走り抜けても『英雄』がいない (天高くウマ娘肥ゆる秋)
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第1話 Aftermath

「──はっ、はっ、はっ……!」

 

 肺が痛む。酸欠気味の全身が痺れる。もはや立っているのか、倒れているのかすらも分からないような疲労感。

 脳に回る酸素が足りていないのだろう。もしかしたら自分を中心にして、本当に世界がぐるぐる回っているのかも知れない……そんな錯覚さえした。

 

 練習場でぽつりぽつりと灯る街灯が、門限を超えても一人で走り続ける()()()()()()ウマ娘をせせら笑っている。

 

 そんな中でさえ、酷使された脚は抗議の声を挙げた。

 故障ではないが、関節部が熱を持っている。急いでアイシングをしなければ、もしかしたら最悪へ繋がる切っ掛けとなってしまうかもしれない。

 

 俺はままならない肉体に舌打ちした。

 同じ人型なら平均的なスペックこそ劣れど、()()()の……人間だった頃の体であれば、こんなに故障しやすくはなかったのに、と。

 ウマ娘の身体スペックは、人間の完全上位互換であるかのように度々語られる。だけど実際はこの世界には居ない()と同様に、フルマラソン等の長距離においてなら人間の方が優れた性能を発揮する。

 少しでも多く走りたい俺にとっては、今は人間のその持久力が羨ましかった。

 

 中央トレセン学園。芝コース用練習場。遠くに見える明かりだけが頼りの暗闇で、ぽつんと一人、転生者。

 滑稽な程に、人生──()生と()()()生を繰り返しても、同じ相手に負け続け、挑み続け、勝つ為に遮二無二走る阿呆の姿がそこにはあった。

 

「なら……あと、一本……」

 

 ぐっと脚に力を入れる。熱の篭った関節は、まるでまん丸い石ころが入り込んだような違和感。

 体力も尽きた今の体ではフォームもばらばらになるだろうけれど、慎重に、それでいてさっきよりも疾く走らねばならない。

 

 ウマ娘の脚は消耗品。だからトレーニングでは負荷の掛かり方に注視しながら、本番であるレースへ向けて調整していく。それこそが鉄則である……と、同じチームの先輩方やトレーナーに再三言われてはいる。

 だけど、俺はそれを守っていられない。守ってお利口さんにしていても、平凡な俺じゃあ勝ちたい()に勝てないから。

 ……そもそもそれ以前に、華々しい経歴を誇る先輩方ですら、()に勝てるかが分からないのだ。

 だから、俺は無理をする。一度で良いから、一着になりたい。ただ、それだけを夢見て。

 

「……ふぅ。それじゃあラスト」

 

 脚の負担を考えて……ではなく。

 恐らくはあと一周コースを回ると、体力切れでぶっ倒れるから。倒れた後は少しその場で休んで、歩けるようになったら誰も居ない寮の部屋へとこそこそ帰る。

 毎日それの繰り返しで、最初の頃は全力で止めにかかってくれていたフジキセキ寮長も、今では幾つかの約束事を守れば大目に見てくれるようになった。それでも怒られる時はあるが。

 

 何にせよ、体力的にも時間的にも、ついでに脚的にも、これが今日走れる最後の一本だ。最後ならば、最高の結果にしなければならない。()がラストランをそうしたように。

 

 俺はぼんやりと痺れる頭を無理矢理動かして、レース用にかちりと意識を切り替える。

 意気軒昂。ありったけの気迫をかき集めて、短く息を巻く。

 

「頑張って自己ベスト更新……行ってみようか!」

「──行かせるわけないだろう、この莫迦者が!」

 

 意識の中にある不可視のゲートががちゃんと開く──直前。

 がちゃん、ではなく、がちり、という音がターフの上に……というか、頭の中に響いた。

 

 不意討ちで訪れた強烈な寒気に、思わず身が硬まる。

 そんな俺へと掛けられる、声の大きさを抑えられた怒声が一つ。同じチームの先輩で、女帝と呼ばれる名馬──の魂を受け継ぐウマ娘、エアグルーヴ先輩だった。

 

()()()()()()! お前は何度言われればオーバーワークをやめるんだ! そもそも今何時だと思っている!?」

 

 冷気さえ漂っていそうな空気に身を竦めながら──断じてエアグルーヴ先輩と目を合わせない為の演技ではない──体力の残量から逆算して、大体の予測を告げる。

 

「11時くらい……じゃないですかね。体力とお月様的に」

()()1()()だ」

 

 えっ。と思い、慌ててペースメーカーにしていた多機能腕時計を切り替える。成程、確かに深夜1時……半に、なりかけていた。何かいつもより暗いなー……とは思っていたが、もう防犯灯を残して街灯は消される時間だったらしい。

 道理で……と思いながらも、咄嗟に言い訳が口を衝く。

 

「あー……えっとですね……スタミナがですね、思ったよりも増えてて、体感時間が狂ってしまっていたようで……成長の代償的な……? ははは……」

「ははは、ではない! そんな言い訳が通じると思っているのか! いつもの時間をとっくに過ぎてるのに帰って来ないと、慌てたフジキセキから連絡が来た時は、まさかと思ったが……!」

 

 わなわなと震えるエアグルーヴ先輩からは、蓄積されて固まったかのような怒気が溢れ出している。

 

 実の所、俺の自主練やりすぎ問題は所属するチームのトレーナーから直々に注意される程度には問題視されており、エアグルーヴ先輩がそれに(かかず)らうのは今回が初めてではない。

 彼女の怒りはご尤もな事であり、全面的に俺が悪かった。

 

 だがそれはそれとして、このままの流れで怒られたくはないので、せめてもの弁明の為──の許可を得るべく、俺はもごもごと口を開いた。

 

「あのぅ、先輩閣下。出来れば弁明のチャンスとか、頂きたいなぁ……なんて」

「……聞くだけ、聞いてやろう」

 

 俺は可能な限りの低姿勢に移行した。

 

「ありがとうございます! いやぁ、流石はエアグルーヴ先輩だ! 実は今日ですね、歴史の小テストがありまして──」

「──らしいな。だが、どうせ不合格だったのだろう? 歴史は何故か何度教えても間違えるからな、お前は」

 

 うぐ、とくぐもった声が出る。実は俺は歴史が──というか、()()()()()()()の教科が苦手だ。中等部レベルの歴史でも()()()()()()()と混ざってしまい、自分でも呆れるくらい問題の答えをよく間違える。

 その為、テストの度にエアグルーヴ先輩やフジキセキ先輩等の、高等部に所属するチームの先輩にお世話になっていた。

 ちなみに10点満点の9点合格で、4点でしたと付け加えた。エアグルーヴ先輩は呆れ返ったような顔を浮かべた。

 

 ……エアグルーヴ先輩の空気が少し軟化した。後輩の駄目っぷりを見て、少し溜飲が下がったのだろうか。

 

 俺の中の孔明──例えばこの世界だと、三国志では司馬遷が司龍遷、馬超が鳳超だったりする。正直、相違点が多過ぎるので覚え切れない──が、今です!と鬨を上げた。

 

「流石のご慧眼、流石はエアグルーヴ先輩。それでですね、再テストの末、チーム練習に遅れてしまいまして──」

「──知っている。その時居たからな」

「……で、ですね。遅れて参加してしまったから、遅れた分を取り戻すべく、東条さんに居残り練習をお願いしたんですが──」

「──絶対に認めないし、今日は諦めてちゃんと休め……と、念押しされていたな。で、どうして休めと言われたお前は今、この時間に練習場に居る?」

 

 鬨の声は孔明の罠だった。やつは裏切り者だった。

 俺の中の司馬懿……ではなく、司龍懿──あれ、芝懿だっけ? ──が、後方腕組み軍師面で『だから言ったのに』と首を振った。

 

「いや、あの……そのぅ……少しでも、速くなりたくてですね……えっと、あの……なんというか……はい。ご迷惑お掛けして、すいません……」

 

 もう言い逃れは出来ない。そう判断して、素直に頭を下げる。

 正直な所、既に先輩方には散々ご迷惑をお掛けしており、先輩方の鬱憤発散になるなら、俺は怒鳴られたり(なじ)られたりするべきだろう……という考えも、頭の片隅にあった。

 それに、今後も自主トレを軽減する気はないので、まだまだ迷惑を掛けてしまうだろうという自信さえあった。どう考えても完全に俺に否があった。

 

 エアグルーヴ先輩は、露骨に溜息を漏らした。

 

「……はぁ。迷惑だとは思っていない。正直、生徒会メンバーとしてはお前の向上心を見習わせたい生徒だって居るほどだ」

「そう言って頂けると幸いです……それじゃあ、仕上げに最後の一本、ぱぱっと走ってきますね」

「ああ、行ってこい──等と言う訳がないだろう! どさくさ紛れにしれっと走ろうとするな! 大莫迦者め!」

 

 エアグルーヴ先輩が俺のジャージの首根っこを掴もうとする。

 俺は俊敏な動きで華麗に避け、レース場に駆け出した──等という事が、今の体力で出来るはずもなく、呆気なく捕まってしまう。

 壮健だった前世──馬の方──に似ず軟弱なこの肉体は、まだまだ鍛え方が足りないらしい。俺は心の中で、更なるトレーニングの増量を誓った。

 

「来い。栗東寮まで送ってやる」

「一人で戻れますって」

「どうだかな。寮までの道程でさえ、お前に自由を与えていては何をしでかすか分かったものではないからな。悪いが、このまま連れて行かせて貰う」

「もう諦めて帰りますって……」

「そう言ってチームメイトを何度撒いている?」

 

 流石にそんな事はしませんよ、とは口が裂けても言えなかった。

 なんなら今日だって、『今日は諦めて寮へ戻り、明日に向けて英気を養うのデース!』と励ましてくれた先輩に嘘を吐いてまで、俺は自主練を敢行していた。

 後輩として──というか人として普通に最低だった。

 

「……先輩、今日も生徒会室に泊まり込みですよね? 俺なんかにこれ以上時間を割いて頂くのは勿体ないですって」

「時間を割いてでもお前を連れ戻す事が優先だと判断した。安心しろ、会長からも同様のご指示を頂いている」

 

 これ以上の練習が出来ないなら出来ないで、寮まで一人で休み休み帰りたかったが、どうやらそれも叶わないらしい。実は脚が既に限界なのだが、ここは精一杯の強がりを発揮するしかないだろう。

 流石に生涯一度の大一番──実は俺は二度目だったりするのだが──が目前に控えてる身で、歩くのも辛いレベルまで練習していた等とばれては、どんな怒られ方をするか分からない。

 

「…………寮まで、先輩のお世話になりまーす」

「初めからそうしていろ。そもそも、お前がこんな時間まで走り続けているのが悪い事を努々忘れるなよ。

 ……それと、脚の具合が悪かったら言え。フジキセキに引き渡すまで背負うくらいはしてやろう」

「了解しましたー」

 

 ジャージの襟を掴まれたまま、涼しい顔と真っ直ぐな姿勢を意識して歩く。

 いやぁ、実は既に脚がぷるっぷるなんですわー。この後、ぶっ倒れる気満々だったから、限界まで負荷がかかるよう調整してたんでー……なんて言う勇気は俺にはなかった。

 エアグルーヴ先輩はシンボリルドルフ先輩のオヤジギャグすら意味を深掘りしようとする程の堅物だ。フジキセキ先輩に引き渡すまで背負う、というのは冗談ではなく、本当にやるつもりの行動なのだろう。

 

 前世では4歳まで立派に生き抜き、前々世でもそれなりには生きた身だ。例え体がちんまい少女になっていようとも、精神年齢が遥かに下の美少女に背負われるのは、精神衛生上遠慮したいのだ。

 ……お説教されたり、心配掛けたりしまくってるんだから今更だろう……という気がしないでもないが、それはそれ。

 そっちは()()の為の必要経費として多少は諦めがつく。

 

「……お前、何か隠してないか?」

 

 こくんっ、と息を飲んだ。

 

「いやいや、流石にこの期に及んで隠し事なんてしませんって」

「ほう? なら証明してみせろ」

「……エアグルーヴ先輩、悪魔の証明って知ってる? 存在しない物の証明をする事なんですけど」

 

 俺は顔をひくつかせながら、頭を巡らせる。理性的なエアグルーヴ先輩がかなり無茶苦茶な事を言っているという事は、何かしらの確信を持っているのだろう。

 何とか話題を逸らして、脚が小鹿ちゃん状態なのを隠し通したい。詰られるのは良いが、心配を掛けるのは出来れば避けたい。まだ中等部に通う現在の俺は、そんなお年頃だった。

 

「……ああ、確かにこれでは無茶振りと言うやつだな」

「そうっすよ、エアグルーヴ先輩。後輩への無茶振りはパワハラですぜ。俺じゃなきゃ泣いちゃいますね。間違いなく」

「成程、忠告感謝しよう」

「先輩がうっかり他の後輩と変な空気になるのを事前に防げて何よりですはい」

「ほう、お前の辞書にも『気遣い』という言葉があったんだな」

「そりゃあもう、ばっちりと!」

 

 よっしゃ、このまま話うやむやにしたろ! と俺の中の畜生がスタンバイした瞬間、何故かエアグルーヴ先輩が女帝に相応しい目付きになった。

 理由は分からないがこれはやばい……と身構えた時には既に手遅れだった。エアグルーヴ先輩が掴むジャージの首根っこに、更なる力が込められたのを感じた。

 

「……エアグルーヴ先輩? 何故か目がめちゃくちゃ怖いんですが、どうされました?」

「お前の辞書に『気遣い』の文字を確認出来たついでに、私からの『気遣い』で一つ、面白い話を聞かせてやろう。

 私の後輩に一人、とんでもない莫迦が居てな。そいつは嘘を吐く時、何故か会話に雑学を混ぜたがるんだ」

「先輩先輩? ジャージの掴まれてる所、徐々に締まってきてて痛いんで、一回離して頂けるととてもとても喜びますけれども──」

「……あとは、妙に言い回しが遠回りになる。ちなみにその莫迦の名前は()()()()()()と言って、近々、そいつの辞書に『反省』の文字を刻み込むべくチーム総出で大掛かりな教育を行う予定なんだ。お前も覚えていて損はないぞ、アフターマス。

 ああ。偶然にも、お前の名前も()()()()()()だったな、アフターマス」

「すっごい偶然ですね。そのアフターマスさんには同情しちゃいますよ。俺と違っておバ鹿な方のアフターマスさんでも、きっと反省するんじゃないですかね。っと、それはそれとしてちょっと疲れたんで先に帰ってま──ぐえぇっ!?」

 

 アフタ勝つから! 絶対逃げ切って勝つから! と叫んだ心の中のツインターボ先輩は、直後に見事な逆噴射を決めた。

 ついでに俺も口から潰れた蛙のような声が逆噴射し、先輩の手を振り切ろうとして踏み出した脚とは裏腹に、俺の体は後ろへと傾いた。

 どうやら後輩ウマ娘が()()を仕掛けようとしたタイミングをエアグルーヴ先輩は読み切っていたらしく、首元を引く力を調整されてしまったらしい。『女帝』と呼ばれるウマ娘の勝負勘は伊達ではなかった。

 

 そのまま俺が見事な転倒と尻餅を決める直前に、エアグルーヴ先輩はするりと俺を助け起こした。そして自然な流れで俺を抱え上げ──って。

 

「先輩」

「どうした、まんまと鎌にかけられた阿呆」

「いや……えっとその……小脇に抱えられるのはちょっと遠慮したいというか……」

「普通に背負われるのは恥ずかしくて嫌なんだろう?私からの()()()だ。遠慮するな」

「これはこれで恥ずかしいんですが……いやまあ、おんぶよりマシ……マシなのかこれは……? とりあえず、降ろして頂けると助かります」

「却下だな」

 

 俺の懇願は、エアグルーヴ先輩に素気(すげ)無く切り捨てられた。

 

 ぷらーんぷらん。だらーんだらん。

 擬音にするとそんな感じだろうか。疲労が限界寸前だった両手脚が、俺の制御下を離れて揺れる。

 エアグルーヴ先輩はどちらかというと背が高い方なので、どちらかと言うと小柄に分類される俺では、先輩に担がれるとどうしてもこうなってしまう。というか、先輩と俺とでは30cm近く身長差があるのでどうしてもこうなった。……おのれ、ノッポめ。

 

「……何か悪口を考えているだろう」

「ちょっと何言ってるか分からないですね」

「……はぁ。もう良い。お前の事だ。どうせしょうもない事だろう」

 

 呆れたように嘆息するエアグルーヴ先輩へ、曖昧な笑いで返答する。

 女帝エアグルーヴ。彼女は驚異の差し脚のみならず、恐ろしい勘まで神に与えられたらしい。

 

「お前、自分で思っているよりも考えが顔に出るからな」

「あっ、はい」

「本当にお前は……」

 

 エアグルーヴ先輩は、先程よりも深い溜息を吐いた。少し、申し訳ない気持ちになった。

 

 先輩が歩く毎に揺れる手足が空を掻く。ジャージの隙間から入り込む空気は、しっとりとしている。

 夏も終わり、もう秋口ではあるが、今年は相変わらず空気が湿気たままだった。そんな空気だからか、気温だってじっとりとした暑気を帯びたままだ。

 来月に控えたレースまでには、少しくらい()()()とした空気になっていて欲しいなぁ、と一人願う。

 

 次のレースこそ、俺は()に勝ってみせる。()の得意なバ場なんて知らないが、俺は良バ場が得意だから、良バ場になるよう良い天気になって欲しかった。湿気た空気に連れられて雨雲がー……なんて、俺としてはご遠慮願いたいのだ。

 バ場は良で、天気は晴。ついでに枠は内。それが俺の『菊花賞』における密かな願いだ。密かな……と冠するには、かなり切実ではあるが。

 

「……アフターマス。一つ、聞きたいことがある」

 

 エアグルーヴ先輩に手脚をぷらぷらとされながら菊花賞のイメージトレーニングを行っていると、先輩から嫌に真剣な声音が飛んでくる。

 先輩の声があんまりにも真剣だったから、俺もきりりとした真顔で「なんでしょう?」と返した。手脚をぷらぷらとされながら。

 ……この状態では、どんなキメ顔作ってもかなり間抜けな絵面にしかならなかった。俺は直ぐにきりっとした真顔をやめた。

 

「どうしてお前はそこまで走る」

 

 あっ、これきっと面倒臭いやつだ。

 

「弥生賞からはじまり、皐月賞。日本ダービー。そして先日の神戸新聞杯。どの重賞レースもとても見事な走りだった」

「どうもです」

 

 自分にも他人にも厳しいエアグルーヴ先輩から頂いた純粋な賞賛は、俺にとってむず痒い──なんてことはなく、俺はひたすらに戦々恐々とした。この後、何かとんでもない事を言われるに違いない。俺にはそんな確信があった。

 ……と同時に、そんな推測が自然と成り立ってしまう自分の駄目さ加減と改めて向き合う。無性に自分が悲しくなった。

 

()()()()()()()()()()。トウカイテイオーやミホノブルボンが成しえなかった偉業に、お前は今、手を掛けている」

「……そっすね」

「今のクラシックの王者は、間違いなくお前だ。アフターマス。()()()()()を被っているウマ娘は、()()なのだ」

 

 先輩には悪いが、俺は辟易とした。手脚の疲れが更に増した気さえする。

 生まれた空気は、思っていたよりもシリアスなものだった。正直、走って逃げたいが、今は手脚をどれだけ必死に動かしたとしても、天翔るウマ娘のモノマネにしかならないだろう。

 この流れは、間違いなく()の話題になる。何が悲しくて、疲れ切ってる時にまで()の話をしなければいけないのだろうか。いや、まあ……以前、うっかり口を滑らせた俺が悪いのは分かっているが、それはそれ。

 現状の俺はどうしたらいいのだろうか。俺の脚は『逃げ』があまり向いていない。模擬レース等でする分には楽しいとは思うが、話題逸らし競走で上手く逃げ切るのは不可能だろう。

 

「……お前が固執している()()()()()()()()()というウマ娘の名は、お前の出走したレースの何処を探しても()()()()()。それどころか、クラシックのみならずシニアやドリームトロフィーリーグ、果ては地方にだって、()()()()()()()()()()()()()()」 

 

 それはそうだろう、と俺は思う。()はこの世界どころか、俺が競走馬だった前世にも居なかった。()()()()()()()()

 

「その上で問う。どうしてそこまで()()()()()()()()()とやらに拘る。業腹だが、お前は会長に並び立つような、リギルの中でも突出した成績を残すだろう。或いは私達が築き上げてきたものを、過去のものにしてしまうかもしれない。その()()()()()()()()()が実在したとして、お前より速いとは私には思えん」

 

 エアグルーヴ先輩の意見に、盛大に歯噛みする。

 伝わらないもどかしさは、走る事しか知らない俺では、持て余す物があった。

 

 ──ディープインパクト。

 

 俺の知る限りの最強馬。馬だった頃の、終生の好敵手……と、俺が一方的に決めたあいつ。いつもいつも、俺を追い掛け、追い抜き、置き去りにして去って行く化け物。

 或いは、俺なんかに()()()()()()()()()()()悲劇の『英雄』。

 そして、前世のみならず、わざわざこっちの世界まで俺を追い掛けて来て、追い抜いていく憎い憎いあん畜生。

 

()は──()()()()()()()()()は、俺より強い(ウマ娘)です。これだけは、絶対です」

 

 俺は先輩へと強く断言する。俺が奴より速いなんて、なんの冗談だろう。もしそうであったなら、俺はここまで苦しんではいない。

 高々、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()如きに、ここまで辛酸を舐めさせられちゃ居ないのだ。

 

 ただひたすらに強い(ウマ娘)。俺と同じ脚質でターフを駆け抜け、俺と似た見た目で風を切り、必ず俺より先にゴールする。

 お前のせいでこの世から消えた自分こそが、お前の完全上位互換だ。

 そう俺に突き付けてくる嫌な奴。前々世におけるスーパースターホース。ディープインパクト。

 

 前世の時から、俺のレースの時だけ現れる、俺にしか見えない出走馬。内枠でも大外でもない所から現れる最強の刺客。

 俺が走ったレースの、真の勝者。

 

()は、何時だって俺より先にゴールします。俺は、一度だって先頭を駆け抜けたことがないんです。だからこそ、次の『菊花賞』こそ勝って、胸を張って名乗りたいんです。『俺が一着だ』って」

 

 前世でも、俺は無敗の二冠馬だった。だけど、本当の無敗の二冠馬はディープインパクトだった。

 前世では、俺は無敗の三冠馬だった。ただの一度も勝利を飾ったことのない、偽物の『無敗の三冠馬』だった。

 

 最初の頃は、何処の馬の骨とも知れぬ俺が、あのディープインパクトに成り代わってしまった罪悪感が存在していた。

 前々世の俺は特別競馬に詳しい訳ではなかったけれど、それでも流石にディープインパクトは知っていた。逸話だってそれなりに見聞きしていた。

 それらの生まれるべき栄光全てを、()()()()()()()()()ではなく転生()アフターマスが生まれたことにより潰えさせてしまった事実に、本気で恐怖した。

 

 だけど、生まれ変わった俺は()()()だった。

 競走馬の闘争本能のようなものなのだろうか。いつの間にか、俺は()に勝つことに執着していた。

 他のやつよりも速いってだけで、スキップしたくなるほど嬉しかった。一回でも負けたら、死にたくなる程悔しかった。何度挑んでも勝てないあいつの前を走り抜けたくて、たった一度の勝利だけが欲しくて。それだけが、俺にとっての全てになっていた。

 俺が俺を褒められる点があるとすれば、そんな中であんなにも()に負けたのに、それでも首を下げなかった事だけだろう。我ながら本当に良いメンタルしてると思う。

 

「……まあ、それに。仮想敵は強ければ強い程良い。そうでしょう?」

「お前の場合は……いや、良い。無粋な事を聞いて悪かった」

 

 エアグルーヴ先輩が口をつぐみ、寮へと続く道を静けさが覆った。秋の夜長に、エアグルーヴ先輩の靴音と、夜更けでも元気な虫達の声だけが響く。何となく、気まずいなぁ……と思う。

 寮の灯りが、少しずつ近付いてくる。

 

「先輩」

「……なんだ?」

「心配かけて、ごめんなさい」

「ふん……なら、次からは無茶なトレーニングはしない事だ」

「それは……前向きに検討して善処します」

「どうだか。ゴールドシップの真顔よりも信用ならないからな、お前のそれは」

 

 エアグルーヴ先輩は辛辣な言葉とは裏腹に、何故か殊更に優しい目をしていた。

 

 そういえばこの人は、トリプルティアラのうちの一つを自分の手で勝ち取った、正真正銘本物の勝ちウマ娘だったなぁ……と、ふと思った。

 

 最初からトリプルティアラ路線を目指しておきながら、最初の一冠目を体調不良で回避せざるをえなかったウマ娘。療養明けにオークスを勝ち取り、母娘でオークス制覇の快挙を成し遂げた傑物。

 にも関わらず、気負い過ぎた過度なトレーニングが原因で脚を骨折し、最後の冠を敗北で逃した『女帝』。

 だけどその後の復帰レースからは全て入着し、幾つもの冠を勝ち取った希代の強者。

 仕舞いにはURAから名指しで表彰された事だってあるのだから、その強さは疑いようもない。

 多くの悲劇を根性で乗り越えたウマ娘、それこそがエアグルーヴ先輩だった。

 

 ──彼女は今、何を感じて、何を見ているのだろうか?

 

「先輩先輩」

「ん? どうした?」

「先輩は……いや、何でもないっす」

 

 俺は口から出かけた言葉を飲み込んだ。

 きっとそれは、俺自身が見付けなきゃいけないもので、先輩が見付けたものとは違う形をしている。そう思ったから。

 

 少しずつ、少しずつ。

 栗東寮の灯り、半分以上欠けた月、和らいでいく夏の面影。

 普段は気にも掛けないもの達が、近付いてくる……それだけで、何故かそれらが無性に気になった。

 

 ──『菊花賞』が、始まる。




続くかは反応次第(小声)


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第2話 曇り空

需要があったので慌てて書きました(小声)


 二度と忘れられない()()が、そこにいた。

 その走りで起きた()()は、何時までも消えないようだった。

 そいつは芝の上で、空を飛んでみせた。不可視の翼を、確かに目撃した。

 

 同年代のウマ娘と比較しても、小柄過ぎる体格。バ群に飲まれてはパワー負けするだろう矮躯は、同時に柔らか過ぎる有り様だった。

 一点、体付きのバランスだけは良かったが、それ以外に見所はない……それどころか、欠点の方が多い。彼女はそんなウマ娘だった。

 

 きっと、この子はレースですぐに怪我をするだろう。走る才能はそんなにないウマ娘だろう。レース以外の道を教えて、早々(はやばや)そっちの世界へと歩ませた方が、この子の為になる。

 彼女の両親がそう判断しても、仕方がない特徴をしていた。

 

 残酷な事だが、レースの世界では才能が絶対的な指標となる。年間何千人という、彼女と違って才能や体格に恵まれたウマ娘達が挫折し、心を折り、幾つもの負けだけを積み重ねては去っていく。そういう世界だった。

 その中には、彼女と同様に名家出身のウマ娘だって、少なくはない。

 

 東条ハナは最初、彼女に走る事を諦めさせる為に、彼女の元へと訪れたのだ。

 

 ──足の爪が割れて、靴が血塗れになっても走るのをやめない傍流の娘がいる。才能のない彼女へと、現実を告げてやって欲しい。

 レースは、才能の壁というどうしようもない厳しさが存在する世界であると伝えてやって欲しい。()()で何人もの時代の寵児を見出した、トップトレーナーである貴女の口から。

 

 (かね)てから交流のあった名家から、トレセン学園に入る前の若いウマ娘達へと、一日だけの指導を頼まれた時。併せて出されたその依頼へと、東条ハナはすぐに承諾を返した。

 

 その一族は黄金の年とも言える程に、数多くの若き綺羅星を抱えている事で有名だった。彼女達はいずれも中央トレセン学園の中等部に進む事が半ば内定していたので、他のトレーナーに先んじて次世代の才能を間近で確認する絶好の機会だと思ったのだ。

 

 勿論、そんな綺羅星達と同年代であるという()()()()が心配だったというのもある。

 まだ小学生の幼い少女が、血と激痛に耐えながら走り続けるなど、只事ではなかった。

 すぐ傍にいる天才達の強過ぎる光に充てられて、自分を見失ってしまっているのかもしれない。才能のなさという自分の非ではない所で、自分を責めすぎて、やけくそになっているのかもしれない。

 そうやって潰れてしまったウマ娘達を、東条ハナは何人も見て来た。人格すらも歪んでしまった子を、何も出来ないまま見送ってしまったこともあった。

 ()()()()よりも精神的に成熟したウマ娘達でさえそうだったのだ。名家がレースを走らせる前に()()()幼い娘であれば、心身の成長にどのような悪影響が出るかわかったものではない。

 東条ハナはその少女の担当トレーナーではない。だが、一人のトレーナーとして、苦しんでいるウマ娘を助けるのは当たり前の事だった。例えそれが、残酷な現実を突き付ける事であったとしても。

 

『初めまして。貴方が()()()()()()さんね? 私は東条ハナ。中央トレセン学園でトレーナーを──』

『──トレーナーさん!? じゃあ、()()()()速く走る方法、たくさん知ってますよね!?』

『えっ、ええ……それなりにはね』

『すいません! じゃあ一つで良いんでアドバイス下さい! 俺、今伸び悩んでて、ミリアンやカネヒキリ──友達に相談しても分からないって言われちゃって──』

『──……ええ。良いわよ。それじゃあ、少し走りを見せて貰えるかしら』

 

 第一印象は、とても焦っている子だな、というものだった。やはり、同年代の天才達と比べてしまったのだろう、とも思った。

 彼女が今言ったミリアンというのは、ヴァーミリアンの事だろう。カネヒキリと合わせて、どちらも次の時代の牽引役として期待されるウマ娘だった。

 アフターマスは焦りからか少し失礼な態度ではあるものの、子供なら大なり小なり全員そんなものだろう。そんな事よりも、走りへの貪欲な姿勢が好印象な、吸い込まれるような瞳をしたウマ娘だった。

 それは思わず、応援してしまいたくなるような……。

 

 ──だからこそ。実際に走りを見た上で、言い訳出来ないくらいに否定しよう。

 理詰めで。精神論で。肩書きで。思い付く限りの言葉を弄して。彼女が自分の意思で、レースから離れられるように。

 

 東条ハナは、そう心に決めたのだった。

 ……彼女の家が持つ練習用コースで、それを見るまでは。

 

『──6ハロン8()1()()6()……ラスト1ハロン、1()2()()6()……? この歳で? いえ、そんな事よりも、今の走りは何……?』

 

 ──きっと、それは運命の始まり。

 噂に聞いたヴァーミリアンとカネヒキリよりも速い時計。彼女がどうすれば更に速くなるかなんて、二人に分かる訳がない。ウッドチップコースを1800m走り、汗一つかいていない小柄過ぎた少女。彼女の方が、二人よりも格上だった。

 ()()()()、東条ハナはそのタイムをそんな事よりも、と切って捨てた。

 

 ──なんという走りだろう。信じられないような脚。関節。いや、体幹か……? 末恐ろしい──なんてものじゃない。かつて、日本にこんなウマ娘は居なかった。

 この子に才能がない? 違う。この子の走りが、他とは違い過ぎた。ただそれだけ。

 

『──見付けた』

 

 何故走れるのか、理解出来ない程の前傾姿勢。一歩一歩が異様に長く、その上で全く上下に揺れない体。体に置き去りにされた腕が、風を切って直線を描いていた。腕の振りはなく、スライドや、バネの使い方に至るまで。それはウマ娘の定石を無視した走り。

 あれは本当に走っていたのだろうか。いや、飛んでいたのだろう。彼女は走る必要なんてないのかもしれない。そんな事しなくても、誰にだって勝ててしまう様になるのだから。いずれ、世界のウマ娘達が相手だって関係なくなるだろう。

 だって、彼女の背中には翼が──。

 

 ──……ない?

 

 東条ハナは、歩み寄ってきた()()()に翼が生えてない事を確認して、ようやく()()から解き放たれた。

 

『──東条さん、どうでした!? 俺、どうすればもっと速くなれますか!?』

 

 屈託のない笑顔──ではなく、見事な走りを見せたにしては焦燥した顔。アフターマスは、必死に()()()()()()を求めていた。

 気付けば、東条ハナは口を開いていた。

 

『……ごめんなさい。私でも、分からなかったわ』

『えっ──あ、そうですか……すいません、走りまで見て頂いたのに』

『いえ。こちらこそ、ごめんなさい。()()()()()ウマ娘を見て来たつもりだったけど、貴方みたいな走りをする子は初めて見たわ。私もまだまだね』

『いえ……見苦しい走りを見せてすいません。あ、ミリアン──ヴァーミリアンとカネヒキリなら、今日はダートの方に居ますよ。二人に会いに来たんですよね? それじゃあ俺、もうちょっとだけ走ってきますんで。ありがとうございました』

『──ちょっと待って貰って良いかしら』

 

 咄嗟に口を衝いた言葉に、東条ハナは自分で首を傾げそうになった。

 ちょっと待って貰って、私はどうするつもりなのだろう。そういえば、そもそも私は何の為に彼女の走りを見たんだっけか。彼女から受けた()()が強過ぎて、忘れてしまった。

 ……ああ、そうだ。思い出した。私は、彼女の翼を折りに来たのだ。そうして、ヴァーミリアンとカネヒキリの走りを確認して、見込みがあれば繋ぎを付けて──本当に?

 

『──アフターマスさんは、進学は何方(どちら)へ?』

『一応、中央トレセンが第一志望ですけど……』

『ああ、良かった──アフターマスさん。入学式が終わったら、すぐに()()()ってチームの部室を訪ねてくれないかしら? 貴方が来るまでに必ず、貴方が速く走る為の完璧なメニューと環境を用意しておくわ。もし、場所が分からなかったら私の──東条の名前を出して誰かに聞けば、すぐに分かるから』

 

 一瞬、『本当に!?』と嬉しそうな顔をしたアフターマスは、しかしすぐに申し訳なさそうに辞意した。

 

『正直、めちゃくちゃ有難いですけど、流石にこれ以上迷惑をかけちゃ悪いですから。会ったのも初めてですし、それに中央に受かるか分からないですから』

 

 落ちる事を心配する彼女へと、少し笑いそうになった。

 

『あら、どっちも気にしなくて大丈夫よ。貴方なら間違いなく合格するし、私は私の負担なんかより、貴方が少しでも速く走る事の方が興味あるの。だって私は──』

 

 だって私は──なんて言おう? 彼女は、他の子達みたいにリギルに憧れて選抜レースを走った子ではない。彼女にとって、私はたまたま知り合っただけのトレーナーに過ぎない。少なくとも、担当トレーナーではない。今はまだ。

 ならば──ああ、そうだ。これしかないだろう。これは、私の一方的な片想いだ。だから──。

 

『──トレーナーなのよ?』

 

 ──トレーナー。

 その文字に、今だけは、冠は要らない。

 

 

■□■

 

 

 十月の京都は、正直ちょっと肌寒かった。

 

 トレーニングに熱を入れすぎてエアグルーヴ先輩の怒りを買ってから、早くもひと月が経つ。

 

 天候は生憎の曇り空。だが、実際に雨粒さえ落ちてこなければ、晴れでも曇りでも誤差である。後はレースが終わるまで雨が降らず、良バ場を維持してくれる事を祈るのみ。

 ちなみに、事前に教えられたレースの番号は4枠7番で、念願の内枠だった。前世の番号なんて覚えてはいないが、きっと俺に追い風が吹いている証拠だろう。そう思う事にした。

 

「それでは、今から会場内まで移動します。各自、忘れ物のないように。……それと事前の打ち合わせ通り、今日は常に誰かがアフターマスの傍に居る事。良いわね?」

『はい!』

「宜しい。それでは、会場入りします。着いて来なさい」

 

 東条さんの号令に、大小様々なウマ娘の声が、移動用バス内で返事を響かせた。

 

 ──新幹線を使い、中央トレセン学園のある東京からレース会場のある京都まで、二時間と少し。そこからURAによって用意されていた移動用バス──マスコミ対策の為、今乗っている物とは別の車輌だった──に乗り、更に二十分程。合計二時間半程度の時間をかけて、俺達チームリギルが現地入りしたのは昨日の事だ。

 

 クラシック最後の大舞台『菊花賞』。誰かの夢に、一つの区切りが付く日。一番強いウマ娘だけが笑い、二番目以降は涙を飲む日。

 ついでに、世間的に言えば、俺が()()()()()()()()という、たった一行の神話へと、二行目を書き足すのか。歴史が動く運命の日。それこそが、今日だった。

 

「……東条さーん。昨日も言いましたけど、流石に今日は何もしませんって。昨日だって練習せずにきちんと休んでたじゃないですかー。少しは信用して下さいよ」

「ええ、信用してるわよ。信用した上で、この判断を下したわ。グラスワンダー、エルコンドルパサー。控え室まで頼んだわね」

「了解デース! 今日は不良後輩から片時も目を離しませんヨー!」

「あらあらー。エルったらやる気満々ね。まだ先月の事を引き摺ってたのかしら。……寄り道させず、走らせず。()()()をきちんと控え室まで連れて行きますね、トレーナー」

 

 エルコンドルパサー先輩はめらりめらりとした炎を目に宿し、グラスワンダー先輩は相変わらずおっとりと──外見だけだが──しながら返事を返した。

 東条さんは信用している等と言っていたが、チーム内での俺の信用のなさが如実に現れた一幕だった。

 

 実は今回の遠征には、俺と東条さんだけでなく、チームリギルの全員が来ていた。

 これは、今回の俺のレースが特別だから……とかではなく、基本的にチームメンバーの重賞レースは事情がない限り、チーム全員で現地まで見に行くという、暗黙の了解が存在していたからだった。

 これは俺でさえ自分の練習を我慢して守るくらい重要な行事であり、その分の()()も多い()()でもあった。

 

 前提として、チームリギルは強い。それはもう、鬼のように強い。

 近年、チームスピカという対抗馬──そういえば、こっちの世界では馬はいない訳だが、『対抗馬』という表現はどう変わっているんだろう。対抗バ? それとも対抗ウマ娘?──が現れるまで、満場一致でチームリギルの一強時代だと言われた。

 俺は知らなかったが、ウマ娘ファンなら学外の人間でも知ってて当然と言われる程のチームこそがリギルだった。

 

 そんなチームであるから、我らがリギルのメンバーが参加するレースもまた、レベルが高いものばかりだった。

 勝ち鞍に重賞があるのは当たり前、先頭がレコードペースで駆け抜けても競り合いを演じ、地元では当然スーパースター扱いされる。

 リギルメンバーの参加するレースでは、そんなウマ娘ばかりが何人も敵として出走している。そんなハイレベルなレースだからこそ、疑うまでもなく強者であるリギルの仲間が、本来の……或いは普段以上のパフォーマンスを発揮する。

 勉強になる事は山程あって、実践練習の奴隷である俺からしても、観ないという選択肢を選ぶのは些か勿体ない程だった。

 

 そしてそれは勿論、今日俺が出走する『菊花賞』も例外ではない。ただ、それだけの話だった。

 

「うーん……本当に何もしないんだけどな」

「しないだろうよ、レース前はな」

「……どういう意味です? ヒシアマ先輩」

「さてな? 例えばの話、気に入らない()()の場所と壊れ易い方向を確認しておいて、レース後にドロップキックでぶち壊す……くらいの事を平然と企んでそうな顔してるな……と思ってな。どう思うよ、フジ」

「そうだねぇ……後は『レース直後で興奮してました! 単なるパフォーマンスのつもりでした!』とでも言えば言い逃れ出来る……とか、考えてそうかな?」

「………………ちょっと何言ってるか分からないですね」

 

 まだレース前だと言うのに、本気で戦慄を味わった。そんなにも俺の考えは顔に出るのだろうか。納得いかなかった。

 実の所、ヒシアマ先輩とフジキセキ寮長が言った事は、全て正解だった。

 

 今日走るこの京都レース場には、何故か俺の銅像が建てられている。まだ三冠は取っていないにも関わらず。

 ……いや。何故か、は別にどうでも良いし、俺の銅像が建てられた事自体も別に気にしてはいなかった。URAにはURAで色々と事情と予定が有るのだろうし、銅像を建てる許可だって一応は事前に取りに来てくれている。

 それに、時期は違えど銅像は前世でも建てられていたらしいし、自分を模した像がレース場前に居座っている事自体は、気にするだけ無駄だろうと思う。前世の銅像とやらを、俺は(つい)ぞ見た事がなかったが。

 取り敢えず、その上で俺が気にしているのは、その銅像の()()()だった。

 

 バス座席の網ポケットから、昨日貰った京都レース場の案内パンフレットを取り出し、開く。そこにはレース場内の案内マップやコースの解説、京都レースの歴史年表と並び、一枚の写真が紹介されていた。

 

 ──■■■■年■月■日、『アフターマス像』竣工! 今年の菊花に、『衝撃』が走る!

 

 ……東京レース場にあるシンボリルドルフ像と並べた時の見栄えの問題だろう。

 縮尺から考えて、実物の俺よりも明らかに高い身長。何故か胸部が盛られており、どう考えても銅像の方が俺より全体的に体格が良い。

 それに加えて、銅像であるが故の無表情。万物全て私よりも遅い。何なら車よりも私の方が速い。……とでも思っていそうな澄ました顔付き。()()()()()腹立つ佇まい。

 それは正しく──。

 

「ディープなんだよなぁ……」

 

 ──こちらの世界に来て、何故かウマ娘になっていたディープインパクトの幻影そっくりだった。

 

「ん? 何か言いマシタか?」

「……いえ、すいません。独り言です。大分似てないなぁ……って思って」

「そうデスか? うーん……あ。確かに銅像よりもアフタの方がキュートデスね」

「小さいですからねぇ……」

 

 実はこっちの世界のディープインパクトは、俺を大人っぽく成長させたかのような見た目をしている。発育を気にしている俺への当て付けか、奴の性癖だろう。そういう事にしておく。

 ……まあ、奴が幻影の癖に大きい顔を出来るのは、今日までなのだが。

 

「あらー? アフタ、何だかご機嫌さんですねー? 良い事でもありましたかー?」

「だから何で分かるんです……?」

「だってアフタ、考えてる事がずっと顔に書いてあるデース……」

「嘘だそんなことー」

 

 そろそろ、サングラスとマスクのセットを標準装備にした方がいいかも知れない。チームスピカでは標準装備の一つであるとも聞くので、多分怒られないだろう。

 そんな事を考えながら、咳払いを一つ。頭を切り替えてから、エル先輩とグラス先輩へと口を開く。それは、俺から奴への宣戦布告でもあった。

 

「実は今日の俺、過去最高のコンディションなんですよ。そこに加えて、願い通りの内枠で、この天気のままいけば得意の良バ場。今なら()()()負ける気がしないです」

 

 ()絶好調()の会()と、()距離を走っても()良い勝負して勝てそうです。そう付け加えてみた。

 前の席で荷物を整えていたルドルフ先輩の肩が震えた。ついでに、ルドルフ先輩の隣に座るエアグルーヴ先輩が肩を落とした。

 

 ふと思いつきで、『あっ、()()』と言ってみた。勿論、十月のバス内に蝶なんていないが。

 

 ──ルドルフ先輩の肩がびくんとはね、エアグルーヴ先輩の背中には影がまとわりついた。

 

 エル先輩とグラス先輩は、呆れた顔になった。

 ルドルフ先輩が肩越しに、顔だけ振り向いてくる。

 

「珍しく、今日はやけに強気じゃないか。()()賞に挑むに当たり、何か自信を持つ()()()けでも見付けたのかい」

 

 少し考えてから、返す。

 

()()()な奴にも()()()り勝てるくらいに仕上がったんですよ。今日は先輩方の度肝を抜いてみせます。見ていて下さいね」

 

 きりりと不敵な笑みを浮かべながら、宣言するように俺は言い放った。

 ──俺が、最強の()に勝つ瞬間を。そう、言葉の裏に忍ばせながら。

 

 走るのが楽しみなんて感情は、いつ以来だろうか。少なくとも、ウマ娘になってからは初めてだった。奴に勝てるという自信を抱いたのは、きっと前世を合わせても初めての事だ。

 レースが始まるまでまだ時間はあるが、レースの事を思うと、少しずつ、闘志が高まってくる。今から昂っていては体力が勿体ないので、小さく深呼吸を入れて精神を落ち着かせる。

 

 ──大丈夫だ。大丈夫。今回こそは奴に勝てる。だって、()()菊花賞を走った時よりも、今の俺の方が()()()()()()()()()()

 先日、トレセン学園で計測した菊花賞と同じ芝3000mにおけるタイムは3()()3()()6()。前世の感覚から考えて、菊花賞における奴のタイムは3()()4()()6()くらいだろう。前世の菊花賞の時は、奴とは一馬身差だったから、きっと間違えちゃいないはずだ。

 トレセン学園と京都レース場とじゃ、ターフの勝手が色々と異なるのは分かっている。だが、それでも自信を持つには十分な時計だった。

 ウマ娘の──馬の一秒差とは、それ程に大きい。一秒違えば、五馬身以上の差が生まれる。その五馬身の壁が隔てた先は、正に別の世界。

 どうもウマ娘になった()は、前世の同時期と大差ない実力しかないようだった。それでも今世で俺に先着し続けているのだから、化け物としか言い様がないが。

 だが、幾ら何でもこれで俺の勝ちだろう。そう確信出来るだけのタイム差が、奴の菊花賞と現在の俺の芝3000mでは存在していた。

 長らく辛酸を舐めさせられたが、ようやく奴の三冠を阻止出来る。それだけで俺には十分満足で、この上なく幸せだった。

 

 ──だが、それはそれとして。欠片も慢心してはやらないが。油断もしない。そんな事をして、奴に塩を送ってやる必要はない。可能な限り、差を広げてぶっ千切る。今まで空けられた距離全てを、今日まとめて返してやる。必ず。

 勝者は、俺だ。言い訳なんてさせない。

 

「……成程。緊張で空元気でも出ているのかと心配したが、言うだけの事はあるようだ。レース、楽しみにしておくよ」

「うーん、素晴らしいファイティングスピリッツデース。……アフタ、今から少しエルと走りませんか?」

「……エルー?」

「ひいっ!? じょ、冗談デース……」

 

 グラス先輩がエル先輩を諌める。……が、その諌めたグラス先輩も獲物を見付けた目をしているので、説得力に乏しい。

 やる気満々の俺を見て、先輩方は何かしらを感じ取ったらしい。

 好戦的なヒシアマ先輩やエル先輩は勿論の事。()──ディープインパクトに真っ向勝負で勝ちうるルドルフ先輩をはじめとした比較的穏やかな先輩達からも、それはそれは()()()な目を頂く。

 どうやら、今日の俺の気迫は、()()先輩方の御眼鏡に適うものらしい。俺の自信は空手形(からてがた)ではないという安心感が湧く。

 

 荷物をまとめ終わり、東条さんを先頭にしてリギルの皆でバスから降りる。

 URAがバスを替えてまで撹乱しようとしたマスコミは、当然の権利の様にバスの周りを囲んでおり、URA職員に抑えられている。

 

 ──来た! アフターマスだ! カメラ回せ──。

 ──アフターマスさん! 菊花賞への意気込みを一言──。

 ──ずばり、菊花賞でのライバルは──。

 ──フラッシュはお止め下さい! インタビューも御遠慮下さい──。

 

「うーん……ダービーの時より凄い事になってる……」

 

 バスから()()()()()()と降り──やっぱりかたんかたん(勝たん勝たん)では縁起が悪いので、かつかつ(勝つ勝つ)にする──()()()()と降り終え、顔を顰める。

 前世ではカメラに撮られる事は多々あれど、発言を求められたり、()()()()()()()()()()()事はまずなかった。

 基本的に、ただひたすらに強い馬──ディープインパクトに勝てるよう、全力を尽くすだけで十分だった。

 だが、この世界では勝負で勝つだけでは不十分で。俺達ウマ娘は、人格のある一人の人間として、様々な事を求められた。

 アイドル性、社交性、人間性。華やかにダンスを踊ったり、ファンが喜ぶイベントをしたり、メディアに一目を置かせる(さか)しさを発揮したり。

 俺はそれらが全部、苦手だった。

 ただ、走るだけ。ディープインパクトに勝つ為に。前世から、それだけが俺の全て。

 

「ふふ……すぐに慣れるさ。勝ち続けると、嫌でも注目を浴びるようになる。同時に、やっかみも。アフタ。勝つということは、人の目に晒されるという事だ」

 

 日本一有名なウマ娘は、そう言って俺の頭をくしゃくしゃにした。

 シンボリルドルフ──ディープインパクトが現れるまで、()()()()の代名詞だった伝説の馬。

 或いは、日本で一番多くの人の目に晒され、その全ての人の記憶へと、鮮烈に自分を刻み込んだ馬──その魂を引き継ぎ、自身も同様の活躍をして見せた『皇帝』。

 彼女が向けてくる眼差しが擽ったくて、俺は「そんなもんですかー」と肩を竦めた。意識して、緩く。

 根幹を揺り動かされては、決意が揺るぐから。だから、揺るぎなく()く為に。緩く、受け流す。今更、人間だった頃の俺は、要らない。()()()()()なんて、必要ない。

 俺はウマ娘だ。人間であると同時に、()なのだ。だったら俺は、()である事を選ぶ。

 

 ……ルドルフ先輩は、なんと言うか。祖父や祖母みたいな穏やかな包容感を感じてしまうから、好きだけど苦手だ。

 今世の俺の家柄もルドルフ先輩の家柄も名家だが、繋がりはなかったはずである。前世の俺にも、()()()()()()()()の血統は入っていなかったと思うのだが。

 なんと言うか、不思議な感覚だった。

 

「さて、アフタ。()新星の()躍を、日本中に一()見せてやれ」

「……まだ考えてたんですか、先輩。流石に滑ります」

 

 俺が呆れた様な顔で返すと、シンボリルドルフは、しょんぼりルドルフと化した。

 

 ──ディープインパクトが、伝説になった日。

 伝説の序章が終わり、()()()が日本中で響き始めた日。菊花賞、当日。

 

 俺は今日、英雄譚を終わらせる。

 真っ白な楽譜のような曇り空の下。聞こえて来るのは、熱狂した人達の声。足音やシャッター音が混ざった、現代の(うた)……その中で。

 偉大な先輩達に囲まれながら、改めてそう誓った。




漢数字とアラビア数字が乱立してるのはわざとなので、誤字じゃないです。


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第3話 菊花賞

感想、評価、お気に入り、誤字報告。いつも励みにさせて頂いております。本当にありがとうございます。


 黄金世代の再来と呼ばれるはずだった。

 申し子や神童と呼ばれるウマ娘達が揃った世代だった。

 

 まだトレセン学園に進学出来ない(よわい)のウマ娘が競い合うリトルリーグ。そこでは、自分達の世代が幾つもの記録を塗り替えた。

 自分達こそが日本のウマ娘業界を牽引し、(いず)れは『日本のウマ娘のレベルは低い』という世界の偏見を覆す。そう信じて疑わなかった。

 

 ──アフターマス以外が弱い世代。

 

 どうして、そう呼ばれるようになってしまったのだろうか。気が付けば、そう囁かれていた。

 アフターマスが強いのではなく、同世代のウマ娘が全員弱いだけなんじゃないか。そう、したり顔で語るファンも居た。それくらい、バ鹿げた話だった。

 

 無敗の三冠は、夢物語。

 シンボリルドルフの時代だから起きた、再現出来ない神話。

 

 ミホノブルボンやトウカイテイオーが夢敗れ、無敗の三冠が露と消えた時から、そんな声が流れ始めた。

 

 セントライトとシンザンだけの物だった三冠を、自分の物にもしてみせたミスターシービー。

 ミスターシービーから玉座を勝ち取り、最強となったシンボリルドルフ。

 シンボリルドルフの伝説に挑むように、圧巻の走りで新時代の到来を告げたナリタブライアン。

 

 三冠ウマ娘とは、最強の証明だった。

 そして、()()()()()()()()とは、シンボリルドルフだけが起こした奇跡だった。

 今後、どれだけ強いウマ娘が現れても、無敗の三冠ウマ娘だけは現れない。そう言われていた。

 自分達も、そんなの当たり前だろう……そう言って、当然の事として受け入れた。

 無敗の三冠ウマ娘が自分の目標である、そう言ったクラスメイトを笑った事だってある。そんな夢を語るのは、もっと小さい子供だけだ、と。

 

 シンボリルドルフが無敗の三冠を達成して以来、世の中では様々な変革が起きた。

 走法の新しい理論、栄養学の発展、科学的な裏付けのあるトレーニング方法、エトセトラ。

 僅か数年で、多くの常識が覆り、新説が提唱され、『ウマ娘』全体のレベルが押し上げられた。それを証明するように、レースレコードやコースレコードの更新が起き、ワールドレコードさえも更新された。

 

 日本のレースに出走するウマ娘のレベルが、かつてシンボリルドルフが無敗の三冠を戴いた時よりも、高くなっている。

 それが顕著なのは、ワールドレコードを更新したセイウンスカイや、凱旋門賞覇者でヨーロッパ王者でもあったブロワイエに勝利したスペシャルウィーク……そして、彼女達と同格の怪物達が名を連ねた()()()()だろう。

 もし、別の世代に生まれていれば、三冠ウマ娘だった。黄金世代と称されたウマ娘達は、全員そう謳われていた。

 

 三冠でも可笑しくなかったレベルの、ウマ娘達の競い合い。ある時は勝ち、ある時は負ける。こいつだけには勝ちたい、お前だけには負けるもんか。そういう想いを抱えて、接戦する同格の強者達。

 黄金世代程に極端ではなくても、近年のレースはそういった傾向が強くなって行った。それは、自分達の世代でもそうなるはずだった。

 

 次から次へと生まれるドラマ。熱い接戦。甲乙付け難い、華やかなレースの数々。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 ……初めはそれらに熱狂していた観衆達が、少しずつ、少しずつ、その()に慣れて行った。

 今日こそは此方が勝つ。次こそは、其方が勝つ。最初はそうやって興奮していた人々は、何時しか一つの存在へと、再び鮮烈な夢を見た。

 

 ──無敗の三冠ウマ娘。

 

 不可能だ、と誰しもが思っていた。けれど、その光を諦め切れなかった。

 無敗の三冠。傷のない三つの冠。たったそれだけの存在が、多くの人を狂わせる魅力を持ってしまっていた。

 例え本心では、誰もが『不可能である』という現実に、理由を付けて納得していても。

 

 無敗の三冠ウマ娘。次のシンボリルドルフ。唯一抜きん出て、並ぶ者なき絶対王者。

 

 気が付けば、観客達は全員がそれを求めていた。無敗の三冠ウマ娘が生まれる事だけに注視して、数多くの名勝負を軽んじるようになった。

 

 ──出来る訳がない!

 

 それを求められた、多くの若いウマ娘達が口を揃えた。

 だって、そうだろう? 自分達は、強いのだ。歴代の名ウマ娘達にも引けを取らない程、強いのだ。

 友がいた。好敵手がいた。目標がいた。それら全てが強かった。

 例え、()のシンボリルドルフであっても、自分達と同じ世代で三冠を目指せば、無敗の三冠ウマ娘にはなれない。そう確信出来る程に。

 

 ──それなのに、彼奴は現れた。

 

 アフターマス。小さなウマ娘。名家生まれの味噌っ滓。

 自分達の世代でも、一際有名だったヴァーミリアンやカネヒキリ達と、同じ家門出身のウマ娘。

 一応は、彼奴と同門のウマ娘から話は聞いた事があった。

 

 何か、速い奴がいる。でも走法はへんてこで、レースの定石も知らないし、家の人達からも全く期待されていない。体も頑丈じゃなさそうだから、その内勝手に潰れて、将来は大成出来そうにない奴。

 そういう評判。

 だから、気にもしていなかった。彼奴が初めて同じレースに出走した時、同期達は誰も目を向けていなかった。

 

 ──なのに、レースが終わる時。彼奴は何故か悔しがった顔で、誰よりも最初にターフを駆け抜けた。

 

 ……ああ、アフターマス。私達の時代の名前と呼ばれるお前。お前が初めて私達の前に現れてから、何度私達は負けただろう。

 私達を見ないまま、お前は何度、ゴールラインを駆け抜けた?

 遂に菊花賞になってしまった。私達はお前に負けたまま、とうとうこの日を迎えてしまった。

 私達の知らない所から飛んで来た、翼の生えた怪物。

 多くの仲間達の心を折り、輝かしい未来を摘んだ、たった一人のお前。

 お前だけは、必ず倒す。今日だけは、お前に前を譲らない。

 無敗の三冠ウマ娘だけは、今日は誕生させてやらない。お前のような奴がいるのなら、いつかは生まれるだろうけれど。だけど、それは今日ではない。

 何があっても、お前にだけは『無敗の三冠ウマ娘』を名乗らせない。最弱の世代と呼ばれてしまった、仲間達との誇りに賭けて。

 だから──。

 

『──注目の一番人気、4枠7番アフターマス』

『──素晴らしい仕上がりですね。これは会場に集まった14万人と、テレビを観ている全てのウマ娘ファンの夢を叶える走りを、見せてくれるのではないでしょうか』

 

 ──そんなに遠くに、行かないで。

 

 

■□■

 

 

 蹄鉄の確認をする。落鉄なんかされては、堪ったものでは無い。

 勝負服を軽く整え直す。両肩を覆うマントを引きちぎりたい欲求が湧くも、ぐっと堪える。レースが始まれば、邪魔な長いマントも何故かしっくり来る。それを知っているから。

 脚部の関節、腰、背骨の節。レースで特に必要な場所へと一つ一つ意識を向け、異常がない事を改めて確認する。ミホノブルボン先輩なら、システムオールグリーンとでも言うのだろうか? 取り敢えず、俺の今のコンディションはそんな感じだった。

 

 パドックでのお披露目を終え、今はレース場へと続く通路の途中。道の先に見える光の中へと飛び出せば、もうそこは戦場である。一々、服の事を気にしている余裕はない。

 この菊花賞で、ディープインパクトを地に落とす。先にゴールへ駆け込むまで、一瞬足りとも油断は出来ない。

 服が風で纏わり着きましたー……蹄鉄の収まりが悪くて踏ん張れなかったー……だから走りに(かげ)りがありましたー……なんて言い訳は通用しない。

 それで負けたなら、『そっか。で? でも負けは負けでしょ?』と、たった一つの真実だけが事実となる。()に勝つ為の準備だけは、何一つ怠る気はない。

 

 かったかった(勝った勝った)と蹄鉄を鳴らしながら、ターフへと躍り出た。

 暗闇から光の中への移り変わりが、俺をぴりぴりとした緊張感へと引き摺り込む。

 

 ──幾許(いくばく)だけの、静寂。

 ──次いで、空気が叫んだ。音だけで、京都レース場が揺れる。

 

『来ました、アフターマスです! 歴代のウマ娘達の夢を一身に背負い、今っ、入場です!』

『いやぁ……パドックでも感じましたが、今日の仕上がりは他のウマ娘達と比べても、頭一つ以上抜けていますね。ファンからの声援が鳴り止みません』

 

 実況さんや解説さんって大変だなぁ、と。ふと、走る為の脳とは違う所で、ぼんやりと感じた。

 こちとら、誰かの夢を背負ったつもりなんて一度もなくて。()ならともかく、他の()()()の仕上がりがどうとか、そもそも何処をどう見れば判断出来るとか、あんまり分からない。

 それを知識と経験だけで、多くの人へと盛り上がるように伝えなければならないお仕事。成程、俺では確実に務まらない。やっぱり実況さんと解説さんは、凄いなぁ……と思う。

 

 ぼんやりと会場を見回すと、腕組みをしている東条さんを柵越しに見付けた。隣には、ルドルフ先輩とブライアン先輩の三冠コンビが控えている。他の皆はどうしたんだろう。

 取り敢えず、東条さんの下へと近付く。

 

「東条さーん! なんか今日のお客さん、こう……凄いですね。耳もげそう」

「それだけ、貴方の走りが期待されてるって事よ。観客動員数約14万人。加えて、事前人気投票で八割以上のファンが貴方を支持したらしいわ。どちらも快挙ね、おめでとう」

「あ、ありがとうございます……? まあ、だからといって何かが変わる訳でもないんですけど。今日の俺はとっくに好調()で快調()な絶好調()ですし。ね、会()

「……ネタの()()は滑るんじゃなかったのかい?」

「え、なんの事です?」

「お前なぁ……」

 

 ブライアン先輩が呆れたような目をした。

 

「所で、他の先輩方は?」

「……貴方。昨日のミーティング、聞いてなかったわね?」

「えっ。いや、決してそんな事はないんですけども──」

「アフタなら涎食って寝てたぞ」

 

 予想外の弾丸に、目を見開く。

 東条さんの目がすっ……と細まった。

 ブライアン先輩がやれやれと言いたげに眉尻を下げている。昨日のミーティング中に、こっそり起こしてくれた優しさは何処に消えたのだろうか。

 

 ──その直後にまた寝始めた罰だ。ちょっとは反省しろ。

 

 そういう事らしかった。

 目は口ほどに物を言うらしいけれど、ブライアン先輩の場合は、口よりも目の方が雄弁に語るし、饒舌だ。

 

「……まあ、良いわ。大舞台でもいつも通りなのは、貴方の持ち味だとでも思っておくわ」

「……以後、気を付けます。はい」

「思ってもない事は口にしない方が良いわよ。……それで他のメンバーだけど、マスコミが()()()()()だから、私達も入れて三つのグループに別れて観戦する予定よ」

 

 東条さんが軽く後ろを示せば、成程。何処ぞのカメラマンやリポーター達が押し寄せようとするのを、かなり後ろの方でURA職員と思しき人達が抑え込んでくれていた。

 ……男性職員よりも女性職員の方が活躍してるように見えるが、あの女性職員さん達はウマ娘なのだろうか。帽子でどちらの耳も見えないので何とも言えないが、多分そうだろう。

 

「……ああ。そう言えばダービーの時もごった返してましたもんね。あの時はレース後でしたけど」

 

 勝っても負けても、今日のレース後はもっと凄いわよ。そう言う東条さんへと、本気で嫌な顔を返した。

 マスコミが既に準備万端で集まっているのは、俺がレースの前後にチームの所へ寄ると考えたからだろう。全く以て正解である。俺のルーティンでもあるから、考えるまでもないのかもしれないが。

 そしてそれを見越した東条さん達によって、チームリギルの三分割作戦が実行され、功を奏した。恐らくはそんな感じだろう。

 

 会場内でも少し()()()場所を探す。すると案の定、幾つものカメラマンやリポーターに囲まれた先輩方を見付けた。

 レースを走る俺がいないからか、向こうのマスコミ達は比較的大人しかった。URA職員が抑え込まなくとも、片方はテイエムオペラオー先輩が、もう片方はマルゼンスキー先輩が上手くいなしているようだった。

 先輩方の方向へと一度ずつお辞儀をすると、気付いた先輩を皮切りにして、全員が代わる代わる手を振ってくれた。

 迷惑を掛けているにも関わらず、それがどうしたと言わんばかりに送ってくれたエールへと、申し訳なさと嬉しさが込み上げた。

 ……そして、カメラが一斉に動き、そのやり取りを大勢で捉えていた。流石にマスコミの数が多過ぎるなぁ……と感じつつ、先輩方への申し訳なさが増した。

 

 普通ならこんな事態は起きないらしいが、例外というものは何にでも存在する。

 無敗の三冠ウマ娘の誕生。それは普段ならウマ娘のニュースを大々的に取り扱わない報道社であっても、(こぞ)って取り上げるものらしい。そういった報道社は暗黙の了解やマナー等に疎く──要するに、専門誌の記者達に言わせれば、()()()()()()人間が多い。

 実際、『無敗の三冠ウマ娘確実』等という他のウマ娘を軽んじる記事を喜んで書いたのは、そういった報道社ばかりだった。

 

「全く困ったものね。自分達のせいで出走するウマ娘に負担が掛かるって分からないのかしら」

 

 呆れた様子の東条さんに、ルドルフ先輩が苦笑する。ブライアン先輩は、やっぱり呆れた様な顔で口を開いた。

 

「久し振りの三冠……それも、会長以来の無傷の()()だ。テイオーやブルボンが達成していたらこうはならなかっただろうが」

「ブライアン」

 

 ルドルフ先輩がブライアン先輩を窘める。ブライアン先輩は、すっくと肩を竦めた。

 

「……だが、事実だろう。彼奴らは必死に走り抜いて──そして、夢破れた。その意味を分かっていないバ鹿共が多過ぎる」

 

 ブライアン先輩の三冠。その後に無敗の二冠を獲得した、トウカイテイオー先輩とミホノブルボン先輩。稀代の天才と、緻密な努力家。

 彼女達は何方(どちら)も圧倒的強者でありながら、夢の道を踏破出来なかった。

 無敗の三冠ウマ娘は夢物語。そう言われるように至るまでには、それ相応の物語があった。

 

 ──トウカイテイオー先輩は、天稟の才を持つが故に、運命が敵になった。

 ──ミホノブルボン先輩は、不断の努力の果てに、好敵手と巡り会った。

 

 もし、トウカイテイオー先輩に運があったら。もし、ミホノブルボン先輩がその日に好敵手と巡り会わなかったら。

 ファンが競い合うように語るif(もしかして)。けれど、本人達が聞いたら煙たがる可能性。

 彼女達は自分の手で掴み取った現在がある。だから、誰かにぶら下げられた栄光なんてお呼びではないのだろう。

 

 そんなif(もしかして)を語るファン達だからこそ、『無敗の三冠』はもう不可能だと結論付けていた。そしてそれは、前々世でも同様だった。

 ……だが、ディープインパクトは可能性を示した。圧倒的強さという、シンプルな方法を以てして。そして、その()()()()に揺れた人間達が『無敗の三冠馬確実』と囃し立て、狂乱が起きた。

 東京優駿(日本ダービー)で既に立っていた等身大像。配当一倍の当選馬券。諸々の事情が絡み合い、レース主催者側すらも特別扱いせざるを得なかった異常事態。

 俺の場合は、()の尻を追っている内に、結果的に奴と似た状況になった。今世も前世も、それだけの話だった。

 冠なんて、一つも被っちゃいないのに。

 

「……アフターマス。そろそろ時間よ。準備は──聞くまでもないわね」

 

 きりりとした勇ましい顔で東条さんへと頷く。何故か優しい目をされた。

 直後、レース開始間際の案内が流れる。もうゲートに向かわなければならない。俺が運命を変える瞬間が、目前に迫っていた。

 

「……行ってこい、アフタ。バスで切った啖呵が虚勢ではないと、証明してみせろ」

 

 ブライアン先輩は、真っ直ぐに此方を見据える。

 最後に三冠を取った()()()()()()()()には、何が見えているのだろうか。

 

「唯一抜きん出て並ぶ者なし。学園のウマ娘であれば、本来は目指すべき地平。それは夢物語ではないと、見せつけて来い」

 

 ルドルフ先輩の激励に込められた、色々な想い。

 重いなぁ……と思うと同時に、あの()()()()()()()()に期待を寄せられたと思うと、気が引き締められた。

 無敗の三冠ウマ娘は現れない。実はその風潮を一番気にしていたのは、唯一それを成し遂げたルドルフ先輩だったりする。

 本当に『ウマ娘』というものが大好きな先輩は、日本中を覆ってしまい、払拭出来なくなった諦観を何よりも疎ましがっていた。

 

「……それじゃ、行ってき──じゃないや。()()()きます」

 

 ディープインパクトに。歴史に残る、英雄の末脚に。

 蓄積された色んな想いを抱えながら、くるりと皆に背を向ける。次に皆の顔を見るのは、勝ち()になった時。そう決めて。

 

「──()()()()()()!」

 

 ルドルフ先輩からの、珍しい大きな声。驚いて振り向きそうになるのを、我慢する。

 何です? と脱力しながらの、背中越しの返事。何故か、ルドルフ先輩からの応答には、少しの間が存在した。

 俺は何を言われるのだろうか。レース前だから、無茶振りはされないと思うが、明朗闊達なルドルフ先輩が言い淀むなら、心配になる。

 

「……今日()、勝ってこい!」

 

 けれど、飛んで来たのはあんまりにも単純で、しかし()()()()達成出来ないとんだ無茶振り。

 だけど、それの応えは当然、たった一つに決まっている。

 

 ──今日()、俺が一着です。

 

 そんな意味を込めて。

 右手を掲げて、指を一本。空に向かって、ぴんっ……と、伸ばした。

 ルドルフ先輩には、それで通じる。

 

 

 

 ゲート前。勝負服で(めか)し込んだウマ娘と、URAの職員さん達が芝の上に集まっている。あと少しで職員さんに誘導されて、俺達ウマ娘はゲート入りを果たす。

 空は相変わらずの曇り空。即ち、願い通りの良バ場だ。今から少々の雨が降ったとしても、レースが終わるまでならば、バ場の状態はほとんど変わらないだろう。

 勝ったな。青草食ってくる。後は飼料。流石にウマ娘になってからは食べてないが、たまにあの青臭さともそもそ感が恋しくなる。

 

「──今日は、絶対に負けないから。アフターマス」

 

 ゲートの近くでぼんやりと集中力を高めていると、声を掛けられた。重なり合った雲の断面を目で追うのに忙しかったが、目線をずらす。その先には、一人のウマ娘。

 見覚えは……有る気がするが、名前が思い出せない。もしかしたら、トレセン学園の中で擦れ違ったのかもしれない。

 藍染色の勝負服に、俺が右耳に着けてるのとは違って大きいリボン。けれど、そんな可愛らしい勝負服とは対象的な、鋭い目付き。服装と表情があまりにもアンマッチな、明るい髪色のウマ娘。

 せめてゼッケンがあれば出走表から名前を思い出せたかもしれないが、残念ながら勝負服の時はゼッケンを着けない(なら)わしだ。

 思い出せない以上、何かを聞かれても上手く誤魔化すしかないだろう。

 

「あ……えっと、そうですね。良いレースにしましょう」

 

 無難にそう返す。すると何故か、とても不愉快そうな顔をされた。

 

「……無理に何か言い返そうとする必要なんてないわよ。そもそもアンタ、()()の名前、覚えてないでしょ」

 

 そして何故か、俺が目の前の少女を思い出せていないと見抜かれていた。

 ……そんなに、俺は考えが顔に出やすいのだろうか。なかなかのポーカーフェイスだと思っていたのだが。

 手で汗を拭くふりをして、顔に触れてみる。やっぱり、特に表情筋が動いている様子もない。

 

「本っ当に憎たらしい奴……どうせ、この世に自分よりも速いものなんてないとか考えてるんでしょ。アンタなんかよりも新幹線の方がよっぽど速いわよ、バーカ!」

 

 絶対に三冠なんて取らせないから!死ね!

