FGO 異世界特異点a AiEn奇縁戦争 東京 (聖杯に選ばれたライター(■■■■))
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アバンタイトル

 

 

 

 

 

 『Fate/Grand Order』とTYPE-MOON様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 貴方はFGOをプレイしたことがありますか?

 Fateを知ってますか?

 

 もし、聖杯が手に入ったら、どんなことを願いますか?

 私は……。

 

 私は、やっぱり駄目だ。

 こういうの、苦手だな……(笑)。

 

 率直に言います。

 私は聖杯を手に入れて、最後に何か面白いものが見たいと願いました。

 

 それでふと、思ったんです。ああ、私の好きな人が活躍する聖杯戦争なんてどうだろうって。

 FGOでは絶対メインキャラなんかになれないような、そんな人が活躍する聖杯戦争です。

 

 きっと最後まで残れないと思うけど。

 というか、序盤で敗退しそうだけど。活躍できる気がしないけど……。

 

 それでも、彼が奮闘するところを見てみたいって、あの時、咄嗟に思ったんです。

 笑っちゃうけど……。

 

 これはその、記録です。

 って言っても、私に文才はないから。笑っちゃうくらい。

 

 だから、そこまで聖杯にお願いしました。

 貴方が今読んでるのは、きっと、私じゃない誰かが書いた文章です。

 

 正直、つまらないかもしれません。

 私よりはマシだろうけど、文才がある人を聖杯が選んでくれたかもわかりません。

 

 ……こんなこと言ったら失礼か(笑)。

 すいません。

 

 なんか、どうまとめたらいいのかわからないけど。

 

 えっと……、そうだな。

 なにかの縁を通じてこの記録にたどり着いてくれたのなら。貴方が。

 

 それは、いいなって。

 不思議とらしくもなくセンチメンタルなこと感じてて……。

 

 ……あー、語彙力(笑)。

 だから、なんか……。

 

 よかったら、読んでください。

 

 ――こんなんでいいですか?

 

 

     *

 

 

 西暦二〇二〇年八月一五日、土曜日。

 日本。東京都豊島区(としまく)南池袋(みなみいけぶくろ)――。

 

 その日は朝からよく晴れていた。

 冷房のきいた愛車から降りてまださほど立っていないというのに、待ち合わせの場所に十五分ほど早く着いた頃にはもう、Tシャツが汗でぐっしょりと湿っていた。

 でも、ギャツビー*1 で汗を拭く前から、気分はそう悪くなかった。むしろ、少し弾んでいた。

 彼女に会うのは一カ月ぶりだった。いや、そのはずだった。

 LINE*2 はそれなりにしていたけれど、コロナコロナ *3 でなんだかんだちゃんと会うのは久しぶりのはずだったのだ。

 スマホ *4 を見る。彼女からの連絡はない。いつもの感じなら、あと十分十五分でくるはずだった。

 Twitter *5 を開き、タイムラインをさかのぼる。

 これから見に行く映画のツイート *6 が飛び飛びに流れていく。

 本当は春に見に行く予定だった。でも、それもコロナで延期になってしまい、その日やっと公開だった。

 『Fate/stay night [Heaven's Feel]』 *7 、その最終章『Ⅲ.spring song』。

 ここまで追ってきたし、Fateは好きだから、映画自体もすごく楽しみだった。それに、やっぱり久しぶりに彼女とちゃんと会えるのが、彼女とお互いに好きな作品の映画を一緒に楽しめるのが、楽しみだった。楽しみだった……。

 でも、その日、彼女は待ち合わせの場所に来なかった。

 約束の時間を五分過ぎても、十分過ぎても、予約していた回の上映開始時間を過ぎても来なかった。彼女からの連絡も来なかったし、既読もつかなかった。

 次の日も、その次の日も、来なっかった。どこにも、来なかった。いつまでも、つかなかった。

 彼女との時間は、訪れなかった。

 まだ、あの映画は見ていない。

 あの日から、一度もFGOにログインしていない。

 夏イベも、水着ガチャも、映画の礼装も、もうFGOに触れる気にもならなかった。

 FGOの連続ログインも、彼女とのラインも、あの日から止まってしまった。

 あの日から――。

 

 

 

 異世界特異点a
人理定礎値 ‐‐ 

 Grand Order

 

A.D.2020 AiEn奇縁戦争 東京

この世全てへの復讐者

 

 

*1
ギャツビー:株式会社マンダムの男性向け化粧品ブランド。ここでは制汗シートを指している。

*2
LINE:LINE株式会社が運営するソーシャル・ネットワーキング・サービスで、日本では一般的な連絡手段として広く普及している。

*3
コロナ:新型コロナウイルス感染症(正式名称、COVID-19(コヴィッドナインティーン))ならびに新型コロナウイルス(正式名称略、SARS-CoV-2(サーズコロナウイルスツー))の略称。二〇一九年一二月に中国武漢市で発見され、翌年初頭から世界的に大流行し、二〇二一年八月現在も世界的に甚大な影響を及ぼし続けている。

*4
スマホ:OSを搭載した多機能型の携帯電話「スマートフォン」の略称。単なる携帯電話としての枠を超え、日本でも広く普及している。

*5
Twitter :Twitter, Inc.が運営するソーシャル・ネットワーキング・サービスで、ショートテキストを主体とした投稿・閲覧ツールとして、日本でも広く普及している。

*6
ツイート:Twitterの投稿でありメインの機能。全角140文字までのテキストで、画像や動画の添付なども可能。

*7
『Fate/stay night [Heaven's Feel]』:詳細



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第1節 出会いは夏の雨のように

 

 

 

 

 

勝利に喜びなどありません。

傷つくのは悲しいことです。

   ――『Fate/Grand Order』より

     清姫(バトル「勝利2」ボイス)

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 西暦二〇二〇年八月二四日、月曜日。

 日本。東京都練馬区(ねりまく)向山(こうやま)――。

 

 突然、雨が降り出した。

 街灯に照らされた住宅街のアスファルトを、公園の木々を、町全体を、走り抜ける雨足が踏みつけるように激しく叩いた。

 帰路を歩いていたひとりの青年が、目の前の公園に駆け込む。入って二十メートルほど先には、背の低い円柱状の建物がある。両側がトイレで、その間をくぐれるような構造になっている。

 黒無地の半袖Tシャツに黒い六分丈のカーゴパンツを合わせたその青年は、夜空に渦巻く暗雲のような天然の髪を揺らして走った。それらとは対照的にその肌は白く、水が流れ落ちる暗闇で浮いていた。

 青年が背負っていた黒いリュックサックには、ポンチョタイプのレインコートが入っていた。それを羽織るため、彼はしばし公園に屋根を借りる。円柱状のトンネルの天井には、長方形の天窓がいくつも並んでおり、そこから雨が自由に入り込んでいたが、微塵も天井がないよりかはマシだった。

 青年は、男子小学生がよくはいていそうな、ポケットの多いいかにもズボンといった感じのズボンとは裏腹に、今月二十六歳を迎えていた。

 歳が変わっても、日々が変わるわけでもなく、人が変わるわけでもなく、二十六年間連綿と紡がれてきた毎日の先に、些細な変化を織り込んで、日常が編まれてゆく。

「くっ……!」

 突然、青年の意識を少女の声が突いた。それは小さな、日常の綻びを告げる音。

「――?!」

 青年は振り返る。前方のなだらかな草むらに、非日常的な姿の少女がいた。

 青年は目を見開いた。その姿に、見慣れた後姿に、青年は驚いた。

 ピンクがかった白っぽいショートヘア、百五十八センチの身長を超える十字があしらわれた円卓の大盾、黒を基調としたメカニカルな衣装――。

 それは、青年がプレイしているスマートフォン向けゲームアプリ『Fate/Grand Order』に登場するメインヒロイン、マシュ・キリエライトの姿に違いなかった。

「……これ以上は……」

 つぶやいて後ずさりする少女が見据える先、繁茂した木々に隠れた細い道になにかがいる。

「Gi……」

「GiGi……」

 茶色いぼろきれをまとった骸骨の剣士、スケルトンが二体、街灯の下にその姿を現した。

「GAAAAA!」

 さらに三体目――。

「GAAAAA!」

 四体目――。

「GiGi……」

「Gi……」

「Giii……」

「Giiiiiiii!」

「Gi、GAAA!」

 スケルトンは次々に現れ、あっという間に十数体が少女の周りを取り囲む。下手をすれば、奥の細道にもっといるかもしれない。

 スケルトンの大部分は一様に欠けた片刃の剣を持っているが、頭にこれまた一様に矢の刺さった数体は、弓を持って後方に立っている。

 対する少女は一人、既に囲まれ背後もとられている。先ほどの呟きからしても、形勢が不利であることは明白だった。

「……。」

 青年は(わず)かに思考を巡らせた後、強く息を吐きながら足元に手早くリュックサックとつけていた不織布(ふしょくふ)マスクを置き、レインコートを羽織るどころかTシャツを脱ぎ捨て、新しい空気で満たした肺と激しく鼓動する心臓を胸に残し、屋根の下を飛び出した。

 濡れた草が青年の足を撫でる。強い雨が瞬く間に青年をずぶ濡れにし、黒い運動靴の中の裸足まで水浸しにしていく。

「大丈夫ですか?!」

「!? 貴方は……? ――! いけません!」

 少女が叫ぶ。それに一瞬先だって、青年の目前にいたスケルトンが踏み出していた。

「……。」

 足を止め、手を前に出す青年の首筋辺りに、スケルトンが勢いよく剣を振り下ろす。一瞬にして青年の首は跳ね飛ばされる、ことはなく、その剣はぴたりと止まった。

「!?」

 剣は、まるでその()と青年の首との接触面で加わる力が消失し続けているかのようにぴたりと止まって進まない。

「……申し訳ないのですが、剣を収めて頂けませんか? 出来れば貴方と戦いたくないのですが。お話がしたい。」

「……」

 スケルトンは青年の言葉に答えない。

 青年の首筋に剣を当てたまま力を緩めない。そもそも意思の疎通などできる相手ではない。

「……反撃しますよ。」

 青年はそう言うと、こぉーと音を立てて勢いよく息を吐いた。

「……」

 威嚇を兼ねた深呼吸にもスケルトンは臆さない。ただ、いったん剣をひいて“身構える”。

「ふっ!」

 そこへ青年は勢いよく右手の平を打ち出し、スケルトンの肋骨を突く。

 ――平手打ち!

「……」

 スケルトンは全く動じない、が青年はすぐに切り替えてスケルトンの脇を走り抜け、少女の背後を目指す。弓を持ったスケルトンが矢を放つが、やはり青年の体に当たるとぴたりとその動きは止まり、草むらに落ちた。

 青年は声を張り上げながら、少女の背後にたどり着く。

「ごめんなさい! 私にはダメージを与えられそうにないです! でも、盾にはなれます。

 貴方は、お体は大丈夫ですか? 戦う(すべ)はありますか? 手伝って頂ければありがたいですが、無理はしないで頂きたいです。」

「……えっと、貴方は」

 振り向きながら困惑している少女に、青年は困り顔と笑顔を使い分け優しい口調で、早口ながらも少しでも言葉を聞き入れて貰えるよう尽力する。

「ごめんなさい。今は説明より、この状況をなんとかしたいです。少なくとも今、貴方に危害を加える気はありません。貴方を助けたい。

 動けますか? 出来れば道を作って貴方を逃がしたいです。戦えますか? 手伝って頂ければ、うれしいですが、無理はしないで欲しいです。お願いできますか?」

「……了解しました。わたしも戦えます。後ろを任せてもよろしいでしょうか? 背後を守っていただければ、敵性体、殲滅できます」

「はい。ありがとうございます。……あっと、ただごめんなさい。俺は早く動けません。このままこの場に留まって、向かって来る敵を倒して頂けたらと思うのですが。いいですか?」

「了解です!」

「ごめんなさい。ありがとうございます。」

 微笑んだ青年の足元には、会話をしている間にも放たれていた矢が散らばっていた。また一本、矢が増える。そして――、

「Gii――」

「……来ます!」

「――Gaaa!」

 スケルトンが踏み出し、剣を振るう。少女はそれを前に構えた盾で受け、さらに突撃し攻撃する。スケルトンの体は砕けたかと思うと、まるでゲームのエネミーのように消失した。

「ふっ! ……はっ!」

 金属音と雨の音が、小さな夜の公園に響き渡る。次から次へと襲い来る敵の攻撃を、少女は大きな盾で受け止め、反撃し、確実に一体ずつ倒していく。

「……。」

 その後ろでは、青年が(かす)かに表情を歪めながらスケルトンの剣を、その細く貧相な身体で受け止めていた。

「ごめんなさい! 数が! これ以上は!」

「! はい!」

 少女は振り返り叫ぶ。

「しゃがんでください!」

「はいっ!」

「……頭上、攻撃します! やーぁあ!」

 青年がしゃがむとほぼ同時に、少女が大きな盾でその頭上をなぎ払い、三体のスケルトンが一気に消失する。

「はっ!」

 少女はすぐに向き直り、背中に迫っていたスケルトンの剣をギリギリ盾で受けとめる。その後ろでは青年が素早く立ち上がり、その額に間一髪で矢が命中する。

「ありがとうございます。」

「いえ。問題ありません。――ふっ! はっ! これなら! やーぁあ!」

 少女は堅実に攻撃を受け止め、確実にスケルトンを倒していく。また一体、また一体、そして三体、また一体。その後の一体を倒し、少女は息をついた。

「はー……。これで、剣を持ったスケルトンは全て消滅しました。残るは、弓を持ったスケルトンが三体です」

 三体のスケルトンは、青年たちを中心に三角形を描くようにして立っている。

「ごめんなさい。俺は早く動けないので、一体ずつ倒して貰えますか。」

「はい。それでは、まずはわたしの前方のスケルトンからいきます」

「わかりました。」

 青年の返事を聞くと、少女はすぐに前へ踏み出した。速足だが、今までの攻防に比べるとかなりゆっくりとした動きで距離を詰めていく。前方のスケルトンはそんな彼女にただ機械的に矢を放つだけで、移動しようとはしない。

 他のスケルトンも特に変わった動きは見せず、少女の背後を守る青年に矢を放つだけだった。まるで、最初から定められている簡単なプログラムをなぞるだけのゲームキャラクターのように。

「……行きます! やーぁあ!」

 少女は声を張り上げて突撃し、目の前のスケルトンを撃破する。

「次、行きます!」

 同じ要領でもう一体のスケルトンを倒すと、少女は最後のスケルトンを見た。

「残り、一体です」

「……はい。」

 周囲を注意深く見まわしてから、青年は答える。

「最後は一気に倒します。……照準、捉えました。突撃します! ここで、確実に……!」

 少女は背中から青白い光を放出させ、推進力を得て斜め上空に飛び上がり、さらなるエネルギー放出で地上のスケルトンへ突撃した。

「……戦闘終了、ですね」

「そうですね。お疲れ様です。大丈夫ですか?」

「はい。わたしは大丈夫です」

「よかったです。そしたら、すぐにここを移動しませんか。人通りのある方が安全かな、と思うので。なんとなくですが。完全に……。」

「了解です」

「それで、その……。その盾を隠したりは、できますか? その服装も、その。できれば……。」

「……やはり、ここはそういう環境なのですね。少し待っていて下さい」

 少女がそう言うと、間もなくその手から盾が見えなくなり、続いて服装が黒いワンピースと白衣という見た目に変わった。いつの間にかゴーグルも眼鏡になっている。それは、青年がゲーム画面で見慣れたマシュの普段着姿に他ならなかった。

「これでどうでしょうか?」

「……ああ、えっと。それなら、大丈夫だと思います。」

「了解です」

「えっと。そしたら、とりあえず、行きましょうか。」

「はい」

 少女の返事を最後に、二人は歩き出した。

 雨はいつの間にかやんでいた。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1430093923276361728




 

【修正一覧】

2021.08.25. 「青年は振り替える」→「青年は振り返る」
2021.09.02. 「こぉーっと音を立てて」→「こぉーと音を立てて」
2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第2節 少女は欠けた月のように

 

「ありがとうございます」

 絞り模様が散らされた臙脂色(えんじいろ)の座布団に座っていた少女は、目の前の卓袱台(ちゃぶだい)に麦茶の入ったグラスを置かれるとお礼を言った。

「いえ。」

 青年は微笑んで答えてから部屋の奥に行き、文机の上に置かれていた深い萌黄色(もえぎいろ)の座布団を畳へ下ろして、その上に正座した。入口側に座る少女とは少し不自然なくらい距離をとっている。

 そんな青年と文机とを、不思議そうに見比べる少女の視線に気づき、青年は笑顔で口を開いた。

「ああ、色色飾ってあるので。あれがパソコンに万が一落ちたら恐いなと思って、普段はパソコンの上に置いてあるんです。」

「なるほど……」

 壁際の文机にはノートパソコンが置かれており、その上には木の鍋敷きやらぬいぐるみやらがいくつか、壁にかけられ飾ってあった。

「あの、それで――。」

 公園での戦いの後、青年は少女と道すがら話をして、最終的には彼女を一人暮らしの自宅に招くことにした。

 道中で青年はまず、少女が(いだ)いているであろう疑問に答えた。

 自分は木村(きむら)直輝(なおき)という名前であること。魔術師だったり魔術使いだったり、秘密裏に何かと戦っている機関の人間であったり、実は人間ではなかったり、そういう特別な立場ではないということ。

 ただ、“UMD”という『少なくとも現代の科学ではありえない事象を引き起こすあるもの』を有していること。先ほどスケルトンの攻撃を受けとめることが出来たのは、その影響であること。基本的に『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思うということを話した。

 そして、戦闘に関しては先ほど程度のことしか出来ないけれど、もしよければ遠慮せずに、出来る限りではあるが力にならせて欲しいと付け加えた。

 そうこうする内にだいぶ家まで近づいてしまったので、行く当てのないという少女を、直輝は迷いつつも遠慮がちに家に招いたのであった。

 その後は、飲み物はこういうものなら家にあるがどうするかだとか、お腹は空いていないかだとか、そんな話をしている内に名前すら聞かないまま少女を家に上げてしまった。

「――まずはお名前を伺っても、いいですか?」

 直輝にそう言われて、少女の表情が曇った。

 直輝はあわてて口を開く。

「あっ、ごめんなさい。無理にはいいんです。ただ、なんて呼んだらいいかな、って思って……。」

「いえ、違うんです。そうではないんです。そうではなくて……」

 直輝は、弱々しくもはっきりと否定した少女の沈黙に耳を傾け、静かに待った。

「その。わたし、記憶がないんです」

「……本当ですか。」

「はい。言語だとか、この国の文化だとか、そういった知識はあるんです。むしろ、常識的に考えれば多いのではないかというくらいに。それから、戦闘の知識だとか、そういった技術的なことも覚えています。ただ、わたしが誰なのか。どうしてここにいるのか。それが、思い出せないんです」

 直輝は少しの間、少女を見つめてから、沈黙を破った。

「そしたら、まずは覚えてる範囲で構わないので、なんでさっき襲われてたのか、教えて頂いても構わないですか?」

「はい。と言ってもほとんどわからないのですが……。

 目が覚めたら、わたしはあの公園に倒れていたんです。すでにわたしが誰なのか、どうしてそこにいるのか、わかりませんでした。

 でも、何かやらなくてはいけないことがあって、目的があって、わたしはどこか遠くからここにやってきたのだということは覚えていました。いえ、覚えていたというよりは、そういう気がしたと言った方が正確だとは思うのですが……。上手く言えませんが、かなり確信めいた感覚なんです。

 それで、後は木村さんも知っての通りです。目を覚ましてすぐ、わたしは突然現れた十九体のスケルトンに囲まれてしまいました。そこに木村さんが来てくださって、助けてくださったんです」

 直輝はしばし返答を探して沈黙した後、口を開いた。

「これから、どうされるおつもりですか?」

「……正直、わかりません。……あっ。ですが、木村さんにこれ以上ご迷惑をおかけするつもりはありませんので。それは、安心してください」

「……他に、覚えていることはありますか?」

「他、ですか……。えっと、その……。木村さんは先ほど、ご自分のことを魔術師や魔術使いではないとおっしゃいましたが、わざわざそれを引き合いに出されたということは、わたしが魔術に関係していると気づいていらっしゃるからだと思ってよいのでしょうか」

「……はい。確信、ではないですけど。なんと言うか、半信半疑では、ありますけど……。」

 直輝の返事を聞いて、少女は意を決した様子で口を開いた。

「わたしは、その、サーヴァントです。それも、信じられないかもしれませんが、普通のサーヴァントではありません。デミ・サーヴァントと言って、人間の体に英霊が憑依融合しているという、特殊な形のサーヴァントなんです。正確に言うと、今はさらに複雑な状態なのですが……」

 

 ――サーヴァント。

 それは、人々に信仰されている英雄や偉人といった人理に刻まれしもの、“英霊”と呼ばれる存在。

 その一側面をクラスという形で抜き出し、聖杯級の魔力を利用することでやっと、人が使役できる規格にまで落とし込み召喚することが叶うほどの神秘。すなわち、最上位の使い魔である。

 

「……はい。」

 直輝は少し考えた後、一言いってポケットからスマートフォンを取り出した。SIMフリーモデルのそのスマートフォンには、SIMカード *1 が入っていないので、そのままでは通信ができない。

 直輝はWi-Fi *2 をオンにし、少し待ってから『Fate/Grand Order』を起動してマシュのカードを表示すると、それを少女に見せた。

「……これは! わたしの装備とそっくりです」

 そう言うと、少女はおもむろに自分の髪へと手を伸ばした。

「ちょっと、来て貰ってもいいですか?」

「……はい」

 直輝は少女を連れて洗面所までやってくると、壁にかけられた水面と花菖蒲(はなしょうぶ)が描かれた手ぬぐいをどけ、その裏に隠してあった鏡をあらわにした。

 直輝に(うなが)され、少女はゆっくりと鏡をのぞく。

「あっ……!」

 少女は自分の顔を見て、小さく声をもらした。

 そんな少女に直輝は、FGOのマスターミッション画面を見せる。そこに表示されているマシュの姿は、まさしく今の少女そのものだった。

「……わたし、なんでしょうか……?」

「恐らく……。」

 直輝はそう言うと、手ぬぐいをまた壁にかけ、少女を再び部屋に通した。

「このゲームの内容と、先ほどの貴方のお話から考えて。恐らく貴方はこの世界に、レイシフト、という手段を使ってきたんじゃないかと思います。あくまでも憶測で、今の時点ではなんとも言い切り難いですが。少なくとも貴方は、こちらの世界にとってはこのゲームの世界の人物、マシュ・キリエライトである可能性が高いと思います。」

 直輝はそこでいったん言葉を切り、少女の表情をうかがった。

 そして、彼女が目の前に提示された信じ難いであろう情報を少しでも処理できるよう、少し間を置いてから言葉を再開した。

「ゲームの内容はネットに上手く要約されてますし、もしよければ、まずそれを読んでみたらどうでしょうか? もしかすると、記憶が戻るかもしれませんし。部分的にでも……。

 それと、今の日本のことも。社会情勢のことも知っておいた方がいいと思います。恐らく基本的な知識はあるんじゃないかなとは思うんですけど。今、世界的に新型感染症が流行ったりしていて、ちょっと特別な状況なので。そういう情報も多少は得ておいた方がいいと思います。」

「……」

 沈黙する少女に、直輝は言った。

「ごめんなさい。一気に喋ってしまって。」

「ああ、いえ! そんなことは……。ただ、少し、なんと言えばいいのでしょうか。驚いていて……」

「そう、ですよね。俺には、察することしかできませんが……。落ち着くまで、ゆっくりしてて下さい。なんだったら、今日はもう寝てもいい、構わないですし。ごめんなさい。布団はこれしかなくて、だいぶ汗もかいてるので……。明日、洗って干しますから、それまで待って頂きたいのですが……。掛布団は最近使ってないので、よかったら使って下さい。畳ですし、フローリングよりは寝やすいかと思います。座布団もありますし。」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。わたしはサーヴァントですから、睡眠はいりません」

「でも、デミ・サーヴァントなんですよね? だったら、食事も休養も必要なんじゃないですか?」

「……そこまで知っていらっしゃるんですね。……でも、なぜ木村さんはそこまでしてくださるのですか?」

 直輝はしばし、少女の瞳を見つめた。眼鏡のレンズの奥の、あどけない瞳を。純粋な疑問に満ちた彼女の瞳を、静かに見つめ、そして答えた。

「……俺が、そうしたいからです。だから、遠慮しないで下さい。ここで見捨てて、何かあっても嫌じゃないですか。いや、俺は嫌なんです。だから、ただの我儘です。身勝手なお願いで申し訳ないですけど、なんと言うか、だから、遠慮しないで貰えるとありがたいです。それに、あなたがもし本当にマシュであれば、仮にもずっとプレイしてきたゲームのメインヒロインですから。なんと言うか、思い入れもあるんです……。」

「……ありがとうございます」

 少女は視線を落とし、少し頬を赤らめてそう言った。

「……寝るんでも、情報を見るんでも、貴方のタイミングで声をかけて下さい。俺はちょっと、シャワー浴びてきてもいいですか。先、浴びますか?」

「いえ、お先に浴びてきてください。その間に少し、頭を整理しておきますので……」

「わかりました。」

 直輝は微笑んでそう言うと、部屋を後にした。後には一人、少女が残る。

 すぐそこの廊下で直輝がシャワーの支度をしている音こそしているが、部屋の中はとても静かだった。静寂がこだまでもしているかのような部屋の中、少女は自分の中の空っぽを強く意識させられる。

――……マシュ・キリエライト――

 萌黄色のカーテンの外では、快晴の夜空にぽつんと月が浮かんでいた。

 それはまるで、記憶を失くした少女のように欠けていた。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1430096117593612288

*1
SIMカード:スマートフォンなどにおける電話番号などの契約情報が記録されたICカード。携帯電話としての通話やSMSを利用するためには必須。

*2
Wi-Fi:無線LANの国際標準規格。一般的には、この規格で行われる無線LAN接続の意で用いられる。




 

【修正一覧】

2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第3節 ひとり暮らしにただいま

 

 都内某所。

 

「ただいまー」

 二十代後半くらいの髪の長い女性が、一人暮らしの自宅に帰ってきた。

「おかえり、マスター」

「……ああーん、最っ高! 家に帰ったら愛しのジェロニモが待っててくれてるなんて、それだけでもう仕事の疲れも吹っ飛んじゃうよ! でも、ジェロニモ。できればやっぱり、マスターはやめて欲しいかな……」

 ブラウンに近い落ち着いたピンクベージュの髪を揺すって身悶えし、マスクの下からうきうきした顔を見せたかと思えば、少し困った顔へと(いそが)しく表情を変える彼女に、出迎えたネイティブ・アメリカンな顔立ちの男性――ジェロニモは渋い顔を見せる。

「何度も言うが、その、真衣(まい)? 私には愛する妻と子供が」

「知ってるよ。わかってるって。私も何度も言うけど、別に恋人になって欲しいとかそんなつもりはないよ。そりゃあやっぱりジェロニモさえ――」

 唐突に早口になりだした彼女の、平川(ひらかわ)真衣(まい)の口を塞ぐように、ジェロニモは口を開く。

「真衣? 手を洗わなくていいのかい? 危険な疫病(えきびょう)が流行っているんだろう?」

「あっ、そうだった。ありがとう、ジェロニモ。ついでにシャワー浴びてきちゃうね! 着替え着替えっと……」

「ああ、真衣……。洗う前の手で着替えに触ったら汚れてしまうのでは……?」

「そっか。もー、ジェロニモがかっこよすぎて私もう頭がヤバいよぉ。まあ、元々馬鹿だけどねー。あはは。じゃあ、まずは手を洗ってー……」

 ドタドタと洗面所に向かって行く真衣を見送りながら、ジェロニモは小さなため息をついた。

 そして、自分の衣服に目を向ける。夏草のような色に染め上げられたそれは、生前には縁もゆかりもなかった衣服。日本の伝統的衣装、浴衣だった。

 聖杯戦争に呼ばれたはずの彼だったが、召喚されたのは魔術師の工房どころか魔方陣の上ですらない、一人暮らしの女性でも安心のオートロック付きマンションの一室。1Kのその部屋に彼を呼んだのもまた、魔術師や魔術使いではなく、単なる一般人のOL *1 だった。

 ――そりゃあ、Fateは元々男性向けのエロゲだったのは知ってるし、もうそういうもんだとは思ってるけどさぁ。推しの水着が絶望的だなんて、やっぱ寂しいでしょ? しかも、霊衣すら望み薄……。今回の夏イベはまさかのジェロニモが! と思ったら最初だけだったし……――。

 などという彼女の言葉の意味を理解して、ジェロニモは愕然とした。

 呼ばれたのは戦いの場であると思っていたというのに、復讐心で燃える戦意を胸に、多少の霊基の変化には目もくれず、不慣れな衣装にも甘んじて身を包み召喚に応じてみれば、求められていたのは戦士としての自分ではなかったのだ。

 ――水着ジェロニモ、ってか浴衣ジェロニモだけど……。夏イベ版ジェロニモが見れただけでもう私の願いはかなったようなもんだし。あっ、でも再臨したら水着になるのかな? 実はその下は水着……! えっ、リアル再臨ってどうやるの! あ~ん、もう推しがゲームから出て来てくれたなんてもうヤバいマジヤバい! ジェロニモが今ここに! しかも、浴衣! すごい似合ってるよ、ジェロニモ! もう、尊すぎて私死んじゃうよ~。ジェロニモ尊死! ……だから後は、出来るだけ私と一緒にいてくれたらそれでいいんだ。戦士のジェロニモには物足りないかもしれないけど、お願い。出来るだけ聖杯戦争には参加しないで、出来るだけ長く私と一緒にいて?――。

 などとマスターに頼まれてしまっては、どうすることも出来なかった。

 (いな)。今のジェロニモはスキルによって、微量ながら魔力は延々と湧き続けるため、その気になればマスターからの魔力供給に頼らずともある程度は活動できるのだが……。

「ジェロニモー! お待たせー! ビール飲もう? おつまみ買ってきたよー。えっとねぇ――」

 こんな具合で無邪気に自分との時間を楽しまれては、何故だか気が抜けて、牙まで抜かれたような気持ちになってしまうのだった。

 ――……もちろん、ジェロニモがその気なら、別に私は夏の魔物と人知れず二人きりで夜の聖杯戦争をするっていうのもまんざらじゃないんだけど……。なんてぇ……。あはは。何言ってんだろー私。酔ってるのかなぁ? 酔ってるよ? だってこんな飲んじゃったし! あー、待って! 待ってジェロニモ! そんな顔しないで! 私、ビッチじゃないからね! むしろっ! ……うっ、ううん。なんでもない。なんでもないからね、ジェロニモ――。

 などと言われた日には、もはや怒りを通り越してあきれてしまうのである。

 『Fate/Grand Order』とは違い、今回はキャスタークラスでの現界(げんかい)ではないジェロニモは、戦士としての側面が強い現界を果たしていた。もちろん霊基がいささか特殊であるため、衣装だけではなくスキルも“夏の魔物”だとか“縁日の略奪者(トリガー・ハッピー)”だとかイベントチックになってはいたが、その実その心は憎悪と戦意に燃えていた。

 戦う意思のないマスターに対して憤りもあった。だが、それでも何故だかジェロニモは、戦いへの参加を強行する気にはなれなかった。

「ジェロニモ?」

「……いや、すまない。そうだな。私も一杯いただくとしようか」

 そう言って、戦士は力なく座についた。

 

     *

 

 恐らく初めて自宅のドアをノックした直輝は、いつものように鍵を開けて家に入る。

「おかえりなさい、木村さん」

「ただいまです。大丈夫でしたか?」

 アルバイトから帰ってきた直輝は、靴を揃えマスクを外しながら、玄関まで出迎えてくれたマシュに笑顔で問いかける。

「はい。木村さんも、何事もありませんでしたか?」

「大丈夫です。」

「――あっ。今、照明をつけますね。えっと、すいません。どちらがキッチンのスイッチでしょうか?」

「ああ、大丈夫ですよ。すぐ終わりますから。」

 直輝は薄暗いキッチンで丁寧に手を洗いながらそう返すと、マシュに進捗(しんちょく)を尋ねた。

 昨夜シャワーを浴びた二人は早々に眠ることにし、マシュは今朝から『Fate/Grand Order』の設定やシナリオ全体のあらすじをネットで読み漁っていたのである。

 直輝はといえば、社会情勢の煽りと学生スタッフたちの夏休みの影響を受けて勤務時間は大幅に減っていたものの、夕方から夜にかけてのシフトがあったので、マシュを自宅に残して働きに行っていた。

 そんな直輝に、マシュは大まかにではあるもののシナリオや設定、そしてマシュ・キリエライトの設定に関してはかなり詳細に把握できたと思うと伝えた。

「物語としては面白そうだと思いましたが、自分が体験したことの記録なのだと思うと――あっ。エアコンの温度は大丈夫でしょうか? わたしはずっと部屋にいたのでちょうどよいのですが」

 荷物を片付けて部屋に入った直輝は、マシュの気遣いに微笑んで答える。

「ああ、大丈夫です。俺、普段は冷房使ってないので。」

「それは失礼しました。木村さんが寒ければオフにしますが」

「ああ、そうじゃなくて。節約のために使ってないんです。もともと暑さにも寒さにも人より強いですし。だから、気にしないで下さい。マシュさんが快適な温度に設定して貰えればありがたいです。」

「……」

 直輝の言葉に、マシュは急に黙り込んでしまった。

「どうしました?」

「……やはり、これ以上わたしがここでお世話になるべきではないのではないでしょうか。失礼ですが、一般的なフリーター *2 の方の一人暮らしというのは、あまり経済的に余裕がないものだと思います。それに、『Fate/Grand Order』についてだけではなくて、今の社会情勢についても少し調べたんです。世界的に流行しているCOVID-19(コヴィッドナインティーン)の経済への影響は、この日本でも大きなものなんですよね。そんな状況でわたしがお世話になっていては、木村さんの生活を圧迫してしまうのではないでしょうか。

 わたしはデミ・サーヴァントとはいえ、仮にもサーヴァントです。その気になれば野宿だってできます。ですから……」

 言い(よど)むマシュに、直輝が笑顔で答える。

「マシュさん。昨日も言った通り、これは俺の我儘です。マシュさんを見捨てるのが嫌だから、俺の勝手でやらせて貰ってるんです。もちろん、マシュさんが嫌なら、無理には引き止めません。でも、遠慮してそう言ってるのなら、俺の我儘をきいてくれませんか。身勝手なお願いで、申し訳ないんですが……。」

「……木村さん」

「とは言え、全く困ることがないと言えば嘘になりますが……。」

「っ……」

「流石に、魅力的な女性と二人きりで暮らすというのは、緊張してしまいます……。」

「えっ……?」

「あっ、いやっ! ごめんなさいっ! いやっ、変な意味じゃなくて! 冗談と言うか。いや、冗談でもないですけど。そうじゃなくてあの、近寄らないから安心して下さい! あっ、そこに防犯ブザーがあるんで。よかったら、持ってて下さい。」

「……いえ。わたしはサーヴァントですし、その必要はないかと。それに、木村さんは一般的な成人男性に比べてかなり筋力のない(ほう)だと思いますし、百人で束になって襲って来られても全く負ける気がしません」

 マシュの冷静で心なしか辛辣なツッコミに、目を丸くした直輝はすぐに口元をゆるめた。

「ふっ。それは、その通りですね。」

「はい。……その、なんといいますか、ありがとうございます」

「……、いえ。」

 優しくそう言った直輝の瞳から視線をそらし、マシュは口を開いて沈黙を破った。

「……あっ、そうだ。気になるニュースがあったんです」

「気になるニュース、ですか。」

「はい」

「もしかして、新宿のニュースですか?」

「はい。木村さんも見ていらっしゃったのですね」

 新宿のニュース――。

 今日のニュースによれば、二日前から新宿では、原因不明の体調不良者と行方不明者が続出しているというのだ。

「ネット上では、前者は単なる熱中症ではないかという意見から、COVID-19が変異した可能性や新たな感染症の可能性、果てには政府がCOVID-19の感染者数増加を隠ぺいするために原因不明の体調不良であると不正に情報を操作したり、感染者を拉致しているのだというとても信じられないような憶測まで飛び交っています。ですが、これは……」

「そうですね。サーヴァントなり魔術なりが関係してる可能性が高そうですね……。」

 魔術など本来実在しないとされているこの世界で、常識的に考えれば、飛躍した陰謀論よりもさらにあり得なさそうな『魔術が原因である』という可能性の方が現実問題として高いという現状に、直輝は改めて世の中に信じられるものなど一つもないということを実感した。

「はい。それで、調べてみたのですが……。SNSなどの目撃情報を集めてみると、どれも国道二十号沿線の人気(ひとけ)のない場所でのものでした。とはいえ、場所をある程度特定できる情報は少なかったので、はっきりとしたことは言えませんが……」

 そう言いながらマシュはノートパソコンを開き、地図の画像を選んで表示した。地図上には数個の印が打たれており、それはマシュの言う通り、どれも国道二十号 *3 からそう遠くない場所にあった。

「すごいですね。こんなものまで……。ありがとうございます。」

「いえ……。お恥ずかしいできですし、サンプル数も少ないので、わざわざ図にする必要はなかったかもしれません……」

「そんなことないですよ。充分わかりやすいです。」

「ありがとうございます……。それと、時間帯は夜が多かったです。と言っても、深夜に救急車のサイレンを聞いたというような情報が多いので、静かな時間帯であることを考慮すれば情報が集中するのは当たり前かもしれませんが……」

「そうですね。どうしてもしっかりした情報が得られないので、仮定の域を出ませんが……。それでも、充分大きな手掛かりだと思います。どうしましょう? これから行きますか?」

「木村さんは、大丈夫なのでしょうか。働いて来られたばかりですし……」

「俺は大丈夫です。最近、シフトはだいぶ短いので。明日も夕方からですし。それより、今日一日調べ物をして、マシュさんこそ疲れてるでしょうから。戦闘になる可能性もありますし、マシュさんの調子次第で決めましょう。」

「……ありがとうございます。わたしは大丈夫です。マスターの……、先輩? のことも気がかりですし……」

 そう言ってマシュは、視線を落とした。

 今現在、マシュは誰かと魔力的なパスが繋がっている。それは、何らかの魔術的な補強によってギリギリ保たれている程度のものだったが、パスが繋がっているということはどこかにマシュのマスターがいるということになる。

 マシュがこの世界にレイシフトしてきたのだと仮定すれば、その相手は『Fate/Grand Order』の主人公だと考えるのがまず妥当だろう。それ故に、その安否と所在の確認、そして合流が目下の課題であり目的であるという結論に、直輝とマシュは至ったのである。

 だから、直輝とマシュは仮契約の関係にすらなかった。直輝の手の甲には、青白い血管と細長い骨が浮き出ているのみで、白く綺麗なままだった。

「そうですね。早い方がいいですね。それじゃあ、行くということで、大丈夫ですか?」

「はい。」

「そしたら、終電までまだだいぶ余裕がありますし、夕飯を食べて、少しゆっくりしてから行きましょうか。お腹、空いてますか?」

「……はい。実は、とても空いています」

 昨日は何も食べておらず、今日もブランチに直輝が奮発して用意したそうめんを食べただけだったので、既にマシュはとてもお腹が空いていた。

「じゃあ、食べましょう。販売期限を過ぎたお弁当とかしかないですけど、多めに持って来たんで。よかったら、選んで下さい。」

 そう言って冷蔵庫に向かう直輝を、マシュはすぐ後ろで追いかけた。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1430445549816217601

*1
OL:和製英語「office lady」の略。主に会社員女性を差す俗語として普及しているが、造語であり誕生当時(1963年に女性誌のアンケートで生まれたと思われる)とは社会情勢も変わっているため定義の明確化は難しいだろう。

*2
フリーター:和製英語「freelance arbeiter」の略。日本の各省庁などが便宜上この呼称を用いる際は、概ね「十五~三十四歳の内、雇用形態がパート・アルバイトの雇用者ないしそれを希望する完全失業者。内、非労働人口で家事や通学をしている者は除く」というような定義を設けている。しかし、一般的な言葉としての定義は厳密ではない。

*3
国道二十号:東京都中央区の起点からはじまり、長野県塩尻市の終点まで続く延長約二百三十キロメートルの国道。別名“甲州街道”。作中では主に“新宿通り”と重なる区間を指す。




 

【修正一覧】

2021.08.26. 「どっちらが」→「どちらが」
2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第4節 軍神のけいこく

 

 東京都新宿区(しんじゅくく)愛住町(あいずみちょう)

 直輝とマシュは、国道二十号から少し入ったところにある愛住公園(あいずみこうえん)に到着した。

「誰も、いませんね……。」

「はい……」

 直輝はマスクを外すと、ズボンのベルト通しに着けていたキーチェーンのスナップフックに引っかけた。

「ここで数時間待ってみて、何もなかったら、人気(ひとけ)のない道を選びながら駅まで戻りましょうか。」

「はい。そうしましょう」

 二人は終電に少し余裕をもって新宿駅に到着すると、甲州街道(こうしゅうがいどう)改札を出て目の前に広がる大通り沿いに東へ歩き、国道二十号付近の新宿御苑(しんじゅくぎょえん)外縁や公園を回った。

 頻発しているという原因不明の体調不良や行方不明の原因は定かではないが、サーヴァントや魔術師による凶行の場合、現場付近を訪れればマシュの魔力を感知して接触してくる可能性が高いと考えたのだ。

 その場合、より人気(ひとけ)のない場所である方が接触してくる可能性が高く、一般人を巻き込む可能性も低いと考え、その中でも戦闘になった際に戦いやすく周囲への被害も抑えやすいよう、開けた公園を転々とすることにしたのである。

 だが、駅や繁華街からは離れているというのに、こんな時間でもどの公園にも一人以上の人の目があり、直輝たちは四か所目にしてやっと無人の公園に辿り着くことが出来たのである。流石は眠らない街、東京の都心である。

「狼の遠吠え、でしたっけ。」

 シュッとスプレーが吹かれ、強いハーブの芳香が鼻を突く。直輝は蚊に刺されないよう、気休め程度だとは思いつつも、肌に優しいという天然素材の虫よけスプレーを持ってきていたのだ。

「はい。三件だけですが、やはり二日前から、国道二十号沿線で狼の遠吠えのようなものを聞いたというSNSへの投稿がありました」

「……。――あっ、使います? 虫よけスプレー。臭い強いですけど、肌には優しいらしいんで。赤ちゃんにも使えるらしいんで、臭いが駄目でなければ……。」

「あっ、ありがとうございます。いただきます……」

 直輝はマシュにスプレーを手渡すと、話を再開した。

「狼……。何か、関係してるんですかね……。」

「……わかりません。もしそうだったとしても、それだけではどんな相手であるのか、予測するのは難しいですね」

「そうですね……。」

 

 ――“新宿”、“国道二十号”、“狼”という単語から、直輝は『Fate/Grand Order』一.五部の亜種特異点Ⅰに登場したサーヴァント“ヘシアン・ロボ”を思い出していた。

