうして、私は必要以上の全身全霊をもってゴール板を駆け抜けたのだ。

 

 

 

 

 

『シスタートウショウ! シスタートウショウ!! シスタートウショウ2バ身のリードをとってゴールイン!!! ヤマノカサブランカ2着! ノーザンドライバー3着入線です!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

『シスタートウショウ! シスタートウショウ!! シスタートウショウ2バ身のリードをとってゴールイン!!! ヤマノカサブランカ2着! ノーザンドライバー3着入線です!! 勝ったのはシスタートウショウ! 今年も穢れ無き桜の女王の誕生だ!!』

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアッッ──!!』』』

 

「……こうなったか」

 

大きく沸き立つ観客達の声援が、レースの勝者である彼女へと向けられる。それに対してシスターはいつも通り、そしてこれまで通り、ヒラヒラと小さく優雅に手を振っていた。──これまでのそれと同じく、実に修道女らしい微笑みと共に。

それを関係者席から見ていた柴中はポツリとそう呟いた。断っておくが、別に深い意味など無い。職業が中央のトレーナーである彼にはある程度の勝者予想は開始前から出来ていた(別に今回のレースに限った話しではない)が、それが外れたという訳でもない。

 

強いて言うならば今回の桜花賞というGⅠレースを間近で見た一人の見届け人としての、ある種傍観者めいた……思わず口から出た呟きの様な物である。

 

 

「凄かったですね、シスターさん。最後の末脚もですけど、残り800メートルを切る直前での早めの仕掛けと、それを成功させる為の位置取りが」

 

「ああ、綺麗な早差しだった。完璧──というにはちと大袈裟かもしれないが、完勝符であることは間違いない」

 

パチパチと観客と一緒になってシスターへ拍手を送っていたフラワーが感想を述べる。当然、ただの観客ではなく中央のウマ娘──それも飛び級で入学してきた天才少女であるフラワーがただレースを夢中になって見ていただけな訳もなく、勝者であるシスターの走りや作戦は勿論、他の各ウマ娘のそれもシッカリと‘観,ている。特に「五強」と評されていたウマ娘達のそれは。

 

ノーザンドライバーは位置取りとペース配分はシスター以上だったが、早めに仕掛けたシスターに併せた結果、僅かにペースを乱されてしまったこと。スカーレットブーケは逆に自分のペースを保ちすぎてしまって、最後の追い込みが間に合わなかったこと。ミルフォードスルーはスタートに失敗した結果早々にバ群に飲まれてしまい、己の脚質とは合わない追い込みで戦わざるを得なくなってしまったこと。五強では無いが、2着に入ったヤマノカサブランカの事も勿論観ている。素晴らしい差し脚と内の付き方だったが、シスターの早差しには僅かに及ばなかったようだ。

 

 

「──それであの、ルーブルさんは……」

 

「……よくあることさ。酷だが、蹄鉄の最装着に失敗した事と、落鉄したままレースに出走する事がレース前に放送で伝えられただけマシだろう」

 

──このレースでイソノルーブルに落鉄が発生してから、唯一「幸いだった」と言える事がある。それは、レース開始時間までもう間もない数分の間に、ルーブルが現在どんな状況に置かれているかということを、アナウンスで会場に伝えられたということ。その上で他の出走ウマ娘や関係者諸々の時間や都合などを考慮してレースは時刻通りに始め、イソノルーブルは本人の強い希望もあって落鉄したままレースに出走する峰を、彼女のトレーナーを通して連絡することが出来たということ。

……既にターフにいた彼女がどうやってそれを自分のトレーナーに伝えたのかは定かではないが、仮にそれが出来ていなかった場合、かなり面倒臭い事態になってしまっていただろう。現に今でも観客席から汚い野次を飛ばすような心ない観客が僅かにいるのだ。その殆どが実際に走ったルーブルへではなく、落鉄してしまった上に一種の興奮状態にあるルーブルをレースへ参加させたURAへの批判を叫んでいる事を鑑みるに、最悪の場合URAへの起訴──裁判沙汰になっていたかもしれない。

 

 

「……でも」

 

何か言い淀むように、フラワーが口を開く。彼女が言葉を紡ぎやすいように、柴中は「なんだ?」と問いかけてやった。

 

 

「……その、上手く言えないんですけれど…………私! ルーブルさんの事も「本当に凄い人だ」って思いました!!」

 

一生懸命に走るその姿から、彼女の魅力はありありと伝わってきた。

 

どんなに自分に自信がなくても、どんなアクシデントが舞い込んできても、例え全力を出せるような状態では無かったとしても、彼女は決して逃げなかった。‘勝負(レース)から,ではない、‘自分の夢から逃げなかった(・・・・・・・・・・・・),。このレースでそれが叶う事はないと内心では思っていたかもしれないが──「それでも、それでもまだ──!」──そう強く思って、彼女は最後まで果敢に走り抜いたのだ。

 

 

「──ああ、そうだな。俺もそう思うよ」

 

そして、それはキチンと結果にも表れている。──今年の桜花賞、イソノルーブルは5着。結局の話、五強と呼ばれたウマ娘はその殆どが衆目の予想通りの強さを見せつけた。五人中四人が入着し、たったいま誕生した今年の桜の女王に至ってはコースレコードを1秒も縮める大好走をしたのだから。

 

 

「……けど、他人事じゃないぞ? 来年は──」

 

「はい! きっとターフの上に……。いいえ、桜花賞のウィナーズサークルに!!」

 

キラキラとした、けれど決意の籠った瞳で、ニシノフラワーはウィナーズサークルで観客へ向けて優しく手を振るシスタートウショウを観ながら宣言する。……一つの大輪が、花咲く準備を始めようとしていた。

 

 




──神よ、我らが本能(罪)を許したまへ──

最後の直線コースに入るタイミングで好位置をキープ出来ていた場合に発動する事がある。
自らに課した自重と節制の枷を解き放ち、ウマ娘の本能を解放して加速力と闘争心を少し上げる。


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重賞 10/26

 

 

「……はぁ」

 

ウマ娘ごとに用意されたその控え室で、イソノルーブルは部屋の隅っこで脚を抱えて縮こまりながらもう何度も溜息を付いていた。

……完敗だった。勿論、蹄鉄の有無など関係な──いや、そう言い切るのはそれはそれで問題があると思うが、兎に角、自分はちゃんとレースを走りきって、ちゃんと実力で負けた。……勝負に‘もし,も‘でも,もないのはハナから分かっている。分かっていた、最初から分かっていたのだ。

 

 

「……はぁああ……」

 

──ただ、それはそれとして後悔はあるし、当然未練もある。夢の舞台であるGⅠレースで勝てなかったからではない。満足な走りが出来なかったからでもない。あの程度のことで調子が狂ってしまった自分の心の弱さと、そのせいで迷惑を掛けることになってしまったURA及びレース場の職員への申し訳なさが胸を支配していた。トレーナーは『気にしないで』『よく頑張ったね』と優しく言ってくれたのだが、ルーブルは彼にこそ──

 

 

「‘シンデレラ,らしくないですよ、シスター・ルーブル。落ち込むならせめて勝負服を脱いでからにしなさい、皺になります」

 

「!!!? し、シスターさん!?」

 

今ここにいる筈のないシスタートウショウの声が聞こえてきて、驚いてバッ! と顔を上げる。極当然のように、部屋の中にシスタートウショウが入ってきていた。

 

 

「え、な、なんで……!?」

 

「ウィナーズサークルで三女神教の布教……もとい、勝利者インタビューは先ほど終わりました。ウィニングライブまでまだ時間がありますので、一度控え室に戻ってきたんです」

 

「ああ、それで。…………?」

 

いや、それでなんで私の控え室に? という質問は出てこなかった。疑問には思っても、その元気が無かった。……会話が続かない。当然の様に気まずい空気が部屋に流れる。

 

 

「…………」

 

「えっと、その。お、おめでとうございます! 今日のシスターさん、本当に強くて、綺麗で、凄かったです。私なんかより、ずっと──」

 

──お姫様(シンデレラ)みたいでした。

 

……言葉に詰まる。そう言いたいのに、その言葉は出てこなかった。今日この場にいる他の誰よりも美しい桜の女王となった彼女には、そう称賛するのが相応しい筈なのに。

 

 

(──ああ。私、本当に嫌な娘だ)

 

それだけは、その言葉だけは、その夢だけは、他の誰にも譲りたくない。例えそれが同期のクラスメイトだろうが、偉大な先輩だろうが、未来のある後輩だろうが譲れない。シンデレラには、私がなりたい。……そんな浅ましい願望で、敗北者である自分が、勝者である彼女への称賛を躊躇うだなんて。

 

 

「……礼儀に作法。掟に律戒。他にも色々ありますが、それらは時代や場所、場合や人間関係によって如何様にも形を変える物です」

 

「……?」

 

「‘ゲームエンド・ノーサイド,‘勝者が敗者に話し掛けるな,言っている事は正反対ですが、どちらか一方が正しくて、どちらか一方が間違っているという訳ではないでしょう? 様々な要因で、如何様にも変化する」

 

シスターが何を言いたいのか分からず、ルーブルは縮こまったまま少しだけ首を傾げる。……もしや、いつもの小難しい説教かなにかだろうか。普段だったら割かし真剣に耳を傾けている方のルーブルだが、今は勘弁して欲しい。色んな意味で聞く気になれない。

 

 

「……なので、今からあなたに言う言葉が──いえ、あなたに話し掛けるということ自体が、正しい行いであるかどうか。それは天上の神のみぞ知ります」

 

「──!?」

 

シスターは縮こまるルーブルに目線を合わせるようにしゃがみ込み、彼女の頬を手で掴んでグイッ──! と無理矢理自分の方へと顔を向けさせた。驚いたルーブルが自分の目をシッカリと見ている事を確認してから、シスターは言葉を放つ。

 

 

 

「──あなたはシンデレラでしたよ。私は勿論、あの場にいた他の誰よりも」

 

 

 

「……なに、を」

 

シスターが何を言っているのか理解が出来ない。だって自分は負けた。ギリギリ入着こそ出来たが5着。しかも1着のシスターとは7バ身以上の差がある惨敗で、6着のウマ娘とはハナ差だ。その上、開始前の落鉄で色々な人に迷惑を掛けてしまった。シスター及びトレーナーにフォローをして貰わなければ今頃どうなっていたか見当も付かない。……そんな自分が、女の子なら誰もが一度は憧れるお姫様(シンデレラ)な訳がないじゃないか。

 

 

「今日の勝負に負けただけです。あなたの夢はまだ終わっていません、敗れてすらいない」

 

「それは……。そう、ですけれど……」

 

素直に──とはいかなかったが、そこは肯定する。いかに自分に自信がないとはいえ、ルーブルは中央トレセン学園へ入学してから様々な猛者を薙ぎ倒してトゥインクルシリーズはGⅠの舞台まで上がってきた一流のウマ娘だ。プロのスポーツウーマンとしての心構えは、形だけとはいえ身についている。派手に転んだのなら、尚更スグに起き上がってまた走り出さなければならない。そうしなければ、そうすることが出来なければ、みるみるうちに勝利と栄光は遠のいていくのだ。

 

故に、ルーブルも今回の敗北と失態からなるべく早く立ち上がるつもりではあった。……実際に立ち上がれるかどうか、その上で走り出せるかどうかはまた別の話として。

 

 

「そもそもの話しになりますが、あなたが言う所の‘シンデレラ,の条件とはなんですか?」

 

「──え?」

 

「魔法使いに選ばれるような特別な存在であることですか? 綺麗なドレスとガラスの靴が似合う美しい女性であることですか? 舞踏会で王子様とダンスを踊り、紆余曲折あって最後には結ばれる。そんな幸福な終わりを迎えることですか?」

 

……違う、そうじゃない。そういった願望がないでもないし、ぶっちゃけ中央の男性トレーナーの中でも屈指のイケメンと評されるあの人に直接スカウトされた時は、それこそ王子様からダンスに誘われたシンデレラのような気分だったが、そういった理由で夢に向かって走り続けられるほど自分は強くないし、強くなれない。

 

 

「……思ったんです」

 

「……何を?」

 

親から買い与えられ、小さい頃に初めて読んだ絵本。その物語の主人公である一人の女性の在り方をみて、人生で初めて胸の内に沸いたその願いを思い出すように言う。

 

 

「この人に、幸せになって欲しいって。心の底から思ったんです。私も誰かにそう願って貰えるような、そんなウマ娘になりたいって、思ったんです」

 

意地悪な継母と義理の姉達から毎日のように虐められ虐げられ、それでもめげること無く前向きで居続けようとするその健気さを見て‘なんとかなってほしい,‘私もこう思われるようになりたい,と、子供の頃のルーブルは本当に心の底からそう思ったのだ。

 

 

「……そうですか」と、シスタートウショウは小さく頷いた後。

 

 

「ならばやはり、あなたこそがシンデレラに相応しいと私は思います」

 

否定などさせない、有無を言わせない、そんな力を込めてシスターは断言する。

 

 

「あなたは逃げなかった。勝負から、自分の夢から、そしてなによりも貴方に勝って欲しい(シンデレラになって欲しい)と願うファンの声から」

 

「それは……」

 

──読者(誰か)の願いに答えて幸せ(勝者)になろうと努力する者こそをそう呼ぶのであれば、開始時間寸前ともいえるタイミングで蹄鉄が割れてレース前から掛かり、全力を出せる精神状態にないと分かりながら、それでもルーブルの勝利を願う人々の為にレースを走った彼女をそう呼ばずしてなんと呼ぶというのだと。

 

 

「シスターさん……」

 

「……そろそろお色直しの時間ですね。ウィニングライブ用の勝負服に着替えてシスター・カサブランカならびにシスター・ドライバーとリハーサルを行なわなくては。……今回の桜花賞。大変素晴らしく、そして考え得る最高の結果が残せたレースでした。宣教活動も今までで一番上手くいった手応えがあります」

 

ゆっくりと立ち上がり、珍しく満足げ(かつどこか安心したよう)な表情でシスターは言う。まぁそれはそうだろう。ただ勝利しただけではなく、十年以上ものあいだ更新されるかどうか分からないような、とんでもないコースレーコードを叩き出したのだから。ルーブルは直接見ていないが、ウィナーズサークルでの勝利者インタビューがどれだけ白熱した物になったかは考えるまでもない。

 

 

「無論、これで満足などしていませんよ。次のオークスでも私が勝ちます。……あなたが願いを力にしてレースを走るシンデレラなら、私は誓いを胸にレースを走る修道者です」

 

教会の壇上で行なう神への宣誓のように、シスターはルーブルに宣言する。先ほどからずっと励ますような言葉を掛けておいて何だが『それはそれ、これはこれ』だ。例えどんな事情があろうが、ターフの上では自分から勝利を譲る気など毛頭ない。

 

 

「……あの、シスターさん! 今日は──!!」

 

「ああ、良い事だろうが悪いことだろうがあまりズルズルと引きずるのはよくありませんから、今日のことは次の勝負の時までお預けとしておきましょう。学校でもそのおつもりでどうか」

 

時間が押しているのは分かるけど、言いたいことが山のようにあるのにそのままスタスタと部屋を立ち去ろうとするシスターに待ってくれと声を掛けるルーブルだが、そんな台詞で遮られてしまった。

 

部屋を出て扉を閉める間際に、こちらを振り返ってシスターは言う。

 

 

 

 

 

「オークスでお待ちしています。──桜花賞を勝った今期の桜の女王として」

 

 

 



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重賞 11/26

今更ですがソダシはVM制覇おめでとうございます。


 

 

「──はぁっ!!」

 

タタタタタタタタタ──ッ!

 

出来る限り力むことなく軽やかに、地面を‘蹴る,のではなく、地面に力を‘流す,ようなイメージで──。柴中からアドバイスされた事を念頭に、ゼファーは芝のターフを駆ける。時刻は既に夕時。普通にトレーニングを行う事が出来るギリギリの時間だ。*1……レースが目前に迫った際の最後の追い込みとして深夜までトレーニングを行なうようなウマ娘も偶にいるが、基本的にはあと数分でトレーニングが可能な時間は終わる。そのため殆どのウマ娘が既にトレーニング後のクールダウンに入っており、ターフの上にはゼファーを含めて数人のウマ娘しかいない。

 

 

「目視による計測──トレーニング終了時間まで、残りあと720秒。黒沼マスターの指示通り、最後まで今のペースを維持したままランニングを継続します」

 

「ついてく……。ついてく……。無理をしないように、身体がダメにならないように、けど出来る限り……限界まで頑張ってついてく……ついてく……!」

 

「尊い……。尊い……。も、もっと近くで見た……いやいや、ダメでしょデジたん! おさわりや間に入る事は勿論、お二人の集中力を乱しかねない行為だって厳禁なんだから!!」

 

(やっぱり凄いなぁ……)

 

自分の他に時間ギリギリまでターフの上を走っている数名のウマ娘を見て、思う。それぞれ何を思って、何を抱えて、どんな気持ちで走っているかは定かではないが、それだけは確かな事だ。

 

始めた時から一切ペースを落とさず、かといって上げもせず、ただ只管に最外周をランニングし続けているサイボーグのようなウマ娘がいた。それを後方から眺めながら、なんとか彼女に付いていこうと懸命に努力しているとても健気なウマ娘がいた。サイボーグのようなウマ娘を後方から追うその健気なウマ娘の更に後方に、ギラギラとした笑顔を浮かべながら二人に付いていこうとするピンク髪のウマ娘がいた。

 

──なんか最後に明らかにヤバイ奴がいたような気もするが‘あれはあれで良い風,という認識をしているヤマニンゼファーというウマ娘にとっては些細なことである。きっと彼女達は全員、トゥインクルシリーズで何度も重賞を──GⅠレースを勝つ事が出来るような凄いウマ娘達になるのだろう。伝わってくる気勢から、ゼファーはそう確信する事が出来た。

 

 

(……よぉし!)

 

自分も負けてはいられないと、全身に力と気合を入れ直す。未だ完治には程遠い病み上がりの身ではあるが、そんな事は必死で頑張らない理由にならないしそもそもしない。例え何度スタミナ切れで倒れようが──むしろそんな自分だからこそ、誰よりも真摯に努力し、気合を入れて頑張らなくては。

 

……そうやって、ゼファーが今日最後となるスパートを掛けようとした時だった。

 

 

「はーいゼファー! アンタの質はよーく分かってるけど、今日はその辺にしときなさい。また倒れてアンタのトレーナーや休養寮の皆に心配掛けたくないでしょう?」

 

「──!!」

 

とても身に覚えのある懐かしい声が、ゼファーの背後から掛けられる。バッ──! と凄まじい勢いで身体ごと後ろを振り返った。ゼファーの想像通りの人物が、見紛うことなどないゼファーにとっての‘憧れ,がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

「ダイ先輩!!!」

 

「おうとも! 休養寮出身、現栗棟寮所属の重賞ウマ娘。‘大先輩,こと『ダイユウサク』──大分遅くなっちゃったけど、重賞に初挑戦する可愛い後輩の為、一肌脱ぎに参上したわよ!!」

 

 

*1
これ以上のトレーニングを行ないたければトレーナーを同伴させるか、もしくは各寮の寮長及び生徒会へ事前に申請する必要がある。



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外伝 年頃ウマ娘のお茶会

 

 

「結局の所ですよ? お兄ちゃんは私達のことを何だと思ってるんだー! って話しなんです」

 

「ぷんすか!」という擬音が目に見えてきそうな可愛らしい怒り方──もとい表情をしながら、カレンチャンは行儀良く柴中がおみやげにと買ってきた京菓子を口に運ぶ。決して一口に頬張りなどせず、少しずつゆっくりと。可愛らしさだけではなく優雅さも意識しながら、京菓子を食すに相応しい佇まいを心がけているのがよく分かる。

 

ステラのチームハウス、キャロット城の二階にある和室だ。本来のこの部屋の主はアキツテイオーなのだが、本日のウマッターへの投稿を「京菓子」にすると決めたカレンは昨日の内からアキツテイオーと交渉して、部屋を散らかさないこととカレンの分の京菓子の一部を分け与えることを条件に、一時のあいだこの部屋を写真撮影に使う許可を得たのである。

 

 

「んー? でもでも、トレーナーはボーノたちの事もちゃんと意識してくれてると思うよー? ‘本格化,まだだもんねボーノたち。みんなと比べてトレーニングを直接見たりするのが後回しになっちゃうのは仕方ないんじゃないかな?」

 

そしてそれに付き合っているのはヒシアケボノだ。先ほどからカレンの指示に従ってスマホと連動する専用のカメラ(なおこれは二人の私物ではなく、ステラの備品である)を使い、色んな角度からパシャパシャと写真を撮っている。畳と障子の力で「和室」という概念を保っているだけの、寮の相部屋と同じぐらいの広さしかない部屋なのだが、これまで何百回何千回と自撮り写真を撮り続けて、ベストだと思えるそれをSNSサイトにアップしてきたカレンチャンにかかれば、ただおやつを食すだけの様子を可愛らしく魅力的な物に仕上げることなど造作もない事だ。

 

 

「もちろんその辺りは分かってますよ? 物事に優先順位があるのは当然の事だし、今はカレン達に時間をあまり割けなくても仕方がない。それに不満もない。毎日毎日夜遅くまで私達の為に一生懸命頑張ってくれてるし、トレーニングや休息のプランなんかもビックリするぐらい私達に合った物を考えてくれてますもん。トゥインクルシリーズを走る一ウマ娘として、トレーナーに不満はありません。こうやってお土産もちゃんと、それもカレン好みの可愛い物を買ってきてくれているわけですしね。あ、そこはもう少しだけ右に傾けてくれるとより可愛らしく写真が撮れると思うのでよろしくお願いしまーす♪」

 

「はーい!」と快く承諾する。他ならぬチームメイトであり友達でもあるカレンチャンの頼みだから……というのも勿論あるしそれが大部分なのだが、普段からSNSやその他ネットに関する事などの教鞭をして貰っている恩があるからというのも大きい。……ネットでもリアルでも、他人と信頼関係を築く為には時間をかけた真摯な人付き合いこそが一番重要で大切なのだということを、カレンチャンは理解していた。

 

 

「だよね! ボーノへのお土産は京都の有名なパン屋さんのパンの詰め合わせセットだったけど、どれもすっごく美味しかったし……。あれ? じゃあなんでそんなに怒ってるの?」

 

カレンが怒っている理由がイマイチ分からず、ヒシアケボノは首を傾げる。彼女の言い分を聞く限り、少なくともトレーナーに不満は無いらしいのだが……。その反応を見て「むぅ……。分かってたけど、この辺りは共感してくれないかぁ……」とカレンは小さく呟いた。コホンと可愛らしく(わざとらしく)咳払いをしてから理由を述べる。

 

 

「カレンは‘トレーナー,に不満はありません。‘お兄ちゃん,に文句があるんです」

 

「……?」

 

「んーと、お仕事とプライベートの違い……とはまた違うんですよねぇ……。なんて言えば良いのかなぁ。『ごめんカレン。また今度な』を何回もされてる可愛い妹の心境、みたいな?」

 

なんかどこかで聞いた事があるような台詞を例えに出して、カレンは再び言葉に悩み始める。「構ってくれなくて寂しいってこと──じゃ、ないんだよね?」とヒシアケボノが確認するように聞いてくるが、それにも上手く返事をすることが出来なかった。事実、もっと構って欲しいという気持ちがあるのは否定出来ないのだから。

 

 

「──けど、本筋じゃないんです。それに、あの人は‘お兄ちゃん,をしている時よりも‘トレーナー,をしている時の方が魅力的だし、カレンもその方が好き。だから、んー……。あ! そうそう、これと同じかな」

 

そう言って、カレンは丁度半分ほど食べ終わった皿に乗っている京菓子を指差した。より意味が分からなくなって、ヒシアケボノは本格的に「?」マークを脳内に浮かべる。

 

 

「京菓子ってとーっても可愛くて綺麗な物が多いですよね? 思わず食べるのを躊躇っちゃうぐらいに。──でも、これを日頃から作るのってスッゴく大変な事だと思うんです」

 

「そうだねぇ。職人さんは毎日毎日本当に大変だと思うの」

 

ようやく要領を得られる話し──もとい、共感する事が出来そうな話になってくれたと、ヒシアケボノは内心で喜んだ。中央トレセン学園でもトップクラスの実力を持つ凄腕の料理人と言われている彼女は、当然和菓子も作る──しかし、京菓子は滅多に作らない。その他のよくある和菓子などと比べて、京菓子は製作の難易度が桁違いなのだ。

 

より正確に言うと生地や餡を作ることは出来るのだが、華や月などの雅なそれ、俗に言うところの‘花鳥風月,を表す物を和菓子の材料で表現しきる事が出来ない。見本となる京菓子があればそれをそのまま真似る事は出来るが、それはオリジナルをそのまま模しただけの、あらゆる部分でオリジナルに劣るただの贋作である。他の料理やお菓子ならばそれで全然構わないが、京菓子は少し別だ。最後の事細やかで芸術的な整形にこそ料理人の魂が籠り、ならばこそシッカリとした美学の修行もせず、気軽にそれを真似るだけの物を作り出すのは彼女の中で躊躇われていた。

 

 

「餡子を炊いて練って、生地を火に掛けながら捏ねて、丁寧に丁寧に整形してお店に並べて接客して売って、片付けやお店の管理に美術の勉強までしないといけない──。んー、カレンだったら一日で「む~り~」って根を上げちゃいそう」

 

「朝は凄く早いだろうし、夜も遅くまで作業してるだろうねぇ。本当お疲れ様って……ん?」

 

何かが引っかかって、ヒシアケボノは言葉を途切れさせる。言葉に出して初めて気がついたが、これはまるで──

 

 

「似てませんか? 普段のトレーナーさんのそれと」

 

鳥を模した京菓子を愛らしく指で優しくつつきながら、カレンチャンは言った。

 

 

「朝は早くからここに来て今日やる予定のトレーニングをおさらい。その日の天候やカレン達の様子を見てそのつどメニューを考えて、学園の運営や行事で担当する事があればそれもやって、取材やインタビューにもちゃんと応じて、夜は遅くまで資料を纏めたり必要な書類を作って、レースがある日はどうしても外せない用事が無い限り必ず自分が付き添って──本当、毎日毎日大変そう」

 

「多忙」の一言で片付けてしまうにはあまりにも大変なそれを、毎日当然のようにこなし続ける自分のトレーナーを再認識して、ヒシアケボノは脱帽した。社会人──特に教職員や病院関係者、それと政治家などならばほぼ誰でもそうなのかもしれないが、それにしたって凄まじい仕事量だと思う。……改めて思うが、なんで一度身体を壊した事があるぐらいで済んでるんだあの人は。

 

それもこれも全部カレン達の為。カレン達の夢と願いが叶う確率が少しでも上がるようにする為。──延いては、中央トレセン学園に在籍しているウマ娘達の為だ。その為に、彼は魂を振り絞って日々頑張ってくれている。──だというのに。

 

 

「なのに‘お兄ちゃん,曰く『俺が好きでやってるんだから気にすんな』ですよ!? その流れで頭を撫でられたんですよ!? そりゃあ確かにお兄ちゃんは成人している社会人で、カレン達はまだまだ子供の学生ですけどね! それだって対等というかそういう部分があるんじゃないですか!?」

 

うがー!! とカレンチャンというウマ娘にしては珍しく、感情をむき出しにして怒る。(それでも十分可愛らしく映ってしまうのだが)「なるほどー」とヒシアケボノはようやっとカレンがどうして不機嫌だったのかを理解して、うんうんと共感するように頷いていた。

 

 

「難しいかもしれないけど、そういう所はなるべく直して欲しいよねぇ。「気にしないで」って言われて「うん分かった!」で納得出来るようなら料理を作る時に乳化作業なんて必要ないし」

 

「本当ですよ! フラワーちゃんじゃないですけど、妹を通り越して完全に子供扱いですよあれ!! しかもお兄ちゃんってそういう部分に限ってピンポイントで鈍いから、直球で「こうしてくれ」って言うしか気付かせる方法ないですし!!」

 

思えば、彼女は最初からこう言っていた。「自分達のことを何だと思っているんだ」と。あれはつまり‘蔑ろにされている,と感じる不満から来る物などではなく‘子供扱いすんのやめろやゴラァ!,という欲求から来ている物だったのだ。

 

大切にしてくれるのは嬉しいが、それが当り前の存在であると思って欲しくはない。頑張ってくれるのはありがたいが、それが当然の事だと思っているのであれば心配になる。……例え、それをやっているのが他とは比べものにならないぐらい圧倒的な‘強者,だとしてもだ。それが人情という奴ではないか。

 

 

「これがチーム全員に対してだったらまだ──いやそれはそれでもっとダメですけど、お兄ちゃんって陛下やアキツさんには明らかに態度違うじゃないですか。忙しい時とか普通に仕事を手伝って貰ったりしてますし。特に陛下となんかちょっと会話をしただけで『そっちは任せる』『了解』なんて相槌を素でやるような関係ですよ? ……まぁ陛下はお兄ちゃんの‘初めて,で、色々と‘特別,なので仕方のない部分はあるんですけど」

 

言い方は凄くあれだが、カレンの言っている事は間違っていない。ウイナーは柴中の‘初めての担当ウマ娘,で、両者共に色々と‘特別,な存在だった。──それこそ、色んな意味で。本人達があまり語りたがらない為ただの推測だが、言葉では言い表せないような本物の信頼関係で結ばれている事は間違いない筈だ。

 

……つまりはなんだ、あそこまでシッカリとした……頭に「真の」とかそういう単語が付きそうなそれは望まないが、自分ももうちょっとそういう──(それはそれとして妹の立場(ポジション)を譲る事は決してないが)

 

 

「……んー、でもでも。それならやっぱり焦る事はないんじゃないかなってボーノは思うよ? カレンちゃんはよく分かってるでしょ? ‘他人と信頼関係を築く為には、時間をかけた真摯な付き合いこそが一番重要で大切だ,って」

 

「──!」

 

「今のボーノ達は、まだ自分の事で手一杯の見習いコックだよ。だけどやるべき事を毎日キチンとやり続けていれば、いつかきっとトレーナーの作っている料理を手伝わせて貰えるようになるよ!」

 

‘そうなること,を欠片も疑っていない純粋かつ自信に溢れた眼で、ヒシアケボノは言った。……そうだ、なんということはない。彼女の言う通り、自分には最初から分かっていたことじゃないか。

信頼を得る為には理解が必要だ。理解を得るためには言葉が必要だ。言葉に力を込めるには実績が必要だ。実績を得るためには経験が必要だ。経験を得るためには努力が必要だ。そしてそれら全てに時間が必要だ。

 

 

「……そっか。うんうん、それもそうですね!」

 

少しだけ晴れ晴れとした気分になって、カレンチャンは笑う。あの人が自分達の事をそういう風に扱ってくるのであれば、今はある程度望み通りにしておいてやろう。焦る事はない。なにせ、自分はまだトゥインクルシリーズのレースを走る事すら出来ない未出走のウマ娘なのだから。

 

いつか本格化が来て、トゥインクルシリーズのレースを走る事が出来るようになった時。信頼も理解も力も実績も経験も十分に得られたその時は、今までの‘お礼,をタップリとしてやろうじゃないか。

 

 

 

「でもやっぱりお礼ぐらいは素直に受け取って欲しいなぁ」

 

「え? 受け取って貰えなか「せっかくカレンがソファーで添い寝してあげようとしたのに」うん、取りあえず後でトレーナーに謝りに行ってね? カレンちゃんがすると色々とシャレになってないから」

 

きっとそういう事がたまにあるないしあったから、‘そういう扱い,なんだろうなぁ……。とヒシアケボノは今日一番の納得をする事になった。

 

 



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重賞 12/26

 

 

「だからさ、これはアンタだからこそストレートに言っちゃう事なんだけど、いくら重賞重賞って言ったって本質的には条件戦やOP戦と大差無いのよ。それまでに良い戦績を残しているウマ娘に出走権利が与えられてるってだけで、やることはみんな一緒なんだもの」

 

「なるほど。どんなレースだろうと本気を出して最後まで走り抜くのは変わりませんもんね。流石です、先輩!」

 

「ふふっ、まぁねぇ! これでも私は重賞ウマ娘だからさ!」

 

ダイユウサク──現在トゥインクルシリーズを走る選手であり、かつて休養寮でゼファーと同室だったそのウマ娘は自信ありげにそう宣言した。中央トレセン学園は食堂の一角だ。丁度夕食時で、トレーニングや補修などを終えた様々なウマ娘が次から次へと集まってきているが、割と通る声で結構大胆な事を話しているというのに、彼女達に目を向ける者は殆どいない。この時間の食堂にはどうしても人が集って騒がしくなるというのもあるが──

 

 

「ね、ねぇ。もしかしてあれが──!」

 

「うん。オグリ先輩の「オグリ全席」と、スペ先輩の「スペシャル盛り」だよ……!」

 

「す、すごい……! 私、初めて見たよ。大テーブルの端から端まで全部一人分の料理で埋め尽くされてるの──!!」

 

「スペシャル盛りも十分ヤバイって! そりゃ私らだって人よりはずっと食べるけどさ、あんな文字通り山みたいな量のお米絶対食べきれないよ──!!」

 

 

──大体こういう事である。慣れると「いつもの事だな」と割かしスルーする事が出来る様になるのだが、まだ入学して一月と経っていない新入生にとっては有名なフードファイターのそれを初めて間近で見たような感覚になるのだ。毎年四月上旬から五月下旬頃まで、オグリキャップかスペシャルウィークが食堂へやって来た時に見る事が出来る一種の名物である。ダイユウサクはその一連の流れを見て「はぁ……」と軽く溜息を付いた。

 

 

「まーたオグリが食欲で新入生ビビらせちゃってるよ……」

 

「そういえば同期でしたよね、オグリ先輩の」

 

「そ、あの怪物の同期。他にもイナリとクリークを筆頭に、ヤエノにチヨ、アルダンにストライカ、正確には同期じゃないけれどタマと……ヤバイのがゴロゴロしてるよ。いやー、肩身が狭いのなんの」

 

‘やれやれ,と言いたげな仕草と表情──何故だか知らないが‘コメ食いてー,というフレーズが頭の中に浮かんできた──を一瞬して、ダイユウサクは

 

 

「……ま、でも今回は仕方ないか。もうすぐだもんね、DTリーグのマイル部門決勝進出者を決める一次予選があるの。気合が入ってるって事かな」

 

「DTリーグ……」

 

通称DTリーグ──正式名称を‘ドリームトロフィーリーグ,トゥインクルシリーズで優秀な成績を収めることに成功したウマ娘のみが出走する事を許される、上位リーグだ。頂点の中の頂点を決める為にあるそのリーグの選出基準はかなり厳しく、挑戦するのであれば最低でもGⅠないしそれに匹敵するとされるレースを一勝以上していなければ門前払いを喰らうと言われている。

 

 

「……オグリ先輩程のウマ娘でも決勝進出権は持ってないんですね」

 

「ん? まぁそりゃあね。幾らトゥインクルシリーズでバカみたいに優秀な成績を収めてる超大人気な国民的ウマ娘とはいえ、先輩達も大概ヤバイ人ばっかりだから。マルゼン先輩とウイナー先輩ぐらいなんじゃないの? 今回の予選を無視できるのって」

 

去年の暮れ、年末の中山で行なわれた‘有馬記念,の様子をゼファーは思い出す。

 

──オグリキャップ。

 

信じられない程に強くて、とんでもなく大飯喰らいな‘芦毛の怪物,。それでいて普段の気性は穏やかで、どこか愛嬌のある不思議なウマ娘。彼女のトゥインクルシリーズ最後となるレースとあって、会場がギチギチになるほど大勢の観客が押し寄せ、詰めかけたあの日。前走となるジャパンカップで惨敗し『オグリは終わった』という声もある中で「それがどうした」と言わんばかりに、彼女はとても力強い勝利をしてみせた。……レース終了後。会場にいる人達全員が一体となったかのような、空間を割らんばかりの「オグリ」コールに呼応するように、休養寮のテレビの前で子供達が一緒に叫んでいたのをよく覚えている。

 

まさしく‘世紀のスーパースターウマ娘,だ。そんな彼女ですら、一次予選から始めなければ決勝に進出する事が出来ない──DTリーグとは、一体どんな魔郷だというのか。

 

 

「…………(ゴクリ)」

 

「はいはい唾を飲み込まない。闘志を出さない。アンタはようやっとトゥインクルシリーズの重賞レースに出走出来るようになったばっかの──いやアンタの体質を考えれば十分凄いし異常なんだけど、兎に角まだまだヒヨッコウマ娘なんだから。ってかアタシより先にDTリーグに闘志燃やそうとするとか生意気だぞコラー!」

 

「す、すみません」

 

ウガー! と、まるでミナミコアリクイみたいに両手を掲げて威嚇のポーズをとるダイユウサク。全く威嚇になっていないそれをなんとも言えない気持ちで見つつ、ゼファーは言った。

 

 

「……でも、やっぱり私は先輩の方が凄いと思います」

 

 

ビシイィッッ──! と、二人の間に吹いていた風が、まるで凍り付いたかのように止まった。

 

 

「……いや、あのねゼファー。そう言ってくれるのはホント嬉しいんだけど、流石にオグリと比べてそう言われると‘嬉しい,を通り越して引いちゃうというか……」

 

「へ? ……ああ、違います違いますそっちじゃなくて! いや大先輩はオグリ先輩と比べても欠損ない名ウマ娘だと思ってますけどってそうじゃなくて!!」

 

ゼファーは彼女にしてはかなり珍しいことに、ワタワタと手を振って慌てふためいた。誤解を解くため、大急ぎで言葉を噛み砕く。

 

 

「‘私と比べて,って意味です! 『いやアンタの体質を考えれば十分凄いし異常なんだけど──』の方です!!」

 

そこまで伝えてようやく「ああそっちか」とダイユウサクは小刻みに頷いた。

 

 

「なるほどね、そりゃあ確かに私も人の事を持ち上げられるような立場じゃなかったわ」

 

アハハッ──と笑いながら、ダイユウサクは目の前にある食器に入ったリゾットをスプーンを使って口へ運んだ。中央トレセン学園の食堂なだけあって、リゾットも美味しい。今日のは春野菜とその出汁を使った野菜リゾットだ。流石に食感は変わらないが、味に分かりやすい変化があるだけで十分気は紛れる。

 

 

「……あの、やっぱりまだ(・・)?」

 

ダイユウサクからどんな返事が返ってくるか分かった上で、それでもゼファーはそう聞いた。……どうしても、聞かざるをえなかった。

 

 

「うん、まだ(・・)。──というか、やっぱこっちは一生治らないみたい」

 

やれやれ──そう言いたげな、どこかおちゃらけた表情と仕草でダイユウサクは返した。

 

 

「…………そうですか」

 

「そ。でも、私はまだツイてる方だと思うよ? なにせ、肝心の身体の方はバッチリ完治したしね!」

 

胸をドンドンと叩いて、十分丈夫な体になったという事をアピールする。もうとっくにそうなっているというのに、未だに‘丈夫な身体になった,事が嬉しくて堪らなくなる時があるのだと、ダイユウサクは言った。その言葉に深く共感しつつも、ゼファーは己の心に湧き出てきた悲壮感を必死になって叩き潰す。──それを抱いていいのは私ではない筈だと、自分の心に言い聞かせながら。

 

 

‘先天的不調体質レベル4,

 

 

かつてダイユウサクの身体を蝕んでいた、奇病中の奇病。ウマ娘専門の医師が思わず驚いてしまうような、超虚弱体質。ゼファーの‘先天的持久力発達障害,も中々の物なのだが、これと比べると霞んでしまう。

 

ゼファーのそれと違って持久力やパワーといったは要素はちゃんと(少しずつでも)成長するのだが、その代わり身体の調子が‘常に悪い,。リハビリ中に動悸や息切れを起こして倒れるなど日常茶飯事。酷い時には歩くことすら億劫で、一日中寝ていなければならない時も少なくなかった程だ。──中央でウマ娘のトレーナーをしている者達には、『調子が常に「絶不調」状態で、尚且つ快復手段が何も無い(何年も病院に通って治療をし続けるしかない)』──と言えばヤバさが伝わるだろうか。しかも質が悪いことにこの体質、胃や腸に関わる副作用まであって、その所為でダイユウサクはリゾットやおかゆ、クタクタに煮たうどんの様な胃や腸に良い物しか食べる事が出来ないのである。無論、量も普通のウマ娘のそれと比べるとずっと少ない。

 

しかして降って湧いた神による奇跡か、それともダイユウサクの執念が運命を覆したのか、信じられない程に酷かった虚弱体質は見事に完治。本校に移籍して死に物狂いでトレーニングを重ねた結果、今やトゥインクルシリーズの重賞レースに勝利する事ができる様になる程までに彼女は強くなったのだ。……特定の食べ物しか身体が受け付けなくなったという、嫌な後遺症を残したまま。

 

 

「だから、もしこれが逆だったらと思うとほんとゾッとするよ。あのままだったら重賞はおろか、OP戦……ううん、条件戦にすら出られなかったかもしれないし。……そう考えると十分過ぎるほどツイてる。なにせ、中央のトゥインクルシリーズを全力で走れるんだから」

 

眼を閉じ、かつて自分達がいた休養寮での日々を頭に思い描く。死に物狂いで様々な治療を受けて、魂を削るようなリハビリをこなし続けて、それでも体質が治らなくてウマ娘レースに出走する事を諦め、休養寮から、延いてはトレセン学園から去らざるを得なかったウマ娘達。トゥインクルシリーズに挑むのはおろか、学園に編入する事すら出来なかった、そんなウマ娘達(可能性の私)

 

彼女達が狂おしいほどに望み、慟哭するほどに願い、それでも叶わなかった夢の舞台に、今の私達は立っている。──ならばこそ、足を止めることなど許されない。彼女達の為ではない。かつて休養寮(あそこ)で彼女達と同じ夢を描いた、あの日の自分の為に。いつか栄光の光を一身に浴びる事になる未来の自分の為に。それを望んでくれる大勢の人達の為に。

 

「……話しが大分逸れちゃったね」と、ダイユウサクはここで一旦話しを区切った。

 

 

「まぁ兎に角さ。意識するのは良いけれど、あれやこれやとあんまり考えすぎなさんなってこと」

 

重賞とそれ以外のレースで色々と「差」はあっても、その内容に「違い」は無い。これはGⅠだろうが新バ戦だろうが一緒だ。トコトンまで突き詰めれば、それぞれに決まったレーンが無いだけの、ただの徒競走である。

 

 

「──はい! いつも通り、最後まで全力で頑張ります!!」

 

「(……ま、アンタなら心配する必要は無さそうだけどさ)そうそう、その意気その意気」

 

より一層キラキラとした眼と表情で力強く断言するゼファーに、ダイユウサクは安心したように微笑んだ。……そも、最初からダイユウサクは大した心配などしてはいなかった。彼女がゼファーに会いに来た理由は単純に、可愛い後輩へエールを送る為。それと──

 

 

「ゼファーって確か今年がクラシック級だったよね? デビューしたのはついこの前だったけど、今回クラシック級限定戦(クリスタルカップ)に出るんだし」

 

「ええ。仕方がありませんけどデビューがかなり遅れちゃって、ジュニア級は走れませんでしたから」

 

出来る事ならもう少し早くデビューしたかった。あわよくばジュニア級も走りたかった──という思いは勿論あるが、贅沢は言えない。こうしてトゥインクルシリーズを走れるようになった上、トレセン学園でも屈指の名門チームに入団する事が出来たのだから。数年前の自分からしてみれば既に望外の展開である。

 

「そっか」と、ダイユウサクは一瞬だけ眼を閉じて、その後ニヤリと笑みを強めた。

 

 

「──じゃ、多分来年かな」

 

「……!!」

 

その身体から醸し出されるような僅かな闘気で、彼女が一体何を言いたいのかが十二分に伝わってきた。

 

 

「私の適正距離は知ってるでしょ? マイル~中距離の‘ミドルディスタンス,……ちょっと頑張れば、春天の3200だって十分適正範囲内に出来る」

 

ダイユウサクというウマ娘が持っている武器の一つに‘適正距離が広い,というのがある。下は短距離から、上は最長距離GⅠ、天皇賞‘春,の3200まで。彼女は様々なレースに無理な脚質改造をする事なく出走出来るのだ。──つまり

 

 

「流石に今年かち合う事は無いと思ってるけど、来年はゼファーもシニア級。んで、アンタは間違い無くGⅠに出られるようになる。どうしたって目標にするレースは被ってくるでしょ」

 

「……ダイ先輩」

 

先ほどよりも更にワクワクとした表情になりながら、ゼファーもダイユウサクの闘気に呼応するかのように笑みを強めた。彼女は信じてくれている。否、確信までしてくれている。ゼファーが必ず、GⅠの舞台まで駆け上がってくるという事を。「ちょっと気が早い気もするけどさ」と、そう前置きをした上で

 

 

「その時は一切容赦しないよ。私は必ずGⅠウマ娘になる。──GⅠを勝って、休養寮にトロフィーと優勝旗を飾るんだ。私の名前がデカデカと刻まれた奴をね」

 

かつて休養寮の病室。お互いに体調がすこぶる悪くて、部屋のベッドで寝ているしかなかった日にコッソリと教えてくれた彼女の夢。──あの時と一文字一句同じ言葉を使っての、正に夢のある宣戦布告だった。

幼少期の頃からずっとあそこにいたせいで、もう自分の家よりずっと馴染みがあるとさえ思えるあの場所に、トロフィーと優勝旗を送りたい。──それに強く共感をしつつ、ゼファーは

 

 

「はい! ダイ先輩ならきっと出来ます!!」

 

「──へへっ! 当然で「でも」──ん?」

 

「──でも、私とダイ先輩が戦う事になるレースのそれはきっと、私の名前が刻まれた物が贈られることになると思いますよ?」

 

自信満々にそう言い返した。夢があるのは、レースで勝ちたいのは、ゼファーも同じだ。目標は同じでも目的が違い、尚且つ人にはあまり理解されづらい夢だが、いつか必ず叶えてみせる。──ずっと昔、まだ休養寮にも入っていなかった子供の頃、世界中を吹き荒ぶ幾重もの風達にそう誓ったのだから。

 

 

「……言うじゃん。相変わらず、そういう所は絶対強気に来るよねゼファーは。戸惑う事がないっていうかさ」

 

「ええ。風は迷う事はあれど、肝心な時に戸惑う事はありませんから」

 

あの頃からずっと変わらないゼファーの性質を垣間見られて安心したのか、ダイユウサクはそれでスッ──と身体から闘気を霧散させた。

 

 

「……分かった。アタシもアンタもトゥインクルシリーズに出走するウマ娘だ。だから──」

 

「はい! いつかきっと、レース場のターフの上で!!」

 

来たるべき戦いの時を誓いあって、二人は頷く。誰に気に止められることもない小さな約束が今宵、食堂の一角で結ばれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつが、ヤマニンゼファー……。あいつが……!」

 

ただ唯一、煮えくりかえるような表情でゼファーの事を遠くから見つめていた一人のウマ娘を除いて。

 

 




今更かつ当然の事ですが、ダイユウサクは勿論、ゼファーの体質も史実を多少大袈裟に描いています。


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重賞 13/26

 

 

「んー、やっぱこの最新モデルっしょ! 謎の新技術搭載、耐久性グンバツ、オマケにお手入れまで楽と来てる!」

 

「うんうん、折角買うなら高くて良い物にするべきだよ。安物買いのなんとやらになりたくないしね。明確な優劣は付かないって言われてるけど、なんだかんだウマ娘(私ら)にとって重要なアイテムだしね蹄鉄……もといシューズって」

 

トレセン学園は高等部。昼休みも残り約半分を切ったところで、そのクラスの隅の席に結構な人集り……ウマ集りが出来ていた。大凡、クラスメイトの2/3はいるだろうか。二つの机を囲み、何やら先ほどから熱い弁論が行なわれている。机の上にはスポーツ用品専門の企業が宣伝の為に作った最新のカタログが、周囲に見やすいように広げられていた。

 

 

「言いたいことは分かるけどさ、私は高い物を買えば良いって話でも無いと思うよ。家電や日用品なんかと一緒で、自分にとって‘使いやすい,と思った物にするべきじゃないかな?」

 

「そうそう、それにこういうのってレンタルと違って学園持ちに出来ないって話しじゃん。資金はどんぐらいあんの? ゼファーとルーブルって。まずはそれを聞くところからでしょ」

 

ウマ集りの中心にいるのはゼファーとルーブル。二人は先ほどから席に座ったまま、前後左右から飛んでくる様々な意見を耳に入れている。当然の事ではあるが、価値観並びに重要視する物がウマ娘によって違うので意見がまったく纏まらない。ルーブルはその現状にワタワタと慌てふためいている様子だったが、ゼファーは涼しい顔をしていた。そも、こうなることは想定済みである。

 

 

「じゃあ聞きましょうか。ねぇ二人とも。具体的に、予算はどれぐらいまで出せるの?」

 

「そうですね、トレーナーさんが言うには……。大体、これぐらいまでならすぐ経費として落とせるという話しです。それ以上は要相談と。ルーブルさんは?」

 

「わ、私はその、えっと……」

 

全員を代表して、このクラスの最上位カーストであるダディが聞いてくる。ゼファーはすぐに具体的な数を紙に書いて提示したが、ルーブルは何故だか顔を俯かせてモジモジと身体をくねらせ始めた。

 

 

「……トレーナーさんから『君が望む物を手に入れられるのなら、無限に』とでも言われましたか?」

 

「──ッツ!!? え!? な、なんで……!」

 

バッ──! と顔を上げてゼファーをマジマジと見やるルーブル。その顔は誰が見ても分かる程に赤く、まるでよく熟したりんごの様だ。ゼファーも「あ、本当にそう言われたんですか」と自分で言っておいてなんだが、若干驚いている。

 

ゼファーの反応から「墓穴を掘った」と分かったルーブルは「あああああああぁぁ……」と顔を埋めるように身体を丸めて外界との接触を遮断した。そのまま消えてしまいたいと感じているルーブルに対し、クラスメイトの反応は「ヒューヒュー」とニヤニヤした顔で煽てるか「はいはいごちそーさん」と呆れた顔で笑うかの二択だった。

 

 

「あらあら。ほんとルーブルちゃんの王子様(トレーナーさん)って格好良いわねぇ。担当ウマ娘に対して当然の様にそういう事が言える人って中々いないわよー?」

 

「オマケに超イケメンだもんね、立ち振る舞いも王子様だ(それっぽい)し。秘かにファンクラブがあるって話し聞いた事あるよ」

 

「中々というかあの人以外にいなくない? ……あー、いや待った。確か他にも一人いたような気がする。どっちかっていうと、王子様じゃなくて執事っぽかったけど」

 

周りから何かを言われる度に、ルーブルはその背中をグイグイと丸めていく。このままでは話し合い所ではなくなると感じたゼファーは、話しを本線に戻すために口を開く。

 

 

「すみません。それでなんですけど、この予算だったらこうした方が良いというアドバイスがあれば是非教えて頂きたいです」

 

その言葉に「ああそうだった」と周囲のウマ娘達は改めて、自分達が何を話し合っていたのかを再認識する。──そもそもの事の始まりは数分前。最近もとい、桜花賞を過ぎてからあまり元気が無いイソノルーブルに、ゼファーが声を掛けた事からだ。

 

 

「…………」

 

ルーブルはここ最近、休み時間は殆ど一人で本を読んでいた。無論、漫画や小説といった娯楽用品ではなく、主にウマ娘用スポーツシューズ専門のカタログだとか、蹄鉄並びにシューズの事について詳しく書かれた専門書だとか、そういう奴だ。前までは休み時間にクラスのウマ娘達ととりとめのない談話する事も少なくなかったルーブルがそうなった原因をクラスの殆どが察していて「暫くはそっとしておこう」という暗黙の了解がクラスの中に自然と出来ていたのだが──

 

 

「あの、ちょっと良いですか?」

 

ゼファーは突然、本当に唐突にルーブルの席に近寄って彼女へそう聞いた。その様子を見ていたクラスメイト数人が、ギョッとしたように目を開いたのをよく覚えている。

 

 

「え、えっと……」

 

「突然すみません。さっき脇を通った時に、ルーブルさんが読んでいる本の内容がチラッと目に入ってしまって……。それ、最新のレースシューズのカタログですよね? もしよろしければ、私にも少し見せていただいてもよろしいでしょうか」

 

「ど、どうぞ……」

 

「ありがとうございます」

 

ゼファーはお礼を言うと自分の席から椅子を運んできて、ルーブルと向かい合うように座る。差し出されたカタログを数回パラパラと捲ると、本を読むふりをしながらこちらの様子を伺っているルーブルにこう言った。

 

 

「実は私、最近トレーニング用レース用と、色んなシューズが足に合わなくなってきてしまって……。保健室に行ったら案の定、成長の影響でシューズが足に対して小さくなってしまっているとの事だったので、重賞へ初挑戦する前に蹄鉄を含めて靴関連を一新しようとトレーナーさんが」

 

「あ、そうなんですか……」

 

「ああ、なるほど」と、ルーブルはゼファーの言葉に納得したように頷くと、今度こそ再び本を読み始める。……和やかな笑顔に丁寧な口調。相手の納得をある程度得つつ、さり気なく相手の内へと滑り込む。──これでまずは第一関門突破だ。少しのあいだ互いに無言で専門書ないしカタログを読んでいた二人だが、ルーブルが「ふぅ」と一息吐いたタイミングでゼファーが更に仕掛ける。

 

 

「んー……。やっぱりこういうのって、一人で悩んでても上手く行きませんねぇ。ルーブルさんはこのシューズと蹄鉄のセットってどう思います? 最新モデルらしいですけど、技術関連の説明部分がよく分からなくって」

 

「え? んーと……」

 

ルーブルはゼファーに示されたカタログの一ページを見て、そこに書かれている3Dモデルを使用したやたら詳しい(分かりやすいとは言っていない)説明文を読んで、これまたゼファー同様に頭を捻った。

 

 

「……すみません。私にもよく……」

 

ルーブルの返答を聞いて「そうですか」とゼファーは軽く頷くと

 

 

「──なら、他の人にも頼っちゃいましょう」

 

何の躊躇いも無く、そう言った。

 

 

「……へ?」

 

「あ、ダディさーん! すみませーん、ちょっとお聞きしたい事があるんですけどー!!」

 

ルーブルが何か反応する暇も与えず(暇も無く)、ゼファーは教室の前で数人と談話していたダディに声を掛ける。「はいはーい! 何かご用しら?」と彼女はすぐに色よい返事をすると、喋っていた数人と共に二人の傍へやって来た。

 

 

「ご歓談中の所、申し訳ありません。私達の事で(・・・・・)時間を取らせてしまって……」

 

「良いの良いの。私に何か力になれることがあるなら幾らでも! それで、一体何のお話しかしら?」

 

「ええ、少しアドバイスを頂きたくて。実は────」

 

 

 

 

「そうねぇ……。これなら私は──」

 

「んー、でもさ。凄く単純に考えて──」

 

「えー? それならいっそ──」

 

 

 

 

ダディ一行が加わり、喋る人数が多くなった事で注目を集めたのだろう。「なになに何の話し?」とクラス内でたむろっていた生徒が続々とゼファー達の方へと寄ってきて、次々に会話へ加わっていき──今やクラスメイトの2/3が会話に加わっているという訳だ。

 

 

「そもそも‘買わない,って選択肢もありじゃない? 多少足に合わなくても履き慣れたシューズと蹄鉄の方が力出せるっしょ。今から新品手に入れてもなぁって感じがする」

 

「いやいや、分かるけどそれはマズイよ。先生やトレーナー達も耳タコなぐらい言ってるじゃん。‘身体、特に脚は少しでも違和感を感じたら即報告する様に,って。勝ち負け以前にシャレにならない怪我したら一巻の終わりだし」

 

「ええ。最初は私もトレーナーさんにそう言ったんですけど、やはり怪我などのリスクを考えると買い換えた方がずっと良いらしいですね」

 

「どーしても「履き慣れた靴の方が良い」って感覚があるよねー。あ、ちなみに私は外見にも拘った方が良いと思うから、これとこれはデザイン性の問題で×ねー。これなんかどーよ? ちょっとキレがよすぎる気もするけど、吹き荒れる風をイメージしてるっぽいしゼファーには合うでしょ。ルーブルは勝負服に合わせてメッチャ露骨に「THE・プリンセス」って奴にした方が良いんじゃない?」

 

「なるほど。確かにデザインの事はあまり考えていませんでしたね……盲点でした。ルーブルさんはその辺りどうです? 何か好みとかはありますか?」

 

「え、ええっと……。その、あるかどうか分からない、っていうかほぼ無いんですけど……。で、出来ればガラスの靴が……な、なーんて! そんなの実際にあるわけないですよね! すみません!!」

 

「んー、確かにガラスの靴は難しいと思いますけど、それっぽい……透明感のあるシューズならあると思いますよ。蹄鉄もそういう着色加工をしてもらえば良いと思います」

 

全員の意見を上手く纏め、話が脱線しそうになったら適時元に戻し、ルーブルへ定期的に言葉を促し続ける事で話しの軸と主役をぶらさない。最初こそこの状況に困惑していたルーブルだが、話し上手かつ聞き上手なゼファーが中心となって進行する事で、いつしか(比較的)自然と会話が出来るようになっていった。半ば冗談のような発言が出来ているのがその証拠である。

 

 

「ふふっ」

 

不意に、ダイナマイトダディがそうやって小さく笑った。「や、やっぱり変ですよね」と聞いたルーブルに、ダディは「ああ、ごめんなさい。違うのそうじゃなくて──」と慌てて真意を言う。

 

 

「──ルーブルちゃんとは最近あまりお喋り出来てなかったから、楽しいなぁって」

 

「……あ」

 

何かに気付いた、気付かされたようにルーブルはその目を大きく見開いた。

 

 

「ルーブルちゃんってとっても健気ないい子だからもっともっと仲良くなりたいのに、最近は話す機会がなかったでしょう? 寂しかったのよ」

 

苦笑するように言うダディにつられるように、他のウマ娘達も同じように苦笑したり頷いたりしている。この時になってイソノルーブルはようやっと、自分が最近クラスメイトと殆ど会話をしていない事をハッキリと自覚した。そして、それ以上に──。

 

 

「こういう機会を作ってくれたゼファーちゃんにはお礼を言わなくっちゃね」

 

「(もしかして、最初からそのつもりで──!)あ、あの。ゼファーさん──!」

 

ゼファーの方を向く。彼女はダディの言葉に対し、涼しげな顔で首を軽く横に振っただけだった。

 

 

「いいえ。私はお礼を言われるような事は何もしていませんよ」

 

むしろ最初から我が儘な事しか言っていないし、していない。自分の都合と自分の思想と自分の好みで勝手に首を突っ込んで、勝手に周りを巻き込んだだけである。少なくとも、ゼファー本人はそう思っている。「ルーブルさんを始めみなさんを巻き込んでしまい、貴重な時間を使わせてしまって申し訳ありませんでした」と、ゼファーは逆に深々と頭を下げた。

 

 

「……一つ、聞いても良いかしら」

 

ゼファーの思いもしなかった行動に唖然とするクラスメイト達を代表して、ダディが聞く。

 

 

「なんですか?」

 

「ゼファーちゃんがどういう思想と好悪をしているかはなんとなく理解出来るんだけど……。どうしてそこまで出来るの? 私も似たような事をよく聞かれるんだけど……。私はほら、みんなのダディだから当然じゃない?」

 

何人かが「いやその‘当然,はおかしい」という意思が込められた視線をダディに向けるが、いつもの事なのかダディは全く意に介していない。

 

 

「要はみんなの事が大好きだからなんだけど……。ゼファーちゃんはどういう理由で力というかやる気が湧いてくるのかなって。「行動原理」じゃなくて「行動活力」を知りたいって言えば分かりやすいかしら」

 

「なんで、ですか……」

 

ふむ。と頭を捻って考える。「行動原理」ならば一番最初の自己紹介の時にも伝えた通り「淀んだ空気が嫌いだから」なのだが、どうしてやる気が湧いてくるのかと来たか。

 

 

「──信念、ですかね」

 

少しの間を置いて、ゼファーはそう答える。

 

 

「信念?」

 

「ええ。母譲りのそれで、正確にはそれが宿った魂──なんでしょうか。すみません、姉達が言っていた事をそのまま言っただけなので、自分でもよく分からないんです」

 

一度「こう」と決めた事は何が何でもやり通す。その為に出来る事は全て全身全霊でやる。どんな困難な道だろうと決して諦めない。なんでそんな強い物が自分にあるのかは分からないが、兎に角──

 

 

「それが、私の信念(ポリシー)ですから」

 

「……そう」

 

微笑むように、ダディは笑った。彼女の強いそれに敬意を示して。彼女こそがいずれこのクラスを、否、この世代を代表するウマ娘になる事を確信して。──そして

 

 

(そうなる自覚はあると思うんだけど、大丈夫かしら……)

 

その呆れるほどに強い信念が、これから幾つもの嵐を呼んでくる事を予感して。その時、彼女の力になってあげられるようになる事を誓って、ダディは微笑む。

 

 



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重賞 14/26 GⅢクリスタルカップ その1

 

 

『──さぁやって参りました。中山レース場、本日のメイン競争は第11レース。──GⅢ‘クリスタルカップ,いよいよ開幕です!!』

 

 

4月13日──‘桜花賞,開催の六日後であり、‘皐月賞,を明日に控えたこの日。それら二つのGⅠレースとは比べものにならないが、それでも一つの立派な重賞レースが中山レース場で開催されようとしていた。

 

クリスタルカップ──クラシッククラス限定の短距離重賞レース。これから短距離路線に進むであろうウマ娘達の今後を占う割と重要な一戦なのだが、中央の重賞レースにしてはそこまで観客が入っていない。大方、明日行なわれる‘皐月賞,に備えておきたいのだろう。当然のことではあるのだが、注目も集客も、そして出走するウマ娘達の気合の入りようも、GⅠレースの方が圧倒的に上なのだ。

 

 

『実況は引き続き、今回が初の重賞レース実況とあって若干緊張しております赤坂(妹)でお送りします! 解説の横山さん、改めてよろしくお願いします』

 

『はい、よろしくお願いします』

 

『さっそくなんですが横山さん。私実は重賞レースの実況をするのも初めてなら、短距離の重賞レースを見る事自体初めてのド素人なんですが、どういう部分に注目していったら良いんでしょうか』

 

ドッ──! という吹き出すような笑い声と、うぉぉぉい──! という激しいツッコミがレース場の観客席から響く。『それで良いのか実況アナウンサー』と誰もが思った事を、解説者である横山は笑いはすれど口に出さなかった。

 

 

『はははっ! そうですねぇ……。その言い方からして、赤坂さんはマイル、中距離、長距離の重賞レースはご覧になった事はあるんですよね?』

 

『はい主に‘八大競走,と呼ばれていた物に関しては大体。……お恥ずかしながら「ウマ娘レースと言えば八大競走」というイメージが未だにありまして……」

 

『あー……、まぁ仕方がない部分もありますよねぇ。なにせグレード制度が成立してからまだ十年と経っていませんから』

 

うんうん。相槌を打つように軽く頷くと、横山は文字通り解説者としての役割を果たすために言葉を紡ぐ。

 

 

『では赤坂さん。短距離、マイル、中距離、そして長距離レースの‘違い,って何だと思いますか?』

 

『……? えっと……走る距離、ですか?』

 

一応他にもなにか無いかと考えてはみたものの、それ以外に‘違い,が見つからず、赤坂(妹)は素直にそう答えた。すぐさま横山から正答を告げる色よい返事が返ってくる。

 

 

『はい、その通りです。正確にはこの四つにダートと障害のレースが加りますから距離の問題だけではありませんし、走る距離によってウマ娘に求められる能力やレースにおける見所なんかも違ってくるんですが、それ以外に明確な‘違い,なんてありません。ただ走る距離が違うだけです』

 

『……どんな距離のどんなレースだろうが「ウマ娘レース」は全て根本的に同じ物、という事ですか?』

 

『流石ですね、少なくとも私はそう思っています。──そして、それはそのまま重賞とそれ以外のレースにも当てはめられる。‘距離,という明確な違いがあるレースでも違いはそれだけなんです。レースに定められたグレードで内容大きく変わる事があるかと言われれば否でしょう?』

 

上手く話しを広げつつ、初心者にも分かりやすいように噛み砕きながら話す。……元中央トレセン学園で働いていたウマ娘トレーナーで、教員も兼任していた彼にとっては造作もない事だ。

 

 

『なるほど、確かに言われてみれば……』

 

『勿論、これは極端に言った場合の話です。天候や枠番、各レース場やババ状態などの様々な外的要素でレース内容は大きく左右します。ですが、それこそ全部のレースに当てはめられる要素ですからね。ですので赤坂さんも‘これは重賞レースなんだ,とあまり意識する事なく、今までと同じように短距離レースの見所をみなさんにお伝えして頂ければそれで十分だと思いますよ』

 

──中央でトレーナーをしていた時に、似たような事を壇上で話したっけ。と少しばかり懐かしい気分になった横山。確かあれは新入生が重賞レースばかり特別視してしまい勝ちになる時期に話す内容で──ああ、そういえば。

 

 

『──はい! ということらしいので私はこれまで通り、何時もと特に変わらない実況をさせて頂きます! 姉の様に上手い事や面白い事はまだ言えませんのでどうかご勘弁を!!』

 

主にレース場内のスタンド席で苦笑するような声があちこちから漏れる。……まさかとは思うがこの新人女子アナ、解説者から今の言葉を引き出すためにワザと無知なフリをしたんじゃあるまいな? 仮にそうだとすればトンでもない役者だが。

 

 

『ではそろそろ各選手がパドックに──『ですが』はい?』

 

赤坂(妹)の進行を一旦遮り、横山は意味ありげな笑みを浮かべてこう言った。

 

 

 

『重賞とそれ以外のレースに‘違い,はありませんが‘差,は色々あります。特に顕著なのが最高グレードであるGⅠなんですが……。兎に角、その‘差,をどう感じ、どう受け止め、どう活かすかが重賞レースで勝利する為の最初の鍵になるでしょうね』

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

まずは小さく、しかしシッカリと息を吐く。実況アナウンサーの開幕宣言に沸き立つレース会場、その熱気の様な声援が風を介して地下運用通路にまで運ばれてくるような気がして、ゼファーは逸る気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を繰り返していた。……これだけ離れた場所からでもシッカリと分かる。‘風,が教えてくれる。今までやってきた2戦とは‘物が違うぞ,と。

 

──無中生有。

 

そうやって呼吸を繰り返していると、ふとこのまえ世界史の授業で習った四文字熟語が脳裏を過ぎる。中国は三国志時代の兵法‘兵法三六計,の一つでもあり、本来無いはずの物が有るように見えてしまうという錯覚現象だ。ダイ先輩は『どんなレースだろうが、そこに‘違い,なんて物はない』と言っていたし、それこそがウマ娘レースにおける一つの真理なのだろうが、ここまで明確な‘差,があれば、本来無い筈の物が有るように見えてしまっても仕方が無い事ではないだろうか。

 

休養寮時代、身体の調子が悪かった時に暇潰しとして読んだレース心理学の本に、レースのグレードが上がれば上がるほどそういう傾向があると書いてあったような気がする。一体どんな‘無い筈の物,が有るように見えてしまうのかはウマ娘によって差があるだろうが……。その辺、若干興味があったりするゼファーである。

 

 

「……ん! よし!!」

 

パンッ! と両頬を両手で強く叩いて気合を入れる。……余計な考え事をして、良い意味で気が紛れた。ベストコンディションと言えるかは定かではない──そもそも虚弱体質が完治していない以上、ベストコンディションなど有って無いような物なのだが──けど、良い感じに‘風,と気が乗ってくれている。……これならいける。

 

そう判断したゼファーが、顔を上げて会場へと歩きだそうとした時だった。

 

 

「──ちょっと待った」

 

とても鋭い、明確な『敵意』と言えるそれを持った言葉が後方から投げかけられる。

 

(……来ましたか)彼女の存在をかなり前から感知していたゼファーは内心でそう思いながら、クルリと身体ごと後ろを振り返る。そも、ゼファーがああして深呼吸を繰り返していた主な原因は、彼女から静かに向けられていた敵意にこそあった。

 

 

「なにか御用ですか‘ナナ,さん」

 

「……アンタにそのあだ名で呼ばれる筋合いは無い」

 

そこにいたのは一人のウマ娘。URAから指定された体操服とその上に付けているゼッケンから、ゼファーと同じクリスタルカップに出走するウマ娘だということは分かるが、どこからどう見ても「仲良くしましょう」という雰囲気ではない。むしろその逆。ギロリ──と、ともすれば殺気すら籠った視線がゼファーを貫き続けていた。

 

 

「……すみません。ですがみなさんから‘セブン,と呼ばれているウマ娘の方は学園にいますから」

 

「……ちっ」

 

彼女自身セブンの事をそう呼んでいる故にそれ以上の文句が言えなくて、憂さ晴らしに大きく舌打ちをする。……敵意のある言葉に、殺意の籠った視線に、大きな舌打ちと、明らかな悪態を付かれているのに、ゼファーは少しもたじろいでいない。むしろ、ある種の懐かしさすら覚えていた。

 

 

「…………」

 

「……すみませんが、私は勘が鈍いので、視線だけでは何も分からないです。何か言いたいことがあるのなら、どうか仰って頂けませんか」

 

まずは一手、こちらから本心を告げる。小さい頃から何度も行なってきた様々な仲裁活動による様々な経験は、ゼファーに本心から話し合うことの重要性を徹底的に学ばせてきた。無論、タイミングやなんやらの関係で「今は何も話さない方が良い」ような事も決して少なくなかったがそれはさておき、話し合わなければ何も進展する事が無いということだけは真理である。(ゼファーをよく知る人物がここにいれば‘勘が鈍い,の部分にツッコミを入れたかもしれないが)

 

 

「‘アンタだけは絶対負かす,ただそれだけ言いに来た。……折角これからレースなんだ。言葉なんかよりもよっぽど分かりやすいやり方があるでしょ」

 

だがそれは拒絶された。──何もかもレースで語れば良い──そういう分かりやすい宣言と共に。……問題ない、彼女にとっては慣れた事である。

 

 

「どんなに分かりやすくても、結末や経過、なにより納得に‘差,が出ると思います」

 

言いたいことを言いたいだけ言い切ったのと、最後まで何も喋らないのとでは同じ「決着」でも明確に違う物になる。……知っている。ああ、よく知っているとも。

 

 

「……なんだってアンタにそんな事が言える?」

 

「……経験ですよ。私、小さい頃からついつい余計なお節介を焼いてしまう性質だったので」

 

何故ならずっと見てきたから。虚実に勘違い、遠慮にすれ違い、挙げ句の果てには一見どうしようもないような物まで。様々な要因で仲違いを起こしてしまう人達と、ゼファーはずっと付き合ってきた。──だからこそ、彼女は自信を持って言う事が出来る。

 

 

「──話してください。私になにか、言いたいことがあるんでしょう?」

 

例え誰であろうと、その結果どういう事態に陥ろうと、真摯に言葉を交わし、そして話し合わなければ、心に気持ちの良い風が吹くことは決してないのだと。

 

 

「……ちっ」

 

それから数秒ほど間を置いて‘ナナ,と呼ばれているウマ娘は、その眼光をより鋭くして言い放った。

 

 

「──認めない」

 

「……一体何を?」とゼファーが聞くよりも先に、答えが返ってくる。

 

 

「トレーニング中は何度も何度も力尽きて、あの人やトレーナーに迷惑を掛けどうし。学園生活でも毎日のように周囲に色んなフォローを頼んでは仕事を増やして周りを巻き込んでいるアンタなんか……!!」

 

「…………」

 

「私はアンタを認めない。休養寮出身のアンタがどうやってあの人に取り入ったのか、なんであの人がアンタにそこまで入れ込んでいるのか、それはどれだけ考えても分からなかったけど兎に角、アンタはあの城に入り浸るだけの実力があるウマ娘なんかじゃない……!」

 

ゼファーは何も言わなかった。彼女の言葉をシッカリと聞きながらそれを自分の中で噛み砕きつつ、更にこれからどうすれば良いかをただ只管に考えていた。

 

 

「……私と勝負しろ、ヤマニンゼファー」

 

ゼファーへの敵意を溢れんばかりの闘志へと変え、彼女は布告する。

 

 

「もし今回のレースでアンタが私よりも下の順位だった場合、チームステラを辞めて貰う(・・・・・)

 

「…………!」

 

彼女の名は‘ニホンピロセブン,

 

その名の通りニホンピロウイナーの親族であり‘ニホンピロ,の一員であり、ウイナーの事を強く強く慕っているウマ娘だ。

 

 



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重賞 15/26 GⅢクリスタルカップ その2

 

 

「……なかなかの仕上がり、と言ったところか」

 

「ええ、初めての重賞レースにしては悪くない感じかと。所詮は画面越しの映像から感じた物に過ぎませんが、それでも好走が期待出来そうに思います。……まぁ我らがチームの一員である以上、そうでなくては困りますが」

 

「意識を高く持つのは大事な事だが、それで重圧を感じるようでは元も子もない。そも、トレーナー()の狙いはレースとは別の所にあるように思える」

 

食後のティータイムをまったりと楽しみながら、アキツテイオーとダイイチルビーはトレセン学園のカフェテラスエリアに設置された薄型大計のテレビを見る。映っているのは勿論、本日行なわれるGⅢレース──ゼファーが出走するクリスタルカップだ。今は丁度パドックでのお披露目が終わり、いよいよこれからレース発走に向けて最後の準備が行なわれている所である。

 

 

「さて、それはそれとしてだ。奴は‘呑まれ,ないで済むと思うか?」

 

「その辺りの心配は不要でしょう。アキツさんもご存じの通り、ゼファーさんは学園でも随一の精神力とガッツの持ち主です。どちらかと言えばデビュー戦の時同様、周りを‘呑む,方なのでは? そう感じさせる風貌と態度を全くしていないので誤認されがちですが」

 

アキツは濃く入れた緑茶、ルビーは薄めのローズティーを時々口へ運びながら、ゆったりと会話を続ける。日本の厳格な‘ワビサビ,を体現したような風貌と性格をしているアキツと、英国の優雅で華麗な貴族階級を顕現させたような雰囲気を持つルビー。一見どう考えても噛み合わなさそうな両者だが実はこの二人、食後の一時や三時のティータイムを共にする事が多い、所謂茶飲み仲間だった。相手への礼儀と作法、花鳥風月や粋か否かを重んじる心意気など、互いに共感し合う部分が多かったというのもある。

 

 

「むしろ私はゼファーさんではなく、他の方々の方が心配ですわ」

 

「それは‘そういう心配,か? それとも──」

 

「両方です。例えゼファーさん本人が呑まれずとも、レース中に他の方々の影響を受けない訳ではありません。なにより彼女は周りの空気にとても敏感ですから、走行中に余計な思考(ノイズ)が発生してしまう可能性はあるかと」

 

時速60キロ超のスピードでターフを駆け抜けるウマ娘レースでは、ホンの少しのノイズが文字通り致命傷になりかねない。集中力を欠いて順位を落とす程度ならばまだ良い方で最悪の場合、事故や怪我、故障に繋がる事もあるのだ。それでもゼファー個人の心配はさほどしていないルビーだったが、ウマ娘レースには巻き込まれ事故という奴がつき物である。

 

 

「出走ウマ娘14人中、ゼファーさんを含めて7人……丁度半数が重賞初挑戦。私が言うのもあれですが、みなさん気負い過ぎていなければ良いのですけど──」

 

ルビーはそう言って、お茶請けのクッキーにスッと手を伸ばす。

 

 

「……?」

 

──が、無い。食後とあって量こそ多くなかったが、皿の上にまだ何枚かあったはずのクッキーが忽然と消えている。一瞬アキツが食べたのだろうかと思ったルビーだが、即座に「それはない」と思い直す。常に武士然としていて、相手に対する礼儀を重んじる性格をしているアキツがつまみ喰いのような真似をする訳が無い。──と、すれば。

 

 

このクッキーメッチャうまーい(ほほフッヒーヘッヒャふはーひ)! 流石ルビっち、お茶もお菓子も(はふはフヒっひ、ほひゃほほはひほ)超☆一☆流(ひょう☆ひひ☆ひゅう☆)!!」

 

「……ヘリオス」

 

思考を巡らす必要すら無かった。いつの間にやら自分の隣にいたダイタクヘリオスが、ムシャムシャと手にしたクッキーを貪るように食べている。

 

 

お茶会の写真と詳細を(ほひゃはいほひゃひんほひょうふぁいほ)ウマッターにUPるだけで(ふはっはーひうふふはへへ)鬼エグい「イイね!」(ほひへふひ「ひひへ!」)が付くだけあるよねー(ふぁふふはへふぁふほへー)!」

 

「お黙りやがれこのバカ。せめて咀嚼している最中に喋るな、過剰に物を口の中に入れるな、ハムスターもどきみたくなっていますわよあなた」

 

「はぁぁああああ……」と大きく溜息をついてから、カップに残っていたローズティーを一気に飲み干す。あまり華麗ではない行為だが、そうでもして気持ちを落ち着かせないと、華麗とは程遠い言葉が口から飛び出してきてしまいそうだったのだ。「ふぅ……」と息を落ち着かせてから改めてヘリオスの方を向いて、その言動を窘めようと──

 

 

「ルビっちルビっち? ダメだって、一気飲みはあんまお行儀よくないよ?」

 

「ぶっ○す」

 

ニヤニヤと滅茶苦茶腹の立つ良い笑顔でそう言ったヘリオスに躊躇無くそう言い放つ。こいつ相手に‘華麗かどうか,なんて一々考えてられるかゴルァ! という感じにいつも通りのじゃれ合いを始めたルビーとヘリオスを余所にいつの間にやら遠所へ避難していたアキツはそれを遠目に、なにか眩しい物でも見つめるような視線で二人を見やる。

 

 



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重賞 16/26 GⅢクリスタルカップ その3

 

 

「……んー」

 

柴中は何か考えるように唸りながら、レース場のターフの上を見やる。彼がいる場所はいつもと同じく、中央トレセン学園関係者席。パドックでのお披露目が先ほど終わり、今はレース開始の準備を担当スタッフ総出で行なっている所だ。

 

トントン──トントン──右手の人差し指で自分の頭を一定のリズムで何度も叩きながら、柴中は軽く唸る。それが彼が考え事をする時の癖であるという事を知っているステラのウマ娘が今ここにいれば何か発言を促すようなことを言ったかもしれないが、生憎と今日は彼一人である。

 

チームに新しく入ったウマ娘の、それも初の重賞挑戦だというのにトレーナー以外誰も応援に来ないという状況を軽薄と見る者もいるかもしれないが、事情があったり都合が合わなかったりすればどこのチームも大体こんな物だ。(GⅠ及びそれに匹敵するレースならば話しは別だが)寧ろ重賞は愚か、OP戦や階級戦に至るまでトレーナーを含むチームの誰か(殆ど)が必ず応援に駆けつけるスピカのようなチームの方が逆に珍しい。

 

 

「…………んー」

 

トントン──トントン──彼のその、一種の貧乏揺すりのような癖は止まらない。まるで無意識に左旋回を延々と繰返し続ける異次元の逃亡者(サイレンススズカ)のように周囲の歓声や喧噪を少しも気にせず、只管自分の頭を叩き続けている。余程真剣に考え事をしているのだろうか。だとすればレース開始が目前に迫った今、彼は何を考えているのだろうか。

 

 

「……大丈夫かなぁ、あいつ」

 

ふっ──と、唐突に頭を叩くのを止めてボソリと呟く。それだけ聞くと今回のレースに出走する彼の担当ウマ娘の事を心配しているように受け取れるし、実際にその通りなのだが、今回彼がしている‘心配,は普通のウマ娘トレーナーがするそれとは少し毛色が違っていた。

 

彼は「ウマ娘」としてのゼファーのあれこれはあまり心配していない。レースでも自分の予想通りか、それ以上の結果を出してくれると思っている。──故に、心配なのはゼファー「個人」の事だ。更に深く言うのであれば彼女が──

 

『ゼファー!』

 

スタンド席の方から聞こえてきた聞き覚えのある声に「ん?」と反応し、柴中は声のした方を見やる。見覚えのある顔のウマ娘達が、その手に小さな旗を持ってゼファーに声援を送っていた。来ている制服からしても間違いない、休養寮のウマ娘達だ。

 

『頑張れー!!』

 

自分へ向けられた声援に応えるように、ゼファーがターフの上から手を振りかえしているのが見える。その表情はいつもと変わらず和やかなれどキリッと引き締まっていて、良い具合に気合が乗っているのがよく分かった。……素晴らしい平常心だ。予想通りであれば既に‘彼女,と「衝突」しているだろうに。

 

これならばやはり‘あっち,に関しての心配もあまり必要なさそうだと、柴中はようやっと自分の頭を叩くのを止め、レースを観るのに集中することが出来るようになったのである。

 

 

 

──数日前──

 

 

 

「──ニホンピロセブンさん、ですか?」

 

「ああ、今回の一番人気……。ここまで9戦3勝の2着が3回、なおかつ一度も着外になった事が無い実力者だな」

 

ゼファーはチームステラの居城、チームハウス「キャロット城」はトレーナールームで、柴中からクリスタルカップについての具体的な作戦と注意事項を伝えられていた。決して「広い」と表現出来る部屋では無いが、それでも柴中とゼファー、そしてウイナーの三人で長時間話し合うには十分過ぎる程だ。

 

 

「……あの‘ニホンピロ,って──」

 

「──貴様の察している通り、我が親族の一人だ。遠縁だがな」

 

ウイナーは飲んでいたコーヒーをテーブルに置きつつ、サラリとそう告げる。その表情は極めて無に近く、ゼファーの観察眼を持ってしても何を考えているのか、どんな心持ちでそれを言っているのか完全には読み取れなかった。

 

──‘ニホンピロ,──

 

昔から歴史に名を刻む程のウマ娘レース出走者を輩出し続ける名家‘メジロ,や、古きよりの貴族であり、政界及びURAへの絶大な影響力を持つ‘華麗なる一族,とは違い、こちらは十数年程前から財界、政界、ウマ娘レース界といった数々の分野で一気に台頭してきた(その二つと比べて)新規精鋭の一族だ。歴史だけは前記の両者に負けず劣らずの物があったのだが、どうにも両者と比べて色々と影が薄く、肝心のチャンスでも他者にそれを自ら譲るなど目立つ所が少なく、あまり注目もされていなかった。──ウイナーという文字通りの‘勝者,。規格外のウマ娘が生まれてくるまでは。

 

 

「距離適正は……こいつの場合、トレーニングによる改造と慣れでどうとでも変化しそうでなぁ。今の所はマイル以下の距離しか走ってないが、長距離も普通にいけると思ってる。跳躍のセンスもありそうだし、障害レースにも適正があるんじゃないか? ああ、ただ作戦はハッキリしてるな、先行か差しだ。で、なんだけど──」

 

「……一つ、聞いても良いですか?」

 

手に入れた、及び自ら作成した資料をパラパラと捲りながら、柴中はセブンがどんな‘ウマ娘,なのかを説明していく。無論、それもちゃんと頭に入れてはいるのだが、ゼファーはそれ以上に知りたいことが……ウイナーに対して聞きたい事があった。「許す、言ってみろ」とアッサリ許可が取れた為、ゼファーは遠慮無くその懐に踏み込む。

 

 

「では──なんで今回の作戦会議は、セブンさんの話しから入ったんです?」

 

ピクリ──と、ホンの少しだけ。しかし確かにウイナーの眉がゼファーの言葉に反応するように動いた。柴中に至っては一瞬とはいえ、目まで見開いていた。当然、それを見て「やはり何かある」と読み取れないゼファーではない。

 

 

「…………何故とは?」

 

「重賞レースの作戦ですから、1番人気のウマ娘さんの研究及び対策を練るのは当然の事だと思います。ですが、それはいの一番に行なわなければならない事でしょうか?」

 

ゼファーは今回が重賞初挑戦。しかも格上挑戦で、そのうえ芝のターフで行なうレースはこれが初めてだ。であれば他の有力ウマ娘に対するあれこれよりもまず、重賞レースにおける注意事項やアドバイス、その他気を付けなければならない事を最初に話すのが自然な流れではないだろうか。そもそもの話しだが、トレーナーである柴中は良いとして、なんでウイナーまで作戦会議に加わっているのか。

 

ゼファーが正式なチーム入りを果たす前のトレーニングは、そのとき柴中があちこち駆け回って忙しかったから彼女が面倒を見ていたというのは納得がいくが、今回の作戦会議にまで加わっているのは少々不自然に思える。いくら重賞かつ初挑戦とはいえ、チームリーダーである彼女にそんな時間的余裕があるだろうか。そして極めつけが‘ニホンピロ,の冠をしたウマ娘だ。

 

 

「ですから、何かその方について私に教えておかなければならない様な事があるのではないのかな──と。下衆の勘ぐりでしたら申し訳ありません」

 

そう言って軽く頭を下げるも、その心持ちは変わっていない。間違い無く‘何か,があるのだ。それを聞いたウイナーは相変わらず無表情の面持ちのまま、なんでもない事の様にツラツラと喋り出す。

 

 

「──我が栄光と威光に目が眩んだ「盲信者」──それが今の奴だ」

 

その声に抑揚は無い。その目に陰りは無い。その表情に憂いはない。──しかし、どこか悲しげな‘風,が、確かにウイナーの方から漂ってきている。

 

 

「盲信者……?」

 

「ああ。我が民となった者達の中にも僅かながらいるが、奴はその筆頭だ」

 

ウイナーこそが日本のウマ娘の頂点に立つべき絶対の皇帝だと信じ、その地位に就かせる為あらゆる研鑽と手段を惜しまない。……今のところ何か大々的な行動を起こしてはいないが、それも時間の問題だろうとウイナーは言う。なにせ、彼女は生徒会長がウイナーではなくルドルフであるということすらも不満らしいのだから。

 

 

「…………」

 

「それが分かっていながら何故──と言いたげな表情だな」

 

そこでようやく、ウイナーは小さく溜息を付いた。

 

