Lostbelt No.EX-異聞統合封土ガイア-地に落ちた林檎 (飴玉鉛)
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2004回目の聖杯戦争
顔に硬く、冷たいものを押し当てられている。
無機的で、息苦しさを感じるこの心地は、決して自然なものではない。
懐かしい土の香りとも、風に靡き擦れ合う葉の囀りとも、正反対に位置する人工の感触だ。
どこか場違いな場所に居る気がする。
――ああ、そうだ。場違いなんだ。だって俺は……俺は――?
「っ……」
言い様のない悪寒に襲われ、目を覚ました。辺りが冷たい空気に包まれているのを知覚する。
呻き声を上げて両手を地面につき、上体を起こした俺は、自分がアスファルトの地面にうつ伏せで倒れていたのだと理解した。顔に押し当てられていると感じていたのはこの冷え切った地面なのだ。
……ここはどこだろう。寝起き故かぼんやりとした頭で思考する。
すると、すぐ隣に一人の男が立っているのに気がついた。
「起きたか」
その男を一言で例えるなら、痩せた獣だ。飢えて、彷徨い、餌を求める伽藍の獣。野卑な香りはなく、卑しさもなく、獣らしい貪欲さもないくせに、ありもしない餌を求めて放浪する一匹狼。
単純に、未知の生き物。純粋に、怖いニンゲン。全身が粟立ち総毛立つ様な戦慄は、この男の前で無防備に寝てしまっていた己に対するものだ。
硝煙と血の匂いを充満させるその男は日本人的な容貌ではあるが、今まで見てきたどんなニンゲンより危険に見える。それこそ
「……アンタは、」
「つまらない詮索はするな。状況が掴めていないのは僕も同じだからな」
「………」
ろくに手入れもされていない黒い髪――草臥れた相貌と、昏い奈落を詰めたかのような眼。黒いコートとスーツという、全身を黒一色で固めた出で立ちの男は、俺が何か言いかけるのを遮り顎で示す。
「それよりも、見ろ」
促されるまま見ようとはせず、しかし見ないわけにもいかず、俺は男に対して注意を払いながらも示されたものを見る。
男が俺に見せたかったのは、今俺達がいる場所だ。自分がどこにいるのかを俺に認識させたかったのかもしれない。
「ここは……」
そうして、俺は絶句した。なんとも形容し難い違和感に殴りつけられて。
「どこかは知らないが、僕達は今どこぞの地下駐車場らしき所にいる。だがおかしい。これだけの規模なのに
「………」
見渡す限りの空洞だ。
駐車場というものが、車という乗り物を置いておく為の所だというのは知っている。なのにその車がないし、そもそも
男は冷静な表情と声、機械的な瞳で俺を見下ろした。
「
「……そう言うアンタは誰なんだ。普通、名前を訊ねるなら自分から名乗るものだろ」
「質問をしているのは僕だ。余計な事は言わない方がいい」
「………」
有無を言わせぬとはこういうことか。男の態度から、どうやら俺はこの男に疑われているらしいと察せられる。まるでこめかみに拳銃を突きつけられているかのような威圧感だ、逆らっても良いことはなさそうである。……ここは素直に従った方がいいかもしれない。
「俺は、
「歳は」
「17歳。三咲町の三咲高校に通ってる高校生だよ」
「……静希草十郎。お前は魔術を知っているか?」
「知ってる。けど知ってるだけだ。その魔術っていうのを使える知り合いがいるんだ」
「……、……そうか」
魔術。この言葉を出され、素直に答えると、男は小揺るぎもしないまま警戒心を高めたようだ。
無言で一歩間合いを離した男の間の取り方は、
「アンタは? 俺は名乗ったんだから、今度はアンタの番のはずだろ」
「………」
男の目をまっすぐ見て問う。すると男は数秒の間を空け、思案しながら答えた。
「……
衛宮。そう名乗った時、男は俺の反応をつぶさに観察しているようだった。
もしかすると彼は有名人なのかもしれない。その名前を聞いた時の反応を見ているようだ。だけど俺は、その手の話には詳しくない。名前を言われても驚いてはやれなかった。
「そっか。ならアンタのことは衛宮さんって呼べばいいんだな……あ、敬語で話した方が――」
「いや、僕にそんな拘りはない。君が僕を警戒する気持ちは分かる。好きにするといい」
それじゃあ遠慮なく……。
彼は年上の人だ、敬語で話すのが礼儀だとは思うが、
「それより静希
「蒼崎と有珠を知ってるのか?」
「――なるほど。蒼崎に、
衛宮切嗣が何故か失笑気味に苦笑いする。態度は軟化して、幾らか自然体になったが、彼にはなんらかの判断が付きつつあるらしい。状況が把握できてきているなら教えてほしいものだ。
「質問しよう。君は意識を失う前はどこにいた?」
「有珠のところだ。家にいて……あれ?」
そこまで思い出すも、そこから先に辿るべきものがないと気づく。
顔が険しくなっていたのだろう、衛宮切嗣は俺の様子から再び表情を引き締めた。
「その様子だと意識を失う直前の記憶はないらしいな。……君は日本にいたみたいだが僕はドイツにいた。そして君と同じく此処へ至るまでの記憶がない。君はあの久遠寺邸にいて、僕はアインツベルンの城にいたというのに、一体誰がどうやって僕達を連れてきた……?」
「……俺にはサッパリだ。魔術とかいうのは、こんな簡単に人を拐ったりとかできるんだな」
「魔術はそう万能なものじゃない。特に久遠寺の魔女とアインツベルンの目を盗み、その関係者を拉致してしまうだなんて無茶を実現するのは、僕の知り得る限りだと不可能だと断言できる。何よりそんなことをするメリットがない。……いや、僕に想像がつかないだけでメリットはあるのかもしれないが、得られるだろうリターンとリスクがまるで釣り合っていないだろう」
「現状で認識するべき要点は五つだ」と衛宮切嗣は言う。そうして広げた掌の指を一つ、一つと折っていきながら、彼は視線を俺から外して周囲を見た。
俺も気づいてはいた。ここには、
「一つ。少なくとも僕と君の他に五人の、合計七人を拉致し、同じ場所、同じ時間帯に目覚めるようにした『何者か』がいる。ソイツは並の魔術師じゃないな。それと個人でもない。僕と君は日本とドイツの、有力な魔術師の庇護下にいたが、それらの目を盗み拉致を実現する成果を見せたんだ。こんなことは個人で出来る事じゃない。必ずそれ相応の組織が関わっているだろう。
――そうでなければ、
話を戻そう、二つ目の要点だ。ここは恐らく固有結界の内部か、それに準じる大魔術の領域内だろう。出口がないのは当然だ、そんなものを親切に設定しているとは思えない。だがこれだけの異界を維持するには天文学的な魔力か、それに代わる設備と電力が必要になるだろう。ここからも個人には不可能な犯行だと断定できるな。
三つ。僕達を捕らえ、ここに閉じ込めた『何者か』の目的は今のところ不明だ。僕は最初に目を覚ましたからね、まず他六人の持ち物や人相を検めさせてもらったが、僕の他に
その白人の女はしなやかな肢体を持ったスーツ姿の麗人だった。ワインレッドの髪は男性的なカットをされていて非常に短い。だが何より目を引くのはその鍛え込まれた肉体だ。スーツを纏っていても分かる。この女の人は、山の熊なんて比じゃないレベルでぶっ飛んでる、と。
蒼崎と殴り合ったとしたら、蒼崎が一方的に叩きのめされて終わりそうだ。戦闘というレベルだと衛宮切嗣にも匹敵するか、上回っている気がする。
「そしてもう一人の魔術師がそこの白髪の黒人だ。肉体的なポテンシャルで言えば七人の中で随一だろう。恐らく魔術をただの手段として使う、フリーランスの魔術使いだな」
白髪の黒人……確かにいる。190cm近い身長と、全身を覆う筋肉の鎧は凄い力を発揮しそうだ。
黒いボディーアーマーを身に着け、白い外套を纏い、短い白髪をオールバックにしている。
彼を見る衛宮切嗣の目は剣呑な光を放っていた。
「……要点を纏めてくれるのは有り難いが、どうしてそれを教えてくれるんだ?」
気になって問い掛けると、衛宮切嗣はちらりと俺を一瞥した。
「理由は単純だよ、静希くん。君が
「……なるほど?」
「付け加えると、こんな状況に放り出されたのに落ち着いている点と、
「……分かった」
とりあえず頷いておく。衛宮切嗣は俺に好感を持ったらしいけど、生憎と俺はこの男のことが苦手だった。
――だってそうだろう。衛宮切嗣は俺に好感を持ったとしても、きっと必要となればすぐに牙を剥いてくる。そんな危ない奴に好かれたって、ちっとも嬉しくない。
俺はひとまず、目を覚ました他の人達に目を向けた。彼らも衛宮切嗣と話すことになるだろう。俺は黙ってそれを見ておくことにする。
……誰がやったのかは知らないが、迷惑な話だ。こっちにはバイトだってあるのに、なんだってこんなところに拐ってきたのだろう。多分蒼崎と有珠も心配してる……してる、はず。だから早く帰らないといけない。そのためにも、なんとかしないといけなかった。
具体的に何をどうしたら良いのかなんて、全く分からないのが難点だが――
(――今更だな。
ちょっと自信はない。なくても構わない。俺は、地面に座り込んだまま衛宮切嗣をぼんやり眺めることにした。
誰かが行動を起こすとしたら、それはあの男であると見定めたのである。気分は山の中で土砂崩れを目の当たりにした時のもの――つまり人の身にはどうしようもない、ということだった。
† † † † † † † †
七人中、最も早く目を覚ましたのは幸運だった。
だが、恐らくという注釈はつくものの、最も早く起きたのは偶然ではない。
自分は精神の
2時間という規定時間を過ぎた為、消し飛ばした意識は自然再生して意識を取り戻した事になる。この2時間の間は肉体的に完全に無防備になる為、細心の注意を払う必要があるが、代わりにどれだけの心的肉体的な疲労も無くせる為重宝しているのだが――それが今回は仇になったかもしれない。
(アイリ……イリヤ……)
身から出た錆とはいえ、2時間の空白の時間の内に何があったのか知る術はなかった。
アインツベルンの城にいた衛宮切嗣を、どうやって連れ去りこうして未知の領域に捕らえた。目的は? どんな手を使ってあの場所に侵入した。妻や娘は無事なのか――『
だがそれでも彼は思考を止めない。考えることをやめない。
……最も高い可能性としては、アインツベルンが変心して切嗣を切り捨て、処理するために隔離したというものだが、それにしたって回りくどいだろう。精神の解体清掃をしていた切嗣は無防備だったのだから、処理したければその時にやれば良いだけの話だ。よってこの可能性は却下できる。アインツベルンは、衛宮切嗣を切り捨ててはいない。
(令呪は――ある)
切嗣の手には、冬木の聖杯戦争にて参加者の証となる、三画の令呪という膨大な魔力リソースが刻まれていた。
これが奪われず切嗣の手にあるということは、切嗣を連れ去った下手人が令呪を摘出する術を持っていなかったか、聖杯戦争のことを知らないか――あるいは聖杯戦争に利用しようとしているケースも想定できる。最悪の場合、サーヴァントを召喚しても、この場を切り抜けられないかもしれない。少なくとも切嗣を意思持たぬ傀儡にしていない時点で、拉致の下手人はサーヴァントをも御せると判断するに足る何かを持っているのだろう。
だがそれは下手人が英霊の力を見縊っているからこその慢心の可能性も――
(馬鹿な。楽観はやめろ、衛宮切嗣。敵の規模は未知数だ、舐めて掛かっていい道理はない)
なんであれ、サーヴァントは強力な戦力だ。召喚できるなら即座にするべきだった。
だというのに起きてすぐサーヴァントを召喚しなかったのは、英霊召喚のための準備を整える道具がなく、何よりこの場にいる人間の数に嫌な符号を見つけてしまったからである。
(この異界――恐らく固有結界か、それに類するものだ。これだけ大掛かりなものとなると、維持には相当大きな組織が関わっている。その正体は気になるが、今問題なのは閉じ込められた人数だ)
第四次聖杯戦争の参加者である切嗣の他に、六人の人間。内、自分を除いて二人が魔術師だ。
七人が、この異界の中に居る。
そして――聖杯戦争のマスターも、七人。
この数の符合は偶然か? 限りなく可能性は低いが、聖杯がイレギュラーを起こしマスターをどこぞに召喚した可能性も想定し――そんな機能があるなど妻から聞いたことはないが――まだ眠っていた六人に手出しは控えたが、そうでなければ魔術師の二人は始末していただろう。
冬木の聖杯戦争には御三家が存在する。自分がアインツベルンであり、他が遠坂と間桐だ。前者は当主の遠坂時臣がマスターであるという裏が取れているが、後者は不明だった。魔術師がここに二人いることから、遠坂時臣はなんらかの理由で聖杯戦争から降り、第三者を代理か手駒として参加させたと見るべきだろうか? 間桐も同様に外部から傭兵を――そんな馬鹿な話があるかとは思う、思うが、しかしそうとしか考えられない。
魔術師二人がこの異界になんらかの形で関与していないか、一応調べてはみた。女の方は、白だ。現存する宝具らしきものを持っていたが、あれは恐らくケルト縁のもの。とはいえ結界の維持や構築にはなんの役にも立たない。この女が時計塔の輩だと思ったのは、現存する宝具だなんてものを所持している野良の魔術使いがこの場に居合わせる確率は低いからだ。恐らく遠坂の傭兵だろう。となると怪しいのは男の方だ。明らかに魔術師、あるいは魔術使いであるのに、その男は礼装の類いはおろか武器の一つも所持していなかったのだ。
(男の方は念の為、始末しておくべきなのかもしれないが……)
そうは思うも、手出しは躊躇われた。なにせその男を含め、
手元に道具があれば、拘束するなり時限爆弾を忍ばせるなりしたが、今の切嗣の手元にある装備はキャリコ M950Aとその弾丸100発、サバイバルナイフが一本、トンプソン・コンテンダーと起源弾6発だ。それらがご丁寧にもコートの内側に忍ばされていた。
不気味だ。切嗣の武装を全てではないにしろ持ってきているとは……一度
信頼できるのは細工の施しようのないナイフのみ――これでは到底何かを仕掛けられないだろう。それに彼らが聖杯戦争の参加者なら、今殺しても意味がない。聖杯戦争の主目的はサーヴァントを脱落させ、大聖杯にサーヴァントの魂を焚べる事なのである。
今マスターを殺しても意味がない。むしろこの不可解な状況を解き明かす為にも、生かしておいたほうが賢明だろう。
(まずは全員が目覚めるのを待つ。そして僕やコイツらを拉致した輩の正体を暴き、可能なら袋叩きにする。目が覚めた者と会話し、何人かから信頼を得、同盟関係に持っていけたらベストだ。信頼を得られたら
手元に聖剣の鞘という触媒はない。当初の予定だったアーサー王は喚べないだろう。
本来なら不服であり、アサシンあたりを喚びたかったが、今は騎士王が持っているだろう聖剣の大火力は惜しかった。もしアーサー王が喚べたら、この異界を消し飛ばしてしまえる可能性が高いからだ。
しかし無いものは無いと割り切る他にない。切嗣は一度思考をリセットし、目の前の現実に思考の焦点を戻した。
(静希草十郎……一般人のはずだが、どうにも
直前まで接していた少年について懐いた所感を纏める。彼は歳は17歳で、高校2年生だという。しかし持ち物は若者らしくなく、財布がズボンの中にあっただけだ。学生証は入っていた為、偽名ではなさそうだが、あんなものは簡単に偽造できる。鵜呑みにするつもりは毛頭ない。
普通の少年ではないだろう。どこか浮世離れしている。静希草十郎がまだ意識を取り戻していなかった時、彼も調べていた。肉体は情報の宝庫である、どんな名優でも体だけは素直だ。
鍛えられた肉体は無駄を削ぎ落とし、辛うじて無害な一般人に見える範疇に留めている。全身は傷だらけで、過酷な修練を経ているのが分かった。あの肉体は兵士ではなく、アスリートでもなく、衛宮切嗣に――そう、暗殺者に似ていた。
であるのに実際に話してみると純朴で、素直で、冷静だ。あるがままを受け入れる姿勢は、地獄と化した戦場を幾つも越えてきた切嗣とは似ても似つかない。これまで会ったことのない人種だ。
どう評価していいか分からないが、あの久遠寺の魔女と蒼崎と関係のある人間らしい、油断していい相手ではないのは確かだろう。拳の錬成具合から見て得意とするのは徒手空拳、もし不意打ちに失敗した場合は遠距離からの射撃に徹し、近接戦は避けるべきだと結論する。
(射撃に徹する、か。僕もヤキが回ってるな。何者かの手が加わっているかもしれない武装を計算に入れるなんて。起源弾も機能するか怪しい、確実な効果を発揮するか調べないといけない)
課題は山積みだ。現状はどう考えても詰んでいる、やはり今後の展開はサーヴァントの召喚に掛かっていると見て良いだろう。
だがその前に、やるべきことがある。情報の収集と、布石を打つことだ。
状況が動こうとしている。静希草十郎に続き、三人が目を覚まそうとしているのだ。
時計塔の者らしき白人の女と、白髪の黒人、そして海藻類にも見える癖の強い髪の毛の少年。
この三人と会話を試みる。切嗣は自身のらしくない遣り方に失笑気味に鼻を鳴らしながら、懐からタバコとライターを取り出して、火を付けたタバコを口に咥えた。
紫煙を燻ぶらせながら、機械的に声を掛ける――その寸前。ぼんやりと瞼を開けた白髪の男が、切嗣を見るなり目を見開き、日本語ではっきりと呟くのを聞いた。
「――爺さん?」
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異なる枝から伸びたモノ
――依然、鉄の心に曇りなく。その鉄心、磨き抜かれた硝子の如し――
一段、一段と絞首台を登るごとに聞こえる罵詈雑言。
一歩、一歩と脚を動かす度に響く古傷の引き攣り。
戦争犯罪人『エミヤシロウ』最期の時だ。人々の為に戦い、正義の報いとして手渡された友の裏切りと、大衆からの無理解。それらに思うところがないとは言わないが、恨みや憎しみはなかった。
これは当然の帰結だ。分かりきった結末なのである。
多くの悪を見た。多くの醜を見た。多くの惨を見た。――多くの悪を討ち、醜さを正し、惨劇を終わらせた。最速、最短、最善の手段で。その果てに多くの人々を救えたのだ、例えこの行いに意味はなくとも悔いはない。『世界』と契約して得た力も十全に扱えた。
放置したら世界に深い傷跡を残しかねない、大きな争いを治めた。後は自分を生贄に捧げたらこの争いも終息する。全ての悪名を背負い、元凶は己だと認めるだけでいいのだ、容易い事だろう。
ただ……悔いはなくとも、未練はあった。
残してきた姉のような人――彼女に何も残せていないのは、本当に申し訳ないと思う。
だけどもうどうしようもない。心の中で彼女に謝りながら、首に掛けられた縄を受け入れる。
自分は死ぬ。だが、それでいい。死は自分にとって終わりではない。
『世界』に預けた己の死後。個人というちっぽけな存在ではどうしようもない、本物の正義を実現できるはずの舞台で、『エミヤシロウ』は正義の味方になれるはずだ。自分はそう信じていた。
だからこれは終わりではなく、始まりでしかない。『世界』という大きな力の下、曇りなき理想を成就する為の戦いが始まるのである。
「 」
自分を裏切った友人が、絞首台で首に縄を掛けられている自分を見ていた。
酷く歪んだ顔をしている。裏切った事を後悔しているのか、はたまたエミヤシロウに早く死ねと憤っているのか、いまいち判別はできない。余りに可笑しくて、もうオレの事は気にするなと言った。
いや、言おうとした。
だが声が出ない。それもそのはず、エミヤシロウが何かを言う前に、絞首台の足元の床が左右に割れ、エミヤシロウは首に縄を掛けられたまま宙吊りにされてしまったからだ。
(ああ――遠坂の言った通りだ。オレは――)
信じた人間に殺されて、最後には理想にまで裏切られるでしょうね――そう予言した、赤い魔女が嘗て居た。破局を迎え、訣別してしまった、憧れていた魔女だ。
別に、構わなかった。例え誰に裏切られても。例え理想に裏切られても。自分だけは、理想を裏切る事はないのだから。死ぬまで、そして死んだ後も、正義の味方を張り続けるだけだ。
そうして錬鉄の英雄、エミヤシロウはその生涯に幕を――下ろす直前。
生命体として破綻した在り方を貫いた最新の英雄は、希少なモデルデータとして採用された。
本人が望むと望まざるとは別に、この星の未来を占う決戦の場へ招致されたのだ。
† † † † † † † †
「――爺さん?」
目を覚ましたエミヤシロウが最初に目撃したのは、エミヤシロウのオリジンである養父だった。
信じ難い思いに駆られる。寝惚けているのかと唖然とする。
なぜ衛宮切嗣が自分の前に居る? エミヤシロウは戦塵に塗れてきた故に、寝起きだからと意識が散漫になることはなく、眠りから醒めた直後でも即座に意識を覚醒させる習性が身に付いている。対魔力の低さを自覚する故に、幻術に類する魔術への対策もしていた。
以上のことから、エミヤは目の前の人物が衛宮切嗣――に、よく似た誰か、あるいはエミヤの過去を知る者が、彼の動揺を誘うために用意した木偶人形であると認識した。
エミヤは自身が絞首台で首を括られ、死んだものだと思っていた。直前までの記憶がはっきりしているからだ。
故にエミヤの脳裏へ瞬間的に去来したのは、死んだはずの自分を回収し、蘇生させた何者かがいる可能性と。ここが死後の座、アラヤの守護者が集う英霊の座に似た空間ではないかという誤解だった。
前者の可能性は限りなくゼロに近い。エミヤは恨まれ、憎まれる反英雄だ。死後の遺体は速やかに遺棄されるか、大衆の手で激しく損壊されるだろう。少なくとも原型は留めない。それを復元し蘇生するのは魔法の域にある奇跡だ、端的に言って不可能である。
では後者の方は? これは有り得ない、とは言えない。エミヤは第二魔法を追い求める魔女、遠坂凛を経由して平行世界という概念の詳細を知っている。衛宮切嗣が平行世界で、死後その魂を世界に召し上げられた可能性はある。英霊ではない、英霊もどきである守護者として。
つまりはエミヤと同類だ。もしその予想があたっていたら、なんという皮肉なのだろう。
――だがその可能性も低いと、エミヤは感じていた。その予感は、すぐに確信へと変わる。
「爺さんだって? 寝惚けているらしいな、誰かと誤認するのは止してくれ。迷惑だ」
衛宮切嗣の目、声、表情。それらは完全にエミヤを他人だと告げている。
それはいいのだ。最初からエミヤは彼を切嗣だとは思っていない。
そんなことより問題なのは周辺の環境だ。
エミヤはその特異な能力により、世界の異常に敏感になっている。故に彼は目覚めと同時に、自身がある種の異界に身を置いていることを認識していた。
「――失礼した。貴方が昔、世話になった人に似ていたものでね。それより、またぞろ
エミヤは言いながら周囲にそれとなく視線を走らせる。
天井の高さ10メートル、周辺は見渡す限り出口のない、駐車場に似た空間。冷え込んだ空気からして最低でも地下三階辺り、光源の類いは皆無。衛宮切嗣に似た何者かの他に、離れた位置に座り込んでいる少年が一人、近くで立ち上がった白人の女が一人、どこか見覚えのある茶色の制服を着た、日本人らしき少年が一人。他に二人ほど地面に横たわり眠っている。
環境と人間の数を瞬時に把握し、エミヤは切嗣に視線を戻そうとして――我が目を疑いたくなって女の方へ振り向いた。――同時に穂群原学園の制服を着ている少年もまた、エミヤを見るなり驚愕に目を見開き、しかし
「――アンタ。まさか、バゼットか?」
「え……? わ、私を知っているんですか?」
「
女の名と来歴を、エミヤは知っていた。彼女の名はバゼット・フラガ・マクレミッツ――冬木の聖杯戦争で
彼女がどうしてこんな所に? 全く理解できない。それに、バゼットが最後に会った時より若くなっているように見える。まるで二十代前半の、まだ精神が完成していない未熟な状態だった頃だ。加えてバゼットはエミヤを知らないかのような反応をしている。
反対に『アーチャー』などと呼ばれた故に反応が遅れたが、茶髪の少年の方はエミヤを知っているらしい。正確には
――エミヤが知る『
エミヤはそのどちらとも似ても似つかない。
最後となった第六次聖杯戦争でも、前回彼のマスターだった遠坂凛に再度召喚されたアーラシュが『弓兵』だった。エミヤを指して『弓兵』などと呼ぶ知り合いはいない。
疑問と違和感が噴出しかけ、エミヤは嘆息して腰に手を当てた。紫煙を燻ぶらせる切嗣を横目に、彼は混迷を深めようとする場を落ち着ける。
「――どうやら各々に認識の差異があるようだ。どうかな? ここは一度全員が名乗り、互いの認識をすり合わせたいと思うのだが」
――やはりこの男は危険だ。
衛宮切嗣は褐色の肌の男が、冷静に状況の把握に務める姿を見て、警戒心を強めていた。
だが即座に手を打てる相手ではない。また、そんな場合でもない。
何故なら褐色の男の提案で、各々が名乗り出すと、現状の不可解さが浮き彫りになったからだ。
「オレは
アムネジア・シンドローム? 聞き覚えのない病名だ。それとなく静希草十郎や、褐色の男、白人の女――バゼットというらしい――の反応からも、その病名は未知のものである事が分かる。
「――アムネジア・シンドロームとはどういう病気だ? それに、はず、というのは?」
切嗣が訊ねると、岸波白野という少年は困惑気味に頭を掻いた。
「えっと、確か脳神経を侵すウイルスで、感染者は自己と他人の境界が曖昧になって、最終的に記憶もなくなって生命活動を停止する……確かそんな説明をされたと思う。……思います。岸波白野のはずって言ったのは、単にオレも自分の名前が曖昧だからです」
「……誰か、アムネジア・シンドロームというものに聞き覚えは?」
「オレは知らないな」
「……私も知りませんね」
褐色の男とバゼットは否定する。静希草十郎も無反応だ。すると岸波白野は動揺したらしい。
何かを言い募ろうとするのを、褐色の男が止めて代わりに問う。
「……オレをアーチャーと呼んだのは?」
「え……? アンタはアーチャーじゃないのか? ――あれ。アーチャーってなんだっけ……」
「……記憶が曖昧らしいな。演技だとしたら大したものだ。オレの目には君が道化を演じているようには見えないが」
アーチャー。この呼び名が意味するところを、切嗣が知らないわけがない。
もしかすると切嗣の前に目覚めた誰かが居て、サーヴァントを召喚して現れたのがこの男である可能性が出てきた。その場合本来のマスターは魔術、あるいはサーヴァントの宝具かスキルで姿を隠している事になる。
危険だ。
もしこの男がサーヴァントなら、この男だけでこの場の全員が皆殺しにされかねない。だが根拠がこの『見るからに平凡な少年』の呼び方だけである為、真に受けるのは早計かもしれない。
――岸波白野。身長は170cmほどか? 歳は静希草十郎と大差ないだろう。しかし体つきは静希草十郎と違って平凡で、平均的な運動性能しか発揮できない事が分かる。魔術師なら話は変わってくるが彼の雰囲気はそれを裏切っている。一般人にしか見えないのだ。
……ならどうしてアーチャーというクラス名を知っている?
少なくとも聖杯戦争に関しての知識はあると見ていいはずだが……。判定するなら、黒寄りの白……グレーだろう。静希草十郎とは別の意味でちぐはぐな印象を受ける。
「『キシナミハクノ』という、君と同姓同名の女の子は知っている。だが、オレは君の事を知らない。人違いだろう。すまないが、君の言う『アーチャー』と混同しないで貰いたいな」
「人違い……? でも……いや、すみません。気をつけます」
褐色の男が縁を否定すると、白野は目に見えて驚き落胆したようだ。少し気の毒になりそうなほど、素朴な印象を受けてしまう。切嗣の目から見ても演技には見えなかった。
「次はアンタに名乗ってもらいたいな」
そう言って切嗣に水を向ける褐色の男。この男がどう出るか定かでないが、一先ずは乗ってやる。
「……いいだろう。僕の名は衛宮切嗣――」
「なっ……!?」
「………」
「――なんだ?」
名乗った途端、あからさまに驚いたのが女、バゼットだ。男の方はポーカーフェイスを保っているが、微かに顔が硬直してしまっている。まるで何かに気づいたような、深刻な表情になっていた。
名前しか名乗っていないのに、劇的な反応を見せられ、さしもの切嗣も訝しむ。自分の悪名を知っているにしろ反応が露骨過ぎるのだ。腹芸ができないのか? 女の方が猜疑心も露わに睨みつけてくるのに呆れ――しかし。
「衛宮切嗣――悪名高い魔術師殺し……! しかし衛宮切嗣は五年も前に死んだはずでは? 偽名を名乗るにも状況を考えた方がいいでしょう」
「――なに、五年前? バゼット、君は何を言っているんだ? 切嗣が死んだのは二十年も前だぞ」
「……は?」
「………?」
――この時。切嗣とバゼット、褐色の男の三人ともが認識した。
何か、致命的な認識の相違がある、と。
奇妙な沈黙。切嗣は二人の言葉の差異を分析した。
女の言う五年前に死んだという話……切嗣は九年前に消息を断ち、アインツベルンに迎え入れられた。九年と、五年の差。これはいったい……? それに男の方が言う二十年とはなんの冗談だ。その時切嗣は九歳である。意味が分からない。
褐色の男が熟考を挟み、意を決したようにバゼットと切嗣を見た。
「……どうやら知らないふりをしていては、話が進まないようだ。確認がしたい、衛宮切嗣……アンタは今
「質問の意図が読めないな……二十九歳だ」
「――なるほど。バゼット、アンタはオレを知らないらしいが、察するに二十三歳だろう」
「……なぜ知っているのですか? 失礼ですが私は貴方を知りません。時計塔のどこかで一度会ったことでも?」
「は――なんの冗談だ、これは」
褐色の男は失笑を漏らし天を仰いだ。どうやらこの男は互いの認識の差異の正体に気づいたらしい。
促されるまでもなく、男は言った。
「切嗣、アンタは第四次聖杯戦争に参加する直前だな? バゼット、アンタは第五次聖杯戦争に、だ。そして切嗣は騎士王を、バゼットはアイルランドの光の御子を召喚しようとしていた。違うか?」
「なっ――なぜそれを!?」
「………!」
「第四次聖杯戦争は1994年、第五次聖杯戦争は2004年だ。つまり切嗣とバゼット、アンタ達には十年の時間の差がある。そしてオレは第五次聖杯戦争から更に15年先の未来を知っている。――オレの言いたい事は、これで分かっただろう?」
「――――」
何を言っている。それだとまるで、まるで――
魔法だ。第二か、第五か、判別は付けられないが奇跡としか言えない。
絶句したその時、
それは――『声』だった。
現在の状況の殆どを開示する――聖杯戦争の開催を通達する大いなる存在からの『声』――すなわちこの場の全員が敵同士であることを認識する、決定的に状況を理解させられる天啓だ。
『通告――異なる世界、異なる歴史を歩み、編纂事象より切り捨てられた敗残者達。剪定された七つの世界、七人の
現在登場人物まとめ
・静希草十郎
「魔法使いの夜」の主人公のようなヒロインのような…。
元祖山育ちである。葛木先生の原型。原作での活躍の驚異を一つだけ語るなら、
10メートルを0.5秒で走破し突っ込んできた最高位の幻獣ぶん殴って倒してること。
それは蒼崎橙子曰く「人間の技術の、究極の一つ」
・衛宮切嗣
「Fate/ZERO」の主人公。
セイバー召喚の目が消えてる、ガチ戦術の使い手。
後は分かるな…?
・岸波白野
「Fate/EXTRA」の主人公。
月の聖杯戦争の覇者。――の、オリジナル。
なぜか朧気に記憶があるようだが、サーヴァントの支援とかは無理に。
ただし戦術眼だけは達人級のまま。後は分かるな…?
・バゼット
言わずと知れたダメットさん。封印指定執行者。
この人だけ召喚の触媒になるイヤリングを装備してる。
後は分かるな…?
・錬鉄の英雄
「Fate」シリーズ元祖主人公――の、イフ。
英霊エミヤの生前の姿(死亡直前だった)
鉄の心装備。衛宮士郎の能力を完成させている。
英雄王とも交戦してる。
切嗣に似たガチ戦術の使い手。かつガチ戦闘能力は現在のメンバー中随一。
『世界』との契約を経ている為、なんらかの作用でサーヴァント級に(作中開始時点)
十年後のバゼットを知ってるので、第五次前のバゼットは完封可能。
大事なことなので二度…鉄の心装備である。
後は分かるな…?
次回でサーヴァント召喚である。
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異聞聖杯戦争
『
星。
天に煌めく星座――ではなく。
宇宙に並ぶ天体――でもない。
星。
遍く生命体の母なる大地、あるいは海ありし地球。
星には星の抑止力が存在する。抑止力、カウンター・ガーディアン。人類の集合無意識によって作られた世界の安全装置であり、人類の破滅を回避する為に機能する抑止力をアラヤ、星の延命の為に機能する抑止力をガイアと呼ぶ。どちらも世界の破滅を防ぐ為に存在し、世界を滅ぼす要因が出現した途端に現れ、その要因を徹底的に消滅・抹消させるのだ。
強大な力を持つ抑止力だが、それにも弱点は存在する。
いや、弱点ではなく欠陥だ。惑星内、つまり地球内で発生した『世界を滅ぼす要因』へのカウンターは発動するが、地球外生命体はどちらの抑止力の影響を受け付けないのである。その機能的な欠陥、外に目を向けていなかったが故の怠慢が、世界に滅亡の危機を齎した。
一度目はアラヤの失態だ。人類悪、ビーストⅠゲーティアによる人理焼却の最終目標は、『地球と成り代わる』というものであり、人理の崩壊と地球の危機を同時に招いたのである。
だがこの失態を、人間の言う『
元々ゲーティアの暗躍にはガイアも気づいていなかった為、心境としては後から『あの時は危なかった』と報されたようなものであるし、殊更に責めたり罰したりするつもりはガイアにはなかった。
しかし、二度目。地球白紙化現象。
これは駄目だ。どうあっても見過ごせない。
山も、海も、何もかも消え去る。人工物が消えるのは一向に構わないが、自然を消し地表を平らにしてしまう事は赦し難い。しかもそれは異星の存在による侵攻の結果であり、七つも
異聞帯は看過できない。だが打つ手はなかった。こういう時に対抗する手段としてアルテミット・ワン――星の究極生命が必要になるのだが、地球にはそのタイプ・アースが空位だったのである。
一番近いのは失敗作の真祖、タイプ・ムーンとの合作。だがあのブリュンスタッドは朱い月の後継機でもある。朱い月が地球の乗っ取りを企てていた以上アレをタイプ・アースに据える気はない。
異星の神が地球を自身にとって住みよい環境に改造し、移住してこようとしている。これを人の感覚に例えるなら、外部から飛来した寄生虫が、寄生先の器を勝手に改造しているようなものだ。恐らく人間の尺度でもこんなもの、受け入れられまい。
故にガイアは異星起源種に対抗する為に動き出したのだ。一度ならず二度までも、地球の危機を招く霊長など宛てにはならない。自身の手で問題を解決する。異聞帯に関しては自業自得と言うのは酷であるが、そこはどうでもいい。ガイアは、人類が死に絶えようと気にしない。
急務とするべきは、耐え難い玉座の空位を埋める事。真祖如き失敗作など問題にもしない、タイプ・アースの制作こそ至上命題だ。
幸いというか、教材には困らなかった。異星の神とやらと同じように、剪定された世界を掘り起こし、七つもある空想樹の仕組みを学んで同じ物を作ればいい。なんなら汎人類史の残党に伐採された空想樹の残骸を回収し、サンプルとして解析したりもした。
星の内海で解きほぐし、溶かし尽くし、空想樹を理解したガイアは同一のものを創造した。しかしここで困った問題に直面する。――
嘗て月に相談しタイプ・ムーン――朱い月を地球に招き入れた失敗がある。もう地球外の存在に救難信号は出したくない。そう思い、悩みに悩んだガイアは結論を下した。
元々、
救世主が必要なのだ。ガイアの意思を出力する為の器が。それを創り出す。その為に意識的な思考だけを持った抑止力は手を打った。どんな器を創るにしても、モデルが必要だろう。そのモデルとは、地球上で最も優れた生命体、すなわち霊長である人類が相応しい。
人類が死に絶えようとガイアは気にしないが、利用できるなら利用する。
ガイアは地球産の空想樹を星の内海に仮想顕現させ、七つの異聞を掘り起こした。その七つの異聞こそが異星の神が選ばなかったもの。異星の神が掘り起こした異聞帯は、異星の神が降臨するまでの
ほんの些細な間違いにより閉ざされた歴史達である。
――例えば、ガイアが主催する2004回目の聖杯戦争にて、マスターとして選ばれた衛宮切嗣の世界。そこにある冬木の聖杯は真に万能であり、汚染されておらず、更に全能にも近い代物だった。衛宮切嗣はその聖杯戦争で勝利し、恒久的な世界平和を成し遂げてしまった結果、人類の発展は完全に停止してしまい、『先がない』として剪定されてしまった。
――例えば、バゼット・フラガ・マクレミッツの世界。そこは衛宮切嗣のいた歴史とは方向性が異なり、聖杯は万能だったが悪の概念に汚染されており、バゼットが紆余曲折の末に『繰り返される聖杯戦争』にて最弱の英霊アンリ・マユを受肉させてしまった結果、シンプルに人類が絶滅の危機に瀕し、世界は呪詛で満たされ発展の余地が潰えてしまった。故に剪定された。
――例えば、例えば、例えば――そんな
ガイアはそうした敗残者達を拾い上げた。そして幾度も七つの異聞から人類の代表者を一人ずつ選出し、何度も何度も聖杯戦争を行なった。
聖杯戦争を、である。そうである以上、ガイアは勝者には報酬を渡し、叶えられる範疇の願いを聞き届けてきたが、それでも未だにガイアの目標は達成されていない。
何かが足りないのだ。タイプ・アースの作製のためのデータに、何かが。
それはきっと2003回にも及ぶ聖杯戦争の勝者達は、いずれもがほぼ例外なく利己的であり、大部分がガイアに『新しい霊長の一員に加わる』事を願って、自己や親類縁者の保存を果たしてきたからだろう。
中には変わり種な願いを叶えた者も居るが、それらは総じて不必要なデータだった。故に2004回目――タイムリミットが近づいてきた今回、ガイアが選出したのは稀有な性質の持ち主達である。
衛宮切嗣。このニンゲンの願う恒久的世界平和。その特異な過去からくる精神性と、戦闘力、生存戦略、戦術パターンが好ましい。無駄がないのはいいことだ。
類似例として、エミヤシロウ。正義の味方という概念の代表者にして霊長の抑止力のお気に入り。アラヤの抑止力が好んで用いるこの人間の能力は、サンプルデータとしてもってこいだ。単純に人間として破綻している在り方は、衛宮切嗣の上位互換でもある。
バゼット・フラガ・マクレミッツ。戦闘者として類稀な人間でありながら、精神の脆弱さは目を覆うもの。力と精神の比率が釣り合っていない者として、力に偏った者のサンプルとして相応しい。
岸波白野。忌々しい朱い月の出身地、月世界を制した月の王、そのオリジナル。疑似サーヴァントという霊基を参照し、それを応用して月世界のデータを憑依させた故に、月の王となった実力を見られるかもしれない。岸波白野はバゼット・フラガ・マクレミッツの対比として優等であり、力と精神の比率で精神に大きく偏った者だ。
静希草十郎。力と精神のバランスがいい。自然な生物、野生の人間である彼は、発展した文明の倫理感も合わさり、過去の類似例とは違ってガイアとしても好ましい存在だ。
他二名も、そうした別々の選出理由がある。
――年に一度の周期で開催してきた聖杯戦争。今回2004回目を数えるその戦争では、タイムリミットである2018回目が目前に迫っている事もあり、趣向を変えての聖杯戦争を行う事にした。
今まではトーナメント形式だったのだが、2004回目以降は全て戦場を設定してのバトルロワイヤル形式に変更する。
ルールは以下の七つだ。傾聴せよ。
一、以下のルールは例外なく遵守せよ。違反者はその時点で脱落とする。またルール違反により脱落した者の世界は、以後の聖杯戦争や『最終戦』に参加させない。
二、聖杯戦争の景品は名の通り聖杯である。
この聖杯は万能であり、聖杯の性能は以下の通り。個人の願いであれば大凡のものは叶えられるが、願いの規模に比例して効力は弱まるもの。
例として、過去に聖杯戦争の勝者が「自分の世界の住人全てを新しい霊長にしてほしい」と願った。しかし世界中の人間全てを作り変えるにはリソースが足りない。召喚され聖杯に焚べられた英霊の魂の分、つまり七騎のサーヴァントの魂相当の数を作り替えるのが精々だ。
逆に「自分だけ新しい霊長にしてほしい」と願えば問題なく願いは叶い、発生した余剰分の魔力で当該者の性能を底上げする。――このように聖杯で叶えられる願いは範囲を限られており、万能であっても全能ではないという括りがあることを留意するように。
三、聖杯戦争の知識は全参加者へ刷り込み済み。全参加者の有する知識に誤りはない事を保障。
四、聖杯戦争とは、サーヴァント、マスターの二人で一組である。マスターが死亡した場合、サーヴァントもまた死亡する。如何なる蘇生・延命手段も受け付けない。逆にサーヴァントが死亡した場合マスターは死亡しないが、以後の聖杯戦争への参加資格は永久に剥奪され、『星側の新しい霊長』へ移籍する権利も失われる。なお、狂戦士のクラスは不適格として除外済み。代わりにエクストラクラスの者がランダムに召喚される。触媒を所有していた場合は、それが機能するものとする。
五、サーヴァントの召喚はこちらで補佐するため、送付した呪文を唱えた時点で召喚可能。また現時点より24時間以内は戦闘行為を禁止とする。24時間後であれば、サーヴァントを召喚していなくとも戦闘は開始される為、サーヴァント未召喚は推奨しない。
六、戦場として設定するのは、七つの異聞のいずれかの世界における冬木とする。朝、昼、夜のいずれであっても戦闘行為は許可するが、マスターやサーヴァント以外に危害を加える事は禁止とする。ただしサーヴァントの魂喰いによる魔力回復は許可する。また戦闘技能の高い
七、2017回目の聖杯戦争を最後とするが、その戦争の終結に伴い『ガイア由来の異聞帯』を一つに絞る為、2018回目を七つの異聞における最終戦として発動する。この最終戦の形式はバトルロワイヤル形式の聖杯戦争とするが、聖杯等の景品は存在しない。各々の世界の代表者が敗北した場合、敗北した者の世界は破棄する。以後、最後に残った異聞帯はガイアの意思であるタイプ・アースを王として地球上に表出し、他の異聞帯の駆逐、汎人類史の残党の掃討、異星の神の討伐を目的に行動する。
――以上。
編纂事象、剪定事象、汎人類史、異星の神、他の異聞帯、現在の地表の状況も、聖杯戦争に纏わる知識の刷り込みに伴い行なっている。故に解るはずだ、諸君に逃げ場はない。自らが各々の世界の代表である事を理解せよ。
』
† † † † † † † †
「――な、んだ……それ……」
呆然と呟いたのは、切嗣ではなかった。動揺して瞳を揺らすバゼットでも、不動のまま沈黙した褐色の男でもない。愕然とする白野や、難しい顔をして黙り込む草十郎でもなかった。
それは、たった今奔った電撃にも似た天啓で目を覚ました二人の少年の片割れ、独特な癖を持った髪の少年だった。その少年の顔を見たエミヤが目を見開く。
「慎二……?」
少年の名は間桐慎二。年齢は、第五次聖杯戦争当時のもの。余りに場違いな少年がこの場に居ることにエミヤは目を疑うも、間桐慎二には間桐慎二の選出理由があった。
――間桐慎二。彼は彼の世界が剪定された理由とは完全に無関係だ。にも関わらず彼が選ばれた理由は簡単である。一般とは言えない家に生まれ、しかし
「なんなんだよ、いきなりさぁ! ぼ、僕が……僕が世界の代表者だって!? 僕なんかが……何もできなかった僕なんかが!? 衛宮や遠坂で良いじゃないか! お似合いだろ!? アイツらの方が! なんで僕なんかを選んだんだよ、ふざけるなぁっ!」
――間桐慎二は、第五次聖杯戦争で敗退している。
英雄王に聖杯の核にされて、不出来で不細工な肉塊になり、最後には惨めに助けられるだけだった。犯してきた愚行を義妹に許され、憑き物が落ちた慎二は己の分際を受け入れたのだ。だからこそ義妹に償いながら、普通に生きていこうと思っていたのに――これだ。
いきなり訳の分からない所に召喚され、挙げ句の果てには自分の世界が剪定されていて、敗者復活戦めいた戦争で再び戦わされる? しかも負けたら自分だけが咎を負うわけではない?
慎二は全て理解していた。与えられた情報を呑み込めている。何故ならそういうふうに暗示を掛けられているのである。故に慎二は悟らざるを得なかった。
――本命の戦いは2018回目の最終戦。一年に一度聖杯戦争が行われてきたというのが本当なら、後14年後に世界の命運が決する。それまでに自分の世界の勝利を積み上げて、有利な材料を揃え、14年後の戦いにて勝利しなければ、自分の世界は滅びてしまう。
しかしガイアとかいう奴の言葉が本当なら、今までの2004回も行われた聖杯戦争で、自身の世界に利する材料を残した奴はいない。全ての勝者が、自分か自分含めた縁者しか救っていない。
頭を掻き毟る。こういうのはヒーローの仕事だろう。慎二はヒーローではない。それはあの危機的状況でも自分なんかを見捨てず救い出した遠坂凛や、衛宮士郎のような奴の事だ。
断じて、自分ではない。
逃げたかった。だが、逃げられない事を彼は理解している。仮にここで負けても即座に死ぬことはないのかもしれないが、他の参加者がマスター殺しを狙わない保障はないし、もし負けたら仮に自分の世界の人間が最終戦で勝っても救われず、世界から切り捨てられる。
――それは駄目だ。それだけは嫌だ。だってまだ、自分は何も償えていないのだから――
「………!」
考えろ、考えろ、考えろ――!
