虚無を歩く者がオラリオに現れたようです (リバークラスト)
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プロローグ

 便宜上、“それ”を“虚無”と呼ぼう。

 

 

“虚無”は神でもなく自然でもなく宇宙でもない。聖でもなく魔でもなく善でも悪でもなく、聖でも邪でもない。ただ外側にある。世界の、宇宙の、法則の、理の外にある。

 ゆえに、“虚無”はあらゆる次元、あらゆる世界に遍在した。光も闇も温もりも冷たさもなく、形も質量もないままに。

 

 どんな次元の法則からもどんな世界の理からも外れた存在であるがゆえに、人や獣が遍在する“虚無”に触れえることがあった。

 多くの場合、 “虚無”へ触れた瞬間、人も獣もその精神や肉体が崩壊した。

 が、“虚無”そのものにも一切の法則や理がないゆえに、例外が生じる。

 

 たとえば、ある人間が“虚無”の住人たりえるようになった。

 新しき言葉で『アウトサイダー』と呼ばれ始めた彼もまた、法則と理から外れたことで、“虚無”と同様に様々な世界に遍在する。

 アウトサイダーはある世界では“神”と呼ばれ、ある世界では“魔王”や“邪神”と呼ばれ、ある世界では戯れに勇者と名乗る超人に殺害されたり、ある世界では超人達の導き手になったり、ある世界では“管理者”と称され、ある世界では“PC”と呼ばれた。

 

 そんなアウトサイダーは人間性の残滓から、時に人や獣を“虚無”へ招じ入れたり、時に“虚無”の力の一部を与えたりした。自らの眷属にするわけでもなく、魂や肉体やその他を代価にすることなく。力を与えられたものがどう選択し、どう振る舞い、どう生き、どういう結末へ至るか眺めるために。残された人間性の残滓を満たすために。

 

『人の時代が終わり、神の時代を迎えた世界』にもアウトサイダーは遍在する。そして、他の次元や世界で行っているように、人や獣へ接触し、“虚無”へ引き入れ、“虚無”の力の一部を与えていた。

 

 アウトサイダーは“虚無”の住人。外の存在。

 法やルールなど、アウトサイダーには何の制約にもならない。アウトサイダーを縛ることなど出来ない。

 たとえ神々が定めたものであっても。

 

      ☆

 

 その時、神々の遊技場――迷宮都市オラリオは血に塗れていた。

 

 ゼウスとヘラ。二大派閥が倒れた間隙を突いて闇派閥が跳梁し、彼の凶徒共を討ち果たさんとする者達との間で、血で血を洗う抗争を繰り広げられていた。

 

 辻で。路地裏で。都市の地下で。あるいは迷宮の中で。神の恩恵を与えられた者達がその超常の力を持って殺し合う。

 オラリオに吹き荒れた暴力は、ついに概算最低値でオラリオ住民の3万余が命を落とした『大抗争』という極致へ達する。

 

 そんな血塗れのオラリオで、髑髏の異能者が遊弋していた。

 

 カリカチュア的髑髏の仮面に襤褸をまとい、折り畳み式の奇妙な小剣を佩いて。細かな機構を持つ半自動的な小型ボウガンや奇怪な道具類を扱い、詠唱無しで時間や空間を操る“魔法”を使う異能者。

 

 その髑髏の異能者は都市内でも迷宮内でも暗躍し、闇派閥を狩って回った。同時に正義を称する者達もまた、等しく手に掛けた。

 彼の異能者が現れたれば、残さるは戦いの痕跡と骸のみ。善悪正邪の区別なく、命を刈り取られるのみ。

 辛うじて即死を免れた者が語り残す。髑髏の異能者が吐いた言葉を。

 

 

『我、世界を弄びたる神とその走狗共に復讐せん』

 

 

 善悪と光闇と正邪が抗争を繰り広げる中、髑髏の異能者は殺戮を重ねていく。街に断末魔が響き、迷宮に血が流れ、屍が増えていく。

 高位冒険者も神も、髑髏の異能者の正体を掴むことは出来ず、その凶行を止めることも防ぐことも出来ない。

 

 

 斯くも悲惨で陰惨な“オラリオ暗黒期”、一人の乙女が復讐者へ墜ちた。

 麗しきエルフの乙女。正義と秩序の女神から恩恵を授かりし“子”。

 

 その名は“疾風”リュー・リオン。

 

 闇派閥の罠により大事な仲間達を、愛おしき親友達を無惨に殺され、ファミリアを壊滅させられたエルフの乙女が、報復と復讐の風となって修羅道を駆け抜けていく。

 

“疾風”は狩る。闇派閥を。闇派閥に与した者共を。

 

“疾風”は殺す。闇派閥の残党を。闇派閥に与していた者達を。

 

“疾風”は狩る。慈悲もなく許容もなく。容赦も寛容もなく。

 

“疾風”は殺す。ひたすらに弑し戮して、屠り葬っていく。

 

 亡くした親友達の思い出を恃みに、喪った親友達の想いを恃みに、失ったファミリアの絆を恃みに、憎悪と怨恨の炎に心を焼き、憤怒と狂気の日々に魂を擦り減らし、延々と繰り返す死闘と殺戮に体を疲弊させながら。

 

 その美貌を怨敵共の血と己の涙に濡らし、リュー・リオンは救いなき修羅道を進み続けて……その終着が見えた間際。

 リュー・リオンの前に髑髏の異能者が現れる。

 

      ☆

 

 オラリオを迷宮都市たらしめるダンジョン。その地下18階の広大な森林内にひっそりと武具が並ぶ一角がある。墓と呼ぶにはあまりにも簡素なそれらは、“疾風”リュー・リオンの摩耗した心を支える唯一無二の証。

 かつて彼女が愛した仲間達がこの世界に在った証。彼女の愛した親友達がこの世界に生きた証。闇派閥(クズ共)に何もかも奪われたリューにとって、この世界に残る温もりの証。

 

 

 この時、リューは凄惨極まる修羅道を進み続けたことで、心身共に限界に達していた。

 だからだろうか。リューは無意識に親友達の墓へ足を運んでいた。魂魄の全てが消耗したがゆえに、親友達と過ごした日々の思い出、主神と共に育んだファミリアの絆、その残り火の温もりを欲したのかもしれない。

 

 その美貌に悲哀と悲壮を漂わせながら、リューは幽鬼のような足取りで迷宮内の森を歩き、開けた一角に出る。

 ぼろきれと化した団旗と墓標替わりに並ぶ仲間達の武具。アストレア・ファミリアの、リューの家族達の墓。

 

 その墓前に、奴はいた。

 乞食と見まがう襤褸をまとい、両手に滑り止めの包帯を巻き、髑髏の仮面をつけた異能者が。

 

 アストレア・ファミリアの墓前に立っていた髑髏の異能者はリューの気配に気づき、仮面の双眸を向けた。

 眼窩にはめ込まれた無機質なガラス玉からは、その情動を図ることができない。ただ、そこに感情が浮かんでいようと意味はなかっただろう。復讐者たるリューが怨敵の感情や心情を慮る必要も意味もないのだから。

 擦り切れ、燃え尽きる寸前だったリューの魂魄が、怨敵を前に焼尽際の蠟燭の如く激烈に燃え盛る。

 

「貴様」

 リューは右腰から亡き友の二刀小太刀“双葉”を両手で抜き放つ。

 

「貴様が」

 怨嗟共に衰弱した体に力が漲っていく。なぜ奴がここに、という疑問は生じない。“そんなこと”はどうでも良いからだ。

 

「貴様がっ! 貴様のような穢れた者が皆の前に、立つなっ!!」

 憎悪の飽和した咆哮。リューが二つ名の如く疾風と化す。彼我距離10Mを一瞬で肉薄。髑髏の異能者を間合いに捉え、嵐の如き連撃を重ねる。

 

 髑髏の異能者はその全てを右腰から抜いた小剣を展開させながら、かわし、避け、小剣の鎬でいなし、払い、しのぐ。竜巻の如く放たれるリューの斬撃をかすらせもしない。

 

 ――強い。

 激情に駆られるリューの中に潜む冷たい理性が認識した。レベル4、いや5のハイステータス。もしかしたらそれ以上かもしれない。眼前の異能者の強さを冷徹に測る。

 

 同時に、理性が違和感を抱く。

 髑髏の異能者を恐怖の存在たらしめていた時と空間を操る“魔法”を使ってこない。

 なぜ?

 

 強大な高レベル冒険者達を、闇派閥の恐るべき手練れ達を、為す術なく抹殺してきた“魔法”を使えば、リューとて容易く屠れるだろうに。なぜ使ってこない。

 

「知った、ことかっ!」

 魂を焦がし続ける憎悪の炎熱が理性の疑問を蹴り飛ばし、リューはひときわ素早く駆け抜け、髑髏の異能者に両手の小太刀による三連撃。上段の初撃は囮。下段の次撃は誘い。中段の三撃は崩し。本命は三連撃からの追撃、”四撃め”の二刀突き。

 

 が。

 

 髑髏の異能者はその全てを小剣一本でしのぎ切り、あまつさえ二刀突きを潜り抜けた際に柄頭でリューの右手首を打って右刀を叩き落とす。その打擲から身を捻っての回し蹴りをリューの腹へ叩き込み、蹴り飛ばす。

 

「ぅあっ!」

 口から勝手に悲鳴が溢れ、リューのすらりとした肢体が地面を跳ねていく。痛みを堪えて身を起こした刹那、矢弾が眼前に迫っていた。とっさに左手の小太刀で受けるも、痛みのために握力が効いておらず小太刀が手から弾き飛ばされた。

 

 二刀小太刀“双葉”はリューの手から離れた。それでも、リューの戦意も闘志も殺意もまったく損なわれない。ふー、ふー、と獣の如く荒く息をしながら、リューは憤怒と怨恨に歪めた美貌を髑髏の異能者へ向け、憎悪にぎらつく双眸で睨み据える。

 髑髏の異能者は精巧な作りの小型ボウガンを左腰のホルスターに戻しながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。ごほ、ごほ、と仮面の下でかすかに咳き込む音が漏れ聞こえた。

 

 リューの冷徹な理性が訴える。

 奴は“魔法”を使わないのではなく、使えないのではないか。

 病か、怪我か、何かしらの理由で体調が優れず“魔法”が使えないのではないか。

 

 この推察が真実ならば好機だ。如何なる理由で弱っていようと知ったことではない。リューには奴の事情や都合を斟酌してやる理由など、一片たりとも存在しない。

 殺す。ただ殺す。必ず殺す。絶対に殺す。この場で狩り殺す。

「貴様の首を皆に捧げてやる……っ! 地獄の底から彼女達に詫びさせてやる……っ!」

 

 睨まれている髑髏の異能者は何も答えない。

 これまでと同じ。何も言わず何も主張せず、ただ現れ、ただ殺し、ただ消える。まるで顕現した死という現象の如く。

 

 リューとて今更問答など求めてはいない。ただ内を焼く感情を言語化して吐き出しているだけだ。左腰から細長い木剣を抜く。大聖樹枝から削りだされたこの一刀は木剣でありながら、リューが扱えば肉を切り、骨を断つことすら可能な必殺剣であり、魔法の効果を増大させる杖。そして、これまで数多くの魔物と凶徒を屠ってきた『魔法剣士』リュー・リオンの愛剣“アルヴス・ルミナ”。

 

「――今は遠き森の空。無窮の夜天に鏤む無限の星々」

 

 リューの口から紡がれる詩にも似た詠唱。

 髑髏の異能者が小剣を構え、リューへ向かって一気に間合いを詰めていく。

 鋼の刃と細身の木剣が激突したが、大聖樹枝から削りだされた愛剣“アルヴス・ルミナ”は傷一つ負わない。リューは髑髏の異能者と剣戟を交わしながら、疾駆し、跳躍し、仲間達の墓地から距離を取る。

 

 戦闘機同士の巴戦のような高速機動戦闘(ハイベロシティ・コンバット)

 瞬きする暇もない速く激しい戦いを交わしながら、

 

「愚かな我が声に応じ、今一度星火の加護を。汝を見捨てし者に光の慈悲を」

 

 リューの詠唱は止まらない。

 剣戟を何合も繰り広げ、高速移動をしながら並行して詠唱を続けていく。髑髏の異能者が繰り出す鋭き斬撃がマントや着衣を裂こうとも、刃のかすめた皮膚から血が散ろうとも、リューの集中力は微塵も澱まず、魔力を精確に練り、魔法を編み続ける。

 強敵と激しい高速機動戦闘を交わしながらの平行詠唱。リューの疲弊した心身状態を考えれば、信じ難い絶技であった。

 

「来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何物よりも疾く走れ」

 

 不意に、髑髏の異能者が大きく咳き込み、動きが鈍る。

 その間隙を見逃すリューではない。肉体の限界と物理法則に真っ向から喧嘩を売るような高負荷運動をもって、攻撃へ転じた。全身の骨が軋み、筋肉繊維が悲鳴を上げる。その限界機動の果てに髑髏の異能者へ肉薄。

 

「星屑の光を宿し、敵を討て」

 

 頑健な“アルヴス・ルミナ”が軋みしなるほどの袈裟切り。

 髑髏の異能者が咄嗟に小剣を掲げて防ぐが、リューに宿る全質量と運動エネルギーを乗せた捨て身の斬撃によって十数Mも吹き飛ばされ、ブナに似た大樹に背中から叩きつけられた。

 

 その衝突ダメージによるのか、髑髏の異能者の動きが完全に留まった。

 同時に平行詠唱を編み終え、リューが唱える。必殺の文言を。呪詛の如く。

 

「ルミノス・ウィンドッ!!」

 

 さながら砲兵部隊による効力射を思わせる風と光の広域破壊魔法。点でも線でもなく面で全てを蹂躙するこの砲撃的破壊魔法こそ、リュー・リオンが切れる最大の鬼札。

 

 緑風をまとった光玉が無数に生じ、暴力的なエネルギーの炸裂が重ねられる。ブナの大樹が瞬く間に粉砕され、散華した。大地が抉られ、巻き上げられた土砂が高々と宙を舞う。無数の衝撃波が森を揺らし、広大な第18階層の大気を震わせ続けた。

 精神力を搾り尽くした必殺の一撃。効力空間内のあらゆるものを破壊し、破砕し尽くす面制圧魔法。たとえ時と空間を操ろうとも、この殺傷圏からは逃れられない。

 

 はずだった。

 

 リューが瞬きした間に、髑髏の異能者は眼前に迫っていて、小剣の一撃を繰り出していた。

 理解できなかった。が、戦士としての肉体が混乱する思考を無視して反応する。能う限りの反射神経を動員し、限界反応速度で木剣を振るう。

 

 金属と金属が高速で激突したかのような轟音がつんざき、リューは再び吹き飛ばされた。

 麗しきエルフの乙女は放射線を描いて宙を舞い、大地に叩きつけられた後、毬玉のように跳ね、転がっていく。

 

 そこは奇しくもリューが倒れ伏した場所は親友達の墓前。

 

 飛びかける意識を全身に走る痛みがつなぎ留める。全ての骨と臓腑と神経と細胞が悲鳴を上げていた。体が動かない。震える右手を動かして愛剣を探すも、どこにもない。

 

 何が。どうして。なぜ。脳裏にいくつもの疑問が浮かぶ。あれをかわせるわけがない。仕留めたはず。殺したはず。最高の状況で、絶対に避けられないタイミングで、完璧に決めたのに、なぜ。

 

 奴の“魔法”だ。

 冷静冷徹を保つ理性が答えを告げる。

 ついに使ったのだ。時と空間に作用する“魔法”を。時を止め、空間を跳躍して効力圏を脱したのだ。

 

 理性は続ける。他人事のように。

 終わりだ。

 武器もなく体は限界。仮に立ち上がっても、奴は今度こそ時を止め、お前が知覚も認識も出来ぬ間に首を刎ねるだろう。死んだことすら自覚できずに、友の待つ冥府へ旅立つことになる。

 

 お前は負けた。

 絶好の機会を活かすことも出来ずに、復讐を果たすことも出来ずに。

 心の奥から復讐を成し遂げられぬ自分に、失望する音色が聞こえた。魂の芯から仲間達の墓前で無様に敗れる自分に、絶望する音色が聞こえた。

 

 リューの双眸に涸れたはずの涙が滲みかけた、刹那。

 失望と絶望に濡れたリューの瞳が捉える。

 

 こちらに近づいてくる髑髏の異能者。その姿を。

 髑髏の異能者はリュー以上の重傷を被っていた。小剣を握る右腕は圧潰し、肘の先から千切れかけている。

 なにより、右胸にリューの木剣が突き刺さっていた。衝撃でへし折れたらしい鎖骨や肋骨が皮膚を突き破り、艶めかしい白さを晒している。幾度も吐血したらしく仮面の隙間から血が溢れ、首回りや襟元を真っ赤に濡らしていた。

 

 髑髏の異能者が歩く度、ばたばたと大量の血が垂れ落ち、足跡共に紅い染みを残していく。常人なら歩くことはおろか、即死しているべき有様だった。

 

 リューから数Mほど離れたところで足を止めた髑髏の異能者はゴホゴホと咳をして。

「……やってくれる」

 

 リューは思わず身を震わせた。恐怖したのではない。髑髏の異能者が言葉を発したことに驚いただけだ。

 髑髏の異能者は滑り止めの包帯を巻いた左手で、襤褸のフードを降ろして仮面を外す。

 

 正体不明の異能者、その素顔は老人だった。

 

 それも酷く病み衰えた老年の男だった。刻み込まれた無数の皺は深く、肌は衰え渇き、額や頬に染みが浮かんでいる。頭髪はほとんど無く、わずかに残った白髪も栄養が抜けきっていた。

 

 その病み衰えた顔立ちは迷宮都市の暗がりで人知れず死んでいく老乞食を思わせる。とても超人的異能者には見えない。一言で評するなら『みすぼらしい』。

 

 だが、そうしたことはささやかな問題だった。

 茶色の瞳に宿る深淵な虚無と得体のしれない気配が、リューに老人の異常性と異質性を強く認識させていた。背筋をナメクジが這うような不快感に駆られ、自然と疑問が漏れた。

「貴様は、いったい……人ではないのか」

 

「己は人間さ、御若いの」

 髑髏の異能者――老人は血に塗れた歯で左手の包帯を食い千切り、手の甲をリューへ見せた。

 

 染みと皺だらけの手の甲に、奇怪な印が刻み込まれていた。

 

「ただの年寄だよ。老い果てた虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)さ」

 髑髏の異能者――老人が『問答はこれまで』と言うように再び髑髏の仮面を装着し、フードを被った。枯れ木染みた体から血を流しながら、奇怪な印が刻まれた左手に小剣を持ち替えて構える。

 

 リューは立ち上がる。

 自分自身への失望と絶望に折れかけていた心が、再び燃焼を始めていた。眼前の敵は死にかけている。まだ負けと決まったわけではない。殺せる。今なら奴を殺せる。

 消耗と疲弊と酷使に痛み震える体に鞭打ち、背筋を伸ばす。瑞々しい肌は傷だらけで汗と血と泥と塗れている。心身共に限界。武器も無い。亡き友の二刀小太刀“双葉”は失逸した。愛剣“アルヴス・ルミナ”は奴の胸に埋まっている。

 

 わずかな逡巡後、リューは墓標替わり立っていた親友の剣を掴み取る。

 アリーゼ。眠りを妨げてごめんなさい。

 

 赤髪の恋しき親友を脳裏に浮かべながら、リューは親友アリーゼの剣を霞に構えた。

 両者は無言で相剋する。互いに肉体的限界に達している両者に能うはただ一振りのみ。互いに全身全霊の一刀を放つ機を見極め、探りながら先と後を図り合う。

 

 

 そして――機が、満ちる。

 

 

「Rashu Grhaya」

 致命傷を負っている髑髏の異能者は、残された力を絞り出して時を操る。

 

 制止した時間の中で、

「Sum Fdah」

 空間を跳躍してリューの背後へ回り込み、その細やかな首を切り飛ばさんと小剣を振るう。

 

 時はまだ動かない。

 リューは髑髏の異能者が自身の背後にいることも、自身の死が迫っていることも認識していない。自身の死を知覚することもないまま、その首を落とされるだろう。

 

 髑髏の異能者が万全だったならば。

 その肉体が老いさらばえて病んでいなければ。

 その肉体が戦闘によって重傷を負っていなければ。

 髑髏の異能者は異能を持つゆえに即死こそしなかったが、肉体的限界から超越してはなかった。老いと病の限界。出血による体力と精神力の劇的低下。

 加えて、リューを今も護り続ける“彼女達の想い”によって、時を操る超常の技ベントタイムが解ける。

 

 

 時は動き出す。

 

 

 剣閃が駆け抜け、リューの被る緑色のフードが切り飛ばされ、寸断された金髪がはらはらと舞う。されど、そこにリューの首は含まれない。

 直感という形で“彼女達の想い”を受け取ったリューは、紙一重で死の刃を掻い潜った。身を捻り、雄叫びを上げながら親友の剣に全身全霊を込めて振るう。

 

 

 肉と骨を断つ重たい音色が響いた。

 

 

 その場に崩れ落ちる老人の下半身。

 その場にどさりと落ちる老人の上半身。

 

 老人の二つに分かれた体躯から流れる血が墓前を赤く濡らしていく。

 リューは脂汗を垂らし、大きく肩を揺らしながら息を整え、

虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)とはなんだ」

 親友の剣を構えながら問う。髑髏の異能者、その左手の甲に刻まれた奇怪な印を見据えながら、問う。

「貴様はいったい……なんなんだ。どうしてこんな……」

 

 体を上下に寸断された髑髏の異能者は、仮面の眼窩から自らを殺めたエルフの乙女を一瞥し、どこか嗤うような声色で、告げる。

「Hara Kizser」

 直後、髑髏の異能者の影から無数の鼠が湧きだし、その体を貪り食らっていく。

 鼠の群れにその身を荒々しく貪られながら、髑髏の異能者はリューを嘲るように嗤う。高々と勝ち誇ったように。

 

「――な」

 その余りにもおぞましい光景に、さしものリューも後ずさる。

 無数の鼠達が飢えた豚のように髑髏の異能者を瞬く間に食らい尽くし、リューの愛剣“アルヴス・ルミナ”を残して虚無へ消えていく。

 

 リューは悪夢的な幻覚、性質の悪い白昼夢を見せられた錯覚を抱く。しかし、血痕の中に転がる戯画的な髑髏の仮面が、異能者が確かに存在していたことを物語っていた。

 

 忌々しいものを覚え、リューはその仮面を憎らしげに打ち壊す。

 仮面が砕け、暗殺者の屍と同じく虚無に消えていった。

 

 瞬間、魂魄を支えてきた炎熱が失われ、リューは腰を抜かすようにへたり込む。

 オラリオの暗黒期、その中で最も凶悪に跳梁した異能者を討った。死闘と殺戮の果てに到来した情動は……

 

 リュー・リオンは仲間達の墓前で、親友の剣を胸に抱きながら涙と嗚咽をこぼし続ける。

 その涙が涸れるまで。

 

        ☆

 

 虚無の中から死闘を見届け終え、アウトサイダーは人間性の残滓が数世紀振りに高揚する感覚を味わっていた。

 素晴らしいものを見た、と。

 

 あのエルフの乙女は気づいているだろうか。止まった時の中で自らの首が落とされる際、“かつての時と同じく”彼女達がエルフの乙女を守ったことを。

 

 死してなお、彼女達の想いは生き延びた友を護り続けている。

 なんと美しく、なんと貴いことか。こんな素晴らしいものを目の当たりにしたのは、いったい何世紀振りだろう。

 

 なけなしの情動が刺激され、アウトサイダーは妙な納得を覚えた。神々が遊び場として定めた世界だけはある、と。

 この世を逆恨みしていた負け犬の老人へ力を与え、その破滅的な所業を眺めることは、“それなり”に面白かった。

 

 が、所詮は“それなり”に過ぎない。

 

 今さっきエルフの乙女と彼女達が見せてくれた素晴らしいものに比べたら、まったく程度が低い。

“次”はもう少し趣を変えてみよう。あるいは、もう少し深く踏み込んでみるか。

 

 アウトサイダーは再び神々の遊び場へ手を伸ばした。

 より面白いものが見られるように。より素晴らしいものが見られるように。

 

 

 

 新たな虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)を神々の箱庭へ送り込むために。



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1:あるファミリアの終焉。

 ラキア王国周辺某国の一つ。その某国内の某都市。月明かりと街灯が照らす裏通り。

 

 裏通りに並ぶ建物はどれも経年劣化と風化で酷く汚い。あるいは違法改築で奇怪な姿をしている。路地は様々なゴミと反吐とネズミの屎尿に塗れ、すえた悪臭が漂う。

 通りに人影は乏しい。貧乏人相手に客を取る最底辺の安淫売や行き場の無い乞食すらいなかった。ただ猫並みに肥え太ったドブネズミ達があちこちを徘徊している。

 

 まるでドブ底のような街並み。そんな裏通りに接する建物の一棟。その屋上の闇に蒼黒い影が潜んでいた。

 

 ヒューマンの青年男性。年の頃は20代頭頃。鍛えられた長身痩躯を暗青色の上衣とズボンに包んでいる。手先と両足には黒革の手袋と半長靴。腰に各種パウチ付の装具ベルトを巻き、右腰に折り畳み式小剣。3点スリングと魔力磁石でクロスボウ《貫く苦痛》カスタムを左脇下に吊るしている。

 

 冷たい夜風に癖の強い栗色の短髪を嬲られながら、彼は掃き溜めの如き裏通りを挟んで向かい側に立つ煉瓦造りの4階建てアパルトメントを、無機質な目つきで観察していた。

 

 青年の深青色の瞳は“全て”を見通している。それこそ建物の内側さえも。

 正面玄関前に3人。裏口に2人。4階廊下に2人。4階の二部屋に3人ずつ。

 

“目標”はまだいない。

 

 青年はズボンのポケットから携帯口糧を取り出し、包み紙を破ってゆっくりと食べる。干し果物を押し固めたフルーツバーの甘味が口腔内に広がり、体の奥で魔力が回復する熱を覚えた。

 

 携帯口糧を食べ終えた頃、裏通りに一頭立ての馬車(ランドー)が進入し、監視している建物の前で停車した。

 

 馬車から垢抜けない犬人乙女が降り立ち、続いて禿頭のがっしりした体つきのヒューマン中年男――に見える下界した神が姿を現す。

 

 目標を視認し、青年の心の底が殺意の熱に沸く。しかし、殺意の炎熱は病的な理性に抑え込まれ、感情ではなく集中力に昇華される。

 

 目標の中年ヒューマンはどこか怯えた顔の犬人乙女の腰に手を回し、2人の護衛に守られながら小汚いアパルトメントへ入っていく。

 

 青年の目は中年ヒューマン一行が階段を上り、4階の一室へ向かう様がありありと見通していた。彼の“力”を使えば、外壁などあって無きに等しい。

 

 ヒューマン一行が四階の一室に到着。中年ヒューマンはリビングで護衛達と別れ、犬人乙女を寝室へ連れ込む。

 

“力”を解き、青年はゆっくりと身を起こす。装備が揺れる音や衣擦れ音も生じない。涼やかな優男顔を黒い面布で首元から目元まで覆う。面布には紅い塗料で髑髏の口元が描かれている。

 

 暗青色の上衣のフードを目深に被り、髑髏の面布の中で囁くように独り言ちた。

「Sum Fdah」

 

 髑髏の面布を付けた青年は、瞬時に向かいの建物屋上へ移動し――狩りを始める。

 あるいは、一方的な処刑を。

 

       ★

 

 迷宮都市に生じた暗黒期と呼ばれる大規模抗争――事実上の内戦――に敗れた闇派閥や、闇派閥に与した派閥はその多くが壊滅し、その神々は天界送りに遭い、その眷属達は命を落とした。

 が、ゴキブリが死に絶えることが無いように、彼らはしつこく生き長らえている。

 

 迷宮都市内はもちろん、都市外にも。

 凄惨な内戦から逃げ出した神や眷属は少なくなく、今では世界のあちこちに散っていた。

 

 ハーランもそうした“残党”の一人だ。七年前の大抗争後にオラリオから逃亡。主神はヤクザ者の頭目と化しており、ハーランを始めとする眷属はその手下に成り果てている。

ハーランはかつて巨塔の地下迷宮に挑む冒険者だった。血の滲むような鍛錬とダンジョン潜りを重ね、恩恵はレベル3に到達している。

 

 迷宮都市外でレベル3といえば、常人から隔絶した超人に等しい。周囲から恐れと畏れの眼差しで見られている。その眼差しはハーランの自尊心を少しばかり満たしたが、多くの部分は強い鬱屈に占められていた。

 

 レベル3。それはハーランの失敗と誤断に満ちた人生の中で無二の誇りだ。自ら成し遂げた偉業の証拠だ。にもかかわらず、今やその誇りはこのどぶ底同然の街角でヤクザな暮らしをするためだけに費やされている。不満や鬱憤を抱かずにはいられない。

 

 今夜も安アパルトメントのリビングで主神の護衛をしながら安酒を食らうだけ。ハーランの口から自然と溜息が溢れたところへ、寝室から主神の獣染みた息遣いと犬人乙女の悲鳴と変わらぬ喘ぎ声が漏れ届き始めた。

 

 今夜の腰振り運動が始まったらしい。

 迷宮都市に居た頃、主神は尊崇に値する神だった。大派閥の神々を前にしても堂々と振る舞う立派な神だった。

 

 だが、闇派閥の連中に与して抗争に敗れ、迷宮都市から命からがら逃げのびた今、天界に帰ることも迷宮都市で再起することも諦め、下界の際に受肉した身体の欲望を満たすことしか考えていない。時々縄張り内から“貢物”として生娘を差し出させ、手籠めにすることを楽しみにしているだけ。

 

 ……なんでこんなことになっちまったんだろう。

 ハーランはもはや溜息も出ず、酒瓶を口へ――

 

 超人として強化された知覚が血の臭いを捉えた。

 

 寝室から微かに漂う破瓜の血の臭いではない。血の臭いは廊下から、玄関口の隙間から流れ込んでいる。数年前、嫌になるほど嗅いだ――神の血が混じった恩恵持ちの血の臭い。

 

 酒瓶を置き、ハーランは卓の向かい側で艶本を開いていた仲間へ顔を向けた。駆け出しの頃から組んでいるハーフドワーフのマッカランは首肯し、傍らに置いていた手斧を握る。

 

「今日の廊下当番は?」

「コスタスと(スティンキー)だ」とマッカランがハーランへ応じた。

 

 オラリオ時代からの仲間はレベル2か3。このドブ底に移り住んでから恩恵を与えた者どもはレベル1、それも呆れるほどステータスが低い。迷宮都市外では恩恵のレベルアップはおろかステータス値の向上すら難しい。

 ゆえに、ハーラン達古参組は新入り共の名前など覚えない。(スティンキー)共と呼ぶ。

 

「お前は寝室の前へ。俺が見てくる」

 マッカランが腰を上げて部屋の玄関へ向かう。ヒューマンとドワーフの異種混血であるマッカランは背丈こそ小柄ながら膂力と筋骨は凄まじい。恩恵とあいなって巌のようだ。

 

 そのマッカランが玄関ドアを開けて廊下へ踏み出した直後、何の反応も出来ぬまま右腕を切り落とされ、首を切り飛ばされ、胴体を両断され、鮮血と臓物をまき散らしながら崩れ落ちた。

 

 ハーランは吃驚すら上げられなかった。

 

 レベル3の動体視力をもってしても、マッカランを切り刻んだ敵が全く見えなかった。否、殺されたマッカラン自身が一切、無反応だった。反射的防衛反応すらできず、それこそ己の死すら知覚できずに殺されていた。

 驚愕。恐怖。混乱。同時に歓喜。ハーランはレベル3冒険者として久方振りに力を発揮する機会を得たことに興奮し、腰のロングソードへ手を伸ばした、直後。

 

 視界がぐるぐると回転し、ハーランは急速に消失していく知覚の中で、首を失くした自分の体を見た。まだ剣を抜いていなかった。

 それが、恩恵レベル3元迷宮都市冒険者のハーランが人生の最期に見た光景だった。

 戦うことも出来ず、敵の姿を目にす ること すら出 き  ず こんなさ     ご     ま       りだ あ ああアア アAA Aa aa   a

 

      ★

 

「―――なんだ?」

 主神モーモスが眷属達の死を知覚し、“貢物”たる犬人乙女の凌辱を中断した刹那。

 気づけば、寝室出入り口が開け放たれていて、髑髏の面布を付けた襲撃者が緻密な構造のクロスボウを左手で構えており、モーモスの両肘両膝に矢弾(ボルト)が突き立っている。

 

「なぁっ!? ああ、ばああああばばばああああああああああああっ!?」

 モーモスは吃驚と悲鳴が混じった叫喚を挙げた。

 

 神は天界から下界する際、“零能”と呼ばれるほど弱体化する。肉の体を得る代価なのかもしれない。神の力を使うことは禁じられており、その禁を破れば即座に天界へ送還され、二度と下界することは適わない。送還を下界における神の死と捉えることもできるだろう。

天界に帰るだけ、とも言えるが。

 話を戻そう。

 

 下界してひ弱な肉の身体を得てはいても、神は超越存在であり、頭脳と知覚、権能は人間を凌駕する。

 であるからこそ、神モーモスは自身が知覚も認識も出来ぬまま両肘両膝の神経と腱を鏃で正確に寸断されたことに、驚愕し、混乱し、恐怖し、戦慄した。

 

 何が起きたのか、まったく理解できない。

 モーモスは髑髏の襲撃者がドアを蹴破った瞬間を認識していない。侵入者がクロスボウから矢弾を放つ瞬間を把握していない。侵入者の撃った矢弾が自らの両腕両膝に命中する瞬間を知覚していない。

 

 モーモスの認識には、ドアが蹴破られていて、髑髏の襲撃者がクロスボウを構え、自分が既に撃たれている、という事実だけが存在しており、その過程を全く認識していない。

 

「きゃああああああああああああああああああっ!?」

 モーモスの叫喚から少し遅れて犬人乙女の悲鳴が上がった。

 

 恥辱に絶望していた犬人乙女は、自分を凌辱していたヒューマン中年男――にしか見えない神モーモスの両肘両膝から矢弾が生え、その鮮血が自分とベッドを濡らしている事実を認識し、恐怖した。生存本能的生理反応によってベッドから転げ落ちるように逃げ、部屋の端で身を竦めて震える。

 

 そんな犬人乙女を歯牙にもかけず、不気味な髑髏の面布と目深に被ったフードで顔を隠した襲撃者は、そこらの穴ぼこより情動に欠いた声で問う。

「お前達が3年前、ダンウォールの事件に関わったことは知っている。魔女の心臓はどこだ?」

 

「も、者共、出合え出合えぇえええいっ!! 曲者じゃあ出合ええええいっ!!」

 苦悶の脂汗を流すモーモスは喚きながら体を動かす。が、矢弾に神経と腱を寸断されているため、肘から先、膝から先が全く動かない。自身の血に塗れた芋虫のように蠢くだけ。

 

 しかも、4階の他室に控えているはずの眷属達が駆けつけて来ない。

 

 当然だ。彼らは既に死んでいる。何も出来ぬまま首を裂かれ、心臓を抉られ、頭蓋を撃ち抜かれ、心臓を撃ち貫かれ、首を切り飛ばされ、体を寸断され、バラバラに解体され、死んでいる。この場に駆けつけることは、決してない。

 

 髑髏の襲撃者は無言でクロスボウの引き金を引く。

 弓と弦が空気を殴りつける音色が室内に響き、強力な初速を誇る矢弾がモーモスの股間から男根を切り飛ばした。

 

「ふぅっぐぅううううあああああああああああああああああああああっ!!」

 海老のように目玉が飛び出しそうなほど目を見開き、モーモスが絶叫をあげる。

 

 その間、クロスボウの複雑で緻密な機構が駆動する。ボルトトラック部分のギアがぐるりと一周し、展張していたボウユニットが再装填され、ボウユニット下部のホルダーから矢弾が装弾された。

 

「お前達が3年前、ダンウォールの事件に関わったことは知っている。魔女の心臓はどこだ?」

 髑髏の襲撃者は一字一句変わらぬ問いを再び口にし、追加の文言を告げる。

 

「人間に神を殺せないなどと思わないことだ。神なんか簡単に殺せる」

 神はその権能から人間の言葉の真偽が分かる。ゆえに、モーモスも理解し、慄然した。

 

 眼前の襲撃者は本当に“神殺し”だと。

 

 神モーモスの脳裏に該当する事例がよぎる。自身と同じく迷宮都市から遁走した弱小ファミリアの主神ピクラス。

「まさか、ピクラスが強制送還されたのは――」

 

 その時、髑髏の襲撃者に初めて感情が表現された。フードと面布で隠された顔の、深青色の瞳に怖気を覚えるほどの悪意と敵意と侮蔑と嘲罵が宿る。

「あの間抜けな神は鼠のような悲鳴を上げながら天界へ逃げ帰ったぞ」

 

「人間如きが図に乗るなあああああああああああっ!!」

 モーモスは超越存在の意地を示すべく、神の力を解放する。たとえ天界へ強制送還されるにしても、人間に嬲り殺されて、など神の矜持が許さない。どうせ天界へ帰されるならば、禁忌たる神の力を以ってこの慮外者を滅殺して、だ。

 

 が、

 

「な、なぜっ!?」

 モーモスの力は顕現しない。発動もしない。眼前の慮外者は消滅することもない。

 驚愕し、混乱するモーモスには分からない。自分の四肢に撃ち込まれた矢弾と股間を切り飛ばした矢弾の違いを。その鏃の“違い”がモーモスには分からない。

 

「うぁわああっ!?」「み、皆、死んじまってるぅ!?」「ひあああっ!? マッカランの兄貴がバラバラになってンぞぉっ!?」「おえぇえっ!!」

 その時、廊下から喧騒が届く。神モーモスと犬人乙女の悲鳴を聞きつけ、正面玄関と裏口の連中が駆けつけてきたようだ。ヒューマン4人と猫人。全員が刀剣類の得物を手にしている。ヒューマンはレベル1。猫人はレベル2のようだ。

 

「お、お前達っ! 我を助けよっ!! 疾くっ! 疾く疾く疾くっ! とぉおおくっ!!」

 顔中が脂汗塗れのモーモスが地獄の底で蜘蛛の糸を見つけたように喜色を浮かべ、眷属達が慌てて室内に踏み込み、襲撃者へ殺意と憤怒を露わにする。

「! モーモス様っ!」「テメェの仕業かあっ!?」「ハーランまで……ぶっ殺してやらぁっ!!」「やったんぞやったんぞコラァッ!!」

 

 髑髏の襲撃者は肩越しに迫るモーモスの眷属共を一瞥し、

「Rashu Grhaya , Haskapitse」

 そう囁いた直後。

 

「はぁ?」

 神モーモスは体中の痛みを忘れ、唖然とした。眼前の光景に理解が追いつかない。

 

 髑髏の襲撃者は出入り口でクロスボウを構えていたはずなのに。

 

 いつの間にかクロスボウの銃把をスリングの魔力磁石に結合させて左脇に吊るしており、右手に折り畳み式小剣を展張させていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「な……何が、起きた?」

 眷属達は全員が憤怒顔のまま死んでいた。まるで自身の死を知らないかのように。猫人は首を切り落とされ、ヒューマン2人は体が寸断されており、残るヒューマン2人は何の外傷もないまま完全に絶命していた。

 あまりに凄惨な光景を前に、部屋の隅で震えていた犬人乙女が恐怖に屈して失禁失神する。

 

 戦闘の痕跡はない。5人もの恩恵持ちが瞬く間に為す術なく一方的に殺されていた。しかもやはり何が起きたのか、神の権能と知覚をもってしても分からない。

 神モーモスの頭蓋内が混乱に満ち、心中から恐怖が溢れた。

「な、何なんだ……貴様はぁっ! 貴様はいったい、なんなんだぁあああっ!?」

 

 錯乱するモーモスに対し、

「お前達が3年前、ダンウォールの事件に関わったことは知っている。魔女の心臓はどこだ?」

 

 髑髏の襲撃者は機械のように繰り返し、無機質に言葉を続ける。

 

「全てを白状するまで切り刻んでやる」

 血に濡れた刃が魔導灯の光を冷たく反射し――襲撃者の言葉通り、神モーモスはその受肉した体を切り刻まれた。全てを自白するまで延々と。

 

       ★

 

 その夜、ドブ底のような裏通りに光の柱が生じた。

 それは神が強制的に天界へ送還された“しるし”。言い換えるならば、神が下界において“死”を迎えた証でもある。

 

 

       ★

 

 

 髑髏の面布を付けた青年が建物の屋上伝いにドブ底のような街角を離れ、市街内のとある宿の一室へ窓から滑り込む。

 

 ベッドに寝そべりながら読書していた黒妖精(ダークエルフ)の美女が顔をあげた。

「おかえり、エミール。情報は得られた?」

 

「心臓はイケロス・ファミリアとかいう連中に引き渡した、だそうだ。アスラ。覚えはあるか?」

 エミールと呼ばれた青年がフードと面布を降ろしながら問えば、

 

「帝国間諜の資料にあった名前ね。表向きは探索系ファミリアを装ってるらしいけど、中身はドブ底より汚れ切ったクズ共よ」

 黒妖精の美女アスラーグは吐き捨てるように答え、どこかアンニュイに微笑む。

「オラリオ、か。あの街にはいずれ赴くことになる予感がしてた。エミールもそうでしょう?」

 

「ああ」とエミールは装備を外しながら首肯した。

 神々の箱庭にして遊戯場。あの事件に神々が関わっている以上、遅かれ早かれ、迷宮都市に行き着く予感はしていた。

 

 鼻息をつき、エミールが左手の手袋を外した。

 小指と薬指の先から手の甲を通って肘の辺りまで、酷い火傷痕が走っている。

 そのケロイド状に爛れた手の甲。

 エミールにだけ、右向き左向きの“二重”に刻まれた奇怪な印が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、“虚無を歩く者”が再びオラリオに現れる。




Tips

神モーモス。
オリキャラ。ギリシャ神話のマイナー神。口が悪くてオリュントスを追放されたらしい。

神ピクラス。
オリキャラ。東欧の土着神話の神様。悪神ではないが、祟り神っぽいらしい。

冒険者ハーラン/マッカラン。
オリキャラ。元ネタは無し。


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2:袖振り合うも他生の縁

一万字を超えてしまったので分割しました。続きは今日中に。


 迷宮都市オラリオ。

 神々の遊戯場にして、神々の箱庭。世界各地から多くの人間が冒険者を志し、この街へ訪れる。それがどういうことか理解もせずに。

 白兎のような少年もまた、冒険者に強く憧れているが、迷宮都市へ訪れるまで今少し時間を必要としていた。

 

 

 そんなオラリオのとある酒場『豊穣の女主人』。

 宵の口。

 

「まーったく下らん話ばっかしくさって。大ファミリアの主神が暇やぁ思うとんのかあいつらはー」

 ぶちぶちと毒づくこの赤髪の糸目少年……失敬、胸が絶壁なので間違えた。この赤髪の糸目女性は女神ロキという。オラリオ最有力ファミリアたるロキ・ファミリアの主神だ。

 

「日頃の生活態度に問題があるから、暇だと思われているのだろうな。この機に生活を改めたらどうだ?」

 艶やかな長い緑髪を持つ超絶美貌のエルフ淑女がぴしゃりと苦言を呈する。

 彼女はリヴェリア・リヨス・アールヴ。エルフ屈指の名族(ハイエルフ)の一員であり、ロキ・ファミリア最高幹部の一人であり、『九魔姫(ナインヘル)』とも呼ばれる高位冒険者だ。

 

「わーん、アイズぅーっ! ママがウチの心を抉るんやーっ! 慰めてーっ!」

「誰がママか」とエルフ淑女がお決まりの返しを口にし、

「抱きつくの、やめて」

 嘘泣きと共に飛びつくようなハグを試みた主神を、麗しい金髪の美少女が見事なカウンターで撃墜した。

 この金髪美少女はアイズ・ヴァレンシュタイン。ロキ・ファミリアの主力要員で、『剣姫』の二つ名を持つ俊英の高位冒険者。

 

「ぅううう……リヴェリアもアイズたんもウチの扱いがすっかりシビアに……昔は色々させてくれたのになぁ……」

「過去を捏造するな」とリヴェリアが嘆息をこぼす。

「そんな事実はない」とアイズが無情動に首を横に振る。

 

 主に一人だけ姦しい彼女達三人は『豊穣の女主人』で夕食を摂り始める。

 女神ロキのファミリアは大組織であり、拠点も大きく立派な配食堂も揃っている。普段なら夕食は他の団員と共にそちらで摂るのだが、この日は少々事情が異なっていた。

 

 数日前、オラリオ外で生じた“強制送還”について、神々が情報交換を行うべく緊急神会が催されたのだが……

 基本的に迷宮都市――娯楽場の外に関心など一切ないオラリオ内の神々が、外の情報なんぞ持っているはずもなく。結局、無駄にぐだぐだとくだらないやり取りを交わすだけだった。まさしく時間の無駄遣い。

 

 そんな集まりに参加したロキもロキであるが、護衛として同伴させられたリヴェリアとアイズも、有体に言って迷惑な話だった。

「今日は新人達の教導予定だったのだが……」とぼやくリヴェリア。

「ダンジョンに潜りたかった……」とうらめしげなアイズ。

 

「まあまあ。今日はウチが奢ったるけ。美味しいもん食べて機嫌直したって」

 ロキが美女美少女を宥めつつ、カウンター内の大柄な女将ミアへ声を張る。

「ミアかーさん、適当におススメ頼むわーっ! それと、なんかええ酒入っとるー?」

 

「ツイてるね、ロキ」女将は酒棚から酒瓶一本手に取り「諸島帝国のシングル・モルト。20年物が入ってるよ。値段も良い額になるけど、どうするね?」

「そないなええ酒……金なんぞ惜しむかいっ! 瓶ごと貰うわっ!」

「ダメだ。先日、酒代を抑えろと言ったばかりだろう」リヴェリアが横から鋭くひと刺しし「女将。済まないが、キャンセルだ。ロキには一番安いワインで良い」

「うわーんっ!! ママが酷いよ、アイズたーんっ!」

「抱きつかないで」

 ダイビング・ハグを試みたロキを、アイズのカウンターが再び撃墜した。

 

 

 そんなこんなで女三人が楽しい(?)夕餉を進めていると、

「いらっしゃいニャー」

 御新規の来店に茶色髪の猫人女給が応対に向かう。

 

 男女二人組。

 一人はヒューマンの青年。癖の強い栗色の短髪をした優男だ。長身痩躯で暗青色の上下を着こみ、腰に装具ベルト。大型背嚢を担ぎ、背嚢の右側には長剣らしき長方形のホルスターが固定されていた。

 

 女性の方は黒妖精(ダークエルフ)の美女だ。様々な種族と民族が集まるオラリオでも希少な種族と言えよう。

 垂れ気味な目つきの整った顔立ち。青紫色の美しい瞳。薄褐色の瑞々しい肌。仄かに青みがかった銀色の波打つ長髪を結い上げている。出るとこが出て、引っ込むべきところが引っ込んだ中肉中背を小豆色のケープコートと暗褐色のパンツで包み、ハイブーツを履いていた。左腰に優美な装飾が施されたレイピアを下げ、大きな円筒型バッグを左肩に担いでいる。

 

 男女共に身綺麗で清潔感がある。着衣も装備も手入れがよく行き届いている。ただし、荒事の場数を重ねている人間特有の雰囲気をまとっていた。昨日今日、冒険者になった手合いではない。

 

 しかし、店内の誰にも見覚えがないようだ。まぁ、オラリオは巨大都市だし、冒険者なんて掃いて捨てるほど居るから、見覚えのない奴なんていくらでもいるけれど。

 

「黒妖精かぁ」女神ロキも珍しそうに「フレイヤんとこのイタイ奴と同郷のもんかな?」

「外見だけではなんとも」とリヴェリア。

 

 周囲の視線を集める男女は猫人女給の案内に従い、ロキ達の隣の卓に着く。

 

 2人は卓の下へ荷物を降ろす。ダークエルフ美女が小豆色のケープコートを脱いで椅子の背もたれに掛けた。薄黄色のシルク製ブラウス。くびれた腰元から胸の下部まで覆うコルセット状の革防具により、胸元が強調されている。臀部と太腿のラインを隠さず描く暗褐色のパンツと相なって、露出は少ないのに優艶な体の線がはっきり見えて……なんとも官能的。

 

「ええやん。……ええやんっ! 肌の露出が足りへんけど、あーいうのもええなっ!」

 ストリップ小屋の常連客みたいなセリフを吐くロキ。この人、女神です。

 

 ロキの歓声が聞こえたのか、ダークエルフ美女はロキへ顔を向け、垂れ気味な双眸を柔らかく細めて微笑みを返す。

 

「……イイ」

 うっとりと呟き、ロキが腰を上げかけ、

「ちょっと待て。何をする気だ」

 リヴェリアがその肩を掴んで留める。

 

「ナニて。ナンパするだけや」

 道化の神らしく悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ロキは糸目をわずかに見開く。

「ウチの勘が言うとんねん……あの子ら、おもろいてな」

 天界屈指のトリックスターたるロキの、凄味に似た笑みを向けられて、リヴェリアは思わず掴んでいた手を放す。

 

「あの人、連れがいるよ?」とアイズが指摘するも。

「だいじょーぶや! 連れの兄さんごとナンパするしっ!」

 あっけらかんと笑い飛ばし、ロキはするりと席を立って隣の2人へ声をかける。

「こんばんは~。自分らこの辺りで見かけへんなー。どっから来たん~?」

 

 面倒なことにならねばいいが……、とリヴェリアが眉間を押さえる。ママの苦悩を余所に、アイズはパクパクとご飯を食べ進めていた。

 

       ★

 

 どういう店だ、ここは。

 エミールは密やかに困惑を禁じ得ない。アスラーグが何気なしに選んだ店はどうにも剣呑だった。

 

 ……女将は化物クラスの恩恵持ち。女給共も恩恵持ちの手練れ揃い。黒髪の猫人娘は重心の取り方が暗殺者のソレだし、茶髪の猫人娘と薄茶色のヒューマン娘も所作が明らかに戦い慣れた人間だ。亜麻色の髪のヒューマン娘は気配が何やらおかしく、得体が知れない。極めつけは金髪のエルフ娘。すました顔をしているが、懐にナイフを呑んでやがる。

 

 周りの連中は平然と飲み食いしているが、気づいてないのか? いや、恩恵持ちがこれだけ雁首を揃えているのだから、そんなはずはない。多分、オラリオでは”こういう店”が普通なのだろう。

 エミールが困惑の解消に勤しんでいるところへ。

 

「こんばんは~。自分らこの辺りで見かけへんなー。どっから来たん~?」

 隣の卓にいた赤毛で糸目の小僧……いや、小娘か。小娘だろう多分。タンクトップの胸元は極めて平坦で女性的曲線が皆無だが、骨格は確かに女性のものだし。いや、それよりこの娘っ子の気配……人間じゃないぞ。

 声をかけてきた赤毛の糸目娘を観察し、エミールは警戒度を一段上げた。

 

「私達は諸島帝国から流れてきたの。オラリオには着いたばかりよ」

 アスラーグは赤毛の糸目娘へ柔和に応対した。警戒を感じさせない温和な笑み。目元も口元も和やかだが、その実、青紫色の瞳は赤毛の糸目娘と隣の卓に留まる連れの2人をしっかり観察している。

 

 エミールも横目に赤毛糸目娘の連れを窺う。

 

 緑髪のエルフ女性。ヒューマンからすれば、エルフは男も女も大概が美貌の持ち主だし、相棒のアスラーグも然り。それでも、美の女神もかくやと評すべき美女だ。なんとなしに気苦労が多そうな雰囲気があるけれど。

 

 もう一人の連れ。ヒューマンの金髪少女も美麗の一語に尽きる。ただその美貌はどこか人形染みた雰囲気を禁じ得ない。何よりこの少女の気配は何とも“歪”だ。

 

 2人とも冒険者。それもかなり高位の恩恵持ちだろう。エルフ美女も金髪美少女も相当に戦い慣れている。が、赤毛の糸目娘からは荒事師の臭いがない。2人の態度と意識の振り方から見ておそらく……

 

「ウチはロキや。ファミリアの神をやっとるで」

 

 ちゃっかりアスラーグの隣に腰を下ろした糸目娘が名と正体を語り、やはり、とエミールは推察の正しさに内心で苦いものを覚える。

 

「まぁ」アスラーグは目を瞬かせ「遠き我が祖国まで武名を伝えるロキ・ファミリアの主神様でしたか。これは御無礼を」

 

「そう固くならんでええて。酒場の出会いや。ざっくばらんにいこっ!」

 人好きする笑みを浮かべ、ロキは気さくに語る。

「お二人さん。お名前を教えてや」

 

「座したまま失礼します。私はアスラーグ・クラーカ。ロキ様、お会いできて大変光栄です」

「名乗りの機会を賜りながら、座して名乗る無礼をお許しください。自分はエミール・グリストルと申します、ロキ様」

 

 礼儀正しく名乗る2人に、ロキは「うーん固い」と微苦笑しつつも、

「このかっちりした礼節と崇敬の扱い。なんやえらい久し振りやわぁ……ウチの子ぉらは皆、ウチとの接し方が雑過ぎやねん」

「自業自得だろう」「ロキが悪い」

 エルフ美女と金髪美少女が横からツッコミを入れる。

 

「あ、この2人はウチの子な。こっちはリヴェリア。ファミリアのママや。で、こっちはアイズたん。ウチのいっちゃんお気にやで!」

「誰がママだ」とリヴェリアが渋面を浮かべつつ、エミール達へ目礼。

「変な紹介の仕方はやめて」とアイズが唇を尖らせつつ、エミール達に目礼。

 

「リヴェリア」アスラーグは再び目を瞬かせ「失礼ながら、御身は御出奔されたという王族(ハイエルフ)のリヴェリア・リヨス・アールヴ王女殿下ですか?」

「……そうだ」とリヴェリアは苦虫を噛み潰したような顔で首肯した。

 

「お。さっすがリヴェリアやな。エルフの知名度は抜群や」「リヴェリアは有名人」

 うんうんと満足げなロキ。主神に同意するアイズ。

 

「リヴェリア王女の御出奔を噂で耳にしておりまして……まさか、このような場末で殿下の御尊顔を拝そうとは」

「今の私はただの冒険者。そのような礼節は無用に願う」

 アスラーグとリヴェリアが別ベクトルの困り顔を浮かべているところへ、

 

「誰の店が場末だってっ? 新顔だからってふざけたこと言ってると叩き出すよっ!」

 カウンター内の大柄な女将が気風の良い叱声を飛ばしてきた。

「ロキっ! その客と一緒に飲み食いするなら卓を移りなっ!」

 

 首を竦めつつ、ロキはアスラーグとエミールへ悪戯っぽく微笑み、

「二人とも覚えとき。この店ではミアかーさんが掟や。神も逆らえへん」

 酒杯を掲げた。

「お互いの自己紹介も済んだし、楽しく呑もうや!」



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2+:袖振り合うも他生の縁、かもしれない。

 女神ロキのナンパで始まった酒盛りと食事は、存外、無難な調子で進んだ。

 

 アスラーグとエミールは出身の諸島帝国やこれまで旅した土地の話をし、ロキ達はオラリオやダンジョンの話を披露した(アイズはじゃが丸君の魅力について熱く語った)。

 一通りの無難なやり取りを交わした後、

 

「2人は何しにオラリオへ来たん?」

 ロキは安酒を口に運びつつ、エミールとアスラーグへ踏み込む。

 

「どこぞの神から、もう恩恵を貰っとるんやろ」ロキはエミールの左手の火傷痕を一瞥し「エミール君は若いわりに結構な場数も踏んどるようやしな」

 

「そうですね。順を追って説明しましょうか」

 アスラーグは白ワインで唇を湿らせてから語り始める。

 

「私達は祖国にて女神ネヘレニア様より恩恵を賜り、祖国に奉職しておりました。しかし、職務において失態を犯し、罰として祖国を追われました。以来、恥ずかしながら方々を旅しては荒事を請け負い、口を糊しております。オラリオにもそうして流れてまいりました」

 

 アスラーグの言葉に”嘘は”ない。ロキは神の権能で真偽を察しつつ、うーん、と唸る。

「“レニたん”かぁ……えらい久し振りに名前を聞いたなぁ」

「知ってるの?」

「んー。まぁ少しなー」

 ロキは小首を傾げるアイズに応じつつ、アスラーグとエミールへ顔を向け、「他意はないんやで?」と断ってからアイズとリヴェリアへ事情を説明する。

 

 

 曰く『失われし神々』。

 神々が下界する以前、人の時代。英雄達が迷宮に挑む以前も挑んでいる間も、人間はモンスターという脅威を前にしながら相争っていた。衣食住を巡って。富を巡って。権力を巡って。土地を巡って。あるいは種族の違いや民族の違いや信仰の違いや文化の違いから。

 そうした人の争いにより、自身への信仰と信徒が失われた神々を『失われし神々』と総称している。

 

 下界した『失われし神々』の多くはその事実に悲嘆した後、『やってらんねー』と箱庭(オラリオ)での享楽に逃避したが、極少数が『自分の手で信仰を再建したるわチクショーッ!』と意気込んだ。

 

 女神ネヘレニアもそうした一柱で、オラリオを発ち、流れ流れて諸島帝国に行き着き、彼の地で布教開始。『大衆の修道院』なる現地宗教を蹴散らし、今や国教に成り上がっている。

 

 もっとも、国家や民族を全てファミリア化した神アレスや神カーリーと違い、ネヘレニアは諸島帝国をファミリア化していない。

 航海を司り、“見守る”神であるネヘレニアは自らが国家の頂点に立つことを良しとせず、現地の国家体制に寄り添うことを選んだ。

 自らが国教の祭神となった諸島帝国においても、ネヘレニアは眷属に迎える者を厳選している。

 

「――ちゅうわけでな。レニたん……ネヘレニアはある意味でクラシック・スタイルな神様をやっとんねん」

 ロキの説明を聞き、アイズはエミールとアスラーグを交互に見る。

「それじゃ……2人は国を出てから、一度も恩恵を更新してない?」

 

「ええ」と頷くアスラーグ「かれこれ3年くらいかしら」

改宗(コンバーション)すれば、恩恵を更新できるよ?」

 恩恵持ちがファミリアを移籍――改宗することは珍しくない。傭兵の如くファミリアを渡り歩く者もいるし、神が気に入った人間を自分のファミリアに引き抜くこともある。

 

「必要ありません」

 エミールはきっぱりと応じる。

「ここオラリオではともかく、他の街や国では今のレベルで充分です。それに、“たかが”恩恵のためにネヘレニア様への信仰を捨てる気はありません」

 エミールの言葉にアスラーグも同意して頷く。

 

 アイズは目をぱちくりさせる。幼少時から直向きに強さを追い求め続けているアイズにとって、恩恵とは強くなるために欠くべからざるもの。信仰のために更新を放棄するという、エミールとアスラーグの考え方が理解できない。

 

「レニたん、愛されとるなぁ」とロキがどこか羨ましげに笑う。

「それにしても、ロキ。随分と神ネヘレニアと諸島帝国の事情に詳しいな?」とリヴェリアが不思議そうに問う。

「なんや、リヴェリア。知らんの? ウチの拠点(ホーム)に出入りしとる業者達がおるやろ? アレの一つが諸島帝国の商人や。その縁であれこれ聞いとるんよ」

 

「……初耳だが」と訝るリヴェリアに、

「そら頻繁に顔出しとらんからな。食堂で偶にちょっと変わった酒とか出るやろ? リヴェリアが気に入っとったイチジクワインとかな。アレの出どころや」

 ロキは意地悪に口端を吊り上げた。

「あと、アレや。レフィーヤが悲鳴を上げた昆虫飴(ビートル・キャンディ)。あれも諸島帝国の業者から貰ったんや」

「あれは故国でも好き嫌いが分かれる食べ物ですよ」とアスラーグが苦笑い。

 

 話を戻そか、とロキは安ワインを口にしてから尋ねる。

「2人がレニたんから恩恵を貰っとるんは分かった。レベルを聞いてもええ?」

「俺は3。アスラは4です」とエミールはさらりと応える。

 

「ほう」とリヴェリアは吃驚を挙げ、エミールの左手をちらりと窺い「オラリオの外ではレベル2以上に上がることが難しいと聞く。相当な偉業を成し遂げたのだな」

 

「エミールはともかく、私はそうでもないです。一世紀近く恩恵持ちをしていれば、なんだかんだレベルも相応にあがる、というだけで」

 自嘲的な微苦笑を湛えるアスラーグ。

 

「貴方はどうやって?」

「……俺の仕事は帝国と陛下を敵から守ることだった。倒した敵の中に偉業と認められる程度の輩もいた。そういう話です」

 アイズに応じ、エミールは料理を口に運ぶ。

 

 ロキはエミールの様子を糸目で窺いながら、推察する。

 その所作はアスラーグ同様にどこか洗練されている。出自が良いのか。軍隊仕込みの行儀教育を受けたクチか。いずれにせよ、オラリオ外では重要戦力たりえるレベル3と4の恩恵持ちを国外追放するからには、よほどの不名誉を被ったのだろう。

 

 好奇心が疼く。どんな事情があるのか、根掘り葉掘り聞きたい。

 が、流石に初対面でそこまで踏み込んでも、答えは帰ってくるまい。楽しい食事を台無しにするだけだ。自重しておこう。

 

 となると……

 ロキに“欲”が湧く。

 

 この子ら、欲しいな。

 

 神は人間の言葉の真偽を見抜く。ゆえに、女神ロキには分かる。

 エミールもアスラーグも本気で恩恵そのものを“たかが”と見做しており、自身がオラリオでいうところの高位冒険者に達したことも、成し遂げた偉業も誇っていない。

 

 すなわち。エミール達にとって、恩恵は純粋な信仰のあらわれに過ぎない。本気で女神ネヘレニアを信仰し、尊崇し、崇敬し、敬愛し、敬慕している。

 

 神々が人間へ恩恵を与える行為は『この駒、あるいは玩具が自分のもの』とラベルを貼るようなものに等しい。実際、そう考えている神も少なくない。美神フレイヤのように気に入った人間を神威で『魅了』し、虜にする例もある(フレイヤなりの人の愛し方らしい)。

 

 逆に恩恵を超人たる手段としか考えていない人間も多く、その関係性に純粋な信仰心など皆無に等しい。たんなる利害の一致。共栄契約に過ぎない。

 ロキのファミリアにも、恩恵を得られるなら主神がロキでなくとも良い、と考える者がそれなりに居る(ロキとしては自分を慕ってくれていると信じたいところだが)。

『失われし神々』の一柱ネヘレニアが、これほど敬愛され、敬慕され、信仰されている事実に、ロキは神として嫉妬すら覚える。

 

「2人はこれから冒険者としてやっていく気なん?」

「ええ。ロキ様。しばらくはそのつもりです」とアスラーグ。

 

「国を追われた身でありますが、私達は祖国への忠誠を失くしておりません。汚名を返上する機会を得、名誉を取り戻せたならば、祖国に帰りたいと考えております。オラリオでその機会を得られるなら、冒険者という在り方に拘りません」

 エミールの語り口は淡々としているが、深青色の瞳は真剣そのものだ。

 

「そっかー」

 ロキは再び安ワインを口にした後、さらっと告げた。

「ほんなら、ウチんとこで居候せえへん?」

 

「! 待て。ロキ、先走り過ぎだ」

 ファミリアの最高幹部としてリヴェリアが待ったをかける。

「2人をどうこう言う気はないが、おいそれと客分など受け入れるわけにはいかない」

 

 アイズは何も言わずリヴェリアとロキのやりとりを見守る。ファミリアの主戦力である『剣姫』は、その実、ファミリアの運営面にほとんど関与していない。こういう状況も『リヴェリアに任せておけば大丈夫』と意見を持たない。

 

「ロキ様。私共も今日、オラリオに着いたばかり。身の振り方はおろか今宵の宿すら決まっていない身上です。遠き祖国にまで勇名を響かせるロキ様のファミリアに居候など、畏れ多いことはできません」

 アスラーグも困惑気味に謝絶した。

 

 

 結局、ロキが唐突の持ちだした居候話は結実することなく、立ち消えになる。リヴェリアが『これ以上放っておくと何を言い出すか分からない』と判断して退店を決めたからだ。

 

「えー? まだ飲みたりへんよー。アスたんとエミール君ともっと飲みたいー」

「ダメ。今日はもう帰る」

 駄々をこねるロキの後ろ首を掴み、引きずっていくアイズ。

 

「面倒をかけた。払いはこちらで持とう」

「そこまで甘えるわけには」

 アスラーグが断ろうとするも、リヴェリアが首を横に振った。

「ウチの主神の相手をしてくれた礼だ。気にしないでくれ」

 

 

 退店していった三人を見送り、エミールはふっと息を吐き、からかうように言った。

「楽しかったか? “アスたん”」

「100を過ぎて“たん”付けで呼ばれる日が来るとは思わなかった」

 肩を落として嘆息を吐くアスラーグ。

「それにしても、流石は神々の箱庭ね。酒場で神にナンパされるなんて想像もしてなかったわ」

 

「たしかに。まったく意外性に満ちた夜だ」

 エミールは首肯を返す。この店の女将や女給達。そして、神と2人の高位冒険者。いやはや。命がいくつあっても足りない。

 

 酒杯を傾けつつ、エミールはロキの連れ2人、特に剣姫を脳裏に浮かべた。あの人形のような眼と戦士として鍛えられた体つき。まるで兵器として育てられたかのような……

「末恐ろしい」

「あら。貴方に怖いものがあったとは驚きね」とアスラーグがくすくすと喉を鳴らす。

 

 と、金髪のショートヘアをしたエルフ乙女の女給がやってきた。

「空いた皿をおさげします」

 抑揚のない、しかし非礼でもない声音で告げた。

 

 エルフ乙女は青年が平らげた料理の皿を片付けながら、何気なしにエミールの左手が視界に入った。元冒険者であるエルフ乙女――リュー・リオンは、エミールの焼けた左手の甲に数年前に目撃した奇怪な印を幻視する。

 

「―――っ!」

 立ち眩みを覚えたように小さくたたらを踏むリュー。厨房へ運ぼうと手に持った皿が傾く。

 

 皿が床に落ちて割れる、音は響かなかった。

 いつの間にかエミールが椅子から立ち、弓手でリューの体を支え、馬手でリューの手から落ちた皿を確保している。

「大丈夫か?」

 

「あ」リューはエミールを凝視しつつ「失礼、しました」

 平均的エルフ女性は厳格な貞淑観念を有しており、異性に触れられることを嫌う(対象が懸想している相手ならまた違うが)。が、触れられているリューに観念的忌避感は生じない。

 

 異性に触れられている感覚が生じなかったからだ。

 人の温もりはあるが、そこに人間的情動や何かを覚えない。言い換えるなら柱にでも寄りかかっているような錯覚すらあった。

 

 リューはもう一度エミールの左手の甲を盗み見る。酷いケロイドが走る手の甲に、かつて殺し合った怨敵にあった奇怪な印は“無い”。

 

「お兄さん。ウチの店員は御触り厳禁ニャー」

 猫人女給がエミールへ釘を刺す。

 

「いえ、アーニャ。こちらの御客様は私のミスを補ってくださったんです。御客様、粗相して申し訳ありませんでした。失礼します」

 リューは一礼し、エミールから皿を受け取って厨房へ去っていく。

 

「ニャ。リューが触られて騒がないなんて珍しーニャ」

 ぽつりと呟く猫人女給へ、エミールが椅子に座り直しながら声をかけた。

「店員さん。ちょっと良いか?」

 

「? 何ですニャ? ナンパはお断り、お酌のサービスは別途料金をいただくニャ。それから、そちらの彼女さんと喧嘩になった場合、一切の責任を負わないニャ」

「いや、そうじゃなくて」

 はきはきと予防線を張っていく猫人女給に苦笑いを向けつつ、エミールは用向きを伝えた。

「この街でまともな安宿を知っていたら教えてほしい。もちろん、連れ込み宿じゃないぞ」

 左手の人差し指と中指の間にチップのコインを持ちながら。

 

「そういうことニャら」

 そして、猫人女給は小遣いを得た。

 

       ☆

 

 迷宮都市オラリオは大陸で一番“熱い”街だ。

 ともなれば畢竟、燃えカスが吹き溜まる区画もある。経済学的現実により大都市にはスラムが必然的に発生するからだ。

 

 そんなスラムに沿うドヤ街チックな通り。その一角にある安宿。

 エミールとアスラーグは『豊穣の女主人』の猫人女給に教えられたその宿の前に到着していた(「道中、追剥に遭うかもしれニャいけど、そこは自己責任でお願いしますニャ」と可憐に微笑まれた)。

 

「何だ、あれ」

 エミールとアスラーグの視界にヘンテコな何かが映る。

 

 頭のてっぺんから足元まで白いローブマントですっぽり包んだ小柄な細身の女性。ヒューマンの少女か小人族(パルゥム)の成人女性か。まあ、そこははっきりないが、注視する点ではない。

 

 注目すべきはその背中に担がれたバックパックだ。

 デカい。とにかくデカい。担いでいる当人が2、3人ほど詰め込めそうなほど、デカい。

 

 なんとまぁ……凄い力持ちだこと、とアスラーグがちょっとズレた感想を抱いたところへ、件の大荷物を担いだ女性は安宿の前に到着。出入り口の前に立つエミールとアスラーグへ疲れた顔を向ける。

 

「あの、入りたいんですけど」

 不機嫌な声が邪魔だと言外に告げていた。声色とフードの下に覗く顔立ちから察してまだ少女らしい。

 

「これは失礼」

 エミールとアスラーグが道を譲ると、バカでかい背嚢を担いだ少女が宿の正面玄関を潜り、店内へ入っていった。背嚢の横幅は玄関口の幅いっぱいいっぱいだった……

 

「なんか凄いもの見た気がするわね」とアスラーグ。

 

 2人は気を取り直して宿の正面玄関を潜った。

 受付のカウンター内にいた店主だか雇われ店長だか定かではない、しみったれた頭髪量のしみったれた親父は淡々と語る。

「飯その他のサービスは無し。シーツの交換は有料。他の客とのトラブルぁ自己責任。これで良けりゃあどうぞ」

 エミールとアスラーグは了承し、宿泊台帳に名前を記した。

 

 

 かくて2人は迷宮都市の初日を終える。



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3:薄幸の少女は新たな災難に出会う。

 エミールとアスラーグが迷宮都市オラリオに到着してから4日目。

 

 

 昨日、2人は冒険者ギルドでえらく事務的な受付嬢相手に手続きも済ませた。これでいつでもダンジョンに潜れる。

 もっとも、そちらは“二の次”だ。

 主目的は別にある。そのため現地社会に根を張り、情報網を構築しなければならない。

 

 窓から朝日が差し込む中、

「冒険者ギルドやなんかで公開されている情報を信じるなら、ここ数年、イケロス・ファミリアの活動は実に凡庸ね。団員達のパッとしないダンジョン潜りをしているだけ。それと、クエスト関係に闇派閥関係者の賞金絡みがちらほら確認できた。思った以上に生き残ってるみたいね」

 アスラーグは下着姿のまま、洗面台のくすんだ鏡を相手に髪を梳く。

 

 ベッド脇で着替えを進めていたエミールは、眉根を寄せる。

「長丁場になりそうだ。本格的に腰を据えられる拠点が要るな」

 

「資金は500万ヴァリス相当の宝石が20粒、100万ヴァリス以下の宝石が50粒前後。現金は5万ヴァリスくらい」

 これまでの稼ぎ――“表の顔”たる請負の荒事仕事や“本命”のクズ共狩りの際に略奪した金品は、現金だとかさばるため、持ち運びし易い貴金属や宝石に換えてあった。

 

「適当な家を借りて、諸々整えられるな。場所はどの辺りにする? なんたら通りとかいう貧民街にするか?」

「貧民街は住民同士のつながりが複雑だし、他人の動向を窺う手合いも多い。もっと人の出入りが多く、隣人に無頓着な場所が望ましい」

 アスラーグは洗面台からベッド脇に戻る。サイドボードから革製の手帳を取り、オラリオの地図を取り出した。少し考え込んだ後、

「この辺りはどう?」

 

 しなやかな右手人差し指が示したるは市街北西の第七区辺り。

 

「冒険者の出入りが多い区画で西区の一般住居区にも近い。人気の乏しい辺りもある」

「良いんじゃないか?」地図を窺ったエミールは首肯し「脱出経路も辺りをつけておこう」

「いざという時は市壁を吹き飛ばして脱出すれば良い」

「……冗談だよな?」

 

「それから……多分、死んでいると思うけど」

 アスラーグは手帳をサイドボードに置く。

「多分、オラリオには貴方と同じ“虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)”が居たわ」

 

「そうか」とエミールは淡白な反応を返す。

「驚かないのね」アスラーグは不満そうに唇を尖らせる。

 

「俺以外の刻印持ち(マークベアラー)がいる可能性は以前から考えていた。そうか……オラリオにな。そいつについてわかってることは?」

「正体は今もって不明。オラリオの暗黒期と呼ばれる抗争時代、”虚無を歩く者”は陣営を問わず襲撃と殺人を重ねたそうよ。ついた呼び名は”髑髏の異能者”」

 

「仰々しいな。由来は?」

 眉根を寄せたエミールへ、アスラーグは冷笑を返す。

「髑髏の仮面をつけて、虚無の力を使っていたから。もっとも、虚無の力ではなく魔法やスキルと見做されていたようね。面白いことにフルカスタム・クロスボウと折り畳み式小剣を使っていたそうよ。集めた情報から考察するに諸島帝国製でしょうね。どうやって入手したんだか」

 

「大方、アウトサイダーからの贈り物だろう。しかし……髑髏の仮面。クロスボウ。小剣。それに虚無の力。いろいろ被りまくりだな」

 エミールが不快そうに舌打ちするも、アスラーグは冷笑を大きくした。

「好都合でもある。貴方が”力”を使って活動しても、素顔を見られない限り、周囲は髑髏仮面の再来と判断する」

 

「どうだか」エミールは癖の強い栗色の短髪を掻き「これまで通り、虚無の力は使いどころを見極めた方が良いな。クロスボウは仕方ないにしても、面布と小剣は”仕事”以外で使用を控えよう。要らん誤解を被って面倒に巻き込まれてもつまらない」

 

 小さく鼻息をつき、エミールはアスラーグに問う。

「本人様が再登場する可能性は?」

「断言は出来ないけれど、さっきも言ったように高確率で死んでいるわ」

 

「論拠は?」

 問われたアスラーグは、白いブラウスを着こみながら推論を語り始める。

「情報から読み解く限り、この髑髏仮面は自己顕示欲が強い破滅願望者よ。抗争が終わったからと言って大人しくしていられるタマじゃない。仮に生きているなら今も活動しているわ。ところが5年も音沙汰無し。高確率で死んでるわね」

 

「この街の冒険者が殺したなら、ギルドに討伐の報告をしていると思うが……」

 アスラーグはエミールの指摘に小さく肩を竦め、

「仮に生きてるとしても、障害になるようなら倒すだけよ」

 暗褐色のパンツを手にしつつ、冷ややかに告げた。

「そうでしょう?」

 

「たしかに」

 ふ、とエミールは息を吐く。

「髑髏仮面はともかく……今後、どう活動するにせよ、資金はいくらあっても困らない。予定通り、今日はダンジョンへ潜ってみよう。噂通りに稼げるもんなのか確認しておかないと」

 

「そうね」

 アスラーグは同意し、目を細めた。

()()()がいると良いのだけれど」

 

      ★

 

 オラリオには様々な種族、様々な民族がいる。

 が、リリルカ・アーデが黒妖精(ダークエルフ)の女性と接したのは、この日が初めてだった。

 

「ねえ。そこの貴女、サポーターかしら?」

 

 リリルカは黒妖精の女性から丁寧な口調で声を掛けられた。しっとりした声音の響きは音楽的で心地良さすら覚える。

 それでも、過酷な生まれ育ちにより、リリルカは冒険者に対し、決して油断しない。内心に秘める警戒心と不信感を表に出さぬよう、営業用スマイルを湛え、丁寧に応対する。

 

「はい。私はサポーターです。御用命でしょうか、冒険者様」

 応じながら、リリルカは素早く相手を査定する。

 

 黒妖精の女性。凄く綺麗。装備は軽装、小豆色のケープコートも着衣も上物。斥候、いやエルフだから魔法使いか。杖は持っていないけれど、左腰に佩いているレイピアの鍔に魔晶が嵌めてある。多分、あのレイピアが杖を兼ねているんだろう。きっと物凄く価値があるに違いない。両手の指や手首にあるアクセサリも魔力強化装具の類だと思う。

 この人、駆け出しじゃない。お金持ちの冒険者だ。

 

 続けて、隣に立つヒューマンの青年も査定する。

 長身痩躯の優男。こちらも装備は軽装。暗青色の上下やパウチ付き装具ベルトの高品質。この人が斥候かな? 左脇に吊るしてるクロスボウ……凄い。なんかいろいろ機械がくっついてる。リリのクロスボウよりずっとずっと性能も値段も高そう。背中に何か……剣のケース? を担いでる。アレが(プライマリ)でクロスボウが(サブ)かな? 全体的によく使い込まれて、よく手入れされてる。

 この人も駆け出しじゃない。しっかり稼いでる冒険者だ。

 

 2人ともレベル3か4はありそう……でも、黒妖精の冒険者なんて珍しいのに、これまで聞いたことない……どういうこと?

 短時間で一連の査定と推察を済ませる辺り、リリルカ・アーデという少女が如何に聡明か、そして冒険者という生き物相手にスレているか分かろう。

 

「私達、余所から移って来たばかりなの。ガイド兼荷物運びを引き受けない?」

 黒妖精の女性が柔らかな口調で問う。

 

「ガイド、ですか?」

「現場事情に詳しい人が持つ情報が欲しいの。貴女、この仕事は長いでしょう?」

「―――!」

 自称余所者から、年若い少女にしか見えない自分がダンジョン慣れしていると見做されたことに、リリルカは反射的に警戒する。

 

 隣の青年が少し眉を下げ、黒妖精の女性へ小言を告げた。

「変に受け取られるようなことを言うな。警戒しちまったぞ」

「ああ。ごめんなさい。覚えてないかしら。私達は数日前に貴女を見かけてるの。その時の貴女はベテランの風格があったから、ね」

 くすくすと喉を鳴らす黒妖精の女性。

 

「そ、そうでしたか。これはとんだ粗相を……」

 ぺこりと頭を下げながらリリルカは内心で『こんな連中と顔を合わせた? どこで?』と首を傾げる。数日前、とある安宿の前で出くわしたことは覚えていなかった。

 

「引き受けてくれるなら、報酬は稼ぎの3割。別途、必要経費はこちら持ちで、働き次第では御祝儀もあり。どう?」

 女性が提示した条件は非常に良好だった。好条件ゆえに、冒険者嫌いのリリルカは警戒心を強くする。旨い話には裏がある、だ。

 

「もちろん、報酬分の仕事はしてもらう。それに、こちらも君を査定する」

 青年が接ぎ穂を足すように言った。

 

「私を、査定?」と訝るリリルカ。

「言葉は悪いが、君が使えない奴、と見做したら次回以降は声を掛けない。君は報酬3割と余禄付きの仕事を失い、俺達という客を逃がす」

 

 青年の試すような物言いが、リリルカの持ち前の反骨心とプロ意識を刺激した。余所から来たばかりの癖に。リリを試そうとはいい度胸です。きっちり仕事してみせようじゃないですか。そのうえで隙有りと見做したなら……

 

 リリルカは青年のクロスボウと女性のレイピアをさりげなく盗み見た。

 貴方達の装備を頂いてお別れしてやりますっ!

 

「分かりました。ガイド兼荷物運び、請け負わせていただきます。私はリリルカ・アーデと申します。今日はよろしくお願いします、冒険者様」

「私はアスラーグ。こっちはエミールよ。こちらこそよろしくね、アーデさん」

 

「君の働きに期待するよ、アーデ嬢」

 エミールと紹介された青年がリリルカへ、忠告するように告げた。

「かなり大変だろうからな」

 

「……え?」

 目を瞬かせるリリルカに、アスラーグという黒妖精の女性が思わせぶりに微笑んだ。

 

      ★

 

 迷宮都市オラリオ。

 その冠詞の由来たるダンジョンは不思議な空間だった。照明があるわけでもないのに、適度に明るく松明その他を必要としない。多少の段差や高低はあるものの、階層は限りなく平坦に構築されており、ご丁寧に階層間をつなぐ通路や階段まである。

 限りなく人工物的で、作為的な構造。これが自然に生じたと考えられない。

 

 神々の下界降臨は古代の英雄達がダンジョンを封じた後、という話だったが……ダンジョンの発生そのものに神々の関与があるのではないか。

 そんな憶測を遊ばせていたエミールは、ちらりと視線を動かす。

 

 リリルカ・アーデと名乗った小柄な“犬人”少女は、白いフード付きコートで華奢な体をすっぽり包み、自身が2、3人は入りそうな大きな大きな背嚢を担いでいた。

 

 赤茶色の髪に可愛らしい顔つき。小柄で華奢な癖、胸元は意外と育っている。自覚が有るのか無いのか、時折、酷く昏い目つきをする点が気になるが……ダンジョン潜りより、どこぞの茶屋で給仕でもしている方が似合う。きっと看板娘として大事に扱われるに違いない。

 

 エミールは少し前、神殺しの際に見かけた犬人乙女を思い返す。

 害は与えなかったが、あの事件の唯一の生存者で目撃者だ。ひどい扱いを受けていなければいいが……いや、放置して去っておいて今更気に掛けても、か。

 

 自嘲的な気分を抱くエミールを余所に、壁から出現したばかりのゴブリンがアスラーグの一太刀で胴体を寸断され、顕現したくなかったと言いたげな顔で絶命する。

 

「ひぇええええええ」

 リリルカ・アーデは大忙しだ。

 

 先頭に立つアスラーグがゴブリンやコボルト、ダンジョン・リザードにフロッグ・シューターといった上層のモンスターを片っ端から“刺身”にしている。さながら子供がピクニックの最中に木の枝を振って雑草を薙ぐように、鼻歌混じりで。

 

 断っておくと、モンスターの骸は魔石を破壊するか、解体して魔石を回収すると灰燼に帰す(時折、ドロップ品が遺る)。

 

 遊び半分でモンスターを大量虐殺しているようなアスラーグだが、その剣閃は全てのモンスターを一刀で斬殺しながら、魔石を一切傷つけていない。

 よって、リリルカは魔石回収のため、大量の惨殺死体を解体していかねばならない。モンスターの血に塗れ、モンスターの遺灰に塗れ、汗に塗れ、魔石とドロップアイテムを背中のバカでかい背嚢へ詰めていく。エミールは多忙極まるリリルカの作業を手伝わず、大虐殺を楽しむアスラーグの援護(現状は不要だが)や周辺警戒に努めている。

 

 忙しすぎるぅっ! リリルカは既にこの2人に雇われたことを後悔していた。魔石をちょろまかする余裕すらないなんてっ! 何なんですか、この人達はっ!!

 

 汗だくで改修作業に勤しむリリルカを脇目に、アスラーグが不満げにぼやく。

「つまらない。ダンジョンのモンスターは地上のモンスターより強いと聞いていたのに、拍子抜けよ」

 

「散々楽しんでおいてよく言う」

 呆れ顔を浮かべ、エミールは汗だくのリリルカを顎で示す。

「アスラが暴れまくったせいで、アーデ嬢が既にくたくただぞ」

 

「わ、私は大丈夫ですから……っ!」

 肩で息をしながらリリルカは首を左右にぶんぶん振る。雑魚モンスターの魔石やドロップは二束三文とはいえ、塵も積もれば。背嚢に詰め込んだ量だと既に1万ヴァリスは越えているかもしれず、しかもまだまだ増えそう。お金が必要なリリルカはこれしきで音を上げていられない。

 

「ふむ」アスラーグはリリルカを一瞥し「休憩がてら戦闘を切り上げて前進を優先しましょう」

「私はだいじょう……え? 前進?」

「今、5階層だったかしら? そうね。ひとまずキリ良く10階層まで行きましょう」

 

 アスラーグの提案に、リリルカの双眸がどこか虚ろになった。

「10階層……お二人ともダンジョンは今日が初めてなんですよね?」

 

「アーデ嬢。俺達はダンジョン初心者だが」エミールは小さく肩を竦め「新人でも素人でもないぞ」

 

      ★

 

「うわー……」

 眼前いっぱいのキラーアントの大群を前に、リリルカは『言わなきゃよかった』と心底後悔していた。

 

 

 小一時間ほど前。

『キラーアントは命の危機に陥ると救援を呼びますから、気を付けてくださいね』とガイドらしく助言をしたら、

「ということは、死にかけを囮にすれば、一度にまとめて狩れるわね」

 アスラーグは垂れ気味の双眸を楽しそうに細め、にっこりと微笑んだ。傍らでエミールが『余計なことを』と言いたげな顔をしていた。

 

 で。

 

 ダンジョン七階層の一角。洞窟内の比較的広い空間。アスラーグが数匹のキラーアントの牙と脚を全て切り落とし、一か所にまとめた。

 同胞の危機に、そこら中の床や壁や天井からわらわらとキラーアントの大群が湧き出した。今やリリルカの視界に収まりきらないほど、キラーアントの大群がひしめいている。

 雑魚敵と言えど、この数この密度はヤバい。レベル1は間違いなく死ぬ。レベル2だってヤバい。下手すればレベル3でも。

 

 あまりにも危機的な状況を前に、顔を真っ青にしたリリルカを余所に、

「素晴らしい」

 うっとりとした面持ちで呟き、アスラーグはレイピアを指揮棒のように構えて詠唱を開始。

「――爆ぜよ、爆ぜよ、爆ぜよ。野を薙ぎ払い、森を焼き払い、山を打ち砕け」

 

「!? おい、よせっ!」

 エミールが慌ててアスラーグを羽交い絞めにし、魔法詠唱を中断させる。

 

「! ちょっと、なにっ!?」

 詠唱を邪魔され、アスラーグが美貌を憤慨に歪める。

 

「俺達ごと吹き飛ばす気かっ!」

「そんなヘマするわけないでしょっ! ちゃんと威力を調整するわよ」

「お、お二人ともっ! 前っ! 前っ! 前を見て下さいっ!!」

 キラーアントの大群を無視し、やいのやいのと言い合うエミールとアスラーグ。そんな2人へリリルカが悲鳴染みたツッコミを入れた。

 

「あ?」「ん?」

 2人が顔を前に向けると、キラーアントの大群が津波の如く襲い掛かって来た。

「来たああっ!!」とリリルカが半ベソを掻き始めた、矢先。

 

「取り込み中だ」

 エミールが疎ましげに吐き捨てた。黒革の手袋で包んだ左手をキラーアントの大群へ向け、囁くように告げる。

 

「Hara Karghris」

 瞬間。激烈な衝撃波が生じ、全てのキラーアントが箒で掃かれたように薙ぎ払われ、ダンジョンの壁に叩きつけられて圧潰した。

 

 

「え」とリリルカが目を丸くする。

 

 

 ぐしゃぐしゃに圧潰したキラーアント達の骸と遺灰が壁際に小山を築き、夥しい量の体液が壁と床を染めていた。

「魔法……?」

 再び目を瞬かせるリリルカを放置し、

 

「あああっ!」とアスラーグが別ベクトルの悲鳴を上げ「どういうつもりっ!? 私の邪魔をして獲物まで横取りしてっ! 返答次第ではただじゃ済まさないわよ……っ!」

「そっちこそ、こんな狭いところで広域破壊魔法を使うなんて、どういうつもりだ」

 

「さっきも言ったじゃない。きちんと威力は調整するわよ。それとも、私の実力を疑う気?」

「アスラの実力は信用してる。これまで何度も助けられてきたさ。だけどな、調整すれば良いってもんでも無いだろ。ダンジョン内には余所の冒険者も居るんだ。とばっちりで他人を丸焼きにしたら、大問題だぞ」

「そんなヘマするわけないじゃない」

「アスラがヘマしなくても、余所の間抜け共がヘマしたら同じことだろ」

 

 大量のキラーアントの屍やらなんやらを無視し、やいのやいのと言い合う2人。

 リリルカは2人のやりとりを唖然と見つめ、2人と組んだことを強く激しく後悔していた。

 

      ★

 

「あの、申し訳ありません。バッグが、その、満杯です……」

 大量のキラーアントの骸から魔石と素材を回収し終え、リリルカは疲労困憊で悄然と告げた。

 

 リリルカ自身が二、三人は入りそうなバッグが魔石と素材で満タンになったことなど初めてのことだ。が、リリルカは得られる稼ぎより、無事に帰れることと、この2人と別れられることに感謝している。

 

「狩りはここまでね」とアスラーグが美貌を不満そうに歪めた。

 

「しかし、これだけデカい背嚢が満杯か……かなりの重量だろうに軽々と持つんだな」

 エミールは双眸を細めた。冷たい深青色の瞳がリリルカを真っ直ぐ捉える。

「アーデ嬢、実はレベルが高いのか?」

 

「ち、違います。リリは、いえ、私はしがないレベル1のサポーターですっ!」

 変に誤解されて目を付けられたくない。リリルカは高速で首を左右に振る。

 

「……何かしらのスキル?」とアスラーグも青紫色の瞳でじっとリリルカを窺う。

 エミールとアスラーグからシャーレの微生物を観察するような目を向けられ、リリルカはだらだらと冷や汗を掻く。

 

 ――ダメだ。この人達は下手に誤魔化すと余計厄介なことになる。

 リリルカは腹を括り、呻くように答えた。

「え、と、その、重いものを持てるスキルが、あります……」

 

「ほう」「まぁ」

 エミールとアスラーグが感嘆を上げ、

「その重い物を持つスキルというのは、どこまで持てる? 限界は?」

「それって、台車を牽いたりする場合でも発動するのかしら? 試したことはある?」

 ガッツリと食いついてきた。

 

 与太者達が生娘を囲むように、2人からグイグイと迫られ、リリルカの聡明な頭脳が理解する。理解してしまう。

 ――ああ。目を付けられた……。

 

      ★

 

 日没の手前時。

 ダンジョンから帰還したリリルカ達は魔石とドロップ品を売却。得た金額はなんと約9万ヴァリス。

 

 リリルカは一日でこれほど稼いだことが初めてだった。とはいえ、喜びより疲労感の方が大きい。単価が激安の上層階でこれだけ稼ぐということは、比例して無茶苦茶をしたことに他ならない。実際、キラーアントのアレはマジで酷い。普通のレベル1パーティだったなら絶対に死んでいる。

 

「あの量を換金しても10万に届かないとか……上層はダメね。時間と労力の無駄だわ」

「だな。次回からはさっさと先に進もう」

 ところが、アスラーグとエミールは稼ぎに不満らしい。意味が分からない。

 

「リリちゃん。約束の報酬だけれど」

 いつの間にか『リリちゃん』呼びを始めたアスラーグ。リリルカは戸惑いながらも警戒心を滲ませる。稼ぎが大きくなると、冒険者達は途端に払いが渋くなる。この2人も……

 

「リリちゃんは凄く頑張ってくれたから、取り分は稼ぎの半分で良いわ」

「え」リリルカは目を丸くした。半分? はんぶん? 半分っ!?「ええっ!?」

 

「それから、しばらくリリちゃんを専属で雇いたいの」

「――え? せ、専属ですか?」

 

 稼ぎは凄い。だが、この2人とはもう関わりたくない。絶対にろくなことにならない。キラーアントみたいなことが繰り返される未来がありありと見える。稼ぎは欲しい。凄く欲しい。だけど。だけれども。しかれども。

 

 命あっての物種ですっ!

 リリルカはフェールセーフを重視する女なのだ。

「た、大変光栄なお話ですけど、わ、私では御二人の足手まといになるというか、」

 

「専属の話を受けてくれるなら、今後の取り分は4割。それと、ポッケに入れた分は問わないわ」

 優艶に微笑むアスラーグ。隣のエミールも目を細めている。2人の瞳が『ちゃんと見てたゾ』と告げていた。さぁっと顔が青くなるリリルカに、アスラーグは笑みを大きくした。

「専属の話。受けてくれる?」

「とりあえず今月いっぱい。それでどうだ?」とエミールも横車を押す。

 

 

 

 リリルカ・アーデに拒否する意志力は残っていなかった。



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4:視点の違いと物語の違い。

 リリルカ・アーデから見た『変な二人組の冒険者』の出会いは、ある種の偶然と蓋然の結果かもしれない。

 

 しかし、エミールとアスラーグがリリルカ・アーデと接触したことは、偶然でも蓋然でもない。“意図的”だ。

 

 いや、リリルカを選んだこと自体は偶然だったかもしれない。

 

 ダンジョンへ潜る前日のこと。

 冒険者ギルドに登録手続きをした際、対応が事務的な受付嬢がしたいくつか淡白な説明。そこに含まれたサポーターについての内容。

 

 次いで、2人はダンジョンに蓋をする巨塔の付近へ足を運び、見かけたサポーター達。その中に混じる、オラリオ初日の夜に見かけたバカでかい背嚢を担ぐ小柄な少女――リリルカ・アーデ。

 

 アスラーグはリリルカ・アーデの昏い横顔を目にし、ある種の仏心から『サポーターを使う時はあの子を雇いましょう』と言った。彼女はその“事情”から年若い少年少女にやや甘い。

 

 一方、エミールもアスラーグの提案を否定しなかった。必要ならどこまでも冷酷非情になれる男であるが、不必要に非情さを露わにするほど無分別でもない。不幸な目をした少女に目こぼしくらいする。

 

 ただし、エミール達は優先順位を弁えていた。

 自分達がまずもって優先すべき目的がある。その目的に差し障りが生じる事態は避けねばならない。

 

 よって、エミール達はダンジョンへ潜る前日の夜に情報収集を兼ね、ダンジョン前で目星を付けたサポーターの一人を尾行し、酒場で声を掛けた。一杯奢ってさりげなく情報を引き出す。

 

 

 リリルカ・アーデ。15歳。“小人族”の少女。

 ソーマ・ファミリア所属のサポーター。

 両親がソーマ・ファミリア所属の冒険者だったため、半ば自動的にソーマの眷属入りする。

 

 その両親は神酒中毒者で神酒を得るために無理をし、ダンジョン内で死亡。その後、乞食同然の生活を送った末、現在のサポーター業へ。

 

 自身を雇用した冒険者から金品を盗むなど手癖が悪く、評判は良くない。また、同ファミリアの冒険者から度々暴力を振るわれ、金品を強奪されている。

 

 まあ、その辺りはどうでも良い。

 要点はリリルカ・アーデがソーマ・ファミリアの眷属ということ。

 

 諸島帝国の司直は“神酒”をその中毒性の高さから規制嗜好品に指定しており、製造者であるソーマ・ファミリアを“犯罪系”ファミリアとして記録し、主神ソーマを『有害なる神』と見做していた。

 

 蛇の道は蛇。ソーマ・ファミリアは同じく“犯罪系”ファミリアのイケロス・ファミリア――当面の主目標と、何かしらのつながりが有るかもしれない。

 つまりは、リリルカ・アーデはオラリオに置ける最初の取っ掛かりになりえる。

 

 適当に拉致監禁し、締め上げて情報を引っこ抜いて終わり、でも良かった。が、前述の事情により、アスラーグが強硬策を却下し、穏当な接触と懐柔に切り替えられた。

 

 もちろん、この背景事情をリリルカ・アーデが知ることはない。

 これはエミールとアスラーグの物語であって、リリルカが関知する物語ではないから。

 明かされることのない真実だ。

 

     ★

 

 伸ばした腕の先が見えないほどの濃霧に満ちた12階層。

 偵察してくる、とエミールはアスラーグとリリルカを連絡通路に残し、一人で霧の中にいた。

 

 濃密な霧が視界を遮ろうとも、虚無の力による感覚野強化(ダークビジョン)を使えば、霧など無きに等しい。

 むしろ、敵の視界が効かない状況こそ、異能の優位性がより強くなる。

 

 エミールはゆっくりと周辺を見回した。

 2時方向、シルバーバックが1匹。5時方向、オークが2匹。10時方向にもオークが2匹。連携はしていないが、包囲するように接近中。

 

 戦闘を避けることは難しくないが……偶には“訓練”が必要だ。

 

「Sum Fdah」

 瞬間移動(ブリンク)を用い、5時方向のオークの許へ一瞬で肉薄して足元を攻撃。再度瞬間移動し、後背へ回り込んでトドメ。

 

 膝を切られて倒れ込み、無防備な後頭部を叩き割られ、オークが絶命した。

 瞬く間に相方を惨殺され、共にいたオークが驚愕しつつも、殴りかかる。

 

「Go Hayes」

 言葉と共にエミールの身体が消失するように霧散し、拳をすり抜けてそのオークへ憑依(ポゼッション)

 

 血の臭いと断末魔で引き寄せられたのか、10時方向のオーク達が駆けつけてきた。

 しかし、そこには惨殺された同族と、惚けたようにふらふらしている同族だけ。

 2匹のオークが訝った、その間隙。

 

 ふらつく同族から黒い霧が噴き出し、霧が刃を構えた人間へ姿を変え、反応の追いつかない右のオークの太い首を深々と裂いた。大出血する首元を押さえ、うずくまるように息絶えるオーク。

 

「Has Kapitse」

 着地と同時に虚無の力(ドミノ)を用い、驚愕している左のオークと憑依が解けて混乱するオークを“リンク”。エミールは左のオークが反射的に繰り出した胡乱な拳を掻い潜り、依然混乱したままのオークへ急迫。刃を寝かせて肋骨の隙間から心臓まで一突き。素早く刃を捻って心臓を抉る。オークの口から命が消える音が漏れた。

 

 刹那、死がリンクし、左のオークが胸を掻き毟りながら絶命する。

 

 二匹のオークが倒れたところへ、2時方向にいた大きなエテ公――シルバーバックが襲撃してきた。

 大柄な体躯から想像もつかぬ俊敏さを発揮し、巨猿が大跳躍して頭上から飛び降りてくる。

 

 再び瞬間移動(ブリンク)でエテ公の攻撃を回避。両拳と巨躯を受け止めた地面から土砂が巻き上がる。

 

 突如獲物が視界外へ消えたことに驚くエテ公へ、

「Swahh Skatis」

 エミールの左手から真っ黒な蛇染みた“虚無の手(ファーリーチ)”が素早く伸び、エテ公を掴むとその巨体をいとも容易く引っ張り投げた。

 

“見えないナニカ”の驚異的な力により勢いよく宙を舞う巨猿。その相貌は恐怖に大きく歪んでいた。混乱と恐怖でバタバタと手足を振り回すも、運動エネルギーと物理法則からは逃れられない。

 

 シルバーバックは低弾道線を描いて、霧中に転がる岩へ顔面から激突。岩が砕ける一方、猿の額が割れ、鼻が潰れ、上下の前歯がへし折れ、太い首がめきめきと軋む。

 

 脳震盪と顔面損傷とムチ打ちによって呆然とするシルバーバックの額へ、矢弾が命中。ヒビが入っていた頭蓋骨はあっさりと貫徹され、鏃に脳を破壊される。

 

 腰を抜かしたように崩れ落ち、エテ公はどさりと倒れ込む。

 即死だ。

 

 5匹のモンスターを危なげなく狩り殺し、

「……練度が落ちてるな」

 微かに乱れた呼吸を整えつつ、エミールは左手に構えたクロスボウを左脇に下げた。それぞれの死骸から魔石を抉り取り、小型背嚢に魔石を放り込む。折り畳み式小剣を勢いよく振り、刀身から血脂を払う。

「やっぱりこの剣は対人用か。モンスター相手には不向きだな」

 

“髑髏の異能者”の情報を得て以降、エミールは愛用していた髑髏の面布を使わず、折り畳み式小剣も人前では抜かなかった(クロスボウは妥協した)。現状、周囲に目撃される恐れが乏しいダンジョン内の、霧に満ちた10階層から12階層の中でのみ使用している。

 多くから恨みを買っている“髑髏の異能者”と誤解されても面倒だし、“虚無の力”のことや二柱の“神殺し”がバレると、厄介なことになるからだ。

 

 前者はとばっちり、後者は完全な自業自得、因果応報。

 エミールは鼻息をつき、のそのそと歩く全長5メートル未満の小竜――インファント・ドラゴンを捕捉。

 小剣をバトンのように回して折り畳み、右腰の装具ベルトに収めた。小型背嚢と共に担いでいた長方形のホルスターを開け、得物を抜く。

 

 二柱目の神殺しを行った後、ダンジョン潜り用に調達した対モンスター用の直刀だ。肉厚な刀身に木目紋様が走る多積層鋼の片刃直刀。事実、大型魚類の解体用道具を参照にした作刀らしく、鮪切り包丁にそっくりだ。

 

 そんな鮪切り包丁モドキを無形に構え、

「Sum Fdah」

 インファント・ドラゴンの背後へ瞬間移動し、続けてその背の上に転移。

 

「!?」

 突然、背中に乗られて驚愕するインファント・ドラゴン。

 慌てて振り落とそうと暴れるも、その行動より一拍速く鋼の刃が突き立てられる。切れ味ではなく切っ先の硬度と刀身の質量、使用者の膂力に頼った強引な刺突は、小竜の頑丈な鱗殻と頑健な肉を易々と貫き、太い肋骨を割り、血管を裂き、肺腑を抉った。

 

 エミールは悲鳴をあげて暴れるインファント・ドラゴンから鮪切包丁モドキを引き抜きつつ、その背から退避。

 

 血管と片肺を破壊され、小竜は創傷部と鼻腔と口腔から大量の血を垂れ流す。

 並みの生物ならすぐさま自らの血で溺死するところだが、そこは腐っても上層のボス格モンスター。憤怒に燃えた瞳でエミールを睨み据えるのみ。

 

「小さくとも竜か。しぶとい」

 エミールが血と脂に濡れた長剣を握り直すと同じく、インファント・ドラゴンが怒号と共に大きな顎を全開にした、矢先。

 

「Rashu Grhaya」

 時が、止まる。

 

 エミールが扱う虚無の力の中で最も凶悪な時間操作(ベンドタイム)

 彫像のように硬直している小竜。否、静止しているのは竜に留まらない。周囲の草葉も揺れた姿勢のまま留まっており、階層を満たす霧の一分子までもが完全に停止している。

 

 全てが止まった世界の中で、エミールだけが動く。

 虚無の手を使い、口を大きく開けたまま静止している小竜の首元へ素早く跳躍、頭蓋骨と頸椎の継ぎ目へ直刀を突き立て、大きく抉る。約三尺の刀身が太い頸椎を擦り、頭蓋骨と頚椎を分断した感触が伝わる。そのまま刃を強引に押し進め、小竜の太い首を半ば断ち切った。

 

 大きく切り裂かれた傷口から血が噴き出すことはない。時は依然、止まったまま。

 エミールがバックステップで小竜から距離を取り――

 

 そして、時は動き出す。

 

 インファント・ドラゴンが大出血しながら前のめりに倒れ込み、絶命する。首を切り裂かれた痛みも感触も、自身の死すらも知覚できなかっただろう。

 

 エミールはインファント・ドラゴンの骸から魔石を抉り取る。魔石を失った竜の屍が灰となって崩れていき、遺灰の中に水晶玉のような竜眼が遺された。

 

 危なげなく狩ったものの、疲労感が強い。時を止める虚無の力は圧倒的であるが、その分、消耗も激しかった。

 

 エミールは鮪切り包丁モドキを背中のケースに収め、装具ベルトの汎用パウチから携帯口糧のフルーツバーを取り出して齧り始める。魔力がわずかに回復する感覚を抱きつつ、エミールはアスラーグとリリルカの許へ足を向け、呟く。

「人間相手の方が楽だな」

 

    ★

 

 エミールが戻ってきて『インファント・ドラゴンを見つけたから、狩ってきた』とお散歩ついでに買い物しちゃった、みたいなノリで告げた。

 リリルカはもう驚かない。ただ『この人ちょっとおかしい』という眼差しを向ける。

 

「耐火装備がないと13階以下は危ない、のよね? リリちゃん」

 アスラーグに問われ、リリルカはダンジョン知識を披露する。

「はい。“放火魔”と呼ばれるヘルハウンドというモンスターは、対策をしていないと危険です。13階層が『最初の死線(ファースト・ライン)』と呼ばれる原因でもあります。耐火装備(サラマンダー・ウール)無しで挑むことは無謀です」

 

「一応、私達の着衣は難燃性繊維で作られてるけれど、サラマンダー・ウールほどの耐火性があるか分からないわね」

 アスラーグが顎先を撫でながら思案し、

「きっちり索敵していけば、問題ない気もするが」

 エミールの意見へ首を横に振る。

 

「そこまで気合いを入れる必要もないでしょ。耐火装備を調達してから挑めばいいわ。今日は早上がりして、これから買いに行きましょう。リリちゃんの分も用意しないとね」

 

 これまた想像の斜め上を行く発言に、リリルカは目を丸くした。

「―――えっ!? 私の分まで用意してくださるんですかっ!?」

 

「? 必要経費はこちら持ちという契約だろ?」と訝るエミール。

「そ、それは消耗品の話では? 装備まで用意していただくなんて、そんな」

 

 サポーターのために自腹で装備を用意する、なんて話聞いたことがない。普通はサポーター自身に用意させるか、既に装備を持っているサポーターへ切り替える。

 

 困惑するリリルカへ、エミールは悪戯っぽく口端を緩めた。

「買ってもらえてツイてる、くらいに考えれば良い」

 

「えぇー……」

 リリルカはけっしてツイてるとは思えなかった。耐火装備分、無茶なことに付き合わされるに違いないからだ。

 

「あ、あの私はレベル1で、これ以上深い階層へ下ることは、その、」

「大丈夫だ。アーデ嬢」エミールがさらりと「ちょっぴりハラハラドキドキするだけだ」

「それ、すごく怖い目に遭うって意味ですよねっ!?」

 

「リリちゃん。安心して」

 アスラーグが垂れ気味の目を細くして柔らかく微笑む。

「慣れるから」

「どこに安心する要素がっ!?」

 リリルカ・アーデはいつの間にかツッコミ役になりつつあった。

 

      ○

 

 バベル。

 ダンジョンに蓋をする白亜の摩天楼。神々の傲慢さを示す巨塔であり、複合商業施設だ。

 

 地下で神の眷属達――冒険者達が汗と血を流して魔石や素材を“採取”し、バベル内商業施設や都市商業に金を落とし、バベル内住居で神々が遊び暮らす。いやはや。

 

 巨塔バベル内にある換金所で魔石や素材を現金に換え、アスラーグはリリルカを連れて各店を冷やかして回る。むろん、この場合、荷物持ちは必然的にエミールが担う。リリルカのドデカいバックパックもエミールが背負わされている。

 

「申し訳ありません、申し訳ありません」

「想像の範囲内だ。アーデ嬢は気にしなくていい」

 平身低頭のリリルカと遠い目をしているエミール。

 

「そうそう。気にしなくて良いのよ、リリちゃん。淑女が買い物をする時は、どんな男も召使になるものなんだから」

 アスラーグは上機嫌でリリルカを連れまわす。

 

 外見的には妙齢の美女が妹分を連れているようにしか見えないものの、ヒューマンの実年齢世代差で言えば、お婆ちゃんが玄孫を引っ張り回しているに等しい。もちろん、エミールはそんなことを口に出したりしない。賢人は沈黙の意味と値打ちを知っている。

 

 だから、当初予定していた装備や装具の店舗ではなく、女性向け服飾店へ足を運んだとしても、エミールは不平不満を口にしたりしない。要らぬ発言が高くつくことを体験している。愚者は経験から学ぶ。

 

 アスラーグは商品の衣服とリリルカを交互に見比べながら、あれこれと思案する。

「リリちゃんは肌が綺麗な色白だから、色はビビットで良いと思うの。デザインは華奢で小柄なところを活かしてキュートでガーリーな方が良いかな。でも、リリちゃんは顔立ちが綺麗だし、パステルカラーで清楚系でも絶対似合うわ。うーん……迷うわね」

 

 何やら呪文のようにあれこれと言葉を並べていくアスラーグ。もちろん、オラリオの過酷な底辺生活に追われてきたリリルカには聞き覚えの無い単語ばかりだった。

 

「エミール様、エミール様。私にはアスラーグ様のおっしゃっていることの意味が分かりません。アスラーグ様は私をどうする気なんですか……?」

 不安になってきたリリルカがエミールに助けを求める意味で問う。

 

「そうだな。これからアーデ嬢が着せ替え人形になる、ということかな」

 エミールの回答にリリルカは震え上がる。着せ替え人形になるって何ッ!?

 

「悪いとは思うが、アスラに付き合ってやってくれ。あとで美味いもの奢ってやるから」

「……その美味いものが、じゃが丸君じゃないことを祈ります」

 

 リリルカは自分が悪態気味の返しをしたことに気付き、顔を青くした。何を気安く振る舞ってるんだっ!? この人達が私に“甘い”のは、お金持ちがペットを可愛がってるようなものなのにっ!

 

「あ、あの、生意気なことを言って申し訳――」

「ようやく気安い態度が出てきたか。馴染んできたな。良いことだ」

 満足げに頷くエミールに、リリルカは言葉が続けられない。

 

「リリちゃんには絶対似合うと思うのっ! 試着してみてっ!」

 アスラーグが手にしてきた衣服のセット総計5000ヴァリス。ギルドが駆けだし冒険者に貸し付ける額と同じだった。

 

「そ、そんな高い服、汚したら大変なことになりますよっ!? 怖くて試着なんてできませんっ!」

 リリルカは蒼い顔をぶんぶんと左右に振ったが、もちろん拒否なんて不可能だったことは、言うまでもない。

 

 エミールは遠い目をしながら、思う。

 今日中に本命の耐火装備を買えるだろうか。

 

 

 で。

 

 

「買い物がこんなに大変だったこと、初めてです……」

 あれから結局、ガーリー系、ボーイッシュ系、清楚系に御嬢様系まであれこれ試着させられ。挙句、各種着衣を本当に購入しようとしたアスラーグを止めるために苦労させられ。本命の耐火装備――サラマンダー・ウールを用いた装備を購入した頃には日暮れ時だった。

 

 ひと時でもお洒落な格好が出来て楽しい、とリリルカは思えなかった。その“事情”ゆえ止むを得ぬ事ではあるが、リリルカはやや守銭奴的気質が強い。試着品を補償買取する羽目になったら、と気が気でなく、精神的にくたびれてしまった。

 

 そうしてようやくサラマンダー・ウールの耐火外套を購入する段階になり、アスラーグは当初、リリルカに赤頭巾ちゃんチックなケープコートを着せようとした。

『背嚢まで覆うポンチョタイプじゃないとダメなのでは?』とエミール。

 

 可愛くない、とアスラーグは不満そうだったが、実用性と必要性は無視できない。ただ……リリルカのバックパックはデカい。とにかくデカい。リリルカ自身が2、3人入れそうなほどデカい。そのデカいバックパック込みで覆うポンチョタイプをまとった結果。

 現代地球世界風に言うならば。茶巾袋から足が生えているような。頭が極度に肥大化したメジェド神のような。百鬼夜行の妖怪共に混じっていそうな塩梅であった。

 

 その有様にアスラーグはくすくすと上品に喉を鳴らし、エミールは『ははは~』と隠すことなく笑い、店員すら顔を背けて肩を震わせ、通りかかった冒険者が『ダンジョンで見かけたらモンスターと間違えるだろうな』と呟いていた。

 

「ホント……酷い目に遭いました……」

 しょんぼり顔兼げんなり顔と表情筋を起用に扱うリリルカ。

 

「可愛い子を着飾れて楽しかったわぁ。購入できなかったのは残念だけれど」

 一方、アスラーグはほくほく顔でとっても満足げ。

 

「店員もあれだけ試着させて売上無しだったことは残念だったろうな」

 エミールがちくりと意地悪なことをいう。

 

 散々に試着するだけしてハンカチ一枚買わずに去っていく一行に、店員が顔を強張らせ、額にうっすら青筋を浮かべていたことなど、アスラーグは気にも留めていない。もちろん、エミールの吐いた嫌みなど歯牙にも掛けない。

 

 その時、不意にエミールとアスラーグは上方――バベル高層階辺りから視線を感じたが、敢えて反応しない。“脅威”にこちらが気取ったことを悟らせないために。気づかない振りをして可能なら逆手に取るために。

 エミールとアスラーグが素早く視線を交わし、アスラーグが首肯した後、何事もなかったようにくたびれ顔のリリルカに微笑みかける。

「それじゃ美味しいものでも食べに行きましょうか」

 




ディスオナードの戦闘描写は難しい……


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5:ご近所さんは神様でした。

「敷金に前家賃三カ月分、手数料、保証料、保険料と鍵交換費用。良い額になったな」

「私達は荒事商売でいつ死ぬか分からない冒険者だもの。業者なら取れる時に取っておこうと考えても無理ないわ」

 

 この日、エミールとアスラーグはダンジョン潜りを一旦休み、オラリオ内の業者に当たって市街北西の第七区辺り――廃教会のある通りに戸建てを借りた。どういうわけか、この廃教会の周辺にほとんど人が住んでいない。

 

「家具一式残っているから、使えそうなものは掃除して使って、ダメなら調達する。それぞれの私室以外は折々で使いましょう」

 アスラーグは眉を下げつつ、ふっと息を吐く。

「とりあえず、二、三日は屋内の掃除と建物の手直しね」

 

「アーデ嬢の手も借りるか?」エミールが問う「あの“重いものを持てる”スキルは重宝する」

「ソーマ・ファミリアをどう扱うか決めないうちは、リリちゃんに深入りさせたくない」

「……そうか」

 渋い顔つきのアスラーグを横目にし、エミールは肩を竦めた。

 

 これはリリルカを信用しない、という話ではない。

 

 もしも自分達がソーマ・ファミリアと敵対することになった場合、自分達と付き合いのあるリリルカがどういう扱いを受けるか、という話だ。どうも常日頃から団員達に虐げられているらしいから、下手をすると殺されかねない。

 

 アスラーグはその悲劇を避けたい。同時に、目的のためリリルカを懐柔し、協力者にもしたい。二律背反チックな状態。

 

 エミールとしても、リリルカのような薄幸の少女が自分達に関わったせいで、さらに不幸な目に遭うところは見たくない。任務や戦闘となれば、どこまでも冷酷非情になれる。かといって好き好んで少女を犠牲にしたいわけではないのだ。

 

「ソーマ・ファミリアは帝国が犯罪組織と見做している連中だし、祖国の脅威を排除するついでにアーデ嬢の憂いを根から断っても良いが」

 迂遠にファミリア潰しと神殺しをほのめかすエミール。その眼は氷より冷たい。

 

「オラリオ内で神殺しは不味い。オラリオの神々にとってこれまでに殺した二柱は、都落ちした負け犬が野垂れ死んだ程度のことでしょう。でも、この箱庭内で神殺しが行われたとなれば、自分達への脅威だと見做すわ。オラリオの全ファミリアが敵に回る。それは避けたい」

 アスラーグは危険な意見を否定し、

「何より、私達の行動を帝国の策謀と誤認されても困る。ネヘレニア様と陛下の御宸襟を騒がせてはあまりに不面目よ」

 倦んだ面持ちで青みがかった銀髪を掻き上げた。

 

「焦らず進めましょ。一つ一つね」

 

       ★

 

 (かまど)の女神にして孤児の守護神。神話によれば、オリンポス12神の長姉であり、色狂いのゼウスすら手を出さず敬愛して慈しみ、凶悪な嫉妬魔のヘラからも恨まれてなかったという別格の神である、らしい。

 

 神話において斯く語られる女神ヘスティアは下界した今……第七区の寂れた通りにある廃教会に一人で暮らし、バイト生活をしている。

 

 なぜ高名なる女神が、当てもなく上京した高卒みたいな生活を送っているのか。

 

 端的に言えば、身から出た錆だ。

 ヘスティアは天界の変わらぬ生活に飽いて下界したものの、長々と神友ヘファイストスの下で居候という名の食っちゃ寝ニート暮らしをしていた。これに堪忍袋の緒が切れたヘファイストスにより娑婆へ放り出されたのだ。神話とはいったい……

 

 ただ、根っこが善良な女神ヘファイストスが神友を無情に見放したりするわけもなく。ヘスティアに自身の所有する物件――廃教会を住居して貸与し、じゃが丸君売りのバイトを紹介。『これからは自力で生活しなさい』。

 

 ほでからして。

 現在、ヘスティアは廃教会で独り暮らししつつ、屋台でじゃが丸君を売りながら、ファミリアを起こすために眷属を募集している。

 のだけれども……ヘスティアはどういう訳か、まったく眷属を得られずにいた。見た目が巨乳ロリ美少女なのだから、その手の“趣味”の輩が嬉々として飛びつきそうなものだが。

 

「うぅ……寂しいよぉ」

 女神ヘスティアは教会の地下室で孤独な目覚めを迎え、この頃日課となっている溜息をこぼす。

 

 ヘスティアは炉の女神。往時、炉は家庭や家族の中心にあった。転じて、炉には人の和を象徴する意味合いもある。そのためか、炉の女神ヘスティアは本質的に人好きな神だ。ゆえに、ここ数カ月の孤独な生活はある意味、強烈な“試練”になっている。

 

「このままじゃ寂しさのあまり強制送還されちゃうよぉ……」

 そんなぼやきをこぼしながら、ヘスティアは屋台のバイトに向かうため廃教会の地下室から上がり、屋根の穴から光が差し込む礼拝堂を抜け、正面玄関口を出た。

 

 廃教会のある辺りは寂れていて人気がない、というか廃教会周辺に住人がいない。これもまた、ヘスティアにはキツい。侘しい一人暮らしでも、せめてご近所付き合いくらいしたかった。バイト先で人と接する機会が無かったら、今頃は耐えられなかったかもしれない。

 

 とほほ……ヘファイストス。ボクも悪かったと思うけど、この仕打ちはキツ過ぎないかい?

 

 ちょっぴり目元が熱くなるヘスティア。そんな彼女の視界の端、教会からほど近い戸建ての前になにやら人が集まっていた。

 なんだろ? と好奇心を覚えたヘスティアが様子を窺う。

 

 一頭立て馬車が停まり、業者らしき者達が長身痩躯のヒューマン青年の差配で、あれこれと荷物を屋内へ運び込んでいる。玄関口の脇で、オラリオでも珍しい黒妖精の美女が、業者の責任者らしいおっちゃんと書類を手に話し込んでいた。

 

『ティン』と来て、ヘスティアのツインテールが触角のように跳ねた。

「ま、まさか……御近所さんっ! 御近所さんが出来るのかいっ!?」

 

       ★

 

 流石はオラリオだ、とエミールは思う。

 そこら中に神が居る。酒場に行けば神に出くわし、引っ越せば神に出くわす。

 

『引っ越してきた御近所さんに挨拶に来たんだっ!』と小柄な巨乳少女……にしか見えない黒髪ツインテールの女神ヘスティアがやって来た。無邪気な笑みと紙袋いっぱいのじゃが丸君をもって。

 

 なお、アスラーグはヘスティアの容姿と装い――極ミニ丈のワンピと豊満な胸元に巻かれている青い紐に『なんてフェティシズムな……』と呆れ気味。

 

 女神ヘスティアはエミールとアスラーグが心配を覚えるほど人懐っこかった。というか、人との交流に飢えているようだった。

 そんなちょっぴりテンション高めのヘスティアを中心に、未だ埃っぽいリビングでちょっとしたお茶会が催された。

 

 で……

 

 エミールとアスラーグは女神が近所の廃教会、その地下室で独り暮らしをしていると聞いて仰天し、生活(たっき)のために屋台でバイトしていると聞き、戦慄に近い驚愕を抱いた。

 

 神が廃屋に住んで屋台のバイト? いや、流石に冗談でしょう? 冗談よね?

