女装した傭兵団長とキノコにまみれたTS娘 (甘枝寒月)
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プロローグ 女装した傭兵団長とキノコにまみれたTS娘

(ハーメルンでは)初投稿です。
ほんとうはB兄貴チルドレン的に全話一括投稿しようと思ったけど、
全然終わらないので途中投下します。
月一ペースぐらいになりそうだけどがんばるZOI!



小説でたまにある有名作品の引用文
大人(おとな)といふものは侘しいものだ。愛し合つてゐても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだらう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、といふ発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。
―――太宰治『津軽』(青空文庫より引用)



 あのキノコがまずかった。

 伸ばしっぱなしの黒髪を垂れ下げて、少女はふらふらと歩く。茫漠としたクリーム色の眼は、映したものを認識しているかも怪しい。襤褸(ぼろ)(まと)い、裸足(はだし)のまま瓦礫(がれき)に乗り上げ、足元が崩れて地面にまともに転がる。襤褸に新しい穴が開き全身が擦れて傷がついた。

 黒髪の少女――ウルは瓦礫に這いつくばったまま、胃の中にある吐き気の渦を吐き出そうと試みる。胃の中で暴れているものが食道まで昇った瞬間に力を籠め嘔吐(えづ)くも、口の端から酸っぱい液体がだらりと垂れるだけで、胃の中身は何も出てこない。その酸っぱさですら、口に残るキノコのいやにまったりとした粘っこい味が搔き消してしまう。

 そういや、()()で秋のたびにニュースで怪しいキノコは食べてはいけないって繰り返してたなぁ。

 走馬燈のように脳裏をよぎる記憶に、おかしさすら湧いてくる。前世のことを考えるなんていつぶりだろうか。

 TS転生なんてファンタジーを経験したのに、生まれた瞬間に赤子のまま売り払われ、どうにか逃げ出した後もスラムをふらふらとさまよって、元日本人の心が擦り切れるほどのものも食べたあげく、果てに口にしたのは毒キノコ。

 ――こんなにつらいなら、何で転生なんてしたんだ。あのまま一度きりの人生でよかったじゃないか。

 うずくまって腹をおさえる。腕で腹を押して中身を押し出そうとする。ぐるぐるぐるぐる暴れているくせに、中からちっとも出ていこうとはしない。

 吐き出したい。楽になりたい。もう苦しいのはいやだ。

 尺取虫のように尻を高く上げ、必死に力を籠める。目がぎゅうと痛くなり視界が曲がる。

「ん! んごぼぉ、ごばぁ!」

 吐き気が一層強くなった。これを好機(チャンス)と力を籠めると、喉をえぐりながら口から大量の灰色の筋が飛び出した。

 驚いて口を閉じようとするも、弾力のある筋に負けて口が大きく広がる。胃の中はまだぱんぱんなのに、口からはどんどんと太い筋が這い出てくる。

 ごぎん、と音を立て顎関節が外れた。筋はどんどん湧き出る勢いを増し、顎からまっぷたつに裂けそうな痛みが走る。ぶちぶちとなにかが千切れる音が聞こえてきた。

 筋の至る所から見憶えのある真っ赤なキノコがぽこぽこ生えてくる。鼻先にあたって、キノコがばふんと胞子を散らす。目にも胞子が入りそうで、あわてて目を閉じる。

 直前まで息を詰めて気張っていたせいか、もう酸素が足りない。苦しい。頭がぼやけていく。すーっといろんな苦しみが薄れ始める。

 ――もう、いいか。

 諦めよう。全身から力を抜くと、意識がだんだんと遠くなり、ふわふわと浮遊感に包まれる。

 死ぬときのあの苦しみが今回はない。これは幸いなんだろうか。

「ごぼぉぉおおおおおお!」

 安らかな意識が、急激に内臓全部が引っこ抜かれたような感覚に襲われて目を見開いた。

 涙ににじんだ視界の先で、かわいらしい少女が、必死の形相でウルの口から灰色の筋を引っこ抜いていた。

 体の中を占めていたものがなくなった虚脱感とともに、ウルの体中に新鮮な空気が回りだす。

「焼いて!」「了解!」「リーダー、ポーション!」

 リーダーと呼ばれた少女はキノコでいっぱいの筋を投げ捨てると、手早く仲間からビンを受け取る。乱暴に蓋を取ると、緑に淡く発光している液体をウルのおおきく開いた口に流し込んだ。

「これ飲んで! ポーション!」

 酸素を求めていたはずなのに、大量の液体を流し込まれて喉がバグる。一度つっかえるも、無理矢理押し流されて胃にねじ込まれる。

 酸素の代わりに液体が喉に詰められたことがとどめとなって、いい加減酸欠が限界に達した。

 なにもかもが遠くなり、すーっと意識を手放す。

「え、ちょっと! 目閉じないで! 開けて!」

 ウルの意識には、少女が焦りながら頬を叩く感覚が最後まで響いていた。



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第1話 彼のものは彼か彼女か

「……うん?」

 目をさますと、ウルの目に知らない天井が映っていた。

 あれ。てっきり死んだと思ってたのに。しかも天井なんてひさびさ、

「天井!?」大声を出しそうになり、あわてて自分の口をふさぐ。

 スラム住まいが気を付けるべきは、寝てる間に(おそ)われること。知らない場所で大声なんてご法度だ。叫ぼうとした言葉をそのまま飲み込む。まずは人攫(ひとさら)いのアジトと仮定して、脱出方法を探るべきだ。

 ベッド脇に面した窓に近づき、カーテンの隙間(すきま)を薄く開けた。夜らしく大きな満月が光を振りまいている。隙間を押さえたままにして光を入れ、きょろきょろと自分がいる部屋を見渡した。扉と引き出しのついたタンスに書き物机、そこにいくつかの置物。調度品はどれも使用されている雰囲気はない。空き部屋か?

 カーテンに開けた隙間から今度は外を覗く。地面は少し遠い。二階のようだがここから逃げてしまおうか? いや、今生の自分はひょろひょろのガリガリだ。飛び降りたりすれば足を痛めて、逃げ切れる可能性などなくなるだろう。階段を探して降りるのがより確実、のはずだ。

 ――それにしても、こんな環境なんていつぶりだろうか。

 掛布団までついたふかふかベッド、着替えさせられたらしき清潔な服、そもそも雨風をしのげる部屋。どれもスラムでは望むべくもないものだ。

 うへぇ、と舌を出した。スラムでウルを執拗に狙っていた男が、それなりに整った設備――スラムにしては、と付くけれど――を持っていると自慢していたのを思い出したからだ。スラムのヘッド面で女の子を侍らせながら『俺のもとに来れば食うに困らない生活させてやる』などと何度も言い寄ってきたが、元男として男に抱かれるのなんかごめんだ、と無視していたっけ。

 ぶんぶんとかぶりを振り、思考を現在に戻す。思い出に浸るのはあと。まずは脱出しなければ。

 ベッドを降りると、はだしのまま抜き足差し足忍び足。ドアノブを掴んで、ゆっくりと開ける。頭だけを出してクリアリング。薄暗く静かな廊下。誰もいないみたいだ。

 拍子抜けした気分で廊下を歩く。部屋の左すぐに見えていた角を曲がると、すぐに階段もあった。なんだ。楽勝じゃないか。

 ゴン。

 階段の手すりの上。手を伸ばした平たいところにビンが乗っていた。指先が触れてしまい、バランスを崩して落下しそうになる。

 心臓がきゅっとなりながら、あわてて手を伸ばした。やみくもにつかんだ結果、ビンの飲み口ぎりぎりを握りこむことに成功する。奇跡だ。

 ウルはビンを抱きしめながら、へなへなと腰から崩れ落ちる。

 油断した。あぶなかった。

 はぁはぁと荒い息を吐きながら、うずくまってビンをゆっくりと置く。飲み残しがビンのなかでちゃぷんと音を立てる。その音すら恐ろしい。

 身体全体を揺らすような心拍を収めるため、顔をあげてゆっくり深呼吸。

 すー、はー。

 そのまま階段に目を向けると、下りようとしていた階段にも大小さまざまなビンがずらりと並んでいるのが見えた。床に近い目線にならなければわからなかった。

 ――なんだよこれ。新手の鳴子(なるこ)かなにかかよ。

 気づかずに蹴とばしたが最後、ドミノ式に騒音が鳴り響いただろう。気づけたことに安堵しながら、慎重に階段を下りる。窓から見た感じ、ここが一階のはず。なら、下手に扉を開けるよりも窓から出たほうが外に通じているだろう――。

「ありゃ。もう起きちゃったの?」

「ぴぃ!」

 今度こそ大声を出してしまった。

 ぎぎぎ、と振り向くと、見憶えのある少女が立っていた。意識を失う前、最後に会った少女。こいつがここまで拉致してきたのか。

「ポーションで治療できたとはいっても、あの寄生キノコ食べちゃったんだし。もうちょっとゆっくり休んだほうがいいよ?」

 少女は頬に指先を当てながら、何事か云ってくる。

 やばい。見つかった。

 逃げるか?

 いや、窓はこいつより向こう側に見えるだけ。ドアは――しめた! 壁沿いにある!

 どこかの部屋に通じてるかも知れないけど、この際ぜいたく云ってられない。なんとかドアの向こうに飛び込んで、窓があれば脱出。なかったら――知るか!

 とにかく。なんとかこいつの目をかいくぐってドアまでたどり着かなくては。

 落ちていたビンを素早く拾い逆手に持つ。残っていた酒の雫が手にしたたり落ちてきた。アルコールのにおいがする。にちゃついて気持ち悪い。

「わわっ。危ないからそんなの下ろして? ね? いい子だから」

 凶器になりそうな鈍器を構えたのに、眼前の相手は余裕を崩さない。ジェスチャーまで入れてあやすように云ってくる。余裕面(よゆうづら)がちょっとイラっときた。

 ウルは見せつけるように正面にビンを構えながら、少しずつドアのほうに移動する。あくまで間合いを図る風を(よそお)い慎重に、慎重に。

「ここはどこだ?」

 ついでに質問を投げる。注意をそらせるならなんでもよかったが、聞けるなら聞いておきたい。

「ここはボクたちのアジトだよ」

 不穏な単語だが、案外あっさり答えが返ってきた。

 この調子なら、質問していれば注意を引けそうだ。

「ボクたちの、か。なんだか幹部みたいな口振りだな」

「まあ、ボクはここのリーダーだけど……」

 適当にカマかけたら、予想外の答え。

「へぇ。リーダーかよ。かわいい顔してずいぶん偉いんだな」

「かわいい? えへへ。そうかなぁ」

「そうだよ。かわいいのに優秀なんてすごいと思う。大人数の前で話したりするのも似合いそうだ」

「そんなことないよー。ボクたちはそんないっぱいいないし」

「少数精鋭ってやつか。人望があるんだな」

「そう……だね。優秀なひとたちに恵まれてるよ」

 じりじりと横滑りしながら、適当におだてる。それにしても情報がボロボロ出てくるな。ありがたいが大丈夫なのかこいつ。

「優秀ならなおさらだ。そういう奴らは自分の価値を見積もれてる。そのうえであんたについてきていることが証拠だろうぜ」

「自分の価値、かぁ。あんまりそういう考え方はしたことないなぁ」

「じゃああんたはどう考えてるんだ?」

「それはー。うーん……」

 今だ! ビンを投げてドアを開けて、あとは脱出を――

「だーめ」

 思い描いた動作は叶わなかった。

 瞬く間に近づいてきた少女に、投擲(とうてき)のためにと振りかぶった腕を受け止められ、ビンそのものも取り上げられる。振りほどこうとするも、腕一本が全然揺らぎもしない。

「夜遅くに騒ぐと起こしちゃうかもだから。わかって?」

「くそが!」

 思わず悪態をつく。逃げようとしたのも全部お見通しってことかよ!

「そんな汚い言葉つかわないの。よーしよーし」

 少女がウルを抱きしめて、頭をなでてくる。

 今世で――年齢(とし)は測る術がなかったけど、初めての人のぬくもりに思わず力が抜けてしまう。硬い身体から感じるあたたかい体温に、おもわず顔が緩む。

 ――硬い?

 感触が信じられず、すりすりと頬を少女の腹に押し付ける。布越しだけど、やっぱり硬くてごつごつしている。

「あ!」

 少女が声をあげて離れた。人肌が離れ、今まで触れていた場所がすっと冷えた。――すこし、名残惜しい。

「えーと、その……あはは」

「なんだよ」

 緩んでいた自覚のある顔を引き締め、あいまいに笑っている少女をにらみつける。

「えと、ごめん……その、ね。実はボク、男なんだ」

「……お。おう」

 思考が停まった。じろじろと上から下まで見てしまう。女の子にしか見えない。

 ……マジか。

 

 こっちでちょっとお話ししようか。

 少女――男らしいが、に手を引かれウルはしぶしぶ歩き出す。改めて周りを見ると、どうやら寄合場所らしく何セットもテーブルやイスが並んでいる。イスがゆったり間隔で四つ並んだ長テーブルだが、いくつかにはビンがそびえたったままになっていて、雑然としている。少女(男)はそのなかをウルの手を引きながら月明かりの差し込む窓のほうへ引っ張っていった。暗さに順応した目には、すこしまぶしい。

「じゃあここに座って」

 にこにこと笑う少女(男)が、わざわざ窓際のテーブルのお誕生席にイスを準備してきた。しょうがなくそこに座ると、少女(男)も角を挟んで斜め前に座った。

 念願の窓の近くに来たけれど、読んでいると云わんばかりに少女(男)が窓の前にいる。逃げようとしたところでさっきの轍を踏むのがオチだろう。それを悟ったウルは、テーブルに行儀悪く頬杖をついて少女(男)をじっとりとにらんだ。

 窓からの光を後光のように背負う少女(男)。たしかにふわふわした体のラインの出づらい服を着ているものの、生成り色をした――前世では森ガールとか云った服装はこいつのくりくりとした目や肩にかかる金髪、なによりぽやぽやとした雰囲気にとても合っている。さっきの体の感触がなければ男と云われても信じられないところだ。

「え、えへへ。なにかなぁ?」

 見つめすぎたせいか、少女(男)がえへえへ笑いながら頬を掻く。そのしぐさもまた似合っている。

「いや。別に。その格好めちゃくちゃ似合ってるなってだけだが」

「ほんと!? 嬉しい! ありがとう!」

 あからさまにふてくされている相手からの雑な褒め言葉でも、心の底から嬉しそうにしている。ずいぶんとお人よしのようだ。

 本当にこいつは人攫いなのか? 一瞬そんな考えがよぎるも、小さくかぶりを振ってその考えを振り払う。どんなにお人よしに見えても、裏で何やってるかなんてわかったもんではない。

「あらためて、ボクはザクウ。このアイスフリル傭兵団の……リーダーをやってるよ」

「傭兵団? 人攫いじゃなくてか?」

「ひ、人攫い? 違うって!」

「またまた。別に希望を持たせなくていいって。スラム生まれでスラム育ちの純粋スラム人を引っ張りこんでやることなんて人身売買くらいだろ?」

「ほんとに違うよ!?」

「あ、それかその前に()()か? 悪いけど俺はまだ膜があるから、そうすると安くなっちまうけどな」

「まく!? うう、ちぃがうよぉ……」

 少女(男)――ザクウは赤くなった顔を両手で抑えると、あうあうとうつむいた。

 どうにでもなぁれと自棄(ヤケ)になっていたが、予想外だ。

 ――このリアクション、もしかして本当に裏のない傭兵団とやらなのだろうか? だとしたら、わざわざオレをアジトにまで連れてきた理由はなんだ?

 ウルが思考を巡らせていると、ザクウががばりと顔をあげる。

「名前! そうだ、名前聞いていい?」

「ゴンベエ」

「うそでしょ」

「チッ……ウルだよ」

 この分なら騙せると思ったが、そこまでお人よしじゃなかったか。

「ウルちゃん」と呼んでから、ザクウはすこしだけもごもごと口を動かす。明るい場所でじっと見ても、見た目は掛け値なしの正統派美少女そのもの。その顔がしかめ面になり唇を開けたり閉じたりする姿はなにやら愛らしさを感じる。なんだか小動物みたいだな、と頭に浮かべたところで、彼はようやく言葉を紡いだ。

「よく聞いてね。ウルちゃん、きみのいたスラムはもうないの」

 一度云ってしまえば、あとは堰を切ったように言葉が紡がれる。さきほどまでくりくりしていた目を悲しげに伏せながら話し続ける。

「きみのいたスラムいっぱいに寄生キノコが繫殖した、って話が来た時にはもうどうしようもなくなってた。その情報すらスラムから脱出できたわずかな人が騎士団に捕まって初めて伝わったから。だから――だから、騎士団の人はボクたちの傭兵団にスラムを焼き払う依頼をした。寄生された人ごと焼いて、これ以上広まらないように。ボクたちはそれを受けて、スラムを焼いたんだ」

 話しているあいだに、彼の声はどんどんと沈んだトーンになっていく。顔も下を向き、うつむいてしまい顔も見えない。

「ごめんなさい、ウルちゃん。きみのいたスラムの人たちを、ボクたちは焼いた。キノコに寄生されて、でも、まだ生きてたかもしれない人を、きみの仲間を、焼いたんだ」

 もはやザクウの顔はテーブルにつかんばかりに沈み込み、言葉から懺悔の思いがはっきりと伝わってくる。肩を震わせ頭を差し出している姿は見ていて痛々しい。

 ウルは(こうべ)を垂れるザクウを困った顔で見つめ、うつむいた頭にゆっくりと手を伸ばし、その(ひたい)にてのひらを触れる。

 びくりと動いた頭を、掌底(しょうてい)で力いっぱい押し上げ前を向かせる。涙に(うる)んだ目がまんまるになり、おどろいた顔でこっちを見てくる。

「別に。謝んなくていい」

 アイアンクローになっている腕もそのままに、きょとんと見つめてくる(ほう)け顔に向かってきひひと笑いかける。

「あのスラムでオレはわりとひとりだったから。仲間と云えるほどのやつはいなかったしな」

 思い出してみると、ずっとひとりで食料やらをあさって会話らしい会話をしないまま終わった日も多く、生涯で一番話したやつも例のヘッド気取り――しかもそれすら数日に一回くらいという体たらくだ。死んで燃やされたとしても、冷たいだろうが手を合わせて冥福をくらいの感慨しかない。

「それに、寄生キノコ――っと、それってあの赤くてぶつぶつがいっぱいのいかにも危険そうなキノコだよな?」

 聞くと、ザクウは沈んだ声のままながらも「なんで危険そうってわかってて食べたのさ……」とつぶやく。そういえばなんで食べたんだっけ?

「まあ、たぶん腹減ってたんだろ。で、そのキノコを食った身としてはあれは食ったら死ぬ。死ぬほど苦しんだ後すぐ死ぬ。だから、生きてるやつを焼いたわけじゃない。むしろ火葬で弔ってもらえるなんてスラム暮らしには最高のプレゼントだ。だから、だな……」そこで今度はウルがもごもご。ザクウから離した手を首にあてひとしきり唸ると、怒ったように、

「だから! 別に気に病む必要はない! はず、だ!」

 逆ギレのような叩きつける勢いになってしまった。肩で息をしながら、少し冷静になった頭でちらりと見ると、ザクウは呆け顔のままぽかんとこちらを見ていた。

 しまった。なにか間違えたか……?

 気まずい雰囲気が一瞬だけ漂う。失敗の気配に喉が急速にひりつく。

 ザクウはぽかんと開いたままの口を閉じると、涙を浮かべたままふわりとほほえんだ。

 男だとわかっていても見惚れてしまうかわいらしいほほえみ。

「わ、と」ほうけていたら、椅子に座ったまま抱きしめられていた。虚を突かれ、つい抱き返してしまう。

「ありがとう。ウルちゃん」

 頬がつくほどの距離。耳元でささやかれ、こそばゆい。

 座ったままのせいか、身体にすこし距離がある。さみしい。おもわず抱きしめる力が強くなる。

 くすりと笑う声で、腕の力を自覚した。恥ずかしいけど、離れがたい。ザクウの体温があたたかい。

 すー、すー、と手櫛(てぐし)をかけられる。すこし大きめの手指で、ゆっくりと、なんども髪を梳かれる。

 すこしだけ乱暴に、指が頭皮をなでる感覚が心地いい。

 すー、すー。

 彼のぬくもり。彼のにおい。彼の感触。手櫛の音。

 すー、すー。

 

 ザクウが気が付いた時、ウルは腕の中でゆるく寝息を立てていた。

 彼はもういちど頭をなでると、起こさないよう慎重にお姫様だっこをする。朝までゆっくり寝かせてあげよう。

 月明かりに、ウルの寝顔が照らし出される。口が開いた、ほにゃほにゃと緩みきった寝顔だった。



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第2話 たとえ望まれなくとも救いの手を

 ザクウはお姫様だっこしたウルを捧げ持ったまま、起こさないように慎重に階段を昇る。ちいさい体格を加味しても羽のように軽い身体。むしろ力を入れすぎないように気をつけながら、そのまま上がってすぐの部屋――先ほどまでウルが寝ていた部屋のドアまで歩いて、足で雑にドアを開けた。部屋はベッドが寝乱れているくらいで、それ以外はきれいなまま。それどころか、用意しておいたサンダルですらそのままの状態で並んでいた。

 ウルをベッドに寝かせる。淡い夜色の髪がふわりと広がった。

 さっき梳いていたときも思ったけれど、ウルの髪はずいぶんと痛んでいる。とは云っても、ウルを着替えさせた女性団員の話では――ザクウは女装こそしているけれど男だという自覚はあるから、そこは任せきりになった――彼女はめっきり汚れていて、浄化魔法を何回もかけたうえでソープの実を丸々一つ使ってようやくそれなりになったという。さっきのスラム生まれという話からして、きっと身支度に割く余力なんてなかったのだろう。

 布団をかける前に、彼女の足をちらりと見る。子供らしからぬ筋張った細い素足は、一階(した)まで歩いたくらいのはずなのにもう黒ずんでいた。このアジトの掃除が行き届いていなくて埃っぽい証拠だ。そんな中を素足で歩かせたことにすこし落ち込みながら、ちいさな足をハンカチで軽くぬぐう。起こさないように慎重にだけど、こそばゆいのか「うぅん……」とちいさく呻く声が鳴る。

 足をきれいに拭き終わったあとで、彼女の身体(からだ)をざっと見回す。

 さっき拭いていた時に気になったけど、足の爪がずいぶんと伸びていた。手のほうも気になって、指先を見る。短い。いや、断面が不規則な曲線になってる。爪を噛み切っていたみたいだ。

 手足は細く表面に浮いた血管がグロテスクなまでにびっしりと走っている。向こう(ずね)も骨が四角形に存在を主張している。服に隠れた場所も、あばら骨が骸骨(がいこつ)のようにはっきり浮き上がっていたらしい。血色の悪いむくんだ顔から、水もろくに飲めていないだろうことは容易に想像がつく。

 すう、すう、と小さく寝息を立てるウル。

 彼女はこんなにちいさい身体で、どれだけの苦労を背負ってきたのだろうか。その苦労の原因も、スラムで生まれたということ以外に白状すべきことなどないのに。

 ザクウはその矮躯にふうわりと布団をかける。そして、寝顔を見ながら手を組んで祈った。

 この()に、しあわせが訪れますように。

 

 すこしの間そうした後、ザクウは起こさないように静かに部屋から出る。慎重に慎重に。

「あの子は寝ましたか? リーダーさん」

 すぐ隣から声がした。ころころとした鈴のような涼しい声。声のほうを向くと、ちいさい女の子がにっこり微笑みながら立っていた。

「ルティア? 起きてたの?」

「はい。リーダーさんが慰められてるところをしっかりと見させていただきました」

 くすくすとからかう声色。

 ――彼女の名前はルティア。ストロベリーブロンドの髪を緩くまとめ瀟洒な雰囲気を漂わせる彼女は、本名がプルルティア・カロン・ドワーフプラネットという、あるドワーフ国王の娘さんだ。つまりお姫様なわけだけど、ドワーフ王国での仕事から縁ができてこの傭兵団に入ってくれている。

 ルティアはくすりと指先を口元に当てると、

()()()()()()()()()()()()()()から、下で話しましょうか」

 くすくすと笑う。ルティアはなんだかいつも楽しそう。

 静かに、でも跳ねるように階段を降りるルティアについていって一階のエントランスに戻ると、机のひとつに人影があった。

「ケイオス? きみも起きてたの?」

「よっ。飲み切ってない酒が気になってな」

 そういってケイオスはちゃぷちゃぷビンを揺らす。

 ――ケイオス。彼は顔つきや体つきにこそ狼人族の血が色濃く表れた獣人のようにも見える。本人も狼人族と云われても否定はしない。けれど実際には家系を熱心に辿ると獣人だけで10以上、それ以外を含めればもっといっぱいの種族をその身に受け継いでいるらしい。ドワーフの血も入っているからか、宴会になるとルティアに付き合わされて、そのまま潰されるのは恒例の光景だ。

「ケイオス。あなたも聞いていましたの?」

「あのちんまいお嬢ちゃんのことか。聞いてたよ」

「あら。それは私もちんまいということでしょうか」

 ウルと同じくらいの体格のルティアが問いかけ、それをごまかすようにケイオスはビンから直接お酒を飲んだ。

「で? リーダー。あの嬢ちゃんのこと、これからどうすんだ?」

「どうする……って?」

 いきなり聞かれて、言葉が詰まる。

 ケイオスはそんなザクウをじっと見て、そして大きく息をついた。ぼりぼりと頭を搔きながら、気まずそうに云ってくる。

「たしかにあの場で嬢ちゃんを助けるのも、置いていけないって拾ってきたのもわかる。だけどよ」そこでまた息をつくと、「犬猫じゃないんだ。世話するからここに置いて、じゃないだろ」

 諭すように云われ、今度こそ返答に窮する。

 ウルのこれから。つまりウルがこの(さき)()きていくためにどうするのか、ということだろう。とにかくウルを連れ帰っただけで、そこまでのことなんて考えてなかった。

「スラムのほかの生き残りは……ムリ、かな……」

 云い終わる前に自分で打ち消す。珍しく前払いしてまで逃げるようにスラムを焼き払う依頼をしていった騎士団のことだ。ほかの生き残りの居場所を教えてくれる可能性は低い。探すあてもない。

「孤児院に連れて行っても無駄でしょうね。あのくらい話せる歳だと、もう院から独立してどこかに住み込みで働くのが普通ですもの」

 立ちすくんだまま考え込む隣で、ルティアは瀟洒に座って残酷な現実を語る。

「そしてスラムから来た子をわざわざ雇うより、ほかに良い選択肢はたくさんあります。それでも雇ってくれるのは――娼館でしょうか。場末の安娼館なら、スラムの()()処女でもちょっと高値を付けられますし、そのあと乱暴に使わせてもお金になります。そうすれば最期までは食べていけるかと」

「ダメ!」

 おもわず声をあげていた。首をぶんぶんと振り、その未来予想を必死に打ち消す。

「それはダメ! そんな目に合わせるためにウルを助けたんじゃない!」

「ダメ、と云われましても。現実として、彼女を雇うところなんてそれくらいでしょう。それともリーダーさんは彼女をまたその日暮らしの路地端生活させるとでも」

 ルティアはあらあら、と頬に手をあてて困ったように云う。ケイオスも「まあそのあたりが妥当だろうな」と同調する。

 たしかに二人の云っていることは真実だ。実際にウルを雇ってくれるところはそんなところしかないのだろう。それに、ウルもきっとその未来を受け入れてしまうのだろう。なんとなくわかる。彼女はきっと「現実なんて、そんなものだ」と諦めて笑いながら食い物にされに行く。そんな子だと感じた。

 だからこそダメだ。そうだ、あの時思ったじゃないか。彼女にしあわせが訪れますようにと。

「……やっぱり、ダメ。ウルをそんな目には合わせない」

「ですから、ダメと云われましても」

「じゃあ、そうだ。ウルにはこのアジトのハウスキーパーをしてもらおう」

 ウルの足が汚れていたところからの安直な発想。だけど、いまはそれしか思い付かない!