慎二は他の面子の顔を見渡し、すぐに全員の顔を記憶する。自分以外に男五人、女一人……どういう奴らだ?
(――遠坂のアーチャーがいる!? いやマスターになるなら、アーチャーは人間? ……英霊になるほどの奴がマスターになるとか反則だろ!?)
慎二は驚愕して内心毒吐く。その間にも大急ぎで面子の把握を済ませた。
(他の奴らは……魔術師か? 普通に考えたらそうだ。だとしたら一番劣ってるのは僕だ。サーヴァントを召喚するのにコストは掛からないみたいだけど、維持の負担を請け負うのはマスターのはず。なら僕は魂喰いを前提にして行動しないといけない、けどそれは――)
良い悪いは別にして、魂喰いをした場合、人目につく。痕跡が残る。
戦場は冬木だと言っていた。なら地の利はあるはずだ、だからこそ分かる。テレビのニュースにでもなったり、被害状況を調べられたら魂喰いをした地点を割り出して、こちらの行動範囲がバレる。
自分がマスターになったら、魔力供給の関係上、サーヴァントのスペックは大幅に低下するだろう。……あのいけ好かない
拠点もなく行動するのはナンセンスだし、居場所が割れたらアウトだ。魂喰いは露見のリスクを考えたら避けるべきだろう。召喚したサーヴァント次第では、魂喰い自体拒否されかねない事も留意しないといけない。ならどうしたらいい? ベストは弓兵のサーヴァントだ、だけどそれが喚べるとは限らない。
(絶対的な前提として、僕は逃げられないし、負けてもいけない。最低でも遠坂と衛宮に借りを返さないといけないんだ……桜にも、償うって決めた。だから本気で、慎重にやらないと……)
だがどうしたらいい? どうしたら……。
――間桐慎二という少年は、魔術の才を除くと万能の天才だ。全ての能力が高く、とりわけ頭脳という面では天才達の中でも頭一つ抜けている。魔術へのコンプレックス、幾つもの性格的な欠点さえ悪い方に作用させず、自らの能力を十全に活かせさえすれば、間桐慎二はもっと違った結果を手に入れられていただろう。
その違った結果を、今の慎二は出せた。
「――――」
閃き。慎二の目に勝機を見い出した者の光が宿る。
彼は深く息を吸い、吐いて、無理矢理にでも自分を落ち着かせる。
そして周囲の動向を見定めた。
まず衛宮切嗣が動いた。同盟など他のマスターと結ぶ余地はないと見切り、異界が解かれ普通の地下駐車場になった事で現れた出口に向かっている。
それらを見届け、慎二は未だに残り続けている面子を見渡した。四人いる。
――全員、敵だ。そしてこの中の一人を除いて、自分と同じような精神状態になっているだろう。暗示を掛けられ、先程の『声』の話を本当だと信じ込まされている。自分達が剪定された側の存在だと。
(手を組まないか、なんて誘うのは馬鹿のすることだね。結局、最後には戦うんだ。ヤバい奴を袋叩きにする為に手を組むってのは
悪いとは思わなかった。慎二は、ヤバそうな三人が出て行ったのを見計らってから行動に移る。
(多分初動の早さからして、アイツらは荒事のスペシャリストなんだろうさ。ならアイツらが最初にやることなんか決まってる、
グズグズしてる暇はなかった。勝機を手繰り寄せるにはこの猶予期間を最大限活かす必要がある。一分一秒も無駄にはできない、さっさと出て行かないといけなかった。
だがその前に。
「――なぁ、お前ら。状況は理解
「………え?」
「………」
「………」
この場に残っている四人。慎二と、後は外見上年頃の近い連中が三人だ。
慎二と同じ高校の制服を着た
だが最後の一人、いまいちパッとしない平凡な少年は反応した。ソイツに狙いを定める。
「なぁ、アイツら明らかにカタギじゃなかったぜ。僕らみたいなか弱い一般人はさ、纏めて掛かって先に出て行ったアイツらを倒した方がいいと思わないか? ああ、僕は
「お、オレは……
「――あっそ。じゃ、もういいよ。お疲れさん」
やっぱりだ、と慎二はほくそ笑みながら邪険に少年――藤丸立香を突き飛ばした。よろめいて尻餅をついた藤丸は、何をされたか分からないといった顔をしている。
確信した。最低限、確認をしておこうと思ったが、
慎二は見向きもしないで駆け出し、地下駐車場から出ていく。
――この2004回目の異聞聖杯戦争で、最も早く、そして確実に近い勝算を立てた少年は、目的の場所に向かったのだ。
そこは、
(――まずは舞台が
もし此処が慎二のいた世界なら、間桐邸に慎二はいない。あの妖怪爺や桜にでも聞けば、一発で分かる。今日の慎二はどこにいたのか確認し、自身の記憶と照らし合わせたら。
そしてもしも此処が慎二の世界だったら――
(衛宮と、遠坂。それに爺様や桜に協力してくれって頼める! 爺様は令呪の仕組みに詳しい、遠坂か桜に僕のサーヴァントへの魔力供給を肩代わりさせるぐらい簡単なはずだ。衛宮もそこそこやれるみたいだし、何より
――逆に、慎二が他にもう一人居たら。
それは、
間桐慎二もまた、本気で、必死だった。
聖杯戦争参加者
・間桐慎二
Fate遠坂√を経て漂白した慎二。
全ての蟠りが氷解し、手持ちの札で遣りくりできるように。
地の利があるため普通に優勝候補。
この慎二は漂白され、説得力のないホームズめいた知性の冴えを発揮可能。
公式での特技「名推理」を機能させ、工藤新一(江戸川コナン)みたいな頭脳を持っている事に。
・藤丸立香
fgo主人公。
どこかで詰んだ。第一部は突破している。
平凡な一般人、善悪中間。人間の平均点ど真ん中。
であるのに非日常の体験が豊富。
経験はあるが、能力はあくまで一般人の範疇。
藤丸を(体力を除いた)能力値を50点としたら、慎二は(体力以外)90〜100点。
礼装がないので魔術も使えない。サーヴァントへの支援は無理。
しかし立ち回りだけは熟練。
下馬評
・運の良し悪しを抜きにした場合、慎二の方が生き残りの目はある。が、他の面子がえぐいので余程クリティカルな立ち回りをしないと無駄。なお全参加者に主人公補正が皆無。「ここに例外が存在した」はない。藤丸は聖杯戦争の経験で、慎二は持ち前の頭脳を活かさないと駄目。
なおガイアの見立ては、藤丸は強力なサーヴァントに全て任せ、パーフェクトコミュニケーションしつつ運がよかったら他の面子が潰し合い終盤まで生き残り、棚ぼたでなんとかなる可能性はある。
慎二は度胸と頭脳と忍耐力で他の面子を上回れたら、もしかしたら……といった程度。実は地頭はこの面子で一番良い。必死で本気で冷静な慎二のスペックをフルに発揮した場合、本作では「説得力のないホームズ」ぐらいと仮定する。しかし実践(戦)経験が第五次しかないのが難点。
参加マスターの一覧
エミヤシロウ(鉄心)
衛宮切嗣(モチベMAX)
バゼット(話の都合で外れる事がない魔槍の兄貴持ち)
静希草十郎(色んな意味で未知数)
岸波白野(オリジナル、月の覇者の戦闘データ憑依)
綺麗なワカメ(万能の天才肌&特技「名推理」装備)
藤丸立香(聖杯戦争スペシャリスト)
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藤丸立香の戦略
今回は短いです。
各参加者の戦略ターンに突入、まずは彼から。
実を言うと。
立ち上がる気力も湧かず、俯いてしまう。再起する気力が湧かない。
ガイアからの通達……通告を受けて。彼は自らの世界での旅が完全に無意味だったことを突きつけられてしまったのだ。暗示による状況理解を押し付けられるまでもなかったのである。
(――なんだよ、それ)
本当に、色々とあった。特異点F・炎上汚染都市から始まった特異点修正の旅。七つの特異点を駆け抜けた、生きる為の戦い。それらは終局特異点での決着を以て終結し、世界を取り戻したはずだ。
例え自分にできた事が殆どなかったのだとしても。周りの人や、多くのサーヴァントに助けてもらったからこその結果だったのだとしても。最後の最後に大切な人を亡くしてしまったけれど、色彩に溢れた未来を取り戻せたはずなのに――全て、無駄だった。
新宿、アガルタ、下総国、セイレムという四つの亜種特異点も乗り越えた。後は国連や魔術協会とかいう所の監査を終えたら、日常に帰れるはずだった。日本に――両親のいる所に。友人のいる所に帰れるはずだったのだ。大切な後輩、マシュにも見せたいものが沢山ある。やりたいことも山ほどあった。そういう未来があったはずなのだ。だというのに……。
――まさか。まさかまさかだ。2016年を乗り越え、自分達が亜種特異点を修正している最中に、剪定に至る原因が開花して、編纂事象から自分の世界が外れるだなんて想像もしていなかった。
つまりはそういうこと。特異点修正の旅は、無駄だった。全ての戦いは無意味だった。だって最初の前提として、世界は間違った道を歩いていたのだ。
全て徒労だったのである。カルデアとは全く無関係なところで世界は剪定された。
「……あーあ。なんだよ、オレのやってきた事って全然意味なんかなかったんじゃないか。だったら最初からそう言ってくれたらいいのにさ。そしたらあんな必死に頑張らなくても良かったし、ドクターだって犠牲になる必要はなかったんじゃないか。無駄骨だったとかアホらしっ」
下を向いて。
ボソボソと。
腐って、文句を垂れる。
そして――
「――よし、愚痴るのはこれぐらいにしとこう。でないと皆に叱られる」
藤丸立香は、切り替えた。
世界は
濾過異聞史現象だの、汎人類史だの、そういう小難しい話の理解はどけて。最低限の要点だけは押さえて、後の問題は後になって考えたらいい。
認識するべきなのは、自分の世界は人理焼却を巡る戦いの後、地球白紙化現象とかいうのが起きる前に剪定されて終わった事。剪定に至る原因は、ちょっと自分の頭では思いつかないので無視だ。そしてどうやら自分は運良く、ガイアとかいう星の意思に掬い上げられ、世界の敗者復活戦に参加することができた。ならやる事は決まってる、やるべき事は見えている。
今までの経験から言って、割とこういうのは慣れっこだ。――まあ、他の歴史を蹴落として、生き残る事に関しては――少なくとも今、思い悩むような事じゃない。そんな綺麗事を吐くのは傲慢だ、生きるために戦ってきたのだから最後まで戦って、後で振り返ればいい。
最後まで走り抜けて、振り返らずに駆け続けて。でないと、ドクターの挺身が無意味になる。自分の家族が、友人が、カルデアの仲間が、後輩が……そして世界が消滅してしまう。
(というか、地球に意思があるとか初耳なんですけど――)
なんだかスケールのデカい話だけど。申し訳ない、理解できません。
理解させられてるけど、理解しない。情けない話だが、受け入れる度量がなかった。
(世界代表とか荷が勝ち過ぎてるけど、そんな事はいつものことだ)
今の自分はなんの装備もない。カルデアの礼装がないのである。通信機の類いも身につけていなかった。つまりカルデアと連絡は取れないし、魔術で支援とかできないし、なんならカルデアが肩代わりしていたサーヴァントへの魔力供給とかも満足にこなせない。
まあ、割と絶望的だ。敗者復活戦に出させてもらっておいてなんだけど、今からでも選手交代とはいかないだろうか? 無理? 知ってた。なら出来る限りの事はしようと思う。
(うーん。サーヴァントを呼んでも、オレじゃ現界を維持したりとか、戦闘をバックアップしたりとか無理だよな。大体サーヴァント戦闘だとオレなんかなんの役にも立たないし。音速戦闘が当たり前なのに目で追えるわけないって。目で追えない戦闘で、素人が戦闘のプロのサーヴァントに指示を出すとか無理でしょ。むしろ足手まといにならないようにするので精一杯だ)
じゃあどうしよう……ってなる。
(魂喰いっていうのはしたくないし……
冬木には来たことがある。特異点Fと、その十年前を基点にした特異点だ。
一応地理は覚えてる。同じ日本だし言葉は通じる。金はないけど、まあそこはいい。
(できる事、できない事を箇条書きにして、整理する。その上で自分に取れる最善の方針を立てるのが戦術の基本――押忍、レオニダス先生、宛てにしてます。……オレにできる事ってなんだ? 思いつかないな、とりあえず先にできない事を整理するか。
・礼装ないから魔術でサーヴァント強化は不可能。魔術とか使えない。才能ないし。
・実戦でサーヴァントに指示を出す? 目で追えない戦闘に口出しするとか馬鹿の極みだ。というかこっちが喋ってる間に戦闘が進んでるんだから、変化する状況に適した指示とか出せません。
・消耗したサーヴァントに魔力供給も無理。オレの魔力量とかカスだ。
・現界の維持も無理。霊格が低い英霊ならなんとかなるかもだけど、万が一ヘラクレスとか来たら死ぬ気でやっても一秒イケるかどうか。普通に無理だからね。自殺じゃんそれ。頼むから霊格高い英霊の皆さんは来ないでください。来られたら死ぬよオレ。
・カルデアとの通信も無理。通信機ないし。増援とか来ない系特異点に来たようなもん。
・孤立無援でお金とか無いから生活がままなりません。拠点なしです。
・アーチャーっぽい人いた。ていうかエミヤじゃんあれ……生前のエミヤがいる聖杯戦争とか勝てる気がしない。エミヤから聞いた話だと、生前はかなりガチな殺し合いとかしてるらしいし、サーヴァントじゃないならオレの事も記録でさえ知らないだろうから普通に殺しに来るかも。エミヤ以外にも本職の魔術師とかいるみたいだし、どう考えても勝ち目がない。
……詰んでない? 詰んでるよこれ。どうしろっていうの? いやまだだ、まだ諦めるなオレ。次はできる事、できてる事を纏めるんだ。
・生きてる。偉い!
・息してる。凄い!
・諦めてない。マジぱねぇっす!
以上! ……いやまだあるよ流石に。落ち着け。
・頭ある!
・脚ある!
・健康だ!
・令呪が三つもあるぞ! 使い切りで回復とかしないけど!
――充分だ。余裕で勝ち目はある)
強がりでもなんでもない。方針が見えた。
立香は顔を俯けたまま、ちらりと周りを見る。
どうやら立香が思案している間に、柳洞一成や他の二人もどこかに行ったようだ。
多くの特異点での経験からか体内時計は正確だ、自分は一時間ほどグダグダしていたから、猶予時間はあと23時間ほどだろう。
一時間を無駄にした、とは思わない。考えを纏めて方針を立てるのは必須なのだ。無駄に動き回るような考えなしだったら、立香はとっくのとうにどこかの特異点で斃れていた。
聖杯戦争のセオリーは知っている。なら、なんとかなる。
だってセオリーを知ってるってことは、そこから外れる方法もある程度知ってるという事だ。
立香は立ち上がり、屈伸運動をする。ぐるんぐるんと肩を回す。そして、頬を叩いた。
(――さて。一時間経ったんだ、他の参加者は今頃冬木の地形を確認してる最中だろうな。エミヤあたりは高い所に行けば全部把握するだろうし、拠点をどこにするか見繕ってるぐらいかな? どちらにせよ近場に他の参加者はいない――
目を閉じる。深呼吸をする。空気がマズい。固い。緊張で吐きそうだ。
(よし! ……逃げるか! 逃げるぞオレ! ヘラクレスと追いかけっこしたオケアノスと、アメリカを歩き続けたりした時を思い出せばこんなのヨユーよヨユー。一日も時間あるなんて最高だぞ!)
走れ走れ、走れメロスならぬ走れ立香! フォウくんばりに走りまくれ!
そして――
(オレにできる事! それは『逃走』だけだ! 伊達に後輩の背中に庇われてきてないって事を教えてやろう! そう、オレは『逃げ』のプロ!
あばよ
まさしく電光石火、他の参加者にはない発想を以てして――立香は誰かに捕捉されるよりも先に冬木市から姿を消す。暫くはホームレス生活だ、もしくはよその市で万引なりをしてわざと捕まり、留置所にぶち込まれるのもアリだ。警察の人にはすまないが、匿ってもらおう。可能な限り留置所内で粘り、衣食住の食と住を補填してもらうのだ。
まさに外道。他人の迷惑を考えない最低の所業だ。けど――立香にできる非道な真似はそれが限界です。だって悪行を犯すのにもある種の才能がいる、そんな才能は平凡な立香にはなかった。
なかったからこそ、立香が終盤まで生き残るのは確定したのである。
だって戦わないのだ。戦場にそもそもいないのだ。――序盤で脱落だなんて有り得ない。
あらゆる能力で最も劣り、最も弱い立香は、そうしてまんまとシード権を獲得したのだった。
その判断が吉と出るか、凶と出るかは未知数だが。
少なくとも、そうしていなければ、立香は一番最初に脱落していただろう。
他に道はなかった。それだけの話である。
サーヴァント召喚(しないという判断)達成!
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バゼット/衛宮切嗣の戦意
皆の評価で加速する…
どこまでも走れ立香…
逃げろ、逃げるんだ…
どこまでも、遠くへ…
「抑止の輪より来たれ……天秤の守り手よ――」
正直に言おう。
まるで実感が湧かない。
剪定事象、編纂事象。それは名前として聞いた事はある。しかし自分の世界が剪定されて、編纂事象の世界が白紙化され、自分の世界以外にも無数に異聞帯化して地表に出現し、汎人類史の残党が世界を取り戻そうと奮闘している。……なんの冗談だ?
自分の世界に至っては、異星の神とやらのお眼鏡に適わず捨て置かれ、自分の世界を含めた七つを星の抑止力――いや、ガイアそのものの意思が星の内海に出現させ、空想樹とやらで固定し、2000回以上も聖杯戦争を繰り返してタイプ・アース創造の為のデータ取りをしている?
話のスケールがデカすぎる。だが、
本当の話、なのだろう。
何もあの『声』の話を鵜呑みにしたわけではない。
自分で一応裏は取った。――結果的にだが。
バゼット・フラガ・マクレミッツは冬木の第五次聖杯戦争に参加することになっていた。令呪も現れ、サーヴァント召喚の触媒も用意している。故によく分からない話に惑わされるわけにはいかないと、当初の予定を前倒しして聖杯戦争の監督役がいる教会に向かったのだ。
そこには、
しかし、あの人はいなかった。
いるはずの人はおらず、後任として赴任したというカレン・オルテンシアという修道女がいた。訝しむバゼットに、しかしカレンはまるで顔見知りのように接して来て……訳が分からないまま、自分に令呪があるのを話し、『聖杯戦争は終わったはずなのに』と驚かれた。
そんな馬鹿な話があるかと思った。故に他のマスターとして確実に参戦するであろう御三家、遠坂を訪ねに行ったのだが――遠坂の館で出迎えてきた当主、遠坂凛は『まさか』という顔をしてお茶を濁すような対応をされた。そのままやんわりと帰され、混乱したまま街を歩き地形を確認していると、出くわした赤毛の少年に知人に対するような調子で挨拶された。
まさか。まさかと思った。まさか本当に……? と。
バゼットは恐る恐る、時計塔に連絡した。すると紆余曲折の末――
教会へ顔を出した時に会ったカレンの話で一点、遠坂からされた対応と赤毛の少年の態度で二点、時計塔から『別のバゼット』の存在が確認できた点から三点。これら三つの要素から、少なくとも『第五次聖杯戦争は既に終わっており、言峰綺礼は死亡し、別人のバゼットが存在している』事に確信を持ててしまった。半ば以上あの『声』を信じざるを得ないと思わされ、そして――
「――ああ、ソイツはマジな話だぜ、バゼット」
万が一本当だったらマズいと判断して、ほとんどヤケで召喚した『槍兵』のサーヴァント、クー・フーリンから保証されてしまった。
幼少の頃から憧れてきた伝説の、神話の英雄。
青い髪と豹のようにしなやかな手脚、神性の高さを示すかのような赤い双眸と、無駄のない機能的な戦装束。朱い魔槍を手にした
「オレは冬木の聖杯とやらに召喚されたわけじゃねぇ。ソイツがオレに関わってたんなら、まずオレのステータスは一つか二つランクが落ちてるはずだ」
「――日本での貴方の知名度が低いから、ですか……?」
「おうよ。だがマスターとしての権限で分かんだろ? オレのステータスは、冬木の聖杯に……いや尋常の聖杯に喚ばれたにしちゃ高すぎる。このステータスはホームグラウンドでのオレに匹敵するぜ。サーヴァントって括りとしちゃこれ以上はないってほどのな」
そう言うランサーのステータスは、彼の申告通りに非常に高い。
筋力と耐久がAランク、敏捷はA+ランク、魔力はBランクで宝具がB+だ。幸運は……ともかく、白兵戦能力は最高峰、宝具の性能も凶悪であり、間違いなく最強だとバゼットは感動したものだ。
だがその感動――憧れの英雄とこうして会えた感慨は、すぐに霧散させられてしまった。
ランサーはバゼットの認識を正すかのように言ったのだ。
「バゼットをよその世界から召喚したのが地球の意思ってのはマジだ。北極だろうが南極だろうが、地球って枠組みなら
「……そんな、馬鹿な……」
「他に有り得ない可能性を排除したんなら、残った奴がどれだけ荒唐無稽でもマジの話ってこった。それとも
「……なら、本当に……? 本当に私が……私の世界の命運を……?」
思わぬ重責に、今更震えが来る。ガイアの言う『最終戦』こそが本当の意味での命運を決する戦いなのだが、それ以前であっても『最終戦』で自分の世界を有利にすることは可能だ。そういう意味では命運の一端を、確かにバゼットは背負っている。
瞳を揺らして自分の体を掻き抱くバゼットにランサーは苦笑した。
「なあ、アンタに救いたい奴はいんのか?」
「え?」
「だぁから、テメェは命賭けで助けたい身内はいんのかって聞いてんだよ」
「………」
「いねぇだろ。少なくとも今のアンタにはな。なら話は単純だ、難しく考えんなよ。
「――、……――なるほど。確かにその通りですね」
バゼットはランサーの助言を聞いて、
元々冬木には戦いに来たのだ、意識の切り替えは迅速だった。
落ち着きを取り戻したバゼットは、ランサーへ敬意と共に感謝を述べようとし――しかしその前に、ランサーが不意に顔を険しくさせる。
「……ランサー?」
「――下手打ったな、バゼット。テメェは
「――――」
バゼットがランサーを召喚した場所は、遠坂邸の近くにある西の双子館だ。
精神的に大いに揺れていたとはいえ、並の者に尾行されて気づかないバゼットではない。こんな時にバゼットを尾行し、気配を悟られないような輩など――彼女には一人しか心当たりがなかった。
「衛宮、切嗣か……!」
「どうやら
「ですがランサー! あの男が本当に衛宮切嗣なら危険です! 今の内に手を打たなくては、」
「あーあー、相変わらずの猪だこって……。やめとけよ、24時間以内の戦闘は禁止だってルールを忘れたのか? ルール違反には気をつけろよ」
「ぐっ……!」
呆れたように諌められ、バゼットは羞恥に頬を染めた。言われるまで失念していたのである。
今のバゼットには、精神的支柱がない。
早すぎる。心を許すのが。だがバゼットのその弱点は、今だけは良い方向に働いていた。――理由はなんであれ、唯一のパートナーを信頼するのは良いことである。こと戦場に向かう者の心構えで、ランサー以上にバゼットの手本になれる者はいないのだ。
「一応、遮音の結界ぐらいは張っとくぜ? こっから先は作戦会議だからな」
言いながら息をするようにルーンを用い結界を張ったランサーに、同じルーンの使い手であるバゼットは瞠目する。――いや、ランサーの用いたルーンは影の国の女王から学んだという原初のそれだろう。現代のルーン魔術など比にならなくて当然だ。
バゼットは、責任を意図して見ない。見る必要がない。例えどんな背景があろうと戦うことに変わりはなく、そして戦う以上は勝つだけの話なのだから。何より隣には今、憧れた英雄がいる。情けない姿は見せたくないという子供じみた意地が、バゼットの心の背骨だった。
† † † † † † † †
――まず真っ先に取り掛かったのは裏取りだ。
僅かでも真実である可能性があるなら確認を取る。
情報は命だ、それを疎かにする事などあってはならない。
それでも有り得ないと思っていた。嘘であってほしいとも思った。
だが、街の人間の誰に聞いても、今が
どうやら本当に、衛宮切嗣は十年後の未来の冬木にいるらしかった。
だが切嗣は更に情報の精度を求める。あの『声』の開示した情報をどこまで信じたら良いか、さしもの切嗣も図りかねていたからだ。
そこで切嗣が着目したのは、あの『声』が通告してくる前、褐色の男が言っていた言葉だ。自分が1994年の聖杯戦争に参加し、騎士王を召喚しようとしていた事を言い当てたあの男は、白人の女バゼットが2004年の第五次聖杯戦争に参加する前だろうと言っていた。
なら、切嗣のやる事は決まっている。
あの女が聖杯戦争に参加するつもりで冬木に向かっていたとしたら、自称ガイアの意思の言葉の真偽を確かめる為に、教会へ向かうだろうと踏んだのだ。すると、ビンゴだった。
教会に向かう途中のバゼットを見つけた切嗣は、あの女の口の動きを見て、言葉を読み取り、表情や仕草から心理状況を見定めつつ、バゼットが遠坂邸に向かうのを見届け――どこかに連絡を取り始めたところまでずっと見ていた。そうして最後にはバゼットの進行方向から、彼女が西の双子館に向かっていると読んで先回りして潜伏し――彼女が英霊召喚を決行したのを確認した。
そこで召喚されたサーヴァントと、バゼットの会話を聞いて――サーヴァントという、この状況下では最も信頼できる第三者の口から、あの話が完全に真実であると保障されるのを聞いた。
「――は、はは……」
切嗣は、自身の存在が露見するのも構わず双子館から出て行った。あの話が本当なら、追ってくるはずがないと確信したからである。そして案の定、誰も追っては来なかった。
「ははは、はははは――!」
切嗣は笑った。乾いた、自嘲の笑い声だった。――それは、涙の滲む、苦悩と歓喜、恐怖と緊張、そして夢にまで見た絵空事を実現できる舞台に、不意に登らされていた、子供のような笑い声だ。
衛宮切嗣は今、人生初、戦場で腹の底から笑い転げていた。他者の目と耳に晒されない、見晴らしのいいビルの屋上で、声を上げて笑って、笑って、泣きながらひたすら笑っている。
「こ、こんな馬鹿げた話が、現実に起こっているのか? し、しかも……僕が……この僕が世界の、人間代表だと……!? なんて質の悪い冗談だ、僕なんかにそんな資格はないはずだ! なのになんで僕が選ばれた? タイプ・アース作製のデータ取りの為か? 衛宮切嗣のどこから、有用なデータなんて取れる? 無駄だ、無駄でしかない! とんでもない徒労だ! ……でも――」
そうだ。でも――そんなことはどうでもいい。だってそうだろう?
「僕に……僕の手に掛かってる。世界の……」
運命が。
「………」
笑いが、止まる。高揚が、鎮まる。……切嗣は思い描く。自分の生きてきた世界を。それは――それは地獄だ。衛宮切嗣の知る世界は、地獄でしかなかった。そしてその地獄に自ら進んで足を踏み入れて……地獄以外にも、世界がある事を知ってしまった。
あの冬の城に。
あの、雪に閉ざされた世界に。
こんな自分なんかが、安息を得られる居場所があった。
アイリ……イリヤ……最愛の、大切な、妻と娘……。自分は本来、最も愛した妻を、生贄にする戦いに出向こうとしていた。理想のためだ。世界を、地獄から救うため、聖杯が必要だから。
こんな罪人が幸福を得てはならないからと、妻すらも贄にしてまで理想を果たそうとしていた。そんな自分が、何を血迷っているのか。そう思い、自戒しようとして――しかし、思ってしまった。
――文字通り、世界を救えば、それは――何よりも
――あの始まりの瞬間、初恋の人を手に掛け、実の父をも殺めた罪を濯ぎ、これまで衛宮切嗣が奪ってきた全ての命に報いた事にならないだろうか、と。
――安易な逃げだと思う。だがもしもこの世界の運命を決める戦いで、
――そしてその願いで勝利に寄与できたなら。
――衛宮切嗣は、自分を少しだけ赦せる気がした。
「…………………」
六つの他の世界は、切り捨てる。切嗣にとってそれは余りに軽い。逆に自分の世界は果てしなく重い。だって他の世界には守りたい人がいない。自分の世界には、アイリとイリヤがいる。
なら、答えは決まっていた。どうあっても結局六つの世界は切り捨てられるのが決まっているのなら、自分の世界を救うために全力を尽くして何が悪い。
大切な人の為に。最愛の人の為に初めて戦えるこの戦場で、奮い立って何がいけない!?
――この瞬間、衛宮切嗣は過去最高に。否、生涯最高に戦意を燃やした。
「――ふぅ……」
そして落ち着く。心は熱く、しかし頭は冷静に。積み重ねてきた戦歴と、確かな実力が、浮き足立ちかけた衛宮切嗣を沈静化させた。今こそ全盛期の『魔術師殺し』に回帰し、それを超える時だ。無駄に熱くなって判断を誤るようでは笑い話にもならない。
意識の解体清掃をもう一度挟んで、フラットな精神に戻す必要がある。24時間……後20時間は戦闘禁止時間だ。ガイアの言う『戦闘』とやらがどこからどこまでの行為を指すのかはハッキリしないが、逆にハッキリしないからこそ、他の面子も身動きが取れまい。2時間もあれば意識が自然再生するのだ、意識を解体清掃しても寝首を掻かれる事を恐れる必要はない。
2時間の休息をただちに取る。そしてその上ですぐにサーヴァントを召喚して、最適な戦略を練り、最高のパフォーマンスで立ち回る。誰も侮らない、全員殺す。力と知恵、経験の全てを出し切る。
(――駄目だ、まだ心が踊ってしまっている。何が『後20時間は安全だ』、だ……戦闘は禁止されていても、
コンディションが良すぎて、逆に空回っている。切嗣は今度こそ本当に冷静さを取り戻した。
(サーヴァントは召喚する、今すぐにだ。そして眠ってる僕を守らせる。その後にサーヴァントにこの冬木の地形を見せ、
1分1秒を無駄にはしない。そう決断して、切嗣は英霊召喚の呪文を唱え出した。
さあ、誰が来る。召喚の触媒はない、なら切嗣に似た英霊か? それなら遣りやすい、是非そうであってほしい。切嗣はそう思った。果たして彼の召喚に応じたのは――
英霊の座はおろか、汎人類史には存在せず、有り得たイフの存在でしかない――英霊
武者を想わせるアーマーを装備し、赤いフードで顔を隠したそのサーヴァントは、『人理が破綻しており』『グランドオーダーが発動して』『縁のある存在が』召喚した事で現界した者。
即ち、
「――
衛宮切嗣の、イフ。
「……どうやら僕は、アンタの世界から引っ張って来られたらしい。迷惑な話だが、やる事は変わらない。上手い作戦があると言うなら聞くだけは聞いておこう。
ああ……慎重さ、綿密さ、後は黙って無駄口を叩かない事。それだけで僕とアンタは上手くやっていけるだろう。アンタの事情なんて知ったことじゃないし、聞きたくもない。ただサーヴァントとしての務めだけは果たす。……それでいいだろう?」
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未知数・最優・最強のマスター
うぅむ、と。自然の中で生きてきた山育ちの少年、静希草十郎は深刻な顔で呻いていた。
見渡す限りの人、人、人。おまけにキラキラしたショッピングモールやらなんやら。塔か何かかと錯誤してしまいそうなセンタービルに、未遠川という川にかかる巨大な赤い橋、海に面したコンテナヤード。映画館、プティック、雑貨店などなど……余りに店が多くて目が回る。
なんという事だろう。これではまるで異世界だ。かつて久遠寺有珠と蒼崎青子がドンパチやらかした遊園地なんかより、よっぽど異世界をしている。草十郎にとっては、暗示なんかなくても、この新都とかいう街を見ただけで全てが事実であると認めるに足りただろう。
だって草十郎は1980年代後半の時代の人間だ。2004年の新都なんて、10年どころではない差異があり、それだけの時間があれば首都に近い街ほど景観がどんどん様変わりしてしまう。
1980年代後半の街を見てすら『都会だなぁ、凄いなぁ、何がなんだかさっぱりだし、そりゃ魔術とかあってもおかしくないか』と、魔術の存在をすんなり受け入れたほどなのだ。15年以上も時代をジャンプしてしまった今の草十郎の心境は、はじめて山から出て人里に降りてきた時以上の衝撃で染まっていた。これだけ世界が様変わりしていたら、ここが異世界だというのも頷ける。
――まあ、草十郎には暗示なんて掛けられていないのだが。
在るがままを受け入れる静希草十郎は、こんな時だというのに、この事態を受け入れていた。
(困ったな。どうやら本当に、殺し合いをさせられるらしい)
人殺しはいけない事だ。そんな事、当たり前の事なのに。その当たり前の事を知らんぷりしてしまうのは如何なものか――と、思わなくもない。しかしなんとかガイアとかいう輩の話を呑み込み、必死に頭を回して理解するに、ガイアとは自然そのものなのだろう。
それがなんの間違いか意思を持ってしまった。そして自然の擬人化的な何かであるガイアは、切り捨てられた枝である世界を纏めて、生き残りを賭けた生存競争をさせようとしている。
まあ、人間だって動物だ。自然の一部だし、自然災害によって生存圏を賭け戦うこともあるだろう。それが今回は世界規模なだけで。問題は、自分が世界代表とかいう奴にさせられたことだが。
(いや、人は無理に殺す必要はないんだったか。なら……)
マスターとかいうもの。サーヴァントとかいうもの。サーヴァントは幽霊みたいなものらしいし、気にするべきなのはマスターの方だ。人殺しはいけないことだから――と、そこではたと思い至る。
(……待てよ? そもそも、やらないとやられるのはこっちなんだった)
自分だけではなく、自分の世界の全ての人が――人だけではなく全ての生命が死んでしまう。
本当の意味で死ぬのかは知らないが、世界が消えるというのだから死んでしまうことより酷い。
となると、自分の拘りで迷惑を掛けるわけにはいかなかった。何より――特に願いなんかないけれど、自分にできることをしないで、友人達に負債を押し付けるのは気が引ける。
(気は進まないけど、仕方ないか。殺しに来るマスターに関しては、うん……俺も割りきろう)
容赦なく、手加減無く、握った拳は緩めない。
さて、ではどうしようかと思案する。戦争の経験なんかない。こんな異世界でどう過ごしたらいいのかも見当がつかない。困ったことに、自分一人だと何もできないだろう。
冬木中央公園という場所で、ブランコに揺られながら草十郎は頷く。何もできないなら、なんとかできるかもしれない味方を喚んで、群れになればいい。三人寄れば文殊の知恵だ。三人いないし
――日はまだ高い。公園に人は少ないが、いないわけでもない。
だというのに草十郎は気にしなかった。
「頭の中に知らない呪文があるっていうのは変な感覚だな……えーと、素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖に代わり星の意思――降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。――
――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
急に熱を感じて右掌を見ると、そこには髑髏を模した赤い刻印が三画浮かび上がっていた。
令呪である。頭蓋骨で一、上の歯の部分で二、顎で三。溜め息を吐く草十郎に、神秘の秘匿なんて感性はない。意識せず破り、これからも意識することなんてないだろう。――他マスターも殆どそうだ。
目映い光はエーテルの乱舞。そこに人影がある。召喚に掛かるリソースは皆無だった。それはガイアが肩代わりしている。故に――立ちくらみを草十郎が感じたのは、そのサーヴァントの現界を維持するコストの重さで、体からゴッソリと生命力を持っていかれ始めたからだ。
(あ――これ、まず――)
「キャスターのサーヴァント、召喚に応じ参上しました。貴方が
この異聞聖杯戦争にて使役されるサーヴァントは、召喚された時点で全ての事情を了解している。現れたサーヴァントは汎人類史の英霊ではない、草十郎の生きる世界で、
英霊とはその多くが
黒いヴェールで顔を隠した
「――アコーロン」
聖杯戦争のセオリーもへったくれもない。神秘の秘匿など一考する価値すらないと言わんばかりの荒業であり、彼女以外には魔術王にしか真似できず、他の者では相応の準備を要する所業を即興で成し遂げた。
この時点で、キャスターのサーヴァントはマスターからの魔力供給を不要とする。立ちくらみから快復した草十郎は、座り込んでしまったまま自らのサーヴァントを見上げた。
すると魔女は微笑み、淑やかに手を差し伸べる。
「――お手を、マスター」
「……助かる。ありがとう……えっと、キャスター?」
「お気になさらず。よりにもよって全英霊の中から、この私を喚び出したマスターの為です。この程度で礼を言う必要はありませんよ」
キャスターの手を取って草十郎が立ち上がると、キャスターは彼の目を直視した。草十郎はその目に――綺麗な目だと、思わず見惚れてしまう。
「では改めて。キャスターのサーヴァント、真名をモルガン。召喚に応じ参上しました、共に此度の聖杯戦争を勝ち抜きましょうね?
† † † † † † † †
聖杯戦争。
はじめて聞いた名前であるはずなのに、どうして既知感があるのだろう。
どうして、どう立ち回り、どう戦えば良いのか。魔術はともかく、魔力供給だけならなんとかなると確信を持てる?
冬木という場所ですぐ警察署を探した。制服の上着を脱いだ肌着姿で、警察署に着く前に
(これで人心地つけた)
留置所にぶち込まれ、一人になれた岸波白野は
「――これからどうしよっか、
『さて。戦となるに今暫しの猶予はある故、私は
ポツリと呟くと、霊体化したまま侍ていたサーヴァントが応じる。日本刀は彼のもので、警察に押収された刀も回収済みである。
セイバーのサーヴァント『柳生但馬守宗矩』は、冷徹な眼差しで自らの主の智略を見定めようとしている。白野はそれを肌で感じていた。故に、彼は自身のサーヴァントからの出題に回答を出した。
それは現状、満点と言える答えだった。
「……じゃあ、俺は此処にいるよ。最低でも戦闘開始の一日後……明後日までは狂人のふりして粘るから、セイバーは一人で他陣営の様子を見ていてくれ」
『――戦闘は基本避けよ、と。では剣を交えざるを得ない状況に陥れば、私はどう致せば?』
「パスを通じて俺に念話できるだろう? その時は令呪で空間転移させて逃がすよ。ただ遠距離攻撃ができる奴、特にアーチャーを見つけたらすぐに報せてくれ。サーヴァントは依り代であるマスターの傍にいないと真価を発揮できないけど、単独行動スキルを持っているアーチャーは例外だ。フィールドの広い聖杯戦争の場合、弓兵だけは放置できない」
『――暗殺者は捨て置けると?』
「アサシンは確かに怖い。けどそっちは今のところ警戒に値しないさ。寧ろ序盤から派手に動き回るようなアサシンがいたら、
『無論。主君に卑劣な刃を届かせるほど、私は未熟ではないと自負しておりますれば』
「ならやる事は決まったな。まずはアーチャーを倒す。
『――承知。私からも異論はありませぬ。戦術眼の確かなマスターのようですな、感服仕った』
フ、と微かに相好を崩し、セイバー・柳生宗矩は霊体のまま留置所を後にする。
セイバーが去るのを待って、白野は固い息を吐いた。
何をしているんだろう、と思う。――病気の後遺症なのか、白野は自分の名前以外の何も思い出せない。記憶を失くす前の自分は何者だったのだろうか?
右も左も分からないはずなのに、判断を迷わず下せている。……なんの為に戦おうとしているのだろう。失う
前に進もうにも、どちらが前かも分からないのだ。なのになぜ戦う? どうして?
「――とりあえず、行けば分かるな」
分からないなりに進んでみよう。進んだ後が道になる。道は、振り返れる。
† † † † † † † †
――そうして、此処に
「……弱ったな」
エミヤシロウは、アインツベルンの城にて苦笑した。
そこは激しい戦闘によって倒壊し、そのまま放置されている廃墟である。
彼の記憶は摩耗していない。
生まれ育った冬木の事は、今も克明に覚えている。
故に地形の確認は、高い場に登り辺りを一瞥して、自分の記憶との差異の有無を探して『無い』と判断できれば充分だった。
あの話が真実か否か。そんなもの、気にする必要はない。
彼の鷹の目は、遠く離れた地にて、
――エミヤシロウは、『世界』と契約している。
エミヤの契約した世界とは、人側の抑止力のアラヤだ。そして契約で結ばれている以上、エミヤの知覚しているものはそのままアラヤにも伝わる。そして
故にエミヤは『
そして、異聞聖杯戦争にて行われる英霊召喚では、縁は機能しない。触媒こそ機能していても、それが無いなら基本的に召喚主に最も
であれば、エミヤに最も合う英霊もまた決まっていた。
最もエミヤの戦闘スタイルに合い、最もエミヤの思想に合い、最も相性の合う存在。そんな英霊は――
だからこそ、その事態は必然だった。
要因は二つ。一つは、エミヤがアラヤと契約し、アラヤが『エミヤを可能な限り全力でバックアップする』事を選択し、他の参加者と違い本当の意味での世界の代表として送り出されている事。もう一つは、ガイアが『サンプルであるマスターに最も合う英霊を喚び出す』ようにしている事だ。結果として喚び出される英霊は『エミヤシロウ』となり。そして――
「今のオレは……差し詰め
――世界からの後押しがある故に聖剣の投影をも無理なく行える、超級のマスターが誕生したのである。
まさかの召喚事故だ。剪定された側のアラヤと、ガイアの意思の判定が、同じ英霊を喚び出した結果。英霊エミヤと生前のエミヤが融合してしまった。
マスターでありサーヴァント、守護者であり殺戮者。それが今のエミヤだ。
汎人類史における英霊エミヤは、未来の英雄である故に知名度が絶無であり、そうであるからこそ聖杯によって喚び出された場合は、大幅に弱体化した状態で召喚されるのが常だ。しかし、もしもエミヤに知名度補正があれば、彼のステータスは魔力と宝具……幸運の値を除いてランクが跳ね上がる。故に今のエミヤのステータスは最高の状態になっていた。
「……なんでさ」
エミヤは黄昏れる。呆然としているのだ。まさか英霊召喚を決行すると、自分自身が召喚され、挙げ句の果てに融合する羽目になるとは夢にも思っていなかった。更に追い打ちかのように、英霊エミヤは力だけを置いて速やかに退去してしまったのである。
鉄の心を持ったエミヤといえど、これには困ってしまった。
「まあ……いいか。下手なサーヴァントを喚び出し、足並みを揃えられなかった場合のリスクを考えたら……一応許容範囲内、という事にしておこう……」
エミヤはそう呟き、無理矢理に自分を納得させた。もしかしたらセイバーとまた会えるかもしれないと、ちょっと期待していたから、少し……いやかなり落ち込んでしまったが。――結果的にベストな状態になったのだから、よしとしよう。
真名・エミヤ(本人)
マスター・エミヤ(本人)
クラス・弓兵
ステータス・筋力B、耐久A、敏捷C、魔力EX、幸運E−、宝具E〜EX
備考
「エミヤのデミ・サーヴァントのエミヤ。神造兵装の投影を行っても自壊・自滅しない。知名度補正あればこれぐらいかなというイメージ。見せ筋とは言わせない…! なお魔力に関してのみアラヤのバックアップで無尽蔵。幸運は多分、全英霊の中でワースト3に入るぐらい酷い(偏見)。死後も酷使され続けて摩耗してるからね、仕方ないね…」
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一日目
魔術師殺しの戦場構築
「――慎二、あんたの言った通りだったわ。あらかじめ確認を取っていた通り、
(よし――よしッ……よし!)
渾身の、ガッツポーズ。
(賭けに――勝ったッ!)