 唖然とするアスラーグ。

 

 その隣で、エミールは思う。

 流石はオラリオだ。バイト暮らしの神までいる。

 

 喉から手が出るほど眷属が欲しいヘスティアは、当然のようにエミールとアスラーグを勧誘し、

「そっかぁ……2人はもうファミリアに属してるのかぁ……」

 あっさりと断られてしまい、しょんぼりと肩を落とす。心なしかツインテールの黒髪がしおしおと萎れているような……

 

「私達は信仰ゆえに改宗は出来ませんが、ヘスティア様と交流させていただくことは大変な栄誉です。私共の都合がつく限り、いつでも歓待させていただきます」

「自分達は冒険者ですので家を空けることも多いかもしれません。けれど、ヘスティア様の御来訪に閉ざす扉は持ち合わせておりません」

 気落ちしたヘスティアに、アスラーグとエミールが礼儀正しく言葉を編む。

 

 繰り返すが、神は人の言葉の真偽を見抜く。本心からの言葉と理解し、ヘスティアは気恥ずかしそうにツインテールの端を掴んではにかむ。可愛い。とても可愛い。

 

 ヘスティアは下界してから長々とニート暮らしをしていたため、ヘファイストス・ファミリアの団員から『駄女神』扱いを受けていた。オラリオ市民であるバイト先の店長や客達は神々に慣れているせいか、神に対する尊崇や崇敬がいまいち薄い。ヘスティアの幼げな容姿も手伝い、『可愛い嬢ちゃん』扱いだ。

 平たく言えば、アスラーグとエミールが示した心からの敬意に、ヘスティアは照れてしまった。

 

「それにしても……ダンジョンへ潜るのに、恩恵の更新が出来ないなんて大変じゃないのかい? ボクは下界して日が浅いから詳しくは知らないけれど、冒険者達は頻繁に恩恵を更新していると聞くよ?」

「ここ数日の感触ですが、私達のレベルなら上中層階辺りで活動する分には問題ないようです。想定外の事態が起きない限り大丈夫でしょう」

 エミールがヘスティアへ丁寧に答えた。

「私達もヘスティア様に御心配をお掛けせぬよう無理はしないつもりです」

 

 リリルカ辺りが聞いたら『どの口でそんな戯言を抜かしてるんです?』とツッコミを入れるところだ。

 もっとも、ヘスティアはエミール達の下に置かぬ対応と礼節、言葉に嘘偽りが全くないことを素直に受け入れる。むしろ、近頃すっかり縁遠くなった丁重な扱いに、嬉し恥ずかしでちょっぴり身悶え。可愛い。

 

「……うんっ! ボクもせっかく出来た御近所さんと長く付き合っていきたい。2人とも無茶はしないでおくれよっ!」

 ニコニコしながら頷き、ヘスティアはしみじみと言う。

「君達みたいな良い子がこんな遠くまで来ちゃったら、君達の主神も心配してるだろうなあ」

 

「ヘスティア様の言葉、まさに汗顔の至りです。ただ、ネヘレニア様は『恩恵を通じていつも見守っている』とお言葉をお掛けくださいました。おそらくは私共の無事を存じていらっしゃるでしょう」

 アスラーグはどこか感銘を受けたように応じる。

 これまでの旅路、自分達の主神ネヘレニアの心情を慮ったものは、まず居なかった。女神ロキとヘスティアくらいだろう(ロキはエミール達に篤く信仰されたネヘレニアにちっとばかり嫉妬していたようだが)。

 

「そっか……うん。そうだね。遠く離れても家族の絆が切れるわけじゃない」とヘスティアは真摯に言葉を紡ぐ「だけれど、便りくらいは送ってあげたらどうかな。きっと喜ぶよ」

 

「私共は咎を負って国を追われた身。便りなど送ることは」とエミールが眉を下げるも、

「そんなことっ! なら、ボクが一筆書いてあげるよっ! 神の手紙を無下に出来ないだろうからねっ! ボクがネヘレニアに出す手紙と一緒に送ってしまえば良いさっ!」

 ヘスティアは力強く自信たっぷりに言った。

 

 2人から篤く敬意を示されて尊ばれたため、ヘスティアは神としてちょっとイイとこを見せたくなっていたのだ。

 

 エミールとアスラーグは目を瞬かせる。

「ヘスティア様。今しがた会ったばかりの私達にそのような」

「そのお気持ちだけで充分です」

 

「遠慮しないでおくれよっ! ボク達は御近所だからねっ! 御近所は困っていたら助け合うものさっ!」

 自信満々なヘスティア。はて。このロリ巨乳女神は御近所付き合いなどしたことがないはずだが、この自信はどこから来たのやら。

 

 大きな乳房を抱えるように腕を組んで意気軒高なヘスティアに、エミールとアスラーグは困惑顔を見合わせ、首肯する。2人は居住まいを正して最敬礼した。

「女神ヘスティア様の御厚意に甘えさせていただきます。心より感謝を」

「ネヘレニア様の信徒として如何なる感謝の言葉も尽きません。ヘスティア様より賜った御恩に必ずや報いることを誓います」

 

「ちょっと手紙を出すだけさっ! そんな畏まらなくても良いよっ!!」

 照れっ照れに照れ切ったヘスティアは嬉し恥ずかしそうに身悶えした。

 可愛い。

 

 この可憐な炉の女神と白兎の少年が邂逅するまで、今少し時を必要としていた。

 

      ★

 

 炉の女神と御近所付き合いすることになる、という想定外はあったものの、拠点は確保した。

 エミールとアスラーグは引っ越しの片付けが終わらぬ借家で夕食を摂る。

 

 屋台で購入した料理――チーズミートパイ、ピタパンのサンドウィッチ、ブルストと揚げイモの盛り合わせ。瓶で購入したシードルとワイン。チーズミートパイとサンドウィッチはヨーグルトベースのソースが添えてある。

 

 エミールは薄切りのロースト肉や新鮮な野菜など具だくさんのピタパン・サンドウィッチを頬張る。脂の乗った肉の旨み。新鮮な玉葱や葉野菜のシャキシャキした食感と風味。ヨーグルトベースのソースのまろやかな甘みと爽やかな酸味。

「美味い」

 

「うん。美味しい」

 チーズミートパイを上品に切り分け、口へ運んでいたアスラーグも微笑む。

 

 肉がみっちり詰まったブルストを齧り、エミールは林檎の発泡酒――シードルの瓶を呷って口腔内をさっぱりさせた。

「表向きの仕事は得た。拠点も確保した。想定外の関わりも出来たが、イケロス・ファミリアにつながる協力者候補も得た。どこから手を付ける?」

 

「まずはギルドから情報を奪取する」

 アスラーグはワインをコップに注ぎ、

「ギルドが全てのファミリアを掌握しているとは思っていないけれど、公共的な大組織が持つ情報というのはバカにできない。ギルドが持つオラリオの経済や流通、各ファミリアの公的情報。それらを基に人と物と金の流れに不審なところを探る」

 葡萄ジュースでも飲むような調子でワインを干した。

 

 闇派閥の連中とて霞を食って生きているわけではない。飯を食うし、寝床だって要る。また人に言えない悪さを講じているなら、何かにつけて金が必要になる。人目を避けてあれこれするには、真っ当に何かをするより金が掛かることが通り相場だから。

 

「オラリオは食料供給と貿易の窓口が限られているから、調べ易いかもな。前者は、たしかデメテル・ファミリアだったか。後者はオラリオ近郊の汽水湖沿岸都市メレンと商業区の線だな。それと、セオリーで言えば、風俗街だ。情報はあるか?」

 エミールが問えば、アスラーグはミートパイを再び食べ進めながら応じた。

「女神イシュタルが率いるファミリアが縄張りにしているそうよ。アマゾネスを中心にした戦闘娼婦と呼ばれる眷属を率いているわ」

 

「戦闘娼婦? 満足させないとタマを引っこ抜かれそうだ」

 皮肉交じりに小さく笑い、エミールは揚げイモを摘まむ。

「風俗街にはアスラが潜入するか? それとも、俺が客として出入りするか?」

 

「エミールが出入りする方が自然でしょうね。多少アレだろうけれど」

「アレとは?」

 怪訝そうに片眉を上げるエミールへ、アスラーグはからかうような顔つきで意地悪く微笑む。

「多分だけれど、この街で私達が知己を持った人達は、大なり小なり私達がそれなりに踏み込んだ関係だと思ってるわ。なのに、貴方が風俗街に出入りしてたらどう見えるかしら?」

 

「――よくて女好き。悪くて節操無しのダメ男だな……」

 エミールは眉間を押さえて呻く。

 

「ヘスティア様辺りが知ったら御説教されそうね。それに、リリちゃんからは毛虫みたいに扱われるかも。あの子、スレてるようで初心っぽいもの」

 アスラーグはくすりと微笑み、次いで、どこか倦んだ顔つきになる。

「あの子、自分が“恵まれてる”ことに気づいていないわ」

 

「だな」

 椅子の背もたれに体を預け、エミールは苦い顔でシードルの瓶を傾けた。

「ダンウォールのスラムだったら10になる頃には路地裏で貧乏人相手に客を取らされていただろうし、今頃は性病と梅毒を患ってるか、酒と薬物の中毒か、もしくはとっくに死んでる」

 

 愛する祖国にも闇はある。その闇は反吐が出るほど汚濁と悲惨に満ちており、幼子だろうと容赦なく現実の非情さに踏み躙られてしまう。

 

 情報収集の過程で、リリルカ・アーデが金を稼ぐために個人でサポーターを“やらされている”と知った時、エミールもアスラーグも『何と暢気なことだ』と思ったものだ。

 

 もしも、ソーマ・ファミリアがダンウォールのギャングだったなら、今頃、リリルカ・アーデは家畜と大差ない扱いを受けているはずだ。薬物と酒に浸かり切った娼婦にされているか、あるいは、他の眷属達によって奴隷の如く酷使されていただろう。少なくとも一定の自由を得たうえでサポーター活動など許されない。

 クズ共は身も心も全て食いつくし、踏み潰し、尊厳の欠片まで奪い去る。

 そういう意味では、リリルカ・アーデは底辺暮らしであっても、まだ“恵まれている”。それほどに、ダンウォールのスラムで生まれ育つ子供達の人生は過酷だ。

 

「アーデ嬢のことはともかく、常識で考えれば、風俗街のイシュタル・ファミリア、神酒のソーマ・ファミリアは大なり小なりイケロス・ファミリア、もしくは犯罪系ファミリアと関わりがある」

 

 性風俗と規制嗜好品。どちらもビジネスとなれば犯罪組織の資金源になりがちで、そうでなくとも社会の暗部に生きる手合いと関係が生じる。土地や種族・民族が変わってもゴロツキの渡世は大差がない。

 

「別筋から情報を集める手もあるわね」

 アスラーグはだぶだぶとワインをコップに注ぐ。

「せっかく大手ファミリアの主神と知己を得たのだから、利用しても良い」

 

「神との関わり合いは必要最小限かつ無難なものにしたいところだがな。箱庭で遊んでいる神々なんて敬して遠ざけるに限る。それに」

 エミールは冷たい目つきで、

「“魔女の心臓”に関わった神は全て殺す。必ずだ」

 その声には明確な敵意と害意と殺意が宿っている。

「神殺しをする以上、神との関わりは少ない方が良い」

 

「貴方の選択については概ね、同意しているわ。ただし……神殺しはあくまで“正体不明の暗殺者”の手によって行われなければならない。帝国とネヘレニア様に累が及ぶことは絶対に避けなければ」

 ぐいっとコップのワインを一息で干し、アスラーグはふ、と上品に息を吐く。

 

「……ペースが速くないか?」とエミールが指摘する。

「美味しくて、つい」

 アスラーグはボトルを手にし、ラベルを一瞥して冷ややかに口端を歪めた。

「デメテル・ファミリアが作っているワインみたいね。彼の女神が敵でないことを祈るわ。このワインが飲めなくなるのは惜しい」

 

      ★

 

 食事と“会議”を済ませ、エミールは割り当ての私室へ向かい、ドアを開ける。

 8畳間ほどあるはずの部屋には、広大な空間が広がっていた。

 

 そこは昼でもなく夜でもない。陸でもなく海でもない。天はなく地もない。光も闇もなく、温もりも冷たさもない。有機物と無機物の区別もなく、生もなければ死もない。

 そこは世界の外。次元の外。時空の外。理の外。

 

 虚無だ。

 

 そして、虚無の只中に佇む人影。

 一見、その人影は何の変哲もない青年に見えた。が、その気配はどんな人間やモンスターや神よりも異質で、計り知れない。

 青年は漆黒に染まった眼球をエミールへ向け、情動も温度もない口調で語りかけてきた。

「久しぶりだな、エミール」

 

 その青年は善でも悪でも聖でも魔でもなく、正でも邪でもない。人でも神でもない。エミール・グリストルに印を刻み、虚無の力を与えたもの。

 神話に語られず、叙事詩(ミィス)に詠われぬ存在。

 彼は新しき言葉で、こう呼ばれている。

 

 

『アウトサイダー』と。

 



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6:温故知新が良いものとは限らない。

概要にも記しましたが、本作は独自設定と原作改変があります。


『アウトサイダー』

 

 新しき言葉でそう呼ばれる虚無の住人。

 善でも悪でもなく正でも邪でもなく、聖でも魔でもない。世界の外、次元の外、時空の外、理の外に潜む現にして幻。

 

 超越存在でありながら神ならざる存在は、一見どこにでも居そうな普通の青年に見える。

 漆黒に塗り潰された双眸以外は。

 

 そんな凡庸な姿をした“外”の存在は、天も地もなく空も海もなく光も闇もなく温もりも冷たさもない虚無の中に佇み、唖然としているエミールを見据えていた。

「久しぶりだな、エミール」

 

 その言葉には情動も感情もこもっていない。虫の鳴き声の方がよほど人間味を感じられるだろう。

 虚無の光景と異質な超越存在を前に終わりなき怖気を抱きながら、エミールは苦り切った顔で呻くように応じる。

「何しに現れた」

 

「そう身構えるな、友よ」

 アウトサイダーは両手を腰の後ろで組む。

 

 瞬間、何もなかった虚空に小さな浮島がいくつも生じる。いや、それは浮島の体裁をした『断片』と『場面』だ。

 島嶼帝国帝都ダンウォール。その情景たる街並みの断片。“白塔(ホワイトタワー)”の異名を持つ宮城ダンウォールタワーの断片。自然哲学アカデミーの断片。

 

 不意に、頭上を大きな鯨が悠然と回遊していく。

 大きな頭。鋭い牙。胸鰭の前に垂れる2対のひげ。諸島帝国周辺海域に現れる(リヴァイアタン・ホエール)。アスラーグ曰く『美と悲しみの生物』である鯨は、虚無への出入りを許された唯一の生物だという。

 

 エミールが視線を鯨から戻すと、眼前に『場面』が浮いていた。

 

 三年前の雨の日、島嶼帝国帝都ダンウォール。

 自然哲学アカデミーが異邦の恩恵持ち共に襲撃され、特級管理区画から『魔女の心臓』が奪われた。それに、少なくない研究者と衛兵が犠牲となった。

 

 小さな浮島にジオラマみたく再現された『場面』。

 最上級衛兵(グランドガード)の紅い制服を着て、左腕に大きな火傷を負ったエミール。アカデミーの中庭に倒れ、雨に打たれる“彼女”。

 

 心的外傷にして復讐心の原点を突き付けられ、エミールは優男然とした顔を憤怒と憎悪に歪める。

「……どういうつもりだ」

 

「三年前。愛する女と名誉を失ったお前に、私は力を与えた。試練多き運命を歩むお前が、虚無の力を得ることでどのような選択を重ねていくか、興味があったからだ」

 アウトサイダーは無機質に言葉を紡ぐ。

 

 周囲に浮かぶ『断片』と『場面』が変化していく。

 

 それはエミールが歩んできた3年間の縮図だ。

 帝都内で賊を手引きしたギャングを狩り、ギャングの飼い主である腐敗貴族を切り刻んだ。

 貴族から搾り取った情報を基にサーコノス島へ。

 温暖で風光明媚なカルナカの影に潜んでいた異邦の流れ者を捜索。迷宮都市の抗争に敗れ、逃げてきた闇派閥の神ピクラスとその眷属共を発見し、鏖殺。

 

 それは最初の神殺し。

 虚無の、理の外の力を持つエミールには神威が通じないことが分かった。虚無の力を用いれば、神の力を封じられることも分かった。

 何より、人が神を殺せることが分かった。

 

 ピクラスを殺害して天界へ強制送還した後、エミールはアスラーグと共に大陸へ渡った。襲撃者達や魔女の心臓の情報を辿り、彼奴等の微かな痕跡や足跡を追い、大陸を彷徨していく。

 荒事師の偽装を被り、請負仕事で口を糊し、横道に逸れたり、雑務に時間を奪われながら少しずつ、少しずつ情報を集め、証拠を集め、獲物を見つけ、狩り、新たな情報を搾り取った。

 三年に渡って。

 

「お前はこの三年間、復讐の旅を続けた。いや、先々で屍山血河を築く狩猟旅行(ハンティングツァー)と言うべきかな」

 アウトサイダーの台詞は強烈な皮肉にも聞こえるが、声にも言葉にも一切の感情がこもっていない。

 

「途中、選択肢はいくらでもあった。復讐の旅を辞め、違う人生を歩む機会はいくらでもあった。

 お前が守った行商人は今や成功して一廉の商会主だ。彼女はお前に大きな好意を抱いていた。彼女と共に歩む未来もあっただろう。

 共にモンスター討伐へ赴いた騎士の誘いに応えていれば、新たな主君を得て、新たな生き甲斐を見出していたかもしれない。

 他にも様々な可能性と様々な結末に至る選択肢があった」

 

 長広舌を一旦切り、アウトサイダーは黒曜石のような眼をエミールへ向け、

「しかし、お前はその全ての選択肢、可能性を拒絶した。首尾一貫。初志貫徹。それは尊ぶべき信念と決意かもしれないが」

 無情動に言い放つ。

「些か退屈な物語だ」

 

「俺はお前を楽しませる玩具じゃない。俺の復讐はお前の暇潰しじゃない」

 エミールが不快感を隠さずに言い返すも、アウトサイダーは聞きもしない。

「然して、お前は流血の旅の果てに神々の箱庭に辿り着いた。意外性に欠け、中弛みの酷い物語ではあったが……いよいよお前の物語は佳境を迎えたぞ、エミール」

 

「―――何を知っている」

 エミールはアウトサイダーを睨みつける。殺意すら滲ませて。

「答えろ、黒目野郎。お前は何を知っている。お前は何を知っていて、何を隠してる」

 

「私はお前の物語に干渉する気はない。だが、友として忠告を贈ろう」

 アウトサイダーは胸元で腕を組み、虚空に生じたバベルの断片へ顔を向けて、

「この神々の箱庭は特別だ、エミール。この世界の中心で、この世界を根本から変えかねない“特別な物語”の舞台だ。仮にその特別な物語に関われば、お前達のささやかな物語など飲み込まれてしまうかもしれない。よくよく考えて立ち回ることだ。注意深く、慎重にな」

 次いで、漆黒の双眸をエミールに定めた。

 

「お前の物語がどのような結末に至るか、見ているぞエミール」

 言い終えるや否や、アウトサイダーの身体が虚無に溶け、エミールの意識が消失した。

 

      ★

 

「アウトサイダーと遭遇した、と」

 翌朝、未だ片付けと整頓の終わらない新居のダイニング。

 テーブルに着いたアスラーグは、薄褐色肌の優艶な体を寝着の前開きワンピースで包んでいる。卓上に置かれたポットを傾けてカップに紅茶を注ぐ。湯気が煙る熱い紅茶で眠気を覚ましつつ、キッチンで二人前の朝食を作るエミールに問う。

「奴はなんて?」

「俺達の物語は佳境に入ったとさ。それと、このオラリオは特別だとも」

 

 フライパンから皿に目玉焼きと厚切りベーコンを移しながら、エミールは応じる。次いで、大きなバゲットを二つに断ち、それぞれを横開きに切ってバターと粒マスタードを塗り塗り。続いて目玉焼きと厚切りベーコン、チーズと酢漬胡瓜(ピクルス)を挟んで、バケットを薄切りしたジャガイモと共にフライパンへ。

 

 調理作業を進めながら、エミールは昨晩のアウトサイダーとのやりとりをアスラーグに語る。

「この街は“特別な物語”の舞台で、俺達の物語……魔女の心臓の奪還と復讐はささやかなものに過ぎず、下手をすると特別な物語に飲み込まれてしまうかもしれない、らしい」

 

「特別な物語……それが何を意味するのか分からないことには、具体的に動きようが無いわね」

 アスラーグは溜息と共に紅茶を口に運ぶ。エミールが用意した紅茶は茶葉の蒸らし具合が良くて美味しく、頬が緩む。

 

 100余年を生きるアスラーグだが、その氏育ちからほとんど料理が出来ない。というか家事能力全般的に乏しく、そもそも『家事=お金を出して使用人にやらせるもの』という意識が強い。

 一方、エミールはその氏育ちから“生きるため”に、出来ることは何でも出来るよう努めてきた。首狩りから家事全般まで一通りこなせる。なお、別に料理や家事が好きではない。相棒がダメダメだから仕方なく振る舞っているだけだ。能うなら家政婦を雇いたいくらいである。

 

 テキトーなホットサンドとベイクドポテトの朝食が完成し、エミールは皿に分けてテーブルへ並べた。

「美味しい」とホットサンドを頬張り、秀麗な顔を和ませるアスラーグ。

 

 エミールはやれやれと言いたげに微苦笑し、

「昨晩は話忘れていたが、女神ロキの言葉を聞く限り、この街には諸島帝国の商人が出入りしてる」

「ええ。知ってるわ。『ヴィラ・ダンウォール』ね。私も幾度か注文した覚えがある」

 アスラーグが首肯を返した。

 

 ※   ※   ※

 オラリオ市街の南西第6区。

 迷宮都市内外の様々な商人が往来し、様々な商館や取引所、市場が並ぶオラリオの商業区画だ。オラリオの主産業たるダンジョン資源や加工品等々、都市外や諸外国の産物が取引される。

 

 オラリオ経済の心臓部。その一角に諸島帝国政府が借り上げ、帝国商人達にフロアや部屋をリースしている数階建ての建物があった。

 

 地階部分はアンテナショップのように帝国産物の見本が陳列されており、上階は主に帝国の商会や商人達が出先事務所や拠点に利用している。最上階は帝国政府関係者達が詰め、国家や政府規模のビジネスを請け負う。あるいは在オラリオ帝国人がトラブルに巻き込まれたり、起こしたりした場合、方々へ頭を下げたり脅したりに出向く。

 諸島帝国政府がケツ持ちのためか、この建物は帝国首都の名前を用い『ヴィラ・ダンウォール』と呼ばれていた。

 

 その諸島帝国はオラリオからダンジョン産の高品質で高密度な魔石や、ダンジョン産の多種多様な素材、それらを元に恩恵持ちの職人がこさえた様々な文物を輸入している。

 

 対して、諸島帝国がオラリオへ輸出するものは三つ。

 一つはオラリオで入手困難な外海の産物――高級木材や原生素材、海洋性商材。

 次に帝国の学者や技術者が手掛ける文物。

 最後に帝国製の機械類や金属資材だ。

 諸島帝国は国立自然哲学アカデミーを筆頭に錬金術的冶金技術や化学技術に長け、魔術的機械工学の製造技術に長じていた。それこそ神々の恩恵を受ける職人達や研究者が数多くいるオラリオよりも。

 

 そのことに疑問を抱く神々や人間も少なくないが、当然ながら諸島帝国がその機密を明かすことはなく、オラリオを訪れる帝国人は機密に触れられる立場にない者ばかり。神の時代の常識として、諸島帝国に根を張った女神ネヘレニアの眷属に、優秀な奴が居るんだろう。という推測で皆が納得している。

 

 ちなみにオラリオ暗黒期、街を跳梁した“髑髏の異能者”が諸島帝国製の折り畳み式小剣と機械化クロスボウを使用していたため、

『髑髏の異能者は諸島帝国が送り込んだ殺し屋ではないか?』

 などという疑惑を向けられてその釈明と弁明に苦労した。

 さて、説明はこの辺りで切り上げ、本筋に戻ろう。

 ※   ※   ※

 

「遅かれ早かれ、私達のことは『ヴィラ・ダンウォール』に伝わるし、本国にも届く。こちらから出向いた方が良いかもしれない」

「だが、俺達は“公式には”国外追放された身だ。面倒事にならないか?」

「その辺りも含めて、よ」

 アスラーグはフォークをベイクドポテトへぶすりと刺し、

「いくら追放されたとはいえ、長く帝国に貢献してきた私を無下にはしないでしょ」

 どこか得意顔で言った。

 

        ★

 

 この日、『ヴィラ・ダンウォール』へオラリオ有数の探索系ファミリア『ロキ・ファミリア』の団長が訪問していた。

 

 ロキ・ファミリア団長フィン・ディムナは一見、金髪の美少年にしか見えない。が、小人族(パルゥム)の彼はヒューマンとは肉体の老い方が異なる。フィンは立派な成年男性。それも40代間近だ。

 

 豪奢な賓客用応接室に通され、革張りのソファに腰かけたフィンは、猫人女性社員が提供した珈琲と茶請けを口にしながら担当者を待つ。フィンの隣には護衛として帯同した褐色肌のヒューマン女性――アマゾネスの美少女ティオネ・ヒュリテが座っている。

 

「待たせやがりますね」とティオネが不満げに言った。

 激しく恋慕するフィンと二人きりで過ごせることは嬉しい。しかし、深く敬慕するフィンを待たせる諸島帝国人共に苛立ちを覚えていた。

 

「アポなしの訪問だ。門前払いされず応接室に通されただけマシだよ」

 フィンがティアネを宥めるように応じたところへ、ドアが開いた。

 

 素人目にも高価と分かる装いをした小人族男性が入室してきた。フィンと同じく金髪の美少年然とした外見ながら、口元に髭を生やしている。

 諸島帝国の小人族系資本ドンブルグ商会の大幹部オラニエだ。

 

 オラニエと共に入室した護衛の犬人女性とティオネの間で、一瞬ながら殺気に近いやり取りが交わされた。

 高レベルの一級冒険者であるティオネが放つ殺気に、犬人女性は全く動じない。オラリオ外では高レベル恩恵持ちは極めて少ない。この犬人女性もおそらくはレベル2程度。ティオネには逆立ちしても勝てないだろう。

 それでも『こいつ手強い』とティオネは判断する。二合で殺せる。が、最初の一合でこちらも手酷い傷を負うという確信があった。冒険者としては大きく格下。しかし、対人戦の殺し合いでは……こいつは一流だ。

 

 女性社員が入室し、オラニエの手元へ珈琲と茶請けを置く。フィンとティオネにお代わりを尋ねる。も、フィンは丁寧に謝辞し、犬人女性とメンチを切り合っているティオネはただ首を横に振った。

 女性社員が退室し、オラニエがフィンへ微笑みかけた。親愛のこもった笑みを。

 

「待たせて済まなかった。外せない会議でね。重ね重ね申し訳なかった」

「こちらこそ忙しいところ、急な訪問で失礼したにも関わらず会ってもらえて感謝してる」

 フィンも柔らかな面持ちで応じた。

「ところで、その髭はなんだい? 外せない会議というのは仮装パーティだったのかな?」

 

「手厳しいな」

 友人同士特有の辛口な物言いに、オラニエはくつくつと笑って髭を“剥がした”。

「君も知ってるだろう? 小人族(俺達)は他種族に舐められ易いからな。こういう小道具が要るんだよ」

 

 オラニエは口元をにやりと曲げる。

「本日の急な訪問はいよいよ帝国へ移住する決心が着いたのかな? “勇者”が帝国臣民になるなら、陛下も帝国も同胞達も諸手を挙げて歓迎するぞ」

「今のところ、そのつもりは無いよ」とあっさり否定するフィン。

 

「それは残念だ。君も知っての通り、俺は君に紹介すべき帝国小人族貴顕の令嬢や婦人のリストを作ってあるのに」

 オラニエが冗談めかして言うと、フィンを強く深く激しく恋慕するティオネが「あ?」と条件反射的に殺気立ち、オラニエの護衛である犬人女性も釣られて殺気立つ。

 

「こら、ティオネ」とフィンが殺気立ったティオネを叱り「彼の冗談だよ」

「……失礼しました」とティオネがオラニエに詫びた。仏頂面で。

 

「いやいや。こちらも失礼した。ただ、自慢の旧友がいつまでも独り身でいることを憂いてるのは事実だがね。まあ、“勇者”の仲人を務めたとなれば、俺の評判も上がるという打算もあるけれど」

「君は下働きをしていた頃から抜け目がない。いや、より図々しくなったかな?」

「君だって生意気な駆け出し冒険者の頃に比べたら変わったぞ。今はまさに大ファミリアの団長らしい貫禄がある。当時の君に今の姿を見せてやりたいくらいだ」

「思い出すのも恥ずかしい。勘弁してくれ」

 

 ははは。

 

 旧知の2人はひとしきり雑談を楽しんだ後、

「そろそろ本題に入ろう。今日の用向きは君の親指が疼くような話か?」

 

「そういう物騒な話じゃないさ。近々深層へ遠征を予定していてね。そちらに商談を持ち込みに来たんだ」

 フィンは白磁のカップを手にしながら、

「君の商会で何か欲しい素材があれば、能う範囲で受注したい」

 提案を口にして珈琲を一口飲んだ。

 

「資金繰りが厳しいのか?」とオラニエが旧友へ財布を覗くように問う。

「深層遠征の苦労に見合った利益を上げたいだけだよ。大手ファミリアは何かと物入りだからね」とフィンはすまし顔でさらりと応じた。

 

「そうか。こちらとしては下層から深層の素材は何でも買い取るが……デフォルメス・スパイダーの糸ならいくらでも欲しい。グロス単位で10、20でもね」

「それはまた」フィンは予期せぬ大口の要請に目を瞬かせ「何か理由が?」

 

「デフォルメス・スパイダーの糸は産業用に需要が多いんだ」

「流石にグロス単位は無理だな。深層で長期滞在が前提になる。今回の遠征でそこまで無理は出来ない」

 

「そうか……となると、」

 オラニエは顎先を撫でながら、思案した。

「水晶巨亀や浮遊水晶のドロップだな。これも錬金産業で需要がある。水晶自体は鉱山からも入手できるが、モンスター由来の水晶は成分と純度が違うらしい」

 

「ふむ」と小さく唸ってフィンは考える。

 水晶巨亀や浮遊水晶が出現する階層は25層から30層。難地形の下層だが、モンスターの脅威度はロキ・ファミリアの一軍ならばさほど問題にならない。二軍の上位組を鍛える意味でも請け負っていいか……

「分かった。その話を請け負うよ」

 

「今挙げた素材はいつでも大量買取するから、機会があれば頼む。遠征だけでなく団員の訓練ついで、でも良いぞ」

「まったく、君は抜け目がない」

 

 ははは。

 

 簡単な契約書が作られた後、オラニエがフィン達へ『手土産』を用意させた。

「手荷物になるが、土産だ。ロキ様にお届けしてくれ」

 諸島帝国ティビア産赤ワインとモーリー産ブランデーを一本ずつ。どちらも高級品だ。

 

「気を使ってもらって悪いね」とフィンは断ることなく受け取る。これは『ビジネス』だから。

「そうだ」フィンはふと思い出したように「先頃、ロキが君の同郷人と呑み交わしたと言っていたな」

 

「まさか競合相手の接待かい?」とオラニエが目を細める。

 

「いや、珍しい黒妖精(ダークエルフ)の美女だったから、ロキが声を掛けたらしい。困ったもの……どうした?」

 フィンはオラニエの顔が強張ったことに気付き、訝しげに問う。

 

「諸島帝国出身の黒妖精の美女……名前はアスラーグじゃないか?」

「たしか、そんな名前だったな」フィンが肯定し「連れは」

 

「ヒューマン青年のエミール・グリストルだろう」

 先回りしてオラニエが言った。どこか険しい顔つきで。

 

「……素性を知っているのか? ロキはさほど深く問わなかったようだが、ウチの客分にしようとしたようだが」

 怪訝顔のフィンに問われ、オラニエは唸り、

「……2人にはあまり関わらない方が良い」

 言った。

「アスラーグ・クラーカ。エミール・グリストル。2人は帝国を追放された“罪人”だ」

 




Tips

女神ネヘレニア。
オリキャラ。元ネタはガリアン・ケルトの女神ネヘレニア。
航海を司る女神で北海やバルト海辺りまで信仰されていた、らしい。
ローマのガリア征服とキリスト教の土着宗教破壊により、詳細は不明だとか。

ドンブルグ商会のオラニエ氏。
オリキャラ。元ネタは無し。
名前は旧ガリア圏の地名や氏族名から。


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7:アンダー・リゾートに行こう。

 宵の口が過ぎた頃。ロキ・ファミリア拠点『黄昏の館』、その一室にて。

 

「――というわけだ。要約すれば、ロキが気に入った2人は諸島帝国の重要機密物が強奪された事件で失態を犯し、その責任を処断されて国を追われた、という話だね」

 ファミリアの団長フィンが“営業”先の『ヴィラ・ダンウォール』で仕入れた情報を披露し、

「罪人、かぁ」

 主神ロキは真っ平らな胸元で腕を組み、渋面を浮かべて唸る。

 

「フィンの話を聞く限り、法的な意味で罪を犯したわけではあるまい。国外追放はあくまで政治的な処分じゃろう。“その程度”のこと、この街では脛の傷どころかかすり傷じゃぞ」

 

 ロキ・ファミリア最高幹部の一人“重傑”ガレス・ランドロックが、“土産”のブランデーをだばだばとグラスに注ぐ。筋骨隆々の体躯に豪快な髭で酒豪、ある意味でステレオタイプなドワーフ族の重戦士だ。

 

「しかし、不名誉には違いない。高レベルの恩恵持ちが貴重なオラリオ外で、レベル3と4を追放するとなれば、相応の大事だったと考えるべきだ」

 

 同席するファミリア最高幹部の“九魔姫”リヴェリア・リヨス・アールヴが指摘する。森色の艶やかな長髪と美神に匹敵する麗貌の持ち主である彼女は、エルフ族の高名な王族だ。ゆえに『政治的処分』を軽視しない。

 

「むしろ、彼らと関わることで諸島帝国の出先商館と関係がこじれるかもしれない。他派閥と揉めるより危険は乏しいかもしれないが」

 

「団としての収入に影響は出るね。ギルド相手ほどじゃないにしろ、あそこの出入り商人は大口の取引先だから」

 フィンがリヴェリアの言葉を先取りした。ガレスの手から注がれたブランデーを口に運ぶ。オラリオ産の酒とは違った趣の香りと味わいを楽しんでから、

「でも、気になると言えば気になるな」

 右手の親指を一瞥する。

 

「聞けば、黒妖精の女性アスラーグ・クラーカは帝国屈指の魔法使いで、研究者だったそうだ。いわば国家の要人だよ。外に出せない機密情報も数多く有しているはずだ。そんな人物を国外に追放するかな? 国内で禁に繋ぐ方が妥当だろう」

 

「理屈で言えばな」とガレスは頷き、ちらりとリヴェリアを見て「しかし、理屈に合わんことなど珍しくもないぞ。例えば、王族(ハイエルフ)の姫君がここに居ることとかな」

「放っておけ」からかわれたリヴェリアは不満顔を作り、グラスを口に運ぶ。

 

「それに同行しているヒューマンの青年エミール・グリストル。彼は国家憲兵隊(グランガード)の精鋭で帝室護衛官候補だったらしい。いわば将来を嘱望されたエリートだ。いくらヘマをしたからと言って、あっさりと国外へ放り出すとは思えない」

 フィンはグラスを卓に置き、盟友2人と腕を組んだまま黙考中の主神を見回す。

「思うに、2人は任務を負ってるんじゃないかな。国外追放はあくまで表向きの話。本当は」

 

「強奪された重要機密物の奪還とその犯人の捕縛、いや抹殺か。あり得る話だな」

 今度はリヴェリアがフィンの言葉を先取りした。

「となると、要諦はその重要機密物が何か、という話だが……」

 

「そこまでは教えてもらえなかった。というより、友人(オラニエ)の立場では分からないといった方が妥当かな。重要機密物だけに詳細な情報は公開されてないらしい。犯人の方は未だ『鋭意捜査中』。諸島帝国も把握してないようだ」

 

「なんじゃつまらん。その辺がはっきりせんと判断のしようがないぞ」

 ガレスはブランデーの瓶を傾け、グラスに残りを全て注いでしまった。

 

「いや、充分におもろい」

 沈思黙考していたロキがおもむろに口を開く。

「不名誉を被りながら祖国を離れ、密命を果たすべく旅をする。大した“物語”やん。一等席で見物したいわ」

 

 唇の両端を吊り上げて人の悪い笑みを湛える主神に、眷属三人は揃って『また悪い癖が出たか』と鼻息をつく。

 

「さっきも言ったけど、彼らと下手に関わると団の収入に問題が生じるかもしれない。その場合、ロキの晩酌にも影響が出るよ」

 フィンが早々と釘を刺す。

「ロキの酒量が減ることは歓迎すべき事態だな」と意地悪に微笑むリヴェリア。

 

「イケず言わんといて」ロキは微苦笑してブランデーの瓶へ手を伸ばし「あれっ!? 空やんんけっ!?」

「美味かったぞ」と瓶を空にした主犯ガレスが笑い飛ばす。

 

「ウチが貰うた土産やぞっ! なんでウチが呑む前に空にしとんねんっ!」

「儂はロキの子じゃからな。子は親の酒をくすねるのが通り相場よ」

「上手いこと言うたつもりかっ! ママーっ! ガレスがウチの酒盗ったーっ!!」

「誰がママだ」とリヴェリアは抱きつこうとするロキをあしらう。

「ママも酷いっ!」

 

 ぎゃーぎゃーと喚くロキの様子に苦笑いしつつ、フィンは言った。

「彼らの件でもう一つ気になることがあるとすれば」

 

「フィンの推測通り、密命を負っとった場合、この街に来たんは偶然やないっちゅうことやね」

 ロキは未練たらしくグラスへ向けて空の酒瓶を振りながら続け、

「盗まれた“何か”はこの街にあって、下手人はこの街のもん、どこぞの眷属っちゅうこっちゃ」

 諦めて酒瓶を置く。仕方なしにもう一つの土産――赤ワインの栓を抜いた。

 

「剣呑な話じゃな」とガレスが干したグラスをロキへ差し出し、ワインをせがむ。

 

 ロキは自身のグラスとガレスのグラスに赤ワインを注ぎ、しみじみと呟く。

「客分云々は抜きにしても、あの二人から目を離せへんなぁ」

 

 やれやれと小さく頭を振り、フィンは酒杯の残りを空けて腰を上げる。

「僕らには僕らのやるべきことがある。他人の事情に嘴を突っ込んでいる暇は無いよ。遠征に向けて準備もあってしばらく忙しいしね」

 

「面倒に巻き込まれぬよう静観だな」とリヴェリアも同意。

「火の粉がこちらにも届くようなら払うだけじゃろ」とガレスも首肯する。

 

「なんや、皆して淡白やなあ。物事は積極的にいかんと楽しめへんぞー」

 ロキはブー垂れつつ、道化の神らしい人を食った笑みを浮かべる。

「ウチらは既に知己を得とる。縁は結ばれたんや。この縁がどない転がるか、楽しみやなぁ」

 

       ★

 

 ロキ達が酒杯を傾けた翌日の昼下がり。

 

「本国が恩赦を発表し、君らを免責しない限り、我々は君達を帝国人として扱わないし、当然ながら何の支援もしない。君らとの交流による不利益を鑑み、法的拘束力はないが、出先商館への出入りも禁じる。以上だ」

 

「私のスカートをめくろうとしてた坊やが偉くなったものだこと」

 アスラーグは鷹揚に微笑み、『ヴィラ・ダンウォール』の商館長ラムゼーに応じた。

 

 ラムゼーはヒューマンの初老男性で、“要職”の在オラリオ出先商館の長を務めるに相応しい出自と能力の持ち主だった。面貌も白髪交じりの髪をオールバックにしていて、皺の刻まれた厳めしい顔立ちをしている。アスラーグと比すれば、祖父と孫娘ほども違う。

 

 が、種族差というものは大きい。実年齢はラムゼーよりアスラーグの方が二回り以上も年長であり、アスラーグはラムゼーの幼き頃や若き日々(恥ずかしいアレコレ)を知っている。

 

「……昔の話を持ち出すのは辞めていただきたい」

「まあ、そういうことにしておいてあげましょうか」

 ラムゼーは苦虫を山ほど噛み潰したような顔を浮かべ、八つ当たり気味にエミールを睨む。

「グリストル、今の会話は忘れろ。いいな? わかったな?」

 

「はっ! 商館長殿。自分は何も見ておりませんし、耳にもしておりませんっ!」

 水を向けられたエミールは敬礼で応じる。一点の隙も無い見事な敬礼だった。

 

 出先商館『ヴィラ・ダンウォール』から二ブロックほど離れた所にある、諸島帝国系酒場『ハウンド・ピット』。昼飯時(ラッシュタイム)が過ぎた店内の個室で、エミールとアスラーグは在迷宮都市のトップである商館長ラムゼーと密会していた。

 

 本国を追放された2人が『ヴィラ・ダンウォール』に出入りすることを色々と都合が悪い。苦肉の策と言えよう。

 

 シードルを口に運び、気を取り直したラムゼーが2人へ問う。

「君らがこの街に現れたということは、黒幕はこの街に居て、アレもこの街にあると考えてよいのか?」

 

「私達は偶然、オラリオを訪ねたわけじゃない」アスラーグは首肯し「確かな情報を獲得したゆえに、この街に来たのよ」

「現在、この街で活動するための足場を組んでいます。具体的な報告はまだ出来ません」

 エミールがアスラーグの回答に接ぎ穂を加える。

 

 眉間に深い皺を刻み、ラムゼーはどこか縋るようにアスラーグを見る。

「……黒幕は魔法大国という可能性は無いのか?」

 

 気持ちは分かる、とアスラーグは前置きしたうえで、

「オラリオの神々が黒幕だった場合、諸島帝国は高位恩恵持ちの大群が敵に回る危険性が生じるし、魔石や素材などのダンジョン産資源が手に入らなくなる問題もあるからね」

 ラムゼーの願望をあっさりと蹴り飛ばす。

「でも、私達はここにいる。千の夜を越え、この街に辿り着いた。それが現実よ」

 

 アスラーグの無慈悲な言葉に、ラムゼーは頭痛と胃痛を堪えるような顔つきを浮かべた。顔全体の皺が深くなったように見える。

 

「繰り返すが、支援は出来ん」

 苦り切った顔で、ラムゼーは告げた。

「オラリオに駐在する邦人からじきに君らの素性も把握されるだろう。その結果生じるトラブルはもちろん、君らが活動の過程でオラリオや神々の不興を買い、君らが命を落とすことになっても、帝国は一切の関係と関与を認めない。そこをくれぐれも忘れるな」

 

 アスラーグとエミールを交互に見据えた後、ラムゼーは腰を上げて個室出入り口へ向かう。

「本来、こうして顔を合わせているだけでも厄介のタネになりかねないのだ。連絡の必要があれば、この店を通じて行いたまえ」

 

 ドアを開けて部屋を出ていく際、ラムゼーは肩越しに2人を一瞥した。

「……君らの成功を祈る」

 

 閉ざされるドア。残されるエミールとアスラーグ。

「支援は無しでも、連絡のパイプは用意してくれるんだな」

「情じゃないわ。あの坊やはそれほど甘くない。黒幕への報復はともかく、アレの奪還と高位恩恵持ちの帰還は国益に適う。そういうことよ」

 

 辛辣な、しかして実際的な見解を述べた後、アスラーグはメニュー表を手に取って悪戯っぽく微笑む。

「帰る前に料理を味わっていきましょう」

「……自炊以外で祖国の料理は三年振りだ」

 エミールも表情を和らげた。

 

       ★

 

 引っ越しその他の“休暇”明け。

 やって来ましたダンジョン13階層。

 

 霧に満ちた10~12階層と異なり、13階層からは再び視界の聞く洞窟形態に戻っている。ただ天井が高く、また広々とした空間が多い。それに時折、下の階層に通じていると思しき縦穴も散在していた。

 

 エミールは冒険者ギルドで販売されているダンジョンマップと眼前の縦穴を見比べ、リリルカに問う。

「この縦穴を飛び降りれば、ちんたら歩かずに済むのでは?」

 

「否定はしませんけど、レベル1の私は飛び降りても無事に着地できませんからね? できませんからね? 骨が折れちゃうし、下手したら死んじゃいますからねっ!?」

 リリルカはぽっかりと口を開け、底が見えない縦穴からじりじりと距離を取る。

 

 が、その背後にはアスラーグが既に回り込んでおり、リリルカのドデカいバックパックを押さえ込む。

「私がリリちゃんを抱きかかえて、荷物をエミールが持てば問題ないわね。いざという時はエミールがなんとかしてちょうだい」

 

 あ、この流れは不味い。リリルカが急いでペラを回す。

「ダンジョンギミックを試すことは正規ルートを体験して――」

 も、アスラーグが手品の如くリリルカからバックパックを剥ぎ取り、華奢な体を背後から抱きかかえ、ひょいっと縦穴に飛び降りて

「――からあああああああああああああああああああああっ!?」

 

 エミールは頭を振ってから大きなバックパックを担ぎ上げ、底の見えない真っ暗な縦穴へささっと飛び降りた。

 

 

 で。

 

 

「酷いです酷いです酷いです酷いですっ!」

 リリルカは半ベソ顔でアスラーグに抗議する。

 

 以前のリリルカなら冒険者(雇用主)に抗議するなどあり得ないことだった。奴隷同然か犬畜生並みの扱いを受けても歯を食いしばって耐え忍んでいた。

 

 この半月、アスラーグとエミールから厚遇され続けても、『あの二人がリリに優しいのは、ペットを扱うようなもの。2人がいつペット扱いに厭きるか分からないのだから過度な期待などするな』と自分に言い聞かせ続けてきた。

 

 それでも、どこか心を許し始めていたのだろう。アスラーグの母性的な親しみや優しさ、エミールの差別も区別もない態度に絆されていたのか知れない。

 

 もしくは、単に苦情を呈さずには入れなかったのかもしれない。

 

 いずれにしても、リリルカは自分で思っている以上に、アスラーグとエミールの2人に打ち解けていた。

「アスラーグ様もエミール様もリリを何だと思ってるんですかっ!! サポーターですよ、サポーターッ! 荷物持ちですよっ! 冒険者様と同じ扱いはおかしいでしょうっ!」

 

「リリちゃん」

 アスラーグは垂れ気味の双眸を細め、柔らかく微笑む。

「大丈夫。慣れれば楽しくなるから」

 

 エミールも頷く。

「アーデ嬢。人間は大抵の事に慣れるぞ」

 

「そういうことじゃないですっ!」

 リリルカが頭を抱えた直後。

 

 野犬の唸り声に似た鳴き声が聞こえた、そう知覚した刹那。

 三人の立つところへ火炎の大奔流が襲い掛かって来た。

 

       ★

 

 ヘルハウンド。

 ダンジョン13階層から出没する、子牛ほどもありそうな犬型モンスターだ。放火魔とも呼ばれるように体内の特別器官を用いて強力な火炎を吐く。

 

 ギルドは12階層を抜けたばかりのレベル1や2のパーティが全滅(APD)する最大の原因、と評している。

 

 こいつは“雑魚モンスター”で群れを成して現れるからだ。現代地球世界で例えるならば、火炎放射器部隊である。

 

 ヘルハウンドの火炎が恐ろしいところは炎熱による直接被害に加え、燃焼による酸素消費と煙や排気ガスの窒息効果があること。何より、火炎放射の炎熱は『燃える液体』と称されるように岩や壁などに当たると跳ね回り、隅々まで流れ込むこと。しかも、燃料を焼尽するまで水をかけても決して消えないこと。

 

 よって、対処法はサラマンダー・ウールなどの耐火装備で炎熱に耐えつつ、その場を脱出ないし――反撃すること。

 

 約20M先から4匹のヘルハウンド達がエミール達へ火炎をぶちまけたその時、

「Sum Fdau」

 ヘルハウンド達の火炎が大気や地面の岩肌を焦がす音色に紛れ、エミールの言葉が紡がれた。

 

 次の瞬間、右腕でアスラーグの腰を抱きかかえ、左腕でリリルカを小脇に抱え持ったエミールが、ヘルハウンド達の背後に立っていた。

 

「――はぁ?」

 リリルカが目を点にして間抜けな声を漏らした、その間隙。

 

 エミールは背中に担ぐ鮪切包丁モドキを抜き放ち、正面左と最左翼のヘルハウンドを刺身にする。アスラーグが腰から抜いたレイピアで正面右と最右翼のヘルハウンドを真っ二つにした。

 

 アスラーグはレイピアを振るって刀身から血脂を払い、冷たい目つきでエミールを睨む。

「“グリストル”。あの距離まで接近を許すなど気を抜きすぎだ。引き締めろ」

 

「はっ! 申し訳ありませんっ!」

 エミールは棒を飲み込んだように背筋を伸ばし、即座に謝罪した。それは軍人が上官に接する様と同一だった。

 

 2人の傍らで、リリルカ・アーデは自身の体験したことに呆然としていた。

 今の、何? え? リリ達はヘルハウンドの不意打ちを受けたんだよね? 耐火装備(サラマンダー・ウール)も着こんでなくて、いくらアスラーグ様達のレベルが高くてもタダじゃ済まないはず、だよね? リリなんか骨までこんがり焼けちゃう、はずだよね?

 

 予備知識皆無のリリルカには、虚無の力による瞬間移動(ブリンク)を体験したなどと想像も出来ない。ただただ体験した一瞬の出来事に困惑するだけだ。

 

 2人はそんなリリルカへ事情を説明する気などさらさらなく、

「しかし……聞いていた以上に獰猛だな。遭遇して即座に全力攻撃とは」

 ヘルハウンドの死骸を検分するアスラーグと、

 

「体内器官の備蓄燃料を放射する関係上、初撃が最大火力になるためでしょう。それに一方的な初見殺しは戦術的に正しい。丁々発止のチャンバラなんてバカがやることですから」

 上官へ説明するような口調で語るエミール。

 

 ふん、と鼻息をついてアスラーグは機嫌を直す。

「今回の件は教訓としましょうか。今後は13階に降りる段階で耐火装備を使用。この鬱陶しい犬コロが出没する階層をさっさと抜けてしまいましょ」

「同感だ」エミールも口調を元に戻し「面倒臭い敵が出没する環境で稼ぐ必要はない」

 

「あ、あの、御二人とも今のはいったい……」

 リリルカがおずおずと問う。

 

「俺のスキルだ」

 エミールはサクッと噓をつく。が、虚無の力などと説明するよりもよほど事実っぽい。

「便利よねー」くすくすと笑うアスラーグ。「もう一回やってもらう?」

 

「えっ!? けけけ、結構ですっ!」

 リリルカは首を左右にブルンブルンと大きく振った。

 

     ★

 

「――黒き大顎よ、闇色の水面より出でて食らいつけっ! アンブラ・ピストリクスッ!」

 

 アスラーグがレイピアを指揮棒のように振るいながら短文詠唱の魔法を発動。

 直後、ミノタウロスの影から真っ黒な大鮫が飛び出し、ばぐんっとミノタウロスの胸元から上の部分を食い千切って虚空に消える。悲鳴を上げる暇すらなかった。

 

「うわぁ……」

 ドン引きするリリルカの慨嘆がダンジョン内に溶けていく中、ミノタウロスの残された下半身と両腕が地面に落ち、灰となって崩れていった。

「いつ見てもエグい」エミールも眉を大きく下げている。

 

 ミノタウロスは強制停止(リストレイト)も使う強敵の部類なのだが、所詮は中層モンスター。レベル上位の2人にとっては雑魚敵に過ぎない。

 

「あと二つ潜れば、安全階層か。町みたいなものもあるのよね?」

「ええ、そうです。リリは訪れたことありませんけど、18階層『迷宮の楽園(アンダー・リゾート)』にあるリヴィラの街は、色々ボッタクリらしいです」

 

 今回のダンジョン潜りは目的が稼ぎだけでなく、『噂の迷宮内宿場(ローグタウン)に行ってみよう』というものだった。

 

「魔石や素材の買い取り額も、正規の数分の一だとか」

 リリルカが眉根を寄せて言った。

 予定では18階層までの道中に集めた魔石や素材を、件の宿場で売ることになっている。その事情から守銭奴気味なリリルカは『買い叩かれる』という事実が不満だ。

 

「上層の魔石や素材はどうせ端金にしかならないわ。18階層より下の階層で、より高価値の魔石や素材でリリちゃんのバッグを一杯した方が利益は高い」

「損して得取れ、という奴だな」

 アスラーグとエミールの見解に、リリルカはちょっぴり唇を尖らせた。

「リリは損せず得したいです」

 

「たしかにね」「正論だ」

 2人は喉を鳴らして同意した。

 



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8:ローグタウンに来ました。

 リヴィラの街は粗雑な造りのバラックやテントが並び、その様は街というよりどこぞの難民キャンプを思わせた。

 が、街を行き交う人々も、通りの露天商も屋台のオヤジも安普請な店の主も従業員も、辻に立つ娼婦も、小路に屯する怪しい奴らも、全員が恩恵持ちの冒険者。そのためか、リヴィラに難民キャンプのような悲哀や失望は感じられず、なんとも野卑で野蛮な活気に満ちている。

 

 ひょっとしたら地上(オラリオ)の貧困街よりもよほど精力的で健全な街かもしれない。ならず者の街だけれども。

 

「いつ来ても、ここは足元を見た価格設定をしてるわね」

 鴉の濡れ羽色の長髪が美しい猫人乙女はリヴィラの通りを歩きながら、やれやれと言いたげに鼻息をつく。

 彼女はアナキティ・オータムと言い、『貴猫』の二つ名に相応しい美女である。

 

「出入り業者のオラニエさんが言うには、リヴィラは自由市場経済の典型的な実例、らしいっス」

 これといって特徴のない黒髪のヒューマン青年が受け売りを披露。

 この凡庸な見た目のヒューマン青年はラウル・ノールド。『超凡人』の二つ名を付けられてしまった若者だ。

 

 黒髪の2人はロキ・ファミリア所属のレベル4冒険者で、ファミリアの二軍メンバーの中核をなす人材である。

 この時、ラウルとアナキティを中心にした数名の二軍メンバーが下層挑戦から帰還途中にあり、安全階層の宿場町で大休止を取っていた。とはいえ、他の面子はボッタクリ価格のリヴィラで散財する気はないらしく、街の外でのんびり過ごしている。

 

 ラウルとアナキティがリヴィラに足を運んだ理由は、ちょっとした気晴らしである。24階から30階層にかけて広がる『水の迷都』のストレスフルな環境にくたびれており、多少ボッタクリでも『携行食料以外のものを摘まみたい』という気分だった。

 

「ジユーシジョーケーザイ……? なにそれ?」

 屋台を窺いながらアナキティが問う。冒険者である彼女に経済学の知識も教養もない。

「さあ? 意味は知らないっス」

 それは発言したラウルも同じこと。

 気の抜けた遣り取りを交わしながら、2人はならず者の街らしい通りを進む。

 

「ポーションが地上の八倍? 足元見るにしてもボリ過ぎじゃないかしら。その価格で売れるの?」

 

 と、オラリオでも珍しい黒妖精の美女が露天商と会話していた。優美な銀髪を編み込んだ美女は、ファミリアで美女美少女に見慣れたラウルも舌を巻くほどに麗しい。

 

「嫌なら買わなきゃいいだけの話さ、姐さん」露天商はにたりとして「それにな、()()()()()()()()()()()()()()()のさ」

「いい商売してるわね」

 くすくすと上品に笑う黒妖精の美女。

 

 下半身に正直な男達が粉をかける機会を窺っていたが、傍らにヒューマン青年が控えていて接近を拒んでいる。見た目は長身痩躯の涼やかな優男ながら、はっきりと分かる冷たい気配を発していた。まるで貴族淑女と凄腕の護衛みたいだ。

 

「? リリちゃんは?」と黒妖精の美女が周囲をきょろきょろ。

「少し所用で離れる、と言っていたが……戻ってこないな」と青年。

 そうやり取りした後、2人は露天商の許を離れていく。

 

 2人を見送ったラウルが思い出したように呟く。

「あの2人、ひょっとしてロキが言ってた人達じゃないスか?」

 

「ああ、客分に招こうとした2人組って話ね。一人が黒妖精の美女だっけ」

 なるほど、とアナキティは小さく首肯した。眉目秀麗な黒妖精の美女は同性の目から見ても賞賛すべき美貌の持ち主だった。“女好き”なロキの食指が動いてもおかしくない。

 

「ところで、アキ。実はちょっと相談があるんスけど」

「お金なら貸さないわよ」

「!? 何で分かったスかっ!? まさか、新たなスキルっ!?」

「あんた、私に何度借金してるか、忘れてるみたいね」

 2人がそんな会話を交わしながら歩みを進めていく。

 

 と、轟音と共に掘っ立て小屋が吹き飛び、アナキティとラウルの眼前に白目を剥いたヒューマン男性が勢いよく転がってきた。顎を割られたらしく口と鼻から大出血している。

 

「「は?」」

 

 アナキティとラウルが目を瞬かせていると、倒壊した掘っ立て小屋から沸き立つ粉塵を掻き分け、再び白目を剥いたヒューマン男性が吹っ飛んできた。

 

 今度のヒューマン男性もやはり白目を剥いて失神しており、顔面がワチャクチャになって血塗れだった。

 

 そして、最後に白目を剥いた狸人の中年男が落ちてくる。

 今度の狸人はさらに酷いざまだった。鼻が完全に潰れ、上下の顎がイっており、前歯がほとんど残っていない。

 

「ちょ、何なんスか、一体っ!?」

 眼前に三人の男が転がり、ラウルが困惑の声を挙げたところで、

 

「何の騒ぎだっ!?」

 隻眼のオヤジが怒声と共に登場。リヴィラの顔役ボールス・エルダーのエントリーだ。

 

「ん?」ボールスはアナキティ達に気付き「オメェら、ロキ・ファミリアの……オメェらが騒ぎの元凶かっ!? 喧嘩すんなら周りに迷惑をかけンじゃねェっ!! 大手ファミリアだろうと賠償金を覚悟しろよゴルァアッ!!」

 

「ええっ!? 違う違う違う、違うっスッ!」ぶんぶんと首を横に振るラウル。

「誤解よっ! 私達じゃないっ!!」と慌てて否定するアナキティ。

 

 ボールスは額に青筋を浮かべながら喚く。

「じゃあ誰の仕業だっ!! そもそも、こいつらァどこのボケ共だっ!?」

 

「どっちも知らないっスよっ!?」「知らないわよっ!!」

 ラウルとアナキティが抗議するように吠えたところで、野次馬が口を挟む。

「こいつらの肩章、ソーマ・ファミリアの奴だぜ、ボールス。換金窓口で何度か騒いでたの、見た覚えがあっから間違いねーよ」

 

「金に汚ねェアル中共かよ……っ!! 勘弁してくれ、賠償金引っ張るのも面倒だぞ……」

 倒壊した掘っ立て小屋の主らしき中年犬人が慨嘆した。

 

 ボールスは苛立ちのままに生え際の後退が悩みの髪を掻き回す。

「なんなんだ、まったくっ!!」

 

「巻き込まれた俺らこそ喚きたいっスよ……」

 ラウルが額を押さえてぼやいた。

「いったい何なのよ……」

 アナキティも溜息をこぼした。

 

     ★

 

 アナキティの疑問を解くべく、時計の針を少し戻そう。

 リリルカ・アーデは“観光中”のエミールとアスラーグから離れ、1人でリヴィラを散策していた。というより、とある店を目指していた。

 

 馴染みの古物商――盗品ワケアリなんでもござれの店――に、リリルカが『近々リヴィラに行くかもしれない』と言ったところ「ちょっとした小遣い仕事を頼まれてくれ」と依頼(クエスト)を寄こされた。

 

 なんてことはない。封蝋された手紙をリヴィラ内の怪しげな商売人へ届けるだけだ。なんでも地上では扱えないヤバい物絡みらしく『手紙を盗み見たと分かったら、命は補償せんぞ』と釘を刺された。

 そんなヤバいものを預けるな、とリリルカは思う。世話になっているから断れないけれども。

 

 兎角そんな事情から、リリルカがエミールとアスラーグの許を離れ、リヴィラの怪しげな小路に入り――

 

「よぉ、アーデ。しばらくだな」

 

 見たくもない面と出くわした。

 恰幅の好い狸人のオヤジ冒険者。薄っぺらな笑みはどこか嗜虐的で悪意がにじみ出ていた。その酷薄な雰囲気は狸ではなく貉を思わせる。

 

「カヌゥ、さん」

 リリルカの顔が大きく強張った。

 

 ソーマ・ファミリアの冒険者(クズ)共にはリリルカを始めとする下っ端を虐げ、上前をハネる輩が珍しくないが、そうしたクズ共の中でもカヌゥ・ベルウェイは特に“危ない奴”として下っ端達から警戒されていた。噂によれば……この狸人は“殺し”を躊躇しないから。

 

 じりっと後ずさりしたリリルカの肩を背後から掴まれる。気づけば、カヌゥとつるむ二人の冒険者が退路を塞いでいた。冒険者というよりゴロツキの類。ダンジョンに潜るよりカツアゲや恐喝をしている方がよほど似合いのカス共。

 

 ――やられた。リリルカはフードの中で歯噛みする。まさかリヴィラで出くわすなんて。

 

 ファミリアのゴロツキ共が上前をハネに来るのは、いつも地上に帰ってから――魔石や素材をギルドで清算して稼ぎを得てから――だった。それだけに、ダンジョン内で待ち伏せされるとは想定外の事態。

 

「アーデ。えらく気前の良い連中とつるんでるじゃねェか。随分と溜め込んだだろ?」

 カヌゥとその仲間が薄笑いを浮かべた。悪意と欲に満ちた薄笑いを。

 

 クズ共。

 リリルカの胸中に凶暴な衝動が沸き上がる。

 力があれば。リリが小人族ではなく違う種族だったら。強い恩恵があれば。強いスキルやアビリティがあれば。力があれば、こんなクズ共、自分の力で蹴散らせるのに……っ!

 

 カヌゥとその仲間はレベル2程度。実力も高くない。性根は便所虫にも劣る下衆共だ。が、レベル1のか弱い小人族サポーターに過ぎないリリルカには逆立ちしても勝てない相手。這いつくばってへりくだらなくてはならない相手だった。その不条理に、理不尽に、屈辱的な現実にリリルカは怒りを、恨みを、憎しみを禁じ得ない。

 

「なぁ、アーデ。お前みたいな役立たずのサポーターがソーマ・ファミリアに居られるのは、俺達冒険者のおかげだよなぁ?」

 カヌゥは歩み寄り、その大きな顔をリリルカに近づけてニタニタと嗤う。

「感謝の誠意ってのぉ見せてくれや。()()()()()()()、なあ?」

 

「こ、ここはダンジョン内です、カヌゥさん。お金なんて」

 

 リリルカの言葉をカヌゥの拳が妨げる。

 横っ面を殴られたリリルカが地面に倒れ、その華奢な体をカヌゥの靴底が踏みつけた。口から悲鳴が漏れるが、カヌゥは躊躇なく足に力を加えてリリルカを苛んだ。

 

「お前が口にすべき言葉は違うだろう、アーデ」

 体を屈め、踏みつけているリリルカへ顔を近づけ、

「喜んで全て差し上げます、冒険者様。それから」

 カヌゥは演技がかった口ぶりで言った。

「あの2人から高価な装備を盗んできます、だ」

 

 その言葉に、リリルカは殴られた痛みも踏みつけられている苦しさを忘れ、凍りつく。

 

「出来るよなぁ、アーデ。()()()()()()()()()()()。なあ?」

 にやにやと絵に描いたような悪党笑いを浮かべるカヌゥとゴロツキ2人。

 

 アスラーグとエミール。カヌゥ達。どちらに誠意を注ぐかと問われたなら、リリルカは即座に前者を挙げ、後者に向けて唾を吐きかける。

 

 しかし、ここでその本心を告げれば、この三人はリリルカを半殺しに、いや、本当に殺すかもしれない。その暴力に、リリルカは抗う力を持たないのだから。

 

 では、口先だけでも了承してこの場を逃れるか。

 

 否だ。

“言質”を取られてしまう。その危険性を理解し得ないほどリリルカは浅慮でも短慮でもない。老獪なカヌゥがその言質を以って、リリルカからさらに多くのものを奪うだろう。これまでのように。

 

 それに……この半月、ペットに対するようなものであっても、2人から受けた厚遇や労わりはリリルカの心に大きく染み渡っていた。

 

「い、いやです」

 これから振るわれるだろう暴力に恐怖しながらも、リリルカはカヌゥを見返し、言った。はっきりと拒絶の意志を込めて。

「リリは御二人と契約を結んでお仕事を頂いたんです……! 御二人を裏切ったりしません……っ!!」

 

 カヌゥの額に青筋が浮かび、

「どうやら、ちぃっと教育が必要なようだなぁ?」

 ズタ袋でも持ち上げるように、カヌゥはリリルカの襟元を掴み上げて宙吊りにする。どさりと落ちる大きなバックパック。

 首元が締まる苦しさにリリルカが呻いた、

 

 

「……これはどういう状況かしら?」

 

 

 刹那。

 アスラーグとエミールが小路に姿を見せる。

 

「追剥か、強姦魔か。その両方かしら?」

「“悪党”の一語にまとめてしまえば良いと思う」

 場違いなやりとりではあったが、アスラーグもエミールも双眸が氷より冷たく、カヌゥ達をあからさまに敵視していた。怒気や殺気こそ放たれていないが、既にアスラーグの左手は腰のレイピアの鯉口を切ろうとしているし、エミールも重心をいつでも“動く”位置に移している。

 

 ち、とカヌゥは舌打ちし、慇懃無礼な薄笑いを湛えた。

「こいつはファミリアの事情ってもんでしてね。口出しは無用に願いまさぁ」

 

「ファミリア、ねえ?」アスラーグはリリルカへ垂れ気味の双眸を向け「そうなの? リリちゃん」

 

「そうだぜ、こいつは俺達ソーマ・ファミリアの――」

「黙ってろチンピラ。もう一度勝手に口を開いたら、潰すぞ」

 カヌゥの手下へ警告するエミールの深青色の瞳からは温度が消えていた。

「アーデ嬢。この場合、問題になるのは俺達と君が結んだ雇用契約の帰属先だ」

 

 は? とカヌゥやゴロツキはもちろん、リリルカも苦しさを忘れて目を瞬かせる。

 

「俺達との契約。それが個人事業者リリルカ・アーデとなされたのか。ソーマ・ファミリア眷属のリリルカ・アーデと結ばれたもので、その契約がソーマ・ファミリアに帰属するのか。どっちだ?」

 

 リリルカもカヌゥもゴロツキも、エミールの発言の意味が分からず困惑を深める。リリルカもゴロツキ2人もその氏育ちから高等教育など受けていない。年長のカヌゥとて冒険者や悪党として積み重ねた知識や経験はあれど、『契約の帰属先』なんて埒の外だった。

 

 そこへ、アスラーグがさりげなく右手を横に振って見せた。リリルカは持ち前の聡明さと機知を発揮。悲鳴のように叫ぶ。

「り、リリですっ! リリ個人との契約です、エミール様っ!」

 

 エミールは満足げに頷き、

「ならば……そいつらは()()()()だな」

 瞬く間に右のゴロツキに肉薄し、皮手袋で包まれた右拳をその顎に叩きこむ。男の顎から陶器が割れるような音色が響く。男は鼻腔と口腔から鮮血を吹き出しながらぶっ飛び、小ぢんまりした安普請の掘立小屋に激突。

 掘っ立て小屋を倒壊させても運動エネルギーが尽きず、ゴロツキは通りまで転がっていった。

 

「――は?」

 呆気にとられる左のゴロツキ。エミールはそのゴロツキが反応するより早く、間抜け面に回し蹴りを浴びせた。鼻骨と頬骨を砕かれながら左のゴロツキも通りへ吹っ飛んでいく。

 

 激変した事態に反応がおいついたカヌゥは、リリルカを抱えながら喚き散らす。

「テ、テメェら、ソーマ・ファミリアに喧嘩を売る気かっ!!」

 

「少し違うな」エミールは虫を見るような目を向け「俺達は個人事業者リリルカ・アーデとの契約に則り、脅威を排除しているだけだ」

 

「訳わからねェこと抜かしやがってっ! このガキの仲間きどりかっ!? いいか、このガキはなぁ、冒険者から装備や金を盗むコソ泥なんだよっ! テメェらは仲間じゃねえ、このガキの()()なんだっ!」

 カヌゥが喚き散らした内容はすべて真実で、

 

「―――」

 だからリリルカは後ろめたさと羞恥と自己嫌悪から、エミールとアスラーグの顔が見られない。2人の反応を見ることが怖くて、顔を上げられない。

 

 が。

 

「ダンジョン内のことは全て自己責任なんだろう?」エミールはカヌゥへ踏み出しながら「盗まれる奴が悪く、また盗んだ奴は報復を受けても自業自得。それだけの話だ」

 

「リリちゃんは私達から何も盗んでないわ。盗まれる奴に非があったんじゃないの? まあ、そうした事情を考慮しても、契約上、私達がダンジョン内で戦闘力の無いリリちゃんを脅威から守る義務を負っていることに変わりはない。そして、脅威とはモンスターに限定されていない。なにより」

 

 アスラーグはこの世で最も劣った存在を見るような目をカヌゥへ向けた。

「私は子供を食い物にする者に我慢ならない」

 

「同感だ」

 エミールは口腔内で密やかに呟く。

「Rashu Grhaya」

 

 

 世界が止まる。

 

 

 エミールは全てが静止している世界を歩み、カヌゥからリリルカを奪い取り、傍らにおいた。

 その後、カヌゥの大きな顔面に右ストレートを打ち込んで鼻をへし折り、返す刀で肝臓辺りに左フック。体幹を捻って右アッパーで下顎を砕きながら突き上げ、最後に飛び回し蹴りを口元へ叩き込み、上下前歯を粉砕。

 

 

 そして、時は動き出す。

 

 

「あっだばぁああああああああああああああああっ!?」

 奇怪(ビザール)な悲鳴を上げながら、カヌゥは通りへ吹っ飛んでいった。

 

 リリルカは唖然としながら粉塵の立ち込める瓦礫の山を見つめ、

「とりあえずこの場を離れましょうか。面倒に巻き込まれてもつまらないし」

 アスラーグがリリルカへ手を伸ばし、これまでと変わらぬ柔らかな笑みを向けた。

「さ、行きましょう。リリちゃん」

 

「さっさとずらかるぞ、アーデ嬢」

 エミールはリリルカの大きなバックパックを担ぎ、これまで通りの涼しげな眼を向ける。

 

「なんで――」

 俯くリリルカへ、アスラーグは母親のような声音で言った。

「話をしましょう、リリちゃん。そのためにも、ね?」

 

 リリルカ・アーデはどこか怯えた身振りで、しかし、しっかりとアスラーグの手を取った。



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9:シンデレラを救ったのは王子様ではなく、魔女。

 迷宮の楽園。

 

 ダンジョン18階層はそのたとえに相応しい、明光風靡な情景が広がっている。

 高い高い天井に埋まる無数の水晶床が陽光同様の温もりある光を発しており、海と見紛うほど巨大な湖の水面をきらきらと輝かせていた。その巨大湖には複数の島々が浮かぶ。ならず者の街(リヴィラ)も島の一つに築かれていた。

 

 また、巨大湖に引けを取らぬほど大きな森や湿地があり、この美しい大森林では可食性実生を採取できるという。

 空と太陽が無いことを除けば、地上でも稀有な美景だ。とても地下空間とは思えない。

 

 そんな麗しき自然が広がる島嶼の一つ。リヴィラから少しばかり離れた湖岸で、エミールは野営用の飯盒でお湯を沸かし、炒った珈琲豆を煮出していた(流石のオラリオにも即席珈琲(インスタントコーヒー)はない)。

 

 パチパチと油分の豊富な樹皮が鳴く焚火の傍らには、小石を弄ぶアスラーグと俯いて沈黙に徹するリリルカ・アーデがいる。

 膝を抱えるリリルカの表情は、深々と被った白いコートのフードに遮られて窺えない。狸人の中年ゴロツキが語った内容『リリルカがサポーターをしながら冒険者から盗みを働くコソ泥』に対する釈明の言葉を考えているのか。それとも、暴露された事実に自己嫌悪しているのか。

 

 珈琲の匂いを宿した湯気が広がり、アスラーグが不満そうに眉根を寄せる。

「なんで紅茶じゃないの? しかも……ミルクも砂糖も無し? 野蛮よ。非文明的よ」

 

「泥臭い川水の白湯に比べれば、充分に文明的だろ」

 ぶつくさと文句を垂れるアスラーグを面倒臭そうに一瞥し、エミールは野営用の金属製カップへ煮出し珈琲を注いでいく。

「アーデ嬢。吞め。気分が落ち着く」

 

「もしくは悩みが吹き飛ぶほどげんなりするわ」

 アスラーグが嫌みを吐きつつ珈琲を一口飲み、美貌を仰々しく歪める。

「にっが」

 

「黙って味わえ」

 エミールは仏頂面で珈琲を呑む。内心で『あ、煮詰め過ぎた』とぼやくが、もちろん口には出さない。

 

 リリルカはその小さな手で温かなカップを包むように持ち、そろそろと口へ運ぶ。

「……苦いです」

 

「ほら、見なさい。リリちゃんだって言ってるじゃない」

「アーデ嬢はまだ子供だから」

 勝ち誇った顔のアスラーグへ抗弁するエミール。ただし、その言葉に先ほどまでの抵抗力はなかった。

 

「……聞かないんですか?」

 ぽつりとリリルカは独白するように言い、顔を上げてアスラーグとエミールを交互に見る。

「どういうことなのかって、リリを詰問しないんですか?」

 

 アスラーグはエミールと顔を見合わせた後、リリルカの隣に移り、その小さな肩を抱き寄せた。びくりと身を強張らせるリリルカへ、慈しむように告げた。

「話をしようと言ったけれど、それは尋問や詰問が目的じゃない。私達にリリちゃんのことを教えてほしいの」

 

「リリのこと……?」と戸惑うリリルカへ、

「そう。リリちゃんのこと。教えてくれる?」

 アスラーグは垂れ気味の目を細め、いつもの母性的な微笑みを返す。

 エミールはカップを傾けながら思う。悪い大人だな。

 

 両手で包み持つカップを口に運び、リリルカは『にがいです……』と呟いてからぽつりぽつりと語り始めた。

 リリルカ・アーデの物語を。

 

       ★

 

 アーデさんちのパパとママはソーマ・ファミリアの眷属だった。

 

 ソーマ・ファミリア、これがまたどうしようもない組織だ。

 主神は酒造りにしか関心がなく、自身の酒が眷属を中毒にして狂わせても、放置&無視。まったく無責任極まりない。

 神酒中毒の眷属達は神酒を求めて争い、内輪揉めばかり。余所とも揉めるわ、犯罪に走って事件を起こすわ……

 

 パパとママも例に漏れず神酒狂い。生まれたばかりのリリルカちゃんを後先考えずファミリアへ入れたり、幼いリリルカちゃんの世話もせずダンジョンに潜ったり、無理無茶無謀を重ね、ついに命を落としてしまった。

 

 こうしてリリルカちゃんは物心つく前に浮浪孤児となってしまいましたとさ。え? ファミリアが保護しなかったのかって? アル中共にそんな甲斐性があるわけないでしょ。

 

 さながらオラリオ版『オリバー・ツイスト』だ。スラムで親無き幼子達が生き延びる術は多くない。ゴミ漁り、物乞い、盗み。リリルカもドブネズミのようにゴミを漁り、惨めに物乞いして命をつないできた。

 

 心優しい老夫婦に拾われて救われたかけた時期もあったが、ソーマ・ファミリアのクズ共が現れ、全てを踏み躙った。老夫婦達がリリルカを『疫病神』と追い出しても、無理はなかろう……

 

 やがて、『オリバー・ツイスト』の幕は閉じ、『灰被り』の幕が開く。

 種族的ハンディキャップなどにより冒険者として生きることが叶わず、サポーターとしてダンジョンと街を往来し、クズ共に稼ぎを奪われる人生が始まった。

 意地悪な継母と義理姉達に虐げられる『灰被り』の如く、屈辱と屈従、侮辱と嘲罵に塗れた日々。冒険者達から奴隷同然に扱われ、ファミリアのクズ共から家畜同然に扱われる毎日。世界の不条理と理不尽に怒り、傲慢で横暴な冒険者達を恨み、便所虫にも劣るファミリアの主神と眷属達を憎悪する人生。

 

 それでも、リリルカは希望を捨てていなかった。

 

 ファミリアの頭目ザニスが言ったのだ。

 金を払えばファミリアを抜けさせてやる、と。ファミリアから解放してやる、と。

 

 その言葉を信じ、リリルカは涙を堪え、歯を食いしばり、泥水を啜って金を稼いできた。犬畜生のように扱われながらダンジョンを潜り続け、間抜けな冒険者達から装備や金を盗み、クズ共を避けて金を貯めてきた。

 

 全てはファミリアを抜け、自由を得るために。

 

 自分の人生を取り戻すために。

 

 ※   ※   ※

 リリルカは何度も目元を拭い、鼻をすすり、時に嗚咽をまじえながら、自身の15年を、これまでの人生を語った。

 

 アスラーグはリリルカを抱きしめ、告げる。

「よく頑張ったわね」

 

 その言葉には同情も憐憫も含まれない。慰めも労わりもない。ただリリルカの歩んできた人生を認め、その生きざまを許容し、艱難辛苦に折れぬ勇気を褒め讃えた。母親のような抱擁と共に、リリルカという一人の人間を受け入れた。

 

 リリルカの涙腺からひときわ大きな涙粒が溢れる。

 

 その人生の大部分が辛苦と惨苦に満ちていたリリルカは、褒められたことなどほとんどない。

 自己肯定されたことなど数えるほどしかない。

 包容されて認められたことなどほとんどない。

 リリルカ・アーデは“努力”を、過酷な現実に屈しない勇気を、他人に容れて貰えたことが初めてだった。

 リリルカ・アーデの卑劣で卑屈な部分を赦して貰えたことが初めてだった。

 

 

 大湖の波音と焚火の音色に混じり、湖岸に少女のすすり泣きが響く。

 世界中に居るだろう『灰被り』。その一人が魔女の胸に抱かれ、泣いていた。

 

       ★

 

 アスラーグはリリルカを抱きしめ、その小さな背中を撫でながら、冷徹に思考を巡らせていた。

 現段階でリリルカ・アーデを取り込み、ソーマ・ファミリアを標的に据えることのメリット・デメリット。ソーマ・ファミリアを攻撃後の状況と情勢、そのリスクとリターン。

 

 誤解の無いよう言っておく。

 アスラーグ・クラーカは帝国淑女の良識を備えている。苦難にある子供を前にして、見過ごしたりせず、迷わず手を差し伸べられる女性だ。

 同時にアスラーグは私人と公人、利己と利他を使い分けることが出来る“大人”だった。

 

 果たすべき目的がある以上、優先順位を誤らない。必要ならば、苦難にある子供を見捨てるという不愉快極まる選択肢も採れるし、その不快な決断も割り切れる。

 

 それは、リリルカをあやすアスラーグへ冷徹な眼差しを向けるエミールも同じだ。憐れな境遇の女子供や老人を容赦なく見捨てるし、敵に回るなら躊躇なく始末できる。

 

『魔女の心臓』を取り戻し、下手人共を一匹残らず狩り殺す。いかなる事情があろうとも、立ち塞がるならば、切り捨てるのみ。

 

 2人はそうやって三年に渡る捜索と追跡、報復の旅をしてきた。現地の協力者や情報提供者を利用し、時に救い、時に見捨てて。

 今更、リリルカ・アーデ一人のために在り方を変えたりしない。

 

 もしもこの段階で、2人がソーマ・ファミリアの神酒密輸とイケロス・ファミリアの“裏商売”がつながっていることを知っていたなら。冷徹な2人は迷うことなくリリルカを『餌』にしただろう。

 

 だが、先走ったカヌゥの行動により、エミールとアスラーグはその選択肢を得る前に、リリルカの処遇を決断しなくてはならなくなった。

 その幸運が別時空、別世界線において、白兎の関係者故なのかは定かではないが……

 

 カップを揺らしながら、エミールがおもむろに口を開く。

「“俺達”にアーデ嬢を助けることはちょっと難しいぞ」

 

 そうね。とアスラーグが同意した。

「私達の主神ネヘレニア様は本国に居られるから改宗は出来ないし、かといって、改宗先がないままソーマ・ファミリアを潰しても、リリちゃんがままならなくなる」

 

「え?」

 リリルカはアスラーグの胸元から顔を上げ、泣き腫らした目を丸くして戸惑う。

 

 そんなリリルカを余所に、

「オラリオで縁のある神はロキ様かヘスティア様だけだ。ロキ・ファミリアは大手だから難しそうだ」

「ヘスティア様のところは零細過ぎて無理よ。リリちゃんを改宗させることが出来ても、残党からの報復を防げないし、面倒が生じても対処できない」

 淡々と話を進めていくエミールとアスラーグ。

 

「あ、あの」

 困惑するリリルカが声を上げるも、2人は気にすることなく算段を講じ続ける。

「現状だと、アーデ嬢の人生は俺達頼りになる。それは良くない」

「ファミリアへの隷従から脱した先が、パーティへの依存では救いが無いわね」

「いっそ高跳びさせるか?」

「右も左も分からない土地に放り出すの? それは無責任よ」

 

 何やら不穏な単語が飛び交うに至り、リリルカは大声を張った。

「聞いてくださいっ!」

 

 キョトンとするエミールとアスラーグに、リリルカは胸の内を開陳する。

「先ほどは御二人に助けて頂いたことは、感謝しています。でも、リリはこの街から逃げたりしませんし、ファミリアを潰してほしいとも思ってませんっ!」

 

「でも……」

 渋面を浮かべるアスラーグへ、リリルカは濡れた目元をこすってから言った。

「御二人のおかげで目標金額まであと少しです。だから、目標金額まで貯めて堂々とファミリアを出ていきます。あいつらに背中を狙われて、怯えて生きていくなんて絶対に嫌ですからっ!」

 

「さっきのアホ共がアーデ嬢を逆恨みするかもしれない」と懸念を呈するエミールに、

 

「ソーマ・ファミリアでは内輪揉めなんて珍しくもないです。それに、あのケガじゃしばらく動けないですよ」

 いい気味です、と侮蔑たっぷりに吐き捨てるリリルカ。その顔は擦れ枯れた老婆のような意地悪さに満ちていた。

 

 エミールはカップを口に運び、その苦さに眉を潜めつつ、問う。

「約束を反故にされたら? 金を奪われるだけかもしれない。相手が本当に約束を果たす保証は何もないんだろう?」

 

「その時は……」

 リリルカは少し逡巡した後、腹を括った顔つきでアスラーグとエミールを順に窺う。

「”御助力”をお願いしても、良いでしょうか?」

 

「最初から私達が動く方が早く済むわよ。リリちゃんも貯めた金を失わずに済むわ」

「ここまで“頑張って”来たんです」

 アスラーグの提案に首を振り、リリルカはアスラーグの青紫色の瞳を真っ直ぐ見つめ、宣言する。

「最後までやらせてください」

 

 その言葉に含まれる決意。その可憐な面差しに宿る覚悟。握りしめられた小さな拳にこもる意志。

 

 アスラーグは大きく息を吐き、

「子供が覚悟を見せた。なら、見守ってあげるのが大人の務めよね」

 リリルカの頬に手を添え、娘に道理を説く母親のように優しく語り掛ける。

「でも、無理はしないように。危ういと感じたら私達に頼りなさい。人を頼ることは恥でも間違いでもないの。頼ることが出来る相手がいる、それはリリちゃんが紡いだ縁。立派な力なのだから」

 

「はい、アスラーグ様」

 リリルカは素直に頷く。その瞳に迷いも恐れもない。ただ美しき勇気があった。

 

 エミールは2人のやりとりを横目に、

「仕方ないな……」

 癖の強い栗色髪をわしゃわしゃと搔き回してから、装具ベルトの汎用パウチを一つ開けた。

「もしも危険が迫ったら、これを使え」

 手のひら大の円形金属塊を取り出してリリルカに渡す。

 

「? なんですか、これ?」

 ずっしりとした重み。よくよく見れば精巧な絡繰りの塊らしい。

 

「スタンマインという非殺傷性の消耗品だ。ここの安全ピンを抜けば、半径数メートル圏内の敵に高圧電撃を食らわせて昏倒させる」

 エミールの説明を聞き、リリルカはギョッとした。

「ええっ!? こ、これ魔導具ですかっ!? そんな高価なもの、いただけませんっ!?」

 

「魔導具なんて大したもんじゃない。これは模造品で諸島帝国の正規品に比べたら性能も低い消耗品だ。仕組みも魔石のエネルギーを高電圧に転換して放出するだけの玩具だよ」

「それ、とても玩具とは思えないですけど……」

 

 困り顔を崩さないリリルカへ、アスラーグが微苦笑を浮かべながら説明する。

「オラリオみたく恩恵持ちが山ほどいると、恩恵を向上させて戦う方が早い、と考えがちだけど、オラリオの外は違うの。ほとんどの人間は恩恵なんて持っていないし、恩恵を持っていてもステータスもレベルも早々上げられない。だから脅威に対抗するための技術や方法を作り出す必要がある。恩恵に頼らずに、ね。このスタンマインもエミールのクロスボウも、そういう思想の下に開発されたものよ」

 

「オラリオの外……」

 世界が迷宮都市とこの穴倉で完結しているリリルカ・アーデにとって、『オラリオの外』など想像も及ばない。

 ふと気づく。自分は一度だって『オラリオの外に出る』と考えたこともないことに。

 

「世界はオラリオの外にも広がってるのよ、リリちゃん」

 アスラーグがリリルカの頭を労わるように撫でる。

 

 その感触と温もりが優しすぎて、リリルカは再び目頭がツンと熱くなった。

 

        ★

 

 湖岸でのウェットなやり取り後、リリルカの請け負った依頼(クエスト)を果たすべく、一行はしれっとリヴィラに戻り、件の届け先へ向かった。

 バラックが並ぶ胡散臭い小路。指先が黒く塗られた両手のシンボルを掲げる怪しい掘っ立て小屋。

 

「ここですね」

 リリルカの案内で店内に足を踏み入れたなら。

 

 仄暗い掘っ立て小屋の中は怪しい代物に満ちていた。得体のしれない小動物の干物。奇怪な植物や実生の乾物。ガラス瓶に収まった妖しい色味の薬剤。骨を加工した『ボーンチャーム』と呼ばれるアミュレット。

 

 店主も怪しい。

 金糸で緻密な刺繍が施された朱いロングスカーフで髪をすっぽりと覆い、朱色のゆったりとした着衣をまとっていた。ボーンチャームを中心とする装飾品も多い。細長い煙管から甘い香りの紫煙を燻らせている。

 なんともエキゾチックな装いをしているものの、本人は妖精族で白い肌に翠玉色の瞳、スカーフから覗く髪は金色、といわゆる“一般的なエルフ”だ。顔立ちは若く美しいが、長命種だけに年齢は容姿から推し量れない。

 

 だが、店の雰囲気や商品や店主よりぶっちぎりに怪しいのが、店の端に控える用心棒だ。

 

 2Mほどありそうな大男はペストマスクに似た鳥頭の覆面を被っており、裸の上半身は筋骨隆々で傷と刺青だらけ。指先から肘近くまで包帯を巻かれた両手で、禍々しい戦鎚を抱えていた。

 覆面の中でブツブツと何か呟き続ける様が酷く狂気的で、18階層に至るまでに出没するどんなモンスターよりも不気味だった。

 リリルカがそっとエミールの傍に近寄ってしまうくらい怖い。

 

「……いらっしゃい」

 うっそりと告げる店主。翠玉色の瞳が一行をねめつける。鳥面大男はリリルカ達に意識を向けず、ブツブツと呟き続けている。怖い。

 

「あの、『ノームの万事屋』の遣いで参りました」

 リリルカが気圧され気味に懐から封蠟された手紙を取り出し、エキゾチックな美人エルフへ差し出した。

 

「ほぅ?」

 エキゾチックな美人エルフは訝りながら手紙を受け取り、腰に差した曲刃ナイフを抜いて封蝋を切る。ふむ……と呟きながら文に目を通していく。

 

 リリルカがなんとも言えぬ不安と居心地の悪さを覚えている脇で、アスラーグとエミールは興味深そうに商品を見回っていた。

 

「立地が立地だけにアレなものが多いな」

「ええ。とても面白いわ」

 

 エミールとアスラーグが小声でやりとりをしていると、エキゾチックな美人エルフが煙管の火種で手紙に火をつけ、灰皿に放り捨てる。

「要件は分かった」

 

 エキゾチックな美人エルフは背後の棚に並ぶ瓶を一つ取り、中から青い丸薬を二掴みして紙袋へ収める。

「これを『ノームの万事屋』へ届けろ。それでお前のクエストは完了だ」

 

「はぁ……分かりました」

 お使いの子供みたく扱われ、リリルカは何とも言えない表情を浮かべつつ、紙袋をバックパックに収める。

 

 エキゾチックな美人エルフはリリルカからエミールとアスラーグへ視線を移し、探るように問う。

「そちらは随分と熱心に商品を見て回っているようだが……何か気になることでも?」

 

 そうね、とアスラーグは首肯し、

「ボーンチャームと素材をいくつかいただくわ。それと、一つ聞きたいのだけれど」

「なんだ?」

 訝るエキゾチックな美人エルフへ言った。

「こちらには注文が出来るのかしら? 少々変わったものでも。たとえば、そう。“外れたもの”とか、それに関する情報とか」

 

「―――!」

 エキゾチックな美人エルフは表情を微かに強張らせた。気づけば、鳥面大男も延々繰り返していた独り言を止め、嘴の辺りからフシューフシューと荒い呼気をこぼし始めた。

 

 不穏な気配が漂い始め、不安を抱いたリリルカがそっとエミールの背に避難する。

「あ、あの、ど、どうしたんですか?」

 

「何でも無いわ、リリちゃん」

 アスラーグはくすりと喉を鳴らし、懐から包みを取り出して卓に置く。

「支払いよ。釣りは結構。お近づきの印にオマケしてあげるわ」

 

「私はまだ何も返事をしていない」

 エキゾチックな美人エルフがアスラーグを睨むも、アスラーグはただ優美に微笑みを返す。

「私の名前はアスラーグ・クラーカ。それで充分でしょう?」

 

「!」エキゾチックな美人エルフは端正な顔に恐怖を滲ませ「……分かった」

 

「良い取引が出来て嬉しいわ」

 アスラーグは購入したボーンチャームと素材を鞄に納め、リリルカの手を取った。

「いきましょう、リリちゃん」

「え? え? え?」困惑したまま連れ出されていくリリルカ。

 

 最後にエミールがゆっくりと出入り口へ向かっていく。

 

「帝国を追放された“魔女”が猟犬を連れて、この街に来た。“そういうこと”なのか?」

 エキゾチックな美人エルフがどこか怯えた声でエミールの背に問う。

 

「だとしたら?」

 エミールは肩越しに深青色の瞳を向けた。その眼は氷より冷たく深淵より昏い。

 

「は、早とちりするな。私はお前達を敵に回す気はない」

 エキゾチックな美人エルフは怯えを強くしながらも、言葉を続ける。

「た、ただ取引の内容を変えたいだけだ。金は要らない。代わりにアスラーグ・クラーカが持つ”虚無”の御見識と知見が欲しい」

 

「そういうことは本人と交渉してくれ」

 エミールは小さく肩を竦め、店外へ出て――行きかけたところでエキゾチックな美人エルフに告げられた。

「今後はダイダロス通りに来てくれ。私の、エリノールの店と言えば、地元の人間が案内してくれる。私の店の客に悪さする者は居ないからな……トーマスを怖がって」

 フシューと鳥面大男が唸る。トーマスというらしい。

 

 エリノールと名乗ったエキゾチックな美人エルフは、エミールが店を出ていくと独りごちた。

「The Outsider walks among us」

 




tips

エリノール。
Dishonored:DotOのマイナーキャラクター。
原作では元ブリグモアの魔女。本作ではトルコ系民族衣装のエルフに。

トーマス。
Dishonored:DotOのマイナーキャラクター。
原作ではダウドをボコってたガチムチ。本作では頭のおかしいガチムチに。


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10:緑の地獄を覗いてみた。

 天井の水晶から光が失われ、『夜』が生じた地下18階層。

 ローグタウンの外は野営の焚き火がちらほら。何かとぼったくりなリヴィラは宿泊施設も例外ではないため、街の外で野営する者も多い。

 

 エミール達も晩飯を購入した後、街の外で野営を決めていた。

 焚火を囲みつつ、三人は簡単な夕餉を進める。

 

「そろそろ説明してください。あの人達は何なんですか? それとも、リリが聞いたら不味い話なんですか?」

 リリルカがじれったそうに問う。

 

「ちょっと長くなるけど……」

 アスラーグはそう前置きしてから話し始めた。

「ネヘレニア様が帝国の祭神になられる以前、諸島帝国とその周辺地域では元々『大衆の修道院』という宗教が主流だった。

 

 この『大衆の修道院』は特定の神を信仰せず、宇宙論的超越領域の存在とその脅威に対抗する七つの戒律を旨とする宗教なのだけれど、その教えを逆説的に解釈するオカルティズムが発生したの。

 

“虚無”という超越領域とその“虚無”の住人、新しい言葉で“アウトサイダー”と呼ばれる超常存在を信仰する連中が出始めたのよ」

 

「虚無……アウトサイダー……」

 聞き覚えの無い言葉に小首を傾げるリリルカ。エミールは黙々とサンドウィッチを齧っている。

 

「神々の時代が到来したことで、“虚無”を信じる者達は激増したわ。天界と神が実在するなら、“虚無”と“アウトサイダー”も実在するに違いない、とね」

「実在したんですか?」

 リリルカの問いにアスラーグは首を横に振る。

「ネヘレニア様は『虚無やアウトサイダーというものを天界で見聞したことはない』とおっしゃった。小人族が信仰していた女神フィアナと同じだろう、と」

 

 フィアナ。かつて小人族が信仰し、神々に実在を否定された女神。小人族達は下界した神々にフィアナが『空想の産物』と突きつけられ、宗教的アイデンティティが崩壊。『神なき民』として衰退していった。

 

 アスラーグは残光が煌めく水晶の天井を見上げた。

「しかし、神に否定されたとしても、虚無とアウトサイダーを信じる者は絶えなかった。神々も宇宙論的超越領域とその存在を知覚し得ないのではないか、という仮説が否定されなかったから」

 

「? ? ?」

 理解が追いつかなかったリリルカが、エミールへ説明を求めるように顔を向けた。

「安心しろ、アーデ嬢。俺にも分からん」

 エミールはなぜか自信を込めて応じる。

 

 2人の反応に微苦笑を浮かべ、アスラーグは棒きれで地面に二重円の図を描き、

「内側の円が人界、外側の円が天界だとしましょう。人界を包む天界は人界を窺うことが出来るけれど、人界は天界を窺うことはできない。この場合、」

 

 二重円の外にもう一つ円を書き加えた。

「この三つ目の円……人界と天界の“外側”を、人間や神は観測できない。そして、この領域が虚無やアウトサイダーとするなら、神がその存在を否定したところで、証明にならない」

 

「……神様にも分からない領域のことだから、否定されても根拠にならない?」

 リリルカの言葉に首肯しつつ、アスラーグは言った。

「では虚無とは何か。簡潔に言えば、この図が示す通り“外”よ」

 

「……別の世界、ということですか?」

「全ての外よ。世界の外であり、時空や次元の外であり、理の外。さらに言えば、我々の理解の外。アウトサイダーはその虚無における唯一の存在。神でありながら神ではない存在、と言えるかな」

 

 虚無とアウトサイダーの説明に一区切りつき、リリルカの抱いた感想は――

「……正直、よく分かりません」

 

「この世界には不思議なことがある、くらいで充分だ」

 なぜか得意顔でうそぶくエミールを横目に、リリルカはアスラーグへ問う。

「アスラーグ様は随分とお詳しいですけど……その虚無やアウトサイダーを信じてらっしゃるんですか?」

 

「まさか。私はネヘレニア様を崇敬しているわ」

 棒切れを焚火にくべ、アスラーグは言葉を紡ぐ。

「ただ、私は自然哲学アカデミーという学術組織で長く虚無を研究してきた。どちらかと言えば、その実在の正否ではなく文化人類学的見地からだけど」

 

「学者様だったんですかっ!?」

 リリルカは目を真ん丸にして驚く。

 

「……その驚き方は何か引っかかるわね」

 秀麗な細面をしかめつつ、アスラーグは話を続ける。

「いくつかの論文や著作を出したら、虚無を信奉する連中に虚無研究の第一人者と思われるようになっちゃったわ。たとえば、さっきの店主みたいに」

 

「あー……なるほど」

 納得しつつも、リリルカは何となく疑問が残る。あの店主はアスラーグの名を聞いた時、なぜ怯えた顔をしたのだろう?

 

 そんなリリルカの疑問を余所に、アスラーグは話を続ける。

「面白いのはね、虚無信奉者達が独自の理論や方法で魔導具とか作っていること。彼らが製作する魔導具や装具は普通の品とはちょっと違うの。私もいくつか作れるけれど、ガチンコの連中ほどでは無いわ」

 

「ああ」エミールは同意して「マジの連中が作るボーンチャームは凄いぞ。変わりどころだと鼠を食えば、怪我や体力が回復するという効果とかな。ちなみに、生で、だ」

 

「気持ち悪いっ!」思わず悲鳴を上げるリリルカ。

 

「それに、ああいう変わり者は独自の人脈と情報網を持っているからね。渡りをつけておいて損はない」

 アスラーグは腰を上げ、体を伸ばして煽情的な呻き声をこぼす。

「野営具も無いし、耐火装備に包まって雑魚寝しかないわね。リリちゃん、一緒に寝ましょ」

 

「えっと……夜番の順番を決めなくて良いんですか?」

 リリルカがおずおずと告げる。

 こういう場合、サポーターがキツい徹夜仕事――不寝番を押し付けられ易い。まあ、同時にクソ冒険者共に一泡吹かせる絶好の機会でもあったが。

 

 アスラーグはリリルカのすべすべほっぺを両手で包みながら、“真顔”で語る。

「リリちゃん。女の美貌は消耗品なの。若さにかまけて手入れを怠ると、年を取ってからしっぺ返しを食らうわ。睡眠は採るべき時にしっかり採らなきゃダメよ」

「は、はい、アスラーグ様。気を付けます……っ!」迫力に気圧されるリリルカちゃん15歳。

 

「年季の入った言葉は重みがあるな」

 エミールはつい口を滑らせた結果、アスラーグに尻を蹴り飛ばされて不寝番を仰せつかった。

 

        ★

 

 安全階層(アンダー・リゾート)に続く中層後半――地下19階から24階にかけて、ダンジョンは姿を大きく変える。

 地下とは思えぬ濃密な原生林が広がっており、また各階層は未踏破領域が存在するほど広く、“深い”。

 生息するモンスターに有毒種が登場する。ダンジョンギミックも天候――“雨”が出現するし、毒性植物など“エグい”ものが増えてくる。

 緑の地獄。人呼んで『大樹の迷宮』。

 

 そんな『大樹の迷宮』に足を踏み入れたレベル4と3とサポーターの3人組は、『怪物の宴』と呼ばれる大量発生による歓迎を受けていた。

 ダーク・ファンガスというキノコ型モンスターの群れ。群れ! 群れっ! 群れっ!! 

 強化種や異常種らしきキノコまで混じるキノコ大祭りだ。

 

「あわわわ……凄い数ですっ! 凄い数ですよっ!?」

 キノコの奔流を前に悲鳴を上げるリリルカ。エミールはウームと唸る。

「流石に数が多すぎるな。苗床にされる前に逃げよう」

 

「キノコ如きに追われて逃走? そんな無様な真似、ごめんよ。“花”を使うわ」

 垂れ気味の双眸を据わらせ、アスラーグはレイピアを抜く。

 

 エミールは呆れ気味に頭を振り、小型背嚢と包丁モドキの鞘を降ろしてリリルカへ告げる。

「アーデ嬢、バッグを寄こせ。それから俺の背中に乗れ」

「ええっ!?」

「ほれ、早く。キノコの苗床にされたくないだろ」

「ぅ……分かりました」

 リリルカはエミールにバカでかいバックパックを預け、ちょっぴり恥ずかしげに背負われた。

 

 エミールはリリルカを背負い、背中の感触に片眉をあげた。

「ん? 華奢な割に意外と“育って”るな、アーデ嬢」

「やらしいこと言わないでくださいっ!」

 背負われたリリルカが顔を赤くして眉目を吊り上げる。

 

「落ちないよう気をつけろよ」

 エミールは自身の荷物とバカでかいバックパックの負革を右手に持ち、恩恵レベル3の高い身体能力と虚無の力――瞬間移動(ブリンク)を用いて密林の間を疾駆し、林冠を飛び回る。

 

「ひえええええええええええええええええええええ」

 ジェットコースターの比ではない身体的負荷を味わい、リリルカの悲鳴が緑の地獄に響く。

 

 異能を使うエミールほどでは無いが、アスラーグもレベル4の超人的身体能力を発揮して林冠を飛び移っていく。

 

「――爆ぜよ、爆ぜよ、爆ぜよ。野を薙ぎ払い、森を焼き払い、山を打ち砕け」

 アスラーグは樹々の梢を飛び移りながら、

 

「――爆ぜよ、爆ぜよ、爆ぜよ。海を抉り、空を焦がせ」

 音楽的美声で詩でも吟じるように呪文を紡ぎ、

 

「――爆ぜよ、爆ぜよ、爆ぜよ。全てを破壊し破砕せよ」

 精妙精緻に魔力を練り上げ、

 

「――爆華大咲っ! 狂い咲けっ!」

 自身の周囲に生じる魔法陣の中で朗々と吠える。

「サーモバル・アントスッ!!」

 

 

 緑の地獄に巨大な爆炎の花が咲く。

 

 

 アスラーグ・クラーカの最大攻撃魔法は炎熱の魔法、ではない。一種の気化爆弾に近い。

 爆心地から生じた暴力的な超高熱圧衝撃波が荒れ狂った。激甚な熱波に大気中の水分が蒸発し、球状の蒸気膜が生じる。効力圏の木々の枝葉や藪が瞬時に焼き払われ、樹木がへし折られ薙ぎ払われていく。

 激烈な音圧衝撃波と鮮烈な爆風が何もかも掃き払い、一酸化炭素に満ちた有毒ガスが広がっていった。

 

 爆心地から静電気を帯びるほどの大きな爆煙が昇り、ダンジョンの天井を煤で真っ黒に塗り潰す。

 巻き上げられた土砂や樹木の残骸がざあざあと降り注ぐ中――

 

 地面の窪みに飛び込んで超高熱圧力の大津波をやり過ごした、エミールがプレーリードッグのようにひょこっと頭を出す。

 エミールは頭のてっぺんから爪先まで灰と粉塵と土砂に塗れていた。鼓膜と肺に痛みを覚えながら周囲を窺うも、濃密な粉塵と爆煙に遮られて何も見えない。知覚強化(ダークビジョン)を使い確認する。効果範囲内に生きているものは、少し先で大の字に倒れるアスラーグと、

 

「ぅぅううう……息が、息が出来ない、です……っ!」

 窪みの底でゲホゲホと咳き込むリリルカだけだ。

 

 リリルカは衝撃波こそやり過ごしたが、内臓や骨髄まで浸透する爆音と爆風の余波を受け、見事にヨレていた。エミール同様に全身が汚れており、白いローブマントがすっかり黒ずんでいる。

 強く咳き込んだら真っ黒な痰が出て、「ひ」とリリルカは怖くなって半ベソを掻く。

 

「落ち着け、アーデ嬢。大丈夫だ。ゆっくり深呼吸しろ。それから水を少し飲むんだ」

 エミールが小さく鼻息をつき、水筒を渡す。

 

 言われたとおり、深呼吸を繰り返してから水を飲み、落ち着きを取り戻したリリルカは慄然と周囲を見回す。

「あ、アスラーグ様はこんな凄い魔法が使えたんですね……」

 

 少なくとも半径1000メートルに渡って密林が円形に切り啓かれ、炭化した樹木が墓標のようにぽつぽつと散在している。

 そして、立っているキノコ怪物共は一匹もいない。

 高熱圧衝撃波で焼かれ、焦がされ、潰され、吹き飛ばされ、窒息し、死ぬか死にかけている。

 

 魔法一つで『怪物の宴』が壊滅していた。

 

 とてもレベル4冒険者の放つ攻撃魔法ではない。エミールが”タネ”を明かす。

「詳しくは言えないが、アスラの魔法はスキルとアビリティと装備で、レベル以上の威力が出る。レベル5のハイステータスに匹敵してるかもしれないな」

「―――」

 リリルカが絶句している間に爆煙と粉塵が多少落ち着く。

 

 エミールは小型背嚢と剣を担ぎ直し、車に轢かれた蛙のように倒れているアスラーグの許へ向かう。

「……やり過ぎだ。“鮫”の拡張式でも十分だったろうに」

 

「かもね。でもすっきりしたわ」

 大の字になったまま、アスラーグは煤やら埃やらに汚れた顔を楽しそうに和らげる。

 

 くすくすとアスラーグが笑っていると、大きなバックパックを担いだリリルカがふらつきながら歩み寄ってくる。

「大丈夫ですか、アスラーグ様。今、魔力回復剤を―――」

 リリルカがバックパックを降ろそうとしたところで、

 

「待て」

 エミールは背中から鮪切包丁モドキを抜き、霧のように漂う粉塵と爆煙の先を睨む。

「アーデ嬢。回復は後回しだ。すぐにアスラーグを連れて避難しろ」

 

「は、はい、エミール様っ! 失礼します、アスラーグ様っ!」

「ああああああああ……」

 慌てるリリルカに両脇を抱えられ、ずるずると引きずられていくアスラーグ。なぜかちょっと楽しそう。

 

 リリルカが窪みの中にアスラーグを引きずり込んだ直後、爆煙と粉塵の先から、それ“ら”は姿を現す。

 

 4匹の熊型モンスター、バグベアー。

 血走らせた目をぎらつかせながら傲然と。牙を剥いた口から荒々しい呼気を発しながら堂々と。

 

 エミールは鮪切包丁モドキを右手に握り、バグベアーの群れへ駆けていく。

 熊の怪物達も雄叫び上げ、その巨躯から想像もつかないほどの俊敏さで、エミールへ襲い掛かる。

 

 両者の間合いが三メートルを切った直後。

 

「Sum Fdau」

 エミールの姿が消え、一瞬でバグベアー達の背後に回り込む。

 

 何が起きたのか分からぬ熊共の動揺を逃さず、エミールは装具ベルトのパウチからスプリングレーザーを取り出し、群れの真ん中へ投げ込む。

 

 スプリングレーザーが“爆ぜ”た。

 螺子巻き状に封じられていた鋼線剃刀が開放展張を開始。高速の運動エネルギーを伴った鋭利な刃が鎌鼬のように走る。

 

 常人を八つ裂きにできるスプリングレーザーも、バグベアー共の強靭な巨躯をバラバラには出来ない。

 が、流石に無傷では済まない。体躯を傷つけ、耳鼻目を削ぐ。

 その峻烈な痛みがバグベアー達の動きを止め、間隙を生む。

 

 エミールは再度の瞬間移動。一匹目のバグベアーの懐へ肉薄し、顎下から刺突。肉厚の片刃直刀が喉を抜き、頚椎を貫き、うなじから切っ先が飛び出す。

 

 柄を捻り込んで抉りながら刃を抜く間、片目を失ったバグベアーが太い右腕で殴り掛かる。

 

 エミールは地面を強く蹴ってスライディング。片目熊の一撃をかわしながらクロスボウで右膝を撃ち抜く。生死の狭間を掻い潜ったことでアドレナリンが分泌、アビリティ『飢血(ブラッドサースト)』発動。瞬間的に集中力と身体能力が大幅に強化され、その斬撃が致命のものに化ける。

 

 スライディングの勢いを殺さぬよう上体を起こして跳躍。鼻先を切り飛ばされている熊へ鮪切包丁モドキを振るう。

 

 ばぎゃり。

 

 斬撃とは思えぬ音色が響き、鼻無し熊の巨躯が袈裟に両断された。鮮血が飛散し、斬り飛ばされた上体の断面から臓物が零れ落ちていく。

 そこへ4匹目のバグベアー、耳を失くした熊の化け物がエミール目掛けて吶喊。

 

「Swahh Skatis」

 エミールは虚無の手(ファーリーチ)を使い、斬り飛ばした鼻無し熊の死体を勢い良く引き寄せ、耳無し熊に叩きつける。

 

 死体と衝突した耳無し熊が体勢を崩した隙を用い、エミールは大上段から脳天唐竹割りを放つ。

 耳無し熊が咄嗟に両腕をかざして頭を守ろうとするも、『飢血』の効果はまだ持続しており、脳天唐竹割りが致命の威力を発揮。

 

 ごぎゃり。

 

 破壊的な音色が轟き、『飢血』の一太刀が耳無し熊の太い両腕ごと頭を両断。腕を失い、頭を割られた耳無し熊が斃れる。

 

 アドレナリンが醒める感覚を抱きながら、エミールは膝を撃ち抜かれて藻掻く片目熊へクロスボウを二連射。頭と心臓を矢弾に貫かれ、最後の熊が息絶えた。

 

 バグベアー達を全滅させ、エミールは鮪切包丁モドキを大きく振るって刃の血脂を払う。

 

「いまいちボーンチャームの効果が実感できないな」

 装具ベルトに吊るす骨細工を一瞥してから、エミールは周辺を見回す。

 

 焼け焦げた啓開地には、炭化したキノコ、焼け焦げたキノコ、衝撃波で体内が圧潰して死んだキノコ、有害排煙で窒息死したキノコ、諸々死にかけているキノコ。ともかくキノコの死骸と残骸と欠片と死にかけキノコがそこら中に散乱していた。

 

「魔石と素材を回収するのが大変だな」

 エミールは鼻息をつき、アスラーグとリリルカの許へ向かった。

 

         ★

 

 橙色の夕日に照らされる巨塔バベル。

 その足元から蟻のようにわらわらと出でてギルドへ向かう冒険者達。

 

 彼らの中にひときわ小汚い者達が居た。

 

「……疲れました」

 慨嘆するリリルカ。顔も肌も汗塗れで煤塗れで埃塗れ。白いローブも汚れに汚れて迷彩柄に化けていた。

 

「疲れたな……」

 エミールも体や着衣を盛大に汚していた。歩く度、体のあちこちからパラパラポロポロとゴミや埃が落ちていく。

 

「お風呂入りたい……」

 アスラーグも汚れまくっていた。麗しい銀髪は汚れすぎて黒くなっており、ケープマントも着衣もでろんでろん。美貌がいっそう悲惨さを強調する。

 

 三人とも頭のてっぺんから爪先まで煤や埃、土や泥、草木の汁、モンスターの血、その他諸々に汚れていた。エミールの鮪切包丁モドキもアスラーグのレイピアも血脂でギトギト。

 

 一言で言って、運が悪かった。

 

 19階層でキノコ祭を終え、魔石や素材を回収した後の帰路。15階層まで戻ったところで、エミール達は余所のパーティからモンスターの群れを押し付けられ、二足歩行の一角兎アルミラージの大群とチャンバラ大会をやる羽目になった。

 

 繰り返すが、運が悪かった。

 

 一角兎の大群を相手に千切っては投げ千切っては投げ、と大立ち回りをしているところへ、牛頭の怪物ミノタウロスと大虎ライガーファングの小集団が横入り。

 恩恵レベル的には、エミールとアスラーグにとって一角兎も牛頭怪物も大虎も雑魚の群れに過ぎない。

 が、数の暴力という奴は侮れない。

 

 エミールが魔法に見せかけた虚無の力ウィンドブラストや、クロスボウの爆裂ボルトで吹き飛ばした(手数が足りないため、リリルカのクロスボウでも爆裂ボルトを打たせた)。アスラーグもなけなしの魔力を搾って魔法を放った。

 そして、エミールとアスラーグはひたすらに斬って斬って斬りまくり、リリルカは逃げて逃げて逃げまくった。

 で、この有様である。

 

「爆裂ボルトは品切れ。手榴弾とスプリングレーザーも使い切った」

 エミールはいろいろ汚れたクロスボウを一瞥してぼやく。

「剣だけでなくクロスボウも分解整備が必要だな」

 

「リリのクロスボウ、壊れちゃいました……」

 クロスボウは案外応用が利かない。リリルカのクロスボウは規格違いの矢弾を何度も打ったことで傷み、壊れてしまった。

「弁償するよ。そういう契約だからな」とエミール。

 

「何はともあれ……明日はお休みにしましょ」

 アスラーグの提案に、反対は出なかった。

 




いまいち話が進まず申し訳なく。


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11:散歩。あるいは事前偵察。

 夢見の悪さに溜息も出ない。

 

 喪った大切な人々や殺した連中が枕元に立つからではない。

 疲れて床についたら早々に人間味の乏しい黒目野郎が現れたからだ。

 

「リリルカ・アーデの氏育ちは憐れではあるが、何一つ特別ではない。古今東西、世界中にリリルカ・アーデと似た境遇の者達がいた」

 

 黒い霧を仄かにまとう超越存在は独りごちるように語ると、虚無の空間に『場面』を切り取った小さな島が出現し、宙を漂う。

 先日の一幕。地下18階層。湖岸での夜。

 抱き枕みたくアスラーグに抱えられて眠るリリルカ・アーデ。その様は歳の離れた姉妹が共に寝ているような、あるいは子が母の腕に抱かれているような。

 

 漆黒の双眸をエミールに向け、アウトサイダーが言う。

「いや、家族に愛されなかったという点では、お前も同じだな、エミール」

 

 瞬間、不快感が込み上がるが、エミールは黙して答えない。むろん、アウトサイダーがエミールの反応を気にすることはなく、

「物語において、魔女は常に特別な役割を担う。主人公を導き、助け、救う。あるいは、主人公を襲い、傷つけ、呪う。味方であれ、敵であれ、魔女は主人公の運命を左右する」

 

 顔をすやすやと寝ているアスラーグへ向けた。

「アスラーグ・クラーカはお前を導き、助け、支え、共に戦ってきた。そして、今度はリリルカ・アーデと出会った。お前と共に」

 

 情動の欠片もない口調で語り、アウトサイダーは腕を組んでリリルカへ視線を移す。

「少女は魔女とお前に出会い、運命が変わった。少女の運命を変えたお前とアスラがどんな選択肢を採るのか……」

 

「何が言いたい」

 エミールが睨むと、

「友よ。一つ忠告しておこう」

 アスラーグとリリルカからエミールへ目線を移し、アウトサイダーは人間味が欠片も無い声で無機質に語った。

「リリルカ・アーデは『大きな物語』に関わる存在だ。お前と魔女はよく考えた方が良い。少女に関わり大きな物語へ踏み込むのか。それとも、あくまで自分の物語を貫くのか。決断を迫られる時が必ず来る」

 

「それはどういう――」

 エミールの言葉を遮るように、アウトサイダーはその身を虚無に溶かしていく。

「お前の選択を見ているぞ、エミール」

 

 ※   ※   ※

 毎度のことながら、言いたいことを一方的に言って消えやがる。

「……最悪の目覚めだったな」

 

 エミールは不快感に顔をしかめながら熱したベーコンに卵を落とす。じゅーじゅーと小気味よい音色を奏でるフライパン。

 

「はー……さっぱりした」

 朝風呂を済ませたアスラーグがダイニングへ入って来た。キャミソールとホットパンツという簡素な装いで。

 しっとりと上気した薄褐色の肌。濡れた光沢を放つ銀髪。薄着のためまったく隠れていない胸元や腰回りの優美な曲線。惜しげもなく晒された脚線美。

 朝っぱらから、エロい。

 

 ダイニングテーブルに着き、ポットを傾けてカップへ紅茶を注ぐ。砂糖とミルクを加え、アスラーグは紅茶を一服。満足げに唸る。

 

 そんなアスラーグを一瞥しつつ、エミールは朝食作りを続けた。

 ベーコンから染み出た脂がフライパンに広がったところへ、卵を落としてベーコンエッグを作る。次いで、ラードを塗ったパンをフライパンで焼いて、簡素な朝飯の完成。

 

 朝食を摂りながら、エミールがアウトサイダーとの遭遇を明かし、アスラーグが思案顔を作る。

「リリちゃんが関わる大きな物語、か。私達の目的とは別なのね?」

「奴の口ぶりを信じるならな」

 

「ということは、リリちゃんの筋……ソーマ・ファミリアは『魔女の心臓』と関与していないのかしら」

 アスラーグの推察に、エミールは頭を振りながらベーコンを突く。

「決断を迫られる、という言葉をどう受け取るか、だろう。ソーマ・ファミリアが事に関与していて、俺達が『魔女の心臓』を取るか、アーデ嬢を取るか。そういう話なのかもしれない」

 

「……出来れば、リリちゃんは見捨てたくないわね」とアスラーグが渋面を浮かべた。

 エミールもその意見に賛同したいところではある。『目的』が最優先とはいえ、あそこまで手を出しておいて、今更見捨てることはあまりに不誠実だろう。

 

「先のチンピラの件もある。ソーマ・ファミリアが敵に回った、と考えても良いかもしれない。予定を変えて、最初にソーマ・ファミリアを片付けるか? 神殺しが不味くても、神を潰すことはできるし、ファミリア自体を壊滅させることも可能だ」

 

 強硬案を提案され、アスラーグはカップを揺らしながら検討し、首を横に振った。

「……いえ。やはり全体的に情報が要る。ギルド本部から情報奪取を最初の一手にしましょう。ただ予定を繰り上げて直接侵入で情報を確保する。彼らが持っている情報を抜き、主目標のイケロス、神酒のソーマ、風俗街のイシュタル、オラリオで重要な役割を担うデメテルとニョルズ、それに闇派閥関係。後は貧民街と地下水路の情報が欲しい」

 

 エミールはアスラーグの意見にウームと唸る。

「オラリオでドブネズミ共が身を潜められる場所は、貧民街か地下水路内くらい、か。どちらも捜索に骨が折れそうだな」

 

「だから、ギルド本部から手がかりの情報を掴む」

 アスラーグは千切ったパンを口にし、青紫色の瞳がエミールを見据える。

「完全な隠密潜入(スニーキング)よ。姿はもちろん痕跡も残してはいけない」

 

「幽霊のように、だろう?」エミールは深青色の目を細め「任せてくれ」

 黒妖精の美女は大きく頷き、千切ったパンへ視線を落として呟く。

「……ジャムが欲しいわね」

 

「買ってくるよ。どのみち、装備一式の清掃と整備、その他補充も必要だしな。それにギルド本部の施設情報が欲しいところだ。見取り図や警備体制、機密情報の保管されている場所や内容についての情報も必要だな。あとは」

 エミールがにやりと口端を吊り上げた。

「鼠が要る」

 

       ★

 

 その日の昼飯時。

 諸島帝国の出先商館『ヴィラ・ダンウォール』のある第6区。その一角に軒を置く酒場『ハウンド・ピット』。

 

 中々の賑わいを見せる店内へエミールが入店し、カウンターの端に腰を下ろす。壁の御品書きへ目を向けていると眼鏡の狼人女給がやってきた。

 

 パンツスタイルの女給服は露出が乏しいものの、体の線がくっきりと表れるため、独特な色気がある。

 結い上げられた銀灰色の長髪。細面に並ぶアイスブルーの双眸。麗しき狼人女給が折り畳まれたメニュー表をエミールへ渡す。

 

「いらっしゃいませ。注文が決まりましたら、お呼び下さいませ」

 営業スマイルを向け、狼人女給は見事なキャットウォークで去っていく。何人かの男達が尾と共に振られる尻へ熱い視線を送っていた。

 

 エミールはメニュー表を開く。

 メモ用紙が挟んであり『任務の用向きならばサーコノスのワインを注文。この紙は読了後に処分を』。

 カウンター上にあった灰皿を取り、エミールは燐棒でメモ用紙を燃やしつつ、

「サーコノスのワインはあるか?」

 カウンター内にいる強面のヒューマン男性店員に問う。

 

「サーコノスですかい。地下の酒蔵を覗きゃあ一本ぐらいあるかもしれませんや」

「そうか。なら梨のサイダーで良い」

 強面店員は首肯して黒い陶製グラスに砕氷と梨のサイダーを注ぐ。最後にカットしたレモンを差し込み、ペーパーコスターと共にエミールの許へ。

 コースターには数字と『裏口から入れ』が書かれていたが、グラスの結露に滲み、すぐに読めなくなった。

 

 エミールは梨のサイダーを楽しんだ後、代金分のコインを置き、『ハウンド・ピット』を出た。

 そのまま人目を避けるように裏路地へ入り、人気のない裏路地を進んで『ハウンド・ピット』の裏口へ回る。ドアをノックすると、覗き口が開いて『番号は?』

 

 共通語ではなく、諸島帝国語で問われる。

 エミールがコースターに書かれた番号を答えるとドアが開けられ、中へ通された。

 

 人相の悪いドワーフ男に監視されながら、エミールは地下の酒蔵に降りる。

 魔導灯が点る酒蔵の中には、酒棚の間にテーブルが置かれており、先ほどの狼人女給が卓上に腰かけて足を組んでいた。腰に巻いた小さなエプロンのポケットから紙巻き煙草の箱を取り出し、両切煙草をくわえて燐棒で火を点けた。

 

 紫煙が漂い、狼人女給の眼鏡が魔導灯を反射してきらりと光る。

「私はジェラルディーナと申します。ラムゼー閣下より、我らに差し支えない範囲で協力を許可されております。本日の御用件は?」

 

「クロスボウの交換部品。各種矢弾(ボルト)。手榴弾。スプリングレーザーとスタンマイン。可能ならギルド本部施設の見取り図や警備情報などが欲しい」

 

 エミールが要件を告げると、狼人女給ジェラルディーナはエミールを値踏みするように見つめながら、煙草をふかした。

「クロスボウの交換部品は純正品ですが、各種矢弾、手榴弾、スプリングレーザーとスタンマインは本国外の違法模造品となります。オラリオではそれらの正規品が流通しておりませんから」

 

「構わない」と即答するエミール。「本国の正規品に劣っても、アシがつくより良い」

「この街の衛兵は捜査能力がさほど高くありません。恩恵の効くことはそれなりですが、それ以外は大したことが無い。都市衛兵(シティガード)邏卒(ドッグ)の方がまだ上等ですよ」

 

「鼻の利く犬が一匹でも居れば、露見する。リスクは冒せない。情報の方は」

 冷淡な面持ちでエミールが話を進め、ジェラルディーナは唇を細めて紫煙を吐いてから、答えた。

「用意できます。情報源から漏洩の心配もありません」

 

「頼もしい限りだ」とエミールは鼻息をつく。

「受け渡しは明後日に」

 狼人女給ジェラルディーナは短くなった煙草を卓上の灰皿に押し付けて揉み消し、犬歯を覗かせて微笑む。

「今後、仕事絡みの用向きはこちらに直接お越しください。もちろん御食事に来られても構いませんよ。当店はお金を落とす方をいつでも歓迎しますから」

 

 エミールは思う。

 この店はどちらが本業なのやら。

 

      ★

 

 エミールが『ハウンド・ピット』の地下で怪しげな取引をしていた頃。

 

 焼けた鉄板の上でじゅうじゅうと脂を爆ぜさせる厚い羊肉のリブステーキ。付け合わせはたっぷり盛られた薄切りのベイクドポテトとアスパラガス。飲み物はキンキンに冷えた果実炭酸水。

 

 リリルカは思わず唾を飲み込む。

 ファミリア脱退資金の貯蓄を優先するリリルカは、貧乏苦学生並みの切ない粗食が常だ。豪奢な料理なんて縁が無い。

 恐る恐るといった手つきでナイフで肉を切り、羊肉を頬張った。

 

 肉の厚み。歯応え。溢れる肉汁。ソースと絡み合う肉の旨み。

 

 味覚を殴りつける暴力的な多幸感に、リリルカは言葉も出ない。それから無心に肉を頬張り、果実炭酸水を呷り、付け合わせを齧り、再び肉を食らう。

 

 大きなリブステーキはたちまちリリルカの胃袋に消えた。華奢で小柄でも育ち盛りの15歳ということだろう。

「美味しかった……」

 食べ終えたリリルカはどこか恍惚とした面持ちで呟く。

 

「お代わりする?」

 気づけば、アスラーグが優しい笑みを向けていた。

 

 ハッと我に返り、リリルカは恥ずかしげに首を左右に振る。

「あ、いえ、もうお腹いっぱいです、アスラーグ様。とても美味しかったです」

 

「そう? 喜んで貰えたなら良かったわ」

 昨日の大立ち回りで装備が傷んだアスラーグは、クロスボウが壊れてしまったリリルカに『新しいクロスボウを買ってあげるから、一緒にお買い物しましょう』と約束を取り付けていた。待ち合わせ後は『まずは腹ごしらえ』と昼食に赴き、リリルカへ300グラムものステーキを御馳走していた。

 なお、この場にエミールはいない。今日は別行動とのこと。

 

 食後の紅茶とローズウォーターゼリーが届く。

 

「リリちゃんのクロスボウを買って、私のレイピアを整備に出して、後は魔導具でも見ましょうか」

「魔導具、ですか?」

「そう。オラリオ製の魔導具で有名なのよ。高位恩恵持ちが作る属性付与の武具とか、魔石を動力に動く便利な道具とかね。“万能者”アスフィ・デル・アンドロメダの魔導具なんかは物凄い額で取引されてるわ」

 

 語りながらアスラーグは『そういえば、彼の人も王族だったか』と思い返す。

 諸島帝国の要人だったアスラーグは国際情報にも通じていた。むろん、フレイヤ・ファミリアに属する“彼ら”のことも知っている。

 ろくでもない女神によって滅んだエルフ達の話は有名だから。

 

「リリも聞いたことがあります。“あの”ヘルメス・ファミリアの団長を務めらっしゃる方ですね」

 ピンク色のゼリーを突くリリルカの言葉が気になり、アスラーグが微かに片眉をあげた。

「あの、というと?」

 

「ヘルメス・ファミリアは胡散臭いことで有名です。主神のヘルメスからしてオラリオの外を旅して回って、団員達もギルドの調査系依頼ばかり請け負っているそうで。ギルドの密偵組織かもしれない、なんて噂もあります」

 

 ローズウォーターゼリーを口に運び、上品な香りと甘味、プルプルの食感に目を輝かせるリリルカ。

 その様子を微笑ましく眺めながら、アスラーグの冷徹な部分がさっそく思考を始めていた。

 

 なるほど。ギルドの組織規模を考えれば、“そういう”手合いが居てもおかしくはない。連中の耳目に引っかかると面倒なことになるな。

 ギルドの密偵組織なら、ソーマやイケロスのような犯罪系ファミリアとは一線を画すだろうが、諜報活動に常識的な倫理は通じない。三年前の件に関わっている可能性もある。

 となると、最終的な黒幕がギルドという線も出てくるか。

 

 アスラーグは紅茶を口にして思考を中断する。現状は情報が足りず、考えても想像の域を脱せられない。

「そういえば、リリちゃんとの契約期間もそろそろ満了ね」

 気分を変えるべく話題を変えた。

 

「そう、ですね」

 リリルカは眉を下げた。アスラーグ達との契約が満了したら、またろくでもない連中相手に奴隷然と働くことになるかもしれない。出来れば、2人との契約を更新したいが……

 

「私達としては来月以降もリリちゃんとの専属契約を更新したいと思っているのだけれど」

 アスラーグはどこか困り顔を湛える。

「私達はこのままダンジョンを潜り続けるかどうか、分からないのよね」

 

「? それはどういう……?」

 予期せぬ言葉にリリルカは目を瞬かせた。

 

「私達はダンジョン潜りに重点を置いていない。という話はしたわね?」

「はい」とリリルカは首肯する。「他に稼ぎ口があれば、そちらに切り替えると伺いました」

「私達は不名誉を被り、国を追われた身なのよ。だから、その関係で、出先商館筋からちょっと面倒な依頼を請け負うこともある」

 アスラーグは紅茶を一口飲んでから続ける。

「その手の厄介な仕事にはリリちゃんを連れていけない。いろいろと事情が複雑なものだからね。そうなると、私達がダンジョンに行かない間、リリちゃんにはお仕事が無いのよ」

 

「そういうことでしたら、リリは以前のようにバベルでサポーターの口を探します」

 リリルカは残念そうに言った。アスラーグとエミールはこれまでで最優良雇用主だ。雇用条件も報酬も扱いも比べ物にならない。冒険者に昏い敵意と八つ当たり気味な恨みを抱くリリルカが、安心して懐き慕うほどに。

 

「大丈夫?」アスラーグは心配そうに「先日の件もある。私達が手を出したせいで酷い目に遭うかもしれないわ」

「これまで上手くやって来ましたから。それに、アスラーグ様達のおかげで目標金額まであと少しです。ここで足踏みしたくありません。わずかでもお金を稼ぎたいんです」

 リリルカは居住まいを正し、決意を語る。

 

「そう? でも、リリちゃんさえよければ」アスラーグは妹を案じる姉のような顔つきで「別の働き口を紹介することも出来るかもしれないわ」

「勤め先に御迷惑が掛かるかもしれないので、お気持ちだけで充分です」

 リリルカの脳裏に幼き日に出会った老夫婦がよぎる。本当に良い人達だった。クズ共のせいで残念な離別になってしまったが……夫妻のおかげでわずかな間でも幸福な時間を得られたことに、リリルカは今も感謝している。

「エミール様から護身具を頂いていますし、本当に助けが必要になったら、御厚情に甘えさせていただきたいと思ってます」

 

「……分かった。リリちゃんの意思を尊重するわ。無理しないようにね」

「はい。アスラーグ様」

 リリルカが素直に頷くと、アスラーグは満足げに、でも微かな憂いを含んだ微笑を浮かべた。

 

「そうだ。リリちゃんのクロスボウ。エミールと同じ諸島帝国製の物で良い?」

「え」リリルカは目を丸くし「で、でもエミール様のクロスボウはフルカスタム品でお高いと……」

「ベーシックモデルならそれほどでもないわ。5、6万ヴァリスくらいかな。消耗品や整備キット込みで、プラス5千から1万ヴァリスね」

 リリルカは紅茶を吹き出しそうになった。

「そ、そんなお高いもの―――」

 

 アスラーグは慌てふためくリリルカの様子に悪戯っぽく笑う。

「いいのいいの。お姉さんに任せなさい」

 

      ★

 

 昼下がり。『ハウンド・ピット』で“商談”を済ませ、エミールは街を散策していた。

 

 精確には偵察を行っている。

 借家のある廃教会街区からギルド本部へ向かう道程の路地や建物――その高さや作り、窓の位置などを確認。最も人目に触れないだろうルートを選定していく。

 

 たとえば、屋上伝いに移動するにしても、屋根瓦は音を立て易いし、意図せず踏み砕いたり、蹴落としたりしてしまうかもしれない。また屋根に堆積した埃は痕跡を捉え易い。優秀な追跡者なら足跡から性別体格や体調、技能に性格まで把握する(エミールも出来る)ため、油断はできない。

 まあ、恩恵持ちの超人的身体能力と虚無の力を併用すれば、その危険もほとんどないが。

 

 ともかく、エミールは偵察を行いながら散歩を続け、ギルド本部に到着。

 

 冒険者達がダンジョンに潜っている時間帯のためか、万神殿と称す大きな建物は人の出入りがまばらだった。

 大量の冒険者を相手にするため、地階メインフロアは非常に広く大きく、天井も高い。ピークタイムとズレているためか、窓口の受付職員も手透きでどこか退屈そうだ。厳重な構造の換金窓口周辺には警備員らしき者もいる。

 

 エミールとアスラーグ担当のえらく事務的な受付嬢、黒髪ショートヘアのヒューマン女性ローリア女史が声を掛けてきた。

「グリストルさん。今日はお一人のようですが、御用向きは?」

「図書室で調べ物を」

「そうですか」

 用件の有無を確認すると、ローリア女史はあっさりとエミールを意識から外した。清々しいほど事務的だ。

 

 エミールはローリア女史の態度を別段気にすることなく、ギルド内を歩いて大図書室へ向かう。

 内部構造を能う限り頭に収めながら。

 後日の”仕事”に備えて。

 




tips

ジェラルディーナ。
Dishonored2のマイナーキャラクター。原作ではブラックマーケットショップの店主。
本作では狼人女性の闇商人役。

ローリア。
Dishonoredのマイナーキャラクター。原作では娼館ゴールデンキャットの娼婦。
本作ではギルド職員で、えらく事務的な態度の受付嬢になった。


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12:オラリオ・トライアル:バーグラー。

繰り返しますが、本作は原作改変や独自設定がございます。


 エミールは浴室で肌が赤くなるほど入念に擦り、髪も体も完全な無臭になるまで洗う。

 

 入浴後、いつもの暗青色の着衣ではなく、夜闇に溶ける黒藍色の上下を着こみ、ズボンの裾をガルバニ式加硫処理した長靴(ステルスブーツ)に収めた。

 腰に装具ベルトを巻き、パウチと雑嚢に各種道具を詰めていく。折り畳み式小剣を右腰のホルスターへ。痕跡を残すわけにはいかないので、クロスボウや手榴弾など無し。

 奪取物を収める背嚢は動きを邪魔しないようベルトで体に密着させる。

 それと鼠を収めた麻袋も。

 

 支度が済み、エミールはアスラーグの待つ一室へ向かう。

 がらんとした部屋の床には二枚の大きな地図――迷宮都市の街区地図とギルド本部の見取り図が広げられていた。

 

 ブリーフィング開始。

 アスラーグは見取り図を見下ろしながら、調達した情報の内容を確認する。

「夜間も窓口に夜番の受付がいる。警備体制は人員こそ少ないけれど、魔導の警備機構が配置してある。換金所を始めとする区画や部屋は特に厳重ね」

 

 エミールは床の地図と見比べつつ、手元の小さな地図へ赤鉛筆で書き込みを入れていく。

「目標の資料は第一資料保管室。第二資料保管室の機密庫。それから大図書室の書庫。情報の奪取はいずれ露見するだろうな」

 

 この時代、様々な魔導具はあれど、現代地球世界のカメラみたいな記録道具はない。目標の資料を記録媒体に写すことが出来ない。

 よって、現物を持ち出さねばならないが、そうなれば、紛失/奪取が騒ぎになるだろう。こういう事情は必ず外へ漏れるものだから。

 

「侵入自体が発覚しなければ、ギルド内の資料紛失として処理される可能性もある。貴方の隠密侵入に掛かってるわ」

 アスラーグが念を押す。

「決して発見されないこと。決して痕跡を残さぬこと。決して害さぬこと。良いわね? 警備も含めてギルド職員を絶対に傷つけてはダメ。殺しは論外」

 

「承知してる」

 首肯を返し、エミールは先日の“偵察”情報を基に地図や見取り図を見つめ、脳内に立体図を浮かべる。移動ルート、侵入ルートを確認し、アスラーグと打ち合わせを進めていく。

 

 

 粗方の確認が済んだところで、エミールはアスラーグへ問う。

「ヘルメス・ファミリアの情報も抜くんだな?」

 

「ええ。リリちゃん曰く『オラリオで一番胡散臭いファミリア』とのことだからね。主神がファミリアも連れず各国を巡り歩いているというのもきな臭い。あからさまに過ぎるけれど」

 黒妖精の魔女は冷たい眼差しで言った。

「神は司る役割から逃れられない。善神は美しいほどに善良で、悪神は汚らわしいほどに邪悪だ。ヘルメスが風聞通りということは充分にあり得る」

 

「ヘルメスが害虫共のつなぎを取った可能性があるか」

 エミールの深青色の双眸に憎悪と殺意が浮かぶ。女神ネヘレニアの眷属で信徒のエミールは神を敬う心がある。が、三年前の“あの日”以来、人に仇なす神を神とは見做さない。そのような神は一柱残らずぶっ殺して天界へ叩き返してしまえば良い、とさえ考えている。

 その結果、神の助けが無くなり、人類が再びモンスターの脅威に晒されたしても。

 

 殺す。必ず殺す。絶対に殺す。

 

 ゆっくりと深呼吸し、エミールは胸中の激情を押さえた。

「……よし。そろそろ出る」

 エミールは紅色の塗料で髑髏の口元が描かれた面布で目元から首元を覆い、フードを目深に被る。

 

「ボーンチャームが効いてる。一見ではその髑髏の面布以外、印象に残らないと思う」

 アスラーグは眼前のエミールの印象がはっきり知覚できなくなっていた。口元の紅い髑髏面以外、はっきりと把握できない。

 

 2人は自身の懐中時計を取り出して時刻合わせを行い、

「侵入開始は警備の夜間シフトが交代する午前0時。撤収は想定午前2時。最長でも午前3時には必ず撤収すること」

 アスラーグはエミールへ告げる。

「幸運を」

 

 エミールは借家の裏口から、夜の迷宮都市へ出撃した。

 

 

 

 

 

 迷宮都市に一陣の風が吹く。

 

 エミールはその夜闇色の装束を活かすべく灯りと影の狭間――最も夜闇の濃い部分を選び、虚無の手(ファーリーチ)瞬間移動(ブリンク)を用いて飛翔し、疾駆していく。

 ガルバニ式加硫処理した長靴は着地時の音を完全に吸収し、足音を一切発さない。それでも装備の揺れや衣擦れの音すら生じないのは、ひとえにエミールの体術によるものだが。

 

 迷宮都市の頭上を駆け抜けていく夜闇色を、誰も認識できない。

 通りを行き交う酔客も帰路の勤め人も、客を探す商売女も、就寝前に窓から夜空を眺める少年も、夜の路地裏を徘徊する野良猫すらも。

 神の恩恵も持つ者達の強化された知覚をもってしても、闇に溶けたエミールに気付く者はいない。

 

 迷宮都市を闇色の影が駆け抜けていく。まるで幽霊のように。

 

      ★

 

 ダンジョン内で時間間隔が狂い、夜中に帰還する冒険者もいる。

 そのため、ギルド本部は規模を縮小しつつ夜間も受付を開けていた(流石に換金窓口は閉めてあるが)。

 

 照明が限られた仄暗い地階メインフロア。照明の届かぬ隅の暗がり。淡い非常灯が点る廊下。

 通りの喧騒も分厚い壁や窓ガラスに遮られ、建物内に届かない。不気味なほど静謐な夜の大型建築物は、なんとも不安を誘う雰囲気に満ちている。

 

 そんな夜のギルド本部窓口で、夜番の受付係は1人窓口に座り、来るとも限らない訪問者に備えるわけだ。先輩達に怪談をたらふく聞かされた新人が、びくびくしながら夜番に就く様は季節の風物詩である。

 

 その点、エイナ・チュールは既に慣れたもので、熱い紅茶を嗜みながら小説のページをめくっていた。

 ハーフエルフの眼鏡娘は恋愛小説を読みつつ、主人公がちょっと好みに合わないかな、と思う。

 エイナは草食系の頼りなさそうなタイプが好みだった。ダメ男に引っかかる気質と紙一重かもしれない。

 

 ぎぃ。

 

 金属が擦れるような音が聞こえた気がして、エイナは小説から顔を上げた。周囲を一通り窺い、高い位置に並ぶ窓の辺りも見回すも、特に異常はない。

 

 新人なら不安を覚えるところながら、エイナはさして気にしない。ギルド本部は立派な作りではあるが、古い建物だ。隙間風が差し込むこともあるし、温度や湿度などによって建材が“息をする”こともある。鼠や虫が侵入したこともあった。

 小さく鼻息をつき、エイナは再び小説へ目線を落とす。

 

 エイナは気づかない。

 たった今、夜闇色の影が背後を通り過ぎたことに。

 

        ★

 

 窓やドアは厄介だ。蝶番やサッシが擦れる音は思いのほか響く。

 高所の換気窓から侵入後、瞬間移動で着地。滑るように素早く物陰に潜り込み、きょろきょろと周囲を見回すハーフエルフの眼鏡娘をやり過ごす。

 

 彼女の背後を音もなく通り過ぎながら、エミールは大理石タイルの廊下を進んで事務室へ向かう。もちろん、足音など生じない。

 目的の資料保管室や大図書室の鍵を入手するために。

 

 知覚強化(ダークビジョン)を随時使用し、ドアの先や壁の向こうに人が居ないか、魔導の警備機構の有無を確認する。

 深夜のギルド本部内部は耳が痛くなるほどの静寂に満ちていた。人の気配があるのは事務室の奥、夜番が控える宿直室と警備員室くらい。宿直の夜番職員は仮眠中か休息中。警備員達は集中力に欠いている。案山子の方がマシだ。

 

 一方、魔導による警備機構は、淡々と目を光らせている。

 爬虫類のように熱源を探るもの。鮫のように臭気を探るもの。範囲内の音や動体反応を探るもの。魔力反応を探るもの。ついには恩恵を用いた際に『神の血』の反応を検知するものまで。

 各種機構に捕捉されれば警報が鳴り響き、拘束系魔法が発動して不届き物を捕縛する仕組みだ。

 

 高位恩恵持ちが製作して設置したのだろう、一点物の高性能警備機構。

 恩恵によって発現するスキルやアビリティ、魔法を狙い撃ちにしているシステムだ。様々な神々の多種多様な眷属がうじゃうじゃいるオラリオに特化した警備体制と言えよう。

 

 しかし、そうしたオラリオの、それどころかこの世界の理からも外れた“虚無の力”を使うエミールには全く通用しない。

 エミールは恩恵で強化された身体能力と、これまでに積み重ねた知識と技能、虚無の力という超常を用い、魔導の警備システムを掻い潜っていく。

 壁のわずかな縁や起伏を使い、身体能力で、瞬間移動(ブリンク)で、虚無の手(ファーリーチ)で、警備機構の目を掻い潜り、探知の死角を通り、検知の範囲外を進む。

 一切の音を立てず、一切の痕跡を残さず。まるで幽霊のように。

 

 どうしても避けて通れない場合は麻袋から鼠を取り出し、

「Go hayes」

 鼠に憑依して警備機構を欺瞞して突破。

 

 時間を止めて強引に進んでも良かったが、アレは負担が大きい。虚無の力で召喚する鼠は『殺人鼠』なので、この場合も使えない(うっかり通りかかった警備員が食われたら大事だ)。

 ともかく、蛇のように密やかに、鼬のように素早く、狐のように狡猾に、エミールは深夜のギルド本部を進んでいく。

 

 事務室に侵入してキー・ラックから第一、第二資料保管庫、大図書室の鍵を確保。

 エミールは干し果物を押し固めたフルーツバーを齧り、魔力回復剤で胃袋に流し込む。消耗した魔力と疲弊した精神にキックを入れる。

 

 

 つつがなく第一資料保管室へするりと侵入し、エミールはパウチからメモを取り出す。

 目的の資料が保管されている書架を順に巡り、背嚢へ詰めていく。

 

 続けて第二資料保管室へ移り、機密庫へ。

「――魔法錠か」

 

 登録した使用者の生体魔力に反応して開閉する錠だ。魔導具としても超一級の高級品。登録者以外が開錠を試みれば、即座に警報が鳴り響いて錠前が閉鎖遮断され、壁と床から強力な睡霧(スリープクラウド)が放出。スカタンは捕縛される時まで夢の中、という塩梅。

 

 エミールはパウチと雑嚢を開け、開錠器具を取り出す。

 オルゴールに似た道具へ魔導合金製ワイヤーを装着、ワイヤーの先端を魔法錠へ取り付け、開錠器具のネジをゆっくりと慎重に巻いていく。歯車がカチカチと動き、シリンダー内の魔石が励起して魔力を放出し始める。

 

 なんてことはない。魔石から取り出した魔力を登録者の魔力に欺瞞し、錠の検知機構を騙そうというわけだ。もっとも、理屈は単純でも実作業は中々に繊細で難しい。わずかでも誤れば、錠が不審な魔力と判断して閉鎖遮断してしまう。神経が磨り減るストレスフルな作業だ。

 

 

 真っ暗な資料保管室の中で、エミールが集中力を注いで慎重に開錠作業を進めていた、その時。

 

「やだもう。アンブローズったら」「大丈夫だって。どうせ誰も来やしないさ」

 

 廊下から親密な仲の男女らしい声と足音が近づいてきた。2人の会話と声色から、夜の職場で“ちょっとしたオイタ”に勤しみそうな予感がする。

 

 想定外(イレギュラー)。作戦中、最も聞きたくない言葉。いずれにせよ、戦闘厳禁で接触厳禁。

 来るなよ来るなよこっち来るなよ。エミールは開錠器具を操作しながら祈る。乳繰り合うなら余所でヤれ。

 

 しかし、エミールの願いは叶わない。男女は第二資料保管室の前で足を止めた。

「あら? このドア、鍵が開いてない?」「誰かが閉め忘れたんだろ。よくあるさ」

 しくじった。施錠し直しておくべきだった。エミールは眉間に深い皺を刻む。頼む、そのまま通り過ぎろ。

 

「丁度良い。ここでシよう」「ええ? 嫌よ、ここ埃っぽいもの」「大丈夫。君の制服を汚さないようにするさ、この前みたいにね。なあ、いいだろ?」「もう……仕方ないわね」

 拒否してくれよ。もっと強く拒否してくれよ。清潔な場所でヤれよ。ここは一時中断するしか――

 

 がちゃり。

 

 錠が開く音色は静寂によく響いた。エミールが瞑目した矢先、

「……今何か聞こえなかった?」「――ああ。ちょっと待っていてくれ。見てくる」

 ドアが開けられ、男性の気配と足音が室内に入った。

 

 あーあーあーあーあーあー……

 エミールは声を一切出さずに慨嘆するという妙技を披露しつつ、腰を上げた。

 妨害は実力で排除せねばならない。殺傷は抜きという縛り付きで。

 

 となれば。

 

 エミールは口の中で告げる。

「Haas」

 

      ★

 

 ギルドの女性職員ベントン女史は妙齢の狸人で、警備員のヒューマン男性アンブローズと職場恋愛している。

 2人の関係は今まさに蜜月期の最中で、暇と機会さえあれば所かまわずイチャついていた。夜番のシフト合わせることもその一環。幾度か夜の職場でスリルと背徳感を楽しんでいる。

 

 この夜も“ちょっとしたオイタ”を楽しむはずだった。

 

 ベントン女史は保管室へ入ったアンブローズが戻ってこないことに訝る。そもそも保管庫に入ったアンブローズは照明を点けないままだった。些かの不安を覚え、ちょっぴり怖がりながらも、ベントン女史は恋人を追って保管室に足を踏み入れた。

 

「……アンブローズ? 私を怖がらせるための悪戯なら、御仕置するからね?」

 真っ暗な室内へ呼びかけるも返事はない。ベントン女史の心が波立つ。不安が増す。恐れが強まる。怯えが沸き上がって来た。尻から伸びる太い尻尾も心情を表すように萎れ気味だ。

 

「ねえ、アンブローズ? いるんでしょう? 返事をして」

 闇はベントン女史の声を飲み込み、怖いほどの静寂を返すだけ。恋人の返事は無く、気配も全く感じられない。

 

 本格的に怖くなってきたベントン女史は、両手を胸元で握りしめ、照明のスイッチがある場所へおずおずと進んでいき、

「――っ!?」

 

 照明スイッチ傍の床に倒れているアンブローズを見つけ、悲鳴を上げかけた矢先。

「――あ」

 ベントン女史は“何か”を見た。いや精確には視認していない。だが、知覚していると脳神経系は判断し、精神も反応していた。

 

 それは光でも闇でも無く―――

 ベントン女史の意識はそこで途絶えた。

 

 

 

 メズマライズ。

“虚無”の断片を現界させ、対象を一時的に心神喪失状態へ落とし込む超常の技。

 

 以前、アスラーグが被験したところ、体験中の記憶は皆無ながら『美しい、とても美しい恐怖を味わった気がする』と漠然とした感想をこぼしている。

 エミールは狸人女性職員とヒューマン男性警備員を虚無の断片で精神的に拘束。呆然自失状態のところを閉め落とし、出入り口傍に並べておいた。

 

 開いた機密庫へ侵入。重要書類を奪取。速やかに錠をかけ直し、第二資料保管庫の鍵は男性に握らせておく。意識が戻った時、状況解釈で勝手に記憶を補完するだろう。

 エミールは性悪な猫のように無音でギルド本部内を進んでいく。

 

 後は大図書室だけだ。

 

       ★

 

 ギルド本部の最奥、地下に職員はおろかギルド長すら立ち入り禁止の区画がある。

 

 大祈禱場。

 老大神ウラノスがダンジョンからモンスター達が地上へ湧き出さぬよう、この仄暗い祈祷場で日夜祈り続けている。真の意味でこの世界の要とも言える場所。

 

 壁際に並ぶ松明の淡い明かりが不意に揺れ、祭壇前に黒い影が現れた。

 ひょろりと細長い体躯を真っ黒なローブマントで覆い包み、両腕に厳めしい籠手を付けていた。その姿は笑えてくるほど怪しい。

 

 しかし、老大神は奇怪な闖入者を気に留めることなく、瞑目して祈りを捧げ続ける。その重厚で荘厳な雰囲気は巨木、あるいは巨岩を思わせた。

 

 祈祷を続ける老大神へ、奇怪な黒い影は告げる。中性的とも違う不可解な声色で。

「この建物に不届き者が入ったようだ」

 

 老大神の肩がぴくりと揺れた。ウラノスは祈祷を中断し、目を開いて問い質す。

「間違いないのか、フェルズ。ギルドの者ではなく」

 

「警備機構をことごとく突破している。資料保管室の機密庫も開けたようだ。コソ泥にしては相当な手練れだよ。おそらくギルドの者達は盗人が入ったことすら気付くまい」

 愚か者(フェルズ)と呼ばれた黒い影はどこか面白みを込めた声で続ける。

「それだけの腕がありながら、君の首や換金所の大金庫に見向きもしない。足を向けた先は資料保管庫と大図書室書庫だ」

 

「狙いは情報か」ウラノスは眉間に深い皺を刻み「どこの手のものか……」

「さてな。ただ、闇派閥ではないと思う。連中のやり口はもっと派手で迷惑で、下品だ」

 頭を振り、フェルズはどこか好奇心を臭わせる声で言った。

「……接触してみようと思う」

 

 予期せぬ提案に片眉をあげて訝るウラノスへ、

「なに。上手くやるさ。それに、どんな危険な相手でも私なら大丈夫」

 フェルズは自虐的に喉を鳴らす。

「私は“死ねない”からな」

 

       ★

 

 大図書室の書庫で目的の資料や書類、書籍を確保して背嚢に詰めていく。

 大きな背嚢はパンパンに膨らみ、恩恵によって強化された身体能力があってなお、重くかさばる。

 エミールが背嚢を担ぎ直した、その時。

 

 かちゃり。

 

 先ほどの失敗に反省して掛けた、大図書室出入り口の扉の鍵が開く音が聞こえ、密やかに扉が開かれる音が耳朶を打つ。

 

 一晩で二回目の想定外。勘弁してくれ、とエミールは心の中で毒づく。

 再び虚無の断片(メズマライズ)で心神喪失状態に追い込むか。時間操作(ベントタイム)で強引にやり過ごすか。あるいは憑依してしまっても良いかもしれない。

 

 対応を思案しながら、エミールは怪訝そうに眉根を寄せた。

 ―――こいつは、なんだ?