 

「既に警告はしたさ。何度も、それも色々な形でな。「私からの命だから」と取り合えず全て聞き入れはするのだが、何度命を下しても心と瞳に焼き付いた憧憬を……それが変質した‘盲信,を破壊するには至らなかった」

 

「皇帝として不甲斐ない」と、ウイナーは彼女にしては珍しく自傷気味に吐き捨てる。その様子をシッカリと記憶しながら、ゼファーは既に「これからどうすれば良いか」を頭の中で考えていた。

 

 

「そしてだ。恐らくではあるが、奴は貴様に敵意を持っている。無論、ウマ娘レース出走者としての好敵手めいたそれではなく害意──最悪の場合、殺意にすら変貌しかねん物だ」

 

ゼファーはつい最近、休養寮から本校へやって来たばかりのウマ娘だ。それが何の因果か‘マイルの皇帝,と呼ばれるウイナーに魅入られて、学園屈指の強豪チームであるチームステラの一員となった。まだ体質が完治しておらず、トレーニングを終えた後で……否、トレーニングをしている最中にもスタミナ切れで倒れ伏す事が少なくない貧弱極まりないウマ娘がだ。

 

これがもし将来を大きく期待されているウマ娘──‘天才少女,ニシノフラワーなどであれば彼女も一切の文句無くウイナーのチームに入る事に納得しただろうが、ゼファーは違う。

 

 

「……私が‘休養寮のウマ娘,だからでしょうか」

 

「強いか弱いか、私に相応しいか相応しくないかを重要視する様な奴である事は間違いないが、その辺りまで気にする奴かどうかは知らん。案外、今回のレースで貴様の実力を把握すればアッサリ引き下がるかもしれん」

 

「……なるほど」

 

ゼファーは考える。今までの情報から察するに、確かに今回のレース──重賞、GⅢクリスタルカップでゼファーが強い勝ち方をすれば、彼女はそれで納得するのかもしれない。「ウイナー至上主義」であるらしい彼女は、その側近達にもそれに相応しい強さと在り方を求めているのだ。……ならば解決方法(どうすれば良いか)は誰にでも分かる。

 

 

「何はともあれ‘勝て,……それで大凡問題は解決だ」

 

そう、レースに勝てば良い。レースに勝てば────────本当にそれで良いのだろうか。

 

 

(……ですよね。やっぱりそれだけではダメです)

 

確かに重賞レースに勝ちさえすれば彼女は引き下がるだろう。それでゼファーの事をステラに相応しいと認めるかは定かでは無いが、彼女もトゥインクルシリーズの出走者。仮にレースで敗れれば、少なくともこの件に関して何か言ってくるような事は無くなるはずだ。……逆に言えば、ただそれだけである。ただこの件について何も言わなくなるだけだ。それではウイナーの真なる願いも、セブンの秘めたる慟哭も叶えることは出来ない。この問題を解決するためにはレースでセブンと激突するだけではなく、それ以上に───

 

 

 

「──一つ、お願いしたい事があります」

 

 



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重賞 17/26 GⅢクリスタルカップ その4

 

 

「──決まっている、必要が無いからだ」

 

いつものように凜々しい声質で、いつものように容赦ない言葉を、いつものように躊躇いなく、あの人は吠え立てるように主張する私に言った。その言葉の意図するところが、その理由が、内なる真意が私の低度な頭脳では上手く汲み取れず、やはり愚かにも「何故ですか」と問うてしまう。

 

 

「何故……何故、か」

 

私の問いに、あの人は少しばかり考えるように目を閉じる。……正直、意外だった。「そんな事も分からんのか」と失望したような眼で責めるように理由を言われるか、でなければ「我が真意を読み取れん貴様に言う必要はない」と突き放される物とばかり思っていたからだ。十数秒の間を置いて、あの人が口を開く。

 

 

「……‘求めていなかったから,──だろうな」

 

「一体何を?」とは聞く必要が無かった。自分から行動を起こして置いて何だが、流石にそれは理解出来る。……だが、それはおかしい。貴方は間違いなくそれを欲していた筈だ。その為に数え切れない程の行動を起こしていた筈だ。地獄のようなトレーニングで脚質を改造してまで、中距離GⅠに出たじゃないか。

 

 

「それはあくまで‘手段,だ。私の願いを私らしく叶える為には‘それ,を手にするのが一番手っ取り早く、そして似合っていた」

 

ただそれだけの事だと、あの人は言う。……なんとか、なんとかだが、理解する事が出来なくもない。要するにこの人にとって‘誉れ,や‘栄光,は、目的を達成する為の道具に過ぎないのだろう。であれば、名誉も地位といった物になんら興味がないとしても不思議ではない。トゥインクルシリーズからアッサリ一線を引いたり、トレセン学園新生徒会長の有力候補として挙っていたのに立候補すらしなかったのも、恐らくそういう事だろう。

 

 

「あとは……そうだな。これはあくまで後付けの理由に過ぎんが──」

 

何が面白いのか、あの人は少しばかり口元を歪める。──愉快。その二文字が頭の中に浮かんできそうな、そんな表情だった。

 

 

「私は確かに‘皇帝,だが、同時に‘開拓者,でもある。欲しい物、手に入れるべき物、手に入れたいと思った物があれば、それは我と我が臣下達の手で自ら手に入れる。無償の献上──献上物の内容にもよるが、そういうのは基本的に私の柄ではない」

 

‘皇帝,であり‘開拓者,でもあるからこそ、そういった物は全て自分達の手で掴み取る。他者の手など必要無いし、そもそも欲してなどいない。故に、貴様のした事はありがた迷惑以外の何物でもない。──そこまで言われてようやくこの人の意図が読み取れた気がした私は、そこで再び頭を大きく下げて謝罪をしながら、心の中で強く強く決意した。

 

──だったら、この人が少しでも願いを、望みを、成したい事を成せるようにしよう。徹底的に周囲に目を光らせ、厄介な輩がいれば排除し、この人が巻き込まれそうな面倒事があれば、巻き込まれる前に私が全て引き受けよう。

 

これ以上この人に──誰よりも強くて優しい皇帝に、負担を掛けさせて苦しませるなど、させてなるものか。

 

 

 

 

「…………ちっ」

 

レース直前に余計な事を思い出してしまったと、ニホンピロセブンは頭をブンブンと振って残悔から逃れようとする。今は枠杁が始まる直前。各ウマ娘がレース前の最後の準備を整えている大事な大事な時間だ。

 

このタイミングで心身共に良い調子を保ったままの落ち着いたウマ娘は、レースでも良い結果を残しやすい。無論、それで勝敗が決するわけではないし、レース前にどれだけ掛ろうが、唖然とするような奇行に出ようが、それでスタートに大きく出遅れようが当然の様に勝ってしまう化け物みたいなウマ娘もいるが、そんなのは極々一部である。

 

 

「……ふぅ」

 

故に落ち着け。深呼吸をして肺に、身体に空気を送り込め。意識を集中させろ。今回のレースは──否。例えどんな順位だろうが、アイツにだけは絶対に負けるわけにはいかないんだから。

 

 

「よいしょ、よいしょ……っと」

 

チラリと視線だけで斜め後ろを見やると、ヤマニンゼファーが柔軟体操を念入りに行なっているのが目に映る。……その表情に陰りは無い。つい先ほどまで同じくレースに出走する他のウマ娘に「今日はよろしくお願いします!」と暢気に挨拶しては「あ、うん」だとか「……よろしく」だとか素っ気ない返事ばかり返されていた筈だが、どうやら気にも止めていないようだ。

 

 

(緊張感って奴が無いのコイツ……)

 

心の中でそう思い、怒り、嘲る。これは中央の重賞レース……そう、重賞レースだ。たった一つ獲得するだけで上澄み(超エリート)の仲間入り。URAとスポンサー契約しているスポーツ新聞には確実に掲載され、地元ではやんややんやと騒がれて、ウマ娘名鑑*1の歴史にその名が刻まれる。

 

ウマ娘レースにあまり詳しくない人々にはGⅠレースばかりが注目され勝ちで、中には「毎年同じ物やってるんだし、重賞の一つや二つくらい簡単に取れるんじゃないの?」というとんでもない勘違いをしているような人までいるが、本来OP戦はおろか、条件戦ですら「一勝」する事が出来るのは‘極僅かだ,。殆どのウマ娘はメイクデビュー戦ないし未勝利戦にすら勝てないと言えば、重賞レースに出走する事が出来るウマ娘がどれだけ凄いエリートなのかが分かるだろう。

 

故に、コイツがあの人から見定められたというのが甚だ疑問だ。前走である条件戦もメイクデビュー戦も見たし、中々の好走をするじゃないかとも思ったが、自分には「その程度」止まりにしか見えない。少なくともゼファーにはチームステラの騎士達(メンバー)に共通する凄みやオーラのような物は無い。それ即ち、ウマ娘レースを走る者としての極地たる‘領域(ゾーン),に到達する事が出来るようなウマ娘ではないという事を意味する。

 

あの人の──ニホンピロウイナーの‘目的,が一つを知っているからこそ、セブンの中にある「なんでこんな奴を」という思いは膨らむばかりだ。

 

 

「1枠1番ニホンピロセブン選手。準備が整い次第ゲートへ」

 

「──! ……はい」

 

自分の枠杁順がやってきて、セブンはもう一度頭をブンブンと振って余計な思考を振り払う。疑問の解消など、コイツを負かした後で幾らでも出来る。今はただ、コイツに勝つことだけを考えよう。

 

 

 

 

 

(……これが、重賞レース)

 

──勝ちたい、勝つ、勝ってみせる、勝たなければいけない──

──負けない、負かす、負けたくない、負けるわけにはいかない──

──楽しい、楽しい、楽しい、楽しい、楽しい──

 

四方八方上下左右。あらゆる場所から吹き荒び、幾重にも折り重なり伝わってくる風の声を身体で感じながら、ゼファーはコクリと何かに対して小さく頷いた。

 

 

(うん、分かってる。それだけ強い人達が集まってるって事だよね)

 

風を介して己の魂にまで伝わってくる、様々な思念。方向性が違ったり想いの強さに差があったりはするが、共通しているのは皆このレースについて思いを馳せているという事だ。

 

URAが管理、運営する中央はトゥインクルシリーズの重賞レース。その世代のウマ娘のトップ。これまでの戦績や成績などを参考にして選び抜かれたエリート中のエリートしか出走権が与えられない、そんな舞台。

 

どこぞの野球好きのウマ娘が

 

『レースに興味がない方にも分かりやすく例えるならば、GⅢがリーグ優勝。GⅡがクライマックスシリーズ優勝。そしてGⅠが日本シリーズで優勝するような物ですわ。……? ええ、勿論レースの話しですがなにか?』

 

と雑誌のインタビューで答えていたのを思い出す。正直なところ「余計に混乱するだけなのでは?」とも思うが、言わんとする事は分からないでもなかった。今回自分が出走するレースは、野球で例えるならリーグ優勝が掛った一戦──それほどの大舞台なのである。(ちなみに、中央トレセン学園入学で「プロのスカウトが来た」一度でも勝利すれば「二軍のスタメン」OP戦勝利で「今季の一軍内定」らしい)

 

そう考えると、むしろ何でそんな舞台に自分が選手として立っているのか若干疑問に思わんでもない。今回は格上挑戦だから「二軍から将来性がありそうな奴を引っ張ってきた」という事になるんだろうか。そういう事なら監督(トレーナー)にはより一層感謝をしなくては。

 

 

「1枠1番ニホンピロセブンさん。準備が整い次第ゲートへ」

 

「──! ……はい」

 

「…………」

 

ゴウッ──! と、今感じられる物の中では最も強く、最も危険な‘風,を纏ったセブンがゆっくりとゲートに収まる。彼女の身体から吹き荒んでいるその風が一体どういう物なのか、その具体的な内容は分からなくても、それがどういう性質の物なのかはよく知っていた。

 

──故に、考える。彼女の為ではない、ウイナーのためでもない。他ならぬ‘自分の為,にもまずは──

 

 

「次! 2枠2番ヤマニンゼファー選手。準備が整い次第ゲートへ」

 

「──はい!」

 

ゲート係委員に名前を呼ばれて、大きな声で返事をする。ゼファーはそれからもう一度だけ眼を閉じて大きく深呼吸をすると、そのままゆっくりゲートへと収まった。

 

 

 

 

『さぁ、第5回クリスタルカップ──』

 

ゼファーにとって初となる重賞レース。

 

 

『──今スタートしました!!』

 

「──ッツ!!」

 

そのゲートが、今開いた。

 

 

*1
URAが記録管理発表する、ウマ娘レースに関する様々な資料を纏めた物。基本ウェブで一般公開されているが、課金をすればより詳細なデータを見る事が出来る。



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重賞 18/26 GⅢクリスタルカップ その5

 

 

『さぁこれから第4コーナーのカーブ! 直線コースに向いてこようとしています!!』

 

 

レースもはや終盤で、残り400Mを通過した所。現在トップを走っているのは11番人気の‘モモガール,。ここまでの道中は常に先頭を走っていたが、あまりに全力を出しすぎたのか身体が既にバテ始めているようで、ハァハァと息苦しそうなのが遠目にもよく分かる。

 

それに続いているのが7番人気の‘ブレイブワンラン,。彼女はモモガールに張り付くように2番手に付けて様子を伺っていたのだが、こちらはまだ十分に余力がありそうだ。

 

更にその二人を見るように控えているのが2番人気の‘ミリョクゴコウ,だ。彼女は二人の様子を注意深く観察しながら、仕掛けるタイミングをシッカリとその眼で推し量っている。パッと見、このウマ娘が1番冷静かつ前を向いて勝利へと突き進んでいるように感じられた。

 

 

『400を通過!』

 

「…………ん」

 

この時点でゼファーは5,6番手。多少囲われるような形になってしまってはいるものの、幸いにも前は空いている。あいつの脚なら前に抜け出すことは十分可能だろうと、関係者専用席から見ている柴中はそう推察する。……あの状態(・・・・)でよく何も気にせず走れるなと半ば感心しながら。

 

──そして、レースは最後の直線コースへと入った。

 

 

 


 

 

 

『さぁ前が、直線コースに向いて参りました! 先頭は未だモモガールとブレイブワンラン、モモガールとブレイブワンランです!』

 

「…………」

 

静かに、静かに。ニホンピロセブンは自分のすぐ前を走るヤマニンゼファーを見やる。別にワザとそうした訳では無いのだが、彼女はここまでゼファーの後ろに付いて様子を伺うような位置取りをしていた。──故に思う。

 

 

(やはりコイツはあの人に──あの城の騎士の一員として相応しくない……!)

 

なるほど、確かに中々良い脚を持っている。位置取りも悪くない。重賞初挑戦だというのに落ち着き払っている部分も評価出来る。正直な話、セブンは内心でゼファーに感心すらしていた。これでちょっと前まで休養寮に所属していたというのだから、そりゃあ学園内でちょっとした()にもなるという物だろう。……どちらかと言えば「新たなコミュ強ウマ娘」としての意味合いの方が圧倒的に強かったのだがそれは置いておいて。

 

 

「ハァッ……ハ、ッア……!」

 

……だが、やはりそれだけだ。前走、前々走同様……否、今回はその二つより更に早くゼファーは息切れを起こしていた。重賞レース特有の様々な重圧による物だろう、顔色を少し見るだけで、辛く苦しそうなのがよく分かる。GⅢ──それもクラシック級限定のそれでここまでの苦戦をしているようでは、まるで話にならない。別に「無敗でいろ」とか「圧倒的な勝ち方をしてみせろ」とかそんな事を言うつもりは微塵も無いが、仮にもあのチームに入ったのであればいつか必ずGⅠレースを勝利して貰わねば困る。

 

 

『そして3番手外からミリョクゴコウが上がろうとしている、ミリョクゴコウは現在3番手!』

 

(だがコイツは精々OP戦を……上手くやったとしてもGⅢを1回取れるかどうかってとこのウマ娘だ!)

 

それでもウマ娘レース出走者としては十分過ぎるほど上澄みなのだが、やはりその程度ではダメだ。あの城は、あのチームは、あの人の努力の結晶。次なる開拓を行なう為の大切な武具そのものなのだから。……それを理解しているからこその評価。あの人にそれを叶えて貰いたいが故の拒絶。もし仮にゼファーがあの人のチームではなく別のチームに入っていたなら、同じ短距離路線を歩む同期兼強力なライバルの一人として接していたかもしれないが──。

 

 

(──どうでも良いか、そんな事……)

 

レースも終盤、残り250Mを切った。脚は十分残っている、ここから先頭目掛けて一気に──! そうやってセブンが意気込んで力強く前に踏み込んだ──その一瞬前(・・・・・)

 

 

 

──ぶわあぁっ

 

 

 

と風が、吹いた。いや、違う。より正確には──

 

 

「た、ぁああああああ、ああああああああ!!」

 

「……ん、なっ!?」

 

既にバテバテだった筈のゼファーが、今までよりも更に力強くスパートを掛けた事による余波。それが突風のように感じられたのだ。

 

 

『おっとミリョクゴコウの後ろからヤマニンゼファーも突っ込んできた!!』

 

(そんな、馬鹿な!?)

 

一体どこにそんな余力が残っていたのかと、思わず目を見張るセブン。体力や脚を温存しているようには全く見えなかったし、そもそもそれだけの余力が残っていたのなら直線コースに入った段階でスパートを掛けてしかるべきだ。レース数日前からゼファーのここまでのレースを分析し「間違いない」とした結論──彼女は未だ完治していない虚弱体質の影響で、残り200Mを切ってからでないとスパートを掛けられない。恐らく、トレーナーからもそういう指示を受けている筈だ──たった数秒、たった50Mの違いとはいえ、それを覆すような結果がセブンの目の前で起きている。

 

 

(一体なにが──!?)

 

『あとは内を通ってカメマルビンオーであります! これは上手い!!』

 

「──しまっ!?」

 

ゼファーがスパートを掛ける200M、その前に彼女を抜き去ってしまおうと考えていたセブンはここでようやく、最後尾にいたはずの‘カメマルビンオー,が第4コーナーを上手く曲がって最内を走り、一気に先頭集団に躍り出ていたことに気が付いた。現在のセブン順位は──着外の7番手。

 

 

「たぁああああああああああああああ!!」

 

「──こ、こんのぉおおおおおぉおおおお!!」

 

最早思考は不要。ただただ全力で走る事だけを念頭に、ニホンピロセブンはゼファー同様、全身の力を振り絞るように吠える。

 

 

『さぁ、前は残り後100Mを切りました! 先頭はまだ頑張っているブレイブワンラン! ブレイブワンラン頑張っているがこれが変わった!

 

 

 

 

 

──今度はミリョクゴコウ! ミリョクゴコウが先頭に変わりました!! ミリョクゴコウが今一着でゴールイン!! ミリョクゴコウです! 前走スプリングステークスの鬱憤を晴らすが如き見事な勝利で重賞初制覇!! 2着にブレイブワンラン! そして3着にはヤマニンゼファーと続いています!!』

 

 

 

結果として、ヤマニンゼファーは3着。ニホンピロセブンは5着。両者共に、試合には敗する結果となった。

 

 



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重賞 19/26 GⅢクリスタルカップ その6

 

 

『ミリョクゴコウが今一着でゴールイン!! ミリョクゴコウです! 前走スプリングステークスの鬱憤を晴らすが如き見事な勝利で重賞初制覇!! 2着にブレイブワンラン! そして3着にはヤマニンゼファーと続いています!!』

 

 

「……3着か」

 

ボソリと、事実をただ口に出したかのようにあまり抑揚の無い声で柴中は呟く。その表情は特段気落ちをしているようには見えない。残念な結果に終わったと言えばそうかもしれないが、それはあくまで勝負の話しだ。これからの課題も今回のレースで見つかったし、彼女の強みもより明確に見えてきた。収穫は十二分にある。そも、今のゼファーを重賞レースに出走させる事が出来た時点で、最低限の目標は既に達成している(・・・・・・・・)

 

 

「……やっぱ差しよりも先行だな」

 

柴中は考える。最後の直線、残り250Mを切ったタイミングで、ゼファーは最後の力を振り絞って更なる末脚を爆発させていた。まだまだデビューしたばかりの新バにしてはかなりの物だったが、爆発的な瞬発力も突き抜けるパワーも、本来の差しウマ娘のそれには程遠い。今回は上手いところ3着に入ったが、あのタイミングでしか末脚を発揮出来ないのであれば、大逃げや強烈な追い込みを武器とするウマ娘には今後歯が立たなくなるだろう。

 

……彼女の強み。今回のレースで再認識した最大の武器。それを発揮するには、やはり先行をさせるしかない。そしてその為には──

 

 

~♪~

 

 

「おっと」

 

スーツの内ポケットで鳴り響いたスマートフォンのバイブ機能に反応し、即座に取り出して電話に出る。相手が誰かなど、確認する間でもなく分かった。

 

 

「──よう。どうだった、今回のあいつの走りは」

 

『……それは普通、我が貴様に問うべき物ではないのか? 我が魔術師(トレーナー)よ』

 

マイルの皇帝、ニホンピロウイナー。チームステラの誰かが出走したレースの直後に柴中に電話が掛ってきたとすれば、それは十中八九彼女だ。

 

 

「そりゃもちろん俺は分かってるさ。これでもGⅠトレーナーだからな。ここが良かったとかここが悪かったとかそういう理知的で具体的な意見じゃなくて、単純にお前の感想が聞きたいんだ」

 

『……ふん』

 

これからの育成方針や出走させるべきレース。その時の具合や調子によって如何様にも変化するだろうが、大まかな未来図は既に──今回のレースに出走させる前から出来ている。だが「恐らくこれが最善の筈」というその未来図(ビジョン)をより明確にしていくためには、やはりマイルレースの頂点に君臨するウイナーの意見が必要不可欠だ。柴中はあくまで人間──ウマ娘ではないのだから。

 

 

「初重賞初芝ターフで3着入線。これを善しと見るか悪しとみるかってとこだが……」

 

『悪しに決まっている。やむを得ないかつ本来の脚質ではない作戦だったとはいえ、道中の疲労が目立ったし第4コーナーからの抜け出しも少し遅れていた。奴の体質が万全であれば仕掛けるのももっと早く行えた筈だ。……どうやら我らの想像以上に奴の虚弱体質が脚を引っ張っているらしいな』

 

「全く忌々しい」とでも言いたげに、ウイナーは不満点を挙げていく。その殆どは原因がハッキリしている物ばかりで、ゼファーの走りその物についてはそこまで否定していない事から察するに、そちらに関しては「悪くはない」ぐらいには思っているらしい。

 

 

『──とまぁ、こんな所か。勝利したミリョクゴコウの走りが、戦略など含めて見事だったのは疑いようもないだろう』

 

「……ん、ありがとな。俺も大体同じ意見だった」

 

ウイナーの感想を忘れない内にメモ帳に書き連ねながら、柴中はこれからの育成方針とレース計画がより明確に見えた事に顔を綻ばせる。

 

 

『……大体予想は付いているが問おう。我が魔術師(トレーナー)よ、これからどうするつもりだ?』

 

「当初の予定通り、秋の中頃まで長期の休養とトレーニングに入ろうと思ってる。あいつの体質──先天的持久力発達障害の完治を目指しながら、身体の基盤を強くして各種基礎能力を高める為のトレーニングを徹底させる」

 

レースが終わって尚立ち止まらず、必死の表情でターフを走りながらゼェゼェと荒くなった呼吸を整えるゼファーを見て柴中は言った。初重賞初芝ターフともなれば仕方がないことなのかもしれないが、今までで見てきた中で一番疲れたような表情をしている。当然だが、たった1200Mを全力で走っただけでこのありさまでは話にならない。一応、今のままの体力でも狙えるGⅠレースは一つあるが、それはチャンス含めてあまりにも狭き門だ。

 

『やはりそうか』とウイナーは独り言ちて

 

 

『その為の格上挑戦、3戦目にしての重賞チャレンジをさせたのだろう?』

 

間を置かずにそう続ける。やっぱお前には分かってたか、と柴中は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

長期休養──文字通り長期間に渡って休養を取る事だが、一口に‘長期休養,と言っても、その理由と内容は実に様々だ。一番多いのは怪我や故障、病気などを患ったウマ娘がトレセン学園へ申請して行なうそれだが、別に肉体的な問題を抱えていなくともウマ娘が長期休養を取ることはある。

 

『休養明けで基礎体力が落ちていて、基礎からトレーニングを積み直さないとレースに出られそうにない』『今の自分の実力では恥を晒す事になるだけだから、暫くレースに出走せず修行(トレーニング)に専念したい』

 

などといった‘今はレースに出走したくない,ウマ娘が長期の休養を取って学業とトレーニングのみを行ない、実力向上に務める期間があるのだ。正確にはそれらは‘休養,ではなく‘活動休止期間,というニュアンスの方が近いのだが、ゼファーの場合は己の虚弱体質の完治こそを目的としているため、長期休養と言う方がどちらかといえば適切だろう。

 

メリットは「次のレース」などという余計な事を考えず、休養並びにトレーニングに集中することが出来るということ。──そして

 

 

『だがそれにはデメリットがある。当然だがウマ娘レース出走者としての活動を休止しているのだから、その間はレースに出走することが出来ん(・・・・・・・・・・・・・・)。今回の格上挑戦は、その為のケアを兼ねているのだろう?』

 

「ま、そんなとこだよ。アイツなら一度その身体で経験すれば、感覚を忘れるって事はないと思ったんだ」

 

レースによる定期的な実戦こそが一番の成長を促せる機会である事を踏まえると、何ヶ月にも渡って出走する機会を失うのは大きな痛手だ。およそ一年も間を置いてしまえばその間にどれだけ理想的な鍛練を積み続けようが、中央の重賞レースで勝利することは不可能になると言われている。例えどれだけ素晴らしい実績のあるウマ娘であろうとも、だ。ゼファーはまだデビューしたばかりの新バだが……否、新バだからこそ、長期の活動休止期間を設ける前に‘芝のターフ,と‘重賞レース,を味わっておいて貰いたかった。

 

 

『……そうなると次の出走は──』

 

「10月以降の条件戦を狙う。休養明けだから初戦は兎も角、2,3戦目になればアイツなら勝利する事が出来ると見てる。んで、上手いこと勝利出来て尚且つ枠が空いてたら──ルビーと一緒にぶっこむぞ。年末のGⅠラッシュ、その第1弾──スプリンターズ・ステークスに」

 

柴中はそう遠くない未来を脳内に想い描く。……今年の12月。短距離王を決める、現状国内唯一の短距離GⅠ、スプリンターズ・ステークスで凌ぎを削り合うそよ風(ゼファー)宝石(ルビー)の姿を。そのレースを今日のように間近で見ている自分の姿を。

 

 

 

 

「……んで、話は変わるけどギリッギリのギリッギリだったとはいえ、あいつはこうして目に見える戦果を上げたんだ。柄じゃないかもしれないが、お前もちゃんと約束を守ってやれよ、ウイナー」

 

『……貴様に言われなくとも分かっている』

 

 

 

 


 

 

 

 

「…………」

 

私は力なく、項垂れるように芝のターフの上を歩く。──5着。5着だ。最後の意地でなんとか掲示板は確保したが、1着のミリョクゴコウとの着差は3と1/4バ身。惨敗と言って差し支えないだろう。……唯一無二の勝利者になることが出来なければ、2着も最下位も大した差などない。レートが若干上がり、次の重賞レースに出走しやすくなるというだけである。……だが

 

 

「…………1バ身」

 

アイツ──3着に入線したヤマニンゼファーにさえ、1バ身の差を付けられた。あれだけ苦しそうに走っていた、見るからに体力の限界を迎えていた、重賞初挑戦のウマ娘にだ。最後の直線、力の一片も残さないと言わんばかりに全力でひた走るゼファーの姿を回想し「どこにそんな力が──」と思わないでもないが、そこはもうどうでも良い。

 

肝心なのはアイツは私との個人的な勝負に勝って、私は負けたということ。──要はあれだ。私は‘また,あの人を理解出来なかったのだ。あの人とそのトレーナーの観察眼を疑い、個人的な因縁で勝手にケンカをふっかけて、こうして無様に敗北した。未だあの城の騎士として彼女が相応しいかは疑問があるが、最早私には何も口を挟む権利が無い。そも、あの人が直接その眼で見いだした騎士達(彼女達)と違って、私はあの人とちょっとした血縁があるというだけのウマ娘。……ただそれだけの──

 

 

「あ、あのっ!」

 

「──!」

 

ボウッ……としていた所に意識外から声を掛けられて、私はバッ! と顔を上げて眼前を見やる。未だゼェゼェと苦しそうに息を切らすヤマニンゼファーが、そこに立っていた。

 

 

「……なによ」

 

我ながら素っ気ない上に勝者に対して礼節の無い態度だとは思いつつも、私は「なにも言うことはない」とばかりに突っ慳貪(つっけんどん)な言葉で彼女を突き放す。

 

 

「……ワザワザ言質を取りに来たってわけ? 言われずとも、勝負はアンタの勝ちよ。約束通り、私は今後一切アンタの所属に文句は「いえ、そこは端からどうでも良くって」──はい?」

 

 

 

「──お願いがあります。どうか私の話しを聞いてくれませんか、ナナさん」

 

 



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重賞 20/26 GⅢクリスタルカップ その7

 

 

「──すみませんでした!」

 

バッ──! とゼファーに勢いよく頭を下げられて、セブンは大いに困惑した。中山レース場の地下連絡道の隅っこだ。一体なぜ一方的に勝負(ケンカ)をふっかけて、そして敗北した筈の自分が彼女から頭を下げられているのか全く理解出来ず「は……?」という声がセブンの口から漏れる。

 

 

「え、ちょっと待って。アンタ一体何に──」

 

「……ナナさんに謝りたい事が2つあります」

 

状況と事情を説明する為、ゼファーは一旦頭を上げてセブンと向き合った。

 

 

「一つ目はナナさんがレース前に仰っていた勝負そのものについて。こうして結果が出たあとで言うのは非常に不公平かつ不義理なんですが、私は最初から勝負を受ける気が無かった──もとい、ナナさんに言われた賭けの件を受け入れていませんでした」

 

「…………あ」

 

ゼファーから告げられて、そういえば──とセブンは思い出す。確かにあの時、ゼファーは賭けの件について良いですとも嫌ですとも言っていなかった。ただセブンからの言葉を、何も言わずに聞いていただけである。

 

 

「つまり今回のレースがどんな形で決着しようが、私はナナさんの言った‘賭け,の内容を守る気なんて無かったんです。ナナさんにどんな理由があろうとも、気安くそれを受け入れればナナさんを含めた色んな人達に対する侮辱になると思ったので」

 

セブンが言った賭けの内容──即ち、チームステラからの脱退の是非。これを気安く「良いですよ」と受け入れるというのはそれ即ち、ゼファーとナナだけの意思でチームメンバーは勿論のこと、自分達の周囲の人間を身勝手な都合で巻き込み、更には今回のレースに出走している他のウマ娘達を完全に視野外に置くという事を意味する。時と場合によっては身勝手な言動や、レースでの個人的な勝負も一種の美徳となり得るが、今回のこれはダメだ。ゼファーの嫌いな‘淀み,を発生させる原因にしかなり得ない。

 

しかしかといって「嫌です」とハッキリと断るのもあの時点では(・・・・・・)悪手になりえる。一方的に断ってしまえば今後も執拗に絡まれるだろうし、話して説得することが出来るような時間と精神状態ではなかった。最悪の場合、断られた事で苛立ちが沸点に達したナナがレース中に周囲の様子に気を配れず、他のウマ娘と接触事故を起こしてしまうような可能性まであった。

 

だからゼファーは‘良いですよ,とも‘嫌です,とも言わなかった。セブンに賭けが成立していると一方的に思わせ、出来うる限りレースに集中してもらう。勝負を受け入れていなかった件に関しては、こうやって後から真摯に謝罪すれば良い。──これがあの時、ゼファーが思い至った最善手。

 

 

「もう一つが、ナナさんが言っていた苦情……。私がチームステラに相応しくないと仰った件についてです」

 

ゼファーがセブンにどうしても言いたかった事。謝りたかった事。その本題へと話しを進める。

 

 

『アンタはあの城に入り浸るだけの実力があるウマ娘なんかじゃない……!』

 

 

「…………」

 

「あの時、ナナさんはこう言いましたよね? ……ええ、実は現時点では(・・)私も同意です」

 

‘あの城,とは勿論キャロット城の事だ。チームステラのチームハウスであり、マイルの皇帝・ニホンピロウイナーの居城。他大多数のチームのそれとは一線を越す大きさに、キッチンやシャワールームなどの各種設備を揃えた、実物と比べると実に小さな──しかして本物に負けず劣らずの気迫と気品を持って学園の隅に佇む、立派なお城。

 

 

「ウイナーさんは勿論、アキツさんにカレンさん。アケボノさんにルビーさん、それからフラワーさんにラブリィさん……。既にトゥインクルシリーズからDTリーグに移籍されているウイナーさんとアキツさんは当然として、チーム全員がこの国のウマ娘レース界にその名を刻む強い‘風,になる方たちです。今の私ではどんなに全力で頑張っても、風に舞う綿埃のように簡単に吹き飛ばされてしまうでしょう」

 

改めて言うがこのヤマニンゼファーというウマ娘は、現段階で自分がチームステラに相応しいウマ娘だとは欠片も思っていなかった。むしろあの日、休養寮で柴中から直々にスカウトされた時から常々……頭の片隅の片隅程度ではあるが、疑問に思っていたのだ。

 

短距離・マイル・2000以下の中距離レースに特化した、中央トレセン学園屈指の強豪チーム‘チームステラ,。皇帝たるウイナーとトレーナーである柴中がその素質と実力を認めた者のみが、神聖な円卓を囲う騎士として入隊を許可される──では、なんでそんな場所にもやしっ子の自分が? ウイナーと柴中が自分に見いだしている物とは、一体何だ?

 

 

「今は間違いなく、私がステラ最弱のウマ娘。ナナさんがそれをご指摘しているのなら、私には「その通りです」と返すことしか出来ません」

 

「…………悪いけど、アンタが何を言いたいのかあんま理解出来ないんだけど」

 

ゼファーの‘謝罪,の意図──何に対してそれを述べているのかがよく分からず、セブンは聞き返す。彼女が自分の意見に同意、共感しているのはなんとなく分かったが、それがなんで謝罪に繋がる?

 

 

「……知らなかったからです」

 

「知らなかった……?」

 

一体何を──とは聞く必要がなかった。間を置かずに、疑問の答えがゼファーの口から飛び出てきたからだ。

 

 

「ウイナーさんが……チームステラが、どれだけ凄いチームなのかを。どれほど沢山の人達の夢を背負っているのかを、私は真の意味で理解していませんでしたから」

 

 

 

──数日前──キャロット城・レース研究室──

 

 

 

『──はい、これで全部』

 

『ありがとうございます』

 

ゼファーはお礼を言って、柴中から差し出されたそのDVDをレコーダーにセットしてリモコンの再生ボタンを押す。これまで見てきた物と同じく、まずは蒼を基調としたなんとも言えない不可思議な──しかして決して嫌な感じはしない奇妙な模様をした背景と、勝負服を着込んだウイナー。そして動画のタイトルであろう文字が画面に映し出される。そこには、こう記されていた。

 

 

 

‘第2回ドリームカップ・トロフィーリーグ マイル部門 決勝,

 

 

 

「…………」

 

「私、不思議だったんです。なんであなたがウイナーさんの事をそれほどまでに強く慕うのか」

 

肉親、親族だからというには少しばかり関係性が遠すぎる。幼少期の時からの顔見知りで、当時まだ柴中とのマンツーマンでトゥインクルシリーズを走っていたウイナーが極希にトレーニングを見てやっていたというのは聞いたが、セブンが中央トレセン学園に入学してからはそこまで──所謂‘仲が良いグループ、もしくはコンビ,と周囲からみなされているウマ娘達と比べて接点が無かった。セブンの方からウイナーへの接触を避けていたのだ。

 

しかし「疎遠になったか」と言われれば決してそうではない。──逆だ(・・)。ウイナーの事を入学する前よりも更に強く、‘信仰,と言って差し支えないそれになるほどに己の感情を変化させていたセブンはあえて彼女から距離を置き、自ら生徒会に入ってまで、ウイナーに降りかかる仕事やその負担を減らそうと尽力していたのである。

 

 

「あ、アンタ、どうしてそれを──!」

 

「……ごめんなさい、ウイナーさんに直接聞きました。どうしても知っておかなければならない事だと思ったので」

 

「ぐっ……!?」

 

呻くセブンに対して再び頭を下げるゼファー。何も言い訳せず事実を語り、素直に頭を下げて謝られ、しかもウイナーの名まで出されたらセブンとしてはもう黙るしかない。

 

 

「だから、少しでも手がかりになればと思ってトレーナーさんに見せて貰ったんです」

 

「見せて貰った……?」

 

「ええ。ウイナーさんがこれまでに走ってきたURA公式のレース。トゥインクルシリーズやDTリーグは勿論、URAファイナルズやその他特別な物を含めて全部(・・)

 

 

 

 


 

 

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』』』

 

とても大きな、他に例えようがないほどの大歓声。空気を振るわせ、大地を揺すり、思わず呼応して叫んでしまいそうになるほどの熱風が、テレビの大画面から伝わってくる。

 

 

『──さぁ、第4コーナーを回って最後の直線コースに入った!! 先頭は変わらずレンジタイトル! レンジタイトルが先頭を突き進む!! 内からはカメマルキッド、外からはヤシロノカミの追い込みを得意とするウマ娘が前を狙って突っ込んできているが──!!』

 

あまりに白熱したレース展開に、実況者にも思わず熱が入っているのが口調からしてよく分かる。少しでも油断すればとんでもない大声で叫んでしまいそうになるのを、彼は必死に抑えているのだ。

 

 

『しかし、しかし! やはりやって来た!! レンジタイトルのすぐ後ろから、凄まじい末脚で一気に進軍してまいりました────!!』

 

だがしかし、彼のその必死の努力は徒労に終わる事になる。理由は勿論、彼女(・・)がやって来たからだ。

 

 

『‘マイルの皇帝,ニホンピロウイナーだぁああああああああああ!!!!!』

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』』』

 

マイクを通してレース場全域に響き渡った実況者の大絶叫が先か、それに喚起するように叫んだ観客達の大喝采が先か、それともウイナーが先頭を走るレンジタイトルをアタマ差で抑え、ゴール板を駆け抜けたのが先か。

 

 

『‘マイルの皇帝,ここに在り! 誰もが夢見る究極の頂、ドリームカップ・トロフィーリーグ、マイル部門!! 第1回に続きみごと連覇を達成しましたニホンピロウイナー!!』

 

「…………すごい」

 

眼に、心に、魂の奥底にまで焼き付くような、壮絶極まりない正に夢のようなレース──それもその筈。なにせ出走しているウマ娘全員が、トゥインクルシリーズで優秀な成績を収めた、その世代を代表するウマ娘ばかりだ。そして今、その頂点の中の頂点。最強にして究極のマイラーである彼女が、ターフの上でスタンド席の方を向いて威風堂々と立っている。

 

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』』』

 

『どうかみなさまお聞き下さい! この天を裂き、地を割らんばかりの大歓声を!!』

 

実況者が会場の熱気をより鮮明に伝えるべく自ら黙り、テレビに、ラジオに、ネットの配信に会場の声を乗せて届けようとする。それはまさしく、天地を轟かす轟音にも聞こえた。

 

 

『──我が親愛なる民達に問おう』

 

だが皇帝たるウイナーのその覇気をも纏った声色は、その轟音の中でさえもよく通って聞こえてくる。

 

 

『このレースの勝者は誰だ』

 

──ウイナー!

 

 

『勝利の栄光を掴んだのは誰だ』

 

──ウイナー!!

 

 

『‘マイルの皇帝,たる我が名はなんだ!』

 

ニホンピロ、ウイナー!!!!!

 

レース会場中にウイナーの名を叫ぶ声が一瞬で伝播していく。それはトゥインクルシリーズでのレースで‘マイルの皇帝,と呼ばれるようになったウイナーが(ファン)達の期待と声に応えるべく、DTリーグに移籍してから行なうようになった勝利パフォーマンスの一種だった。観客達もそれを理解していて、ウイナー問いに合せるように皆で声を合せて彼女の名を高らかに叫ぶ。

 

 

『──良いだろう』

 

ウイナーは一瞬だけ声を溜めて、腹の底から押し出すように叫ぶ。

 

 

『ならば親愛と敬意を持って我を称えるがいい!! 我と誇りと魂をぶつけ合い、ターフの上で競い合った、強く素晴らしきウマ娘達──貴奴らに「自分はこれほどまでに強く、誇り高い皇帝と戦ったのだ」と、貴様達の我を称える声でそう思わせるほどに強く!!』

 

『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』』』

 

ウイナー! ウイナー!! ニホンピロ、ウイナー!!!!!

 

称賛の声は収まらない。会場にいる全ての人間がウイナーの名を叫んでいるのではないかと思わせるほどの大喝采を最後に、その映像は徐々にフェードアウトしていった。

 

 



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重賞 21/26 GⅢクリスタルカップ その8

 

 

「──凄かったです。本当、何も言葉が出なかったぐらいに」

 

ゼファーは思い返す。映像の中でターフの上を全力全開で駆け抜けたウイナーの勇姿。魂の奥底まで響き、心が揺れ動いてしまうような圧倒的な走り。皇帝としての威厳をシッカリと保ちつつも、ウマ娘レース出走者としてなんの支障もないその在り方。その場にいられなかった事が、間近で観られなかった事が悔しくて仕方がなくなるほど素晴らしいレース。

 

とうに過ぎ去った過去の、それもただの映像の筈なのにゼファーはあの時テレビの画面から、途方もなく強くて神々しい‘風,を確かに感じたのだ。

 

──きっと、あれこそが‘ニホンピロウイナー,というウマ娘の本気の(・・)。マイルの皇帝と称えられる、彼女の真なる全力。

 

 

「勿論、勝ったレースだけではなくて負けたレースも全て拝見させていただきました」

 

特に目を惹いたのが皐月賞と天皇賞・秋だ。

 

後に史上三人目の三冠ウマ娘となる‘ミスターシービー,に敗れた──否。正真正銘の大惨敗、圧倒的な差で最下位となった皐月賞。トゥインクルシリーズにおける‘シンボリルドルフ,との最初で最後の‘皇帝対決,──それを‘恐るべき襲歩,に二人纏めて差されて惜敗、ターフの上でルドルフと共に大笑していた天皇賞・秋。

 

前者は大惨敗、後者は惜敗という差はあるが、どちらも最後は威風堂々とした姿と表情で、敗北したウイナーは勝ったウマ娘にこう告げていた。

 

 

──次は、我が勝つ。

 

 

「…………」

 

「ウイナーさんが‘皇帝,と呼ばれている理由とその意味を、私はその時になってようやくホンの少しだけ理解する事が出来たんです」

 

ああ、彼女は正しく、そして間違いなく‘皇帝,だ。レースにおける輝かしい実績の話しではない。短距離(スプリント)とマイルレースを開拓した功績の話しでもない。当然、容姿の話しでもなければウイナー本人の趣味の話しでもない。

 

 

‘魂,だ。ニホンピロウイナーというウマ娘はきっと、その魂の在り方こそが皇帝の姿をしている。

 

 

「ウイナーさんはナナさんの事を『我が威光に眼を焼かれた者の一人だ』と仰っていましたが、私はそうは思いませんし思えません」

 

「──色んな意味で」と、ゼファーはそう最後に付け足した。正直な話、ウイナーの‘魂,に当てられた(・・・・・)者は、誰でも彼女の(ファン)になるだろうという皮肉的な意味で。もう一つが、実際にこうしてセブンと相対し、会話をして、狂っているともおかしいとも思えなかった自分の感覚的な意味で。

 

 

「あなたは純粋に、ウイナーさんの事を心から敬愛しているだけだと思います」

 

セブンの行動が比較的過激で遠回り故に、ウイナー本人に伝わっていないだけなのだと、ゼファーは確信していた。──コミュニケーション不足によるすれ違い。実によくある話である。

 

 

「……結局、アンタがなにを言いたいか分からないんだけど」

 

「大事なのは三つ。一つ目が、ウイナーさんが言葉では言い表せないぐらいとても凄いウマ娘だということ。二つ目がそんなウイナーさんを慕い、敬愛しているウマ娘やファンの方々が大勢いるということ。そして三つ目が、私はそんなウイナーさんとそのトレーナーさんに見いだされてチームに入ったウマ娘だということです」

 

「──それが?」

 

この時ようやくゼファーが何を言いたいのか、何に対して謝罪したかったのかを、セブンは理解出来てきた。一見すると自慢話に聞こえかねないゼファーの言葉だが、真にその意味を理解出来ているというのなら話は別だ。

 

 

「そんな私が無様な走りをレースで皆さんに見せ続けてしまえば、ウイナーさんの威光を陰させかねません。私を応援して下さる方々は勿論、ウイナーさんやトレーナー。ステラに所属している皆さんのファンの人達からもガッカリされるでしょう」

 

今更だが、今回のクリスタルカップにおいてゼファーは四番人気だった。前走、前々走と上手く勝利を重ねられているとはいえ、元休養寮所属かつ芝のターフも重賞レースも初挑戦のゼファーが上位人気に食い込んだのは一重に『あのチーム‘ステラ,に所属している』という事実が大きい。即ち、ゼファー本人の実力云々ではなく、ゼファーを見いだしたウイナーと柴中の判断を買われたという事だ。

 

 

「あなたはそれを不快に思った。ウイナーさんの偉大さを侮っていた私に、どうしても文句が言いたかった。そうですよね?」

 

「…………」

 

今回はまだ良いが、ヤマニンゼファーというウマ娘を世間によく知って貰うよりも前に、目を覆いたくなるような大敗を何度も繰り返してしまえば──それはきっと、沢山の人を傷つけることに繋がってしまうだろう。

 

 

「ナナさんの憧れを、ファンの方達の夢を、それに近しい場所にいるという意味を、私は深く理解していませんでした」

 

ニホンピロウイナーは‘皇帝,である。──繰り返す。ウマ娘、ニホンピロウイナーは‘皇帝,である。

皇帝には威厳が必要だ。度量が必要だ。栄光が必要だ。国が必要だ。城が必要だ。臣下が必要だ。民が必要だ。……逆説的に、それら全てを手中に収めた圧倒的な勝利者こそを、人は‘皇帝,と呼ぶ。

 

生ける伝説として、数え切れないほど沢山の人達の‘夢と希望,を背負い、ウイナーは今までずっと走り続けてきたのだ。無論、ゼファーは決してニホンピロウイナーというウマ娘とその栄光を軽んじていた訳では無いし、ウイナーもゼファーの言動を不快に感じたことは一度も無いのだが、周囲の人間からしてみれば

『パッと出の、それもあまり育ちの良くない──率直に言って怪しいウマ娘が突然我らが皇帝の傍に現われて、数日と経たずに栄光ある皇帝の騎士(チームメンバー)として認められた』ように見えた者もいるだろう。各国に伝承として伝わる‘傾国の妖女,のそれを思わせるような話の流れだ。

 

だから謝った。想像以上にニホンピロウイナーというウマ娘が偉大で、沢山の人達から慕われ、夢と希望を託されているのだという事を知らなかった自分の無知さで、いらない誤解と不安を与えてしまった事に。

 

 

「…………あんたさ」

 

暫くを置いたあと、セブンは何かを言いたげに少しだけ口を開いて、その後すぐに「いや、やっぱ良いや」と首を横に振った。

 

 

「取りあえず私の眼が笑っちゃう位の節穴で、また余計な事を考えて誤解して、独りで勝手に突っ走ってたって事はよく分かった」

 

「──! いえ、それは──!!」

 

思わず身を乗り出して否定しようとしたゼファーだが、セブンはそれを片手で制する。

 

 

「‘違う,とは言わせないよ。少なくとも結果的にはそうなるでしょ。あたしの言動とアンタの言動……どっちが『正しい物だったか』なんてワザワザ言うまでもないじゃん」

 

セブンの顔には、後悔も憂いも無かった。そも、彼女は最初からこう考えていたのだ。ゼファーが今の自分に惨敗するような弱者であれば、正式にあの人に直訴出来る。賭けの兼は当然無効にさせられるだろうが、「本当にチームに加えて良かったのか?」と意識ぐらいはさせて差し上げられる。これは自分とゼファーがレースで共に惨敗しようが同じ事だ。そして──

 

──ゼファーが本当にあの人が目に掛ける程のウマ娘であるならば、それはそれで問題ない。公式のレースを用いて勝手な行動を起こした自分一人が

 

 

「…………」

 

「……何でそこまで、って聞かないんだ」

 

そう聞いたセブンに対し、ゼファーは静かに首を横に振って否定した。

 

 

「気にならないと言えば、嘘になります」

 

「……ま、当然だよね。じゃなきゃあの人に直接話しを聞いたり、手がかりを探してあの人のレースを全部見たりなんてしないだろうし」

 

「ええ。──でも」

 

突然だが、いつか言った通りヤマニンゼファーというウマ娘は仲裁がとても上手い。彼女がそう(・・)なった時の話術の腕は、既にプロのカウンセラーの域に達している。……つまり

 

 

「でも、その答えはナナさんの心の奥の奥にしかない物でしょう? なら、私が容易に踏み込んで良いような物ではないと思います」

 

当然、空気を読むのも上手い。話している人物が触れて欲しくない話題、逆に触れて欲しい話題などを、彼女は敏感に感じ取る事が出来る。(ただし、彼女の性質やらその時の目的やらで気付いていても気付かないフリをすることも多い)

『だいたいこういう事があったんじゃないかな?』という予想は、ウイナーから聞いた話しやその他ゼファーが独自に行なっていた事前調査などから既に出来ていて、その予想が9割方当たっているという自信もあるが、それはワザワザ口に出すような事ではない。

 

それを聞いて「あっそ」と呟き、セブンは改めてゼファーに興味を無くしたかのように振る舞う。

 

 

「なら話しはここまでだね。ほら、アンタは3着入線したんだからウイニングライブがあるでしょ? さっさと着替えてリハ室に行きなよ」

 

「はい!…………あの!」

 

自分に背を向けて歩き出したセブンに、ゼファーは声を掛ける。「……なに?」と、彼女は後ろを振り返らないまま聞いた。

 

 

「……ナナさんの走りと、そこから感じられた‘風, 凄かったです。こんなにも誰かの事を想ってるんだって事が、走りから伝わってきましたから」

 

「…………」

 

「また走りましょう! 今度はもっと凄い──GⅠの舞台で!!」

 

──ふわっ と優しいそよ風が、その言葉と一緒にゼファーの方から吹いてきた。「……機会があったらね」と、変わらず後ろを振り返らないまま、手だけを力なくヒラヒラと振り返して、セブンは今度こそその場を立ち去っていく。

 

 



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重賞 22/26 GⅢクリスタルカップ その9

 

 

「……はぁ」

 

用意された待機室に入り、力なく溜息を付く。……理由は色々とあるが、単純に疲れたというのが大きい。もちろん全力で走ったレースの後なので身体の疲労はあるが、それ以上に精神の疲れが大きかった。ダメージと言うよりは虚無感に近いそれだ。

 

 

「よいしょっと──」

 

セブンは部屋に備え付けられているロッカーから閉まっておいたタオルを取り出すと、同じく部屋に備え付けられている洗面所の蛇口を捻ってタオルを適当に濡らし、顔を中心にゴシゴシと身体中を隅から隅まで擦っていく。

 

……予想していなかった訳じゃない。これでも‘眼,には自信がある方だが、あの人とそのトレーナーの慧眼は間違いなくそれ以上だ。その二人に見いだされたというのなら休養寮出身の新バだろうが、身体にどんなハンデを抱えていようが、将来に期待が持てるウマ娘なのだろう。

 

それでも万位が一、万が一にもヤマニンゼファーがあの人達の威光を汚すような駄ウマ娘であれば──。

 

セブンはそんな不安からゼファーの偵察を行ない、トレーニング中に何度も何度もスタミナ切れで倒れ伏しては、他のチームメンバーに助けられているゼファーを視た。授業の一環として行なう基礎トレーニングの最中にすら動けなくなって、クラスメイトの手を借りているゼファーを視た。早朝の自主トレーニング中に全く関係ない、たまたま同じコースを走っていただけの下級生の肩を借りてヘロヘロと歩いているゼファーを視た。

 

──そして

 

 

 

『──ほら立て。疲労はどの程度だ、呼吸の調子は?』

 

『だ、大丈夫です……。ありがとうございます、ウイナーさん……』

 

『全く……。皇帝たる我が背に負われる栄誉など、早々味わえる物ではないぞ? それと何度も言うが貴様はもう少し──』

 

 

 

それを見た瞬間、セブンの中で何かの他かが外れた。

 

ある日の夕暮れ。完全下校時刻を告げるチャイムが、ちょうど学園全体に鳴り響いた時。

 

あの人の──ニホンピロウイナーの背におぶられ、疲労に苦しみながらもどこか嬉しそうに微笑むゼファーの姿を視た。ウイナーも口ではクドクド文句と説教を垂れているが、やはりどこか楽しげだった。ともすればそう、親子のやり取りにすら見えたかもしれない。──自分が知らない、今まで見たこともなかった、ニホンピロウイナー(マイルの皇帝)の顔だった。

 

 

「……はっ」

 

そこまで回想して、自傷気味に鼻で笑う。ゼファーにああも固執し、チームステラから排除しようとした理由など、最初から分りきっていた。……ああそうか。私は、こんな下らない嫉妬(下らない物)の為にあの人を──

 

 

──♪──

 

 

「…………」

 

考えを遮るように、机の上に置きっぱなしにしておいたスマホの着信音が高々と部屋に鳴り響く。一瞬「疲れてるし、無視してしまおうか」とも考えたが、もし生徒会や会社(・・)からの緊急の連絡だったら大事だと即座に机に近寄ってスマホの画面を確認し──

 

 

「……ッツ!?」

 

そこで固まった。画面に表示されている送信主とその番号は、間違いなくあの人の名とスマホ番号を示している。……合計7コールほど間を置き、画面をタッチして電話に出た。すぐさま『遅い。私からの電話に動揺して一瞬出るのを躊躇ったな?』と容赦無い指摘が飛んでくる。──自分がよく知っているニホンピロウイナーの物だ。

 

 

「も、申し訳ありません! 丁度休息を取ろうとしていた所でして……気を抜いていました!!」

 

『そう慌てふためくな。レースが終わって間もない。休息を取っていたというのなら構わん。……それとは別に、電話に出るのを躊躇ったのは間違いないと考えているが』

 

「……すみません」

 

まるで飼い主に叱られた犬のようにしょぼくれるセブン。先ほどまでゼファーに対して取っていた比較的高圧的な態度は、完全に鳴りを潜めている。『まぁいい』と、ウイナーはそう言って話しを先に進めた。

 

 

『──それで? どうだった、奴は(・・)。貴様のお眼鏡にかなうようなウマ娘だったか?』

 

楽しげな愉快さと呆れたような失笑が混ざった様な声で、ウイナーは問う。……特に驚きは無かった。むしろ‘やはり見透かされていた、泳がされていたのだ,という納得だけが心の中にあった。

 

 

「……やはりお気づきでしたか」

 

『当然だ。……と言いたいが、甘いぞ。例え前情報が何も無くとも今日のレースを見れば貴様が何を考え、どういう行動を起こしていたのかなど、私ならば大体把握出来る。……色々と分かりやすいからな、貴様は』

 

そう、なんだろうか。割と表情には出ない性格をしていると自分では思っているのだが……。セブンがそう考える事すら見越していたのか、何も言っていないのに返事が返ってきた。

 

 

『例え表情には出ずとも態度と走りで丸わかりだ。特に、今回のように盲目的なそれではな』

 

「…………すみません、お見苦しい走りをお見せしました」

 

絞り出すような声で謝罪する。レースがどのような展開と結果になるにせよ、ウイナーに今回のレースを拝見されればこうしてお叱りを受けるということは最初から理解していたが──。『まったくだ』とウイナーは電話越しに頷いた。

 

 

『中途半端な執着は心を惑わせ注意を散漫にし、そして脚を鈍らせる。もっとトコトンまで突き抜けた物であれば話は別だが、その境地に至っている訳でもなかった。‘レース中は乱戦極まる戦場で命のやり取りをしている物と思え,と前に教えた筈だぞ』

 

「はい……」

 

『‘レースのこと以外何も考えるな,とまでは言わん。それは無我の境地が一つだ。ただ──』

 

返す言葉など何も無く、それを言葉にすることさえもどこか言い訳がましく感じて、セブンはそうやって黙りこくる。──そうしてウイナーから半ば一方的なお叱りを受けること数分。

 

 

『……そう言えば、貴様にこうして長いこと小言を垂れるのもいつ以来になるだろうな。どうだ、貴様は覚えているか?』

 

思い付いた事がそのまま口から漏れたかの様に、ウイナーは話題を変えた。若干不自然に思いつつも、その時の事をハッキリと覚えていたセブンは素直に答える。

 

 

「……七ヵ月ほど前、一部の情報メディアや個人記者のオグリさんを中心としたトレセン学園への執拗かつ悪質な取材行為を強制排除した時以来になります」

 

『ああ、そういえばそうだったか』とウイナーはさも興味無さ気な声色で呟いた。

 

 

『では貴様とこうして長々と話すのも七ヵ月ぶりか。……思っていたよりはずっと短く感じるな』

 

「……その、あまり蒸し返すのは良くないと理解しているのですが、あの時は本当に……」

 

『その事については『構わん、許す』とあの時も言っただろう。各種メディアへの出演並びに質疑応答は中央のウマ娘レース出走者として義務にも等しい物だが、あの時はウマ娘レースへの世間の注目度が良い意味でも悪い意味でも過剰だった。放置していれば、いずれ厄介極まりない事件が発生してしまっていたかもしれん』

 

これ以上ないほど好景気な世の中に、地方からやって来た芦毛の怪物、オグリキャップを中心とした‘平成三強,の影響による第二次ウマ娘レースブーム。美しくも逞しいウマ娘達による大迫力の高速レースに人々は大いに魅せられ、毎日のようにウマ娘レースに関する話題が全国放映のテレビで放送されていた時期。URA並びにトレセン学園への支援金や企業連携の打診が山のように舞い込み、GⅠレースが開催される時はレース場から溢れんばかりの観客が押し寄せ、ぬいぐるみやサイン入りTシャツなどの各種グッズが飛ぶように売れていた。

 

当然、そんな都合の良い事ばかりが起こる筈がない。むしろ中央トレセン学園にとっては、そんなメリットが些事だと思えるぐらいの大問題が発生していたのだ。──過度な、それも良識のない一部のメディアによる‘取材,である。

 



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重賞 23/26 GⅢクリスタルカップ その10

 

 

人間よりもずっと繊細(勿論個人差はある)だと言われているウマ娘は、赤の他人によるあまりに過度な干渉を嫌う傾向がある。しつこくても良識があったり、波長が合ってそのウマ娘に気に入られたりした場合は話が少し別だが、基本的に人間よりもストレスに対する耐性が低い種族なのだ。

 

そんな彼女達が連日に次ぐ連日、それも丸一日使用するような長期間の取材を幾度も受け続ればどうなるか──答えは勿論、身体の調子や精神的なテンションが著しく低下する事になる、だ。

 

メディア慣れしている、そういった者達のあしらい方を心得ている一部のウマ娘達はそれほど影響は無かったが、耐性が無いウマ娘……特に話題の中心、時のウマ娘として全国的な人気者だったオグリキャップへの過度な取材と、それによる悪影響は凄まじかった。あの超絶大食らいのオグリが精神的に参ってしまい、大好きな食事を自ら抜くという信じられない行動を取る程に。無論、URAやトレセン学園も非常勤の警備員の数を増やしたり、取材内容を事前に事細かく確認するなどの措置は執ったが、そこまで意味は無かった。一度人々に広く、そして強く伝播してしまった‘熱狂,は二つの組織の想定を遙かに上回っていたのである。

 

少しずつ、だが確実に弱っていくトレセン学園のウマ娘──それを受けて一番最初に大胆かつ明確に、悪質なメディア達への排除行動に出たのがウイナーだ。彼女は実家の名と権力を用いて彼らにハッキリと敵対し、一旦ありとあらゆる全てのメディア関係者をトレセン学園から物理的に追い出した。

 

その後はここまでに培ってきた様々なコネを使って裏から無言の圧力を掛けたり、URAやトレセン学園理事長……ウイナーが頑なに関わるのを嫌がっていたシンボリルドルフとすら手を組んで、トレセン学園並びにウマ娘達への取材に関する様々な規則を多種多様に再構築し、過度な取材行為がウマ娘達にどれだけ悪影響があるのかを分かりやすく纏めた物と共に世間へと公表することで、彼女は規律という革命すらも起こしてみせた────と、世間的にはそうなっている(・・・・・・・・・・・・)

 

一番最初に悪質なメディアの排除に動いたのは──悪質なメディア達と真っ先に敵対し、物理的に学園外に追いだしたのは──他ならぬセブン自身だ。

 

非情と取られるかもしれないが、先に言っておく。実の所セブンは、ウイナーとその周囲の関係者達以外がどんな被害を受けようと知ったことではなかった。もしもウイナーがこの件で行動を起こそうとしなければ、恐らく彼女も何もしなかっただろう。セブンがウマ娘の圧倒的な膂力を駆使して力尽くでメディア関係者を学園から排除しようとしたのは、突然そんな暴挙に出たのは、単に『このままではまたあの人が動く』『余計な敵を作る』と確信していたからである。

 

 

──我がそう指示を出した。……ああ、いい加減目障り故に排除しろとな。……なぜ? 何故だと? 皇帝に対しての礼節も知らん無礼者どもに配慮する必要がどこにある? なるべく怪我を負わせないよう行動しただけ上々だろう。──

 

 

結局、彼女のその独断行動は、それを咎める為に行なわれた生徒会室での厳重注意の時に突如として割り込んで来たウイナーによって、彼女の手柄(所為)にさせられた。……セブンを庇う為の言い分と行動だという事は、誰の目にも明らかだった。

 

 

──‘余計な行動をした,などとは考えるなよ? 誰かが栄光と言う名の貧乏クジを引かねばならなかった。──

 

 

ウイナーはその後、空き部屋に呼び出したセブンに開口一番そう言った。

 

中央トレセン学園理事長の秋川は先代である親と交代してからまだ三年と経っておらず、今後を見据えなければならない今あまり過激な行動に出るわけにはいかない。

 

生徒会長であり、史上初の七冠馬であるシンボリルドルフも同様だ。ウマ娘レース界のスーパースターである彼女が大手メディア達に対して大々的にケンカを売れば、折角己が手で築き上げた物を台無しにしかねない。否。それだけならば彼女は躊躇無く‘皇帝,‘スーパースター,‘生徒会長,としての栄光を手放すだろう。が、仮にそうしてしまったが最後、彼女は‘だからこそ出来た事,まで一緒に手放す事になってしまう。それでも事態が収束すればまだ良い方だが、最悪の場合事態の悪化を招く要因になりかねない。

 

メジロを筆頭とした、大規模な令嬢ウマ娘達もまた同様である。色々と力を持つ者が、感情にまかせて下手に動くと一体どうなるか──そのリスクを、彼女達は幼少期の頃から徹底的に叩き込まれている。

 

──が、ニホンピロウイナーは別だ(・・)。その生き様と堂々とした態度、そしてグレード制度の成立と確立に貢献した実績から、彼女は‘皇帝,としてだけではなく‘時代を切り開く開拓者,としての在り方を世間から望まれている。

 

その上、社交界や経済界での渡り歩き方。各界の大物とのコネの作り方や、経済的なコミュニケーションのやり方などにおいては、超大企業の社長並みの才覚を持っている。その他説明は省くが、ウイナーは‘力と栄光ある者,としては破格とも言えるほど様々な行動をする事が出来るウマ娘なのである。実績は十分なのに生徒会長に立候補すらしなかったのも『行動の選択範囲を狭めたくない』『いざという時に真っ先に動けなくなる』というちゃんとした理由があった。

 

 

──確かに面倒事はウンザリするほど増えるだろうが……。なに、マルゼン(スーパーカー)タイキ(荒野王)それからスズカ(異次元の逃亡者)を相手にGⅠを勝利するよりは苦労せんだろう。──

 

 

またこの人のお役に立てなかったとガックリ項垂れた自分に、ウイナーからそう言葉が投げかけられた事をセブンはよく覚えている。『そんな事もあったな』と、ウイナーは特に気にしていない様子でそう言った。

 

 

『……ああ、そう言えば私としたことが聞きそびれていた事があったな』

 

「……? なんでしょうか」

 

今しがた思い出したかのように偽装して(・・・・)、ウイナーは問う。

 

 

『実はかなり前から思っていたのだが──なぜ貴様は私の事を避けるようになった?』

 

「……………………それは」

 

たった三文字の言葉を口から吐き出すのに、相当な時間が掛った。

 

 

『貴様の態度からして、私が嫌われたという訳ではないというのは予想が付いている。私の障害となり得る物を裏で排除しようとしているのも知っている。──なぜ避ける? それは特に隠密行動が必要な事などではあるまい』

 

「…………」

 

『……勅命である──【問いに答えよ】』

 

「ッツ……!」

 

ウイナーはセブンがこれ以上苦しまないように(逃げられないように)、彼女にとって絶対の存在である‘皇帝,としての自分を押しだして問いかける。彼女ならば自分の問いを無下にしたり、逃げるための言いくるめなどしないと確信した上で。

 

それから一分近い間が空いて、息苦しささえも感じさせるような声色でセブンは言った。

 

 

「────からです」

 

『……なに?』

 

それは、一般的な感性を持つ人間やウマ娘ならばいたって普通の──しかして普通ではないウイナーにとってはあまりにも予想外な回答で、ウイナーは珍しく(彼女にしては)驚きに満ちた声で思わず聞き返す。

 

 

 

「──私が、この世界で一番、あなたの足手纏いになるウマ娘だからです」

 

 

 

『……率直に言うが、貴様が言っている事が理解出来ん。これでも幼少期の頃からの付き合いだ。貴様がそう思い詰めるだけの理由はなんとなくでも察せられるが──だからと言って何故そうなる(・・・・・・・・・・・・・)

 

先んじていっておくが、ニホンピロウイナーというウマ娘は、ニホンピロセブンが抱えている負の側面をキチンと理解していた。彼女はウイナーという圧倒的な存在(勝者)と、幼少期のころから傍にいたのだ。周囲の人々から‘比べられた,事など数知れず。勉学、運動、その他数々の才覚──その自分との圧倒的な‘差,に、セブンは日々苦悩していた。……ウイナーに勝ちたいという競争心からではない。このままでは一族最高のウマ娘(自分の憧れ)であるウイナーの足をただ引っ張るだけの存在になりかねないという焦りと無力さからだ。

 

当然、それをとうの昔から把握していたウイナーだが──そこから先が共感出来ない(分からない)

 

確かに彼女の才は、自分と比べて劣っている部分が多い。レースだけの話しならばエリート揃いの中央トレセン学園全体で考えても、多めに見積もって上の下といった所。その差に愕然とし、苦悩すること自体は理解出来る。少しだが、ウイナーにもそういう事を感じるだけの機会があった。

 

けど、それが何だというのだ(・・・・・・・・・・)

 

才能に差があるというのならば、それを覆すだけの努力をすれば良い。努力出来るだけの環境がないというのなら、努力が出来る様な環境を作り出してしまえば良い。環境を整えるだけの資金がないというのなら、それを調達すれば良い。どうしようもなくて困っているというのなら、誰かの力を借りれば良い。

 

ウイナーの足を引っ張ってしまうという認識こそ理解出来るが、何故それがウイナーを遠ざける事に繋がる? 力を付けたい、強くなりたいと言うのならむしろその逆──自分との力量を測り、参考にする為の指針として傍にいるべきではないのか?

 

 

「無理ですよ」

 

ウイナーが長々と述べた疑問を、セブンは自傷的な笑みを浮かべて一言で切り捨てた。

 

 

『……なに?』

 

「私はあなたの様に強くはありません。あなたが「当然だ」と考えている事を実行することすら出来ないんです。──怖いし、辛いし、痛いんですよ』

 

『……ちょっと待て、貴様まさか──諦めたのか(・・・・・・)?』

 

無言の肯定だった(返答は無かった)。ウイナーの考えは『目的を達成する』事と、その為に必要な事を躊躇無くこなし続ける根性がある事が大前提となっている。

 

諦観という概念を欠片も知らず、目的を達成する為ならばどんな事でもこなし、どんな苦悩も困難も制覇して乗り越えてゆく絶対的な強者故に、ウイナーはセブンのそれに、彼女自身からそうだと言われるまで全く気付くことが出来なかったのだ。彼女にとって、そんな大前提など最初からあって当然の事だったのだから。

 

 

「そんな、そんな私が。努力や邁進さえする事が出来ない私が、‘強者,であるあなたの傍にいて良いウマ娘な筈が──」

 

いや、違う。それでは言い訳だ。──自分は‘弱者,であるということを盾にして、夢から、願いから、この人から逃げたのだから。理由の一つも言わずに逃げて、それでいて‘それでもなにか自分に出来る事は無いか,と考えて暴走し、結局足を引っ張った。レース前、ゼファーに対して『あの人のチームに相応しくない』と言ったがあれは単なる嫉妬から来る物ではなく、本当は他の誰より自分自身へ言ってやりたい言葉が、自然と口から出た物だった。

 

蚊の鳴くような声でそこまで告げてようやく合点がいったのか、ウイナーは『……そうか』と頷いた。

 

 

『ああ、ようやく理解出来たぞ。今思えば、確かに貴様は小さい頃から‘私の足を引っ張らないようになりたい,とは言っていても‘私を支えられるようになりたい,とは言っていなかったな。あれは一種の保険だった訳か』

 

幼少期の時から行なわれていた、自然なハードル下げ。それが無意識から来ていた物かどうかは分からないが、少なくとも諦観の予兆自体はその頃から既に垣間見えていたのだ。

 

 

──いつか、いつかきっと、あなたのお役に立つウマ娘になってみせます!──

 

 

『……貴様ならば、いつか私の臣下に相応しきウマ娘に自然となってくれると、ずっとそう思っていたのだがな』

 

眼を閉じ、脳裏に幼少期の思い出を回想させる。小学生の頃に行なわれた、URA主催のウマ娘キッズレース。そこで当然の様に圧倒的な力の差を見せつけて優勝したウイナーに高々とそう宣言したセブンの決意に溢れた眼を見て、輝かしい未来に想いを馳せた事をよく覚えている。

 

 

「……お願いしたい事があります」

 

それから少し間を置いて、セブンが言った。『──許す、言ってみろ』とウイナーが返す。

 

 

 

 

 

「どうか私に【金輪際関わるな】と命じて下さい。今のままでは私はきっとまた、貴方の為だと自分を偽って余計な事をしてしまいかねない』

 

 

 



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重賞 24/26 GⅢクリスタルカップ その11

 

 

「どうか私に【金輪際関わるな】と命じて下さい。今のままでは私はきっとまた、貴方の為だと自分を偽って余計な事をしてしまいかねない』

 

『……………………』

 

「今日だってあなたの大事な騎士の一人を、私の勝手な癇癪と都合で傷つけようとしたんです。あなたからの命であれば、私はそれに否応なく従う事が出来ます」

 

‘もう嫌だ,‘もう疲れた,‘いい加減諦めたい,──言葉から、その調子から、そんな思いが透けて見えた。どれほど頑張っても‘望んだ自分,になれなかったセブンからの、介錯の懇願。

 

 

「ですからどうか──」

 

『……良いだろう』

 

意外なほどアッサリと、ウイナーはそれに頷いた。彼女の慈悲深さをよく知っている故に、自分から言っておいて少しだけ驚いたセブンだが、すぐに全身を包む心地の良い諦観に微笑む。

 

 

(ああ……これでようやく──)

 

 

憧れから、離れ──

 

 

 

 

『マイルの皇帝、ニホンピロウイナーがその名において命ずる。────────【望みを捨てるな】』

 

 

 

 

────────は?

 

 

『どれほど辛く、地獄のような苦しみを味わうことになろうとも【邁進し続けろ】』

 

「──あ、の……」

 

『そして────【絶対に諦めるな】』

 

ウイナーが一旦言葉を途切れさせるまで、セブンは何も言えなかった。全く予想していなかった命令がウイナーの口から放たれたというのもあるが、それ以上にウイナーの口調が今まで聞いて来たどんな言葉よりも真剣で、凄まじいまでの力が──聞いただけで従わざるを得ないような圧倒的な力が籠っていて、驚くしかなかったのだ。

 

 

『……どうした? 既に命じたぞ。否応なく従うのだろう?』

 

「……なぜ、ですか」

 

だから、そんな反感の意を込めた疑問の言葉でさえ、こうして口から出て来たのは奇跡に近いとセブン自身は思っている。

 

 

『なぜとは?』

 

「──ッツ! 決まっているでしょう!! なぜそのような事をお命じになったのかって意味です!!」

 

声を荒げて叫ぶ。普段なら決してしないような口調、決して取らないような態度だった。

 

 

「私、私は──!」

 

興奮のあまり頭が真っ白になって、言葉を上手く紡げなくなる。

 

なぜ何の役にも立たない、それどころか足を引っ張ってばかりの私にそんな事を言った?

なぜごく普通の努力をし続ける事すら出来ない私にそんなことを言った?

なぜ──貴方から不要とされる(・・・・・・)事を心の奥底で望むようになってしまった私にそんな事を言ったのだ?

 

 

『……貴様が言ったのだろう? 私は決して折れず、諦めず、皇帝として君臨し続ける‘強者,だと──その在り方に従ったまでのこと』

 

「……は?」

 

言っている事の意味が分からず、セブンは再び呆けたように聞き返す。

 

 

『貴様が今の自分を不足だと感じ、苦しんでいるのならば、貴様が望んでいる自分にさせる(・・・)

 

「──!!」

 

──それは、やはり強者故の理論だった。

 

 

『その為に邁進することが出来ないというのならば、邁進する事が出来る様になってもらう(・・・・・・)

 

本物の‘皇帝,のような、一種の暴君にも近しい考え。そうなって当然だと言わんばかりの、あまりにも身勝手な発言。

 

 

『我が臣下として相応しい貴様に……。私が必要とする程の強者に育て上げる(・・・・・)。……貴様は自分を‘弱者,だと言ったな? そんな‘弱者,の理論や諦観などで私が折れるとでも思ったか? だとしたら不敬であると言わざるをえんぞ』

 

自分のそれだけではなく、他者のそれすらも容易には許容しない。むしろ徹底的に蹂躙し、征服し、叩き潰そうとする──いっそ清々しいぐらい身勝手で我が儘な、強者の理論。絶対強者であるウイナーは、そんな自分の理論と考えを、否応なくセブンに押しつけるつもりだ。

 

 

「なぜ……ですか」

 

先ほどのそれとは少しばかり意味の違う「なぜ」が口から出てくる。

 

 

「なぜ、私にそこまで拘るのですか……?」

 

ウイナーに相応しい実力を持った臣下や友人、民ならば他に幾らでもいる筈だ。彼女にとって自分は多少血が繋がっているだけの、遠巻きに慕う──一種のストーカー染みた行動までしている、厄介なウマ娘に過ぎない筈。それだけの存在に、なぜ──

 

 

『……そうだな。大なり小なり、良い理由も悪い理由も色々とあるが──』

 

ウイナーは思い返す。幼少期、己が魂の導に従ってただ只管に高く高くへと上り詰めようとしていた頃……を、少し過ぎた辺り。具体的に言うと、小学校の低学年の時。いい加減己が人生における‘目標,を定めるべきだと思い始め、お気に入りの英雄譚に出てくる王とその騎士達を参考に、自分もそこへと至るべく行動を開始した頃。学校の先生やクラスメイト、血族以外の誰に話そうが鼻で笑われるか、あるいは引かれるかでしかなかったその目標を聞いて、彼女は目を輝かせながらこう言ってくれた。

 

 

『──初めてだったからだ』

 

「……あ」

 

 

──で、では! 私を……私をあなたの、貴方の初めての──!