 

 そう言って、彼女はさっさと去って行った。

 なんというか、口の悪い少女だなぁ……と思うも、やっぱり名前が思い出せない。

 かなり特徴的な性格をしていたので、会っていれば忘れやしないと思うのだが……ひょっとすると、彼女の人違いだろうか。もしかしたら、彼女の前にも()が現れた事があるのかもしれない。それなら、あの反応も納得出来た。

 俺と()はそれくらい似ているし、()()なので、()が俺以外のウマ娘から恨みを買っていても驚かない。

 やっぱりそうなんじゃないか。いや、きっとそうだろう。俺は確信した。

 

 

 

『生憎の曇り空が広がる京都レース場。バ場状態は良の発表です』

『雨雲が心配ですが、バ場は各ウマ娘が存分に競い合える舞台へと整いましたね。今年のクラシックは重バ場でも関係なく走るウマ娘が多いですが、やはり今年の菊花は全身全霊の競い合いを観たいファンが多いでしょう』

『シンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘が誕生するかどうかのこの一戦。出走するウマ娘達からは、何がなんでも勝つという気迫が感じ取れますね』

『今年のクラシック戦線を振り返ると、ほとんどのウマ娘にとっては()()()なんて言葉じゃ言い表せないでしょうからね。今年は出走見送りが相次ぎ、残念ながらフルゲートではなく8枠16人での開催。しかし逆に言えば、出走するウマ娘達は勝つ為の準備を万端に整え、この場に立ったという事です。泣いても笑っても最後の大一番、悔いのない走りに期待したい所ですね』

 

 ゲートの暗がりの中で、ぼんやりと実況を聞いていた。俺は内枠の奇数番だから、最初の方にゲート入りする。他のウマ娘がゲート入りを終えるまで、有り体に言えば暇だった。

 そう言えば、ゲート訓練なんてほぼした事ないなぁ……と、気が付く。ゲートは前世から得意だった。馬の前は人間だったんだから、当たり前といえば当たり前だが。

 前世で子馬だった時から負けん気が強くて、他の馬に負けるのが嫌いだった。人間様が畜生なんぞに負けてたまるか……というよりも、俺より速い奴を受け入れ難いという、不思議な感覚。

 放牧地では何度先頭の馬に競い合いを仕掛けて、どれだけ勝った負けたを繰り返したか、もはや覚えちゃいない。

 脚がずたぼろになっていても、関係なく走った。走るのが楽しくて、『楽しい』という感情を識別する理性だけが、自分が人間だったという証明みたいに感じたから。

 

『各ウマ娘のゲート入りが続きます。皐月賞、東京優駿と続き、クラシックの最後を飾る菊花賞。一番強いウマ娘が勝つこのレースで、最後に笑うのは()()()()()()()()か、()()()()()()()()か!』

 

 ディープインパクト。俺の中に有った、人間であるという自尊心。それを跡形も無く消し飛ばした、恐ろしく深い衝撃よ。

 お前に成り代わってしまったと気付いた俺の恐怖心。それすらも、俺の中の人間性諸共葬り去った鹿毛(かげ)の怪物よ。

 お前は世間様じゃ『英雄』なんて呼ばれちゃいたが、俺からしたら単なる化け物だぞ。

 だって、そうだろう? お前は何処から現れて、どうやって俺を置いて行く。お前みたいな馬が、存在して良い訳がない。

 俺にしか見えていない最強馬。俺しか知らない新しい伝説。

 なあ、教えてくれ。奇跡に限りなく近いお前なのに、どうして誰にも知られていない?

 なあ、『英雄』。教えてくれよ。奇跡に一番近い馬がお前なら、お前に一番近い馬だった俺は、一体何なんだ?

 

 ──頭の中で、かちりと。世界が切り替わる音がした。

 

『駆け抜けた先に栄光の瞬間が待っています。今、新しい歴史の扉が開かれようとしています。固唾を飲んで見守る貴方も歴史の目撃者です。各ウマ娘、ゲートインが終わりました──』

 

 ──緑の芝、白い空、楕円形の世界。そこから、音が消える。

 ()()という走る為の機能からは、感傷という余分な物が削ぎ落とされた。

 ……それでも、最後まで未練たらしく残るのは。

 

『──いざ、菊花賞スタートです!』

 

 ディープインパクトに勝ちたい。ただ、それだけだった。




本当はレース終了まで書き切りたかったです(小声)

諸事情により、次回の更新は遅くなります。多分。


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第4話 衝撃

引くほど難産だったので、日常パートとは話の雰囲気が異なる可能性があります。
本当に申し訳ないです。

あと、私の表現力不足のせいで誤解させてしまった方がいらっしゃる様なので、主人公の経歴順を簡単に纏めました。お納め下さい。

1.名無しの人間(ディープインパクトがいた世界)
2.ディープインパクトポジションになってしまった競走馬アフターマス(ディープインパクトがいない世界)
3.例のアレそっくりのジト目ロリウマ娘アフターマス(ディープインパクトがいない世界)

2と3で主人公が負け続けているのは、主人公だけが見ているディープインパクトの幻影です。


 人間よりもずっと早い。レースが始まる瞬間の、俺達ウマ娘の知覚の早さは。

 今年の京都芝最後の長旅は、とても綺麗に始まった。

 クラシック戦線を走り抜いて来た優駿達。総勢16人のウマ娘が向正面のゲートから飛び出たのは、ほぼ同時の事だった。ファンファーレが鳴って、風が吹いて、観客の声と自分達の鼓動が入れ替わる一瞬の隙間。

 唯一その瞬間だけは、出走した全ウマ娘が横一線となって駆け抜ける。ゲートを潜る事を許されたウマ娘とは、言ってしまえば一握(いちあく)の砂金。誰も彼もが超一流で、誰かに希望を託されている。

 一斉に飛び出たウマ娘達は、引き絞られた肉体が弓の様で、研ぎ澄まされた脚が矢の様。

 狙い済まされた沢山の意思が、『菊花賞』へと突き刺さる。

 

 ──俺達の知覚からずっと遅れて、実況さんの仕事が始まった。

 

『──さあ、各ウマ娘、綺麗にスタートしました! アフターマス、今日()綺麗なスタートを決めましたよ! 各ウマ娘も負けず気合いの入った良い出脚です!』 

 

 整えられたターフへと、32本の怒号が降り注ぐ。

 一歩、ぐんと前へ進む毎に、芝の根元が繋がり、延びる。走り始めた知覚の中だけで生まれる、幾筋もの道。レースが終わるまで何処までも続く、長くて細い、俺達だけの──自分だけの道筋。きっと栄光へと繋がっているそれを、俺達はただ信じ抜く。

 

 クラシック最後の一戦は、急斜面な坂の途中から始まる。

 クラシック戦線を走り抜いたウマ娘にとって、初めて経験する3000mの長丁場。加えて、高低差4mを超える心臓殺しの淀の坂。おまけとばかりに6度襲い来る熾烈なコーナー。どれをとっても、実力次第で差が開く。

 まぐれ勝ち(フロック)を許さない伏見の関門、京都レース場の神無月。

 

 ──『菊花賞』は一番強いウマ娘が勝つ。

 

 体力。走力。知力。そして気力。

 この場を駆けるウマ娘には、本当に多くのものが求められる。多くのものを求めて然るべき実力のウマ娘だけが集うのだから、当然といえば、その通り。

 

 レース開始早々に、全ウマ娘が自分にとってのベストポジションを奪いに行く。なだらかに……しかし、ここは譲れないと言わんばかりに、確りとした脚取りで。

 せめぎ合う場所取り合戦の中で、俺が居座る事にしたのは、中団やや前寄り。内枠が有利に取れる内ラチ側。

 高速で駆け抜ける時は流石に柵の接触が怖いものの、今はまだ序盤。脚を溜めつつ、囲まれないように立ち回る事が目的だから、すぐ側に柵があってもそこまで関係ない。レース終盤みたいに超高速の世界へと突っ込まない今の()ならば、この場所はとても走りやすかった。

 しかし内ラチ側はダートの砂が入り込む事もあり、バ場が悪いと偶にぬかるんでいたりもする。だから、天気の次第によっては進路の取り直しをする必要が出ていたし、場合によってはサブプランを選択する羽目になっていた。

 今日の俺はやっぱり少し運が良いなぁ……と、虚勢みたいな小さい自信を奮わせる。

 ──しかし、それはすぐに風に流されて、消えて行く。

 

『──最初の第三コーナーを超えて、各ウマ娘第四コーナーへ。各ウマ娘が熾烈な位置取りを繰り広げております!』

 

 ()()()()という欲求。()()()という自信。色んなものが入り乱れては、風に流され消えて行く。

 

 風に研磨された意志は鋭く尖り、ただ速さを求める機能となる。そんな中でも理性だけは、思い切り駆け出したくなる欲求に耐えて、脚を残す役目を果たす。

 

 そういや()()()()の菊花賞で、ここで試合運びを失敗したな、なんて思い出した。俺の屋根に乗ってくれてた()()()が、博打を決めて持ち直したらしいレース運び。

 俺の時にはなかった、稀代の天才名ジョッキーのエピソード。()()()には、少し悪い事をしたかな……とも思う。誤差かもしれないけれど、きっと彼の名声は、俺よりも()の時の方が多かった。

 ──なんて。思い出した懐かしさも、風に流され消えて行く。

 

 進む毎に伸びようとする脚。鋭くなる『勝ちたい』という絶対の指針。突き動かされる肉の舟。

 意識の中で俺の姿は()()()()になって、かつての俺に戻り始める。

 腕が消え、脚が戻り、風の中でも揺るぎない肉体。反発する空気へと鋭く刺さる流線形。俺が信じる最速の形──()()()へと。

 ……しかし。

 

『──先頭集団、第四コーナーを超え、スタンド前に差し掛かりました! 凄い歓声! まるで最終直線のような凄い歓声です!』

 

 降り(しき)る声の雨に……その()()()への違和感に、意識が現実へと引き戻された。ゆらりゆらりと、体と違って不安定に空を飛んでいた思考が、観客の声で繋ぎ止められる。

 今は最終直線……ではなく、まだ最初の直線でしかない。まだまだ最高速の世界へと入り込む訳にはいかない。そう、俺の理性が訴え掛けた。

 前々世のあいつみたいに掛かりかけた体へと、減速方向への調整を入れた。流石にこんな距離からトップスピードに入ってしまえば、伝統芸能逆噴射待ったなし。ツインターボ先輩に弟子入り待ったなしだ。……いや、ツインターボ先輩に弟子入りをしたくはあるが。正直、オールカマーでの爆逃げは憧れた。

 

 極度の集中状態となるゲート直後は、大体いつもこうだった。自分じゃ意識をコントロール出来ていない状態。要するに、阿呆故に入れ込み過ぎてしまう視野の狭さ。

 ゲート難と言われるくらいゲートが苦手なウマ娘はそれなりにいるが、俺の場合はゲートが得意過ぎた珍しいパターン。多分、珍プレー好プレーで言えば、珍プレーの方。

 もし俺が逃げウマ娘やスプリンターなら優位に働くが、残念ながら俺は追い込み型の中長距離()──ウマ娘だ。一応は先行と差しも出来るが、逃げだけは出来ない。楽しくはあるが、どうも上手く走れない。

 だからゲートに極端に強くたって、そんなに有利になる訳ではない。実際に、皐月賞と日本ダービーを二回ずつ、俺は()に負けている。()はどちらも出遅れてのタイムであるはずなのに。

 

『──さあ、各ウマ娘入りましたスタンド前! 14万人近い観客の前で、ウマ娘達が懸命に駆ける! 声援に包まれた直線を、『今日は私が勝つんだ』とばかりに駆けて行く!』

 

 観客達の服の色。歓声の色。芝の色。色々な色を取り込むようにして、自分の知覚を確り保つ。どうせ後で嫌になるくらい見る景色が変わるんだから、今だけはこの瞬間を楽しもう、と。

 前々世でもたまにいたが、物事に振り回されやすくて、自分のペースを見失いやすい奴。今の俺が正にそれだった。

 視野狭窄と言えば良いのか、集中しすぎてしまうと言えば良いのか。適度に自分で気を散らしていかないと、ど壺に嵌って抜け出せなくなる。

 元々はそんな事なかったのに、気が付けば前世の馬時代からそうなっていた。だから多分、人間の知能と動物の脳の進化が悪い形で絡み合った結果だと思う。レースという()()()()()が、俺に与える大きな影響。変わってしまっても、前世と今世の()()()()()()が同一存在であるという確かな(くさび)

 感覚の面では、良くも悪くも競走馬時代のものを引き継いでしまっている部分が多い。

 例えばそれは味の好みであったり、睡眠時間の間隔であったり、レースが大好きな事だったり。

 ……そして、体の動かし方であったり。

 多分、()()()()()()という変な馬を、ウマ娘という謎の種族に生まれ変わらせた結果なのだろう。新しい世界で馬を()()に変えようとした時には既にいた、人間と馬が混ざりあった奇妙な奴。その扱いに困った神様が、仕様がなくこうしたのだろうと思う。

 俺としては競走馬時代の感覚を残したままディープインパクトにリベンジ出来るので、有難い限りではあるが。今世で勝てば実質、競走馬としてもウマ娘としても勝ったという事になるだろう。きっと。多分。なれ。

 

 でも、だからこそ。俺の走りの到達点は、必然とこんな形になったのだろう。

 

「──相っ変わらず、巫山戯(ふざけ)た走りしやがって……!」

 

 ふと、近くにいたウマ娘が零した言葉が、耳まで届いた。相変わらずという事は、俺と一緒に走った事があるのだろうか。もしくは、学園では放課後にずっと走ってるから、何かの拍子で見掛けたか。今は菊花賞の真っ最中だから、前者の方が有りそうか。

 

 巫山戯た走り。成程、確かにそうだと思う。人間時代の俺が見ても、同じ事を言う気がする。

 一歩の滞空時間を突き詰めた、広域すぎるストライド。小さい体が空気抵抗に負けない為の、殆ど地面と水平な前傾姿勢。走ってる感覚が馬時代のそれである為、放ったらかしにされて後ろに流れていく両腕。

 ……何処からどう見ても、百点満点の巫山戯た走りがそこにあった。前世で育てた走りを努力の末にウマ娘(この体)で再現し、それをチームリギルの皆で改良しまくった末のフォーム。本人的には至って真面目なのだが、傍からしたらそんなバックボーンは関係ない。

 悲しみの余り泣きそうになった。

 

「──超真面目」

「──嘘吐けっ!」

 

 本当の事を言ったのに、何故か信じて貰えなかった。

 

「──アフターマスっ! 今日こそは潰す! てめぇは二冠で終わりだ!」

「──()()()勝ちウマ娘は俺なんだけど。何言ってんの」

「──こんの餓鬼ぃっ!」

 

 ぶっ殺してやる! ……と、体当たりされそうになった。体の軸を捩らせて、避ける。綺麗に回避出来たから、レースに殆ど影響はない。体当たりを仕掛けた当の本人はバランスを崩し、たたらを踏みながらバ群に飲まれて後ろへと流れて行った。

 軽いトーク程度の煽りで自分の()を乱してしまうのは、レース的に勿体ないと思うのだが……それは彼女が考える事だろう。大舞台を一緒に走る仲だから、少しだけ心配になったが、直ぐに風で押し流す。もしこれで脱落していたとしても、学ぶものはあっただろう……あったらいいなぁ、と祈りながら。

 ウマ娘の……というか、馬のレースは煽り合いが当たり前に存在している。

 勝ちたいという意志を持った馬同士が一緒にレースをすると、どうしても同じ道筋を取り合う時がある。そんな時には、馬が勝手に煽り合いを入れ始める。そして、場合によっては体当たりをし始める。負けそうになると、相手に噛み付こうとする馬だっている。人間様的には御行儀が悪い様に見えていた様だが、馬からしたら知ったこっちゃない。

 勝てば良かろうなのだ──それこそが、馬にとっての錦の御旗。唯一無二の掟である。負ける奴が悪いのだ。

 ……つまりは、レースで負けっぱなしの俺は、俺自身が悪いのだ。

 

『──後方集団、最初の直線を越えて第一コーナーへ──っとおっと、どうしたアフターマス! 少しよろけたか!?』

 

 ──おい、何やってんだよ!

 ──確りしてくれよ!

 ──お前が勝つ所を観に来たんだぞ!

 

 そんな声が結構な数飛んで来て、耳まで届いてしまって……とても煩い。本当に。

 こっちは圧倒的な事実と向き合ってるんだから、放っといて欲しい。走りはちゃんとしてるから。

 ……そんな気持ちが、どうしても湧いた。だって、走ってるのは俺で、俺の事は俺にしか分からない。今だってよろけた訳ではなくて、芝が捲れた所につんのめらない様にしただけだ。少し脚を逸らしたら、そりゃ多少は体が揺れるだろうに。

 だから、別にディープインパクトに勝てない現実にやる気が下がった訳じゃない。本当の本当に。

 

 それはそれとして、何故か無性に救いが欲しくなった。

 心の中でメイショウドトウ先輩へと訊ねる。救いはないのですか、と。答えは返して貰えない。仕方がないから、何故か一緒にいるたぬきさんにも聞いてみる。今度は首を横に振られた。「無理!」とでも言いたいのか、きゅいっと一鳴き添えられて。

 ……今日は大差で勝って、かちかち(勝ち勝ち)山のうさぎさんをこの畜生に焚き付けてやる。そう決心した。俺のやる気が少し上がった。

 

『──さあ、来ました第一コーナーから第二コーナーへ! アフターマス、中団のインコースでやや前に控えている! この辺りからは例年、流れが落ち着く展開に──』

 

 スタンド前の直線から離れる程、人の熱は遠くなる。観客が俺達に与えた夢見心地が少しずつ薄れ、レースに現実味が戻って来る。

 近くを走るウマ娘達の息遣いと、流れる汗の温度、意志の鋭さ。人の集団から遠ざかる程、それらが強く感じ取れてしまうのは、ウマ娘の()()という行為が馬由来の本能だからだろうか。

 ウマ娘とは、人間なのか、馬なのか。その答えはない。俺は未だに答えを出せていない。俺が答えを出せていない以上、この世界にその答えはない。俺以外に転生者──転生()がいない限りは。

 だけどもしも、他に転生()がいたら。皆はきっと「人間だ」と言うんだろうな、と思う。俺も本当はそっちが正しいんだろうな……と、思うかもしれない。

 でも、ウマ娘から感じる馬の名残りは、俺にとっては間違いなく大事な物だ。たった四年の生涯。今の俺の原風景。殆ど忘れてしまった人間時代(前々世)と違い、忘れたくないなと思える競走馬時代(前世)

 世界から消えてしまった馬達はウマ娘の中で走っている。だから俺は答えを出さない。ウマ娘は人間であると断言してしまえば、馬という存在を忘れてしまいそうな気がするから。そんな訳ないのに、神経質に。

 

 ──なあ、お前はどう思うよ。()()()

 

 その瞬間。何かを応える様にして、レース場に──俺の意識の中に、()()()()が走り始めた。

 人の領分から離れる毎に増す現実味。それを飲み込んで現れる幻影。何処からか飛んで来た別世界の()()

 歴史が調えられ、そこに在るべきものが組み込まれた。そんな世迷い言さえ信じそうになる、途方もない錯覚。

 

 楕円形の世界から、色が抜け落ちて行く。緑の芝。声の色。栄光の色。鮮やかなもの全てをかき集める様にして、俺のすぐ側で一つの結晶が生まれ落ちる。古びたフィルム映画の中みたいに、世界を灰色に染め上げながら。

 自己主張の激しい()()()が来る時の、何時もの景色。遅れてやって来た英雄(ヒーロー)の、憎たらしい演出。

 

『──全ウマ娘、向正面の直線に入る! ファンの声援を力に変えて、勝負所の第三コーナーを睨み付ける──』

 

 さっきまでしっかりと聞こえていた実況が、弾かれた様に遠くで聴こえる。

 俺は小さな息を意識して吸った。さっきまではあった色んな心の混ざり合った空気はもうなく、鋭く痛い冷気だけが肺に入る。俺に対して優しいものなんてもう何処にもなくて、ただ現実だけが此処にある。俺はそれに、不思議と安心を覚えた。

 

 ウマ娘は、走る事が大好きだ。競走馬の魂を引き継いでるからか、走ってる時が一番楽しくて、自由になれる。

 それと同じくらい大きな喜びを噛み締める瞬間は、人の熱に包まれた時。その喜びの名前は、誇らしさ。

 誰かが望むものを抱えて走る。自分の脚が、夢を見せる。飛び交う歓声と絶叫は、その証。きっとそれと似てるから、ウマ娘はウイニングライブなんてものを喜んで踊る。死闘の末に疲れ切っていても、それを忘れるくらいの心地良さがその中にあるから。

 ……()は、そんなものを決して認めない。俺を叩きのめして、常に俺の上に立つ。

 ウイニングライブ? 競い合い以外での栄光? そんなもの、お前(偽物)にある訳ないだろう……そう言う様に。

 

 とくん、とくん、と。時間が脈打つ様に錯覚する。向正面を進む道が、とてもゆっくりに感じられる。

 嫌になる程の緊張と興奮。心臓の脈動は、何度経験しても痛いまま。

 誰よりも強かった伝説が、俺を潰しにやって来る。成り代わった阿呆へと、資格の有無を問い掛けるべく。俺は別に、あいつに成りたかった訳ではないのに。

 全身に痛いくらい感じる、『英雄』という存在の重み。軽い筈の蹄鉄が、鉛の様に重たくなった。

 

「──ディープインパクト」

 

 暗い鹿毛(かげ)の髪。御空(みそら)色の瞳。色の薄い肌。俺と同じ特徴。

 身に纏うのは、『英雄』らしい勝負服。何となく、前世の()()()を思い出しそうな。

 棚引く青いマント。ボルドーのミッドリフジャケット、臙脂色に黄色い鋸歯形柄のレイヤードスカート。それと象牙色のローカットブーツ。俺と同じ格好。

 俺と同じ、姿。

 違うのは、あいつの方が()()()()()だけ体が大きくて、何処となく透けている。それだけ。

 

『──各ウマ娘、最後の第三コーナーへと差し掛かります──シンザンが、ルドルフが、そしてブライアンが辿った三冠への道──歴史は繰り返されるのか』

 

 呼吸に紛れて、小さな小さな嘆息が口から漏れた。如何に聴覚の優れたウマ娘と言えど、歓声と(あしおと)に紛れてしまい、絶対に聞こえない小さな嘶き。

 何度も何度も俺を吹き飛ばして、駆け抜ける。そんな化け物の存在感は、いつまで経っても慣れやしない。

 世界が変わり、歴史から消えて……名前を失くした、(かげ)りなき栄光。

 観衆の熱狂という夢の中から現れて、()()()()と共に駆け抜けて行く『英雄』──ディープインパクト。

 

「──今日はやけに遅かったじゃないか。俺に負けるのが怖くて、出遅れたか?」

 

 ばくん、ばくん、と。高鳴る心臓の音は、淀の坂のせいか、深い衝撃のせいか。答えなんて分かり切っていたから、ただ強がりだけを吐き出した。今日は勝つと、自分を振るい立たせて。

 

 俺は思う。運命というものがあるのなら、それはきっと、ディープインパクトという馬が好きで好きで堪らないのだろう……と。

 俺は奴の駆け抜けた歴史を知っている。奴が変えた世界を知っている。

 双璧の無い戦績。無尽蔵の才能。主戦騎手(相棒)が伝説的なジョッキーで、多くの競走馬に『弱さ』というレッテルを貼り付け続けた最強の馬。

 そして、そんな現実味の薄さすらも多くのファンに愛さ()た、過熱が過熱を呼んだ末に行き詰まった時代の頂点。常識という器から零れ落ちた、奇跡の産物。

 俺は覚えている。お前が世界に衝撃を与えて、『日本競馬』の夜を明けさせたんだ。

 競馬に興味がなかった俺でさえ、競馬界から聴こえる英雄譚を耳にした……それがどれ程、異常な事か。果たしてお前は分かっているのか。

 何万円も突っ込んだ当選馬券。それを何時までも換金せず、後生大事に抱え続ける奴を見た。そして、そんな奴らが山程いた。

 お前の走りを一目見ようと、記録に残る程、日本の中央に人が集まった。多くの人々が、やるべき事を放っぽり出してお前に熱視線を注いでいた。

 お前は競走馬という生き物だから、欲という物くらいは有っただろう。だけど()()競走馬が抱え切れない程の欲望を抱える生き物こそが、人間という存在なんだぞ。そんな人間達に、欲望よりも夢を優先させたお前を、遂に人は、何と呼んだか。

 

 ……ああ、お前は知らないよな。だって興味すらないもんな。どうせ、前々世の時もそうだったんだろ。じゃあ、教えてやるよ。

 お前は人に『奇跡に限りなく近い馬』と、そう呼ばれていたんだ。

 

 お前が無敗の三冠を達成した日まで、『競馬』の空気が緩やかに澱んで行ったのを知っている。繰り返される熱い戦いに慣れ切って、多くの競馬ファンが離れて行ったのを知っている。

 ……何時まで経っても生まれない、三冠馬(ナリタブライアン)を超える次の無敗の三冠馬(シンボリルドルフ)。その現実に愛想を尽かせて、観客が少しずつ──けれど、着実に。馬の走りから……命の輝きから、目を逸らし始めたのを知っている。

 成程、お前は『英雄』だろう。紛れもない救世主だろう。奇跡の近似値であるだろう。

 確かに、日本の競馬はお前が救ったんだ。そんなお前を讃える言葉なんて、それこそ尽きないくらいある。

 それでも──俺からしたら、お前は化け物だ。最後には倒されるべき怪物だ。例え、元々は『英雄』であっても。

 

 ……気付いていないとでも思ったか。お前がまだ本気を出しちゃいない事を。前世とほぼ同じ時計で皐月賞制覇。前世とほぼ同じ時計で日本ダービー制覇。確かに凄い事だ。その時点で無敗の二冠ウマ娘だ。

 だが、お前はディープインパクトなんだ。俺を舐めているのか。 お前はどうせ、()()()()()()()()()()()()()になる様に走ったんだろう。今世も、前世も。

 覚えているぞ。お前は三冠全部で、レースを失敗しながら勝ったんだ。レースを失敗して尚、『無敗の三冠馬』という偉業を成し遂げたんだ。

 今世の日本ダービーで確信した。走ってるお前の姿には、まだ余力があった。ディープインパクトは、手を抜いて走っている。

 ……そんなお前に本気を出させて、その上で勝つ。その為だけに、菊花賞のお前を超えるタイムまで、鍛え抜いてきたんだ。日本ダービーから、菊花賞まで。生活のほとんどを管理される競走馬時代には出来なかった、人間だからこそ出来る無理無茶無謀を積み重ねて。この菊花賞で勝てさえすれば、もう走れなくなってもいい。その覚悟で此処に立ったんだ。

 

 ──消し飛ばされた人としての誇り。獲れなかった馬としての勝利。被せられた偽の栄光。それら全てを引っ繰り返す。今日、この日に。英雄譚が日本中に鳴り響き始めた菊花賞で。俺はそう決めていた。

 

 ……もうとっくに夏は過ぎていて、陽炎は立ち昇らない。

 バスから見た木々の色も青々としたものではなくて、京都の山々は紅葉が天高く威容を掲げていた。空は白から鈍色(にびいろ)になり、雨粒を蓄えているのが分かる。

 脚元から立ち込める芝は人の手で整えられていて、湿気に浮かれて青臭さが鼻を突く。まだ雨の雫も落ちていないのに、気の早い土の香りが皮膚を撫でる。

 故に視界に映る全ては、自然が見せた偽の()()()()等ではない。

 

 五感全てが切り替わっている。

 知覚の世界で、体は馬になっていた。四本脚で駆けている。灰色の世界だけれど、芝の感触に変わりなし。何故か、走るフォームだけは、これは先輩方や東条さんと改良した物だ……と、忘れるのを心が嫌がっていた。

 まだ最高速の世界に辿り着いてはいないけど、極まって行く集中力は、先程の比ではない。

 

 ──アフターマス。一度も本当の冠を被れなかった俺の名前。意味は、『余波』と『二番手刈り』。

 ()()()()が走ったら勝手に生まれる()()

 一着だけにはなれない、永遠に二番手から下を刈り続けた、格上に勝てない愚かな馬。

 

 ……そんな俺が、勝手に好敵手であると決めた馬。日本の誉れ。世界の頂に届いた唯一無二、本物の日本の競走馬。()()()()

 三冠最後の坂の頂上。俺達にとって、日本で一番高い場所。

 淀の坂の天辺に、『英雄』は現れた。

 ゆったりと俺の傍を並走する様に、ディープインパクトは現れたのだった。

 

 ──秋の空は天高く。馬が肥える程に実る稲穂。稲穂は肥えたらどうなるだろう。重力に負けて頭を垂れる。

 でも見てみろよ、ディープインパクト。今日の空には雲の蓋がされていて、醜く肥えた馬──ウマ娘なんて、一人もいない。だから稲穂は重力に負けず、きっと頭なんて垂れやしない。稲穂すら頭を下げないんだから、生きてる俺が頭を下げる理由もない。

 さあ、お前が無感動に引き潰し続けたこの()の首を下げさせてみろよ。まだただの一度も下げちゃいない、負けるつもりのない首を。

 ディープインパクト、お前は強いが、今日の俺に勝てるものなら、勝ってみろ。余波(アフターマス)が、深い衝撃(ディープインパクト)を超える事も有るんだと、夢見心地を走り続けるお前に教えてやる。

 

『──後方集団も淀の坂を超えて第四コーナーへ差し掛かる。そろそろ仕掛けるウマ娘は出て来るか。アフターマスはバ群の外、外から前を睨んでいるぞ! さあ、そろそろ誰か行くかな、まだ溜めるかな──アフターマスが勝負を仕掛けた──!』




想定していた以上に長くなった為、分割しての投稿です。続きは近々投稿すると思います。多分。
菊花賞は次で終わると思います……多分……文章長くて本当にすいません。……日常パートで、皆を笑顔に……!


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第5話 進化する翼

 風すら置き去りになる最高速の世界。

 俺とディープインパクトの脚がそこへ入り込んだのは、ほとんど同時だった。

 

『──後方集団も淀の坂を超えて第四コーナーへ差し掛かる。そろそろ仕掛けるウマ娘は出て来るか。アフターマスはバ群の外、外から前を睨んでいるぞ! さあ、そろそろ誰か行くかな、まだ溜めるかな──アフターマスが勝負を仕掛けた!』

 

 一歩を強く踏み込む。風圧の壁が行く手を阻む。そしてそれを、全身を使って貫き穿つ。

 進む毎に邪魔をする壁は、常識に生きる俺の敵であって──即ち、ディープインパクトという非常識な奴の味方だった。

 

 先頭との差は大体七、八馬身程度であろうか。十馬身はないと思う。第四コーナーを越え、大外からだとゴールまでは一直線に見える。(おおよ)そ400m程度の道程は、勢いだけで実力差を埋め切るには少し長くて、ディープインパクトという怪物が本領発揮するには……少し短い。

 しかし、同時に踏み出した競り合いは、ディープインパクトが僅かに先行している。

 

 ──風が青く見える、俺と奴しかいない世界。走り抜ける先には『英雄』だけがいる。遥か彼方にはゴールだけがあって、すぐ傍には、地面と、酸素と、空がある。

 ……脚元は揺れている気がして、酸欠で頭はバ鹿になって、真っ白な空からは雨粒が落ち始めているが、確かに此処にある。ずっと遠くにあるゴールラインと同様に。

 

 ──スタンドから、音の波濤が押し寄せた。

 俺と奴の駆け抜ける空には、音が良く響いた。バ鹿になった頭では、自分の名前くらいしか、ろくすっぽ認識出来ないが。

 壊れたラジオの方がまだましだと思える様な、とても酷い音だった。

 

『──アフターマス、先頭まで残り七馬身程! 現在先頭は□□□□、2番手□□□□、3番手□□□□は──捕まった! が、□□□□粘る! 伸びた!』

『──貴女にだけは、負けられない……負けたくないっ!』

 

 とんっ……とんっ……とんっ……と。速度が上がる毎に脚元からの振動が均一に近付く。それは、俺の出せる速度が限界に到達しつつある証拠。縮まらないディープインパクトとの距離を、絶対のものにしようとする現実。俺が乗り越えるべき敵のひとつ。

 思う様に進まない脚を叱咤しながら、何処からか聞こえて来た声に同意する。案外知り合いだろうか。何となく聞き覚えがある気がした。

 

 ──俺だって、負けたくない。

 

『──しかしアフターマス止まらない! □□□□交わされた!』

『──待ちなさいっ──』

 

 音さえ置き去りにしても、まだ届かないから、脚に全てを巡らせる。酸素が巡った様な気がして、血が巡った様な気がして、決意が巡った様な気がして、一歩を踏み込む力が少しだけ強まる。全身全霊の踏み込みに関節が悲鳴を上げる──が、奴に並ぶ。

 

 ──ディープインパクトが加速して、再び差が開いた。

 

『──アフターマス、完全に先頭を捕らえたぞ! 並ばれた□□□□、粘れるかっ!?』

『──三冠だけは取らせない……!』

 

 近くから聞こえて来た声に、同意した。三冠だけは、取らせたくない。目の前で、ディープインパクトを絶対の存在にしたくない。俺も同じだ。一緒に走り始めたウマ娘達と、全く同じ。

 

 一歩が、重い。練習よりもよっぽど酷い様に思える脚。すぐ傍で深さを増す衝撃。追い縋る様に、懸命にトモを動かす。

 ゴールが近付く毎に、酸欠が加速する。バ鹿になり続ける頭じゃ、もう上下の区別だって付かない。それでも脚を前に出す。(したた)かに踏み締めた地面の感触だけが道標だった。

 全身が光の中に溶けた気がして、軋む脚は自己主張を止める。練習で仕上げ切った筈の走りが、更に洗練されて行く。

 ディープインパクトとの距離が半歩分縮む──鼻先分、更に開く。

 

『──□□□□伸びる──が、『衝撃』が止まらない! アフターマス交わした! 外から交わした!』

『──嫌っ──』

 

 嫌だ。俺だって、嫌なのだ。

 俺のせいでディープインパクトが消えた。俺がディープインパクトの代わりに生まれたせいで消えた。日本中が見た夢が、幻の様に消え去った。

 その事実が、恐怖心や本能を上回る程、嫌だった。

 

 ──押し込められた夢が弾けるように、人の熱を伴って伸し掛る。その中を、『英雄』が突き進む。俺は『英雄』に置いて行かれない様に、脚を出して──歯を食いしばった。まだだ。俺はまだ、負けていない。

 

『──14万人近いファンからの大歓声! 最速で駆け抜け、菊花賞ウマ娘の名乗りを上げるのは誰だ! 現在、先頭で逃げ込みを図るのは□□□□!』

 

 残り、200mと少し。ディープインパクトとの差は一馬身もない。けれど、その差が大き過ぎる。真の強者はハナ差を恐れない。真の強者のハナ差は、絶対的に埋まらないから──本当に?

 

「──アンっ……タにだけは、負けらんないのよぉっ!」

 

 ぐっ──と、誰かが俺とディープインパクトよりも前で加速した。世界に青い風が、ひとつ分、増える。灰色の寂しい世界では珍しい、綺麗な三つ目の青色。

 掻き消える前みたいな風の癖して、必死に走る……そんなウマ娘が、俺の知覚の世界の中に増えた。

 ……あんまりにもその子と俺とが似ているから、思わずそっちを凝視してしまう。

 あれは……さっきの子だ。口が悪い、俺なんかに宣戦布告しに来た奇特な子。

 藍染色の彼女が、青くて弱々しい風を切りながら走っている。

 

『──□□□□、逃げる逃げる!』

「──あ、あ、あああ、ああああああ──っ!」

 

 走る毎に彼女との距離が縮む。しかし、そのペースは、ディープインパクトを相手にしているとは思えない程、緩やかに。もしかしたら、彼女なら本当にディープインパクトから逃げ切れるのではないか──そう、思えてしまう程の気迫で。

 彼女に負けじと、脳の血管が燃える程まで、一歩一歩に力を篭める。全身に鞭を入れる。

 

 ──ディープインパクトとの距離が縮む。彼女との距離も、更に縮む。縮む。縮む。縮む……そして。

 

『──捉えた、捉えた、捉えました!後100m、□□□□粘る! しかし先頭は()()()()()()だ!』

 

「──お……ぉぁあ、ああああああああぁぁぁっ!」

「──待っ、私を────!」

 

 限界を越えた俺の一歩が……余波(アフターマス)が、深い衝撃(ディープインパクト)の先へと……届いた。

 ──走り抜けた先には、誰もいない。

 抜いた。藍染色のウマ娘と……スパートを掛けたディープインパクトを、まとめて。初めて、ディープインパクトを抜いた。体が更に、速度を増す。

 ようやく、辿り着いた地平。そこは、余りにも綺麗で、走っている事すら忘れそうな程。しかし、不思議と油断なんて起きない場所。全身に力が漲って、何処までも先へと駆けて行けそうな気さえする。

 ──唯一抜きん出て並ぶ者なし。(Eclipse first, the rest nowhere.)

 レース前にルドルフ先輩に見せ付けてこいと言われた光景の、その一端。その世代で最も強いウマ娘だけが辿り着く場所。

 俺がディープインパクトの()()()になれると証明する為に、ずっと求めていた風景。

 今世になって、トレセン学園に来て、再び鎌首を(もた)げた色んな感情……罪悪感、恐怖心、勝利への渇望。その全てを唯一精算出来る、三冠の最果て。

 一番強いウマ娘が勝つこのレースで勝てたなら、それはきっと、俺がディープインパクトに劣らないという証明になる。其れが出来たら、例え今、脚が駄目になっても……いつかは皆と楽しく走れる日がやってくる。だから──。

 

 ──だから……待て。どうしてお前が(そこ)にいる?

 

「──なんで?」

 

 深い衝撃。盛大な混乱。レース中にやってはいけない、致命的な戦意の乱れ。それらを慌てて取り繕って、心を思いっ切り奮い立たせる。

 ──それでも、深い衝撃(ディープインパクト)は、俺を呆気なく追い抜いた。

 

「──えっ?」

 

 走る。走る。走る。

 前へと倒れ込む様にターフを駆け抜ける体は、確かにトップスピードを維持している。それどころか、最高速度を少しずつ更新し続けている。間違いなく、全てを賭けた過去最高の走り。

 二度とは出来ない──そう、本気で思える走り。

 ……それをディープインパクトは軽く交わして──進む毎に、差を広げて行く。

 そして……ふと、気が付いた。()の背中に、既視感を感じる。とっさには、何かが思い出せない。何か重要な事を忘れている……とかではなく、もっと身近な何かである様な。

 それは、当たり前にあるものみたいに。日常の一幕みたいに。例えば……そう。先輩方との、トレーニング風景だったりだとか。

 

「あっ」

 

 ──俺を置き去りにして行く後ろ姿に、多くの()()()が被る。そして()から感じた既視感の正体は、何も俺の思い出だけではない。

 ディープインパクトという存在の中で、多くの()()が走っている。そんな漠然とした確信。

 覗いてしまった、何時もとは僅かに変化しているディープインパクトの走り……その中身。本気を出した奴の構成要素。

 

 そこには──沢山の、ウマ娘達がいた。

 テレビで見た事のあるウマ娘がいて、本で見た事のあるウマ娘もいる。学園で見た事のあるウマ娘だって、勿論いる。

 

「どうして」

 

 知り合いのウマ娘だって、沢山いる。

 一緒に走った事のあるウマ娘。一緒にご飯を食べた事のあるウマ娘。一緒に怒られた事のあるウマ娘。

 話した事のあるウマ娘。笑い合った事のあるウマ娘。相談に乗って貰った事のあるウマ娘。

 

「止めろ」

 

 皆がいる。トレセン学園の皆が。リギルの皆だって、勿論。

 ブライアン先輩(シャドーロールの怪物)がいる。エアグルーヴ先輩(女帝)がいる。オペラオー先輩(世紀末覇王)がいる。フジキセキ寮長(幻の三冠)がいる。

 ヒシアマ先輩(女傑)が、マルゼンスキー先輩(スーパーカー)が、タイキシャトル先輩(最強マイラー)が、グラス先輩(不死鳥)が、エル先輩(世界の怪鳥)が、皆がいる。

 

「待って──」

 

 ……そして、ルドルフ先輩(皇帝)が……ディープインパクトの中に──ディープインパクトの走りの中に、いる。

 トレセン学園で皆と築き上げてきた()()()()と、全く同じ──いや。俺以上に綺麗な()()()()をする、ディープインパクトの中に。

 

 その背中が更に加速して、遠くなった。

 

「──ぅぁ……あ、あぁあああああぁあああああああ──!」

 

 遮二無二走る。フォームが崩れないのは、ずっと走り込んでいたから。頼れる先輩方に指導して貰って、東条さんに速く走る方法を教えて貰って、それで──。

 

 音が、反響する。世界を揺らす様に、ねじ曲がった歴史がディープインパクトを求める様に。罪を読み上げられる間際の罪人とは、こんな心地なんだろうか。反響した音に、飲まれて行く。

 

『──世界のウマ娘関係者よ、見てくれ!これが──』

 

 何処かから、夢の意思を代弁する声がする。現実と直面させる様に。最高速の世界が、風圧が、俺の腕を拘束する。どの道走ってる最中は腕が動かないのに、耳を塞がせない為だけに自由を奪う。お前が聞け、と言うかの様に。

 

 ──分かった。だから、やめろ。本当にやめてくれ。その事実を突き付けないでくれ。頼む。俺が悪かったから。成り代わるつもりはなかったんだ。

 

 必死に懇願する。それでも世界は止まらない。尚も、言い募る。

 

 ──ただ、走っていただけなんだ。何故か、お前がいなかっただけなんだ。■■■■年の若駒ステークスでお前と出会うまで、俺は本当に知らなかったんだ。お前の代わりに生まれただなんて。

 

 世界が加速して、風圧の重みが増す。懇願は通らない。それでも、みっともなく心が叫ぶ。俺をこれ以上、失わない為に。

 

 ──だから、お前の栄光に傷を付けるつもりもなかったんだ。本当の本当に、日本の競馬史が紡いだ歴史の重みにケチを付ける気なんて、これっぽっちもなかったんだ。

 だから……だから──。

 

『これが──日本近代ウマ娘(日本近代競馬)の結晶だ──!』

 

 ──俺じゃディープインパクトの()()()にならないなんて、そんな常識を突き付けないでくれ──。

 

 脚元から、世界が崩れて行く。世界から脱落する様な、不思議な感覚。こんなにも走り続けているのに、俺だけが置いてけぼりになって行く……そんな、錯覚。

 何処まで走り抜けても、『英雄』がいない。

 俺では……『日本近代競馬の結晶(ディープインパクト)』には、なれない。

 

 俺より三馬身くらい先。しとしとと雨が振る中で、ディープインパクトは三度目の『無敗の三冠』を達成した。俺の目の前では、二度目の『無敗の三冠』を。

 ディープインパクトが消える間際。何故かは知らないが、()が此方を……ちらり、と覗いた気がした。

 爆発する歓声には、夢が抜け切った空虚さだけが、残されていた。

 

 

■□■

 

 

『なんという末脚、なんという『衝撃』の末脚! これが歴史に残ります!』

 

 ターフを駆け抜けて、ゴールラインへと滑り込む。

 本来なら二番目でも得られるはずの栄光は、この世代においては存在しない。

 

 ──アフターマスだけが強い世代。

 

「……くそ」

 

 雨が降り始めた京都レース場には、爆発した様な歓声が響いている。

 新たに誕生した無敗の三冠ウマ娘(次のシンボリルドルフ)へと捧げられる祝詞。けれどそれは、アフターマスと同世代のウマ娘にとっては呪禁と言っても過言ではない。

 

「あっはは……負ーけちゃったねぇ……」

「これで私達は、晴れて『アフターマスが無敗の三冠を取った時の世代』と、ずっと言われるのですね」

 

 レースを共に走ったメンバーの中でも、やっぱり仲の善し悪しはある。全員が共通するのは『アフターマスだけは今日倒す』という決意だけであり、性格面では息の合わないウマ娘だって当然存在する。

 そんな中でも、歩み寄ってきた二人に関しては、比較的仲が良かった。

 

「……何笑ってんのよ。絶対に負けちゃいけないレースで負けたのよ、私達」

「いやぁ……流石にこれはもう仕方がないって。おチビ……じゃないや。我等が新しい皇帝陛下、ありゃー本当にやばいって」

「悔しいですが、結果で示された以上は認めざるを得ませんよ。『衝撃』の二つ名通りの、本当に衝撃的な結果ですもの」

 

 いやぁ、強かったねーおチビ。もう味噌っ粕扱いされていたアフタさんは居ませんのね。あはは、うふふ。

 

 ──ああ、腹が立つ。

 

「ねぇ。どうしてそんなに笑えるのよ」

 

 気が付けば、怒りを剥き出しにして食ってかかっていた。自分が短気なのを重々承知している友人二人が、嘆息して電光掲示板へと指を差す。

 

 そこにあるのは、当然出走したウマ娘達の順位と着差、そしてタイム。

 順位は上から三つだけ順に読み上げれば、7番、6番、4番。着差は7バ身、8バ身、4バ身。いっそ清々しいまでの、物の見事な惨敗の記録。

 そして──。

 

「セイウンスカイ先輩のタイムに並ぶって何さ……3()()3()()2()ってそれ、もう追い込みの一人旅で出して良いタイムじゃないでしょ……」

「追い込みの一人旅……っていうのも、もう意味が分かりませんけどね」

 

 これ、菊花賞ですのよ? どうすればそんな事になりますの?やっぱり宇宙人? 知ってた。

 ……そう呆れ顔でぼやいた友人と、それにうんうん頷く友人へと、遂に堪忍袋の緒が──少しだけ──切れた。

 

「──もうっ! 良いわよ! アンタ達だけで首を下げてなさい! 私一人でも、アフターマスをぎゃふんと言わせるの諦めないんだから! 指を銜えて見てなさいよ!」

「……見てては欲しいんだねー」

「寂しんぼですものね」

「うっさいわよ! バー鹿、おたんこにんじん、へたれ!」

 

 私、ちょっと彼奴の所行ってくる! そう言い捨てて、二人の元を後にする。

 ……後ろから聞こえて来た、「悪口のボキャブラリー、相変わらず小学生のままだねぇ」「多分、一生あのままですね」という声を無視して。そして。

 

「……悔しいね」

「本当に、悔しいですわね……」

 

 そんな声も、無視して。

 

 

「アフターマス!」

 

 雨粒よりも声の方が強く降り注ぐ中、ぼんやりと空を眺める目的の人物を発見した。

 歴戦のウマ娘も嫉妬しそうな万雷の『無敗の三冠ウマ娘』コールの中で、目的の人物──新しい無敗の三冠ウマ娘、アフターマスは佇んでいた。

 レース前に似ていて、でも何処か違う……そんな出で立ちに、眉を顰める。『無敗の三冠』を達成したからか……とも一瞬思ったが、何となく違う気がした。

 

「……あれ。君、さっきの。あ、対戦ありがとうございました……?」

「なんで疑問形で煽ってくんのよ……」

「いや、煽るつもりはなくて……あ。そっか、俺が()()()()()()()か」

 

 何言ってるんだ、こいつ。真っ先に出て来たのはそんな感想だった。

 お前が私達全員を無視したまま勝ったんだろう。

 そう、嫌がらせで食って掛かろうかとも思ったが、どうも様子が可笑しいので止めておいた。何か、変だ。

 

「いやぁー、あっはは……うん。実感がなくて。なんで()()三冠なんてなってるんだろ」

 

 アンタが私達に勝ったからでしょ! バ鹿にすんじゃないわよ! 死ね! ……そう言ってしまいたかったが、何となく今回も止めておく。レース前と違って、何というか……罪悪感が湧きそうな気がしたからだ。

 

「アンタねぇ……もう良いわ。そんな事より、一応祝ってあげるわ。おめでとう、アフターマス。次は負けないから。それと死ね」

「本当に口悪いねぇ……」

 

 そんなんじゃ友達出来ないよー。そう言って来たアフターマスへと、友達が出来ないのはアンタでしょ、と返す。新しい歴史を紡いだウマ娘は、「がーんだな」なんて言って肩を落とした。正直、もっと凹むと思っていたので鼻白む。

 アフターマスは年上に気に入られ易いのか、先輩付き合いが多い反面、同学年の友人は片手の指で足りる程度しかいない。その事実をかなり気にしているのは、有名な話だった。

 ……レース中、人が変わった様に周りを見なくなるし、レース相手の名前を覚えていない。対等な友人が出来ないのは、そんなアフターマス本人に原因があるのだが、本人が気付く日は来るのだろうか……なんて、一瞬気になったが、知ったこっちゃない。

 むしろ、『無敗の三冠ウマ娘』なんてはちゃめちゃな事を自分達の代でやりやがった此奴は、小さい事で思いっ切り悩めば良いのだ。大きい事だと可哀想なので、小さい事でぽつぽつと。

 

「まあ、そんな事どうでも良いわ。私、アンタに宣言しようと思って来たのよ」

「宣言……何を? というか、お名前なんて言うの? 何処住み? 俺、栗東」

「……アンタに名前なんて教えるつもりないし、ましてや友達になるつもりもないわよ」

「そんなー」

「ふんっ……アフターマス。次のレースこそ、アンタのその変な走り、完膚なきまでに叩き潰してやるから」

 

 ふん! と腕を組み顔を斜め上へと向ける。三冠直後という栄光の中で、それを汚される様な振る舞いをされたのだ。さぞかし怒り狂う……は無理でも、多少はかちんと来るだろう。そう思っての行動だ。

 ……しかし、何の反応も返って来る様子はない。薄目を開けて、アフターマスの様子を窺う。

 すると、そこにあったのは……勝ったウマ娘が絶対にしてはいけない顔──負けウマ娘の顔であった。

 驚きの余り、腕を解き、声が出た。

 

「アンタ……なんて顔してんのよ……」

「あ、ごめんね。次のレース、まだ予定してなくて。どうしようかなって……ほら。友達からの貴重なお誘いだしさ」

「……断固として友達じゃないわよ」

 

 このチビウマ娘! リトルポニー! ちんちくりん! 次は私が大差付けてやるから! あーだこーだ。

 ……そう言って、適当に別れるつもりだったのに、その気が失せてしまった。

 良く言ってマイペース、悪く言って()()()()()()なアフターマスと長々と話し込む気はなかった。だって友達と思われたくないし。よしんば友達と思われるにしても、それは私が此奴をぶちのめしてから……そう決めていたのに、此奴の姿からはそれすらもどうでも良いと思える。

 だって、『無敗の三冠ウマ娘』になったのだ。それも、私達全員を倒して。誇りこそすれど、悔しがる理由なんて何処にもないはずだ。ただの一度も倒された側に立ったことのない、此奴ならば。なのに、なのにどうして。

 

「──アンタ。巫山戯てんの?」

 

 いつもと違う、あんまりにも空虚な瞳──それを浮かべる奴を怒鳴りつけそうになったのを、我慢する。今はマスコミなんかも沢山集まっているレース場だ。友人同士のじゃれ合いでもないのに、勢い余って……とかで許される場面ではない。勿論、自分と此奴は友人ではないので、何をか言わんや。

 ……だが、込み上げてくる怒り。それは、菊花賞を敗北した瞬間の自分へ向けられたそれと、ほとんど同等のもので。やるせないとか、そんな言葉で片付けられやしない昏い熱が篭っている。

 真面目だけが取り柄ですねぇ……なんて返したアフターマスへと、冷たい視線を返す。そして、その温度のままに、口を開いた。

 

「無敗の三冠ウマ娘。私達の世代の栄光を、ほぼ独り占めしたくそったれ」

「……口の悪さ、直した方が良いよ。可愛い勝負服と美人が台無し。()()()の道に目覚めちゃうファン、出ちゃうかもよ」

「どうして……アンタが、()()()()()んの?」

「ん、無視かー」

 

 良いから答えなさいよ。そんな意味の視線を注ぐ。

 ……もう少しなら猶予こそあるが、そろそろコースから退去しなければならない。視線だけで答えを急かす。

 

「えっと……別に、そんな事ないんだけれどもさ」

 

 まだ折れちゃいないしねー……と、視線を下げながら漏らす。視線の先には、彼女の脚があった。よく鍛えられていて、あれだけの激走をしたのに、既に脚に震え一つ走っていない。

 効率軽視で鍛えられた体は、成程……昔、散々自分達の世代に心を折られていた口だけ大きいウマ娘達とは根本的に違う。それは分かる。分かるが……今気になっているのは、精神的な面だ。肉体は、今は置いておいて良い。

 

「……本当にそんなつもりはないんだけれども、見た感じが凹んでるんだとしたら、()()()()()()に勝てないからかなぁ……」

「……は?」

「勝てないんだ。何度やっても、どれだけトレーニングしても、どんなに必死に走っても」

 

 ──なんだ、それ。たったそれだけの事で、自分達を散々倒し続けて来たお前が、顔を曇らせるのか。私にクビ差に持ち込まれても、見向きもしなかったお前が。

 じゃあ、何か。私達は眼中にないとか、それ以前の問題なのか。私達は敵ですらなくて、お前が理想を越える為の道中の障害物なのか──()()()()()()()()()

 ずっと疑惑を持っていた事が、確信に変わり、今度こそ怒りが噴き出した。

 

「アンタっ、ふっざけんじゃ──」

「──はーい、ストップー。3秒深呼吸したら息を吸いましょー」

 

 ひっひっひっひっひっふー……そう言いながら、先程別れた友人の片割れが背中から抱き着いて──来る振りをしながら羽交い締めにして──来た。

 もう片割れは、アフターマスへと頭を軽く下げている。

 

「ごめんなさいね、うちの怒りんぼが血気盛んになってしまって」

「いえいえー。気持ちの切り替えがしたかったから助かったくらいですよ。この後、ウイニングライブしなきゃですしね。正直、レースの感情持ち込んだままだとうまぴょい出来る気しない……」

「不動のセンターを務めるファンの皆さんの愛バ、とても凶暴ですものね。あ、そう言えばウマウマ動画の『ヤケクソデカケル』のダブルミリオン達成、おめでとうございます」

「……それ、無許可の動画って知ってるでしょ、絶対。あれ一応、投稿名は『ユメヲカケル』のまんまだったはずだし」

 

 相変わらず良い性格してるよねぇ……そう零したアフターマスへと、羽交い締めを振り払って食って掛かろうとする……が、この友人は不思議とこういう時の力のさじ加減が上手い。振り解けそうになかった。

 

「さって! じゃあ、三人はこの後、俺の愛バがずきゅんどきゅんしなきゃいけないんだから、ちゃっちゃと控え室に戻りましょー! 特に二人はおチビ……じゃなくて、アフターマスよりも疲れ切ってる様にお見受けしますしね!」

「誰がこんな奴よりも──!?」

「ほうら、膝ががくがくしてるからちょっと上から抑えられただけでがくんと崩れ落ちちゃうんだなー!」

「……うん。久し振りに会ったと思うけど、俺とキャラ被りしてるね?」

 

 そりゃあね、()()()やってるし!

 堂々とそう言い返した友人は、私の事言えないくらい最低だよなぁ……と羽交い締めを解きながら思う。もう頭が多少は冷えたと判断されたのか、すんなりと解けた。

 ……突然現れて、自分達をあっさりと倒し尽くしてしまった新世代の怪物、アフターマス。

 実はこの三人の中で、一番此奴を嫌っているのは、自分を羽交い締めにしていた彼女だったりする。嫌いで嫌いで嫌いだから、凹んでる時にキャラ被りをわざとして、本調子に戻させない。例え、それが『無敗の三冠』という偉業を達成した日のウイニングライブ前だとしても。むしろ、それならそれで、失敗すればいいとすら思っているかもしれない。

 彼女はそれくらいアフターマスを嫌っていた──同期の中で一番、仲間想いな子だから。急に現れて理不尽に通り過ぎて行く怪物に、何人も友人を引き潰された子だから。

 

「なんか……ごめんなさい。本当に、色々とやらかしてるみたいで……」

「──……は? 理由も分からず謝んなよ。お前、本当に昔からそうだな」

「……素、出てますよ?」

「あっ。──んんっ……という訳で、もう二人は連れて帰るから! じゃあね、ライブ楽しみにしてるね! なんかファンサービス考えといてよ! なんたって、『無敗の三冠ウマ娘誕生ライブ』とかいう特別なライブなんだからね! それじゃ、行こっか二人とも!」

「ええ。……アフタさん。良い加減、素直に……いや、正直に? ……まあ、とにかくその性格を治しませんと、私達からもぎ取った栄光に泥が着きますよ?」

「肝に銘じます」

 

 それじゃあね!失礼しますね。そう言って二人は足早に……ではなく、ゆっくりと去って行く。恐らくは自分が追い付きやすい様にだろう。なら、自分もさっさと捨て台詞を吐くなりして、二人を追い掛けねばならない。

 捨て台詞とは、勝利を諦めていない敗者だけの特権だ。

 

「……とにかく。アフターマス。アンタ、絶対に誰かに負けるんじゃないわよ。アンタが負けた瞬間、私達全員雑魚呼ばわりされるの。分かる? アンタの負けが私達の負けにもなるの。だから、絶対に勝ち続けなさい。負けは許さないから」

 

 そう言って、アフターマスに背を向けて。

 先に行った二人へと追いつく為に、早々と歩き始めた。

 

 ──……次は勝つよ。

 

 ……自分達の世代から生まれた絶対王者の、そんな呟きから耳を背けて。




 ご安心下さい。作者はハッピーエンド至上主義者です。

ーご連絡ー
 いつも感想、評価、お気に入り登録、栞、応援を下さりありがとうございます。励みにさせて頂いております。
 本作がテーマの関係上、どう考えても『短編』では済みそうにないので、今回の投稿から『連載』に表記を切り替えさせて頂きます。ご容赦下さい。


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第6話 不屈

 ──バクシンバクシンバクシーン! ──バクシンバクシンバクシーン!

 ──日本最長は!? ──ステイヤーズステークス!

 ──ステイヤーズステークスは!? ──芝の3600m!

 ──バクシン的にやるべきは!? ──1200m掛ける(×)3!

 ──すなわち私達がやるべきは!? ──バクシンシーン!