 

 微かに聞こえてくる衣擦れ音や足音がおかしい。足音の間隔――歩幅からして相応の長身だろう。なのに、“軽すぎる”。痩せ型とか隠密移動とかそういう次元ではない。単純に軽いのだ。まるで体から肉を完全に削ぎ落としたような……

 

 エミールは身を低くして書庫から大図書室へ移動。途中、司書の机に資料保管室の鍵を置き、カウンターの陰から闖入者を窺う、も、そこに姿は無い。採光窓から差し込む月光は書架を照らすだけ。

 ―――姿隠し。魔法、スキル、魔導具か? なんであれ、ギルドがこんなのを飼っている情報はなかったぞ。

 

 ただでさえ、想定外なのに、想定外が重ねられることは好ましくない。

 知覚強化(ダークビジョン)を使用し、エミールは姿なき脅威を確認する。

 

 書架の陰に、頭のてっぺんから爪先までローブマントで覆うひょろりした黒づくめが居た。その佇まいはギルドに憑いた地縛霊を思わせる。装いのため性別は不明。両手の厳めしい籠手は戦闘装具だろうか。

 書架の陰から書庫の出入り口を窺う様は、こちらの存在を把握しており、姿を見せる時を待っているようだ。

 

 ――侵入がバレてのことか? それとも俺の素性を知っていて、か?

 フードの奥でエミールの双眸が細められ、深青色の瞳が氷より冷たくなった。

 前者の場合はともかく、後者の場合は大問題で“確認”が必要だった。そして、エミール・グリストルという人間はより悪い状況を前提に思考する。

 奴を捕らえて、情報を引きずりだそう。ただし、ギルド本部内で荒事は不味い。撤収して人気の無い辺りまで誘い出し、

 

 

 

 狩る。

 




Tips

ベントンとアンブローズ。
Dishonoredのマイナーキャラクター。
原作ではDrガルバニの屋敷にいるメイドと衛兵で、両者は婚約している。

本作ではベントン女史はギルド職員で狸人女性。アンブローズはヒューマンの男性警備員。
両者は恋人同士でバカップル。


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12+:トライアル・リザルト

 賢者は歴史や書から学び、愚者は己が体験で学ぶ。と言うが、やはり自分は愚かだな。度し難いほどに。

 

 フェルズはそう自嘲的に忍び笑う。実際、笑うしかなかった。

 人気の乏しい裏路地にまんまと誘い込まれ、高所から夜闇色の影がこちらを見下ろしている。

 

 透明化魔導具を使用しているというのに、“自分を精確に睥睨している”。

加えて、その姿を精確に認識できない。魔力を感じないから、魔法や魔導具の類ではなさそうだ。スキルか、それとも未知の手段か。

 

 こちらを見下ろす影。その茫洋とした輪郭の中で、顔を隠す面布――紅い塗料で描かれた髑髏の口元だけがやけに印象的だった。

 

 友好的な雰囲気ではない。おそらく二言三言交わした後は荒事になる、そんな予感が拭えない。

 

 フェルズはレベル4の魔導師だ。近接戦は本職ではない。両手の籠手や魔導具を用いればそれなりに戦えるが……相手は防具を一切まとっていない――高速機動戦闘を得意とする軽戦士かそれに属する類。相性が悪すぎる。

 

 これは一時撤退が吉か。フェルズが此度の接触を諦めかけた矢先。

 

「貴様、何者だ。姿を見せて答えろ」

 紅色髑髏が問うてきた。

 

「ただの愚か者さ。そう名乗ってもいる。フェルズ、と」

 フェルズは魔導具”リバース・ヴェール”を操作して透明化を解除。姿を現して問い返す。尋ねてきたのは向こうが先。少なくともコミュニケーションを図る意思はある。

「そちらは?」

 

 紅色髑髏は回答する代わりに右腰から何かを取り出し、手のひらでくるりと回した。“何か”は瞬時に展開し、小剣へ姿を変える。

 

 いきなり物騒な展開に変わったことより、髑髏の覆面と折り畳み式小剣、その組み合わせにフェルズの意識が注がれる。記憶にある一人の凶徒と重なった。

 

「髑髏の覆面と折り畳み式小剣。以前、この街には君に似た装備を持つ者がいた。奇怪な髑髏の仮面をつけ、折り畳み式小剣を用い、魔法ともスキルとも定かでない異能を使っていた。君はその者の関係者か?」

 

 フェルズの問いに、紅色髑髏は切っ先を向けてきて機械のように告げる。

「貴様は何者だ」

 

「君は会話が苦手なのかね?」

 フェルズが持ち前のユーモアを披露した、次の瞬間。

 

 ―――は?

 

 フェルズは冷たい石畳に組み伏せられ、刃を首元に突きつけられていた。全く知覚できなかった。予備動作が全くなく、予兆も無かった。はっきり言って何が起きたのか分からない。

 

 もっとも、困惑しているのは紅色髑髏も同じだった。捻り上げたフェルズの右腕を掴み、困惑している。

 当然の反応だな、とフェルズは組み伏せられながら自嘲的に思う。

 

「貴様は――なんだ?」

 紅色髑髏は小剣の切っ先でフェルズのフードをめくる。

 

 街灯と月光に照らされたフェルズの横顔は、真っ白な頭蓋骨だった。

 

「言ったろう。愚か者さ。無知と愚昧ゆえに死ぬことも出来なくなった、愚か者だよ」

 

 そうフェルズは人間ではない。800年を生きる不死者だ。かつて人類最高の英知と讃えられた賢者であり、不死の秘法を実現した唯一の人物。ただし、その不死のあり方は体から肉を失い、骨だけになっても死ぬことが出来ない、という無惨なものだった。

 

 フェルズは一瞬だけ籠手“魔砲手”――無詠唱攻撃可能な魔導具――の使用を考えるが、止める。骨だけに成り果ててもフェルズは文明人だった。言葉による相互理解を尊ぶ。

 何より、抵抗したところで近接戦では勝てる気がしない。

 

「君を追ってきたのは、金庫の中身ではなく資料を狙ったことが気になったからだ。その理由を知りたいだけで、君を捕縛する気はない。出来る気もしないがね。さて、このように骨だけの身ではあるが、問題なく言葉を交わせる。どうだろう?」

 

 フェルズの提案に対し、紅色髑髏は無言で小剣を下げ、油断なく数歩ほど離れる。

 

 どうやら彼も文明人のようだ。

 フェルズは身を起こし、ぽんぽんとローブを払って汚れを落とす。それから、フードを被り直して紅色髑髏へ再び名乗る。今度はもう少し踏み込んで。

 

「改めて名乗ろう。私はフェルズ。ギルドの主神ウラノスに与し、あれこれと活動しているものだ」

「……」紅色髑髏は無言でフードの奥からじっとフェルズを窺うのみ。

「こちらは名乗ったんだがね……」

 小さく頭を振りつつ、フェルズは紅色髑髏を推し量る。

 

 髑髏の覆面。折り畳み式小剣。それに先ほどの瞬間的な移動。やはり共通点が多すぎる。反応を引き出すために、カマをかけてみよう。

 かつての髑髏の異能者は問答無用でフェルズを殺しにかかった――殺せないと分かったら“破壊”を試みてきた――が。

 

「髑髏の異能者も君も……まったく“虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)”は気難しいな」

 反応は薄い。紅色髑髏は微動にしない。が、目深に被ったフードの奥から向けられる視線に揺れがあった。

 

「――貴様、何を知ってる」

 

 当たった。紅色髑髏の警戒心は強くなったが、こちらへの関心も深くなった。

 フェルズは自身の推測が正しかったことに喜びつつ、同時に藪を突いて蛇どころか竜に出くわしてしまったことを理解する。まさか本当に”虚無を歩く者”とは。これは大問題だ。

 

「詳しいことは知らない。しかし、800余年も死なずにいれば、いろいろ見聞きする」

「800……」

 静かな驚嘆が返って来た。その毒気を抜かれた声色に、フェルズの勘所が働く。ここが交渉の勝負どころだと。

「改めて互いの立場や目的について話し合う機会を設けられないか? 君がギルドを敵としていないなら、可能だと思う。どうだ?」

 

 紅色髑髏はフェルズを見据えながら、しばし沈思黙考した後。

「……一週間後。場所はダンジョン10階層。夜」

 

 一週間。盗み出した情報を分析して精査する時間を見込んだか。こちらも準備の時間を設けられるな。フェルズは首肯した。

「了解した。しかし、あの階層は霧に満ちている。互いを見つけるのに苦労しそうだな」

「お前は来れば良い。こちらが見つける」

 フェルズが軽口を叩くも、紅色髑髏は淡白に応じるだけ。

 

「分かった。それで、君のことを何と呼べば――」

 不意に路肩の側溝から鼠が現れ、フェルズの意識が一瞬だけ逸れた。

 

 ふっ、と紅色髑髏が跡形もなく消え去っていた。痕跡も何も残さずに。

 

 可能なら拠点まで突き止めたかったのだが……

「いろんな意味で手強いな」

 フェルズはぼやき、透明化魔導具“リバース・ヴェール”を用い、その身を透明化させ、路地裏から去っていく。

 

 残された鼠は鼻をひくひくさせ、側溝の中へ帰っていった。

 

        ★

 

 深夜未明。廃教会傍の借家。そのダイニングにて。

愚か者(フェルズ)、ね」

 アスラーグはカップへ熱い紅茶を注ぎ、無事に帰還したエミールへ差し出す。

 

「心当たりがあるのか?」

 紅茶を受け取ったエミールが問い返せば、

 

「魔法大国アルテナの賢者。『賢者の石』の製造に成功した唯一の魔導師よ。ただし、その後、忽然と歴史の闇に消え、その名も語り継がれなくなったわ。まさか不死者となっていた、というオチは想定外だけれどね」

 首肯し、アスラーグは嫌みを込めて喉を鳴らす。

「それにしても、虚無についても知っているとは。他分野であっても超一流の研究者は見識が豊かね。それとも、800年余も生きていれば、ということかしら」

 

「さあな」

 エミールは熱い紅茶で一息つける。

 想定外がいくつも重なった単独潜入から帰還したばかり。疲労した心身に紅茶の熱と風味が染み渡っていく。

 

「……勝手に会見の機会を設けてしまった。済まない」

 カップを両手で包むように持ちながら、エミールはうっそりと詫びた。

 

「たしかに問題だけれど、状況を考えたら止むを得ないわ」

 アスラーグは背もたれに体を預け、テーブルに置かれた満杯の背嚢を一瞥する。

「情報収集の面で言えば、好機かもしれない。でも、ギルドが敵か味方か分からない現段階で、こちらの素性は明かせないわ。盗まれた資料類からこちらの目的や素性を推測してくるだろうから、適当に話を合わせて情報と向こうの姿勢を探りましょう」

 

 アスラーグの見解に首肯しつつ、エミールは冗談めかして問う。

「窃盗の賠償と資料の返却を求められたら?」

 

「そういう筋で何かしら要求してくるでしょうね。それも適当にあしらって良い」

 冗談に真顔で返し、アスラーグは青紫色の瞳に冷たさを湛えて続ける。

「愚者は貴方を追跡できず、こちらは向こうを追える。会見後に尾行し、拠点を押さえてしまえば、いくらでも対応が取れる」

 

「向こうは不死だと言っていたが?」とエミールが問いを重ねる。

 

 魔女染みた冷笑を浮かべ、アスラーグは傲然と返した。

「不死だから何? バラバラにしてダンジョンへ分散投棄してしまえば良い。それでも復活できるというなら、別に手段を考えるだけよ」

 

 怖い女だ、とエミールは思う。むろん、口に出したりしなかった。

 アスラーグは不意に柔らかく微笑み、エミールの肩を優しく揉む。

「体を休めなさい。資料の精査と分析はこちらでやっておくわ。今夜は御苦労様」

 

       ★

 

 エミールとアスラーグがデブリーフィングを行っている頃、ギルドの最奥でもデブリーフィングが行われていた。

 

「よりによって“虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)”とはな」

 ウラノスは瞑目して唸りながら言った。

「初めて耳にした時は、フィアナ同様に子ら(人間)の妄想だと思っていた。我ら全知全能の超越存在が知覚できぬ存在などあり得ないと」

 

「だが、実在した」フェルズは小さく肩を竦め「この場合も世界は広いというべきか」

 

 冗談を好まないウラノスは、厳めしい顔に似合いの重い声色で言葉を紡ぐ。

「今、オラリオもダンジョンも非常に不安定だ。袋に詰めた蛇のように様々な事象と思惑が絡み合っている。そこへ虚無を歩く者が加われば、いかなる事態になるか」

 

 フェルズもウラノスの懸念は理解している。暗黒期に現れた虚無を歩く者――髑髏の異能者は暗黒期の惨状をひたすら荒らし続けた。彼の凶徒が居なければ、犠牲者の数は大きく違っただろう。

 それでも、フェルズは前向きな可能性を口にした。

「確かに強烈な不安要素ではある。しかし、協力し合えるなら実に頼もしい」

 

「髑髏の異能者と同様に神々とその眷属の抹殺を目的としているかもしれん」

 対して、ウラノスが悲観的な可能性を返す。

 

「それが目的なら、今、君はここで私と話をしていないだろう」

 フェルズの指摘は一抹の真実だった。

 紅色髑髏はいとも容易くギルド内へ侵入した。その気があれば大祈祷場まで足を運び、ウラノスの首を獲っただろう。

 

 ウラノスもその事実を認めざるを得ない。重々しく鼻息をつき、告げる。

「……明後日の会見。その場で奴の目的を明らかにせよ。そのうえで、オラリオの、いや世界の脅威となるならば」

 

「どうする? 私では勝負にもならない。またぞろヘルメスの眷属を用いるか? 彼らでは相手にならないと思うぞ。髑髏の異能者と同じく時と空間の魔法を使うようだし、第一級冒険者でも勝てるかどうか」

 フェルズがウラノスの言葉を遮る。紅色髑髏が髑髏の異能者並みの戦闘力を有しているなら、ロキ・ファミリアかフレイヤ・ファミリア並みの戦力でなければ、犠牲者を生むだけだ。

 ロキ、フレイヤの二大派閥とて無傷で済むとは思えない。なんせ敵は時と空間を操るのだから。

 

 しかし、ウラノスの見解は違った。

「地上の子らで勝てぬなら、“地底の子ら”に協力を求めるしかあるまい」

 

「それは――」

 フェルズは大きく慨嘆する。

「会見を成功させることが一番ということか」

 

      ★

 

 迷宮都市オラリオは都市国家の体裁を取っているが、実態は無政府都市であり、

 

 無法都市だ。

 

 司法でも律法でもなく、神々とその眷属の道理や理屈で回る。技術や文化の水準は高くとも、その統治構造は酷く稚拙な都市なのだ。

 まあ、これはオラリオに限らない。

 神の時代を悲観的に表現するなら、人間が超越存在の横暴に苦しめられても泣き寝入りするしかないディストピア、と言えるのだから。

 立憲君主議会制国家で法治国家である諸島帝国の方が、むしろ異質な少数派だろう。

 

 ともかく、行政も法も無い都市のスラムともなれば、そりゃもう酷いものだ。

 

 事実、迷宮都市のスラムは無秩序な混沌そのものだった。住民の身勝手な建築と改築が幾重幾層にも連なり、グロテスクな立体迷宮と化している。廃虚や瓦礫も多く、道はゴミに塗れ、排水溝は汚物が詰まって久しい。死体も転がっていたりする。悪臭と汚臭に満ちたその姿はまさに掃き溜めそのもの。

 

 当然ながら、そんな掃き溜めに住む連中も大概だった。

 行き場の無い貧乏人。親に棄てられた浮浪児。日の当たるところから転落したロクデナシ。“普通”に生きられない社会不適合者。何もかも嫌になった乞食。悪さをして逃げ込んだ犯罪者。廃人一直線なアルコール中毒者に薬物中毒者。バカアホマヌケにカスゲスクズ。

 こんな奴らが住んでいて、治安が良いわけもなく。都市衛兵を気取るガネーシャ・ファミリアでさえ、ここにはそうそう足を踏み入れない。

 

 まさに無法都市の中でも最悪の無法地帯。“世界の中心”オラリオの掃き溜め。

 その名は広域住居区『ダイダロス通り』。

 

 

 

 

 戦鎚を振るうその姿は悪鬼か野獣(ケダモノ)か。

 

 ペストマスクに似た鳥面の覆面を被った上半身裸の大男トーマスは、フシューフシューと嘴の中で息を荒げながら、エグい形状の戦鎚をハーフドワーフ男性の頭へ振り下ろす。

 不気味な破砕音と共にハーフドワーフ男性の頭部がぺしゃんこに潰れ、圧潰した頭蓋から血液混じりの脳漿などをまき散らしつつ、命が消失した肉体が崩れ落ちる。

 

「ひぃ、あ―――っ!?」

 ナイフを握る小人族の男が踵を返して逃げようとするも、鳥面大男が返す刀で振るう横薙ぎの一打に捉えられた。

 

 交通事故のような激突音が響き、小人族の男が宙を舞う。小さな体が汚れた石畳の上に血痕を残しながら跳ね転がっていく。運動エネルギーが尽きて止まった頃には、小人族の男は体中が捻じれ、歪み、曲がり、潰れ、二度と動かなかった。

 

 かたや視線を移せば、朱色を基調にしたエキゾチックな装いのエルフ美女エリノールが、棘付鉄球棍(フレイル)を舞うように振るい、ガラの悪いヒューマン男性を滅多打ちにしていた。

 鉄球が走る度、肉が潰れ、骨が割れる音が響き、鮮血が踊って、ヒューマン男性の悲鳴が上がる。それでいて、舞うように鉄球を振るうエリノールは返り血一滴浴びることがなく、鉄球が血飛沫を曳いて踊る様は、一種の美すら見いだせた。

 もっとも、ヒューマン男性はそれどころではない。棘付鉄球が駆ける度、体を削がれ、肉を潰され、骨を砕かれているのだから。

「も、ももぅ、もっも、やめ、やっめ」

 ヒューマン男性の哀願が唐突に絶えた。鉄球が深々と顔面に埋まり、命までも潰し砕いたから。

 

 好天の下、快い日差しが降り注ぐ昼下がり。

 出来立て死体達から流れる鮮血が、ゴミと汚物に汚れる石畳を赤々と染めていく。

 

「久しぶりに帰ってきたと思ったら、早々に通りを汚すんじゃあないよ」

 ふらりと老婆が姿を現し、凄惨な殺人現場に足を踏み入れた。

 

「こいつらがいきなり強盗(タタキ)を仕掛けきたんですよ、ぺニア様」

 エリノールは息を整えながら鉄球棍を振るって血を払い、懐から小袋を取り出して老婆へ放った。

「後始末は任せます」

 

「神を掃除屋扱いするんじゃあない。罰を当てるよ、エリノール嬢ちゃん」

 貧窮を司る女神ペニアはダイダロス通りを縄張りにしている。

 

 といっても、貧乏神の眷属になりたがる者はいないため、ファミリアは率いていない。

 ただ、ペニアが縄張りにしている辺りでは、貧乏神の神威を嫌厭してギャングやロクデナシがあまり近づかないため、比較的安全だった。それにペニアは金持ちから銭を毟っては気前よく貧乏人に分け与えるため、住民達からは敬意を払われている。

 

「近いうちに御仕事を依頼するかもしれません。その時はお願いします」

 エリノールはペニアの小言を無視して一方的に告げ、『いくよ』と鳥面大男トーマスを連れて去っていった。

 

「久方振りに顔を合わせたってのに、相変わらず可愛げのない嬢ちゃんだ」

 ペニアは鼻息をついて死体を一瞥し、右手を上げてくるくると回す。

 

 すると、通りの物陰から乞食や浮浪児が鼠のように現れ、出来立てほやほやの死体に群がり、装備や所持品、血塗れの着衣まで奪い取っていき、果ては死体さえ持ち去られた。死体がどう扱われるのかは……女神ペニアも関知したくない。

 

「やれやれ。オラリオは底辺すら豊か過ぎる……と思っちゃあいるが、人心の方は随分と貧しくなってきたもんだ」

 ペニアは威風堂々と建つバベルの巨塔を見上げ、嘲罵を込めて鼻を鳴らす。

 

 この箱庭で遊び惚けている馬鹿共や、この世界のあちこちで好き勝手している阿呆共は、分かっているのだろうか。

 

 人間はじきにモンスターを見るような眼で、神々を見るようになるだろうことを。

 暗黒期以来、オラリオで神々を冷たい目で見る人間がどれほど増えたことか。

 

 特にド低能な愚神エレボスが起こした『大抗争』。三万余のオラリオ住民が死に、その数倍の住民が都市内難民となった。あのクソバカがやらかして以降、オラリオ内では静かに、だが確実に『反神思想』が広がっている。

 

 そりゃそうだ。神々の身勝手な理屈で大切な人を奪われ、生活を壊され、夢や希望を踏み躙られ、人生を砕かれた。こんな仕打ちを受けてなお神々を尊崇し畏敬するほど、人間という生き物は信仰心が篤くないし、か弱くない。

 

 ペニアは目線を下げ、街角に書かれた落書きを一瞥する。

 

『Skull will Come Again』

 髑髏はいつか帰ってくる。

 

 新しき言葉と髑髏のマーク。かつてこの街で跳梁した髑髏の異能者。この掃き溜めにはあの凶徒を讃える者達が少なくなく、再来を願う者もまた少なくない。

 神とその眷属達を憎み、恨む者達。それに――ペニアの脳裏に先ほど顔を合わせたエルフ娘がよぎる。

 神ではない何かを尊崇する者達。

 

 ペニアはギルド本部地下の老大神を思い浮かべ、

「穴っぽこばかり見てるうちに、土台を崩されちまうかもね」

 寒々しく嘯き、血の臭いが漂う街角を去っていった。

 



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小話1:リリルカ・アーデ、冒険者への道。駆け出し編。

(11/6)加筆修正しました。


「アスラーグ様は今日もお休みですか?」

「ああ。魔導書を渡したのは失敗だったよ」

 

 案じる顔つきのリリルカに、エミールはさらりとカバーストーリーを語った。

 ここ数日、フェルズとの会見に備えて情報分析中のアスラーグは借家にこもっている。もちろん、そのまま事実を口にするわけにはいかないので、『買い出しついでに購入した魔導書を与えたら、眠っていた研究者気質の火が点いて家から出てこない』という話をでっち上げたのだ。

 

「そんなわけで今日も18階までのどこかをうろちょろして稼ごう」

「分かりました」

 リリルカはカバーストーリーを特に疑っていない。アスラーグならあり得る、と思っているようだ。完全に癖の強い変わり者扱いである。

「ところで、今日もリリが倒した分はリリの報酬で良いんですか?」

 

「構わないぞ」

 エミールの了承にリリルカはちょっぴり嬉しげ。

 

 というのも、アスラーグが諸島帝国製のクロスボウを買い与えていたからだ。

 

 ※   ※   ※

 エミールの使用しているリバースドロー式と異なるそれは、とある王室護衛官が愛用していたモデルと同じだ。ベーシックモデルを購入したところ、エミールが「ちょっと弄らせてくれ」と“自費”で改造。稼ぎをブッコみ『ディーラー』と呼ばれるマスターグレードモデルと同然になっていた(その総額は数十万ヴァリスだ。アホかと)。

 

 ぶっちゃけ、恩恵レベル1の非力な小人族の少女には、扱い辛い有様になってしまった。

 それでも、リリルカは文句一つ言わず、それどころか恐縮しつつもエミールの厚意を頂戴した。

 

 じつのところ、エミールがガシャコンガシャコンとクロスボウを連射し、モンスターを次々と撃ち倒す様に、リリルカは憧れていた。

 

 リリルカ・アーデは冒険者が大嫌いだ。しかし、その嫌悪は自身が冒険者になれずサポーターにならざるを得なかった悔しさや悲しさ、嫉妬などに起因しており、冒険者への羨望や憧憬の裏返しでもある。

 小人族という種族と性別的身体条件と自身のスキルなどから、ダンビラを担いでチャンバラは出来ない。しかし、あのクロスボウを使えばドンパチは出来る。

 エミールが証明したのだ。あのクロスボウを使えば、リリルカも戦えると。アスラーグが言っていたのだ。恩恵に頼らない強さもあると。

 

 冒険者のように、自分も戦うことが出来ると。

 

 使い勝手が厳しい? 扱いが難しい? だからなんだっ! それくらい根性と技術で補ってみせるっ!

 リリルカはマジだった。

 アスラーグから諸島帝国製のクロスボウを贈られた日の夜、安宿の部屋で1人クロスボウを構えて、ガンマンごっこするくらいに。

 

 なお、クロスボウの新調に合わせ、装備も変更になった。

 リリルカ・アーデと言えば、タイトな白いローブコートだが、そのローブコートの上にハーネスと装具ベルトを着け、右腰にクロスボウを、左腰に弾薬パウチ、後ろ腰に汎用トラッカーナイフを下げおり、弾薬パウチにはボーンチャームが飾られている。

 

 得物と装備を一新したリリルカを見て、エミールは頷く。

「これでアーデ嬢もモンスターを狩れるな」

 

 エミールの何気ない言葉に、リリルカは目頭が熱くなった。

 ※   ※   ※

 

 というわけで。

 アスラーグがおらず稼げる中層に進出を控えている今、ダンジョン潜りはもっぱらリリルカの射撃訓練(と小銭稼ぎ)が中心となっていた。

 

 15階層。

 頭上に14階層へ通じる大穴がぽっかりと開く空間。そのごつごつとした岩肌の影に身を潜め、リリルカは精緻な機構を持つクロスボウを構えていた。

 

 小柄なリリルカは両手で銃把を握り、眼下の通路へクロスボウを向けている。

 その隣に座って岩にもたれかかりながら、エミールが言った。

「腕だけで抑え込もうとするな。足腰でしっかり体幹を支え、体全体を使って反動を制御しろ。もしくは反動を計算に入れて狙いをつけろ」

 

「はいっ!」

 リリルカは岩陰からクロスボウを両手で構え持ち、水晶レンズの照準器を覗き込む。20メートルほど先の二足歩行一角兎(アルミラージ)達へ狙いを定める。

 

「呼吸と心臓の鼓動で人間の身体は完全に制止することができない。が、深呼吸してゆっくり息を吐いている間は、体の揺れが鎮まる。自分に最適な射撃の“間”を見極めろ」

 エミールの指示通り、リリルカは深呼吸し――――引き金を搾るように引いた。

 

 弦が開放され、弓が展張。発射の強烈な反動でクロスボウが暴れる。巨大な運動エネルギーを与えられた矢弾が猛々しく駆けていく。

 風切り音を曳いて疾駆した矢弾は、狙っていた胴体の中心ではなく、アルミラージの右肩口に当たり、肩の付け根から右腕を千切り飛ばした。狙いは外れたものの、肉体損傷の凄まじさと出血で被弾したアルミラージが死亡。

 

「命中」とエミールが淡白に着弾評価を口にする。

 

 やったっ!

 リリルカが喜ぶ中、クロスボウが組み込まれた半自動機構を駆動させた。ガシャリと弓部分が180度と回転しつつ弦が引かれ、ボルトトラックから次弾が装填される。

 

 仲間の唐突な、それも無残な死を前にし、他の一角兎達が慌てふためいている。

 

「まだこちらに気付いてないな。続けて狙え。選定は任せる」

 エミールが淡白に告げ、

「はいっ!」

 リリルカは再びクロスボウを構えた。照準器の先でアルミラージ達が怒り狂っている。仲間を無惨に殺され、激怒している。愛らしい一角兎達が手斧を握りしめて怒号を上げている。

 

 だが、まだこちらの場所に気付いていない。リリルカは再び狙いを定め、引き金を引く。

 放たれた矢弾は鋭い風切り音を引きながら疾走。狙ったアルミラージの腹を貫通し、硬い地面に突き刺さる。

 

 悲鳴を上げて倒れるアルミラージ。他のアルミラージ達がリリルカの狙撃場所に気付き、怒号を上げながら駆けてくる。兎特有の俊敏さは20メートルなど瞬く間に詰めてくるだろう。

 

 迫りくるモンスター達と自身へ向けられる熱い殺意に、リリルカの心胆が竦み上る。だが、

「慌てるな。もう一匹仕留めるくらいの余裕があるぞ。狙え」

 エミールは淡々と言った。

 

「は、はいっ!」

 リリルカはクロスボウを構え、迫りくるアルミラージ達へ狙いを定める。が、心臓の鼓動が早く大きく、呼吸が浅く早くなっているせいか、体の震えが大きくなって上手く狙えない。

 

 アルミラージ達が迫る。

 

 相対距離15M。

 

 14M。

 

 13M。

 

 12M。

 

 11M。

 

 10M。

 

 9M。

 

 8M。

 

 口から洩れる唾液や疾駆で揺れる体毛まではっきりと見え、殺意に染まった紅眼と視線が交差した。

 リリルカは恐怖に負け、照準が甘いまま引き金を引く。が、狼狽えた心が乗り移ったように、矢弾は至近距離にもかかわらず外れてしまう。

 

 手斧を振り上げたアルミラージ達が迫り、「ひっ」リリルカが思わず悲鳴を漏らした刹那。

 

 瞬きした後には、肉薄していたアルミラージが切り捨てられ、その死骸達の真ん中でエミールが鮪切包丁モドキを振るい、血脂を払っていた。

 

 唖然としているリリルカの許へ歩み寄り、エミールは無情動に告げる。

「呼吸と心臓の鼓動は精神状態の影響が反映され易い。射撃の精度に大きな狂いをもたらす。射手は脅威に晒された時こそ、心身に冷静さが求められる。よく覚えておくように」

 

「はい、エミール様……申し訳ありません……」

 しょんぼりと俯くリリルカに、エミールが小さな頭を掴んで揺さぶる。

 

「わわわっ!? なななんですかなんですかっ!?」

「そう気を落とすな。こればかりは慣れるしかない。射手は恩恵のステータスではなく、放った矢弾の数と踏んだ場数、重ねた失敗の数で成長する」

 エミールは片刃直刀を収めながら続ける。

「さっさと魔石を回収しよう。アーデ嬢が仕留めたモンスターの魔石をな」

 

「―――はいっ!」

 リリルカはあっという間に立ち直り、クロスボウを右腰に下げ、後ろ腰からトラッカーナイフを抜いた。

 

       ★

 

「良い射手は良い観察者でなければならない」

 エミールはサンドウィッチを齧りながら言った。

「獲物だけでなく、周囲もよく観察しろ。最良の射点はどこか。最善の射線はどこか。狙うべき部位はどこか。獲物や味方の動きを観察して予測しろ。慣れれば、未来位置を予測できる」

 

「難しいです」とリリルカもサンドウィッチをハムハムと食べながら応じる。

 

「戦場を俯瞰的に観察することはサポーターの経験を活かせると思う。サポーターは戦闘時に後方で控える。つまり戦場を外から眺められるからな」

「サポーターの経験を……」

 エミールの指摘に、リリルカはサンドウィッチを握ったまま考え込む。

 

「アーデ嬢。道具も知識も使い方次第だ。頭を使え。知恵を絞れ。知識と経験を活かし、常に考えろ。恩恵は肉体を強化するが、人間を賢くしない」

 サンドウィッチの残りを口に押し込み、エミールは水筒を傾けて胃袋に流し込む。

「本格的に射手として活躍したいなら、いろいろ学びを修める必要があるけどな」

 

「? なんで射撃に学問が要るんですか?」

 目を瞬かせるリリルカへ、エミールはしみじみと答える。

「射撃は学問だからだ、アーデ嬢」

 

「? ? ?」

 リリルカは小首を傾げるばかり。

 

         ★

 

 夕刻時。エミールとリリルカは“狩り”を終えてダンジョンから出た。

 

 リリルカ・アーデは目端が利く。周りもよく見える。

 

 だから、気付いている。

 エミール達と一緒にダンジョンへ潜るようになって以来、長年くすぶっている低位冒険者や鬱屈を溜め込んでいる同業者(サポーター)の向けてくるギラギラした目に。

 

 妬み。嫉み。僻み。害意を含んだ悋気。エミール達から厚遇されるリリルカへ反感と敵意を剥きだしていた。

 特に、新調した(高価な)クロスボウ一式を下げるようになってから、自身へ向けられる悪意的な眼差しはかなり強い。

 

 リリルカは周囲の熱い眼差しから顔を隠すように、フードの端を引っ張る。彼らのネガティブな心情は理解できる。が、だからといって、この居場所を譲ってやる気などさらさら無い。

 冒険者業界の底辺は弱肉強食。サポーターとて強くあらねばならないのだ。

 

「ま、良くある話だな」とエミール。

 

 これまでの荒事商売でも、エミール達のおこぼれに与ろうとすり寄ってくる、“寄生”目的の手合いはいくらでもいた。上前を掠め取ろうとするハイエナ野郎も珍しくなかった。闇討ちして稼ぎと装備とアスラーグの身体を総取りしようというバカ共もいた(そいつらは虫のエサになったが)。

 

「……ふむ。これは白兵戦の訓練も要るかな」

 ぽつりと口にしたエミールの言葉に、リリルカは困惑を覚える。

「白兵戦? 剣とかの扱いですか? でも、リリは非力な小人族ですし、恩恵も戦闘向きではありません。だからこそサポーターになったんです」

 

「何もチャンバラだけが白兵戦の技じゃないさ。それにな、アーデ嬢。君の恩恵スキルは極めて強力だぞ」

 エミールはにやりと口端を吊り上げる。

「たとえば、そのバッグパック一杯に岩を詰めて高所から投げつけてみろ。当たれば死ぬか大怪我だ」

 

「ええ……」

 薄ら恐ろしい喩えを聞かされ、リリルカが軽く引く。

 

 が、エミールは気にもしない。

「身体的に劣るなら頭を使えばいい。さっきも言ったが、恩恵は人間を賢くしない。知恵の戦いに恩恵は一切反映されない。つまりは同じリングで戦える。賢いアーデ嬢なら良い勝負が出来るはずだ」

 

 エミールはリリルカの小さな頭をわしわしと荒く撫でる。

「ちょっ!? やめてくださいっ! 女の子の髪をぐしゃぐしゃにするとか、許されざる蛮行ですよっ!」

 抗議しながらも、リリルカの表情は明るかった。

 

       ★

 

 エミールと別れた後、リリルカは寝床へ向かう。

 これまでリリルカはドヤ街の安宿を日ごと渡り歩いていた。そうしないとカヌゥのような意地汚いファミリアのクズ共に寝床を襲われ、稼ぎや所持品を強奪されるからだ。

 しかし、先頃のローグタウンでの一件以来、リリルカは“信用できる宿”を定宿にしていた。

 

 リリルカはダイダロス通りの一角へ向かっていく。

 七年前の大抗争で都市内難民となった後、再起できなかった連中が吹き溜まった区画で、貧乏女神ぺニアの縄張りでもあるこの区画は、オラリオでも独特な雰囲気があった。

 たとえば、『Skul Will Come Again』などの新しき言葉の落書きが目立つ。

 

 定宿へ向け、リリルカは尾行や待ち伏せを警戒しながら、迷宮染みたダイダロス通りを歩いていく。ちらちらとこちらを窺う目線や視線からは『隙があれば襲っちまえ』なんて獰猛な気配が伝わってくる。

 

 その一方で、道々には盗品を商う露店や得体のしれない料理を出す屋台も並んでおり、穏やかな活気と賑わいに満ちていた。

 

『おでん』なる極東の煮込み料理を出す屋台の脇を通った時、

「ソーマんトコのチビちゃん。今日も無事に帰ってこられたようだね」

 蓮っ葉な老婆がリリルカへ声を掛けてきた。

 

 貧乏女神ぺニアだ。

「丁度良い。ほれ、お布施していきな」

 

 この蓮っ葉婆は安宿を渡り歩いてこの区画を訪ねたリリルカに声を掛け、ソーマ・ファミリア所属のサポーターと分かると、ぬけぬけとお布施を強請ってきた。以来、顔を合わす度にお布施を強請られている。

 

「ペニア様。何度も言ってますけど、私は一応、ソーマ・ファミリアなんですけど。余所の神様にお布施したら不味いって分かってますよね?」

 リリルカの苦情もどこ吹く風。ペニアはずいっと手を出す。

「文句があるならソーマんトコに帰りな、おチビちゃん。郷に入ればなんちゃらだ。それともこのババアの神威(貧乏ビーム)を食らいたいかい?」

 女神ペニアが司りしは”貧窮”。スラムの住人達に敬われつつも畏れられる理由で、ペニアに眷属が居ない理由。

 

「それだけはホントに勘弁してください」

 リリルカは小さく溜息を吐き、懐から100ヴァリスほど取り出してペニアに渡す。

 

「敬虔なおチビちゃんに幸運があらんことを」

 おざなりな祝詞を口にしつつ、ペニアは受け取った銭をそのまま屋台のオヤジへ渡す。

「オヤジ、この銭でもう一杯」

 

 やれやれ、とリリルカは小さく頭を振り、定宿へ向かった。

 

 リリルカは知らない。

 なんだかんだで、この蓮っ葉婆にお布施をしているからこそ、追剥に遭わないことを。

 

 リリルカは知らない。

 装具に付けられたボーンチャームがこの区画にあるイカレたエルフ娘と鳥面大男の店の商品で、周囲が同店の客と見做して襲わないことを。

 

 リリルカは知らない。

 ローグタウンの一件を逆恨みしたカヌゥ達が自身を探してこの区画に入り、半殺しにされて身包みを剥がされたことを。

 

 ともかくリリルカは区画内を進み、定宿へ入った。

 

 ホテル『ドレーパーズ』

 正面玄関ホールは辛うじて掃除されているが、ホール先の階段から実態――薄汚れた安宿の本性が発揮される。

 

 廊下の壁や天井は漆喰が長年の経年劣化その他でエグい色味に化けており、ところどころ剥げて煉瓦が見え隠れしている。廊下の隅は埃や汚れが堆積固着しており、目地みたくなっていた。

 

 ウナギの寝床みたいな各部屋は大概がボロく、うらぶれている。壁や床も変色していて歩く度にギシギシと軋む。

 なお、いくつかの部屋には天井を通る梁にロープの擦過跡があったり、壁や床にヤッパで斬られたような跡や血痕の染みがあったりするが、気にしてはいけない。

 

 宿泊客というか事実上の”住人”達はチンピラ紛いな冒険者崩れや病み疲れた安淫売、体がボロボロのヤク中にアル中が主で、些細なことで揉め事を起こしては刃傷沙汰に至ったりする。

 

 まさしく場末に相応しい場末の安宿だ。

 それでもまあ、部屋に沐浴用浴室がある安宿は界隈でここくらい。宿泊費を払っている間は部屋に泥棒が入らない宿もここくらい。

 

 借りた部屋に入り、リリルカはドアに鍵と錠を掛けてホッと一息吐く。

 大きな大きなバックパックを降ろし、装備一式を外し、ローブコートを脱ぎ、ブーツも脱ぎ捨て、ベッドへ飛び込む。

 硬いし、シーツも毛布も消毒洗剤の臭いがキツい。まあ、ノミやダニやシラミに塗れた物よりはマシだが。

 

 10分ほどベッドに寝転がってボーッと過ごした後、リリルカは再起動。替えの下着とタオルを持って沐浴用浴室へ。

 ぬるい水に浸かりつつ、乙女の柔肌と髪をしっかり洗い、すっきりしてから脱いだ下着その他を洗って浴室に干した後、リリルカは下着姿のままクロスボウの手入れを始める。

 

『命を預ける道具だ。常に万全の状態を維持しろ』とはエミールの教え。もう一つの教え『目隠しした状態でも分解と組み立てが出来るようになれ』はまだ無理。

 

 リリルカは手入れを終えたクロスボウを構え、「ばんっ!」と小声で呟いた。その顔は明るい。

 

 

 

 ~~オマケ~~~

 

 

 

 ここ数日、アスラーグはキャミソールとホットパンツという簡素な格好で床に座り、時折、手にしたクリップボードにペンを走らせていた。

 周囲の床には大量の書類やファイル、メモ書きが無秩序に散乱している。掲示板代わりにしている壁にも大量のレジュメをピン止めされていた。別の壁に貼られた大きな街区地図や地下水路地図、ダンジョンの各階層地図は山ほど書き込みが加えられている。

 

 そんな部屋の中で分析と解析と思考と思索を重ねるアスラーグは、冒険者というより研究者そのもので、レイピアを振るうより魔法をぶっ放すよりよほど堂に入っていた。まあ、ギラギラと貪婪な光を放つ青紫色の瞳は魔女染みていたけれども。

 

「進捗は?」

 ダンジョンから帰宅したエミールが問うと、アスラーグは書類から顔を上げずに、

「フェルズとの会見は」

 言った。

「貴方一人で行きなさい」



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13:髑髏と髑髏。

繰り返しになりますが、独自設定、独自解釈がございます。


 地上世界は夜を迎えていたが、ダンジョン内は別段変わりない。

 10階層は濃霧に覆われ、白い闇に包まれている。朝晩関係なく。

 

 愚者と名乗る不死の賢者は魔導具“リバース・ヴェール”を操り、透明化を解いて倒木に座った。

「漠然と10階層、と言っても中々に広いのだが……」

 

「そんな心配は無用だ」

 

 背後から声を掛けられ、フェルズは思わず飛び上がって後ずさる。心肺を失って久しいが、動悸と呼吸が速くなったような錯覚を抱く。

「お、驚かせるのはやめてくれ」

 

「驚かせる気は無かった」

 紅色髑髏はそう応じ、倒木の傍らに立つ樹木へ背を預ける。

 

 相変わらず何かしらのスキルか魔導具を用いているらしく、髑髏柄の面布以外が茫洋として知覚し難い。

 厄介な擬装だ、とフェルズは内心でぼやく

 

 フェルズが落ち着きを取り戻すと、

「こちらは名乗る気もないし、目的を話す気もない。取引をする気もない。ただし、こちらに関与しない限り、もしくはこちらの活動を妨げない限り、ギルドやオラリオに害をなす気はない」

 

 紅色髑髏は一方的に語った。

 いや、通告したというべきか。フェルズは強く唸る。表情筋が残っていたら渋面をこさえていただろう。

「その目的とやらが分からないのに、害をなす気が無いと言われてもな」

 

「だろうな」

 紅色髑髏は告げる。

「俺の狙いは闇派閥だ。奴らの首が欲しい」

 

「……復讐かね?」

「好きに想像すれば良い」紅色髑髏はフェルズをじっと見つめ「ギルドや他のファミリアがどう反応しようと、俺は闇派閥の眷属を狩るし、その主神も殺す」

 

「――神殺しをするというのか」

 フェルズの声が上ずる。

 

 神の時代を迎えた今、神殺しは絶対的な禁忌だ。

 

 神の恩恵無くして現在のような“安定”は維持し得ない以上、神々が人間に愛想を尽かして天界に帰ってしまったなら、再び人の時代に“戻ってしまう”。

 ダンジョンから強大なモンスター共が溢れて世界を蹂躙し、荒廃した世界で限られた土地や衣食住を巡り、人間同士で殺し合う地獄が再来してしまう。

 

 つまりは“そこ”なのだ。

 人間が神々の横暴に忍従しなければならない理由は。

 

 ダンジョンの怪物が暴れ回る世より、神々の理不尽や不条理に振り回される世の方がマシ。神々の横暴に耐えて恩恵等の利益を得る方がマシ。

 それが神の時代、人類のコンセンサスだった。

 

 だが、眼前の紅色髑髏は堂々と宣言した。

 神を殺すと。

 

 フェルズは両手を強く握り込み、眼前の凶徒へ問う。

「分かって、いるのか? その罪科の重さを」

 

「罪科、ね」

 紅色髑髏はせせら嗤う。

「人間を害するという点で、邪神悪神やその眷属はモンスターとなんら違わない。7年前の大抗争を招いた腐れ神が良い例だ。あれの有害性はモンスターとどう違う? それとも神は人間をどのように扱っても良いというのか? 人間は神の家畜や奴隷であれと? 人間は神々の玩具としてのみ生かされているとでも?」

 

「神殺しは道義や理屈以前だ。人が神を殺す。その凶行の結果がどんな恐ろしい事態を招くか」

「俺が思うに」紅色髑髏は冷笑するように「仮に俺が神々を数匹殺したところで、神々は天界へ逃げ帰ったりしないだろうよ」

 

「……否定はしない」

 フェルズは溜息をこぼす。

 

 たしかに、オラリオの神々が数柱ほど害されても、恐れを為して天界に逃散することは無いだろう。それどころか、目障りなライバルが減って好き放題できる、と考える神の方が多いはずだ。

 

 もっとも、問題の焦点は別だ。

『人間が神を殺す』という事実。これ自体が大問題なのだ。

 

 オラリオ外に流れた負け犬が野垂れ死にすることと、神々の箱庭で神が人間に殺されることの影響はまったく違う。

 

 愚神エレボスの凶行以来、オラリオには闇派閥とは異なる叛神思想が静かに、だが、確実に根付いている。神の気まぐれな横暴で全てを奪われた人々の憎悪と怨恨が渦巻いている。

 オラリオにおいて神殺しが生じ、それがまかり通ったら……神にとっても人にとっても惨劇が起きるだろう。大惨劇が。

 

 フェルズは真っ直ぐに紅色髑髏を見つめ、

「君の神殺しを見過ごすことはできない。人による神殺しそのものが問題なのだ。君は摂理そのものを破壊することが望みなのか?」

 挑戦するように言葉を編む。

「それに、君が持ち去った資料を鑑みるに、狙いは闇派閥だけではなくソーマ、イシュタル、イケロス、ヘルメスも含まれる。彼の神々とそのファミリアは確かに完全な善神とその眷属とは言えないが、闇派閥の如き邪悪な存在とは言えない。それどこか、デメテルやニョルズは善神というべき存在だ」

 

「誤認だな」

 紅色髑髏は左手を揉みながら淡々と言葉を紡ぎ、

「ソーマは凶悪な中毒症状を発する“毒”をばら撒く害悪だ。イケロスはオラリオ外の密輸に関わっているロクデナシだ。都市外を好きに出入りしているヘルメスや、イシュタルの如き娼神が何をしてるか、お前達は把握してないだろう。俺に言わせれば、奴らは表社会に存在する闇派閥に等しい」

 ふっと息を吐く。

「デメテルとニョルズに関してはそちらの言い分も認めよう。ただし、件の2柱がその扱っている事業内容から無自覚に闇派閥と関わってもおかしくない」

 

 フェルズは大きく肩を上下させ、

「……神殺し以外なら、我々も許容できる。人間が人間を殺すことは、それはそれで問題だが、受け入れられる。復讐も報復も大義が君にあるならば、止めはすまい。しかし、やはり神殺しだけは許容できない。それはオラリオのみならずこの世界の根幹を揺るがしかねない」

 踏み込むように告げた。

「だから神殺しではなく、告発による強制送還に譲ってもらえないだろうか」

 

 その提案に、紅色髑髏はしばし俯いて沈思黙考した。

 

 フェルズは重たい沈黙に骨が軋む思いだった。胃が残っていたなら締め上げられただろう静寂。喉が残っていたなら渇いただろう静謐。

 

 そして、紅色髑髏はゆっくりと顔を上げた。

「……断る。ただの強制送還では報仇雪恨が叶わない。神を称する畜生共の臓腑を抉り、喉笛を掻き切ってのみ、この胸に煮えくり返る怒りが、燃え盛る恨みが、消えることのない憎しみが、癒えぬ悲しみが慰められる。奴らの断末魔のみが俺の魂を鎮める」

 

 フードの奥に潜む双眸が獣のようにぎらつく。その情念の闇深さと熱量の凄まじさに、フェルズは肉を失った背に冷たいものを覚えた。

 

「しかし」

 体を揺らすように深呼吸し、紅色髑髏はフェルズを見る。

「歩み寄りを試みたそちらの誠意に応えよう。俺はあくまで神殺しを諦める気はない。が、そちらがこちらに先駆け、強制送還を行うことを受諾しよう」

 

「君に神殺しをさせぬ方法は、我々が悪神を討つことのみ、か」

 フェルズは大きく唸る。

 

 それはそれで恐ろしく難問だった。

 現状、潜伏した闇派閥を放置状態であり、ギルドも治安当局を担うガネーシャも現状維持以上のことが出来ずにいる。手数も力も足りないために。

 

「この箱庭の管理人面をするなら、その責任を果たせ」

 紅色髑髏は侮蔑すら込めて、フェルズを睨む。

「俺が今この場にいること自体、お前らの無責任さ、無能さが原因だ。お前らがこの汚らわしい箱庭をしっかり管理し、下界した畜生共の手綱を握っていたなら、俺がこの場にいることは無かったし、お前も俺に罵られなかったさ」

 

「誹謗中傷、と言い切れないところが耳に痛いな。耳などとうに腐れ落ちたが」

 フェルズは自嘲気味に呟き、

「君の見解は分かった。そのうえで取引を申し出たい」

「取引などしない、と言ったはずだが?」

「そちらにとっても無関係ではない」

 訝る紅色髑髏へ切り出す。

 

「今、ダンジョンで不可解な動きが起きている。闇派閥が暗躍をしている可能性が高い」

 紅色髑髏が『続けろ』というように小さく顎を振り、フェルズは言葉を続ける。

「この件は一般周知させることが難しい問題が関わっていて、調査にも人手が不足している。そこで君の助力を得たい」

 

「闇派閥を狩るついでに、調べものへ手を貸せと?」

「結果として君が闇派閥を狩ることになっても、構わないというべきかな。事はこの世界の在り方そのものを変えかねないのだ」

 フェルズは語りながら地底の輩達を思い浮かべた。この世界の異端児達を。空に憧れる子供達を。

 

 が、事情を知らぬ紅色髑髏は怪訝そうに目を細めるだけだ。

「要領を得ないな。そちらの事情など関係なく闇派閥は一匹逃さず鏖殺し尽くす。人間も神も区別なく。ネタを寄こすなら利用させてもらうだけだ。そちらの都合など斟酌しない」

 

「そう、か。そうだな……」

 異端児達のことを明かせない以上、踏み込んだ提案が出来ない。かといって、異端児達を受け入れるかどうか分からない相手に情報を明かせない。

 

 フェルズは苦悶するように唸り、紅色髑髏へ懇願するように言った。

「対話の窓を閉じないで欲しい。都度、協力の是非を交渉させてもらいたい」

 

「そちらの都合に合わせる気はないが」

 紅色髑髏は冷ややかに応じ、背を預けていた樹木から離れる。

「誠意には誠実に報いるよう努める。それ以上は何も約束しない」

 

「こちらが連絡を取りたい時はどうすれば良い?」

 フェルズの問いかけに、紅色髑髏は鼻で嗤う。

「ギルドの掲示板にでも依頼書を貼っておけ。髑髏から髑髏に、とでも書いてな」

 

「外連味があるんだな」

 意外そうに切り返すフェルズへ、紅色髑髏は小さく肩を竦め――一瞬で姿を消した。

 

 残されたフェルズは小さく慨嘆をこぼす。

「まさか神殺しとは。ウラノスが何と言うか……頭が痛いな」

 肉を失っても、かつての感覚が残る身が悩ましい。

 

        ★

 

 髑髏と髑髏が会見した翌朝。

 

「こちらの素性が露見しない限りにおいて、先方と協力しても構わないけれど」

 キャミソールとホットパンツ姿のアスラーグが小首を傾げる。

「要領を得ないわね。フェルズは私達に何を期待してるわけ?」

 

「さっぱり分からん」

 エミールは素っ気なく応じ、どこかくたびれ顔で続けた。

「向こうも向こうでいろいろ隠し事があるようだ。そのネタを明かせないから踏み込んだ協力を求められない、そんな感じだったな。こちらと同じだ」

 

 魔女の心臓について情報が欲しい。が、それを明かしたら、こちらの素性が暴露する。そうなれば諸島帝国への悪影響が及ぶため、神殺しは出来ない。下手をするとこれまでの“悪さ”が発覚しかねない。

 

 だからこそ、諸島帝国からの流れ者2人組と“虚無を歩く者”を繋がらせないため、会見にアスラーグが参加しなかった。

 

「まぁ良いわ。私達は魔女の心臓を取り戻し、事件の報復を果たす。それだけよ」

 アスラーグは体を伸ばして悩ましげな艶声をこぼす。

「さてと。ここ一週間こもりきりだったし、今日はスカッと暴れますか。エミールは徹夜になるけど、ダンジョンに潜れる?」

 

「上層で“遊ぶ”分には問題ない」

 エミールは小さく欠伸を噛み殺し、鼻息をつく。

「俺の代わりにアーデ嬢に頑張ってもらおう」

 

 というわけで、2人はリリルカさんと共にダンジョンへ。

 

       ★

 

 紅髑髏と黒妖精と灰被りがダンジョンで暴れている頃、ギルドの最奥にて老大神と愚者が顔を合わせていた。

 

「神殺し、か」

 ウラノスは顔に刻まれた厳めしい皺を大きく歪める。

「決して看過できん。そのような凶徒が存在しては、この世の秩序が失われてしまう」

「狙いはあくまで闇派閥だと言っていた」フェルズは苦々しげに「無秩序な殺戮を試みることはないと思う」

「人が神を殺める。そのこと自体が問題だ。分かっているだろう」

 

「分かっている。分かっているとも。しかし、一方で彼の言い分も分かるのだ、ウラノス」

 フェルズは小さく頭を振るい、

「ウラノス。君も知っているだろう。暗黒期、特に7年前の大抗争以来、このオラリオに神を憎み恨む人間が増えていることを。この神々の箱庭にあって、神々を全否定する者達が数を増やしている。此度の虚無歩きはそうした者達の一人に過ぎないのではないか?」

 

 どこか倦んだ様子で言葉を続ける。

「1000年だ。ウラノス。神と人が交流を重ねて1000年。これまで神殺しを企てた者が皆無だったわけではないだろう」

 

 事実だ。

 神々が下界を始めて1000年。神々の横暴や愉悦で大切な人間を奪われた者や尊厳を踏みにじられた者達が、ひたすらに涙を呑み、歯を食いしばって耐え忍び、屈従してきた。

 ――なんてことは、人間の気質として“ありえない”。

 

 そして、この1000年。神殺しは果たして一件も無かったのか? 江戸幕府250年の間で暗殺された将軍が”公式には”皆無だったように?

 

 公式には無い。

 神同士のいざこざや重大な違反行為による強制送還の記録はある。事故死や病死の記録もある。

 が、神殺しは無い。神殺しだけは、無い。1000年で1柱もいない。公的には。

 

「過去のことは過去のことだ」ウラノスは子猫を蹴り飛ばすような冷厳さで「此度の虚無歩きを如何するか。それが問題だ」

 

 死なず死なず生きて800余年。その知見を基にフェルズは意見を述べる。

「先にも言ったが、速やかな排除は無理だ。少なくとも私では手も足も出ない。ヘルメスやガネーシャの眷属でも難しいだろう。確実に倒すには最低でもレベル5の冒険者を複数人投じるべきだ。それも犠牲を前提に」

 

「地底の子らではどうか?」

 ウラノスの諮問にフェルズは「難しいと思う」と前置きしてから見解を呈する。

「彼らとて余程の強者を集めねば、返り討ちになるだけだろう。あくまで個人の感想だが……此度の虚無歩きは前回の、髑髏の異能者よりも手練れだ。それも段違いに」

 

 何より、とフェルズは神妙に続けた。

「……地底の子らはこの世界をより良き方向へ歩ませる可能性だ。その数が限られている今、彼の虚無歩きと戦わせ、犠牲を出しては君の本願を損ねるのではないか?」

 

 老大神は眉間に苦悩の皺を刻み、仰々しく息を吐いた。

「……ならば、毒には毒を以って制すのみか」

 

「ああ。彼に闇派閥を壊滅させ、私達がその主神を天界送還する方が有益だろう。それに近くロキ・ファミリアが深層遠征に挑戦する。異端児達を動かし難い」

 フェルズは老大神を労わるように告げてから、小さく頭を振った。

「しかし……我々は虚無のことも虚無歩き達のことをほとんど知らないな。髑髏の異能者は会話もままならない相手だったし、此度の虚無歩きもろくに情報を明かさない」

 

 人類最高の賢智へ至った魔導師も、虚無については寡聞だった。

「虚無に潜み、人間にその力を与える謎多き“外なる者(アウトサイダー)”。知的好奇心を刺激されるよ。時間があれば、しっかりと調べてみたいものだ」

 この街の諸々や異端児達、闇派閥など対処せねばならない問題が多く、研究に費やす時間など作れないけれども。

 

「お前は既に一度、その知的好奇心ゆえに失敗しただろう。二の轍を踏む気か?」

「返す言葉もない」

 ウラノスの小言を受け、フェルズはばつが悪そうに頭を掻いた。

 

       ★

 

 ダンジョンから戻ってきたエミールとアスラーグは廃教会――女神ヘスティアの住居が何やら騒がしいことに気付く。

 

「なんだ?」

「何かあったのかしら?」

 上京してホームシック気味の女学生みたく隙の多い女神ヘスティアを案じ、2人は廃教会の扉を叩く。

 

「はいはーいっ!」

 屋内から少女の上機嫌な声が返って来た。どうやら何かしらのトラブル、という訳ではないらしい。

 

 がちゃりと教会の扉が開かれ、喜色満面のツインテール巨乳ロリ娘が姿を見せる。

「アスラ君にエミール君っ! どうしたんだいっ!?」

 

 女神ヘスティアは元気いっぱいに2人へ応対した。どうやら不味い事態ではないようだ。

 アスラーグとエミールは懸念を拭い捨て、ひとまず安心。

「なにやら表まで聞こえていましたので、どうされたのかと。その御様子ですと大丈夫なようですね。安心しました」

 

「あはは、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったみたいだね。ごめんごめん」

 照れくさそうにうなじを揉むも、よほど嬉しいことがあったのか、ヘスティアは表情がふにゃふにゃと溶けっぱなし。

 

「実はね……」

 ヘスティアは10秒ほど溜めて溜めて、叫ぶ。

「ついに眷属が出来たんだっ!!」

 

「それは……おめでとうございます」「おめでとうございます、ヘスティア様」

 アスラーグとエミールは素直に祝辞を述べ、ヘスティアを大いに喜ばせる。

 

「うん、ありがとうっ!! ボクにっ! ようやくっ! 子供が出来たんだっ!!」

 喜びの雄叫びを上げるヘスティアに、エミールは思う。

 眼前の少女が神だと知らずに聞いたら、大変な誤解を招く言い回しだな。

 

 エミールの胸中を察することなく、ヘスティアは2人へ言った。

「僕の家族を御近所さんの君達にも紹介させてほしいっ! 良いかなっ!?」

 

「喜んで、ヘスティア様」

 アスラーグが微笑みを返し、エミールが首肯すると、ヘスティアは嬉しそうにはにかみ、地下室の入口へ向けて駆けていき、初めての眷属を呼ぶ。

「ベルくーんっ! ちょっと来てくれーっ!!」

 

「なんですか、カミサマ?」

 少年の柔らかな声が響き、トントントンと階段を上る音が聞こえ……炉の女神ヘスティアの初めての眷属が姿を現す。

 

「あらカワイイ」「兎っぽいな」

 アスラーグとエミールが少年の第一印象を口にする。

 

 線の細い中肉中背。柔らかな白い髪と紅玉みたいな瞳が特徴の綺麗な顔立ち。絵に描いたような紅顔の美少年はどこか白兎を思わせた。

 

「紹介しようっ!」

 ヘスティアは大きな乳房を張り出すように胸を反らせ、隣に立った少年を示しながら得意満面に告げる。

「ボクの眷属、ベル君だっ!!」

 

 白兎のような美少年が恥ずかしそうに、でも心底嬉しそうに、元気いっぱいに名乗った。

「ベル・クラネルですっ! ヘスティア様の眷属になりましたっ! よろしくお願いしますっ!!」

 



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14:クラネル君とアーデちゃん。

「アスラ君、エミール君。ちょっといいかな?」

 炉の女神ヘスティアは居住まいを正し、

「御近所の誼でお願いがあるんだっ!」

 アスラーグとエミールへ勢いよく頭を下げた。長いツインテールが大きく踊る。

 

「少しの間、ベル君に冒険者の先達として色々教えてあげてくれないかな? 御礼にじゃが丸君をたっぷり贈らせてもらうからっ!」

 

 初めての眷属(我が子)が心配なママは、ベル少年が危ない危ないダンジョンでモンスター達に虐められないよう、御近所のおっかないお兄さんお姉さんに“習い事”をさせたいらしい。授業料はずいぶん安いが。

 まあ、ヘスティアの心配も分からなくはなかった。ベル・クラネル少年はどうにもダンジョンで長生き出来そうな人種に見えない。

 

「お顔をお上げください、ヘスティア様」

 アスラーグはやや困り顔で言った。

「私共はヘスティア様のおかげで三年振りに祖国へ便りを出すことが出来ました。その御厚情に報いるべく御要望にお応えしたいところですが、ダンジョン絡みとなりますと、私共も安請け合いは出来ません」

 

 半端に面倒を見た結果、ベルが死んだり不具になったりした場合、アスラーグ達にはとても責任が取れない。ファミリアが違う関係もあって、こういう事情を無視できない。

 

「少々生臭い話になりますが、クラネル少年に費やす時間で我々の収入が大きく変わります。私達だけでなく、共にダンジョンへ潜っている者の了承も必要です」

 エミールも難しい顔つきで言った。

 

 アスラーグとエミールの否定的な回答に、ヘスティアは心なしかしょんぼりし始める。

「余所のサポーター君と専属契約してるんだっけ?」

 

「ええ」エミールは首肯し「今のところ私共は主に中層で活動しております。クラネル少年と共にダンジョンへ潜るとなると、上層で活動することになるでしょう。収益が桁で変わってきますから、そのことで話し合わねばなりません」

 上層と中層では本当に稼ぎが桁で違ってくる。稼ぎに比例して危険も桁で違うけれども。

 

「け、桁で違ってくるのかぁ。それじゃ確かに話し合いが必要だね……」

「ですので、返事は少しお待ちくださいますか? ベル君もダンジョンへ潜るためにいろいろ支度が必要でしょうし」

「そうだね……」

 ヘスティアのツインテールがしおしおと萎れ、しょぼーんと肩が落ちる。

 

 すっかり気落ちしてしまったヘスティアを慰めるように、アスラーグが柔らかく微笑みかけた。

「出来るだけヘスティア様の御希望に沿う形になるようしてみます」

「ありがと、アスラ君。エミール君。よろしく頼むよ」

 

 

 

 ヘスティアの許を辞して借家へ戻る道すがら、

「どう思う?」

 アスラーグに問われ、エミールはどこか困り顔で応じた。

「次の作戦次第だ。時間が取れるなら少しくらい面倒を見ても良い」

 

「……そうね。フェルズと接触したばかりだし、向こうの出方も探りたい。少しの間、ヘスティア様のお願いに応えても良いわね」

 相棒の意見に同意しつつ、アスラーグは思い出したように言った。

「――たしか、虚無信奉者達がダイダロス通りに店を構えていたわね。彼女達にも接触しましょうか。イケロスはファミリアごとスラムに潜っているらしくて、ギルドも実情を把握してない有様だから」

 

 エミールは宵の口の空を見上げ、ウームと唸る。

「となると、後はアーデ嬢の説得だな」

 

         ★

 

 翌日。

 英雄に憧れ、ダンジョンに出会いを求める美少年ベル・クラネルが、最初の洗礼――冒険者ギルドで美人受付嬢エイナ・チュールの過酷な詰め込み教育を受けている頃。

 

 エミールとアスラーグはリリルカを伴ってダンジョンに潜っていた。

「新人教育、ですか」

 片眉をあげたリリルカへ、エミールは歩きながら頷く。

「ああ。知己を得た女神様に眷属が出来たそうでな。ベル・クラネルというんだが、少しの間、面倒を見てくれと頼まれた」

 

「……それはまた。ファミリアでもない御二人に頼むなんてズレた話ですね」

 リリルカはどこかむっすりと応じる。

 

 主神の計らいで指導役を付けて貰えるなんて、とリリルカは顔も知らぬベル・クラネルに嫉妬を抱く。

 自分にはそんな機会も人も無かった。幼い頃から周囲に罵倒され、蹴られ、嘲笑され、殴られ、上前をハネられ、報酬を誤魔化されながら、独力でダンジョンを、オラリオを生き抜く術を学んできた。誰かに教え導いてもらうことなんて、無かった。

 

 それを昨日今日オラリオに来た奴がアスラーグ様達に教導してもらえるなんて―――ずるい。

 

 リリルカが鬱屈した感情を抱いたところへ、

「これはアーデ嬢にとって必ずしも悪い話でもない」

 エミールが言った。

 

「と、おっしゃいますと?」

 訝るリリルカへ、アスラーグが説明する。

「私達がベル君の面倒を見ている間、収入は減るけれど……リリちゃんがベル君と一緒に冒険者をやってみても良いと思うの」

 

「――――」

 その提案にリリルカは思わず息を呑む。自然と右腰に下げたクロスボウへ意識が向く。

 

 これがあれば、自分も冒険者のように戦うことが出来る。

 

 リリルカは冒険者が嫌いだ。これまで散々虐げられてきたのだ。恨んでいるし、憎んでいる。一方で、リリルカは冒険者に憧れている。自分も冒険者になりたいと願ってきた。

 仮とはいえ、その機会が巡って来たことに、リリルカは困惑や不安、それらに優る昂奮を覚えていた。

 

「どうする? リリちゃん」

 アスラーグが柔らかな面持ちでリリルカに問う。

 

 リリルカは胸の奥に熱を感じながら、ゆっくりと口を開く。

「一つだけ確認させていただきたいのですが……お二人がクラネル様の訓練もなさるので?」

「基本だけな」とエミール。

 

 リリルカはぎゅっと拳を握りしめた。

「よろしければ、リリも一緒に訓練を受けさせてください」

 忌々しいファミリアと主神から解放された後、冒険者として生きていくかは決めていない。

 それでも、この2人から学ぶことはきっと役に立つから。

 

         ★

 

 でもって、さらに翌日。迷宮都市西区の市壁上にて。

 

 エミールとアスラーグは小人族の可憐な少女をヒューマンの白兎っぽい美少年に出会わせた。

「クラネル少年。こちらはリリルカ・アーデ嬢。俺達と専属契約しているサポーター兼射手だ」

 

「よろしくお願いします、ベル・クラネル様」

 ぺこりと丁寧に一礼するリリルカ。

「ベル・クラネルです」ベルも丁寧に挨拶を返し「様なんて付けないで、ベルでいいよ」

 

「そういう訳にはまいりません。サポーターと冒険者は明確に立場が違うのですから」

 リリルカに強い口調できっぱりと告げられ、ベルは戸惑いながらアスラーグとエミールへ顔を向けた。

「そう、なんですか?」

 

「オラリオの冒険者業界はそういうことらしいわ」とアスラーグが首肯し、

「ま、お互いの呼び方は好きにしろ。今回、一週間だけクラネル少年に冒険者教育を行うことになった。まず三日間の基礎訓練を行い、残る四日間はダンジョンで実戦訓練だ」

 エミールはベルの装いと武器を見る。

 

 冒険者向けの黒い上下とカーキ色のコート。小型背嚢に腰に挿した短剣。ギルドが貸し出した小銭でとりあえず一式揃えました、という見事な駆け出し冒険者振りだ。

 

「……クラネル少年の得物は短剣か」

「あの、何か不味かったですか?」

 何かしくじったか、と心配そうに眉を下げるベルへ、エミールは顎先を掻きながら答えた。

「不味いというか、短剣やナイフは扱いが難しい」

 

「え」

 どういうこと? と目を瞬かせるベルへ、アスラーグが微苦笑と共に説明する。

 

「ナイフや短剣は刀身が短いから、相手の間合いに深く踏み込まなければならないの。つまり、それだけ危険が大きい。それに、殺傷力が乏しい。皮膚や脂肪層をどれだけ傷つけても、嫌がらせにしかならないわ。筋肉を破損させ、血管や神経を切断し、臓器を損傷させ、初めて敵を倒せるのよ」

 

 例を見せよう、とエミールは傍らに置いてあった鮪切包丁モドキを抜き、ベルに短剣を抜かせる。

「刀身の長さだけでも単純に3倍以上違うだろう? これに俺とクラネル少年の腕の長さが加わる。仮にクラネル少年が俺と戦う場合、得物の間合いの差を詰める反射神経、体裁き、技、戦術が必要になる。ナイフ遣いが総じて体術に長けている理由だな」

 

 ベルはエミールの鮪切包丁モドキ――肉厚で厳めしい木目紋様の片刃直剣と自分の短剣を見比べながら、エミールに問う。

「つまり、ナイフや短剣で戦うには体術も修める必要がある、ということですか?」

 

「そうだ」エミールは首肯し「ちなみに、剣術はアスラが詳しい」

「私の剣は淑女の嗜み程度のものだけどね」と上品に微笑むアスラーグ。

 

 淑女の嗜み……? あれが? ダンジョンでアスラーグの暴れっ振りを知るリリルカは密やかに訝る。

 

「と言っているが、短剣の二刀流、短剣と長剣の二刀流も扱える」

「二刀流っ! 格好良いですねっ!」

 エミールの言葉にベルが紅い瞳を輝かせた。オトコノコなら二刀流に憧れる。仕方ない。

 

「さて。体術や二刀流はともかく、ナイフや短剣の基本は刺突だ。斬る、裂くは牽制に用いる」

 目をキラキラさせているベルと真剣な面持ちのリリルカへ、

「これはさっき言った刀身の短さが問題になるからだ。刃渡りが短いと斬りつけても骨を断つことが難しいから、臓器や主要血管を損傷できない。つまり致命傷にならない。だから、短剣やナイフの斬撃で致命傷を与える場合、相手が人間なら首元や四肢の動脈、腱などを狙うことになる」

 エミールは自分の首や手首などを示しながら説明し、

 

「ふむ。君らは恩恵持ちだからな。基礎訓練は体力強化より掛かり稽古を主にしようか」

 相棒の黒妖精へ告げた。

「アスラ。短剣術をクラネル少年に教えてやってくれ」

 

「あら。エミールが教えなくていいの?」

 どこか楽しげに表情を緩めるアスラーグ。

 

「俺のは軍隊式の近接戦闘術だ。クラネル少年には正統派の剣術を教えた方が良いと思う。それで、アーデ嬢」

「はい」

 目線を向けられたリリルカは居住まいを正す。

「アーデ嬢は基本的に射手だが、距離を詰められて近接白兵戦を行わねばならない状況もあるだろう。よって、アーデ嬢には剣術ではなく、帝国軍式近接戦闘術を教える。殴る、蹴る、投げる、極める、いなす、防ぐ、これら一通りを行えるようになって貰う」

 

「た、大変そうですね」

「なに、回復剤は用意してある。多少怪我をしても問題ない」

 しれっと告げられた言葉にリリルカが顔を引きつらせ、

「痛みへの慣れは荒事稼業の必須よ。ベル君」

 アスラーグの怖い微笑みにベルも顔を強張らせた。

 

 

 

 で、時は流れて夕暮れ時。

 

 

 

 市壁の石畳に少女と少年はグロッキー状態で転がっていた。

 回復剤のおかげで怪我はないが、消耗した体力までは戻らない。

 

「……リリ、生きてる……?」

「ベル様こそ、生きてますか……?」

 くったくたに疲れ切った2人がそんなやり取りを交わす中、アスラーグは満足げにニッコニコしていた。

「可愛い子達が真剣に頑張る姿って素敵よね。お姉さん、ついつい熱が入っちゃったわ」

 

「2人とも筋が良い。学びが早い。明日以降もその調子で頑張れ」

 エミールは褒めつつも内心で冷ややかに思う。

 たかが三日の速成教育でまともに戦えるようになれば世話は無い。

 

       ★

 

 そんなこんなで三日が過ぎ、速成教育は一旦の終わりを見る。

 

 エミールは市壁の胸壁に腰かけ、くたくたに疲れている少年少女へ告げた。

「明日は午後からダンジョンに潜る。今日の夜はしっかり体を休めておけ。俺とアスラも同行するが、基本的にはクラネル少年とアーデ嬢の2人でやってもらう」

 

「ベル君が前衛で、リリちゃんが援護と指示出しが良いと思うわ」

 アスラーグが買ってきた柑橘をベルとリリルカに渡しながら言った。

「賭けても良いけど、初陣のベル君は無我夢中になって周りが見えなくなると思う。だから、リリちゃんがしっかり周辺警戒と援護、ベル君へ指示出しをしてあげないと、群れに遭遇した時、ベル君は取り囲まれて死んじゃうわ」

 

 さらっと怖いことを言われ、『ええっ!?』とベルが顔を蒼くした。

 ベルの命の責任を負わされたリリルカも息を呑んで、身を固くする。

 

 エミールは柑橘の皮を剥きながらリリルカへ問う。

「アーデ嬢。やれるな? 明日はサポーターではなく射手として、クラネル少年と共に“冒険”できるな?」

 

「――やれます」リリルカは決意を固めた顔で「ベル様。明日はよろしくお願いしますね」

「こ、こちらこそお願いします」

 リリルカの静かな気迫に呑まれつつ、ベルはこくりと素直に応じた。

 

 初めてのダンジョン潜りを控え、ベルは不安と興奮に胸を高鳴らせる。

 一方のリリルカも冒険者としての一歩を踏み出すことに色々な感情を抱いていた。

 

 そんな少年少女を目にしつつ、エミールは柑橘を口に運び、眉根を寄せる。

「すっぱいな、これ」

 

       ★

 

 そうして迎えるダンジョン初挑戦。

 ベルはギルド本部の受付に赴き、担当職員のエイナ・チュールにダンジョンへ挑む旨を告げた。

 

「これからダンジョンに潜るのね?」とエイナは白兎みたいな美少年へ問う。

「はい、エイナさん。エミールさん達と一緒に潜ります」

 ダンジョン初挑戦を眼前に控え、ベルは緊張と興奮の混ざった顔つきで応じた。

 

「エミールさん?」

 聞き慣れない名前に訝るエイナへ、ベルは掲示板の前へ顔を向け、該当人物を指さす。

「あそこにいる人達です」

 

 長身のヒューマン青年と黒妖精の美女。

「ああ。グリストル氏とクラーカ氏」

 エイナは微かに眉をひそめた。

 

 約一月半ごろ前に諸島帝国から“出稼ぎ”に来たヒューマン青年と黒妖精の美女。担当ではないが、いくつか噂を耳にしていた。

 曰く『上層のモンスターを大量虐殺した』とか、『ダンジョンに潜り始めたばかりなのにかなり稼いでいる』とか、『ソーマ・ファミリアと組んでいる』とか。

 

 最後の噂はソーマ・ファミリアのサポーターを専属に雇っているためだ。エイナは前者二つに関して特に思うところはない。聞けば、あの二人はオラリオ外の恩恵持ちでベテランの傭兵だったらしい。相応のレベルと経験があれば、おかしなことではない。

 

 ただ最後者の一点は気にかかる。

 ソーマ・ファミリアはギルド内でも評判がよくない。しょっちゅう換金所で騒ぎを起こすし、他派閥の冒険者とトラブルを起こしがちだった。

 そんな手合いを専属として雇う二人組。腕は立つようだが、人柄は大丈夫なのだろうか。

 

 自分が担当した新人――それも自分の講義をしっかりと真面目に聞く“有望な”美少年――が妙なトラブルに巻き込まれないか、心配になる。

「ベル君。危ないと思ったらすぐに逃げるんだよ? 冒険者は冒険をしてはならない、だからね?」

 エイナは多分に含みを込めた忠告を送るが、

「はいっ! エイナさんっ! 頑張ってきますっ!」

 ベルは笑顔で応じた。

 

 正しく理解したのか怪しい調子だが、エイナは美少年の可愛い笑顔に釣られ、自然と微苦笑をこぼしてしまった。

 

 窓口で白兎と美人ハーフエルフがそんなやり取りをしている間、エミールとアスラーグは掲示板に貼られた依頼書の山を眺めていた。

『まさか本当に貼りだすとは』

『向こうとしては他に連絡手段がないからね。やるわよ』

 小声の諸島帝国語を交わす2人の目線の先には、

 

 ――髑髏から髑髏へ。下層の調査を求む。応じられる際は一週間後までに当依頼書を受け取られたし。

 

 嫌になるほど丁寧な筆跡で記されていた。報酬額はおろか具体的な依頼内容すら書かれていないが、ギルドの認証印はしっかり捺印されている。

 

『どうする?』

『今夜、回収しておきなさい。今は人目があり過ぎる』

 仏頂面のエミールへアスラはしかめ顔で告げ、こちらにやってくるベルへ顔を向けた。

「まずは今日の引率をしっかり務めましょ」

 

 

 

 昼を迎えた巨塔バベル前の広場で、リリルカはエミール達を待ちながら、心構えを整えていた。

 ハーネスと装具ベルトで右腰に下げたクロスボウ、左腰に下げた弾薬パウチ、後ろ腰のトラッカーナイフ、とっておきの切り札――エミール達にも教えていない小振りの魔剣も白いローブコート内に収めてある――を何度も確認してしまう。

 

 冒険者として、ダンジョンに潜る。

 こんな日が本当に来るなんて。

 感慨深い、と噛み締めるべきか。それとも、何の因果で、と毒づくべきか。

 

 リリルカは油断なく周囲を窺う。

 朝のうちに雇われ損ねたサポーター連中が、それでも冒険者を探しては声を掛けている。卑屈なほどへりくだって。憐れなほどへつらって。惨めなほどおもねって。

 

 冒険者とサポーターの立場は斯くも大きな違いがある。悪し様に言えば、サポーターとは冒険者に寄生し、おこぼれに与る存在だ。冒険者達もそのことをよくよく知っているから、サポーターを奴隷の如く家畜の如く扱う手合いが珍しくない。

 

 リリルカは冒険者が嫌いだ。憎み恨んでいる。

 同じくらい、サポーターが嫌いだ。卑屈で卑下で惨めで無様で、自尊心と誇りを擦り減らしながら生きていく様が、不快で不愉快で、そんなサポーターとして生きている自分が気に入らない。

 

 でも、それもあと少し。

 

 エミールとアスラーグの専属になって以来、稼ぎは飛躍的に増えていた(命の危険も飛躍的に増えたが)。このまま順調に行けば、もう数週間で目標金額に手が届くはず。

 

 腐れファミリアを抜け、自由を得る。自分の人生を取り返す。

 そのためならば。

 

 リリルカは周囲から密やかに自分へ向けられる目――妬み嫉み僻みや利己的な害意や強奪を目的としたような敵意などを感じ取りながら、右手をホルスターに収まるクロスボウに添え、後ろ腰のトラッカーナイフに意識を注ぐ。

 

 そのためならば。リリは戦うことも恐れません。

 

 

 

 

 

 

 別の時空、次元、世界線において、灰被りの少女は手を差し伸べてくれる王子の登場を待ち続け、救済を願い続け――その祈りは届いた。

 

 しかし、この時空、次元、世界線において、灰被りの少女は王子の到来を待たず、魔女とその仲間のもたらしたカボチャの馬車とドレスとガラスの靴で、閉塞した人生を踏破する覚悟を決めていた。

 



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14+:白兎と灰被り。

「まずは手本を見せるわね」

 アスラーグはそう告げて短剣を右手に持ち、左手を伸ばして半身で構えた。すらりと伸びた肢体と美貌と相なって、その構え姿は酷く麗しい。

 対峙する3匹のゴブリンは手にした得物を握りしめ、じりじりと半包囲するようにアスラーグへ近づいていく。

 

 アスラーグから離れた位置に控える白兎は、瞬きも惜しんでアスラーグを見つめ、灰被りはクロスボウを手にエミールへ問う。

「エミール様。この場合、リリはどう立ち回るべきでしょうか」

 

「基本は後方警戒。次いで、周辺警戒。敵の増援や伏兵を警戒しつつ、味方の挙動に合わせて援護射撃か声掛け。前衛の視界外や死角に回り込む敵を優先しろ」

 エミールは普段リリルカが持つデカいバックパックを担ぎながら淡白に言った。

「近接戦闘中の援護射撃は常に誤射の恐れがある。前衛と話し合いを怠るな。意思の疎通。集団戦闘における絶対の前提条件だ。意思の疎通に欠けた集団は個の寄せ集めに過ぎない。犬の群れにも劣る」

 

 エミールとリリルカがそんなやり取りを交わした、直後。

 

 アスラーグはネコ科の猛獣みたく躍動し、一瞬で正面のゴブリンへ肉薄。そのまま胸を深々と貫く。洞窟に響くゴブリンのくぐもった断末魔。刀身を捻りながら引き抜き、素早くバックステップ。編みこんだ銀色の長髪とケープコートを大きく揺らしながら、残るゴブリン達の反撃と包囲を避けた。

 

 教科書通りの一撃離脱はさながら電光石火の如し。基本動作も練度を高めれば、これほどの猛威を発揮する実例。

 

 一旦距離を取り、アスラーグは左右のゴブリンを窺い、右へ二歩ほど回ってから一気に踏み込む。

 右のゴブリンが咄嗟に退避を試みるも、時既に遅し。短剣が喉を貫き、悲鳴を上げる間も無く命を刈り取られた。

 

 左のゴブリンが怒声を上げながらアスラーグへ襲い掛かるも、アスラーグは冷静に迫るゴブリンへ向け、短剣を抜きながら亡骸を蹴り飛ばす。

 仲間の骸に巻き込まれ、左のゴブリンが転倒。急いで骸を押しのけて立ち上がろうとするが、振り下ろされるアスラーグの短剣の方が速い。

 

 ぐさり。

 

 ゴブリン達を瞬く間に殲滅し、アスラーグは形の好い唇を蠱惑的に歪め、フッと艶やかに息を吐く。短剣を振るって血を払い、左手の指先で乱れた前髪を弄りながら、紅い瞳を輝かせる少年へ言った。

「どうだった?」

 

「凄いです、アスラーグさんっ!!」

 ベルが興奮気味にアスラーグを讃えた。

 

 

「ありがと」アスラーグはくすりと笑い「でも、次はベル君がこれをやるのよ? できる?」

「が、頑張りますっ!!」

 ベルは緊張で顔を強張らせつつ、拳を握る。

 

 ゴブリンの骸から手早く魔石を回収し終え、エミールが言った。

「クラネル少年。まずアーデ嬢と話し合え。今みたいな対集団戦になったら、自分がどう動くか。どういう援護が欲しいか。アーデ嬢もとっさにどう動いて欲しいか。一戦ごとに確認し合え。互いが互いの命に責任を負っていることを忘れるな」

 

「「はいっ!」」

 少年少女は素直に、不安と興奮を混ぜた緊張顔で応じた。

 

       ★

 

 運が良いのか、ベル・クラネルの”初体験”は、単体のゴブリンだった。

 そして、アスラーグが予言した通り、ベルは初めての実戦に頭が髪の色同じく真っ白になっていた。

 

 全身の汗腺が汗を放出し、心胆は竦みあがり、心臓は破裂しそうなほど鼓動を強く早くし、肺も空気を求めて矢継ぎ早に収縮して呼吸を浅く早くしている。戦いの昂奮。命を奪うという背徳的行為のスリル。ここで死んでしまうかもしれないという怯懦。目を血走らせて自分を睥睨するモンスターへの恐怖。様々な感情で思考がまとまらない。どうすればいいのか、まったく分からない。

 

 動けないベルに先んじ、ゴブリンが動く。甲高い叫び声をあげながら、その手に握る歪な鈍器を振り上げる。

 

「わぁっ!?」

 情けない悲鳴が勝手に漏れ、ベルは腰を引かせながら飛び退く。風切り音を上げて通り過ぎる鈍器を前に、脳が恐れより怒りに煮えた。

 

 コイツは……僕を殺そうとしたっ!

 

 生命の危機に対する本能的防衛反応がベルに脅威の排除を要求。その原初的欲求は戦意と闘志と勇気に転換され、ベルの身体に喝を入れた。短剣を握る手に力が入り、足を前に進ませる。

 ただし、過剰なほど分泌された脳内昂奮物質がベルの頭から『一撃離脱』という教えをすっ飛ばしていた。

 

 そのため――

「このぉおおおおっ!!」

 ベルは大きく踏み込みながら、短剣を突くのではなく勢いよく“振った”。

 

 これもまた人間的本能。怒った幼子が泣きながら腕を振るうように、ベルは本能的に腕を振って短剣で斬りかかる。

 

 ゴブリンは退かず咄嗟に鈍器で受けに回る。これも誤り。

 ベルの不用意な斬撃は防げても、踏み込み過ぎから派生した稚拙な体当たりは質量差から防ぎきれない。

 

 結果、ベルとゴブリンはもつれ合うように転倒した。

「うわぁっ!?」「ベル様っ!?」「ガアアアアッ!!」

 ベルとリリルカが悲鳴を上げ、ゴブリンが喚く。

 

「よくある、よくある」とドンパチチャンバラの経験が豊富なエミールが笑う。

「教えたことを全部忘れてるわね」とアスラーグは腕を組んで唸る。

 

 大人二人が暢気にしている間に、ベルとゴブリンが地面に転がったまま取っ組み合いを始めた。幸いなことに、ゴブリンは転倒時に得物を落としていた。仮にゴブリンが取っ組み合いに勝利してベルを押さえつけても、即座に致命の一撃を放てない。

 

 一方、リリルカも泡食っていた。ベルと打ち合わせはしていたが、こんな状況はまったく想定しなかったし、これでは誤射の危険性が高すぎて援護射撃など出来ない。かといって、トラッカーナイフを抜いて助けに入った時にモンスターの増援が来たら、それこそ何も対処できない。

 

「ど、どうしたらっ!?」

 顔を蒼くしたリリルカがエミールとアスラーグへ助けを求める。も、エミールは子犬を蹴り飛ばすように冷たい声で言った。

「今日の主役はクラネル少年と君だ。自分で考え、自分で決断し、その責任を負え」

 アスラーグも厳しい目つきで首肯する。

 

「―――ッ!」

 リリルカはごくりと生唾を飲み込み、叫ぶ。

「ベル様っ! 落ち着いてッ!」

 

 が、ベルの耳にリリルカの声など届かない。

 耳元でつんざくゴブリンの叫び声が、目と鼻の先にあるゴブリンの血走った眼が。口から飛び散る唾が、ベルを殺そうと振るわれる拳が、浴びせられる本物の殺意が、ベルに冷静さを取り戻す余裕を許さない。

 

「わああああああああああっ!」

 もはやベルは恐慌状態だった。短剣を手放してしまったことにも気づかないし、傍にいるエミール達へ助けを求めるという考えも湧かない。涙をこぼすことすら、今のベルには手が届かない贅沢だった。獣が暴れるようにゴブリンの顔や体をひたすら殴り、押しのけようとする以外、何もできない。

 

 互いにヤケクソ同然の有様で、地面を転がるように取っ組み合う白兎と小鬼。右往左往する灰被り。ただ傍観する魔女とその仲間。

 

 不意に、ごちん、と硬い音が響く。

 ベルの額がゴブリンの顔をしたたかに打った音色だった。

 

 ゴブリンが鼻を押さえながら悲鳴を上げ、ベルから逃れるように離れた。

「!! 撃ちますっ!」

 その一瞬の好機を、リリルカは逃さず捉えた。諸島帝国製クロスボウ『ディーラー』カスタムの引き金を引く。

 弦と弓が駆動し、矢弾が空気を割く音色が洞窟に響き、強力な矢弾がゴブリンの胸元を貫通して向かいの洞壁に突き刺さった。

 

 鼻と口から血を垂れ流しながら、ゴブリンがベルへ覆い被さるように倒れ込む。

「ひぃっ!?」

 ベルはゴブリンの死体を押しのけ、ぶるぶると大きく震えながら、今しがた殺し合ったゴブリンの亡骸を凝視する。

「たす、かった……」

 

 勝った、ではなく、助かった、と口にしてしまう辺りも実に初陣の新兵らしく、エミールはかつての自分を思い出して笑う。

「よくやった、クラネル少年」

 

「エミール、さん。でも、僕……」

 思い描いていた冒険者像とあまりにかけ離れた、自分のみっともない戦い振りに、ベルは大きく肩を落とした。恐怖と興奮が抜けず、体が震え続けていることも惨めさに拍車がかかり、思わず半ベソ顔になる。

 

「ズボンは?」

「え?」

 エミールに問われ、ベルは何のことか分からず戸惑う。

 

「ズボンは濡れてないか? 小便を漏らしてないか?」

 問いを重ねられ、ベルは自分のズボンを見た。股間は濡れてない。小便は漏らしてない。

「大丈夫、です」

 

「なら、俺の初陣より上出来だ、クラネル少年。俺が初めて戦った時は顔を涙と鼻血でぐしゃぐしゃしたぞ。小便を漏らしたし、足がもつれて泥の中にひっくり返った。とどめにゲロまで吐いた。しばらくバカにされっぱなしだったよ」

 エミールはベルに手を差し伸べて立たせてやり、安堵の息をこぼしていたリリルカにも声を掛ける。

「アーデ嬢も良く機会を逃さずに命中させた。良い仕事をしたな」

 

「そう、でしょうか」

 リリルカはクロスボウを握る手が震えていることに気付く。これまでモンスター相手に何度も撃ってきた。でも、今さっきほど緊張した射撃は、今さっきほど怖かった射撃は無い。

 

「助けてくれてありがとう、リリ」

 ベルは半ベソの目元を擦りながら、無邪気に笑った。

 

 とっさに応えられないリリルカへ、アスラーグがその小さな肩に手を置き、柔らかく告げる。

「こういう時の返事は、わかるでしょ? リリちゃん」

 

 リリルカはアスラーグへ首肯し、ベルへ向けてぎこちなく微笑む。

「どういたしまして、ベル様」

 

        ★

 

 初陣の初戦に泥臭い戦いを繰り広げたためか、ベルは続く戦いにおいて冷静さを取り戻した。

 

 第1階層を巡り歩き、モンスターを狩っていく。

 リリルカと声を掛け合い、危なっかしくも連携を取りながら、教わった通りに一撃離脱を繰り返し、ゴブリンやコボルトを着実に仕留めていった。幾度か攻撃を食らってしまい、回復剤を用いる羽目になったけれども。

 

 そんなこんなで地上で夕刻を迎える頃には、ベルもリリルカも膝が笑いだすほど疲れ切っていた。

 

 エミールはコボルトの魔石と素材をバックパックに収め、提案する。

「今日は上がろう。初日から無理をする意味はない」

 

「「はい」」

 ベルもリリルカも疲労困憊であることを自覚しており、異論はない。

 

 ただ……リリルカがベルにどこか慰めるように言う。

「がっくりしないでくださいね」

「?」

 ベルがリリルカの言葉の意味を理解するのは、ダンジョンを出て、魔石と素材を換金してからだった。

 

 

 

 夕暮れ時のオラリオ。ギルド本部傍に立っていた軽食売りの屋台傍。

 ベンチに腰掛けたベルは、顔を覆って呻く。

「1700ヴァリス……」

 ベルが半日かけて命をチップに稼いだ魔石と素材は、晩飯代で消えてしまう程度の額だった。

 

 隣に腰かけ、リリルカは屋台で買ったレモネードを呑み、追い討ちを掛けた。

「リリと山分けすると、ベル様の取り分は850ヴァリス。ただし、消費した矢弾やポーション代を考えると完全な赤字ですね」

 

「赤字……」

 ベルはがっくりと頭を垂れた。

 

 その様子に微苦笑しつつ、エミールはリリルカへ顔を向ける。

「アーデ嬢も分かったな?」

 

「はい」リリルカは首肯し「このクロスボウで収益を出すためには相応のモンスターを倒して数をこなさないと、矢弾代で赤字になります」

「その問題は射手に限らないわね。この商売は出て行くお金の多いこと多いこと」

 アスラーグはレモネードのカップを傾けてから、ベルとリリルカへ言った。

「ま、私達が引率している間は赤字分を補ってあげるから、収入を気にせず経験を積むことに専念しなさいな」

 

「良いんですか?」

 流石にこの稼ぎで付き合わせては申し訳ない、とベルが御伺いを立てる。

「私達のことは気にしないで良いわ。ヘスティア様には御恩があるからね」と事もなげに応じるアスラーグ。

「リリも大丈夫です。ベル様もお二人に引率していただいている間に、しっかり経験を積んだ方が良いと思います」

 

 ベルは迷宮都市に来たばかりで、冒険者業界が如何に世知辛くブラックな環境か知らない。

 自身が如何に恵まれた状況にあるかも理解していない。

 荒事の経験豊富な高位恩恵持ちがしっかり面倒を見てくれて、稼ぎの額も気にせずダンジョンへ潜れる――こんな待遇を受けられる新人冒険者は、教育システムがしっかりした一部の大手ファミリアぐらいということを、ベルは知らない。

 

        ★

 

 そうして訓練の最終日。

 アスラーグがさらっと言った。

「今日は2人だけで行ってらっしゃい」

 

「「ええっ!?」」

 ベルとリリルカが揃って吃驚を上げた。

 

「別に難しい事をしろと言ってるわけじゃない。2人でダンジョンに潜ってこい、と言ってるだけだ。不安なら一階層を巡るだけで良いし、相談して下の階層に挑んでも良い。自分達で考え、自分達の責任で行動しろ。特にクラネル少年。明日から君はソロだ。俺達は一緒に居られない。そのことを念頭において挑め」

 エミールの淡々とした説明を聞き、ベルは強く頷いた。

「はい、エミールさんっ!」

 

「それに、俺はアーデ嬢が一緒なら問題ないと考えている。どうだ?」

「――御信頼にお応えできるよう頑張ります」

 水を向けられたリリルカも、強く頷く。

 

「断っておくわね。私達がこっそりと陰から見守っていると思うかもしれないけれど、それはないわ。今日は別口の用向きがあるからダンジョンに行けないの。正真正銘、2人だけよ」

 アスラーグは意地悪な笑みを浮かべ、エミールが悪戯っぽく口端を歪めた。

「冒険を楽しんで来い」

 

       ★

 

 冒険を楽しんで来い。

 

 エミールの言葉通り、ベルとリリルカは冒険を楽しんでいた。

 通勤時間の如く冒険者達がダンジョンを潜り始める朝方を少し過ぎた辺り、上層の浅い階層はモンスターの数が一時的に大きく減っている。

 深いところへ潜る連中が行きがけの駄賃稼ぎや準備運動代わりにモンスターを狩っていくからだ。

 

 このため、朝方の上層はモンスターが少なく、適度に休憩を挟みながら“狩り”が出来る。

 ベルとリリルカも危なげなく第2階層を抜け、第3階層へ足を運んでいた。

 

 駆け出しのド新人であることに加え、元々素直な性分なのだろう。

 ベルはリリルカの指示出しをきちんと聞き入れた。下がれと言われれば下がり、標的を指定されれば指定されたモンスターを狙う。

 そうして、戦闘が終われば「ありがとう。リリのおかげで勝てたよ」と無邪気な笑みを向けてくる。

 

 ――これは、よくありません。

 リリルカは内心で渋面を浮かべていた。

 

 アスラーグとエミールは優秀な冒険者で、正しく大人として振る舞い、リリルカを厚遇してくれる。そのことに不満など欠片もなく、深く感謝し、篤い恩義も抱いている。

 ただし、2人の厚遇はペットを甘やかすようなもので(これはリリルカの穿った見方だが)、思春期真っただ中の身悶えしそうな自尊心や自己承認欲求や過剰な自意識といったものが、いまいち満たされていない。

 

 そこへ登場したのがベル・クラネルである。

 白髪と紅眼の兎みたいな同年代の美少年が、無邪気で無垢で可愛い笑顔と共に、恥ずかしげもなく御礼や称賛を伝えてくる。

 

 過酷な人生を送ってきたリリルカ・アーデはこうした、同年代の異性から裏表のない好意を受けた経験が恐ろしいほど乏しい。

 平たく言えば、ベルの無垢な感謝と称賛によって、リリルカの自己承認欲求やら自尊心やらがバンバン刺激され、心がホワホワして、胸がキュンキュンしていた。

 

 ――これは、よくありません。

 リリルカのスレた部分が、冷徹な理性が、強く警告している。もっと冷徹になれ、と。こいつが信用できるか分かっていないんだぞ、と。エミールの信頼が掛かっていることを忘れるな、と。

 

「リリ。次に行こうっ!」

 ベルに屈託のない笑顔を向けられ、リリルカは釣られて微笑む。

「はい、ベル様」

 ―――これは、よくありません。

 

        ★

 

 都市最強の男。筋骨たくましい長身の猪人。

 フレイヤ・ファミリアの団長“猛者”オッタル。

 

 オッタルは常に主神フレイヤの傍に控えている。が、武人であり、冒険者であるため、実戦の勘を保つべく時折、独りでダンジョンへ潜る。

 フレイヤ・ファミリアは殺し合いと大差ない過酷な訓練で知られているものの、やはりダンジョンでモンスター達と戦う必要があった。人間の放つ殺気とモンスターの発する殺意は、別物であるゆえに。

 

 そんなオッタルは武骨で硬骨な男だ。美神へ忠誠を誓い、多くを語らず行動を以って尽くす古風な男だ。

 とはいえ、粋の分からぬ男でもないし、情の欠けた男でもない。あくまで仕える美神を万事において最優先とするだけだ。

 

 よって、明らかに駆け出しの新人らしきヒューマン少年と、場慣れしている小人族少女がモンスターと戦っているところへ、水を差すようなことはしない。

 

 邪魔をせぬよう、オッタルは足を止めて戦いが終わるまで待ちがてら、2人を観察した。

 

 小人族の少女は立派なクロスボウを抱えながらも撃たず、少年に適時指示を出している。さしずめ、どこかのファミリアがあの少女に新人の少年を教育させているのだろう。

 

 白兎を思わせる少年の方はなんとも危なっかしい。速成の基礎教育を受けました、といったところか。どうせなら短剣ではなく普通の剣を扱わせた方が良かろうに、とオッタルは思う。

 

 少年がゴブリン達とチャンバラを繰り広げているところへ、単眼化け蛙が現れた。

 体当たりと長い舌での遠距離攻撃を行うフロッグ・シューターだ。

 

「蛙はこちらで処理しますっ! ベル様はそのままゴブリンと戦ってくださいっ!」

「分かったっ!」

 やり取りが交わされた直後、少女がクロスボウをしっかり構え、発射。見事にフロッグ・シューターの目を打ち抜き、撃破。クロスボウ自体の性能が優れていることもあるが、少女の腕も悪くない。

 

 その間に、白兎のような少年が一撃離脱を繰り返してゴブリンを一匹仕留め、最後の一匹へ挑む。

「わぁっ!?」

 踏み込みが甘く、ゴブリンの鈍器に右肩口を殴られて姿勢を崩すも、

 

「このぉっ!!」

 少年は左手でゴブリンの腕を掴み、巻き込むように無理やり投げ落とし、逆手に持ち替えた短剣を胸に突き立てた。

 

 なんとも稚拙で未熟な戦いぶりだった。

 が、超一流の武人であるオッタルは、必死に戦った少年を嘲笑ったりしない。誰しも未熟な駆け出しの時分があり、自分とて例外ではなかったことを、オッタルは忘れていなかった。

 

 ともあれ戦闘が終わっため、オッタルは歩み出す。

 

 少年の手当てに向かおうとした少女がオッタルに気付き、ギョッと凍りつく。

 ここ迷宮都市ではオッタルの顔と名を知らぬ者の方が少ない。妥当な反応だろう。

 

「あ、通りの邪魔をしちゃいましたか? そうだったら、すいません」

 一方、少年の方はオッタルの存在感に圧倒されつつも丁寧に詫びる。珍しいことだった。

 

「……気にするな」

 オッタルはうっそりと告げ、その場を立ち去ろうとし、ふと足を止めて肩越しに少年へ告げた。

「踏み込みに怯えと迷いがある。一撃離脱を旨とするなら、まず勇気を持て」

 

「え……」

 少年はきょとんとした後、理解したのか大きく頭を下げた。

「はいっ! 教えて下さってありがとうございますっ!」

 

 あわあわと少女が慌てていたが、オッタルは気にすることなくその場を去っていく。

 

 素直な小僧だ。ファミリア(うち)の連中もあの小僧のように素直なら楽なのだが。

 癖も灰汁も強いフレイヤ・ファミリアの団員達を脳裏に浮かべつつ、オッタルはダンジョンの奥へ向かっていった。

 

 

 

 オッタルは知らない。

 この白兎のような少年が自身の仕える女神の粘着質な関心を買うことを。

 

 オッタルは知らない。

 自身の仕える女神がその執拗な情念を満たすため、オッタルをあれこれと振り回すことを。

 

 この時、猛者はまだ知らなかった。



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15:波及効果。

 それはベル・クラネルとリリルカ・アーデが2人だけでダンジョンへ潜った日から、三日ほど遡った夜のこと。

 ギルド本部の掲示板に貼られた『髑髏から髑髏へ』の依頼書は、紅色髑髏(エミール)が夜中に問題なく回収した。

 

 フェルズも今回は追跡を試みなかった。

 が、フェルズは要らぬ茶目っ気を発揮していた。

 

 大した内容が書かれていなかった依頼書には、一種の炙り出しが仕込んであった。熱ではなく、用紙に相応の魔力を加えることで本命の記述が浮かび上がる仕組みだ。

 ただの稚戯と笑えない。本命の記述を読める人間は炙り出しの仕込みに気付き、相応の魔力を持つことを証明するから。

 

「探りを入れてきた、と受け取るべきかしら」

 アスラーグが鬱陶しそうに美貌を歪め、依頼書をテーブルに放る。

 

「振り回されることへの意趣返しかもな」

 エミールは依頼書を手に取り、椅子の背もたれに体を預けた。

 

 ――第30階層の調査協力を願う。合意されるならば、この依頼書を受け取ってから三日後の夜、第10階層にて詳細を詰めたい。報酬はダンジョン内で得た“とある情報”について。

 

「それにしても、第30階層ね」アスラーグは髪を弄りながら「こちらの実力を図るつもりでしょうけど……単独で行ける?」

「虚無の力を使えば、問題ないだろう。モンスターを避けて進むだけだ」

 エミールはふんと鼻息をつく。

「ただ日帰りは流石に無理だな。俺が留守の間、適当なカバーが要る」

 

「周囲が納得する面白い話を用意するわ」

 アスラーグが垂れ気味の双眸を悪戯っぽく細めた。

 

 なんとなく嫌な予感がしたエミールが、釘を刺す。

「頼むから、妙な与太話はやめてくれ」

 

 ※    ※   ※

 一週間の即席訓練が終わった最終日の夜。ささやかな宴が催された。

 ダンジョンを出た後、ベルとリリルカは広場でヘスティアと合流し、冒険者通りの一角にある『黒き仔馬亭』へ向かう。

 

 初めて『黒き仔馬亭』に足を踏み入れるベルとヘスティアは、物珍しげに店内を見回す。

 テーブルや椅子などの調度品は蓄積した傷や修繕跡が目立つ。床の煉瓦タイルは擦り減って凸凹。壁や天井は経年劣化で変色していた。

 

 いろいろとボロいが、客入りは良い。

 ダンジョン帰りらしき冒険者の男女。逞しい体つきの労働者。皆、『黒き仔馬亭』自慢のガッツリしたラム肉料理を食らい、景気よく麦酒を呷っている。

 ここはガテン系向けのたらふく飲み食いさせる店だね、とヘスティアは察した。

 

 店内の一角に、アスラーグの姿を見つける。小豆色のケープコートを脱ぎ、ブラウスと革パンツ姿でこちらに手を振っていた。

 が、エミールの姿が無い。

 

「あれ? エミールさんは?」

 アスラーグの待つ角卓へ近づき、ベルが店内をきょろきょろしながらエミールの姿を探す。

 

「ん。エミールはちょっと用事、というか。まあ、うん。今頃は逢瀬の最中かも」

 アスラーグがさらっと告げた。無論カバーストーリーであるが、可能性を口にしているだけだから嘘ではない。

 

「「「え」」」

 青少年三人(一人は神だが)は目を丸くした。

 

 ベルが年頃のオトコノコらしく逢瀬という単語にピンクな想像を巡らせて顔を赤くした。リリルカとヘスティアはてっきりエミールとアスラーグが“そういう関係”と思っていたため、エミールが余所の女と会っているかも、という事実に仰天する。

 

「ま、居ない者のことは放っておいて、訓練の打ち上げをしましょう」

 アスラーグは給仕に向け、料理と飲み物を持ってくるよう軽く手を振った。

 

「いやいやいやいや、良いのかい、本当に良いのかい、それはっ!?」

「ど、どういうことですかっ!? どういうことなんですかっ!?」

 ヘスティアとリリルカがぐいぐいとアスラーグに迫るが、

 

「いいの、いいの。大したことじゃないわ」

 アスラーグは暢気に笑うのみ。いや、悪戯心満点でぼかすように言っている。嘘でも真実でもない表現だけに、ヘスティアの“神の知覚”をもってしても真偽が分からない。

 神に優り、悪魔も舌を巻く人間の狡猾さといえよう。

 

「「「ええぇ」」」

 垢抜けない青少年3人(一人は神だが)はなんとも言えぬ顔で、卓につく――のだが、リリルカがささっとベルの隣へ座ってしまい、ヘスティアがムムッと眉根を寄せた。

「……サポーター君。いや、リリルカ君だったね? なぜ君がベル君の隣に座るんだい?」

 

「たまたまです、ヘスティア様。たまたまです」

 リリルカはすまし顔で応じる。

 

 この子、しれっと嘘を……っ! ヘスティアは神の知覚によりリリルカが偶然でなく、意図的にベルの隣へ座ったことを察し、イラッとする。

「……ベル君の主神たるボクに隣を譲るべきだよ、リリルカ君」

 

「ヘスティア様。今宵は共にダンジョンへ赴いた私とベル様が主賓ですから、並んで座るべきです」

 リリルカはさらりと言ってのける。

 

「ぐぬぬ……っ!」

 筋が通っているだけにヘスティアも反論に詰まる。な、なんて小賢しい子なんだっ!

 

「まあまあ。ヘスティア様はベル君の向かい側に座ってください。隣とは違った趣がありますよ」

「く。ここはアスラ君の顔を立てようじゃないか」

 仲裁に入ったアスラーグに従い、ヘスティアはベルの向かい側に座る。その刹那、リリルカの顔に『勝ちました』と微笑が滲んだことに気付き、ツインテールがプルプルと震えた。

 こ、この子とは一度きっちり話し合う必要がありそうだねっ!!