「みんなでたまに掃除してたけど、やっぱり忙しくて汚れることも多かったじゃない。それにそう、お洗濯とかもたまっちゃうし。だから、だれか一人家事をやってくれる人を雇ったほうがいいって、そう思わない?」

「それこそ別に嬢ちゃんじゃなくてもいいだろうが」

「うぅ……」

 即座に痛いところを突かれた。たしかにウルありきで考えた案なのは認めざるを得ない。ほかの人のほうがいいと云われればそうだ。でも。

「あら。いいではないですか」

「ルティア?」

 思わぬタイミングで援護が入る。ケイオスも急に梯子を外され「姉御」と漏らした。

「雇う相手も、別段ウルちゃんではいけない理由もないでしょうし。アジトの汚れもずっと気になってましたもの。むしろ明日(あした)明後日(あさって)入ってくれるなら大歓迎です」

「そりゃそうだが……いや、どっかの紹介を背負ってきてるやつらと違って、嬢ちゃんだとアジトのもんかっぱらって逃げる可能性もあるだろうが」

 ケイオスが不承不承といった感じで反論してくる。

「ウルちゃんはそんなことする子じゃないと思う。えっと、そう。実際、さっきウルちゃんが逃げようとしたときも、ウルちゃんの寝てた部屋はきれいなままだった。そんなことする子なら、行きがけの駄賃って荒らすはず、だよ、ね」

 説得できるかの自信がなくなって、語尾が弱まる。ケイオスを見ると、がりがりと首元を搔きながらなにか考え込んでいる。もうひと押し、みたいだけどその材料がない。

「では、こんなのはどうでしょう」

 ルティアがくすくすと笑いながら大きな首輪を取り出す。楽しそうに笑いながら出すにはあまりにも不釣り合いな、魔術回路の書かれた革の武骨な首輪。魔獣使いの人が魔獣に着ける首輪だ。……なんで今?

「ウルちゃんをだましてこの首輪をつけてしまいましょう」

 くすくすと笑いながら、恐ろしいことを云い始めた。

 首輪をくるくると回しながら、ルティアはあくまで楽しそうに、

「魔獣に着けてなくとも、居場所くらいならこの首輪は教えてくれます。それを知らなければ、逃げてもわざわざ途中で捨てたりはしないでしょう。少なくともウルちゃんか持ち逃げされた物のどちらかの場所はわかります」

 ひょい、と首輪を投げ渡される。着ける役目はリーダーであるボクがやれ、ということらしい。

「それなら不安材料はなくなりますね」

 両手を合わせて小さく笑いながら、ルティアがケイオスを見つめる。顔こそ笑っているものの、結論を求める圧力をかもしながら見つめ続ける。

「……わーぁったよ」

 ケイオスは両手をあげるとそう答えた。

 やった。ちいさくガッツポーズ。ウルのことを思ってえへへと笑う。

 

 そんなリーダーの姿を横目に、ケイオスはこっそり問いかけた。

「姉御。もしかして姉御は最初からこの画を描いてたのか?」

 そうでなくちゃ首輪がすぐ出てくるわけはない、と繋げると。ルティアはいっそう深く笑う。

「あら。知らないんですの?」

 大きく大きく、そうしてなお柔らかく笑うと。

「お姫様は子供を見捨てないんですのよ?」

 くすくす。くすすす。



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第3話 前世から連れ添ったコミュ障の(さが)

 目を覚ましたとき、目に映ったのはまたおなじ天井だった。

 ウルはベッドからむくりと起き上がると、ぼりぼりと頭を掻いた。ゆっくりと頭が回転を始め、寝る前の出来事を思い出す。

 ――たしか、起きて逃げようとしたんだったな。んで、見つかって、話して、抱きしめられて、あったかくて……寝ちまった、のか。

 そこまで思い出すと、急激に羞恥が湧いてくる。うああ、と声が漏れ、身体が熱く火照る。なにかを搔きむしりたくなる衝動に任せて、腕に爪を立てて思い切り掻く。

 いくら今世で初めての人肌だからって、あれはないだろう! 前世ではもういい年のおっさんが! あんな!

 がりがり腕を搔きむしる。噛み切ってぎざぎざの爪が痛い。繰り返し掻いて、鋭く走る痛みのおかげで落ち着いてきた。

 腕をほどくと、荒くなった息をととのえ、おおきくひとつ深呼吸。

「よし、知らん顔しよう」

 声に出しグッと両手を握ってそう決めた。

 気を取り直しベッドを降りようとすると、ちょうど足をおろす場所にサンダルがあった。スリッパにも似た、子供用のちいさいサンダル。履けということだろう。

 サンダルを履いて立ち上がる。二三(にさん)あるいて、ふと立ち止まる。寝皺の寄ったスカートにおもむろに手をかけると、前をがばりとめくりあげる。もう片手でかぼちゃパンツにも手をかけ、中を確認する。使われないまま相棒が逝ったつるつるの股ぐらには、特に異常はない。前世の偏った知識だが、ふとももをこすりつけるように歩いても痛みや違和感もない。

 ここまで来たら、認めるしかないのだろう。

 アイスフリル傭兵団とかいうやつらは、本当に善意でスラムのガキを拾うような集団なのだと。

 他人事のように感想を持つと、ウルは服を脱いで部屋を出た。

 部屋のドアを開けてすぐ、にぎやかな声と肉の焼けるいい匂い。階段の下からだ。

 宴会のような楽し気な雰囲気のところに近づくのは気が引ける。昨夜除外した窓からの逃走の選択肢がよみがえる。だが、善人集団だとわかった以上、あいさつせずに出ていくのも別の恐怖を感じる。ごくり。つばを飲み込むと、ウルは一歩踏み出した。

 階段を一歩一歩、踏みしめるように降りる。大広間のざわざわと楽しそうに話していた声が、ウルのほうを見る視線と反比例するように静まっていく。だから嫌だったんだ。ウルの顔に自嘲的な笑みが浮かぶ。降り切ったころには、もう空気がしんと静まり返っていた。身がねじ切れるようなその空間を、きしむ手足を意識的に動かして、平静を装いながら歩く。

「あー、ザクウ、さん」

 唯一声を交わした相手にたどり着き、声を絞り出す。彼の顔もまた固まっていて、感情が読み取れない。昨日はあんなにもかわいらしく笑いかけてくれたのに。

 昨日の痴態を思い出しそうになり、記憶を押さえつけながらあわてて考えておいたセリフを云う。

「泊めていただいて、ありがとうございました」

 噛まないように。つかえないように。意識する。「生まれて初めて屋根のあるところで寝られて、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました」

 頭を下げる。たっぷり待ってから、彼のなにやらかすれた声が降ってきた。

「……あの、ウルちゃん?」

「は、はい」

「なんで裸なの?」

 なぜ、と云われても。キャミソールとパンツだけのウルは、平然と――いや、予想外の質問に焦り倒しながら答えた。

「い、いや、さすがにお借りした服ですし、返さなきゃって。あ、下着もですよね。そうですよね。あはは。は」

「わー!?」

 なんの躊躇もなくすっぽんぽんになろうとするウルの腕を、ザクウはあわてて掴んだ。

「逆、逆! 服着よ!」

「え。でも……」

「お願い。着て」

 服を返そうとしただけなのに、その服を着るように懇願されてしまった。どうしてだ?

 疑問に思いながら、ウルは服を着始める。これまでの服は貫頭衣(穴の空いた麻袋)一着を着たきり雀していたから、上下に分かれた服を着るのは前世以来だ。おぼろげな記憶を頼りに、なんとかスカートを履きトレーナーを頭から被る。

 肌擦れしないふわふわの服にあらためて感動していると、なんだか周りの雰囲気がすこし緩んだ気がする。

「でもすぐ出てくんだし、別にわざわざ着なおさなくても、っと、着なおさなくてもいいんじゃないですか?」

 危ない。きのう自棄(ヤケ)になって乱暴に話したせいで、まだ距離感がおかしい。あわてて敬語に直す。

……昨日決めておいてよかった

「?」

 小声でつぶやかれてしまい、聞き取れなかった。悪口だろうか。

「ウルちゃん! あのね。ここで働く気はない?」

「正気か?」

 ぽろっとこぼれた。取り繕おうとすると「別に云い直さなくていいよ。自然に話して」と苦笑される。ザクウには一度乱暴に話したから、あれが素なのがすでに分かっていたのだろう。

 ふう、とこれ見よがしに力を抜く。そのまま手を身体の前でぐーぱーぐーぱーと開いたり閉じたり。

「じゃあ云うけど、何やらせるにしてもわざわざスラムのクソガキを引き入れる必要なんてないだろ? もっとやる気にあふれたまじめなやつとか、能力もある経験者とか。そういうののほうがいいに決まってんだろ。スレたガキでもできることなんて、それこそ囮か肉壁か肉べ」「あら。おませさん」

 んき、と云う前に口をふさがれた。なんだか憶えのある展開。

 ふごふごともがいて、絡んできた腕をタップするとすぐに手が離れた。

 振り返ると、ストロベリーブロンドの髪をしたちいさい女の子がにこにことほほえんでいる。

「おませなウルちゃん。ご期待には沿えませんが、リーダーさんはあなたを大事に扱いたいそうですよ」

「……はぁ」

 ちいさい女の子は頬に指をあてるわざとらしい困り顔をしながら、

「実は私はあなたのことを放り出す気でいましたの。ですが、リーダーさんはあなたをここに住まわせてあげたいと、それはもう情熱的に説得なさいまして」

 うさんくさい文句にちらりとザクウのほうを見ると、彼は顔を紅くして目を見開いた状態で固まって、ザ☆図星と全力で表現している。

 はぁ。

「ザクウさん。あんたリーダーなんだろ? なら、もっと疑ったり選んだりして身内を守ることを考えたほうがいいと思うぞ? スラム育ちのガキんちょなんか、生き残るのに悪事をしまくってるに決まってるんだから」

「ウルちゃんはしてないよね?」

 あまりにさらりと反論された。いや、反論ですらない曇りない信頼。

「ウルちゃんは悪いことしてる子じゃないと思うんだ」

 えへへ、と無邪気に笑った顔を見せてくる。

 ここで、露悪的に、オレはスリにひったくりに強盗やりまくりだ――とか云えば話は早いのだろうが、さすがにやってもいない罪を自慢するのは気が引ける。

「……なんでそう思うんだよ」と問うても、「そう思ったから!」とますますの笑顔で返されてしまった。

 むむむと黙っていると、さっきの女の子が上品に口に手をあてくすくすと笑っている。

「残念ですが、これでリーダーさんは頑固なところがありまして。特にいい子だと認めた子なんかは」

「別にオレはいい子とかじゃないですけど」

「そういうことを云う子はいい子ですよ。ふふ」

「なんですかそれ……」

 脱力。

 そうしてふと見れば、周りにいる人が手を止めてこちらを見ていることに気が付いた。食事の手を止め、ひそひそと話をしている。

『あの子元気でよかったな』『リーダーがいい子だって云うなら安心スね』『妹ができたみたい』

 やたらと好意的でびっくりする。聞いているとその根拠が『リーダーが信頼しているから』らしく、人の信頼が背中にのしかかり恐ろしい。

 期待されている。手を止めさせている。時間を奪っている。

 恐怖のあまり脳が停まる。

「あ、あー。これから、よ、よろしく、お願い……します」

 恐怖に追い立てられ、肯定の言葉を吐いてしまった。云った瞬間ふっと楽になったものの、取り消したい後悔が代わりにやってくる。それもまたザクウの喜びの表情や周りの期待を、落胆や失望に変える未来がよぎって踏み出せない。

「これからよろしくね! ウルちゃん!」

 にこにことザクウが手を握ってきてぶんぶんと振る。

 働く、という言葉にいい思い出はないんだが。

 まあ。流されてしまおう。

 諦めて、全力で上下に揺れる腕をぼんやりと見つめた。

 

「みんな! あらためて、今度から仲間になるウルちゃん! アジトのハウスキーピングをしてもらうよ!」

 落ち着いたザクウが周りの人達に宣言すると、背中をぽんと押してくる。

 ぽんと視線のただなかに押し出され、一瞬ぎゅんと目の筋肉が収縮し、めまいに襲われた。

「じゃあ、自己紹介おねがい」

 早速また後悔した。

 目線をあげれば、緊張でバチバチとスパークする視界の中、二十人くらいの顔がこちらを向いている。視線を彷徨(さまよ)わせてもどれかにかち合ってしまいそう。

「ウ、ウル、です! スラム育ちです! よろしくおねがいします!」

 コミュ障特有の簡素に過ぎる自己紹介、と自分でも思うくらいだ。やはり納得されないのか、目線が次の言葉に興味深々と訴えてくる。なにか。なにかしゃべることは。

「そ、そう! 実は自分は生まれは別のスラムなんですよ! そこで生まれてすぐ人買いに連れてかれて。その時に親が唯一云ったのが『こいつ、売る』だったんです。なので自分ウル(売る)なんですよ!」

 名前の自虐ネタはウケなかった。笑いどころで少し待っても誰も笑わない。

「と、とにかく! よろしくおねがいします!」

 待った時間を打ち消すように強引に締める。

 自分語りなんて嫌いだ。




(公開してからこっそり一文追加しても……ばれへんか)


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第4話 衣食足り過ぎて

 頭を下げながら、ウルは目を閉じふぅと息をついた。苦手な自己紹介を強引にだけど終わらせたんだ。難局を乗り切った。

 ……代わりに、この人たちの仲間になることになってしまったけど。どうしようかなぁ。

 流された結果を実感してげんなりするも、とにかく顔を元気につくろってから頭をあげる。

 すぐ近くに顔があった。ふたつも。

「ぴ」

 情けない声が漏れる。顔を見てそんな声を出すなんて失礼だったろうか。不安になって身体がこわばったけど、いつの間にか詰め寄っていたふたりは気にしていない様子で、

「ウルちゃん! 私はリコリス、っス! よろしくス!」と若葉色の髪の少女が右手を掴み、

「私、スイ。よろしく」と水色の髪の少女が左手を掴む。

 あっという間に両手を掴まれてしまい、ウルはおろおろとふたりの少女を交互に見回す。

 

 ウルにとって、前世から自己紹介とは()()()()なものだった。名前と顔さえわかればよくて、それ以上なんて気にも留めない。初対面の人間のことなんて知るほど暇ではないから。そして仲良くもならず、それ以上なんてずっとこない。その程度のものだった。

 しかし、ウルの手を掴む少女たちにとってはそうではないようで、ウルが語らない分を引き出そうと、

「ウルちゃんウルちゃん。好きな食べ物はなんスか?」「趣味、とか?」

「え、えっと……カビの生えてない食べ物を探すのが趣味です」

 早く答えようと、ついうっかり混ぜてしまいふたりが微妙な顔になる。ちゃんとひとりずつ答えるべきだった。三人でしゃべることの難しさ。

「~! ウルちゃん。ちょっと待っててっス!」

 リコリスが強く握ってた手をあっさりと放し、ひらひらてのひらを振ってどこかに行ってしまう。

 あ、と思ったけど、もう遅い。きっと失望させてしまった。

 離された手を持てあまし、ゆっくりと降ろそうとすると、スイが手を伸ばして掴んできた。

 ぎゅっと両手を包みこみながら、スイは水色の瞳でじっと見つめてくる。

「ウル。おねがい。私にも敬語なしでいてほしい」

 真正面から見つめられ、ウルは目線から逃げるように顔を背けて首ごと逃げる。

「ぜ、善処シマス」

「やだ」

「おいおいやっていきマス」

「やだ」

「今後の課題に」

「や」

「……り、りょうかい」

「ん!」

 胃をキリキリさせながら、ため口で答える。コミュ障だと自覚しているから、こういう距離の変化が一番怖い。ため口を使ったが最後、距離感のわからないやつという扱いをされる気がする。相手が云ったかどうかなんてしょせん社交辞令の一言で切り捨てられるんだ。

「スイずるーい! 私もウルちゃんと仲良くしたいっスのに!」

「ぶい。ぶいぶい」

 戻ってきたリコリスに、握られた手を見せつけながらスイがドヤ顔をかました。

「ウルちゃんウルちゃん。私にももっと気安くでいいんスよ」

 また片手ずつ握られ、まるで前世で云う大岡裁きのようになる。

 ――ああ、なるほど。そういうことか。つまり、オレはリコリスさんとスイさんがじゃれるための()()にされているのか。

 なら。扱いに差が生まれると、溝になる。

あ、あー。よろしく、リコリス」

「! うん! よろしく!」

 彼女が笑う顔を見て、こっそり安堵の溜息をつく。危なかった。

 

「おふたりさーん。そろそろいーいー?」

 なんだか間延びした声に、ウルはちらりとそちらを向いた。ふたり、とはもちろんリコリスとスイのことで、自分は文字通り『お呼びでない』のだと気づいた時には、ウルはもう顔を向けていた。

 声の主は、背の高いねむたげな青年で、顔を向けても気づいているのかいないのか、皿を持ってぼんやり立っていた。ウルはそこでやっと『お呼びでない』に気がついて、あわてて顔を下に反らし、なんとかごまかそうとする。

「何してるスか? 行こ」

「うあっ」

 ごまかそうと体の向きを変えたとたんに引っ張られ、なすすべもなくすとんとイスに座らされる。

 え、と思う間もなく、目の前にぼんやりな男が皿を置いた。皿にはフチからはみ出しそうな大きなステーキがでん、と乗っている。

「僕はタリスマンだよー」

「あ、ウル、です」

「よろしくねー」

 タリスマンはぞんざいに挨拶するとどこかに行ってしまった。

 え。これ、どうすりゃいいの。

 焼けた肉の存在感に目を奪われそうになりながらも、もてあましてとまどっていると、リコリスとスイが「はい、ウル」とナイフとフォークを手渡してくる。

 それでさすがに察したけれど、今度はそれが思い上がりじゃないかとまた迷う。どうすりゃいいの、と同じ思考に戻る。

 けっきょく、バカで自分本位な勘違いと笑われるのも覚悟しながら、

「あ、いや、オレのならだいじょうぶ、です、だ、よ? こんな上等なのじゃなくて、みんなの残飯でももらえたら」

 云いながらも、肉から目が離せない。

 しょうがないじゃないか。スラムで食べた一番のごちそうだって、ネズミとミミズをなんとか捕まえて、近くの一斗缶(いっとかん)ストーブからくすねた火種と紙で折った鍋で煮たのがせいぜいだったんだ。大きくてあたたかでまともな肉を差し出されたら、釘付けになって当たり前じゃないか。

 断りながらも未練がましく熱視線を送るウルの頬を、スイはぐにぐにと引っ張る。

「そういうこと、云わない。いっぱい食べる」

 太鼓判を押されてひと安心。

 そしてすぐに蒼くなる。なぜ素直に食べたいです、と云わなかったのか。ください、と云わずに引いてみせ、相手にあげると云わせて手に入れる。卑怯(ひきょう)()()き。

「ありがとうございます。実は、食べたかったんです」と、いまさら失策を掻き消せはしないのに喉から声を絞り出し、アピールめいたしぐさで両手を合わせ、「いただきます」。なおも一拍置いて、リコリスやスイ、さらにはザクウやらルティアやら周囲の人全員の顔をちらりとうかがい、そしてようやく手をつけた。

 ステーキの適当なところにナイフを当て、ぎこぎこ引き千切ろうとしたら、一引(ひとひ)き目ですとんと切れた。びっくりしてナイフを見たら、のこぎり状のぎざぎざのない、磨かれ研がれたまっすぐな刃に、今しがたつけた脂がぺたり。

 ステーキも大振(おおぶ)りに切れてしまい、すこし大きな肉片ができてしまった。もちろんもういちど切るべきなのだけど、我慢できずに大口を開けて食べてしまう。

 噛んでほぐれて膨らんだ肉はウルの口いっぱいに広がり、肉を食べる暴力的な快感を伝えてくる。顔を長くし、噛んで、長くして、噛んで、そのたびに肉は膨れて、口から脳まで快感で震えて、頬袋をぱんぱんにしながらウルは咀嚼(そしゃく)しつづける。

 とうとうごくりと音を立てて吞み込めば、(かたまり)(のど)(こす)りながら沈んでいき、胃の()に落ちてじんわり広がる。

 そして、もう一口。

 今度はちゃんとした大きさに切った肉を噛めば、ほぐれて繊維状(せんいじょう)になった肉から透明な旨味(うまみ)の肉汁が舌の下に()まって、今度は十分に味を楽しんでからごくりと嚥下(えんげ)

 そうなればあとはもう猛然(もうぜん)と、肉を口に入れたらもう次の肉片をつくり、しかし口はいつまでもぐにぐにと動かしつづけて、途中でタリスマンがパンを持ってきたら「ありがとうございます」もそこそこ、丸のままかぶりつき、がつがつと食欲を満たし続けた。

「ごちそうさま、でした」と手を合わせたときには、ウルの体は胃から湧きあがる体温活力が指先まで巡り、額には汗までにじんで、元気が溢れ出る。ずっと冷えていた体の芯が、じんわりと温かい。

 ふう、と脂っけの残る息をついて落ち着きを取り戻す。満腹なんて、いつ以来だろう。

「いい食べっぷりだったねー。そんなに食べてもらうと、作ったかいがあるよー」

 タリスマンが変わらずののほほん顔で云ってきて。周囲の人は一様になまあたたかいによによ顔。

「うあ」とうめいて、確かな満足を伝える腹をさする。「……腹いっぱい食べるの、夢だった、ので」

 言い訳めいたつぶやきを漏らしていると、リコリスに両脇に手を差し込まれ、高々と持ち上げられた。

 持ち上げた張本人は、こちらを見上げながら満面の笑みを向け、

「これからはぁ、毎日お腹いっぱい食べさせてあげるっスからね!」

 それは、うれしい。うれしいんだ。だけど、急な上方向の移動のせいでげっぷがでそう。

 知ってか知らずか、彼女はウルを抱き寄せると背中をぽんぽん叩きはじめる。

 ――本当に、わざとじゃないんだよな?

 リコリスを信じ、なされるがままげっぷを我慢する。むふぅ、と頬ずりしてる横で、げぷ、とかしたら台無しだろう。

 なんとか満足してもらうまで耐えきって、降ろしてもらう。

 喉で出かかっている空気を吞み込みなおす。そこに、すっとスイが小ぶりのタルを差し出してきた。マグカップサイズのタルには、こんもりとナッツが詰まっている。

「リーダーのおやつ。みんなくすねてる、から、ウルも持ってって、食べるといい、と思う」

 ザクウが苦笑しながら「初耳なんだけど……」

 受け取っていいのか迷う言葉に宙ぶらりんになる。

 それを察せられたのか、苦笑のままながらも「いっぱいストックにしてあるから、好きにしていいよ」

「ありがとうございます」と、先の反省を活かして素直に受け取る。食欲に負けたとも云う。

 ひとまずタルを置こうと、テーブルに目を向けると、あまりにも自然に、タリスマンが皿を下げようとしていた。

「あ、自分の食った皿は自分で片づけますって」

「んー? だいじょうぶだよー。むしろー、台所はいろいろ仕込み途中のがあるからー入ってほしくないなー」

 本当に入ってほしくないのか、それとも口実なのか判断のつかない言葉を残して、さっさと行ってしまう。

「そうそう。ウルちゃんはのーんびりくつろいでればいいんスよ」

「いや、仕事しないといけないんで」

「仕事?」

 リコリスはちょっと考え込むと「明日からでいいんじゃないスかね」

「いや、そんなわけにはいかないですって」

「ウル。私たちも、今日は、お休み。遊ぼう」

 堂々とサボり宣言かな?