 

 朝。サクラバクシンオーの声が、校舎の中へと迷い込んで響いた。今日は、複数の声が混ざり合った日だった。

 模範的委員長を自負するサクラバクシンオーが早朝から練習に励む姿は、この中央トレセン学園では毎日のように見られる光景である。

 長距離ウマ娘の家系に生まれながらも、短距離ウマ娘としての才が極めて高かったサクラバクシンオー。彼女は輝かしい短距離の才能と反して、長距離ウマ娘としては芽が出なかった事を悔いていて──なんて事はなく。ただ純粋に、誰かの見本となる為に、そしていつか本当に長距離で結果を残す為に、日夜彼女の掲げる『バクシン』という道を邁進(まいしん)している。

 時折こうやって、サクラバクシンオーの走る姿に感銘を受けたウマ娘が現れては、全員で脚並みを揃えて快く驀進(ばくしん)する。

 疲れた朝を迎えていても、見るだけで心が軽くなるような、中央トレセン学園の名物だった。

 

 学園を治める一角として、そんな心嬉しくなる声がこそばゆい程度に満ちた廊下を、こつこつと歩く。

 シンボリルドルフは、数ヶ月前から頼れる仲間達と共に、毎日のように生徒会室で缶詰め状態を繰り返していた。

 その苦労の程は、まだ年若いウマ娘の体すらも凝り固まらせるのに十分なもの。しかし、それ以上に降り掛かった心労に、全身の凝りなど溜め息で吹き飛んでしまいそうな程だった。

 

 彼女が現在向かっている先は、学園内に備え付けられた極々普通の自動販売機だ。軽く息を抜く程度ならば、本来は生徒会室に備え付けられた茶葉で紅茶の一つくらい入れるのだが……如何せん、休憩の時くらいは仕事の空気がない場所まで脚を伸ばしたい。そんな気分であった。

 

「あれ? カイチョーじゃん! 今日はお仕事ないのー?」

 

 自動販売機で『あ〜い〜九茶』と銘打たれた定番の缶飲料を購入していると、後ろから聞き馴染みのある溌剌とした声が掛かった。

 振り向くと、トウカイテイオーと呼ばれるウマ娘の姿があった。平時ならともかく、生徒会室が『中等部生立ち入り禁止』となっている現在、こんな場所で彼女を見掛けるのは珍しい事だった。

 構って欲しそうに尻尾を振っている彼女へと買ったばかりの缶飲料を渡し、自分の分をもう一本購入した。明るい笑顔で感謝を述べながら缶を受け取った彼女に、ほんのりと癒される。人の厚意を素直に受け取れるのは、彼女の美徳だ。

 如何に超人的なメンタルをした生徒会の高等部組と言えど、現在処理している仕事は相当精神的に来るものだった。それは超人の中の超人と名高い『皇帝』シンボリルドルフも同様で、絵に描いたような元気っ子であるトウカイテイオーが少しでも元気を分けてくれるなら、それは願ってもない事だった。

 

「こんな所で珍しいじゃないか、テイオー。何かあったかい?」

「えっ? いっ、いや別に何があったって訳じゃないけど、何となく歩いてたんだー」

 

 あ、お茶頂きまーす! そう言ってプルタブを開けて、トウカイテイオーは勢い良く缶を呷った。勢いが良すぎたのか気管に入ったようで、けほけほと噎せている。

 シンボリルドルフはハンカチを口許に差し出してやりながら背を撫でた。

 

「ほら、テイオー。()()着け。()()を慌てて飲むようじゃ、()()()()話も出来ないじゃないか」

「うう……ごめん、カイチョー。気を付けるよ。ハンカチは新しいの買って返すね」

 

 別に構わないよ、それくらい。そう返しながら、小粋なジョークに気付いて貰えなかった事に少し凹む。最近、なんだか切れが悪い気がしてならない。

 一方で、トウカイテイオーがこんな所にいる理由を何となく推察した。別に何がある訳ではないが、殆ど反射的な思考だった。

 

「ふむ……いつもみたいに私に会いに来た、という訳ではなさそうだね。目当てはアフタかい?」

 

 びくぅっ! と尻尾と耳が跳ねた。こういう時、感情が出やすい性格のウマ娘はわかり易い。

 

「いやぁ、べっつにー? そういう訳じゃないよ? ほら、ボクってアフターマス苦手だし?」

「苦手……というより、似た者同士な気もするが。ほら……こう、末っ子同士とでもいうのかな?」

「末っ……!? 僕の方がずっとお姉さんだよ、カイチョー!」

 

 それに何の末っ子なのさー!といきり立つトウカイテイオーに、益々それっぽいなぁ……と感じる。何の末っ子……というよりも、あくまでイメージ的な話だ。

 

「アフタなら生徒会室にいないぞ。生徒会役員ではないし、そもそも現在は中等部生の立ち入りを禁止している。テイオーも知っているだろう?」

「えっ、ここにもいないのっ!? リギルの部室にも練習場にもいなかったのに!?」

「……やっぱり、アフタが目当てなんじゃないか」

「あっ……」

 

 鎌を掛けたつもりすらないのだが、トウカイテイオーは見事にバ脚を露わした。思わずくすりと笑う。

 

「もー……笑わないでよー……」

「いやぁ、すまない。余りにも明朗なものだったから……それで、アフタに何の用だったんだい?」

 

 アフタの元に訪れるとしたら、菊花賞直後だと思ったんだが。そう付け加える。

 現在の暦は十一月の頭で、菊花賞から既に一週間近くが経過している。トウカイテイオーの性格なら、三日以内には突撃して来そうなものだが……と思っての台詞だったが、何故だかトウカイテイオーはもごもごと口篭った。

 しかし、おや……と思ったのは一瞬の事で、何とも可愛らしい様子で口火を切った。

 

「うーん……もう笑わないでね?」

「ああ、勿論」

「なんて言うのかなー……ボクなりに気持ちの整理をしてたって言うか……菊花賞、テレビ越しでも分かるくらいすっごい苦しそうに走ってたから、何でだろうって思って。ずっと考えてたんだよね」

「ほう……?」

 

 トウカイテイオーという天才少女の洞察力に、思わず驚きの声が出た。

 無敗の三冠ウマ娘誕生。それを祝う声は多かったが、アフターマス本人を指して『苦しそうに走っていた』と形容した者は、リギルを除けばウマ娘でさえほとんどいなかったのだ。

 気持ちの整理というのは、自身の夢であった無敗の三冠ウマ娘──自分(シンボリルドルフ)のようなウマ娘になる……それを、後輩が叶えたが故に生じたものだろう。今はもう新しい夢に向かって自分だけの道を進んでいるトウカイテイオーだが、かつての夢の名残りに思う所があって然るべきだ。

 それくらい、トウカイテイオーという少女は夢を追い駆けていたのだから。

 

「あ、あとマックイーンがすっごい心配してたから、ボクが先に来るのも違うかなー……って。まあ、トレセン学園に戻って来るまでもう少し掛かるみたいだし、もういっかー……と思って先に来たんだけどね」

「メジロマックイーンが? 繋がりが見えないな。知り合いだったのか?」

「凄い遠いけど、親戚なんだって」

 

 子供の頃、アフターマスの走りを見てあげたりもしたらしいよー。そう付け加えられた情報に、顔には出さずとも心底驚く。古い名家というものは遡れば何処かしらで繋がっている事も多いが、それにしたって『史上最強のステイヤー』と『新世代最強のステイヤー』に接点があったとは思いもしなかった。

 ましてや、過去に教えを乞うていたとは。

 

「それは初耳だな……他に何か言ってたかい?」

「……カイチョー、めちゃくちゃ食いつくね。カイチョーこそどうしたの?」

 

 ボク、妬けちゃうなー。そう言う少女へと苦笑を返した。どこか得意げな顔をしていて、からかうつもりなのが全く隠れていなかったのだ。

 

「すまない。別にテイオーを軽んじるつもりはなかったんだ」

「本当にー? ……なーんてね! わかってるよ。なんたって、カイチョーはこの不屈のトウカイテイオーの()()()()だからね!」

 

 かつて幾度もの挫折を経験し、その全てを乗り越えた不屈の少女。誇らしげに胸を張る彼女に、思わず笑みが零れる。

 ボク、敵の分析って得意なんだよ! そう言った少女が歩み始めた夢の幸先を願わずにはいられなかった。

 

「……それで、マックイーンがなんて言ってたかだよね。うーん、なんて言ってたっけ……走り方が変?」

「それは……まあ、そうだな。独特なのは間違いない」

「いや、そうじゃなくって」

 

 なんて言ってたんだっけ。そう悩むトウカイテイオーに、少し申し訳なく感じる。缶のお茶で口をほんの少し湿らせて、話題を少しだけ変えてみる事にした。悩んでも分からない時は、少し違う事を考えると、案外思い付いたりする。

 

「そう言えば、マックイーンの調子はどうだい?」

「ん、マックイーン? 昨日の夜に電話したけど、早く思いっ切り走りたいってさ。甘いもの食べちゃうと、摂取カロリーを消費し切れないんだって」

 

 メジロマックイーン。『史上最強のステイヤー』と呼び名の高い名家出身の少女であり、トウカイテイオーの好敵手の一人である。彼女は現在、脚に重度の病気を抱えてしまい、学園と実家を行き来しながらそれを治療している最中だ。

 本来ならそのまま引退してしまうような病が相手だが、メジロマックイーンの最高の好敵手は()()不屈のトウカイテイオーである。最高の好敵手と再び走る為に全力を尽くすメジロマックイーンなら、病なんて確実に乗り越えるだろう。そう誰もが確信している。

 

「はははっ、そうかそうか。それは何とも彼女らしいね」

「今度戻って来る時には、もしかしたらぽっちゃりしてるかもね」

 

 自分に厳しいメジロマックイーンならそんな事はない……と思うのだが、何故か否定し切れなかった。

 

「……でさ、カイチョー。思いっ切り話変わるけど、良い?」

「ああ、構わないとも」

「アフターマス……何処にいるか知らない?」

 

 すっ……と、空気が変わった。真剣な時のトウカイテイオーが出すぴりぴりとした空気は、シンボリルドルフをはじめとした先達のウマ娘にとってはとても心地良いものだ。特にそれが、後進が成長しようとして放つものなら、尚のこと。

 

 だが、それはそれとして。今のアフターマスに、既に覚悟を完了させた状態の経験豊かなウマ娘(トウカイテイオー)を接触させるべきかどうかは測りかねる。シンボリルドルフは問い掛けた。

 

「アフタと会って、何を話すつもりなんだい?」

「……カイチョー、分かってて言ってるでしょ。ボクが()()()取れなかった三冠。それを取ったのに、どうしてあんな顔してるのか聞きたいんだ。ずっと考えてても答えが見付からないから、直接聞くんだよ。それに、少しくらいなら息抜きを手伝ってあげても良いかなって。ほら、ボクは先輩だし?」

 

 自信に充ちたウマ娘、トウカイテイオー。()()()()()()と現在との違いは、その自信の源泉だろう。

 かつての彼女は自分の才覚を拠り所にしていたのに対して、現在の彼女は自分で歩んだ道程が自信を生んでいる。受け入れ難い敗北すら乗り越えて大きく成長した彼女なら、また迷走し始めたアフターマスを変えられるかもしれない。そう期待した。

 ……少なくとも、チームリギルでは今の彼女を好転させてやる事が出来なかったのだから、彼女に託してみてもいいかもしれない。

 ディープインパクト。実在しないウマ娘の後を追う、彼女を。

 

「アフタは学園の何処かで練習中だよ」

「何処か? 学園にはいるんだよね?」

「学園にはいるし、授業にも出ているらしい。が、授業が終われば色んな場所やウマ娘の所を転々としながら、()()()()()()()の追求をしているようだ。トレーナーとはきちんと連絡を取っているみたいだが、どうも私達リギルのメンバーとは顔を合わせにくいらしい」

「……アフターマス、何かやったの?」

 

 完璧だと思っていても、まだ完璧ではなかった。それが原因らしい……と言っても、トウカイテイオーには通じないだろう。

 アフターマスが抱える事情を僅かなりとも理解しているのは、リギルくらいだろう。いや、もしかしたらメジロマックイーンも知っているかもしれないが、本当にそれくらいだ。

 

 アフターマスが抱える事情──ずっと彼女が追い掛け続けているディープインパクトというウマ娘の正体は、実の所、リギルメンバーでも何も分かっていない。彼女が偶然零した為にその存在を知ったものの、絶対に深くを語ろうとしないが故に。

 亡くなった幼馴染み。憧れていた姉妹や肉親の虚像。或いは、幼い頃に衝撃を受けた数々のレースが集まって生まれた、空想上のウマ娘。色んな可能性がリギルの中で議論されたが、真実は闇のままだ。

 ……闇のままで、アフターマスというウマ娘に『無敗の三冠』を取らせてみせる事で、此方に影響を与えて来ている。

 『無敗の三冠』の持ち主だけが、『無敗の三冠』の在り処を見失っている。そんな状況が、ディープインパクトという存在しないウマ娘によって齎されていた。

 

「テイオー……一つ、頼まれ事をしてくれないかい?」

「えっ、カイチョーがボクに? 珍しいね。良いよ、このテイオー様が聞いてしんぜよう!」

「ふふっ、頼もしいね。それじゃあ……不屈の帝王。君は何度でも立ち上がる稀代のウマ娘だ。そんな君に、新しい無敗の三冠ウマ娘の走りを見て欲しい。そして、見たまま感じた事を、先達として伝えてやって欲しいんだ」

「先達として……見たまま、感じた事を?」

「ああ。彼女は今、自分を見失っているんだ」

 

 菊花賞。その日に、何かを見たらしいアフターマスは、走りがぐちゃぐちゃになっていた。

 あと二月足らずで、アフターマスはURAからの依頼に則り、半ば強制的に暮れの中山を走らなければならない。それまでに、出来るだけ彼女を助けてやりたかった。

 

「別にいいけど……何処にいるの? って言うか、わざとそんなに転々としてるなら、話し掛けたら逃げられない?」

「逃げやしないさ。本人的には鍛えてるだけのつもりらしいからね。むしろ、歓迎されるんじゃないかな。脚捌きの勉強をする為に、テイオーのレースを何度も観ていたからね。意外とファンかもしれないよ」

「へ、へーえ……?」

 

 トウカイテイオーは苦手──というには、似た者同士過ぎるが──なウマ娘の意外な一面を知り、満更でもない様子だった。

 彼女なら、今も何処かで走っているだろうアフターマスを変えてやれるかもしれない。頼む、変えてやって欲しい。そう思わずにはいられなかった。

 

 

■□■

 

 

 バクシンバクシンバクシーン! バクシンバクシンバクシーン!

 

「アフタさん! 脚が下がっていますよ! バクシンです! バクシンで超えていくのです! そんなんじゃスピードの向こう側はまだ遠いですよ!」

 

 サクラバクシンオー先輩の鼓舞に、バクシンを以て返答とする。

 現在は学校が始まる前の朝の時間。俺は学園の練習場ではなく、学園の外周部に沿うようにしてバクシンオー先輩と元気にバクシンしていた。さっきまで数名他のウマ娘がいたが、許可されている自主練習量の兼ね合いや朝の身支度の為に、既に離脱済みだった。

 

 俺は更なるバクシンを求めて、元気よく返事をし、力強く踏み込む。

 

「はいっ! バクシンします! バクシーぃんっ!?」

「ちょわっ!?」

 

 ずがががっ……と、顔から思い切り地面にダイブした。やはりバクシン道は修羅の道……そう思いながら、立ち上がる。擦った顔以上に、先輩の前で恥を晒した心がとても痛い。

 

「だ、大丈夫ですか? 委員長なので救急セットを持ち歩いてますから、直ぐに手当てしましょう!」

 

 心配してくれたサクラバクシンオー先輩に、軽く断りを入れてから立ち上がる。転んだ先は短い草の上だったので、そんなに酷い怪我はしていない。唾をつけときゃ治る程度のものだけなので、気にせずにバクシンしたいと思う。

 

「……怪我は殆どしてないですから、とりあえずバクシンしたいです。俺、まだバクシン出来てないです。このままじゃ、スピードの向こう側へとバクシン出来ない……!」

「アフターマスさん……」

 

 俺の中の畜生が、なんか良い感じの空気を醸し出す。バクシンオー先輩は俺の意思を汲んでくれて、再びバクシンし始める──という事はなく。普通に抱えられて、すぐ側の段差に座らされる。そしてそのままジャージのポケットから小さな救急セットを取り出し、手早く処置をしてくれた。とてもむず痒いし、何故かデジャブだ。

 

「擦り傷と甘く見てはいけませんよ! 最悪、死にますので!」

「死ぬんですか!?」

「死にます! 委員長が言うんですから間違いありません!」

 

 くわっ!と言わんばかりの目力に、思わず気圧された。消毒された上からぺたぺたと貼られる絆創膏が、妙に頼もしく感じた。

 

 菊花賞が終わってから一週間くらいが経つ。空模様は菊花賞と打って変わって晴れ模様だ。冬の脚音が聞こえて来て、少しわくわくする。澄んだ空気が空を高く見せていて、とても気持ちがいい。

 ……が、それはそれとして、俺の走りまで打って変わったかのように迷走しなくて良いよなぁ……と一人愚痴る。端的に言って、今の俺はスランプを迎えていた。

 

「そういえば、委員長的に気になっていたのですが、どうして私の所に来たのですか? スプリンターの勉強がしたいなら、いつかはステイヤーになるこの委員長よりも、同じチームのタイキシャトルさんの方が訊ね易かったのでは?」

 

 喧嘩ですか? 仲違いですか? 委員長が取り持ちますよ? そう言ってバクシンオー先輩は、俺の隣に腰を下ろした。どうやらバクシンは少し休憩の時らしい。

 スプリンターの勉強がしたいのではなく、スプリンターの走りの勉強がしたいのだが、大した違いはないのかもしれない。勉強の目的だって、一歩毎の接地時間を短縮する為である。本題を考えれば、やっぱり大した違いはない。

 心配してくれた先輩へと、正直に話す。あまりにも残酷な現実を。

 

「ほら……タイキシャトル先輩って、体格いいじゃないですか」

「はい、とてもスタイルが良いですね!」

「ですよね。だからその……走り方がですね、参考に出来ないんですよ。タイキシャトル先輩って体格有りきのストロングスタイルだから……」

「あっ……」

「身長、40cmも違うらしいっすよ? どう思います? 理不尽じゃないですか? 40cmってあれですよ? ハンバーガー3個分より長いんですよ?」

 

 三女神が与えた理不尽を言い募っていたら、剛毅なバクシンオー先輩から真剣に慰められた。とても解せない。

 

「……とりあえず、喧嘩とかじゃないようで安心しました! 最近、チームメンバーと全然一緒にいないと聞き、委員長として心配してましたので!」

「ご心配お掛けしてすいません……。()()()()()になってから会いたいなぁ……っていう俺の単なる意地なんですよね」

 

 バクシンオー先輩にそう言ってから、瞼を閉じる。するとそこにあるのは、菊花賞の時の()の後ろ姿だ。先輩方の誇りになれるような綺麗な走り。それが目に焼き付いていて、どうしても自分の走りが出来ないのだ。

 

「そうでしたか……でしたら、この委員長が力になれる時は何時でも言って下さいね! 協力しますとも!」

 

 そう言ってくれたバクシンオー先輩に感謝して、頭を下げる。これまであまり関わりのなかった先輩だが、色んな人に慕われている理由が何となく分かった。

 彼女が掲げるバクシン道……その果てに、答えがあるかもしれない。俺は立ち上がり、共にバクシンしましょう!と熱く声を上げた。今ならいける……スピードのその先へ──。

 

「いえ! もうそろそろ授業の準備をしなければなりませんので、今日はここまでにしましょう!」

 

 そう言って、バクシンオー先輩は俺を促しながら校舎の方向へと歩き始めた。

 ままならないなぁ……と、つくづく感じる。

 

 ……前世で二回出走し、二回とも嫌な思い出しかない有記念。

 俺はあと二ヶ月弱もすれば、またそれを走る事になる。出走するウマ娘は全員、夢をたんまりと背負った強者ばかりだ。その中には、あのゼンノロブロイ先輩や──その好敵手で、俺がディープインパクト以外で唯一負けた相手であるハーツクライ先輩が出走する事になるだろう。前世がそうだったから。

 三回目となる有までにスランプを脱却しないと、また嫌な思い出が残るなぁ……と、一人悩んだ。

 誰かの夢が走る暮れの中山は、何時だって俺に冷たいのだ。自分くらい、自分を信じてあげられるくらいの温かさを持ちたい。その為には、強さが必要だった。

 ディープインパクトという、夢の結晶に負けるのは理解出来る。暮れの中山とは、夢が具現化して走ってるようなものだから。

 だが、それ以外の相手には二回も負けたくはないのだ。幾ら、ハーツクライという競走馬──ウマ娘が、ディープインパクトと同種の輝きを持っていたとしても。

 

「……バクシーン」

 

 俺は、小さく呟きながら、バクシンオー先輩に背を向けて走り出した。俺はまだ、走っていたかった。

 何度躓いたって良いから、俺はもう、負けたくないのだ──。

 

「……ちょわっ!? アフタさん!? どうしてまた転けているんですか!? アフタさん? アフタさーん!?」

 

 木々の多いトレセン学園の空気は肌寒い。

 そんな中で地面に突っ伏しているのは、お日様に温められた地面がとても暖かかったからであって、他意はない。だから断じて、転けた瞬間をまた先輩に見られたのが恥ずかしかったから顔を上げられない……なんて理由ではない。本当に、そんな理由ではないのだ。

 ……誰に言う訳でもないのに、俺は心の中で、現状の理由をそういう事にしておいた。




作者は小説の書き方を見失いました。助けて下さい。


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第7話 小麦の穂

バクシーン


 もそもそとシリアルを頬張る。乾いた口内を水で流して、一本丸ごと人参をぽりぽりと齧る。それを飲み下して、またシリアルをもそもそと。

 それを何度か繰り返せば俺の朝食は終わりだ。人参の枠はレタスだったり胡瓜だったりに変わったりもするが、概ねいつも通りの朝食。

 シリアルはシンプルで麦芽を押し潰しただけに近い、オートミールのようなものが好ましい。水は水道水でも何でもいい。野菜は出来るだけ新鮮なもの。それが俺の拘りだった。

 

『生まれるべきではなかった新たな無敗の三冠ウマ娘』

『栄光の影、新時代の頂点の功罪』

『必然? 偶然? アフターマスの競争相手のその後』

 

 人参を片手に、薄ぼんやりと携帯端末の液晶画面を眺める。URAや学園の許可を通してなさそうな記事が、今日も沢山並んでいる。

 

「暇なのかなぁ……」

 

 生徒会の人やたづなさん達は、出版社がお金を掛けて作ったもっとえぐいのを見ているんだろうなぁ……と思うと、申し訳ない気持ちになった。

 そういうのを差し止めるのは、やっぱり大変なんだろうか。今度差し入れを置いて来た方が良いかもしれない。何が喜ばれるかはわからないが。

 

 携帯端末の電源を落としながら、心に蓋をする。そうすれば、練習で負った小さな傷の痛みを忘れられる。今日は一人でフォームの改善をしなければならない。痛みなんて邪魔なだけ。

 人参を全部頬張って、残ったコップの水で流し込む。シリアルの箱を閉じて、テーブルの真ん中の方へ寄せた。同居人は居ないから、自分の持ち物をやりっ放しにしていても問題はない。

 

 蹄鉄をしっかりと留めた練習靴を履いて、自室の扉を開ける。今日こそは、更に速くならなくては。接地時間の短縮が終われば、また次の課題がある。次のレースまでに完成()なければならない。走りで黙らせなければならない。

 皆の誇り(ディープインパクト)には、まだ遠い。

 ──さあ、今日も頑張ろう。

 

 

■□■

 

 

「えー……という訳で。今日から我がスピカに仮入部……じゃないな。色々あって預かる事になったアフターマスだ。少しの間、一緒に過ごす事になるから仲良くしてやってくれ。ほら、アフターマス、挨拶挨拶」

「あっはい。えーっと……ご紹介に預かりました、アフターマスと申します。アフタと呼んで頂ければ嬉しいです。手土産もなく、すいません」

『……はあーーーっ!?』

 

 三人仲良く室内へと入って来たスペシャルウィーク先輩、ダイワスカーレット先輩、ウオッカ先輩にぺこりと頭を下げる。

 異口同音に、驚きの声が上がった。急に爆発した音の塊に、耳もぺこりと下を向いた。

 

「ちょっ、ちょっとトレーナー!? 流石にアフターマスは不味いわよ!」

「いくら新人が来ないからって、リギルのホープ誘拐して来るのは駄目だろ!? 殺されちまうぞトレーナー!」

「……謝りに行きましょう。誠心誠意謝れば、今ならまだ許してくれるかもしれません……今直ぐに謝りに行って、けじめを付けて誠意を見せましょうっ!」

「お前らなぁ……」

 

 一体、俺を何だと思ってるんだ……そうぼやいたチームスピカの専属トレーナー──沖野トレーナーの周りで、チームスピカの先輩方がやいのやいのと声を上げている。見るからに仲が良さそうで、楽しい気分になった。

 

 ()()()、現在地と思われる場所はチームスピカの部室。

 何処となくレトロな雰囲気を残しつつ、必要な物は一通り揃っている機能的な空間だ。東条さんが同格として認めている数少ないトレーナーの一人が整えていると考えると、流石は超一流チームの部屋だ……と感じてしまう。最新鋭という言葉が似合うリギルとは方向性こそ違えど、練習拠点としての役割に差はなさそうだ。きっと、生み出される練習の質もかなり高いのだろう。

 初対面で挨拶前に脚を撫で回された時、沖野トレーナーの事を本気で危ない人だと思ったが、少し失礼だったかもしれない。

 

 ……そう思っていると、ダイワスカーレット先輩とウオッカ先輩が、沖野トレーナーの腕をそれぞれ掴んだ。

 

「待て待て待て待て! 俺は本当に何もしちゃいない! おハナさんに頼まれたんだよ!」

「そんな訳ないでしょ!? 何がどう転がれば、グランプリレース目前の無敗の三冠ウマ娘をライバルチームに預けるのよ!」

「俺達でももう少しましな嘘を考えるぜ、トレーナー!」

「本当なんだって!」

 

 沖野トレーナーはウマ娘に負けないくらい壮健……そう聞いてはいたが、ウマ娘が人間相手にプロレス技を掛けようとする光景を見ると、流石に驚く。何が驚くかと言えば、沖野トレーナーの反応が、完全に技を掛けられ慣れてる人のそれなのだ。

 この光景が日常的に繰り広げられてるとすれば、沖野トレーナーの耐久性はどうなっているのだろう。人体の不思議を垣間見た気がした。

 

 ……そう思っていると、スペシャルウィーク先輩に肩をつつかれた。はて、と思い顔を直視する。何故かとても優しい顔をしていた。

 

「アフターマスさん、正直に話して下さいね。大丈夫、私達が守りますから。ここまで来るのに、何がありましたか?」

「えっ。いや……自分の部屋を出て、ゴールドシップ先輩にずた袋で担がれて、気が付けばこの部屋にいて脚を撫でられてました……?」

 

 あった事をそのまま口に出してみる。しかし、自分で言ってて意味がわからないので、最後にどうしても疑問符が付いた。話の脈絡がなさすぎて、何を言っているのか本当に訳がわからない。

 だが、色んな意味で有名なスピカの先輩方にはそれで通じたようで、アウトー! と叫びながら、ダイワスカーレット先輩とウオッカ先輩が沖野トレーナーにプロレス技を掛け始めた。両サイドからの綺麗な腕ひじき十字固め。あまりに綺麗な極まり方なので一拍子遅れたものの、慌てて止めに入った。

 

「先輩方、すいません! でも俺、近々スピカの皆さんとトレーニングするって東条さんから聞いてました!」

 

 何時かは聞いてませんでしたけど……そう付け加えると状況が悪化するのは目に見えているので、黙っておく。

 先輩方はお互いにきょとんとした顔を見合わせてから、技を掛けるのをやめた。立ち上がって、こちらへと向き合う。痛みに悶絶打った様子の成人男性の声が部室に響いていて、スピカの凄さに色んな意味で慄いた。

 

「あら、そうだったのね。ごめんなさい、早とちりしちゃったわ。アタシ、ダイワスカーレット。歓迎するわね、宜しく」

「俺はウオッカだ! 一時的なもんかもしれないけど、俺達は仲間になるんだ、何でも頼ってくれよ!」

 

 アフターマスです、呼び方はアフタでお願いします……そう言って、再度頭を下げた。隣のスペシャルウィーク先輩にも同様に。

 

「あの……っ! もしスピカで困った事があったら何でも言って下さいね! 少しだけ個性的なチームですけど、皆さん本当に良い人ばかりですから、大体は何とかなりますので!」

 

 宜しくお願いします、アフタちゃん! そう元気良く言ってくれたスペシャルウィーク先輩に頭を下げて──彼女の後ろで、のそのそと沖野トレーナーが立ち上がったのを目撃した。痛みから復帰するまでの早さに、少しだけ引く。技を掛けられ慣れ過ぎて、肉体が特殊な進化を遂げているのかもしれない。

 中央トレセン学園のトレーナーは怪物ばかり……前に聞いた噂は本当だった。じゃあ、東条さんも同様なのだろうか。疑問が尽きない。

 

「ってて……実は前から検討してたんだよ。アフターマスがオーバーワークを繰り返し過ぎるから、短期間だけでも環境を変えてみようかって。うちにとっても悪い話じゃないしな」

「それにしたって急過ぎるでしょ……何も聞いてないわよ、アタシ達」

「いやぁ、すまんすまん。実は事情が少し変わってな。直ぐにでも決行する事にしたんだ」

 

 事情? と先輩方が首を傾げた。確実に俺のせいで、居た堪れなくなる。

 チームリギルに全然顔を出さなかった挙げ句、先日、盛大にすっ転んで顔を擦り傷まみれにしてしまったのが東条さん的にアウトだったらしい。ならば他の優秀なトレーナーの目が届く所で練習させよう……という事で、俺は一時的にスピカの預かりとなったのだ。

 こんな問題児でも退部させるのではなく、色々と手を尽くしてくれる東条さんには入学以来頭がずっと上がらない。

 

「うう……ボクがカイチョーにお願いされたのにぃ……」

 

 ふと、部屋の隅の方から、呻き声のような声が聞こえた。俺が沖野トレーナーに部屋に招かれた時には既にいた少女──トウカイテイオー先輩だ。

 実はテイオー先輩には一通りの事情を説明し終えており、何故かショックを受けた様子だった。カイチョーにお願いされた……という事は、ルドルフ先輩から何かを頼まれていたのだろうか。ルドルフ先輩とテイオー先輩の仲が良いのは有名な話で、ルドルフ先輩を訪ねて来たテイオー先輩とは俺も何度か顔を合わせた事があった。

 とは言っても、積極的に話す程気安い間柄ではなかった為、個人的なやり取りの事情は何も知らないが。テイオー先輩は、俺にとっては少し眩しいのだ。

 

 三角座りを決め込んでいるテイオー先輩へ、沖野トレーナーが声を投げた。

 

「そろそろ機嫌直せって。ほら、人参味の飴ちゃんやるから」

「要らないよ! そんなんで釣られるほどボクは子供じゃないよ!」

「そうか、すまんすまん。……あ、アフターマスは要るか?」

「あ、欲しいです。ありがとうございます、頂きます。それとアフタで大丈夫です」

「……いや、どうしてアフターマスはそんなに馴染んでるのさ!?」

 

 貰った棒キャンディーの包み紙をポケットに収めて、口に銜えていると、何故かテイオー先輩に怒られた。解せない。

 

「そういや、ゴールドシップの奴、何処に行ったんだ? アフターマス──アフタを連れて来たのってゴールドシップなんだろ?」

 

 チームメイトを気にかけるウオッカ先輩へと、ゴールドシップ先輩は俺を()()した後、直ぐに何処かへ行きましたよ。と、告げる。相変わらず自由な奴だなぁ……と、少し呆れたような顔。

 ゴールドシップ先輩──()()()()()()()()がスピカに馴染めているようで、何だか嬉しくなった。

 

 ゴールドシップ──黄金の不沈艦。最後方からの追い込み一気でレース終盤を盛り上げる華のあるウマ娘だ。「おら! 道を空けろやおら! すっぞおら! どけやおら!」みたいな強気のロングスパートでレースを駆け抜けた後、自由過ぎるウイニングライブでファンのハートを掴んでいるトップスターの一人。

 走りではワープを疑われるくらいの追い込みの名手だが、俺は何方かと言えば、ウイニングライブでの自由っぷりが好きだった。『うまぴょい伝説』でうまぴょいせず、五分間に渡りブレイクダンスをかましたウマ娘なんて、後にも先にもゴルシちゃんしか知らない。

 我が道を行く、破天荒な少女。

 

 ──マックイーン()()の家で会ったあんなに小さかった子がなぁ……と、一瞬思うも、はて。いつの事だろう。ゴルシちゃんは俺が中央トレセン学園に入学した時には既に学園生だった。つまり、俺より歳上だ。だから、俺の知ってるチビ助ゴルシちゃんと、すらりと背の高いゴールドシップ先輩は別人のはずである。というか、俺の知ってるチビ助のゴルシちゃんは栗色の髪でおっとり屋さん。ゴルシちゃん違いである。疑うまでもなく、俺の勘違い。

 ……練習のし過ぎで脳がバ鹿になったのだろうか。最近は睡眠の質も酷いので、少し心配になる。

 

 一人でうんうん唸っていると、テイオー先輩がいつの間にか復活していて、それでさー……と声を上げた。

 

「アフターマスはいつまでスピカにいる予定なの?」

「取り敢えず、有の三日くらい前までお世話になる予定みたいです。前後する可能性もあるらしいですが」

「ふーん……じゃあ、いまの所は一ヶ月半くらいだね。()()()()として、沢山鍛えちゃうから、覚悟しなよ!」

 

 にっしっし、と笑いながら、テイオー先輩はそう言った。

 俺としてはテイオー先輩程の名ウマ娘が鍛えてくれると言うのなら願ってもない事である。不屈の帝王伝説は、今生で何度も語り聞いたが、その度に胸が熱くなるような逸話だった。主人公とは彼女のような人物の事を言うんだろうなぁ……と感じずにはいられない、そんなウマ娘こそがトウカイテイオー先輩である。不運さえなければ、ルドルフ先輩の後継者だったかもしれない圧倒的強者。

 会話の中で妙に()()()()の部分が強調されていた気がするが、きっと気の所為だろう。

 

「有の三日前!? レースまでほぼずっとじゃない! リギルに戻って、少しくらい練習しなくて良いの……?」

「……なあ、実はリギルの連中と喧嘩別れして来たとかか? 大丈夫か? 会ったばかりだけど、俺で良ければ相談に乗るぞ?」

「いやー、あっはっは……」

 

 ダイワスカーレット先輩とウオッカ先輩に真剣に心配されたので、取り敢えず笑っておく。喧嘩どころか、こちらが勝手に距離を置いているだけなので、怒られる事はあれど、心配されるなんてとんでもない。

 少しだけ考えて、素直に理由を告げる。

 

「実は今、スランプなんですよ。速くなる所か、菊花賞の時より遅いかもしれないんですよね。だから先輩方に申し訳なくって」

「アフタちゃん……」

 

 スペシャルウィーク先輩が、こちらを心配するように見詰めて来た。そう言えば先輩も昔、スランプに苦しめられてたんだっけ? と、うろ覚えの記憶を掘り起こす。

 『日本総大将』の誉れを掲げてジャパンカップでヨーロッパ王者ブロワイエと激突し、勝利を収めた黄金世代の代表格。

 そればかりが先行するせいで忘れそうになるが、スペシャルウィーク先輩も勝ったり負けたりを繰り返して来た酸いも甘いも知っているウマ娘だ。

 いや、一番レースを走っていた時期の競争相手は、あの黄金世代や最盛期オペラオー先輩等の怪物だらけなので、無敗である訳もないのだが。そんな事が出来るなら、もはやウマ娘というよりもUMA娘だろう。

 ……ルドルフ先輩や()ならどうだろうか。わからない。

 

「……分かりました! だったら、リギルに胸を張って帰れるくらい成長して戻りましょう! お手伝いします!」

 

 あと、私もスペちゃんで良いですよ! という声に、何度目か分からないが頭を下げた。

 チームスピカにとって、好敵手であるチームリギルの若手を育てる事は、自分達の首を絞める事に繋がりかねない。なのに、ここまで親身になってくれて、申し訳なさと有り難さで涙が出そうになる。沖野トレーナーも成り行きを見守ってくれていて、否はないようだった。本当に良い人達ばかりだ。

 恩に報いる為にも、より一層頑張らなければならない。

 

「よし……じゃあ済まないが、少し口を挟んでも良いか?」

「あ、はい。何でしょうか」

「ちょっと確認したくてな。おハナさんからアフタの一日の基本的なトレーニングメニューと、自主練の内容をデータにして送って貰ったんだが……これは間違いないか?」

 

 沖野トレーナーからレポートを受け取り、目を通していく。中に書かれているのは、リギルのチーム練習の内容だったり、俺個人の為に組み立てられた追加メニューだったりといった、ずっと俺に密着し続ければ簡単に得られる情報が主。

 ……それに加えて、その後に隠れてやってる自主練習だったり、フォームの研究に費やしてる時間だったりが事細かに記されていた。

 まさかここまで東条さんにばれていたとは思っていなかったので、冷や汗が垂れる。

 

「えっと……そんな訳では、ないんですけれども──」

「……よし。嘘吐く時の癖確認、完了! アフタ、おハナさんと俺からの絶対命令だ。今日から一時、トレーニング禁止!」

「そんなっ!?」

 

 真剣な目で告げられた禁止令に、思わず手を滑らせてレポートを落とす。

 ダイワスカーレット先輩とウオッカ先輩がそれを拾い上げ──顔を引き攣らせた。

 

「坂路、酸素負荷、荷重負荷、プール、併走、反復トレーニングに長距離周回……何でも有りなのは良いとして、何日分の量よ、これ……」

「お前……涼しい顔してるけど、実はバ鹿だろ……?」

 

 脚壊そうとしてない限りこんな事しないって……というウオッカ先輩の声に釣られて、スペちゃん先輩とテイオー先輩も覗き込み──同様の顔をした。

 何かを言われる前に、先に口を開く。本当にトレーニングを禁止されてしまうなら、不義理を働かなければならなくなる。

 

「それはほら、あれですあれ。理想の量的な? ほら、中学二年生が患う病気の一種であるじゃないですか、実は陰で隠れてこれだけの鍛錬を重ねている……みたいな妄想。あれを具体的に書き出しただけの感じのやつです間違いなく」

「……その理論で行くと、書き出したおハナさんが中学二年生に取り憑かれてる事になるんだが、それで良いのか?」

「あっ……えー、短い間ではありましたがお世話になりました。皆さんから頂いた温かい応援を胸に抱き、頑張っていく所存です。それではさような──」

「確保」

『了解!』

 

 一気に捲し立てるように喋ってから、勢いよく振り向き、駆け出した。その先には、扉があった。そのせいで、あえなく御用となる。

 

「アフタ。悪い事は言わない。これはオーバーワークとか、そんな生易しいものじゃない。自主的に拷問してるのと同じだ。常に怪我のリスクが付き纏うし、折角の筋肉も駄目になる。関節だって、通常よりも磨り減ってしまう。リギルでトレーニングをしていた頃はおハナさんが上手く調整していた跡があるが、今はそうじゃないんだろう?」

 

 そう言われ、下を向く。言ってる事は、本当に正しいし、東条さんに迷惑を掛けてる事を改めて自覚した。

 でも、そうでもしないと()に追い付けない。いや、そうしていても、まだ追い付いていない。

 

「一度、全てのトレーニングを停止して、段階的に再開していく。これは俺とおハナさんの二人で決めた決定事項だ。何がなんでも従って貰うし、場合によってはスピカの誰かに取り押さえさせる。場合によっては、リギルにも手伝って貰う。例え、全員がトレーニング中であってもな」

 

 それが嫌なら、きちんと従うんだ。そう言われてしまえば、俺にはどうしようもない。先輩方に迷惑を掛けるのみならず、トレーニングの邪魔をする? それは駄目だろう。自分のトレーニングに対する未練は大いに残るが、天秤に掛ければどちらに傾くかなんて、一目瞭然だ。

 東条さんと沖野トレーナー、どちらが考えたのかは知らないが、俺からしたらとても悪辣な発想だった。

 

「……ちなみに、何本かだけでも思いっ切り走ったりは?」

「駄目に決まってるだろ……どうしたテイオー。お前らしくもない」

「だよねー。いやー……ちょっと気になっただけで、何でもないよー……」

 

 がっくしっ、とテイオー先輩は肩と耳と尻尾を落とした。何もないと言い張るには無理があると思うが、どうなんだろうか。

 

「まあ……何だ。レース前の休養だとでも思えばいい。お前のトモ、本当に最高だったが、流石に疲れが溜まってるようだったしな。もう一度触りたいくらい、本当に最高のトモだったが」

「……流石にこの見た目の差だと、通報されたら言い逃れ出来ないと思うけど、良いのかよトレーナー」

「ちなみにアタシは庇わないわよ」

「私も、ちょっと庇えないですね……」

「じゃあボクはカイチョーに密告しちゃおうかな?」

「……いや、やらないぞ?」

 

 このチームは、沖野トレーナーが弄られ役を買っているのだろうか。とても和やかな雰囲気だった。

 その中で、一人深刻に肩を落としている俺は、きっと最低な奴なんだろうな……と思う。

 

「アフターマス……人生は、戦いや栄誉だけが全てじゃない。特に、青春は。たまには思いっ切り遊んで、はっちゃければ良いんだ。意外と、そんなんでもスランプが治ったりするんだぞ」

 

 沖野トレーナーへと、俺はゆっくりと首を縦に上げ下げして返事をした。

 

 ──こうして、スピカでの『練習しない事が練習』という、奇妙な時間が始まった。

 有記念までに、本当にスランプが治るのだろうか。想定外の日々の幕開けに、俺は頗る不安を覚えた。



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第8話 遠い日

予定していた1話分の文量が想定よりも多くなり過ぎた為、区切りの良い所までを先に投稿させて頂きます。
「ここまでは500文字くらいかなぁ」→10276文字
どうして……?


「失礼するよ、おハナさん」

 

 本来なら誰もいない休養日の部室へと、来客が現れた。

 自身以外に人気のない部屋へ、気の良さそうな低い声が響く。東条はパソコンの画面から目を離して作業を中断し、扉の方へと顔を向ける。

 チームリギルの本拠地へとやって来た声の主は、自身の同僚であり、自身が指導するチームの好敵手──チームスピカの担当トレーナーでもある沖野だ。

 入室を促す前に入って来た事へはデリカシーの欠如を感じるが、自分とこの男の間には今更の話だろう。昼行灯な風体に反して時間に律儀な沖野がやって来たのは、約束していた時間の丁度五分前の事であった。

 

「おっ、作業中だった? いやー、邪魔して悪いね」

「手持ち無沙汰だったから少し調べ事をしていただけよ。それより、忙しい所来て貰って悪いわね」

 

 東条の謝意へと、沖野は軽く肩を竦めて返した。

 

「別に忙しい事はないさ。うちのチームで今年のクラシック戦線に挑んだ奴も居ないしな。アフタ以外」

「アフタはリギルの一員よ。しれっと引き抜こうとしない」

 

 沖野は再び肩を竦めた。今度は少し笑っているので、分かってて言っている冗談なのだろう。サイレンススズカの前例があるので、あわよくば……のパターンは狙っているのかもしれないが。

 以前、サイレンススズカという有望なウマ娘をチームリギルからチームスピカへと電撃移籍させた事実が、確かに東条と沖野の間には存在した。

 しかし、彼女とアフターマスというウマ娘とでは事情が大きく異なっているし、何より諸々の事情が『無敗の三冠ウマ娘』の移籍を断固として認めないだろう。本人とチームメンバーとの仲も決して悪くない為、利害関係のみならず感情面からしても、アフターマスの移籍は現実的ではない。

 ……というよりも、サイレンススズカの移籍が特殊過ぎた例であり、彼女の時も周囲を納得させるのはそれなりに苦労を要していた。

 チーム所属のウマ娘に()()()()()を出して引き抜くという、トレーナー業界のタブーにすら触れたサイレンススズカ移籍騒動。振り返れば、あれからもうかなりの時間が経つようだ。

 彼女を沖野へと託したのが昨日の事のようで、とても懐かしい。

 

「……スズカ、また重賞レースを快勝したらしいわね。おめでとう」

「おお、ありがとさん。おハナさんが祝ってたってスズカにも伝えとくよ。おハナさんを裏切るような形でリギルから移籍して来たの、地味に今でも気にしてるからな。喜ぶよ、きっと」

 

 自分が唆したのによく言うわ……と冗談めかして呟く。サイレンススズカには自分よりもこの男の方針の方が向いているのは、彼女の移籍前から気が付いていた。だから、この男が自身の教え子に粉を掛けた事は、()()()()()しか気にしてはいない。

 東条はかつての教え子の健気さに、柔らかい顔を浮かべた。

 

「バ鹿な子ね。リギルから出ていくように告げたのは私なのに。……そもそも、ウマ娘を伸ばしてやれなかったトレーナーなんて、見限られて当然よ」

「あいつ、あれで意外と繊細だからな。色んな事によく気が付くんだよ」

 

 沖野は現在の教え子の成長に、誇らしい顔が思わず滲み出る。

 サイレンススズカという少女を大切に思っているのは、どちらのトレーナーも同じだった。

 

 サイレンススズカ──『異次元の逃亡者』の異名を持つ、余りにも速過ぎたが故に起きた悲劇が原因で、一度は引退の危機にまで陥った世紀の韋駄天ウマ娘。

 彼女は現在、海外のレースに出走しては一人で先頭を駆け抜け、彼女の求める()()()()()を世界中で独り占めし続けている。行く先々のウマ娘関係者からは『日本から吹いた風』や『レース場を沈黙させる者』、或いは『先頭民族代表』なんて()()で呼ばれており、海外では軽視されている()()の評価を一人で覆し続けていた。

 チームリギル時代は芽が出る事のなかった──芽を出させてやる事の出来なかった少女が、今では日本を代表する世界の名ウマ娘である。

 時間の流れは早いと言うが、サイレンススズカに関しては、別の時間軸に居るような錯覚さえ覚えてしまう。

 

 東条は内心に溢れる感情へと蓋をして、彼女にしては珍しい軽口を返した。

 

「……まあ、それはそれとして、スズカの走りが日本式走法なんて呼ばれてるのには納得いってないけどね」

「……あいつ、あれで見たまんまマイペースだからなぁ。色んな事を放置して走り抜けていくんだよ……」

 

 サイレンススズカの走りこそが、日本の誇る逃げ走法……海外からずっと下に見られ続けていた日本ウマ娘界の評価には、現在では彼女を通してその一文が追加されていた。

 実際は、異常なまでのハイペースがサイレンススズカにとってのマイペースであり、結果として()()ウマ娘扱いとなっているだけなのだが。

 そもそも、日本の誇るも何も、彼女以外に彼女の走りを再現出来るウマ娘なんて今の所聞いた事もない。だから、誇るべきは彼女の逃げっぷりではなく、サイレンススズカ本人であるべきだった。

 サイレンススズカと、サイレンススズカと一緒にされた日本の逃げウマ娘達双方の為に、東条──というか日本のウマ娘関係者一同──は義憤を抱かずにはいられなかった。

 

「スズカは……まあ、一先ず置いておきましょうか。あの子の話をしていると本題の時間がなくなってしまうわ」

「今じゃ海外で思いっ切り良い空気吸ってるから、特に問題もないしな。……で、次は問題のある方の話だな」

「そうね。率直に言って頂戴──沖野の見立てでは、()()()()()()の脚はどう見えたかしら?」

 

 二人を包む空気が、気安い者同士からトレーナー同士のものへと切り替わる。

 その上で、東条の明け透けな切り出し方に、沖野は溜め息を零した。やけに情感の篭ったそれは、聞くまでもなく現状を物語っている。

 

「正直に言うと……担当がおハナさんじゃなけりゃ、トレーナーをはっ倒してでも担当の席を分捕ってるよ」

「それは()()()の意味で?」

「おハナさん、分かってて言ってるでしょ……()()だよ、両方」

 

 ちょっと失礼……そう言いながら、沖野は手近にあったパイプ椅子に腰掛けた。話は間違いなく長くなる。本題に入る以上、さっさと腰を据えた方が良い。

 

「先ずは第一印象。バランスが取れた良いトモだなぁ……とはレースを観てても思ったが、実際に触ってみてよく分かったよ。ありゃあトレーニングだけで身に付いたもんじゃないな。間違いなく生まれついての才能が大きい。俺は走る為にある……って自覚してるよ、あの脚は」

「そうね。正直、指導してて私も驚いたわ。自己流も交えて無茶な努力を重ねてるんだから、絶対に何処かで筋肉のバランスが崩れる……そう思ってトレーニングメニューを見直していても、全部無駄になるわ。今ではアフタのメニューで私が一番気を遣うのは、本人の疲労と、骨や関節への負担が主ね」

 

 沖野へと続くように、東条も溜め息を漏らした。二人して困惑や気疲れが滲んだ息で、揃って苦笑しそうになる。

 

 肉体──特に筋肉というものは、無闇矢鱈に鍛えれば良いというものではない。競技選手であるなら、尚のこと。

 無駄な箇所に筋肉が付いたり、極端に筋肉量が偏ったりしては、鍛える事が逆に肉体の機能性を損ねる事になる。

 それは『走る』という単純明快な競い合いを行うウマ娘の場合だと、特筆して顕著だった。

 スプリンター(短距離ウマ娘)ステイヤー(長距離ウマ娘)では速筋と遅筋──必要となる筋肉の質や量が異なる。だから、ウマ娘を指導する担当トレーナーは日夜、担当ウマ娘のトレーニングメニューを見直し続け、理想形へと向けて全体の完成度を高める事へ意識を傾けている。一切の無駄は許さない──そう物語るかのように。

 

 ……だが、アフターマスという不可思議な少女の場合は、少々事情が異なっていた。彼女の場合に限り、鍛えれば鍛える程、全体的なバランスを整えるかのようにステイヤー向きの肉体が出来上がっていく。まるで、走る為だけに体が存在している……とでも、言うかのように。

 それは本人が意識してるとか、指導者が優れているとか……そういった次元の話ではない。そもそもの肉体の作りがそうなっており、本人の走り方や体の動かし方が肉体と噛み合っていたが故の、偶然が産んだ奇跡の産物である──そうとしか、考えようがないものだった。

 

 しかし、沖野だって一流のトレーナーである。

 如何に例外的な事情であっても、ウマ娘の肉体である以上はある程度の予測が立つ。見て、触る事が出来れば……の話ではあるが。

 勿論、そこからトレーニングによって生み出される成果だって、同様に算盤(そろばん)を弾く事が可能であった。

 ……だからこそ、沖野はどうしても理解出来ない不可解な点を挙げる。

 

「そう! そこなんだよ、おハナさん! 正直に言うと、アフタの脚──もっと絞って言うと、下半身の骨や関節が壊れて()()()理由が分からない。アフタのトモを触って確かめてから、アフタ本人にメニューの真偽を問うまで……もしや、全く別の資料を渡されたんじゃないか、って考えていたぐらいだ」

「あら、疑ってたの? 酷いわね」

 

 茶化すなよ。そう言った沖野の目は、普段の気楽な姿からでは想像の付かない剣呑な色を孕んでいた。

 

 沖野の指導するチームスピカには、『不屈の帝王』の異名を持つ少女、トウカイテイオーが在籍している。無敗の二冠に始まり、もはや伝説となっている大阪杯や有記念等、多くの重賞で勝利を収めた彼女だが、その道中で体の柔軟性に起因する骨折を三度も経験していた。

 天才の呼び声が高い彼女だが、無敗の二冠ウマ娘に至るまでにはそれ相応の努力を積み重ねているし、現在だってストイックにトレーニングへ励む姿勢が頻繁に見られた。それこそ、努力だけで無敗の二冠を獲得したと言われるミホノブルボンのクラシック時代と遜色がない程に。

 

 一方、話題に挙がっているアフターマスだって、トウカイテイオー同様に恐ろしく柔らかい体をしている。

 加えて、努力だってトウカイテイオーに負けていない──所か、効率が低下しててもお構いなしに自主練を敢行してしまうが為に、質を度外視して量だけに着目すれば、トウカイテイオー以上のものがあった。

 それこそ、真面目にライブの練習もしているかどうかの違いがトウカイテイオーとアフターマスには存在しているが……そんなものは誤差だろう、そう思えてしまう程に。

 

 はっきり言って、沖野からすれば、トウカイテイオーが故障したのにアフターマスが故障していない理由が分からなかった。

 もしかすれば、かつての故障は防げたものかもしれない。そして、今後起こり得るトウカイテイオーの故障を防ぐ手段があるかもしれない。そう思えば、自然と真剣にならざるを得なかったのだ。

 

「何度考えても分からないんだよ。確かにアフタの脚は疲労が原因で故障の危険性()()だ。恐らく、リギルから離れてる間に掛かった負担が大きかったんだろう。歩いてる時によく躓いてる所を見掛けるし、場合によって歩行補助具を使わせた方が良いんじゃないかとすら思う。というか、素直に練習禁止を受け入れなけりゃ、病院まで引っ張っていって松葉杖の一つでも押し付けるつもりだった」

 

 おハナさんには悪いが……と、沖野は後から努めてゆっくりと付け足した。自分が柄にもなくヒートアップしている事に気付いたのだ。

 ウマ娘が絡むと、昔からこうなるのは、自分の美徳なのか悪癖なのか……沖野には、判断し難い所だった。

 狭まり掛けた視野に気を付けながら、沖野はゆっくりと言葉を続ける。

 

「……でも、()()そこ止まりなんだよ、アフタは。なあ、おハナさん。正直に答えてくれ。どんな魔法を使ったらそうなるんだ?」

 

 縁の深い男からの縋るような声に、東条はらしくない困った顔を浮かべた。残念ながら、男が求めるような答えを、東条は持ち合わせていなかった。

 

「一つ目。まるで一度大怪我をした事があるのかと疑う程、本人の怪我に対する線引きが上手い」

「……なんだって?」

「二つ目。軽量過ぎる体と飛ぶ様な走法が噛み合って、骨や関節に掛かる負荷が他のウマ娘よりも遥かに少ない」

「いや待て、おハナさん」

「待たないわ──三つ目。突然変異としか思えない程に柔らかい背骨の関節が、下半身に掛かる負荷を肩代わりしている」

 

 お好きなのをどうぞ? ……そう言う東条へと、沖野は東条とは質の違った困り顔を浮かべる。本気で言っているのか冗談で言っているのか、今の東条からでは判断が付かなかった。二つ目を除けば──いや、二つ目も大概だが──選択肢が、現実味をかなぐり捨てている。

 ……だが、東条ハナというウマ娘至上主義者の()()が、こと担当ウマ娘の怪我絡みで冗談を交えるとは思えなかった。

 

「まさか、それ()()()()が答えだとでも……?」

 

 東条はそれに答える事なく、先程まで作業していたパソコンへと視線を向ける。東条の意図を理解して、沖野は立ち上がり、歩み寄った。

 液晶画面には、半透明なウマ娘の3Dモデルがあった。透けた体の中には、主要な骨の代わりに緑の細々とした線が連なっている。

 

 東条はマウスを動かしながら、口を開いた。

 

「……リギルが幾つかの研究所と提携してるのは知ってるわよね。その中で、生体力学を研究してる部署から以前送られて来たデータよ。何かは……まあ、貴方なら見れば分かるでしょ」

「おい」

 

 沖野からの突っ込みを、雑に受け流した。正直、説明する気力が湧かなかった。

 

 かちかちとマウスを動かす度に、画面内のウマ娘は姿勢を前へと倒していく。それに合わせて、要所要所の線の繋ぎ目が赤く染まる。線の端々が元々は桜色に染まっていた事を鑑みるに、関節に掛かる負荷を視覚化したものなのだろう。

 東条は、画面のウマ娘が殆ど地面と平行になった所で、マウスから手を離した。

 

「なあ。まさかとは思うが、この姿勢って事は……」

「ね、言ったでしょ。見れば分かるって」

 

 画面の中の3Dモデル──アフターマスと推定されるそれの背骨は、胸部から腰に至るまでの関節部が真っ赤に染まっている。

 反面、本来なら真っ赤に染まるべきである腰から下の関節部は、桜色──とは流石に行かないものの、走っているにしては余りにも通常時との色の変化が弱かった。

 

「凄いわよね……としか私は言葉が出ないのだけれど、沖野はどう?」

「……おハナさん。これって多分通常時のデータだよな。スパート時のデータとかも見れるか? 後、一般的なウマ娘のも」

「勿論」

 

 東条はかちかちと、沖野が望むままに画面を切り替えていく。同じ画面を覗き込んで何かをするのは、何故だか学生時代を思い出した。

 沖野が沈痛な面持ちを浮かべるまで、最先端研究のお披露目会は続いた。

 

「正直……言いたい事は色々とあるが。まあ、細々としたのは置いておこう」

「そうして貰えると助かるわね」

「じゃあ、その上で言うぞ──どうして、スピカに寄越すまでにアフターマスを止めなかったんだ?」

 

 沖野が吐いたのは、トレーナーとして当然すぎる意見だった。

 オーバーワークを止めない。

 文字にすればたったそれだけの事が、このデータだけで意味合いが大きく変わる。

 成程、アフターマスなら出来た練習量なのだろう。練習可能な許容量が他のウマ娘よりも多かった。確かにそうなのだろう。だが、それにしたって──。

 

「……まさか、認めていたなんて言わないよな。普通にオーバーワークをして──ってなんだよ、普通にオーバーワークって……」

 

 ちっ……と舌打ちを一つ付き、がしがしと頭を掻いてから沖野は飴を二本取り出した。一本を銜えながら、もう一本を東条に差し出してみるが、断られたので仕舞う。

 

「……まあ、なんだ。一般的な条件でオーバーワークをしているだけなら、基本的に故障の心配は脚だけで済む。だが、アフタの場合は負担を全身に分散してる様なもんだ。俺達トレーナーだって、専門外の問題が発生しちまえば何も出来なくなる。そんで、上半身……まして駆動する背骨の関節なんて、そもそも有意な研究資料すら存在するか分からない。それを理解してないおハナさんじゃないだろう?」

 

 東条ハナというトレーナーは、自身と同様に徹底的なウマ娘ファーストである。沖野はそこに何の疑いも持たない。

 だが、そうであるからこそ、アフターマスの凶行を東条が止めなかった理由が分からなかった。

 目の前で将来をすり減らす様な真似をするウマ娘が居たら、担当で有る無しに関わらず止める。例え、努力の成果を全否定してでも。

 それこそが沖野の知る、東条ハナという(自分と同類の)トレーナーである。そう確信するが故に。

 本当に止めなかったと思う? そう前置きした上で、東条はゆっくりと言葉を吐き捨てた。それに……と。

 

「……約束、しちゃったのよ」

「約束?」

「初めて彼女と会った日に、アフタが速く走る為の完璧なメニューと環境を用意しておくって。必ず──()()()()()()()()()()()()()……って」

 

 ──私は私の負担なんかより、貴方が少しでも速く走る事の方が興味あるの。だって私はトレーナーなのよ? 必ず、貴方が満足するまで貴方を速くしてみせるわ。約束よ。だから、必ず私のチーム(リギル)に来てね?

 

 初めて会った日の最後に見た少女の笑顔が、未だに忘れられない。

 どうしてあの時、そんな約束をしてしまったのか。何を呑気に、少女の輝かしい未来を思い描いていたのか。

 今となっては、東条ハナにはもはや理解出来ない。

 

 ウマ娘とトレーナーの約束は、いじらしい程に絶対的なものである。

 そうでなければ、トレーナーは担当ウマ娘をGIレースなんて魔境に送り出せやしない。ウマ娘は、担当トレーナーを信じて駆け抜ける事が出来やしない。

 必ず勝たせる。必ず勝つ。必ず夢を掴む。必ず──スピードの向こう側へと、共に辿り着く。

 例え、どんな無理無茶無謀であったとしても、トレーナーはウマ娘との約束を違えない。自らの意思で違えた時点で、それはトレーナーではなく、トレーナーを騙る何かであるが故に。

 

 ……しかし、それでも。

 

「本当にそれだけか? おハナさんはそれだけで、アフタを──」

「──沖野は……速くなればなる程、追い詰められた顔をする子って担当した事、ある?」

 

 何を言っているんだ……そう言いかけて、東条の目の奥を覗き込んだ。そして、思わず口篭ってしまう。そこにあったのは、痛ましいまでの無力感──初めてのGIレースで強者に叩き潰されたウマ娘が浮かべるそれと、同じものであった。

 

「速くなればなる程、彼女の願いが叶う……そう信じて、可能な限りの手段を尽くして()()()を速くするの。でも、彼女はその度に焦った顔をして、次の最速へと手を伸ばすわ。そして、それを何度も繰り返して、過去最高の状態で取った『無敗の三冠』。……それが、()()()本人を更に追い詰めるなんて、沖野には想像出来る?」

 

 少なくとも、私には想像出来なかったわ。そう告げた東条を慰める言葉を、沖野は持ち得ていなかった。

 そんな経験が生み出す感情は、きっと当事者にしか分からない。

 

「……ごめんなさいね。空気を悪くしたわ」

「いや……こっちこそ、すまなかった。……今夜くらい、一緒に呑みに行かないか? と言っても、いつもの店だが」

「嫌よ。貴方、どうせ素寒貧でしょ」

「……最近、俺が周りにどう思われてるのかが気になって仕方がないよ。本当に」

 

 肩を竦め、(おど)けてみせた沖野に空気が幾らか軽くなった。昔からこの男は雰囲気作りが妙に上手い。仲間内の空気を軽くする為なら、進んで道化になる……そんな気質をしていた。

 

 少しの間、取り留めのない話を挟んでから、待ち合わせた目的を済ませる事にする。別に同情や慰めが欲しくてこの男を呼び付けた訳ではない。

 さて、それではトレーナーらしくウマ娘──今回の場合は、チームスピカと()()後のアフターマス──の合同練習メニューでも検討しましょうか。

 ……そういう段になってから、東条の携帯端末がぴこんと音を立てた。簡単な情報交換に特化したSNSアプリにメッセージが届いた音だ。

 締まらないわね……なんて思いながら、沖野に断りを入れてアプリを開く。届いたメッセージの内容は一枚の写真と、外出時の定時報告だ。予想外の写真に、思わずくすりと笑みが零れる。

 送り主のアカウント名は『あふた』となっていた。

 スピカ所属のウマ娘、ダイワスカーレットとウオッカと共に外出する予定だと聞いていたが、どうやら先輩である二人が上手く連れ歩いてくれているらしい。

 青春と呼ぶにはまだ少し幼い情景に、まだ燻っていた仄暗い空気が和らいだ気がした。

 

「ん? どうしたんだ、何か良い報せ?」

「いや……沖野、アフタにサングラスとマスク支給したわね?」

「えっ……いやまあ、欲しがってたから変装用に渡したが……」

 

 ほら、と差し出された携帯端末の画面を覗き込む。沖野は思わず噴き出しそうになった。

 

「に、似合ってねぇ……!」

「まあ、()()()()()()()()()()()はないから、変装としては及第点……なのかしら?」

「いやぁ……んんっ! すまんすまん。まさかアフターマスの服の趣味、こんな感じだとは思わなかった」

「ご両親の趣味だそうよ」

 

 誤解されたままだと、アフターマスが心底嫌がるだろう。そう判断して、東条は間髪入れずに沖野へと否定を返す。

 

 ふわふわした白いレースのワンピースにベージュ色のカーディガン、唯一本人の意向が──色以外は──通ったのだろうライトブルーのスニーカー。

 リュックサックは流行に関わらず定着している老舗ブランドの茶色い革製で、髪は纏めてクリーム色のキャスケット帽に収納してある。

 全体的な印象で言えば、小さな天使でもモチーフにしたのだろうか。内面を知っているだけに違和感を覚えるが、彼女の両親にはこう見えているのだろう……そう感じ取れる程、外見とは噛み合っている愛くるしい服装。

 

 送られて来た画像に写っていたのは、如何にも良い所のお嬢さん……といった風貌の幼い少女が、映画館らしき場所のポスター前で棒立ちしている姿だった。

 ……如何にも変装ですと言わんばかりに着けられたサングラスとマスクが、驚く程に少女──アフターマスの恰好と合っていない。

 

「へえ、ご両親の……って、ちょっと待て。アフタの服、トレセンまでわざわざ送ってくるのか?」

 

 両親の意向が反映されてるという事は、一緒に買いに行ったか、両親が一方的に買い付けるか。そのどちらかしかないだろう。そう思っての発言だった。

 アフターマスが着ている服は彼女にぴったりと合うサイズだったので前者な気がしたが、アフターマスがレース以外は基本的に学園に引き篭って走り回っているのは有名な話だ。それこそ、盆と正月もお構いなしにトレーニングしていた程。

 そんな中で、時のウマ娘であるアフターマスが両親に会いに帰省した……という話は、今の所聞いた事がなかった。

 だったら、消去法で後者か……そう思っての発言だったが、しかし、東条は本日何度目になるか分からない否を返した。

 

「違うわよ。入学して来る時に持たされた服らしいわ。あの子、こんな感じの物か自前のジャージ、後は学園指定の服しか持ってないのよね」

「……待ってくれ、おハナさん。アフタが入学してからどれくらい経ってると思ってるんだ。まさかとは思うが」

「そのまさかよ。体格も身長も、ほぼ変わってないのよ」

 

 間違いなく、過剰なトレーニングが発育の阻害になってるわ……まだ成長期であるはずのアフターマスを一番長く見続けてきたトレーナーは、そう判断を下した。

 そして、二番目に付き合いの長いトレーナーは顔を引き攣らせながら……スピカで預かる間は徹底的にトレーニングを休ませて、美味(うま)いもんで栄養を一杯摂らせよう……そう、決意した。




いつもご愛読ありがとうございます。
休日しかまともに執筆出来ない為、どうしても不定期更新となってしまいますが、今後ともお付き合い頂ければ幸いです。
……毎日更新なさってる方々は本当に神だと思う。


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第9話 戦友

前話からの続きです。
本作はアニメ版とアプリ版を足したものに手を加えた世界線として設定しております。ウマ娘の出走レースが史実と少し異なる点がございますが、展開上必要なものなんだなぁ……程度で受け止めて頂ければ幸いです。


「ありがとうございます。()()()()()()先輩、ウオッカ先輩」

 

 ポップコーンの匂いと、赤いカーペットの床。そして感情が緩やかに溶けるような、間接照明の薄暗さ。

 映画館に来たのなんて前々世振りで、最後に観た映画が何だったかは、もう覚えちゃいない。けれど、何だか懐かしさに襲われるのは、何時の時代でも同じようにわくわく感が館内に満ちているからかも知れない。

 興奮。感動。悲しみ。驚き。

 レース場を包む雰囲気と少し似ていて──しかし、ずっと静かで穏やかな時間の流れる場所。

 前々世振りという事は、そういえば今世で映画館に来たの、初めてなんだなぁ……なんて、意味もなく一瞬だけ思った。()()()()()は映画が好きだった様な気もするが、もしかしたら気の所為かもしれない。好きだったと言い切るには、余りにも記憶から欠落し過ぎている。

 

 映画鑑賞後のぼうっとした頭で無意味な思考をぐるぐると巡らせながら、さっきまで観ていた映画作品のPRポスターの前で、スカーレット先輩とウオッカ先輩に頭を下げた。

 スカーレット先輩は東条さんへの定時報告に添える写真を撮ってくれて、ウオッカ先輩はその間わざわざ買った荷物を預かってくれていた。

 同じチームでもないのにこうも気を使ってくれるのは、少し申し訳なかった。

 

「別にいいわよ、それぐらい。そんな事より、リギルって案外過保護なのね? てっきり、プライベートには関知せず! ……みたいな感じなんだと思ってたわ」

「あー、それ俺も。うちのチームとか、定時報告なんて発想すらなかったしな」

「……それは、うちのトレーナーが()()()なだけじゃないかしら?」

 

 スピカのウオダスコンビ……と俗に呼ばれる二人の先輩は、何故かむず痒そうな顔をしながら俺へとスマートフォンと手荷物──スピカとリギル、生徒会や理事長室に差し入れる菓子折りの入った紙袋──を返してくれる。

 もう一度ぺこりと頭を下げれば、何故か先輩方は更にむず痒そう──というより、照れくさそう?──な表情を深めた。

 

 そのまま手早く東条さんへと定時報告のメッセージを送って、ポケットへとスマートフォンを仕舞い込む。

 外出の定時報告こそほとんどした事ないものの、似たような事は良くしている。一連の流れを終えるまで、三十秒も掛からなかった。

 

「東条さん、あれでかなりの心配性ですからね。前にプロレス観戦に夢中で丸一日連絡の取れなかった先輩が居たらしくて、それから始まったらしいです」

 

 東条さんと、その先輩の同級生からかなり怒られたらしいです。

 そう付け加えると、何故かスピカの先輩方は得心行ったと言うように曖昧に笑った。先輩方の知っている人なのだろうか。

 プロレス観戦と言えば俺にはエル先輩しか思い付かないが、エル先輩は()()()()()()()()()だから、件のウマ娘は別の誰かだろう。他にプロレス好きな先輩が、俺の入学前に在籍していたのだろう。プロレス好きの同志が離れて、エル先輩はさぞかし残念がっただろうなと思う。

 

「……まあ。チームに歴史あり、よね。うん」

「……うちに負けず劣らず、癖強いからなぁ。あ、ちょっと本屋に行きたいんだけど、いいか?」

 

 俺とスカーレット先輩は、ウオッカ先輩へと了承を返した。何となく話を誤魔化されたような不思議な感覚があったが、用の済んだ映画館から移動するのに、特に否はない。

 

 現在、俺達が居るのはトレセン学園最寄りの複合商業施設……その一角にある映画館だった。

 電車を使って十数分で来れるこの施設には、映画館をはじめとして、スポーツショップや各種雑貨屋、本屋にゲームセンター等といった、娯楽や目新しさに飢えた若者にとって有難いお店が何でも揃っている。

 それこそ、普段から放課後に訪れればトレセン学園の制服を着たウマ娘をちらほらと見掛ける程で、まさに学生にとっての憩いの場だ。勿論、薬局やスーパーなんかの生活必需品を扱う店だって完備している。

 

 俺達が今日ここに来たのは、話題の新作映画を観る為……ではなく、年末前に行われる予定らしいチームスピカの合宿で使う物資を買い出す為だった。映画はあくまでおまけである。

 実は映画前には既に買い出しを終えており、荷物は量が量なので、全て学園へと送って貰うよう依頼済みだった。

 

 チームリギルが普段使っている宿泊施設では、追加料金を払えば施設側がアメニティの一環として消耗品等を全て用意してくれるのだが、チームスピカが使っている宿泊施設ではそれらの用意を全て自分達で行うらしい。スカーレット先輩は「うちは節約しないとやっていけないのよ」なんて言っていたが、きっとそれは建前なんだろうなぁ……と思う。

 チームスピカには、実績的にリギルに次ぐ額の部費が学園から下りている筈である。だから、本当にお金がない……というよりは、表面上はそういう理由にして、自主性やチームワークを育む練習の一環として、沖野トレーナーがそういう風に仕向けているのだろうなと感じる。

 

 事実、お金がないと言う割には宿泊する予定の旅館はかなりの老舗で、特に温泉の効能が高い事で有名な場所であった。立地的にも、すぐ近くにウマ娘のトレーニング施設が存在しており、アクセスだって悪くない為、見てくれこそぼろくとも色々とかなり()()()筈なのだ。

 先輩方ならその事に気付かない訳ないのだが、それでも誰一人としてそこに突っ込まないのは、沖野トレーナーが掲げるその方針が先輩方にとって余程魅力的なのだろう。

 リギルとはまた違った集団生活を思い浮かべれば、確かに少し楽しそうだ。時期的に俺もお邪魔する事になる為、粗相のないように気を付けなければならないが、同時に少し楽しみでもあった。

 

 映画館と本屋はすぐ近くに存在しており、移動時間はほとんど掛からない。長々と話しながら歩くまでもなく、直ぐに目的地へと辿り着いた。豊富な品揃えとトレンドに対するフットワークの軽さが売りの、全国に展開している大型書店だ。

 店舗の入り口には映画とのタイアップ作品が目立つ様に並んでおり、映画の上映時間までの暇潰しがしたい客もメインターゲットにしているのだろうと伺い知れる。

 先程まで俺が先輩方と観ていた作品『パーフエクト〜謎の超高速ウマ娘〜』の小説版も、当然のようにタワー積みされている。

 

