初恋の人の娘のトレーナーになった (かのえ)
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0, Pure Ruby

「やあ、暇かい?」

「暇ではないけど時間はあるよ、どうしたんだタキオン」

 

 三月、まだ肌寒い季節に担当ウマ娘であるアグネスタキオンの今後の予定を考えていると、ちょうど彼女がやってきた。有馬記念で少々無茶をした彼女はリハビリの最終段階、ようやく走り出せるといった時期だ。

 まだまだ新人のトレーナーとして四苦八苦しつつ、彼女となんとか駆け抜けたこの2年、いまだ実感は湧かないが『四冠ウマ娘」のトレーナーとなっていた。

 

 いや、訳が分からないが。

 

 元々はアグネスデジタルのピッカピカの一年生トレーナーとしてやっていたはずだったのにどうしてこうなっていたのだろうか。いや、そもそも『あの』テイエムオペラオーに引導を渡して海外まで飛んでいくへんた……勇者の手綱を握るのですら苦労しているのにどうしてこうなっているのだ。

 件の変態は今現在、入学試験にやってきたウマ娘を陰から凝視しているはずだ。自分からそう宣言して走っていったので間違いない。ブレないな、あの子。

 

「いやなに、受験生たちの中にチームに入れるような子がいるのか気になってねぇ」

 

 絶対に実験対象にするつもりだこいつ、と思い額に手を当てる。

 アグネスタキオン、自らのスピードの限界に挑もうとする研究者気質の破綻者。彼女のガラスの脚はひび割れはしたものの、首の皮一枚でその芸術的な輝きを保っている。

 

「チームか、そもそも僕はそんなのまだ管理できないけど」

「まあそれだけ上は君に期待をかけている、というわけさ。私たちみたいなのを育て上げた、君をね」

 

 タキオンには自分がちょっと……いやかなり、でもなく相当『変人』の部類であることを理解しているらしい。理解しているのであれば自分のトレーナーを発光させたりするのはやめてくれないだろうか。

 

「まあともかく善は急げ、というわけさ。モルモッ……トレーナー君、行こうじゃないか」

 

 と、いうわけでトレセン学園の入学試験会場を遠くから眺めることになったのである。双眼鏡を握ってレース場の方を見ると、木の陰で一人の少女が少々怪しげな笑顔で受験生たちを眺めているのが見えた。完全に不審者だぞ、デジタル。

 

 しばらく二人して受験生たちのレースを眺める。タキオンといえば、連れてきたくせにやる気なさげだった。レース自体というよりかは、僕の様子から何かを探ろうとしているようだった。

 

「で、君のお眼鏡にかなう子はいるかい?」

「いやね、タキオン。僕はそんなにウマ娘を見抜く才能は無いんだけど」

「私たちを育てておいて何を言うんだ」

「や、君たちは勝手に強くなってたし」

「……。」

 

 双眼鏡から目を離してタキオンの方を見やると、彼女はそのハイライトの宿らない瞳でジトっとこちらを見ていた。

 

「え、何」

「まあいいさ。デジタル君はともかく、私は君がトレーナーでよかったと思っているよ。君がどういう意図で私にトレーニングしていたのか、知りようはないけれどね」

 

 今度はこちらが沈黙する番だった。

 ああ、確かに自分はタキオンにとってベストな育成をした記憶は一切ない。そもそもそれが彼女との契約だったからだ。ウマ娘の可能性の最果て、速度の向こう側を探求するというその一点のためだけに協力しているだけなのだ。

 ちなみにデジタルは彼女がなぜかトレーナー志望、ということもありトレーナーが付かなかったところを偶然拾った、という経緯で契約している。彼女に対しては完全な放任。追いかけたいウマ娘がいればそこに向かわせる、というような育成方針……育成? をしてきたし、これからもそのままだろう。

 

「ただ、その答えはこの受験生たちの中にあるんだと私は睨んでいるんだけれど……どうだい?」

 

 タキオンはその研究者気質もあって、洞察力が鋭い。ならここ最近の僕の様子から気が付いていてもおかしくはなかった。さっきからこっちの様子をうかがっていたのもそのためだろう。

 だが、その原因が受験生のなかにあるなんて、よく気が付く。

 

「大切な大切な最高のモルモットだからね、君は。常日頃から観察を欠かしてはいないさ、君もそうだろう?」

 

 そうだ。彼女の言うとおりに、僕はこの受験生たちの中のただ一人だけを育てるためにトレーナーを続けてきたし、タキオンたちを文字通りの『実験体』としてトレーニングを積ませてきた。

 あのどこでも走る変態は、まあ予想外だったけれども、タキオンの走りは『彼女』に似ていた。だからこそ、レースに出ようとしなかった彼女のトレーナーとなったのだ。

 

 それも全て初恋の人の娘、産まれたばかりの姿に運命を感じてしまった女の子のために。彼女の夢であるトリプルティアラを捧げるために。デジタルの英雄伝説も、タキオンの無敗の三冠も、その踏み台でしかなかった。

 

 

 

 

 そしてあの子からメッセージが届いたのは日が落ちてからだった。

 

『試験終わった』

 

 トレセン学園はその規模も大きく、それこそ受験者も山のようにいるわけで。彼女は今日このレース場での試験には出走しておらず、見かけなかったのも当然だ。僕は前々から本人より試験会場がどこかというのは聞いていたため、見かけなかったのに疑問は抱かなかった。

 だからといって、受験生の観察に手を抜いていたわけではない。彼女たちの一部はいずれ、あの子の敵となり同じレースに出るのだからこそ、今のうちからでも少しの情報は頭に入れていても損はない。

 

 ただタキオンは僕が調子を乱すほどの目ぼしいウマ娘がこの場にいなかったため、落胆した様子を見せていた。選抜レースに期待しよう、と言っていたがどこまで本気だろうか。

 

 僕はタキオンが去ってから部室に戻り、こうして連絡が来るのを待っていた。

 

『お疲れ様。どうだった?』

『私は一番をとるウマ娘よ? 当然自信あるに決まってるじゃない』

『そうか、良かった』

 

 ふう、と息を吐く。この様子ならレースでも一番を取れたのだろうか。

 

『スカウト枠、私のためにあけておいてよね』

『それは約束できない』

『どうしてよ』

『君よりも速そうな子がいればスカウトに行くし』

 

 嘘だ。本当なら何がなんでも彼女を取りに行きたい。『あの人』との約束でもあるし、そもそも彼女をスカウトしないトレーナーなんて、トレセンから去った方が良い。

 ただ素直にスカウトに行けない理由もある。

 

『それに身内贔屓、と言われたら君の悪評になる』

『そんなの実力でねじ伏せたらいいのよ』

 

 自信家らしい彼女の言い方だ。いかにも、という様子で思わず笑ってしまう。

 

 スカウトが難しい理由、それは僕の苗字は紅というところにあった。ウマ娘の中でも良血、『紅の一族』スカーレットに連なるヒトだ。そんな僕が彼女をスカウトするだなんて身内贔屓にも程がある。

 それに、思ってもいないトレーナーとしての箔も付いてしまった。本家側の彼女が無理やりスカウトさせた、なんてゴシップのネタにもなりかねない。

 

 それもまあ、いいのかもしれない。結局のところ、幼少のころから手塩にかけてきた、良血も良血な彼女には輝かしい未来しか待っていないのだからそんなことは些事でしかない。

 

『合格発表あったらダイワの方にも顔出すから暇ならあんたも来なさいよ』

『僕はスカーレットだからそっちは関係ないよ』

『関係あるったらあるの! ちょっと時間ある? 通話!』

 

 全く我が儘で気の強いお姫様だ。変わらないね君は。

 トークアプリに映る『ダイワスカーレット』の顔写真には、初恋の従姉に似た面影。あの人がこの子を産んで十数年と経つというのに、僕は今でもずっと、あの人のことが好きだ。

 

「はいはい、ダスカちゃんちょっと落ち着いて」

『もう! 信じられない! このおたんこにんじん!』

 

 この子といると、忘れられない初恋がチクチクと胸を刺す。だが、それでもいい。愛娘の一人を、一番のウマ娘に育て上げたトレーナーとして強く覚えてもらえるのであれば、それでいい。

 ダイワスカーレットに運命を感じたと言いつつも、結局は僕は彼女をあの人に近づく手段にしか見ていないのかもしれなかった。

 それこそがタキオンが同族と見なす一因かもしれない。

 トレセン学園、その入試の倍率は想像を絶するほどであり、エリート中のエリートでしか通過できない狭き門である。入学できたことに燃え尽きてしまい、結果を残せず去っていくウマ娘も少なくない中、僕はその先のレースをすでに見据えていた。

 

 入試から半月もしないうちに、ダスカちゃんから合格したと連絡があった。そうか、合格したか、どうすれば穏便にスカウトできるだろうか、などと考えているとタキオンが声をかけてきた。

 

「ふぅン、そうか、楽しみだねぇ」

 

 メッセージを受け取った瞬間の僕の顔から何を察したのか、エスパーだろうか。

 

「えっ、怖。もしかして心の声が聞こえるようになる薬でも飲まされた?」

「いや、君は私をなんだと思っているんだい」

「アグネスのやべーやつ」

「君は全アグネスに謝った方が良い」

 

 アグネスの名を持つウマ娘全体に風評被害をまき散らす約二名のうちの片割れが、そうのたまった。

 

「長い付き合いならわかるさ。君の狂気に濁った瞳に、今まで見たことのない光が灯ったような気がしたのだからね」

「死んだ目で悪かったな」

 

 ネット上ではタキオンとそのトレーナーの瞳の輝きは、デジタルがすべて肩代わりしている、というような言説がまかり通っているらしい。うむ、間違いではない気がする。

 

 

 

 

 これは、選抜レースを控えたダイワスカーレットを見かけたアグネスタキオンが超高速で抱き着き、「トレーナー君! この子を連れて帰っていいか! いいよ!? ありがとう、最ッ高だ!!」と狂喜乱舞する、ほんの少し前のお話。




あらすじ通りのコンセプト。よろしくお願いします。

かんたんキャラ紹介

●ダイワスカーレット
初恋の人の娘さん。トレーナーは複雑な感情を抱いている。

●アグネスタキオン
無敗の三冠バになって有馬も獲ったがガラスにヒビが入った。

●アグネスデジタル
初めての担当バに関わらずトレーナーからの扱いが割と雑。

●トレーナー
苗字は『紅』、スカーレットの一族のヒト。初恋の人に娘ができても思い続けるBSS拗らせた気持ち悪い奴。


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0.1, reunion

 運命の出会い、それは多くの人たちが夢想するも実際には滅多に起こりえないもの。運命かどうかなんていうことも、後になってからではないと分からない。

 しかし、私たちウマ娘やそのトレーナーには確かに存在している。それこそ相手を一目見たときに感じるのだ。

 

 例えばあのトウカイテイオー。彼女は七冠ウマ娘のシンボリルドルフに運命を感じたと語っていたし、シンボリルドルフの方もトウカイテイオーに何か近しいものを感じていたともとれる発言をしている。

 

 例えばあのスーパークリーク。彼女がトレーナーを見かけて『逆指名』した、というエピソードは有名だろう。

 

 他にも「ダービーで先頭を走るのを見た」だの「有マでセンターにいるのを見た」といってスカウトにいったトレーナーも存在するという。そして、実際に成し遂げた。

 

 私たちウマ娘やトレーナーにとって運命だったり近しいものだったり、そういったフィーリングはバカには決してできないものなのだ。

 

 

 

 

「お兄さん!」

 

 待ち合わせ時間よりほんの少し前。優等生な私は余裕をもって集合場所についたというのに、彼はもうその場所に立っていた。

 線の細い、良く言えば女性的な顔立ちをしている彼は、その整った容姿を台無しにするかのように目が死んでいた。

 

「久しぶり、ダスカちゃん。まずは合格おめでとう」

「ふふん♪ 当然の結果よ」

「そうだとしても、だよ。よく頑張ったね」

 

 成長期になって少しは背も追いついたけれど、やっぱりまだ届かない。

 お兄さん(ママの従弟だからおじさんではあるんだけれども、年齢が若いこともあってお兄さんと呼んでいる)は中央のトレセン学園でトレーナーをやっている。それも無敗の四冠バや、あの勇者を担当している超エリート。

 

「けどこうやって気軽に呼べるのもあと少しだけかあ」

「別にアタシのことなんて好きに呼べばいいじゃない」

「立場だよ立場。トレセンではスカーレットさんって呼ぶからね」

「えー」

 

 ちなみにダスカ、って呼び方はお兄さん考案。スカーレットって呼ぶと自分の苗字とか母親の旧姓で呼んでるようで違和感あるし、だからといってダイワって呼ぶのもなあ、とのこと。前々から思っていたけれどお兄さんはダイワに対して当たりが強いんじゃない?