 

 

『──私に出来た、一番最初の臣下だからだ』

 

「…………あ、ああ」

 

まだ子供だったとはいえ、当時から既にこの調子だったウイナーにしては非常に珍しい事に心がふわふわと気持ちよく浮かび上がり、感情のままに口元をニヤリと歪ませたのをよく覚えている。……セブンが己が臣下となったあの日にこそ、ウイナーの皇としての物語は真なる始まりを告げたのだ。

 

 

『腹心の一人を易々と手放そうとする皇帝がどこにいる──!』

 

「────────────────」

 

ポロポロと、セブンの瞳から涙が零れ出ていた。──この人は覚えていてくれた、覚えていてくれたのだ。小さな頃、本家の書蔵庫で聞かせてくれたウイナーの夢と目標。それに突き動かされるように口から出ていた忠誠と懇願。とうの昔に忘れ去られたと思っていた自分にとって大事な思い出と誓いを、今もちゃんと覚えていてくれた。

 

 

(……ああ、そうか)

 

その後瞬く間に皇としての頭角を現し、想像を絶する努力とホンの少しの才覚、そして女神に愛されているとしか思えないような天運で、あらゆる事の‘勝者,となっていったウイナー。その第一の臣下であるということが、セブンの誇りであり、心の支えだった。

 

 

(忘れていたのは、私の方だったんだ……)

 

ウイナーというウマ娘の強さを、誇りを、慈悲を、伝説の始まりを見届けたことを、それに恥じない生き方をしようと誓ったことを忘れ、何の役にも立てていないという躁焦感から‘なんとしてでもお役に立たなければ,と暴走をし続けた。この醜い内心を明かせばきっと拒絶されてしまうという恐怖感から、何一つとして告げずに自分で彼女から遠ざかった。

 

……何という無様だろうか、やはり‘今の自分は,この人の臣下として相応しくない。──そう思いつつも、先ほどまでセブンの心と魂にベットリと染み付いていた憂いと霧のような淀みは、その大半が吹き飛ばされていた。ウイナーの言葉が、皇帝としての勅命が、まるで嵐の様に纏めて薙ぎ祓っていってしまった。

 

 

『……貴様はまだトレーナーが付いていなかったな? 取りあえず過去一年間のトレーニングメニューと各種レースの内容と結果を纏めた物を近い内に私に見せろ。貴様のことだ、トレーナーが不在だからこそ、その辺りのデータはちゃんと記録として取ってあるのだろう?』

 

「はい……!」

 

『それと、思い出せる限りで構わんから勉学──学校で学んだ物だけではなく、貴様が独自に学んだ学問とその内容もだ。それが私の知識にある範囲内であればアドバイスをくれてやる』

 

「はい……。はい……!」

 

子供のように泣きじゃくりながら、セブンは頷き続ける。彼女がこうして泣いているのを見るのは、小さい頃に併走トレーニングをした時以来だ。併走が解除される最後の直線だけで圧倒的な大差を付けて勝利したウイナーに対し‘全く役に立てなかった,と、彼女は本当に悔しそうに泣いていた。その時は『気にするな。齢による身体の出来と、経験の差だ』という慰めの言葉を掛けたウイナーだが、今は違う。

 

 

『──覚悟しておけ。弱者である貴様には落ち込む暇も、暴走する機会も、憂いを帯びる余裕も与えん。地獄のような鍛錬をさせてでも強者に仕立て上げ、必ずあの日の誓いを守って貰う。貴様は確かに我が城の騎士たり得るウマ娘では無いが──臣下としてはこれ以上ない最高の逸材の一人になり得ると、私は確信しているのだ』

 

「あ゛い……!」

 

かくして、一人のウマ娘が抱えていた心の闇は祓われた。偉大なるマイルの皇帝と、彼女に‘なんとしてでも貴方の手で直接心情を聞き出した方が良い、最悪手遅れになる,‘タイミングはレース後。後先考えずに全力疾走をする私達ウマ娘の気が緩む最大の瞬間を狙って,と進言した、そよ風の様なウマ娘の手によって。

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

キャロット城は円卓の間。その中央に設置されているラウンドテーブルに座りながら、ウイナーはらしくもなく大きな溜息を付いた。つい先ほど……セブンとの通話が終わってから丁度十分後ぐらいにやって来たヒシアケボノが「どうしたんですか陛下ー?」と小首を傾げながら聞いてくる。

 

 

「……自分の無能さ加減に怒りを通り越して呆れ果てている所だ」

 

ウイナーはそう言って再び溜息を付く。……気づけなかった。全く気づかなかった。察することさえも出来なかった。……否。正確に言えばセブンが憂いを帯びている事も、その原因はセブン自身にあるという事も、恐らくはウイナーと自分との色々な‘差,に悩んでいるのだという事も分かっていたのだが、彼女があそこまで思い詰めているという事にまるで気づけなかったのだ。

 

原因としては、仮に自分が彼女の立場にあったとして、諦める(ああいう結論を出す)事など全くあり得ないというのが大きい。所謂‘その発想は無かった,という奴だ。万が一そんな状況に陥ったとしてもウイナーならば‘自分は一種の鬱状態ある,と判断して即座にトレーナーに相談するか、もしくは直接精神科医に掛ろうとするだろう。

 

 

(……どんな理由があろうと、全部ただの言い訳に過ぎんか)

 

自傷気味に笑う。大切な臣下の一人が自分のせいでああも苦悩していた事にではない(・・・・)。例え彼女が自分の事でどれだけ思い悩んでいようが、それはあくまで彼女本人の実力不足と弱き心にこそ原因があるとウイナーは考えている。どんなに大切な最初の臣下であり、数少ない血縁者の一人であろうが、ウイナーはそんな事で裁定を鈍らせるような心をしてはいない。

 

故に、そうだと気づけなかったことその物にこそ、ウイナーは己が罪があると考えている。‘彼女ならきっと自力で乗り越えてくれる,そんな盲信に捕われ、彼女の諦観の深さをむざむざ見過ごしたのだ。……もっと早くに気づいてやれれば、もっと早く話しをしていれば、彼女があそこまで拗れる事はきっと無かっただろうに。

 

 

「……陛下、今日は少し冷えますねぇ。温かい飲み物を淹れて来ますけど、何が良いですか?」

 

「ん……。そうだな、いつものコーヒー……いや、カフェオレをくれ」

 

彼女に何があったのか全く把握出来ていないヒシアケボノだが、いつもの壮絶な覇気所か元気すら無いウイナーを見て何かを察したのか、いつもよりも更に嫋やかな笑顔でそう微笑みかける。コーヒーは基本ブラックを嗜むウイナーにしてはこれまた珍しい事に、カフェオレ(ミルク入り)を頼んできた。

 

 

「はーい♪ 冷凍しておいたボックスクッキーも一緒に焼いて持ってきますから、二、三十分程待っててくださいね」

 

そう言って小走りでキッチンの方へ駆けていくヒシアケボノ。……こう言ってはなんだが、少しのあいだ独りで考え事をしたかったウイナーにとっては、アケボノが部屋から出て行ってくれて丁度良い環境になった。さて、では次にこれからどうするべきかを──

 

 

──♪──

 

 

「──私だ。何かあったか」

 

突如としてスマホへ掛ってきた電話に、2コールと経たず出る。電話の主は未だ中山レース場にいる筈の柴中だった。

 

 

『いや、別に何かあったって訳じゃないけど……。そろそろ話し合いも終わっただろうし、らしくもなく落ち込んでる頃じゃないかなってさ』

 

「‘不要,では無いが‘無用,な心配だな。私がこの程度の事で調子を崩すとでも思ったか?」

 

比較的軽い調子の口調で、柴中は言う。その砕けた調子がウイナーを心配し、気遣ってやっている物だというのは明らかだった。それをあえて鼻で笑い、ウイナーは返す。

 

 

『例え調子が落ちなくても、上がらなくはなるかもしれない。それに担当が気落ちしてるかもしれないと予想しておいて声を掛けないのは、トレーナーにあるまじき行為だろ?」

 

「む……」

 

更にカウンターを喰らった。言っている事がこれ以上ない正論であり、ウイナーの状態をズバリ言い当てていて、さらに──

 

 

頼む(・・)大まかで構わないから、何があったか教えてくれないか?』

 

魔術師(トレーナー)であり、臣下であり、師である男からそう願われては流石のウイナーも折れるしかない。分かった事、言いたい事、伝えるべき事を頭の中でパパッと纏めると、ウイナーは少しだけ間を開けてスラスラと喋り始めた。

 

 



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重賞 25/26 GⅢクリスタルカップ その12

 

 

「……3着か。休養寮からやって来て一月半にしてはまずまず、といった具合か?」

 

第3回となるGⅢクリスタルカップのテレビでの実況中継が終了してから少し経った後。二杯目となる日本茶を啜りながら、アキツテイオーはまるで‘結果その物には興味がない,とでも言いたげに呟く。こう言っては何だが、事実彼女は今回レースの着順にはさして興味がなかった。ウイナーや柴中同様、ゼファーの走りとその調子だけを重要視していたのだ。──つまり、これからトゥインクルシリーズで戦っていく為の力量が現状どれだけあるのか、という事である。

 

途中何度か後ろを──主にニホンピロセブンの方を後ろ目に見過ぎていた感じはあったが、それ以外は特段と気になる部分はなかった。最後の末脚とそのキレは良く、デビューして間もないウマ娘にしては中々の物に感じる。

 

 

「──で、お前達はどう思う?」

 

そう自分の目の前に座る二人のウマ娘──ダイイチルビーとダイタクヘリオスに尋ねる。二人は先ほどから「「う゛ぅう……」」と不気味な呻声を上げながら、コシコシと頭を優しく擦っていた。あまりにも公共の場でギャーギャーと騒ぎ過ぎてしまった結果、カフェテリアの運営並びに料理長を任されているアラフィフのおばちゃんに怒鳴られ、対ウマ娘用特大ハリセン(設計制作、シャカール&タキオン)で頭を思いっきり叩かれてしまったのである。

 

 

「ピ、ピエン……。流石はカフェテリアマスターこと、中央トレセン学園にて最強の一人と名高い食堂のメシウマおばちゃんの妹……ツッコミぢからが半端じゃない……。あの人に真っ向から悪戯仕掛けられるゴルゴルマジクレイジーウマ娘……」

 

「う゛ぅ……。確かにはしたない真似をしてしまった事は認めますし反省もしておりますが、私はこのバカに煽られた被害者ですのに何故こんな目に……」

 

自由気ままに動き、大なり小なり毎日のように騒ぎを起こすウマ娘がやたらと多い所為で忘れてしまいがちだが、トレセン学園はその名の通り‘学校,で、学校とは‘公共の場,だ。校風と現理事長の方針により、多少被害が出る程度の騒動であれば簡単な注意などで許されるが、そのトレセン学園内でも‘ここでふざけたり騒ぎを起こすのは(許可を取っていないのなら)止めとけ,と言われているのが、食堂とカフェテリアである。

 

二人のアラフォー姉妹がそれぞれの責任者であり、食堂を姉が、カフェテリアを妹が運営をしているのだがなんとこの姉妹、実は対ウマ娘用の戦闘訓練を受けた元傭兵(プロ)なのである。一応言っておくが勿論ウマ娘ではなく、ただの人間だ。諸事情あって早期に引退する事になり、子供の頃の夢だったレストランとカフェを経営していこうと計画を練っていたところ、昔の知り合いである前理事長により中央トレセン学園の料理人としてスカウトされた……という話し(本人達談)だ。

 

そんな経歴を持つ姉妹とあって、まぁいざ怒ったら容赦がない。自分達にさほど影響が無かったり、無礼講の場だったり、本人達が面白いと感じた物であれば悪戯だろうがバカ騒ぎだろうが笑って許す寛容さがあるのだが──

 

『やっかましい! いつまでギャースカギャースカ乳繰りあってんだい!! レースの実況が聞こえなくなるだろうが!!』

 

許容量を超えるとこれである。それはもう綺麗に二人の頭を大きなハリセンで──スパァアアン──!! と叩いて一瞬で大人しくさせると、そのまま厨房の方へ戻って行ってしまった。これぞ中央トレセン学園が誇る名物の一つ‘漫画やアニメに出てくるような食堂のおばちゃんs,である。

 

 

「えー? よく言うじゃん‘県下領セイバー,って。一緒に怒られればテン下げも5割引になるっしょ? 一緒に叱られてよルビっちー」

 

「こんの……! ──コホン! け っ し て 巻き込んだあなたが言って良い事では無いと思います。あとそれを言うなら‘喧嘩両成敗,ですから」

 

流石にこれ以上おばちゃん(妹)を怒らせたくないのか、口から出そうになった罵倒を押さえ込んで普段のお嬢様モードになるルビー。もうこのバカは無視しようと、ルビーは先ほどのアキツの質問に答える。

 

 

「そうですね、私も大体同じ感想です。陛下やトレーナーはより明確かつ鮮明な未来図(ビジョン)が見えているのでしょうが、私の眼ではそこまで感じ取れませんでした。精々、やはり体質の早期完治が鍵になりそうだ、と思ったぐらいですわ」

 

「やはりそう思うか。では相当上手くいったと仮定しても、GⅠレースに出られるのは年末だな」

 

頭を叩かれて悶絶状態にあったとはいえ、レースの観察を怠るルビーではない。しかも今回はチームの新入りウマ娘であるゼファーの、初となる重賞挑戦だ。終わった後に何らかしら具体的なアドバイスをしてあげられる事はないかと、ルビーはゼファーの走りに目を光らせていた。相変わらず見ていて気持ちが良い走りに対する姿勢だとは思ったが、やはりまだまだ彼女の虚弱体質が大きなハンデとなってしまっている。

 

それをどうにかするにはやはり相応の時間をかけて体質を完全に治療し、レースで本領を発揮する事が出来るように身体を慣していくしか──

 

 

「ノ! ノ!!」

 

手を高く上げてそのままブンブンと大きく左右に振りながら「ノ!」と何かを訴えかけてくるように二人を見るヘリオス。アキツテイオーは言葉の意味が分からず「?」マークを頭に浮かべ、ルビーは言葉の意味こそ分かる物の、発言権を彼女に寄越すのが嫌で渋い顔をした。

 

 

「……言っておきますが、下らない意見だったら許しませんわよ。……はい、ヘリオスさん」

 

「大丈夫大丈夫! 任せといてよ、ちゃんとアガる意見だから!!」

 

発言のイントネーションに不安な物を感じつつも、ルビーはヘリオスの意図を汲み取って彼女の話を聞いてみることにした。

 

 

「そもそもの話しなんだけどさー。今のゼッちゃんに‘ガチの治療,ってマジで必要なのかな?」

 

「……? どういう事だ?」

 

本格的にヘリオスが何を言いたいのかが分からず、アキツテイオーは怪訝な顔をする。人間の素人ならば兎も角、自分達は中央のレースを走っているウマ娘だ。感じ取れる物や考えられる事に個人差はあるが、他のウマ娘の走りを見れば「苦しそうだな」とか「余裕がありそうだな」とかはなんとなくでも理解する事が出来る。少なくともアキツが見ていた限り、先のレースのゼファーはいつも通りスタミナ不足に苦しんでいたように見えたのだが……。

 

 

「もち、ウチにも苦しそうに見えたんですけど、最後の末脚は結構ズバッてたじゃん? ゼッちゃんの負けん気……んー、違うなー。いや、結果としてそうなんだけど違う……うっわなんて言うんだっけこーゆーの」

 

「……‘自分への負けん気,ですか?」

 

「そうそれ! さっすがルビっち、語彙力も解析力もマジ神ってる! そう、よく言われるじゃん。‘他の誰に負けても良い、自分にだけは負けるな,って……あれ? そういやこれ元ネタ創作だったっけ?」

 

「はいはいどうも。では手早く続きをどうぞ」

 

ウェイ! とニコニコ笑いながら指を指してくるヘリオス(バカ)を軽くあしらいつつ、話が脱線しないようとっとと続きを喋るように促すルビー。「むぅ……」と若干寂しそうに呻くも、ヘリオスはお嬢様のご要望通りに話を続けた。

 

 

「そんなリスペクト不可避の心意気とガッツを持ってて、ちゃんと重賞レースでも3着に入るだけの力もあって、体質以外大した怪我も故障も無いんだからワザワザDr.ウマに聞いてみる必要無くない?」

 

「……このまま次のレースに出走させても問題ないのでは……と? あと誰ですかDr.ウマって」

 

「知らない(真顔) やー、それは流石にキツイっしょ! 体質が完治してないのはマジっぽいし、OPまでなら兎も角、重賞でVかますのは多分今のままじゃむーりー! そうじゃなくてクラシック時代のタマモ先輩みたいに一度ガッツリ休みを取って、身体の方をレベルアッポさせるべきじゃねって話し。身体の根幹がモりっ☆と強くなれば、自然と体質も良くなるっしょ!! ……あれ? もしかしてあたし頭良くね?」

 

ニシシ☆ と愉快そうに笑うヘリオスと対称に、ルビーとアキツは虚を突かれたような顔で少しのあいだ押し黙った。

 

 

「……一理あるな。そもそも休養寮の異常体質専門医が転入を許可したからこそ、奴は本校にやって来た筈。過度なトレーニングがNGなのは当然だが、逆に言うと怪我や故障が無ければさほど問題は無いと見ても良いのかもしれん」

 

「体質を完全に治してからトレーニングを積むのではなく、トレーニングを積んで体質に負けないよう身体を強くする事に集中するべき──ですか。極普通(中央トレセン学園基準)のトレーニングの最中ですらスタミナ不足で数度倒れるのを見てしまっていますから、その発想に至りませんでしたわ」

 

そも、ゼファーはトレーニング中に何度倒れても、持ち前の心意気とガッツで「まだまだぁ!」と言わんばかりに起き上がり、ルビー達を驚かせてきた。プロ直伝のマッサージ技術を習得している為か、疲れが抜けるのも早い。となれば独自トレーニングメニューを考える必要はあっても、ヘリオスの言う通りさほど心配することは無いのかもしれない。

 

 

「……あっれどしたのルビっちもアキツ先輩も、なんかヒソカの作品みたいな顔しちゃって」

 

「‘ピカソ,ですわよねそれ。……いえ、あなたの口から真面目かつ立派な考察が出て来た事に驚いてしまって……。アキツさん、私達が揃って同じ白昼夢を見ている可能性はどれぐらいあると思います?」

 

「流石に1割……いや、2割は切っていると思いたいが……。タキオン制の珍妙なドリンクをヘリオスが口にしている方がまだ現実味があるだろうな」

 

「ウェ~イ! 二人のあたしに対する容赦の無さがマジでヤバーイ!! ピエン越えてパオンになりゅー!」

 

そのままワイワイと騒ぎ立てる三人だが、先ほどのように料理長(妹)が飛んで来たりはしない。レースの実況が終わったというのもあるが、先ほども言った通り許容範囲内であれば、若人達のジャレ合いを無闇に叱るような大人は中央トレセン学園にはあまり存在しないのだ。

 

 



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重賞 26/26 GⅢクリスタルカップ その13

 

 

「──なるほどなぁ、そんな事があったのか」

 

柴中はウイナーから話しを聞いて、納得したように何度か頷いた。レースに勝ったウマ娘へのインタビューが終わり、今は各所でウイニングライブの準備と打ち合わせをしている真っ最中だ。敗れたとはいえ3着に入ったゼファーも、専用の室内スタジオで他のウマ娘と動きを合せて必死にリハーサルに励んでいる。

 

 

『……自覚はあったが、やはり私は民草の‘心,に疎いな。‘願い,ならば幾らか汲み取ってやれる自信があるが、今回は本当にナナ──奴からそうだと告げられるまで理解出来なかった』

 

セブンが自分を避けるようになった理由として‘何か後ろめたい所があるのでは?,という予想はついていたが、まさか自分がウイナーの足を引っ張っているから(ああいう理由)だとは欠片も思っていなかったのだ。その事で悩んでいるというのは理解出来ても、‘その先,がウイナーには全く──

 

 

「ま、そうだな。でもお前の場合は仕方のない部分があるよ。なにせ、お前は強いからな」

 

非常に珍しい事に少しばかり落ち込んでいる(ある程度親しい間柄でないと全くそうは見えないが)ウイナーに、内心ホンの少しだけ安堵する柴中。──ああ良かった。やはり彼女はまだ完成(・・)してはいない。

 

何度敗北を喫しても決して折れず、それがどんなに難関だろうと倒破する。後継の為に自ら道を切り開き、そうあって欲しいと願う民草の為に己を示し続ける、ウマ娘レース界における絶対の皇帝、その一人。そんな彼女であればこそ、セブンが抱えていたごく普通の感情(諦観)に気付くことが出来なくても仕方がない。なにせ、恐らくウイナーは今までの人生において一度たりともそれを抱いたことが無いだろうから。

 

味わった事がない物とその感覚を実際に味合わないまま推測し、その心髄まで理解するというのは至難の業だ。そして恐らく、これからも彼女はその強さ故にそれを味わうことは無いだろう。

 

 

『……以前』

 

ボソリ、とウイナーが何かを言った。あまりよく聞き取れなかった柴中は『なんだ?』と聞き返す。

 

 

『以前、縁あってルドルフと対談をした時に奴が言っていた事を思い出した』

 

 


 

 

‘君は本当に強く、そして完璧に近いウマ娘だ。私は勿論、マルゼンもシービーも……。君を知るウマ娘でそれを疑う者は誰一人としていないだろう,

 

‘‘皇帝,としてもその在り方だけで言うのなら、私よりも君の方がよほど似合っていると思うよ。なにせ、君は本気でそうであろうと常に心がけているからね,

 

‘──だからこそ、同じ皇帝の座を戴くウマ娘として、なにより君の強さを知る者の一人として、こう警告させて欲しい。……これは所謂‘どうしようもない事,という奴なのかもしれないが、それでもこうして言葉にして君に伝えることで、いつか護る事が出来る物があるかもしれない,

 

 

 

‘──君は、ちょっと強すぎる(・・・・)。その圧倒的な強さと在り方、そして正さに身を焼かれ、まだ飛べる羽を自ら失わせ地へと堕ちる──そんなウマ娘だっているのだと、頭の片隅にでも構わないから覚えておいて欲しい,

 

 


 

 

「‘強すぎる,……か。あのルドルフにそこまで言わせるとはねぇ」

 

これがウマ娘レースならばこれ以上ない褒め言葉の一つなのだが、流石にこれは言葉の意味が違う。少なくとも、そこには皮肉が含まれている。

 

 

『‘誰もが貴様みたいになれると思うな,という意図を含んでいるのは、奴にそう言われた瞬間から理解している。……いや、違うな。理解した気になっていた(・・・・・)が正しいか』

 

本当に珍しい事に自虐的な事まで言い出したウイナーに「おいおいどうした? 流石にちょっとノスタルジックな気分か?」と半ばからかう様に言う。『そういう訳ではないが……』と彼女は少しだけ言葉に詰まったように間を置いた。

 

 

『……ただ、そうだな。私はより孤高な皇帝たるべきなのかもしれんとは思った』

 

トレセン学園のウマ娘達にとって‘憧れの存在,ではなく‘強さの象徴,もしくは‘伝説の存在,。かつてこの世に存在した何人もの偉大な皇帝や王達のように、自分もそこを目指すべきなのではないだろうか。

 

 

「……それは何でだ?」

 

『理屈は分かっても、共感が出来なかったからだ』

 

セブンに染み付いていた悲観と諦観。それを直々に明かされて理解する事は出来ても、ウイナーの心の内には塩の結晶一粒分程の共感すら無かった。『なんでそうなる』『なぜこうしない』という疑問だけがあったのだ。‘そういう物だ,とウイナーが心理学を学んでいなければ、話しが破綻していた可能性すらある。

 

 

『であるならば一定の距離を取った方が互いの為だろう。弱き者達にとっても、私にとってもな』

 

今回は未然に防ぐことが出来たが、今後セブンのようなウマ娘が出てこないとも限らない。だからといって彼女達の為に自分が気を遣ったり、虚実を吐いてまで励したりするなど御免被る。だいたいそれに心から共感を示せるようになるということは、悲観と諦観などという‘弱さ,を根幹とした曖昧模糊な物に敗れるという事だ。つまりは今よりも弱くなるという事に他ならないではないか。

 

 

『ならばこそ、私は‘共感,など出来ないままで良い』

 

後輩達から憧憬と羨望の念を集め、その翼が折れない程度に上手く星まで導いてやれる‘皇帝,ならば既にいる。自分に出来るのは彼女以上に‘皇帝,としての強さと在り方を示し続け、強き者が目指すべき到達点の一つとして──

 

 

「逆だ」

 

……なに?

 

「逆だろ、ウイナー。お前が今回の事で自分の不足を感じているのなら、むしろ積極的に後続の育成に関わってやるべきだ」

 

それはあまりにも予想外の助言で、ウイナーは口にする筈だった言葉を思わず呑み込んでしまった。

 

 

『……話しを聞いていなかったのか? 私は──』

 

「お前について行けない。例えついて行こうとしても強さと正さに目が焼かれ、いずれ翼が折れる。そんなウマ娘がいるっていうんだろ?」

 

柴中は一月ほど前に行なった、チームステラの入隊テストの事を思い出す。自分の身体と合った適切な距離であれば重賞レースにも勝てそうな逸材は何人かいたが……。もしあの娘達の脚質適正が本当に短距離向けだったとしても、柴中はチームへの入隊を即座に許可する様な事はしなかっただろう。単純な話し、どんな苦難にも決して屈しないようなガッツが無ければ、現実に押し潰されるからだ(・・・・・・・・・・・・)

 

実際、チームステラに所属しているのはゼファーは勿論、それぞれ違ったタイプの強靱な「根性」や「覚悟」を持ったウマ娘達ばかりである。『彼女ならどんな事が起きてもきっと大丈夫だろう』そう思わせてくれるような‘強い心,を持っているかどうかこそを、柴中はウマ娘を見定める時の最重要基準に置いている。

 

 

「で、お前はそいつらに対して気を遣うつもりは全く無いけれど、後輩達が潰れる要因になるのも忍びないとも思ってる……。‘自分に憧れて、ついてこようとしてくれた,って事だしな」

 

ゼファー曰く、あの時のメンバーはほぼ全員が、ウイナーに憧れてチームへの入隊を希望したウマ娘達ばかりだったという。そしてウイナーは自らを慕ってくる(ファン)に対しては優しい。皇帝として当然の振る舞いであると本人は言っているが、彼女は心の底から民達の安寧と、ウマ娘レースという世界の繁栄を願っているのだ。

 

故に心苦しい。自らの強さと在り方が夢と希望だけではなく諦観まで振りまき、誰かの心を──自分の民である者のそれですら、否、ウイナーの民であるからこそ──腐らせてしまっているという事実が。

 

 

『だからなんだと──「だったら強くしちまえば良いだけだ」…………な、に?』

 

この時ウイナーは、柴中が何か自分の想定よりもずっとスケールの大きい事を言っているのではないかと、ようやく気がついた。

 

 

「言っただろ、発想が逆なんだよ。お前()他のウマ娘に合せるんじゃない、他のウマ娘()お前に合せるんだ。お前が弱くなれない、どうしても弱者に共感する事が出来ないっていうなら、他のウマ娘達をお前レベルに強くしちまえば良い。そうすりゃあ誰も折れたり腐ったりなんてしなくなる。お前みたいにな」

 

圧倒的な才能でもなく、計算され尽くした戦略でもなく、勝者としての思考でもなく、その堂々とした強き「心」を。どんな苦難にも決して屈しないような強いガッツが無ければウイナーに憧れることすら許されないというのなら、彼女を慕う全てのウマ娘にそれを植え付ければいい。

 

 

「‘弱者の理論に従う気は無い,んだろ? だったらお前の手で学園中の────いや」

 

 

 

 

この世のウマ娘全員を‘強者,にしちまえよ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

「……………………」

 

『まぁ要するにセブンにやろうとしている事を、他の奴らにもやってやれば良いのさ。もしそれが実現できればお前の夢も間接的に叶うだろ。究極的な話しだけど……どうした?』

 

「…………………………ははっ」

 

 

「──あっはははははははは!!

 

 

──大笑。キャロット城は円卓の間で、皇帝であるウイナーはおかしくて仕方がないというように口を開けて大声で笑う。あの時の天皇賞・秋以来だろうか。その声の大きさと言ったら、キッチンにあるオーブンの前でクッキーが焼けるのを待っていたヒシアケボノの所まで余裕で届き、その肩をビクッ! と振るわせる程だった。

 

あまりにも荒唐無稽で現実味が無い絵空事を、‘お前なら出来て当然,と言わんばかりに柴中が言ってきたというのもあるが──

 

 

「し、柴中! 我が魔術師(トレーナー)よ!! 気付いているか? 貴様は我が野望のそれと全く差が無いぐらい傲慢で高慢な事を言っているぞ!!」

 

皇帝は高笑いをしながら言葉を紡ぐ。だってそうだろう? この世のウマ娘全てを強者にするという事はつまり、この世から弱者がいなくなる(・・・・・・・・)という事だ。自分達が‘弱者,だと認識したウマ娘に『お前は弱いから強くしてやる』と片っ端から一方的に言って、‘強者,だと自他共に認められるようになるまで強引に鍛練を積ませようということだ。強くして‘やる,という上から目線もさることながら、一方的な‘弱者,認定をするという、ともせずとも相手への侮辱にしかなっていない言い方──歴史上に存在した皇帝や王達に負けず劣らずの、あまりにも傲慢で高慢な物言いではないか。

 

 

『……まぁな、でもそれで良い。お前は‘皇帝,なんだろ? だったらこのぐらい傲慢じゃなくっちゃな』

 

「古代ウルク王が言い放ったという‘慢心せずして何が王か!,という理論か? なるほど、一理あるな」

 

「うむ」と僅かに頷く。もう一人の皇帝であるルドルフとしては嫌悪感を示す理論でしかないかもしれないが、ルドルフだって‘全てのウマ娘を幸せにする,というとんでもなく上から目線で傲慢な野望を胸に抱いているのだから、この程度の高慢な言い方などなんでもないだろう。そも、柴中の言う通り‘皇帝,や‘王,という生き物は本質的に高慢で傲慢な生き物なのだから。

 

 

『それに、いざ実行に移してみればお前はきっと驚くと思うぞ。お前が今まで見てきた‘強さ,とはちょっと違うタイプのそれを見れる筈さ』

 

「そうか……それは楽しみだ」

 

ウイナーの声が楽しげな物に変わった事を感じ取り、柴中も楽しげに微笑む。彼女がそれに共感を示せるかはさておき(恐らく難しいと見ている)、これでまた一つ、ウイナーの見識がより深い所にまで進むに違いない。今まで知らなかった物を知り、より完璧な皇帝、より強いウマ娘へと、彼女は足を進められるのだ。

 

 

──柴中さーん!

 

『──っと、ああ! ……そんじゃ、呼ばれたからもう行くわ。ゼファーに何か伝えておくことはあるか?』

 

「何も無い。強いて言うなら貴様の話しをよく聞き、よく反省し、次へと活かせ。──この程度だ。奴なら言わずともするだろうがな」

 

それを最後に、ウイナーは通話を切った。「やれやれ」と軽く首を横に振りながら、柴中はウイニングライブのリハーサルを行なっているゼファーの方へ向かう。

 

 

「お電話中にすみません、どうしてもリハーサルを客観的に観ていただける人が欲しくて……」

 

「いや、全然構わないさ。寧ろ話の終わらせ時を作って貰って助かったよ……。あ、そうそう」

 

「?」

 

結構な口下手で‘皇帝,が故にああいう言い方しか出来ない彼女に代わり、柴中は己のそれを含めた言葉をゼファーへと投げかける。

 

 

 

「──『お疲れ様、次も期待してる』──だってさ」

 

「…………はい! 私、これからも頑張ります!!」

 

 

こうして、ウマ娘‘ヤマニンゼファー,の最初の重賞挑戦は幕を閉じた。そうして、季節は初夏へと移る。──至上の紅玉が、笑う太陽が、その輝きをぶつけ合う時が刻一刻と迫っていた。

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 1/15

 

 

──灰被り──

 

それは、世界中で知られているある物語の主人公を指す言葉だ。

 

 

──シンデレラ(灰被り)──

 

その名の通り‘灰被りの少女,という意味の言葉をそのまま宛がわれた(間違いだとする説の方が有力らしいが)少女の話。真面目で根気強く、健気で優しく、継母や義姉妹達の執拗な虐めにも負けない強い心を持っている、物語の主人公。世界で最も有名なお姫様(プリンセス)の一人。魔法使いのお婆さんにその健気な生き方、在り方を称えられて綺麗なドレスとカボチャの馬車、それから三頭の馬(元ネズミ)を賜り、いざいざ身分と正体を隠してお城で開かれる舞踏会へ。憧れの王子様の元へ──

 

……とまぁ詳しく説明していくと意外と長くなるので割愛するが、誰もが知っている通り最後には王子様にプロポーズされて彼と結婚し、幸せな終わり(ハッピーエンド)を迎えるわけだ。

 

 

──シンデレラストーリー──

 

……現代においては‘女の子の憧れ,というより‘つごうの良い物語,としての意味合いの方が強いだろうか。

 

なにせ身分も地位も、才能も能力も、他人に自慢出来るような物なんて何も持っていなかった女の子が、ある日突然魔法使いの……それも無償での協力を得て本来行ける筈の無い場所へと行き、出会える筈のない王子様と出会ってまさかの一目惚れをされ、最後には王子様と結婚してその国のお姫様となるのだから。

 

……確かに‘つごうが良い,と称されても仕方がないのかもしれない。現実にそんな事は起こりえず、魔法使いや王子様なんてただの幻想で(いなくて)、むしろ意地悪な継母や義姉妹だけがいるような辛い環境だけがある方が大半だと思う。

 

 

──でも、だけど。

 

それでも私は彼女が好きだ。彼女の話が好きだ。どんなに‘つごうが良い,と言われようが‘古くさい,と罵られようが、彼女の‘夢見る健気で頑張りやな少女,という在り方が好きだ。

 

だって彼女は負けなかった。嫌なことを全部押しつけられ、好きなことは滅多に出来なくても‘それでもいつか,と希望を持って前を向き続けた。

 

 

 

 

──応援したくなるじゃないか。それを美しいと思い彼女に手を貸した、魔法使いのお婆さんのように。

 

 

 

 

「ふぅ……ありがとうございます、ルーブルさん。すみません、休日なのにトレーニングに付き合って貰っちゃって……」

 

「い、いえ! このぐらいなんでもないです! それに私から提案したことですから!!」

 

タッタッタ──と、ゼファーとルーブルは河川敷のスグ傍にあるサイクリングロードを駆ける。ルーブルが前、ゼファーが稍後方。逃げを得意とするウマ娘であるルーブルに、本質的には先行ウマ娘であるゼファーが良い位置をキープし続ける事を意識する為のトレーニングだ。本来であればシンコウラブリィがゼファーの前ではなく後ろに位置どって、差しウマ娘ならではのプレッシャーを醸し出しながらゼファーを追いかける予定だったのだが、どうしても外せない用事が入ってしまったと休日トレーニングに参加する事が出来なくなり、教室でその話しを聞いていたルーブルが急遽参加を申し出たという訳である。

 

法定速度まで速さを落としたただのランニングではあるが、だからこそ‘位置取り,という奴を意識するのにはピッタリだ。レース本番では枠組みや出走ウマ娘達の作戦に偏りが出たりするため、練習通り上手く行くとは限らないが、大体の感覚を掴むことは出来る。前方の相手がプレッシャーを感じやすい位置を探ったり、逆に後方に迫る相手を牽制する練習をしたりと、全力で走らないからこそ様々な事を試せるのだ。

 

 

「はぁ……。はぁ……」

 

(……凄い)

 

まだ七㎞と走らない内に息も絶え絶えになってしまっているゼファーを見て、ルーブルは心配するどころか感心した。生まれつきの体質異常でスタミナがあまり成長せず、つい二ヶ月ぐらい前まで休養寮で治療をしていた筈なのに、これだけの距離を一定のスピードを保ったまま走れる。それどころかルーブルの事を追い抜こうと時々‘仕掛け,て来ている。反応から察するにもう身体に相当疲れが溜まってきている筈なのに顔つきはシッカリしているし、眼に力を感じる。

 

端的に言って、凄まじい根性だ。それとも意思の力という奴なんだろうか。実際に走ってみて分かった事だが、この娘は先頭に立たせては(追い抜かせたら)いけないタイプのウマ娘に感じる。

 

 

「──あ、あの! ルーブルさん、コースずれちゃってます!!」

 

「へ……?」

 

慌てて考えるのを止め、周囲を見渡すルーブル。ボーッとしながら走っていたせいだろうか、いつの間にか河川敷の方に降りる道へと入ってしまっていたようだ。慌てて坂を駆け上がり、ゼファーの元へ戻る。

 

 

「ご、ごめんなさい! その……ちょっとボーッとしちゃって……」

 

「いえいえ、全然。……ですがすみません。私、そろそろ体力に限界が来そうなんです。もうちょっと先に行った所に運動広場があった筈ですから、そこで一度休憩させて頂けませんか?」

 

「あ、はい! 分かりました。でも、その前に限界が来たら言ってくださいね?」

 

「はい、ありがとうございます。ではあと少し、行きましょうか」

 

再びルーブルを先頭に、二人のウマ娘はサイクリングロードをひた走っていく。疲れ切った身体に檄を飛ばし、その肌でルーブルから漂ってくるモヤモヤした風を感じながら、ゼファーもまた、ルーブルと同様色々と考えを巡らせていた。

 

 




すみません。この後の文章もある程度書いてはいたのですが、どうも個人的に「失敗した」と感じる部分がが多く、文章の殆どを削除しました。
要は書き直します。今週は文章の構成や統合などを中心に更新させていただきますので、本編の投稿は恐らくありません。

お待ちしていただいている皆様には大変申し訳ありませんが、ご了承ください。


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外伝 とある灰被りの少女の祈り 2/15

 

 

「第一回! 『ルーブルちゃんの調子を上げよう』会議~!!」

 

ヌエボトウショウの開催宣言に「いえ~い!」と楽しげに同調したのがダイナマイトダディ。パチパチパチと笑顔で小さな拍手をしたのがヤマニンゼファー。何も言わず、何もせず、表情もフードで隠れて見えないレガシーワールド。最後に一見平然としているが、その実とても複雑そうな顔をしているシスタートウショウ。

時刻は放課後、場所は彼女達以外のクラスメイトがいなくなった教室の片隅だ。各々の机をくっつけ合わせて一つの大きな机を作り、そこに座って顔をつきあわせるような形でなにやら話をしている。

 

 

「今回の議長は私、ヌエボが務めます! ちなみに次回も次々回も議長はヌエボです、異論は認めません!!」

 

「別にそれで良いですから早く話を進めなさい。私も私で言いたいことがるのです」

 

「ふんす!」と自慢げに鼻を鳴らして胸を張るヌエボに対し、シスターは心底どうでも良さげにツッコんだ。ヌエボからすれば連れない反応だがそこは慣れているのか、即座に「はーい!」と和やかな笑顔で返事をする。

 

 

「じゃあ早速、最近のルーブルちゃんの調子について何か意見がある人ー!」

 

その声に真っ先に「はい議長!」と元気に挙手をしたのがゼファーだ。すぐに「はいゼファーちゃん!」と議長であるヌエボから発言権が与えられる。

 

 

「つい先日、一緒にトレーニングをさせて戴いた時の話しです。河川敷近くのサイクリングロードを一緒に走っていたんですが、どことなく全体的に集中されていらっしゃらないような風を感じました! 具体的な例を言いますと、途中で道を二回も間違えそうになりました!!」

 

「ニュアンス的にどういう感覚か分からなくもないですが‘集中されていらっしゃらないような風,ってなんですか」とツッコミかけたシスターだが、そこは喉元でグッと抑えた。「早く会議を進めろ」とヌエボに言った自分が、話を脱線させるような事を言うべきではないと思ったからだ。

 

 

「な、なにィ!? それは大変だよゼファーちゃん! 調子が良い時のヌエボだって一回ぐらいしか道を間違えないのに!!」

 

「調子が悪い時は最悪迷子になって、半泣きで私に電話を掛けてくるあなたが言っても説得力がありませんよ。シスター・ヌエボ」

 

しかしそんな冷静なシスターも、この中で一番長い付き合いになるヌエボの発言には反射的にツッコんでしまう。彼女が「しまった」と気がついたのは、既にそうツッコんだ後だった。

 

 

「ちょっともう! 酷いよシスターちゃん! 私が迷子になったのはもう五ヵ月も前でしょ!! 具体的に言うと、お正月休みにみんなで改めて神社にお参りに行こうってなった時に、私が屋台のにんじん焼きに思わずつられちゃった時!!」

 

「なぜそこまで精細に記憶しているのに普段使いのトレーニングコースの道順は覚えられないんです? あとあなた、よもやそんな事であの時我々から外れたんですか? 初耳なんですが」

 

「まぁまぁ。兎に角、あの几帳面で努力家のルーブルちゃんがボーッとしていてトレーニングに集中出来ていなかった、ってことよね?」

 

ヌエボが言った聞き捨てならない単語にシスターが即座に反応し、本格的に話が脇道に逸れそうになったタイミングでダディが上手いこと話しに割り込んで(フォローをして)、発言権をゼファーへと戻す。

 

 

「はい。別段‘調子が悪い,という訳ではないと思うんですが、なんというかこう……」

 

「……「普通」から上がらない──か?」

 

「そう! それです!! 「調子が良いな」って感じる時がないというか」

 

ボソリ、とレガシーが呟くように言い、それに大きく同調するようにゼファーがコクコクと頷いた。

 

 

「レースを走るウマ娘にはよくある事だ。良くも悪くもない。なのに下がることはあれ、上がる事はない。……調子なんてそんなものさ」

 

レガシーは淡々とした口調で言い続ける。相変わらずその表情は伺いづらいが、調子について何か思う所でもあるのか、いつもよりも饒舌に感じられた。

 

 

「まぁねー。『なーんかイマイチやる気出ないなぁ』って時期、あるわよねぇ……。しかも、一旦そうなっちゃうとなにかしら切っ掛けがない限りアガらなくなっちゃうのよ! 美味しいケーキを食べたり、みんなとお喋りしたり、ダーリンとデートしてもダメなの!! その時は凄く嬉しくて楽しいのに、終わっちゃうとまた元通り……。なんでなのかしらねぇ……?」

 

腕を組んで首を捻り「んー」と唸るような声を出すダディ。(あの、ダーリンって……)(お気になさらず。シスター・ダディのトレーナーの事です)(間違ってもツッコんだりするなよ? 惚気話を小一時間は聞かされる事になるぞ)という目の前で行なわれているヒソヒソ話にも気付く様子はない。……ダディもまた、少しだけ気落ちしているのが原因だった。

 

 

「……まぁそれは兎も角として、最近のシスター・ルーブルに活気が見られないというのは同意します。彼女とよくトレーニング時刻が被る生徒から聞いた話しですが、トレーニングもそこまでのめり込めていないようです」

 

「折角またみんなとの団欒にも参加してくれるようになったのに、これじゃあねぇ……」

 

数週間前にゼファーが(かすがい)の役目を上手く果たしたことによって周囲の様子や気遣いを悟らせれて、再び休み時間や放課後は友人と話す事が多くなったイソノルーブル。仲の良いクラスメイト達はホッとしたし、肝心のルーブルも嫌々参加しているという訳ではなく普通に楽し気なのだが、ふとした瞬間に陰が落ちたかのような雰囲気になる事があった。『みんなの大黒柱(パパ)』を自称するダディとしては、やはり見過ごせない案件である。

 

 

「んー……。じゃあルーブルちゃんがそうなっちゃった『原因』はなんなのかなぁ?」

 

「原因? そんなの決まってる。この前の桜花賞だよ」

 

今更とも言える疑問を呟いたヌエボトウショウに「子供が考えたって分かるだろ」とレガシーワールドは吐き捨てるように言って、そのままシスタートウショウの方をチラリと一瞥した。

 

 

「掛ってただろ、アイツ。蹄鉄が割れて外れちまったからか、それとも最装着に失敗したからかは分からないが、レースの前も後も冷静じゃなかったのだけは間違いない」

 

「あなたのその遠慮の無い物言いを全否定する気はありませんが、もう少し歯に衣を着せなさい、シスター・レガシー。一切悪意の無い言葉でも怯え傷つく者はいます」

 

相変わらずぶっきらぼうな言い方ではあるが、その実‘あの時傍にいたお前の意見を聞きたい,という意図が込められている発言であることをシスターは理解している。あとはもう少し物腰を柔らかくしてくれれば──

 

 

「例え思いっきり悪意のある言葉でも、お前が早々に傷つくようなたまかよ……いや待て、なんで笑ってんだアンタ」

 

「いえ、ちょっとその……懐かしくて! すみません、なんでもないです」

 

普段は無表情極まりないレガシーワールドが、極上の獲物を前にした肉食獣のような、はては強敵を前にした自分の姉達のような獰猛な笑みを浮かべた事に一種の郷愁と、彼女達なりの周囲とのじゃれ合い方を垣間見て、思わず笑顔になってしまっていたゼファー。慌てて取り繕い、更にそこへ「そういう問題ではありません」とシスタートウショウが割り込んで来てくれた事によってなんとか話しの脱線を免れる。

 

 

「……ですがまぁ、そうですね。確かにレースの直前までは相当焦っている様子でした。彼女のトレーナーから係員の方を通して連絡が来なければ最悪、蹄鉄の最装着に失敗した旨を観客のみなさんに伝えるという当然の発想すら浮かばなかったかもしれません」

 

「……そりゃまたトンでもない事になりかけてたんだな」

 

「ええ、やはり彼女のトレーナーは敏腕ですね。それで落ち着いたという訳ではありませんが、パニック状態に陥る事はどうにか免れましたから」

 

「うんうん」とまるで他人事のように頷くシスター。彼女にとってはあの時の経緯など些細なことでしかなく、それ即ち「まず自分から連絡を取った」など、特段と証言するべき事でもなかった──だが。

 

 

(シスターさんがルーブルさんのトレーナーさんに連絡を取ったのでは?)

 

(シスターちゃんが動いたんでしょうねぇ)

 

(こいつが連絡をしたんだろうな)

 

(え? シスターちゃんが助けてあげたんじゃないの?)

 

ゼファーは、そんな状態のイソノルーブルが『トレーナーに連絡を入れる』というまともな思考が出来るのか? なんで彼女のトレーナーは、あの日ゲートの係員だった人物の電話番号を知っていたんだ? シスターがルーブルのトレーナーの電話番号を把握している方が余程可能性が高いんじゃないか? というロジックから。

ダディとレガシーは、今まで積み重ねてきた彼女達と過ごした時間とそこから得た経験則から、シスターがああいう時にどういう行動を取るかという予測から。

ヌエボは何のロジックも予測も無い己の感覚と、口うるさくて厳しくも優しくて強いシスタートウショウへの信頼から。

 

理由こそ様々だが、四人ともその解で間違いないだろうという確信を得ている。

 

 

「んー……。でも、だったら具体的にどうすれば良いのかしら。『信じて見守る』のも答えの一つではあるけど──」

 

「もうすぐだもんねぇ、オークス。シスターちゃんも最後の調整に向けて凄く頑張ってるよね」

 

クラシッククラス、ティアラ路線が二冠目、優駿ウマ娘‘オークス,。樫の木の名を冠するこのレースは、クラシック路線でいう所の日本ダービーに値するレースだ。当然世間からの注目度も高いし、出走するウマ娘も他のGⅠレースと同様、超一線級のそれである。

 

 

「当然です。桜の女王の称号を得ることが出来たのは大変光栄ですが、それだけでは私の目的は果たせませんからね。トリプルティアラまで残り二冠……樫の女王と秋の女王、そしてクイーンの称号も全て私が頂きます」

 

「随分と強気で傲慢な修道女(シスター)がいたもんだな。──まぁでも、私としちゃ‘そっち,のアンタの方が断然イイよ。お堅く纏まってる時よりもよっぽど走り甲斐がありそうだ」

 

「ご冗談を。別段‘この私,は嫌いではありませんが、普段は抑え慎むべきです。それが出来る生き物こそを‘人,と呼ぶのですから」

 

実に涼しげな顔で大胆な宣言をしつつ、レガシーワールドの挑発めいた発言を受け流すシスタートウショウ。……やはりというか何というか、心の奥底ではそんなやり取りを楽しんでいるのが見て取れる。何故ならその口元が──これは彼女らを注意深く観察していたゼファーだからこそ気付いた事だが──ホンの僅かに弧の字を描いていたから。

 

 

「……そうかい。それじゃ、いつか本番のレースでアンタとやり合えるのを楽しみにしてようか」

 

「どうぞご自由に。──ですが、今はシスター・ルーブルとオークスの方です。『信じて見守る』以外に何か具体的な提案はありませんか?」

 

友人として、同じ路線のレースを走る一人のウマ娘として、同期の実力者、その最高峰が一人である彼女には考え得る最高の状態でレースに参加してもらいたい。──そうでなくては意味がない。勝負の過程や結果に固執するつもりは無いが、こだわる意味と意義はあるのだ。むしろ、こだわらなくてはある種の侮辱にすらなり得る時もあるのだから。

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 3/15

 

 

「んーと……。やっぱり保健室で診て貰うのが一番早いんじゃないかなぁ?」

 

「……驚きました。あなたにしては堅実な意見ですね、シスター・ヌエボ。ですがこういう場合、内科医ではなく精神科医に掛かるべきなのでは? まさかとは思いますが、トレセン学園に常勤している精神科医の方に心当たりが?」

 

「ううん。そうじゃなくてね? 保健室の一番奥にあるベットは‘どんな不調も寝るだけで(一定確立で)治る,って噂なの! 凄いんだよ! 偏頭痛だけじゃなくて、不眠症に太り気味にサボり癖なんかも治っちゃうんだって!!」

 

「あなたに真っ当で堅実な意見を期待した私がバカでした。次」

 

「ホントのことなのにー!」と腕をガバッ──! と振り上げて(彼女なりの)猛抗議をするヌエボトウショウを無視して、シスターは次なる意見を促す。

 

 

「ルーブルちゃんのトレーナーさんに協力して貰って、デート作戦とかどうかしら! ほら‘旅は自分の世界を広げる魔法だ,ってよく言うじゃない? ちょっと遠出して温泉旅館で一泊二日。ゆっくり温泉に浸かりながら二人だけの時間を過ごして貰えば、小さな綻びなんてきっと簡単に突破出来るわよ!!」

 

「発想としてはそこまで悪くありませんし、上手くいった場合のメリットも大きそうですが、如何せん色々とリスクが高すぎます。完全な信頼関係を築いた後ならば兎も角、今の段階でそれをやっても彼女がトレーナーに終始リードされて終わりかと。……というか、その資金はどこから抽出するつもりなんですか」

 

「そもそもスグに治す必要があるのか? 別に不調って訳じゃないんだろう? オークスまであまり時間が無いんだ。病院や旅行に行く暇があったら、その時間を使ってトレーニングに集中した方が良いと思うが」

 

「その経緯からしてあなたの意見は貴重な物ですが、やはり私は多少時間を消費する事になってもシスター・ルーブルの調子を上げさせるべきだと考えます。これはウマ娘全体に言える事ですが、その時の調子が良ければ良いほど、トレーニングでもレース本番でも本領を発揮しやすいですから」

 

「あのねあのね! タキオン先輩特製のナンデモ・ナ・オールっていう万能薬が──!」

 

「あとで生徒会並びに風紀委員会に通報しておきましょう。……毎度思うんですが、何であの人は毎回厳重注意程度で済まされるんでしょうか。起こしてきた騒ぎの大きさと質の悪さ、その頻度から考えて、いい加減停学処分になってもおかしくないと思うのですが」

 

「えー? でもスッゴく効果あったよ? 七色に光っててとても綺麗だったし! ……なんか一日中‘ヒヒーン!,って滅茶苦茶叫びたくなったけど」

 

「どう考えても怪しい薬を躊躇無く飲むな! 思いっきり副作用があるじゃないですか!!」

 

ビシィ──! とヌエボトウショウの脳天目掛けて綺麗なチョップを放つシスター。「ぐぉぉお……!」と悶絶するヌエボを尻目に、彼女は疲れからかハァハァと荒く息を吐きながら、片手で額を覆う。……結局「これだ!」と言えるような意見は出てこなかった。シスター自身も皆の意見を聞きながら色々と考えてはいたのだが、どれもこれもイマイチパッとしない物ばかりだ。

 

やはり専門家であるトレーナーか誰かに相談する他ないか──現状としてそう結論づけようとした時だった。

 

 

「──精神的なスランプからは、なかなか抜け出すことが出来ない」

 

 

突如としてゼファーが放ったその一言は、静かだった湖面に石を投げ入れたが如くその場を支配したようにシスターは感じた。

 

 

「…………それは?」

 

「とある有名なスポーツ選手の受け売りです。私の言葉ではないので少し気恥ずかしいんですけど……」

 

一瞬だけ気恥ずかしそうに笑うと、ゼファーはその場の一人一人に願うように告げる。

 

 

 

「幾つか調べてみたいことがあります。……協力していただけませんか?」

 

 

 

 

 

 

「…………?」

 

最近、何かをふと疑問に思う時がある。しかして何を疑問に思ったのか自分でもよく分からないまま、考えようとすると霧のように霧散してしまうのだ。

決して呆けているとか若年性痴呆症だとかそういう訳ではない。(と信じたい)あえて具体的に言うのであればそう──

 

 

「──よし! 目標達成。良いタイムだよ、ルーブル」

 

「は、はい! ありがとうございます、トレーナーさん!!」

 

なんだか調子が上手いことあがっていっているような──そんな気がしてならないのだ。……いや、理由は分りきっているのだが。

 

 

「やっほー! ルーブルちゃん、調子はどーお?」

 

「ヌエボちゃん! ダディさん!!」

 

「このところ頑張ってるみたいねぇ。タイムも随分と良くなったみたいだし」

 

ルーブルは割と本気で驚いたような顔で、声を掛けてきた二人を見やる。トレーニングを終えた後の休憩時間だ。広大なトレセン学園の総面積の約1/3を占めているトレーニング用のターフは、よっぽどの事情がない限り同時に複数のチームないしウマ娘が使用している事が殆どである。如何に広大な中央トレセン学園とはいえ、在籍している二千人以上のウマ娘一人一人にターフを貸す事が出来る程の土地や時間的余裕は無いのだ。……要するに有望株と評されているウマ娘のトレーニングは時を同じくターフを使用している他のウマ娘達から注目されがちで、時折キリの良いところで話し掛けてくるような娘も確かにいるのだが──。

 

 

「えっと……。あの、お二人は今日は室内トレーニングの日だった筈では……?」

 

もしかして日にちを勘違いしていたのだろうかと、首を傾げるルーブル。それを「違う違う」とダディは手を横に軽く振る事で否定した。

 

 

「ちょっとした気分転換にね。習慣的なトレーニングは勿論大事だけど、いつも決まった日に決まったことばっかりするんじゃ飽きちゃうでしょう?」

 

「あとねあとね! ルーブルちゃん頑張ってるかなぁって気になったんだぁ! 最近どうかな? 結構調子良いんじゃない!?」

 

ふんす! と何故だかは分からないが色々と期待の籠った目でイソノルーブルを見つめるヌエボトウショウ。感覚として曖昧なだけになんと言えば良いのか一瞬だけ迷ったが、ここは素直に答える事にした。

 

 

「そう、だね。……うん、確かに良い感じかも」

 

ちょっと前までは不調──と呼べるそれでこそなかったが、どことなく‘気,が心と身体に満ち足りていなかったような感じがする。少なくとも今日みたいな好タイムで走る事は出来てはいなかった筈だ。特段悪くはないが特段良くもないような、所謂凡走を繰り返していた。そうなった切っ掛けは見当がついているのだが、肝心の原因が分からず、トレーナーと一緒に四苦八苦していた。

 

──けれど。

 

 

「今はちょっと違うわね。なんというかこう、身体中から「むん(意訳:頑張るぞ!)!」って雰囲気が漂ってきてる。──お見事復調大成功、って感じね!」

 

「スッゴく良い走りだったよね! 最初から最後まで先頭の景色独り占めーって感じ!!」

 

「あ、あはは……。その、ご心配をお掛けしたみたいですみません」

 

心底安心したようにダイナマイトダディはニッコリと微笑み、ヌエボトウショウは屈託のない笑顔を浮かべる。自分に向けられたその微笑みを直視するのがどことなく気恥ずかしくて、ルーブルは頬を若干染めながら目線を横へと逸らした。

 

 

「いいのいいの! 別に謝る必要なんてないわ。調子が良くなって本当に良かった」

 

ヌエボトウショウは「うんうん!」と力強く頷いて

 

 

「みんなで頑張ったかいが──モゴッ!」

 

そのままダディに手で口を塞がれた。危うく余計な事を口走りそうになったからだ。「だ、ダディさん?」と状況を飲み込めないルーブルが困惑した声を上げる。

 

 

「あ、あはははは……。それじゃあ私達はそろそろ次のトレーニングの時間だから、この辺で失礼するわ!」

 

「え、あ、はい……?」

 

またねー(モガガー)!」

 

そのままヌエボトウショウを脇に抱え、慌てたようにその場を走りさるダディ。途中一度だけ振り返って「オークス、楽しみにしてるからねー!!」という言葉を放ち、彼女達は半ば呆然とするルーブルの視界から消え去った。

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 4/15

 

 

──第一回『ルーブルちゃんの調子を上げよう』会議の後半──

 

 

「……え? そんな事で良いの?」

 

「協力して欲しい」と言ってきたゼファーに、なになに! と興味津々で話しを聞いたヌエボトウショウは、その内容を聞いてキョトンとした表情を浮かべた。ゼファーの言っている事が理解出来なかったのではなく、ウマ娘レース出走者においてあまりにも常識的、基本的な事すぎたのだ。

 

 

「ええ。ルーブルさんの食事、睡眠、休憩時間並びにプライベートでの過ごし方……は、プライバシーの侵害にならない程度の物で良いんですが、兎に角その辺りに以前と変わったことが無いかどうか調べてみたいんです」

 

一方のゼファーは至って真剣な表情である。むしろ一番最初にその辺りへ手を付けておきたかった──そんな感じさえする。

 

 

「えっとゼファーちゃん。あなたの言いたいことは勿論分かるけど……」

 

ダイナマイトダディは「困惑している」とも「疑問を感じている」とも取れる声で戸惑うように言った。食事に睡眠、それから休憩の仕方──。根本的にプロのアスリートでもある彼女達にとって、それらは全て凄く重要なファクターだ。毎日行なう日常的な事だからこそ、どれか一つでも己に適切な物から外れてしまえばたちまち──というのは流石に大袈裟だが──調子が落ちると言われている。故に、そこに原因があるのではないかと感じたゼファーの推測は、決して無視したり否定出来るような物ではない。──が

 

 

「それはつまり、あいつのトレーナーが担当ウマ娘の──アスリートにとって基礎基本とも言える部分の異常を見落としている可能性があると、そう言いたいんだな?」

 

ズンバラリンと、普段は無表情で寡黙だが、言いたい事はハッキリと言うタイプのレガシーワールドが大胆に切り込む。ダディは勿論、無意識に空気を読んでその疑問を口にしなかったヌエボトウショウさえ、少しばかりギョッとした顔になった。確かに中央トレセン学園といえど、在籍しているウマ娘トレーナー全てが天才中の天才という訳ではない。某超有名一流大学レベルの合格難易度だと言われているし、それをくぐり抜けて来ただけあって優秀なトレーナーが多いのも事実なのだが、毎年何名かの解雇者──担当ウマ娘とその未来をダメにしてしまったトレーナーが出るのも、また事実だ。

 

そして優秀なトレーナーは、担当ウマ娘の食事や睡眠に何らかの異常があればスグに察知する。毎月行なわれる健康診断を兼ねた各種テストの結果など見るまでもない。──それでこそ、中央トレセン学園のトレーナーだ。一流のそれでも気付きにくい精神的負荷の類いならば兎も角、それらはトレーナーとして最も注意すべき事象なのだから。

 

話しが長くなったが、要するにゼファーはこう言っているのだ。彼女のトレーナーは、自分の担当ウマ娘の基本的な部分の異常さえ察知することが出来ないむ──

 

 

「いえ? 別にそうは思っていません」

 

「──は?」

 

久々に、というより初めてレガシーワールドのこんな呆けた表情と声を聞いた気がして、ヌエボトウショウは思わず吹き出しそうになってしまった。

 

 

「ルーブルさんのトレーナーさんのお話は度々お聞きしていますが、ここまでのルーブルさんのズバ抜けた成績といい、ルーブルさんからの信の置かれ方といい、彼個人のファンの多さといい、その人間性と能力の高さは疑いようがありません。最低でもルーブルさんの‘気が満ち足りていない,‘調子が上がらなくなっている,事は私達よりも前に気づいているでしょうし、既になんらかの対策も打っていると思います」

 

「いやいやいや」

 

スラスラとここまでの意見を覆すような発言をするゼファーに、流石のレガシーも首を横に振って否定する。

 

 

「だったらその辺りに原因は無いんじゃないのか? あいつのトレーナーが優秀だってんなら気付くだろう」

 

もう一度言うが、食事、睡眠、休憩の仕方は、アスリートにとって重要なファクターだ。仮にそこに綻びがあったのだとすればまず真っ先に、当のウマ娘本人よりも先に気付くのが、優秀なトレーナーという奴である。逆説的に言えば、その辺りについては問題ないという事に──

 

 

「いいえ。一流(プロ)でも見落としたり、シッカリ調べないと気付かないような事はありますよ」

 

「──!」

 

ゼファーの言葉に、実感と経験いう名の力が入った事が分かる。声質も声量も声色も。何もかもが先ほどまでとまるで変わっていない筈なのに、不思議な説得力が込もりだす。

 

 

「例えば病院……特に三十から五十代辺りの方に多いらしいんですけど、なまじ知識と今までの経験がある所為で症状に勝手な予測を起てて、お医者さんに伝えるべき事を伝えなかったり、ねじ曲げて伝えてしまったりするみたいなんです。我が強い子供なんかもそうですね。痛いだとか苦しいだとか、そういう事を意地を張ったりして伝えなかったりするんですよ」

 

ゼファーがまだ休養寮にいた頃──といっても退寮してからまだ数ヶ月と経ってはいないのだが──遠藤院長から直接教えて貰った医者に関する知識と、面倒を見てきた子供達にあった癖を元にした例え話──他でもない実体験こそが、ゼファーの言葉に力を込める。

 

 

「例えお医者様(プロ)でもそんな事をされてしまったら、身体に何が起きているのか予想するのは厳しいです。シッカリとした薬品や機材を使って、精密な検査をしないと」

 

「……つまり、シスター・ルーブルがトレーナーに偽りの報告をしているか、あるいは彼女のトレーナーでも分からないような狭い範囲で勝手な事をしているのでは──と?」

 

「んー……。あくまで結果的に、という前置きをさせていただけるなら……はい、それを疑っています。より詳細に言うならトレーナーさんへ近況を伝える際に「これは違うだろう」と無自覚に自分で要因を排除してしまっているのでは? と」

 

シスターを含め、その場の全員が黙り込む。各々「可能性として有り得るかどうか」を考えているのだ。──そして、割とスグに結論が出た。

 

 

「……ありえるかもしれませんね。彼女は別段思い込みが激しい性格をしている訳ではありませんが、桜花賞であんなことがあった後ですから。トレーナーに内緒で何らかしらのトレーニングをしていても不思議ではないとみます」

 

「内心で色々と気負っちゃってる──って事はあるかもねぇ。いつも通りにお喋りしてるし、特に気丈に振る舞ってるって感じはしなかったんだけど……」

 

「自覚が無いって考えるとすんなり納得出来る範囲ではあるな。尚且つそれが注意しないと気にならない程度の変化なら、あいつのトレーナーが気づけなくても違和感は無い」

 

「んー……。あまりよく分からなかったんだけど、ゼファーちゃんの言う通りに調べれば良いの? ……探偵みたいで楽しそう! それで原因を解決して、ルーブルちゃんの調子も上げられたら最高だね!!」

 

四者共に納得のいった表情を浮かべ、そのまま発案者であるゼファーの方を見た。

 

 

「決まりですね。では二日後……またこの時間、この教室で調べた情報を交換してもう一度話し合いましょう!」

 

全員で大きく頷く。──シンデレラ(イソノルーブル)の知らないところで、急遽誕生した五人の探偵が調査を始めようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「あの、突然すみません! 少し教えて欲しいことがあるんですけど──」

 

 

「ええ、ええ。……あら、そうなの? それって何時頃からだったか覚えてる?──」

 

 

「……なるほどそうですか。今の今まで知りませんでしたが、彼女にそんな趣味が──」

 

 

「うんうん、分かるよー分かる! だって美味しいもんね!! ……え? そうなんだ、ふーん──」

 

 

「……って事なんだが、ちょっと協力してくれないか? ……ああ、助かる──」

 

 

 

 

 

そうして、あっという間に二日が経って──

 

 

 

 

 

「第二回! 『ルーブルちゃんの調子を上げよう』会議~!!」

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 5/15

 

 

「第二回! 『ルーブルちゃんの調子を上げよう』会議~!!」

 

ヌエボトウショウの開催宣言に、一回目の時と同様「いえ~い!」と楽しげに同調したのがダイナマイトダディ。パチパチパチと笑顔で小さな拍手をしたのがヤマニンゼファー。何も言わず、何もせず、表情もフードで隠れて見えないレガシーワールド。最後に一見平然としているが、その実早く調べた情報を共有したそうな顔をしているシスタートウショウ。

 

時刻と場所は勿論第一回の時と同じく、彼女達以外のクラスメイトがいなくなった放課後の教室の片隅だ。各々の机をくっつけ合わせて一つの大きな机を作り、そこに座って顔をつきあわせるような形で、五人は二日ぶりに会議を再開する。

 

 

「今回の議長も私、ヌエボが務めます! ちなみに次回も次々回も──」

 

「そういうの良いですから」

 

第一回の時よりも簡潔かつアッサリと、まるで心底どうでも良い事のように切り捨てられても、ヌエボトウショウは即座に「はーい!」と和やかな笑顔で返事をする。

 

 

「じゃあ早速、調べたことを発表したい人ー! う、うぉおおおおお!」

 

今回は一回目の時と違い、自分を含めて全員が挙手をしたという事実によく分からない感動を覚えて思わず叫んでしまうヌエボトウショウ。眼をキラキラさせつつも、一番早くて勢いのある挙手をしたのがゼファーであるという事を彼女はシッカリ把握していた。

 

 

「はい! じゃあ前回と同じくゼファーちゃんから!!」

 

議長(自称)であるヌエボトウショウの了解を得て、ゼファーはこの三日間で調べたことを喋りだす。

 

 

「私はまず、ルーブルさんと同室のウマ娘さんにお話を伺ってみました」

 

「まぁルームメイトに話しを聞くのは基本だな。もし異変が起きてるってんなら大なり小なり、そいつしか知らない事がある筈だ」

 

同じ寮の同じ部屋で生活を共にする、たった一人の相方。長い(短い)学園生活の中でも一番長く自分の傍にいるウマ娘であれば、他の友人達や教師、果てはルーブルのトレーナーでも知らないような、彼女の些細な異変に気が付いているかもしれない。

 

 

「トレーナーの方達は基本、寮への立ち入りが禁じられていますからね。それでも寮外で既に接触はされているでしょうが、もう一度聞き込みをするのは悪くない手かと」

 

「ええ。案の定、ルーブルさんのトレーナーさんからもお話を伺われたらしいです。で、その時は特に疑問に思うような変化は無かったらしいんですが……」

 

「……ですか?」

 

ある程度の予測が付いているのか、シスタートウショウは半ば確信めいた視線でゼファーに続きを促す。

 

 

「……改めて注意深くルーブルさんのルーチンワークを思い返していくと、ここ最近はどうも眠る時間に大きくバラツキがあるようでして」

 

「ルーブルちゃんが眠る時間を削ってるってこと?」

 

「ああ、そっちでははなく……。睡眠時間は前と大きく変わっていないんですが、就寝時間が早い時で十時だったり、遅ければ夜中の三時を過ぎる事もあるらしいんです」

 

レースを目前にした最終調整の影響だったり、何らかの理由があって数回だけそうなっていた時がある──であれば分からないでもないが、イソノルーブルの次走はオークスと決まっているし、それだってまだ一応時間的猶予は残されている。他に何か忙しさに翻弄される要因があるわけでもないとなれば──。

 

 

「ルーブルさんがその日その日によって違う、適切かつ効率の良い自主トレーニングないし勉強をしている──と考えれば納得がいきます」

 

睡眠時間そのものが削れていないのは、ルーブルが睡眠の重用さをある程度理解しているから。就寝時間が違うのは、その日の予定や出来事によってトレーニングの開始時間に差が出るから。

 

 

「んー、でもおかしくない? トレーナーに内緒で、予定にないトレーニングをしてるって事でしょ? それだったらルーブルちゃんはもっと体調を崩してると思うけど……」

 

なんとか話しについていけているヌエボトウショウが言及する。「確かに」と、ダイナマイトダディとレガシーワールドが同意するように頷いた。トレーナーが立てた計画に無い追加トレーニングを行なうウマ娘こそ少なくないが、それを何日何日も繰返し、不規則な生活をしているというのであれば、もっと分かりやすい異変があってしかるべきだ。

 

 

「──‘予定通り,だとしたらどうです?」

 

「……へ?」

 

だからこそ、ゼファーのその意見は考察の前提その物を吹き飛ばしかねない。

 

 

「トレーナーさんから見てもその追加トレーニングの内容は無理のない物で、ちゃんと事前に許可を貰っていて、‘でも睡眠時間は削る事のないように,と忠告を受けていたとしたら?」

 

「えっと、それは……」

 

ヌエボトウショウは久々に自分の頭をフル回転させて考える。毎日行なっている追加トレーニングが予定通りの物だとすれば、それそのものが不調の原因にはなり得ない。となれば、やはり就寝時間のバラツキにこそ要因の一端があると見てしかるべきだ。──つまり。

 

 

「就寝時間の事だけ伝えてない……?」

 

「だと思います」とゼファーは軽く頷く。睡眠時間そのものが削れている訳ではないし、トレーニング後のケアも欠かさずやっているから、疲労は大まか元通りに回復してしまう。トレーニングによって身体の出来自体はドンドン良くなっていってるし、体調も悪い訳ではないから、その情報抜きでは流石のトレーナーでも不調の理由が分からない。オマケにルーブルは化粧や体調のケアが上手なウマ娘だ。自分の顔色を良く見せる化粧や、他の健康的な行為によって肝心の要因が──それどころか、彼女が不調であるという事実さえも分かり辛くなってしまっている。

 

 

「本当はトレーナーさんに聞いて裏を取りたかったんですが、生憎とこの二日間都合が合わなくて……」

 

自分で体調の管理がある程度出来て、健康についての知識や疲労のケアする技術も備わっているイソノルーブルだからこその見落としではないかと、ゼファーは改めて意見を述べる。

 

 

「……あってるかもしれないわ、それ」

 

「ええ、私も同意します」

 

ゼファーの意見を全て聞いて、それに強く同意を示したのがダディとシスターだ。二人ともゼファーの報告を聞いて大いに納得がいったのか、確信めいた表情をしている。

 

 

「と言うと?」

 

「学園に申請さえすれば、夜でもトレーニングルームを使えるのは知ってる? ルーブルちゃんってここ最近、毎日深夜か早朝にトレーニングルームを使ってるんですって。それもその日ごとに使う時間がバラバラ! トレーニングルーム使用頻度№1のライアンちゃんに聞いたから、まず間違いないわ」

 

メジロライアンに話しを聞いた当初は「やっぱり無理なトレーニングが原因だったのね」と思ったダディだが「でもそれならトレーナーさんが気付くわよねぇ……?」という疑問に打ち消されていたのだ。初めからトレーナーの了承を得ていたというのであれば、それにも説明がつく。

 

 

「私は彼女が贔屓にしていると聞いた、学園外部のアニメショップにお話を伺ってきました」

 

「あ、アニメショップ? アイツってそういうとこ行ったりするのか」

 

イソノルーブルが大好きな「お姫様」が出てくるようなアニメ漫画作品なんてそれこそ腐るほどあるだろうが、それでも普段のイメージとは違う感じがしてしまうレガシーワールドである。勿論好きではあるのだろうが、そういった場所に平然と行けるような性格をしているとは思えな──

 

 

「ええ、そうらしいです。情報を提供して頂いたDさん曰く、アニメショップに行くというより小さな友人達に会いに行っている──という感じらしいですが」

 

「……ああ、そういう事か」

 

シスターのその一言で全て納得出来てしまった。彼女は比較的控えめで引っ込み思案な性格をしているがとても親切で、友人を大切にする心優しいウマ娘だ。恐らく何らかの理由でアニメショップへと行った際に、同じくアニメショップに来ていた子供達と仲良くなったのだろう。

 

 

「その友人の方達曰く『最近UMAINの返信が遅くなった』らしいです。『あまり会えなくて寂しい』とも言っていました」

 

「んー……。会議なのであえて否定的な意見を言わせてください。シスターさんもそうですが、今はルーブルさんにとってとても大事な時期です。UMAINの返信は兎も角、直接会えなくても仕方がないのでは?」

 

あんな考察を語っておいて今更何を言っているんだ? と思うかもしれないがそもそもの話し、ゼファーは自分の考えが当たっているとは思っていない。否、思ってはいるが、間違いないという確信に至らない限り、そうだと決め打つような真似はしない。

 

 

「ええ、そうですね。私もそれは否定しません。……ですが、そしてそのUMAINの返信が遅くなった理由として──

 

『本当にごめんね? 最近朝と夜にやってる追加トレーニングが忙しくて……。本当は私も、久々にみんなと会いたいんだけど……』

 

──という返信があったそうなんです」

 

「……なるほど。肉体的な無理や無茶をしていなくとも、友達と会えない状況が続いている事そのものがストレスになってしまっているかもしれないと」

 

分かる話だ。と、ゼファーは大きく頷く。彼女がこの教室に編入してからまだ一ヶ月半と経ってはいないが、それでもイソノルーブルというウマ娘について分かる事として‘とても優しい,‘謙虚である,‘友人を大切にする,という三つの要素がある。そんな彼女にとって‘自分の所為で友達を寂しがらせてしまっている,という事実は、自覚の有無に関わらず想像以上の負荷となるだろう。オマケにこれも、彼女のトレーナーでも気づけない、気づき辛いタイプの負荷だ。

 

 

すとれす(・・・・)なら私も心当たりあるよー!」

 

その言葉に反応したのか、ヌエボトウショウも手を上げる。

 

 

「あのね! ルーブルちゃんってにんじんバターケーキが大好きなんだけど、ここ最近は誰も食べてる姿を見てないんだって!! ヘルシーで栄養価の高い物ばっかり食べてるからオークスに向けての調整? なんじゃないかって噂だけど、もったいないよねー。あんなに美味しいのに!!」

 

バターケーキ。別名パウンドケーキとも呼ばれるそれは、書いて字の如くバターを大量に使うケーキだ。当然の事だが、脂肪の塊であるバターをふんだんに使うだけあって美味さだけでなくカロリーもヤバい。特に中央トレセン学園仕様のそれは、たっぷりのホイップクリームとハニーシロップを添えたまさしくカロリー爆弾であるため、大量に食べてしまった日にはトレーナーからお小言を頂戴すること必至である。

 

 

「あー……。まぁ折角オークスに向けて身体を絞ってる最中なんだから、好きな物をバクバク食べる訳にはいかないわよねぇ……。でも! それが辛いのなら我慢しちゃいけないと思うわ!」

 

「正直、私はあまり共感する事が出来ませんね……。なにぶん、質素かつ節制を心がけてきた教会育ちなものですから。ですが理屈は分かります。食とは決して、ただ身体に必要な栄養を摂取するだけの‘作業,などではありません。生きる為の糧であり、人にとっては‘娯楽,の一種です」

 

「ええ。それを我慢をし続けてしまえば健康上問題が無くても、前より健康な身体になっていたとしても、きっと心の方に支障が出てしまうでしょうね。例えそれが、微々たるものであったとしても」

 

ダディが感覚で、シスターが知識で、そしてゼファーが経験でそれぞれ同意する。無論、食べ過ぎはダメだが、それでルーブルにストレスが溜っているというのなら本末転倒である。決して‘厳しいトレーニング,や‘無茶な調整,などを否定する訳ではないが、それに伴う辛さや苦しさによるダメージが不調の原因になってしまっているのであれば、即刻やり方を変えるべきだ。

 

 

「んー……。でもね? 私がいうのもあれだけど、流石にトレーナーさんもこれは気付いてるんじゃないかなって思うんだぁ」

 

中央トレセン学園はレース科のウマ娘には──より正確に言えば、担当トレーナーがいるウマ娘だが──‘今日は何をどれぐらい食べたか,を自分のトレーナーへと報告する義務がある。担当のトレーナーはそれを考察材料の一つとして、現在の健康状況を推察したりする訳だ。故に、イソノルーブルが虚偽の報告をしていない限り、最近の食事状況は彼女のトレーナーも知っている筈なのだが……。

 

 

「だから、トレーナーさんがその上でスルーしてるんだったらこれは違うのかなぁ? って」

 

「ルーブルちゃんは嘘の報告をするような娘じゃないしねぇ。まさかトレーナーさんがルーブルちゃんの好物を知らないって訳でもないだろうし……」

 

「むむむ」とヌエボトウショウは腕を組んで考え込む。今一度言うが、こうして情報を集めて話し合っている五人はトレーナー候補生でもなんでもない、ただのウマ娘である。何かこう確信的な情報でもない限り、真実に辿り着く事は──

 

 

 

「‘断ってる,んだよ。アイツからな」

 

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 6/15

 

 

「‘断ってる,んだよ。アイツからな」

 

まるでなんでもない事のように自然に、しかしてハッキリとした声色で、今までずっと聞き手側だったレガシーワールドが喋りだした。

 

 

「レガシーちゃん‘断っている,ってどういう事?」

 

「どういう事もなにもそのまんま。ここ最近好物を食ってない事に気づいてるトレーナーからの差し入れ……ケーキだとかはちみーだとか、そういうやつをアイツ自身が断ってるんだ。そりゃそんなもん別に喰わなくたって健康上何も問題ないし、体重やらなんやらの調整のことを考えるならむしろ喰わねぇ方が良いぐらいだから、アイツのトレーナーも強く言えねぇのさ」

 

「……随分と具体的ですね。失礼ですがシスター・レガシー、その情報をどこから?」

 

ズバリと、今まで出て来た情報の中で一番具体的な証言をするレガシーワールド。しかもその雰囲気からして、彼女はこの情報が‘間違いなく正しいものだ,という確信を得ている。一体どういう事かと不思議に思ったシスタートウショウだが、その疑問は即座に解消された。

 

 

「決まってるだろ? あいつのトレーナーからだよ」

 

「え!? でもでも! ルーブルちゃんのトレーナーさんはこの二日間色々忙しくて学園にいないって──!!」

 

「‘直接,聞く必要なんてないよ。メルアドなんて知らないし、UMAINのグループ登録もしてなければウマッターはやってすらいないみたいだけど、それでも同じトレーナーなら流石に連絡が取れるだろってね。私のトレーナーに事情を話して、電話でそれとなく情報を聞き出して貰ったのさ。……あまり喋り慣れてないザ・イケメンって性格の相手だったみたいで、ガラにもなくちょっと緊張してたけどな」

 

ハハッと、小さく笑う。レガシー(彼女)のトレーナーは中央トレセン学園トップクラスの強面で、その厳つい雰囲気から‘元裏社会のヤバイ人,ともっぱらの噂なのだが……。そんな彼が自分の目の前で見せた(比較的)オドオドとした態度が面白くもどこか可愛らしくて、もう今朝から何度も思い出し笑いをしてしまっているレガシーワールドである。

 

 

「なるほど……。それならかなり信憑性は高いですね。今までの情報と統合すると、ルーブルさんが‘小さな無理,を各所でしていると見て間違いなさそうです」

 

深夜と早朝のどちらかに行なっている追加トレーニングによる就寝時間のバラツキ。友人達に寂しい思いをさせてしまっているという自負。好物を食べるのを自重している事によるストレス。そしてなにより、日に日に迫るGⅠレース‘オークス,。……不調の原因になるには十分過ぎる要素だ。問題点は明らかになり、ここに提示された。──されたのだが

 

 

「だけど、具体的にどうすれば良いのかしら……」

 

結論として、上手い解決策が出てこないことにダイナマイトダディは憂いを帯びた表情で首を捻る。「え? 一つ一つ解決すれば良いんじゃないの?」と不思議そうな顔をしているヌエボトウショウに教示するように、レガシーワールドが口を開く。

 

 

「まぁそりゃあな。就寝時間のバラツキに関してはアイツのトレーナーに直接忠言して貰えばそれで良いんだが……。ダチと食事の問題に関しては難しいだろう」

 

イソノルーブルの都合が良い時に会えれば良いのだが、相手側にも都合という物がある。なにせ相手はまだ子供だ。平日は学校があるし、家庭の都合だってあるだろう。放課後だって塾や習い事があったり、何も無くても他の友達と遊ぶ約束をしているかもしれない。

 

そして食事事情の改善は、多分それ以上に難しい。何故なら彼女は別段、アスリートとして間違ったことをしている訳ではない。むしろその逆。栄養価の高い物を優先的に食し、なるべく高タンパク低カロリーなアスリート向けのメニューを頼む。間食は勿論、糖や脂質の多い甘味は例えトレーナーからの差し入れであっても食べないという、どこぞの暴飲暴食ウマ娘達に見習わせたくなるような食事をしているのだ。

 

正しいからこそ、何も言えない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「面倒臭いのは、仮にこの三つの要因全部を取っ払ったらそれはそれでストレスになりそうな事なんだよな」

 

故に、ルーブルに理由や理屈を説明して環境を無理矢理元に戻しても、心の中に‘決めたことを守れなかった,という棘が残るだろう。最悪の場合‘みんなに気を遣わせた,‘また迷惑を掛けてしまった,という余計な自負の念に駆られるかもしれない。

 

 

「うーん……。ねぇ、二人はどう思う?」

 

そうして暫くの間、眼を閉じて考えるように押し黙っていたゼファーとシスターに、ダディから声が掛かった。「そうですね……」と、まずはゼファーが眼と口を開く。

 

 

「取りあえず、今回の会議の内容を簡単なレポートにして纏めた物をルーブルさんのトレーナーさんにお渡ししましょう」

 

「……まぁそれが無難か。それを見たアイツのトレーナーが色々と上手い事やるのを期待するっきゃない。所詮、私達はこうやってトレーナーの手の届かない所に探りを入れるのが精一杯のド素人な訳だしな」

 

「ええ。私達では本業のトレーナーさん達のアイデアや知識、そして何よりその熱意にはどうあっても敵いません。ルーブルさんとマンツーマンの契約をしているトレーナーさんなら尚更です」

 

どれだけ考えても結局そこにしか行き着かなかったのか、レガシーワールドは疲れたように息を吐きながらゼファーの意見に賛成した。隣では「えー!? 私レポート作るっての凄く苦手なのにー!!」と一気に嫌そうな顔色になったヌエボトウショウを、ダイナマイトダディが宥めすかしている。ちょっとした興味とある目的から今回の会議に参加したが、そこまで収穫を得ることは出来なかったなぁと、レガシーワールドは主にそっちの意味で落胆していた。

 

 

「一応聞くけど、他には?」

 

「んー……。一つだけ、思い浮かんでいる手があります。ですがこれはあまり大っぴらに言える物じゃない上に、ルーブルさんのトレーナーさんの協力が必須なので……。効果自体はそこそこあると思うんですけどね」

 

「へぇ……?」

 

ゼファーのなんとも意味ありげな発言に、思わずスッ──と眼を細めたレガシーワールド。彼女が思い付いたという‘手,とやらに興味はあるが、この言い方では自分達に話す気はなさそうだ。まぁさして聞きたいという訳でもないし、別に「──それに」──ん?

 

まるでレガシーワールドの思考を遮るかのように、ゼファーが言葉を放つ。

 

 

「それに私、そこまでルーブルさんのことを心配してないんです。──シスターさんもそうですよね?」

 

「…………」

 

ニッコリと微笑みながら聞いた。ヤマニンゼファーというウマ娘にしては珍しい事に、相手の心情を断定するような遠慮のない物言いでだ。「そうなの(か)?」と言いたげな眼で二人を見るダディとレガシー。対するシスタートウショウは最初の数秒こそ何も言わなかったが、それからスグに口を開く。──その一瞬前、口の端がフッ──とホンの僅かに歪んだのを、彼女と対面に座っているヌエボトウショウはその眼で見た。

 

 

「ええまぁ。シスター・ゼファー(・・・・・・・)と同じく、これから私達がやるべきはこの情報を彼女のトレーナーに伝えることだけだと思っています。あとはシスター・ルーブルが復調することを信じて三女神に祈りましょう」

 

「意外……じゃないけれど、どうしてそう思ったのか理由を聞いても良いかしら、シスターちゃん」

 

ダディの言う通り、今回の事情を知った上でシスタートウショウのその決断を「意外だ」と思うようなクラスメイト並びに知り合いは少ないだろう。文字通り教会の修道女(シスター)でもある彼女は他者に対する見返りのない献身を行う事も多々あるが、それと同時に色々と厳しい(・・・)事でも有名だ。困難に悶え苦しんでいる、思い詰める程に苦悩している者をただ助けるのではなく、出来うる限り自分の力で乗り越えさせる。何もしないどころか、時として捨て置くような真似をする事さえもある。

 

曰く‘無論、一シスターとして迷える子羊達に救いの手を差し伸べる気はありますし、むしろそれこそが私の本懐の一つですが、必要以上に甘えさせる気もありません,という事らしい。同じ「信じて見守る」でもダディの家族としての絆や想いが込められたそれとはまた違う、厳しくも慈愛に満ちた、正に修道女としてのそれだ。

 

──しかして今回のシスターは、普段の物とはまた別の理由でそう決断したような気がすると、ダディは本能的に感じていた。

 

 

「単純な話し──シスター・ルーブルは、強いウマ娘ですから」

 

「────!」

 

凜と引き締まった顔。まるで淀みのない口調。疑いや不信など一切無い純粋な瞳で、シスタートウショウは言う。

 

普段から弱気で自分に自信が無い……精神的に脆い部分があると言われているイソノルーブルだが、ああ見えて一度「こう」と決めてしまえば、例えそれがどんなに辛く苦しくとも頑として撤回しない、強い意志の持ち主でもある。

 

厳しい追加トレーニングをするのも、小さな友人達と会わないのも、食事をアスリートとして理想的な物にしたのも、そうすると決めたのは全部イソノルーブル本人だ。

 

──何が何でもオークスで勝ちたい──

 

彼女が取っている行動の数々から、そんな決意がヒシヒシと感じられた。

 

 

「ですから、そこまで心配はしていません。今回の行動の一切は‘それでも何か、彼女の友人として他に出来る事はないか,という私の我が儘です」

 

「……そう」

 

「ええ。なのでシスター・ゼファーの言った‘手,とやらが有用そうであればどうぞ実行してください。そもそも私も他人の……戦友(ライバル)の心配が出来るような立場ではないですからね。オークスへ向けての最終調整……これまで以上に完璧な状態に仕上げ、全身全霊で挑まなくてはなりませんから」

 

確信的なまでの‘信,をシスタートウショウがイソノルーブルに置く理由は、このクラスの最上位カーストであるダディでも分からなかった。きっと自分達の知らない所で、シスタートウショウ本人にしか分からないような‘何か,があったのだろう──そう推察するのが精一杯だし、それ以上深入りする気もない。それは‘無粋,という奴だ。

 

ならば、これ以上はそれこそ「見守る」しかない。結局の所‘みんなの大黒柱,である自分が最後に出来る事と言えば、今までもこれからもきっとそれ以外に無いのだから。

 

 

 

 

 

「でもでも! ‘それだけ,じゃないでしょ? シスターちゃんも最近調整なりなんなりで忙しかったから、みんなとこうやって話す機会が少なくて寂し──あ痛ったぁ! ま、毎度言うけどシスターちゃんって私にだけ容赦なくない!? 何で!?」

 

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 7/15

 

 

 

「ふぅ……」

 

顔をジャブジャブと盛大に洗ってようやく落ち着いたのか、イソノルーブルは小さく息を吐いた。東京レース場のすぐ近くにある高層ホテルの一室だ。毎度のことではあるのだがホテルとか旅館に泊った時、起床の際に寝ボケて寮の自室じゃないことに驚いた挙げ句、こうやって慌てふためいてしまうのはなんとかならない物だろうか。

 

 

(‘精神的に脆い部分がある,かぁ……)

 

──これもまた、自分の根幹的な弱点の影響なのかもしれないと、イソノルーブルは落ち込むように視線を下へと向ける。

 

これ以上ない事実である為、特に否定する気は無い。むしろ治せるならどんなことでもするから誰か何とかして欲しい。今までは運が味方したのもあってなんとか誤魔化し誤魔化しやってこれたし、望外とも言えるような結果を連発出来たが、この前の桜花賞の時と似たようなアクシデントがこの先起こらないとも限らない。流石に日常茶飯事とまではいかないだろうが、この先ドンドン激化していくであろう重賞……特にGⅠレースでは、予定外の出来事なんて幾らでも起こるだろう。そしてその時も前回のように己を忘れてペースを乱すようでは、きっと全く勝てなくなるに違いない。

 

 

「わぁ……!」

 

そんなネガティブな事を考えながらタオルで顔を拭いたイソノルーブルだが、いつも使っている物よりもずっとフカフカでふわふわのそれに顔を埋めた途端、思わずパァアアアアッ! と笑顔になった。流石は東京でも有数の三つ星高級ホテル。ベッドの身体へのフィット感やふかふか具合も物凄かったが、ただのタオル一つに至ってまでこの拘りようとは恐れ入る。

 

バスルームは某有名温泉の源泉から汲んできたお湯を使っているらしいし、エステサロンはウマ娘専用の物も含めて全て使用料無料。トレーナーが折角だからと注文してくれたルームサービスの軽食もお洒落で小綺麗で、味も素晴らしく美味しかった……と、思う。

 

どう言葉を尽くしてもあやふやで曖昧な感想しか出てこないがそれは決してルーブルの語彙が貧弱だとかそういう話しではなく、『担当トレーナーと高級ホテルの一室で綺麗な夜景を見ながらワイングラス(INぶどうジュース)を片手に夜食を啄む』という、コテコテのトレンディドラマでも滅多に見ないような経験に思考回路がショート寸前になっていて、料理の味なんて殆ど感じられなかったのだ。料理名がやたらややこしかったというのも起因している。……この際だからぶっちゃけ言おう。GⅠレースに出走する時なんかより何倍も緊張していたと。

 

 

(……あ、でも‘あれ,は美味しかったなぁ)

 

そんななか唯一明確に味を覚えているのが、デザートとして最後に出て来たバターケーキ。他でもない、イソノルーブルの好物だ。ある種の願掛けもかねて今まで必至に食べるのを我慢していたが

 

『本番前に一旦気を休めるのも大事な事だよ』

 

とトレーナーに諭されて『まぁ一切れぐらいなら……』と口にしたのだが、それが凄く美味しかった。今までで一番のそれだったと言っても過言では無いと思う。トレセン学園のカフェで提供されているクリームとシロップたっぷりのそれとは違い、なんの飾りっ気もなしの超シンプルな物だったが、その素朴で手作り感満載の味わいが……なんというか、そう、心に来た。真摯に食べる人の事を思って作ったのだという事が伝わってきたのだ。

 

 

「……ん!」

 

不意に、ピョンピョン! とその場で二回ほど跳ねてみる。次いで両手と両脚指を握っては開きを数回繰返し、最後に胸を張るように背筋をピン! と伸ばした。それだけでありありと分かる。確信すら出来る。今日の自分は、今までで最高の仕上がりになっていると。

 

桜花賞が終わってからオークスまでのこの一ヶ月、やれるべき事は全てやった。いつものトレーニングは勿論、追加のそれも、トレーナーに許可を貰って早朝に行い続けた。(時間が無い時は深夜にやっていたが、途中で‘睡眠時間のブレ,を指摘されて早朝に固定となった)

 

大本命とされるシスタートウショウは勿論、他の出走ウマ娘達の情報も調べられるだけ調べたし、コースの研究も余さず行なった。二度と桜花賞での一件(ああいうこと)が起こらないよう蹄鉄の専門家へ直接アドバイスを聞きに行き、その意見を参考にシューズは蹄鉄の装着性に優れた最新モデルへと買い換えた。枠番が正式に決定してからはトレーナーと入念に作戦会議をした。自分の意図しない形ではあったが、本番前日こうして心底リラックス(軽食時以外)する事も出来た。

 

無論、だからといって勝利する事が出来るという訳ではないが、多少は自信という奴が持てそうだと感じる──それだけで、十分だった。

 

 

「──よし」

 

小さな友人達の誘いを泣く泣く断ったのも、好物のバターケーキや甘味類を食べるのを自重していたのも、厳しい追加トレーニングや複雑なレース研究をやり続けたのも、全ては今日この日、このレースに勝つ為だ。この一生に一度の大舞台で勝って、私は──私が──!