「いやー、悪いな。毎月買ってる雑誌の今月号、ちょうど昨日が発売日だったんだ。大きい書店じゃなきゃ売ってないからさ、どうしても寄りたかったんだよな」

「毎月って事は……ああ、あのバイクのやつね。アタシも参考書が見たかったから別に良いわよ。でもアフタには悪い事するわね、付き合わせちゃって」

「いえ、大丈夫です。俺も本は嫌いじゃないですから、眺めてるだけでも結構楽しいので」

 

 先輩方は俺が気を使っていると思ったのだろうか、少し申し訳なさそうな顔をしている。だけど俺は本当に本が好きなので、特に問題はない。読む時間こそ余りないものの、本がずらりと並んでいる様は、見ているだけでも楽しい気分になる。読書が好き……と言うよりも、本を眺めるのが好きな部類である。だが、本好きには間違いなかった。

 

 目的の区画へと向かった先輩方と別れて、適当な本棚の前に立つ。ウマ娘関連のコーナーのようで、先程店頭で見掛けたタイアップ作品も平積みされている。折角なので、思い出として購入する事にして、手に取る。

 文庫本なので、バスでの移動時等に読もうと思う。前までは寝たり、スマートフォンで調べ事をして遊んだりしていたが、最近は少し、ネットから離れたい気分だった。

 ついでに棚を見てみても、ずっと前からある定番の本か、学園の図書室にあるような本。もしくは最近出たらしい俺に関しての本ばかりが目立つ様に並んでいて、些かげんなりとした。自分の顔写真が印刷された本の群を見るのはちょっと勘弁して欲しいので、移動する。

 

 手に取った小説の紙の厚さを楽しみながら、ふらりと雑誌コーナーへと脚を伸ばす。

 移動して来た場所から少し遠い所に、ウオッカ先輩の姿が見えた。ホビー雑誌のコーナーだろうか。革ジャンやスーツを着た小父さん達と並んで熱心に雑誌を物色しており、きっと俺の知らない()()()()が彼処にはあるんだろうなぁ……と思う。

 

 ずっと直視していては失礼だなと思い、視線を逸らす。

 

 すると今度は、ホビー雑誌コーナーの斜め向こう側に見える参考書関連の区画で、ちらりとスカーレット先輩の尻尾が見えた。下を向いてゆらゆらと揺れており、かなり集中しているのが伺い知れる。レースも勉強も一番を目指していると公言してはばからない先輩は、きっと参考書選びにもかなり頭を使っているのだろう。

 

 先輩方の邪魔をしてはいけないので、取り敢えず今居る情報雑誌のコーナーに引き篭っておく事にした。

 少しだけ覗いてみたかった漫画コーナーは参考書コーナーのすぐ傍にあるようなので、行ってしまってはスカーレット先輩の邪魔になるかもしれない。今回は諦めて、またいつか来た時に見てみようと思う。

 

 俺は雑誌の本棚のプレートを見ながら、ウマ娘関連の情報誌を探す。特に愛読している物はないので、それらしい雑誌の見出しを見て行く。

 面白そうなもの──出来れば有名なウマ娘の特集とか──は有るだろうか。期待しながら、誌面を目で撫でる。

 

 ──証明された可能性! 今期クラシックを振り返る!『ウマムスメ・デイズ』

 ──無敗の三冠はシニアでも勝てるか!? 専門家から見た新時代最強の課題!『月刊蹄鉄の友』

 ──宿命のライバル特集第3弾! ウオッカ VS ダイワスカーレット!──。

 

 ……おや。と思い、ウオッカ先輩とスカーレット先輩の写真が載った雑誌を手に取る。誌名は『月刊トゥインクル』となっている。そういえば少し変わった記者さんが居る出版社さんだったっけな……と少しだけ思い出した。

 行儀は悪いが、手に持っていた小説を小脇に挟んで、雑誌を開いてみる。時事を取り扱う頁を飛ばして、丁度真ん中辺りの頁に、目当ての記事は載っていた。

 どうやらウオッカ先輩とスカーレット先輩の直接対決について総まとめ的に書いてあるようで、ライターさんがかなりのウマ娘ファンだと分かる面白そうな内容だった。この分なら、他に掲載されている記事にも期待していいかもしれない。

 雑誌を閉じて、持っていた小説と重ねる。此方も購入する事にした。読む時間は……トレーニングを禁止されている以上、沢山あるだろうから、問題はない。本音を言えば、今すぐにでも練習したいが仕方がない。

 むしろ、もう一冊くらい、何か買った方が良いだろうか。雑誌の類は、学園の図書室には余り並ばないし。そう思い、再び誌面へと目を走らせ──。

 

 ──アフターマスの呪い! 同期を壊す三冠の影『週刊現代ターフ』

 

 ……見付けた本へと、手を伸ばす──。

 

「──はい、ストーップ! それは読まなくていい本よ!」

 

 伸ばした腕を横から掴まれた。少しひんやりとした手だ。持ち主へと目を逸らせば、スカーレット先輩が少し目を怒らせている。

 

「アフタ……お前、一瞬目を離したら凄い事しようとするのな……」

 

 吐き捨てる様に、横からウオッカ先輩が現れて、俺が手に取ろうとしていた雑誌を睥睨する。

 どうやら先輩方は既に本を選び終わったようで、それぞれ2冊ずつ本を抱えている。

 俺は先輩方へとすっとぼけようとして……どうしてか、声が出なかった。マスクの下で、ぱくぱくと口だけが動いている。

 

「現代ターフの編集は今のウマ娘を目の敵にしてるから、読んでもろくな事が書いてないわよ。どうしても読みたいなら、もっと大人になってからにしなさい」

「本っ当に懲りないなぁ、ここの出版社も。()()()日本ダービーの時もめちゃくちゃな事ばっかり書いてやがったし、ウマ娘に何の恨みがあるんだよ……」

 

 顰めっ面を隠す事なく、先輩方はそう言う。

 成程、先輩方がそう言うならそうなのだろう。俺は納得して──しかし、何故か俺は、雑誌へと緩慢に手を伸ばしていた。それをまたしてもスカーレット先輩が阻む。

 

「だから駄目だってば。ウオッカ!」

「はいよー。んじゃ、二人の本も纏めて会計通してくるぜ。レジ混んでそうだから、終わるまで本屋の前で待っててくれな」

 

 ウオッカ先輩がするりと俺の持っていた2冊を取り、スカーレット先輩からも本を受け取った。そしてそのままレジの方向へと向かう。

 俺はスカーレット先輩に腕を引っ張られながら店の外へと連れ出された。そのまま、書店の前に並んだ背もたれのない薄緑のソファへと座らされる。スカーレット先輩は続いて俺の隣に座った。傍に生気のない観葉植物があるせいか、赤い髪色のスカーレット先輩はまるで造花のように見える。

 

「あんた、意外とやんちゃね。あんなの読むくらいなら、絵本でも読んでた方がよっぽど勉強になるわよ」

 

 そもそもあの雑誌、過激過ぎて前に理事長とURAに廃刊させられた週刊誌の後継よ。百害しかないわよ、あれ。

 スカーレット先輩はそう言って溜め息を零した。先程、ウオッカ先輩が()()()の『日本ダービー』の時にめちゃくちゃな事を書いたと言っていたので、あの雑誌には何かしら思う所があるのだろう。

 

 声が出るかの確認を、小さく喉を鳴らして行う。今度はいつも通りに声帯が震えて、音が出た。さっきは急に腕を掴まれた驚きで、声が出なくなっただけだろう。それ以外に理由なんてないはずだから。

 

「……ご迷惑お掛けしてすいません」

「そう思うなら、もうちょっとましな本を読みなさい……まさかとは思うけど、持ってた他の2冊もあんなんじゃないわよね?」

「あ、いえ。持ってたのはさっき観た映画の小説版と、月刊トゥインクルって雑誌です。ウオッカ先輩とスカーレット先輩の特集が組まれてたもので」

「へ、へー……?」

 

 ぴこぴことスカーレット先輩の耳が動いた。尻尾も椅子の上で波打つように動いている。意外と耳や尻尾に感情が出にくいウオッカ先輩とは対照的に、スカーレット先輩は分かりやすい。勝手に滲み出ている喜びや照れが、先輩が必死に取り繕った澄まし顔を台無しにしている。

 

 ──あいつら、後輩らしい後輩って持った事ないんだよ。だから少し構いたがり過ぎるかもしれないが……まあ、大目に見てやってくれ。

 

 ふと、沖野トレーナーから聞いていた言葉を思い出す。先輩方が良くしてくれる理由に何となく気がついた。それでも、気にかけてくれる申し訳なさは、これっぽっちも薄れないが。

 

 そういえば……と、『月刊トゥインクル』の特集記事に引っ張られるようにして、以前気になった事を思い出した。

 当事者であるスカーレット先輩がいるのだから、聞いてみてもいいかも知れない。

 

「先輩先輩。すいません、突拍子のない質問をしても良いですか?」

 

 目をまん丸くして、頭に()()()を浮かべながら、先輩は続きを促した。

 

「いや、スカーレット先輩はどうしてオークスじゃなくて日本ダービーに出走したのかな、と。先輩ってトリプルティアラを目標にしてたんですよね?」

 

 一瞬、きょとんとした顔をした後、スカーレット先輩は書店の──厳密に言うとレジの──方向へと顔を向けた。店舗と通路を隔てる硝子の壁越しに、レジ待ちの列に並ぶウオッカ先輩の背中が見えた。

 

「……あいつに言わないって約束出来る?」

「あ、はい。勿論」

「じゃあ……うん、教えてあげるわ」

 

 スカーレット先輩は殊更に声を小さくして呟いた──ウオッカ(あいつ)に勝つ為よ……と。

 

「あいつ、桜花賞の後に捨て台詞吐いて行ったんだけど……アタシはどうしてもそれが気に食わなくてね。あいつにアタシが()()だって分からせてやろうと思って、ダービーに出たのよ」

 

 まあ、ダービーは負けちゃったんだけどね。そう続けた先輩に目が点になった。

 

 スカーレット先輩は、トリプルティアラ路線で目覚しい活躍をしたウマ娘だ。出走しなかった『オークス』を除いた二つのティアラを勝ち取り、幻のトリプルティアラウマ娘なんて呼ばれ方もしている優等生。

 しかし、トリプルティアラである二つ目のレース、『オークス』に出走しなかった理由は、何とも優等生らしからぬものだった。

 

「あいつとアタシのトゥインクル・シリーズでの戦績、知ってる?」

「えっと、3()()3()()ですよね。有名な噂だと、模擬レースもほとんど互角だって聞きました。眉唾ですけど」

「……悔しいけど、正解よ、その噂。あいつとアタシって、どうしてか昔から勝ち負けに差が付かないのよね」

 

 先輩は後ろへ両腕をつっかえさせて、体重を掛けた。

 

「最初はアタシが負けたのよ。チューリップ賞でね。それが悔しくって悔しくって。だから次走の桜花賞まで時間がないなりに必死に努力して。それであいつにリベンジして……それで、桜花賞ではアタシが勝ったの。そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」

 

 暫し、考えてみる。お約束のように「次は勝つ」ではなかったのだろう。だとしたら、「流石は俺のライバル」とかだろうか……いや、しっくり来ないので違うだろう。

 うんうん頭を捻った結果答えが思い付かなかったので、スカーレット先輩に降参を告げた。

 先輩はこんなの分かる訳ないわよね、と言いたげな顔で答えを口にする。

 お前の()()に意味はない、適当で空っぽだ……と。

 

「先輩の一番に意味はない……?」

「そう! めちゃくちゃ腹立つわよね!? そりゃあ突っかかって行ったのは私だけど、そんな事普通言う!?」

 

 思い出して怒りが込み上げたのか、先輩は少しボルテージが上がったようだった。少しの間怒りを見せた後、先輩はぽつりと呟いた。

 

「……まあ、アタシ自身、ウオッカにそう言われて、アタシが本当になりたい()()の意味に気付けたんだけどね」

 

 それは何ですか……そう聞きかけて、口を噤む。答えは自分で見付けなければならない。誰かにそう言われた気がしたのだ。

 

「それから、色々あって。アタシが()()になるには、あいつに勝たなきゃなんないって気が付いて、色んなレースであいつとぶつかって……そして、今があるのよね。だから、まあ……アタシがオークスじゃなくてダービーに出た理由って、あいつに勝って正真正銘の()()になる為よ。あいつに勝たなきゃ、アタシは()()になれないからね」

「……じゃあ、スカーレット先輩にとって、ウオッカ先輩は目標って事ですか?」

 

 『桜花賞』を勝利した後に『オークス』を無視して『日本ダービー』を駆け抜け、どうしてウオッカを追わず王道を貫かなかったと叫ばれながらも、我関せずで二つ目以外のティアラを堂々と勝ち取った『ミスパーフェクト』ダイワスカーレット。

 『桜花賞』を敗北した後に『オークス』ではなく『日本ダービー』を駆け抜け、どうしてダイワスカーレットから逃げずに正道を突き抜けなかったと(そし)りを受けながらも、府中最強の呼び声を上げさせてみせた『常識破りの女帝』ウオッカ。

 二人がクラシックに挑戦した年は、二人の内のどちらかがトリプルティアラを獲得するか、もしくは二人で三つのティアラを分け合うだろうと言われていた。

 

 そんな二人の関係は余りにも有名過ぎて、どちらかが語られる時には、必ずもう片方の名も語られる。時には王道の中で、時には理屈の外で。いつまでも一進一退の争いを続ける二人を指して、気付けば人々は『永遠の宿敵』なんて呼び方をしていた。

 トリプルティアラ路線にも関わらず、『日本ダービー』で競い合った二人。伝説にすらなっているシニアの『天皇賞・秋』では、他のウマ娘を置き去りにして、レコードタイムの中で競り合った二人だ。

 その差は、どちらもまさかのハナ差決着。2000mで……或いは2000mを超える長旅の果てで、付いた差はたったの2cm。奇跡的なくらい同格の好敵手同士。

 

 好敵手同士であれば、お互いが俺にとってのディープインパクトに似たものなのだろうかと思い、口にした素朴な疑問だった。

 俺はそんな関係を経験した事がないから、推測でしか分からない。そもそも、気にした事すらなかった。ディープインパクトに一生──()()片思いしてる俺には、気にしている余裕がなかったから。ディープインパクトには、生涯の好敵手なんていなかった。だったら、俺にも居てはいけない。俺に()以外の好敵手が居ては、俺は()にはなれないから。

 ……だが、そんな俺の疑問が面白かったようで、スカーレット先輩は虚をつかれたような顔をしてから、思い切り笑った。

 

「違うわよ、ウオッカが目標? ……ないない! 有り得ないわよ、そんなの! 変な事言うのね」

 

 勝ちたいとは思うけど、別に憧れはしないし、そもそも走り方が全く違うから、参考にしたら痛い目を見る。別にお互い、目標だなんて思った事もない。

 そう笑いながら告げられて、サングラスの下で目が丸くなる。

 

「えっと……じゃあ、先輩にとって、ウオッカ先輩って何なんですか?」

「うん? アタシにとってあいつは……敵であり、仲間ね。それも同世代で、一番近くに居る。癪だけど、あいつが居るからアタシはもっと強くなれる。()()なんて気にしていられないと思えるの。あいつにとってのアタシも似たようなものじゃないかしら。言ってしまえば、ウオッカはアタシの──」

「──おう、俺がどうしたって?」

「戦ゆ──って、ウオッカ!? 戻って来たなら先に言いなさいよ!」

「な、なに怒ってるんだよお前……」

 

 急に立ち上がって詰め寄ったスカーレット先輩に、ウオッカ先輩は顔を引き攣らせた。

 

「……あんた、何処から聞いてた?」

「いや、何処からも何も、たった今戻って来た所だって。なあ?」

 

 そう言って、ウオッカ先輩は俺へと賛同を促す。正直、俺もスカーレット先輩と同じで話に集中していた為、よく見ていなかったので分からない。だが、ウオッカ先輩が困ったように眉根を寄せていたので、おずおずと頷いた。

 

「ならいいわ……それじゃあ、もう帰りましょうか。一度部室に戻って買い出しの領収書とか置いておきたいから、あんまり遅くなっても駄目だしね。本代の精算は……学園に帰ってからやりましょう。良いわね、ウオッカ」

「……なんっか釈然としねぇなぁ」

「いいから行くわよ、二人とも!」

 

 赤い造花のように見えていたスカーレット先輩は、いつの間にか大輪の花のようだった。つんっ……と先へ進むスカーレット先輩を追う為に、俺も立ち上がる。

 ……と同時に、ウオッカ先輩が俺の帽子を軽く持ち上げて、耳元に顔を寄せた。何かを伝えたいらしい。先輩の息が耳に掛かり、少し擽ったかった。

 

「庇ってくれてサンキューな──ちなみに俺は、自分らしさを貫く為だぜ」

 

 驚いて、ウオッカ先輩の顔を直視する。

 先輩は悪戯(いたずら)小僧のような顔で、茶目っ気たっぷりにウインクを一つしてから、スカーレット先輩の後を追って歩き始めた。

 

 てらてらと艶やかに蛍光灯を照り返す通路の上で、俺は顔を引き攣らせる。

 ウマ娘の聴覚でも、最初から全部聞いていたという事は流石にないだろう。だが、ウオッカ先輩は何処から何処までを聞いていたのだろうか。それはウオッカ先輩にしか分からないし、恐らく聞いてもすっとぼけられるだけだろう。さっきのスカーレット先輩のように。

 ダイワスカーレットが先行で、ウオッカが後方。まるでレース中の位置取りみたいな先輩方の後ろから、俺は続く。結局は、疑問が増えただけだなぁ……なんて思いながら。そして──。

 

 ──リギルよりも、よっぽど癖が強いです。スピカ。

 

 そんな事を考えて、十二月の中二週間で行われる合宿に、少しの不安を抱いた。

 俺がスランプを脱却出来るかどうかが懸かった合宿は、もうすぐそこまで迫っている。勝手に家出じみた事をした癖に、妙に寂寥感を覚えて……何となく、リギルの先輩方に会いたいなと思った。

 それがあんまりにも俺らしくなくて、何だか一日中空回りしていたような錯覚を覚えた。

 

 ……ふと、足を止めて書店へと振り返る。忘れ物があるような気がして、手荷物を確認する。貴重品も、小物も、大きめの荷物も。何一つとして忘れ物なんてないはずで──そして、はたと気付く。

 

 アフターマスの呪い、同期を壊す三冠の影。

 

 ……ネットニュースで散々見たお題目そっくりな雑誌の見出しが、まるで逃げるなと言うように、俺の後ろ髪に纏わり付いている……そんな気がした。

 俺は心に蓋をして、自分の影を踏み付けて……忙しく、帰路へと就いた。先を行く先輩方の背中は、遠い。




相変わらずスランプがどうしようもないので、次回分からは1話ずつゆっくりと時間を掛ける方針に切り替えようと思います。
スランプが治ってクオリティを取り戻せたら、前のような投稿ペースに戻そうと思います。
完結まで先はかなり長いですが、今後とも気長にお付き合い頂ければ幸いです。

2021/10/7 追記:
誤字報告を頂きましたが、作中の『パーフエクト』は誤字ではありません。


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第10話 呉越同舟

展開被り防止の為にウマ娘二次を読むの一旦我慢してるんですが、最近立て続けに推しウマ娘二次が完結して泣いてます。


「ずるいデース!」

 

 曇り空の多い十二月にしては珍しく、窓の外には何処までも青い空が拡がっている。

 

 明日から行われる合宿の事前ミーティングを終え、チームメンバーが三々五々に散った後の事だった。裏切られたと言いたげなエルコンドルパサーの声が、チームリギルの部室に大きく響いたのは。

 外の空気が冷たくて、いつにも増して澄んでいるように感じるからだろうか。彼女特有の威風堂々とした声が、普段よりも通っているように聞こえた。

 

 中央トレセン学園は全国にあるレース場との交通の都合上、首都東京の中でも比較的立地の良い土地に本拠を構えている。しかし、体が資本であるウマ娘達の健康を支えるべく、敷地内には鈍色の人工物よりも生命力豊かな植物の方が意図的に多い。その為、学園の門を一歩潜れば、そこには大都会の一角とは思えない程の清涼な空気が満ち溢れている。

 もしかしたら、空気中に不純物が少ないから、賑やかな声質は伸び伸びと広がるのかも知れないな……なんて、そんな関連性の乏しい考えが、ふと脳裏を過る。

 ……或いは、普段だと賑やかにしている一人の後輩が、長くこの部室に来なくなったものだから、その声の残滓を時間が消しつつあるのかもしれない。そして、声が抜け落ちて出来た空白の場所を、他の音が埋めようとしているのかもしれない。

 シンボリルドルフは、つい、そんな感傷に浸りそうになった。

 

「エル、仕方がないものを騒いだってどうにもなりませんよ。スピカの合宿に私達まで付いて行く訳にも行きませんし」

「それでもずるいものはずるいデース! だって絶対に楽しいデース! 仲間達と一緒に旅館、温泉、きっとディナーは海の幸とかデス!」

「エルー? 合宿は遊びじゃないんですよ?」

「でもでも、やっぱりスペちゃん達だけ、ずーるーいーデースッ! エルだってそんな日本的な合宿がしてみたいデス! たまにはホテルじゃなくて旅館に泊まってみたいデス!」

「……エールー?」

「澄まし顔してても、グラスだって実はこっそりとそう思って──ひいっ!?」

 

 熱弁を奮っていたエルコンドルパサーは、友人であるグラスワンダーの静かな笑顔を見て飛び上がった。座ったままにしては見事な飛び上がり方だったものの、体勢のせいで、怪鳥というよりは蛙のような飛び方であったが。

 勿論、グラスワンダーが別に何かをした訳ではない。だが、エルコンドルパサーは普段から()()()()度に色々とグラスワンダーに窘められている。その結果だろうか、エルコンドルパサーはグラスワンダーの浮かべる特定の笑顔に、無条件で震え上がるようになったらしい。仲が良いのは良い事だ。

 

「うー……じゃあせめて、アフタはリギルの合宿に参加するべきデス。アフタはリギルの仲間なのに」

「仕方ないじゃないか。アタシらが一緒だと、あの子は頑張り過ぎちまうんだからさ」

 

 先輩であり、所属する美浦寮の寮長であるヒシアマゾンが肩を竦めながら、エルコンドルパサーへと軽く言い返した。

 それがとどめになったのか、エルコンドルパサーはミーティングで使った組み立て式の机にぺたりと突っ伏した。頬を机で潰れさせながら、唇を尖らせる。

 

「……でもアフタ、寂しそうデス」

 

 エルコンドルパサーは突っ伏したまま携帯端末をぺたぺたと操作し、じっと画面を眺めた。やいのやいのと騒いでいたが、どうやら本音はこっちのようだった。

 画面に表示されているものは、恐らく友人であるスペシャルウィークから先程送られてきた写真だろう。

 先程見せて貰ったが、そこに写っていたのはチームスピカのウマ娘四名──スペシャルウィーク、トウカイテイオー、ウオッカ、ダイワスカーレット──と、見た目が幼い一人の少女だ。先輩四人に囲まれていても、いつも通り感情の乏しい顔に眠たげな目を浮かべて、見慣れたジャージ姿で棒立ちするウマ娘──アフターマス。自分達のチームの末っ子である。

 

 チームスピカとアフターマスは本日の朝一番から、沖野トレーナーが運転する学園所有のマイクロバスに揺られて、冬期の合宿──という名目の半慰安旅行──に行っている。写真はどうやら目的地である宿泊先の旅館前で撮ったものらしく、事情を知らない者が見れば、まるで彼女が移籍したと誤解されそうな光景だった。

 ……果たして、本当に寂しいのはアフターマスなのか、後輩を取られた先輩側なのか。真相は恐らく、当事者にも分からない。

 

「人怖じしない割に、遠慮しいだしね。まだスピカと壁を感じて猫被ってるのかもしんないねぇ」

「人が集まる所に寄って行こうとするの、猫というより子犬みたいで見ていて可愛らしいんですけどね。本人は気付いてないみたいですが、寂しがり屋さんですし」

「……アンタ、アフタをどういう目で見てるんだい……?」

「何の事ですー?」

「うーん……心配デース……」

 

 ヒシアマゾン、グラスワンダー、エルコンドルパサー。ミーティング後もシンボリルドルフ以外で部室に残った三名の声が姦しく続く。まさか自分の居ない所で先輩連中にこうも話題の種にされている等、アフターマスは考えもしないだろう。

 元々、自分嫌いというべきか、自己否定的というべきか……お調子者な性格に反して自分を軽視するきらいがある後輩は、自分が良い方向に評価されているとは考えていない──というよりも、考えられない節があった。加えて、どうも身内に向かい合って心配されるという経験が乏しかったらしく、自分が何故、どういう風に気に掛けられているかにもかなり疎い。

 

 何故かアフターマスの中では、自分はいつ先輩達に見限られても可笑しくない、未熟で情けない奴だ……という自己評価が固定されているらしい。そしてその評価を先輩から否定されても「先輩は優しいからそう言ってくれるんだな」くらいにしか判断出来ない程度の、極めて小さい価値尺度しか存在していないようだった。

 自分に厳しいというよりは、自分が認められるという現象を理解出来ない。自分自身を認められない。表向きはムードメーカーである癖に、本心は卑屈で怖がりで臆病者。そんな不思議な性格。

 ……ひと月以上前に行われた『菊花賞』直前まではそんな後ろ向きな本性も徐々に改善されつつあり、外面だけではなく内面も前向きになり始めていたのだが……彼女が固執する『ディープインパクト』という存在が、またしてもアフターマスの前に立ちはだかってしまったらしい。今回はいつにも増して受けた影響が大き過ぎたらしく、『菊花賞』を境に、アフターマスの自分を安く見積る考えは以前よりも酷くなってしまったのだった。

 

 そして現在では、リギルメンバーから逃げるように家出紛いな武者修行を学園中で始めたものだから、世話焼きな性格のウマ娘が多いリギルメンバーからは、大なり小なり心配される結果となっている。

 日本中が新たな無敗の三冠ウマ娘誕生を称えた『菊花賞』の日以来、リギルメンバーは誰もアフターマスと接触していない。東条トレーナーから無許可での接触を禁止された──どういう訳か、アフターマスがリギルメンバーに強い負い目を感じている為、何を仕出かすか分からないかららしい──というのもあるし、本人が明らかにリギルを遠巻きにしている。

 東条トレーナーとのやり取りからして本人は鍛えてるだけのつもりらしいが……生徒会とリギルへ差し入れる菓子折りを贈る際、纏めて東条トレーナーに託した事からも、可能性は高いだろう。しかもその託し方というも、東条トレーナーが不在の時間を狙って、書き置きと共に職員室の机に置いて行くというものだった。

 東条トレーナーとリギルメンバーが一緒に居る可能性を考えてなのかもしれないが、普段のアフターマスならそんな礼に失する事はしない。

 彼女がリギルのメンバーを避けているのは──意識的にか、無意識的にかは別としても──恐らく、間違いない。

 

「アフタ、色んな意味で誤解されやすいからねぇ……まあ、スピカの奴らは大丈夫だと思うけど……問題は外野だね。本人が少しずつ考え方を改めようとしていても、外からの声が邪魔しちまうし」

「この前も、とても酷い言い掛かりの記事が出てましたよね」

「そうデス! なんで、他のウマ娘を精神的に追い詰める為に追い込みで走ってる……なぁんて言われなきゃならないのか分かりません! 酷すぎます!」

 

 自分達(リギル)からすれば普段は考えがほぼ筒抜けなアフターマスだが、実は接点の薄い人間からは感情の有無すら疑われている。

 アフターマスが身勝手な雑誌やネットニュースに好き放題書かれる要因の一つは、何を言われても何も感じていないように見えてしまうその姿勢にあった。一貫した無反応というものは、時として人の悪感情を煽ってしまう。

 ……勿論、だからと言って誹謗中傷の類が許される事はないし、学園のウマ娘達を導く立場として許す気もないが。少し考えれば、アフターマスも人である以上、何も感じていないなんて有り得ないと分かる筈である。もし、アフターマスをきちんと人間として認識していれば……だが。

 

 シンボリルドルフは良くない方向に進み掛けた室内の空気を止めるべく、義務のように口を開いた。

 

「現代ターフに関しては、学園とURAが連名で抗議文を送っているから心配しなくて良いさ。今後も何か起きるようなら、()()()()()()全力でなんとかしよう。少し、見守っていてくれると助かるよ」

「……会長さんがそう仰るなら、信じますね」

「ぐぬぬ……エルが力になれる事があれば、何でも言って下さいね! 例えばカチコミなんかでもエルは最強ですから! パパ直伝の空中殺法が火を吹きますよー!」

「……分かってると思うが、本当にやるんじゃないよ? 分かってると思うが。……それと、ルドルフ。あんたはあんたで無理するんじゃないよ。アタシだってそれなりに色々と経験して来てるんだから、何時でも頼ってくれて良いからね」

「ふふっ……頼もしい限りだ。皆の力が必要な時は、協力して貰うよ」

 

 不承不承といった感じではあるものの、向かい合った三人は頷き返した。

 一先ず、ろくでもない方向へと進み掛けた空気を制止出来そうで胸を撫で下ろす。そういうのを考えるのは、生徒会長である自分や大人達だけで良い。

 

 ──当編集部は事実に基いて専門家が考察を行い、真実を追及するべく記事を作成しています。それに対し、表現の自由の侵害や検閲等を行うのであれば、如何に中央トレセン学園様やURA事業部様であったとしても、毅然とした対応を取らせて頂きます。

 

 ……先日の抗議文への編集部からの返答を思い出し、苦虫を噛み潰した感覚を覚える。顔に出すなんて真似はしないが、心底鬱陶しいと思う。

 世の中には、若い才能を疎む人間が一定数存在するが、件の編集部はそれが顕著だった。特に幼く見えるアフターマスは、そんな人種にとって格好の的となる。

 前途有望な子供を餌食にしようとする姿勢は何とも度し難いし、以前の──ライスシャワーの『天皇賞・春』の時に一度は出版誌を叩き潰されたのに、まだ懲りていないらしい。編集部どころか出版社自体がそういう人間の巣窟なんだろうなと察してしまい、げんなりとする。

 

 トウカイテイオーでもアフターマスでも良い。自分の後ろを無邪気に追ってくるタイプの後輩の、大人の思惑なんて関係なく純粋に励んでいる姿を見て活力を分けて貰いたい。何なら、スピカの合宿に自費で良いから自分も参加してしまいたい。シンボリルドルフは咄嗟にそう思った。

 生憎と、明日からのリギルの合宿は予てから予定していた練習施設を利用する為、スピカとは合宿を行う場所が全く違う。残念ながら、願いは一片足りとも叶わない。エルコンドルパサーのように文句を吐きたくなったが、生徒会長としてぐっと堪えた。

 

 ──部室の前に人の気配が現れたのは、そんなタイミングであった。

 

「──御免下さい! 突然の訪問失礼します、オペラオーさんはご在室でしょうか!」

 

 思い浮かべていた後輩二人とは方向性こそ違えど、純粋そうで元気溌剌と言った表現がこの上なく似合うウマ娘がリギルの扉を開いた。

 後ろで一つに纏めた長い鹿毛の髪に、鮮やかな青色のイヤーカバー。服装は学園指定のジャージ姿で、襟の内側にサッカー柄のスポーツタオルを巻いているようだ。

 中等部生だろうか……と、咄嗟に考えて、思い出す。直前まで考え事をしていたとはいえ、直ぐに何者かを思い出せなかった事を恥じる。生徒会長として、学園のウマ娘は顔と名前、簡単なプロフィールは覚えていて然るべきだ。

 

「やあ、君は()()()()()()だね。はじめまして。生憎と、オペラオーは席を外してしまっているよ」

「しっ、しし……シンボリルドルフ生徒会長!? うわぁ、凄い! いらっしゃるかもとは思ってたけど本当にいらっしゃった! ファンです、名前を覚えて頂けて光栄です……って、違う違う! 取り乱して申し訳ありません! オペラオーさんはご不在なんですね! どちらにいらっしゃいますでしょうか!?」

「……これはまた、えらくテンション高いのが来たねぇ」

 

 ヒシアマゾンの呟きに、心の中で苦笑いを浮かべながら同意した。エルコンドルパサーはぽかんとした顔をしており、グラスワンダーはいつも通りのにこにこ顔だ。

 基本がハイテンションな後輩はリギルにも在籍しているが、どのウマ娘も成長と共に一定の落ち着きを身に付けている。正直、ここまで勢いの良いパーソナリティの人物とリギルの部室で接するのは久方振りだった。

 普段なら精々、ばれた嘘を誤魔化そうと必死な時のアフターマスで関の山だ。或いは、今となっては珍しいが、スイッチの入り過ぎたテイエムオペラオーか。

 

 ──ハーツクライ。栗東寮所属の中等部生で、テイエムオペラオーやゼンノロブロイと交友関係にあるウマ娘だ。

 レース結果においてはデビュー以降ずっと成績が奮わなかったものの、見る者全てに「次こそは!」と思わせる力強い走りと、天性の明るさで観客を魅了し続ける、諦めを知らない燻し銀のシルバーコレクター。

 ……そんな彼女だが、実はつい先日行われた『ジャパンカップ』において、レコードタイムでゴールを駆け抜けたイギリスの強豪ウマ娘と激しい競り合いを演じている。結果こそ二着に終わったものの、タイム差なしでの接戦で強さを見せ付けた事で、彼女の名声は正に上り調子と言えるだろう。

 アフターマスのすぐ上の世代で、今一番注目されているウマ娘は誰か……と四方山(よもやま)話をすれば、宿敵である名ウマ娘ゼンノロブロイを差し置いて、真っ先に名前を挙げられる程の傑物である。

 どうやらこの秋に本格化を迎えたらしい、『有記念』におけるアフターマスの有力な対抗バだ。

 

「すまない、実は何処に行ったのか知らないんだ。合宿で暫く会えなくなるファン達に即席オペラを披露すると言っていたから、人が集まる場所だとは思うんだが」

「そう……ですか……くうっ、残念……!」

「……ちなみに、どんなご要件か伺っても?」

 

 心底残念そうな顔の彼女へと、グラスワンダーが質問を投げ掛ける。

 ハーツクライがもし裏表のある人物であれば、『有記念』でぶつかり合うアフターマスの腹の(うち)を探りに来たのかと疑う所だが……彼女は偵察をするには、どう考えても向いていない。他人の考えを察するのが苦手な件の後輩(アフターマス)であっても、彼女の意図を読み取り間違える事は難しいだろう……そう思える程に。

 

「はい! 実はこの前のジャパンカップで凄く良い走りをする後輩達が居たんですけど、彼女達が口を揃えて『私達の宿敵はもっと凄い』って言うものだから正直めちゃくちゃ気になりまして! だから、アフターマスさんと同じチーム()()()オペラオーさんからどんな子なのか聞けないかな、と!」

 

 ……うん? と、シンボリルドルフは引っ掛かりを覚えたが、ハーツクライに何かを気にした様子はない。気の所為だろうか。

 すいません! もしかしたら敵情視察になってしまうかもですが! と一度挟んでから、ハーツクライはあけすけに続きを口にした。

 

「オペラオーさん達が明日から合宿なのは存じてますが、どうしても今しかタイミングが合わなくて! 本当ならアフターマスさん本人とお話出来れば早かったのですが、不思議なくらい会えないまま、スピカは合宿に行ってしまいましたので!」

 

 オペラオーさんは電話で話すより、直接話した方が臨場感ある語り口調で教えてくれるので、会って話したかったんですよ!

 そう言って本気で残念がっている姿からは、少しでも対戦相手を分析してやろう……なんて意図は感じられなかった。

 純粋に、有望な後輩達が異口同音に『凄い』と評した相手の事を知りたいという──言ってしまえば、『有記念』というレースそのものが楽しみで楽しみで仕方がないという感情だけが滲んでいる。

 ハーツクライは年明けから海外に挑戦する為に、色々と準備で忙しくしていると聞いている。彼女にとっては、海外遠征前の最後の国内レースこそが次走の『有記念』だ。

 きっと年末の中山は、多忙な生活の中であっても待ち遠しい、彼女の目下の楽しみなのだろう。

 全員が圧倒的強者であるリギルに居ると感覚がずれてしまうが、師走の末に夢を背負って中山レース場を走る……それは日本のウマ娘にとって、それそのものが夢なのだ。

 暮れの中山には、いつだって夢だけが走る。

 

「あ! 勿論、レースや走りについては聞きませんよ! フェアじゃないんで! どちらかと言うと()()()()()のアフターマスさんがどんな子だったのか聞きたかったんですよ! 天才肌なんですかね、努力家なんですかね、それとも……両方ですかね!?」

 

 あー、レース前に直接会ってみたかった! と一人でテンションが上がり続けるハーツクライ。

 ……その背後から、いつの間にか近付いているエルコンドルパサーに目を奪われる。

 ハーツクライと向かい合っている自分の視点ではゆらりゆらりと擬音が聞こえてきそうな光景だが……背を向けて立っているハーツクライに、気が付いた様子はない。

 

「後は……やっぱり、()()()()()()のゴルシさんを見付けて話を聞いてみるのが一番無難ですね! 合宿には途中参加らしいですから、今日明日くらいは学園で暇してるでしょうし!」

「そ、そうか……もし私で良ければ、話くらいは付き合うが」

 

 ──ああ、これはアフタがスピカに移籍したと誤解されてるな。さっきの引っ掛かりはこれか。

 ……シンボリルドルフは違和感の正体を今更ながらに確信したが、ハーツクライとエルコンドルパサーのシュールなまでの温度差に気を取られてしまい、訂正を入れそびれた。

 気疲れしているのだろうか、何だか最近、思考が鈍いような気がする。ジョークの切れだって頗る悪いし、一度ちゃんと休んだ方が良いかもしれない。最後にまともな休みを取ったのは、何か月前だっただろうか……思い出せない程前なので、合宿中くらいはゆっくり精神を休めよう。シンボリルドルフは、そう決心した。

 

「いえ、大丈夫です! オペラオーさんならともかく、合宿前日にそこまでお時間頂く訳にはいきませんから! それでは、失礼します──」

 

 自身の申し出に断りを入れて、ハーツクライは振り返ろうとして──肩に手が置かれた。やはりと言うべきか、エルコンドルパサーだった。 

 

「──なら、丁度暇を持て余していた私が教えるデス」

「……エルコンドルパサーさん?」

「アフタは……今でも、リギルの仲間デェェエエエス……!」

 

 無表情なのか笑っているのか分からない、不思議な顔。エルコンドルパサーのルチャドーラの様なマスクが、そんな表情を作り上げているのだろう。そう思う事にした。

 ……何故か、エルコンドルパサーとは真逆の肩へも手が置かれた。いつの間に傍に立っていたのだろうか、手の持ち主はグラスワンダーだった。

 

「そうですよー。ですから、スピカのゴールドシップさんに聞くよりも、私達に聞いた方が正確ですっ。……それに会長さんとヒシアマ先輩は合宿中の資料を確認する為に残られてますが、私とエルはやる事がなくて残ってただけですので」

「……グラスワンダーさん?」

 

 エルコンドルパサーとグラスワンダー。彼女達の間にウマ娘が立っている姿に、何故か既視感を覚えた。それは凄く身近な後輩だった気がするし、或いは都市伝説で見かける様な『人類に捕まった宇宙人』の写真だったような気もする。

 ……当のハーツクライは、少し不穏な空気を感じている様子こそあれど、目的が果たせそうで嬉しそうにしているが。なんと言うか、心が強い。

 

「そう言って頂けるなら是非ともお聞きしたい! あと、噂を真に受けて信じてしまい、申し訳ないです!」

「……では、此処では邪魔になりますし、カフェテラスにでも場所を移しましょうか」

「エル達も話をするけど、ハーツクライが言っていたスピカに移籍したって噂について、ばっちり教えて貰いますよー!」

「では、よろしくお願いします!」

 

 突然の来訪者は、悪くなり掛けた空気を壊して、嵐のように過ぎ去って行った。

 扉が閉まる間際に「()()()()()を解くなら、()()()()()()が取れると良いな」と投げ掛けた。勿論、言ったのが遅かった為に、反応がないままトビラは閉じられた。

 急な静寂が部屋を満たす。

 

「あー……うん。なんと言うか、良いやつだね」

「……そうだな」

「無自覚にグラス達の地雷踏み抜いて行ったけど……あれは本人に悪気があるかどうかというよりは、もうそういう噂が定着してる感じだね」

「……そうだな」

「……流石に、()()()()()()は無理があったんじゃないかってアタシは思うよ。うん」

「……」

 

 シンボリルドルフは、いけると思ったんだがなぁ……と思いながら、ヒシアマゾンの視線から逃げる様に、部屋から出て行ったリギルの後輩達へと思いを馳せる。

 

 エルコンドルパサー、グラスワンダー。どちらも黄金世代と呼ばれるウマ娘だ。

 偶発的に同じ世代になった圧倒的な才能が、様々な分野の発展により底上げされた結果の世代……等と彼女達は世間から呼ばれる事もあるが、シンボリルドルフとしてはその意見には懐疑的だ。

 きっと黄金世代は、一人でも欠ければここまでの強さを持ち得なかっただろう……そう、本気で思う。彼女達は、お互いがお互いを高め合い、切磋琢磨した末にあの領域まで辿り着いている。

 仲間(ライバル)が居るから強くなれる。

 言うのは簡単なそれを、高度な次元で実現した結果こそが彼女達『黄金世代』なのだ。

 かつて、シンボリルドルフが無敗の三冠ウマ娘になるよりもずっと前、彼女がまだ()()と呼ばれていた頃に、憧れを抱いた先輩達がそうであったように。

 

 ……だから、何となく理解が出来るのだ。黄金世代と呼ばれるウマ娘達が、人一倍仲間意識を強く抱いている理由も。そしてそれは、エルコンドルパサーとグラスワンダーだって例外ではないだろうという事も。

 誤解であっても、アフターマスがスピカに移籍した……という噂はきっと、自分が想像している以上に面白くないだろう。

 今や学園でも指折りに有名な後輩が、世間へ公表する事なく秘密裏に移籍した……裏返せば、移籍せざるを得なくなるまでの何かがチーム内であったのかもしれない……等というような、仲間の絆を疑われるような噂は。

 そんな疑いの眼差しが、大切な仲間に向けられる事が。

 

「──にしても。()()じゃなくて()()、ねぇ。……難儀な子達だよ、全く」

 

 ヒシアマゾンの言った言葉に、意識を真っ直ぐに引き戻す。そして、やんわりと溜め息を零して、同意を示した。彼女がたった今触れた部分は、自分も気になっていた所だ。

 きっとヒシアマゾンは自分と同じ様に、『黄金世代』について今更考えていた訳ではないだろう。それでも、ハーツクライから聞いたその台詞は、やはり聞き流す事は出来なかったようだ。

 独特の価値観で結ばれた世代という点では同じだが、時に『最強世代』と呼ばれるエルコンドルパサー達と、時に『最弱世代』と呼ばれるアフターマス達とでは事情が大きく異なる。その上での、ハーツクライから告げられた新しい情報。

 

 ──凄く良い走りをする後輩達が居たんですけど、彼女達が口を揃えて『私達の宿敵はもっと凄い』って言うものだから──。

 

 不仲であるとまことしやかに語られる、アフターマスと彼女の同期達の関係性。その真実は、つまりはそこに集約されているように感じる。

 アフターマス(世代の覇者)に向けて直接言い放たれる、同期達による世代の覇者(アフターマス)への恨み節や喧嘩文句。

 世代の覇者(アフターマス)が出走していないレースで第三者へと語られた、同期達によるアフターマス(世代の覇者)への最上の評価。

 きっとそれらは、どちらもが本物なのだろう。そしてそれらはもはや、強固に絡み付いてしまっていて、おいそれと解けるものでもない。どちらの糸がより強いのかなんて分からないが、本当に難儀だとしか言い様がなく、目を覆いたくなる様な惨状だった。

 

「いつか分かり合えると良いんだけどねぇ、あの子達も」

()()()()という純粋な同じ想いを抱える者同士、交流の中で仲間意識が芽生えるか、同族嫌悪となるか……見守るしかないのがもどかしいな」

「年長のアタシ達が口出しすると、下手したら余計に拗れて、もう二度と良い関係にはならないかもしれないからねぇ……厄介だよ、人間関係ってやつは」

「それでも、なる様にはなるさ。いつだって、それが()()()だ。そうだろう?」

 

 きょとんとした顔を浮かべてから……ヒシアマゾンは珍しく、くすくすと笑った。

 何となく()()に決めてみたが、彼女がそんな風に笑ってくれたなら、その甲斐はあっただろう。

 

 窓から覗く空は青い。ずっと続く青色の下では、今も後輩達が新しいドラマを描き続けている事だろう。

 実は一つ、リギルでは生徒会長である自分だけが知っている興味深い話題があるのだが、それはそろそろ花開いてる頃だろうか。

 シンボリルドルフは後輩達へと最大限の愛を込めて、心の中で独り言ちる。

 どうか、アフターマス()が『全てのウマ娘が幸福になれる時代』の先駆けとならんことを……と。

 

 

■□■

 

 

 合宿先にあるウマ娘の練習用施設は、屋内と屋外に別れて練習スペースが存在する。

 屋外は主に実践向けのスペースで、広々としたトラックが芝、ダート、ウッドチップと各種揃っている。変わり種として、少し離れた場所に砂地や洋芝擬きのコースだってあるらしい。

 一方、屋内は各種機材やら温水施設やらを用いる為のスペースで、基礎的な身体機能を養成する為の場所と言える。最新の機材ではないものの、十分な機能性を保持する少々年季の入った設備には、時間によって積み重ねられた確かな温かみすら感じられる。

 だからという訳ではないが、真冬のこの季節は用が無ければ屋外よりも屋内に居たいと思うのは、哺乳類として真っ当な感性だろう。

 ……そんなウマ娘にあるまじき言い訳をしながら、当分使う予定がないからと練習用ターフから逃げたのが、人を弄ぶ事が生き甲斐の三女神に、変な邪気を回させたのかもしれない。

 

「──なんっ……で、あんたがここに居るのよ、アフターマスっ!?」

 

 (から)っ風が寒い青空の下から逃れて入り込んだ屋内で、つい最近聞いた藍染色の少女の声が響いた。何となく白っぽい通路に、単色の声が反響する。

 声の色は驚きが濃くて……そしてそれは、俺が抱いた感情と同様だった。

 きょろきょろと見回せば、少し離れた所に、前回も一緒に居た友達らしい二人も連れ立っている。彼女達は同じチームなのだろうかと思いながら、小さく手を振ってみる。最後の別れ際が別れ際だったので、おっかなびっくりだ。

 すると、二人とも揃って苦笑いを浮かべ、手を振り返してくれる。そのまま、ゆっくりと俺と藍染色の少女の元へと歩み寄った。

 どうやら藍染色の少女や俺と違って、彼女達は俺とスピカが同じ練習施設を拠点に合宿を行うと知っていたらしい……と言うよりも「え、知らなかったの?」と言いたげな顔だから、つまりは俺と藍染色の少女のリサーチ不足らしかった。

 

 少女の大声に反応して、スピカの先輩方が首を傾げながら近付いて来ているのが見える。身振り手振りで何でもない事を告げた。

 一応は納得してくれたのか、先輩方は遠くから見守るような体勢を取ってくれる。会釈を一つしてから、同期の三人に向き直った。

 

「えっと、今日は施設の見学に……何日後かには、俺も此処のお世話になるからさ。もし練習中に会ったら仲良くして貰えると嬉しいなって」

「い、や、よ! なんであんたと仲良くしなきゃなんないのよ、この非合法ポニー!」

「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。僕らの合宿の目的を思い出してみてよ? むしろラッキーだと思おうよ、ね?」

「そもそも、実際に単なる偶然なので、珍しい経験だなと前向きに考えた方が建設的ですよ。合宿期間は宜しくお願いしますね、アフタさん」

「あ、僕も宜しく!」

「あんた達は敵をすんなり受け入れようとすんな!」

「短い期間だけど、宜しくね」

「だから、宜しくしないわよ! あー、もう!」

 

 ははは……と有耶無耶に笑って誤魔化す。

 どうでも良いが、単身で仲良しグループの前に立つと、友達の少ない身では何となく居心地が悪い。

 ちらりと、一応身内の先輩方を伺ってみた。年長者特有の優しい目をしていて、別の理由で居た堪れない。

 だがそれはそれとして、今は初めて来る俺の為に設けてくれた施設見学の時間なので、あまり時間を自分勝手に使うべきではないだろう。ここらで切り上げた方が良い。実は、旅館に荷物を置いて直行してきたので、まだ今日は荷解き等のやるべき事が山ほどある。

 

「じゃあ、俺は施設見学に戻るよ。邪魔してごめんね、練習頑張って。それじゃあ、また──」

「──アフターマス!」

 

 前を向いて、一歩を踏み出す──最中。

 先輩方と合流しようとして、藍染色の少女に呼び止められた。なんだろうかと思い、眉根を軽く上げて後ろを振り返る。

 仕方がないなぁと言いたげな友人二人をものともせずに、藍染色の少女は、此方をじっと見詰めていた。まるでレース中のような、焼けるような威圧感を纏わり付かせながら。

 

()()()まだ、あんたに勝つのをこれっぽっちも諦めてないから。だからあんたも、腑抜けた事をしてたら承知しないわよ」

 

 真摯な少女の眼差しが、深く突き刺さる。

 宣戦布告が好きな少女だなぁ、と思う。以前、捨て台詞を吐いて行ったくらいだから、本当に勝ち気が強いのだろう。学園指定の赤いジャージが、彼女の内心を映しているように見えて……無性に、それが眩しく感じる。

 不遜な少女への返答は……何故か、何一つとして思い付かない。笑って誤魔化す気も、全くしない。

 ぐるぐると色んな事を頭の中で巡らせてみて……でも、どうしても適切な言葉が出て来ない。

 だから、俺はただ一言。「そっか」とだけ返した。

 そっか、つまり俺はそんな奴なんだな……そう自分自身が言っている気がして、そんな自分を更に嫌いになる。

 

 窓の外から見える空は、相変わらず空虚で何もない。

 十二月は雲が多いはずなのに……どうしてか空は、ひたすらに青いだけだった。




姉コンドルパサーという、突如作者の脳内に溢れ出した存在しない記憶。


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第11話 色落ち

噂のマンハッタンカフェが引けず、ストーリーを確認出来ない為、今回は割と全力めのお茶濁し回です。
お気に入り登録8000件突破の感謝を込めて、かなり頑張って急ぎました。お納め下さい。


 自慢の鬣と尾が風を撫でる。一人で好きに駆けてみた脚取りは軽く、これなら何時でも仲間達と競い合える。

 常に堂々と、本能のまま駆け抜けられるよう鼻を高く上げておく。何時でも、仲間達の前を走れるように。

 

 もう、長らく仲間達とは競い合えていない。だが、競い合えばきっと俺が勝つだろう。右前脚の忌々しい違和感こそまだあれど、必ず勝つ。以前、仲間達と競い合った時のような、堪らなく悔しい思いは二度としない。

 次に仲間達と競い合うのは何時だろうか。最後に競ってから、もうかなり経つ。最後に皆で走ってから、黄色く光るまん丸いのを、暗い空に何度か見ている。もう風が冷たくなっているが、次に競い合うのが楽しみだ。

 仲間達と走るのは、暑くても寒くても関係なく、どんな時でも本当に楽しい。

 

 特に……あの、速いやつ。堪らなく速いやつ。暗い空みたいな尻尾を靡かせて、前を走って行く無口なやつ。あいつだ。あいつと走りたい。次こそ勝つ。

 もう飽きるほど休んだんだ。今なら脚の違和感なんて関係なく、思いっ切り走れる。

 いつも前だけ向いてひた走りやがる、あいつにだって負けやしない。あいつと次に走れるのは、何時だろう。

 

『おい、聞いたかよ。アフターマス()、結局後ろ脚も一本(ひび)入ってたらしいぜ』

『えっ、まじかよ。有馬、そんなんで一着のまま走り切ったの? どんだけ負けず嫌い()()()んだよ、アフターマス。……と言うか、前脚一本粉々に折るわ、後ろ脚一本罅入れるわってどんな脚力してんだ。一頭だけ百万馬力あったって言われても信じるぜ、本当に』

『多分、ジャパンカップ辺りから脚の負担がきつかったんだろうな。手網引っ張られても速度落とさなかったし。優等生の反抗期だーなんて冗談めかして取り上げられてたけど、アフターマス号が()()の指示に従わなかったの、ジャパンカップが初めてだったらしいぜ』

『やっぱり、フランスまで行って蜻蛉返りして来たのがストレス大きかったんかね? それか、どうしても凱旋門走りたかったから拗ねてるとか?』

『馬鹿、()がレースを選ぶかよ。どちらかと言えば、どうしても走って欲しかったのは俺ら人間の方だろ』

『だよなぁ……ようやく日本の馬が凱旋門賞獲る瞬間、見れると思ったんだけどなぁ』

『まあ、感冒(風邪)なら仕方ないだろ。だからこそ、本当なら今年は海外のレースに専念させて、凱旋門獲って、そんで種馬入りさせるって予定だったらしいし。奇跡の怪物アフターマス号も、やっぱり命ある生き物だったって事だな』

 

 いつも寝床やら綺麗な水やらをくれる、()()()()達が鳴きあっている。()()()()達は色んな音を出すから、いつも何を言っているのかがよく分からない。

 だけど、それ。その音は覚えてる。その音は、俺の好きなやつだ。

 

 ()()()()()()

 

 仲間達と走る前に、()()()()達が俺に向かって出す音。あの速いやつと走る時の合図。

 もしかして、もうそろそろ仲間達と走れるのか? あいつとようやく競い合えるのか? なあ、()()()()。教えてくれ。お前達なら、俺が何時走るのか知ってるんだろ?

 

『うおっ!? ……どうしたお前、急に頭突いたりして?』

『ははっ、もしかしてアフターマス号の話をしたから嫉妬したか? ()()()()、お前のライバルみたいなもんだったしな』

『ああ、成程な。可愛いやつめ。病気で引退さえしてなけりゃ、お前が春天でアフターマスに二度目の土を付けてたのかもな?』

一昨年(おととし)の有馬ん時にハーツクライがやった先行策、本来ならお前の十八番だもんな。まあ、お前は逃げ寄りだったが。……()()の神様って残酷だよ、本当に』

 

 駄目だ。多分、伝わっていない。()()()()達は察しが悪い。四角い白いやつをくれって言っても()()()()ばっかり寄越しやがるし、どうしてお前達はいつもそうなんだ。

 ……ああ。でも、そうか。()()()()()()か。またそう鳴いていたな。今度は()()()()達、両方が。そうか。そうなのか。

 ()()()()達が何度もそう鳴いたって事は、つまりは()()()()()だろう?

 ようやく……とんでもなく速いあいつと、また競い合えるって事だろう?

 これまで、焦がれる程に長かった。()()()()達の()()に囲まれて、全員でまた競い合うのが楽しみだ。

 待っていろ、世界で俺の次に速いやつ。お前にだけは、絶対に負けてやらない。

 ……でも、()()の先頭を俺に奪われたって、絶対に首を下げたりするなよ。俺や他の仲間達だってお前に負けても下げなかったんだから、お前だけが勝負から降りるのなんて絶対になしだ。そんな事しようもんなら、()()は何があってもお前を許さないぞ。

 だけど、まあ。お前に限って、そんな事はないだろうが。

 俺がそうであるように、お前も俺と競い合うのを待ち切れなくなるくらい、とびきり速く走り抜けてやる。必ずだ。だから待っていろ。

 

 ──ああ……ああ。どんなものよりも速いお前。

 

 早くお前と、走りたい。

 

 

■□■

 

 

 十二月の中旬ともなれば、早朝はとにかく寒い。

 肌を切りそうなくらい冷たい空気は、寝付きが悪かったせいで怠い体に、とにかく堪える。

 夢見は……どうだったか覚えていない。昔から、夢は綺麗に忘れてしまう()()だった。

 外気が冷た過ぎるからだろう。特に冬場は朝起きるのが億劫だ。体はそんな事ないのに、妙に神経が疲れている。同期の仲間達も冬場に同じ事を言っていた記憶があるので、ウマ娘特有の冬の習性みたいなものだろうと推測している。ウマ娘ではない()ならそうはならないと、小さい頃に父親から聞いた事がある。

 

 そんな気怠い冬の朝に頑張った甲斐があり、早朝訓練の為にやって来た芝のトラックにはまだ人がいない。

 世界が自分だけになったようなこそばゆい感覚を、冷たい風越しに白く見える風景を噛み締めて、押し込む。全部が色落ちしたように見えるのは、何処にも人の熱が感じられないからだろうか。

 この騒がしさとは真逆の世界が、午後からは何のイベントだと言いたくなるくらい人でごった返すのだから、ちょっと信じられない。

 

 合宿で借りているこの練習施設は、普段から一般客の見学を受け付けている。

 流石に使用中の練習場内は立ち入り禁止となるが、それでも今をときめくスター、或いは未来のスターを一目見ようと、観客達は練習場を仕切るフェンスの前に何処からか集まってくるのだ。

 ……例えば、社会現象を引き起こしたトップスターが部活のマネージャーみたいな事に徹していたとしたら、大喜びでそれの見学に来たりする。なんなら、そいつの名前が書かれた法被やら鉢巻やらを装備した人間だって現れる。本来なら人一倍トレーニングに励んでいるだろうそいつが、トレーニングをしていなくても関係なく。

 それはここ三日間で証明された事実であった。

 

「お、はっやいねー。てっきり僕が一番乗りだと思ったんだけどなぁ」

 

 一人で感傷に浸るよりは、先にトレーニングを始めておこうか。丁度、そんな風に考えていた時に、待ち合わせをしていた片割れが姿を現した。まだ約束の時間よりもかなり早いのに、殊勝な事だ。よっぽど練習が好きなんだろうか……なんて、自分を棚上げして考える。

 自分に次いで待ち合わせ場所に現れたのは、同期の中で一番仲間思いで、でも影のある子。見掛ける度に、大抵誰かの世話を焼いていて、よく集まる三人の中で一番機微に敏感な子だ。

 

 もう一人の待ち合わせしている友人と併せて、実は三人ともが別チームである。それでもこうして同じ場所で同じ日に合宿を行っているのは、アフターマスと同世代の担当ウマ娘を抱えるチームのトレーナー達が話し合い、意見を出し合った結果だった。

 尋常ではない怪物に勝つには、一度チームの垣根を越えた大規模な合同練習を組んだ方が良いだろうと判断したらしい。

 シニア戦線でアフターマスに対抗する為の、秘密特訓の様な合同合宿。参加メンバーは、年末に帰省するよりも、来年度の対アフターマス戦の備えを優先したアフターマス世代のウマ娘のみ。即ち、まだ勝利を諦めていない変わり者達だ。

 既にシニアを走るウマ娘が対象外なのは、単に彼女達がまだアフターマスと走っていないから。あくまで今回は、もうあの異質さと直面した者だけに的を絞った集中トレーニング期間なのだ。

 

 普通に特訓していてもアフターマスに勝ち目がないというのは、とっくの昔に担当トレーナー間でも既定路線となっているらしい。無茶苦茶な天才が無茶苦茶な努力をすると言う()()に対抗するには、こちらも無茶苦茶な事をしなければならないという結論をトレーナー達が満場一致で出したと聞いた。

 要するに今回の合宿の主旨とは、全国でも屈指の才人である中央トレセン学園のトレーナー達による、各チームのノウハウの大放出祭である。

 

 昨今の劇的な()()()()の変化が、従来のウマ娘に(まつ)わる様々なものを過去にすると、高い精度で推測される。

 その環境の変化の中では、これまで蓄積してきたノウハウは骨董品となり、やがては()()()()()()()()()()すらも、新しい知識にそぐわないからと淘汰されかねない。

 

 ──そう危惧したトレーナー達が、ならばいっそ()()()()()()()()()の為に、自身のチームが秘匿するノウハウをあけっぴろにしてしまおう。僅かでも、今を戦うウマ娘達の為に役立たせてみせよう……そういう思惑の下に企画された、『最弱世代』を中心とした現役ウマ娘強化計画。

 誰が名付けたか──少なくとも同期のウマ娘ではないと思う──『あわてんぼうのサンタクロースはお転婆ウマ娘の夢を見るか?作戦』。

 確かに、各チームの蓄えたノウハウをこの季節に享受出来るなんて、一足早いクリスマスプレゼントである。ではあるが、それにしたってネーミングセンスをもう少し何とか出来なかったのかと思う。

 アフターマスを真似た無茶なトレーニングで壊れるウマ娘をこれ以上生まない為の、正しい知識を全部使って今年の厄を今年の内に祓ってしまえ……と言った願いが込められた企画だ。

 

 ……とは言ったものの。アフターマスが衝撃的な走りでメイクデビューを飾った日から、似たような事は小規模ながら都度都度行われている。学園長に予算案の認可を貰ってまで大規模な合宿をするなんてのは、流石に初めてだが。

 

 ──だけど、そこまでしてもまだ届かない。どうやっても届かない。勝ちたいのに、その背中の影すら踏めない。並びたくても、あいつ一人だけ()()()()()()()()()

 それが自分達の世代の頂点。『皇帝』以来の、本当に()()()()()。どうやっても『衝撃』としか名付けようがない、()()という機能の塊。

 ……そんな奴にまだ本気で勝とうと言うのだから、自分達もトレーナー達も、最高に()()()()いる。

 

 ちなみに、各トレーナー達が担当するアフターマス世代以外のウマ娘は別途スケジュールを組んであるらしい。各チームのトレーナーが特殊なローテーションを組んで、アフターマス世代のウマ娘と、アフターマス世代以外のウマ娘を順繰りに教えて回るようだ。

 どうやらそちらにも、この合宿で()()()()()()()学んだノウハウは還元されるらしい。

 日々成長するのは、未熟なウマ娘だけの特権ではない……が、シニアの怪物達が更に強くなるかもしれないと考えただけで、正直気が遠くなる。こっちは、()()()一人で手一杯──むしろ、頭を抱える為の手すらも足りない──というのに。

 

「早く目が覚めちゃってね。って言っても、準備運動もまだなんだけど」

「お、お揃いだねぇ。僕もだ。どうしても冬場は寝苦しくなっちゃうよねぇ。僕、寒いの苦手ぇー……あ! 遅刻魔見っけ!」

 

 この冷たい空気の中で腕をぶんぶんと振るのは寒くないのだろうか……なんて思いながら、後ろを覗き見る。待ち合わせしていたもう一人が小走りでやって来た。

 

「……まだ待ち合わせ時間にもなってませんよ。お早う御座います。お早いですね……お二人とも、目が真っ赤ですが大丈夫ですか?」

「おっはよう! ……とかいう、自分も目が真っ赤じゃん。でも寒いから仕方ないよねぇ。起きたらどうしても充血しちゃう。特に此処って山の麓だもんねぇ……朝晩ととことん冷え込んでやんなっちゃうよ」

 

 遅れて、お早うと告げる。改めて、お早うと返される。返事をした彼女もやっぱり、目が赤い。

 

 集まった三人が三人、実は泣いた後の様に目が真っ赤だ。この三人がこの季節に集まると、大体毎年こうなっている。特にクリスマス前後が酷い傾向にあるのだが、全員特別な心当たりはないらしい。

 もしかしたら、偶然三人とも、目の粘膜が特に弱いのかもしれない。

 

「寒くて普段より過酷な分、それだけついでに根性も鍛えられるから、(かえ)って好都合だわ。効率的よ。レースで最後に勝つのは、精神力があるウマ娘だもの」

「……効率的というか、それもう根性論じゃない? というか、精神力だけなら僕らもおチビに負けてなくない? 何となくだけど、あいつって割とメンタルは()()()()気がするんだけど」

「……本当にそう思う? あの鉄面皮の前でも、全く同じ事を断言出来る?」

「うーん……うーん……? 駄目だ、自信なくなってきた」

「……まあ、なんにせよ。私達は全員が目も当てられない程にはアフタさんに惨敗しているのですから、精神も肉体も鍛えられるだけ鍛えて損はないのではないでしょうか」

「まあ、それもそうだよねぇ」

 

 納得した友人達と連れ立って、トラックのスタート地点へと向かう。準備運動は、移動してからで良いだろう。早朝のこの時間の練習メニューは、毎日ひたすら併走だ。他のトレーニングは日中に幾らでも出来るが、併走だけは時間を合わせなければ出来ないので、日中に心行くまで……とはいかない。

 

 ……ふと。歩いていると、練習場の隅にあるベンチへと目が吸い寄せられる。

 昨日、チームスピカのメンバーが使っていた場所だ。そこにはずっとスピカの名物トレーナーと……()()()が座っていた。

 一心不乱にスピカの先輩達を観察しながら、ノートに何かを書き込んでいた。当たり前ではあるが、此方に目を向ける事なく。

 きっと、フォームの研究やら勝負の仕掛け所やらを勉強していたのだろう。極めて熱心に、自分よりも上手い要素はとことん取り入れようと、彼女が強者と認めた存在を見つめ続けていた。

 ──この三日間。その視線の先に、自分達が映った事はない。

 

 それを、様々な思いを、自分でもよく分からない絡み切った感情が飲み込んで──。

 

「──安心した?」

 

 どきり、と心臓が跳ねた。慌てて視線を逸らせば、その先には悪戯っぽく目尻を緩める友人の顔。

 

「なんの事……なぁんて、すっとぼける必要はないぜ。僕らの仲じゃない。そんな顔でおチビの居た場所見てたら、流石に分かるって」

「顔に書いてあって、分かりやすいですものねぇ……」

 

 いつも中立に居ようとするもう一人までが、にやついた顔の友人に賛同した。

 多分、見透かされているんだろうな。そう感じながらも、話を逸らす事にする。

 

「……ふん。あいつが居なくて、安心したのよ」

「いや。その言い訳は流石に無理があるって。トレーニング禁止されてる奴が、こんな時間にここに居る訳ないでしょ」

「強情になり過ぎてても格好悪いだけですよ? 貴女のどうしようもない()()なんて、今に始まった事ではありませんし」

「ど……どうしようもないって何よ!? 大事な事でしょ!」

 

 言ってから、はっ……と二人の顔をまじまじと見た。生優しい目をしている。どうやら鎌を掛けられたようだ。なんて卑劣な友人なんだろう。

 

「まあ、大事っちゃ大事だけど……うん。ぶっちゃけ、()()にそこまで拘ってるのは君だけだよ?」

「私達はどちらかと言うと、貴女の拘りに付き合って()()してるような所もありますしねぇ」

「うっ……でも、だって……悔しくないの?」

「悔しいけど……でも、()()()()()()()()()()()()()()()()……って程じゃないかなぁ」

「少なくとも、本人に念押しする程ではありませんよね」

 

 友人二人の裏切りに、思わず閉口する。

 

 だって、名前って大切なものだろう? 自分という存在を示す、唯一のものだろう? 特にウマ娘にとっては、誇りそのものだろう? だから、大事(おおごと)の筈だ。

 憎い憎いあんちくしょう(アフターマス)に、『一度も勝てないくだらない奴』として、自分の名前を覚えられてしまうというのは。

 そんな……対等になれないものの代名詞みたいな存在に、()()()()()()()の中で自分の名前がなってしまうのは。

 それは悔しいとか、恥ずかしいとかではなく、耐えられない事だ。

 

 ──アフターマス!

 ──え、何? 遊びのお誘い? それなら鬼ごっことかが良いなって──。

 ──ち、が、う、わ、よ! あんたって本当にバ鹿! どさくさ紛れに友達の振りすんな、このぼっち!