 

「?」

 そんな女の戦いが繰り広げられているとは露知らず、ベルはニコニコしながら夕餉の到着を待っていた。

 

 アスラーグはベルの様子を前に思う。

 ……この子、鈍感系の誑しね。面白いことになりそう。

 

         ★

 

 ここ数日、じゃが丸君ばかり食っていたベルとヘスティアが、300グラムもあるラム肉の煮込みステーキを前に唖然としている頃。

 

 ダンジョン第10階層の白い霧の中で、髑髏と髑髏が顔を合わせていた。

「依頼を受けてくれたことに感謝する」

 いつも通りの黒づくめ姿で、フェルズは中性的な声で礼を告げる。

 

「まさか本当に掲示板へ貼りだすとは思わなかったがな」

 フードと髑髏の面布で顔を覆うエミールは、どこか呆れ気味に言った。

「30階層に行け、とは?」

 

「ダンジョン内に“食糧庫”と呼ばれる場所があることを知っているか?」

 フェルズの反問に、エミールは頭に詰め込んだダンジョン知識を捲って応じる。

「モンスター共が“餌”を食う場所、だったか」

 

「その通り」フェルズは首肯し「地下30階層にはその“食糧庫”があった」

「あった?」

 過去形に訝るエミールへ、フェルズは説明を続けた。

 

「何故かは不明だが、第30階層の“食糧庫”が閉ざされてしまっている。そのため、餌の調達先を失ったモンスター達が、大挙して食糧庫周辺にたむろしている状況だ。このままだと不測の事態が起きかねない。君には食糧庫が閉ざされた原因を調べて欲しい」

 

「その状況を把握している以上、お前が直接調べた方が早いのでは?」

 俺に何のメリットがある、とエミールが言いたげに問う。

 

「仮に」フェルズはエミールを注意深く窺いつつ「この事態が偶発的なものでないとしたら、闇派閥が関わっている可能性が高い」

 エミールは目深に被ったフードの奥で、深青色の瞳を冷たく輝かせる。

「続けろ」

 

「闇派閥は過去にもモンスターを利用してきた。たとえば、6年前には27階層で大量の“怪物進呈”を行い、多くの冒険者を殺害している。この街の治安維持に貢献していたアストレア・ファミリアも、モンスターを用いた罠で全滅した」

 フェルズはどこか痛ましげに語り、白い闇に覆われた階層の天井を見上げた。

「暗黒期の抗争で敗れた闇派閥の残党は、ダンジョンやスラムに潜伏している。今回の事態が人為的なものなら、間違いなく彼らが関わっているはずだ」

 

「スラムはともかく、ダンジョンにこもって組織を維持出来るのか? 必要物資や資金をどうやって調達する? ローグタウンを利用しているとしても、穴倉の中で全てが賄えるとは思えないが。その辺はどうなんだ。この街の司直組織は捜査してないのか?」

 

 人間一人で一日に水2L、食料2000カロリー(高消費運動をする人間は3000以上)必要となる。集団となれば、乗算式に増えていくし、排泄物やゴミの処理も問題になる。

 人間が社会以外で隠れ続けることは難しい。

 

「我々ではそこまで手が回らず……ガネーシャ・ファミリアも同様に……」

 エミールの指摘に、フェルズがばつの悪そうな声で応じた。

 

「なるほど、ガネーシャ・ファミリアは単なる番犬に過ぎないわけだ。それも、無駄飯食らいの類の」

 侮蔑するように吐き捨て、エミールはフードの奥で眉間に深い皺を刻む。

「闇派閥がしぶといのではなく、お前らが揃って無能だから生き長らえているのかもな」

 

「その非難は甘んじて受け入れよう」フェルズは肩を落としつつも「なればこそ、君と我々は協力し合えると思う。君は闇派閥を潰したい。我々も闇派閥に消えて貰って困ることはない。神殺しは許容できないがね」

 

「お前らの尻拭いのような気もするが、了承した。ただし、言っておくぞ」

 エミールは冷厳な眼差しをフェルズへ向けた。

「俺は闇派閥を皆殺しにする。さらなる情報を得るため奴らを拷問する。切り刻み、嬲り殺しにする。俺を利用する限り、お前らもその片棒を担いでいることを忘れるな」

 

「……ああ。理解しているよ」

 フェルズはどこか悲しげに頷く。

 

 エミールは思う。この不死者はこういう裏仕事に不向きな人間だな。元々は研究室にこもっているクチだったらしいから、当然かもしれない。

「第30階層の調査が終わったら、こちらがギルドの掲示板に依頼書を貼りつける。それで良いか?」

 

「構わない。それで頼む」

 フェルズはエミールを案じるように言った。

「繰り返すが、これは調査だ。君が大量集結するモンスターを討伐する必要は無いし、危険なことをする必要はない。君の手に負えないようなら、その事実を持ち帰ってくれれば良い」

 

 ――第30階層まで潜れと言っておいて、安危を案じるとは。

 エミールは小さく頭を振り、虚無の力を用いてこの場から離脱していく。

 

 

          ★

 

 紅色髑髏が一瞬で姿を消し、一人残されたフェルズは大きく息を吐く。肺など影すら残っていないが、生身だった頃の習性は骨だけになっても、800年余生きても消えない。

 

 此度の依頼、その目的は第30階層の“食糧庫”調査ではない。

 そもそも、地底の輩達と、その事情を知るヘルメス・ファミリアを送り込めば済む話。紅色髑髏が此度の取引を拒絶しても問題なかった。

 

 依頼の本命は紅色髑髏が単独で第30階層まで到達し得るか否か。その実力の確認。

 それと……地底の輩と接触させることだ。

 

 地底の輩達が危惧し、酷く警戒している『同胞を攫う冒険者』を、紅色髑髏に調べさせたい。

 異端児を拉致するなど、まず真っ当な冒険者ではあるまい。十中八九闇派閥だろう。

 

 人とモンスター。その関係を改め、世界のカタチをより良き方向へ導くためには、異端児達を守らねばならない。異端児達を狙う者達を排除しなくてはならない。

 冒険者を、同じ人間を、殺さねばならない。

 そのために、を使う。

 

「毒を制するには毒を、か」

 フェルズは魔導具“リバース・ヴェール”を用い、体を透明化させ、世界から姿を隠す。

 苦悩から逃げるように。

 

          ★

 

 フェルズから別れた後、エミールは隠しておいた装具一式を回収し、装備していく。

 対人戦のみなら、折り畳み式小剣とクロスボウで事足りるが、モンスター相手なら表の顔でも用いている鮪切包丁モドキや諸々物資を運ぶバックパックが必要だった。

 

 髑髏の面布を着けたま、エミールは視界を広げるためにフードを降ろす。

 装具ベルトの汎用パウチに詰めたダンジョン内地図を取り出して開き、

「スピード・ランと行くか」

 エミールは左手を翳し、

「Swahh Skatis」

 虚無の手(ファーリーチ)を用い、ダンジョン内をかっ跳んでいった。

 その先に何が待っているのかも知らずに。

 

         ★

 

 ベル・クラネル少年が迷宮都市に足を踏み入れて一週間頃。

 探索系ファミリアの雄ロキ・ファミリアは深層遠征へ出立した。

 

 恩恵レベル6の最高幹部を筆頭にレベル5や4と高位冒険者達が隊伍を組み、山ほど物資を担いでダンジョン内を進んでいく様は軍隊の小部隊を思わせる。

 もっとも、ロキ・ファミリアの遠征隊は装備に統一感が無く、女性過多でどこか華やかだったが。

 

 ロキ・ファミリア団長フィン・ディムナの遠征計画では一週間程で地下50階層まで到達する予定であり、その後は余力が続く限り深層へ潜り続けるつもりだった。

 ちなみに、団員の“剣姫”アイズ・ヴァレンシュタインは単独なら第20階層まで日帰り距離だ。

 

 

 遠征初日の昼過ぎ。遠征隊は第18階層、リヴィラの街を抜けて中層『緑の迷宮』に足を踏み入れていた。

 

「今のところは順調ですね。水の迷都もこの調子で進めれば良いんですけど」

 長く艶やかな黒髪と豊満な胸元が特徴的なアマゾネス娘、ティオネ・ヒュリテがフィンに言った。

 

 下層の複階層にまたがって広がる河川/湖沼階層――『水の迷都』はその地勢上、移動に時間を食う。身軽な戦闘装備のみなら恩恵の身体能力で容易く踏破可能だが、山ほど物資を抱えた輜重隊はそうもいかない。

 

 また、『水の迷都』を縄張りにする水陸性モンスターは癖が強い種が多いのも厄介だ。特に階層主のアンフィス・バエナは『水の迷都』一帯――階層跨ぎをするため、相手取ることと面倒臭いことになる。

 

「水の迷都を抜けても、気が抜けないところばかりだけどね」

 フィンは金髪を弄りながら小さく鼻息をつく。

 

 たとえば、第37階層の『闘技場』はモンスターが無限沸きする。45階層前後は大地の焼けた火山帯。深層の安全階層たる50階層の手前、第49階層『大荒野』は階層主バロールが出るわ、獣蛮族(フォモール)の大歓迎員会が控えているわ、と困難が絶えない。

 

 そうしてやっとこさ到着した第50階層から先は竜の巣だ。少なくとも51階層から58階層まで、様々な竜が現れる。当然ながら12階層のインファント・ドラゴンとは比べ物にならない強大な竜ばかりだ。

 

 であるからこそ、上層から下層までを如何に早く――如何に物資を消費せず深層へ辿り着くか、が重要だった。未踏領域への挑戦と復路に必要な物資量を考慮すれば、往路で能う限り消費を押さえたい。

 

「水と食料は最悪、現地調達するとしても、回復剤や装備の補充が出来ないとどうにもならない。深層のモンスター相手に素手で格闘戦は御免だよ」

「大丈夫ですっ! 素手になったら、私がモンスターを殴り殺しますからっ!」

 拳を握り締めて力こぶを見せるティオネ。そのアピールは恋する乙女として如何なものか。

 

「ああ。うん。その心構えは買うよ、ティオネ」

 そういう話じゃないんだけどな、と思いつつ、フィンは眉を大きく下げながら微苦笑で応じる。

「しかし……先行隊から接敵の報告がほとんど無い。順調に越したことはないけど、これはこれで気になるな」

 

「親指、疼いてます?」

 ティオナに問われ、フィンは首を横に振った。

 

“フィン・ディムナの親指”は予言的なまでに精緻で鋭敏な“勘”だ。そのため『フィンの親指に従うべし』がファミリア団員の常識となっている。

 

 と、“凶狼”ベート・ローガ率いる先行偵察隊のメンバーがやってきて報告。フィンは片眉をあげる。

「――分かった。挨拶に出向こう」

 

「挨拶?」

 訝るティオネに、フィンは小さく笑う。

「ティオネ。しばらく本隊(ここ)は任せるよ」

 

 

 狼人青年ベート・ローガは、顔に刺青を入れたオラオラ系のガラの悪いあんちゃんである。長身痩躯で美形なのに立ち振る舞いが完全なチンピラのソレという、どうにも拗らせてしまった感のある男だ。

 都市最強の男を前にしても、臆すことなくメンチを切るあたり、“凶狼”の二つ名がよく似合っている。

 

「よさんか、鬱陶しい」

 前衛隊の指揮官を務める最高幹部の一人、ガレス・ランドロックがベートの背を小突く。

「足止めしたうえの非礼を詫びる。オッタル」

 

「……ウチの団員に比べれば可愛いものだ」

 オッタルはうっそりと応じる。ベートにガンを飛ばされ続けているが、歯牙にも掛けていない。

 そして、どういうわけか、びしょ濡れだった。

 

「ねえ、なんで濡れてるの?」

 ガレスの下、前衛隊に属する“大切断”ティオナ・ヒリュテが問う。

 

 髪を短くしていて、胸元が主神ロキ並みに平たい点以外、姉のティオネとそっくり。なお、姉ティオネは双剣を使うテクニカル派だが、妹ティオナは大重量級双刃剣をぶん回す超パワーファイターだ。

 

「馴れ合ってんじゃねェよ、バカゾネス」とベートが苛立たし気に毒づく。

「ベートこそ無暗に喧嘩売るの辞めたら? みっともない」と負けん気の強いティオナが即座に言い返す。

「ああ?」

「何よ」

 

 睨み合うベートとティオナを一瞥し、ガレスは溜息と共にオッタルへ再び詫びる。

「ウチの若いのがすまんな、オッタル」

 

「……ウチの団員に比べれば可愛いものだ」

 オッタルがうっそりと答えたところへ、小柄な金髪の美少年――にしか見えない小人族の成人男性フィンがやってきた。

「やあ、オッタル。こんなところで会うとは奇遇だね」

 

「奇遇も何も、お前の団員達に足止めされたのだがな。フィン・ディムナ」

 オッタルがぎろりとフィンを睥睨する。その静かな圧力に周囲の団員達が圧倒される中、

「フレイヤ・ファミリアの団長を前に素通りしては失礼だろう?」

 フィンは薄い冷笑を返す。

 

 2Mに達しようかという筋骨隆々の大男と小柄な美少年。その身長差はかなり大きいはずだが、オッタルとフィンの存在感はまったく差が無い。

 迷宮都市の二大武闘派ファミリア、その団長同士。体格とレベルに違いはあれど、漢気に優劣は無い、といったところか。

 ――ティオネが居たら『団長ステキッ!』とか言っちゃう場面だな、とティオナは思う。

 

“じゃれ合い”を済ませ、フィンは表情を和らげる。

「君がダンジョンに居たなら、ここまでモンスターと遭遇戦が少なかった理由も納得いったよ。ところで……どうしたんだい? びしょ濡れだけど」

 

「27階層でアンフィス・バエナを仕留めただけだ」

 オッタルは少しばかり眉間に皺を寄せた。

 

「それは……なるほどね」

 フィンはオッタルがびしょ濡れの理由を察する。水源地で巨大な双頭竜とチャンバラをすれば、さもありなん。

 

 下層の階層主を単独撃破し、その代償がびしょ濡れになっただけ、という事実に周囲の団員達が唖然とする。他方、ガレスは楽しげに苦笑いし、ティオナはどこか悔しげに唸り、ベートは忌々しげに舌打ちした。

 

 フィンは小さく頭を振る。

「君が階層主を倒して幸先が良いとみるべきか、手柄を奪われて幸先が悪いと思うべきか」

「好きな方を選べ」とオッタルは素っ気なく応じた。

 

「いろいろ教えてくれてありがとう、オッタル。足止めしてしまって悪かったね」

 フィンはにこやかにオッタルへ礼を言いつつ、階層主が居ない水の迷都をどう踏破するか、ルートを考え始めていた。

 

 思案顔のフィンを余所に、オッタルはその場を立ち去っていく。

 オッタルは言わなかった。

 

 27階層で双頭竜を狩っていた時、何か不審な気配がしていたことを。

 あの不審な気配がロキ・ファミリアの遠征隊に害をなす可能性もあったが……

 教えてやる義理はない。

 




Tips

『黒き仔馬亭』
元ネタはDishonored2に登場する『ブラックポニーパブ』。
デリラのクーデター後の治安悪化で潰れ、その後は地下にブラックマーケットショップが開かれた。


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16:オラリオ・トライアル:トートファイン

ちょっと長めです。


 ダンジョン下層『水の迷都』は豊かな湖沼が煌めき、麗しい河川が流れる。水晶鉱床の天井に広がる緑。

幻想的で非自然的な美景――を刻む出来たばかりの戦闘痕跡。

 

「迷宮都市最強の男、か。実物が戦っている様を見たのは初めてだが……凄まじい限りだったな」

 高台に転がる倒木に腰かけた長身の男が、先ほどまで覗き見ていた戦いを振り返り、しみじみと呟く。

 灰色のフードマントで長身の頭から足元まですっぽりと包み、首から下げた”聖印”入り鯨骨製ゴルゲットだけが見えている。

「逆立ちしても勝てる気がせん。“猛者”とはよく言ったものだ」

 

「感心している場合か」

 幹に背を預けた赤髪の美女が、端麗な顔を歪めて吐き捨てる。爬虫類のような翠色の光彩が苛立たしげに細められた。

「階層主の魔石を手に入れる予定がパァだ。鬱陶しい妄信者共がまたぞろ文句を垂れる」

 

「ミズ・レヴィス。ひょっとして、己もその妄信者に入るのだろうか?」

「当然だ。貴様も充分に鬱陶しい」

 レヴィスと呼ばれた赤髪の美女は男を睨みつける。

「貴様のお仲間に“食糧庫”の状況を教えてやったら、何と言ったと思う? 第30階層まで到達できる冒険者はそう多くないから発覚することは無い、だ。反論する気も失せたぞ」

 

 地下30階の食糧庫付近は“餌”を求めるモンスターが大挙して留まっている。あからさまな異常事態だ。階層が階層だから地上の者達に発覚していないが、遅かれ早かれバレるだろう。

 

 だというのに、闇派閥の連中ときたら、対策を練る気が全くない。これまで発覚しなかったのは、よほど幸運なのか、地上の連中がボンクラなのかのどちらかだ。

 前者ならともかく、後者ならそんなボンクラに敗れ、地下暮らしを余儀なくされている闇派閥の連中は救いようがないノータリンということだが。

 

「奴らが抗争に敗れたのは、力不足ではなく頭の出来が悪かったせいだろうよ」

 レヴィスの痛烈な毒舌に、

「いや、ミズ・レヴィス。己は彼らとは別の派閥なのだが―――」

 不意に黙り込み、男は首元に下げたゴルゲットに触れる。

 

「――聖印が鳴いている」

 

「は?」と怪訝そうに眉根を寄せるレヴィス。

 男はフードを下げ、

「ミズ・レヴィスは先に戻られよ。己は確認せねばならん」

 継ぎ接ぎの革マスクを晒しながら湖沼へ向けて疾駆していく。

 

 一人残されたレヴィスは呆気に取られながら、瞬く間に遠ざかっていく継ぎ接ぎマスクの背を見つめて、心底忌々しげに毒づく。

「頭の煮えた妄信者め」

 付き合いきれん、というようにレヴィスは踵を返した。

 

        ★

 

 エミール・グリストルは虚無の力を駆使してモンスターやダンジョンギミックを回避し、やり過ごしながらここまで進んできていたが、水の迷都――第25階層に踏み込んでから別の問題が生じた。

 

「……いい加減な地図だな」

 エミールは地図を手に毒づいた。

 

 中層から先に進む冒険者が少ないせいか、ギルドが提供するダンジョン内の地図は中層から途端に空白部分が増える。冒険者による現地調査が行われていないため、未探索領域が多いためだった。

 

 未探索領域の調査こそ冒険者の役割のような気がするが……いや『冒険者は冒険するな』だったか。在り方が炭鉱夫か猟師なら未探索領域の調査より稼ぎを優先して当然か。

 いっそ冒険者ではなく魔石/素材採取業と名乗るべきだな。ギルドも魔石/素材取引業とでも名乗れば良い。

 

 しょうもないことを考えつつ、エミールは第27階層へ辿り着く。

 水の迷都最終階層は先ほどまで『たった一人で双頭竜を討ち果たす』という神話染みた戦いの舞台だったとは思えないほど、穏やかな静けさに満ちている。

 幻想的で非自然的な美観と、その美観を損ねる荒々しい戦闘痕跡。

 

 エミールが戦闘痕跡に近づいた、

 刹那。

 聴覚がこちらに迫る鋭い風切り音を捉え、瞬時にその場を大きく飛び退く。

 

 直後、エミールが居た場所に矢弾が着弾して爆発。

 

 爆裂ボルトの効力圏外で爆風を浴びつつ、エミールは爆煙に紛れて瞬間移動(ブリンク)で岩陰に滑り込む。

 

 知覚強化(ダークビジョン)で岩越しに周囲を見回すが、検知圏内に生命の反応は無い。

 慎重を期して瞬間移動に加えて時間操作(ベンドタイム)まで使い、エミールはさらに後退。岩陰から樹木の陰、樹木の陰から別の岩陰へ潜りこむ。

 

 足跡はおろか草木に触れた痕跡すら残らない離脱。これで追跡できるとしたら、相当の手練れか捜索追跡系スキル持ちだ。

 

 エミールは顔の半分を覆う面布の中で息を整える。全身を冷や汗が濡らし、呼吸と鼓動が早まっている。

 装具ベルトのパウチから魔力回復剤を取り出し、一息で干す。喉の渇きを癒して消耗した魔力を回復。面布を再び装着しつつ、周辺を警戒しながら“敵”について考察する。

 

 弓ではなくクロスボウ。知覚強化の範囲外だとすれば相当な距離だ。

 モンスターが爆裂ボルトを使わないだろう。

 敵は人間。それも手練れの。

 これはフェルズの仕込みか。それとも……

 

 と、知覚強化の視界に影を捉えた。エミールは考察を中断して敵の姿を窺い、視認する。

 

 

 その瞬間。

 エミールの心に巣食う憎悪と怨恨が爆発し、頭の中が殺意で満たされた。

 

        ★

 

 三年前。

 諸島帝国の首都ダンウォールにある自然科学アカデミーが恩恵持ちの賊共に襲撃を受け、国家憲兵隊(グランドガード)都市衛兵隊(シティウォッチ)、アカデミー職員に多くの犠牲が出た。

 

 エミール・グリストル国家憲兵隊最上級衛兵も、事件の現場にいた。

 賊徒の攻撃で率いる分隊は全滅。自身も左腕に重度の火傷を負った。

 

 死亡したアカデミー職員の中には、エミールの恋人もいた。

 エミールが心から愛した恋人は、エミールの眼前で心臓を貫かれ、雨の降り注ぐアカデミーの中庭へゴミのように投げ捨てられた。

 

 そして、恋人の亡骸を抱え、仲間の死体に囲まれる中、エミールはアウトサイダーに出会って印を刻まれた。

 

 エミールは今も克明に覚えている。

 仲間達の最期を。仲間達の悲鳴を。仲間達の断末魔を。遺族達の嘆きを。遺族達の罵倒を。

 

 エミールは今も鮮明に覚えている。

 恋人が死ぬ瞬間を。その体が打ち捨てられる様を。抱き上げた亡骸から失われていく温もりを。血が失われて青白くなっていく肌を。魂の喪われた恋人の顔を。

 

 エミールは一日とて忘れたことが無い。

 恋人の心臓を貫き抉り、ゴミのように打ち捨てた賊の姿を。

 

 エミールは一瞬たりとて忘れたことはない。

 棺に納められた恋人に誓ったことを。仲間達の墓に約束したことを。

 

 魂に刻んだ宣誓。

 奴らを必ず殺す。一匹残らず殺し尽くす。

 特にあの“継ぎ接ぎマスク野郎”は――八つ裂きにして地獄より恐ろしいところへ沈めてやる。

 

         ★

 

「――間違いない。本物の刻印持ち(マークベアラー)だ」

 爆裂ボルトの初撃を“期待通り”にかわされ、継ぎ接ぎマスクは声を弾ませた。マスクの目出し部分から覗く、茶色の目が歓喜と興奮にギラギラと輝いている。

 

 相手は“刻印持ち”。虚無の力を扱う理外の者。時と空間を操り、魔法やスキルなど比較にならない超常を駆使する強敵だ。

 それでも、継ぎ接ぎマスクに引くという選択肢はない。

 

 ついに刻印持ちと邂逅したのだ。ようやく虚無歩き(ヴォイド・ウォーカー)と遭遇したのだ。

 ここで取り逃がすという選択肢はあり得ない。

 絶対に。

 

「聖約を果たす時。なんとしても宿願を果たさねばならぬ」

 他人には理解不能なことをぶつぶつと呟きながら、継ぎ接ぎマスクは左手首に巻いたリストボウに矢弾を装填し、まくっていた袖を戻す。

「殺さずに済ませることは難しいが……生きてさえいればよかろう。むしろ手足を落としておいた方が面倒もないか」

 

 継ぎ接ぎマスクは左腰から鍔や柄頭にボーンチャームを括りつけた剣を抜く。茨とモンスターの骨が融合して黒鉄の刀身を咥えこんだ異様な剣を。

「いざ征かん」

 不気味な剣を強く握りしめ、継ぎ接ぎマスクが樹木帯から躍り出る。

 

 同時に、突如として眼前に紅色の髑髏面布を巻いた刻印持ち(マークベアラー)が出現、鮪切包丁みたいな積層鋼の片刃直剣を叩きつけるように振り下ろす。

 その壮絶な斬撃は、常人なら反応する間もなく首を斬り飛ばされただろう。生半な恩恵持ちでも為す術なく命を刈り取られただろう。

 

 しかし、継ぎ接ぎマスクは常人でも生半でも非ず。

 凄まじき反射速度で茨と骨の剣を振るい、その峰を左腕で支え、紅色髑髏の一太刀を受け止める。

 

 二振りの刃が衝突し、轟音と共に閃光が煌めき、火花が踊った。衝撃によって周りの木々の枝葉が震え、湖岸の水面に波紋が走る。

 

 初太刀を防がれた紅色髑髏が瞬時に姿を消し、継ぎ接ぎマスクが瞬きを終えるより早く背後へ回り込むやいなや、二の太刀の横薙ぎ。

 振り向いては間に合わぬ。継ぎ接ぎマスクは地面を強く蹴って前方へ逃げる。フードマントの背の部分が大きく切り裂かれたが、切っ先は身に届いていない。

 

 超人的瞬発力を発揮した継ぎ接ぎマスクが着地する前に、紅色髑髏は虚無の手(ファーリーチ)を用いてその背を掴み、強引に引き寄せる。

 抗いようのない圧倒的な力で引っ張られ、継ぎ接ぎマスクは為す術なく宙を舞う。

 

 が、継ぎ接ぎマスクはその暴力的な慣性とエネルギーに翻弄されながらも身を捻り、迫る紅色髑髏へ反撃の一太刀を放つ。これもまた異常なまでの身体能力と体裁きだった。

 

 再び交差した二刀が轟音を放ち、峻烈な閃光と鮮烈な火花が散る。

 衝撃の反動に乗じ、紅色髑髏と継ぎ接ぎマスクはそれぞれ一旦後退。

 

「紛う無き虚無の業。この邂逅を長く待ちわびたぞ、刻印持ちよ」

 継ぎ接ぎマスクは歓喜の声を漏らしながら、引き千切るようにマントを脱ぎ捨てた。

 

 鍛え抜かれた長身の体躯。カーキ色の上衣に硬皮革製胸甲を巻いており、赤茶色の革パンツに鋼板付ブーツを履いている。首から下げたルーン文字入りの鯨骨製ゴルゲットに加え、胸甲と腰の装具ベルト、手首足首にボーンチャームを山ほど括りつけていた。

 

 手にした得物以上に異様なナリは、継ぎ接ぎマスクが虚無のカルティストであることを雄弁に物語っていた。それも、リヴィラやスラムでボーンチャームを商うエルフ乙女の比ではないほど、重度の。

 

「貴様の魂を以って聖約の誓いを果たすっ! あの“御方”のため贄となれ、刻印持ちよっ!」

 狂気に満ちた雄叫びを上げ、継ぎ接ぎマスクが茨と骨の剣を構える。

 

 一方、紅色髑髏は一言も発さない。代わりに、スキルか魔導具を用いているらしい茫洋とした印象とは裏腹に、鮮烈な殺気を発している。

 濃密な憎悪と怨恨を燃料にした、肌を焦がしそうなほど熱い殺意。

 

「……ふむ」

 継ぎ接ぎマスクはマスクの奥で目を細め、怪訝そうに唸る。

「貴様とは初対面のはずだが……これほど憎まれ恨まれるとは如何。己となんぞ因縁があるのか?」

 

 その問いかけを受け、紅色髑髏は殺気の熱量が増した。握られた鮪切包丁モドキの柄がミシミシと鳴かせながら怨嗟をこぼすように、告げる。

「三年前。諸島帝国。ダンウォール」

 

「――――っ! そうか……っ!」

 継ぎ接ぎマスクは合点がいき、小さく吃驚して幾度も幾度も頷き、

「なるほどなるほど。貴様はあの時の生き残りか、死者の縁者か。なるほど。なるほどなぁ。貴様にとって己は仇か。己を討たんと欲し、望み、願い、果てに理外の者から力を受け取ったか」

 哄笑した。

「なんということだっ!! あの“御方”を奪還せしめたのみならず、刻印持ちを生み出しておったとはっ!! なんとなんとっ! はははは、これは一本取られたわっ!」

 歓喜と感動に満ち溢れた高笑いを湖岸に響かせ、継ぎ接ぎマスクは肩を揺らしながら、言った。

 

 

 

「ああ……()()()()()()()()

 

 

 

 その言葉が紅色髑髏の耳朶に届き、鼓膜を振るわせ、聴覚が捉えて、脳に意味を理解させた直後。

 紅色髑髏は今すぐ継ぎ接ぎマスクを切り刻むため、虚無を歩く者が持つ最強の業を駆使する。魔力の消費など知ったことかと言わんばかりに。

 殺す。この場で殺す。今殺す。疾く殺す。必ず殺す。絶対に殺す。生きたまま心臓を抉りだしてやる。

 

「Rashu Grhaya」

 

 時が止まった。

 水面の波紋が、枝葉や草葉の揺れが、樹々から舞い散る葉が、大気の流動が、水晶鉱床の発する光の粒子が。

 紅色髑髏以外の全てが、静止する。

 

 ―――はずだった。

 

 バキッ!

 静止した世界に生じないはずの音が響く。

 

 鯨骨製ゴブレットに大きな亀裂が走った直後、継ぎ接ぎマスクが高々と嗤い、

「“御方”と聖約を結び、聖印を持つ己にその技は通じぬっ!!」

 紅色髑髏が驚愕して身を強張らせた、一瞬の間隙を突いて斬りかかる。

「まずは腕を一本貰おうかっ!!」

 

        ★

 

 時が静止した世界の中で、継ぎ接ぎマスクの剣閃が迫る。

 エミールはとっさに咄嗟に鮪切包丁モドキで受け止めた。

 

 しかし、反応の遅れから受け方が悪い。鮪切包丁モドキは斬撃の衝撃によって折れ曲がる、もなんとか茨と骨の剣を弾く。

 撥ねた刃がエミールのフードを引き裂き、切っ先が頭皮をかすめ、血を散らす。

 

 わずかとはいえ、肉を裂かれた鋭い痛みと死の際を切り抜けた事実に、瞬間的にアドレナリンが大量分泌された。脳を満たすアドレナリンに呼応してアビリティ『飢血(ブラッドサースト)』が発動。エミールの知覚速度と反射速度、反応速度が激烈に向上する。

 

 エミールは右足で継ぎ接ぎマスクを蹴り退け、鮪切包丁モドキを投げ捨て、折り畳み式小剣を抜刀。手の中で回しながら展開させ、蹴り飛ばした継ぎ接ぎマスクへ急迫。体勢を整える前に小剣を振り抜く。

 

 継ぎ接ぎマスクが大きく飛び退いて回避を試みるも、その革マスクを切っ先が掠め、大きく裂けた。

 

 再び両者の距離が開いたところで、時が動き出す。

 エミールは右手で剣を構えながら左手で裂けたフードを下ろし、薄茶色の髪を赤く染めつつ額に垂れる血を拭う。

 

「腕一本と豪語しておきながら薄皮一枚とは。これは恥ずかしい」

 一方、継ぎ接ぎマスクは冷笑しながら、裂かれた革マスクを煩わしげに毟り取る。

 

 露わになった素顔は中年後期のヒューマン男性。ブルネットの短髪に少なくない白髪が混じっている。茶色の瞳が印象的な顔立ちは意外なほどに凡庸ながら、その右半分にツタが絡みついたような痣が走っていた。

 

 継ぎ接ぎマスクもといツタ痣男は小首を傾げる。

 

「しかし……三年前のダンウォールにこれほど剣に長けた者はおらなんだはず……己以外を相手にしておったかな? それとも遺族の口か? 刻印持ち(マークベアラー)よ、名は何という?」

 

 エミールは問いかけに応えない。応える必要もない。エミールは既に眼前の男を殺すと決めている。その行動以外に何も必要としていなかった。

 

 獰猛な沈黙。絶対殺意の無言。

 右手で折り畳み式小剣を構えながら、エミールは左手で左脇に吊るすクロスボウを握った。

 

「問答無用か。結構。ならば」

 ツタ痣男が早撃ちのように左手を伸ばし、手首に巻いたリストボウを撃った。

「チャンバラの次はドンパチと行くか、刻印持ちよっ!!」

 が、エミールはわずかに身を捩っただけで矢弾をかわし、即座に応射。

「むぅっ!?」

 

 ツタ痣男はエミールのような最小単位の動作で回避できず、大きく横っ飛びする。そこへ、エミールは第二射を放ちながら一気に距離を詰めていく。

 

「ちぃっ!! 猪口才なっ!!」

 再び横っ飛びして矢弾を避け、ツタ痣男は距離を詰めてきたエミールの斬撃を剣の鎬でいなす。

 

 その交差を皮切りに、激しい高速機動戦闘(ハイベロシティ・コンバット)が始まる。

 神の血を与えられた超人達が湖岸で、浅瀬で、木々の間で、樹々の林冠で、水辺で殺意をぶつけ合う。

 

 エミールは恩恵と虚無の力を駆使して、ツタ痣男は恩恵の力とボーンチャームの効果を用いて、疾走し、跳躍し、疾駆し、飛び跳ね、互いの放つ矢弾が飛び交い、一瞬の剣戟が重ねられる。

 

 否、振るわれるは剣のみならず。放たれるは矢弾のみならず。

 

 エミールは手榴弾を投げ、爆裂ボルトを撃ち、スプリングレーザーを用い、音響(ハウリング)ボルトやスタンマインや煙幕弾(チョークダスト)などを使って“崩し”を試み、さらには超常の衝撃波(ウィンドブラスト)を放つ。

 

 手榴弾の爆発で藪が吹き飛び、爆裂ボルトの炸裂で木々が焼かれ、スプリングレーザーが岩石を削ぐ。音響ボルトの轟音が静寂を引き裂き、スタンマインの閃電が水面を走り、爆煙と粉塵と煙幕が辺りを包み、衝撃波が湖岸を抉り、大量の水飛沫をまき散らす。

 

 常人や生半な恩恵持ちなら既に数度は命を落としているだろう猛攻。

 しかし、ツタ痣男は全ての死線を掻い潜り、あまつさえ反撃すら繰り出す。

 

 剣閃が幾度目かの交差を迎え、両者は湖沼の浅瀬に着地。ひと度足を止めた。

 互いに細かな傷をいくつも負い、体のあちこちから血が流れ、足首まで浸かる水面にぽたぽたと垂れ落ちる。それでも、両者の戦意と闘志と殺意に陰りは微塵もない。

 

「虚無の力頼りかと思っていたが、どうしてどうしてっ!」

 ツタ痣男は楽しげに嗤う。乱れた息を整え、邪魔な汗を拭い、茶色い瞳を戦闘の悦びに輝かせている。

 

 エミールも認めざるを得なかった。

 強い。

 手にある全ての武器、これまで積み重ねてきた経験と技、自身の恩恵、虚無の力を用いてもなお倒し切れない。純粋に戦士として、恩恵持ちとして、仇敵の方が上だと認めざるを得ない。

 

 それでも。

 殺す。必ず殺す。絶対に殺す。

 

 二重刻印持ちのエミールには、まだ切り札が残っている。

 虚無の力による“分身創造(ドッペルゲンガー)”と“連鎖(ドミノ)”。この二つを組み合わせることで、どれほど高位レベルの強者だろうと必ず抹殺できる。

 恩恵で肉体を強化されても、魂の次元で連鎖するダメージは防ぐことも受け止めることも出来ないのだから。

 

 ただし、問題もある。

 この強敵を前にドッペルゲンガーを作り、ドミノを通じて死をリンクさせる間隙を如何に捻り出すかということ。

 時間操作すら無効化するあの鯨骨製ゴルゲットに、ドミノを防がれるかもしれないこと。

 

 ―――それがどうした。

 奴はこの場で必ず殺す。

 

       ★

 

 紅色髑髏がクロスボウを左脇に下げ、「Hamon……Favordik」と左手を掲げた直後。水面に揺れる影から、もう一人の紅色髑髏が生え出す。

 

「分身か……面白いっ!」

 ツタ痣男は数的不利に陥っても狂笑を崩さない。

 

 本体に先駆け、フードを目深に被っている分身の紅色髑髏が飛び掛かってきた。が、本体に比べ、その動きは幾枚も落ちる。

「この程度かっ!」

 分身の斬撃を容易くいなし、ツタ痣男は本体から視線を切らずに、返す刀で分身の胸を袈裟に斬る。

 が、手応えは浅い。足を水に浸けているためと本体から意識を外さずにいたため、踏み込みが足りなかった。

 

 ――なぜ、今攻めてこなかった?

 ツタ痣男の脳裏に疑念が生じた。本体の紅色髑髏が先ほどまで見せていた動きなら、容易に後の先を取れたはず。

 いや、後の先を取って何かしたのか?

 

 ツタ痣男の考察を妨げるように、今度は本体が動く。その右手に握った折り畳み式小剣で“分身の胸を貫き、抉る”。

「な」

 

 ツタ痣男がギョッと目を剥いた直後、虚無の力によって分身の“死”がツタ痣男へ走る。

 

 ばきゃり。

 

 首から下げていた鯨骨製ゴルゲットが弾けるように砕け、それでもなお、胸に貫き抉られたような苦痛が走り、

「ぐっあぁっ!?」

 ツタ痣男が胸を掻き毟りながら苦悶の悲鳴を吐く。

 

 その間隙を紅色髑髏は逃さない。残された魔力を絞り出してツタ痣男へ瞬間移動(ブリンク)。眼前に着地と同時に飢血の一撃。

「死ね」

 絶対零度の呪詛と共に迫る剣閃。

 

 ツタ痣男の抵抗は間に合わない。胸に走る激痛によって反応が致命的に遅れている。心臓を震わせ肺を締めつける痛みに力が入らない。

 

 ―――伸るか反るかっ!!

 紅色髑髏が博奕に出たように、ツタ痣男も博奕に出る。

 

 刹那、男の顔に走るツタのような痣が蠢き、白目部分がどす黒く塗り潰され、瞳が純白に染まり――

 放たれる絶叫。

 

 それはもはや声ではなく、ツタ痣男の口から発せられる音圧衝撃波であり、周囲の水を吹き飛ばすほどに甚大な威力を発揮した。

 紅色髑髏の一閃がツタ痣男を捉えると同時に、強烈な音圧衝撃波が駆け抜け、高運動エネルギーを与えられて硬質物体化した水の壁が紅色髑髏を薙ぎ払う。

 

 紅色髑髏は数十Mも宙を舞い、水切り石のように湖面を幾度も跳ねた末、水中に没した。

 

「手応えは、あった……ぐぅうううう、がああああああああっ!!」

 引き戻ってきた湖水の中にへたり込み、ツタ痣男は耐え難い苦痛にもがく。

 

 紅色髑髏の斬撃は完全に防げなかった。

 折り畳み小剣の切っ先がツタ痣男の左目を捉え、左耳辺りまで抉り裂いていた。おかげで左目は跡形もなく破裂し、左眼窩周辺骨は砕かれ、べろりと剥けた皮と表情筋がだらりと垂れ下がり、左耳が千切れて失われている。

 

 斬撃の衝撃により鼻骨も砕け、眼底蝶形骨も亀裂が入っている。右目や三半規管の具合もおかしい。脳震盪と鞭打ちも生じており、体の自由が利かない。

 脳が損傷していないことが一種の奇跡だった。

 

 そこへ、“聖約”の力を使った反動が襲い掛かる。顔中から噴き出していた血液が真っ黒に染まり、顔に走っていたツタのような痣が広がっていく。更なる激痛を伴いながら。

 

「ぐぅ、ああああっあっあっああ、がああああああああああっ!!」

 ツタ痣男は苦悶の絶叫を上げた。それでも、痛みに震える体に鞭を打って陸へ上がり、

「あれしきでは死ぬまい……次こそ聖約の務めを完遂してくれよう」

 肩越しに湖面を一瞥してから、体を引きずるように湖岸の森へ入っていく。

 

「むぅ……痛い……痛いぞぉこれは……ミズ・レヴィスが迎えに来てくれまいか……」

 残念ながらレヴィスが迎えに来ることはなかった。

 




Tips

Dishonoredには、刻印を持たずに超常の力(原作では魔法とも呼ばれる)を使う者達がしばしば登場する。

継ぎ接ぎマスク
本名はまだ内緒。



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16+:トライアル・リザルト

 光が見える。ゆらゆらと小波に揺れる光が。

 

 歌が聞こえる。鯨の切なく美しい歌が。

 

 冷たい浮遊感に委ねた体のあちこちから、赤い血が上下左右に流れ出ていく。

 

 指一本動かせないものの、痛みはない。苦しくもない。辛くもない。

 哀しくもない。

 

 茫洋と揺れる光を眺め、鯨の歌を聴くエミールを、

「手酷くやられたな、エミール」

 アウトサイダーが無感動に見下ろしていた。漆黒の双眸には如何なる情動も宿っていない。

「お前は今、疑問を抱いているだろう。三年掛かりで見つけ出した仇敵。アレが使ってみせた力について」

 

 エミールはアウトサイダーへ反応を返さず、茫然と揺れる光を見つめ、鯨の歌を聞きながら無重力に身を委ねている。

 

「疑問を解消してやろう。三年掛かりの追跡が実った祝いだ」

 が、アウトサイダーはエミールの反応など気にもかけない。

「アレは私が印を刻んだ者ではない。あのようなつまらぬ者は力を与えるに値しないからな。詳しいことが知りたければ、お前を支える魔女にアレのことを伝えれば良い。あの魔女はお前が思っている以上に多くを知っている」

 

 無機質に淡々と言葉を紡ぎ、

「お前の物語は大きく前進した。しかし、忘れるな。お前は既に大きな物語へ触れている。選択次第ではお前の物語はたちまち飲み込まれてしまうぞ」

 アウトサイダーは一方的に無感動な言葉を連ね、

「つまらない結末だけは迎えてくれるなよ、エミール」

 そして、エミールの意識が闇に閉ざされていった。

 

 鯨の歌が聞こえなくなる刹那。

 エミールは痛切な寂寥感に駆られた。が、涙は一滴も溢れなかった。涸れてしまったかのように。

 

         ★

 

「―――ぅ」

 エミールは意識を取り戻し、体中の痛みに呻きながら身を起こす。

 が、思っていたほど痛みが酷くないことに困惑を覚え、次いで、周囲を見回して別ベクトルの戸惑いを抱く。

 

 どこだ、ここは。

 

 洞窟の一角らしき広い空間。剥き出しの岩肌を焚火の灯りが照らしている。焚火は灰の量が多く、火元周りの地面が焼けて久しい。周囲も整地されているようだ。簡素ながら拠点化された場所だ。

 

 ツタ痣男の反撃を受けて湖沼に沈んだ後の記憶がない。あの状況から自力で陸に上がり、この場所に逃げ込んで薪を集めて焚火を起こした?

 そんなアホな。

 

 エミールは体の具合と装備を確認する。痛みはあるものの、怪我はない。回復薬で治療されたらしい。着衣が生乾き状態――それだけの時間、意識がなかったことを意味する。折り畳み式小剣とクロスボウ、それと戦闘に備えて遺棄したはずのバックパックが、髑髏の面布と共に傍らへ置いてあった。

 

「気づいたか」

 不意に声を掛けられ、エミールは馬鹿馬鹿しいほどの反射速度で折り畳み式小剣を手に取り、展開。

 

「落ち着け。ここは安全だ」

 透明化を解き、黒づくめのローブ姿――フェルズが姿を現して、宥めるように言葉を重ねた。

 

 エミールは油断なく深青色の瞳を周囲に巡らせる。5、いや、6か。愚者の後方の陰に3、左の岩陰に2。それと頭上に1。これは……

 

「モンスターに取り囲まれている状況が安全か?」

 底冷えしそうな冷たい声で問われ、

「! どうして……いや虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)なら不思議でもないか」

 フェルズは驚きをすぐに自己解決し、右手を上げて振るう。

 

 合図と共に物陰や暗がりから、モンスター達が姿を見せる。

 

 フェルズの背後から赤鱗の蜥蜴人。濃灰色の石竜。赤い帽子を被った小鬼。左後ろの岩陰から麗しい歌人鳥と美しい半人半蛇。頭上から甲冑を着込んだ人蜘蛛。

 

 見紛うこと無きモンスター共。

 ただし、いずれのモンスターも殺気を発していない。あるのは警戒と不安。好奇心と興味。

 

 異様な光景を前に、エミールも警戒を解かなかった。

 しかし、動揺も取り乱しもしない。ただ眼前の状況を受け入れる。軍人として徹底的に仕込まれた現実主義と実用主義が、エミールに鋼の冷静さを維持させていた。

 

 その様子に一部のモンスター達がエミールへ関心を強くし、双眸に好奇の色を宿らせる。

 

「賢者がテイミングの術にも長けているとは知らなかった」

 エミールはフェルズを見据え、自分なりの見解を口にする。同時に、戦闘になった場合を想定。いずれのモンスターもかなり強い。魔力は回復しているようだから時間操作(ベンドタイム)をして瞬間移動(ブリンク)虚無の手(ファーリーチ)で一気に逃げるしかない。

 

 フェルズは深呼吸するように肩を大きく揺らした後、おもむろに言った。

「私は彼らをテイミングしていないよ、エミール・グリストル」

 

 名前を告げられたことにも驚かない。長時間、失神していたのだ。素顔を見られ、所持品も調べられただろう。身許がバレていてもおかしくない。

 

 問題はその情報が既にギルド本部へ持ち帰られたか否か。

 是なら今後の方針を切り替えねばならない。

 否なら――この場でこの骸骨野郎を解体して“行方不明”にすることも検討しよう。

 

「何か不穏なことを考えているようだが、“不味い”事態なのは君だけではないよ、エミール。ああ、エミールと呼んでも?」

「好きにしろ。それより、お前の使役モンスターでは無いというなら、こいつらはなんだ?」

 

「そいつは俺っちから説明させてくれ」

 赤鱗の蜥蜴人が唐突に流暢な共通語をしゃべった。

 

 それでも、エミールは眉間に皺を刻むだけ。

 

 予期していた反応と違うことに面喰いつつも、蜥蜴人は言葉を続ける。

「お、驚かないのか? モンスターが喋ってるんだぜ?」

 

「そこに喋って動く骸骨がいるんだろうが。今更モンスターがしゃべったくらいで驚くか」

 エミールは蹴り飛ばすように言い放つ。

「こっちはフェルズといろいろ話を詰めたい。さっさと説明を済ませろ」

 

 唖然とするモンスター達。苦笑いするように体を震わせるフェルズ。

 

「……調子が狂うな。まぁいいや。それじゃあ、まず俺らが何者かってことから説明するぜ」

 赤鱗の蜥蜴人は頭のてっぺんを掻きながら、語り始めた。

 この世界を根底からひっくり返しかねない自分達について。

 

         ★

 

 いつ頃から“彼ら”が生まれたのか分からない。彼ら自身さえも。

 

 ウラノスが把握する限りは、十数年前、ゼウス・ファミリアが彼ら――人間のように理知と心を備えたモンスター達と遭遇、発見したらしい。

 

 彼らは人間に害意を持たず、それどころか強烈な憧憬を持っていた。そして、地上に出ることを鮮烈に望んでいた。

 また、彼らは他のモンスター達から同族同胞と見做されず、命を狙われる存在だった。

 

 人ではない。されど、モンスターでもない。この世界の異端存在。それが彼らだ。

 

 神の時代を迎えて1000年。万世不変の神にとっても決して短くはない時。ウラノスはギルド最奥の祈祷場でモンスター達の地上進出を妨げ続け、人と獣の不毛なまでの殺し合いを見続けてきた。

 

 ウラノスは下界した神々の中で誰よりもこの世界の在り方を憂い続けてきた。誰よりもこの世界の未来を案じ続けてきた。誰よりもこの世界に生きる子らの幸福を願い続けてきた。

 そんな老大神が異端の子らの存在に、希望を見出したとて誰に責められようか。

 

 人とモンスターの共生共存。

 

 片方の根絶ではなく、共に手を取って血みどろの闘争に終止符を打つ。疲れ果てた老大神がその美しい未来像を求めたことを、誰が否定できようか。

 

 理想を見出し、大願を抱いたが、ウラノスは愚神ではない。

 思慮深き老大神はどこかのバカ共とは違う。軽挙妄動に走らない。理知と心を備えていようとも、人間がそうそうモンスターを受け入れられないことを、老大神は知っていた。

 

 なんせ、神の時代前の人の時代。ダンジョンから這い出たモンスター達は世界を跳梁し、人類を蹂躙した。旧き書は『往時、人は絶滅の際に追い込まれた』とすら記している。

 それに、ダンジョンが巨塔に封じられた今も、往時に世界各地へ進出したモンスター達は人を襲い続けている。

 この世界は、モンスターを恐れ、憎み、恨む者で満ちている。

 

 だから、ウラノスは秘密裏に異端児達を保護し、機を待つことにした。人が異端児達を受けいれられる世界を作る準備を始めた。

 いつか人とモンスターが共生共存する未来が来ることを信じて。

 

 保護された異端児達はその見返りとして、ダンジョン内の問題をこっそり解決し、ダンジョン内を捜索して異端児の保護に努めている。

 いつか地上に出られる日を夢見て。

 その時、人と共に在ることを願って。

 

        ★

 

「人ではないが人と同じく高度な知性と感情を有し、かといって、モンスターから同族と見做されない存在。なるほど。確かにこの世界の異端だな」

 リドと名乗った赤鱗の蜥蜴人とフェルズによる長話を聞き終え、

「まあ、人間にも俺やフェルズのような異質が生じるんだから、モンスターにも異質が生じてもおかしくはないか」

 エミールはどこか自嘲的に鼻息をつき、折り畳み式小剣を収めた。

 

「彼らを受け入れてくれるのか」

「受け入れるも何も眼前の現実を認識するしかないだろ。むしろ呆れている」

 どこか嬉しそうなフェルズへ、エミールは冷や水を浴びせるように言った。

 

「たしかに全てのモンスターがこいつらと同じようになれたら、世界は大きく変わるだろう。人と魔物の生存闘争も終わらせたいウラノスが、こいつらを保護して援助する理由も分かった」

 だがな、とエミールの深青色の瞳が冷ややかにフェルズを見据える。

「人間とモンスターの共存を図るため、テイミング・ショーを繰り返して人間にモンスターと接することを馴らすだと? アホか」

 

「ア、アホ?」

 予想外の罵倒を浴びてフェルズは戸惑い、リド達も目を瞬かせる。

 

 あのな、とエミールは双眸に冷厳さを湛えた。

「人類がこれまでどれほどモンスターと生存闘争を重ねてきたと思ってる。これから何十年何百年テイミング・ショーを続けたところで、モンスターとの共存なんて考えるものか。むしろショーに慣れた連中はこう考えるだろうよ。人間はモンスターを支配する立場だと。モンスターは家畜の如き存在だと」

 

「そんなことは」

 フェルズが反論を試みるも、エミールはフェルズの言葉に被せるように、

「無いと言い切れるのか? 人間同士でも支配する者される者がいて、弱者を奴隷化し、家畜の如く扱ってるんだぞ。モンスターが人間よりマシな扱いをされると思うのか?」

 その冷徹な意見にフェルズが口ごもる。エミールは小さく息を吐いた。

「まあ、好きにすればいい。世界の在り方とかなんとか、そんな大きな話は俺の手に余るし、関わる気もない。はっきり言ってしまえば、異端児のことはどうでもいい」

 

 どうでもいい、と言われ、リドと名乗った赤鱗の蜥蜴人は思わず唸る。石竜と人蜘蛛が嫌悪感を滲ませ、他の三体は悲しげに表情を曇らせた。

 

 そんなモンスター達を余所に、エミールはフェルズを見据える。

「俺にとって今重要なのは、お前達が俺という人間の素性を掴んだことだ。神殺しを目論む虚無を歩く者、諸島帝国人エミール・グリストルが神殺しを実行した時、お前らがどう動くか、だ」

 

「ウラノスとギルドの秘中の秘を知った君がどう動くか、こちらも不安だよ。我々はお互いの首を括る縄を手にした。それで互いを牽制すれば良い。それと、これはあくまで私見だが、君が神殺しを行っても、ウラノスは君の素性を世に広めたりしないと思う」

 フェルズは言葉を選びながら、慎重に続ける。

「虚無を歩く者が我々の協力者になってくれるなら、不品行な神が天界へ強制送還されることは自業自得であるし、その眷属が自らの悪事が原因で命を落とすことは因果応報、と見做すのも吝かではない。それに、先に決めた通り、我々が努力して君に神殺しをさせなければ、問題ないだろう?」

 

 フェルズの回答に、エミールは内心で冷笑する。

 なるほど、こいつはまだ俺達の足跡をきちんと把握していないようだ。

 

 調べていれば、オラリオ外で強制送還された元闇派閥の神ピクラスと神モーモスの二柱と、エミールの関わりを疑っているはず。

 既に神殺しを行っていると疑念を抱いたなら、協力など考えないだろう。ギルドと神殺しと関わりが発覚したら、異端児と同様かそれ以上の大スキャンダルだから。

 

 つまりは協力者という立場を得てしまえば、事の大きさから事実の公表は不可能になる。

 最悪、口封じに消されるとしても祖国へ累は及ばない。ウラノスとギルドは祖国へ手を出せない。

 

 エミールは素知らぬ顔で頷き、

「この際だ。聞きたいことがある。そこの連中にも」

 真剣な顔つきで、問う。

 

「魔女の心臓、という言葉を聞いたことは?」

 

「ふむ……魔女の心臓。寡聞にして覚えがないな」

 フェルズは首を傾げつつ、リド達へ顔を向けるも、モンスター達も心当たりがない、と首を振る。

「どういうものなんだね?」

 

「祖国の最重要機密物の一つだ。心臓を模した細工物で、極めて危険な呪物だ」

 エミールは優男然とした顔を憎々しげに歪める。

「三年前、闇派閥の高位恩恵持ちを含めた賊の集団がダンウォールにある自然哲学アカデミーを襲い、強奪した」

 

「なるほど。以前、君が言った闇派閥に対する復讐という動機は事実だったが、但し書きを秘していた訳か。魔女の心臓の奪還という但し書きを」

 フェルズは腕を組んで不満げに唸ってから、問う。

「その魔女の心臓とやらがオラリオに持ち込まれた確証はあるのか?」

 

「第27階層で魔女の心臓を奪った賊の一人と交戦した」

 エミールはフェルズにオラリオへ至るまでの経緯――事件に関与した者共を狩り、拷問で情報を搾り取ってきたことを説明しない。

 

「判断材料としては有力だな」

 フェルズがうーむと再び唸る傍らで、

 

「なあ、あんたは地上の街の、その外から来たんだよな? それも、海とかいうデカい水溜まりを渡って」

 おずおずとリドが問う。

 

「? ああ。そうだ。俺は三年前、諸島帝国から大洋を渡ってこの大陸に来た。そして、大陸のあちこちを巡ってオラリオに辿り着いた」

 

 おお! と赤鱗の蜥蜴人が歓声を上げ、他のモンスター達も好奇心と興味で目をキラキラさせる。

「なあ、外の世界の話を聞かせてくれねェか?」

 

「は?」

 モンスターに話を強請られるという事態に唖然とするエミールへ、

「良ければ、少し話をしてやってくれないか?」

 フェルズはどこか苦笑交じりに悪戯っぽく告げた。

「彼らが死にかけていた君を保護し、手当てしたんだよ」

 

 そう言われては無碍にも出来ない。

 

「分かった。少しだけな」

 エミールは小さく嘆息をこぼし、了承した。

 

      ★

 

 ダンジョンのどこかでエミールが異端児達に話を聞かせ、赤鱗の蜥蜴人がエミールを『エミッち』と呼び始めていた頃。

 

 同じくダンジョンのどこかで、

「痛い……痛いぞぉこれは……」

 ツタ痣男が苦悶していた。

 

 神の時代たるこの世界では、大概の外傷は魔法的医療薬品――回復薬(ポーション)再生薬(エリクサー)、あるいは回復魔法で治療が能う。また恩恵の向上により超人化が進んだ者は重要器官を損傷しても早々に死なない。

 

 それでも、治療を終えて損壊した顔が完全に修復しても、堪えがたい痛みが抜けない。恩恵持ちの超人でも痛いものは痛い。

 

 苦悶するツタ痣男を一瞥し、赤毛の美女レヴィスは酷い仏頂面を浮かべた。

「いっそ死んでいれば苦しまずに済んだのにな」

 

「手厳しいな、ミズ・レヴィス」

 ツタ痣男は顔の左半分を押さえながら呻く。よくよく見れば、顔の右半分に走っていたツタ上の痣が形状を変え、大きくなっている。

「まぁ、此度は面倒を掛けた。貴女に謝罪と感謝を」

 

「貴様の謝意など要らん。次は面倒を掛けぬようきっちり死ね」

 真顔で吐き捨てるレヴィス。ツンデレ美少女の照れ隠しと違い、その言葉には反感と侮蔑と悪意しか詰まっていない。

 

 もっとも、ツタ痣男は痛む顔を押さえながら、楽しげに嗤うのみだ。

 レヴィスは苛立たしげに舌打ちし、

「気に入らん事実だが、貴様は妄信者共の中では腕が立つ。地上の冒険者共でも貴様に優る者は一握りに過ぎまい」

 問う。

「誰にやられた? 敵の名は?」

 

「名は知らん。名乗らなかった。が、どうでも良いことだ。相手は虚無を歩く者。その事実だけで釣りがくる」

「虚無を歩く者……」レヴィスは片眉をあげ「時と空間の魔法を操る異能者だったか。5年前までそんな奴が暴れ回っていたな。再び姿を見せたか」

 

「かもしれぬな」

 あの刻印持ちは五年前までオラリオで暴れていた髑髏の異能者と無関係だ。が、ツタ痣男はレヴィスに事実を明かさない。

 アレは自分の、自分達の獲物だ。レヴィスはもちろん他の闇派閥にも情報を渡す気はない。

“御方”の聖約を果たすために、奴の魂が要るのだから。

 

「ミズ・レヴィス。“己ら”はこれから本願成就に専念する。貴女や彼らと別れて行動することになろう」

 ツタ痣男は狂気に満ちた喜色を浮かべた後、レヴィスへ申し訳なさそうに告げる。

「己が傍に居らず寂しい思いをされるだろうが、許されよ」

 

「気色悪い戯言はやめろ。ぶち殺すぞ、貴様」

 レヴィスが憤慨して毒づくと、ツタ痣男は楽しげに笑った。

 

 

        ★

 

「ところで、俺はどれくらい地下に居る?」

 話にひと区切りが着いたところで、エミールが思い出したようにフェルズへ問う。

 

「第10階層で君と別れてから、になる。概ね3日ほどだな」

 フェルズの回答に、エミールは眉間に皺を刻んだ。

「……3日。ギリギリだな」

 

「? 何がだね?」と怪訝そうに問うフェルズ。

 

「そちらは俺の素性を把握しているから言っておくが、俺には相棒が居る」

 エミールは静かな口調で説明を始め、

「ふむ。それが?」

 フェルズの合いの手を挟みつつ、右手の指を順に起こしながら言った。

「あいつは多分、俺が帰還しないことについて三つの可能性を検討している。一つは現地の調査が長引いている可能性。二つ目は俺がモンスターにやられた可能性。最後に、お前が俺をハメた可能性だ。前者二つはともかく、最後者だと判断した場合」

 

「どう、なるんだね?」

 物凄く嫌な予感がしたフェルズがおずおずと問い、エミールは真顔で答えた。

「ギルド本部に向かって広域破壊魔法を打ち込むかもしれない」

 

「―――――」

 フェルズはしばし絶句した後、真剣な声音で告げた。

「エミール。急いで帰ろう」



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17:月下問答。魔女の心臓。

繰り返しますが、拙作は独自解釈と原作改変があります。

※タグにアンチ・ヘイトも加えておきました。


 迷宮都市の夜。

 大きな月が星々を従えて煌々と輝いている。

 

 アスラーグは編み込んだ銀髪とケープマントを揺らしながら市壁の階段を上っていき、壁上通路へ達した。

 胸壁の一角に、黒づくめのローブ野郎と紅色の髑髏面布を付けたエミールが居る。

 

 アスラーグは垂れ気味の双眸を細め、黒づくめ野郎を一瞥した。こいつが話に聞く“愚者”か。800余年生きる不死者。かつて人類最高の英知を持つと謳われた賢者、そのなれの果て。

 

「……下手を打ったな、グリストル」

「申し訳ありません」

 紅色髑髏が背筋を伸ばした。まるで上官へ接する軍人のように。

 

「彼にも事情があったのだ、アスラーグ・クラーカ」

 取り成すようにフェルズが言う。も、

 

「おやおや。許しも得ず淑女の名を呼ぶとは。長生きのし過ぎで作法をお忘れか? それとも品無き冒険者の流儀に慣れ過ぎたか?」

 アスラーグから冷笑と共に良いパンチを打たれ、フェルズは一瞬唖然とし、挨拶をし直す。

「……失礼した。私はフェルズ。かつての名を捨て、今はそう名乗っている。貴女の名を呼ぶ栄を賜れるだろうか?」

 

「よろしい。元諸島帝国王室魔導師第三席、元自然哲学アカデミー特別研究員、そして、女神ネヘレニア様の眷属にして、前モルゲンガード男爵夫人アスラーグ・クラーカが貴方に私の名を呼ぶ栄を許しましょう」

「虚無研究の専門家としては存じていたが……貴族だったとは」と微かに驚くフェルズ。

 

 アスラーグは左手薬指に着けた指輪を愛おしそうに撫でながら語る。

「夫は随分前に亡くしたし、子を儲けられなかったから、婚家の家督は義弟が継いだわ。私はあくまで“前”男爵夫人よ」

 

 諸島帝国は多種族他民族国家だ。ヒューマン、エルフ、ドワーフ、獣人、パルゥム、全ての種族に帝国貴族がいる。これは現帝室一族が帝位を掴むため、種族や民族を越えて協力者と支持を取り付ける必要があったことに由来する。

 

「それで、どういう経緯で私の“首狩り人”を連れているのか、教えていただけるかしら?」

 問われたフェルズは、説明は任せる、というようにエミールへ右手を振る。

 

 エミールは小さく溜息をこぼし、

「第27階層まで潜った。そこで俺は―――」

 説明を始めた。

 

 

 

 で。

 

 

 

「三年前の事件の下手人、その一人と交戦して死にかけ、異端児なる異質なモンスターに助けられ、こちらの素性がバレたと。大失態ね、エミール」

 ひとしきり説明を聞き終えたアスラーグは青紫色の瞳に冷厳さを湛え、エミールを睨む。

「返す言葉もない」と項垂れるエミール。

 

 フェルズが両者の力関係をうっすらと把握し始めたところへ、アスラーグが水を向けた。

「それで、そちらの要求は? こちらの素性を知り、異端児という特大級の秘密を共有したうえで、何をお望みなのかしら?」

 

 貴顕にして学者。そのうえ、国家の要職を担っていた人物。交渉相手としては手強いだろうな……

 フェルズはおずおずと切り出す。

「ダンジョン内や異端児達などの問題が生じた際、君らの力が必要な時は協力して欲しい。それだけだ。君達の目的、闇派閥への報復自体は止めない。こちらとしては神殺しだけは思いとどまって欲しいところだが……」

 

「そちらの意向は理解する。しかし、一切の約束はできない」

 アスラーグはぴしゃりと言った。

「闇派閥の神々は我が国へ侵入し、我が国の民を殺傷し、重要機密物を強奪し、帝国と皇帝陛下の御稜威を損ねた。帝国と陛下に忠を尽くす者として、相手が神であろうと報復せぬなどあり得ない。また我が国は女神ネヘレニア様を祭神にお迎えして奉じている。闇派閥の神とその眷属共は、ネヘレニア様の敬虔なる信徒と眷属を害した。これもまた報復の正当性を裏付けるだろう」

 

 むぅ、とフェルズは唸る。

「それは諸島帝国としての意見として受け取って良いのかね?」

 

「私は今の発言において、帝国もネヘレニア様も主語に置いていたか? そもそも拡大解釈の言質取りに意味はないな」

 せせら笑うアスラーグに、フェルズは内心で舌打ちする。エミールは他者の意見を受け付けないという点でやり辛かったが、アスラーグは元貴顕の人間らしく抜け目がない。

 

「神殺しの問題性を承知の上か。不作為の末に君の奉じる帝国や女神ネヘレニアに累が及ぶ可能性はゼロとは言えないぞ」

 フェルズが切り口を変える。アスラーグとエミールを交互に窺い、問う。

「君達は女神ネヘレニアを崇敬しているのだろう? 神を尊んでいるのだろう? なのに、なぜそれほど神殺しに抵抗がないのだ?」

 

 根本的な疑問をぶつけた時、アスラーグの紫色の瞳が月光を反射し、ぎらりと凶悪に煌めいた。まるで魔女のように。

「ネヘレニア様を報じていればこそだ。我らが崇めるはネヘレニア様のみ。狭蠅なす有象無象の神々を尊ぶ信心など持たぬ。ネヘレニア様のような善神なら敬いもしよう。尊びもしよう。だが、ただ人を害する悪神など、モンスターや害虫とさほど変わり無し。退治討伐に躊躇せん」

 

 一切の迷いなく語られた内容に、フェルズは思わず身を震わせた。なんと狂猛な一理か。まるで狂信の徒の言い草ではないか。

同時に、エミール同様アスラーグの説得も不可能であることを悟る。既に一線を踏破している人間を引き戻すことなど出来ない。

「……エミールにも話したが、神殺しを防ぐべく我々が先んじて天界送還することを許してもらえるだろうか?」

 

 アスラーグは胸壁に背中を預け、腕を組んで首肯した。

「私は悲劇を防がんとする貴方の努力を否定する言葉を持たないわ」

 

「妥協点を見いだせて何よりだ……」

 フェルズは酷くくたびれた調子で応じ、これでもまだ話が半分しか進んでいないことにげんなりする。

「異端児について、貴女の見解は?」

 

「理知的で心神を有するモンスターと一緒に社会生活が出来るか、ね。私自身モンスターと幾度も戦ってきたし、少なからず知人友人や親族を亡くしてきた。感情的に難しい」

 ただし、とアスラーグは垂れ気味の双眸を妖しく細めた。

「学者としては純粋に興味深い。人間の天敵存在たるモンスターから、人間同様の理知と心神を持つ特殊個体が生じる理由や条件を、学術的に調べたいわね」

 

「学術的にというと、まさか」

「当然、解剖を含めた各種実験と調査よ。貴方は生命の神秘を解き明かしたほどの研究者でしょう? 当然調べているわよね?」

 嫌な想像を即座に肯定され、フェルズは不快感を隠さない。

「彼らは実験動物ではない。無下な真似は出来ない」

 

「なんとまあ……」アスラーグは呆れ気味に「何もしてないの? 彼らを傷つけない簡単な実験や聞き取り調査からでも分かることはあるでしょうに。過去の失敗に日和ったのかしら?」

 

 辛辣な指摘を受けるも、フェルズは退かない。

「……否定はしない。ただ、私達はまずもって彼らと信頼関係を築くことを優先してきた。そこを理解して欲しい」

 

「この件の主導権は貴方達が握っているのだから、これ以上とやかく言うことでもないわね」

 投げやりに応じつつも、アスラーグは難しい顔で続けた。

「善意として忠告しておくわ。人間とモンスターの共存というけれど、このオラリオはモンスターを殺すことで回っている街でしょう? モンスターを狩って恩恵のレベルやステータスを向上させ、獲った魔石や素材で経済が回っている。貴方達のいう共生はこの構造(システム)を根っこから破綻させかねない。”大変なこと”になるわよ」

 

「それは確かに無視できない問題だが……現状で扱える問題ではないだろう」

 アスラーグの指摘は将来的に避けては通れない問題だが、今のところはその問題以前の状況にある。転ばぬ先の杖とは言うが、転ぶ以前に立ち上がってすらいないのだ。杖の心配は早すぎる。

 

「忠告はしたわ」とアスラーグも肩をすくめ、この話を打ち切った。

 

      ★

 

 既に精神的疲労が蓄積していたが、フェルズにはまだ問うべきことがあった。

「話は変わるが……」

 

「魔女の心臓についてかしら?」

 黒妖精の美女の見透かした物言いに、御見通しか、とフェルズは溜息をこぼしつつ、

「如何にも。協力し合うからにはそちらの事情も明かしてもらいたい」

 首肯して言葉を編む。

「言葉は悪いが現場要員のエミールはともかくとして、貴女はどのような事情があるにせよ、国外へ派遣されるような人材ではあるまい。貴女達が奪還を試みている魔女の心臓とやらは、それほどの価値があるということに他ならない」

 

 国家の要職に在り、学界の要人であり、元貴顕。加えて迷宮都市外では貴重な高位恩恵持ち。これほどの人材を外へ流出させることは、あり得ない。

 逆説的に『魔女の心臓』とやらがどれほど重要で、価値あるものか証明している。

 

 アスラーグは小さく首肯し、

「こちらとしても貴方達から情報を得られるなら、明かすことは厭わない」

 腰の雑嚢からスキットルを取り出し、

「失礼。でも、素面で語れる内容でもないの」

 口元へ運び、薄褐色の喉を艶めかしくうねらせた。次いでスキットルをフェルズへ向ける。

 

「気持ちだけで結構。この体はもはや飲食の喜びを得られないのでね」と謝絶するフェルズ。

 それは御気の毒に、とアスラーグはもう一度スキットルを傾けてから、月を見上げて語り始めた。

 

「かつて、デリラという女がいた。デリラ・()()()()()()()()という女が」

 

         ★

 

「デリラとの出会いは50年前近くになるかしら。当時はまだ幼い少女だった。我が師が連れてきてね。妹弟子として面倒を見るよう言った」

 月を見上げながら、長命種の黒妖精は端正な顔を懐かしそうに和らげ、一方で切なそうに翳らせて言葉を紡いでいく。

「独特の雰囲気がある娘で、とても美しい子だった。濡れ羽のように艶やかなブルネット。繊細な造形の顔立ち。すらりとした体つき。何より氷青色の瞳が美しかった」

 

 それに、とアスラーグは続ける。

「学びを与えれば綿が水を吸うように修め、技を教えれば瞬く間に磨かれる。芸術の才にも恵まれ、素晴らしい絵を描いたわ。姉弟子としてあの子の教育に関わることはとても楽しかった」

 

 あの頃は、とアスラーグは目を伏せた。月光を浴びた長いまつ毛が影を落とす。

「当時は夫を亡くした寂しさもあったし、夫との間に子を持てなかった後悔もあった。それだけに、私は幼い妹弟子を娘のように可愛がり、知識も技も与えられるだけ与えた」

 

 どこか苦々しげにスキットルを呷るアスラーグ。そのよろしくない酒に、エミールは眉をひそめたが、口に出せない。黒妖精の哀切と心痛に歪む横顔が干渉を許さなかった。

 

 濡れた唇を指先で拭ってから、アスラーグはフッと息を吐いて、

「時が流れ、デリラは美しく聡明で優秀な女性になった。魔術に優れ、錬金術に秀で、芸術に長け、活力と才気、カリスマに輝いていたわ。ネヘレニア様の御目に適って眷属に迎えられ、自然哲学アカデミーの研究員にも選抜され、王室魔導師の席次にも抜擢された。あの子が栄達の階段を上っていく様に、私も誇らしかった」

 酷く憂鬱な顔を浮かべた。

 

「でも、そんなものはデリラにとって何の価値も無かった。栄達も栄誉も、私達との絆も」

 

「……何があった?」

 フェルズは嫌な予感を覚えながら相槌を打った。

 

「全てはデリラが時の皇帝陛下が不品行で為した落胤だったことに起因する」

 スキットルを傾け、

「王侯貴顕に私生児など珍しくもない。だからこそ適切な対応を採れば問題ない話。それを、陛下や宮廷はデリラを存在しないものとして扱うことにした。赤子のうちに母親共々市井に放り出したそうよ。死病で床に臥せった陛下の指示で師が保護した時、母親はとうに死んでいて、デリラは物乞いをしていたらしいわ」

 美貌に倦みを湛えながら、アスラーグは続ける。

 

「私も師も分かっていなかった。幼いデリラがどれほどの昏い感情を宿していたか。どれほど巨大な復讐心を秘めていたか。どれほどおぞましい願望を抱いていたか。分かっていなかった」

 再びスキットルを呷り、アスラーグは薄褐色の喉を幾度もうねらせた。

「私達はデリラの心を癒すことが出来なかった……」

 

 告解するように呟き、

「デリラはずっと企んでいた。自分が受けた恥辱と屈辱の代償を王室から奪い取ることを。自分が味わった辛酸と惨苦と絶望の代価を帝国から強奪することを。私達へ屈託のない笑みを向けながら、周囲に親しげな笑顔を振りまきながら、何年も何年も掛けてクーデターの計画を練り、配下を集め、必要な準備を整えていた」

 

 どこか空しそうな顔つきで銀髪を掻き上げ、

「そして、デリラは虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)だった」

 

 アスラーグは小さく頭を振った。

「いつ、どこで、どうやって、デリラが虚無の力を得たのかは分からない。もしかしたら、私達の許へ来る以前から既に刻印持ちだったのかもしれない。

 ただ、デリラのクーデター計画が実施間近に迫った時には、デリラは超一流の魔術と錬金術の使い手で、優れた恩恵持ちであり、加えて虚無の力を備えた恐るべき魔女となっていたわ。

 今振り返っても、クーデターの計画を実施前に捕捉できたことは一種の奇跡だったと心から思う。もしも実行されていたら、どうなっていたことか……」

 

 エミールが横から口を挟む。

「俺が記録で見た限り、デリラ・ブラックスプーンと一党のクーデターを未然に制圧するため、非公式作戦(ブラックオプス)が行われている。時の王室護衛官、アスラとその師匠である王室魔導師第一席。近衛の最精鋭に女神教会の高位神官達。当時の帝国における最優秀の恩恵持ちが投入された作戦だ」

 

 酒精の香りがこもった溜息を吐き、アスラーグはエミールの説明に接ぎ穂を加える。

「我が師を始めとして多くの犠牲を払ってデリラの一党を壊滅させ、その協力者を粛清し、デリラの魂を封印したわ。今から30年ほど前に」

 

「そのデリラという女性の魂を封じたものが、魔女の心臓ということか」

 うーむ、とフェルズは唸り、疑問を呈する。

「しかし、なぜ魂の封印を? こう言ってはなんだが、一思いに殺してしまえば」

 

「殺せなかったのよ」

 アスラーグはスキットルの蒸留酒で鬱屈した気分を誤魔化しながら、言った。

「デリラは虚無の力を用いて自身の魂を別の人間へ移し、その肉体を我がものに出来た。貴方とは違う方向での不死だった」

 

「なんと」

 フェルズは絶句した。

 生命の神秘とその真理を明かすことに全霊を注いだ人類史上最高の賢者は、アスラーグの言葉に驚愕を隠し切れない。

「虚無の力とは恐ろしいな……」

 

「とにかく、私達はデリラを殺すことが出来ず、我が師が命を代価に魂を封じ込めるしかなかった」

 力なく頭を振るアスラーグへ、フェルズは少し考え込んでから懸念を口にした。

 

「……仮に封印を解けば、その不死の魔女が復活する可能性がある?」

「否定はしない。エミールが27階層で遭遇した賊徒の言動から推察するなら、“敵”はデリラの復活を目的にしている可能性が高い。むろん、別の可能性も否定しないわ。魔女の心臓は、デリラの魂は比類なき呪物だもの。いくらでも良からぬことに利用できる」

 なんてことだ、と呟き、フェルズは額を押さえた。

 

「私が下手人の賊共と神を殺すことも辞さないか。分かってもらえたかしら。祖国とネヘレニア様も充分な理由だけれど、魔女の心臓、その危険性を理解しながら手を出すような奴輩を生かしておくわけにはいかない。後顧の憂いを断つべく、必ず消さねばならない」

「むぅ……」

 フェルズは呻き声を漏らし、考え込む。

 

 強奪されたのは3年前。現在に至るまで、オラリオやダンジョンでそのような危険な呪物が使われた痕跡は今のところ無い……はず。ひょっとしたら、異端児達が深層で確認したという“新種”と関係があるのだろうか。

 

 沈思黙考を始めたフェルズを余所に、エミールがアスラーグへ問う。

「第27階層で遭遇した賊について聞きたい。継ぎ接ぎのマスクを被り、体中にボーンチャームを巻きつけたヒューマン男で、目立った特徴のない顔立ちだったが、右半分にツタのような痣が広がっていた。何か分かるか?」

 

 ツタのような痣、と聞いたアスラーグは、明眸皓歯な顔を強張わらせ、

「貴方から聞いていた継ぎ接ぎマスクとボーンチャームだけでは分からなかった。でも、顔にツタのような痣、という条件には心当たりがある」

 眉間に深い皺を刻んで語った。

「デリラを信奉し、臣従し、聖約を結んだ者達。デリラから虚無の異能を分け与えられた者達よ。あの時の作戦で根絶やしにしたと思ったけれど、生き残りがいたのか……忌々しい」

 

 フェルズが目を剥いて――表情筋も眼球も無いが――渋面のアスラーグとエミールへ尋ねる。

「待て。分け与えたと言ったか? 虚無の力を? そんなことが可能なのか?」

 

「事実かどうかは知らないけれど、デリラと連中はそう語っていたわ」と投げやりなアスラーグ。

「俺を見るな。俺にはそんなこと出来ないし、そもそも力を使えるだけで、虚無そのものに詳しいわけじゃない。デリラの件も記録資料以上のことは分からない」

 

 エミールが迷惑そうにフェルズへ告げたところで、

「私達の目的、魔女の心臓に関わる気なら覚悟して」

 目の据わったアスラーグが、空になったスキットルをぐしゃりと握り潰す。

「血みどろの仕事になるわよ」

 

 フェルズは夜空を仰ぎ、呻くように心情を吐露した。

「冥界の門を開けてしまったような気分だ」

 

 




Tips

 デリラ・カッパースプーン。
 原作DishonoredのDLCとDishonored2における悪役。
 作中における最強で最凶の魔女。精神的タフネスに長け、執念深く狡猾で冷酷。
 女達へ虚無の力を分け与え、魔女集会という組織を作り出している。


 本作ではデリラ・“ブラックスプーン”。
 原作との差異については追々説明する予定。待つべし。


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小話2:黒匙のデリラ。

作者の不明で読者の皆さんに誤解させてしまったようなので、説明回を用意しました。

拙作は原作改変があります。ご了承ください。


 少しばかりデリラという女について語ろう。

 

 デリラ・ブラックスプーンという女が生まれた時代、時の王朝はオラスキル家が至尊の椅子に座っていた。

 

 時の皇帝アレクセイ・オラスキルと皇妃ラリサの間には4人の子が儲けられたが、初子は7つを前に病で早逝。第二子は立太子前にモンスター討伐へ出征して戦死。と悲劇が続く。

 

 こうした事情から、皇帝アレクセイは病に倒れた晩年、自身が認知せずに捨てた私生児――お手付きした侍女に生ませた娘を思い出したのかもしれない。

 もっとも、彼は思い出しただけで娘を法的認知しなかった。侍女を孕ませた件で嫉妬深い皇妃に相当恨まれていたことを考慮したのか、所詮は死の床の気まぐれに過ぎなかったのか。

 

 いずれにせよ、この半端な措置はオラスキル王朝にとっても、デリラ・ブラックスプーンにとっても不幸でしかなかった。

 

 皇帝アレクセイの崩御後、幼い第三子が帝冠を戴き、皇妃が摂政に就いた。

 そして十数年の後、第三子がいよいよ親政を始めようかという矢先、第三子は国内巡幸中に事故死した(乗船をモンスターに沈められた。重臣や高官も多数命を落としている。陰謀ではなく純粋な不幸だ)。困ったことに第三子はこの時未婚だった。つまり後継者問題の発生である。

 

 亡き皇帝アレクセイの半端な父性発揮と第三子の悲劇が、オラスキル王朝の終焉を決定づけたと言えよう。

 

 王室最後の第四子は生来の難病持ちでとても皇帝になれなかった。そこで皇妃ラリサが帝冠を戴くに至る。

 もしもデリラが庶子として王族に迎えられていたなら、第三子亡き後にデリラが女王になれた可能性があった。そうでなくとも、王室傍流や庶流、大公家などから夫を迎えて新王朝の王妃となっただろう。

 第三子亡き後に皇妃と宮廷が亡き皇帝の庶子として迎えた場合も、後の惨事を防げたかもしれなかった。

 

 しかし、皇妃ラリサ――オラスキル王朝最後の女帝ラリサは、デリラを王室に迎えることを決して認めなかった。

 余人曰く『自身を裏切った亡夫を赦さず、間女と庶子を憎み続けた女帝は、第三子が亡くなった時点で、夫への復讐を兼ねてオラスキル王朝の幕引きを望んでいた』という。

 

 女帝ラリサは自身の“次”を宮廷と議会に合意させた。自身の亡き後は王族傍流カルドウィン家のユーホーン・カルドウィンが至尊の椅子に座り、カルドウィン王朝を起こすことを。

 

 この事態を軟着陸させられる者がいたとすれば、国教の生ける祭神ネヘレニアだけだが、彼の女神は航海を司り、見守ることを是とする神だ。また、国政に関わらぬことで民衆と貴族から支持されており、王室後継者問題に口出しなど前例を作るだけでも不味く、動けない。

 

 かくて、事態は惨劇へ向かって一直進。

 ある意味で、デリラ個人の復讐心や野心、野望などの炎に、周囲が油を注いでいたようなものだ。

 

 母を弄んで捨て、自身を最期まで法的に子と認めなかった父。

 夫の浮気を恨み、母と自分を憎み続けた正妻。

 両者の選択が一つ違っていれば王女として生まれ育ち、今まさに玉座へ座ることも出来たかもしれないという事実。

 

 亡き皇帝の実子であり、王室嫡流オラスキル家の血を引く者という事実。

 

 たとえ、父から法的に認知されず、宮廷に継承権を認められていなくとも。

 

 たとえ、女神が自身の戴冠を支持しなくとも。

 

 その身に流れる血は何者にも否定できない。

 ならば自らの力で取り返すのみ。この血で得られるはずだった全てを我が手に取り戻す。

 力で以って奪い取り、全てを掴み取るのだ。

 

 デリラ・ブラックスプーンは戦いを決断し、そして、敗れた。

 

           ★

 

 デリラ・ブラックスプーンのクーデター未遂事件とは、一人の男の無責任が起こした悲劇であり、一人の女の嫉妬が生んだ惨劇であり、果てに王室嫡流オラスキル家は断絶するという喜劇だ。

 笑うしかない。

 

 ただし、この”物語”を楽しむことが出来た者は、虚無の住人アウトサイダーだけだろう。

 

 異なる世界、異なる時空、異なる次元に遍在するアウトサイダーは、別の世界線――デリラ・“カッパースプーン”の存在も把握していた。

 ゆえに、アウトサイダーは思う。

 

 つくづくツキの無い女だ、と。

 

 別の世界線、産業時代の世界に王室カルドウィン家の落胤として生を受けたデリラ・“カッパースプーン”も、やはり不幸な生い立ちだった。その恨みつらみをバネに王位簒奪を試みて、破滅したのだ。

 

 神の時代の世界、王室オラスキル家の落胤に生まれたデリラ・ブラックスプーンも、不幸な育ちの末、王位簒奪を試みて破滅した。

 

 この差異は非常に興味深い、とアウトサイダーは思う。

 別の世界線における諸島帝国の歴史と、神の時代の世界における諸島帝国の歴史は似ているようで大きく異なる。

 

 変化の起点は女神ネヘレニアの帝国行幸だろうか。

 

 彼の女神が帝国に根を張って女神教会を興したことで、帝国の一大勢力だった大衆の修道院が衰亡した。これにより、大衆の修道院を起点とする争いや事件が起きなかった。

 大衆の修道院による虚無信奉者への熾烈な弾圧が行われなかったことで、虚無信奉者達による女帝ラリサ暗殺が行われなかった。

 

 いや、女帝ラリサの治世が別世界線より長く続いた理由は、デリラがカルドウィン家ではなく、オラスキル家に生まれたことも大きい。

 デリラの父親達、この世界線のアレクセイも別世界線のユーホーンもデリラに対して極めて不誠実で無責任であったが、その妻達の有様は異なる。

 

 ユーホーンの妻ベアトリスは第二子の出産時に第二子と共に逝去し、デリラに干渉しなかった(できなかった)。

 

 対して、アレクセイの妻女帝ラリサは嫉妬と怨讐から徹底的にデリラを排除した。クーデター未遂事件後は都市衛兵(シティウォッチ)国家憲兵隊(グランドガード)はもちろん、王室間諜まで総動員し、デリラの信奉者と協力者達を根絶しようとした。

 結果、女帝ラリサは暗殺されずその治世は別世界線より長く続き、ラリサの跡を継いで帝冠を戴いたカルドウィン家の状況も大きく変えている。

 

 これらの差異と変化は、アウトサイダーの好奇心を強く刺激していた。

 デリラという女はある種の“因子”なのかもしれない。世界や時空、次元が異なっても歴史に作用する強力な因子。まったく興味深い。

 

 本当に楽しませてくれ“た”。

 

 いや……まだ分からないか、とアウトサイダーは考えを覆す。

 

 カッパースプーンであれ、ブラックスプーンであれ、デリラという女はとにかくしぶとい。途方もなくしぶとい。それはもうアウトサイダーですら呆れるほどに。

 

 オラスキル家のデリラ・ブラックスプーンは厳密には完全に破滅していない。魔女と心臓という檻に閉じ込められているに過ぎない。

 

 もしも檻から解放されたなら……数十年振りにデリラの許を訪ねても良いかもしれない。

 

 あの恐るべき魔女が神々と超人のひしめく迷宮都市でどのような物語を紡ぐのか。

 

 初志貫徹の復讐鬼エミールがデリラと関わった時、どんな物語が生じるのか。

 

 それに、白兎と剣姫。箱庭で紡がれ始めた大きな物語とどう交差するか。

 

 アウトサイダーはぽつりと独り言ちる。

「天と地の間には思いもよらぬ出来事がある、か。どこの世界で聞いた一節だったかな」

 

 アウトサイダーは期待している。

 思いもよらぬ物語を。

 

      ★

 

 その日、アスラーグ・クラーカの目覚めは最悪だった。

 

 フェルズへ“魔女の心臓”にまつわる物語を利かせた影響だろう、と冷めた気分で自己分析し、アスラーグはタンスから替えの下着とタオルを手に浴室へ向かう。

 

 気分の悪い目覚めは熱いお湯を浴び、寝汗ごと流してしまうに限る。

 

 夜着と下着を脱ぎ、アスラーグは浴室へ入った。齢100を超えても、アスラーグは若さと美貌をまったく損ねていない。長命種としての種族的特徴に加え、恩恵の効果もあるだろう。

 瑞々しい薄褐色の肌がシャワー口から振り注ぐ湯水の雨に濡れていく。青みがかった銀髪を洗いながら、アスラーグは思う。

 

 もしも、クズ共がデリラを復活させたら、自分はデリラを倒せるだろうか。

 

 デリラは強い。桁外れに。偉大な魔法使いだった師でも、帝国随一の剣客だった王室護衛官でも、デリラを殺すことが能わず封印に留めざるを得なかった魔女だ。

 

 虚無の力を持つエミールならデリラを倒せるだろうか?

 もしくは、オラリオの高位冒険者達は?

 

 それ以前に……自分は再びデリラを討つことを受け入れられるだろうか。

 

 アスラーグにとって、デリラは単なる妹弟子ではない。実の妹のように、実の娘のように可愛がった。今のリリルカ・アーデへの可愛がり方など段違いに。

 それがある種の代替行為であることは否定できない。だが、デリラを育てることで夫を亡くした喪失感や夫との間に子を持てなかった後悔や無念が、癒され、慰められたことも事実。

 

 アスラーグは蛇口を締め、お湯を止める。優美な曲線を描く体の表面を、水滴が滑り落ちていく。

 

 魔女の心臓を取り戻す。デリラの魂を取り返す。それは良い。

 

 でも、デリラを討つ。それが出来るだろうか。それを受け入れられるだろうか。

 

 実妹のような、実子のような彼女をもう一度、討てるだろうか。

 

 アスラーグは深々と溜息を吐き、 熱いシャワーを浴び直したくなって蛇口を開けた。

 

      ★

 

「エミール・グリストル。アスラーグ・クラーカ。両名とも“不名誉”による国外追放処分となっている」

 フェルズは手にした資料を読み上げ、ウラノスに聞かせる。

 資料の出どころは『蛇の道は蛇』と言っておこう。魔石とダンジョン素材という巨大な利権を握る冒険者ギルドの手は長く大きい。

 

「不名誉とは?」

 ウラノスの問いかけに、フェルズは資料のページをめくって応じた。

「エミールは『重大な任務放棄』。アスラーグは『特定重要機密物の管理監督不行き届き』だ」

 

「どちらも国外追放されるほどの罪状とは思えないが……建前なら十分ということか」

「そういうことだろうな」

 フェルズは生身の体があった頃のようにこめかみのあたりを掻きつつ、

「エミールは虚無の力を得る以前から優秀な軍人だったようだ。いくつかの勲章を授与されているし、将来の王室護衛官候補だった」

 資料を読み上げていく。

「アスラーグも相当に優秀な人物だが、ウラノスが気に掛けるべきは前モルゲンガード男爵夫人で、生家はロズブロック伯クラーカ家という点かな。ロズブロック伯は帝国の有力な妖精族貴族だ」

 

「……貴族絡みとなると、手を間違えれば外交的に厄介な事態を招くな」

 厳めしい顔をしかめ、ウラノスは重々しく唸った。

 ダンジョンのモンスターも恐ろしいが、知恵者の政治工作も充分に恐ろしい。

 

「それで、2人が追う魔女の心臓とやらはなんなのだ?」

 老大神に問われ、愚者は資料を閉じて昨晩のやりとりを振り返りつつ、答えた。

「虚無の力を持つ危険な魔女の魂を封じた呪物らしい。帝国の最精鋭達を投入し、それでも殺し切れなかったため、魂を封じることで無力化したそうだ」

 

「オラリオ外の恩恵持ちでは、ということか?」

 ウラノスの問いを、迷宮都市の第一級冒険者なら倒せるのでは? と解釈したフェルズは腕を組んで思案し、

「分からない。確認のために魂を解放したいとは思わないな」

 自身の見解を語る。

「アスラーグは一切の誇張なく、ただただ“危険”と見做していた。レベル4の優秀な魔法剣士が、だ。加えて言えば、虚無の力を持つエミールはレベル3だが、レベル4の私は手も足も出なかった。前衛職後衛職の違いを抜きにしても、虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)にとってレベルの差など大した問題ではないのかもな」

 

 恩恵というルール/システムの関係上、レベルの差は絶対的な強弱の差である。そのルール/システムを根本から無視するとなれば……神の時代を形成する根幹が揺らぎかねない。

 

 ウラノスは苦虫を口いっぱいに詰め込まれたような顔つきで、唸った。

「理の外。つまり神々の理すらも超越するか」

 

 老大神の苦悶に同情しつつ、フェルズは更なる凶報を伝える。

「実はな、ウラノス。魔女の心臓に封じられたデリラという虚無歩きは、虚無の力を分け与えることが出来るそうだ」

 

「なん……だと……」

 ウラノスは目を見開き、静かに唖然なった。気を取り直し、眉間を押さえて強く唸る。

虚無歩き(ヴォイド・ウォーカー)と渡りをつけた成果は、頭痛のタネが増えただけか」

 

 フェルズは何となく申し訳ない気分を覚え、慰めるように言った。

「幸い、といえるかどうかは微妙ではあれど、エミールもアスラーグも異端児(ゼノス)達の友となってくれるかは分からないが、拒絶することは無いだろう。神殺しの件にしても、一応の妥協を許容してくれた。思うに“魔女の心臓”の件で協力すれば、彼らも応えてくれるだろう」

 

「こちらとしても協力せんわけにもいくまいが……」

 ウラノスは瞑目し、少しばかり考え込んでから口を開く。

「その二人のことは口外無用。少なくとも、こちらから周囲に明かすな。特に要らんことを考えそうな手合いにはな」

 

 誰のことを指しているのだろう、とフェルズは思案するも心当たりがあり過ぎて絞り込めない。“神々の遊戯場”には老大神のいう『要らんことを考えそうな手合い』が多すぎた。

 

      ★

 

“黒匙”のデリラは“魔女の心臓”の中で眠り続けている。

 鯨の歌を聞きながら。

 

 高密高純度の魔石を核とし、虚無を行き交うことが出来る唯一の存在たる鯨の皮と、魔鉱合金で作られた“魔女の心臓”。

 

 往時の王室魔導師第一席、偉大なる魔女ヴェラ・ダブゴイルはこの“魔女の心臓”にデリラを封じる際、多角多面体式魔法陣を十三層も重ねた超高等封印魔法を用いた。

 これほど緻密で繊細で難解で、堅牢強固な封印魔法は他に存在しない。神でさえこの封印を解くことは難しいだろう。

 理外の存在たるアウトサイダーですら、魔女の心臓内に眠るデリラへ近づかぬ代物だ。

 

 そういう意味では、魔女ヴェラ・ダブゴイルは不死の秘術を為したフェルズに並ぶ大賢者であり、世界最高の魔法使いと謳われる妖精族の王女に優る魔法使いだったと言えよう。

 

 そして、そのヴェラ・ダブゴイルをして、殺すことが能わず封印に留めざるを得なかったという事実が、黒匙のデリラの強さと恐ろしさを逆説的に証明している。

 

 デリラは“魔女の心臓”の中で眠り続けている。

 鯨の美しくも哀しい歌を聞きながら。

 

 

 




Tips

 アレクセイ・オラスキル。
 ラリサ・オラスキル。
 原作の年表に記載されている前王朝の皇帝と皇妃様。
 皇帝崩御後、帝位を継承した皇妃様が暗殺され、これによりオラスキル朝が断絶。カルドウィン家が王室に選出された。

 本作では完全な独自設定で、アレクセイは下半身のだらしないダメ男。ラリサは情念深い地雷婆と化した。原作とはまったく違うことを御留意。
 もちろん、4人の子供という設定は原作に無い。

 ユーホーン・カルドウィン。
 原作ではユーホーン・ジェイコブ・カルドウィン。
 原作のジュサミン女王とデリラ・カッパースプーンの父親。デリラがブチギレ魔女になった主因その1。この人が侍女に手を出した結果、孫娘のエミリーは大変な目に遭った。
 本作では時系列上の都合から一穴主義のオッサンになった。

 ベアトリス・カルドウィン。
 ジュサミンのマッマでエミリーのバッバ。原作の王立博物館にある記念プレートにその名前が確認できる。
 原作だと第二子の出産時に死亡。子供も死産だった。哀しいなぁ。
 本作だと第二子を無事に出産、産後も良好。えがったなぁ。


 ヴェラ・ダブゴイル。
 Dishonoredに登場するグラニー・ラグズの本名(正確には結婚前の名前)。
 若き日のグラニー・ラグズは帝国一の美人だったそうで、先述の皇帝アレクセイからも求婚されたそうな。
 アウトサイダーに出会って人生を狂わされた人の代表。

 本作ではアスラーグとデリラ(黒匙)の師匠。故人。
 設定上はチョー凄い魔法使いだったことに。


 デリラ・ブラックスプーン。
 本作のデリラ。
 原作と違い、ユーホーン・カルドウィンの隠し子ではなく、前王朝皇帝の隠し子。
 時系列の関係でそうさせてもらいました。


 読者の方々には勘違いさせてしまって、申し訳ない。


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18:彼と彼女が出会うまで。

 虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)と黒妖精と不死者が月下問答を交わした翌朝。

 エミールは廃教会前で女神ヘスティアと眷属のベル・クラネルと出会った。

 

「エミール君。ボクも野暮なことは言いたくないけどね、女性に不誠実な真似はいけないな。ベル君にも悪影響だし、慎んでおくれよ」

 女神ヘスティアは母親然とした態度で滔々と小言を語り、

「僕へ悪影響って?」

 小首を傾げるクラネル少年へ、しみじみと告げる。

「ベル君にはまだ早い」

 

「? なんなんだ、いったい?」

 怪訝そうに戸惑うエミールの傍らで、アスラーグが微苦笑を浮かべる。

「ん。まあ、ちょっとカバーが効きすぎただけよ」

「? ? ?」

 

 そして、ギルド本部前でリリルカ・アーデと合流すると、

「エミール様。アスラ様という素敵な女性が御傍にいるのに、よくないと思います」

 リリルカが女子的義憤を込めてエミールへ物申す。

 

 エミールは眉間に皺を刻んでアスラーグを睨み、小声で問う。

「いったいどんなカバーをこさえたんだ?」

 アスラーグはそっぽを向いて口笛を吹いていた。

 

        ★

 

 第27階層の激戦で鮪切包丁モドキを失い、クロスボウも損傷。偽装服と装具もボロボロ。幸い、手榴弾その他の消耗品は先頃調達したばかりだから備蓄分がある。

 

 クロスボウは拠点の作業室に入院。偽装服はゴミ箱へ。新しい対モンスター用武具と装具は至急再調達の要有り。

 

 というわけで巨塔バベルに到着後、ベル・クラネルは単身(ソロ)で地下のダンジョンへ、エミール達は上階の商業区画へ。

 

 ベルの所属するヘスティア・ファミリアは他に団員が居らず、ベル自身もオラリオに来て一月と経っていないので知己が少ない。かといって、エミール達と組んではレベル差などから周囲に『寄生』と見做されかねないので、これはベルのためにならない。

 こうした事情から、ベルは上層の浅いところでソロ活動を余儀なくされている。本人は冒険を楽しみつつも稼ぎの乏しさに悩み中だ。

 

 一方、バベル内の商業区画へ向かったエミール達一行の方は……

 

「装備を壊すなんて、エミール様は余所の女と何をしてたんですか? ベル様もベル様です。よく知らない女にほいほい引っかかるなんて……ダメです。ダメダメです」

 リリルカは頬を膨らませ、唇を尖らせていた。道中にベルが『豊穣の女主人』の女給に“逆ナン”されたと聞き、エミールの件と合わせてすっかり御立腹。

「まぁ、なんだ」エミールはばつが悪そうに「昼飯は美味いもんを奢るから機嫌を直してくれ」

 

「リリは食べ物で誤魔化されるような安い女じゃないです」リリルカはしれっと「でも、それはそれとして、エミール様の誠意を無下にするほど狭量な女ではないので、奢られてあげます」

「それでよろしい」アスラーグがうんうんと頷く。

 どうやらリリルカ・アーデは順調にアスラーグの悪影響を受けているらしい。

 

 そんなやりとりをしながら、ヘファイストス・ファミリア系列の武具店に入り、

「アレはどうです?」とリリルカが壁に掛かっている一振りを指し「以前のものと似たような感じですけど」

 

 刃渡り3尺。柄6寸。切っ先がスピアポイント状の片刃直剣。刀身は短いものの相応に肉厚。材はダンジョン産の鉄鋼らしい。刀身にも鍔にも柄にも飾り気は一切無し。お値段も第二級冒険者向けの数打ちとしては妥当な額だ。

 

「ふむ。目利きが良いな、アーデ嬢」とエミール。

「そ、それほどでも。あはは……」

 褒められたものの、リリルカは素直に喜べなかった。目利きが聞く理由が『カモから盗むため目が鍛えられた』とは言えない。胸中の澱を誤魔化すべく話を振る。

「そうだ。対モンスター用なら両手剣とか大剣とかはどうです?」

 

「あの手の得物はかさばり過ぎる。俺の戦い方に合わない」と首を横に振るエミール。

「いっそ魔剣とか?」とアスラーグ。

 

「あれは剣ではなく魔法を撃つ道具に過ぎないだろ。手榴弾や爆裂ボルトと同じだ。それにアスラがいるから魔剣なんて要らない」

 さらっと言い放つエミールにアスラーグがくすくすと微笑む。

「嬉しいこと言うわね」

 

「そういうこと言うのに、余所の女と三日も過ごすなんて……」とリリルカがジト目。

「お叱り耳に痛い」

 カバー絡みなので否定も出来ない。エミールは不名誉を甘受しつつ、お前が作ったカバーのせいだぞ、とアスラーグを睨むも、アスラーグはふふんと笑い飛ばすのみ。

「さっさと購入してダンジョンへ潜りましょ」

 

       ★

 

 ここで時計の針を少し戻す。

 

 ダンジョン第50階層。

 深層の安全階層とされる灰色の荒野は今、死闘の舞台と化していた。

 

 小竜並みに大きな極彩色の芋虫が幾重ものスクラムを組み、津波のように灰色の丘へ押し寄せていく。

 なぜなら、そこにはロキ・ファミリアの遠征隊が深層挑戦のために築いた簡易拠点――芋虫達にとって“餌”がいるから。

 

 精強で知られるロキ・ファミリアの冒険者達は、この未知なる芋虫達を迎え撃ち、

「――っ!? こいつらが吐く液は装備を溶かしちまうぞっ!!」

「体液もだっ! 突いた槍の穂先が溶けやがったっ!!」

 芋虫の吐液や体液に得物を溶解破損され、

 

「ぎゃああああああっ!!」「お、俺の足、俺のあししぃいいいっ!!」

 高位恩恵持ち特有の超人的肉体をも焼かれ、

 

「ダ、ダメだっ! 逃げろぉっ!」「う、うわあああああっ!?」

 恐怖と怯懦に心も折れかける。

 

「取り乱すなっ!!」

 が、小柄な金髪美少年――にしか見えない団長フィン・ディムナが恐慌状態に陥る団員達へ大喝を入れた。

「装備を失った者は負傷者を連れて後退しろっ! ラウルっ! 後退の指揮を採れっ! ガレスッ! 予備の得物を使い潰して良いっ! 投擲で奴らを押さえて後退を援護しろっ!! 魔法使いはリヴェリアの許へ集合っ! 魔法で面制圧を急げっ!」

 

「承知ッ! 手透きのモンは得物を搔き集めてもってこいっ!」と吠える“重傑”ガレス・ランドロック。

「詠唱の時間を稼いでくれっ!」と応じる“九魔姫”リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 頼もしき相棒2人の了承に頷き、

「アイズ、ティオネ、ティオナ、ベートっ! 時間を稼いで来いっ!」

“勇者”は若き精鋭達へ命じ、不敵に笑う。

「さあ、ロキ・ファミリアの力を虫けら共に見せてやろうっ!!」

 

 筋金入りの野戦指揮官振りを見せる団長に、団員達は冷静さと戦意を取り戻す。

 

 統制された後退が始まった。“超凡人”ラウルが仲間達へ叫ぶ。誰一人置いていくなと。大丈夫だ、上手くいくと。冷や汗塗れの顔を引きつらせながら。

 

“重傑”ガレスが槍だの斧だのを重砲の如く投擲し、芋虫達の前衛を文字通り吹き飛ばす。『虫けら如きにくれてやるには上等すぎるわぃ』と軽口を叩きながら“砲撃”し続ける。

 

“九魔姫”リヴェリアを中心に魔法使い達が集結し、それぞれの詠唱を始め、魔法を編んでいく。異なる詠唱が静かに連ねられていく様はどこか芸術的だった。

 

 そして、四人の精鋭達が極彩色の群れの中へ殴り込み、超人的身体能力を駆使して虫達を翻弄する。

 不懐属性付与の愛剣を振るう“剣姫”アイズと、普段より打撃格闘を旨とする“凶狼”ベート・ローガは順調に芋虫共を撃破していく。

 得物を失った戦闘民族(アマゾネス)のヒリュテ姉妹は荒々しく芋虫共を叩きのめしていく。

 

「よくも、あたしの剣を……っ!!」

 芋虫の体液にアダマンタイト製の超高額武具を溶解された“大切断”ティオナ・ヒリュテが巨岩を持ち上げ、眼前の芋虫の頭を殴り潰す。黒髪ショートヘアに小麦色肌の可憐な容姿からは想像もつかない剛力振り。

 

「うざってェんだよ虫けらがよぉおおっ!」

 ちまちまと芋虫達を殴ることに焦れた“怒蛇”ティオネ・ヒリュテが、怒号を上げながら芋虫の頭に手刀を突き刺す。溶解性体液を浴びて長い黒髪や小麦色の肌が焼けるが、本人は痛みなど感じていないかのように芋虫達を素手で引き裂き、魔石を抉り取った。美少女然とした容姿から想像もできない戦闘狂振り。

 

 剣姫と凶狼は負傷覚悟で暴れる仲間を横目にし、一層激しく芋虫共を討っていく。

 

 そして、時は満ちた。

 

 リヴェリアを中心とする魔法使い達がそれぞれの魔法を発動。芋虫達が集団単位で薙ぎ払われていき、トドメに九魔姫の広域殲滅魔法が放たれる。

「レア・ラーヴァテインッ!!」

 

 灰色の荒野に何本もの火柱が昇り、凄まじい炎熱が荒れ狂う。芋虫の津波がたちまち“蒸発”していく様に、遠征隊の面々がどこか安堵を浮かべた。

 ――ところへ、フィンは不意に右手親指に不快な疼痛を覚えた。

 

「まだ……終わってないっ!」

 フィンが団員達へ注意喚起しようとした矢先、獄炎の蹂躙劇が終わった直後。荒野を覆う灰と火の粉の中から、そいつは現れた。

 

 芋虫共と同じ身体に、女性の上半身が生えた禍々しきモンスター。

 

 またしても未知の怪物。

 その暴威的な存在感を前に、“勇者”フィン・ディムナは即座に理解する。装備を失い、多くの負傷者を抱えた今、対処し得る敵ではない、と。

 

 冷徹な指揮官フィン・ディムナは即座に決断する。

「この階層から撤退するっ! ベート、ガレスッ! 撤退の先頭につけっ!」

 

「アレを見逃すってのかよっ!?」

 狼人青年が噛みつくように叫ぶ。ベートも直感で分かっている。現状で戦える相手ではないと。しかし、あの化物共は階層を“上がってくる”のだ。特にアレが雑魚共の多い階層まで上がってきたら大変なことになる――

 

「脱出した先の49階層でモンスターと遭遇したら、ガレスと“お前”が負傷者達を護れ」

 勇者はひと睨みで凶狼を黙らせる。

 

 撤退先の第49階層は安全階層ではない。獣蛮族がひしめき、階層主も出没する危険地帯だ。現状でまともに戦える者は少なく、負傷者達を護るために主力が直掩に回らねばならない。

 

 口惜しそうに頷くベートから視線を切り、フィンは命令を続ける。

「撤退の第二陣はリヴェリア達だ。ティオネ、ティオナ。リヴェリア達を援護しろ」

 

「殿は、どうするの……?」と冷徹な威圧感を発するフィンへおずおずと問うティオナ。

 撤退戦の殿は全ての重圧を担う。その危険性は論じる必要すらないほど高い。

 

「アイズ」

 フィンは剣姫を見据え、冷徹に告げた。だが、微かに自己嫌悪を滲ませた顔で。

「殿を任せる。君がアレの足を止めろ」

 

「分かった」

 アイズは単独後衛戦闘を命じられても、いつもの通り人形染みた無感動さで即答した。その端正な横顔には悲壮感の類は一切ない。

 

「無理はするな。僕は階層通路で君を待つ」

 フィンは表情を和らげ、幼子へ言い聞かせるように言う。

「いいね? 必ず戻ってくるんだ」

 

 言外に『決して死ぬな』と告げられ、アイズは大きく首肯した。愛剣を強く握りしめて未知の女怪へ向き直る。

 

 フィンは団員達へ大喝する。

「総員、動けっ!」

 

 

 

 そして―――

 

 

 

 結論から言えば、アイズ・ヴァレンシュタインは見事に撤退戦の殿軍をやり遂げた。

 奇怪な女妖を撃破して階層通路でフィンと合流、遠征隊の皆の許へ向かう。

 

 予定していた深層挑戦はままならず、失った物資や未達成に終わった“依頼仕事”を思うと、肩を落とすべき“失敗”だ。しかし、遠征隊の雰囲気は悪くない。未知の怪物と死闘を繰り広げ、全員で生き延びた喜びを噛み締めている。

 

 負傷者の手当てを行い、辛うじて持ち出せた物資その他の確認作業が行われる。

 ティオネから報告を聞き、フィンは自虐的な苦笑いをこぼした。

「51階層の泉水を始めとする依頼の品に、道中に得た魔石や素材、全部パァか。あの芋虫と女妖のおかげで大赤字だね」

 

「初見の難敵を相手に犠牲者を一人も出さなかっただろう。それに魔石と素材は帰りの道中にいくらか補えるさ」

 リヴェリアがフィンを労う。

 

「団長。あの芋虫共って、ただの新種だったんですかね?」

 と、不意にティオネが疑問をこぼす。

「何か気付いたことがあるのかい?」フィンも興味を惹かれてティオネへ問い返す。

「奴らの魔石なんですけど……」

 ティオネは首肯しつつ、豊満な胸の谷間から魔石を取り出した。

 

「どこにしまっているんだ……」

 貞淑でお堅い妖精族王女が眉間を押さえる傍ら、勇者は怒蛇から渡された魔石を凝視していた。

 

 モンスターの魔石は純度や品質で違いはあれども、紫水晶を思わせるものだ。

 しかし、ティオネが件の芋虫から抉り取った魔石は仄かに黄色い。しかも角度によって遊色している。あからさまにおかしい。フィンの右手親指も微かながら疼いていた。

 

「こんな魔石は見たことがないな……リヴェリア。君はどうだ?」

「私も見覚えがないな。いいか?」

 リヴェリアはフィンから魔石を受け取り、微かに魔力を流して反応を窺う。魔力への反応自体は一般的な魔石と同じものの、その妖しい反応光は生理的な不安感を刺激する。

「なにか、冒涜的な不気味さとでも言うべきものを感じるな。これ以上詳しいことは地上に帰ってから調べるしかない。ロキの知見も借りた方が良いと思う」

 

「……今回の遠征は意外な成果を得たのかもしれないね」

 フィンは独りごちるように呟き、切り替えるように微笑む。

「リヴェリアの言う通り、詳しいことは帰ってからだ。そろそろ出立しよう」

 

 

 こうしてロキ・ファミリア遠征隊は地上を目指して帰路を進み始めた。

 芋虫共との戦闘と撤退戦の過程で武器の多くを失逸したため、帰路は戦闘を極力避ける方針が採られた。凶狼ベートが率いる斥候隊がモンスターのいないルートを捜索し、戦闘が避けられない場合は不懐属性武器を持つ剣姫アイズや魔法使い達が主となり、先手の火力押しで突破。

 物資不足のため飲食に難があったものの、そこは高位冒険者を揃えた精鋭集団。ダンジョン内で可食の実生や水を調達してやりくりする。

 

 そうして下層を踏破し、中層後半部を越え、第18階層で大休憩し、上層が見えてきた頃。

 遠征隊はミノタウロスの大量発生に遭遇した。

 

         ★

 

 牛頭魔人の大量発生はレベル2、3だけのパーティなら全滅もあり得る事態だ。

 しかし、ロキ・ファミリア遠征隊の主戦力組はミノタウロスなど素手で撲殺できるし、支援組の面々にしてもミノタウロス如きに後れを取ったりしない。遠征隊の面々は迷宮都市有数の武闘派ファミリア、その精鋭集団なのだから。

 よって、このミノタウロスの大量発生も問題なく対処できる。

 

 はずだった。

 

「おりゃーっ!」

 ティオナが回し蹴りでミノタウロスの頭を吹き飛ばし、

「邪魔臭ェんだよ牛野郎がっ!」

 ティオネがミノタウロスの大きな体躯を“素手で”引き千切ると、

「ヴ……モォオオオオオオオオオオオオッ!?」

 一匹のミノタウロスが逃げ出したことを皮切りに、ミノタウロスの大群が一斉に逃げていく。

 

“上階へ向かって”。

 

「! 不味いっ!」

 フィンが顔を強張らせた。

 自分達にとっては雑魚でも、上層で活動している低位冒険者達にとって、ミノタウロスは充分に死神となりえる。

「追えっ! 余所に被害を出す前に狩り尽くせっ!!」

 

 団長の号令が下るやいなや、ロキ・ファミリア内でも最速のベートとアイズが飛び出す。ヒリュテ姉妹が2人の背を追い、他の者達が続く。

 

「まったく、今回の遠征は終いまで気が抜けないな」

 小さく毒づくフィンの肩を、ガレスがポンと叩く。

「まずは始末をつけよう。何事も無く片がつけば、酒席の笑い話で済む」

「だね」

 フィンとガレスも逃げたミノタウロスの群れを追って駆けていく。

 

          ★

 

 霧に満ちた第12階層でミノタウロス達は散開し、霧に紛れて逃げ回る。

 

「ああああっ! 面倒臭ェっ!」

 艶やかな黒髪を振り乱して怒鳴るティオネ。

 

「この階はあたし達が掃除するっ! アイズとベートは上へ行った奴らを追いかけてっ! 」

 ティオナが叫び、

「わかった」「命令すんなっ!」

 アイズとベートが上階へ向けて飛ぶように駆けていく。

 

 剣姫と白兎が運命の邂逅を迎えるまであと少し。

 それはともかくとして。

 第12階層である。

 

 

 ヒリュテ姉妹は手分けし、霧の中を散った逃亡者(ミノタウロス)共を狩っていた。効率的な判断といえよう。 

 ただし、第12階層はダンジョンの“浅瀬”であるから余所の冒険者も居て、彼らは彼らの事情と都合と判断で活動している。

 

 簡潔に言えば、期せずして狙いが “被る”こともある。

 たとえば、戦場で複数人が知らず知らず同じ敵に攻撃を浴びせてしまったり。多人数参加型RPGで複数人が知らず知らず同じモンスターを攻撃し、ドロップアイテムを巡って大喧嘩に至ったり。何よりも互いの意思疎通がないため、同士討ち(フレンドリー・ファイア)を招き易い。

 ましてや視界の悪い環境では特に。

 

 ティオナ・ヒリュテが『おりゃーっ』とミノタウロスへ必殺ライダーキックを放った時。

 一拍先に濃霧からヒューマン青年が飛び出してミノタウロスを袈裟切り。魔石を砕いたのか、牛頭魔人が灰となって崩れていく。

 

「え」

 砲弾は一度放たれたら止まらない。必殺の飛び蹴りを放ったティオナも止まれない。

 ティオナの飛び蹴りは灰となったミノタウロスの代わりに青年へ一直線。

 

 ――――まずいっ!!

 ティオネの顔から血の気が引く。

 恩恵レベル5の超人的身体能力で放った飛び蹴りだ。ティオナが逃げろと叫んでも青年が反応するより早く、爪先が青年へ着弾するだろう。ミノタウロスを殺すつもりで放った蹴りに手加減などない。青年のレベル次第では即死間違い無し。

 

 顔を蒼くしたティオナの爪先が、必殺の一撃が青年の胸元へ

「Rashu Grhaya」

 

 

 

 

 

 あれ?

 ティオナは目を瞬かせる。

 

 肉を潰し、骨を砕き、命を奪う感触が伝わってこなかった。それどころか、蹴り飛ばすはずだった青年に抱きかかえられている。しかも、俗にいう御姫様抱っこスタイルで。

 

「……え? あれ? えっ?」

 青年がどうやって自分の蹴りをかわし、あまつさえ自分を抱きかかえたのか、まったく分からない。レベル5の超人的な感覚野でも、蹴りが当たる直前から御姫様抱っこにされる過程が知覚できていない。

 ティオナ・ヒリュテは混乱している!

 

「下ろしていいか?」

 涼やかな顔立ちの青年に声を掛けられ、ティオナの混乱に一旦ストップが掛かった。

 

 ティオナは姉のように誰かを恋慕していないし、恋をしたこともないし、そもそも素敵な恋より刺激的な冒険を求めているクチだ。

 

 が、ティオナは年頃の乙女である。

 見知らぬ他人とはいえ、涼しげな面立ちの優男に御姫様抱っこされて気恥ずかしさを覚えないほど、女を捨てていない。

 生理反応として羞恥心が働き、ティオナの可憐な顔に朱が差した。

 

「え、と」

 ティオナが返事をしようとしたところへ、

 

「そっちは片付い――――何やってんの?」

 双子の姉がやってきて、御姫様抱っこされている妹と、妹を抱きかかえる見知らぬ男へ怪訝そうに見つめた。

 

 

          ★

 

 

 その頃、上階では……

「ほあああああああああああああああああああああああっ!!!」

 返り血を浴びて真っ赤に染まった白兎が、絶叫しながら一目散で逃げていく。

 そんな白兎の背中を、剣姫は何とも言えない表情で見送っていた。



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19:ヤクザ屋さんの所業

今回はちょい長め。
推敲前にアップしてしまいました。内容に大きな変更はありません。


 ロキ・ファミリアの深層遠征隊が拠点へ帰りついた頃、エミールはギルド本部の換金窓口で魔石と素材の清算を待ちながら、しみじみと呟く。

「ロキ・ファミリアの団長フィン・ディムナか。強者の貫禄があったな」

 

 第12階層の事故紛い後、起きた事態に話を付けるため、エミール達は階を上がってきたフィン達と顔を合わせていた。

 まあ、話自体は『お互い怪我も無かったし、今後こういうことが起きないよう気を付けましょうね。握手』という塩梅ですぐにまとまったが。

 

 リリルカは何を当たり前のことを、と言いたげに説く。

「それはそうですよ、エミール様。オラリオ屈指の大派閥ロキ・ファミリアの団長ですよ? “勇者”ですよ? レベル6ですよ?」

 

「見た目はあんなに可愛いのにねえ」

 同じくしみじみと呟くアスラーグに、リリルカはくすりと笑う。

「そういう理由で人気もあるらしいですよ。御本人に浮いた噂はありませんけどね」

 

「それにしても」リリルカはジトッとした目でエミールを見て「初対面の若い女性を御姫様抱っことか……破廉恥です。ふしだらです」

 

「アレは不可抗力だ。それに抱えただけだろ。なんならアーデ嬢も抱えてやろうか?」

「やったら料金取りますからね」と抗議するリリルカ。

「生臭い表現をしよる」

 エミールは苦笑いをこぼし、そうだ、と思い出したように言った。

 

「アーデ嬢。明日は少し早めに切り上げるぞ」

「そうなんですか?」

 目をぱちくりさせるリリルカへ、アスラーグが事情を話す。

「リリちゃんが御遣いで会った二人組がいるでしょ? 彼らの店がダイダロス通りにあるそうだから行ってみるつもりなの」

 

「ああ。あの人達ですか」

 記憶を振り返りつつ、リリルカは2人へ忠告する。

「ダイダロス通りに行くなら、女神ペニア様に気を付けてください。貧窮を司る女神様で、ファミリアを率いてはいませんが、ダイダロス通りに縄張りにしてらっしゃって、目についた人にお布施をタカります。これを断ると……」

 

「断ると?」興味深そうにアスラーグが問う。

 リリルカは答えた。とっておきの怪談を語るように。

「貧乏になる神威を浴びせられるそうです」

 

 エミールとアスラーグは真顔で呟く。

「「それは恐ろしい」」

 

        ★

 

 翌日の夕暮れ。

 ダンジョン潜りから早めに切り上がたエミールとアスラーグはリリルカと別れ、ダイダロス通りへ向かった(リリルカは知り合いのノームの店へ行った)。

 

 西日が注ぐスラムはどこか陰鬱で退嬰的な雰囲気が濃い。

 

「これは酷い」

 エミールは深青色の瞳を動かし、無秩序極まる街並みを窺う。

「まるで迷宮だ。ダンウォールのスラムだって、ここまで野放図な有様になってないぞ」

 

「街を管理統制する公的機関が存在しないんだもの。こうもなるでしょ」

 アスラーグは青紫色の瞳を巡らせ、煩雑で乱雑な街並みを見回しながら小声で嘲る。

「結局のところ、このオラリオという街は無法地帯なのよ」

 

「蛮地か」エミールは横目で周囲を窺いながら「そこかしこにギラギラした目でこっち見てる連中もいるしな」

 

 2人がダイダロス通りを進んでいくと、辻で子供達が粗末な手作り球を蹴って遊んでいる。路肩のベンチでは親達か暇人か、幾人かの大人達が子供達の玉蹴り遊びを眺めていた。

 

「そこの黒妖精の嬢ちゃんとヒューマンの坊主。ちょっといいかい?」

 ベンチに腰掛けて子供達を眺めていた婆さんが、エミールとアスラーグに声を掛けてきた。

 ナリは零落した老婦人を思わせるが、その眼に世を倦む類の澱はない。それどころか人間離れした威容すら感じられる。

 

「俺達に何か御用ですか?」

 エミールは老婦人が何者か察しながらも問う。

 

「まぁね。私ゃ女神ペニアだ。手っ取り早く本題に入るとね。お布施をして欲しいのさ」

 やり手婆みたいな態度と口調で名乗り、ペニアは“タカって”きた。

 

「……私達は女神ネヘレニア様の眷属なのですが」と困惑気味なアスラーグ。

「ネヘレニア……ほーぉ。こんな立派な眷属を持つようになったかい」

 ペニアは興味深そうにエミールとアスラーグを見回し、にやり。

「なら猶更さね。主神の面子を潰さぬよう、このババアにきっちりお布施していきな」

 

「主神の面子と言われては是非もありませんね。御奉納させていただきましょう」

 アスラーグは微苦笑し、懐より小袋を渡す。

 

「敬虔な嬢ちゃんと坊主に幸運があらんことを」

 テキトーな祝詞を述べ、ペニアは玉蹴り遊びをしていた子供達を呼び、受け取ったばかりの金を渡していく。

「屋台で菓子を買ってきな」

 子供達は歓声を上げ、ペニアに礼を言って屋台へ駆けていく。

 

「ペニア様。“エリノールの店”はこの先でしょうか?」とエミールが尋ねる。

「なんだい、あの骨弄りが好きな嬢ちゃんの店に用事かい」ペニアは片眉をあげ「この道を真っ直ぐ行きゃあ見えてくるよ」

 

「ありがとうございます。では、これで」

 エミールとアスラーグが丁寧に一礼し、その場から去っていく。2人の背を見送りながら、ペニアは呟く。

「エリノール嬢ちゃん。随分と物騒な連中を客にしたもんだ」

 

 そんな接近遭遇を経た後、エミールとアスラーグは『エリノールの店』に到着する。

看板に店名は無く、代わりにシンプルなシンボルマークが描かれていた。

 マークを目にしたアスラーグが「“アイレスの祝福”」と小さく呟く。

 

 店内へ足を踏み入れれば、リヴィラの時と同じく怪しい代物が視界一杯に広がる。

 得体の知れない小動物の干物。奇怪な植物や実生の乾物。ガラス瓶に収まった妖しい色の薬剤。獣やモンスターの骨で製造されたボーンチャーム。店内はこれでもか、と不気味なもので満ちていた。

 

 そして、カウンターには刺繡入りの朱いロングスカーフとゆったりした衣装をまとうエキゾチックな妖精美女。店内の端に、ペストマスクに似た鳥面マスクを被る筋肉ゴリラが控えていた。剥き出しの上半身は傷と刺青だらけ。マスクの中でブツブツと呟き続けている。

 

「アスラーグ・クラーカ。来てくれたのか」

 エキゾチックなエルフ美女エリノールはどこか声を弾ませる。鳥面大男は反応もしない。

 

「こんにちは、エリノールさん。以前約束した通り、御邪魔させていただいたわ」

 アスラーグはにっこり微笑み、エリノールへ告げた。

「訪ねて早々失礼だとは思うけれど……単刀直入に尋ねたいことがあるの」

 

「なんだ?」

 目をぱちくりさせるエリノールへ、アスラーグは尋ねる。優美に微笑みながら。

「貴女は虚無信奉者なのか、それとも、デリラの信奉者なのかしら?」

 

 瞬間、アスラーグの青紫の瞳に凄まじい冷酷さが宿り、エリノールが気圧された。

 

 その一瞬の、間隙。

 どすん、と重量物が床に倒れ込む音が響き、店内が微かに揺れる。いつの間にかエミールが店の端に移動しており、鳥面大男を床に昏倒させていた。

 

「トーマ、ス……っ!?」

 エリノールがわずかにアスラーグから視線を外した刹那、アスラーグはエリノールの襟元を掴んでその体をカウンターに押さえつけ、短剣を細首にぴたりと添えた。

 

「な、」

 咄嗟に言葉が出てこないエリノールへ向け、アスラーグが冷たい声音で言葉を紡ぎ、

「貴女が単なる虚無信奉者ならこの狼藉を償うわ。でも、貴女がデリラの信奉者なら。あの大男はこの場で殺し、貴女は情報を引きずり出してから始末する」

 押さえつけたエリノールから目線を外さずにエミールへ命じた。

「剥げ」

 

「了解」

 エミールは昏倒している大男の鳥面マスクを剥ぎ取った。

 

 鳥面大男トーマスの素顔は意外と若く、30前後。鼻と唇が削ぎ落されており、右目の瞼も無かった。その痕自体はかなり古い。周囲の肌との馴染み具合から察するに、少年期辺りで負ったものか。

 

「やめてくれっ!」エリノールは懇願するように「トーマスにマスクを戻してやってくれっ! お願いだっ!」

 

「顔にツタ状の痣はない」

「良いわ。マスクを戻して拘束して。デリラの聖約者ではないにしろ、奴らの協力者である可能性は否定できない」

 

 アスラーグはエミールへ応じ、泣きそうな顔のエリノールを冷ややかに見下ろして、

「さて、次は貴女だけど……妖精族の誼で裸にひん剝くことは止めてあげる。代わりにその可愛い顔を切り刻んで皮を剥がしていくわ。貴女がデリラと無関係なら、きちんと元通りに治すから安心してね」

 短剣の切っ先でエリノールの整った顔を撫でていく。

 

 エミールにとって3年前のダンウォール襲撃事件が決して癒されぬ心の傷で、魂を焼く憎悪と怨恨の業火となっているように、アスラーグにとって30年前の妹弟子デリラ・ブラックスプーンによるクーデター未遂事件はデリケートでセンシティブなトラウマだった。

 

 よって、アスラーグのデリラ信奉者達に対する嫌悪と敵意は、エミールとは別ベクトルで凄まじいものがある。

 

 その冷たい殺気と敵意に晒され、

「デリラ信奉者じゃないっ! 私は虚無信奉(ヴォイド・カルト)のアイレス派だっ!」

 アスラーグが本気で自分を切り刻むつもりだと理解し、エリノールはカウンターに押さえつけられたまま必死に訴える。

「本当だっ! アウトサイダーに誓ってっ!!」

 

 誓うような相手じゃないんだが……、とエミールは思いながら大男にマスクを被せてやり、太い両腕と指を用意した鋼線で縛りあげる。親指と手首の骨に噛ませるように縛ったから、力づくで鋼線を切ろうとすれば、親指が千切れるだろう。

 

 アスラーグは垂れ気味の双眸を細め、

「チャンスをあげる。貴方の潔白を証明できるものがあれば、見せなさい。信じられる内容なら、貴女が納得できる形でこの非礼を償うわ」

 嗜虐的に口端を吊り上げた。

「でも潔白を証明するものが無いなら、貴女にはさっき言ったやり方で尋問を受けてもらう」

 

「断っておくが」

 エミールが横から口を挟み、

「アスラの尋問は質問する度にまずお前を切り刻み、回答の真偽を確認するためにもう一度切り刻む。つまり質問一つにつき、最低で二度刻まれる」

 薄ら恐ろしい説明の後に問う。

「お前の潔白を証明するものはあるか? 無いならアスラが尋問を始めるぞ」

 

 エリノールは震え上がる。体が恐怖に震え、心胆が怯懦に竦み、魂が完全に委縮した。

 黒妖精の青紫色の瞳。青年の深青色の瞳。自分へ向けられた二対の瞳は、悪魔も裸足で逃げ出しそうな冷酷さに満ちている。こいつらは本当に有言実行するだろう。

 

 エリノールはなりふり構わず叫ぶ。

「あ、あるっ! ありますっ! 店の奥ッ! 私達の住居の二階に“祭壇”がありますっ! 魔女が“祭壇”を見れば、私がアイレス派の虚無信奉者だって分かりますっ! 本当ですっ!」

 

「その言葉が嘘だったり罠だったりしたら」

 アスラーグはエリノールの長い耳に唇を寄せ、酷く甘い声で優しく囁いた。

「この耳を切り落として食わせるわよ」

 

 

 そして――

 

 

「なんとまあ……」

 店の奥にある住居部分、その二階の閉め切られた一室に“祭壇”が設けられていた。

 

 三角形の台とV字型に伸びる2本の長い柱。台の上にはリヴァイアタン・ホエールの骨で作られたルーンが飾られており、紫光の魔導灯がいくつも置かれている。

 そして、祭壇の背後には新しき言葉で『The Outsider Walks Among Us』。

 

 アスラーグは祭壇を見回し、鼻息をつく。

「なるほど。確かに虚無信奉者ね。間違ってもデリラの信奉者じゃない」

 

「だからそう言ってるじゃないかっ!」と後ろ手に縛りあげられたエリノールが喚く。

 

「そうなのか?」

 エミールの問いかけに、アスラーグは短剣を鞘に納めて説明した。

「デリラの信奉者達は神殿なんて作らない。連中にとっては虚無もアウトサイダーもどうでも良いからね。連中が崇めるのはあくまでデリラ個人だけなのよ」

 

「偽装の可能性は?」

 なおも疑うエミールへ、エリノールが眉目を吊り上げる。

「信仰を偽装したりするものかっ! バカにするなっ!」

 

「良いわ。確かに証は立てられた」

 アスラーグはエリノールをぎゅっと抱き寄せた。傍らのエミールも丁重に頭を垂れた。

「な、なにを」狼狽するエリノール。

 

「貴女とその友人に心から謝罪を。そして、この非礼を償わせていただきます」

 抱擁を解き、アスラーグはエリノールの碧眼を真っ直ぐ見つめ、真摯に言葉を紡ぐ。

「賠償金を求めるなら払います。暴力で償わせたいなら受け入れます。他に求めるものがあるなら応えます。エリノールさん。貴女は私達に何を求めますか?」

 

「と、とにかく拘束を解いてくれ。それから」

 先ほどまでとまるで別人のようなアスラーグに薄気味悪さを覚えつつ、エリノールは溜息混じりに言った。

「落ち着いて話をさせてくれ……いったい、どういうわけで私達がこんな目に遭ったのか知りたい」

 

       ★

 

「私達アイレス派は魔女デリラとまったくの無関係だ。我々はあくまで虚無とアウトサイダーを信奉し、世界の外に潜む神秘と真理を探究する組織なんだ。デリラは虚無に到達し、アウトサイダーの眷属となった先駆者と言えるが、それだけだ。彼の魔女と私達アイレスでは目指すものが違い過ぎる」

 

 3人は場をリビングに移し、エリノールはハーブティーを陶製カップに注ぎながら語る。なお、トーマスは起こされて店番に勤めている(エミールとアスラーグに大変憤慨したが、エリノールがなだめた)。

 

 不気味な雰囲気たっぷりの店内と違い、今は常識的な内装と調度品で揃えられており、家庭的とも言えた。

 

 エリノールはハーブティーを注いだカップをアスラーグとエミールの手元へ置く。

「この街には虚無信奉者がそこそこいるが、ほとんどは恩恵を持たないスラムの人間だよ。彼らは神への反感や嫌悪から虚無とアウトサイダーを信じている。純粋な信徒とは言えない」

 

「では、デリアの信奉者については何も知らなかったと?」

 アスラーグは尋ねながら、カップを手にして香りを嗅いだ。金木犀に似た優しい匂いが鼻腔をくすぐった。

 

 小さく頭を振り、エリノールは自身のカップに蜂蜜を小さじ一杯分加え、

「私はこの街に20年ほど住んでいて、薄暗い部分にも通じているが……オラリオに魔女デリラへ与した者達の生き残りがいたなんて初耳だ。暗黒期に暴れた闇派閥に連中が混じっていたという話も、まったく聞いたことが無いぞ。本当に残党なのか?」

 ハーブティーを攪拌しながら半信半疑と言いたげに問う。

「亡き女帝ラリサの“大掃除”は本当に凄まじかった。生き残りがいたとは思えない。それは当事者だった貴女も知るところだろう、アスラーグ・クラーカ」

 

「御指摘通りよ。だからこそ、生き残りがいた事実に驚いたし、貴女達へ無礼を働いた」

 ふ、と息を吐き、アスラーグは自身の考えを開陳する。

「残党共が暗黒期の抗争に加担していたなら、存在が露見していたはず。逆算して考えて、連中のオラリオ入りは暗黒期が収束した5年前以降、もしくは3年前の事件後にオラリオ入りし、闇派閥に与したか……」

 

「いずれにせよ、相当な資金が動いているだろう。でも」エリノールは眉根を寄せて「そういう噂は一切聞いてないな。少なくとも私の耳に届く範囲では」

 

「一つ確認したいんだが」

 エミールが横から口を挟み、エリノールへ鋭い目つきを向けた。

「あんたはどういう筋から30年前の件を知った? 魔女の心臓についても知っているんだろう? 何者なんだ?」

 

「私はこれでもアイレス派内でそれなりの立場にあるんだよ」

 エリノールは口端を緩め、

「詳しいことは明かせないが、我々アイレス派を構成する人員は多種多様だと言っておこう。まあ、魔女デリラの残党について一切知らなかった程度とも言えるがね」

 どこか自嘲的に微笑む。次いで、アスラーグとエミールの2人を順に見た。

「さて……一旦話を変えていいか?」

 

「償いの件ね? どうぞ」

 アスラーグは潔く首肯する。

 

「先の件の償いに金を求めたり、暴力で応報したりする気はない。代わりに、虚無歩きの魔女を倒したアスラーグ・クラーカとその首狩り人の腕を見込んで、一つ調達して貰いたいものがある」

 エリノールは言った。

「ダンジョンの下層に出没するいくつかのモンスター。その骨が欲しい」

 

「ドロップアイテムと言うことかしら?」

 アスラーグの問いかけに首肯し、

「私が編み出した錬金術には、モンスターの魔石を採取しても骸を保存する術がある。それで骨を採取してくれれば良い」

 

「具体的には何の骨が欲しいんだ?」

 エミールの質問へにたりと口端を吊り上げ、エリノールは指を順に立てながら嬉々として言った。

 

「女妖の骨だ。半人半鳥(ハーピー)、歌人鳥(セイレーン)、半身半蛇(ラミア)。能うなら半身半竜(ヴィーヴル)。これらの骨だ。背骨と頭蓋骨は出来るだけ無傷で確保して貰えるとありがたい」

 

 そんなもん何に使うか……は聞くだけ野暮というものだろう。

 窓の外で太陽が沈みかけていた。

 

       ★

 

 酒場『豊穣の女主人』にてロキ・ファミリアの遠征慰労会――大宴会が催された。

 

“偶然”、同店のカウンターで食事を摂っていたベル・クラネルは、ロキ・ファミリアの登場、というよりは剣姫アイズ・ヴァレンシュタインの登場に驚き、その姿をちらちらと目で追ってしまう。

 

 ロキ・ファミリアの宴が進む。

 上機嫌のロキは女子団員にセクハラし、店の女給達にセクハラし、女将ミアに絡み、と大暴れ。

 フィンがティオネから矢継ぎ早に飲まされ、早々に酔い潰れそうになったところで、凶狼ベート・ローガが得意げに語り始める。

 

 それは遠征の帰路の出来事。

 ミノタウロスの大量発生と逃亡したミノタウロス達の追討。その際にアイズ・ヴァレンシュタインが白兎みたいな少年冒険者を助け、彼を返り血塗れにしてしまった一件。

 

 白兎の少年はまるでトマト塗れのようになってしまい、悲鳴を上げてアイズから逃げて行った、とベートが嘲笑う。

 

「その煩い口を閉じろ、ベート」

 不快そうに眉根を寄せていたリヴェリア・リヨス・アールヴが叱声を挙げる。

 ミノタウロスを逃して少年を危機に陥らせたのは我々だ。にもかかわらず、件の少年を嘲笑うとは何事か。と九魔姫は至極常識的な御説教を行う。

 

 意外な人物も憤慨していた。

 ティオナ・ヒリュテである。

 

 幸い大事に至らなかったが、ティオナはミノタウロスの追討時に危うく余所の冒険者を殺しかけた。事を丸く収めるために団長が出張る事態になってしまい、ティオナは団長と姉からこってり説教されるわ、御姫様抱っこされた件でからかわれるわ、散々な目に遭ったのだ。なのに、このバカ狼ときたらっ!

「笑い事じゃないよっ!」

 

 しかし、どうにも酔っ払っているらしいベートは、九魔姫の小言と大切断の批判に対し、反骨心が酔いで暴走。

 

 その暴走振りは酷かった。件の“トマト小僧”を口汚く罵り、嘲り笑い、挙句はアイズに絡み始め、酔いが醒めたら恥ずかしさのあまり埋まりたくなるような言葉を吐き続けた。

 絡まれている当の剣姫が、不愉快そうな無表情という様子がまた、救いがない。

 

「雑魚じゃあアイズ・ヴァレンシュタインに釣り合わねえっ!」

 ベートがそう吐き捨てると同時に―――

「ベルさんっ!?」

 女給の短い悲鳴と共にベル・クラネルが店外へ飛び出していった。

 

       ★

 

 男の子的悔しさを抱きながら、白兎は通りを全力疾走。脇目も振らずダンジョンへ突入――しようとして人にぶつかり、すってんころりん。

 

「わぁっ!?」

 転倒したベル・クラネルはしたたか背中を打ち、

「すみま――あ」

 詫びながら顔を上げると、

「前も見ずにどうした、クラネル少年」「大丈夫? ベル君」

 エミールとアスラーグが倒れたベルを見下ろしていた。

 

「僕は、僕は、」

 立ち上がったベルはぎゅっと両手を強く握りしめ、俯きながら絞り出すように言った。

「強くなりたいんです。だから、だから」

 

 ただならぬ様子のベルに、エミールとアスラーグは顔を見合わせた後、アスラーグが小さく肩を竦め、エミールへ目配せ。

 

「事情は分からんが」エミールは肩越しに背後の巨塔を窺い「今から穴倉に潜る気なら……そうだな。一つ課題を与えようか」

 

 ベルは顔を上げ、今にも涙が溢れそうな紅眼をエミールへ向けた。

 今からダンジョンへ向かうことを察しつつも咎めず、それどころか課題を与えるというエミールの意図を図りかねながら。

 

 そんなベルの胸中を無視し、エミールは淡々と告げた。

「使っていい回復剤は一つだけ。その一つを使ったら必ず切り上げて帰れ」

 

「それは、」

 困惑するベルへ、アスラーグが教師然とした顔つきで言葉を掛ける。

「負傷しなければ良い。怪我をしなければ良い。回復剤を使わずに済むよう頭を使なさい。冷静に冷徹にきちんと考えて戦いなさい。がむしゃらに暴れるより、学べることや得られることは多いでしょう。強くなるために」

 

「!」

 ベルは目を見開き、大きく頷く。

「僕、エミールさんの課題に挑戦しますっ! それとお二人に約束しますっ! ポーションを使ったら切り上げて帰ると、カミサマの許へ戻ると約束しますっ!」

 

「そうか。頑張れよ」「気を付けてね」

 エミールとアスラーグはその場から歩み去っていく。

 

 2人の背中へ深々と一礼し、ベルはダンジョンへ向けて駆けていく。その横顔に先ほどまでの感情的な乱れはない。その紅眼に先ほどまでの荒れ狂う気持ちの乱れはない。

 

 強くなりたい。強くなろう。強くなるんだっ! あの人の隣に立てるくらい強くっ!!