「ウルちゃんウルちゃん」ちょっとヒいていると、ザクウに肩をつつかれる。

「今日はね。万一にでも例のキノコを広めないようにって、外出禁止なの。だから、お休み」

「あー」

 腑に落ちた。

 ……もしかして、仲間にならなかったら、いたたまれない雰囲気の中ここにいなければいけなかったのだろうか。

 ちょっと怖い想像に、ぶるりと震える。

「あれ。ウルちゃん寒いっスか?」

「あ。いやいや。だいじょうぶ」

「そうっスか? 上着持ってきてあげるっスよ?」

 そこでリコリスはぽんと手を叩き合わせると、

「せっかくだし、おさがりの服も持ってくっス! 好きなの選んで行くといいっス!」

「そこまで、してもらわなくても……別に、着られればなんでも」

「あ、ちょっとウル!」やけにあわてたザクウに、むぎゅ、と口に手を当てられた。またか。

「ウル、ウル」とスイが背中に手を添えて「がんばれ」

 え。え。

 急な雰囲気の違いについていけない。

「ウルちゃん」いつのまにか真正面に来ていたリコリスが、その手のひらで両頬(りょうほほ)をがっちり固定して、にっこり迫力のある笑みを向けてくる。

「アイスフリル傭兵団おしゃれ番長のリコリスさんが、ウルちゃんにおしゃれを教えてあげるっスからね」

 一文字一文字噛んで含めるように云うと、彼女は先ほどのようにウルを抱え上げてしまう。

 ウルがすがるような目を振りまいても、助けは得られず、抵抗できないまま連れていかれた。

 

 ――体格が違うから服が合わないと一時(いちじ)は逃れられるかと思ったウルが、同じくらいのルティアによって裏切られ、最終的に解放されたのは数時間後のことだった。

「……おしゃれ、よく、わからん……」




途中、うまみ派に魂を売ったことを告白いたしとうございまする。
あと、あのテンションで、っスっスっスっス書いてるとITNK刑事(逆転裁判)が頭にちらついてしまいました><


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第4.5話 アジトキーパー・ウルの一日

いつもの2倍の長さになったのに、ほんへとあんまり関係ないな隊長?
ほんとうはこの後にちょっと続く予定だったけど、さすがにそこまでいくと長すぎィなので分割。悪いがもう少しだけ、追加で待っててくれないか?

実際これだけの長さだとどうなのかは真面目に気になるので、アンケをとりとうございまする。
長すぎてブラウザバックする兄貴姉貴も、アンケだけは回答してもらえると嬉しいです。


 アジトキーパー・ウルの朝は早い。

 ふかふかベッドの上で目を覚ますと、上体を起こして組んだ両手を前に伸ばす。さらに肩ごと上に伸ばし、ふっと手をほどく。ベッドから降りてサンダルをつっかけ、さらに身体いっぱいに伸びをひとつ。

 まだちょっと寝ぼけた頭を乱暴にがしがしすると、ナッツをひとつかみ。乱暴にばらりと口に放りこむ。固いけれど噛めば砕けるほどよい歯ごたえと、ほんのり塩気(しおけ)が脳の覚醒(かくせい)を促してくれる。

 しばらくハムスターのように頬をいっぱいにして、ごくりと呑み込めば頭はもうしっかり覚醒。

 さて。今日も一日お仕事だ。

 朝一番は洗濯から。みんなはまだ寝ているから、起こさないようそろりそろりと部屋を出る。初めての、逃げ出そうとした夜に似た足取り。あの時のビン鳴子(なるこ)(実際はただ放置された空きビンだった)は片づけたから、特に障害もなく階下にたどり着く。

「おはよー」タリスマンはさすがに早起きで、台所から顔を出して挨拶してくる。

「おはようございまぁす」挨拶を返す。

 彼が台所に引っ込むのを見送り、中庭への扉を引き開ける。外はまだ暗いものの、満月の明かりがほんのり景色を照らしている。

 満月、か。スラム住まいの時には気にする余裕もなかったけど、この世界は月が()()()()。アジトで過ごして15日ほどになるけど、前世ならちょうど満ち欠け1つ分の間もずっと丸々太っている。欠けなければ当然満月もない。月、とだけ表現される。欠けない月。『欠けることなき望月の』という文句が浮かんだけど、何か違う気がする。*1首にかかったチョーカーを手で(もてあそ)びながら、すこし思い出す努力をしてみる。でもやっぱり思い出せないし、前世のことだから聞くこともできない。もやもやする。

 諦めてチョーカーから手を離した。おしゃれにかけたヘッドホンのように首を大きく囲む、首輪モチーフに異世界らしい蒼い線のはいったチョーカー。ザクウがつけてくれた。

 きひひ、と口から笑いが漏れる。ザクウがチョーカーをくれた時のことを思い出したから。

 

 リコリスに服を着せ替えられて「おしゃれ、よく、わからん」とうめいていたとき。ザクウが、「ウルちゃんはあんまりこういうの好きじゃないのかなぁ」と、このチョーカーを持ってしょんぼりしていた。

「それって……チョーカーってやつ、だよな? そういうのはわかりやすいから、えーと、好きだよ」これは本心だった。髪飾り(シュシュ)を腕に、とかの応用も効かない首専用なら、おしゃれがわからずとも悩むこともない。

 でも、この返答だったのは疲れていたのだろう。「じゃあ、あげる!」とやけに上擦った声で云われることを予想できなかったのだから。

 上擦った声だったのは気を使って云ったんだと想像がついたし、もちろん遠慮もした。しかし、ウルちゃんに着けてほしい、と一点張りされ、着けてあげるとまで云われ押し切られてしまった。

 正直。ザクウが後ろで金具を止めて、首元で揺れるチョーカーを見たとき、実はうれしかった。

「ありがとうございます」と、云わなければの義務感でない、心からのお礼が云えた。

 

 ほんのり光る、ファンタジーらしいチョーカーをしばらく見つめていた。

 ふ、と我に返る。ぼんやりしてたら早起きの意味がない。あわてて中庭に出る。

 庭の隅にある吊られたドラム缶のような物体、これはルティアが作った"洗濯機"。洗濯物を放り込みソープの実とか云う名前の木の実を入れれば、洗濯に脱水までしてくれる、前世と比較しても遜色ない発明品だ。

 洗濯板とかを使わなくていいことに感謝をしながら、洗濯物を詰めて洗濯機のスイッチを入れれば、ドラム缶が静かに回り始める。静音性ならむしろ前世より上なんじゃなかろうか。

 とはいえ、洗濯が終わるまでは時間がかかる。そのあいだに身支度をしなければ。

 部屋に戻って、寝間着を脱ぐ。今日は洗わなくていいか、と寝乱れたベッドにそのままポイ。クローゼットを開け、服を一式取り出す。一着分ずつセットになっているのは、リコリスが最終的に()()()()()()()()()()()してくれたから、オレは何も考えずに着るだけでいい。スカートの前後ろに気を付けつつ、服を着替える。最後にポケットにナッツを詰め込んで部屋を出た。

 いつもならまだ洗濯が終わるまで時間がある。途中で寄り道をしつつ中庭に戻っても、(あん)(じょう)、ドラム缶洗濯機がぐるぐると回っていた。

 最後の身支度に、ポンプ式井戸から水を出して顔を洗い口をゆすぐ。

 さて。お楽しみタイムだ。

 寄り道して取ってきた、飲み残しの酒。気の抜けたビールをぐびりとラッパ。くうう。空きっ腹に流し込むアルコールがたまらない!

 ポケットを膨らませるナッツをビールの親友に変えて、月や回るドラム缶を見ながら迎え酒。美味(うま)い。美味(うま)いぞー!

 ドラム缶が停まるまで飲み続け、洗濯物を取り出して、次をどさどさ入れる。男衆2回に女性1回の3回分あるから、休ませてる時間はない。

 洗った洗濯物を一着一着()す。ここら辺は前世と変わらないから、慣れたものだ。

 1回目を干し終えたところで、ちょうど月が沈んで空が明るくなってきた。

 2回目を取り出して女性物を入れる。前世ならともかく、いまさらこだわらずにさっさか手でつかんでドラム缶に突っ込む。

 そして2回目を干し始めたところで気づいた。ザクウのがある。生地がいたみやすいからとネットで包んで、中からは特徴的な森ガール服が出てくるから、わかりやすい。全部ネットにまとまっているせいで、ザクウのパンツがボクサー型の短パンだと知ってしまった。……ちょっと、恥ずかしい。

 ザクウのは一手間で済むけれど、それ以上大変なのが女性陣の服だ。干す場所からして、外からも中からも容易には見えない場所に持っていき、さらに蚊帳(かや)で囲む。洗濯物そのものも、日光で色()せないように裏返し、シワにならないように生地を傷めないように繊細(せんさい)な力加減で伸ばし、フリルなどの飾りにも気を遣う。

 おしゃれ着は特別丁寧(ていねい)に扱うべきなのはわかっている。でも、前世では男の中でもずぼら組、(たた)まず山積みにした服を上から取って、洗った服をまた上に積むせいで、数着のヘビーローテーションが自然と完成していた、そんな身としては丁寧洗濯はまだちょっと手慣れない。

 なんだかんだ緊張の女性服洗いが終われば、もう日は昇っている。今日もいい天気。せっかく干したんだから、よく乾いてほしいものだ。

 アジトの中に戻ると、もうみんな起きていて、楽しそうに朝食を食べていた。朝から元気な雰囲気の中、ウルは邪魔しないように無音で扉を閉めて、すみっこをこそこそ歩き、飲み切った酒ビンを空きビンの山に隠した。

 そのまま、壁に手のひらをべっとりつけながら寄りかかる。目も注目(ピント)を外して視界をぼんやりぼやけさせ、耳も感度をおもいっきり下げて言葉として認識しないワイワイガヤガヤ、喧騒の波を聞く。耳目に抽象的な『楽しそう』だけを認識させ、そうして外れた場所で見ているのが好きだ。なんだか一番しっくりくる。

 しばらくそうして眺めていると、急に視界の端からなにかを差し出された。びっくりしたのをなんとか隠し、そちらを向く。

「ウルちゃん。これあげるー」

 ぼんやりしているあいだにきたのだろう、タリスマンが差し出していたのは、フォークに刺してある肉。

「……あ、ありがとうございます」

 まだ驚愕(きょうがく)が残っていてうまく出ない言葉を絞り、肉を口に入れる。魚の骨のように上下に切り込みがはいっていたのに、いざ噛むと弾力が強くて嚙み応えがあって歯が喜ぶ。塩気の濃い味も、一仕事終えた身体に沁みる。噛み続けていたら肉汁もたっぷり溢れ、塩気と混ざってまた味わい深い。

「美味いですね。これ」

「よかったー。それタンなんだけどーほら、みんな野営のときとかー、内臓(モツ)も食べてもらうからーアジトではふつーのお肉がいいって、あまってたんだよねー」

「へぇ。こんな美味いのにもったいないですね」

「ウルちゃんが食べてくれるならーいっぱい盛っとくねー」

「あ! ありがとうございます」

 これは素直にうれしい。実際美味かったし、前世でもモツ系も(タン)横隔膜(ハラミ)心臓(ハツ)――あれ、全部筋肉だな。好きだったし、あまってるなら遠慮なく。

「じゃあ、これがウルちゃんのー」とステーキにタンを乗せた皿を渡される。付け合わせももらってるとはいえ、朝から重いメニューなのは、今世では当たり前なのか、この傭兵団だけなのかはまだ聞けていない。

「あと、ルティアのおかわりがそろそろだからー、これ持ってってー」とさらにステーキを渡される。

 さっきのタンのフォークをそのまま使おうと口に咥えて、ステーキを両手に。転んだら喉の奥に刺さるやつ。転ばなかったけど。

 ルティアのところまで歩いて、ステーキを置いてフォークに持ち変える。

「あら。ありがとう」

 ルティアの礼に会釈で返す。そのまま席を離れようとすると、「どうしました? 食事ならここで食べればいいではないですか」と空席を指さされた。

「あ、は、はい!」

 せっかくのお誘いだ。断るのも失礼だし、それに朝はあんまりのんびりしてるとみんなが食べ終わって、そこでまだ食べてたら洗い物までしているタリスマンに迷惑をかけてしまう。

 ルティアと同席して、いただきます。食べながらしゃべるのは苦手。ルティアも話しかけてこないのをいいことに、食べるのに集中。むう、やっぱり肉は美味いなぁ。

 食べ終わってふと見たら、ルティアも食べ終わってのんびり飲み物を飲んでいた。

「あ、ルティアさんの皿も持っていきます」

「ふふ。ありがとう」

 しばらく、食べ終わった人を見つけては皿を運ぶ。そろそろみんなは仕事に出る準備を始めだすから、邪魔にならないように。

「ウルちゃんウルちゃん! おいしいお肉狩ってくるっスね!」

「おー。いってらっしゃい」

「ウル。いって、くる」

「はーい。いってらっしゃい」

 出かける面々とあいさつを交わしつつ、広間を掃除。今日が休みの人たちも、なんだかんだ出かけていく。インドア派としてはびっくり。

「ではウルちゃん。困ったら来てくださいね」

 最後に、ルティアが出ていく。彼女はドワーフだから、最前線にはあまり出ないでアジトの隣に建てた工房で鍛冶や製作作業がメインらしい。

 

 ひとりになった。ふう、と息をつく。

 ひと仕事をして腹いっぱい食べたせいでちょっと眠い。でもさすがにひとりになってすぐ寝るのは体裁が悪い。とりあえず手を動かして眠気を払おう。

 アジトキーパーとしてのメインの仕事は掃除だ。むしろ、任されている仕事のほぼすべてが掃除といっても過言ではない。料理はしない、洗濯も大変な部分は洗濯機、買い出しも肉は狩り、野菜も何日かに一回アジトまで配達が来る。これで掃除しなければむしろ仕事がない。

 ザクウには、掃除する場所としては個人の部屋以外で、気になった場所をやればいい、と云われている。アジトは広いから毎日全体はやらなくていい、とも。なので、自分ルールとして毎日掃除するのは広間、トイレ、床すべて。あとは7日で全体を掃除できるようにローテーション。

 眠気を抑えながら、掃除。みんなが出かけたらまずトイレの換気から。尾籠(びろう)だけど、やっぱり集団生活のトイレは毎日掃除しなくちゃ。でも、みんなやっぱりトイレがあるうちに行っておきたいようで、見送ってすぐ入ると少し()()()。だから最初に窓を全開にしておいて、ほかの掃除をしているあいだに新鮮な空気に入れ替えておく。

 今日のデイリー掃除は各所に飾られたインテリア。上から下へのセオリーに従い最初に回して、ぱたぱた埃を落とす。金属質なインテリアの掃除方法はわからないから、とりあえずで埃取りしかできない。金属と云えばルティアさん。機を見て聞いておかねば。ひととおり終わったら次は床。土足のまま床にあがるのが一般的な文化だから、砂粒の混じったゴミをほうきで掃き出す。おおざっぱにきれいにしたら、雑巾でしっかり磨く。床やついでに壁の汚れも拭いたら、今度は台拭きに持ち替えてテーブルを拭く。そうしてようやく最後にトイレをがしがし。

 並びたてれば多忙に聞こえるけれど、実際はたっぷり時間もあるし、ひとりだからと気楽に大あくびしながらゆっくりやっている。

 そんな態度でもだいたい昼過ぎには終わってしまう。朝がっつりな分、昼はご飯がない。だから、こうなってしまえば夕方まで暇だ。

 眠気(ねむけ)も限界だし、とおひるねを敢行する。決定。

 寝すぎないように、広間のイスの座面をつなげて、平たい木のベッドにしちゃう。寝っ転がる。固い。とりあえず、おやすみ。

 

 ひと眠りしたら、太陽の位置でだいたいの時間を確認。毎日おひるねしてるから、慣れたもので洗濯物を取り込む時間。

 女性陣やザクウ、ファッションに個性のある人のものは、(ひと)別に畳んで分けられる。だけど、服は着られればなんでもいい派のものはどれも似たようなもので、どれが誰のかわからない。しょうがなくシャツやズボンといったカテゴリでまとめておく。

 大体を畳んで、テーブルに乗せていたとき。

 コンコン。「こんちゃー。酒屋のマイクでぇす」

「はーい」

 素早く対人用の気持ちを作って、アジトのドアを開ける。外には、リヤカーを括り付けられた犬っぽい(動物)と、生意気そうな顔の少年、マイク。

「よっす。今日もいつもの、できてっか?」

 マイクはさっきの敬語をさっさと捨て、勝手知ったると広間をずんずん進む。ウルもそれを当然のように眺めながら、

「酒ビンならもう洗ってあるから持ってって」

 いちおう酒ビン、と確認はしたけど、彼はもういつもビンを置いてある場所まで行って箱に詰め始めている。その手つきは慣れたものだ。なにせ、毎日やっているのだから。

 野菜の配達は(狩りついでによくわかんないハッパも持って帰ってくるとはいえ)数日ごとなのに、酒は毎日ビンを回収してもらい新しいのを配達してもらう、というのはなんだか恥ずかしいものがあるけれど、そのおかげで盗み飲みもできるのだから困ったものだ。

 そう思っているうちに酒ビンはリヤカーに乗せられ、新しい酒が運び込まれた。

「じゃ、昨日の分の金くれ」

「りょー」

 マイクの手に、預かったお金をそのまま渡す。

「悪いけど、いつも通り数えてくれな」

「おまえまだ金の数え方おぼえてないのかよ……」

 きひひ。笑ってごまかす。

 マイクはため息をつきながらもチャリチャリお金を数えだした。彼は、前に数え方を教えてくれようとしたけど、金銀銅どころか金属が6種類、それぞれに大小の大きさまであって、刻んである額面も読めないときたせいであえなく断念した。

「よし。ぴったりだな」数え終えお金をしまうと、彼は入れ替わりに紙を一枚取り出す。「じゃあ、明日は……っと」

 いつもなら、明日払うべき金額を教えてくれるはず。しかし今日は、紙にむかってうんうんうなり、指を折ったり戻したり。

「どした?」と聞くと、

「いや」としばらくはうなっていたマイクもやがて放るような口調で「今日はビン代返す分を引くのに手間取ってて……わりいな」

 詳しい金額を聞けば、ビンの保証金で返ってくる分のお金を引いてくれるときに偶然大銅貨をまたぐ引き方になったせいで、崩し方がわからなくなったようだ。

 あらためて大銅貨と小銅貨の額面を聞いて、素早く脳内計算。

「じゃあ大銅貨が6に小銅貨が38か、な?」と返せば、目を見開いている。

「おまえ計算できんの?」

「お金の数え方わからないのは、見分けつかないのと額面憶えてないだけだからな」

「いや致命的だろそれ」苦笑しつつも、「助かったよ。ありがとな」

「別に。へーきへーき」

 相変わらず読めない、金額の書かれた紙をもらってマイクを見送る。充分に見えなくなってから、彼の落としていった土を掃き出して、ぐいっと伸び。マイクを見送ったら、そろそろみんな帰ってくる時間だ。

 

 最初に帰ってきたのはザクウだった。

 彼はリーダーなだけあって、現場に出ず交渉やらに行くことも多い。初めて話した時のことを思うと、彼にそんな器用なマネができるかは心配になる。魑魅魍魎(ちみもうりょう)に飛び込めるタイプには思えない。知らず知らずいいように使われてるんじゃないか心配になる。とはいえ、そんなこと聞けるわけはないけれど。

「おかえり。リーダー」ほかのメンバーに合わせて変えた呼び方で呼びかけると、

「ただいま。ウルちゃん」と疲れ顔のザクウがほころぶようにほほえんだ。

 交渉で愛想(あいそう)を使い尽くしたのだろう。一人にしてあげようと、彼の前に汲んで間もないまだ冷たい水を出すと、仕事がある風を装ってどこか行こうとした。

「ねーねーウルちゃん」

「うぇ!? あ、うん」

 読み違えた。どうやら土産話をしたい気分だったらしく、他愛のない話を振ってくる。(いわ)く、子供が遊んでいるのを見かけたら遊びのルールがちょっと変わってた、とか、可愛い花を見つけたから摘んできた、とか。渡された一輪の花をくるくる回しながら相槌を打つ。花は……押し花にしよう。

 話上手なせいでついつい聞き入っていると、にわかに外が騒がしくなってきた。

「みんな帰ってきたね。行こっか」

「そうだな」

 ドアを開けてお出迎え。くたびれた様子のみんなが「ただいま」と個々のタイミングで合唱するのを聞いてから、「おかえり」と応える。

 直後、ぱたぱたと一団の中から小柄な人影が近寄ってきた。

「ウル。ただいま」

「おかえり、スイ」

 にまにま笑うスイに手を掴まれ引っぱられ、広間を抜けて、中庭まで連れ出された。(ひら)けたところでスイはおもむろにカバンに手を入れ、

「じゃん。今日の、獲物(えもの)

 ドヤ顔でカバンの何倍も大きな獣の死骸を取り出した。

 何度見ても壮観だ。小さなカバンは『魔道具』で、異空間にしまった大きな死骸を『魔力』で強化した腕力でもって掴みだした、らしい。あいにく『魔力』に話が行くとさっぱりなので、前世の国民的青ダヌキ*2みたいだなーとただただ感心。

 反応を見て満足したのか、スイのドヤ顔がますます深くなっているのをほほえましく見ていると、雑談しながらゆっくり追いついてきた団員が、肩に手を置きながら

「こいつは手強い分うまいからな。上等な肉が食えそうだ。な!」

 うう。まずいことになった。楽しい雑談に合流することほどむずかしいことはない。盛り上がり具合を見抜いて、おどけすぎず、真面目くさらず、気の利いたなにかを期待されている。

 頭をむやみに空回りさせ、けっきょく、

「いやぁ、ごはんのためにありがとうございます。楽しみですね。ふへへ」唐突に仰々しいお辞儀をして笑うことで冗談らしくする窮余(きゅうよ)一策(いっさく)

「ああ。楽しみにしなよ」

 苦笑する団員の前に、スイが割り込んできて、

「ウル。私も、がんばった」

「スイもありがとな。楽しみだよ」

「ん!」

 スイのおかげで、さほど盛り下がらずに一区切り。ほっと一息。

 

「ほらほら。見せ終わったなら、お風呂はいってさっぱりするっスよ」

 リコリスがスイの肩をつついて呼びかける。このふたりは団員内でもコンビ扱いされているらしく、やっぱり揃っているのが自然に見える。

「ウルちゃんもお風呂行くっスよー!」

 リコリスに連れられて、すぐとなりの銭湯までいっしょに行く。入るのは当然女湯だ。初日はさすがにどうかとは思ったものの、じゃあ男湯に入りたいかと云われればそれはそれで嫌な程度には女の身体である自覚はあるわけで。そのせいか、脱衣所ですっぽんぽんになる女性団員たちを見ても全然ムラムラしない。特に何も思わず自分も裸になる。

 むしろ、身体をすみずみまで(こす)っているときとかに、ああ、もう股間になにもついていないんだな、こんなに小さい身体になったんだな、という何とも云えない感慨が訪れる。その程度で済んでいるのは、自分のアイデンティティの軸足が性別ではなかったのだろうか。それとも、()()()()()()とか、いっそ大人の階段を登ったりしたらまた違うのだろうか。

 ざばりと泡を洗い流す。

 とはいえ、さすがに元男の自覚もある。まだまだ手を出す気にはなれないし、元童貞でもあるぶん大人の階段(そういうこと)は夢見がちでいたい。

 いつもの感慨を終え、湯船に向かおうとした。しかし、身体を洗っているルティアを見つけ進路を変更。

「お疲れ様です。あ、背中洗いますよ」

「あら。ではお願いいたしますね」

 ルティアからスポンジを受け取り、背中をわしわし擦る。背中自体はすぐに洗い終わったものの、「じゃあ流しますねー」とお湯をかけたら洗い終わりでそのまま湯船に入るところだった。流れでそのままついていって隣に浸かる。

「そういえばルティアさん。なんでここ工房と銭湯が併設されてるんですか?」

 せっかくなので、気になっていたことを聞いてみる。

「それですか。……鍛冶をするときは、火を焚くんですよ」

「あ、わかりますわかります。金属を溶かすんですよね」

「あら。よく知っていますね。では、その火のエネルギーは使った後魔道具に貯められるのは知って……知らなかったようですね」

「すいません。『魔道具』はさっぱりで」

「ふふ。いいのですよ。そのエネルギーを使って、このお風呂は沸かされているのです」

「へぇー。……あれ。貯められるんだったら、また次の日の鍛冶に使えばいいんじゃ」

「それはダメなんです。ドワーフの間では、鍛冶に使う火は処女火(バージンファイア)でなくてはならない、という伝統がありますので」

「そーだったんですか。ありがとうございます」

「いえいえ」

 会話しているうちに身体が芯までぽかぽかにあたたまった。ちいさくなったせいか、そういうのも早い。広い湯船なのに堪能できないのはちょっと残念。

 ルティアにあいさつをして、あがってしまう。

「ウル」

 脱衣所でスイが待っていた。疑問に思った瞬間、彼女が詰め寄ってくる。

「ルティアの背中、洗ってた」

「お、おう」

「今度、私にも」

 スイは魔法で背中洗ってた、と云うのは野暮なんだろう。それはさすがにわかる。

「じゃあ、明日洗うから……」

「楽しみ」満足気な顔になった。

 

 そのままスイといっしょに夕食。食べながらスイの今日の活躍を聞く。(会話でなく、一方的な聞き役なら食べながらでもできる。)

 話の内容もファンタジーな冒険活劇らしいワクワクするものであり、またそれを実際に行った相手が語って、その成果を食べているのだからものすごい。

 食べ終わってから目がしょぼしょぼし始めたスイをリコリスがまた連れていく。元気が切れる前に歯磨きとかをさせるためだ。眠たそうな声で「ウル。おやすみ」と去っていく姿を見送ってから、食器を下げたり、テーブルを拭いたりする。その時に空きビンをまとめるふりをしてこっそり飲み残しも少しガメておく。明日用だ。

 みんなが寝静まってから、月明かりのもと、中庭で空きビンを洗い始める。この時うっかり室内に戻ると、夜の街に繰り出した団員がこっそり戻るのに邪魔になるから、できるだけ中庭で完結させる。

 洗いながら、やっぱり我慢できず酒を飲む。ビール、ビール! やっぱり気の抜けてないのも飲みたい! 

 喉ではじける炭酸のうまさよ。がぶがぶとビンを垂直にして溺れるように飲む。アルコールが脳を焼く。気持ちいい!

 飲みながらも、数十分程度でビンは洗い終わる。

 ドワーフのルティアを筆頭に大酒飲みもいるとはいっても、さすがに一日ではそんなに量はない。むしろ、階段にまで溜め込んでいたときはどれだけやっていなかったのだろう。

 室内に空きビン山をつくって、それから眠る。

 朝星夜星(あさぼしよぼし)の働き。でもその代わり衣食住揃っているのだから、文句はない。身に余るくらいだ。

 よし。明日もがんばろう。

*1
『望月の欠けたることもなしと思へば』

*2
云うまでもないが『ドラえもん』




あ、そうだ(唐突)
推理小説を読んでかっこよかったから、プロローグ冒頭に明治の文豪の引用をいれました。ほんへに変更はありません。


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第5話 理想と現実ー1

デュエリストになったので初投稿です。
デュエル楽しすぎて時間ががが。
次の投稿が遅れたらそういうことだと思ってください……。

それと、前回のアンケ答えてくれた兄貴姉貴ありがとナス!
文字数はあんまり気にせず行くことにしました!


