Azure crew ~エルフと女海賊と6色目のマナ~ (黒片大豆)
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プロローグ~第1章
0. プロローグ


21/9/7 誤字修正しました。情報ありがとうございました




 そこには何も無かった。

 

死を纏う暗き闇さえ、

希望を指し示す光さえ、

生命あふれる草木さえ、

命の根源たる水でさえ、

心に灯される炎でさえ、

 

そこでは存在し得ない、「何もありえない」場所であった。

 

 プレインズウォーカーはそこにいた。3人のプレインズウォーカーは、何も無いこの空間で、静かに、何とも触れることなく、存在していた。

 

 時間だけが刻一刻と、過ぎていった。

 

 いや、この空間自体に、時間という概念がこの場所にあるのかどうか、怪しいところだ。そんな中で彼らは、全く微動だにしなかった。

 

 三人とも皆、目を瞑り動かなかった。

 何か熟考しているかのようであった。

 何かに向かって黙祷をしているかのようでもあった。

 

 何分、何時間、何日、何ヶ月、そして何年もの刻が過ぎていったと思われた。時間という概念が明確でないこの場所では、それは判らないが、少なくとも、普通の人間では耐えられないほど長い時間。彼らはその場所にいた。

 

 

 不意に、永遠に続くと思われていた静寂が終わった。

 一人が、誰とも話すわけでもなく、静かに、しかしはっきりと、語り始めた。

 

「わたしは……。そう。夢だ。夢を作りたい。」

 

 彼は――もしくは彼女だろうか。この場所では性別さえはっきりと認識できない――、話を続ける。誰にとも聞かせるような話し方ではなく、独白に近かった。

 

 しかし、彼の声はしっかりと、他のプレインズウォーカーには届いているようだ。そして聞き手の二人は、ほぼ同時に目を開け、話し手に視線を向けた。

 

「夢……。生き物の願望、希望、欲望、絶望……。全てを映し出す夢。皆がそれを追い求め、そしてそれに囚われ、それを捨てきれない世界。そして皆が力を合わせ、それを実現させる世界。私は、それを望む。」

 

 

 

 また長い沈黙があった。そして、

 

 別の一人が語り始めた。何も無い空間に彼の声が、しかしはっきりと響き渡る。

 

「わたしは、もう小さな世界に囚われたくない……。」

 

 力強い意思を感じる、芯の通った声だった。彼はその後上を向き、言葉を続けた。

 

「そう、空……。現在軸に囚われない、まるで、果てなどない世界。そして人は、最後に自らの世界を脱し、自身で新たな世界を見つけ、作り出す世界。わたしは……それを望む。」

 

 

 沈黙。

 

 

「わたしは……」

 

 最後に残った人物が口を開いた。この空間に、声の大きさという概念が存在していたのなら、声のトーンは明らかに他の二人と比べ、小さく弱々しいものであった。そして、彼の発した言葉はまた、他の二人とは結びの言葉が異なっていた。

 

「わたしは……。そう。海を見たい。青い……、真に蒼い世界を、もう一度だけ、見てみたい。」

 

 

 この話を聞いていたプレインズウォーカーは、顔を見合わせ、そして、

 

 

 

そして、

 

そして彼らは、

 

『自らが望んだ世界を作り出した』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

/////////////////////////////////////////////////////////

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この大陸はひとつだった。

 そして、とても小さな世界だった。

 

 ひとつの存在。小さな存在ゆえに、些細な違いから争いになることは必死だった。

 

 違いから生まれた、小さな種火はやがて、大きな戦火と広がり、

 人が死に、

 森は枯れ、

 大地は沈み、

 海は涸れ、

 世界はとても、多くのものを失った。

 

 やがてこの世界は、自らの手で終焉へと向かった。

 新たな世界として作り直されるために。

 

 大陸の亀裂に海を作り、大部分を海に沈め、そして新たに5つの大地が生まれた。

 

 

正義を愛し、

秩序を慈しみ、

法を律する《ラスロウ・グラナ》

 

大地を愛し、

緑を慈しみ、

命を律する《エンヴィロント》

 

光を愛し、

機械を慈しみ、

炎を律する《ゴルゴロ=イクー》

 

海を愛し、

文化を慈しみ、

知を律する《ノウルオール》

 

闇を愛し、

深淵を慈しみ、

死を律する《アルデモ》

 

 この世界は5つの大地それぞれに役目を与えられることで均衡を保つことができていた。

 

 しかしこの均衡は、脆くも崩れ去ろうとしていた。

 「6つ目の色」によって、脆くも崩れ去ろうとしていた。

 

 

 

 

 これは、5つの大陸を股に駆ける女海賊と、

 記憶をなくしたエルフの青年の物語。



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1.《天候を求めるもの、ザイカ》

「……見えた。」

 

 真っ白な霧の中、その船は進んでいた。

 直ぐ目の前、手を伸ばせば触れることのできるほどの距離に立つ人の顔さえ、かすんでしまうほどの濃霧の中、この船は帆を張り、わずかな潮風を受けながら、しかし確実に、ゆっくり前進していた。

 

「……やっぱりそうだ。船だ。」

 

この濃霧の中、一人の青年が甲板から海を見ていた。彼は目を細め、右手を水平に額に当てて海を見ていた。そして、この濃い霧の中に、船を見つけたというのだ。

 

「大きさは?」

 

 唐突に、青年に声がかけられた。その人間がどういった容姿をしているのかは、霧に隠れてわからない。ただ、その人物の声は、芯が通った良く響く、美しい女性の声であった。

 

「大きさはどうなの?」

「大きさは……この船よりも一回りほど大きいですけど……。」

 

 彼女の質問に、青年は答えた。そして彼は言葉を繋げた。

 

「でも、あれ、商業船ですよ。多分『ラスロウ・グラナ』の船だと思います。帆に白い鷹のマークが描かれていますから。」

 

 それを聞いた彼女は、右手を頬に当て「ふむ」と考え込んだように見えたが、しかしすぐに軽い調子で返答した。

 

「ま、関係ないけどね♪ ご苦労様、ザイカ。」

 

 彼は……『ザイカ』と呼ばれた青年は、このとき自分の目の良さを後悔した。幻想的なまでに白い靄(もや)の中、彼女が、妖艶な笑みを浮かべたのが判ってしまったからだ。

 

「え? だって、あれ、商業船ですよ!? アレを……『襲う』のですか?」

 

 ザイカは驚きを隠せなかった。普通の商業船にしか見えない『それ』を、彼女が襲撃しようとしているのだ。

 それを聞いた途端、彼女は笑みを止め、綺麗な顔をしかめたのが判った。しかし刹那、彼女は「ぷっ」っと吹き出し、笑いだした。

 

「勘弁してよ、そんな冗談。」

 

 襲う、というワードに対しての、彼女の言葉だった。そして続けた。

 

「だって私……『海賊』よ?」

 

 そういって彼女はその場を離れた。ザイカに背を向け、左手をひらひらとしながら船室に向かおうとしていた。その「ひらひら」のジェスチャーは、ザイカに向けられた「ご苦労様」の挨拶だった。

 

「……ユンファさん!!」

 

 ザイカは声を荒げ、彼女を……『ユンファ』を呼び止めた。ユンファは歩みを止め、しかしザイカには背を向けたまま、浅く顔を彼に向けた。

 

「ユンファさん……いや、『船長』。」

 

 ザイカは、海賊のルールにのっとり、彼女を役職で呼びなおした。

 

「あの船に乗っている人たちは、どうなるんですか?」

 

 ザイカの位置からは、彼女の表情は読み取れなかった。数秒の間があった後、ユンファはこう返した。

 

「それ相応のことに、なるでしょうね。」

 

 ユンファはそういうと、ザイカにはこれ以上顔を向けずに足早に船室に戻っていった。

 

 

 

 この海賊船『ディーピッシュ』……もとい、『女海賊ユンファ』に拾われてから1ヶ月。これがザイカにとって初めての『強襲』となるだろう。

 ユンファが立ち去った後、ザイカは肌寒い純白の霧の中、暫く甲板に立ち尽くしていた。

 彼の吐く息が、周囲の霧以上に白くなっていた。ザイカの持つ、長い『エルフ耳』は完全に冷え切り、仄かに赤く染まっていた。

 

 

 

 濃霧の中、直ぐに強襲の準備がはじまった。

 まずはこの船……《ディーピッシュ》を、目標の船に接近させる作業から行われた。真っ白な霧の中の行動であるが、ザイカの目は完全に相手の船を確認できていた。

 そして、襲われる側の商業船は、全く逃げようとしなかった。深い霧の中、音も無く、光も発せずに近づく、ユンファ自慢の海賊船『ディーピッシュ』。相手はこちらに気づいていないのだ。そのため、いともあっさりと近づくことができた。

 

「ご苦労だったな、ザイカ。」

 

 甲板で船の誘導を行なっていたザイカの後方から、ユンファとはまるで正反対の、太く低く、図太い男の声が、労いの言葉をかけた。

 と同時に、ザイカの肩に大きな手が『パン』と乾いた音と共に、乗っかってきた。

 《船員の指導者、エクリド》の手だ。

 

「は、はい!」

 

 突然に声をかけられた事と、突然に肩を叩かれたことの両方に驚きながら、ザイカは返事をした。

 

「……ふんっ。」

 

 そんな怯えた小リスのようなザイカを鼻で笑ったエクリド。既にザイカの肩には彼の手は無く、彼愛用の《鉈》の柄を握りしめていた。

 自らの顎に生えた無精髭を触りながら、くるりと、船が見える方向とは逆。海賊船の甲板方向を見た。

 ザイカもつられて同じ方向を見ると、既に海賊たちは、それぞれの獲物を手に取り、目は野生の動物の如き輝きを見せていた。

 これだけ濃い霧の中で、その状態を観察できてしまう、自分の目のよさを、ザイカは改めて呪った。

 

「いくぜ。」

 

 エクリドは自慢の《鉈》(通常の大きさではなく、二周りほど大きなもの)を鞘から抜き、空に掲げた。そして、襲うべき船のある方向へ鉈を振り下ろし、叫んだ。

 

「襲撃だ!! ロープを渡せ!!」

 

 もやが晴れるのではないかという位の怒号。湿った空気は異常なまでに彼の大声を響かせた。船の甲板が振動した。

 しかし甲板の振動は声の所為だけではなかった。一斉に、大勢の海賊たちが走り出したのだから、甲板が揺れ動くのも当たり前だ。

 そして同時に、一気に船が商業船に近づき、並走するように目標の船に横付けした。《ディーピッシュ》からは船員がロープを投げ、直ぐに渡り橋がかけられた。

 強襲が、始まったのだ。

 

「……あ、あ……。」

 

 続々と、商業船に上船を始める船員たち。それを横目に、ザイカは腰が引けた状態で、何とか立っていた、という状態であった。

 ザイカは両手に抱えるように、船長……《ユンファ》から渡された、鞘付きの短剣を持っていた。手の平は、汗でぐっしょりぬれていた。額からも、同じく汗が流れていた。

 そんなザイカの状態を見越してか。エクリドはザイカに命令を下した。

 

 「お前は留守番だ、ザイカ。」

 

 エクリドの一言に、ザイカは驚いた。てっきり、自分も襲撃のメンバーになっていると思っていたからだ。

 

 「そんな震える手で武器を持っていても、足手まといだよ、この臆病者め。お前はココで、俺達の『仕事ぶり』を見て、勉強しておけ。」

 

 汗に濡れたザイカの手は、同時に小刻みに震えていた。この状態では、強襲どころか、衛兵に返り討ちにあってしまうだろう。

 エクリドはザイカの返答を待たずに、渡し橋に向かっていった。

 そしてザイカは、自分の臆病な心に、感謝をしていた。

 

「僕が、罪の無い人を、殺せるわけ無いじゃないか……。」

 

 深い霧の中、海賊達が続々と商業船に乗り込んでいった。彼らの後姿をザイカは確認し、そして、襲撃されている船の甲板に目をやった。

 エクリドが手に持つ大きな《鉈》によって、鎧を着た衛兵が、真横に引き裂かれるのが、見えてしまった。

 ザイカは自分の目の良さを、再度呪った。そしてザイカは、それ以上、その船の上で行なわれる惨劇を見ようとはしなかった。見ることが出来なかった。

 うつむき、耳を塞ぎ、全てが終わるまでじっとしていようと、心に決めた。

 

 

 

 エクリドはその船に乗った瞬間、違和感を覚えた。なんとも言葉に形容し難い、しかし、普段とは違う、何かがあった。

 過去、船長がまだ《ユンファ》ではなく、自分であったときには、何度も船の襲撃を行なったことがある。が、こんな感じは初めてだった。

 たくさん人の気配を感じるが、しかし、それは人ではないような感じでもあった。

 

「気味が悪いな。」

 

 率直な感想が、エクリドの口から出た。

 部下たちは既に船に乗り込み、甲板に立っていた衛兵たちに攻撃を仕掛けていた。実際には、霧が濃く目に見えているわけではないが、剣が弾きあう音や、断末魔の悲鳴から、おおよその状態が、エクリドにはイメージできた。

 

「まったく。船長には、極力『人は殺すなと』命令されているのだがな。」

 

 無理難題であった。海賊が船を襲うということは、全てを奪うということだ。積荷も、そして船員の命さえも。

 事実、既に『断末魔』の悲鳴が聞こえている。『誰も殺さない』ことなど不可能だ。

 ふぅ、と、軽い溜め息がエクリドから漏れた。瞬間、鉄の槍を携えて、こちらに突撃してくる人影が目に留まった。

 

「……ちっ!」

 

 突然のことだったので、エクリドは加減せずに鉈を薙ぎ、その人間を二つのパーツに引き裂いた。無残にもその兵士は、単なる肉の塊へと変貌した。

 が、エクリドは、凪いだ鉈を見て、また違和感がした。

 

「変だな。」

 

 生き物を切った、というより、骨を断った感じがしたからだ。

 切り裂いた人間の遺体を見てみると、そこには、違和感に対する回答が示されていた。

 

 遺体から、全く血が流れてこなかったのだ。

 

 よく見ると死体は酷く痩せこけていた。というより、体液を根こそぎ奪われた、といった感じだった。先ほどエクリドを襲ってきたのは、そう、生きた人間ではなく、骨と皮だけの『死体』であったのだ。

 

「……なるほどね。そういうことか。」

 

 エクリドは事の大半を。特に、ユンファ船長の考えと、命令の意味を悟った。

 あの船長が単なる商業船を襲わせるとは、到底考えられなかった。

 やはりこの船には『裏の事情』があるのだ。

 

「これは、面白いな。」

 

 エクリドが、鉈を、さらに力をこめて握りなおした。

 

「人を殺さずに、人殺しが楽しめるとはな。」

 

 ユンファが船長になってから、久しく人を殺していなかったエクリドにとって、今回の強襲は今までのストレス解消にもなる、とても充実した一時となったのだった。

 



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第2章
2-1.《目覚め》


 霧が晴れ、先ほどとは打って変って、真夏の太陽が海面で照り返してくる。眩しいくらいに明るく、そして気温も高くなってきた。

 既に霧中の強襲から長い時間が経っていた。商業船の上には4つの遺体が転がっており、船内にはそれ以上の犠牲者がいた。ザイカはその中を、船に積まれていた荷物の運搬のために進んでいた。

 商業船というだけあり(カモフラージュかもしれないが)、宝石や装飾品、保存食や簡単な食糧などもそろっており、それら全てを《ディーピッシュ》に積み込むように命令されたのだ。

 商業船の甲板にある4体の遺体は、どれもが2つ、ないし3つに分離していた。

 

「あの人は、人殺しを楽しんでいるんだ」

 

 ザイカはそう思った。生きている人間をこうも簡単に真っ二つにできるのだから、ためらいなんて言葉は、彼の脳にはないのだろう。

 しかしザイカは知らなかった。もともとこの船には、生きていた人間はほとんどいなかったということを。あの闘いの中、彼は目を瞑ってしまっており、事のほとんどを見ていないのだから。

 ザイカは気を取り直し、仕事に戻った。先ほどの霧の中とは全く異なる暑い日差しの中、荷物運びを続けた。他の乗組員もあくせく運搬作業をしている。中の荷物の状況から、おそらく日が沈む前には作業を終えることができそうである。

 

 時は夕刻を指したが、一向に太陽の照りつけはおさまらず、暑さは和らがない。

 《ディーピッシュ》の甲板には商船の中で生存が確認された人たちが集められた。彼らは捕虜として扱われることになる。捕虜は直に甲板に座り込み、それを囲むのように、二人の人物が立っていた。

 

 1人は、肩幅もあるがっしりとした肉体で顔には無造作に伸ばしたひげをしていた。《エクリド》である。

 

 もう1人は、長めの髪を後ろで軽く結った、すらりと細い長身に、体には白衣を身に着けた男性であった。

 

 座り込んでいる人たちは5人。女性が3人、子供が2人。男性は見られない。

 

 捕虜たちにはある共通点があった。両腕には皆、手かせが着けられ、足には重石がつけられていた。手足の皮が痛々しく剥がれ赤く血がにじんでいることから、長い間この格好でいたことは容易に想像できる。

 また彼女たちは全員、その手足に痛みを感じていないようである。全く『感情』を感じられなく、彼女達の目は虚空を向いたままでいた。

 

「おい、《テンザ》。こいつらはどうなっているんだ?」

 

 エクリドが声を発した。捕虜はエクリドの声にも動じない。エクリドは、このリアクションの無さにさらに苛立った。

 

 テンザと呼ばれた、白衣を着た細身の男……《放浪の医師、テンザ》は、ふむ、と手を顎に当て考え始めた。そしておもむろに、彼女達の一人に近づき、目や口の中、背中や耳の中なども調べ始めた。そして、女性の顎下を両手でさすりながら、こう答えた。

 

「……どうやら、薬物の関係ではありませんね。」

 

 エクリドは眉をひそめた。そうすると、こうなる症状といえば、コレしかない。

 

「なら、『術』の類か?」

「ええ、そのようです。」

 

 テンザがうなずいた。「これでは、私の管理外ですね。」

 

 大男がつまらなそうに舌打ちした。

 

「まったく……。せっかくの『手がかり』なんだぞ! 全然使い物にならないじゃないか!」

 

まあまあ、とテンザが大男をなだめる。

 

「そんなに怒らないでくださいよ、エクリドさん。術の類ですから……。うちには専門家がいますよ。」

 テンザが、甲板の先の通路を指差した。

 つられて、エクリドが目線を移す。

 

 そこには、蒼い麻ズボンに蒼色に染めた絹のタンクトップを着た、

 細く、それでいて健康的な褐色に焼けた肌の、

 そして、自らの左目を蒼の眼帯で覆っている、

 長い黒髪をした女性が立っていた。

 

「よろしくお願いします、ユンファ船長。」

 

 《蒼の海賊、ユンファ》は静かに、しかし堂々とテンザとエクリドの目前に歩いてきた。

 ユンファは、術にかかっている人たちを一瞥し、そしてテンザとエクリドの方を見た。

 

「船長、この術……解けますかね?」

 

 テンザがユンファに質問を投げかけた。

 しかし彼女は、

 

「テンザ……?」

 この質問に対し答えを返さずに、代わりに質問をテンザに投げかけた。

 

「……私にできないことって、何かあったかしら?」

 

 そういうとユンファは、なにやら小声で呪文を唱え始めた。そして、大きな音が鳴るように、思いきり手の平同士をたたいた。パンと乾いた音が甲板の上で響く。

 刹那、先ほどまで虚ろな目をしていた人達が、突然バタバタと倒れ始めた。まるでヒモが切れた操り人形のようであり、傍から見れば滑稽な動きをしていた。

 

 「あれ?」

 

 ユンファは声を上げた。続いて、エクリドとテンザもこの状況に驚いた。

 

 「……船長?」

 

 エクリドの、呆れと少し戸惑いを含んだ声に、ユンファは少し悩んだ。

 そしてこう返した。

 

「よし、《目覚め》完了。術はさめたわ。」

 彼女は笑顔だった。

 

「……ユンファ船長。」

 

 テンザは頭を抱えていた。

 

「ちょっと、失敗しましたね?」

「ま、ちょっと、ね。」

 

 この一言に偽りは無かった。確かに術は解け、彼女達は正気を取り戻している。ただ、術が解けた『後』のことを、ユンファは考えていなかっただけであった。

 

「ごめん、後はよろしくね。」

 

 ユンファはテンザの肩を叩きそういった後、船の自室に戻っていった。

 テンザは、ふう、とため息をついた。エクリドもテンザと同じ気持ちだっただろう。その後彼らは、倒れて寝息を立てている捕虜を、医務室に運ぶという新たな手間に、うんざりとした。



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2-2《白金のブローチ》

 夜になり、海の上は冷え込んできた。空気が澄んでいるためか、月が眩しいほど輝き海を照らしている。

 船倉の窓から光り輝く星を見ながら《ザイカ》は医務室に向かっていた。船長から呼ばれたのだ。昼に囚われた捕虜が目覚めたらしい。

 

 医務室に入るとそこには、船長《ユンファ》、《エクリド》、《テンザ》の他にベッドの端に腰掛けている女性がいた。催眠術から冷めた捕虜の1人である。

 

「……さて、話してもらえるかしら?」

 

 ユンファが彼女に問いかけた。彼女は一瞬『ビクッ』と体を震わしたが、暫くすると落ち着いたのか、ゆっくり話し始めた。

 

「……私は《ラスロウ・グラナ》で宝石商をしています。今回、《ノウルオール》に宝石を輸出するため、あの船に乗っていました。」

 

 彼女は話を続けた。

 

 航海中に突然、濃い霧に覆われたこと。

心配になり船室に入ったら、そこには船長の『ゾンビ』があったこと。

 そのゾンビが突然『ココに紫の宝石は売っていますかね?』と喋ったこと。

 霧に紛れて黒い「ガス」が発生し、それを吸った船の中の人たちがバタバタと倒れていったこと。

 倒れた人のほとんどが、船長のような『ゾンビ』になり立ち上がったこと。

 そのゾンビが何かに操られるように船の中を物色し始めたこと。

 

 彼女は休むことなく、さらに話を続けた。

 

「私達は、出発前に『ラスロウ・グラナ』で偶然、祝福の儀式を受けていました。そのため助かったのかもしれません。」

 

 そういうと彼女はブローチを掲げた。ザイカが不思議そうに、その天使の羽根をモチーフにしているブローチを眺めていると横から小声でテンザが説明してくれた。

 

「それは白金でできているのですよ。そして祝福の儀式とは、それを購入し身につけることです。」

 

 白金には「邪」を振り払う力があるというが、しかし庶民一般は手が出せないくらい高価なものである。彼女の「宝石商」という職業は伊達ではなかったことがわかった。

 彼女は話を続けた。

 

「私も、その黒い霧を吸い、気を失いかけました。しかし失われる意識の中、倒れた人たちが何かを探すように船を物色し始めたのが見えて……。私は、そこで意識を失いました。」

 

 ふうん、と、ユンファがさも興味がなさそうに相槌を打った。

 

「私としては、ゾンビ云々よりも……。その『紫の宝石』が気になるわね。」

 

 ユンファの発言に彼女はドキリとした。しかしそんなことは全く気にせずにユンファは腕を組み、彼女を睨んでいる。

 程なく彼女は口を開いた。

 

「その宝石は、私がブラックマーケットで手に入れたものです。とても妖艶な美しい輝きをした、今まで私が見た宝石の中で一番のものです。これは極秘裏に《ノウルオール》で買い手も決まっています……。」

 

「で? その宝石は今何処に? まさかゾンビに持っていかれたの?」

 

「い、いえ。それは無いと思います。あれは特別なところに、厳重に保管していますから。」

 

 ザイカは「あれ?」と思った。船の中の物は、宝石食糧その他、あらかたこっちの船《ディーピッシュ》に運んだはずだ。保管してあるような場所さえその時は見当たらなかった。

 

「……なるほどね。」

 

 ユンファはくすりと笑った。部下達に物を運ばせておいて、そういった保管場所さえ見つけられなかった理由をユンファは理解したのだ。すると、捕虜の女は保管の方法を説明し始めた。

 

「『結界』を、船室のひとつに張ってもらいました。外からでは入り口のドアさえ見つけられません。」

「……じゃあ、早速、その結界の場所と解き方、教えてもらいましょうか?」

 

 ユンファはグイと顔を彼女の顔に近づけた。まるで強要だなあと、ザイカは思ったのだがユンファは海賊である。当たり前の行為といえば当たり前だった。

 

「残念ながら……それはできません。」

本当に残念そうに、彼女は答えた。「あの結界の解き方は《ノウルオール》の取引先しかわかりません。」

 

 しばしの沈黙があった。

 テンザは静かに目を閉じ、時が過ぎるのを待っているようだった。

 エクリドは「はぁ?」という顔で、あっけにとられている。

 ユンファは頭を抱えてしゃがみ込み、そして苦虫を噛み潰したような顔で「あのクソジジイ……」とつぶやいた。

 

 ユンファの目的、それは『紫の宝石』を見つけ、手に入れることである。

 

 この世界……《エジュレーン》には大きくわけて5つの大陸が存在し、それぞれの大陸は土の質、鉱石の材質が大きく異なるのが特徴である。

 例えば《白の審問所》が存在する《ラスロウ・グラナ》。そこでは白く柔らかな光を放つ鉱石が主に採取される。《白金のブローチ/Platinum brooch》などの白金のほか、チタンなども採取できる。《赤の憤怒山》がある《ゴルゴロ=イクー》では鉄鋼が多く採取でき、またほかにルビーや石炭なども得られる。

 そしていつからか、採取できる鉱物の色で大陸が自然に「色分け」されるようになった。同時に、その土地ごとがもつ「マナ」の力もその色に染まっていったという。

 

 しかしそんな中、この『紫の宝石』というのは何処の大陸から採取されたとか、どんなマナを持っているのかなどが全く不明なものである。いつの間にかこの《エジュレーン》の世界に登場し存在していたとだという。そしてそれは、5大陸がそれそれ持つ「5つの色」をはるかに越える力を持つ色であるともいわれている。この『紫のマナ』を扱えるようになれば、「願いをかなえることができる」、「永遠の機関を手に入れられる」、「神聖なる神の領域へ旅立てる」らしい。

 だが実際問題、「紫マナ」は何れも伝説の中の話であった。特に《青の図書館》が存在する《ノウルオール》では「作り話」「御伽噺」とされている。

 

 そしてその「御伽噺」を、ユンファは捜し求めていた。ついに「それ」が目前にあるというのに、文字通り「壁に阻まれた」のだ。

 

「……あのう……。」

 

 捕虜の女はユンファを心配したのだろうか、オドオドと声をかけた。

 すると突然ガバッとユンファは立ち上がり、また顔を彼女の目前に持っていってこう言った。

 

「場所だけ教えなさい。もういいわ。私が《解呪》してやるわよ。」



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2-3《試されたカマキリ》

 情報を聞き出したユンファは早速、詳しい結界の場所を示してもらうため、捕虜の女――名前を《セルバ》という――と、昼間に荷物運びをしていた部下の中で、結界が張られていた付近の荷物運びを担当していた2人、《トゴ》と《ジェフ》を連れ、商業船に向かっていった。

 

 

 《ザイカ》は船に残り、残った捕虜の見張りをさせられていた。しかし既に時は深夜。ユンファ船長が使った昏睡の術の効果もあり、捕虜の人たちはぐっすりと眠っていた。

 

「見張りの必要は……なさそうだよなあ」

 

 ふあぁ、と、ザイカは大きなあくびをした。昼間の強襲(見ていただけだが)、強奪した荷物の運搬など、精神的にも肉体的にも、今日は普段の生活に比べて疲労していた。体が眠りにつこうとしているのが良くわかる。自然に瞼が重くなってきた。

 

 捕虜達は牢屋などではなく、医務室の奥の部屋にベッドを用意しそこで寝かされていた。「寝ているし、女子供だけだし、『敵』ではないでしょ」というユンファ船長の考えと、テンザの意見を取り入れた形である。

 

ザイカは医務室のイスに座ったままウトウトとしていた。起きなくてはと思うのだが、しかし睡魔は容赦なく襲ってきた。ゆっくりと、しかし確実にザイカは夢の中に落ちようとしていた。

 

 その時、医務室のドアをノックする音がした。真夜中であることもあり『コンコン』と無機質なノック音はザイカを死ぬほど驚かすには十分な効果があった。「ひッ!」と小さな悲鳴を上げたと同時に、睡魔もどこかに飛んで行ってしまった。

 

「だ……誰ですか?」

 

 一気に眠気が覚めたザイカは、ドアの向こうにいると思われる人に声をかけた。

 

「あ、私です、ザイカさん」

 

 その声色は美しく、そして澄んでいた。初めてこの声を聞いた人間なら、扉の向こうに立っている人物を『麗しい大人の令嬢』と想像するだろう。それ位にこの「声」は綺麗であった。

 

 ザイカはこの声の主を知っていた。いまだに(驚きで)ドキドキしている心臓に手を当てながら、医務室と廊下を隔てている扉を開けた。

 

「こんばんは、《コーダ》さん。どうしたんですかこんな夜遅くに。」

「こんばんは、ザイカさん」

 

 そこには『麗しの大人の令嬢』ではなく、白いエプロンを無理に着用した、女性の『ゴブリン』がちょこんと立っていた。その《コーダ》と呼ばれたゴブリンはザイカの胸までしか背丈が無い。

 

 ゴブリンは全体的に小柄な種族であるため不思議なことではない。むしろコーダ曰く「私の身長は、女性のゴブリンでは大きいほうです」らしい。

 

「ザイカさん、今日は朝から働きづめではないですか?」

 

 《コーダ》が、その小さな体に似合わない美しい声でザイカを心配してくれていた。そしてコーダは、ザイカに少し休むように提案した。

 

「軽く仮眠を取るだけでも違いますよ。その間でしたら、私が代わりに見張りをしていますから。」

 

 この提案には、ザイカは喜んで賛同した。先ほどのコーダのノック音で眠気が覚めたといっても、流石にこの状態が続くのは辛い。ザイカはコーダの優しさに、心底感謝した。

 

「あ、ザイカさん。ついでに何か、食べ物でもお持ちしたほうが良かったでしょうか?」

 

 コーダはさらにザイカを気遣った。ザイカはこの気持ちは嬉しかったが、

 

「いえ、お構いなく。自分で何か、探して食べますよ。」

 

 仮眠をとる前に、水と、簡単に軽食を取ろうと、コーダに見張りをお願いして船内の調理場に向かった。

 

 

 

「ここね。」

 

 ユンファは襲われた商業船の船室横、不自然にスペースがある壁の目の前にいた。

 暗い船内を照らすため、《トゴ》と《ジェフ》にはランタンを持たせている。薄暗い月明かりだけでは、流石に船内は暗く、行動は難しかった。

 

 《トゴ》と《ジェフ》が連れてこられた理由は他にもあり、この壁には絵画が飾られていて、彼らはそれを運んだことを説明した。そのため実際に壁に何度も触れていたというし、隠し扉などがあることも考慮しこの付近の壁の検査もしていたという。しかしここに入り口があるとは全く判らなかった。それだけ強力な結界が張られているということだろう。

 

「そうです。ここには本当は物置の扉が在り、それを魔法で見えなくし、かつ施錠しています。」

 

 《セルバ》は自分の手を、その壁にゆっくり触れた。彼女は眉をひそめながら話を続けた。

 

「この結界は普通の人には解けないと思います。かなり難解なものをかけてもらいましたから。」

 

 セルバの気持ちは明らかに沈んでいた。ユンファはそんな彼女の表情を見て、セルバはこの状況を面白く思っていないのだろう、と、思った。

 黒い霧に襲われ命を落としかけたが、運良く生き延びることができた、しかし代償として、自分が手に入れた貴金属や多くの船員、そして、折角の至宝の宝石まで、海賊に奪われようとしていたのだから、そう思うのも当たり前だろう。

ユンファはセルバの雰囲気を察し、しかし、「フフッ」笑うとセルバにこう言った。

 

「ま、命あっての何とかっていうじゃない。『あなたは命が助かった。その代金として財産を支払った』。あなた位の商売能力があれば、これくらいの損失すぐに取り返せるわ。」

 

 そしてユンファは、セルバの胸に光るブローチを指差して話を続けた。

 

「予定としては、私はあなた達捕虜を《赤の憤怒山、ゴルゴロ・イクー》で全員下ろすわよ。あそこの商業港、《エリス港》ならアーティファクト用の出荷船とか多く出ているから、どの大陸にもアクセス可能。それに、その《白金のブローチ》なんて、《ゴルゴロ》の工匠にとっては本当に珍しいものよ。そっちの言い値で買ってくれること間違いなし!」

 

 ユンファは最初から、セルバが持つブローチは盗らないことを決めていた。かつユンファは、セルバにその後の「人生の再スタート方法ヒント」を教えた。『紫の力』によってセルバを不幸にしてしまったことに、ユンファはなんとなく罪悪感を覚えてしまっていたからであろうか……。

 

「……さて、じゃ、この『難解な結界』でも、ちょちょいと解きましょうか。」

 

ユンファは体を向き直し、結界が張られているという壁を目前にした。

 

「……」

 

 真夜中の静寂も手伝ってか、一気にあたりが静まり返った。

ボウ……と、ユンファの手が青白く光り始めた。かすかなその光は、薄暗いこの船内では美しく見えた。後ろでは、トゴとジェフ、そしてセルバがユンファの行動を見守っていた。

 

 ユンファが光っている両手を壁に押し当てた。刹那、『ぴしっ』と音が鳴り、壁にひび割れが生じた。それらはどんどんと大きくなり、数も増えていった。ひびは単に壁に入っているのではなく壁の表面を走っていた。ユンファの手の色――青白く光っていた手――と同じ色であったひびは、瞬く間に壁表面全体に広がっていった。

 

「……せいっ!!」

 

 ユンファは気合を入れ、壁に突き出していた両手を勢い良く左右に広げた。同時に、ガラスが砕けるような音が響き、壁が砕けた……のではなく、入り口を隠していた『結界』が崩れ去った。

 

「……!!」

 

 この結果に一番驚いたのはセルバであった。この結界自体、《白の審問所》の法師にお布施を奮発し、さらに《ノウルオール》の依頼主から教えてもらった施錠方法を行なっているはすなのに、ただの『女海賊』によってそれは、いとも簡単に崩れてしまったのだから。

 驚いているセルバを横目に、ユンファは、揚々と喋りだした。

 

「うう……。正直、結構、きつかったわ……。もう1ランク上のものだと、流石の私でも、解くのに丸々1日かかるでしょうね。」

 

 あっけらかんと言い放った彼女は、しかし実際は辛そうな顔をしていた。額にはうっすらと汗がにじんでおり、疲労の色を見せていた。息も上がっていた。

 

「……大丈夫ですか、船長。」

 

 トゴはユンファの異変に気づき、ランタンをユンファのほうへ向けた。しかしユンファはすぐに笑顔になり「大丈夫よ」と返事をした。

 ジェフはというと、船長の異変以上に、壁に現れた扉に目を奪われた。そしてすぐに、その扉の中に今まで以上の『お宝』が眠っていることを本能で悟った。あわよくば船長の目を盗んで、幾つかの宝石をネコババしてしまおうとも考えていた。

 

「さて、と。」

 

 ユンファはうーんと伸びをし、目の前に現れた『扉』を確認した。

 船室の扉と同じ材質の木でできていて、鍵はかけられていないようである。

 

「いきましょう」

 

 ノブに手がかかり、扉は開けられた。

 中は単純な物置であり、壁には穀物が入った麻の袋や飲料水を保存するガラス瓶の箱詰めなどが積まれていた。

 そして倉庫の中央に、それはあった。

 倉庫には窓は無く、月明かりさえ入ってこない。トゴとジェフが持つランタンのみが、この部屋を照らすことができる唯一の光源である。しかしその宝石はそんな暗闇の中でも十分過ぎるほどの存在感を醸し出していた。

紫色に輝く、子供のコブシ大の巨大な『アメジスト』にも見えた。しかしこの宝石は、アメジストのそれ以上に赤く、黒く、そしてそれ自体がうっすらと紫色に発光していた。その光は妖艶で、魅力的で、それ以上に邪悪な感じであった。

 

「……きれい……」

 

 誰もがその宝石の光に魅入られていた。冷静なユンファでさえ、一瞬、その宝石の輝きと大きさに目を奪われた。セルバの発した一言で、やっとユンファは我に返った。

 

「……っと。危うく見惚れるとこだったわ」

 

 そう言うと、ユンファは早速、目的の宝石を持って帰ろうとし、それに手を伸ばした。

 しかし、彼女その宝石に触れるかという時、ある『感覚』に襲われた。他に誰もいないはずのこの部屋の中から、おぞましいくらいの『殺気』を感じたのだ。

 

「……船長?」

 

 トゴがランタンをユンファのほうに向けた。同時に、ジェフもユンファに明かりを向けた。ジェフの場合は、もっと宝石を見たいという欲求からでもあったが。

 

「……!! しまった!ダメだ! 明かりを消せ!」

 

 ユンファは振り返り部下達に叫んだ。刹那、

「ヒュッッ」

細い風がユンファの左頬を掠めた。その風は一直線にジェフの持つランタンを目掛け飛んで行き、そしてその風は手にした鎌を振り上げた。

 

 ジェフは、自分に目掛け飛んでくるその風の正体がわかった。しかしそれを伝えることができなかった。『サクっ』と、あまり聞き慣れない音がして、ジェフの頭は床に落ちた。

 

「……うわぁ!」

 

 前のめりに、ジェフ『だったもの』が倒れた。ワンテンポ遅れて、派手に赤い血しぶきを撒き散らした。狭い部屋を一気に赤に染め、トゴが悲鳴をあげた。

 

「やられた!! トゴ! 火を消して! 狙われる!」

 

 しかしユンファの声は、トゴには届かなかった。

 パンッ!と小気味良い音とともに、ランタンが破裂した。と同時にトゴが風とぶつかった。

 

「ひいっ!」

 

 トゴの隣に立っていたセルバは思わず、小さな悲鳴をあげるとともに顔を覆った。人の骨がここまで容易く切断できるのであろうか。一瞬にして、2人の人間が命を落とした。全く正体がつかめない風によって。

 

 トゴとジェフが落としたランタンの火が、周囲に積まれていた麻の袋に燃え移った。中には穀物が入っていたのか、それは簡単に燃え広がり、真っ暗闇の部屋に明かりをもたらした。

 

 眩しいくらいに部屋を照らし出す炎。その炎により、さらに輝きを増した宝石。

 そして、ユンファとセルバは、風の正体を知ることになった。

 宝石の正面、その宝石を守るように、小さな虫が、それも女性の手の平くらいであろうか、人を殺すにはあまりにも小さすぎる、小さな《カマキリ》がそこにいた。

 