 隔絶され悪性の魔境と成り果てた新宿で、国道を縄張りにしていたサーヴァント。アメリカの都市伝説に語られる首のない騎士ヘシアンと、シートンの動物記で知られるカランポーの狼王ロボ。本来英霊には足りえない幻霊という存在を、融合することによってサーヴァントにまで持ち上げられた存在。それでありながら、ロボの強い人類(ヒト)への憎悪により、あの特異点で最強格の強さを誇っていたサーヴァント……。

 だがしかし、あのサーヴァントは本来新宿と縁があるわけでもなければ、狼がらみの伝説や物語など人類史には無数に存在するため、今回のこの新宿の事件に関与しているのがヘシアン・ロボである可能性は極めて低いはずである。

 

 そんなことを考えながら、ふと空を見上げた直輝の口から、言葉がこぼれる。

「……星が、綺麗ですね。」

「……本当ですね。アンタレス? いえ。火星、でしょうか……」

 二人は開けた公園の真ん中で、虫の声に包まれながら、夜空を見上げていた。そこには、星のほとんどない都心の夜空で、強く明るく輝いて見える赤い星があった。

「――! 木村さん! サーヴァントの気配です!」

「!」

 瞬く間に緊張感を張り巡らせた二人は、前方の公園入口に人影を確認する。

 直輝たちがやってきたのと同じ入口に、一組の男女。数段の階段を上り、ベンチを(よう)する藤棚のような形の建造物をくぐり抜け、グラウンドへと歩いてくる。

 一人は二十歳(はたち)くらいの黒い傘を持った日本人男性だが、もう一人は緋色の髪を腰辺りまで伸ばした外国人女性だった。彼女は、内側の燃えるような緋色を包み隠すような白いマントをその背に羽織っている。明らかに、普通の服装ではない。コスプレか、そうでなければ――。

「マシュさん。あの人はFGOのサーヴァント、ブーディカの姿をしています。」

「ブーディカ……」

 

 ――ブーディカ。それは、古代ローマ帝国の時代に、夫である王の死を(もっ)て帝国ローマに王国を奪われ蹂躙されたイケニ族の女王の名である。

 最終的にはローマ軍に敗れるものの、数多くの部族を一つにまとめ上げ大規模な反乱を起こし、破壊と虐殺の限りを尽くしたという。その苛烈な故事から、後の世でも“戦いの女王”として信仰を得たばかりか、都市伝説の怨霊として恐れられている存在である。

 

「……うん。やっぱりサーヴァントだよ、マスター」

「そうか。――お前たち、聖杯戦争の参加者だな。悪いが、敗退してもらう」

「っ!? 聖杯戦争……? この土地で、聖杯戦争が行われているのですか!?」

「ごめんなさい。私たち、何もわかってなくて。よろしければ、教えて頂けないでしょうか。」

 青年は険しい表情を一つも変えず、直輝たちの言葉に答える。

「しらばっくれても無駄だ。もし本当でも知ったことじゃない。俺は絶対にこの聖杯戦争に勝利する。だから、話はサーヴァントを倒してからだ。やれ、ランサー」

 男はそう言うと、直輝たちをにらみつけたままゆっくりと後退し、距離を取る。

「うん――」

 女性の――ブーディカの手に、身の丈ほどの槍が現れる。

「――サーヴァントは、女の子の方だよね。ごめんね。貴方たちに直接の怨みはないけど、それでも、あたし……」

「ランサー!」

「ごめん、マスター! ――お話はおしまい。それじゃあ、行くよ。あたしたちは、必ず勝利する!」

 そう言うなり、ブーディカはマシュに向けて槍を突き出す。既にそこはブーディカの間合い。

「くっ!」

 寸でのところで盾を出し、マシュがブーディカの攻撃を受けとめる。

「大丈夫ですか!」

「はい!」

 そんなやり取りを待つこともなく、ブーディカは百七十センチを超えるその長身を活かし、体を斜めに倒して盾の横から槍を打ち込む。

「――!?」

 その槍が、間一髪で半歩踏み出した直輝の脇辺りに突き当たる。

「……殺しちゃったかと思った。戦えるマスター、か」

 ブーディカは一度身を退き、苦い顔で微笑む。

「どうする、マスター!」

「……。勝利が、最優先だ……」

「了解!」

 再び踏み出すブーディカに先立って、Tシャツを脱ぎ捨てた直輝とマシュも会話を済ませていた。

――マシュさん。出来るだけ倒さない方向で、お願いできますか。――

――了解です――

――でも、無理はしないで下さい。――

――はい――

 真横にぴたりと並んだ直輝とマシュ。

 マシュはやや斜めに盾を構え、ブーディカの体をそらせた攻撃も受けられるように備える。

 その反対側の隙を埋めるように直輝は立つ。ブーディカの攻撃についていけないため、出来るだけマシュに近づき、その半身を守る壁になる。

「はっ! はっ! でぇい! どうしたの! 守ってるだけじゃ、勝利は掴めないよ!」

 怒涛の刺突が二人を襲うが、マシュは攻撃を捨て、守りに徹することで、危なげなく全ての攻撃を受けとめ切っていた。

「わたしたちは、本当に、くっ! 戦う気はないんです! お願いです! 話を、っ! 話を聞いてください!」

「それは出来ない。たとえ君たちの言葉が本当でも。サーヴァントにはあたし以外、消えて貰う!」

「ぅっ……!」

 激しい刺突は時々変化を交え、マシュと直輝に襲いかかる。しかし、完全に守りに徹した二人は、それら全てを真正面から受け止めていた。

 ブーディカが再び、後方に退く。

「マスター、どうする? あの子、だいぶ守るのが得意みたい。あのマスターがいなくても、たぶん関係ない。あの子にあそこまで攻めを捨てて守りに徹されたら、ちょっと崩すのは難しいかも……」

 男性は無言で辺りを見回してから、吐き出すように言った。

「はぁ……。もう、やるしかないのか?」

「うん、たぶん……。このままあの子の消耗を待つのも手だけど、いつまでかかるかは、ちょっとわからない……」

「……」

 青年が眉間にシワを寄せ、傘を握りしめる。ブーディカは次に来るであろう指示を待ち、心を備える。直輝とマシュは遠巻きに様子をうかがう。

 そんな四人の頭上で、静かに赤い星が輝く天から刹那、真っ赤な影が飛来した。

 それはまるで赤い流星の如く、地に降り立ち、咆哮(ほうこう)を上げる。

「ウアアアアアアアアー! アア……。アア……! アアー!!!!!」

 左手で頭を押さえ、右手にブレード揺らめく赤と黒の剣を持つ、赤いドレスの金髪の少女が一人。星のように鮮烈に、戦いの舞台に登壇した。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1430447004493045766

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1430447015415087106




 

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2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第5節 軍神のけいこく loop

 

「ウアアアアアアアアー! アア……。アア……! アアー!!!!!」

 流星の如く降り立った少女が咆哮(ほうこう)を上げる。

「ネロぉー! 僕の愛しのネロぉー! 痛いねぇ。痛いねぇ。でも大丈夫だよ。そいつらを殺したらお薬をあげるからね。だから、さぁ……。皆殺しだぁ! ネロぉ! 僕の花嫁ぇ……、ネロぉ!!!」

 そう叫びながら、一人の男が公園に入って来た。

「……ネロ」

 あっけにとられる一同の中で、最初に言葉を発したのはブーディカだった。

 

 ――ネロ。それはブーディカにとって憎き宿敵、ローマ帝国の皇帝が一人。

 多くの民衆に愛されるも、最後には暴君と呼ばれその座を追われ命を狙われ、自決で幕を閉じた悲劇の皇帝。ローマ帝国第五代皇帝、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。

 

「マスター。一対一じゃなきゃ、わからないかも。下がってて。どの道、あいつはあたしが……!」

 全ての言葉を言い切るより早く、ブーディカは跳び出していた。

「ウウー……。ウウー……! アアアアアアアアァ!!!」

 一閃。

 吹き飛んだブーディカは近くの木に激しく体を強打し、声もなく地に落ちた。セミがジジジジジジジジとけたたましく鳴き、バサバサと葉を揺らして飛び去る。

「いいぞいいぞぉ! さぁ……、とどめだネロぉ!」

「ウウー……。ウウー……」

 ネロはただ、直立したまま剣を振っただけだった。しかし、もとより持ち合わせている膨大な魔力に後押しされた強烈な剣撃に、狂化により大幅に強化された筋力が加わり、その威力は圧倒的なものとなっていた。

「……誰にとどめを刺すのかな?」

 そんなネロを前にし、地面に座り込んでいたブーディカが立ち上がる。その目はカッカと燃える烈火の如く、荒々しくネロをにらんでいる。

 一閃、赤い稲妻の如くブーディカは地を駆け、目にも止まらぬ速さでネロと間合いをつめ槍を打ち出していた。

「アアアァ!!!」

 だがしかし、その鋭い一撃はネロの大胆粗雑な剣撃に弾かれる。

「くっ! ……はぁっ!」

 それでもブーディカは(ひる)まず止まらず、槍を撃つ手を緩めない。

 もともと彼女は戦士ではなく、あくまで復讐のために立ち上がり人々をまとめ上げたカリスマであり、卓越した武術を持つ英霊ではなかった。それでも、槍をその手に現界した彼女は、それなりに戦う(すべ)をわかっていた。

 だが、今の彼女の攻撃は、白日のもとにさらされずとも明らかなほど、狂化しているネロの動作に負けず劣らず荒く乱れたものだった。その動きは、先ほどまでマシュたちと戦っていた時とは明らかに異なっている。

 それだけではない。彼女は先ほど、ネロが加わり一対一でなくなれば、マシュの堅牢な守りを突破できるかもしれないという考えを口にしたばかりであるのに、戦いに積極的ではないマシュを置き去りにしてネロを攻めている。

「……あの様子、バーサーカーでしょうか」

「恐らく……。それと、ネロの姿をしています。FGOの、ネロの姿を……。」

「ネロ? それは、ローマ帝国第五代皇帝の、あの、ネロのことですか?」

「はい。」

 直輝の言葉に、マシュは目を丸くしてネロを見つめる。

「あの女性が……。いえ、わたしたちの世界の皇帝ネロが女性だった、というのはインターネットで読みましたが……。言われてみればあの姿、確かに見覚えがあります。すいません。一通りサーヴァントのイラストには目を通したのですが、世界観の設定やわたし自身のことを優先していたので、すべてを覚え切れてはいなくて……」

「大丈夫です。俺は大体わかるので、適材適所です。謝らないでくれたらうれしいです。」

「……はい。ありがとうございます」

 申し訳なさそうにそう答えるマシュに、微笑みを返してから直輝は言った。

「それはそうと、どうしましょう? ネロの方はマスターを含めて話が通じなさそうなので、ブーディカと協力して、できればブーディカの方から情報を聞き出したいと思うんですけど……。」

「はい。わたしもそれがい――」

 マシュがそこまで言い終わらない内に、突如、ブーディカが飛び退きマシュたちの方へやってきた。

「お話し中、ごめんね。君たち、あたし一人じゃ突破できそうになかったから……!」

「ウウー……。ウウー……! アアアアアアアアァ!!!!!」

 前方で咆哮するネロが、ブーディカを追ってマシュたちの方へ迫ってくる。

「アアァ!」

 皇帝と女王のけん({剣・権})*1 が、マシュの大盾を激しく叩く。

「くっ……! これは……!」

 嵐のような怒涛の攻撃に、マシュは盾を構え必死に耐える。

 その背後を無慈悲な槍が狙い撃つ。

「……!」

「木村さん!」

 ――が、直輝がそれを阻む壁になる。

「ふーん……、これも耐えるんだ。でも君、あたしの攻撃、追い切れてないよね」

 そう言うなり、ブーディカは素早く槍を撃ち、直輝の全身を乱れ突く。

「……。」

 (かす)かに顔をしかめながら、それを受ける直輝は微動だにしない。出来るだけマシュの全身を隠すように立ちはだかり、すべての攻撃を受けとめていた。(いな)、すべての攻撃を当てられていた。

 直輝はただ壁になるように立ち尽くしていただけであり、一つの攻撃として目で追い、ないし予測して受けていたわけではなかった。全体としては段々と速度が上がりつつも、威力にも速度にも緩急のあるブーディカの槍の数々を、直輝はただ受けていた。

 そもそも大前提として、人が使役できるレベルにまで格が落ちているとはいえ、英霊の一側面であるサーヴァントに人間などが通用するはずがないのである。その体に傷をつけられるはずがなく、その攻撃を耐えられるはずがなく、その動作に対応できるはずがないのである。いかに魔術や何か特別な要因を(もっ)て抵抗しようとも、余程の例外がない限り番狂わせは起きえない。

 それでもブーディカは、どこまで直輝が自分の攻撃に対抗できるのか確証を得られていないため、確実にマシュを仕留めるために不規則な攻撃で直輝を翻弄(ほんろう)しようとしていたのである。

「何をしてるんだネロぉー! 僕の愛しのネロぉー! まさかマシュがいるとは驚いたけど、ネロなら余裕だろぉ? エクストラのぉ! いや、僕のFGOのぉ! 僕の人生のヒロインは君だぁー!!!」

「ゥアアァァーァ!」

「くっ! ……木村さっ。くぅぅっ……!」

 直輝の真後ろでは、暴力的な攻撃の嵐をマシュが必死で耐えていた。

 皇帝のそれはさながらフェローチェ*2 で、もしくはまるでアジタート*3 で、戯れに打楽器を打ち鳴らしでもしているかのように、マシュの盾を剣で殴りつけている。

 二人の守りが瓦解するのは、時間の問題だった。

「――」

 何度目かの攻撃を受けた時、マシュは押されるように後ずさり、背中合わせの直輝を振り返り耳元に口を寄せた。直輝がピクリと体を震わせる。

「ウアアァァーァ!」

 退屈な攻防に痺れを切らしたのか、それとももう一押しだと感じたのか、暴君ネロが一段と強く吼え、剣を振り下ろす。

「……やーぁあ!」

 突然、マシュが前に出た。

 ネロの攻撃により生じた隙を突いて、その攻撃をはじき返したのである。それは完璧に隙を見切った最良のカウンターではなかったが、それでも今まで無抵抗だったマシュの不意打ちは、ネロを(ひる)ませ攻撃の手を数秒止めるには十分だった。

 マシュはすかさず振り向き、ブーディカに向かって盾を構える。すると直輝が即座に大盾にしがみついた。その盾の裏側の頑強な輪に腕を通し、振り落とされないようしっかりと掴まったのだ。

「なっ!?」

 驚くブーディカの前で、マシュが叫ぶ。

「行きます!」

 体の向きを横に変えながら叫んだマシュの背からエネルギーが放出され、二人は高速で怒涛の挟み撃ちから抜け出した。

 ブーディカの目の前から飛び去るマシュ、空いた視界――。

「!」

 ――そこにあったのは迫りくるネロの一撃。

「アァ!!!」

「まずっ! あぁぁー!」

 悲鳴を上げて吹き飛んだブーディカが、横薙ぎの一撃に吹き飛ばされて木に打ちつけられる。振動でブランコが(さび)しく揺れる。

「ランサー!」

「くっ……、うぅ……」

 予想外の攻撃に完全には対応しきれなかったブーディカだったが、悲痛な声をもらしながらもなんとかすぐに立ち上がる。

 先ほども今回も、ブーディカは上手く勢いが逃げるように攻撃を受けていた。もちろんブーディカに、意識してそのように攻撃を受ける技量はない。それはひとえに幸運によるもので、まるで戦いと勝利の女神の加護を受けているかのような偶然の連続だった。

「――ごめん、マスター。油断した。でも、大丈夫!」

 再び臨戦態勢に入るブーディカとは裏腹に、距離を取って傍観する男が余裕なさげに叫ぶ。

「はぁっ、はぁっ……。ネロぉ! どうしたんだぁ! ……はぁーっ。早くぅ! 早く倒すんだぁ! 夜が明けちゃうぞネロぉ! 僕の愛しのネロぉー! ぉぁー……。はぁーっ、はぁーっ……」

「ウアアアアアアアァ!」

 天に向かい吼えるネロは、何もない(くう)を切り裂いて暴れる。

「……木村さん、どうしましょう。なんとか切り抜けましたが、わたしたちではあの二人に敵いません」

 鋭い攻撃と冷静な立ち回りで安定した強さを誇るブーディカと、圧倒的な暴力を振り回し純粋な強さで荒ぶるネロに対し、マシュと直輝には敵を倒す決定力が圧倒的に欠けていた。

「……。」

「ワオォーン!!」

 突然、それは辺りにこだました。

 まだ暑い夏の夜に、束の間の涼しさを運ぶ夜風に乗って、季節外れの音がやってくる。

 シャンシャンシャンシャンと、涼し気なそれは、ベルの音。

「――?」

 公園に集う三人と、三騎の頭上。そこには、先ほどまでと変わらず赤い星が輝いている。

「なんだぁ……? ネロぉー……」

 刹那、それは空からやってきた。

「パトラッシュぅー!?」

 (いな)、それは犬のような姿をしていたが――。

「――!?」

 トナカイの角をつけた――。

「これは……」

 狼だった。

「ワオォォォーン!!」

 真っ赤な服に身を包み、白い袋を肩に担いだ、首のないサンタを乗せる、トナカイ姿の巨大な狼。

「マシュさん。あれは――」

 それは、クリスマスな(よそお)いの――、

――ヘシアン・ロボだった――。

*1
権:支配する力や資格のほか、字義として「勢い」や「はかりごと」などの意味を持つ。

*2
feroce:イタリア語で「荒々しい、暴力的な」の意。音楽用語では演奏記号として用いられる。

*3
agitato:イタリア語で「激しい、苛立って」の意。音楽用語では演奏記号として用いられる。




 

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2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第6節 天は神秘の出入り口のようで

 

「ワオォーン!!」

 真夏の深夜の公園に突如降り立ったその獣はトナカイ、の角をつけた巨大な狼だった。その背には首のないサンタが座っている。

「……、なっ……」

 絶句する青年、目を見張るブーディカ、そして――。

「サンタぁ? はっ、ははは、へっ。あははははははは! なんだそれ!? なんだそのかっこぉ!? あははははははは! クリスマスイベには早すぎるだろぉ! あははははははは! ネロぉ! あんなふざけたわんこ、一撃だぁ!」

「ウウウ……アアアアアアアアァ!」

 吼えるネロに、真夏のサンタが駆けてくる。

「アアァ!」

 あっという間に目の前に現れた獣に、猛る皇帝は剣を振るった。

「……」

 獣は、トナカイコスのロボはそれを軽々と跳躍でかわし、すぐさまネロの体に跳びかかる。

「アアァ!」

「グラァウ」

 ロボは低く唸り、大きな口でネロの頭にかぶりつくと、その前足をネロの体から地面へと下ろし、その勢いも加えて激しく頭を振った。そんなに激しく動いたというのに、頭についているトナカイの角は、微塵もズレることなくロボの頭を飾っている。

「ウアアアアアァ!」

 雄叫びとも悲鳴ともとれる声を発し暴れるネロを、強いひと振りで投げ倒し、ロボが吼える。

「ワオォーン!!」

「ネロぉ!」

「……ア、ア、ア……ウゥっ……」

 地に転がるネロは、真っ赤なベールに顔を彩られうめき声をもらす。もはやネロに、先ほどまでの勢いはない。

「ネロぉー!」

 男が叫びながらネロに向かって走っていく。先ほどから声に疲れの見えるその男の足取りは心もとない。

「グウウゥゥゥゥー」

 ロボは、近づいてくる男に視線をうつす。

 その目は、獲物を狙う動物の目ではなく、外敵に対する動物の目でもなく、宿敵を見る復讐者の目だった。その目の奥では、激情と葛藤がゆらゆらと揺れていた。

「……なっ、なんだよぉ。ふざけたわんこのクセしやがって! ネロは絵よりも音楽なんだよぉ。クラウディウスでカエサルでアウグストゥスでゲルマニクスなんだよぉ! フランダースはおよびじゃないからなぁ! わんこだからって……。わんこだからってぇ! ネロにふさわしいのは、僕だぁ! 僕がっ!」

「グラァウ!」

 ロボは目にも止まらぬ速さで駆ける。

「うあぁー!」

 男が叫び、危険を前に、手を前にして、目をつぶる。

 痛みはなかった。衝撃はなかった。激しい音が、聞こえなかった。ゆっくりと思考が追いついてきた男は、恐る恐る目をあける。

 そこには――。

「大丈夫ですか?」

「……マシュ」

 大盾を前に構え、男を振り返る少女の姿があった。

「マシュさん!」

 少し離れた所から直輝が叫ぶ。

「はい! やーぁあ!」

 すぐにロボへと向き直り、マシュが一歩踏み出す。その突撃を、ロボは軽くかわして距離を取り、即座に狙いを替えて素早く直輝に襲いかかる。

「木村さん!」

「……、……?」

 ロボは突然、足を止めた。直輝の目の前でピタリと止まり、動かない。その、揺れる胸中とは裏腹に。

 刹那、ロボは踵を返し直輝から距離をとった。

「グゥゥゥゥゥー……」

 直輝は攻撃してこないロボの目をじっと見つめながら、ゆっくり動き出し、マシュと合流する。

「マシュさん。大丈夫ですか。」

「はい。わたしは問題ありません」

 マシュの返答に直輝は笑顔でよかったですと返し、男を振り返る。

「危ないですから、下がっていて頂けますか。」

「なっ……、なんなんだお前はぁ! どうみてもぐだじゃないだろぉ! ローマ人みたいな髪しやがってぇ! ネロにふさわしいのは僕だぁ! このぉ、僕だぁぁぁ! ――おおおぃ! ネロぉ! 退くぞぉ! 今日はもう、僕たちの愛の巣に帰るぞぉ! ネロぉ!」

「……ゥゥウ。……ウ、ア、ア、アアアー!」

 ネロが立ち上がり吼える。

「グゥゥゥゥゥー」

 ロボがネロに視線をうつす。

「アァー。アァー!」

 ネロは剣を振り回して咆哮を上げるが、先ほどまでと比べて格段にその勢いを失っている。

「ネロぉ! くそぉ!」

 男は怒鳴ると、右手に力を込めて叫んだ。

「ネロぉ! 帰るぞぉ! 僕を連れていくぅだぁー!」

 男の右手に浮かぶ、一画を失い崩壊の進む“崩れゆく薔薇の令印”が光るのと、ロボがネロに跳びかかったのはほぼ同時だった。

「グラァ?」

 ロボの攻撃が(くう)を切り、その空間を抜けたネロが高速で直輝たちの背後まで跳んで来る。

「ネロぉ……」

 愛おしそうに声をもらす男をネロは素早く抱え、まるでロケットのような(すさ)まじい跳躍で新宿の夜空に消えていった。

「今のは――」

 

 ――令呪。それはサーヴァントへの絶対的命令権。

 サーヴァントの召喚に際しマスターが聖杯から与えられるものであり、三画で構成される紋様となってマスターの体に出現する。一画一画が膨大な魔力を秘めた魔術の結晶であり、この圧倒的な魔力を用いた命令は絶対的な効力を発揮する。

 いわば、令呪とは膨大な魔力の塊である。魔術としての指向性はあるものの、命令の強制ではなく単純な魔力として利用することもある程度可能であり、時としてサーヴァントの宝具連発や瞬間的超回復さえ可能とする。

 

「ネロぉ……」

 東京の夜空で今、自分を抱えて跳ぶ少女のぬくもりを感じながら、愛おしそうにその名を呼ぶ男の右手には、すでに一画となった令呪が浮かんでいた――。

「グゥゥゥゥゥー」

 公園に残されたロボは低いうなり声を上げ、残った外敵を睨んでいた。

「木村さん。わたしたちでは、やはり……」

「はい。ヘシアン・ロボも、倒せませんね……。」

「ヘシアン……ロボ……」

 

 ――ヘシアンン・ロボは、『Fate/Grand Order』の作中で何度も主人公たちを窮地に陥らせた。

 ヒトの形をとるヘシアンは補佐に徹し、オオカミであるロボが主導権を握っている。そのロボは強く賢く復讐に燃え、その上で獣らしく生存に貪欲だ。敗北の気配を察すれば一切の躊躇なく逃走する。そしてロボには、それを可能とするだけの嗅覚と身体があった。

 サンタな装いになろうとも、クリスマスの霊基になろうとも、それは変わらない。

 

「ワオォォォーン!!」

 ロボは一吼えすると、膠着(こうちゃく)状態を踏破するかの如く走り出した。

「マスター! 来るよ!」

「ああ……」

「女神アンドラスタ……、あたしに力を」

 ブーディカはそうつぶやくと、槍を手に駆け出した。

「グラァウ!」

 対するロボは瞬く間にブーディカとの距離を詰め、跳びかかる。

「はっ!」

 空中に身を置くロボは、攻撃をほとんどかわせない。凄まじい速さのロボが的になる、その一瞬の隙をブーディカの長い槍が突く。

「ガウ!!」

 ロボは自身の心臓に向かう穂先に大きな口で食らいついた。

「くっ! マズっ……」

 その顎の力はすさまじく、ロボの口から槍が抜けない。

 そのまま跳びかかってくるロボを前に、ブーディカは槍をしっかりと握ったまま、諦めて地面へと倒れていく。倒れゆくブーディカの上にロボが降りてくるのに合わせ、食らいつかれた槍の柄が地面に近づいていき、勢いよく突き立った瞬間、手に加わる衝撃でブーディカはそれを察知し――。

「……はっ!」

 ――ぐっと槍を握って地を蹴り、柄に体重を預け軸にして、回るようにロボの下から飛び出した。間一髪、ブーディカは窮地から抜け出すことに成功する。

 対するロボはブーディカに跳びかかるのに槍がつっかえ邪魔になるため、ブーディカの回避とほぼ同時に槍から口を離していた。ブーディカは槍を奪われることなく攻撃も回避すると、飛び退いて間合いをとる。

「マスター! これは厳しいかも!」

 ブーディカが叫ぶ。ロボの俊敏さと力の強さをその身で体感したブーディカは、その戦力差を思い知った。だが、だからこそ、うかつに退けなかった。現状、マスターを守りながらロボから逃げることは困難だとブーディカは悟っていたのだ。

「……ちっ」

 そんなブーディカの様子を見て、青年は舌打ちをする。傘を持つ右手と(くう)を握りつぶす左拳がギュッと力強く握られる。右手の甲には、三画の“愛怨(あいえん)に燃える車輪の令印”が刻まれていた。

「ランサー、やるぞ!」

「わかった!」

 ゆっくりと歩き出しブーディカに近づいていく青年に、ロボの視線が向けられる。何か仕掛けてくることを嗅ぎつけ、注意深く青年を観察するロボがピクリと動いた――。

「はぁぁぁ!」

 ロボとブーディカたちの間に、背中から青白いエネルギーを放出してマシュが滑り込む。その盾には先ほどの様に直輝がしっかりと掴まっていた。

「君たち……!」

「グラァウ」

 ロボは低くうなりマシュの大盾をにらみつける。警戒しなくてはならない青年の姿が、隠れてよく見えなくなったからだ。

「ブーディカさん!」

 素早くマシュの盾の裏から出た直輝は、彼女の背中を守る盾になりながら、ブーディカの目を真っ直ぐに見つめる。

「ごめんなさい。あのサーヴァントから私は貴方達を守りたい。そして貴方達とお話しがたい。一時的にで構いません。私達と協力してくれませんか! お願いします!」

 直輝はそう叫ぶと、両手の甲をブーディカと青年に向けて叫んだ。

「俺はマシュさんと、サーヴァントと契約してません! 何も状況がわからないんです! 場合によっては貴方達の力になれるかもしれない! なれないかもしれないけど。」

 真っ直ぐに二人の目を見比べて叫ぶ直輝と、その後ろでロボの攻撃を必死に受け止めるマシュ。

 二人の言動を見て、最初に口を開いたのはブーディカだった。

「ねえ、マスター。ここは一時休戦、ってことでいいんじゃないかな? あたしたちだけであの狼を倒すのは難しそうだし、これもアンドラスタのお導きかもしれない……」

「……ちっ。仕方がない。一時的にだがお前たちと組もう。だが、忘れるな。この聖杯戦争に勝ち残るのは俺たちだ」

「はい! ありがとうございます!」

「ちっ!」

 舌打ちをして直輝から視線をそらす青年にかわって、ブーディカが言う。

「で、どうするの? あの狼を倒せる策はあるのかな?」

「それは……。」

 言い(よど)む直輝の後ろで、マシュが叫ぶ。

「木村さん。……くっ! すいません! これ以上はっ、……限界です!」

 特異な盾を注意深く攻めていたロボが、徐々に攻撃の勢いを強めていた。

「ごめんなさい。無策です。ただ一対一では勝機がないに等しいと思っただけです。」

「はは。まあ、そうだよね。とりあえず加勢しなきゃいけなさそうだ!」

 そう言ってブーディカがマシュの陰から長い槍を打ち出す。

「ガウ!!」

 ロボが飛び退き、マシュに余裕が出来る。

「ありがとうございます。あの、ブーディカさん」

「今は共闘関係だから、これでさっきまでのことは一旦置いといてもらえると嬉しいかな」

「……はい! もちろんです!」

 二人は戦闘の最中(さなか)、刹那の笑顔を交わす。

「さて、どうしようか……」

 目の前の強大な敵を見据え、ブーディカがつぶやく。こちらの戦力が増えたとはいえ、やはり決定打に欠けていた。

「――!?」

 その時、遠くの方で救急車のサイレンの音が鳴り響いた。ロボがピタリと動きを止める。

「……公園を出ましょう! 恐らくロボは人目を避けてる! 憶測ですが、ニュースの! 人気(ひとけ)のない場所で人を襲ってたのはロボかもしれない! すぐそこの大通りまで出れば車の往来があります! このまま戦っても勝ち目はないように思います! 今は可能性に賭けて、一先ず撤退しませんか?!」

「……」

 直輝の言葉に青年の表情が険しくなる。

「マスター! だって! あたしもここはいったん退くしかないと思うけど!」

「……あ、ああ。そうだな。でも、どうやって」

 その時、マシュは上空を見上げて目を見開いた。

「あれは……。話の途中ですが、ワイバーンです!」

「――!?」

 一同が空を見上げる。そこには――公園の上空には、一体、二体、三体……、無数のワイバーンが飛来していた。そして、その背からボトッ、ボトボトッと次々に影が着地する。

「あれは……」

 それは、スケルトンに似たエネミー。その頭部が口だけの骨の兵士、竜牙兵(スパルトイ)だった。

 無数のワイバーンが公園の上空で“爪とぎ”し、何体もの竜牙兵がテーブルナイフのような形状の剣を(たずさ)え“絶叫”する。

「グゥゥゥゥゥー……、ガウ!!」

 最初に動き出したのはロボだった。

 自身へと向かってくるスパルトイの大群に突っ込み、瞬く間に蹴散らしていく。

「ワオォーン!!」

 周囲の大群を一瞬で一掃しロボが咆哮を上げた天で――、

「GARUUU……!」

 答えるように吼えるはワイバーンの群れ。地を駆ける獣を、空を舞う竜が襲う。

 その時、無数のワイバーンの乱舞に、その騎士が初めて動いた。

「……」

 禍々しい剣を純白の大袋に持ち替え現界したヘシアンが、その袋を荒々しく振り回す。

「GARUUU……!」

 ワイバーンの群れはまとめて地面に叩き落とされ、その上をロボが駆け回る。先に倒された竜牙兵の様に、まるでゲームのエネミーのように次々と消えていくワイバーンたち。

 ――みなさん! この隙に公園から出ましょう!――。

 そんな中、マシュたちは公園の入り口に向かって駆け出していた。

「ちっ! なんなんだこいつらは……」

「ワイバーンに竜牙兵……。モンスターの召喚を得意とする、キャスタークラスのサーヴァントがいるのでしょうか……」

 マシュは目の前に立ちはだかる無数の敵を見て、さらに昨日のスケルトンを思い出していた。

「わからないけど、やるしかないよね。そんなに強くなさそうだし、これもアンドラスタのお導きかも。あの狼がこっちに来ない内に片付けちゃおう!」

「はい! 右斜め前方が手薄です! 木村さん、指示を!」

「えっ、あっ、はい。このままそこを突破しましょう。」

「了解です!」

 ゴーグルを装着したマシュが先陣を切り、間もなく会敵する。

「Gi……Gi……」

「GAAA……」

「GARUUU……!」

「いきます! やーぁあ!」

 無数のエネミーに突撃し、盾の打撃で竜牙兵を粉砕!

「マシュ! 盾借りるよ! ――はっ!」

 ブーディカは言いながらマシュを跳び越え盾に着地し、さらにそれを足場に上空へ跳び立ってワイバンに飛び乗る。

「こんな時じゃなきゃ、いい眺めなんだけどなぁ……。はっ! はぁっ! でぇい! 今渾身の……!」

「GARUUU……!」

 瞬く間に三体のワイバーンを突き仕留め、最後に自身の足場となっているワイバーンを刺し穿つ!

 地上では直輝が手の平を打ち出す――、

「やっぱり駄目ですね……。」

 ――が竜牙兵はびくともしない。

「木村さん! いきます!」

「! はい!」

 直輝が数歩下がると、その目の前にマシュが突撃し竜牙兵を撃破する。直輝とマシュは青年を守りながら堅実に、ブーディカは単騎身軽にエネミーを倒し活路を開く。

「……っと。切り抜けた」

 公園の外に一番乗りで足を踏み出したブーディカが振り返るのが早いか(いな)か。

「ワオォォォーン!!」

 ロボが吼えた。

「――!」

 見れば、ロボもこちらを見ている。

「木村さん! えとっ、ブーディカさんのマスターさん! 急いでください!」

 マシュが公園入口で素早く振り返り盾を構え、その脇にブーディカが並び立つ。直輝と青年がその横を走り抜ける。

「……間に合って」

 マシュの小さな祈りが、深夜の路上にすうっと消えた。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1431159614280634368




 

【修正一覧】

2021.09.03 「ワンコだからって……。ワンコだからってぇ!」→「わんこだからって……。わんこだからってぇ!」
2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第7節 甘みも苦しみも残暑のように

 

 太いストローをくわえて吸い上げると、まるでジャムのような濃厚で芳醇(ほうじゅん)なラ・フランスの甘みと、ひんやりしたフラッペの冷たさが口いっぱいに広がった――。

「……」

 直輝たち四人は、深夜の国道二十号沿いを新宿駅方面に向かって歩いていた。

 先刻、ヘシアン・ロボからなんとか逃げ切った一同は、大通りに出てすぐのコンビニエンスストアに駆け込み、ひとまず一息ついていた。その時に直輝がノドを潤そうと買ったのがこの、数量限定の“山形県産ラ・フランスフラッペ”。

 コーヒーマシンでミルクを注いで飲むタイプのフラッペで、新商品のこの味が直輝は以前から気になっており、こんな時でもないと買わないからと手を伸ばしたのである。

 隣を歩いているマシュは、控えめなペースでスイカバー *1 フラッペを飲んでいる。割引きクーポンがあったとはいえ、普段ほとんどお金を使わない直輝にとっては大盤振る舞いだった。

「はぁ……」

 ブーディカを間に挟んで、車道とは反対側の端を歩いていた青年――池西達也(いけにしたつや)は深いため息をついた。

「マスター。二人とも待ってるよ?」

「俺たちがこいつらに話すことは何もない」

 ブーディカの顔とは反対方向を向いてそう言う達也を、彼女は少し心配そうな表情で見つめる。

 ここまでの道中で、直輝たちはまず自分たちの状況を話していた。

 マシュが襲われていたところを直輝が助けたこと、マシュには記憶がないこと、直輝にはUMDという不思議な能力のようなものがあること、マシュはこの世界にレイシフトしてきたのではないかと考えていること、そしてマシュのマスターを探すことを目下の目的としていること。簡単にではあるが、直輝はどれも正直に話した。

 直輝はフラッペのカップを両手で握り、そっぽを向いている達也に懇願する。

「ごめんなさい。お願いします。簡単にで構わないので、教えられる範囲で構わないので、何が起こっているのか教えて頂けませんか?」

 直輝の言葉に、勢いよく達也は振り向く。

「何も教えられない。以上だ」

「……。」

 言うだけ言って再び後頭部を向けた達也を、直輝は無言で見つめた。

「もう、マスターは……。ごめんね。これでもマスター、悪いやつじゃないんだ。ただ、あたしたちには絶対にこの聖杯戦争に勝たなくちゃいけない理由があるの。だから、こんな風に意地張っちゃってるんだ……」

「俺は別に意地を張っているわけじゃない。それになんだ? 聞いてもないのに自分たちの情報をペラペラしゃべりやがって。あげくの果てにこんな状況でよくそんなものを飲んでられるな。こんな危機感のない奴らに俺たちの情報を喋れるか!」

「……それは」

 何も言い返せないという表情で言葉をこぼすマシュに変わって、直輝が言う。

「ごめんなさい。まず、貴方達に信用して頂きたかったので、下手に隠さずに自分たちのことをお話させて頂きました。貴方達の情報は、絶対とは言えませんが、秘密は出来る限り守らせて頂きます。

 フラッペは……、飲みたくて……。それに、マシュさんは日本にレイシフトする機会はあっても、こんなコンビニのフラッペなんて食べる機会はそうそうないだろうなと思ったので、少しでも味わって欲しいなと思って……。マシュさんの気が少しでも紛れればと思ったのですが……。気に障ってしまったのでしたら、申し訳ありません。」

「木村さん……」

 ――「こんな時なのに」。「こんな時だからこそ」。この春くらいから、何度も争いの種として、道具として飛び交っていた言葉が、こんな所でも、こんな形でも――。

「ははは。お姉さんは好きだけどな。この子たちの、真っ直ぐなところ。ねえ、マスター?」

 目を細めてそう言ったブーディカに後頭部を向けたまま、達也は断言する。

「俺は好きじゃない」

 ブーディカはしょうがないなぁというような顔をして、一呼吸おいてから口を開いた。

「……マスターの恋人ね」

「おい!」

「一週間くらい前だっけ?」

「ランサー!」

「もう、いいじゃない。ここが特異点なんだとして、それを修正するってことは、聖杯戦争もなかったことにしっちゃうってことでしょ? でも、事情を聞いたら少しは手加減してくれるかもしれないじゃない? 少なくとも、戦いづらくはなるんじゃないかな」

 

 ――特異点。

 この場合における特異点とは、至極簡単に言い表すならば“存在しないはずの歴史”のことを指す。

 『Fate/Grand Order』において、主人公の属するカルデアという機関が疑似霊子転移(レイシフト)、わかりやすい言葉へ言い換えるのであればタイムスリップを行って修正していたのがこの『特異点』である。

 「“存在しないはずの歴史”を修正する」ということは即ち、厳密さを欠いてでも噛み砕いて表現するならば、「“存在しないはずの歴史”をなかったことにする」ということになる。

 

「そういうことじゃないだろ! これ以上喋るというのなら、俺は令呪を使ってでもお前を黙らせるぞランサー!」

 達也が右手の甲を示し、その“愛怨(あいえん)に燃える車輪の令印”と共に怒りを(あら)わにする。

「……わかった。ごめんね、マスター。でも、聖杯戦争のことくらい教えてあげてもいいんじゃないかな。あの……、ロボ、だっけ? を倒すには、あたしたちだけじゃ心もとないでしょ? 協力するんだったら、最低限の情報は知っておいて貰った方がいいとお姉さんは思うなぁ……」

「…………ちっ」

 達也は長い沈黙の後で舌打ちをすると、直輝たちの方を睨んだ。

「先日、俺のスマホに通知が届いた。FGOからの通知だ。俺はFGOの通知を切ってた。にもかかわらず通知が来たんだ。もうしばらくログインもしてなかったのにな……。

 俺は聖杯に選ばれたという通知だった。それで、俺は久しぶりにFGOにログインしたんだ。そしたら、マイルームに見たことない項目が増えてた。

 あの時の俺はどうかしてた。俺はその項目を開いて、案内されるままに進んだ。それで、ブーディカを召喚したんだ。詳しいことは俺にもわからない。ただ、俺はFGOを通じて今、聖杯戦争に参加している。

 そして俺たちは、この聖杯戦争に必ず勝利する! たとえマシュであろうとも、邪魔をするなら倒す! 原作がどうなろうと知ったことじゃない! ここが特異点だろうが修正はさせない!