 

 

「シンデレラだって、証明してみせる──!」

 

その決意に溢れた瞳の奥に、本人であるイソノルーブルすら自覚する事の無い光り輝く何かが宿る。

今日は5月19日──クラシック競走がティアラ路線。第二レース‘優駿ウマ娘・オークス,が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

──祈る。祈る。祈る。

 

──私は祈る。

 

毎朝毎夜、寮のベッドの上で。お昼休みには三女神像の前で。レースに出走する直前には各自用意された楽屋で。

 

それは、まだ私が小さかった頃からの日課だ。神父や修道長にやり方を教わり、みんなもやってるからと自分もやり始めるようになったのが三つの頃。聖書や聖典の内容を読み聞かせてもらい、その難しさに首を捻りつつも『こういう事か』と子供ながらに何かを悟ったような気になっていたのが五つの頃。

 

漢字もある程度読めるようになり、子供向けに訳された聖書ならば一人で読み解けるようになった(内容は相変わらず、半分以上が理解の範疇外だったが)のが七つの頃。『何かもっと、上っ面だけじゃない大切な事が書いてあるんじゃないのか』と気づき、大人向けのそれを頑張って読み解こうとするようになったのが九つの頃。(確かその頃から、普段の祈りにも熱が入ったような気がする)

 

祈る事に、走る事に、誰かを助ける事に意味があるのかといっちょ前に苦悩していたのが十二の頃。ただ暇だったから悩みを聞いてあげただけの参拝者に心の底からお礼を言われ、自分の中に‘答え,の一端を垣間見たのがそれからすぐの頃。

 

そして市内の一般ウマ娘参加型のイベントレースにボランティアとして参加し、イベント終了直後に中央トレセン学園のスカウトマンからスカウトを受けたのが十四の頃……つまりは二年前だ。十三年……。それだけの月日をもう(・・)と言うべきなのかまだ(・・)と言うべきなのかは分からないが、兎に角これまでの十三年間の間、私は日々欠かさず祈りを捧げている。

 

三女神に。天上に在す我らが父に。この世界に。幾重もの願いを束ね、どうか届くようにと祈りを捧げる。

 

──三女神よ。天上に在す我らが父よ。私達が住まうこの世界よ。どうか、どうか──

 

 

 

 

「今日の食堂のオススメか日替わりのメニューは、ブイヤベース風パスタでありますよーに!」

 

「…………」

 

シスタートウショウは言葉一つ発する事なく、あまりにも暢気な願いが聞こえてきた自分のすぐ横を見る。中央トレセン学園の校舎入り口すぐ前にある、三女神像の前だ。いつの間にやって来たのか、はたまたシスターが祈りを捧げることに集中していて気付かなかったのかは分からないが、そこにはシスターと同じポーズで祈り(というにはあまりにも利己的である)を捧げるヌエボトウショウがいた。そのまま何も言わず、いつも通り頭を叩いてやろうかと一瞬思ったシスターだが、今日ばかりはと小さく息を吐いて堪える。

 

 

「なにをしているのですかシスター・ヌエボ」

 

「朝のトレーニングをしようとしてたら丁度シスターちゃんを見かけてね? いつも三女神像前(ここ)で祈るのはお昼の時なのに珍しいなーって思ったら、なんか身体が勝手に動いてた!!」

 

何故だかとても嬉しそうにヌエボトウショウは笑う。理屈としては意味不明だし、理由としても到底納得が出来るような物では無かったが、取りあえず普段と変わらない、いつも通りのヌエボトウショウであるということだけは理解出来た。

 

 

「重賞レースに出走する日の朝はベッドの上ではなく、ここで祈りを捧げると決めていますから」

 

「もしかして昨日どこかのホテルに泊らないで帰ってきたのも?」

 

「ええ。記者会見が予定よりも早く終わったというのもありますが、やはり大勝負の前には宣誓の意味も含めて神々に祈りを捧げておかなくては」

 

ちょうど陽が昇り始める朝早いこの一時はとても静かで穏やかで、集中して祈りを捧げるには丁度良い時間帯だ。俗に言う所の‘清廉な一時,という奴である。一種の宣誓や願掛けもかねて、シスタートウショウは重賞レースだけではなく何か重要な事がある日の朝はいつも以上に早起きをして、三女神像の前で直接祈りを捧げることにしていた。

 

例え世界中のどこにいようが、真摯で純粋な‘祈り,は天へと届くと強く信じているシスターだが、それはそれ。教会や三女神を祀っている神像の前などが、祈りを捧げるのに適した場であるのは間違いない。「そっかー」と、これ以上深く突っ込むと話しが長くなりそうだと本能的に感じたヌエボトウショウは、それで一端話しを区切った。

 

 

「で、何を祈ってるの? やっぱり今日のレースが上手く行きますように~とか?」

 

「‘祈り,と‘願い,それから‘頼み,は全部似て非なる別物ですよ、シスター・ヌエボ。私は神に祈り、何かを願う事はあっても頼むことはありません。願うにしても精々が‘そうありたい,もしくは‘あってほしい,という程度の物です」

 

再び眼を閉じて祈祷のポーズを取り、祈りを再開しながらシスターは告げる。

 

人々の夢と希望を乗せて走るのがウマ娘レース出走者だというのなら、それに相応しい自分で在れるように。約束された勝利を願うのではなく、全身全霊で勝ち取ったそれに堂々と胸を張れるように。良いレースになるようにではなく『素晴らしいレースだった』と、みんなに思って貰えるような走りが出来るように。

 

そして──これはどちらかと言えば‘頼み,の類いであると自覚している為、少々後ろめたいのだが──そしてどうか、彼女達が──

 

 

「……ねぇシスターちゃん」

 

その声は、何故だかいつも以上にハッキリと耳へと入ってきた。「何ですか?」と聞く間もなく返事が返ってくる。

 

 

「──レース、頑張ってね!!」

 

他意や余計な思惑など微塵もない、ただただ純粋なエール。天真爛漫という言葉がよく似合う陽気な表情で、ヌエボトウショウはこの日一番最初にシスター(友達)を鼓舞した人物となった。「言われるまでもありません」と、シスターも自信満々な声色で返事を返す。

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 8/15

 

 

『トゥインクルシリーズを愛して止まない全ての皆々様! 今年もついにこの時がやってまいりました!!』

 

トゥインクルシリーズウの実況者として最も有名な女性アナウンサー『赤坂(姉)』の興奮した声が、拡声器を通して会場全域に響き渡る。

 

 

『本日のメインレース! 日本ダービーと対を成すウマ娘の祭典!』

 

 

『クラシックレース、優駿ウマ娘‘オークス(GⅠ),いよいよ開幕です!!』

 

 

 

 

「……なぁフラワー」

 

東京レース場にあるウマ娘レースの関係者……その中でもURAの重役、またはそれに匹敵するVIPのみが立ち入ることを許される三階の某特別な部屋に、チームステラのトレーナーである柴中はいた。無論、桜花賞の時と同様、来年はこのレースに出走しているであろうウマ娘、天才少女・ニシノフラワーも一緒である。「はい?」と可愛らしく小首を捻って聞いてくるフラワーにある種のデジャヴを感じながら、柴中は告げた。

 

 

「俺はお前の事をとても優しくて、頭も良ければ性格も器量も良し、実力だって申し分無い将来有望なウマ娘だって本気で思ってるんだけどさ……」

 

「そ、そんな……。その、とても嬉しいですけど恥ずかしいですよ……」と照れて顔を紅くするフラワーだが、柴中の顔はそれに反するように渋い。正しく‘苦虫を噛み潰したような,表情をしている。桜花賞の時と同じく、また豪華な弁当を作って来られたとか、その程度の話しでは無い。

 

 

「いやー! 既に来年のレースを見据えて実地で‘見,のトレーニングとは、さっすが柴中はん! あのマイルの皇帝のトレーナーなだけはありますなぁ!!」

 

「だけどさ……。幾ら困ってたからってこいつをここに連れてくるような真似だけはして欲しくなかったなぁ……!」

 

陽気で軽快な関西弁を放つその男に頭を抱えながら、柴中は呻くように言った。恨み言にも近いそれを柴中が担当ウマ娘であるフラワーに放っているという一種の異常事態だが、逆に言えば柴中にとってそれだけのダメージを負う事態なのだという証拠でもあった。

 

 

「や、やっぱりダメでしたか?」

 

その言葉を聞いてションボリとした表情になったフラワーが恐る恐るといった風に聞いてくる。確かにこの男はまるっきり赤の他人という訳でもないし、URAの規律もこういう事に関してはそこまで厳しくはない。なのでフラワーがこの男を部屋に連れて来たこと自体はあまり問題ではないのだが──

 

 

「いやいや! ホンマ助かりましたわ。おおきに、ニシノフラワーはん」

 

望外の結果に内なる喜びを隠す事もなく顔に出しているのは『藤井(ふじい)泉助(せんすけ)』某大手新聞会社で働いている、ウマ娘レース専門の記者だ。中央トレセン学園にも幾度となく取材に訪れていて、特にオグリキャップとはまぁ色々とあり、記者としては(比較的)一番仲が良かったりする。

 

記者としての腕も業界トップクラスで、取材を初めとした各種情報の収集能力から、肝心の記事の内容(面白さ)、SNSや動画サイト等も利用するその活動範囲の幅広さと、色々優れた人材であることは疑いようもない。──が

 

 

(こいつはなぁ……)

 

この藤井泉助という男。中央のウマ娘トレーナーの間では‘厄介者,としても割と有名だったりする。休日の街で偶然居合わせたGⅠ級ウマ娘へ唐突にインタビューするなんてことは数知れず。トレセン学園には取材許可を取っていてもそのウマ娘が所属するチームのトレーナーには許可は取っていなかったり、後輩でもある某女性記者に余計な事を吹き込んでトンでもない質問を理事長に対してさせたりと、まぁお騒がせ事情に事欠かない。

 

だが決して悪質記者という訳ではなく、記者としての情熱や取材対象であるウマ娘・トレセン学園・URAへの敬意を持ち合わせているむしろ良識ある人間で、肝心のウマ娘達からもそこそこ好かれるタイプの記者なのだが、それでも彼女達の保護責任者でもあるトレーナーという役職の身からすれば厄介極まりない奴である事は間違いない。特にオグリキャップの前担当トレーナーだった『六平(むさか)銀次郎(ぎんじろう)』からは半ば本気で嫌悪感を示されている存在だ。

 

 

「ちゃんと事前に予約しとった筈の報道関係者専用の特別席がダブルブッキングで取れてませんでした言われた時はマジでどうしようか思っとったんやけど……。怪我の功名とはまさにこの事ですわ。おかげさんで‘あの,柴中トレーナーに、来年のティアラ路線注目ウマ娘のフラワーはんとこうしてご同伴する事が叶ったんやから!」

 

「あわよくば先週の安田記念の時もこうして出会いたかったですわー」とか続けて調子の良いことを言っているが、出会わなくて当然である。柴中が藤井の行動パターンを先読みし、それに合せて見学場所を一定時間事にコロコロ変えていたのだから。結果としてレース場をあちこち連れ回すことになったゼファーには悪い事をしてしまったが、当人としては実に楽しそうだったので何よりだろう。

 

 

「……もう一度釘を刺しておくけど、今日は取材には付き合わないからな」

 

「わーっとります! いや正直スッゴく色々話をお聞きしたいんやけど、それはまた今度にしときますわ。今日のメインはあくまでオークスやさかいね」

 

割とドスを込めた声色で言ったのだが、あまり効果は見られない。不本意なれど藤井とはそれなりに長い付き合いなので、どの程度が柴中にとって本気の‘アウト,ラインなのかをシッカリと見定められてしまっているのだ。『これぐらいなら大丈夫だろう』という、軽率なれど当たっている判断である。

 

 

「ああ、でもこれぐらいなら聞いてもええでしょ? ぶっちゃけた話し、どの娘が有力だと思うとります?」

 

「……そうだな」

 

故に、チーム‘ステラ,や、フラワーを初めそこに属しているウマ娘の事は口を開かなくても、それ以外の話題ならいけると判断した藤井が切り込んでくる。無視しても良かったのだが、どうせフラワーとレースについて色々話している内に情報を抜き取られてしまうだろう。ならば‘答えても問題ない,と思える事はフラワーへの説明もかねて話してしまうべきか。

 

 

「やっぱり一番人気の『シスタートウショウ』はこの中だと色々抜きん出ている物が多いな。先月に桜花賞を取ってから益々走りに磨きが掛かったように感じる」

 

「桜花賞のレコードを塗り替えちゃいましたもんね、シスターさん。あの凄まじい追い込みで一気に迫られたら萎縮しちゃう人も多いんじゃないでしょうか」

 

「パドックで見た感じ、毛づやも身体のハリも歩き方も良好だったし、調子も良さそうだ。人気通りの最有力候補だろうさ」

 

「ふむふむ」と凄まじい勢いで手帳に二人の発言を書き込んでいく藤井。途中、なにか良い記事のアイデアでも浮かんだのか、ニヤリとした表情を浮かべたのが実に不気味に映った。

 

 

「二番人気のツヴァイボイスは去年の一二月以降は体調不良諸々が原因でレースには参加してなかったけど、復帰戦の忘れな草賞(OP)で圧勝。それ以前のレースも三着以下無しとあってかなり期待されてるみたいだ。三番人気のスカーレットブーケは言わずもがな。前哨戦のサンスポ特別(GⅡ)こそ今回五番人気のサンカイヘーに敗れてるけど、実力は間違いなく本物だろう」

 

「毎度の事ですけど、ファンの皆さんって本当に凄いですよね。大体のレースで『この娘が上位に来るだろう』って予想を当てちゃうんですから」

 

「噂じゃ‘予想(それ)に人生を賭けてる,っていう『ウマ娘レース』のファンもいるらしいからな。こっちとしては色々と盛り上がるから、ありがたい話しではあるんだけど」

 

「ほうほう……。ちゅーことは順当に人気上位のウマ娘が掲示板を確保するだろうっつー読みでっか?」

 

「……まぁお前も知っての通り、人気上位の奴がとんでもないやらかしをしたり、逆に人気下位──所謂穴ウマ娘が覚醒したりしてて結果が荒れることも時々あるんだが、今回はレース中に怪我か何かでもない限り順位はそう大きく変動はしないだろうって読んでる」

 

それだけファン達の‘眼,が肥えているという事なのだが、それについては何ともコメントし難かった。‘誰が上位にくるのか全く予想が付かない,ようなレースなど、地方は勿論中央でもそうそう起こりえないから仕方がない所ではあるのだが。

 

 

「ほんならやっぱお二人もシスタートウショウはんが(大本命)。二つ目のティアラを手にするだろうっちゅー予想を?」

 

「……どうだろうな。最有力候補である事は間違いないんだが……」

 

一瞬だけ、言葉に詰まった。柴中は中央トレセン学園のトレーナーの中でも最高ランクである‘GⅠ,トレーナーだ。異常体質に長いこと悩まされていたゼファーのような特殊な事情を抱えた例外を除き、例え本気で‘視,なくとも、それが自分の担当するウマ娘でなくとも、レースに出走するウマ娘の大体の調子や抱え込んでいる体調不良、今大体どの程度の走力があるかは一目見ただけで分かる。

 

その柴中をして、今回のシスタートウショウの仕上がりは万全だと感じさせた。トリプルティアラ達成へ向けて余程気合が入っているのか、パドックで既に薄く闘気が滲み出ていた程だったのだから。

 

ともすれば彼女は既に‘領域,へ到達しかねない程の実力を身につけている。今回の大本命間違い無しと言って良いウマ娘ではあるのだが……。

 

 

(それでもレースに絶対は無い(・・・・・・・・・))

 

怪我や故障、レース中の落鉄や、接触事故による勝負服の損壊などといったアクシデントは勿論、周りから集中的にマークされてしまったり、予想外の出来事が原因で本来の実力が出せなかったり、想像を絶する鍛練を積んできた人気下位のウマ娘にぶち抜かれたりと、有識者や専門家から『大本命間違い無し』と言われているウマ娘が見せ場もなく敗北するような事など、ウマ娘レースでは日常茶飯事なのだ。

 

だが出走ウマ娘達を軽く見た感じ、実力気迫共に人気と比例している。今回に限ってはそういった大どんでん返しは無いか……? と思った柴中が口を開こうとした時だった。

 

 

「──イソノルーブルさんだと良いなって思います」

 

 

隣に立っているニシノフラワーが、自分よりも先に口を開いていた。色んな意味が籠もった「へぇ……」という言葉が口から漏れる。

 

 

「ほほう、イソノルーブルはんでっか?」

 

当然、藤井は興味深そうに聞いてきた。イソノルーブル──今年の桜花賞で‘五強,と呼ばれていたウマ娘の内の一人。適正距離はマイル~中距離のミドルディスタンス。脚質は逃げで、その直向きな走りと純粋で良心的な性格、なにより本人がそう公言していることから『シンデレラ』とファンの間では呼ばれているウマ娘。

 

桜花賞では文句無しの一番人気だったのだが、レース開始前に落鉄を起こして酷く動揺してしまい、その影響か蹄鉄の最装着にも失敗。やむなく蹄鉄無しでレースに出走する事になったのだが、それだけ動揺した状態で本来の実力が発揮出来る筈もなく、結果として五着に敗北した。

 

今回はその精神的脆さを危ぶまれて多少人気は落ちたものの、桜花賞で掛かり蹄鉄が無い状態でも五着に入着した事と、それ以前のレース結果が五戦五勝の無敗だっただけに、四番人気と中々の人気を集めている。

 

勝利したとしても何ら不思議ではないウマ娘の一人ではあるのだが……。

 

 

「理由とかあります? 勿論ボクもルーブルはんの逃げはかなりのもんや思うとりますけども」

 

中央トレセン学園史上初となる飛び級入学を成し遂げた‘天才少女,ニシノフラワー。肝心の走りは勿論、頭脳も同年代のそれとは桁外れと言われている彼女が、一体どういった理由でイソノルーブルを本命に挙げたのか。記者として、一人のウマ娘レースファンとして、大変興味があった。

 

「んーと……」フラワーはそう悩む素振りを見せたあと‘答えても良いですか?,という意味を込めて、トレーナーである柴中と視線を合わせる。コクリと小さく頷いたのを確認したあと、フラワーは喋り出した。

 

 

「えっと……。‘大本命,言うより‘勝って欲しいな,って感じです。レースの考察に私情を持ち出すのは良くないって分かってるんですけど……」

 

純粋な‘応援,ならば兎も角、真剣な推測、あるいは考察を行なう場合、例えそれが自分にとってかけがえのない親友であったとしても、勝てそうにないと思ったのであれば勝者予想からは外すべきだ。無理に理由を作って本命に挙げたとしてもそれは正当な評価ではないし、なによりそんな事を続けていては心と眼が曇りかねない。

 

 

「もちろん‘単純に強い,っていうのもあるんですけど、ルーブルさんって本当に‘善い方,なので……。勝ってシンデレラになって欲しいなって、そんな感じです」

 

「ほほー……?」

 

だがイソノルーブルは今回の面子でも決して見劣りしない……それどころか当然の様に圧勝しても全く不思議では無いぐらい強いウマ娘だ。前提として勝者候補の一人であるならば、多少私情が入っても大した問題はない。

 

だがなんと言うか、それでも‘天才,と呼ばれた彼女が、僅かとはいえ内なる私情込みで誰かを推すというのが少しばかり予想外で、藤井は若干驚いたような顔をしていた。

 

 

(当然の事かもしれんけど、やっぱフラワーはんも小難しい理屈抜きで誰かを応援する事があるんやねぇ……)

 

それを‘愚か,だとか‘甘い,だとかいう気は欠片もない。愚かで上等甘くて結構。これはファンの間でのみ通用する理屈なのかもしれないが、応援したい、勝って欲しい、こいつが好きだ、そう思えるウマ娘を勝者に予想して何が悪いというのだ。勝者しか得ることの出来ない栄誉や名声は確かに存在するが、好きになったウマ娘が無様に負けたからといって、そのウマ娘や応援していたファンが蔑まれて良い理由になどなる訳が──「あと」──ん?

 

 

 

「あと、これは考察とは全く関係のない、本当に個人的な事情なんですけど──」

 

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 9/15

 

 

 

「すー……ふぅ……」

 

東京レース場の地下通路で、バ場入りを間近に控えたイソノルーブルはもう何度目になるかも分からない深呼吸をした。特に落ち着き払っているという感じでもないが、少なくとも動揺したり、必要以上に緊張したりはしていない。

 

 

(大丈夫……いける)

 

シューズと蹄鉄の状態は、楽屋を出る前にトレーナーと一緒に入念に確認をした。勝負服も万が一にも破けたりしないよう、前日に新しく補強し直して貰った。食事制限やトレーニングで必至に調整をしてきた成果か身体は今までで一番と言える程に仕上がっているし、昨日ホテルでゆっくりとした時間を過ごせたおかげか、調子もすこぶる良い。

 

普段は学外のアニメショップでしか会わない小さな友人達も親御さんと一緒に応援に駆けつけてくれたし、トレーナーはいつも通り王子様の様に優しく手を取りながら『頑張って』という一言と共に送り出してくれた。

 

 

(……勝ちたい。ううん、勝ってみせる)

 

勝つ。勝って叶えなくてはならない。自分の夢を叶え、トレーナーの信頼に報い、ファンの期待に応える。自分に‘そうなってほしい,と願う大勢の人達の為にも、負ける訳には──!

 

 

「──調子は良さそうですね、シスター・ルーブル」

 

「──!!」

 

真後ろから掛けられた声に僅かに動揺し、勢いよく後ろを振り返る。自分への呼び名は愚か声質の時点で分かっていた事だが、案の定シスタートウショウがそこにはいた。

 

 

「シスターさん……。えっと、はい、おかげさまで……」

 

動揺しているせいか、それとも単にこういう時なんと言えば良いか分からないからか、そんなありきたりな返答しか口から出てこなかった。それを悟ったのか、シスターはスッ──と僅かに頭を下げる。

 

 

「本番前にすみません、驚かせてしまったのなら謝罪します。──ですが、どうしてもレースが始まる前にあなたと話がしておきたくて」

 

「えっと……。私になにか……?」

 

桜花賞の時と同じく、彼女とは三日前から顔を合せていない。トレセン学園の芝ターフの上を走っているのを一度見かけたが、話し掛けるのは何となく躊躇われた。同じレースに出走するライバルだからというのもあるが、それ以上にレースに向けて最終調整をするシスターの表情が真剣そのもので、何というかそう、気迫負けしてしまったのだ。

 

 

「そうですね……。端的に申しまして、あなたの調子を確認しておきたかったんです」

 

「な、なるほど……」

 

本番前の敵情視察……という奴だろうか。そういう事なら納得出来る。事実、パドックやゲート前での様子を視て、警戒するべきウマ娘を定めるのはよくある常套手段だ。時折、レース場入り前はまったく無警戒だった人気下位のウマ娘がトンでもない気迫を身に纏わせていて『あ、この娘放置したらヤバイ』と警戒対象を増やすないし変える事があったりする。

 

桜花賞レコード勝ちという実績から、今回一番人気に選出されたシスタートウショウ。比例して他のウマ娘達からの警戒度も一番である彼女だからこそ、こういった視察も欠かさないという事か。

 

 

「ですがまだです。まだ足りません(・・・・・・・)

 

(…………?)

 

今度こそ言葉の全く意味が分からず、ルーブルは小首を傾げた。『足りない』とは一体何のことだろうか。会話の流れから察するに、自分の実力や調子について言っているのだと推測することは出来るのだが、そこから先が上手く繋がらない。

 

 

「足りない……ですか?」

 

「ええ。──なので、修道女(シスター)らしからぬ欲に塗れた助言を差し上げましょう」

 

ルーブルが「え?」と反応する間もなく、シスターは即座に助言の言葉を紡ぐ。

 

 

「昨日、あなたはトレーナーさんの薦めで本番前のリフレッシュを兼ねて某ホテルに泊ったそうですね? そこでエステサロンを含む各種お持てなしを受け、高級ベッドでグッスリ眠ったと……。リフレッシュは出来ましたか?」

 

「は、はい。疲れをしっかり取って、リラックスした状態で本番に挑むのも大事だと……。理屈は分かりますけど、なにもこんなに高い所じゃなくても良いんじゃ……って言ったんですけど、トレーナーさんがどうしてもって────」

 

そこまで言って、ルーブルは違和感に気付いた。──何故彼女はそこまで知っている(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「軽食はどうでしたか? トレーナーさんと二人きりで取ったのであれば、緊張で味など覚えていないかもしれませんが」

 

昨日の記者会見を終えた後、自分がトレセン学園に戻らず東京レース場近くのホテルに泊った所までは良い。実際トレセン学園には戻っていなかったのだから、知っていても不思議ではない。何故それが高級ホテルだと分かった? 何故エステサロンを受けたと分かった? 何で軽食を頼んだと知っているんだ?

 

「フフッ──」とシスターが笑う。聖女と呼ぶに相応しい微笑みを携えていながら、その顔には一種の恐怖すら纏っているような気がした。

 

 

「しす、たーさん……?」

 

「貴方の好物のバターケーキも召し上がったのでしょう? もしかしなくとも、それが一番美味しかったのでは?」

 

「そう……ですけど……」

 

トレーナーがバラした? 有り得ない。彼は何の理由も成しにこういう事を他人にペラペラと喋るような人なんかじゃないし、情熱的で義理堅い人だ。ではシスタートウショウが探偵か何かを雇って半ば非合法な方法で調べさせた? ……否、その可能性も薄い。無いとは言い切れないが、あのホテルは個人情報及び客の安全保護にもガッツリ力を入れている。そう易々と顧客の情報を漏らしたり等する訳が無い。

 

そもそも最近のトレーニング成果やコースタイムなら兎も角、そんな事をわざわざ調べた所でシスターにメリットが何も無いではないか。それにシスタートウショウは紛う事なき善人だ。確かに時折非情(にも見える)行動や態度を取ることはあるが、それもこれも全て周囲の人々や友人達の事を思っての、深い慈愛からくるそれである。

 

そんな前提があるので何がどうなっているのかサッパリ分からないルーブルは、気迫に押されて思わず一歩後ずさる。それに呼応するように、シスターはズイッ──と距離を詰めてきた。

 

 

「そうですかそうですか、それは何よりです。私もお手伝いした甲斐がありました(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……え?」

 

 

 

「──あのバターケーキはですね、貴方のトレーナーの手作りなんですよ」

 

 

 

「…………………………………………え?」

 

終いには、ルーブルさえも知らなかった情報を口にした。

 

 

「あの人は周りから‘王子様,と呼ばれているらしいですが、その実とても愚直で情熱的な方ですね。オークスに向けて追い込みに追い込んでいるあなたを少しでも休ませたい。せめて本番前はゆったりと気を抜いてリラックス出来るような環境で過ごして欲しい……。そんな想いから、あなたの好物であるバターケーキについて少しでも明確な嗜好がなかったかどうかを私に聞きに来たんです」

 

「そ、う、ですか」

 

これはきっと、一種の混乱状態という奴なんだろう。

 

 

「本人に内緒で秘密の情報を提供するのはどうかと思ったんですが──

 

‘最高に美味しいと思える物を食べさせてあげたいんだ,

 

──他の人物ならばいざしれず、あなたのトレーナーである彼にそう言われて深く頭を下げられたら、教えない訳にもいきませんでしたからね。‘シスター・ルーブルには私が教えたという事は黙っている,それを守ることを条件に‘素朴で手作り感が溢れるような物が好きだと前に言っていた,そう伝えました。そのついでに、あなたが好きそうなロマンス溢れるホテルが東京レース場の近くにある事も」

 

「ああ、なるほど。だから色々と知っていたんですね」とか「トレーナーさんがそんな事を?」とかそういう事を嫋やかに言いたいのに「あ」と「は」と「え」の三文字しか口から出て来てはくれなかった。「とても素敵なトレーナーさんなのですね」というとても嬉しくなる筈の褒め言葉にすら、何も返事が出来ない。

 

 

「そのおかげかは知りませんが、調子は良好で気負いも殆ど無し。身体の仕上がりも過去最高レベル。そして‘負けられない理由,も今こうして二つほど追加された」

 

一つ目は、自分の知らない所でルーブルの為に色々な事を必死に考え努力し続けてくれていた、トレーナーの信頼と優しさに報いる為。

 

二つ目は、自分の知らない所でトレーナーと接触して秘密を勝手に漏らした挙げ句、今の今までその全容を黙っていたシスターに対する不満や怒りをぶつけるため。

 

メラッ──とした闘気がルーブルの身体から滲み出始めているのを確認して、シスタートウショウは一度ゆっくりと眼を閉じた。──次の瞬間

 

 

 

 

──ゴ ウ ッ ! !

 

 

 

 

「──!!?」

 

思わずゾゾゾッ──!! と身震いしてしまうようなトンでもない闘気がシスタートウショウから放たれる。向かい合っているルーブルは勿論、彼女達の近くで待機していた同レースに出走する何名かのウマ娘も、思わず身動ぎをしてしまっていた。中央でもトップクラスのウマ娘‘どころの騒ぎではない,。ウマ娘レースの歴史、その頂に挑むような一部のウマ娘達のそれと大差無い‘覇気,とすら呼べてしまうような物だ。

 

 

「ああ、これでようやく──」

 

「シ、スター、さん……?」

 

シスターは笑う、笑っている。本当に心の底から嬉しそうに、待ち焦がれた時がようやく訪れたと言わんばかりの喜びに満ちた笑みを携えて。

 

 

「絶好調で──」

 

「一切の不備が無い──」

 

「本気を出した全力の貴方と──」

 

 

 

 

イソノルーブル(あなた)と戦う事が出来る──!」

 

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 10/15

 

 

 

イソノルーブル(あなた)と戦う事が出来る──!」

 

 

目を見開いたシスタートウショウからそう言われて、イソノルーブルは再び頭の中が真っ白になった。今度は「え?」とかそういった呟きすら出てこない。

 

──まさか、その為か? その為なのか?

 

桜花賞で弱気になっていた自分を励まし鼓舞したのも、その後の落鉄事故で真っ先にトレーナーへ連絡を取ったのも、トレーナーに自分の好物と趣味趣向を教えたのも、そもそも普段何かと自分を気に掛けてくれていたのも。

 

全部が全部‘最高の状態,と言えるようになったイソノルーブルと戦う──その為にやってきた事だったというのか?

 

 

「ええ、それなりに苦労しましたよ?」

 

なんの躊躇いもなく、シスターはそれを認める。

 

 

「自覚があるでしょうが、あなたは精神的に脆い部分がありますからね。それもただ勇気づけ、励ませば良いというタイプの性格でも無かったので時として関わらず、あなたの強さを信じて放置するという真似をしなければならない時もありました」

 

「…………」

 

やれやれと言いたげな、肩を竦めるような動きで。いつものシスターなら絶対しないような、おどけた風にも見える表情で。

 

 

「中でも一番大変だったのは──「何で、ですか」……」

 

我慢しきれなくなって、ルーブルはシスターの言葉に割り込む。

 

 

「なんで、私なんですか……?」

 

「……何で、とは?」

 

「強い人と走りたいのなら、私なんかよりずっと強いウマ娘が他に幾らでもいます。同期でも世代最強のウマ娘だって言われているスピカのテイオーさんがいますし、ティアラ路線に絞ってもブーケさんやリリーさん……有力だって言われてる娘はちゃんといるじゃないですか──!」

 

仮にシスターの目的が『強いウマ娘と鎬を削ること』だとして、ルーブルに拘る必要性がどこにも無い。確かにルーブルは今期のティアラ路線の有力ウマ娘として当初から注目されていたし、肝心の実績も同期の中では既にトップクラスのそれだが、逆に言ってしまえばそれだけだ。

 

同期には‘トウカイテイオー,という、クラシック級で既に皇帝シンボリルドルフのお墨付きを貰っているようなウマ娘がいるし、前期前々期とまだトゥインクルシリーズを走っているウマ娘には、今のルーブルなど手も足も出ないような怪物がゴロゴロいる。極めつけが現状最強のウマ娘である‘メジロの最高傑作,だ。それと比べれば自分なんてまだまだヒヨッコ。むしろ‘精神的に脆い,という弱点を抱えている辺り、総合的な実力は下から数えた方が早いのではないかと、ルーブルは本気でそう思っている。

 

だから多分。彼女は『強いウマ娘と戦いたい』のではなく『強いイソノルーブルと戦いたい(・・・・・・・・・・・・・・)』そう推察できる。

 

故に分からない。なぜシスタートウショウがそこまで自分に拘るのか。なぜ自分と戦う事が目的なのか。一体何が彼女をそうまでさせたのかが。「ふむ」とシスタートウショウは小さく頷いて

 

 

「ではこうしましょう──。今回のレースで‘私に勝てたら,お教えします」

 

「──!!」

 

‘お前じゃ私に勝てない,とも受け取れる、あまりにも分かりやすい挑発。よりルーブルに全力を出して貰いたいという、見え透いた内心。「無論、勝つのは私ですが」と当然の様に告げて

 

 

「あの時も同じ事を言いましたが──。お待ちしてますよ、今期の桜の女王として」

 

 

振り向くことすら無くそう言い放ち、シスターは未だ呆然としているルーブルをその場に置いて、コツコツとバ場内へと続く道を歩きだした。

 

 

 

 

 

 

「──とまぁ、そんな事がありまして……」

 

「ほほー!」と、良い話し(ネタ)を聞く事が出来たと言わんばかりの表情で藤井泉助はガシガシ手帳に筆を走らせる。

 

 

「担当ウマ娘の精神(こころ)を少しでも和らげる為に手ずからケーキをですかぁ。ルーブルはんのトレーナーいうたら言動含めてトレセン学園でも屈指の超イケメン言われてますけど、いや正にって感じですねぇ」

 

「最初に調理を少しお手伝いした位で、あまり大した事は出来なかったんですけど……。最終的にはルーブルさんの好みに合いつつ、カロリーや栄養の調整も万全なバターケーキを焼き上げられたみたいです。『君のおかげだ、本当にありがとう』ってお礼を言われちゃいました」

 

「えへへ……」と嬉しそうに告げるフラワー。一方で具体的な事実(そういう方向)に話しが行くとは思わず、柴中は「何か他にもイソノルーブルを推す理由があるとは思ってたけど、そういうことか」と納得しつつも(こいつの前であんま余計な事喋るなよー……)と少しばかり渋い顔をしていた。

 

 

「なるほどなるほど。そういう食事関係のややこしい諸事情ゆうたらタマモクロスがいっちゃん有名でっけど、柴中はんはそういう経験ありまっか?」

 

「無いな。そいつの好みは勿論、今必要な食事とその内容なんかは当然把握してるし具体的にこれを摂るようにって薦めることもあるけど、少なくとも一から十まで世話をしたような事は無いし、そもそもする気も無い」

 

ウマ娘のトレーニングだけではなく、体調管理もトレーナーの重要な仕事内容の一つであるのは間違いないが、だからといって全部を全部トレーナーが一々指示をしていては適応力も判断力も育たない。ゼファーのような特殊な事情があるのなら少々話しは別だが、基本的に『自分の体調なんだから、ある程度は自分で管理しろ』という理屈でチームステラは動いている。トレーニングにおいても柴中が具体的な指示をし続けるのは稀で、時には『今日は自分で考えてやってみな』とトレーニングを完全自習性にする事まである。(無論、その内容はシッカリ視ている)

 

むしろ最近の食事事情云々なら、ウマ娘達よりも自分の胃袋の方がフラワーとアケボノに把握及び管理されてしまっているような気がしてならない。インスタント食品やカップラーメンなんか滅多に食べなくなったし。「厳しいですねー」と半ばおちょくるように言いながら、藤井は続けざまに質問をしようとして──

 

 

『さぁ! いよいよ各選手達が本バ場へ入場して参りました!!』

 

「おおっとぉ!!」

 

大急ぎでメモ帳と筆を鞄にツッコんで代わりに一眼レフカメラを取り出すと、聞こえてきた場内アナウンスに従ってターフの方を視た。

 

 

 

『まずは三番人気。今回こそGⅠ勝利という名の花束を受け取ることが出来るか! ‘希代の名女,スカーレットブーケ!!』

 

『続きまして五番人気。先月末のサンスポ杯で見せた抜群の差し足でGⅠ昇進を狙います! サンカイヘー!!』

 

『そして二番人気。昨年十月にデビューしてからここまで一度も着外無しの、現在三連勝中! GⅠの舞台でその勝ち鬨を響かせる事が出来るか! ツヴァイボイス!!』

 

『さらに六番人気。桜花賞三着入線の実力者。樫の女王となる為に、ターフの上を駆け抜ける! ノーザンドライバー!!』

 

 

 

「キタキタキター!!」

 

ウマ娘達の入場と共にスタンドからは歓声が鳴り響き、柴中の横では藤井がカメラのシャッターを切りまくる音が鳴り響く。二人っきりであれば『うるっせぇ!』と遠慮無く怒鳴りつけているところだが、フラワーの手前それは躊躇われた。それを察しているのか、フラワーはフラワーで「あはは……」と苦笑いを浮かべている。

 

 

『さぁ登場しました!! 今年の桜花賞ウマ娘!』

 

──ワァアアアアアアアアア!!──

 

客席からの歓声が一気に強くなったのが先か。それとも赤坂のアナウンスが会場に響き渡ったのが先か。ターフの上では殆どのウマ娘が、何も言わずに彼女の方を見やっている。

 

 

『‘五強,から‘一強へ,! オークスを制し、ダブルティアラ、そしてトリプルティアラを神に捧げることは出来るのか!!』

 

 

『‘鮮麗なる修道女,シスタートウショウ!!』

 

──ワァアアアアアアアアア!!──

 

歓声が上がる。桜花賞で見せたその圧倒的追い込みに魅せられてか、はたまたシスタートウショウというウマ娘の人柄に惹かれてか、もしくは以前からシスターの知り合いないし友人だった者達か、でなければ──

 

 

(──! トレーナーさん、あれって……!!)

 

(……ああ、凄まじい仕上がりだな)

 

シスターの完成度を見抜いた、一部の眼が良い者達による驚嘆のざわめきか。

 

 

「おーおー! 流石は桜花賞レコード勝ちウマ娘やな。当然の様に一番人気で歓声も凄……い?」

 

興奮気味にシャッターを切っていた藤井の声が止まる。──それもそのはず。

 

 

「…………」

 

『そ、そして四番人気のイソノルーブル選手なのですが……。これは一体どうしたことだ!? 素人目線でも気概があまり感じられません! さながら静寂な湖畔の水面のように静かです!!』

 

「……!」

 

「これは……」

 

気概と闘気の塊のようになっているシスタートウショウとはまるで逆。

 

 

「ふ、フラワーはん!? ほんまにあの娘大丈夫なんでっか!?」

 

何も感じられないほど静か雰囲気を携えて、シンデレラがターフの上に姿を現わした。

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 11/15

 

 

「…………」

 

腕を痛めない程度に伸ばし、指の関節一本一本を丁寧にほぐす。次に両方の肩を片方ずつ上げて下げてを何度か繰返し、そのまま屈伸を計五回。最後に大きく深呼吸。……レース直前に行なう、最後の最後の調整だ。

 

チラリと横目で周りの様子を伺うと、案の定殆どのウマ娘達は一番人気であるシスタートウショウを意識するように彼女へ視線を送っていた。まぁそれは当然である。一番人気のウマ娘というのは、それだけで注目並びに警戒の的だ。自分もそうだが、何度この突き刺すような視線に晒されたことか。

 

 

「…………」

 

当のシスタートウショウはそんな視線を意にも介せず、いつも通りターフの上に膝をついて、首から提げた十字架のネックレスを両手で握りしめながら‘祈り,を捧げていた。精神統一の一種だろうと周りからは言われているし、実際そういう役割も少なからずあるのだろうが──私は知っている。

 

 

「次、イソノルーブル選手。準備が出来次第ゲートの中へ」

 

 

彼女が祈りを捧げる真なる理由を。その輝かしいまでの尊さを。彼女の慈愛がどれほど深い物なのかを。

 

──だからこそ、分からないのだ。

 

なぜ彼女は私に拘る? なぜ敵に塩を送るような真似をしてまで万全な私と戦いたい? 一体彼女は何を知っているんだ?

 

 

『さぁ、各ウマ娘、ゲートに収まって……どうやら体勢が完了したようです!』

 

アホ面を衆目に晒してしまうほど必死に考えても答えは出ず、きっと真相はシスターの心の中にしかない。──ならば、せめて彼女の望み通りにその願いを叶えよう。

 

 

東京レース場 5/19 天候「曇」 バ場「良」 芝・左 距離 2400(メートル) 出走ウマ娘 20人

 

 

絶好調の私、本気の私、全力の私を、全部見せよう。

 

 

 

GⅠ 優駿ウマ娘‘オークス,

 

 

 

その走りをもって、今日こそ私はシンデレラ()を証明しなければ──!!

 

 

 

『スタートしました!!』

 

 

 

 

 

 

『スタンド前ほぼ揃いまして、まず内からミスティックハニーが好スタートを切りました! これから第一コーナーを目指しまして、中からはメジロロベルタが──』

 

(よし、ハナは取れ──!)

 

「はぁああああああああ──!」

 

「──んなっ!?」

 

『おおっと、大外からイソノルーブル! イソノルーブル大外枠から一気に出て内の方へと切り込んで行きました、イソノルーブルが行った!! やはり今回も逃げ一択か!』

 

(どこまで行っても、私は逃げ(これ)しか出来ませんけどね!)

 

 

 

 

『ミスティックハニーは二番手! 外にはメジロロベルタ、更に大外からオッケースパーク並びました!!』

 

「んー、まぁレース展開としては大方の予想通りってとこでっか?」

 

最外枠を引いたイソノルーブルが、他のウマ娘からの妨害を一切受ける事なくハナに立つ……。彼女よりも内枠を引いた、同じく逃げを得意とするミスティックハニーこそいるが、距離的なロスを考慮してもルーブルの方が何倍も有力だろう。そこまでは藤井を初めとした、ウマ娘レースファンのほぼ全員が予想していた事だ。桜花賞の事件で評価を落としたとはいえ、彼女は今期ティアラ路線の有力候補であることに違いはないのである。

 

 

「なんやターフに現われた時は精気でも抜かれとんのか思っとったけど、普通にええ逃げしとるやんか」

 

ならあれは単なる気のせいか……? それにしては何というか‘燃尽きた,という感じの様子だったが──

 

 

「……‘一周回って逆に落ち着いた,って奴かもな」

 

ボソリ──と。別に問われてもいないのに柴中が呟く。これこれ。詳しい人材がこういう時に傍にいると、こっちが何も言わずともペラペラ喋ってくれるから助かるんだ。──内心でほくそ笑みながら、藤井は一文字一句を聞き逃さぬように耳を澄ます。

 

 

「と言いますと?」

 

「聞きたきゃ後で話してやるから、今はレースに集中しろ。仮にも新聞記者だろお前」

 

「え~……?」

 

そう言われると逆に無性に聞きたくなってしまうのが人の性という奴ではないだろうか。そうは思いつつもレースを見逃す訳にはいかないので、藤井はモヤモヤとした気持ちのまま再びカメラを構える。

 

 

『第一コーナーのカーブへ差し掛かった所、サンカイヘーは大外六番手ぐらいにいます、そして間にはツヴァイボイスが付けまして、内のノーザンドライバーと並んでおります!』

 

「…………」

 

前方には誰もいない、二番手に控えたミステックハニーとは約1と1/4バ身の差。

 

体調は万全。調子は絶好調。脚の溜め具合も悪くない。控えめに言って、今までの中で最高のレースが出来ている──。比較的弱気で、自分に自信が無いイソノルーブルというウマ娘にとって、そう断言する事が出来るのはかなり珍しい。

 

スタンド席から聞こえてくる歓声に呼応するように、前へ前へと脚がドンドン進んでいく。声援の力までをも得た今の自分に、怖い物など何も無い──その筈なのに。

 

 

───ふふっ

 

 

「──ッツ!?」

 

ゾワワッ──!! と、一瞬で身体全体に鳥肌が立った。今すぐにでも後ろを振り返って色々と確認したいが、後方の様子を無理なく横目で窺う事が出来るカーブの最中ならまだ兎も角、直線でそれはパフォーマンスを落とす事態になりかねないと理解している故、ギリッ──! っと歯を食いしばって前を向く。

 

脚質の都合上、ずっと後方へと引かえているため距離は大差。足音すらも聞こえてこない。ならば気配など、感じられる筈がないのに──。

 

 

『さぁこれから向こう正面に入ります! 依然先頭は逃げるイソノルーブル! タニノクリスタルは後方より、その3バ身空いた後ろにミルフォードスルー、そしてその後にシスタートウショウがおります! 桜花賞ウマ娘、シスタートウショウは後ろから三番目!!』

 

「シスターさん……!」

 

彼女が自分のすぐ後ろにいるようにさえ、イソノルーブルは感じられた。──それほどの、凄まじい闘気がここまで漂ってきていた。

 

 

 

 

『第三コーナーこれから登りに差し掛かるところであります、イソノルーブル完全に先頭です1バ身半のリード!』

 

「…………」

 

‘追い込みウマ娘は、息を潜めるように控えろ,──などと簡単に言ってくれるが、実際にやってみると想像の何倍も難しい事なのだとよーく分かる。自分が目標としている(意識している)ウマ娘との距離が開いているなら尚更だ。

 

 

『そして二番手にはオッケースパーク、そのインコースにはミスティックハニーが付いていきました! その2バ身後ろにはジリジリとメジロロベルタが接近しております、メジロロベルタが第三コーナーこれから下りに掛かるところでジリジリと接近していきました!!』

 

「……ふーうっ」

 

まずなんと言っても‘追い抜けるかどうか不安,というのが大きいだろう。いくら末脚が自慢のウマ娘でも、最後の直線に入った時に先頭の娘と20バ身30バ身と離されてしまっていては流石にどうしようもない。無論、よっぽど実力に差がない限りそんな事はほぼ起こりえないのだが……。兎にも角にも‘追い込み,というのは基本的にレース後半辺りまでずっと後方へ控えなければならないため、何かと我慢強い性格をしていなければならないのである。自分が目標としている(意識している)ウマ娘との距離が開いているなら尚更だ。

 

次に‘位置関係に気をつけないと詰む,というのがある。結託して囲まれる危険性があるぶん差しウマ娘のそれと比べれば幾分かマシだろうが、後方に控えるというその脚質上、前方には何人ものウマ娘達が集団で走っている訳だ。要は‘スパートを掛けたいタイミングで前が塞がれてしまっている,という最悪の事態に陥る危険性がある。(ちなみにここで‘大外をぶん回せば良いじゃないか,とかいうファンには三時間ほど説法をしてやりたい)

 

 

(よーしよし! かなり良い位置をキープ出来たぞぉ!)9番 ツヴァイボイス

 

(とはいえ、直線に入ってからのペースまでルーブルさんに握られるのは嫌なのよね……) 14番 スカーレットブーケ

 

(だからちょっと早いけど──)(つまり崩しにかかるのなら──)

 

((──ここ!!))

 

『そしてここで大外からツヴァイボイスが上がっていった、ツヴァイボイスが外から今四番手ぐらいにまで上がっていこうという構え! 連れましてもう一人スカーレットブーケも上がっていきました!!』

 

だが、デメリットがあれば当然メリットもある。一つは言わずもがな、上手くやればスタミナを大幅に温存出来るので、レース後半で溜めに溜めた脚を爆発させる事が出来るという点。そしてもう一つが──

 

 

(違う……‘まだ,ですね)

 

目標と定めるウマ娘に‘狙い,を付けやすいという事だ。今は少し、ホンの少し位置を上げるだけで良い。そう判断したシスタートウショウは闘志に煮えたぎらせたまま、未だ後方に控える。

 

 

 

『さぁ残り800を既に切りまして、現在三四コーナーの中間を過ぎました! 相変わらずイソノルーブルが先頭です、イソノルーブル3/4バ身のリード! そしてジリジリとオッケースパークが迫ってきた、オッケースパークとスカーレットブーケ!』

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

(よし……案の定ルーブルさんの息が上がり始めてる……)

 

スカーレット一族の一人にして‘希代の名女,──スカーレットブーケは、一瞬の判断が功を奏したことを確信する。1バ身以上あった差がここまで詰まっているのが何よりの証拠だ。別段意図して連携した訳ではないが、ツヴァイボイスとオッケースパークが殆ど同タイミングで前へと詰め寄ったのも大きいだろう。

 

逃げを得意とするウマ娘は基本最初にハナを切るというその性質故、上手くやればレースの流れその物を自在にコントロールすることすら可能だが、レース後半で他のウマ娘達に一度横に並ばれたり抜かされたりすると、途端に出力が落ちるという弱点も抱えている。逃げている最中に気付かれないようペースを落として脚を溜めたり、逆にペースを落としたように見せかけて追走するウマ娘達をバテさせたりと色々と策はあるのだが、一部の超級ウマ娘を除き、その弱点は皆共通している物だ。

 

 

『さぁ第四コーナーをカーブ、いよいよ勝負所直線に入りました! イソノルーブルラストスパートに入りました、そして大外からは懸命にオッケースパーク! そして更にスカーレットブーケ、その間からはツヴァイボイスがそれぞれ抜け出してこようとしている!』

 

(へっへーん! 位置取り最高、気分も最高! このまま歌い出したい気分だよ!!)

 

(あとは横に並んだツヴァイさんと、インを突いて差してくるつもりでしょうドライバーさんとの粘り腰勝負に──!!)

 

 

 

──ズ オ ッ

 

 

 

ゾワリ──と。それ(・・)をようやく認識する事が出来て、ツヴァイボイスは、スカーレットブーケは、ノーザンドライバーは、オッケースパークは、何かとんでもない化け物に身体ごと呑み込まれたかのような錯覚に陥った。

 

それを今の今まで悟らせなかったのは、果たしてその化け物が修道女という清廉潔白な皮を被っていたからか。それとも──

 

 

い き ま す よ ル ー ブ ル

 

 

最初から自分達のことなど、眼中にもなかったからか。

 

 

バギャン──! という何かが壊れる音をイソノルーブルが感じた──次の瞬間

 

 

 

はぁあ゛あ゛あああああああああああああああああ──!!

 

「────ツッ! シスターさん……!!」

 

『おおっと! 坂を登り切ったタイミングで大外からシスタートウショウ!! シスタートウショウが凄まじい追い込みで一気に先頭目掛けて突撃してきたぁあ!!』

 

 

 

 

『やはりとんでもない末脚ですシスタートウショウ! 大外から徐々に内へ内へと切り込みながら、前にいたウマ娘達を一気にゴボウ抜きにかかる!!』

 

「お、おいおいおい! ウッソやろ……!!」

 

東京レース場の特別席で柴中、ニシノフラワーと共にレースを見ていた藤井泉助は、驚きにカメラを構えながらもギョッっと目を見開く。ニシノフラワーはレースの途中で何かに重大なことに気付いたかのように悲しそうな顔をしていたが、今は決してその光景を見逃さんと身を乗り出してレースを目に焼き付けていた。

 

最後の直線コースに差し掛かった時ですら14,5番手だったシスタートウショウが、一瞬で6番手の位置にまで駆け上がってきている。幾ら追い込みを得意とするウマ娘が最後の直線勝負に強いとはいえ、少々異常とも言える程の末脚だ。

 

だがしかし、この現象自体は前にも何度か見たことがある……。オグリキャップ、タマモクロス、スーパークリーク、イナリワンなど、ウマ娘レースの歴史に名を刻むに相応しいウマ娘達のそれと同じ──。

 

 

「トレーナーさん! これって──!!」

 

「ああ……大したもんだよ。この時期に既に到達(・・)しているとはな」

 

 

 

──領域(ゾーン)──

 

清廉なる殉教者 シスタートウショウ

 

 

神々しくも猛々しい天使の様な気迫を纏った修道女(シスター)が、逃げるシンデレラへと襲いかかる。

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 12/15

 

 

「……それで、どうしてあなたが代わりに掃除を?」

 

呆れつつも理解が及ばないことに困惑しながら、シスタートウショウは濡れた雑巾を持った彼女(・・)にそう聞いた。中央トレセン学園は夕暮れの時の教室だ。シスター(自分)と彼女以外誰もいなくなったその場所で、クラスメイトの筈の二人は初めてまともに会話をしたのである。

 

 

「え、えっと……。どうしても外せない用事があるから代わりにやっておいてって、頼まれまして……」

 

「それは既に聞きました。何故あなたがそれに従っているんですかと聞いているんです」

 

言葉尻をホンの少しだけ強くする。不当と言って差し支えない行為が目の前で行なわれている事に、シスターは素直に腹を立てていた。

 

 

「個人的な用事や都合など、この世の誰しもが抱えています。決して譲れないような事情を抱えている事もあるでしょう。ですが、だからと言って他人に雑用を押しつけて良い理由にはなりません」

 

掃除当番の代理……。これだけならばまぁ、高校で頼み頼まれた経験があるという人も少なからずいるかもしれない。だが、これは「代理」などという生易しい話しでは無かった。ともすればイジメに該当しかねないそれ。

 

 

「…………」

 

「交換条件として次の当番を代わるなどの正当かつ公平な取引が行なわれているというのであれば話しは少々別ですが、そんな様子もない」

 

彼女はクラスメイトや友人からの頼みではなく、素行の悪い先輩──それもまるで関係がない人物達からパワハラ同然のやり方で、普段自分が使っている訳でもない教室の掃除を押しつけられていたのだ。

 

 

「ならばこそ、貴方がそれに従う道理はありません。悪辣非道な行いには頑なに抵抗するべきです」

 

「……確かにそう、なんですけど……」

 

「うーん……」と、顔を若干俯かせて唸る。話を始めた当初からだが、彼女はずっと何かに悩んでいる(と言うより考えている?)ような素振りを見せ続けている。

 

 

「立ち向かうのが恐ろしく、自分一人では難しいと判断したのであれば救いを求めなさい。神はあなたの健気な献身をキチンと見ておられますが、救いの手を差し伸べる為にはまずあなた自身の声が無ければならないのです」

 

それを‘立ち向かう勇気が出ないのだ,と判断したシスターはそう説得するが、彼女の表情はあまり改善しなかった。恐ろしさが勝っていると言うよりは、何かこう‘今一ピンと来ていない,ように見える。どうにも話が進まず「はぁ……」と小さく溜息を付いたシスターが、取りあえずこの事を教師並びに風紀委員会へ報告に行こうとした時

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

「──!」

 

初めて、彼女は明確に‘自分の言葉,で拒絶の意を表した。「……なにか?」と問うと「えっと、えっと……」と頭を回転させて必死に言葉を紡ごうとしているのが見て取れた。

 

 

「えっと……。し、シスターさんの言うことは最もですし、正しいですし、間違いなく善い事、なんですけど……」

 

「…………」

 

「そ、それでもまずは、私一人で先輩達とお話してみたいんです。誰かに助けて貰う前に、何とか丸く収められないかどうかやってみたいんです!」

 

陰りのあった顔に、僅かな力が。迷いのあった眼に、小さな光りが宿る。パワハラを受けて一人で教室の掃除をしていたとは思えない雰囲気だ。「それは、事を大袈裟にしたくないと言うことですか?」と聞くと「確かにそれもあるんですけど……」という前置きがあった上で

 

 

「ここで皆さんの手を借りて大勢で躊躇無く叩いたりしたら、それはもう暴力と殆ど変わりないんじゃないのかなって……」

 

「…………」

 

「だったら、これ以上誰も傷つくこと無く和解する道を。あの人達がこういう事をしなくなるような言葉を、まずは探してみたいんです!」

 

「…………相手方の心配をしている、という事ですか」

 

僅かに目を見開く。この少女は手ひどい被害者の身でありながら、なお加害者の心配をしていたのだ。それ自体は心優しい人物であればそこまで珍しくない感情かもしれないが、彼女はその先──どうにかして加害者達を改心させる方法はないものかと悩んでいたのである。ずっとずっと、彼女はそういう方向で考えていたのだ。ある意味において傲慢極まりない考えかもしれないが、それは当然承知の上だろう。

 

彼女が大好きなシンデレラの‘原作, 大衆向け、子供向けにアナライズされたそれとは違い、残酷でえげつない描写が多分に含まれているそれで、主人公であるシンデレラは今まで自分を散々虐めてきた継母の首を、道具箱を利用してへし折ってしまう。自業自得、因果応報、当然の報いという奴なのかもしれないが、いくら正当な理由があるからといってそれを相手に返すような真似はしてはならない、してはいけない、したくない。

 

随分と純粋無垢な同期がいたものだと、シスターは再び溜息を付いて──

 

 

「それに──」

 

夕日が照らす教室で、そっと微笑みながら言った彼女のそれに、眼と心を奪われた。

 

 

「──みんなが許し合えるような優しい世界を、‘私が好きなシンデレラ,なら望むんじゃないかなって……」

 

「──!」

 

「だったら、私もそうありたいなって……。そう思ったんです」

 

現実を注視し人の心とその闇を鮮明に描いた、誰もが認める超一流の原作(オリジナル)ではなく、継母も義姉達も許して微笑むような、後生に描かれた幻想(二次創作)。健気で頑張り屋な夢見る少女。誰かの幸せを当然の様に喜び、誰かの不幸を当然の様に悲しむ、世界中のどこにでもいるような極普通の女の子。心優しい彼女が報われるその物語を、シンデレラを好きになったからこそ、私はそうなりたい。

 

 

──そう言われた瞬間、シスターの中で彼女と彼女(シンデレラ)が完全に重なった。

 

 

健気で頑張り屋な夢見る少女。誰かの幸せを当然の様に喜び、誰かの不幸を当然の様に悲しむ、世界中のどこにでもいるような極普通の女の子。……それは正しく、自分の目の前にいる彼女の事ではないか。例えそれが憧れから来るただの模倣だとしても、事実としてそう在るというのならそれはもう紛うことなく──

 

 

「…………」

 

「し、シスターさん?」

 

彼女が困惑したような声を上げる中、シスターは床に置いてあった三つの雑巾のうち一つを手にとって、拭きやすいよう二つに折り畳んだ。

 

 

「‘年功序列,というのはあまり好きではありませんが、年配者へは一定の敬いを見せるというのが暗黙のマナーというのもまた事実です。先輩から後輩への‘頼み,という名目であれば、貴方と同じく後輩である私が手伝っても問題はありませんね?」

 

「──! で、でも……」

 

「‘でも,ではありません。そもそも丸く収める~だの、和解する道を探す~だのと言っていましたが、そうする事が出来るだけの当てないし具体的な方法はあるのですか?」

 

「…………ないです」

 

シスターに痛い所を突かれ、主人に叱られてしょぼくれた子犬のようになった彼女に「ですよね」とまるで吐き捨てるように言った。

 

 

「なので私もその‘話し合い,とやらに参加します。あなたと同じくこうして先輩方から仕事を押しつけられた身になったのであれば、参加する資格はある筈です」

 

「え!? い、いやそれは──!」

 

「ご安心を、これでも私は教会に属する一シスター。説法……になるかどうかは分かりませんが、少なくともあなたよりは数段「言葉」という物に自負があります」

 

宗教の改宗をして貰えるよう説得したり、迷える子羊達の悩みを解決したり、懺悔に来る人達の罪の告白を聞いたりと、シスターという職業はどうあっても「言葉」を主とする職業だ。それに自分で言うのもなんだが、十代の子供が抱えているような生半可な悪意や悩みなど、今まで教会で聞いて来たそれらと比べれば鼻で笑ってしまう自信がある。

 

 

「要するに秘密裏かつ話し合いで、穏便に事を納めれば良いのでしょう? 改心して貰えるのであれば最上と。ならば私が適任です。私のトレーナーと、空気が読める風紀委員の方にも応援を要請しましょう」

 

「……その、良いんですか?」

 

恐る恐る、遠慮しがちに彼女は聞いてくる。巻き込んでしまうような形になった後ろめたさと、解決への糸口が……希望が見つかった様な嬉しさが混ざり合った表情だ。「──ご安心を」子供を落ち着かせるように、それでいて深く敬意を示すように、シッカリとした声で静かに告げる。

 

 

 

「あなたのその美しい善心が報われるよう、全力を尽くす事を三女神に誓いましょう」

 

 

 

彼女(シンデレラ)を手際よく華麗に助けるような魔法使いには成れずとも、せめて彼女のそれが報われる様に祈ろうと。王子様のように彼女に恋し、愛する事が出来ずとも、せめてその身に幸福が訪れる事を願おうと。──夕暮れの教室で神に……否、自分自身にそう誓った。

 

 

 

 

(──それからの貴方は、まさしくシンデレラの様な勢いで栄光への階段を駆け上がって行きましたね)

 

懐かしむかのように頭の中で回想する。あれからまだ1年と経ってはいないのに、なんだか随分と昔の事のように思えた。

 

 

彼女を虐めていた先輩達はシスターや一部の風紀委員を除き、大勢の生徒達に事情を知られる前に虐めや素行の悪さを改善させられた。まだ本格化がやってくる前の時期に、才能ある若きイケメントレーナーにその走りと善心を大いに評価され、マンツーマン契約を結び絆を深めあった。デビュー戦、次戦と勝利して、8番人気で挑んだ初の重賞では当時最有力と見られていたミルフォードスルーを余裕でぶっち切り、2着のスカーレットブーケにも3と1/2バ身もの差を付けた。

 

その家柄もあって殆ど期待されていなかった娘が、怒濤の勢いでトリプルティアラ目掛けて駆け上がっていくその様に人々は大いに熱狂し、いつしか彼女の事を自然と‘シンデレラ,と呼ぶようになっていた。

 

──誇らしかった。何故だかとても誇らしかったのだ。彼女が人々から褒め称えられる度に、私も負けてはいられないと祈りやトレーニングに熱が入った。

 

嬉しくもあった。善き心を持ち、他人を許すことの出来る優しい彼女が報われていく様を見る度に‘ああ、やはり祈りは届くのだ,と思う事が出来た。

 

『私は彼女のトレーナーよりも先に、彼女を見いだしていましたけどね』と何度言ってやりたくなったことか。

 

 

 

──だから

 

 

 

『あー……。いやまぁこんなもんか』

 

『しゃーないって。むしろ本番前に蹄鉄壊したのに5着に入っただけマシじゃね?』

 

『そうなんだけどさぁ……。なんつーかこう、期待外れ? 現実(リアル)幻想(ファンタジー)は違ったって奴?』

 

『それは分かる。でも‘シンデレラストーリー,なんてそうそう起こんねーよ。お前記者のくせにオグリに影響受けすぎてねぇか?』

 

『かなぁ……? ま、夢見る乙女が不幸にも現実に敗れたってとこかね』

 

 

 

──違う

 

 

 

『そもそもさぁ。辞退って出来なかったのあの娘? 蹄鉄? ってのの役割はよく分かんないけど、大事な物を壊しちゃったんなら身を引くべきだったんじゃないの?』

 

『さっきググったけど、別に蹄鉄無しでも普通に走れるっちゃあ走れるらしいよ? 競走能力に明確な影響を及ぼす程の力は無いんだってさ』

 

『えー? じゃあ素直に本人の実力かぁ……』

 

『主に病気とか怪我を予防するための物だから、心根が弱いとパニックになっちゃう事はあるみたい』

 

『あははっ! なにそれ。メンタルクソ雑魚シンデレラじゃん!』

 

『ちょwwww いきなり笑わせないでよ! 語呂良すぎでしょwwwwww』

 

 

 

──違う……

 

 

 

『何故そんな状態でウマ娘を走らせたんだ!!』

 

『あくまで本人の希望だった──なんて事が言い訳になるとでも思ってるのURAは!!』

 

『蹄鉄とそれに関する新たなルールを作るべきだ!!』

 

『URAはイソノルーブルとそのファンに迅速に謝罪をしろ! 落鉄が無ければ彼女が勝っていたかもしれないんだぞ!!』

 

 

 

──違う、違う違う違う!!

 

 

 

確かに彼女には他のウマ娘よりも精神的に脆くて不安な部分がある。何事にも動じない心の強さもレースには必要不可欠な要素である以上、あのレースは明確に彼女の敗北だ。蹄鉄が壊れなかったと仮定したところで桜花賞を勝てたかどうかは分からないし、そもそも私がそれを許さなかっただろう。‘シンデレラ,なんて所詮は作り話の夢物語で、幼い少女の胸の中ぐらいにしか存在し得ないのかもしれない。

 

……けれど。

 

あれが彼女の真の実力などであって堪るものか。‘心が弱い,などという評価を受けて良い理由になどなって堪るものか。彼女の‘それでも出走する,という判断を愚行(ミス)だったと断じて良い訳が無い。

 

一緒にレースを走った事は今回を含めてたった二度しかないが、それでも私は知っている。いつか抱いた夢に向かって日々邁進し続ける事が出来る彼女の強さを。見る者は勿論、共に走るウマ娘達にすらシンデレラ(それ)を思わせる彼女の輝きを。

 

 

『シスターさんって本当に凄いんですよ! 強くて、優しくて、慈愛の深い方で……。私の憧れなんです!!』

 

いつかの雑誌のインタビュー記事で、他の今期注目ウマ娘について質問されていた時の彼女の答えを思い出す。

 

 

(──逆ですよ、シスター・ルーブル)

 

彼女は心の底からそう思って回答したんだろうが、事実は逆だ。

 

 

(他ならぬ貴方こそが、私にとっての憧れだった(・・・・・・・・・・・))

 

自分のように『汝、隣人を愛せよ』と小さき頃から教え込まれたからこそそう在れるのとは訳が違う、純然で無垢なる真の慈愛。誰かを許し、他者を慈しむ事が出来る輝かしいそれを当然の様に持ち合わせているルーブルの方こそ、シスターにとって何よりも輝かしく映っていた。

 

だからこそ勝ちたい(・・・・・・・・・)

 

憧れの彼女に。絶好調で、本気を出した、全力のイソノルーブル(シンデレラ)と戦いたい。戦って、勝ちたいのだ。──そうすれば

 

 

(証明することが出来る……!)

 

私の夢を。彼女の強さを。絵本の中の幻想などではない、真なるシンデレラがここにいるという事を。神は空想などではなく、祈りは必ず天に届く、そうして人は救われるのだということを。

 

 

 

はぁあ゛あ゛あああああああああああああああああ──!!

 

『やはりとんでもない末脚ですシスタートウショウ! 大外から徐々に内へ内へと切り込みながら、前にいたウマ娘達を一気にゴボウ抜きにかかる!!』

 

 

──証明することが、出来る筈だ。

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 13/15

 

 

──最後の直線に入ってから……。より正確に言えば、シスタートウショウが末脚を爆発させて追い込みに掛かった時から、伝わって来たことがある。

 

 

 

『あなたのその美しい善心が報われるよう、全力を尽くす事を三女神に誓いましょう』

 

『ええ。朝と夜は自室のベッドの上で、そしてお昼休みにはこうして三女神像の前で祈りを。レースに出走する日の朝もここで──。ふふっ、構いませんよ。あなたの祈りであれば、なんの問題もなく神へと届くでしょう』

 

『客観視しかする気がないような人達の、魂の籠もっていない言葉などお気になさらないで結構です。文字通り、なんの‘実入り,もありませんので。……あなたはあなたの夢を愚直に追えば良い。それがいつか、人々の心に希望と言う名の火を灯す時が来るでしょう』

 

 

それは、シスタートウショウの記憶と想い。祈りと願いの片鱗。

 

 

『シスター・ヌエボ! あれだけ他人のオヤツをねだるのはお止めなさいと言ったでしょう!! シスター・ルーブルも犬や猫に与える感覚で彼女にオヤツをあげないでください!!』

 

『感謝します、シスター・ダディ。あなたは本当に皆さんを戒め纏めるのがお上手ですね……。シスター・ルーブルがクラスの皆さんに快く受け入れられたのはあなたの人柄があってこそ……。? いえ、私は何も。シスター・ルーブルが善人であったからというのには同意しますが』

 

『大丈夫です。確かにシスター・レガシーは無骨で寡黙で無愛想で無遠慮と色々問題がありますが、その実とても献身的で情熱的な「おい」……。ふふっ、何か言いたいことがあるのならどうぞ?』

 

『──なので是非ともあなたが思い付いた‘策,というのを教えて頂きたく……。なるほど、それはそれは……。確かに効果がありそうですね。では失礼ながら、私に主導をさせてください……。いいえ、ご安心を。あくまで私個人の我が儘ですので、どうかお間違えなく。シスター・ゼファー』

 

 

シスターだけではない。自分のことを四六時中考えてくれているトレーナーに、桜花賞のあと本気で心配してくれていたクラスの友達。今まさに競い合っている同期の戦友達に、自分と同じくお姫様が好きな小さな同士達の想いまでが、それを通して伝わってきた。

 

 

『それからの貴方は、まさしくシンデレラの様な勢いで栄光への階段を駆け上がって行きましたね』

 

『逆ですよ、シスター・ルーブル。他ならぬ貴方こそが、私にとっての憧れだった』

 

 

神に祈りを。星に願いを。迷える子羊に導きを。苦悩する心に救済を。善き仲間達に敬意と感謝を。──そして

 

 

『だからこそ勝ちたい。憧れの彼女に。絶好調で、本気を出した、全力のイソノルーブル(シンデレラ)と戦いたい。戦って、勝ちたい』

 

(ああ…………)

 

我が心に沸いた望みに、希望を。

 

 

伝わってきたそれらを脳裏で垣間見た後、ルーブルは静かに眼を閉じて心の中で決意する。──これはもう、ダメだ。もう無理だ。諦めるしかない(・・・・・・・)

 

 

 

(……ごめんね、今まで頑張ってきた過去の私。……私は今日──)

 

 

 

 

(シンデレラ()を────捨てる)

 

 

 

 

 

『さぁ残すところあと200m! 未だ先頭はイソノルーブル! しかし真後ろにはツヴァイボイスが来ている!! ツヴァイボイスがイソノルーブルを捕らえに掛かった!!』

 

(マズイってこれ! 早く、早く、せめて先頭に立ってルーブルを潰さないと……!!)

 

シスタートウショウがイソノルーブルを目標として捉え、彼女を目掛けてこちら側──内へとツッコんで来ているのであれば、これ以上ルーブルに先頭に立ち続けられたら本当に纏めてゴボウ抜きにされる。逆に言えば、今ここで自分が先頭に立つことさえ出来れば両者共に僅かなりとも隙が──

 

 

ビシッ──!

 

 

突如として、何かにヒビが入ったような音が聞こえたような、そんな気がした。──次の瞬間

 

 

 

ゾン──!

 

 

 

「……は?」

 

感じられた‘その感覚,に、思わず呆けたような声を出してしまうツヴァイボイス。彼女は気付かなかったことだが、自分の後ろを走っているスカーレットブーケ、内を突いて迫るノーザンドライバー、そして大外から強烈な末脚でツッコんで来ているシスタートウショウさえも「これは……!」と驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

『しかしイソノルーブル粘る! イソノルーブルが驚異的な粘りを見せている!!』

 

ありえない。そんな訳が無い。間違いなくただの錯覚だ。そんな絶対の大前提があってさえも、その感覚は凄まじくリアルに感じられた。……彼女との距離がどうあっても縮まらないからそう感じるのだろうか。

 

 

──時が、止まった(・・・・・・)

 

 

 

(お願い……!)

 

イソノルーブルは全身全霊で脚を動かしながら必死に願う。

 

シンデレラというひとつの物語で、彼女は魔法使いの老婆の力でみすぼらしい服を素敵なドレスに、庭で取れたカボチャをウマ車に、そして二匹の鼠をウマ娘へと変えて貰った。

 

そのおかげで彼女はお城で行なわれた舞踏会へ堂々と参加する事が出来たのだが、それらに掛けられていた魔法には制限時間があって、午前0時を回ると強制的に解除されてしまうから気をつけなさいと、魔法使いの老婆から忠言を受けている。

 

シンデレラはその忠言をキチンと護り、午前0時ギリギリまで舞踏会を楽しんだ後、慌ただしくその場を後にするのだが……。

 

 

(今だけ、あとホンの少しだけで構わないから……!! 今ここで、(あなた)と別れるから……!!)

 

何故か午前0時を回っても魔法が解除されなかった物が一つだけある。──ご存じ、ガラスの靴(・・・・・)である。そのガラスの靴を城内で落とした事が切っ掛けで、シンデレラは王子様と再開を果たすという訳だが重用なのはそこではなく──。

 

 

(力を貸して! 私の一番最初の夢よ(シンデレラ)!!)

 

ガラスの靴とはつまり、通常の時間軸とはかけ離れた概念を内包した、特別な魔道具なのではないかという説がある事だ。

 

 

 

パリィイイイイイン──!!

 

 

 

(そうですか、シスター・ルーブル……。これがあなたの……)

 

 

 

──領域(ゾーン)──

 

 

 

プリンセス・オブ・シンデレラ イソノルーブル

 

 

 

文字通り時すらも支配した美しき姫君が、他を寄せ付けぬ粘り腰でゴールへと迫る。

 

 

 

(それで──こそです!!)

 

『大外からシスタートウショウ更に上がってきたぁ!!』

 

 

──だが例え時を止めようが、どれだけ位相が違おうが、神には関係無いのもまた事実である。

 

 

 

『イソノルーブル粘る! イソノルーブルが驚異的な粘りを見せている!!』

 

「お、おおお!? 一体全体どういう粘り腰やねんあれは!!」

 

シスタートウショウの凄まじい追い込みの時と同様にレース会場全体が……否、テレビやネットの中継でそれを見ていた全員が驚嘆する。他者を寄せ付けない、他者を近寄らせない、2番手のツヴァイボイスとの1バ身差が、それ以上全く縮まらない。それどころか僅かに突き放しているような感じさえした。

 

 

「……ミックスアップだな」

 

柴中が呟く。普段はあまり聞き慣れない単語だが、仮にも新聞記者である藤井はその単語と意味を知っていた。

 

 

「ミックスアップ言うたらあれでっか? ボクシングの──」

 

「ああ。実力が自分とほぼ同じか、ホンの少し上……。そんな相手と試合をすると、互いに負けん気を発揮しあって限界以上の力が出せるようになるっていうあれさ。なにもボクシングだけの話しじゃない。大抵のスポーツで‘意識している相手,と試合をすると、そこそこの確立で起こる現象だ」

 

シスタートウショウの壮絶なまでの執着が、イソノルーブルを限界を超えた先にある領域(ゾーン)へと至らせた。そしてこうなれば──

 

 

 

おぉぉお゛お゛おおおおおおおおおおおおおおお!!

 

あぁぁあ゛あ゛あああああああああああああああ!!

 

『大外からシスタートウショウ更に上がってきたぁ!! だかイソノルーブルが粘る!! イソノルーブルそれでも粘る!!』

 

勝者は限界を超えた領域(ゾーン)へと至った、どちらかのウマ娘に限られる。

 

 

 

 

ルゥウブルゥうううううううううううううううううううう!!!

 

 

『大外からシスタートウショウ三番手、そして二番手と一気に上がってきた!!』

 

(全身全霊を振り絞れ! シスターさんより1㎝でも1㎜でも先に進め!!)

 

(身体も夢も祈りも願いも、捧げられる物は全て捧げろ! 吐き出せる物は全て吐き出せ!!)

 

(私は……、私は……!!)

 

 

 

 

夢を叶えるウマ娘(シンデレラ)に、なるんだぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!

 

 

 

 

『イソノルーブルとシスタートウショウ! 二人並んで今ゴォォオル、イン!! イソノルーブルが逃げ切ったか! シスタートウショウがこれを捉えたか! 微妙な体勢になりました!! まさにギリギリの勝負!!』

 

 

 




ガラスの靴よ、時を止めよ(プリンセス・ドリーマー)

最後の直線で後続のウマ娘達に差し迫られると、ガラスの靴に願いを託してスタミナを僅かに回復し、加速力を少し上げる。


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外伝 とある灰被りの少女の祈り 14/15

 

 

自分の前を走る彼女に。……より正確に言えば、彼女が履いているそのシューズに。ある筈のない幻想を見た。

 

──ガラスの靴だ(・・・・・・)

 

無論、時速60キロを超える速さで走る私達ウマ娘がそんな物を履いて走れる訳がないし、仮に走れた所で即大惨事確定である。第一、確かに彼女のそれはガラスの靴に見えなくもないように作られているが、正真正銘ただの(ウマ娘レース専用の)スポーツシューズだ。

 

故にこれは、一瞬だけ時間が止まったように感じたそれと同じ──彼女の気迫が見せたただの幻想に過ぎず、次の瞬間には見えなくなっていてもおかしくない物であり、私以外には見る事も感じ取る事も出来てはいない物なのだろう。当の彼女本人ですら、自覚など無いに違いない。

 

 

けれど──

 

 

『──今、どうやら写真判定の結果が出たようです!』

 

(ああ……。やはり、あなたこそが……)

 

 

彼女を目指して走っていた私の眼には、世界中の誰よりもその靴が似合っている彼女の美しい姿が、永延と焼き付いていたのだ。

 

 

 

 

『勝ったのは20番イソノルーブル! イソノルーブルです!! オークスを制し、見事樫の女王の座を手に入れました!! ハナ差で2着にシスタートウショウ! 3着争いは先行したツヴァイボイスに軍配が上がっています!!』

 

 

 

 

「はぁっ……はあっ……はぁっ……はぁっ……!」

 

息が苦しい。活力なんてもう微塵も残っていない。身体全体が燃焼しているような気さえもした。

 

 

「……かっ、た……?」

 

ターフの上に仰向けで倒れ伏しながら、イソノルーブルはピクリとも動かない身体の首だけをなんとか動かして掲示板の方を見やる。20という数字がⅠの隣に表示されているのを見てようやく「ああうん、勝ったんだ……」という喜びの欠片も無いような感想が、疲れ果てた口から出て来た。

 

 

「…………」

 

疲れ果てているからか、それとも勝った気が微塵もしないからか、彼女はそのままターフの上に倒れ伏し続ける。……とても気持ちが良い、凄く気分が良い。誰に何も言われなければ、このまま一時間ぐらい寝そべっていたいと感じ──

 

 

「当然、そんな事は許されませんよ。シスター・ルーブル」

 

「!!? し、シスターさん!」

 

ガバァッッ──! と先ほどまでの疲労感もどこへやら吹っ飛んで、ルーブルは大急ぎで立ち上がる。あれだけのレースをして尚、シスターの方には凜としたまま佇むだけの余裕があった。

 

 

「お疲れ様です。そして、お見事でした。……私の完敗ですね」

 

シスターの笑顔の中に感じられたのは、勝利したルーブルへの敬意と讃辞。少しばかりの敗北の苦渋と、安堵の表情。普段なら「い、いやいやいやいや!!」と首を横に激しく振っているような台詞だが、今のルーブルにはそれ以上にシスターへ言いたいことがあった。

 

 

「あの! シスターさん。私、私……!」

 

「‘沈黙は金,ですよ、シスター・ルーブル。あなたが何を言いたいかは察しが付いていますが、感謝にせよ謝罪にせよ、今は余計な言葉など不要です。……あなたの知らない所で数々の失礼な行動をしていた事に対して、幾重もの謝罪の言葉を述べなくてはならない私が言えた言葉ではありませんが……」

 

違う。そんな訳がない。もし仮に理屈の上ではそうだったとしても、シスターの行動には慈愛があった。願いと祈りがあった。神々しいとすら思えるほどの清廉さがあった。

 

 

「ああそれと、約束を守らなければなりませんね。何故あなたに拘ったのかですが──」

 

「……いえ、良いです。もういいんです」

 

だって、十分伝わった。シスターの走りと彼女の領域(ゾーン)を通して伝わってきた沢山の想いこそが、ルーブルにシンデレラ()を捨てさせたのだ。

 

 

「私……。シンデレラになるのは、もう止めにします」

 

「──!」

 

それは、彼女の口から出てくるにしてはあまりにも予想外の宣言で、シスターは大きく目を見開いた。どうやら随分と驚かせてしまったようだが……。これは仕方がないだろう?

 

 

「もっともっと……。叶えたい夢が出来たんです」

 

トレーナーの隣に立つに相応しいパートナーに。友達に自慢に思って貰えるような友達に。子供達に憧れられるような大人に。そして、シスタートウショウの宿敵(ライバル)に。

 

それはきっと、シンデレラになるよりもずっと難しくて険しい道だ。終わりなど欠片も見えず、どのような物語になるか予想は付かず、そもそも何から始めれば良いのかすら分からない。──でも、もう決めた。いつか、いつか必ず──

 

 

「私は──みなさんのシンデレラ(夢に相応しい自分)になってみせます!!」

 

大切な人達から知らない内に受け取っていた、それに相応しい自分になりたい。受け取ったそれを無駄にしないような自分になりたい。だからもう、自分だけのシンデレラ()は必要無い。憧れであることはこれからもずっと変わらないが、無理をしてまで叶えるような夢ではなくなった。

 

「そうですか。……そうですか」と、シスターは眼を閉じて二回ほど呟いた。──子供の成長を喜ぶ母親のような、大好きなアイドルが引退を発表した時のファンのような、親友の結婚式を遠くの席から見守る、学生時代の友人のような、そんな微笑みを携えながら。

 

 

「はい! だから──」

 

「ですが、その願いはもう既に叶えられていますよシスター・ルーブル。他ならぬ貴方の手によって」

 

「え? ……わ、わわっ!!」

 

突如として大歓声がレース場に鳴り響く。否、もうずっと前から鳴り響いていたのだが、ルーブルがあまりにも話しに熱中しすぎていて気付いていなかったのだ。「ルーブルー!!」という彼女を呼び称える声があちこちから聞こえてくる。

 

 

「信じてたぞー! お前ならきっと夢を叶えられるって!!」

 

「よくやったなルーブル! やっぱお前が今期一番のウマ娘だ!!」

 

「お姉ちゃーん!! 凄かったよ! 私もいつかお姉ちゃんみたいな、お姫様みたいなウマ娘になるんだ!!」

 

「シスターも良い走りだった! 本当にギリギリの勝負だったな!!」

 

レースの勝者であるルーブルを、彼女と接戦をしたシスターを、今回のレースの参加者達全員を称える声だ。それを聞いてようやっと勝者である事の実感と喜びが湧いてきたのか、ルーブルはこれ以上ないほどに顔を綻ばせる。

 

 

 

「私……私……!」

 

「……ほら、早く行ってきなさい。勝者であるあなたには、ウィナーズサークルでファンのみなさんに感謝の言葉を伝える義務があるのですから」

 

「は、はい!」

 

タタタッ──! と小走りでウィナーズサークル目掛けて走っていくルーブル。さて敗者である自分は静かに、そして早々と地下通路へと行くべきだと考えたシスターに「あの! シスターさん!!」と後方から声が掛かった。声の主は当然ルーブルである。

 

 

「──また走りましょうね!」

 

「……ええ。次は負けませんよ」

 

何時か再びターフの上で相見える事を願って、今期の女王となった二人は一旦別れを告げた。

 

 

 

 

 

「──いやぁ、正しく接戦って奴でしたねぇ。ぶっちゃけ一目だとどっちが勝ったか分からんかったですわ」

 

撮った写真の内容をスライド機能でパパパッと確認しながら、藤井は感想を述べる。直線後半に入ってから驚異的な粘り腰を発揮したイソノルーブルと、それを目掛けて大外から凄まじい勢いで突っ込んで来たシスタートウショウ。ゴール番前で完全に並んだ両者は、コンマ1秒の差も無く共にゴール板を駆け抜けた。結果としてはイソノルーブルのハナ差勝ちだったが、シスタートウショウの方が劣っていたとは欠片も思えない内容のレースだ。

 

 

(互いに意識し会っているウマ娘同士の領域(ゾーン)領域(ゾーン)がぶつかり合ったんだ。白熱した勝負になるのは当然だが、これは……)

 

自分でも邪推だとは思うのだが恐らくそういう事なのだろうと、柴中は二人の間に何が起きていたのかに大体の当たりを付ける。根拠はトレーナーとしてこれまで積み重ねてきたの経験と勘。そして肝心のレースの内容だ(・・・・・・・)

 

 

「柴中はんはどうです? なんか気に掛かった事とかありまっか?」

 

「……一応有るが、お前相手には喋りたくない」

 

「えー!?」と不満げな声を上げる藤井。「そんな殺生なー!」と言われても、こればっかりは「記者」である藤井に「トレーナー」の柴中は教えたくない。

 

 

(『シスタートウショウがあそこまでの力を発揮する事が出来た理由と、今回のレースの敗因は同じ物だろう』──なんて話し、恰好のネタにされるだろうからな)

 

 

「──あ! でもでも、これだけは教えてくれるんよね? ほら‘一周回って逆に落ち着いた,いうてましたやん。あれ何だったんです?」

 

(……覚えられてたか)

 

‘知りたければ後で教えてやる,と確かに言った手前無碍にすることも出来ず、柴中は軽く溜息を付いてから喋り出した。

 

 

「『フロー』もしくは『ピークエクスペリエンス』って知ってるか? 人やウマ娘の感覚が深く鋭く研ぎ澄まされた時に至るって言われてる、超集中、超熱中状態の事だ」

 

「そこまで詳しくはあらへんけど知ってます。一流のアスリートとかプロ棋士とかが物にしとるっちゅーあれの事でっせ? ほんなもん至ったこともない身からしてみれば眉唾もんですけどね」

 

その極限まで到達した状態こそを領域(ゾーン)と一部では呼ぶのだが、ここでそんな話しをすれば執拗に粘着されること間違いなしなので、普通に黙っておく。

 

 

「他にも『感覚』って奴は‘リラックス,‘不安,‘コントロール,‘心配,なんかに幾つも分類された状態があるんだが……。それらを一つの図にして現わした時に、それぞれの状態と対面上に来る相反した状態ってのがあるんだ。不安と対になるのがリラックス──みたいにな」

 

「ほー……。……いや、それとあの時のルーブルはんにどないな関係が?」

 

むしろターフに出て来た時のイソノルーブルは『フロー』とは真逆の──いや待て、真逆だと……?