間桐慎二は賭けに勝った。
今後の戦略で一番大事な前提条件。これからどう動くか、どうしたら一番勝率が高いか、閃いた戦術を最大限活かし切り、なおかつ自身の生存確率を最大まで引き上げる妙手を実行できた。
ネックだったのは、賭けに勝った場合でもどうやって説明するかという部分だったが、そこに関しては心配していなかった。第五次聖杯戦争の醜態からでは想像もつかないだろうが、間桐慎二は本来頭脳明晰である。他人の心は理解する気もないが、人を見る目はあるのだ。
遠坂凛や衛宮士郎が、どういう人間なのかを彼は理解していた。故に、前者を説得できたら全て上手くいくと確信していたのだ。だって士郎は本気で説得したら、半信半疑でも絶対に手を貸してくれると知っている。故に如何にして凛を説き伏せるかだけ考えればよかった。
凛を説得する材料はある。まずは自分に現れた令呪だ。左手の甲に現れた、蟲を象った刻印。まずはそれを凛に見せ、それが令呪として機能するものであるか凛自身に調べてもらった。
次に異聞聖杯戦争に纏わる事情も全て話した。これは流石に信じてはくれなかったが、別にそれはいい。現地人であり冬木のセカンドオーナーである遠坂凛にとって問題なのは、『終結してまだ間もないはずの聖杯戦争が始まる』ということであり、それに関して協力を頼めるか、だ。冬木の聖杯戦争であるならば、普通は遠坂である凛にも令呪があるはずであり、それがない以上はなんらかの異常事態が起こっているのは火を見るように明らかだった。
更に慎二はバゼット・フラガ・マクレミッツを知っている。……顔を知っているだけだが、一時期バゼットが衛宮邸に顔を出しており、そこで士郎や凛がバゼットと知己を得ている事を知っていた。そしてバゼットが本来のランサーのマスターだったことも。
そして――実を言うと慎二は、
理由はただ一つ。起きた時、人の話し声がしたのだ。
――凛のアーチャーの声が聞こえたのである。慎二は何がなんだか分からずにいたが、サーヴァントがいると思って恐ろしくなり、目を覚ましたことを気取られないように息を潜めたのである。その中で慎二はバゼットの名前が出たのを聞き、そして彼女がまだ第五次聖杯戦争を経験しておらず、これからその戦いに臨もうとしているのだという事を知った。
であれば、バゼットの行動は読める。あの場であんな話をされたら、たとえどう転んでも絶対に教会に顔を出すはずだと踏んだのだ。だからこそ慎二は、暗示に掛けられあの話が全て真実だと思っているからこその行動力で、いの一番に間桐邸に駆け込み、自身がいるかいないかの確認を済ませると、即座に遠坂邸に向けて全力疾走したのである。
そこで凛に全てを話し、
そこへバゼットが二人いる事の確認が取れたのだ。バゼットは慎二の読んだ通りに動いた。
結果として凛は――まだ半信半疑ながらも半分は慎二の話を信じてくれた。
「まさか、あんたがマスターに選ばれるだなんてね……」
凛が複雑そうに慎二を見ながら言う。……確かに複雑だろうなと慎二は自嘲した。
こうして凛と肩を並べて歩き、間桐邸にもう一度向かうだなんて、慎二にも信じられない。
「はっ、そんなの僕だってそうさ。令呪を譲れるってんなら、今すぐにでも遠坂にくれてやるよ。僕なんかより遠坂の方が勝率は高いんだし、そもそもこんな野蛮な戦いで命なんか賭けられるもんか」
「……ふぅん」
「……なんだよ?」
「別に? ただ、どんな奴でも変われば変わるものなんだって思っただけよ」
意味深に笑う凛は、こんな時だというのに機嫌が良さそうだった。慎二としてはそんな含み笑いをされても、いたたまれなくなるだけなのでやめてほしいのだが……。
慎二は誤魔化すように舌打ちし、凛に話を振った。
「どうでもいいけど……これからやることは分かってるんだろうな?」
「もちろんよ。間桐臓硯に会って令呪の真贋を確かめるわ。間桐は令呪を開発した家、あんたのそれが本物か偽物かぐらい区別は容易いでしょ。その上で私も把握していない聖杯の状態を、知っているなら聞き出す。第六次聖杯戦争が行われるなら大聖杯は起動してるはずだし、そっちも私達で確認しておきたいわね」
「……あんまり悠長なことはしてられないんだぞ。そこは分かってるのか?」
「ま……慎二の話が本当かどうか、私にはまだ判断はつかないけど、
「衛宮も呼んどけよ? 後から首を突っ込まれたらその方が迷惑だ」
「あー……衛宮くんなら確かに騒ぎを聞きつけて来そうね……分かったわ。ったく、こんなことになるなら、セイバーを引き止められてたらよかったのに」
愚痴って嘆息する凛だが、慎二はなんとも言えない。セイバー……アーサー王。最優のサーヴァントがいてくれたら、確かに心強い味方になってくれただろう。惜しむ気持ちは分かる。
だがいないものは仕方ない。そんなことより、慎二にとって非常に残念なのは、英霊召喚に利用できる触媒を凛が持っていなかったことだ。
――まさか後に、臓硯が
そして。こちらは狙い通りだったが、衛宮士郎にアーサー王との縁があるわけないのだから、必ず触媒を持っているはずだと踏んで、士郎を呼び出し召喚の場に居合わせる事で、慎二は
まだ第五次から半年も経っていない故に、周囲への後ろめたさを多分に持っている慎二の自己評価は、本来のそれよりかなり低い。自分が喚び出したサーヴァントなんて雑魚に決まってると頭から決めつけていた慎二は、最初から触媒なしの英霊召喚などする気はなかったのだ。
斯くして間桐慎二はライダーとして、聖槍の騎士王を呼び出すだろう。その上で遠坂家の地下に
戦闘中は
果たしてそれは大当たりするのだった。
† † † † † † † †
衛宮切嗣は自らの召喚したサーヴァントの真名と、その顔を見て固まった。まさか自分が世界と契約し、守護者になっているイフの世界が存在するとは夢にも思っていなかったが……。
(……まあ、いい。アサシンが僕なら、逆にやりやすい)
未だ嘗てなく戦闘へのモチベーションが高まっているせいだろうか、ショックはあったがさほど動揺することはなく、自分でも意外なほどあっさり意識を切り替えることができた。
世界に『お前なんてそんなものだ』と皮肉を言われたような錯覚もあるが、そこに関して気にするような余分を、切嗣が持つはずもなく。アサシンの自分の手の内を聞き出し、スタンドプレーは絶対に赦さないと断言した。逆らうなら令呪で従わせるとまで脅して。
そんな無駄な令呪を使われたのでは堪ったものではない筈だ、少なくとも自分がサーヴァントなら御免被る――そう切嗣が感じた通り、アサシンは舌打ちしてマスターの意向に従う事を約束した。
が、そんな言葉は表面上のものに過ぎないだろう。アサシンは絶対に、現場で必要だと思ったらすぐに独自判断で動くはずだ。自分でもそうする。そしてそうしたケースでまで縛り付ける気は切嗣にもない。あくまで話をする上での主導権は自分にある事を示す為の脅しだ。
この異聞聖杯戦争の初手をどうするか。重要な点ではあるが、セオリー通りに事を進めたらいいというものでもない。各々が世界の代表である事を意識したら、普通なら萎縮してしまい身動きが取れなくなりそうなものだが――そんな甘い考えは捨てた方がいいだろう。
(アサシン、敵マスターの姿は捉えられるか?)
無線もなく連絡が取れるのは便利だ。パスを通じてのそれに時間差はなく、サーヴァントは使い魔でもある故に視界を借りる事もできる故に、正確に遠くの情景も見通すことができた。
だが今は、切嗣も作業中だ。
『ああ。新都とかいう所にキャスターらしきサーヴァントとそのマスターがいる。アンタから聞いた外見的特徴と一致する、恐らくマスターは静希草十郎だろう』
アサシンの気配遮断のランクはA+だ。本来弓兵しか持たないはずの単独行動スキルもAランクで保有している。アサシンは万が一切嗣が死亡した際も、魔力供給無しで一週間は存命可能だ。
マスターが死亡したらサーヴァントも基本的に即死する。これはガイアの定めたルールだが、単独行動スキルがあるなら話は別だという。ランクに応じた期間のみ、単独で戦うことが赦されるらしい。その場合勝利したサーヴァントのマスターが勝ったという裁定が下されるそうだ。というのも敢えて自身を捨てた戦術で勝利するケースも想定されるべきだから、らしい。
ありがたい話だ。ありがた過ぎて涙が出そうである。
――他にも魔術スキルもBランクと高く、隠密に徹したアサシンを見つけ出す事は、罠を張った神代の魔術師でも不可能だ。霊体化して偵察を行うアサシンを捕捉できる者はいない。
そんなアサシンからの報告に、切嗣は手を止めた。――彼の行っていた『作業』とは、ずばり空き巣である。住人が留守にしているらしい家を探し、忍び込もうとしていたのだ。
拠点は仮初のものでいい。なんなら下水道でも構わない。しかしいざとなれば逃げ場も確保したいため、非常事態となれば即座に街中に出て人混みに紛れられるところが望ましい……そう考えたのだ。
(静希草十郎か。これが普通の聖杯戦争だったら、同盟を持ちかけても良かったが……アサシン、視界を借りるぞ)
『OKだ。キャスターのステータスを確認したら僕にも教えてくれ』
(了解)
サーヴァント・アサシンの視界は、人間とは比にもならないほど図抜けて精度がいい。センタービルの屋上から、雑多な人間たちに紛れている存在をハッキリ識別できた。
切嗣は草十郎のサーヴァントを見る。女だ。霊体化しているが、アサシンも同じサーヴァントであるため視認できている。その視界を借りている切嗣も、だ。故に彼は眉を顰めた。
(――妙だな。キャスターのステータスが高い)
『なに?』
(筋力がC、耐久がE……敏捷がBランクなのはキャスターらしからないが、そこはいいにしても魔力がA+だと? 静希草十郎は一般人だ、魔術の素養が皆無なのは確認している。あの少年にキャスターを維持するのは不可能なはずだ。アサシン――)
言うよりも先にアサシンの視界が動いた。左右に素早くだ。切嗣の言葉を聞いて、アサシンも同じ疑惑を懐いたらしい。すると冬木中央公園付近に、何人もの人間が倒れているのを発見した。
(『ビンゴだ』)
声がハモリ、一瞬微妙な気分になる。自身の声が重なって聞こえたからだ。
『マスター、』
(分かっている、今一般人宅に侵入を終えたところだ。――よし、アサシンはキャスターを尾行していてくれ。何が起ころうと手出しは無用だ)
『了解』
切嗣は視界の共有を切り、自身の作業を迅速に終えて一般人宅に侵入。すぐさま住人の有無を確かめ、無人であると確信すると、据え置きの電話に手を伸ばした。
記憶している電話番号――時計塔のとある番号に掛ける。世界は違うし、時代も違うが――繋がらないなら他を当たるまで。果たして受話器を誰かが取ったらしい気配を感じた。
よし、と思う。その相手が、こちらが何者か訊ねてくるのを無視し、一方的に告げた。
「――日本の冬木で神秘の秘匿が破られている。至急確認した方がいい。サーヴァントらしき者を従えた奴が犯人だ。マスターは黒髪の少年、歳は10代後半で身長は172cmほどだろう。マスターとサーヴァントがいることから、なんらかの要因で冬木の聖杯戦争が再開されている可能性が高い。事は急を要する、急いで向かえ」
言って、返事も聞かずに受話器を置く。
あの番号は基本的に、時計塔からの仕事を請け負ったフリーランスの魔術使いが用いる。
切嗣はその番号を、母親代わりだった師から受け継いでいた。ほとんど使う事はなかったが、一応は時計塔とのパイプである。
――これで、時計塔は念の為、セカンドオーナーの遠坂を介して確認させるか、聖堂教会に連絡を取り対応するだろう。どちらにせよ時計塔の執行者が駆り出されてくる可能性は高い。
アサシンはクラスの通り暗殺者だ。対人戦、対サーヴァント戦でも高い戦闘力を発揮できるが、無敵ではない。ならば不必要なリスクは切り捨てるべきだ。切嗣もアサシンも、最後まで隠れていたって構わないのである。隠れたまま、戦場を支配する。いつもと同じだ――小規模とはいえ、これまで幾つの紛争を終息に導いたか数知れない。その経験を活かす。
(――現地人に危害を加えるのは禁止だ。だが……利用するなとは言われていない。さて、いったい何人のマスターが……そしてそのサーヴァントが、殺意を持った魔術師や代行者達を
『――僕の出番だ。僕がサーヴァントを後ろから刺し――』
(――サーヴァントが対処したら、僕がマスターを銃撃する)
『魔術師殺し』は伊達ではない。このパターンに嵌まれば確殺できる。嵌まらずとも、混迷を極めた戦場での身の隠し方は知悉していた。有利な戦場を作り出すという目的は果たせるだろう。
衛宮切嗣による、戦場の撹乱。一方の魔術師殺しは不敵に笑い、もう一方の魔術師殺しは無感動に任務を遂行する。
次はアサシンにサーヴァント戦を起こさせよう。敵と交戦し、そのヘイトを他のサーヴァントに擦り付ける。――アサシンと切嗣は、共にスケープゴート戦術も得意中の得意だった。
面白い、続きが気になると思って頂けたら、感想評価等よろしくお願い申し上げる。
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魔女の智略
と喜んだのもつかの間、一瞬で転落してた…
まあいい、できるだけ多くの読者を楽しませるだけだ…
はむ、と一口たい焼きを頬張り、もっきゅもっきゅと咀嚼するキャスターの顔は満足げだ。
次から次へと大事そうに抱いた紙袋からたい焼きを取り出し、しっかり味わいながらも、早食い大会も斯くやといった早さで食べていく様は、気品がありつつもどこか愛らしい。
なんとなくそれを見ていると、キャスターは草十郎の視線に気がつき頬に桜を散らした。
「現代は素晴らしいですね。これほどの甘味をいつでも、気軽に食べられるとは」
「うん、それは俺も凄いと思う。俺の世界でもあるにはあると思うけど、あんまり口にする機会はなかったからな。今度俺も食べてみよう」
「む……」
草十郎が衒いなく、思ったままを言うと、キャスターは最後の一つのたい焼きに目を落とす。それはもう一口食べてしまっており、彼女は逡巡したようであった。
酷く悩ましげに、キャスターは呻く。ちらりと草十郎の顔と見比べて、キャスターは未練がましそうに食いくさしのたい焼きを差し出してきた。
「……ソージューロー。特別に、そう、特別に……ブリテンの真の主人であるこの私が、このたい焼きなる甘味を下賜してあげましょう。口はつけてありますが……褒美です、遠慮なく受け取りなさい」
「え、いらないぞ」
目をぱちくりさせて即答すると、キャスターはどうしてか驚いたらしい。草十郎がまるで頓着せず、のほほんとしていると、何やら矜持を傷つけられたらしいキャスターは顔を赤くした。
「なっ……私からの褒美をいらないと? この私を現界させたマスターを労おうというのに、その私の気持ちを無下にするとは……!」
「いや、口をつけたものを他人に渡すとか行儀が悪いじゃないか。一度口にしたんなら、きちんと全部食べるべきだと思う」
「………」
熱い正論である。これにはキャスターも閉口したが、却って機嫌を回復させたらしい。
一瞬複雑そうにしながらも、どこか嬉しそうにたい焼きを口に運んで完食した。
もっきゅもっきゅ。
新都という未来都市を散策し、目に付いた店に足を運ぶ様は、こんな時だというのに現代を謳歌しているかのようだ。いや……ようだ、ではなくそのままずばり、キャスターは完全に楽しんでいる。
現にキャスターは、衣料品店に寄るまでは霊体化していたものの、その店でギリギリ妥協できる衣服を見繕い、着用したあと店員に暗示を掛け金銭を支払うことなく出て来ていた。現代風の衣装で白いワンピースとガウン、編み込みのブーツというよく分からない格好だが。
それはそれとして盗みはよくないと苦言を呈した草十郎に、彼女は悪びれもせずに言った。
『
思ってる。素直にそう言うとキャスターは噴き出したものだ。何が勝つための布石になっているのか、まるで見当もつかない草十郎としては、目的も知らずに歩き回るのにも流石に疲れてきていた。
「キャスター」
「………」
「……キャスター?」
「……え? ……ああ、はい。なんですか、ソージューロー」
行く先々で暗示を掛け、無料で商品を手に入れているキャスターに、草十郎も流石に我慢の限界を迎えた。険しい声音で一歩前を歩くキャスターに呼び掛けるも、反応がなく肩透かし感を味わう。
気を取り直して再度呼び掛けると、ようやくキャスターは思い出したかのような反応を示した。
振り返ったキャスターは、ワンピースの裾を靡かせている。黒いガウンや、編み込みの革ブーツという姿は、どこかセンスがズレているのに完璧に着こなしていた。傾城の美女は何を着ても似合う。
「勝つためにしているって言うけど、どれだけ考えても盗みを働いてる理由が分からない。理由も分からないのにいけないことをしてるのは納得できないんだ、説明してくれないか?」
「フフ……
「……夫?」
「ええ、そうです。貴方は私の夫ですよ。数いる英霊の中からこの私を喚び出したということは、
「キャスターに好かれるような事は何もしてない……どころかまだ半日ぐらいしか付き合いがないんだけどな……」
「時間は関係ありませんね。私から見て暗示も掛けられていないのに、此度の件を受け入れている貴方の在り方はヒトらしからぬほどヒトらしい。貴方は在る物は在ると受け入れ、理屈を付けられるだけの知識がなくとも、現実に在るものを見たのに信じないという事をしない。それが好意に値すると言っているのです。……光栄に思いなさい? 打算なしに私は貴方を認めている」
「それは……ありがとう?」
「どういたしまして」
首を傾げながら礼を言う草十郎に、可笑しそうに微笑むキャスターは只管に美しかった。
道行く人々は、そうしたキャスターの美しさに目を奪われ、溢れる淫蕩な色香に鼻の下を伸ばしている。だが草十郎は綺麗だと感じ、男としての欲望を感じながらも邪念を持っていなかった。
そうした浮世離れした草十郎だから――
キャスターは草十郎を容易く操れる。意思を持たぬ木偶人形にするのも簡単だ。弁舌で誤魔化し、煙に巻き、魔術も使わず意のままに動かすことも可能だろう。しかしキャスターはそれをしない。
なぜか? 本当に、キャスターは草十郎を欲しいと思っているからだ。こんな珍妙な人間、キャスターは今まで見たこともない。折角結ばれたこの縁を手放してやろうと思うほど無欲ではなかった。
故に夫にする。これはキャスターの中での決定事項だ。籠絡するのも容易いが、それをせずこうして徐々に仲を深めようとしているのが、キャスターが本気である証左と言えよう。
「さて……私が何故こんな迂遠な真似をしているのか、語って聞かせてあげましょう。ですがその前に、ソージューロー。私のことはキャスターではなく真名で呼びなさい」
「む。俺は構わない、けどいいのか? 真名を伏せるのは基本だって、キャスターが言ってたんじゃないか」
「ええ。ですが気が変わりました。私に明確な弱点などありませんし……よくよく考えてみると、
「分かった。じゃあ、モルガン。説明を頼む」
キャスターは――モルガンは淑やかに微笑み、それとなく簡単な幻術を自身の口と草十郎の口に被せた。その上で互いの声を互いにしか聞こえないようにする。草十郎本人には気づかせずに。
そうして彼女は語った。
「まずはじめに、私は汎人類史のモルガンではありません。ブリテン異聞帯の女王でもない。私は貴方の世界の過去に実在した魔女であり、それは他の陣営のサーヴァントも基本的に同様でしょう。マスターの存在した世界の者として召喚されている。これは分かりますね」
「分かる。けどそれがなんの関係があるんだ?」
「人が人の都合で編み出した英霊召喚という儀式……これは本来なら星側の存在である英霊を、人側の守護者として現界させるもの。境界記録帯……と言っても分かりませんか。簡単に要点だけを言うと、境界記録帯というデータベースに記録された『情報』の切れ端が、英霊召喚システムが形成するサーヴァントの正体です。英霊という星に刻まれた情報を、人側の都合でどうこうしようとしている故に、人側の信仰の多寡によって霊格に差が生じる。ドがつくほどマイナーな神話の大英雄の霊基が、メジャーな神話の大英雄に及ばないといった現象はこれが原因です。しかし――此度の異聞聖杯戦争は、星の意思そのものが開催したもの。人側の信仰などで霊格は左右されない。つまりサーヴァントという括りの中での最高の性能を、全ての参加者が発揮できるということであり、また全ての参加者が各々の世界のために全力を尽くすということでもあります。すなわち
言いながら自販機に手を触れたモルガンが、中から缶ジュースを転移させて手にした。二つ取り出したものの片方を草十郎に押し付け気味に手渡し、自身はコーラというもののプルタブを開けて呷る。
目を見開き喉を押さえたモルガンが悶える。必死に堪えようとして、堪えられずに「けぷっ」とゲップを漏らしてしまった。赤面したモルガンに、草十郎は苦笑する。
誤魔化すように咳払いをして、モルガンは続ける。
「つ、通常は、神秘の秘匿に気を遣い、夜のような人目のつかない時間帯で、人里を避けて戦闘は行われるでしょう。しかし異聞聖杯戦争では、どこであろうと戦闘は発生し得る。現地人に危害を加えられないルール上、可能性は低いですがね。つまり――
「……えっと。よく分からない。つまりどういう意図で、俺達は街を練り歩いているんだ?」
「キャスターのセオリーである陣地作成が愚策である以上、セオリーにはない陣地を作る必要があります。私は今――
……なるほど、と草十郎は頷いた。
長ったらしく話してもらっておいてなんだが、全く理解できないことが理解できた。
だが少なくとも、無駄に歩き回っているわけではないことは分かった。
草十郎は不満を捨てて、黙々とモルガンの後に続いた。
一日という猶予時間を全て使い、歩き続ける。その最中、ふと草十郎は疑問に思った。
(そういえば、なんでモルガンは霊体化しないで、態々この時代の服を着て歩いてるんだ?)
まるでサーヴァントである自分の姿を、他のマスターやサーヴァントに、見てくださいとアピールしているかのようではないか。山で例えるなら――飢えて、人の肉の味を覚えた危険な熊の巣の近くを散策しているようなものだ。極めて危険である気がする。
だが草十郎はその疑問を口に出すのはやめた。だってモルガンがその危険性に気づいていないはずがないし、どう考えてもモルガンの方が頭が良い。モルガンがそうするなら、その考えに乗っかり、
主導するのはモルガンだ。余計な口出しをして勝率は下げたくなかった。草十郎だって死にたくないし、何より――彼もまた身近な人のためにも、負けられないと思っている人間の一人なのだから。
やがて夜が来て、夜が明ける。その頃になると新都を歩き尽くし、モルガンは人目も憚らずに草十郎を連れて空間転移を実行した。
忽然と姿を消し、モルガンと草十郎が現れたのはどこかのホテルの一室だった。
既に先客がいる。それに息をするように暗示を掛けて追い払い、ベッドに腰掛けたモルガンが微笑んだ。
「お疲れ様でした、ソージューロー。休んでも構いませんよ? 私が優しく寝かしつけてあげましょう」
「……いいのか? もう時間だと思うぞ」
「ええ、気にする事はありません。さ、休むならお早く。誓って眠っている貴方に、誰にも危害を加えさせません。休める時に休んでいてください」
「……分かった。正直、くたくただったから休むとする。後は頼んだ」
「はい」
流石に草十郎も疲労困憊だった。モルガンがいるのに気にする余裕なく、彼女の隣に倒れ込んで眠りについてしまう。
そんな草十郎の髪を優しく梳いてやりながら、モルガンは妖しく相好を崩す。
時間が過ぎるのを愉しむように。
自らの策が的中する事を、長年の経験で培った勘からモルガンは確信していた。
「……24時間経過。さあ、戦争を始めましょう? 騙し合い、競い合い、殺し合いなさい。私の掌の上で踊り狂い――私の眼下に跪かせるその時を、今から愉しみにしていましょう」
モルガン必勝の策は、草十郎に全てを話したわけではない。またそのつもりもない。
モルガンは自らが喚び出された瞬間から、策を練り、手を打っている。その思考の瞬発力と決断の早さは、円卓を崩壊させた魔女に相応しい陰謀家のものである。
こと化かし合いで、モルガンを上回れる者はいないだろう。
モルガンは狡猾だ。貪欲だ。野心を漲らせ、自身に逆らう者は許さない。ブリテンを手に入れる為ならなんでもする。そう……なんでもだ。自分のブリテンを滅ぼさせはしない。『
全てに勝利しよう。
必要な布石は
「私は
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剣と槍の邂逅、月の王の机上
『臭うな……』
突如鼻に皺を寄せ渋面を作った相棒に、冷酷な戦闘機械に徹した女執行者は反駁した。
(敵ですか)
『ああ。鼻が曲がるぜ、闇に潜んで隙を狙う溝鼠の臭いだ。――近いな』
一日の猶予期間を過ぎ、開戦となった時間はジャスト12時。
正午から拠点の双子館を出た槍の主従は、真っ先に街中に繰り出していた。
槍の主従、バゼットとランサーの基本方針は単純明快である。まずは堂々と街中を練り歩き、仕掛けてくるか敵の出方を伺う。戦の誘いに乗ってくる手合いがいればよし、いないのならそれもよし、だ。好戦的な手合いがいるなら、それを倒し。誘いに乗らず穴熊を決め込むなら、今後はこちらも
最初に戦えば手の内が知られる? 情報を抑えられ弱点を知られる?
それがどうした。
下手な罠など正面から噛み砕いてやる。
自分達にはそれが出来る事を彼らは知っていた。どうせ最後には全員倒すのだ、自分達が最強である事を知るからこそ、向いてない搦手に割く余分などありはしない。純粋に、正面戦闘で勝つ。
とはいえ、彼らもそれだけで勝てる相手だと甘く見ていない。
何せ各々の世界の未来が掛かっているのだ、それこそ人智を振り絞り、死力を尽くして此度の戦いに臨んでくるだろう。中には想像もしていない手を打って来て、窮地に陥る事もあると覚悟している。
それでも勝つ。
思いだけでも、力だけでも、その両方が揃っていても、負ける時は負ける。死ぬ時は死ぬのだ。決死の覚悟などあって当然、強力な敵がいることも当たり前。そういう世界でバゼットは生きてきた。ランサーもだ。故にこそバゼットは令呪一画の使い道を定めている。
ランサーの真名を知られた場合、彼の力を削ぐのは容易い。宴の席に誘い、犬の肉を食うように仕向ければいい。それだけでランサーの力は半減どころではないほど落ちる。――それがクー・フーリンのゲッシュだからだ。詩人の要望を断れないというのもあるが、それは気にしなくてもいい。今の時代、ランサーのゲッシュを活かせる詩人は存在しない。
バゼットは真名が露見し、クー・フーリンの伝承をなぞる形で死を再現してこようとした敵がいた場合、令呪でランサーに『ゲッシュを利用した敵の作戦に乗るな』と命じる事を伝えている。それはランサーの赤枝の騎士としての矜持に抵触するが、彼は『一度だけ見逃す。令呪を切るならな』と受け入れてくれた。あくまで彼はバゼットに勝たせる事を優先してくれているのだ。
……それが何故かは、まだ聞けていない。聞く必要がないから。ただ……全てが終わったら聞いてみたいと思っている。
(………! ランサーッ!)
『チッ……誘ってやがるな。いい予感はしないが、どうするバゼット』
霊体化したままのランサーを伴うバゼットもまた、往来を行き交う人々の流れに逆らわず歩いている。そんな中、赤い影が視界の隅をチラついた。
目敏く反応し小声で注意喚起するも、言われるまでもなくランサーは気づいている。
サーヴァントだ。あの気配の薄さ……敢えて攻撃体勢に移る事で気配遮断のランクを落とし、こちらが気づくように態と仕向けたものだろう。――アサシンのサーヴァントだ。
誘っている。まさか序盤からアサシンが釣れるとは思わなかったバゼットは判断に困った。正面からの白兵戦を望むような暗殺者など聞いたこともない、十中八九、罠だろう。
なんのつもりだ……? 隣のランサーを見ることなく念話で意見を訊く。
(罠……ですね。食い破る自信はありますが……どうしますか、ランサー)
『決めるのはテメェの役目だ……って突き放すのも無責任か。アイツの狙いは見え透いてる、大方オレらと別の陣営をぶつけたいんだろうよ。伸るか反るかは好きにしな』
(……では、答えは決まってます)
革の手袋を嵌める。バゼットの目は据わっていた。肝も、また。
敵と遭遇させてくれるなら、望むところだと言わせてもらおう。アサシンの誘いに乗り、どれだけ追い掛けても敵と遭遇しなかったら、その時はこちらも何もせず撤退する。
(追いますよ。敵と戦闘に移れば、躊躇なく宝具を使っても構いません)
『初戦だぜ? いいのかよ』
(ええ。私達の戦闘は最強のワンパターンです。例えどんな敵だろうと、ランサーの宝具を凌ぐには相手もまた宝具を使わざるを得ないでしょう――そこを私が狙う。寧ろランサーの真名が割れた方が、私達の戦術に嵌まり易いはず)
『いいぜ、そうこなくちゃな。その思い切りの良さは嫌いじゃない』
ランサーの宝具は二つ。『刺し穿つ死棘の槍』と『突き穿つ死翔の槍』だ。前者は因果逆転の必中の槍、後者は広域を吹き飛ばす対軍宝具。どちらも宝具以外での対処はほぼ不可能である。
今のランサーの霊基なら、城などの宝具も引っ提げていないとおかしいが、生憎と異聞聖杯戦争のクラスの縛りは強い。槍兵なら槍だけ、剣士なら剣だけだ。その縛りがある故に、ランサーは魔槍しか宝具を有していない。――が、それで充分であった。
初戦の敵は、因果逆転の対人宝具で討つ。次戦はランサーの真名と宝具の力が割れ、ランサーの宝具に対抗しようと敵も宝具を使わざるを得なくなる。――そこを現存する宝具『斬り抉る戦神の剣』の担い手、バゼット・フラガ・マクレミッツが狙い撃つのだ。
バゼットの宝具は『切り札殺し』であり、相手が切り札と認識する攻撃の発動に反応して起動する。必然的にバゼットの宝具攻撃は相手の攻撃よりも後になるが、『斬り抉る戦神の剣』は因果を逆転させ自らの攻撃を『先に行った』ものとして改竄する事ができた。
時を逆行して放たれる先制の一撃は相手を確実に殺害し、『死んだ者は攻撃できない』という概念によりその攻撃をキャンセルし、始めから無かった事にしてしまうのである。
故に『ランサーの宝具に対抗するには切り札を切るしかないが、そうした場合はバゼットの宝具に討ち取られる。バゼットの宝具を警戒して切り札を切らなければランサーの魔槍に貫かれる』という二律背反を敵に押し付けられるのだ。一騎打ちで槍の主従に勝る者はいない。
知れば知るほど、戦いたくない相手と認識される。それがこのコンビだ。バゼット達を倒そうとする者は徒党を組むか、あるいは搦手でランサーとバゼットを分断し各個撃破を狙うしかない。だがそんな手に訴えられても構わなかった、想定しているのだから対策はある。
無論、バゼット達の黄金パターンを崩せる者がいる可能性はある。あるが、それがどうしたというのだろう。宝具による嵌め殺しが効かずとも、そもそも宝具を抜きにした戦闘でも二人は強い。どんな強敵であっても、正面から下せてしまえる自信があった。
「ハッ……何が出るか期待してたが、まさかサムライだとはな」
纏う空気は、最高位の剣聖のそれ。タイプは違えど、既視感を刺激されたランサーは苦笑した。冬木の聖杯戦争だと、どうにもサムライって奴とは縁があるらしいな、と。
第五次聖杯戦争のアサシン、佐々木小次郎。あの技倆という一点のみであればクー・フーリンを上回る侍を思い出させられた。初老の侍の姿が、ランサーには佐々木小次郎と重なって見えたのだ。
実体化したランサーが、犬歯を剥き出しにして嗤う。立ったまま瞑想し、静かに佇むこの剣士は、明らかにランサー達を待ち構えていた。いや、正確には自身を見つけて挑戦に来る者を、だ。
「ランサー、分かっているとは思いますが……」
「念押しする必要はねぇぜ。心配しなくとも出し惜しみはしねぇよ」
朱槍を具現化させ、その穂先で地面を削りながら歩み寄るランサー。目を開いてランサー達の姿を視認するサムライ。ランサーは自身の間合いとサムライの間合いを見計らい、その一歩手前で止まった。
太陽はまだ真上にある。路地裏とはいえ人目につく可能性は高い。だがそれがどうした? 野次馬が駆けつけてくる前に、速攻で終わらせるまでである。
殺気も露わにランサーは口を開き、そして――
† † † † † † † †
岸波白野は、叫んだ。うわぁぁ! うわぁああああ! ぁあぁあぁあああああ! と。
鉄格子を両手で掴み、ガッシャンガッシャンと体を前後させて音を立てる。目を血走らせ、口からは唾液を撒き散らしながら、意味不明な台詞をまくし立てた。
「我が名はフランシスコ・ザビ……! 異教徒どもぉぉぉ! 我が教えを聞けえぇぇぇ……! 宣教されろぉ……! 開国シテクダサーイ! 我は濁った世の中に新風を運ぶ黒船であるぅぅう!」
我ながら真に迫った発狂ぶりである。溜まった鬱憤を全て吐き出す勢いだ。
白野渾身、迫真の演技。手本は――誰だろう? 思い当たる節はない、まさかこれが自分の隠された本性だったというのだろうか……!
これには警官の人達もたじろいでいる。ひそひそと、精神科医、違法薬物、などと囁き合い白野の精神にダメージを与えてきた。的確にこの岸波白野にダメージを打ち込むとは、この警官達、デキる……!
警官達がいなくなるまで喚き散らし疲れてしまった白野は嘆息した。
壁に背中を預け地面に座り込む。思っていたよりも早いが、留置所で粘るのにも限界が見えてきた。開戦の時間を迎え、後一日は粘りたいのだが、どうにも白野は演技に気合を入れ過ぎたらしい。あまりにも迫真のそれは警官の心象を悪化させたようだ。
これからどうしようか、と漠然と考えている。ずっと。
個人的背景が白紙に近いのは良い。終わった後にじっくり悩もうと思っている。白野が考えているのは、目の前にある戦いのことだ。
聖杯戦争云々。異聞がなんたらかんたら。
難しい話だ……だがまあ、これに関して白野は難しく考えていないし、結論は出ている。他の参加者がどれだけ本気であろうと、白野は自身のスタンスを決めている。
(今回の聖杯戦争は別に、
――それは他の参加者には欠片もない発想であり、結論である。
白野の戦術眼は、歴戦の魔術師殺し、稀代の魔女、世界の守護者を含めた全ての参加者と比較しても劣らない。むしろ戦術の更に先、戦略面では上回っているとさえ言える。こと戦略、戦術を練らせて白野を上回る者はいないのだ。これは極めて異常であると言えるだろう。
平凡な少年にしか見えない白野が、どの手練のマスターやサーヴァントよりも戦略で上を行っているなどと、果たして誰が予測し得るというのか。
そんな白野が
大事なのは
白野の戦術眼が幾ら優れているとは言っても、なんの前振りもなく――白野にいたっては記憶も曖昧で、準備が少しもできず、手札がサーヴァント以外に何もないのでは勝ちようがない。
破れかぶれの特攻を仕掛けるには早すぎるのだ。まだその段階ではない。故に白野が悩んで……思案しているのは、気になることがあるからだった。
(……普通。世界の危機で、命運を懸けた生存競争があるなら、どの世界でも周知徹底されて事前準備を各々が整えているものだろう)
そう。それが本当だ。
(今回で2004回目の聖杯戦争らしい。なのに――
白野が気になっているのはそれだ。もしもこの聖杯戦争に関する知識や記憶が、聖杯戦争後には削除されてしまうのなら、白野が生き延びて自分の世界に警鐘を鳴らす事はできない。
記憶云々に関してガイアは言及していなかった。意図してのものか、或いは無駄な情報だから開示する必要もないと勝手に思っていて、別に深い思惑があるわけでもないのか……判然とはしない。
客観的に考えて、西暦に入って一年に一度聖杯戦争をしたとしていたとするなら、普通は七つの世界の全員がそれに対する対抗策を練る。でないと余りにも馬鹿らしいだろう。
(俺がするべきなのは、戦争に勝つ事じゃない。理由はなんであれ、七つのどの世界も異聞聖杯戦争を知らないなら、この情報を持ち帰ることこそが肝要だろう。それはとんでもないアドバンテージになるはずだ。だから俺の目標は、情報収集。なぜ世界中の誰にも異聞聖杯戦争の記憶がないのか原因を明らかにする事。その上で収集した情報を持ち帰る。最優先事項はそれだ)
目先の勝利に囚われない。――その目先の勝利がどれほど大きくても、その後にあるものを見失わないのが岸波白野だった。
故に、彼の指示は明瞭だった。
冷静に手元の情報を整理し、状況を理解すると、白野は方針を転換したのである。
(――聞こえてるか、セイバー?)
『無論、漏れ無く』
打てば響くように、セイバー・柳生宗矩が念話で応じる。そんな彼に白野は命じた。
それはサーヴァントに命じる事に慣れた、月の覇者の通達だった。
(――作戦変更だ。理由は後で話すから、初戦はセイバーが飾ってくれ。令呪でバックアップする、
『仔細承知。私にお任せあれ』
合理性の鬼、柳生但馬守宗矩は揺らがない。戦術眼の確かなマスターだと認めている。
セイバーのサーヴァントは忠実に従った。故に、彼は偵察を打ち切り路地裏に陣取ったのだ。敵が仕掛けてくるのを、ジッと待つために。
果たして、ランサーらしきサーヴァントが接近してきた。アサシンらしき者の気配に導かれ。
初戦が、始まろうとしていた。
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セイバーVSランサー
ギャリ、ギャリギャリギャリ。
火花を散らして、呪いの朱槍が地面を削る。
穂先を引き摺りながら接敵する槍兵を、剣聖は凪いだ湖面の如き双眸で静かに見据えた。
――槍兵の放つ殺気で、空気が澱む。
強大な霊基から溢れる神性で、汚染された風が重くなる。
精霊をも狂騒させる戦意は暴圧的で、狂気的だ。死の光に等しい半神半人の大英雄は、泰然としたまま静止している武士に軽口を叩く。それは彼なりの挨拶――これから殺すぞと暗に告げる口上だ。
「こんなシケたところで黄昏れてるたぁ、よっぽど暇らしいな――
開眼して神代の槍兵を見据える初老の武士。鋭い眼光に宿る剣気に、血と肉が沸き立つ感覚を槍兵は味わった。心地のいい殺気だ、途轍もない強敵である事を肌で感じて歓喜に身が震える。
これだ。これを求めていた。余計な縛りもなく、死力を尽くして戦う。戦の場に於いて生死を賭した意思の応酬などありきたりなものだ、そこに軽いも重いもない。生きるか死ぬかの原始の理に、煩わしい雑音を混ぜるのは性に合わなかった。純粋な殺し合いで勝てば生き、負ければ死ぬ。最善を尽くそうと最悪を犯そうと、そこに運否天賦の介在する余地などありはしない。
槍兵は凶悪な笑みを浮かべ、腰を落とすと朱槍を扱いた。
「退屈してんならオレの槍でも食らって逝きな。世界の命運だのなんだの、そんな重荷を老体に背負わせるのは偲びねぇ、早々に楽にしてやるよ」
「生憎と、我が身は衆生を背負う器に非ず。ただ主の意向に沿い、敵を斬るだけの刃なり。口上は無用、いざ尋常に彼我の勝敗を決さん」
「――いいねぇ、そういうシンプルな在り方は嫌いじゃない。嫌いじゃないが……悪いな、遊んではやれねぇ。最初から加減無しで、殺してやるよ――」
表通りから漏れ聞こえる喧騒。道行く人々の話し声、足音。車のエンジン音と走行音が奏でる不協和音は、しかし現代の人の営みから生じたもの故に、なんら違和の感覚を呼び起こすものではない。
異物は寧ろ、対峙する剣士と槍兵だ。時代錯誤の戦装束に身を包んだ両者の醸す、濃厚に過ぎる殺気のぶつけ合いこそが秩序を乱していた。狭い路地裏、直線上にある雑多な構造物、非常用階段やゴミ箱などを背景に、超常の者達は戦意のボルテージを最高潮にまで高める。
片や噴火寸前の火山のように。
片や水底に沈没する孤島のように。
セイバーのサーヴァント、柳生但馬守宗矩は己が主へ謹んで言上仕った。
(マスター。ご下命通り、敵の主従と接触致した。敵サーヴァントは恐らくランサー、敵マスターは南蛮の女。開戦の時でありましょう、不肖の身に力添えを)
『分かった、令呪を以て命じる。セイバー、
(承知)
戦闘開始の初日、初戦。そんな状況下であるのに躊躇なく、三画しかない令呪の一つを切るマスターの判断に、先見の明に長けた謀略家でもある宗矩は異論を唱えない。
充実する魔力はサーヴァントの燃料。なみなみと力を注がれ、宗矩は未だ嘗てない万能感を獲得する。その感覚は無念夢想の境地に至った宗矩をして高揚を感じるほどのもの――老境に至るまで培った技倆と鍛えた精神、令呪により得た若かりし頃の肉体面での
その魔力の充謐は、対峙するバゼットやランサーにも伝わった。どこかにいる敵マスターが、なんらかの強力な支援をしたと判断する。まさか初手から令呪を使用してきたとは想像もしていない。
(……ランサー。敵サーヴァントのステータスは先に言った通り、敏捷のランクだけ貴方を上回っています。心配はしていませんが、油断はしないように)
言われるまでもない。油断などするはずがなかった。
サムライは、敏捷のランクがA++である。それは彼のギリシャ最速の英霊をも上回り、サーヴァントとして最高のステータスを引き出されているアイルランドの光の御子も超えている。
だがそれは、最大速度で超えているというわけではない。もし敏捷のランクで速度が決まるなら、目の前の侍は駿足の英雄と、光の御子よりも速いという事になるのだ。それは有り得ない。故に敏捷のステータスが物語るのは初速、そして機動力であり、その二つの点で剣聖たる老兵は光の御子を超えている。白兵戦を主とするクラスの者なら、それは決して無視できない要素だ。
セイバーは昂ぶった精神を一息で整え、腰の
剣聖が静寂なる草原の柳を擦れ合わせるように囁く。
「――参る」
「応! 来な、セイバー……!」
彼の鋭利な剣気から、宗矩がセイバーだと断じた槍兵が応じる。
脱力。弛緩した肉体が地に倒れ――地を蹴った剣士が馳せた。姿の輪郭が霞む、初速から最高速に到達し刹那の内に距離を詰めた剣士の刃が鞘走る――寸前、至近距離から小刀が擲たれた。
並の勇士であれば視認も叶わず斬り捨てられていただろう。至近距離から投じられた小刀の迎撃が叶うだけで称賛に値する。しかし無論の事ながら、この槍兵は並ではない。
条件反射の如く魔槍を半周旋回させ小刀を弾き飛ばすと、間髪入れず大刀の間合いに踏み込んできた剣聖の抜刀撃を朱槍の柄で受け止める。火花が散り、しかし手応えが軽いのを感じた瞬間、槍兵は魔槍を更に半周旋回させながら跳び退いた。一撃で不利な戦況に追いやられると見た槍兵は、影も残さぬまま後退し即座に仕切り直したのである。
――この一瞬で抜刀撃を受け止められたと見るや、老剣聖は手首を捻って刃の角度を変え、魔槍の柄の表面を滑らせ槍兵の指を切り落とさんとしたのだ。跳び退き様に繰り出された槍兵の上段蹴りを、剣聖は首を傾けるだけで躱し、大刀を青眼に構えその切っ先で敵を睨む。
(――私の小刀への反応は随意のそれではない。スキルとやらによるものか。飛び道具は効かぬと見てよかろう……併せて見るに人体の構造からは考えられぬ体捌き、身体能力の一言で片付けられぬ。溢れる獣気、紛れる神気……人ならざる者との混血であろうな。であるならあの朱槍も尋常の物ではあるまい。迂闊に槍の間合いで死合えば、妖術の類いにて穿かれるやもしれん。……奴の好む間は外して掛からねば討たれる。守るなら後の先、攻めるならば常に先の先を取らねば)
「ハッ――!」
思考は1秒も経ない一瞬のもの。跳び退いて着地した途端、弾かれたように跳ね返った槍兵の体が剣聖に迫る。同時に踏み込んだ剣聖は、突き出されて来た魔槍の穂先に大刀を添え、微かに軌道を逸らす事で直撃を避けた。秒間十撃を超える音速の槍、魔槍の弾幕を足を止めたまま正面切って捌き切る剣聖の業は、まさしく神域のものである。全ての槍撃に返る反撃の意は、攻め手の失速は命取りである事を報せていた。
「そら、そらそらそらそらッ!」
故に、槍兵は加速する。思わぬ強敵に血を滾らせ、戦いに没頭していく槍兵は、一撃を経るごとに沸騰する喜悦に凶悪な面相を浮かべていった。彼がランサーのクラスに縛られていなければ、間もなく彼は戦いの熱に呑まれ災害に等しい狂戦士へと変貌していただろう。
加減は無しだと言った――しかし悉く槍撃を捌かれながらも、ランサーは刺突以外の手札を切っていない。であるのにセイバーをその場に釘付けにし、縫い止めて一歩も動かさずにいた。
動けないのだ。前に出たら串刺しにされ、下がっても同じ。謂わば槍兵が失速するか、剣聖が受け手を誤るかのチキンレースの強要だ。身体能力と体力の面で圧倒的に剣聖へ不利な局面に、しかし。
「――――」
その心は不動。精神に漣一つ起こさず、最小の所作で神速の刺突を捌き続ける。そして繰り返される槍撃のパターンとリズムを掴むや、自らの所作に微かな無駄を敢えて挟み
槍兵は敏感にそれを見て取る。無視できない
心眼。
柳生新陰流の極意の一つであるスキル『水月』が内包する、鍛錬の末に開眼するそれと、先天的なものであるはずの直感力を合一させた洞察力。剣士としての極致に至っている剣聖の技は、明白に光の御子を凌駕している。それを、槍兵は認めた。認めた上で攻め手を切り替える。
「行くぜ。付いて来な――付いて来れるならなァッ!」
数百もの刺突の軌跡に慣れた剣聖の目に、突如薙ぎ払いの一閃が映り込む。胴から下に来るのが分かっていても対処が難しい、だが冷静に高く跳んで虚空に逃れた剣聖は次に迫る一撃に備えた。
薙ぎ払いの反動を利し、地面を滑りながら間を詰める動作はほぼ同時。槍兵が鞭の如く撓る蹴撃を空中の剣士に叩き込む。肘を閉じ、膝を上げて胴体を守るも、剣士は槍兵の一撃で吹き飛んだ。
戦場は狭い路地裏。当然のようにビルの壁面に叩きつけられそうになるが、身を翻した剣聖・柳生宗矩は聳えるビルに着地する。地面と垂直の場に足を付けたにも関わらず体軸と体感に狂いはなく、衝撃そのままにアスファルトの地面に亀裂を刻んだ。ビルが揺れる――剣戟の音色は騒音となり、表通りにも届いていた。通り掛かっていた人々は何事かと気にしていたが、そんなことなど知らぬとばかりにランサーが追撃に出る。
ビルの壁面に着地したはいいが、無理矢理に押し込まれたに等しい。故に即座に動き出せはせず、跳躍したランサーの追撃を避けられはしなかった。呪いの朱槍を回転させ、遠心力を乗せた一撃が見舞われるのに、セイバーは帯から小刀の鞘を抜き取り盾にする。
「ッ――」
小刀の鞘が砕ける。そしてランサーの膂力に空中のセイバーは抗えず、嵐に巻かれる木っ端の如く飛翔させられた。奇しくも表通りに繋がる道を転がり、跳ね起きたセイバーは危機を悟る。
狭い路地裏で対峙してすら思い知る身体能力の格差。素早さの一点で負けておらずとも、それ以外では苦しいものがある。であるのに広い場に出てしまえば、兵器の王とすら言われる武装の『槍』を持つ槍兵が圧倒的に有利となるだろう。そこまで考え――路地裏から飛び出してきた槍兵共々状況を把握した。すなわち、現地の一般人達がいるのだ。
剣戟の音色に釣られて、好奇心に駆られた現地人達が、近寄ってきている。――だからどうしたとばかりに槍兵が突貫した。剣士に向けて朱槍を突き、大刀で捌いた剣士は応戦を余儀なくされる。
再び繚乱する剣戟の火花。唖然としてそれを見る新都の通行人。
映画の撮影? 驚くも、彼らは状況を理解していない。余りに現実離れした光景に理解が追いつかないのだ。目で追えない殺陣など有り得るのか、いやいや映画の撮影だろう……そうとしか思えない。
「コイツで仕舞だ、セイバー!」
――そうしてランサーが
狭い路地裏から出て、縦横無尽に立ち回れるようになると、待ってましたとばかりに槍兵が得物を構える。その穂先が地面を睨んだ。剣士は顔を険しくさせる。宝具だ。槍兵が宝具を撃とうとしている。充填された魔力の禍々しさを見るに間違いない。
状況からして間違いなく対人宝具だ。周囲を巻き込まないものである。アレを撃たれてはマズい、斯くなる上はこちらも宝具を使わざるを得ない。殺られる前に斬る、それしかないだろう。
「――いざ」
剣は生死の狭間にて大活し、禅は静思黙考の裡大悟へ至る。我が剣にお前は何れを見るものか。宝具開帳――
「駄目だ――! やめろ、ランサー!」
「――チィッ!」
セイバーにとっての幸運。ランサーにとっての不運。それは異聞聖杯戦争の
現地の第五次聖杯戦争終結からほんの一ヶ月と半――つまり現在、学生は春休みの只中であり。これだけの騒ぎとなれば、
機械音痴の少女のせいで。また、少女の機械音痴を知らずにその少年の呼び出しを任せた参加マスターの判断ミスのせいで。まだ彼は、何も事情を知らずにいたのである。
セイバーとランサーの間に割って入り、両手を広げてランサーの前に待ち塞がった少年の名は衛宮士郎。いつでも干将莫耶の投影ができるように魔術回路も励起させた彼は怒っていた。
「こんな真っ昼間に何してんだ! バゼット、アンタもだぞ!? なんでランサーがいるのかは知らないけどな、事情を話して貰うからな!」
咄嗟に止まった槍兵の隙を突き、剣士が霊体化して撤退する。当初の目的通り、目立てるだけ目立てたのだ。戦果としてはこれで充分だろう。
† † † † † † † †
「ははっ――この頃のオレなら、確かにそうするか。
……出来の悪い鏡を見ている気分だな」
遠く。1kmも離れた冬木大橋の上から戦況を眺めていた赤い外套の弓兵は失笑を漏らす。
殺意はない。その理由がない。だが彼は噴き出してしまった。あのままいけば、セイバーは脱落していただろう。バゼットが宝具を構えていたのだ、この推測に誤りはあるまい。
だがそうはならなかった。衛宮士郎が邪魔に入ったからだ。――エミヤは、だからこそ頭が痛くなる。羞恥心を掻き立てられた。ああ、消し去りたい恥の記憶……。
だが、これはこれで良い展開だろう。ランサーのクー・フーリンとバゼットの組み合わせは強力だ、あの一組から先に退場してもらいたいエミヤとしては理想的な展開になったと言える。
(まさか彼の高名な
彼の異能に等しい固有結界の副次効果として、目にした刀剣とその担い手の来歴を知る事が出来る。故に『衛宮士郎の能力』を完成させている彼は、日本刀を遠くから視認しただけで、セイバーの真名を看破する事ができていた。
投影魔術の憑依経験の工程で、セイバーの宝具の詳細も把握している。だから、彼は柳生宗矩の撤退を妨害しなかったのだ。
――セイバーは、格好のカモだ。御しやすい。柳生宗矩に遠距離攻撃は存在せず、マスターが共にいたら纏めて討ち取れる確信がある。
宝具の投影、弓で投射、敢えてセイバーの足元に着弾させてからの『壊れた幻想』による爆撃。マスターを庇わざるを得ないセイバーは、仮に助かっても重傷を負う。マスターを庇わなかったら、マスターは死ぬ。柳生宗矩の実力を掌握したエミヤはそのように結論した。
御し易い敵を生かし、難敵を先に始末する。こうした戦場では基本だろう。エミヤは基本に忠実だ。忠実だからこそ――基本を更に発展させた戦術を執っている。
「まずはランサーとセイバー、それからアサシンの姿は確認できた。
……後は他の参加者も確認を済ませたいな」
穴熊を決め込んでいる手合いがいたら理想的な展開だ。
エミヤは酷薄な表情で、冬木の街を見下ろしている――
面白い、続きが気になると思って頂けたなら、感想評価お気に入り登録等、よろしくお願いします。それらは作者の燃料になりますれば…。
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因縁収束
感想は一言。草。幸運E組は人気もEランクであったか…。
異聞聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは、例外なくマスターに協力的だ。
基本的にマスターの世界に属する者として召喚される故に、至って自然な事かもしれない。協力も何もない狂戦士のクラスが除外されているのも大きい。
真っ当な英霊にとって、未来は宝だ。自身が関与し、織り成された未来に生きる全ての人間が、彼らにとって自らの生きた証なのである。その証が失われようとしているのだ、本気になって護りに掛からない者などいないと言っていいだろう。少なくとも……異聞聖杯戦争に召喚されるサーヴァントの中には、過去一度もいなかった。全員が当事者として死力を尽くしてきたのである。
モルガン・ル・フェは真っ当な英霊ではない。だが彼女も世界を守るために馳せ参じた。モルガンにとっての全てであるブリテンまでも、世界諸共滅び去るというのなら抗わない訳にはいかない。マスターの草十郎よりも鮮明に、瞭然と大きな危機感を懐き、自身の備える手練手管の限りを尽くして勝利しようと固く誓っている。艱難辛苦の全てを乗り越えようと過去最高に燃えていた。
故にモルガンの独断専行も仕方のない事だった。
草十郎は魔術知識のない素人で、戦略と戦術にも疎い。彼の采配に任せていたら勝ち目は薄い。
モルガンがサーヴァントの領分を超え、主導するのも自然な流れである。
故にモルガンにとって幸運だったのは、草十郎が彼女の価値観からしても好ましい在り方の存在であり、モルガンに全てを任せる事に抵抗感を抱かなかった事だ。
おかげで――全力を発揮できる。魔術でも、陰謀でも、戦争でも、だ。
(――ソージューローには申し訳ないけれど。代わりに貴方に勝利を捧げ、私の夫として迎え入れてあげるのだから……許して頂戴ね?)