 いいか? 俺は令呪を温存したい。だから、ヘシアン・ロボを倒すまではお前たちと協力してやる。だが、俺とお前たちは敵どうしだ。慣れ合うつもりはない。以上だ」

 まくしたてるようにそう言って勢いよくそっぽを向いた達也に、直輝は笑顔でお礼を言う。

「ありがとうございます。それだけ教えて頂けたら、しかも協力して頂けるなんて、充分です。」

「……」

 達也は直輝に後頭部を向けたまま、眉間にしわを寄せ表情を歪める。その額には脂汗が()いていた。

「……大丈夫、マスター?」

「何を言っている」

「ううん、なんでもない。――ねぇ、君たち。ここまで来たらもう、あの狼も追ってこないだろうし……。深夜とは言えあたしの髪は目立つから、そろそろ人気(ひとけ)のない方に行きたいんだけど、いいかな?」

「はい。大丈夫です。いいですよね、マシュさん。」

「はい。木村さんさえよければ、わたしは構いません」

「うん。ありがとう」

 ブーディカは二人に笑顔でお礼を返したが、達也は車道に後頭部を向けたまま言い放った。

「おい。いつまで俺たちと行動するつもりだ。言ったはずだろ。慣れ合うつもりはないと」

「ごめんなさい。ただ、ヘシアン・ロボを倒すのに協力するなら、もう少し話した方がいいかなと思うんですが、どうでしょう?」

「……ちっ。LINEのIDを教えろ」

 そう言いながらスマートフォンを取り出す達也に、直輝は謝る。

「ごめんなさい。私、LINEやってなくて……。」

「は?」

「普通じゃないですよね……。ごめんなさい。このスマートフォンもSIMフリーで、簡単にいうと電話番号がなくて、Wi-Fiがないと通信できないんです。メールが一番いいかなと思うんですが……。」

「ちっ!」

 達也はわざとらしく舌打ちをすると直輝を睨んだ。

「さっさと教えろ」

「ごめんなさい。」

 直輝はそう言うとポケットから予定帖を取り出し、挟んであった紙にメールアドレスを書くと渡した。達也はひったくるようにメモを受け取ると、直輝に頼まれてメールを送る。

 直輝もポケットWi-Fiを取り出し、電源を入れてスマートフォンと繋ぐ。

「……ちょっと待って下さいね。――あっ、来ました! これであってますか?」

 空メールを開いて直輝が見せると、達也は返事もせずに脇道へと入っていった。

「ちょっと、マスター! ごめんね。それじゃあ、またね」

「はい。今日はありがとうございます!」

 直輝に続いてマシュもお礼を言い、ブーディカは笑顔でそれに答えながら、達也を追って駆けていった。

「……行きましょうか。」

「はい」

 再び国道二十号沿いを歩き出す直輝とマシュ。

 ――マスターの恋人ね、一週間くらい前だっけ?――

 マシュの頭の中で、ブーディカの言葉がよみがえる。

 ――絶対にこの聖杯戦争に勝たなくちゃいけない理由――

 マシュの胸がきゅっと絞めつけられる。

 少女のその小さな手には、空っぽのカップが握られていた。

「……木村さん」

 スイカバーの香りが残る冷えた吐息を口にして、マシュは直輝を呼んだ。

 

     *

 

 一番好きな本は、『のりものずかん』だった。

 小さな子供向けの、薄っぺらな図鑑だ。少なくとも、大学生にもなって一番好きな本に挙げるような本ではない。

 それでも、一番好きな本は何かと聞かれると、どうしても思い出深いあの本が一番に浮かんだ。

 小さい頃は毎日のようにあの本を眺めていた。いつしかカバーもなくなってボロボロになったその本は、ついこの間まで、部屋の一番目につきやすいところに飾ってあった。同じく小さい頃に集めた、トミカ *2 やチョロQ *3 や、いくつもの車のグッズといっしょに……。

 車が好きだった。

 ずっと、ずっと車が好きだった。

 言うほど色んな車について詳しいわけではなかったけれど。小学生の頃には、車の雑学なんかより運転する方に興味が向いた。

 小学生の頃の将来の夢は、「車の免許をとって車を運転をすること」だった。我ながら馬鹿馬鹿しいけれど。今思えばちょっと意地になってたり、ネタで言っていたところもなくはなかったようにも思うけれど……。

 でも、それは確かに本心で、本当にそれくらい、車を運転することに憧れていた。

 大学に合格すると、貯めていたお金で免許をとった。

 将来車を運転するためにと、コツコツ貯めていたお金だった。残った額は、とてもじゃないが車を買えるような額ではなかったが、バイトしてかっこいい車を買おうと考えていた。初めての車だからと意気込んでいたから、たぶんあのまま行けば、初めての車を手に入れるのにずっと時間がかかったことだろう。

 でも、両親が遅めの大学入学祝いにと車をプレゼントしてくれたことで、初めての自分の車はあっさり手に入った。

 本音を言えば、少し拍子抜けしたし、自分で選んだ車を自分の力で買いたかったという気持ちもあった。

 でも、経済的に余裕があるわけでもないのに、親戚からもお金を募ってプレゼントしてくれたその車が、その気持ちが何より嬉しかった。

 それからは毎日のように車に乗って出かけるようになった。

 ちょっと近所へ買い物に行くのも車で行ったし、休みの日は遊びに行くといえば車で出かけ、一人でもよくドライブをした。周囲からは半ば呆れられていたが、それでも変わらなかった。

 プレゼントした車に喜んで乗っている姿を両親に見せたいという気持ちもあった。でも、なにより、やっぱり嬉しかったのだ。念願の愛車を手に入れたことが。それを運転できることが、本当に嬉しかった――。

 あの日も。あのよく晴れた日も、車で出かけた。

 あの日、彼女と映画を見るはずだった日。彼女が来なかった日。あの事故があった日。

 病院にも車で向かった。その帰りも車で帰った。それが確か、最後だった。

 彼女の命を奪ったのは、車だった。

 彼女は家から最寄り駅に向かう途中、自動車事故に()って、そのまま息を引き取った。

 俺の大好きな車が、俺の大好きな彼女を殺したんだ。

 あの日から、車を運転していない。

 本もフィギュアもゲームも全部、車の中に押し込んで、部屋から車に関するすべてのものが消えた。

 車を見るのが辛かった。道を歩くのも怖かった。少しコンビニに行くのも不安なんだ。怖いんだ。苦しいんだ、車を見るのが。車が、車が……。

 

 あの日から、車が嫌いに……。嫌いに……。

 俺は、車が、嫌い……に……。

 俺は、車が……。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1431533283574050816

*1
スイカバー:株式会社ロッテによるアイスキャンディ。カットしたスイカを模したロングセラー商品で、期間限定の味などほかのバリエーションも出されている。

*2
トミカ:株式会社タカラトミーが1970年より発売しているミニカーのロングセラーブランド。日本で最も有名なミニカーブランドと言っても過言ではないと思われ、公式ホームページによれば現在7歳以下の男児の86.5%が所有しているという。

*3
チョロQ:株式会社タカラトミーが発売している、デフォルメされたデザインのミニカーブランド。




 

【修正一覧】

2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」
2021.09.18. 前回修正時の注釈誤削除を修正


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第8節 美少女女神セーラーセレーネ

 

 『美少女戦士セーラームーン』と武内直子様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

 老人の家で、女神は言葉を失った――。

 

     *

 

 東京都、港区(みなとく)某所。

 

「いやぁ~、にしてもこんなことが起こるとはねぇ~。長生きしてみるもんだねぇ~」

「あなた、本当にそればっかりね。もう少し何か言えなくって?」

 ベッドの脇に腰掛けて、淡く長い紫色の髪を左右で結い上げている少女はそう言った。

「わるいねぇ~。面白いことの一つも言えなくて……」

 少女とおそろいのゆっくりとした穏やかな口調で喋る、八十代くらいの男性は、ベッドの上で身体を起こして微笑んでいる。

()たちがあんなふうになってしまった鬱憤を、少しは晴らせるかと思って召喚に応じてみたというのに。まさかマスターがこんな老人だなんて、残念で仕方がないわ……」

「わるいねぇ~。でも、僕もびっくりしたよ。まさか、本当にサーヴァントが召喚されるなんてねぇ~」

 そう言って、老人は枕元のスマートフォンに視線を向けた。

 ボケ防止にと孫から進められて始めてみたゲームに、思いのほかハマってしまったことも予想外だったが、まさかそのゲームから登場人物が飛び出してこようとは夢にも思っていなかった。

「――しかも、こんな姿で」

 老人がそう言ってしげしげと見つめる少女は、胸元の大きなリボンが印象的なセーラー服に身を包み、手には女児向け玩具のようなステッキを持っていた。

「今年のハロウィンイベントの主役は、ステンノちゃんなのかねぇ~。えっ、かはっ! かはっ! ……悪いけど、水を一杯もってきてくれないかな」

「私に仕えるどころか、私を使おうとする男がいるだなんて。サーヴァントになるというのは、おかしなものね」

 そう言ってステンノは優雅に立ち上がると、台所に向かい、間もなく水道水を一杯()んできた。

「ありがとうねぇ~、ステンノちゃん」

「女神の気まぐれよ。……本当は私の微笑みで虜にしてしまってもよいのだけれど、いつも同じではつまらないものね。せっかくこんな姿で現界したのだし、今回は趣向を変えてみることにしたの」

 ステンノの言葉を聞きながら、美味しそうにゆっくりと水道水を飲み干して老人が笑う。

「はっはっは。今回は自分に無理難題を課してみる、というわけだね」

「あなた、またそれを言うのね。これは本当に、無理難題ではないのよ?」

「はっはっは。確かにステンノちゃんの笑顔もとっても可愛いけどねぇ~。孫たちの笑顔には、やっぱりかなわないよ」

 そう言って一呼吸おいてから、老人は仏壇の方へと目を向けた。その目はすぐそこの仏壇を見ているようで、もっとどこか遠くを見ているようだった。

「――僕には悦子(えつこ)もいるしねぇ~」

「……うふふ。何度でも言えばいいわ。この聖杯戦争が終わる頃にはあなた、聖杯に私との蜜月を願うようになっているに決まっているのだから。今の内に、思い出の中の偶像を存分に愛しておくといいわ」

 ステンノの言葉に老人はうつむいて、右手の甲に視線を落とす。そこには、“慈愛に満ちた杖の令印”があった。

「すまないねぇ~。ステンノちゃん、本当は戦いに行きたいんだろう。僕がもう少し元気なら、一緒に行けたんだけどねぇ……」

 老人はここ数日、よく夢を見た。優雅で可憐な笑顔の裏に、怪物のような憎悪を(くゆ)らす、一柱の長女の思い(ゆめ)を――。

「何を言っているのかしら? 私はマスターなんかと連れ添わなくたって戦えるのよ? 私が微笑めば、周りの男たちは、忠実な私のためのお友達になるのだし。少しはしたないけれど、血を吸えば魔力だって得られるわ。これはハロウィンの仮装なのだから、それくらいの貢ぎ物は受け取って当然でしょう? それに、今の私にはこのステッキだってあるのだし。なにより、忘れられない記憶が。私にいつも、力を与えてくれているわ……」

「それなら、いいんだけど……」

 申し訳なさそうに微笑む老人に、ステンノは高飛車な微笑みを見せる。

「そんなことよりあなた。聖杯戦争に勝利したら、何を願うつもりなのかしら?」

「何を願う、ねぇ~……」

 

 ――聖杯戦争。

 それは、あらゆる願いを叶えるという“聖杯”をめぐり戦う争い。

 此度(こたび)の聖杯戦争では、スマートフォン向けアプリゲーム『Fate/Grand Order』という縁を通じてこの世界に混入した聖杯が発端となり、“電子聖杯”によって選ばれたマスターたちと、七騎のサーヴァントが参加している。

 そして、サーヴァントが倒されると電子聖杯はその魂を溜めこみ、六騎分の魂が溜まれば、およそあらゆる願いを叶えるに足る魔力が捻出できるようになるという仕組みになっている。

 つまり、この聖杯戦争に勝ち残れば、およそどんな願いも叶えることが出来るのである。

 

「孫の、幸せかなぁ……」

「あら、意外だわ。てっきり、悦子さんともう一度会いたいだとか、そういう願いなんだと思っていたのだけれど」

「はっはっは。確かに悦子は大事だよ。優劣なんてつけるものじゃないとは思うけれど、それでも、もしかすると孫たちより、悦子の方が大事かもしれないねぇ~……。

 でもね。僕たちは、不老不死じゃないからねぇ~。子孫を残して、次の世代に繋いでいく、人間だからねぇ~。だから、もういいんだよ。僕らは。よくはないけれど……、なんて言えばいいのかねぇ~。はっはっは」

「そう。不死身の私には、わからないわ……」

 視線を所在のない場所に向けて、ステンノは言った。

「はっはっは。んんっ! かはっ! かはっ、かはっ、かはぁっ!」

「コップをくださいな、おじいさん。私、なんだか水を汲みに行きたい気分なの」

「……ああ。ありが……かはぁっ! かはっ!」

「聞こえなかったのかしら。一人でどこかに水を汲みに行きたい気分なのよ、私。だから、私にコップを渡しなさいと命じているの。感謝なんて、いらないわ」

「ああ、ああ、ありがとう」

 そう言って苦しそうに微笑んだ老人から、可憐にコップを受け取ったステンノは、速足でされど美しく水を汲んで戻ってきた。

 老人はやはりお礼を言ってから、またゆっくりと美味しそうに水道水を飲んだ。

「…………やっぱり、違うかなぁ」

 不意に老人が呟いた。

 黙っていたステンノが口を開く。

「何が違うのかしら?」

「いや、願いだよ。聖杯に願って、与えられた幸せで、本当に幸せなのかなぁと思ってねぇ~」

「……」

「はぁ……。はっはっはっ。年寄りはいけないねぇ。ついつい考えすぎてしまう。若いころなら、それこそ悦子との幸せなんかを迷うことなく願ったんだろうねぇ~。年を取ると、いけないねぇ~……」

「いんじゃなくって? 思慮の浅い男は、それでも勝てば英雄だけれど、負ければただの愚か者よ」

「優しいんだねぇ、ステンノちゃんは」

「ええ。これで少しは魅了されたかしら? 私に愛を捧げるために、残り少ない命を使いたいというのなら、そうさせてあげなくもないのよ?」

「はっはっはっ。それは遠慮させて貰おうかなぁ」

「そうよね。あなたはそういう人だわ」

 老人がふと、良いことを思いついたというような表情になった。

「いい願いを思いついたよ。いや、僕の勝手な願いなんだけどね。ステンノちゃんがもしも、受肉して、僕の孫とお友達になってくれたら、それが一番かもしれないなぁってねぇ~」

「私が? 私が受肉して、あなたの孫のお友達になるですって?」

「うん。サーヴァントなら、何かあったら助けてくれるだろう? あの子もFateが大好きだからねぇ~。きっとステンノちゃんとお友達になれたら、喜ぶよぉ~。……でも、ステンノちゃんにとっては、嫌だよねぇ~」

「そうね。私だけが受肉して、ずっとこの世界で生き続けるだなんて、退屈してしまいそうだわ」

「そうだよねぇ……。いやぁ、わるかった。忘れてくれ……」

 老人はそう言うと、枕元のスマートフォンを手に取った。電源を入れると、ロック画面に娘夫婦と孫たちの写真が映し出される。

「会いたかったなぁ……」

 ぽつりともらすように口からこぼれた老人の言葉に、ステンノが言葉を返した。

「会えばいいじゃない。生きているのだから。お互いに」

「はっはっは。そうだねぇ~。本当は、お盆休みに会いに来てくれるはずだったんだけどねぇ~。コロナの騒ぎで、それもなくなってしまってねぇ~。高齢者はリスクが高いから、もしも僕がコロナになったら大変だからって言ってねぇ~。田舎じゃないとはいえ、やっぱり周りの目もあるしねぇ~」

 寂しそうに画面を見つめてそう言う老人に、ステンノは言った。

「馬鹿ね、人間って。あなたたちは、不死身ではないのでしょう? 不死身の()たちだって、あんな風に終わりを迎えたというのに。そんな疫病にかからなくたって、もう少しであなた、死んでしまいそうじゃないの。それなのに、会いたい人に会わないだなんて、馬鹿みたいだわ」

「はっはっは。それもそうだねぇ~……。でもねぇ。人間にも、色々あるんだよ……」

「そうね。私にはわからないけれど」

 ステンノはそう言うと、ベッドから立ち上がり歩き出した。

「もう、行くのかい?」

「ええ。今日は東の方へ行ってみようと思うの。自分の足でどこかへ行くというのも悪くないものね。ずっと島やベッドの上で過ごすよりも、ずっといいわ。(エウリュアレ)とメドゥーサがいれば、もっといいのだけれど……。ああ、安心してくれていいわよ。女神は疫病なんかにかからないから」

「はっはっは。いってらっしゃい。また明日、待ってるよ」

「ええ」

 律儀に玄関から出ていこうとするステンノの背中を見送りながら、老人は呟いた。

「ステンノちゃんの言う通り、かもしれないねぇ~……」

「? 何か言ったかしら?」

 振り向くステンノに老人は微笑みを返す。

「なに、ちょっと考え直してみようかと思ってねぇ~」

「あら、やっと私に魅了される気になったのかしら」

「はっはっは。そっちじゃないよ。いや、なに。やっぱり、年を取るといけないなぁと思ってねぇ~……。年を取ると、考えることも、しがらみも、多くなるし。頭も固くなってしまうからねぇ~……。もうちょっと何かいい方法はないか、考えてみようと思ったんだよ。ありがとうねぇ、ステンノちゃん」

「……よくわからないけれど、私はもういくわ。また明日ね」

「はっはっは。いってらっしゃい、ステンノちゃん」

 穏やかな昼下がり。

 太陽の日を浴びに、ステンノは住宅街にくり出した。

 

     *

 

 翌日――。

「♪~」

 パステルパープルのミニスカートをゆらし、ステンノは上機嫌で老人の家へ向かっていた。

 腕に下げている小さな籠には、二つの林檎とステッキが入っている。林檎と籠は、見知らぬ男に貢がせたものだった。

――たまには私が林檎を切ってあげる、というのも悪くないわね――

 ステンノはそんなことを考えながら、軽やかな足取りで閑静な住宅街を歩いていく。その可憐さに、時折りすれ違う人はみな振り返る。

 老人は林檎が好きだと言っていたのを、ステンノは覚えていた。よく悦子がウサギの形に、こんな風に切ってくれたんだと嬉しそうに話していたのだ。

 ウサギの耳を彷彿とさせる髪飾りで、二つに結んだ左右の髪を、ロップイヤーの耳のようにたらしながら、ステンノは思ったのだ。

 ――私が林檎をウサギの形に切ってあげたら、あの男も少しは私に魅了されるんじゃないからしら――。

 ご機嫌なステンノの鼻歌が、不意にとまった。

――サーヴァント?――

 何故だかはっきりとはわからなかったが、サーヴァントの様な、やけに捉えどころのない気配を感じて、ステンノは鼻歌を止めたのだった。

 それは、目と鼻の先の老人の家から感じられる。

 そして間もなく、マスターである老人と自分を繋ぐ魔力のパスが途絶えた。

 ステンノは目を見開き、駆け足で戸口に向かいながら籠を投げ捨て、はたから見ればすーっと消えるように体を霊体化させドアをすり抜けた。

 サーヴァントは霊体化することで物理的な干渉力をなくし、ドアをすり抜けることも可能なのである。しかし、戦闘時の回避手段に使われないことからも示唆される通り、一瞬でその切り替えができるわけではない。

 その切り替えにかかる時間が、戦士の攻撃を回避できない程度のほんの(わず)かな時間が、今のステンノには酷くじれったく思えた。

 靴も脱がずに廊下に上がり、ステンノは老人の姿を探す。そしてその目に老人の姿が映る。

 老人の家で、女神は言葉を失った――。

「おやおや、お孫さんですかな。随分と懐かしい格好をしていらっしゃる」

「……あなたはだあれ?」

 そのセリフは可愛らしいものであったが、その語気には強い敵意が込められていた。

(わたくし)、葬儀会社のゲイリー・ネットと申します。この度はお悔やみ申し上げます。ええ、それはもう心より」

 やけに血色の悪いスーツ姿の男が、流暢な日本語でそう言った。

「面白くもない冗談はやめてちょうだい。サーヴァント? この部屋、なんだかはっきりしないけれど、とっても濃い魔力の反応があるわ。彼を殺したのはあなたかしら?」

 ステンノにそう言われ、ゲイリーと名乗る男はにっこり微笑んだ。

「おやおや、もしや故人と交流の合った近所のお子さんかな?」

「私の問いに答えなさい」

 少女の穏やかではない語気とステッキを握る動作に、ゲイリーと名乗る男は慌てた様子を見せ、なだめるように手で制して言った。

「おっと、お嬢さん。お待ちください。(わたくし)、どなたかと戦うような気は微塵もないんですよ。ええ、それはもう本当です。神に誓って断言しましょう。神が死んでいたとすれば、ならばそう。蛇女の姉妹にでも、白痴の魔王にでも誓って申し上げます。(わたくし)はどなたとも最後の最後まではとてもとても戦う気などございませんと。決して、決して。それは、それだけは本当でございます。

 その上で申し上げましょう。まず、彼を殺したのは(わたくし)ではございません。女神の麗しい瞳を前に、サーヴァントでもない脆弱な人間風情であるこの(わたくし)が嘘をつけますでしょうか?

 もちろん(わたくし)、このような死と関わる仕事を生業(なりわい)としておりますから。魔術に関しましてもほんの少しばかり精通しておりますが、この部屋に満ちているのも(わたくし)めの魔力ではございません。

 今しがた、何やら怪しい魔術的な偽装の痕跡を発見いたしましたので。それをですね、今しがた解除したところではありますが。今さっきまさにその時、(わたくし)が彼を殺したなどということは断じてございません。彼はずっと前に息を引き取ったのです。ええ、ええ。それはもう、そうでございまして。

 ですが確かに、このご老人の老衰死には不可解なものがございました。それこそ、サーヴァントの魂喰いに()ったのだとでも考えれば辻褄が合うような不可解な点が」

 そう言いながら、ゲイリーと名乗る男は胸ポケットに手を入れ、一切れのニュースペーパーを取り出すとステンノに手渡した。

「……」

 ステンノはいぶかし気に男からそれを受け取ると、日本語のその記事に目を落とす。その見出しは、聖杯によって知識を補完されているサーヴァントの彼女にならば、一瞬にして内容を理解できるものだった。

「新宿は、(わたくし)共のような普通の人間にとっては、電車にでも乗ってえっちらおっちら相当な時間かけて行かなくてはならない距離ではございますが、サーヴァントであればどうでしょうねぇ……」

「……本当に。本当に、彼は死んだの?」

「……この白い布をどけて、安らかな死に顔を拝んでいかれますかな?」

「……結構よ。人間って本当、あっけないものね」

 ステンノはそれだけ言うと、老人の右手から視線を上げ、男には目もくれず部屋を後にした。

「……」

 後に残った男は一人、ゆっくり戸口へ向かっていくと、少女が残した籠を見つける。

 籠から真っ赤な林檎が一つ、転げていたのを拾い上げ、シャクリとそのまま噛りついた。



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第9節 線をまく男

 

「それにしてもヘシアン・ロボ、現れないね」

「そうですね」

 ブーディカとマシュが、公園の地面に視線を投げかけて言葉をかわす。

 直輝たちは、今晩も新宿の愛住公園にやって来ていた。

「マシュたちは何時くらいまでいられるの?」

「はい。明日、と言ってももう零時を過ぎているので今日ですが、木村さんが午前中に病院に行く予定があるというので、始発を目途に帰らせて頂けたらと思っています」

「病院? マシュのマスター、ではないんだっけか。君、どこか悪いの?」

 ブーディカに()かれて、すぐそばのベンチに座っていた直輝は立ち上がりながら答える。

「ああ、いえ。ちょっと胃の調子が悪くて。先日検査をしたので、その結果を聞きに行くんです。って言っても、検査の時に胃は綺麗だって言われたので、特に異常がないのはわかってるんですけど。まあ、だから大丈夫です。」

「そっか。異常が無くてよかったけど、原因がはっきりしないのは辛いね……」

 ブーディカがそう言い終わらない内に、彼女たちとは少し距離を置いて、公園奥の短い階段に座り込んでいた達也がやってきた。その眉間にはシワがよせられている。

「同情を買おうとしても無駄だぞ。お前が病気だろうがなんだろうが、俺たちは手を緩めない」

「ああ、いや、ごめんなさい。そういうつもりじゃなくて。それに、特に異常はなかったので大丈夫です。」

「……チッ」

 達也は舌打ちを残して、再び階段の方へ戻っていった。

「もぉ……、ごめんね。マスター、本当は優しいんだけど、色々あってさ」

「いえ、全然。」

 笑顔でそう答える直輝の隣で、マシュが重たくなった口を開いた。

「そのことなのですが。池西さんは、その……」

 口にした言葉の先が見つからず、言い(よど)むマシュ。

「おい、ランサー! 余計なことは言うなよ!」

「大丈夫! ――まあ、そういうわけだから。詳しくは言えないんだ」

「そう、ですよね……」

「もう、そんな顔しないで。マシュも優しいんだね」

「そっ、そんなことは……」

「ふふふ。マシュは本当に可愛いなぁ。こんな出会い方じゃなければ、もっと可愛がってあげられたのに……」

「ブーディカさん……」

「ああ、ごめんごめん。暗い話は終わり! それよりも、今は目の前の敵。ヘシアン・ロボのことを話そう。って、それも明るい話ではないか」

「たしかに明るい話ではありませんが、ブーディカさんの言う通りですね。どうやってあのヘシアン・ロボを倒すのか、考えなくては……」

 今日の目的は言わずもがな、ヘシアン・ロボとの再戦であった。

 もちろん、直輝たちが行動する一番の目的はマシュのマスターを探すことだったが、現状その手掛かりはないに等しい。ならば、ここで起こっている異常事態、聖杯戦争に関わることが一番の近道だろうというのが直輝とマシュの共通見解だった。

 それに、新宿で起こっている体調不良者と行方不明者の続出も見過ごせない。状況的にヘシアン・ロボが関わっている可能性は高く、そうでなかったとしても意思の疎通ができずに襲ってくる相手をそのままにしておくことが最善策とは思えなかった。

 しかし、そんなヘシアン・ロボと戦うにあたって、直輝たちはいまだにこれといった策を見つけられずにいた。

「お前たちはただ盾になっていればいい。最悪俺の令呪を使う」

「池西さん。よいのですか? 令呪を温存するためにわたしたちと協力してくださるのでは」

「あくまで最終手段だ。それとも他に、奴を倒す手段があるのか?」

「いえ、それは……」

「もう、マスター。マシュをいじめないの。――とはいえ、全く勝算がないわけじゃな――!」

「サーヴァントの反応です! 上空から! すぐに接触します!」

 マシュが大盾を、ブーディカが槍を出し、すぐさま臨戦態勢に入る。

 ――シャンシャンシャンシャン、と涼しげな鈴の音が深夜の公園に響き渡り、それは今日も空から舞い降りた。

「ワオォーン!!」

 砂煙を上げてグラウンドに着地したロボが吼える。

「……」

 トナカイの角を着けたロボのその背には、サンタ姿のヘシアンが、今日も静かにまたがっている。

「木村さん、行ってきます!」

「マスターをよろしくね」

「はい!」

 マスクを外しシャツを脱いだ直輝と、傘を握りしめる達也に見送られ、マシュたちは目の前の強敵に向かって走って行った。

「グウウゥゥゥゥー……」

 ロボは、向かいくる外敵を威嚇するように、低く(うな)り声を上げる。

「はっ!」

 最初に仕掛けたのはブーディカだった。鋭い一撃がロボの首を狙う。

「……、グウゥ」

 しかし、ロボはそれを軽々かわしてブーディカに跳びかかる。

「っ……! ブーディカさん!」

「ありがとう、マシュ! はっ!」

 ブーディカを守ったマシュの大盾、その陰から光の様な速さでブーディカが飛び出し、ロボに襲いかかる。

「……! グウゥゥ」

 しかし、ロボはすさまじい反応速度でそれをかわし、すぐさま次の攻撃に転じる。

「くっ!」

 マシュも負けじと攻撃を受けとめブーディカを守るが、強烈な一撃はマシュの体力を確実に削り取る。

「大丈夫!? マシュ!」

「はい! 守りは任せてください!」

「うん、心強い! でも、やっぱり一筋縄ではいかないか……」

 ブーディカはつぶやきながらも、すぐに反撃の刺突を放った。

「……、 グラァゥゥ!」

 それもやはりかわされる。そして次の攻撃がやってくる。

 だがしかし、その攻防にブーディカは一筋の光明を見ていた。

――やっぱりこの狼、少し疲れてる。今日は昨日よりも動きが鈍い――

 ブーディカは昨日、ロボと直接刃を交え、身をもってその動きを、呼吸を、強さを感じていた。ロボは圧倒的に強く、彼女達との戦力差は歴然だった。

 しかし、それでも彼女には勝算があった。それはつい先ほどまで憶測にすぎなかったが、今日のロボの動きを目の当たりにして、ほぼ確信へと変わった。

「マシュ、もうしばらく頑張れる?」

「はい! まだまだいけます! っ!!」

「うん! ……はっ!」

 ブーディカはこのままロボとの攻防を続け、ロボの消耗を(はか)ることにした。

 

 ――新宿で起きている体調不良者や行方不明者の続出がヘシアン・ロボによるものだと考えるなら、その目的は“魂喰い”である可能性が高いとブーディカは考えていた。

 “魂喰い”とは、サーヴァントが人間の魂を喰うことで直接魔力を得る行為をさす。肉体ごと食べたとしても得られる魔力は微々たるものであり、誇り高い英霊の多くは食人行為を嫌悪するなどいくつかの理由から、実際に行われることは稀であり、聖杯戦争で人間狩りが横行することはまずない。しかし、獣と怨霊の組み合わせであるヘシアン・ロボであれば、抵抗なく人を襲うだろうとブーディカは考えていた。

 そして、昨日からこのサーヴァントのマスターは姿を見せていない。本来、マスターは出来る限りサーヴァントの側に立って戦うものである。なぜなら、サーヴァントとの物理的な距離が近い方が、魔力供給の効率が上がるからだ。

 もしかするとヘシアン・ロボは、何らかの理由でマスターからの魔力供給を十全に受けられていないのではないだろうか。サーヴァントはマスターからの魔力供給が全く無ければ、戦闘はおろか通常の活動さえままならず、普通ならばすぐに消滅してしまう。

 だから、不足している魔力を補うために“魂食い”をしており、それでも魔力が十分ではないために疲弊の色が見えるのではないだろうか。

 ブーディカはそんな風に推測していた――。

 

「ハァーゥハァゥ!! ……グウウゥゥゥゥー」

 激しい攻防の最中(さなか)、突然ロボが飛び退いてブーディカたちと距離をとる。

「――!? もう一騎、サーヴァントの反応です! いえ。これは、なんでしょう……。はっきりしませんが、サーヴァントの様な魔力の反応が近づいてきています!」

「うん、あたしも感じてる。なんだろう、この妙にぼんやりした感じ……」

 マシュたちが警戒する中、公園に一人の少年が入ってきた。

 身の丈ほどのボストンバックを背負った西洋人風の少年は、迷う様子も恐れる素振りもなく一直線にヘシアン・ロボへと向かってゆく。

「探したぞポチ。全くお前は待てもできないのか? その辺の犬以下だな。狼王の名が泣くぞ」

 やけに血色の悪い白い肌の少年は、シルバーのアクセサリーを体中に着け、鋭く不気味な眼光をたたえている。

「グルゥウ……、バウ!」

「はっ。まあいいさ。ほれ、餌だ」

 少年はロボとある程度距離を保って立ち止まると、ボストンバッグを地面に下ろし、やや乱暴に中のものをグラウンドへと転がした。

「っ!」

 驚きで見開かれたマシュの目に映っているもの。それは、七歳くらいの幼い男の子が口をガムテープでふさがれ、力なく地面に横たわる姿だった。

「おっと動くなよ、乱入者ども。下手な動きを見せれば、ポチの餌になる前に私の魔術で頭がはじけ飛ぶことになるぞ?」

 少年は左手でマシュたちを制しながら、右手を銃の形にして男の子へ向け、ニヤリと笑みを浮かべた。

「貴方は、何者ですか! なんの目的でそんなことを!」

「見てわかるだろ? この野良犬の世話をしているのさ。まあ、全然喰ってくれなくて困ってるんだが……」

 不敵な笑みを浮かべる少年に、今度はブーディカが問う。

「その狼のマスター、ってことでいいのかな?」

「つまらないことを()く参加者だなぁ……。まあいい、答えてやる。

 私はこの、後先考えられない無謀な野良犬を拾ってやろうとしている慈悲深い魔術師、ってところだ。マスターのいないこいつが現界(げんかい)していられるように世話をしてやっちゃいるが、契約をして貰えてないからマスターとはいえないだろうなぁ。

 マスターじゃないから、魔力を供給するのにこうやって餌を集めてきてやってるんだが、全く喰ってくれなくて手を焼いてるよ。だから全て私の魔力源に回して、あの手この手でなんとか現界させてやってるんだが、流石にそろそろ限界だろうな……。

 どうだ? これでばら撒いておいた伏線は回収できたか? 安心しろ。私はこの(かお)では本当のことしか言わないつもりだ」

 少年はそう言い終えると、空のバッグを担ぎなおして後ずさりを始めた。

「! どこへ行くつもりですか!?」

「おおっと、動くなよ。男の子が爆発しちゃうぞ?」

「っ!」

 戸惑いと憤りにゆがむマシュの表情を眺め、少年は心底愉快そうに笑みを浮かべ、ヘタクソなムーンウォークを披露して見せる。

「クククククククク、いい顔だ。――さあ、ポチ! ご飯だ! 今日こそ喰ってくれよ? いい加減、意地を張るのはよせって。マスターのいないお前をこの世界に結び付けておくのに、俺がどれだけの手間と魔力を()いてると思ってるんだ? え?」

「グゥゥゥゥゥー……」

 呻り声をあげたロボの前足が、ゆっくり一歩前に出る。

「っ!」

「だから動くなと言っているんだ、乱入者! ……まあ、一方的に要求するのもよくないか。代わりと言ってはなんだが、面白いものをご覧に入れよう」

 少年はそう言うとボストンバックを放り、まるで手品師かなにかのように両手が空っぽであることを示した。そうして今度は、その手を上げたままゆっくり一回転し、全身を見せる。

「どうだ? ハリ一本(いっぽん)の仕掛けもないだろう?」

 そう言って不気味な笑顔を振りまくと、少年は両手を背中に回した。

「一、二の、三。ハイ!」

 そう叫ぶのに合わせて背後から戻って来た手には、大量のケーブルが巻きついた物体が乗せられていた。

「まあ、仕掛けも何も、魔術なんだけどな。さあ、静かに。耳を澄まして。チク、タク、チク、タク、聞こえるかい?」

 少年は空いている方の人差し指を口の前に立てて黙り込んだかと思うと、突然その物体をマシュたちの方へ放り投げた。少年とマシュたちの間にはかなりの距離があったが、軽い動作で投げられたそれはしっかりマシュたちの足元まで届けられる。

「伏せろ! 爆発するぞぉ!!」

「っ!?」

 男の声と高まる魔力反応に、マシュは咄嗟に盾を構えた――。




 
【修正一覧】

2021.08.31. 「十全に受けられていないのではないかだろう。」→「十全に受けられていないのではないだろうか。」
 (同上) 「ハリ一本の仕掛け」の「一本(いっぽん)」に読み仮名
2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」
 (同上) 「私も感じてる」→「あたしも感じてる」


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第10節 レッド・プレゼントは突然に

 

「伏せろ! 爆発するぞぉ!!」

「っ!?」

 咄嗟にマシュが後方を守ろうと盾を構え、ブーティカはマスターたちの方へ飛び退く。

 二人とも自分がその瞬間にできる最良の方法でマスターたちを守ろうと、考えるよりも早く体が動いていた。

 間もなくケーブルの塊から、ぷすーと情けない音が鳴り、一筋の白い煙が立ち(のぼ)った。

「……ククク、クククククククク。アハハハハハハハハ! 爆発はしたぞ? したよなぁ? 大した爆発じゃなかったが。嘘をつかないという誓約(せいやく)を守るのも大変だ。せっかく集めた魔力をこんなつまらないことに消費してしまうとは」

「貴方は……!」

 マシュが怒りの言葉をもらしたその直後、目の前に転がっていた物体から突如ケーブルが伸びマシュの手足に巻きついた。

「マシュ!」

「くっ……、これは……!」

「乱入者はそれでしばらく大人しくしていろ。――気をつけろよー! お前たちも近づけばワイヤーに捕まるぞー!」

 という男の忠告はもう手遅れで、既にマシュを助けようと駆けつけていたブーディカはケーブルの餌食になっていた。後に続いていた直輝の足が止まる。

「――さあ、ポチ。邪魔者はいなくなった。心置きなく餌にありつきたまえ」

「……」

 ロボは注意深く少年と男の子を見くらべた後、また一歩足を踏み出した。少年が満足そうに微笑む。

「くっ……! ぅぅぅぅぅぅぅぅ! はあああああああ!」

 マシュが叫びと共に力を振り絞り、ブチっと一本のケーブルが抜ける。

「その調子、その調子」

 棒読みの少年が作り笑いを顔に貼り付け、手をたたいて(はや)し立てる。

 突如、ロボが駆け出した。男の子に向かって、疾風(しっぷう)の如く。

「っ!」

 一人は間にあってと願い足掻いた。一人はもう無理だと思いながらも足掻いた。一人は歪みの悪化に(むしば)まれようとしていた。一人は右手を(ふる)躊躇(ためら)いにつかまった。

 ――そして誰一人として間にあわなかった。

「……ワオォーン」

 

 ――『Fate/Grand Oredr』のヘシアン・ロボは、復讐者のサーヴァントだ。

 単なるサーヴァントとしてのクラスの話ではなく、その在り方からして(ロボ)は復讐者である。ライダークラスでも、アヴェンジャークラスでも、その在り方は変わらない。

 生前の彼は仲間と共に、カランポーの大地を自由に駆けまわり、家畜を襲い人間に憎まれ恐れられた。その強く大きな体と神秘的なまでの賢さで、あらゆる策を看破し、回避し、破壊し、人間を翻弄した。

 そんな彼はしかし、最愛の妻ブランカを捕らえられ殺されたことで怒り狂い、あっけなく罠にかかってしまう。観念した彼は抵抗をやめ、人間からの施しを一切受けることなく、気高き狼王として最期(さいご)を迎える。

 そうして彼は、人類(ヒト)を怨んでいて当然の存在として英霊に(まつ)り上げられ、サーヴァントとして切り抜かれ()ばれ、生前を捨て復讐を選び悪性隔絶魔境・新宿の地に現界(げんかい)した。

 新宿のアヴェンジャー、ヘシアン・ロボ。同族の匂いすらも復讐の臭いに塗り潰された憎悪の獣。相互理解など不可能。人と獣は分かり合えず、相対すれば殺し合う運命。主人公のサーヴァントになろうとも、プレイヤーのプレイアブルキャラクターになろうとも、その本質は変わらない。

 しかし、それでも。彼と、彼らと分かり合いたいと願うマスターがいた。マスターたちが、プレイヤーたちがいた。彼らは信じた。聖書と同じくらい古くから信じられてきたことを、人間と動物は親類であり、人間が持っているものは動物も少なからず持っているということを信じ、願い、その先に思いえがいた。

 それは例えば、聖夜の夢。それは言うなれば、うたかたの夢。ありえない幻想。愛ゆえの妄想。実装されない理想。

 しかしそれは、現実に現界した。トナカイのコスプレをし、サンタクロースのコスプレをし、真夏の夜に、あのベルを鳴らして。

――ヘシアン……ロボ……――

 驚きに目を見開き、喜びに顔をほころばせたマスターは、その次の瞬間に命を奪われた。愛したものの歯牙にかかって。

――ワオォォォーン!!――

 こうして、復讐のサンタとトナカイは解き放たれた。善も悪も入り混じる、道と線路で地続きの、人間が暮らす街である、本来の新宿へと。

 もちろん、サーヴァントとして召喚に応じた彼は知っていた。マスターを失えば現界を保つことは難しいということを。しかし、そんなことはどうでもよかった。自分であれば、消滅までの短い時間で何人もの人間を殺すことができるという自負があったのだ。

 だがしかし、彼の自負は敗れた。彼の在り方と、彼の在り方が闘争した。彼は復讐者であると同時に、サンタを乗せるトナカイであった。愛を負い、愛を送り、愛を届ける存在だった。彼は復讐者として歪んでいた。

 彼は走った。この世界に留まるための楔を失い瞬く間に消耗する体を霊体化し、狂ったように新宿の空を走り回った。振り切るように、振り払うように、振り返らないように、ただただ走った。走った。走った。

 まるであの時のように。愛する者を探し回ったあの時のように。怒り狂って独り駆けずり回ったあの時のように。無我夢中で走った。走った。走った。

 足掻いた。足掻いた。足掻いた。しかし、彼が殺せたのはたった一人だけだった。

 あれから彼は、何度も夢を見た。自分を愛した、自分を喚んだ、自分が奪った、刹那のマスターの夢を――。

 

「……ワオォーン」

 ロボは鳴いた。駆ける足を止め、男の子を見下ろし、静かに鳴いた。

 小さな口を塞がれた男の子と、大きな口を閉じた狼の王が、静かに見つめ合った。

「……ワオォーン」

 やがて鳴いたロボの声を受け、静観していた首のない騎士がゆっくりと動き出す。

 担いでいた白い袋を下ろし、死をもたらす伝説の亡霊はその中へと手を入れる。サンタが背負うそれをもっ(持・以)て、男の子に贈る物を探し、復讐者が目の前の子供を思いプレゼントを吟味する。

「……!」

 そして、少年の前にドサリと落ちた。

 落ちたものを前にして、少年は目を見開く。口を塞がれ声の出せない少年は、声を上げこそしなかったが、確かに心を揺さぶられていた。

 それを見ていた者たちは、思わず言葉を失って立ち尽くした。

 ――それは、少年の前に落ちたそれは、ロボの首だった。

「ウアアアアアアアァァ!」

 突如、(すさ)まじい勢いで上空より飛来していたネロが咆哮を上げる。その前では、頭を失ったロボの身体がドサリと地面に崩れ落ちる。首なし狼はピクリとも動かない。

 ヘシアンは即座にその背を降りて、地面に横たわったままの男の子の前にたちはだかっていた。庇うように、守るように、両手を広げて。

「あははははははは! あははははははは! よくやったぞ、ネロぉ。昨日のお返しだ、ぅわんこぉー!」

 そう言って公園内に入ってきた男の右手には、最後の一画の令呪すら残ってはいなかった。

 令呪によりブーストされた暴君の一撃が、その身もその在り方も弱り果てた狼王の首を断ったのだ。

 またしても狼王を死に導いたのは、愛ゆえのすきだった――。

「アアアアアアァ!」

 激しく叫んだネロによる横薙ぎの一撃で、ヘシアンは斜めに上空へ吹き飛ばされ、木に激突し地に落ちた。折れた枝が騎士を飾る。

「アアァァ!」

 ネロはヘシアンを追い跳ぶと、あっという間にとどめの一撃を突き立てる。

 離れ離れになったヘシアンとロボの身体は、イルミネーションのようにキラキラと光の粒子になったかと思うと、一夜の夢の如くあっという間に消えてしまった。

 一方、拘束が弱まったケーブルから逃れていたマシュたちは、男の子を救出していた。男の子を(さら)って来た少年は、離れたベンチに座って見ているだけで、何も手出しはしてこない。

「木村さん! その子をお願いします!」

「はい!」

「マスターもよろしくね。もう令呪も残ってないし、あのマスターだ。あたしとマシュならあいつは倒せる。ううん、あいつはあたしのこの手で殺す!」

「……ああ」

 大人しく返事をする達也は、直輝が男の子の状態を確認している様子に目を落としていた。

 ブーディカはそんな達也を心配しつつも、今は憎きネロを倒すため、マシュの後に続く。

「アアアアアアァ……! アアアアアアァ……!」

 その前方では、ネロが勝利を喜ぶでも誇るでもなく、剣を投げ出した手で頭をおさえ、苦痛の叫びを(上・掲)げている。

「どうしたネロぉ。痛いのかぁ? 痛いなぁ? もう少しの辛抱だぞぉ。まずはあいつらを倒しちゃおうなぁ。そうしたら、たくさん頭痛薬をあげるからなぁ。ほらぁ。ほらぁ! あいつらを倒せぇ! 僕の最強のネロぉ!」

「アアァ!」

 男の声を振り払うように、ネロは激しく咆哮した。その心臓目掛けて、ブーディカの容赦ない一撃が繰り出される。

「アァ!」

 ネロは迫る一撃を乱心のままに払いのけようとしたが、その左手は穂先をかすめ血を吐くのみで、反逆者に開かれた左肩を攻め入られてしまう。

「アアアアアアアアァ……。アアアアァ!」

「ネロ帝……」

 ネロの痛ましい姿に、思わずマシュは立ちすくんだ。

 ブーディカもあまりの哀れさに戦意をもっていかれそうになったが、すぐに立て直し次の一撃を打ち出す。

「アァ!」

 荒々しい一撃を、今度は右手で確かに払いのけたネロだったが、素手で槍を防いだその手は、真っ赤なレースの手袋をはめたように血に染まった。

「ネロー! どうしたんだ、ネロぉー! 僕のネロぉー!!!」

「ウアアァ!」

 ネロは男の声をかき消すように一際大きく咆哮すると、ロケットのような跳躍で公園の外へ飛び出していった。

「ネっ、ネロぉ!? 待ってくれぁ! ネロぉ~!」

 男は情けない声を上げ、ネロを追って一目散に走り出す。

「ブーディカさん!」

「くっ! ……仕方ない。ネロはあたしたちでなんとかするから、マシュたちはあの男の子をお願い! あいつも気になるし」

 そう言ってブーディカは、少年に視線を向ける。藤棚のような天井のあるベンチの下で、今まさにこちらに笑顔で手を振っている、あの怪しい少年に。

「――マスター! その子はマシュたちに任せてあたしたちはネロを追うよ!」

「あっ、ああ!」

 達也は返事をすると、ブーディカに向かって走り出した。

「ブーディカさん……。その、……大丈夫……でしょうか……?」

「うん、大丈夫。あんな状態のあいつくらい、あたしだけでもどうにでもなるよ」

「それは、そうでしょうが……。そうではなくて……」

 マシュはそこまで言うと、その先の言葉を見つけられずに表情をゆがめた――。

 

 マシュはブーディカとの共闘にあたって、『Fate/Grand Order』のブーディカについて詳しく調べていた。

 ゲームのシナリオにおけるブーディカは、主人公やマシュにとって優しいお姉さんのような存在であり、剣をとるのも誰かを守るためという、人々が夢見る英雄として描かれていた。

 そして、実際にほんの少しだけ言葉をかわしてみて、やはりブーディカは優しいお姉さんであるという印象が強かった。戦闘時も冷静で、少し共闘しただけでもマシュはその言動に気遣いを感じていた。

 しかし、宿敵ネロと相対する時の彼女だけは違っていた。目は血走り、攻撃は荒々しく、マシュはそんなブーディカが怖かった。それは誰かを守るために武器をとった英雄の姿というよりも、怒りで武器をにぎる復讐者の姿に見えてしまうからだ。正しい英霊の姿ではなく、悪逆の反英霊の姿に。

 だから、このまま送り出してしまったら。ネロと一対一で戦い、復讐に手を染めた彼女がその後どうなってしまうのか、マシュは不安だったのだ――。

 

「……マシュ。そんな顔しないで」

「ごめんなさい。でも……」

「――あたしはネロを許さない。ローマも、あたしたちを蹂躙したものすべてを許さない」

「ブーディカさん……」

「でも、今は……、うん。だからアイツを倒しに行くんじゃないよ。あたしには。ううん、あたしたちには、叶えたい願いがある。そのために行くの。これは、聖杯戦争。願いと願いを懸けた決闘。でしょ?」

「……」

「それに、今のあいつ、苦しそうじゃない? なんか見てられないんだ。あいつがあのマスターと、この聖杯戦争で勝つこと。それは、あいつ以上に気に食わないし。上手く言えないけど、だから……。だから、安心して」

「ブーディカさん……」

 マシュの表情が、少しだけほどける。

「……マシュは、優しいね」

 そう言って微笑んだブーディカの後ろでは、達也が眉間にシワをよせて待っている。

「ごめん、達――」

 そう言いながら振り返ったブーディカの前方、達也の背後に突如、上空からドサッと岩のような重たいものが落下した。

「!?」

「……」

 振り返る達也の前に立っていたもの。それは、全身が岩で出来た人型の怪物、ゴーレムだった。

「マスター! 動かないで!」

 ブーディカは言い終わるが早いか稲妻のような速度で槍を打ち出し、ゴーレムの頭部を槍で突き砕いた。

「……」

 頭部を失い、ゴーレムはやはりゲームのエネミーのように消失する。

 しかし、上空からさらに一体、二体。新たなゴーレムが落ちてくる。

「GARUUU……!」

「上空に敵性反応を多数確認! 姿は昨日のワイバーンと似ていますが、昨日よりも強い魔力反応です!」

 マシュがそう言って見上げる夜空では、十数匹ものワイバーンドレッドが“歯ぎしり”をしていた。その背に一体ずつ乗って来たゴーレムが、次から次へと地上へ落ちて来る。

「くそっ! こんな時に!」

「マシュ! ここはお願いできる?」

「はっ、はい!」

「うん! ――じゃあマスター、行くよ! しっかり着いて来て」

「あっ、ああ」

 達也の返事とほぼ同時に、ブーディカは襲いくるゴーレムを倒し、公園の外に向かって走り出した。幸いにも、ブーディカたちの行く手を阻むエネミーの数は少ない。

「木村さん! 今行きます!」

 マシュは、多数のゴーレムが立ち並ぶ先で、男の子をなんとか抱きかかえている直輝に向かって叫ぶと突撃した。盾の衝撃を受け、二体のゴーレムが一度に砕け散る。

「マシュー!」

 ブーディカがタイミングを見計らってマシュを呼ぶ。振り返ったマシュの目には、無事公園の入り口まで辿り着いた二人の姿が映った。

「呼び止めてごめん! この戦いが終わったら、ぎゅーってしてあげる!」

「へっ!?」

「あはは。だから、安心して! じゃあ、行ってくるね!」

「……、お気をつけて!」

 マシュの声に見送られ、達也を抱きかかえたブーディカは、高く夜空へ跳んだ。

 その力強い笑顔は、街灯の下を()ったからだろうか。微かに陰る。

「……」

「ごめんね、マスター。待ってくれてありがとう」

「……ネロの気配は?」

「大丈夫。感知できてる」

「追いつけそうか?」

「……うん。今はあいつ、そんなに移動してないみたい」

「なら問題ない」

「ありがとう。舌、噛まないように気をつけてね」

 そう言ってブーディカはマンションの屋上に着地し、再び次の着地点を目指して跳んだ。

――ごめんね、マシュ……――

 ブーディカは心の中で、小さくそうつぶやいた。




 

AiEnのマテリアルⅠ

ヘシアン・ロボ(AiEn)
 ――AiEnのライダー?