 

「で、今日はどうする?」

「んー、特に決めてなかったわ。それにほら、あまり連れ回してもお兄さん疲れちゃうでしょ」

「あはは、それは、そう」

 

 何せあの勇者が海外遠征を控えているのだから。

 

「ドバイに行って、そのあと香港?」

「うん。香港は冬に行ったけどドバイは初めて」

 

 街を歩きながらいろいろな話をする。正月には顔を合わせていたけれど、有馬もあったし、そのあとのアグネスタキオンさんの故障のこともあって、本当に顔を合わせるだけになってしまっていた。

 

 お兄さんが本格的にメインのトレーナーとしてアグネスデジタルさんの担当になってからは、小さいころのように会うことが難しくなった。それまでは近所に住んでいたこともあったし、私がトレセン学園を目指していたこともあって、家庭教師のような形でお兄さんには色々と教わっていた。

 中央のトレーナーになれるだけあって、学生のころからお兄さんは優秀だったし、その指導を受けられるのは本当に貴重な体験だった。幼いころからこうやってトレーナーとトレーニングを共にできるのは名家のウマ娘でも早々できるものじゃない。

 

「じゃあ今年の夏からはまたレースに出られそうなんだ」

「お医者さんの話だとね。ま、そのときのタキオンの調子次第かな」

 

 有マ記念でのアグネスタキオンさんとマンハッタンカフェさんとの対決。互いに似たようなものを感じ、譲れないものがあり、つまり宿命のライバルとの大決戦。それを制したのはアグネスタキオンさんだった。

 素直にいいなあ、と思う。絶対に譲れないライバルとの戦い。すべてを出して己の限界を突破して、つかんだ勝利。

 故障してしまったのはショックだけれど、勝利のためにはそれも厭わないのがウマ娘の本能。

 

「あ! 新しいぱかプチじゃない! あっちにいくわよ!」

 

 クレーンゲームでマンハッタンカフェさんのぱかプチを狙う。アグネスタキオンさんもそうだけど、死んだ魚のような目というと失礼だけど、そこが可愛くて好き。お兄さんの目みたいだからだ。

 

「ねえなんで僕の前でカフェのを狙うかな。タキオンの取ろうよ」

「そっちはもう家にあるからいーの!」

 

 ずっと受験勉強をしていたから、こうやって遊ぶのがとても楽しい。学校の友達とも遊びに出かけたりしたけれど、やっぱりお小遣いも限りがあるわけで気にしなくていい、というのはとても良いものだ。うん。

 むむ、やっぱ難しい。結局何回かやってあきらめてお兄さんに取ってもらった。何だか昔から妙に上手なのよね、こういうの。けどなんか洗練されてきたように見えるんだけど。

 

「デジタルがね、こういうの欲しがるんだけどゲーセンで見つかって騒ぎになると大変だから代わりに取ったりしてたんだ」

「えぇ……」

「あいつ、推しのグッズは死んでも集める! とか言ってたな。まあ本人の金だから文句は言わないし満足してるようだからいいけどさ……」

 

 ウマッターに戦利品! とかいって画像たくさん上げていたけどその一部はお兄さんが取ったものだったのかもしれないという衝撃の事実。

 

「部室も溢れそうになってついには倉庫とかも借りたようでな。賞金の使い道がそれでいいのか……もっとほら、後進の子に希望を与えるような使い方とか無いのか?」

「な、なんだか苦労してそうね」

 

 今話題の名バの裏話とか、記事にしたら反響のありそうな出来事とかをいっぱい教えてもらった。世間でよく言われる勇者の姿と、ウマッターとかお兄さんの話で聞くウマ娘オタクの姿、どっちが本当の姿なんだろう。顔を早く合わせてみたい。

 

 ゲームセンターで満足するまで遊んだ後、お昼を食べにきた。

 お兄さんによると「今どきのウマ娘ちゃんたちに大人気なお店」とのことで、ちょっとお洒落なお店だった。私もアグネスデジタルさんが常連で、よくここに来ているとウマッターで紹介しているのを見たことがあった。

 まだ私には敷居高いかなあ、なんて思っていたけれど何事も経験よね。

 

 件のアグネスデジタルさんは芝だけでなくダートも走れて、しかもG1までとっていく謎のウマ娘。それでいてウマッターで話題にするのは同じトレセン学園の推しウマ娘についてだったり、ファンアート? だったりで自分のレースの宣伝とかそんなのあんまりやってない。

 お兄さんが初めて担当したウマ娘なんだけど、その、個性が強すぎないかしら。

 

「でもあいつ、あんなんだけどマルチリンガルなんだよね」

「帰国子女だったわよね。英語以外にいけるの?」

「フランス語とかいけるらしいぞ? いつか凱旋門賞に行けるようにって」

 

 更にトレセン学園の全員の顔と名前が一致してるし、過去のレース結果とかも網羅しているらしい。お兄さんは生き字引として活用しているとかなんだとか。便利そうね、それ。

 

「僕がデータ収集するよりも彼女の好き勝手させたほうが綿密なデータ集まるんだよね」

「トレーナーとしてどうなの、それ」

「デジタルがもし担当から離れたらトレーナー廃業かな、あはは」

「トレーナーとしてどうなの、それ!?」

 

 さ、さすがに冗談よね?

 

「あ」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 

 注文を終えた後にお兄さんは、何かに気が付いた様子でスマホを取り出して誰かにメッセージを送ったようだった。むう、せっかくのデー……お出かけでそういうのはちょっと良くないわよ。

 

「ちょっと。今日は私の日でしょう?」

「ごめんって」

 

 本気で怒ってるわけじゃないし、これはいつものじゃれ合い。ないがしろにされたとかそんなこと全く思ってもいない。ええ、そんな怒ってなんていないですとも。メニューの一番最初にでかでかと書いてある一番お高そうな特大パフェとか食べさせてくれたら許してあげなくもないわ。

 

「……入学したらすぐ身体測定とかあるから気を付けてね」

「は?」

「ダスカちゃん正月に比べたら受験までに絞ってたの考えても、ちょっと体重増えたでしょ? まあ入学までには余裕で調整できる範囲ではあると思うけど――」

 

 へぇ、人が気にしていることを指摘しちゃうんだ? たしかに? 合格したから? 少し羽目を外したりしたし? ちょっとは体重増えたのは理解していますけれど?

 

「あ、店員さんすみません。食後にお願いしてたこのパフェ、あともう一つ追加でいただけるかしら?」

「ダスカちゃん!?」

「かしこまりました」

「店員さん!?」

 

 ダイワスカーレット、キレるわよ!!

 

「ちょっと、女の子に体重の話はタブーじゃないの!?」

「いやあ、どうしても気になっちゃって」

「デリカシー!」

 

 ほんっと、こういうところは昔から変わってない。トレセン学園で女の子たちに囲まれて、少しはそういうところ気にするようになったかな、なんて思ってた自分がバカだったわ。

 ま、まあ慣れすぎたりされても困るんだけれど。目は死んでるけど顔立ちは良いわけだし、ウマ娘の血が濃いからそりゃ目を引くわけでカッコいいとこも――いやいやそんなことは全然ないし。目が死んでるし。

 

「まあダスカちゃんは成長期だしね。前よりも大人っぽくなって綺麗になったじゃない、本格化も近いし大丈夫だよ」

「――ッ! このおたんこにんじん!」

「褒めたのに怒られた!?」

 

 不意にそういうこと言うの、よくない。全然うれしくなんてないんだから。

 

――また今日も立ったまま気絶してる……

――そろそろ出禁にしようかしら、この子。変装もグラサンにマスクとか怪しさ満点だし

――ドバイも近いのに何やってるのかな、トレーナーは見たことないウマ娘連れてるし

 

 店員さんたちが何かこそこそと話している。ちょっとうるさくしすぎたかもしれない、反省。でも全部お兄さんが悪いんだからね?

 こほんと咳ばらいを一つ。ちょっと話題を変えましょ。

 

「そういえば新しくバイク買ったんですって?」

「ウマ娘たちが走ってるのを見ると僕も走りたくなちゃってね」

「ほどほどにしてよね? 怪我とかされたら困るんだから」

 

 お兄さんは趣味としてバイクに乗っている。人間はウマ娘よりも弱いんだから、事故とか心配。

 どうしてバイクに乗っているの、って聞いたことがある。そしたらウマ娘の走る感覚を自分も感じていたいって言っていた。

 確かに、二人乗りをさせてもらったときに風を切る感覚は走っているときに近いものがあった。まあ、前にお兄さんがいる分ちょっと感覚は違ったし温もりとかもあったしいい匂いも……いやそれは関係なくて。

 

 バイクの名前は聞いたけど、なんかウマ娘の名前にありそうな名前だった。興味薄いから多分すぐ頭から飛んでっちゃいそう。

 

「多分それヤマニンゼファーだよ」

「ヤマニンゼファー……ああ、安田記念とかの!」

 

 お兄さんのバイクはヤマニンゼファー、うん覚えたわ。

 そんな話をしつつ、運ばれてきた料理をいただく。とてもお洒落だし美味しかった。写真も撮ったしあとでウマートしておこう。

 

 お昼も食べ終わって街をぶらり。入学祝いなんかも買ってもらっちゃって、ルンルン気分でお兄さんと歩く。久しぶりのお兄さんとのデー……お出かけ。正月に満足するまで構ってもらえなかった分を取り戻せた気がする。

 帰りはママが迎えに来てくれるとのことで、それまでお兄さんの家にお邪魔することになっている。

 

「バイクはあそこに停めてるよ……誰かいるな」

「いるわね。バイク好きなのかしら。触ってはいないようだけど、どうするの?」

 

 マンションの駐輪場。お兄さんが指さしたところには大きめのバイクが一台と、それに至近距離で眺めているウマ娘がいた。

 

「うっわー。カッケー!」

 

 声にも出てるし。お兄さんと顔を見合わせて、笑う。本当にバイクが好きな子みたい。お兄さんが声をかけて、その子が振り向く。だが、私はそこからのお兄さんの言葉なんて聞こえなかったし、アイツも聞こえてなんていなかっただろう。

 

 そこにいたのは、鹿毛の、

 

 私が生涯かけて競い合うことになるだろうと、そういう運命を感じるアイツがいた。

 

 

 

 

 運命の出会い、それは多くの人たちが夢想するも実際には滅多に起こりえないもの。運命かどうかなんていうことも、後になってからではないと分からない。

 しかし、ウマ娘やそのトレーナーには存在している。そして私にも、その出会いがあった。

 

 ウマ娘とトレーナーも、初めて出会ったときに運命を感じることがあるという。私がお兄さんと出会ったのは赤ちゃんの頃、だからその時の自分がどう感じたのなんかは覚えていないし分かりようがない。

 

 知っているのは、大泣きしていた私が泣き止んだということだけ。これはママから聞いた話。

 

 直接聞くのは恥ずかしいけれど、お兄さんが私を見たときに何を感じたのか知りたい。もし運命を感じてくれていたのならいいな、とも思う。まあそんなこと素直に言い出せないのが私なんだけど。

 

 これは、選抜レースを控えた私をタキオンさんが抱き着いてきて、彼女の温もりにとても切なくて近しいものを感じる、そのちょっと前の話。

 

 ちょっと私の運命、多すぎ……?




かんたんキャラ紹介

●ダイワスカーレット
その後トレーナー宅でサプライズパーティが始まった。ママからティアラをもらってご満悦

●グラサンにマスクの不審バ
尊い…と言い残して気絶した。「偶然だね。話しかけに行くとこの子が拗ねるから、すまんね」というメッセージが来ていたが気付いていない。

●鹿毛のアイツ
入学前に地理確認も兼ねて走ってたら最近出たバイクを見かけて目を輝かせていた。

●トレーナー
下手に研究するよりデジタルに任せた方が確実と開き直っている。


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1, デジタルご乱心

デジタル最強!