「なんてこと……。こんな虫にまで……。」

 

 ユンファの額から汗が吹き出ていた。炎により部屋の温度が極端に上がったためであろうか。それとも、この状況が、それほど危険であるためであろうか。

 セルバは腰をぬかしているのか、尻餅をついたまま床にへたっていた。恐怖のあまり声も出ないようである。

 

「動かないでよ、セルバ。これは、少々荒っぽいことになるわよ」

 

 こういった危険を予測できなかったこと、セルバを一緒に連れてきたこと、《エクリド》をつれてこなかったこと、大切な仲間が殺されたことなど、ユンファはいっぺんに後悔をした。

 

紫の宝石は、そんな彼女達をあざ笑うかのように、眩しく輝いていた。



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2-4《アンノウン》

  海賊船《ディーピッシュ》には、その船の大きさに似合わないほど立派な調理場と食糧庫がある。普通、海賊船でキッチンを常備しているものなどほとんど無く、船員は保存食での食事を余儀なくされる。長い船上の食生活で暖かい食べ物を摂れるこの船員は幸せであろう。

 

 ザイカは調理場で果物を発見し、それに噛り付いていた。酸味が残る、完全に熟していない果実ではあったが、ほんのり甘く、夜食としては最適であった。果物はこぶしほどの大きさであり、ザイカはそれをぺろりと平らげた。

 月明かりが差し込むキッチンで、食後の水を飲んでいたザイカは、何気なく船長ユンファのことを考えていた。

 

「……もう、お宝ってのは見つかったのかなあ」

「もう見つかったかモネ♪」

 

 ザイカのつぶやきに、誰もいないはずの暗闇から返事があった。全く人のいる気配は無かった。ザイカは驚き以上に恐怖を感じ、しかし暗闇から発せられた声の正体を探ろうと、あえて暗闇に声をかけた。

 

「だ、誰だ!」

「さあ、誰でショウ!」

 

 返って来た返事はまるでザイカを馬鹿にしているようであった。そしてその声はザイカの警戒心をさらに強くさせるには十分なものであった。明らかに聞いたことの無い、垢抜けた少女の声であるからだ。捕虜の中に女の子はいたが、その中の子供が目覚めたのだろうか。しかし今はコーダが見張っている。捕虜が出歩くこと自体おかしい。

 

「どうやってここに来たの?」

 

 思い切ってザイカは疑問に思ったことを口に出した。

 

「歩いテきたヨ」

 

 返事はあっけなかった。そして返事の主はその後、パタパタと足音を立てながらザイカに近づいてきた。

 相手が近づいてくるとは予想だにしていなかったザイカは慌てふためいた。何か武器になるものを探したが、キッチンはよく整理されていて、ナイフや鍋等は戸棚の中にしまわれていた。キッチンの調理場の上に出ているものなど、一つも無かった。

 ザイカが武器を探している一瞬の間に、声の主はザイカの目の前に立っていた。

 

 キッチンに差し込む月の明かりによって、ザイカはやっと声の主の姿を捉えることができた。

 容姿は10代半ばといったところか。身長はザイカよりも一回り小さい。ストレートのブロンド髪、全く焼けていない純白の柔肌を持つ、かわいらしい女の子。

 少なくともザイカの目には、『可愛い女の子』として映った。

 

「……私、《ノウンクン》!」

 

 ノウンクンと名乗った彼女が、ザイカに手を差し出した。どうやら握手を求めているらしい。

 ザイカは反射的に手を握ろうとしたが、すぐに冷静になり自らの手を引いた。海賊船に在りえない容姿の少女が乗っている。それだけで、警戒をするのは十分だった。

 

「……いったい君は誰?」

 

 ザイカは少しずつ、すり足で彼女との距離を離していった。ゆっくり後退しながら、攻撃のチャンス、もしくは逃走の機会をうかがっていた。

 

「……私、《ノウンクン》!」

 

 あっけらかんと、先ほどの自己紹介を繰り返したノウンクン。ザイカはその緊張感のない、少女独特の甲高い声によってか、よろめきそうになった。

 ザイカの行動を察してか察していないのか判らないが、ノウンクンと名乗った少女は、こう続けた。

 

「あなたは、《試されて》いる?」

「……試す……?」

 

 ザイカはノンクーンの話した言葉を全く理解できなかったが、しかしノウンクンはさらに言葉を繋げた。

 

「あなたの大切な人は、イマ、試されていマスヨ」

「……大切な人って……せんちょ……」

 

 ザイカの回答が終わる前に、キッチンの明り取りの窓から、夜とは思えないほどの閃光が走った、と同時に、まさに耳を劈く大音量が響いた。

 

 落雷である。

 

 そのときの雷は、ユンファとセルバの乗る商業船に向かって落ちていた。

 

 

 

 気を抜いてはいけない。予断を許さない。ほかに気をとられることは、死を意味する状態が続いていた。

 燃え広がった炎によって、船内は異様な暑さに見舞われていた。黒い煙が狭い室内を充満し始め、確実に視界が悪くなってきている。空気中の酸素が減ってきたのか、ユンファは息苦しさを感じ始めた。

 

 ユンファは右手の人差し指と中指の間に挟むように、一枚の札を持っていた。札には丸い形の文様と、他に普通の字とは異なる、難解な古代文字のようなものが描かれていた。ユンファはそれを《召喚符》と呼んでいる。文字通りユンファは、この札を用いて「召喚」を行なおうとしていた。

 正確にはそれは召喚ではなく、その札は『生き物を札の形に圧縮しているもの』である、と、彼女は過去に語っている。たしかにユンファのもつ札には同じ文様のものは無く、それぞれに対応した生き物しか生まれて来ない。札の生き物が死ねば、当然札を失う。

 

「……!!」

 

 刹那、ユンファは右方向から『風』を感じ、それを避けるように体を反った。ヒュっと風を切る音とともに、目の前を緑色(正確には緑と紫を混ぜたような色)のカマキリが通過した。

 そしてそのカマキリが持つ鎌に付いた血は、既に固まり始めていた。

 

 ユンファはこの場をまず凌ごうと、召喚符を手にし、それを投げた。カマキリはそれに反応し鎌を振り上げたが、瞬間、札が弾け、10羽ほどのカラスがその空間に現れた。

 カマキリは傍から見ても困惑していた。このスキをついてユンファは、恐怖で腰を抜かしていた《セルバ》をつれて、炎が広がり始めていた船からの脱出を試みた。

 

 しかし、カマキリだけではなく、どうやら船内にいたネズミも不思議な力に操られているようである。目前にネズミの集団が道を塞いでいた。カマキリも逃げるユンファに気づき、体制を整えた。確実にユンファをしとめようとしていた。

 

「…。ここでとっておきを使うことになるとはね。」

 

 そういうとユンファはもう一枚の召喚符を取り出した。それは先ほどと異なりユンファの手の中で具現化した。手の中で青白い雲のように変化していき、最終的にそれは、「目玉の在る雲」のような存在になった。ふわりとユンファの手から離れ、ゆっくりと漂いはじめた。

 ネズミの集団の一部が、その雲に飛び掛った。しかし大半が一瞬にして黒焦げになってしまった。その雲の生き物は、本当に小さな『雷雲の塊』だったのだ。

 

 「轟け!」

 

 召喚師の一言で、その雲は発光、そしてはるかかなたの天空から、巨大な雷を、狭い船の中に呼び込んだ。同時に爆発が起こり、あっという間にカマキリとネズミ、そして船室と、中にあった食糧を全て消し炭にしてしまった。

 

 ……後に残ったのは、この雷光を召還した張本人と、それに抱えられているセルバという女性。そして、この爆発でも傷ひとつ付かず不気味に光り続けている、『紫色の宝石』であった。

 

「間一髪、ね。ありがとうセルバ。あなたの《白金のブローチ》のお陰で、この状況を打破できたわ。」

 

 ユンファは、気絶しているセルバと、彼女が身につけていた《白金のブローチ》に感謝した。雷を呼び込んだその瞬間、気絶しているセルバの胸に光るブローチに、ユンファはありったけの防護術を施したのだ。

 邪を払う白金のブローチは、触媒的な作用で防護術を強化させ、ユンファとセルバを雷から完全防御させることに成功したのであった。

 

 未だ気絶しているセルバを優しく横たえ、ユンファは『紫色の宝石』に近づき、手を掛けた。それは仄かに温かく、そして冷たく輝き続けていた。

 

「やっぱりこれは、私が全部集めないといけない力だ。」

 

ユンファはそれを無造作に、自らのポケットに詰め込んだ。宝石は未だ、仄かに輝き続けていた。



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2-5 《アメジストの大メダル》

 深夜に突然轟いた雷音、そして閃光。

 

 海賊船《ディーピッシュ》の乗組員のほとんどが、一斉に飛び起きた。

 そしておそらく、船内で一番間近にその雷をみていたのは、ザイカだった。

 

「うわぁぁっ!!」

 

 落雷の衝撃は、こちらの船まで伝わってきた。同時に、ザイカのいた調理場のガラス窓も大きく振動した。

 激しく気候が変わる航海に耐えられるように、船のガラスは厚手に作られている。それが震えるほどの衝撃だった。

 

 あまりに急なことで、ザイカは反射的に目を瞑り、体を委縮させてしまった。が、閃光と雷音はそれ以上起こることはなかった。数秒……いや、彼にとってはもっと長い時間だったかもしれない。彼は恐る恐る、ガラス窓から閃光と雷音が走った場所である、商業船のほうを見た。

 

 

 

 雷によってユンファたちが乗っていた船は沈没しかかっていた。いや、正しくは、既に半分沈没していた。

 落雷の後、船が中央から真っ二つに割れた。ユンファたちが乗っていなかった片方からは、落雷による炎が瞬時に周り、そしてあっという間に沈没した。

 

 残った半分は辛うじて浮いていたが、しかしこちらにも火はついていて、沈むのも時間の問題だった。

 雷音は海賊船《ディーピッシュ》にも轟いたはずだ。暫くすれば、異変に気付いた船員が救助艇を出してくるだろう。が、

 

「ムリね、間に合わない。」

 

 メキメキと音を立てて、半分の船の、さらに半分が崩れ始めた。物の数分、いや、あと数秒で船は沈むだろう。

 

「仕方ない、飛ぶ、か。」

 跳ぶ、のではない。彼女は『飛ぶ』つもりである。

 

 商業船と海賊船の間は大きく開けており、彼女の身体能力では、大きく波打つ漆黒の海を飛び越えるのは不可能だ。夜間に海の中に落ちることは死を意味している。夜間ではあるが、燃えている船が照明の役割をしているため、海面が照らされている。しかしそれでも、表層がキラキラと照らされているだけで、ここを泳ごうとするのは強靭なマーフォークか自殺志願者だけだろう。

 

「気絶していてくれてよかったのかしらね。」

 

 ユンファは、気絶しているセルバを抱え、素早く呪文を詠唱した。

 途端に、ユンファの背中には、青く光る《翼》を生み出した。

 薄青の月明かりを透かし、赤く燃える船の炎を照らし、そしてうっすらと自身は白色に発光している、幻想的な翼であった。

 

 

 

「……綺麗だ。」

 

 調理場のガラス越しに、ザイカはその羽を見ていた。

 調理場の周辺は、先ほどの振動で食べ物や調理器具などが散乱していた。しかしザイカは、それらには全く気が向いていなかった。先ほどの落雷と、そして現在の、光り輝く翼を得た、美しい女性に見とれてしまっていたのだ。

 

「キレイね、キレイ!」

 

 隣では、ノウンクンがはしゃいでいる。「キレイキレイ!」といいながら、調理場を跳ね回っている。

 ノウンクンのことを思い出し、彼は現状を把握することができた。そして、調理場の惨状も改めて理解できた。

 

「あ、危ないよ!」

 

 彼女がはしゃいでいる周囲をよく見ると、棚から何枚も磁性の皿が落ち砕けていた(通常、船では割れる恐れのある食器は控えるが、これらは船長の趣味である)のだ。鋭利な陶器の破片が、今にも彼女の足を傷つけてしまいそうであった。咄嗟に、ノウンクンへ注意を促した。が、

 

「あ、ユンファが、帰ってクルよ!」

 

 足を止めたノウンクンが、船の外を指差した。彼女が指差した方向へ、ザイカも自然と顔を向けた。

 青白く発光する翼を羽ばたかせ、ユンファがこちらの船に向かっていた。彼女の整った顔立ちとも相まって、その姿は、

 

「……天使みたいだ。」

 

 さらに彼を魅惑することとなった。

 

「……甲板にいってみよう、ノウンクン。」

 

 降りる場所はそこしか思いつかなった。ザイカはノウンクンを誘い、一緒に甲板に出ようと促した。が、

 

「あ、あれ?」

 

 彼女はすでにいなかった。皿や調理ナイフが散らばっている以外には何も無い空間に、話しかける恰好となってしまった。

 

 

 

 深夜に響いた突然の雷音、そして突然の衝撃によって飛び起きた船員。そして外の様子を伺った者は、夜、月明かりを背に、光る翼で船に戻る船長を目の当たりにすることとなった。

 それを見た乗組員は皆、あまりの美しさに歓喜の声を上げた。

 

 甲板にユンファが降り立ったときは、船員がほぼ船員、甲板に集まっていた。ユンファの帰還に誰もが喜んだ。

 しかし中には、彼女の帰還に素直に喜んでいない人物もいた。

 《船員の指導者、エクリド》である。

 

「《トゴ》と《ジェフ》が帰ってきていないな。」

 

 ぼそりと、エクリドは呟いた。

 自ら率いていった二人の船員を置き去りにして、彼女は自分たちだけ帰ってきたのだ。

(やはり、あんな女に船長は似合わないな。いろんな部分で、な。)

 

 そしてもう1人、素直に帰還を喜べない人物がいた。

 《ユンファ》本人である。

 《トゴ》と《ジェフ》はもう帰ってこないのだ。自らの軽率な考えで二人の船員を犠牲にし、自分たちだけ帰ってきてしまったのだ。

(やっぱり、私は船長は似合わないのかもね、いろんな部分で、ね。)

 

 

 

 夜が明けた。

 衝撃的な事件から一晩たち、ユンファは船内の重役を自らの船室に集めた。

 集められたのは

 《医師、テンザ》

 《船員の指導者、エクリド》

 お茶入れに、《小間使い コーダ》

 そして何故か、《ザイカ》もである。

 

「セルバは……やっぱり無理かしら。」

 

 本当は今後のことも含めての会議であったため《セルバ》も同席願ったが、

 

「彼女のショックはかなり大きいようで、まだ目を覚ましておりません。」

 

 テンザが答えた。セルバは昨夜のショックが残っているのか、まだ寝ていた。テンザの見解では、もう少し横にさせておいた方が良い、とのことだ。

 

 

 打ち合わせの最初に、ユンファは船であったことをこと細やかに、全てを話した。秘密の扉のこと、紫の宝石のこと、そして、カマキリやネズミのこと、最後に、トゴとジェフについて。

 ユンファは殺された2人に関して、エクリドに謝罪した。彼らは元は、彼の部下であった。

 

「すまなかった、エクリド。私が危険性を軽んじていたばかりに、二人も同胞を失ってしまった。」

 

 目を瞑り、眉をひそめ、彼女は悲観した。

 

「いや、俺たちはそういう職業だ。皆、死は覚悟していたはずだ。」

 

 エクリドも眉をひそめ、しかし眼力はしっかりとしていた。

 

「俺たちは、人の命を奪う職業だ。だからこそ、いつでも自らの命は奪われるものとして生きている。」

「……すまない。ありがとう、エクリド。」

 

 ユンファはエクリドに謝罪と感謝の言葉を述べた。

 フン、とユンファから目を逸らしたエクリド。

(ユンファは……まだ優しすぎる。海賊なんて器じゃないんだよ、彼女は。)

 

「……そして、これが私たちの『目標』のものよ」

 

 会議は一番の問題『紫の宝石』の話になった。ユンファはポケットから宝石を取り出し、テーブルにそれを置いた。

 

「いいこと?これには基本、私以外は触らないで。《魅了》されるわよ。」

 

 しかしながらこの宝石の妖艶な輝きは、部屋にいた誰もが目を奪われていた。

 

「こいつはすごい。」

 

 特にエクリドはその光に過敏に反応していた。そして、

 

「エクリド、手を引込めなさい。」

 

 強い芯の通った女性の声が、エクリドの動きを制した。スッ、と自然に彼の手は前に出ていたのだ。

 

「……驚いた。無意識に手が出てしまった。」

 

 一番驚いたのは、エクリドであろう。長年海賊をやっていれば数多くの金銀財宝を目の当たりにしているはずであるが、この『紫の石』は、そんな彼を一瞬で魅惑したのだ。

 

「これは、私達の目標であったものであり、同時に私達を滅ぼしかねない力を持っている。」

 

 紫の石を目の前に発せられた、ユンファの一言。エクリドが無意識にした行動が、彼女の言葉の後半部分に非常に強いインパクトを与えた。

 

「この宝石の扱いに関しては、私に一任させてもらうわ。だれも意見は無いわね?」

 

 ユンファは、船の重役が集まる部屋の中で、力強く発言した。

 そして誰も、ユンファの意見に反対するものは無かった。エクリドさえ、ユンファの意見に反対しなかった。反対したところで、この場には、紫の宝石に魅入られずにいる人間など、いないと思ったからだ。

 

 

 

 その後、ユンファは今後の針路を決定した。先の船から得られたアーティファクトや貴金属を売るために、赤の活火山《ゴルゴロイクー》の《エリス港》にむかうこととなった。ここで捕虜達を解放するという。

 

「下手な船団に預けるより、エリス港で捕虜たちを『商品』として、信頼のおける人物に卸したほうが、命の保証がされるわ。」

 

 同席していたザイカは、一瞬ドキリとした。『人間』を『商品』として卸しているような場所へ、今から行くことになるのだ。

 

「やっとまともな海賊業をやるのだな。」

「今回だけよ。あくまでね。」

 

 エクリドの、多少挑発的な意見に対して、軽く首を横に振りながらユンファは返した。

 

「では紫の宝石はどうするんですか? まさか一緒に売ってしまうんでは……」

 

 まさか。ザイカの質問には鼻で笑いながらユンファが答える。

 

「その後、青の図書館《ノウルオール》で、紫の宝石を解析、場合によっては封印するわ。まずは捕虜の解放と、あと荷物整理ね。これで、当面の私達の目的は達成されたことになるわ。」

 

 ユンファはそういうと、椅子に座ったまま、天井を仰ぎ、そっと、片目の眼帯に触れた。

 

 ザイカにはそのユンファの格好が、まるで何かに、祈りを捧げているようにみえた。

 

 遠い空の上。

 目では見えない何か。

 彼女の隻眼だけが見ることのできる、彼女しか知りえないものへの、祈りに見えた。



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第3章
3-1《エリス港》


 ユンファたち一行は、早速、商業港《エリス港》へ針路をとった。

 エリス港は数多くの他国の商業船が出入りする、世界でも大きな港のひとつである。

 

「それって、海賊にとっては危険なのではないのですか?」

 

 ザイカは、至極当然な疑問をユンファに投げた。大きな港はそれだけ警備が厳しいはずである。しかしユンファは、ザイカの回答には答えず、新たにザイカへ疑問を与えた。

 

「この、海賊が横行するご時勢。どうしてその港はそんなにも繁盛しているのかしらね。」

 

 ええと、とザイカはユンファへの質問を考え、そして、先ほど自らがした質問とも照らし合わせ、ひとつの結論にたどり着いた。

 

「裏ではエリス港は、海賊相手に取引を行なっている、のでしょうか。」

「あたり~。」

 

 パチパチとユンファは拍手し、さらにエリス港について詳しい説明を行った。

 

「正義と法を理とする国家《ラスロウグラナ》が、エリス港を摘発すれば、世界の半分の海賊を取り締まれるともいわれているわ。」

 

 ニコニコと笑顔で、ユンファはザイカに説明している。まるで、自分の子供に勉強を教えている母親のような顔だった。息子が、自力で最初の疑問に対して回答を見出したのが嬉しかった様な。そんな笑顔だった。

 

「でも、あの港は大きくなりすぎたの。既に《ラスロウグラナ》とも多くの商売、取引をしていて、ラスロウグラナ自身、あの港が無くなるって事は、おおきな痛手になるのよね。」

 

 瞬間、ユンファの顔が曇った。

 

「あんまり、キレイでないお金が、ラスロウグラナに流れているみたいだし、ね。」

 

―――

 

 昼を過ぎ、太陽が傾き始めた頃に出航した。

 霧やもやは全く無く、清々しい天気ではあったが、それは自然と様子を変えていった。

 いや、天候は全く問題なかった。《ザイカ》は天候を『視る』ことができ、船はその天気や風の流れを計算し、常に嵐とは出会わないように進路をとることができた。

 

 異変が起こっているのは、海のほうであった。

 風は穏やかであったが、どうも海の様子がおかしい。この船に乗っていた船員の大半がそう感じていた。

 同じく船室ではユンファがイスに深く腰掛け、海の変化を部屋の窓と、船のゆれから実感していた。

「やはり、この所為かしら……。」

 そういうとユンファは腰につけている麻袋に手を添えた。その中には『紫の石』が入れてあった。今は昨夜のような怪しい発光はしていない。

 

 海が荒れてきたが、運航にはさほど支障は無かった。

 しかし、やはりユンファの心配していたことと関係があるのかは判らないが、エリス港に着く前に大きな事件が3つ起こった。

 

 1つは、巨大なタコの襲撃である。

 

 海賊船《ディーピッシュ》の大きさよりも一回り小さいのだが、そのタコは巨体を船に押し付け、自らの足を船に絡ませ、船ごと沈没させようとした。

 しかしそこは、《エクリド》が自信の持つ鉈でタコの足を切り、またユンファは呪文で炎を作り出し、タコに投げつけ、それを丸焼きにし、切り抜けた。

 余談であるが、その日振舞われた夕食は「タコ」だった。

 

 2つ目は、謎の像である。

 

 難破船から流出したであろうか、運行中、海にたくさんの流木があった。長さが切りそろえられ、皮は綺麗にはがされていることから、建設用か何かに使われる予定であったことが伺える。

 その中に、明らかに異質なものがいた。

 木でできた像である。海に浮いている。

 しかしそう見えたのは、遠くにあるときだけで、それは海に浮いているのではなく、むしろ「海の上を歩く」といったほうがよかった。実際、海の上を歩いていた。しかも、この船に向かって来ていた。

 甲板で掃除をしていたザイカは思わず船長に聞いていた。

 

「船長…。あれはナンでしょう?」

 

 甲板で日除けパラソルを差し、白いチェアでくつろいでいたユンファは、ザイカの指差す像を目視したあと、答えた。

 

「ああ、あれは《海ゴーレム》ね。知らないの? 有名よ?」

「知りませんでした……。そんなに珍しいものではないんですね。」

「んなわけないでしょ。冗談よ。」

 

 あっさりと返され、またあっさりと、その木のゴーレムは焼かれた。

 

 3つ目は、海賊の襲撃である。

 

 しかしこれは、相手の運が悪かったであろう。向こうは数で攻めてきたが、こちらの船員は『少数精鋭』である。普通の海賊ごときに負けるような人材はそろえていない。

 かつ、ユンファ船長の魔法もあり、これはあっさり返り討ちという形で終わった。

 ついでに、持っていた貴金属も頂くことになった。

  

 

 

 いくつもの困難(?)を乗り越え、ようやくエリス港が見えてきた。おおよそ4日間の航海であった。

 

「案外、早かったな。」

 

 甲板に立っていたエクリドが、遠くに望む港を《望遠鏡》で見ながら言った。

 

「よし、帆を張り替えろ!!」

 

 海賊たちは、船の帆をはずし、商業用の帆に貼り直した。帆には、足が6本と翼が生え、顔は猫、鬣を蓄えた、見たことの無い生き物のイラストが描かれていた。

 帆の張替えを手伝っていたザイカは、しかし、その生き物にはなんとなく見覚えがあった。

 

「合成生物、いわゆる、キメラね。」

 

 いつの間にか、ユンファがザイカの横に立っていた。

 

「新たな生き物を、自らが作り上げ、そして神の領域に近づいた気でいる。《ノウルオール》の紋様ね、これ。」

 

 皮肉っぽく、帆の絵を説明をしてくれた。

 

「この絵、見たことがあるような気がするんです。」

 

 ユンファに今の心境を伝えた。記憶がなくなってしまったのだ、少しでも記憶の断片が見つかれば、それはザイカ自身を見つける手がかりになる。

 

「翼はカラス。手は犬と馬。顔はライオン。 これで、どこかでみたことある、といわれてもねえ……。」

 

 その通りだった。事実、それ以上のことは思い出せなかったのだから。

 

 

 

 船は順調に港に近づいていった。

 エリス港所有の船が近づいてきた。帆には、赤い、荒々しい《ドラゴン》のイラストが描かれており、なるほど、ゴルゴロ=イクーのイメージとマッチしている。

 

 上船してきたエリス港の人間が、ユンファに書類を渡した。これが入港許可証になるのだという。

 

「入港船と入港者の名簿を、そちらにお願いします。」

 

 港の人間に言われ、ユンファは「はいはい」と生返事をし、船室に向かった。

「これが一番、面倒くさいのよね。」

 

 ユンファは船室に戻り、ペンをとった。

 用意していた偽装書類を取り出し、船員その他の情報をサラサラと書類に書き写していた。

 

「さて、今回は人数、多いからねぇ。」

 

 新たに、ザイカ。そして、強襲した船に乗っていた生き残り……もとい、捕虜たちの分まで作成しなければならない。

 

「ま、あの子たちは、『荷物』でいいでしょ。」

 

 裏では、人間さえ商品として扱うゴルゴロ=イクー。人間という商品が扱われるということは、それ相応の買い手がいるということ。《供給+需要》がある、ということだ。

 

「……。」

 

 ペンの動きが鈍った。しかし、ユンファは深呼吸をすると、また書類に文字を書き始めた。

 

 

 不気味に、突然に、強く、紫色に光った。

 

 

 ユンファは息を呑んで、自らの麻袋を見た。

 すぐに紫の光は消え、何事も無かったかのように、その宝石は存在していた。

 気のせいではない。突如光ったが、すぐに消えた。

 また、何か起こるのだろうか。

 それとも、もう、起こってしまったのだろうか。

 

 ユンファの手に握るペンからはインクが落ち、書類を黒く染めていた。

 

 ペンを置いてユンファは、強く机を叩いた。

 後悔した。

 何故先に、この「紫の宝石」を処理しなかったのか。

 

 先に《ノウルオール》に行って、封印なりの然るべき処置をしておけばよかったのだ。

 冷静に考えれば、ユンファならそうしているはずだ。

 しかし、時間はあったのに冷静でなかった。

 既に彼女も《魅入られた》のか??

 

 

 ユンファは静かに、右手で麻袋に触れ、そののち、触れた右手を自らの眼帯に当て、うつむいた。

 過去にザイカが「祈っているようだ」と表現したポーズである。が、ユンファは本当に祈っていた。

 

 何事も無く、私の旅は終わるのだろうか。

 終わってほしい。

 もう、私と同じ苦しみを味わう人がいてはならない。

 

 私が決めた方法で、世界を救ってみせるのだ。

 



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3-2《試された鉱山》

 大陸《ゴルゴロイクー》は、「赤の憤怒山」を大陸のほぼ中心に位置する。

 火山のふもとは世界でも有数の鉱山があり、鉱物は鉄や亜鉛、鉛やコークスなどのほかに、ルビーやサファイヤ、金や銀などの貴金属も産出している。

 

 この大陸には、山での生活方法を習得した種族「ゴブリン」「ドワーフ」「バーバリアン」がおり、昔からその3者はそれぞれの長所を生かし、それぞれが支えあって生きてきた。

 

 個体数が多く、体が比較的小柄て単純労働に向いているゴブリンが鉱山を掘り進み、体力があり、戦闘や削岩に関しての知識が在るバーバリアンは、主にゴブリンたちが仕事に集中できるように周囲の警護を行い、時には削岩を手伝った。手先が器用で、外交にも長けていたドワーフは、発掘された鉱物を装飾品などに加工し、民芸品、交易品などにしていた。

 

 交易で得た財は、バーバリアンやゴブリンにも対等に振舞われていた。

 

 しかし近年、外交が盛んになったこともあり、均衡のとれていた3者のバランスは、簡単に崩れ果てた。

 

 ゴブリンたちは奴隷のように過酷な労働を強いられ、バーバリアンたちはゴブリンを酷使するようになった。

 一方ドワーフには、民芸品の輸出により巨額の富を手に入れたものがおり、様々な理由付けで、対等な報酬をバーバリアンやゴブリンたちに支払わないものも出てきた。酷な者にいたっては、鉱物をさらに掘らせるように促しもした。

 自らは、悠々とお茶を片手に、白木のテーブルに座りながら。

 

 

―――

 

 

 ゴブリンたちは自分が生きるので精一杯だった。自分に割り当てられた労働がさらに厳しい条件になることを知り、一時は一揆を起こそうとも考えていたが、まとまりが生まれないのがゴブリンである。

 

 過酷な労働で、仲間が倒れ、死んでいく様を見ていた1人のゴブリンがいた。彼は他のゴブリンと違い、多少「頭が切れる」奴だった。

 その頭の回転の速さに、一時は強制労働から開放され事務的な仕事をさせられたこともある。

 

 しかし、その仕事の最中、バーバリアンの考えに真っ向から楯突き、彼はまた暗い炭鉱に戻されてしまった。

 

 先ほど同胞が死んだというのに、彼は悲しくなかった。

 悲しみを越え、怒りがこみ上げてきた。

 こんな私達を生んでしまった、この世界を恨むようになった。

 

 一心不乱につるはしを振りおろし、彼は他の仲間とともに炭鉱を掘り進んだ。

 これを堀り、鉱脈のひとつも見つけないと、次は自分の番だ。

 皆、必死だった。生きて日の目を見たかった。そして自由になりたかった。

 

 彼は掘った土の中に、きらりと光る宝石が落ちているのを見つけた。彼は不思議に思った。この鉱山では《アメジスト》などはあるわけないのに。

 

 彼はその宝石を拾い上げた。刹那、紫色の光が洞窟内を照らし、そして彼は、『全てを理解した』。

 

 この瞬間、自分はとんでもない力を得てしまったこと。

 周りの皆も、それを理解したこと。

 

そして

 

 周りの皆も、自分も、「死」というものを理解したこと。

 やっと、酷過な労働から、恨めしい世界から、彼らは解放された。

 

―――

 

 ユンファたち一行は船を港に近づけた。エリス港への下船許可が下りたのだ。

 とりあえずではあるが、ユンファたちの本業は海賊ということもあって、皆、マントを羽織るなどの簡単な変装をし、下船していった。

 

「ザイカさんは、ちょっと大きめのものがいいですね。」

 

 小間使いとして上船していた、麗しの声を持つゴブリン《コーダ》。

 彼女はザイカに、大きなフード付きのマントを渡した。

 

「その耳は、流石に目立ちますから。」

「あ、ありがとうございます。」

 

 マントを見につけ、フードを被ってみた。厚手のフードは、十分にザイカのエルフ耳を隠した。

 

 後ろから、パタパタと足音がした。

 

 この音は、船長のものだ。ザイカは直感し、振り向いたが、そこにはいつものユンファはいなかった。

 

「あら、ザイカ。あなたも降りるのね?」

 

 そこに立っていたのは、美女だった。いや、声はユンファであるが、彼女の特徴であった、眼帯がなく、彼女には両目が存在していた。

 声が詰まって、返事が出来なかったザイカの状態を理解し、

 

「ああ、これね。《擬態》よ。」

 

 ユンファ自身が、顔の状況を説明してくれた。

 

「いうなれば、術で仮面を作っている、ってところ。」

 

 彼女が右手を顔半分に当て、そしてそれをおろした。

 すると、いつもの眼帯が現れた。いつものユンファ船長がそこに立っいた。

 

「ちょっと眼帯は目立つからね。エリス港では、こうやって眼帯を隠しているのよ、私。」

 

******************

 

 船を下りるとそこには、小柄な、白髭を蓄えたドワーフが立っていた。

 

「ようこそ、ユンファ。」

「どうも、ロッカブさん。」

 

 ユンファがロッカブと呼んだドワーフと握手をし、簡単な挨拶を交わした。

 

「さて、ユンファ。見慣れない顔が多いようだが……。」

 

 ロッカブが、ユンファの後ろに立っている人達に目を配る。

 ドキリ、とザイカの心臓が鳴った。がしかし、ロッカブが見ているのはザイカのさらに後ろのほう。捕虜たちを見ていたのだ。

 ふむ、と顎鬚をいじりながら、ロッカブがユンファに聞いた。

 

「ユンファ、とうとう人身売買にも、手を出したのか? やっと本格的な海賊業を始めたのかい?」

「笑えない冗談は止めてね。一生商売できなくする?ここで一生を終える?」

 

 しかしユンファは笑っていた。ロッカブも一緒に笑顔になった。

 

「ふむ、失礼した。軽率だったよ。」

 

 ロッカブは白髭をなで始めた。身なりや言動から、この港でもかなりの資産家であると思える。

 

「さて、今回は、どういったものを持ってきてくれたのかい?」

「早速だけど、今回は大物が揃ったわ。」

 

 ユンファは親指で、船の方を指した。

 

「詳しくは、船内で話しましょうか。」

 

 ユンファは船に戻ろうとした。

 しかしそれに対して、ロッカブは船に乗ろうとはしなかった。

 

「すまない、ユンファ。実は急用ができてね。取引は後日にしてくれないか。」

 

 あら、とユンファがよろけた。

 

「どうしたのロッカブ。あなたに交易以上に重要な用事なんて在ったかしら?」

 

 申し訳なさそうに、ロッカブは髭をいじりながら、考えていた。 

 初老のドワーフは、一瞬このことを伝えるべきか迷っていたのだ。

 

 ロッカブは、ユンファが海賊をやっている理由を、少なからず知っている。だとすれば、今回の事件は、ユンファには知らせるべきだろう。

 それに、理由も無く取引を中止するのは信頼関係が悪くなる。

 ロッカブは深刻な顔でユンファたちを見て、こう答えた。

 

「実はね。つい先ほど、私の持つ炭鉱のひとつが爆発したのだよ。原因は調査中だがね。鉱脈を探している最中だったから、ガスか何かだとは思うのだが……。ちょっと、気になる情報があってね」

 

 ユンファは、下船前の状態を思い出した。あの不気味に光った「紫の宝石」。

 そのときの現象と、炭鉱の爆発。それらには何らかの関係があるのでは。

 ユンファの疑問は、ロッカブの一言で、確信へと代わった。

 

「そのときの生存者が、『紫色の光を見た』といっているんだ。ま、そいつも死んでしまったがね。」

 



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3-3《密会》

「私達を連れて行って。」

 

 ロッカブが語った、ユンファにとって最重要キーワード『紫の光』。それに敏感に反応したユンファ。

 こうなってしまったら、誰がなんといっても、彼女は意見を変えない。

 

「私たちを、その鉱山跡に連れて行って。」

「俺はすぐにでも、自分の鉱山の現状を知りたいさ。」

 

 興奮気味のユンファを宥めつつ、ロッカブが話した。

 

「でもなユンファ。俺たちは山登りのプロだが、あんたたちはどうだ?」

 

 うっ、とユンファは渋い顔をした。さらにロッカブが、ユンファたちの登山を制した。

 

「鉱山はそこそこの距離にある。今から行っても、山の麓で一夜を過ごすことになるぞ。」

 

 自慢の髭をさすりながら、ロッカブが話を続けた。

 

「それに最近、山の動物たちが荒れているんだ。夜中に襲われたら、俺たちでも危険なんだよ。」

「ならば、せめて夜が明けてから、私たちを連れて行ってよ。」

 

 ロッカブはユンファの実力を知っていた。しかし山登りに対しては経験が無いと思っていた。事実、その通りであったのだが、

 

「もちろん、あんたたちを連れて行くのであれば、夜明けに出発するつもりだったがね。」

 

 暗くなる前であれば、ロッカブたちが着いていけば大丈夫であろう。

 そう思って、ユンファたちの登山を了承した。

 そしてユンファも、ロッカブの提案に同意した。

 

―――

 

 かくしてその日のうちに、登山メンバーが決まった。

 

 ユンファはもちろんのこと、一部の海賊達も着いていくことになった。そして驚いたことに、船医である《テンザ》が今回、山登りに同伴したいと言い出した。

 

「鉱山の爆発で、生存者がいたのでしょう? だとすれば、まだ生きている人が居るかもしれませんし。」

「それもそうね。」

 

 ユンファはそれに対し、二つ返事で了承した。

 

「あなたは船にいなさい、ザイカ。多分に危険だからね。」

 

 ザイカはユンファの命令で、船に残された。天候を察知できる以外、特に戦闘に必要な能力を持っているわけも無く、当たり前な判断であった。

 しかしそれなら、テンザはどうなのであろう。船医であるテンザは大丈夫なのであろうか。

 

「エクリド、あなたはどうする?」

「今回、俺は船に残るさ。」

 

 エクリドは自ら、船に残る旨をユンファに伝えた。

 

「あら、珍しいわね、エクリド。」

「戦闘員が残っていないと、船が心配だろ?」

 

 確かにその通りであった。が、それ以上の理由を、ユンファは読み取っていた。

 

「いいわ、エクリド。あなたみたいな頼りになる人が居ないと、こちらも心細いけど、そちらにも事情があるものね。」

 

―――

 

 その日の夜。ロッカブとその部下たちが、海賊船に詰まれた財宝類を素早く確認し、ユンファたちとの取引を開始した。

 そしてロッカブは、ユンファの言い値で品物を引き取った。思った以上に、ユンファは値を付けなかったからだ。取引はいともあっさりと終了した。

 

 取引後にロッカブはユンファに言った。

 

「何を企んでいる?言い値が安くて驚いたわい。」

 

 まあね、とユンファはロッカブにウィンクをした。

 

「交渉する時間も惜しいし……。あと、ちょっと頼まれごとをやって欲しいの。」

 

 むむ、とロッカブが渋面になった。海賊が商人に頭を下げているのだ。簡単なお願いではないだろう。

 しかしユンファの願いは、ロッカブにとっては造作の無いことだった。

 

「実はね、捕虜たちを《ラスロウグラナ》へ返して欲しいの。もちろん秘密裏で。」

 

 なるほどと、ロッカブは自慢の顎鬚にふれ、即、返答した。

 

「ま、頼まれてもよいぞ。あなたとの仲だしな。」

「ありがとうロッカブ。白いお髭がとってもステキよ。」

 