筋力(A-),耐久(B-),敏捷(A-),魔力(E-),幸運(D-),宝具(?)
復讐者(A-),忘却補正(B-),自己回復(魔力)(B-)

堕天の魔(聖夜)(A+)
 詳細不明。其れは、聖なる夜に、天からやってくる。
復讐者の贈り物(サンタ)(B)
 詳細不明。災厄を振りまく死を纏う者は、赤い衣を纏い何を振りまくのか。
うたかたの夢(EX)
 ファンの願望、妄想、愛情から生み出された存在。願望から生まれたが故に強い力を保有するが、同時に公式のキャラクターとしては永遠に認められない、おそらくは……。
 


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2021.09.07 ブーディカのセリフ「私」→「あたし」


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第11節 あいつのギフトがギフトでなかったことがあっただろうか?

 

「木村さん! お待たせしました!」

「いえ。マシュさん、大丈夫ですか?」

「はい、わたしは平気です。――やーぁあ!」

 ゴーレムとワイバーンドレッドの群れを抜け、マシュは直輝のもとに辿り着いた。

 直輝はマシュが来るまでの間、男の子を抱きかかえるようにしてしゃがみ込み、その貧相な身体を盾にして必死に守っていた。

「この子を昨日のコンビニまで連れていきたいんです。行けそうですか?」

「はい! なんとか道を切り開きます!」

「ありがとうございます。」

 直輝はしゃがんだまま力を振り絞り、意識のない男の子を抱えなおそうとする。とその時、公園内に複数の人影が入ってきた。

「木村さん、あれは……」

 入ってきたのはいずれも男性で、隊列を組んでいるが服装や年齢に統一感はない。

「……」

「……」

 見た感じは一般人だが、彼らは臆することなく淡々と、ゴーレムたちの蔓延る公園内に列をなして入ってくる。

「マシュさん! 魔力の反応は?」

「ありません! 彼らは全員普通の人間だと思われます。ですが、八十メートルほど北方にサーヴァントの反応が一騎! 人間のものと思われる多数の生命反応と共に、非常にゆっくりと接近しています!」

 突然、男の一人がゴーレムに殴り飛ばされた。彼は地面に倒れ、ピクリとも動かない。しかし、周りの男たちは助けるでも怯えるでもなく、手にしたビニール傘や木の枝、鞄や拳でゴーレムと戦い始めた。

 当然そんなもので敵うはずもなく、男たちは次々に倒れていく。

「木村さん! くっ、やーぁあ!」

「マシュさん! …………この子を任せられますか? 一人でコンビニまで連れて行けますか? 無理なら無理と答えて下さい」

「……わたし一人でその子を抱えながらこの群れを抜けるのは厳しいかと」

「ですよね。ごめんなさい。じゃあ、急いでコンビニまで行きましょう! その後、」

 直輝が早口で作戦を話す後方で、不意にあの少年が口を開いた。

「その必要はないんじゃないか?」

「木村さん! 早く逃げてください!」

 マシュが男をにらみながら盾を構える。その前で、少年は手にした物体から伸びるケーブルで周囲のエネミーたちをあっという間に拘束して見せる。

「君たちは両方助けたいんだろう? 彼らも、その子も。なら、その子は私が請け負おう。もとはと言えば、僕が連れて来たんだし」

 そう言いながら、少年はボストンバックを下ろしてその口を開ける。

「貴方に任せられるはずがありません! ――木村さん! 今の内に急ぎましょう!」

「おっと、いいのかな? その子はあの野良犬の首が落ちた時、まだ意識があったぞ。盾の部外者。少なくとも、君には見えていたんじゃないか? 気を失うほどのショックを受けて、あんなのトラウマものだぞ。そのまま連れていってもいいのか? 私の魔術なら、そのくらいの記憶はどうとでもなるぞ。これは嘘じゃない。さっきも言った通り、この(かお)で私は嘘をつかないつもりだ」

 少年はそう言うと、マシュではなく直輝の目を見つめた。

「……。」

「さあ、急いだ方がいい。今も後ろで犠牲が出ているぞ」

 少年の言う通り、直輝たちの後ろでは一人また一人と男たちが襲われている。

 非力を補うためUMDにさえ頼り男の子の体重を受け止めていた直輝は、切迫した状況の中で少年の言葉に心を揺らされる。

「木村さん! 行きましょう!」

 そう叫んだマシュの言葉を少年は笑って流し、手で銃の形を作ると、直輝の腕の中へと向けた。

「私がその気になれば、いつでもその子の頭が柘榴みたいに弾け飛ぶということも考慮に入れた方がいい。私だって本物の悪魔じゃないんだ。目的のためなら犠牲も(いと)わないが、その子の。ゆくゆくを考えたらこのまま帰したくはない。だったら今ここで爆発させた方がマシだ。こんな風に――」

 少年がそう言い終えた直後、先ほどまで彼がいたベンチの辺りで何かが爆発した。

「そら、後ろで犠牲が出続けてるぞ? だが、選ぶのは君だ! チク、タク、チク、タク――」

 少年の鳴りやまない声が、直輝の焦りや葛藤を煽り立てる。

 ――彼は信用ならない。彼の言うことも一理ある。チク、タク、チク、タク。もし本当なら男の子は助かり、男性たちもすぐに助けに行ける。嘘でも今、男の子を爆発させられるよりマシか。チク、タク、チク、タク。今も後ろで犠牲が出ている。チク、タク、チク、タク。どうすることが一番被害を抑えられる? チク、タク、チク、タク――。

 直輝の頭の中で目まぐるしく思考が乱立し、腕にかかる重みが刻一刻と精神的ストレスに転換される中、鳴りやまない少年の声が焦燥を、葛藤を、感情を逆なでする。

「…………お願いします。この子を、お願いします。」

「木村さん!」

「ごめんなさい。でも、この子が今爆発させられるよりはマシだと思います。後ろの犠牲も格段に減らせますし。」

「それは……」

 マシュは、望ましい言葉を出すことのできない口を閉じることもできず、顔に悲痛の色を滲ませる。

「クククク、英断だ。安心しろ。その子は俺が責任をもって対処する。そういうのは得意だからな」

 少年はそう言うと、直輝の腕から男の子を軽々抱え上げ、タオルがひかれたボストンバックの中へと丁寧に寝かせた。そして、今度は懐からポケットサイズの機器を取り出す。

「お礼と言ってはなんだが、君にいい物をあげよう」

「……。」

 直輝は、少年に差し出された怪しげな機器を見つめる。それは、基盤がよく見えるように透明な外装でおおわれている、メカニカルなデザインの機械だった。形状は平べったく、その片面には画面が設けられている。

「安心しろ。これは爆発したりはしない。私は手塩にかけて保護しようとしていた野良犬を殺されてしまったし、当面は戦う気のない私の分まで君には期待をかけてしまうんだ。君はそのままでも少しは戦えるようだし、余計にな。さあ、受け取れ。……それはそうと、ポケットWi-Fiを使ったことはあるか?」

「……はい。あります、が……。」

 (いぶか)しみながら返事だけはした直輝に、男は言う。

「なら話が早い。それは、私が作った外付け無線魔術回路“I DREAM OF WIRES”。ポケットWi-Fiのような感覚で使えるワイヤレスの外付け魔術回路さ。

 一般的なポケットWi-Fiと同じように、一月に使える魔力には基本上限があって、充電が切れれば使えないが、それさえあれば君も魔力を行使できる! 接続は電源を付けて、使う意思をもってIDとパスワードを脳内で念じるだけ! 画面はタッチパネル式だし、スマホやポケットWi-Fiに慣れていれば感覚的に操作できるはずだ。すごいだろ?

 といっても、君に使える魔術はないだろうが。この程度のザコエネミーを倒すために魔力をまとうくらいなら、その機械がサポートしてくれるように調整してある。電子聖杯に選ばれていない部外者の君でも、問題なくサーヴァントとの契約だって出来るだろう――」

 最後の言葉と共に一旦マシュに向けた視線を直輝に戻すと、少年は笑みを浮かべた。

「――まあ、好きに使ってくれ。無料お試し期間で一か月、基本上限内なら代償はいらないよ」

「!」

 少年は直輝に強引にその機器をつかませると、ボストンバックを丁寧に担ぎ上げ、周囲のエネミーたちを解放する。

「ほら、ぴーすけ! お前は昔から私を背中に乗せて飛ぶのが大好きだったよなぁ。さあ、今宵も乗せてくれ。送ってほしいんだ。――おっとこれは。いや、今のはセーフだろう。なぜなら」

「GARUUU……!」

 呼びかけに応じて大人しく降りて来たワイバーンドレッドの背に乗った少年は、笑顔で「Have a nice dream!」と流暢(流暢)な英語をふりまいて夜空に消えた。

「くっ!」

 しかし、すでに解き放たれたゴーレムとワイバーンドレッドの群れに襲われていた直輝とマシュには、少年に構う余裕などなかった。

「……マシュさん、ごめんなさい。あの人達を助けに行きたいのですが、力を貸して頂けますか?」

「謝らないでください。遠回しに脅されていましたし、悔しいですが……、どうしようもなかった。今は、彼らを助けましょう」

 数メートル先で出続ける犠牲を止めるため、走りだしたマシュの背中を直輝は追いかけた。

「……ありがとうございます。」

 そんな直輝の前を走るマシュは、瞬く間に男たちとゴーレムたちの交戦地点に辿り着く。

「やーぁあ!」

 掛け声とともに繰り出された大盾の突撃で、一体のゴーレムが消失した。

「――皆さん! 事情は分かりませんが無茶です! この怪物に人間が太刀打ちはゃっ!」

 マシュが驚きの声をもらす。

 その腹部には男の拳が突き当てられていた。

「マシュさん!」

「……大丈夫です。――わたしは敵ではありません! なぜこんな、っ!」

 さらに別の男が、太い木の枝を振りかぶりマシュを襲う。

「マシュさん! っ!」

 マシュを助けようとした直輝の前に、男が立ちはだかり、ゴーレムに殴り飛ばされる。

「駄目です! 木村さん! 彼らとは意思の疎通ができません! なんらかの方法で操られているのかもしれません!」

「傷つけずに気絶させることはできますか?!」

「……気絶は難しいですが、無力化ならなんとか!」

 そう言うとマシュは、直輝の返答を待たずに盾を操り、男たちの攻撃をいなして打撃を与える。加減をしながらも、腹部など苦痛を強く感じる部位を狙い、男たちの戦意を奪いにかかった。

「……」

 しかし、男たちは苦しむ様子もなく、マシュを襲う手を止めない。

 さらにはゴーレムまでもが、男とマシュに襲いかかる。

「くっ……! そんな……」

 悲痛な声をもらしながらも戦うマシュの側では、直輝も男たちの攻撃を受けながら、男たちの盾になろうと必死で立ち回っていた。

 しかし、大勢の男たちは自分から危険に突っ込んでいく上、マシュや直輝にまで攻撃を仕掛けてくる。ゴーレムとワイバーンドレッドは残り数体ではあったものの、二人は思うように立ち回ることが出来なかった。

「……」

 直輝はポケットに手を入れ、さきほど少年から押しつけられた怪しげな機器を出す。

 ――それは、私が作った外付け無線魔術回路“WE DREAM OF WIRES”。ポケットWi-Fiのような感覚で使えるワイヤレスの外付け魔術回路さ――。

「……」

 直輝が意を決して電源ボタンを押すと、間もなくメニュー画面が起動した。

 全体的に機械的で冷たいデザインの画面には、魔力送信量、接続数、お知らせ、など五つの項目が並んでいる。直輝はその中から端末情報という項目をタッチした。すると、すぐにアルファベットと数字で構成されたIDとパスワードを確認することが出来た。

 ――接続は電源を付けて、使う意思をもってIDとパスワードを脳内で念じるだけ! ――。

 直輝はためらいながらも、確かな意思をもって接続を試みた。

 

     *

 

 女神は歩かない。

 男を這わせ、その背に座る。

 男が壊れて手足を止めれば、次の男を馬にするだけ。

 男の代わりはいくらでもいる。

 女神は下僕をケチらない。

 

「ねえ、大きいお友達のみなさん。トリック・オア・トリート」

 女神の言葉に、男たちが一斉に体を差し出す。

「ふふふ、そんなにはいらないわ」

 女神は一人を選び、その手をとって口づけする。いたずらに歯を立てて、苦くない血をすする。

――さて、もうそろそろだわ――

 女神は男に手を取らせ、お馬さんの背を下りると、自らの足で歩き出した。

 気まぐれに、思いつきで、我がままに。

―― 一騎くらいなら、倒せるかしら?――

 彼女は思う。自信を持って。

――私には、こんなにたくさんの、大きいお友達がいるんですもの――

 半分になった月あかりを浴びて、十分にそろった男たちを連れて。

 月の女神は戯れを口にする。

「月にかわっておしおきするわ」




 

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2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第12節 勝手気儘な自己貫決

 

 ――特に何も起こらなかった。

「……。」

 少年から貰った怪しげな機器と接続を試みた直輝だったが、特にこれといった変化は感じられなかった。

 全身に力がみなぎったり、耐えがたい苦痛に襲われたり、そんなことは微塵もなかったのだ。

 しかし、直輝は間もなく気づく。機器の画面にあった接続数という項目に、1という数字が表示されていることに。

「……。」

 直輝は素早く機器をポケットにしまうと、こぉーと音を立てて強く息を吐き出しながら、目の前に迫るゴーレムを見据えた。

 空っぽになった肺に勢いよく新しい空気が満ちる。

 ゴーレムは、いったん動きをとめて“硬化”。

「……ふっ!」

 そこに直輝は勢いよく右手の平を打ち出し、ゴーレムの胸部を突く。

 ――平手打ち!

「……」

 ゴーレムは全く声をあげない、が直輝はすぐに切り替えずゴーレムの頭を打ち抜き、ダメージを与えようと(こころ)みる。頑丈な身体のゴーレムは崩れないが、しかし直輝の攻撃が当たるとぴたりとその動きは止まり、(かす)かに(ひる)んだ。

「……」

 ゴーレムの首は打たれた方向に曲がっている。直輝の攻撃は、どれくらいかはわからないが効いているように見えた。

「木村さん……!?」

「マシュさん! どれくらいかはわかりませんが、俺も今から戦えます。」

 直輝はそう言うと、男たちの攻撃を平たい背中で受け止めながら、目の前のゴーレムに手の平を突き出し、打ち出し、返す鋭利な肘を当てる。

「ふっ! ふっ! すぅー……、ふっ!」

 青白く細い腕を懸命にふるい、頑丈で重い体のゴーレムに立ち向かう。守りたい者からの攻撃を受けながら、受け止めながら。確かに痛みを感じながら。

「……」

 そして、何十発目かの平手打ちがゴーレムを突いた時、ついにその頑丈な身体は消滅した。まるで邪悪な霧のように、HPが0になったゲームのエネミーのように。

「はぁーっ、はぁーっ、」

 やっと一体、目の前のエネミーを倒し、刹那の祈りを捧げた直輝の息は上がっていた。

 しかし、まだ終わってはいない。目の前にはまだ数体のエネミーが残っており、ゴーレムとワイバーンドレッドがちょうど一体ずつ直輝に向かってくる。

 勢いよく息を吐き深呼吸をした直輝の鼓膜を、マシュの声が揺さぶった。

「木村さん! サーヴァントが来ました!」

 マシュの声を受け、直輝は園内に視線を走らせる。

「あら、ちょっともったいなかったかしら。まあ、いいわ。代わりはいくらでもいるんですもの」

 胸元の大きなリボンが印象的なセーラー服姿の少女、ステンノが三十人ほどの男を引き連れて公園内に入ってきた。

「木村さん! あのサーヴァントは……?」

「エウリュアレ、か、ステンノの姿をしています。いや、服装はロボと同じでFGOの格好とは違いますが、顔がエウリュアレかステンノです。」

「エウリュアレかステンノ……」

 

 ――ステンノ、エウリュアレ、メドゥーサ。

 彼女たちはギリシャ神話に登場するゴルゴーン三姉妹であり、美しい美少女の姿は、蛇の髪と石化の魔眼を持つ怪物にされてしまう前の姿だった。

 ()れは男の憧れの具現、完成した偶像(アイドル)、理想の女性として生まれ落ちた女神。

 『Fate/Grand Order』において、不死身で歳をとらない長女ステンノと次女エウリュアレは同じ容貌をしており、顔かたちだけで見分けることはまず不可能である。

 

「大きいお友達のみなさん。露払い、ご苦労様。でも、もういいわ。あなたたちでは敵わないもの。私が一瞬でお掃除してあげるから、下がって見ていてくださいな」

 ステンノがそう口にしただけで、それまで勝ち目のないエネミーに立ち向かっていたのが嘘のように、男たちは全速力でエネミーから離れた。

 残されたゴーレムとワイバーンドレッドは、逃げる男たちにもすぐそばの直輝たちにも目もくれず、ステンノに襲いかかろうと動き出す。

「あら、いやだわ。人気者って、本当に大変……」

 ステンノは言葉とは裏腹に微笑みを浮かべて、手にしたステッキ“パープルセレーネスティック”を夜空に掲げる。

「――木村さん!」

「はい!」

 ステンノの動作に危険を感じた直輝とマシュは、視線と意見を合わせその場を離れようとする。

 そんな二人にはお構いなしに、ステンノがパープルセレーネスティックの先端を勢いよくエネミーたちに向けて叫んだ。

「パープル シュガー・ハート アタッック!!」

 すると、あら不思議。パープルセレーネスティックの先端から、いくつもの淡い菫色(すみれいろ)をしたハートが飛び出して、エネミーたちに向かっていった。

 ハートに当たったエネミーたちは、次々に消滅して一掃される。

「……ああ、だめ。私を支えてくださいな」

 ステンノはそう言うなりふらりと可憐に倒れ、取り巻きの男たちがそれを支えた。

「やっぱり、マスターがいないとだめね。トリック・オア・トリート」

 一斉に差し出される手の一つを取って、ステンノは血をすすった。一人では足りず、二人、三人。血を吸われた男たちは次々と倒れていくが、ステンノはお構いなく魔力を供給する。

「あれは……! 吸血行為で魔力を供給しているのでしょうか? 新宿での体調不良の原因はさっきの少年だったのでは……。なんにせよ止めないと!」

「はい!」

 駆ける直輝とマシュを、立ち直ったステンノが笑顔で迎える。

「あらあら。そんな怖い顔をしないでちょうだい。あなただって、マスターから魔力を貰っているでしょう?」

「それは、そうですが。その方たちは明らかに様子がおかしいです! 貴方の仕業ですよね? 魔術で自由を奪い、意識がなくなるまで魔力源として酷使するだなんて、間違っています!」

「でも、仕方がないじゃない。私のマスターは、死んでしまったんですもの」

「――!?」

「マスターがいなくなってしまったら、サーヴァントはたちまち消えてしまうわ。でも、私、まだ消えたくないの。もっと、楽しみたいのよ。だから、こうするほかにないの」

「それは……。それでも……」

 上手く反論を口に出来ず、言い(よど)んでしまったマシュと入れ替わるように、直輝が口を開いた。

「あの。よかったら、何があったのか聴かせて頂けませんか。既にあれだけ被害を出している貴方の力になれるかはわかりませんが。それでも、場合によっては、力になれるかもしれません。」

「あら、あなたは優しいのね。……あら? あなた。その右手、ずいぶん綺麗だけれど。ひょっとして、その子マスターさん、ってわけではないのかしら?」

「はい。色色あって、私はサーヴァントとは契約してません。そもそも、聖杯戦争に選ばれたマスターでもないので。彼女とは協力してますが、私のサーヴァントではありません。」

「そう。それはちょうどよかったわ。ねえ、あなた。私と契約してくださらないかしら?」

「……契約、ですか。」

「ええ。さっきも言ったでしょう? 私、マスターを殺されてしまって、今はマスターがいないの。だから、新しいマスターを探しているのよ。

 私の魅力とスキルがあれば、魔力には困らないのだけれど。サーヴァントって、やっぱりそれだけではだめみたい。現界するための(くさび)になってくれるマスターがいないと、こんなに体が重たいだなんて……。さっき初めて戦って見て、思い知ったわ。

 でも、人間って脆いでしょう? あんなにあっけなく死んでしまうんですもの……」

 ステンノの目が、どこか遠くへ向けられる。所在のない場所を見つめているような、そんな目だったが、視線はすぐに直輝のところへ戻って来た。

「――だからね。どうせ契約するのなら、少しでも丈夫な勇者様と契約したいの。少しだけだけど、見ていたわ。あなた、怪物と戦っていたわね。あなたなら、私と契約するのにふさわしいわ」

「……。」

「木村さん! 早まらないでください。彼女の目的がわかっていませんし、そもそも」

「ごめんなさい、マシュさん。大丈夫です。ありがとうございます。――あの、何もわからないのに貴方と契約は、申し訳ありません。まずは、貴方の目的を教えて頂けないでしょうか。」

「はぁ……。私、今はそういう回りくどいやり取りを楽しんでいる気分じゃないのだけれど。手間のかかる勇者様ね。本当に、仕方がないんだから……」

 そう言うと、ステンノは直輝の方へ数歩あゆみ出て、真っ直ぐに目を見つめて微笑んだ。

「ねえ、あなた。私のマスターになって?」

 

 ――その微笑みは、女神の微笑み。

 男の理想の具現である彼女の微笑みは、どんな男をも魅了する女神の(わざ)

 近代ハロウィンの仮装のような一昔前の女児向けアニメみたいな霊基になろうとも、その本質は失われていない。彼女の魔力を帯びた微笑みを受ければ、よほどの魔力抵抗を有する男性でないかぎり、例えサーヴァントであろうと魅了され洗脳状態に陥ってしまう。

 

「……。」

「木村さん?」

「ふふふ。どうしたのかしら? さあ、こっちにいらっしゃい。私の新しいマスター様」

 直輝はステンノの言葉を受け止め、受け入れ、真っ直ぐに歩き出した。

「木村さん? どうしたのですか!?」

 直輝はステンノまであと数歩というところで、はたと立ち止まった。

「……私は。聖杯に選ばれていない、この世界の人間が、サーヴァントと契約できるのか。どこまでFateの世界と同じように、魔力を供給したりできるのか、わかりません。でも、私は、この機械を使って、たぶんサーヴァントと契約が出来ます。

 でも、私は出来る限り被害を出さずに、今この世界で起こっている異常事態を解決したいんです。だから、積極的に被害を出そうと考えているサーヴァントとは契約する気はありません。だから、貴方の目的を教えては頂けませんか。貴方は何故、この聖杯戦争に参加しているんですか。何故、戦うんですか。」

「……どういう……ことかしら?」

 ステンノが目を見開いて問う。

「――あなた、私の微笑みが通じないの? ねえ。どういうことなのか、私に教えてちょうだい?」

 ステンノが再び直輝に微笑みかける。魔力を込めて、魅了するため、その視線を向ける。

「やっぱり、そういうことなんですね。でも、ごめんなさい。俺に魅了は効きません。いや、全く効いてないわけではないですが。貴方に微笑みかけられる(たび)、不思議なくらいに魅力を感じてはいますが。でも、俺の心は操れません。」

「……そう」

 ふらふらとよろめくステンノを、取り巻きの男たちが支える。

 ステンノはまたも男たちの手を取って血をすすると、不敵に微笑んだ。

「それじゃあ、契約のお話はなしね。ねえ、大きいお友達のみなさん。あの二人を殺してちょうだい」

「なっ!? なぜですか!?」

 驚くマシュに、ステンノが答える。

「私に魅了されないのに、戦えるマスターだなんて危険だわ。いいえ、私に魅了されない男がいるだなんて、なんだかとっても不愉快なの。ああ、なんでこんなに不愉快なのかしら……」

 ステンノの頭に、ある男の顔が浮かぶ。少し特殊な霊基で現界している、今のステンノのただの微笑みでは魅了されなかった男の顔が。きっと、今し方のように魔力を込めて微笑めば、簡単に魅了できたはずの男の顔が――。

「木村さん! 来ます!」

「……俺が。いや。マシュさん! この数を相手に傷つけずに引きつけられますか?」

「彼らは痛みに怯まないので難しいと思いますが。っ!」

 マシュが素手で襲いかかってくる男の攻撃をかわす。盾で受けては男の拳が壊れてしまうため、それはできない。(いな)、したくなかったのだ。

 すでにマシュの側まで後退していた直輝は、男たちの的になったマシュから素早く距離をとる。

「俺よりはできそうですよね? たぶん、俺には無理です。そういう経験はないです。マシュさんなら、あるいは。ごめんなさい。お願いできますか?」

「はい! ですが、木村さんは?」

「俺が倒します。できるかはわからないけど、あの女神を。一先ずやってみます。――マシュさん。無理はしないで欲しいです。ごめんなさい。お願いします。」

 そう言うなり直輝は後ろに向かって走り出した。

 迫り来る男たちは三十人強。直輝はその間を抜けて奥のサーヴァントまで辿り着くことは出来そうにないと判断し、一度大きく後退したのだ。

 残るマシュに三十人を超える男たちの群れが一斉に襲いかかる。

「……木村さん! わたしから向かって右に引きつけます!」

「! はい!」

 直輝が返事をした頃には、マシュはもう背中からのエネルギー放出で急加速し、ギリギリまで引きつけ注意を引いた男たちの目の前から飛び出していた。

 男たちのほとんどは、遠くの直輝より目の前にいたマシュを追いかける。

 直輝はその隙にマシュと反対方向、公園の奥側へと大きく迂回してステンノを目指す。立ちはだかる男たちの数は六名。

 十分に距離を保って直輝は立ち止まる。

「こぉー……。」

 勢いよく音を立てて息を吐き、吸ったところへ男たちが迫りくる。タイミングは理想に対して若干早かったため、直輝は相手の初撃に合わせて不意を打つ試みを諦める。

 わずか数秒後、男の拳が直輝の顔面に撃ち込まれた。もちろん直輝はそれを、肉体への直接のダメージはゼロで受け止める。

「ふっ!」

 そして、避ける必要がない分落ち着いて手の平を打ち出し、男の顎を突いた。

「……」

 しかし、男は無言で次の攻撃を繰り出し、さらには六人全員があっという間に直輝を取り囲む。

「ふっ! ――ふっ!」

 直輝は力のこもった打撃を狙いを定めて打ち出すことに集中し、全員の猛攻を受け止めながら、自分のペースで手の平を打ち出し続けた。

 一人目を失神させるのには五発を要した。しかし、コツを掴んだようで二人目は一発。と思いきや、次は上手くいかず三発。四人目からも意識を奪うのに数発を要してしまう。

 内四名は倒れる際に頭を打たないように守ることに成功したが、残り二人は上手くやれなかったことに不安と自責の念を(いだ)きつつも、直輝は再び走りだす。

 見れば、マシュは残り三十人ほどの男をいまだに引きつけている。

 直輝は少しでも早く決着をつけようと、力を振り絞って走った。




 

【修正一覧】

2021.09.02. 「目の前のエネミーを倒した直輝の」→「目の前のエネミーを倒し、刹那の祈りを捧げた直輝の」
2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第13節 友情∞ 無限大――目眩まし

 

「はぁっ、はぁっ……。」

 ステンノのもとに辿り着いた頃には、直輝の白く平たい背中は汗で(つや)めいていた。

「あらあら。あの子を置いて一人で私に会いに来るだなんて。あなた、本当は私のことが好きなんじゃないかしら?」

「……はぁっ、はぁっ。そうですね。操られることはないのに、貴方の魅了が全く効いてないわけではないってことは……。すぅぅー、はぁっ……。貴方のことを魅力的だと思ってるってことでしょうね。」

「……、うふふ。あなた。もしかして、私のことを口説きに来たのかしら?」

「いえ、ごめんなさい。俺なんかに口説かれてくれる女性なんていないので、逆に大胆になってしまいました。申し訳ないです。」

「うふふっ、おかしな人。それで? そんな軽口をたたくために来たわけではないのでしょう?」

「はい。軽口のつもりはありませんが。えっと。まず、彼らを止めて頂けませんか。」

「……うふふふ。あなた、それを言うためにわざわざここまで来たのかしら?」

「はい。それだけではありませんが。」

「本当におかしな人ね。わかったわ。……なんて言って、私が彼らを止めるとでも思っているのかしら?」

「思ってません。だから、お願いしに来ました。――お願いします。彼らを止めて下さいませんか。」

 直輝は深く頭を下げて、お願いをした。

「……嫌よ。絶対に嫌。だってそんなの、つまらないじゃない」

 直輝はステンノの言葉に顔を上げ、今度は真っ直ぐに目を見つめる。

「じゃあ、目的を教えては頂けませんか。私は出来れば貴方と戦いたくないんです。一時的にでも、協力できるのならその方がいいと思っています。」

「……それも嫌。だって、話すことなんて、何もないんですもの」

 

 ――ステンノの目的。召喚に応じた理由。聖杯にかける願い。

 それは、「ない」。

 強いて言えば、「姉妹三人で永遠に暮らすこと」だが、叶わない願いであると既に知っている。だから、聖杯にかける願いは「ない」。

 そんな、召喚に応じる理由のない、有り得ない現界を果たした彼女の行動原理は至極単純明快だ。「楽しい」か、ただそれだけ。それだけのはずだった。

 しかし、特殊な状況下での召喚により霊基にこびりついた強烈な感情が、「楽しい」の対をなすような不快な感情が、それに少しだけ影響を及ぼしている。しかし、対であるならば、基本的な行動原理そのものには大差がないと言えるだろう。結局は「楽しい」か「楽しくない」かの二択なのだから。

 だから、彼女はただ、心の赴くままに行動する。

 ただ、「楽しい」を求めて――。

 

「でも、せっかく来てくださったんですもの。ただで帰したりはしないわ。セレーネ・プリズム・パワーでメイクアップした私が、ギリシャの月にかわっておしおきよ」

 そう言うなり、ステンノはパープルセレーネスティックを手に駆け出した。

 そして、直輝の目の前までやってくるとそのステッキを勢いよく振り下ろす。

「えいっ!」

 直輝の肩に打ち下ろされたそれは、確かに人並外れた威力の攻撃であったが、それでもブーディカの攻撃に比べれば格段に威力の劣るものだった。

「えいっ! えいっ!」

「……こぉー。」

 直輝はステンノの攻撃を受け止めながら強く息を吐き、一瞬ひるんだステンノの顎目掛けて手の平を打ち出す。

「うっ! ……いったぁい」

 直輝の攻撃は(わず)かにステンノにも通用した。サーヴァントである彼女にも、確かに効いていた。

 

 ――ステンノは弱かった。

 一介の人間に過ぎない直輝でも、UMDや魔術機器に頼っているとはいえ、なんとか食らいつける程度の戦闘能力しか有していなかった。

 それは、単純に魔力供給が十分ではないために、十全に力を揮えていないというだけではない。

 女神であるステンノは元々、か弱い乙女としての男の理想が具現化した存在であり、庇護される対象であるため、彼女自身は非常に弱く脆い。戦わせるために()ばれるサーヴァントとして現界していることや、神秘の通わない攻撃が通用しないというサーヴァントの性質も手伝って、元々の彼女よりはいくらか丈夫になっているものの、やはり「弱い」ことが本質である彼女は「弱い」のである。

 もちろん、単純な武力と武力での戦闘に限っての話ではあるが。

 

「ふっ!」

 さらに、繰り出される手の平をステンノは飛び退いてかわすと、ウサギを思わせる可愛らしい振る舞いで距離を詰めステッキを振り下ろす。

「……ふぅー。」

「あらあら。近くで見ると、随分と辛そうね。肌は綺麗なままだけど、効いていないわけじゃないのかしら?」

「……ふっ!」

「きゃっ! ……私の質問に暴力で返すだなんて、無粋な人ねぇ……」

「ごめんなさい。……ふっ!」

 直輝の手の平をステッキでギリギリ受け止め、ステンノが微笑む。

「ふふふ、そこは謝るのね。本当にあなたっておかしい人。殺してしまうのが惜しいわ……」

 そう言いながらも、ステンノは攻撃の手を緩めない。とはいえ、単なるステッキの殴打は直輝にとって致命傷になり得ない。

「うふふふ、楽しいわ。楽しいわ。とーってもね」

 そう言いながら、ステンノはステッキを振るい、手の平を食らい、そうかと思えば(かわ)してふわり、舞い踊るように戦った。

「あぁ……、なんて不思議で奇妙な体験でしょう」

 恍惚とした声が口づけのように空気を感じさせる。

 魅了した男たちを使ってではなく、変貌した末妹(メドゥーサ)に取りこまれてでもなく、(ステンノ)の身と心で(ステンノ)が戦うという初めての経験に、彼女は未知なる愉悦を感じていた。

「はぁ……、はぁ……。」

 そんな彼女を前にして、直輝の息は上がっていた。

「うふふ……。ふぅ、ふぅ……。いいわ。ふふ、ふぅ……。いいわ。うふふふふ……、ふぅ、ふぅ……」

 しかしそれは、ステンノも同じだった。

 二人はともに激しく武器を交え、息を切らし、消耗していた。

「ねえ、あなた。私をこんなにも楽しませてくれたあなた。お名前は?」

「……木村、直輝です。貴方は?」

「私? 私は……、愛と欲望のセーラー服美少女女神。セーラーセレーネ! ……」

「セーラー……、セレーネ……。」

「ええ。今の私は、戦う女神。セーラーセレーネ。さあ、とっても名残惜しいけれど、楽しい時間はそろそろおしまいにしましょう。私、この楽しさに飽きてしまう前に、とびきりの勝利を手に入れたいの」

 そう言うと、ステンノはパープルセレーネスティックを天高く掲げた。

「――!」

 目を見開く直輝に向けて、そのステッキが振り下ろされる。

「パープル シュガー ハート アターッック!」

 ステッキの先から淡いバイオレットのハートがいくつもあふれるように飛び出し、直輝に向かって飛んでいく。

「!」

 かわそうと思った直輝だったが、いくつものハートがよける間もなく飛んできて、直輝の体に当たってはじけた。

「…………。」

 ハートの集中攻撃を受けた直輝は、無傷のまま、無言で、立っていた。

 ゆっくりと直輝の右手が額に向かって伸びていき、ぐっと抑えるように包み込む。もう片方の手も、薄い胸板を掴むように抑える。

「ぁぁ……! はぁーっ……!」

 苦しそうな無声音をもらし、息をもらし、眉間を中指でぐっと押すようにさすると、直輝は射るような視線をステンノへ向けた。

「……あなた。これも耐えてしまうのね」

 ステンノは息を吐き出すようにそう言ったかと思うと、ふらりとよろめいて、そのまま地面に倒れた。

「トリック……オア……トリート……」

 ステンノのか細い声が、すぐそこの地面にまで届いて消える。

 遠くで奮闘するステンノの男たちに、その声は届かない。

「……ふふ。……私が、……男に困る時が来るだなんて。……おかしいわ。とっても、おかしいわ……」

 彼女の(かす)んだ視界の先で、彼女の命令に従い戦う男たち。

 きっかけは女神の力にしろ、魔性の力にしろ、美貌の力にしろ。少なくとも今この瞬間、心の底から湧き上がる愛おしいという衝動に全てを支配され戦う男たちの、その衝動は本物だった。

 彼らは正気を失ってなお、本気で人間らしく愛に溺れて戦っていた。その様は正気の第三者から見れば、単なる傀儡(かいらい)()ちた哀れな者たちでしかないかもしれない。その戦う理由は幻想で、偽物で、嘘っぱちに見えるかもしれない。

 だがしかし、愛は目眩まし(ラブ・イズ・ブラインド)。主観しか知らない人間は、感じているものだけが全てであり、たとえそれが間違いでも、感じているということだけはどうしようもなく真実である。

 例え、そんなものが愛だなどとは信じたくもなくとも、そんな愛も確かにあるのだ。例えば、今ここに。

 他人(ひと)からすればどんなにくだらなくても、熱く速く響く鼓動に嘘偽りはない。

 そして、そんな愛と相対してマシュが苦戦しているというのもまた事実だった。

「くっ! ……お願い、効いて!」

 何度目だろうか。マシュが峰のない盾で峰打ちをする。

「うっ! はぁっ……! ぁぁぁっ……!」

 受けた男が地面に膝をつき、手をついて喘ぎを吐き出した。

「――!?」

 今まで苦痛を見せることのなかった男たちが、初めて痛みの表情を見せたのだ。

「これは……。――はっ! ふっ!」

 マシュが盾を器用に操り、苦痛を強く感じる部位を的確に手加減して攻めていく。

「うぅっ!」

「くぅぅっ……!」

「はぁっ……!」

 男たちが次々と苦痛で動きを止め、膝をつき、戦えなくなっていく。

 ステンノが大技を放ち消耗したことで、魅了の効力が弱まり、今までは強い洗脳によって痛覚まで麻痺していた男たちが痛みで怯むようになったのだ。

 あっという間にマシュを襲う男たちの数が減っていく。既に直輝の前でステンノが倒れていることも把握していたマシュには、やっと一筋の光明が見えていた。

「これなら……」

 マシュがそうつぶやいた時、男の一人が口を開いた。

「……え」

「――?」

 強い苦痛を受け地に伏したことで、洗脳により鈍った頭で、男は自身の敗北を自覚した。そして、愛ゆえに戦っていた者が、散り際に見たいと願うものといえば、決まっているだろう。

 ――それは、愛する者。

「……」

 そして、倒れた男が、男たちが見たものは、自分と同じく地面に倒れた、愛する者の姿だった。ステンノの、セーラーセレーネの姿だった。

「……えぇ」

「えー……」

「がっ……んえぇー……」

「なっ……? これは、いったい……?」

 (かす)かな恐怖さえいだき目を見張るマシュの前で、苦痛に倒れていながらも男たちは声を絞り出す。

「えぇぇぇー!」

「がっ、がっ、がんばえー!」

「がんばえー! せーあー……」

「がんばえー! せーあーせえーねぇ……」

「がんばえー! せーあーせえーねー!」

 

――がんばえー! せーあーせえーねー!――

 

 その声は、確かに。

 確かに、彼女に届いた。

「……私を、……応援しているの?」

 ステンノが、目を見張る。

――がんばえー! せーあーせえーねー!――

 鳴りやまない声援が、彼女に聞こえてくる。体に、(わず)かずつだが魔力がみなぎってくる。

「……ふっ。うふふふふ……。おかしいわ。おかしいわ。私を、応援しているの? そんなになってまで、あなたたちは、私を応援してくれるの?」

 ステンノはもちろん、理解していた。それが、自分が(エウリュアレ)末妹(メドゥーサ)に向ける愛と同じものではないことを。それが、今は亡きマスターが悦子や孫たちに向けていた愛と同じものではないことを。

 それでも、今の彼女には十分だった。

 愛と欲望のセーラー服美少女女神、セーラーセレーネがもう一度だけ立ち上がるのには、十分だった。

「……あぁ。本当に。とってもとても、不思議でおかしな体験だわ」

「……。」

「うふふふふ。たぶん、次で最後の攻撃になるわ。マスターもいない、魔力も十分ではない、こんな状態でこの技を使ってしまったら……、私は消滅してしまう……。

 でも、それでいいの。私には、聖杯に願うことなんてないんだから。聖杯なんて、いらないわ。ただ、今が楽しければそれでいい。どうせ、本当の願いはもう、叶わないのだから。どうせ私は、消えてしまうのだから。ううん。こんな不思議でおかしくて楽しい体験、きっと、もう二度とできないはずだから。

 だから。ねえ、あなた。受け取ってくださる?」

「……。」

「うふふふふ。返事はいらないわ。男の子はシャイだものね。だから、その分、女の子は強いのよ? 私からのあまーいあまーいお菓子とイタズラ、あなたに必ず届けてみせるわ」

 そう言うと強い女(ステンノ)は、右手に握ったパープルセレーネスティックを、左側にいる男たちに向けた。

「いくわよ! 大きいお友達のみなさん!?」

――おぁぁぁぁー! せーあーせえーねー! がんばえー! せーあーせえーねー!――

 今、みんなの力、あわせて!!