 

 

「『フロー』と相反する状態っていうのがな『無感動』なんだよ。何にも動じない、何も感じない、何も考えていない。……悪く言えば「ボーッとしてる」ような状態で、良く言えば──「フローに入りやすくなっている」状態だ」

 

「!?」

 

「本人の気質なんかにもよるんだがな」と柴中は言った。

 

 

「……これは半ば妄想が混じった単なる推測なんだが、恐らくレース本番直前にイソノルーブルにとって必死に考えなくてはならない‘何か,があって、あいつはそれを死に物狂いで考えたんだ。ほら、まるで考えすぎて疲れ切ったような顔をしてただろ? で、性根尽きるほど考えた結果「いや分かる訳ねーだろ」的な結論に達したんだ。‘吹っ切れた,って奴さ」

 

藤井は大急ぎであの時撮った写真を探しだして見返す。あの時もそう思ったが、確かに何か燃尽きたかのような表情をしているように思える。

 

 

「一旦そうなれば後は『取りあえずレースに集中しよう』『レースが終わってから考えよう』って自然とそうなる。頭の中にあった余計な事は全部纏めて吹っ飛んでる状態で、スイッチを切り替えてレースに挑めるんだ。上手く嵌まれば早々に『フロー』状態に入れる。精神的な脆さがあって、スタートダッシュが肝心の「逃げ」脚質をしてるイソノルーブルにとっては決して悪くない状態だったのさ」

 

「はー……! ほんならあれでっか? 一見して気勢に欠けてるように見えるウマ娘でも、一概に「ダメそうだな」と判断するべきじゃないっちゅーことなんや」

 

「いや? 人の「感覚」や「直感」ってのはバカにならないから、素人目に見ても「走らなそう」って思った奴は大抵走らないよ。今回のこれはほぼ偶然だろうな」

 

そもそも「無感動」状態から「フロー」状態へと反転させるだけの意思と集中力、そしてそもそもの実力がなければ凡走どころか最下位まっしぐらの大悪手になり得る。少なくともトレーナーがしてやるべき事では無い。確かにメリットは大きいが、その分リスクが高すぎるのだ。

 

だからもし、イソノルーブルをああした(・・・・)人物がいるのならそいつはよっぽどイソノルーブルを潰したかったか、そうでなければ──

 

 

(逆に『必ずフロー状態に入ってくれる』『真の実力を遺憾なく発揮してくれる』って信じていた物好きか……だな)

 

 

「──で、どうだフラワー。お前から見て何か得られる物はあったか?」

 

ジィィイイ……ッ──とレースを最後まで食い入るように見つめていた、特にシスタートウショウが領域(ゾーン)を発揮させてからは更に顕著だったニシノフラワーは、柴中に声を掛けられてようやく我に返ったのか、ハッ! としたような表情でこちらを振り返る。

 

 

「は、はい! やっぱり映像で見るのとこうしてレース場で観戦するのとでは感じられる物にも差があるんだなって、改めて思いました。今回も連れて来てくださって本当にありがとうございます、トレーナーさん!」

 

ペコリ──と可愛らしくも丁寧に頭を下げるフラワー。無論悪い気はしないが、それはトレーナーとして当り前の事だと思っている柴中は「良いって」と軽く受け流す。「今回も?」とフラワーの発言に対してツッコミたくなった藤井だが、色んな意味で危ない気がしたのでそこには触れないでおいた。

 

 

「来年はお前があそこで走ってるんだ。今回こうしてレースを生で観戦したのは、きっと色んな意味でお前の糧になる筈さ」

 

「おー……。相変わらずえらい自信でんなぁ、柴中はん。こういうたらアレなんやけどGⅠレース……。それもクラシック競争に出走できるんは中央でも早々にその才能を開花させた、上澄みの上澄みに位置する超エリートウマ娘だけでっせ?」

 

中央に合格するだけで一目置かれるだけの存在なのに重賞……その中でもGⅠレースに何の障害もなく出走する事が出来るウマ娘は、本当に一握りだ。抽選枠ですら、一定以上の実力があるとURAに判断されないと選ばれることはない。故に、そこで勝利した者こそが、ウマ娘レースの歴史に名を刻むに相応しい存在だという何よりの証明になる。

 

 

「いやぶっちゃけボクもフラワーはんは何の問題もなくGⅠレースへ出走できるようになる思うてはりますけどね? なんちゅーか柴中はんの言い方だと……」

 

まるで勝つこと前提で喋っているような──

 

 

「そりゃあ勝つからな」

 

「へ?」

 

「だからフラワーは勝つ。GⅠ……それも一回じゃなくて複数回だ」

 

欠片の疑いもなく、少しの淀みもなく、かといって狂真のそれとは違う確固たる自信を持って、柴中は堂々と宣言した。当のフラワーですら、目を見開いて驚いたような顔をしている。

 

 

「ウイナーが認めたチームメンバー(仲間)で、GⅠトレーナーの俺が育成を担当している、天才美少女ウマ娘なんだ。……当然だろ?」

 

溢れんばかりのそれらを携えて、ニヒルな笑顔を浮かべながら柴中は告げる。「おー……!」と藤井は面白そうに顔を歪ませ、フラワーは‘美少女,という言葉が引っかかったのか、顔をリンゴのように紅くしていた。

 

 

「これからトゥインクルシリーズの短距離路線は面白くなるぞ。ウイナーが強引に切り開いた道を、後輩達が次々に整備していくんだからな」

 

既にGⅠを勝利しているダイイチルビーに、今年の秋にデビュー予定のニシノフラワーとシンコウラブリィ。デビューはまだ先だが、いつか‘閃光乙女,の名にふさわしい活躍をするであろうカレンチャンに、人気者になること間違いなしのヒシアケボノ。現在海外へ遠征、向こうに長期滞在している怪物たち。そして休養寮からやって来た期待の新人、ヤマニンゼファー。

 

彼女達の華々しい活躍と、それに沸き立つ世界を確信して、柴中は藤井にこう言った。

 

 

「だから出遅れたくなかったら、今の内にトレセン学園とチームステラに正式な取材の申し込みをしときな。分かってると思うけど、レースも取材も何事も、スタートダッシュが肝心だぞ」

 

 



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外伝 とある灰被りの少女の祈り 15/15

 

 

「ふぅ……」

 

てくてくと自分に用意された楽屋への道を歩きながら、シスタートウショウは疲れたように溜息を付いた。少しばかりスタッフへ色々と確認を取っていただけのつもりだったが、予想以上に遅くなってしまったように感じる。……レースの疲労が、今になってゆっくりと襲いかかってきていた。

 

 

(敗け……ましたね)

 

ゆっくりと眼を閉じて今回のレースの一部始終を回想しながら、シスタートウショウは反省点並びに敗因を探す。──答えは、すぐに見つかった。否、そんな物はレース終了直後から分かっていた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

その選択に一切の後悔は無いとはいえ、理性が明確に「そうだ」と言っている以上、認めない訳にはいかない。

 

 

自分の敗因──それは間違いなく‘イソノルーブルに執着したこと,その物だろう。

 

 

(『兎は亀を見ていた。しかし亀はゴールだけを見ていた』……ですか)

 

かのメジロ家の総帥が、大勝負をするメジロ家のウマ娘に対して告げていると言われている口伝だ。要は『競い合う相手に目を奪われ、肝心の目的を見失ってはいけませんよ』という忠告である。今回のレースで、それはそのままの形で自分の前へと具現化した。

 

追い込みをかけながら内へと切り込んだ最後の直線──あれは斜行のリスクや距離的なロス、その他様々な要素から考えても内へと切り込みなどせず、そのまま真っ直ぐ直進するべきだったのだ。それ以前のコース取りも同様である。あまりにイソノルーブルを意識するがあまり後方待機策に拘って余裕を持ちすぎていたし、少々大外を走りすぎてしまっていた。

 

『拘るべきを間違えた』──簡単に言ってしまえばそれまでだが、シスター自身は今回の判断に一切の後悔は無い。

 

ルーブルがいたから、彼女を目標として走ったからこそ、自分は領域(ゾーン)へと至ることが出来た。自分の限界を超える力を発揮する事が出来たのだ。例えそれが敗因の一つであったとしても、あの判断をした事に一切の後悔は無い。

 

しかし、それとは別としてファンの想いに報いることが出来なかったのも、他の出走ウマ娘達に対して失礼な面持ちであったのもまた事実。自分の至らなさに珍しく不甲斐ないという気持ちになりながら、シスタートウショウは楽屋のドアノブを捻り──

 

 

「あ、シスターちゃんおかえりー! レース、メッチャクチャ美味しかったね!!」

 

「……………………」

 

思わず真顔で「パタン」とそのままドアを閉める。何か頭の痛くなるような幻覚が見えたような気がしたのだが、余程疲れているのだろうか。こめかみを親指と人差し指で抓み、グニグニと揉んで軽く眼のマッサージをしてからもう一度ドアを開けてみた。

 

 

「あ、シスターちゃんおかえりー! レース、メッチャクチャ美味しかったね!!」

 

楽屋のテーブルに座りながら、先ほどと一文字一句違わない言葉を投げかけてくるヌエボトウショウがいた。しかもなにやらケーキのような物を口に頬張っていて、如何にもご満悦といった表情である。「そこはちゃんと‘惜しかったね,って言えよ」と言ってやりたい気持ちを堪える為に一度大きく深呼吸をしてから楽屋へと入り、シスターは状況把握に努める。

 

 

「……何をしているんですか、シスター・ヌエボ」

 

「ケーキ食べてるの! シスターちゃんも食べない? 美味しいんだよこれ!! ファミウマ限定発売のプレミアムりんごロール!」

 

ケーキの載った皿をこちらへと差し出しながら、ニコニコと屈託の無い笑顔で聞いて来るヌエボトウショウ。いつもなら「そういう事を聞いてるんじゃあない!」とばかりに痛烈なツッコミ(物理)が発生している所だが、今日ばかりはそんな気も湧いてこなかった。仕方がないので努めて手早く得たい情報──「何故ここに居るのか」「何で楽屋に侵入出来たのか」の二つを得るためにシスターが更なる言葉を紡ごうとした瞬間、楽屋のドアが開いて外から神父服を着た中年の男性が部屋の中へと入ってきた。

 

 

「はーいヌエボちゃん! 追加で買ってきた野菜チップスとアセロラジュースだよ~! いっしょに食、べ…………」

 

「……………………」

 

「……やぁお帰り、シスター。このレースで君の願いは叶えられたかな──ブベェルヂ!」

 

罵倒も忠告も警告も無かった。無駄なイケメンボイスで場を繕おうとしたその男と一瞬で距離を詰めたシスターの容赦無い張り手が顔面へと炸裂し、文字通り男を床へと張り倒す。その眼はまるで、救いようのないゴミか何かを見るようなそれをしていた。

 

 

「おいコラなに人の友人を勝手に拉致監禁してんだ生臭神父」

 

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれマイシスター! 言い方、言い方! 周囲に多大な誤解を与えかねないし、君はシスター! シスター(修道女)なんだから!!」

 

「ええ。ですから一シスターとして神もとい女性の敵である貴方を滅殺しようと動いた訳です。なんの矛盾もありませんね?」

 

「失敬な! 私は万が一神の敵になっても女性の敵にはならないさ!! このささやかな無精髭だって割かし女性受けが良いからワザと剃って──ブゴフォッ!」

 

ドゴビシバキドカ! ──という昔の漫画にあったような表現が似合いそうな音が楽屋内に炸裂する。割と当事者である筈のヌエボトウショウは「シスターちゃんのトレーナーって、良い人だけど変な人だよねー」と暢気にその様子を眺めていた。数分ほどそんな様が続き、暴れて罵倒して多少はスッキリしたのかハァハァと肩で息をしながら、シスタートウショウは床に正座させた神父へ質疑応答を開始した。

 

 

「……要するにシスター・ヌエボが楽屋を訪ねてきたので快く迎え入れただけと? で、なんのお持てなしもしないのもあれだから彼女に好きな物を聞いて、それを場内のコンビニで買ってきたという事ですか?」

 

「そうだよ! 私はあくまで善意で彼女を持てなしていただけだ!! 下心なんてこれっぽっちも──」

 

「うん! 『ヌエボちゃんは本当に可愛いね~』って褒めてくれたし、お菓子も沢山くれたよ!! 良いなーシスターちゃん、こんなに甘えさせてくれる人がトレーナーで……」

 

「ヌエボちゃん言い方! いや事実ではあるんだけど言い方! それとお願いだから空気読んで!! お兄さんシスターの眼力で○されちゃうから!!」

 

「……………………うわぁ」

 

ゴミを見るような眼再びである。やはりこの生臭神父、今ここで滅した方が世のため人の為ではなかろうか。なまじ神父としての心得と在り方、そしてウマ娘トレーナーとしての実力も本物で、女性にモテる理由も分からないでもない所がある分、より一層質が悪い存在である。

 

 

「‘今日のトレーニングはここまでで良いよ、友達の応援に行っておいで,──って、私のトレーナーが言ってくれたんだ」

 

ポリポリと野菜チップスを囓りながら、ヌエボトウショウはそう言った。まぁ大体そんな所だろうと当たりを付けていたため驚くような事は無かったが、まさか本当に東京レース場にまでやって来るとは。

 

 

「レースを観るだけならテレビやネットの中継でも十分でしょうに……」

 

「ううん、レースを観に来たんじゃないよ。ルーブルちゃんとシスターちゃんの応援に来たの」

 

それが極当然の事であるかの様にヌエボは言う。現役のトゥインクルシリーズ出走者としては、わざわざレース場にまで足を運ぶならむしろ偵察(そっち)の方がメインだろうとは思う物の、その純粋な良心を無碍にすることなど出来ず「ありがとうございます」と素直に返す。

 

 

「ルーブルちゃん凄かったなぁ……。なんだったっけ‘結婚一筋,って奴? 「全てを賭けて」って感じで、こう──ゴウワッ! ってなってた!!」

 

「それを言うなら‘乾坤一擲(けんこんいってき)です。意味はまぁ、合っていなくもないですが」

 

イソノルーブルは‘シンデレラになるのは止めた,と言っていた。……今まで己を培ってきた夢との離別。それまでの自分を投げ捨てるほどの凄まじき覚悟。その決意を持って、彼女は己の限界を超えた領域(ゾーン)へと辿り着いたのだ。「そうそれ!」とヌエボは首をブンブンと縦に振る。

 

 

「頑張った甲斐があったよねー。ルーブルちゃんが絶好調になってくれて本当に良かった!」

 

それについては大きく同意する。おかげでシスターも、幾つかある願いの一つを叶えることが出来たのだから。

 

自分が持ち得ない天然の善心(それ)を当然のように持っているルーブルと、互いに真の全力を出し切れる最高の状態での勝負。自分と彼女のどちらが勝利しても、例え自分達に匹敵しうる強者がいて、そのウマ娘に勝利を持って行かれてしまったとしても、『最高のレースだった』とファンに思って貰えるだろう──そんな確信があった。

 

 

「でもでも! シスターちゃんも凄かったよ! 最後の最後に「ドッカーン!」って大捲りだったもんね! なんだかこう……。‘これぞシスターちゃんのレース!,って感じ!!」

 

「……ああ、そうだね。実にシスターらしい、良いレースだった。彼女のトレーナーとして、とても誇らしく思うよ」

 

「本心からそう言って下さっているのは分かりますしありがたいですが、結局の所は彼女にハナ差及ばず2着です。勝利したシスター・ルーブルが心も実力も素晴らしいウマ娘である事は疑いようもありませんが、それはそれとして私自身への反省点も多いレースでした」

 

彼女を追跡するように走った事そのものに一切の後悔は無いが、それはそれとして反省は大いにする。執着するにしてももう少しやりようという奴があっただろうし、少々視野が狭くなってしまっていたのも間違いない。今回は色々と上手く行ったが、次のレースも今回の様になってくれる訳が無いのだ。

 

 

「なぁに、それに関しては後で私と一緒にやっていけば良いさ。その為のトレーナーだ」

 

「そうそう! だから今は──」

 

 

トゥルルルルルルルル──! と、突如として楽屋に備え付けられている内線電話が鳴り響いた。当然、トレーナーである神父が即座に対応する。

 

 

「はい。こちらシスタートウショウのトレーナーの……。はい、ええ……。分かりました、すぐに向かわせます。ご連絡、どうもありがとうございます」

 

お菓子とジュースを買って楽屋に戻ってきた時とは別人のような礼儀正しい態度で、神父は時間にして二十秒ほどの通話を終わらせると、シスターの方を向く。

 

 

「少々予定が前後して、ウイニングライブのリハーサルを早めに行ないたいから集合してくれって話しだそうだ」

 

「分かりました。身支度が整い終わり次第、リハーサル室へ向かいましょう」

 

神父の言葉にすぐに椅子から立ち上がり、テキパキと身支度を調えていくシスター。「疲労は大丈夫かい?」という質問には「なんとかならないとでも?」と強気に返しておいた。

 

 

「えー! シスターちゃんもう行っちゃうのー?」

 

「もうもなにもありません。それを拒否出来るだけの正当な理由がない限り、レースを開催して頂いている身である私達ウマ娘の方が先方……URAや協賛して頂いている方々の都合に合わせるべきです」

 

ぶーぶーと口を3の字にして文句を垂れるヌエボを軽くあしらいながら、服の皺を正したり小物が入ったポーチをロッカーから取り出したりと、シスターはものの数十秒で準備を終える。

 

 

「それでは行って参ります。シスター・ヌエボ、ウイニングライブは──」

 

「当然見に行くよ! レースと同じぐらい、みんな楽しみにしてる所だもんね!!」

 

ニコニコと、本当に楽しみにしているのだという事が見て取れる表情だった。「お好きにどうぞ」とだけ言って楽屋を出ようとしたシスターは、ドアノブに手を掛けたタイミングでふと思い至って後ろを振り返る。

 

 

「ああ、そう言えば前々から疑問に思っていたのですが──シスター・ヌエボ」

 

「んー? なぁに?」

 

「あなたはどうして‘私,について回るのですか?」

 

迷惑だとか小五月蠅いだとかそういう話しではなく、何故ヌエボトウショウは自分に懐いているのかがどうにも分からなかった。シスタートウショウ自身自覚がある事だが、彼女の性格はお世辞にも万人受けするとは言い難い。規律や倫理について一々五月蠅いし、‘祈り,を初めとした宗教的都合上、周囲のウマ娘達と趣味趣向や時間的都合が合わないことも少なくなかったりする。近寄りにくい雰囲気を出しているとも思う。そんな自分に何故、人受けする性格と雰囲気をしていて、ファンも友達も多いヌエボトウショウが懐くのか──

 

 

「え? だってシスターちゃんって、強くて優しい素敵な娘じゃない」

 

まるで予想していなかった理由を当然の様に言ってきて、シスターは一瞬完全に固まった。「そんな娘と友達になりたい、仲良くなりたいって思うのは当然の事じゃないかなぁ?」と、ヌエボトウショウは困惑したように首を捻る。

 

 

「……本気で言ってますか、それは」

 

‘強い,という部分はまぁ分かる。これでも入学当初からトゥインクルシリーズでの活躍を期待されていた身だ。授業や実技トレーニング、模擬レースなどでも好成績を残しているし、同期達の中ではトップレベルの力を持っているという自負はある。しかし‘優しい,‘素敵,となると今一ピンと来なかった。百歩譲って(自分で言うのは本当にあれなのだが)見た目や行動から‘素敵,という評価をされるのは納得出来ない事も無いが、果たして自分は‘優しい,のだろうか。彼女にそう言われるだけのことをした覚えは──

 

 

「いっつも勉強を見てくれるし、色んな事に注意や警告をしてくれるし、デザートを譲ってくれたりもするし……」

 

「それはあなたが放っておけないような危なっかしい性格をしているからで、デザートの件は私が一定以上の嗜好品の摂取を節制しているからです。あくまで廃棄されるのが勿体ないからで──」

 

 

 

「あとあと、いっつも三女神様達に祈ってくれてるよね!‘みんなが幸せでありますように,‘たゆまぬ努力が報われ、改心した罪人が救われ、優しい夢が叶う様な世界になりますように,‘みんなが怪我や故障をしませんように,って!!」

 

 

 

「………………………………………………」

 

「楽屋に来るのが遅かったのも、レース中に故障しちゃった娘の事が気になっちゃったからでしょ?」

 

目を大きく見開く。今度は一瞬ではなく、たっぷり数秒ほど固まった。「シスターちゃん?」という心配するような声を掛けられて、ようやく口がまともに動くようになる。

 

 

「知って、いたのですか……?」

 

「んー、なんとなく? シスターちゃんが修道女兼ウマ娘として三女神様に祈るならその三つかなーって。あと、やっぱりシスターちゃんは優しいから」

 

彼女は毎日毎日祈っている。朝晩は自室のベッドの上で。お昼休みと大きなレースがある時は三女神像の前で。

 

 

「それにシスターちゃん、前に言ってたでしょ?」

 

 

『例えそれが絵空事の理想論でも、決して叶わないような(幻想)だとしても、それを純粋に願い、そして求めることは善き事です』

 

 

「…………」

 

「だったらシスターちゃんはきっと、みんなの為に理想の中の理想。幻想()の中の幻想()を願って追いかけるんだろうなぁ──って!」

 

シスタートウショウがイソノルーブルという一人のウマ娘をずっと見ていたように、彼女もまたヌエボトウショウにシッカリと見られていた。そこまで見抜かれているのかと唖然とするシスタートウショウに対し、ニシシ! と自慢げにヌエボは笑う。何故そこまで嬉しそうなのかシスターには分らなかった事だが、ヌエボの心は『友達のことはちゃーんと知ってるよ!』という、誇りにも似た感覚に満ちていた。こんなにも素敵なウマ娘と私は友達なのだと、幸せを噛みしめるように。

 

 

「だからね、シスターちゃん」

 

何かを宣告するかのように、ヌエボトウショウは改めて口を開いた。

 

 

「私、そんな強くて優しいシスターちゃんとレースで競い合いたい、勝ちたいって思ってるんだ」

 

「…………」

 

「──私、絶対負けないからね!!」

 

あまりにも堂々とした宣戦布告。そうなる未来への希望に満ちた瞳。実に彼女らしい活き活きとした笑顔で、ヌエボトウショウはシスタートウショウへ『いつか戦おう』と告げた。シスターのトレーナーである神父は、何も言わずにただ微笑みながら二人のやり取りを見ていた。──そして

 

 

「──いつでもどうぞ。勝つのは私ですが」

 

溢れんばかりの自信と、少しばかりの喜びが見える表情でそう言うと、シスターは改めて楽屋を出てリハーサル室へと向かっていった。

 

 

 

──祈る。私は祈る。

 

 

いつか世界中の人々が、見ただけで幸せになるような素晴らしいレースが出来るように。

 

世界中の隣人達と、真の意味でいつでも助け合うことが出来るように。

 

努力が報われ、罪が許され、悲劇が起こらない。そんな優しい世界が実現するように。

 

‘そんな物はただの幻想()だ,と深く深く理解しつつ‘それでも,と現実に抗い、力の限り生きながら(走りながら)──

 

 

──私は、祈るのだ。

 

 



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風が吹くまで編
至高の紅玉 1


 

 

「…………」

 

まずはいつも通り、ローズティーを一口飲む。この時、決して音を立てないよう注意を払う。‘飲む,のでも‘啜る,のでもなく、唇の先を上手に使って‘掬い上げる,のがコツだ。別に喉を潤す為にやっている訳ではく、レース前に行なうこれは一種の儀式、儀礼のような物。トゥインクルシリーズの出走ウマ娘であれば、なんとなくでも気持ちが分かるのではないだろうか。

 

 

「──ふぅ」

 

息継ぎもなるべく小さく、綺麗に聞こえるよう心がける。受け皿に飲み終わったティーカップを戻す時も同様だ。例え周囲に自分以外誰もいなかろうが、そもそもこんな細かいことを気にするような人物など極少数だと理解していようが‘これ,を無くしたら私は私ではなくなってしまう。

 

 

──どんな時でも華麗に、いかなる状況でも優雅に、そして──

 

 

「──さて、それでは参りましょうか」

 

スッ─と椅子から立ち上がり、私は血気溢れる戦場へと赴く為、楽屋の扉を開けて外へと出る。これより始まるは現役マイラーウマ娘の頂点を決める二つの決戦の内の一つ。──重賞 GⅠレース『安田記念』 当然、目指すべきはただ一つ、栄光ある勝利のみである。

 

 

──‘華麗なる一族,──その次期党首として相応しい走りを。勝利を掴み、果たすべき使命を当然の様に果たす、誰よりも優雅な在り方を。家名に、人々の心に、そして世界に、私という輝きを刻みこむ。──その為にこそ、私はここまでやって来たのだから。

 

 

 

『新たな風となり得るのか? クラシック級で遅デビューしたウマ娘達!』

 

「……ま、最初はこんなもんか」

 

ペラペラと捲っていたウマ娘新聞。その端っこの方に気になる記事を一つ見つけた柴中は、軽くその内容を読んで頷いた。毎年ある事なのだが‘本格化,が他の娘よりも遅れた、もしくは本格化しても成長が今一つだったウマ娘達がクラシック級になってから一斉にデビューし始めると、新聞にこのような記事が書かれる。書かれている内容も毎年ほぼほぼ変わらないのが常なのだが、今年はホンの少しだけ毛色が違った。

 

 

『果たしてそれはただの‘微風,か──新人アナウンサー赤坂(妹)注目のウマ娘、ヤマニンゼファー!』

 

彼女にとって記念すべき初のウマ娘レース実況となった新バ戦。そしてこの間のGⅢクリスタルカップとゼファーのレースを見て何か思うところがあったのか、新人アナウンサーである赤坂(妹)が取材でゼファーの名を答えた事が切っ掛けとなって、極小さい物ながらも特集記事が掲載されていたのだ。新バ戦で見せた‘とても休養寮出身のウマ娘とは思えない,という触れ込みから来た取材とその反響もそこそこ大きかったが、初挑戦となる重賞、クリスタルカップでも3着に入ったことで僅かながらも‘実力のあるウマ娘,として細々と世間に認知され始めたようだ。

 

 

「『いつか重賞レースに勝利するのも夢ではないかもしれない』──ねぇ」

 

僅かなりともこの時点でゼファーに注目する選美眼は中々だと言ってやりたいが、彼女がその程度で終わるウマ娘だと思われているのもそれはそれで癪に障る。GⅠトレーナーである自分ですら初見ではその輝きに気付くことが出来なかったのだから、人の事を言えた身ではないのだが……。

 

そんな事を考えていると柴中の部屋のドアがガチャリと空いて、廊下から二人のウマ娘が部屋の中へと入って来た。

 

 

「早朝トレーニング、滞りなく完了したぞ」

 

「ん、お疲──」

 

一人はアキツテイオー。既にトゥインクルシリーズからは身を引いてDTリーグに移籍している‘マイルの帝王,──そして

 

 

「お、お疲れ、さまで……す……」

 

「……別にそう急がずとも、せめて息を整えてから来て良いんだからな?」

 

ゼェゼェと息を切らしながらやって来たヤマニンゼファーだ。『トレーニングが終わったらなるべく早く俺の部屋に来てくれ』と言ったのは確かなのだが、そう焦らなくても良いのにと思う。彼女は文字通り‘体質が完全に治ってからが本番,なのだから。

 

 

 

「察しの良いお前ならもうとっくに感づいてるかもしれないけど、俺がお前をクリスタルカップに半ば無理矢理ねじ込んだのは長期休養に入る前に‘重賞の空気,って奴に慣れておいて欲しかったからだ」

 

日が少しだけ飛び、東京レース場。パドックにほど近い某広場付近で柴中は喋り出す。彼に付いてきているのは、今日はヤマニンゼファーのみだ。彼女と一緒に連れて来てやりたかったシンコウラブリイはどうしても外せない用事があるらしく、現在学園を留守にしている。アイルランドから留学する形で日本のトレセン学園へやって来ている身の為、そうそうステラ(こちら)の事情を押し通す訳にもいかないのが辛い所だ。

 

 

「はい。なんというかこう……大先輩の言う通り条件戦やOP戦の‘延長線上,ではあったんですけど……風の質は変わらなくても、風圧が凄まじかったというか……」

 

クリスタルカップでゼファーがその全身で感じ取ったのは、想いと言う名の暴風だ。決意や覚悟が風を通して伝わってくる──程度の話しでは無い。目に見えるかのような圧倒的な気迫を纏ったウマ娘達による、全身全霊のぶつかり合いだ。条件戦やOP戦でもそれは同じなのだろうが、全体的にレベルが大きく向上しているように思える。ゼファーのように『今持てる全てを出そう』と純粋にレースに集中するウマ娘もいれば、ニホンピロセブンの様に何かしらの執念を持って走っているウマ娘もいたが、全員が全員『重賞レースに出走出来るだけの実力者』だったのは間違いない事実だ。

 

 

「『上に行くってこういう事だぞ』っていうのをレースが教えてくれた──そんな感じがしました」

 

「へぇ……」

 

感心したように呟き、そして口元を歪ませる。あのレースでゼファーが感じ取れた物、学べた事が一つでもあるのなら、それは大きな収穫だ。なにより彼女の真摯な眼がこう訴えている──‘もっともっと走りたい、上に行きたい、夢を叶える為に,。出走できるウマ娘が限られている重賞レースを懸命に走って敗北し、尚こんな眼が出来るというのなら、やはりこいつはいずれ必ず大成出来る。柴中は改めてそう確信した。

 

 

──だからこそ

 

 

「ならこのレースは今まで以上によく見て、よく聞いて、よく感じてくれ」

 

この‘見,のトレーニングで、彼女は改めて知るだろう。

 

 

「‘至高の輝き,って奴を、間近で見られるんだからな」

 

 

今の自分の立ち位置を。これから目指すべき場所がどれほど遠く、果てしない高みにあるのかを。

 

 



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至高の紅玉 2

 

 

「むむむ……。むむむむむ!」

 

スマートフォンをジーッと眺めながら、カレンチャンは先ほどからなにやら唸り続けていた。いつものウイナー城ではなく、彼女の寮室だ。あくまで同室者がいる寮の部屋な為『圧倒的可愛らしさ』はベットや机、その他家具共に醸し出させていないが、何かしらの『ワンポイント可愛い』特徴を彼女が所有する全ての所持品が持っている。

 

 

「ぬぬぬ……。ぬぬぬぬぬぅ!」

 

「どうしたのよ。さっきから意味分かんない呻き声出して」

 

身体はベットにうつ伏せに寝転がったまま少しも動かないのに、口と手だけは忙しなく動き続けているカレンチャンへとうとうツッコミが入った。彼女同室であるアドマイヤベガ──ではない。

 

 

「ここまでダラダラ過ごさせて貰ってこんなこと言うのも何だけど、今のカレンなんというか……ちょっと鬼気迫る表情してるわよ?」

 

‘ダイワスカーレット,

 

チーム『スピカ』に所属しているウマ娘だ。まだ本格化がやって来ていない為、レースに出走する事が叶わない身ながらスピカのトレーナーは勿論、柴中にすら‘滅多に見ない,と言わしめた超逸材である。将来を大きく期待されているウマ娘の一人なのだが、同室であるウオッカと仲が良く(仲が悪く)、大小様々な理由で喧嘩して変な空気になっては仲が良いウマ娘の部屋に家出しに(泊まりに)行くというルーティーンを一定周期で繰り返している。

 

カレンチャンとは‘とある事情,から、一対一の時に限り‘素顔,で話すようになった仲なのだが……。

 

 

「スカーレットちゃん! そんな暢気なこと言ってる場合じゃないよ!! 緊急事態!!」

 

「へ?」

 

ダイワスカーレットの言及を受けた直後、カレンチャンはバッ──! と突如として飛び起きると、スマートフォンの画面をグイィッ──! とダイワスカーレットの方へ向けた。

 

 

「……フランスに留学してる‘聖剣,さんの記事じゃない。アイツも……まぁ当然いるわよね」

 

そこにはネットニュースの記事にデカデカと載っている、一人のウマ娘とトレーナーのツーショット写真があった。現地に伝わるかの幻想物語に登場する、とある騎士が使っていたとされる伝説の聖剣──それと全く同じ名を持って生まれて来た彼女は、幼少期の頃からその名に恥じぬとてつもない才能と力量を世間に見せつけており、ダイワスカーレット同様将来を大きく期待されている。現在はチーム‘ステラ,のサブトレーナーと一緒に、フランスへ本格化前の留学修行をしに行っていると前に聞いた事があった。

 

 

「『本格化前のウマ娘を集めた特別レースで圧勝。まさしく‘一刀両断,』……かぁ、やっぱり凄いわね」

 

ステラに所属しているだけあって、脚質適正は当然の様に短距離。その抜群の末脚でもってフランスのウマ娘達を薙ぎ払った──フランス語で書かれている記事のため所々読めない部分があったが、大体そんな内容の記事のだ。

 

 

「確かに凄いと思うけど、これが緊急事態ってどういうこと? 私、てっきり東京レース場で何かあったのかと思っちゃったわ」

 

今日はGⅠレース‘安田記念,の開催日だ。春のマイル王を決めるその一大決戦には、カレンチャンと同じチームのウマ娘が出走している筈であり、てっきり彼女ないし、安田記念が開催される東京レース場で何か予想外のアクシデントでもあったのかと思っていたのだが……。

 

 

「あー……。カレン、ルビーさんの事は今は殆ど心配してないかな」

 

「そうなの? 私、ルビーさんのことは‘華麗なる一族の次期党首,って位しか知らないのよ」

 

アルダンを筆頭に気品溢れるメジロ家の面々と何やら高貴さ溢れるお茶会をしていたり、カフェテリアでやたらとローズティーを頼んで飲んでいたり、華麗とは程遠い形相でダイタクヘリオスを追いかけ回していたりと、そういう場面を何度か目撃したことはあるのだが、どうにも今まで縁がなくてジックリと話しをした事はなかった。年一で開催されているメディア企画『ウマ娘ランキング』の『美しさ部門』最上位常連ウマ娘でもあるので、一度話してみたいとは思っているのだが……。

 

 

「今のルビーさんは何というか……。本当に‘華麗,が極まっちゃってるから」

 

つい一昨日までヒシアケボノと共にずっと併走トレーニングに付き合い続け、結果ボッコボコに負け続けた(全戦全敗した)カレンチャンだからこそよく分かる。今のダイイチルビーは本当に強い。なにせ、方向性こそ違うがカレンチャンが目指す『可愛いの極地』によく似たそれへと至ってしまっているのだから。精神面も万全で(いつもと変わらず)、調子も申し分無いとくれば、もはや心配する要素がどこにもない。

 

 

「多分、今回の娘達で勝てるとしたらメモリーさんかヘリオスさんぐらいじゃないかなぁ?」

 

「へ、ヘリオスさん……?」

 

‘メモリー,‘ヘリオス,と名の付くウマ娘は他にも居るだろうが、今回の場合は1番人気の‘バンブーメモリー,と、10番人気の‘ダイタクヘリオス,の事で間違いない。そして、その人気からも分かる通り、ヘリオスは今回のレースで穴中の穴ウマ娘であると認識されている。

 

一応去年のクリスタルカップ(GⅢ)と今年の読売マイラーズカップ(GⅡ)に勝利している重賞ウマ娘でこそあるのだが、どうにも実力に‘ムラ,があり、前走となる京王杯スプリングカップ(GⅡ)では1着のルビーに約4バ身もの差を付けられての6着と惨敗。そのあまりに独特の走り方(スタイル)と知識の無さから『バカ』と酷評されることも少なくない。(これに関しては残念だが当然な気がする)

 

展開が荒れることなど日常茶飯事なウマ娘レースだが、同じウマ娘レース出走者としてもハッキリ言ってこう……彼女がGⅠレースで勝利しているビジョンという奴があまり沸いてこなかった。

 

 

「んー。気持ちは分かるし、正直カレンもその‘ビジョン,はあまり浮かんでこないんだけどー……」

 

──しかし、しかしだ。それでもカレンの流行やら世の中の動きを機敏に察知するセンサーは『警戒せよ』と囁いている。

 

 

「‘アガった,時のヘリオスさんなら、理屈とかそういう細かいことは全部纏めて抜きにしちゃえるんじゃないかなって」

 

それは、彼女のその燦々と輝く陽の気からか。それとも細かいことや難しい事に真正面からぶつかっていくバカさ加減からか。あるいは──彼女があのダイイチルビーに気に掛けられるような存在だからか。「ふーん……」とダイワスカーレットはそこまで興味なさそうに呟いた後

 

 

「……ん? いやじゃあそもそも‘緊急事態,ってなんの事なのよ」

 

そもそもの事の発端に立ち戻った。「あれ?」とカレンチャンはカレンチャンで記事の内容を見てダイワスカーレットがなんのリアクションも起こしていないことが意外で、もう一度スマホの画面を見直す。

 

 

「あっ、ごめんね! カレン翻訳機能入れるの忘れちゃってた!!」

 

チョチョイとスマホを操作して翻訳機能をオンにすると、改めてダイワスカーレットにネットニュースの記事を見せる。注目するよう指で差された箇所には、こう書かれていた。

 

 

『『ええ、彼が私のトレーナーです。……はい。私をその気にさせて半ば強引にトゥインクルシリーズに登録させたのですからその……最初から最後まで、責任を持って私とお付き合いして貰う為にこうしてフランスまで』

 

そう言って、彼女はトレーナーの手をやさしく取った。彼女の話しからも、そのどことなく気恥ずかしそうな表情からも、トレーナーとの深い絆を感じ取る事が出来る。一言で言おう──とてもお似合いだ』

 

 

「よし今すぐ二人に問いただしましょう。カレン、確か聖剣さんのスマホ番号知ってたわよね?」

 

それを見て一気にヤル気があふれ出したダイワスカーレット。眼には危うい光りが据わり、額には#マークが浮かび、全身から謎のオーラが溢れだしている。

 

 

「お兄ちゃんに掛けた方が早くないかな? 当然、その前に情報収集はするつもりだけど」

 

「カレンの話術(テク)を疑ってる訳じゃないけど、それだと上手いこと躱されたり逸らされたりする可能性があるわ。まずは少し抜け……素直な所がある聖剣さんに確実な言質を取って逃げ場を完全に無くすのよ」

 

「最悪の場合『そんなこと言ってると夏休みを利用してスイープちゃんと暴君ちゃん、それから応援ちゃんをそっちに寄越しちゃうよ?』って言おうと思ってたけど、確かにそっちの方が効果的かもね。流石スカーレットちゃん!」

 

本番のレース直前かと思う程に気迫を纏っているダイワスカーレットと、いつも通り普遍かつ最上の可愛らしさを保ち続けるカレンチャン。未来のターフの女王二人は春のマイル王決定戦などそっちのけで、決して負けられない勝負のために全力で作戦会議をし始める。

 

 



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至高の紅玉 3

 

 

「……そう言えばなんですけど」

 

ふと、まるで今思い出したかのようにゼファーが口を開いた。東京レース場にある、いつもの関係者専用席だ。「なんだ?」と、まるで待っていたかの様に柴中が答える。

 

 

「なんでルビーさんに付いていかなかったんですか?」

 

ウマ娘とトレーナーの関係。それはそのペアによって異なるし、関係性も実に様々だろうが、ウマ娘と契約したトレーナーはレース直前まで傍に居てやるのが基本である。最後の作戦会議が出来たり、ウマ娘の細かな変化にいち早く気づけたりと良い事ずくめだし、ウマ娘側も気心知れたトレーナーが傍に居れば安心しやすい。

 

なので本来レースに出走するウマ娘のトレーナー──つまりはダイイチルビーのトレーナーである柴中は、現状こうやって東京レース場の案内などしていられる立場ではない筈なのだが……。

 

 

「んー……。ま、そうだな。理由は色々あるんだが一番大きいのが──‘あいつがそれを望んでいるから,だ」

 

(やっぱりですか)と内心で思いつつ、ゼファーは押し黙ったまま柴中へ話の続きを促す。

 

 

「一種の精神統一なんだろうな。いつもレース前は決まったルーティーンで行動して、集中力を高めてるよ。あいつ曰く‘華麗さ,らしいけど」

 

ローズティーを一杯と、ジャムクッキーを三枚。それをゆっくりと十五分以上掛けて食べ進め、食べ終わったら二杯目のローズティーを量を半分にして淹れ直し、それが飲み終わったら余裕を持ってパドックへ向かう。

 

『どんな時でも華麗に、いかなる状況でも優雅に』を心がけているダイイチルビーにとって、一人で孤独に行なうそれこそが一番集中力を高められるらしい。如何に優秀で心を許せるトレーナーと言えど、彼女はその領域に他者を踏み入らせるつもりは無いという。なにかと理由を作ってはルビーに(鬱陶しく)じゃれついているあのダイタクヘリオスでさえ、レース前のルビーの楽屋へは決して立ち入らないのだ。

 

 

「傍に居てやる事が正解だとは限らないって事さ。実際それでちゃーんと結果を出してるし、俺としてもあいつに合ってるやり方だと思うから、用意された楽屋の入り口まで付き添ったらあいつを信じてその場を離れるようにしてるよ。何か緊急事態でも起きたら話は別だけど」

 

そこまで話してようやく、柴中は先ほど売店で購入したからあげ煎餅を頬張る。煎餅のように薄く伸ばしてから油で揚げた鶏肉のからあげは、文字通り煎餅のようなザクッ! とした歯ごたえが特徴の人気商品だ。ニシノフラワーやヒシアケボノが作ってくれる手料理も凄く美味しいし健康にも良いが、たまにはこういったジャンキーな物を雑に買って食べたくなるのが男の胃袋という奴である。ゼファーには‘優駿焼き,という大判焼の亜種を奢った(より正確にはゼファーが空気を読んで奢って貰った)のだが、餡子入りの物もカスタードクリーム入りの物も大層気に入ったらしく、二つとも既に食べ終えてしまっていた。

 

 

「なるほど、そういうやり方もあるんですね」

 

「精神統一のやり方なんてそれこそ千差万別だからなぁ。俺がそれの邪魔だっていうなら消えるだけだ」

 

ザクザクとからあげ煎餅を噛み砕きながら言う。もうすぐ自分のチームのウマ娘が出走するGⅠレースが始まるというのにも関わらず、柴中は完全に落ち着き払っていた。状況に慣れているというのもあるが、それ以上に──

 

 

(今のルビーは、本当に強いからな……。仮に及ぶとしたら多分あの二人ぐらいしか……)

 

彼女の強さとその華麗さに、トレーナーとして安心感を覚えているからだった。

 

 

 

 

「うっえぇええ……。マジで薔薇の(ルビっち)香りが超するのに渋いけど甘い……。これウチらが気軽にゴクゴクして良いもんじゃないっしょ~……」

 

いかにも不味そうだという事が伝わってくるような表情をしながら、ダイタクヘリオスは急いで受け皿にティーカップを置くと、ペットボトルに入ったミネラルウォーターを口をゆすぐようにして飲んだ。彼女に用意された楽屋の中だ。それでも口の中に残った後味は完全には消えず、仕方なしにクッキーを一枚口の中へと入れる。

 

薔薇茶(ローズティー)と言うだけあって香りはとても良いのだが、薬の味がすると有名な某炭酸飲料と同じく好き嫌いがハッキリと分かれそうな……。なんというかそう、まるで漢方薬の一種を飲んでいるかのような独特の味がした。

 

 

(正直テン下げイベントなんですけどー……。ってかトレぴっぴ、これで淹れ方合ってるの? ガチで??)

 

自分で『私もルビっちと同じ事してみたい!』と言いだした上にあれこれ注文して置いて何だが、トレーナーがローズティーの淹れ方を間違えたorそもそも茶を入れる才能がないのではと思い始めるヘリオス。彼女の趣味嗜好はよーく知っているつもりだが、幾ら香りと色味が素晴らしいとはいえこれ(・・)を好き好んで飲んでいるとは……。「もしやルビっちって結構味覚音痴?」と、その場にダイイチルビーが居たら即口論が始まりそうな事まで呟いてしまう。

 

せめてもう少しクッキーを用意して貰うんだったと後悔しながらも折角淹れて貰ったそれを残す訳にはいかないので、ヘリオスは仕方なしに目を瞑ると、覚悟を決めてグィイイッ! っとティーカップを一気に煽った。「ぐぇぇええええ……」という、年頃の女子高生(Jk)が出してはいけないような嗚咽感溢れる音が口から漏れ、身体はプルプルと細かく痙攣する。残っていたクッキーを全て口へと放り込んで大急ぎで咀嚼、ミネラルウォーターを先ほど同様ガブガブ飲んで、なんとか無事に(?)完食することが出来た。

 

 

「……やっぱむ~り~」

 

割と分かっていた事だが、改めて言葉にしてみた。──相手のことを知っていても分かっているとは限らず、分かっていても理解出来ているとは限らない。数学の小難しい証明問題と同じである。なんだ『1+1の答えと、その答えが数学的に正しい物である事を証明せよ』って。1+1の答えなんてワザワザ証明などせずとも、2か田んぼの田に決まっているだろうが。

 

 

「少しでも気持ちが分かると思ったんだけどなぁ……」

 

やっぱり自分は独りよりもみんなでいる方が何倍も楽しいし、飲み物は炭酸が入った刺激のある物が良い。綺麗に整った焼き菓子も洋菓子も好きだが、やっぱりお菓子はジャンキー感溢れるスナック菓子こそが最高だと思っている。仕方のないことだと分かってはいるのだが、華麗な振る舞いを幼少の頃から叩き込まれている高貴な出自の彼女とは、どうしてもその辺りの趣味が合わない。

 

……だからいつも、その辺りは向こうからこっちに合せてくれている。親友であるメジロパーマーの‘学びたい,‘私もやってみたい,という意欲のあるそれとは違う。‘仕方ありませんわね,というやれやれ感が漂う物だ。半ば強引に自分の世界へ巻き込み、こんな景色もあるのだと教えても、彼女はどうしても‘あと一歩,を踏み込んで来てはくれないのである。

 

ならばこそ、今度は自分から彼女の世界へと踏み込んでいくべきだ。少しでも彼女の事を分かりたい、理解したいというのであれば、例えらしくなかろうが模倣して経験し、学びとるべきだろう。──そう思ってトレーナーにローズティー(しかもメッチャ高い奴)などという普段は絶対に飲まないような物をわざわざ用意して貰ったのだが、全くもって効果がない事が分った。

 

 

「……んじゃ、まぁ仕方ないか」

 

諦めたような台詞を吐きながら、諦観を微塵も感じさせないような顔で、ヘリオスは笑った。

 

小難しい事をあれこれ考えて、それで分からないのならば直接答えを聞くしかない。なにせ、自分は自他共に認めるバカだ。らしくもない努力をする事その物を否定するような気はサラサラ無いが、それが無理臭いとなればあとは何度も何度も愚直に語りあうしか無いだろう。……それは一種の‘逃げ,と呼べる物なのかもしれないが──

 

 

「とりま、今回はレースでね!!」

 

それこそは、決して譲れない自分の走りでもあるのだから。

 

 

 



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至高の紅玉 4

 

 

『さぁ始まりました東京レース場、本日のメインレースは第10競争──春のマイル王決定戦、GⅠ 安田記念!!』

 

「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」

 

『芝コースの1600M! 16人で争われます!! 天候はあいにくの曇り空ですが、幸いバ場の状態は良! 名勝負になる舞台が整いました!!』

 

「うっお……。流石はGⅠレース……やっぱ観客の気迫も違うなぁ……」

 

選手のパドック入場を告げるアナウンスに呼応して観客達のテンションが大きく上がった事に少しだけ驚き、彼女──‘ナイスネイチャ,は耳の先端をピクン! と跳ねさせた。柴中とゼファーのいたそことは違い、一般にも開放されているスタンド席の一つだ。横に居た彼女のトレーナー──‘南坂,が「大丈夫ですか?」と声を掛ける。

 

 

「ん、全然大丈夫だいじょうぶ。こう言っちゃなんだけど、この程度で一々驚いてたらターフの上になんか立ってられませんよってね」

 

「申し訳ありません。関係者専用席を用意出来るほどの権限が僕にあれば良かったのですが……」

 

「だからそういうのは言いっこなし。それに、スタンド席はスタンド席で迫力あるレースを間近で見られるっていう特権が──「ねぇねぇネイチャ! このシュークリーム、細長い形してるのにザクザクしててとっても美味しいぞ! 一口食べる!?」ターボさんや? あなたいつの間にそんなもの買ってきやがったんですか?」

 

口周りにクリームとシュー生地のカスをベットリ付けながら、そのとても小さなウマ娘──‘ツインターボ,は食べかけのシュークリームを自慢するようにナイスネイチャに見せた。ナイスネイチャと同じチーム‘カノープス,のメンバーだ。とても美味しかったという事が一目で分かる笑顔で、それ自体はとても微笑ましいのだが『なに一人で勝手におやつ買って食ってんだ、こっちは昼食すらまだなんだぞ』というネチャネチャした気持ちが僅かながらに心の奥底から湧き出てくる。

 

 

「あんたさっき『ちょっとトイレ行ってくる!』って席を外した筈だよね? っていうかお金は? お財布が入ったポーチは盗難防止にトレーナーへ預けてた筈じゃあ……」

 

「なんかね? トイレに行った後でとてもお洒落で美味しそうなシュークリームとソフトクリームのお店を見つけてね? 思わずジーッ……って商品ケースを見てたんだけど──

 

『ほら、喰いたきゃ奢ってやるからケースに張り付くのは止めな。ただでさえ中央のウマ娘は奇行で有名な部分があるんだから、こういう往来の場でそういう真似されたら困るんだよ』

 

──って知らないトレーナーが奢ってくれた!!」

 

「こんのおバカ!」

 

スパァン──! と色んな感情が込められたネイチャ渾身のツッコミ(チョップ)がターボの頭目掛けて炸裂する。‘商品ケースに張り付くとか普通に迷惑行為だから止めろ,とか‘そもそも見知らぬ人に食べ物を奢って貰ったりするな,とか‘あんたの危機管理能力一体どうなってんの,とか言ってやりたいことは色々あったが、そういうのを言葉にするよりも先に手が出ていたのだ。

 

 

「うう……痛ったぁ……!」

 

「あのねぇ! いくらその人が中央のトレーナーだからって完全に良い人とは限らないし、仮に聖人みたいな人だったとしても見ず知らずの人にたかるような真似をしちゃダメだっつーの! 相手の方から言ってきたとしても同じです!! 小学生以下ですかあんたの危機管理能力は!!」

 

「はぁい……ごめんなさい、お母さん」

 

「誰がお母さんか!!」

 

もう一度ツッコミ(物理)を入れてやろうかとも思ったが、これ以上大声を出して騒ぎを起こすと大事になりかねないので、以前タマモクロスになし崩し的に教わったツッコミ(漫才)で衝動を抑えるナイスネイチャ。当然だが彼女はまだ成人していない学生の身分であり、現時点で誰かの母になった覚えなど欠片も無かった。

 

 

「あ、あはは……。あとで個人的にターボさんに親切にして下さった方が誰なのか調べてみます。判明次第ちゃんとしたお礼を──」

 

「で、でも! 知らないけど知ってる人ではあったもん!!」

 

「はい?」

 

言っている事の意味が分からなくて、ナイスネイチャは顔を怪訝なそれに歪ませる。ツインターボはスカートのポケットに手を突っ込んで、クシャクシャになった紙のような物を二枚ほど取り出した。

 

 

「『これ、レシートと言づて。あとで南坂の奴に渡しといてくれ』って言ってた!」

 

そこまで聞いてようやく「ああ、ターボ『は』知らない人だったけど、そのトレーナー『は』ターボを知ってたって意味か」と理解することが出来た。加えて南坂の事まで知っていて、顔見知りっぽいような事まで言っていたと来れば、どうやら本当に中央のトレーナー仲間だった可能性が高い。

 

ターボから手渡された二枚の紙を受け取って中身を見てみる南坂。一枚はターボが食べていたであろうシュークリームの値段が記されているレシート。そしてもう一枚が……。

 

 

(『雑用一回分よろしく。by柴中』──ですか)

 

いかにも‘らしい,言づてで、ちょっとだけ笑ってしまった。自分のチームに所属しているウマ娘が出走するからして、多分来ているだろうなとは思っていたが……。なんともまぁ、色々と気に掛けてくれる人じゃないか。この‘雑用,というのも恐らく──

 

 

「どうしたの? 急に笑ったりして」

 

「ああいえ。ターボさんは良縁に恵まれているな、と思いまして」

 

「? ……よく分からないけど、ターボ今褒められたの?」

 

「いや間違っても褒められてないから。仮に褒められたとすればアンタを助けてくれたそのトレーナーさんの方だから」

 

ぶんぶんと手を横に振って否定するネイチャ。取りあえず厄介な事になっていないのを改めて把握した彼女は、もう一度簡単なお説教を始めようとして──

 

 

「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」

 

「うおっと!?」

 

再び起こった観客の沸き立つような声に、やはり少しだけ驚いた。

 

 

『さぁ! 今パドックに姿を現わしました! 本日の1番人気!! 去年のスプリンターズステークスの勝者であり、同年の最優秀スプリンターウマ娘! ──‘バンブーメモリー,!!』

 

「──うっす!」

 

‘体育会系風紀委員,──そんな概念をそのまま擬人化させたような勝負服を身に纏い、彼女はそこへと姿を現わした。たったそれだけで、観客(特に女性)が沸いたのである。

 

 

『あの芦毛の怪物、オグリキャップと壮絶な名勝負を繰り広げた一昨年のマイルチャンピオンシップの事はきっと、みなさまの記憶にも新しいかと思われます! ‘永世三強,に比肩する数少ない名ウマ娘──という評価は決して伊達ではありません!』

 

あちこちから「メモリー!」「こっち見てー!」「私に生活指導してー!!」だのといった黄色い声が飛んでくるがメモリーはそれらを半ば無視し、一歩大きく前に出て軽く深呼吸をすると──

 

 

「よろしくお願いします!!」

 

 

腹の底から大きな声でそう言って、スタンド席へ向かって頭を下げた。──シン、とレース場が一瞬だけ静まりかえり、直後に再び歓声が沸く。その愚直までの勝負に対する堂々とした姿勢と、応援してくれる観客(ファン)に対する礼節は決して欠かさないその礼儀正しさに惹かれたという彼女のファンは、決して少なくない。

 

 

(……ヤエノもチヨもショットも、クリークもイナリもそしてオグリも。トゥインクルシリーズは引退しちまって、今となっちゃあアタシらの世代でまだトゥインクルシリーズを走ってる奴の方が少ないっすけど……)

 

まだだ、まだ自分はここで走れる。自分だけじゃない。すぐにだってGⅠを勝てそうな歴戦の猛者が、何人も控えている。

 

 

(あたしは、まだここにいる。……ちゃんとここにいるっすよ!)

 

再び堂々と、胸を張るようなポーズでメモリーはしっかり前を向いた。すでに新たな舞台へ足を進めた彼女達。脳裏に焼き付いた同期(戦友)との輝かしい思い出を糧に、メモリーはその闘志を熱く熱く滾らせる。

 

 

(そう簡単に‘世代交代,なんてもんはさせてやんねぇっすよ──後輩!!)

 

 

 

「はえぇ……。あれがバンブーメモリー先輩かぁ……」

 

これだけ離れていても伝わってくる闘志に、ナイスネイチャは感嘆の溜息を漏らした。既にシニア三年目になるだけあって、貫禄が半端ではない。流石は‘怪物世代,においてGⅠを2つももぎ取った猛者ウマ娘なだけはある。ネイチャが目指している‘キラキラウマ娘,とは方向性こそ違うが、その走りや信念は大いに今後の参考になること間違いなしだろう。

 

 

「主戦をダートから芝へ。脚質を逃げから差しへと変えた、少し珍しい経歴を持つ方でもありますね。赤井さんもおっしゃっていましたが、一昨年のマイルチャンピオンシップではオグリキャップさんと大激闘を繰り広げています」

 

完璧としか言いようがない走りと仕掛けで、オグリキャップ以外のウマ娘達を完封したかのレース。本来であれば第四コーナーを回った時点でバンブーメモリーの勝ちはほぼ確定的だったし、実際にレースを観ていた誰もがそうだと疑わなかった。──残り200mを切ってからのオグリキャップが、信じられないような末脚を発揮しなければ。

 

結果はハナ差で敗れて2着。オグリキャップがあまりにも怪物過ぎると人々に言わしめたレースであり、皮肉なことに『あのオグリキャップが、全身全霊を尽くさなければ勝てなかった』という理由で、バンブーメモリーの名声をこれ以上なく高めたレースとなった。

 

 

「短距離とマイルにおいては現役ナンバーワンと言っても過言では無いでしょう」

 

「短距離とマイルかぁ……」

 

短距離は脚質的にほぼ無理だが、マイルだったらなんとか……。と頭の中で何かを模索しようとしている自分に気がついて「いやいやいやいや!」と首を勢いよく横に振った。一体なにを考えようとしてたんだ私は。そんなナイスネイチャを見て南坂は何かを察したのか柔らかく微笑み、ツインターボは何も分からなかったのか「?」と呆けた表情を浮かべている。

 

 

「ええ。なので今日はバンブーさんを含め、短距離路線のGⅠ級ウマ娘達の走りをジックリと観察させて貰いましょう。いずれお二人も、この距離のGⅠレースに出走する事があるかもしれませんしね」

 

「GⅠレースかぁ……出られる、ようになるのかなぁ? 今のままじゃあ今年の菊花賞にも出走できるかどうか怪しいんですよ、ネイチャさんは」

 

「なる! 安心しろネイチャ、なんてったってターボが付いてるからな!!」

 

「ふんす!」と、ツインターボは自信満々に胸を張った。どういうロジックなのか全く分からないが、彼女はナイスネイチャがGⅠ級のウマ娘に成長することを欠片も疑っていないようだ。その態度があまりにも堂々としていたからか、ナイスネイチャは思わず「ふふっ」と笑ってしまう。

 

 

「はいはい、どうもありがとうございまーす」

 

「おう! ……っていうか、ターボもGⅠ出たい! 出るもん!!」

 

「ええ、いずれ必ず。ですがまずネイチャさんは怪我を治し、ターボさんはレースに出て実績を積まなければいけません」

 

一歩ずつ着実に、正確に、それでいて彼女達らしく走り続けられるように。南坂は彼女達の願いを聞き届け、道を示し続ける。彼もまたツインターボ同様、彼女達がいずれGⅠレースに出走できるようになる事を欠片も疑ってはいなかった。

 

 



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至高の紅玉 5

 

 

「みんなー☆ テンション上げていこーぜー! ウェーイ!!」

 

「「「ウェーイ!!」」」

 

「ダメダメダメー! そんな小っちゃい声じゃテンションガタ落ち空気がマジぴえん!! もっともっとテンション爆上げでいこーぜー! ウェーイ!!!」

 

「「「ウェーイ!!!」」」

 

先ほどまでとはうって変わって、まるでフェス会場の如く陽気な雰囲気に包まれた東京レース場。バンブーメモリーによって作り出された空気を意図も容易く書き換えて己が物にしたのは、パドックで大笑しながら大手を振って観客達を煽っている彼女だ。

 

 

「今回も始まったな」

 

「ああ。毎度お馴染み、ダイタクヘリオス特有のレース前パフォーマンスだな」

 

いつもの様に観客席最前列に居座りながら「うんうん」と有識者の如く頷いているのは、こちらも最早お馴染みとなった男子大学生の二人組である。

 

 

「SNSサイト……。主にウマッターやウマトックを中心に若者向けのツイートや面白い動画を投稿して何度もバズってるだけあって、若年層からの人気は半端じゃない。ギャル系の娘に限らず、リア友もかなり多いって話しだ。レースで見せる彼女独特の逃げスタイル……通称『バカ逃げ』も色んな意味で見応えがあって人気がある」

 

「今回は10番人気だけど、レース事に行なわれてるこれはあくまでレースの‘勝者予想,であって、ウマ娘達個人の人気とは無関係だからな。走りに関しても、バカ逃げ(それだけ)しかやらないって訳じゃない。他に逃げウマ娘がいればハナを譲る事もあるし、先行策をする事も珍しくない。さて、今回はどうなることやら──ん?」

 

ふと視線を感じてターフの方を見ると、当の本人であるダイタクヘリオスと眼が合った。彼女の方が二人を「ジーッ……」っと見つめていたのだ。思わず「うぉっ!?」と変な叫び声を上げてしまう。

 

 

「へいへーい、そこのお兄さん達! 難しい話しはあとにして、今はあたしに力を分けてくれー!! ウェーイ!!」

 

「「うぇ、ウェーイ……?」」

 

「もうちょっとテンション上げてー! ウェーイ!!」

 

「「う、ウェーイ!!」」

 

「サンキューベリーマッチング! 今日も今日とて爆逃げかますんで、その調子で応援よろー!!」

 

ヘリオスは二人に言いたいことを言うだけ言って、パドックの外周を軽くスキップでもするかのように走り出した。レースを走るウマ娘にパドックでこうして直接話し掛けられた事は今まで一度も無かった為、暫く呆けたように口をポカンと開く二人。彼らの周囲の観客達が、ヘリオスから話し掛けられた二人を羨ましそうに見ている。

 

 

「……なんつーか、あれだな」

 

「ああ。人気が高い理由も、バカと言われている(ああいう評価)をされている訳も、十二分に分かるよ」

 

いつも陽気に溢れた笑顔と高いテンションで、観客を大いに盛り上げる。その生来の明るさからか、はたまた天性の才能か、普通のウマ娘達がライブで見せるそれとは少しばかり毛色が違うそれは、自分達のような陰のキャラ寄りの性格をしている人間ですら、容易に明るくしてしまうのだ。その愚直なまでの陽気さと行動力は、確かに愚者(バカ)にも見える。

 

──まさしく太陽(ヘリオス)。その名前に負けず劣らずの、太陽のように明るいウマ娘である。

 

 

「やっべ。俺今回バンブーメモリーが本命だったんだけど、ちょっと予想変えたくなってきちまった」

 

「分かる、分かるぞ! 出走するウマ娘から個人的に声かけられちゃうと、思わず応援したくなっちゃうよなぁ。前走前々走と最後はバ群に埋もれちゃってるけど実力は間違いなくあるし、あの逃げが上手く決まればもしかすると──」

 

ヘリオスの介入で、二人の会話に更な拍車が掛かろうとした──その時だった。

 

 

 

──シン──と、突如としてパドックの舞台が一瞬で静まりかえる。……何があったのかなど、そこを見ただけで分かった。

 

 

 

『さぁ! 最後に登場しましたのは今回の2番人気!!』

 

思わず息を呑むほどの美しさ。言葉を失うほどの華麗さ。

 

 

『前走、京王杯スプリングカップで既にバンブーメモリー選手らを破っている彼女ですが、今回のGⅠ安田記念で完全なる世代交代を告げる事が出来るか!!』

 

目を奪われるほどの凜々しさ。幻想と見紛うほどの愛らしさ。

 

 

『‘華麗なる一族,──ダイイチルビー!!』

 

その一族のウマ娘として相応しい様相で、至高の宝石がパドックへと姿を現わした。

 

 

 

 

「う、お、うおぉおおおお……っ!」

 

「ど、どうしたネイチャ! 眼が痛いのか!?」

 

その姿があまりにも眩しく映って、ナイスネイチャは思わず眼を手と腕で庇った。なんで彼女がそうなったのか全く分からなかったのか、隣にいたツインターボが心配そうに騒ぎ立てる。

 

 

『ここまで10戦4勝で、なんと掲示板外一度も無し! まさしく華麗なる一族に相応しい戦績を残している彼女ですが、今回のレースで初となるGⅠ勝利を収めることが出来るか!!』

 

場内にデカデカと響き渡るアナウンスなど気にもしていないかのように、ルビーは慣れた様子で観客達に向かって優雅に一礼する。

 

 

「きれい……」

 

と観客席で誰かが思わず呟いた。無論、容姿や勝負服だけの話しではない。褒めたたえるべき所は色々あるが、特に観客達の眼を惹いたのが──‘気品,だ。かのメジロ家のウマ娘でも、レース本番でここまで気品漂う振る舞いが出来る者など数える程もいるかどうか……。幼少の頃から礼儀作法について徹底的に教育されてきたと推測して間違いない。

 

 

「こりゃあ、すげぇな……」

 

「ああ……。凄い仕上がりだ。今までのレースの中で随一かもしれない」

 

大学生組二人も思わず驚嘆する。彼らが注目したのはその見た目や気品溢れる態度に見られる‘美しさ,ではなく、ウマ娘レース出走者としての仕上がりの方だ。まだまだずぶの素人だと自負している二人だがその観察眼はファンとしては結構な物で、なんとなしだがそのウマ娘の調子が分からん気がしないでもなかったりする。

 

 

 

(これで三人……)

 

関係者専用席で、ヤマニンゼファーは柴中と共についにパドックへと姿を現わしたルビーへ着目していた。柴中は「言っただろ? 今のあいつなら心配要らないってな」と自慢げな表情をしている。それには勿論大きく同意するゼファーだが、彼女は彼女でまた別のことを考えていた。

 

バンプーメモリー、ダイタクヘリオス、そしてダイイチルビー。……これはゼファー個人の感覚と推測から来るただの感想だが──

 

 

(……風を、変えた人達)

 

──彼女達三人がパドックに現われた瞬間‘風,が変わった。

 

メモリーの時は歴戦の戦士のような凄みを纏い、ヘリオスの時は陽気さに満ちあふれた物へと変わり、ルビーの時は思わず呆けてしまいそうになる程の美しさが‘風,に備わった。‘風,とは決して普遍の物などではないが、一時とはいえそれを制するには相応の‘力,がいる。

 

 

(凄い……!)

 

……であるならば、このレースは決して見逃せない。何故ならあの三人は持っている。今の自分に無い物を。自分が目指す夢のその先、そこへ辿り着くための鍵となり得る物を。

 

佳境となればいっそ、本当に瞬き一つしない覚悟で、ゼファーはこのレースを眼に焼き付けることを固く決意した。

 

 



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至高の紅玉 6

 

 

──華麗さとは、一昼夜で身にくような物では無い。

 

──華麗さとは、そうかくあるべしと言われて成せるような物では無い。

 

──華麗さとは、ただ言動が美しく在れば良いという物では無い。

 

 

華麗さとは──私自身である。

 

 

『さぁ! 全ウマ娘がゲートに収まって……。どうやら体勢が完了したようです!!』

 

 

ガシャコン──!

 

 

『スタートしました!!』

 

ゲートが開き、私は予定通り先行集団の一歩後ろを内に入って付いていく。順位としては丁度9番手辺り。下手に埋もれることなく、また、レース序盤のウマ娘達の出方を伺いやすい絶好の位置だ。……まぁ、一人伺うまでもないようなダイタクヘリオス(バカ)もいるには──

 

 

「ヤッホー、ルビっち! 今日のテンションはどう? 調子良い?」

 

「……!?」

 

『おおっと、今日のダイタクヘリオスは逃げではなく先行さ──い、いえ、違います! これは……!!』

 

いつもとなんら変わらない暢気な言葉と鬱陶しいノリで、ヘリオスは私に話し掛けてきました。──そう、差しウマ娘である(・・・・・・・・)私に話し掛けられる位置にいた(・・・・・・・・・・・・・・)。前から8番手……丁度、私の斜め外前辺りです。

 

 

 

『さ‘差し,です! ダイタクヘリオス、まさかまさかの後方待機策を選択しました!!』 

 

 

 

「は、はぁ!?」

 

「マジで言ってんの!? 予想外過ぎてウケるんですけどwwww」

 

「よく見てなかったけど、スタートに失敗でもしたってのか、あのバカ!?」

 

予想だにもしていなかったのか、会場に大きなどよめきが走る。

 

 

「……なぁ、スタートに失敗したように見えたか?」

 

「いや、そこまで悪くなかったと思う。6枠の13番だったけど、周りにスタートが滅茶苦茶良かった娘が何人もいたって訳でも無かったと思うんだが……?」

 

前に行こうと思えば普通に行けた筈だと、ウマ娘レースを深く知るファンは首を捻らせる。

 

 

「これは……」

 

「ちょ、ちょっと! ヘリオスさんって確かバ……逃げか先行でここまで結果を残してきたウマ娘じゃなかったっけ!?」

 

南坂は興味深そうに顎に手を当てて考えるようなポーズを取り、ナイスネイチャは感想を書く為に用意したメモ帳の紙を思わず握りつぶしてしまう。ツインターボは「えー!? ヘリオス大逃げやらないのぉ!?」と不満そうな顔でぶーぶー文句を言っていた。

 

 

「…………」

 

「へぇ……。そう来るか」

 

そんななか、理屈抜きで‘なんとなくだけどそうなってもおかしくないかも,と予想していたゼファーはさほど驚きもせずにレースに集中し続け、ヘリオスの意図と作戦を即座に看破した柴中は、面白そうに笑みを強めた。

 

 

「…………なるほど」

 

スタートに失敗した訳ではない。かといってやる気がなかったり、真面目に走る気がない訳でもない。そも、ヘリオス(このバカ)の性格と信条からいってそれはあり得ない。──とくれば、残る可能性は一つ。

 

 

『その後に続きますのはダイイチルビー! そしてそのダイイチルビーをマークするようにバンブーメモリーが中段のやや後ろ! その外を回りましてシャインダンサー、内を付きましてプリティキャットが迫ります!』

 

「貴方にしては考えましたね、ヘリオス」

 

当然、緻密に計算された作戦である。自分の斜め外後ろにピッタリとマークするように張り付いたバンブーメモリーさんがなによりの証拠だ。「へっへーん!」と得意げな表情をしているが、こいつがやろうとしている事は実際かなりエゲつない。

 

 

「この大一番でこういう事をやってくるとはねぇ。……あいつ、他の奴らと結託してルビー達を沈め殺す気だ」

 

 



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至高の紅玉 7

 

 

『さぁ、16人が第3コーナーをカーブ! 残り1000Mを通過!! ここで先頭はロードヒポグリフ! ロードヒポグリフが先頭!! 二番手にユキノインティ!! あとは一バ身半下がってマイスーパーレディが三番手!!』

 

「キャハハ☆ これがルビっち達が普段見てる景色かー! なーんか新鮮だなぁ!!」

 

「…………」

 

バ群後方に控えながら、私はあくまで俯瞰的に周囲の状況と位置関係を確認する。斜め外前方、私の動向を最低限窺える位置にヘリオス(バカ)。ほぼ真横で私の事を完璧にマークをしにかかっているのがメモリーさんとダンサーさん。私がこれ以上内に入れないように、すぐ斜め内後ろにいるのがプリティさん。

 

外にはまず出られない。仮にメモリーさんを上手いこと躱せたとしても、更に外にダンサーさんがいる……二重の防壁。かといってこれ以上内に入ろうとすれば、私よりも内にいるプリティさんが即座に反応して内に入らせまいとしてくるだろう。そうなれば私は、横一線で三人からしつこくマークされ続けることになる。それもこれも、あの(・・)ヘリオスがレース開始直後のタイミングであからさまに私を意識した位置取りをしてきた所為だ。あまりにも意図が分かりやすかったそれに、周囲のウマ娘達が総じて便乗してきた。

 

 

(ヘリオスを含め、15人中8人が京王杯に出走されてましたから、マークされる覚悟は当然していましたが……)

 

よもや、それをヘリオスが率先してやってくるとは。慢心しているつもりはなかったがどうせいつものように逃げか、やっても先行策だろうと高をくくっていたのは間違いなく、私は己の未熟さを恥じる。……それを実感させたのがよりにもよってヘリオスだというのは非常に腹が立つが、このままでは最後の直線で末脚が使えなくなってバ群に沈むこと必至だ。

 

 

(……どんな時でも華麗に。いかなる状況でも優雅に)

 

自分の根幹を思い出して、余裕を持った冷静な思考を心がける。……ここは間違いなく私の本領を発揮できる理想の位置ではあったのだが、こうなってしまったら話は別。──つまり。

 

 

(さーて、ルビっちの様子も十分見られたし、そろそろアゲる準備しとこっかなぁ!)

 

『3,4コーナー中間をカーブ! ダイタクヘリオスは中段から前方グループへと少しずつ位置を上げだした!! 逆にダイイチルビーは集団最後方辺りまで下がっていきます!!』

 

 

「そうだ、それで良い」

 

私の選択に対して、そんな声が観客席の方から聞こえた気がした。──その通り、焦る必要は無い。それは、華麗さとは無縁の物。心に余裕を持ち、落ち着き払って最善の行動を取り続ければ、自然と勝利への道筋は見えてくるのだから。

 

 

 

『さぁ第4コーナーを回って今直線コースを向きました! 先頭はロードヒポグリフとユキノインティ! 更にはノワールナルシストが続いています!!』

 

「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!!」」」

 

東京レース場に大歓声が沸く。GⅠレースにおける最後の直線コースではいつもの事なのだが、今回は少しばかり毛色が違った。──というのも。

 

 

「このまま最後の直線勝負になりそうだが……どう見る?」

 

「ほぼ集団一塊の団子状態だし、全員にチャンスはありそうだけど……でも、一番有力なのはやっぱ──」

 

 

「アハハハハハハ! テンション一気に急上昇──ってね!!」

 

 

『大外からダイタクヘリオス! ダイタクヘリオスが追い込んでくる!! 残り400を通過!!』

 

色んな意味で有名なギャルウマ娘──ダイタクヘリオスが、まさかの奇策を打ってきたのだ。大抵は逃げ、もしくは先行策で今までのレースを走ってきた彼女が後方待機策の差し。

 

 

「いくぜいくぜいくぜ、私はいくぜぇえええええい!!」

 

「こ、んのぉ……!」

 

『先頭はダイタクヘリオス! ここでダイタクヘリオスが先頭躍り出る!! ノワールナルシストとプラザレオが二番手か!』

 

故に最初こそ上手くいくのか疑問視する声は少なくなかったが、レースが進むにつれて、それは驚愕と歓声へ変わった。素人目にも分かるぐらい、完璧な走りだったのだ。3,4コーナー中間を通過した辺りで外から位置を上げ続け、第4コーナーをカーブする手前頃には差しウマ娘の誰もが羨むような絶好の位置に付いていた。

 

逆に──

 

 

『バンブーメモリーは! バンブーメモリーは伸びないか内のバ群の中!!』

 

(……くっそ、まんまとやられたっすね!!)

 

1番人気のバンブーメモリーは、ものの見事にバ群の中へと沈んでいた。こうなった原因は色々とあるが、一番大きな要因を挙げろと言われればやはりダイタクヘリオスだろう。3,4コーナー中間時点ではこんな事にはなっていなかったのだが、ヘリオスが早めに位置を上げた事に反応して他のウマ娘達も一気に動いた結果、第4コーナーをカーブする手前頃には進路がほぼほぼ塞がれてしまっていたのである。……なんの事はない。ヘリオスがバ群の中へ沈めに掛かったのは、彼女が日々執着しているダイイチルビーだけではなかったのだ。

 

──ダイタクヘリオス(あのバカ)がここまで意識して動くのだから、きっと狙いはダイイチルビーに違いない──そんな思い込みまで利用して、彼女はルビーとメモリーを含む何名もの差しないし追い込みウマ娘達を面白いように手玉に取った。

 

油断に慢心、気の緩みに怠惰……。これではどちらがバカだか分かりゃしない。

 

 

(何にせよ、小っ恥ずかしくて仕方ねぇっす……! ──けど!!)

 

そうだ、レースはまだ終わっていない。幸い、ずっと後方に待機していただけあって脚は十二分に溜っている。僅かでも進路が空けば十分チャンスはある筈だと信じ、バンブーメモリーは虎視眈々と前方を睨み付ける。

 

 

 

「凄い……。こんな大舞台で奇策を打って、しかもシッカリ決めちゃうなんて……」

 

ナイスネイチャは驚嘆の表情を浮かべる。ウマ娘が自分の脚質(スタイル)を変えるのはそう容易なことではない。ダイタクヘリオスは本来、典型的な逃げウマ娘なのだ。しかし今日は後方待機策の差し……。埋もれないよう位置取りに注意を払ったり、最後の直線コースに備えて脚を溜めたり、逸る気持ちを抑えつけたりと、いつもと違う事をしながら走らなければならない。

 

……筈なのだがそれがどうだ。走りも作戦もこれ以上ない位にバッチリと決まったではないか。実は差しにも適正があったと言われれば素直に信じてしまいそうになるほどだった。

 

 

「……一昼夜で物に出来るそれではありません。相当念密な鍛錬とイメージトレーニングの賜……と、言いたい所ですが、ヘリオスさんですからね。案外、ぶっつけ本番でやってみた──というパターンもありえるかもしれません」

 

「あ、あはは……。流石にそれは──」

 

「無い」と南坂の発言を否定しようとするが、たった二文字の言葉が口から出てこない。ネイチャ自身「……ありえるかも」と頭のどこかで思ってしまっているのだ。本当にそうなのか、あるいはそういった心情からくる油断こそがヘリオスの狙いだったのか。

 

 

「んー。難しい事は良く分かんないけど、ヘリオスはいつもみたいに大逃げした方が良いと思うぞ? ターボならそうするもん!!」

 

「……ええ、それはそうです。今回は上手く決まりましたが、僕も彼女本来の持ち味は、あの思わず注目してしまうような逃げにこそあると思います」

 

ニシシ! と笑うツインターボに南坂は同意した。笑いながら先頭を走り続けるその陽気極まりない様に惹かれたというファンも少なくないし、なにより彼女本人が楽しそうだ。

 

 

「……それに、上手くいったと判断するにはまだ早いですしね」

 

……果たして彼女は知っているのだろうか。前を塞がれる。バ群に囲まれる。そんなこと、後方待機策を取るウマ娘達にとっては日常茶飯事なのだということを。

 

 



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至高の紅玉 8

今更ですがバンブーメモリーの学年を勘違いしていたので後日修正を入れ……ようかとも思ったんですが、ヤエノにタメでオグリ達に先輩呼びの敬語って違和感があるのでちょっと考え中です。


 

 

『先頭はダイタクヘリオス! 先頭はダイタクヘリオス!!』

 

(オケまるオケまるー! たまにはトレぴっぴの言う事も素直に聞いてみるもんだねー。いつもウマ娘の耳に念仏とかマジありえないって事がよく分かった!!)

 

自分でやっておいてなんだがここまで上手くハマるとは思っていなくて、ダイタクヘリオスはその笑顔を更に強める。

 

──今回は‘差し,で行こう──

 

数週間前にトレーナーがそう進言してきた時はブーブー文句を言いまくったが、最終的には「いつもいつも自分の事を気に掛けてくれるトレーナーの言うことだから」と素直に了承を──。否である。トレーナーの事は凄く大切に思っているが、あのヘリオスがそれだけで脚質(スタイル)を変える事を了承する訳がなかった。例えこの一戦だけだとしてもだ。

 

それプラス「暫くルビーの隣で走れるぞ」という甘言と、言葉巧みに思考を誘導されて「面白そう!」というノリにさせられた結果がこれである。それでこうも上手くいくのだから、やっぱり自分のトレーナーは‘次世代の天才,って奴なんだろうなぁと、ヘリオスは思わず嬉しくなってしまった。

 

 

『いよいよ残り200を通過しようとしています!!』

 

(いける……いける!!)

 

あと少し。あと少しでGⅠ制覇に手が届く。そうすれば、そうなればきっと──!

 

 

 

──カッ──!

 

 

 

と、何かが後方で目映く光り輝いたような気がした。それが自分にとってあまりにも大切な物のような気がして、ヘリオスは思わず後ろを振り向いて後方を確認する──次の瞬間

 

 

──パァン──!!

 

 

というピストルの弾がハジけたような音と共に、集団最後方から愛しの彼女(ダイイチルビー)が、それこそ弾丸のような勢いでヘリオスに差し迫ってくる。

 

 

 

──領域(ゾーン)──

 

 

 

華麗なる紅玉 ダイイチルビー

 

 

 

「はぁあああああああああああああああ──!!」

 

『ここで大外からダイイチルビー! ダイイチルビーが凄まじい差し足で先頭目掛けて突っ込んできたぁああ!!』

 

 

──動きがあったのは、やはり第3.4コーナーに差し掛かったタイミング。ヘリオスが最後の直線コースに備えて自分の位置を上げ始めた時だ。ダイイチルビーはヘリオスとは逆に、自分の位置を大きく下げた。それこそ最後尾に至ってもおかしくない程に。

 

簡単な話である。仕掛けるにはタイミングが悪く、かといって位置を上げることも難しいのなら、一旦仕切り直せば良い。絡まれるのがダルい(執拗にマークされる)のなら、強引にでも無視すれば良いのだ(独りになれば良いのだ)

 

 

「……ハハッ」

 

残り600Mを切ったタイミングの後方大外周り(それ)、並大抵のウマ娘なら勢いを失ってそのままバ群後方へと沈みかねないが──彼女は到底、並大抵のウマ娘などではない。

 

 

「──アッハハハハハハハ!! さっっっすがルビっち!! 眩しすぎの尊すぎでマジマンジ!!!!」

 

『大外からダイイチルビー! ダイタク粘るダイタク粘る!! しかし大外からダイイチルビー目映いまでの末脚!!』

 

ならば上等。気分は上々。もはや彼女以外に敵はなく、ゴールまで残り100Mを切った。位置の関係上、後はいつも通り自分がバカみたいに逃げ切るか、彼女に華麗に差されるかの2択──

 

 

──バリン──

 

 

「──なに勘違いしてるんすか」

 

「……ひょ?」

 

「進路を塞がれる、バ群に囲まれる、そんなこと今までどれだけ経験してきたと思ってんすか」

 

思わず呆けたような声を出してしまうヘリオス。先ほどとは逆……大外のダイイチルビーと逆の内ラチ沿いから聞こえてきたその声は、聞こえてくる筈のない物の筈だ。そんなバカな、ありえない。だって彼女は直線コースに入ったタイミングで完全に進路を──!