 そういうとユンファはロッカブに顔を近づけ、自慢の白髭をなで始めた。

 

「な、なんじゃい。これ以上は何にも出んよ。」

 

 ロッカブの口元は緩んでいた。まんざらでもなく嬉しそうであった。

 

―――

 

 そして夜のうちに、捕虜達は全員《ラスロウグラナ》行き船の乗船許可を得た。丁度ロッカブの知り合いがラスロウグラナに行くというので、その船に便乗させてもらった。

 船の出航は明後日であるため、2日間は海賊船の中で捕虜を寝泊りさせることにした。

 

 《セルバ》は、何度もお礼を言っていた。涙を流しながら、何度も頭を下げていた。他の捕虜も自分の国へ帰れるということから、安堵の声を上げていた。

 

 セルバはしかし、幾つか心残りがあるようだ。

 

 もちろん自分の今後の人生のこともそうだが、セルバはこの航海の間、ずっと《エクリド》のことばかり見ているようであった。エクリドはエクリドで無関心ではなく、セルバの視線に幾らか気づいていた。

 

「……ま、恋愛は自由だけど。あんまり熱くならないでね。」

 

 ユンファは、そのことを知りながら、エクリドを登山隊に選ばなかったのだ。

 

 セルバとの最後の夜を楽しんでもらおうという配慮だったのか。それとも、単なる気まぐれか。

 いずれにしても、ユンファは確信犯である。

 

 エクリドは海賊であっても、意外に紳士的な部分がある。現在のエクリドは女性には優しい(ユンファが船に乗る前は違ったらしいが)。エクリドは彼女の視線に対して、しっかりとした答えを返すであろう。

 

「……はぁ。若いっていいわねえ。」

 

 年齢不詳の《蒼の魔女、ユンファ》は、うーんと波止場で背伸びをし、深呼吸をした。潮風を一度に吸い込んだため、ちょっと咽そうになった。

 

 

*******************

 

 爆発のあった鉱山後に、1人の男が立っていた。

 周囲の小屋は全て吹き飛び、鉱山があったとも思われる部分は、土砂崩れで元の形をとどめていない。

 

「……む。これだけ小さな欠片で、ここまでの力が出るとは予想外でした。」

 

 男は右手に、親指の爪ほどの宝石を持っていた。それは紫に光り輝く、ユンファたちが求める宝石であった。

 

「しかし、この爆発で、最高の来賓を呼んでくれました。」

 

 その男は黒いマントを翻し、元鉱山に深々と礼をした。

 

「私の野望も、すぐに達成できそうです。」

 

 男はそのまま宝石を掲げた。すると空中に、紫色の渦が巻き、空間がいとも簡単に歪んでしまった。

 

「さて、次は何処に行きましょうか。《ラスロウグラナ》の様子が気になりますね。まずはそこに……。」

 

 男は、そのねじれた空間に吸い込まれるように入っていった。が、

 

「あ、そうだ。せっかくの来賓に、手土産でも置いておきましょうか。」

 

 男は、空間から上半身を戻し、持っていた紫の宝石を手放した。

 

 宝石は、クレーターとなった鉱山の中央に向かい転がっていき、そして音もなく、地面に吸い込まれた。

 

「さあ、皆さん。もう一仕事ですよ。」

 

 男がそう呟くと、ねじれた空間に体を戻した。そしてその空間は音も無く縮み、消えていった。



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3-4《双角獣/Twinhorns》

 山登りはユンファたち海賊にとって過酷以外の何者でもなかった。

 

 ロッカブは確かに「先ほど、生存者が来て、鉱山の現状を話した」といっていた。しかし、日の出とともに出発したのに、既に空に浮かぶ唯一の太陽は頂上を通り越し、傾き始めていた。鉱山はまだ先だという。到着時には夕刻になるだろうと、ロッカブは言った。

 

 ユンファはそのことについて質問をした。何故生存者は、これだけの長い距離を瞬時に来られたのか。

 

「判らない。しかし彼の体はボロボロで、誰が見ても助からないのは明らかだった。もしかして、鉱山の爆発がそれだけ強力で、町のふもとまで吹き飛ばされてきたのかもしれないな。」

 

 まあ、彼が来なくても、爆発は港の高台からはっきり確認できたそうだ。爆音も、町まで届いていたしね。と、ロッカブは付け加えた。

 ロッカブはそのことについては、深く考えていないようであった。

 ユンファは、確信はもてないが、それだけの距離を、誰でも瞬時に移動する方法を知っている。

 

 現に、自らもその方法で命拾いしたのだから。

 

 日が落ちてきた。まだ到着していないが、鉱山の爆発の凄まじさが良くわかった。

 周囲の樹の葉の上に、火山灰のように土ぼこりが乗っていた。

 地面は強烈なつむじ風が通り抜けたように、一定方向に……放射線状に筋が描かれていた。

 

 雑草は根だけが残り、葉は吹き飛んでいた。

 動物の死骸もあった。2本の巨大な角を持つ、《双角獣》という種族らしい。ユンファも図鑑では見たことがあるが現物を見るのは初めてだ。

 

 ロッカブがこの動物について簡単に説明した。

 

「戦士にとって、こいつの角は2つの意味があるんだ。1つはやっかいな盾。もう1つは高値で売れる戦利品さ。」

 

 なるほどこの角は磨き上げれば美しい光沢が出そうだ。そして硬度も半端ではない。生きている彼らと取っ組み合いにだけはなりたくないな。とユンファは考えていた。

 

 角の価値を知っているが、今は別の目的がある。そういってロッカブは、その死骸を横目に見ながら先に急いだ。

 《テンザ》は、その死骸に簡単な祈りを捧げていた。が、すぐに後についていった。

 

―――

 

 最近、ユンファは自分の考えに自信を持つようになった。自分が思ったことが現実として起こるようになったのだ。

 

 双角獣の群れに襲われた。

 

 本来彼らは雑食ではあるが、普段は草を食し大人しい動物である。しかし、食糧がなくなったり教われたりすると、自慢の角を高々と掲げ威嚇し、容赦なく攻撃してくる。

 

 爆発による変化、縄張りに入ってきた生き物。それだけで十分、ユンファ一行は襲われる条件が揃っていた。

 彼らの角は予想以上に強固で、威圧的だった。また群れで生活を営んでいるだけあって、コンビネーションもすばらしいものがあった。

 

 一頭が威嚇をけしかけ、そのため動けないバーバリアンに、他の一頭の角が、躊躇無く突き刺さる。

 逆に、他に気をとられると、威嚇していた双角獣が攻めてくる。

 阿吽の呼吸がしっかりした獣であった。

 

「フン!」

 

 ロッカブは手に斧を持ち参戦した。しかしロッカブの振るう斧は、双角獣の角に阻まれはじかれた。

 ユンファは閃光の呪文を唱え、目くらましとした。が、双角獣はどうやら恐ろしく「鼻」の利く生物であるらしく、あまり効果が無かった。

 

 テンザは、手に持っていた杖で、まるでマタドールのように双角獣の角を退けていた。強固な角は、防ぐのではなく流すほうが良いと考えたからだ。

 

 しかし一行は、少しずつ追い詰められていった。群れの数は少なくなっているが、それでも圧倒的に多い。

 対して、こちらには多くの負傷者、戦闘不能者もおり、数では完全に負けている。

 

「この数は異常だ。これだけ群れになることなど在り得ないし、何より双角獣がココまで凶暴なわけがない……。」

 

 ロッカブ自信も、右腕に怪我を負っていた。斧は既に砕かれ使い物にならなくなっていた。

 

―――

 

「……一騎当千……。」

 

 ユンファはそうつぶやいた。

 

「……?」

 

 ロッカブは良く意味がわからなかったが、ユンファは続けた。

 

「…千人力、英雄豪傑、百戦錬磨……ほかに何かあったかな?」

 

 一通りの言葉を述べた後、ユンファはテンザのほうに向き、目を合わせた。

 

「……お願いできる?テンザ。」

「船長のお願いでは仕方ないですが……。本来『これ』は、彼らを切るために持っているのではないのですよ。」

 

「判っているわ。けど、ここで使わなければそれこそ『切る相手』を見つける前に死ぬことになるわ。」

「……そのとおりです。ね。あなたにはいつも丸め込まれている気がします。」

 

「……そこに、惚れているんではなくて?」

「……それに関しては、ノーコメントです。」

 

 他者から見れば全く意味のない会話であった。しかしテンザは、持っていた杖を自ら胸の前に、水平に持ってきた。

 その動きに感化されてか、一頭の双角獣がテンザの方向に向かってきた。

 

「……では!」

 

 一直線の銀色の光が、ユンファ、ロッカブの横。テンザと双角獣の目の前で走った。

 双角獣は一瞬光に怯んだが、しかしその後、彼は死を理解する間もなく、その強固な「角ごと」、縦に真っ二つになっていた。

 

「……。」

 

 ロッカブは声が出なかった。テンザのあまりの鮮やかの剣閃のためか、それとも、テンザのあまりの恐ろしい剣閃のためかは判らない。

 

 テンザの杖の中に、杖とほぼ同等の長さの刀が入っていたのだ。所謂、仕込み刀である。

 

「いつ見ても、恐ろしいほど綺麗ね。『首切り』のカタナの切れ味は。」

 

 血の通っている獣を切ったというのに、その刀には一滴の血も付いていなかった。これは、何度も生物を切り、そのうえで得ることのできる業であろうか。

 

「……悲しいかな、昔の『カン』というのは消えないものですよ。」

 

 テンザは今まで以上に悲しい目で、自らの右手を見ていた。

 過去に、沢山の血で染めた右手をじっと見ていた。

 



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3-5《過去の記憶》

 ザッ……。ザッ……。

 

 ユンファ、テンザ、ロッカブの3人は、爆風で木々がなぎ倒され、岩肌が露出している斜面を歩いていた。

 海賊とバーバリアンたちは、双角獣にやられた怪我人の看病のため、先程の場所にキャンプを張り、とどまることになった。再度双角獣の襲撃も考えられたが、ユンファとテンザがキャンプ周囲に結界を張り、簡単に入れない状態にしたため、ひとまずは安心だろう。

 

 ザッ……。ザッ……。

 

 既に太陽の半分は沈み、燃えるような赤い光をユンファたちに浴びせていた。

  

 暫く3人とも何も語らず歩いていたが、突然、静かにテンザが語りだした。

 テンザの手には、既に4体の双角獣を真っ二つにした仕込刀があった。全く刃こぼれは無く、テンザは返り血さえ浴びていなかった。

 

 テンザは《ラスロウグラナ》出身で、そこで審問官の職についていた。

 

 審問官は『白の審問所』で働く人間のことを指し、またラスロウグラナでは、審問所で働くということはとても名誉なことである。十分な生活は保障され、地位や名誉のためにその職を目指すものも多い。

 

 テンザは審問所では主に、『罪人の処罰』に関する仕事をしていたという。平たく言えば『死刑執行人』である。

 ラスロウグラナでの『違法』は、重い罰が科せられる。これが「殺人」「殺人未遂」になると、この国では「死罪」になる。正しく《目には目を》の精神である。

 

 死罪になった人たちは『端者』と呼ばれ、審問所の中で過酷な労働を科せられた後、『白の審問所』で公開処刑という形で処罰される。公開処刑には見せしめの意味もあったのだろう。

 

 テンザはまさに、『刀で首を刎ねる』仕事を行なっていた。流石に毎日行なわれる訳ではないので、普段は審問所の中に設置されている教会で、神父のような仕事もしていた。これが本来の仕事であるが。

 

―――

 

 ほぼ毎日、熱心に教会で祈りの言葉を詠う女性がいた。彼女の身なりはお世辞にも綺麗ではなかったが、彼女の声と瞳は綺麗に澄んでいた。藍色の髪が特徴的な二十歳の女性で、下層民あることは調べればすぐにわかった。

 

 テンザはその女性に惚れていた。一目ぼれだった。また相手も満更ではなかったようだ。

 

 テンザの仕事上、地位の低い人間と関わると上層部からあまり良い目で見られない。

 それでもテンザは人目を気にしながら、教会の行事が終わるとすぐに審問所の裏に回り、そこで待っていた彼女と会い、いろいろと語らった。

 

 運命の日、その日も彼女と秘密裏に出会っていた。

 それを影から見ていた人物がいた。名前は《クラスク》。白の審問所の上層部、特に最高審問官《バル・シン》は彼を贔屓にしていたという。実際は、その裏でかなりの金品が動いてた、という説もあるが……。

 

 今日はいつもより話しこんでしまった。テンザは彼女を家まで送ることを提案した。しかし彼女はそれを拒否した。テンザの、審問所の人間としての立場を心配したのだろう。テンザは彼女の意見に、しぶしぶ従った。

 

 そして、彼女は暗い夜道で襲われた。襲ったのは《クラスク》だった。彼女のことが前から気になっていたのだ。

 彼女は必死に抵抗した。助けを呼んだが、誰も来ない。テンザも既に教会に戻っていた。

 

 とっさに、男の腰に光るものを見つけた。彼女は死に物狂いにそれを引き抜き、男の体に突き刺した。

 銀の長剣だった。男は血を流しながら逃げていった。

 

 夜が明け、彼女は審問所に囚われた。罪状は「殺人未遂」。

 正当防衛は適用されなかった。既に《クラスク》の根回しが行なわれていた。

 

 テンザにはこの事実は伝えられなかった。といっても、普段から「端者」の情報は執行人には伝えられない。余計な感情が入ってしまわないように。

 来る日も来る日も彼女を待っていた。しかしもう彼女は現れなかった。

 

 執行の命が下った。

 処刑場には手を鎖で繋がれ、頭を垂れ、首を切られるのを待っている端者が一列に並んでいた。

 その中には、女性の姿があった。

 

 彼女は、教会で詠っていた祈りの詩を、ここでも詠っていた。あの、澄んだ声で。

 

 テンザは既に刀をかざし、彼女の首をいつでも刈れる状態でいた。

 テンザは何も理解できなかった。何故彼女がここにいるのか。何故自分がここにいるのか。

 

「何をしている。早く斬りなさい。」

 

 他の審問官がテンザを急かす。周囲のギャラリーも野次を飛ばす。

 

 そう、これは仕事。

これは仕事。これは仕事。これは仕事。

これは仕事。これは仕事。これは仕事。

 

 最高審問官が私に与えてくださった、名誉な仕事。

 

 顔を伏せ、執行人と全く顔をあわせない彼女は、まだ祈りの詩を詠っていた。

 

 テンザは端者が祈りを詠うのが許せなかった。彼女と同じ声で歌うのが端者であったことが許せなかった。

 

 刀が振り下ろされた。

 

 瞬間。彼女が執行人の顔を見た。テンザはその顔に見覚えがあった。既に手は止まらない。

 

 彼女の目には、『怨み』『妬み』『後悔』『悲壮』『恐怖』が込められていた。テンザにはそう見えた。

 彼女の目には、テンザはどう見えていたのだろう。

 彼女の目は既に、愛するものを見る目ではなかった。

 

―――

 

 テンザは暫く何も考えられなかった。しかし確かな真実2つは、はっきりと理解できた。

 ひとつは、《クラスク》が全ての元凶であった事。

 もうひとつは、彼女の首を自分が刎ねたこと。

 

 その後《クラスク》が失踪したことを聞いた。同時に審問所の上層部しか謁見が許可されない《五法の書》が盗まれたという。

 

 そしてまた同時期に《バル・シン》が暗殺された。

 一挙にラスロウグラナは混乱した。

 

 次の最高審問官として、《バル・シン》の2人の息子が抜擢されたが、相次いで「流行り病」で亡くなった。

 そして現在はバル・シンの妻である《サディ・バル・シン》に政権が移っている。

 

「……そして私は、政権交代のドサクサに紛れ、ラスロウグラナを抜け出しました。全て捨てて。」

 

 草木が焼け焦げ、岩肌に黒いこげ後がある場所まで一行は歩いてきた。地面の抉れ具合から、爆心地が近いことが判った。

 

「……失礼。本当に陰気くさい話をしてしまいました。」

 

テンザは詫びた。しかしユンファは彼を見て、逆に詫びた。

 

「私が、刀を抜くのをお願いしなければ、あなたがまた悲しむことは無かったのにね。」

「いえ。これは必然です。こうしなければ皆死んでいました」

 

テンザは笑った。顔の筋肉が引きつっている、無理な笑顔だった。

 

 

 海賊船専属医師

 《放浪の医師、テンザ》

 

 

彼の目的は2つ。『贖罪』そして『復讐』。

 

彼の目的が果たせるときは、来るのだろうか。

 



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3-6《異形のもの》

 そこには鉱山と呼べるものは無く、ただ抉られた土地があるだけだった。しかしロッカブは「ここに確かに炭鉱が在った」とユンファたちにいった。

 

 ユンファには予感があった。しかも悪い予感であった。『紫の力』に関わって死んだものは多くいる。しかし『全員が死んだ』という事は無い。ユンファが知る限り、誰かしら生存者がいるのだ。例えば今回は、この惨事を港に伝えに来た者がいた。

 

 本当に、その人だけだろうか。ユンファにはそうは思えない。誰かしら、その宝石に魅力に『魅入られた』者がいるはずだ。あの生存者は普通に死んでしまっている。

 

 ユンファのポシェットが怪しく光った。既に日は落ち辺りは遠くの星からの光が照らしているだけであったので、紫の発光は恐ろしいほど美しかった。

 

 光が消え、刹那、地面が揺れた。地面の中から――元炭鉱の入り口から――巨大な丸い物体がせり出してきたのだ。

 

 最初3人ともその正体がつかめなかったが、その塊から発せられている肉の腐った臭いと、星明りの加減で所々に《バーバリアン》《ゴブリン》と思われる顔が見え隠れすることから、大体の正体を推測できた。

 

「なんじゃありゃ!死体が繋がっているのか!?」

 

 ロッカブは苦渋の表情を浮かべた。《異形のもの》を目の当たりにしながら冷静な判断ができる所は、流石、商人団体のリーダー的存在というところか。

 

「ええ。しかも……どうやら魂まで繋げているみたい。」

 

 ユンファもロッカブと同様の表情であっただろう。彼女が、奴が魂までも繋いでいると確証を持ったのは、その物体から時折聞こえてくる、《死を懇願する嘆き》からである。精神力の乏しい人間なら簡単に死に取り込まれるであろう、強力な念が込められている。

 

 突然《異形のもの》の下方に足が生え、ユンファに近づいてきた。思ったより速く、一息遅れていたらユンファがいた地面ごと、取り込まれていたかもしれない。《異形のもの》は巨大な体で体当たりし、ぶつかったものを体内に取り込んでいるようだ。

 

 テンザは刀を抜いた。相手は『死者』である。死体に対してはテンザは躊躇しない。銀色の光が一閃、肉塊から足を奪い去った。

 

 しかし塊はすぐに足を再生させ、同時にくの字に大きく曲がった腕を発達させた。《異形のもの》は巨大な腕を振り回しテンザをなぎ払った。

 

 とっさにテンザは刀で防御したが、体重の軽いテンザは水平方向に吹き飛ばされた。岩がむき出しの場所に叩きつけられ、数秒の間全く動かなくなった。だがすぐに咳き込み、意識があることが遠くからでも確認できた。彼の白衣は砂埃と腐敗した肉片、そして血液で汚れていた。

 

 その間にユンファは召喚符を取り出し、既に10羽ほどのカラスと、強靭な肉体をもつジンを召喚していた。

 

 カラスがいっせいに肉塊にまとわりつき動きを阻害しようとしたが、しかし肉塊から無数の触手が伸び、あっという間に全羽取り込まれてしまった。続いてジンが、ある程度放れた位置から真空の刃を発生させ肉塊を切り刻もうとしていたが、傷はすぐに回復してしまい、全くダメージを与えているようではなかった。これでは時間稼ぎにしかならない。

 

 ロッカブはテンザの元に向かった。テンザは、意識はあるがすぐには立ち上がれないようだった。致命傷ではない。

 

「戻れ!ジン!」

 

 ユンファはジンを召喚符に戻した。肉塊は風刃から逃れることができると、ユンファの方向に体を向け彼女を取り込もうと突進してきた。

 

 その姿を遠目で見ていたロッカブは、まるでユンファが『取り込まれようとしている』ように見えた。それはテンザも同じだった。

 

 危険な賭けだったが、ユンファには勝因があった。カラスが取り込まれる際、そして、取り込まれた後しばらくは、カラス達には『意識があった』。だとすれば……

 

 

 

 ユンファが立っていた場所に肉塊がぶつかった。ユンファは肉塊にあっさり取り込まれた。

 テンザは、唖然としているロッカブに言った。

 

「ユンファはあなたを遠ざけようと時間稼ぎをしていたんでしょうね。あの場では、あの《異形のもの》があなたに対して攻撃してくる可能性もありましたから。」

 

 刹那、塊の中から眩い閃光が走った。いや、光が爆発した、のほうがたとえが良いだろう。それだけ激しい光が《異形のもの》の中から発せられ、《異形のもの》はばらばらに……文字通り『肉片』になった。

 

 光の中心にユンファがいた。死体を浄化する術法を使ったのだろう。体内から使用すれば一番効率が良かったのか。

 

 いや、そうではかった。彼女は右手の人差し指と親指で、彼女の爪以上に小さい、小石程度の『紫の石』をつまんでいた。《異形のもの》はその石を中心に『繋がっていた』のだ。

 

 彼女は浄化の術を、その石の力を借り、使用した。その石に少しでも近づくために、彼女はあの肉塊に取り込まれたのだ。

 

「あまりやりたくなかったけど。これが一番効率的だったのよ。」

 

 ユンファは右手に持つ『紫の石』を見た。ほとんど発光していない。まるで力を使い切ったような弱弱しい光であった。

 

「……ただ、この方法には、大きな欠点があるのよ……。ああ、早くシャワーを浴びたいわ。」

 

 ユンファの体と黒髪は、腐った肉片と砂埃で汚れてしまっていた。

 

「あーあ。このズボン、お気に入りだったのに……。残念、洗っても落ちないわね、この汚れ。」

 



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3-7《昇華》

 朝が来た。朝焼けが山肌を赤く照らしていた。

 

 ばらばらになった肉片は、それでもまだ動いていた。ユンファはその肉片と、右手につまんでいた『紫の小石』を見比べて、小石に残る力を全て解放させることにした。

 

「力が残っていたら、いつそれが爆発するかわからないしね。」

 

 ユンファは小石に念を込め、開放させた。柔らかな光が肉片ひとつひとつに降り注ぎ、肉片を消滅させていった。まるで《昇華》を起こしているように。そして肉片は全て《昇華》させられ、同時に『紫の小石』は、その輝きを失いただの小石になってしまった。『力』を失ったのだろう。

 

 ユンファの目的は達成された。思ったとおり、事の発端は『紫の力』だった。

 

 あの肉の塊……《異形のもの》がもし町に降りてきたら。そう考えると、ロッカブの背筋は凍りついた。彼女がいてくれて本当に助かった。

 ユンファも、紫の力に触れることができ、そしてそれを『処分』できたことに満足してるようである。

 

 が、ユンファにはひとつ、不満が残る結果になった。それは彼女にとって、先の怪物以上に大変なことであっただろう。

 

「ロッカブ、この辺に、川は流れてないかしら?」

 

 なるほどユンファの体は、かなり汚れていた。ロッカブは川の場所を教えた。といっても爆発で大分地形が変わってしまっているので、川がどうなっているかわからないが。

 

「ありがとう。行ってみるわ。原水が無事なら、その近くに水辺があるはずだしね。」

 

 ユンファは教えられた方向に歩んでいこうとしたが、すぐに回れ右をして、ロッカブとテンザに忠告した。

 

「覗いたら……。死ぬわよ。」

 

―――

 

 朝日が海賊船の甲板を照らしていた。朝焼けが《エリス港》を赤く染める。

 

 エルフの青年《ザイカ》は夜明け前に目が覚めてしまい、仕方なく甲板に出ていた。ほとんど寝られなかったのだ。

 

 エクリドたち他の海賊は、昨夜は町のバーで宴会をしていたらしい。ザイカは船で留守番をさせられていた。だが、元々宴会のような騒がしい場所は好きではなかったので、逆に良かったと思っていた。

 

 寝られなかった理由は船長の不在である。ユンファ船長が今、どうしているのか心配で眠れなかったのだ。

 

「船長はどうしているんだろう。あの山を登るっていってたなあ。」

 

 呟くと、ザイカはいつも朝一で行なう『天候を見る仕事』を始めた。ザイカは遠くの天候を見ることができ、さらにそこから天気予報も行なえる。この海賊船が巨大な嵐を避けて航海できる理由がそこにあった。

 

「南に大きな雷雲があるなあ、風向きがこうだから…。でも、今日のところは曇りで済みそう……。」

 

 はっ! と、ザイカは重要なことに気が付いた。

 

 今まで遠くの天気を見たり、濃霧の中を覗いたりしているこの『能力』を使えば、ユンファ船長が登っているあの山の様子でさえ、見ることができるのではないか?

 

「なんで今まで気が付かなかったんだ!」

 

 早速、ザイカは能力を使い、船長たちが登っている山を「覗いてみた」。

 

 暫くするとピントが合い、山の岩肌がくっきりと見えてきた。海賊とバーバリアンがキャンプを張っている。怪我人がかなりいるようだ。

 その中にユンファやロッカブ、テンザの姿が無かったことから、さらに詮索を行なった。

 

 爆発があったと思われる付近に目をやると、ロッカブとテンザが岩に座り、何か話し合っていた。声が聞こえないのがもどかしい。

 

 そこにも船長の姿は無く、さらに周囲を見渡した。

 

 爆心地らしき部分からそう遠くないところに、川が流れていた。爆発の衝撃か、大きく川縁が抉れたところがあり、そこに川の水が溜まっているようである。

 なんとなく気になり、その周囲をザイカは注意深く確認した。

 

 すると、

 

―――

 

 水浴びをしていたユンファは、鋭い視線を感じ、周囲を警戒した。しかし人の気配は感じられなかった。

 

 自分の気のせいかと思っていたが、先程の視線には覚えがあった。

 『殺意』など微塵も感じられず、むしろ『羞恥』、ついで『好奇心』『欲』などが感じられた。覗きの類だろう。

 

 しかし周囲には誰もいない。既に視線も感じられない。やはり気のせいかと思い、生まれたままの姿である自分の体を丹念に洗い始めた。一緒に、着ていた服も洗濯している。

 

 ふと、船で待っている部下達を思い出した。その中に『遠目』『青年』『好意』のキーワードを持つエルフのことを思い出し、先ほどの視線の真意を理解した。

 ユンファの口元が緩んだ。

 

「これは……。あとでお仕置き、ね。」

 

―――

 

「……!!!」

 

 凝視してしまった。

 

 その後、我に返ったザイカは、すぐに顔を伏せ視線をそらした。一瞬、ユンファがこちらを見たように感じたからだ。

 

 しかし、ザイカは『見た』。恐らくこの船の上で一番の『禁断の果実』であろう。

 

 まだ心臓がどきどきしている。心臓の音しか聞こえない。

 

「!!!……。」

 大分冷静になってきた。

 

 冷静になればなるほど、先程の行為があまりに愚かで恥ずかしいことであることを認知させた。

 しかし、心の中で『また、見たい』と、邪な存在がうごめいているのがわかった。

 

 今、ザイカの頭の中で、おそらく「天使と悪魔」が喧嘩をしているのだろう。

 

 先程まで甲板には自分ひとりだった。船長の現状が(いろいろな意味で)気になる。自分には力がある。皆に船長の無事を報告しなければ! それには、さらに船長の無事を確認しなければ!!

 

 謎の使命感が、頭の中の天使を黙殺した。

 ザイカは山に向かって、視線をむけた!! 

 

「おはようございます。ザイカさん。」

 

 多分、心臓が口から出ていた。それくらい驚いた。

 

 ザイカの後ろにはゴブリンの《コーダ》が立っていた。いつもの美しい声だった。

 

「…!! …!!…!!」

 

 声が出なかった。口パクだった。

 

「あの、何を?天気でも見ていたんですか?」

 

 コーダはザイカの行為に気づいていないらしい。ザイカはコーダに話題に乗った。

 

「そ、そうなんです、天気を見ていました。そう、こうやって、こうやると僕はてんきが見れるデスよ! そう、こうやってですね……」

「あのう、それは皆さん知っていることですけど。説明されても…」

 

 コーダが口を挟んだそのとき、ザイカは一瞬だが、町が見えた。能力を使ったまま視線が町を向いたからだろう。

 

 朝焼けが町を明るく照らしていたが、一箇所だけ、不自然に赤く染まっていた場所があった。

 

 再度確認のため、ザイカはその場所に視線を送った。

 

「…ザイカさん?」

「……人だ。人が倒れている。」

「…え?」

 

 その赤い場所の中央に、人が倒れていた。巨大な体、太い腕、そして横には大きな鉈が落ちており、それらは真っ赤に染まっているのが確認できた。

 

ザイカはその人物に見覚えがあった。

 

「そんな……エクリド……さん!?」

 

 赤く染まる町の中、ザイカの頭は一瞬、真っ白になってしまった。



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第4章
4-1《路地裏の出会い》


 もうすぐ朝日が山から顔を出し町を照らそうとしていた頃。

 《エクリド》は、ある女と、人気のない《路地裏》へと足を運んでいた。彼女は先程まで海賊達と酒場で飲んでおり、特にエクリドと親しく話をしていた。彼女がこの場所までエクリドを連れてきたのだ。エクリドも幾分お酒が入っていたこともあり、また、エクリドが彼女を信用していたことも相まって、簡単にエクリドは付いていってしまった。

 

 彼女はエクリドに惚れていた。エクリドはそれを知っていた。だからこんな人気のない場所にまで彼女についてきたのだ。

 エクリドは彼女と楽しげに会話をしていたが、その楽しげな会話時間は一瞬にして崩れた。

 

 突然、彼女の右腕全体が鋭いナイフのように変形し、エクリドの体を突き刺した。

 

 あまりにも突然のことで、エクリドは何が起こったのかわからなかった。そしてまた、エクリドを刺した本人、《セルバ》も、全く意味がわからなかった。何故突然、自分の腕が剣になって、エクリドを刺しているんだろう。

 

「……あ、え?」

 

 セルバは混乱していた。しかしエクリドは、とりあえず今の現状から推測されることから、『敵』が誰なのかを彼なりに理解した。腰に付けていた《鉈》を素早く取り出し、彼女の…《セルバ》の右腕(なのだろうか)を切断した。

 

 派手に血しぶきが上がった。セルバは右腕の切断の痛みから、大きな悲鳴をあげた。必死に、切られた腕から流れる血を止めようと、残った左手で傷口を押さえていたがあまり効果がないようだ。

 

 エクリドの傷もかなり深かった。刺さっていた彼女の右腕だったものは、切断後には、元の彼女の白く細い右腕に姿を戻し、傷口から抜け落ちた。傷を塞いでいたものがなくなったため、エクリドの出血もひどい。周囲は2人の血で、赤く染められていった。

 

 程なく、周囲の家々の窓から住人が姿を見せ始めた。彼女の悲鳴を聞いたのだろう。エクリドは、ここで「助かった」と思った。誰かが憲兵や、医者を連れてきてくれるだろう。そう思ったからだ。セルバの真意はわからないが、とりあえず『生き残る』ことが先決である。

 

 彼女のほうが気になり、うずくまり呻いているセルバに目を向けると、彼女の周りにはその住民が集まっていた。

 いや、そうではない。住民が、セルバとエクリドを囲むようにして立っていた。

 

「…な……?」

 

 エクリドは彼らの行動が理解できなかった。するとセルバが静かに立ち上がった。先程までの出血は止まっていた。悲鳴ももう、あげていない。

 

「さて、どうでしたでしょうか。私が作り上げた至極の舞台は?」

 

 エクリドは、ここで《セルバ》という人間……人間ではないかもしれないが、の手の平で踊らされていたことを知った。

 しかし多くの疑問が残る。いつセルバは、『敵と入れ替わった』のだろう。セルバがエクリドに向けていた、セルバが抱いていた『恋心』が、偽者であるはずがない。あまりに自然すぎる。また、船長《ユンファ》もそのセルバの心中を理解していた。偽者であるなら、特に勘の鋭いユンファが気づくはずだ。

 

「……種明かしをしましょうか。」

 

 質問を口にしていないが《セルバ(?)》には通じていた。

 

「《多相の戦士》ってご存知かしら。私はそれの《進化》したもの。でいいかしら。」

 

 しかし、相手の『心の中』まで真似できるはずがない。

 

「しかも、私は単に姿かたちを真似るだけではないの。その人の『感情』、『価値観』、『考え方』、『好きな食べ物』、『友人との接し方』から『普段の口癖』まで。私は完璧に演じられる。」

 

 《セルバ》の姿をしたものが、エクリドの顔に自らの顔を近づけた。楽しそうなセルバの顔である。エクリドは、もっと別な方法で明るい彼女の顔を見たかった。

 

「もちろん、『男の好み』もね。ただ、勝手に動いてしまうの。私の欠点ね。だから、表面は全く違わない《セルバ》という人間で、中身も彼女。ただ、深層心理に《私》がいて、『価値観』で勝手に動こうとする《セルバ》を、後ろで操っていた。ま、『演出家』って所ね。」

 

 《奴》の言い分では、どうやら右腕を変化させ突いたのが《奴》で、それ以外は《セルバ》だったという。

 

「てめえ……。それで…。」

 

「そう、《私》は最初から《私》だった。」

 

 《奴》はさらに続けた

 

「結構危険な綱渡りだったわ。最初の船内に、まさかアレだけ強力な結界が張られているとは思わなかったもの。あなたたちの船に乗れたのは、本当、運が良かったわ。ま、《あの力》は盗られたけどね。」

 

 さらに《奴》の話は止まらない。舞台から降りた《俳優》は台詞以外のことを喋るのが好きなようだ。

 

「ちなみに、この周囲には私たちの仲間しかいません。よって、誰もあなたを助けませんし、逆に私は助けられます。このまま、《アルデモ》に帰ろうかと思います。」

 

「へえ、演出家さんは、結構おしゃべりだな。俺が生きて帰ったら、大事になるぜ」

「大丈夫です。私の演出に間違いはありません。あなたはここで死……」

 

 刹那、《奴》の台詞が終わる前にエクリドは鉈で、彼女の体をなぎ払った。彼女は横に真っ二つになり、同時に後ろにいた奴の仲間の人間も数人、同時に息絶えた。

 

「残念、俺の丈夫さに関して情報不足だったな」

 

 エクリドの傷は癒えてなかった。出血も止まっていない。しかし無理矢理に起き上がり薙いだのだ。

 残った人たちは恐怖したのか、一斉に全員がその場から逃げ去った。彼らを追う体力は既に残っていない。残ったのは、数人の死体と、エクリド、なぎ払われた《セルバ》と、血の海である。

 

 エクリドは《彼女》の死体に近づいた。上半身と下半身が分かれていたが、彼女の顔はいまだに美しく、肌は透き通るような白をしていた。血の気が引いているためさらに白色が際立っていた。

 

 エクリドは油断していた。突然《奴》の上半身がエクリドの体にしがみついてきた。《奴》は生きていた。

 

「もう離さないわ。エクリド」

 

 そういうと《彼女》はエクリドにキスをした。毒を含んだキスだった。

 エクリドはそれに気づき、《奴》を振りほどき鉈で頭蓋骨をばらばらに砕いた。流石にこれで死んだだろう。

 《彼女》の口から移された毒は神経性のものらしく、すぐにエクリドは体がしびれ、その場に倒れこんでしまった。静かにエクリドは目を閉じた。

 

「そういえば、今夜は寝てなかったなあ……。」

 

 

 夜が明け、朝日がエクリドの周囲を、赤く照らした。

 

 

 その後、すぐに《ザイカ》と《コーダ》、海賊達がその場に集まった。そこには身元不明の死体が3つ。そして、ほとんど虫の息である《エクリド》がいた。彼はまだ生きていた。

 海賊達は《ザイカ》の情報から、タンカを持ってきていたので、急いでエクリドを海賊船に運ぶこととなった。《テンザ》が戻るまで、エクリドの体力が持てば良いのだが。

 

 朝日が、道をドス黒く染めた血の池を、さらに引き立てるかのように眩しく照らす。

 

 そこには、《セルバ》の死体らしきものは、無かった。

 



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4-2《歌鳥》

 怪我をした部下達を介抱中、一羽の鳥が飛んで来た。ロッカブはその鳥の名前を知らなかったが、テンザはその鳥が何なのか知っていた。

 ユンファは自分の右腕を水平に伸ばし、鳥はユンファの腕を止り木のように使い降りて来た。

 

 鳥は美しい声で歌った。《歌鳥》と呼ばれる所以だ。

 ユンファも同じく歌鳥のように歌った。美しいハーモニーが山に響く。傷口が開き苦しんでいた者も歌に聞きほれ、皆が歌に耳を傾けた。

 

 やがて歌が止まり、ユンファは歌鳥の頭を左手で撫でると、まるで手品のように歌鳥を『札』へと換えた。

 

「何か、船のほうで起こったようね」

 

 ユンファが口を開いた。

 異変が起こったら、ユンファの部屋の鳥篭に入れている《歌鳥》を離すように、と《コーダ》に命じていたのだ。

 

「ユンファ、あなただけでも先にお帰りください」

 

 テンザがユンファを急かした。怪我人を置いていけない。テンザはさらに提案をした。

 

「ユンファ、あなたは背中に《光の羽》を作ることができましたよね。それで先に町に帰ってください。」

 

 しかしユンファは、その提案を拒否した。理由は3つある。

 

「ひとつは、恐らく誰かが倒れた、っていう類の事だと思うの。だからあなたを…テンザを置いていけない。」

 

 2つ目

「あのへんちくりんな肉の塊を《昇華》したとき……。結構魔力を消耗してね。実はもう、羽を作るどころか、呪文ひとつも打ち消せないの。」

 

 3つ目

「……私……。高いところ、苦手なのよね。」

 

 

 

 ユンファたちは結局歩いて下山した。先にロッカブが先行し町から部下を連れてきて、怪我人の対応をさせた。テンザは、自らも怪我を負っていたが、走りながら下山した。先行したロッカブから、《エクリド》の事情を聞いたため、テンザは急いでいたのだ。

 

 ユンファの疲労の色が、時間を経つごとに濃くなってきた。ゆっくりスローペースで彼女は下山していた。横にはロッカブが連れ添っている。辺りは、山に登ってから2回目の夕焼けを迎えていた。

 

「《蒼の魔女》さんも、大した事無いな。」

 

 ポロッとロッカブが洩らしたのをユンファは聞いていた。

 

「それだけ、あの力がやばいって事。あーあ。たいした冗談も返せないわ。」

 

 先ず船に帰り、現状を把握する。船長として成すべき事をしなくては。気力だけがユンファの足を動かしているようだった。

 

 

 テンザが文字通り船の甲板に滑り込んできた。直ぐに《エクリド》が寝ている医務室へと足を運び、先に来ていた町の医者に代わりエクリドの治療を始めた。治癒に関してはテンザの右に出るものはいないだろう。

 

 日が落ち星が輝き始めた頃、船長が帰ってきた。

 

「エクリドは? どう?」

 

 ユンファを待っていた《ザイカ》に質問を投げかけた。

 

「い、医務室で治療中です。テンザさんが言うには、『峠は越えた。命に別状はない』との事です。」

 

 ほ、とユンファが胸を撫で下ろした。そして部下達に、緊急時に頭が不在だったことを詫びた。同時に、休憩を取れるものは取る様に促したが、逆に海賊達は、船長の方が休むべきだと反論し、半ば強引にユンファは自室に戻された。

 

*****************

 

 この日 一隻の船が《ラスロウグラナ》へ向けて出港していた。

 ロッカブがユンファとした約束。捕虜達を乗せて国に帰す。

 

 この船にロッカブが秘密裏に乗せる予定だったのは、女性が3人、子供が2人。

 実際に乗ったのは。女性が2人、子供が2人。

 

 ここにも《セルバ》はいなかった、が、船員は誰も詳しい人数を知らされていなかったので、ユンファやロッカブに連絡が行くことも無かった。

 そして捕虜達もそれについては一切口にしなかった。

 

 何故なら彼女達は、

 

******************

 

 夜が明けようとしていた。

 長い2日間であった。

 

 《エクリド》はいまだ昏睡状態である。

 《テンザ》も深い眠りに付いていた。夜を通しての治療だったため流石に疲れたのだろう。

 テンザの助手として動いていた《コーダ》も同じく、医務室のベッドで寝ていた。

 海賊達もまだ眠っていた。昨日の異変がかなりのストレスになったのだろう。

 

 《ザイカ》は、目が覚めていた。これが習慣であるのだからしようがない。

 甲板に出ると、ブロンドの髪の女の子が立っていた。

 《ノウンクン》だ。ザイカは船を襲撃した際のことを思い出した。ノウンクンはレースの付いた、ワインレッドの洋服を身にまとっていた。朝日が照らそうとしている甲板の上で誰かを待っているようである。

 

 ノウンクンと目が合った。彼女はザイカを探していたのだ。小さな手をブンブンと振り、ザイカにアピールした。

 ザイカは腰を据え彼女と話、彼女の正体を暴こうと思い近づいたが、ノウンクンの一声でその目論見が消えた。

 

「ザイカ! あナたのお友達、船に乗っテ、この町、来るよ!」

「友達!?」

「ウン!耳が、コーんなに長い人たち!ザイカとおそろい!」

 

 エルフが、来る!