 春、ここトレセン学園も出会いの季節となり、新しいウマ娘たちがやってきた。夢と希望を抱いて、そして栄光をつかめるのは一握り。一勝もできずに地元に帰ることになる子たちだってたくさんいる。

 トレセン学園は狭き門だが、そこから更にその中でトレーナーが付くか、そして勝利できるか、重賞もとれるか、G1を制することができるのか、様々な段階で大きな壁が聳え立つ。

 

「……だというのにあいつは」

 

 はあ、と大きくため息。視線の先には木の陰から期待に胸を膨らませる新入生を眺める変態。先日ドバイワールドCを制したウマ娘だとは思えない醜態を晒している。これでG1を6勝(しかも芝とダートを織り交ぜて5連勝中)しているというのだから、世のウマ娘はこいつを殴っても文句は言われないだろう。

 

 ドバイに行った時のことだ。

 運の巡りあわせがとても悪かったのか、飛行機で移動していたところ乗り継ぎ機にトラブル発生、待機を余儀なくされた挙句、現地に到着しても天候不良で満足に調整もできない状態。その他、デジタルのスマホがぶっ壊れたりするなど悉く何者の意思かしらないが、運が向いていなかった。

 

(タキオンを連れていってて良かった)

 

 アグネスデジタルは勝利を目的とせず、ただ『ウマ娘ちゃんが好き』というモチベーションだけで走る変態。つまり、空港でウマ娘が近くにいなかったり、豪雨によってウマ娘が走ってる様子を見られなかったり、スマホで推しを供給できていなかったりと、はじめて見るくらいにトラブルのたびに憔悴しきっていた。

 

『ウマ娘ちゃんの幻影が、見える』

『デジタルしっかりしろ、それはタキオンだ幻影じゃない』

『もう、ゴールしてもいいよね……』

『まだ走ってすらないけど?』

『デジタルくん!? し、死んでる……』

 

 親指を立ててデジタルは空港の待ち椅子に倒れこんでいた。いやお前絶対に余裕あるよな?

 

『さあ、実験を始めようか』

『どうした急に』

『デジタルくんのデータを採集しているところでね。今回は貴重なデータが取れそうだ』

『具体的に?』

『肉体的接触面積によるリラクゼーション効果と、それによるコンディションとの相関関係さ』

 

 基本的にウマ娘が隣にいるとうるさいためタキオンはデジタルに対し僕を挟んで座っていたが、すすすと歩み寄ってデジタルに急に抱き着いた。

 ちなみに僕が隣でもデジタルはうるさい。僕はトレーナーであって、ウマ娘を勝たせるために全力を注いでいるが、オタクではない。だというのに何故か彼女は僕のことをオタク仲間だと認識している節があるようで、オタク特有の早口で語りかけてくる。

 

 一度タキオンに相談したことがあるが「いや、デジタルくんのトークについて行ってる君もオタクだろう? 熱心に聞きこんでメモまでしてるじゃないか」と言われた。心外な、各ウマ娘のデータや癖、日常やトレーニング内容がハイレベルで無償で手に入るんだぞ? それに脳内シミュレートでレース展開まで綿密にこなせるとかトレーナーとして聞き漏らすわけにはいかないじゃないか。そう答えるとため息をつかれた。何故。

 

『はうっ!?』

『し、死んでる……』

『ううむ、刺激が強すぎたか。次回はもう少し軽くしてみるか』

『冷静に考察してる場合か?』

 

 結局、代替便がやってくるまでデジタルはそのままだった。というか普通に寝てたし移動の疲労もあっただろうけど。

 またドバイに着いてからも似たようなことがあった。

 

『雨、雨、雨……走ってるウマ娘ちゃん、どこ』

『デジタル、それより自分の調整の方を気にした方が良いと思うよ』

『そんなこともあろうかと』

『タキオン今どこから出てきた』

 

 豪雨に次ぐ豪雨、満足に走ることのできない中、デジタルはランニングマシンを使っていたがフラストレーションのせいでうまくペースを作れていなかった。どうしたものか、と考えているとぬっと地面からタキオンが生えてきた。本当にどこから出てきた。

 

『やあモルモ……トレーナーくぅん』

『うーん、嫌な予感がしてきたぞう』

『せっかくの機会だ。海外ウマ娘たちと親睦会を開くことにしてねえ、ちょっとした出し物を』

『急用を思い出した、じゃ!』

『デジタルくん、確保したまえ!』

『ヒョァア↑』

『ちょ、おま!?』

 

 タキオンに指示されて急に全力を出したデジタルに飛びつかれ一瞬で確保された。そういうとこで本気出すなよ、というか僕がトレーナーやるよりタキオンに指示もらった方が調子よくなるんじゃあないかなあ!?

 

『さ、日本で発見されたUMA、【怪奇! 発光人間!】のお披露目と行こうじゃないか』

『は、離せこら!』

『ヒトがウマ娘に勝てるわけないだろう? それも二人がかりだ』

『タキオンさんとの共同作業……じゅるり☆』

『Are you ready?』

『ダメです!』

 

 その後、同じく日本からやってきていた別のウマ娘のトレーナーに慰められた。発光しながら。いっそのこと殺してくれ。

 後日、日本のトレーナーはヤバいと現地で話題になったとか。風評被害もいいところだよ。

 

 更に、デジタルのスマホが壊れた時も

 

『……』

『す、スマホなら僕のを貸すからさ。あとでアプリで写真と送ればいいだろ?』

『秘蔵の、ウマ娘ちゃんフォルダを、糧に、していたのに、どうして』

 

 はじめて見るくらいに気落ちしていた。基本的にデジタルもタキオンも勝手にモチベーションを保つからこんなときの対応の仕方がわからない。ダスカちゃんとかならお菓子あげたりあやしてたら機嫌よくなるんだけど。

 どうしたらいいのか頭を悩ませる。発光しながら。

 

『ふぅむ、なら私のを貸そう』

『ウマ娘ちゃんのススススマヒョを!?』

『食いつきの差が露骨すぎやしない?』

 

 デジタルのスマホが壊れてから修理できないかやってみる、と色々やってたタキオンだったが、専門じゃないから無理だということで諦めたみたいだった。

 もしスマホの修理までできたら驚きすぎてドン引きするよ。

 

『デジタルくんなら大切に扱ってくれるだろう?』

『かっ……神対応!? 後光、後光が差してる!!』

『それは僕ね』

 

 発光する僕を置いて狂喜乱舞して部屋を出て行ったデジタルを見送り、タキオンに問いかける。

 

『で、どんなアプリ?』

『な、なんの話だい?』

『タキオン?』

『……言わなきゃダメかい?』

『うん』

『……裏でカメラ動かしてるくらいだけど』

『プライバシー! 倫理観ガバガバか!』

 

 うん。

 

(タキオンを連れていってて良かったことあったか……?) 

 

 まあ、勝ったから、ヨシ。そういうことにしておこう。

 何はともあれ、今日は選抜レースの日だ。なんかドバイでのことを思い返していただけだったのに、とても疲れた気がする。

 

 選抜レースというのはトレセン学園のビッグイベントの一つである。各ウマ娘はより良いトレーナーの目に留まろうと必死に走るし、各トレーナーはより良いウマ娘をスカウトしようと目を光らせる。

 よりディープなウマ娘ファンなんかは選抜レースまでチェックしているらしい。誰よりも先にあの子のファンだったんだ! という古参になりたい人とかそういうのだろうか。

 

「ダイワスカーレット、もうこの時点で素晴らしい仕上がりだ……!」

「入試レース、模擬レースを見てもすごいものを持ってますね」

 

 選抜レースの会場へと向かうトレーナーとそのサブトレーナーだろうか、ダスカちゃんのことを話題にしているようだった。すでに有力候補として名が上がっているようだ、ちょっと日本を離れていたからここ数日のことのはずなのに話題に遅れている。

 

「ダイワスカーレットちゃん、脚質は先行、逃げ。性格は面倒見がよく他人からよく頼りにされる。少し勝気な面もあるが常に前向きで虎視眈々とチーム所属を狙っていたようだ。誕生日は5月13日、母は重賞ウマ娘。好きな言葉は……」

「どうした急に」

「やっぱオタクのデジたんとしては、こういう説明口調も時には必要だと思うんだよね」

「はあ」

 

 いきなりノートを開いてぶつぶつと呟きだしたデジタルから距離を取った。なるべく他人のフリしておこう、それがいい。

 

「あ、そうだオタクくん」

「オタクくん言うな」

「デジたんがちょーーっとダイワスカーレットちゃんのこと調べてた時にこんな写真出てきたんだけど」

 

 デジタルがノートに張り付けていた写真をこっちに見せてくる。そこにいるのは

 

「ダイワスカーレットちゃんのお母さんの横、いるのってトレーナーさんっしょ?」

「……そうだね」

「やっぱ小さいころからオタクだったんだ。目がキラッキラしてんねえ! どうして目がしんじゃったの」

 

 よりにもよって、見つかりたくないやつに見つかってしまった。いや、見つかるのは時間の問題だったろうけどさ。

 写真の中のあの人を見ると、心が痛む。もうどれだけの時間が経った、ダスカちゃんが入学できるだけの時間があったというのに、僕はまだ囚われている。

 先日ダスカちゃんを招いてサプライズパーティしたとき、僕の家にやってきたあの人、そしてその面影が強いダスカちゃん。

 

「はぁぁぁぁ、尊い。将来を渇望される美少女ウマ娘の親戚のお兄さんが優秀なトレーナーでイケメン、目が死んでるけど。どこのアニメですかー!?」

 

 またズブズブと後悔と諦念に沈みそうになっていたが、デジタルのうるさい声に引き戻された。

 

「あたしも美少女ウマ娘ちゃんの幼馴染とか親戚とかそういうアレが欲しかった……あっ、親戚いるししかも同室……推しと同じ空間で生活してて、ごめん全国のオタクくんたち!」

「……置いていくか」

 

 とりあえず一人でヒートアップしているデジタルを放置して進む。あのまま放置してても問題はない。近くにウマ娘がいたら一瞬で壁と同化するので周囲に迷惑はあまりかけないし。

 

「おい、タキオンのトレーナーだ」

「やっぱりスカーレット狙いか? 親戚だもんな」

「最初からウオッカに絞った方がいいか? これは」

 

 レース場に近づくにつれて、こっちへの視線が厳しくなってくる。去年とかはそんなことなかったのにな。

 デジタルとタキオンが結果を出していくにつれて、選抜レースに足を運ぶたびにほかのトレーナーからの視線が強くなってきている気がする。初めての正式契約を結んだデジタルがよくわからないローテで勝ち、タキオンが無敗の四冠を達成したのが大きいのだろうが、中身はまだ走り出しの新米なので勘弁してほしい。

 

「やあ、トレーナーくん。デジタルくんはどうしたんだい?」

「デジタルなら置いてきた。そのうちそこらへんでこそこそ動き回るでしょ」

「それもそうだね」

 

 基本、選抜レースにウマ娘が観戦にくるなんてことはあまりない。トゥインクルシリーズを退いたシンボリルドルフやマルゼンスキーといった連中が遠くから覗きに来ることはあるが、現役ウマ娘が見に来ることは滅多にない。

 血縁がいる場合などは応援にくることもあるが、基本的にここはトレーナーを探すウマ娘とトレーナーが主役。それにメイクデビューが終わってからでも走りを見るのは遅くない。

 

 だというのに何故デジタルとタキオンがこの場に向かうのか。デジタルは言わずもがなだが、タキオンは満足に走れない分、研究でこもりがちのためこうやって僕が外に誘った。

 

「研究も良いが、コーヒーブレイクついでに出歩くのもいい。気分転換になる」

「たまには出歩かないと。白いを通り越して青白くなるよ」

「キミは1680万色に発光するけどね」

「誰のせいか言ってごらん? ん?」

「あっはっは」

 

 もうそろそろ医者からもokが出る頃合いだ。夏のとりあえず宝塚を目標に手頃なレースを叩いてから行く予定だ。もちろんその時の足次第だし、場合によっては直接行くことも考慮している。最終的には秋シニアに向けて調整していく。

 

 レース場につくと、集合時間から30分以上前だというのに、そこにはもうたくさんのトレーナーとレースを待つウマ娘たちがいた。ウマ娘たちはこれからのレースに不安と期待に揺れているものの、誰もがこのトレセンに通うことを許されたエリートたちだ。

 すると、何人かがこちらに気が付いたような素振りを見せ始めた。

 

――あれってアグネスタキオンさんじゃない!?

――ウソ、私ファンなの!

――なら隣の人はトレーナーね。いいところ見せないと!