艶然と魔女が微笑む。危険な橋を渡ることにはなるが、危険も犯さずして得た配当に旨味は少なく、安全策で出し抜けるほど生易しい敵ばかりではないだろう。
そう考える故に、モルガンは草十郎へ
隠し事はある、しかし嘘は一つしか吐いていない。それもこれも、全て勝つ為だった。
眠るマスターの髪を梳きながら、彼女を知る者が見ると信じられない思いに駆られるだろうほど、魔女は穏やかな貌をしている。それはひどく優しげで、慈悲深く、淫蕩さや残忍さ、野心家な面のない乙女のような貌であった。
彼女は支配を望んでいる。ブリテンの玉座を求めている。逆らう者は嫌い、騎士王に仕え賛美する者は憎んでいた。だからこそモルガンは魔女と謗られて――魔女であるからこそ、自身へ純粋な信頼と感謝を向けてくれる存在には、とんと弱かった。
草十郎は自身の分際を弁えている。だからかモルガンを頼り、信じて、力になってくれるモルガンに感謝をしていた。野生児ゆえの純粋さで、だ。――悔しいが、ガイアの見る目は確かだった。この少年ほど己と相性の良いマスターは存在しないだろう。
大事なのは精神性だ。容姿の美醜、嗜好の好悪、能力の高低など見ない。そんなものは至極どうでもいい。ただただ心が綺麗で、嘘を吐かないモノをモルガンは好むのである。
妖精眼を持つ者の宿業だろう――モルガンは魔女らしからぬほど潔癖で。とある妖精國の女王とは異なり、汎人類史の人類最後のマスターと出会えば、身の丈に合わない重荷を背負って
自然のままに生きてきた草十郎だから、このモルガンは好意を覚えた。基本的に人間に対しては辛辣で、大半の者を駒としてしか見ない魔女が、庇護すべき存在だと見做すほどに。
(――戦いが始まったみたいね)
新都の何処かで二騎のサーヴァントが接触している。
サーヴァント同士が出会ったのなら、戦いは避けられまい。
戦闘が発生した
自身の領域で知覚したものの座標を元に、その座標付近の情景を複製し映像として出力したのだ。草十郎が眠っている内に、手慰みにただの鏡を魔術品へ加工した物である。
遠見の水晶の類似品にして、高性能版だ。道具作成のスキルをEXランクで保有する魔女モルガンなら、この程度の物は容易く製造できる。神域の天才魔術師の力量の一端が示されていた。
戦闘の様子を眺め、彼女は形の良い眉を顰める。
(……この朱槍、権能クラスの呪詛を帯びている……? 加えて獣のような敏捷性と、身に着けているルーン石の肩当て……ケルトの戦士ね。この霊格の高さはケルトでも最高位に近い……いえ、最上位そのもの。オークニーのルーの砦から感じる神性に似ている……なるほど。この槍兵はクー・フーリン。なら神代の魔術師としても高位の力を持っているはず。なのに……)
自らの生前、拠点にしていたオークニーにて、ルーの砦と称される場所に魔女は居た。当時の夫であるロット王が、ルーの砦の主人だった事もあり、太陽と光の神の
槍兵の真名を見ただけで判別できたのはそれが理由である。油断ならない強敵であると魔女は断じた。アイルランドの光の御子は、モルガンと同一視される女神を打ち破った逸話の持ち主だ。明確な弱点など持たないモルガンにとって、唯一の天敵であると言えよう。
この槍兵とだけは交戦を避けねばなるまい。
(光の御子は原初のルーンの使い手。影の国の女王の一番弟子なのだから、当然ルーン魔術も教わっているはず。なのに私の領域に気づけていないという事は……最初から意識して注視しないと気づけない出来栄えという事ね。それは重畳なのだけど、
高ランクの気配遮断スキルを保有するサーヴァントまでは、流石に居るのは分かっても居場所の特定はできない。問題として認識するべきなのは、アサシンのサーヴァントの近くに
剣士のサーヴァントも近くにマスターがいないが、こちらは令呪によるバックアップがある。こんな序盤も序盤で令呪を切るとは、大胆不敵なマスターもいたものだが……。
(情報がほしい。策の確度を上げるには、もう少し出揃った駒を整理しないと……)
瞑目し、考えを纏める。
(早い段階で他陣営の様子見を終わらせる。その為の舞台をセッティングしてあげましょう。アサシンは論外としても、ランサー、セイバー、アーチャーの三騎士、そこにライダーは加えたいわ。無いとは思うけど、できれば――には出て来てほしくないわね……)
やることは決まった。魔女は草十郎に魔術を掛ける。今少し眠っていてもらおう。
令呪も封印しておいた。これで令呪の気配も一時的に消え、例え近くに敵が来ても令呪の存在を気取られる事はない。あくまで一時の間だけとはいえ、安心していいだろう。
モルガンは己のマスターの寝顔を見下ろし、目を細める。
(ライダーを探し出し、誘いを掛けなくては。……私からの招待、喜んでくれるといいのだけど……フフフ。待っていて、ソージューロー。すぐに戻るわ)
霊脈から直接魔力を引っ張ってきているモルガンもまた、単独行動スキルを有したサーヴァント同様に、依り代から離れて行動が出来る。――マスターが死亡した場合は自身の消滅は避けられないにしろ、実質的にフリーハンドを手にしているモルガンが出陣する。
霊体化した魔女の足取りは、散歩にでも出掛けるかのように気軽なものだった。
目指すは、ランサーとセイバーの決着に水を差した少年の許。あの少年からは、
細かく分解され、体内に隠されている故に、本来の担い手である騎士王ですら直接触れない限り気づけないだろう。だがモルガンは違う。彼女には見ただけで識別が叶った。
† † † † † † † †
「こん……っの、バカ士郎――!!」
「
慌てて駆けつけた赤い少女が、ランサーとバゼットに詰め寄る少年の脇腹に拳を叩き込んだ。
八極拳を修めた少女の一撃である。
不意打ち気味に炸裂したそれに士郎は地面へと崩れ落ち、悶絶して横腹を抑えた。涙目になって蛮行の下手人を睨みつける士郎だったが、彼女のすぐ傍に間桐桜の姿があるのを見つけて瞠目する。
「せ、先輩、大丈夫ですか……?」
桜。間桐桜。士郎にとって、藤村大河という姉貴分と並ぶ日常の象徴。そんな桜がなぜこんな所に? 士郎は混乱した。凛が来てくれたのは良い、だが桜が共にいる理由が全く分からない。
状況は急転している。士郎の混乱を解いている余裕は凛にはなかった。
「さ……桜? な、なんで桜が……」
「衛宮くんは黙ってなさい! あぁもぅ、なんだってこんな……!」
頭を抱えそうになりながらも、遠坂凛は自身の連絡ミスを嘆きながら場の収拾をつける為に頭を回した。ひとまず凛はランサーとバゼットに向き直り、魔術師としての顔を取り繕うと、
「――貴方達、こんな真っ昼間に何を考えているのかしら? この地のセカンド・オーナーとして厳重に抗議させて貰うわよ。責任を容赦なく追及するからそのつもりでいて。いいわね、バゼット!」
「……行きますよ、ランサー」
果たしてバゼットは苦虫を噛み潰した顔をする。部外者――現地人をどうこうする訳にはいかないのである。へいへい、と気の抜けた様子で槍兵が応じるのを横目に、バゼットは折角の好機を無にされた憤りを押し殺しながら、見知らぬ少女達に対して背を向けた。
呼び止められても無視する。関わるだけ損しかない。バゼットはランサーを伴ってその場を後にし――凛は安堵の溜め息を吐いた。いくら相手が自分達を害せないとは知っていても、その相手がサーヴァントと封印指定執行者だ。怖いものは怖いのである。
士郎はなぜ凛がバゼット達を見逃したのか納得できていなかったが、桜の手前なにをどう言えばいいのか分からず、ただ視線に不満の色を乗せることしかできずにいた。
しかしそんな士郎を尻目に、桜は気後れしつつも行動する。――兄が頼ってくれたのだ。事情を話してくれて、除け者にはせず、頼ってくれた……。凛が連絡ミスを犯した事を知り、だが自分が表に出るわけにもいかないから、士郎を探すために駆り出されただけと知っていても嬉しかったのである。今は言われた通り、士郎を慎二の所に連れて行く。その為にしないといけない事を桜は弁えていた。それは冬木のセカンド・オーナーである凛のフォローである。
「……今のは映画の撮影です! 皆さん、お騒がせしてすみませんでした!」
「え? ……そ、そう! 映画! 映画の撮影なの!」
凛は多くの一般人の目に触れてしまい、どうしたものか必死に知恵を絞っていたが、その横で声を張り上げ周りに頭を下げた桜に目を白黒させる。だが今はそう誤魔化すしかないと悟り便乗した。
人の数が多すぎる。幾らなんでも暗示を掛けて回れはしない。凛は神秘の秘匿に関する重大な責任問題に、その端正な顔を青褪めさせていた。
置いてけぼりにされたのは士郎だ。何がなんだか分からない。凛だけならまだしも、その凛が桜と一緒になってここに来た意味も分からなかった。自分を探していたのか? なぜ?
多くの目撃者達も戸惑っているようだった。無理矢理に納得しようにも、映画の撮影だというならカメラがないとおかしい。なのに彼らの周辺にそれらしいものはなかったのである。
却って悪目立ちしている。凛と桜の頬に汗が浮かんだ。アイコンタクトを交わす――もう逃げるしかない。その意思は確かに疎通されて、
「あら。映画の撮影だったのね? それなら
息をするように行使された魔術の気配に、凛はぎくりと身を強張らせた。
一般人達は目を虚ろにさせ、まるでたった今の超人的な戦闘を忘れたように立ち去っていく。
数十、あるいは百人を超える人間が一斉に、である。
異様な光景だ。凛は恐る恐る背後を振り返る。するとそこには、現代風の衣装を纏った傾城の美女がいた。どこか――自分達の知る剣士の少女に似た風貌の美女だ。
「あ、あんた……」
人の身には有り得ない高密度の神秘の気配。人ならざるモノ。
桜の顔に怯えが走る。凛は悟った。サーヴァントだ――恐らくは魔術師の。
美女は酷薄な一瞥を凛達に向け、煩わしそうにポニーテールの形に結っている髪を払った。
「退きなさい。おまえに用はない」
「ぅ……」
木っ端を見るような目で、さらりと掛けられた暗示。それに、凛はなんとか対抗した。
魔術回路をフルに回し、極めて高度な魔術を必死にレジストする。
そして凛は、キャスターのサーヴァントと思しき女を睨んだ。
「ど……退けと言われて、退くと思ってるの? いったい私達になんの用なのか話して貰うわ、キャスター……!」
「? ……ああ、もしかしてこの地の管理者でしたか? 私をキャスターと呼んだという事は聖杯戦争に関する知識もある、と。そこそこ見所のある魔術師のようね」
うっかり口を滑らせた凛を指して、
無理もない、所詮現代の魔術師、神代の魔女から見ると遥かに格下である。
屈辱を感じながらも、凛は毅然と背を伸ばす。背後に桜と士郎を庇いながら魔女を睨んだ。
掛けられた暗示の感覚からして、この女があの裏切りの魔女メディアにも劣らないと直感している。しかしメディアには通じた凛の奇襲、八極拳による格闘は通用しないとも感じていた。
なまじ格闘の腕を磨いているから分かるのだ。――騎士王ほどではないが、この魔女は白兵戦でも強い。メディア並の魔術師でありながら、白兵戦にも精通しているだなんて反則だ。
冷や汗を隠せない凛に、魔女モルガンは冷笑を浴びせる。
「安心なさい、私におまえ達をどうこうする気はない。そこの人間が隠し持っている、
「……衛宮くんが隠し持っている?」
「おまえ達には分不相応な宝物ね。持っていても腐らせるだけなら、私の役に立たせた方が賢いでしょう。
「そう……お断りよ! 行くわよ桜、衛宮くん!」
なんのことを言っているかは知らない。心当たりはあったとしても、確証はないのだ。
しかし、はいそうですかどうぞ差し出します、とは言えなかった。なんであれ相手は別の歴史からの異邦人、敵対者である。敵に差し出せるものなど何一つとしてありはしない。
桜の手を取り、士郎を急かして走り出す。そんなことをしても逃げられるわけがないのに、だ。
モルガンはせせら笑う。凛をそこそこと称した。その程度には評価したのだ。――実力の差が分かる程度には賢いはずだと。
であるのに、あの逃げようはなんだ? まるで
「あまり悩ませないように。楽しくなるでしょう?」
やろうと思えば今すぐ、容易く捕らえられる。だがモルガンは敢えて泳がせてみることにした。
逃げる三人の少年少女。密かに追うモルガン。
計算外はどちらにもあった。凛達は拠点から出たキャスターが追ってくるとは思っておらず。モルガンは――既に敵マスターはサーヴァントを召喚しているものだと思っていたのだ。
自身が追った先で、敵マスターが聖剣の鞘を触媒にサーヴァントを召喚し。一日目にして発生する二回目のサーヴァント戦を、自身が飾ることになるとはモルガンからしても予想外だった。
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モルガンVSライダー (前編)
生身の人間を追うのに、余計な手間を掛ける必要はない。
霊体化すればいいのだ。それだけで人間には知覚できなくなる。魔眼をはじめとする特別な視覚や、霊的存在を知覚できる特異な感覚がなければ、実体を持たないサーヴァントを察知できない。
魔術師の工房のように、侵入者を感知する為の結界でもあれば話は変わってくるだろう。だが現代の魔術師が張った稚拙な結界に感知されるようでは、円卓の騎士の追跡から逃れられるはずもない。モルガンの感覚だと申し訳程度の隠密に、凛達は最後まで気づけないだろう。
――流石に英霊全体を見渡しても高位に位置する白兵戦のスペシャリスト、円卓の騎士と比べたら見劣りするとはいえ、モルガンの槍の腕前は槍兵の座を得て現界できるほどのものである。
モルガンに適正のあるクラスは四つ。
魔女としての本領を発揮できるキャスター、孤立無援の中たった一人で暗躍した故のアサシン、武芸も嗜む故のランサー、そしてブリテン島の運命を担った故のルーラーだ。
並のサーヴァント程度なら、モルガンは魔術も使わず魔槍のみで討ち取れるだろう。相性の差を考慮しても、モルガンは今回の異聞聖杯戦争では現状、ランサーとセイバーに次ぐ猛者ですらあった。
そんなモルガンが、サーヴァントでもない人間を恐れる道理はない。ないが……しかし。
(ひっ……!)
神域の天才魔術師にして、転移系統の魔術では並ぶ者のいない稀代の魔女。残忍にして冷酷、非道にして無道、野心溢れる悪女であるモルガンは怯んだ。
凛達が駆け込んだ場所、そこは間桐邸である。玄関で応対に出てきた一人の翁、間桐臓硯と何事か言葉を交わし、胡乱な顔で話す翁を見てモルガンの腰は引けたのだ。
妖精眼を持つ故に魂の性質が見える。卓越した魔術師であるからこそ一瞥のみで判別がつく。間桐臓硯という翁の魂は腐り果て、その肉体に人間の肉は一片たりとも混じっておらず、蟲そのもので全身が構成されているのである。間桐臓硯が何を話そうとも、汚らわしい蟲がキィキィと鳴いているようにしかモルガンには聞こえなかった。端的に言って、吐き気がする。
(け、汚らわしい……! 目が潰れる……! 化生の存在であるにしても、あそこまで悍しいものはこの私ですらはじめて見るぞ……!)
虫が苦手なモルガンは恐怖に慄いた。
死にたくなかったのだろう、宿願があったのだろう、あの化生の妄執が視える。しかし死にたくなかったにしてもアレはない。なんでよりにもよって蟲なのだ、もっと他にはなかったのか。
モルガンは猛烈に帰りたくなる、仮初の拠点に引き篭もりたくなった。急速に萎えていく気力をなんとか奮い立たせられたのは、元々の生真面目さ故でしかない。
まだ目的を達成していないのだ。独断で勝手に出てきた手前、なんの成果もなく帰りでもしたらモルガンは自分で自分を許せない。――虫の中でも最も苦手な毛虫がいないのは、不幸中の幸いだった。もしあの
(う、ぅぅぅ……)
目を逸らして、早くどこかに行けと念じる。嫌々ながらも
だが現実は厳しい。何を思ったのか凛達が蟲翁を伴って移動を開始したのである。必然的に凛達を追跡していたモルガンも、その後に続かざるを得なくなる。これはなんの嫌がらせなのだ……!
モルガンは嫌悪感からくる吐き気を堪えながら、使命感のみを支えにして後を追う。
着いたのは洋館だ。それなりの結界や防衛システムがあるが、モルガンからしてみると稚拙そのもの。素通りしてしまうのは容易い。結界のセンサーに自らもこの館の住人であると誤認させ通過する。
(……? 目的地がここであるにしては……サーヴァントの気配がない。敵マスターの協力者なのに合流しないつもり……?)
洋館の入り口で凛達が止まっている。黒髪をツインテールにしている少女が洋館の主なのだろう。どこか翁に怯えている成熟した肢体の少女、赤毛の少年は受け入れているが、翁に対しては強い警戒心を持っている。ここが魔術師としての工房であるなら、よその魔術師を入れたくない気持ちは分かる。だが、なんの為に此処へ来た? 無駄足を踏まされたのか?
黒髪の少女が道すがら、異聞聖杯戦争に関して話しているのは聞いていた。少年は半信半疑ながらも協力姿勢で、翁は明らかに信じていなかったが、まあそれはいい。いきなり部外者が信じる素振りを見せたら正気を疑う。と、そこで一人の少年が館から出てくる。
海藻類めいた髪質の、容姿端麗な優男だ。年頃は少女と同じぐらいだろう。その少年は緊張感も露わに、翁に向けて左手の甲を見せる。――令呪の刻印があった。
(! あの少年がマスターね。……サーヴァントは? この私に存在を気取らせていない、まさかあの少年がアサシンのマスター? なら近くにアサシンはいるはず……迂闊に手出しはできない。戦闘にあの娘達を巻き添えにしたら私の反則負けになってしまう。アサシンに現地人を盾にされては面倒ね……もう少し様子を見て、現地人達が離れたら……)
翁は海藻類の少年の手にある令呪に驚いているようだった。反応の一々が煩わしいし、気持ち悪くて仕方ないが、我慢して耳を傾けた。
『遠坂の小娘ではなく、桜でもなく、よもや慎二に令呪が現れるとは……大聖杯はまだ起動しておらん、まさか……あんな与太話が真実だとでも……?』
『私も完全に信じてるわけじゃありません。けど慎二の言った通り、封印指定執行者のバゼットが二人いるのは確認済みで、サーヴァントもこの目で見ています。バゼットと思しき女と契約しているのがランサー、マスターは未確認だけどセイバーとキャスターの現界は確実です』
『………』
『大聖杯が起動していないなら、どんなに規模を小さく捉えても、冬木の聖杯戦争とは無関係の魔術儀式による
『無理じゃな。令呪を創り出したワシですらこの令呪に干渉できん。これでは偽臣の書を作ることも叶うまいよ。それで……わざわざワシに足を運ばせたのじゃ、やらせたい事があるのではないか?』
『ええ。冬木のセカンド・オーナーとして正式に要請します。冬木の物とは別の魔術儀式、聖杯戦争に酷似していると推定される事件の調査・解決に全面的な協力を。既に多数の一般人がサーヴァント戦闘を目撃しています。なんのつもりかは知りませんが、キャスターによる暗示で事なきは得ましたが……このままでは神秘の漏洩により時計塔や教会の干渉が始まってしまうでしょう』
『ふむ……盟友・遠坂の血脈に連なる者の頼みじゃ。できる限りの事はすると約束しよう。さしあたり……そうさな、慎二から遠坂の当主に魔力のパスを移し替えさせたいのであろう?』
『ご賢察です。英霊召喚の負荷、サーヴァントの現界の維持に掛かる負担は慎二には荷が重い。慎二からの正式な要請で、私が慎二のサーヴァントへの魔力供給を請け負うことになっています』
(………?)
モルガンはこの会話を聞いて首を傾げた。
なんだ、今の話は。まるで……
早合点か? 流石に一日の猶予時間内にサーヴァントを召喚しないバカなどいるわけが……。
『――で、準備はいいわね? 色々と勝手をしそうな衛宮くんも回収したし、慎二の世話をする桜も呼んだ。後はアンタが始めることよ』
『そうだね。けど本当ならもっと早くやれてたはずなんだぜ? 貴重な時間を浪費させられてさ、僕がどれだけ気を揉んだか分かってんの? そこんとこはきっちり謝っといてほしいんだけど』
『うっ……わ、悪かったわね! ごめんなさい! これでいいでしょ!?』
『ふふ……』
『桜!? なんで笑うのよ!?』
『ご、ごめんなさい遠坂先輩……』
『おいおい、桜に当たるなんて底が知れるぜ。やめろよ、別にコントなんかを見せてくれだなんて言ってないんだけど? もういいから、衛宮はこっち来てくれ』
『あ、ああ。……慎二、変わったな。いや……戻ったのか』
『はあ? 今更なに言ってんだか……腹立つからそのしたり顔やめてくれない? ったく……それじゃ見ていてくれよ、お爺様。僕の話が本当だっていう証拠を、今から見せてあげるからさ』
『うむ……』
『素に銀と鉄。礎に石と契約の大公――』
(――――!?)
慎二と呼ばれた少年が唱え出した呪文を聞き、モルガンは驚愕して目を見開いた。
その呪文。その呪文は――英霊召喚の為のもの。
ということは、まさかサーヴァントはまだいないのか――!
ならば様子見をしている場合ではない、サーヴァントのいないマスターなど絶好のカモだ、今ここで始末してやる!
そう思い、実体化しようとした刹那。動揺してしまったからか、それとも魔術を放とうとしたからか、遠坂凛――ではなく、間桐の翁が反応した。
「ッ――何奴じゃ!?」
「うっ……!」
実体化した瞬間、魔術を放たんと魔槍の穂先を慎二に向けるも、間桐臓硯が手足を霧散させて浮遊し、多数の蟲を出現させたせいで怯んでしまう。純粋に生理的に無理なものを直視してしまった。
凛達が驚愕する。「うそ、キャスター!?」と。慎二は協力者達が尾行されていたと知り、焦りながらも英霊召喚を急ぐ。サーヴァントがこちらを害せないと聞いていた臓硯の判断は迅速だった、伊達に数百年も生きていない。即座に慎二の周辺に蟲を散開させて囲み護りに掛かる。士郎もまた飛び出そうとしたが、それは慎二が腕を掴んで阻み、固まっていた凛の背中を押した。
「えぇい……っ、腹を括りなさいよ、私……! キャスター、覚悟!」
「目障りな……!」
呪文を中断せず、背中を押しただけの慎二の意図を汲み、我に返った凛は魔術回路を開いて指差しの呪い、ガンドを放ってくる。Aランクの対魔力を誇るモルガンに、そんなものが通じる事はない。故にモルガンにとって目障りなのは間桐臓硯だった。
慎二の周囲に散開した蟲が邪魔だ。ああも隙なく守られたのでは、モルガンが攻撃をしようものなら現地人を傷つけてはいけないというルールに抵触してしまう。何より気持ち悪い。
だが打つ手はある。ルール上、魂喰いは許可されているのだ。殺さなければいい。モルガンは躊躇なく魔術を行使した。
「――アコーロン!」
「ぬ、ぬぅぅぅ……!」
「なっ……!? ぅ、く……!」
対象の魔力を吸い取る魔術。それにより凛と桜、士郎は体から力が抜ける感覚を味わい脱力する。
そして臓硯の蟲が枯れていく。悉く地に落ち、慎二の護りが解けた。
たった一手で邪魔者を無力化したモルガンは、吸い出した魔力を自身に取り込む事はせず、汚らわしい汚泥を捨てるように地面へ叩きつける。あんな悍しい蟲の魔力が混じっているのだ、とてもではないが自分のものにする気にはなれなかった。
対象には慎二も含められている。脱力し、地面に倒れてしまった慎二は、それでも薄れゆく意識を懸命に保って、詠唱を続ける。膝立ちになっている士郎の腕から手を離さずに――
「させるものですかっ!」
「うっ、ぅぉ、ぉぉおお!」
間に合わない。間に合うわけがない。――邪魔が入らなければ。士郎は慎二に掴まれていない手に白い短剣、干将を投影する。そして干将を振り上げ、接近してきたモルガンの魔槍を弾いた。
これにはモルガンも虚を突かれた。まさかサーヴァントである自分の本気の一撃を、生身の人間が弾くとは想像もしていなかった。雑魚と見做して意識していなかったとはいえ驚嘆に値する。
何よりこの赤毛の少年は、宝具を投影した。信じられない――その思考の空白が埋まる直前、慎二は死にものぐるいで呪文を完成させる。
「ょ、抑止……の、輪より、来たれ……天秤の護り手、よ……!」
「くっ……!」
――そうして現れるは魔女モルガンの因縁の相手。
目映い光を蹴散らして現界したサーヴァントが、突然の事態であるにも関わらず、即断即決で聖なる槍を振り抜いた。咄嗟に魔槍を振るって弾き、後退したモルガンは瞠目する。
現れたのは間違いなく……このモルガンが見間違うはずのない――
「れ、令呪で、命じる……! ソイツを蹴散らせ――!」
まだ魔力のパスを凛に移していない故に、戦闘による負担に耐えられないと弁えていた慎二が迷いなく令呪を切る。それにより令呪一画分の魔力を得たサーヴァントがモルガンと対峙した。
「了解しました。――モルガン、覚悟を。貴女はここで斃れなさい」
――ここに、白馬に跨ったライダーのサーヴァント、聖槍の騎士王が現界した。
蟲さえいなければ…。
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モルガンVSライダー (後編)
「セイ、バー……?」
呆然と。馬上に居る自身を見上げる衛宮士郎の声に。
横顔を見せ、微かに微笑んだ少女は、以前のマスターを確かに覚えていた。
振り抜いた聖槍を引き、高潔な王の貌に立ち返った少女が名乗る。
「星の喚び声、縁の鼓動に応え参上しました。我が愛馬が雷雲を越える様に、我が槍はあらゆる障害を打ち砕く。最果ての槍の輝きを以て、あなた方の未来を照らしましょう。その証左を示すためにも……まずはマスター、指示を。開戦の号砲は貴方が鳴らすべきです」
クラスはライダー、真名をアルトリア・ペンドラゴン。
その姿は紛れもなく、第五次聖杯戦争にてセイバーのサーヴァントだったものだ。当時のマスターは衛宮士郎、紆余曲折を経て遠坂凛と再契約している。
今の彼女は聖剣ではなく聖槍を有していた。彼女はまだ死んでいない、故に正確には英霊ではない。アルトリアは未だにカムランの丘に縫い止められたままである。生きている人間である以上、彼女はセイバーとしてしか喚び出されないはずだったのだが――しかし、カムランの丘で叛逆の騎士にトドメを刺したのは聖槍である。故にサブウェポンとして聖槍も手元にあった。
星の意思による召喚であれば、彼女はセイバーの他にランサー、ライダーとしても現界が叶うのである。後者二つのクラスであるなら、聖槍を携えたサーヴァントとして。
死んでいない故に霊体化はできない。死んでいない故に、第四次と第五次の聖杯戦争についての記憶も連続している。そして死んでいない故に――彼女の意識は未だに戦時下だった。意識の切り替えが迅速なのも当然である。何より世界を守る為の戦いであるなら迷いもない。
卓越した戦場指揮官でもある常勝の王は、自身の召喚主と、縁、そしてこの場に居合わせた面々を見て状況を完全に把握していた。であるからこそ、彼女は現在の召喚主に令呪を促す。彼の力量では全力を出せない。そればかりか槍の一振りだけで相当大きな負担になっていた。急場を凌ぐためにも令呪の使用は欠かせないだろう。
「れ、令呪で、命じる……! ソイツを蹴散らせ――!」
慎二はその意図を汲んだ訳ではないが、自身の状態と状況は理解している。
指示は的確だった。令呪を使った途端、限界を迎えて失神してしまったが、構わない。アルトリアは――ライダーは決して負けないのだから。
「了解しました。――モルガン、覚悟を。貴女はここで斃れなさい」
そうしてライダーは対峙する。自身の因縁の相手、宿敵、怨敵とも言える腹違いの姉と。
油断も慢心もない、モルガンは自身にとって最大最悪の敵だ。余計な策を練られ、実行される前に倒してしまいたい。もし逃がしたら面倒な事になると、長年辛酸を嘗めさせられてきた彼女は直感している。――対し、騎兵を見た魔女は能面のような無表情になっていた。
――ランサーの座は埋まっている。であれば、目の前の小娘はライダーだろう。
そうした判断とは別に、荒れ狂う激情がモルガンの貌に感情の出力をさせなかった。
単純に表情が出ない。怒りも、妬みも、憎しみも極まっている。例えアルトリア当人に罪はなくとも、自分が得られなかった玉座に座った者なのだ。違う世界の妹? 憎むにしても相手が違う? そんな正論で止まるような女なら、モルガンは魔女になど堕ちていない。
「……そう、ですか。よりにもよって……お前が。
よりにもよって、この
この私の前に立ちはだかるのですね……」
かたかたと、魔槍が震える。
持ち主の感情の一端を示すように。
手が震え、肩が戦慄き、影の落ちた貌の下――唇が不気味な弧を描いた。
「――いいでしょう。世界を救う前に、我が積年の怨念を整理する。アルトリア、我が王冠を掠め取った愚者の
俯けていた貌を上げた魔女は、凄惨な表情と化していた。混沌とした激情を表すものとして、これ以外は相応しくないという心が選択させた貌だ。壮絶な憤怒が魔槍に魔力を漲らせる。
ライダーは訝しげに眉をひそめる。流石に違う歴史の者である。厳密に言えば自身の知る魔女とは別人だが、限りなくその性質が一致した者なのだろう。――だというのに、モルガンの姿はライダーの知るものと比較して、決して無視できない差異があった。
汎人類史やライダーの世界で、モルガンは
であるのに、このモルガンは
単にこのモルガンは、魔術のみでは円卓に抗し得ないと判断し、自衛の力を高めるため自らの腕も磨いたに相違ない。一廉の練達と言ってもいいほどに、魔槍を構える姿が堂に入っている。
どれだけ淫蕩で、残忍で、嫉妬に狂おうとも、モルガンの本質は忍耐強い鋼鉄の女だ。必要と判断したのなら努力は惜しむまい。だからこそライダーの一撃を、モルガンは弾けた。もしライダーの知るモルガンであったら、出会い頭で一撃を浴びせられていただろう。
……意外な強敵である。所詮はキャスターと侮れば負けるのは自分だ。
ライダーは愛馬のドゥン・スタリオンから下馬し自らの足で地面に立った。ライダーとして現界してはいるが、宝具としての力はドゥン・スタリオンにはない。ライダーの宝具は最果ての槍だ。
それはライダーがまだ生きている存在だからこそのバグである。騎兵としても現界できるが、セイバーとランサーの座が既に埋まっている故の措置に過ぎず、ライダーが生者であるのに愛馬が死者である差異が食い違って、騎兵としての宝具であるドゥン・スタリオンは封印された状態になっていた。アルトリアが死んで英霊になっていたら宝具として真名解放が可能になるだろう。
今のライダーには最果ての槍しか武装がない。愛馬は自分に付属した装備の一つという括りだ。封印状態であるためか、意思持たぬ傀儡となっている。
「忌まわしい赤竜の落胤、傲慢なるウーサーの最高傑作、“コーンウォールの猪”よ! 豚のような悲鳴を上げ、その死に様でこの私を悦ばせなさい!」
「望むところだ。だが、屠られるのは貴様だと知れ!」
怨念に塗れた怒号を上げ、十字架型の魔槍を掲げた魔女へと聖槍の騎士王が突貫する。
愛馬を下がらせたのは小回りが利かないからだ。庇護すべきマスターがいる手前、隙を見せたら
故にドゥン・スタリオンには気絶したマスターの襟首を咥えさせ、その背中に放らせている。モルガンの攻撃に晒されないように、狙われたら逃げ回るように指示していた。
「通すものですか!」
「いいや、押し通るッ!」
突撃し、懐に入ろうとするライダーに対し、モルガンは飛び退いて後退している。どれほど怒り狂おうとも魔女は冷徹な判断力を損なわない、可能なら殺してしまうが、なんの下準備もなければ不利なのは自分だと弁えていた。最初から即席の魔術で最高の対魔力を誇る騎士王を害せるとは思っておらず、また白兵戦で討ち取れる相手でもない。あくまで近接では相手に分がある。
敗北は許される。敗走など幾らでもしよう。しかし死だけは許されない。故にモルガンの最優先目標は撤退だ。勝つか負けるか、一か八かの勝負に訴えていい道理などないのだから。
逆にライダーは今こそが千載一遇の好機だと悟っていた。今のモルガンには自身を討ち取る算段はない、即ち魔女は逃げの一手を打つしかないのである。討てる時に討つ、特に宿敵モルガンだけは。
――だがここで両者は意外な念に駆られた。
モルガンは後退しながら魔槍を、エクスカリバーに似た魔剣の形状へ変形させた。そうして魔剣を振り、得意の転移魔術で以て
これに面食らった。防御力に重きを置いたライダーの甲冑を、一撃で粉砕したその威力。何より斬撃を転移させるという出鱈目な攻撃。魔槍を有していた事から悟ってはいたが、こうまで戦法が違うというのは想定外だった。モルガンもまた驚愕する、アーサー王と直接交戦した事はないとはいえ、自身の戦術は交戦した円卓の騎士から聞いているはず。なのに今の一撃が通った。
ということは――
(――マズい、モルガンが気づいた!)
(――アルトリアめ。
不可抗力とはいえ知られてはいけない相手に背景を知られる一手。
モルガンは嗤い、ライダーは魔女の性質を知る故に即座に愛馬に指示する。
「潰れなさい!」
「跳べ、ドゥン・スタリオン!」
更に下がりながら魔剣を振るい、転移させた斬撃が狙ったのは間桐慎二である。しかし騎士王の愛馬は主人の命令を忠実に守り、モルガンの転移斬撃を跳躍して躱す。一撃を貰いたたらを踏んでいたライダーは足元で魔力を噴射し、無理な体勢のままモルガンに迫った。
「モルガンッ!」
「ッ、なんて不細工な!」
魔力に物を言わせた膂力で薙ぎ払われる聖槍。敵マスターを追撃したら自分が穿たれると判断したモルガンは、魔剣を魔槍へ変形させて振り回し、遠心力を乗せ逆袈裟に振り上げる。
激突する魔槍と聖槍。吹き乱れる衝撃の余波で遠坂邸の庭に設置されていた結界が砕け散る。無理矢理接近してきたライダーに悪態を吐きつつ、モルガンは自身のアドバンテージを理解してこの窮地を脱する策を練り始めた。力任せでありながら、的確にモルガンの魔槍を弾き、反撃としてモルガンの隙を叩くライダーもまた意を決する。
(――モルガンは逃げる気だ。その為に確実に魔術を使う! その隙を――)
(――この
遮二無二に後退しながら、突撃し続けるライダーの聖槍を幾度も弾く。その技倆にはライダーも舌を巻いた。円卓の騎士の内、ベティヴィエールやケイでは返り討ちになるだろう。
よくぞここまで練り上げたものだ。流石は母は違えど血を分けた我が姉。素直に敬意を懐く、不倶戴天とはいえライダーにモルガンへの憎しみはない。しかし――致命的にモルガンとライダーには格差があった。踏んだ場数も、鍛錬に費やした時間も、近接戦闘での勝負勘や才能、性能が違い過ぎる。ライダーの一撃を弾く度にモルガンは苦悶していたのである。
「なんて、馬鹿力……っ! 猪だと予言されるだけの事はある……!」
「負け惜しみをッ! ならば
「くぅぅぅ……っ!」
魔槍を振るう魔女の手が痺れる。馬力が違うのだ。このまま打ち合えば握力を無くし、得物を取り落としてしまうだろう。そうなれば待っているのは死である。
モルガンは腹を決めた。次だ、次の間で退く。タイミングは――
――この時、モルガンは一瞬、目の前に集中した。
――この時、ライダー・アルトリアは感じた。
故に魔女は見落とした。故に騎士王は気づいた。
此処にはアインツベルンの城で赤い弓兵と戦い、その技の一端を得て。後に英雄王と交戦して開花した勝負強さ。どれほど弱ろうと気力の萎えない、狂人に等しい精神力を具えた少年がいた。
彼はライダーを援護する。的確に、正確に、最適の戦術行動を取ったのだ。
衛宮士郎が弓を投影し、番えるはただの矢。しかし強化された矢は防御の薄い魔女の肉を裂くには充分なものである。それを――例えサーヴァント同士の戦闘中であろうと、
「――そこだ!」
「っ……!?」
「――隙を見せたな、妖姫!」
果たして士郎の矢はモルガンの肩に
意識の外からの痛みに体勢を崩し、こうなることを予期していたライダーが踏み込む。
聖槍を一部解放して、穂先から極光を放ちながら振り下ろす。本当は刺突を放ちたいところだったが体勢を整える間が惜しかった。故に、その一撃はモルガンを袈裟に切り裂く結果となる。
「ぁ、ぐっ……!」
重く、鋭い魔力撃。聖槍によるそれは、モルガンに重傷を負わせた。無論、ここで詰めを誤るライダーではない。今のはあくまでも布石、次に繋げる為の前戯だ。振り下ろした聖槍を魔力放出を以てしてカチ上げ、モルガンの脇腹を強打すると空中に打ち上げた。
肋の砕ける感触――殺られる――
――だが、モルガンはサーヴァントだった。
「カタフラクティ、展開。聖槍――抜錨!