 

 本来海を渡ることなど無いエルフが、船にのってこの港にくるっていうのか! そんなわけ無い!

 

「デモ、向こうミテ! あの船、おかしいよね」

 

 朝日が海を照らし、地平線の向こうに船影が見えた。見たことの無い船のつくりだ。帆の張り方も、色も独特で、まるで…

 

「大きな樹が、帆を張っているみたいだ」

 

 ザイカは確認のため船を《遠目》した。

 まず船の材質に目が行った。金属は使われていないようであり、また船の帆は、遠くから見て得た感想そのままだった。

 

 布と木の葉を巧みに組み合わせて穂が張られている。

 そして乗組員を見つけた。彼らは緑の洋服に身を包み、そして長い耳が特徴だった。何れの乗組員も顔立ちは気品があった。

 

「……《エンヴィロント》……《緑の桃源郷》」

 

 自分が求めていたものが、向こうから近づいてきたのだ。

 自分は記憶喪失で、自分はエルフであることしかわからない。だからエルフの里…《エンヴィロント》に行けば手がかりが得られると思い、《ザイカ》は海を渡る海賊船に乗っていたのだ。

 

 しかしザイカの心は、嬉しさよりも不安の割合が大きく占めていた。

 本当なら、エルフは造船の知識に乏しく、たとえ船があっても、外との交流を行なうような種族ではない。

 彼らが船を造り、外に出てきた理由。ザイカにはただ事ではない気がしていた。

 

******************

 

『おい。』

 

 ベッドで寝ていたユンファは、何者かの声で起こされた。

 

『面白い奴らがやってくるぞ』

 

 ユンファは眠気まなこで船室の窓から外を見た。

 船影が見えた。今まで見たことの無い、不思議な形だった。

 

『緑が、動き出した。狙いはどうせ、その石だろうな』

 

 低くうなるような声がユンファの頭の中に響いていた。

 

「……ん〜。」

 ユンファは寝癖でぼさぼさになった頭を掻きながら、まだ窓を見ていた。

 

『どうする? 港に着いたら、すぐにこちらに来るぞ?』

「……ん〜。」

 

 ユンファは何か考えているのか、うつむいたまま唸り続けていた。そしてユンファは、この状態で一番自分に都合の良い回答を思いついた。

 

「……ん。興味ない。」

『……は?』

「…寝足りないの。お昼になったら起こしてね、お休み。」

 

 ユンファは白いシーツに身を包み、また眠りに付いた。

 

『……』

 低い声の主はただただ呆れるばかりであった。



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4-3《エンヴィロントの使者》

 エンヴィロントのもの思われる船が入港した時には、既に日が昇り、傾き始めていた。

 独特な船の造りは遠くからでも目を引いた。港はエンヴィロントの船が入る前から半パニック状態であり、多くの野次馬が港に集まっていた。

 

 その中に、深々とフードを被った《ザイカ》もいた。

 沖には3艘の船がとまっており、港に入港してきたのはわずか1艘だけだった。

 船は木のツタでびっしりと覆われており、帆も緑色の若々しい葉が使われていた。《エリス港》で、エルフの船に使われている植物について詳しく知るものはいなかった。

 

 船から、山吹色のフードつきマントを羽織った人間が3人、降りてきた。そのうち中央の1人がフードを脱ぎ顔を出した。長い耳と美しい顔立ち。そして輝く金色の長髪。誰の予想も裏切ることなく《エンヴィロントのエルフ》であった。

 

「我らは《エンヴィロントの使者》!《緑の桃源郷》から来た! ここの代表者と話がしたい!」

 

 良く通った、また、良く澄んだ美しい声だった。声の高さからこのエルフが男性であることが判った。

 暫く港は騒然としていたが、《ロッカブ》がこの港の代表として彼らと取り合うことになった。

 

 使者はロッカブに書類を手渡した。使者が言うには、緑の桃源郷を統治している《エレーシャ》という人物のものらしい。

 《ザイカ》は自分の存在を彼らに知ってもらいたかったが、回りの雰囲気が彼らを警戒しすぎていて、彼らへのアピールの機会を悉く逃していた。

 

 ロッカブは書類に目を通した。内容は3つ。『ゴルゴロイクーとの貿易権の習得』『造船技術の提供』そして、

 

「『蒼の魔女』との謁見、ねえ。」

 ロッカブは頭を掻いた。

「これは本人に直接話してくれ。私の権限ではどうにもならんよ。」

 

 伊達に長い耳をしているわけではない。フード越しでも、ザイカにはロッカブの呟きが微かだが聞こえていた。

 《ユンファ》船長が謁見に応じれば、ザイカの目的であった《エンヴィロント》への入国が可能になる。

 しかし船長が簡単に彼らの話を応じるだろうか。彼女は正直、自分の利益になることにしか興味を示さない。少なくともザイカは今までのユンファの行動から、そう思っていた。

 

「……こうしちゃいられない。これはもしかしたら、最後のチャンスかもしれないんだ。」

 

 ザイカは《ディーピッシュ》に戻った。彼女を、ユンファを説得するために。

 

 

*******************

 

 

「では、お願いしますよ。可愛い我子達。」

 

 先日《エリス港》から《ラスロウグラナ》へ出航した船の中。そこに黒マントを羽織った男性がいた。彼は倉庫で、ユンファが解放した捕虜達に話しかけていた。

 

「運良く、ここの船員達の個人データが船長室に在りました。あ、彼と、彼と、彼女は私達の『同胞』ですから。」

 

 男は、手に持っていた書類に記載されている名前部分を指差し、元捕虜達に説明していた。彼女達捕虜は真剣に話を聞いていた。3人の子供も、書類を暗記しようと必死になって読んでいた。

 

「よろしいかな?では、作戦開始、ですかね。」

 

 男の合図とともに、彼女達元捕虜の姿が変化していった。一瞬彼女達の体がグニャリと曲がり、まるで粘土をこね直すかのように形を変えていった。

 彼女達は……いや『それら』4つとも、船員たちの姿へと変化していった。姿形だけは、この船の船員そのものである。

 

「ふむ、流石、完璧な変身ですね。惚れ惚れします。」

 

 船乗りに変幻した、元女が男に返した。

 

「いえ、あの方の力には及びません。私達は所詮、あの方のコピーですから。」

 

 ふむ、と男が自らの顎を撫でながら返事した。

 

「彼女が……《セルバ》ですかな? が、素晴しすぎるのです。あの《蒼の魔女、ユンファ》でさえ、今現在も騙されているのですから。セルバのほうが特別なのですよ。」

 

 黒マントの男の裏には、4つの死体が転がっていた。いずれもナイフ一突きで絶命していた。そして男の目の前には、死体と同じ顔をしたものがいる。第3者から見たらどちらが本物かわからないだろう。

 

「死体は、海に投げましょう。魚の餌になるでしょうしね。」

 

 

**************************

 

 

 昼下がり、気持ちよく夢の中だった《ユンファ》は、船室のドアを激しく叩く音によって目覚めさせられた。

 不機嫌に目覚めたユンファは、とりあえずドアを叩いた人物を部屋に連れ込み、ドアを叩いたのと同じ回数のパンチをかまし、またベッドにもぐりこんだ。

 

「……それ、ひどスギない?」

 

 ベッドの縁に、褐色肌の青年が腰掛けていた。

 

「うっさいなあ、私は眠いの。判る?《ノウンクン》。」

 

 ノウンクンと呼ばれた青年は、やれやれといった表情で、部屋の端でボロボロになっていた《ザイカ》をみた。

 

「でも、ザイカがコレだけ慌てテイルって事は、彼らが来タって事でしょ?」

「そうか。もう昼だもんね。」

 

 ベッドで上半身を起こし背伸びをしたユンファは、テーブルの上においていた《遠眼鏡》を使い、船の窓から港を観察した。

 ロッカブが誰かと交渉しているようであった。交渉相手を観察していたユンファは、開口一番こう洩らした。

 

「あら、良い男。」

『本当にそれで良いのか』

 

 今朝方、ユンファの頭の中に響いてきた声が聞こえてきた。ユンファがあまりにふざけた行動をしていたためご立腹のようだ。

 

「《アル》〜。元気?」

 

 ユンファの隣のノウンクンにもその声が聞こえているようであった。だが《アル》と呼ばれた声の主は、ノウンクンの声を全く無視した。

 

「……悪かったわよ。」

 

 ユンファが声の主に謝罪した。《アル》は話を進めた。

 

『奴らは、お前の持つ『それ』に興味を持つかも知れんぞ』

「いや、もう感づいているでしょうね。だからこそ、ここに来たんじゃないかしら。」

 

 ユンファは改めて、エルフ達を遠眼鏡で覗き込んだ。

 その時、3人の中で一番手前の人物がこちらを見た。目つきはまるで獣のようで、鋭い視線が確かにユンファのほうに向けられたのだ。

 

「……!」

 

 ユンファは反射的に身を低くし、ベッドにうつぶせに伏せた。

 

「わお。中には『できる』奴もいるのね。驚いたわ。」

『この船に来るだろうな、だとすれば。』

 

 ユンファは伏せた状態で何か考えていたようだったが、彼女なりの結論を出したようだ。

 

「よし、彼らをこの船に招待しましょう。そして、できる限り彼らの要求をのむ。OKかしら?」

『……しらん。これはお前の船の問題だろ?』

 

 《アル》はユンファの『紫の力』に対する執念深さを良く理解していた。ユンファは彼ら《エルフ》でさえも、利用しようとしているのだろう。

 

 

 その時、船の廊下をあわただしく走ってくる音がした。ユンファは気になりドアのほうに目をやると、息を切らして《ザイカ》が部屋に入ってきた。

 

「せ、船長! お、お願いが!」

 

「……! やられた!」

 

 ユンファは一番の過ちに気がついた。とりあえず、しつこいザイカに蹴りを入れ黙らすと、直ぐに廊下に出て部下を呼んだ。近くには《コーダ》がシーツを運んでいた。

 

「どうしました?船長。」

「この船に、偽者がいるわ!!」

 

 ユンファの部屋には、ほかに『後から入ってきた《ザイカ》』しかいなかった。

 『最初に入室した、殴られた《ザイカ》』は既に姿を消していた。

 



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4-4《一触即発》

 夢を見ていた。

 これは、忘れていた頃の夢なのか。

 それとも、忘れてしまいたかった夢なのか。

 遥か昔の、誰かの、夢。

 

 さわやかな風が吹く丘。

 芝が生え揃っている場所に、男女2人、肩を寄り添い一緒に座っていた。

 彼らの顔はまるで靄がかかったかのようにぼやけてしまい、はっきりと顔を認識できない。いや、しっかりと思い出せないのが正しいのだろうか。

 

「もう、これが最後の出会いになると思う。」

 

 男が女に話しかけた。冷静な声であったが、僅かに言葉尻が震えていた。

 

「……私達、さ。」

 

 女は、男のほうを向かず、口を開いた。僅かに言葉尻が震えていた。男は彼女の顔を見たが、女はまっすぐを向いたまま、言葉を続けた。

 

「やっぱさ。エルフと人間っていう異種族の恋は、神様も祝福してくれないのかな。」

 

 わずかな沈黙の間、男はじっと女を見ていたが、その後、女が見つめる同じ方向に視線をむけた。目下には広大な緑が萌えている。

 男は、そのまま女のほうを向くことなく、まるで独り言のように言葉を発した。

 

「これも、運命なのかもね。」

 

 

 

 ザイカは、男の返答に心底驚いた。彼は何を言っているんだ!?

 このとき確か、本当は『そんなこと無い!!』って否定したかったはずなんだ。そして彼女を抱きしめて……。

 あれ?

 

 彼も、彼女の名前も、顔も何も思い出せない。なのに、ボクは何を言ってるんだ?

 

 ああ、ダメだ、彼女が行ってしまう。

 待って!何も君に伝えていない!

 その男は本当はあの時、君を引き止めたかったはずなんだ!

 彼に勇気が無かったから!

 待って!もう一度、やり直したい!

 待って!待ってよ!

 待ってよ!

 

********************

 

「……ぅうああああっっ!!!!」

 

 叫び声とともに、ザイカは目覚めた。寝汗が酷く、また、目には涙があふれていた。

 

「お目覚めですか?ザイカ。」

 

 横に、白衣を着た《テンザ》が立っていた。手には濡れた布を持っている。ザイカの汗を拭こうとしたようだ。

 

「大変うなされていました。大丈夫ですか?」

 

 テンザが横にいることで、ザイカは、ここが医務室であることをやっと理解した。《ユンファ》の部屋に入り、エンヴィロントの使者との交渉を直訴しようとした途端、鳩尾を思い切り蹴られ、そのまま気を失っていた。

 

「酷い夢でも見ていたんですか?」

「……ええと。何故だろう、思い出せないんです。どんな夢だったか。」

 

 呆けた顔で天井を見ていたザイカの横で、テンザが返した。

 

「悪い夢は、忘れたほうが良いですよ。」

 

 本当に悪夢だったのか? ザイカはぼんやりと、気を失う前のことを思い出していた。

 

「……!ボクはどれ位寝ていました!? 《エンヴィロント》との交渉は! どうなりました!」

 

 一番重要なことを思い出した。ベッドから半身を起き上がらせ、テンザに問いただした。

 

「落ち着きなさい。エルフとの交渉は始まったばかりです。」

 

 ユンファは交渉に応じたそうだ。ザイカは胸を撫で下ろした。が、テンザの顔が急に深刻になった。

 

「それ以上に、大変なことが起こりましたよ。偽者が出たんです。しかも、ユンファ船長にも見分けが付かないほどの、精巧な奴が、ね。」

 

 

 

「だ・か・ら! 偽者よ、偽者!」

 

 ユンファが交渉テーブルをバンバンと叩く。交渉相手のエルフ3人に、この船が殺気にまみれている理由を説明していた。

 

「で、さらに、その偽者がまだ捕まっていないの!判る?」

 

 ユンファは内心苛立っていたし、それが表面にも出てしまっていた。

 

 偽者騒動で船が騒然としていた中、ロッカブはエルフの使者達をつれて《ディーピッシュ》に来た。ロッカブは船の中の異常事態に気づきエルフ達を戻そうとしたが、時既に遅し、勝手にエルフ達は船に乗り込んでしまった。

 突然の訪問客にさらに混乱する乗組員。彼らを『偽者』として捉えようとする動きになり、それを、事情を知っているユンファとロッカブが止めた。という経緯がある。

 

 使者達があまりに自分勝手に交渉を進めようとするため(エルフは外交が不得意なのか?)、仕方なく偽者探しは他の者達に任せ、ユンファは彼らを自分の部屋に招き入れ、交渉を開始しようとした。が、矢先『先程の無礼を詫びろ』と使者が発し、ユンファの神経を逆撫でさせてしまい、今に至る。

 

「ユンファ、落ち着かんか」

 

 ユンファ側のテーブルには《ロッカブ》もいる。苛立つユンファをなだめた。

 

「偽者、ね。フン。そんなものを直ぐに見つけられないなんて、《蒼の魔女》もたいしたこと……」

「……《ホフロ》!やめろ!」

 

 正面テーブルにいたエルフがユンファを挑発する発言をしたが、その横、いまだにフードをしているエルフがそれを制した。しかし今の言葉は、ユンファの気持ちを高ぶらせるには良い起爆剤となった。

 

 次の瞬間、激しく机を叩く音とともに、机の上に銀製のナイフが刺さっていた。ユンファが護身用にと常に隠し持っているナイフだった。

 

 しかも彼女はナイフを突き立てると同時に、《召喚符》を部屋の回りに数枚蒔いた。彼女の呪文ひとつで符は具現化し、符はエルフ3人を襲うだろう。

 

 しかし、それ以上に素早く動いていた人物がいた。先程、ホフロをなだめたエルフである。このエルフは、自らのマントの下に隠していた《銀製の長剣》を素早く抜き、切っ先をユンファの喉元に近づけていた。恐らく、彼女が《魔女》と呼ばれることから、呪文の詠唱を妨げようとしたのだろう。

 

 ユンファは、本来ならまっすぐ、ホフロの右肩に向かってナイフを突き立てようとしていた。しかし刹那、銀製の長剣がユンファのナイフがユンファのナイフを払い、結果、ユンファは机にナイフを突き刺す格好となったのだ。

 

 《一触即発》という言葉が似合う、そんな『間』であった。

 

 ヒラヒラと、蒔かれた召喚符が床に落ちた。2枚、3枚と床に落ちては動かなくなる。計5枚の召喚符が床に落ちた。

 

 机に突き立てられたナイフ。

 

 エルフの男を睨むユンファ。

 

 切っ先をユンファの喉笛に近づけ微動だにしない者。

 

 一呼吸遅れ、現状を理解し顔が青ざめたホフロ。

 

 そして、

 全く動けなくなってしまい、ただ彼らを凝視するだけの者達。

 

 瞬時に起こった長い出来事。この状態を打破できるものはここには無かった。が、

 

 

 

『トン、トン』

 

 永遠に続くかと思われたこの瞬間。しかし、この『間』は、扉を叩く音によって終わりを告げた。

 長剣はゆっくりと下げられ、ユンファは机からナイフを抜き、召喚符を回収した。

 

「どうぞ、《テンザ》」

 

 ユンファは、見えるはずの無い扉の向こうにいる人物の名を呼んだ。入ってきたのは、ユンファの読み通りテンザだった。

 

「良くわかりましたね。船長」

「あんな『気迫』、あなたか《エクリド》くらいよ。この船で出せるのは」

 

 扉のほうから、緊迫した二人に向けてすさまじい『殺気』が送られてきたのだ。

 どちらかが動いた瞬間、『扉ごと斬られる』と思わんばかりの気迫だった。ユンファは汗を掻いていた。

 

「こんな汗、久しぶり。もう掻きたくないわね。」

「私も、同意だ」

 

 長剣を鞘に収め、そのエルフはマントのフードを脱いだ。フードの中には、やはり誰もが美しいと感じるバランスの良い顔があったが、男性のホフロとは異なり、目は澄んで大きく、睫毛は長く、顔も全体的に細く小さく感じられた。

 

「……女性、だったのね。」

 ユンファは驚いた。

「《リト=ハク》だ。こちらの無礼を詫びる」

 

 深々とリト=ハクが頭を下げると、遅れて後ろのエルフも頭を下げた。そして、完全に腰を抜かしてしまったホフロも、はっと我に返り、合わせて謝罪した。

 ある意味、《剣を交えた》おかげで話はスムーズに行きそうである。

 

 

 

「……あのう……。ボクも……入って良いんで……すよね??」

 

 扉の縁に身の半分を隠すように《ザイカ》がいた。ユンファたちの放つ気迫に押し負け、扉の影に隠れていたのだ。

 

「……あのう……本当に……居て良いんですよね? ボク、必要とされてます?」



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4-5《尋問》

「いろいろなことが同時にありすぎだ。」

 

 エルフの《ホフロ》は頭を抱えた。額には汗がにじんでいた。今回、《エルフの長、エレーシャ》から外交を任されたが、外の世界がここまで混沌としていたとは考えていなかった。

 

「ぼ、ボクのこと、知りませんか!?」

 

 《ザイカ》は、エルフの住まう大陸《エンヴィロント》から来たエルフに問いかけた。しかしホフロは彼を無視した。女王の命令以外のことには興味は無い。

 

「どういう意味だ?」

 代わりに、ホフロたちの横に立っていた《リト=ハク》がザイカに聞いた。

「あ、あのっ」

 

 ザイカは一瞬、美しいエルフの女戦士に見惚れてしまった。

 

「彼の名は《ザイカ》。記憶喪失らしいの。私が《エウルべ海》で拾ったのよ」

 

 口篭ったザイカの代わりにユンファが回答した。

 《エウルべ海》は、《エンヴィロント》と《ノウルオール》の間にある海の名前である。エウルベ海は比較的穏やかな潮の流れであるが、その周囲の潮流は複雑なため、ノウルオールから直接、エンヴィロントへ行くのは難しい。

 

 リト=ハクは、ザイカのことを知らなかった。その場にいたほかのエルフも、彼のことを知らなかった。

 落ち込む《記憶喪失のエルフ》に、リト=ハクはひとつの希望を与えた。

 

「《緑の桃源郷》には数多くの《記憶》が眠る。その中に君の事も残されているかもしれない」

 

********************

 

「彼は《ツエイド》。エルフ1の地図作りだ。彼が海図を描いている。」

 

 ホフロがもう1人のエルフを紹介した。後ろにいたエルフがフードを脱ぎ挨拶をした。老けても無く、若くも無い。

 ツエイドは早速海図を広げ、エンヴィロントへの道程を説明し始めた。

 

「現在この海域には、季節潮がこのように流れています。我々の国には、この潮流に乗らないと……」

「ちょっとストップ」

 

 ユンファが遮った。

 

「私は、一言も『そこに行く』とは言っていないわ。私が行く必要が無いしね。それにまだ、大きな問題がひとつ残っているの。」

 

 それを聞いて一番驚いたのは《ザイカ》だった。

 ザイカはユンファに言い寄ったが、黙殺された。

 

「あなたが、わが国に行く理由はありますよ。」

 

 ホフロがユンファの目を見ながら言った。ホフロの言い方や考え方が、ユンファは気に入らなかったが、ユンファがエンヴィロントに出向く十分な理由をホフロが述べた。

 

「女王は、《紫の力》の秘密を知っています。もちろんあなた以上にね。」

 

***********************

 

「ということで、私達はエンヴィロントに向かうわ、いいわね《エクリド》」

 

 ベッドで横になっている大男に、ユンファは問いかけた。

 

「好きにしな。これはもう、お前さんの船だ。」

 

 包帯で体中を巻かれた大男は、ベッドで横になりながらユンファに答えた。

 エクリドが目を覚ましたのだ。彼の回復力には、船員全員が驚かされた。

 

「ありがと、エクリド」

 

 ユンファは礼を述べた。隣にはテンザがいて、新しい包帯を持っていた。さらに隣にザイカがいた。彼はお湯の張ってある桶を持っていた。

 包帯を取り替えられているエクリドに、ユンファは本題を繰り出した。船内に現れた《偽者》のことである。

 

「船員はみんな疑心暗鬼。誰もが疑いあって、信頼関係を築けない状態よ。」

「偽者は見つからないのか?」

「本当にそっくりに化けるのよ。本物よりも本物っぽいわ。私さえ騙されたのよ。」

「それは、驚きだ」

 

 エクリドは白い歯を見せて笑った。が、腹部の傷口に響いたのか、直ぐに険しい顔になった。

 そしてエクリドは、ユンファの言わんとしている事を理解した。

 

「で、俺を疑っている、ということかな?」

「ビンゴ。悪いけど、簡単な質問をさせてもらうわね」

 

 ユンファはエクリドに質問をし始めた。先ずは彼の名前、出身国から、好きな食べ物、趣味などなど。

 どれも、本人なら簡単に答えられるものである。

 エクリドは淡々と、しかししっかりと答えていった。テンザの手伝いをしていたザイカは、エクリドの中にある、知らない一面を見れて嬉しかった。

 

 包帯を取り替え終えたとき、ユンファは最後の《尋問》をした。

 

「私と最初に会った時のことを、具体的に説明できる?」

「……」

 

 エクリドの動きが止まった。ザイカの心臓が高鳴った。先程まで明瞭に答えていたエクリドが口篭ったのだ。

 エクリドの視線はザイカを見ていた。ザイカもそれに気づいていた。

 

「説明できるが、ね。」

 エクリドが口を開いた。

「『ここで説明したくない』。では、回答にならないか?」

 

 ユンファの口が緩んだ。笑ったのだ。

 

「十分よ、エクリド。私は、あなたを本物と認識したわ。」

 

 

 

「ユンファ船長、先程のエクリドさんの回答、アレでよかったのですか?」

 

 ザイカが病室の外でユンファに問いただした。

「ええ、そうよ」

 

 そういうとユンファは自室に向かって歩き出した。ユンファはザイカの質問の回答を、彼には聞こえない声で囁いた。

 

「プライドの高い彼なら、性格上、絶対『あのこと』は、部下の前では口にしないもの。」

 

 

*******************

 

 

 男は、独り言のように呟いた。

 

「ばれた、ということですか?」

「ええ。でも、見つかっていません」

 

 矛盾する回答が、男の頭のなかに響いた。《テレパシー》だ。男はテレパシーで何者かと会話していた。

そして男は、相手の回答を理解できなかった。

 

「ばれましたが、見つかってません。まだ騙せています。ということです。」

 

 ほう、と男が顎に手をやった。感心しているのだ。

 

「流石、変幻のエキスパートですね」

「ありがとうございます」

 

 相手は、今乗っている船が《エンヴィロント》に向かっている事を伝えた。

 

「すこし、予定と違っていますねえ」

 

 男が困ったようなそぶりを見せたが、実際男は困ってなどいない。自分の力では入れなかった《エンヴィロント》に、部下の1人が入れるのだ。これは今まで以上のチャンスである。

 

「そのまま、船の中に溶け込んでいてくださいね。」

「ええ、判りました。」

 

 テレパシーは途絶えた。男は彼の変幻能力をかっている。変幻相手の『趣味』や『クセ』までコピーでき、しかも変幻対象は『人間である必要もない』のだから。

 男は、海賊の事は彼に任せ、自分は《ラスロウグラナ》の《白の審問所》前に来ていた。

 

「私のこと、入れてもらえるでしょうか」

 

 男は、審問所の正面門へ、堂々と向かっていった。

 

 



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4-6《死の爪、アルナード》

 偽者騒動はまだ終わっていなかった。犯人が見つからないのだ。

 そのため、ディーピッシュの船員の、全員が疑心暗鬼になってしまっていた。他が他を疑うことが船内で繰り返され、誰もが精神的に参っていた。

 しかしその状態でも、ユンファは船を出航させた。理由はエルフ達の言い分にあった。 

 

 エルフの地図作り《ツエイド》が言う潮流を使えば、《エリス港》からエンヴィロントに直接いけるという。しかしこの潮流、一時期しか流れないという。そのチャンスを逃すと、次は3月ほど待たなくてはならない。

 ユンファは考えたが、結局《紫の力》への探究心が勝り、出航を決意した。

 

 エリス港を出航し、3回目の朝を迎えたころ、突然に潮の流れが変わった。コレがエルフ達の言う潮流なのだろう。前方のエルフ達の船が、文字通り潮流に流されていったのが肉眼でも確認できた。

 

「あとは待つだけだ。この潮が、我々を《エンヴィロント》に連れて行く」

 

 リト=ハクが述べた。彼女は《ディーピッシュ》に乗っている。リト=ハクがこちらの船に乗っているのには訳があった。《ユンファ》たちの監視である。

 ユンファはただただ、自分が知らなかった潮流に感心していた。

 

「どの本にも、どの海図にも、この潮は書かれていないわ。実際に体感して、私もやっと真実だとわかったわ」

 

 

 

 緊迫した船内で、《ザイカ》は倉庫の整理をしていた。遠目の力が必要ない時は、ザイカは雑用をこなす事で船員としての役目を果たしている。

 整理を終え、倉庫から出てきたザイカを待っていたのは、ブロンドの髪の女の子だった。

 

「ザイカ、こんにチは!」

「あ、えーと、ノウンクンだっけ?」

 

 ハイ!と手を挙げ《ノウンクン》が返事した。実に微笑ましい。

 

「ザイカ、私、今日はアナタに会わせタイ人がいるの」

 

 そういうとノウンクンはザイカの腕を取り、いきなり引っ張り出した。突然のことでザイカは驚き、つい勢いで腕を振り払ってしまった。

 

「あ、ご、ごめ……」

 

 ザイカは咄嗟に謝罪の言葉が出たが、しかし、既に対象はいなくなっていた。目の前にいた彼女は、もう居なかった。

 

「…?」

 

 何処に行ったのだろう。ザイカは不思議に思いながらも、倉庫に忘れ物をしたことを思い出し、倉庫に戻った。

 

 倉庫の中には明かりはない。そのためランプを灯しての作業となるが、そのランプが見当たらない。

 

「おかしいなあ」

 

 倉庫の奥にもランプがあったことを思い出し、手探りで倉庫奥に行こうとしたが、

 

「……こんなに広かったか……?」

 

 先程と勝手が違う。壁の手触りも違っている。丸い金属が壁に埋め込まれているようだ。しかも仄かに暖かい。

 

 ふとザイカは、天井付近に赤い光を見つけた。

 しかしそれは、血の色に似ていた。

 

 そして、その赤い色は唐突に動き出した。こちらに近づいている。

 次第に暗闇に目が慣れたこともあり、ザイカは近づいてくるものが、目であることがわかった。そして直ぐにそれが何の目であるかも理解した。

 

 ドラゴンだった。

 赤い瞳。黒光りする鱗。白い牙も見えた。

 

 ザイカが壁だと思って触っていたのは、そのドラゴンの皮膚だったのだ。

 

 と、案外冷静に状況を分析していたザイカであったが、目と鼻の先にドラゴンの顔が来た瞬間、叫び声を上げた。情け無いと思っていたが。

 

「……っと、なにやっているのよ。」

 

 後ろに何故かユンファがいた。叫んでいるところを見られた格好だ。

 

「せせせせ、船長!!」

 

 ザイカは訳が判らなかった。ドラゴンのことも、ユンファがここにいることも。

 ユンファに気が付いたのか、ドラゴンが顔をユンファに向けた。そして突然、そのドラゴンは人語を喋りだした。

 

「ちょいと、からかっていただけだ」

「私の大切な仲間だからね、《アルナード》。」

「判っている。」

 

 ユンファもユンファで、ドラゴンと対等に会話している。一体彼らは何なんだろう。改めてザイカは思った。

 

「で、ザイカ。」

 

 ユンファはドラゴン……《アルナード》との会話を中断し、ザイカに視線を向けた。

 

「あなた、どうやってここに入ったの? ここは私が《鍵》をかけたのに」

 

 ユンファはザイカに疑惑の目を向けた。ザイカが偽者ではと思っているらしい。

 それに気づいたザイカは必死に弁解しようとした。

 

「こ、ここは、あの、《ノウンクン》って子がいて、ええと。」

 

 ザイカの《ノウンクン》の言葉に、その場にいたユンファとアルナードは驚きの表情を見せた。

 

「おいお前、ノウンクンにあったのか?」

 

 アルナードはザイカに顔を近づけた。ザイカなどアルナードの口の大きさから、一飲みだろう。

 ザイカは、喋るドラゴンにいまだおびえながら、状況を説明した。

 物言わず聞いていた二人(1人と1体)であったが、一通りザイカの話をきいたあとは、素直に納得していた。

 

「へえ、あの子に会ったんだ。あの子なら、ここに導けるわね」

「ふん、あいつか。余計なことを」

 

 アルナードと呼ばれたドラゴンが、またザイカに顔を近づけた。

 

「確かに俺は、『お前に興味がある』とは言っていたがね。ただそれだけなのにな。」

 

 その後、そのドラゴンは首を上げ、自分の胴体に乗せた。丸くなり、休んでいる体制だ。白鳥が寝る体制と同じだった。

 

「まあ、あいつに出会えるって事は、少なくとも《ユンファ》と同等ってことだ。こいつは面白い」

 

 そういうとアルナードは、目を瞑ってしまった。寝ようとしているのだ。ユンファがアルナードに聞いた。

 

「アル、眠るのか?」

「ああ、俺みたいな年寄りには、長話は疲れる。」

 

 そういうとアルナードは喋らなくなった。眠ったようである。

 

「さて、と。」

 ユンファはザイカの腕をつかみ、部屋からでた。

 

 そこには、部屋の扉は無かった。あるのは壁だった。

 

「私が、壁と別の部屋を繋いでいるの。だから、普通はあかないはずなんだけど、ね。」

 

 しかし、おそらくその扉を開けたのは《ノウンクン》だ。

 彼女は一体何者なのか。ザイカは思い切ってユンファに尋ねてみた。が、ユンファの回答はこうだった。

 

「実は、私も良く判らないのよ。でも、彼。不思議と悪い奴とは思えないのよね。神出鬼没だけど、幽霊かしら。」

 

 ザイカはまだ、いろいろとユンファに聞きたいことがあった。先程のドラゴン《アルナード》のことも。また、ユンファがノウンクンのことを《彼》と呼んだことに関しても。

 しかし、ユンファは渋面だった。真剣に何かを考えているようで、近寄りがたい雰囲気でもあった。

 そしてユンファはザイカのほうを向いた。渋面ではない。むしろ、好奇心の塊のような顔だった。もっと、もっと知りたい。

 

「ザイカ、あなたどうして、ノウンクンと出会えたの? 昔、ナニカしてた? っと言っても、あなた、記憶喪失だったわね。」

 

 ユンファの顔が残念な感情でいっぱいだった、が、現在この船が向かっている先を思い出した瞬間、ユンファは楽しい気分になった。

 

「……あそこにあなたの手がかりがあれば……。そうね、私があの国にいかなければならなくなった理由が、1つ増えたわ。」

 

 ユンファはそう呟くと、廊下を歩いてどこかに行ってしまった。

 

「……。」

 

 ザイカは1人立ち尽くしていた。ユンファに聞きたいことが山ほどあったのだが、結局彼女の自己完結で会話が終わってしまったのだ。

 しかし、この会話によって、さらにザイカの胸の内に不安の種を蒔いてしまったことになる。

 

「本当に……ボクはなんなんだ? それに、本当に手がかりがあるのだろうか、あそこに。」

 

 突然襲われた不安感。今はただ、コレが気のせいであることを願うばかりであった。



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第5章
5-1《エンヴィロント、緑の桃源郷》


「山渡りの次は、森渡り、ね。」

 

 船から降りたユンファの、開口一番の台詞だ。

 ユンファ達はエンヴィロントに到着した。《青の図書館》にも存在しない海図を使い、未知の海流に乗ってきた。

 

 エンヴィロントは全く人の手が加えられていない、未踏の土地であった。原生林が生い茂り、ここでしか見れない生物もいた。

 

「危険な生き物だらけだけどね。」

 

 ユンファはナイフに付いた血を拭いながら呟いた。目の前には巨大な蜘蛛の死骸があった。

 

「今のこの大陸で、空を飛ぶことは死を意味します。覚えておいてください」

 

 《リト=ハク》が警告した。ユンファが『近道するわね』と、一緒にいた《ザイカ》を抱え、飛翔の呪文を使い飛んで行こうとした時には、彼女はそんな警告はしなかった。

 ユンファは、体に纏わり付いた蜘蛛の糸を取りながら、リト=ハクの話を聞いていた。

 

「一昔前まで、こんなに凶悪な生き物は居ませんでした。森の生き物が凶暴化したのは恐らく……。」

「《紫の力》の所為かしら?」

 

 リト=ハクは、無言のまま頷いた。

 ユンファはとりあえず、この大陸の状態を理解した。そしてさらに、この大陸の長……エルフの長への興味が沸いてきた。

 

「早いところ、お偉いさんに会わなくてはね。で、リト=ハク。この大きな繭、破るのを手伝ってくれない?? ザイカが窒息しちゃうわ」

 

 

 

 《緑の桃源郷》には、《ユンファ》《ザイカ》の2人だけで行くことになった。《テンザ》には、海賊船《ディーピッシュ》の守りをお願いした。

 《リト=ハク》達以外のエルフ達は、別の集落に住んでいるのだという。入港後(港など無かったが)は別行動を取っている。

 

「中央集落……エンヴィロントの中心、我々の長が住まう場所まで、2日はかかります。途中に小さな集落がありますから、そこで休憩を取りましょう」

 

 急ぎの旅であったが、ユンファはリト=ハクの提案に乗った。エルフ達の生活環境を知りたいという探究心からであった。

 

 また蜘蛛以外にも、数々のクリーチャーがユンファたちを襲った。独自の進化をした双角獣や、樹に化けた魔物なども居た。

 

「……紫の力の所為と思われますが……ここまで魔物が活性化したことは在りません。」

 

 リト=ハクは異常事態に気づいた。寄る予定であった集落のことが心配になってきた。

 