 

 

『最内からはバンブーメモリー! バンブーメモリーがバ群を一点突破して先頭に差し迫ろうとしている!!』

 

「えちょ、ウソでしょデジマ!? あそっから抜け出てこれるって集中力ヤバすぎるっしょ!?」

 

「先輩を……あんま舐めるんじゃねぇっすよ、後輩!!」

 

全力で走った事による疲労により、レース最終盤に出来るそれ。自分の目の前横一線に並んでいたウマ娘達の列が乱れた一瞬の隙を付いて、怪物達に比肩するウマ娘が遂に真のバ脚を現わした。

 

 

──これで役者は揃った。

 

 

「──アッハハハハハハハハハハハ!! マジ超アガる! 最っっ高じゃん!!」

 

太陽か。

 

 

「──!!」

 

紅玉か。

 

 

「うぉらぁあああああああああああああああああああああああ!!」

 

記憶か。

 

 

 

……それがハッキリしたのは、残りあと50Mを切ってからだった。

 

 

 

『しかし、しかし! やはりダイイチルビーだ!! 大外から差し迫るダイイチルビーだ!! 先頭のダイタクヘリオスを捕らえた!!』

 

(……あーあ。ここまで上手く決まってもダメかぁ……)

 

やはり最後の直線勝負までに彼女に脚を十全に溜められると、例えどれだけ距離が開いていたとしてもキツい。自分の付け焼き刃程度でしかない差し足とは違う、まさしく惚れ惚れするような末脚だ。ホンの少し下がったテンションで、ヘリオスは自分の真横に並んだ──そのまま鮮やかに抜き去ろうとしているルビーを横目で見やる。

 

 

目映い宝石のような瞳。端正極まりない顔立ち。天然のシルクのような艶やかな肌。

 

 

「──あなたに差しが向いてない理由、お教えしましょうか?」

 

やはり何度見ても最高に綺麗だとヘリオスが思うより前に、一瞬だけ併走する形になったルビーが口を開いた。疲労しているからか頭はもちろん口もいつも上手く回らず、碌な反応を返すことが出来ない。

 

 

「──あなたは、太陽(ヘリオス)ですから。……要するに目立つのですよ」

 

圧倒的な存在感。数多ある星々の何倍も光り輝き、灼熱の火をその身に宿しながらありとあらゆる生き物を育む陽光を放つ、宙で一番目立つ天体──それ即ちヘリオス(太陽)

圧倒的な存在感。いつも陽気な笑顔を振りまき、滾る情熱をその身に宿しながら誰かを笑顔にする為に走る、中央トレセン学園でも特に目立つウマ娘──それ即ち太陽(ヘリオス)

 

そんな彼女が‘差し,をすれば、当然周囲を走る全員から注目される。自分のすぐ傍に光り輝く太陽があるのだ、なにをどうしたって気になって目で追ってしまう。何名かはそれで目を眩ませられるかもしれないが──。逆に言うと、彼女に慣れて(・・・)いるウマ娘には通用しない。そして作戦が通用しないのであれば、己の脚質と合わない走りをしたヘリオスの方が不利な事は明らかだ。

 

どうやったって‘目立つ,というのなら、いつも通りに逃げを打ってバカみたいに先頭をひた走り続ける方が、慢心も油断も誘えるだろう。

 

 

『ダイイチルビーだ! ダイイチルビーが先頭のダイタクヘリオスを差しきった!』

 

「ですが……そうですね」

 

ヘリオスを完全に抜き去る際のホンの一瞬。

 

 

「──楽しかったですわ。いつもとちょっとだけ違うあなたを、こうして見られた事ですしね」

 

 

年相応の微笑みを自分にだけ見せたルビーに、ヘリオスは今度こそ完全に呆けてしまった。

 

 

 

『そのまま1バ身以上にリードを広げて今ゴォォオオオオオルイン!!!! ダイイチルビーです!! 華麗な末脚でGⅠ初制覇となりました!!』

 

 

 



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至高の紅玉 9

 

 

「きれい……」

 

シン──と静まりかえった観客席で、誰かが思わず呟く。彼女が最初にパドックに現われた時と同様、あまりにも美しくて華麗な走りを魅せられた結果、誰も碌な言葉を発せなくなってしまったのだ。

 

 

「ふぅ……」

 

焦る事なく、勝利の余韻に浸る事も無く、彼女は実に麗しく息を整え始める。

 

……直線あと200を切ってから一気の末脚。まるで光を浴びた宝石のように、彼女は集団で固まっていたウマ娘達を一瞬で抜き去っていった。あまりにも鮮やかな走り。目を奪われるような煌めき。肌を滴り落ちる汗や、その息づかいすらも美く見える。……なんと華麗なウマ娘なのだろうか。『名は体を表わす』とは言うが、彼女こそまさしく──

 

 

「これが、チームステラの現エース……」

 

レースからは眼を放せなくなっていても、その華麗さに目を眩ませることはない南坂が観客全員を代表するように呟く。

 

 

「‘華麗なる一族,……ダイイチルビー」

 

 

 

『勝ったのはダイイチルビー! 着差以上の差を付けた、見事な勝利です!! 2着にはダイタクヘリオス! 3着争いはバンブーメモリーに軍配が上がっています!!』

 

「まーじか……」

 

観客席最前列にいた例の男子大学生二人は、唖然としたように口を開いた。

 

 

「……本来の脚質じゃない奇策だったとはいえ、作戦、位置取り、脚の溜め方と、ヘリオスの走りは完璧と言って良いぐらいに上手かった。初めてあいつの走りを見た奴が‘差しウマ娘なんだ,って勘違いしても不思議じゃないぐらいに」

 

「実際見ててビビったよな。ただ見てるだけの俺らでさえこれなんだから、実際に走ってたウマ娘達はさぞ驚いただろうさ」

 

自分という目立つ存在を逆手に取った奇策──有力な差しウマ娘達をつぶし合わせる為にワザワザ外を周って周囲を見張るように走り、各ウマ娘の足取りと位置取りを上手いこと誘導した。主な狙いはダイイチルビーとバンブーメモリー。互いに互いを警戒しあっていた有力候補同士だからこそ、突如として現われた想定外の差しウマ娘の存在は大いに計算を狂わせたことだろう。そして──

 

 

「直線コースに入る二歩手前で監視を止めて、自分だけ外から早めに位置を上げる……。連動して他のウマ娘達も何人か動くでしょうが、その方達こそが、本当にマークしたいウマ娘達にとっての壁になってくれる──と、こんな感じではないでしょうか」

 

南坂の分かりやすい解説を聞いて、ナイスネイチャは「ほへー……」と呆けたような声をあげる。驚嘆と感心の混じったそれだ。ツインターボは途中から理解が追いつかなくなってしまったのか、眼をグルグル回して椅子に座っていた。

 

 

「‘言うが容易く行なうは難し,と言いますが、まさしく今回のヘリオスさんの走りはそれに当たるかと」

 

コクリと頷く。自分の脚質(スタイル)とは違うやり方で勝負した事も勿論そうだが、彼女はその上で他のウマ娘達を己の走りで操るというトンでもなく高度なことをやってのけていた。並々ならぬ努力と練習の賜か、はたまた天性の直感と才能によるものかは分からないが、二つだけハッキリしている事がある。

 

一つは、今のネイチャでは逆立ちしても無理な芸当やってのけるだけの実力を持っているということ。典型的な差しウマ娘であるネイチャだが、じゃあ似たような事をやってくれと言われても絶対無理だと自信を持って(?)断言できる。もし自分がこのレースに参加していたとしても、ヘリオスの良いように振り回された予感しかしなかった。

 

そして二つ目が──

 

 

「──でも、それでも負けちゃった」

 

そんな完璧な走りを披露したダイタクヘリオスでも、最大外から一気の末脚という選択をしたダイイチルビーの力業に敗れ去ったということ。最終的な着差は1と1/4バ身……。快勝と言って差し支えない着差だ。

 

 

「脚質云々の事を考えないのであれば、ヘリオスさんの作戦がルビーさんに通じなかったというのが大きな要因でしょう。あとは単純に、ルビーさんの末脚が凄まじかったですね」

 

第3.4コーナーに差し掛かったタイミング──ヘリオスが加速して位置を上げたタイミングで、ルビーは逆にスピードを大きく落として最後列辺りまで位置を下げた。それでヘリオスを含む複数のウマ娘達からの監視対象から外れた訳だが、その際に位置を大外までズラす事で余計な妨害をほとんど受ける事なく、最後の直線で溜めた脚を存分に爆発させる事が出来たのだ。……無論、大外を回った上で最後尾の位置から先頭のウマ娘まで一気に抜きされるだけの自信が無ければ、選択できない方法だが。

 

 

「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」

 

「…………」

 

ダイイチルビーの華麗さに静まり返っていたレース場に、ようやっと大歓声が巻き起こる。……あれが、輝きの頂点。あれが、キラキラウマ娘達のいる場所。それをまざまざと目の当たりにしたナイスネイチャは、思わずといった風に呟く。

 

 

「……テイオーが、戦ってる所」

 

現在5戦5勝の皐月賞ウマ娘。数日後に行なわれる日本ダービーでも大いに期待されている、間違いなく同期№1の実力者である彼女の事を思い、ナイスネイチャは複雑そうな表情で右足をそっと撫でた。

 

 

 

「……で、なんだけどさ」

 

レースを最初から最後までシッカリと見届け、それなりに満足した表情で頷いた柴中は改めて自分の隣を見た。そこにいるのは当然、自分が連れて来たチーム‘ステラ,の新人ウマ娘であるヤマニンゼファーなのだが……。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁっ……はぁっ……」

 

「なんでそんなに疲労感たっぷりなんだ……? っていうか大丈夫か? 気分が悪いなら医務室に──」

 

何故だか知らないが、ゼファーは凄まじく疲れていた。レース序盤の頃はまだそんな感じはしなかったのだが、中盤に差し掛かった時には既に息が乱れ始め、終盤の勝負所に至ってはレースを走っているウマ娘達と大差無い程に大きく疲労していた。少し位ならまだ分からなくもないが、ただレースを観ているだけでここまで疲れる物なのだろうか。「い、いえ! 大丈夫です!!」とゼファーは額の汗を袖で拭い「よいしょ──っと!」というかけ声と共に全身に力を込めて立ち上がる。

 

 

「ふぅ……。すみません、あまりにも凄いレースだったのでつい集中して‘観,入っちゃって……。ご心配をおかけしました」

 

「……お前がそう言うなら大丈夫なんだろうけどさ、あんま無理すんなよ? レースが観たい気持ちは分かるけど、体調を崩してまで観るもんでもない。あとで録画したものをジックリ見りゃ良いんだから」

 

「あはは……。確かにそう、なんですけど」

 

気恥ずかしそうに頬をポリポリと掻くゼファー。確かにこれ以上体調が悪くなっていたら医務室に連れていって貰う予定だったのだが、久々に波長(・・)がピッタリと合った日なのだ。しかもGⅠレースの真っ最中に。ならばこそ多少の無茶をしてでも、このレースは最後まで見ておきたかった。魂で感じ取れる物や、得られる経験値が普段とは桁違いなのだから。

 

 

「……これが、GⅠレースなんですね」

 

あまりハッキリとしないゼファーの様子を勘ぐった柴中が怪訝そうな顔をして来たため、自然な話題を振って注意を逸らす。トレーナーとして担当ウマ娘の質問に答える義務がある柴中は、それに反応せざるを得ない。

 

 

「ああ。中央で行なわれているトゥインクルシリーズのレース……その最高峰だ。芝にダート、それから障害と、短距離マイル中距離長距離、それから各レース場のコースを含めてまぁ色々とあるんだが、共通しているのは‘その時代における最強候補のウマ娘だけが出走できること,そして、勝利したウマ娘はURAが所有するウマ娘名鑑に掲載されて‘未来永劫称えられること,さ」

 

全国各地から集いに集った超エリートウマ娘達。その時代を象徴するウマ娘達の頂点を決める一戦こそが、何を隠そうこのGⅠレースだ。出走できるだけでとても栄誉ある事であり、また、夢を叶える権利を自力でもぎ取った実力者である事を意味する。

 

 

「……けど、そっち(・・・)にはあんま興味無いか? そういう顔してる」

 

柴中は改めてゼファーの瞳をジッ──と見た。その優しく爽やかな瞳の奥底に、燃えたぎるような闘志と希望があるのを確かに見た。

 

 

「……分かっちゃいますか?」

 

「当然」と自慢げに返して、柴中は今度こそゼファーが話したい話題を口にする。

 

 

「強かっただろ、全員。観てるだけで分かるぐらいに」

 

「──はい、とても」

 

「……はやくあそこに行きたいか?」

 

「──ええ、凄く」

 

ターフを吹き荒ぶ風を通してこんな遠くの席まで伝わってきた、世代最強格のウマ娘達の燃えたぎるような熱意。どんな壁でも粉砕してしまいそうなほど堅い信念。数多の夢を抱えたまま、どこまでもどこまでも飛んでいけそうな──風と共に走る彼女達の姿を見てしまったら、もうどうしようもなく走りたくて走りたくて仕方がなくなってしまった。それを聞いた柴中は「そっか」と再び満足そうに頷く。

 

 

「だったら、この夏が勝負だぞ」

 

まずは基礎となる身体造りから。つい最近まで休養寮にいただけあって、ゼファーは他のウマ娘達と比べてトレーニングに打ち込めていた時間が圧倒的に少ない。それだけでも大きなハンデなのに、肝心の異常体質は未だ完治に至っていないと来た。当然だが、このままではGⅠ級のウマ娘達には到底及ばない。

 

これからのレースでゼファーが勝利をもぎ取る為には、夏の間に身体を一線級のそれに仕上げる必要がある。異常体質の治療と並行しながらだ。……そうでなくては間に合わない。なにせ、柴中は今年の年末にはもう、彼女をルビーと共にGⅠレースの舞台へ送り込む腹づもりなのだから。

 

 

「はい! 私、一生懸命全力で頑張ります!!!」

 

笑顔で明るく、力強く宣言して、ゼファーはそのまま憧れの舞台であるターフの方を見る。レースが終わったそこでは観客からの歓声と拍手を一身に受けて光り輝く、至高の宝石の姿があった。

 

 



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至高の紅玉 10

 

 

「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」」」

 

「……ふぅ」

 

応援してくれた観客達の歓声に応えるべく、私はウィナーズサークルへと向かう。無論、焦らず騒がず落ち着いた表情と雰囲気でだ。

 

──どんな時でも華麗に。いかなる状況でも優雅に。当然、それはレースで勝利した時も例外ではない。最高格であるGⅠの舞台では初となる戴冠だが、だからこそ、誰よりも華麗な私の姿を皆様へ存分にお目に掛けなくては。……そう決意して、ゆっくりウィナーズサークルへ向けて歩き出そうとしたのですが──

 

 

「ぴぇええええええええん!! お嬢に差されたぁあああああああああ!! もう笑ってられないぃいいいいいいいいいい!!」

 

「…………」

 

私の前方数メートルで待ち構えるようにむせび泣いているヘリオス(バカ)を発見してしまい、私の表情は一瞬で苦々しい物へと変わってしまいました。これが実際に悔しくてむせび泣いているのでしたらまだ優雅に対応が出来るのですが、傍から見て分かる程あからさまな嘘泣きです。

 

 

「ぴぇええええええええん!!」

 

「うるっっっせぇ!!」……そう大声でツッコめたらどれだけ楽でしょうか。いっそ本当にいつも通りツッコんでやろうかと一瞬思ってしまいましたが、こんな夢の舞台でそんな事をしでかせば色んな意味で大変な事になるでしょう。少なくとも私の‘誰よりも華麗なウマ娘,という正当な評価は跡形も無く消え去ること間違いなしです。学園内では既に手遅れ感がありますが、本格的にヘリオス(このバカ)の保護者として扱われてしまうようになるかもしれません。そして当然、そんなのは真っ平ご免です。

 

 

(あのー……。大っ変恐縮なんすけど、ちょっとだけ待って貰えないっすかね)

 

なのでレースの時と同様に大外を回って全力でスルーしようと進路を変更したのですが、そこに待ったをかけた方がいました。つい先ほどまでレースで凌ぎを削りあっていた、バンブーメモリーさんです。……凄まじく嫌な予感を感じつつも(……なんでしょうか)と同じく小声で返します。

 

 

(いやその、ほんとマジで申し訳ないんすけど、ちょこっとだけで良いんでヘリオスに構ってやってくんないっすか?)

 

(嫌です)

 

一切の躊躇いなく即答しました。本当に一瞬で返答された為か(うっお即答……)という半ば呆れたような声を上げられてしまいますが、こればっかりは普通に嫌です。……断っておきますが、別に私はヘリオス自身が嫌いという訳ではありません。空気を読めるのに読まず、華麗や優雅とは程遠い頭脳をしていて、私服のセンスが悪い意味で独特で、常に私にダル絡みしてくる事を除けば、底抜けに明るい彼女の笑顔と性質は(私ほどではありませんが)とても光り輝いて見える時があります。それこそ、燦々と輝く太陽のように。

 

──で す が。それとこれとは話が別です。何万人もの観客の前で彼女に絡みに行けですって? そんなの私にとってはただの自殺行為です、間違いなく碌な事になりません。ヘリオスの基幹であるパリピなノリと、私の基幹である華麗さは最高に相性が悪いと言っても良い程なのですから。

 

 

(言い分は分かるっす。滅茶苦茶分かるっす。寧ろ個人的には「迷惑掛けてんじゃねぇっすよ!!」──ってあいつに言ってやりたいぐらいなんで)

 

(……? でしたら何故──)

 

バンブーメモリーさんは苦々しい様な困ったような表情を浮かべながら、三箇所に指を向けました。

 

 

「…………」

 

一つはバンブーメモリーさんと同じく、先ほどまでレースを走っていたウマ娘の皆さん達。皆一様に「まーた始まった」とか「早く収束付けてくれないかなぁ」という視線を「私に」向けています。

 

 

「ヘリオスー! 大丈夫かー!?」

 

「大丈夫! きっと優しくて華麗などこかの誰かが手を取ってくれるわ!!」

 

一つは観客席の一部……具体的に言うと、ヘリオスのファンが集っていると思わしきエリア。ダイタクヘリオスというウマ娘に詳しくない方達がいる所と違い「どうせその場のノリだぞ☆」「つーかルビーに絡んで欲しいからでしょ?」とヘリオスの真意を普通に見抜いて、それで尚「ここでルビーが絡んできてくれたら面白い事になりそう」と考えて彼女を心配しているフリ(・・)をしている(傍迷惑な)方達。

 

そして最後の一つが、URA及び関係者各位の重鎮の皆様がいるVIP席だ。一体何を期待しているのか、ヘリオスの奇行に苦笑いを浮かべつつも何かを願うような視線で私の方を見ている。

 

いつの間にやら出来てしまっていた包囲網から醸し出される無言の圧力。なんとかならないかと必死になって頭を回転させますが「この空気を払拭する事は不可能」「速攻で話を終わらせるのが安パイ」という結論が出てしまい、私は「はぁぁあああー……」と大きな溜息を吐く。一体何故ハレあるGⅠレースの勝者である私が、レース終了後にこんな茶番劇に──

 

 

「いやいや、茶番劇は流石に酷すぎっしょ! ウチ割と本気でぴえん状態だったんですけど!?」

 

「──っ! へ、ヘリオス!?」

 

いつの間にこっちに向かって来ていたのか、というかいつの間に立ち上がっていたのか、私とメモリーさんのすぐ傍にヘリオスがいました。

 

 

「勝つ為にいつもはやんないことチャレってみて、自分でも信じられないぐらい上手くいって、でも最後の直線でルビッちとメモリーパイセンが鬼ヤバな追い込みしてきて……。今まででいっちばんアガッたレースだった!」

 

先ほどまでの涙(嘘)はどこへやら、ヘリオスは実にいつもの調子で私に話し掛けてきます。「やっぱり嘘泣きしてやがりましたわねこの野郎」という意図を込めた視線を送りますが「アハハハッ! そんなに見つめないでよルビっち~。テレちゃうじゃーん」とこんな感じで、全くもって効果がありません。

 

 

「それなのにルビっちってば完全にお嬢様モードで──‘オーッホッホッホ! これだから庶民ウマ娘は底が浅いのですわ!!,──って言わんばかりに大外から一瞬で抜いてっちゃうんだもん。そりゃ流石のウチでもぴえんするって」

 

「あなたが私……もとい、お嬢様や貴族階級に対してどんなイメージを持っているのかよーく分かりました。あ と で 覚 え て お き な さ い」

 

ヘリオスから語られた貴族階級についてのイメージがあまりにも現実とかけ離れていて、私は思わず頭を抱えます。一体なにからどう影響を受けたのかは知りませんが、今日日ここまでテンプレ的な意地の悪い台詞を吐く令嬢などそうそう存在しません。幼少期の頃から社交界と言う物を経験している私でも、一つ二つ思い当たることがあるかどうかといった位です。「アハハハハッ! 冗談ジョーダン!!」とヘリオスは軽い調子で言いますが、そのホンの軽い冗談で私のイメージが崩壊しかねないと言うことを理解して貰いたい……もとい、あとで必ず理解させてやります。

 

 

「──あのね、私も楽しかったし、嬉しかった」

 

不意に、分かる人にだけ分かる──所謂ガチトーン(?)とやらでヘリオスが喋りました。先ほどとはうって変わって、とても真摯な表情と真剣な口調です。

 

 

「…………」

 

「ルビっちと走る時はいつもそうなんだけどさ、今日はマジのマジ。ずっとこのまま走ってたいなって、本当にハートの底からそう思ったよ」

 

ウマ娘でなければ、そしてこの中央トレセン学園に入学しなければ、庶民も庶民の自分とは決して縁がなかっただろう彼女。美しく、麗しく、礼儀正しく、お淑やかで、そして華麗な、究極のお嬢様。いつも先頭をバカみたいにひた走る自分目掛けて、後方から勢いよくツッコんで来てくれるダイイチルビー(至高の紅玉)。今日はいつもとちょっと違う形になったが、彼女は相変わらず美しく鋭く麗しく走るよう心がけつつも、全身全霊を尽くして自分にぶつかってきてくれた。

 

 

‘あなたは太陽(ヘリオス)ですから。──要するに目立つのですよ,

 

 

そんな彼女が、あの場にいた誰よりも自分を見てくれていた。──たったそれだけの事実で、最高に嬉しくなってしまったのだ。

 

 

「……ヘリオス」

 

「でもでも! マジで悔しいのも超リアルなんで、次は必ずリベンジするからさ! 覚悟しといてよね!!」

 

誰に習ったのか「むん!」と鼻息を荒くして、挑戦的な笑みを浮かべるヘリオス。……このままでは終われない、終われるわけがない。彼女と並び評されるようなウマ娘になるには、どうしたって勝つ必要があるのだ。──誰よりも光り輝く、華麗で美麗な宝石のような彼女に。

 

 

「──できる物ならどうぞかかっておいでなさい、煩わしい太陽(ヘリオス)。何度でも何度でも、私手ずから敗北の苦汁を飲ませて差し上げましょう」

 

そうなる未来を欠片も疑っていないヘリオスに、ルビーは挑発的な台詞で返す。そう遠くない未来にあるだろう再戦を誓い合って、彼女達は足を揃えてウィナーズサークルへと──

 

 

「……いやちょっと待ちなさい。なんであなたまで付いてくるんですか」

 

「え? どうせ途中で「うぉおおおおお!」って感じで乱入して、どさくさに紛れて撮ったルビっちとのツーショット写真をSNSに乗せるつもりだったから良いかなって」

 

「良いわけないでしょうが!! あなた‘ウィナーズサークル,の意味を理解なさっていますか!? 折角これから‘見,のトレーニングに来て下さっているゼファーさんの方を向いて優雅かつ挑発的に微笑もうと「え、今日ゼっちゃん来てんの!? デジマ!? どこどこ!?」ああっもう! ちょっとは落ち着きなさいこのバカ!!」

 

結局いつもの様にギャーギャーギャーギャーとターフの上で騒ぎ立てる二人。まだ二人の事をよく知らない新規のファンはポカンを口を開けて、慣れ始めてきたファンは呆れたように苦笑して、二人をよく知る古参ファンや友人達は、その茶番を見て実に楽しそうに笑っていた。

 

 



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外伝・とあるトレーナー達の会談

 

 

 

「ええ……。はい、はい、分かりました。今年もよろしくお願いします。──では、失礼します」

 

柴中は実に礼儀正しい言葉遣いで、スマートフォンの通話を切った。教職員やトレーナー専用の食堂エリアだ。丁度昼食を摂っている最中だったのだが、いつもお世話になっている恩人からの各種確認の電話とあれば「すみません、またあとでかけ直します」と言うのも躊躇いがある。

 

「ふぅ……」と一息ついた後、改めて食後のコーヒーを飲もうとした時だった。

 

 

「お! 珍しい顔だな、そっちも昼飯か?」

 

「……沖野か」

 

まるで同僚に話し掛けるような気さくさで、割と独特な髪型をした一人の男が話しかけてきた。

 

──少数精鋭ながら凄まじい変人(実力者)が揃っている、チーム‘スピカ,のトレーナーである沖野だ。挨拶が済むやいなや、そのまま至極当然の様に相席される。それ自体に大した文句はないが、せめて一言断ってから座るのがマナーという物ではないだろうか。……仮に言ったところでまったく効果がないだろうから、ワザワザ口にするような事はしないが。

 

 

「あ、怪盗風ミートボールパスタのランチセットA。それから食後にプレミアムミニサンデーとエスプレッソで」

 

あらかじめ食べる物を決めていたのか、お冷やを配りに来たウェイトレスにパパッとそのまま注文をし済ませた沖野を見て、柴中は不思議そうに口を開く。

 

 

「意外だな、デザートまで頼むなんて。お前にしては羽振りが良いじゃないか」

 

一見してなんの変哲もない極普通の注文だったが、この沖野という男の昼食にしてはこれでもそこそこ豪勢な方である。中央のウマ娘トレーナー、それもGⅠ級の凄腕トレーナーとしてかなりの額を貰っている筈なのだが、彼は貰った給料の殆どをチームのウマ娘達の為に消費してしまうのだった。食事やおやつなどの食料品は勿論、最新の筋トレ道具やアンチドーピング検査済みの医薬品。バイクの専門雑誌やティーンズ向けのファッション誌などの書籍類や、果ては最新のセグウェイといった遊び目的でしかないような物まで。あくまで自分が出せる範囲だが、それはもう惜しげもなくポケットマネーを消費しまくっている。おかげで彼は中央所属のGⅠ級トレーナーにも関わらず、年がら年中すかんぴんなのだった。

 

 

「あ、それ聞く? 聞いちゃう??」

 

ニヨニヨと気色悪い笑顔を浮かべる沖野を見て、即座に「聞かなきゃ良かった」と後悔する柴中だが時既に遅し。沖野は鞄から折りたたまれたスポーツ新聞を取り出すと、まるで突きつけるように柴中の方に差し出した。

 

 

──‘新時代の帝 未だ無敗の‘トウカイテイオー,ダービーウマ娘はほぼ確実か?,──

 

 

「……なるほど」

 

得意げな笑顔とVサインで新聞の一面をデカデカと飾っている彼女の写真と、その見出しで全てを察した柴中。単純な話し、ウマ娘とそれに関連する物にしか興味がないような沖野の機嫌が良いのは、担当ウマ娘であるトウカイテイオーの調子が絶好調だからだろう。

 

 

「いやぁ、現状無敗で皐月を勝ったってだけでやれ二冠だ三冠だ言われても困るんだけどなぁ。マスコミ関係者達がどうしてもなぁ」

 

本当に困っている風にしたいのならせめて顔の緩みをどうにかしろ。──そう言ってやりたいのは山々なのだが、テーブルマナーと時と同じく殆ど効果がないどころか、逆に調子づかせる結果になってしまいかねないのでここでも黙っておいた。

 

 

(……こいつがトンでもないウマ娘なのは事実だしな)

 

「ニッシッシ!」という笑い声が今にも聞こえてきそうな、如何にも彼女らしいその写真と記事の内容を改めて見る。

 

‘トウカイテイオー,──今期最強と言われているウマ娘。去年の十二月にデビューし、なんと後続に4バ身もの差をつけての圧勝という強烈なデビュー戦を飾る。以後オープン戦を三連戦し、全て2バ身以上の差を付けての圧勝。そのままクラシックレースである‘皐月賞,に挑むも、これまた1バ身の差を付けて勝利し、今年の皐月賞ウマ娘となった。

 

その他者を圧倒する走りがかの皇帝‘シンボリルドルフ,のそれを思わせることから、史上二人目の‘無敗の三冠ウマ娘,の誕生を期待しているファンも多い。ニシノフラワーやマヤノトップガンなんかとはまた違ったタイプの‘天才,だ。

 

 

(こいつにとってはスペシャルウィーク以来の‘三冠を狙えるウマ娘,で、しかもこの前の春天はメジロマックイーンの圧勝劇……そりゃこうもなるか)

 

取り巻いていた状況が状況だったため自分にはあまり覚えが無いが、人並みの感性で言えば‘ハイ,になっていてもなんら不思議じゃないだろう。ぶっちゃけた話し、メジロマックイーンとトウカイテイオーが両方所属しているチームスピカこそ、今のトゥインクルシリーズで最強のチームと言っても過言では無いのだ。

 

 

「あいつらも俺も今が気合の入れ所とはいえ、毎日ホント大変でさぁ。偶には贅沢の一つもしなくちゃやってらんねぇってな」

 

目前に迫ったダービーに、一ヶ月後の宝塚記念。秋には菊花賞、それから秋天JC有馬記念の‘秋の三冠,。沖野がどういうローテーションで二人をレースに出してくるかは分からないが、少なくとも出走するレースでの最有力候補になることはまず間違いない。

 

 

(……ま、俺達にはほぼ関係無い話しだ)

 

‘短距離路線集中狙い,それに超特化させたチームであるステラは長距離に分類されるレースは勿論、中距離のレースにもほぼ参加しない。彼らが狙うのはマイル王決定戦の『安田記念』と『マイルチャンピオンシップ』それから年末の『スプリンターズ・ステークス』だ。本人の希望があるなら『宝塚記念』や『天皇賞・秋』にも出走するが、精々そのぐらいである。つまり仮にスピカの二人とかち合うとすればその中距離GⅠのどちらかなのだが……まぁほぼ無いと見て良いだろう。

 

 

「気合が入ってるのは良いことだけど、お前もウマ娘達も無茶はしないようにしろよ。調子の良い時は特に気をつけろ。怪我や故障もそうだけど、肝心な時に最悪なミスをすると目も当てられない事になるかもしれないぞ」

 

「分かってるって先輩(・・)。こう見えて俺達よりもずっとキャリアが長いアンタの助言だ、忘れないようにするさ」

 

割と真剣な忠言に対し嘗ての呼び方で返す沖野に、柴中は顔を「うわっ」っと言わんばかりに顰めた。最初から思っていたのだが、事実であるとはいえこいつから「先輩」呼びされるとどうにも怖気が走る。率直に言って気持ち悪い。年齢的に言えば沖野の方が年上なのがよりそう思わせるのだろうか。

 

 

「その呼び方止めろ気色悪いな……。俺はもう行く、腹ごなしがてらグラウンドで自主練してる奴らを見張っといてやらないと」

 

「えー? 折角こうしてタイミング良く出会ったんだから、久々に奢ってくれよせんぱ~い」

 

「‘次に奢る時はお前が驕んなくなったらだ,っつったろ? たかるならせめて積もり積もった借りを少しでも返してからにしてくれ。ただでさえお前には色々と貸しっぱなしなんだから」

 

そんなやりとりを最後に、柴中は席を立ってその場を後にする。

 

 

 

 

 

──数ヶ月後「だからあの時‘気をつけろ,っつっただろうが!!」と説教をする羽目になるとは夢にも思わずに。

 

 



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強化合宿編 1

 

 

「…………あの、少し良いですか? ラブリイさん」

 

「どうしタ、ゼファー。……顔色が良くないゾ」

 

ウマ娘、ヤマニンゼファーは寮の自室で相方であるシンコウラブリイに確認を取った。どんな時でもそよ風のように涼やかな表情をしている彼女にしては珍しい事に、戸惑いの表情を隠せず全身から冷や汗をダラダラと掻いている。目の前にある物がある物ゆえ、仕方がないかもしれないが。

 

 

「いえ、大丈夫です。……そんな事よりも、ですね? ──あの、それは一体……?」

 

「これカ?」とラブリイは手に持った長い棒状のそれを、器用に片手で振り回した。『大丈夫、当たることは無い』──そんな奇妙な確信があってなお、凄まじい戦慄がゼファーの全身を駆け巡る。姉達の喧嘩に半ば強引に割り込んだ時とはまた違ったタイプの物だ。

 

 

「‘クルージーン,……偉大なるケルトの大英雄である光の神子ガ使っていたとされる魔剣──の、レプリカダ。そのままだと私では使いこなせないかラ、神木の先に括り付け槍として使っていル。伝説の魔猪は流石にどうしようもないガ、普通の猪程度であれば私でも十二分に仕留められル。熊も……なんとかなるだろウ。この国の熊は山の神の使いというかラ、あまり殺めたくはないガ」

 

「ふんす」と鼻息を荒くして自慢げに言うラブリイだが、ゼファーは逆に頭を抱えたくなっていた。ツッコミ所があまりに多すぎて、なにから手を付ければ良いのか分からないのだ。

 

 

「安心しロ。ちゃんと銃刀法に違反しないギリギリの刃渡りダ。魔剣の加護を失うこと無くこの形に加工して貰うのは苦労したゾ」

 

違うそうじゃない。いやそれもそうだが、そういう問題ではない。そもそもラブリイは今回の‘これ,がなんなのか根本的に勘違いをしている。

 

 

「えーっとですね、ラブリイさん。私達が明日からやるのってなんだが分かってます?」

 

「夏期休暇と山岳地帯を利用した訓練(トレーニング)だろウ? この国では‘ヤマゴモリ,だったカ。古来より山は神秘を色濃く内包した聖地ダ。そこで生きるか死ぬかのサバイバルを数ヶ月続けることデ──」

 

「違います」

 

後々面倒臭い事にならないよう、バッサリと両断した。「え?」と鳩が豆鉄砲を食ったような表情になるラブリイ。確かに前半部分だけなら決して間違ってはいないのだが、後半部分があまりにも重すぎる。‘戦士の一族,であるラブリイが言うと全くシャレになっていない。

 

 

「これはそんなに重い物じゃありません。あくまでプロアスリートの方なんかがやる強化合宿の延長線上と考えて下さい」

 

そう、これはあくまで合宿。……毎年恒例、トレセン学園の生徒が行なっている夏期合宿だ。

 

 

 

 

 

『南アルプス』

 

正式名称を‘赤石山脈(あかいしさんみゃく),

 

長野、山梨、静岡の三県にまたがって連なる山脈の事だ。‘飛驒山脈(ひださんみゃく)(北アルプス),‘木曽山脈(きそさんみゃく)(中央アルプス),と共に『日本アルプス』と呼ばれることもある。

 

日本第二位の高峰である北岳を始め、山脈名の由来である赤石岳を筆頭に九つの山の3,000m峰があり、十の山が日本百名山に選定されている。飛騨山脈や木曽山脈と比べて比較的なだらかな山容の山が多く、土壌が良く発達していて森林や高山植物も豊富だ。

 

 

「──とまぁそんな訳で、今日からそこで待ちに待った夏期強化合宿をする訳なんだが……」

 

チームステラのトレーナーである柴中は、用意された大型バスの中心に立ってメンバーの様子を改めて見直してみる。

 

リーダーであるニホンピロウイナーはいつも通り無愛想で不敵な表情を浮かべていて、まとめ役であるアキツテイオーも大体同じ感じ。カレンチャン、ヒシアケボノ、ダイイチルビーは最後部の座席を贅沢に全て使い優雅に熟睡中。そしてヤマニンゼファーとニシノフラワーは──

 

 

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。山は恐ろしい場所だという事も、一瞬の油断や気の緩みが命取りになるという事も分かりますが、そう堅く身構える必要もありません」

 

「ほ、ほんとカ? 本当なんだナ!?」

 

「はい。ラブリイさんが熊や猪と鉢合わせるのを心配するのはよーく分かりますけど、彼らだってが私達が怖いんです。なにより日本アルプスはこの国でも有数の管理が行き届いている山岳地帯の一つですから、猟師さんも救急隊員もすぐに出動できるような場所に常在されていますしね」

 

出発前からガタガタと小刻みに震えていたシンコウラブリイのフォロー及び説得に励んでいる。……本当によくやってくれていると、心からそう思う。彼女と同室であるゼファーは殊更だ。なんでも昨日の夜から既にあの有様だったらしいのだから。

 

 

「何の武器も持たずに山に登るとか正気じゃなイ……! 日本人はこれだけ豊かな自然に囲まれているのに恐れという物を知らないのカ……!!」

 

──という事らしい。逆に聞きたいのだが、アイルランドもといケルトの民族は山に登る時は武器を常備しているのだろうか。

 

 

(本気で獣を恐れるのなら、武器を持つより獣に遭遇しないように務めるべきじゃない?)

 

ラブリイを除くチーム全員が似たような事を思い浮かべていたが、ここで下手なことを言うと戦士の一族である事に誇りを持っている彼女にとって侮辱と捕らえられかねないから空気を読んで黙っているのだった。

 

 

「何度も言うけど、確かに登山はするがそれがメインじゃないからな? 標高が高く酸素濃度が低い場所で運動をすることで身体の体幹の強化を計ったり、普段はしないトレーニングをして馴れやマンネリを解消したりするのが目的だ。自然と触れあう事で精神的なリフレッシュ効果を狙ってもいる」

 

「健康は勿論、美容にも凄く良いって学術的な論文も数え切れないぐらい出てますよね。‘美容登山,なんて女性向けの物までありますし」

 

近代では山中の整備が行き届いて登りやすくなった場所が増えただけではなく、山小屋やキャンプ地の設備も充実していていたり、初心者向けのコースが作られたりと、完全な初心者でも無理なく登山を楽しめる要素が増えた事も起因しているだろう。ロープウェイやケーブルカーが設置された場所も随分増えたと前に聞いた事がある。

 

 

「詳しいな。まぁお前達にやって貰うのは登山というよりは‘山を利用したトレーニング,だ。ゼファーとフラワーも言ってるけど、そう身構える事なんてないぞ?」

 

「そう、なのかもしれないガ……」

 

不安そうにそう言って、座席に座ったまま俯くシンコウラブリイを見て

 

 

(こりゃダメだな、このままじゃとてもまともなトレーニングになりそうにない)

 

そう判断した柴中は、当初の予定を変更する同意を得るべくニホンピロウイナーへ声を掛けに行くことにした。

 

 

「ウイナー、ちょっと良いか?」

 

「……なんだ」

 

「ラブリイの精神状態が予想以上に不安定だ。このまま予定通り登山をしたら不慮の事故が起きかねないから、一番最初に屋敷の方へ向かいたい。兎に角、少しでも落ち着いて貰わないと」

 

折角リフレッシュを兼ねている合宿なのに、このままではモロ逆効果だ。せめてあれ(・・)を見せて「ここなら大丈夫そうだな」と思って貰わなければ強化合宿どころの騒ぎではなくなるかもしれない。「……良いだろう」と、ウイナーは声を高らかにバスの運転手へ命じる。

 

 

「これより予定を変更する。目的地を登山道入り口近辺の駐車場から、我が居城の一つへ。それから爺に連絡してリラックスルームと酸素カプセルの用意をさせておけ」

 

「了解いたしました、ウイナー様(・・・・・)

 

即座に流暢な返事が返ってくる。学園が用意したバスとその運転手とはとても思えないほど丁寧な態度だ。(そりゃそうだろう)と柴中は思う。そもそもこのバスも運転手も、そして今から行くコテージも、全てニホンピロ財閥上層部の息が掛かった物……。要するにニホンピロウイナー個人が所有権を有したり、雇っている者達ばかりなのだから。

 

 



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強化合宿編 2

 

 

「…………うわぁ」

 

驚愕とも呆れとも感激ともつかないような感じの声がゼファーの口から漏れる。彼女の隣に立つニシノフラワーも「えっと……」と言葉に困ったような声が出ていた。先ほどまで明らかに精神的に不安定だったシンコウラブリイでさえも「お、おお…………」と只管に驚いている。

 

 

「……まぁ、そういう反応になるか」

 

もう何度も同じようなリアクションを見てきたのか、三人に次いでバスから降りたアキツテイオーがはやなんでもない事のように言った。彼女達の目の前にあるのは、文字通りの大豪邸だ。

 

トレセン学園にあるウイナー城のそれを遙かにしのぐ大きさもさることながら、広大で雄大な南アルプスの山々を背景としてそびえ立つその情景といい、隅々まで手入れが行き届いた外装や庭園といい、周囲のあちらこちらからセレブリティな感じが漂っている。そして極めつけが、豪邸を囲むように設置されているあれ(・・)だ。

 

 

「すっごいですよねぇ、陛下とその家族さん達って。この辺り一帯の土地を土地の管理及び地域への各種支援を条件に日本ジオパーク協議会から買い取って、山岳地帯を利用したトレーニングをする時に使う為の別荘をポンッと建てちゃったんですから」

 

「レース場を模した芝のターフ(・・・・・)まで設置しちゃうんだもんねぇ。ボーノも初めて来た時はスケールが大きすぎてビックリしちゃったよー」

 

トレセン学園のグラウンドにもある広大な芝のターフ。青々と生い茂る芝のコースに、まさかこの南アルプスの山岳地帯付近の地域でお目にかかるとは。

 

 

「我らの目的はあくまで‘走行能力の強化,なのだから、ただゆっくりと登山をするだけでは意味がない。走ってこそだ」

 

酸素濃度が低く、様々な能力が求められる山という場所で集中的にトレーニングを行なうのは良いが、別に登山家になるつもりもない。ウマ娘レース出走者としての各種能力の向上は、やはり走ってこそ効果が見込める。しかして当然ながら、登山道を全力で走る訳にはいかない。普通に他の登山客に対する迷惑行為だし、幾ら人よりも身体が丈夫なウマ娘とはいえ、険しい山道で行なうそれは大怪我に直結する。

 

 

「だから標高がある程度高い場所に、ウマ娘が全力で走っても問題ない場所を造る(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。……理屈としては分かるが、なんというか発想が常人のそれじゃないよなぁ。一体どれだけの金や人材が動いたんだか」

 

「やれやれ」とばかりに柴中は首を横に振った。初見でこの豪邸を見ても特に驚かなかったのは、柴中の知る中ではメジロ家の面々とダイイチルビーぐらいである。

 

 

「確かに一財閥としては少しばかり大きな規模の計画だったのでしょうが、そこまで派手なそれでもないかと。URAやトレセン学園にもトレーニング施設として貸し出すことを条件に助力を願ったそうですし、あくまで陛下とニホンピロ財閥はトレーニング施設を建設する計画を立案、主導した立場に過ぎないのでは?」

 

「そういう発言が冷静に出来るのは、お前の一族がウイナーもといニホンピロ財閥を凌ぐ権力と金を持ってるからだって事に気づいてくれリアル城持ち」

 

「あら、英国(本国)のスプレンディッド城の事を言ってらっしゃるのならとっくに所有権は破棄していますわよ? ただ書類名義上の主が私というだけですわ。そうしないと色々と面倒臭い事になりますから」

 

なんだか横で更にトンでもない会話が行なわれているような気がするが、意図的に聞かなかったことにする。最悪、自分の中にある物の価値観が大きく変わってしまいそうだった。

 

 

「さて、まずは手早く荷物を部屋に運んじゃってくれ。それぞれに用意された部屋があるからそこに──」

 

柴中の指示でテキパキと動き出していくチームステラのウマ娘達。一体どんな強化合宿になるのか全く想像が付かなくなってしまったゼファーは、取りあえずやれることを頑張ろうと決めてバスの荷台から率先して荷物を取り出し、他のメンバー達へ配り始める。

 

 

 

 

「よいしょっ……と」

 

最後に万が一のことを考えて持ってきた、救急箱や緊急時用の物品が入ったバックを部屋に置いて、ヤマニンゼファーはようやく一息を入れた。続いて荷物の整理をする前に、改めて用意された部屋を見渡してみる。

 

──広い。寮の部屋と比べて三倍以上はある。ベットもいつも使っている物より大きく、触り心地もふかふかで最高だった。ステンドグラスやカーテン、置いてある小物なども不快にならない程度に洒落ていて、所謂高級ホテルの一室を思わせる。小さな冷蔵庫入っていた高そうなドリンクは、どれでも飲み放題(しかも言えば補充してくれる)らしい。下手をせずとも、このまま観光ホテルとしてやっていけそうである。

 

 

「わぁ……!」

 

そしてなにより、ベランダからの眺めが最高だった。ゼファーに割り当てられた部屋が三階というのもあってか、雄大な南アルプスの山々をベランダから一望することが出来たのだ。風も最高に心地よかった。山に漂う色濃くて壮大な神秘の力が、そのまま風に乗って(ここ)まで伝わってくる感じがする。……やはり山は、高原は、自然は良い。普段はあまり感情の起伏が感じられない彼女(・・)も、なんとなくいつもより喜んでいるような気がした。

 

 

(こんなに良い所を合宿に使えるなんて、なんだかちょっと気が引けちゃうかも)

 

何かに若干の申し訳なさを感じてしまうゼファー。しかもこの施設、中央トレセン学園のレースチームなら予約をすれば誰でも格安で利用可能ではあるのだが、ニホンピロ財閥が所有物を有している為か、チームステラの面々は優先的に利用させて貰えているらしい。……まぁとはいえ‘毎年一番最初に施設を利用することが出来る,というだけらしいが。

 

 

「あ、ゼファーさん!」

 

そんな事を考えていると不意に横から声を掛けられて、少し驚きつつも真横を向くゼファー。声の主は、二つ隣の部屋のベランダから声を掛けてきたニシノフラワーである。

 

 

「フラワーさん」

 

「そっちはどうです? もう荷解き終わりました?」

 

「いいえ、まだまだこれからですよ。今ようやく荷物を全部運び終わった所なので」

 

毎日の着替えやいつもの運動用ジャージ。トレーニング用と登山用のシューズ二足と蹄鉄。更に‘歯ブラシや櫛などといった日用品は、合宿場の方で全て用意してくれている,と理解していつつ‘一応,と持ってきたゼファーだが、結果として予想以上に荷物が多くなってしまった。

 

 

「あの、もし良かったらお手伝いしましょうか? アキツさんと相部屋なんですけど、私達の荷物が少なかったのもあって、もう荷解きは殆ど終わっちゃって」

 

「んー……。折角ですけど、こちらは良いですかね。あ、でもお願い出来るならラブリイさんの様子を見てきてあげてくれませんか? トレーナーさんがリラクゼーションルームに連れていった筈なんですが……。やっぱり心配なので……」

 

バスの中で終始不安そうにオドオドしていたラブリイの様子を思い出す。いつも戦士のように堂々としている彼女が、何の準備も無く(あくまで彼女基準)山に入るというだけでここまで狼狽えるとは流石に思っていなかった。彼女の主義主張、言いたいことはよーく理解出来るのだが、流石に長槍(あんな物)を手にしたまま山岳地帯に赴くのは流石に許容出来ない。物理的に片手ないし両手が塞がるわけだから普通に危ないし。

 

 

(最悪、内緒であれを渡して落ち着かせるしかないかなぁ……?)

 

「あ、確かに心配ですね……。分かりました、すぐに様子を見てきます」

 

「私も荷解きが終わり次第向かいますね。ラブリイさんの分の荷解きまで私が勝手にする訳にはいきませんし、お昼ご飯には間に合うようにしないといけませんから」

 

トレーナーが付いている以上、大事には至っていない──そう思いつつも部屋の中に戻ったゼファーはいつもより手早く、中の荷物を次々とバックから取り出していく。

 

 

 

「ふぅ……」

 

最後にお茶を一口飲んで、シンコウラブリイはようやく納得がいったように頷いた。リラクゼーションルームの端……四人用の机と椅子、本棚と観葉植物だけが設置されている小さなエリアだ。リラクゼーションルームという名の通り、使用者が心を落ち着かせて十分にリラックスする事が出来るよう、心理学や風水学に基づいた建築設定になっていて、内装や室内に掛けられている音楽もそれに殉じている。

 

 

「──で、どうだ? まだ不安か?」

 

だが何より、トレーナーである柴中が様々な面から懇々と言葉を尽くして彼女を説得したというのが大きいだろう。精神の治療(メンタルケア)も立派なウマ娘トレーナーの仕事の一つであるからして当然の事ではあるが、やはりこれだけ早く快復したのは、中央トレセン学園屈指のトレーナーである柴中であってこそだ。

 

 

「いや、もう大丈夫ダ。……不甲斐ない姿を見せてしまっタ」

 

「どうってことないさ」

 

実際、理屈や状況を詳しく説明するだけでこうして落ち着いてくれたのだから、大した苦労はしていない。むしろ無駄に強がって不調を隠された方が面倒だ。アキツテイオーやカレンチャン、それからニシノフラワーなどはその傾向があるから、特に注意しなければならない。逆に大丈夫そうだと見ているのが、ヤマニンゼファーとヒシアケボノである。ダイイチルビーとニホンピロウイナーは、それぞれ別の意味で‘例外,枠だ。

 

 

「……特定の周波数を出して獣を遠ざけるホイッスルに金属鈴、空気銃、そしてハバネロを用いた撃退スプレー……。対獣用の武具がこういう形に進化していたとはナ……」

 

「知らなかったか?」

 

「そういう物があると知ってはいたガ、一般に普及しているような物ではないと思っていタ。あとはやはり具体的な使い方が分からなかっタ」

 

ラブリイは机の上に並べられた対野生動物用のグッズの数々を見渡す。数も種類も豊富で、効果や用途も色々ある。対獣用の武具だけではない。氷点下-30度まで快適に過ごせる万能寝袋や、標高がどんなに高く、いかなる天候下でも使用できるコンパクトな衛星情報管理型のVRMAP機器。果ては緊急時用の高性能電波発信器まで。大自然や獣の恐ろしさという物を身に染みてよく分かっているラブリイだからこそ、それの有用性は嫌というほど理解出来た。確かにこんな物がごく一般的に普及しているのならば、登山という物のハードルは誰でも気軽に行える程度のそれになってしまうだろう。

 

 

「日本は少しでも‘役に立ちそう,と思った物は何でも開発、販売するヤバイ国だと聞いてはいたガ……。誰でも大自然の驚異に抗えるような道具まで取りそろえられるとハ」

 

多少大袈裟な言い方だが、ラブリイは半ば本気で感心している。『自然と共に生きる』……聞こえは良いが、それを安全に成し遂げるのがどれほど難しい事なのかを、彼女は本当によく分かっているのだ。

 

 

「つっても、まだまだ万全には程遠い。台風や地震みたいな大災害クラスは未だ危機感を持って備えるぐらいしか出来てないし、百人単位で人が死ぬこともある。山や海みたいな自然の驚異が原因で命を落としたって事故も毎年ゴロゴロある。運が悪かったケースも勿論あるけど、自然を舐め腐った行為や行動が原因ってケースも決して少なくないんだ」

 

慢心と油断が引き起こす危険な行為。気の緩みによる一瞬の隙。そういう物が原因で素人は勿論、その道うん十年というプロの沢師やライフセイバーが意図も容易く命を失う。幾ら道具や知識を備えて予防していようが、自然という大いなるそれにとっては人間もウマ娘も至極矮小な存在にすぎない。

 

 

「だからこそ、ここぞって時は自然の恐ろしさをよーく知っているお前がみんなをフォローしてやってほしい。油断や慢心をするような面子じゃないとは思ってるけど、それでも何があるか分からないからな」

 

「……………………」

 

「頼りにしてるぞ、ラブリイ」

 

故に、柴中は最後にそう言って締めくくった。トレーナーである彼は、当然の様に見抜いている。『こんなに便利で素晴らしい物があるのなら、一体自分は何の為に技術や知識を命がけで磨いてきたのだろう』というラブリイのほの暗い感情を。

 

 

「……了解しタ。任せておくが良い、トレーナー」

 

信のおける人物からの願いとあれば、もはや怯えている場合ではないと、戦士としての側面を取り戻したラブリイは精神に蔓延った恐れを打ち払って気合を入れ直す。

 

 



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強化合宿編 3

ダイイチルビーの実装はパーマーのシナリオから覚悟していましたが、ミラクルまで来るとは聞いてません。(ミラクルもオリジナルウマ娘として出す予定だった人)
幸い、私がイメージしていたミラクルのキャラと大分似通っていたので軽傷ですが……。少しプロットの見直しを行なわなければ。


 

 

「……とは言ったのだガ、これ本当に私の出番などないのでハ?」

 

ニホンピロ財閥が運営する宿泊施設に着いた日の翌日。3000m級の山してはほぼ完全と言って良いぐらいに整備された山道を見て、シンコウラブリイは感心したような、でもどこか寂しそうな声を出した。

 

──仙丈ヶ岳(せんじょうがだけ)──そのなだらかで女性的な山容から「南アルプスの女王」とも呼ばれている山だ。日本百名山、花の百名山、新・花の百名山など様々な場所で名山として登録されているその山は、初級レベルの登山者でも登りやすい山としても有名である。北沢峠から小仙丈尾根を登る稜線ルート……要するに今チームステラの面々が登っているルートなのだが──

 

 

「あ! 見て下さいトレーナーさん!! 信濃撫子(シナノナデシコ)ですよ!! 花言葉は──」

 

「純愛、無邪気、快活、だろ? こういうのもなんだが、お前にピッタリの花だと思うよ」

 

「そ、そうですか? えへへ……。ありがとうございます! ならトレーナーさんは当薬竜胆(トウヤクリンドウ)*1。陛下は石楠花(シャクナゲ)*2辺りですかね? 生憎シャクナゲの花はもう時期を過ぎてしまっていますけど……」

 

 

「ふぅ……。私の求める華麗さ、美しさとは少々毛色が違いますが流石は日本のアルプス、実に素晴らしい景色ですわね」

 

「同感だ。これでルートさえ選べば人間でも日帰りが余裕なのだから、人気があるのも納得だな。それはそうとゼファー。身体の調子は大丈夫か?」

 

「はい、全然大丈夫です! 登山なんて本当に久しぶりで、子供の頃に無理なく行けるトレッキングコースを歩いて以来でしたから少し不安だったんですけど……。風は気持ちいいし、景色も最高で、調子も凄く良いですよ!!」

 

「ふふっ。基礎体力が身体の根本から付き始めている証拠ですわ。我々は長距離のレースは走りませんが、それでも丈夫な身体とスタミナがあるに越したことはありませんもの」

 

「ええ。でも、まだまだこれからです! もっともっと頑張ります!!」

 

 

「──えっと、ここをこうしてっと……。うん、これでよし!」

 

「カレンチャン、ウマッターの更新してるの? それとも写真?」

 

「ふっふーん! 勿論そっちも後でやりますけど、今はこっちです!! 登山者ご用達のコミュニティサイト‘ウマレコード,通称‘ウマレコ,!」

 

「んん? もしかして新しいSNSアプリ?」

 

「はい! お兄ちゃんが計画を立ててる時に使ってるのを見てカレンもスマホに入れてみたんですけど、かなり凄いですよこれ。山の最新情報が見れるのも勿論ですけど、凄く簡単に登山の計画が立てられたり、記録が作れたり、歴戦の登山家さん達のアドバイスもリアルタイムで受けられるんですよ。今回はみんな事前に出したから使いませんでしたけど、登山届けだって簡単に出せちゃうんです!!」

 

「ボーノ! それは凄いねぇ。ボーノは所謂‘登山クッキング,っていうのをライブ配信でやってみたかったんだけど今回は人数も多いし、あんまり場所を取るような事をすると他の人達に迷惑かなって諦めちゃったんだ……」

 

「あ、それ色んな意味で懸命かもしれません。アケボノさんの言った事も勿論あるんですけど、それ以上に私達みたいなカワイイウマ娘が公共の場で配信をすると、リアルタイムで人が集まって来かねないので……」

 

「あー……。ここは南アルプスだしそう簡単に集まってこない──って断言は出来ないかも。カレンチャン、本当凄い人気だもんね。初心者向けとはいえ山の中だし、止めておいて正解だったかな」

 

 

──とまぁこんな感じで、登山中にも関わらずチーム内で気軽に会話が行なわれている。南アルプス関連の登山書籍を見れば、ほぼ間違いなく「初心者にお勧め」のルートとして紹介されているだけあって、3000m級の山にしてはなだらかで落ち着いた道が多いというのも起因しているだろう。そも、人間でも7時間半程度で往復が出来ると言われているのだ。ウマ娘の力と体力に換算した場合は言うまでも無い。

 

天候は快晴で現状全く問題なし。落石及びその他アクシデントも無く、ラブリイ個人が一番懸念していた獣の襲来も無い。熊は勿論、猿や猪の気配も感じられない。精々が数㎞先の崖にニホンジカがいるのを視認出来るぐらいである。なんとも、出発前に想像していたそれより何十倍も平和な登山ではないか。

 

 

(これが日本の……否、現代の一般的な‘登山,カ)

 

「どうした、女戦士よ。随分と隔靴掻痒(かっかそうよう)な面持ちだが」

 

「! ……陛下」

 

敬愛するウマ娘でありチームリーダーでもあるウイナーから話し掛けられて、ラブリイは即座に姿勢を正す。

 

 

「登山道の入り口でも言ったが、楽にして良い。折角の壮大で雄大な景色なのだ。貴様のその在り方は決して嫌いではないが、堅苦しい振る舞いをするべき時でもなかろう」

 

「……恐れ入りまス」

 

「大凡、貴様が想像していた‘登山,とは毛色も難易度も。何もかもが違っていて困惑している──といった具合か」

 

当然の様にズバリと言い当てられた。心情を完全に見透かされていて、より複雑な心境となったラブリイは何も言えずに目を伏せる。

 

 

「当然だ。貴様がこれまでやって来たそれは‘山籠り,。……今の日本だと修験道に属する坊主や、極地へ至ろうとする一部の格闘家ぐらいしかやっていない物なのだからな」

 

厳しい大自然の中に己を置き、その息吹を一身に浴びながら修行と生活を行ない続けるそれ。変わりやすい天候に予定を左右され、ウマ娘にも劣らない力を持つ獣達に備えながら、身も心も強くしていく厳しくも効果的な修行方。

 

……だがそのあまりの厳しさと古めかしいやり方から、現代で行えば時代錯誤というレッテルを張られかねない物でもある。‘山,という存在の解析及び分析が科学的に進み、人の手で管理、踏み入ることの出来る領域が増えたというのも大きいだろう。

 

誇り高きケルトの戦士として小さな頃から過酷な環境での修行を積んできたシンコウラブリイというウマ娘にとって、この登山というレジャー(・・・・・・・・・)はあまりにも衝撃的な物であった。

 

 

「……時代遅れ、なのでしょうカ」

 

風が吹けば消えてしまうほど小さな声でラブリイは呟いた。山籠りだけではない。剣や槍(当然刃は抜いてある)を用いた決闘にも近い戦闘訓練や、服と靴以外何も持たない状態で行なう森林でのサバイバル訓練、毒のある動植物をワザと食して身体に耐性を付ける毒食訓練など、ラブリイが本国であるアイルランドで行なってきたそれは一般的な感性から言って、いずれも古めかしい物ばかりだった。

 

‘古くさい,‘効率的じゃない,‘危険なだけだ,。……今まで散々言われてきた言葉だ。部族外の人間やウマ娘は勿論、部族内の者達すらも、ラブリイの古い伝統に則った修行法を奇異な物を見る眼で見ていた。銃の扱いが得意な軍人志望だというウマ娘に‘戦士なんて概念すら、もう時代遅れだわ,と言われた事もある。事実、秒間何十発という数の弾を撃てるガトリングガンや、マッハ10以上の速度で空を飛ぶ戦闘機の前では、如何に強靱なウマ娘の戦士と言えど手も足も出ない。

 

どんなに強大な敵とも戦う者こそを‘戦士,と言うのであれば、全く歯が立たず一方的に敗れるだけのそれに、果たして価値はあるのだろうか。

 

 

「知ったことか」

 

そんなラブリイの苦悩を、皇帝たるウイナーはたった一言で一蹴した。

 

 

「時代遅れだ何だとはいうが、そいつらも貴様も実際に命がけで戦い、争ったことは無いのだろう? ならば結果も何も出ていないのと変わらん。レースで言えばまだ誰もゴール板を駆け抜けていない状況だ。貴様をよく知らん者達の下バ評如きで調子を落とすな」

 

「──!!」

 

「それと、先も言ったがもう少し力を抜いて楽にしろ。これは‘訓練,ではなく、あくまで‘トレーニング,の一貫。貴様の言う通り、レジャーとしての側面もあるのだから」

 

この世は結果が全てでは無いが、結果が伴えばそこまでの過程に意義が生まれる。意義は納得を生み、人々を引き寄せる。──まだ肝心の「結果」が伴っていないのであれば、過剰に一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しい。

 

 

「──力を持って結果で示せ。戦いでも、レースでもな。貴様はそういう‘戦士,の筈だ」

 

「…………はい!」

 

僅かなりとも気概と調子を取り戻したラブリイを見て、自分にしてはそこそこ良い助言が出来たのではないかとどこか満足げなウイナー。確かに彼女は「弱者」の心やその思考回路をあまり理解出来ないが……。逆に「強者」の心や思考は、何も考えずとも理解出来る性質の持ち主でもあったのだ。

 

 

*1
正義感、的確。

*2
威厳、荘厳。



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強化合宿編 4

毎度毎度の事ですが、当作品の閲覧ならびに誤字報告等、誠にありがとうございます。
一周年を迎えました「ソウル・オブ・ゼファー」を、これからもどうぞよろしくお願いします。


 

 

 

「えっと、これは燃えるゴミだからこっち……。これは、不燃かな? こっちだよね」

 

ポイポイと、ヤマニンゼファーはポリ袋にパンパンに詰まったゴミを手早く分別していく。山頂まであともう少しといった所に建てられている山小屋の外だ。

 

チームステラの面々は、何もただ登山を楽しんでいたという訳では無い。ルートの各所にあった目立つゴミや落とし物とおぼしき物などを拾い集めたり、登山者にとって危ない伸び方をしている樹木の枝を折ったり、人間では重機を使わないと困難な落石を比較的安全な場所へ退けながら進んでいたのだ。

 

ゼファーと同じくゴミの分別作業をしているのは、アキツテイオーとシンコウラブリイの二人。トレーナーの柴中とチームリーダーであるウイナーは山小屋の主人へ挨拶をすませた後、今後の予定について再度話し合い。ニシノフラワーとヒシアケボノは台所を借りて昼食の準備に取りかかっている。そしてカレンチャンとダイイチルビーは──

 

 

「──それで、差し出がましいんですが、ご感想はどうでしょうか……?」

 

「……そうですね、太陽光発電に清潔感のある水洗トイレ。少しでも疲れが取れるようこだわり抜いた寝具に各種登山グッズの予備と、確かに登山者のことを第一に考えた設計をされていると思います。内装も決して悪くはありませんが、部屋のレイアウトと置物の位置が多少気になりますわ。私はコパノリッキーさんほど風水に詳しい訳ではありませんが、多少は心得がありますのでご協力出来れば幸いです」

 

「んー。カレンはやっぱりもうちょっと可愛らしさを出した方が良いと思うなー。もちろん折角の山小屋の雰囲気を壊すような物はダメですけど、優雅さや清潔感だけじゃなくて、ちょっとした可愛さもここを使う人にとっての癒やしになると思うんです。例えば──」

 

二人の大ファンだという山小屋の主人たっての頼みで、最近改装したばかりらしい山小屋について感想を述べている。二人から聞いた感想と意見を元に、更なる改良を加えたいという話しだった。小屋の中から聞こえてくる三人会話を意図せず盗み聞きするような形になったが、なんとも本格的なアドバイスになっているじゃないか。「ルビーさんって風水についても詳しかったんですね」と思わず口から感想が漏れる。

 

 

「ん? ああ、それか。奴曰く『それがどんなジャンルでも‘成功者で居続ける者’は大抵、神仏や風水を大切にしているものですわ』という事らしい」

 

割かし大きな戦車のラジコンを「誰が持ち込んだんだこんな物……」と首を傾げながら分解していたアキツが答えてくれた。ああなるほど。と、即座に納得がいってゼファーは頷く。

 

 

「要は努力と一緒ですよね。全力でやっても勝者になれるとは限らないけど、勝った人は大抵が死に物狂いで努力してらっしゃいますから」

 

「当然の理屈ではあるナ。大地、海、空……この星や、果ては宇宙。そしてそれを司る神を崇め奉らず尊びもしない者は、余程の才や宿痾の持ち主でもなければ勝ち上がることは出来ないだろウ。日本やアイルランドだけではなく、ほぼ全ての国で共通している認識だと思うガ」

 

同意するようにラブリイが続く。古より続く伝統や言い伝えを重視している傾向があるラブリイにとって、大自然や神々の話しはかなり食いつきが良い物らしい。

 

 

「そういえば私、アイルランド神話ってあまりよく知らないんですけど……。具体的にどんな神様がいらっしゃるんですか? もしよければ特に風神様の話しを──」

 

「やはり大英雄として朱槍を持つ‘クランの猛犬’と、その師である‘影の国の女王’。我が先祖が仕えていた‘愛多き女王’に、‘神バ「エポナ」’の知名度が群を抜いているが、無論それだけではなイ。猛犬の父である太陽神ルーや、叔父である‘豪快で快活なる戦士’。サイクルは違うが、ケルト最強の騎士団とされるフィオナ騎士団の偉大なる騎士達と、数え切れないほど沢山の英霊がいル。それと、もちろんアイルランド神話にも最高神のダグザを筆頭に約三百柱もの神々が出てくるが、どちらかといえば‘妖精’や‘精霊’の方がメインの話しだナ。有名な風神だと‘アオス・シ’という女神ガ──」

 

ゼファーが質問を言い終えるより早く、滝のような勢いで喋り出したラブリイ。清廉な顔立ちはそのままに、彼女は誰が見ても分かる程に眼をキラキラ輝かせている。普段の戦士然とした態度とその見た目からして、クラスメイト達とあまり話さないし、何かを聞かれるような事も少ないのだろう。ちょっと内に入ってみれば意外と気さくで、感情豊かなウマ娘だと理解出来るのに勿体ないなぁ……。と、ゼファーは思った。

 

 

「別に話すのは構わんが、作業する手を止めるなよ? 昼食の時間までに最低でも半分は片付けておかなくてはな」

 

「了解しましタ。それでだな────」

 

忠告への頷きも一瞬で終わらせ、なにやらスイッチが入ってしまったらしいラブリイは再び勢いよく喋り始める。──少しは元気になったみたいでよかった──ワザとそうなりそうな話題を振ったゼファーの心持ちは、彼女と風にしか分からなかった。

 

 



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強化合宿編 5

 

 

 

「──つーわけで昼食を食い終わったら、食器洗いとゴミの分別をし終わり次第出発だ。急かすつもりは全く無いけど、出来るなら急いだ方が良いかもな。確か、あと一時間ちょっとで小学生のボーイ・ガールスカウト達が山小屋(ここ)を使う予定になってるらしいから」

 

仙丈ヶ岳山頂近辺にある山小屋で早めの昼食を摂りながら、チームステラの面々に今後の予定を話す柴中。「食べながらで構わないから聞いてくれ」と言っていたが、やはりトレーナーのする話しとあって既に話しを聞き終えているウイナー以外は時折スプーンを動かす手が止まってしまっていた。

 

 

「それで無事山道入り口まで下山したらバスが待っていてくれている筈だから、それに乗ってトレーニング施設まで帰る。お前らも無事に帰ったら支度を済ませた奴から風呂に入ってくれ。リュックや荷物の整理は後で構わない」

 

「……よもやとは思うがトレーナー。まさか今日の訓練はそれで終いカ?」

 

中々に不満そうな表情でラブリイが言う。無論、柴中も彼女が言わんとするところは分かっている。──単純に足りない(・・・・)のだ。

 

普通の人間基準であれば3000m級の山に登ったら例えどれだけ楽なルートを選んだとしても、下山する頃には疲労困憊の状態になっているだろう。ピンピンしていられるのは山を知り尽くした一流の登山家か、地獄の訓練を受けた自衛隊などのレンジャー部隊ぐらいだ。

 

……が、ウマ娘は違う。彼女達は人間を遙かに超越する膂力と体力の持ち主だ。ウマ娘レースなどで持てる全力を尽くして運動した時は話が別だが、人間基準で‘キツい,運動をさせても殆どが涼しげな顔をしている。ウマ娘基準で‘キツい,訓練とは、人間にとって‘どう足掻いても無理,レベルのそれになるのだ。具体的に言うと、50トンはあるかという超大型ダンプカーのタイヤを縄で括り付けて砂浜で曳いたり、バイクや車と何時間も併走(当然だが人間基準のスピードでは無い)し続けたり、神社お寺などの石段を兎跳び(積量搭載)で何回も上ったり……。

 

あくまで中央トレセン学園のウマ娘がするトレーニング基準だが、そのレベルのトレーニングをしてようやく彼女達は『キツい、でも身体が鍛えられている』と感じる生き物なのである。走るスピードこそ大きく劣るが、それ以外のほぼ全てのフィジカル面で普通のウマ娘を上回る北海道特有の‘ばんえいウマ娘,などは更に顕著だ。今回の登山も‘山,という土地でさえなければ、運動量その物は彼女達にとっては『大した事ないかな』程度のそれでしかない。

 

 

「す、凄いですねラブリイさん……。だけじゃなくて皆さんも。まだまだ余裕が有り余ってそうで……」

 

「──! あ、いや待テ。……その、なんダ。別にお前が付いてこられていないとカ、足手纏いになっているとカ、そういう事を言いたいのでハ……」

 

「……ふふっ。すみません、大丈夫ですよ。私もそういう意味で言ったんじゃありませんから」

 

(ちょっと言い方が不味かったかな?)と誤解を与えたことに内心反省しつつ、ゼファーはフラワーとアケボノ特製のスパイスカレーを頬張る。──やはり辛い、だがとても美味しい。数十種類のスパイスの香りが鼻腔をこれでもかとくすぐり、複雑かつ大胆で奥深い味わいが波のように舌に押し寄せてくる。この短時間でこれ程までのカレーを作れるのだから、やはり二人の調理スキルは図抜けていると言って良いだろう。

 

 

「いえ、流石にあの時間でこの味と香りのカレーを一から作るのは流石に難しいです。……あ、お水のお代わりお注ぎしますね?」

 

「この山小屋の名物がすっごくボーノなスパイスカレーでね? 調合された特製スパイスや、下処理し終わった材料を分けて貰ったんだー! おかげで色々楽できちゃった!!」

 

「なるほど、そういう事でしたか」

 

二人が謙虚にそう言うので無難に話しを合わせるが、今日初めて使うだろう他人の手で調合されたスパイスの持ち味を遺憾なく発揮させられている辺り、やはり二人の腕は相当な物ではないだろうか。特にヒシアケボノはトレセン学園を卒業後、調理師専門学校に通って本格的に料理人の道を進むのではないかともっぱらの噂だった。

 

 

「話を戻すけど、残念ながらラブリイの言う通り、今日のトレーニングはそれで終いだ。夕食を摂った後は自由時間だけど、就寝時間になったら早めに寝て明日に備えるように」

 

故に、施設に戻ったら何か追加でトレーニングがある筈だと考えていたラブリイは、本格的に眉を潜めだした。‘登山,ではなく‘山籠り,を修行としてこれまで行なってきたラブリイにとって、ここまでのそれは‘トレーニング,と言うより‘レジャー,であるという認識の方が強かったというのもある。

 

 

「トレーナーがそう言うのであれば従うガ……。自由時間に追加でトレーニングをしても構わんのだろウ?」

 

だからこそ、彼女は足りないと感じる分を自由時間を用いた自主トレーニングで補おうとしたのだが──

 

 

「ああ、良いぞ。──お前にその元気が残ってたらな(・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

「…………?」

 

「ゼファー、ラブリイ、フラワーの三人以外は前にもやったからもう分かってると思うけど……」

 

意味深な言葉を放つ柴中に、ゼファー、ラブリイ、フラワーの三人が脳裏に「?」マークを浮かべ、逆にアキツ、ルビー、カレンチャン、ヒシアケボノの四名は「ゲ」と言いたげに顔を顰めだした。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよお兄ちゃん! カレン、去年やった時に「もうやりたくなーい!」って言ったじゃない!!」

 

「……個人的に中々意地が悪いトレーニングだと思うぞ、あれは。……陛下と貴様がやると決めたのであれば従うが」

 

「……ダメですわね。何か緊急で行なうべき予定は無かったかと予定帳を見返してみましたが、何もありません。そもそも合宿に入る前にそういう事になりかねない雑務は殆ど片付けてしまっていましたわ」

 

「むむむ……。せめてみんな一緒だったら違うのになぁ……」

 

誰から見ても明らかな程に様子がおかしい。四人の言の葉を統合して考えるに、何かあの四人のメンタルをもってすら‘キツい,‘やりたくない,と思うような「何か」があるようだった。

 

 

「……直球にお聞きしますけど、一体何をするおつもりなんです?」

 

置いてきぼりになりつつある三人を代表してゼファーが聞く。

 

 

「──なんの事は無い、ただレースをするだけだ。……少々特殊なルールを用いはするがな」

 

既に自分の食事を終えて、優雅にコーヒーを嗜んでいるウイナーが柴中の代わりに答えた。

 

 

「レース……ですか?」

 

「そ、レース。あと俺は一言も皆でバスに乗って帰るとは言って無いぞ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……!」

 

「バスに乗って帰るのは俺だけだ」

 

ゼファーは一番最初に柴中が言った言葉を思い出す。

 

『無事山道入り口まで下山したらバスが待っていてくれている筈だから、それに乗ってトレーニング施設まで帰る』

 

……確かに柴中は‘皆で,とは言ってなかった。──そしてアキツたち四人の言の葉から推察するに……。

 

 

「レースで勝負をして、一定以下の順位になった人は施設まで走って帰る……とかでしょうか?」

 

「中々に良い考察だが違う。惜しいな、花姫よ」

 

(あ、違うんだ)

 

フラワーと似たような事を想像していたゼファーだが、どうやら違ったようだ。だがレースに使えそうな道など、この近辺にある訳が──

 

 

「施設まで走って帰るのは柴中以外の全員だ(・・・・・・・)。具体的に言うと──」

 

ウイナーと柴中の話を詳しく聞いている内にゼファーたち三人も、下山後にやろうとしている事がかなりハードな物だと理解し始める。二人の説明を簡略的に纏めるとこうだ。

 

 

「一」 下山後、ウマ娘専用レーンがある道に出てから施設までの道路を使ってレースを行なう。

 

「二」 最終的なゴール地点は施設で確定しているが、走る道は全員バラバラな物を使う。

 

「三」 休憩は各自の判断で自由にして構わない。ただし、スマートフォンやその他電子機器などの使用は禁ずる。(連絡の取り合いやSNS、位置情報探索機能などを用いた相手の位置の把握を防止や、その他便利機能の使用を防止する為)※ただし、何か緊急事態が発生した場合は例外とする。

 

「四」 結果下位三名は、明日の早朝トレーニングに用いる道具の準備を行なう。

 

 

要するに帰り道を利用した長距離走トレーニングで、それ自体は珍しくも何とも無いのだが、ルール「二」と「三」がかなりキツい。全員バラバラの道を使って帰ると言うことはつまり──

 

 

「競い合うべき相手が見えない(・・・・)。数十キロにわたる長距離を独りで走り抜かなければならない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

みんなは今どの辺りを走っている? 今自分の順位はどの位なんだ? 果たして休憩している時間はあるのか?

 

長距離を走るのも相手と競い合うのもよくあるトレーニングだが、それらに『相手の位置が全く把握出来ない』という要素を組み合わせることで、逃げや先行策を取るウマ娘がよく陥る思考にも似ているそれを簡易的に再現しつつ、各々の精神力、判断力、そして総合力を鍛え上げるトレーニング。

 

 

「……なるほど、想像するだにキツそうですね」

 

ゴクリ──と、フラワーは思わず唾を飲んだ。なんの変哲もないただのマラソンに‘競争,という要素を追加しただけの物……。それだけでかなり精神的にクるトレーニングと化しているのが分かる。肉体的疲労、精神的疲労だけではなく、脳の疲労も顕著な物となるだろう。『長距離レースは総合力の勝負だ』とは歴戦のトレーナーである六平(むさか)の弁だが、それを直に体感する事が出来るトレーニングというわけだ。

 

 

「確かに我らが狙うのは2000m以下のレースだが、だからといって体力(スタミナ)や総合力の強化を疎かにして良い訳が無い。むしろスプリント・マイルに特化しているからこそ、こういう時に普段はやらないトレーニングをしなくては」

 

「別に毎年してるって訳じゃないけどな。恒常化するとマンネリ化して、お前達に対策立てられたりするかもしれないし。あと一昨年の合宿は孤島でやったからそもそも出来なかったし」

 

ウイナーと柴中の説得で諦めが付いた(納得がいった)のか、アキツテイオー以外の三人は浅く溜息を付いた。……どうやら彼女達は去年のそれで散々精神的に参ってしまっていたらしい。

 

 

「……まぁ、確かにお二方の言う事の方が正しいですわ。仕方ありませんね。華麗なる一族として、せめて下位三名には入らないようにしませんと」

 

「‘マラソンは自分との勝負,ってよく聞くしカッコいいとも思うけど、やっぱりボーノはマラソンはみんなで一緒に走りたいなぁ……。‘そういう所が弱さに繋がりかねないから治してね?,って事なのかもしれないけど……」

 

「カレンはどっちかっていうと、後でウマッターで呟く時に写真が添付出来ないって方がアレなんですけどね。あとその時の臨場感だとか、直向きに頑張るカレンの可愛さをすぐに伝えられないのが……。ねぇねぇお兄ちゃん、お兄ちゃんが危惧しているような使い方は絶対にしないから、写真だけでも撮らせて? おねがーい♪」

 

「諦めろ。トレーナーはまだ兎も角、陛下と私が認めん。平等性に欠けるからな。精々貴様の記憶力と総合力、それから文章力に期待しておけ」

 

四人が帰りの事を考えて覚悟を決めた表情をしだしたのに対し、シンコウラブリイはようやっとその笑みを愉快そうな物へと変える。柴中の説明に存分に納得がいったらしかった。

 

 

「要するに山を下りてからが本番と言う事カ……!」

 

自然と触れ合う事である種のリラックス効果を得るというのも決して嘘ではないだろうが、ほどほどに体力を消耗させつつ、土地勘が無い自分達をなるべく施設から遠くの方に行かせる事がこの登山の真の目的なのだろう。これならば立派に‘トレーニング,と言える物になりそうだと、シンコウラブリイは今日一番楽しそうに笑う。

 

 



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強化合宿編 6

丁度キリの良いところまで話が進まなかったので、本日は2話投稿となります。

そしてアンケートへのご協力、本当にありがとうございます。少しでも読みやすく、皆様に面白いと思って頂ける作品になるよう、今後も尽力させて頂きます。


 

 

「よいしょ──っと!」

 

グッグッ──と、身体に溜った疲労を揉み消すように、ゼファーは入念にストレッチをする。仙丈ヶ岳への登山を思う存分楽しみ、ウマ娘専用レーンがある道まで下山した後だ。ウイナーを筆頭に他のステラのメンバーも登山用のシューズからマラソン用のシューズに履き替えたり、ゼファーと同様にストレッチをしたりと準備に余念がない。

 

これから行なわれるのは孤独な競い合い(レース)。視認する事ができない相手との戦い(レース)だ。

 

 

「ウマウォッチ配るぞー。あとウイナーとアキツはハンデとして斤量ジャケットも装備するように」

 

トレーナーである柴中が一人一つずつ腕時計型情報処理端末、通称‘ウマウォッチ’を手渡していく。少し弄ってみると使える機能に制限が掛かっていて、ナビアプリ以外は使用する事が出来ないようにされていた。本来はスマートフォン等と同じく多種多様な機能が搭載された物なのだが、今回はナビアプリ以外の機能を使う必要が無い。全員が手首にウマウォッチを装着し終えたのを見届けた後、柴中は改めて今回のルールを説明しだす。

 

 

「それぞれのナビに表示されたルートを通ってトレーニング施設まで帰るんだ。ペースはそれぞれに任せるし休憩も自由にして構わないけど、ただのマラソンじゃなくて‘競い合ってる’って事実は忘れないこと。それと、言うまでも無いけど道路交通法はキチンと守ってくれ。ウマ娘専用レーンとはいえ、公共道路を使わせてもらうんだからマナーも忘れずにな」

 

無言で頷く。トレセン学園周囲の道路を使ってマラソンをしていると‘走っているウマ娘’に慣れている人が圧倒的に多いためつい忘れてしまいがちだが、時速六〇キロを超える速度で走る事が出来るウマ娘は、少しの不注意や慢心で大事故を引き起こしかねない。善悪や原因がどちらにあるかはさておき、そもそも事故を起こさないことに越したことなど無いのだ。

 

 

「開始時刻は今から十分後で、制限時間はスタートしてから三時間。それまでにゴールできなかった奴はもれなく全員失格にするからそのつもりでな。もし何か緊急事態が発生した場合、ウマウォッチの連絡機能を使って俺に連絡を寄越してくれ」

 

柴中はそう言って、用意されたバスに一人乗り込んだ。「んじゃ、頑張れな」と座席の窓から軽く手を振って、彼を乗せたバスはそのまま道路を走って行く。残されたチームステラの面々は殆どが静かに最終チェックをしていて、いつも明くてアクティブな性格をしているカレンチャンやヒシアケボノですらいつもはやらない長距離のマラソンなだけあって気合が入っているのか、真剣な表情で準備を進めていた。

 

 

「──さて、ではもう間もなく競争が開始されるわけだが……」

 

そうして開始前三分を過ぎた辺りで、指定の位置に付いたウイナーが全員を見やって口を開く。彼女の言葉に‘皇帝,としてのそれが混ざったのを感じ取り、チーム全員が立ったまま姿勢を正して言の葉を拝聴する。

 

 

「最後に言っておく。それがどのような形であれ、大小様々な有利不利の要素があってなお、これは紛うことなく‘競争(レース)’だ」

 

「…………」

 

「であるならば‘勝ちに行け’無論、怪我や故障も‘しないようにしろ’。……もっとも、貴様らには言うまでもない事だったかもしれんがな」

 

全員の表情と気迫に及第点以上のそれを見いだして、ウイナーは安心したように微笑んだ。「──はい! 勿論です!!」と力強く宣言したゼファーに同調するように他の面々も強く頷いて、そのままそれぞれに指定された位置に着いた。──そして。

 

 

──ピーッ! と全員のウマウォッチからスタートの合図が鳴り響いたと同時、彼女達は各々のペースでマラソン(レース)を始める。

 

 



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外伝 約五ヶ月後の休養寮

 

 

「う゛ぉぇえええ……」

 

ダートコースに膝を突いて、過労からか吐き気を催しているそのウマ娘を見て、休養寮のジムトレーナーを担当している清瀬はつい五ヶ月ほど前に本校へと転校していったあいつ(・・・)を思い出し「はぁ……」と軽く溜息を付いた。彼女の‘先天的持久力発達障害,とは異なるがこの娘もまた、自身の体力にハンデがあるウマ娘である。

 

 

「たっく……。無理に自分の限界を超えた距離を走ろうとしない! 特に今は夏真っ盛りなんだよ? 定期的な水分とミネラルの補給を欠かさない! こんなこと、そこらの小学生でも知ってるスポーツ科学だからね!!」

 

同じくターフを使っている他のウマ娘達の邪魔にならない位置へ彼女を移動させて仰向けに寝かせると、まずは脈と体温それから呼吸を確認。それが終わったら冷やしたペットボトルを両脇と足の付け根に挟ませて排熱を促す。苦しくともゆっくり息をするよう、声で指示をするのも忘れない。彼女自身の体力も心配だが、それ以上に怪我や病気に直結しかねない要素をまず排除しなくては。

 

 

「す、すみません。ありがとうございます……」

 

寝っ転がったまま礼を言われるが、なんのことは無い。それこそあいつがいた時は似たような事を何十回何百回と言ってきたのだから今更である。清瀬は一つ一つの部位に対するコツ(・・)を口頭で説明しながら、実際に彼女の身体を解きほぐしていく。

 

 

「本気でそう思ってんならまず無茶をしない。次に自分の身体の事をよーく知っておきな。んで、最終的に体質を治してとっとと本校(向こう)に転校してくれれば最高だね」

 

「えへへ……」

 

ぶっきらぼうで強気な態度と口調。それが子供達の面倒を見る教師に向いている性格かどうかは分からないが、少なくとも休養寮のウマ娘はその殆どが清瀬の人柄とその隠しきれない善性を感じ取っている。最近は以前にも増して休養寮のウマ娘一人一人の病気や異常体質と向き合うようになったと、院長である遠藤もどこか誇らしげだった。

 

 

「──はい、これでどうだい?」

 

「信じられないぐらい軽くなりました。本当にありがとうございます!」

 

ブンブンと腕を回して回復に至ったことをアピールするそのウマ娘に、清瀬は半ば呆れたような表情で再度警告を促す。

 

 

「良いかい、はしゃぎ過ぎるんじゃないよ。どうしても負荷の掛かるトレーニングがしたいのなら、誰かと一緒にやりな」

 

「はい! ありがとうございました!!」

 

もう一度お礼を言い、タタタタッ──! と軽い足取りでターフの方へと戻っていくそのウマ娘を見て、清瀬はやはり数ヶ月前に本校へ転校していった彼女の事を思い出す。彼女もこういう風に何度も何度も自分に世話を焼かせてくれた物だ。それでいて何のこだわりだったのか、どんな形の物であれレースには参加しようとしなかった。勿論ちゃんとした理由があったのだが、清瀬はそれを知らない。

 

 

(……どうせ今も‘頑張って’るんだろうさ、あんたは)

 

どこか遠くの方をみやりながら想う。……きっと今頃は強化合宿の真っ最中だろう。どんなトレーニングをやらされているかは知らないが、それが何にせよ、彼女はいつも通りに‘頑張る’に違いない。……ちょっとした無茶をしてでも。いつか夢の先へと辿り着く事が出来るようになるまで。

 

 

「清瀬ジムトレーナー!!」

 

「今度は○○ちゃんがー!」

 

慌てたように自分を呼ぶ声がして、清瀬はそちらを振り向いた。こうも忙しくては少し黄昏れる暇も無い。「今行くから待ってな!!」そう大声で叫び返し、必要になりそうな物をバックから取り出すと、清瀬は駆け足で現場へ急行する。

 

 



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強化合宿編 7

 

 

「スッスッ、ハッハッ、スッスッ、ハッハッ」

 

胸や首周り、肩、お腹や脇腹の筋肉をゆっくり伸ばしながら、二回吸って二回吐く深呼吸を繰り返す。吸う時は鼻呼吸で、吐く時は口呼吸だ。呼吸と足の運び──所謂‘ランニングフォーム,を同じリズムにする事を意識しながら、ゼファーは高低差が激しい坂路を一定のペースで走っていた。

 

 

「……ふーっ」

 

一旦大きく息を吐いて、遠く坂の上の方を見やる。急勾配こそないものの、トレセン学園に人工的に造られた‘坂路’のそれと違ってトレーニングを前提として造られていないその道は、やはり普段のそれと比べて走りにくい。芝でも砂でもないアスファルト製の地面がガチガチに固く、踏み込みとフォームを違えれば瞬く間に体力を消耗してしまうというのも大きいだろう。

 

 

(……ひざ下が地面と垂直になるように着地する。路面に強く足をたたきつけるんじゃなくて、足裏全体でまっすぐ踏みこむようなイメージ──)

 

自分で学んだこと、授業で学んだこと、人から教えて貰ったこと。……本質的にマイラーの自分には不要である筈の、長距離を走り抜くコツ。それらを脳裏に思いだしながら、ゼファーは一歩、また一歩とゴールへの道を歩んでゆく。

 

 

「スッ、スッ、ハッ、ハアッ……」

 

……しかして、そろそろ限界も近い。これがいつものトレーニングならば『もっともっと!』と意気込んで走り続けるかもしれないが、今回のこれは競争(レース)だ。一度過労で倒れてしまえばそこから立て直すのにどれだけ時間が掛かるのかを、ゼファーはよーーーーく知っている。肝心の‘競争相手’がどこで何をしているか全く分からない故に当然不安はあるが──。

 

 

(……だからこそ、やらなくちゃいけないことは一つだよね)

 

‘ベストを尽くせるように頑張る’──結局のところ、このレースで自分が出来そうなことと言えばこれだけだ。改めてそう認識したゼファーは「スーッ……フーッ……」とランニングフォームと呼吸をそれぞれゆっくりとした物に変化させ、余裕を持って歩き始める。

 

 

 

 

「……残りはこれだけか」

 

少なくとも自己ベストは出せそうだと安堵したのか、アキツテイオーは一度大きく息を吐いた。ゼファーとは逆に、丁度坂を下っている真っ最中だ。自分の知識と記憶が正しいなら、あと一度坂路をクリアしてしまえばゴールまでもうすぐ(ウマ娘基準)である。

 

ウマウォッチに表示されたルートマップには、現在の時刻やゴールまでの距離などという便利な物は表示されない。仮に表示されてしまえば、それを基準にして効率的かつ効果的なペース配分がしやすくなってしまうからだ。

 

故に、これはアキツテイオーの経験と事前調査に基づいた物。ウイナーに次いでこの孤独なレースの経験者であるアキツテイオーは、この辺り周辺の地形と地図を頭の中に叩き込んであった。ナビがあるから道に迷うような事こそ無いが、現在位置とゴールがどの辺りなのかを把握出来ているのといないのでは雲泥の差が付くというものだろう。

 

 

「……ふぅ」

 

一気に煽るようなことはせず、クイッ、クイッ──とまるで酌に注がれた日本酒を飲むように一口ずつペットボトルに入った水を飲む。水分を補給するというより、身体に水分を染みこませるようなイメージだ。無論、そうしながらも歩く事は決して止めない。長距離のウォーキングやジョギングにも言える事だが、一度でも立ち止まってしまうと、再び動き出すのには肉体的にも精神的にも時間が掛かる。ただでさえ長距離は走り慣れていないのだから、常に一定以上の余裕をこそ持って望むべきだとアキツテイオーは考えている。

 

 

「──よし」

 

腰に括り付けられたホルダーにペットボトルを戻すと、アキツテイオーは水を飲んだ時と同じようにゆっくりと走るペースを早め始めた。

 

 

 

 

「──涼しい風が優しく吹き荒ぶ林道。小鳥達の美しいさえずり。荘厳な南アルプスの山々達。そしてなにより、世界中の誰よりも優雅で華麗なウマ娘であるこの私」

 

誰に聞かれても、誰に問われてもいないのに、ダイイチルビーは一人ペラペラと喋りだした。ゼファーやアキツとは違い、道端にあった自販機横のベンチに腰掛けながらだ。飲み物も支給されたただの水ではなく、自販機にあった味付きの天然水を自腹で購入している。

 

 

「今の私と周囲の景色を絵にすれば、きっとそれだけで数千万の価値が付くものになるでしょうね」

 

サラリと信じられないような事をいうルビー。今ここにタマモクロスなどがいれば痛烈なツッコミが炸裂すること請け合いだが、彼女は何も伊達や酔狂で今のような事を言った訳ではない。事実、彼女の曾祖母──華麗なる一族の‘起こり’であるウマ娘「マイリー」を描いた肖像画は、オークションでトンでもない値段が付けられたことがあるのだ。

 

『お金を出してでも欲しいという酔狂なファンもいるでしょう』と世界的に有名な画家に書いて貰った一枚を試しに出品してみただけの超レア物とあって、一流の富豪でもなければ購入する事が出来ない値段にまで釣り上がったその事件。マイリー自身は『迂闊でした』と己の浅慮を恥じていたが、世間的には『華麗なる一族』の名と立ち位置を世界に知らしめたトンでもオークションとして知られている。

 

ダイイチルビーが己を‘世界一華麗なウマ娘’と自称し続けるのも『‘華麗なる一族であ(己の立場)る事,を片時も忘れないため』というのが大きい。

 

 

「……それほどの光景を誰一人として視認することが出来ないというのは、やはり寂しい物ですわ」

 

思わずそう呟く。──寂しい。普段の彼女ならば決して言わないような台詞。ウイナー城内部かつチームステラの面々の前であれば似たような事は言うかもしれないが、それは例外なので考慮しない物とする。これは‘華麗なる一族たるもの~’とかそういう小難しい話しではなくただ単純に──

 

 

(万が一あのバカの耳に入ってしまった日には、一日通り越して二日三日と粘着されかねませんからね……)

 

‘それによって引き起こされるであろう未来を防止したいから’という物だった。

 

 

 

 

「‘試練’だよカレン……。去年同様、今回も可愛くなる為の‘試練’だと受け取るの……」

 

最近とある漫画にハマったどこぞの‘テイオー,が口にしているフレーズが今の状況にマッチしていたため、そのまま口に出してみる。結果としてどうなったという訳ではないが、とりあえず自分が口にすると例えどんな台詞だろうが可愛らしくなってしまうという事が分った。

 

 

「世の中はこんなにも沢山の‘可愛い,で溢れてるのに、素通りを余儀なくされるなんて──!」

 

なにを持って‘可愛い’とするかは人それぞれだろうが、先ほど通りすがった年期のある万屋にあった実にレトロチックな看板や、キャッキャキャッキャと川で遊んでいた(当然大人同伴)子供達。今ではなく山登りをしていた時だが、途中で出会った実に仲の良さそうな老夫婦など、少なくともカレンチャンのセンサーにビビッ! と来る物はそこら中にあった。

 

最初から‘可愛い’を目指して人の手で作られた物でなくとも、例え後付けされたそれであろうとも、カレンチャンには関係無い。皆等しく‘可愛い’である。

 

故に、それを半ば無視しなくてはならないこのレースは、カレンチャンというウマ娘にとって鬼門だ。スマホの写真機能を使えないのもそうだが、可愛い物を発見する度に一々足を止め続けていれば間違いなく最下位一直線だろう。懸命にベストを尽くしたと心から断言する事が出来るのであれば例え最下位でも、可愛くなくとも納得出来るが、もし可愛い物に目移りしてしまった事が原因でそうなったのであれば、カレンチャンは自分を許せなくなる。それはきっと、自分を含め様々な人達に対する裏切り行為だろうから。

 

 

「──うん。こんな時こそ、デジタルさんに教えて貰った‘アレ’を使うべき時だよね」

 

話し掛けに行くことも、写真を撮ることも、立ち止まる事さえ許されないというのならば、出来る事はたった一つ──即ち。

 

 

「脳内HDDに保存……脳内HDDに保存……」

 

それらの可愛さを、キチンとした媒体に記録出来るまで忘れないようシッカリと脳内に焼き付けることである。

 

 

 

 

「ボノボーノ! 応援ありがとー!!」

 

満面の笑みを浮かべながら、ヒシアケボノはこちらに対して手を振ってくれた小学生の集団に手を振り返した。学校行事の遠足か何かで、百何人という単位で歩いている子供たち全員にだ。仮にもレース中なため立ち止まったりするような事は出来ないが、ちょっとした休憩を兼ねてペースを大幅に緩める事は出来る。

 

 

「中央のウマ娘さんだって!」

 

「凄い、大きい……!」

 

「手! 今私に手振り返してくれたよ!!」

 

アケボノが着ているジャージから「中央のウマ娘」だと発覚した後はちょっとした騒ぎだった。一流のスポーツ選手に町中で偶然遭遇したかのような感じ……と言えば分かりやすいだろうか。視線も熱く、羨望や尊敬のそれが殆どを締めている。アケボノと同じウマ娘の子達からの反応は特に凄まじかった。正しくスーパースターの一人であるかのように見えているのだろう。まだ本格化がやって来ておらず、トゥインクルシリーズのレースを走った事がないヒシアケボノとしては少々不安な気持ちにならないでもない。

 

 

「お姉ちゃーん! 頑張ってねー!!」

 

「──もっちろん!」

 

──それでも、彼女は子供達が見えなくなるまで自信に溢れた満面の笑みで手を振り続けた。彼女達の期待を、重責に変えないように。目映い憧れを、心配にさせないように。そしてなにより、いつかトゥインクルシリーズを走り抜ける未来の自分の為に。

 

 

「……よーし!」

 

子供達に貰った応援という名の食材を正しく調理するべく、ヒシアケボノは再び身体に力を込めて加速を再開する。

 

 

 

 

「──はい! これでもう大丈夫ですよ」

 

ニシノフラワーはジャージのあちこちを草まみれにしながら笑顔でそう言った。腕の中でようやく大人しくなってくれた野生の子ウサギに対してだ。怪我をして動けなくなっていた所を何匹かのカラスに狙われていたのだが、心優しいフラワーがそれを看過することが出来る筈もなかった。例えそれがレース中にあるまじき行いであり、自然の摂理というやつに反するような行動であったとしても。

 

早々にカラス達を追い払い、怯える子ウサギの怪我の具合を診る。どうやら大した怪我ではなさそうだったので、自分の持ちうる知識の限りを尽くして応急処置を行なった。野草、薬草についての知識があって本当に良かったと心から思う。あとは親と上手いこと鉢合わせられれば良いのだが、流石にそこまでは面倒を見ていられない。というより、親がどこにいるか皆目見当が付かない。まさか今から森の中を散策するわけにもいかないし、万が一発見する事ができたとしても、こちらの接近にいち早く気付いて逃げ去ってしまうだろう。

 

 

「……ごめんなさい。本当はお母さんを見つけてあげたいんですけど……」

 

ションボリとしながら、フラワーは子ウサギをゆっくりと地面へ降ろした。そのまま一目散に森の中へ走り去って行くかと思いきや、子ウサギは途中で後ろ髪を引かれるかのようにフラワーの方を振り返る。それを見て何かを悟ったのか「……気にしないで下さい。どうかお元気で!」とフラワーが笑顔で別れの挨拶をすると、子ウサギは今度こそ森の奥へ走り去っていった。

 

 

(……さてと、大急ぎで遅れを取り戻さなくちゃ)

 

決意を新たに、フラワーはその場で軽くストレッチを始める。……彼女は勝利を諦めていない。大幅なタイムロスになってしまったのは間違いないが、ちょっとした休憩を取ったのだと考えればそこまで時間的なロスは無いはずだ。──「なぜそこまで真摯になれるのか」と聞かれれば彼女は言葉に迷うだろうが、最終的に三つの答えを出すだろう。

 

 

「勝ちたいから」「期待に応えたいから」「言い訳にしたくないから」

 

ウマ娘レース出走者としてレースであれば基本的に何であろうが勝ちたいし、トレーナーを含め応援してくれている人達の期待に応えたい。そして、自分が正しいと思ってやった行動のせいで負けたと思いたくないし、思われたくない。……後悔したくないのだ。自分の事を‘優しい’‘正しい’と褒めてくれる人達の為にも。

 

 

「……頑張らないと」

 

小さく、されど力強くそう宣言すると、フラワーは全身に力を込めてウマウォッチに表示されたルートに沿ってもう一度走り始める。

 

 



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強化合宿編 8

アンケートへのご協力、誠にありがとうございます。

明日の更新ですが、皆様の意見を統合して、これまでの文章の誤字脱字を直すと共に、より読みやすく投稿しなおしたいと思っています。

それと、アンケートに‘毎日投稿’と‘読みやすい文章量’のどちらが良いかを追加しました。今後の更新に関わりますので、これにもご協力していただけると幸いです。


 

 

「……予想どおりっつったら予想どおりなんだけどさ、お前ちょっと幾ら何でも早すぎないか?」

 

南アルプス付近の町にあるウマ娘トレーニング施設。今回のマラソンのゴールであるその場所で、柴中は当然の様に一番最初に戻って来たニホンピロウイナーを見て半ば呆れながらそう言った。普段と比べたら割と疲弊した表情をしているものの、全体的にはまだ少し余裕がありそうな気がする。‘マイルの皇帝’の呼び名の通り、彼女がその本領を発揮できる距離は1000~1600の短距離であり、十数キロにも渡る距離を走れるような体力は無い。

 

 

「……ああ。身体の調子が良かったとはいえ、私としても予想以上のタイムではある」

 

……が、相手が全員スプリンターもしくはマイラーで、尚且つ全力疾走を必要としないマラソンであれば話は別だ。自分のペースを保って無理なく永延と走り続けるのであれば、今までの経験やこなしてきたトレーニングの量こそが物を言う。あとはこの辺りの地形や地理をどれだけ把握しているかというのもあるだろう。いずれにせよ、ウイナーにとって有利なレースだった事は明らかだ。

 

 

「だが期待以上ではない。‘ステイヤー’に脚質を変質させる気はサラサラ無いが、せめてもう少し余裕を持って走りきれるようにならねばな」

 

夕焼け色に染まりつつある空を見やりながらウイナーは言う。より高く、より強く。夜空に煌めく星々のそれとなりて、いつか運命を切り拓く為に。

 

 

「私は‘開拓者’‘マイルの皇帝’だけで(・・・)終わるつもりは無いぞ」

 

「……はいはい。走り続けられる限り邁進するつもりで実に結構。それでこそ、お前のトレーナーになったかいがあったってもんさ」

 

実に愉快そうな、楽しそうな声色で柴中は言った。……眼を閉じれば昨日の事のように思い出すことが出来る。

 

ハァアアアア……!