 みんなの帰りを出迎えたウルに、スイが駆け寄って中庭へ手を引いて連れていく。

 スイは前々から、酔えば「妹欲しい、かわいがりたい」と(くだ)を巻いていた。そして「でも、しゃべり、うまくないから。かまえない、かも」と落ち込むまでがお決まり。そんなところにウルが来て、たどたどしいしゃべりでも()かさず聞いてくれて、それはもう猫可愛(ねこかわい)がりになっていた。

 今も、中庭まで行ったスイは、ウルに狩りの成果を見せてドヤ顔している。

 

 一足先に帰っていたザクウは、ほほえましい光景を見ながら考えた。

 ウルちゃんは、不思議な子。

 正直、ハウスキーパーなんてウルちゃんを引き取る口実だったし、今思えばスラムの子という色眼鏡もあって、アジトの掃除もそこそこきれいになればいいな、程度にしか期待していなかった。傭兵としては汚いところで過ごすのには慣れっこだったし。

 それが蓋を開けたらどうだろう。毎日アジトはぴかぴか。ホコリひとつない。酒ビンのそびえていたテーブルも片づけられて拭かれていて、その上には畳んだ服が並べられている。

 文句のつけようのない、満点の仕事。とってもとってもありがたい。

 でも。だからこそ、の心配もある。

 初めて会った時こそ、ボクたちを人攫(ひとさら)いだと勘違いしていたせいか、彼女は素顔を見せてくれた。ざっくりしていて、でも不器用に優しい性格。

 それが、傭兵団の一員として迎え入れてからは、その性格の上に猫被(ねこかぶ)りのような、顔色(かおいろ)(うかが)い、媚びを売るような顔を見せている。

 ウルを見れば、ダンライ(団のメンバー)が話を振った返しに、仰々しくお辞儀をして、「いやぁ、ごはんのためにありがとうございます。楽しみですね。ふへへ」。痛々しい。これは冗談ですよ、オレたち打ち解けてますよ、と云いたげな、丁寧に包まれ差し出された冗談。

 一顰一笑(いっぴんいっしょう)に敏感な、()()()()のウルちゃんだからこそ、仕事もムリをして毎日ぴかぴかにしているんじゃないか。そう疑った時もあった。その時は、ルティアに相談して、彼女が無理をしていないか気づかれないようにちらちらと見ておいてほしい、と頼んで気にかけてもらった。結果としては杞憂(きゆう)で、あまり(りき)まずゆったりと仕事していて、お昼寝もしていた、と報告された。

 それを聞いてほっとしたボクに、ルティアは続けて、むしろ――

「よ。どうした? 黄昏(たそがれ)て」

「ケイオス。……ちょっと、ウルちゃんのことを考えてて」

 ケイオスがぴしりと一瞬固まった。

 きょろきょろ周囲を見回すと、声をひそめて「嬢ちゃんの風呂、想像してたのか……?」

 え、とあわてて視線を中庭に向ければ、ウルちゃんたちはとっくにいなくなってて、

「ち、ちがうよ?」

「だよな。冗談だ」

「も~……」

「ははは、悪い悪い」ケイオスは軽く笑うと、「嬢ちゃんのこたぁ、最初はどうかと思ったけどよ。まあ、丁寧でいい仕事する、なかなかの拾いものだったんじゃないか?」

 むしろ、と彼は真面目な顔つきになって「むしろ、()()()()なくらいだ」

 そう。

 ルティアも同じことを云っていた。

 ウルちゃんは、勘所のわかっている掃除をしていた、と。

 調度品にはハタキ、床にはホウキのち雑巾(ぞうきん)、トイレにはブラシ、テーブルには雑巾とは別の台拭きを。上から下に埃を落としてから掃き出して、(みず)雑巾(ぞうきん)。掃除の基本。だけど、だれにも()()()()にそこまでできるものだろうか?

 それにルティアによれば、ウルちゃんはテーブルマナーや日常のしぐさも、一定の(しつけ)を受けた者のそれだって。

「姉御が云うなら確かなんだろうな。……つーことは、だ。嬢ちゃんもなにか訳アリってことか?」

 訳アリ。つまり、なにか隠してる経歴があるんじゃないか。

 もちろん、ルティアの話を聞いてまっさきに疑ったのはそこだった。

 でも。

「そういうわけでもなさそう、なんだよね」これもルティアが云ってたんだけど、と受け売りばかり話しているけど「ウルちゃん、魔力とか、魔道具の話になると、ぽかん、ってするじゃない」

 洗濯魔道具。プルルティア姫という名前は知らなくても、ドワーフ王国のお姫様が発明した、今のドワーフ王国の主力輸出品だというのは有名な話だ。それをウルちゃんは、ルティアが発明したと云っても、すごいんですね。と素直すぎる褒め方をした。

 異次元バッグ。スイが見せてドヤ顔をしていたあれも、大型魔獣の死骸(しがい)を入れられるほどの容量のものともなれば希少も希少だというのも常識と云っていいくらい。それもウルちゃんは子供のように――実際子供ではあるけど、素直にびっくりしていた。

「それなりのマナーは身につくまで教えても、魔力とかについてあそこまで教えてないのは不自然、って。それに」とひと呼吸おいて、「それに、ほら、"イタダキマス"」

 彼女が食事のたびに云う"イタダキマス"。誰に云うでもなく呟くことから、なにかの儀礼だってことはわかるけど、ボクたちの知らない異文化の作法。

「もしかしたら、魔力が一般的じゃなくて、"イタダキマス"が一般的な地域があるかもしれない。でも、この辺りは大体依頼で行ったことあるボクたちでも、その場所を知らない。それより遠くは考えづらいし、そうだったとしたら正直打つ手はない、かも」

「……つまり、だ。嬢ちゃんの故郷(こきょう)は探せない、ってか」

「うん。……それに、売られたって話がほんとうなら、ただ帰らせるのがいいとは思わない。むしろ、あんなに素直に育てたスラムの人たちのもとのほうがいいと思う」

「そっちも手掛かりはないけど、な」

 沈痛な雰囲気になってしまった。

 それを消すように、ケイオスがわざとらしく広間のすみっこを指差す。

「お。嬢ちゃんの手柄、今日もあるじゃねーか」

 すみっこに積んであるお酒のビン。何種類かの()()()()(ほか)に、最近増えた、高いお酒がある。酒屋の御用聞(ごようき)きのマイクくんによれば、最近空きビンをすぐに返すようになったおかげで親爺(おやじ)さんにこにこ顔で、貴重な酒が入荷(はい)ったとき、傭兵団(あいつら)にも紹介してやるか、そう云ってたそうだ。

「俺のぶん、姉御のぶん。せっかくなんだから嬢ちゃんも呑みゃいいのにな」

「え?」

 ボクの漏らした声で失言に気づいたらしく、ケイオスも「あ」と目を反らす。

「あー、なんだ。前、呑み残しを呑みに行った時、なんだけどよ。嬢ちゃんがビン洗ってる音がしてたから、吞み切って持ってったんだよ。そしたらちょうど嬢ちゃんが吞み残しを、こう、」そこで真上を向いて呑むフリをして「豪快に滝呑みしててよ。溺れるみたいにガブガブ呑んでたぜ」

「そっか。ウルちゃん、お酒吞むんだ」

 そりゃあ、こんなにお酒に囲まれてれば吞んじゃうよね。*1でも、それならそうと、みんなと一緒に呑めば、スイやルティア、もちろんボクだって大歓迎。なのに、みんなが吞んでいる時は給仕に(てっ)して、あとでひとり、キッチンドランカー。

 吞み残しをひとりで吞んでいる姿を想像して、また少しさみしくなった。

「やっぱり、ウルちゃんがそんな風に気を遣わなくていいようにしたいなぁ……」

「ま、それは時間かけてゆっくり、だな。スイとかが(なつ)いてるんだ。云い方悪いけど、(ほだ)されるのを待つのがいいだろ。()(つか)ってるだけで、嫌がってるようには見えないしな」

 また話が沈痛に戻りそうになったからか、ケイオスは続けて、

「でも嬢ちゃんも、吞み残し吞むくらいなら新しいの開けて、はやらないか。自分用に買っちまえばいいのにな。マイクに云や持ってきてくれるだろうに」

 たしかに。ウルちゃんが自分のお酒買っちゃえば。……あ。

「ウルちゃん、お金、持ってない、かも」

「……おい」

「ご、ごめん! 忘れてた!」

 団員(みんな)はいつも依頼のお金山分けとか、狩ったお肉売ったりして自分たちで勘定するから、忘れてた!

 ケイオスはあきれの溜息(ためいき)ひとつつくと、「もしかして、小遣い銭ひとつないから嬢ちゃんも昼寝で時間つぶしたりつまみ呑みしたりしてたのかもな」

 うう。しょげて、小さくなる。

「お金は準備して、明日の朝一番に渡します……」

「だな」

 ちょうどそこで、お風呂帰りの女性陣の声が近づいてくる。区切りもよかったから、そこで話は終わった。

 終わってしまった。

 

 ――今思えば、ボクたちは忘れていることが、もうひとつあった。

 ウルちゃんを幸せにしたいとか云っておいて、なんというていたらく。

 云い訳にもならないけど、きっとまだボクはウルちゃんがいることを、毎日掃除されたきれいな家に帰って、おかえりと云ってもらえることを、非日常だと思っていたのだろう。

 事件は、翌日に起こった。

 

 翌朝、リコリスとスイが朝早くから立ち話をしていた。

「おはよう。どうしたの? こんなところで」

「はよー、っス。実は今日は依頼が少なめなんで、私ら休みにしようとしてたんスよ」

「うん」

「で、せっかくスしウルちゃんも誘って服見に行こうって話をしてたんス」

「前、仕事って、断られたから、リベンジ」

「いいね。いってらっしゃい」

 ふっと、思ったことが口から出る。「でも、ウルちゃんもおさそい断れるんだね」

 ウルちゃんは誘われたら最後、イヤイヤだろうとついていくような気がしてたんだけど。もしかして、それほど2人とは打ち解けてたのかな。……まさか、お金渡してなかったから断るハメにさせてた、とか。ありそうで申し訳なさが。

 ウルちゃんに渡すためのお金を持っていることをしっかりと確認して、2人の後をついていく。広間で「おはよー」とタリスマンがあいさつしてきた。

「はよっス。ウルちゃん起きてるっスか?」

「うんー。中庭に行ってるよー」

「りょうかいっス!」

 そのままリコリスは「ウルちゃんウルちゃん!」と中庭の扉に突撃。扉を開けると、ウルちゃんが洗濯魔道具にもたれてぐったりと目を閉じていた。扉を開けた格好で固まるリコリスとは対照的に、ウルちゃんはびくりとひとつ震えるとむっくり起き上がり、頭を押さえてぶるぶる振った。

 そこでボクたちはようやく動き出して、ウルちゃんのもとに。

「ウル。だいじょうぶ?」

「あー……(わり)い。寝てた」

 疲れた表情だったウルちゃんは、ぱっと表情をつくろった。「あ! 洗濯物(くさ)っちまう。わるい。後ででいいか?」

 きっと心配かけまいとしているんだろうけれど、意外とボロを出しやすい彼女は、さらに寝起きのせいか、元気そうな雰囲気を出しても目を真っ赤に充血させてその周りを(くま)縁取(ふちど)り、絶え絶えの息で、ふらついた身体をごまかしきれていない。

 スイが彼女に近づいて、「ウル。『スリープ』」と魔法を唱えると、彼女は即座に寝てしまった。『スリープ』はせいぜい眠気(ねむけ)で動きを(にぶ)らせる程度で、よっぽどじゃないと即座に眠るほどではないのに。

 くったりとスイに覆いかぶさるように寝ているウルちゃんを剥がして、横抱きにする。あどけなく寝てはいるけれど、やっぱり少し顔色が悪いままだ。

 どうして、と思ったところで。ようやく思い至った。

 ウルちゃんは、もしかして休みたいとすら云えなかったんじゃないだろうか。

 毎日一緒に住んでいて、毎日掃除されていることにボクは疑問を持つべきだったんだ。いつ休んでいるのか、って。

 ウルちゃんを部屋のベッドに寝かせてから、広間でさっき思い至ったことを話す。

「ウルちゃんの休み、っスか……。たしかに、どっかのタイミングで休んでるんだろうって思ってたっス」

「私たち、仕事の日、あんまり会えない、から、そのどこかだと」

「うん……」

 3人で落ち込んでいると、タリスマンがふわふわした口調で「どうしたのー?」と聞いてくる。

「ウルちゃんが休まず働いてたの、気づけなかったっス……これじゃ先輩失格っスよ……」

「あー、ウルちゃん毎日働いてたもんねー。どうしたの?」

「……タリスマン? あんた気づいてたっスか?」

「うん。僕と同じで、休まず働ける種族なのかなーって」

「タリスマン。あんたとおなじのがそうそういるわけないっスよ~!!」

「うー! ごめんよーリコリスー!」

 (ほお)をつねられながら謝っている。2人は同郷(どうきょう)だからか、独特の距離感。

「とりあえず、ボクは洗濯物干してくるよ。ウルちゃんが起きたときに気にしちゃいそうだし」

 そう云って席を立つ。

「あ、私もやるっス!」

 リコリスもタリスマンから手を離して、3人とも中庭に行く。

 洗濯物を干すのはひさびさだったけど、やっぱり量が多くて、これを毎日ひとりでやらせていたウルちゃんへの罪悪感がますますつのった。

 

 夕方。顔つなぎやあいさつを最低限で切り上げ、アジトまで急いで帰る。

 ほんとうはウルちゃんを看病したほうがいいんじゃないかっても思ったけれど、ダンライに診てもらった結果、単なる過労だから下手に構わず寝かせておけ、という診断。もどかしいけど、目覚めるまで待ってるしかない。家事も、スイがふんすふんすと鼻息荒く「今日は、ウルの代わりに、掃除とか、家事、する」と宣言していたのに任せて、ボクはいつも通りの仕事。はがゆい。

 アジトに帰ると、スイとリコリスが机に突っ伏してとろけていた。

「ただいま。ウルちゃんは?」

「まだ、寝てる」

「そっか……」

 昼間まるまる寝てるほど。ずいぶんと、無理をさせていた。

「しょーじき、きょうウルちゃんがやってた仕事をやってみて、大変さがわかったっス。傭兵って体力仕事の私らでもこんなきついんスもん、身体できてないウルちゃんが毎日やってたなんて、尊敬のレベルっスよ……」

 ざっと見ても、ふたりがかりでやっとウルちゃんのと同じくらいのキレイさ。毎日、ほんとうに大変だったんだろう。

「お疲れさま、スイ、リコリス」

 いたわりの言葉をかけたその時。2階から物音が聞こえた。

 彼女にしては珍しく、どたばたと足音を立てて階段を降り、窓から夕焼けを見て蒼褪(あおざ)めた。顔色こそ血の気が引いているものの、白目からは充血が取れ、立ち姿もしっかりしたものに戻っている。強引だったけれど、ちゃんと休めたみたいでよかった。

「あ、その……今日の、仕事は……」とウルちゃんが口ごもりながらおろおろ言葉を紡ぐ。

「ウル」

 顔面蒼白のまま必死で、何か云おう、何か云おう、としていた彼女の頭を、スイが胸に掻き(いだ)いた。彼女を身体に(もた)れさせ、背中までふうわり包んで、あやすようにぽんぽんとたたく。

「ウル。無理は、しなくていい。休みたいなら、休んでいい。疲れたら、疲れたって云ってほしい。いつだって、聞いてあげる。いつだって、代わってあげる。朝、ゆっくり、寝ててもいい。だから……頼って、ほしい」

 さすが、『お姉ちゃん』。云いたいこと云われちゃったな。

 ぎゅっと抱きしめられてるウルちゃんの頭を軽く撫でる。窮屈(きゅうくつ)そうに首を回してこっちを向いたきれいな瞳をまっすぐに見つめて、ボクも。

「ウルちゃん。ボクは人を()()ってことは初めてで、お休みとか、お賃金とか、そういうことも思い至らない。だから、もっといろいろ云っていいの。それに、わがままだって云ってほしいな。だって、たいせつだから」

 その言葉を聞いて、ウルちゃんは、なぜか、さみしそうに笑った。

 

 ――ここで終わっても、またボクの反省すべき失敗談。

 みんなで元気になった姿を見てほっとして、また夕食の場で彼女が働こうとするのをやんわり止めて。

 今度、マイクくんとかに雇用について聞いて、ウルちゃん、きっと遠慮するだろうから聞いてもらえるよう作戦を立てて。

 計画しながら、眠りについた。

 事件は、さらにまた、翌日。

 

 早起きをした。

 ウルちゃんは昨日はぐっすり寝かせたとはいえ、病み上がりと云っても過言じゃない。気づかれないようにちょっと覗いて、疲れが残ってるようなら手伝ったり、最悪また寝かせたりするんだ。

 こっそりと中庭の扉を開ける。

「え……? なんで……?」

 思わず、声が漏れた。

「なんで、洗濯がもう()()()()()()?」

 中庭には、すでに大量の洗濯物が吊るされている。いくらなんでも、まだ夜明け前。洗濯が終わるなんて早すぎる。

 驚愕の目で見つめていると、洗濯物の中に異彩を放っているものを見つけた。

 シーツだ。

 ウルちゃんひとりで運ぶには大きいシーツ。そして何より、みんな寝てる時間のシーツなんて、ウルちゃんの以外ありえない。

 まさか、早起きしてシーツを洗濯してたの?

 さすがに昨日の今日でこんな無茶するなんて、とむくれながらウルちゃんの部屋に行く。

 不思議なことにすこし開いていたドアを開ける。

 もぬけの殻。

「……。!!!」

 昨日の部屋にあったはずの生活臭がすっかり消された、掃除された空き部屋。

 夜逃げ。

 どうして、と頭をよぎる。

 ウルちゃん。

 どこに行っちゃったんだろう。()()も思い当たらない。

「あっ!」

 思いつき、あわてて中庭に戻る。手近な洗濯物に触ると、まだじっとりと濡れていた。

 まだ。まだだ。

 追いかけなきゃ!

 ルティアに教わった、ウルちゃんの首輪の場所を探知する魔術を起動する。首輪は着けて出て行ってくれたようで、屋外のポイントが示された。

「ウルちゃん……。お願い、間に合って!」

*1
この世界では飲酒の年齢制限が低いから、このリアクション。現代日本では法律の年齢制限を守りましょう。



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第6話 理想と現実ー2

 スマホからなので初投稿です。
 続きものだからその終わりまでは書こうと思ったけど、やっぱりダメだったよ。
 もしかしたら続きの投稿のときにこっそり変えるかも知れへんな……。


 『スリープ』の言葉で意識が遠のいた、そのあと。

 ひさびさに、夢を見た。

 ふと、あ、これ夢だ。と直感する、()()夢。だけど明晰夢(めいせきむ)のように自由にはできず、勝手に動くあの夢。

 

 蛍光灯に照らされた白いフロア。パソコンに電話、電気製品に囲まれた机。――どうということはない普通のオフィス。

 前世でおなじみの光景も、もはや懐かしい。

 その片隅で、陰気な男がどんより雰囲気を背負い座っていた。

 前世の"オレ"だ。

 仕事をすればミスをして、何度も失敗しなければ学ばない、立ち直るにも時間がかかり、がんばってがんばってやっとこさ下の上。そんなウスノロ。それが"オレ"。

 そして会社組織というものは、捕らぬ狸の皮算用(かわざんよう)、これだけの利益を見込んでいたのに、誰かさんのミスのせいで目減りしてしまった、それを『損害』と呼ぶ場所だ。

 だから。だから、こうなるのは必然だったのだろう。

 上司が近づいてきて、"オレ"の肩を叩く。

「ああ、■■。君の今期の勤務評価、(最低)ランクになったから」

「はあ」ピンと来ていない"オレ"に、上司はさらに説明を重ねる。

「■■。ウチの会社では、最低評価になった社員は、自分で、辞めますって云わなければいけないんだ。わかるか? 会社から辞めろとは云わないが、会社のため、自分から辞めますと云うと規定で決まっているんだ」

 それは辞めろという宣告となにが違うのだろう。ガワだけ法律を守ってます、そのためだけの迂遠(うえん)

 いや、今はそうじゃない。それは困る。無職になったらどうやって食べていけばいいんだ。

 しかし、頭の回転が(にぶ)く言葉が出ず黙っている"オレ"に、上司は、

「今月末までは席を置いておいてやるから、そのあいだに引き継ぎはしてくれよ。会社が困るからな」

 云い捨て、用は済んだと上司は遠ざかっていく。

 ひとり残された"オレ"の中では、身体がばらばらにほどけて、どんよりが身体を暴れだし、墨色(すみいろ)に光るゲルを口から吐き戻すような、

 心が折れる感覚がした。

 

 クビになって、しばらくは職を探した。就職だけでなく、バイトも探した。飢えをしのげるならなんでもよかった。

 しかし、職を探せば経験豊富(けいけんほうふ)即戦力(そくせんりょく)。希望にあふれる新卒。

 バイトを探せば賃金(ちんぎん)の安い高校生。深夜もガンガン(はい)れる体力自慢。

 より条件のいい人と競合(きょうごう)し、落ちた。落選(らくせん)した。

 もちろん"オレ"も必死で努力したけれど、それで受かるほど器用ならそもそもクビになんてなっていない。

 10円の駄菓子で粘土の味がする古米を食い、食費を切り詰め切り詰め、その金を履歴書(りれきしょ)証明写真(しょうめいしゃしん)に変え、だましだましやってはきたものの、貯蓄は目減りし、安アパートすら出ていかなくてはならないほどに追い詰められた。

 そのさなか。就活のためと見ていたネットニュースを読んでいると、あるひとつの記事が載っていた。

 (いわ)く、授業についていけない子供たちにも才能があるものがいるのだから、支援の手を伸ばしてあげなければ。

 (いわ)く、社会の輪から外れたひとたちにも有能な人材が眠っているのだから、支援の手を伸ばしてあげなければ。

 ああ。

 そうか。

 これが世の真理か。

 役に立つかもしれないから、支援してもらえるのだ。可能性があるからなのだ。投資なのだ。

 ならば、もう額に『無能』と焼印を刻まれた落ちこぼれになんて、救いの手はこないのだ。

 ああ、世間様になんにも貢献できない、非才(ひさい)で無能な役立たずの落ちこぼれには、世間は用はないらしい。

 スマホを放り、床に寝そべりくつくつと笑った。

 死のうと思った。

 

 思うだけで死ねるのならこんな(とし)まで生きていない。まずは死に場所を考えた。人間至るところ青山(せいざん)あり、とは云っても自殺は数少ない死に場所を選べる死に方である。特権だ。

 まず考えるのは。このアパートはどうだろうか。

 いや、死んで()()()()となるのはいやだ。死ぬときすら迷惑をかけると後ろ指を差されるのはいやだ。静かに死にたい。

 いっそ酒でもしこたま呑んで、道端(みちばた)で凍死するのはどうだろう。名案だとは思ったけれど、さすがウスノロ、すでに肌寒い季節はすぎてあたたかい。酔いつぶれたところで身ぐるみ剝がされ笑われながらほうほうのていで逃げるのがオチだ。

 考え考え、死に場所は有名な自殺の名所に落ち着いた。大勢の中の数字の1になれば、さほど迷惑ではないと思った。

 せっかくだから、最期の豪遊、新幹線に乗って樹海に行き、少しだけ森林浴を楽しんだ。名所らしい、自殺の前に電話しろという看板があったけれど、やはり自分には関係のない、まだ絞れば旨味が出る人向けなのだろう。"オレ"はそれをただ見逃した。

 さて。

 そこそこ奥まで分けいって、景気づけに酒を何本かカラにして勢いをつけてから、ようやくロープを取り出した。片方は木の枝に、片方はわっかにして、見るからにという形。なんか芸術的。

 首を通す。縄目が喉に食い込むのを感じる。

 あとはもう跳べば死ねる、跳べば死ねる、そう念じたとたんに、足がぴくりとも動かなくなった。

 ただ足元の台から一歩だけ。それができない。うなりながら全身に力を()めても、こわばるばかり。上半身をナナメにしてバランスを崩そうとしても、会釈(えしゃく)程度すら動かない。

 息を荒くして固まることしばらく、あきらめてロープを外す。この動きはやたらとスムーズ。

 自棄(やけ)になって酒を一気飲みして、いっそアル中で死んでしまえ、酔っぱらってからふらふらカッターを取り出し腕に走る血管めがけて振り下ろす。

 しかしこれもまた腕に近付いたとたん急停止。あとはうんともすんともいわず、やっぱりあきらめるまで動かず腕は無傷。

 ――くそ。

 自殺すらできないのか。

 原因はわかっている。死にたくないのだ。

 もう生きてはいかれない。頭では、わかっている。しかし、人間獣(にんげんじゅう)としての本能が死にたくないと抗っている。生きるあてもないというのに。

 脱力。とぼとぼ名所をあとにして、深夜の明かりひとつない畑だらけの道をふらふらさまよう。

 どうすればいいのだろう。人生もだが、現状も、片道切符で充分と残りの金は酒と自殺セットに換えてしまった。

 無一文。素寒貧。

 ええい、死ぬなら本望だ、殺さば殺せ、と野宿のために公園を探そうとした、そのとき。

「おお。お、おおおおい、金、出せ! 持ってんだろ!」

 深夜の静けさを破る大きなだみ声。

 心臓を跳ねさせながら声の方向に顔を向けると、強盗がいた。絵に描いたような、赤ら顔に無精ひげ、ご丁寧にてかてかの上着を着て、素手で包丁を向けてきている。

 オレのほうもまだ酔いが残っていて、向き直ると胸を張って「ない!」と叫んだ。

「ないわけないだろ! 出せ!」

「ないものはない!」

「いいから出せって!」

「ないったらない!」

 酔っ払い同士の醜い言い争いの果てに、強盗はとうとう涙ぐみ、「頼むよ、スッちまったんだよ。鉄板のはずだったんだよ。金がないと困るんだよ。絶対当たるはずだったんだよ」