 ──ぼっ……ぼっちじゃない。ちゃんと友達いるし。ミリアンとカネヒキリっていう立派な友達がいるし。……最近は、ミリアンのダートデビューに忙しいみたいで遊べてないけど……。

 ──あっ、なんかごめん……って、そんな事は関係なくて……あんた、私の名前。まさか覚えて()()でしょうね?

 ──え。あっ……ごめん。菊花の後に調べようと思ってたけど、うっかりしてた……。

 ──……いいえ、それでいいの。むしろ覚えたら殺すわよ。

 ──……はい?

 ──勝手に私の名前調べたり、覚えたりしたら殺すわ。絶対に許さない。もしうっかり誰かから聞いても忘れなさい。必ず。

 ──えー……。

 

 ……少なくとも、思い出した過去最大級の黒歴史よりも、よっぽど耐えられない。今のまま、アフターマスに名前を覚えられてしまうのは。

 あいつに自分の名前を刻み込むのは、勝った時だ。

 必ず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()時だけだ。

 何故かは分からないが、()()()()()()()()()()()()()の走りを見た日から、()がそう訴え続けている。

 

「……アフタさん。弱くなってましたね」

 

 ぽつりと呟かれた一言にぴくりと体が反応する。意識の主導権が、魂から肉体に戻って来たような錯覚を覚えた。

 

「あ、やっぱりそう思う? 走ってる所見た訳じゃないけど、多分、凄く弱くなってるよね。フィジカルは菊花より状態が良さそうだけど、メンタル面に()()がなくなってる……うん。まあ、だからと言って勝てるかって言われると……うん……」

 

 やっぱり、あの腐った雑誌やらネットニュースやらが原因かなぁ。後は、リギルと喧嘩別れしたって噂が本当とか? ……もしかして、菊花賞の時に僕がやった嫌がらせがまだ尾を引いてる? 嘘でしょ、これ謝りに行った方が良いやつ? でもそこまでメンタルくそ雑魚な事ってある? こんなんが効くならレースでここまで負けてないって。……え、違うよね?

 

 ……そう言う友人へと溜め息を零し、二人の脇腹を同時に小突く。

 話題が徐々に後暗さの詮索になりかけている。別にそれが絶対に悪いとは言わないが、トレーニングの前にそんな事をしなくても良いだろう。薄暗い()()()()を抱え込んだまま練習したって、何一つとして良い事はない。

 

 あいつに心配なんて必要ない。例え()()()()をしていても、関係なく強いのだ。

 確かに、見ていると何故かいらいらするし、何を考えているのかいまいちよく分からない。

 それでも、自分達全員を倒し抜いたのだ。世代を一つ、勝手に背負いやがったのだ。むかつくが、その強さだけは信じられる。

 絶対に本気の賞賛なんてしてやらないし、認めてもやらないが。

 あいつの事を考える時は、倒す術を考える時だけでいい。それ以外は不要で……自分達には存在しない()()だ。

 

 芝のトラックで、ゲート代わりにコース外へ置かれた二本のポール。

 ただの真っ白なのに、色落ちなんてしていないと分かる綺麗なそれ。

 自分の勝負服の本藍染と同じ……色落ちしそうだけど、しないもの。

 その前まで来て、()()()の顔を覗く。

 まだ、準備運動をしていないが、どうしても少しだけ走りたくなった。本当に軽く──脚を患ってる時くらいの……ほとんど歩くくらいの軽さでいい。

 

 すると、しょうがないなぁ……なんて言いたげな顔で、二人の仲間が苦笑いを返してくる。

 そんな顔をする割に、二人とも自分より早くスタートラインに立っているのは、どういう了見だろうか?

 

 ……まあ。仲間達と走るのは、怖くても苦しくても関係なく、どんな時でも本当に楽しい。だから、抱える思いは自分と一緒なのだろう。

 一緒ついでに、二人みたいに目の赤みが治まっていると良いなと思う。だって、この早朝練習を終えたら、もっと多くの仲間達と競うようにトレーニングするのだ。多くの観客が見てくる中で、走るのだ。少しでも、格好を整えておきたい。

 

 常に堂々と、本能のまま駆け抜けられるよう鼻を高く上げておく。一瞬足りとも首が下がらないように、常に備えておく。

 それだけが、勝てるやつのお決まりだから。

 

「……それじゃ、軽く……本当にかぁるく、ここから第一コーナーまでやろっか」

 

 それに対しての返答は、何処からも上がらない。

 ただ、示し合わせたように、脚が六本()()前へと進み始めただけだ。

 何処が軽くだ──なんて悪態を吐く必要はなく、本当に軽い慣らしの走り。思い切り走りたくはあるが、それは次に競った時に勝つ為に、今は我慢。

 だって、自分達の本命はここには居ない。あの速いやつは、こんな所にはいない。あいつが居るのは、レース場だけだ。

 

 ……次に競い合った時は、きっと自分が勝つだろう。もう、仲間達と競い合った時のような、堪らなく悔しい思いは二度としない。

 有の次にあいつが出走するのは、どのレースだろう。『大阪杯』か『天皇賞・春』か……或いは、GIIやGIII?

 何にせよ、待っていろ。『衝撃』なんて呼び名で呼ばれるお前に、こっちが衝撃を与えてやる。

 お前が何かに目を(くら)まされているのは気に食わないが、そんなのはこっちの都合だろう。

 だから、お前はこっちを見ないままで良いから、お前はお前らしく走ってくれ。こっちがお前の目の前に飛び出してやるから。お前一人だけ、勝負していないなんてなしだ。そんなの、私や仲間達じゃなくても、ウマ娘には許せない事だから。

 

 だから──嗚呼。世界で私の次に速いくそったれ。

 

 早くお前と、走りたいのだ。




「オリキャラがわちゃわちゃし過ぎてる」とのご感想を以前に頂いたので、今話はお蔵入りにした方が良いのかなぁ……と悩んでました。
皆様のお眼鏡に叶えば幸いです。


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第12話 臆病な生き物

 陽向(ひなた)のような温かさの、静かな夜中に目が覚める。

 少し前までと違って、この時期にはもう蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声は聴こえない。

 

 一つだけ、芯だけ冷たい空気に息を吐く。いつもと違って、すぐ近くから四つの寝息が返って来る。

 規則的に小さく繰り返される息遣いは、紛れもなく鼓動代わりの命の脈動。

 それぞれの音の持ち主は、スペちゃん先輩、テイオー先輩、ウオッカ先輩、スカーレット先輩。俺がお邪魔になっている部屋の本来の借主、チームスピカの先輩方だ。

 

 寝返りを打つ。何となくで決まった俺の布団の場所はスペちゃん先輩の隣で、反対側には誰もいない。体を向けた方向には、(うるし)が所々剥げた年季の入った木目の柱と、ぼろい壁。

 足先より向こうには小さく床の間があって、俺には価値の分からない継ぎ接ぎだらけの花瓶や古寂びた掛け軸……あとは、何故かゴールドシップ先輩のサイン入り金属バットが飾ってある。

 反対の頭上方向にはスカーレット先輩がいて、その隣にテイオー先輩、そのまた隣にはウオッカ先輩。

 この旅館に泊まり始めてからスカーレット先輩とウオッカ先輩は隣り合う事が多かったが、今日は間にテイオー先輩を挟んで眠っている。日中、併走で何方が勝ったかで喧嘩をして、そのまま眠りについたからだ。でも、どうせ明日の朝には何事もなかったかのように仲直りしているので、特に何も問題はない。

 

 目が覚めても誰かが傍にいる安心感。それを嬉しく思いながら眠りに就く。

 

 ──そして、目が覚める。

 

 ウマ娘は、案外神経質だったりする。流石に競走馬程ではないが、五感が普通の人より鋭い分、それ相応に。

 だから、もし俺が余計な物音を立ててしまえば、先輩方の睡眠の邪魔になるかもしれない。

 一人で壁と睨めっこしながら、背中で人の熱を感じ続ける。学園の寮では感じない息遣い。退屈しのぎに心臓の音を数える。とく……とく……とく……と、温かく動いている。それを数えてまた眠りに就く。

 

 ──そして、目が覚める。

 

 眠る時、人が居るのは安心する。でも、やっぱり自分で一人部屋を借りた方が良かったかなぁ……なんて思う。そうすれば、目が覚めた時に部屋をこっそり抜け出して、多少走る事が出来たかもしれない。

 先輩方と同じ部屋では、抜け出したら即ばれる。しくじったなぁ……と思う。自分の睡眠のリズムは熟知していた筈なのに、判断を見誤ってしまった。それでも、俺は布団の中で背中を丸めて眠り……。

 

 ──そして、やっぱり目が覚める。

 

 前世から、夜は大体二十分前後で目が覚める。それを何度も繰り返す。それが俺にとっての普通の睡眠で、人に近い生き物であるウマ娘にとっては異常な睡眠だ。

 夜中に何度も何度も目が覚めるのは、正直体に良くない気がする。俺の発育が悪いのは、この睡眠習慣のせいかもしれない。気付いていても治らないのが、本当に厄介だった。

 

 意識を細くしていく。きちんと眠れないにしても、神経と肉体は休めなければならない。

 太陽が昇ったら、ようやくお待ちかねのトレーニング解禁なのだ。

 実の所、トレーニング自体はもう再開しているが……その内容はずっと(ないがし)ろにして来たライブに関するものばかり。特別コーチを務めてくれたテイオー先輩が顔を引き攣らせるくらいには拙いもの──歌の音程、ダンスのリズムの取り方、感情表現の仕方等──を突貫工事で鍛えていただけだ。後は、休めていた体を再び動かす為の、ウォーミングアップ程度にしかならない緩いトレーニングのみ。

 走りに関するまともなトレーニングは本当に久し振りなのだ。待っていたぜ、この時をよぉー……と言いたい気分だ。

 

 正直、ライブのトレーニングは好きじゃない。踊りだとか、歌だとか、愛嬌だとか……そんな人間的な事を、俺に求めないで欲しい。

 俺は競走馬だ。今でこそ二足歩行してるし、競走馬になる前も二足歩行していたが……それでも俺は、間違いなく競走馬なのだ。走る事以外の、何が必要だと言うのだろう。

 自分よりも速い()に勝ちに行く。それだけが、俺がやる事の全てだと思う。

 後は精々……その自分よりも速い奴が背負っていたものを台無しにした責任。それくらいしか、俺としては求められても困るのだ。

 しかしそもそも、その自分より速い奴にはまだ勝てていない。勝てる気もしない。他の事をしている余裕なんて、俺にははなっから存在しない。他の事を気にしていては、また()()でディープインパクトとハーツクライに置き去りにされる。

 だからライブの事なんて求められても、俺では持て余してしまうのだ。

 

 ……なんて弱気な事を思っているとまたしても眠気の波がくる。

 

 ──そして、目が覚める。

 

 今日は、あとどれくらいで朝の陽射しが差し込むだろう。

 周りに人がいる分、何故だか余計に寂しくなる。気が弱くなる。果たして、俺はこんなに弱かっただろうか。

 外の寒さと暗闇のせいか。周りの人が死んでいるような錯覚を覚えるのは。……きちんと、先輩方の寝息は聴こえているのに。

 

 少しでも早く、賑やかな朝が来て欲しい。

 心を何処かに落として来たように、空恐ろしいくらい、深い夜の闇が怖い。こんなに人の温かさが感じられる真っ暗闇だからこそ、この世界に間違えて生まれた俺が消えてしまいそうなのだ。

 体が地面に溶け込んで、何事もなかったかのように朝が始まる。きっとその時は、俺と入れ替わるようにして、地面の中に居る何かが、俺の体を我が物顔で使うんだろう。そんな妄想が生む、滑稽な恐怖に囚われる。

 

 誰かの声が聴きたい。一人で居ると、どうしようもなく寂しいから。深く眠って逃れてしまいたいのに、俺にはそれが出来ないから。だから、誰かの温度に触れて、自分がまだ此処に居ると確かめたい。

 ディープインパクトという、本来生まれるべきだったウマ娘(競走馬)の居場所を奪ったのは俺だから、そんな事を思うのだって悪い事なのかもしれないけれど。

 だけど、俺にだって心はある。偽物だって、一丁前に感情がある。折角心に蓋をしているのに、暖かくて静かな夜の闇が、勝手に感情を引き出そうとする。自分の中から、普段目を逸らしている()()()()が溢れ出しそうになる。

 いくら俺が悪くても、流石にそれはあんまりじゃないだろうか。せめて心の在り方くらいは、大目に見てくれたって良い筈だ。

 

 こちとら、馬だ。怖がりで、繊細で、寂しがり屋なのが正解の生き物だ。俺の性格とは関係なく、馬は全員そういうものなんだ。

 だから、そろそろ止めてくれ。誰か、俺に声を聴かせてくれ。罵倒でも、怒鳴り声でも、何でも良い。俺を飲み込もうとし続けるこの暖かく静かな夜を、誰か終わらせてくれ。今世は、子供の頃だってこんな思いはしなかったのに。

 

 やっぱりリギル(いつも)の合宿みたいに、時間があやふやになる一人部屋にすれば良かった。

 俺には此処は、場違い過ぎた。

 

 目を強く瞑る。意識が薄れる。暗闇に溶けるように理性が溶ける。

 

 ──そして、また……。

 

 

■□■

 

 

「……だよなぁ」

 

 ゆっくりと日が沈む中で、ゆっくりと、体から速度を消し去っていく。

 有と同じ芝2500mを走り終えて、徐々に上体を起こす。体の動きを()()から()()に切り替えながら、ストップウォッチを持った沖野トレーナーと、首を捻るテイオー先輩へと近付いて行く。

 久し振りに走った感想としては、体が軽い……しかし、案の定スランプは明けていなさそうだな……というものだった。

 

「2分35秒ジャスト。上がり3ハロンは34.1か。競い合う相手もなしに、このタイムは本当にとんでもないな。なんなら、今すぐにでも有で一着争い出来ちまう。……で、テイオー。さっきからずっと首を傾げてるが、何か意見はあるか?」

「うーん……なんだろう? 一ヶ月振りに走ったから……とかじゃなさそうなんだけど、もっと根本的な所が変っていうか……やっぱりなんか走り方が変だと思う」

 

 うぐっ……と、顔には出さず、心に致命傷を負う。

 走り方が変なのは重々承知しているし、俺自身も変だとずっと思いながらも、自分の走りと付き合って来ている。

 なんなら、フォームチェック用に動画を撮って確認する度に、脳裏で赤い狐が「お前の走り方は変だってばよ」と(のたま)うのだから、もはや心当たりしかない。

 赤い狐とドトウの狸、どっちも大っ嫌いだ……そう考えていたら、脳内でエアグルーヴ先輩に引っぱたかれた。語呂が良いからって、先輩を呼び捨てにしたのは許されないらしい。

 

 凹んでいる間に沖野トレーナーが預けていたダウンジャンパーを渡してくれたので、今更ながらに慌てて着込む。体が冷え切って風邪を引くと折角解禁されたトレーニングが出来なくなるし……それ以前に、風邪は本当に嫌いなのだ。

 

 ジャンパーのファスナーを一番上まで上げ切ってから、テイオー先輩へとささやかに反論する。

 

「あの……フォームがへんてこなのは自覚あるので、出来ればからかわないで頂ければ嬉しいです」

「あ、ごめん。からかってるつもりじゃなくて……こう……なんだろう? ちょっと言葉にしにくいんだよね」

 

 更に追加でダメージが入る。困った様に眉を八の字にして、目尻を綺麗に垂れさせるテイオー先輩の姿から、本気で困惑している事が伺えてしまう。

 自覚こそあれど、こうも素直な反応を貰うとちょっと泣きそうだ。

 

「おいおい、どうしたテイオー。お前がどうしてもアフタにアドバイスしたいって言うから同伴させたんだぞ。苛めずに、ちゃんと先輩らしい事を言ってやれ」

「ちっ、違うよ!? 苛めてるとかじゃなくて、本当に言葉にしにくいんだよ! こう……こう……マックイーンがゴールドシップの物真似してる? みたいな……こう……!」

「……すまん、アフタ。どうやら、うちの天才児は好敵手(マックイーン)恋しさにもう駄目みたいだ」

「違っ……信じてよー! 本当にそんな感じなんだってばー!」

 

 うわぁーん! と今にも言い出しそうなテイオー先輩に申し訳なく思いつつも、ゴールドシップ先輩の頭の飾りをマックイーン先生が着けてる所を想像して笑いそうになった。申し訳ないが、とても似合わない。

 それよりもゴールドシップ先輩がマックイーン先生の物真似をした方が似てるんじゃないか? と思ってしまう。二人はあまり似た見た目をしていないのに、今度は驚く程にしっくり来た。不思議だ。

 もしかしたら、ゴールドシップという()()()が、メジロマックイーンと同血統の馬だったのかもしれないな……なんて思う。『メジロ』と名が付いていないだけで、案外兄弟だったりしたのかもしれない。

 その場合は、どちらが年上でどちらが年下だったのだろうか。(いず)れにしても、きっと競馬ファンにとって、さぞや有名な兄弟馬だった事だろう。マックイーン先生とゴールドシップ先輩の脚質は真逆だから、後は年代さえ合っていれば、恐ろしく華のある兄弟レースが出来た事だろう。

 残念ながら俺は競馬には詳しくないので、ゴールドシップもメジロマックイーンも、競走馬としてはとんと知らない。故に、どれだけ頭を捻っても答えは出ない。

 

「そう言うトレーナーだって、何にも分からないんじゃないの!? アフタが言うスランプの原因!」

「俺か? 俺は一応、心当たりは有るっちゃ有るが……断定出来ないんだよな、これが」

「ほら! やっぱり分からないんじゃないか……って、心当たりあるの!?」

 

 耳と尻尾──ついでに指先──をぴんっと立たせて驚いたテイオー先輩以上に、俺は内心で驚いた。

 沖野トレーナーは、国内最高峰のトレーナーが集まる中央トレセン学園の中でも、頭が一つ分以上抜き出た東条さんと同類の天才だ。

 ……それは分かっているが、本当にたった一回走りを見ただけで、スランプを解く足掛かりを見付けられたのだろうか。ずっと考えていても、俺にはこれっぽっちも分からないのだが。

 期待半分、疑い半分で、俺は沖野トレーナーに、()くように尋ねた。

 

「まあ、待て待て。その前に一つ確認したい。アフタ、菊花賞の後、誰かに走り方を見て貰ったか?」

「えっと……色んな先輩に見て貰いましたけど……」

「おっ、そうか。偉いな、走りに貪欲なのは良い事だ。じゃあ、もう一歩踏み込んで聞くが……おハナさんやリギルの先輩──前々から、お前の走りを知ってる人に、一度でも直接走りを見て貰ったか?」

「……それは」

 

 痛い所を突かれてしまった。俺は『菊花賞』の後、ただの一度もチームリギルの身内に走りを見て貰っていない。

 散々、あれこれと色々教えて貰ったのに、結局は走りが完成していなかった。『近代競馬の結晶』──先輩方の正統な後継であるディープインパクトの走りが出来ていなかった。その申し訳無さに、どうしても顔が見せられなかったのだ。

 もしや、身近な所にも相談出来ていないのに、他所様であるうちから答えを教えて貰えると思ってるんじゃねぇ、出直して来い! ……とでも言われるのだろうか。それはちょっと本当に許して欲しいのだが。

 

「おっと、すまん。誤解させちまったか。別にアフタを責めてる訳じゃないんだ。ただ、チームリギルを知るトレーナーとしては、どうしても腑に落ちないものがあってな」

「腑に落ちないもの? というか、心当たりって何?」

 

 テイオー先輩が疑問符を掲げる。俺も続きが聞きたくて、先輩に続いて同じ事をする。

 

「正直、俺自身がちょっと自分の勘に納得していないから、明言しにくいんだが……」

「もうっ! 勿体ぶらずに教えてよ!」

「……いや、どうしてアフタ本人よりお前の方が反応良いんだ? まあ、別に良いんだが」

 

 沖野トレーナーはゆるりと右手を持ち上げた。緩く指が曲げられていて、透明な台本でもあるのかと勘違いしそうになる。

 

「アフタ、お前……つい最近、誰かにぼろ負けしたりしたか?」

 

 びくりと肩が震えそうになった。目も見開きそうになった。俺はそれを必死で抑える。

 俺が今世で負けたのはディープインパクトだけで、奴の存在を迂闊に喋ると面倒な事になる──それは、リギルで思い知っている。

 俺は()()と言い切ろうとして……ちっぽけなプライドが、それを邪魔して来る事に気付いた。

 負けた事実を認められないのは、負ける事よりもみっともなくて……誰もが讃える『英雄』から、遠ざかる行為だ。だから、ディープインパクトの事を(ぼか)してでも、正直に()()と答えるべきだろう。『英雄』の代わりに『英雄』になろうと思うなら。

 ……なのに、()()とも()()とも言えず、口が開かない。

 

「──すまん! そんな訳ないよな! お前が負けてたら、もっと大騒ぎになってるもんな!」

「……ちょっとトレーナー! びっくりするじゃんか! たちの悪い冗談はやめてよ!」

「いやー、悪い悪い。思い当たるアフタの状態がな、レースで惨敗して挫折した、デビュー直後くらいのウマ娘にそっくりなんだよ」

 

 沖野トレーナーは、殊更に大袈裟に肩を竦めた。この様子は多分、口の重い俺を気遣って、有耶無耶にしてくれたんだろう。此処でもまた、人に迷惑を掛けてしまった。

 

「まあ……俺がそういう風に見えたってのは、本当なんだ。負けた相手の走りが目に焼き付き過ぎて、折角育てた走りが信じられなくなる。自分に大勝ちした奴の走りが正解に思えて、そいつの走りをしようとして、結果的に走りがばらばらになる。そんで……負けた相手と自分の()()()を、無意識的にしてしまう」

「そんな事って本当にあるのー?」

「……テイオー。お前は満遍なく規格外の天才だよ、本当に」

 

 訝しむテイオー先輩に、沖野トレーナーは苦笑いを浮かべた。俺は真顔を保って、続きを聞く体勢を続けた──内心の驚きと、やるせなさを飲み込みつつ。

 

「……でも、アフタはシニアクラスに進もうとしてる段階のウマ娘だ。毎年激戦になるクラシック戦線を一人で制覇した、歴史上二人しかいない凄い奴だ。そんなアフタに圧勝出来るようなウマ娘? 実在するウマ娘か、そいつは。そんな馬鹿げた怪物が本当に存在するなら、日本のウマ娘は世界から格下に見られちゃいないし、凱旋門だって呪いをとっくに吹っ切ってるだろうさ」

「まあ、アフタはボクが()()()なれなかった無敗の三冠ウマ娘だもんね」

「ああ。だから何かしらの理由でリギルの誰かが──例えばシンボリルドルフあたりが、模擬レースとかで徹底的に心をへし折ったのかとも思ったんだが。それでスランプに陥ったなら……普段からアフタと付き合ってるリギルの誰かが、頃合いを見て助け舟を出してるだろうしなぁ」

「カイチョーはそんな事しないよ! だってボクに──いや、特に何にもないけどさ……!」

「んん? よく分からんが、すまんすまん。そんなに怒るなって」

 

 それに、もしそうならおハナさんが気付く筈だしな。例え走りを見てなくとも、メッセージでのやり取りやアフタに纏わる噂だけで、十分に判断するだろうさ。

 デビュー直後かシニアかの違いだけなら、そもそも今まで、どうしようもなくなるまで負けた事がなかった……なんて、天才肌のウマ娘にあるあるな話で言い逃れ出来るんだけどな。

 

 そう言った沖野トレーナーを、心の中で賞賛した。

 

 以前、俺がリギルでうっかり漏らしてしまったディープインパクトの事は、おハナさん含めて全員が秘密にしてくれている。俺にとっては大事な問題だから、勝手に誰かへと吹聴したりはしない……そう、全員が言ってくれている。

 今回の俺のチームスピカへの臨時加入に際しても、おハナさんはその約束を守ってくれているらしい。沖野トレーナーに対して、不義理となるかもしれないのに。

 

 そして、その上で沖野トレーナーは言い当てたのだ。俺がどうしようもないくらい負けたという事を。

 俺がレースをすれば必ず世間で噂されるから、世間的には俺が勝った事になっている菊花賞以降、レースを走っていない俺が誰かに負けたなんて、普通なら有り得ない話だろうに。

 ……なのに沖野トレーナーは、わざわざ俺に尋ねるくらいには、その可能性を疑ったのだ。

 俺がたった一人のウマ娘に勝てないと()()()()()()()可能性を。ディープインパクトという、俺にしか見えない最強の競走馬(ウマ娘)を知らないのに。

 

 もしかしたら、沖野トレーナーなら俺のスランプを解く方法が分かるんだろうか。

 生涯戦績全敗の俺が──ディープインパクトの()()()でしかない俺が、虚勢ではなく本気で()()に勝てると、また思えるようになる……そんな方法を。

 

「沖野トレーナー。仮に……仮になんですけれども、もしそれが正解だったら、俺はどうすればスランプが治りますか?」

「うん? そりゃあ、簡単だ。自分を見付け直せば良い。結局は、誰かの姿が重なってるせいで、自分が見えなくなってるだけだしな」

「そうですか……じゃあ例えば、その……自分が元々なかった奴は、どうすれば良いですか?」

「自分がない? それはないさ。自分がないのに走れるウマ娘なんて、一人だって居やしない。それにアフタ──これは仮にお前のスランプの原因が正解だったら、の話だが──お前さん、結構色々と()()を持ってるぞ。だから、アフターマスっていう俺達の知るウマ娘は、きちんと答えを持ってるよ」

 

 仮に正解だったら、だがな。

 お前が何を見て、どういう風に自分を失くしたのかが分からないから、俺達はお前の()()()()()しか出来ないが。悪いな。

 

 そう言って話を終えた沖野トレーナーにお礼を言って、黙り込む。

 自分を見付け直す。どうすれば良いんだろうか。

 俺はそもそも、ディープインパクトに成り代わって生まれた()()()だ。俺の全てを奴が網羅しているし、奴は俺が完成した時の──或いはそれ以上の──存在だろう。

 

 俺が先輩方に教えて貰って、作り上げた走りを、奴は当たり前の様にやったんだ。奴とは違う事をしたと俺が思っていても、その結果は奴の後追いに過ぎなかったのだ。

 そもそも、俺が()()()として走り始めた事自体が、奴の代わりなのだ。

 俺の走りの全ては、奴のものなのだ。奴を俺が消してしまったから、俺は走り続けているのだ──本当に、そうだったっけ?

 

「──よし! じゃあ今からボクと併走してみようよ! 人生の()()()()と走れば、スランプの原因が何であれ、何かしら分かるかもしれないしさ! ねっ、良いでしょトレーナー!」

「勿論、駄目だが」

「だよね! よぉしっ! それじゃあいっちょ、このテイオー様がアフタの走りを──って、なんでぇ!?」

「いや。なんでも何も、アフタに走って貰う前に言った通り、今回はアフタの現状確認の為に走って貰っただけだしな。アフタ、すまんが脚をちょっと見せてくれないか?」

 

 盛大にたたらを踏んで見せたテイオー先輩に、気に掛けてくれた事のお礼を言う。

 そして、そのまま自分のジャージの裾をたくし上げる。太腿の半ばまでを晒し出せば、空気がひんやりとしていて……というよりも、普通に寒い。

 ウマ娘は基本的に寒さに強いのだが、それでも十二月の中旬に外で生脚を露出するのは、かなり堪える。

 

「寒いだろうが、少し我慢してくれ」

 

 しゃがみ込んだ沖野トレーナーのなすがままに、俺の脚が撫でられ始めた。かなり擽ったいが、いい加減に慣れて来た感がある。

 沖野トレーナーは、実は脚フェチなんだろうかと疑う程に、熱心に脚を見たがる。そこに下心がないのは伝わるので、別に良いっちゃ良いのだが……トレーナーは、本当ならこうまでウマ娘の脚を弄りたがるものなのだろうか。東条さんも、実はそうだったりするのだろうか。

 

「……トレーナー。想像以上に絵面が犯罪的なんだけど、大丈夫? この辺、結構お巡りさんが通るらしいよ?」

「テイオー。俺は今、仕事をしているんだ。ウマ娘を支える為の大事な仕事だ。相手が国家権力だろうが何だろうが、どれだけ邪魔されても俺は職務を遂行する。絶対にだ」

「……もうそれ、変態の言い訳にしか聞こえないよー……」

 

 遠い目をしてきょろきょろとし始めたテイオー先輩を尻目に、沖野トレーナーはひたすら脚を撫でたり、揉んだりを続けた。

 テイオー先輩はお巡りさんが居ないかを心配しているのだろう。疚しい事はないから、心配しなくても良いと思うのだが。

 先輩が辺り一帯を見渡し終わった頃に、沖野トレーナーも俺の脚を撫で回すのを止めた。

 

「──惚れ惚れするくらい、バランスの取れた良い脚だ。アフタの()()っぷりからじゃ想像が付かないくらい、最高の脚だよ。本当に」

「……それ、今分かった事じゃないよね? 触る度に似た様な事言ってるよね?」

「いやだって、本当にいい脚──すまん、そんな変態を見る目を向けないでくれ。冗談だから」

 

 よっと……と言いながら沖野トレーナーは立ち上がった。

 

「で、脚の状態だが……中距離走直後の状態でも、俺やおハナさんが心配するレベルからは脱したと判断して良いだろう。上半身が分からないから、これで心置きなく……とは言えないが、一先ずはトレーニングに復帰出来る。もう二度と、日常生活で転び捲るまで体に疲労を蓄積するんじゃないぞ」

「はい、もうしません。先輩方にも、多大なご心配をお掛けしました。以後、健康第一に名ウマ娘を目指そうと思います」

「……悪いが、アフタのトレーニングに関する自重は何があっても信じるなと念押しされてるんだ。それにお前、思った以上に疲れの抜けにくい体質だ。これからも、以前の約束は継続させて貰うぞ」

 

 心の中で舌打ちした。

 今後も、俺が勝手にトレーニングをすると、先輩方が手を止めて俺を抑え込みに来るらしい。スピカと合流してから今日まで、ずっと良い子にして来たと言うのに……こうも信用して貰えないなんてあんまりだ。

 

「まあ、なんだ。元々はお前の体を心配して急遽始まった交流な訳だが……ここまで来たんだ。スランプを治すのにも、きちんと付き合ってやるさ。というか、此処で見捨てたらうちの奴らに何を言われるか分かったもんじゃないしな」

「とか格好付けちゃってるけど? 本当は見捨てる気なんて、最初からないんじゃない?」

「……お前らっていつもそうだよな。俺の事をなんだと思ってるんだ。俺が格好を付けてると、自動でお前らに天罰でも降るのか? たまには、格好良い大人のまま話を終わらせてくれよ……」

 

 にししと笑うテイオー先輩と呆れた様な沖野トレーナーは何と言うか……最高に、信頼関係で結ばれた()()に見えた。

 きっと、テイオー先輩ではなく、他のスピカの誰と並んでも、同じ様に見えて……やっぱり、同じ感想を抱くのだろう。

 俺と東条さんだと、どう背伸びしても子供と保護者にしか見えないので、羨ましい限りだ。

 

「それじゃあ、今日の所は宿に戻るか。あいつらが美味い飯を用意して待ってるからな。アフタは野菜ばっかり食わず、きちんと肉も食えよ」

「……善処します」

「善処じゃなくて、将来の事を考えるなら絶対だ。それと……スランプの事は、俺とおハナさんに任せとけ。二人で相談して、何とか手段を考えてやるさ。だから、絶対に勝手なトレーニングは厳禁だぞ」

「分かりました。信じてお任せします、よろしくお願いします」

「おう、任された」

 

 沖野トレーナーに、深々と頭を下げる。スランプは俺だけではどうしようもないから、解決出来るなら何だってする所存だ。俺はその先に進まなければならないのだから、これからも必要であればトレーニングだって我慢しよう。

 その結果、不安から自分自身を逃がし切れなくなったとしても……必ず、耐えてやろうと思う。

 だって俺は、ディープインパクトに、ならなきゃいけないのだから。

 

「うん……ずっと観察してたけど、アフタって印象に依らず、割かし礼儀正しくて偉いじゃん! ゴールドシップを見慣れてるから、ボクとしてはもっとはっちゃけた方が良いと思うけどね!」

「少なくとも、何処かの小生意気な天才のクラシック時代よりかは、礼儀正しいわな」

「うん? 誰の事? ま、いっか。さて──それじゃあ、皆の所に帰ろっか!」

 

 テイオー先輩の号令で、俺達は帰路に着く。俺の本来帰るべき場所は、リギルの皆の集まる場所なのだが……それはそれとして、此処(スピカ)も居心地が良いのは間違いない。

 

 練習施設の傍に屹立する山々は、日が沈む毎に黒く染まっていく。日本の山は自然が多いから、何だか化け物でも出て来そうだ。

 俺はテイオー先輩と沖野トレーナーに置いて行かれないように、急いで後を追う。

 俺は馬だ。馬は臆病な生き物だから、一人で暗闇に居続けるのは、怖いのだ。例え暗がりから逃げ切れるだけの脚があったとしても……やっぱり、一人ぼっちは怖いだろう。

 俺にはよく、分からないが。




どうしても平均文字数一万文字に拘ると、投稿頻度はお察しになってしまいます。ご容赦下さい。


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第13話 廻る御空色

総合評価15,000pt並びにUA数400,000突破、有難う御座います。
お礼の念を込めて、予定より急いで執筆しました。楽しんで頂ければ幸いです。


「──任せとけ……とは言ったものの。正直、どう指導すりゃ良いのかさっぱりなんだよなぁ……」

 

 早朝、自分用に借りている一人部屋にて。

 ノートパソコンを乗せた卓袱台の前で、沖野は胡座をかいたまま倒れ伏した。頭で組んだ手に畳の編み目が食い込む。

 薄黄色になるほど藺草(いぐさ)が古いからか、手の甲に返ってくる感触は見た目よりも柔らかい。

 

 ウマ娘達には男一人で寝泊まりする自分よりもずっと良い部屋を借り与えたが、はっきり言って正解だった。この旅館は衛生面こそきちんとしているが、歴史を感じさせる佇まい通りの趣が、そこかしこに見て取れる。

 要するに、()()()を飛び越えて、全体的に古臭い。

 そんな骨董品剥き出しの部屋に、二週間も思春期のウマ娘達を放り込み続けるのは精神的に宜しくないだろう。まだ()()()の範疇に収まる部屋を与えたのは英断だった。

 逆に言えば、宿のおんぼろさを加味しても、此処の温泉の効能は捨てがたかったのだ。

 チームスピカは何かと故障に縁があり過ぎるので、ウマ娘の健康には特に気を配る必要があった。

 

 空調で部屋を暖めてはいるが、それでも床の方に近付くに連れて冬の底冷えを感じた。自分が借りた部屋は、間違えても()()()の括りには出来なかった。

 自分がトレーナー業を半ば辞めていた頃の()()が今に回って来ているだけなので、文句は言えないが。

 日々新しくなる機材や環境、古くなって廃棄せざるを得ない消耗品、ほぼ廃部状態だったが故に雀の涙よりも謙虚になっていた部費。はっきり言って、それらに係る諸々のコストを甘く見ていたと言わざるを得ない。

 沖野は国内屈指のトレーナーではあるが、商売人ではないのだ。銭勘定なんて興味すらなかったし、部費が困れば高給取りの自分が自腹を切れば良いの精神で今日までやって来た。それでも、自分なりに算盤を弾いてはいたが、いざウマ娘達の為となるとつい財布の紐が緩くなる。

 その結果として、担当ウマ娘達が大活躍して部費が大幅に増額されたとしても──ついでに自分の給料にもそれなりの色が着き始めても──常にチームスピカと自分の家計は火の車だ。

 流石に、最低限必要な金銭はきちんと確保しているが……同僚に呆れられても、さもありなん。

 結局の所、かつての担当ウマ娘達に見限られて、腐っていた自分が悪いのだ。

 

「……先行、差し、追い込み。ストライド走法ベースでなら、逃げ以外は殆ど同水準でこなせるってなんだ。スランプに陥った()()()状態で測ったタイムが、有の平均的な勝ち時計ってなんだ。こいつ、本当に最近までクラシック戦線を走ってたウマ娘か?」

 

 傍に置いていた、同僚の東条ハナから預かった資料を再度手に取る。もう何度も確認した内容と、昨日計測したタイムを照らし合わせ……思わず、長い独り言を呟いた。

 合宿が始まってからずっと頭を悩ませているのは、東条ハナから預かったアフターマスに関してだ。

 沖野は思考を整理する為に、続けて考えを口から出す。別に自分以外には誰もいない部屋なのだから、誰かの目を気にする必要は無い。

 

「スランプ、か。スランプ……ねぇ。……本当にスランプか? 何にせよ、同期のウマ娘達が目の色変えて執着する訳だ。未だに本人が向上心の塊だから、油断したら追い付けなくなるんだもんな」

 

 思い浮かべるのは、合宿が始まってから起きた一幕。アフターマスに謎の発言を吐き捨てて何処かへ行った、藍染色のリボンを着けたウマ娘と、彼女と一緒に居た二人のウマ娘達だ。確か、彼女達もアフターマスと同世代の有力なウマ娘で、メイクデビューの前から将来を嘱望されていた子達だった筈である。

 ……と言うより、今でこそ『最弱世代』なんて呼ばれるアフターマスと同期のウマ娘達は、基本的に粒揃いだ。最新のトレーニング技術や発展した研究成果を以て育てられた、例外なく()()ウマ娘達。リトル時代から中央トレセン学園にまで噂が届く程の、輝かしい綺羅星達。

 東条ハナが突如スカウトした、実績皆無の無名ウマ娘がメイクデビューを走るまで……彼女達こそが新たな『最強世代』になると、中央のトレーナー達ですら想像していた程だ。

 『最弱世代』と呼ばれなければならない程、彼女達は弱くない。

 

「……せめて、ゴルシかマックイーンが居りゃあ良かったんだがなぁ」

 

 脳裏に過ぎったのは、自分が担当するチームスピカのメンバーである二人。アフターマスが最も得意とする追い込みの名手、ゴールドシップ。そして、アフターマスの幼少期を知るらしいメジロマックイーンだ。

 

 実の所、アフターマスが言うスランプというのは、殆ど交流のなかった沖野には判断が難しかった。

 何処となく走り辛そうにしているとは薄らと気付けたものの、試しで計測してみた時計は超一流のそれ。実際の本番で練習と同じ時計が出せる訳ではないが、それにしたって休養明けの一発勝負で出して良いタイムではない。

 アフターマスが特殊な走法をする突然変異的なウマ娘であると知らなければ、夜中にでも皆に隠れて練習していたのでは──と、疑う程だ。

 ……と言うよりも、疑ったからこそ、暖かい屋内へ戻る前にその場で脚を念入りに触診したのだが。結果として沖野が分かった事は、アフターマスが本当にきちんと約束通り休んでいた事と、相変わらず惚れ惚れするトモであるという事の二点のみ。

 アフターマスがスピカに同行するようになってから何度か触診を行っているが、そこにあったのは相変わらず()()()()()()であった。

 

 ……とにかく、沖野としてはアフターマスに関する判断材料が少しでも欲しかった。

 だから、スピカで唯一彼女と同じ追い込み型のゴールドシップと、幼少期の彼女に走りを教えたらしいメジロマックイーンに、今のアフターマスの走りを見て貰いたかったのだ。

 肝心要のゴールドシップはメジロマックイーンのリハビリに付き添って──と言いつつ、メジロマックイーンに(じゃ)れに行っているようだ──今回の合宿にまだ参加していないし、メジロマックイーンは言わずもがなだ。

 せめてビデオ通話でも出来れば良いのだが……メジロマックイーンにはアフターマスへと何かしらの意地と考えがあるらしく、これを拒否。ゴールドシップはよく分からないが、取り敢えず拒否された。

 

「……どうすっかなぁ」

 

 そもそもの話。アフターマスというウマ娘は、無敗の三冠ウマ娘だ。即ち、ウマ娘の完成形の一つなのだ。発育が極めて悪い点から目を背ければ、だが。

 そんな存在が()()()()スランプに陥っている……等と、何が起きたらそうなるのか。

 ウマ娘だって、無限に速くなる訳では無いのだ。やはりどこかで、生き物としての限界を迎える。

 だから沖野としては、本気でリニアモーターカーと競い合おうとしたんじゃないか……位しか、アフターマスの心が折れている理由が思い付かない。

 『無敗の三冠』とは、日本のウマ娘最強候補の証でもあるのだ。例え海外の伝説的ウマ娘が相手であっても、心折れるまでの惨敗等は起こり得ない……そう、沖野は信じている。

 

 ああでもない、こうでもない、と思考を巡らせる。東条とは既に昨日までの情報共有を終えており、方針も再確認してある。

 来年に向けての心身のコンディションを最優先。これに限る。加えて、東条はアフターマスをコントロールし切れなかった為、合宿期間中は沖野主導のトレーニング方針で。

 ……アフターマスをコントロールし切れなかったと言うよりも。東条の場合、敵の多過ぎるアフターマスの絶対的な味方であり続ける事を選んだだけなのだが。

 

 沖野がアフターマスと結んだ約束。

 勝手に自主練習を行えば、先輩のトレーニングを中断してでもアフターマスを止めに入る……実はそれを思い付いたのは、他ならぬ東条だった。

 だが、それを東条からアフターマスに伝えた場合、東条はアフターマスにとって絶対的な味方ではなくなってしまう。一度彼女と本気で対立してしまえば、()()()()()()()ではなく()()()()()になってしまう。

 新しい無敗の三冠ウマ娘は、そう割り切らなければまともに生きられない程には、色んなものに精神を摩耗させられている。

 だから、所属チームの担当である東条ではなく、別チームの担当である沖野なのだ。絶対的な味方ではなく、信用出来る()()()()()となったのは。

 

 弱いのに強くなり過ぎたアフターマスは、これからも強く在り続けなければならない。彼女を否定する声が、全部霞んで消えるようになるまで。

 

 ──だから、リギルから彼女達の後継者を『有記念』の直前に預かる沖野は、責任重大だ。

 

 にぃ、と口角を吊り上げ、弾みを付けて起き上がる。

 誰だったか。一人前の男はどんな時でも笑ってなけりゃいけない……なんて言ったのは。確か昔の映画俳優だった気がするが、全く以てその通りだと思う。泣き言を言ったって、誰も助けちゃくれないし、むしろ自分は助ける側の()()なのだ。

 子供達の将来に立ちはだかるものは、問答無用で排除する。教え子達の将来に光あれ。ウマ娘の未来に栄光あれ、だ。

 

 いつも食べている蹄鉄形の棒キャンディーを一本取り出す。偶然、初めてアフターマスに会った日、彼女にあげた人参味だ。ぺりぺりと包み紙を剥がして、咥える。人参の優しい甘味が口内に広がる。

 やってやる。この棒キャンディーの甘さみたいに()()()()()になって……そして、世界中がアフターマスを受け入れる()()()()()になるよう支えてやる。飴は舐めても、中央トレセン学園のトレーナーは舐めるなよ。担当であるかないかなんて関係ない。全ウマ娘を幸せにしてこそのトレーナーだろう。

 

 沖野はそう決意して、パソコンのメール機能を開いた。宛先はゴールドシップ。件名は『頼むから早く来てくれ本当に頼む』。直撮りの動画メッセージで「ゴルシがこの映像を見る時、世界はシルバーウマ娘星人に支配された後だろう……」くらいぶっ込めば、多分面白がって釣れるだろう。無理なら、次の手を考えるだけだ。

 アフターマスのスランプ解消に向けて、沖野にも腹案は色々とある。だがやはり、ゴールドシップが居た方が色々と捗って良い。先程の脚質関連でもそうだし、ムードメーカーとしてもそうだ。

 ゴールドシップは破天荒な事ばかりしているが、常識を知らない訳では無い。だからきっと、後でしこたま笑われるだろう。だが、一向に構わない。

 本当に大切な事の為なら、どれだけだって恥を掻ける。それもまた、大人であるという事なのだから。

 

 

■□■

 

 

 暗い鹿毛の髪。御空色の瞳。色の薄い肌。

 髪型は昔から、両親が決めた姫カット。長い髪は殆ど手入れなんてしていないから、毛先はちょっとぼさぼさだ。

 酸素が出入りする鼻と口は小振りで、大きな目元はいつも通り眠たそう。仏頂面というよりは、純度の高い無表情。

 

 視線を下げて一糸纏わぬ()()を見れば、つるぺたと言うよりかなりまな板だよこれ……と言った感想が浮かぶ。実際問題、俺は()の下着にお世話になった事はなく、いつも普通の肌着で事足りる。

 腰から下にかけては鍛え抜いているから、かなり引き締まってはいるが、それなりに厚みがある。それでも女性らしい丸みがあるのは、ウマ娘という生き物の体が特殊だからか。多少の無理を承知で鍛えた俺の脚ですら、普段は意外と柔らかい。

 胸に行く筈だった栄養が全て下半身に回ったのだろう。脚をとにかく鍛えなければならない俺としては、本当に有難い限りだ。胸に行ってしまっては、空気抵抗が生まれるわ、重しになるわで良い事が全くない。

 

 胴回りには一切無駄がない……と言うより、エネルギーを摂取した傍から消費するものだから、無駄の付きようがない。スピカのお世話になり始めてからは、走らずとも無駄が付かないよう食べる量に気を付けている。

 俺の走りにとって、重さは敵だ。吹き飛ぶくらい軽くなきゃ、一歩で遠くに進めない。

 

「……教えてくれよ、ディープインパクト。俺が見付けるべき自分って何だ? お前じゃない俺って、何だ?」

 

 京都レース場にある銅像を幼くして、色を付けた虚像。風呂上がりだから、それが全体的にしっとりとしていて、服を着ていない。

 そんな鏡の中のウマ娘へと問い掛けても、答えなんて返って来る訳がない。そもそも、映っているのは勿論、ディープインパクトではないし……仮にディープインパクトだとしても彼奴は無口だ。答えなんて、この場にはない。

 それは分かっているが、俺は俺で困り果てているのだ。ディープインパクトでも競馬の神様でも良いから、たまには俺を助けろよ……と言いたい。不思議な存在という奴は、ちょっと俺に対して殺意が高過ぎると思う。そんな弱音を噛み潰す。

 

 わざわざ朝早くから、俺が誰も居ない旅館の脱衣場で何をしているのかと言うと、自分探しだった。後はついでに、お湯に漬かってトレーニング前の体(ほぐ)し。

 沖野トレーナーから、スランプを解くには自分を見付け直せば良い……とアドバイスを貰ったのは良いものの、残念ながら俺には自分らしい自分というものがない。

 もしかしたら前世の仔馬時代や前々世にはあったのかもしれないが、正直な話、もうそんなに昔の事を覚えていない。

 だから取り敢えず、自分の身体的特徴から何か見付からないかと思い、大きな姿見のある此処へやって来たのだ。

 勿論、その程度で自分が見付かるなんて訳もなかったが。

 

 ディープインパクト。

 

 残念ながら俺の思い出の大半は、俺そっくりな此奴に占領されている。我ながらどれだけ()の事が好きなんだよ……と吐き捨てる。

 日がな一日、年がら年中。自分そっくりな奴の事ばかり考え続ける自分自身に、ちょっとお近付きになりたくない程は引いた。

 ……冗談でも()が好きだなんて言うんじゃなかったと後悔する。薄気味悪くて吐きそうだ。

 

 がっくし……と、肩を落として服を着る。

 

 何をやっているんだろうか、俺は。急にアイデンティティに目覚めて、自分探しの旅に出る子供か。自慢の自転車に跨ったまま、迷子になった所を親や学校の先生に保護されるやつ。まんまその通りの精神状態な気がする。

 スタンドバイミーを気取るには、些か精神的に歳を重ねすぎているだろうに。記憶が殆ど消え去った前々世を除外したって、前世の四年分は今世の実年齢より大人なのだ。

 少年時代特有の無鉄砲な行動力も、青い猫型ロボットも、俺には縁遠い存在である。

 

 脱衣場を出て、部屋に戻る道すがら。廊下から中庭へと出られる引き戸の窓から、空が見えた。

 前世でも、よく空を見ていた。と言うより、馬の体で出来る楽しみなんてそれしかなかった。雲が風に崩される様を眺めるか、厩舎の隙間から星空を眺めるくらいしかなかったのだ。たまに見れる月は大体いつも欠けていたし、空の主役は殆ど雲だ。空が酷く懐かしい。

 

 引き戸を開ける。切れるほど冷えた外気に触れて、せっかく解した体が冷え始めるが、それでも空が見たい。寒さは、早朝の仄暗い空でも見える、輝く星が紛らわせてくれる。

 風邪は嫌いだから、長くはこうして見ていられないが……ウマ娘は──馬は、寒さに強い生き物だ。だから、多少は大丈夫。

 

 囲いのないこんな空なら、何処まででも思いっ切り自由に走り抜けられそうだと思う。彼処なら暗くて誰も走らないから、きっと誰も見ない。だから俺が気を抜いて、みっともなく走っていても構いやしないだろう。

 中央トレセン学園からじゃ見られないくらい、綺麗な空だ。

 

 ──誰かの鼻歌と、足音が聞こえる。

 

「ふふふん♪ ふふふん♪ ふっふっふ〜ん♪ ふふふんふんふふ……って、あれ。アフタじゃん。こんな所で何やってるの?」

 

 振り向いた先にはテイオー先輩が居た。トレセン学園のジャージ姿で、髪は乱れていて頬が少し赤い。スピカのメンバーは全員、俺と違って自主練を禁止されていない。だから先輩方は全員、朝のこの時間帯は練習に励んでいる。この様子だと、今日の分はもう終わったのだろう。

 普段なら付いて行ってあれこれと研究させて貰うが、今日は自分探しをするべく、俺は一人で宿に残っていた。

 取り敢えず、挨拶で返す。

 

「お疲れ様です、テイオー先輩。朝風呂を頂いた帰りです。ついでに……散歩中です」

「ふーん? でもそんな所にいると、体が冷えちゃうよ」

 

 ほら、こっちおいでよ。そう言って、テイオー先輩が手招きする。いつの間にか、引き戸から外へと出ていたらしい。郷愁の念に駆られるのも、いい加減にしなければならないだろう。俺にそんな時間はない。

 

「すいません、ご心配お掛けします」

「いいっていいって。かったいなー。……それはそれとして、アフタ。すんごい冷気纏ってるけど、どんだけ外に居たのさ?」

「えっと……少し?」

「いや、少しって……うーん……ま、良いんだけどさ。でも、風邪引いちゃ駄目だよ?」

「はい、ありがとうございます。気を付けます」

 

 テイオー先輩にお礼を言って、引き戸を閉める。さっきまで俺の全身を覆っていた冬の外気は、窓越しに此方へと手を伸ばすだけになった。

 早く部屋に戻って、自分を見付ける手掛かりを探さなければならない。

 

「……もしかして、なんだけど。昨日トレーナーと話してた事、めちゃくちゃ気にしてる?」

 

 テイオー先輩の指摘に、背筋が震えた。

 俺の考えは分かり易いのではなくて、頭上にでも鮮明に浮き出ているんじゃないか……そろそろ、そんな風に疑いそうになる。他の人達は、どうしてそうも人の考えが分かるんだろう。或いは、馬だった俺が鈍すぎるだけなのか。

 

「図星みたいだね。そんなに難しく考えなくても良いと思うんだけどな。()()って、必ず見付かる物だし」

「そうは言われましても、俺には難しい事です。きちんと探さないと、見付けられそうにないんです」

「うーん……?」

 

 深く深くテイオー先輩は首を傾げた。何かを見透かすように、俺の目をじっと覗き込んでくる。

 そして沈黙が生まれて──テイオー先輩は何かを思い付いたように、口を開いた。

 

「あっ。もひとつ、もしかしてだけどさ。アフタって、誰かになろうとしてる?」

 

 暫し、何を言われたのか分からなかった。テイオー先輩の台詞が俺の中へと時間を掛けて入り込んで……ぐちゃぐちゃに、脳を掻き混ぜた。どうして、分かったのかが分からない。俺はただの一度だって、スピカの方々に俺の本物(ディープインパクト)を教えちゃいない。

 

「何を……言ってるんですか?」

「うん、その様子は正解っぽいね。誤魔化さなくても良いよ。なんたってこのテイオー様には、隠し事なんて一切出来ないのだーっ! ……なーんてね。ボクも、少し前まで似たような感じだったんだよね。だから分かったんだと思うよ」

 

 ボクが君を苦手だった理由、ようやく分かったよ。君は昔のボクと似てるんだね。

 そう、先輩は微笑む。

 

「ボクの場合はカイチョー──無敗の三冠ウマ娘、()()()()()()()()みたいになりたかったんだ。君は……もしかしたら、ボクの知らない誰かなのかもね」

 

 曖昧に笑いながら、テイオー先輩は頬を掻いた。「ちょっと待っててね」と言って、廊下にある自動販売機へと向かう。テイオー先輩は何かのジュースを二本買って、戻って来ながら片方を俺に差し出した。

 お礼を言って受け取ると、じんわりと痺れるような温かさが指先を通る。缶のラベルには『ホッとはちみーレモン』と書かれていた。

 

「きっと、今の君は何かを言われても、受け入れらんないよね。わかるわかる。そう簡単に受け入れられるなら、苦しくないもんね」

 

 一人でしたり顔で頷くテイオー先輩に、ぽかんとする。先輩が何を判断材料に俺を推し量ったのか分からないが、何となく正しく見抜かれた感覚がある。

 

「気楽に気楽に……なんて言っても悩むよねー。そりゃそうだ。だから、今は──それ飲んで体温めて、この後のトレーニング……すっごく頑張ろう!」

「……えっ? いやあの、それは勿論……頑張りますけど……」

「うんうん。それで良いと思うよ、ボクはね。……本当は、別の事でアフタと話してみたかったんだけど、もう聞きたい事の答えが分かっちゃったし、良いや。その缶ジュースは、ボクの疑問が解消したお祝いね」

 

 あっけらかんと言い放った先輩は、どうやらあまりこの話を続ける気はないらしい。

 もしかしたら、単純過ぎる問題なので呆れたのかもしれない。そうじゃなければ、この場で進展する話ではないのか。

 何方にせよ、先輩に倣って俺も話をすぱっと切り上げるべきだろう。よく良く考えれば、先輩の入浴の邪魔になっている。集合時間まで、無限に時間がある訳ではない。

 先輩の敷いたレールに乗って、話を曲げる。

 

「……テイオー先輩のお祝いなのに、俺が奢って貰うんですか?」

「当ったり前でしょ! ボクはトウカイテイオー様だぞ! 後輩にジュース強請るなんて真似、しないよーだ!」

 

 ──練習を頑張って速くなろうとする。違うチームに混ざって色んな事を知ろうとする。完全な君はまだ見付からなくても、取り敢えず今はそれが答えで良いんじゃない? 地道に努力する君だって君だ。

 それに、ボクが()()を奢ってあげたのだって、君なんだしさ。

 

 先輩はそう笑いながら、くるりと後ろを向いた。また後でね、と言って後ろ手を振りながら、浴場へと向かう。来た時と同じ鼻歌を歌いながら。

 不屈のトウカイテイオーは、自由気ままに爪痕を残して行った。俺と似ていた……なんて、何の冗談だろう。

 なんと言うか……突然、突風に吹かれたような。めちゃくちゃな風が吹いて、雲が綺麗に散ってしまったような。そんな気分だった。

 

 貰った缶ジュースを開けて、少しだけ口に含む。優しい甘さと温められた柑橘の香り。初めて飲むが、中々美味しい。飲料の熱が、喉を伝って体の芯に届く。吸い込む冷たい空気すら、甘くて爽やかに感じた。

 

 ふっ……と、気になって、引き戸の窓から空を覗く。

 

 話してる間に、空は濃紺色から瑠璃色にまで和らいでいる。だから、気付く。さっきまで見当たらなかった温泉の湯煙が、広々としていた空に覆い被さっている。これでは、彼処を走っても楽しくない。

 俺が見ていた()の星空は、一体何処の空だったんだろう。確かに見ていた、()()()()夜景。

 俺は、ずれた心の蓋を閉め直した。

 

 何かに化かされたような、でも帰って来られたような。少しだけ、そんな変な心地になった。




以前、アフターマスの外見描写が欲しいと言われていたのですが、此処で出す為に温存してました。


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第14話 喬木故家

『原作』で不明な点は『原作の原作』を活かせるように設定を考えて追加しています。
今後、『原作』の設定が公開された場合は手直しするかもしれません。ご容赦下さい。


 ──長距離の芝は、メジロがいる。

 

 そう謳われるようになったのは、現当主がメジロ家に初めて天皇賞の盾を飾った頃からだろう。

 

 メジロ家は日本に古くから続く名家である。

 建設を生業として端を発し、現在では財閥として大きく成長した家名は、時代と共に変化する日本のエンターテインメントの歴史にもその名を刻み込んで来た。

 日本の文化に寄り添って来た旧家。数多くのアスリートや文化人を世に送り出した一族。世情の移り変わりと共に、人々の心に寄り添って来た存在。

 まるで()()とウマ娘の関わりを体現したような集団──それこそが、メジロ家であった。

 

 そんなメジロ家であるからこそ。URAの前身にあたる団体が設立された当初に、花形を飾る家門としての役割を、大いに期待される事となったのだ。

 時に輝かしく、時に痛ましい……そんな日本の歴史の中でも、いつまでも変わらずに人々の心へと華を添える存在──つまりは、レースの主役としての役割を、メジロ家のウマ娘は求められたのである。

 

 メジロ家にとって、正に誇りであった。新たな時代の人々の希望──その顔役の一つとして、期待された事は。未来に向けて、幾多の夢を託されるという事は。

 期待を裏切らない。それこそが、メジロ家のウマ娘に課せられた責務。であれば、寄せられた新たな期待にも、応えて然るべきである。それがメジロ家としての総意であった。

 ……だからこそ。長い不振の末に、現当主が『天皇賞・春』を勝ち取った日──その日の日本で一番強いウマ娘が、メジロ家から生まれた日。メジロ家は、勝つ事への執念を更に燃やし始めた。

 

 人々の希望となる為に、負けてはならない。日本のウマ娘を導く立場に立って、勝たなければならない。そして、自分達の誇りを取り戻す切っ掛けとなった栄光──天皇賞の盾を、易々と誰かに譲ってはならない。

 その想いを継いだメジロ家のウマ娘達は血の滲む様な努力を重ねて……そして、現当主の愛娘が『天皇賞・秋』の盾をメジロ家に飾る事となる。

 

 メジロ家に並んだ二枚の盾。そこに込められた、数多くの夢……即ち、日本のウマ娘の歴史そのもの。

 

 これこそをメジロの誇りと呼ばずして、何を誇りと呼べば良いだろうか。人々に夢を魅せたのだ。心に華を添えたのだ。幾人もが涙を浮かべて祝福する、天皇賞の親子制覇である。偉業なんて言葉でも生温い。そう感じざるを得ない栄光だった。

 ──だからこそ。()当主は、死の間際まで夢を見たのだ。

 それは、メジロ家による天皇賞の()()()()

 誰もがかつてない期待を寄せるであろう、その奇跡の実現。それこそが、新たなメジロ家の悲願。

 

 そんな期待を一身に背負って……前当主の亡き後に、現当主の孫娘の一人が、確かにメジロ家としての誇りを示してみせたのだ。

 破天荒な道を行く、同世代のメジロを倒し。主役という言葉が服を着たような、不屈の好敵手を倒し……そして、なったのだ。

 それは、人々に夢を魅せる存在。レースを通じて、人々の心に華を添える存在。メジロ家の集大成にして、目指した形──主役を務めるに足る『名優』に。

 

 それこそが、メジロマックイーン。

 

 『史上最強のステイヤー』と呼び声の高い、当代きっての名ウマ娘である。

 

 

■□■

 

 

「──ぃよぉうっ、マックイーン! 愛しのゴールドシップ様が今日も遊びに来てやったぜー! オセロにする? バックギャモンにする? それともぉ……茶、わ、ん、蒸、し?」

「もうっ、意味がわかりませんわよ!?」

 

 メジロ家が所有する療養所に、少女の声が木霊した。和風建築に見合った庭園へと声が抜けていく。外の寒さに凍ったのか、外気に触れたそれは直ぐ様霧散した。

 庭の一角にある小さな池では、(から)っ風に吹かれた落ち葉が薄氷の上をするりと滑り、石垣の隙間に身を隠す。

 この調子では、今年の有は芝が凍るかもしれない……そんな本心か冗談か分からないような予感が鎌首を(もた)げる程、寒さが屋外には充ちていた。

 

「いやぁ。そう言われてもよ、マックイーン。ぶっちゃけ、毎日お前にちょっかい掛けるネタ考えるのも大変なんだよ。たまにはゴルシちゃんもお休みが欲しいでゴルシ」

「なんで私が我儘言ってるみたいな顔してますの!? そもそも、ゴールドシップさんが私を揶揄うのを止めれば良いだけではありませんか!」

「……おいおい、お前正気か? そんな事したら、酸欠起こして死んじまうぞ。マックイーンが」

「死にませんわよ!?」

 

 歴史を感じさせる邸宅に反して、底冷えをまるで感じさせない室内。長身の少女と小柄な少女の間で、息の合った掛け合いが飛び交った。二人とも同じチームに所属するウマ娘で、何かと付き合いの多い間柄である。

 長身の少女──ゴールドシップが、やれやれと言いたげな顔を浮かべた。

 

「でもお前さ、息つく間もねぇですわー……みたいな勢いで運動しようとするじゃん。リハビリのせいで体調崩したとあっちゃ、流石のゴルシちゃんでも笑えねぇんだよな、これが」

「……分かってますわよ。ですので、きちんと主治医と相談した範囲内に収めてますわ」

「本当かぁ?」

 

 小柄な少女──メジロマックイーンへと懐疑的な目を向けながら、ゴールドシップはメジロ家のお抱え医師を脳裏に思い浮かべる。

 元々、メジロマックイーンはトレーニングに関してかなりストイックなウマ娘だ。しかし、ゴールドシップの見立てでは、ここ二ヶ月程は輪をかけてトレーニングジャンキーと化している様に感じる。

 メジロマックイーンは、一度は重い病で選手生命を絶たれたウマ娘である。だからこそ、努力の果てであってもここまでの快復を見せたのは、奇跡のようなものであった。

 余程無謀な事をやらかしさえしなければ、彼女はあと数ヶ月程で一先ずの競技者生活復帰が可能なのだ。ゴールドシップとしては、今は彼女に無茶をして欲しくない。

 本当に彼女の主治医が許可を出した範囲なら安心出来るのだが……残念ながら、確認しようにもこの場にメジロマックイーンの主治医はいない。

 代わりに、今し方入って来た扉の傍に控える、メジロマックイーン専属の執事であるじいや──メジロマックイーンが常々そう呼んでおり、ゴールドシップも本名を知らない──へと目を向けた。静かに微笑みが返って来たので、恐らく大丈夫なのだろう。

 

「で? お前、今日は何するつもりだったんだ? ほれほれ、このゴールドシップ様に言ってみなって。遠洋漁業?」

「……はぁ。ゴールドシップさんのはちゃめちゃっぷりは、毎日見ていても慣れませんわね。今日もいつも通りリハビリですわよ」

「おっ、サンキューな。ほれ、これ手土産の人参サブレ」

「褒めてませんわよ! ……ゴールドシップさんがお菓子を持ってくるなんて珍しいですわね? 何かありましたの?」

 

 受け取った紙袋をじいやへと渡しながら、メジロマックイーンは頭上に綺麗な疑問符を浮かべた。ゴールドシップは、そんな彼女に改まって向き合う。

 

「ああ……実はさ、アタシがマックイーンに会いに来られるの、今日で最後なんだ……」

 

 憂いを帯びた顔で、ゴールドシップは告げる。心底口惜しいと言いたげで──まるで、竹バの友へと永遠の別れを切り出すかのように。

 メジロマックイーンは、そんな決意を秘めた顔の友へと向けて……実に普段通りの調子で、「合宿、ようやく参加しますのね」と、口を開く。

 メジロマックイーンが()()()来なかった為か、ゴールドシップは不服そうに口を尖らせた──が、メジロマックイーンは慣れた様子でそれを受け流す。

 

「私に付き合わずとも、最初から参加なされば宜しかったのに。私としては……正直、とても助かりましたので、感謝しておりますが。しかし、皆さんはそろそろ学園へとお戻りになる頃ではありませんの?」

「あのマックイーンがでれた……? いや、騙されるなアタシ、これは宇宙ウマ娘世紀に名高いトロイのウマ娘、パターンメジロ、罠だ……!」

「あら、合宿所まで送って差し上げようかと思いましたのに。必要ないようですわね?」

「おっと、流石はマックイーン! いやー、いつもマックイーンの仲間思いな所は見習わないとなと思ってたんだよアタシ! よっ、千両役者! ……ま、あれだ。合宿終了間際だからこそ、あいつらにはスーパーウマ娘ゴッド粒子をチャージしてやろうと思ってよ。トレーナーからもしつけぇくらい頼まれちまってるし、新顔も慣れないなりに色々と頑張ってるみたいだしな」

 

 ほらこれ。そう言って、ゴールドシップは自身の携帯端末を取り出した。そこに映っていたのは、幾つもの動画のサムネイルだ。投稿された日付はどれもここ数日のもので、動画のトップ画像を飾る小窓には、トレーニングに励むウマ娘達が映っている。

 中心に撮られたウマ娘は、明らかに顔見知りの者──と言うより、チームスピカ所属のウマ娘が多い。

 

「これは?」

「ファンがネットに上げてる合宿の動画。どうも今年は後輩連中の合同合宿と日程が被ってるらしくてよ、ちょっとしたお祭り騒ぎになってるらしいぜ」

 

 後輩連中の。その一言にメジロマックイーンの耳がぴくぴく動いたのを、ゴールドシップは見落とさなかった。

 これ見よがしに画像をスライドさせ、目星を付けていた動画へとページを飛ばした。

 

「ちなみに、こんなのもあるんだぜ」

「『スピカ特別菊花賞リベンジレース有記念直前杯』……? なんですの、これ」

「合宿に参加した、今年の菊花賞出走ウマ娘全員で模擬レースしたんだってよ。で、スピカメンバーでそのレースの振り返りをして、後輩らにフィードバックする……って企画。観る?」

「いえ、私は別に……」

 

 興味ない素振りをするにしては、ちら見し過ぎだろ……そう、ゴールドシップは苦笑した。

 

 『スピカ特別菊花賞リベンジレース有記念直前杯』。

 これはあくまで動画投稿者が便宜上付けた呼称であり、この模擬レース自体には正式名称は存在せず──そもそも、模擬レースにいちいち名前なんて付けていられない──クラシックを彷彿とさせる呼称に反して、チームスピカにとってのメリットが大きい練習メニューであった。

 

 実の所、後輩の入って来ていないチームスピカでは、後進を指導する機会が酷く乏しい。しかし、後輩の指導という経験の中で培われる替えのきかない知見は、スピカに所属するウマ娘達のまだまだ先が長いアスリート生活を考えれば大切なものである。