 純粋で一途で直向きな想いが、白兎の魂を鮮烈に輝かせていた。

 



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20:オラリオ・トライアル:モンスターフィリア

 大きな物語が動き出していた。

 憧憬の対象を得た白兎の少年。その背中を押すべく奔走する(かまど)の女神。

 

 異なる世界線において、白兎の少年は女神の与えた小振りな短剣を縁に、灰被りの少女と接する。

 しかし、理外の者(アウトサイダー)が遍在するこの世界線において、灰被りの少女は魔女によって自助救済の道を歩んでいた。

 

 大きな物語が始まろうとしていた。

 背負わされた運命を知らぬ剣姫は、地底の底に眠る因果と悪意が迫っていることをまだ知らない。

 

         ★

 

 箱庭で遊び惚ける神々は時折、大きな宴会を催す。

 此度は群衆の神ガネーシャが宴を開き、オラリオ内の神々へ招待状を送っていた。

 

 貧乏暮らし中の女神ヘスティアはこの宴会に参加する気など無かったが――

 唯一の眷属ベル・クラネルが徹夜でダンジョンへ潜るという無茶をやらかし、さらに恩恵を更新したら『憧憬一途』なる超レアスキルを発現させるに至り、ヘスティアは可愛い可愛い我が子の『強くなりたい』という真摯な願いを叶えるべく一肌脱ぐ気になった。

 

 そんなヘスティアがガネーシャの宴で、苦手な美神と大嫌いな道化神を相手にじゃれ合い、神友の鍛冶神にDOGEZAを断行した夜。

『黒き仔馬亭』で話し合いが行われていた。

 

 エミールはビールを呷り、ラムチョップを齧るリリルカへ諮る。

「アーデ嬢。下層まで潜って何日か狩りに勤しむことになった。アーデ嬢はその間、クラネル少年と組んではどうだろう?」

 

「リリも下層行きに御伴したいです」

 即答だった。ラム肉を皿に置き、リリルカは言葉を編む。

「御二人と専属契約を結んでいる身ですし、私がいなければ、物資に困るでしょう?」

 

「確かにその通りなんだけれど、下層で私達がリリちゃんを守り切れるか、分からないわ。場合によっては安全階層外で野営もするし、潜ってる間はお風呂にも入れないし。危険だし、汚いし、きついわよ?」

 アスラーグがそれとなく翻意を促すも、リリルカはふんすと鼻息を荒くした。

「大丈夫ですっ! きつい分だけ収入も良いでしょうからっ! リリも行きますっ! 行ったりますともっ! ダンジョン内は自己責任っ! いざという時は御二人を見捨ててリリだけでも生還してみせますっ!」

 

 エミールとアスラーグは互いに顔を見合わせ、うーむと感嘆をこぼす。

「「なんと頼もしい」」

 

 今度はリリルカが2人へ尋ねた。

「下層で数日滞在するとなるといろいろ準備が必要になりますが……ガネーシャ・ファミリア主催のお祭りも近いですし、ここ二、三日はいろいろ騒がしいです」

 

「ああ。例のモンスターをテイミングするという」

 祭に秘められた“真意”を知るエミールは、どこか冷めた面持ちになる。アスラーグもさほど関心を示さない。

「お祭りが終わってから潜りましょうか。それまでは準備に当てれば良いかな」

 

「意外というか、御二人ともお祭りには興味ない感じですね」と不思議そうなリリルカ。

「オラリオの伝統的な祭りというなら興味もあるが……金を出して荒事を眺める趣味はないな」

 エミールがインゲン豆を齧りながら嘯き、アスラーグがどこか官能的に微笑む。

「賑やかなのは嫌いじゃないけど……モンスターを屈服させるところを見せられてもね。テイミングより拳闘の方が良いかな。逞しい男達が鍛えた体を晒して殴り合ったり、組み付いたりする様って……素敵じゃない?」

「ど、同意を求められましても」とリリルカは少し顔を赤くした。

 

       ★

 

 ダンジョン第30階層。

 幾何学文様がびっちり施された赤黒い全身甲冑をまとう男が、高台から“食糧庫(パントリー)”入り口を眺めていた。

 

 先頃、あの”食糧庫(プラント)”は謎の襲撃を受けて壊滅した。

 加えて、堅牢な門扉が完全に破壊されたことで大量のモンスターが食糧庫内へ流れ込んでおり、もはや対処のしようがない。

モンスター達の”波”が引いても、設備は使い物になるまい。

「ありゃ駄目だな。もう使い物にならねェ」

 

 

 甲冑男から数歩ほど離れた位置に立つ赤毛美女――レヴィスが『それ見たことか』と言いたげに鼻を鳴らす。

「こちらの忠告を無視したのは貴様らだ。私は知らんぞ」

 

「別にあんたを責める気はねェよ。俺は現状を確認しに来ただけだ。プラントがどーなろうと知ったことじゃねェ。まぁ、あの”仮面の嬢ちゃん”はあんたに用があるみてェだがな」

 甲冑男はアーメット式兜の中でせせら笑う。

「俺らは“御方”を再びお迎え出来れば、他はどうでも良いからよ」

 

「あのイカレ妄信者の同類だけあって、言うことが同じだな」

 レヴィスの毒舌に、

「可愛い顔してヒデェこと言いやがる。あの野郎と同じ扱いは流石に勘弁してもらいてェぜ」

 甲冑男は嫌そうに肩を落としつつ、食糧庫の出入り口を窺う。

「あのプラントにゃあ、俺の実験体がいたんだが……ダメになっちまったかな」

 

 レヴィスは甲冑男の言葉に眉根を寄せた。

「……待て。あそこはアレを育てるためのプラントだったはずだが」

 

「ああ。その通りだ。俺がそのプラントの一角を利用させてもらってたってだけさ」

 しれっと答える甲冑男。

 

「それを私にも知らせ――」

 レヴィスは美顔に険を滲ませるが、脳ミソの煮えた妄信者に常識を解くだけ無駄だ、と思い直す。むろん、心の中で甲冑男と闇派閥の者達に悪罵を重ねたが。

「いや、いい。実験体というのはなんだ?」

 

「別に大したもんじゃねェ。暇潰しに上層の雑魚モンスターを捕まえて、ちぃっと中身を弄っただけさ」

 甲冑男は顔を覆うアーメットの中でくつくつと忍び笑いをこぼす。

「まぁ弄ったとはいえ、所詮は上層の雑魚モンスターだ。今頃はこの階層のモンスター共に食われちまっただろーよ」

 

       ★

 

 ガネーシャ・ファミリア主催の『怪物祭り(モンスター・フィリア)』当日は、晴天に恵まれた絶好のお祭日和だった。

 会場の円形闘技場周辺は人でごった返し、会場傍の通りや広場は多種多様な屋台で埋め尽くされている。賑々しい活況。健全な喧騒。女子供の黄色い歓声。市民の無邪気な歓声。

 

 祭りが昼を迎え、

「変わったスープパスタだな」「うどんというらしいです。極東の食べ物だとか」「ウドゥン? 変な名前ね」「うどんです、アスラ様」

 エミールとアスラーグ、リリルカが円形闘技場近くの通りで、屋台の昼食を摂っている時だった。

 

 円形闘技場の一部ゲートから次々と拘束具を付けたモンスター達が飛び出していき、市民達が悲鳴を上げて逃げていく。

 その数はなんと“10匹以上”。

 

「あれがこの祭りのメインイベントか? 町中にモンスターを放流とは随分と挑戦的だ」

 フォークでうどんを食べていたエミールが感心し、

「盛り上がってるわね。歓声というより阿鼻叫喚という感じだけれど」

 海老天を齧っていたアスラーグが首を傾げ、

「御二人とも何言ってるんですかっ! 見たまんまですよっ!! モンスターが逃げ出したんで、市民が逃げ惑っているんですっ!!」

 うどんを食べながら抜けたことを嘯く2人へ、リリルカが眉目を吊り上げた。

 

 三人がそんな調子のやりとりをしている時、某所では……

「……? 予定より多いわね」

 美神が不思議そうに首を傾げ、豊かな銀髪を揺らした。傍らに侍る“猛者”が告げる。

「どうやらモンスター共が逃走する際に予定外の檻まで破壊したようです」

 

「あら。それは困ったわね」美神は実に薄っぺらい言葉をのたまい「少しばかりあの子を試したいだけで、ガネーシャのハレの日を血で穢す気はないのだけど……」

「では、私が掃除してまいりましょう」

「そうね……いえ。その必要は無いみたい」

 風をまとって宙を駆ける剣姫を視界に収め、美神は優雅に微笑む。

「私達は予定通りあの子の活躍を見物しましょう」

 

 そして、美神が目線を向けた先では、

「僕らのことを一直線に追いかけてきますけど、神様のお知合いですかっ!?」

「今日が初対面だよっ! ベル君こそ知り合いじゃないのかいっ!?」

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「「うわぁああああああああっ!?」」

 ヘスティアを抱きかかえたベルが、猛り狂った巨猿から全力で逃げていた。

 

        ★

 

 市民達が逃げ惑う中、エミールとアスラーグは市民の避難誘導することも無く、店主が逃げ去った屋台に残り、うどんを食べ続けていた。

 この人達と一緒が一番安全だし、とリリルカもうどんを食べている。たくましい。

 

 と、エミール達が残っていた屋台の傍に、小悪魔型モンスターのインプが現れた。

 インプはぎょろりと真っ黒な双眸を巡らせ、図々しく屋台で食事を続ける三人を見据える。

 

「エミール。食後の運動に仕留めてきたら?」

 アスラーグの提案に、エミールは小さく肩を竦めた。

「護身用のナイフしかない。アスラの“鮫”でさくっと片付けてくれ」

 

「あの黒い鮫の魔法はちょっと、その、街中で使うにはエグ過ぎません?」

 リリルカの意見具申にアスラーグはちょっと不満そうにしつつ、

「なら、“花”で仕留める? 威力を調整すれば大丈夫でしょ」

「ふと思ったんだが、仮に“花”を打った場合、周辺被害の修繕費は誰が負担するんだ? モンスターを逃がした奴か? 祭りの主催者か? 被害をもたらした俺達か?」

 エミールの疑問を聞き、言った。

「……やっぱりエミールが仕留めてきなさい」

 

「私もその方が良いと思います。周囲に被害が出ないでしょうし」とリリルカ。

「仕方ないか」

 面倒臭いと言いたげなエミール。

 インプがゆっくりと近づいてくる中、こんな調子でうだうだとやっていたところに、

 

 空から女の子が落ちてきた。

 4000万ヴァリスのレイピアを構え、インプ目掛けて真っ直ぐに。

 

 ずんばらりん。

 

 インプは頭上から強襲してきた剣姫に反応する間もなく、真っ二つに斬り裂かれた。魔石ごと両断したため、遺骸がたちまち灰となって崩れていく。

 風の魔法を駆使して優雅に着地するアイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「「お見事」」

 アスラーグとエミールが暢気にぱちぱちと拍手し、

「御二人とも、あの人は剣姫ですよっ! 剣姫っ!」

 リリルカが慌てる中、アイズは屋台に居る三人――特に見覚えのある黒妖精と青年に気付き、小さく会釈し、エミールとアスラーグも目礼を返す。

 

 その様子にリリルカがきょとんと眼を瞬かせる。

「? ? ? 御二人は剣姫とお知り合いなんですか?」

 

「オラリオに来た初日、酒場で会った」とエミールが簡潔に説明していると、

 とことこと近づいてきたアイズが訝しげに問う。

「何、してるの?」

 声音がちょっと尖っていたが、無理もない。この騒ぎの中、暢気に飯を食っていれば、一言物申したくもなろう。

 

「急に騒ぎが起きたので様子見していました」

「祭日ゆえ、武器も持ち歩いておりませんので」

 エミールとアスラーグは丁寧かつ、しれっと嘯く。面の皮が厚い大人達。

 

 ちらりと剣姫に金色の瞳を向けられ、リリルカは慌てて釈明した。

「わ、私はサポーターなので戦えません」

 

「……そう。分かった」

 アイズはあっさり言いくるめられた。魔法剣士として超一流。その美貌は絶世。されど内面は12歳児並。とは誰の言葉だったか。

 

「ん?」「あら?」「今、揺れませんでした?」

 屋台の三人が視界を足元へ向けた、

 瞬間。

 

 ひときわ大きな震動が走り、通りの先にある広場から轟音が響き、粉塵が立ち昇った。

 

「……爆発か?」「爆発とは違うようだけど?」「なんでしょうね?」

 三人が暢気に小首を傾げたところで、

「私、行くから」

 アイズが砲弾のように宙へ飛び上がり、粉塵の立ち昇る広場へ駆けて行った。

 

「あら凄い」と感嘆を上げてアイズを見送るアスラーグ。

「彼女一人で片付きそうだな」と遠ざかっていくアイズの背中を眺めるエミール。

 

「剣姫とお知り合いみたいですけど、助太刀しなくて良いので?」

 リリルカの問いかけに、

「ふむ。ロキ様達には一飯の御恩があるし、手伝いくらいはしましょうか」

「必要ない気がするけどな」

 アスラーグとエミールは腰を上げた。

「リリちゃん。悪いけど、買い物の荷物を預かっていてちょうだい」

 

「お任せください」

 リリルカは首肯し、アスラーグとエミールへ言った。

「御武運を」

 

      ★

 

 ダイダロス通りに逃げ込んだベル・クラネルは孤立無援だった。

 住民は逃げ隠れ、戸口を固く閉ざすか物陰で息を殺している。ベルを助けようとする者は、この広域住宅区にはいなかった。

 

 ゆえに、ベルはヘスティアを隠し、独りで白き巨猿と対峙する。

 神様を護るんだ。僕を家族として迎えてくれた神様を守るんだ。大事な家族を僕が絶対に守り抜くんだ。

 

 どこかの世界線のようながむしゃらな蛮勇ではなく、冷静さと思考力を維持した勇敢さで、短剣を構える。

 

 考えろ、考えろ、考えろ。

 エミールさんとアスラさんに教わったことを思い出せ。

 

 目の前の敵は見上げるほど大きな猿だ。肉体の構造は人間と大きく異ならない。ただ、この巨体だ。皮膚も脂肪も筋肉もかなり頑強だろう。首の位置が高すぎる。単に斬りつけても突いてもダメージにならないはず。ガネーシャ・ファミリアの付けた拘束具が甲冑の役割を果たしてるから、目元、手首、胸元はダメだ。

 ――足だ。まず足を攻める。拘束具の無い足首の付け根か膝裏を突いて、頭の位置を下げる。そのうえで、首を狙う。出来ることなら、うなじ。肉が薄いから頸椎まで届くはず。

 あとは、僕の出せる全速力で挑むだけ。

 

「怯えと迷いを捨てる。一撃離脱は勇気だっ!」

 通りすがりのとても強そうな人に教わったことを口にし、ベルは短剣を構え、巨猿へ向けて駆けだしていく。

「僕が神様を守るんだっ!!」

 

      ★

 

 エミールとアスラーグが件の広場に到着すると、

「なんだ、あれ。蛇か? 花か?」

「何でも良いけど、気持ち悪いわね」

 砕けた石畳の穴から三匹のバカでかい極彩色の蛇モドキと触手が生えており、見覚えのあるアマゾネスの双子――ヒリュテ姉妹と剣姫が大立ち回りを繰り広げていた。

 祭り見物の最中だったのか、双子は丸腰で格闘戦。剣姫はなぜか折れた剣を振るっている。

 負傷しているエルフ少女が覚悟ガンギマリの顔つきで、何やら長文詠唱を始めていた。

 

「……これ、あの子が魔法を撃って終わりじゃない?」

「駆けつけたものの、やること無しか」

 アスラーグとエミールが拍子抜け、といった顔をした矢先。

 

 極彩色の蛇モドキ達が悪趣味なハエトリソウの如き頭を大きく広げ、剣姫達を無視してエルフ娘へ一直線に襲い掛かる。

 

「魔力に反応するようだ」とエミールが呟いた直後、

「黒き水面より出でて食らいつけっ! アンブラ・ピストリクス、テンペランティアッ!」

 アスラーグが短文詠唱魔法を()()()で即時発動。

 

 蛇モドキ共の影から漆黒の大鮫達が飛び出して蛇モドキの胴体に食らいつき、トラバサミのように動きを押さえ込む。

 

 突然の助太刀に驚き顔を浮かべる剣姫達を余所に、詠唱を続けるエルフ娘へアスラーグが笑う。

「大技をやるんでしょう? さっさと決めなさい」

 

「!」

 エルフ娘は力強く首肯し、詠唱を継続。魔力を練り上げて魔法を完成させる。

「ウィン・フィンブルヴェトルッ!!」

 

 エルフ娘の勇気と闘志と覚悟が込められた魔法が、圧倒的な暴威を振るう。

 三条吹雪の姿をした極超低温の激流が蛇モドキ達を飲み込み、一瞬でその巨躯を氷塊のオブジェへ変えた。

 細胞単位で氷結破壊された蛇モドキ達は肉体が崩壊し、石畳に倒れ込んだ衝撃で粉々に破砕された。魔石まで砕けたのか、その骸が瞬く間に灰となっていく。

 

 砕け散って灰と化す間際、エミールとアスラーグは蛇モドキの口腔内に怪しげな色彩の魔石を見た。正確には、魔石の位置を知ったというべきか。

 

 ともあれ、全ての蛇モドキを倒し、ヒリュテ姉妹とアイズがエルフ娘の許へ駆け寄って勝利を喜んだ、刹那。

 勝利の喜びに水を差すように、一匹の蛇モドキが石畳を砕いて飛び出した。少女達が反応するより一拍速く、

 

「Sum Fdau」

 

 エミールが瞬間移動(ブリンク)で蛇モドキの顔面前に移動。護身用ナイフで蛇モドキの口腔内、魔石のある位置へ突き刺し、離脱する際にナイフの柄頭を思いきり蹴る。

 蹴り込まれたナイフが蛇モドキの口腔内に深々と埋まり、切っ先が魔石を砕く。

 核を破壊された蛇モドキは瞬く間に灰となって散っていく。魔石の場所(攻略法)が分かっていればこんなもんである。

 

「あいつは」ティオネはようやくエミールに気付き、先日のことを思い出して渋面をこさえた。

 

「あぅ」ティオナはようやくエミールに気付き、先日の件(主に御姫様抱っこ)を思い出して何とも言えぬ表情を作る。

 

「へ?」事態を飲み込めないエルフ少女が呆けた顔で目を瞬かせる。

 

「今の……」剣姫アイズはエミールの動きと体術を視認できなかった事実を重く受け止める。

 

 着地したエミールは、灰の中に転がる護身用ナイフを拾い上げ、舌打ちした。

「刃先が欠けちまった」

 

        ★

 

「ぅうう、」

 ベルは瓦礫の中で呻く。

 

 全身全霊を注いだ一撃離脱戦術は正しかった。周囲の地形や物を使って巨猿の隙を掴んだ。一気に肉薄し、巨猿の足首――アキレス腱へ刃を突き立てた。

 考えた作戦通り。振り絞った勇気が見事に攻撃を成功させた。

 

 ――のに、短剣の刃がばきりと折れ砕け、全てを御破算にしてしまった。

 

 唯一の得物が破損するという事態に動揺し、ベルは巨猿から手痛い一発を浴びた。毬玉のように宙を舞い、ボロ板のバラックを直撃して天井を崩壊させながら屋内へ。

 

 瓦礫に塗れたベルは呻く。天井から覗く空がやけに遠く見える。巨猿の拳を浴びたせいか、左腕が痺れて動かない。その可愛い顔にはいくつもの擦り傷切り傷が出来ていた。右手に握る短剣は鍔元から先がない。

 

 それでも、ベルは折れた短剣を握りしめ、痛みと衝撃でぶるぶると震える体を無理やり起こした。反射的に胃が震え、堪らず嘔吐する。

 起こした体から力が抜け、ベルは膝を突いて崩れ落ちる。勝手に涙が溢れそうになった時――自身の反吐に神様と一緒に食べたクレープが混じっていることに気付く。

 

 ……神様。

 

 女神ヘスティアの顔が脳裏に浮かぶ。方々のファミリアに蹴りだされた自身を受け入れ、冒険者にしてくれた女神の顔が、必ず無事に帰ってくるんだよと微笑んだ女神の顔が。

大事な家族の顔が、ベルの脳裏に鮮やかに浮かぶ。

 己の反吐を前にベルの萎えかけた心が、崖っぷちで踏みとどまる。

 

 ……神様。神様っ。神様っ! そうだ。僕は約束したんだ。神様に約束したんだ。

 

 それに、僕は誓ったんだ。

 金髪の美しい乙女が瞼の裏に強く浮かび上がる。

 あの人の隣に立てるくらい、強くなるって誓ったんだっ!!

 

 萎えかけた心は今や熱烈に燃え盛り、折れかけた魂は今や強く激しく輝いている。

 ベルは目元を拭って力強く立ち上がり、

 

 

 

「え?」

 

 

 

 突然、背後から後襟を掴まれてバラックの奥へ引きずり込まれた。



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20+:トライアル・リザルト

「皆、御苦労さーん!」

 逃げ遅れたらしい迷子を連れ、女神ロキが姿を見せた。

「おっ!? アスたんにエミール君やんかっ! 久しぶりやなーっ!」

 

「これは、ロキ様」「お久しぶりです、ロキ様」

 エミールとアスラーグがロキへ丁寧に一礼する。

 

「固い固い。もっと気楽でええでっ!」

 ロキはにこにこと笑い、戸惑い顔を浮かべている眷属達(子ら)へ告げ、

「皆、もう一仕事頼むわ。アイズは残ったモンスターの掃討。ティオネとティオナは地下水道を見てきてんか? 他にもおるかもしれへんからな。レフィーヤはここで休んどき」

 エミールとアスラーグへ顔を向けた。

「アスたんとエミール君はウチとこの子の親御さん探し付き合ってんか? 先日の件も含めて“色々”話がしたいねん」

 

「ちょっと、ロキ!」

 ティオネが眉根を寄せた。

 エミールとアスラーグの信用性以前の問題だ。恩恵持ちの常識として、主神だけで“他所”の連中と過ごさせるなど絶対にあり得ない。

 なぜなら、ロキが害されて強制送還された瞬間、ロキ・ファミリアの全団員が恩恵を完全凍結されてしまうのだから。

 

「大丈夫やって。迷子を親御さんに届けるまでの間やからな。2人も粗相せんやろ?」

「我が血と主神ネヘレニア様の名誉に懸けて」とアスラーグは真摯に答え、

「ロキ様に何かあらばこの首を差し出しましょう」とエミールは丁重に一礼する。

 

「ちゅーわけや。ほな、また後でなー」

 ロキは迷子の女の子の手を引きながら、アスラーグとエミールを伴って歩み去っていく。

 

 渋面を浮かべてロキ達の背を見送り、ティオネは大きく息を吐いた。

「あのお調子者はまったく……行くわよ、ティオナ。さっさと確認を済ませてロキのところへ行きましょう」

 ティオナはロキ達の、特にエミールの背を何とも言えぬ面持ちで見つめ、

「分かった。それじゃアイズ、レフィーヤ、また後でね」

 姉と共に駆けだす。

 

 山吹色の髪をしたエルフ少女レフィーヤ・ウィリディスは、黙りこくっているアイズへ不思議そうに尋ねた。

「アイズさん? どうかしました?」

 

「……ん。なんでもない」

 首を横に振り、アイズは手持ちのポーションを半分飲み、

「残りは呑んで」

 ポーションの瓶を負傷したレフィーヤに渡し、ロキの命令通りに逃亡モンスターの捜索と掃討へ向かう。

 

 レフィーヤは去っていくアイズの背を見送り、手の中にある飲みかけポーションを見て、

「!! これは、か、かか、間接……キッスッ!?」

 顔を赤くして身悶えしていた。

 負傷していることも大魔法をぶっ放した疲労も忘れて。

 

         ★

 

 バラックの奥へ引きずり込まれた先、ベルの視界に映ったのは――

 鳥面マスクを被った上半身裸の大男と、朱いロングスカーフとゆったりした衣装をまとうエキゾチックなエルフ美女。なんとも蓮っ葉な印象の老婦人。

 それに、女神ヘスティア。

 

「ベル君っ! 無事でよかったっ!」

 ヘスティアに抱きつかれ、ベルは困惑する。

「神様っ!? なんでここに……それにこの人達は?」

 

 当然の疑問に対し、ヘスティアはベルに抱きついたままエキゾチックなエルフ美女と、おっかない鳥面大男のことを説明し、次いで、老婆を紹介する。

「彼らはこの区画に住んでいる冒険者でエリノール君とトーマス君だ。それと、こっちは女神ペニア。ここらを縄張りにしてる気難し屋さ」

 

 雑な紹介に女神ペニアが嫌そうに顔をしかめた。

「泣きながら助けを求めてきたくせ、随分な紹介の仕方じゃあないか。ええ、オボコ女神」

 

「ベル君の前で変なこと言わないでくれよっ!? それに、僕らの郷里では、むしろオボコは良いことじゃないかなっ!?」

「言われてみりゃそうだね。オリュントスは変態性癖のロクデナシばかりだ」

 やいのやいのと語り合う女神達に、置いてきぼりのベルが困り顔を浮かべる。

「あの、神様?」

 

 ヘスティアは居住まいを正し、ベルを真っ直ぐに見つめた。

「ベル君。あのモンスターはエリノール君とトーマス君がやっつけてくれる。だからベル君はもう戦わなくても」

 

「ダメですっ! そんなの、絶対ダメですっ!」

 ベルはヘスティアの言葉を遮るように叫び、拳を固く握りしめて真剣に訴えた。

「あのモンスターは、僕が倒しますっ! 僕が倒さなきゃいけないんですっ! お願いします、神様っ! 僕に、僕に戦わせてくださいっ!」

 

「ベル君……」

 ヘスティアが肩を落とし、ツインテールを萎れさせたところで、ペニアが口を挟む。

「何、しょげてるのさ。坊主が男を見せようってんだ。女なら背中を押してやるもんだろ」

 

「でも、ベル君はボクの大事な子供なんだよ。ボクの、たった一人の子供なんだよ、ペニア」

 泣き出しそうなヘスティアを、ペニアが鼻で笑い飛ばす。

「あんたが親だってんなら、猶の事見守ってやんなよ。坊主が男に見せるところをさ。呼び出して悪いが、あんたらもそれで良いね?」

 

「私達はどちらでも。トーマスも良いわね?」

『フシュー』

 水を向けられたエルフ美女エリノールは肩を竦め、鳥面大男トーマスは大きく頷く。

 

 外堀を埋められ、ヘスティアは目を瞑って大きく深呼吸した後、刮目してベルを見つめた。

「……一つだけ条件がある。ベル君を戦いに送り出すのは、ここで恩恵を更新してからだ」

「ここで、ですか?」とベルは紅眼をぱちくり。

 

「坊主、この女神はあんたの恩恵を少しでも強くしてやりたいのさ。過保護なこった」

 意地悪に笑うペニアへ、ヘスティアは噛みつくように言い返す。

「内助の功といって欲しいねっ!」

「それは親ではなく妻では?」とエリノールが野暮なツッコミ。

 

「あー、うるさいっ! ステータス更新するから君らは出てけっ!」

 

 ヘスティアにバラックの外へ叩き出され、エリノールは朱いロングスカーフを弄りながら呟く。

「ペニア様が他の神と親しくされているところを初めてみましたよ」

「別に親しいわけじゃない。あのオボコ……いや、ヘスティアが変わり者ってだけさ」

「? それはどういう意味です?」

「しょうもない天界の事情って奴さね。人間が知ることじゃあない」

 

 ペニアがエリノールの問いをはぐらかしていると、バラックからベルとヘスティアが出てきた。恩恵の更新が終わったらしい。

 

 外套や装備を外し、黒い上下姿のベル・クラネルは黒い短剣を握りしめ、

「ボクはここで見守ってる。だから、思い切りやって来い、ベル君っ!」

「はいっ!! 神様っ!!」

 女神に見送られながら戦いへ征く。

 

        ★

 

 幾度も振り返って頭を下げる母親と手を振る女の子に向け、ロキはニコニコしながら手を振り返す。

「地上の子らはほんまに可愛いわ」

 しみじみと吐露し、アスラーグとエミールに向き直る。

「先日はウチの子らが迷惑かけてすまんかったなぁ」

 

「視界の悪い階層での不慮の出来事。その御心遣いで充分です」

「御眷属のディムナ殿と円満な示談を済ませておりますので、そうお気になさらず」

 2人が丁寧に応じる。そこに感情的思考的な嘘偽りは感じ取れない。女神に対して確かな礼節と崇敬がある。

 

 同時にその丁重さが一種の“護身”であることも、ロキは見抜き始めていた。

 天界指折りの謀神らしい鋭敏な直感と見識。独自の伝手やフィン達の報告などにより得た情報。加えて、この2人が重要な密命を負っているという推論。

 これは一筋縄にはいかんな……面白い。

 

 ロキはにっこりと唇の両端を吊り上げ、悪戯っぽく言った。

「しっかし、エミール君。ウチの子を御姫様抱っこちゅうんはいただけへんな。ウチの子らはウチ以外の御触り厳禁やねんでっ!」

「あの場における最も無難な対処をしたつもりなのですが……」と眉を大きく下げるエミール。

 

「まあ、御触り厳禁は冗談やけども……エミール君。レベル3なんやろ? レベル5のティオナの蹴りをよぉ防げたなぁ」

 ロキが糸目の奥から顕微鏡を覗くような眼差しを向ける。

「ティオナがゆうとったで。もうどうしようもないような状況で、エミール君のこと殺したぁ思うたって。なのに、気づけば御姫様抱っこされとって訳わからんーって唸っとったわ」

 

「簡単に言えば、アビリティとスキルです」

 エミールはあっさりと言った。

「自分は機動戦重視の軽戦士系アビリティとスキルを有しておりますので」

 

「なるほど、なぁ……」

 言葉に嘘はない。偽りもない。誤魔化しもない。事実を述べている……訳ないな。上手いこと誤魔化しよるわ。そこらの神々(バカ共)より賢いんちゃう?

 

「アビリティとスキルのお話で思い出しましたが……ロキ様の御眷属。ウィリディスさんでしたか。あの可愛らしいエルフのお嬢さんは、素晴らしいですね」

 アスラーグが横から言った。

 

「せやろっ!? レフィーヤはええでっ! 可愛いし、魔法も凄いしっ! ウチんとこの期待の星やっ!」と得意げに子ども自慢するロキ。

「あの魔力量は早々類を見ない規模でした。才能と素質に恵まれた子ですね」

 どこか感傷的に呟くアスラーグに、ロキは興味が強く惹かれ、一歩踏み込もうとした矢先。

 

 通りの先から逃げ惑う人々と、ふらりふらりと歩く二足歩行の一角兎(アルミラージ)が目に映る。

「ありゃ。アイズたん、まだ狩り終わってなかったん――なんやの、あれ」

 

 アルミラージは血に塗れており、周囲には冒険者達が半死半生の有様で倒れており、悲鳴や呻き声を上げていた。

 眼前のアルミラージは、体に刻まれた深手の傷や目鼻口から極彩色のツタが溢れ出ていた。その冒涜的異質さは見る者に本能的な不快感と忌避感を強く訴えてくる。

 何より、後にこのアルミラージの話を聞いたアイズはロキに語る『あのアルミラージなら、ちゃんと倒したよ』と。

 

「ロキ様、お下がりを」

 エミールとアスラーグが慄然とするロキを守るべく一歩前に出た。

 

        ★

 

 レアスキル『憧憬一途』によって恩恵のステータス値が爆発的に上昇し、ベルは体の感覚に戸惑っていた。

 どこまでも駆けて行けそうな、どこまでも跳びあがれそうな、何でも出来てしまいそうな、強烈な万能感。

 強化された肉体への歓喜と感動。頭と心を満たしている恐怖と昂奮と怯懦とスリル。

 

 ――ダメだ。冷静さを失うな。

 初めてモンスターと戦った時のような失敗を繰り返すな。

 エミールさんに教わったことを思い出せ。頭を使え。知恵を絞れ。知識と経験を活かせ。

 アスラーグさんに習ったように。僕もあの電光石火のような一撃離脱を。

 リリの指示や言葉を活かすんだ。この戦いもリリと一緒に戦った時と同じように。

 

 このモンスターに勝つんだっ!!

 ベル・クラネルは黒き短剣を固く握り、巨猿に挑む。

 

 巨猿の豪打を掻い潜り、鞭の如く振るわれた拘束具の鎖を飛びかわす。矢の如く踏み込んで斬りつけ、風のように離脱する。

 そこに力無き少年の姿はない。恩恵で強化された肉体を駆使する歳若き戦士が、乱雑な家屋が連なる立体迷宮を縦横無尽に勇躍する一人の冒険者が、そこに在る。

 

「典型的な恩恵頼りの戦い方だな」

 腕を組んで戦いを眺めるエリノールが呟く。

「戦技もない。戦術もない。練度もない。恩恵に頼っているだけだ」

『フシューッ!』

「ああ、そうだな、トーマス。恩恵に頼った戦い方だが……見苦しくはない」

 

 使い手と共に成長する神匠の黒短剣を握りしめ、ベルは巨猿を少しずつ弱らせていく。

 甲冑同然の拘束具を断ち切り、皮膚を裂き、肉を切り、白い体毛を血に染めさせる。短剣ゆえの刀身の不足を手数で補う。幾度も斬りつけ。幾度も突き刺し。少しずつ、確実に追い詰めていく。

 

 頭を使え。知恵を絞れ。考えろ。

 僕にはまだこのモンスターを一撃で倒す力も技もない。だから、弱らせろ。確実に倒し切れるまでっ!

 

 苦痛と苛立ちと焦燥。巨猿がひときわ大きな咆哮を上げ、両拳を高々と振り上げ、体ごと振り下ろす。

 

 ベルは左右に避けず、後ろへ引かず、上へ逃れず、()()()()()()()

 巨猿の大きな両拳のわずかな隙間に向かって。

 

 致死の巨拳が身をかすめ、風圧と衝撃がベルの身体を苛み、骨をきしませる。

 それでも、ベルは勇気を砕かれず、ベルは止まらず、死線を一気に駆け抜けた。白い髪をたなびかせながら。

 

 ()の隙間を突破し、両腕の内に入り込めば、そこには大きく位置を下げた巨猿の首。

 ベルは叫びながら短剣を逆手に握り替え、跳躍と共に刀身を巨猿の首へ滑り込ませた。肉を深々と切り裂く感触を手に覚えながら刃を振り抜き、高々と宙へ舞い上がる。

 

 空中で身を捻って見下ろした先に、喉首を斬り裂かれて大出血して崩れ落ちる巨猿のうなじがあった。

 両手で黒い短剣を強く握り、ベルは重力に乗って巨猿のうなじ目掛けて飛び込んでいく。

 

 通りに響く衝撃音と巨猿の大叫喚。

 

 黒い短剣が巨猿のうなじに深々と埋まり、その刺突衝撃が太い頸椎を破壊。巨猿を血溜まりへ沈める。

 巨猿は自らの血の海に倒れ、二度と動かない。

 

 ――勝った。

 

 勝利を実感した直後、ベルの身体に凄まじい疲労感が襲ってくる。

 それでも、膝はつかない。

 物陰から満面の笑顔を浮かべて飛び出してくる女神がいるから。

 そこら中の建物から住人達が姿を現し、歓声と拍手を贈ってくれているから。

 男の子の意地だ。情けないところは見せられない。

 

 ベル・クラネルは巨猿の骸からゆっくりと降り、女神の許へ向かう。

 大事な家族の許へ帰るように。

 

 おめでとう。

 人混みの陰に居たアイズが心の中でベルに祝福の言葉を贈り、その場を去っていく。

 とある建物の屋上で美神が腰を抜かしそうなほど蕩け、その隣で都市最強の男が無心で仁王立ちしているが……まあ、ベルもヘスティアも住人達も気づいていないし、放っておいてよかろう。

 

      ★

 

 一角兎、否。その魔兎は冒険者の両手斧を拾い上げると、“ロキ”へ向かって凄まじい速度で襲い掛かってきた。

 

「ひっ!?」

 ロキが悲鳴を上げると同じく轟音が響き渡り、閃光と火花が爆ぜた。

 

 短剣で魔兎の一撃を弾いたエミールは、舌打ちする。今の受け流し(パリイ)で護身用ナイフが完全にひん曲がった。

「ウサ公のくせに、なんて馬鹿力だ」

 

 小柄な体躯からは想像もつかぬ凄まじい膂力。常の一角兎ではありえない。

 一旦距離を採った魔兎は両手斧を八双に構え、ツタが溢れる眼を蠢かし、ロキを睨みつける。

 

「なんでウチのこと睨むんっ!? 兎に恨まれる覚えはあらへんぞっ!?」

 顔を蒼くするロキ。

 

 得物が無いエミールは冷徹に思案する。虚無の手を使えば、倒れている冒険者達の得物を即座に確保できるが、神の前で虚無の力はあまり使いたくない。同様の理由で他の超常も却下。純粋にチャンバラで戦うしかない。それはそれで得物が無い。

 

「黒き水面より出でて食らいつけっ! アンブラ・ピストリクスッ!」

 そこへ、アスラーグが短文詠唱。

 漆黒の大鮫が魔兎の影から飛び出し、真っ黒な顎を広げて襲い掛かる。

 

 魔兎は咄嗟に大鮫の顎を避けるも、左半身をごっそりと食い千切られた。

 しかし、魔兎は死なない。欠損した創傷部から無数のツタ状触手が生え伸び絡み合って、左腕や左脇腹、左足を再構築。

 

「正体は兎の皮を被った植物系モンスターか」とアスラーグがシャーレを覗くような顔で呟く。

 

 刹那、魔兎の口が裂けるように開き、喉奥からゴソリと“花”が生え出す。

 

「あのきっしょい花、さっきアイズ達が戦ってた蛇モドキと同じ、か?」

 ロキが呻くが早いか、魔兎が左腕の触手をほどき、鞭のように振るった。打擲の嵐がロキ目掛けて荒れ狂う。

 

「失礼します!」「ひょえっ!?」

 エミールはロキを御姫様抱っこし、右へ緊急回避。アスラーグが左へ大きく回避。

 触手が直撃した石畳がばかんと割れ砕け、飛礫が舞う。

 

「エ、エミール君っ! 女の子をほいほい抱きかかえたらあかんよっ!?」

 場違いと分かりながらもロキは蒼かった顔を赤く染めていた。胸がド平坦でも女好きでも、ロキは女神だもの。女心があるんです。涼しげな優男に抱きかかえられれば、吊り橋効果と合わさってトキメいちゃったりするのだ。

 

「申し訳ありませんっ!」と触手の打擲を避けながら詫びるエミール。

「エミールッ!」左へ避けたアスラーグが冒険者の長剣を拾い上げて掲げる。

 

 エミールはアスラーグの許へ跳躍し、

「任せるっ!」

「ちょっ!?」

 ロキをアスラーグへ投げ渡して代わりに長剣を受け取る。

 

「ウチを荷物みたく放るなーっ!?」

 今度はアスラーグに抱きかかえられたロキの抗議を背に受けながら、エミールは滑るように駆けて魔兎へ迫っていく。振るわれる幾鞭の触手をさぱりと長剣で切り払い、大きく踏み込む。

 

 魔兎が右手に握る両手斧の振り下ろしを長剣の鎬で弾く。両手斧の横薙ぎを長剣の鎬で受け流す。両手斧の袈裟切りを長剣の鎬でいなす。両手斧の切り上げを長剣の鎬で受け逸らす。

 

 双方の鋼が交差して接触する度、固い衝撃音が通りに響き、閃光が煌めき、火花が舞う。

 さらに、剣戟に加えて、魔兎の触手が振るわれるも、エミールは動じることなく触手の嵐を切り払い、避け、かわす。

 

 刻印持ち(ヴォイド・ウォーカー)の力を一切使わずに、エミールは自身の力と技のみで全ての攻撃をさばいていく。

 激しい攻防の最中でも、エミールは思考を止めない。

飢血(ブラッドサースト)』は拾い物の剣がイカレるかもしれないから却下。『敏捷(アジリティ)』だけでしのぐしかない。ま、このウサ公が()()()()()()()()()()()()だろう。

 

 閃光が爆ぜ、火花が弾け、斧は防がれる。避けられ、斬り払われ、触手は届かない。

 全ての攻撃を防がれ続けて苛立ったのか、狙いのロキを襲えず腹が立ったのか、魔兎が激昂してエミールへ襲い掛かった。

 

「今だ」エミールは言った。

 これは一対一の決闘ではない。単なるモンスター駆除だ。隙が生じたなら――

 

 短剣を握るアスラーグが魔兎の背後から電光石火で肉薄。雷光のような刺突を繰り出す。

 その一撃は魔兎の小さな後頭部を容易く貫き、裂けた口から生える妖花の核を穿った。

 

 切っ先から伝わる手応えに、アスラーグが淡白に呟いた。

()ったわ」

 

 ばきり、と魔石が砕けた瞬間、魔兎が灰となって散っていく。

 

「魔石と死体を調べたかったが、仕方ないな」

 エミールは傷だらけになった直剣を石畳の割れた地肌に突き立てる。

「どう思う? 突然変異か? 誰かの仕込みか?」

 

「さてね」

 問われたアスラーグは短剣を鞘に戻し、倒れ伏す負傷者達と何やら考え込んでいる女神ロキを一瞥した。

「いずれにせよ、この件は尾を引きそうね」

 

 

 

 

 

 そして、通りに市民の歓声が湧き上がる。同じ頃、円形闘技場でも祭の終わりが告げられていた。



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21:事件の後始末は新たな事件の始まり。

 日中の快晴が嘘のように、怪物祭の夜は雨に見舞われていた。

 

 表で抒情的な雨音が奏でられている中、

「おっまえなぁ、今度という今度はただじゃ済まさんぞっ!」

 女神ロキは糸目を見開き、殺意染みた威圧感を発する。

「他所の子にちょっかい掛けるゆう話は口実で、ほんまはウチを殺す気やったんかっ!? あんなきっしょいバケモンまで用意し腐って……返答次第じゃガチで戦争やぞコラァッ!!」

 

「ちょっと待って。落ち着いて、ロキ。どうしてそんなに怒ってるの?」

 同郷でも指折りの謀神が放つ圧も気に留めず、女神フレイヤは酷く困惑していた。

 

 常に演技がかったほどの優雅さを保つ美神フレイヤが、ただただ目を丸くして戸惑うという珍しい反応に、今度はロキが困惑する。

 

「なんやの、その反応」ロキは怪訝そうに「ひょっとして……アレはお前の仕込みちゃうん?」

 

 フレイヤは戸惑い顔のまま応じる。

「私はあくまでガネーシャが用意したモンスターを放しただけよ。少しばかり予定より数は多かったけれど、ガネーシャの子供達と貴女の剣姫、市井の冒険者で十分対処できる規模だったわ」

 

「対処出来るどころの話やないわ。ウチのレフィーヤは薄っ気味悪い蛇モドキにケガさせられたし、ウチをガチで殺しに来た兎のバケモンは他所の子らを10人近く半殺しにしとったぞ」

 

 ロキの説明を聞き、フレイヤは思わず顔を強張らせた。死者こそ出ていないが、冗談では済まされない事態だった。

 

「どういうことなの?」

「知るかっ!」

 ロキは忌々しげに吐き捨て、

「……ガネーシャが祭りのために、あんな危ないモンスターを用意するとは思えへん。誰かがガネーシャにババ掴ませて、それをフレイヤが掴まされて、最後にウチんとこへ回ってきた。そんなとこか。クソ、あったまくるわぁ……っ!」

 

 眉目を吊り上げて憤慨する。道化の神は自身がおちょくられることを好まない。というか、許さない。

 

 此度の事件に仕込みを入れた奴に対し、ロキは我が子を傷つけられただけでなく、自分にも喧嘩を売ったと受けとめた。別世界線よりも本気でこの件を追求することを決意する。

 なお、拠点に帰還後、事件の詳細を知ったフィンからキツい御説教(『主神の君に何かあったらファミリアが終わるんだぞ! 危ない真似はやめてくれ!』)を受け、事件を起こした奴に一層怒りを募らせた。

 

 

 同じ頃、ギルド本部の最奥では、

「やってくれる」

 老大神ウラノスが瞑目して呟く。その声色には不快感がはっきりと滲んでいた。

「此度の件で街の子らは再確認しただろう。モンスターが如何に恐ろしく、危険な存在か。特に十数人の冒険者を治療院送りにしたモンスターを目にした子らは」

 

「7年前の大抗争を思い返した者も、少なからずいるだろうな……」

 黒づくめの愚者は肉体があった頃のように右手で額を押さえて唸る。

「剣姫やエミール達がいなければ、被害はもっと大きかっただろう。そういう意味では不幸中の幸いだった……」

 

 ウラノスは胸中の感情を処理するようにゆっくりと深呼吸した。

「……お前の進言通り、虚無歩きを“宝玉”の回収へ送り込まず正解だったか」

 

「エミール達に任せた場合、仮にデリラ信奉者達に遭遇したら、我々の依頼よりそちらを優先してしまう」

 フェルズは籠手を装着した腕を組み、どこか慨嘆の響きを込めて言った。

「彼らとは『持ちつ持たれつ』くらいに考えていた方が良いだろう」

 

「確かにな」老大神は渋い顔つきで首肯し「“宝玉”の方は?」

 

「リド達の報告ではガネーシャの子が無事に宝玉を確保したようだ。18階でヘルメスの子に受け渡す手はずになっている。明日明後日には回収できるだろう」

 

 フェルズは報告しつつ、

「今回、街に出没した未知のモンスターだが……エミール達へ指名依頼を出して公的に調べさせようと思う」

「ほう?」ウラノスが相槌を打って続きを促す。

「私が思うに、アレは人為的に地下水道へ運び込まれたのではないか。私の想像が当たりなら闇派閥が関与しているだろう。デリラ信奉者達も含まれている可能性が低くないはずだ」

 言った。

「仮に私の想像通りだった場合、エミール達に任せることが一番危険が少なく、確実だ」

 

 ウラノスは少し考え込み、頷いた。

「良いだろう。異邦の猟犬を地下水道へ送り込め」

 

 

 

 

 そして、ダンジョン内某所では。

「――というわけでな、てっきりモンスターに食われちまったと思っていた“種”が、冒険者に回収されちまったみたいだ。いやはや、見込みで判断するもんじゃねェな」

 

 壁に背を預けて立つ全身甲冑男が他人事のように言い放ち、不機嫌面の赤毛美女――レヴィスへ告げた。

「だから、レヴィス。ちっと奪還してきてくれ」

 

「寝言は寝て言え」

 レヴィスは不快感と怒気を隠さない。殺気さえ滲ませている。

「私の忠告を無視したくせに、尻拭いをしろだと? ふざけるな」

 

「お前が適任だからだ。アレの扱いはお前が詳しかろう」

 幾何紋様のような赤黒い仮面を被った女が、レヴィスへ無機質に告げる。

「我らは計画を進めている最中で人手に余裕がない。それに今、闇派閥の残党を人目に触れさせるわけにはいかない。何より」

 

 赤黒仮面女はどこか疎ましげに全身甲冑男を見た。

「……この狂人共に任せるわけにもいくまい」

 

「おいおい。気狂いはお互い様だろうよ」

 全身甲冑男がくつくつと喉を鳴らす。嘲りと蔑みを込めた響きだった。

「いや、オラリオを吹き飛ばそうなんてキチガイ沙汰に挑むお前らの方が、よほどイカレてんじゃねェか?」

 

「……我が主の大願を侮辱するか」

 赤黒仮面女が俄かに殺気立つ。凶悪な威圧感を発するも、

「なに怒ってんだよ。俺ぁ事実を指摘しただけだろ?」

 甲冑男は軽薄な態度を改めない。むしろ嬉々として煽る。

 

「――貴様」赤黒仮面女から本気の殺意が滲み始めた。

「やめろ、鬱陶しい」

 レヴィスは苛立たしげに吐き捨て、

「分かった。“種”を奪還する。ここで貴様らに関わっているよりマシだ」

 うんざりした顔でこの場から去っていく。

 

「一緒に行ってやろうか?」

「ふざけるな、妄信者め。付いてきたら殺すぞ」

 レヴィスは肩越しに甲冑男を睨み、足早に出て行った。

 

「おっかねェなぁ」

 甲冑男が笑っていると、赤黒仮面女が言った。

「ああ言ったが、やはり貴様も奴に付いていけ」

 

「おや、俺らにゃ任せられねェんじゃなかったか?」

 おどける甲冑男に付き合わず、赤黒仮面女は淡々と話を続ける。

「奴が無事にアレを回収できるなら良し。最悪の場合はアレを確実に破壊して奴の脱出を援護しろ。奴にはまだやってもらうことがある」

 

「了解。ただし、虚無歩き(ヴォイド・ウォーカー)と遭遇したらそちらを優先する。“種”やレヴィスがどうなろうとな」

「命令に逆らう気か」

 赤黒仮面女に殺気を向けられても、甲冑男はそよ風を浴びたような態度でせせら笑う。

「勘違いするな、小娘。俺達は互いに利用し合っているだけだ。オメェらに服従してるわけじゃねェ」

 

 忌々しげに舌打ちし、仮面女も消え去った。

 甲冑男は仮面の女が消えた虚空へ酷く冷たい声を発する。

「……精々今のうちに楽しい夢を見るこった。バカ共のやるこたぁどうせ上手くいかねェんだからよ」

 

      ★

 

 怪物祭の翌日の朝。

 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインはゴブニュ・ファミリアから愛剣デスペラートの整備代と貸与剣の弁償費用、合わせて4000万ヴァリスを請求されて頭を抱えていた。

 

 同じ頃、アスラーグとエミールはギルド本部で『指名依頼』を命じられ、渋面を浮かべていた。

 

「地下水道の調査? この大都市の地下を私達二人だけで調べろと? 何年掛かりの仕事になると思ってるのかしら? それとも、これは何かしらの嫌がらせ?」

「ギルドは嫌がらせなどしません」

 2人の担当職員ローリア女史はいつものように事務的な態度で、不満顔のアスラーグをいなしつつ、話を続ける。

「調査は件の未確認モンスターが出没した区画とその周辺区画の地下のみ。また、痕跡等の有無が確認できれば十分とのことです」

 

「そういう調査は都市衛兵を担うガネーシャ・ファミリアの領分では?」

「ガネーシャ・ファミリアは確かに都市衛兵を担っておりますが、行政や司法の執行機関という訳ではありませんので」

 エミールの指摘に対しても、ローリア女史は書類を扱うような態度で応じる。

 

「これはギルド規約に基づく指名依頼です。お二人とも冒険者登録される際、ギルド規約に従う旨の合意書に署名されています。つまり、指名依頼をあくまで拒否される場合、罰則条項が適用されることにも同意しています」

 ローリア女史は極めて淡白に語り、渋面を濃くした諸島帝国人2人へ問う。

「如何されますか?」

 アスラーグとエミールは顔を見合わせ、揃って溜息を吐き、了承の言葉を返した。

 

 ――というのは表向きの話。

 ローリア女史との話し合いが終わり、ギルド本部の外へ向かう道すがら、

『悪くないわね』

 アスラーグは諸島帝国語で呟く。

 傍目には、面倒な指名依頼に不満を覚え、御国言葉でぼやいているようにしか見えない。

『これで大手を振って色々調べられるわ』

 

『ああ。好都合だな』

 エミールも表情を変えずに諸島帝国語で応じる。

『この件を利用してドブネズミ共の情報を集めよう』

 

「あ」

 不意に立ち止まり、アスラーグは難問を前にした学生みたいな顔で呟く。

「下層挑戦の件、どうしよう。リリちゃん、楽しみにしてたのに」

 

「どうしようって……」

 エミールも難問に窮する学生みたいな顔で応じた。

「アーデ嬢に事情を説明して先延ばしにするしかないだろ」

 

 

 というわけで。

 

 

「指名依頼で地下水道の調査、下層挑戦は延期……ですか」

 そう呟くリリルカの面持ちは、楽しみにしていた家族旅行が親の仕事で中止になった子供みたいだった。

 

「ごめんね、リリちゃん」と本心から詫びるアスラーグ。

「すまんな、アーデ嬢」と心苦しそうに謝るエミール。

 

“パパ”と“ママ”の謝罪に対し、

「いえ、ギルドの指名依頼では仕方ありませんから」

 健気に応じるリリルカちゃん。でも、可愛いお顔はとってもしょんぼりしている。

 

 エミールはバツの悪そうに癖の強い栗色の髪を掻きつつ、提案。

「アーデ嬢。提案なんだが、俺達がこの件を片付けている間、クラネル少年とダンジョンへ潜ってみたらどうだ?」

 

「ベル様と?」

「ああ。クラネル少年も最近はソロでの稼ぎに悩んでいるようだし、アーデ嬢もクラネル少年なら安心して組めるだろう?」

 

「それは……」

 リリルカは無邪気な笑顔のベル少年を思い浮かべる。

 

 冒険者業界の闇を知らぬ能天気なまでの明るさはイラッとすることもあるが……その点を加味してもなお、大量のお釣りがくるほどにベル・クラネルの人柄は好ましい。それに、ベルは他の冒険者みたく自分を見下したり虐げたりしないし、稼ぎを誤魔化そうとしない。

 

 アスラーグ達と比べたら、収入は桁で低くなるだろう。

 しかし、それは他の冒険者でも同じことで、となればやはり善良な人と組みたい。ベル・クラネルなら、自分を犬以下のように扱ったりしないだろう。

 

「ベル様に雇われることは構いません。ただ、ベル様にも都合があることですので、仮に断られたら、エミール様達と一緒に地下水道に行きます」

 リリルカはエミール達へ冗談を言うように、ニヤリ。

「私は御二人からの御厚遇に慣れてしまいました。今更、他の冒険者様に低賃金で雇われて、犬以下の扱いを受けることを我慢できません」

 

 

 そんなわけで。

 

 

 三人が巨塔バベル前の広場でダンジョンへ向かうベル少年を捕まえ、事情を説明しつつ話を持ち掛けると、

「リリを雇うんですか? 構いませんよ。むしろ有難いくらいです」

 ベル少年は即座に快諾した。

 

 というのも……

「僕のバックパックは小さいんで、あまり稼げないんです」

 ベル・クラネルは短剣と体術を主とする軽戦士スタイル。あまり大荷物を抱えては全力を発揮できない。それに、ベルはまだ14歳で体も大きくない。身長が180に届くエミールはもちろん、ブーツのヒール高込みで170を超すアスラーグより小柄だ。

 

「リリが居てくれたら、もっと稼げますし、それに心強いですからっ!」

 満開の向日葵みたいな笑顔のベル少年。笑顔を向けられたリリルカは心なしか頬に朱を差していた。

 

 そんな少年少女の様子を前に、アスラーグはニヨニヨと微笑む。ここに至り、エミールもようやく気付く。

 これは……いや、うん。まあ、これも経験か。クラネル少年にとっても、アーデ嬢にとっても。

 

 エミールは気を取り直し、

「快く引き受けてくれて感謝する。アーデ嬢もこれで構わないか?」

 ベルへ礼を言いつつ、リリルカへ問う。

 

「はい。御二人の地下水道調査が終わるまでベル様と共にダンジョンへ潜ります」

 リリルカはこくりと頷き、ベルへペコリを頭を下げた。

「それでは、ベル様。よろしくお願いします」

 

「こちらこそっ! 頑張ろうね、リリっ!」

 ベルは嬉しそうに破顔し、手を伸ばしてリリルカと握手。

 

 契約成立。

 

 こうしてダンジョンへ向かう歳若い少年少女を見送り、エミールはアスラーグへ顔を向けて、

「なんとなくだが」

 冷ややかに告げる。

「地下水道のどこかで黒づくめと会いそうな気がする」

 

「奇遇ね、エミール。私もそんな気がしてるわ」

 アスラーグも冷淡な面持ちで頷いた。

 

        ★

 

 迷宮都市オラリオはろくな行政機関の存在しない都市なのに、不可解なほど近代的に水道が整備され、きっちりと維持されている。

 

 都市の地下に敷かれた水路は天井と幅が広く、煉瓦と混凝土で堅牢に築かれていた。しかも降雨などによる増水に備え、地下貯水区画もきちんと整えてある。加えて、御丁寧にダンジョン産の発光水晶を等間隔で設置してあった。

 

「都市運営は未開の蛮地みたいな有様なのに、インフラは先進都市ね」

「行政機関が存在しないのにどうやって維持してるのやら」

 アスラーグとエミールがくるぶし辺りまで水に浸かりながら地下水路を進んでいく。

 

 と、

「来たか」

 仄暗い水路の交差路で、黒づくめの愚者が突如として現れた。透明化の装備を用いて潜んでいたらしい。

 

 フェルズは内心で『今日もこの2人はいろいろキツいことを言うんだろうな』とぼやく。

 エミールもアスラーグも非常に手厳しい意見を容赦なく言ってくる。しかも、道理無き誹謗中傷ではないので反論し難い。

 胃袋を失くして800年経つが、フェルズは既に胃が痛くなる錯覚を抱いていた。

 

 しかし――

「この調べものにはどこまで情報を貰えるのかしら?」

「今回の調査に関して色々擦り合わせをしたい。時間はあるか?」

 2人から意外と食いつきが良い言葉が出た。少なくとも、この調査に関する文句やその他を聞かされそうな雰囲気はない。

 

「何かしら文句を言われると覚悟していたのだが」

 フェルズが遠慮がちに指摘すると、

 

「確率論から言っても、あのサイズのモンスターが誰にも気づかれることなく地下水道まで上がってきて、あの日、あの区画に偶然出没した、ということはあり得ない」

 アスラーグは形の好い唇を右手人差し指で撫でながら続けた。

「人為的なものとみて間違いないわ。調べる価値がある」

 

「これは要望だが」エミールは深青色の瞳をフェルズへ向け「叶うならガネーシャ・ファミリアや地下水道に関係する業者などから話を聞く権限をくれ。この件を奇貨にいろいろ探りたい」

 2人とも獲物を追う猟犬みたいな顔つきだった。

 

 これは懸念していた方向とは別方向で厄介なことになりそうだ……

 フェルズは無いはずの胃袋がキリキリする感覚を抱いた。

「分かった。まずこちらが情報を出す。そのうえで、君達の調査計画と提案を確認しよう」

 

       ★

 

 そして、翌日。

 女神ロキは拠点内を一通り見て回った後、廊下で遭遇したエルフ乙女に問う。

「アリシア。なんや幹部の子らが見当たらんけど、皆お出かけしたんか?」

 

「ええ。お昼後に」

“純潔の園”なる二つ名を持つアリシア・フォレストライトが頷いて説明する。

 

 アイズ、ヒリュテ姉妹、リヴェリアとレフィーヤ、フィンの面々はダンジョンへ稼ぎに向かったらしい。

「ガレスさんも実戦訓練に若手を何人か連れてダンジョンに行きました」

 

 ロキは少し思案し、

「そっかー……ベートは居るんやな。ラウルとアキは居るん?」

「ええ。2人は居ますよ」

 再び首肯するアリシアへ言った。

「ほならな、アリシア。ラウルとアキにちょっくら装備を用意させてんか? ああ。アリシアもやで」

 

「え?」主神の言葉に目をぱちくりさせる“純潔の園”。「あの、ロキ? それはどういう――」

「ウチはベート連れてくるけ、頼んだでアリシア。正面玄関で待ち合わせなー」

 戸惑うアリシアを置き去りに、ロキはすたすたと歩み去っていく。

 

「え? え? え?」

 残されたアリシアはまだ目をぱちくりさせていた。

 

 そうして、昼下がりのオラリオをロキと4人の眷属が進んでいく。

 眷属達は全員が戦闘装備を身につけていた。

 

「いったい何だってんだ。アホゾネス共が地下水道を調べた時にゃあ、モンスターはいなかったんだろ?」

 ぶー垂れる”凶狼”ベート・ローガへ、ロキはしれっと応じる。

「ティオネもティオナもガッツリ調べたわけやあらへん。むしろ調べてへん場所の方が多い。ガネーシャんところも事件の後始末が忙しぅて地下水道まで手が回っとらんしな。調べる価値はあるやろ」

 

「レベル5とレベル4を4人も用意した調べものっスか……」

”超凡人”ラウル・ノールドが荒事を予感し、嫌そうに眉をひそめる。

 

「アイズ達が苦戦したっていう新種のモンスターがまだ潜んでると?」

“貴猫”アナキティ・オータムが危険を想像し、顔を強張らせた。

 

「物騒な話に巻き込まれましたね……」

”純潔の園”アリシア・フォレストライトは厄介事を想定し、小さな溜息をこぼす。

 

「まあ、空振りに終わる可能性もあるけどな。どっちに転がっても今日はウチが美味いもん奢ったるけ。ちょっと付き合ってや」

 ロキはからからと笑う。その細い糸目の奥で、瞳が獰猛にぎらついていた。

 ――さて、何が出てくるか。

 

 

 かくして、謀神は凶狼と超凡人と貴猫と純潔の園を引き連れ、地下水道へ入っていった。

 




簡易状況説明。

白兎の物語。
ベルとリリがペアでダンジョン潜り開始。流れ自体は原作と同じ。
ただし、既に仲良し気味。加えて、主人公達との関わりで二人とも原作より強め。

剣姫の物語。
関わり方が半端なため、原作に変化が生じず。
リヴィラ殺人事件にもレヴィスとの初戦にも関与しない。
ただし、地下水道捜索後に変化しそう。

レヴィスさん。
原作より苦労人。


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22:道化神は御機嫌斜め。

 地下水道に降りていき、水路を前にロキが立ち止まり、身をもじもじさせ始めた。“純潔の園”アリシア・フォレストライトは思う。トイレを我慢してるのかしら。

 

 と、ロキは胸元に両手を添え、上目遣いで“凶狼”ベート・ローガを見つめ、言った。

「ベートぉ。おんぶして♡」

 

 身をもじもじさせていたのは乙女の恥じらいを演出していたらしい、と気づき、“貴猫”アナキティ・オータムは思う。これは酷い。人と神の違いはあれど、同じ女として思う。これは酷い。

 

 案の定、ベートは心底嫌そうに顔をしかめた。

「なんで俺が……」

 

「今日の靴おニューやから濡らした無いんや。女の子らには頼めへんし、ラウルは鎧着とってゴツゴツしてるやろー? せやしぃ、ベート、おんぶぅー。おんぶしてー。なあなあ、おんぶしてやぁ~。ベートがおんぶしてくれへんとぉ先に行けへんよぉ~」

 

 もはや乙女のおねだりというより、ダメ大人のダメダメな我儘だった。ラウルは思う。鎧を着てきて良かった。本当に良かった。

 

 ベートは心底うざったそうに顔を怒らせ、歯噛みして唸り、そして、渋々了承した。

 こうして、ベートは心底うんざりした顔でロキを背負い、水路を進んでいく。

 

「あんがとなー。やー、ベートはツンケンしとってもホントは優しい子やわー」

 ご満悦のロキがベートの頭をナデナデ。

 

 イライラを募らせたベートが喚く。

「頭撫でんなっ! 黙ってねェと投げ捨てるぞっ!」

 そう言いつつも、ロキを落とさないよう丁寧に背負っているベート・ローガさん(狼人・22歳・独身)。

 

 そんなベートの背に続くレベル4の三人組。

「ベートさん、なんだかんだ面倒見良いですよね」と微苦笑のアリシア。

「あれで口と態度が悪くなければね」と口端を緩めるアナキティ。

「口と態度の良いベートさんとかそれはそれで怖いっス」と表情を和らげるラウル。

 

 背後から無責任な言い草を浴び、ベートは再び喚く。

「テメェらも黙ってろっ!」

 ベートは切実に思う。

 こんなことになるなら、昼寝なんかするんじゃなかった。

 

        ★

 

 ロキ達とは別ルートで地下水道に降りていたエミールとアスラーグは、ロキ達のように会話を交わしたりしない。

 

 エミールは知覚強化を駆使し、わずかな痕跡も見逃さぬよう集中して水路を進んでいる。

 アスラーグもランタンに似た捜索系魔導具を用い、真剣に魔力痕跡が無いか探っていた。

 2人とも突発遭遇戦に備え、無駄口を叩かず水音を抑えるように足を動かす。

 

 エミールが手を挙げ、アスラーグが足を止めた。

「1ブロック先の貯水区画に生物反応。当たりだ」

 知覚強化されたエミールの目に壁など無きに等しい。効力圏内の生物を黄色く発光した影を捕捉できる。

「デカブツが2匹。それと小物と触手が複数」

 

「死体を調べたいし、魔石と素材を確保したい。留意して」

「インフラへの付帯損害が生じる恐れがあるぞ」

 

 先日の剣姫達が戦った様子を見る限り、魔石破壊による速攻撃破をしないと、地下水道に被害が及ぶかもしれない。いうまでもなく水利はデリケートな設備だ。損傷によって都市用水に影響が生じる可能性がある。場合によっては大規模な崩落が生じるかもしれない。地上の区画が丸ごと落ちてきたら、流石に御陀仏。

 

 が、アスラーグはエミールの懸念を冷笑と共に蹴り飛ばす。

「上手くやれば良いだけでしょう? それとも出来ない?」

 エミールは小さく頭を振り、背中から片刃直剣を抜く。

 

         ★

 

 獣人は他種族よりも感覚野や運動神経に長けているという。恩恵によって身体能力が強化されていれば、その特性はさらに優れたものとなる。

 不意にレベル5冒険者の狼人青年ベートが足を止め、鼻をヒクつかせた。

「人の臭いだな」

 レベル4冒険者の猫人乙女アナキティも首肯し「男女2人。ワインみたいな香りも残ってる」

 

 それに、とベートが続ける。

「この先で水音が聞こえたぞ。2人分だ。武具が擦れる音もした」

 

 ベートの言葉に、ラウルは負い革で背負っていた盾(ヒートシールド)を左手で抱え、左腰から直剣を抜く。

「俺はロキとアリシアの護衛に着くっス」

「私は後方警戒に回る」アナキティはベートへ「先頭は任せます」

 

「ロキ、降りろ」

 ベートは首肯してロキを下ろす。素っ気ない口調に反してロキを降ろす仕草は丁寧。

 レベル4魔法使いのアリシアがロキと共にラウルの背後へ移る。

 

「皆、ベテランって感じで頼もしいわ。任せるで」

 簡単なやりとりで無駄なく突発遭遇戦に備える子供達の様子に、ロキが満足げに頷いた。

 

 

 直後。

 地下水道内にケダモノの猛々しい雄叫びが轟く。

 

 

「先行するっ! テメェらはロキを守りながら来いっ!」

 怪物の雄叫びを聞くや否や、ロキ・ファミリア最速の男は機動戦重視の軽装備も手伝い、飛翔するような勢いで疾駆した。

 

 森の中を疾走する森林狼のように、ベートは水飛沫を牽きながら地下水道を激走。瞬く間に戦闘騒音の発生源――貯水区画へ飛び込む。

 

 貯水区画は怪物の巣に化けていた。

 植物と蛇の合いの子みたいな2匹の大型モンスターが、窮屈そうに天井や支柱に体躯を擦らせながら、花染みた頭を満開させて牙を剥いている。

 蛇モドキの巨躯から伸びる幾つもの触手が荒れ狂い、黒妖精の美女とヒューマン青年を相手に激しいチャンバラを繰り広げていた。

 

「ロキの勘が当たりやがった」

 ベートが未知の化物共を睥睨したところへ、

 

「そこの狼人っ! 危ないから逃げなさいっ!」

 貯水区画の中でレイピアを振るっていた黒妖精の美女が警告を発する。

 

「あぁっ? 誰に言ってやがるっ!」

 も、強者たるべしを本懐とするベートは眉目を吊り上げ、

「オラァッ!!」

 ミスリル製メタルブーツの回し蹴りで迫ってきた触手の群れを鎧袖一触。

 

「ベートッ!!」

 そこへロキ達が到着し、

 

「ロキ様っ!?」

「アスたんにエミール君っ!? こんなとこで何してんねんっ!?」

 予期せぬ遭遇に吃驚を上げるアスラーグとロキ。

 

「うっわ、気持ち悪いっスね!?」「蛇? 植物?」「さあ?」

 レベル4の三人が初見の蛇モドキに抜けた反応を返し、

 

「どいつもこいつもゴチャゴチャうるせェッ!! 後にしろっ!!」

 苛立ったベートは喚き、

「狼人。あっちの一匹は俺達で処理する。手を出すな」

「雑魚が俺に命令するんじゃねえっ!!」

 氷より冷たい目をしたエミールへ怒声を返す。

 

「アリシアっ! あのきしょいのは魔力に反応すんねんっ! 気ぃ付けやっ!」

「わかりましたっ!」

 道化神の助言を得て、”純潔の園”が左腰から小剣を抜く。

 

「ラウルッ! ロキを守ってっ! 私はアリシアの援護に回るっ!」

 長剣を抜いて戦闘へ加わる”貴猫”。

「了解っスッ!」盾を構えてロキの護衛に回る”超凡人”。

 

 戦闘、開始。

 

        ★

 

 エミールとアスラーグはロキ・ファミリアの闖入に困惑を覚えつつも、眼前の蛇モドキを仕留めに掛かる。

 

「だいたい体構造は分かった。アスラ。触手を引き付けてくれ」

「淑女に面倒を押し付けるなんて、紳士の風上にも置けないわね」

「氏育ちが悪いからな」

 軽口を交わした後、アスラーグとエミールは蛇モドキへ突撃。

 

 蛇モドキが触手群を蠢かせて迎撃を図ると、アスラーグが駆けながら並行して詠唱を始めた。

「爆ぜよ、爆ぜよ、爆ぜよ。野を薙ぎ払い、森を焼き払い、山を打ち砕け」

 

 本当に“花”を放つ気はない。長文詠唱で魔力を練り、蛇モドキの注意を引くだけだ。

 狙いは見事に成功し、蛇モドキの意識を釣り上げる。モンスターは基本的に本能へ抗えない。戦意や殺意に駆られれば敵わぬ相手にも襲い掛かり、恐怖や怯懦に屈したなら一目散に逃げだす。魔力に反応する習性があれば、そのままに動く。

 

 黒妖精の美女を捉えようと、蛇モドキの触手群が一斉に襲い掛かった。

「動きが単純すぎる。落第ものだ」

 アスラーグは右手に握るレイピアを踊らせ、左手に逆手で握った短剣を舞わせ、触手群を一蹴。

 

 斬り飛ばされた触手と共に蒼黒い体液が飛散する中を、エミールが駆け抜けていった。

 触手群の再生が間に合わないと判断した蛇モドキが、大きな口を前回まで広げてエミールへ食らいかかる。

 

「Sum Fdau」

 

 蛇モドキの大顎が眼前に迫った瞬間、エミールは天井へ瞬間移動(ブリンク)。ガチンッと獲物を捕らえ損ねた蛇モドキの牙の音色を聞きつつ、天井を強く蹴って蛇モドキの首元――植物学で言うところの花を支える花床と花柄の継ぎ目を狙い、片刃直剣を深々と突き立てて素早く抉り、斬り裂きながら離脱。

 エミールの着地と同時に、蛇モドキは蒼黒い体液をまき散らしながらズズンと倒れ、大量の水飛沫を散らす。

 

「あちらも終わるみたい」

 アスラーグの言葉に釣られ、エミールがロキ・ファミリアへ目を向けると、妖精乙女の放った氷撃魔法をメタルブーツに取り込んだ凶狼が、破城鎚みたいな飛び後ろ回し蹴りで蛇モドキの頭を蹴り砕いていた。

 

 貯水区画に反響するほどの破壊音が響き、砕けた蛇モドキの頭部から妖色の魔石が落ちた。魔石を失った蛇モドキの骸は即座に灰となり、貯水区画の水に溶けていく。

 

 蛇モドキの魔石を拾い上げ、女神ロキは全員を見回し、柔らかく微笑んだ。

「皆、ご苦労さん。誰も怪我せんで良かったわ」

 

「こんな雑魚相手に怪我なんかするかよ」

 ベートが舌打ち混じりに悪態を吐きつつ、エミール達に警戒を解かない。

「あの2人の臭いは道中で嗅いだものと違うけど」とアナキティも剣を収めない。

 

 ロキ・ファミリアの冒険者達から不審者を見るような目を向けられたアスラーグとエミールは、互いに顔を見合わせ、アスラーグが事情を語ることにした。

「私達はギルドの指名依頼を受け、昨日より地下水道の調査に当たっていました。怪物祭に出没した蛇モドキ……ギルドは食人花と名付けたようですが、ともかくその残りが居ないか、の捜索ですね」

 

「ほぉか……ギルドがなぁ」

 神の権能でアスラーグの言葉が真実と分かり、ロキは妖色の魔石を見つめて考え込む。

 

「ロキ様はなぜこのような場所に?」

 エミールの質問に対し、ロキは手元から顔を上げて応じた。

「ウチの子ら襲われて、ウチ自身も殺されかけたんやで? きっちり調べて悪い子ちゃんを見つけ出して……ケジメ取らなあかんやん?」

 

「道理ですね」

 アスラーグは表情を和らげ、背後に横たわる怪異の骸を肩越しに一瞥した。

「私共はこの骸を調べ、魔石を回収してからギルドへ向かいますが……ロキ様達は如何されます?」

 

「うちらはこれで引き揚げるわ。とりあえず、収穫もあったしなぁ」

 ロキは妖色の魔石を弄りながら答え、アスラーグとエミールへニパッと笑う。

「怪物祭の時の礼もしたいし、近いうちに一緒に呑もーや」

 

 社交辞令というには生々しい目つきで告げ、ロキは我が子らを伴って貯水区画を出て行く。去り際、ベートが足を止めてエミールへ鋭い眼差しを向けた。

 

「おい。テメェ、レベルは?」

「3」無機質に応じるエミール。

 ベートは一瞬、眉間に深く皺を刻んで顔を険しくしたが、舌打ちしてロキ達と共に貯水区画から去っていった。

 

 ロキ・ファミリアが去り、エミールとアスラーグは揃って嘆息をこぼす。

「彼らがこの件に関わってるなんて聞いてなかったぞ」

「ロキ・ファミリアが勝手に動いているのよ。ギルド側も把握してないんでしょう」

 

 アスラーグは愚痴るエミールを宥めつつ、食人花の骸へ向き直る。

「さて。生態調査を始めましょうか。魔石を傷つけないようにね」

「この図体を解剖か。大仕事だな」

 エミールはうんざり顔でぼやいた。

 

 

 エミールとアスラーグが地下水道内で食人花を解剖調査していた頃、地上に戻ったロキ達はディオニュソスとその眷属と出くわし、ベートとアナキティがロキに小声で告げる。

「ロキ。地下で嗅いだ臭い。そいつらだ」

「ワインの香りも一致する。間違いないわ」

 

 女神ロキは細い糸目と唇の両端を大きく吊り上げた。

 

 

 

 で。

 

 

 

 太陽が地平線へ半ば沈み、夜の帳が降り始めた迷宮都市。

 ロキはベート達を連れて大通りを進んでいく。

 

 ディオニュソスと会談を終えたロキは、凄まじいまでに不機嫌だった。

 子供達の前では滅多に見せないほど酷薄な気配をまとうロキに、物怖じしないベートすら遠慮がちになり、軽口を叩かなかった。会談に立ち会っていないラウル達は困惑するのみだ。

 

「ねえ、ロキ」アナキティが代表しておずおずと「怖い顔してどうしたの?」

「あー、ごめんなぁ、アキ。空気悪ぅしてもうたな」

 ロキは大きく息を吐きつつ、先ほどの怪談を振り返る。

 

 ディオニュソスは妖色の魔石を2つ持ち出して語った。

 あの蛇モドキのことを調べていた、と。一月ほど前に眷属が3人ほど殺され、現場にこの魔石が残っていた、と。怪物祭に乗じて食人花が持ち込まれたのではないか、と。

 怪物祭という催しを始め、食人花を地上へ放ったのは……ギルドではないか、と。

 

 ロキは謀に関し、天界屈指の神である。

 そのロキの経験と知見と直感が告げていた。あの気取り屋の伊達男神はまったく信用ならない、と。

 

 気に入らない。酷く気に入らない。

 あの目つき。あの喋り。あの態度。あの仕草。

 

 端々に宿る奇妙な違和感を、神々を手玉に取った謀神ロキが気付かないと思っているのだろうか。

 端々から漏れる”作為”を、天界を血みどろの戦争へ誘った道化神ロキが見抜けないと思っているのだろうか。

 

「あの“クソガキ”」ロキが忌々しげに吐き捨てた。

「?」困惑する眷属達。ラウル達が説明を求めるようにベートを見るが、ベートは舌打ちしてそっぽを向く。

 

一番(いっちゃん)性質の悪い嘘つきってどんな奴やぁ思う?」

 ロキが誰へともなく問う。

「悪知恵が働いて口の上手い奴じゃねえのか?」と戸惑い気味にベートが答え、

「たしか……詐欺師は嘘に少しだけ真実を混ぜるとかなんとかって聞いたことあるわ」

 困り顔でアナキティが答えた。

 

 2人の回答を聞き、ロキは夜色に塗り潰されていく空を見上げながら語る。

「一番性質の悪い嘘つきっちゅうんわな。嘘をついてる自覚のない奴や。真実として嘘を語ってる奴が一番、性質が悪い。そやな。“酔っ払いが真実として与太話を垂れ流す”とかも、かなり始末に悪いな」

 

 ラウル達は怪訝そうに眉根を寄せ、ベートが声を潜めて問う。

「ディオニュソスが俺達を騙してるって言いてェのか? 何のために?」

 

 ロキはベートの問いに答えずコツコツと石畳を歩み、不意に言った。

「……晩飯前にちょっと寄り道しよか」

「今度はどこへ?」とアリシア。面倒事はもう勘弁、と言いたげ。

 

 ロキは糸目を開いて薄く笑う。

「ウラノスんとこや」

 その顔つきは天界で戦争を起こした時とそっくりだったが、幸か不幸かベート達には分からない。

 

       ★

 

 月光が注ぐ市壁。

 胸壁に背を預け、フェルズは考え込んでいた。悩んでいると言っても良いかもしれない。

 つい先ほど、女神ロキが突然ギルド本部に乗り込んできて、ウラノスと対峙したのだ。

 

 ロキはどうやらギルドが先の事件――食人花と奇怪なアルミラージを地上に持ち込んだ黒幕と疑っていたらしい。怪物祭は事件を起こすためのカバーだったのではないか、とも。

 

 邪推も甚だしい。怪物祭は人とモンスターの融和共存を図る大計の足掛かり。あの事件はこちらにとっても不測の事態、それも決して看過できぬ暴挙なのだ。

 

 しかし、ロキに事情を明かすことはできなかった。ロキとその眷属達にガネーシャのような異端児を受け入れる器量があるか分からない以上、真実を明かせない。

 かといって、このままでは現オラリオ有数の武闘派ファミリアがギルドの敵に回りかねなかった。

 

 ……どうしてこうなった。

 ロキがギルドやウラノスを疑うようなことがあったのか? 誰かがロキを焚きつけた? ウラノスは“気まぐれ”と見做したが、ロキは探りを入れにきたのではないか?

 いずれにせよ、今ロキ・ファミリアを敵に回すのは不味い。何とかせねば……

 

 新たな厄介事に、フェルズが溜息をこぼしたところへ、エミールとアスラーグが市壁上に姿を見せる。

 エミールとアスラーグが地下水道の報告を行うと、フェルズは思わず額を押さえた。

「なるほど、そういう……」

 

 アスラーグは小さく肩を竦め、

「ロキ様は先の事件にかなり業腹みたいね。手練れを4人も連れて調査に当たってたもの」

 エミールは他人事のように言う。

「俺達がギルドの指名依頼で動いていると言った時、乗り込んで事情を詰問しそうな顔をしてたな」

 

 仰々しく溜息を吐き、フェルズは2人を労う。

「御苦労だった。調査はこれで終わって良い」

 

 が、アスラーグは首を横に振る。

「いえ。もう少し続けさせてもらえるとありがたい」

 

「君達の目的のために利用したい、と?」

 意図を看破したフェルズが探るように問えば、エミールがあっさりと首肯した。

「ああ。ギルドの依頼で動く、というのは色々都合が良いんでな」

 

 フェルズは再び大きな、とても大きな溜息を吐いた。

「分かった。ただし、何かやらかす前に必ず連絡してくれ。頼む」

 

 偉大なる賢者フェルズはまだ知らない。

 今まさにダンジョン内では、自身が奔走して組んだ“宝玉”受け渡しの段取りが崩壊し、リヴィラの街で大騒ぎが起きていることを、まだ知らない。

 

     ★

 

「またえらく派手にやってるな」

 全身甲冑男はダンジョン第18階層の高台から“夜”のローグタウンを見下ろし、器用に苦笑いとぼやきを発する。

 

 リヴィラの街は食人花の大群に襲われ、大騒ぎになっていた。破壊され、燃える安普請。右往左往する低ランク冒険者達に混じり、少数派の手練れ達が食人花相手にチャンバラを繰り広げている。

 

 まあ、ここまではまだ許容範囲だった。騒ぎに乗じて目標を奪取する策は悪い手ではない。自分達も3年前に諸島帝国の首都ダンウォールで行った手口だ。

 

「しっかし……事態を引き起こした当人が“種”の回収そっちのけで、小娘共と遊んでるのぁどーいうこった?」

 全身甲冑男が目線を移した先では、赤毛美女――レヴィスが小娘三人(正確には剣士の一人)と“じゃれ合って”いる。

「本気を出しゃあぶっ殺せるだろうに。何をちんたら……あ」

 

 エルフの小娘が持っていた“種”が、剣士の小娘の魔力に反応して突如“芽吹き”、食人花に融合してしまった。

 

「あーあーあーあーあー……」

 せっかくあそこまで成長させたのに、食人花なんぞと融合しては台無しだ。如何に“種”が精霊の分身体と言えど、融合先の“質”は問われる。強力なモンスターや超人と融合すれば、超越的存在たりえるが……ではダメダメだ。

 

「とはいえ、このまま使い捨てるのも持ったいねェ話だよなぁ」

 全身甲冑男はくつくつと悪意を込めて喉を鳴らし、腰に巻いた装具ベルトから薬剤瓶を数本取り出す。

「ちっとばかり実験させてもらおうか」



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小話3:物語を狂わせる者達。

ちょっと文字量多め。


 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインが赤毛の美女と剣戟を重ねている間、

「――雨の如く降り注ぎ、蛮族共を焼き払え。ヒュゼレイド・ファラーリカッ!!」

 女妖化した食人花が山吹色髪の妖精少女による攻撃魔法を浴びていた。

 

「アアアアアァァァァアアアアアァァアアアアアァァッ!!」

 数千に達するだろう炎の矢雨に焼かれ、女妖食人花が悲痛な悲鳴を上げる中、

「やったっ! レフィーヤッ!!」「やるじゃないっ!」

 ヒリュテ姉妹が魔法を放ったレフィーヤ・ウィリディスを称賛していた。

 

 

 爆煙から這い出たその姿は全身が焼け爛れ、重度の火傷痕から蒼黒い体液が滲み溢れ、ボタボタと垂れ落ちていた。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 女妖食人花が憐れな、それでいて、おぞましい叫喚を上げながら藻搔き這う。

 

「しぶといわね」と両手に双剣を握るティオネ・ヒリュテが毒づき、

「あたしがトドメを刺すよっ!」

 大双刃剣を掲げたティオナ・ヒリュテが瀕死の女妖食人花へ向かって駆けだした。

 

 その矢先、ティオナへ向かって飛来する短剣。

 

 咄嗟に大双刃剣を振るって短剣を殴り砕き、ティオナは足を止める。

「ちょ、なにっ!?」

 

「そうがっつくなよ。蛮族の小娘」

 せせら笑うような声と共に、幾何紋様がびっちり施された赤黒い全身甲冑男が、何処からか飛び降りてくる。

 

 死にかけた女妖食人花の傍らに降り立った全身甲冑男に、ヒリュテ姉妹は躊躇なく得物を構え、敵意と戦意を向ける。

「あんた、誰っ!?」「あの女の仲間っ!?」

 

 全身甲冑男はヒリュテ姉妹を相手にせず、腰の得物を抜かず傍らの女妖食人花を見上げ、

「あーあ……すっかりボロボロだな。こいつにゃあ手間暇掛かってんのに」

 装具ベルトのパウチから数本の薬剤瓶を両手の指に挟んで取り出し、

「そうホイホイ討伐されちゃあ敵わねェっ!」

 女妖食人花の口へ放り込む。

 

 薬剤瓶を嚥下した女妖食人花は焼け爛れた両腕で体を抱きしめ、苦悶するように呻きながら屈み込み……

「ギィ、アアアッアアアアアアアッ!!!!」

 絶叫と共に背中が大きく裂け、極彩色の巨大な化物が這い出てきた。

 

「あれは――」と“勇者”フィン・ディムナが顔つきを険しくする。

 

 ロキ・ファミリアの者達ならつい先頃、50階層で遭遇した未知のモンスター、巨大な芋虫の頭部辺りから女妖の上半身が生えた化物に酷似していた。

 

 が、女妖食人花の体内から這い出した女妖魔虫には、第50階層で遭遇したものと異なる点もあった。

 

 芋虫部分は甲殻で覆われており、鼠径部まである女妖の身体は極彩色の幾何紋様が描かれていて羽が無く、たおやかな両腕が伸びている。何よりも顔がのっぺらぼうではなく、“人形染みた”ほど端正な顔立ちをしていた。ただ……眼窩から触角のような物が生えていたが。

 

「―――――――――――――――――――――――ッ!」

 もはや声というより、強力な高周波に等しい女妖魔虫の絶叫が第18階層に轟いた。

 

       ★

 

 女妖魔虫の絶叫を聞き、赤毛の美女が舌打ちする。

「イカレた妄信者め。余計な真似を」

 

 自身から意識が逸れた瞬間を、剣姫は見逃したりしない。

目覚めよ(テンペスト)ッ!」

 魔法の風をまとい、アイズは文字通り疾風と化して赤毛の美女へ突撃し、雷光のような剣閃を放つ。

 

 金属が激突する轟音が響き、鮮烈な火花が散り―――愛剣が易々と受け止められていた。

「そん、な」アイズは思わず目を剥く。

 

「速さだけの剣。ぬるいぞ、“アリア”」

 赤毛の美女は驚愕するアイズの心理的動揺を突き、鍔迫り合いの接触点を支点に剣を回して柄頭でアイズの顔を打つ。

 

「うぁっ!?」目元を打たれ、アイズは生理反射的にたたらを踏む。

“崩し”に成功した赤毛の美女は即座に追撃。身を捻って全身のバネを投じた全力強打(フルスマッシュ)

 

 回避……だめ、間に合わない……っ! 

 アイズは魔法の風を強めながら全身の力に籠め、不壊属性の愛剣を盾代わりに凶悪な一撃を受け止める。

 

 再び落雷染みた金属的衝突音が轟く。

 アイズはフルスマッシュの衝撃を受け止めきれず、弾き飛ばされた。

 

 金髪の美少女が毬玉のように地面を跳ね飛び、そのすらりとした肢体が水晶岩に激突。

 硬く鋭い水晶岩に叩きつけられ、剣姫の頭から血が流れた。艶やかな金髪が血に濡れ、人形染みた美貌が血に染まる。

 

 アイズは苦悶の呻きを漏らしながら藻掻く。超人的な肉体が言うことを利かない。

 鮮烈な衝撃と熾烈な激痛に神経がマヒし、体がぶるぶると震えて止まらない。肺が軋んでおり上手く呼吸できない。三半規管が狂っており平衡感覚が乱れ、視界が酷くたわんでいる。何より、背骨を痛めたのか両足の感覚が無い。

 それでも、アイズの闘志は失われない。本能的に震える右手を動かし、歪む視界の中で愛剣を探す。

 

「頑丈な剣だ。不壊属性が付与されているのか」

 アイズの歪む視界の先で、赤毛の美女がスマッシュで砕けた自身の剣を捨て、足元に転がる剣姫の愛剣デスペラートを蹴り除けた。

 

「終わりだ」

 赤毛の美女は拳をメキメキと固く握り込みながら、アイズへ向かって歩み始める。

 

 動いて。動いて。動いて。動いて。動いて。動いてッ!

 アイズの切な願いに体は応えない。

 

 自らの身体に哀願するアイズを余所に、赤毛の美女が眼前に立ち、その固く握りしめられた拳が振り下された。

 

 がきん。

 

「ウチの姫君に粗相はいただけないな」

 金髪の美少年然とした“勇者”の槍が、赤毛の美女の打撃を弾いていた。それに、山吹色の髪をした“千の妖精”がアイズの許へ駆け寄ってくる。

 

「フィ……ン、レフィ……ヤ」

 フィンは倒れたまま自身を見上げるアイズと、アイズの傍に着いたレフィーヤを肩越しに一瞥し、言った。

「レフィーヤ、アイズの手当てを」

 

「はい、すぐにっ!」とレフィーヤが回復魔法を詠唱し始める。

 

 双眸を鋭くし、フィンは赤毛の美女へ槍の穂先を向けた。

「君“達”にはいろいろ聞きたいことがあるが……まずはウチの団員を可愛がってくれた礼をさせてもらおうか。ま、あのモンスターを片付けたいし、手早く済ませてあげるよ」

 

「ほざけっ!」

 赤毛の美女は無手であることを気にもかけず、フィンへ飛び掛かった。

 

       ★

 

「――――――――――――――――――――ッ!!」

 高周波の絶叫をあげた後、女妖魔虫の眼窩から生えた触角がバチバチと静電気をまとった直後。

 

 

 キゴッ!!

 

 

 触覚から鮮烈な雷電が発せられた。大気が裂ける轟音が階層の端まで響き渡り、周辺一帯に激烈な雷電が龍のように荒れ狂う。

 

 雷電の乱流はロキ・ファミリアの面々だけでなく、リヴィラの街にも届く。強力な雷電が直撃した安普請は一瞬で炎上し、不運な低ランク冒険者達がばたばたと感電熱傷死していく。

 

「い、つぅう」

 雷電に触れた大双刃剣から感電し、ティオナが膝をついて呻く。感電衝撃で微細血管が破裂したため、涙腺や鼻腔、耳孔から血が垂れていた。四肢にも酷いシダ状熱傷痕が走っている。

 

「ティオナッ!」

 ティオネが可憐な顔を血塗れにした双子の妹の許へ駆け寄り、自身の回復剤(ポーション)を使って手当てする。

「ありがと」と微苦笑共に礼を言う妹に安堵しつつ、ティオネは女妖魔虫を睨み、額に青筋を浮かべていた。

 虫けらのクソアバズレッ! よくもあたしの妹をっ!

 

 瞬時に飛び出そうとする姉の手をティオナが握った。

「待って」ティオナは姉をまっすぐ見つめ「あいつはあたしがやっつける……っ!」

 

 ヒリュテ姉妹が一時的に戦闘から下がっている間。

「終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に風を巻け」

 麗しき妖精王女を中心に大きな魔法陣が展開。強大な魔力が練り上げられていく。

 

 高位冒険者向け優れた装備のおかげで雷電の暴威をしのぎ切り、リヴェリアは攻撃魔法の詠唱を始める。回復魔法も使えるからティオナを治療する選択肢もあったし、続く攻撃に備えて防護魔法を張る手も考えられた。

 しかし、リヴェリアは攻撃を選択した。

 

 あの雷電の威力と効力範囲は危険すぎる。一刻も早くあのモンスターを斃さねば、リヴィラの被害が加速度的に増えてしまう。

 

「閉ざされる光、凍てつく大――」

「おいおいおい、すげー魔力出して何やらかす気だ、エルフ女っ!」

 全身甲冑男が片手剣を手に妖精王女へ迫る。その身を鎧で包んでいながら驚くべき速度。まるで数頭牽きの馬車のようだ。

 

 リヴェリアは即応し、愛杖の石突で斬撃を受け流した。

 杖から伝わる重い衝撃に手首が痛み、リヴェリアの口から呻きが漏れる。

 

「くっ……っ! ――地。吹雪け三度の厳冬」

 リヴェリアは詠唱を止めない。全身甲冑男の斬撃を杖で受け止め、いなし、弾きながら平行詠唱を続け、魔力を練り、魔法を紡ぎ、

「我が名はアールヴ。ウィン・フィンブルヴェトルッ!!」

 怪物祭の日にレフィーヤが使った氷撃魔法を放つ。

 

 本家本元の第一階位攻撃魔法は凄まじいまでの威力を発揮した。もはや氷撃や極超低温などという次元ではない。効力圏内にある全物質を凍てつかせる絶対零度の暴力。大気が、大地が、鉱物が、生物が、氷結という名の結晶化に至る。

 

 ただし、全身甲冑男の斬撃を受けながら放ったため、狙いが逸れた。女妖魔虫は左腕と芋虫状の下半身を氷塊へ飲み込まれたに過ぎず、ひとまとめに仕留めようとした全身甲冑男も直撃を浴びていない。それに魔防性能の高い甲冑なのか、致命にも至っていなかった。

 

 むろん、絶対零度の暴流に至近距離で接したため、無傷では済まない。氷撃魔法の影響で急性凍傷が生じ、また、凍てついた甲冑と肉が張りついた。どちらも壮絶な痛みを発する事態だ。

 

「冷、冷った、い、痛ェっ!? いっいいいいぃ痛ェッ!! があああああああ痛ッてェッ! よくもやりやがったなぁ、この腐れ雌エルフがぁッ!!」

 全身甲冑男は激昂し、悲鳴と怒号と罵倒を発しながらリヴェリアへ飛び掛かり、

 

「食らいやがれっ!!」

 横入りしてきたティオネに思いっきり蹴り飛ばされ、

 

「ぎにゃああああああああっ!?」

 水切り石のように地面を跳ね飛んでいった。

 

 

 

 全身甲冑男が踏まれた蛙みたく大の字に倒れたところへ、フィンとの戦闘で殴り飛ばされた赤毛の美女はその余勢を利用して一旦後退し、全身甲冑男の傍らに降り立つ。

 

「使えん妄信者め。私の邪魔をしに来たなら、ここで死ね」

 ツンデレ少女なら叱咤激励に聞こえるかもしれないが、赤毛美女の声は悪罵100パーセントだった。本心から死ねと罵っている。

 

「ンだとコノヤローッ! 殺して犯すぞこのアマッ!」

 憤慨しながら全身甲冑男が身を起こす。がきゃりと金属が割れる音がして、アーメットのバイザーが剥がれ落ちた。

 

「ああっ!? おい、ふざけんなッ!」

 素顔を晒した男は初老に届きそうなヒューマンだった。皺が刻まれた精悍な顔立ちに翠玉色の瞳。そして、顔の右半分がツタ状の痣に覆われている。

 

 急性凍傷で鼻先や唇などが蒼黒く変色していたが、当人は兜が損傷したことに夢中で、気に留めていない。

 

「テメェ、蛮族の小娘っ! なんてことしやがんだっ!! これはオラスキル王朝時代の一点物なんだぞっ!!」

「知ったことかッ!!」

 怒声を浴びたティオネがもっともな罵声を返すと、全身甲冑男は顔を真っ赤にしていきり立つ。

 

 そんなやり取りを前に、赤毛女は付き合っていられないと言いたげに舌打ちし、得物を構えているフィンやリヴェリアを窺う。

 

 その時、女妖魔虫が氷結した左腕と下半身を無理やり引き千切って、動きを取り戻す。眼窩から伸びる触覚が再びバチバチと静電気をまとった。

 

「やらせるか――――――――――――――――――――――っ!!」

 大双刃剣を大上段に掲げたティオナが高々と飛び掛かり、女妖魔虫へ超豪快な脳天唐竹割を放つ。

 

 女妖魔虫が触覚から雷電を放射する寸前、長大で大重量の超硬金属製刀身が女妖魔虫の頭に振り下ろされた。ティオナの一閃は女妖魔虫を完全に両断し、胸部の深奥に潜む妖色の魔石を破砕する。

 

 女妖魔虫の巨躯が瞬く間に灰と化していく様を見届け、赤毛美女は舌打ち。

「潮時か」

 そう吐き捨てるや否や、背後へ勢いよく飛び、断崖の下に広がる湖水へ落ちていった。

 

「はぁっ!? マジかよ。あのアマ、一人で逃げやがった……っ!」

 甲冑男は割れ落ちた兜のバイザーをみみっちく拾い抱え、自分を睥睨するロキ・ファミリアの面々へ向き直り、

 

「テメェらの面はきっちり覚えたぞ。特に腐れ雌エルフッ!」

 リヴェリアを睨み返す。

「テメェといい、あの色黒雌エルフといい、雌エルフはいつでもどこでも俺の邪魔をしゃーがってっ! 必ずぶっ殺して穴っつぅ穴を犯してやっから楽しみにしてやがれっ!」

 

 今日日チンピラも吐かないような罵声を吐き、甲冑男も赤毛美女同様に湖水へ向けて飛び込んだ。

 

 レフィーヤの治療を受けて動けるようになったアイズが愛剣を拾い、崖際へ駆け寄った時には、湖面に波紋すら残っていなかった。

 

「やれやれ……訳が分からないうえに理不尽極まる逆恨みを買ったね」

溜息混じりにぼやきながら、フィンは赤毛美女を殴りつけた右手をさする。どうも殴りつけた時に指が折れていた。

 

「リヴェリア様に向かってあんな汚い言葉を……許せません!」

 レフィーヤが強く強く憤慨する。

 

 妖精族屈指の王族たるリヴェリアは全エルフから崇敬されている。冗談抜きで『リヴェリアを敵に回すということは、全世界のエルフを敵に回す』と評されるほどに。というか、下手な神よりもはるかに崇められ、敬われている。

 

「……ある意味で新鮮な体験だったな」

 それだけに、リヴェリアはあれほど聞くに堪えない罵倒を浴びた経験が乏しい。

 

「斬る時にまたちょっと電撃を食らっちゃったよ。ビリビリする」

 大双刃剣を肩に担いでやってきたティオナが溜息を吐きつつ、崖際に立ったまま微動にしないアイズに訝り、姉に問う。

「ティオネ、アイズはどうかしたの?」

「さぁ?」ティオネは小首を傾げ「よく分からないけど……何か深刻そうね」

 

 仲間達のやり取りはアイズの耳に届かない。

 アイズは赤毛の美女が消えた湖面を見下ろしながら、胸中の様々な感情に苛まれていた。

 

 赤毛美女に敗北したことで、アイズの病質的なまでの強さへの渇望が一層強まった。その魂を焼く焦燥がアイズの心を酷く追い詰めている。もっと強く。もっと。もっと。もっと。

 もっと強さを。

 

 赤毛美女が自分を『アリア』と呼んだこと。なぜ、彼女がその名前を知っているのか。なぜ、彼女は自分をその名で呼ぶのか。なぜ。なぜ。なぜ。

 なぜ。

 

 アイズは両手を強く握りしめ、金色の瞳で湖面を見つめ続けた。

 

        ★

 

 ――某所。

 その部屋はさながら王侯貴顕か豪商の私室のようだ。

 気品のある優雅な内装。洒脱な一流の調度品。棚に並ぶ美術品はどれも名匠の手掛けた逸品ばかり。

 

 特に、イーゼルに据えられた絵画は目を見張るほど素晴らしい。

 巧緻極まる色使いと精緻な筆致で妖艶な美女が描かれており、額縁の中から鑑賞者を魅了する微笑を向けていた。

 

 部屋の主であるハーフエルフ女性は瀟洒なソファに腰かけ、細巻を燻らせながら愛慕を込めた眼差しで絵画を見つめている。

 異種混血の女性は年恰好三十路半ば頃。明るい茶髪を結い上げ、ややキツめの顔立ちに眼鏡を掛けていた。たおやかな体はシックな衣服と装飾品に包まれており、貴族婦人を思わせた。

 

 女性が絵画を鑑賞していると、何処からともなく金色の目を持つ鼠が現れた。

 金色眼の鼠は女性の座るソファを起用に這い上り、肘置きに腰を据える。

『御休憩のところ失礼します。ヴァスコが第18階層でレヴィスと共にロキ・ファミリアと交戦。“種”を一つ喪失しましたが、ヴァスコは無事です』

 

 薄ら恐ろしいほど流暢に人の言葉を喋る金色眼の鼠。

 女性はゆっくりと細巻を吹かし、同志が寄越した“使い魔(ファミリア)”へ蒼い瞳を向ける。

「穴倉のバカ共が何か言ってきたか?」

 

『エニュオの眷属と怪人の一匹が喚いていますが、特には』

「犬が吠えているだけか。ならば放っておけ」

 

 鼠は小さな頭を縦に振り、話を続ける。

『それと……先の怪物祭でエニュオが食人花を地上に持ち出した件ですが』

 

「あのバカ騒ぎは奴自身の招いたことだ。それに、ガネーシャ・ファミリアが用意したモンスターにヴァスコの実験体が混じっていたのは偶然に過ぎない。そもそもヴァスコに許可を与えたのも奴なのだから」

『いえ、そうではなく……怪物祭の騒動を解決した冒険者達の中に、黒妖精の女性冒険者が居たと』

 

「黒妖精の女」

 鼠の続けた言葉を聞き、ハーフエルフ女性の眉間に深い皺が刻まれる。

「続けろ」

 

『情報源に三度確認しました。間違いありません。アスラーグ・クラーカがオラリオに居ます』

 

 瞬間、ハーフエルフ女性が細巻を握り潰す。火種が女性の手を焦がしていたが、女性は歯牙にも欠けない。握りしめた拳を震わせるほど憤怒していた。

「アスラーグ、クラーカ……っ!!」

 

 鼠は女性の熾烈な怒気に構うことなく報告を続けた。

『アスラーグ・クラーカの同行者はヒューマンの青年で、名はエミール・グリストル。情報源によれば、元国家憲兵隊最上級衛兵。護衛官候補の精鋭です』

 

「……その元憲兵が刻印持ちか?」

 ハーフエルフ女性は額に青筋を浮かべながら、鼠を詰問する。

『刻印は確認できていませんが……おそらく。三年前のダンウォール襲撃時の生き残りという点で、グリムの報告とも一致します』

 金色眼の鼠は淡々と答える。

 

 握り潰した細巻を卓上の灰皿に捨て、女性は傲然とハンカチで手元を拭う。そうして冷静さを取り戻したのか、静かに呟く。

「刻印持ちの確保を図れば、あの女の首を獲らねばならんわけだ」

 

『動きますか?』鼠が金色眼を冷たく光らせた。

「時期尚早だ。腹立たしいが、あの女は手練れ。そのうえ、刻印持ちもいる。グリムとの戦闘でこちらの素性も掴まれているだろう。生半な襲撃では返り討ちに遭うだけだ。この件は慎重に扱わねばならない」

 女性は忌々しげに吐き捨てる。

「それに……今、封印を解除しても“御方”には御身体が無い。魂のみを封じられている状態だからな」

 

 卓上にあった銀製のシガレットケースを開け、ハーフエルフ女性は新たな細巻を取り出す。

「封印の解除に刻印持ちの魂を用いることが最善。これは疑いようもない。が、些かの危険性はあれど、代替は利く。刻印持ちの確保は“御方”の器を確保してからでも遅くない」

 

『グリム達は、器は仮のものでも、と考えているようです。刻印持ちの確保を最優先すべきとも』

「それも一つの解と認めるが、些か浅慮だ。私は最適解と見做していない。そして、最適解を得るためには、あの愚神で研究を重ねねばならない。今しばらく時間が必要だ」

 鼠の指摘に淡々と答え、女性は細巻をくわえて燐棒を擦った。小さな炎で細巻に火を点し、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

 

「あの女と刻印持ちがオラリオに到着してからの動向を調べろ。決して油断するなよ。あの女は手強い。それに刻印持ちがどのような超常を扱えるか分からん」

『御言葉、しかと肝に銘じます。お任せを』

 金色眼の鼠は恭しく一礼し、虚空へ溶けるように消え去った。

 

 ハーフエルフ女性は紫煙を燻らせながら絵画を見つめた。慈愛と哀切を込めて。

「もう少しよ、デリラ。もう少しだけ、待っていて」

 




Tips

グリム。
第27階層で主人公と戦った継ぎ接ぎマスク野郎。
元ネタはDishonored2の敵クラウンキラー:グリム・アレックスから。
原作とのつながりは名前だけ。

ヴァスコ。
全身甲冑男。
元ネタはDishonored2のアレクサンドラ・ヒュパタイア博士の助手:バルトロメウス・ヴァスコ博士から。
原作とのつながりは名前だけ。

改造モンスター。
Dishonoredシリーズはモンスターが居ないので、完全創作。
なお、Dishonored世界の設定によると、『伝説』や『伝承』としてクトゥルフ神話やSCPに出てきそうなモンスターが語り継がれているらしい。


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23:思わせぶりな女狼と契約殺人。

 地上でも地下でも様々なことが起きたこの日。

 ベル・クラネルはギルド職員のハーフエルフ娘エイナ・チュールとデートし、『ぴょん吉』なる防具を購入。

 また、エイナから素敵な籠手を贈られていた。これはエイナが年下の草食系美少年を好む性癖が強く作用している。よってギルド職員の公私混同ではない。繰り返す。個人の自由恋愛の一環だから公私混同ではない。

 

 ともかく、地上と地下で色々なことが起きた翌日。

 

 黒の上下に白の軽甲冑をまとい、左腕に籠手を装着し、神匠の特注短剣を持ったレベル1少年冒険者がバベル前広場に到着。

 ベルはサポーターのリリルカと合流し、

「一端の冒険者って感じになりましたね、ベル様。素敵ですよ」

 お褒めの言葉を貰って嬉し恥ずかしの照れ笑いをこぼした。

 

 アオハルなベルとリリルカはダンジョンへ潜っていく。

 そんな2人の背中を、負け犬共がねっとりと見つめていた。

 

        ★

 

 少年少女がダンジョンで冒険をしている頃、エミールとアスラーグは拠点でこれまでの情報を整理していた。

 資料や地図が並ぶ一室。

「30年前のクーデター未遂事件と亡き女帝陛下の“大掃除”。生き残った連中は10人といないはず。エミールと遭遇した男は心当たりがないけれど……」

 アスラーグはエミールの描いた似顔絵を手に取る。

 似顔絵は上手とは言えなかったが、目鼻立ちなどの特徴はきちんと押さえてある。実物と遭遇したなら『こいつだ』と分かるだろう。

 

「死体を確認できなかった連中も少なくないからなぁ」

 当時、帝国最強の魔女ヴェラ・ダブゴイルとその一番弟子アスラーグは、『デリラの撃破が最優先。他のクズ共をちまちま相手にしてられるか』初っ端から広域殲滅魔法をぶち込んだ。

 アスラーグの“花”の爆心地には、炭化して個人特定不可能になった死体がごろごろしていたし、ヴェラの攻撃魔法により分子レベルで分解された者も少なくない。

 大雑把と思うかもしれないが、逆に言えば『デリラを絶対殺す』という意思の表れでもあった。

 

「いずれにせよ、虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)の魂――理外の力を宿した魂を用いてデリラの封印を解くという狙いが分かったことは大きい」

 アスラーグは笑った。残忍な魔女のように。

「まぁ、それは私も同じことだけれどね。連中にしてみれば、私は殺しても飽き足りない人間だろうし。ここからはどちらが先に相手を仕留めるか、競争になる」

 

 腕を組み、エミールは目を鋭く細める。猟犬のように。

「良い機会だ。エリノールの依頼を片付けがてら、連中をおびき出すか?」

 

「悪くない手だけれど、相手の総戦力が分からない状態では冒険的過ぎるわ。いざ誘い出したら、恩恵持ちが一個中隊も出てきた、なんてなったら笑えないもの。やはり各個撃破が望ましい。私達は奴らと戦うのではなく、狩り殺すためにここまで来たのだから」

 アスラーグの冷徹な意見に、

「確実に追い詰めていくしかないな」

 エミールも同意の首肯を返す。

「俺達の敵は穴倉に潜んでおり、闇派閥の残党に与している。フェルズの情報を基に考えるなら、異端児(ゼノス)達と同じく未踏破領域に拠点を築いているのかもしれない」

 

 卓上に広げた資料を見下ろし、アスラーグは思案顔を浮かべた。

「ダンジョンに潜んでいるなら、物資の調達に無理しているはずよ。口の堅い調達先。人目につかない移送ルート。資金や人手。どこかに必ず綻びがある」

 

「移送ルートだが、バベルから第18階層のローグタウンを経由していないと思う。欲の皮を突っ張らせた連中が互いに懐具合を覗き見している場所だ。闇派閥との大口の取引などしていたら必ず露見するだろう。エリノール達が把握していないということは、業突く張り共が気付かないほど巧妙な方法を取っているか、まったく“異なるルートがある”と見るべきだな」

 エミールは卓上に並べられた数々の資料、掲示板に張られた各種地図――オラリオの街区図や地下水路図、ダンジョン内地図などを順に見回し、

「街内を流れる運河やロログ汽水湖はダンジョン下層の湖水が水源だ。実際に通れるかどうかは別にして、バベル以外に地上とダンジョンを繋ぐ経路があるということを意味する。他にルートがあってもおかしくない」

 難しい顔つきで推論を呈する。

「現状で考え得る候補は地下水道だな。地下水脈の線を利用した連絡路の確保は理論上、可能だ」

 工学技術的に難しくとも、魔法や魔導具という超常的手段が存在する以上、可能性はある。

 

「確かにね」

 黒妖精の相槌を聞きつつ、エミールは話を続けた。

「現状、俺達が探っている対象はイケロス、ソーマ、イシュタル、デメテル、ヘルメス。イケロスは主神の居所もファミリアの拠点も不明。団員も捕捉できていない。ソーマはアーデ嬢の関係で様子見中。他の連中はどうだ?」

 

「イシュタルは明らかに不正会計をしてる」

 アスラーグは美貌を疎ましげに歪め、

「イシュタル・ファミリアの規模と歓楽街の商業規模を考えたら、ギルドへ報告している会計内容はおかしい。故国なら脱税容疑で役所の強制捜査が入ってるわ」

 苛立たしげに吐き捨てる。

「イケロスもソーマもヘルメスもかなり怪しい。少なくともデメテル以外の組織は金銭面でかなり怪しいわね。隠れて何をやっているんだか」

 

「組織と利権の規模から考えて、イシュタルの金が一番問題だな」

 エミールは腕を組んで小さく唸る。

「闇派閥と関わりがあるとしても、情報による女神イシュタルの気質を考えると、オラリオの破壊や滅亡は望んでいない。何らかの取引を主目的にしているはずだ」

 

 イシュタルという女神は自尊心が強烈で、自己顕示欲や承認欲求、名誉欲が非常に強いらしい。言い換えるなら、自分をちやほやしてくれる場を求める。オラリオが吹き飛んでは欲求を満たせない。闇派閥に協力しているならビジネスが主だろう。

 

「でしょうね。ダンジョン内に潜んでいる連中が提供できるものとなると、魔石、素材、それにモンスター」

 アスラーグの垂れ気味の目が細くなる。青紫色の瞳が冷たい。

「先の新種は商品の“お披露目”だったのかも」

 

「無い話じゃないな」エミールは少し考え込み「いずれにせよ、やはりバベル以外にダンジョンへ出入りできると考えるべきだ」

 エミールは背もたれに体を預け、天井を見上げた。

「そして持ち込まれるだろう物資、特に食料の大半はデメテル・ファミリアの生産品だな。彼らが闇派閥に与しているとは思わないが、彼らの農産物が闇派閥の胃に収まっていることは間違いない。デメテル・ファミリア内に闇派閥と通じている者がいるか、取引先に闇派閥と通じている者がいる」

 

 デメテル・ファミリアは迷宮都市で要求される食糧や原料農作物を一手に賄っている。

 これは明確な“弱点”だ。

 

 迷宮都市の現状はデメテル・ファミリアを壊滅させるだけで、神デメテルを強制送還させるだけで、都市を丸ごと飢餓に追いやれる。他の農神や豊穣神が補うことも可能だろうが、オラリオ周辺の農業が産業構造化されていない以上、デメテル・ファミリアと代替可能な人的規模が求められる。即時的補完は難しいだろう。

 他にも、ダイダロス通り――スラムにペストやコレラなど疫病を発生させるだけでも、迷宮都市は壊滅的打撃を被る。

 

 逆に言えば、闇派閥達はこれら明確な“弱点”を無視し、他派閥の冒険者相手にドンパチチャンバラを挑むだけ。

 この事実を鑑みれば、闇派閥の抗争の本質はおそらく『遊び』だ。悪神達が眷属を使って暇潰しをしているに過ぎない。

 

 逸れた思考を戻し、エミールが問う。

「ギルドから奪取した情報に何か手掛かりは?」

 

「デメテル・ファミリアは少なくとも表立っておかしい点が無いわ。それに……」

 アスラーグは首を横に振った。

「取引先は多岐に渡るから、何か明確な指標が無いと絞り込みが難しい」

 

「ふむ」

 エミールはふと思い出したように呟く。

「そういえば、エリノール以外にも怪しげな商売をしている奴らが居たな」

『ハウンド・ピット』の地下酒蔵。蠱惑的な狼人女性が脳裏をよぎった。

 

       ★

 

 翌日の昼下がり。

 エミールが酒場『ハウンド・ピット』の地下酒蔵に赴き、“商談”を持ちかけたところ、窓口たる狼人女性ジェラルディーナはエミールを店外に連れ出した。

 ジェラルディーナは体の線を強調するパンツスタイルの女給服の上に、地味なフード付きジャケットを羽織る。結い上げられた銀灰色の髪が陽光を浴びて鈍い光沢を放ち、髪と同じ色の尻尾が歩を進める度、愛らしく揺れている。

 

「どこへ?」とエミールが問う。

 こちらは紺色の七分丈シャツにカーキ色のズボン。腰に装具ベルトを巻いてあれこれパウチを下げているが、休暇中の冒険者らしい恰好。長身痩躯の優男だけにパッとしない格好でもダサく見えない。お得。

 

「運河港です。今日は面白いものが見られますから」

 狼人らしい犬歯を覗かせ、ジェラルディーナは微笑む。野暮ったい眼鏡の奥にあるアイスブルー瞳にはどこか悪戯っぽい輝きがあった。

 

 

 温かな陽光の注ぐ快晴の午後。オラリオの運河港は賑々しい。

 荷昇降用起重機が並ぶ積荷作業場や船舶停泊場からは、水夫や労働者の喧騒が絶えない。迷宮都市とロログ汽水湖岸都市を繋ぐ連絡船の乗り場や土産物店その他も、人の往来が多い。

 

 この日、作業場の一角に物々しい警備が敷かれていた。

 黒服のギルド職員と武装した冒険者達。上等な着衣に身を包んだ諸島帝国出先商館職員、紅い上衣と黒い下衣の兵士達は銃床付の大型クロスボウを抱えている。

 加えて、長脚重装兵(スティルトウォーカー)達がいた。

 

 エミールは目を瞬かせる。

「トールボーイ? オラリオに持ち込んでいたのか」

 

 長脚重装兵。別名トールボーイ。

 機械式倍力機構付きの竹馬を用い、数メートル頭上から強力な各種矢弾(ボルト)をぶっ込んでくる重装甲歩兵。諸島帝国の都市衛兵隊が採用した市街戦特化兵器だ。

 簡単に蹴倒せそうな見た目だが、その竹馬部分や装甲甲冑は非常に剛健なティビア鋼製で、支腕には抗魔導処理した防循まで装備している。

 恩恵持ちと言えど生半な攻撃では撃破不可能。また、彼らの強力なクロスボウから連射される矢弾も、低位冒険者や雑魚モンスターなど容易くミンチにできる。

 背中に担がれた液化魔石燃料が放つ仄かな蒼光は実に不気味で、さながら鬼火を背負っているようだ。

 

「普段は姿を見せませんが、出先商館(ヴィラ・ダンウォール)の特別警備部隊として配備されています。オラリオ側もアレの配備にはかなりゴネたようですが、七年前の大抗争を口実に押し切ったとか」

 ジェラルディーナが呆れ顔のエミールにくすくすと笑いかける。悪戯が成功したと言いたげな笑みだった。

「今日は取引日で大量の魔石や文物、正貨と資源がやりとりされますから、その警備ですね。オラリオ側も腕利きを集めていますよ」

 

 エミールは狼人女性の目線が示す先を追う。

 

「ショートヘアの見目麗しい女性がガネーシャ・ファミリアの団長シャクティ・ヴァルナ。隣のアマゾネスが副団長のイルタ・ファーナ。彼女達が接している眼鏡の女性はヘルメス・ファミリアの団長アスフィ・アル・アルメイダ」

 ジェラルディーナが説明した女性冒険者達の表情は一様に険しく、ピリピリした雰囲気をまとっている。

 

「揉めている、とは違うようだが」

 エミールの指摘にジェラルディーナは冷ややかに言った。

「大方、昨日の一件でしょう。アンダー・リゾートで殺人事件があったそうで。被害者はガネーシャ・ファミリアの団員だったらしいですから」

 

「相手は闇派閥か?」とエミールが冷たい目つきで問う。

「おそらく。2人組で植物と蛇の合いの子みたいなモンスターを多数使役していたとか。ロキ・ファミリアと交戦し、撃退されたそうです」

 ジェラルディーナはそこで話を一旦切り、運河に臨むカフェ店を示す。

「立ち話も何ですし、御茶でも飲みませんか?」

 

          ★

 

 ギルドと出先商館の職員が交易品の確認を行う間、双方の警備が油断なく周囲を警戒している。長脚重装兵が時折、ガシャンガシャンと機構を鳴かせ、ドシンドシンと地響きを奏でながら作業区画を巡回した。

 その様子を、行き交う人達が物珍しそうに眺めていた。

 

 エミールとジェラルディーナもカフェ店のテラス席から見物している。

 ミルクと砂糖が加えられた紅茶。茶請けは無し。

 

 ジェラルディーナは地味なジャケットのポケットから紙巻煙草の箱を取り出し、一本くわえて燐棒を擦った。

 柔らかそうな唇の間から吐き出された紫煙が、優しい川風に溶けていく。

「御指摘された通り、我々はこの街の裏社会や後ろ暗い部分の情報を持っております。しかし、それらはいわゆる部外秘。我々の大事な飯のタネですから、多少の金穀では御提供できません」

 

 狼人女給の向かい側に座るエミールは紅茶を少しばかり飲み、カップを卓に置いてから応じる。

「“商談”を断るだけならわざわざ連れ歩きはしないだろう。そちらの条件は?」

 

「あら。私が貴方と御茶を楽しむため、とはお考えにならないので?」

 くすくすと喉を鳴らすジェラルディーナ。アイスブルーの瞳が野暮ったい眼鏡の奥から思わせぶりな目線を送ってくる。

 

 もっとも、エミールは“冗談”に付き合わず冷ややかな目線を返す。

「貴女とそれほど誼を通じていない。その若さで準工作機関の窓口を担う女性が、俺をからかって遊ぶ外連味を持っているとも思えない」

 

「仕事に真摯であることは大事ですけれど、ウィットとユーモアを挟む余裕がないことはいただけませんね、ミスタ・グリストル」

 減点評価を伝えつつ、ジェラルディーナは煙草を燻らせ、口端を緩めた。

「男女の駆け引きを楽しませてくださいな」

 

「……情報提供に対する条件は?」

 これ以上の軽口に付き合う気はない。そう意志のこもったエミールの問いかけに対し、ジェラルディーナは小さく肩を竦め、煙草の灰を灰皿へ落とす。

 

 細面の向きがエミールから作業場へ移った。

 恐竜のように巡回を続ける長脚重装兵。見物人に混じる子供達が手を振り、重装兵も手を振り返す。と、同僚から『仕事に集中しろ』と叱られていた。

 

「ここ運河港の利権は複雑です。ギルドと商業系ファミリア、裏社会がいくつか関わっています。もちろん我々もね。オラリオとメレンはわずか3Kしか離れていませんが、水運の輸送効率や費用対効果は陸運など比べ物にならないほど大きいですから」

「だろうな。レンヘイブン川もそうだった」とエミールは首肯する。

 

 諸島帝国首都内を流れるレンヘイブン川も利権が込み入っていて、度々抗争が起きていた。

 ちなみに、ダンウォールでギャング同士の抗争が起きた場合、基本的に都市衛兵隊(シティウォッチ)が対処に当たる。この時、うっかり衛兵を殺そうものなら長脚重装兵(トールボーイ)が投入され、抗争している両陣営をまとめて踏み潰す。それでも落ち着かなければ……国家憲兵隊(グランドガード)のとっても怖いお兄さんお姉さんが“大掃除”に現れる。

 

「そのこと自体はまあ、良いのです。表も裏も市場占有率の多寡は自由競争の下に掴み取るものですから。ただし、闇市場(ブラックカラー・マーケット)はその努力に暴力が含まれる」

 ジェラルディーナは煙草を灰皿に押しつけて消した。給仕を呼び、スコーンを一つ注文する。目線でエミールにも問うが、エミールは首を横に振った。

 

「この街は神々が多く、恩恵持ちが数千人もいます。裏社会も恩恵持ちが珍しくない。神々の眷属ではなく、恩恵も持たぬ我々では荒事に勝てません。むろん、我が国の優れた兵器群を用いればその限りではありませんけれど、それはそれで問題になります」

 

 本題が見えてきた。エミールは紅茶を口に運んでから、話を先回りする。目つきを険しくして、質す。

「暗殺。いや、敵を組織ごと壊滅させろと?」

 

「幹部を綺麗さっぱり消していただければ充分ですね」

 薄く微笑むジェラルディーナの氷青色の目は酷く冷たく、

「歳若くして国家憲兵隊の最上級衛兵になった最精鋭で、将来を嘱望された凄腕の現場要員。それに、大陸に渡ってから随分と御活躍されていらっしゃる。貴方の名前こそ出てきませんでしたが、足跡には“廃虚の悪霊”や“首狩り人”といった逸話が残っていますよ」

 給仕が持ってきたスコーンを手で上下に割る。

 スコーンにベリージャムとクリームを塗り、ジェラルディーナは上品に齧る。瑞々しい唇の間からサクリと小気味いい音がこぼれた。

 

「荒事へ訴える前に当局へ情報を密告()すなり、対立組織を踊らせるなり、穏当なやり方があるだろう」

「私達の故国のような法治国家ならばね。しかし、この都市国家は情理と神々の都合で回っているのです。事の是非と正否は理ではなく力で決します」

「もう一つ聞く。情報は組織一つ分の死体をこさえるほど価値があるのか?」

 エミールの深青色の瞳が血に濡れた銃剣みたいな凄味を宿す。

 

「ええ。御満足いただけるものと確信しております」

 恩恵レベル3の虚無歩きが放つ威圧を冷笑で受け流し、ジェラルディーナは残ったスコーンにジャムとクリームを塗り始める。

 

 カップを口にし、エミールはぬるくなった紅茶を飲みながら思案する。

 アスラーグからは判断を委ねられているが……それはあくまで金や労働(ダンジョン内の素材調達等)であって、裏社会の抗争に関与することではない。

 

 しかし、今は情報が必要だった。

 

 デリラ信奉者は虚無の力を以ってしても倒すことが難しい強敵なのだ。情報を得て先手を取れなければ、危険すぎる。

 何より、魔女の心臓を奪還し、奴らを皆殺しにするためなら、小悪党共の命など“()()()()()”だ。たとえ、そいつらが自分達と無関係だとしても。

 

「良いだろう」

 エミールの了承に、

「感謝します。ミスタ・グリストル。組織としても、()()()()()()()

 ジェラルディーナはにっこりと微笑み、スコーンを口に運ぶ。サクサクと音を奏でながら食べ終わると、真っ赤な舌でぺろりと下唇を舐めた。銀灰色の尻尾がゆらりと大きく振られる。

 

 契約殺人の話をした直後に男女の駆け引きを仕掛けられ、エミールは思わず眉を下げた。



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24:オラリオ・トライアル:リバーサイド。

新年あけましておめでとうございます。


 夕日が照らす迷宮都市。ダンジョン帰りの冒険者達で賑わう冒険者通り。

 ベル・クラネル少年とリリルカ・アーデ少女が仲良く手を繋ぎ、人混みの中を歩いていく。

「がーんっ!!」

 仲睦まじい二人を目の当たりにし、処女神が心の効果音を囀っていた頃。

 

「あらあら。懐かしい名前が載ってるわね」

 ジェラルディーナが寄越した資料に目を通し、アスラーグは垂れ気味の目を細める。

「この街でデッドアールの名前を見るとは思わなかったな」

 エミールは資料を捲りながら小さく言った。

 

 ジェラルディーナが壊滅を要求した標的組織『フィッシャーズ』は、迷宮都市オラリオの新興組織だ。

 彼らは諸島帝国の犯罪組織デッドアール・ギャングの元構成員で、内部抗争に敗れて流れてきた者達らしい。

 主なビジネスはオラリオとメレンの間で行う密貿易で、そのため運河港利権を奪取/拡大しようとしている。ただし……

 

「構成員は20名。幹部はウェイクフィールドを頭にダグラスとローガン。恩恵持ちは無し。弱小組織だな」とエミール。

 

『フィッシャーズ』は弱小組織だった。

 なんせオラリオは神々と眷属の情理や力関係が道理を蹴飛ばす無法都市だ。恩恵も持たぬチンピラ共が群れてイキがったところで、プチッと踏み潰されてしまう。

 

 しかも、こうしたチンピラ共を眷属に迎え入れる神々は、まずいない。

 真っ当な神々が求める眷属とは敬虔な信徒であり、試練に立ち向かう挑戦者であり、ある種ネジが外れたイカレポンチだ(好き好んで穴倉に潜り、化物と戦う人生を歩む奴らがまともなわけがない)。

 闇派閥の神々にしても、求めるのは針の振り切れた異常者である(好き好んで他人を害したり、社会をぶち壊そうとしたりする者など異常者に他ならない)。

 良くも悪くも俗人の極みであるチンピラなど、神々は眷属に迎えない。

 

 というわけで『フィッシャーズ』は自身が恩恵持ちになることを諦め、神々のファミリア、その傘下組織にならざるを得なかったようだ。

 

「ケツ持ちはイシュタル・ファミリアか」

「用心棒にソーマ・ファミリアの冒険者も雇ってるわね。レベル1だから気にする必要もないだろうけど」

 

 女神イシュタルはオラリオの歓楽街を牛耳っており、特に性風俗関連から莫大な収益を上げている。運河港利権へ手を伸ばす必要などない。ましてや木っ端犯罪組織のケツ持ちなど無用だろう。

 

 ただ、木っ端と言えど『フィッシャーズ』は密貿易を扱っているから、こいつらを介せば独自に都市外とやり取り可能となる。その利点は大きい。

 

 ソーマ・ファミリアの用心棒は簡単に察しが付く。ダンジョンに潜ってあくせく小銭を稼ぐより、用心棒として雇われる方が楽に稼げる。そんなところか。

 しかし、元より怪しいところの多いソーマ・ファミリアの団員が、犯罪組織の用心棒をしている。ほとんどファミリアと関わりを断っているリリルカより、ファミリアの暗部にも詳しいとみるべきだろう。

 

「この用心棒は“拉致”しよう」

 エミールは外食先で『一品テイクアウトしよう』みたいな口調で言った。

「そうね。絞り上げた後は適当に始末すれば良い」

 アスラーグもさらりと同意する。

 

「拠点は……運河港に停泊している河川輸送船『アンダイン号』。それと運河港傍の安宿か。御丁寧にどちらも見取り図付きか。どうやって手に入れたのやら」

 エミールが関心とも呆れとも取れる顔つきで呟き、

「俺達の目的と直接つながらない殺しだが……構わないな?」

「今更よ」

 アスラーグはあっさり了承する。

 

 この3年間、冒険者や傭兵として立ち回ってきたため、『魔女の心臓』とは関わりの無い戦いが幾度もあった。自分達の身を護るため。食い扶持や路銀稼ぎのため。たしかに今更だった。

 2人は正義の味方ではなく、闇派閥を捜索し、追跡し、狩る者なのだから。

 魔女の心臓を奪還し、敵へ報復する。そのためなら手段の善悪など問わない。個人的道徳の苦みや良心の痛みは飲み込んで終わりだ。

 

「ただし、フェルズに一報入れておく必要はあるわね。協力関係にある以上、無通告で大量殺人は良くない。同意させておかないと」

「分かった」

 エミールは淡白に応じ、資料を見ながらうなじの辺りを揉む。

「それにしても……諸島帝国の準工作機関の要請で、諸島帝国人のギャングをオラリオで始末するのか。なんだか妙な気分だな」

 

         ★

 

 宵。

 炉の女神は初子が他所の女と親しくしていることに憤慨し、友達の医神をひっ捕まえて飲んだくれていた。

 

 そんな喧騒とは程遠い、静謐な夜闇に満ちた市壁の一角。

 ケープマントを着込んだ黒妖精から事の次第を聞き、

「暗殺……だと……?」

 不死者フェルズは酷い頭痛を覚えた。

 

 頭痛を発する器官も神経も失って久しいが、感情と心理的反応が幻肢痛的感覚をもたらしている。まあ、そんな不死者の生理メカニズムはともかくとして。

 自らが計画した“宝玉”の移送計画が失敗に終わり、手配したガネーシャ・ファミリアの第二級冒険者が死亡し、ローグタウンが壊乱して死傷者発生という大惨事。これだけでも充分に頭が痛いところに、厄介な協力者達が『暗殺仕事を請け負ったから』と連絡してきた。

 

 いずれこういう事態が生じる気はしていたが、協力体制を築いて一月も経たずにこの事態。

 ――勘弁してくれ。

 

 相手が神々の眷属ではなく、常人の犯罪組織ということがわずかな救いか。

 もっとも、その犯罪組織のバックにはイシュタル・ファミリアが付いており、ソーマ・ファミリアの眷属が用心棒として雇われているという。

 ――勘弁してくれ。

 

 フェルズは苦り切った声で言った。

「もっとこう、なんというか、穏便にやれないか?」

 

「言い分は分かるけれど、裏社会の抗争だからね……死人を出すことも“仕事”なのよ」

 アスラーグはややバツが悪そうに前髪を弄り、どこか投げやりな調子で言い放つ。

「一つ貸し、ということでどうかしら?」

 

 目的――魔女の心臓に繋がることなら殺しの請負仕事も厭わない、という異邦人の姿勢に、フェルズは深く深く溜息をこぼす。

「……分かった。この件は貸しということで了承する」

 むろん、賢者は釘を刺すことも忘れない。

「間違っても一般市民に被害は出さないでくれ。それだけは断固として看過も許容も出来ない」

 

「御心配なく」

 アスラーグは貴婦人然と優雅に微笑む。

「この手のことは慣れているから」

 

        ★

 

 迷宮都市も寝息を立てている丑三つ時。

 運河港周辺はひんやりとした静寂に満ちていた。運河は街路照明の淡い光を優しく反射している。運河港周辺の飲食店は軒並み看板を下ろしており、酔客の姿は見られない。

 

 エミールは運河に接する数階建て施設の屋上に潜み、街が寝静まるまで待機していた。

 この手の“作戦”に長い待機時間は付き物。労働者が食べるような卵のサンドウィッチを高カロリーの甘い酒で胃袋に流し込み、運動量分のエネルギーを補充。

 

 運河港の船舶停留場に船首を並べる幾隻もの河川船。その中に中型河川輸送船『アンダイン号』が身を休めていた。

 宵の口から延々と観察した限り、『フィッシャーズ』の夜番は6人。巡回は2名。残りは船室に控えて仮眠なりサイコロ遊びなりして過ごしている。

 

『フィッシャーズ』の残りは運河港傍のホテル『キャプテンズ・チェア』に休んでいる。

 河川輸送船の水夫や貧乏旅客向けの安宿で、木賃宿より多少マシという代物。頭目ウェイクフィールドと幹部の他、船番以外の面子とソーマ・ファミリアの用心棒。

 

 簡単な仕事だ。

 連中が深い眠りに落ちるまで待ち、ホテルに侵入してイビキを掻いている連中の喉笛を切り裂き、ソーマ・ファミリアの用心棒を拉致する。

 

 数分で終わる仕事だ。

 と、思っていたのだが……

 

 運河港停泊場の一角、『アンダイン号』からそう離れていないところに諸島帝国が契約した輸送船が泊まっている。昼間同様に武装した兵士達に加え、長脚重装兵も警備に当たっていた。よくよく窺えば、ガネーシャ・ファミリアの冒険者も幾人か居る。

 

 明るいうちに積み込みを終え、湖岸都市メレンに出航しているはずだったのが、どういう訳か貨物船は運河港で寝息を立てており、昼間と変わらぬ重警備体制が敷かれていた。

 戦略資源たる高品質魔石やダンジョン産資源、高価な文物その他をたらふく積んだ宝船だ。重警備も道理だろう。

 

 しかし、これから殺人事件を起こす身としては、殺人現場(予定)傍に重武装の武装集団と恩恵持ちの都市衛兵達が居る状況は芳しくない。

 

 諸島帝国人の警備兵達は積極的に介入してこないだろうが、貨物船に被害が及びそうになれば躊躇なく武力行使に出る。ガネーシャ・ファミリアの恩恵持ち達は元々都市衛兵を担っている関係から、船の警備から離れて介入してくる公算が高い。

 エミールは魔女の心臓を奪還し、クズ共を皆殺しにするためなら手段を選ばない。といっても、現地の当局を敵に回すことは愚行の極みだ。それに、縁もゆかりもない他国人と違い、真面目に職務を果たす同胞を害することは避けたい。

 

 今夜は中断するのも一つの選択肢だが、エミールにとって“この程度”の任務条件なら中止に値しない。何より“こんな些事”に幾日も時間を費やしたくなかった。

 エミールは月の位置を確認し、屋上の暗がりからぬるりと進み出る。

 

 仕事を始めよう。

 

        ★

 

 神と同じ名を持つ酒ソーマは、凄まじい常習性を持つ。

 諸島帝国はその強烈な中毒性に伴う精神的異常――真っ当な判断力や自制心の喪失や道徳観念の破綻を判断材料に規制嗜好品へ指定。その使用、保有、売買を厳格に取り締まっていた。また生産者である神ソーマを人類に有害な“悪神”、ソーマ・ファミリアを悪神の眷属として認定している。

 同国自然哲学アカデミーの研究者が提出した調査報告書によれば、神酒が人体にもたらす強烈な多幸感と陶酔感、快楽は阿片と比較にならないほど強く、その効力は一種の呪物に等しいという。

 

 研究者の指摘は正しい。

 ソーマ・ファミリアの眷属達は程度の差はあれど、ほぼ全員が神酒中毒者だ。一見健常者に見えるリリルカ・アーデ少女も幼き日に少量の神酒を与えられ、その中毒性の強さをよく知っている(彼女の“酒が抜けた”理由は、酒を得られるほど上納金を稼げなかったからだ。我に返った後はファミリアから脱退するために稼いでおり、神酒は一滴も飲んでいない)。

 なお、アンダー・リゾートの夜にこの告解を聞いたエミールとアスラーグは、それぞれの事情から強い不快感を抱き、ソーマ・ファミリアを潰す際は容赦しないことを決めた。

 

 団員達の大半は神酒欲しさに金を稼いでいる。納めた金額に応じて等級と量が決まるから、団員達は文字通り目の色を変えてダンジョンに潜ったり、下位団員をカツアゲしたり、犯罪行為に手を染めたり。極少数の例外だけが“普通”の冒険者として活動している有様だ。

 

 また、ソーマ・ファミリアは神酒を適時市場に流したり、密売したりしている。

 なんせ神酒は麻薬並みに換金効率が良い商品であり、神酒を規制している国や都市への密売なら、それこそ市場価格より高額で取引される(麻薬のように規制が商品価値を実体以上に高めているケースだ)。しかも一度味わえば、よほど強固な意志力がない限り必ず中毒になる――二度と離れないヘビィ・リピーターになる。

 ソーマ・ファミリアの在り方は犯罪組織と変わらない。

 

 さて、長々とした前置きを基に、犯罪組織『フィッシャーズ』の用心棒として雇われているソーマ・ファミリアのスタニスロウについてまとめよう。

 

 スタニスロウは冒険者というより犯罪組織のチンピラでホラ吹きでペテン師でコソ泥で、神酒中毒者だ。

 しみったれた面のヒューマン壮年男性。中肉中背。ただし腹だけは出ていた。まだ中年に片足を突っ込んだ歳頃だというのに、不摂生のせいで実年齢より老けて見える。

 ぶっちゃけ『フィッシャーズ』の面々の方が強そうだ。ネアンデルタール人染みた容貌のウェイクフィールドの方がよほど冒険者らしく見える。

 

 そして、ホラ吹きでペテン師でコソ泥なチンピラのスタニスロウはレベル1に過ぎない。常人に毛が生えた程度の恩恵持ち。一応はハイステータスに分類されるステータス値だが、レベルアップに必要な偉業は皆無だ。もちろんスキルもアビリティも魔法も持っていない。

 オラリオに数千に居る冒険者達の中でも『辛うじて最底辺ではない』冒険者だ。なお、オラリオではこんな負け犬冒険者が珍しくない。若くして成功する方が極めて少ない。

 

 ちなみに、スタニスロウ自身はそんな自分の人生を悲観していなかった。

 というよりは気にしていない。神酒中毒の彼は将来のことより神酒を手に入れることを大事にしている。

 まさしく正しくノーフューチャー。

 

 

 

 真夜中の丑三つ時。

 スタニスロウは安宿のベッドから起き上がる。いそいそと身支度を整えて安宿を出て行く。

 足の向く先は『アンダイン号』。目的は船長室の金庫。

『フィッシャーズ』の頭目ウェイクフィールドは原人染みた面構えの男であるが、安宿の陳腐な金庫に大事な金を預けておくほどノータリンではなかった。金以外にも船の権利書その他諸々が船長室の金庫に収めてあり、鍵はウェイクフィールドが肌身離さず持ち歩いている。

 

 ただし、神酒中毒で元々乏しい知性と知能が大幅に後退しているスタニスロウは、ヤク中やアル中と同様に神酒を手に入れるためにのみ、日頃は犬のクソと大差ない脳ミソが人間並みに働く。

 スタニスロウは船長室の金庫を調べ、金庫の錠がバンピングで開けられることを知った。

 

 というわけで。

 

 今宵、スタニスロウは船長室の金庫を開け、金やらなんやらをごっそり盗もうとしていた。

 もちろん神酒中毒で腐りかけ脳ミソであるから、その行為によって生じる無数のトラブルなど気にも留めていない。既に一週間も神酒を飲んでおらず禁断症状が出ている脳ミソで、正常な判断など出来ようはずもない。普通の酒では禁断症状を誤魔化すことすら出来ない。金が無いから欲求不満を薬物や女で散らすことも出来ない。

 

Q:船番の見張りに見つかったら?