 

 こちらをちらちら見つつ何やら話しているようだ。ただ僕は人間、彼女らの会話を聞き取るのは難しい。

 タキオンは耳をピクピクと揺らしてなんとか聞き取ったようだ。

 

「おや、見つかったようだねえ。あの子たちは君にいいところを見せようとしているようだよ」

「ふーん」

「興味なさげだね」

「タキオンこそ」

「私が興味あるのは君が気にしているウマ娘だけさ。当然入学してきているんだろう?」

 

 タキオンがそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、ちょうどダスカちゃんはレース場にやってきた。隣には先日マンションの駐輪場で出会ったウマ娘が一緒だ。名前はたしか、ウォッカといったか。いやウオッカだったな。

 

「ウオッカちゃん、脚質は先行、差し。性格は――」

「それはもういいよデジタル。というか急に出てこないで、心臓に悪い」

「あれ、タキオンさんは?」

 

 デジタルに言われてさっきまでタキオンがいたところを見る。いない。

 そしてレース場の方に視線を戻すと

 

「は?」

「さすが超光速のプリンセス、超光速の粒子! ブランクはあってもその走りは健在……はぁ推しが今日も速くて尊い」

 

 新入生たち、しかもダスカちゃんに向かって一直線に駆けるタキオンの姿があった。

 いや何してんの!?




●アグネスデジタル
供給が足りなくて死にかけた。ダメージが深かったら一年くらい立ち直れなかったかも。

●アグネスタキオン
意図的にトレーナーを光らせた

●トレーナー
光った

●ダイワスカーレット
選抜レース頑張らなきゃって思いつつお兄さんいないかなって探してた。タキオン着弾まであと3秒


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2, これからよろしく

 緊急事態、タキオンが選抜レースを待機している新入生たちに全力をもって突っ込んでいくというやらかし発生。

 タキオンが駆けだした数秒後、気が付いた僕は追いかけ始めた。とりあえず元気に走るタキオンに限界を迎えたデジタルは放置で問題ないだろう。

 走る、走る。一般アスリート一歩手前のトレーニングをモルモットとしてタキオンより課されている僕だが、どうしてスーツで今走らねばならないのか。というか、普通逆だよね、なんでウマ娘にトレーニングを課されているんだ僕は。

 

 己の境遇に嘆きつつ走り、ようやく追いついたところでダスカちゃんに抱き着いているタキオンが興奮したように声をかけてきた。

 

「トレーナー君! この子を連れて帰っていいか! いいよ!? ありがとう、最ッ高だ!!」

「僕はなにも言ってないけど?」

 

 こいつ、自分に都合のいいようにしか頭が働いていない。

 

「えーっと、タキオン。ちょっと離れような。新入生の子たちが困ってるだろう」

「いーやーだー!」

「駄々っ子か!」

 

 しかし困ったな。人間が全力で他人に抱き着いているウマ娘を引きはがすなんて不可能だし、というか公衆の面前でタキオンを引きはがしにかかるのも、僕のトレーナー人生やらなにやらが実際危ない。

 突然騒がしくなったため何事かと新入生たちの視線が集まり、そこには無敗の四冠バがダスカちゃんに抱き着いている姿を見て驚愕する。

 

「え、アグネスタキオンさん!?」

「ウソ!」

 

 そして先ほどタキオンがいることに気が付いていた様子の子たちは、タキオンが自分たちでは到底出しえない速度でここまで駆けてきたことに興奮しているようだった。

 

「あそこからここまで一瞬で!」

「早すぎる、これが今世代最強ウマ娘!」

「でも今リハビリ中でしょ、もしかして抑えてこれなの……」

 

 新入生たちは誰もがトゥインクルシリーズでレースを走り、勝利することを目指してきている。彼女らからして現在のトップウマ娘の一人でもあるタキオンの登場は興奮を与えたようだった。

 あの名バがここに、やっぱりトレセン学園に来られてよかった、と思っていることだろう。能天気で羨ましいことだ、僕は今、猛烈に胃が痛い。

 

 ここまでの騒ぎをこの子たちだけじゃなくてスカウトに来ている他のトレーナーたちに見られているのだ。どう考えたって穏便にダスカちゃんをスカウトできるような流れじゃなくなってしまう。

 それに模擬レースを邪魔したということで偉い人に怒られる可能性もある。しかもそれをやらかしたのが模擬レース拒否、なんて前代未聞の出来事を起こしたタキオンなのだから。

 教室での爆発騒ぎやらなんやら、タキオンと契約して一年とちょっとだというのにそういうアレコレで呼び出された数が三桁に迫ろうとする僕を誰か憐れんでくれてもいいと思うんだ。 

 

 急に抱き着かれて目を白黒していたダスカちゃんだったが、自分に抱き着いているウマ娘の正体に気が付くとおずおずと声をかけた。

 

「あ、あの。アグネスタキオンさん?」

「おっと自己紹介がまだだったねえ。私こそ全知全能! アグネスタキオン!」

 

 タキオンはそう言うと同時にダスカちゃんから手を離して手を広げた。そうすると丁度よくたまたま風が吹いて局所的に巻き上がった。

 

「か、カッコいい……」

 

 ダスカちゃん、お兄さんはその趣味どうかと思うんだ。

 

「いやいや突然興奮してしまってすまないねぇ。なんだか君が他人とは思えなくて、つい」

「あ、貴女もですか。実は私もなんです!」

「タキオン、でいいよスカーレット君」

「タキオンさん! よろしくお願いします!」

 

 あっれ、なんだかおかしなことになってきたぞ。

 

 まずダスカちゃんとタキオンが他人とは思えないと互いに感じているという。つまりそれはウマ娘同士の相性がいいとかそれ以上に、運命的なものなのだ。

 トウカイテイオーとシンボリルドルフがそうであったように、レースで結果を残すようなウマ娘と運命的なものを感じたということは、必然的に『強い』

 

 それ故に、思春期に入りたてということもあってか走るウマ娘たちは多かれ少なかれ運命というものを重視する傾向がある。「運命的なものを感じる」、「近いものを感じる」といった言葉が日常で使われるほどには。

 

「スカーレットさん、すごい。タキオンさんと運命で繋がってるなんて」

「羨ましい……」

 

 そんな声が上がる中、一人だけメラメラと、メラメラと闘志を発する子がいた。ダスカちゃんとタキオンを見つめるその目が一人だけ違うその子は

 

「へッ、絶対に負けねえ。俺がダービーウマ娘になるんだ」

 

 多くのウマ娘たちが羨望の眼差しを向ける中。逆にそれを上回ってやるという熱意に満ち溢れるその姿は純粋に称賛に値する。ウオッカ、やっぱりこの子はダスカちゃんの一番のライバルになるに違いない。

 あの日、駐輪場で出会ったときにダスカちゃんが「きっとアイツと一生競い合うことになる、と思う」って言っていた。確かに、この子が一番の難敵になる。

 

 ま、ダスカちゃんはティアラ路線だからダービーでは戦わないんだけどね。

 

 それはともかくだ。

 

「タキオン、もういいだろう? あっち戻るぞ」

「ん、分かったよトレーナー君。それじゃあ行こうか」

「はい! タキオンさん!」

「いやいやいやちょっと待て」

 

 タキオンはごく自然にダスカちゃんの手を握って歩き出そうとしたし、ダスカちゃんも気にする素振りもなく歩き出した。

 タキオンはともかく、ダスカちゃんは今からレースのハズなんだけどなあ。

 

「スカーレットさんは置いていきなさい」

「ええ!? そんな、こんなに可愛いのに君は悪魔か?」

「捨て猫を返してこいという母親か、僕は」

 

 ほらよく見たまえよ! と言ってタキオンがこっちに彼女を突き出してくる。そして体の各所を指摘してどこがどう、いかに優れているのかとかを熱心にプレゼンしてくる。いや、その、付きっ切りではないとは言えトレーニングプランとか組み上げて鍛えさせたの僕なんだけど。

 

 というか、もしかしてタキオンは僕と彼女が親戚ということに気が付いていないのではないか、という疑問が浮かぶ。いや、絶対に気が付いていない。というかそもそも僕の苗字から忘れていそうだ。スカーレット一族の人間っていうデータ絶対に抜け落ちてそう。

 

「そして極めつけがこのトモ!」

「はい、アグネスタキオンさんそこまでです」

 

 大きく身振り手振りでダスカちゃんについて熱弁していたタキオンの手をガシッと誰かがつかんだ。その姿を見た僕は、一瞬で心臓が縮み上がる。そこには鬼を背負った緑の悪魔がいた。

 

「おっと、理事長秘書じゃあないか。今日はどういったご用件で?」

 

 やってきた緑の人、駿川たづな理事長秘書は背後に鬼が仁王立ちしているようなオーラでタキオンに詰め寄る。さすがのタキオンもこれはマズいと思ったのか、握られた手を解こうとしながら弁明しようとする。

 さすがはたづなさんだ、ウマ娘の胆力でもビクともしていない。どこをどうやって鍛えたら女性の身でそうなれるのか。

 

「アグネスタキオンさん、あなたは自分の選抜レースには全く出ようとしなかったのに、後輩の選抜レースに飛び込み参加ですか?」

「い、いやあそれには理由があってだね。そこらへんはそこのトレーナー君に詳しく、ほら、ほら!」

「はい、そこのところは完全に熟知しておりますよ。なにせ貴方のトレーナーさんとはとても『仲良く』させていただいていますから。ね?」

「アッハイ」

 

 そこで僕に振るか!? たしかに仲良くはさせてもらっていますけれども、いますけれども! 会話の五割ほどはうちのアグネスたちの異常行動についてですが。いつもすみませんって頭下げてる記憶の方が多いよ、僕。

 

「とりあえずタキオンさんは理事長室に行きましょうか。トレーナーさんは選抜レースが終わった後にでも、お願いしますね?」

「アッハイ」

 

 オイオイ終わったわ。たづなさんに連行されていくタキオンを見送りながら僕は空を仰いだ。

 

 タキオンの暴走のせいで色々とあったが選抜レースはその後しばらくして問題なく行われた。

 開始までまだ時間があるときの騒動だったのが良かったのか、調子を乱した様子の子がいなかったためほっとした。というよりかは余計な緊張が解れたのか、例年よりも伸び伸びと走っている子が多かったように見受けられた。

 

「さて、どうしようかなあ」

 

 やはり今回の超注目株のダスカちゃんにウオッカは多くのトレーナーに囲まれていた。中では壮絶なスカウト合戦が始まっているのだろうが、ここに割り込んでいくのはきっと得策ではない。かといって待ち続けるのもよくはないだろう。どこかのタイミングで行くしかないか。

 

 今回の選抜レースでダスカちゃんはウオッカと一緒に走った。最終的には二人の競り合いになったものの、決定的な差が出たのは最終盤だった。

 

「うっひょぉぉぉ! 手に汗を握る展開! しゅごすぎいいぃぃぃ!」

 

 尊死から復帰してすぐにまた尊みに限界を迎えるという、とても忙しそうなデジタルが楽しそうにしていたが、直線での競り合いでダスカちゃんが先行した瞬間に雰囲気が変わった。

 

「これって……」

「このレベルまで持ってきているのか、さすがだねダスカちゃん」

 

 思いもよらない幻影に、『勇者』が笑みを浮かべた。

 

「"領域"に手が届いてるんだ……。最強の新入生かも」

「そうだね。彼女が今は間違いなく一番だよ。デジタル」

 

 しかしトレセン学園は魔境だ。1勝もできずに去っていくウマ娘もいるというのに、一人でG1を七勝する皇帝然り、無敗伝説のスーパーカー然り。天才というのは存在する、悔しいが。1年ぶりの復帰戦で有マを勝つウマ娘とか常識じゃありえない。

 そう、その常識が通用しないのがトレセン学園で上位に位置する化け物たち。相手をレースで殺そうとするかのような、そんなオーラでターフを駆ける魔物。

 

 ダスカちゃんはいずれ、そういった連中と戦うことになる。"領域"自体がまた入口にしか過ぎないのだから、慢心なんてしていられない。彼女は才能はあるが、天才ではないのだから。

 結局そのレースはその差でダスカちゃんが勝利した。しかし、さすがはウオッカだ。領域に入っていないダスカちゃんと互角の勝負だった。もしあれが無かったら勝っていたのはウオッカだっただろう。

 

 レースを思い返しているとデジタルが声をかけてきた。

 