 パープルセレーネスティックを、振り抜くように前に向ける。

虹色(レインボー・) ∞月心激(フレンドムーン・ハートエイク)!!」

 大きいお友達の声援が、ステンノに力を与え、みんなの力が無数の光線となって直輝にむかっていく!

「!」

 激しい光の攻撃に、ほとばしる強い光に、公園が満たされ覆いつくされる。

 愛は目眩まし(ラブ・イズ・ブラインド)

 誰も何も見えなくなった――。

 

     *

 

「うふ……。うふふふふ……」

 地面に倒れたステンノの目には、直輝がどれほど険しい表情をしているのか、もう見えなった。その苦しそうな息遣いも、よく聞こえなかった。

「あなた……。これも耐えて、しまうのね……」

 ステンノは、セーラーセレーネは、自分を応援してくれた男たちの、大きいお友達の方を見る。

――……――

 みんな力を振り絞って、声の限りステンノに魔力を送ったため、疲れて眠ってしまっていた。それはまるで、遊び疲れた子供たちのようで。

「それも、そうよね……」

 ステンノは呟く。なんだかとても、虚しかった。

 夜空には、真っ二つの月が浮かんでいた。

「……うふ。馬鹿ね、私……」

 キラキラと光の粒が、ステンノの身体から、天を目指すように昇っては消えてゆく。木の天辺にすら届かずに、遊具の天辺にすら届かずに、どこにも届かずに、ただただ消えてゆく。

――ああ、なんでいつもこうなってしまうのかしら。

 私はただ、妹たちと楽しく暮らしたかっただけなのに。

 私はただ、いつもとは違う楽しさを満喫したかっただけなのに。

 私はただ、楽しくすごしたかっただけなのに――

 その瞳には、月も、人も、土も、風も、消えていく自分の輝きさえも、もうここに在る全てが映ってはいなかった。

 その脳裏に、ふとあのマスターの顔が浮かぶ。

 あの優しい声が、ステンノとおそろいのゆっくりとした穏やかな声が聞こえる。

――ねえ、マスター。私を受肉させるんじゃなかったのかしら?

 ねえ、マスター。考え直してみるんじゃなかったのかしら?――

 思考が綻んで、脈絡を失っていく。

――愛していたわ……。(エウリュアレ)……、メドゥーサ……――

 形のない場所を見つめるような目で、最後に女神は唇を動かした。

「おやすみ……なさい……。よい夢を……」

 




 


AiEnのマテリアルⅡ

ステンノ(AiEn)
 ――AiEnのキャスター?

筋力(E),耐久(E),敏捷(C),魔力(EX),幸運(EX),宝具(?)
女神の神核(EX),復讐者(E-),忘却補正(E-),自己回復(魔力)(C)

セーラーセレーネ(A)
 詳細不明。ハロウィンの霊基によるものか、美少女戦士チックなセーラー服を着ている。月とか髪型とか不死身(長寿)とかギリシャ神話とか石化とか洗脳とか降霊術とか聖杯とか、あの月の戦士と重なる要素が多いとか多くないとか……。

パープルセレーネスティック(B)
 詳細不明。ひ弱な女神でも持てるのでたぶんマジでカルいスティック、略してマジカルスティック。ちなみに、「虹色(レインボー・) ∞月心激(フレンドムーン・ハートエイク)」は宝具ではなくスキル(きせき)が齎した(きせき)とかなんとか……。

トリック・オア・ブラッド(EX)
 詳細不明。恐らく“吸血”・“魅惑の美声”・“女神の気まぐれ”などのスキルがハロウィンの霊基によって変質したもの。洗脳も吸血もしてて、全然「オア」じゃないのはご愛嬌。


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第14節 招き蕩う独擅劇場

 

「木村さん! もう少しで交戦地点に到着です!」

「はぁっ、はぁっ、はい!」

 ステンノが消滅した後――。

 直輝は急いでコンビニに行き、すぐ近くの公園に何人もの男性が倒れていると伝え通報をお願いし、自分は様子を見るため公園に戻ると告げて退店。公園で男たちの応急手当をしていたマシュと合流し、ブーディカたちを探すためその場を後にした。

「もうすぐですが、大丈夫ですか?」

「はぁっ、はい! はぁっ、はぁっ……。」

 息を切らせて走る直輝を心配したマシュだったが、目的地の方から聞こえてくる男の絶叫が大きくなり前を向く。

「木村さん! そこの(かど)を曲がればすぐです! 急ぎましょう!」

 

     *

 

「ネロぉー!」

 ズボっと鳩尾(みぞおち)付近から槍が抜かれ、ネロはそのまま地面に倒れた。

「ネロぉー! ネロぉー! 大丈夫だよなぁ!? 大丈夫だよなぁ!!?」

「……」

 地に伏したまま、ネロは動かない。

「まだ消えない、か。しぶといな……」

 そう言ってブーディカが槍を突き立てようと、くるりと操って持ち替えた時、ネロの身体がピクリと動いた。

「……待て、ブーディカよ」

「!?」

 地面に伏したまま弱々しく上がる手に、ブーディカは驚くもすぐに槍を打ち出す。

「! 待て待て待て! 待てと言っただろう、貴様。この状況で待てと言う余にとどめを刺そうとするとは、貴様は悪魔か!?」

 素早い寝返りで天を仰いだネロはそう言うと、よろよろと立ち上がった。

「……狂化が、()けた?」

「うむ。そもそも()はバーサーカーではないからな。あれは令呪を使われての不本意な配役であったが、どうだ? あれはあれで名演だったであろう?」

「……令呪って、そんなこと」

「余はなんでもできる万能の天才職業家(タレント)である故、セイバーもバーサーカーもなんでもありなのだ――」

 

 ――“皇帝特権”。

 それはサーヴァントとして現界した彼女の保有スキルであり、今回バーサーカーとして現界したわけではない彼女が、本来バーサーカーのクラススキルであるはずの“狂化”を獲得することのできた要因である。

 これは本来持ちえないスキルであっても短期間だけ獲得できるというチートスキルであり、ランクA以上ともなれば神性のような肉体面のスキルさえも獲得できる。

 今回は令呪により強制的に狂化させられていたネロだったが、暴君と呼ばれていた彼女には元々適性があった可能性もあり、なんだかんだノリノリな面も多少はあったため、令呪の効力は命令の強制のみならずスキルのブーストにまで及んでいた。

 

「――とはいえ。流石の余も、もはや立っているだけでやっとだ。ガッツ系のスキルがなければ、こうして立ってはおれんかっただろう。狂化が解けたのも、一度死にかけたが故のことだ。

 このローマ帝国第五代皇帝、ネロ・クラウディウスをここまで追い込むとは。ブーディカよ。貴様の攻撃、なかなかのものであったぞ」

「……それはどうも。じゃあ、あんたも認めたこの槍で死んで貰おうか」

「待て待て待て! この流れでどうしてそうなる! 本当に悪魔なのか貴様は!? もう余は戦う気はないのだ。最後にマスターと、少しくらい話をさせてくれ」

「……」

「うむ。沈黙ということは肯定だな? 褒めてつかわす!」

「はっ?」

 マイペースなネロの眼中にはもうブーディカはおらず、それはさながら舞台の場面転換のようで、彼女の意識の上には自分と硬直している自分のマスターただ二人しかいなかった。彼に向けられたネロの目も、今しがたまでと打って変わって鋭いものに変わっている。

 ネロの自称名演は、いよいよ大詰め――。

「余を相手に随分と好き勝手してくれたなぁ、マスターよ」

「!? ネっ、ネロ……。ごめん。ごめんなさいっ……!」

 怯えた男が後ずさる。

 ネロは弱々しくも確かな足取りで、一歩一歩前進し、足元の剣を拾い上げた。

「ひぃっ!」

「ネロ、あんた!」

「まあ待て、ブーディカ。――なあ、マスターよ。貴様のお陰でなんと頭が痛かったことか。今もまだ頭痛が抜けておらぬぞ」

「ごっ、ごめんなさい。薬っ。薬っ」

「いらんわ! 水もないのにどうやって飲めというのだ」

「ごめんなさいっ……!」

「……はぁ。覚悟はできているだろうなぁ?」

「ひぃぃ! ごめんなさいぃ!」

「貴様はそれしか言えんのか!」

「ひいっ!」

 剣がアスファルトを激しく叩く音に男は悲鳴を上げ、地面にへなへなとへたり込んだ。その頬からは涙がしたたり落ちる。

「……許してくれ、ネロ。うぅぁ。僕は、僕はネロが、ネロが、あぁあぁあぁ! ネロが好きだったんだぁ! あぁー! うぅ、うぅ……。だから、だから、うぅぁぁ。怖かったんだ。ネロが、ネロが僕なんか、うぅ、嫌いだって、うっ……。僕なんか、僕なんか、あぁぁー! 僕なんか、マスダ、ぅうっぐ。マスダーとしで。マスダァどしでぇ! 認めてっ! 認めてえっぐ。認めてくれないとぉ! おぉぉー! 認めてくれないと。だから……。んっ、んぐぅ! あぁぁー……、はぁ……。だから、だから、ごめんなさい。ごめんあさいぃ! 僕は、僕はぁ! あぁー! はぁはぁあぁ……。僕は、君と、ネロと結婚。結婚ん! うっ……、うああぁぁぁ! 結婚したかった、したかったんですぅ! あっ、あぁぁ……。だから、だからぁー! 狂化、狂化させてぇ。させてぇ、勝てばぁ、勝てばぁ、勝てばぁー! あーあぁあぁあぁー! 聖杯に、聖杯に、そしてぇ。あぁ……。そしたらできるって。うぅ……。僕のこと、愛してくれる。うっ、うっ、あぁー……。僕なんか、愛してくれるって。ネロ。ネロ。ネロ。ネロがぁ。ネロがぁあぁ! ネロがぁー! あー! あぁぁぁぁ……」

「……それで終わりか?」

「うぅ、えっぐ。うぅ、ううー! あぁー! ごめっ、んう、ふー……。ごめんなさいぃ! 僕は、僕は、あー! ごめんなさいー! ネロぉぉぉー! あー、はぁはぁあぁー……!」

「……うむ」

 ネロの剣を握る手が動く。その時。

「――そこの(かど)を曲がればすぐです! 急ぎましょう!」

 マシュと直輝がやってきた。

「!」

「マシュ!」

 マシュはすぐに男の前に立ちはだかり、ネロから守るように盾を構えた。直輝も息を切らせながら、力を振り絞り後に続く。

「ブーディカさん! 状況は!?」

「ネロの狂化が――」

「ええい! (きょう)が削がれるわ! どけ! マスターの顔が全く見えんわ!」

「ネロ帝……!? ……、どきません!」

「……うむ。盾で顔がよく見えんが、いい面構えだ。何より余を前にして一歩も引かないその姿勢、褒めてつかわすぞ。だが、そこをどけ。余にはもう、貴様を退ける力も残っておらんのだ」

「……? 状況はよくわかりませんが、ネロ帝が彼を攻撃する可能性がある以上、ここをどくわけにはいきません!」

 マシュは盾の脇からネロをしっかりと見据え、はっきりと言い切った。

「……うむ。――マスター! 余から貴様への、最初で最後の命令だ! 令呪はないが、余の名を(もっ)て命ず。余のもとへ来い!」

「…………ロ……。ネ、ロ……。ネロぉ!」

「っ!?」

 男は叫んだかと思うとマシュの後ろから飛び出した。ネロに向かって、全速力で、おびえながらも、腕を引きちぎれんばかりに振って走った。よたつきながら、涙を唾を宙に飛ばしながら、愛する者の名を叫びながら走った。

「ネロっ! ネロぉー!」

「うむ、よく来た」

「ネロ。ごめん。ごめん。ネロ」

「うむ」

 ネロは満足げに頷くと、剣をしかと両手で握り、その切っ先を向け――。

「っ!」

 自らのノドを突いた。ネロが地面に倒れる。

「ネロ? ネロ? ネロぉ。ネロぉ!」

 男は目の前で首から血を流し倒れているネロを抱き起こし、激しくその名を呼んだ。

「ネロぉ! どうして! どうして!」

「……ぅっ! げほっ! これは、形はどうあれ、余を愛している貴様への罰だ……。

 余は。余は、もう嫌なのだ……。どんなに歪んだ形であろうと、どんなに相いれない立場であろうと、余を愛してくれた者を。余の愛した者を。余のローマを、この手にかけるのは……」

「ネロぉ……」

 

 ――ネロは生前、自身の母アグリッピナをはじめ、師や伴侶、友や召使、多くの者を死に追いやっている。 *1 その理由はどうあれ、暗殺にしろ処刑にしろ自殺にしろ、その原因の中心に彼女はいた。

 自分を愛した者を、自分が愛した者を、自分を育んだ者を、自分と共にあった者を、ネロは何人も失っている。失う原因を作っている。ネロは多くの命を奪っている。

 陰謀渦巻く古代ローマ帝国の政治中枢にいて、死と無縁でいられるはずもない。皇帝が誰かの命を奪うことは、今の世よりもずっと仕方のないことだったのかもしれない。

 しかし、彼女はそれをどう感じていたのか。今、どう感じているのか。その答えは神のみぞ。いや、ネロのみぞ知る――。

 

「ふっ……。涙にまみれて酷い顔だが……。思ったほど、悪くもないではないか……」

 弱々しくのびるネロの手が、男の頬に微かに触れようとする。

「ネロ、ネロ。ごめん、ごめん、ごめん、ネロ……」

「これに懲りたら……、もう。歪んだ愛で、誰かを苦しめるでないぞ?」

「うん、うん。ごめん。ごめん、ごめん、ネロ。だから、だからぁ……!」

「うむ……」

 ネロは最後に血を吐くと、すーっと夜闇に溶けるように消えた。

「ネロ…………。うっ、うぅっ……、うわぁぁぁぁぁぁー! ネロぉー! あぁー! ああー! ネロぉー! ネロぉー!!!」

 男の声が、まだ暗い新宿の夜空にこだました。




 

*1:ネロの母アグリッピナは現実世界の史実においても権勢欲の強い女として悪評が高いが、Fate世界ではネロに頭痛を起こす毒と解毒薬を与えることで支配までしており、歪んだものも含め我が子への愛情は一切ないようである。
 また、ネロの師セネカは現実世界の史実において、ネロの暗殺を企てた者として名前が挙がったことでネロ本人から自殺を命じられたとされているが、Fateの世界ではネロとのすれ違いに思い悩み自殺したようである。
 以上のことから、現実世界の史実においてはネロに殺されたとされる弟や二人の妻とその間の実子をはじめとする多くの者たちも、Fate世界では直接的に死に追いやっていない可能性がある。
 ならばこそ、間接的に死に追いやってしまったことをネロが強く悔いている可能性もまたありそうだが、その答えは神のみぞ。いや、ネロのみぞ知る――。


AiEnのマテリアルⅢ

ネロ(AiEn)
 ――AiEnのバーサーカー? 否。AiEnのセイバー? 

筋力(D),耐久(D),敏捷(A),魔力(B),幸運(A),宝具(?)
復讐者(D),忘却補正(E),自己回復(魔力)(C)


皇帝特権(EX)
 本来持ちえないスキルでも本人が主張すれば短期間獲得できるというチート能力らしい。今回は令呪のブーストを受けたこのスキルにより、長時間“狂化”していた。EXともなれば、“気配遮断”や“単独行動”などのスキルを次々と都合よく獲得可能だろうか?

頭痛持ち(B)
 生前の出自から受け継いだ呪いらしく、精神系スキルの成功率が低下するが、芸術の才能を十全に発揮できないらしい。“狂化”と合わさってすごく痛そうだった。

三度、落陽を迎えても(A)
 インウィクトゥス・スピリートゥス。彼女が自決した際の逸話がスキルと化したものらしい。『決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能』な“戦闘続行”に近いスキルだという。FGOでは、ターン制限があるものの、HPが0になっても三回までは即時復活できる状態になるという強力なスキル。


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第15節 得手勝手な親和欲求

 

「……。」

「……」

 直輝とマシュは、まだ暗く人気(ひとけ)のない道を静かに北上していた。

 取り替えたばかりの真っ白な不織布マスクでも、直輝の疲れた表情は隠しきれない。

 

 ネロが消えた後――。

「ランサー、行くぞ……」

「ちょっと、マスター! ――ごめんね。マスター、ああ見えて結構こたえてるんだと思うの。後で必ず連絡させるから。……マシュ、お疲れ様。よく頑張ったね。それじゃあ、またね」

 と言い残して、二人は立ち去ってしまった。

 直輝たちも、放心状態で地べたに座り込んでいたネロのマスターを残し、すぐにその場を後にした。

 午前中に病院へ行く予定があったから、だけではない。

 直輝は天然パーマに黒ずくめの服装という特徴的な格好をしているにもかかわらず、コンビニで通報をお願いした後、姿をくらませている。そして、公園にあれだけの負傷した男性が倒れていたとなれば、直輝が重要参考人として捜索されていることは想像に難くない。故に、出来る限り早くあの付近を離れたかったのである。

 

「木村さん。あの……」

「なんですか。」

 そう言って優しい視線を向ける直輝とは対照的に、マシュの顔は陰っていた。

 夜道が暗いからではない。月明りでも街灯でも消せない陰の重さに立ち向かって、マシュは胸のもやをたずねた。

「なぜ、木村さんには、セーラーセレーネの魅了が効かなかったのでしょうか?」

 マシュのその疑問は、もっともだった。

 直輝はマシュにも達也たちにも、自分のUMDを『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思うという風に説明していた。

 しかし、セーラーセレーネあらためステンノの魅了は、『物理的な刺激』というにはどうしたって無理がある。それだけではどう考えても、説明がつかないのである。

「……ごめんなさい。実は俺のUMDは、マシュさんに説明したものだけではないんです。」

「それでは、セーラーセレーネの魅了が効かなかったのは、木村さんの他のUMDによるものだったということですか?」

「はい。まあ、正確には全く効かなかったわけじゃないんですが……。俺には、最初に説明したUMDの他に、あと二つ、UMDがあります。」

「あと二つ……」

「はい。一つは、“勝手気儘(かってきまま)自己貫決(じこかんけつ)”。セーラーセレーネさんの魅了で操られなかったのは、このUMDの影響です。」

 

 ――“勝手気儘な自己貫結”。

 このUMDの影響で、直輝は『ヒトの行動や精神などに干渉するUMD、異能力、魔術などによって自身の意思に反して操られない』。

 だから直輝はあの時、ステンノの魅了を受けても洗脳されて言いなりになることはなかったのである。それでも、直輝の意思に反しない範囲内で魅了を受けていたため、ステンノに微笑みかけられる(たび)に不思議なくらい魅力を感じてしまっていたのだ。

 ただ、このUMDによって操られない範囲の定義は非常に曖昧で不安定である。

 例えば、ある男性がある女性から一夜の関係を迫られたとして、それに応じるかどうかは、彼の元々の性格や考え方による部分が大きいだろうが、その時の心理状態や体調、状況など無数の条件にもまた大きく左右されることだろう。

 同じ人間でも、同じ事柄に対していつも必ず同じ意思決定を行うとは限らないはずだ。

 “勝手気儘な自己完結”は、もっと言うならばUMDは、例えばそういったものなのである。

 

「……」

「もう一つは、“得手勝手(えてかって)親和依求(しんわよっきゅう)”。」

 

 ――“得手勝手な親和依求”。

 このUMDの影響で、直輝は『自分が好意をもっている人物などのUMD、異能力、魔術などを見慣れることで、自己流に改変して模倣することができる場合がある』。

 このUMDは、家族や友人など身近な人物のクセが無意識の内にうつる現象に似ている。

 この現象は、好意を持っている人物の見慣れたクセであるほど起こりやすいというのは知られているが、その条件は明確でないし、好意的な人物の見慣れているクセならば必ずうつるというわけでもなく、うつったクセが永久に失われないとういわけでもない。

 “得手勝手な親和依求”もこれと同じで、好意の度合いやどれほど見慣れているかという基準は曖昧で一定ではなく、直輝自身にもわからない。その上、そもそも必ず模倣できるようになるという保証もなければ、一度模倣できればずっと模倣できるという保証もない。

 ただ、少なくとも現代の科学ではありえない事象、つまりUMDや魔術などしか模倣することができず、普通の人間の純粋な技術や身体能力などは模倣できないことはほぼ確実である。また、感覚的に見慣れることのできない複雑な能力や体質のようなものもまず模倣できないし、複雑な準備や特別な道具などを要するものもまず模倣することはできない。

 基本的に、炎を放出する、腕力を強化する、魔力をまとって殴る、というような単純な技や要素しか模倣することができないのである。

 

「――これで、全部です。

 もちろん、今お話しした通り、自分でもちゃんとわかってるわけではないので……。全て正確には、説明できてないかもしれませんが……。それでも、俺のわかってる範囲ではもう、……全部のUMDについてお話ししました。

 少なくとも、実はまだ言ってなかったUMDがあって、なんてこれからも何個も出てくるとか、そういうことはないので。それは、安心して下さい。」

「……わかりました」

 マシュは直輝の説明を全て理解できた。特に疑いもしなかった。

 でも、それでもまだ、腑に落ちない部分があった。納得し切れない部分があった。どうしても拭えないものが、マシュの中で微かなれど確かに存在感を放っていた。

「ごめんなさい。」

「……。なぜ、謝るのですか?」

「嘘は、ついてませんでした。それに、言う機会がなかったから言わなかった、とか。あまり一気に全部話しても、混乱させてしまうかもしれない、とか。言い訳もいくらでもあります。でも、だからこそ。それを言い訳にして、手の内を全て晒したくなくて、不誠実でした。ごめんなさい。」

「……謝らないでください。木村さんは何も悪くありません。出会ったばかりのわたしを助けてくださって、今もこうして協力してくださっています。それだけで、わたしは本当に感謝しているんです。それぐらいの隠し事は、あって当然です」

 

 マシュは本心からそう言っていた。でも、それだけが本心ではなかった。

 理由はどうあれ大事なことを隠されていたということに、直輝への淡い不信感のようなもやもやを。そして、自分が思っていたほど信用されていなかったんだということにショックを受けていた。

 それに何より、隠されていた二つのUMDについて詳細に聞かされたことで、元からあった疑問が浮き彫りになった。

 『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思うという風に説明されていた、一つ目のUMD。それが、正確にはどのようなUMDであるのか……。

 しかし、あんな風に直輝に謝られては、それを表に出すことなどできなかった。不意に負の思いが口をついてしまうよりも早く、疑問を言葉にして口から出すよりも前に、直輝をフォローしなくてはという意識が口を動かした。

 

 そして、それは直輝にとっても想定内だった。謝罪自体は本心からのものだったが、それだけではなく、こんな風に素直に謝罪をすれば、恐らくマシュは自分を責められないだろうとわかっていたのだ。そして、これ以上は深く追求してこないことも予想通りだった。

 もちろん、これからも協力関係を維持するのなら、ここで衝突しない方がいいだろうという言い訳はあった。しかし、だからこそ。そんな言い訳を後ろ盾にマシュの気持ちを抑え込ませ、保身に走る自分が、直輝は生理的に受け入れられなかった。誰がどう思おうと俺は俺を許さないと、直輝は確固たる意志をもって自分を嫌悪した。

 

「……そうだ、木村さん。わたしが木村さんに()()()()()()()()()()、木村さんはわたしのことも模倣できるのでしょうか?」

「うーん……。そう、ですねぇ……。マシュしゃんの能力は、難しい気がします。特別技っぽいものもないですし、戦い方も普通に武器で攻撃するだけなので。あっ、だけって言い方はあれですけど。得手勝手で模倣するには、難しいんじゃないかなと思います……。」

「そうですか……。宝具(ほうぐ)だったらどうでしょう?」

 

 ――宝具。それは、サーヴァントの切り札。

 別名、貴い幻想(ノウブル・ファンタズム)。人間の幻想を骨子に作り上げられたサーヴァントの武装であり、英霊の信仰を象徴する概念である。

 全てのサーヴァントはこれを伴って現界するが、その種類は千差万別。剣や盾と言った直接的な武装である場合が多いが、能力や技術のような形のない宝具も少なくはない。中には現界してから現地の材料で作成しなければならないものや、自分自身が宝具であるといった稀有なものさえ存在する。

 ほぼ全ての宝具は、その名を口にする真名解放(しんめいかいほう)によってその真価を発揮し、絶大な効力を発揮する。反面、そのほとんどは魔力消費が著しく、連発は難しい。状況を見誤って使用すれば、自身の消滅さえ招きかねない、正に切り札である。

 

 現在のマシュ・キリエライトの宝具は、“いまは脆き夢想の■(モールド・■■■■■■)”。

 かつてマシュの内にあった“いまは遥か理想の(それ)”を、現在のマシュの力だけで疑似的に再現したその宝具は、今も確かな盾となって大切なものを守る。彼女の切り札は、守るための宝具である。

 

「あれも、難しいんじゃないかなと思います。何度も見れば、手の平で、かなり劣化した状態でなら模倣できるかもしれませんけど。今のマシュさんに何度も見せて貰うこと自体、現実的じゃないですし……。

 そもそも、ああいうのとは俺、相性よくないんですよね。たぶん。攻撃とかだったら直接俺がくらって、より体感できますけど。ああいうのは、そういうわけにもいきませんし……。ああでも、逆に俺が殴ったりすればいいのか。

 ……とはいえ、って感じですね。」

「そうですか……」

 二人の間に沈黙が流れる。

「そうだ!」

「?」

「技を考える、っていうのはどうですか?」

「技、ですか?」

 きょとんとするマシュの前で、マスク越しでもわかるくらい無邪気な笑みを浮かべて直輝は答える。

「はい。俺は現状、あの怪しい男の人に貰った機械を使って、何回もゴーレムを攻撃してやっと倒せたくらいの攻撃力しかないじゃないですか。セーラーセレーネさんにも、魔力が足りてなかったはずなのに、ほとんどダメージは与えられなかったし。

 だから、神秘をまとった攻撃ってだけで、今の俺には充分意味があると思うんです。だから、イメージしやすいように何か技を考えて。技自体は、盾で突撃するだけとか、単純なものでいいというか、むしろそっちの方がいいと思うんですけど。

 それで、神秘をまとった技を模倣できれば、もう少し役に立てるんじゃないかな、って思ったんですけど……。どうですか?」

「……確かに、それはいい考えかもしれませんね」

「ほんとですか?!」

「はい」

「よかったです。」

 直輝は嬉しそうに目を細めた。

「――じゃあ、さっそく考えましょうか。実はもう一個、技名考えてあるんですよ。」

「流石、木村さん。どんな技名ですか?」

「……シールド・アタック。」

「……」

「後、もう一個あります。マシュ・アタック。」

「……」

 マシュはそれが、先ほどから二人の間に漂っていた暗い空気を吹き飛ばすための、優しい冗談であることを心から願った。




 


AiEnのマテリアルメモ

UMD
 少なくとも現代の科学ではありえない事象を引き起こすあるものの総称。

自分勝手な自己〓〓
 読み、じぶんかってなじこ〓〓〓。英名、selfish self-〓〓 (SSH)。
 直輝いわく、『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思う。

勝手気儘な自己貫決
 読み、かってきままなじこかんけつ。英名、abandoned self-determination (ASD)。
 ヒトの行動や精神などに干渉するUMD、異能力、魔術などによって自身の意思に反して操られない。

得手勝手な親和欲求
 読み、えてかってなしんわよっきゅう。英名、egoistic affinity-mirroring (EAM)。
 自分が好意をもっている人物などのUMD、異能力、魔術などを見慣れることで、自己流に改変して模倣することができる場合がある。
 


【修正一覧】

2021.09.06. 「マシュ・アッタク」→「マシュ・アタック」
2021.09.07. マシュのセリフ「私」→「わたし」


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第16節 【ハンティングクエスト】#1 ジモトがジャンプ【■■■■■■】

 

 順不同にて、あとにも続く。

 Scott David Aniolowski様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

 都内某所、ある日の日没後。

 

 立ち入り禁止を示すビニールテープによって封鎖された喫煙所の前で、一人の男性が懐から加熱式たばこ *1 を取り出した。

 新型コロナウイルス感染症が流行し、多くの喫煙所が封鎖されている。マスクを外した状態で密集することが予想されるため、感染リスクが高まる可能性があるからだろう。そこもそんな喫煙所の一つだった。

 しかし、男性は封鎖された喫煙所の入り口でたばこを吸おうとしている。今そこにいたのは彼だけだったが、封鎖された喫煙所の前でたばこを吸う喫煙者は少なくなかった。近場で他に吸う所がないのだ。是非はともかく、そうなることは必然と言えた。

 ――「しょうがない」は喫煙者でなくとも盛んに口にする()()()品だろう。よくもわるくも。

「……は?」

 男性が思わず声をもらした。

 まだ電池残量に余裕があったはずなのに、加熱式タバコの機器の電源がつかないのだ。

 その加熱式たばこは、充電式の機器本体にたばこのスティックをさして加熱し、火を使わずにたばこを吸うというものだった。つまり、機器の電池残量が足りなければ、機器本体があろうがたばこのスティックがあろうが吸うことができない。

「はぁー……」

 男性は深いため息をついた。

 そして、しょうがないので近くのコンビニで紙巻たばことライターを買おうと思った矢先、目の前に差し出された手にぎょっとする。

 それは、やけに血色が悪くみすぼらしい西洋人風の男の手だった。

「……」

 ホームレスのような風体(ふうてい)のその男は、無言でたばこを差し出している。

「あ、ありがとうございます。でも、ライター持ってないんで」

「……」

 表情のない男は日本語が話せないのか、またも無言で、今度は懐からジッポを取り出した。シルバーのそれは、男の身なりに似つかわしくない高そうなものだった。

「……じゃ、じゃあ。ありがとうございます」

 男性はしょうがないので遠慮がちにたばこを受け取った。

 確かにたばこが吸えなくてイライラしていたし、普段と違うものでも吸いたいという気持ちはあった。しかし、それでもいつもの彼だったら適当に断っていたはずだった。だというのに、その時の彼はなぜだかどうしてそれを受け取ってしまった。

 男性がぎこちなくそれを口にくわえると、ジッポを受け取ろうとするよりも早く、男が自然な流れで火をつけてくれた。

「……ふっ、ケホッ! ケホッ!」

 それは硫黄のような臭いのする、異様な味のたばこだった。

 男性はそれを、もう一口も吸いたくなかったが、貰ってしまった手前すぐに捨てるわけにもいかず、指の間で煙を吐き続けるたばこを見つめて後悔にさいなまれる。しょうがない――。

「微笑むことを俺に思い出させてくれ」

「……?」

 突然の声にぎょっとして、男性は隣の男を見た。

「泣きなさい、と時計が言ったんだ」

 男はそう言うと、不気味な足取りで街灯立ち並ぶ道の彼方に去っていった。

「……」

 男性は不味いたばこから解放されたというのに、しばらくその場から離れられなかった。

 

     *

 

 都内某所。

 

 すっかり日の暮れた住宅街を、若い女性が足早に歩いていく。

 高校生くらいだろうか。それともとっくに成人を迎えているだろうか。はっきりしているのは、マスクが隠すのは口元だけではないということくらいだろうか。

 年齢不詳の女性が公園に入っていく。都心の住宅地によく見られるくらいの決して広くはないその公園は、彼女がよく通る近道だった。

 白い包帯が街灯の光を浴びる。女性は右手を包帯で(おお)っていった。

「おい、お前!」

 突然、ドスの利いた男の声がした。

 女性は思わず飛び上がりそうなくらいびっくりしたが、「私は関係ない、私は関係ない」と念じながら、声の主を刺激しないよう(わず)かに足を早めた。

「お前だよお前ェ!」

「ぃやっ!」

 後ろから肩をがしっと掴まれ振り返らせられ、女性は小さく悲鳴を上げた。

「やっぱりだ。その顔、忘れもしねぇ……。やっと見つけたぞ、ゴブリン女ァ!」

「はっ? ゴブリ……? いや、人違いです。すいませきゃっ!」

 突然、突き飛ばされた女性の背後に、霊体化していたサーヴァントが姿を現す。

 白い顔、細い腕、茶色いぼろきれをまとった骸骨のエネミー“スケルトン”。

「……」

 スケルトンはあたかも女性を支えるために出て来たかのようなタイミングで姿を現したが、勢いよく倒れる女性の体重を全く支えられず、ものの見事にその下敷きとなる。硬い骨の体では、クッションにもならない。

「いったぁ……。てかごめん! 大丈夫? てかなんで出てきたの?」

「……」

「あっ、いや。ありがとう。私を支えようとしてくれたんだよね? ごめんね重くて。私が悪いね。うん、全部私が悪いよ」

「……」

 スケルトンはうんともすんとも言わず、空っぽの眼孔(がんこう)を女性に向けている。

「おい、お前!」

「わっ! やばっ……。あの、すいません。ほんとに何も知らないんです。ほんとに何も」

「そんなわけあるかァ! 忘れるわけがねぇ。間違えるはずもねぇ。お前は俺の、俺の親の、俺の兄妹の(かたき)ィ! ゴ武辻無惨(ごぶつじむざん)! お前は俺がここで殺ォす!」

「……」

 女性はきょとんとして、目の前の男を見つめた。

「何を(ほう)けてやがる! 構えろォ! ゴブリンを出せェ!」

「……いや、すいません。マジでわかんないんですけど。ゴ武辻、無惨……? えっとぉ……、あの。もしかしてお兄さん、『鬼滅(きめつ)(やいば)*2 の大ファンの方とかですかね? あー、これってひょっとして鬼滅ごっこ。いやー、すいませんお兄さん。いくつになっても童心を忘れないのは素敵だと思いますけど、私はもう、ちょっとそういう遊びは卒ぎょ」

「遊びじゃねェ!」

 男はそう言うと、懐から手拭いのような物を取り出し、右手に巻いた。そして、その右腕を引いたかと思うと、そのままの姿勢で走り出した。

「布の呼吸――!」

 男が叫びながら女性へと向かって来る。

「えっ? えっ? 待って」

 うろたえる女性の前に突如、緑色の人型エネミー、ゴブリンが出現した。

 そういうシステムのゲームキャラクターのように、ゴブリンは現実世界の公園というフィールドに突如その姿を現したのだ。

 だが男は構わず突き進み、丸めた右手を前に突き出し、その勢いを乗せて技を繰り出す。それは(いわ)く、布の呼吸――。

「――デコピン!」

 布を巻いた手から繰り出された男のデコピンが、ゴブリンのおでこを勢いよく打つ。

「わっ!」

 女性の目の前でゴブリンがのけ反る。

「……いや、デコピンってなんだよ! 布、関係ないじゃん! てか、呼吸って完全に鬼滅のパクリだし!」

「パクリじゃねぇ、リスペクトだ。なんだお前? お前、俺の家族を殺しただけじゃなくて、鬼滅の刃のアンチか? ァア?」

「いや、アンチではないですけど……。まあでも、面白かったとは思うけど、私的にはすごい好き、ってほどではなかったんですよねぇ……。例えば同時期にアニメ化されたジャンプ漫画だったら、『ジモトがジャパン』*3 の方が私は好きだったかなぁって……」

 言ってから、はっとなった彼女だったが、しかしもう遅かった。

「……お前。お前、今。鬼滅の刃を愚弄したな?」

「いや、すいません。そういうわけじゃ。いや、確かに今の流れで今の発言は無神経だったとは思うけど、全然そういうんじゃないです! あの、私も毎週読んでたし。めっちゃ読んでたし! 最終戦別の話とか今だに覚えてますもん! 私、錆兎(さびと)けっこう好きですよ! 後、あの年号変わ」

「もう遅い。お前はたった今、全鬼滅の刃ファンを敵に回した」

「いやいやいや、いったん落ち着きましょう? 主語がデカいのはよくないですって。すいません。ほんとにすいません。全部私が悪かったから。だからまずはいったん落ち着きましょう?」

「落ち着いてられるかァ! 布の呼吸、デコピンン!!」

 男の怒りのデコピンが、ゴブリンの頭を再度打つ。するとゴブリンは、怪しい霧のようになって消えてしまった。

「やばっ!」

 女性があわてて男から離れる。

「ねえ、スケルトン! 新しいゴブリン出せない?!」

「……」

「へんじがない。ただの、しかばねのようだ。……ってやってる場合か!」

 女性のセルフツッコみと時をほぼ同じくして、その背後に三体のゴブリンが出現した。

「ゴブリン共め……。一匹残らず殺し尽くしてやる。布の呼吸――!」

 男はそう言うと、手に巻いた布をほどき宙にはためかせ、技を繰り出す。

「デコピン! デコピン! デコピンン!!」

 ――炸裂するデコピン!

「いや、結局デコピンかよぉ! 今のタメなんだったの!?」

 女性がツッコむが、男は何の返事もしない。なぜなら三体のゴブリンから反撃を受け、それどころではなかったからだ。三本の斧が男を打ちのめす。

「うあぁー! ……くそっ。こんなところで、倒れてられるかァ! 布の呼吸、デコピン! 布の呼吸、デコピン! 布の呼吸、デコピンン!!」

 男のデコピンがゴブリントリオの顎を、腹を、デコを打つ。打たれたゴブリンたちは消えてゆく。

「はぁっ、はぁっ……。()()がジャパンン? そんなふざけた漫画もアニメも、聞いたこともねぇ。そんな漫画のファンに、この俺が……。鬼滅の刃ファンが負けてたまるかァ!」

「はあ? 『ジモトがジャパン』めっちゃ面白いからね? 一回読んでみ? ジャンプ+*4 とかで一話試し読み出来るはずだから。――って今はそんな話してる場合じゃない! スケルトン! もっとたくさんエネミー出せない?!」

「……」

 ――へんじがない。ただの、しかばねのようだ。

「ああ、もう。ずっとこんな調子じゃん……。電子聖杯って何!? 聖杯戦争の参加者に選ばれましたって、何すればいいの!? もぉぉぉ……」

「俺を無視して一人言とはいい度胸だなぁ‥‥。布の呼吸――!」

「ああ、もぉぉ! なんだ、布の呼吸デコピンって! せめてシリアスなのかギャグなのかはっきりしてぇ!」

 彼女の叫びが通じたのか(いな)か、男の前にまたしても一体のゴブリンが現れた。

「――デコピンン!!」

 強烈なデコピンがまたもゴブリンを襲う。

 しかし、今度のゴブリンは、男のデコピンを受けてものけ反らなかった。

「布の呼吸、デコピン! デコピン! デコピンン!! ……はぁっ、はぁっ、なんでだよ。さっきまでは、二発で死んだのに……」

「……」

 そのゴブリンは、先ほどまでのゴブリンとは一味違っていた。

 まるで、倒して先に進むほど出てくる敵が強くなる、一般的なRPGゲームのように、そのゴブリンは今までのゴブリンよりも強くなって出現したのである。

「……」

 ゴブリンが、金棒を思わせるトゲトゲしたデザインの剣を振り上げ、男に襲いかかる。

「うあぁー! ……くそっ。くそぉ! 布の呼吸、デコピン! デコピンン!! ……はぁっ、はぁっ……。なんで、なんで死なない? こんなザコなんかに……、マイナー漫画ファンのくせに……。鬼滅の刃ファンとして、他の漫画のファンにはただの一度も負けるわけにはいかないんだァ!」

「ちょっと、さっきから! そんな漫画とかマイナー漫画のくせにとか、いい加減怒るよ?」

 女性はそう言うとハンドバックから手早くアイライナーを取り出し、男の前に立ちはだかるゴブリンの胸にヘタクソな日本地図を描いた。

「なっ、何をしてる……」

「私もわからんわ! ノリだ、ノリ!」

 彼女はそう言うと、ゴブリンの後ろに下がって語り始める。

「ジャンプ出身の大天才、(はやし)聖二(せいじ)先生に捧ぐ……」

「……?」

「都道府(けん)奥義ッッ」

 彼女の言葉を背に受けながら、ゴブリンが剣を振り上げた。

「――人の好きな漫画(じもと)をッ 笑うなァァァ――――ッ!!!」

 ――ゴブリンの通常攻撃!