A:腰に下げている剣で黙らせればいい。

 

Q:船に近くにガネーシャ・ファミリアや諸島帝国の警備兵がいるよ?

A:見つからなきゃあいいだけだ。

 

 ここまで短絡的なバカが居る訳ねえだろ御都合主義も大概にしろ、と思った貴方。貴方は周囲の人々に恵まれている。世の中には途方もないバカなどいくらでもいて、このアル中ダメ男がマシに思える奴らだっているのだ。

 

 スタニスロウが宿を抜け出した直後。

 夜闇に溶けた紅色髑髏が安宿『キャプテンズ・チェア』の屋上から建物内に侵入し、無音暗殺を始めていた。

 

         ★

 

『キャプテンズ・チェア』へ侵入したエミールは仕事を手早く片付けていく。

 

 眠りこけている幹部二人と頭目の部屋へ侵入し、眠りこけている彼らの枕元に立ち、折り畳み式小剣を素早く延髄へ貫き抉る。痛みを知覚して悲鳴を上げる機会すら与えない。三人は夢を見たまま冥府に旅立った。幹部のダグラスの場合は隣に娼婦が寝ていたが、娼婦はエミールの侵入にもダグラスの死にも気づかず熟睡(うまい)を貪っている。

 

 一方的で完璧な殺し。

 

 エミールは三人を始末しつつ、それぞれの部屋を静かに家探しした。

 小規模な犯罪組織は親玉や幹部が帳簿係や事務員を兼ねることが多い。つまり組織内情報を深く握っている。

 ところが、帳簿や日記、メモ帳その他を探すも、ウェイクフィールドの部屋にそれらしいものはなかった。

 

 ――船の方か。諸島帝国の警備兵とガネーシャ・ファミリアが疎ましいが……ま、何とかなるだろう。

 エミールは小さく鼻息をつき、用心棒の部屋へ向かい、もぬけの殻の寝室を目にした。

 

「?」

 トイレにはいない。ベッドはまだ温かい。それから、装備の類が無い。

 

 眉をひそめながら窓辺の傍らに立ち、エミールはアンダイン号の辺りを窺い、見た。

 物陰伝いにアンダイン号へ近づき、船内に忍び込もうとしているマヌケの姿を。

「? ? ? 何してるんだ、あいつは?」

 

         ★

 

 某海外ドラマの科学捜査官曰く――

『バカに犯罪は難しい』

 

 

 スタニスロウは誰にも見つからず『アンダイン号』に忍び込み、船長室へ潜り込んだ。ここまでは上出来。花マルを上げても良い。

 しかしそこはバカのやること。肝心要の金庫を開ける際、バンプキーの“特性”を失念していた。

 バンプキーとは非正規開錠方法だ。大雑把に言うと、錠に非正規の鍵を突っ込み、衝撃を加えることで錠内のロックを外す方法だった。

 つまり、ガチャガチャバンバンと騒々しい。

 

 静謐な夜の船長室でそんなことをすれば……

 

「……スタニスロウ。こんな夜中に船長室でなーに遊んでんだ?」

 すわ賊かと駆け付けた夜番の者達は、金庫の前に屈みこんでガチャガチャやっているスタニスロウへ冷たい、とっても冷たい目を向けていた。

 

「ななな何でもねえよ何でもねえってえとそのそう! 探し物! 探し物してるだけだって何でもねえんだってマジでほんとに嘘じゃねえから」

 目を左右に泳がせながら冷や汗だらだらに早口で言い訳するスタニスロウ。と、汗ばんだ手からバンプキー用の鍵が滑り落ちる。

 

「…………」

 夜番の者達とスタニスロウの間に気まずい沈黙が生じ、同時に不穏な雰囲気が急激に広がっていく。

 

 恩恵持ちと常人の身体能力(協議では戦闘力)の差は、巨塔バベルより大きい。常人は決して冒険者に勝てない。雑魚いレベル1でもハイステータスのスタニスロウなら、夜番達を鎧袖一触に出来るのだ。

 が、狭い室内で袋にされれば、その限りではない。蛮刀やハンマーで滅多打ちにされれば、スタニスロウはあっさり死ぬ。所詮はレベル1だ。

 

 むろん、夜番の者達もスタニスロウと戦って無事に済むと思っていなかった。しかし、ここでスタニスロウを見逃したことが頭目にバレたら、恐ろしい事態が待っている。戦わないという選択肢はないのだ(当然ながら彼らはウェイクフィールドが死んでいることを知らない)。

 

 というわけで。

 

「スタニスロウ。腰の得物捨ててこっち来ぉ」

 夜番の班長が蛮刀を握り直しながら一歩前に出た。他の面々も得物を構え、じりじりと距離を詰めていく。

 素直に従えば拘束。従わないなら、この場で袋にしてぶっ殺す。相手は恩恵持ちでこっちは常人。数と部屋の狭さを活かして袋叩きにするのみ。

 

 武器を携えたゴツい男達に半包囲され、

「ほ……ほああああああああああああああああああああっ!!」

 スタニスロウはパニックを起こし、ヤケクソに腰の得物を抜いた。

 

      ★

 

「ええ……」

 エミールは酷く困惑していた。

 ホテル『キャプテンズ・チェア』を出て河川貨物船『アンダイン号』の甲板へ幽霊のように侵入。船楼へ近づいて船長室を覗き込めば、

 

「ほっほあっほあああああああああああっ!」

 奇声を上げる中肉中背の男と、

「このアル中野郎がぁッ!!」「スタ公っ! チョーシこいてンじゃねえっ!!」「おおおっ!? 俺の手ェええっ!?」「あぶっ! あぶねっ! どけよっ!」「うるせええっ! テメェこそ邪魔だあっ!!」

 6人のチンピラ共が大騒ぎしていた。

 

 狭い船長室に七人も詰め掛けてのチャンバラは、さながら乱交のような有様。間合いだの技だの言う余裕はない。どいつもこいつも得物や拳を振り回し、時に仲間を傷つけながら調度品を破壊し、壁を割り、床や天井に血飛沫を散らす。

 

 まさしく正しくしっちゃかめっちゃか。

 

 静謐な丑三つ時にこのバカ騒ぎ。当然ながらバカ共の怒号と叫喚は船外まで届き、貨物船を警備していた諸島帝国の兵士や長脚重装兵達も反応する。ガネーシャ・ファミリアの団員達などは様子を見るべくアンダイン号へ足を向け始めた。

 

 エミールは顔を隠す紅色髑髏の覆面の中で、ぼやいた。

「まいったな」




Tips

『フィッシャーズ』
 諸島帝国人のオリ組織。表の顔は河川運輸業者。裏の顔は密輸業者。
 所有する河川船『アンダイン号』は原作に登場するウンディーネ号の英語読み。

ウェイクフィールド。
 DishonoredのDLCに登場する暗殺ターゲット。
 デッドアールズ・ギャングの副長でボスの座を狙ってクーデターを起こす。
 本作では帝国を離れ、オラリオで弱小ギャングを立ち上げた。

ローガンとダグラス。
 DishonoredのDLCに登場するマイナーキャラ。
 ウェイクフィールドのクーデターに参加。プレイヤーによっては生き延びるが……
 本作ではウェイクフィールドと共にオラリオで弱小ギャングを始めた。

スタニスロウ。
 Dishonored2に登場するマイナーキャラ。
 原作では絡繰り屋敷に忍び込み、脱出できない場所に入り込んで衰弱死したコソ泥。
 本作ではソーマ・ファミリアのアル中冒険者。



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24+:トライアル・リザルト。

 朝日が照らす運河港の一角とその周辺飲食街は物々しい。

 

 ガネーシャ・ファミリアの冒険者達による規制線が敷かれており、貨物船の傍ではギルド職員と諸島帝国出先商館職員が難しい顔を突き合わせている。

 現場捜査と呼ぶには少々稚拙な記録採取活動が行われている傍ら、現場に到着したガネーシャ・ファミリア団長シャクティ・ヴァルマに現場責任者が説明を始めていた。

「事件は昨夜未明、我々と出先商館警備隊が警護する、貨物船傍に停泊中のアンダイン号で発生しました」

 

 現場責任者曰く――

 アンダイン号で人の争う叫喚と悲鳴が聞こえ、まず貨物船警備に参加していたガネーシャ・ファミリアの団員が様子見に向かった。

 その時、船楼から血塗れの男が飛び出してきた。

 男は手に血塗れの武器を持ち、頭部や腹部から出血。また左腕が開放骨折していたという。

 団員達は男に制止を命じたものの、男は錯乱状態でこれを無視し、警備中に貨物船がある方向へ暴走。

 貨物船を護る警備兵達が警告と制止を命じるも、男はやはり無視し――

 

「それでこの様か」とシャクティは溜息を吐いた。

 団員が地面に置かれた毛布を捲れば、完全に破壊され尽くした肉の残骸が転がっている。

 

 昨夜未明、十数名の警備兵と二騎の長脚重装兵は警告を無視した血塗れ男を脅威と見做し、半自動射撃可能なクロスボウで矢弾(ボルト)をじゃんじゃか叩き込んだ。彼らは『我々は任務を遂行したのであって、決して退屈な夜間警備の鬱憤晴らしに矢弾をぶち込んだのではない』と回答している。

 

「この男? は何者なの?」

 朝っぱらから凄惨なものを見せられて気分を大きく害するシャクティ。

 

「“関係者”によれば、ソーマ・ファミリアの団員スタニスロウという男です。ヒューマンの32歳。レベル1。ソーマ・ファミリアの例に漏れず神酒依存症者で度々問題行動を起こしています。冒険者というよりチンピラと大差ない手合いですね」

 団員は答えながら中型河川貨物船アンダイン号へ顔を向け、

「続きはあちらで」

 シャクティをアンダイン号へ案内する。

 

 

「この船は『フィッシャーズ』と呼ばれる河川運輸業者……実際は密輸が主だった弱小ギャングの持ち物で、スタニスロウは同組織の用心棒をしていたそうです」

「ソーマ・ファミリアの団員がギャングの用心棒だったのか」

 シャクティは眉をひそめた。

 

 ガネーシャ・ファミリアでもソーマ・ファミリアを問題視する者は少なくない。

 神酒は神々が呑む分には問題無いが、人間には危険すぎる。魂まで溶かし、狂わせてしまう。神酒に狂ったソーマ・ファミリアの冒険者達は方々で問題を起こしていたし、一部の団員がそうした神酒依存者を犯罪同然の手口で食い物にしていることも、随分前から問題視されていた。

 

 幾度かソーマ・ファミリアの悪事を告発し、人間相手の販売を規制すべきという意見を冒険者ギルドなどへ提案したこともあるが……商業系や貿易系の団体から強烈な反対に遭い、実現しなかった。

 そうして手をこまねいているうちに、ついにこんな事件まで起きてしまったわけだ。都市衛兵を担うガネーシャ・ファミリアとしては忸怩たるものを禁じ得ない。

 

 船長室へ案内されたシャクティは出入り口から室内を窺い、端正な顔を大きく歪めた。

 狭い船長室は大嵐が吹き荒れたように滅茶苦茶で、最前線の激戦地みたく天井から床まで血に染まり、床には死者が折り重なっていた。骸は6体。いずれも男性。破壊された壁や調度品と同じくどの骸も損傷が激しい。

 

「いったい何が起きたの?」

 団長の諮問に対し、団員は部屋の一角にある開け放たれた金庫を指さした。金庫の錠に鍵が刺さったままで、傍にヴァリス金貨が転がっている。

「推測になりますが、おそらくスタニスロウは昨夜、ここへ忍び込み、金庫の金を盗もうとしたのでしょう。そこを船番の連中に見つかり、戦闘が発生。夜番の者達を殺害して逃亡……というか戦闘で錯乱したのでしょうね。そして、あの様に」

 

「用心棒が雇い主の金を盗もうとしたと?」と目を細めるシャクティ。

「珍しい話ではありません」と団員は肩を竦める。

 

 現代地球において監視カメラが普及した時、各種小売店の店主達は監視カメラを迷わずレジやバックヤードへ据えたという。万引きやコソ泥より店員が売上金や商品を盗むことが問題だったのだ。そして、こうした事情はオラリオでも変わらない。

 

 シャクティが小さく鼻息を突き、

「それで雇い主、『フィッシャーズ』の頭目はどこに?」

「『フィッシャーズ』は運河港傍の安宿を根城にしており、そちらに」

 団員はシャクティを近くの安宿『キャプテンズ・チェア』へ連れていく。

 

 

 そして、シャクティは頭目ウェイクフィールド他幹部2人の死体を見せられた。

「……死んでたわけね」

 団員はシャクティへ小さく肩を竦め、推論を披露する。

「スタニスロウは金庫を開けるため、鍵を奪うべくこのホテルでウェイクフィールドと幹部2人を殺害。それからアンダイン号へ向かい、金庫の金を盗もうとしたところを発見され、戦闘。錯乱して逃げ出したところを貨物船の警備隊に撃たれた、といった具合でしょう」

 

 シャクティは腑に落ちないと言いたげに眉をひそめ、

「鍵を奪うために持ち主を殺すというのは道理よ? でも、ホテルで三人も殺す理由は? スタニスロウは鍵の持ち主を知らなかったの?」

「ウェイクフィールドがカギを保有していたことは既知だったようです。幹部2名の殺害は追跡を遅らせるためでしょう。頭目と主要幹部を殺されてしまえば、下っ端達は報復より自分達の身の不利を考えますから」

「そこまで冷徹に計画を立てて動く人間が、船であんな杜撰なことになるかしら?」

 部下の推理を聞き、ますます納得がいかなくなった。

 

「現場をよく見なさい。部屋は“まったく荒らされてない”。雇い主を裏切る金に汚い男がベッド脇に置かれた財布を見逃すのはおかしいわ」

 それに、とシャクティはウェイクフィールドの死体を観察し、死因たる首元を示す。

「この傷。ただ喉を刺しただけじゃない。正確に頸椎の継ぎ目を寸断してるわ。しかも刺した後に抉って頸動脈を破壊する際、出血を食道に誘導している。この殺しをレベル1のアル中冒険者に出来ると思うの?」

 

 動脈破壊による大出血を可能な限り外へ出さない――返り血を浴びない殺し方だ。シャクティがこれまで見てきた暗殺者の殺人でも、ここまで巧緻な刃傷はとても珍しい。

 まるで家畜を締めるような冷徹で冷酷な殺し。船長室での戦闘後はヘボ冒険者が恩恵頼りに得物を振り回しただけ。とても同一人物の犯行とは思えない。

 

「団長のおっしゃることは分かります。ホテルの殺しと船の殺しはまるで別人のようですからね」

 小さく頭を振ってから、団員は生徒が教師に失点を誤魔化すように、

「しかし、船に第三者が居た痕跡はありません。このホテルでの殺しにもまったく。物証がない以上、状況証拠からは、私が述べたツッコミどころのある推論が一番“らしく”なるんです」

 そして、言い難そうに続けた。

「自分の推理はともかく……この件はさっさとケリをつけた方がいいと思います」

 

「真相を明らかにせず終わらせろ、と?」

 シャクティが団員を鋭く睨みつけるも、団員は怯まずに真摯な態度で答えた。

「この『フィッシャーズ』は弱小組織ですが、イシュタル・ファミリアの庇護下にあるらしいんです」

 

 イシュタル・ファミリアの名が出たことに、シャクティは顔をしかめる。

 

 オラリオの歓楽街――特に性産業を牛耳る大組織で、戦闘娼婦と呼ばれる精強な女性冒険者達を揃えている。その資金力と戦力に加え、主神のイシュタルはギルドさえ遠慮がちになる厄介な女神だった。過去にはイシュタルと揉めた女神達が天界送還に追い込まれたし、ギルドも莫大な慰謝料を払う事態が生じていた。

 

 確かに面倒な話になりそうだ。だからといってこの件をなあなあに収めて良いとは思わない。

 

 迷宮都市オラリオは法や規則より情理や力がモノを言う。ガネーシャ・ファミリアにしても都市衛兵などと呼ばれているが、実態はガネーシャの眷属で私兵集団に過ぎず、法の執行機関ではない。群衆を護るために戦うのであって、法の公平性を尊ぶわけではなかった。

 しかし、オラリオの暗黒期を経験したシャクティの勘が言っている。

 

 この殺しの犯人は極めて危険だと。

 

 同時に、団員の言いたいことも、シャクティにはよく分かる。

 たとえ『フィッシャーズ』に眷属が居なくとも、イシュタルの庇護下に在った以上、ソーマ・ファミリアの団員によって頭目を含めて大勢殺されたならば、イシュタルはケツ持ちの面目を保つためにソーマ・ファミリアからケジメを取る必要がある。

 つまり、これはファミリア同士の抗争――両ファミリアの実力差を考えると一方的な虐殺――を招きかねない事件だった。

 

 犯人探しと街の治安――市民の安危を秤にかけたシャクティへ、団員が天秤の皿に錘を加える。声を潜めて語り掛けた。

「団長。今回の事件は死者こそ多いですが、死人はギャングとギャング崩れの冒険者だけです。ならば、市民が犠牲になるかもしれないファミリア間の抗争を防ぐ方が大事と考えます。何よりも、我々には“最優先すべき案件”があります」

 

 ガネーシャ・ファミリアはつい先日に仲間を殺されたばかりだった。しかも、犯人に関しての情報はほとんどない。

 

 迂遠に仲間の仇を討つことへ注力したい、と上申され、シャクティは瞑目して眉間に深い皺を刻み、ゆっくりと頷く。

 

「……分かったわ。公式発表は君の推理通りで良い。ギルドとは私が話を付けて、イシュタル・ファミリアにも説明と自重を促してみる」

 おそらくは無理だろうな、とシャクティは思いながら現場を離れる際、ふと足を止めて団員に問う。

「それで、何か盗まれたものはあるの?」

 

 団員は手元のメモを捲り、確認してから答えた。

「まだ調査中ですが……『フィッシャーズ』の生き残り達が言うには、金庫内には金の他に航海日誌や帳簿などが収められていたそうですが、今のところ見つかっていません。スタニスロウもそれらしいものは持っていませんでした」

 

         ★

 

 時計の針が朝から午前に切り替わる頃。

 迷宮都市歓楽街にあるひときわ豪奢な建物――イシュタル・ファミリア拠点『女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)』。

 

 その最上階にて、イシュタルは優雅な朝を迎えていた。

 起床したオリエントの大女神は昨夜のまぐわい跡を湯殿で洗い流し、美しい下女達に体を拭わせた後、イシュタルの男妾である副団長タンムズ・ベリリに髪を梳かせ、美少年娼達に着付けと爪の手入れをさせる。

 

 そうして、イシュタルは果実が中心の優雅な朝餉をたっぷりと摂る。

 豊穣と戦争と性愛と美。金星。多くを司るオリエント世界随一の大女神は、汁気たっぷりの果実をどこか官能的に食しながら、新聞を読む代わりに諸々の報せを聞く。

 

 イシュタルはどこぞの冒険者のレベルが上がったとか、どこぞのファミリアがダンジョン到達階層を更新したとか、そういう情報に関心は示さない。歓楽街の売り上げやトラブルに関してもあまり興味は示さない。まぁイシュタルの機嫌を損ねない限り、という捕捉を伴うが。

 

「ウチの傘下組織の一つが襲われ、10人近い死人が出た、と」

 イシュタルは片眉をあげ、ねめつけるように傍らに控える美青年――副団長タンムズを睥睨した。

 

 タンムズは背筋に冷たいものを覚えつつ、報告を続ける。

「傘下と申し上げても、イシュタル様が恩恵を授けた者がおらぬ枝葉末節の弱小組織ですので」

 

「取るに足らぬ者共であろうと、私の庇護下にあったことは変わらない」

 女神にぎろりと睨まれ、タンムズは凍りつく。

「ふ、不見識でございました。申し訳ありません」

 

 イシュタルが煩わしげな表情を浮かべて報告の続きを促し、タンムズは慌てて舌を回し、

「先ほど来たガネーシャ・ファミリア団長シャクティ・ヴァルマの説明によれば――」

 事の次第を女神へ語って聞かせる。

 

 で。

 

「フィッシャーズ、ウェイクフィールド、スタニスロウ……」

 説明を聞き終え、イシュタルは怪訝そうに眉をひそめた。

「どれも覚えがないな」

 

「イシュタル様のお耳へ届ける価値もない名です。いえ、でした」とタンムズ。

「そう。過去形だ。たとえ下賤で矮小な手合いであろうと、私の庇護下の者が襲われたというならば、それは私とファミリアの沽券に関わる」

 皿にぽたぽたと汁をこぼす果実を一つ摘まみ、イシュタルは口に運ぶ。

「下手人はソーマの眷属だったか」

 

「はい。ただ申し上げた通り、既に討ち果たされております」タンムズがおずおずと指摘する。

「本人の生死など些末な問題だ。ソーマ・ファミリアの者が私の庇護下にあるウェイク……まぁなんでもいい。ともかく私の庇護下にある者達を裏切り、殺した。ソーマ・ファミリアはその不始末を詫び、許しを請うのが筋だろう?」

 イシュタルの言葉は正しい。事は既に組織間の面目が問題になっているのだ。

「事の発覚から既に数時間経っているにもかかわらず、ソーマ・ファミリアから未だに使者は無く、弁解も釈明も無い。奴らは抗争を望んでいるようだな」

 

 ゾッとするほど冷淡な声色と発せられる冷厳な威容。部屋の隅に控えている侍女達が思わず身を震わせた。タンムズも気圧されていたが、竦む心胆に力を込めて口を開く。

「ガネーシャ・ファミリアとギルドが連名でこの件の仲裁を申し出ており、今少しの時を要請しております。如何でしょう。ここは彼らの懇請を呑み、少しばかり静観されては。ガネーシャとギルドが話をまとめられれば良し。そうでないなら、イシュタル様の寛恕を無下にした愚か者共に鉄槌を下す、とされては」

 

 ぶっちゃけ、タンムズはソーマ・ファミリアを皆殺しにしようとも構わなかった。むしろ、それで良いとも思っている。敬愛する女神イシュタルとファミリアの面子に比べれば、アル中集団など鼠のクソほどの価値もない。

 

 ただし、ここ数年で女神イシュタルは少々“後ろ暗いところ”と関わりが過ぎていた。不仲なガネーシャやギルドとの関係がこれ以上、拗れるような事態は避けたかった。さらに言えば、”今のフリュネ”を動かしたくない。

 崇拝し敬愛する女神を厄介な事態から守りたい一心で、タンムズは不興を買いかねない進言を行ったのだ。

 

 神は人間の言葉の真偽が分かる。イシュタルもタンムズの注進に込められた誠心と忠心、愛慕がよく分かった。

 果実酒を垂らした茶をゆっくりと飲み、託宣を与えるように言葉を紡ぐ。

「お前の忠誠心に免じて進言を容れてやろう。ギルドとガネーシャに伝えろ。時を与えてやるが、満足のいく結末を迎えねば、我らが手ずから酒狂い共の性根を叩き直してやるとな」

 

「御配慮、恐悦至極。それではすぐに取り掛かります。失礼します、イシュタル様」

 タンムズは恭しく一礼してからその場を辞した。

 

 お気に入りの男妾が去った後、イシュタルは摘まんだイチジクを少々乱暴に食い千切った。

 

      ★

 

「迅速な対応。ありがとうございます」

 狼人メガネ乙女ジェラルディーナはエミールへ艶やかな微笑を贈る。

 

「少々予定外の騒ぎになったが、問題にならないか?」とエミール。

「御心配なく。我々の関与は発覚しておりませんし、警備隊が件の用心棒を殺害した件にしても、ガネーシャ・ファミリアとギルドが問題無しと認めております。ソーマ・ファミリアが何か文句をつけてくることもないでしょう。“それどころではない”でしょうから」

 くすくすと喉を鳴らし、ふりふりと尻尾を揺らす。ジェラルディーナは上機嫌だった。

 

 この契約殺人の本当の目的は、運河港利権などではない。

『フィッシャーズ』は弱小組織だ。しかし、その幹部メンバーは本国でも名の知れた密輸組織デッドアールズの面々だった。その伝手や手管は侮れない。放置すれば、ブラックマーケット・シンジケートの“手数料”や“保険料”に不満を持つ帝国商人達が『フィッシャーズ』に流れる可能性があった。要らぬ草は芽のうちに摘んだ方が良い。

 

 フィッシャーズを殺すだけなら自分達だけでも出来る。が、ソーマ・ファミリアの用心棒と背後に控えるイシュタル・ファミリアが問題だった。

 神を敵に回すと鬱陶しいことになる。ブラックマーケット・シンジケートと諸島帝国の関与が明らかになっては不味い。

 

 ジェラルディーナはこの面倒な案件を綺麗に片付けた。組織から大きな評価を得られるだろう。

 向かい側に座る男のおかげで。

 期待通りに。

 

 賢人が情報の価値を知るように、ジェラルディーナもエミールとアスラーグのことを既に調べていた。

 エミール・グリストルの氏育ちも、経歴も、実力も、“不名誉”も、恋人を失ったことも、アスラーグ・クラーカと共に“浪人”をしてきたことも、把握している(もちろん、虚無の力に関しては知らない。知りようもない)。

 

 集めた情報を分析し、ジェラルディーナはエミールを誑し込む価値を見出しており、今回の件でその価値を確信した。

 この男を私の剣に出来たら、私は組織でもっと“上”に行ける。

 

 であるから、ジェラルディーナはテーブルの下で右足のローファーを脱ぎ、

「ミスタ・グリストル。貴方のお求めになった情報の提供ですけれど、情報の内容が内容ですから文書の形式でお渡しすることはできません。口頭でのお伝えになります」

 首肯したエミールの足へ爪先を擦りつける。

 

 砂を噛んだような表情をこさえるエミールに、卓の下では爪先でエミールの足を撫で続けながら、ジェラルディーナはうっすらと犬歯を覗かせた。

「長い話になります。如何でしょう。もっとゆっくり過ごせる場所へ移りませんか?」

 

 ふしだらなほどの“お誘い”をするジェラルディーナは、さながら羊を狙う狼のようだった。

 もっとも。

 彼女の前に居る男は決して羊などではないが。

 

        ★

 

 不運にもイシュタル・ファミリアと揉め事が生じたソーマ・ファミリア、その団長ザニス・ルストラは頭を抱えて煩悶していた。

「スタニスロウのクソ野郎がああああああああっ!!!」

 

 イシュタル・ファミリアはヤバい。

 精確にはイシュタル・ファミリア団長フリュネ・ジャミールがヤバい。

 

 かつてイシュタル・ファミリアのフリュネと言えば、”男殺し”の二つ名を持つ醜悪なヒキガエル女だった。

 

 だが、今は違う。

 レベル6に上がり、毛無灰色熊(ヤオ・グアイ)みたいな容姿に激変し、半ばモンスターと変わらない女怪に化けている。昨年の『第17階層騒動』において、単独でフレイヤ・ファミリアの精強なエルフ、ヘディンとヘグニの2人と引き分けたほどだ。

 

 しかし、真の”ヤバさ”は肉体的な脅威性よりも、ヒキガエルの頃より拍車が掛かった異常性だった。

 かつてのフリュネに拉致られた男は廃人にされるまで嬲られていたが、今のフリュネに拉致られた男は皆、”行方不明”になっている。噂では()()()()食われたとか、バラバラにされて下水に流されてるとか、ほとんど猟奇殺人鬼の扱いである。

 二つ名も今や”全てを食らうもの(ルル・コルコレ)”だ。

 

 

 ザニスは頭を抱えて苦悶する。

 頭を下げるのは構わない。女神イシュタルの爪先を舐めたって良い。有金や在庫の神酒を全て差し出しても良い。

 だが、そこまでやっても、自分達が助かる想像がまったく浮かばない(正確には自分自身が、だ。ザニスにとって他の団員など駒に過ぎない)。

「スタニスロウのクソッタレがっ! 生き返らせてもう一度ぶっ殺したいっ!!」

 




Tips

Dishonoredシリーズでは、主人公が傍観していると殺されたり、死んだりするNPCがちらほら居る。


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25:蝶の羽ばたきが向かう先。

「女の臭いが残ってるわよ。シャワーはきちんと浴びて帰って来なさいな」

 アスラーグは紅茶にミルクと砂糖を加えながら、帰ってきたエミールをからかうよう。

「それでベッド上の戦いは勝てた?」

 

「ベソ掻かせてやったよ」

 エミールは椅子に腰を下ろし、そろそろと息を吐く。

 

 結局、エミールはジェラルディーナと連れ込み宿へ行き、くんずほぐれつ。

 亡くした恋人を忘れたことは一日として無かった。が、死者に操を立てることはしていない。愛の無い性行為は他人の身体を使った性欲処理に過ぎないし、肉の快楽を通貨とする取引でしかない。

 復讐と報復が燃料であるうちは、エミールが他の女を愛することは無いし、他の女に入れ込むこともない。ジェラルディーナもベッドでその事実を過不足なく理解しただろう。

 

「それで、情報は?」

 アスラーグに問われ、エミールはバツが悪そうに栗色の髪を掻いた。

「……ベソ掻かせたせいで後日に持ち越しとなりました」

 

「それはそれは」

 くすくすと喉を鳴らし、アスラーグは蒼紫色の瞳をエミールへ向け、冷ややかに告げた。

「明日は一人でダンジョンに潜って、気を引き締め直しなさい」

 

「御言葉のままに」

 がくりと項垂れ、エミールは大きく溜息をこぼした。

 

     ★

 

 ダンジョン下層にて、剣姫アイズ・ヴァレンシュタインが団長のフィン達と別れ、九魔姫リヴェリア・リヨス・アールヴと共にさらにダンジョンの奥底へ潜っていった頃。

 

『女主の神娼殿』の豪華で豪奢な大広間。

 広間には水着や下着と大差ない格好の戦闘娼婦達が並び、最奥の高い上段は白絹のパーティションが下がっており、御座に横臥する大女神を目視することは敵わない。

 

 白絹のパーティション前に立った美青年――副団長タンムズ・ベリリが大広間の真ん中で平伏する狸人中年男へ告げた。容姿に相応しい美声で。

「言上を述べよ」

 

 パーティションは開けられない。イシュタルが顔を拝ませる気はないという意思表示。使者に対して非礼この上ないが、イシュタル・ファミリアとソーマ・ファミリアの力関係を考えれば、ある意味で妥当な塩対応である。

 

「へ、へへえ!」

 ソーマ・ファミリアの狸人冒険者カヌゥは平伏したまま、女神イシュタル(正確にはパーティション越しにうっすら見えるイシュタルの影)へ言上を申し奉る。

 

「主神ソーマと団長ザニス・ルストラは団員スタニスロウが起こした凶行により、女神イシュタル様とその眷属の皆さまに多大なご迷惑をお掛けしたことに遺憾の意を示し、衷心の証としてここに詫び状を提出し、また賠償金5千万ヴァリスと主神ソーマが仕込みし最上の神酒2樽を納めさせていただきます」

 なんで俺がこんな目に、とカヌゥは思う。思わずにいられない。

 

 トチ狂ったアル中野郎(スタニスロウ)のケツ拭きのため、強欲なクソ眼鏡野郎(ザニス)酒狂い(ソーマ)の尻を叩いて詫び状を書かせ、賠償として金と神酒を渋々出すことにした。

 ここまでは良い。ソーマ・ファミリアとしての選択である。

 気に食わないことは、ザニスがたまさか拠点に居た自分を捕まえ、イシュタルの許へ使者として送り出したことだった。

 

 なんで俺がこんな雌ライオン共の巣穴に来て土下座しにゃあならねェんだ。あのクソ眼鏡野郎、死ね。

 

 言上を述べ終わってもイシュタルの反応はなく、大広間に重い静寂が満ちる。戦闘娼婦達に睥睨されながら、カヌゥは土下座を続けた。両脇と胸元と背中には冷や汗で染みが出来ており、額を伝う汗が大理石の床にポタポタと落ちていく。

 

 

 イシュタルが瀟洒な扇子を小さく振り、パーティションが開かれる。

 上座からカヌゥを見下ろすイシュタルの目つきは路傍の小石を見るより冷淡だった。侮蔑や嘲弄の価値すらないように。

 

 イシュタルは再び扇子を振り、タンムズがカヌゥへ告げた。

「これよりイシュタル様が御下問される。直答を許す」

 

 へへえ、とカヌゥは大理石の床に額を擦りつけた。本音を言えば、もう逃げ出したかった。

 

 優雅に扇子を開き、イシュタルは口元を覆いながら静かに、だが、冷たい声で言葉を紡ぐ。

「私の庇護下にあった者達がソーマの眷属に命を奪われてから、4日だ。ギルドとガネーシャ・ファミリアの仲裁を受け入れ、私はお前達のファミリアに時を与えた」

 

 黄金色の瞳がカヌゥを見据え、

「私の寛大な譲歩に対し、お前達は4日も無為に待たせた末、愚にもつかぬ下男を寄こした挙句、戯言を記した紙切れ一枚、それに()()()()()で応える。そうのたまうのだな?」

 大女神は質す。

「お前達はこのイシュタルを愚弄しているのか?」

 

 瞬間、大広間にイシュタルの怒気が吹き荒れた。オリエント屈指の大女神が放つ圧は天災の如し。子たる戦闘娼婦達ですら全身から冷や汗を吹き出し、愛妾のタンムズも顔から血の気を引かせていた。カヌゥなどは土下座したまま一瞬、意識が飛びかける。

 

 これがそこらの上位冒険者相手なら、小悪党カヌゥは得意のペラを回し、百万言でも吐いて言い訳し、言い逃れを試みただろう。ソーマ・ファミリア団長ザニスもそんなカヌゥの生き汚さや往生際の悪さを期待して送り込んでいた。

 

 しかし、大女神イシュタルの激甚にして苛烈な威圧に当てられ、カヌゥ御自慢の舌先は凍り付き、呻き声すらこぼせない。心胆はこれ以上ないほど竦みあがり、陰茎と陰嚢に至っては失禁も出来ぬほど萎縮していた。

 神の怒り。その恐ろしさを初めて体験したカヌゥに、出来ることは、何もない。

 

 イシュタルはパチンッと扇子を畳む。2人の戦闘娼婦が即座に失神寸前のカヌゥを抱え、ぞんざいに大広間から連行し、神娼殿からゴミ袋のように放り捨てた。

 

「我が庇護下の者が9人失われたゆえ、ソーマ・ファミリアに倍の命を以って贖わせる」

 戦争と豊穣と性愛と美、明星を司り、王権と光を守護する大女神は宣告する。

「フリュネを送り込め」

 

       ★

 

 フリュネ・ジャミールという女が居る。

 

 イシュタル・ファミリアの団長で、身長2Mを超すおかっぱ頭のヒキガエルというべき醜女で、激烈に肥大化した自尊心と強烈な傲慢かつ驕慢な女で、協調性皆無の自己中心的利己主義者で、団の運営能力も団員の統率力と人望も皆無に等しかった。レベル5の腕っぷし以外に評価すべき点が無いと言っても良い。

 

 ただし、3年前にフリュネが大嫌いな剣姫アイズをぶっ殺そうとして返り討ちに遭い、ガチで死にかけたことで、話は少々変わる。

 本来ならば治療院に担ぎ込み、エリクサーやらなんやらをブッコんで全快させるところなのだが、女神イシュタルは“女医”を呼び寄せ、治療に当たらせた。

 

 その治療に立ち会ったタンムズは、慄きながら周囲に語った。

『アレは治療なんかじゃない』

 イシュタル・ファミリアの団員達もすぐにその意味を理解した。

 

 治療後のフリュネが別人になっていたからだ。

 

 大きな頭と肥えた胴、短い手足とヒキガエル染みた容姿が骨格レベルで変化した。頭部は常識的なサイズに縮まり、2Mを超す身体は引き締まり、手足は長く伸びていた。全身が高密度の筋肉に鎧われている。たとえば胸元など乳房なのか大胸筋なのか分からないほどだった。さながら毛無灰色熊(ヤオ・グアイ)だ。

 

 増上慢と傲岸不遜を絵に描いたカエル面は、今や超然とした覚者染みたものになっていた。おかっぱの前髪から覗く双眸は、誰もが慄くほどの異質性を漂わせていた。

 何より、フリュネの人格核というべき傲岸不遜さが失せ、病質者的異様性が濃くなっている。

 

 フリュネ・ジャミールは本当に別人と化したのだ。

 芋虫が蛹の中で体を蝶に作り替えるように。肉体も人格も、あるいは魂までも。

 治療を生き延びただけでレベル6に上がったのも、()()()()()()なのだろう。

 

 イシュタル・ファミリアの団員達はこれまでフリュネを嫌悪して唾棄していた。が、このフリュネVer2に対しては恐怖と怯懦から忌避している。女神イシュタルすら、”生まれ変わった”フリュネと接する際は必ず複数人の護衛を配し、退路を確保している。

 アイシャ・ベルカは語る。

『ヒキガエルだった頃のフリュネは、視界に入れたくもないクソ女だった。でも今の灰色熊みたいなフリュネは……怖いんだ。近づきたくない』

 

 ともかく、Ver2になったフリュネは新たな二つ名“全てを平らげるもの(ルル・コルコレ)”に相応しく―――

 

         ★

 

 静かな月夜。

 ソーマ・ファミリアの拠点は居館に加えて酒造所と大倉庫を備えており、冒険者の巣穴というより酒蔵のようだ。

 

 拠点正門は鉄柵型開き戸門で、傍らの門衛所では2人の団員が夜番の退屈しのぎに札遊びをしていた。

「イシュタル・ファミリアとの手打ちがコケたってマジか?」

「そりゃカヌゥなんて小汚いオヤジを送り込んで上手くいくわけねェ。俺みたいなデカチンのイケメンじゃなきゃあ、女神も戦闘娼婦も満足しねえさ」

「早打ち野郎がよぉ言うわ」

「代わりに連射が効くぜ」

 ははは~。

 

 そんな馬鹿話を交わしているところへ、スコンッと甲高い音が響き、門衛所出入り口のタンブラー錠が貫かれた。

「「は?」」

 門衛2人が壁に当たって落ちたタンブラー錠を唖然と見た、直後。

 

 出入り口のドアが勢いよく開き、大きな影が疾風のように突入。

 

 え? と門衛達がドアへ顔を向けると同時に、あまりに分厚く厳めしい曲刀が2人をまとめて破壊。どぐしゃっと門衛所内に人体が壊される音が響き、2つの上半身と2つの下半身が床に転がった。無惨な断面から臓物がこぼれ、鮮血が床に広がっていく。

 

 一瞬で2人の冒険者を肉塊に変えた影は、2Mを超す毛無灰色熊みたいな筋骨隆々の大女で、ムチムチの身体を黒革のボンデージで包み、太く長い脚をゴツいロングブーツで覆っていた。

 イシュタル・ファミリア団長にして大女神の最強戦力。

“全てを平らげるもの”フリュネ・ジャミール。

 

 目元を隠す前髪の隙間で白目部分の乏しい双眸がぎょろりと蠢いた。感情がまったく読み取れない黄色い瞳は怪物を思わせる。

 門衛所に突入した時の鮮烈な動きが嘘だったように、フリュネは縄張り内を闊歩する熊のように泰然とした足取りで門衛所を抜け、ソーマ・ファミリアの敷地内に入っていく。

 

「ひぇえ……」

 そのフリュネに続き、牛人の戦闘娼婦パトリスが凄惨な殺人現場となった門衛所に足を踏み入れる。その背中に特注の大型クロスボウ・ライフルを担ぎ、両脇にはゴツい矢弾束が詰まった袋を抱えていた。

 パトリスは荷物持ち兼立会人としてフリュネに同行させられたことを内心で嘆く。

 イシュタル様、ホントに酷いっす。勘弁してくださいよぉ。

 

 もっとも、パトリスの認識は甘い。

 惨劇は始まったばかりだ。

 

      ★

 

 悲愴な断末魔がつんざき、ソーマ・ファミリア団長ザニス・ルストラが飛び起きた時、既に12人の団員がフリュネに惨殺されていた。

 

 フリュネは灰色熊が餌を求めて散策するように、ソーマ・ファミリアの居館内を悠然と闊歩。団員と出くわすと恐るべき俊敏さで襲い掛かり、悲鳴を上げる暇もなく破壊した。

 凶悪な曲刀で叩き切られた亡骸はいずれも四肢や頭部をもがれ、胴を砕かれ、廊下や部屋に臓物と鮮血をまき散らしている。ある者は文字通り四散し、腸内の糞尿に塗れた無惨極まる屍を晒していた。

 

 もっとも、フリュネが曲刀で斬り殺したのは7人までだ。

 7人目の返り血が乳房か大胸筋か分からないが、とにかく胸元に付着すると、瞬きしない双眸を細めて曲刀を鞘に収めた。代わりに、丁稚のように付き従うパトリスからクロスボウ・ライフルを受け取り、目につく者を片っ端から撃ち殺していった。

 

 諸島帝国製の半自動機構を備えた大型クロスボウは弩砲(バリスタ)並みの威力を誇り、銛のような弾頭の硬化矢弾(ハード・ボルト)と相成って、レベルの低いソーマ・ファミリア団員達を引き裂き、引き千切り、抉り貫き、破壊していく。

 空気を殴りつける弦と弓の駆動音。空気を引き裂く矢弾の風切り音。そして、命を奪う破壊音に、死体と血肉が飛散する音色。

 

「オォロロロロロ」

 パトリスは今宵、四度目の嘔吐をぶちまけた。胃酸の酸っぱさと喉の痛みにベソを掻く。

 もぉやだぁっ!! お家に帰りたいぃぃいいっ!!

 

 悲惨で凄惨で無惨な殺人を重ねていくフリュネは、超然として瞬きもせず無表情のままだ。

 まるで理不尽そのものが人のカタチを為しているように。

 

 怪物の襲来にソーマ・ファミリアの団員達が得物片手に駆け付け、フリュネを目にするが否や踵を返し、恥も外聞もなく逃げ出していく。

 怪異な容貌が漂わせる恐怖感。レベル6が放つ超人的威圧感。白目部分の乏しい黄色の双眸が示す非人間的強圧感。低レベル冒険者ばかりのソーマ・ファミリアに、フリュネへ立ち向かえる者など一人として居なかった。

 

 そうして、フリュネは廊下で17人目のソーマ・ファミリア団員――明らかに荒事慣れしてない獣人女性を容赦なく射殺し、ゴミを避けるように死体をまたいで主神ソーマの執務室に向かう。

 執務室は鍵が掛かっていたが、フリュネは左手を錠前に伸ばしてデコピン。

 スコンッとタンブラー錠が抜け飛び、フリュネは右手に大型クロスボウを下げ持ったまま執務室へ入った。ふらつきながらパトリスも続く。

 

 月光の差し込む執務室には三つの人影。

 憮然とした様子の男神ソーマ。顔を土気色にした団長ザニス。泣きべそを掻いている平団員。ソーマはともかくザニスと団員は恐怖と戦慄のあまり、悲鳴も発せない。

 

 フリュネは瞬きしない双眸を蠢かし、それぞれの顔を見回した後、転がっていた椅子を起こして座る。筋肉達磨な巨躯を受け止めた椅子が小さな悲鳴をこぼした。

 矢弾をザニス達へ向けたまま大型クロスボウを膝に乗せ、フリュネはゆっくりと口端を吊り上げていく。

「どう思う?」

 

「な、なに?」

 ザニスが身を震わせながら反問すると、フリュネは薄い笑みをゆっくりと消した。前髪の間で黄色い瞳が蠢く。その瞳から感情を読み解くことはできない。

「イシュタルからは18人殺せと言われている。指定は無かった。ソーマや団長の扱いについて指示を受けてない。どう思う?」

 

 ソーマ・ファミリアの団員が跪いて泣き喚く。

「おおおれはた、ただの下っ端だっ! ケジメを取るなら、ザニスを殺せよっ!」

「き、貴様、何を――」ザニスが血の気が引いていた顔を真っ赤にする。

「うるせェクソ眼鏡ッ! 団長らしく責任取って死ねっ!」

「ふざけるなっ! 貴様こそ団員なら団長の俺のために死ねっ!」

 

 ザニスと団員の醜悪な罵り合いに、『ひっどいな、こいつら』とパトリスは呆れながら目線を主神ソーマへ向けた。

 ぼさぼさの長髪が顔を覆っているため、表情はよく分からない。でも、この状況――大勢の眷属()を殺されたのに、殺されて天界へ叩き還されるかもしれなのに、冷静すぎない?

 そして、フリュネはその無様なやり取りを無感動に眺めている。何を考えているのか全く分からない。怖いよぉ早く帰りたいよぉ。

 

 パトリスが居心地の悪さに顔をしかめ、ザニスと団員が罵詈雑言を浴びせ合う中、ソーマがおもむろに執務机の引き出しを開ける。

 ソーマは凡庸な酒瓶を傾け、グラスに指二本分の美酒を注ぎ、フリュネに差し出した。

「飲め。お前に私を殺して天界へ還す資格があるか、試す」

 

「資格? ()()()()()で資格を図ると?」

 フリュネは再び薄笑いを浮かべ、クロスボウの引き金を引いた。矢弾がソーマのグラスを打ち砕き、壁に深々と突き刺さる。半自動機構により弓が回転して弦が引かれ、次弾が装填された。「ひぃっ」とザニスと団員が屈みこむ。

()()が資格だ。そして今、この部屋で他者を試す資格を持つ者は、あたしだけだ」

 

 無情動に告げ、フリュネは酒を台無しにされて静かに激昂するソーマを無視し、懐からヴァリス硬貨を一枚取り出す。

 太く厚い左手で硬貨を弾き、パシンと指先で膝に押さえ隠す。

「当てろ」

 

 その言葉の意味が分からない者はいなかった。

 コイントスに命を賭けろ。

 

 おかっぱ頭の長い前髪。その隙間から覗く黄色い瞳に、悪意的冗句や嗜虐的愉悦の色はない。その超然とした非人間的目つきは、如何なる道理も理屈も拒絶し、如何なる交渉も取引も拒否していた。

 

 表裏どちらかを選択して宣言し、当てれば生。外せば死。

 

 ザニスと団員は全身をブルブルと大きく震わせ、歯をガチガチと鳴らす。

 たかがコイントスで本当に死んじまうかもしれないという状況を認識した瞬間から、ザニスと団員は圧倒的恐怖と絶対的怯懦に襲われていた。

 2人の目には眼前の巨女が理不尽と不条理の権化に見える。恐怖によって汗や涙となって体液が絞り出され、生気が擦り削られていく。

 

 ザニスはボロボロと涙をこぼし、だらだらと鼻水と涎と冷や汗を流しながら、心の中で慟哭する。

 なぜ……どうしてこんな……っ! なんでこんなことが………っ! なんで……こんな……こんな理不尽な目に俺が……っ! 俺はただバカ共から金を巻き上げて贅沢をして暮らしたいだけなのに……っ! こんなこと……ひ、ひどすぎる……っ! ひどすぎる……っ!

 

「……表だ」

 ソーマがあっさり宣言した。ザニスはぐしゃぐしゃの顔を引きつらせた。

 

 こ、このクソ神がぁっ! さらっと決めやがって、貴様が人を中毒にするようなあぶねえ酒を造るだけで、ファミリアをまともに回さねェから、こんなことになったんじゃねェかっ! なのに、なのに、ぶっ殺されても天界に還るだけだからって気楽に決めやがってよぉッ!! 神のクズがこの野郎……っ!

 心の中で八つ当たり甚だしい罵詈雑言を並べるザニス。

 

 と、

「次はお前らだ。決めろ」

 フリュネがぎょろりと黄色い瞳をザニス達へ向けた。

 

「ぅ、ぅうううう……っ!」

 表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か表か裏か。

 どっちだどっちなんだどちらが当たりなんだソーマの野郎は何か確信があるのかテキトーに抜かしただけなのか俺もソーマに倣うか逆張りすべきかどっちだどっちにすれば良いどっちを選べば良いんだどうすればどうすればどうすれば。

 

「ぅうううう、お、俺は」

 ザニスが泣き過ぎてふやけそうな目をフリュネに向け、決断を口に――

 

「マ」瞳孔をバッチバチに開けた団員が「ママアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 恐怖と緊張に精神的臨界を超えた団員が窓に向かって駆けだし、頭から飛び降りた。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――グシャン!!

 

 

 液体が詰まった重たい肉袋が弾ける轟音と共に絶叫が途絶えた。パトリスが慌てて窓から眼下を覗き、おずおずと告げる。

「あの、フリュネ様。あいつ、し、死んじゃいました。その、あいつでイシュタル様の御命令なさった18人目です」

 じとり、とフリュネに見据えられ「ぴぃっ!?」とパトリスが竦みあがった。

 

 フリュネはゆっくりと左手を上げる。

 

 

 

 膝上のコインは表だった。

 

 

 

「当たりだ」

 フリュネはピンッとコインを弾いてソーマに渡す。

「取っておけ。それは幸運のコインだ」

 熊のようにのそりと立ち上がり、フリュネは執務室の出入り口へ向かい、ふと足を止めた。

「ただのコインだが」

 にたりと薄く微笑み、フリュネは泰然と去っていく。パトリスが慌ててその背を追いかける。

 

 残されたソーマはグラス片と共に床へ飛散した神酒を見下ろし、渡されたコインを見つめる。

 視界の端で、一気に老け込んだザニスがへたり込み、茫然自失状態のまま失禁していた。

 

       ★

 

 翌朝、『ソーマ・ファミリアの惨劇』が広まり、ギルドは暴力行為に至った事態に遺憾の意を発表。しかし、イシュタル・ファミリアに課された処分は、数百万ヴァリス程度の罰金だけだった。

 

 新聞を読んだリリルカは『ファミリアと疎遠にしていて正解だった』と心から安堵の息を吐き、愛らしい顔に冷淡な表情を湛えて呟く。

「ざまあみろ」




TIPS

フリュネ・ジャミールVer2。
ダンまちキャラも弄って、某アカデミー賞四冠作品の某キャラをオマージュしてみた。
『こういうのはイカンよ』と怒られたら直します。

パトリス。
Dishonoredのテキストに出てくる女性。
田舎から出てきて、いろいろあって娼婦になってしまった。

本作では牛人の戦闘娼婦。
牛人はサービス終了したダンまちのソシャゲに登場してた。


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26:倒れるドミノが向かう先。

ちょっと文字数多めです。


 ダンジョン第8階層にて小休止中。

 

「ざまあみろ、というのが正直な感想です」

「ええ……」

 ベルはリリルカの強い言葉に困惑する。

 

 ソーマ・ファミリア壊乱の報せに、ベルが気遣いを見せたところ、リリルカが返した言葉が先の回答だった。

 ベルはリリルカが自身のファミリアを忌み嫌っており、脱退金を貯蓄していることは聞かされていたが、大勢の死者が出た事態に対して『ざまあみろ』と吐き捨てるほど怨恨が深いとは思っていなかった。

 

 ベル・クラネルは住民同士が助け合ってなんとか暮らしているようなド田舎で生まれ育った。そりゃ住民同士にも好悪はあるし、細かな諍いはある。だが、病や事故で死傷者が出れば、日頃嫌っている相手であっても心配し、その死を悼み、遺族に弔意といたわりを示す。

 それだけに、ベルはリリルカの死者に鞭打つような反応に戸惑いを隠せなかった。

 

 リリルカは静々と語った。

「ベル様。リリは幼い頃からずっと……ずっとファミリアの冒険者達に虐げられてきました。リリにとってファミリアは“敵”なんです。敵が酷い目に遭っても同情なんてしません。リリがこれまで味わってきた苦痛と屈辱の記憶が同情など許しません」

 

 リリルカの瞳に宿る憎悪の大きさと怨恨の深さに、ベルは言葉を失う。どんな言葉を掛けて良いのか分からない。

 それでも、何か言葉を掛けなければいけない。そんな直感に従い、ベルは必死に言葉を探す。

 

「僕には……リリがどれほど大変な目に遭ってきたのか想像もできない。だから、気持ちが分かるとは言えない」

 ベルは申し訳なさそうに、そして、どこか泣きそうな顔で言葉を続ける。

「でも、『ざまあみろ』なんて言わないで欲しい。それはきっと、えっと、上手くは言えないけど、そういう言葉はリリにも良くないことだと思うんだ」

 

 拙いけれど真摯な響きがリリルカの心に染み入る。

 ベルには件の発言が、リリルカ自身の人品が貶めているように聞こえたのだろう。倫理的立場から苦言を述べたのではない。あくまでリリルカを思っての真心だった。

 何も知らないくせに、とは思う。でも、それ以上にベルの心遣いが温かかった。

 

 ……仕方のない人ですね。

 リリルカはゆっくりと深呼吸し、頷く。

「そう、ですね。ベル様の言う通りです。私の心は彼らの犠牲を悼むことを許しませんが、それをわざわざ口にして周囲の眉をひそめることもありません。今後は控えます」

 

「……ごめん」ベルは詫びた。「もっと気の利いたことを言えたらよかったんだけど……」

「いえ。ベル様はむしろそれで良いと思います」

 リリルカは柔らかく微笑んで言った。

「さ、そろそろ行きましょう。今晩は『豊穣の女主人』に行かれるのでしょう? しっかり稼いでおかないと、支払いに困りますよ」

 

 朝方、ダンジョンへ潜る際だ。『豊穣の女主人』の女給シル・フローヴァがベルに弁当を渡しながら『今夜は店に来てくださいね』とベルの手を握った。

 で、ベルは顔を真っ赤にして即座に了承。

 そんなベルの様子に、リリルカは少しばかりイラッとしていたり。

 

 まったく簡単に転がされて。ベル様はリリが付いてないと駄目ですね。これからはしっかり“指導”しないと!

 

       ★

 

 先日のまぐわいを思い出し、ジェラルディーナは激しく懊悩していた。

 

 狼人女性ジェラルディーナは裏社会に生きる人間らしく、内に狡猾さと獰猛さを備えている。

 ジェラルディーナは性交渉に情を持ち込まない。男と寝る時、それは誑し込んで手駒にするためだ。手玉に取って何もかも奪い尽くすためだ。男達が娼婦を使い捨ての日用品同然に扱うように、ジェラルディーナも男を家畜のように皮を剥ぎ、その身肉を食らう。

 だからこそ、歳若くして『ハウンド・ピット』で窓口を任されている。

 

 そんなジェラルディーナが蕩けてしまった。

 演技抜きで巨大な快感にベソを掻かされた。腰と尻尾が肉悦の残滓で痙攣し、心が多幸的倦怠感に浮遊したなんていつ以来だったか。普段被っている仮面を剥がされ、快楽に蕩けたメス顔を晒すなんて初めてかもしれない。

 

 ――あるまじき失態。あるまじき醜態。あるまじき痴態。あるまじき! あるまじきっ!!

 ジェラルディーナは頭を抱えて煩悶する。

 

 エミール・グリストル。凄腕の元国家憲兵隊最上級衛兵。国の非公式機密任務を負った殺し屋。誑し込んで手駒にできれば大きな利になる、と連れ込み宿に誘ったら、逆に蕩けされてしまった。誘ったのがこちらだけに、見事な赤っ恥である。

 

 あいつとは二度と寝ない。ジェラルディーナは心のメモ帳に下線付きで記入する。

 ジェラルディーナにとってセックスは裏社会で戦う手段だ。愛の営みではないし、快感を得るための享楽でもない。敗北必須なら男と寝る意味がなかった。

 

 というわけで。

 

 ジェラルディーナは極めて事務的な態度で(取り繕った感がアリアリだが)、再会したエミールに約束通り情報提供を始める。

「怪物性癖について御存じですか?」

 

 予期せぬ話題の切り出しに戸惑いつつ、エミールは答える。

「好き好んでモンスターを飼育したり、捕えたモンスターを虐待したり、性的行為に及ぶ倒錯趣味だ。どういうわけか、金持ちに多い」

 

 エミールの回答に首肯し、ジェラルディーナは紅茶を飲んで唇を湿らせた。

「イケロス・ファミリアはモンスターを生け捕りし、怪物性癖の資産家へ密売しているそうです」

 

 エミールは目を瞬かせ、次いで鋭く細める。深青色の瞳が急速に温度を下げていく。

「ダンジョンからどうやってモンスターを移送している? バベル経由ではないはずだ」

 

 分からない、と言いたげにジェラルディーナは小さく肩を竦め

「随分前から業界で噂になってはいます。バベルの出入り口を通さず、どうやってダンジョンからモンスターを地上へ運び出しているのか。その秘密を探ろうとした連中は皆――」

 人差し指を立てて喉を掻き切るジェスチャー。

 

「……ギルドもガネーシャも把握していない情報だな」

「どこの街でも同じことです。誰もが知っていることを当局だけが知らない」

 仏頂面を作る元国家憲兵隊員から目線を切り、ジェラルディーナは紫檀の煙草ケースを取り出した。

「イケロス・ファミリアを通せば、誰の目にも触れず地上からダンジョンへ物資を送ることも可能でしょう。先に断っておきますが、私共はイケロス・ファミリアと関わりがありません。業界内でも主神や団員の居所は完全に不明です」

 

 考え込み始めたエミールを余所に、ジェラルディーナは煙草をくわえて燐棒を擦った。眼鏡が小さな灯火をきらりと反射する。艶っぽく紫煙を燻らせてから話を再開した。

「ところで、ダイダロス通りの由来を御存じですか?」

 

 唐突な話題の変化に眉根を寄せつつ、エミールは首を横に振る。

「この街の歴史はほとんど知らない」

 

「ウラノスの眷属、名匠ダイダロスが狂気に駆られて作り出した地区です。あの地区はスラム化以前からあんな有様だったそうです」

「よくまあ、そんな馬鹿げた事態を放置したな」とエミール。

「オラリオでは馬鹿げた事態が珍しくありませんから。それと、この話にはオマケがありましてね」

 ジェラルディーナは瑞々しい唇の端を歪め、尻尾を一振り。

「ダイダロスが地区を弄繰り回した際、発注した資材と用いられた資材の量が一致しないんですよ」

 

「横流しされたと?」

「いえ。どこにも横流しされていません。消えたんです」

 フッとね、とジェラルディーナは悪戯っぽく紫煙を吐き、

「同じ頃、北区の工業用地を整地する際、造成用残土が捨て値同然で取引されています。興味深いことに、これらの残土が都市外から移入された記録が存在しません。代わりに、現在のダイダロス通りと北区を行き交う貨物馬車が大量に確認されています」

「……ダイダロス通りの地下に何かしらの大型施設がある、と?」

 エミールの指摘を聞き、野暮ったい眼鏡の奥でアイスブルーの目を細めた。

 

「大型どころではないと思いますよ。ダイダロス通りには今でも大量の建築資材が流れ込み続けていますし、発生するはずの残土はどこへ消えているのやら。名匠ダイダロスから現在まで約一千年。この街の地下に何があっても驚きませんよ」

 そして、とジェラルディーナは言葉を編む。

「イケロス・ファミリアは上手く隠しているつもりでしょうが、定期的に建築資材を調達しています。それも魔封石や超硬金属などの高額資材を大量に。しかし、そのような資材が使われた建物はオラリオのどこにもありません」

 

 エミールは少し考え込んでから問う。深青色の双眸が銃剣のように冷たく鋭い。

「それらの情報の出どころは?」

 

「この街は隠し事だらけですが、物流や会計の記録を多方面から手繰られることを、誰も考慮していないんです」

 煙草を燻らせ、ジェラルディーナは鈴のように喉を鳴らす。悪意を込めて。

「楽しい街ですよ、ここは」

 

        ★

 

 ベル・クラネルが『豊穣の女主人』で女給シル・フローヴァから渡された書籍を読んだ夜のこと。

 

 ごん!

 迷宮都市の路地裏に、ロン毛青年冒険者の頭に棍棒が叩きつけられた音色が響く。

 

 ロン毛冒険者は脛骨がひしゃげて首が縮み、頭頂部がへこんで割れ裂けた頭皮からプピッと鮮血が引き出す。ロン毛冒険者がぐるんと白目を剥き、顔から地面へ突っ伏した。

「な、な、ななあっ!?」

 脳漿を垂れ流しながら痙攣するロン毛冒険者。その仲間の犬人冒険者が顔を引きつらせて後ずさる。

「テ、テメェ何しやがるっ!? 俺らが誰だと―――」

 

「知ってんよぉ~。ソーマんとこのレベル1(クソ雑魚ナメクジ)だろぉ~?」

 棍棒を握りしめたチンピラがにたぁと笑う。

「他にも知ってんぜぇ~。テメェらソーマんトコがよぉ~、イシュタルんトコにワチャワチャにされて身動きが取れねぇってよぉ~。神酒も作れねェらしィってよぉ~」

 

「酒と頭数しか取り柄のねェ雑魚ファミリアが、俺らの縄張りを好き勝手イジりやがって。ファミリアとして動けねェなら、テメェらなんざ怖くも何ともねェんだっ!」

 チンピラの仲間達がそれぞれの得物を見せびらかしながら、じりじりと距離を詰めていく。

「ひ、ひぃいいいいっ!?」

 犬人冒険者の悲鳴が夜道に響いた。

 

 

 ぼご!

 ごつい拳がやくざ者の顎を捉えた。迷宮都市の裏路地に鮮血と黄色い前歯が飛ぶ。

 

「ソーマ・ファミリアを舐めてんじゃねえぞ、ドサンピンがぁっ!!」

 悲鳴を上げて小汚い裏路地を転げ回るやくざ者の腹を蹴り抜き、失禁&失神させると、ドワーフ男性の冒険者が周囲のやくざ者達を睨み据えた。

「イシュタルんとこの化物女にやられたからってなあっ! 一般人のカス共に舐められるほど弱っちゃいねえぞっ!!」

 

 レベル2冒険者であるドワーフ男は太い腕をぐるんぐるん回しながら眉目を吊り上げた。

「オツムの足りねぇバカ共が~っ! ソーマ・ファミリアの怖さをきっちり教育してやんぞ、おぉっ!?」

 

「な、舐めやがって……」

 やくざ者達は得物を抜き、一斉にドワーフ男へ襲い掛かる。

「ぶっ殺したらぁっ!!」

 

「掛かって来いやあああああっ!!」

 月光の注ぐ裏路地にささやかな戦闘騒音が奏でられた。

 

 

 

 ギルド職員達の表情は暗い。

 ソーマ・ファミリアの周囲が非常に荒れており、市民からギルドへ苦情が殺到、職員達は対応に追われていた。

 しかも、今回の騒動はソーマ・ファミリアと市民(といっても裏社会の筋者達だが)の衝突であるから、『ギルドは冒険者による一般人への暴力を許すのか』とギルドそのものへの非難批判も強い。

 

「大変なことになったわね……」

 ハーフエルフの窓口職員エイナ・チュールは疲れた溜息をこぼす。

「上もガネーシャ・ファミリアと協議を重ねてるみたいだけど……どうするのかしら」

 

「大したことはできませんよ」

 隣の席で作業をしているローリア女史が言った。

「ギルドにはこの件に介入する権限がありませんし、ガネーシャ・ファミリアは既に対応能力を超えています。さらに言えば、元々良からぬ噂の多いファミリアと街の害虫が共食いしているだけです」

 

 作業の手を止めることなく、ローリア女史は淡々と私見を述べる。

「仮にソーマ・ファミリアが壊滅したところで、神ソーマさえ無事なら神酒はいくらでも流通します。場合によっては、街の経済界が現行の団員を徹底的に潰し、息が掛かった者達と入れ替えるかもしれませんね。そうすれば、神酒の流通を掌握できますから」

 

「そんな……」エイナは整った顔を険しくし「それじゃ、この事態を放置するというんですか?」

「少なくとも、この街の運営や経済の観点からすれば。ええ、その通りです」

「――な」

 絶句するエイナを余所に、ローリアは手元の書類を『処理済み』の籠へ収める。

 

「この件の問題は市民が神々の眷属を襲う、という事態を神々がどう受け止めるか。その一点でしょうね。神々が眷属を襲う市民を『けしからん』と処断に動くか、対岸の火事と傍観するか。まぁ、これまでも市民が冒険者を襲う事例が無かったわけでもありませんから、神ソーマが害されぬ限り間違いなく後者でしょう。ですから」

 ローリアはどうでもいいと言いたげな顔で話をまとめる。

「事態が落ち着くまで、ガネーシャ・ファミリアがソーマ・ファミリア拠点の警備に就き、市民の襲撃を防ぐ。そんなところでしょうね」

 

 不意に顔を上げ、ローリアは愕然としているエイナへ目を向けた。

「チュールさん」

 

「……なんですか?」

 暴論(エイナの価値観で言えば、そうとしか言えない)を聞かされ、エイナは憤慨気味に応じる。

 

「たしか、貴女の担当冒険者は近頃ソーマ・ファミリアの関係者と一緒に活動しているのではありませんでしたか?」

 ローリアがさらりと口にした内容に、エイナは眼鏡の奥で目を丸くして吃驚を上げる。

「な、なんでそれを」

 

 しかし、ローリアはエイナの疑問に答えず、話を続ける。

「担当冒険者が心配なら忠告しておくことです。この情勢下でソーマ・ファミリアと行動を共にしていたら、巻き込まれかねませんよ」

「!」エイナはハッとして脳裏に白兎の少年を思い浮かべ「助言、ありがとうございます……っ! でも、どうして」

 

「迷惑だからです」

 

 予期せぬ非難を浴び、エイナが思わず身を強張らせる。が、ローリアは容赦なく冷たい言葉を重ねていく。

「以前、貴女は担当冒険者が死んだ時、しばらく使い物になりませんでした。同じような事態になられては迷惑です。ただでさえ、貴女は冒険者相手に無駄な講義をして仕事に穴を空けがちなんですから」

 これが言葉のキツいツンデレなら可愛げもあるかもしれないが、ローリアは完全に真顔で声色は刺突剣のように鋭く冷たい。

 

 エイナは悔し涙を堪えるように下唇を噛み、挑むように問う。

「……ローリア先輩は冒険者を、この仕事をどう思ってるんですか?」

 

 くだらないことを聞くな、と言いたげに目を細め、ローリアは無言で作業に戻った。

 

         ★

 

“どういうわけか”魔法が使えるようになったベルが、夜中にダンジョンへ潜り込み、魔法をぶっ放しまくってマインドダウン。目を覚ましたら剣姫アイズの膝枕をされており、びっくりしたベルは脱兎の如く遁走。

 そんな愉快な夜が明けたこの日。

 エミールとアスラーグはこれまで集めた情報の精査と、ジェラルディーナから得た情報の裏取りと相互参照を進めていた。

 

 キャミソールに短パンと淑女らしからぬ格好で資料に目を通し、アスラーグは結った銀色の長髪を苛立たしげに掻き上げる。

「ドブネズミ共が1000年に渡って足元に巣穴を掘っていたのに、誰も気づかないとか……この街の連中はバカばかりなの?」

 

「今更だろう。この街に俺達の常識が通用しないのは」

 何杯目か覚えていない珈琲を口にし、エミールは掲示板替わりの壁を窺う。

「例のギャング共から回収した帳簿や航海日誌も興味深いな。度々イシュタル・ファミリアから特別便でニョルズ宛てに“何か”を移送してる。しかも戦闘娼婦の護衛付きで。性風俗を商うイシュタルが港湾事業者のニョルズに何を渡してるんだ? 娼婦ってことは無いだろう?」

 

「見当もつかないわね」

 アスラーグは官能的な声をこぼしながら体を伸ばした。ふぅ、と唇から細く息を吐き、獰猛に口端を歪める。

「この情報を親愛なる髑髏殿にぶつけてみましょう。どんな反応をするか見ものだわ」

 

 

 

 そして……ダンジョン第10階層。濃霧の中でアスラーグとエミールは不死の愚者と会合を持つ。

 

 

 

「イケロス・ファミリアのモンスター密売事業は、少なくとも裏社会では以前から噂になっていたようね」

「そう、だったのか」

 小豆色のケープコートをまとい、フードを目深に被ったアスラーグから説明を聞き終え、黒づくめのフェルズは怒気を滲ませながら拳を固く握り込む。

 

 イケロス・ファミリアに狩られた異端児は、決して少なくなかった。

 異端児達はこの世界を変える希望だ。彼らを下劣な欲望の餌食にするなど絶対に許せない。

 異端児達はフェルズの友人だ。彼らを下卑た欲望から守れなかった自分が許せない。

 

 フェルズは痛悔の念を堪え切れず、吐露する。

「もっと早くその方面にも伝手を作っておけば……」

 

「後悔するより事態の解決に意識を注げ。それが異端児達のためだ」

 紅色髑髏の面布で顔を覆うエミールは容赦なく厳しい言葉を浴びせる。

「イケロス・ファミリアはダンジョンに出入り可能な独自ルートを持っている。これは確定事項だ。おそらくダイダロス通りの地下に」

 

「その根拠は?」

 フェルズに問われ、エミールとアスラーグはジェラルディーナの名を伏せつつ、彼女から入手した情報。その情報を基に調査、精査、裏取りと分析した内容を淡々と語る。

 

 

「―――物流記録と会計情報……盲点だったな」

 唖然としながら呟き、フェルズは幾度も小さく首肯した。

 

「だが、言われてみれば合点がいく話だ」フェルズは前置きし「私がオラリオへ来た以前の話になるが、名匠ダイダロスは『ダンジョンを超えるものを作ってみせる』といって広域住宅地の建設を請け負い、取り憑かれたように再開発を繰り返したそうだ」

 

「それはつまり、端から地下施設の建設が目的だったということじゃないか……またしても“ウラノスとギルドのうっかり”か?」

 エミールの皮肉を無視し、フェルズはぶるりと身を震わせた。

「君達の情報が全て事実なら、1000年に渡って地下施設の拡張工事を続け、ダンジョンとつなげたことになる……バベルの足元以外にも“穴”が開いてるなんて大問題だ」

 

 巨塔バベルが建設された理由はダンジョンに蓋をすること。横穴が開いていたら何の意味もない。もしも、その穴からモンスターが地上に湧いたら大惨劇が生じるだろう。

 これまでそうした事態が生じなかったのは奇跡なのか、それとも件の地下施設がよほどしっかりした出来なのか(だとしても喜べる話でもないが)。

 

 フェルズは額を押さえながら呻き、

「参ったな……今日は第24階層の食糧庫の件を話し合うつもりだったんだが……」

「第24階層の食糧庫?」

 フードの中で怪訝そうに眉根を寄せたアスラーグへ説明する。

「ああ。リド達からの情報だ。先の第30階層と同様の状況らしい」

 

「闇派閥は第30階層でしくじったばかりだ。なのに同じような事態を許してるのか?」とエミール。

 もっともな疑問だった。間を置かずに同じ失敗を繰り返すようなノータリンでは、危険なダンジョン内で長生き出来ない。

 

「誘いなのかもしれない。闇派閥とデリラ信奉者が協力しあっているなら、闇派閥の活動を臭わせ、君達を誘い出すために」

 黒づくめ髑髏の推論に紅色髑髏と黒妖精は納得する。

 

「歓迎委員会か。あり得そうな話だな」

「ああ。だから、今回は君達にヘルメス・ファミリアと共同で当たってもらいたい」

「迷宮都市一胡散臭いとかいう連中だろう。信用できるのか?」

 眉間に皺を刻むエミールを宥めるように、フェルズは言葉を重ねた。

「彼らの尻尾は握ってある。確かに神ヘルメスは怪しいところが多く、信用も信頼も出来ないが、裏切ることはない。異端児のこともある程度把握している」

 

 エミールとアスラーグは顔を見合わせ、アスラーグが首を横に振る。

「ヘルメス・ファミリアと同行する件は断るわ。連中、というよりヘルメスが諸島帝国の件と無関係という証が無い限り、直接の関わりは避けたい。だから、エミールが秘密裏に同行して、現場にデリラ信奉者が居た場合のみ、手を貸す」

 

「分かった。それで構わない」フェルズは頷いて「協力の対価は……」

「第24階層の件が片付いてからで良い」

 

 エミールは深青色の瞳をぎらつかせながら言った。

「デリラ信奉者が現れることが最大の対価だからな」




エイナさんの冒険者に対する思いやりとかギルド職員としての義務感ってなんかズレてる気がして……


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27:風吹けば誰かが儲かる。

独自設定がございます。


「ファイアボルトッ!!」

 ベルが超短唱魔法を唱え、左手から煌々とギラめく炎雷が疾駆した。複数体のゴブリン達が悲鳴を上げる間もなく焼死し、ボクサースタイルと呼ばれる筋肉収縮姿勢の屍を晒した。

 

「ふむ」

 覚えた魔法を見て欲しいベルの要請に応え、ダンジョン潜りに同道したアスラーグは腕を組みつつ、顎先を撫でる。

 

 威力があり過ぎる。明らかに魔法を覚えたばかりのステータス値で生じる威力じゃない。

 ……この子は何かしらのスキルを有してるのね。魔法か、ステータスそのものに反映するスキルを。

 

 アスラーグは識見と経験から、女神ヘスティアがベル本人にも秘匿している事実をあっさりと推理する。齢100を超える魔女は伊達ではない。

 

「あの、アスラさん。僕の魔法に何か変なところがありました?」

 思案顔のアスラーグにおずおずと問うベル。

 

 アスラーグは小さく首肯してから、

「いえ。ベル君の魔法をどうやって鍛えてようかと思ってね」

 提案する。

「まずは魔法の威力を制御できるようになるべきかな。とりあえずは最大と最小を試しましょうか」

 

「最大はなんとなく分かりますけど、最小もですか?」と小首を傾げるベル。

「あら。全力を出すだけより難しいわよ? 魔力をきちんと制御しないといけないからね」

 アスラーグは姿を見せたダンジョン・リザードへ魔法を唱える。

 

「黒き水面より出でて食らいつけっ! アンブラ・ピストリクスッ!」

 ダンジョン・リザードの影から飛び出した漆黒の鮫が、真っ黒な顎でダンジョン・リザードの身体をバラバラに食い破る。

 

「何度見てもエグい……」と本日はサポーターとして同行しているリリルカが慨嘆する。

 一週間の訓練期間中にアスラーグの“鮫”を見たことがあるベルも、顔を引きつらせていた。

 

「今の威力を覚えておいてね」

 そう言い、アスラーグは再び“鮫”を放つ。

「黒き水面より出でて食らいつけっ! アンブラ・ピストリクスッ!」

 

 別のダンジョン・リザードの影から漆黒の鮫が飛び出す、も、その顎はダンジョン・リザードを嚙み千切ることができず、噛みついたままビチビチと暴れるだけ。やがて効果時間が終わって消失した。

 ケツに噛み跡を作ったダンジョン・リザードが憤慨してアスラーグに襲い掛かり、すぱり、とレイピアで切り捨てられた。

 

「このように同じ魔法でも魔力量で威力が異なるわ。威力を制御することで魔量を効率的に扱えるし、戦い方に幅を持たせられる」

「ほえー……」とベルは感嘆をこぼす。

 

「まあ、昨日今日魔法を覚えたばかりで出来ることでもないけどね。とりあえずは魔法を使う感覚を積みましょう。ベル君。今日は魔法だけで戦いなさい」

「魔法だけ、ですか? でも、それだとマインドダウンが……」

 先日の夜が脳裏をよぎり、想い人に膝枕されていたことを克明に思い出し、ベルはポッと顔を赤くする。

 なんで顔を赤くしてるんだろう? と不思議そうなリリルカ。

 

「マインドダウンに至るまでの感覚や自分の限界を知ることも大事よ。それに」

 アスラーグが悪戯っぽく口端を緩め、

「倒れたらお姉さんが膝枕してあげる」

 

「そういうことは冒険者様を支えるサポーターの務めですっ! ベル様、膝枕はリリがしてあげますからっ!」

 リリルカが慌てて口を挟み、

 

「お気持ちだけで充分ですぅ――――っ!」

 膝枕してくれていた剣姫から逃げ出したことを思い出し、ベルは悲鳴を上げて駆けだした。

 

「ベル君は初心で可愛いわね」と微苦笑するアスラーグ。

「あの反応……何か隠してます」と女の勘を発揮するリリルカ。

 

        ★

 

 ベル・クラネル少年が楽しい魔法実習をしている頃、エミールは既に第18階層の一角に潜伏していた。今回もアスラーグにカバーストーリーを任せてある。今回はどんな設定になるのやら……

 ヘルメス・ファミリアの面々はローグタウンの宿で待機しており、エミールは彼らが出発次第、尾行する予定だ。

 

 折り畳み式小剣を展張させ、エミールは乾式砥石でゆっくりと刃を研ぐ。

 二柱の神の血を吸った刃は砥石を擦りつける度、ぬめった光沢が増していく。比例して、深青色の瞳も復讐心にぎらついていく。

 

 殺す。

 ダンウォールの件に関わった奴らは一人残らず、必ず殺す。

 

 我が復讐を妨げる者あらば切り捨てる。

 我が報復を阻む者あらば撃ち倒す。

 

 エミールは刃を研いでいく。力を込めてゆっくりと。

 

        ★

 

 色々な意味で窮状に追いやられつつあるソーマ・ファミリア。

 中でも中年狸人カヌゥ・ベルウェイは散々だった。

 リヴィラの街でリリルカからカツアゲを試みてエミールにボコられて以来、ツキに見放されている。

 

 まずリヴィラの街でぶっ飛ばされた際、治療費をぼったくられ、掘っ立て小屋をぶっ壊した件の賠償金を背負わされた。

 次に、その件を逆恨みし、リリルカを探してダイダロス通りに踏み込んだら街区のチンピラ共に襲われ、文字通り半殺しに遭った挙句に身包みを剥がされた。

 トドメにイシュタル・ファミリアの使者をやらされ、話をまとめられなかった件と抗争の責任を追及され、仲間達から袋叩きに(特に団長ザニスの八つ当たりが酷かった)。

 

 今やカヌゥと2人の手下達は高額の借金を抱えており、次の返済日までに金を用意できなければ鉱山に沈められかねない有様だ。

 まあ、自業自得、因果応報なのだが……その事実をカヌゥが受け入れられるかは別問題。

 

「全部アーデのせいだ。あのクソガキが俺に逆らったせいで、崖っぷちに追い込まれちまった」

 カヌゥは怨嗟をこぼす。その双眸には狂気が宿っていた。

「あのガキはクソ眼鏡(ザニス)の戯言を信じて銭をしこたま貯め込んでる。その金を分捕ってメレンかラキア辺りでほとぼりが冷めるのを待つ。それしかねえ」

 

「で、でもよぉ……カヌゥさん。アーデにゃあ凄腕の2人組が引っ付いてるぜ?」と手下A。

「大丈夫だ。今、アーデはあの二人組じゃなくて駆け出しのガキと組んでる」

 カヌゥはにたりと歯を剥く。この二月近くの間に前歯が何本か足りなくなっていた。

「まとめて痛めつけちまえば良い。なんならぶっ殺したって構やしねえ」

 

「殺すって……そのガキはどこのファミリアのもんなんです? ヤベェとこの団員だったら……」と手下B。

「抜かりぁねえ」カヌゥは鬱陶しそうに「駆け出しのガキはヘスティアっつう聞いたこともねぇ神の弱小ファミリアだ。ぶっ殺しても問題ねぇよ」

 

 カヌゥは足りなくなった前歯を弄りながら、

「パルゥムのクソガキがよぉう……役立たずのサポーターがよぉう……ちっと腕が立つ余所者組んだからって冒険者の俺に楯突きやがってよぉう……こいつぁ許せんよなぁ……」

 血走った眼で虚空を睨みながらブツブツと呟く。

「手足をへし折って顔面を殴り潰して、ぶっ壊れるまで犯してから、生きたままモンスターに食わせてやる。小汚ぇサポーターのガキ風情が俺を舐めやがって……地獄を見せてやるぜ」

 

 正気を失っているとしか思えないカヌゥの様子に、手下2人は不安そうに顔を見合わせる。が、カヌゥ共々借金の沼に沈みつつある2人には、もはや選択肢はなかった。

 選択肢は、もう無いのだ。

 

        ★

 

 翌日。

 リリルカとベルが巨塔バベルへ入っていく。

 2人の他に黒妖精も青年も居ないことを確認し、カヌゥと2人の手下が巨塔バベルへ向かっていく。

 

 その様子を遠巻きに見ていたギルド職員のハーフエルフ眼鏡娘エイナ・チュールは焦燥に駆られる。

 ――なんで今日はあの2人だけなのっ!? 昨日はクラーカ氏が一緒だったのにっ! グリストル氏はどこ行ったのっ!?

 

 

 さて、ここで少し時計の針を戻す。

 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインが階層主ウダイオスとタイマンを張って勝利し、地上へ帰還した翌日。

「キタ―――――――――――――――――――――――ッ!!」

 恩恵を更新すると、女神ロキが歓声を上げた。

 アイズの恩恵がついにレベル6へ到達したのだ。

 

 別の世界線ではソーマ・ファミリアの件を調べる過程で、エイナ・チュールがロキ・ファミリアを訪問しており、あれこれ情報を得る訳だが……

 この世界線におけるソーマ・ファミリアは置かれた状況が大きく異なり、またエイナ・チュールは何もわざわざロキ・ファミリアなんぞに行かなくても、情報はいくらでも手に入った。

 だって、ギルド職員だし。

 

 同僚のローリア女史から痛烈な非難を浴びたが、エイナは自分を曲げたりしない。担当冒険者を能う限り支えると決めているから。

 休憩の合間。エイナ・チュールは上司の班長にさりげなく尋ねる。

「ソーマ・ファミリアは問題行動が多いですよね? 今回の事も団員がギャングと関わっていたことが原因のようですし……何か知ってます?」

「簡単な話だよ」班長は茶をしばきながら「ソーマ・ファミリアは主神がファミリアを統制してないんだよ」

 

「え」エイナが目を瞬かせる。

「あそこの主神は昔から酒造りにしか興味が無い。今回の件で団員が大勢死んだが、屁とも思ってないだろう」

 班長は溜息をこぼした。

「で、団員の方も主神なんかどうでも良いと思ってる。神酒が呑めれば、あるいは神酒を用いて金を稼げれば良い、てな。酷いもんさ」

 なんでそんなファミリアを放ってるのよ! とエイナは内心で憤慨した。

 

 

 が、今は担当している冒険者――ベル・クラネルの安全が優先。

 現状、ソーマ・ファミリアの小人族サポーターと一緒にいることは危険すぎる。なんとかせねば。

 エイナがそんなことを考えていた矢先に、ベルと件のサポーターはダンジョンに行き、2人を尾行する怪しい3人組を目撃。

 

 不味いっ! 絶対に不味いっ! 不味い不味い不味いっ! 何とかしないと……っ!!

 エイナが冷や汗を掻き始めたところに、『モンスター絶対殺すガール』が巨塔バベルにやってくる。

 

「ヴァレンシュタイン氏っ!!」

 エイナは地獄で仏を見たカンダタのような顔で、突然名前を呼ばれて戸惑う剣姫の許へ駆け寄った。

「お願いがあるんです、ヴァレンシュタイン氏っ!!」

 

「? ? ?」

 鬼気迫る剣幕で詰め寄られ、アイズはただただ困惑した。

 

         ★

 

 黒づくめ髑髏は不安を覚えていた。

 

 エミール・グリストルのデリラ信奉者に対する憎悪と怨恨は凄まじいものがある。もしも24階層で怨敵と遭遇した時、タガが外れてしまうかもしれない。

 もしも、何かの行き違いからエミールとヘルメス・ファミリアが対立したら……色々と面倒な神ヘルメスがウラノスとギルドを敵視するようになるかもしれない。

 

 やはり保険を掛けておこう。

 

 というわけで、フェルズは透明化してバベルの足元――ダンジョン出入り口の隅に潜み、白羽の矢を立てるべき相手を見繕っていた。

 あれは実力不足。あれはこういう仕事に向いてない。あれは派閥が論外。あれは……主神がダメ。あれはオツムが足りない。

 うーむ……どうしたものか。

 

 フェルズが困り果てたところへ、冒険者達の注目を浴びながら美少女剣士がエントリー。

 ロキ・ファミリアの剣姫か。

 実力は問題なし。ロキ・ファミリアを敵に回したくはないが……食人花の件では当事者か。無関係とも言えん。

 ……よし。

 

 フェルズは姿を消したまま、アイズ・ヴァレンシュタインを尾行してダンジョンへ入っていく。

 

         ★

 

 北京の蝶が羽ばたけば、マンハッタンで突風が生じる。

 ドミノの駒が一枚倒れれば、連鎖して無数の駒が倒れる。

 風が吹けば桶屋が儲かる。

 相互連関するように、運河港で始まった小さな事件が二つの“大きな物語”へつながった。

 

 アウトサイダーは虚無の中から迷宮都市を眺めながら、完全な無表情で呟く。

「流石はこの世界屈指の大きな物語。まるで強力な磁石のようだ」

 

 腕を組み、アウトサイダーは第24階層の樹上に潜むエミールを窺う。如何にエミールが鋭敏な感覚の持ち主であっても、別次元からの視線に気づくことは無い。

「二つの大きな物語。英雄譚(ミィス)神聖譚(オラトリア)か。それともあくまで、お前自身のささやかな復讐譚(ヴェンデッタ)を遂げるのか」

 

         ★

 

 ベル・クラネルは黒短剣(ヘスティア・ブレード)を振るい、キラーアントをスパリと両断した。

 

「何度見ても、ベル様の新しい短剣は凄い切れ味ですねえ」

 キラーアントの骸を見下ろしながら、リリルカがしみじみと言った。

「この切断面を見て下さい。明らかに刀身より深いですよ」

 

「そうなの?」とベルは黒短剣とキラーアントの骸を交互に窺う。

 ヘスティアから贈られた黒短剣はナイフと呼ぶには長く、小剣と比したら短い。ただしく短剣である。

 

「斬りつけた時の衝撃で刀身長より深く裂けているようですけど、それも切れ味あってのことですよ」

 リリルカが魔石を取り出してドデカいバックパックへ詰め、ベルへ助言した。

「落としたり、盗まれたりしないよう、腰に差すよりその籠手の下に仕込んではどうです?」

 

「それはいい考えだね」とベルは素直に頷き、黒短剣の鞘をエイナから贈られた左腕の籠手に仕込む。刀身と柄を合わせた長さはベルの下腕より長いが、肘に干渉しないようにすれば問題ない。

 

「資金に余裕が出来たら、鞘も金属製の硬いものにしても良いかもしれません。籠手から飛び出している部分を防具として使えると思います」

 リリルカはベルの業物を前にしても邪な考えを抱いていなかった。

 

 別の世界線ではベルを獲物と見做して『絶対に盗んで売り飛ばしたるけぇの』と目の色を変えていたが、この世界線ではベルとの関わり方が異なっている。アスラーグとエミールの紹介で知り合った相手であるから、盗みなど働いて2人の信用を損ねるわけにはいかない。

 

 それに、アスラーグとエミールの2人と組んだことで色々と人生観が変わっていた。目先の小銭より『ファミリアから脱退後』のことをいろいろ考える余裕があったし、右腰に下げた諸島帝国製の半自動クロスボウがリリルカに自信と自尊心をもたらしている。

 

「お金かぁ……リリのお陰で一回の探索で稼げる額は増えたけど、余裕はあまりないなぁ」

 しみじみと語るベル。

 リリルカと組んで稼ぎは向上したが、やはり上層で稼げる額は厳しい。装備の維持や消耗品の補充。ベルとヘスティアの生活。諸々の支払いで残る額は……うーむ。

 

 悩むベルへリリルカが宥めるように言った。

「今日から10階層に挑むわけですし、実入りも増えますよ。合わせて危険も増えますが」

 

 10階層に挑む。

 これは前日にベルとリリルカで相談して決めていたことだ。

 

 ベルが魔法の練度を上げるためには、上層前半の雑魚モンスターは少し弱すぎる。少なくとも現在のベルには威力を制御し、ゴブリンを火傷させる程度に済ませるなど出来ない。それなら、多少歯応えのある敵相手に短剣と魔法を合わせて戦う訓練を積もう、というわけだ。

 

 

 そうして2人はダンジョンを進み、

「うわぁ……本当に霧で満ちてるんだね」

 連絡階段から第10階層を見下ろし、ベルが感嘆を漏らす。

 

 第1階層からここまでは単なる洞窟に過ぎなかったから、突如として霧に満ちた広大な空間に驚きを禁じ得ない。

「凄いな……故郷を思い出すよ」

 

 リリルカがベルの呟きに反応した。

「故郷ですか?」

 

「うん。僕の住んでた村は北の山奥でね。天候次第でこんな風に濃い霧が出るんだよ」

「そうなんですか」

 物心ついた時にはオラリオのスラムに暮らしていたリリルカにとって、世界はオラリオの一部とダンジョンで完結している。市壁の外は異世界に等しい。

「リリはオラリオの外に出たことがありません。いつか……ベル様の故郷に行ってみたいです」

 

 恋愛経験値ゼロのベルに、リリルカの言葉に込められた繊細な乙女心を読み取れるわけもなく。ベルはニコニコしながら首肯した。

「その時はしっかり案内するよ。あ、だけどホントに辺鄙で何もないところだから、がっかりしないでね」

 

 軽い調子の返事に、リリルカは『これは分かってないですね』とちょっぴり不満を覚える。まあ、でもそこが可愛いところですけど。

「ではベル様の故郷に錦を飾るためにも、気を付けて挑みましょうか」

「うん。行こうっ!」

 張り切ったベルはリリルカと共に連絡階段を下りていき、霧に満ちた第10階層へ足を踏み入れる。

 

 

 

 

「クソガキ共の冒険もここまでだぜ」

 霧の中へ入っていくベルとリリルカの背中を見下ろし、カヌゥが血走った眼をぎょろつかせながら呪詛を吐く。

 背中に担いだ鞄から大きな瓶を取り出す。瓶の中にはどろりとした揮発性の液体。

 化物共を引き寄せる誘引剤だ。

 

 カヌゥは2人の手下に目配せし、瓶の栓を抜いた。

「吠え面を掻きやがれ」

 

       ★

 

 豚頭に力士染みた体躯の怪物オークは14歳の平均的背丈からすれば見上げるほど大きく、その大きな手に握られた武骨な棍棒で引っ叩かれたら、ただでは済まない。

 それでも、ベルは臆することなく黒短剣を構えて恩恵で強化された身体能力を駆使し、一撃離脱戦法でオークに挑む。

 

「ブルルァアアアアアアアアアアアッ!!」

 雄叫びと共に振り下ろされる棍棒を横っ飛びでかわし、ベルは着地姿勢から全身のバネを弾ませるように跳躍。オークの頭上を容易く飛び越える間際、黒短剣を一閃。豚頭の太い首をばっさり。

 

 首を大きく切り裂かれたオークは鮮血をまき散らしながら崩れ落ちていく。

「やったっ!」着地しながら明るい声を上げるベル。

「油断しないでっ! 左後方からインプが三匹来ますっ!!」

 リリルカが鋭い声を飛ばすや否や、霧中から禿げ頭の小柄な怪物達がベルの背中目掛けて突っ込んできた。その大きな両目は血走っており、猛り狂っているようだ。

 

 ベルはインプ達へ向けて左手を真っ直ぐ伸ばし、叫ぶ。

「ファイアボルトッ!」

 

 超短文詠唱と同時に激しい炎雷が吹き荒れ、インプ達が炭化した骸を晒す。

 

「ひとまず片付きましたね」

“もしも”に備え、クロスボウを手にしていたリリルカは一安心。クロスボウを右腰のホルスターに収め、死骸から魔石を回収すべく後ろ腰からトラッカーナイフを抜く。

 

 額に滲んだ汗を拭いつつ、ベルはインプ達の焼死体を窺い、訝しげに眉をひそめた。

「……リリ。このインプ達、何か妙じゃなかった?」

 

「え?」オークの亡骸から魔石を取り出していたリリルカが目をぱちくり。

「何か興奮してたというか、妙に殺気立ってたというか……」

 対峙した印象をぽつぽつと語ったベルが、不意に鼻をヒクつかせた。

 

「どうしました?」とリリルカが怪訝そうにベルに伺う。

「なんだろう……? 変な臭いがする」

 

「臭い?」

 ベルに釣られてリリルカは鼻をすんすんと鳴らしてみる。近くにモンスターの焼死体が転がり、手元にモンスターの血で濡れたナイフがあるせいか、よく分からない。

 

「何かどろっとしたような……」

 ベルが臭いについて語ると、リリルカはハッと愛らしい顔を強張らせた。

「―――まさか、誘引剤……っ!?」

「え?」今度はベルが目をぱちくりさせた。

 

 直後。

 立ち込める白い闇から、化物達の叫び声と足音が迫ってくる。それも四方八方から何匹も何匹も、何匹も。

 

「不味いです……っ! このままだと囲まれて袋叩きにされますっ! すぐに逃げましょうっ!!」

 悲鳴のように叫ぶリリルカ。

 

「な、何が起きてるの、リリっ!?」

 突然の危機に激しく困惑するベルへ、焦燥に駆られたリリルカが怒鳴った。

「誰かがリリ達をモンスターに襲わせたんですっ!」



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27+:誰かが儲かれば、誰かが損する。

ちょっと長めです。



 濃霧の中、ベルは黒短剣を振るい、一撃離脱を繰り返す。

 誘引剤に引き寄せられたモンスター達は同族が倒されても怯むことなく、先を争うようにベルへ襲い掛かる。

 焦燥に駆られ、ベルは苛立ちを込めて叫ぶ。

「早くリリを追いかけないといけないんだっ! 邪魔をするなっ!!」

 

 ※※※

 罠に掛けられたと分かり、ベルはリリルカと即座に第10階層からの撤退を決め、連絡階段を目指した。リリルカを先行させ、その背中を護るべく後ろを走って。

 

 霧の先に階段の影が見えたところでオークの群れに突っ込まれ、リリルカと分断されてしまった。

 咄嗟に「先に行け」とベルが叫び、リリルカはわずかな逡巡後、頷く。

「リリが階段の上から援護しますっ! それまで持ちこたえてくださいっ!!」

 そう叫び、リリルカは駆けて行った。

 ※※※

 

 しかし、リリルカの援護射撃は無い。自分を見捨てて逃げた、などとベルは露ほども思っていない。それどころか一人ででも逃げていて欲しいとさえ思った。

 

 なぜなら、戦闘の最中にベルの耳が確かに捉えたからだ。

 怪物達の怒声に紛れ、階段の上から降ってきたリリルカの悲鳴を。

 

「リリッ! 無事でいてくれっ!」

 ベルは立ち塞がる豚頭の怪物達を睨み、怒鳴り飛ばす。

「邪魔だぁっ!!」

 

        ★

 

 ベルの脱出を援護するため階段の上まで駆け上り、リリルカが右腰から諸島帝国製のフルカスタム・クロスボウを抜いた直後。

 

 死角から強烈な衝撃が襲った。

 

「きゃあっ?!」

 リリルカが小柄とはいえ、人一人が宙を舞い、地面を跳ね転がるほどの一撃。

 デカいバッグの負い革が千切れて脱げ落ち、リリルカの白いローブコートがたちまち土塗れになる。それでも大事なクロスボウを手放さなかったし、ローブの上から付けた装具は外れていない。

 

 全身に走る痛みと衝撃に胃がひっくり返り、身を起こしかけたリリルカは思わず嘔吐する。歯で口の中を切ったせいか反吐に血が混じっていた。大量の鼻血がボタボタと地面に流れ落ちていく。

 

 いったい何が、とリリルカが脂汗塗れの顔を上げれば。

「よぉ~う。アーデ。久しぶりだなぁ」

 隙っ歯だらけの歯を剥いて笑う狸人中年男カヌゥ・ベルウェイ。と手下2人。

 

 便所虫にも劣るクズ共を目の当たりにし、リリルカは瞬時に全てを悟った。

 

 また。

 

 まただ。

 

 また、こいつらが――

 

 これまでのリリルカ・アーデならば、幼い頃から虐げられ続けたことで染みついた習慣的諦観や条件反射的諦念に屈したかもしれない。

 現実への絶望と失望に竦み、萎え、折れてしまったかもしれない。

 

 しかし、かつてローグタウンの路地裏で反抗したように、灰被りは異邦の魔女と首狩り人との交流によって意識が変化している。魔女達との交流によって尊厳を取り戻し、夢を持ち、勇気を得ている。冒険者のように戦う術を学び修めている。

 

 ゆえに、リリルカ・アーデの胸中で炎熱が強く激しく、狂猛に燃え盛った。

 

 ……い。

 

 ……ない。

 

 ……せない。

 

 ……許せない。

 

 ……許せないっ……許せないっ!……許せないっ!!

 

 憤怒で血が沸騰し、心の芯で憎悪と怨恨が爆発。全ての意識と意思が殺意一色に塗り潰された。

 

 リリルカは『殺す』と決意した瞬間、即座に行動を起こす。

 まったく躊躇せず、無言のままクロスボウをエミールから習った通り、能う限り素早く構え、流れるように引き金を引く。

 

 数十万ヴァリス掛けて改造された最高性能のクロスボウが、銃弾と大差ない初速で矢弾を放つ。

 

「!?」

 腐ってもレベル2冒険者。超人の端くれ。カヌゥは咄嗟に身を捩り、首を捻り、矢弾をかわす。

「ぐぁああっ!? お、おおお、俺の耳っ!? 俺の耳ぃいいいっ!!」

 まあ、クズ冒険者らしく完全に避けられず、右の狸耳が千切れ飛んだが。

 

 怨敵を仕留めそこなった矢弾は、カヌゥの背後で余裕をかましていた手下Aの肩元を半ば貫き、その運動エネルギーと着弾衝撃でぶっ飛ばす。

「ぎゃあああああああっ!?」

 

 手下Aが悲鳴を上げながら壁元まで転がっていく間に、クロスボウの半自動機構が駆動。弓が180度回転し、弦を引き上げて次弾を再装填。

 殺意に駆られるリリルカが沈黙の第二射をカヌゥへ放とうとする刹那、

 

「ぉおっらぁあああああっ!!」

 横合いから手下Bが剣でクロスボウを切りつけ、リリルカの手元から叩き落とす。

 

「っ!」舌打ちしつつ、リリルカが咄嗟にローブコートの内から小さな魔剣を抜こうとしたところへ、

 

「この、クッソガキャアッ!!」

 片耳を千切り飛ばされて激昂したカヌゥが、リリルカの可憐な顔へ硬い拳を思いきり叩きつける。

 

 レベル2の獣人が放つ全力の打撃に、リリルカの左頬骨と鼻骨が砕かれ、折れた奥歯が口腔を裂いた。

 鼻と口から鮮血を噴き出しながら、リリルカは地面に叩きつけられる。脳が揺れ、中枢神経を痺れ、意識が明滅した。

 

「アァァアアアデェェエエエッ!!」

 カヌゥは血を流す右耳を抑えながら、力任せに幾度も幾度もリリルカを踏みつけ、蹴りつける。

「薄汚ぇ小人族のメスガキがっ! 役立たずのサポーターがっ! よくも俺にっ! この俺をっ!!!!」

 

 大きく硬い靴底を叩きつけられる度、リリルカの柔らかな身体が軋み、背骨が悲鳴を上げる。反射的に身を庇った左尺骨が折れた。踏みつけられた左手首が砕け、人差し指と中指が折れ曲がる。左鎖骨と左肋骨の3番が折れ、4番にひびが入った。

 

 左目元が拳大に腫れ上がり、鼻筋が歪み、顔を血塗れになっても、リリルカは悲鳴を()()()()()()()。目も閉じずにカヌゥを睨み続ける。

 

 リリは、もう二度と、こんな奴らに、屈しないっ!

 

「――なんだぁ、その目はぁ!!」

「カヌゥさん、落ち着いてっ! 金のありかを聞き出す前に死んじまいますよっ!!」

 手下Bが慌ててカヌゥを宥め押さえに入る。

「ぅう痛ぇよぉ……腕が右腕がぜんぜん動かねえよぉ……」

 手下Aがベソを掻きながら助けを求めていた。

 

 ふーふーと肩を揺らして荒々しく息をしながら手下Bを押しのけ、

「お前はあいつの手当てをしてこい」

 カヌゥは重傷を負って動けないリリルカの襟元を掴み、乱暴に持ち上げた。

「アーデ。貯め込んだ金のありかを吐け。素直に吐きゃあ命だけは見逃してやる」

 

 リリルカは呻き声すら漏らさず、ただカヌゥを睨みつける。

 

 恐れも怯えもせず、ただ蔑みと殺意を込めた目を向けるリリルカに、カヌゥは額に青筋を浮かべた。

「本当にぶち殺すぞ……っ! さっさと金のありかを吐きやがれっ!!」

 

 しかし、リリルカは一言も答えない。血塗れの歯を食いしばり、敢然と睨み返す。

 

 背後で、

 手下A:ぎゃあああ、いでぇええっ! やめ、やめれっ! 矢弾に触んなっ!

 手下B:だめだこりゃ。肉が締まっちまって抜けねーよ。この状態でポーションを掛けたら癒着しちまう。治療院で手当て受けるしかねーわ。

 なんてやり取りが交わされる中、

 

「とことん舐め腐りやがって、クソガキがぁ……」

 カヌゥはリリルカを掴み上げたまま、左手で装具と白いローブコートを引き千切るように剥ぎ取った。

「お前ら、いつまでじゃれてんだっ! このガキの持ちもんを調べろっ!」

 

 怒鳴られた手下2人がいそいそとデカいバックパックや装具を改める中、カヌゥはリリルカを足元に投げ捨て、

「テメェがそういうつもりなら、きっちり調()()してやろうじゃねえか」

 カチャカチャとベルト外していく。

 

「ありがたく思えよ。テメェみてェな小便臭ぇ小人族のガキを、俺がオトナのオンナにしてやろうってんだからよぉ」

 下卑た笑みを浮かべる狸人中年男がズボンのボタンを外そうとした、その時。

 

「おおっ! カヌゥさん、こいつ魔剣なんか持ってやがりましたよっ!」

 手下Bがリリルカの隠し持っていた小振りな魔剣を見つけ、喝采を上げた。カヌゥが釣られるように目線をリリルカから外し、手下Bの手元へ顔を向ける。

 

 ――()()()()

 

 その魔剣は危機に備えた切り札であり、同時に略奪者達へ備えて仕込んだトラップ・トロフィー。

 冒険者なら魔剣を見つければ、必ず反応する。その価値を知っているから、必ず意識を向ける。魔剣によって意識の間隙が生じた時こそ――

 

 リリルカの戦意と闘志が起爆する。

 

 左目は腫れに塞がれて見えない。鼻と肋骨が折れているため、息をするだけで涙が溢れるほど痛い。左腕は壊されて使い物にならず満足に動かない。

 

 だからどうした。

 

 こんな怪我。今まで味わってきたものに比べたら、どうってことない。こんな痛み。今まで耐えてきたことに比べたら、痛みじゃない。右目はまだ見える。右手と両足は動く。

 

 まだ、リリはまだ戦えるっ!!

 

 重傷を負っているにもかかわらず、リリルカは素早く滑らかな最小動作で、アスラーグに勧められて半長靴内に仕込んだ小さなナイフを抜く。

 刃と柄を合わせても5Cも無い小さなナイフ。しかし、その小さな刃は超硬金属の端材でできており、峰側は鋸状で。

 

 バカ面してズボンを脱ごうとしていたカヌゥがリリルカの逆襲に気付くも、彼我距離は無きに等しく、リリルカの刺突は既に対応可能距離を超えていて。

 

 ぐさり。

 

 リリルカはナイフを根元までカヌゥの股間に突き刺し、エミールに教わった通りの手つきで流れるように、抉る。

 

 ぐりっ。

 

「アッ―――――――――――――――――――――――!!」

 凶悪な形状の刃で陰嚢を刺されて抉られ、カヌゥの絶叫が階層につんざく。

 

 手下2人がギョッと身を強張らせた間隙を、リリルカは逃さない。ホットパンツに隠した本当に最後の手札を切る。エミールがくれたスタンマインを取り出し、安全ピンを血塗れの歯で噛み抜き、手下どもへ投げつけた。

 

 スタンマインの魔導機構が手下どもの体温を検知。即座に内包された小型魔石の魔力を高圧雷電に変換して放射。青白い閃電がバカ面を浮かべる2人を襲う。

「「あばばばばばあああああああああああっ!?」」

 

 熾烈な閃電を浴び、バカ共が感電卒倒した。カヌゥもボタボタと血を流す股間を両手で押さえながらうずくまり、激痛に悶絶していた。

 

 逆襲を終えたリリルカは脂汗を流しながら、息を整えた。直後。脳内麻薬物質で抑えられていた負傷に対する生理反応が発症。

 全身を走る鋭い痛みと身を焼く熱。頭蓋を軋ませる耳鳴り。嗅覚の奥を満たす血反吐の臭いに胃が激しく震え、何も出なくなるまで嘔吐が止まらない。全身の毛穴から脂汗が噴き出している。意識が朦朧とし、視界が明滅を繰り返す。

 

 でも。

 

 リリルカ・アーデはこれまでの人生で最も爽快で、最も甘美で、最も充実した気分に満たされている。

 灰被りは王子様の救いを待たず、魔女達に与えられた力で、自ら掴み取った人生最初の勝利を味わっていた。

 

      ★

 

 ――霧の中を“何か”が凄まじい速さで駆け抜けた。

 

 ベルが“何か”を知覚した時には、自分を取り囲んでいたオークやインプ達が既に切り伏せられていた。濃霧の先、かすかに見える人影。おそらくあの人が助けてくれたのだろう。

 

 本来なら駆け寄って感謝の言葉を伝えるのが筋というもの。しかし、今のベルは連絡階段を先に上ったリリルカの安危が最優先だった。

 

「助けてくれて、ありがとうございましたっ!! すいません、僕は行きますっ!!」

 ベルは人影に向かって声を張り、ぺこりと最敬礼するや否や踵を返し、最大速力で連絡階段へ向けて激走していく。

 

「間に合った……よね?」

 そんなベルの背中を見送る人影――剣姫アイズ・ヴァレンシュタインは自問しつつ、愛剣デスペラートを鞘に納めた。エイナ・チュールの懇請を受けてベルの救援へ向かい、見事に目的を果たした。はず。

 

 もっとも、第10階層へ至るルートがベル達と異なっていたから、道中にリリルカと遭遇することはなく、カヌゥ達の暴行からリリルカを救えなかったが……アイズには知る由もない。

 

「……あ。そうだ。謝らなきゃ……」

 アイズはベルに個人的用向きがあることを思い出した。先のミノタウロスの一件がずっと胸に残っており、謝罪したいと思っていたが、どういうわけかその機会に恵まれていなかった(もっぱら原因はベルの側にあるけれど)。

 

 ベルを追いかけるべく、アイズは一歩踏み出し、いや、すぐに立ち止まって愛剣の柄に手を伸ばしながら振り返る。

 

「……誰?」

 金色の髪と同色の瞳が濃霧を睨み、鋭い声が飛ぶ。

 

「――君も分かるのか。戦士の感覚は侮れないな」

 白い闇の中から、男とも女とも分からないぼやき声が返ってきた直後、数M先に突然、黒づくめの人物が現れた。

 

 これ見よがしに怪しい風貌の者が唐突に現れたことに、アイズは至極当然に警戒を強める。愛剣の鯉口を切り、突発戦闘へ備えた。

 

「警戒するな、と言っても無理はないだろうが……こちらに戦う意思はない」

 黒づくめは武具らしき籠手を装着した両手を掲げて害意が無いことを示し、

「ロキ・ファミリアの“剣姫”アイズ・ヴァレンシュタイン」

 言った。

 

「君に依頼したことがある」

 

       ★

 

 リリルカはふらつきながら小さな魔剣をまたぎ、魔剣などよりもずっと大事なクロスボウを拾い上げる。

 手下Bに剣を受けたクロスボウはフレームが幾分歪み、半自動機構が損傷していたものの、装填済みの一発だけは打てそうだった。

 

 愛着のある得物の状態を確認し、リリルカは苦悶するカヌゥへ向き直った。実に自然な動作でクロスボウを構え、狙いをカヌゥの頭に定める。

 

「! アーデェ……お、俺を殺そうってのかぁ……っ!? 小汚ねェ小人族のサポーター風情がっ! レベル2冒険者のこの俺をっ! 殺そうってのかっ!! そんなことが許されっと思ってんのかっ!!」

 血を流し続ける股間を押さえながら、カヌゥは涙と鼻水と涎と脂汗塗れの顔を怒気に染めた。

「冒険者に寄生するしか能がねぇ役立たずのサポーターが、冒険者を殺すだぁっ! ふざけんじゃねえっ! そんな道理が通るかっ!!」

 

 小悪党らしく手のひらを返して命乞いしない辺り、カヌゥ・ベルウェイなりに冒険者としての矜持があるのかもしれない。

 レベル2――少なくとも一度レベルが上がる程度には、危険に挑み、試練を乗り越え、冒険を成し遂げた者としての矜持と自尊心が、リリルカに慈悲を乞うことを拒んでいるのだろう。股間を押さえながら。

 

 対峙するリリルカは何の反応も返さない。

 顔の左半分が紫色に腫れ膨らみ、折れ曲がった鼻と口元から血を流し、ほっそりとした首元まで真っ赤に染まっていた。

 折れた左鎖骨と左肋骨3番、ヒビの入った左肋骨4番辺り、折れた左腕と手首、折れ曲がった左手の人差し指と中指。どこも内出血でパンパンに腫れ上がっている。

 

 それでも、リリルカは毅然とした面持ちでカヌゥを睨み据え、右手だけで重たいフルカスタム・クロスボウを構えている。肉体の限界を意志の力が支えていた。

 

「テメェ、聞いてんのかぁっ!!」

 カヌゥが脂汗をまき散らすように怒鳴り飛ばすと、

 

「くだらないことをぐだぐだと……」

 リリルカは煩わしげに右目を細め、

「ああっ!?」

 激昂するカヌゥへ無情動に告げる。

「冒険者とかサポーターとか、小人族とかガキとか、関係なく……貴方が弱くてバカだから殺されるんですよ、リリにね」

 

 カヌゥが激憤に顔を歪ませ、リリルカが無機質にクロスボウの引き金を引こうとしたところへ、

「リリッ!!!!」

 顔も体も汗塗れにしたベルが登場し、現場を目の当たりにして言葉を失う。

 

 白いローブコートと装具を剥ぎ取られ、愛らしい顔と華奢な体を無惨な有様にしたリリルカ。

 

 白目を剥いて倒れている2人の冒険者。うち一人は右肩の付け根を矢弾が貫いていた。

 

 そして、リリルカと対峙してうずくまっている狸人中年男は右耳が欠け、股間から出血していた。

 

 何があったのかベルには分からない。リリルカが三人の男達に襲われ、傷つきながらも返り討ちにしたのだろうと想像するだけだ。

 しかし、そんなことはもはや些事だった。

 

 リリルカはベルを一顧にせず、クロスボウを中年男へ向けて撃とうとしていること。それだけが最優先事項だ。

 

「ベル様。無事でよかったです。リリもすぐに終わらせますから、待っていてください」

 温度が存在しない無情動な声に、ベルは凍りつく。こんな“哀しい”声を出すリリルカは見たことがない。辛い過去を語った時でさえ、こんな“苦しい”声ではなかった。

 

 ダメだ。

 ベルは確信する。

 ダメだダメだダメだっ!! 引き金を引かせたら、絶対にダメだ!!

 

「待ってっ! 待つんだリリッ!!」

 ベルは必死に頭を捻り、知恵を絞り、言葉を探す。

「今のリリの気持ちが分かるなんて言わない。リリが歩んできた人生は僕がどうこう言えるほど軽いものじゃないから……人を殺したらいけないとか、そんなことも言わない。

 でも、その引き金を引いてしまったら、その人を殺してしまったら、きっとリリはそのことをずっと背負い続ける。人を殺した後ろめたさを引きずり続けるよ」

 

 リリルカは何の反応も返さない。

 

 ベルは自分の愚かさが嫌になる。自分の未熟さが嫌になる。目の前の、体も心も傷だらけの女の子に届く言葉を紡げない自分自身が嫌になる。

 しかし、ベルは諦めたりしない。リリルカを注視しながらゆっくりと歩みを進め、渾身の言葉を紡ぐ。

「リリは言ったよね? いつか僕の故郷を行ってみたいって。訓練の時、僕と一緒にアスラさんとエミールさんの旅の話を聞いて、いつか自分も旅をしてみたいって。ソーマ・ファミリアを脱退して自分の人生を取り戻したら、いろんなことをしてみたいって」

 

「はっ! そんな戯言抜かしてやがったのかっ! 甘い夢見やがってっ!」

 カヌゥが嘲罵を吐くが、ベルは目もくれない。無視。完全に無視。

 

 ベルはただリリルカだけを見据え、リリルカのためだけに言葉を編む。

「リリはもうじき脱退金が満額になるって言ったじゃないか。脱退金を叩きつけて堂々とファミリアを抜けてやるって言ったじゃないか。胸を張って新しい人生を始めるって言ったじゃないか」

 

「笑わせるぜっ!」

 カヌゥがリリルカを嘲弄する。

「ザニスの与太を信じて必死に銭を溜め込んでよぉっ! あのクソ眼鏡がそんな約束守る訳ねえってのによぉっ! テメェはなあ、ソーマ・ファミリアの所有物なんだよっ! 死ぬまで俺達に小銭を貢ぐ奴隷なんだっ! 家畜の分際で夢見てんじゃねえっ!!」

 

「嘘になんてさせないっ! 僕が必ず約束を守らせるっ!! ソーマ・ファミリアに乗り込んででも、絶対に約束を守らせるっ!!」

 ベルはクロスボウを構えたまま微動にしないリリルカの傍らに立つ。

 

 緊張と緊迫の汗を流しながら、誠心と衷心と真心を込めた言葉を贈る。

「だから、だから、リリ。撃っちゃダメだ。リリ自身のために。リリが積み重ねてきた努力やリリの新しい人生を、こんな人のために傷つけちゃ、ダメだ」

 生唾を飲み込み、ベルはそっとクロスボウへ手を伸ばし、

「僕はこれからもリリと一緒に冒険したい。これからもリリと一緒に、神様やアスラさんやエミールさんと過ごしたい。皆でリリの新しい出発をお祝いしたい。だから、リリ……」

 そっとクロスボウに手を添えて下げさせた。

 

 リリルカも抵抗せず、無言のままクロスボウを下げ……ベルの顔を見た。その顔は今にも涙が溢れそうで、だけれど心から嬉しそうな、泣き顔と笑顔が混ざったような……

 何かを言おうとするが、リリルカは限界を迎えたのか失神。その場に崩れ落ちる。

 

 慌ててリリルカの小柄で華奢な体を抱きとめ、ベルは感謝と労わりを込めて告げた。

「……ありがとう。ありがとう、リリ」

 

「けっ! とんだ女っ誑しだな、小僧。ポン引きに鞍替えしちゃあどうだ? ああ?」

 カヌゥが血走った眼でベルを睨みつける。

「出来もしねぇ約束でだまくらかしてよぉ。俺らの次はテメェがアーデを利用するって訳かあ?」

 

「何とでも言えば良い」

 カヌゥへ向けられる紅眼は嫌悪と軽蔑に染まっていた。この世で最も恥ずべき存在を見るような眼だった。

「貴方みたいな人と言葉を交わす気はありません」

 

 ベル・クラネルは既に誓っている。女神ヘスティアと己自身に固く誓っている。

 白兎の少年は既に決意を備えていた。憧れと夢に対する覚悟を持っていた。

 ゆえに、カヌゥ()()の卑賎な罵倒など何の痛痒ももたらさない。

 

 そんなベルの態度がカヌゥの逆鱗に触れた。見下して嘲っていたリリルカから返り討ちにされた挙句、駆け出しの新米冒険者から歯牙にも欠けられなかったことに、カヌゥは激昂した。

 

「……どいつもこいつも俺をなめやがってぇっ!!」

 カヌゥは血塗れの手を後ろ腰に回し、誘引剤の瓶を壁に投げつけた。

 

 たちまち四方八方からキラーアントの大群が殺到してくる中、

「虫の餌になりやがれっ!!」

 カヌゥは股間の痛みを堪えながら手下達を置き去りにして遁走。未だ昏倒中だった手下2人は失神したまま蟻共に食い殺されるが、振り返りすらしない。

 

 キラーアントの大群に包囲されながらも、ベルは動じることなく優しい手つきでリリを地面に寝かせ、黒短剣を抜く。

「リリ。少しだけ待ってね。すぐに治療院へ連れて行くから」

 

 ベルは殺人蟻の大群に向き直った。視界の端で悪漢の手下達が今まさに食い殺されている。背後には重傷のリリルカが横たわっている。

 しかし、少年の心に恐怖も怯懦も、不安も焦燥もない。

 

 黒短剣を構え、ベルは戦いの火蓋を切る。

「ファイアボルトッ!!」



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小話4:食糧庫へ続く道。

ちょっと短め。


 城館染みたロキ・ファミリア拠点『黄昏の館』。

 この日、女神ロキの根城に男神ディオニュソスが押しかけていた。

 

 ディオニュソスは端正な顔に真摯な表情をこさえ、ロキへ向けて言葉を並べている。

 ギルドが黒幕であるという推論。この街の安全と平和の鎮護。闇派閥に対する正義執行。そうした内容を熱く篤くロキへ説いていた。

 

 ロキはのらりくらりと相手にしていたものの、内心ではイライラが着々と積み上げられている。

 

 なんやえらい威勢のええこと抜かしとるけど、ギルドの件は単なる条件合致と状況証拠やん。思い込みと大差ないわ。そもそも、ギルドがアスたん達に地下水道を調べさせとったことも知らへんし、情報集めもザル。挙句に薄っぺらい与太話をグダグダグダグダと……

 

 いい加減、忍耐の限界や。そろそろ追い出すか。

 

 ロキが本気でディオニュソスを敷地から叩きだす算段を立て始めたところへ、アイズがダンジョン内から地上へ送った手紙が女神ロキの許に届く。

「――依頼を受けて第24階層に行ってきます心配しないでください、て……あの子はほんま……」

 

 眷属の中で一番お気に入りのアイズ・ヴァレンシュタインは、そのマイペースな振る舞いでしばしばロキに頭を抱えさせている。

 おぉ……もぅ……あの子はほんまに……! つい先日、ヤバいテイマーと因縁こさえたばかりやっちゅうのに……! ちっとは危機感を持てやっ!