 

他の誰よりも堂々と胸を張り、決して揺るがない強さをもって、誰もやろうとしなかった事を成し遂げようとしていた彼女の事を。

 

たぁあああああ──!

 

後に‘マイルの皇帝’と呼ばれるようになるウイナーとの出会いはそう──

 

やぁあああああああ──!

 

 

「──ん?」

 

気合が入った複数のかけ声が正門の方から聞こえてきたような気がして、柴中は回想を中断してそちらの方を見た。案の定、あまり時間を置かずにアキツテイオー、ヤマニンゼファー、ヒシアケボノの三人が開け放たれた正門から敷地内へと飛び込んでくる。

 

 

「おおっと」

 

それはもはや「マラソン」と呼べるような物ではなかった。三人ともレース終盤さながらの声を出して全身から最後の力を振り絞り、スパートを掛けている。

 

 

「ハァアアアア……!」

 

現在先頭なのはアキツテイオーだが、最後の末脚勝負となると逃げウマ娘である彼女は少々分が悪い。差を詰められれば詰められるほど不利になるだろう。

 

 

「たぁあああああ──!」

 

二番手はヤマニンゼファー。経験から考えても体力的に考えても一番不利な彼女だが、魂を振り絞るかのような最後の粘りは中々の物だ。事実、先頭のアキツテイオーとの差は確実に縮まっている。

 

 

「やぁあああああああ──!」

 

殿のヒシアケボノだが、体力的には一番余裕がありそうだった。自慢の末脚を発揮させて、グングンと前方の二人に迫りつつある。

 

本番のレースさながらのデットヒート……と呼ぶには少々スピードが遅すぎるが、三人の表情は迫真そのものだ。ほんの少しでも早くゴールするべく、疲弊しきった身体にムチを打って全力で走っている。──そして。

 

 

「──はい、お疲れ」

 

殆ど同時にゴール板を駆け抜けた三人へ柴中が声を掛ける。三人とも完全に疲弊しきっているし、ゼファーに至っては半ば正気を失ったような表情をしていたが、それでも三人の眼は「着順は?」と柴中に聞いてきていた。

 

 

「アキツ、アケボノ、ゼファーの順。アキツとアケボノが1バ身で、アケボノとゼファーがアタマ差だったな」

 

誰も、何も言葉を発しないが、とりあえずアキツテイオーの表情はホンの少し綻び、ヒシアケボノとゼファーは無念そうに眼を閉じる。本番は愚か模擬レースですらないトレーニングの一貫とはいえ、やはり何か思う所があるのだろう。

 

 

「──もっと何か出来た事は無かったか──か?」

 

柴中の横に立っていたウイナーが、地面に這いつくばる三人──主にゼファーとアケボノの方──を見やりながら言う。

 

 

「…………」

 

「いつも言っていることだが、敗北を喫した時にそういう後悔を抱くこと自体は全く構わん。──が、それに駆られるのだけは止めておけ。脚と心を鈍らせる雑念になるぞ」

 

例えどんな結果になろうが‘反省’は必要不可欠であり、後悔は己をより強くする重要な要素となり得る。しかし、それに心を縛られてしまえば逆に脚が鈍る。心に迷いや鈍りが生じるからだ。──『本当にこれで良いのか?』──と。

 

 

「──いいえ」

 

──ハッキリと、確実に断定するような力を込めて、ゼファーは言った。疲れ果てた身体にもう一度ムチを打ち、フラフラとした頼りない足取りで無理矢理その身体を立ち上がらせる。

 

 

「大丈夫です。反省も後悔もありますが、‘残悔’はありません。……私は、今の自分が持てる全てを出し切ったと断言できます」

 

「……ほう」

 

ウイナーは感心したように呟く。実際、ゼファーは悔いが残るような走りをしたつもりは無い。これほどまで長距離のマラソンをするのも、それにレースを絡めたのも初めてだが、今の自分が持てる全ての走りと知識をもって完走する事が出来た。例え一着になれず無様に敗北し、今にも倒れそうなほど疲労しようが、それだけは無いと断言できる。

 

だって相手の位置や現状が全く分からないのであれば、駆け引きや位置取りに意味がないのであれば、出来る事はベストを尽くすしかないじゃないか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「ボーノ……。すごいなぁ、ゼファーちゃん。なんていうかこう……うん、凄くボーノなの!」

 

彼女は本当に、持てる全てを出し切ったのだろう。休息などを含め、きっと全てにおいて‘ベストを尽くした’に違いない。その姿勢が凄く眩しく、そして尊く見えて、ヒシアケボノは心からの称賛を口にした。

 

 

「い、いえ! その、私がそういう質をしてる──ってだけなので……」

 

「……それが生来の物であるというのなら、より一層誇るべきだ。その姿勢と心持ちはいつかきっと、お前を栄光ある勝利へと導くだろう」

 

アキツテイオーも賛同する。ああも力強く‘一切の残悔は無い’と言う事の出来るウマ娘が、果たして中央でもどれだけいる事か。

 

 

「……どうやら貴様には不要な忠告だったようだな」

 

どこか不満そうな声色で、しかしてその表情を妙に綻ばせて、ニホンピロウイナーはそう吐き捨てたのだった。

 

 

 

 

 

 

「──よ、お疲れ」

 

「お、お疲れさまです……」

 

「……大丈夫か?」

 

柴中は結果として7着でゴールしたニシノフラワーを労う言葉をかけた。ゼファー達三人がほぼ同時にゴールしてから、大体十数分後の事だ。‘天才少女’と謳われる彼女も孤独な長距離マラソンには流石に堪えたのか、他の面々と同じくいつもより疲弊した表情を見せている。息も苦しそう──というより、辛そうだった。飛び級で中央トレセン学園へ入学を許可された、実年齢小学生の彼女にはまだこのトレーニングは早かったかもしれないと、柴中は内心で若干の憂いを見せる。

 

 

「……だ、大丈夫です。その……ちょっと張り切り過ぎてペースを乱しちゃっただけですから……」

 

「んー……」

 

嘘を言っている様子は無い。しかして全ての真実を話している様子も無い。フラワーが何かを隠しているのはすぐに分かった。ちょっと真剣に彼女を‘視,れば何が起きたのか分かるかもしれないが、それは色々な意味で嫌である。

 

 

「……トレーナーさんの目から見て大事無さそうなら、良いんじゃないでしょうか」

 

「ゼファー」

 

アキツテイオーとヒシアケボノと一緒にクールダウンの真っ最中だったゼファーが声を掛けてきた。流石にある程度まで体力が回復したのか、もう先ほどのようなふらついた足取りはしていない。

 

 

「あくまで個人的な完走ですが、少なくともフラワーさんに残悔があるようには見えません。『やれるだけの事はやった』──そういう顔をしていると思います」

 

8人中7着という‘結果’には当然悔いがあるだろうが、その‘過程’としてフラワーが満足のいく、納得のいく選択をしたのであれば、これからの夏期合宿にも憂いはないだろう。

 

 

(それにほら、私達は仮にもウマ‘娘,ですから……。大人の、それも男性の方には言いづらいようなことかもしれませんし)

 

(む……)

 

ボソッ──と柴中の耳元で小さく呟く。フラワーからそういう事があったような気配はまったくしないし、ぶっちゃけゼファーの気遣いだろこれと即座に看破した柴中だが──

 

 

(……まぁ、確かに後々問題になりそうな理由じゃあないだろうし、良いか)

 

踏み込みすぎて何かあるわけでもない。そも、本当に柴中が動かなくてはならないような事態が起きたのならば、戻って来た彼女を視てスグに見抜けている筈だ。

 

 

「──それもそうだな。んじゃ、フラワーも呼吸が落ち着いたらクールダウンに加わってくれ。2,3,4位のテイオーアケボノゼファーのクールダウンがそろそろ終わる頃だから、お前は5.6位の──」

 

ゼファーの意見を聞き入れた柴中が、改めてフラワーにクールダウンの指示を出そうとした時だった。「ルルルルルル!」と、緊急時にしか鳴らない筈のウマウォッチの着信音がけたたましく鳴り響く。

 

 

「…………」

 

その場になんとも言えない緊張が走った。現在この場にいない、つまりゴールしていないのは最下位が確定しているあのウマ娘のみ。「彼女にしてはちょっと遅いな」と若干思っていた柴中だが……。

 

 

「もしもし。俺だ、一体何が──」

 

1コールだけ間を置いてから、緊張感を微塵も感じさせない声色で電話に出る。……それからスグに「──はぁ!!?」と驚愕の表情で大声を出す事になるとは、流石に思っていなかった。

 

 



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強化合宿編 9

本当に大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。今後も不定期かつ短文ではありますが、出来うる限り更新していきますのでよろしくお願いします。


 

 

時は、ニシノフラワーが合宿場にゴールする三十分ほど前に遡る。

 

 

「──ふっ、ふっ、ふっ!」

 

故郷であるアイルランドから留学して来たそのウマ娘──シンコウラブリイは、極めて順調にゴールまでの道のりを走っていた。本番のレースさながら──とは流石にいかないがとても力強い走り方で、余力も十分に感じさせる。別にそこまで山道や坂路が得意という訳では無いのだが、自然豊かな山々に囲まれながら走るというのはとても気分が良い。道も、風景も、感じられる‘気’も、どれも故郷のそれとは似ても似つかないが、この清廉かつ力強い──なんと言えば良いのかこう、島国である日本独特の山特有の感覚。それらが決して嫌いではなかった。

 

 

(……対戦相手の現状の一切分からないというのなラ、それはそれで良イ)

 

まだ余力がある今の内にトップスピードに乗ってしまおうと、一度大きく息を吐いて、ググッ──! と脚に力を込める。

 

 

(全身全霊を尽くして走ル……。ただそれだけを考えれば良いのだかラ!)

 

人間のそれとは比べ物にならないその脚で舗装された地面強く踏み抜き、ゴウッ──! っと、次の瞬間には更に勢いよく加速しようとしたラブリイだが

 

 

 

 

(…………?)

 

なにか妙な声を聞いたような気がして、加速するのを躊躇った。「なんだ?」とスピードを落としながら、キョロキョロと周囲を見渡してみる。

 

右側は岩版がそびえ立つ崖の様になっていて、上の方は大小様々な木々が立ち並んでいるだけだ。真正面には緩やかなカーブを描いている下り坂が只管に続いていて、特に変わった様子は見られない。後ろを振り向いても同様である。異変や異常は見られない……ならば左側はどうだ。

 

左には走っているラブリイから見て崖になっていて、下の方には大きな川があった。中々に綺麗な川で、とても視力が良いラブリイの眼にはかなりの数の魚が泳いでいるのが遠く離れたここからでも分かる。幾つかのテントが川辺に張られている事から察するに、恐らくキャンプ場として機能しているのだろう。人間の大学生らしきグループと、仲の良さそうな親子連れが二組。それから地元の子供らしき集団が釣りを楽しんでいた。やはり異変や異常は無い。

 

川辺にあるキャンプ場では特に珍しくもなさそうな光景だ。気のせいか? そう思ったラブリイは再び走る事に集中しようとして──

 

 

「──Buíochas le Dia(なんてこった)!!」

 

一瞬で真っ青になり、猛スピードで来た道を逆走し始める。

 

 



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強化合宿編 10

少しずつでも、前に。


 

 

「本当にありがとうございました!!」

 

開口一番にそう言われてしまうと立つ瀬がなくて、柴中は苦笑いを浮かべた。彼女のトレーナーとしても保護者としてもだ。事情は大方把握しているが、それで自分が礼を言われるのも何か違う気がするからだ。しかしそんな柴中の心情を汲み取れなかったのか、あるいはまだパニック状態にあるのか、中年の男性とその妻であろう女性はもう何度目になるかも分からない感謝の言葉を述べる。

 

何度感謝の言葉を述べても足らない──恐らくそんな心持ちだろう。

 

 

「気にするナ、大事にならなくてなによりダ」

 

「……ラブリイ。お前、大丈夫なのか?」

 

「ああ、大事は無イ」

 

河原に立てられたテントの中で‘その娘‘──年端もいかない人間の娘と一緒にいたラブリイが柴中の声に反応して出てくる。一緒にテントの中から出て来たその娘にジャージの裾を掴まれたまま、ラブリイは柴中に対して深く頭を下げた。

 

 

「心配を掛けてすまなイ、トレーナー。戦士として、度を逸した単独行動は厳罰対象ダ。あとで陛下ト──」

 

「いや、それはもう良い。お前もその娘も無事で良かったよ」

 

一見してラブリィに問題がなさそうで、柴中はホッと胸をなで下ろす。──いくら人間と隔絶した身体能力を持つウマ娘とは言え、大自然のそれとは比べ物にならない。それを承知の上で、ラブリィは親とはぐれて川で溺れかけている女の子を助ける為、一切の躊躇無く川辺へと降りて激流の中へ飛び込んだという。

 

 

「お前は全部承知の上で人助けをしたんだ。ならもういい、俺から言う事はなにも無いよ」

 

「……そうカ」

 

瞳を閉じて、自分のした行動を思い起こすラブリイ。‘あの娘を助けなければ’という善良な想いなど無かった。ただ身体と心が意識を置き去りにして勝手に動き出していたのだ。結果として大事になることはなかったが、誇り高き‘戦士’であるラブリイにとって上官(トレーナー)判断抜きでの独断専行は厳罰対象であり、故に「良い事をした」という自覚も無かった。

 

 

「……あのね、お姉ちゃん」

 

──だから。

 

 

「なんダ?」

 

「私ね、私もね! お姉ちゃんみたいになりたい!!」

 

「…………」

 

「私もお姉ちゃんみたいな‘戦士’になって、困ってる誰かを助けるんだ!!」

 

「…………そうか」

 

──こうして言葉にされて、初めてラブリィは自分がどういう行動をしたのかを理解する。

 

 

「なラ、私みたいになるのは止めておケ」

 

「──え?」

 

そっと、優しく突き放すように。少女の抱いた憧憬を傷つけないように、ラブリィは慎重に言葉を選ぶ。

 

 

「お前の言うそれは‘英雄’と言う物ダ。弱きを助け、強きを挫く者ダ。規律や誇りを重んじる‘戦士’とは違ウ」

 

「お姉ちゃん……」

 

戦士である事を心から誇りに思っているラブリィだが、目の前の少女に誤った憧憬を焼き付けさせる気は無い。今回は身体が勝手に動いてしまったし、トレーナーも許してくれたが、やはりラブリィは‘戦士としては’あまり良くない事を──独断先行をしたと今でも思っている。

 

半分位何を言っているのか分からないと言いたげに、少女はラブリィの服の裾を掴みながら彼女を見上げる。ポンポン──と、ラブリィは軽く叩くように少女の頭を撫でた。

 

 

「──お前の中に芽生えたそれガ、いつか強く大きく花開くことを祈っていル」

 

 

 

 

 

 

 

「──そうか、ならば良い」

 

柴中からの報告を聞き終えたニホンピロウイナーは、小さく息を吐いた。かなり小さい物だが、それは間違いなく安堵の溜息だ。「──ああ。ああ。……ではな」それを最後に、ウイナーは通話を切る。

 

 

「……あの、ウイナーさ──陛下」

 

「……ゼファーか」

 

心配そうにこちらの様子を伺っていたヤマニンゼファーが意を決したように声を掛けてくる。トレーニング施設は玄関口に当たる、ただっ広い受付ロビーだ。高級ホテル顔負けの立派なそこで、二人は話しを再開する。

 

 

「ラブリイさんのご様子は?」

 

まずはとばかりにゼファーは質問を口にした。聞きたい事は色々あるが、まずなによりもチームメイトでありルームメイトでもあるシンコウラブリイの安否だ。

 

 

「安心しろ、問題は無い。……色んな意味でな」

 

「そうですか」

 

「はぁーっ……」と、ゼファーはウイナーのそれとは比べ物にならないほど大きな溜息を付く。……心配だった。心配だったのだ。ラブリイから緊急通信で‘川で溺れかけていた娘を救助した’と連絡が来た時はチームステラの面々は勿論、柴中も驚愕の声をあげてしまってた。

 

 

「奴も、奴が助けたという娘も大事なし。……まぁ、それでめでたしめでたしとはいかんがな」

 

ラブリイ本人が自覚している通り、如何に人命に関わる緊急事態であったとはいえ、彼女は己の判断のみで激流の中に身を投じたのだ。結果的に両名とも無事だったが、下手をすれば二次災害が起きていただろう。

 

 

「奴にはこちらに帰還次第、罰則を兼ねて明日のトレーニングの準備の大半をさせてやる。絶賛労働中のルビー(紅玉)フラワー(花姫)に‘やるべき仕事が半分減ったぞ’とお前の口から伝えておけ」

 

「……ええ。分かりました」

 

ニッコリと、当然の様にゼファーは頷いた。今回シンコウラブリイがした事の善悪はさておき、チームのリーダーであるウイナーの‘罰則を与える’というのは残念ながら当然の判断だと思ったからだ。重度のお節介焼き(自覚してあり)であるゼファーは、誰かを助けた結果として自分が損をするという事例を幼い頃から何度も経験している。

 

──そう

 

 

「──ああ、そうそう」

 

その場から立ち去ろうとしたウイナーに、ゼファーから声がかかる。

 

 

「……なんだ?」

 

「私、実はちょっと急に忘れっぽくなる時がありまして。もしかしたらお二人に陛下の言葉を伝えるのを忘れてしまう可能性があるんですけど──それでも構いませんか?」

 

──だからこそ、ゼファーはウイナーの言葉の裏に隠された意図をシッカリと汲み取る事が出来る。皇帝として直々の勅命を下すのではなく‘お前の口から伝えろ’とはつまり──

 

フフッ──とホンの少しだけ口元を緩めたウイナーはただ一言「──好きにしろ」と満足そうに口にして悠々とその場を立ち去る。

 

 



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外伝・How Much to Miracle

 

 

 

「フッ──!」

 

そのウマ娘は、力強くトレセン学園のターフを翔る。美しく、力強く、それでいてどこか脆く儚げな雰囲気を絶えず身に纏ったまま、そのウマ娘はただ只管にスパートの練習を繰り返していた。

 

 

「キャー! ミラクル先輩超格好良い!」

 

「ちょっと! 絶賛練習中の先輩に色目使わないでよ!!」

 

「大丈夫です~! 超集中モード(ああなった)時の先輩は私達みたいな外野なんて気にするような人じゃないもん!!」

 

「……自分で言ってて悲しくならないの、それ?」

 

キャーキャーと外周から掛けられる声援を単なるノイズではなく好意的に受け止めることで力に変え、その儚げな雰囲気を携えたウマ娘──ケイエスミラクルはターフをひた走っていた。

儚げで超絶美形の髪型ショートカット。トドメに一人称「おれ」──在校生2000人を超えるトレセン学園でなお、彼女を知らないウマ娘は少ない。なにせトレセン学園の学園祭。その演劇、もしくはダンスの演目で‘相手を務めて貰いたいウマ娘’トップ5の常連ウマ娘だ。あくまで噂だが、所謂‘ガチ恋勢’から本気の告白をされた事もあるという。

 

 

「仮にああなった先輩が自分から足を止めるとしたら、例のお嬢様か──」

 

「う゛う゛ぉおおおおおおおおん! これで三日連続でお嬢からの既読スルー!! マジ卍の下げみざわー!! いくらチームの合宿中とはいえ、この超絶塩対応はああぁんまりだぁあああああああああ!!」

 

「…………あの切り株の穴に向かって泣き叫んでる人ぐらいでしょ……」

 

はぁ……と溜息を付いて、トンでもない声量が聞こえてきた方を見ると、案の定あの人──ダイタクヘリオスが溜った鬱憤を晴らすが如く、鬱陶しいシャウトを泣き叫んでいた。

 

ダイタクヘリオス──ケイエスミラクルを越える、トレセン学園屈指の有名人だ。ただし、彼女の場合‘良い意味でも悪い意味でも’という前置きが付く。所謂‘今時のギャル(パリピ)を体現したようなウマ娘で、例えどんな人物だろうが持ち前の陽気さで絡みに行く。イベント(楽しい事)に目が無く、毎日毎日「アッハハハハハ!」とバカみたいに笑っている。極希に気落ちしている時ですら、親友であるパーマーを中心にリア友達に「慰めてちょ!」と絡みに行くのだ。噂では、彼女に元気がない日はトレセン全体が妙に暗くなるとまで言われている。

 

 

「う゛ぉおおおおおおおおん!」

 

「……ねぇねぇ、いい加減誰か止めてきなって。チケゾー先輩みたくなっちゃってるよあの人」

 

「えぇ……。いやだよ絶対ダル絡みされるじゃん…………あ、案の定ミラクル先輩が足止めちゃってる」

 

超集中モードに入っていた筈のケイエスミラクルが足を止め、いつもの事とばかりにヘリオスの方へ近づいていく。

 

 

「やぁヘリオス。またルビーにあしらわれたのかい?」

 

「それな!」

 

待ってましたと言わんばかりにミラクルに縋り寄るヘリオス。情緒が不安定で表情をグチャグチャにさせる彼女に対し、ミラクルは至極自然体な表情と態度だった。それは彼女と付き合っていく内に自然と身についた物か、或いは最初から自分にはそういう才能があったのか。兎にも角にも、ケイエスミラクルはメジロパーマーとダイイチルビーに次ぐ‘ヘリオス係’なのである。

 

 

「うーん……。確かに合宿中とはいえ、彼女が三日も既読スルーをするのはちょっと変かもしれない。参考までに、君がどんな呟きをしたのか聞いても良いかな?」

 

この時点で大方の予想は付いていたものの、一応、念の為にヘリオスにどんな呟きをしたのか聞き出す事にしたミラクル。すぐさま「おk!」と色好すぎる返事と共に、魔改造された(デコられた)スマホの画面が突き出された。

 

 

「…………えっと、ヘリオス。流石に朝昼晩を問わずにこの数の呟きはどうかと思うよ、おれ」

 

やはりというか何というか、質の問題ではなかった。(特段質が良いという訳でも無いが)単純に呟きの数が多すぎるのである。

 

 

「えー? でもいっぺんに大量の文読むのってマジ辛くね? 小分けにした方が読みやすくね?」

 

「本読んでるんじゃないんだし」とヘリオスは言うが、幾ら小分けにされて読みやすいところで区切られているとはいえ、全体の文章量が変わっていないのなら意味がないではないか。内容も「いま何中?」とか「いつ帰ってくるの」とか「帰ってきたらめっちゃ構って貰うからね」と簡潔に結論づけられる物が殆どだった。

 

 

「ルビーもきっと忙しいんだよ。そうだね……数を打つんじゃなくて、一文に愛をギューッと込めた方が良いんじゃないかな?」

 

「!!! なる! 確かにどこかで似たようなこと聞いた事ある!!」

 

ルビーから既読スルー続きで少々躍起になってしまっていたと自覚したヘリオスは、早速とばかりにUMAINEを開くとたった八文字だけ打ち込んで送信。先ほどまで泣き叫んでいたとは思えない晴れやかな笑顔でミラクルにお礼を言った。

 

 

「マジでサンキューミラッチ! おかげで大切な事を思い出せた気がする!!」

 

「それはよかった。あ、ついでと言ったらなんだけど、もし良かったらこの後併走出来ないかな?」

 

「マ? ウチはもちろんおkだけど……大丈夫なん?」

 

色んな意味を含めたヘリオスの言葉に、ミラクルはふふっと笑って返す。

 

 

「大丈夫、今日は足の調子が良いんだ」

 

「そっか……。したらトレぴっぴに‘ミラッチと併走する’って言ってくんね!」

 

悩みが解決したからか、実に軽やかな駆け足でその場を立ち去るヘリオスの後ろ姿に一種の羨望の眼差しを向けながら、ミラクルは小さな声で静かに呟く。

 

 

「──奇跡っていうのは、ただじゃないからね」

 

こういう調子が良い日に出来る事をやっておかなくては、成せるはずだった事も成せなくなる。いつか奇跡を起こすその日に向けて、やれるべき事はやっておかなくては。

そうして己を奮起させたミラクルは、まずはとばかりに改めて全身のストレッチを開始する。

 

 

 

 

 

 

 

「──『愛してるぜ!!!』──全く、本当に鬱陶しい人ですわね」

 

 



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風が吹くまで 1

 

 

 

「結局の所、世代の主役たるテイオー(彼女)はほぼほぼ菊花賞には出走できへん。ほなら誰が代わりにこの世代を率いるのかって話になってくるとボクぁ思うんですわ」

 

新聞記者である藤井泉助は、自社である新聞社の会議室で‘ある記事’を広げながら熱弁する。彼が語るのは今期クラシック世代最強と目されている‘トウカイテイオー’の不在と、それが周囲に与える影響についてだ。

 

日本ダービー後に骨折が判明したトウカイテイオー。記者会見によれば全治には最低でも半年以上かかるという。11月開催の菊花賞にはギリギリで間に合わない。

 

 

「無論、クラシックレースだけじゃあらへん。仮にテイオーの復帰が予想以上に長引いたとして、彼女不在でこの先この世代が戦っていけんのかっちゅー事や」

 

クラシック級が終われば次はシニア級が待っている。何年もウマ娘レースを走ってきたような怪物たちとも戦わなければいけないし。新しいクラシック世代のウマ娘達だって続々と台頭してくるだろう。

 

シニアには現役最強と言われる芦毛のウマ娘‘メジロマックイーン’が。ジュニア級には「私は皇帝ルドルフを超える」と記者会見の場で宣言してみせた‘ミホノブルボン’が。そして来年にデビューを控えたウマ娘の中には計算され尽くした圧倒的なレースを繰り広げる‘ビワハヤヒデ’が。その他にも評論家達を‘こいつは凄いぞ!’と唸らせるウマ娘が上にも下にもゴロゴロいるのだ。

 

そういった強力なウマ娘達を前に‘テイオー世代’のウマ娘達は戦っていけるのか。

 

 

「──いけるにきまっとるやろ」

 

自分で提示した根拠を全て無に返すような発言をする藤井。ザワザワとざわめく同僚達を焚きつけるべく、藤井は声を張り上げる。中長距離だけではない。マイルに短距離にダートに障害に、自分達の知らない所にこそ、輝く原石がきっとある筈だ。

 

 

「──探せ」

 

まだ発掘されていない原石を。‘テイオーの代わり’はおろか、彼女を越える可能性のあるウマ娘を──!

 

 

「全力で探しだすんや! 第二の主役を──!」

 

 

 

 

 

「──で? 速攻で躊躇無く俺に連絡を取ったと?」

 

朝早くから掛ってきたその電話にしかめっ面になりながら、柴中は応答する。藤井(こいつ)が自分に取材の電話を掛けてくる=学園側の許可は取っていると知っているからだ。報道陣への応答も立派な仕事の一つであると理解している柴中は、それを無下にしたりはしないし出来ない。

 

 

「いやー、やっぱこういうんは柴中はんの右に出る者はおらん思いましてね? 三坂さん、たづなさん、沖野はん、南坂はん、東条はん……みんなそう言ってましたで?」

 

柴中は「……はぁぁああああ……」と深い溜息を付きながら、次に何を言うべきか迷っていた。やはり厄介事を自分に押しつけてきた者達に、報復として藤井に情報を流してやるべきだろうか。否、流すのは決定としてどうやってこいつをあしらおうか。

 

「つい昨日強化合宿が終わったばかりで疲れている──」とでも言えばこの場はくぐり抜けられるだろうが、それはつまり「じゃあ何時なら空いてます?」という返し言葉(カウンター)をむざむざ決めさせる事になる。それは面白くない。

 

 

「……第二の主役を探してるって言ってたな?」

 

そうだ、だったらこう返そう。時期的に少々早いかもしれないが、両者共に良い焚きつけになるかもしれない。

 

 

「そうそう! なんかいませんかね? こう──「来年の春以降で良いならいるぞ」──っとマジですか!」

 

柴中が「来年の春以降」と言ったのは気に掛るが、それはつまり彼が眼に掛ける程の主役(スター)が来年の春以降にはいるという事だ。逆に言えば──

 

 

「つーことで来年の春以降になったら教えてやる。それまでは自分達の眼で良さげな奴を探しな」

 

「ら、来年!? ちょっとそんなご無体な──」

 

「こっちは強化合宿終了直後で疲れてるんだよ。仮にも記者なら相手側の予定ぐらい把握しといてくれ」

 

一応断っておくが、藤井は相手側の都合を把握して無かった訳ではない。一記者として、トレセン学園屈指の強豪チーム「ステラ」の予定ぐらいキチンと分かっていた。毎年夏に行なわれる強化合宿は勿論、普段の練習風景も「一つの情報」として過度な露呈を嫌がると分かっていたからこそ、強化合宿中は連絡を取らなかったのだ。

 

 

「ま、楽しみにしてな。今期には前人未踏の記録を打ち立てられるかもしれないウマ娘がいるかもしれない──って」

 

それを最後に、柴中は今度こそ通話を切って年に数回できるか否かの二度寝(至福の時間)を楽しむために、ノソノソとベットへ潜り込む。

 

 



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風が吹くまで 2

投稿が遅れてしまい、本当に申し訳ありません。
不定期更新はもう暫く続きます。


 

 

「ふっふっ、はっはっ。ふっふっ、はっはっ……」

 

突然だが、坂路トレーニングの基礎基本は‘慣れ’だ。それも、これと言って決まった形があるわけではない。

 

どういうフォームをしながらどんなペースで坂を登るのが一番自分にあっているのか……。それを見定めることが出来るまで永延と走る事が必要になる。効率だけの話しでは無く、‘自分に合った

登り方’を己の感覚で掴み、各所を修正しつつ、物にしなければならないのだ。

 

さて、それを踏まえて今現在トレセン学園のグラウンドで坂路トレーニングをしているウマ娘──ダイナマイトダディのそれを見てみよう。

 

 

フォームはとても良く、ペースも己のそれをキチンと維持する事ができている。一糸乱れることなく──とは流石にいかないが、トレーニング時間の割には十分な余裕もある。正しくお手本にしたくなるような、そんな感じだ。

 

 

「ふぅ……今日のノルマはこれで終わりっと」

 

しかして十分な余裕があるダイナマイトダディだが、追加でトレーニングをしたりはしなかった。トレーナーに指示されたトレーニングメニューは全部こなしたし、今の自分に必要だと思える感覚も掴んだ。トレーナーが今自分の傍にいれば相談の上で追加トレーニングをしても良いが、生憎と愛しのトレーナー()は今日トレーナー同士の勉強会で不在なのである。ならば今日は早めに上がらせてもらおう。──そう思ったダディが、鞄からペットボトルに入った水を取り出して飲んでいた時だった。

 

 

「お疲れ様です。シスター・ダディ」

 

「ダディちゃーん!」

 

「あら、お疲れ二人とも」

 

聞き馴染みのある声が二つ、背後から掛けられる。ダディと同じクラスのシスタートウショウとヌエボトウショウだ。

 

 

 

「私もね、今日はもう上がっちゃうんだー。トレーナーも勉強会でいないし、つまらないからシスターちゃんと一緒にお出かけするの」

 

「仕方が無いでしょう。幾らトレーナーといえど、四六時中つきっきりで私達の面倒を見ていただける訳ではないのですから。……トレーニングが出来ないよりはマシ、と考えなさい」

 

そう言いながら、左足を軽くさするシスタートウショウ。既に知らされていた事だが、シスタートウショウは今年のオークス直後に全治一年以上の骨折が判明した。現在はリハビリのためにウマ娘専用のリハビリステーションに通う日々が続いている。『何れ必ずターフの上に戻ります』とは彼女の弁だが、やはり内心では相当キていると見える。「うーん」と腕を組んで何やら考えるダイナマイトダディ。

 

 

「あのねあのね、シスターちゃんってね、ゲームセンターに入ったこと無いんだって! だから連れていってあげるの!!」

 

「あらそう……ねぇ。そのお出かけ、私達も付いていって良いかしら」

 

「うん! っていうかダディちゃんも一緒に行かないかって誘うつもりだったし」

 

「ありがとう。それじゃあ……。ねえ! 私達これからお出かけするんだけど、あなたたちも一緒にどうかしら!?」

 

二人の了承を得たダディは、早速とばかりに隣のコースで合同トレーニングをしていた三人に声を掛ける。メンバーはヤマニンゼファー、シンコウラブリイ、そしてイソノルーブルだ。

 

 

「わぁ! 良いですね! お二人は?」

 

「構いませんよ。私達もちょうどあと一本で上がろうとしていたところですし」

 

「問題なイ。適度な休息もトレーニングの内だからナ」

 

「決まりね! 今日は早上がりして、みんなで街に出かけましょう!」

 

「「「おー!」」」

 

かけ声をピッタリ揃えた三人は、ラストスパートと言わんばかりに本日最後の坂路トレーニングを開始する。──それから約一時間後。

 

 

 

「えいっ! やっ! たぁ!!」

 

ピコピコと、イソノルーブルは手にしたハンマーで穴から出入りするモグラたちを叩きまくっていた。言わずもがな、ゲームセンターに設置されているモグラ叩きだ。やさしい~激むずまで難易度を選べるこの台は、驚愕のハイスコアをとある天才ウマ娘が叩き出してから何人もの廃人ゲーマーが挑んでいるのだが、未だにそのスコアは更新されていない。

 

 

「はぁはぁ……。やっぱり無理でしたかぁ」

 

「お疲れ~。ナイスファイトだったよ、ルーブルちゃん!」

 

「そうそう! 大健闘だったじゃない。私もそこまで上手い方じゃないけれど、不慣れでこれだけの点数をたたき出せれば大した物だと思うわ」

 

ここまでの挑戦者はイソノルーブル、ヌエボトウショウ、ダイナマイトダディだ。全員中々の健闘っぷりだったが、化け物染みたハイスコアの更新は愚か、上位ランキングに入る事すら出来ていない。

 

 

「‘コツ’があるんでしょうね。動体視力に任せて無闇矢鱈に叩けば良いという物では無い気がします」

 

ここまで見学に徹していた三人の内、シスタートウショウが客観的な意見を述べる。

 

 

「ん、シスターちゃん次やる?」 

 

「いえ、結構です。興味があるかないかでいえば有りますが、例え作り物のそれとはいえ、聖職者が無闇に暴力を振るうのは推奨されませんから」

 

予想していた返事だったのか「そっかー」と、ヌエボトウショウにしては珍しく即座に退いた。さて、残るはシンコウラブリイとヤマニンゼファーだが……。

 

 

「では私がやろウ」

 

先に名乗りを上げたのはシンコウラブリイの方だった。イソノルーブルからハンマーを受け取り、台の前に立つ。

 

 

そして「──ふぅ」と、小さく息を吐いた。傍から見ても凄まじい集中力だ。なんというか、彼女とその周りだけ別の時間軸になってしまったような感覚になる。──ゲームが始まり、モグラたちが元気よく穴から出入りする──それとほぼ同時。

 

 

「──はぁっ!!!」

 

ドドドドドドドドドッ!! とそれは凄まじい速さと勢いでラブリイはハンマーを振るう。‘叩く’と言うよりは‘薙ぎ払っている’と言う方が正しいかもしれない。兎にも角にも、今までの三人とはスピードと効率が段違いだ。「……凄い」とイソノルーブルの口から感想が漏れる。

 

 

「……これが限界カ」

 

記録は堂々の歴代五位。ラブリイは見事掲示板に掲載されるほどのスコアを叩き出したのだった。

 

 

「すごいすごい! ベスト5だってよ、ラブリイちゃん!!」

 

「驚いたわね……。確かゲームセンターに来るのも初めてって話しだったけど……」

 

「要するにどれだけ効率良く敵を打ちのめせるかだろウ? さきほどから敵の動きを何度も見ているからナ。いくつかあるパターンの内、全てを記憶してしまえば良いだけのことダ」

 

「パターンがありそうな事は分っていましたが、それをこの数回の内に記憶して対策を立ててしまうとは……」

 

‘戦士’の称号は伊達では無いと言うことなんだろうか。どこどなく誇らしげなラブリイだが、彼女自身は「まだまだベストな動きではなかっタ」と謙虚に構えている。

 

 

「お前はどうすル、ゼファー」

 

「……私ですか?」

 

「ああ」

 

うーん、と腕を組んで悩む。別に参加しても構わないが、少なくともハイスコアを更新出来るとは思えない。思えないが──

 

 

「──分りました、やってみます」

 

姉達がやっているのを何度も‘見たことは’ある。そこそこの点数なら採れるばだろう。ハンマーを受け取り、台の前に立つ。投入口に100円を2枚入れて、‘その時’が来るのを待った。軽快な音と共に、モグラたちが元気よく穴に出入りを始めるのとほぼ同時──

 

 

「──いきます!!」

 

 

 

数日後

 

 

 

「あれ?」

 

「どうかしましたかテイオー」

 

「うん。ハイスコアランキングに見たこと無い名前が二つも載ってるから気になっちゃってさ」

 

「……6位に‘愛の戦士’。2位に‘姉達の影響’ですか」

 

「うんうん。初見だとしたらどっちも凄いよね。まぁこのボクには及ばなかったみたいだけどさ!!」

 

「随分と嬉しそうですわね」

 

「ん? そりゃそうでしょ──」

 

 

 

 

「だってボクと競り合いになる位の子だもん。レースでもゲームでも、強敵(ライバル)が増えるのは大歓迎さ!」

 

 



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風が吹くまで 3

 

 

「……ふぅ」

 

精神統一をする時のコツは‘考えないこと’ではなく‘一旦置いておくこと’らしい。教本で学び、実戦してみるとなるほど実に効果的だ。余計な雑念が削ぎ落とされ、自分の神経が研ぎ澄まされていくこの感覚が好きで、ダイイチルビーは積極的にこのトレーニングを組み込んでいる。

 

なにより‘ヘリオス(あの馬鹿)’と一時的とはいえ交流を絶てるというのが素晴らしい。正しく太陽のように燦々と輝き続けるヘリオスにとって、正座をしたままただジッ──としているというのは酷く苦痛に感じるらしく、こちらから誘っても「むむむ」と散々頭を悩ませた挙げ句、断腸の思いで自分からの誘いを断っているのだ。自分にとっての得意分野がそのまま対ヘリオス対策になっている。なんと素晴らしいことだろうか。

 

 

「よく励んでいるな」

 

「──陛下」

 

トレーニングルームに現われたのは、チームのリーダーでありマイルの皇帝と呼ばれるウマ娘、ニホンピロウイナーだ。なにやら興味深そうな、それでいて嬉しそうな眼でルビーの方を見つめる。

 

 

「高松宮杯に続いてマイルチャンピオンシップでも笑う太陽に敗北を喫した時はどうなることかと思ったが、やはり貴様の精神の気高さはずば抜けているな」

 

彼女の祖母、そして母が現役時代に制した、親子3世代制が掛っていた高松宮杯。2大マイル戦の覇者となれる筈だったマイルチャンピオンシップ。そのどちらもダイタクヘリオスに敗北し、苦汁を舐める事になったダイイチルビーだが、レース前もその後も、彼女に変わった様子は無かった。いつも通りの気高さで、いつも通りの平常心(対ヘリオスを除く)で、普段通りのトレーニングを続けていた。

 

 

「お戯れを。確かに高松宮記念でもマイルチャンピオンシップでもヘリオスに敗北を喫しましたが、私は至高の紅玉。夢を打ち砕かれた程度(・・・・・・・・・・)で落ち込んでいる暇などありませんから」

 

「半分は否定せんが半分は虚実だな。貴様は落ち込んでいる。親子三代の制覇が掛った高松宮杯でも、2大マイル戦覇者の称号が掛ったマイルチャンピオンシップでもな。その上で気高くあろうとするその在り方こそが素晴らしい」

 

「……本当にそう在れたら良かったんですけどね。今こうしている事自体がそうあれていない証拠ですから」

 

本当に気高く強い精神を持てているなら、そもそも精神統一などする必要が無い(・・・・・・・・・・・・・)。今ルビーがこうして精神統一に励むのも、そうしなければ落ち込んでいる暇が出来てしまうからだった。

 

 

「ならばこそ、一層の精進を期待しているぞ。なにせ次の舞台は──」

 

「二つしか無い短距離GⅠレースの一つ、‘スプリンターズステークス’……必ずや、華麗なる勝利と栄光を」

 

ここで圧倒的な勝利を収め、何が何でも一族に相応しい称号を手にするため、ダイイチルビーは再び瞳を閉じる。

 

 

 

 

 

『さぁスペルオンウッド逃げる! スペルオンウッド逃げる! しかし、ヤマニンゼファーがドンドンと差を詰める! コハクプリンも来ている! 本日最後のレース、レート900以下のこのレースを制するのは──!』

 

──負けられない。それは思っているのはきっと、皆同じ筈だ。

 

勝ちたい。負けたくない。なにがなんでも勝利を納め、次のステージへと進みたい。レースに参加しているウマ娘の数だけそういう想いがあって、でもそれを叶えられるのはたった一人だけだ。──ならば。

 

 

「はぁあああああああああああああ!!」

 

──呑む。呑み込む。風と一緒に伝わってくる想いの濁流を全て飲み干し、それらと一体になって、私は、私は──!!

 

 

 

『スペルオンウッドとヤマニンゼファー! ほぼ同時にゴールイン! これは写真判定になりそうです!!』

 

 

 

 

「お疲れ、ゼファー」

 

控え室でクールダウンを済ませていると、柴中がにこやかな笑顔で中へ入って来た。ゼファーほどではないが、彼も機嫌が良いらしい。

 

 

「良い走りだったぞ、贔屓目無しにな」

 

「そ、そうですか? えへへ……」

 

中山競馬場で行なわれた今回のレースにおいて、ゼファーは見事に勝利を収めた。ホンの僅か、ハナ差での勝利だが勝ちは勝ちだ。これでゼファーのレートは1500……次からは更に格の高いレースに挑める。

 

 

(良いぞ、箔が付いてきた)

 

勝利したのも勿論嬉しいが、柴中が特に「良い」と思っているのがゼファーの体調と体質だった。数ヶ月前まで「もやしっ子」を体現していたとは思えない成長っぷりだ。これならば来年の春までには完治が見込める。体調や体質が改善すれば、より激しいトレーニングが出来るようになる。必然、彼女はこれからもっともっと強くなってくれるだろう。

 

 

ならばこそ、ここで挑ませておこう。一番高い舞台に‘慣す’には良い機会だ。

 

 

二大短距離G1レースの一つ、スプリンターズステークス。この舞台なら、彼女が目指す‘風’を感じる事が出来るだろう。──そう柴中がゼファーに提案しようとした時だった。バァン! と勢いよく控え室の扉が開いて、中にウマ娘が入って来る。

 

 

「お疲れ! 良い走りだったわよゼファー!」

 

「!! ダイ先輩!」

 

ダイユウサク──ゼファーと同じ、休養寮出身のウマ娘だ。

 

 

「これで合計3勝……次は3勝クラスね。空きがあればGⅠにも出られるかも。……レースはどんどん厳しくなる一方だけど、アンタならきっと大丈夫! 自信を持ちなさい!!」

 

「はい! ありがとうございます!!」

 

わざわざ発破を掛けに来てくれたのか、ダイユウサクはゼファーの背中をバンバンと叩きながら激励を送る。ゼファーもそんなダイユウサクの気持ちが分るのか、とても嬉しそうだ。

 

 

「──っと、違う違う。ただ発破を掛けに来たって訳じゃないんだった」

 

「? 先輩──?」

 

ダイユウサクは何か重大なことを口にするように小さく息を吐いて言葉を紡ぐ。

 

 

「ゼファー、私ね、今度のOP戦で勝つ。勝って出るんだ──」

 

 

 

 

 

 

 

「──夢のグランプリ。‘有馬記念’に──!!」

 

 

 

 

 

 



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風が吹くまで 4

 

 

‘スプリンターズ・ステークス’ URAが開催しているトゥインクルシリーズにおける、短距離レースの一つだ。

 

中山レース場で開催される本レースは、短距離のレースにおいてGⅠに格付けされている二つしかないレースの一つであり、短距離戦線を走るウマ娘達にとっての憧れであり、目標である。

 

グレード制度発足当時はGⅢに格付けされ、その三年後にはGⅡに格上げされた。その後、一年を締めくくるスプリント系の大レースを開催しようとする機運が高まり、去年からはGIに格上げされ、施行時期も有馬記念の前週に移された。

 

 

「……とまぁこんな具合っすかね」

 

そのGⅠ昇格直後のスプリンターズステークスを制した初代王者──バンブーメモリーは言葉を締める。

 

 

「はい、とても分かりやすかったです。ありがとうございます」

 

「ええ。やはり実際にレースで勝利したバンブーさんからのアドバイスは説得度が違いますね。短距離レースはこれまで二度走りましたが、私にとっては今までで1200m(一番短い距離)、それもGⅠレースです。事前に理解出来る事、把握出来る事は把握しておかなければ」

 

彼女に座学を請うたのはケイエスミラクルとダイイチルビーだ。二人とも今年のスプリンターズステークスに出走を表明しているウマ娘で、ケイエスミラクルは前々走のスワンステークスでダイイチルビー、ダイタクヘリオス、バンブーメモリーといった実力ウマ娘達がそろっている中、レースではダイイチルビーをクビ差抑え切りレーコード記録で勝利したし、ダイイチルビーに至っては既にGⅠ──安田記念を制している。

 

 

「いやいや、このくらいお安いご用っすよ。悩める後輩達の頼みっすからね! それにほら、アタシはドリームカップトロフィーへの移籍テストその1で座学の真っ最中っすから、むしろ良い勉強になってるっす」

 

「……そうですか」

 

アッハッハ! と軽快に笑うバンブーメモリー。彼女はすでにトゥインクルシリーズからの引退──ドリームカップトロフィーへの移籍を表明していて、現在はその移籍テストへ向けての準備の真っ最中だった。ダイタクヘリオスが勝利したマイルチャンピオンシップが彼女の引退レースとなったのである。

 

 

「一番最初に言ったっすけど、気にすることは何も無いっすよ」

 

二人の内心を見透かすように、バンブーメモリーは言う。

 

 

「ドリームカップトロフィーへの移籍テスト期間中だとか、惨敗続きで気を病んでいるんじゃないかとか、そういうのは一切気にする必要無いっす。先輩として当然の事をしているまでっすから」

 

「それは……」

 

実際、バンブーメモリーは大敗のことを気にしている様子は無かった。二人がアドバイスを求めに行った時も、喜々として指南役を買ってでてくれたのだ。ある種の遠慮を孕んでいた二人の杞憂を吹き飛ばすように。

 

 

「強いて気にして欲しい所があるとすれば……そうっすね」

 

うーむ。と腕を組んだバンブーは、先輩として当然の事を口にするように言った。

 

 

 

「二人とも、最後まで無事に走りきってくれ──これぐらいっすかね!!」

 

 

 

 

 

 

「お嬢が塩い! マジつらたん!! ソワソワするしムズムズするしなんなのこの気持ちー!!!」

 

トレセン学園の中庭にある木の虚に向かって、ダイタクヘリオスは叫ぶ。十分。叫び続けて(シャウトを始めて)もう十分が経過しようとしているが、サッパリ叫び終わりそうにない。

 

 

「ぴえええええええええん!!」

 

「はいはいどうしたヘリオス、またルビーにこっぴどく振られたの?」

 

道行くウマ娘達が遠巻きに眺めている中、唯一声を掛けに行ったのが彼女のずっ友であるメジロパーマーだ。ぴえんぴえんと鳴き続ける(誤字にあらず)ヘリオスの背中をさすりながら、彼女は詳しい事情を聞き出す。

 

 

「ふんふんなるほど? マイルチャンピオンシップ以降、ルビーの様子がおかしいと」

 

「おかしいっていうかー……避けられるようになった? 前までは絡めば反応して(ツッコんで)くれたのにそれも無いしさー!!」

 

「正確には高松宮杯の頃から片鱗はあったんだけどー」とヘリオスは語る。パーマーは「うーん」と腕を組んで

 

 

「親子三代での制覇と二大マイル戦覇者の栄誉を阻害されたヘリオスに、今までとは別タイプの苦手意識を持った……。は無いよね多分。あの娘って芯が強いから、大舞台で勝利をかっ去られた~っていう逆恨みをするような娘じゃないと思うし」

 

「それな! お嬢isストロング!!」

 

高松宮杯もマイルチャンピオンシップも、あの時のお互いの全てを賭けて戦い合った。そこに余分な物を挟む余地など無く、ただただ楽しくて、幸せで、アガれた瞬間だった。少なくともヘリオスはそう感じた。

 

 

「お嬢は自分に負けるような娘じゃないよ」

 

それだけは、それだけは確かなはずだと、ヘリオスはレース中に感じたルビーの覇気から確信している。

 

 

「んー。自分で言い出しといてなんだけど、ならなんで──」

 

「あの、なにかお困りですか?」

 

不意に後ろから声を掛けられた。振り返ると、ヤマニンゼファーが困惑したような表情でこちらを見ている。

 

 

「ゼファっち?」

 

「先ほどから中庭の方が騒がしいと風の便りで聞きまして……。そのまま中庭にやって来たらヘリオスさんとパーマーさんがなにやら真剣な表情でお話しされているものでしたので、つい」

 

「余計なお世話でしたらごめんなさい」と、ゼファーは改めて二人の傍に近寄った。

 

 

「そうだ! ゼファーなら何か知ってるんじゃないかな?」

 

「それ! ねぇゼッファっち! 私最近お嬢に避けられてる気がするんだけど何か知らん!?」

 

「……なるほど」

 

そういうことだったかとゼファーは独り言ちる。確かに以前のような騒がしい瑞風が二人の間から感じられなくなっていた。しかして、それは決して寂しいことでも不安なことでも無い。

 

 

「ただ単にそういう時期だというだけですよ」

 

今まで吹いていた風の方向が変わったというだけで、実際は何も変わっていないからだ。確かに高松宮杯でもマイルチャンピオンシップでもルビーはヘリオスに敗れたが、それを切っ掛けにルビーの芯が弱ったり欠けたりしたという事は無いだろう。

彼女の内心──ことの発端と動機は恐らく……。

 

 

「大丈夫です。きっとスグ元通りになりますよ」

 

だから、これはきっとただの杞憂だ。

 

 

「そかな? ……そうかも」

 

「ええ。必ず」

 

例えどんな事があっても、ダイイチルビーという至高の宝石は砕けない。──砕けない、筈だ。

 

 

「……っしゃー! そう思ったらなんか元気出て来た!! パマちん、ゼファっち、まじサンキュー!!」

 

「私は特に何かしてあげられたとは思えないけど……。うん。ヘリオスが元気になってくれて良かったよ!!」

 

「よっしゃー! 今から皆で併走しようぜい! お嬢とミラクルも誘ってさ!!」

 

彼女を心から慕う友がいる限り、太陽も宝石も、その輝きは色褪せることは無いだろうと、ヤマニンゼファーはこの時はそう思っていた。

 

 



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風が吹くまで 5

 

 

「……とまぁこんな感じなんだが、どうだ?」

 

「どうだもなにも、肝心の当人に聞いてみなければ分らん。一応、奴の希望に添えるところは添ったつもりだがな」

 

「だよなぁ。俺は割と上出来だと思うけんだど……。っと、噂をすればって奴かな」

 

「失礼します。すみません、ちょっと色々あって遅くなりました」

 

その日、ヤマニンゼファーはチームステラのトレーナールームに呼び出されていた。この数ヶ月ですっかりチームステラの一員として馴染んだゼファーだが、トレーナー室に名指しで呼び出されるのは久々で、珍しく強張っていた。

 

 

「色々とは?」

 

アキツテイオーが聞く。

 

 

「えっと、ラブリイさんと一緒に喧嘩の仲裁をしてたんです。ポッケさんとシリウスさんを慕う方達が、グラウンドの使用時間を巡って衝突寸前だったので」

 

「あ奴ら……」

 

「2対2対2のチームレースをして、勝った陣営の方針に従うって事になったんですが……、それにラブリイさんとチームを組んで出走してました」

 

「一応聞くがどうなった?」

 

「ギリギリですけど勝てました。ラブリイさんが力を貸してくれたおかげです。みなさん義理堅い人達ですから‘みんなで仲良く使いましょう’っていう方針に従ってくれていると思います」

 

はぁ……と大きな溜息を付くアキツテイオー。アウトロー同士の諍いなんて興味もないが、それが原因で関係の無い者達を巻き込むのはいただけない。「単に私がお節介を焼いただけですので」とゼファーは言うが、最悪ポッケとシリウスの両派閥から要らない恨みを買ってもおかしくなかった。

 

 

「まぁまぁ……。結果として上手く纏まったみたいで良かったじゃないか。──それで本題なんだがなゼファー」

 

これ以上お説教をする必要も話しを引き延ばす必要も無いと判断した柴中が話を本題に戻す。

 

 

「喜んで良い。正式にスプリンターズステークスに登録が完了した」

 

「!! じゃ、じゃあ──!」

 

「ああ……ルビーと一緒に殴り込むぞ。俺達チームステラがチームステラたり得る理由を示す時だ」

 

 

 

Qあなたのレースに掛ける想いは何ですか?

 

 

 

始めてそう問われた時、私はスグには答えを示せなかった。悩んでいた訳でもなく、口にするのを怖じ気づいていたという訳でもない。ただ‘私の感覚でしか分らない事’を言葉にすることが出来なかったのだ。

 

どうすれば良い。どうすれば‘風’の感覚を誰にでも分るように伝えられる。『どこまでも自由な物』というのは簡単だが、それはあくまで‘風’の説明であり‘レースに掛ける想い’ではない。数十分悩んだ末、私は‘私という風を皆さんに感じて貰いたい’と書いた。

ウマ娘の中でもほんの一握りしか入学を許されない中央トレセン学園の更に一つまみ。ホンの数十人にか出走を許されないGⅠレースという高みで、私は──!!

 

 

「私、出られるんですね。GⅠレースに」

 

スプリンターズステークスに出走登録が完了したという知らせを受けて、私の心はこれ以上なく弾んでいた。GⅠレース……GⅠレースだ。グレード制度で最高の、風と共に歩むようになる為には最高の舞台。

よもや本校へ転入してから一年と立たずに出走が叶うとは思ってもいなかった。最低でも一年は準備期間が必要だろうと踏んでいたから。まともに走る事さえままならなかった‘もやしっ子’時代からしてみれば夢のようだ。それもこれも柴中トレーナーやウイナーさんを始めとしたチームの方達や、虚弱体質が良くなるまで根気よく面倒を見てくださった休養寮の皆。応援してくれているファンの方々のおかげ……。どれだけ感謝してもしたりない思いである。

 

 

「ああ。と、いうわけでほい」

 

「それって──!!」

 

柴中から手渡されたその服をゆっくりと開く。それは見紛うこともなく、私のレースへの思いを反映させた勝負服だった。

 

ベースにしたのは「クワン・アオ」というベトナムの伝統衣装。パンタロ風のズボン‘クワン・ザオ’と上衣‘アオ・ザイ’を組み合わせた物のことをいう。中国服の影響を受けて成立していて、上衣の両脇に深いスリットが入っていて、そこからズボンが見えていた。色は、クワン・ザオが燃えるような真紅。アオ・ザイが紫がかった蒼で、二極化している。

 

 

「わぁ……!」

 

思わず感嘆の声が漏れる。イメージ通り……否、イメージ以上の出来だ。これなら‘風と共に走る’事が出来そうだと思わせてくれる。もう一つの案である‘風になる’事をイメージした勝負服とどちらにするか最後の最後まで迷ったが、いざこうして見てみると私には……。チーム‘ステラ’の一員である私には、こっちの方が似合っている。そう思った。

 

 

「気に入ったようでなにより。……大事にしてくれよ?」

 

「はい! 本当にありがとうございます、トレーナーさん!!」

 

深々と頭を下げてお礼を言う。勝負服の事について何度も何度も相談に乗ってくれたトレーナーさんの為にも、この勝負服は大切にしなければならない。

 

 

「礼なんて良いって。お前の走る姿に夢を見て、お前の夢を叶えるために勝手に手伝っただけなんだから。お前風にいえば‘勝手にお節介を焼いた’って奴だ」

 

「誇るが良い。勝負服を着てGⅠレースに挑むことが叶うのは、二千人以上の在籍数を誇る中央トレセン学園の中でもほんの一握りだ」

 

「はい! でも……」

 

それで満足はしない。満足など、出来るわけがない。私の目標はGⅠレースを勝利したその先にこそ在る(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

選び抜かれた数十人ではなく、たった一人の勝者にならなければ、その先には進めない。

 

 

「今のルビーとミラクルは強いぞ。他のウマ娘達だってそうだ」

 

「はい! だから私、もっともっと頑張ります!」

 

ならばこそ、頑張らなければならない。これまで以上に頑張って、先へ先へと進まなければ。そんな決意表明をされた柴中は「そっか」と嬉しそうに呟いて。

 

 

「よし! それじゃあ早速トレーニングと行くか!! 着替えてグラウンドに来い、今日は基礎練習をトコトンやるぞ!!」

 

「はい!」

 

柴中のからの指示を受け、ヤマニンゼファーは勢いよく部屋を飛び出して更衣室へと向かう。

 

 



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風が吹くまで 5 SS

少しずつでも毎日小説を書きたい。


 

 

 

「さぁ、今年もこの時期がやって参りました。年末屈指の大レースの一つ‘スプリンターズステークス’……いよいよ開幕です!!」

 

そのアナウンスを受け、わっ! と会場は一気に沸き立った。実況者はこの界隈ではお馴染みの赤坂(姉)アナウンサーだ。秋から冬にかけてのGⅠラッシュ。そのほぼ全てで快活かつ饒舌な彼女の声を聞く事が出来る。

 

 

「実況は私、実況といえば勿論姉の方の赤坂。解説は細江名誉トレーナーでお送りします。細江さん、今日もどうぞよろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「細江さん早速なんですが、今回のスプリンターズステークス。どのウマ娘に注目していくべきでしょうか」

 

「そうですね……」

 

若干言葉に詰まりこそすれど、そこは元中央のトレーナー兼解説者。ズバリ、二人の注目株をあげた。

 

 

「ダイイチルビー選手とケイエスミラクル選手ですね」

 

「おっと、やはりその二人ですか」

 

「ええ。ケイエスミラクル選手はこのところの数戦全てで調子が良いですし、ダイイチルビー選手は素晴らしい気合の乗り具合です。この二人は注目していて損は無いと思いますよ」

 

「なるほど。現在パドックにて各選手の挨拶が始まっていますが、ミラクル選手とルビー選手には特に注目していきたいところです」

 

 

 

 

 

「……すごい」

 

ゼファーの口から思わず漏れる感嘆の一言。ウマ娘達が目指す頂点。それを決める為の舞台に──GⅠレースに出走出来たということさえ夢のようだが、現実はそれ以上だった。

 

声援と共に観客石から伝わってくる、肌を焼くような熱気。パドックに立っているだけで感じられる、ウマ娘達の闘気。それらが混ざり合い、一つになったようにも思える自由な風。……ハッキリ言って想像以上だ。テレビや画面越し、観客席で見ている時のそれとは比べ物にならない。条件戦やOP戦で感じられたそれとは全てが──そう、全てが桁違いだった。

 

 

「ふふっ。やっぱりすごいよね、GⅠレースは」

 

「……ミラクルさん」

 

あまりの熱気にただただ呆けていたゼファーに、ケイエスミラクルが話し掛けてきた。流石──といって良いのかどうかは分らないが、凄く落ち着いている。

 

 

「いや? オレだって緊張してるよ。前回が初めてのGⅠレースだったけど、その時は今のゼファーと一緒で呑まれないように必死だった」

 

ダイタクヘリオスが勝利した‘マイルチャンピオンシップ’初のGⅠレース出走になったミラクルは奮闘するも三着に終わった。緊張もあったと言うが、見ている限りでは全くそうは見えない。落ち着いていて、穏やかで、どこか儚げな雰囲気を放っているいつものケイエスミラクルだ。

 

 

「そうなんですか?」

 

「うん。けど、誰だってそうだと思う。正しく世代の頂点を決める戦いだからね、GⅠレースは」

 

「……世代の頂点を決める」

 

ゴクリ、と唾を呑む。頭では分っていたつもりだが、やはり想像程度ではGⅠレースの凄さは推し量れなかったということか。全員が全員、死に物狂いで勝利と言う名の栄光を掴みに行く……。それがGⅠレースだ。

 

 

「本当の意味で平然としていられる娘なんて、それこそルビーぐらいじゃないかな?」

 

「ルビーさん……」

 

パドックは遠くの方で一人眼を閉じて瞑想をしているダイイチルビーを見る。その表情に憂いはなく、その言動に躊躇は無い。ただただ己の姿を光り輝く宝石の様に、その覇気を観客やライバル達に見せつけている。

 

 

「流石だね、ルビー」

 

ミラクルがルビーに話し掛けに行く。

 

 

「ご機嫌よう。ミラクルさん、ゼファーさん」

 

流暢ないつもの口ぶりで淡泊に返事をするダイイチルビー。漂ってくる覇気に、思わず身震いしてしまう。チームメイトであるゼファー、ルームメイトであるミラクルでも稀にしか見ない、完全完璧な‘高貴なる者(ゾーン)’状態だ。

 

 

「凄いな、相変わらずの完璧具合だ。ゾーンに入った君の調子を崩せるのなんてヘリオスぐらいだろうね」

 

「……申し訳ありませんが、今は極限まで集中したいので、急ぎのお話でなければどうか後に」

 

「ああ、ごめんね。大した事じゃないんだ。ちょっと聞きたいことと言いたいことがあっただけだから」

 

1テンポ溜めて、ミラクルは告げる。

 

 

「オレ、負けないよ。君にもゼファーにも他の皆にもね。このレースに勝って四度目の奇跡を起こす。起こしてみせる」

 

「…………」

 

「だから、約束。もし四度目の奇跡が起きたなら、話をしよう。君とボクとゼファー、それからヘリオスも一緒に、君とこれからのことを考えるんだ」

 

 



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風が吹くまで 6 SS

 

 

「……ふぅ」

 

中山レース場の最前席……の、更に前。最早お馴染みとなった関係者専用席で、柴中は軽く溜息を付いた。特段疲れている訳でも眠いわけでもないのだが、ここ最近はゼファーとルビーの最終調整で随分忙しかった。「お疲れですか?」と柴中の隣に座っていたニシノフラワーが聞いてくる。

 

 

「いや、一心地付いたなって思ったら自然と出てた」

 

「そうですか……。もしお疲れでしたら遠慮無く言ってくださいね?」

 

「そうだよトレーナー! ただでさえチームステラ(私達)の面倒を見てるのに、お願いされたら他の娘達のトレーニングにまで口を出して、メニューまで考えるんだもん。疲れが溜まってるなら早く言ってね?」

 

「ああ、ありがとな」

 

ニシノフラワーとヒシアケボノにお礼を言う。GⅠトレーナーとして忙しい日々を送っている自分を心配してくれるチームのメンバーにありがたさを覚えながら、柴中は前を向いた。

 

 

「それでどう? ルビーちゃんとゼファーちゃんの仕上がりは」

 

「万全……とは言い切れないな。特にゼファーの方はこれが初のGⅠ挑戦だ。負けるつもりで送り出したつもりは無いけど厳しい戦いにはなるだろうさ」

 

「ルビーちゃんの方は?」

 

「万全とは言えないけど、こっちは良い具合だな、気合の乗りようも力の入り加減も上々だ。入着は勿論、勝てる可能性は十分過ぎるほど在るよ」

 

「おお~」

 

三人でパドックの方を改めて見やる。何名かのウマ娘がパドックに並ぶ中、ルビー、ゼファー、そしてミラクルの三人がなにやら話をしている。

 

 

「ミラクルも良いな。前回が初のGⅠだったとは思えない落ち着き具合だ。二人に……否、俺達にとっちゃ厄介な好敵手の筆頭だろう」

 

「……勝てるでしょうか」

 

「さぁな。順当に行けば可能性は十分あるけど、ゼファーは兎も角ルビーは他のウマ娘達からマークされるだろうし、レースに絶対は無い。予想外の展開や事態が起こって有力なウマ娘が着外になる──なんて事があるのも珍しい事じゃないからな。ほら、ついこの間もあっただろう?」

 

「……天皇賞・秋の事ですか?」

 

「ああ」

 

相槌を打って、それから暫くの間沈黙が流れた。数ヶ月前に行なわれた天皇賞・秋でのメジロマックイーンの降着騒動。彼女にとって天皇賞春秋連覇が掛った大事な一戦で、見事に華々しい勝利を飾った──かと思われたその後。スタート直後に複数名のウマ娘の進路を斜行妨害したとして、メジロマックイーンは最下位に降着。当然ニュースを始めとした各種メディアにも取り上げられ、一時期は相当な騒ぎになった。

 

 

「トレーナーも相当怒ってたよね。沖野さんの胸ぐらを掴んで『テメェマックイーンにどういう指示しやがった!!?』だもん」

 

「大外を引いたら終わり──って言われてる天皇賞・秋のコースにも問題の一端はあれど、だからといってスタート直後にインに入りゃ良いってもんじゃない。あれは何度も何度も試行錯誤と専用の練習を繰り返して、初めて成立する策だ」

 

それを怠ったというのであれば、実際に斜行をしたマックイーンと、降着処分(そうなる)可能性が高い指示をした沖野にこそ、根本的な問題があるだろう。GⅠ免許の剥奪と数週間のトレーナー業務の停止処分……自宅謹慎程度で済んだのは奇跡に近い。なにせ、一歩間違えれば選手生命を絶たれるような怪我をしたウマ娘がいても不思議じゃなかった。実際、斜行の影響を一番受けたとあるウマ娘は、競走能力が三割ほど落ちるほどの大怪我を負ったのだから。

 

 

「そんな訳だからこのレースがどうなるか──なんて誰にも分らないよ。俺達が今から出来る事と言えばただ一つ。レースが何事もなく無事に終わってくれるのを祈るだけさ」

 

 



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風が吹くまで 7 SS

 

 

──華麗であれ。

 

眼を閉じ、心を静かにすればすぐさま聞こえてくるその声。

 

 

──至上であれ。

 

お婆さまの物、お母様の物、お父様の物、先生の物。

 

 

──他の誰よりも光り輝く、紅玉であれ。

 

小さな頃から何十回何百回何千回と聞かされ続けたその言葉が、今の私を形成している。……故に、迷いはない。……ゆっくりと眼を開ける。ここはターフの上。ゲートの前。周りにいるのはこの舞台、GⅠレースに出走する事を許された、選び抜かれた精鋭ウマ娘達。

 

GⅠレースに出走するのはこれで四回目だが、今までのレースと比べても、自分の体がかなり仕上がっているのを感じる。

 

 

「ふぅ……」

 

と少しだけ息を大きく吐いた。──よし、なにも問題は無い。

 

 

「次! 六枠十二番ダイイチルビーさん。ゲートの中へ」

 

係員に促されて、私はゆっくりとゲートの中へ入る。入ってからもう一度だけ眼を閉じた。……空気を通して伝わってくる様々な思いや感情を、内なる覇気で制するように、私は改めて眼を開ける。気がつくと、出走するウマ娘全員がゲートの中に収まっていた。……それを確認し、スタートダッシュの構えを取って──

 

『さぁ十六人揃いまして……体制完了!」

 

 

ガシャコン──!!

 

 

「ッ──!!」

 

ゲートが開く。

 

『スタートしました!』

 

 

 

 

『ほぼ揃いました。まず先手の取り合い、ハスキービーが好スタートを決めました。内から果敢にトモエリーゼント、トモエリーゼントが行きました、ハナを奪ってリードが一バ身から二バ身ぐらい。ハスキービー二番手、外からマイウーマン三番手です!』

 

 

(ッ──! やはり皆さん疾い(はやい)……!!)

 

分かっていた事だが、今までゼファーが経験してきたどのレースよりも激しく、そして高い(・・)。一瞬でも臆せばそのまま己を呑みこまんとするそれはまるで、超大型台風のようだとゼファーは思った。

 

 

『後は三バ身四バ身下がりましてナルシスシュバルツが出て参りました。外にはヤマニンゼファーが付けております。後はサクラヒューチャー、内を付いてレオプライズ、更にはケイエスミラクル──」

 

 

(……落ち着きなさい。別にスタートダッシュに失敗した訳じゃないんだから)

 

軽く息を吐いて周囲の様子を俯瞰する。現在の順位は六位。自分の周囲には前に二人、後ろに三人のウマ娘。その中でも自分の斜め後ろに控えているケイエスミラクルから感じられる覇気が凄まじい。

 

 

(大丈夫。落ち着いて……)

 

勝負は最後の2ハロン。最終コーナーを回って直線コースに入る少し手前の辺り。

 

 

(この位置だと直線での末脚勝負に掛けるしかない…………!!)

 

自由気ままな風と同様、レースは常に変動し続ける。この状態から打開するチャンスは必ずある筈だと信じ、微風は微風のまま、一瞬の隙も見逃さんと嵐の中にその身を伏し続ける。

 

 

 

『外を回りましてはカリスマグローリー、この一団にはパッシングロード、内を付いてアドバンスボアです。その後にはキオイドリーマー。ダイイチルビーは後ろから五番手くらい。あとはフジワディステニー後ろから三番手。三バ身下がってリンドスターが後ろから二番手、これを躱す勢いで5番のナイスパーマー上がっていった!』』

 

(うん、展開としては悪くない)

 

全力で走りながらもさも当然の様に、ケイエスミラクルは冷静に状況を俯瞰する。位置取り、展開、両者共に悪くない。現在六番手のヤマニンゼファーの斜め後ろという好位置に付けられた上、周囲を塞がれてもいない。

 

 

(ここから仕掛けるならやっぱり第4コーナー手前かな)

 

幾度も奇跡を起こしてきたその脚で勝利と栄光を掴むべく、ミラクルは徐々に進撃を開始した

 

 

『3、4コーナー中間を通過して第四コーナーへ向かいます。先頭はトモエリーゼント逃げてリードがクビほど、その外から並んで参りましたハスキービー!』

 

(よし、位置取りも展開も文句無し)

 

柴中は心の中でガッツポーズを取る。現在後ろから5、6番手のルビーだが、何も心配することはない。彼女なら……彼女の輝きならばここから十分に届く。不安があるとすれば同じく最高の仕上がりにしてきたケイエスミラクルぐらいだろう。

 

 

『さぁ第四コーナーをカーブ、外を回ってはマイウーマン、ケイエスミラクルが現在四番手位に上がってきた、内を付いているのはレオプライズで直線コースを向いています。その一団目掛けてナルシスシュバルツが追い込んでくる!』

 

柴中が予想した通り、最終直線手前で位置取りをあげてきたミラクルと、大外から一気に追い込みを掛けるダイイチルビーの一騎打ちになっただろう。──もしも何事も無かったら。

 

 

──グギィイッッ!!

 

 

という嫌な音がケイエスミラクルの足下から響いた。次の瞬間、先頭目掛けて躍進してきたミラクルがズルズルと後方へと沈んでいく。……あれだけの熱気で溢れていた中山レース場が静まり返る。

 

 

『ケ、ケイエスミラクル! ケイエスミラクルに故障発生!』

 

赤坂のアナウンスを受けて、ようやっと状況が動き出す。唖然としていた観客席、特にミラクルのファン達の悲鳴があちらこちらから聞こえてきた。

 

 

「──ッ! アケボノ! レースが終わったらスグに俺を抱えてミラクルの所に走れ!!」

 

「う、うん!」

 

柴中はすぐさまヒシアケボノに指示を出すと、再びレースに注目する。ケイエスミラクルの故障に対して動揺しているのは、当のミラクルや観客だけとは限らない。

 

 

(ルビー……! ゼファー……!!)