「集落は大丈夫なんでしょうか? リト=ハクさん」

 

 ザイカはリト=ハクの心境を察してか判らないが、リト=ハクに聞いた。

 リト=ハクは答えられなかった。が、その回答には別の形で答えた。

 

「集落のエルフが、消える事件がおこっている。ここ最近な。」

 

 1つ目の集落は、すべてのエルフ達が魔物に襲われていた。遺体はすべて、巨大な爪のようなもので切り裂かれていたのだ。

 2つ目の集落は逆に、すべてのエルフが魔物になってしまった。それらは巨大な爪を持ち、動くものすべてを引き裂かんとしていた。その魔物達は、リト=ハクたちに退治された。

 3つ目の集落は、忽然と姿を消していた。集落があった場所には草木一本生えておらず、全くの更地が広がっていたのだ。

 

「次の集落が、4つ目になって無ければよいがな。」

 

 ユンファが発した一言に、リト=ハクは怒りを感じたが、しかし実際、そうなっていないとは言えない。ユンファは生の《紫の力》を持っているのだ。力の影響が無く、この旅が終わるとは思えない。

 

******************

 

「ここのはずだが……、おかしいな。」

 

 リト=ハクは顔をしかめた。集落にたどり着けないのだ。

 

「道にでも迷ったのか? エルフなのに。」

 

 ユンファは軽い声でリト=ハクをからかったが、しかしリト=ハクは真剣だった。

 

「この場所のはずだ……見てみろ。」

 

 リト=ハクの指差す先には、木で組み立てられている家があった。

 

「あの小屋があるということは、ここが集落の入り口だ。」

 

 リト=ハクは道に迷っていなかった。確かに集落に到着したが、しかしそこは既に、集落ではなくなっていた。

 

「……4つ目、か……!」

 

 リト=ハクは、怒りで顔が歪んでいた。

 ザイカは疑問に思った。ここが集落だったとしても、明らかにおかしい部分がある。地面や小屋、周囲に樹やツタが生えすぎている。

 

「最近まで、人が住んでいたところとは思えないけど……。」

 

 小屋の前に来て、確信に変わった。ドアの部分にツタがまきつき、開けられる状態ではなかった。ドアの役目をしていない。

 そこでザイカは、思い切ってドアを開けてみることとした。腰につけた短剣でツタを切り、ドアを開けた。

 小屋の中は、信じられない光景であった。ツタどころではなく、小屋の中に樹が生えている。しかも2本も。

 

「1本は…小屋の中央。もう1本は……ベッドの上から、か。」

 

 恐る恐る、何かに惹かれるように小屋の中に入ったザイカは、ベッドから生えている異様な樹に注目した。

 

顔があった。

 

「……!!」

 

 樹の根元に、エルフの顔があったのだ。

 ザイカは恐怖で声が出なかった。ザイカはその場で腰を抜かしてしまった。

 

「これは……!」

 

 ユンファが後ろに立っていた。流石のユンファも、この光景に驚いている。

 

「エルフが……《樹》になってしまったというの?」

 

*******************

 

 夜も更け、魔物が活性化してきたこともあり、この集落で一晩を明かすこととなった。

 

「防護の結界を張るわ。」

 

 ユンファは素早く呪文を詠唱し、焚き火を中心に青白いドーム状の光の幕を作った。ユンファも昼間の情景がショックだったのか、その後は大人しい。

 

 その後他の家の中を見たが、結果は同じだった。皆、《樹》になっていた。

 

「あまり良い気分ではないな。」

 

 ユンファが口を開いた。素直な感想だ。

 

「……紫の力は……」

 

 リト=ハクが独白のように語りだした。中央にくべた薪の炎がゆれている。

 

「生き物を堕落させ、滅ぼす力だ。」

 

 この回答に、ここに居る誰もが反論できなかった。

 

「だから早急に、この力を何とかしなければならない。こんな悲劇を止めるために。」

「その意見に関しては、私も同意見よ」

 

 ユンファも、そしてザイカも賛同した。

 

「といっても、最初からみんな、目的は同じでしょ。」

「……。」

 

 リト=ハクは、否定も、肯定もしなかった。

 

「リト=ハク。あなたは今日は休みなさい。明日も道案内をお願いしたいし、この中で一番疲れてるのは、多分あなたよ」

 

 ユンファはリト=ハクに休憩を促した。この状況で心身ともに一番疲弊しているのは、リト=ハクであろう。慣れない船旅の疲れが残っているはずだ。そして今回の事件。身も心も、ボロボロだろう。

 

「……ああ、そうさせてくれ。」

 

 ユンファの気遣いに、素直に従いリト=ハクは横になった。彼女は心底、本当に疲れていた。

 

「ザイカ。あんたも横になりな。見張りは暫く私がしておくから。」

 

 ザイカはその申し出に対して断りを入れた。

 

「い、いえ、次に疲れてるのは船長です。船長が先に休んでください!」

 

 次に疲れているのはユンファだ。彼女もかなり無理をしている。ザイカはそれを感じ取っていた。

 

「……船長に意見するなんて……。」

「ボクには《遠目》があります。なにかがあれば直ぐに報告できます!」

 

 ザイカの勢いに、ユンファは僅かに怯んだ。船にいた時に比べて、今のザイカは気迫が違う。

 

「……そういえば、最初にこの集落に残っていた小屋の扉を開けたのは、あなただったわね。」

 

 ユンファもリト=ハクも、小屋の扉を開けることに若干の躊躇があった。理解不能な現状で、小屋の中を覗くにはリスクが大きかった。そんな中、一人率先してザイカは扉を開けてしまった。

 

「正直、無謀にもほどがあるわ。後ろから見てて冷や汗ものだったもの。結果的には、集落の現状が直ぐに理解できたけどね。」

 

 ザイカはそう言われて、初めてハッとした。自分が非常に危険な行動を取っていたことに、今更ながら気づかされた。

 

「……なんか、エンヴィロントに来てから、気分がおかしいんです。」

 

 ザイカは話を続けた。

 

「気が高揚するというか、外から内に向かって、なにかが入り込み、そして溢れてるような感覚で……。」

 

 ザイカは身振り手振りで、エンヴィロントに着いてからの自身の気持ちの変化を伝えた。

 

「それは《マナ》の流れを感じているのだろうな。」

 

 焚き火を挟んでザイカの反対側から女性の声。リト=ハクが答えた。

 

「あら、寝てなかったのね。それとも起こしちゃったかしら。」

「後者だ。そんな真横で喋られてたら寝られない。」

 

 あらごめんなさい、といった感じで、ユンファは自分の口を手で押さえた。目は笑っていた。

 横たわっていたリト=ハクが上半身を起こし会話に加わった。

 

「ザイカさん。あなたの仰ったその感覚。紛れもないエルフの所存です。ですが、少し特別な種類のものです。」

 

 リト=ハクは会話を続ける。

 

「我々エルフは、マナの流れを読み、体内に蓄え、増幅させることが出来ます。ですが稀に、生まれつきマナを扱うのが苦手なエルフも存在します。」

「思い出した、図書館の本で見たことがあるわ。マナを扱えないエルフの話。」

 

 ユンファがリト=ハクの話に乗ってきた。

 

「確かその本では、本来エルフは体内にマナを蓄えるが、扱いが下手だと、まるで風が通り抜けてしまうがごとく、マナが抜けて行くって。」

 

 ユンファが思い出した本の内容に、リト=ハクは肯定した。

 

「はい。つまりはザイカさんは、マナを体内に上手く溜められないエルフに当てはまるかと。ただ、エンヴィロントに来て、今までに無いほと大量のマナに充てられたことで、気分が高ぶっているのでは。」

 

 なるほどそれなら、ザイカの変貌に合点が行く。一連の考察を聞いて、ザイカが口を開いた。

 

「……でもこの感覚、『初めて』なんです。マナ扱い下手でも、このエンヴィロントで過ごしていれば、この『流れ抜ける感覚』は経験するはず。ですがボクはこの感じは初めてでして……。ここからは何も思い出せないです。」

 

 マナの感覚が、ザイカの記憶を呼び戻すきっかけになるかと、ユンファは期待していたが、それは外れたようだ。

 

「……。」

 

 ユンファが顎に手を添えて黙ってしまった。何か考え事をしているようであった。

 

 

 

 しばらくの沈黙を経て、三人は改めて休むことにした。リト=ハクは直ぐに横になり、また、ユンファも、ザイカの申し出を受け入れ、先に仮眠を取ることにした。

 

「少し寝たら、見張りは代わるから。よろしくね」

 

 ユンファはそういうと横になった。途端、直ぐに寝息を立てた。

 

「船長、本当に疲れていたんだなあ。」

 

 ザイカは大きなあくびをひとつして、『パンッ!』と頬を叩いた。

 

「もう少しで、なにかが分かる気がするんだ。ボクが頑張らないと。ボクが足を引っ張っているようじゃダメなんだ!!」

 

 

*****************

 

 

 ユンファは夢を見た。懐かしい夢だった。

 《青の図書館》に居た頃の夢。まだ学生だった。先ほど、図書館の話をしたからだろうか。

 

 友人と食事したり、講義を受けたり。

 そして、管理人に恋をしたり。

 

 主席で卒業後、研究を続けようとしたら、彼から『無意味だ』と言われた。

 

『この世界には、本に書かれていないことがまだ沢山あるんだ。僕はそれを研究している。

 

 図書館の人間は僕を馬鹿にするけど、本に書かれていないことでも、実際に自分で見たり体験したりしたことが、真実なんじゃないかなって。

 

 僕の研究を一緒に行わないかい?僕はいま、《紫の力》について研究しているんだ。』



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5-2《マナを見守るもの、エレーシャ》

 目的地が近づいてきたのが、感覚的にわかった。

 マナの流れを読めないザイカや、エルフでないユンファさえ、『それ』が感じられる程である。

 

「コレが、マナの流れなの?」

 

 ユンファがリト=ハクに質問した。ユンファの質問に対し、リト=ハクが肯定した。

 

「ここはマナが濃い。だからこそ、ここがエンヴィロントの中心になったのよ」

 

 空気の対流とは違う、なにか言葉にできない、雰囲気的な流れを感じることができる。この流れを読み、自在に操ることができるエルフは、やはりユンファのような人間には理解しがたい能力をもった種族のようだ。

 

 集落が見えてきた。昨日泊まった、滅んだ集落とは比較にならないほど大きな場所であり、しっかりと木材が組まれた建築物が立ち並んでいた。

 

「森の中にこんな町があるとはね」

 

 道も、舗装こそされていないが、しっかりと土が押し固めらいる。脇には小さな木が植えられていた。

 

「この道の先、集落の中央に我々の長が居る。」

 

 町のエルフたちはこちらを避けているようだった。いままで他国との交流を退いてきた人種であり、人間が物珍しいのだろうか。

 リト=ハクもその意図を判ってか、できるだけ人の通りが少ない場所を選んで中心部に向かっているようである。

 

 が、

 実際は違った。

 

 エルフたちはむしろ、リト=ハクを避けているようである。エルフたちの決別の目はリト=ハクに向けられていた。

 

「……。」

 

 それらを黙殺し、目的地に向かうリト=ハク。

 ザイカも周囲の反応に気がついたようだ。

 

「船長……」

「……やっぱりね。」

 

 ユンファは、昨日からずっと違和感を覚えていた。

 

「私も理由はわからないけど、一つの確信を得たわ。ま、理由を知りたいなら、直接彼女に聞くといいわ」

 

 ユンファはこの大陸――《エンヴィロント》に着いてから、ずっと《異変》を感じていた。既に魔物がいないこの街中でも、異常なほどに《紫の石》は輝き続けていた。

 

「あとでお茶でもしながら、事情を聞いてみたいわね」

 ユンファの考えは、あながち冗談ではなかった。

 

―――

 

 町の中心ではあったが、その建物は周囲を森に囲まれていた。町の中央に森があり、その中に、エルフの長が住んでいるのだという。

 

「たいそうな建物だこと。」

 

 岩とも、レンガとも、植物とも違う、深緑の鉱物で作られた建物であった。この大陸で見た建物の中でも特異な風格を持つそれは、長が住むにふさわしいものといえよう。

 建物の中に案内された。建物の中には何人かのエルフが働いていたが、全員、リト=ハクを避けているようである。

 

 応接間であろうか、長いテーブルが置いてある部屋に案内されて長の到着を待った。

 

 程なく、軽鎧をまとった男性エルフとともに、女性のエルフが現れた。見た目だけはユンファよりも若く感じられたが、エルフは長寿であることを考慮すると、ユンファよりも年上であろうか。緑の色を基調とした、シックなワンピースを着こなし、銀でできた髪留めと、同じく銀製のペンダントを身に着けていた。

 

 特に目立つようなアクセサリーをつけないのは、彼女の前ではどんな装飾品でも、彼女の美貌の前には色あせてしまうからだろうか。詩人でなくとも、詩的な台詞が浮かんでしまう。それほど美しい女性だった。

 

 ユンファは彼女が入室するや否や、挑発的な態度をとった。

 

「あら、長が来るまでの間、演舞でも見せてもらえるのかしら。」

 

 ユンファの発言に、軽鎧のエルフは絶句し、しかしすぐに声を荒げてユンファに言った。

 

「な、なんということを!! このお方が、われわれエルフの長だ!」

 

 あら、と、ユンファは驚いた仕草を見せた。しかしザイカは、ユンファのその仕草はわざとだなと思った。彼女がこの部屋に入った瞬間、比喩ではなく『空気が変わった』のだから。

 

 リト=ハクもユンファの発言には驚いていたようであったが、しかし何もしなかった。ただ寡黙に、ユンファと、そして長の方を交互に眺めていた。

 ユンファの発言に対し長は、「ふふっ」と微笑みを返し、そして、

 

「不思議な方。お会いできて光栄ですわ」

 

 ワンピースの裾を持ち、会釈をした。

 ユンファは長の行動に、拍子抜けしてしまった。「エルフ一族の長」が、「海賊の船長」に対して、頭をさげてしまったのだ。これに対してはユンファも驚かされた。

 

「お、長! いったい何をしているんですか!」

「エレーシャ様!!」

 

 2つの罵声が飛んできた。先の言葉は、軽鎧のエルフから。後の言葉は、《リト=ハク》からであった。

 

―――

 

 ユンファとザイカの前に、お茶が出された。薄く透き通った黄緑色のそれは、ユンファが今まで一度も見たことのない不思議な香りのしたお茶であった。しかし、その香りは、長旅で疲れたユンファたちの体をやさしく包み込み、驚くほどのリラックス作用を持っていた。

 

(これは大変珍しいものね。もって帰れば高値で売却できるわ。後で交渉しようかしら)

 

 椅子に腰を下ろしたユンファがお茶の香りを堪能していた横で、ザイカは、そのお茶の香りに、失われた記憶の断片を見出そうとしていた。

 このお茶。確かに記憶の片隅に、これと似た香りを嗅いだ事がある。しかし、はっきりと思い出せない。

 

「さて。」

 

 ちょっとした沈黙の後、ユンファの正面に着席していた、美しきエルフの長が口を開いた。

 長の名前は《エレーシャ》。お茶が来る前に、簡単な自己紹介が行われている。

 

「遠い国から、はるばる我がエルフの《桃源郷》にお越しいただき、感謝いたします。《蒼の魔女、ユンファ》。」

 

 ドキリと、動揺を露にしたのは、ザイカのほうであった。ザイカが手にしたお茶が、軽くこぼれた。

 当のユンファは、静かに、物珍しいエルフのお茶を堪能していた。軽く口に含み、舌の上でお茶を転がし香りと味を楽しんでいた。エレーシャはユンファの態度は特に気にせず、話を続けた。

 

「我々はこの大陸で、他国との関係を築くことなく、独自の文化を作ってきました。」

 

 エレーシャはどうやら、自国、《エンヴィロント》の紹介から始めようとしているようだ。記憶喪失エルフのザイカには、エレーシャの会話には非常に興味があった。自分の記憶を少しでも取り戻す手がかりがほしかったのだからだ。

 

 しかし、ユンファがそれをさえぎった。

 

 ユンファは半分ほどお茶を飲み終えており、そのカップをテーブルの上に、わざと音が鳴るように乱暴に置いた。

 

「御託は結構」

 

 乱暴に置いたカップからは、しかし、全くお茶がこぼれていなかった。

 

「長、私たちは、あなた方の生態を調べに来たのではない。」

 

 まっすぐにエレーシャを見ながら、ユンファが言った。さらにユンファは続けた。

 

「正直、私たちには時間がない。お国自慢なら、事が終わった後でなら十分にお時間をとって差し上げられます」

 

 丁寧な言葉遣いをしてはいるが、ユンファの目は全く笑っていなかった。

 

「……これは失礼。では、率直に申し上げますわ、私の目的を。」

 

 エレーシャはユンファの気迫に押された、訳ではないが、長くなりそうな前置きを取っ払い、単刀直入、彼女の目的を述べた。

 

「ユンファさん。あなたには悪いのだけども……」

 

 エレーシャは笑顔でユンファに告げた。しかし、目は笑っていなかった。

 

「『紫の力』は、あなた方ではどうにもならないわよ」

 

 ユンファの眉がぴくりと動いた。冷たい笑顔も美しいエルフの長は、さらに目的をユンファに告げた。重要なキーワードとともに。

 

「『プレインズウォーカーの力』は、人間には扱えませんわよ、魔女さん。我々が責任を持って封印いたしますわ。」 

 

 エレーシャの表情は、冷たい笑顔から、強い意志を持つ族長のものへと変わっていた。



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5-3《エルフの企み》

「昔、この世界――エジュレーンは、全く秩序が存在しない世界でした。」

 

 エルフの長、エレーシャはユンファたちに淡々と語り始めた。

 

「しかし、そこに現れたのは神。神のごとき力を持つものが、この世界を取りまとめ、人々に『秩序』と『知識』を与えたのです。」

「しかし、世界の全ての知が集まるとされる《青の図書館》には、そんな記録は残ってないわ。人は自然から知を得て、そして国を築いたと書かれている。神様論なんて、馬鹿馬鹿しい。」

 

 ユンファはエレーシャの『神様降臨説』に真っ向から反論した。が、エレーシャも負けてはいなかった。

 

「もしその書物が……図書館にある書物が、間違いであったら? もしくは意図的に、捏造されていたとしたら?」

「……。」

 

 ユンファは、あまり良い顔をしなかった。エレーシャの言いたいことが良く理解できたからだ。

 

 青の図書館は、膨大な知識を得るために、影で様々なことを行ってきた。その中には非人道的な所存も少なからずあった。

 

 『知識の量』が、青の図書館の国――《ノウルオール》を支えるための糧であったためだ。そして、その国が栄えるために得られた知識の中には、いくつもの『怪しい知識』があった。

 あまりに多量に知識が集まってしまったため、その情報の真偽が、明確でないものも多々存在していた。

 

 そしてユンファは、青の図書館の知識には一部疑問を抱いていた。

 

 本当に『全ての知識』が集まっているのだろうか。

 では、彼が求めていた《あの力》とは何なのか?

 

 さまざまな文献を漁ったのに、その力についての文献は1つも無かった。

 

 ユンファは、その力……《紫の力》の真意を探るために、図書館から独立した。

 

「……納得、したわ。」

 

 ふぅと、ユンファは深いため息をついた。そしてユンファはエレーシャに確認を取った。

 

「つまりあなた方エルフ族は、あの《紫の力》を、その神様……《プレインズウォーカー》の力だと、言いたいのね?」

「……あら、判ってもらえましたか、ユンファさん。お話は非常に早く決着しそうですね。」

 

 ザイカは、全く話に付いていけなかった。しかし、実際に紫の力の効果を目にしていることもあり、それが『神様の力』であるといわれても合点がいっていた。

 

 普通の人間には扱えないほどの強大な力を発揮する石ころである。それが、世界を造った『神様の力のかけら』であるとすれば、今までの出来事がつじつまが合ってしまえるように感じてしまう。

 

「……でも、じゃあ、なぜその『神様の力』が、『紫の石』として存在しているのですか?」

 

 ザイカは自分が疑問に思ったことをストレートに聞いた。するとエレーシャは途端に悲しそうな顔をし、目を伏せ首を横に振った。

 

「この世界の外側から、《次元渡り》して攻めて来たのです。この世界を我が物にせんと企む輩が。」

 

 エレーシャの回答に対し、ユンファが思ったことを口にした。

 

「つまり、神のごとき力を持つ《プレインズウォーカー》がもう一人現れた。そして、元から居たプレインズウォーカーの世界を奪おうとした。」

「そうです。その戦いは、当時の世界の生命すべてを巻き込んだ、とても大きなものであったと伝えられています。」

 

 エレーシャは険しい表情で語った。

 

「そしてその戦いの終焉……。2人のプレインズウォーカーは、互いの力がぶつかり合い、結果、両者とも消滅しました。」

「……相打ちだったってこと?」

「はい。しかし互いの力がぶつかり合った際に、その力が結晶化し、世界に飛び散ったと。」

「それが、『これ』ね。」

 

 ユンファは腰につけた麻袋をはずし、その袋ごとテーブルに置いた。ほのかに紫色に光を放っているのが、袋の外からも判る。

 エレーシャの側近のエルフたちがざわつき始めた。あまりに無神経にユンファが《紫の石》を取り出したからだろう。エルフ族には『神の力』と伝えられているモノが、粗末な麻袋に入れてあるのだ。エルフたちが驚くのも頷ける。

 

「それは危険な力です。」

「重々承知よ。」

 

 エレーシャの忠告に対し、ユンファはあっけらかんと答えた。その応対に、少しエレーシャの眉が動いた。

 その時、横からリト=ハクが割って入ってきた。

 

「我らエルフは、その危険性を認識した上で、その力を封印しようとしている。」

 

 よく通る声でユンファに、自分たちが行おうとしていることを、簡潔に伝えた。

 

「封印……ねぇ?」

「はい。我らエルフは、マナの力の制御に関してはエキスパートです。紫のその力も、マナの一種であることには変わりありません。」

「我らエルフ族に、その力の管理を任せてくださいませんか、ユンファさん。」

 

 エレーシャの提案は理に適っていた。ユンファはマナを利用し術を使うことに関しては長けているが、そのマナ自体の扱いは決して得意ではない。

 

 ザイカも、この場合エルフ族に石を託したほうが安心だと考えていた。が逆に、これに対するユンファの答えは安易に予想できていた。

 

「お断りね。」

 

 テーブルに置かれていたはずだった麻袋は、いつの間にかユンファの腰に下がっていた。

 

「なぜ、か。理由をお聞かせ願いますか?」

 

 エレーシャは眉1つ動かさずにユンファをみていた。しかしその余裕が、返って不気味な感じを与えていた。

 

「まあ、理由なんて沢山在るけど。全部を語ると、明日の朝になっちゃうわ。」

 

 ははは、とユンファは笑った。そのまま彼女は席を立った。

 

「そろそろ御暇しなくちゃね。あまり有意義な情報をお聞きすることができなくて、とても残念でした。」

 

 ザイカもユンファの行動につられて席を立ってしまった。が、席を立った瞬間、部屋の中の空気が非常に緊迫していることに気がつき、軽い気持ちで席から離れたことを後悔した。

 

 部屋の出口には槍を構えたエルフ兵が2人。また、部屋の中にはあの《リト=ハク》が居る。

 しかしユンファは、彼らが全く見えていないかのように出口に向かっていった。長槍エルフ兵たちがそんなユンファの行動を見て、一瞬ひるむ。

 

「ユンファさん、お忘れものですよ?」

 

 エレーシャがユンファに声をかけた。

 

「何かしら?」

 

 ユンファは、《冷気》をまとった右手をそのままに、振り向いた。エレーシャが呼び止めなければ、彼女はエルフたちを氷漬けにでもして出て行くつもりだったらしい。

 

 ザイカはユンファの後をついては行かず、席を立った状態で固まっていた。なぜなら、喉元に細い長剣の切っ先が向けられていたためである。

 

「大切な部下を、そんなに簡単に置いていけるのか、あなたは!」

 

 ザイカに剣を向けているリト=ハクが声を荒げた。

 

「せ、船長、すいません……。」

「ええ、置いて行くつもりよ。」

 

 淡白にユンファは言い放った。この答えにはザイカをはじめ、リト=ハクやエレーシャも驚いた。

 

「ザイカ、あなたの目的は『ここ』に来ることだったのでしょ? 目的が果たせて良かったじゃないの。」

 

 ザイカがユンファの言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。そしてザイカが理解するよりも先に、エレーシャやリト=ハクのほうが理解した。

 

「リト=ハク。彼を解放しなさい」

 

 エレーシャがリト=ハクに命じた。

 

「賢明な判断ね。」

 

 ニコリと、ユンファは微笑んだ。目は笑ってなかった。

 長剣から解放された途端、ザイカは腰が抜けてしまったのか、また自分の席に座り込んでしまった。心ここにあらず、といったところか。

 

「エレーシャさん、私は信じています。仲間を第一に考える種族であるエルフが、同属を罰するようなことが無いことを」

 

 そういうとユンファは改めて踵を返し、出口へと向かっていった。

 

「ユンファさん。もう1つ、忘れ物がございます。」

「……なによ。」

 

 エレーシャの2回目の静止に、次は明らかに不機嫌な態度で、ユンファは答えた。

 

「ザイカさんもそうですが……、そちらの、『石』を持って返って仕舞われると、非常に困りますの。」

「あ、そう。あなたたちはここを戦場にしたいのね?」

 

 再びエレーシャのほうに向きなおしたユンファは、今度は両手に凍える冷気をまとっていた。

 

 ユンファはさっと周囲に目を配る。

 

(この中での要注意人物は……。やっぱり《リト=ハク》よね。あとあの《エレーシャ》。可愛い顔して、何企んでいるか良くわからないわ。)

 

 ユンファは既に臨戦態勢である。リト=ハクも剣を構えている。が、エレーシャは全く戦うような素振りを見せていない。

 

「エレーシャさん、よろしいの? 私は本気よ。」

 

 ユンファの呼びかけにエレーシャは、妖艶な微笑を返した。

 

「大丈夫です。『誰も傷つかず、このいざこざは終わります』ので。」

 

 

 

 瞬間、ユンファの体から力が抜けた。

 がたっと音をたて、ユンファが崩れ落ちた。

 

「あ、れ。」

 

 ユンファが両手にまとっていた術も雲散霧消してしまった。

 なにが起こったのか理解できていないユンファに、エレーシャが話しかけた。

 

「お茶です。このお茶、エルフが摂取しても害は無いのですが、人間が飲むと、麻酔作用が出るのです。」

(な、そんな……)

 

 ユンファは言葉を発しようとしたが、既に口の周りにまで痺れが来てしまっていた。

 エレーシャの顔は心底嬉しそうであった。子供が大人にいたずらを成功させたときにする顔である。

 

 エレーシャは椅子から立ち上がり、

 

「申し訳ありませんが、ユンファさん。あなたは危険です。牢に入れさせてもらいます。《紫の力》は、我々の力で、責任を持って封印させてもらいますね。」

 

 そういうとエレーシャは、リト=ハクに目で合図をし、リト=ハクはユンファの腰に下げてあった麻袋を取り外した。

 

 ザイカはその間、ただ椅子に座っているだけで何もできなかった。

 

「ザイカさん。あなたもしばらく牢に入ってもらいますね。あなたはお茶の作用を受けなかったということで、あなたがエルフであることは証明されましたが、詳しい正体がわかるまで、あなたも『海賊』なのですから」

 

 はっと、『海賊』という言葉にザイカは反応した。エレーシャたちはまだ自分のことを『海賊の一味』として扱っている。

 つまりエルフから見れば、自分はまだ『ユンファの部下』ということだ。

 

「……はい、わかりました」

 

 ザイカは言われるがままに立ち上がり、と同時に、ユンファを助けようと懐から短剣と抜き出し、リト=ハクを襲撃した。

 

 が、力、技術、戦闘経験の差がありすぎるザイカの奇襲劇は、リト=ハクの、首筋への手刀による一撃で、幕を閉じた。

 

「……危ないですね、やはり。」

 

 エレーシャは悲しい顔をしていた。

 

「たとえ勝てない相手でも、自分の主君の危険には、命を支払ってでも止めようとしますからね、我々エルフという種族は」

 

(つまり、彼はまだ彼女の部下であると思っている、ということか。)

 

 リト=ハクは、気を失っているザイカと、麻痺して動けないユンファをそれぞれ片手で持ち上げ、部屋を出た。

 

「地下の牢に入れておきます。その後に、《紫の石》は祭壇へ。」

「ええ、お願いしますね。」

 

 エレーシャはにこやかにリト=ハクと兵士たちを見送った。その暖かい笑顔の裏には、リト=ハクさえも何も聞かされていない企てがあるのだろうか。

 

 その答えは、エレーシャしか知らない。

 



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5-4《置き去り》

 牢屋であって牢屋ではなかった。

 

 ザイカとユンファは、村の地下らしき場所にいた。なぜ地下にいるとわかったか。それは、ザイカたちのいる場所が、そのまま大木の根で囲まれていたからだ。

 壁は土であり、不均等に樹の根が這っていた。その樹の根を上へ辿ると、一点に集中していた。部屋の天井の中央だった。

 

 部屋の天井は丸みを帯びていたことも考慮すると、この部屋は、大樹の根の部分をそのまま流用し造られたのだろう。

 そのため、入り口と思われる場所が見あたらい。気を失っていたザイカには、一体どうやってこの樹の根に囲まれた場所へ入れられたのか、検討もつかない。

 

 しかし明かりは差していた。根の一部分には土がついておらず、そこからエルフたちの住居とそっくりな造りの部屋が覗けた。だが、その土が無い部分にもしっかりと根は這っており、その隙間から出入りすることは不可能だ。

 

「樹の根を動かしたのでしょうね。」

 

 ザイカの後ろには、いつの間にかユンファが立っていた。

 

「船長、体のほうはもう良いのですか?」

「まだ、指先が痺れているわ。」

 

 彼女の指は小刻みに震えていた。

 

「あのお茶、もっと飲んでいたら流石に不味かったかも。」

 

 いつものユンファでは無かった。彼女は普段、多少のピンチであってもあっけらかんと笑顔で切り抜けていた。

 が、今の彼女には余裕が無い。彼女の眉間には深く皺が刻まれていた。

 

「さてどうやって出ようかしらね。」

 

 光が差す樹の根の隙間を伺いながら、ユンファはあれこれと考えを巡らしていた。

 そんなユンファに対し、ザイカはさらに余裕など無かった。先刻の、『エルフのお茶会』での一件の事が原因である。

 

*************

「大切な部下を、そんなに簡単に置いていけるのか、あなたは!」

 ザイカに剣を向けているリト=ハクが声を荒げた。

「せ、船長、すいません……。」

「ええ、置いて行くつもりよ。」

*************

 

「……船長!」

 

 先ほどの言葉は嘘であってほしい。もしくは、エルフたちを目前に出た、出任せであってほしい。

 ザイカはそんな期待をこめて、ユンファに切り出した。

 

「何よ、ザイカ。私は今、考え事をしているのよ。」

「さ、先ほどの……ことなんですけど。」

 

 とりあえず声をかけてみたものの、うまくそれ以上の言葉が出てこなかった。ユンファの発した言葉が真実であった場合、自分の存在自体が否定されてしまいそうで、恐ろしかったのだろう。

 

「……本当よ。私はあなたを置いていく。」

 

 ユンファはザイカが何を聞きたいのかを瞬時に理解し、そして、ザイカが一番望んでいなかった回答を示した。

 

「ザイカ、あなたが海賊になった目的は? この《エンヴィロント》に来ることでしょう? これで、あなたが海賊である必要がなくなったのよね。」

 

 確かにその通りだ。ザイカの目的は、自分と同じ種族であるエルフたちが住む、閉ざされた島《エンヴィロント》へいくことだった。そのために海賊になった。

 

「大丈夫よ、ザイカ。エルフ族は同種を尊重する種族よ。あなたがエルフであるということが証明されるだけで、彼らの仲間として扱われるわよ。」

 

 ユンファに、このエルフの里での生活をアドバイスされた。しかしザイカはそんなことを心配しているのではない。

 

「ぼ、僕が居なければ、誰が《遠見》するのですか!? それに、雑用とかも……。」

「以前の遠見の方法に戻すだけ。《嵐鳥》を飛ばして天候を確認する。雑用だって《コーダ》が居るし、他の部下たちで十分よ。」

 

 ユンファの言い分を統合すると、『つまりあなたは、居なくてもいい』ということだった。

 直接でなく遠まわしに言われたことが、さらにザイカにはショックだった。ユンファはこれでもザイカに気を使った結果なのかもしれないが。

 

「……お? 向こうの部屋の奥に誰か居るわ。見張りかしら? 2人いるなあ。」

 

 うっすら光の差す隙間からユンファは向こうの部屋を観察していた。結果、彼女は見張りらしき人物が居るのを突き止めた。

 

「お〜いそこのお兄さんたち! ちょっとこっちにおいでよ〜!」

 

 狭い、根の隙間からユンファは腕を伸ばし、見張りを手招きした。

 

「……。」

 

 しかし見張りは、彼女の行動を完全に無視した。エルフたちにはユンファは《蒼の魔女》として伝えられている。近づいただけで、命を奪われる可能性だってある。

 

「お〜い、見張りの方々。今から、炎の術でこの牢屋を焼き払おうと思うから、炎や煙に撒かれないように逃げたほうがいいわよ〜。」

「……!」

 

 流石に彼女の発言に、2人のエルフ兵は血相を変えて牢屋の前に来た。あの《魔女》ならやりかねないと思ったからだ。

 

 この牢屋に使われている樹は特別で、強力な術法を、ある程度なら抑える能力がある。魔女といえども例外でなく、強い術が使えないハズであるが、用心に越した事は無い。

 

 しかし、エルフたちの行動も全て、ユンファの計算どおりであった。

 

 見張りのエルフがまず1人、隙間から牢の中を見た。

 薄暗い牢のなかに、ユンファの姿が見れた。

 彼女は何故か、服をはだけ、透き通るような柔肌を露出していた。

 

 容姿端麗なエルフが一瞬、その姿に見とれてしまった。彼女の美しさはエルフでさえ魅了する。

 

「いやん♪ そんな所ばっかり見ないで……。目を見てよ。」

 

 彼女は片目に眼帯をしている。彼は隻眼の彼女の目を見た。

 

「はい、お勤めご苦労様。」

 

 心に隙を作りすぎた見張りエルフは、簡単に《魅了》された。ユンファの術である。

 

「おい、どうした!」

 

 もう1人の兵士も、彼女が居る牢屋を覗き込んだ。

 もちろん彼も、全く同じシチュエーションを目の当たりにし、そして魅惑の世界に取り込まれることとなった。

 

「こんなところで炎なんて出すわけ無いじゃない。私たちがローストされてしまうわ。」

 

 ユンファは半脱ぎ状態の服を直し、先ほど誕生した下僕たちに、牢の開け方を聞いていた。

 どうやらユンファの読みどおりに、根自体を動かすらしい。動かすことができるのは、樹と語らうことができるエルフだけだ。

 

「じゃあ、とりあえず私を出して。」

「「はい。」」

 

 虚ろな目をしたエルフ兵2人が、樹の根に触り、なにやらぶつくさと呪文を唱え始めた。否、樹と語っているのだ。

 刹那、根がまるでゴムバンドのようにやわらかくなり、そして狭かった隙間が人一人分通れるくらいに広がった。

 

 隙間からユンファは這い出た。そして下僕二人に、また牢を閉めてくれと頼んだ。

 もちろんまだ、牢の中にはザイカが居る。

 

「……僕はもう、必要ないのですね。」

 

 牢の中から、ザイカの声が聞こえた。ユンファに対する質問なのか、自虐的なものなのかは定かではなかった。

 ザイカは記憶をなくし、その状態で初めて頼りにできる仲間に出会った。海賊であったが、特にその船長には、絶大な信頼を寄せていた。

 

 そんな人に、切り捨てられたのだ。彼の心の傷は、ユンファが思っていた以上に深かった。

 

「……ザイカ、おそらく、私たちが目指す場所は、これから激戦を強いられるわ。」

 

 ザイカの独り言とも取れるつぶやきに、彼女は彼女の意見をぶつけた。

 

「正直、あなたの力では、他人どころか、自分自身も守れないし、逆に、あなたを守って誰かが命を落とすことになる。」

 

 ユンファは、ザイカの居る牢には既に目を向けていない。

 

「だから、今回はいい機会だと思う。もう、海賊をやらずに、普通に生活していい場所に、あなたはたどり着けた。」

 

 ザイカも、うつむき、牢の外を見ようとしない。

 

「誰も、もう、死なせたくない。私の『大切な人』はもう、失いたくないの。」

 

 ザイカは、少しだけ、顔を上げた。彼女の後ろ髪が、狭い隙間から見ることができた。

 

「……さよなら、よ。ザイカ。」

 

 栗色の長い髪が流れ、彼女はその場を去った。

 

 

(家族ごっこは、もう、十分。『同じ名前の人物』が、2度も死ぬところを見たくないのよ、私は!!)