 元々、チームリギルの後輩ウマ娘──アフターマスをスピカで預かるという計画が立ち上がった理由の一端こそが、これであった。

 その貴重な経験を幾らか得られて、更には、同世代と自身との比較が全く出来ていないあるウマ娘のスランプ改善策にもなる……正にいい事尽くめな絶好の機会だと判断した沖野により、急遽提案されたのが動画内の大規模な模擬レースである。チームスピカのメンバー、後輩ウマ娘達、そしてそれぞれの担当トレーナーの全員が乗り気であった為に実現と相成った企画は、結果として全員に大きな利益を齎していた。

 とどめとばかりに、菊花賞に出走しなかったウマ娘も含む、合宿に参加した全クラシッククラスのウマ娘達による直接対決も開催されたりなど、クラシック戦線を熱心に追っていたウマ娘ファンからしても、夢のような模擬レースであった。

 

 正しくファン垂涎のレースであり──レースに真剣に向き合うメジロマックイーンのようなウマ娘にとっては、一見の価値ありと言える催しだ。

 はっきり言ってしまえば、メジロマックイーンがレース映像を観ないと言う方が不自然である。しかし、メジロマックイーンがそんな態度を取る理由にゴールドシップは心当たりがあった。

 

「なーに何時までも意地張ってんだよ。何があったのか知らねぇけどよ、別に動画観るくらい問題ねぇじゃねえか。誰とは言わねぇが、可愛い教え子なんだろ?」

「可愛くなんてありませんし教え子でもありませんっ、あんな未熟者!」

「……ちなみにゴルシちゃん、誰とは言ってねぇからな?」

「えっ? あっ……ごっ、ゴールドシップさん! 嵌めましたわねっ!?」

 

 ゴールドシップは友人のあまりのちょろさに、少しばかり心配になる。しっかり者ではあるのだが、随所がちょろい。大人ぶっていても、やっぱりちょろい。

 特に、スイーツやスポーツ観戦、仲間をはじめとした好きなものが絡んだ時は。

 そんな愛すべき性格をした親友に生暖かい目を向けて、動画を勝手に再生し始める。押し問答に時間を費やしても、ゴールドシップ的には何の得もない。

 

「みっ……観ませんわよ!」

「おっ、そうだな。……うーわ。全員、本当にすっげぇ目付きしてんな。肉食動物かよ……あ、レース始まったぜ」

「こっちに向けても、観ませんってば……観ませんわよ……本当に……」

「まあまあ、ちょっとしたリハビリだって。勝負勘取り戻さなきゃなんねぇんだろ? おっ。流石は()()()()()、位置取り上手ぇなぁ」

「えっ……どっ、何処に着きましたの?」

 

 何だよ、やっぱり気になるんじゃねぇか。ゴールドシップはそうにやけながら親友の様子を観察する。

 メジロ家の療養所に来る前に、実は既に一度、ゴールドシップは動画を観終えている。それでもわざわざ一芝居打ったのは、(ひとえ)に素直になれない親友のこんな姿を見たいが為だった。

 

 携帯端末の小さな液晶画面の中では、ウマ娘達が位置取りを終えた。今年の菊花賞の()()を勝ったウマ娘は、追い込みのセオリー通りに中団後方へと位置付けている。

 

「あの子は……またこんな走りをして……」

「……そういや、最初にアフターマスに走り方仕込んだの、マックイーンなんだろ? なんでこんな姿勢なんだ? 忍者アニメにでも嵌ってたのか?」

「姿勢? あ、いえ。()()()は自然とそうなったと申しますか……私は関係ありませんわね。と言うより、私と出会った当初は走ろうとするとバランスが取れずに転んでいましたので、技術がどうの以前の話でしたし」

 

 動画の中で走る一人のウマ娘を通じて、幼い頃の思い出を懐かしむメジロマックイーンへ、ゴールドシップはつい優しい目を向けそうになった。

 幼少期の思い出というものは大切なものだと思うし、ゴールドシップ自身大切にしているものでもある。そもそも、自身の在り方だって幼少期の影響が強いかもしれないのだ。

 思い出を軽視する気は起きないし、それに浸る人間には親近感が湧いてしまう。それが特に仲の良い友人であれば、尚のことだ。

 

 メジロマックイーンが動画に集中し、そんな様子をゴールドシップが観察する。そんな時間が僅かばかり過ぎて、動画内のレースは終わりを迎えた。

 結果は、今年の『菊花賞』本番と殆ど同様だった。やはり、今年の三冠の締め括りは、彼女達の世代の総決算だったのだろう。タイムに変動こそあれど、上位五人──掲示板に乗る人数──の順位に変化なし……全員が常にベストを尽くしていなければ、こんな結果にはならない。

 

 再生の終わった画面を数瞬ばかりじっと見詰めた後、メジロマックイーンは口を開いた。

 

「……ゴールドシップさん。今から並走出来まして?」

「出来るっちゃ出来るが……()()()がやりたいなら、今のマックイーンじゃ相手になんねぇぞ?」

 

 動画のウマ娘達に触発されたのか、それ以外に思う所があったのか。急に並走を願い出たメジロマックイーンへと、ゴールドシップは残酷なまでの事実を告げた。

 メジロマックイーンの目はリハビリの為に付き添う走り──ではなく、ゴールドシップの全力の走りを求めている。

 しかし、ゴールドシップはGIウマ娘の中でも突出したウマ娘の一人である。いくらメジロマックイーンが冗談のように強いウマ娘と言えど、病気療養中にまともな勝負が成立する道理はない。GIウマ娘とは、そんな生易しい存在ではないのだ。

 

「ええ、わかってます。私はそれでも、本気で一度走っておきたいのです。メジロ家のウマ娘として、一日でも早く私自身の走りを取り戻す為に」

「うーん……まあ、構わねぇんだけどよ、体に障るくらいの全力はなしだぜ?」

 

 本番レース直前のような目で頷いたメジロマックイーンへと、ゴールドシップは肩を落とした。

 

 ずっと療養所に篭もりっぱなしの友人の、良い気晴らしになるかな……そう思って観せた動画は、想像以上に友人に火を着けてしまったらしい。やっちまったなぁ……と思いながら、走る量の調整が大変そうだと内心で愚痴る。

 勿論、ゴールドシップは友人の為に手を抜く気はない。それにそもそも、今のメジロマックイーンでは体に障る程の全力は出せないだろう。リハビリを必死に続けていても、筋力と体力の低下は著しい。

 

 それでも、ゴールドシップとしては判断を誤ったなと思わざるを得ないのだ。

 メジロマックイーンが沖野からの頼み──迷走しているアフターマスへのアドバイスを断り続ける理由。

 それは、一度は走る事そのものを諦めてしまった情けない自分自身ではなく、メジロ家としての自分で、幼い頃に懐へと入れた少女と向き合う為。自分を見失っている少女へ、見本となるべき姿で再会する為。

 メジロマックイーンは、生来のリーダー気質を持ったウマ娘である。()()くして、メジロ家らしいウマ娘になった少女である。

 その意味の重さを、ゴールドシップは測り間違えてしまったのだった。

 

「しゃーねーなー。でもさ、おめぇ……多分、今んままでも伝わるもん色々とあると思うぜ? テイオーだって寂しがってたしよ。なんなら今からでもアタシと合宿参加しねぇか? あと二、三日しかねぇけど、きっと楽しいぜ?」

「止めておきますわ。今の私が参加しても、練習のお邪魔になるだけですし。……そう言えば、ゴールドシップさんはどうして合宿に参加なさらなかったんですの? 私のリハビリに付き合って下さる為……だけではありませんよね?」

「どうしてって、そりゃおめぇ……このゴールドシップ様が()()()()になるような事する訳あるめぇよ」

 

 マックイーンの顔だって見たかったしな。そう宣ったゴールドシップへと、メジロマックイーンは呆れ顔を返す。お調子者のこの友人は、眉目が整っているので、()()な台詞が無駄に似合う。そしてゴールドシップ本人も、それを自覚している節が多分にあった。

 恐らく、煙に巻こうとしているのだろう。特に追求するような話でもないので、メジロマックイーンは釣られておく事にした。大丈夫だとは思うが、臍を曲げられて並走の約束を反故にされたくはない。

 

「まあ、ゴールドシップさんにはゴールドシップさんの考えがありますわよね。でも、あまり皆さんを困らせるものではありませんよ?」

「大丈夫大丈夫。ゴルシちゃんは最善の未来へ向けて日夜邁進してっからよ。敬愛するどじっ子系堅物お嬢様のマックイーンみたいに、トレーニング前にスイーツ食い過ぎて腹痛起こしたり、体重増え過ぎて絶叫したりはしないぜ。信頼と実績のゴルマークは安心の証ってな。あっ、今はあんまカロリー消費出来ねぇんだから、甘いもん食いすぎんなよ?」

「ご心配下さり有難うございますっ、でもそんなキャラになった覚えはありませんし、そんな事した覚えもありませんわ!」

 

 小さく角を立ててみせたメジロマックイーンだが、実際は笑いながら悪びれるゴールドシップへと不快感を感じていない。

 ゴールドシップが、悪戯小僧のような憎めなさをしているせいだ。或いは、何故か自分よりも遥かに幼い少女と相対している錯覚に陥るからか。

 これだけ付き合いがあって厳密な学年を知らないのは不思議な話だが、メジロマックイーンからすればゴールドシップは殆ど歳の変わらない相手である。間違えても、自分よりゴールドシップの方が遥かに年下である……なんて事はない。

 

「……お? 動画のコメント結構あんじゃん。アタシが観た時はこんなになかったぜ。並走、ちょっとこれ見てからで良いか?」

「それは構いませんが……さてはゴールドシップさん、また私を嵌めましたわね? 本当は貴方、先に動画を観ていたでしょう」

「ゴルシちゃん、ちょっと何言ってるのかわかんなーい! 合宿に遅刻したお詫びに、スピカの皆にファンの声を届けなきゃだからぁ、真面目にコメント読まなきゃだしね!」

「……悪い事は言いませんので、その話し方やめた方が良いですわよ。似合ってる似合ってないではなく、純粋に怖いですわ」

「ひっでぇ」

 

 ゴールドシップは笑いながら、動画のコメント欄を開いた。一人で見るのは気が咎めたのか、メジロマックイーンにも見えるよう端末が傾けられている。

 黒地に白の文字は、動画投稿サイトを初めとしたメディア媒体に疎いメジロマックイーンには、少し見難かった。

 

「こういったものには、どんな事が載ってますの?」

「ん? マックイーン、もしかしてこういうの見んの初めて?」

「初めて……という訳ではありませんが、あまり見た事ありませんわね。必要な映像資料等は、学園やメジロの資料室で大体事足りますし」

「……学園の資料室と()()張れる資料室があるお前ん家、やっぱ色々と可笑しいわ」

 

 ゴールドシップは顔を引き攣らせながら、メジロマックイーンにちょっと待ってくれよ……と言いながら携帯端末を自分だけに向け直した。

 メジロマックイーンがこう言った物を殆ど見た事がない……という事は、彼女はネットのあれこれに耐性の低い()()()()である可能性があった。むしろ、育ちの良さを考えればその可能性が高い。

 もし見せた動画コメントに誹謗中傷の類があった場合、色々と取り返しのつかない事になるだろう。そうあっては、何だかんだでメジロマックイーンを溺愛しているメジロ家の現当主に殺されかねない。

 ゴールドシップは自身の身の安全と友人の心の健康の為、そう言ったコメントが載っていないかを先に確認する事にした。自分だけで見て終えても良いのだが……それでは、締りが悪い。

 

 無言で画面をスクロールして行く。概ね好意的なコメントばかりで、たまに『最弱世代』を嘲るようなコメントが散見されたので、後で通報しておく事にする。

 メジロマックイーンに見せるのは、好意的なコメントばかりが集まった辺りだけで良いだろう。そう思いながら、コメント欄の最下部へと指を走らせて──ゴールドシップは、動きを止めた。思わず、真顔になる。

 

「どっ……どうしましたの?」

「わっりぃ、マックイーン。アタシ、トレーナーから割と大事な用事頼まれてたの、思いっ切り忘れてたわ。並走、やっぱりなしにして貰って良いか?」

「えっ、ええ。それは勿論構いませんが……大丈夫ですの?」

「大丈夫大丈夫……って言いたいんだけど、今から車回して貰えたりしねぇかな? ゴルシちゃん、ちょっと焦ってますわ」

「よくわかりませんが……じいや、ゴールドシップさんに車を手配して頂けるかしら?」

「畏まりました、お嬢様」

「……どうしてゴールドシップさんが返事してますの?」

 

 へへっ、ついな。それじゃ、また遊ぼうぜ。そう言って、ゴールドシップはじいやに案内されながら部屋を出て行った。

 車の手配と言っても、メジロ家の療養所には専属の運転手が常に待機している。ゴールドシップが療養所を出るまで、時間は一切掛からないだろう。

 何時会っても、本当に嵐のような少女である。『黄金の不沈艦』と渾名される少女であるが……どちらかと言えば、船を沈める側の存在ではないだろうか。そう思わずには居られない。

 

 こくこくこくと、部屋の壁掛け時計の音が時を刻む。

 リハビリに向かうのは、じいやが帰って来てからで良いだろう。ほんの少しだけ出来た、空白の時間。

 基本的にスケジュールを組んで動くメジロマックイーンにとって、珍しいひと時だった。それ故に、こんな場合の時間の潰し方が特に思い付かないのだ──普段ならば。

 

 メジロマックイーンは自身の携帯端末を取り出して、検索アプリを覚束ない手で立ち上げる。そのまま検索窓へと先程覚えた検索ワードを打ち込んだ。文字列は勿論、『スピカ特別菊花賞リベンジレース有記念直前杯』。

 先程観た動画のコメント欄を見てから、ゴールドシップの態度があからさまに変化したのだ。その原因は恐らく、そこにあるのだろう。

 普段のメジロマックイーンなら、そんな人を探る様な事はしないのだが……この時ばかりは、ゴールドシップに影響されたのか、悪戯心がふつふつと込み上げていた。中途半端に仲間の話をしたせいで、仲間達を感じられる何かが恋しくなったのかもしれない。

 

 目的の動画ページが開き、コメント欄を開くバナーを見付けた。ほんのちょっぴりの背徳感を感じながら、メジロマックイーンはそれをクリックした。

 表示された文字列は、スピカの仲間達のファンだと思われる人々の好意的なコメントばかりだ。まるで自分の事のように誇らしくなる。

 ……これを下にスクロールすれば、ゴールドシップが見た何かがあるのだろうか。そう思って、画面に指を添え──。

 

「──きゃっ!? な、なんですの……?」

 

 画面が、急激に下に向けて動いた。うっかり端にある大きな矢印に触れてしまったが、それがいけなかったのだろうか。

 慣れない操作に少しだけびくつきながら、メジロマックイーンは画面を確認する。

 しかし、新しく表示されたコメントもやはり、好意的なものばかりだ。他の視聴者に話を聞こうとするコメントまであった……が、ゴールドシップが顔を変えるような、特別変わった内容のものは見受けられなかった。自分の思い過ごしだろうか。

 

 部屋の扉がノックされ、ゴールドシップを送りに行ったじいやの声がした。携帯端末の画面を閉じて、入室を促す。

 

「失礼致します、お嬢様。ゴールドシップ様をお送りして参りました」

「有難う、じいや。ゴールドシップさんは何か仰ってたかしら?」

「はい。感謝のお言葉を言伝かっております。それと、この数日間、楽しかったとの旨を」

「ふふっ……早く日常を取り戻す為にも、リハビリを頑張りませんとね。じいや」

「はい、お嬢様。準備は出来ております」

 

 老齢な従者に連れられて、今度はメジロマックイーンが部屋を後にした。扉が締まる音に締め付けられて、壁掛け時計の音が遠ざかる。

 一日でも早く日常へと戻る為に、メジロマックイーンは今日も努力を惜しまない。肉体ではなく精神をくたくたにしながら、前に進むのだ。

 昨日までは親友の一人が付き添ってくれたが、ここから暫くは一人の戦いだ。しかし、メジロ家としての誇りを思えば、そんなもの苦にもならない。

 ウマ娘にとって本当に辛いのは、自分らしく走れない事だから。先程、動画で観た未熟者がやっていた様に。

 

 ……ふと、メジロマックイーンは思い立って口を開いた。

 

「じいや、そう言えば知っているかしら? 最近の出版社というのは、個人の動画にまで取材を行うみたいですわよ」

「そうで御座いましたか。時代は移り行くものですね。私のような古い人間には、考えも及びませんでした」

「じいやはまだまだ若いですわよ。ずっと私を支えて下さいね? 頼りにしていますわよ」

「畏まりました。老骨には勿体ないお言葉ですが、一日でも長くお嬢様を支えるよう精進致します」

 

 幼い頃から付き合いのあった従者の返事に、メジロマックイーンは人知れず胸を撫で下ろした。子供っぽい感情だとは自覚があるので、表には出さない。

 

 移り変わるもの。不変であるもの。メジロ家はその両方を見詰め続ける一族だ。何方が良い悪いではなく、何方も人々の血が通い、成立しているものだ。メジロ家のウマ娘たるもの、その両方へと寄り添い続けるのみである。

 

 ……しかし、自身はメディア関連に疎いと改めて気付く、一日の始まり方であった。

 ゴールドシップが見せてくれるまで、あんな風に一つの動画を通じてファン同士が活発なやり取り行っているとは思いもしなかった。

 ましてや、そこに出版社という経済活動が絡む存在も参加しているなんて考えも及ばなかったし、先程見た編集部の名前だって、まるで聞き覚えのない雑誌のものだった。大手なら粗方覚えているつもりだったが……アフターマスを未熟者と評した癖に、自分だってまだまだ精進が足りない。

 

 ──恐れ入ります。『週刊現代ターフ』編集部です。ご投稿された動画に関して、お伺いしたい点が御座います。お時間を頂く事は可能でしょうか。

 

 スピカへと興味を持ってくれたらしい出版社のコメントを一瞬だけ脳裏に浮かべてから、メジロマックイーンは自身のスイッチを切り替えた。いつまでも、気を抜いた時間を続ける訳にはいかない。

 スイッチを切り替えれば、自分はメジロのウマ娘である。常に人々の期待に応え続ける、誇り高きウマ娘である。差し当っては、自身の復帰を期待してくれる人々の為に全力を尽くす。

 メジロ家足るもの、常に優雅に……人々へ夢を魅せる存在でなければならないのだから。



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第15話 嵐の中の航路

いつもご愛読頂き、本当にありがとうございます。皆様のお陰で総合評価16,000ptに到達しました。今後も励んで参ります。

あと、今回はいつもより、ほんの6,000文字だけ文字数が多いです。
計16,000文字ちょいですが、16,000pt記念で頑張っちゃったんだなぁ……くらいの感覚でお許し頂ければ幸いです。

2021/11/21 追記
物語の展開上、今話には不愉快な描写が入ります。展開の関係でどうしても回収は後になりますが、テーマの兼ね合い等もありますのでご容赦下さい。


 緑の地平へ踏み込む。体が風を切り、一歩一歩が限界の先へと進もうとする。

 フェンスやベンチ、ハロン棒(距離の標識)が流れて行く。高速の中にある世界を、とにかく必死で遮二無二駆ける。けれど不思議なくらい限界の先へは進めなくて、何なら菊花賞の日に見えた景色すら、今の俺には果てしなく遠い。

 

 脳裏に()の姿を思い浮かべる。ストライド走法とも、ピッチ走法とも違う不思議な走り。異常に長いストライド。けれど、脚周りの回転速度は、間違いなくピッチ走法のそれだった。

 俺とよく似ているのに、少しだけ何かが違うフォーム。少しの違いで、結果的に別物となっている綺麗な走法。

 

 前世の俺は馬だけど、まだ中身は人間だった。だから、馬である()の走りの特異さなんて、あんまり気付けなかった。

 そもそも、()は──ディープインパクトは、本番のレースにしか現れない。()()()には姿を見せない。つまりは、彼奴が現れる時、俺は常にぼろぼろになる。彼奴の走りを、細かく観察する余裕なんてなかった。

 

 菊花賞で瞼の裏に焼き付いた完璧な走り。俺が先輩方と育て抜いたつもりだった走り。俺こそが先輩方の後継者である──そう誇れる筈だった名残(なごり)の、その先。それがディープインパクトの走り。

 ストライド走法とピッチ走法の合わせ技。そんなの、本当にずるいと思う。

 ストライドの長さとピッチの速さ──その乗算こそが、俺達競走馬の速さの正体だ。何方かを選べば、何方かが選べない。それが常識なのだ。

 

 一歩を踏み込む。前へと進む。ここの練習場は日が沈むと、大きなスタンドライトが灯るから有難い。

 学園でもライトは灯る。しかし、先輩方に練習場を見張られた時には、明かりの無い近所の公園を走っている。真っ暗闇の中を、倒れる限界を見極めながらのトレーニングは……なんと言うか、普通に怖い。明かりが有るだけで、世界が優しくなったように感じる。

 

 今の俺にとっての最高速へ辿り着く。一歩一歩の間隔が均等になって、とっとっとっと音が(なだ)らかになる。きちんと走れている証拠。でも、これじゃ駄目なのだ。もっと接地時間を減らして、脚の回転数を上げなければ。

 背中の関節を小刻みにしならせて、脚を持ち上げる補助をする。ぐんと、重心が前に寄る。体幹がぶれて、バランスを崩す。転ける前に、上体を起こして脚を止める。

 また失敗した。どうすれば、俺は()()()()になれるのだろう。

 原理だけなら、少し分かる。でも分かるだけで、実際に出来るかは別の問題だ。『英雄』の一端を確かに掴んでいる感覚はあるが、それでも正解が分からない。

 今はとにかく、スランプが邪魔だ。自分の元々のフォームだって、少しずつ思い出せなくなる。走りの中で、記憶まで風に吹き飛ばされているのだろうか。俺の見付けるべき()()が、まだ何処かへ消えていない事を祈るばかりだ。

 

 だけど、世の中ままならない。

 

 最近ずっと怠け者をしていたせいで、体が鈍っているのだろうか。まだ全然練習出来ていないのに、酷く疲れてしまった。

 折角、沖野トレーナーに頼み込んで、練習終わりから晩御飯までの制限付きで、久し振りの自主練習を許可して貰ったんだ。有まで残り十日を切っている。今すぐにでも、もっと……もっと速くならなければならない。皆の誇りにならなければならない。

 なのに、俺の体はわからず屋だ。言う事を聞いてくれない。ゆっくりと、尻餅をつくみたいに、芝の上へと座り込んだ。

 

 とても格好が悪い。誰かに見られていたら嫌だなと思う……なんて思っていたのが悪いのか。誰かが小走りで近付いてくる気配があった。

 

「──ちょっ……だっ、大丈夫!?」

「あっ……えっと、大丈夫。ごめん、格好悪い所見せた」

「いや、勝手に覗いてたの僕だし……と言うか本当に大丈夫? 怪我してない?」

 

 暗闇に灯るスタンドライト。あちこちから影が落ちてくる中で、何となく本人が影そのものみたいなウマ娘。

 いつも藍染色の子と一緒に居る少女が、此方へと手を伸ばした。俺は有難くその手を取って、立ち上がる。

 感謝を一言述べれば、いやぁ……なんて返事が返ってきて──そのまま、沈黙が始まった。

 また、何か怒らせてしまう事をしてしまったのだろうか。影みたいな子は何かを言おうと口をもごもごさせているだけで、何も事態は進まない。

 勇気を出して、口を開いてみる。

 

「えっと……俺に何か用事だったりする?」

「えっ!? あっ、いや、べっつにー? 練習頑張ってるなと思ってね! 特に用事はないよ! うん、ない! それじゃあ、僕はこの辺で──」

「──いや、幾ら何でもここまで来て逃げるのは無しでしょ」

 

 少女が来た方向から声が飛んで来た。目を向ければ、やはりと言うべきか。藍染色の子と、その友達の片割れの姿があった。

 藍染色の大きなリボンと、薔薇の絵の髪留め。仄暗いターフでは、二人が着けている装飾品は浮いて見える。

 

「ぐぬぬぬぬ……でも、思ってた以上に抵抗があると言うか、言ったら取り返しがつかなくなるというか……!」

「ほら、あんたも人の事言えないじゃない。変な拘り変な拘り」

「何をうっ!?」

「じゃあ、アンタは後回しという事で」

 

 ほら、言いたい事が有るんでしょ。そう言いながら、藍染色の子が薔薇の髪留めの子を前へと促す。背筋がぴんっ……と伸びた育ちの良さそうな少女は、「それでは私から」と呟きながら、俺の前へと進み出た。

 そして──沈黙。

 

「いやっ、アンタも!?」

「何と申しますか……こう、いえ。私が間違えているのは分かっております。ですので……はい」

「はい、じゃないわよ。何も進んでないじゃない!」

「そう言ったって、結構覚悟が要るんだよ! そう思うなら君から行きなよ! その間に僕達も覚悟決め直すからさぁ!」

 

 薔薇の髪留めの子が横へと退き、今度は藍染色の子が俺の前に立った。

 今度は溜息を吐きながら、口を開いた。

 

「菊花賞の後、暴言吐いてごめん。でも死ね妖怪ターボポニー」

 

 別に気にしてないから良いよ──そう言おうとして、謝罪の後に続いた暴言に口をあんぐりと開いた。

 これはどういう反応をするのが正解なのだろうか。笑えばいいのだろうか。ちょっとこんな経験は初めてで、どうすれば良いのか本気で分からない。

 俺が心底困り果てていると、影のような子が目を細めて呆れた顔をした。

 

「……それ、本当に謝った事になると思う?」

「私の国ではなるわね」

「なりませんよ……幾らサブカルチャー大国の日本と言えど、そんな特殊な謝罪方式はまかり通らない筈ですわ……」

「えっと……コントを見せに来てくれたの?」

「違うっ! 僕らは……あー、もうっ!」

 

 影のような子が、決心を決めた目をして此方へと向き合う。何となく、俺も背筋が伸びた。何を言われるのだろうか。

 

「菊花賞の後、いけずしてごめんなさい!」

 

 がばっと、勢い良く頭を下げられた。何の事か分からず、暫く脳が停止して──思わず、あっ……と声が漏れる。

 

「別に気にしてないって言うか……急にファンサービス考えといてって言われて困ったけど、俺も結局何も出来なかったし」

「いや、そっちじゃなくて……いや、そっちもなんだけど……とにかく、嫌がらせしてごめん!」

 

 レース直後で気が立ってたんだ! 本当にごめん!

 影のような少女は少しだけ顔を上げてから、そう言って再び頭を下げる。真剣に謝ってくれているのは伝わってくるが、正直何の事か思い付かなくて困ってしまう。

 菊花賞の後……と言われても、その時はディープインパクトの走りで頭がいっぱいで、悔しくて、不甲斐なくて、悲しくて……とにかく、まともに物事を考えられていなかったのだ。改まって謝られても、むしろ此方が申し訳なくなる。

 頭を上げてくれるよう言おうとして……見事にタイミングを逃した。今度は薔薇の子が頭を下げる。

 

「あの……私も、申し訳ありません。動画の件、揶揄うのは悪質でした。本当にごめんなさい」

「動画……動画……あ、『ユメヲカケル』の。いや、別に二人とも……三人とも? 全く気にしてないよ、本当に。だから頭を上げて欲しいなって」

 

 頼みを聞き入れてくれて、二人は恐る恐ると言った様子で頭を上げてくれた。

 そして、そんな二人へと胸を張り、堂々と反応を返す──藍染色の子が。

 

「ほら、だから言ったじゃない。こいつにそんな心配要らないって。こいつを誰だと思ってんの」

「いや、なんで君が偉そうなのさ……?」

「貴方は此方(謝る)側ですよ?」

 

 二人から藍染色の子へと突っ込みが入る。こんな事を引き摺って欲しくない俺としては、少しでも普段通りにしてくれていた方が有り難い。

 普段の三人の様子は全然知らないが、菊花賞の時とこの短時間とで、何となく透けて見えるようだった。

 しかし、表面上は明るくとも、目がまだ後ろめたそうに垂れている。俺としては、精神年齢がずっと下の少女達にこんな風に接されると、罪悪感でいっぱいになってしまう。

 ここは冗談交じりで、良い感じに収めるのが大人の対応と言うやつだろうか。

 

「えっと……それじゃあ、許す代わりに俺と友達になってくれたら嬉しいなー……なんて」

「ごめん、()()()()()()()なんだ。本当にごめん、敵のままで居させて欲しい」

「私は別に大丈夫ですが……いえ。私も、やはりまだ敵対者のままでお願い致します。身勝手とは承知の上ですが……」

 

 勇気を出して切り出した()()は、物の見事に振られてしまった。俺はどれだけ嫌われているのだろうか。

 ここまですっぱりと断られるとは思っていなかったので、呆然としながら最後の一人──藍染色の子へと目を向ける。この子に関しては何となく、答えが分かりきっているが。

 

「こっち見んな」

 

 ああ、そうだよね。君はそんな子だよね。むしろなんか安心した……そう口から出掛けたが、ぐっと飲み込んだ。

 この子は名前を覚えるなと言ってきたのだから、パーソナリティを覚えられるのも嫌がるだろう。俺は大人なので、それ相応の判断をしなければならない。

 ……と言うより、藍染色の子は何となく機嫌が悪いように見えるので、触れるのは賢い選択とは思えなかった。

 俺はぼんやりと空を見上げて──雲だらけで真っ平らな空に、心の中で悪態を吐いた。今日は雲が多過ぎて、空が逆にのっぺりして見える。日没直後の暗さが、雲の境目をあやふやにしているようだった。

 

 心の中で溜め息を一つ吐く。顔を戻して、気にしてない旨を再度伝える。

 もうこうなっては、居た堪れない空気が出ないよう必死になるくらいしか、俺に出来る事はない。どっちが謝ってるのか分からなくなるくらいの身振り手振りを交えて、友達云々は冗談である事と、菊花賞云々なんて本当に気にしていない事を全力で伝える。

 しかし向こうも負けじと謝罪の弾丸を返して来るので、真っ暗なターフの上はいつの間にか、謝罪合戦の様相を呈してしまっていた。

 

 ぼんやりとしたスタンドライトの間接光には似つかわしくない、音域の異なる少女達の声が、賑やかに辺りへと響いている。

 今は他に利用者が居ないので、迷惑を考えなくても良い事だけが救いだ。この時間帯は利用者以外立ち入り禁止なので、この薄明かりの下には俺達以外誰も居ない筈である。

 

 沖野トレーナーとの約束の時間まで、まだ少しの猶予があるのに、もうすっかり練習する気分では無くなってしまった──が。

 何故だか不思議と、最近では覚えがない程に気分が軽い。

 目上の人以外と接したのが久し振りだからかもしれない。本当に何となくだが、居心地が良い。思わず、天然物のポーカーフェイスが崩れてしまいそうな程に。

 俺はこうもちょろかったのだろうか。そう悩んで……答えが出ないので、気にしない事にした。

 

 少女達の青春の声が、山間へと溶けて行く。

 仲良しグループと言うのは、何となく羨ましい。チームリギルの先輩方は元気だろうか。少しだけ、ホームシックになる。

 もし俺が強くて、『菊花賞』で()を倒せていれば、俺もリギルの合宿に参加していたのだろうか。スピカの合宿に文句はないが、リギルの合宿に心残りがないと言えば、嘘になる。

 だって俺は、チームリギルのウマ娘(競走馬)なのだから。

 リギルの仲間が恋しくなるのは、当たり前だろう。

 

 ──そう心で独りごちた瞬間。

 そんな俺の独白は、()()()っと言う軽い音と、強い光に掻き消された。

 暗闇に慣れていた目が、一瞬で眩む感覚。これは……カメラのフラッシュだろうか。前世でも嫌いだった、瞬間的な強い光。

 その後も数度、かしゃかしゃと音が鳴り、光が瞬きながら近付いてくる。

 堪らず、手で目を覆い隠す。すぐ側から、苛立った声が飛ぶ。

 

「誰だよ、フラッシュ炊いてんの! っていうか、勝手に写真撮んな!」

 

 影のような子の声が届いたのか、シャッター音と光が止む。

 恐る恐る光の向いていた方向へと目を向ければ、見知らぬ男性が大きなカメラを携え、此方へと歩み寄って来ていた。胸ポケットでは赤い小さなランプがちかちかと光っている。

 俺の勘違いじゃなければ、何処かの記者さんだろう──男性は、そんな風貌をしていた。

 

「いやあ、すいませんね。偶然凄い場面に出会(でくわ)してしまったもので、つい反射的にカメラを構えてしまいました。あ。私、こういう者です」

 

 男性が胸ポケットから一枚の紙を取り出し、差し出して来る。暗くて咄嗟には分からなかったが、名刺だった。俺に向けられているので、流れで俺が受け取る。

 四人でそれを覗き込めば、そこには『週刊現代ターフ』の文字と、男性の身分と名前が記載されていた。

 

「……()()()の記者が、私達に何の用な訳? てか、今の時間は施設利用者以外立ち入り禁止なんだけど」

「おっと、そうでしたか。それは存じませんでしたね。後で施設管理者へ謝罪させて頂きますよ、ええ。私もね、ネットに投稿されている動画で皆さんの姿を見て飛んで来たもんですから、施設の規則まで気が回らなかったもんで」

「えっと……それはご苦労様です……?」

 

 記者さんを労ったら、藍染色の子に背中を小さく捻られた。目を向ければ、鋭い眼差しが返って来る。

 頓珍漢な事を言うくらいなら黙っておけ……そう目が物語っていた。俺は口を閉じる事にする。

 少しだけ、藍染色の子が俺より前に出た。それを無視して、記者さんは俺へと目を向ける。

 

「ああっ、お会い出来て光栄ですアフターマスさん! どうやってもトレセン学園さんが取材許可を下さらなかったもんで、こうして直接お伺いさせて頂きました! ご気分を害されたなら申し訳ない!」

「よくもまあ抜け抜けと。あんな糞みたいな記事を書いておいて、こいつに取材しようなんて神経疑うわ。そんなんだからトレセンから出禁にされるのよ、アンタら。お願いだから私達に関わらないでくれない? 厄が移るわ」

「ははっ、これは手厳しい。しかし今日は皆さんにではなく、アフターマスさん個人に取材したくて伺ったんですよ」

「あっそう、でも残念。こいつ含めて、私達全員もう門限なの。後日、きちんと学園やトレーナーを通してから出直しなさい。行くわよ、アンタ達」

 

 藍染色の子が吐き捨てて、練習用コースの出口へと体を向ける。薔薇の髪留めの子に手を掴まれて、俺もそちらへと引っ張られる。後ろからは影のような子が歩幅を合わせて来て、俺の傍に寄った。

 

 ……そして、またかしゃりと言う音と、強い光が後ろから飛んで来る。

 影のような子が苛ついた様子で、肩越しに後ろを睨み付けた。薔薇の髪留めの子も足を止めて振り向いており、いつもの笑顔が鳴りを潜めている。

 

「……勝手に写真撮らないで貰えるかな。あと、ウマ娘相手にフラッシュ炊くの止めろ」

「ああ、これは申し訳ない。しかし、私も仕事で此処に来たもんで、僅かなスクープも撮り逃す訳にはいかんのですよ。その為には、夜間の撮影だとどうしてもフラッシュが必要でしてね」

「スクープと仰られますが、現代ターフさんが未成年者を無断撮影する変質者を雇っているという事くらいしか、此処にニュースなんて御座いませんが」

「いえいえ、そんな事ありませんよ。実はですね、弊社の出版物の愛読者から、最弱世代はわざとアフターマスに勝ちを譲ってるんじゃないか……なんて声が挙がってましてね? 我々としましても、これは真実を追及するべきだな……と思い此方へと赴かせて頂いたのです。すると丁度皆さんが仲睦まじそうに為さっていたので、これはもしやと思いましてね」

「……えっ?」

 

 思わず、大きく体を記者さんへと向けてしまう。記者さんは殊更に笑みを深めて、俺へと視線を縫い止めた。

 

「実際、世間の皆さんがそう疑っても仕方がないでしょう? 無敗の三冠は不可能だ……なんて世論が固まりつつある中で、アフターマスさんのようなウマ娘が生まれる? それはあまりにも都合が良過ぎやしませんか。アフターマスさんのご実家は名家ですし、本当はURAやトレセンと絵を描いたんじゃないですか? ご同期の故障も、アフターマスさんに非協力的なウマ娘を潰す為に画策された事なのでは?」

「──お前ぇっ!」

 

 影のような子が記者さんへと掴みかかろうとする。それをいつの間にか歩み寄っていた藍染色の子と、俺から手を離した薔薇の髪留めの子が掴んで止めた。

 俺は……正直、ちょっと現状に置いてけぼりだ。頭が記者さんの台詞を処理し切れていない。俺は今日までずっと本気で走って、それでディープインパクト以外のウマ娘達には勝って来た筈だ。色んな方の手を煩わせてまで伸ばした自力で、()()()を勝ち取って来た筈なんだ。

 なのに、どうしてそんな事を言われなければならないのだろう。

 

 とても静かな──俺が聞いた事のないくらい静かな声で、藍染色の子は口を開いた。少女の声には震え一つなくて、何を考えているのか分からない。

 

「アンタ、それ本気で言ってる?」

「おっと、怒らないで頂きたいですね。私の意見ではなく、読者の声と言うやつですよ」

「そう……アンタの所、腐った人間しか集まらないのね。良く分かったわ」

 

 放っておいて行きましょう。藍染色の子が再度そう声掛けを行い──記者さんがそれを邪魔するように口を開く。

 

「そんな風に馴れ合ってるから、世間からそう思われるんじゃないですか? 結局は、皆さんがそうやって足並みを揃えているから、()()()()()()()()()()()なんて客寄せパンダを生み出さなきゃいけなくなるくらい、日本のウマ娘のレベルが低下したんじゃないですか?」

「……なんですって?」

 

 釣れた──そう言いたげな顔を記者さんは浮かべる。藍染色の子は、それをぎろりと睨み返した。

 びくりとして思わず視線を逸らした先で、スタンドライトがターフの上に落とした影が、ゆらゆらと揺れたように見えた。

 

「結局の所、いつも最後に行き着く先はウマ娘同士の庇い合いじゃないですか。そんなんだからいつまで経っても、諸外国から日本のウマ娘が下に見られるんですよ」

「アンタ、ウマ娘の事ろくに知らないでしょ。海外と日本とじゃ芝の状態からレース場の形状までまるで違う。なんなら、芝よりダートの方が盛んな国だってあるわ。下に見られる? そんなつまらない事を本気で信じてる方がよっぽど()よ」

「本当にそんな事が関係あると思いますか? 今と違って知識も設備もろくに揃っていない時代に、世界と果敢に競い合った先達へ申し訳ないと思わないんですか? 私が思うに、近年のレベルの停滞は、貴女方のそんな弱さが招いていると思うんですよ。いつまで経っても変わらないウマ娘のその姿勢こそが、()()()弱くしてるんですよ。貴方の仰ったそれは言い訳に過ぎない」

 

 徐々に空気が詰まっていく感覚。良くない方向に状況が白熱してしまっているが、俺が口を開くと余計にややこしくなる……それだけは何となく分かるので、静観する。

 記者さんがこうも饒舌なのは、少しでも俺達に話をさせて、音声データを集める為だろう。ずっと記者さんの胸ポケットでちかちか光っている赤いランプが、悪意の塊のように感じる。信じられない事に、今の時代は音声さえあれば、切り抜きと編纂で何でも捏造出来るらしい……と、以前ネットで学んだ事がある。

 なので、さっきからずっと録音中と思われる()()()()()()()()を、何とかどさくさ紛れに回収したい……そう考えていると、記者さんと目が合ってしまった。薄気味悪く、にこりと笑い掛けられる。

 

「アフターマスさんもそう思われるから、リギルから()()したんですよね?」

「離脱? そんなのしてませんが……」

「ではどうしてこんな所にいらっしゃるんですか? リギルは現在、別の場所で合宿を行っているじゃないですか。リギルに見限られてスピカに移籍した……そんな噂が流れていますが、それは事実なのではないですか?」

 

 見限られて離脱。そんな未来を想像してしまい、ぞっとする。

 確かにこのままディープインパクトになれないと、いつかはそんな未来が来るだろう。だけど、それは今じゃない。まだ来ていない。そもそも俺が此処に居るのは俺の馬鹿さ加減が原因だ。

 だから、見捨てられるのは今じゃない……筈だ。

 

 ──本当に? もうクラシック三冠も終わったぞ? それでも、お前はディープインパクトに勝てなかったんだぞ? ただの一度も、影さえ踏めずに。

 

「──煩いな。お前、本当に鬱陶しいよ。ごめん、アフターマス。ちょっと警察呼んで来てくれない? 多分その辺に居るから。それか、誰かトレーナーでも良いんだけどさ」

「……そうやって逃がすんですね? 自分達の()()に傷が付かないように──」

「黙れよ。お前に僕達の何が分かるって言うんだ。外野が口挟むなよ。これは僕達だけの問題だろうが。それにさっきから聞いてりゃ、こいつと馴れ合う? 庇い合う? そんなの僕らがする訳ないだろうが。そんな事したら、僕らは二度とこいつに()()()()()()だろうがよ」

 

 影のような子の空気が変わって行くのを感じる。苛立ちから怒気への変遷。空気が熱されていく。

 それを──薔薇の髪留めの子が肩へと手を置き、後ろへ下げた。

 

「一旦、落ち着いた方が貴方らしいですよ?」

「……ごめん。ありがとう」

「最弱世代は、自分の感情もコントロール出来ないウマ娘ばかりなんですね。失礼」

 

 かしゃりと、何度目か分からないシャッター音とフラッシュ。

 

「ええ、そうですね。レースをバ鹿にされてお行儀良く出来る程、私達も余裕がある訳ではありませんので。貴方はご存知ないかもしれませんが、私達ウマ娘は全てのレースに誇りを賭けて挑んでいますから」

「成程、素晴らしい心構えだとは思いますね。ですが、貴女方の誇りに如何程の価値があるんですか? 所詮は個人の感情じゃないですか。()()()()()()も、貴女方が情けない走りをする事で、海外から見下されてしまう国民の感情の方が大事ではないですか?」

 

 『ブリーダーズカップ』『インターナショナルステークス』、そして『凱旋門賞』。それらで一度も勝てない事が、近年のウマ娘の弱さを証明しているじゃないですか。

 困るんですよ、()()()()()()()()()()()()()()()に過ぎないウマ娘産業のせいで、日本が下に見られるのは。

 

 そう語る記者さんの目の奥が、確かに見て取れた。俺達を通じて、この人は先輩方すらも馬鹿にしている。ウマ娘(競走馬)を馬鹿にしている。

 どうしてそんな目をするのだろう。()()()に生まれてから、こんな目を見たのは初めてだ。ただ馬鹿にされるのではなく、競走馬(ウマ娘)自体を無価値だと見下ろした目。

 どうしてそんな目が向けられるんだろう。どうしてこの人は俺を真っ直ぐに見ながら、先輩方を馬鹿にするんだろう。俺には分からない。人の心なんて、分かる訳がない。だって、俺は()()ではなく()()()なんだ。

 だから、答えを教えて欲しいと思う。そんな目を向けずに、何を思っているのか直接言って欲しい。

 俺が弱いから?

 俺が未熟だから?

 俺がディープインパクトの偽物だから?

 俺は──次は、()()()()()()の何を消せば良い?

 

「──おっと。それは違うんじゃねぇかなってアタシは思うぜ」

 

 ──強い光を幻視した。それは無機質な光ではなくて、暖かい熱だった。

 嵐のようにぐちゃぐちゃな心へと、誰かの声が姿を現す。まるで沈む事を知らないように真っ直ぐな、威風堂々とした声。

 薄ぼんやりとした練習場にあっても、世界には希望しかねぇと言いたげな輝き。

 そんな誰かの姿が、陰に入り掛けた俺達へと航路を示した。嵐の中の進み方はそうじゃない──そう教えるかのように。

 

「見てみろよ、この広い海をよぉ! 夏には蝉があっちーなーって鳴き、秋になると米がうめぇって雀が大喜びだ。そんで冬と春には何かがなんか凄い事になる。そんな広い海の向こうで走ってるウマ娘が、アタシらに簡単に負けると思うか? この()()()()()()()様が断言してやるぜ。海外のウマ娘はな、アタシら日本のウマ娘に負けず劣らず強えぞ。本当に笑っちまうくらい、日本(ここ)と同じで意地と誇りがぶつかり合ってんだ。そんでもってよ、おめぇはこの緑に生い茂る海の名前を知ってか? 実はよ、この盛り上がったでっけぇ海──本当は、()……って、言うんだぜ」

 

 『黄金の不沈艦』ゴールドシップ。

 俺をずた袋で担いでスピカに連れて来て以来、俺にとってはご無沙汰になる偉大な先輩が俺達の死角から姿を現した。

 

「ゴールドシップ先……ぱ、い?」

「おう、待たせたな! ちょっと一足早いクリスマスプレゼント取りに行ってたら遅れちった!」

 

 俺達の誰かが、或いは全員が先輩の名を呼ぼうとして──影になってて気付かなかった、何故か不自然に担がれたずた袋を目にして、思わず閉口する。

 そんな俺達の心情を知ってか知らずか、虚をつかれた顔の記者さんが気を取り直したように口を開く。目はちらちらとずた袋を見ていたが、視線をゴールドシップ先輩へと固定した。どうやらずた袋は気にしない事にしたらしい。

 

「これはこれは、ゴールドシップさん。お初にお目にかかります。いつかは貴女にも取材させて頂きたかったんですよ。少しお時間頂けますか?」

「ん? なんだおめー。慌てんぼうなのはサンタクロースの特権だぜ? ちょっとは待ってろよ……っておいおい、これってまさか、噂に聞く()()()ってやつじゃねえか? うわすっげぇ、初めて見た! ちょっと見せてくれよ!」

 

 そう言いながら、ゴールドシップ先輩は慣れた様子でずた袋を下ろし、そのまま記者さんの手からするりとカメラを奪い取る。あまりに自然な動きで、記者さんもろくに反応出来ていない。

 先輩は、うわすげぇ! なんて言いながら、のっぺりとした空や記者さんをかしゃかしゃ撮ったり、あちこちを弄り始める。

 どう考えても白々しいが、本気で感動しているように見えるのは、先輩の人徳のようなものなのだろうか。

 

 呆然とした様子の記者さんが動き始めた──横で、ずた袋がもぞもぞと動いている……というか、ずた袋の口から、人の足が生えて、立ち上がろうとしていた。

 しかし、記者さんはそれに気付いた様子がない。

 

「ちょっ、ちょっと! 何を為さるんですか!? 返しなさい!」

「あっ、悪ぃ悪ぃ。ゴルシちゃんちょっと感動しちまってよ。お詫びにクリスマスプレゼントやるからよ、もうちょい貸しててくれよな」

「大人をバ鹿にするのも大概にしなさい! どうして中央トレセンにはそうも失礼な()しか居ないのですか!」

「おー、壊しゃしないからそんなに焦るなって。それよりメリークリスマスだぜ、ミスタースクルージ。良い子悪い子元気な子、それぞれにゃそれぞれのサンタさんが来ちまうんだよな。これってビッグニュースじゃね?」

「何を言って──?」

 

 ついに起き上がったずた袋が、人間の腕を生やして記者さんの肩へと手を置いた。

 そのままずた袋は脱ぎ捨てられて──中から、沖野トレーナーが姿を現した。

 見た事がない笑みを浮かべながら、「メリークリスマス」と引き絞ったような声を出している。とんでもないホラー映像だった。

 

「ご無沙汰してますね、現代ターフさん。ウオッカとスカーレットの時は本っ当にお世話になりました。所で、現代ターフさんはウマ娘関連の施設には立ち入りが禁止された筈ですが、どうしてこんな所に?」

「スピカの沖野トレーナーですね。ご無沙汰しております。こちらの施設は一般客も立ち入り可と伺っておりますので、別に問題はないでしょう? 何処に行こうと私の自由では?」

「……あくまで貴方個人の自由であると? 成程。しかし、未成年者を何時までも捕まえているのは、自由で済まされる話ではありませんよね。あと、これも」

 

 沖野トレーナーは、先程のゴールドシップ先輩を彷彿とさせる手際の良さで、記者さんの胸ポケットからするりとボイスレコーダーを取った。沖野トレーナーが何処かを押したのか、赤いランプの点滅が消えた。

 しかし今度は先程までと違い、記者さんが直ぐに噛み付く。

 

「貴方まで何を為さるのですか! 直ぐに返さなければ、然るべき場所に訴えさせて頂きますよ!」

「……然るべき場所、ねぇ。すまんが、そんなくそ寒いギャグに付き合ってられる程、俺らは暇じゃないんだよ。後日、ボイスレコーダーとカメラをトレセンとURA経由で返却してやるから、今日はもう帰れ」

「我々メディアにこんな横暴な振る舞いをして、ただで済むとお思いで?」

「ああ、思うね。こちとら散々大事なウマ娘達を傷だらけにされてんだ。いい加減、俺達も我慢の限界なんだよ。なんなら、今から一緒に警察行くか? この辺、アンタらみたいな不審者が出るせいで、巡査がしょっちゅう巡回してんだぜ?」

 

 (もっと)も、呼ばなくてもそろそろ回ってくる頃だけどな。

 沖野トレーナーのその一言に、記者さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「必ず、後悔させて差し上げますよ。民意を甘く見た償いは安くありませんよ」

「お、来た来た。すんませーん、此処にうちの生徒に手を出した変態が──」

「──失礼します!」

 

 ぎりりと歯を食いしばって、記者さんは俺達を睥睨した。そのまま、肩を怒らせながらスタンドライトが照らす場所の向こう側へと去って行く。

 辺りは何事もなかったように、静けさを取り戻した。

 

「──何処かへ行きましたよーっと。そんなに都合良くお巡りさんが来るかってんだ」

 

 沖野トレーナーは呆れたように呟いた。記者さんが消えた方角を暫く眺めて、一つ頷いてから此方へと向き直る。

 そして──がばりと、俺達に向けて頭を下げた。さっき似た光景を見たな、なんて考えが脳裏を過ぎる。

 

「すまん! 施設の防犯を過信し過ぎた! もう二度とあんなバ鹿が寄って来ないように細心の注意を払う! 許してくれ!」

「ちょっ、ちょっと待って下さい! スピカのトレーナーさんは何も悪くないですって!」

「そうそう、どちらかと言えば人目に付くところで騒いでた僕らが悪いんだし!」

「スピカのトレーナーさんには感謝こそすれど、謝って頂く事なんてありませんよ」

「あの……そもそも俺が居たせいであの記者さんは来たみたいなので、むしろご迷惑お掛けしてすいません」

 

 沖野トレーナーは俺の担当ではなく、チームスピカのトレーナーである。他の三人も、全員が俺とは別チームのウマ娘だ。

 今回の場合、俺以外の全員は巻き込まれた被害者だろう。謝らなければならないのは、俺だけである。

 

 ……そう思って頭を下げたが、静かな視線が幾つも頭頂に突き刺さっているのを感じる。

 居た堪れなさを感じて、ゆっくりと顔を上げようとして──ばちこんっ、と背中を叩かれた。痛みに耐えながら背中を叩いた犯人へと目を向ければ、やはりと言うべきか。とても良い笑顔を浮かべたゴールドシップ先輩が、手をひらひらとさせていた。

 

「ちゃんと謝れて偉い──なんて言うと思ったかばっきゃろお! 今回のはお前はなんも悪くねぇんだよ! むしろ、あんなんに絡まれて良く頑張ったぜ、おめぇらはよ! ほら、良い子にはゴルシサンタさんからちょっと早いクリスマスプレゼントだ! メリクリウスメリクリウス!」

 

 先程、沖野トレーナーが出て来たずた袋へと、ゴールドシップ先輩が手を突っ込む。そして、筆箱くらいの大きさの箱を四つ取り出した。

 それを見て、沖野トレーナーがぎょっとした目になる。

 

「ゴルシ、今それ何処から出した?」

「ああ? んなもんゴル次元空間に決まってんだろ。何言ってんだトレーナー。頭大丈夫か?」

「え、いや……え? ゴル次元空間って何? さっきまで何も入ってなかったよな、その袋」

 

 ゴールドシップ先輩は沖野トレーナーを無視して、俺達に一つずつ箱を渡した。

 開けてみ、とジェスチャーを貰ったので蓋を開ける。

 そこには、こけしの亜種のような、円柱形の変な人形が入っていた。何故か既視感を覚える。

 他の三人に目を向けても、同じ物が入っていたようで、お互いに顔を見合わせた。

 先輩へと、代表して口を開く。

 

「……ゴールドシップ先輩。なんですか、これ」

「何っておめぇ、何処からどう見ても防犯ブザーだろ」

「防犯ブザー!? これ防犯ブザーなの!?」

 

 藍染色の子が目を真ん丸くしながら反応した。

 記者さんが来る前の一幕と良い、もしかしたら本当は突っ込み体質の子なのかもしれない。

 

「あの……えっと、ありがとうございます、ゴールドシップ先輩」

「なんだよ、堅ぇなぁ。ゴルシちゃんで良いぜ、ゴルシちゃんでよ」

「すいません。ゴルシちゃんはもう()()に一人居るので、ゴールドシップ先輩呼びで許して下さい」

 

 ゴールドシップ先輩は目をきょとんとさせた後……妙に機嫌が良さそうに、ばしばし背中を叩いて来る。

 さっきよりも力は控え目だが、さっきので背中がひりひりしている為、地味に痛い。

 

「そうかそうか! 友達にゴルシちゃんが居るのか! ならしょうがねぇな! 特別にゴルシちゃんのゴルシちゃんを、そのゴルシちゃんに譲ってやんぜ! その代わり、きちんとその防犯ブザー持ち歩けよな!」

「ありがとうございます。でも、俺ももう大人なので、流石に防犯ブザー持ち歩くのはちょっと……」

 

 おずおずと、先輩へ防犯ブザーの携帯を辞する。

 すると、何故か本日何度目かの静寂が訪れた。

 全員の顔を見回せば真顔があり……そして、沖野トレーナーが吹き出した。

 

「……アフタ、ナイスジョークだ。そうだよな、お前だって大人を名乗る年頃だよな」

「えっ? いや、どういう意味です? と言うか、どうして笑うんですか?」

「いやいや、何でもない。何でもないさ。それより、早く帰って飯だ、飯! 大人になるには、好き嫌いせず食うのも大事だからな! 俺はこいつら送ってから宿に戻るから、ゴルシと先に戻って食べ始めててくれ」

 

 沖野トレーナーはゴールドシップ先輩から先程のカメラを受け取り、そう促した。特に反対する理由はないので頷きを返す。

 別れの挨拶をする為、最近何かと縁の多い三人組と向き直った。三人は何かをアイコンタクトで示し合った後、此方へ真っ直ぐな視線を向けて来る。

 俺が口を開くより先に、藍染色の子が口を開いた。

 

「アンタは、今日の事は忘れなさい。()()が言っていた事は、アンタじゃなくて私達の課題よ。アンタは絶対にアンタらしく走り抜けなさい。じゃなきゃ来世まで呪うわよ、スピードバ鹿」

「……善処するよ」

「善処じゃなくて必ずよ。アンタはアンタらしく、呑気に走ってれば良いの。その内、アンタのバ鹿面を拝みに()()先頭に躍り出てやるから、精々それまでに()()()()()()になりなさい」

 

 刺さる様な目線が、薄暗さを裂いて俺へと突き刺さった。

 それじゃあね、なんて言いながら、沖野トレーナーと三人組が離れて行く。「また明日」とか「おやすみなさい」とか、そんな言葉すら言いそびれてしまった。こんなんだから友達出来ないんだよなぁ……と肩を落とす。

 

 ──今さ、しれーっと『私が』って言ってたけど、あれずるくない?

 ──そうやって抜け駆けしてると、足を掬ってしまいますよ?

 ──ふん、出来るものならやってみなさい。一番速いのは私よ。

 

 暗さが増す毎に大きく見える山の威容へと、そんな会話が遠ざかって行く。

 彼女達の宿は、スピカが借りている旅館とは全然違う方角にあるようだった。声が殆ど聞こえなくなってから、ゴールドシップ先輩が「そんじゃ、アタシ達も帰るか」と当たり前のように言った。

 

 帰る場所があるのは、良い事だ。例えそれが間借りしている場所であっても。本来の帰る場所が遠くても、良い事なのだ。

 

 ──ではどうしてこんな所にいらっしゃるんですか? リギルは現在、別の場所で合宿を行っているじゃないですか。リギルに見限られてスピカに移籍した……そんな噂が流れていますが、それは事実なのではないですか?

 

 ……無性に、リギルの部室に帰りたい。誰かの声があって、眼差しがあって、温度があって。

 紛い物の俺にも、優しくしてくれた場所。本当は俺が居るべき場所じゃないけれど……それでも、あの輪の中に帰りたい。

 だから『有記念』を、必ず勝たなければならない。皆の『英雄』になって、勝たなければならない。

 それだけが、俺があの場所に居られる方法だから。

 

 いつの間にか、空の雲の隙間から、月が顔を出している。今日の月も、相変わらず欠けている。

 風情なんて何処にもない、半端者の月へと……俺は、次の夢の舞台での勝利を誓った。

 

 ……月を囲んで光を飲む雲に、くすくすと笑われた気がした。

 スピカの先輩方が待つ旅館は、直ぐそこにある。




防犯ブザー音『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!エンダアアアアアアアアアアアアアアアアア! モルスァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! Help you! Just away!』

もうそろそろ有馬記念パートに入りますが、ちょっとトレーナーとしてシンオウを冒険しなければならないので、次回更新は遅くなるかもしれません。


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第16話 心の叫び

50万UAを突破致しました。いつもご愛読頂き、本当にありがとうございます。励みにさせて頂きます。

ジャパンカップに間に合ったので初投稿です。


「感っ動がっ! 足りないよぉぉぉおおおおおおっ!」

 

 枯葉が舞う街路樹の隙間に、少女の声が響いた。

 すわ何事かと、周囲のウマ娘達は一斉に目を向ける。しかし、大樹のウロに顔を突っ込む少女を見て、全員が苦笑いを浮かべながら視線を逸らした。

 大樹のウロは、レースで負けたウマ娘の鬱憤を一身に受け止めてくれる、深い切り株の穴だ。どうしていつまでも撤去されないのかは不明だが、極々一部のウマ娘を除けば、殆どの学園生が卒業までに一度はお世話になる。

 彼処で叫んでいるという事は──叫び声の内容は別として──つまりは()()()()()だろう……そう判断して、周囲のウマ娘達は白昼堂々と叫ぶ少女を見なかった事にする。

 自分達だって負ければ()()するのだから、大樹のウロでは誰かが泣き叫んでいたとしても、見て見ぬふりをするのが学園生達の暗黙の了解であった。

 

「ああああああああぁぁぁっ! 一着取りたいよぉぉぉおおおお! なんかすっごく格好良い感じで勝ちたいよぉぉぉおおおおおおっ! レースで皆を感動させたいよぉぉぉおおおおおおっ!」

 

 心の底から震えを絞り出すように、大樹のウロに顔を突っ込んだ少女が叫ぶ。

 勝利への純粋な想いと言うには俗っぽい願いが僅かばかり含まれているが、年頃の少女の願いとしては健全なものだろう。

 レースで誰かを感動させたい。それは、ウマ娘ならば誰しもが多かれ少なかれ持っている欲求だった。

 

 そんな願いを素直に叫ぶ友人へと、ゼンノロブロイは先程の周囲と同じような苦笑いを浮かべ、慣れた様子で声を掛けた。

 

「ハーツクライさん、そろそろその辺にしておこう? 喉を痛めて風邪を引いたら、有記念に出走出来なくなってしまいますよ?」

「それは分かってるけどぉぉおおおおおおっ! ジャパンカップで負けた悔しさとかぁぁああああああああっ! ()()にぶつけるつもりだったからぁぁああああああああっ!」

 

 ゼンノロブロイは相変わらずな友人の姿に、眉尻を下げながら頬を掻いた。

 前回のジャパンカップで負けたのは自分もであるが、自分は私生活の中で負けを飲み込んで、もうとっくに昇華した口だった。

 それに対してこの友人は、ジャパンカップから今日に至るまで一ヶ月近くもの間、快活な仮面の下に悔しさを隠しながら日々を過ごしていたらしい。

 事ある毎に心が強いと評価される友人は、やはり掛け値なしに心が強い。諦めて開き直るのでもなく、喉元の熱さを忘れる為に飲み下すのでもなく。ずっと悔しさを鈍らせずに抱え続けられる事は、その何よりもの証明だった。

 

「急に予定空けられてもぉっ! 何すれば良いか分かんないよぉぉぉおおおおおおっ!」

 

 ハーツクライさん、最近ずっとスケジュール通りの生活でしたもんね……と、ゼンノロブロイは心の中で合掌する。

 本来なら、本日は『有記念』出走ウマ娘の直前会見が執り行われる予定であった。

 目立ちたがり屋……と言うより、誰かを感動させたいという欲求が人の十倍くらい強いこの友人は、どうやらジャパンカップの敗北を今日で()()にしようとしていたらしい。確かに気付いてしまえば、大勢の前で全力の決意表明をする友人の姿が、簡単に目に浮かぶ。

 記者会見を好むウマ娘は特別多いという訳ではない。多いという訳ではないが、好きなウマ娘はとことん好きだし、それでレースのモチベーションが上がるウマ娘だって実際に居る。そして、友人であるハーツクライは紛れもなくその顕著な例であった。

 

 ハーツクライは最後に「せっかく心から泣けるスピーチ考えてたのにぃぃいいいいいっ!」と叫んだ後、すっきりした顔で大樹のウロから顔を上げた。

 

「ふう、少しだけすっきりした!」

「あはは……あれだけ叫んで少しなんですね……」

「だってすっごく気合い入れて準備してたしさぁ! だって有記念だよ、有記念! ファンに選ばれたウマ娘だけが走れる夢のレース……言い換えれば、ファンを心から感動させたウマ娘だけが走る最高のレース! そんなのもう、二回目だって会見から決めまくるしかないじゃん!」

 

 『有記念』について楽しそうに語るハーツクライだが、どうやら話してる途中からまた悔しさが込み上げて来たらしい。大樹のウロへと再びちらちら視線を送り始めた。

 大声で叫ぶのはそんなにすっきりするのだろうか……と一瞬考えたが、自分だって負けた直後は爽快な英雄譚をやけくそのように読み耽ったりするのだ。それと似た感覚なのだろうと何となく納得する。

 

「でも、安全上の問題なら仕方がないですよ。あくまでも本番は年末のレースですし」

「そうだけどさぁ……! 海外挑戦前の最後の国内レースだから、もう伝説に残るくらい格好良い記者会見にしたかったんだよね……!」

 

 滅多に見る事がないくらい本気で落ち込むハーツクライへと、ゼンノロブロイは少し同情を抱く。

 

 『有記念』のみならず、どのトゥインクル・シリーズのレースでも、仕上がりのお披露目を兼ねた記者会見が直前に行われる。

 GIレースでは数え切れないくらい多くの記者を集めて会見を開くのが定番だが、ファン投票で選ばれたウマ娘だけが出走出来る『宝塚記念』と『有記念』の場合、GIレースの中でも格別華やかに会見を執り行うのが通例だった。

 特に『有記念』は年末最後に行われる事から、トゥインクル・シリーズの一年の締め括りという意味でも特別なGIレースである。

 『有記念』の出走表が公表されると同時に、街からはウマ娘以外の話題が消える……そう謳われる光景が、日本の年末の風物詩だった。

 年明けに開催されるドリームトロフィーリーグの世界的レース、『ウィンタードリームトロフィー』と併せて、この二つのレースを観なければ冬を越せないと言うウマ娘ファンも多い。

 

 それ程に特別なレースであるからこそ、少し特別な事情が絡む今年の『有記念』は、例年のそれよりも更に世間の注目を集めていたのだ。

 

 シンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘による、()()のシニア殴り込み。そしてそれを迎え撃つ、『有記念』のレースレコードホルダーであるゼンノロブロイや、その好敵手であるハーツクライ、或いはそんな彼女達との激闘をシニア戦線で繰り広げて来た十三人の名ウマ娘達。

 果たして、新しい時代の風が勝つのか、積み重なった歴史の意地が勝つのか。今後のウマ娘の未来を占うような世紀の一戦。

 それこそが今年の暮れの中山で行われるメインレース。夢だけが走り、夢だけが栄光を飾る『有記念』。

 

 だからこそ各社報道機関は、それはそれは盛大で華やかに『有記念』の報道を行う予定であったのだ。

 気の早い企業であれば、自社の雑誌やテレビ番組に出走ウマ娘達の枠を用意してまで、翌年の年間スケジュールを組む程の入れ込みようだった。

 今年の『有記念』関連のあれこれは、レースの結果がどうであれ好調な数字を叩き出すのが目に見えていた。その実入りを踏まえた上で、来年上半期の予算案を組む企業だって少なくはなかった。

 報道機関をはじめ、ウマ娘が関わる企業にとって、今年の中山は正しく夢の大一番であったのだ。

 

 ──ウマ娘達の心身の安全確保を目的として、『有記念』出走ウマ娘のメディア出演を当面停止する……そう、中央トレセン学園とURAが声明を出さなければ、であったが。

 同時に、各種メディアが学園へ立ち入る事まで制限──実態は事実上の禁止である──された事も、各方面への大きな痛手となった。

 

 とある出版社の()()()()が原因となる今年の『有記念』の特別措置は、少なくない企業や関係者を阿鼻叫喚の渦へと叩き込んでいた。

 多額の機会損失を生み出した怨敵に、必ず報いを受けさせる……そんな決心を、多くの大人達に抱かせる程には。

 

「そんなに落ち込まないで下さい。ほら、レースはきちんと放送されるみたいですし……取材こそないですが、私達の意気込みはURA経由でテレビや新聞に載りますよ?」

「……意気込みって、さっき書いたメッセージカードみたいなやつだよね? あれはあれで楽しかった! でもきっと、ファンの皆に直接声を届けられたらもっと楽しかったよ! ようやく噂のアフターマスさんにも会える筈だったしさ!」

 

 心底口惜しい! ……と顔に書いてある友人へと、ゼンノロブロイは首を傾げた。

 ファンに直接声を届けるのは難しいかもしれないが、アフターマスに関してはそんなに会いたいなら会いに行けば良いのではないだろうか。直接会いに行けない事情でも何かしらあるのだろうか……割と頻繁に図書室でアフターマスと遭遇する少女からすれば、妙な事で落ち込む友人に対してそんな感想しか出なかった。

 

 アフターマスはチームリギル所属のウマ娘ではあるが、冬季合宿はチームリギルではなくチームスピカと一緒に行っていた筈である。チームリギルは今でも合宿で不在だが、アフターマスとチームスピカならば合宿を終えて、昨夜に学園へと戻って来ているのだ。

 そもそも、本来行われる筈だった直前会見の開催予定日自体、出走ウマ娘全員の都合を鑑みての本日だった。

 海外挑戦の準備で忙しいハーツクライや、トゥインクル・シリーズからドリームトロフィーリーグへの転向を視野に入れたゼンノロブロイ、アフターマスのように合宿に参加するウマ娘達の都合を上手く勘案して、唯一空いている日がこの日だったのである。

 つまり逆に言えば、アフターマスに会おうと思えば、本日ならば普通に会える。

 

「えっと……ファンの人に声を届けるのは難しいけど、あの子に会いたいなら会いに行けば良いんじゃないかな?」

「え、誰に?」

「アフターマスさん。昨日、合宿から帰って来てるよね?」

 