「オタクくんはスカーレットちゃんをスカウトに行かないんですかぁ?」

「オタクくん言うな。行きたいんだけど騒ぎを起こした後だからな……」

「でもあの子、さっきからこっちをチラチラ見て……あ、今目が合った! 確実にデジたんと目が合った!」

 

 デジタルの言う通り、確かにダスカちゃんはこっちを見ている様子だし、ダスカちゃん以外のウマ娘たちからの視線も感じる。仕方ない、行こうか。多少の顰蹙も、妬みも、全部背負う覚悟は既にできている。

 

 良くも悪くもトレーナーたちの中で僕は有名だ。有名になってしまった。芝もダートも走らせる身の程知らず、たまたま運よく担当できてウマ娘の才能で勝ってるだけ、色んな言葉を聞いてきた。別にそれは良い。

 

 ただ、ダスカちゃんのことが心配だ。

 

 この業界は身内贔屓が多い、名家は名家の繋がり、家のしがらみもある。スカーレット家の力を使って、分家である『紅』の僕を強引に逆指名したんじゃないか、みたいな他のウマ娘からの謂れもない誹謗中傷に傷つきやしないか。

 だが、それがどうした。

 

 ダスカちゃんは僕の運命のウマ娘だ。よりによって、彼女が"僕が全く望んでいなかった"運命のウマ娘だった。そのことに僕は自分の運命を呪った。しかしそれでもやるんだ。

 あの子のトレーナーになって、あの子の夢を叶える手伝いをする。それがあの人との約束だから。僕の生きる意味だ。

 

 だからそんなものに負けないくらいに強く、早く、育て上げて見せる。ウマ娘の可能性、早さのその先、タキオンの担当になったのはその目的が合致していたからだった。

 

「あっ」

 

 人々をかき分けてダスカちゃんの前に立つ。スカウトを断られていたトレーナーたち、話だけでもと声をかけていたトレーナーたちの一部が嫌そうな顔をするのが見えた。

 僕を見上げたダスカちゃんは一瞬だけ嬉しそうな顔をしたものの、すぐにいつも通りの優等生の顔に戻る。

 

「スカーレットさん。僕と『一番』を取りにいかない?」

「はい、喜んで。これからお願いしますトレーナーさん!」

 

 そうして僕と彼女の一年目が始まったのだった。

 

 ちなみにこのまま綺麗に一日が終わるわけもなく、タキオンの監督不足と理事長から注意を受けてしまったのだった。タキオンはもう少し四冠バという自覚を持ってくれないかな? いや、無理か。

 

 僕は諦めた。

 




●ダイワスカーレット
『一番』にスカウトに来てくれなかったのを実は怒ってる

●アグネスタキオン
怒られたけど懲りてないのでまたやらかす……と思われていたが?

●アグネスデジタル
レースはガチ

●トレーナー
新人トレーナーでかつ担当の成績が異常なので周囲の目は厳しめ


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3, RAIN

多くの感想ありがとうございます。ノリと勢いで返信してますので気軽によろしくです。


 ダスカちゃんが僕の担当となったものの、新年度早々海外に飛ぶこととなった。舞台は香港、デジタルがクイーンエリザベスCに出走するためその付き添いである。

 

 ダスカちゃんとタキオンも付いていこうとしていたものの、すでに新学期は始まっている。今回はデジタルとの二人旅となった。

 

 結果、いい走りをしたがデジタルの連勝は途切れて二着。ただ日本勢ワンツーフィニッシュとなったため日本は祝勝ムードだったと聞く。

 

 

 

「あ、おに……トレーナー」

 

 

 

 トレセンに戻ってきてまず部室に戻るとそこにはダスカちゃんがいた。

 

 僕の担当は三人ということで、まだチーム結成には至っていないものの、常に異常行動を起こすアグネスたちを隔離するために特例として部室が設けられているのだ。チーム結成できるのは早くて来年、もしくはデジタル次第であるが再来年かもしれない。

 

 そろそろデジタルもトゥインクルシリーズからドリームトロフィーへの移行を考え始める時期だろうし、チームができるとすればそれくらいからだろうね。

 

 

 

「おかえり。まずはお疲れさま。デジタルさんは?」

 

「帰ってきて早々にレース場に行ったよ」

 

「さすがね」

 

 

 

 デジタルは「こんな大事な時期にウマ娘ちゃんの青春を見逃してしまった!」と叫んで荷物を置くこともなく出かけて行ってしまった。ほんとにタフだね君。僕はもうヘロヘロだよ。

 

 手に持っていた荷物を床に置く。デジタルは何故だか旅上手で、タキオンに比べたら荷物がコンパクトにまとまっているのだが、多いのは多いのだ。僕自身の荷物もあるし。

 

 

 

「ほら。それデジタルさんの荷物でしょう? アタシが預かっといてあげるからちょっと休憩にしときなさい」

 

「ありがとう。助かるよ」

 

「フン。せっかく担当になったのにすぐ放置されちゃったんだから。その埋め合わせしてくれないと酷いんだからね」

 

「ごめんね。代わりにこれからしばらくはみっちりとトレーニングいくよ」

 

 

 

 デジタルが海外レースにも出続ける関係で、どうしてもトレーニングがおろそかになってしまうのは早めに何とかしなければならないかも。とか考えていたが、デジタルが体調を崩し、タキオンも走れないこともあってしばらくダスカちゃんを重点的に鍛えていくことになるとは今の僕は思ってもいなかった。

 

 

 

 ダスカちゃんは前々から個人的に指導していたこともあるのか、もしくは彼女とは相性が良すぎることが原因か、デジタルやタキオンのトレーニングとは全く違っていた。

 

 自分でも驚くくらいに、手に取るように彼女の様子がわかる。どれだけ成長したのか、疲労がどれだけあるのか、エスパーにでもなった気分だった。

 

 

 

「ふぅン。ウマ娘のトレーナーが人間でないといけない理由の一端は、ここにあるのかもしれないねえ」

 

 

 

 トレーニングの合間、タキオンが外国から取り寄せてきた機械などを用いて骨密度? とか筋密度? を測定しているときにそう呟いた。

 

 

 

「そもそも君は私に対してあえて不適切なトレーニングを課してきた。それは良い、適切すぎていれば早めに私の脚は砕けていた」

 

「……そういう見方もあるか」

 

「私にとって相性が良すぎるということは、逆説的に相性が最悪、ということになりかねなかった。最近気が付いたがねえ」

 

 

 

 タキオンが言う通りに僕はアグネスタキオンに対して適切なトレーニングをあえて作っていなかった。

 

 僕がトレーナーをやっているのは、速度の果てを目指すのは、タキオンを無敗の三冠ウマ娘にするためではないからなのが理由だった。

 

 

 

 だがその副産物でタキオンは三冠を獲った。理由は明白だ、適切じゃないトレーニングだからこそ、タキオンは有マに至るまで自分の限界を超えなかった。いや、"超えられなかった"

 

 

 

「ベテランで、才能のあるトレーナーが担当になり私が勝つためのトレーニングを続けていた場合だが……皐月賞の段階で。いや、もしかするとそれ以前に学園を去る羽目になっていたに違いない。――ああ、いいや。ちっとも怒っていないとも。君が新人で、不適切だったおかげで今の私がいる。効率化を求めることが必ずしも善、ということではないと君のおかげで気が付かされた」

 

 

 

 感謝しているよトレーナー君、そう言って彼女は今まで見たことがないような穏やかな笑みを浮かべた。

 

 

 

「さあモルモット君、実験は止まらないよ。果てにある景色、それを『私たちの最高傑作』が見せてくれるに違いないのだから!」

 

「生き生きとしているところ申し訳ないのだけれど、タキオン。あの子を被検体にするのだけは絶対に許さないからな」

 

 

 

 タキオンの言い方に危ないものを感じた僕は一応釘を差すことにした。だが、タキオンはその言葉に首をかしげてこう言った。

 

 

 

「え、被検体にだなんてそんな残酷なことするわけないじゃないか。君は悪魔か!?」

 

 

 

 それ、今まで好き勝手被検体にしてモルモット扱いしてきた人間に対して言う言葉ですか?

 

 

 

「とにかくだ。君とスカーレット君は深い絆で繋がれている。ウマ娘は人間との絆で走る、なんて話は眉唾物と思っていたが違うみたいだね」

 

 

 

 それからしばらく時間が経った。

 

 春が過ぎて梅雨入り間近ということもあってか、ジメジメとした日々が続く。

 

 デジタルは未だ不調のまま(メンタルコンディションは絶好調)、タキオンはようやく調子を取り戻してレースを走れそうなまでになった頃。

 

 

 

「あーあ。せっかくのお出かけなのに天気があんま良くないわね」

 

「仕方ないよ、というかなんでこっちについてくるの? トレセン学園はあっちだよ」

 

「いいのいいの。せっかく会ったんだし話でもしながら歩きましょうよ」

 

 

 

 休日、僕は偶然出会ったダスカちゃんと雨の街を二人で歩いていた。

 

 タキオンに作る弁当用の食材や何やらを買いに外を歩いていたところ、ダスカちゃんに捕まりなんやかんやで二人で行動していたのだった。この子はこの子でトレセンでできた友達と遊びに出た帰りだったらしい。

 

 

 

「デジタルさん、まだ本調子に戻りそうにないね」

 

「そうだね。走っても入着は出来そうだけど、一着は無理そうかも。デジタル自身も今は自分が走ることに意欲が向いてないみたいだし」

 

 

 

 不調のまま走っても仕方がない、全力で走れないのに推しの舞台に立つのは言語道断なんだよオタクくん! と言っていたデジタルを思い返す。

 

 そもそも四月のクイーンエリザベスCまでよく調子を保てていたな、とすら思える。有マでのタキオンの故障以降、どうもデジタルは鬼気迫っていた。詳しくは聞き出せなかったが、『あの』タキオンが故障度外視で勝ちに走った有マに思うところがあったのだろう。

 

 

 

 いや、違う。おそらくはタキオンの三冠目、菊花賞の時からそれは始まっていたに違いない。弥生賞以来になるマンハッタンカフェとの激突、ライバル同士の戦いを見てデジタルはなにを思ったのだろうか。

 

 そして天皇賞秋、デジタルはあのテイエムオペラオーとメイショウドトウを抑えての勝利。そういえば彼女らも宿命のライバルだった。

 

 

 

「その分アタシはお兄さんを独り占めできてるってわけだけど」

 

「そうだね」

 

「……ちょっと。女の子と二人っきりなんだからもう少し良い返事はできないわけ?」

 

 

 

 隣を歩く彼女は頬を膨らませる。ざあざあと振る雨が傘に当たる音、少し濡れてしまった彼女の尻尾。

 

 

 

「ま、お兄さんに期待するのが間違いだったわね」

 

 

 

 どうしても重ねて見てはいけないと思いつつも、あの人の面影がチラつく。心を奪われたあの頃の姿で。しばらく二人して無言で歩く。手に持った荷物がやけに重かった。

 

 雨は物悲しい気持ちになるが、何故か傘をさして外を歩きたくなる。僕の人生が間違いなくあの人の、お姉さんと交わらないことが分かってしまったあの日も雨が降っていた。多分、そのためなのだろう。

 

 

 

 暫しの無言。

 

 

 

「ねえ。お兄さんの家に行きたいんだけど、ダメ?」

 

「別にいい……いやよくないんだけど!」

 

 

 

 急に変なことを言い出した。

 

 

 

「今月アタシの誕生日だったのに、祝ってもらってない」

 

「いや、タキオン主催のよくわからんパーティあっただろ」

 

「祝ってもらってないの!」

 

 

 

 何だろう、今日のダスカちゃんはいつもに増して面倒くさい気がする。

 

 

 

「ていうか、タキオンさんばっかりズルいわよ。その食材、お弁当のでしょう?」

 

「まあ、うん。そういう約束ってことになってるからね」

 

 

 

 約束したつもりは全くないんだけれど。

 

 タキオンは生活が破綻している。それこそトレセン学園の食堂が使えないときには朝昼晩サプリ、もしくは水、あるいは霞を食って生きているようなウマ娘だ。他人の食事に文句をつけるわけではないが、彼女の場合それは行き過ぎている。

 

 と、まあそういうあれこれもあって彼女を担当し始めてしばらくしてから弁当を作ったり食事を作らされたりするようになったわけだが。

 

 

 

「久しぶりに食べさせてよ、昔みたいに」

 

 

 