 

 

*******************

 

 《魔女》脱走の急報が流れたのは、それからしばらくしてからだった。だが時既に遅し。ユンファは、《紫の石》を封印していた祭壇の前に立っていた。見張りのエルフは皆、ユンファの術により夢の中に落とされていた。

 

 ユンファが持ってきていた《石》は、祭壇の手前に無造作に置かれていた。一緒に何かの紋様が描かれた木簡などがあったが、使われたような形跡はない。

 

「あら、ちょうど封印しようとしてたのかしら。」

 

 ユンファは、木簡に描かれている紋様に見覚えがあった。ユンファが持つ紫の石が封印されていた、セルバの商業船で使われていたものとほぼ同じだ。

 ユンファは、目の前の《紫の石》を右手で、優しく掴んだ。もちろん、細心の注意を払って。

 

「これは、返して貰うわよ」

 

 石は、淡い紫の光を発していたが、今はそれは穏やかであった。

 

「……さて、と」

 

 そしてユンファは、祭壇の前に左手をかざした。

 

 ユンファの手が青白く光り、刹那、空間に無数のひび割れが生じ、ガラスが割れるような激しい音を立てて砕けた。エルフたちが用意した《紫の石》を封印する結界を、ユンファが《解呪》したのだ。

 

「エルフたちの《石》も、《強奪》して行きましょ。海賊らしく、ね!」



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5-5《深き森での一騎討ち》

 エルフの祭壇の結界が破れていることは、誰の目でも明らかだった。

 祭壇の中央にある観音開きの小さな扉は全開となっており、その中には何も入ってなかった。

 

「リト=ハクはどうしてます?」

 

 エルフの長、エレーシャが、周りの付き人に確認した。海賊ユンファの脱走の一報を聞きつけ、エレーシャは直ぐに部下をつれて《紫の石》を封印する祭壇に向かった。が、既に祭壇の封印は解かれ、《紫の石》は持ち去られていた。

 

「リト=ハクなら、既に海賊の追跡を命じております。今は北西の森を探索中かと。」

 

 エレーシャの付き人が答えた。

 

「そうですか……。サポートが必要ね」

 

 そういうと、エレーシャは付き人に杖を持ってくるよう命じた。この命令に、付き人のエルフは心底驚いた。

 

「……エレーシャ様!まさか、あなたが出られるのですか!?」

 

 ええ、とエレーシャは頷いた。

 

「せっかく得られた《紫の石》を奪い返され、封印されていた祭壇を簡単に《解呪》され……」

 

 エレーシャの顔が一瞬曇る。

 

「そして、祭壇の中身を見られた」

 

 付き人は、エレーシャの言いたかったことを理解していた。この祭壇の秘密は、エレーシャと一部のエルフにしか知られていない。

 

「あの海賊、やはり只者ではない。もしかしたら、《リト=ハク》や、私の秘密にも感づいているかもしれません」

 

 そして彼女は眉間にシワを寄せ、怒りの表情となった。

 

「エルフの長としての責任があるわ……私が、あの海賊に引導を渡しましょう」

 

 

********************

 

 

「まさか、森を動かすなんてね」

 

 ユンファは呟いた。額には汗がにじんでおり、明らかに疲労の色が出ていた。

 朝にエンヴィロントの中心に進んだ道を、記憶を便りに戻っていたはずだった。記憶力には自信があったが、しかし、

 

「……っ! またかっ!」

 

 ゴゴゴゴ……と、地鳴りと共に、森が歪んだ。木々の根が波打ち、獣道を塞ぎ、小川の流れを変化させた。

 

「これがエルフたちの力……」

 

 ユンファは、取り戻した《紫の石》を手に、早急に船――《海賊船ディーピッシュ》――へ戻りたかった。エルフの中心集落を脱出する際、衛兵や門番には催眠をかけてきたため、しばらくは追手はないと践んでいたが。

 

「彼らとっては、森の木々全てが信頼の置ける追手なのね。」

 

 さすがに、木に対して催眠術が効くとは思えない。かといって、炎の呪文を使って森を焼き払うと、自らもローストになってしまう。

 

 ユンファは太陽の位置だけを便りに、道無き道を北西へ突き進んでいた。エルフたちは『森の木々で時間が稼げれば、ユンファを捉えることが出来る』自信があるのだろう。一刻も早く、この大陸から脱出する必要があった。

 

「けど……。それも無理か、あの子、早すぎる」

 

 大きく地面が起伏した森を、ユンファは自らの足に強化の術をかけて突き進んでいたが、彼女――《リト=ハク》は、木々の枝の間をまるで野生の猿のように、軽快に渡ってきた。

 

「見つけたぞ!女海賊!」

 

 リト=ハクの右手には既に銀製の長剣が抜かれており、光輝く獲物をユンファに向けて高速で凪いだ。

 

 刹那、眩い光が斜めに走り、その場にあった岩や大木を、ユンファと共に一直線に切り裂いた。岩が擦れ土埃が舞い、巨木はメキメキと音を立てて倒れた。しかしそこにはユンファはいなかった。

 

 いや、ユンファの『影』がそこに立っていた。

 

「手加減無し。本気で私を殺しに来てるわね。」

 

 倒れた巨木の横に立つリト=ハクから、その巨木のちょうど先端辺りの位置に、本物のユンファがいた。自らの影を、巨木の根元付近に『投影』しており、リト=ハクはその影を全力で凪いだのだった。

 

「……次は、外しません」

 

 リト=ハクが構えた。長剣の切っ先をユンファに向け、睨み付けた。

 

「私も当たる気はないわ」

 

 ユンファは左手を、召還札を入れている腰のポシェットに掛け、右手は銀の短剣の柄を握っていた。鞘から抜かず、リト=ハクの出方を見ているようだ。

 

「リト=ハク。あなたのその剣術、並大抵なものではないわね。」

 

 一瞬の沈黙のあと、ユンファが口を開いた。リト=ハクの眉がやや動いたが、また直ぐに睨み返してきた。

 ユンファは話を続けた。

 

「仲間に剣豪がいるけど、あなたのそれは明らかに人間業じゃないわ、まあ、あなたはエルフですけど。それでも、普通の銀製の剣で岩や大木を、ゼリーみたいに真っ二つなんて。」

 

 ユンファが言い終わる前に、リト=ハクが突進してきた。彼女の剣の切っ先は、寸分の狂いなく、ユンファに向かっていくはずだった。

 

 刹那、地面が爆発した。

 

「ぐうっっ!」

 

 突然の衝撃に、リト=ハクが顔を歪めた。ユンファはニヤリと微笑んだ。

 

「踏んだら爆発する術よ!」

 

 ユンファは予め、リト=ハクと自分の間に《地雷》の術を貼っていたのだ。

 ユンファは爆発と同時に、左手に掴んだ召還札を1枚、リト=ハクの前に投げつけた。札は即座に具現化し、元の形へと姿を変えた。

 

「くっ!」

 

 爆発に怯んだリト=ハクであったが、即座に体勢を立て直した。爆発による土埃と一緒に、撒かれた札を真横に切り裂いた。

 

 が、リト=ハクが切ったものは、生き物ではなかった。青白い光を放つ、《雷雲の塊》であった。

 

「ビンゴ! 轟け!!」

 

 爆発の砂埃に紛れ、一気にリト=ハクと距離を取っていたユンファが、雷雲の塊に命じた。本来なら、雲が弾け飛び、周囲に落雷を撒き散らす。

 

 ……はずであったが、しかしながら、雷雲の塊はなにもせず雲散霧消した。

 

 雷雲は、リト=ハクの長剣で切断された。その剣は、うっすらと《紫色の光》を放っていた。そして、リト=ハク本人も、瞳から《紫色の光》が溢れていた。

 

 ユンファはそれをみて、『疑惑』から『確信』へと変わった。

 

「やっぱり、思った通りね」

「……」

 

 リト=ハクはユンファに向かって睨み付けた。紫に光る瞳は怒りの様相を呈し、剣の柄を掴む右手に一層の力が入った。

 

「リト=ハク、あなたはエレーシャの側近という重役なのに、中央集落で他のエルフから避けられ――迫害されていた。そのときからずっと疑問だったのよ」

 

 ユンファは数枚の召還札に手を掛けそれを目の前に投げた。1枚は強靭な体つきの《風のジン》に具現化し、残りは、体毛が氷でできている《雪ヤマネコ》に姿を変えた。

 

「……」

 

 リト=ハクは黙ったまま、ユンファを睨み付けた。

 

「あなたは、私たちを中央集落に連れていく際。この力を『堕落させる力』と言ったけど、封印に関しては否定も肯定もしなかったわね。……今思えば、それって自らの力を封印するってことになるのね」

「……」

 

 リト=ハクは返事をしなかった。

 

「極めつけは《祭壇》ね。祭壇の封印を破って中身を見た時。まさか中に『何もない』とは……ね」

 

 エルフが奉る祭壇の中身は『空っぽ』だった。ただただ強固な結界を張っていただけであった。

 

「カムフラージュしてたのね。さすがの私も騙されたわ。」

「……」

 

 リト=ハクは何も答えなかった。ただ、この場合の沈黙は、リト=ハクは祭壇の中身が空であることを知っていたということだ。ユンファの推測が正しいことを示唆していた。

 

 未だにリト=ハクの剣の切っ先はユンファに向けられたままであったが、ユンファはさらに話を続けた。

 

「他にも色々なヒントを貰ったわ。『空っぽエルフ』のこと説明しながら、リト=ハク。あなたはとても他人事でない感じだった。今ならその意味が理解できそう。……あなた、『空っぽなエルフ』だったのね?」

 

 リト=ハクが動いた。一直線にユンファに向かって来た。その動きに反応して、2体の雪ヤマネコがリト=ハクに襲いかかる。

 

 しかし、リト=ハクの持つ長剣が、流水のように曲線を描きながら雪ヤマネコの首や腹を切り裂いて行った。突進速度は全く衰えなかった。

 

 巨漢の風のジンが両腕を振り下ろしリト=ハクを押し潰さんとするも、彼女はあまりに早く、ジンの腕は地面を叩いただけだった。

 

「捉えたぞ女海賊!」

 

 一瞬にしてユンファの目前までリト=ハクが詰めてきた。先ほどの『紫色の一閃』が十分届く距離である。

 

 が、ユンファはジンの巨体に隠れて、左手に『とある木片』を準備していた。それはリト=ハクにも見覚えがあった。以前、《紫の力》を封じていた祭壇で使われていたものだ。

 

「……! しまっ……!」

 

 ユンファは既に詠唱を終えていた。リト=ハクはなんとかその『封印の光』から逃れようとしたが、突進の勢いが強く、光の中に飛び込んでしまった。

 

「あなたたちが《紫の宝石》を封印するために使ってた『木簡』よ。使えるものは利用するわ」

「……!! ……!!」

 

 リト=ハクは、青白く輝く透明な球体の中に囚われた。中で何かしら叫んでいるようだが、外には全く聞こえない。 

 リト=ハクの瞳が紫色に輝いた。先ほどの力を使い長剣を振るったが、紫色の光は球体に痕をつけることなく、吸収されてしまった。

 

「さすが、エルフ族謹製の結界ね、マナを外に全く漏らさない」

 

 ユンファは一頻り感心した。《ノウルオール》にも似た結界があるが、エルフ族のものの方が圧倒的に性能がよい。

 

「人生、まだまだ知らないことばかりね」

 

 目の前には整った顔立ちの女エルフが、光る球体に囚われてる。彼女は力の放出を止め、静かにユンファを睨んでいる。

 ……そして、彼女は口角を上げた。ニヤリと微笑んだ。

 

「……やっぱり、追いつかれた、か」

 

 笑ったリト=ハクをみてユンファは、エルフの追跡者たちに追い付かれたことを理解した。

 長槍や杖などを持つエルフが、森の茂みから出てきた。

 

 そしてその追跡軍団の中に、一際美しいエルフの存在を視認した。これにはユンファ以上に、リト=ハクが驚愕の表情を見せた。

 

「長が直接いらっしゃるなんて、光栄ですわ、エレーシャさん」

「あら、来賓には相応のおもてなしが必要でなくて?ユンファさん」

 

 美しいワンピースを身に纏った、美しいエルフの長は、笑顔でユンファの前に現れた。

 

 彼女の目は、全く笑っていなかった。



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5-6《正体不明が導く先》

 ユンファとリト=ハクが対峙する数刻前。

 

 エンヴィロント中央集落の地下牢に、ザイカはいた。集落は、エルフたちの宝とも言うべき《紫の石》が盗まれたことで大混乱となっていた。

 そのためか、ザイカを見張るエルフたちは居らず、ザイカは完全に放置されていた。

 

「……ん、こう……かな?」

 

 見張りのエルフ兵が行っていたこと――樹の根を動かし、牢屋の入り口を開ける動作を、見よう見まねで行っていた。

 見張りが根を動かしたとき、ザイカは緑色の光をみた。

 

「あの光が、《マナ》だとすれば」

 

 ザイカは、生まれつきマナを扱う才能が無い。しかし、この《エンヴィロント》では至るところでマナが溢れている。そして滅んだ集落で感じた、マナが体内に流れてくる感覚。いまなら、この流れ溢れるマナを扱えるのではと考え、行動に移した。

 

「……うん、いける。この感じだ!」

 

 自信の体内にある『何か』が、樹の根に流れ込む。樹がそれに応えようと、まるで語りかけてくるように震えだした。

 その瞬間、グニャリと樹の根がゴムのように柔らかくなった。人一人分の出入り口が樹の根に空いた。

 

「やった!成功だ!」

 

 ザイカは樹の根の牢から抜け出し、周囲を《遠目》を使い警戒した。エルフたちは逃走したユンファの退路を塞ぐべく、なにやら森に向かって呪文を唱えていた。

 さらに森に目をやると、森が生き物のようにぐにゃぐにゃと動いていることがわかった。これでは、最初に通ってきた道は使い物にならない。

 

(行こう、ユンファ船長のところへ)

 

 ユンファ探索に気を取られているためか、牢屋の回りは手薄だった。ザイカはいとも簡単に外に出られた。

 目指すはユンファの居場所である。

 

(何も、話すことは決まってないけど……!)

 

 何とお願いすれば、また仲間にして貰えるか。なぜ、エルフの国の保護を受けずに脱走したか。どうして自分を置いていくと言ったとき、悲しい顔をしたのか。

 いろいろ懇願したい、聞きたい、答えたいことが、ザイカの頭を廻っている。あまりに考えすぎて、今にも目眩で倒れてしまいそうだ。

 

(でも。一番伝えたいことは決まってる。)

 

 『もう一度、一緒に旅したい。』まずはこれを言うつもりだ。ただただ、ユンファ船長と一緒にいるだけで、ザイカは楽しかった。この感情に偽りはない。

 

 そんな想いを巡らせながら、ザイカは森の前まできた。エルフたちが必死に森の地形を変えているのを、建物の影から覗いた。この先に、ユンファがいるはずだ。

 《遠目》を使ってみると、ユンファが動く地形に足を取られている所をみることができた。

 

(……どうやって追い付く? この中に突っ込んでいくわけにもいかないし……どうしよう。)

 

 この後の策を考えていなかった。想いだけが先行してしまった形だ。

 

「うーん、困ったなぁ……」

「ウンウン。困っタナぁ困っタナ!」

 

 華奢な、女の子の声が突然聞こえた。しかもすぐ真後ろである。

 

「……!!!」

 

 あまりの驚きに、逆に声が出なかった。呼吸や心臓すら止まっていたかもしれない。

 この声の主が、もしエルフの追手だとしても、丸腰であるため抵抗できる手数は乏しい。しかし、相手を確認しなければならない。ザイカは覚悟して踵を返した。

 

 そこに立っていたのは、海賊船ディーピッシュで出会った少女《ノウンクン》だった。

 

「え……??え? な、なんでまた……ここに??……え??」

「なんデでしょー!」

 

 戸惑いを隠せないザイカを余所目に、ノウンクンは以前と同じく、あっけらかんとした表情で返答した。

 そして、彼女は右手を森の方角へ向けた。ユンファが逃げている方向からは少し外れていた。

 

「コノ方向、まーッすぐヨ! ソレで大丈夫!」

 

 ザイカは、ノウンクンが指し示した方角を《遠見》した。その方角には、とくに何があると言うわけでもなかった。

 

「えっと、ノウンクン。それってどういう……」

 

 ザイカはノウンクンに事の真意を聞きたかったが、振り向いたときには、ノウンクンの姿はなかった。

 

「……。」

 

 ノウンクンの登場により、さらにザイカの頭はパンパンになってしまった。しかし確かなことは、このままユンファの逃走経路に向かっても、エルフの追手に自分が捕まってしまうことと、ノウンクンが何かを伝えたかったこととである。

 

 悩んでいる時間がもったいない。

 

「……ありがとう。行ってみるよ、ノウンクン。」

 

 ザイカは既に見えない彼女にお礼を述べ、ノウンクンが指差した方角へ走っていった。

 

 

*******************

 

 

 まずい。

 まずい。まずい。まずい。

 まずい。まずい。まずい。まずい。

 

 麻酔作用のあるお茶。

 慣れない森の中の探索。

 紫マナを封印する結界の解呪。

 リト=ハクを結界に閉じ込める術。

 

 本音を言うと、既に満身創痍だった。

 

 極力ポーカーフェイスで余裕を見せて、相手に油断させるスタイルで押し通してきたが、今のユンファの顔には、余裕など微塵もなかった。

 

「くっ……っそぉっ!」

 

 残り少ない魔力で、氷の壁を作った。飛来する無数の樹の枝が壁に遮られたが、すぐに、真横に立つ巨木から伸びる枝がムチのようにしなり、氷の壁を叩き粉々に砕いた。そして、そのままの勢いでユンファに向かっていった。

 そして樹の枝は、逃げるユンファを突き貫かんと、ユンファに襲いかかった。

 

 ユンファは脚力を強化する術を用い、樹の枝の襲撃を素早く避けた、が、枝はユンファを執拗に追いかけてくる。今のユンファには、避け、飛び、逃げ回るしか手立てはなかった。

 周囲の樹木はまるで生き物のように、枝葉を使って襲ってきた。

 

「《ジン》!私を守れ!」

 

 《風のジン》はその巨体を使って、ユンファに覆い被さった。ジンの背中に細い枝葉や樹の枝が突き刺さる。

 

「枝葉の的になるだけでなく、盾としても使えるのね。」

 

 ニコリと、《エレーシャ》は笑った。先ほどの飛び回る樹の枝や、ムチのような巨木、生き物のように動く枝葉は全て、エレーシャひとりの力であった。

 タクトのような細いスティックを用い、森の木々を操る様はまるでダンスでも踊るかのようだった。

 

「……。」

 

 背中に多量の枝が突き刺さったジンの巨体に守られたまま、ユンファは動かなかった。今は、攻撃自体は止まっている。

 

「エレーシャ様! リト=ハクを連れてきました!」

 

 エレーシャと一緒にきていた兵士たちが、青白い光に包まれたリト=ハクを、結界ごと持ち運んできた。エレーシャはリト=ハクの元へ向かった。

 

「あらあら、我々の結界をこう使うとは。驚きました。」

「……。」

 

 リト=ハクはさも申し訳なさそうに、顔をうつむいていた。まるで、母親に怒られた子供のように。

 

「結界師を連れてくるべきでしたね。その結界の《帰化》は、後で私がやります。」

 

 リト=ハクの心情を知ってか知らずか。エレーシャは結界から離れ、ユンファの方に向きを変えた。

 傷だらけのジンの下から、ユンファが姿を現した。髪は乱れ、砂ぼこりにまみれ、衣服はところどころ裂け血が滲んでいた。

 

「あら、女海賊さん。せっかくのお召し物が台無しですね。」

「お気遣いありがとう。残念ながら早くお暇したいのだけれどね。」

 

 こんな状況でも、ユンファはエレーシャの挑発に対して冗談で返した。しかし、笑った口元には切創による出血があり、目尻には青アザができていた。

 

「ユンファさん。我々はあなたを排除することとしました。《紫の石》は、死体から回収します。」

 

 エレーシャは右手にスティックを振りかざし、素早く振り下ろした。ヒュッと風を切る音が当たりに響いた。

 その刹那、ユンファは、エレーシャの瞳から溢れる《紫の光》を見た。

 

「……! ジン!!」

 

 ユンファはジンに命じた。主人を守れと。しかし、それは叶わず。突如地面を突き破って出てきた、巨大な『木々の根の集合体のような怪物』によって、ジンは押し潰されてしまった。

 

 周囲の樹木ほどの大きさの怪物は腕のようなものを伸ばし、ユンファにつかみかかった。巨体に似合わず素早い動きの怪物に、ユンファは対応しきれず、右手をつかまれてしまった。

 ユンファは苦痛に顔を歪めた。

 

「うっ……!ぐぁぁぁっ!」

 

 さらに怪物はもう1本腕を伸ばし、ユンファの体が囚われた。そしてそのまま近くの樹に叩きつけられた。

 

 激しい衝撃を受け、しばらく息ができなかった。叩きつけられた際に、右手は折れてしまったようだ。更なる激痛が走っているが、叫び声さえあげることができなかった。

 

「『小枝を踏み折れば、骨を折ってあがないとする』……古から残る、エルフの諺です。あなたは我らの不可侵領域に踏み込みすぎましたわ。」

 

 タクトを掲げたまま、ゆっくりエレーシャがユンファに近づいてきた。

 

「何か遺言はあります?聞いておきますよ」

「……あんたも、《紫の力》持ってるのね……。それには気付かなかったわ……。」

 

 やっとの思いで、ユンファは息を吸い、そしてしゃべった。出てきた言葉は、真意の確認であった。

 

「……ええ、私の中にも《紫の力》はあります。リト=ハクを助ける際に、この力に一緒に囚われることになりました。」

 

 エレーシャは、ふぅ、と溜め息をついた。死に行く者の最期の言葉がこれだとは。

 

「非情ですが、この秘密は漏らされる訳にはいきません。これでお別れになります。」

 

 エレーシャはタクトを振り下ろした。樹の根の怪物は、その巨体の全体重をユンファに押し付けようとした。が、

 

「……なら、……遠慮……は……無し……ね」

 

 ユンファが最後に絞り出した言葉の意味を、エレーシャが理解するのに時間はかからなかった。

 

 ここまで追い込まれても、使う素振りすら見せなかった《あの力》の存在を、エレーシャは思い出した。

 

「……いけない!」

 

 エレーシャはとっさに、木々で自身のガードを固めた。

 

 ユンファを中心に、《紫色の光》が炸裂した。同時に、ユンファを掴んでいた怪物の腕が《溶解》した。紫の光は瞬間的に広がり、そしてすぐに、ユンファの目の前に集まり圧縮されていった。

 

 紫の光が触れた木々は、ある箇所は焼け爛れ、またある箇所はスライム状に溶けていた。エレーシャを囲った植物も例外ではない。

 

(……油断しましたわ、一歩遅かったら、こちらがやられてました……)

「エ、エレーシャ様! ご無事ですか!!」

 

 エレーシャの付き人たちが、後方から声を上げた。どうやらリト=ハクを囲う結界の周囲は、紫の光を弾く効果があるようだ。リト=ハクも、近くにいたエルフ兵たちも、紫の光からは逃れることがてきた。

 

 そして、怪物の腕から解放されたユンファは、左手に《紫の石》を握っていた。身体中がボロボロで、衣服は裂け、吐血もしていたが、彼女は虚ろな目で、力強く光輝く《紫の石》を見つめていた。

 

「綺麗ね……。」

 

 ユンファが呟いた。

 石は、さらに輝きを増した。先ほどの光の洪水で放ったときより、強烈な光り方をしていた。

 

 エレーシャはユンファの表情をみて、最悪な行動に走る可能性を予感した。

 

(まさか……我々を道連れにする気!?)

 

 追い込まれ、自暴自棄になった人間なら、皆を巻き込んで自爆することを考えるかもしれない。そしてその場合、先ほど以上の被害がでることは想像に難くない。

 

「《樹の根のエレメンタル》よ!」

 

 エレーシャは再度、樹の根の怪物を産み出し、ユンファに攻撃を仕掛けさせた。自分はリト=ハクたちと合流せんと、ユンファから距離を離した。

 

 ただならぬ予感は、一部的中した。

 

 樹の根の怪物を横目で確認したユンファは、少し安堵した。これから起こることに、『誰も巻き込まず』済んだのだから。

 

「それじゃ……バイバイ♪」

 

 そしてユンファは、石を持つ左手に力を込めた。光を多量に溜め込んだ石は、強烈な熱線を周囲に放射した。

 

 そして、大爆発を引き起こした。

 

 爆破は、回りの木々、そして、周囲の岩や地面ごと抉り、エレーシャが作った怪物も容易に破壊するほどのものであった。

 爆心地から離れてはいたが、エレーシャたちも全員、爆風に襲われ吹き飛ばされた。

 

 砕けた木々や多量の土埃を浴び、飛ばされながらも、エレーシャは爆発の中心、ユンファの様子を伺っていた。彼女は爆発の瞬間に、姿を消していた。

 

(……《瞬間移動》!)

 

 この爆発は、自暴自棄になった彼女の自爆ではなく、逃走の算段がある行為だったのだ。

 

「……っ!しかし!『その力』を持つ限り、すぐ見つけ出します!」

 

 爆風に飲まれながら、エレーシャは叫んだ。相手は既にいないのだが、叫ばずにいられなかった。

 

 

 

******************

 

 

 

 頸動脈をリト=ハクに切られ絶命していた《雪ヤマネコ》の死骸。

 

 爆風に巻き込まれ吹き飛ばされていたが、死体の目は、ユンファが消える瞬間を捕らえていた。そして、爆発の規模を確認しながら、死体は思った。

 

(素晴らしい力だわ、早く手に入れたい……。そして、わが主の理想のために……。)

 

 地面に叩きつけられ、臓器や骨が散り散りになった『それ』は、素早く一点に集まり、粘土のように姿を変えた。

 

 『それ』は黒髪の女性……《セルバ》に変化した。

 

「……また台本は変更ね。腹立たしいわ。」

 

 そう呟くと、彼女はまた姿を変え、小型のヤマネコになった。そして彼女は追いかけた。爆発の際にユンファを乗せて高速で飛来していった、『紫色の光』が向かった先へ……。

 



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5-7《変幻自在な怪物》

 爆心地は巨大なクレーターとなっていた。

 大地は抉れ、その周囲の木々は放射線状に倒れていた。

 

 クレーターから少し離れた場所に、エレーシャは立っていた。彼女らエルフは爆風に飲まれ吹き飛ばされたが、地面に叩きつけられる瞬間に、エレーシャが術で周りの草木を集め、クッションにした。着衣の乱れや汚れこそあるが、全員大きな怪我は無さそうである。

 

 そしてエレーシャは、リト=ハクを包む青白い光の球体に手をかざし、呪文を唱えていた。周りのエルフの兵士や付き人たちも、同じように掌を球体に向け呪文を口にしていた。

 球体にヒビが入り、結界が砕けた。中からリト=ハクが、申し訳なさそうに出てきた。

 

「すいませんでした、エレーシャ様」

「謝罪はあとよ、リト=ハク。それにあなたは良くやったわ。」

 

 リト=ハクの謝罪は、エレーシャの労いの言葉に遮られた。

 

「女海賊を追います。リト=ハク、背中を貸しなさい。」

「はい。」

「……!奴は自爆したのでは…!!」

 

 驚いたのは、エルフの従者たちであった。あの爆発で、人間が生きているとは思えなかった。

 

「女海賊は、あの瞬間『飛び』ました。ですが、『紫の石』を持っている限り、私とリト=ハクの力で、すぐに居場所を見つけられますわ。」

 

 そう言い終えると、エレーシャはリト=ハクの背中に手を置き目を閉じた。リト=ハクは目を見開き、森を見据えた。

 エレーシャの手はうっすら紫色に光り、それに呼応するかのように、リト=ハクの目も紫色に光った。そして彼女は、ユンファが持っていると思われる『紫の石』の位置を見いだした。

 

「……こちらの方角を真っ直ぐです。小さな集落があった場所にいます。」

「あら、案外近くね。すぐ追いかけましょう。……あ、あなたたち。この力のことは他言無用ですからね。」

 

 エレーシャは、従者たちに、笑顔で、しかし、力強く、紫色の力のことについて口止めをした。

 

 

*****************

 

 

 追手を足止めすべく、エルフたちは木々を動かし、大地を変動させていた。しかしそれは、闇雲に行われておらず、中央集落以外の小さな集落には影響がないように調整されていた。

 それは、滅んだ集落でも例外ではない。

 

「……っつ!!……さすがに完治は無理か……。」

 

 傷だらけの女……《ユンファ》は、折れた右腕を押さえながら、滅びた集落を進んでいた。押さえた左手から柔らかな癒しの光りを当てているが、折れた骨を治すまでに至っていない。

 あの《紫の石》を使った爆発の際、ユンファは《瞬間移動》した。彼女は、石の力をうまく使えば、爆発に巻き込まれない可能性を知っていた。

 

「また、助けられたわ……不本意だけど。」

 

 腰に据えた麻袋――既に穴だらけであるが――には、かろうじて《紫の石》が入っていた。木漏れ日に当てられて輝いているが、石自体は発光していない。

 

「でも、思ったより《跳べ》なかった。せめてあの場所に……。」

 

 一つの誤算があった。ユンファは、《瞬間移動》の到着点は《海賊船ディーピッシュ》になるものと思い込んでいた。

 しかし実際にユンファが跳んだ場所は、中央集落に向かう途中、リト=ハクとザイカと共に一晩過ごした『村人が全員、樹木になった』集落だった。

 

「何故、海賊船まで跳べなかったのかしら。『想い』が弱かった? それとも私の力不足かしら。」

 

 右腕の痛みを誤魔化すためか、自問自答の独り言を呟きながら、ユンファは歩みを進めていた。

 

 《紫の石》の力は、人の『想い』や『願い』を暴走させる。ユンファはそう信じている。そのため、この《石》を介して発生する事情は、根本には、人の《想い》の強さが影響している。だとすれば、彼女が本気で『船に帰りたい!』と願っていれば、《石》が海賊船に飛ばしただろう。

 しかし、そうはならなかった。その原因には、ユンファには心当たりがあった。

 

(……ザイカは連れていけない。エルフの里で暮らすことが、彼の一番の選択のはず。)

 

 彼の失った記憶には興味があったが、それより、彼には、血生臭い生業に手を出さず、静かに生きてほしかった。

 

(あまりに出来すぎな偶然だったわね、あの子と同じ名前なんて……)

 

 ユンファは左目の眼帯に手を当てた。『あのときのこと』を思い出す度に、抉られた左目が疼く。

 しかし歩みは止めず、ユンファは目的の場所に近づいていった。ザイカたちとキャンプを張った場所だ。焚き火のあとが、場所の正確さを表している。

 

「……!!!」

 

 ユンファのすぐ後ろの方角。茂みからガサガサと音がした。どうやらこの集落に向かって、何かが道なき道を突き進んできているようだ。

 

「……。」

 

 ユンファは息を潜めた。茂みの奥からやってくるものに、最大限の注意を払った。エルフたちの追っ手か、野生の動物か、はたまた、凶暴化した怪物か……。

 

 しかしユンファの予想は外れた。いや、ある意味、望んだ結果かもしれない。

 

「……っくっはぁっ!! なんとか抜けたぁっ!」

 

 身体中に草木や枝をまとわせ、土埃にまみれ、靴は泥だらけだった。そうとう急いで進んでいたのか、開けた場所に出た彼は大きく肩で息をしていた。

 

「結構急いで来たけど、ここは何処なんだ? 方向は本当にこっちで良かったのかなぁ……」

 

 茂みを切り開きながら進んできたのか、手には長剣をもっていた。エルフ集落から脱出する際、彼が適当に失敬してきたものだ。

 

 キョロキョロと、周囲を警戒する素振りをみせ、彼――《ザイカ》は、彼女と目があった。

 

「……は?」

「……あ。」

 

 最初に口を開いたのは、ユンファだった。その表情は普段の彼女とは程遠く、目を見開き口は半開き。まさに鳩が豆鉄砲を喰らったような顔であった。

 

 が、すぐにユンファが表情を改めた。眉間に皺が寄り口はへの字。まさに鬼の形相であった。

 

「せ、船長! どうしたんです、その怪我……」

 

 ザイカがユンファに早足で近づいた。ユンファもザイカに、足取りはしっかり歩みよった。

 

「こっ……んの!! お馬鹿っ!!」

 

 バシィィィン!

 乾いた音が、森に響いた。

 

「へぶっっ!!!」

 

 ザイカの頭が左に揺れた。ユンファは、左手でザイカの頬を平手打ちしたのだ。

 強く打たれた右頬を押さえるザイカ。鬼の形相のままザイカを睨み付けるユンファ。彼女の肩は小刻みに震えていた。

 

「……なんでっ! なんでついてきたっ!」

 

 怒りに顔を歪める彼女であったが、目には涙が貯まっていた。その顔はまるで、心配かけた子供を叱る母親のようであった。

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 そんな顔を見てしまい、咄嗟に謝ったザイカ。が、すぐにユンファに目を合わせ、今の彼の率直な想いを伝えた。

 

「命令違反なのは謝罪します。けど、僕は今、自分の意思でここにきました。エルフだとか、記憶だとか。もうそんなこと関係ないんです!」

 

 普段のザイカとは違う、自身の強い意思をもっての台詞に、ユンファは驚いた。よく見ると、ザイカも身体中が傷だらけだった。鋭い枝葉の茂みを潜り、荒れた岩肌を進み、もしかしたら凶暴化した動物とも争ったのかもしれない。

 そしてザイカが、一番伝えたかったことを話した。彼は、これを伝えるためだけに、ここに来た。

 

「僕は、あなたと一緒に旅をしたい。それ以上でもそれ以下でもない。一緒に、旅をしたい。だから、ここに来ました。」

「……。」

 

 ユンファの顔は、いつの間にか怒りは消え、驚きの表情をしていた。そして、自分の身勝手さを猛省した。

 彼は既に、単なる『記憶喪失エルフ』ではない、一介の『海賊の子分』だ。

 

「……ふっ、置いていくか悩んでたのが馬鹿みたい」

 

 ユンファは笑った。まだ全身が痛むが、彼に笑顔を見せたかった。

 『あの子』と同じ名前の青年だが、『あの子』ではない。彼は彼なのだ。

 

「今後、さらに酷な旅になる。覚悟してね」

「……はいっ!」

 

 ザイカは大きな声で返答した。目は真っ直ぐユンファの目を見据え、力強く輝いていた。

 ユンファも、心の内に燻っていた悩みの種の一つが解消し、すこしスッキリした。

 

「そうと決まれば、急いで《海賊船ディーピッシュ》に戻るわよ。エルフの追っ手に見つかる前に……」

 

 

 刹那、別方向の茂みが音を立てた。そしてそこから、一人の青年が息を切らして飛び出した。

 身体中に草木や枝をまとわせ、土埃にまみれ、靴は泥だらけ……。そうとう急いで進んでいたのか、開けた場所に出た彼は大きく肩で息をしていた。が、間髪入れずに、ユンファに向かって叫んだ。

 

 

「船長!! そいつは偽物です!!!」

 

 

 彼――《遅れてきたザイカ》は叫んだ。その声を聞き終える前に、ユンファは左手で腰のナイフを抜き、《最初にいたザイカ》の喉笛ギリギリのところに刃を寸止めした。

 

「……え? え?」

「危うく騙されるところだったわ」

 

 最初のザイカは、全く現状を理解できていなかった。自分と同じ姿形のエルフが突然現れ、急に『偽物』と呼ばれ、しかし自分は『本物』。そして何故、船長が自分の首を落とそうとしているのか。

 そして、遅れてきたザイカも、偽物とユンファが語らっていることに驚いた。少しでも遅れていたら、ユンファ船長が『偽物』に懐柔させられ、命を落としていたかもしれない。

 

「よかった! 間に合いました! 《遠目》で探していたら、船長と『偽物』が話していたのが見えて……」

 

「2人とも動くな!」

「えっ?」

「えっ?」

 

 ユンファが両方のザイカに向かって命令した。両方のザイカとも、同じ感嘆の声を上げた。

 ナイフの位置はそのままに、ユンファは二人に質問した。

 

「時間がないから率直に言うわ。『どっちが本物?』」

 

 《遅れてきたザイカ》は、自身が偽物と疑われてることに驚き、弁解した。

 

「ぼ、僕は《遠目》で船長を見つけました! この力が証明になりませんか!?」

 

 これに、《最初のザイカ》は反論した。声を出すと首の皮がナイフに擦れ、わずかに血が滲んだ。

 

「ぼ、僕は、集落を出る時に、《ノウンクン》に出会って、彼女の導くまま、真っ直ぐ突き進んでて……。《遠目》している時間が惜しかったんです」

 

 ユンファの眉がピクッと動いた。そして《遅れてきたザイカ》は、驚きと不思議の両方の顔をした。

 

「ノ、ノウンクンが、なんでここに!?」

「……そうね。なんで両方が《ノウンクン》を知っているのかしらね……」

 

 ユンファは《ノウンクン》がこの大陸に居ることより、両者が《ノウンクン》の存在を認知していたことに驚いた。彼の存在は、船の中でも極々一部の人間しか知らないのだ。

 

 どちらが本物か。ユンファは決め手にかけていた。顔や体つきはもちろん、喋り方や、もしかしたら記憶もコピーされている可能性もある。下手な質問は、余計に混乱を招きかねない。

 

「……」

「……」

「……」

 

 しばらくの沈黙。3人ともその場から動くことができなかった。

 

(何故ヤツがいる!私の台本には無かった!)

 

 この現状に一番戸惑っていたのは、偽者なのかもしれない。《ザイカ》の登場が全くの想定外だった。

 

(彼に変幻して、彼の性格は良く理解している! 牢屋で意気消沈しているか、抜け出したとしても、ここに来られる筈はない! この《ノウンクン》とかいうヤツの助言で、だいぶ予定が狂った!)

 

 表情には出していない。腹の底から怒りが沸いている。

 

(こうなれば予定変更だ。ユンファ、ザイカとも、隙を見て殺す!)