「うああー!」

 剣による普通の攻撃を受けて、男が叫び声を上げ倒れた。

 天を仰ぐ男の目に、涙がにじみだす。

「……くそぉっ。鬼滅の刃が……、鬼滅の刃が……、負けたって言うのかよぉ……。チクショウ!」

「あのねえ」

「……?」

「別に私がお兄さんに勝っただけで、それでどっちの好きな漫画の方が勝ったとか良いとか、そんなの決まるわけないでしょ? ファンの人間性と漫画の良し悪しは関係ないし。その、ファン代表みたいな主語のデカさ、マジでよくないと思うよ? てか、勝ったのはゴブリンだし。

 そもそも、売り上げとか知名度とか、そういうのはどうしても差が出ちゃうけど。でも、漫画って、そんな単純なものじゃないでしょ? それぞれに良さがあって、好みだって人それぞれだし……。

 まあ、あんなタイミングであんな言い方しちゃった私も私だけどさ。私もごめん、ってことで。漫画好き同士、わかりあえないかな?」

 そう言って差し伸べられた手を、男は払いのける。

「ふざけるな! 俺の家族を殺したお前が、偉そうに説教なんかたれるんじゃない!」

「えっ、その設定まだ生きてたの? えっ、それってほんとの話? だったら設定とか言ってほんとにごめんなんだけど……。いや、とにかく、私はほんとにそれは何も知らないんだって」

「設定だと!? 設てっ! ……設定? 設定……」

 男はそう言いながら力なく立ち上がったかと思うと、よろよろと後ずさる。

「俺の、家族は……ゴブリンに……殺されて……。妹が……、妹が……、俺に……妹? 誰だ? この子は、誰だ? 俺の……妹? 俺に……妹? 俺に、妹なんか……。俺は……俺は……」

 よろよろと、よろよろと、後ずさり、そして突然、男が爆発した。

「きゃっ!」

 爆音、爆風、爆発の熱を浴びて思わず目を閉じた女性が再び目をあけると、そこにはもう、男はいなかった。

「嘘……」

 嘘のような静けさばかり残して――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

 順不同にて、まえから続く。

 『鬼滅の刃』と吾峠呼世晴様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 『ジモトがジャパン』と林聖二様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1434804747123322883

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1434804957711011841

*1
加熱式たばこ:火を使わずに加熱するたばこ。煙や灰、火災のリスクを減らす効果などを見込んで開発され、2016年ごろから紙巻たばこと並ぶほどに普及している。

*2
『鬼滅の刃』:吾峠呼世晴による漫画。鬼に家族を殺された心優しい少年が、鬼になってしまった妹を連れ、鬼狩りとなって戦う物語。2020年頃には社会現象と言われるほどヒットした。

*3
『ジモトがジャパン』:林聖二による漫画。山形から東京へと転校してきた安孫子時生の前に現れた、自称"都道府拳マスター"の日ノ本ジャパンを中心に巻き起こるご当地ギャグ。2019年春に異例の早さでアニメ化を遂げている。

*4
ジャンプ+:株式会社集英社によるスマートフォン・タブレット向け漫画配信アプリ、並びにそのWeb版。『週刊少年ジャンプ』をはじめとした集英社の漫画の電子書籍を購入・閲覧できるほか、期間限定で閲覧無料の連載や試し読み、無期限で閲覧無料の読み切り作品など多数の漫画などを配信している。



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第17節 【ハンティングクエスト】#2 アイアンラッシュ!【■■■敵太郎】

「嘘……」

 嘘のような静けさばかり残して、爆発と共に男は消えてしまった。

 女性はあまりにも突然の出来事に、ただ呆然と立ち尽くす。

 目の前には金棒を思わせる剣を持ったゴブリンが、後ろには弱そうなスケルトンが静かに立っている。

 ガシャン! と突然、音がした。

「ぃやあっ!」

 短い悲鳴を上げ、女性が音のした方を、後ろを振り返る。すると、スケルトンが地面に倒れていた。

「大丈夫!? ――?」

 スケルトンに駆け寄った女性は、倒れているスケルトンの側に、何かの種のようなものが落ちているのに気づいて視線をとめる。

「なんだろう、これ……。あっ! もしや、山形(けん)秘技、さくらんぼ種飛ばし!?」

「ちゃうわ!」

 突然の声にびっくりして女性が振り返ると、そこには先ほどとは別の見知らぬ男が立っていた。

「――なんや、山形()秘技、さくらんぼ種飛ばして。そんなふざけた秘技あってたまるか」

 その手にはどこで買ってきたのか、ピコピコハンマーが握られている。

「あ、あの……」

「ああ、ああ、そういうのはええから。あれやろ? 貴方は誰ですか? とか、何でこんなことを? とか聞きたいんやろ? ええ、ええ。そういうメンドイのはゴメンです。自分の胸に手ぇ当てて、よぉ考えてみてください」

 男はそう言うと女性の方へと歩み寄って来て、ゴブリンの前まで来たかと思うと立ち止まり、両手でしっかり握ったピコピコハンマーを後ろに引いて――。

「種の呼吸――」

 スイングした。

「嘔吐打ち」

 ゴブリンの腹に思い切りピコピコハンマーがぶち当たり、ピコッという音がしてゴブリンが尻もちをつく。

「……お前もかぁ!」

「何がや。いきなり叫ばんといてぇ。びっくりするやん」

「はぁ……、また鬼滅パクってそういう感じ? また、呼吸の名前と技名全然関係ないし。てか、なんでピコピコハンマーなんだよぉ!」

「なんでもくそもありません。てかなんや、おばはん。あんた、ゴブリン使って悪さするだけじゃ飽き足らんくて、鬼滅の刃アンチまでしとるん? それはあきまへんわぁ……」

「おばっ……、えっ。私もうそんな歳に見える……? いや、今はそこじゃない。

 いや、全然アンチとかじゃないですよ。もちろん私なんかがファンとか自称するのはおこがましいようなにわかですけど、面白いですよねー『鬼滅の刃』。『鬼滅の刃』って兄弟の話多くないですか? 私どれも好きなんですけど、特にあのー……遊郭で出」

「それはあきまへんわぁ……」

「え?」

「にわかはあきまへんわぁ……。僕はね、鬼滅の刃はアニメ化する前からずーっと好きだったんです。だぁーれも注目してへん頃から、毎週楽しみにしとって、コミックスも全部初版の新品で三冊ずつ揃えてるんです。それが流行り出した途端、なんなん? どいつもこいつも鬼滅鬼滅鬼滅鬼滅、もううんざりなんだがァ!」

「……そうくるかぁ……。いや、気持ちはわからなくもないですけど。いったん、落ち着きましょう。排他的なのはよくないですって。結局、新規ファンが増えなくなって衰退しちゃいますよ、そっちの気持ちに寄っちゃうと。ね。だからちょっと落ち着きましょ」

「うるせぇ! うあぁ!」

 突如、静観していたゴブリンが剣を振るい男を黙らせた。

「よくやったゴブリン! ……いや、よくやったのか? 力で黙らせるんでいいのか? それで本当に――」

「くそォ! いてぇなぁ。皆殺しだァ! 新規鬼滅の刃ファンは皆殺しだァ!!!」

「よーし、ゴブリン、やっていいぞ。あいつはもう手遅れだ。あっ、でも殺しちゃだめだからね!? 死なない程度にぶっ殺せー!」

「……」

 ゴブリンは無言で男に向かっていく。

「種の呼吸! 嘔吐打ちィ!」

 ピコッと音を立て男のハンマーとゴブリンの剣が激しくぶつかる。魔力で強化されているのか、ピコピコハンマーはトゲトゲの剣と打ち合っても傷一つつかない。

「……なんか今回のはデコピンと比べて技っぽいな。待てよ。布……デコピン……、種……嘔吐打ち……、鬼滅……まあいいや。こっちもなんか技が欲しいよね、ゴブリン」

「……」

 ゴブリンは肯定しない。(うなづ)かないし、微笑みもしない。

「よぉし! ゴブリンと言えば。ゴブリンと言えば……? ゴブリン、ゴブリン……」

 もじょもじょと口ごもる女性をよそに、男がさらなる攻撃を繰り出す。

「種の呼吸! 嘔吐打ちィ!」

「必・殺!! アイアン ファイア!!」

「……」

 ――ゴブリンの普通の攻撃が、再び男の攻撃と激しくぶつかり合いピコッと音がする。

「種の呼吸! 嘔吐打ちィ!」

「略してA・F!!」

「……」

「説明しよう。アイアンファイアとは、『鬼滅の刃』と同じ年に連さ――」

「うるせェ! そんな小学生が考えたみてぇな技名、聞いたことあるかァ! 次で終いだァ! 種の呼吸――」

 男は腰を落とし、しっかりピコピコハンマーを持つ手を後ろへ引く。

「――嘔吐打ちィィ!!」

 ピコッ。男の渾身の一撃がゴブリンの一撃とぶつかり合う。打ち合うこと四度目。それは三度目の後の正直か。ゴブリンの剣を弾いた!

「――ィィィ!」

 男のスイングは強烈だった。しっかりと力の乗ったいいスイングだった。だが、しかし!

「うお……」

 その強力な一撃を打ち出した後の男は無防備そのものだった。攻撃に(おの)が力の全てを込めることだけに全集中したため、その後の男はすぐに退くことも、守りに転じることもできなかった。

「おぉ……」

 運が悪かった。相性が悪かった。なぜならゴブリンの攻撃は、今度は通常攻撃でもなければ、一打入魂の一撃必殺でもなかったから。

「ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぁ、ぁっ!」

「いけぇ! ゴブリン! 命尽きるまで続く、その美しき猛攻――」

 ――(いな)! ゴブリンのチャージ攻撃“めった打ち”!

「ああー!」

 男はギザギザの剣にめった打ちにされ、地面に倒れた。

「……くそっ、くそっ。新規なんかに……、にわかなんかに……、この俺がっ……。そんなっ、そんなわけっ……!」

 涙を目に滲ませる男に、ゴブリンの後ろで控えていた女性が踏み出して歩み寄る。

「またそういう……。たしかに、古参のファンがいたから連載が続いて、アニメ化とかもできたっていうのは、きっと一理はあるよね。それはまあ、ありがとう。でもさ。せっかくそうやって話題になって、素敵な作品がより多くの人の目にも止まって、多くの人から愛されてるってさ。素敵なことじゃないかなぁ?

 そりゃあ、みんながみんなしっかり読み込んでるとも限らないし、作品より盛り上がりを楽しんでるっぽい人が目にとまることも少なくないけどさ。でも、そうやって人と人との繋がりとか、そのきっかけになったりして、それぞれの人生にそれぞれの形で作品が寄り添ってるって思ったらなんかさ。それはそれで、エモくない?

 ほら、繋いでいくって『鬼滅の刃』の大きなテーマでもあると思うしさ。……あれ。私今、なんかめっちゃいいこと言ってな」

「言ってねぇよ! ゴブリン使って人殺ししまくってるような女が何言っても、聞く耳なんか持つわけねぇだろ!」

「いや、だからそれは本当にわかんないんだってば。確かにスケルトン、何度か勝手にどっか行っちゃって、スマホの発熱やばかったことあったけど。そんな悪いこと、してるなんて……」

 女性は振り返ってスケルトンを見る。

「……」

 スケルトンはいつの間にか立ち上がっていたが、相変わらず空っぽの眼孔(がんこう)がそこに空いているだけで、なんの表情も読み取れない。

「……ああ、ああ、今度は私は関係ないですパターンですか。いいかげんにせぇよ。アンタがゴブリンの原種にして首領、ゴ武辻無惨(ごぶつじむざん)だってのは、あのお方から聞いてんねん。言い逃れはできへんでぇ」

 そう言いながら、男がふらりと立ち上がる。

「あれ? 関西弁もどった? ってそんなこと言ってる場合じゃない! 誰だあのお方って! ――ゴブリン! 足だ! 足を狙え!」

「んだてめぇ! なんか文句あんのか、ァア! 俺は普段は関西弁じゃねーんだよォ!」

「えっ、どゆこと? 感情的になると標準語出ちゃうタイプ? えっ、そっちのパターンもあるの!?」

「関西べっ……、関西弁?」

 男の動きがピタリと止まった。もちろん、足を負傷したからではない。

「なんで……俺は……関西弁……」

 男がふらふらと後ずさる。

「待って。このパターン、さっきと同じ……。やだ、待って! 落ち着いて? 落ち着こう? 関西弁も標準語も」

「うるせぇ! うるせぇ……。俺は……俺は……」

 よろよろと、よろよろと、後ずさり、そしてまたも、男が爆発した。

「……もう、やだ」

 何事もなかったかのように綺麗さっぱり男の消えた公園に、彼女の弱気がはっきりと残った。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

 順不同にて。

 『アイアンナイト』と屋宜知宏様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 『ラブラッシュ!』と山本亮平様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1435166417888825348

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1435166419319025664



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第18節

「……もう、やだ」

 いきなり絡んできたおかしな男が、二度も目の前で爆発して消えてしまい、女性の心はもはや限界に達しかけていた。

「やはり、幼稚なゴブリン・ハンター程度ではどうにもならないようだなぁ」

「――!?」

 女性が振り返ると、そこには新たな男が立っていた。

「フッ。俺は今までの奴らとは違うぞ。例えばお前が、ゴブリン以外のモンスターも従えていることも知っている」

「……あの。ほんと、なんなんですか? 貴方は何を知ってるんですか? なんで私、襲われてるんですか?」

 男はフッと鼻では笑いながらも、目からは確かな敵意を放って言う。

「この期に及んでまだしらを切り通せると思っているとはな。無駄だ。俺たちは、この世界にモンスターが実在していることを知っている。身をもって、な……」

「モンスターが……実在してる……?」

 信じ難いことを言い出した男は、遠い目をして話始める。

「忘れもしねぇ……。

 当時、俺には彼女がいた。あんなことがなければ、今頃俺たちは、幸せな家庭を築いてたんだ。なのに……、なのに……!

 あの日、俺はついに彼女にプロポーズしたんだ。彼女は言った。プロポーズの途中ですが、ワイバーンです!

 まさかと思ったよ。こんな時に、そんな冗談を言うなんて。俺は少し、少しだけ彼女の感性を疑いかけたよ。でも。いや、だからこそ。まさかと思って、俺は後ろを振り返ったんだ。

 そこには、やっぱりワイバーンなんていなかったよ。なんだよ、こんな時にそんな冗談。なんて言って、俺は彼女を振り返った。

 そしたら。そしたら……! いなかったんだよ。いなかったんだよ、彼女が。ワイバーンどころか、彼女までいなかったんだよ。

 あの日から、俺は彼女に会ってない。電話をかけても番号は存在してないし、ラインもツイッターもインスタグラムも、全然更新してないフェイスブックですらもブロックされてるっぽいし、彼女の家も空き家になってた。職場にかけてもそんな社員はいないの一点張り」

「知るかぁ!」

「――?」

「なんだその表情(かお)は! いや、知るか! それ完全にあんたがふられただけだろ! しかもめっちゃ嫌われてんじゃん! 何したの!? どこでツッコもうと思ったよもぉ! 今までの奴らとは違うってそういうこと!? ワイバーン全然悪くないからね、それ? ワイバーン出て来てすらいないからね、今の話! 逆恨みもいいとこだよ全くぅ!」

「フッ。なんとでも言え。四十も過ぎていまだに独身のこの俺の焦りが、漫画なんぞに(うつつ)を抜かす現実逃避サブカル野郎共にはわからんだろうよ」

 男はそう言うと、懐から出した拳銃のようなものをゴブリンに向ける。

「これはモデルガンだが、弾丸はバンパイアも狼男も殺せる特別な弾丸だ。フッ。児童公園……。お前ら幻想種の墓場にはお似合いな場所だなぁ。消えろ、フィクション!」

 男の怒りと共に放たれた弾丸が、迎え撃とうと駆けるゴブリンの剣に命中する。

 ドォン! と花火のような爆発が起こり、デコピンも嘔吐打ちも耐え抜いたゴブリンはあっけなく消滅した。

「……特別な弾丸って……そういうこと? 銀の弾丸とかじゃなくて?」

「フッ。これだから漫画脳は困る。そんなものを撃ち出せるモデルガンなんか所持してみろ? 銃刀法に一発で引っかかるぞ?」

「いや、それ言ったら今のもアウトだろ! あんな爆発する弾丸撃っといて合法だと思ってんのあんた!? 法律どころか公園の決まりすら守れてないだろ、今のぉ!」

「……理系の俺に法律でマウントを取ろうとするなァ!」

「逆切れしたぁ! いや、今のはそういうレベルの話じゃないだろぉ! 理系の論理的思考でも十分カバーできる範囲だわ!」

「そうやって論点をズラして相手を黙らせても、お前の主張が正しいことにはならないぞ。いかに揚げ足を取って論破しようとも、お前の主張そのものが正しいことにはならないし、お前の罪は消えない。残念だったなァ!」

「いや、それは正論だけども。原点がズレてるんだわ! ズレてるってか間違ってるんだわ! めっちゃブーメランなんだわ!」

「……うるさい、黙れェ!」

 男が銃口を女性に向けて発砲する。

「ぃやぁっ!」

 ドォンという爆音と女性の悲鳴が公園に響き渡る。が、しかし、彼女の身体がゴブリンのように吹き飛ぶことはなかった。

「……」

 なぜなら彼女の前方に、イエイティのような人型のエネミー、ホムンクルスが三体、その姿を現し壁になったからである。

「またモンスターか……。邪魔をしやがって……! 幻想種など虚構! 作り物のフィクション共が、現実の人様に迷惑をかけるんじゃない! ガキの戯言(たわごと)はおとぎの国にでも帰れェ!」

 男は叫びならモデルガンを乱射した。二発の弾丸が爆発を起こし、あっという間に三体のホムンクルスが無に帰す。

「だいたいさっきのゴブリン・ハンター共もムカつくんだよ。何が鬼滅だ。漫画もアニメも妄想だろ? 今や世界に誇る日本文化? 世界に日本の恥を晒してるのがわからないのかよ! 漫画が社会現象になる時点で日本はもう終わってんだよォ! コロナ対策以前の大失敗だ! いい年して妄想なんぞにかまけやがって! だから負けたんだろォ、お前らもよォ! 負け組共がァ!」

「……ちょっと。それは聞き捨てならないんだけど」

「ぁあ?」

「確かに。漫画もアニメも妄想って言い方もできると思うし、誰にとっても意味のあるものじゃないかもしれないけど……。でも、そんな漫画やアニメが、現実でも意味あるものを感じさせてくれることだってあるんだよ。それを……。自分にとって価値がないからって、絶対的に価値がないみたいな言い方するなんて。人の好きなものをそんな風に言うだなんて……。酷いんじゃないの?」

「ハッ、黙れ! 幼稚なまま大人になったお前ら社会のゴミ共にはわからないだろうなぁ。おつむが足りないんだよォ、圧倒的になァ! そもそもお前、なんかさっきから聞き取りづらいと思ったら、声震えてねぇかぁ? 一人じゃ何も言えないオタクがァ。モンスターに戦わせて後ろでイキってんじゃねぇぞォ! ァアーッ!!!」

「っ……」

 男の怒鳴り声にビクッと肩を震わせた女性が、唇をかみしめる――。

 

 彼女はビビっていた。

 彼女はずっとビビっていた。怯えていた。怖気づいていた。

 なぜなら彼女は、ごく普通の一般人女性だから。人よりちょっと自信がないだけの、漫画やゲームが好きな、普通のオタク女子だから。

 小学生の頃から、長所を書く欄を前にしていつも、何を書けばいいのか悩んでしまうような人間だから。ひねり出した自分の長所を口にする時、いつも後ろめたさを感じて生きてきたような人間だから。他人(ひと)から評価された時、認めて貰えた嬉しさよりも、失望させてしまうかもしれない怯えの方が上回ってしまいがちな、そんな人間だから。

 そんな彼女がここまで声を張れたのは、虚勢を張れたのは、男の言う通り、戦うエネミーたちの後ろで見ているだけだったからかもしれない

 では、彼女は調子に乗っていたのか? イキっていたのか?

 彼女は漫画やゲームが好きだ。聖杯戦争の参加者に選ばれて、サーヴァントなのかはわからないが、現実世界にスケルトンを召喚することができて、その非現実的な出来事の連続にわくわくしていなかったと言えば嘘でしかない。だが、それ以上にやっぱり彼女は怯えていた。

 なんで私なんかが選ばれたのか? どうすればいいのか? 私なんかが戦えるのか? 上手くできるのか? ……でも、選ばれたからにはちゃんとやらなきゃ。聖杯戦争の参加者らしく振舞わなきゃ。マスターらしく振舞わなきゃ。ちゃんとしなくちゃ。ちゃんとしなくちゃ!

 何よりその気持ちが、彼女に虚勢を張らせた。声を張らせた。大声を精一杯だして震える声を誤魔化して、大好きなギャグ漫画みたいなノリで怯える心を誤魔化して、己を鼓舞して奮い立たせていた。

――声震えてるだろ? 一人じゃ何も言えないオタクがァ、モンスターに戦わせて後ろでイキってんじゃねぇぞォ!――。

 そんな男の言葉は、彼女の心をひやりと凍りつかせるのに十分だった。彼女の心をぐらりと挫けさせるには十分だった。

 熱く勢いづいた心は、強く張りつめた心は、一瞬で崩れた。

 もう、限界だった。

 彼女の目に、涙が浮かぶ。

 しかし、それが流れ落ちる前に、ぼやけた彼女の目に映るものがあった――。

 

「Giii……」

「Ga……」

「ぁあ? スケルトン?」

 それは妄想などではなく、フィクションから(きた)る現実。骸骨の剣士、弓兵、槍兵、スケルトンの軍勢だった。

「ハッ! 今さらスケルトンか? そんなザコで来るとは。さてはお前、もう魔力が尽きかけてるな?」

 

 此度(こたび)の聖杯戦争の参加者たちは全員、“電子聖杯”によって機能が追加された『Fate/Grand Order』のゲームアプリを通じてサーヴァントへの魔力供給を行っている。

 故にマスターの魔術回路は必要なく、その有無や質が魔力供給に与える影響はなかった。

 しかし、魔力自体は“電子聖杯”から供給されているものではなく、あくまでマスター自身の体力とスマートフォンの電力に由来するものが主体であるため、魔力切れのリスクからは逃れられない。

 そして今、彼女の精神に続いて、体力とスマートフォンの電池残量も限界へと近づいていた。

 

「まあいい。いくら数で誤魔化したところで、所詮(しょせん)ザコはザコということを教えてやろう。精々、足りない頭で算数を頑張るんだな」

 男はそう言うと、嘲笑を浮かべてモデルガンを撃つ。一度の爆発で倒すスケルトンの数を意図的に抑え、わざと数回に分けて、なぶるように倒していく。

「どうした? もう終わりか?」

 あっという間にスケルトンの群れは倒され、残るは女性とその後ろに最初からいたスケルトンだけになった。

「二ィ引く二ィでゼロォ……。チェックメイトだ」

 男が女性に迫り、銃口を向ける。

 カチッと虚しい音が響いた。弾丸が女性を打ち抜くと共に、後ろのスケルトンを巻き込んで激しく爆発した、りはしなかった。何も起こらなかった。

 カチッ、カチッと男が引き金を引く。しかし、一向に銃口から弾丸が撃ち出されることはない。

「弾切れかァ! こんな時にィ……!」

 男はそう言うと、モデルガンを握りしめ、振り上げて走りだす。短い距離を全力疾走。

「底辺にはお似合いだァ! 銃床(じゅうしょう)で死ねェ!」

 男が拳銃のモデルガンのグリップの底を振り下ろす。

「ゃっ!」

 ゴキッと激しく骨の割れる音がした。

 束の間の沈黙の後、閉じていた目を開けた女性の前にあったのは、ぼろきれをまとっただけの、頼りないスカスカの背中だった。

「スケル……トン……?」

「……」

 へんじがない。ただの、しかばねのようだ。

「出しゃばりやがって……、死ねェ!」

 男が乱暴にモデルガンを振り下ろす。スケルトンの肋骨が折れ、地面に落ちた。

「しぶといザコだなァ! アアッ!」

 男が怒鳴りながら払いのけるように蹴り飛ばし、スケルトンの体に土を付ける。

「スケルトン!」

 女性はすぐにしゃがみ、地に横たわるスケルトンに手を添える。

「ザコどぉしぃィィ……」

 男はモデルガンを振り上げ、女性と骨を見下ろす。

 目を見開いた女性は咄嗟に、スケルトンの折れた肋骨を拾い上げ、

「ぬっ、布の呼吸――!」

「は?」

 立ち上がり様に男めがけて突き上げながら叫んだ。

「――デコピン!」

「うあぁ!」

 鋭利な肋骨の断面が、男のモデルガンを握る手に傷をつける。

「いてえだろ、チクショオォォォ! 布もデコピンも関係ねェだろがァァァ! 間違ってんだよ、何もかもォ!」

 叫ぶ男の前で、女性はスケルトンの脇に手を通し、引きずるようにして後ずさる。

「スケルトン、大丈夫!? 死なないよね!? 死なないよね!?」

 そのスケルトンは、最初に女性の前に現れたエネミーであり、女性が電子聖杯を通じてサーヴァントを召喚した時に現れたエネミーだった。故に、このスケルトンは他のエネミーと違うと、女性はなんとなくそう思っていた。

「逃げるなァ! そうやって逃げてェ……、あんなイキってたくせによォ! モンスターが戦えなくなったら途端にチキンだなァ!? おら、こっち来てイキってみろよォ! ァアーッ!!!」

 男の怒鳴り声に、女性はまたもびくっとなる。女性はまだ、怯えていた。

 しかし彼女は、それでも口を開いた。

「……そうですよ。私はチキンですよ。どうせ私はイキリ(エネ)太郎*1 ですよぉ!」

――でも、マスターなんだから……。聖杯戦争の参加者なんだから……。ちゃんとやらなきゃ! 戦わなきゃ! 私がやらなきゃ! 私が……。私が!――

「ごめん、スケルトン! 借りるよ!」

 彼女はそう言うと、スケルトンの手から剣を抜き取った。

 スケルトンは男の攻撃を受けても、女性に引きずられても、その剣を決して手離さなかったというのに、それは不思議なくらいすんなりと抜けた。

「よし……!」

 彼女は立ち上がり、男に向かって走って行く。

「なっ、なななっなっ! 戦う気か!? 馬鹿なのか!?」

 動揺する男に、吹っ切れた女性は構うことなく剣を振るう。

「種の呼吸! 呪力 嘔吐打ち」

 横薙ぎの剣が男の顎を打った。

「あっ!」

 情けない声をもらした男は顎をおさえ、女性を睨む。

「……うあああああああ!」

 突然、男は叫び声を上げながら女性に向かって走り出した。

「ぃやっ!」

 怯んだ女性を男は突き飛ばし、仰向けに倒れた彼女の前で片膝をつくと、両手で握ったモデルガンを振り上げた。

「ハッ、馬鹿な女だ。ザコはザコらしく後ろでイキってればよかったものを……!」

――ヤバイ! どうしよう!――

 勢いで剣を握り駆け出したものの、その剣は突き飛ばされた時に落としてしまうし、男は今にも魔力で強化されたモデルガンを振り下ろしてきそうだしで、女性は絶体絶命だった。

――どうしよどうしよどうしよどうしよ――

 ぎゅっと拳を握る彼女。その時はっと、それに気づく。

――令呪!―――

 彼女が強く握った右手、それを覆い隠す包帯の下には、“望まれて消えてゆく煌めきの令印”があった。

 焦り、怯え、勢いで夢中で、忘れていた三画の令呪。

――なんで忘れてたんだ。私の馬鹿! でも、どうしよう……。何に使えば……―――

「殺すからな。殺すからな。今殺すからなァ!」

 男の三言の宣告が消費された時、拳を握っていた彼女は、はっと閃き身をよじる。

「また逃げる気かァ!」

「違うわ! ()らえ! 私の呼吸、今ノ型! イキリ(エネ)太郎パーァンチ!」

「んふぁっ!」

 起き上がりざまに繰り出された女性のパンチが、男の顔面にめり込む。令呪一画を消費した、殺さない程度に魔力を帯びた会心の一撃。

 それは、名もなきゴブリンたちが、名もなきホムンクルスたちが、名もなきスケルトンたちが、名も知らぬ男たちが、無数の漫画が、無数のゲームが、彼女の今までの出会いの全てが、そこに至るまでの全てが、幾星霜を煌めく全てが繋いだ一撃(いま)だった。

「……」

 男は気絶しているのか、夜空を仰いだまま動かない。

「……やっ、た……? ――はっ!」

 女性はすぐに立ち上がると、急いでスケルトンのもとに向かう。

「大丈夫!? 早く逃げよう! てか、魔力の方がヤバいかも。霊体化して自分で歩ける?」

「……」

 へんじがない。ただの、しかばねのようだ。

 ――が、スケルトンは返事の代わりかすぅーっとその姿を消し霊体化した。ただの、しかばねではないようだ。

「通報とかした方がいいのかな? ……熱っ!」

 女性がハンドバックから取り出したスマートフォンは、かなりの熱を発していった。見れば充電は残り数パーセントだ。

「やばっ!」

 女性はその一言を残し、駆け足で公園を後にした。

 一時は絶体絶命のピンチにおちいった彼女だったが、いくつもの今の連なりの先で、いくつもの命の繋がりの先で、なんとか無事に人生が続いた。

 帰路を急ぐ彼女の足は、次の一瞬へと一歩一歩、先へ進んで繋がっていく。

 たとえ名前も語られないモブキャラであっても、そうでなくても、彼女たちは確かに繋がり(会・合)って煌めいている。今この瞬間、今この瞬間、今この瞬間の連なりの中で。

 それは、幾星霜を煌めく命――。

 そして、誰かにとってそれは、幾星霜を煌めく(エネミー)――。

 

 ――第18節 【ハンティングクエスト】#3 幾星霜を煌めく(エネミー)【イキリ(エネ)太郎】

 

 静まりかえった公園に、一つの影法師が入ってくる。

 それは人の歴史の影法師、サーヴァント。その降臨者は、悪魔のようなものの姿をしていた。

 それはゆっくりと地面に倒れている男のもとへとやって来たかと思うと、急に視線を遠くへ投げて沈黙を切り開いた。

「――おやおやおやぁ? そこの貴方! そこで盗み見している悪趣味な貴方ですよ! あぁ・なぁ・た、うひっ! もし、神が死んだらどうします?」

 足もとに横たわっている男は何の返事もしない。サーヴァントも彼の返事は求めていない。そもそも、その降臨者は返事を求めていない。その悪魔のようなものに、今しがた質問した相手の返事を聞く力などありはしないから。

 そのサーヴァントは世界の壁を越えてゲームの世界より現実世界に召喚されたサーヴァントではあったが、その降臨者自身に第四の壁を越える能力など備わってはいないから、その悪魔のようなものはただ想定に沿って口を動かす道化(ピエロ)でしかなかった。

「――新しい(しゅ)の歌を、歌っていただけますかねぇ……。いひっ! なぁ~んちゃって! あはははあはぁはぁはぁ!」

 そのサーヴァントは、この記録(ものがたり)の登場人物の一人にすぎず。

 しかし、この舞台は、そんな道化の手の平の上――。

*1
太郎:文書の書き方例などによく使われるような、日本人の一般的な男性名だが、「スマホ太郎」のような形で物語の主人公などを揶揄するネットスラングが存在する。恐らくは、名前を覚える気にもなれないというニュアンスの嘲笑に由来する。『Fate/Grand Order』に対する「イキリ(サバ)太郎」という蔑称もその一つ。



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第19節 胡蝶の夢2020

 また、あの夢だ――。

 

 ジジジジジジジジと虫けらが鳴きわめく。

 ジリジリジリジリと太ようが照りつける。

 タラタラタラタラと汗が流れおちる。

 タタタタタタタタと俺が走りまわる。

 ブォーンと鳴っているのは扇風機? いや、違う。

 ブォーンと鳴っているのは戦闘機。ああ、違う。

 まだ見たことがないはずの過去の記憶、思い出し気づく。これは夢だ。

 俺はもうガキじゃない。

 

 目が覚めるとブォーンという空調の音が、現実に残ったまま、まだ聞こえてた。

 起き上がった俺の首を背を腹を額を、重力を浴びた汗が流れ落ちてく。滝のような汗なんて言うにはゆっくりと、ただ普通に汗なんて言うにはたっぷりと。

 最近いつもあの頃の夢を見る。ガキの頃の記憶、夏の日々の追憶。

 きっとこのうだるような暑さのせいだろう。予報では今日は最高三十六度。本日も相変わらず猛暑日のようだ……、十二月八日。

 あの頃の夏は今じゃ一年中。クリスマス、年末、年始まで顔を出す。雪はもう何年も本物は見れちゃいない。そもそも天然の空気すら吸えちゃいない。

 和暦も西暦も今じゃ旧暦。……過去の遺物、もうたくさんだ。

 

 世界が抱える問題の解決の、最も簡単な方法はただ一つ。

 人口の削減と誰もがわかってた。無理のある作戦と誰もがわかってた。

 だがしかし図らずも人口は減った。戦争という名の人災の恩恵だ。

 人道も人口も吹き飛ばした兵器。まず爆発したのは都市じゃなく数値。それはコンピューターを狂わせた兵士。つまりそう、ウイルスだ。

 電子化の波は戦争に波及、火器も核もバイオさえも時代遅れだ。新時代の戦争は電波で伝播。オート化さ。人殺しも……。

 人口の削減は図らずも成った。いくつもの国境がうやむやになった。環境を汚染する工場も減った。だが、どうだ? このザマだ……。

 

 当時から俺は技術職。言われるがまま国の犬。あの頃いたのはホスピタル。

 俺が請け負うのは改竄(かいざん)だ。ただし記録じゃない、記憶のな。

 不都合な記憶のある奴ら。不幸だが記憶を削除。幸福な記憶で埋め合わせ。

 一昨年、ニュースになっただろ? 国が秘密裏にやっていた、記憶をいじくる実験だ。被験者はもちろん覚えてない。だが国民の百人に一人。

 そのホスピタルに俺もいた。実験はもう終わってた。言っただろ、俺がしてたのは、改竄だ。実用化してたのさ。

 

 今は国の依頼で開発者。戦争技術の開拓だ。もちろんウイルス開発だ。

 今やどこの国も焦ってる。アナログに戻れず怯えてる。それでも必死に足掻いてる。

 その裏で俺は作ってる。実験室で日々培養。バイオ兵器、コロナウイルス。

 

 久しぶりの息抜きに映画を見た。

 映画も漫画も音楽も、娯楽自体が健在だ。テレビもスマホも絶滅したが、ミッキーもピカチュウも不死身らしい。今の子もネズミは知っている。時々どこにいると()かれてる、大人たちが困って言っている。方便がまた娯楽になってく。いつの時代も変わらない。

 日常にヒト以外の動物はいない。金持ちの道楽に僅かに残るばかり。それ以外の動物は建物の外に。蚊に刺されないし、ゴキブリも見ない。セミの鳴き声も今やフィクションで、そうでなきゃ、夢の中だ。そう。

 また、あの夢だ――。

 

 ジジジジジジジジと虫けらが鳴きわめく。

 ジリジリジリジリと太ようが照りつける。

 タラタラタラタラと汗が流れおちる。

 タタタタタタタタと俺が走りまわる。

 ピキッと痛むのはぶつけた? いや、違う。

 ピキッと痛むのはヘルニア。ああ、違う。

 まだ感じたことがないはずの今の記憶、思い出し気づく。これは夢だ。

 俺はもうガキじゃない。

 

 マスコミの友人に呼び出され出向く。

 下世話なやつの新作に違いない。アイドルの情事から政治家の汚職、人殺しの現場からアーティストの不倫。ゴシップが売れるのは今も変わらず。

 手にしたネタが日の目を浴びるのを待てず、ヤツはたまらず俺をいつも呼び出す。ネタ自体に大した興味はないが、こんな世界で生きてきたからこそ……、信頼が、嬉しい。

 予想通り興奮したヤツは俺を通す。誰も邪魔はいない、二人だけの場所に。

「面白いものを手に入れたんだ。映像自体は大したもんじゃないが。一昨年のニュースを覚えてるか? あの、記憶操作の人体実験の」

 無言で頷いた俺にヤツは見せる。

 人体実験に使われた記録。被験者の記憶を作るための記録。

 それは誰の記憶でもないただの記録、ただ記憶を作るために作られた記録。

 この記憶を持つ奴は被験者だとわかる。

 

 再生された――。

 

 ジジジジジジジジと虫けらが泣きわめく。

 ジリジリジリジリと太ようが照りつける。

 タラタラタラタラと汗が流れ落ちる。

 タタタタタタタタと俺が走りまわる。

 ドウダと訊くのは兄弟か? いや、違う。

 ドウダと訊くのは友達か。ああ、違う。

 まだ信じたくないはずの目の前の記録、思い当たり逸らす。これは夢だ。

 俺は。オレは、俺じゃない……?

 

 俺は……。

 俺は……。

 俺は……?

 

     *

 

 ガバっと起き上がる。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 また、あの夢だ――。

 部屋の中は適度に冷房が効いているというのに、汗びっしょりだ。

 辺りを見回す。白い壁、萌黄色のカーテン、畳に文机……、もう見慣れた景色だ。

――俺は……――

「マシュさん。大丈夫ですか? なんかすごく、うなされてましたけど……。」

「あっ、ああ、はい。だっ、大丈夫です。とても、怖い夢を見てしまって……」

「またですか。とりあえず、今、お茶入れて来ますね。冷房は、温度下げましょうか?」

「いえ。温度は、大丈夫です」

「わかりました。タオルも出しますから、ちょっと待ってて下さいね。」

「はい。ありがとう、ございます……」

 もう、現実の感覚が完全に戻って来ていた。はっきりとした、現実の感覚が。

 でも、まだ夢の中の感情が焼きついている。ぼんやりとした、でも、鮮烈な感覚が。

――俺は……――

 信じていた記憶が、本当の記憶じゃなかった。

 それで、とても恐ろしい気持ちになった。

――俺は誰だ?――

 そんな夢だった。

 夢、だったはずだけど。

 夢の中のわたしは、完全に俺だった。

 それに、こんなにも夢の中の“俺”の感覚が、今のわたしにもこびりついてなくならない。

 わたしは……?

 わたしは、マシュ・キリエライト。

 いや、マシュ・キリエライトとしての記憶はないけれど、わたしの姿かたちも、残っている記憶も、わたしがマシュ・キリエライトであるという記録を裏付けている。

 だから、最初は半信半疑だったけれど、少しずつ、そう信じていって……。気づけば、今ではほとんど疑っていなかった。

 でも、いまだに記憶は戻っていなくて。一つも、マシュ・キリエライトとしての記憶は覚えていなくて。

 マシュ・キリエライトとして生きる感覚には何の違和感もなかったけれど、夢の中で俺として生きる感覚にも何の違和感もなかった。

 じゃあ、今は……?

 じゃあ、わたしは……?

 わたしは……?