 ダスカちゃんの母親はとても忙しく、家を空けることが多かった。学生だった時分にはダスカちゃんの兄代わりとして長いこと一緒に過ごしていた時だってある。多分、この子はその時のことを言っているのだろう。

 

兄代わりとして長いこと一緒に過ごしていた時だってある。多分、この子はその時のことを言っているのだろう。

 

 

 

「あのね、トレーナーが家にウマ娘呼ぶのって、禁止はされてないけどモラル的に危ないんだけど」

 

「あら。アタシとお兄さんはウマ娘とそのトレーナーである前に、親戚でしょう? 何も問題無いわ」

 

「問題大有りなんだが?」

 

 

 

 いいからいいから。行くわよ! と押されるまま結局は彼女を家に上げることになってしまった。

 

 え、春は何の躊躇もなく上げていた? それはまだトレセン学園に入学する前だったし、担当トレーナーでもなかったから問題なかっただけなんだけど。

 

 

 

「じゃあご飯できるまで適当にしてるから」

 

 

 

 そう言って、勝手知ったる我が家といった様子で、洗面所から取ってきたタオルで濡れた髪や尻尾から水気を取りつつ彼女は部屋に突撃していった。

 

 やっぱり僕はこの子に甘すぎるのかもしれないな。それに加えて、こうやって甘えられているのが嬉しい自分もいる。

 

 

 

 なんだかんだで彼女は初めて親元から離れることとなる。寂しがるのも仕方がないだろう、今日くらいは許してあげるか。

 

 

 

 なんて思っていたのが悪かったのだろう。あとになって思うと、はじめの一回を許してしまった時点で僕は負けていた。

 

 それから事あるごとに理由をつけてダスカちゃんがうちに来るようになってしまったのだった。




●ダイワスカーレット
掛かっているかもしれません。一息つければいいのですが

●アグネスデジタル
ここから不調が続く

●アグネスタキオン
トレーナーとの相性がそこまでだったからこそ無敗の四冠を手にした

●トレーナー
ダスカ限定で押しに弱すぎる、社会的地位の危険。


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【勇者】アグネスデジタルと見るトゥインクルシリーズ 128スレ目【伝説】

1:俺の愛バが! ID:fHTpdF5CO

僕らの勇者アグネスデジタルさんとトゥインクルシリーズを見るスレです。

「最強議論や対立煽りは禁止!」

 

アグネスデジタル @Digital_Agnes

デジタン @Digitank_s_ura(全く関係のないウマ娘オタクな絵師さんです。凸は避けよう!)

 

アグネスタキオン @Tachyon_Agnes

トレーナー @KurenaiW_9

 

※前スレ

【真の】アグネスデジタルと見るトゥインクルシリーズ 127スレ目【勇者】

 

 

2:俺の愛バが! ID:fHTpdF5CO

 824:俺の愛バが! ID:kgkqbAmeb

 勇者デジタル

 ・小柄で走らなさそう、また本人もトレーナー志望

 ・↑もあってトレーナーが付かない

 ・トレーナーが付いたけど新人トレーナー

 ・ダートメインで走るがパッとしない(重賞は勝ってたけど)

 ・夏を超えて覚醒、急に芝でG1レコード勝利(!?)

 ・かと思えば翌年度始めはボロボロ。タキオン加入の影響かと思われたが…

 ・秋からG1芝ダート混合で5連勝(!!??)

 ・日本勢初のドバイワールドC勝利(?????)

 ・天皇賞秋で世紀末覇王を下したことから勇者と呼ばれるようになる

 

 

 

4:俺の愛バが! ID:degi09sys

これは乙じゃなくてポニーテール云々

 

 

 

9:俺の愛バが! ID:xdP4ltpR9

アグネスタキオン@Tachyon_Agnes

アグネスデジタルです。スマホが壊れたためタキオンさんのアカウントをお借りしています。

しばらくこちらからウマートすることになりますのでよろしくお願いします。(アグネスデジタル)

 

このウマートのちょっと前からデジタンのウマートが二週間くらいなかったんだよね・・・

 

 

 

14:俺の愛バが! ID:3F8GOuvK+

>>9

あれれ~おかしいぞ~

 

 

 

16:俺の愛バが! ID:md8c+mrPN

勇者デジタルと変態デジタンは関係ないが?

 

 

 

17:俺の愛バが! ID:/6F6lRLK+

>>16

漏れ出てるんだよなあ…

アグネスデジタル@Digital_Agnes

今から飛行機です!隣にタキオンさんだと畏れ多いのでトレーナーさんに間に入ってもらいました!

【窓際にタキオン、手前にトレーナー.pic】

 

 

 

21:俺の愛バが! ID:yAedwk3Wm

不用意に推しに近寄らないオタクの鑑

 

 

 

24:俺の愛バが! ID:FGju1+9jO

でもこの二人、同室なんだよね…

 

 

 

28:俺の愛バが! ID:H/G3FgoFP

>>17

百合の間に挟まる男警察だ!

 

 

 

33:俺の愛バが! ID:/P0tHzcMe

ダブルアグネスの間に挟まるとか正気か?

 

元々正気じゃなかったわこいつ

 

 

 

35:俺の愛バが! ID:Z5y8XWCNv

トレーナーなのにトップアスリート並のトレーニングしてるやつきたわね

 

 

 

38:俺の愛バが! ID:VSs7GPxXE

音速の貴公子「足が脆いけどもっと早くなりたい・・・。そうだ!トレーナーを走らせよう!」

 

そうはならんやろ

 

 

 

41:俺の愛バが! ID:3F8GOuvK+

>>38

やめろミザエル

 

 

 

46:俺の愛バが! ID:Nrs/TIfce

>>38

走るトレーナーもトレーナーなんだよなあ

 

 

 

50:俺の愛バが! ID:wCSElr7pq

有マのあと心配で仕事が手につかなかったわ

 

 

 

52:俺の愛バが! ID:bS900nZHy

デジタルのウマッターでトレーナーが走ってるの見て笑ってたけど有マのあとのインタビュー記事見て笑えなくなったわ

 

 

 

55:俺の愛バが! ID:B7vKmbSv5

タキオンには脚を大事にしてもろて

 

 

 

57:俺の愛バが! ID:degi09sys

笑いながら選手生命の危機を語るな

 

 

 

62:俺の愛バが! ID:rO2baizhW

トレーナー「こいつ、ダービーの直前に折れるかもしれないとか笑ってたんですよね」

タキオン「いやあ、菊花賞の全力疾走でも持ったから有マも大丈夫だろうと思ってたんだが。油断したよ」

下手したら命の危険なんだからやめてよね

 

 

 

65:俺の愛バが! ID:Ou17oYDPi

トレンドに日本ダービーって年始に乗るから何事かと思ったらとんでもない爆弾だったね

 

 

 

70:俺の愛バが! ID:QkkUcPTHU

記者どんな表情でインタビューしてたんやろな

 

 

 

73:俺の愛バが! ID:yAedwk3Wm

同志デジタンの新入生紹介きたぞ

 

デジタン@Digitank_s_ura

トレセン学園の新入生ウマ娘ちゃんなんだけどヤバすぎなんだが???

今年の大注目はこの二人なんだけど既にライバル視してるのに同室????

理事長は神でしたか、神だったわ

【ウオッカ.pic】【ダイワスカーレット.pic】

 

 

 

74:俺の愛バが! ID:B9S9A43dy

乙名史記者は熱い人だから号泣しながらインタビューしてそう

 

 

 

78:俺の愛バが! ID:fFbM8RQgy

デッッッッッッ!!!

 

 

 

83:俺の愛バが! ID:/YiX9/vYw

新入生スレでも話題になってたけど改めてみても、デカい

 

 

 

86:俺の愛バが! ID:bI1HyRmLy

これで本格化してないとかメイショウドトウかな?

 

 

 

89:俺の愛バが! ID:3F8GOuvK+

>>73

これで中等部は無理でしょ

 

 

 

92:俺の愛バが! ID:5jaVXT0tN

お前ら不純すぎwww

 

レースが楽しみだ。アングル拘れよURA

 

 

 

94:俺の愛バが! ID:NI5N6uOZj

>>92

本音が出てるぞ

 

 

 

96:俺の愛バが! ID:dqZKwkZam

俺としてはウオッカが気になるんだよな

ダイワとスカーレットに気を取られがちだけどタニノだぞこの子

 

 

 

99:俺の愛バが! ID:PLIa6tAhJ

ダービーのタニノの一族か

ボーイッシュな感じでいいゾ~これ

 

 

 

104:俺の愛バが! ID:cYU6x+sue

ちょっと待てヤバい情報出てるぞ

 

デジタン@Digitank_s_ura

アグネスタキオンさんイチオシなのがダイワスカーレットちゃん!

レース前に抱き着きに行ってて尊かった…運命感じた瞬間を見れてデジタン一回死んだわ

 

 

 

109:俺の愛バが! ID:TkMrCOKBT

無敗の四冠バが運命的なものを感じたとか今のうちから推すしかねえ

 

 

 

112:俺の愛バが! ID:ED6bqKsfL

タキオンがそんなことするとか想像もつかないんだけど

 

 

 

113:俺の愛バが! ID:b7SojgEnH

今の段階からウオッカとバチバチライバルやってるって話もあるしこれってもしかしてのもしかしてでは?

 

 

 

118:俺の愛バが! ID:degi09sys

はー?この世代のレースがもう楽しみなんだけど早く一年過ぎてくれんか?

 

 

 

123:俺の愛バが! ID:LJdT5/2PO

デジタルから追いかけてタキオンとも出会えたしマジで期待しかない

 

 

 

 

 

 

 

418:俺の愛バが! ID:0a9Y8idpB

勇者のドバイワールドC

・戦地への移動の妨害を受ける

・命より大切なものを失う

・戦いの直前に大嵐に巻き込まれる

・謎の人物により信頼する仲間を改造される

・ドバイに斃れた憧れの人の雪辱を果たす

うーん、これは勇者!w

 

 

 

422:俺の愛バが! ID:yAedwk3Wm

箇条書きマジックやめろ

あとファル子を勝手に殺すな

 

 

 

425:俺の愛バが! ID:iDfb6uYjn

トレーナーを発光させたのはタキオンなんだよなあ…

 

 

 

430:俺の愛バが! ID:7xKiIwf9m

ヤバい方のアグネスと呼ばれるだけはあるな

 

 

 

435:俺の愛バが! ID:Xkx+9LRu8

>>430

どっちだよ

 

 

 

439:俺の愛バが! ID:PQbaKcwkr

どっちもヤバい方のアグネス定期

ドバイ後のファル子とのやり取りが泣けた

 

 

 

440:俺の愛バが! ID:tPeESbDnD

大方の予想通りになったね

 

紅@KurenaiW_9

ダイワスカーレットを新しく担当することになりました。

デジタル、タキオンも含め今後も応援よろしくお願いします。

【左からデジタル、タキオン、スカーレット.pic】

 

 

 

445:俺の愛バが! ID:3F8GOuvK+

スカーレット、紅、何も起きないはずがなく

 

 

 

448:俺の愛バが! ID:L8Yp7F3PY

トレセン学園は昔ほどではないけど血縁主義みたいなところもあるし。ま、多少はね?

 

 

 

449:俺の愛バが! ID:hpvWm/Dco

タキオンも気に入ってるみたいだしこれでむしろ担当しない方が何かあると思われるやつよ

 

 

 

451:俺の愛バが! ID:yAedwk3Wm

普段アグネスデジタル関連は無視するデジタンがウマート共有してて草なんだ

 

 

 

455:俺の愛バが! ID:4RTkeUf02

トレセン学園や所属ウマ娘に妙に詳しく、毎年入学シーズンには推し新入生ウマ娘ちゃんを細かく紹介しつつやけにアグネスタキオンを推しまくるデジタン、いったい何者なんだ…!

 

 




デジタル熱高まってるところに実装されて草


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4, U≠ma//

「タキオンさん、大丈夫かしら」

 

 タキオンの半年ぶりの復帰は宝塚記念となった。問題なく走ることができるようになってはじめての出走が宝塚というのもなかなかにハードルが高い。それに出走してくるウマ娘たちのなかには準三冠バのエアシャカールがいるときた。

 タキオンもエアシャカールも理論を重んじるウマ娘ではあるがそのスタンスは対極に位置している。エアシャカールからしたらタキオンは「とんだロマンチスト」であるらしい。タキオンがロマンチスト? どういう、ことだ……!