 グチグチと泣いていたかと思うと、急に顔をあげて、血走った目で「出さなきゃ、こうだ! 俺はできるんだ! やるやつなんだ!」

 目をつぶってドスドスドス、と鈍重(どんじゅう)な突進をしてきて、そのまま"オレ"の腹に包丁を突き立てた。

 直後、強盗は目を開けると慌てふためき、「あ。やっちまった! やっちまった! あああああ」

 根元まで刺さった包丁を見て、返り血を浴びた手を見て、そのまま一目散に逃げていく。

 せっかくなんだから、カバンくらい持っていけばいいのに。そう思える程度には、"オレ"のほうには余裕があった。

 そりゃ刺された場所は痛くて熱くて苦しいけど、絶望感はクビ宣告のときほどはない。冷静に、頭を打たないようにゆっくりと路上に横たわる。

 まさか、自殺する勇気がなかったら殺されるとは。意外なところで最後の運が残っていた。それとも、今日死ぬのは運命だったのかな。

 ふっと、さっきまでいた樹海から、連想する。その葉っぱに人の生涯がすべて書かれた伝説の樹がある、らしい。きっと、一枚がざぶとんのように大きくて、その表裏にびっちりと、どう成功して、どう失敗して、どう挫折して、どう立ち直って、どう幸せになって、几帳面な字で書いてあって。オレのぶんは枝からちろりと生えた脇芽(わきめ)に萌えたちっちゃな葉に2文字、『死ぬ』とだけ書いてあるのだろう。

 風がぼんやりと吹いて、物音やエンジン音がかすかに聞こえる。どこか遠くで、人の生活は続いていく。お互いに貢献して、すこしずつ誰かの力になり、それで本人もまわりも幸せになる、そんな人たちのための狭き門のユートピア。

 さっきの強盗も、きっとその油断ならない楽園から弾かれた人なのだろう。そして、(死んだ人はいい人だ)オレを殺した人殺しとして警察が捕まえて、そうして人々はユートピアを守るのだろう。

 おなじく楽園から追放された、同情すべき同胞(どうほう)に、なにかひとつ、してやりたい。

 袖を伸ばし、腹に突き立つ包丁の持ち手を念入りに拭ってから、引っこ抜く。血がどばりと吹き出す。抜いた包丁はどうしようもないから、水路に(ほお)った。

 きっとこれでも、優秀な番人たちには障害になりはしないのだろう。彼を捕まえてしまうのだろう。自己満足。

 でも、せずにはいられなかった。

 無茶をしたせいか、ぼどぼどと血が出て、もう痛くないかわりに息苦しくて寒気がする。

 やっと、死ねる。

 疲れた。もう、やだなあ。

 

 急に、場面が切り替わる。ガレキだらけの荒涼とした、転生してから見慣れたスラム。

 夢特有の、唐突な場面転換。それもまた夢見るときの柔軟性で受け止めた。

 スラムの片隅で、ウルは寝袋にしていた大きな麻袋からもぞもぞ這い出る。

 そのまま全裸で伸びをすると、麻袋を拾い口を何度か折る。ちょうどいい丈にしてから改めて被って、穴から頭と手を出して貫頭衣(かんとうい)とした。

 ほかには持ち物はない。財産はこの穴だらけの麻袋ひとつだけ。毎日食い物を探して拾い食いして、それだけで一日を終えて寝る。その日暮らし。

 ときたま『スラムのヘッド』とかいう男をはじめに、話しかけてくる人がいるが、基本的にはひとりぼっち。

 ……正直、今生はやりなおすチャンスだと思った。

 前世で学んだ、たったひとつのこと。才能、愛嬌、お役立ち、勤勉、ユーモア、そういうものがなければ、人は見向きもしてくれない。学びを活かして、媚びを売って生き延びようと思いもした。

 だが、そんなに器用なことできるはずもなく、前世から持ってきた人見知りやらプライドやら人への恐怖心やらはもはや熟成しきっており、性根から人を避ける生き方が染みついていて、もはややりなおせるはずもなく、やがてひとりでさまようようになっていた。

 まあ、前世と違って草一本にまでは所有権がない世界、食うものを選ばなければ生き延びることくらいはできる。最初は迷ったけれど、飢えの苦しみには耐えきれなくて、なんでも食べた。

 とはいえたまに見つける残飯というごちそうがあればいいなと今日もふらふら。食欲、睡眠欲。性欲は……どうでもいいかな。

「ん?」

 不意に、物音が聞こえた。自分以外の、あきらかな人の気配。

 人見知りとして、無防備に近づいたりはせず物陰に隠れ、こっそり様子をうかがった。

 だが。気配の主は、覗かれていることなんて考えていないだろう狂乱の目でひたすらにキノコを口に押し込んでいる。

 見知らぬ少年が、近くのキノコがびっしりと生えた()()()()からぶちりとひとつ千切っては口いっぱいに押し込んで、飲み込むより前にまた手に取り押し込む。

 キノコのかたまりもまた、それに応えるようにすぐに新しいキノコを生やし、また少年が千切っていく。

 食欲に支配されキノコを(むさぼ)る姿。人としての尊厳をすべてかなぐり捨てた姿を見て、ウルの口にもよだれが溜まりはじめた。

 しょうがないだろう。だって、スラムで腹いっぱいの食い物なんて、望めるはずもない。

 しかし、それが目の前にある。いくらでも食い物の湧く、素敵なかたまり。

 そうだ。いくらでも湧くなら、ご相伴にあずかってもいいんじゃなかろうか。せめて、すこし。ひとつかふたつ。

 誘惑に負け、ウルはふらふら物陰から進み出る。すると少年は急に動くのをやめてぶるぶる震えだした。思わず逃げようと後ずさり。

 少年はすこし震えたあと今度はばったり倒れ、口から太い(すじ)を吐き出した!

 ウルがあっけにとられているうちに、少年は筋に埋もれ、筋からはキノコがびっしり生え、キノコに覆われたキノコマンになると、どこかへうぞうぞ歩いて行った。

「え……えぇ……?」

 とんでもない光景に、しばらくウルはキノコマンの去っていった方角に顔を向けて(ほう)けていた。

 はっと正気に戻ったあと、あきらかな原因であろう残されたキノコのかたまりに近づいてみる。キノコは血のように真っ赤で、笠は奇妙に歪んでいて、その上びっしりとぶつぶつが粒立っている。見るからに、という外見であり、食べた末路ももはや明白だ。

 見なかったことにしよう。

 こんなもの食べたら……こんなもの食べたら?

 いや。

 食べないで、生き延びて。それで、どうだと云うのか。

 生きるために食いつないで。食うために生きて。そして、いつかは野垂れ死ぬ。それに、何の意味があるのだろう。ここでこれを食べて死ぬのと、何の違いがあるのだろう。ただ苦しい苦しいと生きていくことに、何の価値があるのだろう。

 それならいっそ、ここで一時(いっとき)でも腹いっぱい食べ、さっさと死ぬことこそが、最良なのではないだろうか。

 さいわい、いくらオレでも『食う』ことならできるだろう。なにせ、この人生はそれしかなかったのだから。

 ひとつ、大きく息を吐いて、ひざまづくと、かたまりに手を伸ばして、毒々しい色をした救いの手を、とった。

 

 そうして、そこで目が覚めた。

 起き上がる気力もなく、そのまま天井を見上げてぼんやりする。

 ああ。そうだった。そうだった。

 ふたつの死を(けみ)した果てに、ようやく掴んだ真実を、どうして忘れていたのだろう。

 オレは、死ぬべき人間なのだ。生きていく権利を買うための代金を、持ち合わせてはいないのだ。一生を生きる上で、これくらいは成果を出せ、これくらいは世間に貢献しろ、という期待に応えられはしないのだ。

 あんのじょう、部屋を出たら廊下の掃除はオレの時よりキレイになされていて、階下ではリコリスとスイがそれをしてくれたと話をしている。

 あわてて階段を降りて、寝ていた分を取り返そうとしたら、スイが「もっと頼って」と、リーダーが「わがままを云って」と、やさしい声で、仕事を取り上げた。

 まだ。まだ、彼らはやさしいから。1の成果は(あと)ででもいい。今は0.1、0.01でもすこしずつ役立ち度が上がっていけばいい。そう思っているのかもしれない。どんなにハードルを下げようとも、跳ぶ能力がないものには、跳べやしないのに。

 他の人のように、もう失敗されてはたまらないと思ったのだろう、働こうとしたオレを押しとどめ、彼ら自身が片づけてしまったように、失望してしまうのが正しいのに。

 いや。悪いのは、オレだ。

 ハウスキーピングをしてもらう、そう云われたときにできると云ってしまった。いや、自分でもできるとやる前は思っていた。24時間働けます。なんだってできます。しかし、しょせんはただの夢想家の世迷言。浮誇(ふこ)妄言(もうげん)。実際にやってみては苦労が積もり、疲れてきたところで怠け者が顔を出す。ちょっとくらい力を抜いて、頑固(がんこ)な汚れはあとで腰を据えてやればいいじゃない。

 あとであとでとすこしずつ、そうしていつか見破られる。手を抜いていたことがバレて、どうしようもなくなってしまう。

 リーダーたちはやさしいから云わないだけで、やさしいから思わないだけで、オレは信頼を裏切ったのだ。

 前世ではしぶしぶだったあの言葉を、愛着ができた彼らだからこそ、オレは自ら行おう。

――これ以上迷惑をかける前に、自ら辞めなければならない。

 悪因(あくいん)悪果(あっか)。オレの行いはすべて悪い結果に終わるのだから。

 

 そして、前世と同じように、後始末。まさか何もせずいなくなって、すべてなかったことにしてください、としてしまっては迷惑の上塗り。

 部屋をまっさらに掃除して、シーツやもらった服といっしょに明日のぶんの洗濯。すべてを元通りにして、ふたたび麻袋の貫頭衣へと戻る。

 アジトを出る直前、まだ真夜中のはずなのに、タリスマンがキッチンの鍋でなにかしている。当たり前のように、夜中にも仕事をする。ああいう人が、いいんだ。ああいう人を世の中が欲してるんだ。

 アクでもとっていたのか、割合すぐに鍋を閉じてまたどこかに行く。それを見送ってから、そろりそろり、アジトから出ていった。

 アジトの外。意外と時間を食ってしまい、空のすみっこが白んできている。なんとなく、そちらに背を向けてまだ夜のほうに歩き出した。

 はだしでずりずり、すり足同然で歩くせいで、足の裏が擦れて痛い。スラムにいたころははだしなんて平気だったのに。

 ふと感じた空腹を紛らわせるために、爪を噛む。厚ぼったく伸びた爪が口の中を不快に突き刺す。おいしくない。

 はぁ。浅くため息をついて猫背になる。うつむいたせいで、首元の首輪チョーカーが視界にはいった。

「あ」

 しまった。置いてこなければいけなかったのに。なまじ着け外ししていたせいで、うっかり着けてしまった。

 今から戻ろうにも、さすがにそろそろ誰かが起きているだろう。そこに戻っていってなんてしたら、引き留められる。期待ではない。まさかそのまま見送りました、なんて損確定の行動をしてくれるわけないから。

 とりあえず外そうと、ぶきっちょに手を回したとき、これをくれた時のリーダーの顔がよみがえった。思えば、生まれて初めて、他人にアクセサリーをつけてもらえた。……もうちょっとだけ。めどが立つまで着けていても、いいかな。

 石造りの通りをとぼとぼ歩く。どこに向かっているかはわからないけれど、とにかく歩いた。ひたすら、まっすぐにアジトを離れた。

 下を向いて歩いていると、急に道路がぴかっと光った。首筋が熱い。日の出だ。

 輝く道路にただひとつ、自分の落とす影だけが暗闇をつくっている。それを見るのがいやになり、顔をあげた。

 視界いっぱいに映画のような街並みが広がり、(しろ)(あか)水色(みずいろ)、パステルカラーの人が作った建物が光を浴びて輝いていた。まぶしさに酔い、吐き気がする。

 ウルはすっかり参ってしまい、くらくらとめまい。身体がまたうつむこうとする、その直前。光を浴びてなおよどんでいる、一点の染みが視界の隅に映りこむ。

 顔をあげなおしてはっきり見る。あれは、樹だ。鬱蒼(うっそう)と茂っている、昏い森だ。

 あそこだ。直感する。あそここそが、オレの最後の死に場所だ。

 きっと、獰猛(どうもう)な野生動物がいるだろう。自分じゃ死ねない臆病者のため、あっさりと牙を立ててくれる動物がいてくれるだろう。危機感もなくぶらついて、ただ出くわせばあとは相手任せ。この世から、かけらも残らず消えられる。

 こんどこそ、うまくやってみせる。失敗続きでも、三度目の正直。

 だから。

 だから、後ろから聞こえるこの足音は、関係ないものであってくれ。

 もう少しなんだ。

 オレのことなんか、気にしなくていいから。

「ウルちゃん! 待って!」



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第7話 理想と現実ー3

適当に区切ったら、思ったより短かったので初投稿です。
なのになんでいつもと同じ月一投稿に……?


 ウルちゃん、と呼ばれて、立ち止まり、そうしてそのまま動けなくなる。

 たとえば、ここで振り向いて、彼のほうを向いて、そしたらきっと彼は喜んで駆け寄ってきて、感動の再会になるだろう。出来すぎだ。まるでそのために出ていったみたい。そう思うと、振り向けない。

 なら、逃げたとする。呼ばれて、立ち止まり、そして逃げる。明確な拒絶。傷つけないためにこっそり出ていったのに、そんなことでは意味がない。傷つけたくない。そう思うと、逃げられない。

 まごまご、逃げるでもなく振り返るでもなく立ち尽くしているあいだに、足音はみるみる近づいて、背後まで迫って荒い息が聞こえるほどになっても、まだそっぽを向いていると、「ウル、ちゃん」と肩に手を置かれた。ぽん、とそっと置かれたのに、身体はおおげさにびくんと跳ねてしまう。

 それでもなお、もはや手遅れとわかっているのになお意地を張って振り向かずにいると、肩の手にくっとひっぱられ、思わずくるりと半回転。とうとうザクウと向き合う形になってしまった。

 ちらりと見上げ、ウルは顔をしかめて目を伏せた。不満とか殊勝とかが態度に出たのではない。逆光が眩しくて。嘘だ。太陽を云い訳にして、ウルは猫背になって下を向く。

 じっとザクウの足を見つめて身を固くしていると、彼はおもむろにスカートを手で押さえてひざを曲げ、顔の高さを合わせてきた。やわらかな髪が少し乱れて、薄く開いたくちびるから、はあはあとまだ整わない息遣いを漏らしながら、それでもしっかりと大きくて潤んだ瞳で見つめてくる。必死さ丸わかりの姿で真剣に見つめられると、ちょっとだけうれしさが湧き上がってくる。身勝手な。やっぱり追いかけられたかったんじゃないのか。

 だめだ。こんな気分だと、もしも帰ろうとか云われたら、うっかりうんとか返しそうになる。心にむんと力を()め、つっぱねてやる、オレはやるんだ、と思い直した。

「ウルちゃん。ごめん!」

「え?」

 予想外の一声(いっせい)に、籠めた力が空回り。ふっと抜けてしまう。その反応を見てか、ザクウも目をくりんと丸くして、

「え? ……っと、ウルちゃん、休みなしでお賃金(ちんぎん)もなしで働いてたから、怒って出てっちゃったんだと思って……」

「いやいや! 違うって! そんなことないよ。リーダーは悪くない」

 まさか。悪いのはオレなのに。リーダーが気に病むところなんてないのに。どうしてここまでやさしいんだ。

 このやさしさを曇らせちゃいけない。リーダーのためにも、オレはいてはいけないんだ。

「じゃあ……どうして?」

 不安そうな顔を見ながら、嘘を云うための決意を固める。

 これから死ぬなんて云えば、純粋なやさしさで引き留められてしまう。

 ここ一度だけ、騙されてくれ。頼むから。

「いや、実はさ。働いてみたのはいいんだけど、オレにはもっと気楽なほうが合ってたんだよな。好きな時に起きてさ、ぷらぷらしてさ、好きなだけ寝てさ。だから、辞めちゃおうかな~って」

 もちろん、一から十まで噓っぱち。だけどどうか、信じてくれ。

「な、なんだよ。そんなに見つめちゃって」噓つきの(さが)、口の端がぐにゃりと歪みそうになるのを隠すため、照れ笑いの形に取り繕う。にやにやゴマカシ笑いのオレを、彼は澄んだ瞳でまっすぐに見据えて、やがて長いまつげを伏せてゆっくり息を吐いた。まばたきのあとには、より鋭い視線で射貫(いぬ)いてきて。

「それでも、さ。いったん帰ろう? あの部屋に住んでたほうが、屋根もあるし、ベッドもあるし。ごはんだって心配いらないよ。だから、働くかは置いておいて、帰ろう?」

 最悪だ。それじゃダメなんだ。タダ飯喰らい。思いやりの、穀潰(ごくつぶ)し。何も返せない、役立たず。

 助けてもらえばいい、助けられただけ助けてあげればいい、完璧な人間なんていない、助け合いだ。したり顔で云う人は、きっと知らない。何もできないいたたまれなさを。助けになりたいのに手出しすれば邪魔になる、もどかしい切なさを。

 できればオレだって、誰かの助けになりたいよ。一度でいい。たった一度、君がいてよかった。君のおかげでうまくいった。頼りにしてる。そう、云われたい。――生きててよかった。そう云いたい。そう云われたい。

 だけど、もうダメなんだ。零点(れいてん)。落ち、(こぼ)れ。一生分の失敗を舐めたというのに、どうして自信が持てるというのだろう。

「気持ちはうれしいけど、遠慮しとく。新しい人(やと)ったら、あの部屋も必要になるだろ」

 じっと見ている真剣な顔に向けて、安心させようと笑いかける。

「なあに。生きてればまた会えるって!」

 しくじった。こだわった。()()()()()()()()()としなければならなかったのに、つい予定が漏れた。いや。言葉のアヤだ。気づかないでくれ。

 これ以上ボロを出す前に、離れようとする。

「ウルちゃん!」

 その、前に。抱きしめられた。

 やわらかな服の下にある、筋肉質ながっちりとした感触。あわてていたせいか、甘い香りの中にすこし、すーっとする汗の混じったにおい。痛くないのに力強さを感じる腕から、彼のぬくもりがじんわりと広がってくる。

「ウルちゃん。お願い。行かないで」

 ぎゅうと抱きしめ、ザクウはしっかりとこちらを向いて引き留めてくる。(うる)んだ瞳から、ほろりと涙が零れる。

「もちろん、ウルちゃんが掃除してくれたり洗濯してくれたりしたのもうれしかった。でも、一番はね。帰ってきたらおかえりって云ってもらえて、いっぱいお話しして、ご飯をおいしそうに食べてる顔を見て、また明日いってらっしゃいって見送ってもらえて。それが、うれしかったの」

 息がくすぐってくるほどの距離で、ほほえみながらやさしい言葉を投げてくる。

 やめてくれ。ぬくもりを伝えないでくれ。(こいねが)わないでくれ。もとより、ふにゃふにゃの決意。死にたくない、離れたくない、でもしなきゃいけない。そういう義務感でなんとかここまでやってきたんだ。

 あなたに望まれたら、もう。

「ウルちゃん。きみがいないと、さみしいよ」

 いっそう力強く抱きしめられて、オレは、折れた。

「わか、った。かえ、る」

 たどたどしく口に出すと、ザクウはぱあっと笑顔を咲かせる。

 ――きっと、オレは遅すぎたのだろう。彼がほだされるよりも前、()()()、オレは死んでいるべきだったのだ。

 ――きっと、オレは早すぎたのだろう。いくらやさしいザクウでも愛想を尽かすほどになってから、こっそり消えるべきだったのだ。

 いつか、彼はこの日を後悔する。いまさら厄介払いできないと悩む日がくる。それがわかっていて、それでも笑顔になってほしくてうなずいたのは、やはり間違いだったのだろうか。

 未来は真っ暗で、考えなしのオレには、わからない。

「じゃあ、かえろっか」

 抱きつきは(ほど)いても、そのまま自然と手をつないできたザクウに従い、一歩(いっぽ)(ある)く。

 その瞬間、足に激痛が走った。

「いっっっっっ!?」

 急な痛みにのけぞり、ザクウの腕にもたれかかる。不意打ちに頭が真っ白になる。

「ど、どうしたの?」

「い、いや、足の指が、痛くなって……」

 さっきまでの鬱々(うつうつ)とした思考も全部ふっとんで、うっかり素の返答になる。

「足? ……ちょっと、ごめん」

 ひょい、とザクウは軽々とウルを持ち上げ、周囲に置いてあった木箱に座らせる。そのまま自身はウルのもとにひざまづいて、足の裏側を(すが)めて見ると、顔を上げ、

「指にトゲが刺さってるね。もう、はだしで歩いたら危ないよ」

「あー。悪いわ」

「あ」

 ザクウの注意を適当にあしらおうとしたら、途中で急にザクウが真っ赤な顔で横を向いてしまう。耳まで真っ赤にして、もじもじとこちらを見ようとしてはまた目を戻し。

 なんで、と思ったけど、気が付いた。

 はだしと同じように、下着とかも全部置いていって、この貫頭衣ひとつだけになったんだった。

 つまり、下から覗けば。

 ……どうしようか。普通なら、騒ぐとか気まずいままとか、なのだろうけど。ザクウにだったら、事故だってこともあるし、まあ見られたくらいで騒ぐほどでもない。じゃあ気まずいまま? それよりは。

 勇気を出して、ザクウの耳元に口を寄せて。

「見たいなら素直にそう云えばいいのに。スケベ」

「ち、ちがうの! そんなつもりじゃ」

「わかってるよ。冗談だって」

「~~~! も、もう!」

 うまくいった。上半身がまるごと拍動しているような緊張のまま、そっと胸をなでおろす。

 もしかしたら、傷つけるかもしれない強い言葉。今までなら怖くて使えなかった言葉。

 だけど、ザクウはぷりぷりしているだけで、ほんわかおだやかな雰囲気のまま。気まずさもなくなっている。

 雰囲気がなおったことに安心して、話を戻す。

「で、トゲはどうしよう。指で取れっかな?」

「だめ。指で取ったらカケラが残っちゃうかもだから、帰ってからトゲ抜き使って取ろ」

 ふたたびザクウはウルを抱き上げ、お姫様抱っこ。そうして、アジトのほうへと歩き始めた。

「え? いや、だいじょうぶだよ。指だけ浮かせて歩けば歩けるから」

「もう。わざわざそんな無茶しないで。頼って。……それに、あばれると、その」

「あっ……はい」

 やわらかな笑顔だった彼が、また頬を赤く染めだして注意するものだから。しおしおとおとなしく身を任せる。

 そのまま、彼に抱きあげられたままで、太陽のほうに向かって連れられていった。



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第8話 リスタート:広がる1歩

シリアス書いてたら日常の書き方忘れたので初投稿です。
思い出すために書きやすいとこ書いたら、そこにたどり着くまでが長かったおはなし。

ちなみに、最初のかたまりは『ぼくのかんがえた(さいきょー)のソシャゲコス』なので、まあ読まなくてもだいじょうぶです。絵にはできなかったよ。

あと、投稿したあとにいろいろあって、すこし文量増やしました。


 カーテンだけで仕切られたせまい試着室で、しゅるしゅるとウルは服を脱いでいく。

 すこしきつかった一色染めの簡素なジャケットとTシャツを脱ぐと、窮屈(きゅうくつ)さから解放されてひとつ伸び。そのままキャミソールも脱いでしまい、上半身をむき出しにする。その勢いでスカートもかぼちゃパンツも取っ払い、すっぽんぽんになった。

 そのまま、ふと鏡を見る。裸の幼女が写っている。幼女らしいイカ腹こそ出ているものの、全体的にはまだ()せている。とはいっても、むにりとつねれば薄くやわらかい肉をつまむことができた。前世では結局太ったまま痩せられずにいたから、あまり太らないようにしよう。

 全裸の自分というつまらないものを見ていると、仕切りの向こうからザクウの話し声。

 このまま裸で出ていったら、彼、どんな顔をするだろう。ちらりと思い、もちろんやめる。この前の()()()()が許されたからと、調子に乗って繰り返して白けさせるのはもうこりごり。

 それに、と架けられた服を見て。それに、こんなに可愛い服があるんだから、着て、まっとうに褒めてもらいたい。

 まずはパンツを手に取る。さっきまで履いてたかぼちゃパンツとは違う、開きになった状態から両端を結ぶ、いわゆる紐パン。しかもその響きに負けない布面積がすこぶる少ないもの。

 とりあえず紐を一回結んで履いてみたらあんのじょう、鼠蹊部(そけいぶ)が見えるほど。一周回って、そのおしゃれさに負けて心苦しくなる。紐をちょうちょに結ぼうとすれば、不器用、縦結びになった。

 気を取り直し、本命の服を着る。ワンピースなので慣れたもの、スカートのところからすっぽり被り、もぞもぞもぞもぞ、布地を手繰(たぐ)る。腕を通すところは裸エプロンをモチーフにしたのか、エプロン風の前身頃(まえみごろ)から出た太い肩紐だけで背中までつながって、脇や背中は大きく開いている。その上、スカートは絞られておらず、見下ろされるだけでお尻が丸見えになってしまうだろう。さすがに、寒々しくて心もとない。すーすーする。

 ぱっくり開いたお尻の上を塞ぐように、付属の太い腰サポーターのような――もっとおしゃれなのだろうけど、を巻いた。(おび)のように胴を絞る役割は別で、ということらしい。ちゃんと肝心なところを隠すあたり、むやみに肌を出すデザインでないのがわかる。それに、サポーターの留め具は短いベルトだから、ちょう結びができなくてもあんしん。

 さらにそのサポーターの背中に、結ばれた状態で固められた大きなリボンをひっかける。リボンから伸びた端っこは、前に持ってきてリングバックルで腰に巻き付けた。リボンの床に擦れるようなほうの端もリングバックルに巻いてしまえば、これはこれでスカートに沿ったおおきなカーブになってかっこいい。

 そしてその腰に巻いた4本のリボンに、アクセサリー、色付きの砂がはいった小さなビンとか、きれいなガラス玉でできた短い玉すだれにしっぽがついたものとか、をぱちんぱちんと丁寧につけていく。……次からは、着けてからリボンを巻いたほうがいいかもしれない。

 ひととおり終わって改めて見れば、スカート自体は、形こそ∧状に前が切り取られて、膝丈なのにふとももがさらされているものの、装飾はフリルとペチコート(だっただろうか?)とシンプルなのに、アクセサリーで豪華に感じられる。その上、洗う時もアクセサリーを外せばまとめて洗える心遣い。