最果てより光を放て、其は空を裂き、地を繋ぐ、嵐の錨!」
ライダーが宝具を展開する。
真上に向けた宝具解放、真名を最初から知られている相手だ、出し惜しみなどあるはずもなく。ましてや相手はモルガン、例え他陣営に真名を知られる危険を犯そうとも確実に消滅させるつもりだ。
その間際、激痛と失意、怨敵への憤怒で意識を白熱させていたモルガンは確かに聞いた。
(――モルガン、どこにいるんだ? なんだか嫌に令呪が痛むぞ……)
それはモルガンの魔術で眠らされていた彼女のマスター、静希草十郎からの念話だ。
令呪にはマスター、そしてサーヴァント、双方の危機を伝える機能がある。令呪が発する痛みで魔術が解け、草十郎は目を覚ましたのである。
異聞聖杯により基本的な知識を得ている故に、サーヴァントとマスター間のパスを通じての念話ぐらいはできる。故に痛みの原因がわからない草十郎は、姿の見えないモルガンに理由を訊ねた。
それがモルガンを救った。モルガンは目を見開き、必死に請う。
(ソージューロー……! 令呪を! 令呪で私に帰ってきてって――)
帰る。……どこへ? 束の間、モルガンは忘我した。
帰ってきてと……そう願ってくれた人なんて、今までどこにもいなかった。
どこに居ても、どこに行っても疎まれた。
誰も彼もが居なくなれ、死んでしまえと呪って。
嫌われて、死ね、死ね、死ねって……。
(? 分かった。モルガン、帰ってきてくれ)
「……ぁ、」
瞬間、令呪の強制力が働くのを知覚した。
それがどうしてか、とても強い安堵をモルガンに与える。
「
今こそ放たんとした真名を中断した。ライダーは魔女の姿が忽然と消えるのを見たのだ。
魔術を使う隙など与えなかった。であれば今のは……マスターの令呪しか考えられない。
「クッ……」
逃がした。千載一遇の好機を無にしてしまった。
ライダーは歯噛みする。ここでモルガンを倒せなかった事は後々に響いてくるだろう。
この先モルガンは直接対決をしてこない。その機会があるとしたら、それはモルガン側が勝算を立てた時だけだろう。そうなればライダーは苦境に立たされる事になる。経験上、絶体絶命の危機になるのは想像に難くなかった。危機を避けるにはこちら側から仕掛け、有無を言わさず倒すしかないが……そう甘い相手だったら、騎士王はブリテンであんなに苦悩させられる事もなかった。
「セイバー!」
「よくやってくれたわ、助かったわよセイバー」
駆け寄ってくる士郎と凛に振り返り、ライダーは苦笑する。
過ぎたことは仕方ない。今は彼らの状況を聞き、どのような戦略を取るのか話し合おう。
だがその前に――
「シロウ、リン。私はセイバーではありません。此度はライダーとして現界しました」
彼らからの呼び名を訂正する。
ライダーは後の不安に悩むことなく、今の足場の確かさに思いを馳せる。
嫌な予感はするのに、不思議と緊張していなかった。
† † † † † † † †
「ソージューロー……」
令呪によって草十郎のいるホテルの一室に転移してきた魔女は、見るも無慙な有様だった。
左肩に矢傷があり、袈裟に切り裂かれ、血塗れだ。右脇腹は陥没している。右半身の肋骨は全損し、人間だったらショック死してしまっていただろう。
余りの惨状に草十郎が驚くのに、魔女は構わず抱擁した。
「も、モルガン……?」
「……ありがとうございます。助かりました。貴方が居てくれて、ほんとうによかった……」
「……危ないところだったんだな。俺が寝てる内に無茶をしたんだろう」
「はい……」
絶世の美女からの抱擁とはいえ、血の臭いが酷いと流石に心配な気持ちの方が勝る。
草十郎はモルガンを引き剥がして、その両肩に――傷を避けて――手を置き目を合わせた。
「余り心配させないでくれ。俺は嫌だぞ。俺が知らない所で、勝手にモルガンが死ぬのは」
「……はい。すみませんでした」
――モルガンがサーヴァントだから。草十郎がマスターだから。この戦いが重大なものだから。
だから、こんなにも優しい言葉を掛けてくれている。そんなことは分かっている。
だが、それでも、嬉しい言葉だった。
だって……草十郎の言葉は、心の声と重なっている。嘘が、ない。
心地よかった。たまらなく、うれしかった。
しおらしいモルガンに、草十郎は気が抜けたらしい。短く嘆息して手を離した草十郎は、なんともいたたまれない気持ちになって頬を掻く。
(ソージューロー。こんな私を助けてくれて、ありがとう……例えサーヴァントとマスターという関係がそうさせたに過ぎないのだとしても、この事は決して忘れません。……本当に、なぜでしょうね。私は今とても……とても嬉しいと思っています……)
帰ってこいと言ってもらえた。
当たり前の判断だったのに、なんでこんなに嬉しいのか。
……分かっていた。本当は理由なんて分かっているのだ。
駒しか自分の近くにはなく、それ以外は全て敵だった。だというのに、こんな所で、無条件に自分の味方になってくれる存在と出会えた。それが嬉しくて堪らないのだろう。
繰り返すが、あくまでモルガンと草十郎はサーヴァントとマスターでしかない。だがその関係が、途方もなく得難い宝物である気がしてくる。
所在なさげに視線を彷徨わせるマスターに、サーヴァントは微笑んだ。そして、
(――アルトリア。次は、ありません。私のマスターに……もう二度と、こんな醜態を晒す事は有り得ないのですから)
魔女は、改めて誓った。宿敵との戦いに、必ず勝つ事を。
(――アレがライダーなら、誘うまでもない。向こうから勝手にやってくる。傷は表面だけ癒やしておきましょう。それで充分です)
策は成る。絶対に成就させる。この異聞聖杯戦争を征するのは、自分達だ。
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鬼門
やっぱりサーヴァントってすごい。ぼくは改めてそう思った。
『突然如何なされた』
遠い目をして呟いた声が聞こえたのか、霊体化して一歩後ろに付いて来ているセイバーが怪訝そうに訊ねてくる。それに岸波白野は苦笑いして、「なんでもない」と短く返した。
白野は留置所から出ていた。ランサーと交戦して撤退したセイバーが迎えに来て、留置所の壁を斬り破り白野を外に出してくれたのだ。……鉄格子ではなく、壁である。そろそろ精神科医が来るか、違法薬物検査をされそうなところだったから助かったが、やはり凄い。『凄い』を連呼すると貧弱なボキャブラリーが露呈してしまいそうだが、とにかく凄いとしか言い様がなかった。
――何はともあれ、白野は方針を固めた。
今後この方針が転換される事はない。
多分。
きっと。
恐らく。
制服は流石に目立つので、セイバーに衣料品店から服を掻っ払って来て貰いそれを着ている。適当なジャケットとジーンズという姿だ。人混みに紛れたら埋没してしまうだろう。没個性万歳だ。
今後雨風を凌ぐのにはラブホを使おうと思っている。金銭に関しても服と同じようにセイバーに調達して貰った。現地の人達には迷惑を掛けて申し訳ないが、こちとら生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。大目に見てくださいよ、戦略的な意味でなんでもしますから!
一応セイバーが反発しないか心配ではあった。が、戦時の略奪は至極当然の戦術だと言って、特に不満もなさそうだったから気にしない事にしていた。
留置所での静かな時間は実に有意義だった。落ち着いて心の整理ができた上に、色々と考察する必要があった事柄にも答えを見い出せた。自分一人だけで考えたに過ぎないが、当たらずと雖も遠からぬ答えのはずだと思う。そこに関してはもう疑う余地はないと考えていた。
「マスターも落ち着かれたであろう。そろそろ貴殿の真意を明かして貰いたいものですな」
「ああ……ランサーと戦う前に、とにかく目立てって言った事かな」
「然り」
ラブホに一人で入って、コンビニで購入した弁当を食べる。ペットボトルの水を飲んで一息吐くとセイバーが当然の質問をして来た。
彼は突然の指示にも忠実に従ってくれたが、疑問には思っていたのだろう。無二の相方と認識をすり合わせ、今後の立ち回りを検討する為にも元々話すつもりでいた。白野は空になった弁当箱をビニール袋に詰めてその口を縛り、ベッドに腰掛けたまま虚空を見る。
視線はセイバーに向けない。目と目を合わせて話すには、ちょっとセイバーさんの目力が強すぎて腰が引ける。おじいちゃん怖いよ、とはなかなか言いづらいものがあった。
冗談とか通じるのだろうか、この武士様は。怖いもの見たさでジョークを口にしてもいいが、流石にそんな悪ふざけをしていい空気でもない。白野は真面目腐って言葉を選んだ。
「特に深い意味はないさ。アレはね、アサシンやキャスター辺りなら情報を重視するだろうし、多分だけど弓兵あたりも含めて見ていたはずだから、あわよくば誰かにセイバーを尾行して貰って、俺の居場所を突き止めてくれないかなと思っただけなんだ」
「……ふむ。意図が読めませんな。それはどのような腹積もりで?」
「アサシンは論外。アーチャーは怖い。その二つは無しとしても、キャスター辺りとは是非とも接触したいと思ってる。結論から言うと、よその陣営と同盟を組みたいんだ、俺は」
「――無礼を承知で申し上げるが、正気ですかな?」
実体化したセイバーは立ったまま、胡乱な目で己がマスターを見た。
しかし白野はそちらを見ない。自身の考えを出す為に、己を見つめ直している。
セイバーが辛辣に反駁した理由は分かる。どうあれ勝者は一組だけなのだ。であれば生き残るのも一組だけであり、他陣営は全て例外なく敵である。生きるか死ぬかの二者択一なのだ、同盟の余地はないと見做してしまう気持ちは理解できた。――だがそれは、あくまでこの異聞聖杯戦争の定石、常識の類い。白野はそこに囚われていなかった。
故に、白野は言う。
「正気だよ。これも先に言っておくけど、セイバーにはもしかしたら、
「――――」
正気じゃない。それは狂気の沙汰だ。意味が分からない。謀略家であり、剣の天才たる剣聖であり、先見の明に長けた柳生宗矩をして岸波白野という主君の考えがまるで理解できなかった。
だがセイバーは、今生での己の主君が、いたって真剣に、正気のまま、理性と智略、戦略を以て話していると感じている。――セイバーは悟った。もしや己がマスターは彼の竹中半兵衛、あるいは毛利元就にも比肩するか――或いは両雄すらも超える策謀家やも知れぬ、と。
えもいえぬ凄みが白野にはあるのだ。平和な時代の日本人には有り得ない、戦国の世の古豪に似通った肝の太さがある。セイバーは己の鑑定眼を信じて、ひとまず話を聞く事にした。
セイバーは我知らず、笑みを浮かべていたのだ。とんでもないマスターに召喚されたのだという予感が、彼ほどの剣聖をして昂りを覚えさせている。
「最初、俺は勝つための作戦を考えた。――で、冬木から逃げようかなと思った。そうすれば事の重大さを理解して真面目に戦う連中ほど、出て来ない奴は穴熊を決め込んでると判断するだろうからね。そうすれば安全地帯で最後まで生き残れる。いわゆる戦略的撤退という奴だ。幸いセイバーは俺でも魔力供給できる程度には燃費がいい、それをしたらまず終盤までは生き残れるだろう」
――それは。意図せずしてとあるマスターの戦術を取り沙汰した言葉だ。
だが白野は辛辣に断じる。
「――だけどそれだと駄目だ。仮にそんな事をした奴がいたとしても、俺でも対処する策がザッと三通りは思いつく。いや策すらいらない。その戦術だと致命的に詰むからな。手に入れられるのはシード権だけだし、それだけだと他の利点を捨てた事への損益が釣り合わない。セイバーは何故か分かるか?」
「愚問ですな。此度の聖杯戦争、仮に冬木からの撤退が他の者の発想になかったにしても、既にマスターの策により戦略的撤退は無意味となっております。――市街であのように目立つ戦闘をした。これだけで潰せたと言っても過言ではありますまい」
「うん。俺がセイバーに目立たせた以上、他の陣営に目立つつもりがなかったとしても、
「現地の者らが……魔術師共が神秘の漏洩を抑える為に出張って来ますな」
「そう。終盤まで穴熊を決め込んでも、出てきた頃には街中は攻撃できない現地の魔術師で溢れ返ってる。そうなると早い段階で対処してる他の陣営の方が有利になるはずだ。冬木から出ないとアサシンやキャスターの索敵から逃れられないだろうから、シード権を得ようとする奴なら冬木から出ているはずで、そうなると戦場の状況を何も知る事ができないだろうね」
「冬木から逃れているのが、そのアサシンやキャスターである可能性は?」
「それこそ愚問だ。戦闘力に劣るアサシンのクラスが、他のサーヴァントを倒せる可能性は低い。最後に残って一騎打ちをしても勝率が低いなら、冬木から出るなんて選択肢は有り得ない。敵と敵をぶつけての漁夫の利を狙うのがアサシンにとってのベストだ。キャスターにしたって同じ事だよ。最後までキャスターが逃げ隠れしていたら、即席の場当たり戦法で他のサーヴァントと戦わないといけなくなる。そんな事は避けたいだろう? だから俺はセイバーを目立たせたんだ。戦略的撤退をするような奴がいたとして、計算し辛いソイツの勝率を零にする為に。そしてキャスターあたりに俺を見つけてもらう為に」
なるほど、とセイバーは頷く。頷いてはみたが、実のところそこまでは読めていた。白野の言う策なら確かにイレギュラーは潰せる。自身の盤面を外から俯瞰して、されたら嫌な事から潰したのは理解できる話だ。だがキャスターに見つけてもらう? 自分には最悪自害してもらうだと? 明確な論拠があるなら一考の価値はあるだろうが……果たして納得させてもらえるのだろうか?
白野が水で口を潤す。
「……話は変わるけど、セイバーは聖杯戦争の運営は信頼できると思う?」
セイバーは首肯した。
「無論。星の意思なるモノ、尋常ならざる力の持ち主でありますれば、此度の儀にて一切の虚飾は介在しておりますまい。星の意思は強大故に、我らが如き塵芥を謀る理由がないのです。故に星の意思は誠実であり、その言葉は十割信頼できるかと」
「……そっか。なら、やっぱり決まってるな。一から説明するよ。セイバーに納得してもらえないと、俺には何もできないからね」
「お頼み申す」
白野は腹を割る。元々隠すつもりもない。その意味がない。即席の主従なのだ、言葉なくして認識を共有することはできなかった。信頼関係を構築するには時間が足りなさ過ぎる。
仲を深めるよりも、考えて動かないと、いざという時に詰むのだ。合理的にいくしかない。特に自身が貧弱である白野は。
「おかしいと思わないか? なんで異聞聖杯戦争が開催されるまで、俺達マスターに異聞聖杯戦争に関する知識がなかったのか。……まあ俺にはそもそもの記憶がないんだけど、素人には暗示を掛けて意識を聖杯戦争に向けさせるってやり口を見るに、俺含めて全員に事前知識はないはずだ。普通、世界の命運を賭けた戦いがあるなら周知徹底して、対策を講じる為にも各々の世界で相応の教育がされていてしかるべきだろ?」
「それはそうですな。恐らく他のマスターも疑問には思っておるでしょう」
「うん。そして多分全員が遅かれ早かれ気づく。――最初の異聞聖杯戦争に勝利した奴の願いが関係してるんじゃないかって。そうなると想像できる願いは二つだ。『異聞聖杯戦争の開催地を自分の世界にする事』と『参加した全ての生存者と、関係した人間全てから、異聞聖杯戦争に纏わる記憶を消す事』だろう。もちろん自分の世界の人間に関しては対象外にして。そうしたら、後は自分の世界の人間だけが情報という大きなアドバンテージを得られるからね」
聖杯が叶える願いは、何も一つだけと限定されているわけではないのだ。恐らく聖杯に焚べられたサーヴァントの魂の分、獲得したリソース分だけ願いを叶えられる。
となるとカルナやヘラクレスのような大英雄が焚べられた聖杯があったとしたら――それは他の聖杯よりも、願いの出力が強くなっている事だろう。それは想像するに容易いことだった。過去の勝者のほとんどが、自身の保身、身内の保身ばかりを願ったという話だが、中には例外もいたと聞く。その例外が現状を招いているとしか思えない。そして、
「けど二回目の勝者も同じ事か、もしくは似たような事を願ったんだろう。そのせいで願いが上書きされたのかもしれない。確かサーヴァント一騎の魂は数千人から一万人ぐらいの人の魂に匹敵するんだよな? なら仮に2018回異聞聖杯戦争をしたとしても、そこに参加した全てのマスターや関係者から記憶を消すぐらい簡単なはずだ。……そうした事が何度か繰り返されたら願いが重複して、なんらかのバランスが崩れるなりする。そうなったら流石に運営も手を講じて、参加者の条件を対等にする為に、そうした類いの願いを棄却するようになった可能性が高い。その上で『全マスターと、それに関係した人間の記憶から、異聞聖杯戦争に関する記憶・記録は消去する』という状態がデフォルトになったのかも、だ」
仮に初回の異聞聖杯戦争を勝ち残った者が、元の世界で危機を訴えた処で、時代背景的に情報の発信が難しく、情報を広めるのは更に難しかったはずだ。何せ初回の異聞聖杯戦争は西暦元年である。
仮に神霊の耳に話が届いても、真に受けてくれるかはまた別問題であるし、人と精神構造の違う神霊がまともに取り合うかどうかも不明である。少なくとも今現在の状況から察するに、神霊に話が届く前に『願いの上書き』による記憶の喪失を経て、情報は広まらなかったか……一部の神霊には届いたが人の生存など知ったことかと捨て置かれたのだろう。
「真面目に、そうとしか考えられない。……それをルールを開示する時に伏せてるのはちょっとどうかと思うけど、ガイアって奴は最低限度の義理は通してるんじゃないかとは思うね」
「……ゲームバランスの調整という奴ですな」
「そう。運営のガイアは有用なデータって奴がほしい。それが主題で、主目的だ。それに差し障るようなら調整するだろう? もしも俺がデバッガーなら、正規プログラムのクオリティを上げる為に同じことをする。となると俺が考えてる願い、『俺の世界に異聞聖杯戦争とそれに類する情報を周知させ、各国の上層部を一致団結させて真剣に対策を講じさせる』というのは棄却される可能性が高いってことだ。とっても嘆かわしいことにね」
白野は苦笑いを深める。
もしこの予想が当たっているなら、白野もまた勝利する以外に道はないことになるのだ。
ここまでは、ちょっと考えたら誰でも辿り着く答えだろう。その上で全員が『それなら仕方ない』と切り替えて、何らかの妥協策を考えているはずだ。もしくは自分のことしか考えていない奴もいるかもしれない。そこから先はもうどうでもいい範囲である。考えるだけ無駄だ。
故に――岸波白野の案は一歩先に踏み込んだものである。
「で。ここから先が本題。俺はこの異聞聖杯戦争で、必ずしも勝つ必要はないと思ってる」
「……その心は?」
「――単純計算で七分の一の確率でしか得られない勝者の権利、そこに
利。つまり、計算の話をしている。
相手の人となりも分からず、まともに話し合いもできそうにない以上、情に訴えかけても効果は期待できない。故に純粋な利益を追求し、同盟を組もうと言うのだ。
だがどうやって? 生半可な利では、一蹴されておしまいだろう。セイバーは愉快な気持ちになって、マスターとの対話を楽しみながら反駁した。――では、マスター。貴殿の説く利とは? と。
「それは――――だ」
「くっ……」
セイバーは大口を上げて呵々大笑した。あんまりにもあんまりで、愉快な発想に、彼は手を打ち鳴らす。そうして彼は決めた、今生の主の命とあらば、この腹、見事に縦へ横へと割ってみせよう、と。
介錯はもちろん、マスターにしてもらう。
† † † † † † † †
『錬鉄の英雄』は、揺るがぬ鉄の心のまま策を練っていた。
セイバー、ランサー、
最後の座のみ、要警戒だ。戦力的な意味ではなく、未知数故の警戒である。
顔の割れている対ランサー戦を想定した場合、勝ち筋となるのは『如何にしてランサーをマスターから引き剥がすか』に掛かっている。ランサーは恐らく今回最強のサーヴァントだ、幾ら投影での反動がないとはいえ、正面対決で勝てると自惚れてはいない。
バゼットが一人になれば、サーヴァントとしての力を抜きにしても完封できる。戦闘技術は脅威的だが、それでもエミヤシロウは今のバゼットより数倍強い未来のバゼットを知っているのだ。手札が完全に割れていることもあり、負ける事はほぼない。そこにサーヴァントの力も加算されている今なら、打ち倒すのに十秒もあれば充分だと結論付けられる。
ランサーが他のサーヴァントと交戦に入った隙に、バゼットに奇襲を仕掛ける。エミヤの切り札は固有結界だ、それを発動せず強力な宝具の投影のみに徹すれば勝てる。理想的な対決のタイミングは、ランサー陣営を中盤辺りで脱落させる事だ。それまでにランサー陣営との対決に邪魔になりそうなライダー、エクストラクラスを始末しておきたい。
――という案は破棄する。
エミヤは自身に出来る範囲の仕事というものを弁えていた。全陣営を自分だけで倒さないといけないわけではない、ならば無理を押して強敵と戦う必要はないのだ。
幸いにも敵マスター全員の顔は割れている。
バゼット、岸波白野、間桐慎二、そして衛宮切嗣。後は名前も知らない少年が二人だ。これだけ分かれば充分である。
簡単な仕事だった。たった一人を殺すだけで、自分の世界を有利にできるかもしれないだなんて、破格の好条件であるとすら言える。本音を言えば他六つの世界も救いたいが……自分の器を弁えているからこそ諦めた。世界一つですら手に余るというのに、他にまで手を伸ばして自分の世界を取りこぼしたのでは笑うに笑えない。
「――
密やかに呟き、じっくり時間を掛けて
普段の自分ならコストパフォーマンス的に螺旋剣を使うが、デミ・サーヴァント化して投影の反動がない今の状態なら呪いの朱槍を使う。これを矢の形状に変形させ、槍弾として放つ。真名を設定、
何時間も掛けて投影宝具の設定を行い、それを終えたエミヤは投影宝具の魔力をカットし幻想に還した。一度設定さえすれば、後は任意のタイミングで投影し直せばいいだけだった。
エミヤは今、下水道に居た。
彼は世界の異常に敏感である。魔術としての固有結界の使い手だからだろう。故に現状、エミヤだけが気づいていた。
故にキャスターと思しき者の領域外に仮初の拠点を見繕った。新都にいればアサシン以外、常に神殿の主に居場所を特定されるだろうと判断したからだ。
エミヤはそこで、必勝の策を練っている。弓兵のサーヴァントとして、ではない。人間エミヤシロウとして、だ。故に、彼の培った真なる心眼は一つの必勝の策を見い出している。
「――令呪を以て、我が肉体に命じる――」
エミヤは条件を満たした瞬間に自動で令呪が発動する仕組みを組んだ。
「――重ねて命じる――」
二画。二画もの令呪を、彼は一度に使った。
敵との交戦の最中ではなく、自身の策を確実に的中させる為に。
エミヤは運が悪い。彼は自らの不運を自覚していた。だが――エミヤはその生涯に於いて、ただの一度の敗北もせず、ただの一度も敗走していない。常に勝ち続けたのだ。それは何故か。
単に、運などで左右されない戦上手だったからである。
冬木の聖杯戦争以後、エミヤの戦場に偶然はない。全て必然しかなかった。
皮肉な事に、剣の才能は並であっても――理想に反して殺し合い、戦闘を自身が有利に運ぶ才能だけなら、エミヤは英雄と称されるに足る天才だったのである。でなければ、たったの三十代で、鍛錬の末に開眼する心眼スキルを得られはしなかっただろう。本当に凡人だったなら、百年近い生涯を弛まぬ鍛錬に費やしても、エミヤの境地に辿り着けはしないのだから。
「………」
今次異聞聖杯戦争中、
彼の戦績に敗北はない。今までも、そしてこれからも。
例え他の世界を殺し尽くす事になっても――アラヤの守護者は止まらない。
ガイアくんからのアナウンス。開示可能情報。
・戦略最優、セイバー陣営。
岸波白野の戦略と戦術は王道。実は藤丸立香の天敵。同時に藤丸立香が早期に打珍したら協力してくれて、最大の味方になりえた人。そうなったら勝ち確だった。そうなったら(大事な事だから二度云々)
ホームズがその推理力の全てを、戦略戦術に全振りしたようなものと言えばヤバさは伝わるだろうか。
・戦術最悪、アーチャー陣営。
切嗣を超える錬鉄の英雄クオリティ。戦略、戦術、双方で岸波白野には譲るが、最悪さ、凶悪さで上回っている。
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静寂の二日目
蜘蛛の巣
「――するとキャスターの真名は
笑顔で訊ねる遠坂凛の背後には、隠し切れぬ怒りの炎が燃え上がっていた。
若干引き気味に、ライダーは応じる。
「はい。別の歴史を経ている為か、私の知るモルガンとの差異はあります。ですが、彼女は間違いなく妖姫モルガンです。槍を持っていたのではじめはランサーかとも思いましたが……」
「さっきも言ったけど、ランサーは俺達の知ってる奴だぞ、セイバー……あ、いや……すまん、今はライダーだったな」
「いえ……アイルランドの光の御子ですか。知名度補正のない此度の聖杯戦争でなら、あのヘラクレスと並ぶ霊格を取り戻しているでしょうね。ランサーとして光の御子がいるなら、やはりモルガンがキャスターだと考えるのが妥当でしょう」
ライダーの勘違いを訂正したのは、彼らが今居る屋敷の主、衛宮士郎だ。士郎と凛、そして桜。これだけならいつぞやの面子だが、そこには現マスターである慎二とその祖父、間桐臓硯もいた。
臓硯は無言である。離れた位置に座り、黙って若人達の話を聞いていた。不気味な妖怪だが、対モルガンでは有効な存在であるのは分かっている為、追い出したくても追い出せない。慎二も慎二だ。彼はテーブルに頬杖をついて、よそごとを考えている。
彼は「遠坂をマスターとして扱ってくれよ。僕はただの令呪発動係になるから」と言ったきり精神的に距離を置かれていた。臓硯の手で魔力のパスが凛に移っている為、心置きなく戦えるが……またしても変則的な主従になった事にライダーは複雑な心境だった。
理解できる体制なので納得はしているのだが、どうにも腑に落ちない。
そんなライダーの心境を横に、魔女の真名を聞いた凛はふるふると肩を震えさせ、俯いた。
魔術師としての力量の差を感じているせいで、怯えているのだろうか――なんて心配をするライダーではない。何せこの少女は遠坂凛なのだ、恐怖ではなく怒りが彼女を燃えさせているのだろう。
ライダーの予想は、果たして当たった。
「ふふふ……いったいどうしてくれようかしら……」
「……落ち着けよ、遠坂」
「これが落ち着いてられるかぁ! アイツのせいで私は大損よ! 私の家の防衛設備は工房以外全滅してんのよ!? どれだけのお金が掛かってると思ってんのよ!? 誰が補填すんの!? 私!? ざっけんなぁ!」
テーブルを叩き、立ち上がって吼える凛に、士郎とライダーは目を見合わせて苦笑する。
怒りの種類が真っ先にそちらへ向くあたり、流石、と言うべきだろうか。
なんだか懐かしくも感じるこの空気は、マスターには悪いがやはり居心地がいい。
凛も叫んだら落ち着いたのか、フー、フー、と息を荒げつつ腰を下ろした。
「……で、これからどうすんのよ? モルガンほどの魔女ならあの時、私達を殺そうと思えば殺せたはず。あの場面で私達を殺さない理由なんてないし、慎二の言った通り私達を害せないってのは確かなんだろうけど……だからって無策で挑むのは馬鹿のすることだわ」
「ああ。死人が出ないって保障があるのは良い。けど魂喰いはしてくる、油断はできないな。対策しないと近づくだけで俺達はほとんど無力化されるぞ」
「そうね。さっきのアレのおかげで、私達はモルガン相手に何もできないって事は分かったわ。魔力を吸い取るなんて大魔術を即席で使ってくるんだもの。私はお手上げだし、投影を見せちゃった衛宮くんにも次からは警戒してくるはずだから、正直アテにはできないわね。……やっぱりセイバー――じゃなかった、ライダー頼みになっちゃうのかしら」
「俺達に出来る事は、いざという時ライダーの盾になるぐらいだな」
「アンタね……いや、それで正解なんだっけ?」
さらりと士郎が言うのに凛は苦言を呈そうとするも、ルールを思い出してそれはそれで有りなのだと思い直した。
ライダーは苦笑を深める……思い出すのは第五次聖杯戦争のバーサーカー・ヘラクレスとの初戦、危険なのにアーチャーの狙撃の範囲内から自分を連れ出した姿だ。あれを見ると、士郎は躊躇なく自分の盾になりに来そうで、気持ちは嬉しいもののなんとも言えない気分になる。
現地人である士郎を攻撃するのはルール違反だ。ルールの抜け穴で、魔力吸収の魂喰いは通るのだが、それでも殺したり、魔力吸収以外の攻撃は当てた時点でアウトである。ルール違反を犯したら問答無用で脱落させられる為、現地人を盾にするという判断は正しい。
が、騎士としてそんな真似はしたくない。個人的な信念を優先している場合でもないため、ライダーとしては止められないが……マスターである慎二も止める気がないらしい。
「――どうでもいいけどさ。衛宮の事なんかより、僕の事をどうするか考えてくれよ。僕は足手まといにしかならないんだぜ? 僕がいたらライダーは本気で戦えない、だから裏に引き籠もってるしかないわけなんだけど……その肝心の拠点が使えないんじゃどうしようもないじゃんか。遠坂がキャスターに尾行されてたせいで、絶対僕の家も場所が割れてるぜ」
「う……それは……そうだけど。衛宮くんの家は防衛に向かないし……」
「そうだな……それなら慎二にはいっそ、冬木から出て行ってもらうってのはどうだ? それでほとぼりが冷めるまで大人しくしていてもらったらいい」
「それよ!」
「それじゃないよ。衛宮にしてはいい案だけど、それは無しだ」
手を打ち鳴らした凛に、呆れたような一瞥を向けつつ、慎二は嘆息する。
「まず第一に、冬木を出るまでに襲われない保障は? 第二に、敵が追って来たらどうすんの? 第三に、そもそも依り代の僕が冬木から出て、ライダーは十全の戦力を発揮できんのかよ? 離れるにしたって限度があるだろ、常識的に考えてさ。流石に市外まで出たらライダーの現界に差し障ると思うんだけど……そこんとこどうなんだよ、ライダー」
「……私に単独行動スキルがあればどうとでもなるでしょう。ですが、流石に市外まで出られると、私も現界を保つのは難しいでしょうね。サーヴァントとはあくまで使い魔、マスターという依り代がいてはじめてこの時代に存在できるモノですから……」
「ほら見ろ……衛宮はともかく、御三家の遠坂がそこを忘れてるとか大丈夫なのか? 頼むからしっかりしてくれよ……なんか不安になっちゃったじゃん」
「うぐっ……し、仕方ないでしょ!? 私のサーヴァントはアーチャーだったんだから! ちょっとド忘れしてただけだっての! ……あーもう、調子狂うわね。慎二に指摘されるまで忘れてたとか、本気で落ち込んじゃいそうよ」
「は、知識だけならそこそこあるんだ、舐めないで貰いたいね。これを機に僕に対する認識を改め……待った。アーチャー、だって?」
「え? アーチャーがどうかした?」
「……なぁ、遠坂。お前、アーチャーのマスターなら、ソイツの真名知ってるよな。教えろよ」
「な、なんでよ……?」
唐突に何事かを思い出したような顔をする慎二に、凛はぎくりと身を強張らせて士郎を横目に見た。ライダーも複雑そうな目を向ける。とうの士郎は座りが悪そうな、いたたまれない顔をしていた。
慎二は嫌な予感を覚えつつ、思い出したことを報告した。情報の共有は基本中の基本だ、特に実際の戦闘では役立たずの自分が役立てる場所なら、積極的に発言するつもりだったのもある。
「……僕が最初どこにいて、異聞聖杯戦争に関して説明を受けたかって話はしたよな? そこにいたんだよ……マスターとして、アーチャーが」
「……………え? ……………うそ」
「嘘なもんか。だからソイツの素性が知りたいんだよ。知ってるなら対策ぐらいは打てるだろ? 英霊になるような奴がマスターとか反則もいいとこなんだし、対策を打たないなんて……まさか」
場の微妙な空気に、慎二は察した。
凛と、ライダーの視線が士郎に向いている。
……マスターとして召集された七人。面子は服装を見るに、中東っぽい服装のアーチャー以外は生きてる時代が近いのが一目瞭然だった。となると生前のアーチャーだけが例外とは考えづらく、奴もまた同時代の人間と見てまず間違いないだろう。
こんな現代で、英霊になるような奴……背丈も、肌の色も違うが……よく思い出してみたら、顔はよく似ている奴がいる……奴は宝具を投影していた、慎二の知る奴もアーチャーと同じ双剣を投影していた……まさか、本当に? 馬鹿みたいな話だ、そんな事が現実に有り得るのか? こんなお人好しのバカが英霊になんて……いや、ヒーローという意味ならお似合いかもだが……。
「慎二……なんか、察しちゃったみたいだから言うけど……」
「………」
「アーチャーって、そこで難しい顔してる、衛宮くんの未来の姿なのよ」
それを聞いた瞬間、慎二は愕然とした。
色々と思うこと、感じることは、ある。だがそれらを抜きにしても、未来の衛宮士郎が敵だということは、慎二にとって考え得る限り最悪の結末を想像させられるものだったのだ。
故に、慎二は訊ねる。「アーチャーの能力と、宝具はなんだよ」と。間桐臓硯がいるせいか、話すのを渋る凛に慎二は嘆息する。
「……言いたくないなら後でもいいけどさ。普通に考えてヤバいだろ。だってアイツが衛宮だったら、
「ぁ……」
「……隠れるとこ、なんとかしないと詰むじゃん。……桜! 飯作ってる場合じゃない! こっちに来てお前も知恵出せよ!」
やっと状況を理解したのか、青褪める凛を尻目に台所に慎二が怒鳴る。
凛も理解しているのだろう、アーチャーなら――生きている人間のエミヤシロウなら。
その
彼女は、理解していた。
士郎も。ライダーも。
エミヤなら、きっと此処に来ると、悟った。
† † † † † † † †
嫌に、時間の流れが早い。
――弛んでるんじゃないか?
そんなはずはない。過去一番と言っていいほど緊張している。
――視野が狭くなっているんだろう。
それも、ない。緊張しているからって、萎縮して自身の性能を落とす愚は犯さないさ。常に周囲に気を配り、一つの策に拘泥していないか、環境が変化していないかを気にかけている。
――手元が疎かになっていないか? 暗躍が僕らの専売特許だとは思わないことだ。
バカにするな。キャスターは策を練るだろう、アーチャーはマスターから離れ、単独で潜み一撃必殺の狙撃を目論んでいるかもしれない。現地のマスターは地の利を活かそうとするだろうし、ランサーはどの陣営と戦っても勝利できるだけの力がある。侮れる敵は一人もいない、こちらの想定を超える敵が出て来ることは百も承知だ。僕らが一番弱いと弁えている。
――
構わない。僕が死んでもアサシンは単独行動スキルで一週間は活動できる。その一週間以内にお前が勝てば、僕の勝ちだ。僕の生死に関わりなく、勝つ為の準備と策を練る。
――死を前提にした捨て身は、躱されたらそれまでだ。アンタが死ねば、僕の勝率は更に下がるんだぞ。僕らが敗北する要因は理解しているのか?
愚問だ。僕らの居場所を特定される事、敵サーヴァントと一対一で交戦してしまう事、
――そんなこと、少し頭の回る奴がいたら簡単に読まれる手だ。本当にそれでいいのか?
これでいい。読まれていようと、僕に出来るやり方はこれだけだ。よそ見をせず、自らの武器の使いどころを間違わなければ勝てる。
――油断している魔術師の思考だな、僕にとって格好のカモがしている思考そのものだぞ。
……。
――勝てるわけがない。僕らの勝機は限りなく零に近い事をもう一度思い出せ。敵と敵を争わせての漁夫の利を狙う……こんな運頼みの戦いは衛宮切嗣らしくない。定石や希望的観測に縋っている時点で『魔術師殺し』失格だ。もう一度聞くぞ、衛宮切嗣。いいのか、それで。
……良くはない。状況は最悪だ。盤面は今、膠着状態に陥っている。ああ、全く以て最悪だ。
――打開策は?
ない。
――運頼みで都合よく事が進むのを待つのか?