 

 永遠に続くかと思われた静寂。しかし、この沈黙を破ったのはユンファだった。

 ユンファはザイカに聞いてみた。

 

「……あら、ザイカ。首の傷が痛む?」

「あ……えっ?」

 

 ユンファは、素早くナイフを下ろし、そして、

 

「こっちが……偽者!」

 

 ナイフを《遅れてきたザイカ》めがけて投げつけた。

 ナイフはザイカの眉間に突き刺さり、頭蓋骨を砕く音が響いた。ワンテンポ遅れ、派手な血飛沫を上げた。

 

「な……んで……」

 

 偽者は、白目を向いて、そのまま後ろに転倒した。体をビクビクと痙攣させた後、血飛沫が治まる頃には動かなくなった。

 

「……首の傷。あなた、そんな特徴的な傷、どこで付けてきたの??」

 

 偽者の首には、《紫色》に淡く光る傷があった。ユンファの持つ《紫の石》と呼応しているのか、石も柔らかく光っていた。

 本物のザイカは、腰が抜けてしまったのか、今は尻餅をついていた。首筋に赤くナイフの跡が残っている。

 

「ユンファ船長、あ、ありがとうございます」

「危なかったわ……こいつ、容姿や記憶までもコピーしていたのね。」

 

 そして、腰の麻袋に手を当てた。紫の石は仄かに暖かかった。

 

「またこいつに……助けられた」

 

 危険な力と認識し、全てを封印するべく集めている《紫の力》に、何度も助けられてしまっている。正直、不本意ではあるが、しかし目的を達成するために手段を選ばない。そのために海賊になったのだ。

 

「さあ、時間がないわ。早くこの大陸を出ましょう。」

 

 ユンファは動かせる左手をザイカに差し伸べた。

 

「あ、はい、ありがとうござ……」

 

 ザイカがユンファの左手を掴もうとした瞬間。ユンファの右肩から、『何かが突き出た』。

 

「……っぐぅぅあっっ!!」

 

 ユンファの右肩が、後ろから貫かれた。激痛に顔が歪む。

 

「せ、船長!!」

 

 咄嗟に、ザイカが立ち上がり、ユンファを引き離そうとしたが、貫いた『触手のようなもの』は、そのままユンファを持ち上げ、地面に叩きつけた。

 

「船長! 船長……っぐふっっ!!」

 

 落ちたユンファへ向かおうとしたザイカであるが、触手はザイカの腹めがけて打ち付けてきた。ザイカは、吐瀉物を撒き散らしながら、ユンファが投げられた方角とは真逆に吹き飛ばされた。

 

「ありゃ? すこし目測が狂ったな」

 

 触手の持ち主の声が聞こえた。顔面が潰れ流血で体が汚れた《偽ザイカ》が、右腕を触手に変形させていた。血まみれな顔は笑顔で歪んでいた。

 

 そして歪んだ顔をさらに歪め、体がスライム状に柔らかくなり、そして再度、人型に形を整えた。ユンファもザイカも出会ったことがある、黒髪の女性――《セルバ》へと変幻した。

 

 地面に打ち付けられたユンファは、激痛が走る体を無理矢理捻り、セルバを睨んだ。一方、ザイカは軽い脳震盪を起こしているのか、何度か起き上がろうとしているが立ち上がれない。

 

「……ほんと、なんで台本通りに動かないの!! もっと上手に立ち回れたでしょうに!」

 

 セルバ――実際には、セルバでは無いかもしれない――は、右手の触手をバタつかせ、地団駄を踏んだ。現状を芳しく思っていないようだ。

 

「召喚札のヤマネコに化けて! 《ザイカ》に扮して! 油断したユンファを殺して! スマートに石を奪う! これが何で出来ないの!」

 

 舞台上の脚本家はおしゃべりだった。彼女の計画のようだが、本物のザイカ、もとい、ノウンクンの助言で、プランが総崩れしたようだ。

 ヒステリックになっていたセルバであったが、ふと、我に返ったのか急に黙り込んだ。

 

「あら? でも今なら、ユンファを殺すのは簡単じゃない?」

 

 セルバは小走りでユンファに近づいていった。ユンファは出血が酷い右肩に、治癒術をかけていたが、完治するには時間が掛かりそうだ。 

 

「まあ、痛そう。 でも死んじゃうよりは痛くないわよ。 何回か死ねば理解できるわ。」

 

 倒れていたユンファのすぐ眼下まで来たセルバが、触手を掲げて高速で振り下ろした。

 触手はユンファの体を真っ二つにする勢いであったが、しかし、それは叶わなかった。

 

 白く輝く見えない壁が、セルバの触手を弾き返した。良く見ると、ユンファの体を包むようにドーム状に光の壁が出来ていた。

 

「なにいぃぃっ!!!」

「昨晩、ここでキャンプしたときに張った結界の名残よ。この中に投げ入れてくれてありがとうね、《化け物》!」

 

 皮肉たっぷりにユンファが言い放った。セルバはまたヒステリックな悲鳴をあげながら、結界を触手で滅多打ちにしていた。

 

「この! この! なんなのこいつ!」

 

 しかし結界はビクともしない。元々、狂暴な動物や邪を払うために組み立てた結界である。簡単には壊れない。

 その間にユンファは傷の手当てをした。結界の中では治癒術の効果が高まるのか、既に右肩の止血が終わり、折れた骨を繋ごうとしていた。

 

「……止めた。」

 

 セルバは急に、結界を壊すのをあきらめた。そして踵を返し、結界から離れた。

 

「台本を作り直し……彼を先に殺すわ……」

 

 ぶつくさと独り言を呟きながら向かったのは、まだ目眩を起こし上手く立てない《ザイカ》の元であった。

 

「しまった……やめろ!セルバ!」

「あんたが、来なければ、台本通りになったのよ!」

 

 触手がザイカの脳天を目掛けて振り落とされた。殺されたザイカを見て怒り狂うユンファを嬲り殺しにする。新たな筋書きでは、その予定だった。

 

 しかし、セルバの台本はまたしても変更せざるを得なくなる。

 

 触手はザイカがいた筈の地面を破壊した。ザイカは、触手に潰される寸前、『彼女』に助けられた。

 高速で森を渡り、目的の場所にたどり着いたら、正体不明な触手の化け物に、同胞(エルフ)が殺されかけてる。彼を助けない理由はない。

 

「……なんだあの、異形な化け物は!?」

 

 ……《リト=ハク》は、淡い『紫色の光』を瞳に宿し、ザイカを抱いた状態で、セルバから距離を取り立っていた。

 

「また、また、イレギュラーが来たのね。」

 

 セルバは先程よりさらに虚ろな目で、周囲をみた。

 

「なんで、こうも上手くいかないの? わたし、こんなにも一生懸命なのに……努力が報われないのホントやだ!」

 

 やだ、やだと連呼しながら、セルバは触手を地面に叩きつけた。岩が砕け土ぼこりが舞った。

 

「な、なんだあいつは??」

 

 敵の行動が予測できないリト=ハクは、距離を取って様子を見ていた。その時、腕に抱かれていたザイカの意識が戻った。

 

「リト=ハクさん……。あいつは変幻自在な化け物で、化けた人になりきります。狙いは《紫の石》です……!」

 

 まだ本調子ではないザイカを、リト=ハクは地面にゆっくり寝かせた。

 

「なら、ヤツは始末しなくてはな。石を狙うものには容赦はしない。」

 

 銀の長剣を抜き、リト=ハクは臨戦態勢をとった。

 触手を振り回していたセルバは、急にピタリと止め、何か思い出したように笑顔になった。

 

「あぁ……。当初の目的を忘れてました。わたし、これを頂きに来たのでしたわ。」

 

 セルバの触手が折れ畳まり、普通の人間の腕の大きさに戻った。そしてその手には、こぶし大の麻袋が乗っていた。もちろん、その中身――《紫の石》も、彼女の手中にあった。

 それを見ていたユンファは、腰の袋が無いことに今気づいた。吹き飛ばされた時に奪われていたのだ。

 

「……最悪だ……」

 

 ユンファの呟きに、セルバが反応し、そして、なにか閃いた。

 

「今しがた、素敵な脚本が思い付きました。この《紫の石》をメインに添えた、スペシャルなステージです!」

 

 セルバの体がグニャリと変形し、また別の女性のシルエットに変化した。それは、今この場にいる全員が知る、あの女性だった。

 

「《紫の石》の力、最大限に引き出すお手伝いをしてもらうわ……ね、《ユンファ》」

 

 そういうと《偽ユンファ》は、紫の石を掲げて呪文を唱え始めた。

 

「さあ!素敵な脚本による大舞台の幕開けです!」

 



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5-8《紫色の一閃》

不躾では御座いますが、評価など頂けると作者冥利につきます。
感想頂けたら、泣きながら小躍りして喜びます。宜しくお願い致します。


 ユンファに化けた《セルバ》。彼女――本当に『彼女』かは不明だが――の変幻は、化けた人の記憶や癖、もちろん能力もコピーする。

 

『アッハッハッハ!ユンファ、あなたの実力は本物ねぇ!』

 

 そう叫ぶのは、偽者のユンファ。《偽ユンファ》は、右手に輝く『紫の石』を掲げながら、宙を浮いていた。身体全体に紫色の光を帯びていた。

 そして彼女の左手は、真っ赤な灼熱の炎を撒き散らしていた。炎は森の木々に燃え移り、瞬く間に燃え広がった。

 

「これ程の力を『出し渋っていた』のか……。」

 

 リト=ハクは、応戦しようにも、炎の勢いがかなり強く、偽ユンファに近づけなかった。

 森の樹に変化してしまったエルフたちも、この炎に巻かれて延焼していた。誰も助けられなかった自身の不甲斐なさに、リト=ハクは歯軋りをした。

 

「今すぐ炎を止めろ!蒼の悪魔!」

 

 リト=ハクの目が紫色に光った。そして長剣を構えて、横に凪いだ。紫色の剣閃が集落の間を走り、空を飛んでいる《偽ユンファ》まで飛んでいった。

 しかし閃きは、《偽ユンファ》の直前で立ち消えた。《偽ユンファ》の掲げた『紫の石』に斬撃が触れた途端、消えてしまった。

 

『ユンファ、あなたが『紫の石』を使わなかった理由、あなたに変幻して理解したわ。』

 

 紫の石を、嬉しそうに愛でながら、《偽ユンファ》は言った。

 

『あなた、怖いのね。使えば使うほど不幸になる力。そして、人を殺めたくなかった。海賊なのに『不殺』を通すなんて片腹痛いわ!!』

 

 当の本物のユンファは、白く光る癒しの結界の中にいた。周囲を炎で囲まれており、結界から出るに出られない状況だ。さらには右腕の骨折に加えて、右肩の負傷や、地面に叩きつけた時の全身打撲等によって、まともに動けない。

 そんなユンファを上空から見下ろし、《偽ユンファ》が吐き捨てるように言った。

 

『憎たらしい結界ね。外から崩すには、『あなた自身でも』時間がかかるように細工してある。』

 

 偽者が話しかけるも、本物はうずくまったまま無反応だった。無視しているのか、気を失っているのか、はたまた、既に事切れているのか……。

 

『私が『ユンファ』になることを想定してたのね……まあいいわ。あなたは後。』

 

 さて、と《偽ユンファ》は空中で振り返り、リト=ハクに向いた。リト=ハクは、必殺の一撃が防がれたことで、次の一手をどうするか考えていた。

 森を燃やす炎は、さらに燃え広がった。魔力が込められているためか、多少の生木なら水分を用意に飛ばし、瞬時に薪と化してしまった。

 

『……おや?ご来賓のお出ましね。』

 

 《偽ユンファ》は、炎がわずかに弱まっている茂みをみた。燃える森の火の粉を避けながら、《エレーシャ》たち一行が現れた。

 

「な……なんということを……」

 

 強烈な炎で、無惨な姿に変わっていく森を見て、エレーシャは悲観した。が、すぐにそれを怒りに変え、炎を撒くユンファに対して殺意を向けた。

 

「女海賊。あなたを消します。」

 

 エレーシャはタクトを振り、植物たちに命令した。発火してない、地下から根を持ち上げ、それを伸ばして《偽ユンファ》を突き刺そおうとした。

 しかし、直進してきた根は、《偽ユンファ》の手前で突然腐り落ちた。《紫の石》の光を浴びせられたためだ。

 

『ユンファは《この力》が怖くて全力を出せなかったの。ユンファに化けたから良くわかるわぁ。』

 

 《偽ユンファ》が、楽しそうに話し始めた。

 

『だから私が……本物を越えた私が、しっかり《紫の石》の力を引き出すわ!』

 

 偽者は《紫の石》を再度掲げた。石は不気味に光輝き、そして渦を巻いた。周りの炎がその渦に呼応するかのように、偽者を中心に集まり、巨大な炎の竜巻と化した。

 炎の竜巻はまるで、天と地上を繋ぐ巨大な柱のようであった。エルフの中央集落や、停船していた《海賊船ディーピッシュ》からも、その姿を確認できた。

 

「す……吸い込まれる!!」

「……くっ!一旦離れるぞ!」

 

 リト=ハクは、竜巻に引き込まれそうになっていたザイカの手を引き、偽者から離れ、エレーシャと合流を図った。

 エレーシャは竜巻を弱めようと、巨木を生き物のように動かし体当たりさせていた。しかし炎の勢いは弱まることはなく、巨木は一瞬にして灰と化した。

 

「このままでは……《エンヴィロント》が焦土になる!」

 

 植物に意識を持たせ自由に操るエレーシャ。しかしここまで炎の勢いが強いと相性が悪すぎる。炎の竜巻はさらに強くなり周囲を吸い込む力がました。

 

『エレーシャ、貴方は先に潰しておくわね。』

 

 竜巻の中心から声がした。刹那、炎の竜巻から無数の『火の矢』が、エレーシャ目掛けて降り注いだ。

 エレーシャはとっさに、土を含んだ樹木の根で巨大な壁を作った。しかし火の矢は壁に突き刺さった後に紫色に輝き、壁を腐敗させ貫通してきた。

 

「しまっ……!」

 

 突き抜けてきた炎の矢は、勢いを落とさずエレーシャたちを襲った。

 

「うわぁぁっっ!」

「ぎゃぁぁ!」

 

 炎の矢はエレーシャの付き人たちにも例外なく浴びせられた。不幸にも着弾したものは《紫の石》の魔力を含む炎に飲まれ、断末魔と共に一瞬で燃え尽きた。

 

『……あら?』

 

 《偽ユンファ》が炎の矢を降らせた場所をみると、エレーシャと何人かの付き人は、直撃は免れていた。

 

『エレーシャには直撃してない。……くそっ、この傷が手元を狂わせる……』

 

 《偽ユンファ》が『手元が狂った』と言っていたとおり、炎の矢の降り注いだ中央は、エレーシャのいた位置より少し外れていた。

 《偽ユンファ》は首の傷に手を触れた。リト=ハクによる『紫色の一閃』。この傷は、変幻しても全く癒えることが無かった。

 

『彼女の攻撃は致命的ね。忌々しい。』

 

 しかし、その傷をつけた力は、いま正に彼女の手中にある。

 

『存分に堪能するわ、この力!』

 

 炎の竜巻の中から、《偽ユンファ》の笑い声が響く。そしてさらに、竜巻の勢いは増していった。

 

「エレーシャ様っ!!」

 

 リト=ハクがエレーシャたちに近づいた。何人かの付き人は遺体が炭化し、また生き残った者は全員が火傷を負っていた。特にエレーシャの火傷は酷く、左肩から背中、足の先端にかけて表皮が焼け爛れていた。

 

「ひ、ひどい……」

 

 ザイカがこの惨事に目を背けたくなった。偽者ではあるが、ユンファが本気を出した結果である。

 

「あの海賊……ここまでとは……」

 

 エレーシャが吐き捨てた。怒りで冷静さを欠いているためか、目から紫色の光が漏れ出ていた。

 

「……エレーシャ様、ご提案が。」

 

 リト=ハクはこの惨劇の中、ひとつの打開案を出した。

 

「非常に強い竜巻ではありますが、私とエレーシャ様の力を合わせれば……奴ごと、切り伏せられるかと」

 

 リト=ハクの提案を理解したエレーシャ。彼女は二つ返事で了承した。

 

「リト=ハク。背中を。」

 

 エレーシャはタクトを咥え、焼けて使い物にならない左手を庇いながら、右手でリト=ハクの背中に触れた。紫色の光がリト=ハクに向かって流れ込んでいった。

 そしてその光は、リト=ハクだけでなく、彼女の持つ銀製の長剣にも流れ込んだ。

 

「……行ってきます。」

 

 そう言うと、リト=ハクは物凄いスピードで炎の竜巻に向かって駆け出した。身体全身に、紫色の光を纏っていた。

 

『無駄!!私はこの力を使いこなしている!!』

 

 《偽ユンファ》が竜巻の中から叫んだ。同時に、さらに竜巻の風量が増え、炎の壁の厚みが増した。

 炎の竜巻に突貫するリト=ハク。近づくだけで強烈な熱風が彼女の肌を焦がすが、形振り構わず突っ込んできた。

 

『なんだと!』

 

 焦りの声を上げた《偽ユンファ》は、先ほどの炎の矢をリト=ハク目掛けて発射した。が、リト=ハクが長剣を素早く払い、飛んできた炎の矢全てを叩き落とした。

 

「うぉぉぉぉっ!!!」

 

 そのままの勢いで、炎の竜巻の目前に到着したリト=ハクは、《紫色の一閃》を繰り出した。

 紫色の光が竜巻の斜めに入り、その刹那、巨大な炎の竜巻は弾け飛んだ。多量の赤い火花を撒き散らしたが、すぐに燻り、黒い煙を発していた。

 

『そ、そんな!』

「覚悟しろ!悪魔!」

 

 竜巻の中心に浮いていた《偽ユンファ》は、予期せぬ状況に目を丸くしていた。その一瞬の隙を、リト=ハクは見逃さなかった。

 跳躍したリト=ハクは、一気に《偽ユンファ》の懐に飛び込み、返す刀で袈裟斬りにした。《偽ユンファ》の左胸から右の腰まで一直線に、紫色の閃光が走った。《紫の石》によるガードが間に合わなかった。

 

『ぐぁぁぁぁっ!!』

 

 《偽ユンファ》の身体が、叫び声と共に上下に分割した。誰の目で見ても致命傷だ。ましてや、ヤツが再生できない《紫色の一閃》である。

 

 しかし、リト=ハクには『手応えが無かった』。まるで空を切っているような、そんな感覚だった。そして、すぐそれは現実であることを、彼女は理解した。

 

『……なんちゃってね♪』

 

 ドスン。

 聞き慣れない音がした。

 

 あまりの激痛に、リト=ハクは叫び声を上げたつもりだったが、それは叶わなかった。肺から逆流する出血で気管が詰まり、呼吸すら出来なくなっていた。

 

 《偽ユンファ》の右腕が鋭利な刃物のように変形し、リト=ハクの胸を貫いていた。

 

『残念ねぇ……私って、人間じゃないのよね。切られる前に、事前に『割って』おいたの、解る?』

 

 切断された《偽ユンファ》の上半身は、宙に浮いていた。下半身も落下することなく、その場に浮かんでいた。

 

「……か……ふ……」

 

 リト=ハクは大量の吐血を伴いながら、声にならない声を発した。

 

『あら、あなたのせいで服がボロボロ。汚ならしい。』

 

 《偽ユンファ》は、繋がっていないはずの下半身で、リト=ハクの腹を蹴り飛ばした。突き刺さった腕(?)が引き抜かれ、リト=ハクの胸に大きな風穴が空いた。そして、腕が抜かれたことで多量の血が吹き出し、落下し、地面に叩きつけられた。

 

「リトっ!!そんなっ!!」

 

 エレーシャが叫んだ。焼け焦げた左半身に激痛が走る中、リト=ハクの落下地点に向かっていった。

 

「リト=ハクさんっ!!」

 

 ザイカは、身体が反射的に動いて、エレーシャより先にリト=ハクのところに到着した。

 しかし、肺と心臓を潰され、地面に叩きつけられた彼女は、手の施しようがなかった。

 

「リト=ハクさん!!リト=ハクさん!!」

 

 しかしザイカは、呼び掛けを止めなかった。リト=ハクの目には、僅かながら《紫色の光》が残っていたのだ。

 

(……『紫の力』がもし万能な、神様の力なら、リト=ハクさんは息を吹き返すかもしれない!)

 

 少しでも意識が戻れば、もしかしたら助かるかもしれない。ザイカは僅かな希望をこめて、リト=ハクの名前を呼び続けた。

 

『ふぅ。まずは面倒なのを潰して、と。』

 

 《偽ユンファ》は二つに分かれた身体を繋げていた。断面は細かな触手がうねり、それらが身体をつなぎ合わせた。

 

「リト!!リトぉっ!!」

 

 左半身を引きずりながら、リト=ハクのところへ向かうエレーシャ。《偽ユンファ》は、次の対象を彼女にした。

 

『さっきみたいに、外さないようにしなきゃね。』

 

 《偽ユンファ》の左手か、先端が鋭い触手へと変化し、真っ直ぐにエレーシャに向かって伸びていった。そして、エレーシャの身体を突き抜けた。

 

 刹那、彼女の周りが氷のように砕け散った。砕けた氷は鋭利な刃物となり、《偽ユンファ》の伸ばした触手に突き刺さった。

 

『……あら、お早いお目覚めね。』

「遅かったくらいよ。」

 

 伸ばした触手を引っ込め、人間の腕に戻した。血まみれの腕は痛々しいが、《偽ユンファ》は全く動じていなかった。

 触手が貫いたのは、氷の鏡だった。エレーシャ本体は少し離れた場所におり、無事であった。氷などで虚像を作り、敵を欺く手法は、彼女の十八番だ。

 

「やっと炎が引いて、結界から出られたわ。傷はあんまり治ってないけど。」

 

 右肩に空いた穴を塞いだ程度の治癒しか出来ていないが、《本物のユンファ》が、エレーシャのすぐ横に立っていた。

 

「女海賊……!あなた!」

「遺恨、怨み節、文句等々は後回し!今は《ヤツ》から逃げて、体勢を立て直す!」

 

 エレーシャがユンファを睨み付けていたが、ユンファが来なければ、今頃エレーシャは串刺しだった。

 

「……くっ!」

 

 複雑な心境ではあるが、エレーシャは、ユンファの意見に従うことにした。

 

『あら?逃げるの?こんな状況で、どうやって?』

 

 《偽ユンファ》はエレーシャとユンファを空中から見下ろしていた。逃げるにしても、紫の石を持つ《偽ユンファ》の目を欺くのは容易ではない。ましてや、半身不随のエレーシャや、虫の息のリト=ハクを連れていくのは至難の業だ。

 

「こうするのよ!」

 

 氷の欠片が刺さった《偽ユンファ》の腕から急に水蒸気が発生した。刺さった氷が急激に揮発し、霧を作っていった。

 瞬く間に、濃い霧が《偽ユンファ》の周囲だけを囲った。

 

『小癪な……!』

「さあ!逃げるよ!」

 

 ユンファの声が響いた。同時に、濃霧の中では、ユンファたちの影が無数に飛び交い、また、ユンファの発した声が反響し、山びこのように鳴り響いていた。

 

『この短時間で、錯覚と音響で惑わす濃霧を作っちゃうなんて!やっぱりあなた天才ね!!』

 

 《偽ユンファ》が、霧の中から感嘆の声を上げた。霧の中では自らの声も反響し、さらに聴覚が奪われた。

 

『……でも残念ね。私には『これ』があるよの。』

 

 《偽ユンファ》は、そう呟くと『紫の石』を正面に掲げた。石はゆっくりと紫色の光を放ち始めた。

 

(……今だっ!!)

 

 千載一遇のチャンスだった。

 

 霧の外から、『紫の石』目掛けて真っ直ぐに手が伸びてきた。その手は石をつかみ奪い去る……はずであった。

 

『はい、残念。お見通しよ。』

 

 ユンファが差し伸べた左手は、無情にも、石に届く寸前に《偽ユンファ》の左手に掴まれた。強く握られた腕は、ミシミシと悲鳴を上げた。

 

「くぅっそぉぉぉっ!!」

 

 握られた腕の痛みと、作戦を読まれた失態からか、ユンファが叫んだ。その瞬間、囲っていた霧が立ち消えてしまった。

 青白い羽を背中に生やし、飛んできたユンファ。強く握られた左手の痛みが、彼女の表情を苦痛に歪める。

 

『逃げる逃げると油断させ、目眩ましの濃霧の外から、石を奪う……。これ、私じゃなかったらうまく行ってたかもね』

 

 《偽ユンファ》がニヤリと微笑む。

 

『だって、『私はあなたなの』よ。

 身体も、

 能力も、

 思考も、

 癖も、

 性格も、

 好きな食べ物も、

 昔の思い出も、

 男の好みも、

 何もかも!!全てお見通しよ!!あなたの考えに至る全てを掌握してるの!!』

 

 《偽ユンファ》の手に、さらに力が籠る。ユンファは苦痛でさらに顔を歪めた。

 

(こいつ……本当に『私の想定内』を全てコピーしている……!!だとすると……!!)

『ええ。『これ』も予測済みよ。』

 

 ユンファたちの足元から、突然、木の根が襲ってきた。しかしそれに合わせて《紫の石》が光り、木の根を先端から腐らせてしまった。

 

「そ、そんな……」

「くそっ……」

 

 離れた場所からエレーシャは地下に残る生きた木の根を探しだし、石の奪還に失敗したら、攻撃するよう、ユンファと約束していた。しかし《偽ユンファ》は、ユンファの性格から、これも予測済みだった。

 

『アッハッハッハ!!悔しいでしょう?現状、あなたが考えられることは全て解っちゃうの!』

 

 事実、ユンファにはもう手段がなかった。この、化け物を倒すには、『誰もが想定外』のこと……正に『奇跡』を起こす必要があった。

 

『ユンファ!あんたの力に加えて、さらに《紫の石》を使いこなした!!私は今!無敵だ!!だれも私を止められない!!』

 

 偽者の高笑いが、焼けた広野に響きわたる。

 全ての策を読まれた女海賊と、魔力が底をつき、行使できる植物を全て費やしたエルフの主は、ただただ、その化け物の高笑いを見ているしか術が無かった。

 

 

 

 刹那、紫色の一閃が、走った。

 

 

 

 誰もが予想だにしない攻撃だった。

 

 一閃は、《偽ユンファ》の両腕……『紫の石』と、ユンファの左手を握る腕を切り落とした。

 

 あまりの突然の出来事に、偽ユンファ、ユンファ、そしてエレーシャが、紫色の一閃の出所を見た。

 

 

 

 そこには、ザイカが立っていた。

 リト=ハクの長剣を持ち、彼は涙を流しながら、起死回生の、紫色の一閃を放った。

 

 

 

 彼の目の色は、《紫色》に光輝いていた。



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5-9《リト=ハクの願い》

 『空っぽエルフ』という言葉がある。

 

 先天的に、マナを体内に溜め込むことが出来ない、エルフの出来損ないのことだ。 リトというエルフの少女がいた。彼女は『空っぽエルフ』だった。マナを使えないエルフは不吉の象徴とされ、意味嫌われ、迫害された。

 しかし彼女は村八分にされることはなく、寧ろ、中央集落の一室で保護されていた。

 なぜなら彼女は、エンヴィロントの長、エレーシャの一人娘だったからである。

 

 絶大なマナ能力を持つエレーシャから生まれたのは、空っぽなエルフだった。エレーシャはその事実が判明するや否や、その場に泣き崩れた。

 しかしエレーシャは箝口令などを敷くことなく、全てを受け入れ、公表した。

 エレーシャは、リトを後継者として育てる決意をした。

 

 だが、毎日がリトにとって苦痛だった。扱えない、見えない、読めないものを『使え』と指導されるが、何をすれば良いのかすらわからない。

 普通のエルフにとっては、マナの扱いは心臓の鼓動と一緒のようなもの。そのため、それすら出来ない彼女への教え方が分からなかった。

 

 何年、何十年と繰り返された厳しい修練であったが、一切、彼女の中にマナが宿ることはなかった。

 そして彼女は、精神的にも体力的にも追い込まれていった。

 

 エレーシャは毎日毎日、祭壇に祈りを捧げた。太古から『神の力』が封じられていると伝えられている祭壇に、エレーシャは願った。リトにマナが宿り、エルフの未来を支える後継者となることを。

 

 そしてリトも、毎日毎日、祭壇に祈りを捧げていた。時に一人で。時に、母と一緒に。

 

 ある日、リトが体調を崩した。集落の祈祷師や、エレーシャの側近たちが看護するも、一向に回復に向かわない。

 マナを扱えるエルフであれば、軽い倦怠感で済むような病気だったが、彼女には致命的なものになった。心身共に疲弊していた彼女は、日に日に病状は悪化していき、ついには意識が戻らなくなった。

 

 エレーシャはリトを抱き、祭壇に向かった。藁にもすがる思いだった。

 禁忌と伝わる『神の力』。エレーシャは祭壇の封印を解き、中に収まっていた『紫色に光る宝石』に願った。

 

『リトを助ける力がほしい……リトの病気を治して……!!』

 

 そして、《紫の石》はエレーシャの願いに答えた。石は二つに割れ、エレーシャとリトの体内に吸い込まれるように入り込んだ。

 エレーシャは、元々のマナ能力の強さに加えて、紫の力を扱えるようになった。しかしそれは、世界を滅ぼしかねない、あまりに強力な力であった。体の中から沸き上がる禁忌の力に、エレーシャは『紫の力』の危険性を再認識し、世界中の『紫の力』を封印する決意をした。

 

 リトは、体内から溢れる紫の力をもって意識を取り戻し、病気も完治した。そして、マナ能力こそ持たないが、並みのエルフとは比較にならないほどの体力と身体能力を一緒に手に入れた。

 その後リトは、古いエルフの言葉で『空っぽ』を意味する『ハク』から《リト=ハク》と名乗るようになった。そしてマナを使えない分は体力でエレーシャをサポートしようと、剣術を学んだ。結果、他を寄せ付けない程の実力を得て、エレーシャの側近となったのだった。

 

 

 

*****************

 

 

「リト=ハクさんっ!リト=ハクさんっ!」

 

 必死に彼女の名前を連呼する《ザイカ》。しかしリト=ハクの体は大きな穴が空いており、心臓や肺は全く機能していなかった。

 

「リト=ハクさん!」

 

 だが、ザイカは彼女の名前を呼び続けた。彼女の目から僅かに零れる、紫色の光を彼は見たのだ。

 

 《紫の力》……。エルフ達が言うには、別世界からやってきて世界を作った神の力。それくらいの力があれば、人を生き返すことも出来るのではないか……。

 

「リトっ!!リトっ!!」

 

 焼け焦げた左半身を文字通り引きずりながら、エレーシャが向かってきた。美しい顔立ちは血と泥と煤で汚れていた。

 刹那、そのエレーシャに向かって、偽ユンファが牙を向いた。偽ユンファの腕が延び、まっすぐエレーシャを貫かんとしたのを、ザイカは見ていた。

 

 あまりに咄嗟のことで注意の声をかけることもできなかったが、実際に貫かれたのは氷の虚像。女海賊ユンファが即興で作り出したフェイントだ。

 ユンファは、さらに砕けた氷を使い、偽ユンファに目眩ましを仕掛けた。そして「逃げろ!」と促すも、実際はエレーシャに何か伝えた後に、光の羽を生やして偽ユンファに向かったのだ。

 

 絶望的な状況下でも、まだ諦めずに戦う力。

 

 ザイカは、船長ユンファの力が羨ましかった。無力な自分が心底悔しかった。

 いつも、ザイカは誰かに助けられていた。自らの非力で、周りを不幸にしている。

 

 ユンファ船長と一緒に旅がしたいという気持ちは本物。しかし、それに見合う力が無かった。

 今も、目の前のエルフを助けることは叶わない。せめて、自分自身は護れる力が欲しい。そして、『願わくば』……。

 

「僕に……僕に、人を助け、護れる力があれば……っ!!」

 

 ザイカは『願って』しまった。次の瞬間、リト=ハクの体から紫の光が漏れだした。それは弱々しい光であったが、優しく暖かい光であった。

 

(……私の願いを聞いてくれ。母にも言えなかった、私の願望。)

 

 ザイカは、リト=ハクの声を聞いた。本人の意識は全く戻ってないが、はっきりと聞こえた。

 

 そして、柔らかな光はザイカの体に伝わった。ザイカは、自らの『空っぽ』の部分に、『紫の力』と……併せて《リト=ハクの想い》が流れ込んできた。それは、リト=ハク……いや、《リト》が、この《紫の力》に願った想い。

 

 ザイカは、彼女の気持ちを受け取った。

 そして、彼の目には紫色の光が宿り、同時に、涙が溢れた。

 

 エルフの長の娘として生まれ、後を継ぐため育まれ、しかし親の期待に答えられない自分を攻め、そして、今、息絶え、叶えられなかった彼女の些細な願い。

 

 

 

「……うわぁぁぁぁっ!!」

 

 ザイカは無我夢中で、彼女の長剣を拾い、そして、力任せに振り下ろした。

 

 空を薙ぐ剣からは紫色の一閃が走った。

 

 

********************

 

「どぉぉぉいゆぅことだぁぁぁぁ!!!!」

 

 偽ユンファも、ユンファも、エレーシャも、付き人たちも、そして、一閃を放った本人も。

 その場にいるもの全員誰もが、現状を予測できなかった。そして、現状を理解するのに時間がかかった。

 

「……っ!」

 

 咄嗟に、本物のユンファが腕を伸ばした。まだ骨が完全につながっていない右腕だったが、今一番、《紫の石》に近い体の部位が、折れた右腕だった。

 

『……っ!させない!!』

 

 本物のユンファの行動は、偽ユンファは予測できた。何故なら、本人と同じ思考が可能だから。そして、偽ユンファも、左手を伸ばし、落下する石を取ろうとした。

 

 が、彼女の左腕は、紫色の一閃によって、そこにはなかった。

 

 もちろん、腕を触手に変え伸ばすことも、切断された腕を操ることも試したが、何故かうまくいかない。

 

『まただぁああああ! 何故、再生できない!!』

 

 偽ユンファは落下する宝石を見ながら叫んだ。その《紫の石》は、本物のユンファの右手が空中でキャッチした。そして偽ユンファは、本物が起こしうるその後の行動においては予測ができていた。

 

『止めろぉお!ユンファ!!』

 

「固まれぇぇぇぇぇ!!!!!!!」

 

 《紫の石》が激しく輝き、偽ユンファを照らした。その刹那、偽ユンファの体は、青白い水晶のような個体で固められた。《紫の力》を封印していた、あの結界を、石の力でさらに強化させたものだった。

 結界の内部には空隙はなく、中身まで完全に固められているようである。偽ユンファは絶叫したそのままの表情で固められ、まっすぐに地面に落下した。

 

「……やった……。」

 

 そう、本物のユンファはつぶやくと、背中に生やしていた魔法の羽をゆっくり羽ばたかせ、地面に着陸した。そして盛大に尻餅をついた。

 

「やっば……。もう限界よ……」

 

 へたり込んだユンファは、周囲を見渡した。先ほどまでそこに広がっていた新緑は消え失せ、灰と煤と燃えさしと、未だ燻ぶる木材だけの景色が広がっていた。

 そして、ユンファはザイカを見た。彼は長剣を振り下ろした格好のまま固まっていた。はっきりとは確認できないが、彼は、泣いているようであった。

 

(まさか、ザイカに助けられるとは……。いや、リト=ハクに助けられた、のが正しいのかしらね)

 

 その中を、灰や煤にまみれながら、足を引きずっているエルフ――エレーシャを見つけた。彼女は、《リト=ハク》の名を叫びながら、ザイカのほうに向かっていっていた。ユンファはいやな予感がした。

 

「まずい!」

 

 

 その直感は的中した。エレーシャはザイカに近づくや否や、右手のタクトを振りかざした。

 地中深くには、まだ生きている植物の根があった。地面から根が鋭く飛び出し、ザイカに向かって直進していった。

 

「ザイカっ!よけてっ!」

 

 ユンファは叫んだ。しかしザイカは、ゆっくり顔を上げ、エレーシャのほうを向いただけで、避けるような所作は見せなかった。

 

 そして鋭利な根は、ザイカの目の前で止まった。

 

 エレーシャの右手は震えていた。あと少し押し込めば、ザイカの顔に木の根が突き刺さる位置だが、エレーシャは押しきれなかった。 

 

「……なんでっ!!なんであなたから、《リト》を感じるのっ!」

 

 エレーシャは泣き崩れた。タクトを手放したことで、植物の意思は途切れ、木の根はそのまま地面に落ちた。エレーシャは半身がボロボロなまま力を使い、もう立っている力も残ってない。

 

「リトの……命を、返して……」

「リト=ハクが、我々の命を繋いでくれたわ。彼女が、ザイカに力を譲ってくれたお陰で、ヤツを倒すことができた」

 

 ユンファがエレーシャの脇まで歩いて来ていた。いまだ痛む右手を押さえながら、しかし、しっかりと《紫の石》を握りしめていた。

 

「……母として、なにもしてやれてない」

 

 エレーシャはポツリと呟いた、「母」という言葉。ユンファは、驚きよりも、胸が締め付けられる思いがした。

 

 暫くの沈黙を破ったのは、ザイカの声だった。

 

「……リト=ハクの……いや、リトの願いを、伝えます。リト=ハクが、紫の石に託した願いです」

 

 彼の口からでた娘の名前に、エレーシャは驚き、顔を上げた。彼女の目を見て、ザイカは、リト=ハクの想いを伝えた。

 

『エルフの長の娘とか、空っぽエルフとか。そんな事情は関係ない。私は、外に飛び出し、世界を見て回りたい。それに見合う力が欲しかった』

 

「……は?」

 

 エレーシャにとっては、完全に予想外の内容だった。

 

「リトさんは、ずっと苦しんでいた。部族のプレッシャーはもちろん、母からの圧にも。愛情は感じていたけど、本心を伝えたら……。世界を回りたいと言ったら、あなたが傷つくと思い、言えなかった」

 

「……。」

 

「本人も、それに見合う体力がなかった。だから、毎日、祭壇にお願いしていた。『世界を知りたい』と」

 

「……。」

 

「《紫の力》に囚われたあと、リトさんはいつかあなたに伝えたかった。『外の世界』をみたい、と。」

 

「……なんで……そういうこと、あの子は言わないのよ……」

 

 エレーシャは、静かに叫んだ。先ほどの悲観の表情から、驚愕の顔になり、そして今は、また悲しみの顔になっている。

 

「……全然知らなかった。エルフの長の子供としての使命を、果たせないことを悩んでいたと思ってた……」

 

 そして、後悔の表情を露にした。

 

「私は、エルフの長である前に、あなたの『母』なの……。

 娘の願いを叶えるのは、その石じゃなく……親の仕事よ。

 言わなきゃ伝わらないことがあるのよ……」

 

 肩を落とし、まるで魂が抜けてしまったように脱力したエレーシャ。

 遅れて、エレーシャの付き人たちがやってきた。彼らも相当な火傷を負っており、動けるものだけがエレーシャに寄り添い、肩を貸した。

 

(母……か……)

 

 右手を押さえていたユンファの左手が、自然と左目を塞ぐ眼帯に触れた。母として、何ができたか。彼女の隻眼は、今でも彼女自身に問いかけ続ける。

 

「……!!」

 

 そして、彼女は気づいた。

 先ほど落下した水晶の結晶の中に、『奴』がいないことを。

 

「……みんな注意して!!! 偽物が抜け出してる!!」

 

 良く見ると、水晶には僅かにヒビが入っていた。このヒビから、何らかの方法――小さな虫に変幻するなど――で、外にでたのだろう。

 

「くそっ!油断したっ!」

 

 誰もが満身創痍な状況、襲うにしても、逃げ出すにしても、千載一遇のチャンスである。

 ユンファは、残った力を振り絞り、臨戦態勢を取った。ザイカも長剣を構えた。エレーシャの従者は、エレーシャを守るよう周囲を目配せした。

 

 しかし、『偽物』は襲ってこなかった。

 

「逃げたか……くっ! あの化け物は、封印せず殺すべきだった……!!」

 

 誰の差し金なのか。

 エクリドを襲ったのはお前か。

 他の宝石の場所も知っているのか。

 など、聞きたいことが沢山あった。だからこそ『封印』という手段にでてしまった。

 

 逃げられたことで、またユンファたちの前に立ち塞がるだろう。そして、今回のように誰かに化けて現れたらこれ程厄介な奴はいない。

 

「……ザイカさん、背中を貸してください」

 

 付き人に肩を借り、立ち上がったエレーシャが、ザイカの背中に手を伸ばした。

 ザイカには、それが何を意味するのかを理解できた。

 