 チョーカーもあったけど、それはザクウにもらった首輪チョーカーがあるから、ほうっておく。

 満足して、最後に☆★(ほし)があしらわれたニーソックスを履いて、エプロンに☆ミ(りゅうせい)のヘアピンを差し込んで鏡を見た。

 かつて憧れ、諦めた、ソシャゲのコスプレのような素敵な姿に心が躍った。

 自然とにやけた顔になって、更衣室のカーテンを開く。

 

 ――もちろん、ウルは最初から装飾たっぷりの瀟洒(しょうしゃ)な服を着ようとは思っていなかった。偶然の出会いだった。

 その事情を語るには、少し時間をさかのぼらなくてはならない。

 

 ウルが家出、間の抜けた言葉ではあるけれど、あっさりと帰ることにしたことほどは抜けていないだろう、家出をして、(みんな)が起きるよりも前に帰り、そのことをザクウとふたりの内緒として(というより黙っているようにお願いして)、澄ました顔で朝食を食べた、その朝のことである。

「ウルちゃん」とザクウはウルの手を取り、たっぷりのお金が入った袋を乗せる。「はい。これ」

「あ、はい」とウルはいやにあっさり受け取って、不思議そうに袋を開いた。いつもの酒代よりも詰まっていて高そうな硬貨もじゃらじゃら入っている。

「今日酒代多くない? 宴会でもするのか?」

「お酒のお金は別だよ。これ」

「はい。……じゃあ、これなんだ?」

「ウルちゃんのお給料」

「は!?」

 ウルは目を剥いて、袋を二度見。明らかに多い。多すぎる。

「いや、これは多いだろ! 住み込みで、まかない付きで、こんなにはもらえないって!」

「ほら、ウルちゃんは初めてのお給料でしょ? いろいろ必要なものがあるのかなーって」

「あー……いや、でもさぁ」

 遠慮(えんりょ)し続けるウルを、リコリスが後ろから抱きしめ、ぺたぺたと身体中を触る。

「じゃあウルちゃん、服買いに行かないっスか?」

「服?」

「今着てる服もうちっちゃくなってきたじゃないっスか。だから、新しい服買いに行きましょっスよ~」

 ぺたぺた、ぺたぺた。甘えるように身体にからみついておねだりする。ウルが服に興味ないのは知っているけど、着飾って遊びたい、というのが漏れ出していて、まわりの団員は苦笑。

 しかし、ウルの顔は察するよりも前にぴしりとこわばる。

 ここに来てからというもの、まともな食べ物がおいしすぎてついつい食べ過ぎてしまい、服がきつくなってきていたことは気づいていた。上着は前を開けたりしてごまかしていたけど、バレバレだったのか。

「ごめん、なさい。痩せて着られるようにするから――」

「だから、ウル、いっぱい食べる」

 しゃべっている最中に、スイがトマトをまるごと口にねじ込んできた。押し込まれるまま、食べてしまった。完熟だから、ほどよい歯ごたえと甘くプルプルのゼリー質がおいしい。

「ウルちゃんは成長期なんスから、服がちっちゃくなるのは当たり前っスよ。だいじょーぶ、っス!」

 べたべたになった口を手の甲で乱暴に(ぬぐ)いながら、「せい、ちょう?」とつぶやいた。あまりに自分と縁遠(えんどお)い言葉なせいで、うまく結びつかない。

「そっスよ。むしろ服がちっちゃくなったのは元気な証拠! っス! だから、気にしないで新しい服買おっスよ~」

 片手でウルを抱き上げ、もう片手を天に突き上げ盛り上がるリコリスを、団員のひとりがとんとんつつく。

「いや、お前今日のメイン戦力やよね。逃がさんよ?」

 とたんに、リコリスが難しい顔に変わる。ウルを抱きしめながらあーうーあーうーうなっているので、

「あの、リコリスさん? オレは別に今日じゃなくても」

「ダメっス! そんなぴちぴちのままほっとくのはいやっス!」

 うー、と苦虫噛み潰した顔になって、リコリスはウルをうやうやしくザクウに差し出す。

「リーダー、ウルちゃん……の服! よろしくっス! やっぱり見たかったっス……

 未練たっぷりの声までしっかり聞いてしまった。きひひ、と愛想(あいそう)笑い。

 リコリスの気迫に押されたのか、そろりそろりザクウがウルを受け取り抱える。高い高いのように脇に手を差し込まれ、すごくくすぐったい。もじもじしそう。けれど、吊るされながらやると危険だ、とがんばって抑える。

「あの……リーダー、おろして」

 震えた声で頼むと、「あ、うん」すとんとおろされた。なま暖かいこそばゆさが残っててむずむずする。

「ウル。帰ったら、服、見せて」

「あー! 私も私も! 帰ったら見たいっス!」

 なにやら必死に頼まれて、うっかりうなずいてしまう。

「よーし、ウルちゃんの服を楽しみに、やったるっスよー!」やけっぱちに聞こえるのは、気のせいだろうか。

 気合い充分に準備してると思ったら、出掛け際に「ウルちゃん。……楽しみに、してる、っス」「ウル。……行ってきます」とまたぺたぺた全身を撫でていってから、彼女たちは出かけていった。

 それを見送って、きょろきょろ、ザクウだけになったのを確認してから、ウルは大きく息を吐く。

「ふぅ……気づかれなかった、よな? 出てったこと」それからザクウのほうを向いて頭を下げる。「リーダーも。黙っててくれてありがとう」

 ザクウはなぜかもにゃもにゃと歯切れ悪くほほを掻いて「う、うん。そうだね」

 その反応に疑問符が出懸(でか)かった。しかし形になる前にザクウがぱぁんと手を打った音で、忘れてしまった。

「それで、服! 買いに行こっか!」

 服。そうだ、服を買いに行かなければいけないんだ。うっかりうなずいてしまった予定にげんなりする。

 服なんて着られればいい、と前世では買い物ついでにスーパーの安売り服を買って着潰(きつぶ)していたやつが、人の楽しみになれるほどの服を選べるだろうか。そんなわけはない。荷勝(にが)ちしている。

 ここは、裏切るみたいで申し訳ないけど。ザクウに頭を下げ、お願いをする。

「リーダー。悪いけどリーダーのセンスで選んでくれないか? オレは着られりゃなんでもいいから」

「うぅん……ウルちゃんが選んだほうがいいと思うよ? ふたりだってウルちゃんの選んだ服が見たいだろうし」

「そう、なのかなぁ。でもオレ服わかんないしなぁ」

 もにょもにょ煮え切らないでいると、ザクウはまたひとつ手を打った。

「じゃあ、いいお店があるから行ってみようよ! 行ってみてわかんなかったら聞いてくれればいいよ」

 ()()()()。苦手な服屋でも、その言葉にはときめきを感じる。いいお店を紹介してもらえるなんて、特別になったみたいじゃないか。勘違い、しそうになる。

「じゃあ……それで」照れながら、折れた。

「うん! じゃあさっそく行こっか!」と笑う彼がほんとうにうれしそうで、ただ勝手に釣られたことが後ろめたいような、そう思うことも悪いことのような、わけのわからない暗い気持ちになった。

 

 そうして、はじめてのお出かけ。よそ行きの準備なんて高等なものはないので、むしろザクウの準備を待ってからアジトを出る。()()()()のまま行こうとする姿を見て、「(くつ)も買わないとね」と云ってきた。

 アジトとルティアさんの工房という狭い行動範囲はあっという間に越えて、ザクウの、こっちだよ、という案内を聞きながら歩く。頭の中に必死で地図を作る。作ったところで、その地図を有効活用できたためしはない。順々(じゅんじゅん)逆順(ぎゃくじゅん)に自在に辿(たど)ったり、まして複数の地図を脳内で組み合わせてひとつの大きな地図にしたりはできないので、がんばって憶えたところで、ではあるのだけれども。

 映画のような景色を、だからこそ同じに見えて目印がなく、迷子になりそうな道を目をぐるぐる、きょろきょろ、挙動不審(きょどうふしん)に歩く。

 そのせいで、いつの間にか足を止めていたザクウにぶつかってしまった。

「わぷ!? あ、わ、ごめん!」

「わ。だいじょうぶ?」

「だいじょうぶ。わりぃ」

 すこし冷静になって、ウルの視線が前に戻った。

 正面には、たくさんの人でにぎわった大きな通りが横切っていて、横切る人はファンタジーな髪色、ファンタジーな体格、ファンタジーな獣人や服装。いろんな人が横切っていく。

 ことここに至って、ようやく、ウルはファンタジー世界に転生した、そういう景色を一望した。

「ここは市場通りだから、なにかほしいものがあったら買いに来たらいいよ。あっちにマイクくんの酒屋もあるから」

 市場。見回せばたしかに、軒下(のきした)に品物を並べている店が多い。道行く人はそれを買ったり冷やかしたりしている。その売買も素っ気ないものではなく、談笑しながら買っていた。

「うぷ」ウルの顔色が悪くなり、喉が詰まる。

 この光景は、牧歌的だ。別に羊飼いがヨロレイヒではなくて。人が、生きている。有機的だ。

 たとえば、誰かに道を尋ねたとする。きっと、誰に聞いても教えてもらえるだろう。無視されたり追い払われたりしないだろう。そんな感覚。

 だからこそ、単純にこの人数が生きて、それぞれの意志で動いていることに人酔いした。

 ()いで、もし自分がなにかやらかしてしまえば、それも、悪口(わるくち)陰口(かげぐち)となって、野菜の旬のような気軽さで広まっていくだろうことに恐怖を感じた。

 人が怖い。

 たやすく悪意を()き、二枚舌でいい顔しながら後ろ指差して陰で叩き、排斥(はいせき)して知らん顔の人たちに、もう刺されたくはない。

「ウルちゃん。だいじょうぶ?」

 我に返ると、ザクウが顔を覗き込んでいる。

「ああ、わりぃ。こんなに人いっぱいなの初めてで」

 とっさに作り笑いで、当たり障りのない理由のほうをこたえる。

「あー。どうする? ちょっと遠回りしていく?」

「いや! それはいいよ。オレはだいじょうぶだから」

「そう? ……じゃあ、はい」心配そうな顔ながらも、ザクウは手を差し出した。「はぐれないように、手つないでこう」

「ん」その手を素直にぎゅっと握った。この大量の人の中、頼れるものがほしかった。

 彼の手にかじりつきながら、雑踏(ざっとう)の中を歩く。彼は顔が広いのか、すぐに声をかけられた。

「よお。なんだお前、隠し子かぁ?」

 つまらない冗談ではあるけれど、そこからコミュニケーションをどれくらい引っ張る間柄なのかわからないから、おとなしく控えて、紹介する雰囲気までザクウとの会話に気を張って待つ。

「~~。で、その子は?」

「ぁ、ぉ。オレ、ウルって云います。このたびザクウさんの傭兵団に拾っていただきました。よろしくお願いします!」

 なごやかな雰囲気に割り込む胃の痛さをこらえてあいさつをし、ぺこりと礼。

「くくく。これは丁寧に。……傭兵団ってことは戦えるのか?」

「あ、いえいえ!」両手をぶんぶん振って否定。「ハウスキーパーとして、です」

「そうかそうか。じゃ、デートの邪魔しちゃ悪いから、またな」

「うぇ」

 デート、という単語に反応が遅れて、そのあいだに彼は人混みに消えてしまった。

 はぁ、はぁ、とウルは肩で息をしながらへなへなと力を抜いてザクウの腕にすがりつく。

 乗り切った。自分語りをしてはいけない、と絞りすぎると、訂正のためにけっきょく多くしゃべるハメになってしまう。さじ加減が、わからない。

「あはは、緊張した?」

「はひ……」

 へなへなのまま、弱い声。だらんと脱力した身体が預けてくる体重が、ザクウに伝わってくる。

「お、ザクウじゃん。あれ? その子は?」

 別の人が話しかけてくる。ウルはまた姿勢を正し、すこしだけ深呼吸をした。「お、オレ、ウルって云います!」

 

 何度かあいさつを乗り切って、市場通りから脇道に逸れる。

 店の通りを外れ、大きなお屋敷の前でウルはずっと詰まっていた息をほぐすために、大きく吸ってゆっくり吐いた。

「おつかれさま」ザクウの声も、なんだか笑っているような呆れているような。気のせいかもしれない。

 自分でも、たまにびくびくおどおどしたって向こうはオレのことなんか興味ないよ、自意識過剰だよ。そう思う時がある。だから、呆れてもしょうがないのかも。

 自分に呆れたあと、すぐ、普段は見てなくても、たまの不運のように、減点する時だけ憶えられるから、常に気を張ってなきゃいけないんだ。と、またびくびくするのだけど。

 何度か深呼吸して落ち着いてから、疑問に思ったことを聞く。

「リーダー。店ってさっきの通りにあるんじゃないのか?」

「あー。分かりにくいよね。ここがそのお店だよ」

 そう云って指差すのは、目の前の大きなお屋敷。

「え? ……いや、ええ?」

 指先を見て、目で辿(たど)って、お屋敷を見て、まだ戸惑う。お店と云われてなお、そうは見えない。広いには広いけど、あくまで個人の家という佇まい。

「いや、これ普通に家だろ?」

「ふふ。とにかく入ってみよ!」

「あ、お、おう? ……?」

 戸惑っているぶん、強い反発もとっさに出ず、その家のドアの前に立ってしまう。

 ザクウが躊躇(ちゅうちょ)なくドアを開けると、広い玄関に所狭しと吊るされた服と、大きなドラゴンの石像が店番しているカウンター。

「ほんとに店だったのか。でも留守だし、今日は出直したほうがいいんじゃないか?」

「留守じゃないぞ」

 油断していたところに、きれいなソプラノボイスが響く。奥に人がいたのか! と身体を跳ねさせ、びっくりしながらそれっぽいところに目を向けるも、だれも出てこない。

「あの、ザクウさん。いまの声って」

「わたしだよ」

 おもむろに、石像が動いた。

 ドラゴンの石像が滑らかに動いて、びっくりしたまま固まったウルの正面まで歩いてくる。

「こんにちは。わたしはシュユ。この店の店主をしているよ」

「……」「ウルちゃん」

 ぽかん、と口を開けていたウルが、ザクウにつつかれ再起動する。

「あ! あ、ウル、です。このたびザクウさんのところで拾っていただきまして」

 さっきの道で手慣れ、悪く云えば少し雑になったあいさつをする。

 ぺこりと頭を下げて、上げて、まだシュユはじっと石でできた瞳を向けてじっと見てくるので、ウルは?を浮かべ、耐え切れずにやにや頭を掻いて、ついには「じゃ、じゃあ服見せてもらいますね」と逃げようとした。

 一歩後ずさったとたん、シュユの腕が伸びてきて、頭をぺたぺた撫で回し、次は肩、腕上げて、胸からお腹、くるりと回って、背中とおしり、股下ふとももふくらはぎ。全身をくまなく触られた。

「え。え?」

「シュユ、なにやってるの?」

 とまどうウルと、不審そうに声をかけるザクウ。それに構わずシュユはじろじろぺたぺたウルを(いじく)りまわし、

「ほう、ほう、ほほう! お前、同類か! 同類に会ったのは初めてだよ!」心底(しんそこ)愉快(ゆかい)そうに笑う。

「シュユ?」

 ザクウの声で、シュユはくくく、とひとつ笑い収めをすると、

「ウルよ。わたしはこう見ても女だ。安心するといい」

「あ、そうなんですか」

 そういう問題なのかはわからないけれど、まあそういう問題なんだろう。

「……ずいぶんあっさり信じたな? なぜだ?」

 シュユは、大きなドラゴンの石像である身体を広げ、問いかける。たしかに、女だと云われてすんなり信じるにはすこし雄々しい身体かもしれない。

「なぜって」

 なぜ。まあ、前世では肉体と精神の性別は別問題とは聞いていたし、今の自分は人のことを云えるわけでもないし、それに。横目でザクウをちらと見る。それに、そういうの初めてじゃないし。

「……そういうこともあるかと思って」

「くく。ははは! そうだろうそうだろう! そういうこともあるだろうよ!」

 なぜか上機嫌になったシュユが背中を叩いてくる。石でできた手が普通に痛い。

 されるがままにばんばん叩かれていると、ザクウが助け舟を出してくれた。

「それでねシュユ。今日はウルちゃんの服を見にきたの」

「服?」とシュユも叩くのをやめてふたたびウルをじろじろと見る。着替えたりしてないから、ぴちぴちの服のまま。そうとわかっていて見られるのは、さすがに少し恥ずかしい。

「お前くらいの服なら、このあたりにあるよ」と示された一角には、Tシャツやスカートやら、不安になるほどちっちゃなものばかりが吊るされている。自分の身体の大きさを忘れてひるんでいると、「それか、仕立てるなら測ってやろうか?」とメジャーを持ち出され、あわてて固辞(こじ)して吊るされた服に取りかかる。

 赤シャツ黒シャツ白シャツ、無地だったり柄入りだったり、そういえば柄と柄はダメって聞いたことある! けど、この大きくマーク入ってるだけのって、柄なのかな?

 種類の多さに圧倒され、なけなしの知識も役に立たず、薄氷(はくひょう)の上をひやひやと歩くような、顔面蒼白の面持(おもも)ちで服をめくる。

 ――本来、シュユの店に来る客には、こんな必死の形相(ぎょうそう)の人間はいない。服に興味のない人間はたいてい安い代わりに面白みのない、ドワーフ魔道具製の服を買うからだ。わざわざ新品で高価なシュユの店に来る客は、真剣でこそあれ、だれもが楽しそうに服を見る。

 では、ウルはどうだろうか。云うまでもない。それどころか、ウルは前世、女性服の良し悪しは意図的に避けていた。もちろん、男性服にも興味なかったが、それはそれだけであって、買うときに好き嫌いくらいはした。だが、女性服は興味もなく関わりもなく、そして勉強したところでどうだろう。そうしたら道行く人の服を、あれいいなとか、流行だな、とか思いながら見てしまう。そうしてその女性から「うわぁじろじろ見られてる」とか「あんなのに見られるためにおしゃれしてるんじゃないんですけど」とかキモがられるのがオチだろう。興味のない分野で、待っている末路がそれだとして、はたして勉強するだろうか。

 もちろん、これはただファッションに興味のないことへの、一人で考えた理論武装(りろんぶそう)である。ただのエクスキューズである。そして、そのツケを今まさに支払っている。

 センスもない。質の良さもわからない。せめて安いのすら、値段が読めずわからない。頼るよすがはなにもなく、やみくもに無難を求めてぐるぐる目を回して服をあさる、そんなウルを見かねたのか、シュユが声をかけてきた。

「お前、なにをそんなに悩んでるんだ?」

「あ……実は、服を楽しみにしてる、って云われて、下手なの買えないって、思って……あ、いや、下手なのって云うのは言葉のアヤで、その……」

 あっさり白状したあと、もごもごなにかを打ち消している。普段なら、売っているものを下手なものなんて、とか考えて、ごまかしていた。だが今は服を選ぶのでいっぱいいっぱい。そこまで頭が回らず、また、さっきばしばし叩かれてたことでイマイチ気を遣う脳が働かず、するっと出てしまった。

「ああ、リコリスか」とあっさりと言葉の主を当てられて、そこで、あ、別にリーダー個人の特別な店とかじゃなくて、みんな知ってる店だったのか、と浮ついた心が冷えた。

「なら、こっちはどうだ? ワンピースや上下揃いの服なら、大外しはしないだろうよ」

「え! あ、ありがとう!」

 溺れる者の(わら)、蜘蛛の糸、もたらされた救いに、はずんだ声で礼を云う。

 靴とかアクセサリーとかなんて思慮(しりょ)の外であるウルは、これでもう全部解決だと一安心。端をめくって、パーカーワンピだ。そういえば前世でこんな服着た子が、主人公ですから、と自信に満ちていたな、着てみようか……これ丈短い普通のパーカーだった。こっちからか。

 などと余裕をカケラ程度は取り戻して、ウルは眺めるように服をめくり、そうして一着の服を見つけた。

 隅に隠されたように吊るされていたその服は、白くフリフリとしたエプロンと、その下につながったパステルカラーのスカート、それに大きなリボンの付属品もついた――有体(ありてい)に云えば、冒頭でたっぷり描写した、あの服である。

 その、上半身はもとより下半身もガード甘々なメイド風のエプロンドレスを見て、ウルは、これなら着てみたいかも。と思った。

 今までのような、前世でもあるような服だと苦手意識が先に立つけれど、ここまで非現実的な、コスプレじみた服なら、素直にかわいいとか着てみたいとかの前向きな気持ちになれる気がする。

「シュユ。なにあの服」「ああ。あれがいただろ。前のロリコン領主」「あー。子供にばっかり行儀見習いさせてた、あの?」「そう。それが失脚する直前に、仕立てるように注文されたんだよ。でも見ての通り手が込んでるうえ、大量に注文されたから、作ってる間にあのざま。で、次の領主は要らないとさ」「ご、ご愁傷様」「まったくだよ。まあ前払いだったから損はしていないが、せっかく苦労したのに肥やしになったよ」

 ザクウとシュユの話が終わってから、おずおず声をかける。

「これ。着てみてもいいか?」

「え!? ウルちゃん?」

 ザクウがおどろいた声でこっちを見てくる。たしかにこの服はだいぶんと特異なのはわかるけれど、じゃあ無難ってなにと聞かれれば逆戻りだし、特異なせいか自分の中でこの服はもう『服』というより『マンガかアニメのグッズ』のカテゴリになっているから、きっと試してみないと後悔する、気がする。

「……この服、着てみたい」

「そうか」と応えるシュユの声はなんだかやさしかった。「あそこに試着室があるから、着てみるといいよ」

「ありがとう!」

 とコスプレ服を掴んで早足で駆けていく。

 

 そこからの着替えで、冒頭のシーンに戻るのである。

 

 エプロンドレスを着たウルは、はじめてのコスプレにうきうきしながら、カーテンを開けてふたりの前に姿を見せる。

「ど、どう、かな」

 ちらりとザクウの様子をうかがうと、彼は顔を真っ赤にして、素肌の出た胸元や、わき、ふとももに視線を突き刺してから、おずおず「かわいい、けどちょっと露出(ろしゅつ)が多い、と、思うな」かすれた声で云う。普段見せないオスの視線に、さっき特別が勘違いだと知ったことで冷えたところが、ぬくもりを取り戻す。なぜか満足感が湧いてくる。

 ますますこの服が気に入って、にんまりしながら口を開く。

「なあ、シュユ。この服――」

 そこで、ふ、と閃き。悪魔のささやき。

 この服は前払いで作られ、大量に肥やしになってたって云ってた。なら、うまく云えば安く買えるのでは?

 一瞬遅れて、その考えに嫌悪(けんお)する。

 そういう考えの世界で生きていかれなかったから、オレは死んだんじゃないのか。ただ欲しいものを買いたい、ただそれだけのはずなのに、相手の事情につけこんで、助けてやるよとメシア顔。恩を估価(こか)し、いやさ、すべてのものごとは金銭という物差しによってのみ価値が与えられ、助かるだろ、なら安くしてよ、と冷酷な駆け引き、すべて自分の損得で測った世渡り、器用な生き方が幅を利かせた世界で、オレは無価値だとなったんじゃないか。

 自分の(ずい)にその考え方が染みこんでいることに顔色を変えて、そこから目を逸らすように涙目の震え声になって、云い直す。

「――シュユ。この服、売って、くれるか?」

 上目遣いで、ウルが問いかけると、シュユはなぜかザクウをばしっと大きく叩いた。

「ザクウよ」「うう。ごめん」

 いきなりのことに「!?」となっていると、シュユがちょいちょい、と胸元をつついてきた。

「ウルよ。さすがに、下に何か着たほうがいいな」

「ん? ……あー」

 胸元を見れば、エプロンの口がたわんで、裸の胸が(のぞ)いていた。

「リーダーもオトコノコだからなー。刺激が強かったかー。じゃあしょうがないなー」

「うう。そ、そうだから、下にシャツを」

「じゃあ、水着着るか!」

「え!?」

 ザクウを無視した発言。しかし、ウルの中ではもう『ソシャゲっぽい』というイメージになっており、そのせいで露出度は高いほどいい、という結論に達してしまったせいで、水着、なんて云っているのである。

 ザクウの肌を隠してほしいという希望もむなしく、ウルから案が出てうれしくなってしまったシュユの手で水着が運ばれてきてしまう。もちろん、露出度のために、ワンピース型でなくビキニが選ばれた。

「どよ。リーダー」

 わざと前かがみになって、得意顔で水着を着た身体を見せつける。彼が顔を染めながらも、ちらちらと鋭い視線を向けてくることに気をよくした。

 すっかり元気になった声で、「シュユ。これも買いたい!」と云うのであった。



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第8話の閑話 着替え中の一幕

あああああ!エピソード切るところ間違えたぁぁあああ!(UDK)ので、初投稿です。

続きかいてたら1000文字くらいでちょうどいい切れ目がきちゃったので、
閑話といっしょに投稿して、今度の日曜の午後に続き部分は前話と統合します。
閑話は残しとくので、しおり使ってる兄貴姉貴もあんしん!

追記

そんなわけで、前話と統合しておきました。
よろしくオナシャス!