 ぽく、ぽく、ぽく……と時間が過ぎる。

 急に凍り付いたように動きの止まった友人を訝しく思いながら、ゼンノロブロイは再度友人へと声を掛けようとして──「それだっ!」という音の爆発に耳をへたらせた。

 

「そうだよそうだよ! ロブロイさん天才っ! 今日なら会えるじゃん! うわ、完っ全にうっかりしてたよ! アフターマスさん、チームスピカじゃなくてチームリギルだけど、合宿はスピカとだった!」

 

 チームリギルのウマ娘(エルコンドルパサーとグラスワンダー)から、懇切丁寧にアフターマスの噂の過ちを正された弊害が、此処に来て姿を現した。

 アフターマスはチームスピカではなくチームリギルである……そう強く自身へと刷り込んだ結果、アフターマスがスピカと一緒に合宿へ参加したと知っていた筈なのに、アフターマスはリギルの合宿に参加していて不在だと思い込んでいたのである。

 不在なら前々から予定されていた事前記者会見に参加出来ない……そう分かっていた筈なのに、だ。

 『有記念』と夢の海外挑戦に心を持って行かれ過ぎたなと、ハーツクライは内心で恥じた。

 

「よし、そうと決まればこんな事してる場合じゃない! 行動あるのみ!」

「あはは……ハーツクライさん、本当に元気だねー……」

「元気もないのに人を感動させられますか! さあ、いざスターの下へレッツゴー!」

 

 好奇心旺盛だなぁ……と、ゼンノロブロイは心の中で小さく呟いた。

 そしてハーツクライが勢い良く駆け出そうとして──急ブレーキを掛けた。

 はて? と思いゼンノロブロイは首を傾げる。

 ぎぎぎ……と音が聞こえそうな動きで友人が振り向く。これはもしや……と思ったが、次の瞬間には、()()()が正解であると知る事となった。

 

「……ロブロイさん。そういやアフターマスさんが今、何処に居るか知ってる? 多分、今の時間だとスピカの部室には居ないよね?」

 

 やっぱり居場所の見当なく動こうとしてたんだねー……と、ゼンノロブロイは頬を掻いた。

 何でも取り敢えず動いてみる。それが真っ直ぐ過ぎる友人の長所であり短所でもあった。

 しかし、それを補ってこその友人だろう。

 

「心当たりはあるけど、合ってるかわかりませんよ?」

「大丈夫! その時はその時で、あちこち探し回るから順番が入れ替わるだけだよ! 何の問題もない!」

「そっか。じゃあ、その時は私も付き合うね。多分、アフターマスさんなら今は──」

 

 

■□■

 

 

「よしっ、悪くないタイムだ。そんじゃ、一回インターバルを挟んで──」

「──すいません、もう一本お願いします!」

「……本当に、次の一本で休憩入れるからな」

「はいっ!」

 

 返事の音を置き去りにして、アフターマスが再び学園の芝を踏み締めた。

 自身が最初に休憩の音頭をとってから、延長はこれで三本目だ。次で本当に休憩を取らせよう。沖野は固く決意した。

 体感で(おおよ)そのタイムが分かってしまうらしく、リギルから預かった()()()はタイムを聞く間すら惜しんで走り続けている。油断して放置すれば、休む事が罪であるかのように止まらない。

 合宿終了間際まで、恐らく猫を被っていたのだろう。上手く誘導しなければ、とにかく静止を振り切って走ろうとする。まるでブレーキが壊れているようなその姿に、同僚の東条の苦労を感じ取った。

 

 風を置き去りにするように、小さなウマ娘が駆けて行く。

 町内会で開かれるようなちびっ子レースに出走していても可笑しくない……そんな風貌で、世界最高峰のレース拠点(中央トレセン学園)を駆けて行く。

 突風に吹かれた落ち葉のように、飛ぶように……大きな焦りを滲ませながら。

 

 どうしてこうなったのだろうか。先日の雑誌記者は、本当にろくでもない事をしてくれた。

 本当ならば今頃、アフターマスはこんなに鬼気迫る焦り方で走ってはいない筈だったのだ。

 

「……速いなぁ、あいつ」

 

 休養を装ったチームスピカによるアフターマスの()()()成長計画は、担当である東条と相談して、本人の性格を徹底的に考慮した。

 アフターマスの目下の弱点は、フィジカルではなくメンタルにこそ存在する……それが、沖野と東条の共通の見解だった。

 だから、本人にとって新しい環境だからこそ出来る遠回りを、このタイミングだからこそ行った。

 

 ゴールドシップに誘拐紛いなエスコートをさせて、型に嵌らないウマ娘の姿を見せた。その中で、()()()()()()()()()を学ばせた。

 ウオッカとダイワスカーレットと共に外出させて、買い出しの名目で時間を共有させた。その中で、自分を貫き通す意義と、仲間であり敵であるという関係性を学ばせた。

 トウカイテイオーがこそこそとアフターマスの様子を伺っていたので、大体の思惑を察した上で接触させた。その中で、自身の在り方を理解した者の強さを学ばせた。

 駄目押しとばかりに、模擬レースに(かこつ)けて、同期達と交流を持たせたりもした。その中で、自身に食らいつこうとする()()達の必死さを目の当たりにさせた。

 

 アフターマスが気付いていない、速くなる為のヒント。

 それを存分にちらつかせて、まだ見ぬ可能性という希望を、自発的に見付けさせたのだ。そして日常生活を通じて、スピカの中で得た()()()を、少しずつ確信に近付けさせて行った。

 本来ならば、後はスペシャルウィークに頼んで、個性豊かな黄金世代やハルウララ達と遊びにでも行かせて、多様性ある強さの在り方を感じさせるだけで良かった。それだけで、アフターマスは自分らしさを見付けて、精神的な成長を遂げて、円熟した強さの土台を身に付ける筈だったのだ。

 そうなるように、合宿前から東条とずっと計画を練っていたのだから。

 

 ──それを、悪意ある人間の声が全て叩き壊した。

 

 現代ターフの記者から奪ったボイスレコーダーを聴いて、愕然とする思いだった。

 アフターマスがスピカとの生活の中で学んだものが、丁寧に否定されていたのだ。アフターマスがようやく見付けかけた小さな希望は、見るも無惨に踏み躙られていた。

 

 視線の先で、必死にウマ娘が走る。風に吹き飛ばされそうな程に、立ち姿が頼りない。自分に嘘を吐くのが上手すぎる少女の、不器用な在り方だ。恐らく、彼女は彼女の本心からすらも目を逸らしている。二ヶ月そこらの付き合いだが、それで十分判断出来るくらいには、アフターマスというウマ娘は判り易かった。

 強さとは何なのか。栄光とは何なのか。長くトレーナーを続けている沖野だからこそ、背伸びし続ける無敗の三冠ウマ娘を見ると、そう思わずには居られない。

 

 アフターマスが、ラスト1ハロンをロケットのように駆け抜けた。殆ど捨て身の走りだ。いつも以上に前傾姿勢で、途中で躓こうものならそのまま大惨事だろう。

 沖野は無意識に止めたタイマーを覗いた。

 タイムは……合宿中に計った時計より、ずっと悪い。疲労が溜まっているのだから、当然と言えば当然だったが……それを勘案しても、正直──。

 

「……()()()()()()()()()()()()。だが、もう本当に一回休憩を挟んで──」

「もう一本お願いします!」

「……駄目だ。レース前に脚を痛めては──」

「お願いします!」

 

 お願いします。そう言いながらも、アフターマスは此方に背を向けて、既に走ろうとしている。

 こんなに頑固なウマ娘は初めて見たかもしれない。そう感心するが、それはそれ、これはこれだ。体を張ってでも、絶対に走らせない。

 こんな事なら、誰かしらスピカのウマ娘を連れて来れば良かったかと思う……が、今アフターマスが行っているのは『有記念』の為の調整メニューだ。正直、他のウマ娘を付き合わせるのは良い手とは言えない。他のウマ娘の為にもならないし、露骨過ぎてアフターマスに色々と察されてしまう。そうなってしまっては、今度こそ本当に、全てが水の泡だ。

 沖野は、体を張る覚悟を決めて、アフターマスの前へと駆け出そうとして──。

 

「──御免っ下さぁいっ! 此方にアフターマスさんがいらっしゃるとお伺いしたのですがっ! 此方にいらっしゃいますでしょうっ!? いらっしゃったぁっ! やった、やったよロブロイさん! あちこち回って、ようやくアフターマスさんに会えたよぉぉおおおっ!」

 

 誰かが、賑やかな空気を纏って、ターフに現れた。

 一つ纏めの長い髪。綺麗な青色のイヤーカバー。そして、中央トレセン学園指定の制服──は、何処かを走り回って来たのか、少し乱れている。

 服装こそ違えど、最近のレース映像で何度も見るウマ娘だ。それも、ただのレースでは無い。強さを証明したウマ娘だけが出走するGIレース……その入着常連者である。

 

「お前さんは──」

「──ハーツクライ、先輩」

 

 ぼそりと、アフターマスが呟いた声が微かに聞こえた。

 今にも走り出そうとしていたアフターマスが、此方へと──と言うより、ハーツクライへと──振り向いていた。

 その目にはいつも以上に判り易い、警戒心のようなものが見て取れる。

 走りの偵察に来た……なんて、思っている訳ではないだろう。アフターマスはそんな事を気にする性格ではない。

 では何を警戒しているのだろうか。これは……どうしてか、全く読めない。

 

「ま……待って下さいぃ……! 幾ら何でも、置いて行くのは酷いですよぅー……」

 

 か細い声を震わせながら、再び新しいウマ娘が現れた。此方も……と言うより、此方の方がハーツクライよりも有名人だ。

 秋シニア三冠ウマ娘にして、前回の『有記念』でレースレコードを叩き出した怪物、ゼンノロブロイ。大人しそうな見た目をしているが、世間からはアフターマスのシニア挑戦最大の壁と謳われるウマ娘である。

 

 沖野は、ちらりとアフターマスを覗いた。

 すると今度は、何故か少しだけ怖がっているように見えた……が。それも一瞬の事で、特に動じた様子がないようにも見える。怯えたように見えたのは、自身の勘違いかもしれない。

 アフターマスはぺこりと二人へ向けて会釈した。

 

「ロブロイ先輩、ご無沙汰してます。ハーツクライ先輩は初めましてですよね。宜しくお願い致します」

 

 本当に第一印象だけは優等生だよなぁ、こいつ。

 アフターマスのじゃじゃウマ娘っぷりに慣れてきた沖野は一瞬そう思うも、敢えて言う必要もないので口を(つぐ)む。

 

 そうこうしている内に、ずんずんとハーツクライはアフターマスへと歩み寄った。

 

「はい! ハーツクライです! お噂はかねがね! こちらこそ宜しくお願いしま──す?」

 

 そしてそのまま、ハーツクライは握手を求める様に手を差し出そうとして──何故か動きを止める。

 元気溌剌と言った様子のハーツクライは、笑顔のまま困惑するという器用な事をやってのけた。そして何を思ったのか、アフターマスの方を向きながら、観察するようにくるくると周りを回り始める。

 

「ハーツクライさん! いきなりそんな事したらアフターマスさんが吃驚してしまいます! ……えっ、というか本当に何をしてるんですか?」

 

 ハーツクライに遅れて、ゼンノロブロイも駆け寄る。

 突然の友人の奇行にゼンノロブロイが慌てて声を掛けるも、ハーツクライは至って真剣な眼差しでアフターマスを観察し続けている。生返事すらしないあたり、今のハーツクライに友人の声は届いていないようだった。

 

「……あの、ごめんね、アフターマスさん。ハーツクライさん、本当に悪い人じゃないんだけど……なんて言うか、猪突猛進な所があって」

「あ、いえ。大丈夫です。()()()()()なら、見られるのはパドックで慣れてます」

 

 ゼンノロブロイが頭上にはてなマークを浮かべた。アフターマスの台詞に違和感を感じたのか、小首を傾げる。

 だが、そんな友人が違和感の正体を探り当てる前に、ハーツクライが「あのっ!」と、口を開いた。ハーツクライの視線の先は、相変わらずアフターマスだった。

 

「間違えてたらすいません! というか、多分間違えてると思うので先に謝らせて下さい! 本当にすいません!」

「あの、何がですか?」

「はい! えっと……アフターマスさん、何処かで私と会った事ありませんか!?」

 

 間違えている……と言った割には、ハーツクライは自信ありげに口を開いた。

 しかし、困惑した様子が滲んでいるあたり、本人も心当たりなく言っているのかもしれない。

 第三者である沖野からすれば、全く意味の分からない状況だった。アフターマスが数瞬無言になったのも、状況に拍車を掛けている。

 沖野は、仕方がないな……と、三人に歩み寄って口を挟んだ。

 

「アフタ、何処かで会った事あるのか? もしくは、ハーツクライのレース見に行って目が合ったとか」

「あ……すいません、ちょっと心当たりを探してました。多分、()()()()会った事ないと思います。レースも、映像でなら何度も観てますが……」

 

 すいません。基本的に学園から出ないんですよ、俺。レース場どころか、買い物だって割とネット頼りですし……。

 そう口をもごもごと動かしながら、アフターマスはハーツクライへ向けて申し訳なさそうにしている。少し伝え方を間違えれば、「俺、貴方なんてこれっぽっちも眼中にないんですよ」と誤って伝わりかねないからかもしれない。

 

 しかし、ハーツクライは全く気にした様子なく、あははと笑いながら頬を掻いた。

 そうですよね……と口にして、少し恥ずかしそうにしている。

 

「ごめんなさい! 正直、私も心当たりがなくて困ってたんですよね! 私も忙しくて、アフターマスさんのレースを見に行った事ないですし!」

「……ハーツクライさん。その言い方だと、『私、アフターマスさんに興味ないから』って言ってるように聞こえちゃいますよ……?」

「へっ? あっ、え、違っ……興味ありますっ! 私、アフターマスさんにすっごく興味津々ですよ!」

 

 それはそれで、何か意味が違うんじゃないかなぁ……ゼンノロブロイは苦笑いを浮かべた。

 ハーツクライという少女は、アフターマスとは違う形で判り易い少女のようだ。

 

 それはそれとして、万が一空気が変な方向に流れては居た堪れないので、沖野は再度口を挟んだ。

 内心では、突然現れた少女達に感謝しながら。

 二人が急に乱入してくれたお陰で、暴走機関車じみていたアフターマスは、もう完全に走り出すタイミングを失っている。

 

「で、お前さん達は何の用で来たんだ? アフターマスの偵察に来た……って訳じゃないんだろ?」

「はい、偵察じゃないです! 今日は会ってみたくてお伺いしました!」

「……それだけか?」

「はい、それだけです!」

 

 堂々と胸を張ったハーツクライに、沖野はぽかんとした。アフターマスに横目を向けてみれば、見事なほど目をまん丸くしている。

 不屈の闘志で知られる現在のシニア戦線最強候補の一角が、ここまで純粋で明快な性格だとは思っていなかったのだろう。常に何かに追い詰められている顔をするアフターマスであるからこそ、特に。

 

 沖野としても、何かしらの返答をし難い間が生まれた。

 ハーツクライの友人であるゼンノロブロイが、しょうがないなぁと言いたげに口を開く。何かしらの補足を行うようであった。

 

「えっと……本当は、もっと前にアフターマスさんと会ってお話がしてみたかったみたいなんですよ。でももう有記念間際だから、作戦や準備に差し障りがないように会うだけにしておこう……って考えみたいです」

「ですです! だから此処に来た時、丁度練習の真っ最中だったので『うわぁ……やっちゃったなぁ……』って正直思いました! だから今のテンションは半分やけくそです! 本当にごめんなさい!」

 

 本当に凄いあけすけだな、こいつ。これが若さか。

 沖野はそう頬をひくつかせた。自分が時間と共に置いて来たものを存分に見せ付けられている気がしたのだ。

 

「でも、会いに来て正解でした! なんでかは分からないんですけど、すっごくやる気が湧いてきますので!」

 

 それはそれとして、練習を邪魔して本当にごめんなさい!

 重ねるようにそう謝罪するハーツクライに対して、沖野はにやりと笑った。

 

「いいや、全然大丈夫だ。丁度、練習に一区切り付いた所だったからな。一度、スピカの部室に帰ろうと思ってたんだよ。なっ、アフタ」

「えっ。いや、あの……はい。そうですね」

 

 よし、言質取った。沖野はアフターマスを見ながらそう思った。アフターマスの性格上、此方の面子が潰れるような事はしないだろう。

 それに……。

 

「良い仕上がりだな。ハーツクライ、所属はカノープスだっけ」

「はい! トレーナーさんやチームの皆に、日々ご指導ご鞭撻を頂いてます!」

 

 制服の上からでも分かる程の、最高の仕上がり。ゼンノロブロイも中々()()()()()ように見えるが、ハーツクライは今直ぐにでも出走出来そうな程に仕上がっていた。

 チームリギルの東条と同様に同僚である、チームカノープスのトレーナー南坂の手腕に沖野は感服する。

 最近はチームスピカとチームリギルの二強時代と呼ばれているが、他のチームだってやはり侮れない。特に、人畜無害な顔で躊躇なく奇策を弄してくる南坂の、今乗りに乗っている担当ウマ娘であれば。

 

 ハーツクライと軽いやり取りを交わしながら、沖野はちらりとアフターマスを盗み見た。珍しく、好戦的なような、悔しがるような……何とも形容しがたい、そんな不思議な顔だった。

 ウマ娘の仕上がりを見る目に乏しいアフターマスからしても、やはり今のハーツクライは良く見えるらしい。

 

「さて。そんじゃあ俺達は、部室に帰って有の対策を練り直すとするよ。お前さん達、想像以上に強そうだしな」

「はい、光栄です! 私も帰ったらアフターマスさんの研究をやり直しますね! 実際に見てみると、やっぱり()()()()()でしたので!」

 

 ぴくりと、アフターマスの尾が揺れたのを沖野は見た。

 先輩に褒められたのが嬉しかったのだろうか。アフターマスは判り易いウマ娘であるが、チームリギルが言うように何でも筒抜け……とまでは、沖野はまだ言えない。

 

 ハーツクライが、アフターマスへと向き直った。

 

「アフターマスさん! 私ね、絶対に今度の()()()()()()()は貴方に勝ちます! 万全の状態ですので、絶対の絶対に、貴方に勝って一着になりますからね!」

 

 そろそろ解散しようか。そんな空気の中で、ハーツクライはアフターマスへと宣誓布告を言い放った。

 お互いに初めて会ったと言っていたが、初めて会った相手へ向けるにしては、ハーツクライの目はやる気に満ち溢れている。アフターマスも、珍しく競争相手を意識しているようだった。

 

「……ハーツクライさん。ジャパンカップはこの前終わったでしょ? 今度走るのは有記念だからね?」

「へっ? 私、なんて言ってた? もしかして、言い間違えてたりとか……」

 

 ハーツクライが沖野とアフターマスを交互に見た。二人揃って、居た堪れない顔をしている。

 ただ無言を返す二人を見て、ハーツクライは徐々に顔を朱で染めた。

 

「えっと! とにかく! ジャパン……じゃなくて有ぁ! 有記念で勝ちますから! 絶対に、観客全員が感動するような全力の一戦にしましょうね!」

 

 顔を真っ赤に染めながらも、ハーツクライは逃げずに言い切った。

 メンタルすげぇなこいつ……そう沖野が感心する傍で、アフターマスが頷きを返す。

 

「絶対に……絶対に、俺が勝ちます。皆の誇りになるのは、俺です」

 

 意気軒昂──台詞だけを見れば間違いなくそう感じる応答だった。

 しかし、何故だか沖野はアフターマスが遠くに居る様な錯覚を覚えた。

 錯覚を共有した訳ではない筈だが、ハーツクライは一瞬だけ寂しそうな顔をして……先輩らしい、強気な笑みを浮かべた。ゼンノロブロイも、口角を上げて好戦的な笑みを浮かべている。

 

「私達に勝てるものなら勝ってみて下さい、スーパースター! 中央トレセンの先輩ウマ娘は、強いですよっ!」

 

 青い空に、少女達の熱が立ち上った。冬真っ只中であっても、青春に()()()はない。

 この少女達が描く軌跡は、きっと美しいものだろうな。沖野はそう感じる。泣いても笑っても、来週には今年最後のトゥインクル・シリーズ最強ウマ娘が決する。

 沖野としては、可能なら隣に立つ小さいウマ娘に勝って欲しいが……それよりも、本人達にとって実りの多い日になる事を祈った。

 少女達の人生は、まだ始まったばかりなのだから。




【ハーツクライ】
・主な勝ち鞍
2005年 有馬記念(二着:■■■■■■)
2006年 ドバイシーマクラシック(二着:コリアーヒル)
・引退レース
2006年 ジャパンカップ(一着:■■■■■■)
レース直前に喘鳴症が発覚。不安が残る中で奮闘するも、■■■■■■に敗れ馬群に沈む。陣営の協議の結果、同馬の体調を優先し、11月28日、このレースを最後にターフを去る事が発表された。

次回、有馬記念。


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第17話 有馬記念

そろそろ存在を忘れられた気がするので初投稿です。


 最初は誰かの気紛れだった。

 最初にそうしたのが誰だったかは、シンボリルドルフでさえ覚えていない。別に重要な事ではなかったから、特別意識はしていなかった。

 しかし性格から考えて、最初はエルコンドルパサーかタイキシャトル、テイエムオペラオーあたりだったのだろうと当たりが付く。

 最初は確か、メイクデビューでも『若駒ステークス』でもなく、重賞レース初挑戦となる『弥生賞』だった。

 ターフから遠く離れた来賓用の観覧室ではなく、ターフのすぐ傍にある一般観戦スペースの最前列。

 その場所で、最初の一人が東条と共に、一人の後輩を応援し始めたのは。

 

 日本のエンターテインメント産業にとって、チームリギルは極めて重要なチームだ。

 個人個人の成績や記録は勿論、各方面への影響力や、擁立するファンの多さだって軽視出来ない。だからチームリギルのウマ娘は、全員が例外なく国の至宝と呼ばれている。

 仮に諸外国と国際交流試合を組むとしたら、近年好成績を収めつつもむらっ気のあるチームスピカではなく、長年に渡り実績を重ねて来たチームリギルが代表の軸に据えられるだろう。そう多くのウマ娘ファンが確信する程に、日本中から信頼を勝ち取るだけの存在感をチームリギルは有していた。

 だからこそ、レースの観戦でさえチームリギルのウマ娘は優遇されるのだ。レース場全体を見下ろせる来賓用の観覧室に通されて、徹底した警備を受けるのだ。全員が例外なく、日本のウマ娘業界を牽引する重要人物だから。

 

 きっと、最初の一人は本当に気紛れだったのだろう。恐らく、慣れない重賞の大舞台を控える後輩に、一度くらいはエールを贈ろうとでも思ったのだろう。

 同じチームの後輩とは可愛いものだと、シンボリルドルフはよく知っている。自分の後に続いてくれるウマ娘達には、どうしたって情が湧く。

 最初の重賞レースくらいは、人の波を掻き分けるだけの手間を度外視してやろう。少しでも、後輩を勇気付けてやろう。シンボリルドルフの良く知るリギルの仲間達であれば、そう思ったって可笑しくはない。

 

 君臨する事には慣れていても、直接誰かを育てる経験は乏しい。

 実力至上主義を金科玉条として突き進むチームリギルだからこそ、そんな背景が存在している。そもそも、自分達に付いて来られるウマ娘自体がほとんど居ないのだから、詮方無い。勝負の世界では、強者となればなる程、孤独になった。

 自分達には多くの責務が付き纏っている。それをチームリギルのウマ娘は自覚している。その中の一つが、絶対的な強さだ。圧倒的な実力を以て、時代を代表するウマ娘になるという義務を全員が背負っている。

 自分がとてつもない才能と努力、幸運の果てに今の場所に立っていると分かっているから、自分達の輪の中には、強いウマ娘の席しかないと知っている。

 チームリギルのウマ娘にとって存在するのは、輪の中の同類か、輪の外の好敵手か、先頭に立って導くべき弱者か。極論すれば、それだけだ。誰かに期待を寄せるのは、酷く苦しい事だった。

 

 だからこそ、自分達と同じ景色を見る事の出来る後輩は珍しかった。ましてや、自分達の後ろを追って回り、少しでも強さの秘訣を学ぼうと走り回る……そんな弱者のような貪欲さを見せるチームの後輩なんて、シンボリルドルフだって初めての経験だったのだ。

 稀代の天才トウカイテイオー。自分にずっとべったりだった彼女だって、四六時中くっついていた理由は憧れ故だ。純粋な強さを求めて、自分を()()()()()()()()()として見ていた訳ではない。帝王とまで呼ばれる彼女でさえ、自分を()として見定めたのは、つい最近の事なのだ。

 傲岸不遜とさえ取れる貪欲な姿は、強さを標榜し続ける自分達にとって、心地が良い程に収まりの良い()()()()()()だった。

 東条が新しく迎え入れた後輩は、まるで小鴨のような獅子の子であった。

 

 そんな少女だったから、最初の一人は殊更に愛着が湧いたのだろう。

 

 近くでレースを観た。

 

 それだけの事で、その後輩が驚く程に喜んだから、また次も応援してやろうと思ったのだろう。喜ばせてやろうと思ったのだろう。

 そんな姿を羨んだから、残りのメンバーだって同じ事をし始めたのだ。気が付けば、チーム全員で応援し始めていたのだ。

 マスコミに囲まれて煩わしかろうと、君臨者達が変わったお遊びを始めたと呆れられようと。

 声が必ず届くターフの傍で、その後輩を応援し始めたのだ。レース直前に必ず自分達を見付けて近寄ってくる、末っ子の妹分に愛着を持ったから。

 

 何時からか、最初の一人が誰だったか分からなくなるくらい、そのやり取りが当たり前になっていた。

 前回の『菊花賞』の時だって、間違いなくそうだった。

 

「……探してますね」

「うう、罪悪感が凄いデース……!」

 

 グラスワンダーの心配そうな声と、エルコンドルパサーの申し訳なさそうな声。二つ分の声音が、シンボリルドルフの意識を中山レース場へと引き戻した。

 最近、妙に物思いに耽るようになった。まだ歳若い身でこうなってしまっては、先が思いやられる。

 自分が急激に年老いた気がして、シンボリルドルフは苦笑した。自分はまだ十代の身空だ。既に老輩を気取っていては、歴戦の老君達に笑われる。

 

「仕方がないさ。私達がいつも通り叱咤激励に向かえば、記者が殺到するかもしれない。そうなっては、アフタの邪魔になるだろう」

 

 シンボリルドルフは、後輩達を励ますように口を開いた。

 そう言いながらも、自分自身だって僅かな寂しさを覚えている。

 

 現在、アフターマスと東条を除き、チームリギルが居るのは来賓用の観覧室だった。ターフから歩いて近寄れる、一般の観戦スペースではない。

 いつものようにターフの上から自分達を探すアフターマスには悪いが、これもメディア対策の一環だった。各社報道機関に学園への立ち入り制限が掛かった以上、記者が自由にチームリギル(アフターマスの身内)へと取材を行える機会なんて、この『有記念』を置いて他にない。

 制限が掛けられて、メディアも幾分かの冷静さを取り戻した様ではある……が、それはそれ、これはこれだ。折角、報道熱が落ち着きかけているのだから、再燃する要素は与えない方が良い。

 

 アフターマスには事前に、いつもとは違う対応を取ると東条から連絡が入っている筈だが、レース前の緊張で忘れているのかもしれない。

 もしくは、もしかしたら誰かしら一人くらいはリギルメンバーが居るかもしれない……そんな淡い期待を抱いたか。

 遥か彼方で小さく肩を落とした後輩を見て、シンボリルドルフは少し、気の毒に感じた。同時に、後輩の変わらない仕草に安堵する。家出紛いな事をしていても、やはり根本は早々変わらない。

 

「そういやトレーナーは何処に行ったんだ? そろそろレース開始の時間だが」

「トレーナーなら、アフタの礼を言いにスピカの下へ行っている。結局、トレーニングどころか中山レース場までの送迎も世話になってしまったしな。今後をどうするかの話し合いも兼ねて、レースはそのまま関係者席で観るそうだ」

「あー……今日ばっかりはスピカも一般席じゃ観戦出来なかったんだね。合宿中の動画がかなりネットに上がってたし、どう言い繕ってもアフタの関係者ってばれるか。スピカには申し訳ない事をしたねぇ」

 

 ナリタブライアンとエアグルーヴ、ヒシアマゾンが疲れたように言葉を交わした。

 アフターマスの『日本ダービー』制覇以来、生徒会役員であるナリタブライアンとエアグルーヴにはかなりの仕事を担って貰っている。同様に、美浦寮の寮長であるヒシアマゾンにも、本人の好意に甘える事が多々あった。

 生徒会も『日本ダービー』直後は、純粋に明るい話題に忙殺されるだけだった。

 トウカイテイオー、ミホノブルボンと続き、シンボリルドルフ以来三度目となる無敗の二冠ウマ娘誕生。

 その頃まで、メディアや世論は素直に祝福の声を上げていた。恵まれたとは言い難い体格と境遇で、血の滲むような努力の果ての栄光。持て囃されるのも(むべ)なるかな。アフターマスの物語は、正に日本人好みのサクセスストーリーだった。

 しかしそれも、ある日を境に雲行きが怪しくなって行く。

 

 強いウマ娘達によって繰り返される熱いレースに、飽きたと言って去った聴衆がいた。

 何時まで経っても現れないシンボリルドルフの後継者に、不可視の壁を見定めて諦めたウマ娘達がいた。

 人の心がウマ娘のターフから離れて行く。それを止めようとしても、URAでさえ止められなかった。

 歯止めの利かない緩やかな衰退は、少しずつ、日本のエンターテインメント産業を蝕み始めていた。

 そんな時だったのだ。アフターマスが無敗の二冠を取ったのは。

 

 URAは藁にも縋る思いだったのだろう。無敗の三冠達成を彷彿とさせるには明らかに時期尚早なのに、URAからアフターマスへと、京都レース場に像を建てる事が提案された。

 今年の『菊花賞』に合わせて公開出来るようにして、人々の関心を無理矢理集めた。まるで、アフターマスが必ず勝つとでも言うように。

 ウマ娘は不可能を可能にする。そんな夢を、意図的に人々に見せる為に。

 

 ──そして、アフターマスは人々の夢を叶えてみせた。

 

 『菊花賞』の勝利。すなわち、無敗での三冠制覇。観衆がずっと見たかった夢の成就。栄光に満ちた光景を、アフターマスは人々に見せた。シンボリルドルフが敷いた無敗での三冠制覇という軌跡が、再現可能な夢物語であると証明してみせた。

 終わらない栄華の夢を、アフターマスは人々に()()()()()()()

 そこから、一気に世の中が可笑しくなったのだ。

 

 生徒会に舞い込む仕事の様相が変わった。日に日に、明るかったものからきな臭いものへと、メディアやイベントに関する書類の色が染まって行く。

 中には、シンボリルドルフの神域を犯したアフターマスを扱き下ろすものや、逆にアフターマスを持ち上げる為に他のウマ娘を蔑ろにするもの、他のウマ娘を支持する為にアフターマスの存在を否定するものまであった。そんな事、ウマ娘の誰もが望んでいないのに。

 シンボリルドルフは最初、トレセン学園とURAへと抗議を行った。自分はともかく、こんなものは生徒達に任せる仕事ではないと。未来あるウマ娘達に見せるべきものではないと。

 ……しかし。抗議する為に向かった先は、生徒会以上に地獄のような様相だった。

 単純な話だった。自分達に多くの場違いな仕事が割り振られるようになったのは、学園とURAが処理出来る限界を超えてしまったからだった。

 従来からずっとウマ娘に携わっていた業界以外も、新たな無敗の三冠ウマ娘に関心を示していた。中央トレセン学園とURAの想定を大きく上回ってしまう程に、日本中の関心の中心に、アフターマスがいたのだ。

 

 そうなれば、栄光に向かって悪意が向けられるのは、残念ながら当然と言えた。人間は善と悪の両方の顔を併せ持つ生き物だから、関心の全てが向くのは、つまりはそういう意味だった。

 アフターマス本人を置き去りに、世界は新たな無敗の三冠ウマ娘を担ぎ上げて廻っている。

 

『──にしても、今回は更に一段と絞って来ましたね。春の天皇賞のライスシャワーを彷彿とさせます。歴戦のウマ娘達を相手に、気迫は十分と言ったところでしょうか』

『──この子が見たくて中山レース場に徹夜で並んだファンも多いでしょうからね。今日はどんな勝ち方をファンに見せてくれるのか、本当に楽しみで仕方がありません』

 

 館内放送のスピーカーから、実況者と解説者の声が流れる。本来公平であるべき立場の人間でさえ、伝説の新しい一頁を心待ちにしているようだった。しかし、それも幾分仕方がないのかもしれない。

 まるで負ける姿が想像出来ない。

 本気でそう言ってのけるファンが多いのだ。勝負事はいつ負けるか分からない……内心では、そう気付いているにも関わらず。

 世間の目は、アフターマスを見ている様で見ていない。ある者は比類なき栄光を。ある者は栄華が翳る瞬間を。それらはアフターマスを通じて、()()()()()()()()という物語の主人公が、劇的な何かを迎える事を望んでいる。

 

「なに難しい顔してるの? 有記念、もう始まっちゃうわよ?」

 

 シンボリルドルフの両肩へと、後ろから手が置かれた。自身の友であるマルゼンスキーだ。

 

「ああ、いや。すまない。少し懐かしくなっていてね」

「懐かしい? 有記念が?」

「それもあるが、どちらかと言えばシニア挑戦……いや。クラシック三冠が、だな。私が菊花賞を勝ち取った時は、世の中はどのように動いていたかと思ってね」

「そうねー……ルドルフちゃんの時は確か、目が点になってる人が多かったわね。『え、本当にそんな事出来るの?』って感じの人が多かったかな?」

 

 マルゼンスキーが思い出す様に細い(おとがい)に指を当て、答えをぽつりと導き出した。

 自分の時は、そう言えばそうだったかもしれない。

 栄光の道を切り開いた……と言うにしては、聴衆がかなり唖然としていた。

 どう祝えば良いのか分からない。そんな文字が沢山の顔に書いてあったのを思い出す。少なくとも、アフターマスのように流言蜚語に塗れて賛否両論……なんて状況にはなっていない。

 

 視線のずっと先で、アフターマスが落ち着かないように自分の尻尾を引っ張った。

 自分達と会って話す。そのいつものルーティーンが出来ていないからか……そう考えたが、どうやら他にも理由がありそうだった。本人も頻りに首を傾げているのが見える。大丈夫だろうかと、些か心配になった。

 

 誘導係に従って、ウマ娘達がゲートに収まって行く。

 アフターマスは3枠6番。偶数番なので後入りだが、ゲートが得意なアフターマスには後入りでも先入りでも関係がない。

 好調時のアフターマスを相手として想定するなら、他のウマ娘にとってスタートダッシュは重要だ。少なくとも自分なら、先頭集団に位置取ってレースを組み立てるので、間違えてもゲートでは躓けない。

 

「遂に始まるのね、アフタちゃんのシニア挑戦。無敗のまま挑む最初のレースが有記念だなんて、凄くロマンチックね」

「ああ、そうだな。アフタが勝っても負けても、世の中を大きく動かすレースになる。そんな舞台で自分を差し置いて一番人気に選ばれた後輩が相手だ。他のウマ娘も気合いが一入(ひとしお)だろう。アフタであっても全員が難敵だよ」

「……ルドルフちゃん、もしかして出走してる子達が羨ましかったりする?」

「うん? そんな事はないが」

 

 マルゼンスキーの問い掛けるような声に、首を傾げた。特に心当たりがなかった。

 そっか、ごめんね。変な事聞いちゃって。そう言うマルゼンスキーの声を、館内放送のファンファーレが紛れさせた。

 もうレース開始の時間だ。今から三分後には、今年最後のGIの勝ちウマ娘が決まっている。

 

『──最強の衝撃対歴戦のシニア級ウマ娘、お互いの意地と誇りを賭けた世紀の一戦。生まれるのは史上初の無敗の四冠ウマ娘か、或いは強さを示した真の古豪か。クリスマスに迎える今年の有記念、勝つのは私の夢でしょうか、貴方の夢でしょうか。誰かの夢が栄光を飾ります』

 

 冬の寒さに負けじと、実況者が観客の熱気を煽るようにスピーカーを震わせた。場内から歓声が薄れ、静かな熱が膨れ上がる。

 レース開始時は、必ず場内は数瞬静かになる。嵐の前の静けさ……と言うよりも、ファンとウマ娘が夢を鮮明に研ぎ澄ます時間。この時ばかりは、ターフの上に何年立とうと緊張が消えない。ゲートの中に居るアフターマスも、きっと同様だろう。

 

 ふと思い付いたように、マルゼンスキーが再び口を開いた。

 

「そう言えば、弥生賞で誰が最初にアフタちゃんの激励に行ったか。ルドルフちゃんは覚えてる?」

「いや、実は全く覚えてないんだ。恐らく、エルコンドルパサーかタイキシャトルあたりだと思うんだが……」

「ふーん? ……ふふっ。やっぱり似てるわね、貴方達」

「ん? それはどういう──」

『──さあ、各ウマ娘一斉にスタートしました!』

 

 どういう意味だ? シンボリルドルフがそう口にしようとした瞬間、スピーカーから実況者の声が流れた。レースが開始したらしい。

 咄嗟に、視線をマルゼンスキーからゲートへと向ける。焦点は、横一線に並んだウマ娘達の先頭。好スタートを決めたウマ娘の定位置。つまり、いつものアフターマスの指定席だ。

 当然だが、そこにはいつものように、絶好のスタートを決めた後輩がいて──いる筈で……待て。どうしてそこにいない?

 

 場内に絶叫が響く。すぐ隣からも、驚いたように「嘘」と一言漏れた。シンボリルドルフは、静かに瞠目する。

 何か特別な事が起きた訳ではない。ただ、レースでは良くある事を、アフターマスがやった。それだけだった。

 それが信じられないのは、知らず知らずに、自分すらも後輩の強さを信頼し切っていたからだろうか。

 レースに絶対はない。それを誰よりも知っているのは、絶対があると謳われた、シンボリルドルフ自身だと言うのに。

 

『──おおっと、どうしたアフターマス! 得意のゲートで大きく出遅れたぞ! 他のウマ娘はほぼ出揃いました! アフターマスは最後方からのスタートです!』

 

 遥か視線の先。夢の舞台に選ばれた十六人のウマ娘が、最初に鎬を削る場所。そこには、観覧室にまで響く程のどよめきの雨が降る。

 メイクデビューから数えて、実に八度目の公式戦の舞台。

 そこで初めて、アフターマスは出遅れた。

 

 

■□■

 

 

 俺という駄馬は、どうしていつもこうなのだろう。

 青い風が体に纏わり着いて、世界が灰色に染まっている。体は四足歩行の感覚に戻ってしまっているけれど、いつもの様に気を散らせる余裕はない。

 

『──おおっと、どうしたアフターマス! 得意のゲートで大きく出遅れたぞ! 他のウマ娘はほぼ出揃いました! アフターマスは最後方からのスタートです!』

 

 実況さんの声が大きく響く。前世でも犯した事のない失敗を、『()()()()』の大舞台でやってしまった。

 

 スタート失敗。大きな出遅れ。

 ディープインパクトの紛い物ではあっても、ディープインパクトではない俺には、このミスは致命的だ。特に、今回の『有馬記念』では。

 

 視線を強く前に向ける。俺の先を行くウマ娘達が見える。自分にとって最善の場所を取ろうとする先輩方の姿は、俺の場所からでは辛うじて中団後方までしか見えない。

 そしてその中に、()()()()()()の姿はない。

 

 やはり今回も、ハーツクライは前世同様、先頭集団での()()を選択したらしい。

 ハーツクライ先輩は追い込みを専門とするウマ娘だ。けれど、俺の知ってるハーツクライは恐ろしく強い先行馬だった。

 もしかしたら、このレースでは走り方を切り替えて、先行策を取ってくるかもしれない。今世は前世と妙な所で似てるから、十分に可能性はあるだろう。

 そう予測して、事前に沖野トレーナーへと、ハーツクライ先輩が先行策を取る可能性を相談してあった。

 

 ──ハーツクライが先行策? 幾ら何でも、有の舞台でぶっつけ本番にそれは……いや。南坂ならやりかねんな。一応、ハーツクライが先行策を取る可能性も考えて、有への調整プランを練るか。

 

 俺はトレーナーの事情に詳しくはないが、どうやらハーツクライ先輩の担当トレーナーは、かなり癖の強い戦略家であるらしい。

 沖野トレーナーが東条さんへ話を振った所、同様に先行策の可能性を賛同されたと言っていた。

 

 そこからは、先頭集団での競馬をするだろうハーツクライ先輩をマークする為に、此方もいつもとは異なる先頭集団後方でのレースを予定していた。

 出遅れは勿論許されなかったし、ましてや最後方からの()()なんて、絶対に有り得ない。

 

『──さあ、序盤から予想外の展開が生まれております! しかし、1周目の第3コーナーに向かって、やはり先行するのはこの二人──』

 

 先頭を走るのも、やはり前世と同様に逃げ脚を持つ二人の先輩だったらしい。前世では此処まで後ろに下がっていなかったから、先頭を奪い合う二頭の競走馬の姿をまざまざと見て、確かにその姿を覚えている。

 もしもレース展開が完全に前世通りならば、ハーツクライも先頭のすぐ傍にいるだろう。

 

 脳内で急いでレースを組み立て直す。同時に、直ぐに前へ行きたがる悪癖持ちの脚の手綱を、直ぐに弛める為の準備に入る。

 後方集団からの勝負では、今回に関しては絶対に勝てない。はっきり言って、この『有馬記念』のハーツクライは化け物だ。

 前世のこの有馬では、俺はディープインパクトとハーツクライに置き去りにされ、二頭の競り合いを見せ付けられた。その時の恐ろしい強さをまざまざと覚えている。それこそ、ディープインパクトが二頭居るのかと錯覚した程だった。

 翌年にジャパンカップでリベンジしたものの、その時のハーツクライは不調だったのか、ディープインパクトと見紛った程の輝きは見られなかったが。

 しかし、これは俺が負けた時の『有馬記念』だ。ジャパンカップの時の強さは関係ない。今回において、ハーツクライはディープインパクトと同等の怪物だ。故に、徹底したマークは必須だった。

 

『──先頭から3バ身差、3番手は固まっております! おっとハーツクライ、ハーツクライがなんと3番手に上がって来ました! そして追うように4番手に──』

 

 ハーツクライが3番手に着けたと聞いて、腹を括った。このままだと、前世以上に悲惨な結果が待っている。

 終盤の為に脚を残そうと金切り声を上げる理性を黙らせ、走るペースを大きく上げた。

 此処からはターフの中で()()だけ違う競馬をする事になるが、そんな事に構っている余裕はない。

 

 やる事は単純だ。脚の消費に気を付けつつハイペースで駆け、出来るだけ早く先頭集団へ追い付き、ハーツクライのすぐ後ろを位置取る。後は可能な限りマークして、勝負を仕掛け始めるだろうラスト2ハロンの地点まで、好位置を取られないように立ち回るだけ。

 言うは易し行うは難し。だが、大きく出遅れた競走馬が強い先行馬に勝とうと思えば、例外の様な化け物馬を除けば、それくらいしないと勝つ術はない。

 しかし、その例外の化け物馬であるディープインパクトに勝つという無理難題に比べれば、それでも圧倒的に簡単だろう。そう自分に言い聞かせて理性を説き伏せる。

 

 先ず以て、ハーツクライに勝てなければ、ディープインパクトにも勝てない。前々世ではハーツクライが勝った筈だが、前世ではハーツクライとディープインパクト、両頭がほぼ同時にゴールラインへと駆け込んだのだ。

 前世よりも明らかに強くなっていた今世の『菊花賞』のディープインパクトならば、『有馬記念』のハーツクライが相手であっても勝つ可能性が高い。

 その場合警戒しなければならないのは、ディープインパクトがハーツクライをペースメイカーとして利用する事だ。強い先行馬が作ったレースのペースを、強い追い込み馬が上手く利用する……はっきり言って、そんなのもはや絶望でしかない。

 そもそも、違う競馬をすると言うなら、もうそんなの今更だった。だって、今回は()()()()()特別だ。

 

「──自分だけ最高のスタート切りやがって」

 

 俺はありったけの憎しみを込めて、自分の左斜め前方──ゼンノロブロイ先輩の横に位置取るウマ娘を睨む。

 そいつは、悠然と走っていた。俺と同じ勝負服を靡かせて、俺とよく似た走りをしている。

 響く(あしおと)は、凱歌のようだった。棚引くマントは、翼のようだった。世界が変わっても変わらない強さは、主人公のようだった。

 

 ──ディープインパクト。

 

 遅れてやって来る筈の『英雄』は、何故か既にそこにいる。

 

『──各ウマ娘、今第4コーナーを曲がってスタンド前! 各ウマ娘の位置取りは変わらない──おっと、アフターマスが後方集団のゼンノロブロイに並んだ! ペースが速いが最後まで持つのか!?』

 

 自分を前へと進ませる為に、脚に力を込めた。

 

「──もうペースを上げるんですか!?」

 

 並んだゼンノロブロイ先輩へと、一瞬だけ視線を送る。

 前世で一度だけ見た、世紀末覇者の愛馬みたいな競走馬ゼンノロブロイ。あの傑物と同一人物とは思えない程の優しい顔に、驚愕の表情が浮かんでいた。

 凄い──という驚きよりも、正気を疑うような色合い。

 俺もこんな序盤にスパートを掛ける追い込み馬が居れば、恐らく同じ顔をする……そんな自信があったので、深くは触れたくない。

 そう言えば、この先輩の名前は()()に纏わるものだったなぁ……と、ふと思う。

 答える余裕なんて本当はないが、並んだディープインパクトに負けないよう、自分に聞かせるべく声を出す。

 

「──勝って『英雄』になりたいので」

「──えっ、英雄?」

 

 ちゃんと分かってるから、待ってろよ『英雄』。

 湧いて出たそんな雑念を、意識して風に吹き飛ばした。

 ゼンノロブロイとディープインパクトの間を、一頭で抜け出た。英雄と『英雄』、二頭の競走馬に背を向ける。

 

 正直な話、ゲートに入る前から僅かな違和感はあった。音が妙に遠くて、世界が少しだけ色褪せて見えていた。

 でもそれは、『有馬記念』への緊張感が齎した錯覚だろう。そう割り切ってゲートに入った。ディープインパクトが現れるのはレースの中盤以降。つまり、レースがまだ始まっていないゲートの中は安全圏。本気でそう思っていたし、今まではずっとそうだった。

 だから、()がレース開始直後から出現出来るなんて、俺は一度も聞いていない。そのせいで脚が竦み、俺はスタートに失敗してしまった。

 幻影の癖に盤外戦術なんて仕掛けないで欲しいと、切実に思う。そもそも、小細工は俺みたいな弱者の特権だろう。()のような()()の塊が、負け越しっ放しの俺相手にやって良い事ではない筈だ。

 

 がりり、と歯を食いしばる。自分の不甲斐なさが嫌になる。スタンドから降ってくる声の塊が、俺の情けなさを非難している気がした。

 そんなんで『英雄』になれる訳がないだろ。

 元の世界では中山競馬場と呼ばれた、ディープインパクトがラストランを飾った場所。『英雄』の最後を見届けたスタンドから降り注ぐブーイング混じりの歓声が、苛立ったようにそう告げる。

 だから、早くその場所を()()に明け渡せよ。

 何処からか聞こえて来た声は、俺と同じ声音をしていた。

 

 ──『生まれるべきではなかった新たな■■の■■ウマ娘』

 ──アフターマスの呪い、同期を壊す■■の影。

 ──アフターマスさんもそう思われるから、リギルから()()したんですよね?

 

「ごめんなさい」

 

 レース場の風が、心の蓋をこじ開ける。ずっと見ないようにしていたものが、俺へと伸し掛かった。

 それを風で吹き飛ばしたくて、更に一歩前へと進む。

 

 全ては、俺が皆から『英雄』を奪ったのが悪いのだ。

 ずっと蓋をしていた心から、逸らしていた感情が溢れ出る。恐怖。悲しみ。悔しさ。憎しみ。そして──負けたくなかったという本心。それらを、鑢のように風が削る。

 お前にそんなものを感じる権利はない。そう言う様に、心と体をじくじくと痛み付ける。

 

 勝ちたい。

 

 完全に首を下げた馬の声が、何処からか零れた。それは、一番良く聞く声をしていた。

 前世の『新馬戦』で生まれて、今世の『菊花賞』で現実を見た負け馬。それが俺の正体だった。

 俺が俺を見付けられないのは当然だった。俺は、俺を持たないまま今日まで走って来たのだ。沖野トレーナーの言う通りなのだ。俺は、完膚なきまでに心が折れている。その現実を、見ないようにしていただけで。

 

 頭の裏側の、脳と頭蓋の狭間。何かがある筈のそこが空白になって、燃えるような焦燥を感じる。

 俺は此処にいる。その一言すら、情けない俺じゃ言えなくて。

 

 もう一度、歯を食いしばる。

 俺がどんな駄馬であっても、それでもチームリギルの一員だった。先輩方の顔に、これ以上は泥を付けられない。

 

「──夢が見たいなら、見せてやる」

 

 ディープインパクトが果たせなかった、最初の『有馬記念』制覇。

 それを果たせば、今日までの補填にはなるだろう。そう信じて、死力を尽くす。

 

 俺は、ディープインパクトにならなければならない。皆の誇りにならなければならない。

 そんなの知っている。だから黙って見ていて欲しい。『英雄』を讃える歓声なんて、俺は要らない。

 

『──先頭集団変わらず、スタンド前を通過します! 3番手は変わらずハーツクライ! 中団以降も様子見のままレースを展開しております! 前年度覇者のゼンノロブロイは最後方でゆったりと強い走り! そしてアフターマスはじわりじわりと上がっている!』

 

 スタンド前。質量を持った夢の声を掻き分けて、突き進む。皆の誇りになる為に、一歩ずつ恐怖を飲み下す。

 今日こそ勝つんだ……その想いだけは、胸に抱いて。




 既に期間が空いているので、予定を変更して完成してる分を先に投稿します。次回分はまだです。時間を縫いながら頑張ります……!
 今話、楽しんで頂けたなら幸いです。


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第18話 帰る日

 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
 ……投稿が遅くなってしまい、申し訳ないです。色々やってました(言い訳)


 非常に情けない話、俺は『有馬記念』が怖い。

 理由は嫌な思い出しかないから……だけではない。

 『有馬記念』の執り行われる年末の日曜日は、俺の存在意義が消える日だからだ。

 

 ディープインパクトという競走馬は、勝ち続けたままターフを去り、伝説となった。

 日本近代競馬の結晶。全世代の頂点。奇跡に限りなく近い馬。

 そう呼ばれながらも、やっぱり()も生き物だった。どんな化け物であっても、血が通うならば(いず)れは消えていなくなる。そして、化け物であるディープインパクトが勝負の世界から消えたレースこそが、『有馬記念』だった。

 

 ディープインパクトが消える。それはつまり、俺が()に勝てなくなるという事を意味する。相手が戦場に現れないのならば、そもそも戦えないのだ。俺がどれだけ喚こうとも、勝ちようがない。

 俺が一番見て来た()は、実物ではなく幻影だ。どういう原理で奴が俺の前に現れているのかなんて知らないが、それでも奴はディープインパクトだから、何時かは消えていなくなる。

 

 しかし、それは何時だろうか。

 夢から生まれ出た化け物が夢へと帰る日は──ディープインパクトの代わりに夢を見せると言う俺の存在意義が消える日は、何時だろうか。

 そう考えて──奴が伝説となったラストラン、『有馬記念』がその日である可能性が高かった。

 だって、()はレースの時にしか現れない。併せ馬でも駄目で、前々世に奴が走ったレースの時にしか、奴は現れないのだ。

 だから、タイムリミットは二度目の『有馬記念』まで。

 それに気付いてからは、時間との戦いが始まった。

 

 制限時間内に、史上最強を打ち倒せ。

 ゲームなら、リトライの先に何時かはエンディングを迎えられるだろう、そんな文言。しかし、これは現実だった。リトライなしで、俺は『英雄』を超えなければならなかった。

 俺がディープインパクトを消して、ディープインパクトが俺の存在意義を消す。俺が奴と言う存在を奪ったように、奴はアフターマスと言う競走馬から、()()と言う至上命題を奪い去る。

 最強の競走馬ディープインパクトの勝ち逃げを以て、俺は完全な()()()となってしまう。()()()()()()()()()という史実の夢に疵を付けた罪を、一生背負う畜生となる。

 

 ……嫌だった。堪らなく嫌だった。

 負けたくないのだ。実力不足だろうとも、心が折れていようとも、競走馬は勝ちたいのだ。夢を見せたいのだ。

 だから、最善を尽くした。勝てるなら死んでも良かった。だから、あの日の『有馬記念』で俺は最善を尽くした。

 最高速度で二度のコーナーに突っ込んで、遠心力を捩じ伏せる為に前脚を一本へし折った。前脚の分まで力を入れた後脚も、最後の直線で駄目にした。必死に止めにかかってくれた鞍上の指示も無視して、ゴールの瞬間までただただ速さだけを求め続けた。

 それでも……やっぱり、ディープインパクトには勝てなかった。結局、時間切れでゲームオーバーだった。それと同時に、俺も人に迷惑をかけ続けた馬鹿に相応(ふさわ)しい結末を迎えた。

 

 そして、気が付けば──競走馬からウマ娘に生まれ変わっての今世だ。

 存在しないと思っていたリトライ。競馬の神様が駄馬の俺に恵んでくれた夢の続き。ディープインパクトに再び挑める時間。

 しかし俺は、前世と同じように、多くの人に支えて貰っても、恩を仇で返し続けていて……またみっともなく、生き恥を晒し続けている。

 俺は勝たなければならない。前世とは比べ物にならない未熟な体であろうとも、脚を二本取り上げられてゼロからのリスタートであろうとも、俺は前世の分まで、ディープインパクトに勝たなければならない。

 俺が自由になって良いのは、『英雄』に勝ってからだ。走り抜けて、俺のせいで世界からいなくなった『英雄』の栄光を、皆に見せてからだ。

 

『──さあ、アフターマス外を回って現在中団後方まで上がっている! 更にその後方からは内を突いてゼンノ□□□□!あとは□□□□、□□□□!──』

 

 灰色の世界でも何故か青く見える空の下で、湧き出て来た悔恨の念を踏み潰した。

 世界から余分な情報が削り取られて、色んな音が欠落していく。

 スタンドから降るどよめきの雨の中を、俺達は突っ切った。

 この『有馬記念』で挑まなければならないのは、『英雄』と呼ばれた最強の競走馬と、最強の競走馬を打ち倒した『主役』と呼ばれた競走馬。

 駄馬がこの二頭に勝つには、全身全霊でもまだ足りない。特に、出遅れと言う致命的なミスを犯した状況では、天を仰ぎたくなる程に足りないのだ。

 

『──各ウマ娘、第1コーナーをカーブしていきます! 先頭は□□□□、リードが3バ身程! □□□□2番手です、ゆったりとした流れか! 3番手には□□□□、あと──()()()()()()!』

 

 どくん……と心臓が跳ねる。ちらりとだけ、ハーツクライの姿が()()の向こうに見えた。脚に力を込めて、ハーツクライを追う。

 このレースで走っているのは、ディープインパクトだけではない。ハーツクライだってそこにいる。『ジャパンカップ』とは違って、万全の状態で走っている。その事実に、気を引き締める。

 前世の『ジャパンカップ』でリベンジした時のハーツクライは不調だった。だからあれは例外で、俺はハーツクライにも雪辱を晴らさなければならないのだ。恐ろしい程に絶好調な今世のハーツクライ(ハーツクライ先輩)に勝って、きちんとした勝鬨を上げなければ胸を張れない。

 だから、この『有馬記念』は譲れない。

 しかし、それは──()にとってもそうだろう。

 

 背後で、『英雄』の鼓動が震える。

 必ず勝つ。幻影である筈の()から、確かにその意志を感じ取った。

 ()もやっぱり競走馬で、負けたくないと言う本能からは逃げられない……そんなの、前世で初挑戦だった『有馬記念』で嫌になる程に分からされている。

 ディープインパクトという競走馬は、見た目に依らず負けず嫌いだった。

 

『──□□□□、第2コーナーへ向かいます! 中団の前には11番の□□□□が追走して、そして1バ身差□□□□です! 外を突いて上がって来ましたアフターマス! 向正面に上がります!』

 

 ぼんやりと、脳が酸欠で馬鹿になっていく。

 このまま全力で走り続ければ、本当は勝てるのではないか。

 そんな錯覚を本気で感じてしまう。背中は()の存在で焼け付いていて、首から先はハーツクライの存在で溶けている。茹だった頭で湧いて出たこれは、確実にまともな思考ではない。

 

 第2コーナーから続く下り坂の終わり間際。

 つまり、向正面の折り返しよりも手前。残り1000mの所で、ようやく俺はハーツクライの影を踏んだ。

 しかし、此処──ラスト5ハロンの地点はもう、普段の俺やディープインパクトが勝負を仕掛けられる射程圏内だ。こんな所からでは、ディープインパクトを撒ける程のレースのペースは作れない。

 だから俺はもっと早く──()()レースの主導権を掴まなければならなかった。まだ勝敗は決していないが、勝つ為にはそうであるべきだった。

 だって、そこからは簡単なのだ。もっと全力で走り抜けて、全員の目を吹っ切る。そして、雲一つなかった夜の空のように、『英雄』すらもいない場所に居座って、ゴールラインまで駆け抜けて、先頭で最後の一線を踏み締めて……──。

 

『──さあ、各ウマ娘これから3コーナーに向かいます!これから800mを通過、□□□□先頭です! リードは3バ身! しかしすぐ後ろ3番手には追い込みウマ娘のアフターマスとハーツクライが既に控えております! 一体何が起きているのでしょうか!』

 

 ──俺は、一体何を言っているのだろうか。そんな事をしては、最後まで走れる訳がない。

 馬鹿になり過ぎた自分自身を叱咤する。夢見がちな年頃であっても、こんな滅茶苦茶な空想は恥ずかし過ぎる。

 これは()()()()()()ではない。遊びでやるような走りで勝てる訳がない。空想の中の幼稚な全能感は恥ずかしいだけだ。

 それに、今だって全力だった。余力を残すなんて真似はしていない。つまり、現状が掛け値なしの俺の実力だ。

 

「──待ってたよ! スーパースター!」

 

 風に乗って、凛とした声が流れた。ハーツクライだ。

 灰色の世界を緩やかに駆け続けている体が、意識せずとも声の主へと並ぶ。

 

「──待たせてすいません、先輩。勝ちに来ました」

「──知ってる! でも今日は()()()の早かったね!」

「──先輩に勝つ為には必要ですから」

「──へっ?」

 

 咄嗟に返した軽口に、ハーツクライからは驚いたような声が返って来た。

 一瞬だけ横目を向けると、ハーツクライは嬉しがるような、照れるような……何時の日か、映画館でウオッカ先輩とスカーレット先輩が浮かべていたような顔をしていた。

 ハーツクライは口角を上げて──競走馬ではなく、人間染みた顔で口を開いた。

 一歩分だけハーツクライが前へと進み、僅かに距離が開く。

 

「──嬉しいな! 最高に嬉しい! レースで意識されて嬉しいなんて初めてだよ!」

「──指を銜えて負ける気はないので」

「──ああっ、もう! 良いな、良いな! このままずぅっと走ってたい!」

 

 朗らかな声が、高速で流れる芝の上に落ちる。落下点から、音の雫が広がっていくような錯覚を覚えた。

 地面に落ちた音が、じりじりと焦げるように広がって行く。たった一つの声の波動が、世界そのものを飲み込んで行く。そんな錯覚だった。

 しかし、世界は──錯覚ではなく、質量を伴うように、重くなる。

 

「──だから、最後まで最高のデート(勝負)をしよう!」

 

 ぞわりと、背筋が震えた。ハーツクライの空気が変わる。勝負のラスト3ハロンが始まった。

 後方で『英雄』の脈動が強まったのを感じる。本来なら歴史に残る筈だった末脚──ディープインパクトの追い込み(ラストスパート)が始まった。

 ハーツクライとディープインパクト。怪物二頭に勝つ為に、俺も僅かに残していた脚の手網を解き放つ。

 

『──第3コーナーをカーブ! □□□□行った! □□□□2番手になりまして、ハーツクライ3番手! そしてアフターマスも動いた! アフターマス、四冠目を狙ってすぅーっと上がって行った!』

 

 風。青く見える風が、俺に強く纏わり付く。いつもより強く吹いて見えるのは、俺の願望が反映されているのだろうか。

 一歩で、空を飛ぶ。二歩で、時間を飛ぶ。三歩で、歴史を飛ぶ。

 中山競馬場の最後の直線では、どれくらい多くの競走馬達が泣いたのだろう。此処の二度目のスタンド前はとにかく短くて、後方からレースを組み立てる競走馬は泣きを見る羽目になる。

 此処は──夢のグランプリなんて呼ばれる『有馬記念』は、そういう戦場だった。

 

 ……ああ、でも。お前だけは、違うよな。知ってたよ。嫌になる程、知ってるんだ。

 

『──第4コーナーをカーブ! 直線コース向いて、ここで先頭代わって、アフターマス! アフターマス先頭だ! ハーツクライ! ハーツクライ! □□□□が来た! □□□□来た! 外から──』

 

 ──ディープインパクト。

 

 当然のように、奴は俺を追い抜いた。

 残り300mくらいだろうか。最後の坂が丸々残っているが、奴は一息で飛び越えて行く。比喩ではなく、本当に奴は飛ぶのだ。坂だろうと、平地だろうと関係なく。

 

 勝ちたいな、と思った。だから、やれるだけの事をやった。でも、現実が此処にあった。

 

 ディープインパクトは、最後は絶対に垂れない。奴は加速し続ける。先行していても抜かれたなら、もう勝ち筋はない。此処から差し返せるだけの脚は、俺には残されていない。

 だから、このレースも負けだろう。此処から先は、いつも通りの二着決定戦だ。

 一着は、ディープインパクト。二着以降、その他。今日のレースも、いつも通りそんな結末。

 

 ──巫山戯るな。

 

「──まだだっ!」

 

 ぐっ、と脚に力を入れる。全身が赤熱したように、体を撫でて行く風を感じた。前世と違って、まだ物理的には脚が残っているじゃないか。

 だから、まだだ。まだ終わっちゃいない。

 先に進むディープインパクトを睨み付ける。今日の奴は、何故か『菊花賞』の時の走りをしていない。

 嘗めている──訳ではないだろう。出し惜しみでもないのだろう。背中からでも、ディープインパクトが本気で走っているのが分かるから。

 正直、奴が何をしたいのかなんて分からないし、知った事ではない。

 俺は勝ちたい。それが全てだ。

 

 叫ぶように、息が漏れた。こんな所では終われない。

 勝ってGI馬になる。先輩方に並べる立派な競走馬(ウマ娘)になる。負け馬じゃない。本当の意味で、チームリギルの一員になるのだ。

 俺だって──期待に、応えたいから。

 

「──此処から! 勝負だ!」

 

 背後から、叫び声が聞こえた。

 身が竦みそうになる程の覇気。ディープインパクトが二頭いる……そう錯覚する程の輝きが、背中を焼いた。

 当たり前の話。勝ちたいのは、他の競走馬──ハーツクライだって、そうだった。

 競走馬の意地が、俺の背を貫く。

 

『──ハーツクライ! ハーツクライが加速する! アフターマス捕らえられた! 先頭入れ替わってハーツクライ!』

 

 俺の隣を、ハーツクライが追い抜いて行く。此処に来て、呆気なく差し返された。

 必死に食らいつこうと脚を動かすが、少しずつ……少しずつ、着実に差が開く。その反面で、ディープインパクトとハーツクライの差は縮む。

 

 ゴールラインへと駆けるハーツクライは、恐ろしく強い走りだった。

 前世のハーツクライは差し返すなんて走り方はして来なかったけれど、それは今世と前世で俺の取った作戦が違うからだろう。

 それでも、変わらずに強い走りだったというのなら……それは、ハーツクライが自分の走りを貫いた。それだけだろう。

 俺にはない()()()()()という魔物が、俺へと牙を剥く。ディープインパクトとハーツクライにはあって、俺にはない……そんなものが、俺に突き刺さる。

 

「──まだ諦めるなぁぁあああああ──!」

 

 ハーツクライが、再び叫んだ。自分に対して言ったのか、俺に対して言ったのか。()()()()()()()()の性格から考えても、分からない。

 分からないが、もし後者なら──勝手に、諦めた事にしないで欲しい。

 俺はまだ、走っている途中なのだ。まだ……負けていない。

 

『──アフターマス! また伸びる! まだ伸びる! 『衝撃』の末脚は終わらない! ハーツクライ捕らえられるか!? 逃げ切るか!? どうだ!? ハーツクライ! アフターマス! ハーツクライ! どっちだ!?』

 

 残り何mだろうか。分からない。世界がひっくり返った気がして、何処を走っているのかも分からない。俺は今、人間なのか、競走馬なのか、ウマ娘なのか。それすらも、限界の中では分からない。

 でも、それがなんだと言うんだ。この程度でへこたれていられない。負けたくないのだ。勝つと決めたのだ。皆の誇りになると決めたのだ。

 だから、だから──。

 

「──あっああぁああああああ──!」

 

 ──だから、どうか。こんな所で、限界に負けないで。

 

『──しかしハーツクライだ! ハーツクライが更に突き放した!』

 

 決死の一歩が、届かない。軽い体が悪いのか。偽物の俺が悪いのか。何が悪いのか、本当に分からない。

 でも、ただ一つ、言えるのは……俺は、勝ちたくて、勝ちたくて、堪らない。それでも、勝てない。皆の期待に応えられない。

 

 情けない。みっともない。申し訳ない。ごめんなさい。

 

 東条さんと、チームリギルの先輩方。沖野トレーナーと、チームスピカの先輩方。他にも、練習に付き合ってくれた別チームの先輩方や、俺に張り合ってくれた同期の皆。そして、前世で俺を育ててくれた人達。

 俺は皆の期待に、応えたかった。掛けて頂いた手間に報いたかった。

 限界を越えられる競走馬に、なりたかった。

 ディープインパクトや、ハーツクライ先輩のように、限界の先へ進める()()()になりたかった。

 先輩方は限界を越えて来たウマ娘ばかりだから、レース前に一目で良いから、先輩方に会いたかった。会えば力が貰える気がしたから、みっともなく、つい探してしまった。

 いないと分かっていても、『弥生賞』の時みたいに──()()()()()()みたいに、いてくれるかもしれないな……なんて、思ってしまったから。

 

 スタンド前に降る声は、水に似ている。しっとりとしていて、重くて、体を綺麗に覆う。

 人の夢が、声を通じてターフを進む背中を押す。押された競走馬が夢に近付けば近付く程、時間の流れがゆっくりになって、競走馬は速くなる。

 例えば……前を行くハーツクライ先輩のように、夢のような競走馬であれば、歴史に残る速さになる。限界を、軽々と越えて。

 

 ハーツクライ先輩。お願いだから、そんなに簡単に限界を越えないで欲しい。実は先輩も、もうとっくに限界が来ている筈だ。

 俺と同じで、余裕のない走りをしていて……それなのに、ディープインパクトに肉迫する程、加速し続けている。

 ハーツクライが限界を越えながら走っているなんて、前世は全く気付かなかったけれど、今回は気付けたから言わせて欲しい。

 限界を越えられない俺が馬鹿みたいだから、そんなに当たり前の顔で、限界を越えないで。

 もしかしたら、限界を越えられたら俺が勝ってたかもしれない──そんな後悔を、伸び代の残っていない俺に、与えないで欲しい。

 

『──ハーツクライだ! ハーツクライ! 今年の有の勝者は! ハァァァァァツクライだ、ゴォォォォォルイィンッ!』

 

 凡そ4馬身先。ゴールラインを、二本の脚が踏む。

 ハーツクライと、ディープインパクト。この光景を見るのは、二度目だ。どちらが勝ったのだろうか。馬鹿になった俺の頭では、分からない。

 ただ、まだあの走りが残っている筈のディープインパクトが、悔しそうな顔をしている気がして……ざまあみろと、少しだけ思った。

 もし()と話が出来たら、何がしたかったんだよお前……と、揶揄うけれど、もしはもし(if)でしかない。現実が全てだ。

 一着と二着、ハーツクライかディープインパクト。三着、俺。その結果もまた、現実だ。

 

 万雷の喝采が、ハーツクライ先輩へと降り注いだ。幾らかのざわめきが、雑音のように混ざる。

 夢のグランプリ『有馬記念』。夢だけが走り、夢だけが勝つレース。前々世のこの舞台で勝ったハーツクライは、やっぱり本物の強者だった。

 晴れ空のように伸びやかな背中に、心の中で賛辞を贈る。敗者は、勝者を祝福しなければならない。

 

「──あ、れ……?」

 

 空は晴れ。季節は冬。顔に吹き付ける風も、それ相応に乾いていた。

 なのに、何故か……俺の顔は雨に濡れたように、不思議と冷たかった。

 

 

■□■

 

 

 こつ……こつ……と、地下バ道に足音が響いた。

 この薄暗い道は不思議な冷たさがあって、何時だってシンボリルドルフを落ち着かせた。

 思えば、自身が初めて負けを経験した『ジャパンカップ』でも、この場所の静けさが自身に平常心を取り戻させたのかもしれない。

 

 ──なんて言うのは、真っ赤な嘘だ。

 

 負けて取り乱さないウマ娘は、レースに出た事がないウマ娘だけだ。

 自身が経験した三度の負けは、その全てが許容し難かった。例え百度経験したって、負けに慣れる事は断じてない。負けに慣れる事があるとしたら、それは競技者ウマ娘としての終わりを意味する。

 

 かつり……かつり……と、蹄鉄が地面を軽く打つような音が響いた。

 音を不規則に感じるのは、レース後の心身の疲れが()()を襲っているのか──はたまた、最後の驚嘆すべき加速で脚を痛めたか。

 何方にせよ、今は頑張った後輩を労うのが先だろう。敗北の痛みは、肉体のそれより残酷だ。

 

「世辞でも嫌味でもなく、本当に見事なレースだった。あの出遅れから彼処まで巻き返すのは、私やマルゼンでもかなりの覚悟が必要だ。頑張ったな、アフタ」

 

 地下バ道の出口から、光を背にしてやって来た小さなウマ娘──アフターマスへと、声を投げかける。

 アフターマスは驚いた顔をした後、歩みを止めた。小さく、口を開く。

 

「すいません、先輩。負けました。ハーツクライ先輩、強かったです。本当に、強かった」

 

 そう返事をして、アフターマスはまたゆっくりと歩き始める。少しだけ右脚を庇うような仕草を見せていた。立ち姿から大事ではないと思うが、それでも心配だ。

 

 控え室まで肩を貸そう。ありがとうございます。

 そんなやり取りしてから、シンボリルドルフはアフターマスを抱え上げた。

 

「……あの、ルドルフ先輩。これ、肩を貸すんじゃなくてお姫様抱っこ」

「すまない。どうしても身長差があってな。肩を貸すより、こっちの方が早いんだ。脚は大丈夫そうか?」

「くそ身長め……脚はまだまだ大丈夫です。ライブも出来ます。ただ、力を入れ過ぎて熱が篭ってるので、アイシングしないと故障するなと思いました。まる」

 

 それは大丈夫とは言わないんじゃないか? そう軽口に返しそうになって、シンボリルドルフは飲み込んだ。

 アフターマスが強がって緩さを取り繕っているのが、目に見えて分かったからだ。

 二ヶ月振りの再会。それでもやはり、後輩の分かり易さは変わらなかった。

 まるで、二ヶ月の空白がなかったかのように、いつも通りの時間が流れる。

 

「ハーツクライ先輩の最後の加速、凄かったですよね。あれ、加速しなきゃ負けるって思ったらしいですよ。笑っちゃいますよね。あの時、もう2バ身は差が付いてたのに」

 

 ぽつりぽつりと、アフターマスが口を開く。自嘲するように、勝者を称えた。

 

「それだけ、後ろからの……アフタの気迫が強かったのだろう」

「そうですかね。そうだと良いな。……勝ちたかったなぁ」

 

 勝ちたかったな。勝ちたかった。本当に、勝ちたかった。

 少しずつ、腕の中の少女の声が濡れて行く。

 

「俺、どうしてこうも弱いんだろ」

 

 血を吐くような呟きに、シンボリルドルフは何も答えない。静かに、少女の声に耳を傾ける。

 

「学んだ事を出し尽くしても、勝てない。何をやっても、勝てない。皆の誇りになれない」

 

 情けない。そう呟いて、アフターマスは口を閉じた。目許が震えていて、顔を取り繕っているのが容易に分かる。

 これ以上の泣き言を言うのは、迷惑だ……そう後輩の顔には書いてあった。

 シンボリルドルフは、口を開く。

 

「チームリギルには、強い後輩がいるんだ」

 

 何を言っているんだろう。そんな顔をしながら、アフターマスはシンボリルドルフを見上げた。

 シンボリルドルフは眉尻を下げながら、足を止める。顔を、アフターマスへと向けた。

 

「驚く程に志操堅固でな。どうも、越えたい目標があるらしいんだ。その為にはなんだってする強さがある。その上、責任感だってとても強いんだよ。私達の誇りなんだ」

 

 シンボリルドルフはアフターマスを抱える腕を少し直して、再び歩き始めた。

 こくり……こくり……と、二人分の体重が乗った足音が地下バ道に響く。向かう先は、夢の舞台『有記念』が行われたターフとは逆方向。観客の歓声から遠ざかるように、静かな建物の中へと進む。

 勝者の栄光は光の中で、敗者の涙は暗がりの中で。そんな感傷がシンボリルドルフを襲うのは、形は違えど、()()というものが、自身とアフターマスにとっては特別なものだからだろうか。

 腕の中で、アフターマスが自分の勝負服の端を、ぎゅっと握り締めたのを感じた。

 

「ただ、そいつにはどうしようもない欠点があってね。凄く臆病で、嘘吐きなんだよ。不抜之志と言うには動揺が多くて……あと、ばれないように泣くのが上手い」

 

 アフターマスは、必死に目を瞑った。ふるふると、瞼が揺れている。恐怖心への涙は隠せる癖に、それ以外は駄目らしい。

 シンボリルドルフは穏やかに笑い……ふと、既視感を覚えた。

 後輩──アフターマスへとエールを送り、アフターマスは泣くのを我慢する。この状況には、覚えがあった。

 シンボリルドルフはいつの事だったろうかと考えて……『弥生賞』の直前であった事を思い出した。

 マルゼンスキーに笑われるのも宜なるかな。最初にアフターマスの応援をしにターフの傍へ立ったのは、自分だった。

 それに気付けば、どうして自分が忘れていたのかも、容易に思い出せる。

 色々な()を背負わされた少女に、これ以上の夢を……シンボリルドルフの新しい()を、背負わせたくなかった。だから、諦める為に忘れたのだ。

 果たして、それが正解だったのかなんて、現状を見れば容易に分かった。

 シンボリルドルフは、自身の失敗を認めた。

 アフターマスは、夢を背負えるだけ強いのに、自分が何を背負わされているのかを知らずに、自分を信じ切れずに潰れている。だから、教えてやるべきだったのだ。例え、新しい()をひとつ、彼女に載せたとしても。

 

「アフターマス、勝とう。次こそ、私達と一緒に」

 

 ()()()()()()()()()()()のではなく()()のだろう?