 

「純白を纏う高速の粒子、漆黒に揺らめく幻影。今のトゥインクルシリーズを語るには外せない二人。今、世間を二分した人気を誇るその片割れが復帰したこともあってウマ娘ファンたちの熱気は相当高い」

「どうした急に」

「しかしタキオンさんは完全に復調したとは言えない状態。それでも出走するのは後に続くウマ娘ちゃんのため……あたしは今、猛烈に感動している!!」

 

 デジタルの言う通り、タキオンが出走を決めたのは後に続くウマ娘、つまりダスカちゃんのためだという。いずれ完全に復帰し、ダスカちゃんのトレーニングを引っ張っていけるようになるためと、冬に比べて随分と熱意を持っていた。

 正直に言うと、タキオンが誰かのためにと熱意を出せるウマ娘だとは思っていなかったので驚きである。

 

『アグネスタキオン、無敗の四冠バがついに復帰です。大勢のファンたちが彼女に声援を送っています』

『長期療養もあってか二番人気です。どれほどの走りを見せてくれるのか期待しましょう』

 

 二番人気がアグネスタキオン。三番人気がエアシャカールとなった。エアシャカールは昨年の宝塚記念においては5着、今年はどこまで走れるのか注目されている。

 それに彼女の三冠を阻んだのは名門アグネスの一人であったからか、それとも友人が戻ってきたことへの喜びか、過去に見たことのないほどに気合が入っている様子である。パドックで見たとき、心なしか目のクマが薄かったような気もした。

 

「ええ、それは見間違いではないですよ」

「そうなのか」

「……あの子が言っていました。今日に向けてベストを尽くすため、トレーナーも協力して体調を整えていた、と」

「なるほど、タキオンは厳しい戦いになりそうだなマンハッタンカ……ふぇ?」

「……私を呼びましたね、デジタルさん」

「よよよ呼んではおりませんがァ↑ 名前を呼んでいただきありがとうございますぅぅ!」

 

 ゆらりと、まるで幻影のように姿を現したのはマンハッタンカフェ。普段着も全身漆黒な彼女は夏だというのに長袖シャツであったが、涼しそうな顔をしていたし、なんなら僕も少しヒヤッとした。彼女が近くにいるとたまにこうなるのだ。

 周囲の一般客たちも彼女に今の今まで気が付かなかったようで、どよめきが走る。現在男子に最も人気のあるウマ娘であるマンハッタンカフェ(アグネスデジタル調べ)だ、そんな彼女がウマ娘ファンたちに騒がれず、僕らのいる最前列までやってこれるとはどういうことだか。

 

 マンハッタンカフェが男子人気ある理由はシンプルだ。――カッコいい。それに尽きる。全身黒でコーディネートされた勝負服、陰のある雰囲気、やたらと似合うオフショットでのコーヒー片手に物憂げな姿。思春期ならそれはもう好きになってしまうだろう。こうやって黒歴史は量産されていくのである。

 ちなみに女子に最も人気のあるウマ娘はタキオンとのこと。なんか怪しい雰囲気とかそういうのを感じて支えてあげたくなるそうだ。やめとけやめとけ。

 

「今日はどうしたの? 偵察?」

「そういうわけではありませんが……そんなところですかね」

「どっちなのさ」

 

 何とも歯切れの悪いマンハッタンカフェ。口数少ないのはいつものことではあるけれど。

 

「迷っていることがあるんです」

 

 何に? と問いかけようとしたがやめた。聞くべきでない気がしたのと、もうすぐ出走だ。

 

「タキオンさん、大丈夫かしら」

「何回言ってるのさ。もう今できるのは心配じゃなくて応援だよ」

「……トレーナーは心配してないのね」

 

 ダスカちゃんはそう言うが心配しているに決まっている、今のは自分に対する言葉でもあった。タキオンは理論派を気取っているが、菊花賞でマンハッタンカフェと競り合ったときから密かに、自分でも気が付かないくらいに勝利に貪欲になった。その結果が有マでの限界を超えた走りだった。

 ゲートが開く。出遅れは無し、タキオンは良いスタートを切れた。それはこの場にいる全員が一緒で、さすが宝塚記念に出走できるだけはある。選ばれた優駿だ、まず大きく出遅れるだなんて考えられないしそんなことあったら前代未聞の大事件だ。

 復帰戦であろうが関係ない。誰もが一番にアグネスタキオンを警戒し、対策を立て、絶対に勝つという意気込みで走る。ここで負けるなんてことは許されない。明らかにハンデを背負った相手に負けるわけにはいかないのだ。

 

「えっ?」

 

 横から小さな声がした。ダスカちゃんが何かに驚いている様子だったが、何に対して驚いたのかは何となくわかる。

 ゲートインしたときから僕には見えていたし、発狂したようにオタク特有の早口で誰に解説してるのかしらないが、まくし立て続けているデジタルや、カッと目を見開いて微動だにしないマンハッタンカフェなら僕なんかよりももっと明確に見えているはずだ。

 そうだ、既に激しく戦いは始まっている。理論派がここに二人もいるのだ、レースの展開を握ろうと彼女らの脳内には無数の数式が流れては消えて行っているのだろう。

 

『エアシャカール三番手につけています。そのすぐ後ろにアグネスタキオン、序盤のポジション争いでこの位置となりました』

 

 いい位置を取れた。これなら"条件を満たせる"

 だがそれでも今のタキオンが勝てる可能性は限りなく低い。もしここで再び限界を超えた速度を出そうとした場合、再起不能となってしまうかもしれない。だがそれはタキオンも分かっているはずだ。だから彼女は新しい走りを試す、そういっていた。

 

「おおおお! タキオンさん前を塞がれたように見えて狙い通りのポジションをキープ! レース勘が鈍ってるかと思ってましたが全然ですねぇ! さすがですねえ!!」

「あ、エアシャカールさんちょっと険しい顔してるかも」

 

 多分それいつもの顔だよとは言わないでおく。

 

「タキオンさんの切れ脚ならそのまま最終コーナーから一着になっちゃうかも!? タキオンさーーん! 頑張ってーー!!」

「でもでもシャカールさんだって狙い通りの位置のはず! さすがは準三冠バ! ああ、タキオンさんの煌めく白衣、また見られてこのデジタル。感無量です……」

「どっちを応援してるのさ」

「もちろん! ウマ娘ちゃん全員に決まってます! ああっ! いいですよ!! 2番と7番も競ってます、この顔!! 見ましたトレーナーさん!?」

「いつものことか」

 

 タキオンの表情はこの距離からヒトである僕には見えない。いつものように飄々とした顔だろうか、それとも歯を食いしばり全力で走っているのだろうか。きっと後者だろうと僕は思う。

 だって、あれほど美しい数式が砕かれ、崩されながらも形を取り戻して勝利への方程式を描こうとしているのだから。

 

「……タキオンさん、変わりました」

「え?」

「貴方と出会って、そして今……もう一度変わりました。ダイワスカーレットさんとの出会いは、……よほど特別なものだったようですね」

 

 マンハッタンカフェはいつものように淡々としていたが、それでいてどこか嬉しそうな『音』がした。

 

「実は……海外に挑戦しようと思っていたんです。凱旋門に」

「バ群がぐっと縮まって……外からきた!! タキオンさんはここから一気に加速を……!? って凱旋門ェェ!?」

「ですが、……タキオンさんとまた走りたい。そして……私たちには相応しい舞台ってものがあります」

「それってもしかして」

 

 ダスカちゃんが思い当たったような声を出す。

 マンハッタンカフェはほとんどの出走レースが長距離という生粋のステイヤーだ。そして自分が最も得意としている長距離において二度、タキオンに敗れている。自分の大得意なフィールドで二度も土をつけられているのだ。だからこそ、執念がある。

 

「……今年の有マ。出走を、待っています」

 

 タキオンが駆ける。だがエアシャカールがさらにその先をいく。

 

――きっと追いつけない。

 

 それでも諦めずに、誰よりも速く走るために、ウマ娘の限界の先を見るために、それだけのことを考えて、頭を下げることなくきっと歯を食いしばり、ただ前だけを見て。

 そして『無我』になった。

 

「やっぱり、タキオンさんも"一流"、です……!」

「……走りが!」

 

 マンハッタンカフェが驚いたようにタキオンの走りが変化する。一歩、また一歩進むごとに無駄が無くなっていく。自らの体に適した負担の無いフォームに。体力消費を抑えたその走りは速度を維持しつつ、スタミナを微量だが取り戻していった。

 これまでのタキオンは"領域"、つまりゾーンに入った状態になるとリミッターが外れたかのように火事場のバ鹿力のようなもので一気に加速していっていた。その姿が高速の粒子とたとえられていた。

 しかしタキオンは変化した。復帰戦という大一番、追いすがっている状態だというのに変化を恐れなかった。

 

『さあエアシャカールが先頭! 後方集団も一気に動きを見せました、アグネスタキオン距離を詰めていくが苦しいか!?』

『後を追うアグネスタキオン! しかしそのままエアシャカールがゴールイン!! 続いてアグネスタキオン!!』

「シャカールおめでとおおおおおお!!!!」

「G1また勝ってくれてうれしいぞ!!!!!」

 

 順位は変わらなかった。そのままゴールし、勝利したのはエアシャカールだった。

 一昨年の菊花賞以来、勝利から遠ざかっていたエアシャカールに祝福の声があがる。厳つく、一見とっつきにくそうなエアシャカールだが、その外面とは反対にガチガチに勝利への理論を詰めていく姿をファンたちは知っていたからだ。

 肩で息をしながらも勝利を実感し、歯をむき出しにして彼女は嬉しそうに笑った。

 

「タキオンありがとう!!!」

「今度は勝つ姿を見せてくれよ!!!!」

 

 二着、タキオンにとっては初めての敗北。連勝を期待していたファンも残念そうな声を上げていた。だがそれもすぐになくなり健闘を称える声援へと変わっていった。タキオンは悔しさを滲ませながらもその声にこたえるかのように観客に向けて手を振る。

 そして二人だけでなく、ほかの出走バたちそれぞれへの声が上がっていった。

 そんな中、ダスカちゃんは声を出すこともなく、ただ悲しそうな表情で前を見続けていた。

 

「お兄さん……タキオンさん、一番じゃなくなっちゃった」

「うん」

「ねえお兄さん……。一番になるのって本当に難しいのね」

「レースに絶対はないからね」

 

 よほどショックを受けているのだろう。僕への呼び方がお兄さん、になってる。幼いころから一番を目指して努力し続けて一番であり続けた彼女にとって、そうでなくなるということはそれほどのことなのか。自分ではなく、一番尊敬している、知っている中で『一番』に近かった先輩の身に起きたことであっても。

 トレセン学園にやってくるのはそれぞれが地元での一番だった子ばかりだ。だから初めての挫折に心が折れて去っていく子は多い。そんな子を僕らトレーナーはたくさん見てきている。子供だから仕方のないことだが、自分が特別じゃないと気が付くのは、苦しい。

 そう、一番になりたくて、一番になるための努力をして、結局そうはなれなかった思春期の子供は大なり小なり心に傷を負うものだ。――そう、僕のように。

 

「一番、なりたいなぁ」

 

 ダスカちゃんの声が、やけに耳に残った。

 

 

 

 

 

「ウ゛ウ゛ッ、ありがとう、ありがとう……」

 

 二着だったのは残念だったが、まず無事に走りきれたこととブランク明けでも十分に戦えることが分かってほっとした。まだタキオンは走ることができる、もっと早くなれる可能性を示した。なら今日はこれで充分だろう。

 ウイニングライブにて顔をぐしゃぐしゃにしつつペンライトを振るデジタルの横で、同じくペンライトを振りながら僕はそう思った。

 

 




チャンミ終わってデジたんを急いで育成しました。

●ダイワスカーレット
一番への思いがもっと強くなった

●アグネスタキオン
固有スキルが加速からスタミナ回復に変化しようとしている

●アグネスデジタル
ウマ娘ちゃん尊い、しゅき……

●トレーナー
そういえばダスカちゃんはなんで一番目指してるんだっけ?


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5, うまぴょい伝説って?