 しゅるしゅる、ぱさっ。しゅるしゅる、ぱさっ。

 カーテン越しに、衣擦(きぬず)れの音がなまめかしく響く。

「……ザクウよ。お前、意外とむっつりだったんだなぁ」

「」

「そんなにかぶりつきで着替えの音聞いていたら、わたしでなくてもそう思うよ」

「……ご、誤解だよ」

「ほう。なら、実際はウルのことどう思ってるんだ? お前、あれのこと好きなのか?」

「い、いや、そんなこと」

「にしては、あれが服を見ていたのを熱心に見守ってたじゃないか。ほかの奴らの時は自分の服を見たりしてるのに」

「……まあ、特別、ではあるよ。特別あぶなっかしくて、特別気にしいで、特別自分のことをぞんざいにしちゃってる子。だから、ボクはあの子にのびのび笑っていてほしいの。――だから、好きとか云うと、あの子は、その。身体でお礼とか云いそうだから、いや、ほんとに、だから、云わないでね」

「そうか。わかったよ」

「むしろ、シュユこそ初対面のウルにそんなに興味もつなんてめずらしい。ボクたちと会ったときはもっと素っ気なかったじゃない」

「まあ、あれは同類だからな」

「それ、さっきも云ってたよね。同類って、なに?」

「そのままの意味だよ。わたしとおなじ、()()()()()()()()()()()なんだ」

「魂と肉体の形が、ちがう?」

「ああ。わたしが後天的にガーゴイルになったように、あれもおそらくは後天的にあの姿になったのだろうよ」

「それは、だいじょうぶなの?」

「ん?」

「それで、病気とか、よくないこととか」

「ああ、あれはもうあの形で調和して、安定している。あれはもうあれでウルという形だよ。むしろ無理に歪めようとしたほうがダメージがあるだろうよ」

「そっか。ならよかった」

「……いいのか? お前の見ている姿は、あれの元々ではないんだぞ?」

「びっくりはしたけどね。でも、ウルちゃんの中身は、さっき云ったとおりの、あぶなっかしい、でもやさしい子。それを知ってるから、だから、だいじょうぶ」

「……そうか。――にしては、魔獣の首輪なんかつけさせてるようだが」

「う。そ、それは、外してあげようとはしたんだよ? でも、ウルちゃん気に入っちゃって、『これ、返さなきゃ、ダメか?』なんて聞かれたら、もう」

「お。終わったみたいだよ」

「シュユ!」

 しゃー、とカーテンが開いて、そこからウルがどこか誇らしげに姿をあらわした。

 エプロンだけで、彼女のちいさくて薄く細い身体がおしげもなくさらされている上半身と、大きなリボンをはじめ装飾がふんだんにあしらわれたふわふわスカートとのコントラストが、絶妙に彼女によく合っている。どこか(はかな)く、いまにも折れそうで、でも地に足のついた包容力のある彼女に。

 もし、さっきの魂と肉体の話がほんとうだとして。その体躯で抱えるには複雑で重厚な雰囲気(ふんいき)も、納得だ。

 でも、それで気持ちが変わることはない。

 自分で選んだ服を着てうれしがっている彼女の、この笑顔を守りたい。

「なあ。シュユ、この服――」

 しかし、その笑顔はほかならぬ彼女自身が(くも)らせた。陽気に、おそらく服を買おうとしたのだろう、口を開いたとたん、ぴたりと止まり、みるみる顔を蒼くする。

 さっきまでのうれしそうな顔はどこに行ったのか、蒼白い顔で沈んだ表情ばかり百面相。最終的に、うるうると(うる)んだ瞳を上目遣いにして、かぼそい声で、

「――シュユ。この服、売って、くれるか?」

 庇護欲(ひごよく)をそそるような泣きべそ顔と、その奥に覗く、エプロンが隠すのをやめてあらわになった胸が、ボクの男を刺激する。

 ばしん、とシュユが叩いてくれて助かった。あのままだと、彼女に悟られてしまったろうから。――その安心もむなしく、シュユにあっさりバラされてしまったけれど。

 それに、シャツとかでもっと肌を隠してほしいと思ったのに、彼女は布面積のすくない水着を選んでしまう。あぅ。どーして。

 けど。

「どよ。リーダー」

 と見せつけてくる、すっかり明るさを取り戻したウルに、ボクは、ウルがよろこんでるなら、いいか。という気になってしまうのだった。



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第9話 リスタート:広がる1歩ー2

この前ケモに目覚めたので初投稿です。
シスターキャラをノープランで進めててどうしようと思ってたら、DIKY屋の仔白沢ガチャがかわいかったからつい。
でも子供の面倒を見てるワーハクタクとか、各方面に失礼な専用ボディそう(風評被害)


「じゃあシュユ、お会計おねがい!」

 もう全部終わった、とウルは元気よく声を出す。

 あらためて云うが、その格好は上半身水着エプロンの露出過多(ろしゅつかた)である。

「ウルちゃん、それ、はちょっと、まずいんじゃないかな……?」

「ウルよ。家で着るならともかく、出歩くにはすこし破廉恥(はれんち)だと思うよ」

「え」

 ウルの中では、ファンタジーといえば、ビキニアーマーとかの肌出しマシマシ当たり前なイメージ。だから、自身もこの格好で日がな一日過ごす気満々だった。

「そのまま出歩けば、通りすがりに見られることになるだろうが、いいのか?」

 道行く人に(きわ)どい格好をじろじろ見られる。それを想像するとなんだか不快な気分。いままでの視線を向ける側では思わなかったけれど、受ける側になると、じろじろ下卑(げひ)た目を向けられるのは気分のいいものではない。

 ――では、なぜザクウの時だけいい気分になったのか。

 そこにはさっぱり気づかずに、「……この服は仕事着にします」と落ちこんだ。

 さて。これでまた、困ってしまった。普段着る服が振りだしに戻ってしまった。

 また悩んで服を手持ちぶさたにめくっていると、さすがに見かねたのか、シュユがひょいひょいと服を出して見せてきた。

「お前、こういうのは好きか?」

 薄手で袖の無い涼しそうなパーカーと、三段ふりふりの重なったスカート。一瞬パーカーの洗濯の面倒さがよぎったが、せっかくの好意、「えっ……と、好きだよ」と返した。

 実際、着させてもらえば気に入ったのだから単純である。

「ほかにも似合いそうな服見繕ってやるか?」などと云われてしまえば、それはもう満面の笑みで、「ありがとう! よろしく!」ほーっと安堵のため息をついた。

ほんとうに隙だらけだな

「シュユ、なんか云ったか?」

「いや。ザクウの見る目は正しそうだと思っただけだよ」

「? リーダー、なんか吹き込んだ?」

 じと目でザクウを睨めつけると、彼はあわてて手と頭をぶんぶん振る。うーん? なにを察されたんだろう、オレ。

「これくらいでよいかの」

 シュユの声に意識を戻すと、その手には大量の服が抱えられていた。

「え? いや、そんなには要らないって。3、4着もあればじゅうぶん」

 ほんとうは、たまの休日用に1着あれば充分だけど、量に圧倒されて3、4着と云ってしまった。

「だが、あまりすくないとリコリスのやつがまた騒ぐんじゃないか?」

「うぐ。それは、その……」

「ふふふ。上下はどう合わせてもいいようにしておいたから、組み合わせでしばらくはしのげるだろうよ」

「あ……アリガトウゴザイマス」

 折れて、ポケットから財布を出してお会計。山のように積まれた洋服を見て、ああ、ずいぶんと衣装持ちになってしまった。

「お前、ポケットに財布は不用心だろう。ほら、カバン。あと靴も履きな」

「あ、ありがとう。じゃあこのお金も」

「サービスだよ。サービス」

「え、いや、払うよ」

「いらぬよ。気持ちよく受けとるのが、サービスへの一番の礼だよ」

「あ、はい、ありがとうございます?」

 そう云われてしまうと、受けとるほかない。いいのかな、と戸惑いながらも、カバンをたすき掛けにし、真新(まあた)しい靴を履く。

「そうだ。ついでにこの服はお前たちのアジトまで届けてやるよ。何かほかにも用事があるんだろ?」

 ザクウの背負っている大きな麻袋を見て、シュユはさらにサービスを重ねた。

「いやいや、持って帰れるって」

「……実を云うと、さっきの服のストックは倉庫にしまってあってな。取りに行くのを後でまとめてにしたいんだよ」

「あ、そうなん?」

 打ち明けるように云われたせいで、ウルはあっさり信じて、そういう事情ならおねがいしちゃうか、ところっと手玉に取られる。

「じゃあ、おねがい。急がなくていいから」

 とシュユの思惑どおりにウルは配達を頼んで、ザクウのほうへと向き直ると、「じゃあそろそろ行こうか」

「うん。じゃあねシュユ」

「きょうはありがとなー」

「まいど、だよ」

 

 シュユの店を出て、通りまで戻る道すがら。

「いい人だったな」

 ウルは、すがすがしく呟いた。

 気分として、たしかに服選びという難題(なんだい)を終わらせた解放感もある。だが、それ以上に、さっきまでの思い出が、楽しかったな、と反芻したくなるような、透き通ったいい心地にさせてくれた、その思いのままするすると呟いたのである。

 平生の緊張を取り払い、へにゃりと笑う彼女に、ザクウも「そうだね。シュユはいい人だよ」とだけ返し、しばし無言で市場通りまで歩いた。

 

 市場通りの喧騒(けんそう)から遠く離れ、今度は閑静(かんせい)な区画に足を運ぶ。大きな通りを選んで歩いてきてもらったけど、道はやっぱり憶えられてない。もういちどって云われたら、たどり着けるかなぁ。

 しかし、その心配は杞憂(きゆう)だった。

「ウルちゃん。ここが教会だよ」

 ザクウが指差した2つ目の目的地は、前世と変わらぬ教会然とした――教会なのだから、ある種当たり前なのかもしれないけど、大きく荘厳(そうごん)な建物と、その脇に大きな樹がそびえ立っていた。

 街のどこからでも見えるだろう大樹を、ウルはぽかんと口を開けて見上げた。芝生だけでベンチすらない広場の中心に生えているせいか、大樹はどっしりとした存在感を纏っている。

「リーダー。この樹は?」

「ん? あー、女神記念樹だよ。なんか女神さまが植えてから、この街といっしょにずっと育ってきたんだって」

「はえー、すっごいおっきいなー」

 なおも見上げながら、感嘆(かんたん)の声をのんびりあげる。

 こんなに大きく生い茂った、世界樹とでも呼びたくなるような樹を見るのは初めてだった。テレビとかではそれこそ1000年以上の樹なんてものもあったけど、しょせん小さな画面の向こう側のものだったし、生で見るような樹はもっと背の低い、がんばれば枝に手の届く――

 ぎゅん。目が軋み、めまいが起きる。視界が明滅(めいめつ)してマーブルに染まる。

 一瞬、その向こう。大樹の枝に、ぶらりと(くび)れた人影が見えた。

「うぐぅ」

 たたらを踏んで、一歩二歩。視界が回復し、体勢を立て直す。

 もういちど樹を見上げても、当然、(くび)れた(むくろ)なんてない。

「だいじょうぶ?」

「ああ。だいじょうぶ」

 ザクウの心配にも生返事して、三度樹を見上げる。

 さっきの人影は、なんとなく、あれは、自身の墓標(ぼひょう)のような気がした。

 この世界にはない死体。あの世界にもない死体。だけど、それのため、手を合わせて祈りを捧げる。

 黙禱(もくとう)ののち、あらためてザクウのほうを向いてきひひと笑う。

「それじゃ、行こうか」

「う、うん……」

 樹のそばを離れ、ウルたちは教会の中へと入っていった。

 木製の扉をくぐり、短い廊下を歩く。いくつか飾られていたモザイク画のひとつに、なにやら大仰(おおぎょう)に描かれた人が小さな樹に手をかざしているものがあった。外の樹のことだろう。ほかの画も、なにか曰くがあるのかな?

「ここ」と部屋の前まで案内され、ドアノブに手をかける。ガチャコン、と大きな音が出てびっくりした。そのせいで気勢(きせい)を削がれ、自然、そーっと扉を押し開ける。

 広く高く静謐(せいひつ)な、がらんとした礼拝堂。石畳の上に長椅子が並び、その奥に神職(しんしょく)のためだろう、2、3段の階段で高くなった場所に机がひとつ。そのさらに奥、壁際には神の場所、ステンドグラスを背にした大きな像、いや、像のかたわらに誰かいる。

 白くてしっぽが大きい動物が、腕先(うでさき)脚先(あしさき)だけ空色に染めて、レッサーパンダのような2足歩行で像を拭き清めながら、顔だけこちらに向けていた。

 獣人(じゅうじん)らしく、目鼻立(めはなだ)ちこそ人間風なものの、輪郭、喉元のふさふさした毛、頭から指先まで伸びたケモ耳、それらが動物らしくいろどっている。

 ――いや、こんなんじゃいつまでも伝わらない。遠回しに表現するのはよそう。

 かわいいケモノっ子がそこにいた。

 青空を想わせるふわふわした毛並みの、ちいさく愛らしいケモノっ子が、ステンドグラスで色づいたあたたかな光のなか、まっすぐこちらを見つめていた。

 本来なら、こちらが出向くべきなのだけど、ウルは愛らしさについつい、ケモノっ子がてちてち、てちてちと歩いてくるのを、はらはらと、そしてほんわかと見守ってしまった。

 正気に戻ったときは、ケモノっ子に涼しげな声で「どーしたの……?」と呼びかけられていた。目をくりくりさせて、ギザギザの歯を覗かせながら心配され、またトリップしそうになる。

「あ、ご、ごめん。あまりにもかわいくて、見惚(みほ)れてた」と浮わついた気持ちのまま口を滑らせる。

「そー? うれしいな。えへへ~」

 ケモノっ子が両手をほほに当て、にっこりとほほえむ。明るい笑顔がまぶしくかわいい。

 あんまりにもかわいくて、照れくさく、ウルは目線をそらしながら、それでいてちらちらと目を動かして、

「オレ、ウルって云います。あの、名前、聞かせてもらっても……」

「ラチナはラチナだよ。ハクタクの獣人!」

 ハクタク、というのはよくわからないけど、とにかく獣人らしい。

 すっと差し出された手に握手を重ねれば、手のひらにはやわらかくふわふわとした肉球が、そして指先にはさらさらと、そしておなじ言葉でもまったく違う、ふわふわとした毛並みが触れ、それだけでしあわせになる。猫を吸いたい、という気持ちがわかる気がする。

「ふおおぉぉ……!」

 声が漏れてしまった。

 あわててラチナの様子をうかがえば、彼女は?顔でなされるがままになっている。

 このままでもいいか、と肉球に手のひらを何度かバウンドさせたところで、無垢(むく)につけこむオレは、もしかして痴漢と云うのではないか、と気付き、名残惜(なごりお)しく手を離す。洗いたくない。

「あれ、もーいいの?」

 やはり、バレていた。

「いや、それは……」

「じゃあ、またこんどね!」

「え、いい、の、か?」声が喉に絡む。

「うん! もちろん!」

 あんまりにも明るくて、欲望で触ったことを後悔する。ふわふわの身体は気持ちよかったぶん、罪悪感は増すばかり。わたわたとごまかすように、ザクウの持ってた荷物をひったくって、ラチナに手渡す。

「あ、こ、これ! リコリスとスイからの、服の寄付。孤児院の子たち、に。オレが借りてたんで、遅くなって、ごめん、です。……ラチナに渡しちゃっていいんだよ、な?」

「うん。ありがとー」

「あのね、ウルちゃん。ししょ「ラチナだよ!」……ラチナさんは、この教会で一番えらい人なんだよ」

「あ、そうなのか!? ……あ、じゃあ、敬語とか使ったほうが、いいん、です、か、ね……」

「んーん。ラチナぁ、ウルとはお友達になりたいなぁ。だめ?」

 あざとく両手を組んでまんまるきらきらの瞳で甘えてくる。当然断れるはずもない。

「オレが、友達で、いいの?」

「うん! ラチナとウルは、友達! だよ!」

 ともだち。

 生きていて、前世から数えても、はじめての、ともだち。

 心がうきうきする。

 こそばゆいニヤケが出そう。

 ありがとうという衝動のまま、抱き締めてしまいたい。

 そして、頭の奥から声がする。

 ――どうしてそんなに喜んでいるんだ?

 ――前世でも、仲がよかったと思ってたやつはいたよな? ほら、同級生の、楽しそうに友達に囲まれてた、アイツ。

 ――話しかけられて、たまに笑って。お前は友達だと思ってた。お前だけは。

 ――でも、違った。だろう?

 ――アイツと常に親しかった友人とは違って、お前とは浅いその場かぎりの冗談だった。知り合いへの愛想だった。社交だった。

 ――ほら、お前さ、自分の身体を見てみろよ。

 ――いまお前がやさしくしてもらえるのは、お前が小さな女の子だからだ。一定の愛嬌(あいきょう)が保証されているからだ。騙しているからだ。相手が根明(ねあか)で、知り合ってすぐでもやさしさを振りまいてくれるからだ。

 ――()()()()()()()()()()()()

 自分の思い上がりに、ようやく頭が思い至り、くしゃりと顔を歪ませ、痛む(しん)(ぞう)をそっと押さえ、目頭が熱くなるのをぐっとこらえた。

「どーしたの?」ときょとんとしたラチナを見て、ああ、彼女を悲しませてはいけない。落ち込むのはあとでひとりでやれ。いまは、ただ、彼女のあどけない笑顔を曇らせないようにしなければ。

「いや、な。かわいい友達ができて、感動しちゃってな。きひひ」

「そー、なの?」

 本意ではあるけれど、喜んでもらえるかとおべっかのように使う。(かんば)しくはなかった。

 じゃあ、とカバンにごそごそ手を入れて、

「そうそう、今日はラチナのために、お土産を持って来たんだ!」

 ぶどうを取り出して、ラチナの手に乗せる。つやつやとみずみずしい、粒の大きなぶどう。ふたつ。

 寄付する予定の服を、オレに貸すために遅らせた、と聞いたから、そのぶん手土産のひとつくらい、とここにくる途中で果物屋によって買ってきたやつだ。

「ウルちゃん。そのために寄り道したの?」

 ザクウが驚く。店先に売ってたのを見て、思いつきで買ったから、云ってなかった。

「これ、皮ごと食えるらしいんで、子供たちと、どうぞ。……あ、好みとか、だいじょうぶか?」

「うん! くだもの、だーいすき! ありがとー」

 ギザ歯をほんのり開いたほくほく顔。かわいらしいうれしそうな顔。ラチナのその顔が見れたなら、買ってきて、よかった。

「ここじゃなんだから」とラチナに案内され、別の部屋に行く。ラチナが前を歩くと、大きなしっぽがふりふり揺れる。ぶどうでごきげんになったからだと、いいな。

 すれ違いに、子供が「お! ぶどう? ぶどう?」と騒ぎ始め、それを聞きつけた子供が来ては騒ぎ、けっきょく居住スペースの部屋につくころには、全員集まった、らしい。

「ウル。ごめんね。ちょっとザクウ借りてっていーい? お話があって」

「あ、うん、どうぞ?」

 ラチナはぶどうを2、3粒むしって肉球掌(にくきゅうてのひら)で転がし「これだけもらってくね。みんな。ウルにありがとーって云うんだよ」

 子供たちに云い残して去っていくラチナを見送り、目を戻すと、待て、をしている子供たちの目が見つめていた。

「ど、どうぞ」と促すと、子供たちはわっとぶどうをつつき始める。

 いや、女の子がひとり、まだおろおろとしている。

「どうぞ、食べな」と、今度は手振りも含めてやると、女の子は「ありがとうございます」とおずおず1粒手に取った。

 

 ザクウはラチナの後ろを粛々(しゅくしゅく)とついていき、屋根裏の、ラチナの部屋まで連行される。小柄なラチナにちょうどいい、ザクウにとっては小さく手狭な部屋で、必然、ふたりは短い距離で向かい合う。

「座って。どーぞ」とイスを勧められたが、ザクウは座らず、そして、

「ご無沙汰しています、師匠」と頭を下げた。

 ハクタクの獣人、ラチナ。彼女の名前、いや、伝説は世界中に(とどろ)いている。

 曰く。災害級の魔獣を単独で(ほふ)った。

 曰く。狂った魔獣を産み続ける闇世界樹をなぎ倒した。

 曰く。天より降りてきた神を名乗る侵略者すら殴り堕とした。

 曰く。彼女こそ女神の使いである――いや、これはラチナが引退して神職に就いてから教会が流したんだったか。

 とにかく、ラチナと云えば一般の人々にも膾炙(かいしゃ)された、生ける伝説なのである。

 彼女の活躍を間近で見た、この街近辺の人の戦闘職はもちろんのこと、今でも遠くからやってくる挑戦者とかは、一度はラチナにぼこぼこにされて、伝説を身をもって知るのが定番。

 ほかならぬボクたちアイスフリル傭兵団も、血の気の多いケイオスを筆頭に、全員、たまにラチナがなまらないために特別な稽古と称してぼこぼこにされている。

 その、伝説の『黄昏空(たそがれそら)のハク』ラチナは、両ほほをむにりと押さえてぶんぶんしっぽを振り、「かわいーなんて、はじめて。うれしーな~」と照れていた。

 ぶどうを噛んで、「あっまい!」とまたぶんぶんするラチナは、云われてみれば、あざとい、かわいらしそうな仕草をしている。伝説、最強、その印象が強く、かわいい、という角度から見たことはなかった。

 こういう時、ウルちゃんはすごい。

 たぶん彼女は、師匠の偉業は知らないのだろう。けど、見慣れればこそだが、獣人を初対面で人となりを見、かわいいと感想を抱ける人は少ない。

 いや。師匠だけではない。ガーゴイルでありながら高貴なレディであるシュユ。もちろん、女装をしているボク自身だって。ウルちゃんは、()()()()()()()受け入れてくれる。

 すべてを鵜吞(うの)みにして呑むのではなく、彼女の常識があるうえで、その常識から外れた人を受け入れる。その姿勢を、すごいな、と思う。

「ウルの話は聞いてたけど、いー子だね。ほんといー子だね」と、ラチナは真面目なトーンでぶどうをつまんで口に放り込む。

「……わざわざこんなのも持ってくるなんて、聞いてたとおり気にしーなんだね」

「うん。もうちょっと好きに過ごしてほしいっては云ってるんだけどね」

「あー。ラチナと友達ってなったときも、急に落ちこんじゃったし」

 ウルがなにかうれしがって、明るい表情を見せる。直後、なぜか暗くなって蒼褪(あおざ)める。ウルの謎の1セット。

 見慣れてはしまったけれど、なんとかしたい、屈託(くったく)なく笑う彼女が見たい。

 それに。彼女のその沈みグセの結末は。

「なにか、あったの?」

 ラチナの声。

 そうだ。ラチナは、強さももちろんだけど、聡い、洞察力がある。

「話してみて」

 師匠に促され、ボク自身の、誰かに相談したい思いもあり、気がつけば今朝の家出事件を話してしまっていた。

「思いつめて、家出」

「うん。なんでかはどうしても話してくれなかったけど。それに」

「それに?」

「あの時のウルちゃんには、死相が浮かんでた。もしかしたら、ウルちゃん、思いつめて」

「うー。……でも、今は生きてて、元気ではある。ザクウがなんかしたんだよね?」

「すがりついて引き留めただけ、だけど」

「でもえらい! はなまる!」

 戦闘ではもらったことのない花丸をもらってしまった。

「でも、元気になったらこんどはちょっと、距離が近すぎちゃって」

「どーしたの?」

「うっかりその、スカートの中見ちゃったりしてからかわれたり、さっきは胸を見せてきたり、ちょっとエッチにからかわれて」

「……」

 ラチナが相槌をやめ、真剣な顔で眉をひそめる。

「ねー。ザクウ。それ、反応したり、した?」

 威圧感を出しながら問われて、ちょっと怖い。

「え、そ、それは」

「こたえて」

「……はい。見ちゃいました」

 含羞(がんしゅう)の顔で答えると、ラチナはますます眉間を深く刻み、長い耳を指でいじる。

「ちょっと、まずーい、かも?」

「どういうこと?」

「ウチの子にもね、ひとりいるの。気にしーの子。その子がね、よく手伝いしてくれるんだよ。なにかやってるときでも、疲れてても、体調が悪くても」

 憶えがある。もともと、あの家出事件の発端は、ウルのオーバーワークだったから。

「あの子は、自分が役に立つよって、価値があるよって、だから見捨てないでって、云ってる気がするの。おんなじように、ウルは、()()()()()()()()で、価値があるって云おうとしてるの、かも」

 違うとは、云えない。

 はじめて話した日、彼女は自分の価値を処女以外ないと云い捨てていた。

 次の日も、ルティアが制したとはいえ、自分を肉便――うう、と云おうとしていた。

「それは、ダメだよ。やだ。――師匠。ボク、どうすればいい?」

「もちろんだよ。――まずはね。そういうエッチなアピールには反応しない。成功体験(せーこーたいけん)を積ませない。その上で、ウルのわがままを聞いたり、叱ったりしながら、見捨てないよって全身でアピールしたげるの。いーい?」

「はい!」

 ちょうどその時、外から子供たちの声がした。

 女神記念樹の広場で、子供たちが笑いながら遊んでいる。

 ウルも、いた。

 ぎくしゃく動いては、ほかの子供に「違うって! こうだよ、こう!」と注意されて、頭を搔いて笑っている。

「よし! ボク、がんばります!」と宣言すると、ラチナが背中を叩いてくれた。

 いたい。気合いが入る。ありがとう、師匠。



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第10話 ただいま

ひさびさの祝日がうれしいので初投稿です。
サブタイ思いつかない、思いつかない……。


「えっと、ただいま?」

 アジトに帰る。帰る場所である。そう云っていいのか、照れくさく、ただいまと素直に云えない。

「おかえり、ウルちゃん!」

 後ろからザクウが、肩にぽんと手を置きながら迎えてくれる。袖なしのパーカーだから、普段は人肌に触れない二の腕に手のひらが触れる。すこし皮の厚い、筋ばった感触。ぬくもりがあたたかく、じんわり広がる。

 くう。

 緊張が取れ、腹が()ってしまった。

「え、えーと、きひひ」

「おなか空いちゃった?」

 ザクウが、いたずらっぽい顔で聞いてくる。

「……はい」

「まあ、今日はウルちゃん初めてのことばっかりだったから、大変だったでしょ。どうする? なにかおなかに入れちゃう? それともみんなが帰ってくるまでひと休みする?」

 寝穢(いぎたな)いから、休むって提案は魅力的だったけれど、普段のにぎやかさとは違う、このおだやかな時間が、なにかもったいなくって。

「いや、もうすぐみんな帰ってくるだろ? 待ってるよ」

「そう?」

 ザクウは小首を(かし)げて、「じゃあ、干し芋でも持ってくるから、食べよう」

「あ! それなんだけど」

 ごそごそとカバンをあさり、真っ赤なリンゴをひとつ取り出す。

「えっと、これ、果物屋でおいしそうだったから、つい買っちゃって、これ食べちゃわない、か?」

 ほんとうは。オレのこと拾ってくれてありがとうって、今日、オレのこと追いかけてくれて、いないとさみしいって云ってくれてうれしかったって、そう云いたくて。それで買ったもの。