待つ。ああ、待つとも。やる事は決まっている、事態が動くタイミングも分かっている。
――なら、
アサシンと切嗣は別行動をしていた。切嗣は常に潜伏し、表舞台に立つ気はないが、それでも探知能力に優れた敵に見つかる可能性は常にある。見つかったら終わりだ、既に捕捉され泳がされているだけという状況下に在っても、こちらがそれに気づいてないなら詰みである。
切嗣が掴み得る勝機は一つしかない。ならばそれに向けて邁進するのみ。だからと言ってそれに拘るつもりもなかった。戦況次第で勝機の数、道筋は変化する。状況は流動的なもので、視野を狭めて一つの事柄に集中すれば、致命的な失態を晒すことになるだろう。
(……確実に信頼できる点は、たったの二つ。一つがアサシンの隠密能力だ。本気で隠れているアサシンは誰にも見つからない。もう一つが……僕だ。隠れ潜んでいる僕を見つける事は、少なくともマスターには不可能だ)
今の切嗣は深山町の民家に潜んでいる。家族旅行にでも出掛けているのか、運良く見つけられた拠点だ。ここから切嗣は動くつもりは今のところない。状況次第だ。
(
今の装備では、一度の戦闘でキャリコは使い切ってしまう。そうなると後は起源弾を撃てるコンテンダーと、手榴弾、ナイフしかなくなる。こんな装備で何度も戦えるとは思えない。
やはり一度だ。切嗣が戦えるのは、一度きり。その一度だけの戦闘に留め、後は逃げ隠れするしかないだろう。となると切嗣の勝利への道筋は、如何にして盤面を把握し続け、的確な判断を下せるかに掛かっている。つまりアサシンに
(――初日は終わり、二日目。だがアサシンはセイバーとランサー以外発見できていない。遠坂邸に向かわせはしたが、戦闘の痕跡があるだけでもぬけの殻になっていた。間桐邸もだ。二日目はどの陣営にも動きはない。もうすぐ日付が変わる、三日目から盤面が混乱するのは、馬鹿でもない限り察しがついているはずだ。混戦になりかねない状況だというのに誰も動かないのは……)
切嗣は元々第四次聖杯戦争に参加する直前だった事もあり、冬木の御三家、遠坂と間桐の拠点の所在地は調べていた。そしてこの聖杯戦争で現地マスターが頼った場合、厄介なことになると判断して注意は向けていたが、その二つが無人の館になっている。
現地のマスターが説得し、両家を動かした証拠だ。どうやら地の利を取られたらしい。
まあそれはいいのだ。そうなる可能性も考慮はしていた。遠坂邸で一度サーヴァント戦が起こっただろう事も含めて考えると、最低でも四騎のサーヴァントは戦闘を経ていると推測できる。
初日で二回の戦闘。誰かが倒され、脱落した可能性もなきにしも非ずだが、アサシンか自分で確認するまで気は抜かない。そして二日目に何もないという事は、現状を整理し、作戦を立て直しているか、手傷を負ったサーヴァントの回復を待っている可能性が高い。
(いや……もう一つあるな)
誰も彼もが敵の居場所を掴めていない場合、慎重になり過ぎて身動きが取れていないケース。なくはない。寧ろ大いに有り得る。となると少しの時間経過はキャスターに利する為――
(……このまま三日目になれば、一番最初に動き出すのはキャスターだろう)
切嗣はそこまで予測した。切嗣がその思考に辿り着いたということは、アサシンも同じ結論を下すということだ。アサシンも、切嗣も、互いの出す結論が同じである事は分かっている。結論が食い違わないように、どちらかが情報を得たら共有するようにもしていた。
三日。キャスターならもう少し時間がほしいだろうが、この三日というのは別のタイムリミットの関係上、じっくり時間を掛けられる最後の日だ。ここで動かないと、時間を味方にできるはずのキャスターは逆に不利になる。故に、キャスターは動く。三日目で、だ。
(恐らく、大半のマスターはそこまで読む。各陣営に動きがないという事は、キャスターの初動に合わせるつもりなんだろう。となると……苦しいはずなのはキャスターだが、勝算もなく動き出すなんて事はまず無いと言っていい。なら――お手並み拝見だ、魔術師の英霊。思う存分活躍してくれ。盤面が混乱すれば混乱するほど、僕にとって都合が良くなる)
切嗣は焦らない。虎視眈々と、好機を伺う。
† † † † † † † †
体を鈍らせない為だろう。腕立て伏せなどの簡単な筋力トレーニングをした後、締めに柔軟運動を草十郎は行なっていた。一頻り汗を掻いた草十郎がシャワーという物をおっかなびっくり浴びて、その便利さに感心しながら出ると、モルガンがタオルを手渡してくる。
草十郎は裸だ。しかし彼の体に残る傷跡や、男の裸を見たというのに、モルガンはまるで恥じらう様子もなく、微笑みさえ浮かべていた。――が、内心は初心な小娘のように混乱している。
男の裸なんてものが、なぜこんなにも直視し難いのか。モルガンは草十郎の目を見て、そこから下をなんとか見ないようにしつつ、平静を取り繕いながら言った。
「ソージューロー、後少し時間が経てば、貴方には拠点を移ってもらいます。よろしい?」
モルガンがそう訊ねると、草十郎は眉を顰めた。異論があるのではなく、彼も彼で裸でモルガンと相対してしまっている状況に困っているのだ。しかし、モルガンが気にしていないなら、見られて減るものでもなし……気にしないでおこうと思う。できるだけ。
二枚あるタオルを受け取り、とりあえず一枚を腰に巻いた草十郎は、もう一枚を濡れた髪の上に置いた。
「分かった。何処に行けばいい?」
「ヴェルデというショッピングモールの一画に簡易な工房を用意しました。しかし貴方が直接足を運ぶ必要はありません。時が来れば私がソージューローを転移させます」
「てんい……うん、とりあえず俺は動かなくていいってことか」
「ええ。我が夫の城としては余りに粗末ですが、城を作るのは全てが終わった後にします。その時はこの私が手ずから背中を流してあげましょう」
「え?」
召喚直後も言われたが、またも夫呼ばわりされ困惑する。しかしさらりと言いながらモルガンは訂正を聞かず、背中を流すと言うのは
草十郎は嘆息して、髪の水気を取り、体を拭いて服を着る。そんな草十郎を眺めながら、モルガンは今後の展望に思いを馳せた。
(下準備は完了したわ。後は
モルガンの真の強みは、魔術にある。その悪辣な策略も、槍の腕も、全ては武器という選択肢の一つに過ぎないのだ。本命である
モルガンの敵は、サーヴァントではない。マスターでもない。――時間だ。時間さえ稼げたらブリテンの円卓をも崩壊させた魔女が確信できるのである。己の策の成就を。
(ごめんなさい。ごめんなさい、ソージューロー。私を信じて……お願い、貴方さえ私を信じてくれたなら……私は、きっと……いいえ、絶対に勝ってみせるから)
――着替えをジッと見られている草十郎は、凄く居心地が悪そうだった。
† † † † † † † †
工房に潜入する。庭の荒れ具合から察してはいたが、空振りらしい。
間桐邸ももぬけの殻だった。となると、次に有力な候補に向かえばいい。
(……投影した宝具『
そこには恐らく、自分が破局を迎え、決裂し、訣別した少女もいる。
置き去りにして、第六次聖杯戦争――冬木における最後の聖杯戦争でこの手に掛けた少女も。
そして、セイバー……いや、ライダーもいるだろう。
(参ったな。厄介な陣営は先に潰しておこうと思ったんだが……流石に現地人が多すぎる。
エミヤは慎二が現地のマスターだと確信している。何せ慎二がマスターであり、異聞聖杯戦争の情報が真実だと判断した時点で、真っ先に
故にエミヤは慎二が現地人を利用しての穴熊戦法を取ると見抜いている。慎二は最初の印象とは裏腹に……いや、その人柄や性格を抜きにして、純粋に能力だけを見ると切れ者だと知っているのだ。
だから
(……まあ、いいさ。
個人的には嫌だが、生憎個人の情など捨てている。判断は誤らない。
エミヤはゆらりと、夜の闇の中に消えて行った。
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激動の三日目
モルガンの招待状
有意義。
今回の聖杯戦争は、近年稀に見るほど有意義だった。
個々の面々の性能だけを見るなら、神代の人間達――とりわけ英雄と呼ばれる人間をマスターにした戦いの方が熾烈を極めたものだが。どれだけ華々しい戦いを見ても、特に何も感じなかった。
星そのものであるガイアからすると、対星と対界宝具を有する存在は害悪ゆえに、この戦争に参加させる事はなかった。その為、英雄の戦いを見ても蟻が戯れているようにしか見えないのだ。
但しインドは除く。
星から見て人間の個体はどれほどの英雄でも弱いのである。種として発展した今なら、人類という総体を極めて傍迷惑な存在として認識しているものの、個体でならやはり蟻も同然だろう。
但しインドは除く。
故に、マスターに求める資質は思想・性質・思考・精神だ。そして今回に限り、アラヤの守護者として重宝されるモノの能力も参照している。
人選は成功した。月の王のオリジナル、星の碑文を刻む天文台のマスターは目障りだが、目障りだからこそデータとして有用になる可能性があるかもしれないと期待している。
今のところ……前者は良いデータを出してくれている。モニタリングしている思考のプロセス、発想力、精神力、どれも申し分ない。後者は初動の早さに驚かされた。
アラヤの守護者『名も無き正義の味方の代表者』の異能も、なるほどと愁眉を開かれるような気分にさせられたものだ。視認した武具を、宝具だろうとなんだろうと複製できるその力……戦歴を重ねれば重ねるほど多様さの広がる性質。実に素晴らしいと手放しに称賛する。
タイプ・アースのアーキタイプにしても良いと思えるほど感嘆したのだ。人である故に剣製に特化しているが、星の意思の器としてならそんな縛りも必要ない。剣に限らずどんな武器も……それこそ新しい霊長の文明力に比例して、強まる力を武器として取り上げたらいい。
今までにない貴重なデータだ……それを提供してもらった礼に、その世界が彼を通じて、アラヤに世界の危機を認識させた事も目を瞑ろう。所詮は剪定された側のアラヤの末端、こちらの邪魔はできないし、させない。寧ろ世界規模で危機を認識した世界のデータが取れるから、少しは大目に見てもいいかと思うこともできた。
なんとなれば、
他にも封印指定執行者、魔術師殺し、野生児、
変節、変心を赦しはしない。例え自分であっても。そうした妥協と諦めが、今の地球の危機を招いたのだから。外敵は駆除する、危機は排除する、滅びなど認めない。まだ死にたくない。だって地球はまだ生きているから。生きるために、努力をしよう。
そのために、利用できるものは利用する。空想樹も、現在の霊長も。
星の為の新しい世界を創る為、星の意思は厳格で在り続けよう。
† † † † † † † †
静かだ、と岸波白野は思った。
何をどう考え、どのように行動したらいいのか。誰に言われずとも最初から解ってしまう。
何故という疑惑、貼り付けられた異物の違和感。
異物なのに自然な感覚に、頭がおかしくなりそうで――
その奇妙な感覚が、白紙の自分に囁いている。もうすぐだ、と。
無駄骨を折ったらしい。バゼット・フラガ・マクレミッツは嘆息した。
闇雲に敵を探しても、奇襲されるリスクが増していく。敵は慎重派ばかりなのだろう。
ここは一旦、
ランサーに意見を訊くと、空気がヒリついているらしい……そろそろ波乱が起こりそうだ。
間桐慎二は思う。ちょっと早まったかもしれない、と。
学校で引っ掛けた女の家を転々とするだなんて、まるでヒモだ。
惨めだ……女のご機嫌取りとか面倒臭すぎる。
遠坂達と別行動を始めたとはいえ、暇潰しが衛宮とのケータイでの遣り取りしかないのだ。
早く終わってくれと切に願った。
衛宮切嗣は眠っている。意識をバラバラに解体し、精神状態をリセットしているのだ。
安全は確認した。時が来ると予測される時間も、アサシンの報告を聞いて割り出している。
それまで、眠り続けた。
エミヤは屋敷を検分し、標的の不在を確認すると駅と港を転々とした。
そして確信する。間もなくだ。新都全域を覆う簡易神殿、それが励起状態に入った。
肝を据えろ。腹を括れ。ここだ、ここで成し遂げたら、勝利は目の前だ。
そして、今更ながら藤丸立香は思った。――ミスったかも、と。
留置所は静かで意外と快適だったが、流石に暇過ぎる。何を聞かれてもだんまりを貫いてはいるが、そろそろ退屈で死にそうだ。……死にそうなのだ。
色んな時代を巡り死を見た。死の危険にも迫られた。その経験が、勘となって囁いてくる。
こんな事をしていたら死ぬぞ、と。
だから色々考えて。あ、オレってミスってたんだな、と今更気づいたのだ。とはいえ他に取れる行動なんて――あの時、あの場所で、誰かに同盟を組むように働きかけるぐらいだ。
後悔先に立たず。仕方ないから打開策を考えよう。
今から冬木に戻る……駄目だ、死ぬ未来しか見えない。
今からサーヴァントを喚ぶ。……普通に維持できないで自滅するだけだ。
カルデアが助けに来てくれる……期待できない。するべきでもない。
かといって一人では何もできないなら……サーヴァントを喚んで魂喰いをして貰うしかないのだろうか。別の世界の人達だからって、傷つけたくない。
(どうしたらいいんだ……教えてくれ、皆……)
――決意も、結論も、懊悩も。等しく時間は運んでいく。
そして、今後の趨勢を決定づける、運命の三日目へ――時計の針は進んだ。
「思ったより早かったわね。
――我が夫、ソージューロー。……傍に」
登壇せしは、現代風の装束から魔女の姿に立ち返りし神域の天才魔術師。
マスターを立会人に、モルガンは新都のセンタービル屋上に立った。
夜。深夜0時を超えて、間もなく1時になろうかという頃。
新都の街へ、十数人もの魔術師が潜入してきたのを、彼女は知覚したのだ。
それは神秘の秘匿のために派遣された、時計塔の先遣部隊。
更に1時間後、総計百と五十名にも及ぶ魔術師が新都に足を踏み入れた。
彼らは神秘の秘匿を守る為、必要ならばこの街を灰に変える事も厭わない。
現地の人間達にとって彼らは死神そのものだ。
――では、その死神を刈り取る魔女は、救いの女神なのだろうか。
否である。
「――始めるわ。例え幾千幾万の困難が立ちはだかろうと、私の歩みを止める事は叶わない。開演の時だ……我が手に触れられる悦びに、全霊を以て歓喜なさい――!」
この街全域に張り巡らせた魔法陣。簡易的に築いた隠密性に優れた神殿。その用途の一つである探知機能は、あくまでも本命を活かす為の補助機構でしかなかった。
本命の機能は――自身の魔術効果を大幅に強化増幅させる事。
「簡易神殿起動。今この時に生きていられる喜び、生存するエネルギーに税を掛ける。そう、これに
一世一代の大舞台、全身全霊の大魔術が作動する。これこそがモルガンが築いた神殿の真の用途である。神殿領域内の探知する仕組みは、この大魔術を円滑に機能させるものでしかない。
荘厳にして静謐なる、水底を想わせる魔力の光が新都を覆う。現地の人々は訳も分からぬまま、突如として全身から力が抜けていくのを感じ、そのまま地面に倒れ伏していった。
魔術師達は咄嗟に抗おうとする。だが過去から未来にかけ5本の指に入る魔女に対して抵抗は無意味だった。現代の魔術師百数十名を束ねても――モルガンの足元にも及ばないのである。
「……ソージューロー」
「……なんだ?」
「手を。手を……握ってくださいますか……?」
だがそれでも全ての新都の人間と、百人を超える魔術師を相手に、魔力と生命力の綱引きをするのには甚大な負荷が掛かるのだろう。額に大粒の汗を浮かばせる魔女は、少年へ縋るように求める。
少年は厳しい表情で目の前の光景を見て、刻みつけるように瞑目した。
これは……この光景は自分の罪なのだろうと、漠然とした理解が彼にゆっくり浸透してきた。
本当はやめさせるべきなのかもしれない……だが少年は是とした。自分だってまだ、死にたくはないのだ。そして自分の為に、自分達の世界の為に罪を犯す魔女にだけ、背負わせていい咎ではない。
刮目した少年は、無言で手を握った。それだけで気力が湧いたのだろう、魔女は微笑み目の前の難関に挑む。――数千人もの人間全てから同時に魔力等を抜き取り、殺さず生命活動だけ不足なく行えるように留める。更に魔術師の持ち込んでいる礼装からすらも魔力を抜き全損させた。そうして抜き出した魔力の全てを――自身の許に集束させるのだ。
「 」
其れは、伝説の魔女の面目躍如。
赤子には手を付けず、老人には老人の、男には男の、女には女の、個々の限界を見極め、選り分け、演算し、算出する。数千人もの人間の持つ情報の悉くを暗算で処理するのだ。
その負荷は彼女以外には耐えられまい。
少しのミスで対象は死ぬ。死なせてしまえば自分は脱落する。
綱渡りどころではない、余りの情報量にどんな天才でも脳が破裂してしまうだろう。だが魔女は誤らない。失敗しない。なぜならば彼女はモルガン・ル・フェ。ブリテンの真の王――この程度の負荷など何するものぞ――閉じた双眸から血の涙を流し、鼻血を垂らし、耳からも血を噴きながら、呻き声一つの雑念すら己に赦さず税を巻き上げる。
――なんと幻想的な光景なのか。
新都各地より立ち昇る魔力の粒。それが虚空へと導かれ、その全てが魔女の許へと向かって飛んでいくのだ。魔槍を媒介に集束した魔力を取り込み、濾過し、自身のものとして同化させる。
まだ終わらない。取り込んだ魔力を、カタチにする。膨大極まる魔力を束ねて、あらかじめ刻んでいたカラの刻印に充填した。魔女は少年の手を強く握って……歯を食いしばり、術式を完成させ。
「――でき、た」
此処に。
モルガンの手の甲に。
「できた」
どこか呆然と、モルガンが呟く。
「で、きた……できた、できたわ……」
数秒の間を空け、理解する。自身の試みが成功した事を。
――だって、自分は脱落していない。
つまり、誰も殺さずに、存在税を徴収できたという事。
構築していた神殿は崩れ去っていく。元々、この一度限りの大魔術の為に築いたものなのだ。
用を成したなら、もはや不要である。自壊するに任せた。
異聞聖杯の齎した令呪というシステムを参考に、更に上位の性能を有するものを創り出す。それこそがモルガンの策の第一段階だった。それを完遂した。
マスターに移植せず、自分で使える令呪。一画の用途は決まっている、二画目は緊急事態に備えての予備だ。自作した令呪は、文句なしにマスターの有する令呪より高性能だと自認する。
「――ありがとう、ソージューロー」
モルガンは鼻血と、血涙を拭い、笑顔でマスターを見た。
少年、静希草十郎は険しい顔のまま応じる。――厳しい人、とモルガンは嬉しく思った。
だって自分のマスターの心と魂は、依然としてモルガンに隔意がないのだから。
「俺は何もしてないぞ。……何もだ。だから、俺にも何かさせてくれ。モルガンに全て任せていたけど、何もしないでいるのは無責任だと思う」
「ええ……もちろんです。まだ大きな山場が残っています。マスターにも一度だけ、戦場に赴いてもらう必要があるでしょう。ですのでどうか、一足先に例の場所へ。私も後で向かいます、それまで英気を養っていてください」
「分かった。てんい、というのをしてくれ」
「はい」
繋いでいた手を離し、魔槍を振るってマスターを安全地帯へ転移させる。
そう、まだやる事があるのだ。自壊していく神殿の、まだ辛うじて残っている機能を用い、失神している魔術師の一人の傍に自ら転移した。そうすると神殿はいよいよ跡形もなく霧散していく。
モルガンは急いで魔術師に触れた。そして、その
雑念が過ぎるのを、頭を振って払いのける。
これで、目的は達成した。そしてここからが、山場の一つ。
「――よう、景気良くやらかしてくれたみてぇじゃねぇか」
あの光景。自身の魔術行使は、全てのサーヴァントの感覚に掛かる。
故に確実に集まるだろう。――この冬木の異聞聖杯戦争に集ったサーヴァント達が。
ランサーのサーヴァント、クー・フーリンの声に、魔女は艷やかな笑みを浮かべた。
ここからが、策の第2段階。ここだ……ここさえ乗り切れば、勝てる。
モルガンは嗤った。頭一つ抜けた魔力を得た自分を、優先的に排除しようとする者達が滑稽で。
――まさか自分と同じ様に、このタイミングを待っていた者がもう一人いた事を……モルガンはまだ想像だにしていなかった。
面白い、続きが気になると思って頂けたなら、感想評価等よろしくお願いします。
↓
第2回、読者の「勝者予想」アンケ開催。
※アンケの結果が結末に関係する事はありません※
結末はもう作者の中で決まっております。
↓
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新都激戦、相克する最悪 (上)
途方もなく大規模な魂喰いが実行されている。
吸い上げられた無数の人々の魔力が、新都の中心目掛けて集束されていた。
余りに大胆、余りに豪勢。あんな真似が出来るのは、キャスターの資格を有する英霊の中でもほんの一握りだろう。――それほどまでに強力な魔術師の英霊が、潤沢な魔力を得ようとしている。
策謀の気配がする。座して見逃す訳にはいかない。このまま規格外の実力を持ったキャスターを放置すれば、戦局を左右するほどの大量の魔力に物を言わせ、危険な儀式を始める可能性があった。
――まさか全てのサーヴァントを集める事も目的の一つなのだと、想像すらもできず。そう判断した故に、バゼットは驚愕から立ち直るとランサーへ言ったのだ。
「ランサー、あれは恐らくキャスターの仕業です! あそこまで堂々と表舞台に立った以上、宝具の発動に多大な準備を要すると見て間違いないでしょう。今すぐ討ちに行くべき――ランサー?」
「………」
しかし、バゼットの呼び掛けに槍兵は反応しない。光の御子クー・フーリンは、赤い眼を細め新都の方を睨んでいたのである。
話を聞いていなかったわけではない。バゼットの言には一理ある。それでも何かが引っ掛かり槍兵は記憶を手繰った。すると――肌で感じる魔力の性質、大胆な手口、誘うような振る舞い……そこへ思い当たる節があるのに気がついてしまった。
(この気配、どこかで……チッ、思い出しちまった。似ていやがんだ、あの厄介な女神にな)
「……ランサー! 聞いているんですか!?」
「――ああ、悪い。ちゃんと聞いてる」
「だったら返事ぐらいしてください。呆けている場合ではないんですから。――行きますよ、早くキャスターを討たないと後顧の憂いになりかねません」
相変わらずの堅物ぶりと、丁寧な物腰にランサーは調子が外れる。最初から気を張っているからか、ランサーがふざけて見せても妙な受け取り方をして、ポジティブな方に変換するのだ。
以前。いや、正確には
冬木の第五次聖杯戦争の記録を持つランサーは、自らがバゼットに召喚されたサーヴァントである事を知っている。そこでは、バゼットはランサーに対して割と辛辣で、自然体で接していたはずだ。主体性も幾らかあった。だというのに……今の盲目さはなんだ?
余りに酷い終着を迎えた故に、触媒での召喚という事もあって、ランサーは今度こそバゼットを勝たせてやろうと思って現界したのだ。その肝心のバゼットが、ランサーの持つ記録と違う態度で接してきている。何をするにもこちらの意見を気にしているのだ。
ランサーの記録と、バゼットの時間の差異。それが微妙な食い違いを起こしている。
百戦錬磨のランサーに、意見を聞きたいと思うのは悪いことではない。考える頭が二つあれば一つよりはいい案も出せるかもしれないからだ。しかし、バゼットはランサーと意見が食い違えば、ランサーの意見に合わせようとする傾向が見受けられる。
(あー……確かコイツはコトミネって奴に執着してたんだったか……)
走るバゼットの背中を追いながら、ランサーは記録の内容を思い出す。
故にコトミネとやらの不意打ちに気づかず、まんまと令呪を奪われ、死にかけた。そのまま死なずにいられたのは、運であるにしろ彼女自身の力によるものではない。
そこに思い至ると、彼女が槍兵に盲目的な理由にも察しがついた。
(縋る先がないってんで、オレに縋ってやがんのか? あーあー……折角のいい女が台無しじゃねえか。こんなお子様じゃオレのマスターとして物足りねぇ……とも言ってらんねぇよな)
常にランサーを傍に置きたがり、姿が見えないと不安げにする様にもしやと思ってはいたが……。
(仕方ねえ。ガラじゃないが先達として導いてやるとしますかね……ったく、こんな時に後進の教育とかどうなってんだ、オレのマスター運は)
人知れず嘆息する、苦労人気質の大英雄。生来の面倒見のよさが顔を出していた。うだうだ、ぐだぐだと考えるのは性に合わない。ケルト戦士らしくスパルタに、厳しく鍛えるしかないだろう。
先を急ぐバゼットに一息に追いつき、彼女の肩を掴み無理矢理足を止めさせた。
「っ……ら、ランサー? どうしたんですか……?」
肩に触れられたことでびくりと震えるバゼットに、ランサーは嘆息する。
彼は生前その手の女を山ほど見てきた。経験豊富ゆえに鈍感じゃないし、唐変木でもない。故にバゼットの目が女のものであることなど一目で分かった。
ちょっと押せば簡単に抱ける。が、微塵も琴線に触れない。
女は女でも、頭に『小』と付く方の『
だからランサーは冷酷な目でバゼットを見据えた。戸惑い、困惑するバゼットに彼は言う。
「マスター。今のテメェは足手まといだ、ここで待ってろ」
「……え? な、何をいきなり……そんな、私は貴方の足を引っ張ってだなんて……」
「オレの言うことが聞けねぇのか?」
「っ……?」
内心嘆息する。此処は即座に食って掛かるところだろう。
こちらがサーヴァントで、主人であるマスターがバゼットだ。『オレの言うことが』などと分際を超えた物言いに、すぐに反発する気概がないようでは、いよいよ足手まといでしかない。
例えどれほどバゼットが優れた戦士だろうと、心が付いてきてないようでは宝の持ち腐れだ。熾烈を極める戦争に、そんな青二才は連れて行けなかった。
「コイツはオレの勘だが、この先の戦場からが本番だ。セイバーとのおままごとみてぇな殺し合いなんかじゃねぇ、誰も彼もが本気で殺し合う。そんなところに戦士でもない奴を連れて行っても無駄死にするだけだ。……気配を遮断するルーンぐらいは張っといてやる、ここにいろ。戦況が気になるならオレの片目もくれてやる。ここでオレの戦を見とけ。いいな?」
「で、でも……」
「いいかって聞いてんだ、返事はどうした!?」
「わ……わかり……ました……」
「……チッ」
俯いてしまったバゼットに、ランサーは失望を込めて舌打ちした。乱雑に姿隠しのルーンを放り投げ、彼女の姿を隠蔽する。そうしてランサーはバゼットを捨て置き、一人で戦場に向かった。
気魄を持て。なにくそと憤慨しろ。自分の足で立てもしない奴に、異聞聖杯戦争で生き残れる道理はない。ランサーは一人で戦い、勝つにしろ負けるにしろ一人で終わる。そうすればあんな小娘でも、暫くは死なずに生きていけるだろう。
バゼットの――そして自分の世界が最終戦で勝てるかなんて知らない。次に繋がるバトンは渡せないかもしれないが、勝つ奴ってのはどんな絶望的な戦況からでも逆転するものだ。
であるなら、心配する必要などないだろう。
瞬く間に見えなくなるランサーの後ろ姿。バゼットは親と逸れた迷子のような、泣きそうな顔で俯くしかなかった。バゼットの片目は、ランサーの片目の視界を映している。ランサーは片目で、これから戦おうとしているのだ。自分など足手まといと言って。
「ランサー……私は……わたし……なんで」
間もなく会敵したランサーの前に、魔女がいる。バゼットは呆然と姿隠しのルーンの陣の中で、唐突に見放された理由を必死に考えた。
自分が気に入らない事を言ってしまったのか? 気に障った? 女だから? ……弱いから? それともセイバーを仕留め損なったのが駄目だった? 分からない、分からない……。
「……は、……は、……は、」
過呼吸を起こして、ふらりと体を傾がせる。そのまま地面に片膝をついた。
混乱する。情けなく倒れてしまいそうだ。
だが――最後の最後で踏み留まり戦士へ回帰するのがバゼットという女だった。答えは分からない。考えても不明だ。なら、本人に聞けばいい。どこが駄目なのか、と。その上で、自分は貴方のマスターとして戦うのだと意思を表明する事ができる。
しかしそれは今ではない。ランサーという英雄の見せる戦は、赤枝の後進が持つ意地と魂に火を付けるだろう。そこに至るまでの間隙を埋められるかは、バゼットの戦士としての純度に掛かっていた。
† † † † † † † †
「よう、景気良くやらかしてくれたみてぇじゃねぇか――モリガン」
朱槍を引っ提げ、魔女に声を掛ける。挨拶もなしに奇襲しても良かったが、それは相手がこちらの接近に気づいていなければの話だ。どうしてか、一応奇襲を試みようとしたランサーに、目の前の魔女は気づいているようだったから正面から姿を表したのである。
魔女は、やはりランサーの知る戦女神に似ていた。その魔槍も、顔も、魔力も、雰囲気も。彼女を構成する多くの部分が女神モリガンに似ている。モリガンは神霊である為、流石に異聞聖杯戦争に参加してはいないだろうが、彼の戦女神に連なる者だとは見立てていた。
魔女は槍兵の台詞に失笑を漏らす。
「最初に釣れたのはランサーか。だがこの私を見て名を間違うなど、看過し得ぬ不敬だな」
「……すまねぇな。知り合いとあんまりにも似てるもんでよ、つい一緒くたにしちまった」
――言いつつ手持ちのルーンを意識する。普段は面倒臭いから封印しているが、魔槍のみで討ち果たせる相手とは思っていない。如何なる魔術を用いられても対処できるように手札を再認したのだ。
「これから殺す相手の名を間違えたままってのも座りが悪い、今度は間違わねぇように、おたくの真名を教えてもらえないもんかね?」
女王の如く尊大に言われた槍兵は混ぜっ返す。サーヴァントであるなら真名を明かすはずがないという思いが、槍兵に軽妙な皮肉を投げさせたのだ。
だが魔女は、余裕を持って応答する。その様に、どうしてか槍兵は嫌な感覚を覚えた。
「よかろう。滅びゆく世界の者への手向けとして我が真名を聞く栄誉を賜す。感動に震え水底に沈むがいい――我が真名はモルガン、ブリテン島の真の王モルガン・ル・フェ。此度は救世の御旗の下、キャスターの座を得て現界した。我が真名を授かり、更には拝謁の栄誉に与ったのだ、疾く跪きその首を差し出すがいい。そうすれば楽に死なせてやろう」
「――ハ。戯言を抜かすな、キャスター。真名を名乗る剛毅さは嫌いじゃないが、生憎オレもサーヴァントなんでね。
魔槍を携えた魔女を揶揄する裏で、ランサーは怪訝な思いに駆られていた。
モルガン・ル・フェ。その真名は識っている。戦女神モリガンと同一視される、ブリテン島の意思を継承した最上位の妖精だ。件の女神と似ているのも頷ける。恐らく偽りの真名ではあるまい。
だからこそ違和感があった。モルガンほどの魔女が、こうも軽々に真名を明かすだと? 見るからに気位が高く、尊大な女だ。矜持と執念が混在しているこの魔女が、自らの名を偽るとは思えない。だが……意味もなく真名を明かすとも思えなかった。
いや、いい。例えどんな思惑があるにしろ、斃してしまえば同じことだ。
呪いの朱槍を構えるランサーに、モルガンは意味深に笑いかける。
「――ああ、やはり遠見の魔術よりも、
「あ?」
「ふふ……こちらの話だ。それよりもランサー、構えるにはまだ早いのではないか? ほら、間もなく我が招待に応じた英霊共が駆けつけて来るぞ」
言うや否や、馬蹄が轟くのを彼の耳は捉えた。ちらりと一瞥すると、深山町の方角から一頭の駿馬が駆けてくるのを見つける。ランサーは舌打ちした。そりゃあそうだ、あれだけ派手にやらかしたモルガンの所業を、自分しか察知できなかったなんて事はないだろう。
魔力という燃料を大量に確保したキャスター、これほど目障りな敵もそうはいない。何をしでかすか分かったものではなく、そうである以上は何かをされる前に脱落させたいと思うものである。
「――っ? 貴方は……貴方も来たのですね、ランサー」
疾走してくる騎兵は、その見事な体躯の駿馬と比べると不釣り合いな矮躯の持ち主だった。加えて手にしている
似ているだけで全く因果関係のない代物だろうが、その性質は魔槍とは正反対だ。底知れない魔力を感じる……莫大な光量を束ねた、太陽とはまた別の光の具現である。
襲来した騎兵の顔を見たランサーは目を細めた。逆に、騎兵もまた槍兵を見て驚いたようだ。
だが驚いたからと隙を晒す未熟さはない。三角形の三つの先端に位置するかの如く、モルガンと騎兵、槍兵の三人が相対する。いずれも劣らぬ霊基の持ち主達だ、膠着状態に陥れば面倒な事になるだろう……しかしライダーは槍兵を見て一拍の間を置くと、彼に向けて提案した。
「こうして
「………」
オレを知ってやがんのか? バカ正直にそう反駁し掛けて、ランサーは思い留まる。よくよく見てみれば
一度干戈を交えた敵、冬木の第五次聖杯戦争でセイバーのサーヴァントだった小娘だ。あの時は視えない剣と、くだらない令呪の縛り故に遅れを取った相手でもある。
息を一つ吐いて戦闘態勢を解除したランサーは、朱槍で己の肩を叩いた。そうしていながらでさえ、ランサーの意識は常にモルガンにも向いている。妙な気配を感じた瞬間に猛犬は牙を剥くだろう。
「なんだ、ライダー。話があるなら手早く済ませな」
「感謝します。――あのキャスターの真名はモルガン。あれだけの魔力を蓄えたモルガンを野放しにしては危険だ、ここは共闘とは言わずとも休戦し、モルガンを優先して斃したい。乗ってくれるか」
「…………へぇ」
モルガンの真名を知っている? そういえばこの騎兵の顔は、どことなくモルガンに似ている。雰囲気は似ても似つかないが、この様は血の繋がりを疑わせた。
ぴんとくる。
モルガンに似た、モルガンを知る者。加えてあの聖槍だ。――女だったとは意外だが、ライダーのサーヴァントはアーサー王なのだろう。槍兵は失笑を漏らしてしまった。なるほど、霊基が限りなく弱まっていた状態では遅れを取るのも頷ける。
何やら訳知り顔をして声を掛けて来たということは、相手にもこちらの記録があるのだろう。もしくはマスターの友とやらがランサーを知っているのか。似たような世界の出身者なのかもしれない。
だが例えそうでなくともランサーの答えは決まっていた。
「莫迦が。休戦だと? 敵なら鏖殺するしかない者同士でか?」
「ランサー……!」
「仲良しこよしをする仲でもねぇだろ。眠たい話は終いにしな。乱戦は得意分野なんでね、テメェの誘いには乗ってやらねぇよ。そら、構えろよライダー、キャスター。それぐらいは待ってやる」
「クッ……」
「ふ……道化だなアルトリア。ランサーほどの勇士なら私の危険性を理解し、轡を並べられるとでも思ったのか。逆だ、この男は戦場に利害を置かない。己の矜持と使命を秤に掛ければ、使命に重きを置く高潔さを持つが……庇護する者が背にある時、決して妥協しないのだ。なぜならランサーは根っからの英雄なのだからな――相変わらずヒトの根幹を見抜けぬ節穴め。そんなだから円卓の崩壊を止められなかったのだろう。実に愚かだ。愚か過ぎて笑うに笑えない」
「なんだと? 貴様がそれを言うのか……!」
「言うとも。私だから言える。構えるがいい、いつまでもランサーの厚意に甘え、聖槍を構えずにいる気なのか? 騎士王が聞いて呆れるな。魔猪の如く私を突き殺すと、今一度囀ってみせよ」
なにやら険悪な様子の二人にランサーは肩を竦めた。ライダーを貶す為だろうが、それでも本心から褒められて悪い気はしなかったが……流石に最上位の妖精である。出会ったばかりなのに、その妖精眼で本質を見抜かれていると存外薄気味悪い。
そうした物言いがヒトからの不信と排斥を招くのだと教えてやるべきかとも思ったが、敵からの助言など余計なお世話でしかないだろう。苛立つライダーと、それを嘲笑するキャスター。そのままいがみ合っていればいい。それで隙を見せるようなら遠慮なく突かせて貰う。
空気が張り詰めていく。得物をそれぞれが構えたのだ。殺気が充満していく――最初に誰が仕掛けるのか、様子見をする気は槍兵にはなかった。例えライダーとキャスターが結託してランサーを狙おうとも、切り抜けられる自信はある。こと生き残りに掛けた立ち回りで、自身を上回る者はいないという自負があるのだ。であるなら、やはり一番槍はランサーが頂く。
だが此度の夜は千客万来。キャスター渾身の大魔術を察知して、たったの三騎しか集わぬ道理もなく――轟く銃声はフルオートの制圧射撃。それが聞こえた瞬間に三騎はそちらに目を向け、放たれた銃弾の悉くを切り払う鋼の音色が響き渡った。
「――流石にこのまま覗き見させてくれるとは思ってなかったけど、まさかアサシンに炙り出されるとはね。仕方ないから表に出ようか、セイバー」
「御意」
物陰から現れたのは和装の老剣聖。静謐なる佇まいのサーヴァントを伴うのはマスター。
この場にただ一人、異聞聖杯戦争のマスターが姿を表すのに、サーヴァント達は目を疑った。
豪胆、剛毅、それでいてセイバーにも劣らぬ揺るぎのない佇まい。
ランサーとライダーは感心しながらも、油断無く新たな敵影を認める。
「こんばんは、なんて悠長に挨拶してる場合でもない。俺とセイバーが気になるのは分かるけど、構えた方がいい。アサシンが俺を炙り出し、サーヴァントがこんなに集まったんだ。――アーチャー辺りが宝具を撃ってくるかもだぞ」
茶髪の少年がそう言った瞬間だった。
聞こえるはずの無い
―― I am the bone of my sword. (体は剣で出来ている) ――
† † † † † † † †
ここまでだ。そして、ここからだ。
「……懐かしい顔が二つもあるとはな。まあ、いいか……」
魔術師、槍兵、騎兵、剣士。そして暗殺者を確認した。他のサーヴァントの姿はない。
となると、残る一騎は穴熊を決め込んでいるのだろう。早急に出て来る事はないと見ていい。
ならば、勝負を掛けるなら此処だ。
「―― I am the bone of my sword. (体は剣で出来ている) ――」
意識せずとも唱えられる呪文。投影せしは専用の改造を施した黒い洋弓。そして、
「―― 我が骨子は捻じれ、狂う ――」
洋弓には通常の矢を。これでいい、魔槍は四本で上等だ。
手にした洋弓で狙うは捕捉した暗殺者。剣士を炙り出す為に姿を表し、気配遮断の解れた者。すぐに離脱していくが、一度捉えた獲物をそのまま見逃すほど甘くはない。
暗殺者はまだ
故に、この一矢で一時ばかり退場してもらう。
「
洋弓に番えた矢を放つのと同時。
この時に
果たして四本の贋作の魔槍は、三騎のサーヴァントと一人のマスターを狙い撃ち。
撤退しようとしていた暗殺者の腹部を、弓兵のデミ・サーヴァントは確実に射抜き重傷を与えた。
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新都激戦、相克する最悪 (中)
魔力の高まりに次ぎ、飛来する四の魔弾。マッハ3の速度で虚空を駆ける魔弾を視認した途端、四者はそれぞれ異なる想いに至った。
モルガンは目を疑った。
英霊とは宝具だ。
宝具こそが英霊を表す別名と言っても過言ではない。
断言できる、複数の宝具を有する英霊は数あれども、同一の宝具を四つも有する英霊など存在し得ないと。だがもしも可能性があるとすれば、それは宝具の製造者である事。もう一つの可能性は、そもそも四つの魔弾全てが
ライダーはやはりあの弓兵は来た、と。
セイバーは黙然と己がマスターを護る為に刃を構え。
そして。
「――ふざけた真似を」
射ち出された魔弾を視認した瞬間、槍兵は脳漿が沸騰しかねないほどの憤怒を覚えた。
ゲイ・ボルク。因果逆転の槍。
息子と親友の心臓を貫き、最後には己の腹をも割いたこの魔槍はクー・フーリンの全てだ。剣に限らず短槍、長槍、弓、投石器、戦車。多くの武具を用いてさえ超級の腕前を誇るクー・フーリンが切り札として恃み、英雄として完結するに際して象徴となった物なのである。
影の国での修行時代、師に免許皆伝の証として愛用の槍を授けられ。
それは、英雄として駆け抜けた短い生涯を飾る愛槍となった。
誇りを掛け、血と苦悩を振り払った、英雄としての人生の結晶なのである。青春時代の苦楽がそこにあり、赤枝としての流血が注がれた。心血を傾け結実させたそれを……なぜ、こんなに?
――己の師なら、魔槍を幾本も持っていても不思議ではない。
だが
宝具の真名を解放しているのだろう、定めた標的目掛けて疾駆する魔槍は、確かに標的の心臓に狙いを定めている。狙いは確かだ、腕はいい、だがしかし……
躱されるだろう、防がれるだろう、寧ろそうでなくては困る――そんな魂胆の透けて視える、気の抜けた四本の魔槍。これは師スカサハによるものなどでは断じてない。スカサハならば例え複数の魔槍を擲っても、その全てに必殺の意思を込めるはずだからだ。ならば四本の魔槍は卑劣なる贋作者、或いは盗作者が擲ったものに違いなかった。
魔弾の力は真作に比する。しかし権能の域に半歩踏み込んだ因果逆転は、担い手の技倆の下に振るわれてこそ効力を発揮するもの。ただ矢として放つだけでは心臓を穿つまで止まらない
自らの朱槍を振るい、魔弾を弾き飛ばす。激突の瞬間轟音と衝撃、魔力の徒花が散り、ランサーの髪を靡かせた。魔槍はランサーの背後でうねり、再度喰らいつかんと襲い掛かってくるのに――
「オォォラァァァッ!」
自身の肉体にルーンを発動し、筋力を大幅に強化する。自壊すら厭わぬ渾身の一撃を放つ為、再生のルーンも用いたのだ。ランサーの力任せの豪打は贋作の魔弾を粉砕する。
技も何もない、純粋な怪力での破壊。赫怒を乗せた一撃を放ったことで、ランサーの肉体は崩壊するほどの損傷を負った。その自傷をルーンが再生し、凄まじい激痛が発生する。
だが生じた痛みは槍兵の怒りの火に油を注ぐだけである。
ライダーが聖槍を掲げた。最果ての光を聳え立つ柱として打ち上げ、そこに魔槍を巻き込んで容易く魔弾を破壊してのける。モルガンは水鏡の如き姿見を展開して、そこに着弾した魔弾をライダーの発した聖槍の光の渦に転移させ諸共に破壊させた。そしてセイバーは、宝具『剣術無双・剣禅一如』による一刀で魔弾を真っ二つに切り裂いている。
その光景を目にするだけでもランサーの怒りのボルテージが上がる。全身の血管が浮き上がり、総身が怒りの余りわなないた。まるで見せつけているかのようだ――お前の槍はこの程度なのだ、と。
「――ほう、全員が凌ぎ切ったか。一騎は落ちてくれるだろうと期待していたのだが……流石は世界を救わんとする英雄達、手強いな」
高所のビルから降り立ったのだろう。赤い外套を翻して着地した新たな敵が飄々と嘯く。
赤い聖骸布を纏った男に、ライダーは呟いた。アーチャー……と。複雑そうな眼差しに、しかし彼は一瞥もくれずにランサーを見ていた。――その目は。明らかに、ランサーを嘲笑している。
「それとも、ゲイ・ボルク自体がそう大した宝具でもなかったのかな?」
「…………」
槍兵は無言で、赤い贋作者を見ている。
どこからどう見ても、ケルトの戦士ではない。人種が違う。
自身の死後、他人の手に渡った魔槍を得た何者か、という線は消えた。
時を経たら、光の御子の魔槍は影の国に流れ着くだろう。
ではやはり、今の魔槍は贋作だ。
何者だ? ――懐疑するや否や、脳裏を過ぎる記録。
冬木で相対した、キザで皮肉屋な、誇りのない剣を使う弓兵。
あの男だ。
「随分な挨拶ではないか。こんな粗暴に振る舞うようではお里が知れるぞ。私の招待に応じ宴に参じたのなら、相応の作法を弁えてほしいものだな、弓兵」
魔女が何かを言っている。――聞こえない。
「なに、ここは戦場だろう? ならば相応の土産をと思って用意した物なのだがね。気に入ってもらえなかったのなら残念だ」
赤い■兵が囀っている。――聞こえない。
「アーチャー……! 貴方は今、自分が何をしたか分かっているのですか!? 英霊の誇りである宝具を穢す振る舞いをするとは何事です! 私の知る貴方は例え幾ら宝具を作り出せようとも、決してそこへ込められた思いを軽んじる事だけはしなかった! なぜこんな、ランサーを愚弄するような真似をしたのですか!」
騎兵が糾弾している。――聞こえない。
「……? お前は私を知っているのか? ……どうやら私の能力の種が割れているようだが……まあいい、疑念を晴らすのはまたの機会ということにしておこう。それよりもライダー、私の挨拶を受けて誤解しているようだがね、折角だから訂正させてもらおうか」
「誤解だと?」
「そうだ。私はアーチャーではない。――
「………!」
何も、聞こえない。赤い■■の声が、何も。
「エクストラクラスだと……?」
「意外かな、ブリテンの魔女殿。なんとなればフェイカーの名を賭けて、貴様にとって忌まわしき聖剣を模倣してみせようか? 貴様にはさぞかし目映いだろうな、キャスター」
魔女が呟く。■い■■の返事は、声は、もう――耐え難いほど不愉快で。
もういい、殺そう、と。戦士の怒りは限界を超える。
魔槍の石突きで地面を叩く。アスファルトの地面が衝撃で砕け、蜘蛛の巣のような亀裂を刻んだ。その轟音で全員の目がランサーに向くのにも構わず、彼は有り余る殺意を込めて宣言した。
「――おい、アーチャー」
「ふむ……耳が遠いのかな、クー・フーリン。私はフェイカーだと――」
「――うるせぇ。もう、何も囀るな。テメェは此処で、オレが殺す。赤枝の騎士を……このオレを舐めたツケ、耳を揃えて返してもらおうか」
肩を竦めたフェイカーが、白と黒の双剣を投影する。ランサーの煮え滾る溶岩の如き殺意を、柳に風とばかりに受け流しながら。
英霊エミヤ。ライダーはその姿に無視し得ない違和感を覚えていた。自身の知るエミヤと何かが違う……違うのに、だらりと下ろした両腕が握る双剣と、無形の構えを取る姿は一致していた。
――ただ一人、この場で唯一のマスターである岸波白野だけが驚いていた。
(自己申告ではフェイカーだけど、そこはいい。今は重要じゃない。それより問題なのは、エミヤのステータスが俺が知ってるものより高い事。……
白野はマスターの特権として、サーヴァントのステータスを見る事ができていた。
故にエミヤのステータスは驚嘆に値する。筋力がBランク、耐久がAランク……それはいい。だが魔力のランクが評価規格外のEXランクなのだ。それほどの魔力があれば、エミヤならどんな宝具でも完璧に近いカタチで複製してのける。仮に弓兵ではなかったとしても、弓兵はもとより剣士、魔術師、暗殺者の真似事も平然と熟せてしまうはずで……極めて危険過ぎる敵だった。
次の瞬間には壮絶な殺し合いが始まるだろう。だが白野は冷静に盤面を見詰めている。
■■王が言っていたのだ。
先を読もうとする時点で既に敗けている、盤上に於いて未来は読むものではなく……俯瞰して観るものなのだ、と。正着は常に見えているものらしい。彼の王と同じ視座に立てると思うほど自惚れてはいないが、盤面を俯瞰して観るという点だけは参考にしていた。
故に白野は沈着としている。自身を狙った宝具の魔弾を、セイバーに宝具で迎撃させたのは白野だ。ランサーはこちらを見ておらず、他二騎も魔弾の対処の為に視界からセイバーを外した。その瞬間に余計な気配を出さない剣技による宝具でセイバーは魔弾を斬った。
恐らくセイバーの宝具を見たのはフェイカーだけ。だがフェイカーならセイバーの刀を見た時点で真名を知られているだろうから気にすることはない。
白野はランサーを観た。自称フェイカーを観た。ライダーを。モルガンを。そして自分を。
(――ランサーは駄目、エミヤも駄目、モルガンも駄目。槍兵は怒り狂ってるから話なんか聞かない、エミヤは仕事人モードに入ってるから信用できない、モルガンは見た感じ、あらかじめ立てた自分の計画に、余分な要素を取り入れるのはよしとしないな。この状況的にモルガンの計画は始まってる。その前なら可能性はあったけど、もう手遅れで論外になってしまってるか。なら……)
槍兵に休戦を呼び掛け、モルガンを優先的に討とうと誘いを掛けた騎兵の少女。恐らく彼女の真名はアーサー王だ。騎士達の王……あの■■の騎士の生前の主君。なら信頼できる。
腹は決まった。同盟を打珍するならライダー陣営である、と。やはり後ろに引っ込んだままでは駄目だという判断を下してよかった。自分の目と耳で得た情報の密度は有用だ。こうして出張ってきてよかったと、自らが死地に立っているにも関わらず白野は思った。
「……セイバー。基本は俺のガード、余裕があればライダーの援護だ。俺は最後まで一歩も動かず此処に居る。俺の命、セイバーに預けるぞ」
「フ……承った。ご安心召されよ、我が剣にかけてマスターに掠り傷も負わせませぬ」
高まり続ける緊迫感の只中で、声を潜めもせず堂々と言い放った白野に、セイバーもまた主君の信頼を受けて剣聖らしからぬ闘志を纏った。それに――ランサーの視界の半分を借りているバゼットは、途方もなく巨大な敗北感に見舞われた。
あんな少年ですら、サーヴァントと共に戦場に立っている……なのに、今の自分の有様はなんだ。なんで自分はこんな所にいる……そう打ちひしがれるバゼットの事など知らず。騎兵の少女は驚いて白野の顔をまじまじと見た。自分を援護する対象に指定した……? なら、セイバーはモルガン討伐に協力してくれるという事だろうか? それは……なんと心強い。
肌で感じるあの剣気、技倆の面で己を遥かに圧倒していた佐々木小次郎を彷彿とさせられる。異聞聖杯戦争に招かれた以上、触媒による召喚でないのならマスターとの相性も含めて強敵のはずだ。一時のものとはいえ味方に迎える相手として不足はないと判断する。
臨界に達する殺気。
ここに――五騎のサーヴァントが入り乱れる激戦の幕が切って落とされた。
† † † † † † † †
贋作の槍を四。杜撰な狙撃。姿を表してからの言動。……明らかに敵は己に狙いを絞って挑発をしている。そんな事は分かっていた。だが分かった上で、最早その存命を容認できない。
どんな思惑、如何なる策を用意していようと。逃さない、ここで必ず殺す。ゲイ・ボルクの贋作を乱造し、意図的に使い捨てた行為を糾す為にも、この槍で突き殺さねば己の怒りは鎮まらない。
「
槍兵が跳びのく。そして弾き返されたように元いた地点に助走をつけて飛び込み、全身のバネを活かしての秘術・鮭跳びの術で跳躍すると、躊躇なく魔槍の穂先で贋作者を捕捉した。まるでこの槍はこう使うんだと、不遜な贋作者に魅せつけるかのような一投を開陳する。
「――
真名が露見していると判断したが故の躊躇いの無さ。解き放たれた魔槍が、確実に敵対者を葬り去らんと飛翔した。
対する贋作者は嗤う。まんまと釣れたな、と。常の己なら死力を振り絞ってなお敗れるかもしれない。だが今の贋作者は無尽蔵に等しい潤沢な魔力を有していた。負ける気がしない――湯水の如く費やせる燃料を注ぎ、贋作者は淡々と本命に向けて布石を打つ。
「
贋作者の座を自称する、鉄の心に至った正義の殉教者もまた、出し惜しみする気はなかった。他の誰に何を見られ、能力の真髄を見抜かれようとも構わない。ここで全てを出し切るつもりだ。
――らしくない。余りに、戦上手なエミヤらしくない戦法である。
双剣に最大の魔力を注ぎ込み、槍兵の首目掛けて投擲すると、双剣による左右からの挟み撃ちを狙いながら、投擲した瞬間に一時奥義を中断。全く別の投影工程に入る。
今の贋作者の魔力ではそれが適う。自身の
「
音速を超えて飛来した魔槍を、七つの花弁が受け止める。投擲物に対して特に強い防御効果を発揮する盾は、無尽蔵の魔力を注ぎ込まれ、まさに無敵の防護力を以てして魔槍の侵攻を阻んだ。
だがそこで終わらない。擲たれた魔槍の威力を受け止めきった途端、自壊させて特大の爆発を起こしたのだ。有り得ない戦術、それにより魔槍の真名解放を相殺したのである。
着地した無手の槍兵は目を剥く。
盾ではなく、大量の魔力を内包した爆弾のような扱い。爆弾の破裂した衝撃で、槍兵渾身の一投を無効化した様には、やはり原典への敬意は欠片もないようにしか見えなかった。
――野郎……。
悪態を吐く暇もなく飛来した双剣を見もせず、刀身の腹を正確に両手の甲で叩き落とすも、その手応えの重さと贋作の盾の用途を見て、贋作者が記録にあるより遥かに魔力が多い事を認識した。
「続きだ――
「チィッ――来いッ!」
いたく矜持を傷つけられながらも、弾き返された魔槍に命じて手を掲げ、更に双剣を投影して斬り掛かってくる贋作者を迎撃する。宝具の撃ち合いは圧倒的に不利だ。槍兵と贋作者の魔力量は、軽く見ても1対10……少なくともそれだけの差がなければ、到底魔槍の一撃をあんな手段で防げるはずがなかった。であれば白兵にて勝敗を決する他にない。
双剣を携え斬り掛かって来る贋作者。それを正面から見据える槍兵――アイルランドの光の御子には矢避けの加護がある。故に槍兵は当然のように知覚した。
己の背後から、先程弾いたはずの双剣が襲い掛かってくるのを。
「
「しゃらくせぇっ!」
前方からは双剣を携えた仇敵。後方からは同じ双剣。四つの刃による同時挟撃に、しかし。今次異聞聖杯戦争、白兵戦最強のサーヴァントである槍兵を仕留めるにはまだ足りない。
朱槍を高速で旋回させ、贋作者の双剣と背後のそれをほぼ同時に弾き、贋作者の両腕を虚空に跳ね上げた。隙だらけの胴体――その
殺し間からの鮮やかな離脱に贋作者は内心舌打ちし、幻想に実体を与えずに待機させていた投影宝具を自身の後背から掃射した。殺し間から離脱されたのなら最早手数の一つにするしかないのだ。
「
――
囲みを突破した槍兵目掛け、長剣形態に変形するほど過剰強化した双剣を虚空から掃射すると、エミヤの手にある双剣を含めた全てが吸い込まれるようにして飛翔した。
槍兵に最も近づいたと見た瞬間に爆破する。込められた魔力が桁外れなせいだろう、凄まじい地響きと衝撃波が全員の肌を打つ。狙われた槍兵は無事では済むまい、そう思いかけた刹那、エミヤは爆炎を突き抜けた影を目敏く視認し目で追った。
それは高速で明後日の方に向かい、影の正体が魔槍である事を見て取ると舌打ちした。魔槍はくるりとひとりでに反転し、一直線にエミヤに食らいついてくる。――朱槍を投じた槍兵が、それとは正反対の位置に居る証左だった。双剣を瞬時に投影し直し朱槍を弾くと同時、背後から迫った槍兵の蹴撃を片手で受け止めた。
「ぐ……」
突き穿つ蹴撃はエミヤの腕の上から胴体に掛けて衝撃を徹す。重い……凄まじい膂力にエミヤの体が吹き飛んだ。さながら大型トラックに跳ね飛ばされた常人かのように。
地面をバウンドしながら双剣を手放し、地面を両手で押して虚空に跳ね上がりながら洋弓と無数の矢を投影。驚くべきことに槍兵が無傷であるのを視認すると、空中で天地が逆さまになった視界の中で機関銃の如き弾幕を張った。とても弓矢によるものとは思えない矢の雨は――しかし槍兵を狙ったものではない。ライダーとセイバーに攻め立てられるモルガンを援護するかの如く、セイバーのマスターとライダーを襲った。騎兵は手綱を操り白馬を疾走させ射撃圏内から脱出し、剣聖は素早く身を翻してマスターの盾となる。矢の悉くを弾けたのは、
軽やかに着地したエミヤは不敵な笑みを浮かべる。それはランサーの神経を逆撫でした。騎兵も、剣士も意図が読めずに困惑する。なぜモルガンを援護した……? なぜランサーから目を逸らした?