 背中に置いた手から、紫色の光がゆっくりザイカに流れていった。

 ザイカの目にも紫色の光が宿った。彼は焼け焦げた荒野のさらに先。火災から逃れた森の奥を《遠見》した。

 

「……見えた!」

 

 そこには、木々を避けて飛ぶ鷹が写った。しかし、今のザイカの目を通すと、その鷹の真の姿を見ることができた。

 その鷹は両足が切断され、仄かに紫色に光る傷を負っていた。

 

 ザイカはその場で、長剣を真上に掲げた。そして、真っ直ぐ鷹の方向を見据え、叫び声と共に切っ先を勢い良く振り下ろした。

 

「いっけぇぇぇっ!!」

 

 紫色の一閃が、焼けた荒野を走り、森を突き抜け、『奴』が化けた鷹に向かって一直線に向かっていった。

 

 そして、鷹の体を縦半分に切り裂いた。

 

『……ひぃやぁぁ!!』

 

 切り裂かれた鷹は、それでもなお、飛ぼうとしていた。羽をバタつかせるが、しかしそれで飛べるはずはない。

 

『わっ!私はっ!あの方の元に戻らなくてはならないのっ!……あの方のところにっ……!』

 

 必死に、空を掻いてる『奴』であるが、この大陸に来たときに《リト=ハク》が言っていた重要な理を、彼は身をもって思い出すことになった。

 

(今のこの大陸で、空を飛ぶことは死を意味します。覚えておいてください)

 

『えっ…ちょっとまっ……』

 

 この森の主であろうか、巨大な蜘蛛が、落ちてきた鷹を捕まえ強靭な糸で締め上げた。変幻能力を使おうにも、紫色の傷口が邪魔をするのか、何にも変幻できなかった。

 

 体に食い込む糸は肉を断ち骨を砕き贓物をミンチにした。断末魔を上げようにも声帯は潰され、既に体の一部は補食が始まっていた。

 

 エンヴィロントの洗礼を受け、驚くほどあっけなく、『奴』は命を落とすことになったのだった。

 



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第6章
6-1《陥没島》


もう1個執筆中の、「超能力少女の多重クロス」もののほうが圧倒的に人気あるみたいですが、こっちの方も見て感想くれると泣いて喜びますよろしくお願いいたします。

ついに第6章。物語は終盤へ。
《ユンファ》の過去と《紫の力》の核心に迫ります。


「さて。私たちはこの大陸を脱出するのだけど……止めないのね?」

 

「同じことを言わせないで頂きたい。娘の願いを叶えてほしい。それより……私の《紫の力》は、本当に奪わないのね?」

 

 怪訝な顔のエレーシャに対して、フフッと笑いながら、ユンファが返した。

 

「奪いたいわよ?海賊だもの。でも、あなたの命は奪いたくない。あなたを殺さず《紫の力》を盗る方法を知らないの。」

 

 だから、あなたに預けておくのだ、とユンファは言いたげだった。

 

「……ユンファ、ザイカ。貴女方の《紫の力》の使い方が正しいとは思わない。けど、あの化け物に奪われるのなら、貴女方に預けたほうがまだ安心みたいね。」

 

 そうエレーシャが答え、笑顔になった。作り笑いではない、自然とでた笑み。

 自身の子供に向けるような、笑みだった。

 

「でも、ユンファ、ザイカ。ご存知ですか? 大昔、マーフォークに惑わされ海や空を駆ける能力を持ってしまった、エルフの御伽話を。」

「あら?私の知ってるのは、エルフが人間を誘惑して堕ちていく話だったわよ。」

 

 ザイカは何の事だかさっぱりだった。記憶喪失なので当たり前だが。

 

「結末は……。お互い泡沫となって消えてしまう。」

 

 エレーシャの顔に悲しみが現れた。

 エルフの大陸にも、ユンファにも知られている、二人の異種族の駆け落ちの話。

 エレーシャは、なんとなく今の彼女たちと、その話を重ねてしまっていた。

 

「ま、何れも《御伽話》だけどね。」

 

 ユンファは答えた。そう、それは昔からある御伽話だ。身分や種族を違えて結ばれることの難しさを、先人が伝えた例え話。

 

「さようなら、エルフの女王。今後一切、私はこの地を踏むことはないでしょう」

 

 踵を返し、ユンファは海の方へ向かって歩きだした。自身の船、《ディーピッシュ》に向かって。

 

 ザイカは、改めてエレーシャと向き合った。

 エレーシャは半身が焼け爛れており、生き残った従者に支えられやっと動けるようになっていた。

 

 エレーシャも、改めてザイカに向き合った。

 ザイカは全身ボロボロながらも、大きな怪我はない。ただ、腰にはリト=ハク愛用の長剣を携えていた。

 

「ザイカ。あなたに私の夢を託しました。娘の夢を叶えるという、私の夢です。」

 

「……僕も、リト=ハクさんに助けられました。この夢、絶対に叶えてみせます。」

 

 ザイカは一礼し、そして、先に進むユンファに追い付かんと、走り出した。

 

 エレーシャは彼らの背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。

 泡沫に消え行くかもしれない2人の行く末を、彼女は案じていた。

 

 

 ********************

 

 

 海賊船ディーピッシュに戻るのに、さらに丸二日を費やした。セルバとの激闘で地形が変わってしまったことも一因ではあるが、それより、ユンファの体力が問題だった。

 

「まさか、あなたの背中を借りるとはね」

 

 ザイカに背負われたユンファは軽く毒づいた。リト=ハクの《紫の力》を受け継いだザイカは、彼女の体力と、エルフとしての素質も合わせて受け取ったらしく、大人の女性1人背負ったまま、荒れた森を渡り歩くことなど造作もなかった。

 

「船長、僕は今まであなたに守られてばかりでした。」

 

「そうね。」

 

 背中に背負われたユンファは肯定した。事実、彼は何度も彼女に命を助けられてきた。

 

「でも、僕はこの旅で、力を手に入れた。自分の命を守るだけでなく、こうやって誰かも助けられる力です。」

 

「そうね。でも……。」

 

 ゴツン!

 

 ユンファはザイカの後頭部に頭突きをした。体を、動かせる範囲一杯に伸ばして放たれた頭突きは、ザイカの脳みそを軽く揺らし、激突音は脳内に響いた。

 

「いたっ!!」

 

「自惚れるな! あくまで他人の力よ!さも自分のものであるように振る舞うな!」

 

 間髪入れず、彼女はザイカの耳元で捲し立てた。元々耳が良く聞こえるエルフには爆音だった。ただ、その声は脳みそにも、ザイカの心にも深く響いた。

 

「ザイカ、覚えていて。過ぎたる力は、その力に飲まれる。そして、過ぎた力には責任が生まれる。あんたはその《紫の力》を得たなら、責任持って扱いなさい」

 

 先ほどとは違う優しい声。母親が息子に諭すような声色だが、声は真が通っていた。

 

「……はい。」

 

 そして、ザイカもしっかりとした声で返事をした。

 

「なら、よし。」

 

 その返事を聞いたユンファは、フフッと微笑み、そして、さらに自身の体をザイカに預けた。肩に掛けていた腕を彼の首に巻き付け、頬を彼のトンガリ耳に寄せた。

 彼女がザイカの耳元で、今度は優しく囁いた。

 

「では、責任持って、リトから貰った体力で、私を船まで送りなさいね。私は少し眠るわ……。」

 

 その言葉を最後に、ユンファからは寝息が聞こえてきた。どんな状況でもしっかり寝られる彼女の神経の図太さには、ザイカはいつも驚かされる。そして、

 

 ぷにん。

 

 今、彼の背中にある、たわわに実った禁断の果実。二つの柔らかな触感を、ザイカは意識してしまい、耳まで真っ赤に染まっていった。

 高鳴る心臓の鼓動を、ユンファに聞かれてしまってないか、と、焦る気持ちがさらに彼の心拍数をあげることになった。

 

 

 ********************

 

 

 船に着いたユンファとザイカを待っていたのは、乗組員たちによる大歓迎だった。

 だが、ユンファはすぐに医務室に運ばれ、テンザによる治療が施された。

 ザイカも、さすがに歩き疲れたため自室に戻り、まずは休養をとるつもりであったが、それは叶わなかった。

 

 一息付くと、直ぐに船が動き出したのだ。

 

 驚いて部屋の外に出てみると、テンザに付き添われ包帯を巻かれたユンファと、同じく、まだ傷が癒えていないエクリドが、甲板に立って部下たちに指示を出していた。

 

「いいか!野郎共!この辺りの潮流は読みにくい!休んでいる暇はない!さっさとエリス港に戻るぞ!」

 

「私たちの帰還祝いは、エリス港に戻ってからね!」

 

 さっきまで疲労困憊であった人と、病み上がりの人とは思えない声。テンザが横で心配そうに、しかし苦笑いしていた。二人ともかなり無理をしていることを、ザイカは感じ取っていた。

 

 

 

 船は、出港した。

 

 

 

 が、すぐに予定は頓挫した。

 

 

 

「……《歌鳥》?」

 

 エンヴィロントを出てすぐに、ゴルゴロ=イクーのエリス港へ向かう潮流を見つけた。後は流れに逆らわず待つだけだったのだか、ザイカが《遠見》で見つめた船の先に、ユンファの歌鳥が飛んでいるのを見つけた。

 

 歌鳥は、まっすぐディーピッシュに向かってきて、船の帆を止まり木代わりにして落ち着いた。

 

「……船長!」

 

 ザイカは、何か胸騒ぎがして、ユンファが休んでいる医務室に呼びに行った。そしてすぐに、ユンファは甲板に出てきた。

 右手の骨はまだ完全に繋がっておらず、ギプスを着けていた。

 

 ユンファが左手の人差し指を歌鳥に向けると、可愛らしい鳴き声とともに鳥が降りてきて留まった。

 

『ユンファ、不味いことになったぞ。』

 

 そして予測される歌声とは全く真逆の、低い男の声を、歌鳥が発した。

 

「ぇぇええっ!!……って、ロッカブさん?」

 

 歌鳥の声に驚いたザイカだが、この声には聞き覚えがあった。エリス港を事実上牛耳っている、ドワーフのロッカブだ。

 

「……ロッカブには、何かあったら歌鳥に声を覚えさせて放してねって言ってあったの。で、この鳥が飛んできたってことは、あんまり良くないことが起こったってことね。」

 

 ユンファが渋い顔を見せた。基本ポーカーフェイスな彼女が見せる不安な表情に、ザイカも嫌な予感を募らせた。

 歌鳥は、体に似合わぬ野太い声……ロッカブの声で、覚えた言葉を続けた。

 

『ラスロウグラナが、海賊の取り締まりを始めた!今、戻ったら奴らに捕まる!』

 

「……なんてこと。ラスロウグラナが……」

 

 ラスロウグラナ。《白の審問所》を中心に、正義を愛し、秩序を慈しみ、法を律する国である。

 それ故、海賊を悪として厳しく取り締まりをするのは当然に思えるが、実際のところは違っていた。

 

「あいつらには、十分な賄賂を渡しておけば、まず捕まることはないのよ。ましてや、世界の貿易の中心にある《エリス港》を取り締まるなんて……」

 

 エリス港には、様々な物資や人が集まる。もちろん、ラスロウグラナに向けたものも数多くある……あまり公言できないような怪しいものも含め。

 そして、上層部はその『甘い汁』を存分に味わっているはずである。

 

「おそらく、《サディ・バル・シン》が本気になったのでしょう。腐敗しきった国を建て直そうと。」

 

 いつの間にか、甲板に《テンザ》が立っていた。彼は、ラスロウグラナ出身だ。

 

「……かなり思い切った改革をしたみたいね。上層部は反対しなかったのかしら。」

 

 それは誰にもわからなかった。知っているのは、ラスロウグラナ最高審問官の《サディ・バル・シン》だけであろう。

 暗殺された前最高審問官《バル・シン》の妻である彼女は、相当に『悪』を憎んでいる。最も、以前からラスロウグラナは『違法』に対しては異常なまでの罰則が課せられてはいたが。

 

 そして、解ったこともある。

 

「復帰祝いは、また先延ばしになるわね。」

 

 

 

 船は大急ぎで方向転換を余儀なくされた。

 

「船長、どちらに向かうのですか?」

 

 ザイカが聞いた。エンヴィロントからエリス港への潮の流れは複雑で、他に当てはなかったが、

 

「……いや、この時期なら偏西風に乗って……あの海流に……でも……うーん……」

 

 ユンファには一つ心当たりがあった。が、何故か渋っている。

 しかし、このままエリス港に戻っても全員が拿捕されて終わりだ。

 

「……うん、そうね。《紫の力》を得たザイカには、見せるべきよね……」

 

 ブツブツと独り言を呟いたのち、彼女は顔を上げ声を張った。

 

「帆を張り直せ!!目的地変更だ!向かうは《陥没島》、そして、《青の図書館、ノウルオール》!!」

 

 ユンファの掛け声とともに、船の帆がゆっくりと動き、そして風を捕まえた。

 ディーピッシュは風を捉え、海流に乗り、大きく旋回し新たな目的地に船首を向けた。

 

「《陥没島》に向かうのですね。医者として言っておきます、お酒はダメですよ。」

 

「いやよ。あそこに行くと決めたら、私は呑むわよ。」

 

 テンザの忠告をユンファは軽くあしらった。

 

「……?」

 

 ザイカには、全く理解できない内容の会話であった。陥没島という場所は、有名な酒蔵でもあるのだろうか。

 

 

 

 そして1日と半日が過ぎた頃、ザイカは島を遠見することができた。その島は、名前の通りに、島の中央が巨大なクレーターで陥没していた。クレーターの影響なのか、それとも元々なのか不明だが、その島は誰も住んでいないようだった。無人島だ。もちろん、酒蔵なぞ有るわけがない。

 

「あの大穴は……」

「良くみておいてね、使い方を誤った一例よ」

 

 ユンファはザイカの背中をポンと叩いた。

 

 

 港はないので、小舟で接岸することになった。

 小舟には、ユンファとザイカ、そして、テンザに、小間使いゴブリンの《コーダ》が同行した。

 

 

 穴は、相当に深かった。

 ザイカは遠見で覗きこんだが、底をみることは出来なかった。

 

 そして、クレーターの縁は自然堤防よろしく盛り上がっていた。

 その一角、少し小山になっている場所に、それはあった。

 

「……お墓?ですか?」

 

 簡単に石を積んだだけの質素なものであるが、人工的に積み重ねられていることを鑑みると、何かの目印、さしずめお墓であることは用意に想像できた。

 

 そこには、大小二つのお墓があった。

 

 ユンファたち一行は、そのお墓に向かっていった。

 

「せ、船長!もう呑んでらっしゃるのね?!」

 

 今回、酒瓶の運搬や、怪我したユンファのサポートが必要と考えたテンザが、小間使いのコーダを同伴させた。そして今しがた、コーダが運ぶ酒瓶1本を、ユンファに取られ飲まれてしまっていた。

 

「いいじゃない。呑まないとやってらんないわ!」

 

 既に酒瓶の中身は、半分ほど無くなっていた。

 医師のテンザは、後方で頭を抱えていた。

 

 墓の目の前に到着するや否や、ユンファは持っていたお酒を、大きい方のお墓にかけた。

 頬が赤くなったユンファが、墓石に語りかけた。

 

「よっ。きたよ《アンジャム》。残念ながら、《紫の力》に囚われたのが、一人増えちゃったよ。」

 

 酒を掛け終えると、ユンファはお墓の前に座り込んだ。そして、今度は小さい方のお墓をなで始めた。

 

 今回初めて、この場所につれてこられたザイカは、このお墓の人物たちを知らない。

 

「あの……このお墓は……?」

 

 ザイカは、ユンファに直接聞いてみた。

 

「……。ザイカ。ここにあなたをつれてきたのは、ちょっと昔話を聞いてもらいたかったからよ。」

 

 ユンファは体を向き直し、ザイカたちの方に位置を正した。顔はお酒のせいなのか、赤く染まっていた。

 

「すこし長めの昔話よ。さあ、お酒の肴代わりに聞いてちょうだい。《ノウルオール》の天才異端児の、《忘れられない追憶》よ。」



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6-2《忘れられない追憶》

《青の図書館、ノウルオール》。

 この世界の『知識』が全て集まる場所。

 

 そして、この世界の『謎』も併せて集まる場所である。

 

 ノウルオールは、世界の8割を海で覆われた《エジュレーン》において潤沢に存在する『青マナ』の恩恵を一番に受けており、国の大きさでいえば、《ラスロウグラナ》と1,2を争う大きさである。しかしこの国は、世界すべての知識を集めに集め、それを力として成長したためか、国というよりは巨大な『大学』『研究機関』といったほうが型にはまる。そんな国であった。

 そしてそこには多くの人々が、自身の知識を高め、叡知を得んと獅子奮迅していた。純粋に自分の国の繁栄を望み訪れたもの、単に自分の好奇心をさらに突き詰めて訪れたもの、世界の心理を求めて訪れたもの。集まってくる人々は種族、思想、理由、さまざまであった。

 

 そして、《異端児ユンファ》も、自分の知識のさらなる高みを求めんと、この国に捕らわれたその一人であった。

 

 彼女は教員やその他友人からも《異端児》呼ばわりされてしまっている、彼女。

 だが、彼女はぜんぜん気にしていなかった。なぜなら、本人にも自覚があったからだ。

 

 ノウルオールで評価されるには2つの道順がある。ひとつは、教員から与えられたカリキュラムや授業をこなし、自分より上の立場の人間から評価をもらうこと。これをこなしていれば、国から奨学金が得られ、人並みの生活を営むことができる。「学ばざる者、食うべからず」とは、本国の創設者《ノウルオール・コルォカ》の教えだ。

 そしてもう一つは、自分自身が新たな発見を見出すことだ。それらをレポートにまとめ、多くの人間に査読、閲覧、引用をしてもらう。つまりは自分の名前と知識を『売りだす』ことでも、国から認められ、それに見合った報奨金が得られる。

 

 そして、彼女《ユンファ》の成績は『飛び抜けて』優秀であった。

 基本のカリキュラムの達成率や成績に関しては常にトップクラス。いにしえの機械操作や生物実験なども卒なくこなし、また魔術の授業においては、自身が生まれつき持った魔力の器の大きさなのか、多彩なマナを自由に操り、他の人より数段秀でていた。

 

 学術の成績が直接の評価になるため、多少の粗暴の悪さは、この国では見て見ぬふりをされる。もちろんあまりに目に余る事情(殺人、放火など)においては、自警団に逮捕されることにはなるが……。

 

「この理論を用いれば、生物を圧縮し、手のひらサイズにすることが可能です」

 

 齢19の、まだ僅かにあどけなさが残る女性が、学内の教員たちや研究者、もう100歳を超える国の上層部の頭脳集団を前に発表した論文には、一定期間の閲覧禁止処理がなされた。生物の「圧縮」という倫理観を外れた研究がなされていたことに加え、それが「大舞台で発表され」「実際にその発表会で実演もなされた」ことは、彼女の天才性を偉い人たちに知らしめるには十分だった。

 

 生き物をそのまま圧縮し、一枚の札にする技術……タイトル『生物情報を二進法かつ螺旋形状として情報保存させ効率的に複製、圧縮する理論』は、その後、この国をさらに発展に導くことになるが、それはまた別の話である。

 

 

 

 発表会から数週間がすぎたころ、彼女……《ユンファ》は、自室兼研究室で液体が満たされたガラス管を揺すりながら、光る板に文字を念写していた。

 

「……だいぶ効率的になってきた……さらに簡易的にかつ、再生を早くする方法を見いだせれば……」

 

 ぶつぶつと、ガラス瓶の中の液体を睨みながら彼女は呟いていた。液体はほのかに緑色に光り輝いていた。淡い光はやがて収まり、緑の色が薄く、透明色になった瞬間、彼女はその液を机にひっくり返した。

 机の上には縦長の長方形の形に枠が彫られた木の板があり、液はその枠の中に流し込まれた。すると瞬時に液から湯気が生じ、あっという間に乾燥して固まった。干上がったそれは、一枚の「札」になっていた。

 

「よし」

 

 彼女は、木の枠からその札をはがし、持ち上げた。まるでパルプ紙のような紙切れにも見えるが、表面にはびっしりと解読不明な文字で埋まっていた。遠目で見ると、幾何学的な模様にも見えた。

 そして彼女は、札を空に投げた。刹那、瞬時にそれは形を変え、その場に一匹のウサギが現れた。札がウサギに変化した……いや、元の形に戻ったのだ。

 

「うん、元に戻る速度はだいぶ改善できた。この速さなら、軍事にも転用できそうね。中身自体にも問題なさそう」

 

 札から元に戻ったウサギは、何事もなかったかのように、床に落ちていた藁をむさぼっていた。

 

 ふいに、ドアのチャイムが鳴った。

 ユンファはそのチャイムには心当たりがあったので特に気にしなかったし、そしてドアの向こうの相手も、家主の承諾を待たずに気負い無くドアを開けた。

 

「ユンファ、ご希望の文献を探してきたよ。記憶媒体に収まっているものについては後で転送しておく」

「《アンジャム》ありがとう、まだ羊皮紙の文献も多いから、助かるわ」

 

 ユンファは、扉を開けた主に目を向けること無く、また、《アンジャム》と呼ばれた青年も、特にユンファに顔を会わせるようなことはせず、お互いの作業を淡々とこなした。

 

「しかしユンファ、君が『ありがとう』なんて珍しいな」

「そうかしらね。感謝の言葉は人間関係を円滑に進める基本って、あなたからもらった心理学の文献に書いてあったから、実践してみたの」

 

 ああ、そうか、と、アンジャムは以前、彼女にそういった『人間関係』についての本を貸したことがある。

 学園創設以来の優等生、問題児、異端児として、良い意味でも悪い意味でも、彼女の名前は学園内に広まった。そして彼女の粗暴は、あまり褒められたものではなかった。

 特定の人物にしか心を開かない、また、人との接し方が異常に下手であった。図書館の管理人兼司書であるアンジャムは、研究者に希望の文献を貸し出す仕事をしているため、彼女とは何度も面識があり、また、彼女が心を開いた数少ない人物の一人である。

 

「……ふっ」

「……! ちょっと!」

 

 アンジャムは、ユンファの目の前の机に羊皮紙の束を置くと同時に、ユンファの首筋に息を吹きかけた。ユンファは突然のアンジャムの行動に驚き、危うく手に持っていたガラス瓶を落としそうになった。

 突然の吐息に首をすぼめたユンファではあるが、しかし、存外、別段「悪い」印象を持つことは無かった。何故なら、ユンファはアンジャムの性格をよくわかっていたし、もしかしたらこういった行動に出るのではと、うすうす予測していたからだ。

 

 一方、当のアンジャムは、身に付けていたメガネがずれたのが気になったのか、右手の親指と薬指でメガネの両端を支えて持ち上げた。いや、咄嗟に取ってしまった行動を少し恥じたのか、赤くなった顔をユンファから見えないように隠したかのようにも見えた。

 

「……ふふっ! こちらに来るのも久しぶりだものね、アンジャム」

 

 まだまだあどけなさが残るユンファは、屈託なき笑顔をアンジャムに向けた。彼女はいったん、手に持っていた瓶をホルダに片付け、開いていた光る板を本棚に押し込んだ。そして、改めてアンジャムの正面を向いた。

 

「君も随分、丸くなったな、ユンファ。図書館にこもっていても、君の話はよく耳にするよ」

 

 赤く染まった頬のまま、アンジャムも微笑んだ。

 

「でもアンジャム、さっきのは何よ。いきなり人の首に息を吹きかけるなんて……そんな対話の仕方、本で読んだことない。びっくりする……じゃない」

 

 息を吹きかけられた部分を、ユンファは手で摩った。改めて冷静に考えてみるとアンジャムの行動は非常に官能的だった。ユンファも、一緒に頬を赤らめた。

 

「さっきのは……別の本で読んだんだ、親しい女性が喜ぶ行動らしい。なのであいさつ代わりにやってみたのだけど……」

 

 アンジャムは、またさらに頬を赤くそめ言い訳をし始めた。

 彼は、幼いころから《青の図書館》の本の整理整頓を任されており、多くの書物に触れてきた。そのため、知識という面だけでは、他の人のそれを凌駕する。そしてそれは、ユンファが彼に「惚れた」理由の一つでもある。

 だが彼は、昔から外に出て情報を収拾することを苦手としていて、本の情報でこの世のすべてを賄うことに十分であるといった思想を抱いていた。ただし、《青の図書館》の人間らしいといえば、らしい考えではあるが。

 

「だとしたら、アンジャム。その書籍の内容は一部修正が必要ね。たとえ知り合いでも、そんなことされると普通は拒絶反応起こしてしまうわ」

 

「しかしユンファ、君は最初こそは驚いたが、今は別段……なんというか、特に嫌がってはいないように思える」

 

 そしてアンジャムはユンファを抱きしめた。ユンファも、特に抵抗はしなかった。二人がお互いを認識し心を許しあっている証拠であった。心臓の鼓動が重なり合う。

 そして、自然と、彼らは唇を重ね合わせた……

 

「……イチャイチャお暑いところ申し訳ありませんが、お二人さん?」

 

 まるで心臓が破裂するのではないかと思うほど、二人の鼓動が脈打った。

 急いで、抱きしめあった手をほどき、ユンファもアンジャムも乱れた服を直した。

 

「来ていたのか《オイター》。……いつからそこに?」

 

 アンジャムが声の主に向いた。《オイター》と呼ばれた彼女は、開放したドアに寄りかかり、腕を組んでニヤニヤしていた。おでこに掛けた冒険者用のゴーグルは砂埃にまみれ、また、彼女愛用する作業用ズボンのようなつなぎも、同じく汚れていた。先ほどまで外で土木作業を行っていたかのような格好だった。

 良く焼けた健康的な、褐色の肌に、癖の強い巻き髪を肩まで伸ばしたオイターの腕の中には、ユンファが召喚札の実験で使用したウサギが抱かれていた。

 

「いや、結構前から。ドアをノックしてもお二人には声が届かなかったみたい。そういうことするなら、ドアにカギをかけておきなさいな」

 

 さらに一層、彼女の二ヤつきが意地悪なものになった。

 

「……ふぅ、そうだなこちらの不注意だ」

「……」

 

 不注意を認めたアンジャムに対し、部屋の主であるユンファは、本棚の僅かなスペースに身体をうずめ、オイターを睨みつけていた。まるで、威嚇する猫のようだ。

 

「まだ私は、天才学生ユンファ様には認められていないみたいね。将来『義姉』になるかもしれないってのに」

 

 オイターは、手に抱いたウサギを床に置いた。ウサギはまた藁の束に向かって跳ね、途中で止めさせられた食事を再開した。

 オイターはアンジャムの姉にあたる。アンジャムの性格とは正反対で、文献を読み漁るよりも外で体を動かしていたほうが性分に合った性格をしていた。

 

「……」

 

 そして未だに、ユンファに認められていない。彼女が認めていない人間に対しては極度に距離を取る。それを知っているオイターは、未だに認められていないことを残念がった。

 

「オイター、君が来たということは……」

「ああ、見つけたよ『痕跡』を!」

 

 そういうと彼女は、まっていましたと言わんばかりにポケットから何かを取り出した。

 

「この石は、クレーターの中心に落ちていたんだけど、いくつかは《アルデモ》の奴らが、必死になって集めていた。やっぱりこの石には何かある……!」

 

「……!」

 

 オイターが『石』を取り出した瞬間、ユンファが飛び出してきた。人見知りよりも好奇心が勝ったのだ。

 そしてアンジャムも、オイターの取り出した石に釘付けになった。

 

「ついに見つけたか、『本に無い物』」

「キレイ……」

「おっと! お二人さん、あまり近づかないほうがいいよ。本当にコイツは謎だらけだからね」

 

 紫色に、淡く弱々しく発光するその石は、3人を魅了するのに十分な力を発していた。

 

「オイター、でもこれ、さっき《アルデモ》って……」

 

 ああ、と、オイターは頷いた。

 

「深淵のアルデモの奴らさ、恐らくな」

 

《黒の深淵、アルデモ》。

 黒い濃い霧と、浅瀬と、切り立った崖に囲まれた、船ではまず不可侵の国。

 その素性は長らく謎だったが、最近になって、アルデモの動きが活性化してきた。

 奴らは船を使わず、国を出入りして、他国の情報を得たり、密使を侵入させたり、はたまた、身分を偽って潜伏したり。

 かなりやりたい放題に国をかき回している。

《ノウルオール》も例外でなく、たちが悪いことに、ノウルオールで尊重される『アルデモにしかない知識』を、多量に持ち込み、かなり上のほうまで浸食されかかったことがあるくらいだ。

 なお、ごく一部ではあるが、本当に自分の好奇心や勉学のため、自身がアルデモ出身であることを隠さず研究を行っているものもいる(純粋に勉学に励むためと推察される)。

 

 

 問題となっていることは、彼らはどうやって、閉ざされた国から出入りをしているのか。それは長年の謎で、多くのアルデモの人間は閉口していた。

 

 空から飛んで出入りをしている、というのが通説であり、それに対抗すべく、ノウルオールは最近は飛行機械の開発に心血を注いでいる。

 

「でも、この石を見るに、どうやら飛行装置を使っている訳ではなさそうなんだ」

「……根拠を示さなければただの妄想よ、根拠か証拠を示して……」

 

 対人恐怖より、石への好奇心が勝った瞬間であった。ユンファはオイターに自分から話しかけたのだ。

 

「ユンファ、やっと話してくれたのね。姉になる私に、これからもずっと拒絶が続いたらどうしようかとノイローゼになるところだったのよ!」

 

 オイターは喜び勇んでユンファを抱きしめ、頭をなで回した。適当に切り揃えられたユンファの栗色の長髪は更にグシャグシャになってしまった。

 

「オイター、その根拠を聞いてるの。答えて」

 

 なで回されたユンファであるが、特にその事については言及すること無く、オイターを向くこともなく、視線は石に釘付けだった。

 

「……あら、そうね、そっちのほうが大切なのね……」

 

 オイターは少し残念がりながら、しかし、ユンファを抱きしめたまま、話を続けた。

 

「やつら、空は飛んでないわ。『跳躍』してる。この目で確認したわ、紫色の空間に吸い込まれる様を」

 

「ということは、やはりプランナーポータル……次元門……」

 

 アンジャムはその現象に心当たりがあった。次元跳躍だ。基点を定めれば好きなところに瞬時に移動できる。

 しかしそれが実現できないことも、合わせて知っていた。

 

「跳躍の理論は昔から存在していた。しかし実現するには圧倒的にエネルギーが足らない」

「……つまり、それを穴埋めしたのが、コレってことね……」

 

 ああ、と、オイターはうなづいた。

 

「しかしこれは、一大事だぞ。使い方によっては、奴らは国の中心にいきなり攻め入ることもできてしまう」

 

 事の重大さを感じたアンジャムは言葉が早口になった。彼の癖だ。

 

「おちつきな、アンジャム。まだその域に達していないと考えたほうがよいだろう、だからエネルギーとなるこの石を集めている。コソコソと」

「それにアンジャム、あなたがこの三人の中で一番『知っている』はず。現状で可能な理論では、始点と終点が定まらないと、次元の移動は不可能。突入する『場所』が不明瞭だと、跳躍は失敗する」

 

 焦りを見せたアンジャムを、オイターとユンファがなだめた。二人に諭され、アンジャムは改めて冷静さを取り戻した。

 そして、このことを国の上層部に伝えるかどうかの議論を進めた。

 

「危険な効果であると同時に、まだ不明な点が多い」

「そうね、私もそう思う。もっと研究して、詳細を明らかにしてからでないと」

「決まりね。これは私たち三人の秘密ってことで」

 

 今思えば、すでにこの段階で、彼女たち三人は『紫の力』に《魅了》されていたのだろう。

 

 こうして、紫の石の情報を共有した三人は、それぞれできることから研究を開始した。

 

「私は外を飛び回っているほうが性分に合っている。もう少し、石のありかを探してみるよ」

 

 オイターは研究室を出た。時には商船に相乗りし、時には、海賊船とも交渉し、いつも世界中を旅しているオイターである。青の図書館の中でもかなり珍しい分類の人物ではあるが、定期的に冒険をレポートにまとめて本にしており、それらは文献として認められている(実際は非常に面白い冒険活劇が描かれた娯楽盆として認知されている部分もあるが)。

 

 

 

 そしてそれから2か月に、《オイター》の訃報が届いた。

 港からほど近い浅瀬に、死体が挟まっていたそうだ。

 死因は、刺傷による失血死。おそらくだが、船上などで受けた傷がそのまま致命傷になっていたようだ。

 しかし不思議なことに、まだ生きている状態で海に落ちたのに、溺死ではなかった。また流れ着いた場所は本来、こういった死体などは、潮流の関係上、流れ着くには少々違和感があった。

 

 そしてオイターの体は無数の鱗で覆われ、手にひれが出来上がっていた。人間であるはずなのに、まるでおとぎ話に出てくるマーフォークを連想させるような身体になっていた。

 

「何者かに刺された後、海に落ちた」

「でもその時、この国に必死に『帰りたい』と願った」

 

 オイターの遺品の一つに、灰色の石があった。どこにでもあるような石であったが、それをオイターが握りしめていたのだ。

 その石から、僅かに残るマナの力……《紫の力》のかけらを、ユンファは見逃さなかった。

 

「だから、オイターはこの国に帰ってこられた」

「でも、『人間のまま』『生きて』帰ることを、願い忘れた」

 

 オイターの遺体は、青の図書館の研究者達に取られてしまった。マーフォークの身体に変化した人間なんてものは、研究に飢えている図書館の連中には、格好のサンプルだ。

 

「……なあ、ユンファ。実は、僕はこの図書館を出ようと考えている」

「……」

 

「この世界には、本に書かれていないことがまだ沢山ある。姉を亡くして、よくわかった」

「私は、……この図書館でさらに研究を続けるか悩んでいるわ」

「ユンファは、残ったほうがいい。せっかく主席での卒業が可能なんだ。最も、その知識を図書館が簡単に手放すとは思えないけどね」

 

 アンジャムは微笑んだ、しかし、ユンファは全く笑えなかった。

 

「今、この紫の力のことを、図書館の人間に話しても、おそらく僕を馬鹿にするだけで終わってしまう。けど、本に書かれていないことでも、実際に自分で見たり体験したりしたことが、真実なんじゃないかなって。オイターが命を懸けて教えてくれた」

 

 ユンファは理解していた。このまま何も言わなければ、アンジャムは一人でこの図書館を出ていく。でも、アンジャムは、ユンファとも離れたくないとも考えている。

 

 だが、ユンファもユンファで悩んでいた。自身の研究の事や、卒業のこと以上に、ある『身体の変化』について。

 

「……アンジャム!」

 

 ユンファは、自分の現状について事細かに、アンジャムに伝えた。

 アンジャムは、最初は喜んだ。でも、現状を鑑み単純に喜べない状態であることに戸惑った。

 だが、アンジャムは、おそらく初めて、自分の意志で決定した。

 

「ユンファ、僕の研究を一緒に手伝ってくれないか……その、おなかの子供のこともあるけど……」

 

 アンジャムなりのプロポーズでもあった。ユンファは二つ返事で答え、二人は図書館を出ることとなった。

 

 

 

 *****************************

 

 

「んで、結果が『これ』よ」

 

 空になった酒瓶を、ユンファは《陥没島》の中心に向けた。巨大なクレーターが、ただただ大きく口を開けているだけの島。この島に移住した二人は、新たな家族を受け入れ、三人水入らずで研究を進めていた。

 

 その島の中心に、ザイカも視線を向けた。彼の頬には涙が流れていた。幸せになるべきだった家族の無念を考えると、自然と涙があふれてしまった。

 

「島の周囲に、簡単な結界を張っていらの……。怪しい侵入者が来れば、《青の図書館》から応援が来てくれるっておとにあってたのよ……」

「《青の図書館》は、船長たちのことを許していたのですか?」

 

 まあね、ユンファはうなずいた。彼女の頬は真っ赤に染まり、酔いで多少呂律が回っていなかった。

 

「結局のとおろ、オイターのおかげ……彼女の死体の変化の真相が分らなかったから、お偉いさんも、《紫の力》に興味を持ってくれた……の……。あとは、アンジャムの根回しのおかげよ」

 

 空になっている瓶を今度は胸元に抱きながら、ユンファは語った。彼女が『アンジャム』と発する際には、酔った彼女の顔が逐一にへらと微笑む。

 

 でもね……と、ユンファはつづけた。

 

「まだ時期尚早だった、私たち個人で扱うには、危険すぎたの。もうすでに、『魅入られていた』のでしょうね……暴走しちゃって……私だけ、助かっちゃった……」

 

 うつむき、言葉が弱弱しくなっていく彼女であったが、突然、ザイカの目の前に顔を近づけて、強い口調で言い放った。

 

「あなたには、わからないでしょうね!! 一度に愛するものと愛しいものを同時に失った私の心など!!」

 

 長い栗色の髪をした、赤い瞳の、しかし右目だけはえぐられた様な痕がある、美女の顔が《ザイカ》の目の前にあった。

 

「見なさい。この右目は私の象徴よ。あの力で、一度は全てを失った」

 

 それを見ていた《テンザ》と《コーダ》が、ユンファを宥めた。

 

「ユンファ船長、飲みすぎです。医者として止めさせてもらいます」

「船長! こんなになるまで……。 お水を用意しますね」

 

 ザイカから引き離されたユンファは、今度はまるでおもちゃを取り上げられた子供のように駄々をこね始めた。イヤイヤと声を上げていたのが聞こえた。

 

「……」

 

 ザイカは、ここに連れてこられた理由は分っていた。

 結果的に『望んで』手に入れた、リト=ハクの『紫の力』。強靭な力には、それ相応の『責任』が降りかかる。それを、肝に銘じておけ、そういうことなのだろう。

 

 あのお墓……。

 

 二つのお墓。大きく石が積まれたものと、もう一方は、小さい石が詰まれたお墓。

 今の話を聞くに、あれはユンファの夫《アンジャム》と……。

 ユンファの実の子供のお墓ということか……。

 

 ザイカは、お墓に近づいた。よく見れば、大きい石には《アンジャム》の名前が彫られていた。手書きのその文字には見覚えがあった。ユンファの筆跡だ。

 

 そして、小さなお墓にも、子供の名前が刻まれていた。

 

「……え」

 

 絶句。

 言葉が出てこなかった。一瞬思考も停止した。

 

 そのお墓に刻まれた名前。ユンファが最愛の息子のために、丁寧に彫った手向けの名前。

 その名前を、ザイカは知っていた。

 記憶喪失の中で、唯一、忘れていなかった言葉だった。

 

 

 

 

『最愛の息子、ザイカ』

 

 



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