 だけど、オレのために使いなと色をつけてくれたのを使って、贈り物を買うのは、いいのか悪いのかわからずに、そこで何か自分のために買って好意に(むく)いることもできず、フルーツ山盛り買ってみんなにふるまうこともできず、半端に1コだけ買ったせいで、本当の理由が云えなくなった。

「あっ」

 半端に1コだけ買ったせいで、分けられない。

 切ればいいんだけど、刃物は料理人(タリスマン)の命って聞いたことあるし、勝手に使うのもな。

 おろおろ、おろおろ。

「リーダー。これいっこしかないから、食っていいよ」

 分けるのを諦め、手渡す。

 ザクウは「んー? え、ウルちゃんのぶんは?」

「いやー、なんとなく買ったからいっこしかなくって」

「そーお? じゃあ」

 と、受け取ったザクウ、おもむろにリンゴを両手持ちして、親指をヘタに突っ込んだ。

 まさか、と思う間もなく、乾いた音とともに、ザクウの手でリンゴがまっぷたつ。

「お、おー……」

 まさかそんな光景を見る日がくるなんて、と思わず声が出る。

「あ、すごい! このリンゴ、いっぱい蜜があるよ!」

 はしゃぐザクウ。ついさっきリンゴを素手で割ったとは思えない、かわいらしいはしゃぎかた。

「はい、ウルちゃん!」

「ん。ありがとな」

 

「たっだいまー! っス!」

「ただいま」

 リコリスたちが元気よくアジトに帰ると、中にいたウルがぱっとイスから立って「おかえり」と返してくる。

 ウルの表情には、今朝のような(かげ)りはない。

 元気になったみたいで、よかったっス。

 朝なんとなくしょんぼりしてたから、なんか気にした視線を向けてたリーダーを問い詰めて、今朝の事情は聞き出していた。

 秘密にしておいてほしい、というのも聞いてたから、表立って心配できずに、不自然にならない程度にしか元気づけられなかったけど、すっかりいつも通りになってて、よかった、よかった。

 むしろ、いまリーダーと2人で流してた雰囲気の名残(なごり)は、どこかあった、ウルの遠慮(えんりょ)がすこしだけ薄れた気安いものだったみたいで。

 ここをおうちだと思ってくれたら、いいっスね。

 それに。

「ウルちゃん、いい服選んだっスね! かわいいな」

 ノースリーブのパーカーに、フリルのティアードスカート。淡いパステルカラーでまとまってて、センスもいい。露出こそちょっと多いけど、そのぶんムダ毛処理とか、そういうのも教えやすそうで、またかまえる。

「あ、ありがとう、きへへ」

 なんか歯切れが悪いなーと思ったら、「……じつは、シュユに選んでもらいまして」と服をつまんで自白した。

「わかるっス。シュユさんは選ぶのじょうずっスからね。勧められるとつい買っちゃうっス」

 本当。と同時に、ウルに、今日は成功だったと思ってほしいのもあった。

 その考えが通じたのか、スイも乗ってくる。

「私も。シュユに選んでもらった服、いっぱい」

「そ、そーなのかー。きひひ」とウルはもういちど、照れくさそうに服をつまむ。ほんのりとだけど、自信を持ったみたい。あんしん。

「ウル、シュユからの、これは?」

 スイが異次元バッグから、大きな袋をいくつか取り出した。帰る途中で会ったシュユから預かったものだ。

「あ。それも、シュユに選んでもらった服、とか」

「おー!」

 なんだかんだ、ウルはあまり服は買ってこないだろうと思ってたから、いっぱいでうれしい。

「どんなの買ったっスかー? ……あれ、これって」

 手近なひとつを開けてみると、シュユの店で塩漬けになっていた、ロリコン領主の置き土産。

「それは、オレが選んだんだ! どう、かな?」

「いいと思うっス! 好きな服着るのがいちばんっス!」ととっさに云えた自分を()めてあげたい。

 着てる服も肌が出てるなとは思っていたけど、ウルちゃん、肌の出る服が好みだったっスか? いや、でもこの服はさすがに。いや、うん。

「これ、どこで、着るの?」スイの声も戸惑いが満ちている。

「シュユにもリーダーにも云われちゃって。アジトの中だけってことで……」

 あ、そこはよかった。さすがにっスね。

 けっきょく、袋のうちほとんどは、その置き土産で、ウルの私服はひと袋だけ。でも、そのパーカーやTシャツ、ミニスカートにショートパンツをウルの身体にあてて、簡易的な着せ替えを楽しんだ。ほんとうは一着一着着てほしかったけど、遅い時間だし、疲れてるようにも見えたから、それはいざ着た時のお楽しみ。

「あれ、もう一着、ある」

 全部出して遊んでから、みんなで畳んで袋にしまおうとしたとき。スイが気がついて取り出した。袋がくたっとしていたせいで、折り目の奥に隠れていたらしい。

 取り出してみると、それもまたパーカーで、まっしろな生地にパキッとした黄色や水色の(ほし)が大きく描かれている。

 あれ? こんな服、シュユの店で見たことないっスよね。

「リコリス。これ」

 スイがちらっと例の置き土産を見せてくる。それにも☆があしらわれているのを見て、(さっ)する。

「シュユ、きっと」「仕立てた、っスね」

 ウルちゃんの様子から、きっと勝手にやったのだろう。素直じゃない、シュユさんらしいっス。

「ウル、この服、好き?」

「んー? お、いいねこれ」

「なら、よかった」

 ウルのために(つく)られたパーカーを受け取って、彼女がうれしそうに、おーと感嘆(かんたん)の声をあげた。



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第11話 ちょうちょ

07211919の日だと気づいたので、あわてて初投稿です。
あわててしあげたので、どうでしょう……?


 夜明け前。

 きょうからとうとう、ソシャゲコスプレ服を着てお仕事だ。

 ぽいぽいと服を脱ぎ、下着も脱いで、首輪チョーカーを残してすっぱだか。そして見せ下着としてビキニ水着を着て、その上にエプロンワンピース、リボン付き腰サポーター。靴下と靴まで履いて、格好を整えに鏡の前に立つ。

「うわぁ」

 思わず、声が出た。

 服は、最高。この露出や装飾、フリルの多い服は、服にくわしくない自分にもわかる、わかりやすいおしゃれさと、コスプレというある種前世では手の届かないところにあった、特別な行動が、何度着てもうれしくなる。わくわくする。

 では、なにがダメなのか。

 顔が、ダメだ。

 子供らしい無垢さがない。世間()れしている。世の中の苦労を知っていますよ、という顔をしている。それでいて、苦労に深みがない。どこか、甘えた。『年相応』の老紳士、吐き捨てて(いわ)く、君はうずくまったままじゃあないか。挫折して、立ち直り、這い上がることで得られる粘りも、しなやかさもない、ただ怠惰に寝転がっているだけじゃあないか。ああ。反論なんて、できやしない。

 それでも、自分なりの苦労は()めてきた。そういう顔をしている。自慢ではない。これじゃあダメなんだ。

 云われただろう。オレが見送ったり、出迎えたりするのがうれしいと。なら、オレの役目は朝見れば一日の活力になって、夜会えば疲れが()やされるような、それこそソシャゲキャラのような、愛くるしい笑顔なのだ。世間の厳しさを想起(そうき)させるようなくたびれ顔ではないのだ。

 鏡の前で、にっと笑う。愛らしいラチナの真似をして、目を細め、指で口角を上げ、愛くるしい笑顔を作ると、それを意識しながら洗濯に行った。

 

 

 中庭の気配を探る。ごそごそ気配がして、ひとあんしん。

 もしかしたら、ウルちゃんにきょうもなにかあるんじゃないか。そう思って、ザクウはきょうも早起きした。取り越し苦労だったけど。ほっとした気持ちで、中庭を覗く。

 ウルちゃんがお酒のビンをぐいっと傾けていた。

 話には聞いてたけど、テラスに腰かけてラッパする姿からは、お酒を呑んでるとは思えない、さみしい背中。せっかくのお酒なんだから、楽しく呑んでほしいのに。きょうのお酒のとき、誘ってあげよう。

「おっと」

 ウルが不意に立ち上がり、ぐっと伸びをする。生白い背中で肩甲骨が(うごめ)き、そして背中がまるごと反らされる。

 なまめかしい動きで身体をほぐすと、ウルはぱたぱたと洗濯機まで行って……急に止まった。

「あ、ちょうちょ」

 気の抜けた(やー)らかい声を出して、しゃがんでほんわかと洗濯機の支えを見つめている。

 ザクウもこっそり目を()らせば、たしかに、支えに焦げ茶をした、ところどころカーキの差し色のあるちょうちょが、いや、あれ()だよね。

 なんか微妙な気分になりつつも、“ちょうちょ”を()めて見るウルは、とっても穏やかな顔。こっそりそれを見守っていると、しばらくしてウルは満足したのか、立ち上がって、洗濯物を取り出し始めた。慎重な動きは、たぶん“ちょうちょ”に気を使ってるのだろう。

 お尻を突き出して頭を洗濯機に入れているせいで、(はた)からスカートの中が丸見えだ。

 下も水着とは聞かされたけど、あまりにあられもなく、やっぱりパンツにしか見えない。ううう。

 いけないものを見ているようで、もうやめよう、とした時、ガンと(にぶ)い音。次いで、「いたた……」という声。ふたたび見ると、ウルが頭を押さえてさすっていた。

「あ」

 衝撃で、“ちょうちょ”がふわりとどこかに飛んでいく。

 ウルはそれを口を開けて見送ると、「悪いことしたな」と独り言して、苦笑い。

 “ちょうちょ”に向けた穏やかな笑顔は、気負いのない、ウルちゃんの(うち)から自然と出たもので。今はこっそり横顔を盗み見るしかできないけど、いつか、ボクに向けてあの笑顔を咲かせてくれるといいな。

 ……ボクに向けて?

 なんで、みんなって思わなかったんだろう、と疑問に思いながら、ザクウはその場をそっと離れた。



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第12話 あぶなっかしくてしっかりしている

猫アレルギーなので初投稿です。
猫を吸う、そんな体験がしたいだけの人生だった。


 今日は、はじめてのお休み。だけど、いつもとそう変わらない時間に起きる。とてもねむい。

 しかし、いつもは毎日みんなを見送っているのに、休みになったとたんにぐーすか寝こけて見送りもしない、というのは体裁が悪い。それに、やっぱりみんなの顔を見ておきたい。

 それで、ウルは休みなのに早起きをした。ねむい。

 ザクウにちょいちょいもらっているナッツをひとつまみして、ぼりぼりと噛んだ後、もう着替えてしまうことにする。前世では友人がいないのも手伝って、一日中寝間着で朝寝(あさね)昼寝(ひるね)夕寝(ゆうね)も珍しくはなかったけど、傭兵団のみんなは勤勉に、休日だろうと出かけていくので、ぐーたらするのは気恥ずかしい。

 黒地に白糸が目立つ大きなパーカー、襟ぐりのやたら開いたたまご色のシャツ、そしてパリッとしたスカート。よくわからないけど、ヨシ! の精神で選んで、着る。相変わらずファッションはちんぷんかんぷん。

 大きなパーカーの中二病っぽい格好良さにくるくる回っていると、ふと尿意を感じた。男のときと違って、女の子の身体では能動的に我慢しないと、ほんとうに『緩む』のをスラムでさんざんに経験したので、さっさとトイレに行くことにする。

 排尿のあと、手をばしゃばしゃ洗い、顔もついでに洗って、そして鏡を見る。いつもの疲れ切った顔はともかく、服は、これは、どうなんだろう? よくわからないから、自信がない。

 トイレから出ると、ちょうどザクウが洗濯をしているところだった。リーダーなんていちばん偉いのに、休みの日のかわりをするなんてどうなの、とは聞いたけど、「雑用リーダーだからね!」という謎の返事を返されてしまった。

「あ、ウルちゃん。おはよう」

 ザクウはこちらを見て、にっこりとあいさつすると、「きょうは私服だね。かわいいね」

 服装を褒められる、という、あまりにも意外な出来事に、シュユのおかげだということも忘れ、「そ、そうか……? き、ひひ」と照れ笑い。

 ほんとうは、自信がないから、褒められることなんてないんじゃないかと思ってたけど。

「この格好で、変じゃない、んだよな?」

「うん! とっても似合ってる! かわいいよ!」

 冷静なら、云わせてるとか思うのだろうが、その時はただうれしくて、服をつまんでにやけていた。

 ――そのすぐあと、それをうっかりしゃべったら、「そ、そんな、っス! ウルちゃんの私服褒め一番は私がやりたかったっス!」と悔しがるリコリスがいたのだけれど。

 

 

「ラチナー」

「はーい?」

 ある日の昼下がり。子供に呼ばれて、ラチナはてちてちと歩いていく。

「どーしたの?」

「となりの芝生で、この前のぶどうのねーちゃんが寝てる。すっげーだらしなかった」

「ウルが?」

 どしたんだろー? と表に出てみれば、たしかにウルが転がっていた。オーバーサイズのパーカーをはだけ、強調された華奢(きゃしゃ)な身体をさらし、シャツの(すそ)に手をつっこんでおへそを見せている。口のはしっこからよだれをまっすぐ地面まで垂らす姿は、たしかにだらしない。

「ウルー?」

 呼びかけると、「うぅ……ん」とうめいて、寝返りをうつ。今度は腰が丸見えだし、パンツだって見えそうになってる。

「ちょ、ちょっとぉ、ウル?」

「うー?」

 あわててぶんぶかゆさぶる。おかげでさすがに起きたものの、両手をついて上半身だけもぞもぞ起こし、寝ぼけまなこでラチナをぼんやり。

「わーい。やったぜ」

 そう云うと、ウルはラチナのしっぽに抱きついてきた。あまりにも堂々と、大胆な行いに、困惑しながらも受け止める。ラチナの胡乱な視線も気にせず、ウルは「すぅぅぅうう。はぁぁぁああ」と音を立てて、しっぽを抱きしめ深呼吸。なまあたたかい吐息がラチナのしっぽに立ち込める。

 すー、はー。と何度も繰り返したあと、ウルは突如ぴたっと止まり、ゆっくりと離れた。

「これ、夢じゃない可能性とか」

「現実、だよ?」

 とりあえずばっさり切り捨てながらほほえむと、ウルはおもむろに地面に手をついて、頭を下げ、土下座した。

「ご、ごめん! 前から吸いたいなって思ってたから、つい夢に出たんだと……」

「うーん? いーんだよ。顔上げて」

 持ち上げられたウルの不安そうな顔に、しっぽをふんわり叩きつける。

「そんなにラチナのこと吸う? したいんだったら、云ってよ~」といたずらっぽく笑う。

「え、い、いいのか?」

「うん。もちろんだよ」

 ウルはおっかなびっくり、やがてすこしずつ遠慮をなくし、ラチナのしっぽを手櫛(てぐし)したり、しっぽの毛並みに隠されたおにくをなでてみたり、もちろん抱きしめて吸ったりもしたあと。

「ああ~太陽のにおい~」

 ラチナの、かつて血にまみれた全身で、こんなにも安心してくれるなんて。なんでそんなになのかはわからないけど、とってもほんわか。

「あ、あの。もしかして、おなかに顔埋めたいって云ったら、おこる?」

「んーん。……ここじゃ恥ずかしいから、中で、ね?」

「や、やったぁ……ありがとう。ほんとうに、ありがとう」

 

「で。どーしてあんなところで寝てたの?」

 吸う、を思うぞんぶんに堪能(たんのう)してもらい、しっかり満足してもらってから、ラチナは問いかける。

「いや、今日、初めてお休みもらったんよ」「うんうん」

「それで、普段はわりと早起きしてるから、そのぶんのんびり昼寝でも、と思って」「うんうん」

「でも、ほかのみんなはわりと休みもみんな出かけてて」「うんうん」

「だから、アジトで寝てるより、出かけて日向ぼっこしてました、のほうがカッコつくかなーって?」「うんうん。……それで?」

 ここでようやく、質問されているのでなく、詰問(きつもん)されていることに気がついたのか、ウルはあわてふためいて、

「い、いや、ほら、部屋で寝てました、だと、ぐーたらって感じじゃない。でも、芝生で日向ぼっこしてました、だと、ぜーたくな時間だなって、ならない、かな」

「うんうん。わかるよー」

 これ以上深堀りしても意味がない、と察したラチナは、ウルの両ほほをつまんでひっぱる。痛くないようにはするけど、遠慮せずむにむにやわらかほっぺを手伸ばしする。

 ウルと初めて会ったときは、手土産とか持ってきてずいぶん大人(おとな)らしかったから、思ってもみなかった。

「ウル。ウルは、自分が女の子だって自覚、持とっか?」

 懸念(けねん)してた、女の子を利用して居場所を作ろうとするより、もっと(あや)うい。無警戒。自分を大事にしていない。ザクウはあれでヘタレだし、ないだろうけど、もし誰かに頼まれたら、頼まれるがまま無防備に身体を差し出してしまうかも。

「え。いや、知ってるよ、さすがに。ちんちんついてないし」

「そーいうのを口に出さないの!」

 両ほほを今度は押し込んで、むにむに潰す。歯まで伝わるほど思いっきり潰しながら、精精(せいぜい)怖い顔を作って、じっとり見ながらぐにぐに捏ねる。

「肉球が気持ちよかった」

 終わってから、そんなことをつぶやかれた。反省してほしいんだけどなぁ。

 ラチナは真剣な顔でウルに向かい合う。

「あのね。この街だって、特別治安がいいわけじゃないの。だから、むぼーびに寝てて、あられもないかっこさらしてちゃ、怖い人に(おそ)われちゃうの。ヘンタイがこっそり近づいてきてウルを連れ去ったら、ラチナたちはすっごく悲しむし、がんばって助けに行っても無事に助けられるとは限らないの。だからね。――

 こんこん。こんこん。膝詰(ひざづ)めの説教。

 

 しばらく。

 ――ウルも、もーすこし()()()()を持って、ヘンな場所でむぼーびにならないこと! いーい?」

「はい! わかりました!」

 ぜったい分かってない返事をして、ウルはなぜかにこにこ顔。心配してるのに、わかってるのかなぁ。わかってないのかなぁ。

 ふー。しかたないかぁ。

「ねむいときは、勝手にはいってきて、ここで寝ちゃってていーから。だから、外では寝ないで」

「え。いや、神聖なとこでねこけるのって、いいのかなって」

「それは、ダメに決まってるけど。でも! それでウルが襲われでもしたらもっとやだ。だから、だいじょうぶだよ」

「あ、うん。ありがとう……?」

 いまいち事の重大さがわかってないみたいだけど、とりあえず急場はしのげた、かなぁ。性教育を教えるのはゆっくりになりそうだけど、危ないのはなんとかできた。

「じゃあ毛布持ってくるから。おやすみ」

「あ、ありがとな。おやすみ」

 礼拝堂から居住スペースに行き、ごそごそ押し入れを探っていると、礼拝堂のほうから声がするのを、獣人としての並外れた聴力が聞き取った。

『ねーちゃん、ごめん! まさかあんなに叱られるとは思わなくて』

『あー? いいんだよ。うれしかったし』

 ガミガミ叱ったあとだから、もしかしたら嫌われたかも、と思ってたところだったのに。まさかの言葉に、耳をそばだててしまう。

『叱られてうれしいって、なに? ヘンタイ?』

『いや、真剣なラチナもかわいかったけど、そうじゃなくて』

『じゃなくて』

『あんなにまっすぐ叱られるのって、ほんっとに貴重なんよ。大人になると、妙なことしてても避けられるだけだし、叱られても、それは心配とかじゃなくて、自分の思う通りに踊れって打算だったりするし。だから、まっすぐ真剣に叱ってくれたことが、うれしくて、ありがたくて。しかもまだ会って2回目なのに! ラチナは高潔な、すごい人だよ』

『そういうもん、なのか?』

『なのだよ』

 会話が終わり、子供のほうの気配が去っていく。すこし置いて礼拝堂に戻れば、もうウルは長イスに転がって寝息を立てていた。

 そっと毛布を掛けてあげると、ラチナはそのむぼーびな寝顔をながめ、「ほんとーに、不思議で、魅力的な子、だね」とささやいた。

 危うくて、でもしっかりしたところもあって、大事にされてるのに気づかず家出なんか企んじゃうのに、叱られたらうれしがって。傭兵団のみんながかまうのもわかる。惹かれてしまう。目が離せない。

「えへへ。まいったなぁ」

 仲良くしてあげてほしい、という頼みで軽く友達になったけど、今はラチナ自身の望みとして、心に湧いてくる。

「ラチナとウルは、ともだち。よろしくね」

 まただらしなくよだれを垂らしはじめたウルに、ラチナはあらためて友誼(ゆうぎ)を結んだ。



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第13話 サナギのウル

気がついたら土方記念日を過ぎていたので初投稿です。
お盆だらだらしてたら、あっという間に終わってたぞ……。


 ウルが、サナギのように壁にへばりついていた。

 スイが、オフの日に貸本屋に向かったはいいものの、楽しみにしているシリーズの新刊がもう借りられていたからと、冷やかすだけで帰ってきた、その時。

 遠くにぽつんと見えるアジトで、なにやらパステルカラーの染みがもぞもぞ動いている。怪しい。

 不思議に思って、魔力で目を()らして望遠したら、ウルだった。

 それも、窓枠に懸垂(けんすい)のように手をかけ、ぷるぷるとサナギのように不安定な体勢でハタキを真上に伸ばしている。いつ足を踏み外しても、おかしくない。危ない。

 スイは即座に身体強化魔法を使って、急いで街中を駆け、最後の角を曲がると同時、強く地を蹴り、浮遊魔法で重力の(くびき)を千切って、急加速、急制動。

「あ」ウルが、足を踏み外し落下する。

 瞬間。スイが抱き留めた。

 手を伸ばした状態で固まっていたウルは、自分がふわふわと浮いていることに気がつき「あ、あれ」と蒼い顔できょろきょろ。

「なに、やってたの、ウル」

「わ、ス、スイ!? ……あ、魔法」と、そこで自分が浮いている理由に気がついて、へにゃへにゃ力を抜いて「ありがとな。助かったよ」

「それは、いいん、だけど」ぶすっと(いぶか)しげな声。

 スイはウルの細く(もろ)そうな身体をぎゅっと抱きしめ「なんで、こんなこと、してた、の?」

「あー。いや、ほら、あそこ」と、ウルはぱたぱたとさっきハタキを伸ばしてた場所を指差して、

「あそこにクモの巣張ってるから、気になって、つい」

 確かに、軒下(のきした)ぎりぎりにクモの巣がある。でも、それでこんな無茶をしたの?

ふぅ。あんまり、あぶないこと、しないで」ウルの後頭部に顔を埋めながら、祈るように願った。

「いや、だいじょうぶかなーって思って……はい、気をつけます」

 しょんぼりするウルを抱いたまま、高度を上昇させ、クモの巣の近くまで連れていく。

「これで、届く?」

「あ、ありがと」

 クモの巣をあっさり払うと、ウルは遠慮がちにだけど、「あーっと……実は、あっちにも気になる汚れが」

「ん」

 ススーと横移動。そこでウルがまた雑巾で汚れを清め、また移動。

 ウルに云われるがまま、ウルをずっと抱きしめながら、上に下に、アジトを一周。

 その甲斐もあって。

「おお。きれい」

 地上に降りて見上げれば。見慣れたアジトが風雨(ふうう)にさらされて汚れていたことを、ウルの掃除のおかげで改めて気がついた。大きな汚れがなくなったことで、外観はくすんでこそいるものの、味、という範囲に収まっている。

「ありがとう! いやー、魔法って、便、利……」

 ウルはまた蒼褪めて言葉を詰まらせる。今度は、なにに引っかかったのだろう。

「ご、ごめん。使い立てしちゃったけど、魔法ってもっとすごいものだったり、する?」

「すごい、って?」

「こう、神聖とか、崇高とか……」

「そういうのは、ない、よ?」

 歴史になるほどの昔にはそういう考えもあったらしいけど、今はもう魔法のメカニズムの研究も進んでいるし、魔道具やそれ由来のものも生活に根づいている。そのため、魔法は神聖、という考えはずいぶんと下火。ウルこそ、どこでそんな話聞いてきたのだろう。

「それなら、いいんだけど。いや、やっぱり、スイががんばって憶えた魔法を、掃除とかに使わせるのって、どうなのかなーって」

「いいよ」

「うぇ?」

 もともと、弓一辺倒だった私が魔法やそのほかの技能(スキル)を習得したのも、傭兵団に入ってから、みんなの力になりたくてだから。だから。

「魔法は、みんなの役に立ちたくて、それで使えるようになった、から。だからね。ウルの役に立てるなら、いいの。気にしないで。どんどん、お願いして」

「そう、か。……まぶしいなぁ

 ぽそり、と漏らした彼女の瞳は、憧れと諦めの混じった、かつての自分と同じもの。まわりが誰も彼もすごそうに見えて、焦っていたあの時の瞳。

 もしかして。あんなあぶない掃除をしてたのも、掃除で役に立たなきゃ、という焦りだったのかな。

 

 入団したころの私は、弓の腕こそ憶えがあったものの、体格も小さく、自然(しぜん)弓も小型となり、大型の獣には戦力になりづらかった。よりわかりやすい脅威のときに戦力外になり、またコミュニケーションもたどたどしくしかしゃべれないせいで、居心地が悪いと感じたこともある。それで、弓以外にもなにか得意を身につけようとさまざまなことに手を出した。

 今胸を張って云える、魔法や斥候の腕のほかにも、そのころからメイスをぶんぶん振って活躍していたリコリスに近接戦闘を教わったり、タリスマンに獲物の解体を教わったり、事務作業や、家事をやっていた時期もある。

 最終的には魔法で大型獣に対しても戦力になっているけど。でも、あのチャレンジを支えてくれたみんながいたからこそ。そのチャレンジで自信を手に入れられた。

 だから。今のウルが自信を持てるものがまだ少ないのなら。

 自信の源になる、なにかを身につけるまで。見守りたい。

 ――落ち着いて考えれば、そうまとめることもできるのだけど。

 

 その時は、勢いこんで、ウルのぷにぷにほっぺややわらかい髪をくしゅくしゅ撫でながら、

「私、ウルがなにか、挑戦したい、って、思うなら。応援する、から! だから、遠慮なく、云って、ね」

 と声をかけるのがせいいっぱいで。ウルも面食らって「お、おう」と呑まれた返事。

 うう。もうちょっと、うまくしゃべって、ウルといっぱいおしゃべりしたい、な……。



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