 はぁ……周りを振り回す道化の神が眷属(我が子)に振り回されるとか、笑えへん。

 

 ワシワシと赤髪を掻き、ロキは手紙を持ってきたレフィーヤに告げる。

「レフィーヤ。ベートが居るはずやから呼んで来て。それと、ラウル達はおる?」

 

「今は留守にしてます」レフィーヤは首を横に振り「二軍の中核組の皆さんは素材集めに行ってます」

「そっか……」

 渋面をこさえたロキへ、レフィーヤが何気なしに言った。

「あ、でもティオナさんが居ますよ」

 

「え?」ロキは糸目をぱちくり「ティオナが居るん? 昼前に出かけたやろ?」

「ソーマ・ファミリアの騒動絡みで予定が狂ったらしくて、帰ってきてますよ」

「ほなら、ベートとティオナを呼んできて」

「分かりました」

 ぱたぱたと本館へ駆けていくレフィーヤを見送っていると、

 

「ロキ。ウチのフィルヴィスを同行させてくれないか?」

 ディオニュソスが傍らに控える白装束の黒髪エルフ娘を示し、面倒を言い出す。

 

 はぁ? と片眉を上げて訝るロキを余所に、ディオニュソスとフィルヴィスの主従が好き勝手なやり取りを始めた。ロキの信用を勝ち取るために行動を示すとか、これはおまえのためにもなるとか。

 

 唐突に三文芝居を見せられ、ロキはげんなりとした。

 なに勝手に話を進めとんねや。押し売りが信用になるわけ無いやろ。辞書で信用の意味を調べ直してこいアホンダラ、

 そもそも、そのエルフのカワイコちゃん、“死の妖精(バンシー)”やんけ。そないけったいな子ぉ同行させて信用もへったくれもあるか、スカシ顔のボケが。

 

「また地下水道じゃねーだろうな」とぶつくさ言いながら現れるベート。

「なんか面白いこと?」と暢気な調子でやってくるティオナ。

 

「アイズが面倒に巻き込まれとるかもしれへん。三人で応援に行ったって」

 ロキは小さく溜息を吐き、ちらりとディオニュソス主従を窺う。

 

 ……様子を見てみるか。

 高レベル冒険者で修羅場に慣れたベートとティオナなら問題ないだろうという信頼。期待している若手のレフィーヤに経験を積ませたいという親心。

 それに、この件を通じてスカシ野郎やギルドに探りを入れる。

 謀神は対抗謀略を編み始めていた。

 

 ディオニュソスの傍らに立つフィルヴィスを顎で示し、ロキは告げた。

「そこの子も一緒に連れてってな」

 無言で目礼するフィルヴィス。

 

「……陰気くせェ」と舌打ちするベート。

「よろしくねー」と気安く挨拶するティオナ。

 この面子と一緒に? レフィーヤは嫌な予感を覚えた。

 

       ★

 

 山吹色の髪をしたエルフ娘レフィーヤ・ウィリディスは、少々“そっち”の気が強い。

 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインへの接し方は、重たい女の恋愛スタイルだ。

 

 そんなレフィーヤは第24階層を目指す道中、黒髪紅眼のエルフ美少女フィルヴィス・シャリアが華麗な平行詠唱を行う様に、魅せられた。魅せられてしまった。

 

 こうなると、レフィーヤはもう止まらない。

 

 フィルヴィスさん。フィルヴィスさん。フィルヴィスさん。フィルヴィスさん。

 あれやこれやと話しかけ続け、構い続け、幾度も素っ気なくあしらわれても、懲りずめげず交流を試み続ける。

 

「レフィーヤ、浮気~?」とティオナがからかうも、レフィーヤはふんすと鼻息をついて、

「浮気なんかじゃありませんっ! アイズさんはアイズさん! フィルヴィスさんはフィルヴィスさん! どっちも本気ですっ!」

 二股男みたいなことを言い出した。

 

 これにはティオナも困惑。フィルヴィスも無言で引き気味。ベートすら眉間を押さえていた。

 

 そんな中、些細なことでベートがフィルヴィスに触れかけ、

「私に触るなっ!!」

 フィルヴィスがガチで抜刀、ベートを切りつける事態が発生。

 

「……ああ?」と“凶狼”ベート・ローガが鋭い双眸に殺気を宿す。

「ベートに触られたくないのは分かるけどさー」

 軽口を飛ばすティオナも目は笑っていない。日頃、ベートと衝突しがちであるが、“家族”を害されそうな事態を前にすれば、話は別だ。眉目が吊り上がる。

「……今の、本気でベートを斬るつもりだったよね? どういうつもり?」

 

「ま、待ってくださいっ!!」慌ててレフィーヤが仲裁に入り「その、私達エルフは親しい人以外との接触を忌避する文化があって、その」

「その文化とやらで、レフィーヤは仲間が傷つけられることを許すの?」

「そ、そんなことは」

 殺気を放つベートから睨まれ、静かに怒るティオナから詰問され、レフィーヤは弁護の言葉に詰まる。必死に頭を働かせ、働かせ、働かせ、しかし良い知恵は浮かばず……

 

 ぐるぐると思案した末、レフィーヤは叫んだ。やけっぱちに。

「この場は私に預けて下さいっ!! 今後はフィルヴィスさんとやり取りする時は私が間に入りますっ! フィルヴィスさんも私を通してくださいっ! 文句も意見も聞きませんっ!!」

 

 全員が呆気に取られた。

 ち、とベートは舌打ちして殺気を消し「次はねぇぞ」とフィルヴィスを睨んで歩き出す。

「レフィーヤに免じて収めるけど」ティオナもフィルヴィスを見据え「気を付けて」

「……」フィルヴィスは剣を下げ、無言で歩き出す。

 

 なんとか収拾に成功したレフィーヤは、酷く疲弊して大きな溜息を吐いた。

 

       ★

 

 何はともあれ、一行は第18階層(アンダー・リゾート)のローグタウンに到着。

 聞き込みをしてアイズの足取りを辿り、行き先の情報を集める。

 ベートとレフィーヤは顔役ボールスの許へ聞き込みに行き、『第24階層の食糧庫』という情報を得る。同時に、レフィーヤは“死の妖精(バンシー)”についても聞かされた。

 

 フィルヴィス・シャリア。二つ名は”白巫女”。

 闇派閥のオリヴァス・アクトによる罠で、大勢の冒険者が命を落とした“第27階層の悪夢”を唯一生きて帰った者。その後、四度に渡って組んだパーティが全滅し、その度に一人だけ生き残ってきた。周囲が死に絶えるも常に生き延びる妖精族の少女。

 気づけば、呪われた冒険者――“死の妖精”と呼ばれるようになっていたという。

 

 強面とは裏腹に存外人の良いボールスはレフィーヤに忠告する。

「悪いこたぁ言わねえ。あの女にゃあ関わるな」

 レフィーヤは是とも否とも答えられなかった。

 

 で。

 

 ローグタウンの外れにて、ベートはフィルヴィスにきつい言葉を浴びせた後、忌々しげに離れていく。

「気に食わねえ」ベートは忌々しげに吐き捨て「達観面して悲劇の主人公気取りかよ」

 

 やり取りを見守っていたティオナが呆れ顔を向ける。

「ずかずか踏み込んで……ホントにデリカシーがないね」

 

「うるせー、アホゾネス」と悪態を吐くベート。

 ティオナは顔をしかめつつ、フィルヴィスを窺う。

「……心に大きな傷を抱えてるんだろうけど、危なっかしいね」

 

 ティオナは姉ティオネと共に修羅の地で生まれ、暴力と死に満ちた幼少期を過ごした。だからこそ“家族”や“仲間”を殊更大切にしているし、他者を無暗に拒絶したり、傷つけたりしない。

 

「知るか。アホらしい」

 ベートは容赦なく毒づく。

 

 凶狼ベート・ローガも多くを失ってきた。家族。一族。仲間。大事な女。多くの悲劇と惨劇を体験してきた。そのうえで強さを渇望し、弱さを唾棄する生き様を歩んでいる。

 なればこそ、“死の妖精”などと呼ばれることを受け入れ、達観したフィルヴィスが気に入らない。

 

「とりあえず、あの子の扱いはレフィーヤに任せよっか」

 ティオナは大双刃を担ぎ直し、顎で示した。

「レフィーヤも頑張ってるし」

 

「?」釣られてベートが顔を向ければ。

 レフィーヤがフィルヴィスの手を掴み、鼻の先が触れそうなほど迫り、顔を真っ赤にしながら『貴女は穢れてなんていませんっ!』とか『貴女は美しくて優しい人ですっ!』とか『これから貴女の良いところをたくさん見つけますっ!』とか、恥ずかしい言葉を怒涛の勢いで並べていた。

 フィルヴィスもすっかり毒気を抜かれ、それどころか頬を染めている。さながら子犬に懐かれて絆されてしまったように。

 

「……初対面の相手に何やってんだ、あいつ」ベートは引き気味に呻く。

「レフィーヤは凄いねー」

 ティオナはけらけらと笑い、小さく首肯した。

「でもまあ、あの子もほぐれたみたいだし、これで少しは上手くやれそうかな」

 

「付き合いきれねェ」

 ベートはうんざり顔でレフィーヤ達へ声を張る。

「いつまでじゃれてんだ。さっさと行くぞ、バカエルフ共っ!!」

 

        ★

 

 キラーアントの大群を魔法で蹴散らし、ベルが重傷のリリルカを抱きかかえて地上に帰還。治療院へ駆けこんでいた頃。

 エミールもまた動いていた。

 

 フードを目深に被り、目元から首元まで紅色髑髏の面布で覆い、人目に触れぬよう幽霊のようにヘルメス・ファミリアと剣姫アイズ・ヴァレンシュタインの一行を尾行している。

 

 ――あの髑髏野郎。剣姫がいるなんて聞いてないぞ。どういうつもりだ。

 当初は連絡の不備に不満を覚えていたが、じきにそんなことを気にしていられなくなった。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインはどうやら感覚が鋭敏らしい。エミールに気付いた様子はないが、時折周囲をきょろきょろと見回し、小首を傾げている。

 ――えらく勘が効く小娘だな。

 おかげで知覚強化(ダークビジョン)の効果範囲ギリギリで尾行を余儀なくされていた。

 

 一方、ヘルメス・ファミリアの面々は尾行に気付いた様子もなく、おしゃべりを交わしながら第24階層を目指している。剣姫の傍らにいる犬人娘ルルネは口が軽いらしく、度々失言をしては団長の眼鏡美人――アスフィ・アル・アンドロメダに叱責を受けていた。

 

 なお、その失言はエミールにも盗聴されており、エミールのヘルメス・ファミリアに対する警戒心を強めさせていた。

 ……なるほど。オラリオ一胡散臭いファミリアというのは本当のようだ。二、三人絞り上げれば、情報を得られるかもしれないな。

 

 犬人娘は自分の失言がファミリア全体を危険に晒していることを、まだ知らない。

 

        ★

 

 ダンジョン第24階層を目指し、三つの勢力が向かっていく。

 一つはヘルメス・ファミリア+剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン御一行。

 一つはヘルメス・ファミリアを幽霊のように尾行する紅色髑髏。

 一つはレフィーヤ達御一行。

 

 そして、彼らの目指す第24階層の食糧庫では、

「本当に表のモンスターを処理しなくていいのか? 冒険者に嗅ぎつかれたら、第30階層の轍を踏むことになるぞ」

 山羊の髑髏仮面を被った白づくめ男がもっともな指摘をしていた。

 

「かまわん。第30階層と違い、このプラントの種は充分に育っている。面倒になれば、ここは放棄するだけだ」

 赤髪の美女――レヴィスは疎ましげに応じながら果実を齧る。どういうわけか胸元が大きく開いたレオタードっぽい着衣にニーハイブーツを履いている。その恰好は如何なものか……

 

「こちらとしても異論はない」

 新調した継ぎ接ぎマスクと革コートをまとったグリムが応じ、全身甲冑男ヴァスコに水を向けた。

「ヴァスコ。何かあるか?」

 

「ああ……どーでもいいよ、こんなところ……」

 テンションの低い全身甲冑男ヴァスコ。

 顔を覆うアーメット型兜が酷く不格好だった。人目を避けて隠れ住む暮らしでは、貴重なオラスキル王朝時代の兜を満足に直せない。テンション下がるわぁ……

 

「やる気が無いなら失せろ。もしくは死ね」とレヴィスが毒舌を浴びせる。

「ンだとぉ……? お前こそなんだその恰好。淫売に商売替えしたなら、買ってやるよ。おら、さっさとケツを出せ」と言い返す全身甲冑男。

「殺すぞ」「お前こそ殺して犯してやろうか、あ?」

 睨み合うレヴィスと全身甲冑男ヴァスコ。

 

 2人を余所に、継ぎ接ぎマスクのグリムが山羊髑髏男に問う。

「ミスタ・アクト。有事の際、タナトス・ファミリアの者達は使い潰しても良いのか?」

 

「ああ。元より死にたがり共だ」

 山羊髑髏男は大支柱に埋め込まれた“種”をうっとりと見つめる。

「“彼女”のために死ねるのだ。至福の最期だろうよ」

 

 ち、と舌打ちし、レヴィスは立ち去っていく。

 山羊髑髏男はレヴィスの様子に肩を竦め、“種”の傍へ向かった。

 

 継ぎ接ぎマスクのグリムは全身甲冑男ヴァスコへ諸島帝国語で尋ねる。

『本当に食いつくと思うか?』

 

『第30階層の食糧庫と似た状況を整えた。ここを目指してくる地上の連中は“種”があると予想する。当然、第18階層で“種”の奪回に動いたレヴィスが居ることも想定すんだろ』

 ヴァスコは不快そうに顔を歪めた。

『あの忌々しい色黒雌エルフなら、絶対にこの情報を掴んで動く。そして、刻印持ち(マークベアラー)を送り込んでくるさ』

 

『確かに魔女アスラーグ・クラーカなら、あり得る話だな』

『だろう? あのアマなら罠に掛った振りをして確認に来た猟師を食い殺すさ』

 憎々しげに吐き捨てるヴァスコに、グリムは考え込む。

『そこまで確信があるなら、全員で当たるべきか? 刻印持ちの確保は“御方”の復活に関わる。最優先重要事項だ』

 

『それをしたら、奴らといろいろ煩わしいことになる。今は俺らだけで当たった方がいい』

 ヴァスコは山羊髑髏男やタナトス・ファミリアの眷属達を一瞥し、嘲笑う。

『奴らにはまだ踊って貰わないとな』

 

       ★

 

 第24階層の食糧庫周辺はモンスター達が大挙して集結していたが、『モンスター絶対殺すガール』が単独で殲滅してしまった。

「もう、剣姫一人で良いんじゃないかな……」と団員の一人が独りごちた。

 エミールも同感だった。

 

 ともあれ。

 食糧庫内へ入っていくアイズ達を見送り、エミールは近くの藪に円筒型背嚢を降ろして隠す。クロスボウの動作を確認。続いて矢弾を始めとする弾薬や消耗品を確認。よく研いだ折り畳み式小剣を確認。最後に顔を覆う紅色髑髏の面布を付け直し、フードを目深に被った。

 準備完了。エミールは食糧庫へ向けて歩み出す。

 怨敵共が居ることを期待しながら。

 深青色の瞳をぎらつかせて。

 



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28:オラリオ・トライアル:カイジン。

 アスフィ・アル・アルメイダはファミリアの仲間達を率い、食人花の津波を掻き分けながら“食糧庫”を目指して洞窟内を急ぐ。

 

 同道していた剣姫アイズ・ヴァレンシュタインとは緑肉の壁に分断されてしまったが、剣姫はレベル6の実力者。食人花など十重二十重に襲って来ようと問題にはなるまい。

 

 問題は私達の方ですね、とアスフィは表情を強張らせる。

 

 ヘルメス・ファミリアはギルドにレベル詐称しており、団員達は報告しているレベルより高い。しかし、食人花の津波を前にして欠伸を掛けるほど余裕は無かった。

 

 団長アスフィは”万能者”などと大層な二つ名を授かっているものの、その戦い方は自作した魔導具頼り。アスフィ自身の技量は純粋な戦士に劣る。

 団員達も中堅どころが主体。食人花の飽和攻撃が続けば、磨り潰されかねない。

 

 ゆえに、迅速に“食糧庫”へ進入し、目的を達成。速やかな撤退を図るしかなかった。

「こんなタフな仕事とは聞いてなかったよっ!!」「ルルネの口が軽いせいだからねっ!」「帰ったら良い酒奢れよっ!」「高級娼館奢れっ!!」

 団員達がやいのやいのと軽口を飛ばす。

「ごめんってばぁっ!」犬人娘ルルネも喚き返しながら、短剣で触手を切り払う。

 

「無駄口を叩く余裕があるなら、一歩でも早く進みなさいっ!」

 アスフィは団員達へ叱声を張りながらも内心で満足する。予断を許さない状況であるものの、皆、気持ちに余裕がある。

 この調子なら上手くやれそうですね。

 

       ★

 

 ヘルメス・ファミリアから距離を取って洞窟内に侵入し、エミールは無音で進んでいく。髑髏の面布と相成ってさながら幽霊のようだ。

 

 食人花の生き残り達も脇をすり抜けていくエミールに気付かない。

 高度な無音進入技術に加え、認識阻害のボーンチャームも効いているのかもしれない。

 

 剣姫とヘルメス・ファミリアを分断するした緑肉の隔壁を前に、エミールは足を止める。知覚強化(ダークビジョン)で行く手を阻む緑肉の壁を調べた。

 

 ――厚さはそれなり。さほど密度はなく、硬度も高くはない。壊せないこともないが……

 エミールは壁の先から聞こえてくる激しい戦闘騒音を聞きながら、思案する。

 

 この緑肉壁を破壊して突破することは構わないが、食糧庫内へ進入する際に要らぬ注意を集めてしまうし、些か芸がない。

「ふむ……隙間が無いわけでもないようだし……小細工をしてみるか」

 

       ★

 

「信じる者は救われる、か。己らも傍から見れば彼らと同類かな?」

 グリムが自嘲気味に問えば、

「頭と心の弱い連中が利用されてるだけさ」

 一緒にするな、とヴァスコは鼻を鳴らす。

「あんなもん、火に飛び込むバカな虫けらと変わらねえよ」

 

 巨人花の腹に陣取り、高所から戦闘を傍観する継ぎ接ぎマスク男と全身甲冑男。

 2人の眼下では、白ローブで体を包んだタナトス・ファミリアの者達が侵入者達へ向かって突撃し――家族か愛する者か、ともかく誰かの名を叫びながら次々と自爆していた。

 

 天国だか来世だかで愛する人々と再会できると信じる彼らは、火炎石と呼ばれる燃焼性素材を用いた自爆攻撃を、嬉々として遂行していく。

 

 侵入者達は当初こそ彼らの自爆攻撃に面喰い、仲間の一人が重傷を負って慄いていたが、すぐさま立ち直った。躊躇なくタナトスの信徒達を迎撃し始める。

「ほう」グリムは感心し「存外、場慣れしているな」

 

 混戦模様が激しくなっていく。爆炎と爆発音が響き渡り、血肉が飛散し、食人花が踊る。そんな中、短い水色髪の眼鏡女が宙へ飛翔し、爆炸薬を散布して食人花と狂信者達を薙ぎ払う。

 

「おお……飛んだよ」とヴァスコが歪んだアーメット型兜の中で目を細め「あれが“万能者”とやらか」

「聞き覚えがある」グリムは小さく首肯し「高名な魔導具製造者だな」

「恩恵頼りの技術屋だが、作るモノの出来は良い」とヴァスコ。褒めてるんだか貶しているんだか。

 

 空中から急降下し、小剣を構えた“万能者”が山羊髑髏男オリヴァス・アクトへ突撃していく。

「技術者としてはともかく、戦士としてはいまいちだな」

 グリムは小さく肩を竦めた。頭上からの高速奇襲。それ自体は悪くない発想だが……如何せん遅いし、動きが大きく読み易い。高位冒険者には通じないだろう。

 

 案の定、“万能者”の突撃はオリヴァス・アクトに容易く受け止められ、突撃の余勢のまま地面へ叩きつけられた。激痛に喘ぎながら“万能者”が身を起こしたところへ、オリヴァス・アクトが奪い取った小剣で万能者の胴を貫き、抉る。

 

 肝臓辺りを貫いたようだ。常人なら一分と経たず死に至る致命傷であるが、高位恩恵者は身体能力が高いため、死に至るまでもう少し掛かるだろう。

 

「? なぜ即死させない? やれただろ」と首を傾げるグリム。

「さあ? 何か考えがあるんだろ」と頭を振るヴァスコ。

 

“万能者”の仲間――短髪のヒューマン青年が必死に救出を試み、自らが犠牲になる代わりに“万能者”を救出成功。小人族の魔法使いが大急ぎで万能者を治療していく。

 

「「ぇえ……」」

 2人は思わず慨嘆をこぼす。

 

 団長の“万能者”をさっさと始末しておけば、頭を喪った団員達を容易く片付けられただろうに。今や傷ついた団長を守るべく、団員達は意思統一されて堅固な防御態勢を整えている。

 

「しかし、刻印持ち(マークベアラー)が現れねえな……読みが外れたか?」

 ヴァスコが何気なく食糧庫内を見回した直後。

 

 出入り口を塞いでいた緑肉壁が吹き飛び、

「来たかっ?」

 読みが当たったとヴァスコが喜色を浮かべると同時に、

 

「おらぁあああああああああああああああああっ!!」

 猛々しい雄叫びが食糧庫内に響き渡り、飛び込んできた銀灰色の狼人がオリヴァス・アクトを蹴り飛ばし、

 

「やぁああああああああああああああああああっ!!」

 同じく飛び込んできた褐色肌の美少女が馬鹿でかい双刃剣を振るい、ヘルメス・ファミリアを取り囲んでいた食人花を一掃した。

 

 続いて山吹色髪と黒髪紅眼のエルフ少女達が姿を見せるが……

 お目当ての男はいない。

 

「……予定していた相手と違うな」とグリムが溜息を吐いた。

 ヴァスコは思わず新しき言葉で罵声を上げる。

「ファ――――――――――――――――――――――ック!!」

 

          ★

 

「ファ――――――――――――――――――――――ック!!」

 

 食糧庫内に聞き慣れない言葉の怒号が響き渡り、誰もが(食人花までもが)動きを止め、大主柱に巻き付いた巨人花を見上げる。

 全員の視線の先で、全身甲冑男が身振り手振りをしながら憤慨していた。

「お前らはお呼びじゃねえよっ! 帰れっ!! いや、待てっ!? 見覚えがあるぞっ! テメェ、蛮族の小娘っ! よくも俺の兜を壊しやがったなっ!!」

 

「はあっ!? あたし、そんなことしてないよっ!」と怒鳴り返すティオナ。

「白を切るんじゃ……ん? 髪型変えた? それに……どうした? 随分と萎んでるぞ?」

 怪訝そうにティオナを注視する全身甲冑男。

 

「誰が萎み乳だ―――――――――――――――――――っ!!!」

 ティオナは激怒した。必ず、かの厚顔無恥な悪漢を倒さねばならぬと決意した。ティオナにはこの場の事情は分からぬ。けれども己の平坦な乳に対する侮辱には人一倍、敏感であった。

「ぶっ倒すっ!!」

 

「上等だ、蛮族の小娘がっ! あの雌エルフは居ねえようだが、容赦しねえぞっ!」

「……孫のような歳の少女相手に恥ずかしい奴だ」

 隣の継ぎ接ぎマスク男が呆れ気味に嘆きながらベート達が突入してきた緑肉壁の穴を窺い、その近くに転がる鼠達の死骸が目に留まった。

 

 ――鼠? こんなところに?

 ハッとしたように腰から骨と茨の剣を抜き、叫ぶ。

「ヴァスコッ! 奴はもう来ているぞっ!!」

 

「ああっ!?」

 全身甲冑男が煩わしげに応じ、直後。

 2人の眼前の空中に突如として人影が生じた。

 

「え」

 何処からともなく突然、宙に人影が現れ、ティオナ達もヘルメス・ファミリアも山羊髑髏男も食人花も呆気に取られる中、影が小剣を振り下ろす。咄嗟に継ぎ接ぎマスク男と全身甲冑男の2人が飛び退き、

 

 どがん。

 

 落雷のような轟音が食糧庫内に響き渡り、2人が居た巨人花の胴体が両断された。

 

        ★

 

 破壊されて崩れ落ちていく巨人花。されど狙った2人の魔人は宙へ逃れている。

 アビリティ『飢血(ブラッドサースト)』を用いた破壊的一撃をかわされ、エミールは舌打ちしながら余勢で大主柱を足場に跳躍。無言のまま落下中の継ぎ接ぎマスクへ斬りかかる。

 

「再会を歓迎するぞ、刻印持ち(マークベアラー)っ!! 此度こそ聖約を果たさせてもらおうっ!!」

 継ぎ接ぎマスクは声に喜色を込めてエミールの斬撃を掻い潜り、その返しに回し蹴りを放つ。

 

 エミールは回し蹴りを折り畳み式小剣の腹で受け止める、も、空中では踏ん張りがきかず、そのまま蹴り落とされていく。が、ただでは落ちない。左脇に下げていたクロスボウを速射。

 

「小癪っ!!」

 継ぎ接ぎマスクは巧みに偏差を付けられた矢弾を斬り払いながら着地。と、既にエミールが虚無の手(ファーリーチ)を用いて急迫していた。

「ちぃっ!」

 

 剣閃の衝突を皮切りに激しい剣戟が始まる。

 二合。三合。四合。鋼と鋼の交錯に閃光が踊り、火花が舞う。繰り出される斬撃の合間に四肢による打撃が混じる。互いの拳が相手を捉え、双方の間合いが一瞬遠のく。と、即座にエミールがクロスボウを、継ぎ接ぎマスク男がリストボウを放つ。

 リストボウの矢弾がエミールのフードを千切り飛ばし、クロスボウの矢弾が継ぎ接ぎマスク男の革コートの裾を大きく裂いた。

 

 鮮烈な戦いぶりに、食糧庫内の誰もが思わず目を奪われる。

 

 エミールがわずかに体勢を崩した瞬間、継ぎ接ぎマスク男が一気に肉薄して骨と茨の剣を袈裟に振るう。

 小剣の柄頭で迫る刃を弾き、エミールは身を捩じりながら継ぎ接ぎマスク男の側頭部へ上段蹴り。

 

 吹っ飛ばされた継ぎ接ぎマスク男は空中でくるりと身を捻って、危なげなく着地。楽しげに首を揉む。

「やるな。先の一戦より随分とキレが良い」

 

 距離が開いたことで、エミールは一旦攻勢を止めた。折り畳み式小剣をくるりと逆手に持ち変え、剣を握ったままパウチから矢弾を抜いてクロスボウのボルトトラックへ給弾していく。

 

 そんなエミールの姿を目の当たりにしたアスフィ・アル・アルメイダが唖然として呟いた。

「髑髏の覆面に、折り畳み式小剣、クロスボウ……まさか貴方は髑髏の異能者、なのですか?」

 

 アスフィの言葉に冒険者達が息を呑み、無言で矢弾の装填作業を続ける男を凝視した。

 髑髏の異能者。迷宮都市の暗黒期において、正邪を問わず冒険者達を殺傷し続けた凶人。五年前以来、姿を見せず、生死が定かでなかったが……

 

 認識阻害のボーンチャームが効いているため、誰もエミールの容姿を精確に捉えられない。茫洋とした姿の中で、目元から首元まで覆う紅色髑髏だけが鮮明に見えていた。

 

「お前らのことなどどうでも良い」

 矢弾の装填作業を終え、エミールは温もりが欠片もない声で告げた。

「そっちはそっちで勝手に遊んでいろ」

 

「ンだとゴルァッ!」と凶狼が眉目を吊り上げる。

「敵じゃないならそれでいーじゃん。あっちの三人が敵ってことでしょ」

 ティオナは三人――被り物をしている男達を睨み、先ほどの鬱憤を晴らすように罵倒する。

「揃いも揃って変な恰好しちゃってさっ! バカみたいっ!」

 

「なんだとっ! オラスキル王朝時代の一点物だぞっ!!」と喚く全身甲冑男。

「変な恰好……そんなことはない。そんなことはないはずだ」と呟く継ぎ接ぎマスク。

 

 2人と違い、山羊髑髏男は反応もしない。代わりに辟易とした調子で吐き捨てる。

「まったく煩わしい……ここは“彼女”のために用意した大事なプラントだというのに、どいつもこいつも土足で踏み込み、騒ぎ立てる」

 

「どういうことですっ!? 貴方達はいったい何者なのですっ!! ここで何をしているのですかっ!」

 アスフィが情報引き出そうと問い質し、山羊髑髏男はあっさり引っかかった。

「ここで何を、だと? 決まっているっ! オラリオを滅ぼすために食人花を量産しているのだよっ! 全ては“彼女”のためっ! 空を欲し、空を求める“彼女”のためっ! そう、“彼女”の願いを叶えるためにっ! 私に永遠を与えてくれた“彼女”のためにっ!」

 

 陶酔気味に語り、男は山羊髑髏の仮面を投げ捨て、白ローブを脱ぎ捨てる。

 やけに色白な筋骨たくましい長身。白い長髪の精悍な顔立ち。鋭い双眸の瞳はどこか爬虫類を思わせた。

 

 余計な真似を、と全身甲冑男が目元を覆う。同時に、アスフィが唖然と呻く。

「あ、貴方は……闇派閥のオリヴァス・アクト。27階層の悪夢で死んだはずっ!」

 

「オリヴァス、アクト……ッ!」とフィルヴィスが端正な顔を憎悪に歪め、怨嗟を漏らす。

 

「そうっ! 私はあの時、確かに死んだっ! だが、私は蘇ったっ! “彼女”によって永遠を与えられたのだっ!」

 オリヴァス・アクトは胸元に生える魔石を晒し、恍惚として言葉を並べていく。

「私は彼女に選ばれたのだっ! 神などという虚飾に塗れた愚物共ではなく、彼女から真の恩恵を、恩寵を賜ったのだっ! 他ならぬ彼女にっ! ゆえに私は彼女の願いを叶えるっ! 私だけが彼女の願いを叶えられるっ! オラリオを滅ぼし、彼女のために空をっ! 彼女のっ! 彼女のっ!」

 

「オリヴァス・アクトッ!!」

 垂れ流されるオリヴァス・アクトの狂気を妨げるように、

「あれだけのことをしておいてのうのうと……貴様だけは絶対に許さんっ!!」

”27階層の悪夢”の生存者フィルヴィス・シャリアが鋭い怒声を張り、

「一掃せよ、破邪の聖杖っ! ディオ・テュルソスッ!!」

 素早く短杖を構え、短文詠唱の雷撃魔法を放つ。

 

「そのようなか弱い児戯などっ!!」

 も、オリヴァス・アクトは素手で雷閃を容易く撥ね退けて嘲笑い、逞しい両腕を広げて朗々と叫ぶ。

「食人花、巨人花ッ! 掃除の時間だっ! 片付けろっ!!」

 

 蛇モドキのような食人花が津波となって襲いかかり、大樹の如き巨人花が雪崩となって押し寄せる。

 

「あの2人は俺の獲物だ。邪魔をすればお前達も排除する」

 エミールは冒険者達へ吐き捨てて、迷うことなく食人花の津波へ向かって駆けていく。

 

「抜かしやがれっ! テメェこそこっちの邪魔をしたらぶっ潰してやるっ!」

 凶狼ベートがエミールを睨みつけながらオリヴァス・アクトへ向き直る。

「あの白髪頭は俺がやる。アホゾネスッ!」

 

「分かってるよ、バカ狼ッ!」ティオナはレフィーヤへ顔を向け「レフィーヤッ! あたしが援護するから、広域攻撃魔法をっ! 急いでっ!」

「は、はいっ!!」

 レフィーヤは緊張と役割の重圧に身を震わせながら、杖を構えた。

 

 アスフィも首肯し、団員達へ叫ぶ。

「私達も彼女を援護しますっ!! 防御陣を組みなさいっ!!」

 

 斯くて戦いの第二幕が開く。

 

      ★

 

 ティオナは内心で舌打ちする。

 剣姫アイズや凶狼ベートほどではないにしろ、強さへの希求と強者の渇望は大きい。戦闘民族が持つ生来の性だ。

 それだけに、ティオナは大双刃を振るい、雑魚――食人花の大群を撫で斬りにしながら舌打ちする。

 

 妬ましさで。

 

 怪人オリヴァス・アクトと近接格闘戦を交わすベートが妬ましい。

 気に入らない奴ではあるが、ベートはロキ・ファミリア屈指の速さを持つ一流の戦士だ。

 

 にもかかわらず、対するオリヴァス・アクトは激しく躍動するベートに容易く追従し、ベートの繰り出す旋風のような打撃を苦も無く捌いている。

 強い。紛うことなき強者。疑う余地無き強敵。

 ――戦ってみたい。剣を交え、拳を交わしたい。

 

 視線を巡らした先では、顔を覆う三人が壮絶な剣閃を交えていた。

 紅色髑髏と継ぎ接ぎマスクと全身甲冑男が、広大な食糧庫内を所狭しと高速機動戦を繰り広げている。幼少より戦闘を積み重ねてきたティオナをして、目を奪われるほど鮮烈で熾烈な戦い。

 

 継ぎ接ぎマスクの剣の冴え、動きの妙。全身甲冑男の狡猾な技、狡知な術。

 2人とも奇怪なナリとは裏腹に不可解なほど強く、ティオナの戦闘衝動を強く刺激する。

 

 が、紅色髑髏はそんな視界に映る戦士達を凌駕していた。

 紅色髑髏は2人の精強な戦士を相手にしながら押している。一切の無駄がない洗練された剣捌きと身のこなし。剣による攻防の最中に、手足の打撃とクロスボウの射撃、アイテムの使用を混ぜる柔軟な戦術。加えて空間を飛び越えているような瞬間移動や高速運動。

 

 恩恵頼りの連中とは一線を画す、鍛錬と経験で練磨された業と技。

 戦いたい。あの紅色髑髏と戦いたい。あの力、あの技、あの強さ、戦って全てを味わいたい。

 

 より強くあらんとする戦闘民族の欲求。より強き胤を得たいというアマゾネスの本能。

 ティオナは荒れ狂う怪物達を眼前にしながら、意識を惹かれてしまう。

 

 

 

 フィルヴィスは歯噛みする。

“呪われた身”になった元凶を前にしながら、緑の怪物群に阻まれて近づくことさえ出来ない。凶狼と激しい打撃を交わす仇敵を睥睨することしか出来ない。この手で復讐を果たすことが出来ない。この手で恨みを晴らすことが出来ない。

 我が身の弱さがただただ悔しい。

 

 歯噛みするフィルヴィスを嘲笑うように、食人花の津波と巨人花の雪崩がじりじりと冒険者達を追い詰めていく。“大切断”ティオナ・ヒュリテの剛剣が無ければ既に全滅していたかもしれない。

“27階層の悪夢”の時のように、その後に四度のパーティが壊滅した時のように。

 

 ふと脳裏に、それでもいいかもしれない、と諦念の声が響く。今度こそ自分一人が生き残ることはあるまい。周囲から仲間を見捨てて生き延びた、見殺しにして生き残った、と誹謗されることもなくなろう。死を呼ぶ妖精がついに自身も死に捕まり、呪いから解放されるのだ。

 

「しま――っ! レフィーヤ、避けてっ!」

 食人花の飽和攻撃がついに大切断の対応限界を突破し、その顎を山吹色髪のエルフ少女へ剥いた。

 

 フィルヴィスの紅眼がレフィーヤの横顔を捉える。出会ってから一日と経っていないにも関わらず自分と友になりたいと言ってきた、人懐っこいんだか図太いんだか分からない同族。

 ただし、その必死で真摯で真剣な眼差しと言葉が擦り減った自分の心に届いたことは、事実だ。その笑顔が久しく忘れていた人との交流の温もりを思い出させてくれたことも、事実だ。

 死の妖精などと呼ばれ、ファミリアの仲間達からすら嫌厭され、忌避される自分に手を差し伸べてくれた―――

 

「盾となれ、破邪の聖杖っ! ディオ・グレイルッ!」

 フィルヴィスは短文詠唱式を平行詠唱ながらレフィーヤの前に飛び込み、円形の魔法障壁を展開。食人花を弾き飛ばす。

 

「フィルヴィスさんっ!」とレフィーヤが驚愕と歓喜を混ぜた表情を浮かべ、

「助かったよっ!! そのままレフィーヤをお願いっ!」とティオナが安堵と感謝の微笑を向けてきた。

 

「――ああ」フィルヴィスは胸に熱いものを覚えながら「ウィリディスは私が必ず護るっ!!」

 




本作では特に説明がない場合、刀身長は以下の通り。
大剣/両手剣>直剣/片手剣>小剣>短剣>ナイフ。


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28+:トライアル・リザルト

 継ぎ接ぎマスク男の放った爆裂ボルトがエミールの背後にあった岩を捉え、爆発。飛礫の散弾が迫る。

 エミールは虚無の手(ファーリーチ)で緊急回避。

「そーぉくると思ったぜっ!」

 が、その先には全身甲冑男が操る食人花の群れ。蛇モドキ共がエミールを包み囲み、そのまま押し潰さんと包囲を一気に縮める。

「捕らえたぜ!!」

 

 包囲は高密度で脱出を許す隙間はない。食人花を剣戟や爆発物で払えば、その一動作の隙をついて継ぎ接ぎマスク男が仕留めに掛かろう。ならば――

「Go hayes」

 

 エミールは食人花の一体に憑依(ポゼッション)して包囲から即座に脱出し、

「は?」

 唖然とする全身甲冑男へ肉薄。折り畳み式小剣を袈裟に振るう。

 

「くっ」咄嗟に反応して袈裟切りを防ぐも、体勢を崩す全身甲冑男。“狙い通り”に崩したところへ、エミールは左の掌底打を甲冑男の胸元へ打ち込み、同時に虚無の技を放つ。

「Hara Karghris」

 

「ぎぃにゃぁぁあああああああああああああああああああああっ!?」

 甲冑内へ直接、破壊的衝撃波を叩きこまれ、全身甲冑男は吹き飛んでいった。

 

「見事っ! だが――獲ったっ!」

 継ぎ接ぎマスク男がエミールを間合いに捉えていた。エミールはどうあがいても一手間に合わない。

 

 しかし、この戦場は先に戦った時と違い、一対一の決闘ではなく乱戦。

 

「おらぁあああああっ!」「うぉおおおおおおっ!」

 凶狼ベートとオリヴァス・アクトもまた激しい機動格闘戦を行っており、ここに二組の戦いが交錯する。

 

「な――」

「邪魔だボケがあっ!!」

 ベートは突然の横入りに困惑している継ぎ接ぎマスク男を、容赦なく全力で蹴り飛ばした。

 

「ぉおっ!?」

「邪魔をするなっ!!」

 エミールは混乱気味のオリヴァス・アクトを思いっきり殴り飛ばした。

 

 そこへ、レフィーヤが魔法を編み上げる。

 自身の扱う広域攻撃魔法ではなく、”九魔姫”が使う広域殲滅魔法を。

 他者の魔法を使うためのレア魔法『エルフ・リング』を踏まえるために長々文詠唱となってしまう。しかし、”九魔姫”の広域殲滅魔法はデメリットを補って余りある。

 

「我が名はアールヴ……レア・ラーヴァテインッ!!」

 神々から“千の妖精”と二つ名を授かった天才少女が、食糧庫内に炎獄を生み出した。

 

       ★

 

 幾本もの炎柱が暴れ回り、凶悪な炎熱嵐が吹き荒れる。

 食人花や巨人花が瞬く間に食らい尽くされ、タナトス・ファミリアの骸が灰に還っていく。炎熱に焼かれた壁や天井から瓦礫が剥離崩落し始める。凄まじい熱気は効力圏外でも肌に痛みを覚えるほどだ。

 

 カタストロフィ的光景を前に、アスフィが慄然と呟いた。

「凄い……」

 

「クソが。巻き込まれるところだったぞ」

 防御陣へ戻ってきたベートが、少しばかり焦げたジャケットを弄りながら舌打ち。

 

「す、すいま」慌てて詫びようとするレフィーヤへ、

「だが……よくやった、ノロマ」

 ベートはそっぽを向いて素っ気なく告げる。

 

 予期せぬ褒め言葉を受けてレフィーヤが茫然とする中、ティオナが油断なく尋ねた。

「仕留めた?」

 

「……分からねえ」

 ベートも油断なく炎獄を睨む。周囲に紅色髑髏の姿はない。オリヴァス・アクト他2人の怪人も姿が見えない。だが、予感はある。あの業火の中にあっても奴らなら死んでいない、と。

 

 

 そして、食らうものを失くした魔力の炎が消散していく。

 

 

 がごん、と豪快な破砕音が響き、誰もが身を固くすると、

「はた迷惑な魔法を撃ちやがって……」

 煤塗れの紅色髑髏が瓦礫の中から姿を現し、続いて――

 

「こんなバカな……彼女に祝福された私が……っ!」

 オリヴァス・アクトは健在だった。

 左腕が焼失し、左顔や左半身に酷い熱傷痕が刻まれていた。どうやら損傷が激しすぎて肉体再生が機能不全に陥っているらしい。だが、確かに生きている。

 

「斯くも歳若い少女がこのような大魔法の使い手だったとは……」

 焼け焦げた革コートを脱ぎ捨てる継ぎ接ぎマスク男。

 首から下げたゴルゲットや全身に巻き付けたボーンチャームが露わになっているが、オリヴァス・アクトと違い、目立った外傷はない。

 

 そして、

「ふっざけんんなあああああああああああああああっ!」

 血と熱傷痕だらけのヒューマン初老男が怒号を上げていた。

 全身甲冑は腰回りと手足の部分しか残っておらず、素肌を晒す胸部は焼け焦げ、鎖骨部分が大きく歪み、数本の肋骨が肌を突き破って露出している。ツタ状の痣が走る精悍な顔立ちも火傷と骨折で酷く損壊している。顔や上半身だけでなく腰や手足の甲冑の隙間からダバダバと血が流れ落ちていく。

 

 常人なら死んでいるべき重傷。しかし、ヒューマン男は平然と憤懣をぶつけるように地団太を踏んでいた。

「オラスキル王朝時代の一点物がパーだっ! どうしてくれるんだっ! 二度と手に入らねえんだぞっ!!」

 

 イカレてる。

 戯言を繰り返してきたこの男が恐ろしい狂人であることに、冒険者達はようやく気付く。致命的な重傷を負っているにもかかわらず、甲冑を破壊されたことに激怒している。イカレてるとしか言いようがない。

 

「腐れ刻印持ちはともかく……おいぃ、そこのぉっ! 雌ガキエルフぇお前ぇっ!!」

「ひっ!?」

 初老の狂人に第二関節から先がない右手人差し指を向けられ、レフィーヤが思わず後ずさり、フィルヴィスが庇うように前へ出た。

 

「雌エルフ雌エルフ雌エルフ……雌エルフっ!! あの色黒雌エルフにこの間の雌エルフっ! 今度は雌ガキエルフッ!! どいつもこいつも雌エルフは俺を舐め腐りやがってっ!!」

 意味不明の恨み言を並べ、

「グリム、ヴァスコ。撤退だ……私は彼女のためにこんなところで」

 ふらふらと歩み寄ってきたオリヴァス・アクトへ、腰のパウチから取り出した複数本の薬剤瓶を突き刺した。

 

「ぐあああっ!? な、何を―――」

「うるせえ、混ざり物がっ!」

 初老の狂人は驚愕するオリヴァス・アクトの口へさらに薬剤瓶を押し込んだ。

「化物は化物らしく化物になりやがれっ!!」

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 悲鳴を上げて崩れ落ちたオリヴァス・アクトが変化し始める。全身の皮膚が裂け、食人花の触手みたいな蔓が体を覆い、体躯を膨張させ、肥大化させていく。

 

 そのおぞましい光景に冒険者達が恐れ慄く中、オリヴァス・アクトだったものが身を起こす。

 さながらトロールの如き巨躯は異様なほど筋肉が発達していた。両腕の長さが左右非対称で右腕は破城鎚のように太く長く、短い左腕は鱗に覆われている。極太の首に座る頭にはわずかな白髪が残っており、その顔はもはや人間というより地獄の悪鬼だ。

 

 階層主との戦闘経験がある者達は直感的に悟る。

 巨鬼と化したオリヴァス・アクトがどれほど危険な怪物に成り果てたかを。

 

「勝手な真似を……っ!」

 隣で目を覆うグリムという継ぎ接ぎマスクを無視し、

「征けオリヴァス・アクトッ!」

 ヴァスコと呼ばれた狂人が凶相を湛えて叫ぶ。

「皆殺しだっ!!」

 

 惨劇の幕が開く。

 

         ★

 

 巨鬼と化したオリヴァス・アクトは正しく怪物だった。

「! こいつは――っ!?」

 凶狼ベート・ローガの全力回し蹴りを叩きこまれても身じろぎ一つせず、

「かったいっ!?」

 大切断ティオナ・ヒリュテの剛剣を浴びせても斬り裂けない。

 

 エミールも巨鬼オリヴァス・アクトの危険性を感じ取ってベート達との共闘を試みるが、

「貴様の相手はこちらだろうっ!」

 横合いから継ぎ接ぎマスク男グリムが襲いかかり、足止めされる。

 

 怪獣染みた雄叫びを上げながら、巨鬼は右の巨拳でティオナを殴り飛ばし、

「ぎゃんっ!?」

 

「! アホゾネ」

 気が逸れたベートを短い左腕の鱗状体皮の斉射で射抜いた。

「ぐぁあああっ!?」

 

 最大の障害たるレベル5冒険者2人を排除し、巨鬼は防御陣形を組んでいた冒険者達へ襲い掛かる。

 

 最初の犠牲者は勇敢にも正面から立ち向かった女ドワーフのエリリー。右の巨拳を浴びて全身を破砕骨折し、壁に叩きつけられた。半ば潰れた彼女の骸は目を閉じていなかった。

 

 次の犠牲者は獣人男性のホセ。巨鬼の進撃を阻もうと足の腱を狙い、横合いから双剣を振るうも、逆に双剣が折れる始末。唖然としたところへ右の打ち下ろしを浴び、上半身が千切れ飛んだ。彼の頭蓋は原形を留めていない。

 

 2人の犠牲で稼がれた時間を用い、フィルヴィスの魔法障壁を展開。巨鬼の進撃をなんとか留める。

 

 その間隙を突き、アスフィが爆炸薬を投げつけ、レフィーヤと小人族魔法使いメリルが攻撃魔法を、犬人娘ルルネが魔剣で火炎を放つ。彼女達の援護の下、前衛組が決死の吶喊を試みた。

 

 しかし……

 魔法も爆炸薬も魔剣の炎も、巨鬼を傷つけるどころか怯ませることすら敵わない。そして、前衛組は巨鬼の反撃に晒された。

 

 ゴメスは巨拳のアッパーカットに捉えられた。彼の肉塊と肉片が食糧庫内にばら撒かれる。

 ポットとポックの小人族姉弟は鱗弾の弾幕に呑まれた。“勇者”に憧れていた小人族の少年と弟想いの姉は揃って命を失い、並んで骸を晒す。

 鱗弾に腹を貫かれた獣人女性タバサがこぼれそうなハラワタを押さえながら、泣き叫ぶ。

 仲間を庇った荷物持ちのドドンは巨拳がかすめた衝撃で腰を砕かれ、激痛にもがく。

 巨拳で砕かれた岩床の飛礫を浴び、血達磨になったエルフ女性スィーシアをエルフ青年セインが引きずって後退する。

 

 一方的に蹂躙される絶望的状況に思考が追いつかず、次々と仲間が死傷していく惨劇的光景に思考が痺れ、アスフィは指示も命令も出せない。

 そんなアスフィを嘲笑うように巨鬼が迫り、その拳を振り下ろ

 

「させっかクソがあっ!!」

 

 血塗れのベートが側背から飛び込む。所有している魔剣が壊れるほど魔力を吸わせたメタルブーツ(フロスヴィルト)で、巨鬼の顔面を蹴り飛ばした。

 魔力による特性強化を相乗した一撃は巨鬼の顔面を陥没させ、右目を圧潰、前歯もまとめてへし折り、顎の上下を割り砕く。

 

 そして、血塗れのティオナが大双刃をガリガリと引きずりながら、ゆらりと現れる。

 

 巨拳を浴びたティオナは傍目にも瀕死状態だった。

 殴り飛ばされる際に大双刃を盾にしたものの、レベル5冒険者の超人的肉体は酷く傷ついていた。

 左腕は歪み曲がり、折れた橈骨が肌から飛び出している。体内を突き抜けた衝撃により、左肋骨のいくつかが折れ、肺や臓器を傷つけていた。微細血管が破裂した左目は真っ赤に染まり、血の涙が流れ続けている。破けた肺から血が逆流、咳き込むと同時に鼻腔と口から鮮血が溢れ出た。

 

「ティオナさんっ!?」

 レフィーヤが悲鳴を上げる中、

「やっ……た、なぁあ~……ああっ!」

 瀕死のティオナ・ヒュリテが猛る。

 

 スキル『狂化招乱』と『大熱闘』が発動。全ステータス値が爆発的に向上し、レベル上限に達した。本来なら意識を保つことも不可能な重傷にもかかわらず、ティオナの生命活動はスキルによって保持され、それどころか戦闘可能な状態に持ち直す。

 

「いっくぞおおおおおおおおおおおおっ!!」

 まるでネコ科の肉食獣のように、顔面が破壊された巨鬼へ飛び掛かり、全身のバネを捩じりながら大双刃を振り下ろす。

 

 本能的な行動だろう。巨鬼オリヴァス・アクトはティオナの一撃を受け止めようと右腕を掲げ、

 

 どがん。

 

 それは斬撃というより、大双刃の接触点を爆心地にした破壊現象だった。

 弾けるように千切れ飛ぶ巨鬼の右腕。衝撃でのけ反る怪物へ、ティオナが更なる一撃を見舞う。

 大叫喚を上げながら、巨鬼オリヴァス・アクトは左腕の鱗弾で迎撃。

 

 ティオナは小麦色の肢体を猫のように捻って鱗弾の弾幕を潜り抜け、

「くっらえええええええええええっ!!!」

 破滅の一撃がオリヴァス・アクトの胴体へ叩き込んだ。

 

 食糧庫が震えるほどの破壊音がつんざき、巨鬼の胴体が爆ぜ砕ける様は戦神の鎚が振るわれたが如し。

 巨鬼オリヴァス・アクトの上半身が千切れ飛び、血肉をまき散らしながら大主柱へ激突した。

 

 圧倒的攻撃に誰もが唖然茫然。

「でたらめだ」「なんとまぁ……」

 エミールとグリムすら思わず戦いを止めて感嘆を漏らし、

 

「――はあ?」

 ヴァスコは目を点にしていた。

 

         ★

 

 レヴィスが剣姫アイズと戦いながら食糧庫内へ登場した時、食糧庫内は惨憺たる有様だった。

 

 食糧庫内は高熱で焼けたらしく煤だらけ。食人花も巨人花もタナトス・ファミリアの妄信者達も文字通り全滅。オリヴァスの姿はなく、大主柱の許には見覚えのない巨人の残骸が転がっている。狂人共の一人はズタボロで呆けており、もう一人は件の虚無歩き(ヴォイドウォーカー)とチャンバラを繰り広げていた。

 

 そして、侵入者らしい冒険者達は少なくない死傷者を出しながらも、未だ戦意に満ちた目でこちらを睨んでいる。

 

「どういう状況だこれは」

 もっともな疑問であった。

 

「おお、ミズ・レヴィス。無事で何より」

 虚無歩き(ヴォイドウォーカー)から距離を採った妄信者の一人グリムが困った様子で後頭部を掻く。

「なんというか、侵入者と戦闘があってな。双方に多くの犠牲を出している」

 

「オリヴァスはどこだ? やられたのか?」

 舌打ちし、レヴィスが問えば、グリムが今にも息絶えそうな巨人の化物を指さした。

「あれがミスタ・アクトだ」

 

「は?」レヴィスは眼を瞬かせる。何がどうしてオリヴァスが巨人の化物になったのか、全く想像できない。

 

「ヴァスコが――」とグリムが説明しようとするも、レヴィスは狂人の名前を出された時点で聞く気が失せた。

「聞きたくない。黙っていろ」

 レヴィスはちらりとアイズを窺う。

 アイズの方も冒険者達と合流し、簡潔な説明を受けて……困惑し、混乱していた。

 

「レベル6、か。アリアと戦うには力が足りない」

 レヴィスは大主柱の許へ向かい、「レ……ヴぃ、すぅ」と助けを求める巨人の胸元に容赦なく手刀を突き立て、魔石を抉り取る。

 灰となって崩壊していく巨人の骸を歯牙にもかけず、レヴィスは取り出した魔石を嚥下。

「……まだ足りんか」

 再び舌打ちし、グリムへ告げる。忌々しげにヴァスコを睨みながら。

「撤退する。死にたくなければ、あの呆けているバカを連れてこい」

 

「良いのかね? アリアを確保しなくて」

「今は無理だ。力が足りん」

 グリムの問いへ蹴り飛ばすように応じ、レヴィスは大主柱にはめ込まれた“種”を引っこ抜いた。

「ここでの茶番は終いだ」

 

 瞬間、大主柱に亀裂が入り、食糧庫全体の崩壊が始まる。

 

「! 皆、撤退をっ! 早く外へっ!」

「ア、アスフィッ! “皆”はっ?」ルルネが泣き顔で言った。

 キークス、エリリー、ゴメス、ホセ、ポットとポック。6人の亡骸。

 

「……負傷者だけで手いっぱいですっ! 彼らは……連れて帰れませんっ! ルルネッ! 行きなさいっ! 早くっ!!」

 ルルネが涙をこぼしながら駆けだしたことを確認し、

「ごめんなさい……」

 アスフィは連れて帰れない団員達へ深く詫びながら、出口へ向かって駆けだした。ロキ・ファミリアの面々も脱出を始める。ベートがすっごい不満顔で重傷のティオナ(こっちもすっごい不満顔)を背負っていく。レフィーヤとフィルヴィスも出口を目指してひた走る。

 

 崩落が激しくなり、冒険者達の撤退が進む中――復讐狂いがグリムへ襲い掛かった。

 

 天井や壁から岩石や瓦礫が降り注ぐ中で、激しい剣戟が重ねられ、崩落の粉塵に閃光と火花が混じる。

「この状況でも、かっ! 貴様もよくよくネジが外れているなっ! 刻印持ち(マークベアラー)っ!!」

 冷笑するグリムに対し、エミールは無言で剣を振るい続ける。

 

 怨敵の抹殺を諦めない。報復の完遂を図り、復讐の刃を収めない。

 殺す。必ず殺す。絶対に殺す。

 

 巨鬼を豪快に倒され、悄然としていたヴァスコが八つ当たり気味に戦いへ加わった。

「俺を無視するんじゃねえっ!!」

 が、重傷のためか明らかに動きが鈍い。

 

「よせ、ヴァスコッ! お前は先に退けっ!!」

 グリムが忠告をするが、間に合わない。

 

 エミールはヴァスコの剣を掻い潜り、足元を薙ぐように剣を振り抜く。

『飢血』による一撃は、ヴァスコの両膝から先を吹き飛ばすように、破砕した。

 

「ひっぎぃいゃあああああああああああああああっ!?」

 両足を失って転げ回るヴァスコ。

 その首を刈り取らんと迫るエミール。

 

「言わんこっちゃないっ!」

 グリムは毒づき、意を決する。マスクから覗く双眸が一瞬で漆黒に、瞳孔が白く染まり、絶叫。

 

 音圧衝撃波が轟き、天井や壁の崩落が加速し、巨岩が雨霰と降り注ぐ。

 さしものエミールとて退かざるを得なかった。

 

 グリムはヴァスコを肩に担ぎ、闇の奥へ消えていく。

「決着は持ち越しだな、刻印持ち(マークベアラー)

 

 エミールは憎々しげに舌打ちし、踵を返した。

 

       ★

 

 グリム。ヴァスコ。

 いずれも覚えがある。復讐の旅を始める前に目を通した機密資料にあった名前だ。

 特に、ヴァスコはアスラーグとも関わりがある。

 帰還したら、色々話し合う必要がありそうだ。

 

 エミールは肩に担いだ麻袋を揺らしながら食糧庫通路を出る。

 

 出入り口傍で冒険者達が負傷者達の手当てを行い、休息を採っていた。エミールの姿を見るや、誰も彼もが武器を手に身構え、強い警戒心を露わにする。もっとも、レベル5以上の者達以外は窮鼠のような有様だったが。

 

 複数の切っ先を向けられながらも、エミールは特に反応を返さない。

 

「テメェ、何モンだ?」

 狼人青年がいつでも強襲できるよう体勢を保ちながら問う。

 

「あいつらの仲間じゃないんでしょ? 教えてよ」

 アマゾネスの乙女が大双刃の切っ先を向けながら尋ねる。

 

「少しでも何か知っているなら、教えて欲しい」

 剣姫も油断なくこちらを見据えている。なぜか道に迷った幼子のような雰囲気があった。

 

 エミールは無言のまま、冒険者達を刺激しないようゆっくりと肩に担いでいた麻袋を”万能者”の許へ投げた。

 がしゃん、と音を立てて袋から溢れたそれらは、食糧庫内で戦死した冒険者達の遺品。

 食糧庫は崩落して完全に埋没しており、亡骸を迎えに行くことはできない。ゆえに、遺された者達にとってエミールが渡した形見の品が持つ意味はとても大きい。

 

「これは……」

 困惑する”万能者”へ、

 紅色髑髏は無機質に告げた。

「お前達の忘れ物だ」

 

「!――感謝します。心から」

 ”万能者”は今にも泣き出しそうな顔で一礼する。元王女による最敬礼にヘルメス・ファミリアの面々も続き、丁寧に頭を下げる。

 毒気を抜かれたロキ・ファミリアの面々が武器を下げ、殺気を解く。

 

 その瞬間、エミールは時間操作(ベンドタイム)を使い、合わせて瞬間移動(ブリンク)虚無の手(ファーリーチ)を用い、この場から姿を消す。

 

 何の痕跡も残さず、まるで幽霊のように。

 




Tips

巨鬼オリヴァス・アクト。
変身した姿は、FallOutシリーズのスーパーミュータント・ベヒモス。
Dishonoredはモンスターがいないから……同じ販売元のベセスダ作品を……

ヘルメス・ファミリア。
デリラ信奉者の介在により、原作より戦闘条件が厳しいため、死傷者も原作より多め。

キークス、エリリー、ホセ、ポットとポックの死は原作通り。
ゴメスの死、タバサ、ドドン、セインの負傷は本作の追加。

レヴィス。
原作より苦労人。


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29:アーデちゃんを囲む会。

 地上に帰還したエミールはアスラーグから聞かされた内容に、眉間に深い皺を刻んだ。

「……アーデ嬢の容体は?」

「治療師の腕が良かったのね。顔は暴行される以前と変わりなかったし、骨折も問題なく治った。負傷による体力低下が回復次第、退院できるそうよ」

 アスラーグは無表情に語った。相当キている証拠だ。自由射撃良し、と告げたなら、きっとソーマ・ファミリアに最大火力の“花”を叩きこむだろう。

 

「クラネル少年の方は?」

「ベル君は無事よ。ショックを受けていたようだから帰らせたわ。リリちゃんを守り切れなかったことを後悔しているようだけれど、あの子ならきっと後悔も前に進む力に変えられる」

「ふむ……」

 エミールは目を鋭く細めながら考え込み、アスラーグに問う。

「どうする? 潰すか?」

 

「ソーマ・ファミリアはリリちゃんが回復してから善後策を話し合いましょう。件の狸人に関しては」

 アスラーグが淑女らしい微笑みを湛えた。青紫色の瞳がひたすらに冷たい。

「労働が如何に尊いものか教育してやりましょう」

 

「異論はない。伝手もあるしな。とりあえずは」

 エミールは小さく頷いた。

「アーデ嬢の見舞いに行こう」

 

          ★

 

「無事で何よりだな、アーデ嬢」「元気になった?」

 エミールとアスラーグ、ベル・クラネルの見舞いを受け、リリルカは一瞬、嬉しそうな笑みを浮かべるものの、すぐに気落ちして肩を落とした。

「リリは……勝てませんでした。エミール様とアスラ様に色々教えていただいたのに……」

 

 アスラーグはベッドの縁に腰を下ろし、リリルカを抱き寄せて髪を梳くように優しく撫でる。

「胸を張りなさい、リリちゃん。こうして生き延びた。貴方は”冒険者として”一番大事な勝利を掴み取ったのだから。よくやり遂げたわ」

 

 エミールはサイドテーブルに見舞いの林檎が入った小さな籠を置き、

「勝利は大事だが、生きていることの方がより大事だ。生きてさえいれば、どんなことも出来る。憎い相手に復讐することも、新たな人生を歩み始めることも、幸せになることも」

 リリルカの肩に手を置き、表情を和らげた。

「よく生き延びたな、リリルカ」

 

 短くも心のこもった言葉に、リリルカの涙腺から滴が零れ落ちる。

「ありがとう、ございます……っ!」

 嬉しい。この2人に認められたことが、とても嬉しい。

 

 エミールはアスラーグに抱かれながらぽろぽろと涙をこぼすリリルカから視線を切り、ベルに向き直ってベルの肩を軽く叩く。

「たった1週間の教官役だったが、君の成長に関われたことが誇らしい。よく仲間を守り抜いたな、ベル」

 

「エミールさん……」ベルは俯く「でも僕は……僕がもっと早くリリの許へ駆けつけていたら……」

「それは違うわ、ベル君」

 アスラーグはリリルカをいたわりながら、ベルへ柔らかく微笑む。

「貴方は出来ることを成し遂げた。自分を恥じることも責めることもない。反省すべきことがあるなら、改める努力を重ねなさい。後悔があるなら、繰り返さぬ努力を積みなさい。それが貴方に必要なことよ」

 

「はい。アスラさん」

 ベルは目元を擦ってから、大きく頷いた。

 

「2人ともよくやった。胸を張って良い」

 エミールは林檎を一つ手にし、小型ナイフを取り出してリンゴを切り分けながら少年少女へニヤリ。

「とはいえ、見直すべき点はしっかり見直して、今後に活かしていかないとな」

 

「「え」」とリリルカとベルが目を瞬かせる。

「事後検討は大事よね」と鈴のように喉を鳴らすアスラーグ。

「「ええー……」」

 予期せぬ展開に、呆気に取られるリリルカとベル。

 

「ま、林檎でも食いながらやろう」

 エミールは切り分けた林檎の芯と皮を削ぎ、“うさぎりんご”を作って2人に渡す。

 

 うさぎりんごを渡されたリリルカは目をぱちくりさせた。

「エミール様はこんなことも出来るんですね」

 

「近所のおばちゃんが作ってくれたなぁ……」とベルが懐かしそうにうさぎりんごを見る。

 故郷では物心ついた時には祖父と2人暮らしで、祖父はこういうファンシーな小技を披露してくれなかったが、近所のおばちゃんが幾度か作ってくれたことがあった。『男ならハーレムを目指すもんだ』とベルに語る祖父へ、おばちゃんは『子供にバカなことを教えるな』と呆れていたものだ。

 

 アスラーグは少年少女の様子に表情を和らげながら、林檎を口に運ぶ。しゃりっとした食感と爽やかな甘酸っぱさ。

「うん。美味しい」

 

        ★

 

 木賃宿の一室。

「あ、あああ、あ、あ、ああ、あああああああ……っ!」

 カヌゥは激痛を堪えながら小便を済ませ、涙をこぼす。

「ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう……っ!」

 

 なけなしの銭をはたいてポーションを購入して用いたが、千切られた右耳も刺し抉られた金玉も完全に治らなかった。特に金玉は小便する度に涙が滲むほどの激痛が走る。何より刺されて以来、一切勃起しない。まったく勃起しない。どれだけ弄っても全く勃起しない。

 これがどれほどカヌゥの精神を打ちのめしていたか。

 なんで俺が、どうしてこんな……俺が何したってんだ。こんなのあんまりだ。あんまりだぁああああああっああっあっあああっ!

 

 狸人中年男カヌゥは惨めさに自己憐憫の涙しつつ、便所から部屋に戻り、凍りつく。

 

 小汚い窓から夕陽が差し込む部屋に、ローグタウンで自分達をぶちのめした二人組――黒妖精の美女とヒューマン青年がいた。

 カヌゥは悲鳴も出せなかった。股間の残痛も忘れ、ただただ震え上がっていた。

 

 淑女然と椅子に腰かけていたアスラーグ・クラーカは部屋を見回し、優雅に微笑む。

「良い部屋ね」

 便所虫の巣穴よりマシという意味では。

 

 アスラーグの背後に護衛然と屹立していたエミール・グリストルが、後ろ腰の雑嚢から何かを巻いた革布を取り出し、傍らのテーブルに広げた。

 革布の中には、様々な形状の狩猟解体用ナイフが収まっていた。いずれもよく使い込んであり、充分な手入れがされている。

 

「私はね、愛する人の子供を持てなかった」

 ぽつりと言葉を紡ぎ、アスラーグが左手の薬指を彩る指輪を撫でた。

「貴族に生まれ、女神から恩恵を賜り、魔法使いとしても研究者としても名を成した。それでも、子供を持つことだけは叶わなかった」

 

 何も言わないカヌゥを無視し、アスラーグは言葉を編み続ける。

「師から幼い妹弟子を預けられた時、なんて酷い仕打ちだろうと思ったわ。子供を持てなかった私に他人の子供を育てろなんて……でも、あの子を育てることに一喜一憂することは、素晴らしい体験だった。本当に愛おしい時間だった」

 

 ふぅ、と小さく息を吐き、

「あの子と過ごしていると、幼い頃の妹弟子を思い出すの。もしかしたら、これは一種の代替行為なのかもしれないし、何かの代理贖罪行為なのかもしれない。あるいは、そう。私が可愛がっている子を傷つけられて、単純に腹を立てているだけかもしれない」

 アスラーグは青紫色の瞳でカヌゥを見据えた。鼠のクソにも劣る存在を見るような眼で。

「以前言ったはずだ。私は子供を食い物にする奴に我慢ならないと」

 

 冷厳な言霊をぶつけられ、カヌゥが悲鳴を上げそうになった刹那。

 エミールが呟く。さながら魂を刈りに来た死神のように。

「Rashu Garhaya」

 

 時が止まり、エミールは狸人中年男を容易く捕らえた。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 その日の夜、迷宮都市オラリオから冒険者カヌゥ・ベルウェイは永遠に姿を消した。

 

 そして、しばらくの後、北方某国の鉱山に狸人男の奴隷が送り込まれる。

 顔の皮を剥がされ、舌が無く、両足の腱が完全に破壊されたその狸人奴隷は、やけに体が頑丈で他の奴隷がバタバタ死ぬような重労働でも倒れなかったため、散々に酷使されたという。

 

       ★

 

 退院したリリルカ・アーデの回復祝いは酒場や飲食店ではなく、ヘスティア・ファミリアの拠点である廃教会の裏庭で催された。

 なんで店じゃないんです? と小首を傾げたベルに、アスラーグはにやりと微笑む。

「ベル君。覚えておきなさい。女の子を元気にするためには演出が必要なのよ」

 

 

 で。

 

 

 夕暮れ時。

 送迎役を仰せつかったベルがリリルカを治療院から廃教会に案内する。ちょっとしたデート気分を堪能し、リリルカは早くも機嫌を良くしていた。

 

 そうして、到着した廃教会内にはテーブルが用意され、クロスの敷かれた卓上には、取り皿とグラスが並んでいた。卓の周りにはいくつもの蝋燭が点され、ボロい廃教会がどこか幻想的な雰囲気を醸している。

「わぁ……」乙女心を刺激されたリリルカ、ではなく、ベルが思わず感嘆を漏らした。

 

「お帰り、ベル君っ! リリルカ君も無事に退院できて何よりだっ!」

 出迎えのヘスティアが2人を卓に座らせ、パンパンと柏手を打つ。

 

 地下室に通じる扉が開き、料理を抱えたアスラーグとエミールが姿を見せた。

「退院おめでとう、リリちゃん」「元気になって良かったな」

 2人から労わりの言葉を掛けられ、リリルカは嬉しそうに破顔する。

「ありがとうございます。アスラ様、エミール様」

 

 そして、卓上に料理が並べられていく。

 

 皿からはみ出そうなポークステーキ。彩り豊かで新鮮なサラダ。カワマスのホワイトシチュー。チーズの盛り合わせ。それに、ヘスティア持ち込みのじゃが丸君。

「凄い。これ、エミール様が作ったんですか?」と目を瞬かせるリリルカ。

「素人料理さ」「サラダは私が作ったわ」

 小さく微笑みながら梨のワインを手に取るエミールと、野菜を切っただけで得意げなアスラーグ。

 

 エミールが各々のグラスへ梨のワインを注いだ後、

「リリルカ君の退院を祝して、乾杯っ!」

 廃教会の主神たるヘスティアの音頭で、楽しい宴が始まる。

 

 食事が始まってほどなくリリルカとヘスティアの微笑ましい鞘当てが起きたり。神話マニアなベルに乞われ、アスラーグが諸島帝国の伝説や伝承を語ったり。アスラーグのカバーのせいで風評被害を被っているエミールが、リリルカとヘスティアに御説教されたり。

 

 健啖揃いのためか、料理も瞬く間にそれぞれの胃袋へ消えていく。デザートに紅茶と手作りパンナコッタが提供された。

 

 上品に紅茶を嗜んだ後、アスラーグがさらりと告げる。

「さて、そろそろ本題を話し合いましょうか」

 

「? 本題って?」と小首を傾げるヘスティア。可愛い。

「リリちゃんをソーマ・ファミリアから脱退させる方策ですよ、ヘスティア様」と口端を緩めるアスラーグ。

「……へ?」

 まったく予期せぬ提案に目を瞬かせるリリルカ。ベルとヘスティアも呆けている。エミールはパンナコッタの出来栄えに内心で密かな自画自賛をしていた。

 

 アスラーグは言葉を続ける。

「今回の件でよく分かった。リリちゃんはあんなろくでもないファミリアから、さっさと抜けた方が良い。だから」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!?」

 リリルカは慌ててアスラーグの言葉を遮った。

「ファミリアは必ず脱退しますけど、その件を皆さんで話し合うってどういうことですかっ?」

 

「そりゃ、ソーマ・ファミリアの連中がアーデ嬢の脱退を簡単に認めるわけがないし、脱退した後の身の振り方も、ある程度考えておくべきだからな」

 エミールはパンナコッタを平らげ、ベルに顔を向ける。

「クラネル少年。2000万ヴァリスを貯めることがどれほど大変か分かるな?」

 

「はい」とベルは首肯する。

 駆け出し冒険者のベルでも、2000万ヴァリスを貯蓄することが如何に難しいか、よく分かる。あまつさえ雇われサポーターならば筆舌に難い苦労があったことだろうことは、想像に易い。

 

「アーデ嬢はその大変なことを成し遂げる寸前だ。だがな」

 エミールは紅茶を口にしてから、不快顔を作る。

「クズ共は2000万ヴァリスを稼ぎあげたアーデ嬢を、よくやったご苦労さん、と褒めて手放すなどあり得ない。必ずこう考える。2000万稼いだなら、もっと稼がせられる、とな。奴らにとってアーデ嬢のような立場にある者は家畜や奴隷と同じだ。死ぬまで搾取し続ける」

 

「酷い」

 ヘスティアは愛らしい顔を強くしかめた。ベルも義憤を抱いており、リリルカは悔しげに唇を噛む。

 

「リリちゃんを脱退させるためには、団長ザニスが約束したという2000万ヴァリスを揃えるだけでは足りません。相応の準備を整えなければ、必ず反故にされるでしょう」

 アスラーグがヘスティアへ語ると、ベルが堪え切れず声を荒げた。

「そんなの絶対にダメです!」ベルが拳を握って「僕がリリと一緒に行きますっ! 僕はリリに約束したんですっ! 必ず力になるってっ!」

 

「ベル様……」ほわわんと頬を朱に染めるリリルカ。

「ぐぬぅ」面白くなさそうに眉をひそめるヘスティア。

 

 処女達を余所に、エミールが話を進める。

「クラネル少年の心意気は買うが、クラネル少年だけでは少し威容が足りない。こういう場合、クズ共に戯言を吐かせない武力背景が要る。だから、俺達も同行する。それと、ギルドに立会人も頼む」

「「ギルド?」」きょとんとする少年少女。

 

「そうか」とヘスティアは合点がいったように頷き「ギルドは冒険者とファミリアを管理統制する組織だから、公証人として立ち会わせるわけだね」

「御慧眼です、ヘスティア様」

 アスラーグは満足げに頷き、少年少女へ説明する。

「公証人が認めた脱退に綾を付ければ、ギルドを通して相手に公的制裁を請求できるし、私達が“反撃”する大義名分を得られる。こういうのはね、行政や司法組織を味方につけた方が優位に立つのよ」

 

 エミールがヘスティアへ水を向けた。

「ヘスティア様にも御同行を願えますでしょうか?」

 

「ボクかい?」と訝るヘスティア。

「先方が2000万で脱退を認めるという発言に関する真偽をはっきりさせたいのです。言った言ってないの水掛け論を防げます。ここはヘスティア様に御出馬願いたいのです」

 エミールの説明を聞き、ベルも主神へ懇願する。

「僕からもお願いします、神様っ! 力を貸してくださいっ!!」

 

「うーん……基本的に他所のファミリアへ手を出すことは御法度なんだけれど」

 ヘスティアはちらりとリリルカを窺い、しばし内心の葛藤に駆られる。

 可愛い我が子がこの小人族の娘っ子を気にかけている。親として我が子の友達を助けてやっても良い。しかし、この娘っ子、どうも可愛いベルに懸想している。この娘っ子を助けることでベルを掻っ攫われては堪ったものではない。ベル君はボクのなんだからっ!!

 

 悩むヘスティアへ、アスラーグが横車を押しにかかる。

「ヘスティア様がリリちゃんを眷属に迎えるという前提ならば、如何でしょう?」

 

「「えっ!」」

 リリルカとベルが目を丸くして吃驚する。即座に口を挟もうとする2人へ、エミールが首を横に振って、様子を見させた。

 

「それなら、ボクが同行する理由にはなる、ね」

 外堀を一つ埋められ、ヘスティアはむぅうっと唸った末、じろっとリリルカを見据える。

「……はっきり言えば、ボクはベル君ほどリリルカ君を信用してはいないよ。いろいろ良からぬ風聞も耳にしているからね」

 

 リリルカが大きく項垂れ、ベルが慌てて弁護しようとしたところへ、アスラーグが言葉を編む。

「慮外な額の脱退金を貯めるため、正道に背く振る舞いもしたでしょう。こればかりはヘスティア様のご寛恕を賜るしかありませんが、力無き少女が荒事師の世界で生き抜くためには、邪悪さは必要な強さなのです。街の裏側で生きていかざるを得ない子供達には、選択肢が多くありません。寄る辺なき孤児ならば、特に」

 

 アスラーグはただ説得を試みて言葉を編んだ。炉の女神ヘスティアの重要な権能の一つ、“全ての孤児の守護者”であることを知らずに。

 

 己が神性を刺激され、ヘスティアはその愛らしい顔を毅然と引き締めた。オリュントス十二大神の長姉にして、他の十一大神とは一線を画した格式を持つ大女神が、静かに神格と神階に相応しい威厳を漂わせる。

 俄かに場の雰囲気が一新され、卓の面々は反射的に背筋を伸ばした。

 

 ヘスティアはリリルカを真正面から注視する。

「リリルカ君。君はボクの眷属になりたいのかい? ボクやベル君の信用や信頼を裏切らないと心から誓えるのか?」

 

 これは単に心構えを質す口頭試問ではない。リリルカ・アーデに宣誓を求め、誓約を結ぶ覚悟を問うている。

 そして、神に偽りは許されない。

 

 リリルカはゆっくりと卓の面々を見回す。アスラーグ。エミール。ベル。

 この三人と出会ってからまだ半年も経っていない。それでも、三人は心から信じられる。母のようで姉のようなアスラーグ。父のようで兄のようなエミール。2人は尊敬すべき師で、頼れるオトナ。

 それに、ベル・クラネル。自分にとって初めての……

 

 姿勢を正し、リリルカは真剣な眼差しでヘスティアを見つめ、

「リリはアスラ様とエミール様のお顔を潰すような真似は、決してしません。ベル様の真心を無為にするようなことは、絶対にしません。リリルカ・アーデはヘスティア様とベル様の御信用と御信頼を決して裏切らないと誓います」

 深々と一礼した。

「女神へスティア様。どうかリリを眷属にお加えください」

 

 ヘスティアはしばし瞑目した後、大きく頷く。

「分かった。僕も同行するよ」

 

「神様っ! ありがとうございますっ!!」とベルが喜色満面の笑顔を浮かべた。見るものまで嬉しくなりそうな、良い笑顔だった。

 エミールとアスラーグも柔らかく微笑む。

 

「でも、ベル君はボクのだからねっ!!」

 ヘスティアは湛えていた威厳を明後日の方角へ投げ捨て、ベルを抱き寄せる。

「“誰を”選ぶかはベル様の自由だと思いますけれどっ!」

 リリルカが負けじとベルの腕を取って抱き寄せる。

「なんだとーっ!? 主神の意向に逆らう気かいっ!」「それとこれは別ですっ!!」「ちょ、神様っ!? リリっ!?」

 騒ぎ始めるヘスティアとリリルカとベル。

 

 大女神ヘスティアの威容が解かれ、教会内は和やかな喧騒を取り戻す。

 そんな三人を眺めながら、エミールとアスラーグは楽しげに酒杯を傾けた。



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30:アーデちゃんを囲む会。二次会編。

 ぶっちゃけた話、改宗に主神の許可など必要ない。

 改宗先の神が恩恵を上書きすれば済むことだ。

 

 しかし、神々が数多く住む迷宮都市でそうした真似が横行すれば、眷属を取った取られたで神々が抗争を繰り返しかねない。というわけで、神会とギルドで『所属許と改宗先の神が合意すること』というルールを定めた。

 ま、このルールにしても例によって形骸化の向きが強いが。

 

 ともあれ、廃教会で宴が催された翌日。

 ざっざっざと『アーデちゃんを囲む会』一行がソーマ・ファミリアの拠点へ向かっていく。

「エイナさん。今日はありがとうございます」

 ベルが立会人として同行するギルド職員のハーフエルフ娘エイナ・チュールに頭を下げた。リリルカも「ありがとうございます」とベルに倣って頭を下げる。

 

「気にしないでください。これもギルドの仕事ですから」

 エイナは職員らしい態度で応じ、どこか申し訳なさそうに言った。

「本来なら公正な話し合いをするために、双方にギルド本部へ来てもらうべきなんだけど」

 

「連中、拠点にこもってるらしいわね」

 アスラーグが銀色の髪を弄りながら不愉快そうに言った。

「ええ」エイナは首肯し「イシュタル・ファミリアと抗争を起こして以来、大変なようで……」

 

「何、どんな事情があろうと首を縦に振らせれば良いだけだ」

 エミールの言い草に、ヘスティアが何とも言えない顔つきでぼやくように苦情を申し立てる。

「不安になる言い回しはやめてくれよ、エミール君。トラブルが起きたらどうするのさ」

 

「御心配なく」

 アスラーグが優雅に微笑む。

「ヘスティア様達に指一本触れさせませんし、ソーマ・ファミリアが舐めた真似をしたら、拠点ごと吹き飛ばしてやりますよ」

 

「じょ、冗談。冗談ですよね、ヘスティア様?」

 顔を引きつらせたエイナが助けを求めるようにヘスティアへ問い、神の感覚野で人間の発言の真偽が分かるヘスティアはげんなり顔を横に振った。

「どうやら本気らしいよ……」

 

        ★

 

 ソーマ・ファミリアは依然、窮地にあった。

 やくざ者達との抗争は終わりが見えず、団員達の大半が拠点にこもってほとぼりが冷める時を待っている。おかげでダンジョン探索の収益がほぼゼロだった。

 

 それに、フリュネの襲撃以来、どういうわけか主神ソーマが酒造りを止めて物思いに耽っており、神酒の生産が滞っている。これにより市井の依存者達が拠点に押し寄せ「神酒を寄越せっ!」「酒を出せっ! 火ィつけるぞっ!」と大騒ぎ。

 

 やくざ者との抗争を鎮静化させるため、ソーマ・ファミリアの拠点警備に付いていたガネーシャ・ファミリアも辟易し、事態の改善が図られなければ、警備を打ち切る通告をしていた。

 

 団長のザニスは先述の諸問題に加え、団員達から『何とかしろや』『日頃、金巻き上げてんだから、こういう時こそ仕事しやがれクソ眼鏡』等々突き上げられていた。

 泣きっ面に蜂どころかキラーアントに噛みつかれたような状態。

 

 そんな折、新たな面倒事がやってきた。

 先頃、団員同士の死傷事件が起き、ギルドから厳重注意を受ける羽目になった元凶の1人――リリルカ・アーデがウン年振りに拠点へ現れたのだ。それも他所の冒険者と神とギルド職員を連れて。

 

 

 

 

「―――よって、私、エイナ・チュールがギルドの代表として、リリルカ・アーデ氏のソーマ・ファミリア脱退と脱退後、ヘスティア・ファミリアへの改宗を公証人として立ち合います」

 ソーマ・ファミリアの主神執務室にて、エイナが室内に雁首を揃えた団長ザニスとその手下共、それと執務机で物想いに耽っているソーマへ説明した。

 

 早くも苛立っているザニスはともかく、話をちゃんと聞いているんだか定かでないソーマに、ヘスティアが渋面を浮かべた。

「……ソーマ。ちゃんと聞いているのかい? 君の子に関することなんだよ?」

 

「ファミリアのことはそこのザニスに預けている。個々の団員のことは関知しない」

 ぼさぼさ頭の青年神は一枚のヴァリス硬貨を弄りながら、他人事のように言い放つ。

 イィッラッと苛立ってツインテールを蠢かすヘスティア。リリルカはケムシを見るような目つきで己の主神を睨む。ベルとエイナが顔を大きくしかめるも、エミールとアスラーグは予想通りと言いたげに平然としていた。

 

 団長ザニスが眼鏡の位置を修正し、ベルの足元に置かれた革鞄を顎で示した。

「金はその中か? 数えさせてもらう。1ヴァリスでも足りなかったら、この話は無しだ」

 

「待ってください」エイナが毅然と「公正を期すため、金銭はギルド公証人の私が確認します」

「ンだと、俺達が信用できねえってのかっ!」

「もう一度勝手に口を開いたら、その阿保面を削ぎ落すぞ」

 手下の一人が凄むも、エミールが本気の殺気を放って黙らせる。

 

 水銀のように重たい雰囲気の中、ベルが革鞄を開け、エイナが中に収められた高額な商取引用大金貨を数えていく。応接卓に十枚単位で積み上げられていく大金貨。一枚につき10万ヴァリスの価値を持つ大金貨がぴったり200束並ぶ。

 不足分をアスラーグとエミールが補ったが……それは確かに一人の力無き少女が身を削り、心を擦り減らし、魂から血を流しながら必死に蓄えてきた努力の証だった。

 

 エイナは静かに言った。

「脱退金の2000万ヴァリス。確かにあります」

 

「では約束通り、リリルカ・アーデをファミリアから脱退させていただこうかしら」

 アスラーグが貴族淑女らしく典雅に告げた。

 

「ダメだ」

 ザニスが子兎を狙う野犬みたいな薄笑いを浮かべる。

「2000万という額はファミリアから脱退する金だ。ソーマ様の眷属を辞め、改宗するというなら、改宗金5000万ヴァリスを払え」

 

「「はあっ!?」」

 ヘスティアとベルが悲鳴染みた吃驚を上げ、血相を変えたリリルカが噛みつくように訴える。

「そ、そんな話、聞いたことありませんっ!!」

 

「当然だ」ザニスは冷笑し「今までファミリアを脱退し、他所の神に鞍替えしようなんて不信心な輩は居なかったからな」

 

「嘘ではない、ね」

 ヘスティアは口惜しそうに言い、

「そんな……」

 顔を蒼白させたベルとリリルカに説明する。

「嘘を吐いていないだけさ。悪知恵と嘘は別だからね」

 神は人間の言葉の真偽を見極められる。しかし、ザニスの言い草は咄嗟の機転の範疇に過ぎない。嘘でも偽りでもない。知性の発露だ。卑しい類ではあるが。

 

 ヘスティアは依然やり取りに関心を示さず、ヴァリス硬貨を弄り続けるソーマを睨む。

「ソーマ。君はこの話を知っていたのかい?」

「知らん。興味もない」

 酒神はヘスティアに目もくれず、どうでも良さそうに言い放った。

 

 あまりにも無責任な態度に、炉の女神はついにキレた。艶やかな黒髪のツインテールが天を衝く。

「……なんなんだ君はっ!! それでもファミリアの主神かっ!! 眷属()を持つ()かっ!! 歯ぁ食いしばれっ! ボクが修正してやるっ!!」

「!? 神様っ! 落ち着いてっ!」

 ソーマへ殴り掛かりそうなヘスティアを、ベルが慌てて取り押さえる。

 

「ファミリアの運営は俺がソーマ様から一任されている。我らファミリアの規則に不満があるなら、この話は御破算。お引き取り頂こうか」

 にやにやと笑うザニス。

 

 リリルカは血が滲みそうなほど固く拳を握りしめ、唇を噛みしめていた。義憤を抱いたエイナがソーマ・ファミリアの不正を暴いて告発してやろうと誓う。ベルは憤慨するヘスティアを押さえながら何か案はないかと必死に知恵を絞り、ふと気づく。アスラーグとエミールがやけに静かなことに。

 

 と。

 

「悪党の考えることはどこも同じだな。まったく、うんざりする」

 不意にエミールが辟易したように言い、エイナへ尋ねる。

「たしか、このアホ共と抗争を起こしたイシュタル・ファミリアに課された懲罰金は、1000万ヴァリス未満だったな?」

 

「え、ええ」とエイナが困惑気味に頷く。

「なら、先に払っておくわ」

 アスラーグが懐から宝石をいくつか取り出し、大金貨の山の隣に置いた。

 

「ソーマ・ファミリアが“無料で”リリルカ・アーデを退団させ、女神ヘスティアに改宗させなければ、俺達は酒造所を破壊し、団員を皆殺しにする」

 エミールの発言に執務室内の全員が仰天した。リリルカもベルもヘスティアもエイナも、ザニス達も、無関心だったソーマですら、顔を向けていた。

 

「クラーカ氏、グリストル氏。あ、貴方達は何を言って……」

 激しく狼狽えるエイナを余所に、アスラーグはレイピアの鯉口を切り、エミールが背中に担いでいた片刃直剣の柄を握る。

 

 貴族の本質は戦う者であり、ヤクザ者以上に面子を重視する人種である。帝国貴族アスラーグ・クラーカはザニスの舐めた態度を”宣戦布告”と受け取った。

 国家憲兵隊委員として犯罪者やテロリストと戦ってきた元最上級衛兵のエミール・グリストルは、()()()()ソーマ・ファミリアを潰すことに何の躊躇もない。ましてや、迷宮都市のルールが暴力による解決を容認するのだから。

 

 2人の異邦人が本気でソーマ・ファミリアを壊滅させる気だと誰もが理解し、ザニスの手下達も俄かに殺気立つ。

 

 一触即発の緊迫感が広がる中、

「御二人とも待ってくださいっ!」

 慌てて止めようとするリリルカへ、エミールがさらりと告げる。

「大丈夫だ、アーデ嬢。この程度の害虫共なら、君らに指一本触れさせず片付けられるし、10分もあれば終わる」

 

 その舐め腐った発言に、ザニスは額に青筋を浮かべて、

「貴様、舐め―――――――――ぱぁあああっ!?」

 怒号を吐き終えるより早く、エミールに床へ仰向けに叩きつけられ、胸を踏みつけられた。

 

 室内の誰一人としてエミールの動きを視認できた者は居なかった。荒事慣れしていないヘスティアとエイナなど目を点にしている。一方、ベルは状況を忘れて「凄い」と感嘆を漏らす。

 

 ザニスは胸骨を圧迫されて肺が満足に空気を取り込めず苦悶する。何とかエミールの足をどかそうと足掻くが、まるで鉄杭のようにビクともしない。

 エミールは足へさらに体重を掛けた。ザニスの胸部からミシミシと胸骨が軋む音色が響く。無情動な目つきで苦悶するザニスを見下ろし、苛立たしげに吐き捨てる。

「眠たい与太話を並べやがって。このまま下顎ごと舌を抉り取ってやろうか? その様を見せて他の奴らが同じ戯言を吐けるか、見物だな」

 

 絶対零度の殺気に誰も言葉を紡げず、動けない。唯一止められそうなアスラーグもザニスの手下共の動向を注視しており、妙な真似をしようものなら即座にレイピアを抜き放つだろう。

 

 エミールとアスラーグを除く全員が冷や汗を滲ませるところへ、

「……金は要らん。脱退金も改宗金もな。このファミリアを出て行きたいなら出て行けば良い。ヘスティアの眷属になりたいならなれば良い」

 ソーマは投げやりに語りながら執務机の引き出しを開け、平凡な酒瓶とグラスを取り出した。執務机に並べられた四つの杯に美酒が注がれる。

「ただし、お前達がこの酒を飲んで、狂わなければ、な」

 

「神、酒……」とリリルカが顔を真っ青にして震え出す。

 凄まじい多幸感を以って人間の魂を溶かし尽くし、獄に繋ぐ恐るべき酒。

 

 酸欠で顔を赤くし始めていたザニスが勝利を確信して口端を卑しく歪める。神酒に心を狂わされぬ者など居ないのだから。

 

 その刹那。

「ふふ」アスラーグが優雅に嗤う「ふふっ、ははははは」

「あ、アスラさん?」ベルが黒妖精の放つ異様な気配に戸惑う。

 

「神ソーマ。貴方の作るお酒が我が故国で何と呼ばれているか、教えて差し上げましょう」

 アスラーグがボサボサ頭の男神に嘲笑を向けた。

「有害嗜好品よ。毒と同じ扱い」

 

「有害……毒……」

 伸び放題の前髪に隠れたソーマの双眸が見開かれた。自らの手掛けた酒を毒と言われ、動揺を禁じ得ない。

 

 そんなソーマの様子を、アスラーグは嘲笑う。鮮明な悪意と敵意を込めて。

「だってそうでしょう? 貴方の酒は人を狂わせるだけ。そんなもの毒汁とどう違うの?」

 

 さらに、

「挙句、貴方はそれほど危険なものを人々に飲ませておいて、心を狂わせた人々を見下している。眷属達に酒造りの資金を稼がせておきながら、危険な酒を人々に売って銭を儲けておきながら、彼らが依存中毒症を患えば、愚かしいと見捨て、蔑んでいる」

 アスラーグは垂れ気味の双眸を細め、青紫色の瞳をぎらつかせた。

 

「呑め、ですって?」

 酒杯を一つ手に取ると、アスラーグは床に叩きつけた。さらには割れたグラスとこぼれた酒を忌々しげに踏み躙る。

「ふざけるな。人界に毒汁を垂れ流す疫病神め」

 

 神酒に囚われた者達が見たら脳卒中を起こしそうな凶行に、ザニスも手下達も唖然としていた。リリルカもベルもヘスティアもエイナも呆気に取られており、ソーマは愕然としている。

 

 そこへ、ザニスを踏みつけたまま、エミールが口を開く。

「人間には自由意思がある。その自由意思は神を崇め、尊び、敬い、慕うことを是とすれば、神を憎み、恨み、嫌い、叛くこともまた、是とする」

 

 エミールはパウチの一つから小型ナイフを素早く抜いて投擲、酒杯の一つを砕く。

「こんな酒、誰が呑むか。俺は俺の自由意思によって人間を害する神になど決して従わない。文句があるなら、神の力でも何でも使って罰を与えてみろ」

 深青色の瞳に本物の殺意を宿らせ、ソーマを睨みつけた。

「俺は俺の意志を以って貴様に抗い、その素っ首を斬り飛ばしてやる。天界に還って下らん毒汁を延々と作り続けるが良い」

 

 誰もが絶句する中、ベルが砕けたグラスとこぼれた酒の広がる執務机に歩み寄り、ソーマを真っ直ぐ見つめた。

「……僕は神様達を敬うべきと思っています。この世界がモンスターに荒らされずに済んでいるのは、神様達がダンジョンをバベルで封じているからだし、神様達が人間に恩恵を与えてくれたおかげで、人間はいろんなことが出来るようになったのだから」

 でも、とベルは言葉を編む。

「だからこそ、神様達が間違いを犯した時、僕達は人間を子と呼ぶ神様達へ間違っていると言うべきだと思います。親の過ちを正すことは子の務めだから」

 

 ベルは酒杯の一つを押し除けた。

「僕もこのお酒を飲むことを断ります。なぜ僕らが呑むことを拒否したのか、ソーマ様は顧みてください」

 

 そして、リリルカはベルの隣に立ち、涙の滲む瞳でソーマを睨みつけて、

「リリは貴方と貴方の酒に人生を狂わされました。物心ついた時から、貴方達のせいで多くの苦しいこと、辛いこと、哀しいことに耐えてきました。そして、貴方が全てを一任しているという男が約束した通り、脱退金を用意しました。リリは貴方達が課した試練を乗り越えたんです」

 グラスを手に取って酒を床にぶちまけた。

「このうえ、試される謂れはありませんっ!!」

 

 四人の人間に自らの酒を毅然と拒絶され、ソーマは自失状態に陥った。ザニスとその他、エイナはあまりの事態に言葉もない。

 

 そんな中、ヘスティアが執務机に近づき、ベルが押し除けた酒杯を手に取り、口へ運ぶ。

 じっくりと神酒を味わい、ヘスティアはふぅと悩ましげな吐息をこぼす。

「うん。流石は天界に名だたる酒神ソーマの酒だ。凄く美味しいよ。オリュントスの酒神(ディオニュソス)もこの味には帽子を脱ぐんじゃないかな」

 

 干したグラスを執務机に置き、

「昨日、ボクらはお酒を飲んだんだ。人々が作ったお酒をね。とてもよく出来たお酒だったけれど、君の作る酒には到底及ばない。でも、凄く楽しいお酒だった。皆と喜びを共有できるお酒だった。皆と笑顔になれるお酒だったよ」

 ヘスティアはどこか悲しげにソーマを見つめた。

「ソーマ。君のお酒はとても美味しいよ。でも、それだけだ。ボクはこのお酒を誰かと一緒に飲みたいとは思わない。一人でも飲みたいとも思わない。このお酒はどれほど美味くても、飲んだ者を酔わせるだけで、飲み手の気持ちや心を慮らないんだ……」

 

 ソーマの身体が大きく震える。前髪に隠れた目が左右に泳ぐ。

 酷く動揺する酒神へ、オリュントスの大女神が労わるように問い質す。

「ねえ、ソーマ。君は何のために酒を造っているんだい? 誰に飲んでもらいたくて造っているんだい? どんな時に飲んで欲しくて造っているんだい? ボクには君のお酒から君の想いが何も伝わってこないよ」

 

「私は……」

 ソーマは言葉を続けられなかった。

 天界に居た頃からずっと酒を造り続けてきた。更なる良い酒を創り出すことを求めて地上に降り立った。だが、その酒は何のため? 私は何を思い、どんな想いを酒に込めてきた?

 分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。

 

「……先頃、ここを襲ったイシュタルの眷属にも言われた。“そんなもの”と」

 今にも泣きそうな顔で呟き、ソーマはどこか縋るようにヘスティアへ尋ねる。

「私はどんな酒を造れば良い? 何のために酒を造ったら良いんだ?」

 

「その答えをボクは持ってないよ」

 ヘスティアは悄然とするソーマへ諭すように答え、問う。

「リリルカ君をボクのファミリアに迎える。異論はないね?」

 

「……ああ」

 ソーマが力なく首肯した。ザニスが口を開きかけたが、エミールが胸部をさらに強く踏みつけたため、呻き声しか発せられなかった。

 ヘスティアはエイナへ顔を向ける。

「エイナ君。ボクとソーマはリリルカ君の改宗に合意したよ」

 

「え、あ……は、はいっ!」

 水を向けられたエイナは我に返り、慌てて居住まいを正した。

「ギルドの立会人として二柱の合意を確認しました。ここにソーマ・ファミリア団員リリルカ・アーデ氏の神ヘスティアへの改宗と、ファミリアの移籍をギルドが公証します」

 

 

 

「……やった。やったね、リリッ!!」

 ベルがリリを抱きしめ、

「はい……はいっ! ベル様っ!!」

 リリルカもベルを抱きしめ返し、

「ちょっ!? ベル君ッ!! リリルカ君、ベル君から離れるんだっ!! こら、離れろっ!!」

 ヘスティアは女神としての威厳を投げ捨てた。エイナが少しモニョッとしている。

 

「ひと段落ね」

 アスラーグが微苦笑をこぼしながら手早く宝石と大金貨を革鞄へ納めた。

「さっさと出ましょう。お祝いをしないとね」

 

 黒妖精の美女に促されて一行が執務室を出て行き、最後までに残っていたエミールはザニスから足を降ろして出入り口へ向かい、

「そういえば、お前らの団員から届け物を預かっていた」

 激しく咳き込むザニスへ布らしき塊を投げ渡し、部屋を出て行った。

 

「舐めやがってェ……っ! このままで済むと思うなよ、くそがぁ」

 毒づきながらザニスは布の塊を広げ、「ひぃっ!?」と悲鳴を上げる。手下達もザニスが放り出した布を確認し、悲鳴を上げて後ずさる。

 

 床に広がった布の塊は、消息不明になったカヌゥ・ベルウェイの顔の皮で、額の部分には血で新しき言葉が記されていた。

『You're Next』

 

      ★

 

 帰りの道中。

「リリルカ君が無事にボクのファミリアに移れたことはめでたい。それはそれとして」

 ヘスティアはエミールとアスラーグへ向け、叱声を張った。

「あの乱暴狼藉と罵詈雑言はいただけないっ! あんなやくざ者紛いの所業、君達の友神として見逃せないよっ! 帰ったら御説教だっ!! それから、君達の主神ネヘレニアにも手紙できっちり伝えるからねっ!!」

 

「「!?」」

 エミールとアスラーグが思わず固まった。




ちょっと強引だったかもしれない……


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31:察しの良い人達。

 ギルド本部でベル・クラネル少年と“剣姫”アイズ・ヴァレンシュタインがようやっと顔を合わせて、あれやこれやと話をしている頃。

 

 正式にヘスティア・ファミリアの一員となったリリルカ・アーデは、国税庁の捜査員みたいな目つきで廃教会を見て回っていた。

「ボロ屋ですね」

 

「我が家を辛辣な一言で評価するのはやめてくれよ」女神ヘスティアは心底嫌そうに顔をしかめつつ「これからは君の家でもあるんだぞ」

「だからこそ、です。幸いリリがお金を持っていますから、建て直しても良いんですが……」

 リリルカは腕を組んでウームと唸った。

 結局、ソーマ・ファミリア脱退金は上納せずに済んだ。おかげでリリルカには2000万ヴァリス近い貯金がある。修築くらいなら問題ない。

 

「リリとベル様の愛の巣なら丁度良いハコですけど、今後、ファミリアの団員を増やしていくとなると、この教会の建物や敷地では手狭になるかもしれません。将来的な引っ越しも視野に」

「ちょっと待て。聞き捨てならないぞ」

 ヘスティアがリリルカの言葉を遮った。わなわなと肩とツインテールを震わせながら、リリルカに叱声を飛ばす。

「何だい、君とベル君の愛の巣ってっ!! それを言うならボクとベル君の愛の巣だろっ!!」

 

「心配しなくてもヘスティア様のお部屋も用意しますよ。姑らしくリリとベル様から離れたところに」

 ふふんと挑発するように笑うリリルカ・アーデ。

 

「カッチーンッ!」

 ヘスティアは自ら怒りの擬音を叫び、眉目とツインテールを吊り上げた。

「誰が姑だっ!! ベル君の嫁気取りかっ! 嫁気取りなのかっ!? 図々しいぞっ! 君は居候のように物置にでも住んだらどうだっ!!」

 

「まあっ! ヘスティア様は眷属の扱いに差を設けるとおっしゃるんですかっ!? 酷いですっ! 酷いですっ! ヘスティア様を信じてソーマ・ファミリアから移籍してきたというのに……これはもうギルドに訴えるしかありませんっ! 訴訟ですっ!!」

 リリルカにまくしたてられ、思わず怯むヘスティア。

「そ、訴訟って……君、小賢し過ぎるぞっ!?」

 

「アスラ様が佳い女は賢くあるべしと仰ってました」得意げに応じるリリルカ。

 ヘスティアは眼前の小娘に入れ知恵した犯人を思い、怒声を上げた。

「アスラ君め――っ!!」

 

 

 

「誰かに呼ばれた気がするわ」

 廃教会の御近所にある借家のダイニングで、アスラーグは紅茶を手に長い妖精耳をぴくぴくと揺らす。

「?」エミールは小首を傾げ「俺には何も聞こえなかったが……」

 

「まぁいいわ。それで第24階層の件だったわね」

「ああ」エミールはアスラーグへ首肯して「遭遇したデリラ信奉者はグリムとヴァスコというらしい」

 

 うん、とアスラーグは頷き、紅茶を口にしながら記憶のページをめくる。

「……グリムという男に関しては調査資料以上のことは分からないわ。たしか平民出の陸軍将校だったと思う。いくつかのモンスターや匪賊の討伐で名を上げていたそうよ」

「ヴァスコは?」

 エミールが水を向けると、アスラーグはくすりと蠱惑的に微笑む。

「よく知ってるわ。アカデミーの知人よ」

 

「知人? 随分と恨まれているようだったが……」と眉根を寄せるエミール。

 記憶が確かなら、色黒雌エルフなんて吐き捨てていた。恨み骨髄だったように思う。

 

「彼が学会で発表した論文を批判したら逆恨みされたみたいなの」

 やれやれと言いたげに嘆息をこぼすアスラーグ。

「当時の彼は生物学と錬金工学の俊英だったの。それで、人為的にモンスターの生体構造を改造し、人間社会に有益な家畜化する技術の開発を試みていたのだけれど」

 

「待った。学術的なことを説明されても分からない」

 エミールは軍で多少の高等教育を授かったが、自然哲学アカデミーの専門的な高等学問に関してはさっぱりだった。

 

 説明し甲斐がない、と小言をこぼしつつ、アスラーグはどこか懐かしそうに、

「そうね。平たく言えば、私が彼の論文を批判した結果、上級研究員に選抜されなかったし、教授にもなれなかったわね。それでアカデミーを去って、今頃どこでどうしてるのかなぁ、と思ったらデリラの信奉者になってたわ。まったく何を考えているのやら」

 はあ、と溜息をこぼして旧知の転落振りを嘆く。

 

 エミールはなんとなく『批判』とやらに嫌な想像を巡らし、問うた。

「……ちなみに、アスラがした批判を周囲はどう表現している?」

 

「周囲?」アスラーグは訝りつつ、往時を振り返って「たしか師が『アレは立ち直れない』とかなんとか言っていたような……大袈裟よね」

「そうか」

 全てを察し、エミールは瞑目した。

 どうやらアスラーグはヴァスコという男の論文をけちょんけちょんに批判し、心をへし折ったらしい。で、その結果、ヴァスコはアカデミーから去っていったと。

 

 そりゃ恨まれてるわな。

 

「なにか私が悪いと言いたそうだけれど、アカデミーではあれくらい珍しくもなんともないわ。そもそも他人に批判されたなら、次にケチのつけようがない論文を出せば良いだけよ」

 アカデミー特別研究員で虚無研究の第一人者と見做されるアスラーグは、学者としても武闘派貴族的気質の持ち主だった。敗北の屈辱は勝利で糊塗すべし。

 

「まあ、彼のことなんてどうでも良いわ」

 ヴァスコが聞いたら激昂しそうな言葉で会話を締め、アスラーグはカップをテーブルに置く。

「今回の一件でソーマ・ファミリアの現状が見えたわ。連中、かなり追い詰められているわね」

 

「ダンジョンで稼ぐことも神酒で稼ぐことも出来なくなっている。あの小悪党の人柄から察するに、神酒の在庫を密売して補おうとするだろうな」

「ふむ」アスラーグは唇を撫でながら思案し「密売の取引が揉めることは珍しくないわよね?」

「ああ」エミールは首肯し「死体だらけの取引現場を何度も見たよ」

 アスラーグは首肯し、さらりと問う。

「連中の取引現場を襲って、ザニスの身柄を攫うことはできるかしら?」

 

「ザニスの行確が要る。しばらくダンジョンへ潜れなくなるが……いい加減、エリノールの約束を果たさないと不味いのでは?」

「そうね」アスラーグはエミールに同意して「信義の問題になる」

 

 黒妖精の美女は憂い顔でカップの縁を指で弾き、チンッと鳴らす。

「下層まで行き、依頼の骨を集めましょう。リリちゃんにも話をつけておかないと。あの子もヘスティア様の眷属になって事情が変わったもの」

 

        ★

 

“勇者”フィン・ディムナは小人族として稀有な前衛型の高レベル冒険者である。

 しかし、彼の本質は素晴らしい槍捌きや俊敏な身のこなしなど戦士の在り方にあるのではない。故郷の村長が『神童』と評した類稀な知性、そして、深く敬愛する亡き両親から学び取った勇気。これこそが“勇者”フィン・ディムナの本質であり、彼本来の在り方とは戦士ではなく、諦めを知らぬ不屈の指揮官だ。

 

 この時、フィンは執務室で主神ロキと話し合っていた。

 

 ロキの機嫌は悪い。

 ダンジョンから帰還したアイズ達の報告――第24階層の顛末は女神ロキの心胆を寒からしめていた。

 下手したら我が子達を失っていたかもしれない恐怖。ファミリアの第一線級戦力を一度に四人も失っていたかもしれない危険性。自身の判断が短慮だったとは思わないが、それでも肝が冷えるには十分だった。

 

「確定や」

 ロキは冷えた肝を温め直すべく強い酒をグラスに注ぎ、一息で呷る。

「穴倉ン中にウチらの“敵”がおる」

 

「それもかなり複雑な情勢だね」

 フィンは執務机に両肘を置き、口元で両手を組みながら言った。

「第18階層で戦った赤髪の女テイマーは人とモンスターの融合体。テイマーと一緒に居た甲冑男とその仲間。死んだはずのオリヴァス・アクト。闇派閥の残党達。モンスターの生産プラント。五年前に消息を絶っていた髑髏の異能者が再来し、甲冑男達と敵対していた。それに、女テイマーはアイズをアリアと呼び、59階層へ来いと告げた」

 

 はぁ、とフィンは大きく溜息を吐く。

「色々あり過ぎて頭の整理が追いつかないよ」

 

「……アイズは59階層へ行く気満々やったな」

「アイズが受け取った依頼の報酬を使えば、可能だね」

 

 帰還後、アイズはヘルメス・ファミリアのルルネと共に報酬を受け取った。大金や宝石、高額素材、果ては魔法書まで。ヘルメス・ファミリアと分け合っても億単位の収益だった。ただ、ルルネはその場で泣き崩れたという。フィンもその気持ちがよく分かる。どんな報酬であろうと、仲間の命と釣り合いなど取れない。

 

「しかし、髑髏の異能者が再来した今、戦力を全て遠征に投入することは厳しい」

 フィンは眉をひそめた。

「僕らがダンジョン深層に居る時、万が一にも拠点を襲撃されてロキが天界送りとなったら、遠征隊は深層で恩恵を凍結されてしまう」

 

 暗黒期の末期、フィンが採った闇派閥の掃討作戦がまさにそれだ。闇派閥がダンジョン内で抗争を繰り広げている間に、連中の拠点や隠れ家を強襲して邪神達を捕縛、天界送りにした。主神を失った闇派閥共は恩恵を凍結され、為す術なくモンスターに食われていったという。

 自身が採った策を相手が採らぬ道理はない。ましてや相手は“あの”髑髏の異能者だ。

 

 ロキはグラスを口にしてから、

「せやけど、レフィーヤ達の報告を聞いた限りやと、5年前に消息を断ったのんとは別口のきがせえへん? あない危険な異能を持ったもんが他にもおるゆぅんも薄ら恐ろしいけど」

 仮定を披露した。

「今回の髑髏が五年前のもんと違うなら、ウチらに害は無いんちゃう?」

 

「その可能性は否定しない。でも、危険性を無視できるほど確信を抱けない。そうだろう?」

 フィンの反問に答えず、ロキは手酌でグラスに酒を注ぐ。

「……闇派閥の連中も気になんな。人とモンスターとの融合体てなんやの? そない滅茶苦茶なもん、聞いたことないで。それに、モンスターの生産プラントて。暗黒期のドンパチに負けて落ちぶれた連中のどこにそない力があったんや?」

 

「赤髪のテイマーがアイズをアリアと呼んだ点も無視できない」

 険しい顔つきでフィンは呟く。

「僕らの知らないところで、何か怖いことが進められているのかもしれないな」

 

「……」

 ロキがグラスを傾け、強い酒を舐めたところへ、リヴェリアがやってきた。立派な書籍を抱えて。

「聞いて欲しい話がある」

 

「なんやの、怖い顔して。これ以上の不景気な話は勘弁してや」

 愚痴るロキを余所に、リヴェリアは早速本題に入った。

「先ほどレフィーヤ達の報告で、下品な甲冑男とその仲間が髑髏の異能者をマークベアラー、ヴォイド・ウォーカーと呼んでいた、と言っていただろう?」

 

「ああ」とフィンが首肯する。

「新しき言葉やな」ロキはグラスを弄りながら「意味は刻印持ち。それと、虚無を歩く者、か」

 

「その言葉を聞いて、思い当たることがあってな」

 リヴェリアは書籍を抱えたまま頷き、ロキに問う。

「ロキ。天界で虚無とよばれる“外の世界”、そして、その虚無に住まう存在アウトサイダーについて見聞きしたことは無いか?」

 

「外の世界? アウトサイダー? 聞いたことないな。なんやの?」

 怪訝そうに首を横に振るロキに、リヴェリアは眉根を寄せつつ説明した。

「この書籍の著者は、人界と天界、その外側に虚無と呼ばれる世界が存在することを論じている。人界の者が天界を観測することできないように、天界の者が天界の外に存在する虚無を観測することは能わない。よって、神々が虚無を否定しても、虚無の不在を証明することにはならないと」

 

「えらい挑戦的な言い草やな」ロキは片眉を上げた。その論説を悪意的に捉えるなら、神は天井戸で粋がっている蛙に過ぎず大海も空の高さも分かっていない、と言っているに等しい。

 

 リヴェリアはロキの指摘を余所に、書籍の内容を語り続けた。

「人類の長い歴史において、僅かながら虚無の住人――アウトサイダーから超常の力を与えられた者が存在したそうだ。彼らは虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)と呼ばれ、印を刻まれることから刻印持ち(マークベアラー)とも呼ばれていたという」

 

「それは……興味深いね」とフィン。

「最も興味深いのはな」

 リヴェリアは卓に書籍を置き、その表紙を皆に見せた。

 

 書籍の著者名はアスラーグ・クラーカ。

 

「アスたんと同じ名前……本人なんか?」

「ああ。書籍末尾の作者経歴に書いてあった。アスラーグ・クラーカ。諸島帝国の妖精族貴族ロズブリック伯家の者で前モルゲンガード男爵夫人。王室魔導師第三席にして、自然哲学アカデミー特別研究員。それが彼女だ」

 

「なん……やて……」ロキが糸目を大きく見開き、わなわなと震えていた。

「ロキ?」フィンが訝ると、

 

「アスたん、人妻やったんかっ!?」

 ロキが吃驚を上げた。リヴェリアのしみじみと頷く。

「私も確認した時、驚いた」

 

「? 君も?」とフィンが怪訝そうに眉根を寄せた。

「……彼女と私は歳がそう離れてない」どこか遠くを見つめながらリヴェリアは語り、じろりとフィンを睥睨して「これ以上の説明が要るか?」

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴさん。妖精族。9×歳。独身。名族(ハイエルフ)王女として尊貴の血を後世に伝える務めを絶賛放置中。

 ちなみに、フィン・ディムナさん。小人族。40歳。独身。同族の御嫁さんを絶賛募集中(なお、嫁探しはティオネ・ヒリュテによる激しい妨害に遭っている模様)。

 

 リヴェリアの視線を払うように手を振り、フィンは尋ねる。

「野暮なことを聞かないよ。しかし、その本を持ちながら、なぜ今まで気づかなかった?」

 

「正直に白状するが、この書のことを完全に失念していた。それに、まさか大洋の向こうにある国の学者が、傭兵兼冒険者としてこの街へ訪れるなどと思わんだろう?」

 どこか自嘲的に語り、リヴェリアは小さく嘆息をこぼした。

「でも、どこかで気になってはいたんだ。彼女が高名な研究機関に所属していたとも聞いていたから。純粋に私の落ち度だ。済まない」

 

 微かに長い耳を下げるリヴェリアに、フィンは小さく苦笑いし、ロキへ提案した。

「あの2人と会うべきだと思うんだけど、どうかな?」

 

 優れた知性を持つ小さな英雄は、既に看破していた。

 アスラーグ・クラーカとエミール・グリストル。

 この2人の素性を正確に把握すれば、現状の問題、その半分が片付くと。

 

         ★

 

 アウトサイダーは虚無の中から人造迷宮に住まう“怪物”を窺い、嘆息した。

 あらゆる次元。あらゆる時空。あらゆる世界に遍在してきた外なる者は、この世界における“神”の所業に落胆を禁じ得なかった。

 

 つまらない。

 

 アウトサイダーは“怪物”と悦に耽る者達に対し、辛辣な評価を下す。

 全知の超越存在が手掛けるものだから期待していたのだが、まさかこんな“小動物達”が奥の手とは……異なる世界で見聞した“古い獣”並みの存在を期待していたのに。狂気という一点に限っても、異なる世界の悪夢の街で見聞きしたものに及ばない。

 

 まったく肩透かしも甚だしい。剣姫を中心に紡がれる大きな物語は現状、“敵役”が陳腐すぎないだろうか。

 

 かといって、白兎を中心に紡がれる大きな物語が盛り上がるには、まだ時間が掛かる。

 

 自らが刻印を与えた復讐者の小さな物語は佳境に入っており、更なる大展開を望めない。

 

 この世界に居る他の刻印持ち達にしても、自分を楽しませる状況にない。

 

 ……些か退屈だな。

 神々すら知覚し得ない外側の超越存在は、人間にとっても神々にとっても厄介なアイデアを弄び始めた。

 

        ★

 

 熱したフライパンにオリーブ油を薄く敷き、やや厚めに切ったベーコンを二枚並べた。

 油が弾ける音と肉の焼ける音が奏でられる。小気味よい二重奏を聞きながら、エミールはフライ返しでベーコンをひっくり返す。

 そのままフライ返しで俎板上の卵を掬い上げるように真上に飛ばし、フライ返しをフライパンの上に翳した。卵は放物線を描いてフライ返しの上に落ち、割れた殻がフライ返しに引っかかり、卵自身はフライパンへ。

 

 同じトリックをもう3度繰り返し、ベーコンを焼きながら目玉焼きを4つ作る。

 隣の竈口から湯気を昇らせる薬缶を降ろし、スライスした白パンを火で炙り、軽く焦げ目が付いたらベーコンエッグと共に二枚の皿へ盛り分けた。

 ダイニングテーブルに皿を置き、紅茶用のミルクと砂糖、白パン用のベリージャムを並べ、薬缶のお湯を紅茶ポットへ移す。

 

 茶葉を蒸らしていると、キャミソールに短パン姿のアスラーグがダイニングへ入ってきた。

 緩やかに波打つ銀灰色の長髪を弄りながらテーブルに着き、出来立てのベーコンエッグを見下ろして、どこか眠たげに呟いた。

「……今日はオムレツが良かった……挽肉とマッシュルームが入ってるの……」

 

「明日な」

 エミールはあやすように応じ、二つのカップに紅茶を注いでいく。

 

 目元を擦りつつ、アスラーグは熱い紅茶にミルクと砂糖を加え、一口。

「……うん」満足げに頷き「おはよう、エミール」

 どうやらスイッチが入ったらしい。

 

 こんな調子で始まった朝食時。

 卵2つと大きな厚切りベーコン、スライスした白パン数枚をぺろりと平らげ、アスラーグは二杯目の紅茶を飲みながら、今日の予定を話し合おうとしたところへ、玄関の呼び鈴が鳴らされた。

 

「あら」アスラーグは玄関へ顔を向け「ヘスティア様かしら?」

 ベルが眷属になって以降は鳴りを潜めていたが、御近所付き合いを始めた頃のヘスティアはしばしば朝食時や夕餉時にやってきた。地下室の一人暮らしという孤独がかなりキツかったらしい。

 

 アスラーグはエミールに目配せする。『この恰好では応対できない。行け』

 了承したエミールが腰を上げ、玄関へ。賊の朝駆けかもしれないので、後ろ腰にナイフを差しておく(些か病質的だが、2人のやっていることを考えれば、警戒のし過ぎとも言えない)。

 

 エミールが玄関扉を開ける。と、そこには見覚えのない地味で平凡な青年が居た。

「……どちら様?」

 

「自分はロキ・ファミリア団員ラウル・ノールドっス。エミール・グリストルさんでしょうか?」

 戸惑い気味なエミールにラウルと名乗った青年が確認するように問う。

「ええ。俺がエミール・グリストルですが……」

 確認が取れ、ラウルは懐からお洒落な封筒を取り出し、言った。

「主神ロキと団長フィン・ディムナより招待状をお届けに参りましたっス」



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32:酒場会談。

拙作には独自設定がございます。


『豊穣の女主人』にロキ・ファミリアが来店した。

 

 主神ロキ。団長フィン・ディムナ。副団長リヴェリア・リヨス・アールヴとガレス・ランドロック。幹部のヒリュテ姉妹。二軍中核団員のアナキティ・オータムとナルヴィ・ロール、クルス・バッセル。と、勝手についてきたベート・ローガ。

 

 最奥の卓に主神と団長と妖精王女が座る中、隣の2つに残りの面々が着いた。他の冒険者達が最奥の卓のやり取りを見聞きできぬよう、あからさまに厳めしい雰囲気を発している(なお、ベートはカウンター席に一人で座った)。

 

「こいつぁどういう料簡だい」女将ミアは不機嫌顔で「回答次第じゃ叩きだすよ」

「心配せんでも店を荒らしたりせぇへんて」

 ロキは氷より冷たい笑みを浮かべた。

 

 ミアは大きく舌打ちした。フレイヤ・ファミリアの元団長として眼前の道化神のことはそれなりに知っている。この貧相な乳をした女神がこういう笑い方をする時、下手に深く関わってはいけない。

 

「妙な真似したら出入り禁止にするからね。肝に銘じときな」

 ロキ・ファミリアの面々をぎろりと一睨みし、ミアはのっしのっしと大きな熊のようにカウンター内へ戻っていく。

 

 その背中を見送りつつ、フィンはくすりと微苦笑した。

「引退してしばらく経つのに、迫力は現役の時と変わらない」

「ほんまにな」とロキも苦笑い。

 

 そんなやり取りをしているところへ、案内役を務めるラウル・ノールドが主賓を連れてきた。

 

 ヒューマンの白人青年。癖の強い栗色の短髪。鋭い双眸の涼しげな優男顔。長身痩躯ながら体幹のしっかりした姿勢から、相当に鍛えられていることを窺わせた。

 レベル3冒険者:エミール・グリストル。

 

 黒妖精の美女。垂れ気味な目つきの整った顔立ち。波打つ銀色の長髪を結いあげている。優艶な中肉中背の肢体をパンツスタイルで包んでいる。

 レベル4冒険者:アスラーグ・クラーカ。

 

 フィンは立ち上がり、柔和な笑顔で主賓二人を迎えた。

「今夜は招待に応じてくれて感謝する」

 

「こちらこそ御招待いただき光栄です」

 アスラーグが垂れ気味の目を柔らかく細めて微笑む。

 

 両者の瞳は一切笑っていなかった。

 

 ロキはにんまりと口端を上げる。

「初対面でも無し、お堅い挨拶は要らんやろ。アスたんもエミール君も座り座り。ミアかーさん、お酒持って来てやーっ!」

 

       ★

 

 他愛ない会話で相手の心を解きほぐす。確立された交渉戦術だ。

 そうした狙いがあったにせよ、会食は和やかに進んでいた。

 

 美食と美酒を楽しみながら、女神ロキが主となって場を盛り上げる。

 フィンとアスラーグが親しげに言葉を交わす様に、隣の卓でティオネがイライラし始め、アナキティ達が苦労して宥めていた。

 

 一方、ティオナはちらちらとエミールを窺う。気になる男子を目で追っちゃう女の子――ではなく、競技選手が新顔を気にしている、といった感じのものだったが。

 

 ちなみに、この会食を一番楽しんでいたのは、リヴェリアだ。

 リヴェリアはアスラーグの書籍を持っていることを早々に明かし、すぐさま学術的な議論を始めていた。普段は玲瓏な澄まし顔を湛えているが、この王女様は広い世界を見聞し、未知に触れたくて郷里を飛び出したという、好奇心と知識欲の塊なのだ。

 

「リヴェリアだけアスたん独り占めしてずっこいでっ! ウチもアスたんとお話ししたいっ!」

 ロキの苦情申し立てに、リヴェリアはバツが悪そうに眉と長い耳を下げた。

「す、済まない。こういう会話は久し振りで……」

 

 言うまでもないことだが、冒険者業界は基本的に学のない連中ばかりだ。名族(ハイエルフ)王女として超高等教育を修めたリヴェリアと学術的議論を交わせるような者など、まず居ない。

 

 ロキ・ファミリア内にしても、比較的に学のある団員達は目下であるため、最高幹部のリヴェリア相手に議論討論を交わそうとはしなかった。団のエルフ達に至っては『論を戦わせるなんて無礼な真似できません』と逃げてしまう。

 かといって対等に接せられるフィンとガレスは学術的議論が出来ないし、リヴェリアの立場に遠慮しないアイズやヒリュテ姉妹、ベートでもやっぱり学術的会話が成り立たない。

 

 恩恵レベルや出自はリヴェリアの方が格上ながら、本物の学者だったアスラーグの識見や造詣は伍しているか、もしくは上かもしれなかった。おかげでリヴェリアは今宵の会食を存分に楽しんでいた。

 

“仕事”を忘れるほど楽しんでいるリヴェリアに、ロキ・ファミリアの面々がほっこりする中、フィンがアスラーグへ問う。

「リヴェリアに勧められて、君の著作に目を通してみたんだ。君の言う『虚無』とは人界と天界に続く第三の世界、という認識で良いのかな?」

 

「大雑把に要約してしまえば、そうですね。人間や神の不可知領域と言っていいでしょう」

 首肯するアスラーグに、ロキが渋面を浮かべる。

「神が不可知っちゅう点で納得しかねるんやけれど」

 

「まことに不遜な表現になりますが、神々とは人界の上位世界に存在する“人間の”超越的存在。これは神が人間に証明した事実です。では、神々の上位存在が居ないと誰が証明します?」

「そら、悪魔の証明やんか」とロキが眉根を寄せた。

「論理的にはまさに」アスラーグはくすりと微笑み「しかし、その前提を覆す真理が提示されぬ限り、外側の存在を完全に否定しきれません」

 

「では、その外側の世界の住人たるアウトサイダーは神の上位者に当たるのかい?」

 フィンの疑問にアスラーグは肩を小さく竦め、

「伝承では、アウトサイダーは神話に謳われぬ神にして、叙事詩に紡がれなかった存在。と定義されています。おおよそ神々の上位存在と見做されてはいません」

 ワインを口にしてから、言った。

「人でも神でもない、理の外の存在。一種の概念的な存在なのかもしれませんね」

 

「概念か……でも、君の書籍を読んだ限り、君は何か確信をもって記していた。アウトサイダーの実在を」

 フィンは踏み込む。

「確信を抱く理由を教えてもらいたいところだね」

 

 アスラーグはフィンから視線を外さない。エミールへ目配せすることも無い。そして、エミールは黙々と肴を摘まみながら酒を飲んでいる。

 

「神の下界以前、小人族が女神フィアナを信仰していたように、諸島帝国の一帯では宇宙論的脅威存在に対する戒律を重視する共同体思想を持っていました。それは後に『大衆の修道院』という宗教に昇華されましたが、神の時代の到来によって急速に力を失い、ネヘレニア様の行幸により、決定的な衰亡を迎えました」

 黒妖精の美人学者は淡々と言葉を編む。

「この諸島帝国宗教史を調査する過程で、私は虚無とアウトサイダーを知り、また父祖の時代にアウトサイダーによる人界への干渉の痕跡を発見しました。虚無の住人から超常の力を与えられたという者達を」

 

 リヴェリアが興味深そうに「虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)刻印持ち(マークベアラー)か」

 フィンが素早くエミールの左手を窺う。が、そこにあるのは大きな火傷痕だけで、刻印は影も形も無い。

 

「かつてこの街に現れた髑髏の異能者も、そうした手合いだったのかもしれんな。あやつはスキルや魔法云々では説明がつかぬ点が多かったように思う」

 ガレスがぽつりと呟くと、ティオナが口を挟む。

「あたし達が戦ったあの変態も、紅色髑髏のことをそう呼んでた」

 

 あちゃー、とロキが目を覆い、リヴェリアが渋面をこさえ、カウンター席でベートがアホゾネスめ、と毒づく。

「バカティオナッ! 余計なことを言うなっ!」

 ティオネが鋭い声で妹を叱責し、「あ」とティオナが姉達の反応に気付くも手遅れ。

 

 アスラーグが優雅に微笑み、エミールはゆっくりと鼻息をついた。

「ディムナ殿。そろそろ本題に入る頃合いのようですが、如何ですか?」

 

「そうだね」

 フィンは眉を下げながら首肯し、右手の親指を擦った。隣席も含め、ロキ・ファミリアの面々が静かに居住まいを正し、アスラーグとエミールを注視する。

「僕らロキ・ファミリアは近頃、闇派閥の残党と小競り合いが続いていてね。怪物祭の折に出没した植物系モンスターも奴らの仕業だと分かった。僕らとしては連中と本格的に事を構えることも辞さないが……現状、情報が不足している」

 

 アスラーグとエミールを順に窺い、フィンは語り掛ける。

「そこで、ギルドから調査を請け負っていた君達から情報を得たい。もちろん、ギルドとの契約で守秘義務があることも知っているけれど、話せる範疇で構わないし、こちらも持っている情報を開示する。相応の代価を払ってもいい」

 

「小人族の勇者様。そのような誘い方では帝国淑女をダンスに誘えませんよ」

 アスラーグが垂れ気味の双眸を細め、貴族的冷笑で応じる。熱烈に恋慕する“勇者”が皮肉を浴びせられ、“怒蛇”が青筋を浮かべるも、周囲が必死に宥めた。

 

 当のフィンは気にもせず、むしろ楽しげに口端を緩める。

 なるほど。直球で挑んだ方が吉か。

「ウチの団員がダンジョン内で遭遇した“敵”に、諸島帝国人らしき者達が居た。今まで見聞きしたことも無い者達だった。奴らは君達と関わりがあると思っている」

 

 先を促すようにアスラーグが頷き、フィンは言葉を続ける。

「君は諸島帝国の貴顕で政府要人で高名な学者だ、前モルゲンガード男爵夫人。そんな女性が国家憲兵隊最上級衛兵の王室警護官候補だった精鋭一人だけを連れて、オラリオに現れた。不名誉を犯して国外追放になったという話だが、冗談にしか聞こえない。まして傭兵や冒険者をしながらオラリオまで流れてきた、なんていう話はとても信じられない」

 

「事実はいつだって奇なるものですわ」と苦笑するアスラーグ。

「かもしれない。だが、大抵の事実は相応に納得がいく理由があるものさ」

 フィンは踏み込む。

「たとえば、君達が諸島帝国の密命を負い、件の諸島帝国人達を討ち取りに来たとかね」

 

「面白い」

 アスラーグは優雅に微笑む。

「そこまで言ったなら、最後までおっしゃって」

 余裕を一切崩さないアスラーグ。エミールも涼しげな表情を崩さない。

 

 2人の様子に、フィンは初めて眉をひそめた。どうやらこの推論は真相から外れていたらしい。いや、指摘されること自体が予測の範疇だったのかもしれない。

 フィンは小さく首肯し、

「諸島帝国人達の実力は並々ならぬものだった。僕達と伍してやり合えたほどにね。無礼を承知で言わせてもらうが、レベル4と3の君達では力不足だろう。しかし、」

 アスラーグとエミールを交互に見た。

「君の連れが、虚無の住人アウトサイダーから超常の力を与えられた刻印持ち(マークベアラー)ならば、たった2人であれほどの強敵共を追討しようという話に合点がいく。この推論は突飛に過ぎるかな?」

 

 ロキが酒杯を傾けながら、糸目を開いて2人を窺う。リヴェリアも2人を注視している。隣席のガレスやティオネは不測の事態に備えており、他の面々も密やかに警戒を強めた。カウンター席からベートが睨みつけていた。エルフ女給リュー・リオンもこっそり聞き耳を立てている。

 

 エミールがおもむろに口を開く。

「ディムナ殿。仮に貴方の推論が事実だったとして、どう対応されるつもりですか?」

 深青色の瞳に変化はない。隣のアスラーグもどこか楽しげな様子を崩さない。

 

「それこそ君らの目的次第だね。僕らや街に害をなさないなら問題ないが」

「その推論が“別の意味”を持つことを御承知なのかしら?」

 フィンの言葉を遮り、アスラーグが酒杯を揺らしながら問う。

「無論だよ」フィンは首肯し、冷厳な目つきで「だからこそ、君達の事情を知りたい」

 

「素敵」アスラーグは妖艶に微笑み「貴方のような素敵な殿方に熱く迫っていただけるなんて、心が揺らぎますわ」

「あぁ?」青筋を浮かべたティオネが再び腰を浮かせかけ、周囲に押さえられた。

「あまりティオネをからかわないでくれんか?」と隣席でガレスがぼやく。

 

「失礼。反応が可愛いので、つい」

 くすくすと悪戯っぽく喉を鳴らし、アスラーグはエミールに頷く。

 

「魔女の心臓。それが俺達の目的だ」

 エミールは声を潜めて語る。

 

 三年前に諸島帝国の首都ダンウォールで起きた襲撃事件を語り、魔女の心臓という国家的機密物が強奪されたこと。自分達がその奪還任務に当たっており、襲撃者達を抹殺し、黒幕を討伐することも語った。

 

 ただし、デリラ・ブラックスプーンについては教えない。教える必要もない。

 現時点において、そこまでロキ・ファミリアと関わりを深める意味を、エミールもアスラーグも見出していなかった。

 とはいえ、卓越した頭脳を持つフィンや聡明なリヴェリアは見逃したりしない。

 

「その魔女の心臓という呪物を盗んだ者達の狙いは?」

 フィンは容疑者を追及する刑事のような目で、問い質す。

 

「賊共の狙いは分かりません。ただ、魔女の心臓は強力な呪物です。兵器転用も出来るし、何かしらの広域魔法の魔力源にも成りえる。十中八九、この街を害するために使うでしょう」

 エミールの回答に、フィンは首肯しつつ、問いを重ねる。

「ダンジョン内で遭遇した諸島帝国人は、どうもクラーカ殿を知っているような口ぶりだった。甲冑男の方は名前をたしか、ヴァスコと言ったかな。心当たりはあるかい?」

 

「ええ」アスラーグは首肯して「ヴァスコは自然哲学アカデミーの元同僚です」

 

「あいつが学者?」ティオネが訝る。「頭がおかしい変人にしか見えなかったけど」

「変人というより下品な変態だよ」とティオナ。「リヴェリアやレフィーヤの事を雌エルフなんて言ってさ」

 

「ああ。きっと私が彼の論文を批判したからでしょうね。その一件以来、私のことを強く逆恨みしているようです。私憎さにエルフ女性全般に敵意を抱くようになったんでしょう。まったく情けない」

 溜息混じりに応じるアスラーグ。

 

 リヴェリアは思う。逆恨みというにはあまりに根の深い憎しみを抱いていたが……いったい、どんな批判をしたんだ?