 

二人のウマ娘が何事もなく無事に走りきれるよう、柴中は改めて心の中で祈る。

 

 

 



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風が吹くまで 8 SS

 

 

「はじめまして。ダイイチルビーと申します」

 

ケイエスミラクルは初めて彼女にあった日のことを、今でも鮮明に思い出せる。寮の部屋で、初めて顔合わせをした時だった。

 

 

──華麗なる一族──

 

政界、財政界、そして当然、ウマ娘レースの世界にもその名を轟かせる一族の総称。その末裔だという彼女──ダイイチルビー。その第一印象は‘どこか似ている’だった。他の誰でも無い自分に、一種の親近感のような物を覚えたのである。

 

 

「未だ半人前にすら至らない未熟者ですが、どうかこれからよろしくお願いいたします」

 

寸分の狂いも無く、教科書に載せたいぐらいに綺麗なお辞儀。「こちらこそ、これからよろしく」と、たどたどしくも礼を返す。

 

 

「──さて、では早速ですが荷解きを始めましょうか」

 

その発言に若干の違和感を覚えたが、すぐに「それもそうか」と納得する。寮内は基本的に、入居しているウマ娘以外出入り厳禁だ。彼女のような高貴な出で立ちをしているウマ娘でも、自分の雑用は自分でこなさなければならない。指を鳴らせばどこからともなく黒服を着た執事が現われて雑用を代わりに──なんて漫画やアニメみたいな事は無いのだ。

 

 

「本来であればこのような雑事は執事がメイドに任せるのですが……出来ない以上は仕方ありません」

 

ボソリと呟いたルビーに「あ、やっぱり普通はやらないんだ」と小さく頷く。「当然です」と返された。

 

 

「華麗であれ、至上であれ、常に最たる輝きを──。一族の誇りであるその玉条に身命を賭さなければならない以上、雑事に時間を取られている暇はありません」

 

単に「面倒だから」ではなく、一族の為、使命の為ときた。言い訳や建前にも聞こえなくも無いが、少なくともダイイチルビーは本気でそう思っているらしい。

 

 

「ですがご安心を」

 

一拍置いて、ルビーは告げる。

 

 

「ルームメイトである貴方にまで私の都合を押しつける気はありません。どうぞ私に構わず、貴方は貴方の荷解きを……成すべき事をまっとうしてください。それが出来てこそ、私と生活を共にするウマ娘です」

 

光り輝く紅玉のような瞳から、溢れんばかりの情熱を感じたその日その瞬間を、ケイエスミラクルは何があっても一生忘れないだろう。

 

 

 

 

「ミラクルさん……!!」

 

思わず駆け寄りたくなる衝動を堪えて、ヤマニンゼファーは歯を食いしばりながら前を向いた。学校の授業でも習うし、トレーナーからも指示されていることだが、レース中に他のウマ娘が故障した場合、レースに参加しているウマ娘が駆け寄ったり手助けをしたりする事は禁止されている。

 

自分を応援してくれているファン達への裏切りになるし、故障したウマ娘への侮辱にもなるからだ。結果として、競走を中止するウマ娘が一人増える事になるだけだからである

 

 

「……ッ!」

 

人の心配をするのはレースが終わった後で良い。今は全力で駆け抜けることだけを考えろ。ゼファーはそう自分に言い聞かせると再び脚に力を入れ、懸命にターフの上を走りだす。

 

 

 

「……ツッ!?」

 

それを目視した瞬間。自分の中で「何か」に傷が付いたのを感じ取った。何かとはなんだと言われると上手く言えないが、兎に角、何かが傷ついたのだ。

 

あれだけ力が籠もっていた脚が、グラリと揺れる。‘お手本にさせたいぐらいだ’とトレーナーに言われた美しいフォームが大きくブレる。ただでさえ全力疾走で高鳴っていた心臓がドクンと高鳴る。

 

 

「いけ……!」

 

とてもではないが全力が出せるような心理状態では無かっただろう。──地に伏したケイエスミラクルからの一言が無ければ

 

 

「いけ! ……ルビー!!!!!」

 

「あ、ああ……!」

 

『坂を上がってさぁ、今度は一気に躱した! 先頭はダイイチルビー! ダイイチルビーやはり強い!! 凄まじい末脚!!』

 

 

「うぁああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

『二番手は接戦ナルシスシュバルツか、先頭はダイイチルビーゴールイン!! ダイイチルビーの圧勝でした!!』

 

 

 

そのアナウンスが響いた次の瞬間、柴中はヒシアケボノの背中におぶさってケイエスミラクルの元へと駆け出す。

 

 

「トレーナー!」

 

「左足を地面に付けさせるな!」

 

「はい!」

 

アケボノとフラワーに手を貸すように指示を出すと、柴中は怪我の程度を見るために脚を見ようとして……絶句した。

 

 

「左第一趾骨の粉砕骨折……!!」

 

当然、今彼らに出来る事は無い。精々骨折が悪化しないように支えるので精一杯である。

 

 

「ッ──担架を! 急げ!!」

 

一つの大レースが終わった後に待っていたのは、柴中の怒号と観客の悲鳴、……文字通り、一つの奇跡が終わった瞬間だった。

 

 



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風が吹くまで 9 SS

 

 

──トレセン学園──カフェテラスエリア──

 

 

「……ふわ、ああ……」

 

ようやっと一段落付いて、柴中は小さく欠伸をした。自分の眼前にウイナーがいようがお構いなしだ。「疲れているようだな」とウイナーが呟く。

 

 

「ああ、まぁね」

 

すっかり冷めた珈琲に手を伸ばすと、カップをグイッとあおって一気に飲み干した。

 

 

「どうした、随分と素直ではないか」

 

それほどまでに疲れているのか? とウイナーが暗に聞いてくるが、実際肉体的疲労はそこまでじゃない。精神的疲労はまぁ、そこそこ溜っているが。

 

 

「ケイエスミラクルの件でちょっと」

 

スプリンターズ(S)ステークス(S)で発生した、ケイエスミラクルの故障事件。当時の様子を生で、そして間近で見たトレーナーの一人として、詳細なレポートを学園及びURAに提出する事を求められた柴中。それ自体は別に良い。重度の故障とはいえミラクルはチームステラ(ウチのチーム)のウマ娘じゃないし、提出を求められたレポートも、大した疲労の蓄積にはならない。

 

問題は、ケイエスミラクルの故障によって発生する二次被害の方だ。

 

 

「ゼファーは兎も角、ルビーの方が……な」

 

先に言っておくが、別にタイムが落ちている訳ではない。人々を魅了したあの末脚とそのキレは健在だ。健在……なのだが。

 

 

「どうにも気勢に……覇気に欠ける走りをするようになっちまってさ。トレーニングや模擬レースなら兎も角、本番でどうなるかっつーと……」

 

ワシワシと片手で頭を掻く。それだけでも彼女にとってケイエスミラクルの存在が大きかったのかうかがい知れるが……。問題は更に深刻だった

 

 

『ケイエスミラクル、現役復帰は絶望的か──』

 

スポーツ新聞の一面にデカデカと書かれたその文字を見る。ケイエスミラクルに発生した故障はただの骨折ではない。粉砕骨折……粉砕骨折だ。左第一趾骨が見事なまでに砕け散っていたのである。一歩間違えば命に関わっていたその故障に、彼女のファンは「助かっただけ良かった」と安堵するほかなかった。

 

 

「自主的な引退も十分ありえる──つーかあいつの主治医はそれを勧めてるらしい。‘これ以上無茶をしたら二度と歩けなくなるかもしれない’ってな」

 

「……なるほどな」

 

同室であり、互いにリスペクトし合ってきたルビーの心情は推し量るにあまりある。一族としての重圧と世間からの期待にはめっぽう強い彼女だが、こうした……自分でも自覚が無い内に心に芽生えていた‘なにか’を砕かれるのは初めてなのだろう。

 

 

「……傷が癒えるには時間が掛りそうか」

 

「はぁ」とウイナーは大きく溜息を付いた。安田記念とスプリンターズステークスを制し、来年の短距離・マイル路線の主役になり得る存在になったダイイチルビーだが、こうなってしまっては仕方がない。身体の傷は癒えても、心に刻み込まれた傷は中々癒えない。

 

 

「奴は……ヤマニンゼファーはどうだ?」

 

ケイエスミラクルの故障を間近で見たもう一人のウマ娘の方について聞いてくるが、そっちはほぼ問題ない。

 

 

「タイムも良いし、気勢も申し分無いよ。皮肉な話しだけど、休養寮での経験が活きてるらしい」

 

「いちいち気に掛けてはいられない……と言う事か?」

 

特殊な体質を持って生まれたウマ娘達が集う‘休養寮’。どうやっても体質が改善せず、本校に転入できずに‘折れた’ウマ娘を、ゼファーは何人も何人も見てきたのだろう。

 

 

『本当に悲しいですけど、じゃあお前に何か出来るかって言われると……何も出来ませんから。せめて気持ちだけは前を向いていなくちゃやっていけませんよ』

 

ケイエスミラクルに発生した故障は誰もせいでもなく、誰を責めて解決する問題ではない。ならば気にしたところで仕方がない。お見舞いにも行くし、激励の言葉も掛けるが、それ以上の事はしないし出来ない。結局の所、引退するか(諦めるか)どうかを決めるのは、ミラクル自身なのだから。

 

 

「二人の次の目標は?」

 

「ゼファーが年明けの‘サンライズS’。ルビーが間を開けて、三月の読売マイラーズCにしようと思ってる」

 

「妥当だな。そよ風は熱が冷めん内に。紅玉は休養期間を設けて動くのが良かろう」

 

「ああ。あいつに火を付けてくれた‘大先輩’には感謝しないとな」

 

そう、今のヤマニンゼファーは内に情熱の火が灯っている。それもこれも、あの‘大先輩’の……ダイユウサクのおかげだった。

 

 

 



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風が吹くまで 10 有馬記念

 

 

──話しは一週間前の有馬記念に遡る。

 

 

 

「さぁ、今年もやって参りました締めの大一番。年末の中山で行なわれる夢のグランプリ、有馬記念! 貴方の夢、私の夢は叶うのか!!」

 

暮れの中山レース場といえば‘有馬記念’だ。ターフは芝、距離は2500Mの長距離。当初「中山グランプリ」と呼ばれていたそれの歴史は長く、一つ一つ解説するにはあまりにも時間が掛るため、ここでは省略する。大事なのはこのレースがファンからの投票によって出走権利が与えられる‘グランプリレース’であることだ。極端な話をするが、年間無敗の100勝ウマ娘がいたとしても、ファン達から票を選ばれなければURAからの推薦枠でしか出走出来ない。

 

ファン達に夢を見せた者。このレースに参加して欲しい、また夢を見させて欲しいという願い。有馬記念は、そんなファン達の想いに応えるためのレースだ。

 

 

「ところでお前、誰に投票した?」

 

観客席の最前列で、みなみと呼ばれている眼鏡を掛けた小太りの男が、隣に立っているますおと呼ばれているパーカーを着た男に問いかける。「そりゃマックイーンだろ」と即答された。

 

あの名門、麗しきメジロ家の令嬢であるメジロマックイーンが現役最強のウマ娘である事を疑う者は誰もいない。斜行事件があった秋の天皇賞は失格になってしまったとはいえ、プレクラスワンに六バ身もの大差を付けてゴールしていたし、ジャパンカップも不得意な展開──最後の直線コースでの末脚勝負になってしまったとはいえ、四着に食い込んでいる。ファン投票だけではなく、実際の勝ちウマ娘投票でもどうどうの一位だ。

 

 

「ま、かくいう俺もそうなんだけどさ」

 

「みんな見たいんだよ。マックイーンの復活劇を」

 

あまりにも強すぎるが為に世間から「退屈」とまで言わしめる彼女が、このグランプリレースで復活するところが見たい。ウィニングライブでセンターに立って欲しい。これはマックイーンに投票した人ならば誰もが持つ願望だった。

 

 

「だけど他の娘達も粒ぞろいだ。レースに絶対は無い。正直な話し、俺は彼女が勝つって自信を持って言いきれないよ」

 

不知火賞から京都新聞杯まで四連勝。前走の鳴尾記念でも見事に勝利を収めたナイスネイチャに、天皇賞ウマ娘のプレクラスワン。宝塚記念でマックイーンに勝利しているメジロライアンに、マイルチャンピオンシップ勝者のダイタクヘリオスと、少しの油断も許されないような面子ばかりだ。

 

 

「だなぁ。……他にも面白そうな娘が何人か出てたけど、その娘達にも頑張って欲しいよな」

 

「ああ。例え誰が勝とうと感動できる、悔いのないレースがみたいもんだな」

 

 

 

 

 

「……で、お前の言う所の先輩……ダイユウサクの調子はどうだ?」

 

──今回はチームから出走者はいない為、関係者席ではなく普通に観客席──で、柴中はゼファーに聞いた。彼女は自信満々に「勝つのは先輩です!」と宣言する。

 

 

「先々週行なわれたOP戦も調子が良かったですし、今朝も──『聞いて聞いて! 私、今日のレースで勝つ夢見ちゃってさ!! しかも枠順も面子も実際のそれと寸分の狂い無し!! 身体も心も絶好調! 期待して見ててよね!!』──との事でした」

 

ハキハキと自信を持って答えるゼファー。彼女は自分の先輩が──ダイユウサクが勝利する事を微塵も疑っていない。例え現役最強ウマ娘が相手だろうと勝つのは先輩だと、彼女にしては珍しい事に鼻息を荒くしている。

 

 

「今更ですけど、トレーナーさんには感謝しています。私達のチームの誰かがが出るレースじゃないのに中山まで連れて来て頂いちゃって……」

 

「気にすんな。短距離特化のチームだからって短距離とマイルのレースばかり研究するわけじゃないし、俺もお前の「先輩」ってのが気になったからな」

 

本来、短距離からマイル専門のチームであるステラが長距離レースである有馬記念をワザワザ現地に見に来る必要性は少ない。今日だって本当はゼファー一人で中山レース場まで足を運ぶつもりだったのだ。その事を柴中に話した所『俺も一緒に行って良いか?』と誘われたと言う訳である。

 

 

「あはは……。でも、本当に期待して良いと思いますよ。今のダイ先輩はなんかこう……究極に仕上がっていますから」

 

前走のOP戦を解消し、有馬記念に出走が決定してから何回も何回も併走に付き合ったゼファーには分る。今の大先輩──ダイユウサクは本当に強い。正確にいうと、強いとか弱いとかいう言葉がちゃちなそれに見えるぐらい仕上がっている。「へぇ……」と柴中は感心したように頷いた。

 

 

「お前がそこまで言うなら、俺も期待してようかな」

 

「はい! ……っと、ちょっと失礼しますね」

 

ゼファーがスマホを見ると、見た事の無い番号から電話が掛ってきていた。一瞬躊躇うも、素直に電話に出る。

 

 

「はい、ヤマニンゼファーですけど……え、ダイ先輩!?」

 

『あ、あはははは……ゼファー、ちょっと面倒掛けるんだけどさ……。お願いしたい事があるんだよね……』

 

数秒後、事情を把握したヤマニンゼファーの「えええええええええええええ!!?」という絶叫が周囲に響き渡った。

 

 



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風が吹くまで 11 有馬記念

 

 

「──とまぁそんな訳で俺からは以上だ! 何かあるか、マックイーン」

 

「そうですわね……。強いて言うのであれば、対抗ウマ娘について、もう一度聞かせてくださいませんか?」

 

中山レース場は、チームスピカに用意された控え室で沖野とマックイーンは作戦会議をしていた。無論、今日のメインレースである有馬記念で勝利するためだ。仕上げは上々。タイムも調子も文句無しの今のマックイーンに敵う相手など早々いないだろうが、それでもレースに絶対は無い。この前のジャパンカップだってそうだった。

 

 

「ん、そうだな……。仮に今のお前に食らいつける相手がいるとすれば‘ナイスネイチャ’と‘プレクラスワン’だろう」

 

やはりその二人になるかと、マックイーンは頷く。‘ナイスネイチャ’は公言こそしていないものの、あのトウカイテイオーが認める数少ないライバルだし、プレクラスワンは先の天皇賞での屈辱の勝利を払拭するべく、猛特訓をしてきているという噂だ。

 

 

「あとはそうだな……ダイタクヘリオスのバカ逃げペースには素直に乗らないようにしろってぐらいか」

 

「マイルチャンピオンシップでの事ですわね。ええ、承知しておりますとも」

 

マイルチャンピオンシップを制覇して、マイル女王の座を手に入れたダイタクヘリオスも決して侮れない。スタミナの削り合いなら負けるつもりはないが、超ハイペースな展開になった場合、それにむざむざと乗ってしまった場合、ヘリオスと共に自爆しかねない。

 

 

「……やっぱいつもより緊張してるか? マックイーン」

 

「!? そ、そんなことは……」

 

冷静ながらもどこかぎこちなさを見せるメジロマックイーンに、普段のそれとは一線を越す真剣な表情と言動で話し掛ける沖野。やはり、数ヶ月前の天皇賞・秋で起こった降着事件の事が響いているのだろう。

 

 

「……何度も言ってるだろ? 碌な説明もしないであの指示をお前に出したのは俺だ。お前が、お前だけが原因じゃあない」

 

‘荒れているであろう外はなるべく通るな’‘お前お得意の先行策でインに入って、好位置をキープし続けろ’沖野がマックイーンに出した指示はこの程度の物だったが、それでああいう動きになってしまうのは仕方がない。一時は「悪いのは全部俺だ」と退職届を理事長に提出しようか本気で悩んで、東条ハナや柴中に滅茶苦茶キレられた位だ。

 

『自分のウマ娘の不祥事を一緒に背負わないで何がトレーナーだ』という二人の声でようやっと目を覚ました沖野の努力と誠意がマックイーンや天皇賞・秋出走していたウマ娘達。マスコミ各社に伝わった事でなんとか事件のほとぼりを冷ますことが出来たが、レースで出来てしまった傷は、レースでしか癒やせないのもまた事実だ。

 

 

「あの時も言っただろ? 大丈夫だ。お前が背負ってるもんを、俺も全部背負う。良い事も悪い事も全部だ」

 

「トレーナーさん……」

 

「お前らしいレースを、お前の走りを見せてくれ、マックイーン」

 

思わず涙ぐんでしまいそうになるのをグッと堪えて、メジロマックイーンは頷く。そうだ。今の私には、憂いなど微塵も無い。

 

──すみませーん!

 

メジロの一員として、チームスピカの一員として、今度こそ、誇り在るレースをするのみだ。そして、それが出来た時には……

 

ちょっと通してくださーい!!

 

 

……? なんだか妙に通路の方が騒がしいと、メジロマックイーンは訝しむ。一体何事かとドアを開けて外の様子を伺えば、学園内で見た事があるような気がするウマ娘二人が通路で騒いでいた。

 

 

「先輩! 急いで急いで!!」

 

「分ってる、分ってるってば!」

 

何やら随分と焦っているらしい二人は、通路を一気に駆け抜けて検量室へと入っていった。

 

 

「……なんなんですの? 一体……」

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ……ホント助かったよ、ありがとねゼファー」

 

「いえ、これぐらいどうってことないですよ。間に合って良かったです」

 

検量を終え、出走登録受け付けを無事に済ませてようやっと落ち着いたのか「たはは……」と頭を掻くダイユウサク。よもやよもやだが彼女は大一番の今日、中山レース場に遅刻するところだったのだ。迷子の子供を親元へ送り届けていたら、自分が迷子になってしまったということらしい。

 

晴れのGⅠレースが遅刻で失格になりかけるウマ娘など前代未聞だ。間に合って本当に良かったと、ゼファーもため息を吐く。

 

 

「スマホの充電が切れてて検索機能は全滅。こういう時に頼りになるのがトレーナーなんだろうけど私はほら、フリーだから」

 

「先輩……」

 

フリーと言えば聞こえは良いが、様はトレーナー不在な上、チームにも入っていないウマ娘のことだ。悪く言ってしまえば‘トレーナーに見捨てられた’のとほぼ変わりない。フリーのウマ娘は本当に大変だ。普通はトレーナーがするべき出走登録やトレーニングプランを一人で考えて実行しなければならないし、その他雑用も自分一人でやらなければならない。学園側も「教官」の数を増やすなどしてフリーのウマ娘達のサポートに当たっているが、現状ではとても「何とかなっている」とは言えない。

 

 

「アンタが応援に来てくれててホント助かったよ、ゼファー。休養寮の娘達でもよかったんだけど、あの娘達の前では‘憧れの大先輩’でいたいからさ」

 

もう何度目になるかも分らないお礼を言う。彼女が「必ず応援に行きます!」と前もって連絡してくれていなければ、誰に頼れば良いのか途方に暮れてしまっていただろう。最悪の場合、遅刻で失格──なんて笑い話にもならない事態になってしまっていたかもしれない。

 

 

「そんな、お礼なんて良いですよ。私も先輩のレースが見たかったんですから」

 

素直に感想を告げる。そう、今日この日まで何度も何度も併走に付き合ったゼファーにはよく分る。今のダイユウサクは強いとか弱いとか、そういう次元で計り知れない高みにいる。レースに出るウマ娘が一生に一度、到れるか到れないかの究極の境地と呼んで差し支えないそれだ。

 

「そっか」とダイユウサクは小さく呟いて

 

 

「そんじゃ、観客席で見てなよ、私の走り。憧れの‘大先輩’の晴れ舞台、その目に焼き付けさせてあげる!」

 

「はい!!」

 

大先輩らしい、威風堂々とした姿勢と態度で、ビシッ! と宣言した。

 

 



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風が吹くまで 12 有馬記念

 

 

「この際だからハッキリ言っておくが、君にレースの才能は無い」

 

小さい頃に通っていたスクールの先生から何度も何度も言われた事を思い出す。あれは確か、五歳の時だった。

 

 

「タイムは平凡以下、フォームもぎこちない、オマケに驚くほどの虚弱体質。申し訳無いが、私に何とか出来る範疇を超えているよ」

 

そう、何度も言われたとも。元々の超虚弱体質に加え、私にはそれを補える程の力も才能も無かった。

 

 

「才能は努力で補える……とは言うが、君はその中でも特別だ。だから──」

 

‘諦めて別の道を探した方が良い’そんなの、最初っから分ってた。他の誰でもない私自身が、よーく分っているとも。──だから

 

 

「絶対に嫌です」

 

だから、諦めない。諦められない。子供の頃にレースで見た、神々しいまでの輝きを放つ伝説のウマ娘。史上二人目の三冠馬にして五冠馬。彼女の走りが、瞳の裏に焼き付いて離れなかったから。

 

 

「私は、いつか必ず──!」

 

何時か必ず、GⅠを勝利する様なウマ娘になる。彼女が見せたあの輝きに、ホンの少しでも近づきたい。そんな思いの丈が通じたのか、中央トレセン学園のスカウトマンに目を付けられた私は、休養寮に入寮する事を許可されたのだ。

 

最初はそりゃあもう大変だった。まず私の体質は先天的かつ特殊なもので、良くはなっても完治は見込めないと一番最初に宣告された。トレーニングはレース教室のそれと比較にならないぐらい厳しかったし、模擬レースではいつも大惨敗。体調が悪すぎてベッドから動けないなんて日も珍しくなかった。──それでも諦められなかった。

 

毎日毎日必至にトレーニングを積み重ね、体調が悪い日はベッドで座学をし、出れる模擬レースや合同トレーニングには必ず出席した。その成果か、少しずつ、ホンの少しずつだが体質は確実に良くなっていった。トレーニングをする事が出来る時間も増えてきて、心身共に余裕が出て来た。模擬レースで初めて勝てた日の感動と興奮は、今でも忘れられない。

 

そうこうして休養寮での日々を過ごしているうちに、気がつけば私は入居者の中で一番先輩になっていた。自分より入居時間が長い娘は全員卒業と言う名の退去をしてしまっていたから。‘ダイユウサクって名前の先輩だからダイ先輩’と初等部の娘達から親しみを込めて呼ばれ始めたのはそれからになる。

 

そして──

 

 

「あの、ダイユウサク先輩ですよね?」

 

彼女──ヤマニンゼファーと初めて会ったのは、ダイ先輩と呼ばれるようになってからおよそ一年が経った頃だった。

 

 

 

 

 

芝右2500m / 天候 : 晴 / 芝 : 良 /開催日:十二月二十二日

 

 

 

 

 

『さぁ、今年のトゥインクルシリーズの総決算! 第○○回有馬記念!!

 

『十二万のファンが見守る中、ファンファーレが流れまして、まずメジロマックイーンがゲートに誘導されました』

 

『細江さん今回のレースですが、やはりツインターボが逃げを打つというのは間違いないでしょうね』

 

『ええ、まず間違いないと思いますよ。それから少し離れてダイタクヘリオスといった感じではないでしょうか』

 

『そうですか。さぁ、メジロマックイーンが最内枠1番ですが、どの辺りで外に持ち出すのか、注目して頂ければと思います』

 

やっぱりというか何というか、マックイーンに対するコメントが多いなとそのウマ娘──ナイスネイチャは思った。まぁそれも仕方が無いだろう秋天の降着事件、ジャパンカップでの四位入着を含めてもやはり『国内現役最強ウマ娘はメジロマックイーン』という認識はブレない。

その圧倒的な安定感から繰り出される走りは正に圧巻で、一度でもその魅力に捕われれば抜け出すのは容易ではない。そんな観るものを惹き付けるある種のカリスマ性が、マックイーンには備わっている。

 

 

(でも、私達だって──!)

 

拳をギュッと握りしめ、決意をより一層固める。前哨戦の鳴尾記念では見事に1着となったし、身体の調子もすこぶる良い。カリスマ性なんて物が無くともレースには勝てるって所を、世間に見せてやらなくてはならない。

 

──そして、もしもこのレースで勝てたなら──

 

 

「ブルルルルルルルるン! ターボは今日も絶好調だー!! 完・全・燃・焼するぞー!!」

 

「…………」

 

自分のすぐ横で両手をグルグルと回して無駄な体力を消費しているそのウマ娘がどうしても気になり、ナイスネイチャはここで一旦思考を途切れさせる。

 

 

「あの、ターボさんターボさん。レース前なんだからもうちょっとお静かにですね……」

 

「静かになんかしてられないぞ! 今日は、今日こそはターボが勝つんだもん!! 絶対に勝つもん!!」

 

ウガーッ! と両手を高々と天へ振り上げて絶叫する。この娘──ツインターボのレース前はいつもこうだ。気合が入るのか何なのか、やたらとギャギャー騒ぎ立てる。彼女にとって今回が初となるGⅠレース……な筈なのだが、まるで緊張している様子がない。それもまた一つの強みかな、とナイスネイチャは内心で独り言ちた。

 

 

(実際、あの逃げでペースを崩されると危ないんだよね)

 

こう見えて(失礼)だが、ツインターボは重賞ウマ娘だ。前走前々走となるGⅡ、GⅢのレースで2着に入っている所からしても、その実力は本物と言って差し支えない。今日は11番人気だが決して軽視できるウマ娘ではないことを、同じチームであるナイスネイチャはよく知っている。

 

 

「まぁでもやっぱり……」

 

主役と呼べるウマ娘が放つ‘キラキラ’の前では霞んでしまうと、ナイスネイチャはメジロマックイーンを一瞥して思った。

 

 

「…………」

 

 

凄まじい集中力だ。彼女の持つ決意が、覇気か何かになって見えそうなぐらいのそれ。

 

 

(……反則でしょあれは)

 

同期の‘天才’トウカイテイオーだけではない。シニア級にはテイオーに匹敵するどころか凌駕するかもしれないウマ娘がいて、自分達はこの先、ずっとそんな怪物と戦わなくてはならないのだ。

 

 

「だけど」

 

──それでも私は勝ちたい。否、勝つ。例え現役最強のウマ娘が相手だろうと、勝ちたいって気持ちでは絶対に負けていないから。

 

決意を口には出さず、ナイスネイチャは少しでも集中力を高めるためにマックイーンを見習って瞑想を開始──。

 

 

「うわーおっ! 良いね良いねターボ、ノリにノッてんじゃん! ホンじゃ私も便乗してアゲてくぜウェーイ!!!」

 

「…………はぁ」

 

──することは出来なかった。ターボに感化されたのか、笑いながら走るウマ娘として有名なダイタクヘリオスまで騒ぎ始めたからだ。結局、自分はこういう役回りがお似合いなのかなと、ナイスネイチャは二人に対してお説教を開始する。

 

 



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風が吹くまで 13 有馬記念

 

 

「みんな行くよ! せーっの!!「「「「頑張れ! ダイせんぱーい!!」」」」

 

中山レース場の最前列席に、快活な応援が響く。言わずもがな、ダイユウサクの応援に駆けつけた休養寮のウマ娘達だ。みんな一重にダイユウサクの事を必死に応援している。

 

 

「去年の天皇賞秋も、今年のマイルチャンピオンシップの時もそうだったけど、本当にGⅠレースに出れるなんてやっぱスゲーぜ先輩は!!」

 

「なに言ってるのよ、あったりまえでしょ!? 先輩は今年のスポニチ賞金杯(GⅢ)を勝った重賞ウマ娘なのよ! 今回だってきっと良いところまで食い込んでくれるわ!!」

 

「そ、そうだよね! きっと良いところまで……マイルチャンピオンシップと同じで、入着するぐらいならきっと……!」

 

ワイワイがやがやと騒がしい応援がこだまする。「あんたはどう思う?」とつい先ほど柴中と共に合流したゼファーに話が振られた。

 

 

「ダイ先輩が勝ちます」

 

少しも疑っていない声色で宣言する、「おー……」というなんとも言えない声がウマ娘達の口から漏れた。無論、ダイユウサクに負けて欲しくなど無いが、逆に言えば華々しい勝利を飾る場面を想像出来なかったのも事実だ。

 

 

「す、凄い自信ね。何か根拠があるの?」

 

「ええ。今日この時、このレースなら、先輩が勝ちます。なんていうかこう……今の先輩は、私達の理想です」

 

「いや、あのさゼファー。悪いんだけどもうチョイ具体的に言ってくんない? アンタ前から──「始まりますよ」ちょっと!?」

 

シーッ! と人差し指を口にして押し黙らせる。これ以上何かを語る必要は無い。後は結果が全てを語るだろう。

 

 

 

『さぁ、どうやらゲートイン完了しました! グランプリレース、有馬記念!!』

 

 

 

──ガシャコン!

 

 

 

『スタートしました!!』

 

『十五人綺麗なスタートを切っています。さぁ、逃げ宣言のツインターボが行くのか!」

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃ! ターボダーッシュ!!」

 

『やはりツインターボが行きました。そして4番のダイタクヘリオスにあとはプレクラスワン、前がかなり早くなりそうであります』

 

「アッハハハ! 良いじゃん良いじゃん!! これが噂のタボちんの逃げか! 思わずつられてペースを上げそうになっちゃう!!」

 

『そして注目のメジロマックイーンは現在七番手、マックイーンは七番手であります』

 

(──ッ! トレーナーさんの忠告を思い出しなさい)

 

‘ツインターボの逃げには容易く乗るな’

 

(……どうぞ、好きなだけ先頭の景色を見ていてくださいな)

 

最後の最後。ゴールする時にはその席を譲っていただきますがと、メジロマックイーンは冷静に後方へと控える。

 

 

『さぁ正面スタンド前に十五人がやってきました。逃げ宣言の12番ツインターボがペースを作ります。その後ろには天皇賞ウマ娘・プレクラスワンが控えています。その後ろからダイタクヘリオス現在三番手。その後ろにソンチョウジョウジが四番手、その後方カリブパイレーツが五番手、さらにフジサンケンザン、その内にはトキノミュージック、更にその後ろに注目のメジロマックイーンとメジロライアンがいる。メジロが二人、中段で競り合っております』

 

「ッ──好きにはさせないよマックイーン!」

 

マークするべき相手は端から決まっていると、メジロライアンはマックイーンをピッタリマーク。それに便乗するようにマックイーン包囲網に加わるのがカリブパイレーツ、フジサンケンザン、トキノミュージック、ヤマニンワールド、ナイスネイチャだ。全員が全員、いつどのGⅠレースで勝利してもおかしくない名ウマ娘ばかり。

 

 

『3番のヤマニンワールドが内々を付いています。ナイスネイチャはマックイーンをマークするようにピッタリと付いています。更にその後方にプリンセスシンとメインマジシャン。ポツンと最後方から行っているのがゼンノウオースミであります』』

 

……そんなマックイーン包囲網を前にして、それでも大きく崩れないのがメジロマックイーンというウマ娘である。彼女はこの包囲網を前にしてたった一息溜息を付いただけだった。冷や汗一つ掻いてはいない。

その事実に驚愕しながら、メジロライアンは変わらずナイスネイチャ共々マックイーンをマークし続ける。

 

 

『さぁ1コーナーから2コーナーに回っていきます。先頭は、逃げ宣言12番ツインターボ、三バ身から四バ身にリード! そして天皇賞ウマ娘、プレクラスワンが二番手であります。さらに、ダイタクヘリオスが三番手、ソンチョウジョウジ四番手、2番のトキノミュージック五番手であります。その後方フジサンケンザンがいます、アウトコースを通ってカリブパイレーツ』

 

ここまでの実況を聞いて、ダイユウサクの作戦が上手く言っていることを確信したゼファーは思わず口元を緩める。実際にどうなっているかは分らないが、少なくとも実況解説の二人はダイユウサクを少しも気に掛けていない。それは、ダイユウサクの作戦がピッタリとハマっている根拠になり得た。

 

 

「ダイ先輩もいるのに……」

 

と初等部のウマ娘が不満げに漏らすが、だからこその好機。メジロマックイーンという強大な存在がいるからこそ、その影に隠れてジャイアントキリングを狙えるという物だ。

 

 

『そして依然としてメジロが二人! メジロマックイーンとメジロライアンが並んで行っている!! 更に三番のヤマニンワールド、ナイスネイチャは引き続きメジロの二人をマークする形、ダイユウサクもいます!』

 

(あ、やっと呼ばれた)

 

まるでついでのような一言で片付けられたが、ようやっと実況に‘ダイユウサク’という名称が入った。……これならばやはり問題ない。書いて字の如く伏する兵となったダイユウサクは、ジックリとその刃を突きつける時を待ち、脚を為続ける。

 

 



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風が吹くまで 14 有馬記念

 

 

『さぁ、いよいよ第3コーナーに掛ります。ペースは依然として速いペースになっている。さぁ、ツインターボが僅かに先頭ツインターボが僅かに先頭! プレクラスワンがスッと交わして先頭に立った!! 天皇賞ウマ娘・プレクラスワン! 更にダイタクヘリオス!!』

 

「ハァッ……ハアッ……!!」

 

(勝つ……勝つんだ、マックイーンに!)

 

ツインターボを壊滅させて先頭に躍り出たのは今年の天皇賞・秋の覇者、プレクラスワンだが、その胸の内は使命と決意に燃えていた。なにがなんでも勝って、なんとしても返上しなければならない。六バ身ちぎられた天皇賞ウマ娘という汚名を。今度こそ、真のGⅠウマ娘になるために──! 

 

 

「────────」

 

「「「ッツ──!!?」」」

 

その瞬間、ドクン、とターフの上で空気が変わった。何事かと言われれば単純なのだが──マックイーンが溜めていた脚を徐々に解放し始めたのだ。

 

 

「ハァアアアアアアアアア!!!」

 

「クッ……ソぉ……!!」

 

今この瞬間はまだ自分が先頭だが、嫌でも分る、分ってしまう。きっとゴールする時には彼女は私の前にいる。圧倒的なスタミナと落ち着いた集中力で、他のウマ娘をジワジワとすり潰す(・・・・)。メジロマックイーンが最も得意とするレース展開だった。

 

 


 

 

「突然すみません。どうしても先輩に聞きたい事があるんです」

 

ヤマニンゼファーは遠慮こそするが、聞きたい事を躊躇うようなウマ娘ではない。「なに?」と話の続きを促したダイユウサクに、彼女は遠慮無く聞いてきた。

 

 

「先輩はどうして休養寮にいるんですか?」

 

「どうしてって……」

 

決まっている。自分でも信じられない程の虚弱体質で、トレセン学園の入学試験に合格できなかったからだ。もっつと正確に言えば休養寮専門のスカウトマンからスカウトを受けたから──だが。

 

 

「はい、それは分っているんです。でも、もうかなり前に遠藤院長先生から退寮の許可を頂いてますよね? なんで本校の方に行かないんです?」

 

「……誰から聞いた?」

 

ホンのわず穴苛立ちと怒気を含めた声で聞く。苛立ちと怒気の原因は自分にあると分ってはいるのだが、どうしてもこういう言い方になってしまう。「心の根深いところにズケズケと入り込みやがって」という意味も含めていた。

 

 

「すみませんがお話しできません。そういう約束なので」

 

「……別に、本校でズタズタに負けるのが怖いとか、そういうんじゃないんだよ。ただそう……休養寮(ここ)が心地良いからさ」

 

医者やその筋の専門家にすら匙を投げられた特殊体質を持ってしまったウマ娘達が集う場所──休養寮。ここの空気が酷く心地良「嘘ですよね?」

 

 

「……」

 

「それは貴方の本心じゃない。だって、ここの空気悪いんですもん。今すぐ換気をしたいぐらいに」」

 

似たような痛み。似たような苦悩を抱え込んだウマ娘達が集う場所。同じような傷を持っていればこそ、過度な馴れ合いは必ず起こる。

 

 

「言うじゃない」

 

一歩前に踏み出して、ヤマニンゼファーの方に詰め寄る。

 

 

「あんたにもスグに分るよ。そんで、スグにここから出て行きたくなるか、休養寮(ここ)の空気が心地良いと感じるようになる。ここはそういう場所さ」

 

「このまま何もしなければそうでしょうね」

 

動揺一つせずに返された。まるでそういう言葉が返ってくる事を予想していたかのように。

 

 

「何もしなければ……? アンタ、一体何をするつもり?」

 

「休養寮全体を換気……いえ、革命を起こします」

 

革命、革命と来たか。ゼファーが休養寮のウマ娘達を焚きつけて「何か」をするつもりなのは目に見えていた。

 

 

「そして、それには先輩のご助力が必須なんです。その気になればすぐに本校に転入出来て、レースで結果を残せる先輩の力が」

 

「…………」

 

「どうかお願いします。この休養寮を本当の意味で良い場所にするために、協力してください」

 

それが、ダイユウサクとヤマニンゼファーの出会い。休養寮を本当の意味で良い場所にするために手を組んだ、二人きりの会合だった。

 

 


 

 

『残り400Mを切った! さぁプレクラスワンが先頭だ! プレクラスワン先頭! ダイタクが二番手、ダイタク二番手! マックイーンが現在四番手、四番手にまでマックイーン来ている四番手にまで来ている!! それに追従する形でダイユウサクもいる!』

 

「さて、それではそろそろ先頭を譲って頂きましょうか」

 

「……クッソォオオオオオ!!」

 

『残り200を切った! プレクラスワン先頭! ここでマックイーンが来た! マックイーンが来た!! ヤマニンワールドも来ている! さぁマックイーン出てくるか! マックイーン三番手!』

 

マックイーンをマークしていた数名──ナイスネイチャとプレクラスワン以外がスタミナを削られて沈んでいくのに反比例して、メジロマックイーンはその隙間を縫うように前方へと踊りでる。徹底したマークを複数名にやられても芯はブレない。そして動じない。これが現役最強のウマ娘。

 

 

──だが

 

 

「だらぁあああああああああ!!!」

 

『お、おおっとここでダイユウサク、黄色いスカートのダイユウサクが伸びてきた!』

 

「──ダイ先輩!!」

 

「!? 貴方、いつの間に……!!」

 

──内を通って来たダイユウサクが、それに待ったを掛ける。15人中14番人気という影の薄さと警戒されなさを活かしての奇襲。実はここまで、ダイユウサクは理想とも言えるコース取りをすることに成功していたのだ。

──ピシリ、と何かに空間に亀裂が入るような音を、メジロマックイーンは確かに聞いた。

 

 

(医者が匙を投げるほどの特異体質だとか)

 

(トレーナーが付いていないとか)

 

(休養寮出身のウマ娘だとか)

 

(相手が現役最強のウマ娘だとか──!)

 

 

「そんな、理由でっっ、終われるかぁぁあああああああああああああ!!!!!」

 

「こ、れは……!!」

 

地面を思いっきり蹴り上げて前へと進む。全身全霊を込めた渾身の走りが、見るもの全てを驚愕させる。大小様々ばレースを見てきたGⅠトレーナーの柴中すら例外ではない。

 

──その時、理由は彼女に敗北した。

 

 

究極の一(アルティメット・ワン)……!」

 

『マックイーンの内から、ダイユウサクだ! ダイユウサクだ! これはびっくりダイユウサク!!!』

 

『信じられない奇跡が起きました! トレーナーもいないフリーのウマ娘が、この夢のグランプリ有馬記念の覇者となったのです!!』

 

中山レース場がシン──と静まり返る。ざわめきすらなかった。ブービー人気のウマ娘が魅せた渾身の走りに、コースレコードを更新する信じられない大記録に、休養寮のウマ娘がGⅠレースの勝者になったという事実に誰もが驚愕し、口をポカンと開けることしか出来なかったのである。

 

 

「嘘……」

 

「なぁ、これ夢じゃないよな?」

 

「頬を抓ってみる? ただ痛いだけだと思うけど」

 

「ええ。夢なんかじゃありませんよ。夢が叶った瞬間ではありますけど……ダイ先ぱーい!!」

 

誰もが驚愕して開口する中、ヤマニンゼファーだけが勝者であるダイユウサクに声援を送る。

 

 

「おめでとうございます! 本当に素晴らしいレースでした!!」

 

「……へへっ! どんなもんよ!!」

 

勝者はふてぶてしく、そして最高の笑顔で笑う。ウマ娘レース界に、紛れもない革命が起こった瞬間だった。

 

 


 

 

(まさか、本当にあの領域に辿り着いているとはな)

 

柴中は興奮冷めやらぬといった状況で、頭を回転させる。凄まじいトレーニングの元に彼女──ダイユウサクが辿り着いた領域。それは──

 

 

「ところでトレーナーさん、究極の一(アルティメット・ワン)ってなんですか?」

 

ずいいっと興味津々といった様子でゼファーが聞いてくる。別に誤魔化したりする必要も無い為、柴中は素直に答える事にした。

 

 

「領域──ゾーンの話しは知ってるか?」

 

「一応は。限られたウマ娘だけが到れる境地……超集中状態の事ですよね?」

 

「それと対を成すもう一つの領域──それがアルティメット・ワンだ」

 

ゾーンがウマ娘の精神による極地なら、究極の一は肉体的な極地。ウマ娘が厳しいトレーニングによって一生に一度、到れるかどうかと言われる‘究極の仕上がり’それこそがアルティメット・ワン。

 

 

「……肉体的な極地」

 

「ただ厳しいトレーニングをすりゃあたどり着けるってもんじゃない。精神的にも肉体的にもそいつにあったトレーニングを積み重ねて、心身共に最高の状態に仕上げなくちゃあならない。なにより、考えられるだけのことをやっても運が悪けりゃ効果を発揮できない。事実、今のレースでも効果が発揮されてたのは最後の直線に入ってからだっただろうしな」

 

「──でも、先輩はその極地に辿り着いた」

 

「そういう事だ。……ハッキリ言って驚いたよ。トレーナーも無しによく辿り着けたもんだ。化け物染みたコースレコードのおまけ付きだしな。十年ぐらいは破られないんじゃないか?」

 

「ははっ」と柴中は楽しそうに笑う。だがそれも無理ないだろう。ウマ娘レース界に蔓延る風潮の一つが木っ端微塵に砕け散る所を生で見られたのだから。

「なるほど……」とゼファーは興味深そうに頷いた。もしも自分があの領域にたどり着けたら……勝てるだろうか、GⅠレースに。叶うだろうか、昔からずっと焦がれていた夢が。

 

 

そんなことを思いながら、ゼファーは再び勝者であるダイユウサクに向けて称賛と賛美の声を送り始める。

 

 


 

 

──トレセン学園──カフェテラスエリア──

 

 

「……あの日以来ゼファーがさ、何というか活き活きしてるんだよ」

 

回想を終えた柴中が、ポツリと呟いた。

 

 

「まず間違いなくダイユウサクの影響だろうな。自分もあんな風になりたいって気合が入ってるみたいだ」

 

「良い傾向だな。願わくば、そのまま我々のいる高みにまで這い上がってきてくれれば申し分無いのだが」

 

ふふっ──と柴中は笑った。理由が分らず「何故笑う?」とウイナーが聞いてくる。

 

 

「そんなに気にしなくても勝手にお前の所まで来てくれるさ。それを期待して俺達のチームに入れたんだ」

 

ゼファーだけではない。アキツテイオーにカレンチャン、ヒシアケボノにシンコウラブリイと、ウイナーが自分の(チーム)に入れたメンバーは、その誰もがウイナーがいる高みへと登ってこれるであろうウマ娘ばかりだ。

 

いずれニホンピロウイナーと同じレースに出走出来る。皇帝の喉元に刃を突きつけられる。そんなウマ娘を、チームステラ──もとい、ニホンピロウイナーは望む。

 

 

「だから期待して待っててくれよ。ゼファーも、他の皆も、お前のいる場所へ責任持って押し上げてやるからさ」

 

「……ふん」

 

マイルの皇帝──ニホンピロウイナーは待つ。いずれ自分の元へとやって来るウマ娘達に期待して、やるべき事をやりながら、その時を待ち続けるのだ。

 

 



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風が吹くまで 15

 

 

「コホン……。それでは我らが大先輩ことダイユウサク先輩の有馬記念勝利を祝して──乾杯!」

 

「「「かんぱーい!!!」」

 

カチャンと音を立ててグラス同士がぶつかり、軽快な音を立てる。休養寮の食堂での事だ。普段は使わないようなパーティーグッズまで大量に持ち出して、生徒達は騒ぎに騒ぐ。

 

 

「先輩! 私、いつか必ず先輩みたいにレースで勝ってみせます!!」

 

「ん? おお、良いね良いね。頑張りなよ」

 

「先輩! 私も!!」

 

「先輩!」「先輩!!「先輩!!!」

 

当然の事かもしれないが、輪の中心にいるのはダイユウサクだった。休養寮初のGⅠウマ娘。それもトレーナーがいないフリーのウマ娘が有馬記念を勝利したとなれば周囲の憧憬を集めもしよう。

 

 

「あははっ! 皆気合が入ってるみたいで何より。必死に頑張った甲斐があったってもんよ」

 

ゴクゴクと、にんじんジュースを一気にあおる。ああ美味しい。普段飲んでいる物と同じメーカーの同じ商品な筈なのに、今日は何だかとびっきり美味しく感じた。

 

 

「ふぅ……。成せば成る──って訳じゃないけどさ。少なくとも必死に頑張ればいつかどこかで夢が叶うかもしれない。特異体質で、貧弱で、トレーナーに見捨てられて……。そんな私だって、最高の舞台で最強のウマ娘に勝てたんだから」

 

医者に完治に至ることはないと宣告され、休養寮で地獄のようなリハビリを続け、いざ本校へと転入しても模擬レースでボロボロに負け続けて……。そんな自分が夢のグランプリ、GⅠ有馬記念で現役最強のウマ娘、メジロマックイーンを破り、勝利に至ったのだ。

 

……やってやれないことはない。諦めても良い理由がどんなに大量にあろうが、それを理由に諦めなくても良いのだと、ダイユウサクはあのレースで証明してみせたのだ。

 

 

「だから皆も負けるな! 折れなければ、諦めなければ、いつかきっと夢は叶うんだから!!」

 

「「「はい!!」」」

 

「あははっ──!」とダイユウサクは笑った。確かにこれならば問題は無い。ヤマニンゼファーのもくろみ通り、休養寮の換気はほぼ完了したのだから。

 

 

「それにしても残念でしたね、ゼファーの奴。一番先輩の勝利を喜んでたのに……」

 

「しょうがないわよ。年が明けて一週間後にはレースに出る予定なんでしょ? 調整なり何なりあるわよ」

 

そう、このパーティー会場にヤマニンゼファーはいない。彼女はダイユウサクの勝利とウイニングライブを見届けると、すぐさまトレーナーと一緒に帰ってしまった。

 

 

『先輩に負けていられませんから』

 

とのことらしい。それを聞いたダイユウサクも「そっか」と、どこか嬉しそうに素っ気ない返事をしただけだった。

 

 

「次は自分が──って思ってるんでしょ。うんうん、嬉しいよ私」

 

休養寮の娘達の手作りだという特製リゾットを食べながら、ダイユウサクは満足そうに頷く。このまま自分とゼファーで快進撃を続ければ、休養寮に対する偏見を吹き飛ばせるかもしれない。勝ち続けて力を示せれば、トレーナーにも‘休養寮’という場所に興味を持って貰えるかもしれない。そんな明るい未来が次から次へと浮かんでくる。聞いた話しではゼファーはダイユウサクの勝利を確信していたらしいが、ダイユウサクに言わせればこっちの台詞だ。だって、ヤマニンゼファーはいつか必ずGⅠを勝てる。それも、一つじゃない。まぐれでもない。二つか三つか四つか……。現役最強のウマ娘の一人と呼ばれるようにすらなれるだろう。夢のような前人未踏の大記録だって打ち立てられるかもしれない。

 

 

「負けないからね、ゼファー!」

 

だが、それを理由にむざむざと勝利を譲る気は無い。何時か必ず、どこかで闘うことになる。その時は全力を持ってそよ風を打ち破るのみだと、ダイユウサクは強く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

中央トレセン学園──ウイナー城──ダイイチルビーの個室

 

 

 

「ふぅ……」

 

その日、ダイイチルビーは「あること」で困っていた。

 

些細なことだ。しかし、軽視できないことだ。ケイエスミ(友人)ラクルのお見舞いに、何を持って行くか──悩みの種はそれである。

 

最初は高級フルーツの詰め合わせでも送ろうかと思ったが、あまりに高価な物はかえって気を使わせるし、他の見舞客がすでにやっている可能性がある。某有名な高級チョコ菓子メーカーの製品も同じ理由で却下。もういっそ手編みで何か作るか? いやいや、それは幾ら何でも重すぎる。はてさてどうした物か。仮にも同室なのにミラクルの趣味趣向を殆ど把握していないという現状が、たまらなく不甲斐なく感じる。

 

 

「まさか本物の白鳥を捕らえてくる訳にもいきませんしねぇ……」

 

出て来た唯一のアイデアは、彼女が大好きな鳥──白鳥をモチーフにした小物を送るという物なのだが、満足いくような品が中々見つからず、見つかっても既に売り切れていたり販売停止になっていたりと散々だったのだ。

 

 

「ミラクルさん……」

 

ポツリと言葉を零す。優しさと儚さが具現化したような性質を持つ彼女。レースの途中で重大な故障をし、今にも折れかかっている彼女を何とかして元気づけたい。その為なら金に糸目は付けず、プライドと矜持まである程度は捨て去る覚悟である。

 

はてさてしかし本当にどうした物か……。そんな感じにルビーが一人で頭を悩ませていた時だった。コンコン! と入り口のドアがノックされる。「どうぞ」と返事をすると、ヒシアケボノが部屋の中へと入ってきた。

 

 

「ボーノ! もうすぐ早夕食だけど、ルビーちゃんはどうする? 他の皆は陛下とトレーナー、あとアキツ先輩以外全員いるけど……」

 

「あら、もうそんな時間でしたか……。ええ、こちらで食べていきますわ」

 

時計を見やると、既に一八時を回ろうとしていた。……これ以上一人で悩んでいても仕方がない。腹を割って誰かに悩みを打ち明けた方が良いだろうと、ルビーはチームのメンバーに相談することを決意する。

 

 



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風が吹くまで 16

 

「よーし! 全員揃ったな? んじゃ、行くぞ!!」

 

「「「はい!」」」

 

年の暮れ、十二月三十一日……つまりは大晦日。チームステラの面々は、ウイナー城(チームハウス)に集まっていた。あと2時間もすれば年が切り替わるというタイミングだ。当然、この時間に外出するとくれば、彼らの目的は一つである。

 

 

「初詣……日本には年の初めに神様に挨拶をするという風潮があると聞いていたガ……」

 

「ええ。今からやるのがそれですよ。とは言っても目的は挨拶だけじゃなくて、一種の祈願みたいなものも含んでるんです」

 

「paidir──なるほどナ」

 

 

 

「えっへっへー。カレン、今日は張り切っておめかししてきたよトレーナー! これでお兄ちゃんも益々カレンに夢中になっちゃう事、間違いなし!!」

 

「乗せられて同じく着物を着てきた私に言う権利はありませんが、せめてもう少し欲を隠そうとはしませんの? それにサブトレーナーは引き続き海外研修で不在でしょうに」

 

「分ってないなー、ルビーさんは。傍にいられないからこそ、深まる愛もある。近くにないからこそ、触れられないからこそ、高まる物もあるんだって思いません?」

 

 

 

「ところでトレーナーさん。陛下とアキツ先輩とアケボノさんは?」

 

「三人とも神社で合流する手筈だ。ウイナーは本家で年末の会合が終わり次第。アキツはウイナーの会合が終わるまで待ってるらしい。アケボノは神社で配る甘酒造りとテント設営の手伝いで先に神社に行ってる」

 

「そうですか……あ、あの! トレーナーさん!! ……そのぉ……」

 

「着物だろ? よく似合ってるよ」

 

「!! はい! ありがとうございます。……えへへ」

 

揃っているメンバーはまちまちだが、全員神社で合流する手筈だ。他愛のない雑談を繰返しながら、六人は神社へと赴く。

 

 

 

 


 

 

 

 

「ぐわぁああああああ! ギブ! ギブだギブギブマックイーン!!」

 

「まったく……嫌なことを思い出させないでくださいませ!!」

 

赴いた結果がこれである。なぜこの男は年末に神社で担当ウマ娘にプロレス技を極められているのだろうか。正直全力で他人のフリをしたいが、仮にも同僚のピンチを見捨てられるほど、柴中という男は薄情ではなかった。

 

 

「だいたい沖野が悪いんだろうが、その辺りにしといてやれ」

 

「あら、あなた方も初詣に?」

 

「そんなとこ」

 

九の次固めからようやく解放された沖野が、何とか立ち上がってこちらをみやる。

 

 

「あー……その、なんだ。その節は……」

 

「秋天の件なら気にしないで良いぞ。いずれ倍にして返して貰うからな」

 

素っ気なく返す。実際、あの事件で柴中が被った被害と言えば、沖野の立場を少しでも守る為に嘆願書を制作したぐらいだ。トレセン学園はトレーナーが蔓延的に不足しているため、腕の立つトレーナーが少しでも必要なのである。あの程度のこと──と言うつもりは微塵も無いが、それでもこの男をクビにしている余裕など無いのだ。

 

 

「あー、はいはい分りましたよっと。それじゃ気にしないでおくわ。ああ、お前らには紹介がまだだったな。こちらは──」

 

「チームステラの人達でしょう? 短距離とマイルの特化型チーム……。ちゃんと知ってるわよ」

 

「凄ぇよな。短距離とマイル(得意分野)ならあのリギルも凌ぐって話しだし」

 

ダイワスカーレットとウオッカが素早く反応する。既にチームステラの面々とは面識があったようだ。互いに簡単な自己紹介を済ませたあと、暫くの間行動を共にする事にした。

 

 

「へー! じゃあゼファーはお姉さん達に後押しされて学園に来たんだ」

 

「はい。粗暴な一面もありますが、私にとっては何より大切な家族です。快く送り出してくれたことに感謝しています」

 

「分ります! 私もお母ちゃんに後押しされなかったら、トゥインクルシリーズに出走できていたかどうか分りませんからね」

 

 

「まぁ。ではこのあとスグに?」

 

「ええ。多少は猶予がありますが、新年の挨拶回りに伺う予定です。無論、メジロの本家にもお邪魔させていただきます」

 

「……私が言える事ではありませんが、大変ですわねぇ」

 

「いえ、これも華麗なる一族として生を受けた私の責務です。称賛されるような事ではないかと」

 

 

「ところでスカーレットちゃん。お兄ちゃ……サブトレーナーの例の件だけど……」

 

「しーっ! カレン、ここじゃタイミングが悪いわ。後で落ち合いましょう」

 

「了解! 今年こそ、サブトレーナーには覚悟決めて貰わないとね!」

 

各々が和気藹々(?)と会話を続ける中、柴中と沖野は後方から彼女達を見守っていた。

 

 

「どうだ、調子は?」

 

「良いように見える? こちとら去年のダービー以降、テイオーは怪我で。マックイーンは秋天にジャパンカップに有馬記念と負け続きだよ。スペはドリームカップトロフィーリーグに向けての調整でそもそもレースに出られないしな」

 

「秋天は兎も角、ジャパンカップと有馬記念は惜敗だろう? 特に有馬記念はダイユウサクがコースレコードを叩き出すほど強かっただけだ。そこまで気にする事じゃないさ」

 

「言ってくれるねぇ……。ま、路線が被ることは今後も……ウオッカとスカーレットがデビューするまでは無いだろうし、借りはレースで返すって訳にもいかないか」

 

ワシワシと頭を掻く沖野にもう一言何か言ってやろうと、柴中が口を開こうとしたときだった。聞き覚えが有りすぎる声が、二人の後方から聞こえてくる。

 

 

「その二人が出て来た所で結果は変わらんぞ。勝つのは私達のチームだ」

 

「ああ、私と陛下がいる限りは、余所のチームに勝ちなど許さんさ」

 

「ウイナー」

 

「……!! マイルの皇帝にマイルの帝王……」

 

ニホンピロウイナーとアキツテイオーは普段の私服では無く、ニシノフラワーやカレンチャン同様に着物を着ていた。その艶やかさたるや、普段の二人の覇気と相まってより一層麗しく見える。

 

 

「すまない、随分遅くなった。本家での会合が長引いてな」

 

「別に良いさ、こうして無事に合流出来たんだしな」

 

「そうか。……それで、チームスピカのトレーナー。悪いが我らが存在する限り、貴様のチームが我がチームに勝利するなどありえんぞ」

 

「ああ。例えどんなにその二人が強かろうが、勝つのは我らがチームだ」

 

「言ってくれるじゃねぇか……!」

 

挑発に乗るように、沖野がズズイッ──っと前へ出る。それを見てウイナーは愉快そうに笑い、アキツは楽しそうに眉を歪め、柴中はややこしい事になる前に場を納めようと言葉を発しそうになり──

 

 

「あーっ! テイオー!! それにゼファー!!」

 

快活極まりないそこ声に雰囲気が壊された。声の主は濃い青髪をツインテールに纏めたウマ娘──ツインターボだ。傍らには今年の有馬記念で3着に入線したナイスネイチャや、鉄の女との呼び声が高いイクノディクタスもいた。──チームカノープスのお出ましである。

 

 

「ネイチャさん。ネイチャさん達も初詣に?」

 

「んー、まぁそんなとこかな」

 

「今年のカノープスはひと味も二味も違うぞ! 大型新人が入ったんだから!!」

 

「ターボさん。本人が不在の中で勝手にハードルをあげるのは良くないかと」

 

「えーっ!? でもでも、二人ともスッゴい娘だよ!?」

 

ツインターボは神社の拝殿の方向を指す。そこにいたのはコートを羽織った一人のウマ娘。

 

 

「~~~~どうか、今年のレースは上手く行きますように……!!」

 

何やら熱心にお願い事をしているが、その熱心さに反比例するようにでっかい鈴が賽銭箱に落ちてきた。ワンバウンドしてそのまま顔を直撃。

 

 

「う゛えっっへえ! う゛ぇぇえー……!!」

 

「ま、マチたーん!!」

 

鼻血をたらして涙ぐむその娘の傍に駆け寄り、心配するツインターボ。一方で、今のやり取りで興が冷めたのか、ウイナーとアキツはそれぞれ覇気を納めていた。

 

 

「なんだか……大変ですね、色々」

 

「まぁねぇ……。でも、マチたん──マチカネタンホイザが凄い娘なのは本当だよ? それにあの娘だって──」

 

ネイチャが言葉を紡ごうとした、次の瞬間。

 

 

「────!」

 

風が、止んだ。まるで何か強大な存在に支配されるが如く、今の今まで吹いていた風がピタリと止んでしまったのだ。

 

 

(これは……!)

 

「それに、新人はタンホイザだけじゃ無いよ。そろそろ……あ、来た来た、おーい! こっちこっち!!」

 

ナイスネイチャが大きく手を振って遠方にいたウマ娘を呼び寄せる。

 

ボサッとした栗毛の長髪。180㎝はあろうかという大柄。そして何より特徴的なのが、龍を模した刺繍が服の至る所にちりばめられている事だ。ナイスネイチャに呼び寄せられたウマ娘は、全員の前に姿を現わすとこう名乗った。

 

 

「……セキテイリュウオー。よろしく」

 

 

 


 

 

 

そのウマ娘を見た瞬間、ドクンと自分の中で何かが泡立つのを感じた。ドクンドクンドクン──と心臓の音がどうしても収まらない。

 

 

「紹介するね。今年からカノープスに入った大型新人の──」

 

「……セキテイリュウオー。よろしく」

 

初めて風と一緒に走った日や、初めてニホンピロウイナーに出会った日と同じ「運命的な何か」をこの娘にも感じる。それも、懐かしさや平穏さといったタイプの物ではなく──

 

 

(これは……闘志、でしょうか?)

 

ゴウッ! と、闘気にも似た何かが自分の中で燃え広がっていくのを感じる。この娘には、この娘にだけは負けたくない。いつか来る運命の日。いつか来る決着の日。その日に雌雄を決する事になるであろう運命の相手。

風の声に耳を傾けられるヤマニンゼファーだからこそ理解出来る。自分とこの娘は「運命的な何か」で深く結ばれている、と。

 

 

「──よろしくお願いします」

 

「うん、よろしくね」

 

そんな相手に、ゼファーは一切の躊躇いなく握手をしようとした。相手……セキテイリュウオーも快くそれに応じる。……握手をしただけで分る。この娘は強い。特に筋肉の鍛え方が段違いだ。素養だけならば、筋肉オタクとして知られるメジロライアンに匹敵するかもしれない。

 

 

「……ゼファー?」

 

「ああいえ、何でもありません」

 

少々長く手を握りすぎていたか。パッと手を放して普通に会話を再開しだす。

 

 

「なにかあったの?」

 

「いいえ? 特に何も」

 

運命的な何かを感じた、とは流石に言えず、上手く誤魔化す事にしたヤマニンゼファー。こんな時、口が上手いと得をするものだ。幾人もの喧嘩を取りなしてきた成果である。

 

 

「それよりもほら、私達もお参りを済ませちゃいましょう」

 

ゼファーは全員を促すと、シュタタタっと本殿へと駆けていく。

 

 



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風が吹くまで 17

 

 

「…………」

 

「…………」

 

空気が重い。今この場にいれば大抵の人がそう思うだろうと、柴中は感じる。

 

 

「それで? 貴様はここへ何をしに来た?」

 

空気を重くしている原因たる一人。マイルの皇帝、ニホンピロウイナーがようやっと口を開く。

 

 

「ああ゛? んなもん決まってんだろ──!!」

 

髪をポニーテールに結ったそのウマ娘が吠える。一触即発の空気にとうとう火が付いた──。

 

 

 

 

時は、数時間前に遡る。

 

 

 

「よいしょっと……」

 

トレセン学園が毎年春に開催しているファン感謝祭。今年も例年に劣らぬ大盛り上がりにするべく、生徒会や実行委員会が忙しなく動いている今日この頃。そのウマ娘、ヤマニンゼファーも実行委員の一人として忙しい日々を過ごしていた、

 

「こう言った行事にはトラブルがつき物」という事を念頭にいれ、何か諍いが起こった時、すぐに諫められるように、という理由で自ら実行委員に立候補したゼファーだが、まぁトラブルが起こること起こること。予定していた造花の花冠が足りないだとか、予定していた劇の主役がまさかのダブルブッキングをしてしまっていただとか、大きい物だと、クラス全員で集めた寄付金が行方不明になっただとか……。兎に角トラブルが相次いだ。

 

ゼファーも持ち前の対処能力を駆使して「スグに造花で花冠を作っている班に事情を説明して追加の要求を」「してしまった物は仕方ありません。……そうだ、二つの劇を一緒にしてしまうというのはどうでしょう。どちらも似た系譜の童話が元ネタになっていますし、そう難しいことでは無いかと」「その寄付金が無くなったのはいつ頃ですか? ……なるほど、でしたら実行委員会が既に‘クラスとしての寄付金’ではなく‘学園に対する寄付金’として誤って徴収してしまったのでは? このクラスには学園に対する寄付金もあるとお聞きしましたが、それはありますか? もしあるとしたら実行委員会の──」

 

とまぁ大体こんな具合に大忙し。実行委員会の一人として、ゼファーは地味に大活躍していたのだった。

 

 

「お疲れ様、ゼファーちゃん」

 

「お疲れ様ー」

 

ゼファーと同じく実行委員であるダイナマイトダディとヌエボトウショウが声を掛けてくる。

 

 

「お疲れ様です。私はもうチームの方に合流しますが、お二人の方は?」

 

「私達はまだ作業があるから、寮に帰るのはもうちょっと遅くなりそう」

 

「なんとしてでも今日中に済ませちゃいたい事があるんだよ~」

 

そう言って、ヌエボトウショウは疲れたようにため息を吐いた。小柄だが元気いっぱいなのが持ち味の彼女がここまで疲労するとは……「そっちはそっちで大変なんだな」とゼファーは思った。

 

 

「分りました。ではお先に失礼しますね。改めてお疲れ様です」

 

「「お疲れー」」

 

 

 

 

 

 

「毎年のことではあるが、この時期の陛下は少しばかりテンションがおかしい」

 

陛下ことニホンピロウイナーの右腕を自負するウマ娘、アキツテイオーが顔を顰めて言う。まぁ気持ちは分るが、それも仕方の無いことだろうと柴中が諭した。

 

 

「ウイナー城を内外にお披露目できる唯一無二と言って良いチャンスだからな。演目も「アーサー王伝説・現代風」だ。気合が入ってるんだろうさ」

 

「そう、それだ」

 

アキツテイオーは円卓の席に座りながら、万が一の聞き漏れもないように声を潜めて言った。

 

 

「なぜ我らでそれを再現する? かの栄光の円卓の騎士達がどのような最期を迎えたか、陛下も当然ご存じだろうに」

 

「それは……」

 

困ったように眉を潜める。柴中としてはその原因に察しが付いているが、まさか口に出すわけにも行かない、それはニホンピロウイナーというウマ娘に対する──

 

 

「──裏切りだなどと思わなくて良いぞ。いずれ分ること故な」

 

「ウイナー!」「陛下!」

 

「なにやら楽しそうな話をしているのが耳に入ってしまってな、地獄耳故、許せ」

 

「いえ。こちらこそ陛下の内心を弄するような真似をしました。どうかお許しを」

 

ばっ──と椅子から降りて最敬礼の姿勢を取るアキツテイオー。ニホンピロウイナーはそれを満足げに眺めると、こう話を切り出した。

 

 

「ふむ。話は変わるがアキツテイオーよ。一つの戦において最も武勲をあげた者とはどのような者の事を言うと思う?」

 

「……は?」

 

言っている意味が分らず、呆けることしか出来ないアキツテイオーを尻目に、ウイナーは続ける。

 

 

「私はな、その戦を「終わらせた者」こそ最も武勲を受けるべき功労者だと思っている」

 

「終わらせた者……? ですか?」

 

「ああ。それが武力であれ、知略であれ、なんであれだ。一つの時代に終止符を打った者。その者こそが、その者の活躍こそが、私は見たいのだよ」

 

「ふふふっ」と普段はあまり笑わない表情で笑うニホンピロウイナー。「それは……」とアキツテイオーが言葉を続けようとしたときだった。バァン──!!と扉が開き、ウイナー用の正面玄関が勢いよく開く。

 

 

「なにごとだ!?」

 

アキツテイオーが叫んだ。こんな乱暴な乱入をする者に心当たりがなかったからだ。あえて言うならダイタクヘリオスの知人か、はたまたチームスピカのゴールドシップか。

 

 

「あァン!? 随分とちゃっちい扉だなぁおい!!」

 

扉を蹴り上げて入って来た粗暴者が姿を現わす。……見覚えのないウマ娘だった。学園の制服を着ていない事から察するに、少なくともトレセン学園の生徒ではない。誰だと問う前に返事が返ってきた。

 

 

 

 

「試される大地はヤマニン組副長、ヤマニンドルフィン。可愛い妹のお礼参りをさせてもらいに来たぜゴラァ!!」

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

空気が重い。今この場にいれば大抵の人がそう思うだろうと、柴中は感じる。

 

……あの啖呵からどうしてこうなるのかサッパリ分らないが、ウイナーが「取りあえず客らしいので持てなせ」と言ったので柴中もアキツもそれに従う。客人用の円卓席に座ってもらい、お高い紅茶を淹れた。どうやら彼女は言動こそ良くないが、こちらに喧嘩を売る気は無いらしく、先ほどから奇妙なにらみ合いのような物が続いている。

 

 

 

「それで? 貴様はここへ何をしに来た?」

 

空気を重くしている原因たる一人。マイルの皇帝、ニホンピロウイナーがようやっと口を開く。

 

 

「ああ゛? んなもん決まってんだろ──!!」

 

髪をポニーテールに結ったそのウマ娘が吠える。一触即発の空気にとうとう火が付いて──。

 

 

 

「本当にありがとうございましたっっ!!」

 

おでこがテーブルを通り越して床に付く勢いで頭を下げられた。

 

 

「あいつが……あたしらの末の妹がいつも大変お世話になっております」

 

「「あいつ」……というのは」

 

「当然、ヤマニンゼファーのことだよ」

 

何のことやら分らず、あるいは分っても付いていけず、柴中とアキツテイオーが呆けている内に話しは進んでいく。

 

 

「察しは付いていたが、やはり貴様はゼファーがよく口にしている姉か」

 

「なんだ知ってんじゃん。やっぱ一々確認なんざ取る必要無かったじゃねぇか」

 

「へへへっ」とおかしそうに笑うヤマニンドルフィン。その名に聞き覚えは無かったが「ヤマニン」という冠名と、彼女の口にする「妹」とやらで察しが付いた。彼女はヤマニンゼファーがよく話している「粗暴な姉」とやらなのだろう。

 

 

「貴様と私に直接の面識は無い。来るならせめて一報の一つもいれてくれなければ歓迎も満足に出来ん」

 

「良いんだよ細けぇ事は。どうせそう派手な歓待なんて受けるつもりもねぇし、そもそも連絡なんざ入れたらサプライズに何ねぇだろ」

 

「サプライズ……だと? まさか貴様──「お姉ちゃん?」……ゼファーへの連絡も無しに来たのか?」

 

ウイナー城へと入って来たヤマニンゼファーを見て、ニホンピロウイナーはヒクついた。このあと何が起こるのかを予見してだ。

 

 

「え? どうしてお姉ちゃんがここにいるの???」

 

「どうしてってお前──「ずっと前から‘もし来るならちゃんと前もって連絡を寄越して’って言ってたよね?」──っ!」

 

有無を言わさない迫力と覇気だ。全開時のニホンピロウイナーに勝るとも劣らないオーラを全身から醸し出して、実姉のドルフィンに押し迫る。

 

 

「用意しなきゃいけないこともあるし、みんなに説明しなくちゃいけないこともあるから急は止めてって言ったよね? なんで???」

 

「そ、それはその……」

 

ドルフィンがたじろぐ。あのニホンピロウイナーと真っ向から言い合っていたドルフィンが、実妹のゼファーの問いかけに対して何の反論も出来ない。

 

 

「ねぇ、なん──「そこまでにしてやれ、少なくとも悪意があってのことではあるまい」」

 

思わず所──ニホンピロウイナーから助け船が入る。「……失礼しました、陛下」と、若干不満そうだが、それでゼファーの機嫌は一旦落ち着いた。

 

 

「だが理由の方は聞かせて貰うぞ、まさか本当にサプライズで妹の様子を見に来ただけ──というわけではあるまい。三度問おう。貴様はここへ何をしに来た?」

 

「──へ?」

 

「…………おい待て、本当にそうなのか? 本当に妹の様子を見に来ただけ……だと?」

 

「おう」

 

悪気も無く堂々と告げられ、次の瞬間にはウイナーは「あっはっはっは!!」と大口を開けて笑い出した。

 

 

「き、貴様らの故郷は試される大地だと聞いている。ワザワザ彼方遠方から、たったそれだけのために遠出してきたのか?」

 

「だーかーらそうだって言ってんだろ? 人の話ちゃんと聞いてんのかこの「お姉ちゃん」……人の話をちゃんと聞いてたんですか?」

 

ゼファーに叱られ、若干だが言葉遣いを正すドルフィン。先ほどからハラハラと展開を見守っていた柴中が、そこでようやっと口を出した。

 

 

「あー……。そういう事なら確かに客人かもな、うん。 はじめまして。俺がゼファー……妹さんの担当トレーナーをさせて貰ってる柴中だ。よろしくな」

 

「おう、優男っぽい兄ちゃん「お姉ちゃん?」……よろしくお願いします」

 

やはり反論が出来ない。妹が上で、姉が下。建前上はどうなっているかしらないが、何らかの誓約によってこの姉妹のカースト順位は不動の物で固まっている様だ。

 

 

「では目的を果たすが良い。貴様の最愛である妹は目の前にいるのだから」

 

「言われなくてもそうするってーの」と軽く悪態をつき、次の瞬間には真剣な顔つきになってヤマニンドルフィンは語り出す。

 

 

「なぁゼファー……お前、ここにいて楽しいか?」

 

「…………」

 

「前にも教えたよな? そこにずっといて楽しいかどうか、自分が自分でいられるかどうか。それがそいつの居場所に相応しい条件だってよ」

 

ジッ──とゼファーの眼を見る。その瞳に虚実は無く、その信念に、曲がった所は一つも無い。

 

 

「もしそうじゃねぇってんなら言え。どんな手を使っても、姉ちゃんがここから連れだしてやっからよ」

 

大切な妹を守る──その一念でヤマニンドルフィンの行動は完了していた。

 

 

「……心配してくれてありがとう、お姉ちゃん」

 

だから、ゼファーも真摯に返す。大切な家族の、自分を大切にしてくれる存在の言動に応えるために。

 

 

「でもね、うん。大きなお世話」

 

「…………」

 

「私ね、ここでいい。ううん、チームステラ(ここ)がいいの。ここじゃなくちゃ嫌なんだよ」

 

ジッ──とドルフィンの眼を見る。姉同様、その瞳に虚実は無く、その信念に曲がった所は一つも無い。

 

 

「ここに来れて、このチームに入れて、毎日がスッゴく楽しい。嘘じゃないよ? 本当に毎日そう思ってるんだもん」

 

まだ子供の時、小さな頃、二人の姉の背中ばかりを追いかけ回していた頃。先に‘自分の居場所’を見つけた……否、ヤマニン組を‘造った’姉達二人のことを、正直羨ましいと思っていた。姉達はそこに自分も入れてくれているだろうが、実の所、場所は隅っこ。総長と副長の家族──という立場でしかなかったから。

あの日々は決して悪く無かったが、どこか拭えないような一抹の寂しさも抱えていた。

 

だが、トレセン学園に特別編入という形で──休養寮に入ってから、様々なことが変わりだした。自分に何かあったら過剰に心配してくる姉二人がいない環境というのはとても新鮮で、不安で、でも楽しかった。それこそ「ここで何かが変わらなかったら別の方法を探そう」と寡作していたのがバカらしくなるぐらいに。

 

休養寮を退寮して、正式にトレセン学園に通えるようになった頃……。チームステラに誘われてからは更に目まぐるしい日々だった。初めての先輩、初めてのチームメイト、初めてのルームメイト、初めての憧れの人に、初めてのトレーナーさん。

 

もう毎日が新鮮で新鮮で、楽しくて仕方がなくて、楽しいと思うような暇すらも、新鮮さと楽しさが置き去りにしていった。

 

 

「だから、私は大丈夫だよ。ドルフィンお姉ちゃん」

 

もうあの身体が弱く、威勢と精神ばかり強かったあの頃の自分じゃない。そうゼファーは強く宣言し、ドルフィンは「そうか」とニカッと笑った。

 

 

「なら改めて礼を言わせてくれ。……本当にありがとうございました。こいつをこんなに……トゥインクルシリーズのレースで勝ち負け出来るぐらいに強くしてくれて」

 

心の底から三人に向かって頭を下げる。その誠意が伝わったのかアキツテイオーはようやっと警戒を解き、柴中は軽く微笑んだ。

 

 

「なんだ「さっさとGⅠの一つも取らせろ」と文句の一つでも言われるかと思っていたのだがな」

 

ふっ──とウイナーが鼻で笑い、ドルフィンもはっ──と笑い返す。奇妙なやり取りによって成立する、奇妙な友情がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「で、それはそれとしてドルフィンお姉ちゃん。プリエールお姉ちゃんはどこ?」

 

「…………」

 

「……ねぇ、まさか黙って来ちゃったの? ……呆れた。どうなってもしらないよ? 今頃、内心スッゴく心配してるんじゃない?」

 

「た、頼む! 後で一緒に謝ってくれ!!」

 

……奇妙な姉妹関係もあった。

 

 

 



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風が吹くまで 18

 

 

『さぁ、今年もこの季節がやってまいりました! 春のクラシックGⅠシリーズ第一弾、桜花賞!!』

 

例年通りの赤坂の開催宣言に、レース条に押し寄せた観客達は大いに沸き立つ。

 

 

『春の桜が女王の誕生を待つこの季節。成長を見せつけ、女王の冠を戴冠するのは誰だ!!』

 

ふぅ……という溜息をついて、ニシノフラワーは呼吸を整えた。桜花賞に出走するウマ娘のために用意された待合室の中だ。「緊張してるか?」と傍にいたトレーナーが聞いてくる。

 

 

「い、いえ.。だいじょ……すみません、やっぱり少しだけ」

 

アハハ……とポリポリ頬を掻くニシノフラワー。それも当然だ。なんと言っても、今日のGⅠレースは一生に一度しか走れないクラシックレースの一つ、ティアラ路線は桜花賞。毎年のことだが、クラシックレースは普通のGⅠレースと比べて、格は同じでも当人達の思い入れが違う。出走できるというだけで上澄みの上澄み、入着できれば世代を代表する一人で、もしも勝利なんかした日には一生物の栄光をその手でつかみ取れる。

 

それだけに、メンバーも早々たるものだ。

 

特にフラワーが意識しているのが(気をつけなければならないのが)、6枠12番で出走するアトラーブルだ。人気こそ6番人気と低いが、彼女は前走のチューリップ賞でニシノフラワーに3と1/2バ身以上の差を付けて大勝している。だがそれだけではない。彼女は何れ来たるオークスで最大の難敵になるだろうとニシノフラワーは直感していた。ここで彼女を倒せなければ、悲願のトリプルティアラへの道は途絶えてしまうだろう。

 

 

(なんでなんだろう──)

 

何故‘今’なのか。そんな疑問がずっとあった。あともう少し自分が速く生まれていれば年相応の──トレセン学園に入学するに相応しい年齢と体格をしていれば、もう少しマシな気持ちで桜花賞を迎えられていたのではないか。本格化が来るのがもう少し遅ければ、トレーナーに数々の迷惑を掛けずに済んだのではないか。何故今、自分はこの桜花賞の舞台に立とうとしているのか──。

 

 

「……なぁに、お前なら大丈夫さ」

 

柴中がワシャワシャと、フラワーの頭を髪型が崩れない程度の力で撫でる。「わわっ……!」とニシノフラワーはちょっとだけ複雑そうな顔をした。

 

 

「俺はお前を信じてる。だからお前も自分を信じろ」

 

「…………」

 

「去年の新馬戦を4バ身差で圧勝したのは誰だ?」

 

「……私、です」

 

「格上挑戦になった札幌3歳S(GⅢ)とデイリー杯3歳S(GⅡ)の勝者は?」

 

「…私です」

 

阪神3歳牝馬S(GⅠ)(阪神ジュベナイルフィリーズ)を勝ってジュニア王者の一人に輝いたのは?」

 

「私です!」

 

すくっと椅子から立ち上がる。そのままトレーナーの顔をシッカリと眼で見た。……今まで見たことが無いほど安心した……自信に溢れている、そんな顔だった。

 

 

「な? 後はお前らしく走れば(闘えば)それで良いんだよ。結果は後からシッカリ付いてくるからな」

 

「──はい!」

 

満開の花の様にフラワーは笑った。……そうだ、対抗にいるのが誰だとか、他に有力候補がいるだとか、そんなの一々気にしていられるか。自分らしく、後悔のない走りが出来るかどうかが、勝利への一番の近道なのだから。

 

 

「──行ってこい! フラワー!!」

 

「──はい!!」

 

トレーナーの最後の一押しを受けて、ニシノフラワーは勢いよく控え室を飛び出す。

 

 

 

 

このレースにおいて最も注目を集めるウマ娘というのはつまり、やはりと言って良いかどうかは分らないが1番人気のウマ娘だ。今回においてはニシノフラワー、彼女をおいて他にいないだろう。観客からの期待も注目も集めるが──なにもそれは、傍観者達に限った話しでは無い。

 

 

(……大人げないと笑わば笑え)

 

(どんな事をしてでも、私は……GⅠタイトルが欲しいんだ!!)

 

彼女には明確な弱点がある。それを突いて彼女を嵌めようとする同期達が大勢いるのも、また事実なのだ。

 

 

 

「……トレーナー。フラワーハ大丈夫だろうカ」

 

柴中が座る関係者席。不安げな面持ちで柴中に聞いて来たのは、シンコウラブリイだ。去年の阪神ジュベナイルフィリーズで3着に入るなど、既にマイラーとしての才能を開花させつつある彼女は桜花賞にこそ出場しないが、阪神ジュベナイルフィリーズで健闘したフラワーの応援に駆けつけた、チームステラの代表だ。その面構えはあまり見たことの無い物になっていて、思わず柴中は驚きの表情を見せる。

 

 

「意外だな。お前がチームメンバーの……一度闘った奴の心配をするなんて」

 

言い方こそあれだが、それは間違いない事実だ。彼女は自分が実力を認めた者の心配を然程しない傾向がある。チームメンバーならば尚更だし、ましてやフラワーは一度ラブリイを破った相手である。一度手合わせしてその実力を知り、心から認めているからこそ、彼女はこういった大舞台でも大して誰かの心配はしない質なのだ。

 

 

「流石に桜花賞……クラシックレースではナ」

 

「なるほどな」と柴中は独り言ちた。一生に一度しか出走権利が与えられないクラシックレースの舞台ともなれば、この常に戦闘態勢に入れるような‘女戦士’も緊張するのか。

 

 

「なぁに、心配要らないさ」

 

それに対して、柴中は特段緊張はしていなかった、否、してはいるが決して表面には出さないでいた。

 

 

「あいつは勝つ。勝って桜の女王になって帰ってくる。お前だってあいつの実力はよーく分かってるだろ?」

 

それでいて、ラブリイを励ますような言葉は欠かさなかった。実際にレースに出るわけではないとはいえ、ラブリイもまた、自分の担当ウマ娘だ。僅かな不安や動揺も、見逃すわけにはいかない。

 

 

「だガ……」

 

「どんなハンデがあろうが、それを理由に集中攻撃されようが関係ねぇよ。あいつは……そんなハンデを覆せる実力を持ってる。心だって弱くない、寧ろ強い。それでこその飛び級入学ウマ娘だ」

 

「……そうカ」

 

それでラブリイはようやく落ち着いたのか、いつもの仏頂面に戻った。珍しい物を見た柴中は(もう少しだけこのままの方が良かったか?)と、つい思ってしまった。

 

 

 

『虎視眈々と上位を狙っています、三番人気はこの娘です。ディスコブーコ!』

 

『この順位は少し不満か? 2番人気はこの娘、サンエイセンキュー』

 

『さぁ、今日の主役はこのウマ娘をおいて他にいない。本日の1番人気、ニシノフラワー!』

 

『火花散らすデッドヒートに期待しましょう!!』

 

『ゲートイン完了、出走の準備が整いました──』

 

 

 

──ガシャコン!

 

 

 

 

『スタートしました!!』

 

『揃いました綺麗なスタートを切りました!!』

 

『まず中を付いてヴィアナコンサート果敢に飛ばしていきましてリードを半馬身ぐらい取りますが、抑えて内を回ってエリザベスローザ追走して、その後ニシノフラワー早くも3番手!!』

 

「──ッ!? させない!!」

 

「…………」(スッ)

 

『しかしそれを交わすようにゴールデンデジタル3番手から一気に2番手に上がっていった! 後はダンツセントーオーこれも早めに上がっていく!! 大外からはユートジェーンドゥもそれに倣い向こう正面の直線コースへ! 1番人気ニシノフラワーは7,8番手に控えました!!」

 

 

「おいおい、あれじゃ動けねぇじゃねぇか!」

 

「どうすんだよ!!」

 

これこそが彼女の弱点。まだ小学生である小さな体躯を利用して、無理責めをしてでも最初期に後方へと沈めてしまう。あとはなにもせずとも、自然と彼女はバ群に囲まれ揉まれて体力を一方的に消耗する。──少なくとも、それを仕掛けたウマ娘達はそう思っていた。

 

 

「……よし、落ち着いて走れてるな」

 

一言で‘次々に抜かされて7,8番手’と言ってしまえば一見状況は悪いように見えるが、実の所、全くそんな事はない。総勢18人という人数からしてみれば十分先行勢の一人と言って差し支えない位置だし、なにより対抗のウマ娘達の超早仕掛けに慌てず騒がずかからなかった。落ち着いて体力を温存できている事を鑑みても、現状のニシノフラワーは最高に近いパフォーマンスをしている。それに最悪、彼女の末脚ならば後方からでも十分に差しきれる。

 

 

『あと外を固まってハウスリバー良い位置! 遅れて内を回ってエリザベスローザが追走して、あと一バ身差ジョーブガール! この圏内に内からはバ群の中、サンエイセンキューです! 中を突いてゴールデンテスコ、その圏内に外からアトラーブルです行きました!』

 

「フラワー……」

 

「良いぞ。そのまま行けよ、フラワー……」

 

後は自分に出来る事は祈るだけになった柴中とラブリイは、それでもこれが今の自分に出来る精一杯の事だと、懸命にフラワーの健闘を祈る。

 

 

『内を回ってディスコピットちょっと揉まれています! 半バ身差中カモンモンテ! 大外回ってアトムホールが追走して──』

 

「……(凄い、視界がとてもクリアになってる)」

 

ニシノフラワーは慌てない。ニシノフラワーは騒がない。ニシノフラワーはかからない。そもそも、レースをするのに体積の面で不利な自分がそんな事をしてしまえば、本当に勝ち目が無くなる(相手の思うつぼだ)

 

瞳を一瞬だけ閉じて、もう一度開ける。

 

 

「──ッ! ここっ!!」

 

無理な勝負(そんなこと)をせずとも、一瞬の隙を見逃さなければ、必ず自分の前に道は出来るのだから。

 

 

 

『ムゲンラッキー後方二バ身ぐらい差が付いて、サイゴウノムスメこういった展開で、各ウマ娘3,4コーナー 中間地点に入って参りまし──っ!?』

 

赤坂は一瞬言葉に詰まった。レース実況という物をする以上当然の事ではあるのだが、最終直線、最期の200Mに入るまで、なかなか一人のウマ娘だけに注目するということが出来ない。だから、半ばその光景が信じられなかったのだ。

 

 

『に、ニシノフラワーです! ニシノフラワーが単独二番手の位置に上がってきていた!!』

 

「嘘……いつの間に!?」

 

周囲のウマ娘達が動揺する。彼女は最序盤で後方の方(だと彼女達は思っている)へと沈んだはずだ。上がってこれるか否かで言えば上がってこられるだろうが、一切揉まれず、掛かりも衝突もせずにどうやって……!!

 

 

「これハ……!!」

 

(一瞬の隙……上手いぞフラワー!)

 

内心で拍手喝采する。赤坂とは違い、自分の担当ウマ娘一人に注目することが出来る柴中には見えていた。フラワーを沈めようとしたウマ娘のちょっとした無理。その無理によって出来た隙を伝って手早く俊敏に、完全に囲まれて詰む前に、ニシノフラワーは無理なく包囲網を突破して、再び最高の位置につけたのだ。まるで「これが本当の早責めです」とでも言わんばかりに、

 

 

『先頭はヴィアナコンサート! ヴィアナコンサート残り600の標識を通過! そしてニシノフラワー! ニシノフラワー早め二番手から先頭に並びかける!! あとは一バ身ぐらいの差がついて各ウマ娘一気の混戦集団ですが──!!』

 

(速く──)

 

──け

 

『アトラーブルが来た! アトラーブルが来た!! 大外からはダイイチラーナー! 大外からはダイイチラーナー!!」

 

(速く──!)

 

──行け

 

『大きく横に広がって残り400の標識を通過して第4コーナーをカーブ! 直線コースを向いた! 先頭はニシノフラワー! ニシノフラワー先頭だ!! だがそとからアトラーブルとクリークフィールドが突っ込んできた!』

 

(もっと速く──! ○○○○の元へ!!)

 

 

行け! フラワー!!

 

 

 

「っぁあああああああああああああああああ!!」

 

 

領域(ゾーン)

 

 

──早咲きの天才少女(THE・SprintFlower)──ニシノフラワー

 

 

その時、阪神レース場に……正確にはそのターフの上に、第2の花が舞い踊った。

 

 

『先頭は、ニシノフラワー! ニシノフラワー強い!! なんという粘り腰! リードを三バ身に広げた!! 外からアトラーブルとムゲンラッキーが来るが、これはとてもではないが間に合わない!!』

 

『お見事! ニシノフラワー!! 早めの戦法で直線鮮やかに抜け出して、見事桜花賞を制しました!!』

 

 

『ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

観客席からの声援が、どうにも遠くに聞こえた。全身全霊でひた走ったというのもあるだろうが、どうにも気分がぽわぽわとしている。

 

 

(うーん……?)

 

勝った──という自覚が薄い。3バ身以上の差を付けたにも関わらずだ。もしやこれは全部夢ではないかとほっぺたを軽く抓ってみたくなるが、そこはグッと堪えた。

 

 

「フラワー!」

 

聞き覚えがありすぎる声が聞こえてくる。自分のトレーナーである柴中の声だ。何故だか知らないが、随分と興奮したような声色をしている。

 

 

「──やったな!」

 

ニカッ──と笑う彼の顔を見て、自分を褒め称えるその声を聞いて、彼女はようやく、GⅠ桜花賞で勝利したのだという自覚を得た。

 

 

「……桜花賞ウマ娘、なんですか、私が?」

 

「ああ!」

 

一度ハッキリと‘自覚’が来るともう止まらない。脚は妙に浮き足立ち、心はぽわぽわからムズムズを通して満開に花開く。

 

 

「え、えへへ……!」

 

嬉しい──そう‘嬉しい’だ。まずその感情が身体中を駆け巡り、次に誇らしさが心を支配する。自分はなった、なれたのだ。一生に一度しか出られないクラシックレースで桜花賞ウマ娘──その称号を手に入れる事が出来たのである。

 

 

「トレーナーさん! 私、綺麗に咲けましたか!?」

 

「ああ──! 最っ高に綺麗だぞ!!」

 

普段は絶対に聞けないような大声が、トレーナーから聞こえる。その声に歓喜して、ニシノフラワーは普段は絶対しないようなガッツポーズをしたのだった。

 

 

 

 

Iontach(素晴らしい)……実に素晴らしいレースだっタ」

 

柴中の横でラブリイがボソリと呟く。レース前の不安げな心持ちは、彼女が勝利したという事実の前に完全に吹き飛んでいた。

 

 

(怖かった……私は怖かったのだナ)

 

フラワーが敗れることが、ではない。自分を負かした彼女が、自分のレースが出来ずに敗北してしまうことが。自分がレースに参加していたとしても、彼女以外に負けていただろうという事実を突き立てられることが……ではなく、自分が認めたウマ娘である彼女が敗北するところを見たくなかった。

 

だがどうだ。柴中の言う通り、心配など欠片もする必要無かったじゃないか。周りの空気に飲まれる事なくシッカリと自分のレースをして、文句無しの大勝利を収めた。誰かを勇気づけられるような……そんな走りだった。その走りを持って、彼女はラブリイの不安を根こそぎ取り払った。

 

 

「私も頑張らなければナ……!」

 

頬をペシペシと叩き、気合を入れる。いつか──否、次こそは彼女に勝ってみせると強く決意し、シンコウラブリイは他の観客達同様、勝者である彼女を祝福しにかかる。

 

 



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