「ああ! やっべぇ麦茶切れてたんだった」

「購買で買えばいいじゃない」

「わかってねえなあスカーレット。こだわりがあるんだよ、こだわりが」

「麦茶のどこにこだわってるのよアンタ……」

 

 あの宝塚記念が終わってからしばらく、とても暑い夏がやってきた。ここトレセン学園では夏休みはあるものの、チームに所属しているウマ娘のほとんどは夏合宿で鍛えに鍛えることとなる。

 本来メイクデビューも迎えていない私は参加できないが、チームに所属しているため参加することができる、とても楽しみ。ただタキオンさんはまだ調子を整えるところだし、デジタルさんはまだスランプから抜け出せていない様子。

 合宿に向けて色々と買い物をしないと、ということでウオッカと町まで行っていた。コイツもなんだかんだチームに加入できたみたいで、夏合宿。必要そうなものをあーでもないこーでもない言いながら買ってきた。

 

「アタシはちょっと部室の方に荷物置きに行ってくるから」

「俺も。じゃあまたな」

 

 ウオッカとの付き合いももう三か月ほどだったか、ライバル視している相手が同室ということでちょっと落ち着かないところもあるけれど、いい刺激になってる。ちょっと素行が悪いのが良くないけど。まあでもそれも可愛いもんで、お兄さんが言うには数年もすれば落ち着くタイプ、とのこと。本当かなあ。

 

 合宿に必要な荷物も、ある程度まとめてトレーナー室に置いている。ほかのチームはどうかは知らないけれど、うちは結構綺麗目だ。タキオンさんもデジタルさんも、自分のものを好き勝手にするスペースを持っているから自然と必要なものしか置かれていない。

 というかタキオンさんとマンハッタンカフェさんのあの部屋はなんなのだろうか。学校の施設を使えるというのはどういうこと? なぜかタキオンさんは妙にルドルフ会長から目をかけられてるそうだし、あの人は結構謎が深い。そういうところが格好いいのよね。

 

「この曲……」

 

 トレーナー室に向かう途中、懐かしい音が聞こえた。幼い頃に子守歌代わりに聞いたこともあるヴァイオリンの音。今でもたまにせがんで聞かせてもらっていた音色に、自然と足が速くなる。

 お兄さんはプロ級にヴァイオリンが上手い。比喩誇張全くなく、それこそその道でも有名な人から声がかかるくらいには、とはママが言っていた。更にお兄さんのお父さん(スカーレット家に婿入りしている)は1000年に一人の天才、であるらしくその才能を十全に受け継いだとか。それほど音楽の才能あるのに、どうしてお兄さんはトレーナーになったんだろうか。

 部室が見えるところまでやってくると、その音色はもっとよく聞こえてきた。

 やっぱりお兄さんの音は綺麗だなあ。

 

「こんにちは」

「……カレン?」

 

 不意にかけられた声に振り向く。そこには私よりも小柄な芦毛の少女がひとり。

 彼女は同年代のウマ娘の――いや、少女たちのあこがれの的なウマスタグラマー。それこそ私だって嗜みとしてちょっとはやっているけれど、そのなかでも頂点に近い一人。

 その少女、カレンチャンはいつものような『カワイイ』笑みを浮かべてそこにいた。

 

「スカーレットちゃんもこのヴァイオリンに釣られてきたの?」

「アタシはこれ。この荷物を置きに来たの」

「そーなんだ! カレンはね、お兄ちゃんに会いに来たの」

「へえ、お兄ちゃんに。……お兄ちゃん?」

「でもお兄ちゃん、イジワルだからカレンのトレーナーさんになってくれなかったの……」

 

 カレンが何か言っているが、全然頭に入ってこなかった。お兄ちゃん? 誰が? お兄さんが?

 いや、お兄さんはお兄さんだからお兄ちゃんなのは何も間違ってはいないはずだけど、お兄さんがカレンのお兄ちゃん!?

 突然の出来事に脳がショートしてテンパっていると、部室の扉が開いた。

 

「こんにちは、二人とも。部室の前で声がするっておもったら」

「お兄ちゃんこんにちは! もう、演奏やめなくてよかったのに」

「楽器やってる中、入っていきにくいでしょ」

「それもそっか。優しいんだね、お兄ちゃん」

「ちょ、ちょっとちょっと~~~~!!!!」

 

 カレンのカワイイワールドが展開されるその前に割って入った。このままだといかにあのお兄さんと言えども、カレンのカワイイに脳を支配されかねない。それはいけない、とってもよくない!

 

「というか何!? 二人はどういうカンケイ!? アタシ知らないんですけど!!」

「関係、と言われても一方的に絡まれているというか」

「えー、お兄ちゃんはカレンの『運命の人』だよ?」

 

 スカーレットちゃんには言ってなかったっけ? とカレンは言うが絶っっ対に聞いたことないし!

 なんか入学してしばらくたった時から、あの有名ウマスタグラマーのカレンから結構話しかけられてちょっと疑問だったけれど、お兄さん繋がりだったか、全然気が付かなかった。

 

「いや、僕の運命の相手は君じゃないけど」

「いっつもお兄ちゃんはそう言う。カレン、ショックだなあ」

「事実だし……」

 

 でも二人の様子を見る感じ、お兄さんの言う通り一方的に絡まれていそうな雰囲気だった。ちょっとほっとしたようなそうでもないような。

 

「外で立ってるのもなんだし、入りなよ」

「ありがとー♪ お兄ちゃん」

 

 とりあえず部室に入って荷物を置く。お兄さんが冷蔵庫からお茶を出してくれた。この季節は本当に暑いから、とても美味しい。ちなみにこれはタキオンさんが色んな茶葉を配合して作った自信作とのこと。お兄さんが感動していた。こんなまともなものを作れるだなんて、とか言ってたけどお兄さんはタキオンさんに失礼過ぎない?

 一息ついたところで、お兄さんに気になったことを尋ねる。

 

「それで? "お兄さん"は今日はどうしたの? ヴァイオリンなんて持ってきちゃって。そこにはベースまであるし」

 

 そう。お兄さんはベースも弾けちゃったりするし、なんなら昔はバンドとか組んでたらしい。

 だからといって部室に楽器を持ってきたことなんてなかったし、わざわざずっと楽器可、防音室完備(ウマ娘対応)マンションに住んでるから演奏に不自由していないはず。どうして今日はここに持ってきてるんだろう。

 

「ちょっと、呼び方」

「なによ、カレンはよくてアタシは駄目なわけ?」

「ここはカレンしかいないんだし、気にしなくていいよ。ね? お兄ちゃん」

「カレンもほら、こう言ってるし」

「……まあ、時間と場所はわきまえてね」

 

 なんかカレンがお兄ちゃん、って呼んでいるのに胸がざわざわする。対抗心、ってわけじゃあないけどなんとなくお兄さん、って呼びたくなった。他の人の目もないし、カレンもカレンで何故かお兄ちゃん、って呼んでるから目をつぶってよね。

 

「で、お休みの日にわざわざ学園まで来てどうしてヴァイオリン弾いてるのよ。マンションは防音室だってあるし」

「理事長の依頼でちょっとね、レコーディングを」

 

 レコーディング、なるほど。確かに楽器ができる身内がいるなら使うのもアリよね。道理で自分の扱える楽器を二つも持ってきていたわけだ。

 けれど理事長直々の依頼ってどんな曲なんだろう。超演奏が上手い、とはいってもURAはずっとプロにそういうのは委託してきたし、本番で使われるってわけではなさそうだけれど。私の疑問はカレンも同じだったようで、お兄さんに聞いていた。

 

「へぇ! どんな曲なの? カレン、聴きたいなあ」

「まだ駄目、まあそのうち嫌でも聴くことになると思うよ。うん、びっくりするよ。きっと作曲者はワイン2本とか空けながら作ったに違いない」

「それ、曲として成り立つの?」

「成り立ってるのがすごいよね」

 

 あはは、と苦笑いしていた。なんか挑戦的な楽曲なのかな? ウオッカが好きって言ってたシンフォニックメタルってやつとか? アイツ、そんな英語とかわかるわけでもないのにやけに洋楽聞いてるし(たまに歌ってるけどふにゃふにゃ英語で面白かった)

 スピーカーで聞いててうるさいからアタシも音楽流して対抗していた。やっぱりお兄さん、バンドでのボーカルも上手い。そういったとこがボイトレに活きてるんだろうなあ。

 

「あ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」

「なに?」

「なんでも答えるよ、お兄ちゃん」

「うまぴょいって、知ってる?」

 

 うま……ぴょい?

 

「しらない。なにそれ、カレンは知ってる?」

「カレンも聞いたことないなあ」

「若い子でも知らないのか……うまだっちは? すきだっちとか聞いたことない?」

「いや若いって、お兄さんそう違わないでしょ。あとそれも聞いたことないわ」

「うまぴょいとは……一体……伝説って?」

 

 ああ、お兄さんも苦労してるのね。

 複雑な表情をしているお兄さんは見ていて面白かった。きっとあのちっちゃい理事長に「依頼! 演奏をよろしくな!」とでも急に言われて演奏したに違いない。理事長はやることなすこと全部急だし。

 

「ま、まあわからないもの考えても仕方ない。二人は今日の予定は? 僕はしばらくしたら帰るけど」

「カレンは予定ないけど……あ! じゃあお兄ちゃんの演奏聞きたい!」

「アタシも何もないからしばらくここにいるわ。お兄さんのヴァイオリン、聴かせてよ」

「はいはい。ちょっと腕は錆びついてるけど勘弁してね」

 

 そうは言いつつもお兄さんの奏でる音はとても美しかった。繊細でどこか傷ついていても何かを頼りに立ち続けているような不安定さ。完璧じゃないからこそ、心に響く"世界で一番の音"

 小さい頃のお兄さんの写真には目に光が灯っていたけれど、いつからか、私が生まれた頃には確実に目に光がない。お兄さんが音楽をやめた理由ももしかしたらそこにあるのかもしれない。

 今は私の夢、一番になることを手伝ってくれているけど。いつかはお兄さんの心の支えになれるような、そんなお兄さんの一番になりたいって、強く思った。

 

 3人だけの演奏会、門限が近くなり私達はトレーナー室を出た

 

「それじゃ二人とも気をつけてね」

「はーい! 今日はありがとねお兄ちゃん。また遊びに来るね!」

「あのね、僕のとこじゃなくて担当トレーナーのとこに行きなよ」

「えー……カレン、お兄ちゃんともっと仲良くなりたいのに」

 

 うるうると上目遣いのカレン。普通の人なら男女問わずノックアウトされるようなカワイイカレンの振る舞いに、お兄さんは全く気にした様子もなかった。

 二人の様子を見ていて、どこか既視感のような――

 

「ダスカちゃん? どうかした?」

「え!? なんでもないわよ」

「なんかぼーっとしてたけど」

「大丈夫! 心配しすぎ、じゃ、また明日ね!」

 

 なんだかわけもわからず、ここから離れたくて駆け出してしまった。何かに気がついたような、謎の焦燥感。少し離れてから立ち止まり、胸に手を当てる。一体これは

 

「スカーレットちゃん」

「カ、カレン! なんで追いかけて!?」

「もう、カレンはスプリンターなんだから。この距離でスカーレットちゃんに追いつけないわけ、ないよ」

 

 背後からさっき置いてきたばかりのカレンに声をかけられ、ビックリしながら振り向く。そこにはいつもの"カワイイ"姿にどこか陰があった。

 

「カレン、もっと可愛くなったよ。でもお兄ちゃんは全く意識してくれないの」

「あっ」

「仕方ないよね。スカーレットちゃんが相手ならかなわないもん」

 

 違う。わかってしまった、さっきの既視感のようなものの正体。それに対する焦燥感の理由も。そして今感じる苦しさが何なのか。

 

「でも! もっとカワイイを極めたらきっと、お兄ちゃんはカレンを選んでくれるから。負けないよスカーレットちゃん!」

 

 さっきの既視感は私とお兄さんとの関係に似ていたから。焦燥感は

 

 

 

 

 ずっと近くにいた。ずっと僕の"音"を褒めてくれていた。

 

(姉さん)

 

 瞳を開けて、あの子に被るあの人を幻視する。

 年の差というのは残酷だった。いくら大人になろうと背伸びしても、あの想いを音楽に乗せたとしても、結局のところ最初から僕は影踏みみたいに追いかけているだけだった。

 

 デジタルはドバイで歴史的勝利を、タキオンは無敗で三冠を。G1に勝てなかった姉さんよりも僕の担当バは軽々と超えていった。

 だとしても、僕の頭から彼女は消えない。僕の一番はずっと――

 

 

 

 

 

 




新年なので強引に投稿しにいきました。立て込んでて育成だけで精一杯ですが、今年もよろしくしていただけると幸いです。


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