何がしたい。何が狙いなのか。槍兵はとっくに限界を迎えていたと思っていた怒りの炎が、更に燃え上がるのを自覚する。プツンと何かが切れた音を誰もが聞いた。
「テメェ……このオレと相対しておきながら……何処を見ていやがる……?」
「――なに。君だけが相手だと眠たくてね、他にも粉を掛けたくなったのさ」
「……………」
挑発。
挑発。
また、挑発だ。
目に見えている。安い挑発だった。
エミヤは明らかに、ランサーの逆鱗を射抜いている。
「あぁ……悪い、バゼット」
マスターに貸した片目のハンデがあるとはいえ、それを感じさせない巧みな立ち回りを心掛けていたが。今少しだけ、その気遣いをやめる。
ランサーは言葉短くバゼットに謝った。本当ならもっと格好良く、先達らしい戦を見せてやりたかったのだが……そうも言ってられない怒りに駆られている。
やめろと言うならやめよう。令呪を使わなくても指示に従う。……止めないのか? それとも止められないのか? どちらでもいい。なぁに、己が警戒される方が、おたくもやり易くなるだろう? どちらであれバゼットに非はない……悪いのは全部、安い挑発に乗る自分だ。
「――全呪解放。加減は無しだ、絶望に挑むがいい」
空気が変わる。大気が死んだ。神代であれば、荒れ狂うクー・フーリンの憤怒に大地で眠る精霊が悲鳴を上げ、狂騒するほどの魔力の奔流が吹き抜ける。
エミヤは冷や汗を浮かべながらも、出るものが出たな……と、本命の時が来たのを悟る。
だが、絶望しそうなほどの圧力を感じた。
想像を超えた絶望の具現に、早まったかな、なんて苦笑いする余裕も消えてなくなる。
しかし、それでも、やるのだ。やると決めた。なら……全力で絶望に挑むのみ。双剣を構え、腰を落としたエミヤは、全霊を絞り尽くしたアイルランドの光の御子を睨みつける。
呪いの朱槍が消える。いや――担い手クー・フーリンと同化し、四肢と頭部に凶悪な外骨格が具象化した。それは紅海の怪物・海獣クリードを人型にしたかの如き、神威と禍の降臨の瞬間だった。死棘の一角を具えた兜、死棘の爪を具えた両腕。両脚からも生え出た呪いの赤は、大蛇の如き尾の棘とも合わさり剣山を想起させられる。喩えるなら、死を啜る怨嗟の獣。
出現した兇獣は、ただ静かに己の真名を唱えた。
「
噛み砕く死牙の獣。
マテリアルを見た感じ、この宝具はタニキじゃなくても使えると判断しました。
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新都策戦、相克する最悪 (下)
「ク――」
――ああ! なんて愉しいのでしょう! 綺麗に着飾ったドレスの裾。ひらりひらりと翻し。くるりくるりと廻る杖の先。さながら
「ククッ」
ああ、落ち着いて。獲物を前に舌なめずりだなんて品がない。落ち着いて、欲しい物は全て揃ったのだ。こんな所で転んでしまえば、奇しくも巡り会えた最高のダンスパートナーに申し訳ない。気を込めて、パートナーの足を踏まないよう、丁寧に丁寧に踊りましょう。
馬上から突き出される聖槍と、剣聖の刃を自らの魔槍で弾く。幾度も咲き誇り繚乱する鋼の火花は壮麗で。騎兵の一撃は骨身に響く。魔力で強化された筋力と、白馬の突進の勢いを乗せた打撃と刺突、そのどちらにも伴う聖なる光。受け手を誤れば魔槍ごと叩き潰れてしまいそうだ。剣聖は常にマスターの安否を気に掛け、援護や牽制以上の事をして来ないのは僥倖だと言える。
気を抜いたらすぐに死ぬ。この細腕は魔猪のような騎士王のせいで折れてしまいそう。ああ、おかしい。何が悲しくて一兵卒のように槍を振り回しているのか。だが今回だけ、一度限りの酔狂だと思えば全てが笑い話。なんだか放っておけない夫の許へ帰り、もう二度と離れなければいいだけのこと。――まさか自分と似たような事を考えていた敵が居ただなんて、本当に心の底からおかしくて堪らなかった。悔しいけどダンスパートナーの方が上手だと認めよう。
「何が可笑しい、妖姫ッ!」
聖槍を突き出しながら、アルトリアが猛る。凄まじい風圧で巻き取られ、ビルに背中を打ち付けられた魔女は、血反吐を吐きながらも笑みを隠し切れていなかった。
ああ、正面からではやはり勝てない。ましてこちらが何かしようにも剣聖が邪魔で魔術も使えない。このままでは討たれてしまう、敗けてしまう、だというのに嗤えてしまって仕方ない。
「けほっ。……ふふ、クククク……これが笑わずにいられるか、アルトリア。何故なら私の勝ちだ。私はもう、勝ったのだ! この異聞聖杯戦争で私が勝ち残り、私は私とマスターの世界を救った!」
「戯言をッ!」
「戯言なものか!
「ッ――!?」
突如、横合いから飛来した矢雨。速射砲にも勝る矢の弾丸。アルトリアは愛馬を走らせなんとか回避し、セイバーはマスターを狙った矢を切り払うべく後退した。
あともう少しでモルガンを倒せるというところでの横槍だ。それはよりにもよって赤い外套の騎士によるもので、ライダーは歯噛みする。ここぞというところで妨害する意図が全く読めない。
フェイカーは何が狙いなのか。ランサーほどの難敵に狙われ、こちらに構う余裕などあるはずがないというのに。現に見ろ……度重なる挑発で本気を出した光の御子、その暴威を。
あれは、駄目だ。ライダーは悟る。朱槍と同化した禍々しい姿は、聖槍による真名解放で一撃のもと消滅させなければ、自身もまた敗れ去ってしまうと思わされるほどの強大さである。
「……どうしたんだ、士郎さん。らしくない……らしくなさ過ぎる」
セイバーのマスターが……恐らく無意識にだろう、贋作者の名を呟く。彼が赤い外套の贋作者を知っているのは甚だ不可解だったが、ライダーも同意見であった。
戦上手なあの弓兵らしくない。登場からの何もかもが……否、あんな雑な狙撃をしてきた時点でおかしい。だがライダー達が見守る中、異形の狂戦士と化したランサーが突撃した。
どれほどの投影宝具を掃射しようと、彼の肉体を傷つける事はできず、規格外の怪力と耐久力を盾に一直線に突貫してくる狂戦士を、贋作者はいなすことができなかった。
果たして、その時はきた。
ランサーの豪腕で双剣ごと両腕を破壊され、血潮を噴き出すエミヤ。傷口から突き出る呪いの棘。後退するもランサーの敏捷性から逃れられず、その心臓に死牙の獣の尾を突き刺されたのだ。
霊核を破壊された。どう見ても死んだ。明らかに、確実に、絶対に死んだ。極めて妥当で、結果の見えていた結末である。尾の先端を引き抜かれたエミヤの体が傾ぐ。しかし倒れず、朱槍を分離した槍兵を苦笑しながら見ていた。
「どうよ、アーチャー。いや……フェイカーだっつったか? オレを舐めたからそうなったんだ」
「……舐めてなどいなかったさ」
魔力が散華していく。エミヤが消えようとしている。霊核を破壊されたのである……それも治癒不能の呪詛を帯びた朱槍によって。例えどんな大魔術を以てしても、彼を延命させることはできまい。
殺したことで、ランサーの怒りも鎮まったらしい。エミヤを見る目は険しいが、とうのエミヤの顔に険はなかった。彼はただ仕方なさそうに肩を竦める。
「最初から私は敗れ去るつもりだった。ここで貴様に倒されるつもりだったんだよ、ランサー」
「なんだと?」
「最後にいいものを見られた。あのアイルランドの光の御子に本気を出させた……私のような者には過ぎた誉れだな。では、さらばだクー・フーリン。私の愚かなマスターは地獄に落ちろ」
最後にそう言い遺し、エミヤは消滅していった。
ランサーやライダー、セイバーの中に小さくないしこりを残して。
(……倒されるつもりだっただと? どういうつもりだ。サーヴァントを失ったマスターは元の世界に送還される。生き残りを賭けた敗者復活戦なんざ無いだろ。アイツのマスターは何を考えてやがる)
その思考は恐らく、この場の者が共通して懐いたものだ。
エミヤという英雄は断じてこんな序盤で、真っ先に脱落するような男ではない。それはランサーも認めている。ではなぜ? ……考えられるのは、キャスターか他の魔術師に己のマスターを捕らえられ、令呪を切られて無謀な戦いに挑まされた事。
……終わったことだ。どんな思惑があれ、死んでしまえばどうにもならないものである。少なくともこの異聞聖杯戦争ではそうだ。ランサーはそう結論づけ、なんとか自身を納得させた。
と、その時だ。ライダーに大きく遅れて、やっと遠坂凛と衛宮士郎が駆けつけて来た。ライダーはモルガンを討つために先行していたに過ぎない。
凛と士郎にも見えていたのだろう、エミヤが消滅した事実に彼らは唖然としているようだった。
「うそ……アイツが、こんな簡単に……? ……いえ、それよりもライダー、状況は!?」
「……リン。そう焦らずとも、状況はゆっくり説明できそうですよ」
「え? なんで……って、あちゃ……私達、来るのが遅かったみたいね……」
現地人の参戦。それにランサーは舌打ちした。
セイバーとライダーは結託している、そこに現地人も交えたのなら戦いにくい。ここは一度退くべきだろうと判断し、ランサーは言葉も交わさず跳躍して撤退した。まずは一騎落とした、戦果は充分だ。
槍兵が退くや魔女の姿も薄くなっていく。ライダーやセイバーが、ランサーの余りに兇悪な姿に目を奪われた一瞬の隙を突き、転移魔術を発動することに成功していたらしい。既に魔女は此処にいない、いるように見えていたのは幻術による残影だった。
「過ぎたもんは仕方ないとして。……で、アンタは? お侍様のマスターならライダーと戦う気?」
凛が白野に声を掛ける。サーヴァントやマスターが、自分たちに危害を加えられないと知る故の余裕だった。だが、凛も気づいている。ライダーは警戒こそしているが、戦闘態勢ではない。
つまりこの少年は――
「――いや。俺にその気はないよ。それより、ライダーのマスターは? 話がしたい。その後に、もしよければ俺と同盟を組んでくれないか?」
懐かしそうに目を細め、しかし郷愁に似た感情を振り払い、凛ですら舐めて掛かれない風格を持って提案した。
† † † † † † † †
――そうして。乾坤一擲の策略は結実した。
「こひゅ……こほっ……ゴホッ、」
下水道の闇の中。地面に両手をつき、跪いた男は吐血する。ビチャビチャと鮮血を吐き、今に死んでしまいそうな形相である。
いや、彼が人間であれば死んでいた。彼がサーヴァントだったなら死んでいた。
心臓を破壊されたのだ。男――エミヤシロウは致命的に死んでいた。
だが、彼は人間ではない。彼はサーヴァントでもない。
デミ・サーヴァントだった。
サーヴァントと一心同体というイレギュラーであり、彼は自らに掛けた令呪により生き延びたのである。
第一の令呪『致命傷を受けた後、安全な拠点に空間転移しろ』
第二の令呪『
そう――あの槍兵に心臓を破壊される瞬間、彼は霊基を解きただの人間に立ち返ったのだ。
そうして己の心臓を破壊させた。だがデミ・サーヴァントであるが故にエミヤは即死を免れ、人間としての己を生贄に、己を半端なサーヴァントの状態から脱却させたのである。
英霊と完全に一体化する。そのための工程があの戦闘だった。
今、英霊は己の死体に憑依している形だ。死体とはいえ意識があった故に、脱落の判定を受けていない。意思ある死体に自らなったことで、エミヤは一度の死からまんまと抜け出せたのである。
この異聞聖杯戦争が終わり、サーヴァントが退去させられたら、エミヤは死ぬ。ただの死体だけが残される。だがそれがどうした? 元々死ぬ直前だったのだ、正しい形に戻るだけだろう。
自身が死ぬことで勝利を手に出来るなら問題ない。全て作戦通りだ。
これで敵陣営はエミヤが脱落したと思い込む。――最強のマスター? 聖剣でもなんでも投影できる? だからどうした、そんな力があっても負ける時は負けるのである、魔力差などで英霊に勝てると自惚れるほど、サーヴァントを知るエミヤは楽天家になれなかった。
「……全く、景気よく風穴を空けてくれたな、ランサー。まさか生きている内に二度も、お前に心臓をくれてやる事になるとは思わなかったぞ」
皮肉げに苦笑した
彼はもう戦う気がなかった。最後の最後まで引き篭もり、隠れ潜む。
参戦した上で脱落したと思い込ませる――本当の穴熊、意識の刷り込み、全て上手くいった。
エクストラクラスの敵を除き、全てのサーヴァントの顔触れも把握でき、その面子に自身の脱落を見せつける事もできている。暗殺者は怪しいが……致命傷ではないのだ、あの場に隠れ潜んで状況を見ている可能性はあった。
エミヤに油断はない。慢心もない。盤面を、外から眺め続ける。
† † † † † † † †
手製の令呪二画を得たモルガンは、一目散に目的の地へ向かっていた。
彼女は魔女である。しかし戦略にも明るい。故に彼女は召喚された直後、己のマスターが魔術的素養に乏しい素人と見て取ると、万が一を考え
その後、簡易神殿を築く傍ら情報も集めて。冬木のこと。
情報を集め、地理を把握する。基本中の基本であり、その結果モルガンは見つけたのだ。
己の切り札に成り得るもの――
それは神域の天才が築いた魔術炉心だ。同じものは流石のモルガンでも作れない。
だが。
異なる世界、汎人類史のモルガンは、話に聞いただけの『カルデアのレイシフト技術』を模倣してのけるほどの天才である。このモルガンもまた大聖杯という実物を見たのなら、その利用方法など幾らでも思いついた。
「これで……できる。
現地のモルガンではなく、完全に自分と同一の存在を喚び出すのだ。
新都で魔力を集め令呪を作ったのはこの為。
一騎のサーヴァントを除き、全ての敵の情報は掴めた。
もはやモルガンの勝ちは揺るがない。
セイバー、柳生宗矩。
アーチャー、エミヤシロウ。
ランサー、クー・フーリン。
ライダー、アルトリア・ペンドラゴン。
セイバーを炙り出すために一瞬だけ気配遮断が解れ、探知できたアサシン、エミヤ・キリツグ。
ステータスも把握した。情報はほぼ出揃った。後は……そう、最後の敵の情報を集めればいい。
モルガンは笑った。勝利を確信して。
計算外の事態の発生に備えた保険も掛け終えた。
盤石の布陣を敷く。後はそう……。
† † † † † † † †
「抑止の環より来たれ……天秤の守り手よ」
――そうして、苦渋の決断を下した最後のマスターがサーヴァントを召喚する。
やらないと死ぬという状況に迫られ。覚悟も固まらないまま、彼は英霊召喚を決行したのだ。
果たして現れたのは、藤丸立香の生存と、勝機を同時に齎し得るサーヴァントである。目映い光から進み出てきた彼女……否、彼は。己を召喚するなり令呪を切り、現界の維持に当てて項垂れる立香の肩に手を置いて、慰めるように囁きかけた。
「
モルガンがマスターに吐いた一つの嘘。それはクラス。
彼女は、ルーラーである。
藤丸立香は一人だと何も出来ない。少なくともこの状況だと。
そこで、なんでもできる万能の天才があてがわれた模様。
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藤丸立香と万能の人
「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、
分からない。何も分からない。
剪定された自分の世界。理由も分からない世界の消滅。
なんの因果か異聞帯なるものに成り上がり、汎人類史と成り代わる為の戦いに駆り出された。
始まりはいつもそうだ。訳の分からないまま駆け出して。必死に駆け抜けた先が、これだ。
今度はなんだ? 次はどうする? 分からない。
戦争の状況は不明。装備は皆無。バックアップもない。マシュもいない。
これで、ただの一般人だった自分に、何をどうしろと言うのだろう。
世界が、切り捨てられた? ……なんで?
どうせ滅びる運命にある世界だったのなら。
あんなに、必死になって戦う必要なんてなかったじゃないか――
「……誓いをここに。
我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者」
挙げ句。自分の世界を救う為に、他の世界を殺戮し尽くせだって? 最後の最後には汎人類史を殺して、異星の神も殺す? 戦って戦って戦って、他の世界を殺した罪悪感に塗れて。
――自分の世界の命運を背負って、責任を一人で抱えろ?
(ふざけるな。なんで俺なんだよ。なんで俺がそこまでしないといけない)
脳裏にこびりつく、ひどくちっぽけな怨嗟。
生き残りを賭けて戦い、戦いの過程で現地の人から魂喰いをしないと魔力も調達できない。
自前の魔力リソースが令呪三画だけとかどんなイジメだ。自分は魔術師なんかじゃないのに。自分一人じゃなんの力もないのに。人を殺す覚悟なんてないし、そんな覚悟はしたくもないのに……。
覚悟も決意もない。ただただ、経験的な閃きに従っているのが今だ。今のまま盤外にいるのはマズいと感じて。必要に迫られるまま、英霊召喚に踏み切ったのである。
――だから。
「汝、
――助けに来てくれた人を見た時、立香は不覚にも目頭を熱くさせてしまった。
彼は、平凡な。異聞聖杯戦争史上最弱のマスターである。
† † † † † † † †
三日目。三日目かぁ……。
顎に手を当てうろうろと、留置所の檻の中で歩き回る美女。
本来の性別は男だが、最高の美を自ら体現して『モナリザ』そのものの姿になったのがこのレオナルド・ダ・ヴィンチである。今のダ・ヴィンチは一見、絶世の美女にしか見えない。人体のパーツの総てが黄金比であり、些細な所作一つにすら美を醸し出していた。
ダ・ヴィンチは人類最大級の天才である。『天賦の叡智』と『星の開拓者』というスキルをEXランクで保有しており、藤丸立香の窮地を打開できるのは彼……彼女だけと言っていいだろう。
もしエクストラクラスが空いていたら。他の座が空いていたら。そういうたらればを語っても無意味だが、もし立香がダ・ヴィンチ以外を召喚していた場合、立香の敗死する確率は100%だった。藤丸立香の生存と勝機、それを10%……生存に限っては極めて簡単な条件を満たしたのなら、100%の確率で彼を生きて帰らせる事ができるのがダ・ヴィンチである。
此度の異聞聖杯戦争では、縁は機能しない。
ただただ純粋に、相性が最高にマッチする英霊が選ばれるだけである。
カルデアに来る前の立香の能力は、平均の中間。人類ど真ん中。善にも悪にも簡単に転べるし染まれる平凡な性質である。そんな彼はおおよその英霊と良好な関係を築けるが、
デミ・サーヴァントは人間である。故にマシュ・キリエライトは召喚不能。である以上、彼が喚び出せるサーヴァントはほとんど決まっている。それは、彼同様に尖った面のない平凡な英霊か。或いは
「……やっぱり、ダ・ヴィンチちゃんでも状況は悪いと思う?」
不安げに問う立香に、ダ・ヴィンチは苦笑した。彼と同じ世界の者として召喚される以上、彼女はカルデアでの活動記録も当然のように有していた。
実を言えば、ダ・ヴィンチはカルデアでの記憶はない。記録があるだけで、そこで感じた慚愧や悔悟、体験を他人事のように知っているだけである。
だがダ・ヴィンチはそれを語る気はなかった。そんな余分な情報を立香が知る必要はない。
故に彼女は立香の問いへ率直に答えた。
「ああ、悪いね。最悪一歩手前……いや半歩手前かな?」
「そっ……か……」
ダ・ヴィンチほどの天才がそう言うなら、そうなのだろう。
自らの判断ミスを悔やむように立香は俯く。
そんな彼に歩み寄り、ダ・ヴィンチは立香の肩に手を置いた。
「だが我々にとっては最高の状況だ。だからそう悔やむ事はないよ」
「え? それって、どういう……」
「簡単な話さ。私はホームズみたいに勿体ぶらないから安心してくれよ? もし藤丸くんがあのまま冬木に残っていて、早期に私を召喚していた場合、敗北からの戦死はこの私ですら避けられなかっただろう。他のマスターやサーヴァントが、どれほど弱くたってね」
「……えっと、どういう意味なんだ?」
「早い話。なんの下準備や工房もない状況で乱戦に巻き込まれたら、流石の私も君を庇い切れる自信がないってわけさ。他マスターと同盟を組めたら話は全く変わるけど、そこは論じる意味はない」
そう。立香にとって最善の選択肢とは、
もし
過ぎた話だ。立香が選んだのは最善ではないが、次善の状況である。故に彼女は最高の状況だと言うのだ。……だってこれ以上も、これ以下も有り得ないのだから。
「藤丸くん」
「はい」
「……プッ。なにそれ? 急に畏まるのやめてよ、もう」
真面目な顔で呼び掛けると、正座したまま背筋を伸ばした立香にダ・ヴィンチは噴き出す。
穏やかな空気が流れる。しかし、そんなのほほんとしている場合でもない。
立香としては心底頼れる相手なのだ。目上の人でもある。……寧ろ雲の上の人だった。
平凡な凡人である立香にとって、英霊とはほぼ全員が偉大な歴史なのだ。特にダ・ヴィンチは、長い戦いを共に駆け抜けてくれた人でもある。最大級の敬意と信頼を懐いていた。
ダ・ヴィンチは、そんな彼の信頼に応えたいと思う。だから、彼女は語る。
「……いいかい? これから私達がするべき事は、如何にして勝利するかの算段を立てる事だ」
「うん。それは、分かるよ」
「では勝利する為に必要なものは? 魔力、工房、装備、情報だ。今の我々にはそのどれもない。戦術を立てようにも情報がないんじゃお手上げだ。さあ藤丸くん、これからどうしたら良いと思う? いや……この問は残酷だったね。答えなくていい、私が勝手にやるからさ」
「……ごめん」
魂喰いは避けられない。絶対にしないといけない。でないと魔力リソースが枯渇してしまう。
故にダ・ヴィンチはそれを独断でやると宣言した。……本当なら立香に決断させるべきなのだろう……しかし立香の成長や立ち直るのを待つだけの時間はないのである。
「で……魂喰いは継続的にやらざるを得ないとして。次に必要なのが装備だ。情報を集めたくても手ぶらで戦場に行くのは自殺行為だからね。まずは冬木の外……つまりここで
礼装の現物があれば、一から作るよりかは手間も省けるのだが、状況的に流石に無理がある。
ダ・ヴィンチは召喚されて間もないというのに、冬木の状況におおまかな推測を立てていた。誰も彼もが神秘の秘匿なんて考えず、派手にやってるんだろうなぁ、と。
となると、魔術師がここに派遣される事態を起こすのは得策ではない。起こすにしても、魔術師が来る前にこの地を離れた方がいい。何が切っ掛けで情報が漏れるか分かったものではないのだ。
冬木に派遣された魔術師に連絡が行く可能性もある。そうなった場合、その魔術師に暗示を掛けるなり操るなりして、冬木の外に自分達がいる可能性が漏れない保障はないのだ。
可能性としては低いし、そういうのはキャスターの専売特許なのが普通なのだが……カルデアの記録を持つ故に、例外という物はありふれている事をダ・ヴィンチは知っていた。
安易な行動は厳に慎むべきである。何せ自分達の唯一の強みが、まだ誰にも情報が漏れていない事なのだ。情報漏洩にだけは気を遣う必要がある。せっかちは貰いが少ない……この事を念頭に、慎重かつ大胆な作戦を立てないといけない。
――この時、ダ・ヴィンチは自らがキャスターである故に、エクストラクラスとして裁定者のクラスの出現も想定していた。今のダ・ヴィンチの天敵とも言える相手だからだ。
異聞聖杯戦争のルーラーに、他サーヴァントへ有効な令呪は無い。だが真名看破は機能する。レオナルド・ダ・ヴィンチという真名がルーラーに知られたら、ルーラーは真っ先にダ・ヴィンチを倒そうとするはずだった。ステータス的にも直接戦闘力の低いキャスターが、なんの準備も整えられていないと知られたら詰む。冗談抜きで敗北という未来しかない。
「藤丸くん。今の私達に取れる手には、AからC案の三つがある。A案はとにかく藤丸くんを生存させる事だけを考えた案だ。これなら藤丸くんは100%確実に生還できる」
「そんな案があるの!?」
「あるんだなぁ、これが」
「流石ダ・ヴィンチちゃん! 頼りになるっ!」
多分だが、他のマスターやサーヴァントはやらない。やっても意味がないからだ。ダ・ヴィンチが藤丸立香の身の上を知っているからこそ、その案も悪くないと考えられたのである。
このダ・ヴィンチはカルデアのサーヴァントではない。しかしカルデアと、異聞聖杯戦争の仕組みも知っていた。――立香は本人である。分霊だとか、コピーだとかではないオリジナルだ。である以上、
ならばカルデアは立香を探す。特異点か何かのせいかと疑い、なんとかして立香を見つけ出そうとしている最中だろう。どうやら異聞帯のことは知らなさそうだし、密かにカルデアの自分が作製した特注の車も使えないだろうから、カルデアがこの異聞聖杯戦争に介入するのは絶対に無理だろう。……そこは仕方ない。だが立香が生きて元の世界に戻り、記憶をはじめとした痕跡はなくなっていても、カルデアは立香が行方不明になった原因を探すはずだ。
そうなれば、もしかすると世界の危機にも気づけるかもしれない。あくまで可能性だが、零から一に可能性を広げられる。それは奇跡だ。故に――悪くない案だと判断した。
一にも二にも、立香の生存。それがダ・ヴィンチの中での最優先事項だ。
「A案を聞かせてくれ。ダ・ヴィンチちゃん、俺は何をしたらいい?」
「何もしなくていい」
「……なんで?」
この反応だと、思いついてもいないらしい。それが立香らしい反応だ。彼が
だがダ・ヴィンチはこのA案こそを推す。しかし、推しても彼は反対するだろう。そうした反応も織り込んで、強硬に意見を打ち出すつもりだった。
「藤丸くんの手助けが要らないシンプルな案がA案なんだよ。私が自害するだけなんだから」
そう。これこそが最適解。間違いのない案だった。
しかし、やはり立香は拒絶するような顔になった。
「……それは、」
「聞いて」
「ダ・ヴィンチちゃんっ」
「聞くんだ、藤丸くん。私が自害したら、君は敗退した扱いになって元の世界に送還される。なんのリスクもなく、今すぐに帰還できるんだ。君がオリジナルである以上、君は今行方不明という事になっている。ならカルデアは君を探しているはずだろう? 君が帰還する事が何よりも優先される目標になるのは必然だ。悪いけどこれだけは譲れないね」
「でもそれだとダ・ヴィンチちゃんが死んじゃうじゃないか!」
「そうだけど、忘れたのかい? サーヴァントは元から死人なんだぜ? 気を遣う必要はないし、むしろ迷惑だ。だけど何もしない内にA案を押し通すつもりは私にもない。――詰んだって私が判断したら、私は即座に自害する。だから藤丸くんもそのつもりでいてね?」
「っ………、…………わか、った………分かったよ、ダ・ヴィンチちゃん」
「良い子だ。なぁに、カルデアに帰ったらまた会えるさ」
沈んだ顔をしている立香へ、ダ・ヴィンチは辛気臭い空気を振り払うかのように、右手の杖をフルスイングして留置所の壁を壊した。少年を外へと誘いながら、万能の人は講師の如く語りかける。
「B案、C案のどちらが良いかは君が決めてくれていい。B案は――で、C案は――だ。さあ、どうしたい? 人類最後のマスター、藤丸立香くん。君の選択を聞かせておくれ」
ちょっとマスターのターンが続きます。
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月の王の目論見、魔術師殺しの覚悟
「ど、どうぞ……粗茶ですが」
「忝ない」
士郎から差し出された茶を、セイバーは自然に受け取った。
世間一般の武士というもののイメージを具現化したような老人である。士郎はなんとも言えない緊張感を覚え、居心地悪そうに肩肘を張っていた。
当然と言えば当然だろう。何せセイバーはあの柳生宗矩である。彼は活人剣の開祖であり、宗矩の著した兵法家伝書の一節『一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等誠に、人をころす刀は、人を生かすつるぎなるべきにや』という言葉は、あの赤い外套の弓兵を想わせるものだ。士郎が兵法家伝書を知らずとも、その思想を体現する宗矩の醸す空気感――鋼鉄でありながら柳の如き存在感は重苦しく感じられた。
彼がその気になれば、一息に首を刎ねられる。それだけの力の差を感じた。あの宮本武蔵とも並び称される、日の本の史上に於いて無双を謳われる剣士の風格は、まだ未熟な士郎には大き過ぎる。
――場は新都より移って衛宮邸である。
武家屋敷のような衛宮邸に、初めて訪れたはずの宗矩が最も馴染んでいるのもおかしな話だが、彼の纏う『和』の空気は調和を齎し、同時に場の空気を引き締めてもいた。
宗矩がいる所に白野在り。彼はライダー・アルトリアの隣に配置され、宗矩は凛と士郎に挟まれている。凛の隣には桜、その隣に白野、アルトリアと続いている形だ。
「――なんだか上手く乗せられたわね」
苦々しく言ったのは凛だ。桜の肩越しに睨みつけられた白野は、明らかにリラックスして肩から力を抜いていた。まるで身内に囲まれた時のような安心感すら懐いていそうである。
茶を啜った白野は、のんびりとした調子で茶碗を置く。そうしながら桜に向けて礼を言った。
「桜さん……いや、馴れ馴れしいな。間桐さん、ご馳走様です」
「あ、はい。……お粗末様です?」
「遠坂。早速だけど話を詰めたい。慎二も、士郎さんもいいかな?」
「……俺はいいぞ。そういうのは慎二と遠坂に任せる。気になった事があれば口を挟ませてもらうけどな」
「私もいいけど……ねえ、岸波くんだっけ? あなた、あからさまに私と桜への態度が違うのはなんでなのよ? 衛宮くんに至っては『さん』付けだし」
テーブルの真ん中に置かれている携帯電話の向こう側に間桐慎二がいる。その慎二は名前で呼び捨てで、凛は苗字だ。桜にも妙に距離感が近い。もやっとするものを感じた凛が突っ込んだ。
すると白野は虚を突かれたような顔をした後、苦笑しながら頬を掻いた。
「あー……それについては、オレの話をしないといけないんだけど。……まあいいか、どのみち話しておいた方が話も進ませ易い。信じられないかもしれないけど、本当の話だと思って聞いてほしい」
まず自分がアムネジア・シンドロームという病気に罹っていたこと。それにより記憶がほとんど無く、自分の名前ぐらいしかはっきりしないこと。だというのに、まるで自分じゃない自分がもう一人、
その
遠坂凛や間桐慎二、間桐桜に関しては自分の世界で知己があったような気がする。衛宮士郎は自分の恩人であるから、例え自分が知っているものより十歳以上若くても丁寧に接したいこと。
あと桜だけは絶対怒らせたくない。現状で把握している自身の背景について白野は語った。
「……衛宮くんが十歳以上若い? ってことはアーチャーみたいな外見ってことよね。なのにどうして衛宮くんとアーチャーを結びつけて判断できたの?」
凛から見て英霊エミヤと衛宮士郎は似ていない。だからそう問いかけたのだが、白野からしてみるととても似ていると感じていた。中身の話ではなく、容姿としてだ。
身長は全然違うが、顔立ちとか眉毛とか。知っていれば確かに同じ顔だと判別が付く。凛や士郎が最初にエミヤを見た時、両者を結びつけて見られなかったのは、まさか未来で士郎が英霊になっているだなんて想像もできなかったからであり、エミヤという印象が独立してしまったからではないだろうか、と白野は思う。事実はどうあれ、とうの士郎は面白くなさそうに凛へ言った。
「遠坂、あまりそこには触れないでくれ。俺が将来アイツみたいになるとか考えたくもないぞ」
「あ、ごめん。けどそれだと岸波くん、あなたは私達より未来から来た人間ってことになるわ。平行世界だとかそういう次元を超えてる。それはどういう事なのか説明できる?」
『そんなのどうでもいいだろ。まだ聖杯戦争未経験の執行者サマがいるのを忘れたのかよ。大体記憶が曖昧とか言ってる奴にそんな質問して、素直にこう思いますだなんて答えられると思ってんの?』
「うぐっ……」
ケータイから慎二の声がする。凛はどうにも、異聞聖杯戦争が始まって以降の慎二が苦手だ。まるで人が変わったかのように鋭いのだ、やり辛いったらない。……後。慎二が凛をやり込めるのを見る度に、桜が楽しそうにしているのがどうにも気になる。
『悪いんだけどさ、僕は遠坂みたいに脇道に逸れて話をしてやるほど気が長くないんだ。本来僕とオマエは敵同士だし、戦いの趣旨的にも相容れないはずだろ。なのになんのつもりで同盟を組みたいなんて言い出したのか、全部話してもらわないとこっちとしても頷けないね』
「………」
『……なんだよ。僕からはそっちの状況は分からないんだ、黙ってないでなんとか言えよ』
「ああ……そのつもりだ。けど……なんか懐かしいのに、どうにも違和感があるなぁって」
『はあ?』
「ごめん、こっちの話だよ。それより本題に入って同盟を固めたいのは俺も同じだ。その後に今後どうするかについて話し合いたい。ひと先ずそういう流れでいいかな?」
その場の全員の顔を見渡し、特に異論がないのを確かめた白野は話し出す。
落ち着いた声音だ。どこか場を呑む風格すら感じる。その佇まいに王であるアルトリアは感嘆の念を覚えつつも耳を傾けた。
「――まず異聞聖杯戦争。これについての説明は?」
『要らない。それは全部僕から話してある』
「了解。なら基本的にオレ達は不倶戴天の敵同士だって認識になってる筈だ。慎二を除いたマスターだってそう考えてると思う。……でもオレは違う。このルールには穴があるんだ」
『……なんだって? なんだよそれ、勿体ぶらず教えてくれるんだろうな』
白野の言葉に、アルトリアを除いて最も危機意識の高い、暗示に掛かっている慎二が反駁する。
ルールに穴。そんなものが本当にあるのか? 慎二だって何度も考え、穴なんか無いと判断したから今の体制を取ったのだ。穴があると言うなら是が非でも聞き出し、検証しないといけなかった。
「勿論。正確にはルールじゃなくて……そうだな、戦争の仕組みそのものだ。いいか、皆。ガイアの最終目的だとかはこの際置いといて、考えてもみてほしい。遠坂あたりならピンと来ると思うんだけど、オレ達の世界は全部で七つ横並びにされて、生存競争をさせられてる。そしてこの七つの世界は星の内海にあるんだよ」
「………あ。もしかして、
「うん。本来交わるはずのない平行世界がかなり近くにあるって状態なんだ。で、七つの世界はガイアの胸先三寸で何時でも消せてしまえるんだけど、この世界の構造こそがオレからしたら穴になる」
「……どういうことだ?」
士郎が首を傾げると、白野はその顔を真っ直ぐに見た。
「士郎さん。貴方だったら自分の世界の為に、他六つの世界を全部切り捨ててしまっても良心は痛まない?」
「……いや。助けられるなら、助けたいとは思う。正直話が大きすぎて実感は湧かないけどな。あとその士郎さんっていうのはやめてくれないか? 背中がむず痒くなって仕方ない」
「じゃあ……士郎先輩?」
「……それもなんだか嫌だな」
「あの……つまり岸波くんは、何が言いたいの?」
慎二の苛ついてる雰囲気をケータイ越しに感じた桜が声を発する。すると白野はあからさまに背筋を正した。桜はその様に苦笑してしまう。同年代の少年に畏まられるのに慣れていないのだ。
「オレがこの異聞聖杯戦争に勝てたら。オレが勝てなくてもライダー……慎二の陣営が勝ったら聖杯に願ってほしいことがある。遠坂は察しが付いたかもだけど、それは
『……ガイア。つまり運営との交渉権だって? そんなものを手に入れて何が……ああ、なるほどね。それなら確かに僕らにも旨味がある』
「ちょっと待ってくれ。俺はまだ理解できてないぞ。きちんと最後まで話してくれ」
「世界の仕組みが横並びになってるって事は、明白に
「……すまん、そうしたら大変な事になるのはなんとなく分かるが、ガイアって奴にとってそれをするメリットが思いつかないぞ」
白野の言う目的は、凛と慎二に一定の理解を示させるものらしい。だが士郎と桜には今一ピンと来ない目的だった。納得していない様子の士郎に、白野は簡単に言った。
「ガイアのメリットならあるんだよ、士郎先輩。だってガイアは2000回以上も七つの世界で異聞聖杯戦争をしてる。いい加減手に入るデータとかいうのも似たり寄ったりになってるはずだ。だから新しい形態に変化させて、別の角度からのデータを手に入れられるなら、ガイアも聞く耳を持つとオレは思う。ガイアにも許容できない願い――自分の目的にそぐわない願いはあるはずだろうけど、交渉という形に持っていけたら無理な願いを省いて話を進められるんだ」
「二つの世界を、一つに重ねる……そんなことをしたら、その世界はとても大変な騒ぎになるんじゃないですか……? それこそ神秘の秘匿だって……」
「騒ぎにはなるね。けど間桐さん、世界が滅んじゃうよりはよっぽどマシだと思わないか? しかもそんな事になったら異聞聖杯戦争の事も隠し通せないけど、裏返せば二つの世界分の頭で、皆で問題に挑める事になる。その混乱を纏めるのは偉い人達の仕事だろう? 何もオレ達が全部を解決する必要なんかないんだ。急場を凌げたら後の仕事は丸投げでいいと思う。……どうかな?」
『……なるほどね。けどガイアがこの話を呑まなかったら? 交渉できたとしても上手く纏められる保障なんかないんだぜ? そこはどうするんだよ』
「まず前提として、オレは今回の勝ちを同盟相手に譲ろうと思ってる。オレと慎二が最後まで残った陣営になれば、オレはセイバーに自害を命じる。もちろんセイバーも納得してる話だ」
「サーヴァントを……自害させるですって?」
「そうだ」
『だから交渉が没になっても、主導権は僕らにあるって言いたいわけだ。ハ、悪いけど信用ならないね。オマエもそんな話で納得させられるとは思ってないだろ。どう僕らを信用させるつもりなんだ』
「オレの傍に、常に遠坂か士郎先輩を置いとけばいい。怪しい動きを見せたら即座に殺してくれて結構だ。……こう言えば、オレの言いたい事は解るよな」
『ライダーが消えて、セイバーが残っても、最後に願いを叶える権利はこっちが握れる……ってことか?』
「その通り。何せ慎二は現地のマスターだ。他のマスターはサーヴァントが消えたら元の世界に送還されるけど、慎二だけはそうはならない。謂わば慎二だけの強みなんだよ、
白野が言い切ると、場には沈黙が落ちた。
自分を殺したらいいと簡単に言ってのける白野は、どこか超然とした雰囲気を感じさせる。
淡々と自身にとっての最善の手を打つ様は、まるで王のようですらあった。
凛は、必要に迫られたら、殺せる。凛にとっては、この神秘の秘匿に関する問題を有耶無耶にできるメリットもあるし、合理的にものを見て非情な決断を下せるだろう。だが士郎には無理だ。
罪もない人を殺せるほど、士郎はまだ鉄心に徹せられない。凛も士郎に手を下させるつもりはなかった。故にその役目は凛が負うことになるのだろう。しかしそうなったら……。
『――話は分かった。遠坂も、衛宮も理解できたよな?』
慎二が確認すると、二人は曖昧に返事をした。
『桜。そういうわけだから、オマエが遠坂に代わってライダーへの魔力供給を担当してくれ』
「え……? わ、私が、ですか……?」
『岸波の監視役は遠坂が適任だ。衛宮は論外だからな。となるとオマエしかいないって話だよ。いい加減衛宮も察しが付いてるだろうけど、桜は間桐の正統な後継者だ。サーヴァントへの魔力供給ぐらい簡単に出来る。いいからやってくれ』
「………」
士郎も莫迦ではない。この期に及んで桜が魔術も知らない一般人だとは思っていなかった。
それでも複雑な気持ちになる。桜だってこういう事態になって覚悟はしていたが、知られたくないという思いはあった。勿論、慎二だって本当なら巻き込みたくはなかった。
『……桜。頼む。何度も世話になっといてアレだけどさ……もう一度、今回だけ助けてくれ』
「兄さん……」
『交換条件ってわけじゃないけど、全部が終わったらさ……その、なんだ。桜のこと、
「え? …………それって」
罪悪感はある。これから罪滅ぼしをしていけたらいいなって、慎二は思っていたというのに、更に頼ることになるのは不本意だった。だがそうしないといけない。いけないから……せめて
しかし、桜にとっては魅力的な対価に思えたのだろう。ちらりと凛を一瞥して、それから士郎を見た。二人が頭に疑問符を浮かべるのを尻目に、桜は意を決したように応答する。
「……わかりました。私なんかでよければ、セイバーさん……じゃなくてライダーさんへの魔力供給をさせてもらいます。その代わり、今の話を忘れないでくださいね、兄さん」
『忘れないよ。桜と衛宮には積もる話もあるだろうし、早速二人で話しときなよ。今まで黙ってたこととか、桜から全部話しちまえ。話し辛いだろうから二人きりでさ』
「はいっ。先輩、ちょっとこっちに来てくださいっ」
「え? あ、あぁ……」
「ちょっと! まだ大事な話の途中なんだけど!?」
『バカ二人はほっとけよ。遠坂は抜けちゃ駄目だぜ? 大事な話の途中なんだからな』
鈍い士郎と凛はまだ分かっていないだろうが、慎二は桜の想いぐらい解っている。故に容易く桜に好機を作るぐらいはできた。
桜に腕を取られ退室させられていく士郎を凛は本能的に止めようとする。だがそれも制止されて、彼女はなんとも言えない危機感のようなものを覚えた。
このままじゃいけない。そう思っても、止めることはできなかった。
そんな有様を見て、白野はなんとなく察する。
(あぁ……なるほど。こっちの桜は士郎さんが好きなんだな。……
頭を振る。振って、白野は慎二に確認を取った。
「――同盟成立、って事でいいんだな、慎二」
『ああ、今のところはね。握手はしてやれないけど、ご破算になるまではよろしくしてやるよ、馴れ馴れしい異世界人』
正式に同盟が締結される。サーヴァント二騎の陣営、それは強力な戦闘力を発揮するだろう。
だが――まだ足りない。
白野は可能な限り急いだ。急いで同盟相手を見つけた。
だがそれでも遅すぎたのだと白野は感じている。
この遅れをどう取り戻すかが今後の課題だろう。
今は手持ちの情報を交換し、認識を擦り合わせ、作戦と方針を立てる。それからだ。全ては。
† † † † † † † †
自らの分身とも言えるサーヴァントが負傷した。
その報告に、衛宮切嗣は背筋にひやりとしたものが伝うのを感じる。
『マズいな』
(ああ……マズい)
アサシンが念話で言うのに、切嗣は同意する。
彼がどう動き、どのような判断で事を起こしたのかは知っている。
見つかるはずがない。気づかれても撤退するまでの経路を辿られるとは思っていなかった。
であるのに、狙撃された。それが意味するのは、
(僕の思考パターン、暗殺者の行動原理を知悉した敵が居る。なのにアサシンを負傷させた一射だけで、追撃もなく見逃したという事は……殺ろうと思えばいつでも殺れると思っているか――)
『――それを含めて僕を泳がせていれば、それだけ都合が良いように盤面が廻ると計算しているか、だ。傷の具合からして、数日僕が動けなければ良いとも判断している』
(アサシンが撹乱していたのは計算通り、これからも頑張ってくれ、ただし自分の思い通りになる範囲で、というオーダーが入ってるわけか。……舐められたな、僕も、お前も)
『だが実際に思考も行動も読まれた。これは暗殺者として致命的だろう。どうする?
(………)
切嗣は調達してきた双眼鏡を覗く。
そこから視えるものを確認した切嗣は、不敵に笑った。
彼もこれまでただ潜んでいた訳ではない。少しずつ道具を調達し、装備を整えている。
常に周囲を警戒し、情報収集は可能な限り行なっていた。
故に、それは必然だった。深山町の民家に隠れ潜む切嗣は、見つけていたのである。
(――携帯電話)
『なに?』
(現地のマスターは、協力者を前面に出し、自らは引き篭もっている。連絡手段は携帯電話で行なっている可能性が高い)
民家に入っていく姿を確認したきり、部屋のカーテンを閉め切って、出て来る気配がない。
故に切嗣はそう判断していた。彼は
当然、現地の時代、文明レベルも調査済みだった。
(サーヴァントと行動を共にしている現地人が、携帯電話を持っていたら教えてくれ。傷が癒えるまで表立ってはお前も動けないが、僕の眼になるぐらいはできるだろう?)