 

「ゴチャゴチャ面倒臭ェ。要点は一つだろうが」

 焦れた凶狼がカウンター席からゆらりとエミールに歩み寄り、今にも噛みつきそうなメンチを切った。

「テメェがあの髑髏野郎か?」

 

 フィン達もエミールを注視し、ロキが回答の真偽を図ろうと真剣な眼差しを向ける。密かに聞き耳を立てていたエルフ女給が身を強張らせていた。

 

 エミールは口端を緩める。

「だとしたら……どうするんだ? 狼人」

 当然ながらエミールは明確な回答を避けた。言外に刻印持ちであることを肯定したに等しいが、神の前で虚偽は出来ない以上、そうするしかない。

 

 ベートは牙を剥くように告げた。

「表に出ろ。テメェがどれほどのもんか試してやる」

 

「それは無しや、ベート」

 ロキが鋭い声で掣肘を加えた。

「ああ?」ベートが苛立ってロキを睨み「下らねえやり取りを続けるより早ェだろうが」

 

「ダメや」

 ベートが眉間に深い皺を刻んで抗弁しようとするも、ロキが念を押すように言葉を重ねる。

「もう一度は言わんで」

 

 銃声のような舌打ちをこぼし、ベートはカウンター席へ戻って酒をかっ食らう。

「ごめんなぁ」とロキが詫びる。「ベートは悪い子やないんやけど、ちっと血の気が多いねん」

 

「いえいえ。事情を鑑みれば当然の事でしょう」

 アスラーグは柔らかく微笑みながら、

「私共が不審なことは承知しております。しかし、私共にも都合と事情がありますので、全てを明かすことはできません。これはロキ様や皆様を御信用出来る出来ないの話ではなく、そういうものだと御理解くださいませ」

 ロキとフィンを真っ直ぐ見つめた。

「私共の持つ情報に関しては、能う限り御提供しましょう。ただし、日を改めて」

 

「内緒話するには、ちと耳目を集め過ぎたわな」

 ロキは店内を密やかに見回す。

 ベートが絡んだ辺りから聞き耳を立てている手合いが激増していた。踏み込んだ内容はここまでだろう。

 

「今宵の難しい話はここまでにしよ。そんでな、そんでな、ウチどーしてもアスたんに聞きたいことあったん」

 真面目な雰囲気を一瞬で脱ぎ捨て、ロキがアスラーグに身を寄せる。

「アスたん、人妻ってホント?」

 

「元人妻です、ロキ様。夫は随分前に儚くなりました」とアスラーグは左手薬指のリングを撫でながら「子を持つ幸せに恵まれませんでしたが、夫には素晴らしい時間を貰いました」

 

 しっとりとしたアスラーグの言葉と横顔から亡夫への深い愛情が感じられ、団長へ熱烈な恋愛感情を抱くティオネが羨望と憧憬を覚える。私も早く団長と結婚したい。

 

「御愁傷様になあ……でも、とゆぅことは未亡人? なるほどなぁっ!」

 ロキはしきりに頷く。

「道理でそこらのエルフっ娘と違ってオトナのエロさが、いたぁいっ!?」

「品の無いことを言うな」とリヴェリアがロキの脇腹を抓って黙らせた。

 

「色気云々は私に限ったことではないでしょう。純潔を尊ぶエルフと言えど、長く生きていれば恋愛や結婚くらい経験しますよ」

 アスラーグに他意は無い。

 

 が、その発言は9×歳にして純潔を保ち、恋人を持ったことも無いリヴェリアに効いた。

 無言でヘニャリと長い耳を下げるリヴェリア。ロキ・ファミリアの若い団員達が反応に困る中、ロキとフィンが苦笑いをこぼす。

 

「この稼業は所帯を持つのが難しいからな」とガレスが笑う。「儂も若い頃に惚れた女がおったが、ヤクザな冒険者とは結婚できんと逃げられた」

「えー、そうなの!?」とティオナが吃驚を上げ「初めて聞いたよっ!?」

 同様に大きく驚く若手達にガレスが豪快に笑う。

「儂とて人並みに惚れた腫れたくらい経験しとるわ。なぁ、フィン」

 

「そこで僕に水を向けるのかい?」

 フィンはギラギラした目を向けてくるティオネを視界に収めつつ、仕方無しに語る。

「オラリオを目指す旅の最中に素敵な同胞の女性と知り合った。結局は僕自身の“夢”を優先して彼女と別れたけれどね。その決断に後悔はない。ただ、彼女を泣かせたことは申し訳なく思っているよ」

 団長ぉ……私は絶対に離れませんから、とティオネが鼻息を荒くしていた。が、フィンは気づかないことをした。

 

「エミール君はどうなん?」とロキが水を向ける。

「国を出て以来、時々の出会いを楽しんでいます」

 エミールが微苦笑混じりに応える。神であるロキはその言葉の真偽を見抜いたが、地上の善き子らを愛する道化神は見なかったことにした。

 人であれ、神であれ、他者が踏み込んではいけない領域がある。だから、ロキは茶化すように言った。

「あんまり女の子を泣かせたらあかんで?」

 

「肝に銘じておきます」

 さて、とエミールは腰を上げた。

「俺は先にお暇させていただきます。誠に勝手ながら、アスラの送迎をお願いできますか?」

 

「構わないが」フィンは微かに目を細めて「“良い”のかい?」

「問題ありません」

 アスラーグが代わりに答え、エミールへ冷厳な眼差しを向けた。

()()()()()()()()()()

 エミールは無言で首肯し、店を出て行った。

 

 そして。

 

 エミールが退店した後。

「ベート」フィンは問う「酔ってないだろうね?」

「そこまで呑んでねぇ。良いんだな?」

 狼人の青年に睨まれ、黒妖精の美女が妖しく微笑む。

「どうぞ。何も問題ありませんから」

 

 ベートは舌打ちして店を出て行く。まるで狩りに赴くように。

「あたしも行くっ!」

 言うが早いかティオナも店を飛び出した。まるで心待ちにしていた試合に臨むように。

 

「ティオナッ!」とティオネが呼び止めるも、妹は既に影も形も無い。「あのバカッ!」

「ティオネも行ってくれ。ラウルも頼む。後で見たままを報告してほしい」

 

 愛する”勇者”の命令に”怒蛇”は即応する

「分かりました。行くよ、ラウルっ!」

「ちょ、てぃ、うあああああっ!?」

 ティオネがラウルを引きずるように連れてティオナの後を追う。

 

「団長。ベートやティオナ達は分かりますけど、なんでラウルまで?」と心配顔のアナキティ。

「ラウルは彼に先入観を持っていないからさ」

 フィンはアナキティの不安を除くように柔らかく告げた。

 

「ほなら、ベート達が帰ってくるまで楽しく呑もか」

 ロキが場の空気を入れ替えるようにパンと柏手を鳴らし、女将ミアへ声を張る。

「ミアかーさん、お酒のお代わりちょーだい」

 

「あいよ。リュー、ロキのところに……ん?」

 ミアは片眉を上げる。

 

 エルフ女給リュー・リオンも忽然と姿を消していた。



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33:路地裏のじゃれ合い。

『豊穣の女主人』を出たベートはいけ好かない異邦の青年を追う。

 ロキ・ファミリア最速のベートが何故か追いつけない。が、影を見失うほどではない。ついてこいと言いたげな誘導に、ベートは苛立ちを強めた。

 

 気に入らねえ。

 

 同時に第24階層の食糧庫で目の当たりにした紅色髑髏の戦い様を思い返し、ベートは警戒感を強める。あの戦い振りはとてもレベル3のものではない。レベル5、いやレベル6と言われても納得しただろう。

 

 気に入らねぇ。アウトサイダーだか何だか知らねえが、胡散臭ェもんからインチキ貰って調子こいてんじゃねぇぞ。

 

 ベートは誘われるように冒険者通りの裏路地へ入っていく。

 人気が絶えた裏路地の一角。街灯も乏しく、明かりは夜空から注ぐ月光だけ。いつの間にかエミール・グリストルの姿が消えていた。

 

 仄暗い闇の中、ベートは足を止める。

「いつまでも散歩させんじゃねえ。さっさと姿を見せやがれ」

 

 後方から足音が迫ってくる。聞き慣れたその足音とテンポはティオナ・ヒリュテだ。続いて双子の姉ティオネと、首根っこを掴まれて引きずられているラウルが姿を見せた。

 

「観客付きかよ」

 煩わしげに舌打ちし、ベートはティオナ達へ恫喝するように告げる。

「俺の邪魔すんじゃねえぞ」

 

「私達は団長の命令で見届けに来ただけよ。手出しなんかしないわ。良いわね、ティオナ」

 妹が口を開く前にティオネが釘を刺す。

 ティオナは恨みがましい目つきで姉を睨みつつ、ちぇ、と舌打ちした。

「わかったよ」

 

 不意に冷たい気配が裏路地に現れ、ベート達が瞬時に身構える。

 仄暗い夜闇の中に、エミール・グリストルが立っていた。

『豊穣の女主人』で見せていた穏和な雰囲気は欠片もない。涼しげな面立ちや深青色の瞳は完全に無情動で、路肩の石ころの方がよほど人間味を感じさせる。

 

「こっちの用件は分かってるよなあ?」

 ベートが飢えた狼のような殺気を放つ。

 

 エミールは無言でポケットから覆面を取り出し、顔を覆う。

 直後、エミールの輪郭がぼやけていく。目元から首元までを覆う紅色の髑髏以外、その姿を精確に認識できない。

 

「小賢しい魔導具使いやがって」

 エミールは毒づくベートへ告げた。

「始める」

 

 ベートが先手を取ろうと身構えた――刹那。

「え」とラウルのとぼけた声が裏路地にこぼれる。

 

 瞬きしていないのに、紅色髑髏が既にベートの傍らに立ち、小振りなナイフをベートの首に突きつけていた。刃を直角に頸動脈へ押し付けているため、ベートが下手に動けば、その挙動で脈が切断されるだろう。

 詰みだ。

 

「嘘……」ティオネは茫然と呟く。ティオナは目を見開いて絶句中。ラウルは理解が追いつかない。

 反応や反射速度以前の問題だ。誰一人として、エミールの動きの一切を認識も知覚も出来なかった。

 

 ベートは眼球だけ動かし、紅色髑髏を呪い殺さんばかりに睨む。

「――テメェ、何しやがった」

 

「これが虚無の力だ」

 エミールは無感動に告げ、

「酒場に戻ってロキ様と“勇者”殿に報告しろ。後はアスラに聞け」

 ナイフを下げた。

 

「なめんじゃねえっ!」

 瞬間、ベートが最速の回し蹴りを放つ。

 も、エミールは後ろへ飛んで殺意のこもった蹴りをかわした。レベル差が2つもあろうと、予備動作が大きい蹴りをかわすことは難しくない。

 

「遊びに付き合う気はない」

 エミールが去ろうとした矢先、ティオナが口を開く。

「待ってっ! あたしが知りたいのは虚無の力じゃないっ! 君自身の力を知りたいのっ!」

 

「あんた、何言ってんの?」困惑気味の姉を無視し、

「食糧庫で君の戦い、見たよ。凄かった。鮮やかで激しくて、まるで物語みたいだった。あたしもあんな風に戦ってみたい、そう思える戦いだった」

 ティオナは興奮気味に言葉を重ねていく。

 肌を上気させ、目を輝かせる様はまるで恋する乙女のようだが、フィン・ディムナを前にしたティオネの姿とは決定的に異なる。

 ティオナの顔はまるで獲物を前にした虎のようだから。

「だから、私と勝負して」

 

「バカゾネス、しゃしゃり出んじゃねえっ! こいつは俺の獲物だっ!」とベートが吠える。

「ベートはもう“負けた”じゃん。すっこんでなよ」

「俺は負けてねえっ!」

 ぎゃいぎゃいと言い合う2人に、エミールは鬱陶しいものを覚える。付き合いきれない、と踵を返しかけたところへ、

 

「逃げたら、家まで追いかけるよ?」

 ティオナが牙を剥くように口端を吊り上げた。

 

 ロキ・ファミリアに借家を知られている。本当に押しかけてくるかもしれない。

 エミールは小さく舌打ちし、ティオナ達へ向き直る。

「少しだけ遊んでやる」

 

 その言葉に、ベートが即座にブチ切れて強襲する。

「レベル3が舐めた口叩くんじゃねえっ! 邪魔すんなよアホゾネスッ!」

「こっちの科白だよ、バカ狼ッ!」

 ティオナも憤慨しながら急襲した。

 

「ああ、もう……滅茶苦茶じゃない」

 ティオネが目を覆って慨嘆し、ラウルは大きく頭を振った。

「これも、報告しなきゃいけないンスかね」

 

 ともあれ……第2ラウンドだ。

 

       ★

 

「上手い」

 ティオネが眉間に皺を刻みながらぽつりと呟く。

 

 恩恵のレベルの差は絶対だ。レベルの差が1つでも超人として格が違う。レベル差が2つになれば、もはや生物として別格と言って良い。レベルに勝る相手を倒すことは、一種の偉業として認められるほどに難しい。

 恩恵のレベル差とはそういうものなのだ。

 

 にもかかわらず、レベル3の紅色髑髏――エミール・グリストルは、レベル5のベートとティオナを同時に相手取っている。

 

 レベル3の肉体にレベル5の拳が直撃すれば無事で済まない。紅色髑髏が回避と受け流しに特化する選択は正しい。問題は紅色髑髏が異能を使うことなく、2人の攻撃を全て紙一重で避け、巧みに受け流していること。その一挙手一投足は舞踊をしているかのように滑らかで、一発も貰ってない。

 

「すげえ」とラウルが感嘆をこぼす。「あの人、本当にレベル3なんスか?」

 ラウルの疑問にティオネも同意を覚える。

 

 しかしながら、紅色髑髏がレベル3という事実は疑いようがない。純粋な身体能力はベートとティオナが圧倒している。膂力。敏捷性。反射神経。動体視力。諸々一切が紅色髑髏を凌駕している。

 

 なのに、2人の拳打と足蹴が紅色髑髏を捉えられない。

 紅色髑髏の格闘戦技術がベートとティオナを優越しているから。

 

 合点がいけば、現状の理由も分かる。

“凶狼”ベート・ローガは速い。レベル3ではとても反応出来ないほどに。しかし、ベートの挙動は対モンスター用に練磨されているため、予備動作が大きい。

 紅色髑髏はその予備動作を読み取ることで、反応できずとも対応できているのだろう。

 

 妹のティオナがあしらわれている理由も同様だ。

 ティオナはテルスキュラで体得した技と経験もあるから、ベートより対人戦に慣れている。ただし、ティオナは強大な膂力と頑健な耐久力で強引に相手を押し潰すブル・ファイター。その一つ一つの粗さを突かれてしまっている。

 

 そして、2人の雑な連携を上手く利用されていた。紅色髑髏はベートとティオナが互いの動きを邪魔するよう立ち回っており、2人は見事に踊らされている。

 

 ティオネは苛立ちを覚えた。このバカ2人は最愛の団長が下した務めをまったく果たせていない。それに何より、紅色髑髏は未だ攻撃していない。

 

「なんで攻撃してこねえ。舐めんのも大概にしろ。マジでぶっ殺すぞ」

「本気、出してよ」

 眉目を吊り上げて闘志を激しくするベートとティオナ。見かねたティオネが口を挟む。

「2人共もう少し冷静に――」

 

「うるせえ、出しゃばんなアホゾネスっ!」

「ティオネは黙っててっ!」

 2人からぴしゃりと怒鳴られ、ティオネの額に青筋が浮かぶ。

「お前らなぁ……っ!」

「ティオネさんまで熱くならないでくださいっ!?」とラウルが悲鳴を上げた。

 

 紅色髑髏は小さく頭を振った。

「そちらが思ってるほど、余裕は無いんだが」

 当然だ。レベル3とレベル5では身体の強度からして別物。レベル5の攻撃をいなし、受け流すだけでも負傷してしまう。手足は既に痣塗れだった。

 

「多少怪我をしても文句を言うなよ」

 紅色髑髏の深青色の瞳が黒曜石のナイフみたいな殺気を湛えた。

 

 ――ここからは虚無の力を使ってくる。

「上等だコラァッ!」

「望むところっ!!」

 ベートとティオナも釣られるように殺気立つ。“お遊び”から本気に変わった。

 

「ちょ、これ不味いんじゃないスか?!」

 殺気の濃度にラウルが慌てる中、第3ラウンドが始まる。

 

       ★

 

 常人ならば、どれだけ鍛え抜いた筋肉マッチョだろうと貧相な体のモヤシ坊やだろうと、人体の構造上、顎先に1・5キロの衝撃を受けるだけで意識が飛ぶ。

 が、超人となっているレベル5は顎先を打ち抜かれても、そう簡単に意識が飛ばない。

 

「ぐっ!?」

 飛び回し蹴りを潜り抜けられ、逆に顎を蹴り抜かれたベートが姿勢を崩しながら距離を取る。

 

「クソがっ!」

 俺の方が速いのに、身体能力そのものは明らかに俺が上なのに、なんでこの雑魚に当たらねえっ!? なんでこの雑魚だけが俺に攻撃を当てられるっ!?

 

 ベートとて人間と戦った経験――殺し合いの体験がある。しかし、相手は我流の冒険者殺法に過ぎなかった。ベート・ローガは恩恵に依存しない対人格闘技術の厄介さを知らない。素手で人間を効率的に殺すために研究され、練磨されてきた軍隊白兵戦技術を知らない。

 

 距離を採ったベートが反撃へ移ろうとした機先を、紅色髑髏が制す。

 瞬間移動でベートの右側背に飛び込み、死角から後頭部と肝臓へ連撃。恩恵の耐久力と鍛え抜いた腹筋をもってしても急所を精確に打たれた痛みに、ベートの長身がくの字に折れる。

 

「ちぃいっ!」

 反射的に横薙ぎの裏拳を振るうも、距離を詰められて肘を押さえられた上で、カウンター気味に喉を打たれる。

「がぁっ!?」さしもの凶狼も鍛えようがない喉を打たれ、たたらを踏んで後ずさった。

 

 紅色髑髏が無言で追撃へ移ろうとしたところへ、

「こんのぉっ!!」

 ティオナが飛び込んできた。

 

 矢継ぎ早に拳を重ねるも、ティオナの打撃は空を切るばかり。それどころかムキになって大振りになると、狙いすましたカウンターが鳩尾やこめかみなどへ叩きこまれる。

「いったいっ! ああもう、なんで当たんないかなあっ!?」

 

 苛立つティオナへ、ティオネがじれったそうに怒鳴った。

「大振りすぎるのよっ! 動作をもっと小さく細かくっ! ああ、もうっ! そこは防御下げちゃダメっ! 何やってんのっ!」

 

「口出し多すぎっ!!」

 ティオナは姉に怒鳴り返しながら、どこか物足りなさも覚えていた。

 

 第24階層で目にした紅色髑髏と継ぎ接ぎマスクの戦いは、剣と弓、拳、アイテム、魔法、あらゆるものを駆使しながら縦横無尽に機動する激しい戦いだった。それに比べ、この戦いは素手のみ。機動領域も路地裏の一角に限られている。これじゃ稽古だ。あたしはもっと鮮やかで激しい戦いがしたいのに……っ!

 

 妹が微かに散漫した刹那を、姉は見逃さなかった。眉目を吊り上げて怒鳴る。

「バカッ! 集中しなさいっ!」

 

 ティオネが警告を発すると同時だった。

 紅色髑髏はティオナが不注意に繰り出した右拳を避け、その右腕を絡め取って竜巻のような一本背負い。容赦なく乙女を石畳に叩きつける。

「ぎゃんっ!?」

 

“重傑”ガレスをして『大したもの』と褒める耐久力を持つティオナも、背中から石畳へ叩きつけられた衝撃は効く。内臓が揺さぶられ、神経が痺れた。

 それでも、ティオナはすぐさま回復し、すくっと立ち上がった。ベートも軽く咳き込みつつも戦列に復帰する。

 

「流石はレベル5。まるで巨木を殴ってるようだ」

 紅色髑髏が疎ましげにぼやく。

 

「テメェの拳なんざ効くかっ!」

「あたしだってまだまだ余裕だもんねっ!」

 凶狼と大切断が紅色髑髏へ襲い掛かる。先ほどまでの自己本位な突撃ではない。速度に長けた凶狼が先行して牽制と崩しを担い、膂力に勝る大切断が剛拳を狙う。

 

 旋風の如き飛び込みからの首を刈り取るようなベートの蹴撃。紅色髑髏が大きくしせいをくずしながら掻い潜る。

 

 ベートは一流の戦士だ。この蹴りが回避されることは織り込み済み。蹴りは囮。本命は紅色髑髏が回避後。蹴りの勢いを用いて身を捻りながらの打ち下ろし。

「食らいやがれっ!」

 回避のために姿勢を崩している紅色髑髏はかわせない。

 

 普通ならば。

 

 紅色髑髏は姿勢を崩したまま、左腕をベートに翳す。

「Swahh Skatis」

 

 刹那の中で、獣人の優れた聴覚が紅色髑髏の声を知覚した直後、

「なぁっ!?」

 抗いようのない不可視の力がベートの身体を掴んで投げ飛ばし、建物の壁に叩きつけた。

「がはっ!?」

 

 虚無の手で投げ飛ばされ、ベートが壁面に叩きつけられるも、その間隙がティオナの肉薄を成功させた。姿勢を崩したままの紅色髑髏へ向け、破城鎚同然の剛拳が放たれる。

「貰ったぁあっ!!」

 もはや回避は間に合わない。

 

 普通ならば。

 

 紅色髑髏は倒れているベートへ向け、唱える。

「Go Hayes」

 

 瞬間、紅色髑髏の身体が霧散してティオナの剛拳が空振りに終わった。

「ああああああっ! また消えたっ!?」

 

 直後、ベートの身体から黒い霧が吹きだして紅色髑髏を形成。

 ティオナがぎょっとした直後、紅色髑髏が一気に距離を詰めてティオナへ襲い掛かる。

 

 その間、ベートは強烈な嘔吐感を堪え切れず、吐瀉物をぶちまけていた。

 一瞬の事だったが、まるで体を乗っ取られたような錯覚に襲われ、意識が飛んでいた。気づけば魂の芯から何かを拒絶するような不快感が噴出し、堪えがたいほどの吐き気に襲われている。

「く、そがぁ……っ! 野郎、何しやがった……っ!?」

 

 ティオナと格闘戦を繰り広げる紅色髑髏を睥睨しつつ、ベートは戦線復帰を試みるも、まだ体に力が戻らない。

「クソッタレっ!」

 

 凶狼が毒づく中、紅色髑髏とティオナの拳が交わされる。

 相手のまつ毛を数えられそうなイン・レンジでの攻防戦。嵐の如きティオナの連打。その全てを紅色髑髏はかわし、いなし、期を図る。

 

 ティオナは左の二連フックで牽制し、右の肘打ちで紅色髑髏を崩す。そこへ体ごとぶち当たるような飛び膝蹴り。

 が、紅色髑髏は飛び膝蹴りをかするように避け、カウンターに左掌底打をティオナの細い顎へ打つ。と同時に――

「Hara Karghris」

 威力を最小限に抑えた衝撃波を放つ。

 

「―――ぁ」

 ティオナは脳を揺さぶられ、意識を刈り取られた。

 

 紅色髑髏は崩れ落ちる戦闘民族の乙女を抱きかかえ、丁寧に石畳へ寝かせる。大きく息を吐き、険しい顔つきのティオネへ問う。

「終いで良いな?」

 

「ええ」ティオネは仏頂面で首肯し「今夜はここまで」

「ふっざけんなっ!」ベートが立ち上がりながら「こんな終わり、認められっかっ!」

 

「隙だらけでゲロ吐いてるところを見逃して貰った時点で負けだろ。ごちゃごちゃ抜かすな、みっともねえ」

 妹が負けて苛立っているティオネがベートに罵声を浴びせて黙らせ、暢気な顔で失神中のティオナを背負い、紅色髑髏を睨む。

「次はあたしがお前をぶちのめす。首を洗って待ってろ」

 

 紅色髑髏は肩を小さく竦め、一瞬で姿を消した。

 

「クソっ!!」

 ベートは心底悔しげに唸り、憎々しげに足元の石を蹴り飛ばした。

「怪我人が出なくてよかったっス……」

 危険な“じゃれ合い”が終わり、ラウルは安堵の息をこぼす。

 

       ★

 

 気配を消して物陰から様子を窺っていたリュー・リオンは、顔が真っ青になっていた。

 5年前。親友達の墓前で戦った髑髏仮面の凶徒。笑いながら鼠に食われていった狂人。その哄笑が脳裏に響く。

「……虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)

 シルが好意を寄せるベル・クラネルの傍に、あんな危険な人間がいたなんて。

 

 リュー・リオンは決意を固めた。

「私が何とかしなければ」

 

「ほぅ? 何をするんだ?」

 背後から耳朶を打つ無情動な声。リューが戦慄と共に反応するより早く、言葉が聞こえた。

「Haas」

       ★

 

「さて、どうするか」

 エミールは痣だらけの腕を擦りながらぼやく。

 

 傍から見れば、卓越した戦技と虚無の力で凶狼と大切断を終始翻弄したように見えたかもしれないが、その実は薄氷の上で踊っていたに等しい。牽制打一つでもまともに食らえば、その時点で終わりだった。

 

 傍らに横たわる失神中のエルフ女給を見下ろし、エミールは思案する。

 現界させた虚無の断片で『豊穣の女主人』のエルフ女給を心神喪失状態にした上で、拘束したもののどうしたものか。

 

 ロキ・ファミリアの眷属と手合わせすることは考えていたが、エルフ女給の監視を受けることは想定してなかった。

 

 元よりエミールは『豊穣の女主人』の女将や女給達を警戒していた。化物染みた高位恩恵持ちの女将。戦い慣れた人間特有の所作を持つ女給達。特にエルフ女給は懐にナイフを呑んでいたから、エミールの警戒心が強かった。

 

 そんな警戒していたエルフ娘が物陰から“じゃれ合い”を盗み見ていて、何やら思わせ振りな独り言を吐けば、そりゃエミールにしたら捕まえる以外の選択肢はない。

 後は尋問して情報を吐かせるわけだが……

 

『豊穣の女主人』はどうにも厄介な人間が多そうだった。このエルフ女給を下手に害せば、女将や女給達が報復に来るかもしれない。ロキ・ファミリアと懇意のようだから彼らも敵に回るかもしれない。自分の知らぬ冒険者達やなんやらも動くかもしれない。

 

 尋問はしたい。しかし、手荒な真似は色々不味い。そもそもこの状況を報告されても不味いことになる。

 

 いっそ殺して死体を鼠に食わせて消してしまえば、足もつかないか?

 ――それは無い。無いな。短絡的過ぎる。

 

 エミールは頭を振り、溜息をこぼした。

「どうしたものやら」

 







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小話5:振り回される人々。

 リュー・リオンは意識を取り戻し、路地のベンチに座らされていることに気付く。

 そして、意識を取り戻すまでの記憶が一切ないことを理解した瞬間、凄まじい恐怖感に駆られた。

 

 自身の記憶がない数刻の空白。その間、このベンチにただ座らされていたのかどうか分からない。

 なんせ迷宮都市オラリオの夜は安全とは言えなかった。見目麗しいエルフ娘が人気のないベンチで横たわっているところを見つけたら、格好の獲物を見つけたと考える者がいくらでもいる。財布を盗まれるくらいで済めば御の字、その場で下着を脱がして――なんて輩だって珍しくない。

 

 リューは恩恵持ちの超人である矜持を投げ出し、恐怖に駆られた一人の乙女として我が身を調べる。巨大な恐怖感に冷や汗を流しながら、今にも泣き出しそうな顔で。

 服は脱がされていない。汚されてもいない。財布も無事だし、懐に呑んだナイフも―――ナイフがない!?

 

 さあっとリューの顔が蒼くなる。盗まれたナイフが売り飛ばされるくらいなら良い。でも、もしもそのナイフが悪事に使われたら? 自身の落ち度で誰かが傷つくことになったら? とても責任を負えない。

 

 リューが記憶喪失の恐怖に加えて現状の不安と焦燥に駆られ、軽度の恐慌状態に陥る寸前。

 不意に、ベンチの右隣からポンッと栓が抜かれる軽妙な音が響き、リューは物凄い反射速度で右隣へ顔を向ける。と、

「呑むか?」

 そこには紅色髑髏が座っていて、梨のサイダー瓶をリューへ向けていた。

 

 リューは驚愕のあまり悲鳴すら上げられなかった。驚いた猫のようにベンチから飛び退き、大きく後ずさる。

 そりゃそうだ。相手は痴漢や不審者という次元ではない。

 

 それに、隣に居たことに全く気付かなかった。自身が意識を取り戻してから今の今まで確かに誰もいなかった。それは間違いない。いつ隣に座ったのか、全く知覚できなかった。

 驚愕と恐怖と戦慄と不安。同時に改めて確信する。

 

 この紅色髑髏は五年前、自分が討った髑髏の異能者と同類だと。

 

 リューが最大限の警戒心と不信感を露わにする一方。

「呑むか?」

 紅色髑髏はサイダー瓶を掲げ、再び問うも、リューは何も言わずただ睨み返してくるだけ。小さく鼻息をついてサイダー瓶をベンチに置く。

 

「酒場の女給がなぜ俺を尾行した? まさかチップ欲しさとは言わないよな? 単なる好奇心か? それともどこかに飼われてるのか?」

 認識阻害のボーンチャームによって茫洋とした姿の怪人が深青色の瞳でリューを射る。

「よく考えて返答と行動を採れ。俺はこの場でお前を殺して、死体を跡形もなく消し去ることも出来る。そして、場合によっては、あの店を丸焼きにすることも辞さない」

 

 あからさまな脅迫に、リューの意識が即座に戦闘用へ切り替わる。

『豊穣の女主人』の皆は五年前、凄惨な復讐劇の後、ボロ雑巾のようになったリューを救ってくれた大切な恩人達。二度と得られないと思っていた新しい家族。彼女達を傷つけようとする者を、リューは許さない。絶対に。

 

 だが、リューの冷静な部分が短慮な決断を押し留めていた。

 冷静沈着な理性が告げている。今、店の皆を危険な状況に追いやったのは、他でもない自分だと。

 藪を突いて蛇、どころか怪物を出してしまったのだ。

 

 五年前の髑髏の異能者――万全でない老人だった――ですら紙一重の辛勝だった。この紅色髑髏は五年前の髑髏仮面より遥かに強い。しかも、今の自分は得物を何も持っておらず、実戦から離れて久しい。

 勝てない。絶対に勝てない。であればこそ、この怪物を敵に回さぬよう立ち回らなければない……のだが。

 

 はっきり言おう。リュー・リオンにその手の交渉術など期待できない。

 そんな器用さを持っていれば、度々失礼な客の腕を捻り上げたり、無礼な客をぶちのめしたりしていない。

 

 だから、リューは持ち前の勇敢さで立ち向かうことにした。

「まず、その不気味なマスクを外してください……エミール・グリストル」

 

「取り合えず話をしようとする姿勢は評価する。回答としては落第ギリギリだがな」

 紅色髑髏の覆面が首元へ引き下げられると認識阻害が解除され、涼しげな優男の姿が鮮明になる。

 

「……貴方の事は知っています。クラネルさんから色々と伺っていますから」

 リューはエミールを睨みながら続けた。

「どういうつもりで、クラネルさんの傍に居るんですか?」

 

「それが俺を尾行した理由だと? クラネル少年が心配だから? 本気で言っているのか?」

 エミールは呆れながらリューを見据え、その真剣な顔つきに嘆息をこぼし、

「まず俺がクラネル少年の傍に居るんじゃない。クラネル少年の方が後から来た。調べればすぐ分かることだから言っておくが、俺の拠点は女神ヘスティアの拠点の近所だ。女神ヘスティアの要請でクラネル少年にちょっとした訓練を施し、少しばかり面倒を見ている」

 梨のサイダーを一口飲んでから問う。

「今度はこちらが質問する。名前は?」

 

「……リュー・リオン」

 少し悩んだが、リューは素直に名乗る。

 

「覚えがある名前だ。たしかギルドのブラックリストに載っていた。五年前に闇派閥と抗争事件を起こした冒険者だ。なんでも仲間の仇討ちに大勢殺したとか。件の闇派閥の眷属共だけでなく市井の協力者まで」

 エミールは目を細めて小さく冷笑する。

「大量殺人犯がクラネル少年を心配して俺を敵視してるわけか。まるでブラックユーモアだな」

 

「っ!」

 大量殺人犯と嘲られ、リューは瞬間的にカッとなった。何も知らないくせに、という罵りが喉元まで込み上がる。しかし、心のどこかでその非難が事実とも受容していた。復讐を終えた時の虚脱感と自己嫌悪は今も生々しく残っているから。

 

「正味な話、あんたがこの街のクズ共をいくら殺そうと知ったことじゃない。俺が聞きたいことは一つだ」

 エミールは無情動な目つきでリューを見る。

虚無を歩く者(ヴォイド・ウォーカー)という言葉をどこで聞いた? あの店で聞き耳を立てていたのも、既知の単語を耳にしたからだろう?」

 

 リューは答えない。

 

「沈黙は肯定と見做すぞ」とエミールが冷厳に告げる。

「……五年前。髑髏の異能者と呼ばれている男と戦って、」リューはエミールの深青色の瞳を真っ直ぐ見つめ「男が死に際に名乗った。自分は虚無を歩く者だと」

 

「ほう」エミールは感嘆をあげ「刻印持ちを殺せたのか。大したものだな」

「……なんとも、思わないのですか?」

「刻印持ち同士に繋がりは無い。オラリオに居たという髑髏の異能者とやらは完全な赤の他人だ。殺されても俺に不都合はまったく無い」

 エミールはサイダー瓶を傾け、頷いた。

「良いだろう。用件は済んだ。今夜のところは帰って良い」

 

「!?」リューは大きく困惑し「私は貴方の秘密を知った。なのに解放すると?」

 

「こちらもお前の素性を知った。豊穣の女主人にはブラックリストの凶状持ちが居ると。そちらが余計なことを吹聴するなら、こちらも情報を方々に流すだけだ。さて、その場合、面倒を被るのは、あの店の女将だけか? 俺が察するに同僚の幾人かはギルドやガネーシャ・ファミリアの注目を浴びたくないように思うが」

「どうして」

 リューはエミールの指摘が正鵠を突いていることに、身を強張らせる。

「気づかない方がどうかしているだろ。初めて入店した時は戸惑ったぞ」

 エミールは慨嘆し、行け、というように顎を振った。

 

「ナイフを返してください」

「女給には必要ない」エミールは返却を拒否し「刃物を持つより愛想良くするんだな」

「……余計なお世話です」

 唇を尖らせつつ、リューはエミールを警戒しながら距離を採り、踵を返して脱兎の如く去っていった。

 

 その背中を見送り、エミールは梨のサイダーを飲み干した。

「この想定外の関わりがどう転がるやら」

 

      ★

 

 朝日を浴びて靄が溶けていく中、ベル・クラネルは右手で黒短剣を水平に構え、左手を真っ直ぐ伸ばす。

「ぉおおっ!」

 鋭く吠え、全身のバネを躍動。ベルは一息で相手へ迫り、躊躇なく黒短剣の刺突を放った。

 

 が、相手はレイピアで易々と刺突を弾く。黒短剣を通じて伝わる衝撃の大きさにベルの身体が大きく傾ぐ。相手はその隙を見逃したりしない。黒短剣を弾いたレイピアを返し、ベルの頭蓋目掛けて片手面打ち。

 ベルは崩れた姿勢のまま右へ側転して面打ちを緊急回避。側転から反撃を試みようと顔を上げた時、優雅な脚線美が視界を埋めていた。

 

 ごん。

 

 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインの放った蹴りがベルの側頭を蹴り抜き、そのまま一瞬で意識を飛ばす。悲鳴すら上がらなかった。

「あ」

 アイズは『やっちゃった』とばかりに目を丸くし、失神したベルに駆け寄る。

 

 ここで時計の針を少々戻す。

 ギルド本部にてアイズがようやくベルの捕獲に成功し、いつぞやのミノタウロスの件を詫びることが出来た時のこと。

 

 何かお詫びがしたい、と告げたアイズに、ベルは『僕を鍛えて下さい』とお願いした。

 本来なら師匠筋に当たるエミールとアスラーグに頼むことが筋なのだが、2人はなんだかんだ忙しい。それに、アイズは迷宮都市でも最上層の冒険者であり、ベルが憧憬する本人だ。憧れの人の強さを肌で知りたい。その強さから学び取りたい。出来れば……お近づきになりたい(思春期の男の子なら当然の欲求である)。

 

 アイズはベルの申し出を快諾した。

 なぜなら、アイズもベルに興味があった。ベルがミノタウロスを前に手も足も出なかったのは半月前。それが、先の10階層で見かけた時にはオークの群れを相手に大立ち回りを繰り広げていた。常識的に言ってあり得ない成長速度だ。

 力を渇望し、強くなることに貪欲なアイズは、鍛錬を通じてベルが強くなった理由を知ろうと考えていた。

 

 ただ、問題もあった。

 ベルの主神ヘスティアとアイズの主神ロキは不仲で有名だった。大っぴらにアイズがベルを鍛えると騒動になるかもしれない。それに、アイズの戦闘技能はフィンやガレスから教わったもの。ロキ・ファミリア流の戦闘技術を他派閥の眷属に教授することは、色々差し障りがある。

 

 というわけで。

 早朝の市壁上で秘密の特訓と相成った。

 なお、ベル・クラネルとアイズ・ヴァレンシュタインが迷宮都市の市壁上で『早朝の秘密特訓』を始めて間もなく――

 

 最近、ベル様がおかしい。

 リリルカ・アーデが抜け目ない女らしく、鋭い勘を働かせていた。

 

 最近、アイズさんがおかしい。

 レフィーヤ・ウィリディスが重い女の第六感で嗅ぎつけていた。

 

 最近、じゃが丸君の売り上げが好調だ。今月のバイト代は色がつくかも。

 オリュンポスで希少な処女神ヘスティアはベルの異変に気付いていなかった。

 

 一方、非常に粘着質な女神もまた、ベルとアイズの早朝特訓に気付いていた。

 

 

      ★

 

 女神フレイヤは巨塔バベルの居住区最上階――現代日本風に言えば、タワマンの最上階コンドミニアムに住んでいる。

 

 天界の郷里では、奔放過ぎて旦那に逃げられたという逸話を持つ彼女は、下界して以来、人間の魂を眺めることを趣味としていた。

 半月ほど前、素晴らしい輝きを持つ少年を見つけて以降、フレイヤは度々件の少年へ裏からちょっかいを出している。先の怪物祭で化物猿をけしかけたのも、神なりの愛し方――試練を与えた結果だ。

 

 フレイヤは少年の交友関係にも注意を向けていた。あの素晴らしい輝きを翳らせたり、澱ませたりする存在を排除するために。

 

 もっとも、少年の周囲にそんな不届き者は“いなかった”。

 むしろ、少年の輝きが引き寄せたのか、興味深い者達が集まりつつある。

 

 特に、旧知のロキが気に掛けていた異邦人の2人。

『失われし神々』の一柱ネヘレニアの眷属である黒妖精の美女とヒューマンの青年。前者の魂は名匠が手掛けた翠玉のような輝きを放っている。高貴な出自と波乱の人生を歩んでいる者なのだろう。後者の魂は蛋白石を思わせる遊色の輝きだった。辛苦を伴う出自から努力と機転で人生を切り開いた努力家に見られる複雑な色味。

 

 2人とも輝きの奥に深い闇が垣間見えた。何かを喪失した者にありがちな闇が。

 珍しくはない。ダイダロス通り辺りで生活する人間達によく見られる。

 

 ただ……青年の方の闇はフレイヤをして見たことがない不吉さを有している。輝きも温もりもない虚無のような不吉さを。

 良くないものかとも思ったが、少年は2人と接して一層輝きを増していたため、フレイヤは見逃すことに決めた。不吉なものであれ、少年を輝かせるなら有用であろうから。

 

 それより、今は少年と関わり始めた“アレ”の方が問題だ。

“アレ”と関わることでも少年の魂は輝きを強くしていた。が、その輝き方がフレイヤの気に障る。その感情を一言で言えば――嫉妬かもしれない。

 

 当初、フレイヤは久しく抱いていなかったその感情を楽しんでいたが、早朝特訓が日を重ねるに連れて苛立ちを覚えていた。

 

“アレ”と関わることで、少年の魂が美しく光り輝くことが気に入らない。

 あの少年を輝かせるのは自分だ。あの少年を男にするのも自分だ。“アレ”ではない。

 

 フレイヤは決める。

「アレンとガリバー兄弟を呼んでちょうだい。それと、オッタル。ちょっとお願いがあるの」

 

 斯くて美神の我儘が始まった。

 現迷宮都市最強の男オッタルはいつものように美神の願いを叶えるべく動き始めた。

 

         ★

 

 医神ミアハの眷属ヌァーザ・エリスイスは歳若い犬人乙女なのだが、ダメ亭主に苦労させられる昭和女みたいな香ばしい雰囲気をまとっている。

 

 それというのも、主神ミアハがファミリアの主力商品であるポーションをタダでばら撒いているからだ。原料費や製作費も安いものではないのに……おかげでミアハ・ファミリアの財政はいつも火の車。たった一人の眷属ヌァーザが爪に火を点すように働いても追いつかない。

 

 とはいえ、かつて中堅どころだったミアハ・ファミリアがド底辺貧乏ファミリアに落ちぶれた理由が、自身の義肢を賄うための借金であるため、ヌァーザは主神を強く諫められない。

 

 で。そうこうしているうちにミアハ・ファミリアは借金苦で首が回らなくなってしまった

 

 もはや背に腹は代えられぬとばかりに、ヌァーザはポーションを薄めて販売。品質偽装で経費削減。利益率アップを試みたのだ。まあ、焼け石に水だったけれど。

 

 品質偽装ポーションはアホな冒険者達に気づかれなかった。しかし、ヘスティア・ファミリアに改宗したリリルカ・アーデが見抜く。

 

 リリルカは憤慨した。

 人生の大半を金で苦労してきた身であるし、自身の慕うベル・クラネルがカモにされていたという事実に、それはもう烈火の如く激怒した。

 

「詐欺としてギルドとガネーシャ・ファミリアに通報してやりましょうっ! 二度と商売できなくしてやりますっ!」

 アスラーグの教え通り公権力を利用してぶっ潰すと息巻くリリルカちゃん。

 

 ミアハの神友ヘスティアと、ミアハからポーションを貰っていたベルが何とか宥めて賺して通報を押し留める。

 

 それでまあ、色々あってヌァーザから品質偽装に至った理由を説明されたのだが――

「借金? 知ったこっちゃあありませんっ! 商売で稼げないならサポーターでも娼婦でもやって稼げばいいでしょうっ! ベル様をカモにした事実を許す理由になりませんっ!」

 別の世界線よりタフなリリルカは怒ると容赦がなかった。怖い。

 

 最終的にはミアハとヌァーザ、それとなぜかヘスティアとベルまで跪いてリリルカの慈悲を乞う始末。なんだこれ。

 

「……分かりました。ベル様たっての嘆願とあれば、仕方ありません」

 ひとまず矛を収めたリリルカはミアハとヌァーザを睨みつける。

「事の一因たるミアハ様は今後、ポーション配布禁止っ! 破ったら、配布した分のポーション代をヘスティア様と同じようにバイトで稼いでもらいますっ! それと、ヌァーザ様っ! 貴女には早急にその考案中の新ポーションとやらを開発して貰いますっ!」

 

「で、出来なかったら?」

 慄きながら恐る恐る問うヌァーザへ、リリルカは微笑んだ。怖い笑みだった。

「サポーターか娼婦。お好みの方をどうぞ」

 

        ★

 

 迷宮都市の某広場。その一角のベンチにて、ロリ巨乳女神が知己の男女と茶をしばいていた。

「――というわけなんだよ。アスラ君とエミール君はどう思う?」

 

 バイト休憩中のヘスティアが愚痴る様に一連の件を語り終えると、アスラーグ・クラーカは満足げに大きく頷いた。

「素晴らしい。リリちゃんは立派に淑女の道を歩んでいますね」

 

「ええ……」ヘスティア様、御困惑。

 エミールも相棒の見解にやや呆れつつ、フォローに回る。

「アーデ嬢は改宗したばかりですし、ヘスティア様やクラネル少年のために役立ちたくて気が流行っているのかもしれません。じきに落ち着くと思いますよ」

 

「そうかなあ……だと良いけど……」

 はあ、と仰々しく溜息をこぼし、ヘスティアは2人へ問う。

「それにしても、一緒に行かなくてよかったのかい?」

 

 本日、ベルとリリルカはヌァーザの依頼――新ポーションの材料採取:迷宮都市外の森林に生息するブラッドサウルスの卵を確保――に赴いている。

 

 リリルカは人生初の都市外遠征に初めて遠足に臨む子供みたく昂奮していた。そんなリリルカの様子にベルは『僕も村を出た時、こんな感じだったなあ』と微笑んでいた。

 リリルカとベルはアスラーグ達も誘ったが、アスラーグとエミールは謝辞して代わりに『楽しんで来なさい』と御弁当代の小遣いを渡していた。

 

「リリちゃんは新しい人生を歩み出しましたばかり。まずは新しい環境に順応させませんと」

「そのためには俺達が適度に距離を取った方が良いですから」

 アスラーグとエミールの回答に、ヘスティアは感じ入ったように頷いた。

「君達は大人だなあ」

 

 アスラーグはくすりと微苦笑をこぼす。

「それにまあ、リリちゃんが正式にヘスティア様の眷属となり、ベル君のパーティに加わった以上、私達は下層遠征に向けて新たなサポーターを探さないといけませんし」

「リリルカ君が君達に同行したいみたいだけど」とヘスティア。

「流石にクラネル少年と正式に組んでいる状態で、アーデ嬢を下層遠征へ連れ出すことは憚られますよ」

「ふぅむ。確かに」

 ヘスティアはエミールの言い分に首肯を返し、大きな胸を抱えるように腕を組んだ。

「それで、新しいサポーターに心当たりはあるのかい?」

 

「一応、ロキ様から御紹介していただく話になっていますが、とりあえずは本人に会ってみてからですね」

「むぅ」

 ヘスティアは不満げに唸り、じとっとした目をアスラーグとエミールへ向けた。

「君達にはいろいろお世話になってるし、君達のことが大好きだけど、あの陰険ド貧乳と付き合いがあることはどうかと思うなっ!」



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34:それは関係性の問題。

お待たせしました。


 ロキ・ファミリアの拠点『黄昏の館』、団長執務室で、

「ベートもティオナも遊ばれて終わったらしいな」

 女神ロキがぼやくように言った。

 

「予想の範疇だよ。相手は時間と空間を操るんだから。どれほどレベルやステータスで優っていようと、時を止められてしまえば何もできない」

 執務机に着いているフィンは、右手親指を撫でながら続けた。

「しかも、素の実力も高いというんだから始末に悪い。諸島帝国の精鋭。評価に偽り無しだ」

 

「レベル差を凌駕するほど、か」同席していたリヴェリアがしみじみと「まだ20も前半だろうに。よくそこまで練り上げたものだ。アイズみたく天才のクチか?」

 

「どうかな。僕に言わせれば、荒事師の分野で才能云々が決定的なことは稀だ。大半の事は積み上げた努力の内容と密度。それと練度と経験だよ。エミール・グリストルはそちらだと思うよ」

「ほう。何か理由が?」

「僕は戦士として才能があったわけじゃない。それでも、努力を重ねてレベル6に至った。彼も同じ類だろう」

 フィンはくすりと妖精族の盟友へ笑いかけた。

「リヴェリアも今から鍛えてみるかい? 剣士や戦士として名を成せるかもしれないよ?」

 

「遠慮する」

 小さく肩を竦めてから、リヴェリアはフィンに尋ねる。

「それでアスラから聞いた情報だが、どうする?」

 

「アスラ? 先の会食で随分と打ち解けたようだね」

 目を瞬かせるフィンに、リヴェリアは気恥ずかしそうに目線を泳がせた。

「……学術談義を交わせる相手というだけだ」

 

「リヴェリアの交友関係が広がったことは喜ばしい限りだね」

 フィンは苦笑いをこぼした後、顔つきを引き締めた。

「彼女から提供された情報は予想以上だ。イケロス・ファミリアのモンスター密輸。この街の地下に広大な人造施設が存在する可能性。闇派閥との関連。それに、魔女の心臓、か」

 

「これは推測だが」リヴェリアも表情を引き締めて「アスラはまだ全てを語っていない」

「だろうね」フィンも首肯し「公に不名誉を背負ってまで行っていることだ。僕らに明かせない事情も少なくないはずだし……おそらく彼女達はギルドと協力関係にある」

 

「食人花の件でギルドが怪しい、という神ディオニソスの推測は的外れだったわけか」

「そこまでは断言できへん。あいつの与太話はともかく、ギルド、いや、ウラノスが腹に一物隠しとるんは確かや。何を隠しとんのか分からへんうちは油断できん」

 リヴェリアの指摘に首を横に振り、ロキは口元に手を当てて思考しながら言葉を重ねていく。

「現状、ウチらが打てる手はアスたん達とつながりを保って、2人を通じてギルドや闇派閥の情報を集めることくらいやな」

 

 ロキは少々苦しげな顔つきで言った。

「お抱えのサポーターがドチビんトコに移った言うてたから、ウチから人を出そうと思うんやけど、どやろか?」

 2人の許へ団員のサポーターを貸し出し、見返りに情報を得る。良く言えば、ロキ・ファミリアからの人材支援。悪し様に言えばスパイ。

 

 しかし、

「反対だ。アスラ達が秘している事情を把握するまでは完全に信用できない。それに、彼女達が戦う相手はベート達や虚無歩きと伍して戦えるほどの手練れ共だぞ。危険すぎる」

 リヴェリアに睨み据えられ、ロキは微かに顔をしかめた。

「それはそうやけど……」

 

「僕としても、あの諸島帝国人達のことを考えると、団員を出向させることは危険だと思う」

 フィンもリヴェリアに同意し、続ける。

「代わりに今度の遠征に同行させたらどうかな」

 

「良いのか?」とリヴェリアが案じるように問う。

「もちろん深層遠征までは付き合わせないよ。彼らには途中まで同行してもらって、目的の下層遠征してもらえば良い」

 少しばかり思案顔で右手の親指を撫でながら、フィンは言った。

「彼らが僕らと共に遠征するとなれば、闇派閥の耳にも届くと思う」

 

「囮か」とロキは顔をしかめる。

「悪く言えばね」

 さらりと告げ、フィンは考えを披露する。

「ベート達やアスラーグ・クラーカの話から察するに闇派閥の諸島帝国人達、特に件のヴァスコという輩はかなり執念深い。リヴィラの件と食糧庫の件で僕らも狙われると思った方が良い。遠征の帰路に襲撃されると厄介だ。そういう意味でも、アスラーグ達に目を向けさせることは悪い手じゃない」

 

「ウチらの都合には叶うけど、2人の信用を損なわへん?」

 ロキの憂慮に対し、フィンは微笑みを返す。

「大丈夫さ。アスラーグ・クラーカもエミール・グリストルもそんな“ぬるい”人間じゃないよ。事前に説明すれば了承する」

 

「随分と自信があるな」

 リヴェリアが怪訝そうに眉をひそめると、

「まあね」

 フィンは微笑みへ自嘲の趣を加えた。

「彼らは僕と“同類”だよ」

 

       ★

 

 アモールの広場に面するエルフ族御用達の喫茶店にて、

「遠征に途中まで同道。それでええ?」

 女神ロキに問われ、アスラーグは首肯する。

「はい、ロキ様。ただ出来れば、サポーターを御紹介いただけると助かったのですが……」

 

「堪忍なぁ。団員の貸し出しなん無理やぁて、フィンとリヴェリアに叱られてん」

「それは、仕方ないだろう」

 渋面を浮かべつつ、リヴェリアはアスラーグを横目に窺う。と、アスラーグが微苦笑を返した。

「リヴェリア様とディムナ殿の御判断が正しいでしょう。私が同じ立場でも怪しい二人組に身内を預けようとは思いません」

 

「やあ。そうは言うてもなぁ。紹介する言うといて、やっぱダメでした、はウチの顔が潰れてまうやん? せやからぁ、アスたん達がうちの客分になってくれるんがええと思うわあ」

「ロキ……っ!?」

 のほほんと語る主神へ、眉間に深い皺を刻んで睨むリヴェリア。

 

 アスラーグは些か怪訝そうな面持ちで糸目の女神を量る。

「私達の素性を知ってなお、ですか?」

 

「天界はなあ、退屈やねん。どいつもこいつも何もかんも万世不変やからな」

 ロキは糸目を開き、奇妙な熱を込めて語る。

「けどなあ、地上の子らは違うんよ。皆、短い命を必死に生きとる。どんな子も自分だけの物語を必死に紡いどる。そんな子らの物語を眺めとるとな、血が熱くなんねん。心が震えんねん。せやからな、ウチの子らと同じくらい、アスたん達の物語に興味あるんや」

 

 ああ、こいつはこういう女神だった、とリヴェリアは眉間を押さえる。自身も半ば強引にファミリアへ勧誘されたことを思い出し、溜息がこぼれた。

 

 懐かしいです、とアスラーグは柔らかく微笑む。

「ネヘレニア様も似たようなことをおっしゃっていました。地上の子らはいつまでも見守っていたくなる、と」

 

「レニたんはよぉ分かっとるわ」

 うんうんと頷き、ロキはアスラーグへ言った。

「今回の遠征。道中にウチの子らと“仲良く”してや」

 

「それはもちろん。御迷惑をお掛けせぬよう最善を尽くします」

 アスラーグはカップを口に運び、どこか挑むように言った。

「ただ……遠征の道中に私達の“敵”が現れた時までは保証しかねますけれど」

 

「……遠征隊を襲うと?」

 リヴェリアが真剣な面持ちで問う。

 

 カップを置き、アスラーグは垂れ気味の双眸をリヴェリアに向ける。

「執念深いヴァスコのこと。私とリヴェリア様、ウィリディスさんが一堂に会する場を放ってはおきません」

 

「あの下品な男か」

 リヴェリアは端正な顔をしかめる。

「怪しげな薬剤を使い、モンスターを改造していたが、あれは何なんだ?」

 

「ヴァスコは生物学と錬金工学の研究者でした。人為的にモンスターの生体構造を改造し、社会に有益な家畜とする研究をしていましたから、その筋の技術でしょうね」

「モンスターの家畜化」「そらまたけったいな」

 唖然とするリヴェリアと呆れ顔のロキ。

 

「そんなこと、可能なのか……? いや隷従させることが可能なのだから、家畜化とて不可能ではないのか……?」

 自問するリヴェリアを横目に、ロキが尋ねる。

「ほなら、怪物祭ン時にウチを目の敵にしたウサ公のバケモンも、そいつの仕業かえ?」

 

「可能性はありますね。人格その他はともかくヴァスコは優秀な男でしたから。ただ、アレが彼の仕事なら、なぜ無駄に目立つような真似をしたのか謎ですけれど」

「そういうことをするタイプとちゃうん?」

「自己顕示欲に繋がらない“お披露目”は彼の好みではありません」

 ロキとアスラーグがやり取りを進めていると、リヴェリアが思考から復帰した。

「教えてくれ。アスラ」

 

「答えられることなら」と頷くアスラーグ。

「君達の敵は何人いる?」

「そう多くはないでしょう。10人以下かと。迷宮都市で食い詰め者などを引き入れて増強している可能性はありますが」

 リヴェリアは首肯し、問いを重ねた。 

「その10名前後はヴァスコという狂人と同水準か?」

 

「面子の中身が不明ですから何とも」

 アスラーグは思慮顔で続けた。

「諸島帝国人達は恩恵持ちという意味では大したことがありません。ただし、連中はエミールが“全力で”戦ってなお、殺し切れない手合いだとご理解ください」

「……油断ならないな」とリヴェリアが唸る。

 

「あんなぁ、アスたん。一つだけ教えて欲しいんやけれど」

 ふと、ロキはカップの縁を撫でながら、片目を大きく開いてアスラーグを見据えた。

「もしも、その魔女の心臓やら諸島帝国人やらの扱いでウチの子らと揉めることになったら、どないする?」

 リヴェリアは思わず息を呑み、ロキとアスラーグを交互に窺う。

 

 アスラーグは居住まいを正して人間好きの道化神を真っ直ぐ見つめ、

「祖国を出て三年。私達は魔女の心臓を探し、賊徒共を追いかけてきました。ロキ様や御眷属の御厚情に不義理を為し、御恩に仇で返そうとも、本願成就を果たすのみです。然れども」

 青紫色の瞳に柔らかさを湛えた。

「まず以って言葉を尽くしましょう。その末に武を以って訣別と相成っても、互いの立場と考えを尊重し合えないか、努めましょう」

 

「そっか」

 女神ロキはどこか切なそうに微笑んだ。

「レニたんはほんまにええ子らに恵まれたなあ」

 

     ★

 

 宵闇時。秘密特訓の帰り道。

 女神ヘスティアがベルの腕を抱きかかえ、隣を歩く剣姫アイズを威嚇している。女神にギロギロと睨まれているアイズは涼しい顔を崩さない。

「ベルはエミール・グリストルという人に戦い方を教わったんだよね?」

 

「はい。冒険者になったばかりの頃、エミールさんとアスラーグさんから基礎を教えてもらいました」

 アイズに問われ、ベルは首肯と共に答えた。

「御近所の誼でいろいろよくして貰ってます」

「ボクが頼み込んだんだ。2人とは仲良しだからねっ!」とヘスティアがイーッとアイズを威嚇する。もはや幼児の如き振舞いである。

 

 少し考え込むアイズに、ベルは小首を傾げる。

「エミールさん達がどうかしました?」

「ん。ベルの太刀筋とか身のこなしとか、教えた人の事が気になって」

 

 事実であるが、全てではない。

 先立っての晩にベート達がエミール・グリストル――24階層の食糧庫で見かけた紅色髑髏――と手合わせしたという話を聞き、アイズは「ずるい」と不満を呈した。

 

 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインはモンスターに両親を奪われて以来、モンスターを殲滅する力と、大切な人達を二度と奪われない強さを渇望している。

 暗黒期に迷宮都市で跳梁跋扈した髑髏の異能者と同じ超常を使う戦士との手合わせなど、何を差し置いても得たい機会だった。こんなことなら会食に同行すればよかった、と落胆を隠せない。

 

 なお、エミール・グリストルの件に関しては他言無用、ましてや本人のところに乗り込んで手合わせを求める等の行為は厳禁。これらを破ったら『恩恵の更新停止』や『ロキの指定する衣装を着こんでロキの付き人を務める』や『じゃが丸君の禁止』等を科すと言われており、その意味でも、アイズはがっくりしていた。

 

 しかし、皆の目を盗んでベルと秘密特訓しているように、この『モンスター絶対殺すガール』は割と小賢しい。

「ファミリアの深層遠征も近いし、この特訓の仕上げ前に、ベルに基礎を教えた人達に会ってみたい」

 会いに行くのはダメでも、向こうから来て出会ったら大丈夫。のはず。

 

 そんなアイズのちょっとした悪企みに、女神ヘスティアが噛みついた。

「ヴァレン何某君。ちょいとムシの良いお願いじゃあないかい? ベル君に稽古をつけてくれたことには感謝するけれどね、あの2人に出馬を求めるって言うなら、君自身が2人に頭を下げて頼むのが筋ってもんだろう? ベル君を利用するような真似はやめてもらおうか」

 

「あぅ」

 正鵠を射た小言を浴びせられ、アイズは眉を大きく下げ、ベルに詫びる。

「ごめんなさい……でも、私、気になって……」

 

「あ、いえ。気にしないでください」

 しょんぼり顔になったアイズにベルが慌てた矢先。

 

 黒づくめの猫人と黒づくめの小人族四人が頭上から急襲してきた。

 アイズは即応し、右手で剣を抜くと同時に、左手でベルの襟元を引っ掴み、ヘスティアごと路地の端へぶん投げた。

 

「うわああああっ!?」「ひええええっ!?」

 レベル6の馬鹿力で軽々と投げられた少年と女神の悲鳴が路地に響く中、アイズの剣閃が煌めき、黒づくめの猫人と小人族四人の攻撃を全て切り払う。

 

 黒づくめの猫人と小人族4人は初撃に失敗するや、超人的な跳躍で建物の屋上へ離脱した。

「ななななんなんだいっ!?」「神様、下がってっ!」

 慌てふためくヘスティア。主神を守ろうと身構えるベル。

 

 2人を余所に、アイズは襲撃者達を冷静に窺う。この人達は……フレイヤ・ファミリアの。

 

「これは警告だ。剣姫」小人の一人が告げ「今後は余計な真似をするな」

「大人しくダンジョンに籠ってろ、人形女。あの御方の邪魔をすれば」

 猫人が悪罵を吐きかけたところへ、

 

「エミール様。本当にこんなに必要なんですか?」

「ダンジョン内に数日こもるからな……ん?」

 脇道から大荷物を担いだエミールと傍らを歩くリリルカが現れ、

 

「あ、ベル様っ! それに剣姫様っ!?」

 リリルカが予期せぬ遭遇に驚く。

「ボクが抜けてるぞ、リリ君っ!」とヘスティアが苦情申し立て。

 

 ち、と鋭い舌打ちをして猫人がその場から離脱し、続いて小人族4人が姿を消した。

 

「どういう状況だ?」

 困惑を浮かべるエミールに、ベルも困り顔で応じた。

「僕も何が何だか……」

 

 アイズは剣を収め、エミールに歩み寄って言った。

「私と、手合わせして欲しい」

 

 困惑を強めたエミールは即答する。

「話が見えないが……断る」

 

      ★

 

 その時、敬愛してやまない主神の願い(我儘ともいう)に従い、“猛者”オッタルは“試練”を用意していた。

 

 正味な話、“猛者”は彼の少年にこのような試練を課すことに思うところはあるが、神に目を掛けられるということは“こういうこと”であり、崇拝する美神の願いとあれば是非もない。

 

 オッタルはミノタウロスを一頭捕まえ、戸惑うミノタウロスをしばき倒すように“稽古”をつける。

 そうして『少しばかり興が乗ってしまった』と思う程度に練り上げたミノタウロスを車輪付き貨物箱に放り込み、上層へ運んでいく。

 

 第9階層まで上がってきた辺りで、ダンジョンの暗がりから小型の投槍と見まがう矢弾が飛来した。

 

 常人ならかすめるだけで四肢を千切り飛ばすほどの威力だったが、オッタルは容易く矢弾を斬り砕く。

 オッタルは微かに眉をひそめた。こんな矢弾を放つ弩銃を扱う者はオラリオに一人しかいない。

 

 元より蛙の化物染みた女だったが、今や毛無し熊の女怪と化した女。

 イシュタル・ファミリアの“全てを食らうもの”フリュネ・ジャミールだ。

 

 面倒な手合いが現れた、とオッタルは剣を握りしめる。

 以前のフリュネはその巨躯と恩恵頼りの粗暴な女戦士に過ぎなかったが、レベル6に上がって容姿が激変して以降、獰猛な戦士でありながら狡猾な猟師になり、奇怪な異常殺人者となっていた。何より、フレイヤ・ファミリアの精鋭2人を同時に相手取って退けるほどの実力者だ。

 

 気配は感じる。深層の階層主にも通じる恐ろしげな気配が。

 しかし、その居場所はオッタルをして掴みきれない。

 

 空気を切り裂く音色が響き、鮮烈な風切り音と共に巨大な矢弾が飛来する。

 オッタルはこれも容易く斬り砕いた。と爆ぜた矢弾が貨物箱の鍵を破壊。閉じ込められていたミノタウロスが泡食って逃げていく。

 予期せぬ失策にオッタルが眉をひそめた瞬間。再び矢弾が飛来。これを斬り砕き、矢弾の矢じりを峰で打ち返す。さながら野球の打者が投手を狙って打ち返すように。

 

 凄まじい勢いで飛翔した矢じりが壁に当たり、闇に火花を散らした。

 毛無し熊の影が一瞬、閃光に照らされる。

 

「貴様と遊ぶつもりはないぞ、ジャミール」オッタルは闇へ向けて告げる。「俺に斬られる覚悟が無いなら失せろ」

 

 しばしの静寂。

 

 そして、オッタルに負けぬ長身と筋骨を持った女怪が姿を見せる。目元を隠す前髪の長いおかっぱ頭。弩銃は持っておらず、腰に分厚く厳めしい曲刀を下げていた。

 

「“遊ぶ”ときたか」

 フリュネは白目の乏しい黄色の瞳をぎょろりと蠢かせ、前髪の隙間からオッタルを見定めた。

「穴ぼこの中で“動物”と遊ぶのに忙しいか?」

 

「貴様には関係ない」とオッタルは警戒心を解くことなく告げる。

 

 オラリオ内には油断ならぬ強者が少なくないが、オッタルをして警戒を解けぬ相手は数えるほどしかいない。フリュネ・ジャミールはその筆頭格だ。

 

 フリュネはボンデージのような着衣の懐からナッツの包みを取り出し、ナッツを一粒ずつ摘まみ始める。

「そうだな。お前が何をしていても関係ない。大抵の人間がお前とは無関係の一生を送る」

 

 ポリポリと一粒ずつナッツを摘まむフリュネは一切瞬きせずにオッタルを凝視しながら、問う。

「だが、こうしてそれぞれの都合が交錯した場合、無関係と言えるのか?」

「何が言いたい」

 

「聞いてるのはこっちだ」

 ナッツを摘まみながらフリュネはぎょろりと黄色の瞳を蠢かせる。

「受け入れて、適応しろ。オッタル。都市最強に相応しく」

 

 女怪の要領を得ぬ言い草に、オッタルは微かに疎ましげな面持ちを浮かべた。

「……イシュタルは抗争を臨んでいるのか」

 

「イシュタルがこの状況に関係あるか? お前のフレイヤがこの会話に関係するか? お前、ちゃんと分かってるのか?」

 フリュネは無表情にナッツを一粒ずつ口へ運び、反問する。

 

 会話になっているようでなっていないやり取りに、オッタルは苛立たしげに眉をひそめた。

「貴様は狂っている」

 

 一瞬だけ冷笑を湛え、フリュネは無表情に戻りながら、空になったナッツの包みを握り潰して足元へ落とすように捨てた。

「穴倉で動物遊びしているお前が、他人の狂気を語るのか」

 腰から分厚く厳めしい曲刀をゆっくりと抜き、フリュネは口角を吊り上げた。

 

「狂人同士で遊ぼう」

 



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35:ケース『ベル・クラネル』

 そのミノタウロスは困惑と共にダンジョン上層を彷徨い、怪物としての本能に従って時折、遭遇する人間達を蹴散らした。同時に、内なる飢渇に駆られて出くわしたモンスター達も狩り殺し、その魔石を貪り食らう。

 

 上層のひ弱なモンスターの魔石はミノタウロスの飢渇を満足させない。塩水で渇きを癒す不毛さに似た終わりなき餓え。満たされぬことへの苛立ち。増していく暴力的な衝動。

 それは堪え難い痒みであり、それは耐え難い疼きであり、決して晴れぬ不満だった。

 

 ミノタウロスは求める。

 自身を満たす何かを。欲求を満たす何かを。

 名状しがたき衝動のままに、ミノタウロスは肉体が弾けそうなほどの雄叫びをあげた。

 

 

 ダンジョン内に轟く咆哮。

「まさか、今のはミノタウロスっ!? なんでこんな浅い階層に……っ!?」

 リリルカが愛らしい顔を引きつらせた。

 

 ヘスティア・ファミリアへ改宗/移籍したことをきっかけに、リリルカは白いローブコートをやめ、サラマンダー・ウールの紅いケープコートをまとっていた(アスラーグのケープコートとお揃いの意匠だ)。ケープコートの下にはクロスボウ用の装具をハーネスでまとめている。

 背中に担ぐドデカいバックパックを揺らすように身を震わせ、リリルカは言った。

「ベル様、すぐに引きましょう。ミノタウロスは危険すぎますっ!」

 

“あの2人”に下層まで連れ出されたリリルカでも、牛頭の怪物は恐ろしい。否、下層まで潜ったからこそ、よりミノタウロスの恐ろしさを理解していた。

 咆哮による強制停止は下層のモンスターでも早々持ちえない固有スキル。言うなれば、ミノタウロスより弱い者は絶対に勝てない。ベルが如何にステータス値の向上が著しくとも、レベル1では逆立ちしても勝てないのだ。

 

「ベル様?」

 リリルカは返事を寄こさないベルに訝る。

 

 ベルは咆哮が聞こえてきた闇を慄然と睨んだまま、微動だにしなかった。

 

 白兎は体が凍りついていた。

 牛頭の怪物。“あの日”からその姿と声を忘れたことは一度も無い。“あの日”の恐怖と絶望感は心の芯まで刻み込まれている。

 恐怖と恥辱の記憶が脳裏に浮かびあがり、ベルの身体を竦ませ、心を怯ませ……魂の奥底から何かが沸々と込み上がらせていた。

 

「ベル様っ! しっかりしてください、ベル様っ!!」

 焦燥気味のリリルカに強く揺さぶられ、ベルはようやく我に返る。

「あ」

 

「すぐにこの階層から引きましょうっ! 速くっ!」

「……引く?」

 どこか茫然としながら、ベルは小柄なリリルカを見下ろす。

 

 そうだ、すぐにこの階層から引かないと。ミノタウロスに遭遇したら、今度こそ殺されてしまう。僕だけじゃなくリリまで。

 

 また逃げるのか?

 誰かがベルの耳元で囁く。

 

 誓ったのに? ヘスティアに誓ったのに? 自分自身に誓ったのに? “あの娘”の隣に立てる人間になると誓ったのに? 

 また逃げるのか? 情けなく尻尾を巻いて? 涙と鼻水と涎を垂れ流しながら?

 負け犬のようにまた逃げるのか?

 

 怯懦に駆られているリリルカの姿に、ベルはかつての自分を見る。

 されど、リリルカの瞳に映るベル・クラネルの姿は、かつての自分と同じではない。

 

 黒い冒険者服の上下に曲がりなりにも白い軽甲冑をまとっている。左腕にはエイナ・チュールから贈られた籠手が装着され、敬愛すべき主神ヘスティアから贈られた黒短剣も差してある。

 右も左も分からず安物の短剣と陳腐な装具をまとっていた時は違う。

 

 そうだ。僕はあの時とは違う。

 あの時とは違うんだ。

 

 ベルの紅玉色の瞳に力の意志が宿る。未だ竦む体を叱咤するように拳を握り込む。

「リリ、僕は―――」

 白兎が覚悟の言葉を告げようとした矢先。

 

 

 通路の先から牛頭の怪物が姿を見せた。

 

 

 大きい。

 一般的なミノタウロスより身体が一回りも大きい。赤黒い体躯にはいくつも傷痕があり、片角が失われている。歴戦の個体なのだろう。しかも、冒険者から奪い取ったのか、その手には武骨な大剣が握られていた。

 

 ミノタウロスは傲然と顔を振り、ベルとリリルカを見る。

 

 煌々と輝く怪物の双眸に見据えられた瞬間、ベルとリリルカは生物的本能から直感的に理解する。このミノタウロスは生物として格が違うことを。

 そして、もはや生半なことでは逃げられないことを。

 

 背を向けた瞬間、咆哮で射竦められ、何も出来ぬまま殺されるだろう。

 立ち向かい、力づくで脱出の隙を作り出すしかない。だが、出来るのか? そんなことが? 非力なレベル1の駆け出し冒険者と非力なサポーターに?

 

 と、奇しくも二人の脳裏に同じ人物がよぎる。あの涼しげな優男と黒妖精の美女なら、きっとこう言うだろう。出来る出来ないじゃない。頭を使え。考えろ。

 

「……僕が時間を稼ぐ。リリは逃げて」

 ベルはゆっくりと左腕に装着した黒短剣を抜く。自分でも嫌になるくらい声が怯えていた。しかし、黒短剣を握る手は震えていない。竦んでいない。

 

「……御断りします」

 リリルカは今にも泣きそうな声で、しかし毅然とした双眸でベルを睨む。ミノタウロスを刺激しないよう背中に担いだバックパックを静かに下ろし、右腰のホルスターから愛用の諸島帝国製クロスボウを抜く。

 

「……ベル様は魔法を撃ってください。リリがクロスボウで奴の足を狙い撃ちます。奴の足を潰して脱出しましょう」

 無茶を言っている自覚があった。ベルの魔法が通じなかったら? クロスボウの矢弾が効かなかったら?

それでも眼前のケダモノを打ち倒す光景を想像できない以上、この場から“二人で”脱出するには、賭けるしかない。

 

「……良いんだね?」

 ベルはミノタウロスから目線を外さぬままリリルカに問う。本心ではリリルカに逃げて欲しい。この無謀な戦いに付き合わせたくない。女の子を危険な戦いから逃したい。

 

「リリとベル様は同じファミリアの仲間ですから」

 しかし、リリルカはベルの気遣いを拒絶していた。誇りと信念をもって。

 ならば、2人でこの危機を乗り越えよう。ヘスティア・ファミリアの仲間として。家族として、この試練から生き延びよう。

 

「いくよ、リリ」

 ベルは怯え竦む体を叱咤するように黒短剣を構えた。

「やりましょう、ベル様」

 リリルカは決意を示すようにクロスボウを構える。

 

 ミノタウロスは悠然と2人の小さな冒険者に向き直り、大剣を強く握りしめた。

 斯くしてダンジョンの一角にて、少年少女の試練が始まる。

 

     ★

 

 ここで時計の針を少しばかり戻す。

 

 その日の朝方、巨塔バベルの足元にロキ・ファミリア遠征隊が集結していた。

 迷宮都市屈指の探索系派閥の精鋭達に混じり、ヘファイストス・ファミリアの団長椿・コルブラントが居た。椿は迷宮都市でも随一と名高い鍛冶師であり、レベル5冒険者でもある。

 曰く――素材集めと試し切りをしていたらレベルが上がっていた、らしい。

 

 出発前の最終確認が進められる中、椿が集団の端で静かに控えている“客分”の許へ向かう。

「御二方がフィンの言っていた客分かな?」

 

「ええ。私はアスラーグ・クラーカ。諸島帝国の祭神ネヘレニア様の眷属です」

 黒妖精の美女が首肯した。

 垂れ気味な目つきの整った顔立ち。青紫色の美しい瞳。薄褐色の瑞々しい肌。銀色の波打つ長髪を三つ編みに。出るとこが出て、引っ込むべきところが引っ込んだ中肉中背を小豆色のケープコートと暗褐色のパンツで包み、ハイブーツを履いていた。左腰に優美な装飾が施されたレイピアを吐き、大きな円筒型バッグを左肩に担いでいる。

 

 かなり腕の立つ魔法剣士だな、と椿は思う。おそらくケープの下にも得物を呑んでいるだろう。もしかしたら二刀の遣い手かもしれない。

 

「エミール・グリストル。同じく、ネヘレニア様より恩恵を賜っています」

 ヒューマンの青年。癖の強い栗色の短髪。涼しげな目つきの優男だ。長身痩躯で暗青色の上下を着こみ、腰には各種パウチを付けた装具ベルト。スリングで左脇に諸島帝国製の半自動機構付クロスボウを下げている。大型背嚢を担ぎ、背嚢の右側には長剣らしき長方形のホルスターが固定されていた。

 

 こちらは相当に場数を踏んだ軽戦士か。椿は思う。この若人、冒険者というより戦人の向きが濃いな。

 

 2人が折り目正しく名乗ると、椿も居住まいを正して返礼した。

「丁寧な御挨拶いたみいる。申し遅れたが、手前は椿・コルブラント。日頃はヘファイストス・ファミリアにて鉄を打っておる。此度はロキ・ファミリアに駆り出された客分同士、よしなに」

 

「よろしくお願いします」「こちらこそ、どうぞよしなに」

エミールがアスラーグと共に椿と挨拶を交わし、何気なく言った。

「アマゾネスの方が鍛冶師とは珍しいですね」

 

 椿の容姿は若々しい。小麦色の肌に濡れ羽色の長髪。端正な顔立ちに左目を覆う大きな眼帯を巻いている。そして、しなやかな長身と豊満な胸元を、露出豊かな東方風衣装で包んでいた。

 なるほど、一見するとアマゾネスにしか見えない。しかし……

 

 椿はきょとんとしてから、カッカッカッと快活に笑う。

「よぉ誤解されるが、手前はハーフドワーフだ」

 

「これは大変な失礼を。お詫びします」とエミールが深く頭を下げた。

「気にするな。紛らわしいナリは自覚しておるからな」

 くすくすと喉を鳴らしてから、椿はアスラーグの腰元をしげしげと窺い、好奇心を溢れさせながら言った。

「アスラーグ殿。そのレイピアは業物であろう? 良ければ拝見させてもらえんか?」

 

「どうぞ」

 アスラーグは快諾し、左腰に佩いたレイピアを鞘ごと外して椿に渡す。

 

「お預かりする」

 椿はレイピアを丁寧な手つきで受け取り、抜いた。

 

 魔鉱合金製の刀身。優美なハンドガードと柄頭には高純度の魔晶が嵌めこまれている。よくよく見れば、刀身に精緻な彫刻が施してあり、その彫刻によって刀身に杖としての機能をもたらしてあった。剣の業物であり、魔導具の逸品だ。

 

 椿はまじまじとアスラーグの剣を見分し、感嘆をこぼす。

「――隅々まで神経が行き届いた見事な仕事だ。触媒の魔晶の加工も刀身の打刻も素晴らしい。この剣を打った御仁は恩恵を?」

 

「いえ、この剣を打った匠は恩恵を持っておりません」

「ほう。恩恵を得ずしてこの一振りを」

 椿にはより優れた剣を打つ自信がある。迷宮都市随一の鍛冶師という評に名前負けせぬだけの技量と経験を積んできた自負もある。

 

 しかし、レベル5に至った恩恵のスキルやアビリティを抜きにして、この一振りを打てるかと問われたなら。純粋に経験と技量と才覚でこの業物を打てるかと問われたなら。

 椿は種族混血と恩恵ゆえに乙女の如く若々しいが、齢38。相応の経験を積み、技量を体得していても、職人の世界なら、ようやく中堅に踏み込んだ年頃。

 

 いやはや。世界は広い。手前もまだまだ修行が足りんな。

「世界の広さを垣間見たわ。貴殿の剣を拝見できただけでも、この場に来た甲斐があった」

 カッカッカッと野武士のように高々と笑い、椿はレイピアを納刀。アスラーグへ返した。

 

「談笑しているところ申し訳ないが、そろそろ出発だ」

 フィンがやってきて客分三人を順に見回し、

「椿は後続の第二隊に参加してくれ。アスラーグとエミール。君達は第一隊だ」

 口端を悪戯っぽく緩めた。

「道中、よろしく頼むよ」

 

「こちらこそ。道中が楽しくなりそうですね」

 アスラーグは上品に喉を鳴らし、隣のエミールは小さく肩を竦めた。

 こうして、ロキ・ファミリアは二隊に別れ、ダンジョンへ進入していった。

 

 

 

 

 アスラーグはフィンとティオネ、それからリヴェリアを相手にしながら、歩みを進めていく。

 会話の中心はティオネで、話題はもっぱらアスラーグと亡き夫の恋愛や結婚の話だった。

 懐かしそうに夫と過ごした日々を語るアスラーグと興味津々のティオネ。なんとなく居心地の悪いリヴェリアさん(9×歳、恋愛経験無し)。時折ティオネから飢えた狼のような眼差しを向けられ、落ち着かないフィンさん(40歳、独身)。

 

 一方、エミールは困っていた。

 真後ろを歩くベートからは敵意をガンガン飛ばされている。

 隣を歩くティオナからは「どうやってあんなに強くなったの?」とか「あの戦い方はどうやって身につけたの?」とか質問攻め。

そのやりとりを注意深く聞いているアイズは『ねえ、手合わせしようよ。後で手合わせしようよ。大丈夫、怪我しないようにするから。手合わせしようよ』と雄弁な目線を送り続けてくる。

 

 第二隊に回してもらえばよかった……後でディムナ殿に相談してみようか……

 エミールが内心で嘆息をこぼした。

 

 直後。

 

 爆発音。洞窟内に伝わる残響。

 ロキ・ファミリアの面々が素早く警戒する。彼らの豊富な経験から言って、上階層の浅いところで耳にするような音色ではない。想定外の事態が起きている、と認識する。

 

「魔法、か」とリヴェリア。

「かすかだが、矢弾の発射音も聞こえた」

 反射的に知覚強化を行ったエミールが誰へともなく呟く。

「おそらくクロスボウだ。かなり高初速の」

 

 アスラーグとエミールには上階層で活動していて、爆発系魔法を使う者とクロスボウを扱う者の組み合わせに心当たりがあった。

 ゆえに、アスラーグはエミールに問う。表情を強張らせて。

「リリちゃんとベル君は今日、ダンジョンに潜っているの?」

 

「ああ。俺達の出発より早くダンジョンへ出かけた」エミールも険しい目つきで「今頃はもっと深い階層にいると思うが……」

 

「リリちゃんとベル君? 誰?」

 ティオナが小首を傾げ、アイズがエミール達と同じく目つきを鋭くした。

 同時に爆発音が矢継ぎ早に連続し、階層の端までケダモノの咆哮が響き渡る。

 

「!? なんでこんな浅いところにミノタウロスが」

 ティオネの言葉が言い終わるより早く、

「風よ(テンペスト)ッ!」

 アイズが魔法まで付与して疾風の如くダンジョン内を駆け抜けていく。

 

「ちょ、アイズッ!?」

「グリストル。行け」とアスラーグが冷厳に命じる。「必要なら救助しろ」

「了解」

 瞬間、エミールの姿も消える。

 

「ああ、もうっ! これは遠征中だっていうのにッ!」

 慌てて追いかけていくティオネ達。

 

「君は駆けつけなくて良いのかい?」とフィンが探る様にアスラーグを窺い「襲われているのは知己なんだろう?」

 

「グリストルが間に合わねば、誰が行っても間に合わない」

 アスラーグは不愉快そうに美貌を歪めた。

「気に掛かることがある。リリルカにはグリストルが射撃術を仕込んだし、あの子のクロスボウもグリストルが改造してある。中層のモンスター程度なら問題なく仕留められるはずだ」

 改造費数十万ヴァリスは伊達ではない。なんだかんだエミールもリリルカに甘いのだ。

 

「なのに、ウシ公は生きている」アスラーグはフィンとリヴェリアへ「なぜ?」

 

「強化種の可能性があるな」リヴェリアが応じ「しかし、ミノタウロスがこんな浅い階層まで上がってくること自体、かなり異例だ。しかも、そのミノタウロスが強化種というのは」

「たしかに。何やら作為的だ」

 フィンは小さく首肯した。

「でも、これはおそらく“別口”だ。闇派閥の連中がやることにしては地味すぎる。連中はもっと派手で下品だからね」

「諸島帝国人達でもない」アスラーグは断言して「私達を誘い出すために知己を狙うにしても、これは無い。稚拙すぎる」

 

      ★

 

「ファイアボルトッ!!」

 ベル・クラネルはミノタウロスの注意を引くように中距離で炎雷魔法を放つ。

 しかし、ミノタウロスの体毛を焦がすことすらできない。

 

 リリルカ・アーデが距離をとってクロスボウを放ち続けていた。銃弾並みの高初速で駆ける矢弾は確かにミノタウロスが肉体に突き刺さっていく。狙った足にも、胴体や腕にも。

 だが、いずれも矢弾も刺さるだけで、その頑強な脂肪層と頑健な筋肉を貫けず、致命傷に至らない。

 

「当たってるのにっ!!」

 パウチから矢弾を取り出し、クロスボウのボルトトラックに装填しながら、リリルカが半ベソを掻く。エミールに教わった通りに体幹でしっかり構えて撃って、ミノタウロスに命中させているのに。矢弾は確かに突き刺さっているのに。止められない。

 

 ミノタウロスは止まらない。ベルの魔法を浴びても、リリルカのクロスボウに撃たれても、決して止まらず、ベルに向かってひときわ大きく踏み込んだ。

 

「! ベル様っ! もっと下がってっ!」

 リリルカの警告は間に合わない。ミノタウロスの振るう大剣がベルを捉えた。ベルは咄嗟に黒短剣と左手の籠手を重ねて剣戟を受け止めるも、ダンジョンの壁面まで打ち飛ばされた。

 

「ぎゃっ!?」

 壁面に叩きつけられ、白兎の少年が地面に転がる。線の細い体を覆う軽甲冑が跡形もなく砕け散っていた。

 

「ベル様ッ!!」

 反射的にリリルカは意識をミノタウロスから外し、ベルへ注ぐ。

 

 その間隙。ミノタウロスは大剣をバットのように振るって岩を殴り砕き、リリルカへ飛礫の嵐を浴びせる。

 さながら火砲のキャニスター弾。リリルカは半ば本能的に身を伏せるも、避けきれない。飛礫の数発がその小さな体躯を捉え、薙ぎ払う。リリルカは悲鳴も上げられぬまま、毬玉のように地面を跳ね転がっていく。

 

「リリ……リリッ!!」

 壮絶な衝撃と激痛にヨレていたベルは、地面に倒れ伏せたリリルカの姿を認め、瞬間的に意識が覚醒。血が沸騰する。

「リリ―――ッ!」

 痛みを忘れてリリルカの許へ駆けつけようとするも、ミノタウロスが立ちはだかった。

 

「どけ」

 ベルはミノタウロスを睨み、

「どけえええええええええええええっ!!」

 吠えながら迷うことなく踏み込んだ。

 

 リリはまだ生きてるのかっ!? 速くリリのところへ、こいつを早く倒してリリを助けるんだっ!!

 いや――冷静さを失うな。頭を使え。知恵を絞れ。知識と経験を活かせ。教わったこと習ったことを全て出せ。経験で得たことを使い尽くせ。僕の持ってる全部を使って、こいつをたおすんだっ!!

 

 ミノタウロスの繰り出す大剣の斬撃を紙一重で潜り抜ける。剣圧で髪が大きく揺れる。剣風で肌が軋む。牛頭の怪物が繰り出す一撃一撃がベルを即死させる破壊力を伴っている。それでも――

 

 かわせるっ! 避けられるっ! 僕の速さはこいつに通じるっ!

 

 剣戟をかわされたミノタウロスは苛立ち、一層激しく鋭く剣閃を重ねる。まるで嵐のような斬撃。全てはかわし切れない。だが、受け止めることはできない。膂力と体重に差があり過ぎる。

 

 受け止められないならっ!

 

 ベルは黒短剣で大剣の受け流しを試みた。神匠の打った黒短剣はケダモノの大剣に触れても軋むことなく、鮮やかな火花を散らした。短剣を握る手から全身に衝撃が走り、体中の筋肉が痛み、骨が軋む。だとしても、成し遂げた。

 

 出来るっ! こいつの攻撃を受け流せるっ!

 僕はこいつの攻撃をかわせられる。避けられる。コイツの攻撃を受け流せる。いなせる。

 

 ミノタウロスのひときわ大きな振り下ろしをいなし、ベルは大振りの隙をついて肉薄。その太い手首を切りつける。狙いが逸れた。しかし、黒短剣は確かにミノタウロスの肉を裂き、鮮血を散らした。

 

 斬れる。

 この短剣と僕の攻撃はこいつを傷つけられるっ!

 僕はこいつと戦えるっ!!

 

 勇気が激しく燃焼し、血肉が沸き立つ。ベルはミノタウロスへ向かって強く踏み込む。

 

 ベルはミノタウロスの激烈な斬撃の嵐を間一髪でかわし続け、避け続ける。

 

 ベルはミノタウロスによる怒涛の攻撃をギリギリでいなし続け、受け流し続ける。

 

 ベルはミノタウロスの頑健で頑丈な体躯を斬りつけ続ける。

 

 だが、ベルは戦いの高揚に駆られ、失念していた。

 たった一発でも食らえば、全てをひっくり返されることを。

 

 横薙ぎの一撃を高く飛んで避けた時、ベルは気づく。ミノタウロスの体幹が流れていない。すなわち、今の一撃は誘いで、自分はまんまと引っ掛かり――

 

 ミノタウロスの頭突きがベルを“撃墜”した。

 地面に叩きつけられたベルは、その反動衝撃で跳ね飛び、転がっていく。朦朧とする意識。歪み揺れ、暗くなる視界。口腔内に広がる血の臭いと味。骨の芯から生じる激痛。痺れて感覚が無い四肢。

 傲然と迫ってくる牛頭の怪物。

 敗北と死が現実となってベルに襲いかかる。

 

 刹那。

 彼らは現れた



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36:迫る運命の分かれ道。

 同一にしてされど異なる世界においては、傷ついたリリルカの願いに応じ、ベルの許へ参じようとアイズ・ヴァレンシュタインとロキ・ファミリアの前に、女神フレイヤの意を受けたオッタルが立ち塞がる。

 

 しかし、虚無の住人が遍在するこの世界において、エミールとアイズの行く手を阻む者はいない。

 

 異なる世界では、オッタルは襲撃してきたイシュタル・ファミリアの戦闘娼婦達を容易く退け、白兎の少年に“試練”を課すべくアイズ達を阻んだ。

 だが、この世界においてオッタルはイシュタル・ファミリアの女怪と戦った。都市最強の男をして容易に退けられる相手ではなく、追い払うために時間を取られてしまった。

 

 そのため、オッタルは出遅れた。

“試練”への横入りを防ぐはずが、既に少年の許へロキ・ファミリアの剣姫が到達しており、剣姫が少年を救うべく、ミノタウロスと対峙している。それに、見慣れぬヒューマンの青年が倒れている小人族の少女を手当てしていた。

 

 このまま剣姫に“試練”を台無しにされては、主神に対して大変な不面目だ。かといって、強大なモンスターからレベル1の冒険者を救おうとする剣姫を阻むことは、冒険者の道理に叶わない。強引に事を為すことは易いものの、事が拗れた場合、やはり主神に大変な迷惑をもたらしてしまうだろう。オッタルがそのような選択肢を採ることはあり得ない。

 

「むぅ」オッタルは思わず唸る。どうしたものか。

 その逡巡の間に、ぞろぞろとロキ・ファミリアの主要幹部達が現れた。

 

「なんだってんだ……おい。なんで猪野郎が居るっ!?」「オッタルっ!? なんでここに!?」「ええ……どういう状況よ、これ」

 ついには団長フィン・ディムナと副団長リヴェリア・リヨス・アールヴまで姿を見せた。何やら猛烈に不機嫌そうな黒妖精の美女と共に。

 

「……やあ、オッタル。今回の遠征でも会ったね」

 フィンが朗らかに笑いかけてきた。

 が、オッタルには分かる。こういう状況で“勇者”が嗤う時、それは既に戦うことを選択肢に含めていることを。

 

 と、知らぬ顔の黒妖精の美女が小人族の少女の傍らに片膝をつき、手当てをしていた青年に問う。

「エミール。リリちゃんの具合は?」

 

「見た目ほど出血は酷くない。頭を打って脳震盪を起こしてるだけだ」

 エミールと呼ばれた青年が黒妖精の美女に答えると、白兎の少年がふらつきながらも立ち上がり、

「……いかないんだ」

 剣姫の腕を掴んで叫んだ。強固なる決意を込めて。

「もう、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけには、いかないんだっ!」

 

 戸惑うロキ・ファミリアの面々。内心でホッとするオッタル。

 

 そこへ、エミールがオッタルへ冷たい目を向けた。

「フレイヤ・ファミリアの武名高き冒険者オッタル殿とお見受けする。一つ答えられたい」

「なんだ」オッタルがうっそりと応じる。

「そこの少年があのミノタウロスに勝てると思うか?」

 

「ちょ、何言ってんのっ?!」ティオナが目を瞬かせ「その子、レベル1なんでしょ!? ミノタウロスに勝てる訳ないよっ!」

 アイズやフィン達もエミールの意図を図りかね、困惑を露わにしていた。

 

「……」眉間に深い皺を刻んだオッタルは、どこか不承不承な様子で「不可能ではない。小僧の闘い方次第では光明もあるだろう」

 

 驚くロキ・ファミリアの面々を余所に、

「だ、そうだ。オラリオ最強の男がお墨付きをくれたぞ」

 エミールは少年の背に向かって言った。

「やってみせろ、ベル」

 

 アスラーグも告げる。

「リリちゃんは大丈夫。憂いなく挑みなさい」

 

 ベルはアイズを押しのけ、前に出る。

「征きます」

 

 状況の推移を見守っていたミノタウロスは、戦いに邪魔が入らないと分かり、戦意を新たにして雄叫びをあげた。

 ベル・クラネルの“冒険”が始まる。

 

     ★

 

 冒険者の戦いであれ、学生の競技試合であれ、勝負の本質は実戦に至るまで何を如何に積み上げ、練り上げ、磨き上げたか――己の実となった力によって決まる。

 才能や発想で勝敗が決まることは稀だ。というより、才能や発想が勝敗を分ける段階に至らない、というべきか。

 むろん、神々が下界し、人間に恩恵を与える世界にあって、その真理がどこまで適用されるかは分からない。されど絶対的な物質的優劣は厳然と存在する。

 

 隻角のミノタウロスは紛れもなくベル・クラネルよりも格上である。肉体的優位は極めて大であり、その渾身の一撃が真芯で当たったなら、ベルは遺言を残す暇もなく即死するだろう。

 ましてや、この隻角の牛鬼は何処より得た大剣を握り、拙くとも技として扱っている。侮りがたい強者である。

 

 対するベル・クラネルはその非凡な稀少スキルにより、恩恵の驚異的成長を遂げていた。一月前に冒険者となったとは思えぬほど、身体能力が向上している。また、2人の諸島帝国人との関わりは、違えた世界のベル・クラネル以上の内的成長をもたらしていた。

 

 眼前の強敵に対する燃えるような戦意。自身の希求する憧憬への激しい熱情。死線の上に立つ恐怖と昂奮。

 その一方で、頭の芯は氷のような冷静さを維持している。

 

 考えろ。頭を使え。知恵を絞れ。訓練と経験を活かせ。どうやってこの強敵に勝つか、どうすれば勝てるか、考え続けろ。

 

 汗が目に入っても瞬きしないほどの集中力を発揮し、ベルはミノタウロスの一挙手一投足、筋肉の蠢きから視線の動きまで全てを観察して最適解を思考し、選択し続ける。

 思考が間に合わなければ、選択を違えれば、待っているのは敗北の死。

 

 ミノタウロスの横薙ぎを後ろ飛びして回避。ベルは距離をとり、構え直した。牛鬼に対し、黒短剣を順手に握りしめ、左手を翳すように伸ばす。微かに前かがみとなり、全身のバネを勇躍に備えさせる。肩を揺らすように深呼吸を重ね、全身に酸素を供給する。

 

 大剣を握り直し、ミノタウロスは傲然と距離を詰めていく。

 一歩。二歩。三歩。四歩。跳躍の間合いに入った。五歩。六歩。ミノタウロスが黒目がちな双眸、その白目が見える距離に入った。ベルはひときわ大きく息を吸い込む。

 

 七歩。ベルは白髪を大きくたなびかせ、矢弾のようにミノタウロスへ向かって跳ぶ。

 

 ミノタウロスが太い両足で地面を踏みしめ、隆々たる筋骨の最大出力を絞り出した。

 暴力的な風切りを牽きながら袈裟に振り下ろされる大剣。刀身に宿る破壊的な運動エネルギーはベルが対処できる限界を超えていた。黒短剣でいなすことも、受け流すことも、弾くことも出来ない。そのような試みをしたならば、ベルの腕ごと体躯を両断するだろう。

 

 ゆえに、ベルは地を這う蛇の如く刃の下を掻い潜りながら、ミノタウロスの足首を斬りつけた。そのまま止まることなく、ベルはミノタウロスの間合いから離脱。

 肉を裂く手応えはあった。しかし、ミノタウロスの頑丈な体皮と頑健な筋肉に阻まれ、腱まで刃が達しなかった。

 

 このやり方ではダメだ。傷を与えられても、倒せない。

 ベルは今の一撃離脱を素早く分析し、戦い方と倒し方を再検討する。

 考えろ。頭を使え。知恵を絞れ。経験を活かせ。

 

      ★

 

 ベル・クラネルの動きは鮮烈だった。

 己を奮い立たせるように吠えながら怪物の剛剣をかわし、怪物の豪打を掻い潜って肉薄し、黒短剣で四肢の関節傍を刻む。跳躍して離脱し、着地と同時に怪物の胸元へ飛び込むように突撃していく。

 一撃でも食らえば、命を落とすだろうに、ベルは恐れることなくミノタウロスの間合いに踏み込む。まるで勇気が燃え盛っているように。

 

 バベル最上階で女神が発情して蕩けている時、

「――凄い」

 ティオナが魅入られたように戦いを見つめ、呟く。

「アルゴノゥトみたい……」

 

 英雄に憧れ、後に真の英雄に至った少年アルゴノゥト。なるほど、格上の強大なケダモノに敢然と戦う姿は、まるで物語のようだ。

 

 一方、姉のティオネは冷静にベルの戦いぶりを分析していた。

「動きは速いけれど、攻撃が軽すぎる。あの短剣じゃ致命傷にはならない」

 

「どうなってやがる」

 ベートは困惑を禁じ得ない。半月前、あのトマト野郎は確かに駆け出しのド新人だったはずだ。

 

「テメェらが仕込んだのか」

 凶狼に睨まれたアスラーグはただ小さく肩を竦め、エミールが答えた。

「師を気取るほど教えちゃいない。あれはクラネル少年自身の努力と研鑽の結果だ」

 

「――ぅ」

 エミールに介抱されていたリリルカが意識を取り戻す。

「ベル様は……」

 

「戦ってるわ」アスラーグが言った。

「アスラ様……?」リリルカは意識が鮮明になり「アスラ様っ! ベル様がっ! ベル様を助けて下さいっ!」

「落ち着け、アーデ嬢」エミールが顎で示す「アレを見ろ」

 

 リリルカは促されるままに、見た。

 ミノタウロスを激しい体裁きで翻弄し、素早い攻撃を繰り返しているベルを。

 その姿はまるで御伽噺に出てくる英雄のようだった。

 

 フィン・ディムナは皆の許を離れ、ベルとミノタウロスの激しい戦いを横目に窺いながら、オッタルの許へ近づく。

「これは君の描いた絵図かい?」

 その問いは、オッタルが危険なモンスターにベルとリリルカを襲わせたのか、と問うに等しい。それは言うまでもなく、許されぬ行いでもある。

 

「――逆に問おう。その問いに是と応じれば如何とする」

 オッタルは強烈な威圧感を伴って反問する。

 

 並の者ならば肝を潰しかねない圧力に晒されても、フィンは涼しい顔で答えた。

「君の忠誠や献身の在り方を否定する気はないけれど、時に主神の求めを諫めることも大事ではないかな」

 

「貴様の見解に同意する気はない」

 オッタルが威圧感を消し、どこか苦い面持ちで応じた時。

 

 攻撃が当たらず、いなされ、凌がれることに苛立ち、ミノタウロスの動きが雑になる。

 ベルはその隙を逃さない。全体重に速力を乗せ、リリルカが撃ち込んだ矢弾の尻を力いっぱい蹴りつけた。頑強な脂肪層と頑健な筋肉に押し留められていた矢弾が強引に押し込まれ、血管を裂き、臓腑を抉り、骨を削る。

 初めてミノタウロスから悲鳴が上がった。

 

 オッタルは懐から最高級の回復剤を二瓶取り出してフィンに放り、踵を返す。

「あの小僧と小人族の娘に与えろ」

 

 再生薬の瓶を受け止めたフィンが、からかうように“猛者”の背中へ問う。

「結末を見なくていいのかい?」

 

「必要ない」

“猛者”は歩み出しながら言った。

「もはや勝敗は決した」

 

       ★

 

「ファイアボルトッ!」

 ベルは無詠唱で炎雷魔法を放つ。ミノタウロスは咄嗟に身構えたが、その炎雷は酷く小さい。意表を突かれたミノタウロスは注意が逸れる。その間にベルは既に肉薄し、

「ファイアボルトッ!!」

 今度こそ今度こそ最大火力で炎雷を叩きこむ。

 

 爆圧を浴びた矢弾達がミノタウロスの体躯へ深々と埋まっていき、ミノタウロスの腱や臓器や骨を激しく損傷させた。

「無詠唱。しかも魔力の出力制御まで」リヴェリアが小さな感嘆をこぼす。

 

 ミノタウロスが左膝をつき、手首の砕けた右手から大剣がガシャリとこぼれ落ちる。それでも、その双眸から戦意と闘志は微塵も損なわれない。無事な左腕を固く握りしめ、踏ん張りがきく右足で立ち上がる。

 

 ベルはミノタウロスが落とした大剣を拾い上げ、黒短剣と合わせて二刀に構え、飛ぶ。

 

 先ほどまでと逆の光景が描かれる。ベルが舞うように大剣と黒短剣を振るい、斬撃を連ね重ねていった。

 片足を潰されているミノタウロスはその場から引かず、両腕を駆使してベルの剣戟を防ぐ。手や腕の肉を削がれながらも、左拳で攻撃を殴り弾き、手首の折れた右腕を盾代わりに身を護る。

 

 少年が跳躍し、身を捻りながら大剣を振り下ろす。ミノタウロスは頭蓋に迫る大剣の横っ腹を、血塗れの右腕で殴りつけて強引に太刀筋を逸らす。

眼前の宙に浮かぶ無防備な少年へ、ミノタウロスは渾身の左拳を放った。

 必殺の一撃。

 

 観戦者達が思わず息を呑み、顔を強張らせた刹那。アイズは「大丈夫」と呟き、エミールとアスラーグはベルの対応を注視する。

 

 ベルは空中でさらに身を捻って一回転。迫る牛鬼の拳へ正対して叫ぶ。

「ファイアボルトッ!」

 

 半ば自爆するように炎雷の爆発に吹き飛ばされながらも、ベルは無事に着地。黒短剣を口にくわえ、大剣を両手で抱えながら疾駆。急迫して袈裟に斬り上げる。

 

 左拳を炎雷で破壊されたミノタウロスは、それでも闘志を失わない。指が幾本も足りぬ左拳を振り下ろす。

 怪物の拳と少年の大剣が交差し、ミノタウロスの太い左腕が宙を踊る。

 

「ヴォオオオオッ!!」

 片腕を斬り飛ばされた激痛に絶叫しながらも、ミノタウロスは体当たりを繰り出す。無事である右足に頼った捨て身の体当たりはベルを捉え、隻角が大剣を折り砕きながらベルの左腕を籠手ごと貫いた。

 

「―――――――――――――――――ッ!!」

 ベルは口にくわえていた黒短剣を目いっぱい噛みしめて苦痛を堪えた。右手で黒短剣を握りしめ、ミノタウロスの眼窩に突き立て、叫ぶ。

「ファイアボルトッ!!」

 

 眼下内へねじ込まれる炎雷の爆発。ミノタウロスの壮絶な悲鳴。爆発の衝撃が隻角を通じてベルにも届き、左腕に激痛をもたらす。

 

 互いにグロッキーだった。

 磔刑の如く左腕を貫かれたまま隻角に吊るされるベルは、もはやその場から逃れる力が残っていない。

 

 ミノタウロスももう動けなかった。耳鼻目と口から大量の血が溢れ出て、肉を焼いた煙と血を焦がした湯気が昇っている。短剣を突き立てた眼窩から頭蓋内に凄まじい爆圧衝撃と炎熱が流し込まれたのだ。即死していてもおかしくない。

 にもかかわらず、ミノタウロスは隻角で貫き吊るしたベルへ激しい闘志と殺意を発していた。

 

 ベルもまた、消耗し、疲弊し、傷つきながらも、その紅眼に宿る戦意をまったく損なわせていなかった。

 

 ミノタウロスの潰れて焼けた眼球が確かな意思をベルに訴える。

 やれ。やれよ。ケリをつけろ、人間。俺を仕留めてみせろ。

 

 痛みと消耗で震える手を伸ばし、ベルはミノタウロスの眼窩に突き立った黒短剣の柄を握りしめ、残る全ての魔力を絞り出して吠えた。

「ファイア、ボルトォッ!!」

 

       ★

 

 魔石を含めた上半身を爆破され、ミノタウロスの遺骸が灰に還っていく。

 遺灰の舞う中、魔力が枯渇したため立ったまま気絶しているベルを、エミールがその場に寝かせた。

 

「勝ちやがった……」

 唖然と呟くベートを余所に、エミールがベルの容態を確認していく。

「重傷は左腕だけだ。動脈は奇跡的に無事だが、橈骨と尺骨も複雑解放骨折。外傷だけでなく砕けた骨片によって筋肉や腱が酷く損傷してるな」

「治りますよね!? 治りますよね、エミール様っ!?」と真っ青な顔で半ベソ顔のリリルカ。

「再生薬を使えば大丈夫だろう。体力回復に二、三日寝込むが、それくらいだと思う」

 

「……慣れてるわね」とティオネが片眉を上げる。

「軍隊に長くいたからな。前線では回復剤や再生薬の数は限られる。だから、助かる奴と助からない奴の見極め方と、助かる奴を後方の野戦病院までもたせる応急処置の仕方を叩きこまれる」

 エミールは淡白に語り、パウチから再生薬を取り出そうとした。

 

「使ってくれ」とフィンがオッタルから受け取った再生薬をエミールへ渡す。「猛者からの贈り物だ」

「そういうことなら、遠慮なく使わせてもらいましょう」

 フィンから渡された再生薬を用い、エミールはベルの怪我を治療し始めた。

「クラネル少年はしばらく意識を取り戻さないだろう。俺が担いでヘスティア様のところまで送ってくる」

 

「僕らはこのまま進むが、構わないかい?」

「ええ。すぐに追いつきます」とエミールはフィンに応じて「アーデ嬢、俺の援護を任せるぞ」

「はいっ!」とリリルカはクロスボウを抱えて頷き「必ず守り抜きますっ!」

 エミールがベルを背負って地上へ向かって駆けだし、リリルカも追従して走っていく。

 

 2人の背中とベルを見送りながら、アイズはどこか嬉しそうに頷き、口の中で呟いた。

 ゆっくり休んで、ベル。

 

「そろそろ出発だ」

 フィン・ディムナが不敵な面持ちで言った。

「僕らも冒険に赴こう」

 

       ★

 

 ベルがエミールに廃教会へ連れ帰られ、巨塔の最上階で美神が濡れた下着を替えている頃。

 

 某所――

「ロキ・ファミリアの遠征にアスラーグ・クラーカが同道している、と」

 豪奢な部屋のソファに座るハーフエルフ女性が、細巻を燻らせながら呟く。

 

 ソファの肘置きに座る金眼の鼠が首肯した。

『はい。虚無歩きの可能性がある者と共に』

 

 ハーフエルフ女性はしばし沈思黙考した後、細巻の灰を灰皿に落としてから言った。

「グリムに監視させろ。状況次第では仕掛けるが、投入する人員は追って指示する」

 

『?』金眼の鼠が小首を傾げて『宿願の獲物です。全員で掛からないのですか?』

「そうしたいところだが」ハーフエルフ女性はどこか不満げに「愚神や負け犬共の件もある。そちらを疎かには出来ない。それに、現段階で私とお前の素性をオラリオの者共に掴まれたくはない」

『分かりました。手配を進めておきます』

 納得した金眼の鼠はぺこりと首肯し、虚空へ溶けるように消失した。

 

 女性は短くなった細巻を灰皿に押しつけて揉み消し、心底忌々しげに吐き捨てる。

「待っていろ、アスラーグ・クラーカ……っ! 必ず殺してやる……っ!!」

 

       ★

 

「選択の時だ、エミール」

 アウトサイダーは虚無の中で静かに呟く。

 

「剣姫の神聖譚に与すれば、闇派閥との死闘を歩む。それはお前の復讐譚を叶えることにもなるだろう。しかし、同時にお前のささやかな物語は剣姫や英雄達の添え物になるだろう。結果として、お前の復讐が完全に成就することは無いかもしれない」

 漆黒の瞳には何の感情も宿していない。

 

「白兎の英雄譚に寄り添えば、迷宮都市の闇からは遠ざかる。それはお前の復讐譚の成就を妨げるかもしれない。しかし、若き英雄とその仲間達はお前の癒えぬ苦しみと痛みを癒す希望を伴う。もしかしたら、お前の復讐が意外な形で叶う可能性もある」

 青白い顔には情動の一切浮かんでいない。

 

「あくまで自身の力だけで復讐譚の完遂を望めば、お前は多くの苦難と困難を踏破しなければならない。だが、その果てに満足のゆく結末が得られる保証は一つもない。この世界は残酷だ。神の恩恵を得ようと、虚無の超常を得ようと、世界の冷徹な無常さから逃れられない」

 アウトサイダーは誰へともなく独りごちる。

 

「しかし……世界が如何に無常といえども、この状況は些か公平性に欠く」

 何の感動も含まない平坦な目つきで。

「この世界の異物達にも物語を紡ぐ機会を与えてやるべきだな」

 




Tips
オッタルさん。
原作同様の苦労人。


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37:遠征往路。あるいは彼と彼女の再会。

 ダンジョンの下層『水の迷都』前の連絡通路にて、ロキ・ファミリア遠征隊が小休止を取っていた。

 

「皆、ベル・クラネルの戦いに刺激を受けたようだね」

 フィンが水筒を手に微苦笑をこぼす。

 

 ベルの死闘を観戦した幹部達――アイズ、ベート、ヒリュテ姉妹が先を争うようにモンスターを狩りまくり倒しまくり、予定していたより数日早く深層の安全階層に到達しそうだ。

 

「遠征が予定より順調なことは喜ばしいが、気を張り過ぎている気もする」

 リヴェリアが小さく頭を振った。

「頼もしいではありませんか」

 アスラーグがくすくすと上品に喉を鳴らす。

「おかげで私達は観光気分ですよ。ねえ、エミール?」

 

「ああ。物資を消耗しないで済む」

 エミールは左脇に負い革で下げたクロスボウの位置を直す。この遠征でまだ一発も撃っていない。撃つ必要も無かった。

 

「君達の遠征目的は下層で素材採取、だったね?」

「ええ」アスラーグはフィンへ首肯し「依頼仕事です。3、4日ほど掛かるかと」

 

「出来れば、君達にも深層まで付き合って欲しいな」

 フィンは真顔で言った。

 

 未踏破階層への挑戦にはロキ・ファミリアの主要幹部達だけでなく、支援役として二軍中核メンバー達も複数人連れていく。これは深層安全階層で待機する者達の戦力低下も意味する。

 

 迷宮都市二大武闘派ファミリアといっても、主要幹部を除いた団員達の力量は他の有力派閥と大差はない。ましてや、深層安全階層の支援キャンプに残る者にはレベル4はおろかレベル3、場合によってはレベル2すら居る。

 言い換えよう。本来なら深層はおろか下層挑戦すら覚束ない者も少なくないのだ。

 

 そんな実力不足の連中を連れてくる理由は様々だ。支援要員の頭数。スキルやアビリティが有用。将来を見込んだ経験取得。エトセトラエトセトラ。

 

 ここで問題となるのは、厄介極まる『諸島帝国人達』が襲ってくる可能性があること。

戦術とは敵の弱いところを攻め、弱い敵から倒すことであるから、フィン達が未踏破階層へ挑戦している間、安全階層に留まる団員達が襲われるかもしれない。

 

 自分達が未踏破階層へ挑戦中、アスラーグとエミールが安全階層の支援キャンプを守ってもらえれば、心強い。

 

「あら。私達が居ることで、却って危険を招くかもしれませんよ」

 アスラーグが蠱惑的に微笑む。

「なにせ私はヴァスコに相当恨まれておりますから」

 

 黒妖精の露悪的な冗談に肩を竦めつつ、妖精族王女は疑問を口にした。

「そもそも、彼らは50階層まで潜ってこられるか?」

 

「単純な成否で言えば、可能でしょう」

 エミールは軍人の顔つきで言った。酷く無機質に。

「しかし定石で考えれば、遠征の帰路を狙いますね。待ち伏せし、主要幹部と団員を切り離したうえで、団員を叩く」

 

 登山よろしく遠征は行きより帰りの方が難しい。心身の疲労や負傷が集中力を鈍らせるし、戦利品等の余計な荷物も増えている。

 強い敵を避け、弱い敵を叩く。そうして頭数を減らして弱らせ、強い敵を囲んで殴る。

 戦術の初歩だ。

 

「もちろん、意表をついて深層で仕掛けてくることもあり得ます。襲撃の選択権は向こうにある」

「そこが悩ましい」フィンは微苦笑しながら水筒を団員に片付けさせ「この遠征だけに集中したいよ」

「同感だ」

 リヴェリアが緩やかに溜息を吐く。憂いを湛えた横顔が酷く神々しい。

 

「気休めですけれど」

 アスラーグはどこか煽情的に微笑む。

「“奴ら”は貴方達より私達を優先して狙います。上手くいけば、私達が良い囮になるでしょう」

 

       ★

 

『水の迷都』。

 地下空間を流れる河川が第25階層から第27階層まで続く、巨大な滝を形成していた。大瀑布の終点たる滝壺はダンジョン外へ通じており、ロログ汽水湖の水源となっている。

 

 また、大瀑布の膨大な散水は大滝壺以外にも湖沼や清流を造成しており、迷宮内河川や湖沼の周囲には蒼い水晶岩に混じり、樹木が命を育んでいる。第25階層の天井を突き破る『大樹の迷宮』の植生が伝播しているのだ。

 

 そんな水と水晶岩と樹木で構築された蒼い世界を、ロキ・ファミリア遠征隊が粛々と進んでいく。

 

 時折、水棲の小型モンスター達が水面から飛び出して隊列に襲いかかるも、妙に戦意漲るファミリア幹部達が率先して迎撃し、隊列に一切被害を許さない。

 

 繁茂する樹冠の隙間から、2人の諸島帝国人が密やかにロキ・ファミリア遠征隊の行軍を監視していた。

 

 巨滝に沿って通る岩場の道を進んでいく遠征隊を窺いながら、

「レベル6が3人。レベル5が4人。残りも大半がレベル4と3。レベル2も混じっているようだが、おそらく深層遠征に適うスキルかアビリティを持っているのだろう」

 継ぎ接ぎマスクのグリムが呟く。

「これはなかなか厳しい相手だな」

 

「グリム。剣姫のレベルが上がったらしいから、今はレベル6が4人だ。レベル5が3人だ。それと、レベル3ながらレベル5相当の魔力持ちもいるそうだし、今回に限ってはヘファイストス・ファミリアのレベル5が随行していると聞いたぞ」

 グリムの隣に立つ小柄な老婆が言った。

 

 老婆は柿渋色のフードを目深に被っていて顔が窺えないが、腰が半ば曲がり掛けている。マントから伸びて杖を握る手も、枯れ枝のように細く血色が乏しい。

 棺桶に両足を突っ込んでいるような老婆であるが、右腰には東方式湾刀――カタナを佩いている。刀身長だけでも三尺越え、柄を含めれば四尺に届く野太刀だ。

 

「メリンダ。勇者や剣姫を討てるか?」

 グリムに問われ、老婆のメリンダは肉の少ない指で愛刀の柄頭を撫でつつ、

「さて。どちらもえらく腕が立つようだし……討てる、と断言し難い」

 蒼黒い瞳をぎらりと輝かせた。

「ただ……死合う相手なら最高だ」

 

「宿願成就が優先だぞ」

「年甲斐もなく赤毛女に入れ込んでた奴がよく言う」

 釘を刺してきたグリムへ悪態を返し、メリンダは猛禽のような目つきで遠征隊に随行する黒妖精を睨んだ。

「それにしても……こうして再びあの女を目にする日が来るとは。しかも“あの日”のままの姿だ。恩恵持ちの長命種は腹立たしいほど変わらない」

 

「同感だ。小皺一つ出来てない」とグリムも憎々しげに毒づいた。

「あの女の傍らにいる小僧が刻印持ちか? ヴァスコの両脚を切り飛ばしたという」

「ああ。腕が立つぞ。戦いそのものに長けている。武人ではなく戦人だな」

「お前と同じか。それは“つまらん”な」

 老婆は失望に似た声色で吐き捨てる。

「武を競えぬ死合いなど面白くもなんともない」

 

「お前の趣味をとやかく言う気はないが……ん?」

 グリムはふと気づく。

「ところで、ヴァスコはどうした? 後から来ると言っていたが」

 

「知らん。道中でモンスターの餌になってるんじゃないか?」

 鼻を鳴らして嫌みを吐き、メリンダは顎先を掻く。

「ま、エスターモントが同行すると言っていたし、じきに」

 

 

 

「はぁろぉおおおおおおおおおお、ぇえええぶぅりわああああああああああああんんんっ!!」

 

 

 

 大瀑布の轟音すら搔き消しそうな大音声で叫ばれる新しき言葉。

「「……」」

 グリムとメリンダは揃って瞑目した。

 

      ★

 

 何事か、とロキ・ファミリア遠征隊が足を止め、新しき言葉の雄叫びをあげた者を探した。

 

「あそこだっ!」

 ベートが長い腕を伸ばし、巨大な滝の飛沫が生み出した湖沼の一つを指さす。

 

 数百M先の眼下。湖沼の対岸に転がる大岩の上に立ち、両腕を広々と広げ立つ初老男。

 血走って赤々とした翠玉の瞳。皺の刻まれた精悍な顔立ちは、半ばツタ状の痣に覆われている。

青を基調とした騎兵服に胸甲を巻いており、エミールにもがれたはずの両足が生えている。

 

「18階層で出くわしたあの変態クソジジイね」と口汚く罵るティオネ。

「“食糧庫”で戦った変態だ」と嫌そうに顔をしかめるティオナ。

 

「往路に現れたか」

 フィンは右手の親指を撫でる。疼きが弱い。“ここ”ではないということか?

「総員、周辺警戒。奇襲に備えろ。リヴェリア、魔法防壁の用意を。アイズ、ベート。まだ飛び出すな。出方を見る。アキ、第二隊に伝令を頼む」

 思案しながらもてきぱきと指揮を執り、フィンはアスラーグへ尋ねる。

「彼がヴァスコという男だが、君の知己と間違いないか?」

 

「ええ。あれはヴァスコで間違いない。予備知識として生きていたとは聞いてはいたけれど、こうして本当に目にすると、感慨深いものがあるわ」

 アスラーグが貴婦人然とした忍び笑いをこぼす。優雅な微笑に込められた凄まじい悪意と敵意と憎悪に、遠征隊の歳若い者達が思わず気圧される。

 

 そんなアスラーグの隣で、エミールが冷たく重たい殺気を放ち始めている。

「落ち着きなさいな。この場の指揮権はディムナ殿にある。判断を待ちなさい」

 アスラーグはエミールの肩に手を置き、優美に微笑む。

 

 と、大岩の上に立つヴァスコが再び叫ぶ。

「そこにいるんだろぉっ! アスラーグ・クラーカッ!! 姿を見せやがれっ!!」

 

「御指名ね」

 アスラーグは隊列から前に出て、ヴァスコに姿を晒す。にこやかで小さく手を振りさえした。

 垂れ気味な双眸を柔らかく細め、秀麗な顔立ちに典雅な微笑みを添える。

「お久しぶり、ヴァスコ君。こうして再び会えたことが本当に残念だわ」

 強烈な悪意と敵意が込められていた。

 

 それ故だろうか。静かな語り口にも関わらず、不思議とその言葉はこの場の全ての耳に届く。若者達が思わず背筋を震わせ、ベートですら『おっかねえ女だ』と顔をしかめた。

 もちろん、数百M離れたヴァスコにも、アスラーグの言葉と悪意はしっかり届いていた。

 

「あす、らーぐ、くら―――――――――か―――――――――――――――ッ!!!」

 まさしく怒号であった。

 

 ヴァスコは憤激と憤慨と憤怒と悲憤と何故か歓喜を込め、怒号を発する。

「この30年、この30年っ!! この時をどれほど待ったか、お前をどれほど憎み恨み続けたか、この俺の怒りがお前に想像できるかああっ!!」

 

「相も変わらず救い難い愚かさね、ヴァスコ君」

 黒妖精が音楽的声色で悪意を奏でる。

「本気で私が貴方のような退屈でつまらない、才能の欠片もない愚物の事を気に掛けると思っているの? いくら私が長命種で多くの時間を有しているからといって、貴方のような矮小で低俗で非才な人間のために費やす時間なんて、ある訳ないじゃない。まあ、貴方のカトンボに劣る知性では私の嫌厭感は想像できないでしょうけれど」

 

 うわぁ……、と第二隊でアスラーグの言葉を聞いていたレフィーヤがドン引きした。

 これは酷い。と冷静沈着なフィンですら、ヴァスコに少しばかり同情した。

 

「き、きさ、まあ……っ!」

 ヴァスコはツタ状の痣に塗れた顔を真っ赤にし、ぶるぶると肩を震わせる。

 

 も、黒妖精が畳みかけるように悪意を浴びせる。

「心底辟易しているのよ、ヴァスコ君。私はね、貴方なんかのために一分一秒だって費やしたくないの。それこそ本当に無駄だから。全くの無為で無価値で無意味な時間の浪費がどれほど虚しいか分かる? 溜息も出ないのよ? そういえば……貴方の稚拙でくだらない便所の落書きに劣る論文を読ませられた時も、時間を無駄にさせられた徒労感でいっぱいだった」

 

「―――」

 ヴァスコがふらりと立ち眩みを起こした。怒りの度が過ぎて脳卒中を起こす寸前だった。

 

 男が女に口で挑んで勝てる訳なかろうに、と第二隊を率いるガレスが憐れみを抱く。

 手前の鍛冶をこのように言われたら、と椿は我が身に置き換えて想像し、身を震わせた。

 

 美しい声音で紡がれる罵詈雑言に、リヴェリアは思わずアスラーグへ声を掛けた。

「アスラ、もう良いのではないか?」

 

「そうですね。彼のためにこのような時間を使うこと自体、無駄でした。流石はリヴェリア様。よくお分かりで」

 くすくすと楽しげに笑うアスラーグ。

「えっ」と戸惑うリヴェリア。

 

『リヴェリアも容赦ないわね』『18階層で酷いこと言われてたし、リヴェリアも怒ってたんだね』とヒリュテ姉妹が唸り、『リヴェリアは怒ると怖い』『えぐい真似するぜ』とアイズとベートも引き気味で、『リヴェリア様が御怒りだ』と遠征隊のエルフ達が若干慄いていた。

「いや、私はそんな……えぇ……」予期せぬ周囲の反応に困惑するリヴェリア。とんだ流れ弾であろう。

 

「ところで、ヴァスコ君」

 そんな周囲を余所に、アスラーグはしれっと尋ねる。

「貴方の他に何人いるのかしら? 30年前、“あの子”を見捨てて逃げ延びた恥知らずの負け犬共は何人残ってるの? 3年前、自然哲学アカデミーを襲った犬の糞に劣る無様な便所虫は何匹いるの? 教えてちょうだいな」

 

「――けるな」

 ヴァスコは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「ふざけるなっ!! そこまでぼろくそに言われて教えると思ってんのか、この腐れ色黒雌エルフがああああっ!!」

 妥当な怒りであろう。

 

「そう」

 アスラーグは肩を竦め、この世で最も劣ったものを蔑むように、言った。

「じゃあ、今度こそ死になさい」

 

 刹那、アスラーグは右腰から杖を兼ねるレイピアを抜き放つ。

「爆ぜよ爆ぜよ爆ぜよ野を薙ぎ払い森を焼き払い山を打ち砕け」

 超高速詠唱っ!? ぎょっとするリヴェリア。

 

「爆ぜよ爆ぜよ爆ぜよ風を燃やし嵐を焼き空を吹き飛ばせ」

 音楽的美声で瞬く間に紡がれる呪文。たちどころに練り上げられていく膨大な魔力。

「爆ぜよ爆ぜよ爆ぜよ世界に在る全てを破壊し破砕せよ」

 

 5秒と掛からず詠唱と魔力練成を完結し、

「爆華大咲。狂い咲け」

 自身を中心に生じた魔法陣の中で、アスラーグはレイピアを振るい、

「サーモバル・アントス」

 ヴァスコの頭上に爆炎の大輪を咲かせた。

 

        ★

 

 強大な火球が巨滝の莫大な飛沫を一瞬で蒸発させる。

 白い蒸気の幕が消散した直後。破滅的衝撃波が水の迷都を駆け抜け、殺人的な爆轟音圧が吹き荒れた。おまけで熱圧の暴威によって飛沫や湖水が瞬時に気化分解され、水蒸気爆発まで発生する。

 

 ロキ・ファミリア遠征隊の第一隊は咄嗟にリヴェリアが魔法防壁を展開して難を逃れたが、第二隊の団員がその場に伏せたり屈みこんだりして、衝撃波と爆風をやり過ごさねばならず、散々な目に遭っていた。

 

『水の迷都』が大量の蒸気に満たされていく。激甚な熱圧衝撃波に晒された湖沼などの水面に水棲モンスター達の死体がつぎつぎと浮かんでくる。どいつもこいつも高圧衝撃波の水中伝播で体内を圧潰させられていた。爆心地の湖水に至っては“煮られ”て死んだモンスターさえいた。

 

 ガレスの背に飛び込んで難を逃れたレフィーヤが、惨状を目の当たりにして呟く。

「凄い……」

 これほど殺傷力の高い広域殲滅魔法はリヴェリアの『レア・ラーヴァテイン』ぐらいしか知らない。自身の『ヒュゼレイド・ファーリカ』とて、これほどの破壊力は持たない。

 

 一方、“九魔姫”の二つ名を持つ迷宮都市最高の魔法使いリヴェリアは別の視点を持っていた。

 レベル4の魔法使いが出せる威力ではない。スキルとアビリティか。

 

 リヴェリアはアスラーグの装備にも気づく。

 レイピアだけではない。腰の装具ベルトには骨細工のアミュレット。しなやかな両手の五指には魔宝石や魔導合金のリング。左右の手首には魔晶入りのブレスレット。よくよく見れば、長い耳につけられたピアスや首元のペンダントも高価な魔力強化装具。装備の全てが魔法の威力増強に特化している。

 そうか、正しく“討伐”するためにこの街へ赴いたのだな。

 

「ドブネズミはしぶとい」

 レイピアを下げ、アスラーグが舌打ちして呟く。

 

 蒸気渦巻く湖岸にヴァスコの姿はない。死体はおろか血痕の類も見られない。

「逃げたか」とフィンが呟く。「君らの同行を確認するため。それと、こちらに負担を強いるために顔を出した、といったところかな」

「でしょうね」とエミールは首肯しながら装具を整えていく。

 

「? 団長。負担を強いる、とはどういう意味です?」とティオネがフィンに問う。

「ここから先、僕らは彼らに襲われるかもしれない。僕らが未踏破階層へ挑戦している間、安全階層に留まる団員が襲われるかもしれない。未踏破階層挑戦を終えた帰路、彼らに襲われるかもしれない。これからそういった可能性に対し、緊張と警戒を強いられる」

「チッ! 姑息な真似しやがってっ!」

 フィンの説明を聞き、ベートが忌々しげに毒づいた。

 

「その可能性はある程度減らせるわ」

 アスラーグがレイピアを鞘に納め、フィンへ告げる。

「ディムナ殿。私達はここで離脱します。元より私達の目的はここ下層での依頼物採取。それに、討伐すべき下手人を見つけた以上、追わねばなりません。連中も仇敵である私達がこの階層に留まっていれば、貴方達より私達を優先するでしょう」

 

「……2人だけで大丈夫かい? なんなら深層のキャンプまで同行してもいい。僕らが未踏破階層へ挑戦している間に彼らが襲ってきたら、団員も協力させるよ」

 悪くはない話だった。

 アスラーグは思案し、エミールへ問う。

「どう思う?」

 

 エミールはゆっくりと深呼吸した。ここがアウトサイダーの言っていた分岐点ではなのかもしれない。だとしても――

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「そちらの団員は余所者の俺達を信頼できないだろうし、俺達もそちらの団員のことで責任を負いきれない。それに、奴らは俺達の獲物だ。俺達の手で殺す」

 深青色の瞳に冷たく暗い炎が揺らぐ。

 

 ベートは口腔内で密やかに舌打ちした。エミールの目つきには覚えがある。一族を腐れ化物に奪われた時の自分と似た目。

 死者に囚われた人間の目。憎悪と怨恨に染まった復讐者の目。

 

 復讐を果たした時、こいつは死者と怒りから解放されるのだろうか。

 自分は解放されなかった。復讐を果たした代わりに、愛した女と居場所を失くし、新たな怒りに囚われた。

 いまだ癒えぬ心の傷を直視させられた気分になり、ベートは不快感を吐き捨てる。

「あの腐れ雑魚野郎がそいつらの獲物だってんなら、勝手に狩らせりゃ良いだろ。奴とその仲間が俺らを襲ってきやがったら、俺らがぶっ殺す。それだけの話だ」

 

「私達が未踏破階層へ挑戦中に皆が襲われたらどうするのよ」

 ティオネが挑むように問えば、ベートが白けた目で睨み返す。

「それこそ、雑魚共が負う責任だろうが。あのクソ雑魚共が襲ってこないにしても、前回みてェにクソ芋虫の群れや他のモンスターが襲ってくるかもしれねェ。安全階層なんて建前に過ぎねえ。ダンジョンに絶対安全な場所なんざねェんだよ」

 

 凶狼の言葉は正論だった。究極的にはダンジョン内で発生する全てが自己責任。生きるも死ぬも当人に帰結する。

 

「……そうだね。諸島帝国人が現れようと現れまいと、僕らが未踏破階層へ挑んでいる間のことは安全階層に残る皆を信じるしかない」

 フィンは首肯し、アスラーグ達へ告げた。

「分かった。ここで別れよう。君達に武運長久を」

 

「こちらこそ。道中お世話になりました。皆さんも御無事で」

 アスラーグは礼を述べ、フィンと握手した。

 

「仮に奴らをぶち殺したら」

 エミールは冷たい目でベートに声を掛けた。

「死体を持ち帰ってくれ。礼はする」

「お断りだ。欲しけりゃテメェで拾いに行け」

 ベートは鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

 

「行くわよ、エミール」

 アスラーグが岩場道の縁に立ち、エミールはアスラーグの腰に腕を回し、崖へ飛び降りていった。

 

「……アイズなら同じことが出来る?」

 ティオナに問われ、アイズは眼下を窺い、うん、と頷いた。

「出来ると思う。フィン、私が先行して安全を確保してこようか?」

 意訳:一人で先に行ってモンスターをぶっ殺して回りたい。

 

「そこまでしなくていい。予定通り進もう」

『モンスター絶対殺すガール』の提案にフィンは苦笑いし、右手を大きく上げて振った。

「前進再開っ! 進むぞっ!」

 




Tips
メリンダ

Dishonord2のマイナーキャラ。
グランドガードの女性衛兵で、メイドの友人(なんか恋人っぽい)と屋上で密会している。
ローカオスだと、友人とレズっぽいやり取りを交わした後、無事に分かれる。
ハイカオスだと、友人と口論に至り……

本作ではデリラ信奉者の一人。
詳しいことは追々。

ヴァスコ
すっかりネタキャラと化してしまった。


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