――俺は……――

 

「マシュ……さん?」

「はっ、はい!」

「本当に、大丈夫ですか?」

「……あの」

「……。」

「今、見た、夢の話を、してもいいでしょうか……?」

「……はい。聴かせて下さい。ちょうど訊こうと思ってたんです。あっ、でも待って下さい。その前に、トイレに行って来てもいいですか。その間に、しっかり汗を拭いておいて貰えるとありがたいです。」

「……、はい。ありがとうございます」

 そう言って直輝を見送ったマシュは、彼の言葉に小さな気遣いを感じて、少しだけ心が軽くなっていた。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

 THA BLUE HERB様をはじめ、多くの皆様へ敬意を込めて――。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1435884066402758656?s=19



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第20節 それはたとえるなら仮面舞踏会

 

 春の夜に 知らぬ暁 我夢中

 いつかはさめる あいはいらない

 

 

「木村さん。その……。一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」

「? なんですか?」

「何か、あったのですか?」

「……。」

 直輝はマシュの目を見つめて固まったかと思うと、平常心を装って問い返した。

「……なんか俺、変ですかね?」

「変、と言うか……。一昨日の夜、急に少し外出されましたよね? あの後から、なんだか元気がないように思えて……」

 マシュの言葉に、直輝は軽く笑う。

「そう、ですか……。流石にずっと一緒にいると、わかっちゃいますか。ごめんなさい。でも、大丈夫です。個人的なことなので。

 あれから手掛かりは何もないし、池西さんからも連絡がないし、どうしようって感じですけど……。戦いには影響させませんから、安心して下さい。」

 そう言われてしまって、マシュはいったん引き下がろうかと思った。がしかし、食い下がった。

「……そうではなくて。そういう心配は、していませんが。

 木村さんは、わたしを助けてくださいました。スケルトンの群れから助けてくださっただけではなく、行く当てのないわたしを、こうして家に泊めて、生活の面倒まで見てくださっています。

 昨日も、今の状況と重なる怖い夢を見て、不安になってしまったわたしの話を優しく聞いてくださって、勇気づけてくださいました。なのに、わたしはまだ何もお返しできていません。

 ですから、もし何かあったのなら、力にならせていただきたいんです。今のわたしに出来ることは限られていますし、問題は何も解決できないかもしれませんが……。話しただけで楽になることもある、と聞いたことがあります。

 ですから、もし何かあったのなら、聞かせていただきたいと……その……」

「マシュさん……。」

 しぼんでいくマシュの言葉を聞いて、思いを聞いて、直輝は優しく言った。

「何度も言うように、俺は俺がやりたいからやってるんです。マシュさんを見捨てたくないから、マシュさんに少しでも快適に過ごして欲しいから、俺の勝手で、俺の我儘でやらせて貰ってるんです。だから、そんな風に負い目を感じないで頂けたら、俺はうれしいです。」

「木村さん……」

「なんて言われても、マシュさんは優しいから、負い目を感じてしまいますよね。そういうところが、マシュさんの素敵なところの一つだとも思うから、大切にして欲しいな、とも思うんですけど。でも、やっぱり笑顔でいて欲しいし……。ほんとに我儘ですね、俺。ごめんなさい。」

「いえ、そんなことは……」

 マシュはもやもやを抱えて言い淀む。無力さを抱えて視線を落とす。

「……まあ、でも。確かに、話すだけで楽になることもある、って言いますし。聞いてくれますか? 俺の、個人的な話……。」

「……、はい! 聞かせてください!」

「ふふ。じゃあ、遠慮なく。俺、好きな人がいるんです。」

「!?」

 予想外の言葉に、マシュは目を丸くする。

「って言っても、実際に会ったこともないし。なんなら、女性だって保障すらないんですけどね。」

「それは、どういう……」

「ネットで知り合ったんです。Twitterで。Twitterとか、SNSって、マシュさんわかります?」

「はい。SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略ですね。その形態は様々で、定義も明確にはし難いものですが、ウェブ上で社会的なネットワークを構築することができるサービスだと存じています。わたしは実際にユーザーとして利用した記憶はありませんが、知識でなら知っています」

「じゃあ、説明はだいじょぶそうですね。……それで、出会い目的のアカウントとかじゃなくて、お互いに匿名の裏アカ? っていうか、まあ、そういうアカウントで知り合ったんですけど。やり取りを重ねる内に、本気で好きになってしまって……。」

「それは……。現代、というか。ネット社会、という感じがしますね」

「ふふ。そうですね。俺も、自分がまさか、そんな風にして誰かを好きになるなんて思いもしてませんでした。

 顔も、そんなに画質の良くない、加工された写真とかでしか見たことないですし。声は、録音されたものは何度も聴いてますけど、通話とかはしたことないし。絶対に女性だって保障もなければ、普段のその人そのものを知ってるわけでもないですし、百四十文字単位のツイートとか音声とかで切り取られたその人しかしらないのに、好きになってしまって……。詩歌なんかも、おく(送・贈)ったりなんかもして……。」

「……シカ、ですか?」

「はい。ちょっと待って下さいね。」

 そう言うと直輝はスマートフォンをつけ、しばらくいじってから、一つの詩歌をマシュに見せた。

「春の夜に、知らぬ暁、我夢中。いつかはさめる、あいはいらない……。……五・七・五、七・七。やはり! これは、短歌ですね?」

「はい。それは、彼女と会う夢を見て、深夜に目が覚めて、勢いで()んだ歌です。

 『春の夜に 知らぬ暁』は、有名な『春眠暁を覚えず』のオマージュですね。たしか、眠たがりの彼女がちょうどその頃、ツイートしてたんです。まだ太陽を知らないって、夜を詩的に表現すると同時に、直接見たことのない思い人のことを太陽に例えたものでもあって。

 『我夢中』は、直接的に俺が夢の中という意味と、知らぬ暁である彼女に俺が夢中だという意味でもあって。掛詞(かけことば)ですね。

 次の『いつかはさめる あいはいらない』も掛詞で、いつかは覚めてしまう会い、つまり夢の中での逢瀬(おうせ)ならいらないという意味と、いつかは冷めてしまう愛。つまり、いつか好きでなくなってしまうなら、そんな気持ちならいらないという意味が掛かってるんです。」

「なるほど……。これを、木村さんが詠んだのですか?」

「はい。」

「すごい、ですね……。」

「ですよね? すごいですよね!? これを深夜に目が覚めて、そのままの勢いで浮かんでくる言葉をこねくり回して詠んだんです。すごくないですか!?」

「……そう、ですね」

 マシュは、珍しく自画自賛する直輝に、思わず目を丸くした。

「彼女は俺の、ミューズです。」

「ミューズ……」

「はい。直接的には美の女神のことですが、芸術家なんかが、自分にインスピレーションを与えてくれる女性のことをミューズと呼んだりなんかもするんだそうです。彼女は俺のミューズです。『俺のミューズ。俺のではないあなた。』なんて言葉もおく(送・贈)りました。」

「……」

「マシュさん、引いてます?」

「いえ、そんなことは! ただ、すごいな、と思って……」

「ふふ。無理しなくて大丈夫ですよ? 俺も、我ながら、笑っちゃいますから。もちろん、本気ですけどね。

 でも、もしかしたら彼女も内心、コイツ、ちょっと感性褒めたら詩を詠んできやがった、って笑ってたかもしれませんし。」

「そんなことはないと思います」

「ふふ。ありがとうございます。まあ、でも、どっちでもいいんです。例えそれが嘲笑でも、彼女に笑って貰えたなら。俺で楽しんで貰えてたなら、それだけでもう俺はうれしいんです。

 もちろん、裏アカって特別な状況も相まって、本気で素敵だと思って頂けてたならその方がうれしいですけど。少しでも迷惑じゃなかったことを、祈るばかりです……。」

 そこで一度言葉を切って、しかしマシュの言葉を待たずに、直輝は穏やかな口調で続けた。

「――Twitterの裏アカで知り合った、直接顔も見たことのない相手を好きになって詩歌を送るだなんて、まるで平安時代の暖簾(のれん)越しの恋みたいだなって、そんな風に思ったものです。」

御簾(ぎょれん)越しの、恋……」 *1

「はい。俺も詳しくは知らないんですけど。平安時代、貴族の女性は基本的に顔を見せなかったみたいで。だから、暖簾越しに詩歌を送り合ったりして、そうして恋をしたらしいんです。

 そう考えたら、よくも悪くも、やっぱりヒトは、今も昔も変わらないんだなぁ……なんて思ったりして。まあ、俺はもう恋はしないって決めてるので、これは恋ではありませんが。」

「……」

「それに、思うんです。昨日も言いましたけど――。

 ヒトは、自分の目でしかものを見れないし、自分の耳でしかものを聞けないし、自分の心身でしかものを感じられないし、自分の知ってることしか知らないし。どこまでいっても主観から抜け出せないヒトは、自分の認識で世界を構築してると言っても過言ではないんじゃないかなって。

 だから、目の前にいる相手を好きになるのも、SNS上でしか知らない相手を好きになるのも、本質的には同じなんじゃないかなって思うんです。

 例えば今、俺の目の前にはマシュさんがいますけど。俺はマシュさんの顔そのものを見ているのではなくて、今マシュさんに当たった光が反射して、それが俺の目に入って、網膜に映って、俺の中に映った虚像を感じているに過ぎないはずで。だから、結局人が見ているのは、好きになるのは、相手そのものじゃなくて、自分の中に映った相手の虚像にすぎないんだって。俺はそんな風に思うんです。

 だから、目の前にいる生身の人間でも、例え本当は男性が演じている裏アカ女子でも、キャラを作ったアイドルでも、フィクションのキャラクターでも、相手を好きになるということに関しては、本質的には変わらないんじゃないかなって……。」

「……それは」

 マシュはその、どこか虚しさの漂う考え方を少しだけ否定したい気持ちになって。でも、否定し切れない、したくないような気持ちもあって。

 複雑な気持ちの中で、ふと昨日の夢のことを思い出した。

「――って、だいぶ話が脱線しちゃいましたね。

 で、そんな風にして好きになって、告白して、振られて。でも、ずっと仲良くして貰ってたんですけど。一昨日、もうその人が裏アカをやめるって聞いて。……突然外出したのは、最後のやり取りに集中したかったからです。

 裏アカなんて、急にやめたりアカウントが消えたりなんてざらだから、ずっと覚悟はしてたんですけどね……。いざ、やめるって言われたら、やっぱりこたえるものですね。」

 直輝はそう言って微笑んだ。

「もう、その方とは連絡がとれなくなってしまうのですか?」

「そう、ですね……。恐らくは……。」

 直輝はそう言うと、マシュの目を見て微笑んだ。

「ありがとうございます。話したら、少し楽になりました。やっぱり他人(ひと)に話すのって、効果があるんですね。」

「それなら、よいのですが……」

「ありがとうございます。そしたら、ちょっとごめんなさい。トイレ行ってきますね。」

「ああ、はい。どうぞ」

 直輝は微笑んで、部屋を後にした。

 後に残されたマシュは、直輝との昨日の会話を思い出す。

 マシュが見た怖い夢の話をした後に、直輝とした会話を――。

 

「――そうですね。確かに、マシュさんが本当にマシュさんだって保障は、どこにもないですね。あくまでも可能性の高い、憶測でしかありません。それも、手掛かりの少ない現状で、一番有力なだけの憶測です。」

「……」

「でも、それは、俺も同じじゃないですか?」

「……木村さんも……同じ?」

「はい。もちろん、マシュさんとは状況が違いますし、可能性も桁違いだとは思います。でも、結局突き詰めて考えたら、同じだと思います。

 マシュさんがたった今し方体験したみたいに、夢の中で、これが夢だって気づいてない時、それが夢だとはわからないじゃないですか。自分が間違ってる時、勘違いをしてる時、それに全く気づいてない時は、それに全く気づいてないじゃないですか。自覚、できないじゃないですか。当たり前ですけど。」

「……確かに、それはその通りですが」

「俺は、思うんです。ヒトは、自分の目でしかものを見れないし、自分の耳でしかものを聞けないし、自分の心身でしかものを感じられないし、自分の知ってることしか知らないし。どこまでいっても主観から抜け出せないヒトは、自分の認識で世界を構築してると言っても過言ではないんじゃないかなって、そう思うんです。

 そんなこの世界で、確かなことなんて、俺は一つもないと思ってます。でも、それだと不安だから、ヒトは何かを信じるんだと、無意識的にそんな現実から目を逸らして自己を守ってるんだと、俺はそんな風に思っています。」

「……」

「マシュさんは、俺と一緒にいて、時折り笑ってくれますよね? でも、実は全部嘘の笑いで、本当は俺と一緒になんかいたくなくて、今すぐにでもここを出ていきたいと思ってますか?」

「いえ! そんなことはありません!」

「ふふ。ありがとうございます。

 でも、それが本当かどうか。その本当のところを知る(すべ)を、俺は持っていません。でも、俺はマシュさんが笑ってくれるとうれしいです。だから、マシュさんに笑って欲しいです。そう、今この瞬間、俺が感じているということは、今、その瞬間の俺にとっては確かです。マシュさんの笑顔も、マシュさんが笑顔であるという俺の認識も、この世界が現実であるということすら信じられない俺にとって、それだけは確かです。それすらも勘違いかもしれないけど、でも、感じていると感じている。それだけは、確かに今、感じています。

 だから、俺はその瞬間。その瞬間。その瞬間の俺の思いを、大切にして生きています。この世界に確かなものなんて、少なくとも俺にとっては、何一つとしてないから……。」

「木村さん……」

「まあ、そんな考え方を、生き方を、おすすめする気はないですけど……。

 でも、信じられないということで、今マシュさんが苦しんでるのなら。そういう考え方もある、っていうことを、少しだけ意識してみるのはどうかなって思うんです。」

「そういう考え方……ですか」

「はい。何一つとして確かなものはない、この世界で。マシュさんは、何を大事にしたいですか? マシュさんは今、何を感じていますか?」

「……わたしは、何を大事にしたいか……。わたしは今、何を感じているか……」

「無理に言葉にする必要はありません。言葉にすることで、明確になる時もあるけど。言葉にしようとすることで、かえって見失ってしまうものもあると思うので。」

「……」

「でも、今、マシュさんが感じてるもの。それは、少なくともその瞬間のマシュさんにとっては、確かに真実のはずです。」

「……わたしにとっては、確かに真実……」

「はい。無理に言葉にする必要はない、とは言いましたけど。逆に言葉にしたかったら、俺を使って下さい。いつでも俺は待ってるので。マシュさんの気持ちを聴かせて貰えたらうれしいなって、思ってるので。」

「……」

「ああ、でも。いつでもとは言いましたけど、トイレに入ってる時とかに、いきなりトントンって来られて、別に急ぎでもない気持ちを伝えられても、それはちょっと、「えっ、今?」って思ってしまいますけど。」

「……そんなことはしないので、安心してください」

「ですよね。ごめんなさい。」

 

「……」

 マシュは、直輝がなぜ自分に好きな人の話をしてくれたのか――。

 その本当のところはわからないけれど、でも、それがわかったような気がして、なんだか少し、トイレのドアをノックしに行きたくなった。

*1
御簾越しの恋:「御簾(みす)」は(すだれ)の尊敬語で、かつて貴人の部屋の簾をそう言ったようである。普通は「みす」と読むが、直輝の勘違いによる「暖簾(のれん)越しの恋」という表現を聞いたマシュが、脳内補完により音読みし「御簾(ぎょれん)越しの、恋……」と返した。「御簾は掛けるもの」ということで、「御簾」と「ミス」が掛かった稚拙な言葉遊びである。




 

【修正一覧】

2021.09.11. 「御簾越しの恋」に注釈を追加


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第21節 優しい復讐者

「……」

 自宅マンションの階段で、達也はもう何度もスマートフォンの時計を確認していた。

 買い物に行ったブーディカの帰りが遅いのだ。

 彼女は、自動車を見るのが辛くて外出を避けるようになった達也に代わって、もう何度もお使いに行っている。今さら道に迷うことも、買い物に難儀することもないはずだった。

 それに彼女は、達也の家族に見られないよう、荷物の受け渡しはマンションの階段で行い、部屋には霊体化して出入りしている。入れ違いになるというようなことも普通ならあり得ない。

 達也はなんだか胸騒ぎがして、落ち着かなかった。

 恋人の、羽斗(はと)夢通実(むつみ)の事故の報せを聞いた時の記憶がまざまざとよみがえる。胸騒ぎが止まらない。

「……はぁー」

 達也は深く息を吐き出して、なんとか気分を紛らわそうとスマートフォンをいじる。

 と言っても、ほとんどのアプリが夢通実(むつみ)のことを思い出させるため、大部分はアンインストールしてしまっている。残されたアプリも最近はほとんど起動していないため、出来ることは限られていた。

「……」

 ふと、安倍総理の辞任 *1 に関するネットニュースが達也の目にとまった。

――総理大臣が変わったって、何も変わらない……――

 達也は胸の中に渦巻く黒い感情が、誰かに向いてしまうことを恐れるように、スマートフォンの画面を消してその場を離れた。

――ランサー……――

 何かとてつもなく悪い予感がする。

 右手の“愛怨(あいえん)に燃える車輪の令印”は三画とも健在だが、なにかとてつもない違和感がある。

 達也は右手を握りしめ、階段を急ぎ下りていく。そんな達也の耳に、階下からはっきりと声が聞こえた。

「そうなんだ。よかったね」

「うん!」

 それは、ブーディカと幼い女の子の楽しそうな話し声だった。達也は声のする方へ向かう。

「ああ、マス、……い、け西君。ごめん、遅くなって」

「いや、構わん……。荷物だけ、預かろう」

「ああ、そうだね。……はい」

 ブーディカから荷物を受け取った達也は、まだ完全に収まり切らない動揺を隠すように視線をそらした。

 そんな達也に、女の子の母親が控えめな挨拶をする。

「どうも、こんにちは……」

「こんにちはー!」

 女の子も達也を見上げ、元気に挨拶する。

 達也はその親子と特に交流はなかったが、同じマンションの住人だろうということはすぐにわかった。ブーディカの性格を考えれば、仲良く立ち話をしている経緯もなんとなく想像がつく。

「こんにちは……」

 達也は静かに挨拶を返した。ブーディカが、そんな達也を見て微笑む。

 それは、とても優しく穏やかな時間だった。

 女の子が、無垢な瞳を達也に向けて、無邪気な質問をする。

「おにいちゃん、おねえちゃんのかれしぃ?」

「……」

 達也は目を見開き、すぐに女の子たちに背を向けた。

「ちょっと! ――ごめんなさい。この子ったら、変なこと言って」

「えー。なんでー?」

「なんでじゃないの!」

「ああ、そんな。大丈夫ですから、怒らないであげてください。――残念。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、それぞれ大切な恋人がいるから、あのお兄ちゃんはお姉ちゃんの彼氏じゃないよ。ただ、とっても仲のいいお友達」

「ふーん。だんじょのゆうじょうもせいりつするんだねー」

「やだ、この子ったら。どこでそんな言葉覚えたの」

 ブーディカが笑う。

 微笑ましいやり取りを繰り広げる、ブーディカと親子。その輪の外で、達也だけが笑っていなかった。

「……先、戻ってる」

「あっ。うっ、うん。」

「おにいちゃん! ばいばーい!」

「……」

 達也は無言で階段に消えていく。

「ねぇ。あのお兄ちゃん、ばいばいいわなかったよぉ?」

「ごっ、ごめんね。お兄ちゃん、今日ちょっと体調悪いみたいで。それで、お姉ちゃんお買い物頼まれてたの」

「あら、ごめんなさい。それなのにお引き止めしちゃって……」

「いえ、全然大丈夫です。暑いから、ちょっとバテちゃったのかな」

「おにいちゃーん! おだいじにー!」

 マンションの廊下に女の子の元気な声が響き渡る。

 その声は、達也の耳にもしっかりと届いていた。その声は、達也の心を激しく揺さぶった。

 ――おにいちゃん、おねえちゃんのかれしぃ?――。

 無邪気な女の子の悪意のない言葉は、達也の心を残酷なまでに(えぐ)っていた。

 女の子が悪くないのはわかっている。近所の住人は達也の不幸を知らない。女の子は何も悪くない。そんなことは痛いほどわかっていた。

 それでも、達也の心には強い憤りが噴き出していた。抑えられない激情が(湧・沸)いて仕方がなかった。女の子に怒りが向くのを止められなかった。それどころか、女の子たちに愛想よく接していたブーディカにさえ怒りの感情が向いてしまっていた。

―――あの子は、悪くない……――

 必死に階段を上りながら、達也は自分に言い聞かせるように心の中でそう言った。

――あの子は、悪くない……。悪いのは……、悪いのは……――

「はぁっ、はぁっ……」

――全部、全部……!――

 達也の額に大量の汗が()いていたのは、決して暑さのせいだけではなかった。

 

     *

 

 人は死んだら生き返らない。

 だから命は大切だ。

 ――幼い頃からそんな風に教わって生きて来た。

 Fateシリーズに出てくる万能の願望器“聖杯”でも、完全な死者の蘇生は不可能らしい。

 もちろん、この世界はFateの世界じゃないから、世界の法則が全く同じとは限らない。

 だとしても、この世界より神秘的な法則が存在しているFateの世界で不可能なことが、Fateの世界の神秘を使ってこの世界でなら可能になるなんて、そんな都合のいい話、きっとないだろう。むしろ、Fateの世界でなら可能なことでも、この世界では不可能になるという方が自然だ。

 じゃあ、疑似的な死者の蘇生ならどうだろうか。

 それなら、Fateの世界では割りとありふれている。

 もちろん、本当にありふれているわけではないだろう。きっと、特異な出来事にスポットを当てた物語としてしかFateの世界を知らない、プレイヤーや視聴者たちにとってはそう見えるだけなんだと思う。

 いずれにせよ、この聖杯戦争に勝利して聖杯を手にすれば、既に火葬が終わって肉体すら残っていない夢通実(むつみ)でも、疑似的に生き返らせることが出来る可能性は十分にある。

 『Fate/Grand Order』でだって、似たようなことをして特異点まで作り上げた男がいたんだ。この世界でだって、何らかの方法はあってもいいだろう。

 でも。既に誰にとっても、法律上でさえも死者になっている夢通実(むつみ)が生き返ったとして、今まで通りの日常生活が送れるだろうか? きっと難しいだろう。

 それに、疑似的に生き返った夢通実(むつみ)がどんな特性を得るのかだってわからない。最悪の可能性を考えれば、鏡にも写真にも映らなかったり、太陽光で致命傷を受けてしまったりするような、怪物みたいな体質で(よみがえ)ってしまうかもしれない。そこまでいかなくたって、常にどこかが疼くだとか、子供が産めないだとか、そういう体になってしまうかもしれない。

 そんな体で勝手に疑似的に生き返らせられて、夢通実(むつみ)は幸せだろうか? 普通に一命をとりとめて、後遺症が残るのとはわけが違う。人知を超えた力で、それも他人の意思で勝手に生き返らせられるのだ。そんなの、俺のエゴでしかないんじゃないだろうか?

 しかも、Fateの聖杯は、漠然とした願いでも過程をすっ飛ばして結果を用意してくれる代物だったはずだ。

 この聖杯戦争に勝利して得られる聖杯というのがどんなものかはわからないが、その聖杯に夢通実(むつみ)の蘇生を願ったとして、どんな形で叶うのかはわからない。例えば「今まで通りの日常が送れる」という条件を付けて願ったとして、それが無理だった時、なんの断りもなく可能な範囲で願いを叶えられてしまう可能性だって十分あるだろう。

 それでもし、夢通実(むつみ)が苦しむことになったら……。そんなの俺のエゴでしかない。いや、エゴですらない。

 それに何より、夢通実(むつみ)(せい)に執着のない女性だった。

 いつ死んでもいいなんて言っては、よく俺を怒らせていた……。

 それこそ、きっと死の間際に聖杯が手に入ったとしたら、彼女は迷わず「死ぬ前に好きな漫画を最後まで読みたい」とか、そんなことを願うだろう。作品で迷うことはあっても、きっと願いの方向性で迷うことはない。少なくとも死にたくないなんて願わないだろう。

 そんな彼女だからこそ、俺は彼女に生きる意味を感じて欲しくて、俺と過ごす中で「生きたい」と思って貰えたらと思って、夢通実(むつみ)と付き合っていた。いつか、自分の人生に、自分の命に価値を感じて貰えたらと、そう思ってたんだ。

 もし仮に、今まで通りの日常が送れる状態で生き返らせることができたとしたって、夢通実(むつみ)はそれを望むだろうか? そんなの、俺のエゴなんじゃないだろうか?

 そうやって得た命で、一度死んで生き返った夢通実(むつみ)に、自分の人生に、自分の命に価値を感じて貰えるだろうか? 特別な命を得てからそれを感じたとして、それでいいのだろうか?

 そもそも、死んだ人間を生き返えらせるだなんて、許される行為だろうか? そんなことをしてしまっていいのだろうか?

 何より、夢通実(むつみ)はそんなことを望むだろうか? 単なる俺のエゴなんじゃないだろうか? どうしたら夢通実(むつみ)は幸せになれるだろうか?

 どうしたらいいんだ? どうするべきなんだ? どうするのが正解なんだ?

 悩んだ。俺は悩んだ。悩む時間だけはいくらでもあった。今は大学が夏休みだし、そもそもコロナでリモート授業や休講も多くて、外出自粛を促されてる今、いくらでも時間があった。自動車を見るのが辛くなった俺は、外に出るのが怖くなってしまった俺は、ほとんど自分の部屋に籠ってずっと悩み続けた。

 聖杯戦争の参加者に選ばれる前から、ランサーを召喚する前から、夢通実(むつみ)を生き返らせることが出来るかもしれない状況になる前から、夢通実(むつみ)のことで、たくさん悩んだ。悩んで、悩んで、悩んで、悩んだ。

 それで、ふと気づいたんだ。なんでこんなに悩まなくちゃいけないんだって。

 だって、夢通実(むつみ)の歳で普通は死なないじゃないか。平均寿命は右肩上がりだし、女性の方が男性よりも長いし、ほとんどの人はこんな若くに死なないじゃないか。

 なのに、なのに、なんで夢通実(むつみ)は死んだんだ? なんで夢通実(むつみ)は普通におばちゃんになるまで生きられなかったんだ? なんで俺は、こんなに悩まなくちゃいけないんだ? 苦しまなくちゃいけないんだ?

 ……でも、それは俺だけじゃない。夢通実(むつみ)の家族も、友達も、苦しんでる。他にも、若くして命を失う人も、割合で見れば少なくても、一人一人で見ればたくさんいるはずだ。理不尽な理由で苦しんでる人は、いくらでもいるんだ。

 なんでだ? なんで、理不尽に苦しむ人がいなくちゃならないんだ? なんで? なんでみんなが幸せになれないんだ? なんで? なんでだ?

 こんな世界、そんな世界、間違ってる……! そんな世界、こんな世界……、こんな世界……。こんな世界が、俺は許せない。許せない、許せない、許せない、許せない……。

 なんでだ? なんでだ!? なんでみんなが幸せになれないんだ!?

 夢通実(むつみ)の両親たちは、加害者を恨んで訴訟の準備をしてるらしい。でも、加害者が悪いのか?

 俺も、車を運転するのが好きだからわかる。

 ――ヒヤリハット。

 結果的には大きな事故にはならなくても、そういう事故になりかねないような、ヒヤリとしたりハットしたりするような事が、事故の数よりも圧倒的に多く存在していると言われている。

 俺も心当たりがある。運転するのが好きだから、たくさんドライブした中で、そういう経験はあった。

 実際に自動車事故の原因も、一番多いのは、油断や疲れなんかが原因でのちょっとしたミス、小さな違反らしい。

 人間は完璧じゃない。ミスもするし、ズルもする。ミスったとか、仕方がないとか、このくらいはとか……。誰だってそんなの、心当たりがあるはずだ。なのに、加害者が全部悪いのか? 管理者や責任者や、そういう誰かが悪いのか? 人間は完璧じゃないのに? 完璧じゃなかったから悪いのか? そんな人間たくさんいるのに、たまたまそれで大事(おおごと)になったら、そいつは悪者なのか? みんな完璧じゃないのに? 運が悪い奴が悪者なのか?

 ……俺は夢通実(むつみ)を失って、こんなに辛くて、こんなに辛くて、どうにかなってしまいそうなのに。辛い思いをしてる人が、それで歪んで犯罪者になったら、そいつが悪いのか?

 こんなに辛い日々が続いて、平気でいられる方が普通じゃないだろ? 道を踏み外さない方がどうかしてるだろ? そうならない人は立派かもしれないけど、そうじゃない奴は悪いのか? 弱い奴が悪いのか? 全部、そいつが悪いのか? 全部、誰かが悪いのか?

 なんで、なんでみんなが幸せになれないんだ?

 それは誰かが悪いのか? 誰かの所為なのか? 必ず誰かが悪いのか? 誰かが悪じゃなきゃいけないのか?

 そんなの……、そんなのっ……!

 誰も、誰も悪くないだろ?

 人間は完璧じゃないし、この世界だって完璧じゃないし。

 なのに、なのに、誰が悪いって言うんだ? 誰が、誰が悪いんだ? 違うだろ!?

 誰も、誰も悪くなんかないだろ?

 悪いのは、この世界だ。誰もが幸せになれない、この世界が悪いんだ。

 だから、俺は決めたんだ。だから、俺は誓ったんだ。

 俺はこの聖杯戦争に必ず勝利する。

 そして、この世界に復讐する。

 それが、どういうことなのかはわからない。

 でも、聖杯は漠然とした願いだって叶えてくれるはずだ。過程はいらない。ただ結果をくれる。明確なビジョンなんていらないんだ。

 だったら、そんなことはどうだっていい。

 俺は許せない。この世界が許せない! 夢通実(むつみ)が死ななくちゃいけなかったこの世界が許せない! 誰もが幸せになれないこの世界が許せない! そんな世界の在り方が、そんな世界そのものが、そんな世界の全てが俺は許せない!

 だから……! だから!

 俺はこの世界に、復讐をする。

*1
安倍総理の辞任:2020年8月28日に、第九十八代内閣総理大臣である安倍(あべ)晋三(しんぞう)首相が持病の悪化を理由に辞任を表明した。



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第22節 閉園まであと…01日!

「ねえ、ジェロニモ。一緒に遊園地、行かない?」

 

 ――“としまえん”。

 東京都練馬区向山にあるその遊園地は、西武池袋線の豊島園駅から徒歩一分という駅前に位置し、周囲を戸建(こだ)ての家々やマンションに囲まれた住宅街の真っただ中にある。

 その立地から、周辺住民や西武池袋線沿線の住人らに親しまれる地域密着型の遊園地であることは想像に難くないだろう。しかし、としまえんの魅力はその距離感だけにとどまらない。

 二十二ヘクタールという広大な面積の中に、世界最古級とも名高い回転木馬“カルーセルエルドラド”をはじめ、いくつものアトラクションを誇り、夏にはウォータスライダー“ハイドロポリス”を(よう)する大型プールが人気を博す。

 さらに、春には桜、初夏にはアジサイなどのささやかな自然が楽しめ、練馬区の成人式やコスプレイベントなど数多くの催しも行われる、非常に魅力のつまった場所なのである。

 そんな魅力いっぱいの、一九二六年に開園した歴史ある遊園地としまえんはしかし、九十五周年を目前に控えた二〇二〇年(ことし)の八月をもって閉園する。

 どれほどの人々に惜しまれようとも、その歴史は決して変わらない――。

 

「――それはわかったんだが、真衣(まい)? なぜ、私なのだろうか?」

 マスターである平川(ひらかわ)真衣(まい)から、今後の作戦、ではなく“としまえん”について説明を受けたサーヴァントのジェロニモは、相変わらず夏草のような色の浴衣と困惑を身に(まと)ってそう言った。

「それはもちろん、せっかく最後のとしまえんだし。大好きなジェロニモと、二人でデートなんか出来たらいい思い出になるかなぁ……なんて」

「……なら余計に、私ではなく、家族や友人と一緒に行った方がいいのでは?」

「でも、今さら家族ととしまえんに行く、っていうのもなんかねぇ……。そもそもチケット二人分しかないし」

 

 ――この時期は夏休みやお盆休みと重なる上にプールが開くため、元々繁忙期であると思われるとしまえんではあったが、今年は八月いっぱいで閉園するためさらなる混雑が予想される。

 そこに新型コロナウイルス感染症の流行が重なってしまったので、混雑を少しでも抑えるため、今年の夏は入場制限がかけられている。定員を設けた事前予約制で、既にチケットは完売。もう手に入らない。

 そんななか真衣は、特に行く相手もおらず、思い入れはあるもののしばらく行っていなかった自分が枠を奪うのも躊躇(ためら)われたため、としまえんに行くつもりはなかった。

 しかし先日、突然メールで二人分のチケットが届いたのだ。当選と書かれているものの応募なんかした覚えはなく、最初はスパム*1 か何かかと思ったが、いくら見ても詐欺やいたずらではなさそうだったので、思い切って行ってみることにしたのである。

 

「――友達も、遊園地に行くような友達はいないんだよねぇ。まあ、私、元々友達少ないけどさ。みんな仕事とか家庭とかでそれぞれ忙しいし。こんな状況だし、余計に誘いづらいしさぁ……」

「それで、私というわけか……」

「あっ、なんか今の感じだと仕方なくみたいになってるけど、私ジェロニモと行きたいんだからね? だって、推しとデートできるとか最っ高じゃん! 今年はこんな状況だから、出歩くのもなぁと思ってたけど。だから、こんな機会絶対逃せないもん! とにかく、絶ーっ対、ジェロニモと行きたい! それに、ちょっと憧れだったんだ。としまえんに……」

「――?」

「ううん、なんでもない。とにかく、一緒に行ってくれない? ジェロニモ」

「……」

 真衣の上目遣いに、戦士は困り顔をした。

 

     *

 

 としまえんのシンボル、百年以上も夢を乗せ運ぶ回転木馬“カルーセルエルドラド”。

 地上四十五メートルを振り子のように航海する絶叫マシーン“フライングパイレーツ”。

 エスエルに乗って高さ三メートルの空中散歩を楽しめる“スカイトレイン”。

 そして、小銭を入れると動く『きかんしゃトーマス』*2 の小さい子ども向けののりもの。

 ――閉園が明日に迫るとしまえんは今日も、たくさんの人々で賑わっていた。

 はりきって藍色の浴衣で身を包んだ真衣と、いつもの夏草色の浴衣を身に纏ったジェロニモは、園内に設置された休憩用のテーブルとベンチで一休みしていた。

「はー、美味しかった」

 くまさんのカステラが乗ったかき氷を食べ終えた真衣が言う。

 目の前を不意に小さな子供がかけていった。父親がその後を追う。

「……私の遊園地デビュー、としまえんらしいんだ」

「らしい、というのは?」

「いや、流石にちっちゃかったからほとんど覚えてなくてさ。

 実家、もう引っ越しちゃったけど、その前はこの辺でね。そろそろ公園じゃなくて、遊園地にでも行ってみようかって、としまえんに来てみたんだって。

 でも、小さいからさ。ああいう絶叫マシーンはもちろん乗れないし、並ぶのとかもぐずって大変だったみたいで……。

 それで、百円入れて動く、玩具みたいな乗り物があるでしょ? それに乗って、もうちょっと大きくなったらあれに乗ろうねーなんて話してたらしいの。

 高い入場料払って、ちょっと馬鹿みたいだけど。でも、私が楽しんでたからいっかって。こういう楽しみ方もありかもなぁ、なんて思ったんだって。

 それが、私の遊園地デビュー」

「……」

 照りつける太陽の下、表情豊かに真衣がする話に、ジェロニモが静かに耳をかたむける。

「だから私、ちょっと憧れてたんだー……。好きな人ができて、結婚して、子供ができたら、としまえんに行きたいなぁって。もうちょっと大きくなったらあれに乗ろうねー、なんてさ。素敵じゃない? もう、無理になっちゃったんだけどね」

「……」

「まあ、そんなこと言って、最近は全然来てなかった私が何言ってんのって感じだよね? 小学生の頃はプールとか毎年行ってたけど、中学生くらいになってから遊園地自体全然行かなくなっちゃったし。ディズニー*3 とかは何回か行ったけど、としまえんなんかたぶん、成人式以来だもん。

 いや、ずっと追ってきたファンでもないくせにラストライブだけ行く奴が許せないみたいな話? そういう人の気持ちもわかるなーって感じだったけどさ。いざ、自分がそっち側になってみたら、なんか……、なんか……」

「真衣……」

「ああ、ごめんね。なんか、遊園地とか全然よくわかんないよね? こんな話されても、って感じだよね? もー、ジェロニモになに話してんだろうね私。まあ、だから……。なんて言うか、今日は付き合ってくれてありがとう。最後に、好きな人と……、大好きなジェロニモと一緒にとしまえんに来れてよかった」

「……確かに遊園地については、座からも詳しく知識を得ていないから、私にはよくわからない」

「だ、だよねー。ごめんね」

「だが、故郷を奪われる気持ちならわかる。故郷を思う気持ち、という意味でなら、私にも真衣の気持ちはよくわかるよ」

「ジェロニモ……」

 不意に涙が込み上げてきて、真衣は勢いよく立ち上がった。

「てか、感傷に浸ってる場合じゃないね。けっこう並ぶしさ、さっさと乗り物乗りに行こう! サイクロンすごい並んでたしなぁ……。あれ乗っちゃったらほかほとんど乗れないかなぁ……。あー、めっちゃ悩むー! ジェロニモは? なんか乗りたいのない?」

「……フフ。私はなんでもいいよ。今日は、真衣にとことん付き合おう」

 そう言ってジェロニモは、座を離れた。

 

     *

 

「なんか変なとこ来ちゃった。こっちは何もなさそうだし、戻ろっか?」

 としまえんの一角、人気(ひとけ)のない辺りに迷い込んだ真衣が振り返ると、ジェロニモが緊迫した顔で言った。

「真衣! サーヴァントの気配だ。いや、なんだろうか……。(きり)の中で見る姿のような、ひどくはっきりしない気配だが、この魔力。恐らくサーヴァントだろう……」

「そんな。なんで、こんなところに……」

 突然の悲報に心がぐらつく真衣の鼓膜を、それは突然盛大に揺すった。

「はじめましてお嬢さ~ん!」

「やっ! ピエロ!?」

 それはピエロのような化粧と衣装に身を包んだ、西洋人風の男性だった。顔つきは外国人のそれだが、その日本語はとても流暢(りゅうちょう)だ。

「てかイケボ。……子安(こやす)さん?」

「真衣! その男だ! ――不思議な気配をしているが、君はサーヴァントかな? すまないが、今マスターは大事な休日を楽しんでいる最中でね。私は戦士として()ばれた身だ。君との戦い自体は歓迎だが、今日は間が悪い。出直して貰いたいのだが……」

 真衣をかばうように間に入ったジェロニモに、ピエロ姿の男が満面の笑みで答える。

「サーヴァント!? 戦士!? 私と戦う!? 何を(おっしゃ)っているのか、(わたくし)さっぱりなのですが! ああ、いけない。テンション、テンション。抑えて抑えて」

 白々しい喋り方をする男から目を逸らさず、ジェロニモが真衣に問う。

「真衣。子安さんとは?」

「えっ、ごめんジェロニモ。なんでもない。……あれ? でもサーヴァントなら関係なくないかも。確かFGOで子安さん*4 の声なのは、アンデルセンと、オジマンディアスと……」

「お嬢さん!」

「――後、誰かいたっけ」

「……。……えー、気を取り直して! そこの素敵なお嬢さんに、(わたくし)、耳寄りな情報を持って参りました。じゃじゃん!」

 そう言って男が懐から取り出したのは、ジェロニモの非公式グッズ。

「どうです? どうです? ジェロニモ×(かける)としまえんの非公式コラボグッズ! 非公式ではありますが、デキは公式にも引けを取りませんよ? ほら、ほら」

「……」

 真衣は返事をしない。なぜなら見惚(みと)れていたから。それほどまでにそのグッズは仕上がりがよく、デザインもよかったのだ。

 しかし、今日の思い出にぜひとも欲しいという思いを振り払い、真衣は言う。

「そんな非公式グッズ、絶対なんか裏があるに決まってます……。私はそんなところにお金は落としません」

「お待ちください、お嬢さん! 何か勘違いされているようですが、(わたくし)、これで一銭も儲ける気持ちはございませんよ? なんせ、一円も頂かないのですから」

「……一円も……頂かない?」

「ええ、ええ、もちろんですとも。非公式グッズで儲けようだなんてあくどい商売、(わたくし)は決していたしません。そもそも(わたくし)、お金には興味ありませんので。それに、もしも(わたくし)がサーヴァントだとすれば――」

 そう言いながら男はジェロニモを見る。怪しい笑顔を浮かべて。

「――Fateの登場人物。つまり、公式の人が作成したグッズですから、それってもう公式グッズじゃありません?」

「……確かに?」

 悪魔のような巧みな弁舌に一瞬納得しかけた真衣に、男が畳みかける。

「ですからどうです? チャレンジしてみませんか?」

「チャレンジ?」

「ええ。先ほども申し上げた通り、(わたくし)お金儲けをする気はございませんが、かといってせっかく作ったこのデキのいいグッズたちをそう易々(やすやす)とお譲りする気もございません。というわけで、あちらにあります特設屋台で射的! にチャレンジして頂きまして、見事景品を撃ち落とす! ことが出来ましたら、全てのジェロニモ×としまえんグッズを差し上げようと思うのですが。いかがですか、お嬢さん?」

「全ての……グッズを……」

 ごくりと真衣が唾を飲む。

「……」

 その隣では、ジェロニモ当人が困惑している。

「……ジェロニモ。私」

「真衣。これは罠だ。それも、確実に君を狙ったものだ」

「わかってる。それでも私……、行きたいの」

 真衣の決意は固かった。

「……はぁ。今日は君にとことん付き合うと言ってしまったからな。ただし、私が危険だと判断すればすぐに逃げるぞ」

「うん! ありがとう、ジェロニモ!」

 二人のやり取りを静かに見守っていた男が、そこでようやく声を上げる。

「決まりですね。それでは、お二方! ご案内(あんなぁ~い)!」

 

 ――というやり取りがあったのはつい先刻。

「……」

 真衣は、今にも熱々のアスファルトに手をついてしまいそうなほど、絶望していた。

「チャンスはお一人様一回! 一発! 一度切り! と申し上げましたからね。残念でした」

「そんな……。せめて、もう一回。いや、あと二回」

「駄目です。お一人様、一回限りですので」

「なんで? 令呪だって三画あるのに……。あの、ブラックバレルだって三発撃てるのに……。そんな……、そんなのって……」

 その時、彼が動いた。

「チャンスは一人一回、だったな?」

 ジェロニモの問いに真衣が顔を上げ、男が返事をする。

「ええ、お一人様一回でございます」

「ということは、私もやっても構わないのだろ?」

「……ええ、もちろんですとも」

「ジェロニモ……」

「真衣。安心してくれ。必ず略奪し(勝っ)てくる」

「ジェロニモ……!」

 ジェロニモは優しく微笑むと、屋台へと向かっていった。

「こちらが銃でございます」

「……うん。悪くないな。小細工はないと言っていたが、この屋台、魔力を感じるぞ? あの景品、ちゃんと撃ち落とせるようになっているんだろうな、君?」

「はて、魔力? 何を仰っているのかわかりませんが、あくまでも景品は撃ち落とさなくてはなりませんので、その点はご容赦ください」

「……景品が撃ち落とす過程で壊れたらどうなる? 撃ち落とさなくてはいけないルール上、それで壊れてしまった場合はそちら側の落ち度だと思うのだが」

「慎重な方ですねぇ、ジェロニモ様は。流石は(わたくし)魅入(みい)った方です。予想以上の方で何よりだ。ええ、こちらから説明させていただく手間が省けましたとも。仰る通り、撃ち落とす過程での破損はこちらの落ち度。そもそも、あちらの景品はあくまでも的用のお品です。お渡しする用の景品は別にご用意してありますから、ご安心ください」

「それを聞いて安心したよ」

 ジェロニモはそう言うと、銃を構えた。

「ジェロニモ! 頑張って……!」

「……」

 チャンスは一発限り。ジェロニモは銃に魔力を込める。

 最初からそう出来るようにデキていたかのように、その銃にはジェロニモの魔力がよく馴染んだ。

「……!」

 ジェロニモが引き金を引く。

 此度(こたび)の現界、初めての戦場、そこは遊園地としまえん。狙うはサーヴァント、ではなく魔術師でも怪物でもなく射的の景品。戦士ジェロニモ、しかし本気! 本気である!

 神秘を帯びた弾が刹那、宙を駆け景品に命中、魔術的な防護を突き破り撃ち落とす。

「――!」

 真衣が声にならない歓声を上げる。

「!」

 ちょうどその時、屋台が、装置が、ジェロニモの魔力を帯びた攻撃に反応し起動する。

 それは普通の人間であれば何も感じないような情報の発信だったが、魔力に敏感なもの、例えばサーヴァントであればその発生源をある程度察知できるような、そんな位置情報を特定の方角に向けてのみ発信するという絡繰りだった。

「……」

 男がニヤリと笑う。

「いやぁ、お見事お見事。まさか景品を取られてしまうとは」

 パチパチパチと乾いた拍手を響かせながら男が言う。

 ジェロニモが銃を返し、男はそれと引き換えに景品の詰まった透明の袋を渡す。

「おめでとうございます、ジェロニモ様」

「……本物のようだな。非公式グッズ、とやらに本物も偽物もないかもしれないが。特に魔術的な仕掛けもなさそうだ」

 ジェロニモはそう言うと、真衣の元へ戻った。

「ジェロニモー! ありがとう! ありがとう!」

「例には及ばないさ。それより、真衣に渡す前に私が開けてもいいかな? 魔術的な仕掛けがないか、念入りに確認しておきたい」

「あっ、うん。そっか。そういう可能性もあるのか。流石ジェロニモ! ありがとう。お願いするね」

 ジェロニモは真衣の返事を待ってから、慎重に袋を開けて中のグッズを確認する。

 何とも言い難い気持ちを(いだ)きながら、自分の非公式グッズをくまなく確認し、最後にちょっとした(まじな)いをかける。

「――うん、大丈夫そうだ。一応、簡易の(まじな)いをかけておいた。この霊基では大したことはできないが、保険くらいにはなるだろう」

「ありがとう、ジェロニモ! ジェロニモがおまじないかけてくれたってだけでもう、十分だよ! ジェロニモが取ってくれて、ジェロニモがおまじないかけてくれて、ジェロニモが渡してくれた、ジェロニモととしまえんに言った思い出の、ジェロニモグッズ……。ああーん、もう! ジェロニモがいっぱいだよ~!」

「私は一人だが……」

 ジェロニモが困惑する。

「一応、あの人にもお礼しなきゃ。――怪しいグッズだけど、ありがとうございます」

「いえいえ、礼には及びませんよ。こちらも目的のものはしっかりと頂けましたので」

「? 目的のもの?」

「ええ。()(あるじ)のための娯楽、ですかね? それでは……」

 そう言うと、男は屋台の解体に取り掛かった。

「ジェロニモ、行こっか。けっこう時間かかっちゃったし。早く戻らないと! 夜までにもっと色々楽しまなきゃ!」

「ああ……」

 忙しなく方向転換する真衣に少し圧倒されながらも、ジェロニモは男の様子をうかがう。

「……」

 鼻歌まじりに屋台を解体する男の姿は、とてもサーヴァントのようには見えなかった。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1436894837970665486?s=19

*1
スパム:受信者の要望に関係なく一方的に、無差別かつ大量に送信される電子メッセージ。

*2
『きかんしゃトーマス』:一九四三年にイギリスのWilbert Awdry牧師が病床の息子のために語ったお話を原点とする、顔のある機関車のキャラクターおよびその物語。絵本やアニメーションなどの形で、今なお世界中の子供たちに愛されている。

*3
ディズニー:ここでは「東京ディズニーランド」ないし「東京ディズニーシー」を指す。世界的に有名なWalt Disneyが原点となるディズニーキャラクターのテーマパークで、日本では一九八三年に「東京ディズニーランド」が開園し、今や日本で一番人気と言っても過言ではないテーマパークへと発展を遂げている。

*4
子安さん:自身が代表取締役を務める有限会社ティーズファクトリー所属の人気男性声優、子安武人。そのイケボ(イケメンボイス)で数多くの魅力的なキャラクターをより魅力的に演じている。




 
【修正一覧】

2021.09.18. 「真衣に渡す前に私が開けてもいいか?」→「真衣に渡す前に私が開けてもいいかな?」


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第23節 約束は雨天の打ち上げ花火のように

 夏の日没はまだ来ない。

 としまえんの広場では、男女のパフォーマーが、それぞれヨーヨーと一輪車を巧みに操り観客を沸かしている。

 音楽に合わせて行われる息の合ったパフォーマンスを(見・魅)せる二人は、実は夫婦であるらしい。子供の頃、児童館に通っていた彼らは、当時から片やヨーヨー片や一輪車に夢中で、その後パフォーマーの道に進み、今や夫婦でもあるという素敵なエピソードが語られた。

 夢と生活、人生をかけた二人のパフォーマンスは、終わりを迎えようとするとしまえんで、アトラクションにも負けず劣らず観客たちの目を(引・惹)いている。

「……」

 真衣とジェロニモも、そんな観客の一人だった。

 夜に行われる花火を見たかった真衣は、余裕を持って夕飯を食べようと、園内のインドカレーのお店へ向かう途中で彼らのパフォーマンスに目を引かれ足を止めたのである。

 間もなくパフォーマンスは終了し、観客の大きな拍手が飛び交う。

「……真衣?」

 遠巻きにパフォーマンスを眺めていた真衣の目から、不意に涙が零れ落ちた。

「あっ、あれ? なんだろう? はは……」

 手の甲で目元を拭い、真衣が笑う。

「どうしたんだい?」

「いや、大したことじゃないんだ。

 さっきの話、聞いた? 子供の頃に児童館でヨーヨーとか一輪車で遊んでて、今じゃプロで、結婚してるなんて、すごくない?