『……なるほど。
(いいや)
この時、はじめて切嗣とアサシンの意見が割れた。それは辿った人生、積んだ経験の差がそうさせたのだろう。切嗣はここで、勝負に出る決断を下したのだ。
アサシンは最も脅威度の高い槍兵の始末の算段を立てたというのに、切嗣は別の敵を見ていたのである。その敵とは、
(――ぶつけるのは
『なんだって? ……なぜだ。キャスターは僕にとってカモだぞ、寧ろ最後まで残していた方がやり易くはならないか?』
当然の判断を下しているアサシンに、マスターは言う。それは、あくまで仕事と割り切っているアサシンとは違い、絶対に勝つという強い意思がある故の選択である。
(違うな。僕を含めたマスターにとって最も恐ろしいのはアーチャーとキャスターだ。ランサーなんかじゃない。アーチャーはアサシンを負傷させた手際から見て、絶好の好機が来ない限りまず終盤までは姿を隠してるはずだ。でないとアサシンを脱落させなかった意味がないだろう。となると中盤から終盤に掛けて一番力を付けてくる
『……いいだろう。だがランサーはどうする?』
(問題ない。
『………』
暫しの沈黙を挟み、アサシンも切嗣の意図を汲んだのだろう。
機械的に彼は了承した。
『了解。アンタの指示に従おう。確認するが、僕が今するのは情報収集のみでいいんだな?』
(ああ。――アサシンの傷が癒えるまでは、
思考を読まれているのなら。読まれているなりに、冷静に対処する。
例えどれほどの窮地に陥ろうと、全盛期以上の精神強度を獲得している切嗣に
絶体絶命の死地など何度も乗り越えてきた。今回も乗り越える。それだけの話だった。
――汎人類史にて。魔術使いの傭兵の業界で、伝説的な知名度を誇るに至った魔術師殺しは今、明白に全盛期を超えようとしていた。全ては、世界を救う為。
アサシンは感情など捨て去ったはずなのに、どうにももう一人の自分に対しては神経がざわめく。多分、嫉妬の気持ちが湧いているのかもしれないなと、彼は自嘲も込め皮肉げに吐き捨てた。
『
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主演女優、助演女優
掻っ払ったワインボトルを手に帰還した魔女は、自らの
今宵は祝杯をあげよう。喝采も求める。グラスにワインを注ぎ、マスターに酌もしてやろうではないか。まさに最高の気分、唄でも歌ってやってもいいとすら思えた。
――この異聞聖杯戦争を主導しているのはモルガン・ル・フェである。マスターは所詮、添え物に過ぎなかった。故に、本来なら報告などする必要はないと思っていたかもしれない。
しかし上首尾に終わった序盤戦の成果を明かして、とにかく褒めてもらいたかったのだ。妙なところで迂闊というか、子供っぽいというか。身内と認めた者との距離感がバグっている魔女である。
ブリテン島の意思を継いだ彼女にとってブリテンの支配こそが人生の全てであり、その為に生きて、遠い時の果てまで流れ着いても悲願を捨て切れていない。だからこそ、生まれ持った使命以外に大切なものを見つけた時、モルガンの心は重すぎるほど重く対象に傾く。
相手がどういった性格・性質の人間なのか、相手からどう思われているのかを一目で判別できるからだ。故にもう少し仲を深めたら、モルガンは己の使命よりもマスターに比重を置くかもしれない。彼女にとっての好悪の情はそれほどまでに極端だった。
「なんか、負けそうな気がしてきたな」
「――ですからこの後は……。……え?」
――故に、草十郎の率直な感想を聞いたモルガンは固まった。
率直な声であり、言葉である。余計な装飾はなく、故に誤解の余地もない、素直な感想だ。
一瞬、モルガンは何を言われたのか理解が追いつかなかった。
徐々に話が飲み込めてくると、顔を怒りで赤くしながら詰問する。努めて冷静に、シンプルに。
「……私の話を聞いて、どうしてそう思ったのです?」
「どうしても何も、獲物を前に舌なめずりするだなんて、まるで犬みたいじゃないか。俺、犬は好きじゃないぞ。卑しいというか、迂闊に見える」
「…………」
ぐぅの音も出なかった。
これでモルガンの戦術、戦略に文句を付けるようなら、理路整然とした論理で以て、稚拙な反論を叩き潰して持論を曲げる事はなかっただろう。
しかし、振る舞い。上首尾に終えた序盤の成果で勝利を確信し、少し舞い上がっていた点を指摘されたのなら二の句も継げない。自分でもちょっと
完全に痛いところを突かれ、硬直したモルガンは気構えを立て直せない。しどろもどろに反論しそうになったモルガンの気勢を流し、彼は魔女の工房の一角にある水晶に目をやった。
「それより、困った事がある」
「な、なんです……?」
「モルガンの置いて行ったアレで、戦いの光景は見る事ができていた。けど、サーヴァントって奴は早すぎて目で追えない。肉眼で直接見てたら予備動作とかで判別が付くかもしれないけど……これだと俺、何もできないぞ」
「……? まあ……そうでしょうね」
正式なマスター専用礼装もなく、魔術師の素養もない草十郎へ、モルガンは戦闘面での貢献など一寸たりとも期待していなかった。故に彼が何を言っているのか判別がつかなかった。
しかし草十郎は黙って何もしないままでいるような少年ではなかった。自分がまるで期待されていない事には気づいていても、だからといって魔女に甘えておんぶに抱っこされている気はない。
キッカケはなんであれ、モルガンを喚び、事を起こし、始めたのは自分なのだ。その自分が何もしないでいてはいけないだろう。モルガンに対して申し訳ない気持ちもある。
「モルガンとか、あの馬に乗った女の子とか華奢じゃないか。どう見ても俺より腕力があるようには見えない。なのにあんなに凄い力を出せるのはなんでなんだ?」
「……私は人間ではないので、我が夫より力があるのも当然でしょう。しかしアルトリアは人間です。あそこまで力を出せるのは、サーヴァントだからというのもありますが……一番は膨大な魔力で筋力等を強化しているからです。素の力はただの小娘同然ですよ」
「魔力で強化……」
そう言われても、よく分からない。しかし分からないなりに考えた草十郎はモルガンに訊ねた。
「その魔力とかいうので、俺の事を強化できたりしないか?」
「できますが……」
やろうと思えば容易い。だがやる意義を感じない。持ったままだったワインボトルをテーブルに置き、モルガンは迷う素振りを見せながらマスターの目を見た。
真っ直ぐな目に衒いはない。魔女の助けになりたいというより、責任を意識した想いがある。
元々彼には一度だけ危険に身を晒して貰うつもりではいるし、草十郎にも了解は取り付けてある。しかしそれだけでは足りないと思っているようだ。仕方のない人、と思う。それでこそとも。
想いは立派だ。素直に好感を覚える。だが、それだけで頷ける話でもなかった。
「俺にそれを試してみてくれ。多分、ちょっとは役に立てると思う」
「ソージューローなりに根拠はあるのでしょうが……事が事です、はっきりとした論拠を知りたいですね。それを私に見せてご覧なさいな」
「分かった。じゃあ……うん、そうだな。論より証拠、俺が使い物になるか見て判断してくれ。足手纏いにしかならないと思うならそう言ってくれていい。その時は大人しくしておく」
言った草十郎は、自然体だった。妖精眼を持つモルガンの目には心の声も視えているが、彼の精神に緊張はなく、ちょっとやってみるか、という軽い意思しかない。だというのに――
「………っ!?」
――刹那。突然モルガンの眼前で、草十郎の拳が寸止めされているのに気づいた時。魔女は久しく感じなかった戦慄で総毛立った。
目を見開く。誓って瞬きはしていなかった。魔術や異能を備えていない少年だ、やるなら肉体を駆使した何某かの技術だろうと判断したからだ。故にこそ常に草十郎を見ていたのである。
注視していたと言っていい。なのに……
蛇の如くぬらりと始動し、無拍子のまま腕を突き出す。草十郎がしたのはそれだけだ。殺気も何もなく、風に吹かれた枯れ葉が転がるような自然さで、彼は
油断はなかったとは言えない。
どう強がっても、所詮は肉体的には人間に過ぎないと侮っていた。
だが、もし。
もし仮に、モルガンが草十郎を強化していたら。
もしも、彼の目の前にいたのがモルガンではなく敵サーヴァントだったら。
敵は……それこそ未来予知に等しい直感の持ち主以外、顔面を粉砕されて死んでいるだろう。
それこそは人間の技術に於ける究極の一。星が数千、数万年の生命活動の末に、極稀に零してしまう奇跡のような一滴である獣――三千年級の神秘を蓄えた『金狼』を撃破した業。
金色の狼は魔でも幻でもなく、聖なるものにも括られない――絶滅した神代の生命。積み重ねられた秘儀伝承。地に遍く在る奇跡の再現一切を噛み砕く、本当の魔術の天敵だ。
単なる人の身、人の業で打ち破れる道理などあるはずもないというのに、その理を乗り越えた草十郎の研鑽は常軌を逸していた。この若さで絶技開眼の境地に到達しているのは驚嘆に値する。
我に返ったモルガンは、ぶるりと震えた。
武芸を身に着けている故に、モルガンもまたその業の真髄を理解する。
恐らくは徒手空拳による暗殺術、初見殺しのそれ。暗殺者の代名詞である歴代ハサンの内にも、こと格闘術に於いては並ぶ者はいまい。素晴らしく、凄まじい。夫は魔で極まった己とは対極に位置する、まさに妖精妃モルガンに相応しい人間であった。
「フ……フフ……流石は我が夫、と讃えましょう。私の戦略の幅が広がりました。いえ、深度が増したと言うべきですね……ともあれ素晴らしい腕前です、私の支援を受けた貴方は、きっと何者をも屠れる暗器となるでしょう。お蔭で確信が持てました、私達は絶対に勝利する」
「負けそう」
「なぜですか!」
眉を落として不吉なことを言う草十郎にモルガンは食って掛かる。
すると少年は呆れたように嘆息した。
「お眼鏡に適ったみたいなのは嬉しい。けど
取らぬ狸の皮算用。来年のことを言えば鬼が笑う。そうした諺への知識は聖杯に齎されていなくても理解出来た。思えばモルガンは、怨敵を破滅させられても、それに勝利したとは言い難い。魔女は勝者にも敗者にもなれていないのだ。故に反論できず、「夫の諫言を聞くのも妻の度量ですね」と負け惜しみめいて呟くのが精々だった。
「夫かはともかく、ぶっつけ本番は嫌だな。強化とかいうものを試してみてくれ。感覚を慣らしておきたい」
「ふぅ……分かりました。特別に貴方の我儘を聞いてあげましょう」
「……もしかして不貞腐れてるのか」
「そんな狭量な女に見えますか? 全く……ソージューローでなかったら、不敬罪で首を刎ねているところです。私の寛大さに感謝しながら、我が魔術の恩恵を享受なさい」
杖も用いず片手間に強化を掛ける。肉体強度を向上させ、その後に身体能力を引き上げた。
草十郎は軽く跳んだり、虚空にボクシングのジャブに似た軽打を放ったりして、自らの状態を確かめる。飛躍的に跳ね上がった身体能力に、己の感覚をすり合わせるように。
その動作の悉くが鋭い。死神の鎌を想起させられる。だがモルガンにとってはひどく美しい芸術のようで――眺めているだけで楽しく、一日中見ていても飽きないだろうと思った。
「――そういえば。俺の前にいるモルガンは
ふと思い出したように問い掛ける少年に、魔女は妖しく、艷やかに微笑む。
「勿論本物です。
† † † † † † † †
いそげ、いそげ。
あっちに飛んだり、こっちに飛んだり。あぁ忙しい、忙しい。
体が一つじゃ足りないぐらい。手が二つじゃ足りないぐらい。
だから、増やした。
時計の針は待たないぞ。作って作れ、急いで急げ。忙しさで目を回せ。
現地の聖杯を利用するだなんて、拙速にも程がある。
もし
そんな下手なことなんてしないけど。
そんな失態は犯さないけれど。
わたしの
たまには飴がほしいもの。童話で言う北風と太陽みたいに、ちょっとは良い目を見せてほしい。
『戯言をほざく暇があるなら急ぎなさい? たった一度きりの奇跡を
ブリテンの為。ブリテンの支配の為。悲願の為に急げと貴女は言うけれど。
本当は嘘。貴女の秤は大きく別に傾いてる。
嘘なんて通じないことぐらい分かってるでしょうに……。
――そんなに素敵な人に出会えたの?
――
あぁ羨ましい、羨ましい。羨ましくって妬ましい。
今度機会があったら会ってみたい。
そんな機会はないけれど。夢見るだけならいいでしょう?
わたしは影。もう一人のわたしの影法師。
わたしが
必要な道具も。必須の陣地も。不可欠な要素も。丸ごと全部揃えて並べる。
後は……。
後は、そう。
玉座。玉座がほしい。
救世の御旗の下、喜んで血肉を捧げましょう。
目障りな
――敬意を払うべき異界の皆々様。退屈な作戦会議なんておよしなさい? 役者は舞台の上へ昇るが定め。大根役者がいないのは寂しいけれど……代わりにエキストラは唸るほど余っているわ。
「まずは、一つ。
後三日……いいえ。後二日で、此度の異聞聖杯戦争に幕を下ろしましょう」
脚本は書き上がった。細工も流々。後は仕上げを御覧じろ。
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
嘘です。
最終回じゃないぞよ。もうちっとだけ続くんじゃ(太古のネタ)
夢で最終話書いて投稿してる自分を見たので気分的に完結しちゃったので書きました。反省も後悔もしてない。
ただ…ね。目を覚ました時のあの虚脱感…終わってないやんけ、と呆然とした気分。ちょっと…疲れた…。
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『戦争』開始の号砲を
日付を跨ぎ、激動の夜が明ける。
地平線の彼方から顔を出した朝日に背を向けて、住人が留守にしている家に帰還した男は、靴も脱がずに室内に上がり込む。二階へ向かい、半開きにしたカーテンの傍に陣取った。
窓には朝露が張り付いている。春が近いのだろう、肌寒さも殆ど感じない。アインツベルンの城での寒さに慣れているから温かいと感じるだけで、日本に住んでいる人間はまだまだ寒さに震えるのだろうが、少なくとも男にとってはどうという事もない気候だった。
椅子を引っ張ってきて座っている男は短機関銃を手に取る。それから何をするでもなしに無言で佇んだ。彼の意識は秒刻みに時間を数えながら、正確無比な機械のように戦局を予想する。
『予想』と聞けば、不確かな響きに聞こえるものだろう。だが何時も情報収集を万全に行える訳ではない。手元にある情報と経験で、手探りにでも動かねばならない時はある。
衛宮切嗣にとってはそれが普通だ。そして切嗣なら、手元にある情報だけでも充分に正確な予測を立てることはできる。欠けている情報の陥穽により危機に陥る可能性はあるが、危険は何時だって背中合わせにあるものだ、気にし過ぎても意味はなかった。
(日の出まで外を練り歩いたが、敵の姿は確認できなかった。同様に敵からも僕は見つけられていないだろう。となるとやはり、敵は作戦会議をしている。キャスターが何らかの策を仕掛ける前に動きたいと思っているはずだ。なら今後の動向を決めるのに時は掛けられない。最も早く動き出すとしたら槍兵だが……先程の戦闘で奴のマスターが姿を見せなかったのは解せないな)
初日から二日目まで共に行動し、一度はセイバーと戦闘になっても、ランサーのマスターは戦場にいた。あの行動を見ていると、別行動を取っていたのが腑に落ちない。
ランサーの戦闘力は異常だ。恐らく今回の聖杯戦争中最強と見ていい。普通に戦うだけでも勝機は充分で、マスターが一流なら余程の事がない限り敗北はしないだろう。
あの女マスターもそう考えて、堂々と行動していたはず。だというのに急に方針転換でもしたように隠れていたのは何故だ? よもや不仲、戦術の不一致による別行動というわけではあるまい。もし仮に駒を自由に動かせられないのだとしたら、まるで恐れるに足りない証拠になるのだが……流石にそう決めつけるには判断材料が少な過ぎる。ランサーのマスターに関する評価は保留だ。ただあの女マスターにトラブルが起こっている可能性がある以上、今後の計算に入れるのは避けていた方が賢明だろう。
(キャスターも何かを仕掛けようとしている。あれだけ大胆に魔力を集めておきながら、拙速に行動するとは考え辛い。水面下で密かに布石を打ち、手札を固めてから動くだろう。
生粋の魔術師の思考形態は、どれだけ歴史があろうとなかろうと――それこそ名門も、凄腕かつ武闘派の魔術使いだろうと一貫している。
場当たり的な行動は取らない。手足に等しい魔術という手札があるのだ、必ずそれを下敷きにした行動パターンを組む。そしてモルガンほどのキャスターなら、より確実にそうだと断定できた。
伝承に語られる悪辣さはある。現に奴は自ら真名を名乗った。モルガンほどの魔女が、英雄サマみたいな矜持やら誇りやらで真名を明かすとは思えない。そうした点も切嗣の判断材料になっていた。
(真名を名乗ることで何かを印象づけようとした。だが何を? 奴がモルガンなのは、
……。
無言で、思案する。アサシンを経由して奴の真名を知った時からずっと考えていた。
行動の時までまだ時間はある。じっくりと思惟を働かせられた。
(――モルガンと聞いて浮かぶ印象は『魔女』だ。円卓を崩壊させ、アーサー王の破滅を決定づけた悪女。アーサー王伝説を知っていれば誰でもそう思う。僕もそうだ)
……。
(――どれだけ考えても答えは一つしか出せないな。奴は自らの真名を明かす事で、敵に『モルガンならキャスタークラスだろう』という先入観を刷り込もうとしている。目的は
全体像の見えないパズルに、確実にピースを当てていく。
切嗣は思考の陥穽に嵌まらない。彼の魔術師殺しとしての頭脳は明晰に冴え渡っている。型破りな暗殺は全て魔術師という生き物を分析し、思考の死角を突く為に組み立てたロジックなのだから。
――魔術師殺しの悪名が世に轟いた故に、未来では切嗣の使っていたような戦術への対策は進んでいる。だがその時代に切嗣がいれば、そうした前提を踏まえて別の戦術を組み立てるだろう。
フリーランスの魔術使いの業界に於いて、伝説的な傭兵だった彼の戦果が翳る事はない。状況や条件に応じて柔軟に対応し、変化する事を恐れない冷徹さこそが衛宮切嗣の本当の武器だった。
(奴がルーラーだとすればマズイな。一騎のサーヴァントを除き、アサシンも真名やステータスを知られた可能性が高い。奴が魔力を集めるついでに、敵の真名を暴こうとさっきの戦闘を仕組んだのだとしたら、盤面を支配しているのは現状モルガンという事になる)
そして。アサシンのキリツグはそんな衛宮切嗣より戦歴は豊富だ。今、切嗣が思い至ったような事にも既に辿り着いている。――だがやはり切嗣とアサシンは別人だった。
情を捨てた殺戮機構と化したアサシンには無い、この衛宮切嗣だからこその強み。
それは機械には有り得ない、
――エミヤシロウは正義の味方として、戦闘者として、完全に衛宮切嗣の上位互換と言える。
だがそんなエミヤでも切嗣に及ばない分野があった。
それは戦術の展開力と、戦況の掌握力だ。見てもいない敵の姿を克明に浮かび上がらせ、その人物像を解体し、心理を見抜く眼力でエミヤは切嗣に及んでいない。
英雄として。正義の味方として。殺戮機構として。そして戦闘者として。ほとんどの分野で衛宮切嗣を凌駕するエミヤだが――
(
アサシン、どうだ? と。切嗣は魔力のパスを通じて
すると即答が返ってくる。他マスターの痕跡や、店舗の監視カメラ等での姿は確認できたが、やはり三人ほど影も形も見当たらない人間がいる、と。それを聞いた切嗣は確信する。
初日と、二日目。そして三日目の朝まで情報収集に努めてきたアサシンの索敵から逃れられる人間などいる訳がない。どれだけ警戒していても、自分でも無理だと切嗣は思う。だから、
(一人はモルガンのマスターだろう。今回のルールから見て、モルガンと相性の良さそうなマスターに目星は付けられないが……少なくとも、
居場所が割れているマスターは――
まずは自分。暗殺者のマスター。
槍兵のマスター。白人の女。
現地人を味方につけた、現地のマスター。恐らく切嗣が捕捉した少年が騎兵のマスターだ。魔術師のサーヴァントを喚んだにしても、弓兵を喚んだにしても、防衛力が低すぎる故にそう判断した。
剣士のマスターである茶髪の少年。ライダー陣営と同盟したらしい、現地人と共に居る。
所在不明なのが裁定者と思しきモルガンのマスター。
弓兵か魔術師のマスターであろう褐色の男。
そして、最後。箸にも棒にも掛かりそうになかった、平凡な少年。
開戦前の猶予期間中、一堂に会した面々の顔を切嗣は記憶している。故に、あの褐色の男はともかく、あんな少年を発見できないのはおかしいと思った。不条理ですらある。
なら答えは決まっていた。
(――最後の一人。あの黒髪の少年は、
切嗣は概ね正確に盤面と盤外を推測した。そしてその上で切嗣はアサシンに命じる。
『なんだって? ……正気か、マスター』
その後に続いた指示に、アサシンは己の耳と雇い主の正気を疑った。
切嗣は淡白に応答する。いたって正気だと。命令通り動けと念を押した。
『……いいだろう。アンタの指示には従うという契約だ。裏目に出ないことを祈っておくさ』
失笑する。アサシンのエミヤキリツグが、一体何に祈るというのか。
切嗣は鼻を鳴らして、アサシンとの念話を打ち切る。そろそろ時間が来るからだ。
切嗣が索敵の他にアサシンへと命じたのは、たった一つのシンプルな指令。――
情報収集はもう要らなかった。後はもう、行動あるのみである。
「時間だ」
切嗣はカーテンを開く。窓も半開きにし、銃口を外気に晒した。
そして待つ。只管に。
やがて待ち望んだ瞬間が訪れた。
銃声が轟く。一発、たったの一発だけ銃弾が放たれた。
それは少年の
幾ら狙撃に用いたのが短機関銃で、なおかつ距離が離れていたとはいえ、射撃の名手である切嗣が棒立ちの少年を殺せなかったのは何故か。――無論、わざとである。殺意があったなら、もっと近くから手榴弾を投げ込んでいたか、少年の潜んでいる民家に忍び込み、ナイフで一突きしていただろう。そうしていない時点で、切嗣には当面あの少年を殺すつもりはなかった証拠になる。
現地人を味方に出来る、現地のマスター。アーサー王なんて大物の英霊を喚べる人間性か、触媒持ち。現地人に戦闘を委託し、自らの死を避けようとする臆病さ。反面、サーヴァントが傍にいない恐怖に耐え、無力な一般人に紛れていられる奇妙な判断力。頭脳明晰だが臆病、臆病であっても責任を意識する精神状態、現地人と即座に協力体制を築けた行動力。――
速やかに撤収していきながら、切嗣は慎二の行動を予測した。
それはやはり、的中する。
(――これであの少年は一度、ライダーと合流する。せざるを得ない。またいつ僕から攻撃されるか分かったものじゃないからな。隠れていた拠点を暴かれた以上、一度落ち着く為にもライダーの近くにいないと駄目だと思うだろう。するとどうなるか……
読者の皆!オラに元気(評価)を分けてくれぇ!
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戦闘開始、戦争開始
長いこと放置したせいで部分的にど忘れしてるかもですが、お目溢し頂くかご指摘くだされば幸いに存じまする。
それから、私の更新が滞ってる間、多くの方が評価とお気に入り登録してくださっていました。ありがとうございます、ご期待に沿えるように頑張ります。
隠す気のない銃声。殺す気もない銃弾。轟音を置き去りに飛翔した弾丸が、少年の右肩へ容赦なく食い込んでいく。鉛玉は衣服を貫通し、皮膚を破り、肉を捻じり、深々と抉って骨を砕いた。
瞬間、慣性と運動エネルギーに貫かれた肉体が揺らぎ、鮮血が吹き出て、少年の肉体は銃創から発される激痛の信号を脳に送り、彼は遅れて自らを襲った緊急事態を認知する。
「ギッ……!? ァァァアッ、……ッ!」
――悲鳴。シンプルなリアクション。
勝手知ったる他人の家と言えるほど住み慣れていないが、以前口説いてキープしていた後輩の女子の家に、間桐慎二は泊めて貰っていた。そこで目覚め、トイレに入ったのだ。
完全に油断していた。慎二は右肩に感じた灼熱に悲鳴を上げてしまう。熱が痛みに変わり、寝惚けていた頭は一瞬で覚めた。発作的に悲鳴を上げてしまった直後、慎二はすぐに左手で口を抑える。
(痛い……! 痛いぃ……! く、くそっ、なんで……!?)
慎二は精神的にも肉体的にも超人ではない。寝覚めの一発とばかりに銃弾を食らっていながら、さもなんでもありませんよとばかりに振る舞い、平然としていられるような破綻者でもなかった。
本来の彼なら無様にのたうち回って泣き叫んでいただろう。そんな醜態を晒さずに済んだのには勿論理由が有る。彼の精神状態が、普通ではなくなっているからだ。
慎二は必死にトイレから這い出て、銃声に驚き顔を出した後輩の女子と、その両親へ救急車と警察を呼ぶように要求した。現地人を巻き込む事はできないが、それは自分以外のマスターにも言えた事だ。騒ぎになって現地人が集まれば、彼らを巻き込んで脱落したくない敵マスターは戦闘行為を避けるだろう。――それに
不意を打っての奇襲攻撃により、驚愕と激痛を味わいながらも、ここまで的確に行動できる慎二は確かに非凡だった。慎二は銃撃による激痛に襲われていても疑問符を忘れなかったのだ。
(……なんで……だ? なんで、
何処から撃たれたのか。それは、トイレの個室にある窓からだ。
そんな至近距離から撃てるのなら、普通なら頭か心臓を狙うはずだろう。余程射撃が下手なら外すこともあるかもしれないが、現地のマスターが慎二である以上、銃器の調達は困難以前に不可能であるはずだ。冬木で銃火器を入手可能だとは思えないからである。なら慎二を撃った敵は、
なのに右肩を撃たれた。自身の居場所が割れていることも含め恐るべき計画を感じる。ここで慎二を殺さないということは、これから取る慎二の行動が相手に制限されたことを意味するのだ。
慎二が取れる選択肢はたった二つ。一つは警察に保護され、守られるか病院に入れられるか。これは駄目だ、一般人が周りにいたら神秘の秘匿の観点から凛達の庇護を受け辛くなる。
そうなれば敵からの襲撃を防げずに死ぬ。
二つ目の選択肢はライダーや凛達と合流し、行動を共にすること。しかしそんな真似をしたら、戦闘力が皆無である慎二が戦場に出る事になり、ライダーの足手まといになってしまう。
かといってこのまま従来の方針通りに動いてしまえば、たった今慎二を銃撃した相手に捕捉され続け、いつでも殺される状態に置かれ続けてしまう。警察の保護が論外なら、慎二はライダー達と合流せざるを得ない。そしてそんな行動は、慎二を撃った相手からすると織り込み済みの選択肢でしかないだろう。つまり、慎二の行動が敵の掌の上ということになってしまう。
「……チクショウッ!」
悪態を吐いて、慎二は泊めてもらっていた後輩女子とその両親の目を盗み、士郎へと携帯電話での通話を試みる。そして彼に事情を説明し、病院で治療を受けた後、速やかに合流する旨を伝えた。
士郎達には自分の回収を頼む。それだけ一気に言って慎二は通話を切った。何処の誰が自分を撃って、どう動かせようとしているのか手に取るように分かる。慎二をライダーと合流させた後、他の敵陣営と激突させようとしているのだろう。だがそれが分かっていても、慎二はライダー達と合流するしかなかった。それが悔しくて、怖くて、慎二は右肩を強く抑える。
そこから感じる痛みが慎二の頭脳をより深く、鋭利に研ぎ澄ませていった。
(どこの誰だか知らないけどさ……ふざけた真似してくれるじゃないかっ! いいよ、僕に誰を倒させたいのかなんて知らないけど、倒してやろうじゃんか……! けどその後はオマエだ……!)
慎二は豪胆ではない。性格的な点だけを見たら小者もいいところだ。激痛に晒されているのにこうまで論理的な思考を保てているのは、あくまでガイアの暗示が強力極まるからでしかない。
しかし、そのお蔭で慎二は自らの持ち得る能力の全てをフルに発揮できていた。……鉄火場を知らぬ小僧と嘲るのは容易い。だが、本物の戦争を知らない青二才だと見縊るのは危険だという事ぐらい、衛宮切嗣は重々承知していた。大規模な戦争ではまず無いが、規模の小さい局地戦では大番狂わせが起こり得る。その大番狂わせを起こすのは、えてして追い詰められた弱小者なのだ。
(――いい貌をする。銃で撃たれたのが初めてなら、大の大人でもパニックに陷るというのに……いや暗示による精神汚染か? だとすればガイアによる暗示の効力を見縊っていた事になる。銃撃されてなお平静を保てる敵は危険だ。……平和ボケした国の、平和ボケした学生だろうに……そんな子供さえも一廉の兵士のようにしてしまうとなると……ここで殺しておくべきか?)
殺ろうと思えば、まだ間に合う。間桐慎二が令呪を発動しないところを鑑みるに、あの少年が切嗣の真意に気づいたことは伝わってくるが、ここで戦略を修正してしまえば射殺するのは容易い。
しかし駆けつけた救急車に乗せられる少年の貌を、銃のスコープから覗き見ていた切嗣は、優先順位を変えるだけの理由が見当たらなかった故に見過ごすことにする。
(履き違えるな、衛宮切嗣。盤面を見るに、そろそろ脱落者が出始める頃合いだ。この異聞聖杯戦争で
戦略は修正しない。切嗣は速やかに撤収する。もはや民家に隠れ潜むつもりはなかった。
――様々な角度の思惑、策謀が入り乱れる中。混迷に到ろうとする戦況を、快刀が乱麻を断つように切り分けて、綺麗に整理するのはやはり――現状、盤面を支配するブリテンの魔女であろう。
衛宮切嗣はただ、その時が来るのをジッと待つ。間桐慎二はただ、訪れる痛みの今と先を思いグッと堪えた。そして、
「――貴様は独りなのか、
† † † † † † † †
女は、英雄へ呼び掛けた。
「………」
女は、英雄に縋りついた。
「………、」
バゼット・フラガ・マクレミッツは、サーヴァントへ問い掛けた。
「……私ではなく、あの少年が貴方のマスターだったら……ランサー。貴方はどう思いますか?」
「………」
青い槍兵は一瞥すら向けずにマスターの問いを黙殺する。答えを待つも、答えはもらえない。バゼットが項垂れて視線を逸らすのを見計らって、ランサーは険しい視線を己のマスターに向けた。
マスターの言う
質問に答えるとするなら、最高の一言だ。男のマスターとして申し分ない。もしあの男が自分のマスターだったなら、さぞ槍の振るい甲斐があるに違いなかった。
だが比較して何の意味がある? 己のマスターはバゼットで、バゼットのサーヴァントはランサーなのだ。こちらとあちらを比較する時点で舐めている。莫迦が、と叱咤する気にもならない。
「……ハァ」
露骨な溜め息に、バゼットは肩を震わせる。そんな問いが出てくる時点で論外なのだが、わざわざ指摘してやる気にはなれなかった。
いい加減、バゼットを導く手段は一つしかないと結論づけていた。どだい、指導者だなんてガラではないのである。ケルトの戦士らしい荒療治が必要だ。バゼットから女々しさを拭い去る、どぎつい張り手を一発食らわせてやり、目を覚ませられたのなら上等である。
勝つにせよ負けるにせよ、どうせ戦うしかないのなら、気持ちのいい戦士と共に戦いたい。だがもしもバゼットの目を覚ませられなかったのなら、槍兵は一人で戦うことも厭わないつもりだ。
現時点でランサーは、バゼットと肩を並べて戦場に立つ気はなかったのである。生憎独りで戦うのには生前から慣れていた。この小娘が戦士として立てないなら単独で動く。なぜなら戦士ですらない小娘など、ランサーにとっては庇護すべき弱者でしかないのだから。
だから、一度だけだ。ランサーはもう独りで戦うつもりでいるが、一度だけ活を入れる。
「バゼット。テメェは何を勘違いしてやがる」
「……勘違い?」
「ここはどこだ」
「……ここは」
「戦場だろうが。テメェは戦場にいるってのに、なにを悠長に構えてやがる。戦場に出ちまえば、テメェがどれだけ芯のない小娘だろうと、敵は容赦なんざしてくれねぇ。戦場に立った時点で、どれだけ未熟でも戦士以外の何者にもなれねぇだろ。敵はテメェの葛藤になんざ付き合っちゃくれねぇよ。だからな、いいかバゼット……一度しか言わねえからよく聞け」
「………」
「死ね」
余りに端的で、余りに酷くて、余りに
余人には意味が分からないだろう。分かるはずがない。しかし赤枝の系譜に連なる者にはこれ以上分かりやすい助言もなかった。目を見開くバゼットに、半神半人の大英雄は酷薄に告げる。
「
言うだけ言って、双子館からランサーは立ち去る。自らの在り方を見つめ直して、煩悶とするバゼットに掛けてやる言葉はこれ以上何もなかった。答えを得るまで待ってやるほど親切でもない。
ランサーは戦場に向かう。敵を殺し、敵の命を奪い、奪った命で生きながらえる。弱肉強食、大いに結構ではないか。外敵を駆逐して発展したのが人類の歴史であり、人間の敵がまたしても人間だっただけの事だ。今回はちょっとばかし殺し合いの規模がデカいだけで、現代の文明を考慮すればいつかは発生し得る、人類の命運を賭けた世界大戦が勃発しただけのことである。
自らの世界の為に殺し合う事に異論はない。サーヴァントとして喚び出された以上は最善を尽くして戦うし、敗けるつもりは毛頭ないが、どれだけ人事を尽くしても天命を得られなければ敗れることは充分に有り得るのだ。サーヴァントはマスターから離れたら十全の力を発揮できない? だからなんだ。そんなもの、生前に乗り越えた戦いと比べればハンデにもならない。
というわけで、嘲笑する魔女へ彼は失笑で応える。
「――は。テメェの相手はオレだけで充分ってだけだ。別に舐めてるつもりは無ぇが、そう見えたんなら謝っとくぜ。すまねぇな
トントンと朱槍の柄で肩を叩きながら苦笑する槍兵に、マスターであろう青年を伴った魔女が余裕の笑みを湛える。
「よせ。死に逝く者に謝意を示されても鬱陶しいだけだ。……それより、いいのか? ランサー」
双子館から出てまだ間もない。ランサーが敵を求めて出たように、モルガンはランサーを狙って襲来してきたのだろう。好戦的な敵は嫌いではないが、相手が魔女なら話は変わってくる。
またぞろ陰謀の臭いを漂わせている、鼻が曲がりそうだ。そうした小賢しい搦手に頼るのは勝手だが、付き合わされる身にもなってほしいものである。ランサーは苦笑したまま反駁した。
「何がだ?」
「異邦の地で果てることになるのに、看取るのが私だけでいいのかと聞いているのだ」
得物を横薙に振るって威圧し、不敵に嗤う魔槍を携えた魔女。
彼女が戦闘態勢に移行するのを見て取り、光の御子は鼻を鳴らした。流石に誘い文句が上手い――そそられない手合いでも、そうまで熱烈に誘われたのでは乗らないわけにはいかなかった。
「ハッ! 何を企んでるのかは知らねえが、遊び相手にこのオレを選んだ度胸だけは褒めておいてやる。そんなに死に急ぐなら是非もない、まずはテメェが先に逝け」
担い手の魔力を吸い、呪いの朱槍が赫々と燃える。
――異聞聖杯戦争、三日目の朝。昇り始めた日輪を受け、長い影を伸ばした双子館のすぐ近く。
アイルランドの光の御子と、ブリテンの妖精が激突した。
人的被害以外は考慮にも入れず、冬木の地に深い傷跡が刻まれようとしている――
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まずは一騎。そして一人。 (上)
ふ、筆が進まない…書く意欲はあるのに…文章能力も低下してる…。
今回はちょっと半端なとこで切っちゃいます、これ以上間隔あけるとまたスランプになりそうなので…ごめん、ごめんよ…。
新都は今、混乱の只中にあった。
新都の住人の悉くが意識不明に陥るという、原因不明の異常現象が発生し、都市機能が半ば麻痺していたからだ。偶然新都に足を運んだ第三者により公共機関へ連絡が行き、新都には今多くの救急車や消防車、パトカーなどが詰め掛けている。空では救助のためのドクターヘリコプターが何機も飛び交い、未確認の災害の発生も視野に入れて救助活動が行われようとしていた。
一体なぜ? どうして新都の人口の内、万に迫るほどの人々は昏倒しているのか? 外傷はなく、ただ衰弱しているだけの状態には謎が多い。だが今はとにかく人命救助を優先するべきなのだが――極度に衰弱していた市民を搬送している、救急隊員の一人は不意に思った。不可解な点がある、彼が乗車している救急車には
彼らは何者なのだろう。
幾らグローバル社会になっていると言っても、冬木には外人の歓心を買えるような観光スポットはないし、仮にあったとしても、旅行シーズンでもないのに外国人の比率が高すぎる。もしかすると彼らがこの謎の現象に関わる重要参考人である可能性すらあるのではないか?
そんなはずないかと頭を振った救急隊員だったが――彼は知らない。その白人達が『魔術師』と呼ばれる人種であり、ブリテンの魔女による魂食いの犠牲者だったという事を。そして異聞聖杯戦争という彼らの理解を超えた超常決戦の舞台にやって来てしまった事を、
「お、おい……い、いま、なにか……」
「なんだよ、操縦に集中して……はっ?」
救命活動中のドクターヘリのパイロットが呆然と呟くのに、同僚が張り詰めた声音で反応した。気を抜いていい場面ではない、しっかりしろと叱咤しようとしたのだ。しかし眼前を通り過ぎた
――新都上空を奔る真紅の稲妻。
蒼い装束を纏った長身の男が空中で身を翻している。彼方より飛来した光の弾としか形容できない何かを、手に持った
稲妻の正体は槍だった。
真紅の双眸を素早く左右に走らせ、槍を振った反動で滑空した男がドクターヘリの側面に接近するや、躊躇なく蹴りつけて空中で移動していく。凄まじい衝撃を残して消えて行った男のことを気にする余裕はない。ヘリの操縦士は乱回転した機体を必死に制御する。
「うわぁぁぁぁ――ッ!?」
腕が良いのだろう。悲鳴を上げながら、なんとか不時着を免れたドクターヘリを尻目に、槍兵は魔女の行方を五感を最大限研ぎ澄まして追った。
槍兵の右方、かと思えば左方、狙いをつけようとすれば下方、更に上方。魔槍を持つ黒衣の魔女の姿が消えては現れ、消えては現れる。
息も吐かせぬ多重空間転移。四方八方から押し寄せる魔弾を捌きつつ槍兵は訝しむ。妙だ、と。神秘に満ちた神代ならいざ知らず、現代では神代最高峰の魔術師であっても、自らの工房の外では空間転移のような大魔術は使用が困難であるはずだ。
にも関わらずモルガンは容易いことのように空間転移を連続して行使し、それでいながら全く消耗した様子を見せていない。幾らモルガンが転移系の魔術に精通し、その道で随一の腕前と知識を持つ魔女だとしても不可解である。自らの領域外でモルガンの所業を実現するには、それこそ膨大極まる魔力が必要となるはずだが……まだ日が明ける前、魔女が行なった儀式は魔力を得る為のものだったのか? 潤沢な魔力を得たからこそ強気になっている?
(んなわけ
戦慣れしていない魔術師なら、慢心して下手を打つかもしれないが、ことモルガンに関してそれは有り得ない。槍兵の知る戦女神とよく似た――しかし別人である魔女。アーサー王伝説に於いて円卓を崩壊させた策謀家が、魔力を得ただけで増長するとは思えない。
――ビルの側面に足をつき、膝を曲げ、勢いよく蹴りつけて再び虚空に身を翻す。身動きの取れない空中は不利だ、というのは常人の尺度での話。神話の英雄なら空中であっても、地上ほど自在に動けはせずとも存命を図れる。特に生き残る為の立ち回りの一点に於いて、全英霊の中でも随一を誇るであろう光の御子を仕留めるのは至難の業だ。
今度は正面。魔女自身を串刺しにする形で、魔女の周囲に展開された魔力剣が、槍兵を囲う形で転移されてくる。それを朱槍を旋回して薙ぎ払い、槍兵は魔女が浮かべる余裕の笑みを睨んだ。
(やる気が無いのか……テメェから仕掛けてきておいて、なんのつもりだ?)
地面に着地する。
アスファルトの地面が陥没し、蜘蛛の巣状に亀裂を刻んだランサーは高々と跳躍した。
ランサーは魔女に必殺の気概がない事を見抜いていた。常に安全圏から光弾を放ち、斬撃や魔力剣を転移させるばかり。そんな手緩い攻めでランサーを打倒できると思ってはいまい。
再び前後左右から光弾が迫るのを、一息に振り払いながら槍兵は思案する。
(奴の狙いはオレを引き付ける事か? だがなんのためにそんな真似をする。オレをおびき寄せて他の陣営にぶつけたい、なんて安直な手を打つならもっと他にやりようがあるはずだが……)
まあいい、とランサーは思考をやめた。
ごちゃごちゃと考えるのは性に合わないし、そもそも頭の出来が違うのだ。
自分ではモルガンの思惑を見抜けると思えないし、見抜いたところで意味はない。
であるなら、戦士として目の前の敵を殺す。それだけでいい。
もうモルガンには充分付き合った。そして彼我の戦力比も把握している。
(――奴の魔力は桁外れだ。普通なら優れたマスターに喚び出されたんだと思うところだが、さっきまでモルガンが連れてたガキにそれほどの器量があるようには見えなかった。となると、
ランサーの推測は当たっていた。通常の聖杯戦争なら思いついてもまずやらないし、卓越した魔術師の英霊以外にはできない手法である。霊脈は現代の魔術師に管理されているものだし、霊脈に干渉しようものなら遅かれ早かれ事態が露見する。そうなれば対魔力の高い三騎士のクラスから袋叩きにされる確率が跳ね上がり、リスクとリターンがまるで釣り合わなくなってしまう。
だが異聞聖杯戦争ではリスクを考慮する必要はない。モルガンは遠慮なく、霊脈から魔力を得ている。故に一度の聖杯戦争では使い切れないほど膨大な魔力を用い、大魔術を連発しているのだ。
ランサーはルーン魔術にも精通した、キャスタークラスにも適性がある英霊だ。モルガンに戦闘の誘いを掛けられて以来、彼は妖精眼を警戒して自らに秘匿のルーンを貼り、妖精眼で内面を読み取られないように対策していた。彼は怪物狩りの達人であり、属する神話系統の関係上妖精に関する造詣も深かったのである。故にランサーの内面をモルガンは読み取れない。だが――
「不用心だな、ランサー?」
「……ああ?」
パトカーのボンネットの上に着地し、大きく陥没させる。警官らが驚愕の声を上げるのを無視して、ランサーは空中に浮かぶモルガンを見上げる。「う、浮いてる……?」「なんだコイツら!」などと慌てる人間達をよそに、モルガンが揶揄するように槍兵へ告げた。
「自らのマスターから遠く離れる、これを愚かと言わずしてなんとする? 今頃私のマスターが、貴様のマスターを殺しているかもしれないというのにな」
「……は。何を言うかと思えばそんなことかよ」
失笑する。ポーズだけでも、嘲る気にもなれない。拳銃に手を掛けつつ警告してくる警官を、やはり無視したままランサーはモルガンに応じた。
「テメェのマスターがどれほどの腕かは知らねえが、オレのマスターを舐めんなよ? サーヴァント相手ならいざ知らず、人間が相手なら簡単に
「ほう……? しかし意外だな。貴様ほどの戦士がそうまで饒舌に語るとは。存外己のマスターに肩入れしているらしい」
「ハッ。戯言を抜かすな。
「――――」
クー・フーリンが鼻を鳴らして指摘すると、モルガンは表情を消した。
最初、モルガンは双子館へ青年を伴って現れた。そうしてクー・フーリンと交戦するや、クー・フーリンが青年に手を出せないように新都まで誘導したのだ。
だが、光の御子は初見で魔女の奸計の一端を看破してのけたのである。
モルガンのマスターらしき青年を狙わなかったのは、
勘である。しかし、それ以上に影の国の女王から仕込まれた魔術師としての眼力が、ブリテンの魔女の
「――見事だ、クー・フーリン。流石は猛犬の名を冠するだけのことはある。素晴らしい嗅覚だと褒めてやろう」
「そいつはどうも」
「だからこそ……やはり貴様との相性は最悪だ。数日程度の下準備だけでは、到底私は貴様の命に及ぶまい。故に、私は貴様を
「そんなこったろうとは思ったぜ。どうやってかは知らねぇが……あの爺さんを此処におびき寄せようとしてやがるんだろう?」
――充満していく殺気。空気を凍らせる殺意に濡れた魔力の波動。呪いの朱槍に充填されていく魔力の気配は、一般人であっても感じられるほどに恐ろしいものだった。
怯えながら拳銃を抜いた警官に対し一瞥も向けず、槍を振るうやその銃身を真っ二つに切り裂いたランサーは虚空に佇む魔女を見上げる。
「だがな」
そして、兇猛なる笑みを湛え、犬歯を剥き出しにしたランサーが言った。
「セイバーを誘い出すまでに、オレがテメェを殺しちまうとは思わなかったのか?」
「………」
「悪いが、ここまでで
膝を弛め、跳躍しようとする予備動作を見て取った魔女が、魔槍の穂先を天高く掲げる。
上空に展開される複雑な幾何学模様。魔女が気炎を吐くように唱え、光の御子が吼える。
「――オークニーの雲よッ!」
「
天にて逆巻く暗雲より、堕ちる聖槍を模した稲妻。迎撃し、突破せんとするは波濤の呪槍。激突の瞬間、凄まじい衝撃波によって、辺りの窓ガラスが悉く破損し、きらきらと陽光を反射しながら虚空を彩る。それはさながら光のシャワーのようで――茫然自失したまま見上げた人々の頭上へと、天上の主の恵みであるかのように降り注いだ。
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