 それに比べて私なんかさ。普通に進学して、普通に就職して、特に大きな夢もなくて。ただ、幸せになれたらなって。普通に結婚してさ。好きな人と子供と一緒に、幸せな家庭を築けたらなぁなんてちょっと時代遅れなこと思っちゃってたりなんかしてさ。でも結果、彼氏もいないし、こんなんじゃん? 私、何してるんだろうなーって……。

 好きなものは、追いかけてるけどさ。でも、あんな風に堂々とじゃなくて。そりゃあ、昔と比べたらオタクイコールキモイみたいな感じじゃないし、職場でもそこまで隠してないけどさ。部屋中ジェロニモグッズだらけで、こんな重度のオタクだなんて、やっぱ知られたくないしさ。好きなものにも、ジェロニモにも失礼だよね? はは。ほんと私、何してるんだろうなって。何やってるんだろうなって、思っちゃって……。ほんと馬鹿だよねー。はは」

「真衣……」

「ごめんね。ちょっとトイレ行ってくる。混んでるかなぁ……。てか、メイクだいじょぶかな? やば! ここで待っててね?」

 そう言うと、真衣はジェロニモの返事を待たずに慌ただしく走って行った。

「……」

 ジェロニモはその後ろ姿を、静かに見守った。

 

     *

 

 としまえん内にあるインドカレーのお店“マサラ”で夕飯を済ませた真衣とジェロニモは、としまえんの公式グッズを購入したりゆっくり園内を散歩したりして残りの時間を過ごし、今は夜八時から打ち上げられる花火を目前にして場所を確保していた。

「花火、楽しみだなぁ~。生で見るのなんて久しぶりだよ。今年は特に無理だと思ってたもん」

「ふふ。よかったね、マスター。……私も、花火には少し興味がある。捕虜になってからは興味深いものをいくつか見たが、そのどれとも比べものにならないくらい、日本の遊園地というのは不思議なものだった。真衣。今日は私も楽しませて貰ったよ。ありがとう」

「ジェロニモ……」

「ふふ。今日は真衣にとことん付き合うと言ったが、感傷的な気分まで移ってしまったようだな。真衣の言葉では、エモいと言うんだったかな?」

「もー、ジェロニモ。馬鹿な私でも感傷的くらいわかりますー」

「そんなつもりはなかったのだが。すまない」

 二人が笑い合う、幸せなひと時。

 花火が始まるまであと少し。

「真衣! サーヴァントの気配だ! 今回は明らかにサーヴァントのものだ」

「えっ!? そんな……。今?」

 一瞬にして幸せなひと時にヒビがやって来て、真衣の顔から微笑みを奪う。

 近づいてくる絶望、一組の男女、マスターとサーヴァント。

「マスター。あの浴衣を来た肌の黒い男、わかる? あいつがサーヴァントだと思う」

「……ジェロニモ、か?」

 

 ――ジェロニモ。ネイティブ・アメリカン、アパッチ族の戦士。

 本名には「あくびをする人」を意味する穏やかな名を持ち、アパッチ族の誇りと義理を重んじる人物だったという。侵略や裏切りには激しく抵抗し、一族の規範の内では略奪も行ったが、敵との同盟も歓迎し、降伏後は捕虜として穏やかに暮らしたと伝えられている。

 しかし、敵軍がつけた渾名(あだな)であるジェロニモの名の方が有名であり、メキシコ軍や合衆国軍との戦いでは“赤い悪魔”とまで恐れられたその苛烈な逸話から、今なお反抗のシンボルとして語り継がれている。

 

「お前たち、聖杯戦争の参加者だな? 悪いが消えて貰う。だが、ここでの戦闘は流石に避けたい。そこの川に来い。もう少しで花火が始まる。花火の最中なら、戦闘の音も誤魔化せるだろ」

 マスターの方――達也が先陣を切り二人に言葉を吹っ掛けた。

「すまない。私も戦士だ。戦うのは歓迎だが、私のマスターはその花火を楽しみにしている。少し待ってもらいたい。私は私たちの誇りにかけて決して約束は破らない。花火が終わればどこへでもついて行き、君たちと戦うことを約束しよう」

 ジェロニモの穏やかながら圧のある言葉に、達也は憤りを燃え上がらせる。

「花火が楽しみだと……? どいつもこいつも遊び気分で……。何が戦士だ。戦う気がないなら好きにしろ。ランサー、こいつを今ここで()れ」

「ちょっとマスター、流石にここでは……」

 達也は右手の甲の“愛怨(あいえん)に燃える車輪の令印”をブーディカへ向け言い放つ。

「こんなところで一画を消費させるつもりか?」

「マスター……」

 ブーディカが躊躇(ためら)いを越えて諦めに辿り着く前に、もしくは何か代替え案を探し当てる前に、ジェロニモが譲歩して道を(ひら)いた。

「わかった。花火まで時間がない。急ごう」

「ジェロニモ……」

「真衣。私は我々の誇りにかけて、真衣と必ず花火を見よう。なに、川なら女子トイレほど込んではいないだろう? 一瞬で済ませて、花火が終わる前には戻って来るさ。だから、真衣はここで花火を見ながら待っていてくれ」

「ジェロニモ……」

 

 ――真衣は、ジェロニモに戦って欲しくなかった。

 それはただ、少しでもジェロニモと長く一緒にいたかったからというだけではない。むしろ、聖杯戦争に勝って本人の同意も得られれば、ジェロニモに受肉して貰い、もっとずっと一緒にいられる可能性さえあるのだ。

 それでも、真衣はジェロニモに戦って欲しくなかった。

 それは、ジェロニモという英霊の、偉人の逸話を知っているから。そして、彼が本当は心優しい人間だと思っているから。だからもう、彼に血に塗れた戦いに身を投じて欲しくなかったのだ。せめて略奪とも戦争とも縁遠いこの地でくらいは、彼に戦って欲しくなかったのだ。

 

「ふん……。行くぞ」

 園内を通る石神井川(しゃくじいがわ)*1 に向かって歩いていく達也たちに、ジェロニモが続く。

「……待って! ジェロニモ。私も行く!」

「……真衣。花火はいいのかい?」

「ジェロニモと見れないなら意味ないよ! それに、一瞬で終わらせるんでしょ? たしか七分くらいだったから、戦いに勝ったら特等席まで連れてって。どっか誰もいない場所で、二人きりで見よう? それもそれで、アリじゃない?」

「真衣……。わかった。君がいてくれるなら心強い」

「ジェロニモ……」

 そんな二人のやり取りに、達也はチッと怒りの火花を打ち上げた。

 あの日、花火に照らされていた綺麗な横顔は、今はもう壺の中の灰――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1437325246529355780?s=20

*1
石神井川:東京都小平市花小金井南町の水源から始まり、同都内北区堀船で隅田川と合流する、延長約二十五キロメートルの河川。都内では比較的大きな河川で知名度もある。



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第24節 地上の花火

 人目を忍んで石神井川へと下りた真衣たちは、冷たい川の水で足を撫でられながら、花火が上がるのを待っていた。

 ブーディカたちの提案で、最初の花火が打ち上がる音を合図に戦いを始めることになったのだ。今は、河原のない川に立ち、両者とも足を濡らして待機している。

「真衣、手を」

「――!」

 ジェロニモは真衣の右手を取ると、その中指に親指を乗せぎゅっと力を加えてから、手の甲に口づけをした。そこには、“推しをイメージしたハートの令印”がある。

「ジェロニモ……」

 真衣の胸がざわつく。

「真衣、落ち着いてくれ。君に必ず勝利を捧げることを約束しよう。ビールを買う時間はなかったが、それをつまみに花火を見るとしよう」

「……うん。頑張る」

 ジェロニモは微笑むと、ブーディカの方へ向かった。

「インディアンって、意外と紳士的なんだね。あっ。ネイティブ・アメリカン、って言った方がいいのかな? ごめんね。あたし、古代の人間だから、その辺の事情には疎くて……」

「構わないさ。君に他意がないことはわかっているし、私はずっとインディアンと呼ばれてきた。そもそもジェロニモも本名ではないからね。好きに呼んでくれて構わないよ。

 それに私は、ジェロニモの名の通り武勇の方が有名らしいが、これでもスーツを着たことだってある。そちらの戦士とはその在り方は違うかもしれないが、我々はとても義理堅く、誇り高い。決して野蛮な民族などではない」

「そっか。覚えておくよ。……ねえ。あたしたちの境遇って、ちょっと似てるよね? 侵略されて、反乱を起こして、戦争としては、最後には負けてしまって……」

「……そうかもしれないな」

「うん。誇り高い戦士どうし、君とはいい戦いが出来そうだ」

 そう言うとブーディカは、その手に槍を出した。

「――君も武器を構えていいよ。距離はこのくらいで、ちょうどいいかな。よーいどんで、花火が撃ち上がるのを合図に開戦だ。そうしたらもう待ったなし。どちらかが消滅するまで戦いは終わらない。それ以外にはルールもズルもなし。どっちが負けても恨みっこなし。それでいいかな?」

「ああ、いいだろう」

 そう言ってジェロニモは袖の下に手を忍ばすと、両手に一本ずつナイフを握りあらわにした。

「――FGO、と言うんだったかな? の私はキャスターのサーヴァントらしいが、今の私は生粋の戦士だ。近接戦闘を得意とし、弓がなくともナイフ一本で敵陣に突撃し、間近で敵の血を浴び戦った赤い悪魔。接近戦は私の得意とするところだ。ランサーとはいえ、飛び道具なしに私に挑むのならば、油断はしない方がいいぞ」

 

 ジェロニモの言う通り、彼は戦争での武勇が(のこ)る英霊であり、『Fate/Grand Order』においても魔術師(キャスター)のサーヴァントでありながら接近戦闘を得意としていた。

 かたやブーディカは今回、槍を持って現界こそしているものの、あくまで戦士としてではなく女王として、反乱のカリスマや戦いの象徴として名を遺した英霊である。生粋の戦士を相手に一騎打ちの決闘では分が悪いことは明白だった。

 勝ちの目があるとすれば、それは槍とナイフという、獲物の長さの差くらいであろうか。

 

「ご忠告どうも。そろそろ、かな……?」

「……」

「……」

 語らいを止め、沈黙する二人。

 優しい川のせせらぎが、緊張感を高めてゆく。

 そして――。

「――!」

 盛大な音に続いて最初に動いたのはブーディカだった。

 長身のブーディカの腕の長さ、彼女の持つ槍の長さは、それそのままにリーチの広さとなる。あっという間にその間合いにジェロニモが入る、その直前。

「――!?」

 冷笑を浮かべたジェロニモが二本のナイフを前へ放り投げた。

「ミドル!」

 それは投擲などではない。明らかにジェロニモはナイフを放り投げ、捨てた。その顔には冷笑が浮かんでいる。勝負を投げ、捨てたのか? 真剣なブーディカを嘲笑っているのか? それともナイフに何か仕掛けがあるのか? 何を考えている? ミドルという言葉の意味とは?

「ジェロニモ! 速く!」

 真衣の声が響く。

 混乱しながらもすんでのところで踏みとどまり、ナイフを槍で払いのけたブーディカの頭に敗北がよぎった時にはもう、ジェロニモが瞬間移動ともいえる速度で銃を構えていた。

「――!?」

 花火の音に紛れてジェロニモの銃が火を噴く。倒れゆくブーディカの身体から血飛沫が上がる。

「ランサー!」

 達也の声が響く。ブーディカが川に倒れる。バシャッという音が虚しく打ち上がる。

「……やった」

 勝利を確信した真衣が小さくつぶやく。

 ぎゅっと握られたその右手にある“推しをイメージしたハートの令印”は、いつの間にか二画になっていた。

 

 ――先刻、ジェロニモがした口づけ。あれは、サインだった。

 真衣は戦いの素人である。魔術も使えない一般人だ。故に、戦況に応じて令呪の使用や逃走などの判断を行うことは難しい。

 そこでジェロニモは、あらかじめ右手と左手の指それぞれ四本に対応した作戦を決めておき、その指を示すことでサインとすることにしていた。五本でないのは、一本の指は自由にしておき、単に方向を指し示すサインなどとして使えるようにするため。そして、ジェロニモにとって意味のある数字である四を作戦の数にすることで、願掛けも兼ねていた。

 さらに、万が一真衣がサインの内容を忘れてしまっても平気なように、右手は令呪を使用した作戦と決めてあり、内容が思い出せなければ、漠然とした命令をするように決めてあった。後は逃走のサインだけは忘れないようにすれば、まず最悪の事態は回避できるだろうというのがジェロニモの策だった。

 そして、先ほどの右手の中指に対応していたのは、令呪で加速を命ずる作戦。「ミドル」はその掛け声だった。

 サーヴァントの戦闘速度は時に音速をも超えると言われている。その真偽はさておき、スポーツ経験にさえ乏しい真衣の目では戦況を全く見切れないことは確かだ。

 故にジェロニモは戦いの前の会話で接近戦を印象付けておきながら、自分がブーディカの間合いに入る直前で武器を投げ捨て混乱を誘うと同時に、警戒してナイフを回避するように仕向け、時間的な隙を作った。

 そして、それと同時に令呪使用の指示を出し、瞬間移動をも可能とする令呪の後押しを(もっ)て今の自分の一番の武器である銃を出し、構え、撃ったのである。

 全ては確実に相手を仕留めるために。

 

「ジェロニモ!」

 喜びの声を上げた真衣が気づいた時には、ジェロニモの胸を槍が突き抜けたていた。

「ぬぅんっぅぅぅぉぁぁぁ……!」

 ズボッと槍が抜かれ、エーテルで再現された鮮血が川に落ち、赤い(もや)を描きながら流れていく。

「ジェロ……ニモ……?」

 真衣の前でジェロニモの身体がキラキラと光の粒子を発し始める。

「……危なかった。本当なら、今のはあたしが負けてたよ」

「ランサー……」

「ごめん達也。心配させちゃったね」

 霊核を貫かれ消滅が始まったのを見届け、ブーディカが下がっていく。彼女の鎖骨の下辺りには、ジェロニモに銃弾で貫かれた生々しい傷があった。

 彼女は完全にジェロニモの策にハマった。本当なら、今立っていたのはジェロニモで、ブーディカはあのまま倒れていたことだろう。

 しかし、戦いは無情である。どんなに知略を巡らせようとも、どんなに努力を重ねようとも、どんなに実力を備えていようとも、それが必ず報われるとは限らない。

 勝利は研鑽の証ではなく、敗北は怠惰の証ではなく、強さの証でも弱さの証でもないそれはただ、勝った者の手にあるだけのもので、敗けた者の手にあるだけのもの。

 単なる幸運で、ないし不運で、勝敗が決することもある。

 ブーディカはジェロニモの思惑通り、まんまと混乱させられた。そして、急に踏み込むのを踏みとどまった。それ故に、普段ならば犯さないような失態を犯したのだ。川の流れと濡れた石に足をとられ、転倒したのである。

 もちろん、ブーディカは態勢を持ち直そうとした。しかしそれは失敗し、結果的に転倒のタイミングは図らずも、ジェロニモの銃弾をギリギリで回避するのにピッタリのタイミングとなった。

 それ故、ジェロニモは反応が遅れた。銃弾が急所を外れたことに気づき対応するのに、僅かな時間を要した。

 そして、最良のタイミングで転倒したブーディカは、即座の反撃に移り勝利を奪い取ったのである。

「――これも、女神アンドラスタのご加護かな。後味のいい勝利じゃなかったけど。まあ、これは復讐のための戦いだ。こういうことも、あるよね……」

「……」

 栄光のない勝利を得た二人の側では、真衣が川の中に膝をついて浴衣を濡らし、頬を濡らしていた。

「ジェロニモ……、やだ……。ジェロニモ……!」

「……すま……ない。……真衣」

 真衣はそこではっとなり、右手を握りしめて叫ぶ。

「ジェロニモ! 消えないで! 消えないで!」

 真衣の右手から残り二画の“推しをイメージしたハートの令印”が消える。

「――!」

 達也とブーディカに緊張が走る、が、ジェロニモの消滅はもう止まらなかった。彼の霊核はすでに、令呪二画分では回復しきれないほどのダメージを負ってしまっていた。

 令呪二画で出来たことは、せいぜい消滅までの時間を引き延ばすことくらいだった。

「……もう、俺たちの勝利は決まったようだな」

「うん。そうだね」

「とどめを刺す必要はないだろう。ランサー、行くぞ」

「うん」

 ブーディカは返事をすると、達也を抱きかかえて川を跳び立った。

「ジェロニモ! ジェロニモ!」

 後にはゆっくりと消滅していくジェロニモと、泣き叫ぶ真衣だけが残される。

「……」

「……綺麗」

 不意に真衣がつぶやいた。

「……? 花火が……見えるのか……?」

 一瞬で勝負は決した。打ち上げ花火はまだ終わっていない。

 ドーン、ドーン、パラパラパラ……と花火の打ち上がる音がここにも届いている。

「……違う。そうじゃなくて……。ジェロニモが、きらきらして、綺麗だなって。花火みたいだなって」

「……ふっ。ふふふ。私が花火みたい、か……。それはそれは……、血にまみれた、汚い花火だろうなぁ……」

「そんなことないよ。とっても綺麗だよ。ジェロニモは、とっても綺麗」

「ふっ……、そうか……」

 真衣の腕の中で、ゆっくりと光の粒子になって消えてゆく戦士。

 その身体は、彼の穏やかな人となりを表すかのようにキラキラと静かに輝いて、盛大な音と共に天に咲く大輪の花にも、負けず劣らず輝いていた。

 それはまるで、地上の花火のようで――。

「私は、戦士として……。復讐者として、現界した……。しかし、そんな私を……()んだのは……戦う気のない……君だった……」

「ジェロニモ……」

「初めは……憤りもしていた……。戦いたいと……。なぜ、こんなマスタのもとに、()ばれてしまったのかと……。自分をも、恨んだ……」

「ジェロニモ……。ごめ」

「違うぞ! 真衣。うっ……!」

「ジェロニモ!」

「大丈夫だ……。うっ、ううううう! あぁ……。君と……穏やかに……暮らす中で……。何を……しているのだろうと……。私は……何を……しているのだろうと……、何度も……思ったよ……」

「……」

「だが……、今……思い返せば……、どれも……幸福な……時間だった……。だから、こそ……! 勝利を……。花火を……君と……見られなかったことが……。約束を……守れなかったことが……。うう……、すまない……。本当に、すまない……」

「ジェロニモ……」

 真衣の目から枯れない涙がこぼれ落ちていく。

「私は……君と出会えて……よかった……。文化も……生活も……違うが……、これが……きっと……、私が……復讐のため……立ち上がった……理由……。私が……願った……ものだったのだ……。それに……もう一度……気づけたよ……。真衣。君の、お陰だ……」

「……」

「我々にとって……深い……親愛と……責任で結ばれた……者は……、家族だ……。真衣……。君はもう……私にとって……娘だ……。君の望む……形では……ないかもしれないが……。真衣」

「……」

「私は君を、愛しているよ……」

「……ジェロニモ。私も、私もだよ! 私もジェロニモを、愛してる。大好きだよ、ジェロニモ」

 じきに花火は終わる。としまえんは閉園し、今年の夏も終わる。

 どんなに惜しまれようと、愛されようと、終わりを迎える。

 ジェロニモの輝きも、現界も終わり、彼もまた消滅する。

 わずかな別れの時間を、二人は最後まで、最後まで、穏やかにすごした――。

 

     *

 

 どれほど泣いていただろうか。真衣は立ち上がる。

 顔も浴衣もぐしょぐしょで、脚はすっかり川の水に冷やされて、夏だというのに真衣はひどく寒かった。

「はぁー……。私、もういい歳だし? ゲームの中のキャラクターと本気で付き合えるとか、思ってないし……」

 真衣は大きな一人言を言いながら歩き出す。

「はぁ、婚活でもしよっかなー。マッチングアプリとか初めてみようかな。あれ、どうやって探すんだろう。ジャンルとかで探すのかな? ジェロニモ似、とかあるかな……。って、ないない! 約束を破るような男はない!」

 先ほどまでの涙が嘘のように、真衣は元気そうな声で(わめ)く。

 もちろん、それが嘘ではなかったことは、真衣の目が物語っている。

「てか、どうすんのこれ! せっかくの浴衣びしょびしょだし、サンダルでこんな川とかヤバイんだけど! 絶対風邪ひくじゃーん。明日から仕事だしぃ~……。どーやって帰ればいいの~。もー、こんなところに置き去りにしてー。警察とかに見つかったらどうしよう。なんて言い訳すればいいの?」

 真衣はまた込み上げてくるそれを吹き飛ばすように大きな声で叫んだ。

「ジェロニモのばか!」

 

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1437719171190562830




 

AiEnのマテリアルⅣ


ジェロニモ(AiEn)
 ――AiEnのアーチャー?

筋力(A),耐久(A),敏捷(A),魔力(D),幸運(C),宝具(?)
復讐者(A),忘却補正(C),自己回復(魔力)(D)

夏の魔物(B)
 スキル“血塗れの悪魔”が夏の霊基によって変化したもの。アパッチ戦争では敵軍から「赤い悪魔」と呼ばれ恐れられたという。

インディアン(夏)(A)
 詳細不明。キャンプに役立ちそう。ちなみに「インド人」を意味する「インディアン」という名称は勘違いによる呼称であると共に、歴史的な背景から差別的なニュアンスもあるため、現在では「ネイティブ・アメリカン」や「アメリカ先住民」などの呼称が一般的になりつつある。しかし、今の人間が何を思い何と呼ぼうと、彼が「インディアン」と呼ばれた歴史は変わらない。

縁日の略奪者(トリガー・ハッピー)(C)
 詳細不明。縁日といえば祭り、祭りといえばハッピでハッピーだとか、家族を殺されたことがトリガーとなって狂戦士になっただとか、そういうのが掛かっているとかいないとか……。


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第25節 水いらずのおちつき

 白く平たい陶器のお皿に、夏野菜がたっぷり使われたカレーライスが盛られている。

 そのカレーは汁物というよりあんかけのような水分量で、豚肉とナスとともに入れられた赤と黄色のパプリカが鮮やかに食欲をそそり、添え物のローストされたカボチャやオクラ、ミニトマトがさらなる彩りを演出している。

「……これは、とても美味しそうですね」

「ほんとですか? 一応味見はしたんで、味も悪くはないと思うんですけど。マシュさんのお口に合うかどうか……。」

 そう言って直輝が座布団に座る。

 今、二人分のカレーライスと麦茶が卓袱台(ちゃぶだい)に並べられ、直輝とマシュの昼食が始まろうとしていた。

「それでは、いただきます」

「はい。」

 直輝が見守る中、マシュはさっそくカレーを一口、スプーンですくって口へと運ぶ。

「……」

「……。」

 無言でカレーを味わい、のみ込むマシュを、直輝は静かに見守った。

「……木村さん。これは……」

「……はい。」

「とても美味しいです」

「本当ですか?!」

「はい!」

 笑顔でもう一口、マシュがカレーを口へと運ぶ。

 すると口の中に、カレーの濃厚な味わいとともに、酸味を伴う鮮烈な旨味が広がる。

「普通のカレーではないとおっしゃっていましたが、確かにこの味わい、わたしの知っている日本の一般的なカレーとは異なっています。かといって、この旨味はスパイスの味わいともまた違うように思われますが。いったい、これはどのようなカレーなのでしょうか?」

「無水カレーです。」

「無水……カレー……」

 

 ――無水カレー。

 それは文字通り、水を使わないカレーである。

 本来日本のカレーは、水にカレールーを溶かして作るものである。それは、市販のルーではなくスパイスを使った本場風のカレーでも変わらないだろう。水はカレーの基本的な材料。それは日本のみならず、国境を越えた共通認識ではないだろうか。

 しかし、無水カレーはあえてその水を加えずに作る。では、どうするのか。焼きものにするのか? 炒めものにするのか? (いな)、素材の水分を使うのである。これによって、旨味がぎゅっと凝縮された味わいに仕上がるという寸法である。

 それは日本において王道の人気メニュー“カレー”。の作り方でありながら、その王道レシピを逸脱した邪道。水道から得た無機的な水分を使うのではなく、有機物由来の、生き物の、命の水だけを使うという恐ろしい発想。悪魔的所業。しかして、その味もまた悪魔的。一言でいって、美味である。

 

「なるほど。それでこのような、フレッシュな旨味があるのですね。…………ですが、この酸味。ナスのものでもパプリカのものでもありません。…………いったい、なんの味なのでしょう?」

「トマトです。」

 

 ――トマト。

 それはかつて、その真っ赤な見た目から毒を持つと考えられていたという悪魔的果実。

 好みは分かれど今や日本でもポピュラーなこの食材は、多量の水分を含むとともに熱で崩れやすいため、邪道にして悪魔的な美食“無水カレー”のメインにぴったりの食材なのである。

 トマトが嫌いな理由として多く挙げられる触感も、ぐずぐずに溶けてしまえば気にならず、青臭さもスパイスの香りで消えてしまう。カレーとトマト、その相性は抜群なのである。

 さらには熱することでトマトの主要な栄養分リコピンの吸収効率が上がるほか、トマトの酸味がカレーに欠かせない食材である肉の臭みを消してくれ、中でも豚肉と合わせることで疲労回復効果のある栄養素のオンパレードを巻き起こすことが出来るなど、その相性の良さはとどまるところを知らない。

 

「……この酸味は、トマトによるものだったんですね。たしかに言われてみれば、ミネストローネのようなトマトの風味があるように思えます。ですが、言われなければピンときませんでした。これなら、トマトが嫌いな方でも美味しく味わえるかもしれませんね。とても食べやすいです」

 マシュはそう言い終えると、すぐに新しい一口を頬張った。

 形がなくなるまでじっくりと煮込まれたトマトがカレールーと溶けあい織り成す味わいは凄烈(せいれつ)で、口の中を満たすカレー本来の濃厚さはそのままに、フレッシュな味わいがそこかしこで炸裂する。

 すっかり溶けてしまったとろけるチーズの風味も、トマトの酸味と相性がよく、時々その旨味を爆発させる。

「よかったです……。」

 直輝は静かにそう言うと、付け合わせのローストした野菜にスプーンを伸ばした。

 

 ――ほくほくとした食感で甘みのあるカボチャ。歯ごたえがあり粘りのあるオクラ。そして、熱により甘みが強まったミニトマト。どれも塩などの調味料は一切使わず、素材の味をそのままに魚焼きグリルでローストされている。

 カレーをソースのようにして味わえば、その特徴的な味わいと食感がアクセントとなって、濃厚な無水カレーを飽きさせることなく楽しませてくれる。全くもって口に楽しい付け合わせたちである。

 そして何より、どれも旬の夏野菜。栄養たっぷりで、旨味もたっぷりである。

 

「……すごいですね。木村さんにこんな特技があったとは」

「いえ。普段は料理なんかしないので、このカレーも、ビギナーズラックです。」

 しばらく前にたまたま漫画*1 で見て、ずっと食べてみたかった“無水カレー”。それを、今日は胃の調子が比較的よかったので作ってみたのである。

 普段は料理なんかしない分、思いっきり楽しもうと奮発してカレーに合いそうな旬の夏野菜を買い込み、いくつかのレシピを参考に作ってみたところ予想以上に上手く出来たため、直輝自身も驚いていた。

「あっ。麦茶、おかわりしますか?」

「はい。お願いします。それと、その……。カレーのおかわりは、あるのでしょうか?」

「カレーのおかわり、ですか? ありますけど……。食べてくれるんですか?」

「はい! ぜひ、いただきたいです」

 マシュの言葉に、直輝はうれしそうに微笑んだ。

 それは、円卓を囲んで交わされる、悲愴な戦いの合間の平穏なひと時――。

 

     *

 

「木村さんは、ご家族と とても仲が良いのですね」

 実家に持っていくカレーのおすそ分けをタッパーに詰めていた直輝に、マシュが部屋から声をかける。

「……まあ……今は……、そうですね……。」

 昨日も直輝は家族と一緒に、としまえんの花火を見るため、少しばかりマシュを残して出かけていたのだ。

 そして今晩も、手作りのカレーを少しばかりタッパーにつめて持って行こうとしている。

「なのに、なぜ木村さんは、一人暮らしをしているのですか?」

「……殺しちゃいそうだったから、ですかね。」

「……」

 マシュは耳を疑った。

 そんなマシュのもとへ戻って来た直輝は優しく微笑んだが、冗談を言っているというような顔ではなかった。

「色色あって――。」

 そう切り出した直輝は、微笑みを絶やさず語り出した。

「別に、家族が嫌いとか、そういうわけじゃなかったんですけど。家族が家にいるだけでイライラして、いつ家族が帰って来るかわからないってだけで落ち着かなくて。最後の方は、家にいたくなくて、よく電車で定期圏内を行ったり来たりしながら、読書したりうとうとしたりしてました……。寝つきもとても悪くて……。

 それで、このままじゃいつ何かの拍子に殺しちゃうかわからないなと思って。例えば、寝不足で眠いのに眠れない夜なんかに、もし隣でいびきをかいて寝てる母親に寝相で蹴られたりでもしたら、衝動的に殺しちゃいそうだと思ったんです。それで、一人暮らしを早めたんです。

 もともと、妹が大学を卒業したらもう、家のことは全部妹に任せて家を出る予定だったんですけど……。」

「……」

「後、体も限界で。実家、高校三年生の夏から、ガス通ってなかったんですよ。それまでもガス代滞納して止まることはたまにあったんですけど、一カ月以上止まっちゃうと復旧するのに点検が必要で。

 でも、(うち)ゴミ屋敷級の散らかり具合で、とても業者さんを呼べるような状態じゃなくて。しかも、古いのもあってお風呂場とかも色色壊れてたんで。家賃滞納して出ていかなきゃいけないかもしれないようなトラブルになったこともあったから、もし修理になってもめても困るし、そのままになってたんです。なんだかんだ、ずっとそういう生活だと慣れちゃいますしね……。

 で、割高だけど、料理とかはカセットコンロを使ってて。でも、体洗うのにカセットコンロでちまちまお湯を沸かすのも面倒で、俺は真冬もよく水浴びしてたんですよ。そしたら、去年の冬に、ついに心臓とか肺が酷く痛むようになっちゃって。

 その防犯ブザー*2 も、そういう理由で置いてあるんです。一人だから、もし急に倒れた時のために。まあ、鳴らせたとしてもまず助からないとは思いますけど。夏場とか、発見が遅れて腐っちゃったらと思うと、まあ、ないよりはマシかなと思って……。」

「……」

「まあでも、俺が一人暮らし始めて割りとすぐ、実家のマンションが建て壊しになったんで引っ越して、今はもう実家も普通にガス通ってるし、ちゃんとした布団で寝てるんですけどね。ちょっとなんていうか、腑に落ちないんですよね」

 そう言って直輝は、冗談でも言ったみたいに笑ったが、マシュは予想外の直輝の過去に言葉を失って愛想笑いすら返せなかった。

「……ごめんなさい。マシュさんが優しく聞いてくれるから、つい、喋り過ぎちゃいましたね。」

「いえ、そんなことは……」

「いやぁ、出だしがよくなかったですね。」

「たしかに、驚きはしましたが……。よくなかったということはありません」

「ほんとですか? じゃあ、もう一個聞いてくれます? 俺、家族ネタには事欠かないんですよ。」

「家族ネタ……ですか?」

「はい。俺、もともとは大学進学を目指してて、頭も悪いから、浪人しながらアルバイトしてお金貯めてたんですね。でも、けっきょく色色あって、大学進学は辞めて。で、そのお金を一応貸しってことで妹に貸して、大学の入学金を俺が出したんです。」

「すごいですね。大学の入学金というのは、かなりの額だと思うのですが……」

「まあ、俺も大学行きたくて、貯金してたんで。あの頃は、頼まれるだけシフトに出続けて、最高三十四連勤とかもしましたし、そういう感じだったんで。」

「三十四連勤ですか? 木村さんは、普通のアルバイトだったのですよね?」

「はい。まあ、人理修復とかしてるカルデアに比べれば、大したことないですよ。」

「いや、日本の一般的な就労活動とカルデアの人理修復は比べるものではない気がしますが……」

「ふふ、その通りですね。カルデアにもゲーティアにも失礼ですね。

 ――でまあ、その時に、例え中退することになってももう俺は学費は出さないから、後はアルバイトなり奨学金なりで全部自分で払いなさいって言ってたんですよ。

 でも、二年生の春くらいに学費が足りないって言ってきて。まあ、一応そういう可能性も考えてお金は貯めてたんで、いくらって()いたら八十万って言われて。いつまでって訊いたら明後日までって言うから、めちゃめちゃ(しか)ったんですね。」

「それは……そう、ですよね……」

「はい……。で、訊いたら、大学に待って貰えないか掛け合ったりとかも何もしてないって言うんで、とりあえず一日猶予があるんだから、まずは人に頼む前にそういうことをやれって言ったんですよ。

 そしたら、母親と二人して書類を見ながらヤバいとか騒ぎだして。明日までだったとか言い出して。もっと叱ったんですけど、まあ、けっきょく俺が出したんですよ。」

「それは、その……、色々と、すごいですね……」

「ふふ……、そうですね……。

 で、そんなことがその後も二、三回あって。まあ、二十五万ぐらいの時とかもあったんですけど。毎回明日までって言うから、段階を踏んで言葉を強めたりして叱ってたんですよ。そしたら、流石に学習したみたいで……。」

「おお、それはよかったですね……」

「……。三年生の夏にまた、出来たら七十五万出して欲しいって言われたんですけど。」

「それはまた、けっこうな額ですね……」

「そうなんですよ。で、いつまでって訊いたんですよ。そしたら、今月中って言われて……。その日、八月三十日だったんですよ。」

「それは、つまり……」

「けっきょく明日までじゃん! って言う。」

「……」

 今度は一応、笑ってくれたマシュに直輝が言う。

「ごめんなさい。ちょっと長過ぎましたかね。しかも、最初の空気が重かったから、余計イマイチだったですかね……。」

「いえ、そんなことはありません。家族ネタ、というのはそういう意味だったのですね……。

 わたしはてっきり、つらい思い出を溜め込んでいらっしゃって、それを聞いて欲しいのだと思っていたので、かなり身構えていたのですが……。まさか、最後にオチがつくとは思っていませんでした」

「いや、あんまり面白い話とか言ってハードルを上げたくなくて。マシュさんなら最後まで根気強く聴いてくれるかなぁと思って、このネタにしてみました。」

 そう言って笑う直輝に、マシュもつられて笑ってしまった。

「それで、その後はどうなったのですか?」

「ああ。流石に貯金もギリギリで、脅しじゃなくて出したくてももう出せないって話は何度もしてたんで、その時は完全に突っぱねました。まあ、年度末に間に合えば退学にはならないっていう猶予もあったんで、放置してたんですけど。その後も全然切羽詰まった様子がなくて……。

 結局、年が明けてからまた頼ってきて、額もあまり変わってなかったんで、その時は過去最大に叱って。必死さを見せろ、とか、でも安易な道には逃げるな、とか、具体的なことも含めて色色言って……。

 俺としては必死さはほぼ感じられなかったんですけど、まあ額はある程度減ったので。最終的には最後の一年間を俺に頼らずに学費を払う目途を立てさせて、それを紙に書いて提出させた上で、残り三、四十万くらいだったかな……を出しました。

 で、今はもう就職してるんで、初任給で何万か返して貰った後は、俺はもう家には一銭も入れないから後回しでいいって言って、定期的には返して貰ってないですけど。俺はクレジットカードを持ってないんで、現金払いだと手数料の高い買い物をする時とかに、ちょこちょこ妹に貸してる分から出して貰ったりしてます。そんな感じですかね。」

「……木村さんは、とても優しいのですね」

「俺がですか? 衝動的に人を殺しかねないような奴ですよ、俺は?」

「それは……」

 言葉につまるマシュに、直輝は笑顔のまま言う。

「ごめんなさい。今のはイジワルでしたね。まあ、でもだから、俺は優しくはないです。」

「……そうですね。木村さんはひねくれ者です。身をもって実感しました」

「わかってくれたようで何よりです。なんせ俺は、頭の外側も内側もくるくるぱーの糞天パですから。」

「ふっ! なんですか、それは……」

「俺の持ちネタです。今日一番、笑ってくれましたね。――あっ、じゃああれ! あの竜の絵!」

「あの絵がどうかしたんですか?」

「はい。あれは、俺の母親が大昔に通販で買った風水の竜の絵なんです!」

「……それは、非常にご利益のなさそうな感じがしますが……。ネタとしては、イマイチですね。なんと言うか、蛇足感があります」

「……竜頭蛇尾、ってことですか?」

「それも蛇のことわざですが、それはまた別の……いや、はい。そういうことですね。普通に話しをしていてあの絵の話題になった時に、その話をされたら面白かったかもしれませんが、今のように冗談を連ねた流れで聞かされても笑えるほどには面白くありませんでした。(まさ)しく竜頭蛇尾でした」

「ですよねぇ……。普通に話してていきなり足の生えた蛇の絵を見せられたらちょっと面白くなっちゃうかもしれませんけど、面白いものを見せますよって言われて足の生えた蛇の絵見せられても、よっぽどの絵じゃないと笑えないですもんねぇ……。」

「そんなところです……」

 かくして、一時は直輝の言葉に凍りついたマシュであったが、気づけば場も心もおちついていた。

 親しい者同士、水いらずであれば()()つくものである。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

https://twitter.com/20200815_AiEn/status/1438049952136142849?s=19

*1
漫画:ここでいう漫画とは、萩原天晴・上原求・新井和也らによるスピンオフ漫画『1日外出録ハンチョウ』のこと。原作は福本伸行による青年漫画『賭博黙示録カイジ』で、原作者も「協力」という形で著者名に名を連ねている。

*2
その防犯ブザー:「第3節 ひとり暮らしにただいま」参照



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幕間 休題されど休まらず、閑話は星や羊のように

 ――線路を走っていた電車(トロッコ)が制御不能になってしまった。

 このままだと、前方で点検している五人の作業員が轢かれてしまう。電車は猛スピードだ。彼らに避難する猶予はない。

 そして貴方は今、その線路の分岐器の目の前にいる。貴方がすぐにレバーを引けば、電車の進行方向が切り替わり、五人の作業員は助かる。

 しかし、切り替え先の線路では、一人の作業員が点検作業を行っている。電車は猛スピードだ。その作業員にも避難する猶予はない。切り替えれば、その作業員が轢かれて死んでしまう。

 今、五人を助けるために貴方が出来ることはレバーを引くことだけだ。他の策を取る猶予はないし、作業員たちの人となりを知らない貴方は、それを判断材料にすることはできない。

 今、貴方が迫られているのは純粋に、五人を見殺しにするか、五人を助けるために一人を殺すか。そういう選択だ。

 貴方ならどうするだろうか? そして、その選択を正しいと思うだろうか?

 

 ――これは、有名な『トロッコ問題』*1 に少しだけ手を加えたものだ。

 この問題が問うているのは、「大勢のために一人を犠牲にすること」の倫理学的な是非だ。

 よく、前提となる状況にケチをつけたり、全員を助ける方法を考える者も目にするが、それはこの場合、“逃避”だろう。

 問題に対して、諦めずに工夫して理想を求め続けることは大切だと思う。しかし、これはそういうことを問うているのではないのだ。

 ただ純粋に、「大勢のために一人を犠牲にすること」の是非を問うているのだ。

 

 ヒトが生きる上で直面する問題に、必ずしも最も理想的な答えが用意されているとは限らない。

 その答えに辿り着けるだけの猶予が、必ずしもその時にあるとは限らない。

 その時点で出来得る“理想的でない最善策”を選ばざるを得ないこともある。

 ――そうではないだろうか?

 例えば、“経済”か“医療”か、という問題のような。

 どう振り分けても犠牲者が出る、死者が出ることは想像に難くない問題は確かにあるはずだ。

 

 それでも。いや、だからこそ。

 俺はこうなった。俺はこうなったのに……。

 結局、俺はあの時、一人を預け多数を守りに行く選択をした。

 やはり足りなかった。逃避でしかなった。

 俺は弱い。ヒトの弱さに愚かさに、悲しみ転じて憤ろうと、嫌悪し憎み軽蔑しようと、ヒトである身を越えられず。ただ一匹の畜生なれば。ヒトという名の畜生なれば。

 俺は俺を許さない。俺は俺を嫌悪する。俺は俺に〓〓と言う。

 そうして俺は生きている――。

 

 眠りの言の葉にひそまない、日本の羊を数えるならば、東京の夜空に輝く星の、瞬く音も聞こえるでしょう。

 それでも眠りはやっては来ない。今日も私は眠れない。頭を胸を心を体を、苦痛が宿り棲み家にしても、私に休まる場所などなくて、地獄が私の()むところ。

 羽毛の布団じゃ軽いみたい。苦痛を積んで重ねたおも(思・重)い。苦しみだけが私を倒し、すく(救・掬・巣食)って眠りに運ぶのでしょう。それでも私は地獄にいるの。寝ても覚めても地獄にいるの。地獄が私の棲むところ。

 俺〓〓、俺〓〓、俺〓〓、俺〓〓。俺〓〓、俺〓〓、俺〓〓、俺〓〓――。

 

 

 ―――――――――――――――――――― 

 

 

【休載のお知らせ】

 

 

 誠に勝手ながら、本日よりしばらくの間、休載させて頂きます。

 再開につきましては、決まり次第、下記のTwitterアカウントにてご報告させて頂く予定です。

 

聖杯に選ばれたライター(■■■■) @20200815_AiEn

 https://twitter.com/20200815_AiEn

 

 申し訳ございませんが、連載再開までお待ち頂けるとうれしく思います。

 

 

 また、原作『Fate/Grand Order』では現在、期間限定イベント「カルデア・サマーアドベンチャー! ~夢追う少年と夢見る少女~」が開催されております。

 二〇二一年九月二九日(水)、正午十二時五十九分までの限定イベントですので、そちらも存分にお楽しみ頂ければうれしく思います。

 

「カルデア・サマーアドベンチャー! ~夢追う少年と夢見る少女~ | イベント特設ページ」

 https://www.fate-go.jp/event/2021-summer2021-4bsi3n/

 

 

二〇二一年 九月一六日      

聖杯に選ばれたライター(■■■■)

 

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『トロッコ問題』:イギリスのPhilippa Ruth Footが1967年に提唱した倫理学的な問題。以後、多くの思考実験が行われており、創作のテーマなどとして用いられることも多い。



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