 

 シンボリルドルフのその投げ掛けに……アフターマスは、遂に一筋、涙を零した。

 

 アフターマスが固執する幻影のウマ娘、ディープインパクト。

 実の所、シンボリルドルフは、その正体に凡その見当が付いている。しかし、それをアフターマスに伝える訳にはいかない。

 だからこそ、アフターマスには勝って貰わねば困るのだ。自分達が直接育てたウマ娘は、ディープインパクトではなくアフターマスである。アフターマスならば……自分の本当の在り方に向き合えたならば、勝てると信じているから。まだまだ、アフターマスは強くなれるから。

 

 そして、いつの日か──。

 

「──私達と一緒に走ろう、アフターマス。私の夢だ。リギルメンバーがいて、テイオーやスピカの面々もいて、オグリキャップやミホノブルボン達がいて……そして、アフタがいる。そんなレースを、私は走ってみたいんだ」

 

 私達に()()()くれるんだろう?

 シンボリルドルフのその問い掛けに応じるように、暗い地下バ道には、一つの雫が落ちた。

 

 シンボリルドルフは、ようやく少し素直になった後輩に安堵しながら……一つ、大事な事を思い出した。

 まだ、この少女に言うべき事が一つだけ残っている。長い間、家出し続けた少女へと、送る言葉が。

 

「ああ、そうだ。うっかり忘れていたな──おかえり、アフタ。帰ろうか、皆の所(チームリギル)へ」

 

 少女は、嗚咽を漏らす。

 長い旅路の果て、傷と強さを身に付けながら、帰るべき場所へと穏やかに進む。

 暗がりを抜けた先、彼女の為に用意された控え室に、ずっと会いたかったリギルメンバーがいる事を、偽物の少女(大嘘吐き)はまだ知らない。

 

 

■□■

 

 

「とんでもない嘘吐きがいたもんだな、本当に」

 

 沖野は、現実味を欠いたように呟いた。視線の先にあったのは、中山レース場の電光掲示板だった。

 そこには、一着のウマ娘──ハーツクライの上がり時計2()()2()9()()9()と、二着に沈んだウマ娘──アフターマスとの差が4バ身と表示されていた。

 沖野は癖で手に握っていたストップウオッチを、自分の左側に立つ人物へと向けた。ストップウオッチの数字は、自分達が応援していたアフターマスの上がり時計を示している。

 

「おハナさん的にはこれ、知ってた?」

 

 差し出されたストップウオッチを一瞥して、東条は溜め息を吐いた。

 

「……想定した事はあったわ。あの子、レクリエーションとかでは驚く程にハイペースで走るの。だから、実際に()()で走らせて計測してみた事もあるわ。でも……」

「いざ走らせてみると、不思議とタイムが伸びない。走らない──いや、走れない……って所か。成程な」

 

 沖野はがりがりと頭を掻いた。

 全て、納得がいった。アフターマスと言うウマ娘の感じるスランプの正体。彼女の走りが見せる、奇妙な特徴。彼女の性格と噛み合わないレース運び。その全てが。

 

「いや、こんなの流石に分かる訳ないって。アフタは、実はシンボリルドルフ(万能なウマ娘)じゃなくて、サイレンススズカ(特化型のウマ娘)だった。それも、力押しで無敗の三冠取れるだけのポテンシャルを持った」

 

 誰が思い付くって言うんだ、そんなの! ……沖野は、理不尽さにそう憤りそうになり、ぐっと飲み込んだ。世の中、ままならない事だらけなのは当たり前だった。

 

 アフターマスの感じるスランプの正体。それは、彼女の走りが彼女の性能に付いて行けなくなった事に起因していた。

 彼女の肉体は──本能はまだまだ速く走れるのに、理性がその邪魔をする。他のウマ娘を基準に走るせいで、パフォーマンスを発揮出来ない。本当の全力では走れない。

 

 それは、かつてサイレンススズカという稀代の逃げウマ娘が陥った苦労と同じだった。

 ただ少し違うのは、アフターマスと言うウマ娘は、無敗の三冠ウマ娘なのだ。そして本人も、先行差しも一応出来る追い込みウマ娘……そう、本気で思い込んでいる。

 競技者ウマ娘としての一つの結論が無敗の三冠ウマ娘だ。すなわち、彼女である。その本人が間違えたまま走っている等、想定する事自体バ鹿げている。

 

「ただ、流石にこんなハイペースでもいつも通りに走り切れるなんて思ってなかったわ。もしかしたら、()()も出来るかもしれない……程度の認識だったのよ」

「そりゃあそうだろ。無敗の三冠ウマ娘が隠していて良い武器じゃないぞ、ありゃ」

 

 まあ、先頭集団に目星を付けていたウマ娘──ハーツクライがいたから起きた奇跡かもしれないが……そう呟いた後に、沖野は東条へと視線を向けた。

 

「その真相が知りたくて、傷心中の家出娘を迎えに行かず、此処に残ったって訳だ。おハナさんは」

 

 東条は沖野のにやついた顔に視線を飛ばし……負けたように口を開いた。

 

「……まず間違いなく、心のケアにはルドルフが動くから問題ないわ。むしろ私が行くよりも、今はチームのウマ娘同士の方が良いわよ。あの子達、二ヶ月振りの再会だもの」

「どうだろうな。チームの()()()()がいないと、締まるものも締まらないんじゃないか?」

 

 からかわないで。そう返して、東条は一度目を閉じた。

 

 正直に言えば、沖野が邪推するように、今頃はルドルフに拾われているだろうアフターマスの激励に向かいたかった。だが、今はそれより大事な事があるのだ。

 アフターマスとの約束──彼女が満足するまで速くしてみせるという、死んでも破れない約束。

 その足掛かりが、今此処にある。

 

 東条は静かに瞼を上げて、沖野の向こう側……チームスピカのトレーナーの隣に立つ、一人のウマ娘へと視線を向けた。

 アフターマスの生来の走りを知る、一人の少女へと。

 

「私の知るアフタは、既に追い込みウマ娘だったわ。でも、今日のアフタはスズカと同系統の走りをぶっつけ本番でやってみせた()()()()()。一体、どっちが本来のアフタなのかしら。教えてくれないかしら──()()()()()()()()()

 

 好敵手とも呼べるチームのトレーナーに名を呼ばれ、少女──メジロマックイーンは、関係者室の窓から見える電光掲示板から、東条へと視線を移した。

 

 自身を偽物だと定義した少女、アフターマス。

 彼女を本物へと押し上げようとする存在が、夢の生まれる暮れの中山に集ったのだった。




『泣いた偽物』編、完。

■□■

 いつもご愛読頂き、本当に有難う御座います。
 実は先日、総合評価17,000pt、お気に入り登録9000件、栞3000件を突破致しました。
 ささやかながらお祝いというか、お礼に掲示板形式のオマケを用意致しました。掲示板形式は好き嫌いが別れるので、読まなくても一応問題ない内容となっております。あと、ちょっとした設定を前書き後書きに用意してあります。
 最終推敲が御座いますので明日の投稿になり恐縮ですが、楽しんで頂けると幸いです。
 ……あと、続きはもう暫くお待ち頂ければ幸いです。実は今週末は、かなり忙しいもので……!


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【幕間】今年の有馬記念を語るスレpart.34

 いつもご愛読頂き、本当にありがとうございます。
 前話、『第18話 帰る日』の投稿を以て、遂に本作『走り抜けても『英雄』がいない』が累計総合ランキング入りを果たしました。
 投稿当初は、此処まで読んで頂けるとは本当に想定しておりませんでした。此処までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
 今後とも励んで参りますので、応援の程、宜しくお願い致します。




【アフターマス】
キャッチコピー : 衝撃の先に見えるもの
誕生日 : 3月25日
身長 : 132cm
体重 : 微減(「多分まだ絞れます」)
スリーサイズ : B66/W47/H70
靴のサイズ : 左右共に20.0cm
学年 : 中等部
所属寮 : 栗東寮
得意なこと : 柔軟体操
苦手なこと : 友達作り
耳のこと : 歓声よりも環境音が好き
尻尾のこと : たまに自分の尻尾に驚く
家族のこと : 本当は格好良い服が着たいと言い出せない
ヒミツ : 実は、居眠りの回数が学年一多い
自己紹介 : アフターマスです。皆の誇りを目指してます。先輩方が紡いだものを繋げるよう、出来る限り頑張ります。

自分が理想とするウマ娘の姿を追い掛ける少女。怖がりの臆病者で、強がって自分の本心からも目を背け続けた結果、自分の本当の想いすらも分からなくなった。一着至上主義者、近代日本ウマ娘の結晶、衝撃……等など、数多くの異名がある。しかし、本人が一番好きな呼び名は普通の「アフタ」。


1:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

このスレは今年開催されたトゥインクル・シリーズのGIレース有記念について語るスレです。

 

■次スレは>>950が立てて下さい。立てられない場合は誰かに頼んで下さい。

■>>950に近付いた際、次スレ建てを回避したい場合は書き込みの一時中断を推奨します。うっかり踏んで放置しないよう、スレの進行速度をよく見て書き込みして下さい。

■スレチにご注意下さい。

■荒らしはスルーして下さい。荒らしへの言及行為も荒らしです。

■あくまで競技者ウマ娘の応援を目的とする掲示板である事をお忘れなく。

 

2:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

初めて建てたけどこれであってる?

 

3:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

盾乙。合ってるで。

 

4:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

やるじゃない!

 

5:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

>>1 スレ建て乙です

 

GIのウイニングライブで初センターを飾るハーツクライ

https://umatu.be/rybF1h2kri

 

6:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

>>5 シニアクラスのウマ娘なのに初々しさがあってめちゃくちゃ好き

 

7:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

>>5 弾むポニーテールがこうもワイを狂わせる……。

 

8:名無しの夢追い ID:jFbIYP6df

今年の有のウイニングライブの映像、何度観てもハーツクライがセンターに立ってるの見て泣きそうになる

 

9:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

>>8 わかる

ここまで本当に諦めなかったよな、ハーツクライ

 

10:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

海外挑戦前の最後の国内レースで、次世代最強のアフターマスと現シニア最強のゼンノロブロイに勝利してGI初制覇って本当に主人公だわ。海外挑戦も是非頑張って欲しい。

 

11:名無しの夢追い ID:1xm7u7sPN

一方、シニアの新天地で『NEXT FRONTIER』のセンターを取れなかった衝撃さん

https://uma.ms/sm20051225?ref=other_cap_off

 

12:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

言い方ァ!

 

13:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

勝って欲しかったんだけどなぁ、アフターマス

 

14:名無しの夢追い ID:ID:tZHPIUDAa

皇帝陛下ですらシニア初挑戦のジャパンカップは負けたししゃあない

 

15:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

シニアの壁はやっぱり伊達じゃないなって

 

16:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

それでも無敗の浪漫は続いて欲しかったよなぁ

 

17:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>11 地味にダンス上達してて草

 

18:名無しの夢追い ID:vc8gRKziE

レース直後、てっきりライスシャワーの時みたいにブーイングが起こるのかと身構えた。

でもそんな事はなかったぜ!(現地組)

 

19:名無しの夢追い ID:IVB3KkB21

現地で有記念見れたのか、裏山。

まあ、マスコミの一件があったから、ファンも慎重になってたんだろうな。

ハーツクライ自身も前走のジャパンカップで固定ファン増えてたみたいだし。

 

>>17 やっぱり上達してるよな。相変わらずの無表情だけど。

 

20:名無しの夢追い ID:fkXqXBZXn

無表情ジト目ロリぃ……(合法)

 

21:名無しの夢追い ID:R/q2qmBuO

中学生は非合法ロリなんだよなぁ……。

それはそれとして、急にどうしたんだろうアフターマス。ライブヘタウマ娘の異名が泣いてるぞ。

 

22:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

スピカ合宿の時、帝王様あたりに徹底的に仕込まれたんじゃない? 合宿に張り込んでたクラシックガチ勢が言うには、アフターマスがレースの練習してなかった期間あるらしいし。

 

23:名無しの夢追い ID:Shd0hCJMK

JCJKの合宿に張り込むって、それもう単なる不審者なんよ……。

 

24:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

>>23 合宿の不審者……現代ターフ……うっ、頭が

 

25:名無しの夢追い ID:793FnwgOs

正月生特番のシンボリルドルフとアフターマスの座談会を中止にした現代ターフ、絶対に許さん

 

26:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

>>25 観たかったよなぁ、新旧無敗の三冠ウマ娘の生対談。ただでさえ、アフターマスがテレビに出演するの激レアだったのにさぁ……。

 

27:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

衝撃さん、帝王様並の体幹と柔軟性持ってるのになんでそんなにダンス下手なの? ってレベルだったし、シニア初挑戦前に帝王様のパーフェクトダンス教室が開講されてても可笑しくないわなって。

 

28:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

ローカル・シリーズデビュー当時のオグリキャップも似たようなもんだったって聞くけど、アフターマスはリギル所属なのにいつまで経っても下手くそっていう貴重種だったしなぁ……。

 

29:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

あれ、アフターマスって結局スピカに移籍したんだっけ? 有の時は電光掲示板の所属欄にリギルって書かれてたんだけど。アフターマスが移籍したなんてニュース聞いた覚えもないし。

 

30:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

移籍じゃなくて、アーマスがスピカと合同合宿やってただけやで。ついでに同期とも。

 

これ、ネットに掲載許可貰ってワイが撮った模擬レース直前の写真や

spica-aftermath-gsr(1).img

spica-aftermath-gsr(3).img

spica-aftermath-gsr(6).img

 

31:名無しの夢追い ID:tMjISB6QV

>>30 写真感謝! でもそんなに豪華な「ついで」があってたまるか! 今期クラシックで脱落してない芝中長距離GIウマ娘全員揃ってんじゃねえか!

 

32:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

これだけのメンバー揃えて突発的な大規模レース開催するとか、許されざる悪行じゃないですかねぇ

 

33:名無しの夢追い ID:XFaIB2GTG

>>30 クラシック追ってた友人が、ゲーセンで順番待ちしてる最中に急にガチ泣きし始めた理由が分かったわ。ネットに上がってる動画に映ってなかったウマ娘までいる……。

 

34:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

今期のクラシック追ってたならしゃあない……。

 

35:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

>>33 生で観たかったんやろなぁ。

ワイが現地で見れたんは偶然やってんけど本当にラッキーやった。模擬レースとは思えんくらい最高やったで。

黄金世代とかの白熱したレースも面白いんやけど、やっぱり絶対王者のレースは爽快感があるわ。シンボリルドルフのトゥインクル時代もあんな感じだったんやろか。

 

36:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

聞かれてないのに感想語るのやめろォ! 観たくても観に行けなかったやつだってここにいるんですよ!?

 

37:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

でも、>>36がワイと同じ立場やったら自慢するやろ?

 

38:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

勿論。何を当たり前の事を。

 

39:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

うーんこの……。

 

40:名無しの夢追い ID:Gj8OV9n 

アフターマスのレース観てると、やっぱりシンボリルドルフを思い出すよな。

全くタイプの違うウマ娘だけど、無敗の三冠ウマ娘ってこの二人しかいないし、どっちも意味分からんくらい強い。

 

41:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>40 わかる。アフターマスとクラシック走った子達には申し訳ないけど、アフターマスと同世代とか時代が悪かったとしか言いようがない。メイクデビューの時から1人だけ違うレースしてたし。

 

42:名無しの夢追い ID:/tBXGtoTr

まァ、そのアーマスちゃんも有で負けたけどナ。無敗って言っても所詮は最弱世代内だけの話だったって事だナ。最弱世代の王様とルドルフとじャ、競うまでもなくルドルフの方が絶対に強いナ。所詮は偽物の王者だナ。

 

43:名無しの夢追い ID:Gj8OV9n

>>42 は? 何言ってんだこいつ。

 

44:名無しの夢追い ID:+0C9r/YCm

>>43 触れるな触れるな。良く居る荒らしだ。ブロックしとけ。

 

45:名無しの夢追い ID:wyyrzQT2A

あのー……そろそろスレチなんで、冬季合宿の話は移動して貰っても良いですかねぇ……。

スピカ特別菊花賞リベンジレース有記念直前杯を振り返るスレpart.11

 

46:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

おおう、申し訳ない……。

 

47:名無しの夢追い ID:t+yZRNQCa

スピカ特別菊花賞リベンジレース有記念直前杯を振り返るスレ? 何だこの名前草

 

48:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

何って、スピカ特別菊花賞リベンジレース有記念直前杯を振り返るスレだよ

 

49:名無しの夢追い ID:8/hq5sme2

>>47

>>48

だからスレチだっつってんダルルォ!?

 

50:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

すまん。移動するわ。

 

51:名無しの夢追い ID:lfvDLpikK

もしこれもスレチだったら申し訳ないんやが、前レスにあったハーツクライがブーイングされなかった理由云々のマスコミガーって一体何があったんや?

 

52:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

こんな所に入り浸ってるのに知らんのか……。

 

53:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

>>51 知らない方が幸せな事もあるんやで(ニッコリ)

 

54:名無しの夢追い ID:lfvDLpikK

置いてけぼりにされてる感あるから、もしスレチちゃうなら教えて欲しいんやが……。

 

55:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

しょうがねぇなぁ。誰か頼んだ。実は俺も詳しく知らん。

 

56:名無しの夢追い ID:y4Rlt2M9q

知らんのかよ草

 

57:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

しょうがないなぁ、>>54君と>>55君は……。

 

簡単に言うと、週刊現代ターフって雑誌の編集部が有出走予定のウマ娘相手にやらかして、有関連の話題から民間メディアが事実上の締め出し食らったんだわ。

ウマ娘ファンからは有記念メディア総締め出し事件とかって呼ばれてる。

検索したら幾らでもネットニュース記事出るから、詳しくは自分で調べてどうぞ。

 

58:名無しの夢追い ID:/j5D187F0K

別名、トレセンガチギレカーニバル(ぼそっ)

 

59:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

ガチギレしたのはトレセンだけじゃないんだよなぁ……。

 

60:名無しの夢追い ID:lfvDLpikK

>>57 はー……サンガツ。

今年は有の話題全然テレビでやらないなと思ったら、そんな背景があったんすねぇ……。

 

61:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

一応、まだ現代ターフが問題起こした編集部だって決まった訳じゃないから……(震え)

 

62:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

ほぼ確定してるんだよなぁ……(出版社への突然の行政指導と自主休刊、ウマ娘報道クラブからの名指し批判、中央トレセン学園関係者からのリークetc)

https://uma.topic.jp/december/

 

63:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

完全に確定路線です本当にありがとうございません。

 

勤めてる会社、新しいCMで有に出走してた社長の推しウマ娘起用しようとしてたんだよな。

それが今回の件でお釈迦になったから、最近の社長死ぬ程機嫌悪いんだよ。どうしてくれるんだ本当に。

 

64:名無しの夢追い ID:nvsaPbdxY

現代ターフも大昔は良い記事書いてたんだけどなぁ……今とは別の誌名だったけど

 

65:名無しの夢追い ID:gp8GhHxg2

>>63 え、もしかしてCMとかも白紙に戻ってんの?

 

66:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

せやで。ワイが勤めてるとこの親会社も頭抱えとったわ。

流石に契約済みの案件は問題ないらしいんやが。

 

>>64 『日本芝ヲトメ』な。かつての有力誌が今となっては会社ごと干されるとか、世の中分からんもんやなぁ……そもそも一回廃刊になってるし……。

 

67:名無しの夢追い ID:A5ErSjhoI

……これ、URAとトレセンにえげつない額の損害賠償請求行ったりしないの? 大丈夫?

 

68:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

する阿呆いる訳ないんだよなぁ……。

の一件で大ダメージ食らったって事はウマ娘と何かしら関わる会社だから、ぶっちゃけURAとトレセンは絶対に怒らせたくない。

 

69:名無しの夢追い ID:vc8gRKziE

そもそも、ウマ娘の心身の安全の為だって発表してるんだから、反対したら社会から冷たい目で見られるわな。

 

70:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>69 本当にそれ。

後はウマ娘側も、ぶっちゃけ有に出られる時点でお金には困ってないから、CMとかの出演料惜しむ必要あんまりないしな。

それより、URAとトレセン相手に訴訟起こして心象悪くする方がデメリット大きいだろうし……まあ、URAとトレセンなら何かしらの埋め合わせするだろ。あそこら、頭から末端までウマ娘大好き人間で構成されてるし。

 

71:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

そもそも、どっちも元はウマ娘の支援を目的として設立された団体やしな。

特にトレセン学園は教育機関や。そこの生徒を経済活動に絡めて皮算用してた企業さんサイドにも問題がある。

 

72:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

>>71 って理性では分かってそうだけど、それはそれとして方々のお偉方は原因作った出版社に笑えるくらい切れ散らかしてるよね。

 

73:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

それはそう。だって全力でお金儲けしなきゃ死んじゃう生き物が企業だし。

あと今回の有の経済効果、実は裏で有特需って呼ばれるくらい財界から期待されてたし。

 

74:名無しの夢追い ID:97NM6BQmp

でも現代ターフ、URAとトレセンが隠した真実に迫ってる……って感じがしてドキドキするよね

 

75:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

真実……?

 

76:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>74 大丈夫? まだ目ん玉着いてる? 脳味噌腐って肥やしになってない?

 

77:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

現ター愛読者ってなんでこうも陰謀論大好きなんやろか……。

 

78:名無しの夢追い ID:WBSasN7LE

現代ターフはさておき、やっぱりアフターマスって極端な早熟型のウマ娘だったってオチなんだろうか。

ハーツクライが極端な晩成型だったってのは今回判明した訳だけど。

 

79:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

そのあたりどうなんだろう。あのちっささ見てると早熟型はないやろ……って思いたいけど、ウマ娘の早熟晩成って本格化時期の話だからなぁ……。

 

80:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

ニシノフラワーとかナリタタイシンとかも、体小さいけどきちんと本格化してるしな

 

81:名無しの夢追い ID:KE6WBFa/z

本格化してないって言い張るには、アーマスはちょっと速すぎる

 

82:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

まあ、本格化に関しては個人差が大き過ぎて分かってない事も多いしな。アフターマスの真相は今後に期待。

早熟型のセオリー通り、シニアで勝てなくなるアフターマスなんて見たくないけどさ。

 

83:名無しの夢追い ID:RdkJKC6Ru

サイレンススズカ「……」

 

84:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

>>83 小さいってそっちの話じゃないから……。

 

85:名無しの夢追い ID:WBSasN7LE

>>83 最速の機能美さんは海外レースに戻って日本式走法()広める作業に戻って、どうぞ。

 

86:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

サイレンススズカ式走法なんだよなぁ……。

 

87:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

とりあえず、アフターマスが早熟だっただけなのかは次のレースでわかるでしょ。次のレースなんだろう?

 

88:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

大阪杯とか?

 

89:名無しの夢追い IDWBSasN7LE

菊花賞の時計的に明らかにステイヤー向きだし、大阪杯よりも距離が1000m長い阪神大賞典かもしれない

 

90:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

本当ならこのあたりの新しい情報も、レース後のインタビューとかで入ってた筈なんだけどなぁ……。

 

91:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

しばらくの間はURAの広報部に期待するしかないねんな……。

 

92:名無しの夢追い ID:SJR9dAP/0

流石に年が明けたら直ぐにメディア禁止令が解かれるって信じたいけど、どうなる事やら。

 

93:名無しの夢追い ID:6A5o9ZoTm

あの……誰も触れないから俺が言うけど、ハーツクライの上がりタイムやばくない?

それに、出遅れた上で2分30秒9の上がり時計出したアフターマスも。

 

94:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

>>93 それ、前のスレで散々話題に上がったんやで

 

95:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

どっちもやばいし、アフターマスの出遅れがなければどうなってたか……って議論は、結局タラレバだから謎のまま浪漫話として置いておこうって結論が出たんだよな。

もっと真面目にスレ追って、どうぞ。

 

96:名無しの夢追い ID:zSvcI8LJB

スレ追ってる時点で真面目じゃないと思うんですけど……

 

97:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

やあ!平日の昼間からこんな所で何やってるんだい?

 

98:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

>>97 ジェノサイドやめろぉ!?

 

99:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

今日は休日出勤した振替で休みなんや……(震え)

 

100:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

の為に中山レース場のある千葉まで旅行計画して、思い切って数日有給取ったんや。今日が休みの最終日やで。

 

101:名無しの夢追い ID:XEnFJdMju

皆ホワイト勤めなんやなぁ、羨ましい。

 

102:名無しの夢追い ID:SwWuvpVZU

あのー……全く話題に上がってないゼンノロブロイにも、きちんと触れてあげてはくれまいか……。

 

103:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

ゼンノロブロイは……今回影薄かったからなぁ……。

 

104:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

今日はやけに後ろからのレースするなぁ……と思ってたら、スタート直後に捻挫してたってそりゃもうどうしようもないわ……。

 

105:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

むしろ大事にならなかっただけ本当に良かった。このまま療養してドリームトロフィーリーグに移籍しそうだし、1ファンとしては今回の負けを気にせず頑張って欲しい。

 

106:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

万全のハーツクライVS万全のアフターマスVS万全のゼンノロブロイ

……正直、観たかったよなぁ。

 

107:名無しの夢追い ID:SwWuvpVZU

暮れの中山の11レースは、人の夢の祭典だもんな……本当に儚い……。

 

108:名無しの夢追い ID:HlqJu2XLH

今回の有の収穫は

・覚醒したハーツクライ鬼強い。海外でも戦えそう。

・一着ロボアフターマスにも心が搭載されていた。

・ガチギレしたトレセンとURAやっぱり怖い。

の三つが分かった事だよな。

 

109:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

アフターマスに心が搭載されてたなんてわかる場面あったっけ?

 

110:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

レース映像よく見てみ。負ける瞬間に泣きながら走ってる。

 

111:名無しの夢追い ID:XXCvcq3ys

え、まじ? 珍しく汗だくになってるなぁ……って思ってたけど、涙やったんかあれ。

 

112:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

せやで。初めての敗北やししゃーない。

アフターマス最終直線泣き顔.img

 

113:名無しの夢追い ID:XXCvcq3ys

>>112 興奮しました。アーマスちゃんガチ推し勢になります。

 

114:名無しの夢追い ID:HlqJu2XLH

あと、件の現代ターフのやらかしの被害者、正式発表されてないけど多分アフターマスだよな。合宿中の動画で現ター編集部がアフターマス嗅ぎ回ってるの確認されてるし。

 

115:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

今回もいつも通り無反応だし、やっぱりアーマスって一着取る為だけに開発されたロボットだろ……って思ってたら明らかに調子崩して出て来るんだもんな。普通の反応だけどびっくりした。

 

116:名無しの夢追い ID:XXCvcq3ys

失望しました。現代ターフの出版社の出版物買うのやめます。

 

117:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

ロリコン曇らせスキー、漢の決意表明。ようこそ、此方側へ。

 

118:名無しの夢追い ID:XXCvcq3ys

>>117 ろろろロリコンちゃうわい!? 頑張る姿に感銘を受けただけや!

 

119:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>118 アーマスガチ勢自称するやつが通る道……(ロリコン疑惑)

 

120:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

アーマスの健康状態管理してるトレーナーさんとアーマスには悪いけど、無敗の三冠ウマ娘もちゃんと血の通ってる人間だって分かって正直安心した。

 

121:名無しの夢追い ID:HrKArBa8H

>>120 わかる。なんというか、人間味が無さすぎるんだよな、アフターマス。

無反応貫いてる影響で、アホが調子に乗ってアンチ記事乱発した感あるし。

 

122:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

普通は、反応したらバ鹿が余計に面白がって大騒ぎして……ってなるから、本人は無反応が正解なんやけどな。アフターマスの場合、周りが対処頑張ってたみたいやし。

現役で唯一の無敗の三冠って、良くも悪くも特別な肩書きなんやなって。

 

123:名無しの夢追い ID:AJxmFk9aM

でも愛嬌たっぷりアフターマスも見てみたくない?

 

124:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

あざとさ増し増し最強ロリとか見たいに決まってるんだよなぁ……。

 

125:名無しの夢追い ID:gz6fvOEHH

アフターマスは誰かに懐くような性格じゃなさそうだけど、それにしたって少しくらい笑顔を浮かべてくれてもバチは当たらないと思うんだ

 

126:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

意外と身内にはデレまくってたりして

 

127:名無しの夢追い ID:4itpsm4bR

>>126 それはないだろ。アニメの世界から出て来たんですかってレベルの鉄仮面だしな。

 

128:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

>>127 無表情クーデレロリも王道属性やで。

 

129:名無しの夢追い ID:wPoveWIyy

徐々に有記念スレからアフターマススレになっていってる……まあ、有の話題は前スレで散々語り尽くした後だから、完全なスレチじゃないし別に良いんだけどね……。

 

130:名無しの夢追い ID:AMFY7JN6m

ここがウマ娘好き多いからかもしれないけど、久し振りにアフターマス関連でギスギスしてないスレ見れたわ。

アフターマス、メイクデビューから追ってたから最近のネットや雑誌の雰囲気苦手だったんだよな。有記念に改めて感謝。

 

131:名無しの夢追い ID:gkzcO//tz

>>130 ええんやで

 

132:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

スレの目的にそぐわないやつが消えていっただけなんだよなぁ……。

 

133:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

荒らしはスレ番若い内にガンガン通報したしな。

たまにすり抜けて生き残ってるやつもいるけど。

 

134:名無しの夢追い ID:AMFY7JN6m

>>131 お前に言ってないんやで

 

でも一応ありがとうな。他の皆もな。

 

135:名無しの夢追い ID:EIt11JK+W

唐突なツンデレムーブに草

 

136:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

優しい世界

 

137:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

やはりウマ娘、ウマ娘の話題が世界を幸せにする

 

138:名無しの夢追い ID:iq6udI0GV

なんか良い感じで終わりそうな所申し訳ないんやが、一個質問ええか?

 

139:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

空気読めや(おうなんや?)

 

140:名無しの夢追い ID:P7A6NuGgQ

>>139 本音と建前逆やで……。

 

141:名無しの夢追い ID:iq6udI0GV

すまんの。ずっと気になってたんやが、スレタイのの字、何で足が4本なんや? ずっと気になってて会話に集中出来ひんかったんやが。

 

142:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

ああ、それ。初見は確かに気になるよな……。

 

143:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>141 単なるバグだから気にすんな。

 

144:名無しの夢追い ID:iq6udI0GV

>>143 バグなんか……。

 

145:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

>>144 うん。閲覧数が変に多い時だけたまに起こる謎のバグ。

スレタイのの字が文字化け(?)するだけで悪影響は何もないっぽいから、本当に気にするだけ無駄。

 

146:名無しの夢追い ID:Pqw88gOvs

スレ民に協力募って閲覧数増やしても何故か再現出来ないわ、プログラムのバグ箇所不明だわ、本当に他の不具合何もないわで管理人さんが修正諦めたやつ

 

147:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

最近では、ROM専込みで人がかなり集まってるんだなって分かる活気の証みたいになってるよね……。

 

148:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

今回は一番勢いのあった時は文字化け起きなかったんだけどな

 

149:名無しの夢追い ID:tZHPIUDAa

まあ、一番勢いあった時は対立厨がウッキウキで煽ってた時やし、そんな時に縁起物が出なくて良かったわ。

 

150:名無しの夢追い ID:iq6udI0GV

バグを縁起物扱いは流石に草。訓練され過ぎやろ。

 

もうそろそろ業務再開の時間だわ。落ちます。良い年明けを。ノシ

 

151:名無しの夢追い ID:j5D187F0K

ノシ

俺もそろそろ落ちるかな。じゃあの。

 

152:名無しの夢追い ID:lVFxRpXcS

ノシ

 

153:名無しの夢追い ID:Oyo5Rj1H9

そして誰もいなくなった。ノシ

 

154:名無しの夢追い ID:lpn0zBroS

ノシ

 

155:名無しの笛吹き ID:R11n0yumE

ノシ

 

 




【■■■■■■】
現役期間:2004年〜2006年
性別:牡
毛色:鹿毛
生誕:2002年3月25日
死没:2006年12月24日
父:サンデーサイレンス
母:ウインドインハーヘア
主な勝ち鞍:2005年クラシック三冠、2006年天皇賞・春、2006年春秋グランプリ制覇等
生涯戦績:13戦12勝[連対率100%]
タイトル:2005年■■■賞年度代表馬、2005年最優秀3歳牡馬、2006年■■■賞特別賞

 2005年から2006年にかけて活躍した日本の調教馬。
 2005年のクラシックにおいて、シンボリルドルフ以来となる史上二頭目の無敗の三冠を達成。また、生涯戦績のGI7勝もシンボリルドルフと並ぶ大記録である。
 新馬戦では他馬を置き去りにする圧巻の走りを見せ(※1)、鞍上の■騎手は■■調教師から「新馬戦で頑張らせ過ぎだ」と苦言を呈された(※2)。
 2006年には日本調教馬として初となる、芝・長距離部門での世界統一ランキング1位を達成する。この時、既に凱旋門賞出走を公表していた陣営は「競馬の神様からお墨付きを貰った」と大いに喜び、同馬を褒めそやしたと言う。
 遂に凱旋門の呪いが解かれると期待したファンの声援を背負い、2006年凱旋門賞に挑む。しかし、日本からフランスへの長旅が祟ったのか、レース間際に感冒を患い、出走を取り消し帰国する。帰国後、同陣営は翌年の凱旋門賞に意欲を燃やし、凱旋門賞を制した後は同馬を種牡馬入りさせるとの発表を行う。稀代の優等生(※3)で知られた名馬の引退予告に、多くのファンが声援と共に残念がったと言う。
 だが、2006年の有馬記念にて、同馬は悲劇のラストランを迎える事となる。昨年の雪辱を晴らすように中山の芝を一着で駆け抜けた後、同馬の左前脚と右後ろ脚に骨折が確認され、そのまま予後不良となった(※4)。奇しくもこのレースは、鞍上の■騎手がかつての愛馬を亡くした時と同様、日曜日に執り行われる秋古馬の一戦であった。
 没後も多くの競馬ファンから根強い人気を誇り、顕彰馬に選出される事が熱望され続けている。しかし、同馬には産駒が居ない事もあり、現在に至るまで顕彰馬として選出するかの議論は先送りにされている(※5)。


※1 新馬戦、若駒ステークス、弥生賞の計三度、同馬はレースで逃げの戦法を取った。鞭を使わず最後まで伸び続けた脚に、鞍上の■騎手は三冠獲得を確信したと言う。それだけに、逃げから追い込みへの極端な切り替えはファンから賛否両論であった。
※2 ■騎手自身、あそこまで走らせるつもりはなかったと後年に語っている。しかし同馬がどうしても過剰な速さで走りたがった為、サイレンススズカの悲劇を思い起こした■騎手により逃げ以外の運用が提案されたと言う。これに関して、提案を承諾した■■調教師が同馬に差し追い込みの調教を施そうとすると、調教を開始した当日の内に、同馬は追い込みの走りを始めたとの逸話が残っている。
※3 同馬は2006年のジャパンカップまで、優等生と渾名される程に鞍上の指示を素直に従っている。しかし、2006年のジャパンカップと有馬記念では異様な入れ込みを見せ、鞍上の指示に従わずひたすら走り抜けた。この時の入れ込みっぷりの原因は未だに不明であるが、頭の良い馬なので自分の引退を悟ってしまったんじゃないか、と■■調教師は語る。
※4 レース直後、同馬は鞍上の■騎手を静かに下ろし、そのまま崩れる様に芝に伏せた。この時に実況者が零した「待って欲しい、まだ日本競馬の夢が見たい」の一言は、今でも競馬ファンの間で語り草となっている。
※5 同馬は生涯に渡り、オッズが1.0-1.3倍の間で収まるという驚異の人気を誇った。しかし同馬は生前、予てから続く著しい競馬人気の衰退を止める為、■■■より広告塔の役割を大いに期待されていた。その関係性を疑ってか、一部の競馬ファンからは同馬が本当に強かったのかを疑問視する声も上がっている。このような背景から、■■■■■■号の顕彰馬論争は未だに終結する事なく持ち越され続けている。だが事実として、下火となっていた競馬人気は、同馬の登場により再燃した事を此処に記述する。加えて、同馬と時代を共にした競走馬達は、何れも歴代名馬達に劣らぬ優れた駿馬であった。強さの論議は別として、■■■■■■号が時代を代表する名馬であった事は、紛れもない事実と言えるだろう。


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第19話 夢の舞台

長らくお待たせしてしまい、本当に申し訳ありません。
色々な意味で書けない期間に入ってました()

2022/3/29 11:30 追記
作中の表現を数箇所、少し変更しました。大筋に影響はありません。


『お前、本当に賢い()だなぁ』

 

 ──夢を見ている。

 そう、はっきりと自覚する。

 競走馬は、間違いなく夢を見る。

 

『これで馬体がでかくなりゃ良いんだが、お前貧弱だもんなぁ』

 

 過去の追体験。既視感と懐かしさに包まれた光景の明滅。

 馬に生まれ変わって以来、刻み刻みの眠りの中では、そんな夢しか見ない。楽しかった思い出も、嫌な記憶も、夢の中では分け隔てなく再現される。

 人間の頃はどんな夢を見ていたっけ……なんて、思い出すにはもう時間が経ち過ぎている。今となってはどうでも良い事だけど、思い出せないとなると僅かに寂しい。

 

『……三角食べなんて、誰に教わったんだよお前。やっぱり中に小さい人間入ってんだろ。ほら……なんて言ったけな。黒スーツのアメリカ人がエイリアンと戦う映画。あんな感じでさ』

 

 この記憶は、まだレースにデビューする前のものだろうか。馬房のような場所で、少しだけ見覚えのある若い男性が寝藁の準備をしている。

 夢の中の俺は不貞腐れていて、男性にふしゅると鼻を鳴らして返事をした。

 何を当たり前の事を言っているんだ。俺は人間だ。馬ではない。

 そう言いたげに、右前脚で地面を掻いた。

 

 ──意識が暗転する。

 

『■さん、流石に新馬戦であんなに頑張らせなくても良かったでしょ。皐月賞に挑む前にマークされるようになったらどうすんのよ』

『いやぁ、申し訳ないです。あんまり気持ち良さそうに走るもんだから、つい』

『いや、ついって■さん……』

 

 続いて現れた場面は、新馬戦の直後だ。

 鞍上を務めてくれた天才ジョッキーが、壮年の調教師さんから小言を貰っている。苦笑いを浮かべながらのらりくらりと躱す人と、先々の事を考えて指摘を入れなければならない人。

 二人の姿を見ていると、まるで漫才を見ているようで楽しくて──言葉を伝えようとしても伝わらない自分との違いを、まざまざと思い知らされた。馬になった現実は、凡人の俺には余りに重かった。

 

 ──意識が暗転する。

 

『──アフターマス、速い速い! 並ばせない! 影さえ踏ませない! 四馬身、五馬身と再び差が開く! 二番手には■■■■の体勢、今一着でゴールイン!』

 

 走っている。驚愕に支配されながら、ただ走っている。信じられないものを見た。そんな感覚が体を襲っている。

 この記憶は、若駒ステークス。()との初めての出会いの瞬間だ。

 最終直線まで、間違いなく俺の独り舞台だった。

 馬の膂力は、人間よりも遥かに強い。まだ若い馬達の揉み合いに巻き込まれるのが怖いから、最初から何馬身かリードを取って走っていた。

 追い切りなんかの練習とは違い、本番のレース。それも、オープン戦ながらも未来のGI馬が集まる()()()若駒ステークスだ。(くつわ)を並べる馬達は、全員鍛え上げて出走して来ている筈だ。色んな意味で油断出来なかった。

 ……とはいえ、俺は競走馬の姿をしているだけで人間だ。馬の体に人間の頭脳という圧倒的なアドバンテージがある。本気の勝負では、俺が負ける訳がないだろう。

 

 ──そう思っていたのだ。深い衝撃が走るまで。

 

 最終直線で、俺は誰かに追い抜かれた。

 お前が後続に何馬身の差を付けていようが関係ない──そう言いたげに、俺を追い抜いたそいつは、最後まで加速し続けた。そしてそのまま、俺に距離を縮めさせる事なく、一着のままターフを走り切った。

 凄い……なんて言葉で表現し切れる速さではなかった。圧巻の走りだった。正に、衝撃的な強さだった。

 何なんだ彼奴は──そう思って、俺を追い抜いた競走馬へと目を走らせれば、着けていたゼッケンには、その競走馬の名を示す文字列と、有り得ない筈の『4』という番号の印字があった。

 俺は、()()()()()()()()()()を着けた半透明の競走馬──『ディープインパクト』と、その時に出会った。

 

 あれは人間として、受け入れ難い非科学的な存在である……そんな事実はどうでも良く感じて、ただこの競走馬に勝ちたいと思った。

 自分は人間ではなくなってしまった──そんな目を逸らしていた現実を、この時の()()()()は消し飛ばした。

 僅かに見えた瞳に、呑み込まれた気がした。

 きっとこの時、俺は()()()()()()()()()から競走馬へと生まれ変わった。人間への未練が断ち切れた訳ではないけれど、未来へ向けて確かに前を向いた瞬間だった。

 

 ──意識が暗転する。

 

『デビューからここまで三連勝。本当に良い馬だなぁ、お前。朝日杯に出さなかったのが勿体ないって思っちまうよ』

 

 この記憶は、確か弥生賞の後か。目尻よりも眉間の方がよっぽど皺の多い調教師さんが、上機嫌に笑っている。

 この頃は、正しい走り方について悩んでいた辺りだ。

 

 ディープインパクトにまた勝てなかった。今回も最初は姿がなかったけれど、必ず現れると何故か確信があったから、ディープインパクトを意識して走っていた。それなのに、また呆気なく負けた。

 強かった。ただ純粋に強かった。はっきり言って、このままではまた負けるだろう。自分の人間的な部分がそう判断していた。

 理由は……俺が、()()()だからだ。

 俺は馬本来の走り方が分からない。馬が最も効率的に走れる方法を知らなかった。馬は走る事が本能だ。元々、どう走れば良いのかを知っている。

 しかし、俺は人間だったから、分からないまま我武者羅に走っていた。そんなので、あの『英雄』に勝てる訳がなかった。

 

『よしよし。今日からは()()()()()良い走り方を教えてやるぞ。大丈夫だ。お前は賢いから、すぐに身に付けて、いつかは世界だって取れちまうさ』

 

 調教師さんの言葉に、俺は僅かに安堵した。俺はまだ強くなれる。中長距離の(2kmを超える)長い舞台で俺の前を走って行く彼奴に、まだまだ近付ける。それがただ嬉しかった。勝利への渇望を誤魔化さずに済んで、身震いした。

 だから、小さく覚悟を決めたのだ。

 俺はもう人間じゃなくて良い。とにかく、ディープインパクトに勝てればそれで良い。

 その為には、調教師さんや騎手さんが教えてくれる事をとにかく受け入れて、そしてディープインパクトの姿から走りを学ぶ。

 競走馬として最上級の()から、馬としての在り方を学ぶのだ。そうすればきっと、勝てるようになると信じて。

 ……訳も分からず、馬らしくないだろうみっともない走り方をしていても、信じて育ててくれた人達を喜ばせる為に。

 元々人間()()()俺は、もう言葉を話せない。けれど馬としてならば、走りで感謝の一つくらいは伝えられるだろう。

 俺はせめて、育ててくれる皆を喜ばせたい。()()()()()()()()()

 それが馬として出来る、人間らしい唯一の恩返しだろう。

 

 ──意識が暗転する。

 

『──■■、三冠馬との巡り会い!』

 

 皐月賞。正しく走っても、結局勝てなかった最初のレースだ。

 全力の末に、さも当然と言うかのように負けた。

 なんという競走馬なのだろうか。勝てるイメージが、最後までこれっぽっちも湧かなかった。

 敗北する瞬間が思い付かない後ろ姿に、俺は何処までも夢を見た。

 あんな馬が実在したというのだろうか。

 競走馬とは、なんて凄い生き物なのだろうか。俺もあんな風に強くなれるのだろうか。

 

 この頃の俺は幻影のディープインパクトへと、勝手に()()()()のようなものを(いだ)いていた。

 誰からも知られる事なく、たった一頭で走り続ける影の競走馬、ディープインパクト。

 人とも馬とも意思の疎通なんて出来ず、独りぼっちの元人間の競走馬、アフターマス。

 この頃の俺にとっては、ディープインパクトは世界から()()()()()者仲間だった。人の常識の外に生まれた孤独な奴同士だったのだ。

 

 けれど、ディープインパクトは俺なんかと違って、本当に凄い奴だった。

 前世で皆が、ディープインパクトに心を奪われた理由を特等席で目の当たりにして、どれだけ感動したか覚えていない。

 席代に敗北という高過ぎる料金を払った事だけは納得いかなかったが、とにかくディープインパクトの走る姿は衝撃的だった。

 負ける姿は見たくないけれど、必ず越えてみせると誓ったヒーロー。それこそが、俺にとってのディープインパクトだった。

 

 ……そして、いつか。俺は()()()ディープインパクトと会ってみたいなと思った。俺は馬の言葉なんて知らないし、馬同士で会話があるのかどうかも知らない。

 それでも、答え合わせがしてみたかったのだ。俺の知るディープインパクトの幻影。彼奴の()()は、本当に此処まで凄かったのか。

 競走馬とは、こんなにも強くなれる生き物だったのか。

 その答えを、どうしても知りたかった。

 

 ──今世のディープインパクトは、何処にいるのだろうか。

 年代的には、活躍したのは今頃の筈だ。

 確か前世でディープインパクトは早々(はやばや)引退した筈だから、もしかしたらもうレースには出ていないのかもしれない。

 レースに出て来るなら是非もない。その時は俺が勝つまでだ。

 けれど、もしもうターフにいないなら……いつか俺も引退した時、養老牧場なんかで会えるだろうか。時代を背負って走った、偉大な競走馬(彼奴の本物)に。

 

 歓声の中、いつかの夢に胸を膨らませて、俺は両前脚を持ち上げた。

 

 ──意識が暗転する。

 

『──世界のホースマンよ見てくれ! これが日本近代競馬の結晶だ!』

 

 そして、これは菊花賞だ。通算戦績六連敗。

 ディープインパクトの余りにも狂った強さに戦慄しながら、どうしようもない悔しさと苛立ちを噛み締めて、()()でゴールラインを踏み締める──その瞬間。

 世界が罅割れるくらい、深い衝撃に見舞われた。

 

 今し方、実況者さんが言った台詞。それは余りにも有名な言い回しだった。

 日本近代競馬の結晶。それは、鞍上の天才ジョッキーが名付けた『英雄』と並ぶ、ディープインパクトの代名詞だ。

 日本の競馬は──日本の調教技術を含む、競走馬を取り巻く日本の全ては、海外よりもレベルが低い。

 その風聞をディープインパクトならば一蹴出来ると確信した人間達が、()を褒め称える為に語り継いだ言葉。それこそが、日本近代競馬の結晶。

 ディープインパクトこそが、日本の競馬そのものだ。だから見てくれ、世界の競馬関係者達。これでも下に置けるものなら、やってみろ。

 そんな意が込められたこの台詞こそが、ディープインパクトをディープインパクトたらしめた。

 

 ──それを何故、今言った?

 

 走り抜けて、少しずつ速度を落としていく中で、俺はディープインパクトのいた場所を見遣った。

 しかしそこにはもう()はいなくて、ただ風だけが吹き抜けていた。

 

 ならば多くの観客達の視線の先に、彼奴がいるのかも知れない。もしかしたら、俺だけが見えていると思っていたのは思い込みで、本当は皆もディープインパクトを見ていたのかもしれない。半透明に見えるのは毛並みが特殊で、光の加減でそう見えるだけなのかもしれない。

 そう思って、咄嗟に観客達の視線を追った。その先に、見慣れた半透明の濃い鹿毛があると信じて。

 ……けれど。十万人を超える視線の先にいたのは、ディープインパクトではなく俺だった。

 

『──やった、やったぞ■■! 遂に無敗の三冠達成! 『衝撃』の末脚が歴史に残る! シンボリルドルフ以来、遂に()()()の無敗の三冠馬誕生! 京都競馬場に集まった競馬ファン全員が! 新しい歴史の目撃者です!』

 

 ……何を言っているんだ? 悪い冗談はやめて欲しい。

 それではまるで、ディープインパクトがいないみたいじゃないか。

 俺は、スタンドで宙を舞う外れ馬券の光沢に、酷い吐き気を催した。

 

 ──意識が暗転する。

 

『遂に有馬記念か。ちょっと、年甲斐もなくわくわくして来たよ』

 

 初挑戦となる有馬記念の数日前。競走馬の体でも些か寒い日に、馬主さんは忙しい合間を縫って、俺に会いに来てくれた。

 にこにこと堂に入った笑い顔で、楽しそうに語り掛けてくれる。

 ずっと恋しくて堪らない人間の温もり。それを前にして、俺はひたすら物思いに耽っていた。

 

 菊花賞の日、実況者さんはどうしてあんな台詞を吐いたのだろうか。

 まさか、ディープインパクトに(あやか)る為に言ったのか?

 水溜まりや古びた硝子の歪んだ虚像から、俺と()とが似ている事には気付いていた。

 だから、二頭目のディープインパクトになって欲しい……そう思って、俺を『日本近代競馬の結晶』と呼んだのか?

 

 ……そんな矛盾塗れな考察を重ねていた。理性では、そんな訳ないと分かっていながら。

 

『セレクトセールで他に買い手のいなかった馬に一目惚れして、今やその子が無敗の三冠馬……いや、それどころか、史上初の無敗の四冠馬になろうとしているんだ。本当に、馬主冥利に尽きるよ』

 

 馬主さんが誇らしげに語る。俺は嘘吐きになった気がして、縮こまった。

 俺は『無敗の三冠馬』なんかじゃない。それどころか、まだ勝ち鞍は新馬戦だけだ。実質、皆無と言って良い。

 俺が誰かに誇って貰って良いのは、まだまだ先だ。ましてやディープインパクトのような皆の誇りになるなんて、遥か先だろう。

 

『初めて見た時、瞳に吸い込まれるかと思ったんだ。本当に衝撃的だったよ。それなりに長く生きているけど、あんな経験が本当に存在するとは思わなかった』

 

 ゆっくりと穏やかな声音で、初めて見た俺がどれほど衝撃的だったかを語ってくれる。

 むず痒さを感じる。気恥しさも、気まずさも。けれど、同時に気付いた。

 それは──その感想は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『……実はね、君には最初、違う名前を付けるつもりだったんだ』

 

 言いたい事は伝わっていないだろうけれど、俺が身を固まらせた事に気付いたのかもしれない。

 馬主さんは安心させるように、殊更優しく微笑んだ。

 怖がる要素なんて無い筈なのに……嫌だ、嫌だ、と。何処かで駄馬が嘶き始めた。

 

『もしもそのまま名付けていると、もっと違う歴史があったのかもしれない……そう考えると、感慨深いものがあるね』

 

 世界が揺れるように、音が遠くなる。世界が灰色になって、俺は自分の誤ちに気付く──嘘だ。

 俺はもう、本当は答えに辿り着いていた。それに気付かない振りをしていたのは、俺が臆病者の卑怯者だからだ。

 

 もっと違う歴史──もっと違う()()。それがあったとすれば、どんな形だったか。

 例えば、先日の菊花賞。歓声の中で、皆の視線の先にいるべきだったのは、一体誰か。

 ──そんなの、一頭しかいないのだ。だって彼処から、新しい日本の競馬が始まる筈だったんだから。

 

『おや、自分がどんな名前になる筈だったか知りたいかい? 教えても良いけど、皆には内緒だよ。馬にこんな話をしたなんて知られたら、妻や部下達に何を言われるか分かったものじゃないからね』

 

 ぐじぐじと、頭を馬主さんに押し付ける。馬主さんのスーツに皺が寄っても、叱られる事はなかった。

 一言、怒って欲しい。支離滅裂で良いから、とにかく咎めて欲しかった。

 そうすれば、どうしようもない罪が軽くなる気がしたから。

 それでも……俺を育ててくれた人達は、どうしようもなく優しかった。

 

『よしよし、良い子だ。ラジオで■さんが『衝撃』なんて呼び始めた時は驚いたけど、本当に君はそういう子だね』

 

 馬主さんは、ぎこちない手で俺の鬣を梳いた。

 違うんだ。そうじゃないんだ。

 ()()なのは、彼奴なのだ。俺じゃなくて、影になっても走ってる彼奴なのだ。この世できっと、一番速い奴。前世で一番有名で……この世界じゃ、俺以外の誰も知らない衝撃的な競走馬。彼奴こそが、()()()()()だ。

 

『本当はね、初めて見た時に感じた()()()()(ちな)んで、君に名前を付けるつもりだったんだ。だから本来、君に付ける筈だった名前は──』

 

 声は届かない。俺はもう、人間じゃないから。

 それでも伝えたい。()()()()は、こんなものではない。とてもとても衝撃的で、強くて──見るもの全員を救ってしまうくらい、()()のだ。

 俺は、走り続けなければならない。走りで伝えなければならない。競走馬だから、何かを伝えるには走りしかないから。

 俺は、俺の為に、誰かの為に、()の為に──()()()()()()()()()()()()()()()

 ……だからもう、()()()駄馬はお呼びじゃない。勝てないのなら、消えてしまえ。

 

『──()()()()()()()()()。君には、ディープインパクトと名付けるつもりだったんだ』

 

 ──世界が遅くなる。

 馬主さんの動きが、静止画を捲るように遅くなる。役割を終えた舞台装置のように、不自然に、軋むように。

 

 夢の舞台から降りる時間がやって来た。何処まで現実と区別が付かなくとも、これは微睡みの中で見る夢だった。

 賑々しい太陽が、もう直ぐ空に昇るだろう。

 ベッドサイドのカーテンからは朝日が差し込んで、栗東寮が活動を始める。仄暗さなんて場違いな、華やかな世界が広がるのだ。

 俺はその前に、起きなければならない。()()()()()()へと向ける憎しみを、皆の日常に持ち込む訳にはいかないから。

 

 ──意識が暗転する。

 移り変わった場面は、まだ陽の昇らない暗闇のエンドロール。『英雄(ヒーロー)』が遅れてやって来なかった末の後日談だ。

 俺は起き上がった。ウマ娘の体で、ベッドから、緩々と。

 

 

■□■

 

 

『──さあ、遂にこの日がやって参りました! 一年の始まりを告げるウィンタードリームトロフィー! 私達に新年最初の勝ちウマ娘を教えてくれる大事なレースの日が、遂に遂に遂に! 今年もやって参りましたよー!』

 

 中央トレセン学園の最寄り駅から、国内有数の歴史あるレース場まで、なんと電車で一駅跨げば到着する。

 時に『府中』とも呼ばれるそのレース場は、言わば日本のレースの象徴とも呼べる場所で、現在の日本にとってなくてはならないエンターテインメントの聖地となっている。

 

 その名は──捻りなくシンプルに『東京レース場』。

 

 GIレースの中でも特に由緒正しい『日本ダービー』や、時に中距離最強ウマ娘決定戦として位置付けられる『天皇賞・秋』、国内唯一の国際GIレースである『ジャパンカップ』と言ったビッグイベントの開催地だ。

 日本にはレース場が数あれど、立地の関係上、東京レース場は中央トレセン学園のウマ娘にとっては一番馴染みが深く……そして何より、最も憧れを抱くターフとして知られている。

 

 中央トレセン学園に入学する時、道すがら東京レース場で見た先輩ウマ娘の姿に憧れた。

 東京レース場で幼い頃に見た『日本ダービー』に憧れて、中央トレセン学園の門戸を叩いた。

 そう言った話は枚挙に(いとま)がない程で、初めて東京レース場で走る際はレース場前にある『シンボリルドルフ像』で願掛けを行うのが学園生にとってのお約束となっている。

 

 年明け早々、俺はそんなレース場へと向かっていた──電車で。

 

『──史上唯一、年間無敗。史上最長、GI制覇。テイエムオペラオーか、トウカイテイオーか──冬の王者を、さあ決めよう』

 

 目的地に到着した電車の自動扉から、本日東京レース場で開催されるビッグイベントの告知やら解説やらが雑多に流れ込む。

 そのイベント目当てで集まった人の群れが、その音声を押し返すように外へと雪崩た。

 とにかく楽しみで仕方がない──俺がどれだけ鈍感でも読み間違えようがないくらい、電車から降りる人達の顔にははっきりとそう書かれていた。

 

「──さて。それじゃあ、お嬢さん。私達も降りようか。お手を拝借しても?」

 

 人の流れが緩くなってから、隣に座っていた中性的な人物がすっくと立ち上がり、俺へと手を差し伸べた。東京レース場前のこの駅は比較的大きく、停車時間が多少長い。

 度の入っていない黒縁眼鏡を掛けたその人物が、あまりにも男性用スーツを着こなし過ぎていて、少し苦笑した。少なくとも、俺が着るよりよっぽど様になっている。

 俺はその厚意に甘えて手を取った。

 

「ありがとうございます、先輩。……今更ですけど、良くそんな()持ってましたね? ちょっと羨ましい」

 

 あと、変装してても、普段通りの言動だと流石に()()ますよ?

 そんな意を込めて、沖野トレーナーに貰ったマスクとサングラス……ではなく、リギルに戻ってから東条さんが用意してくれた変装用眼鏡と大きな白いマフラーを肩で軽く揺すった。

 何を言わんとしているのか理解したらしい人物──フジキセキ先輩は、慣れたように左目で小さくウインクした。どうやら、大丈夫と言う自信があるらしい。

 そのまま先輩は俺の左手を引いて、俺は右腕で()()()を突いて立ち上がった。

 

「これは次の聖蹄祭で使う衣装のサンプルだよ。実は私達にトレーナー喫茶をして欲しいって要望が出ていてね。今回は丁度良かったよ」

 

 フジキセキ先輩、普段は変装とか全然しないタイプですもんね。

 ……と、プライベートのフジキセキ先輩が歩いた後に出来る女性ファンの行列を思い出して、少し顔が引き攣る。

 フジキセキ()()とフジキセキ()()は、もしかして双子の別人なんじゃないか……そう疑うくらいには、寮長の仕事中とそれ以外でのフジキセキ先輩の価値基準のバランスは、異なっているような気がする。何方にせよ、他者の幸せを第一に行動している点に違いはなかったが。

 

 俺とフジキセキ先輩が車ではなく電車で移動しているのは、マスコミ対策の一環……だけではなく、どちらかと言えば個人ファンへの対策が重きを占めていた。

 

 有記念が切っ掛けで俺とメディアが完全に接触しなくなってから、早くも数週間の時間が過ぎていた。

 その間、チームリギル自体も情報開示を余り行っていなかった──と言うより、大きなレースを控えたオペラオー先輩の気を散らさない為に、事務的な情報公開しかしていなかった──為、結果的にマスコミよりも先にファンが痺れを切らしてしまったのだ。

 

 アフターマスを含めた全員、チームリギルは今日必ず、トレセン学園を出て東京レース場へ向かう。

 ……有難くも応援してくれているファンの方々はそう推測を立てたらしく、なんとトレセン学園の敷地外には、朝からチームリギルの出待ちファンがスタンバイしていたのだ。

 更には、トレセンから東京レース場への学園生の移動は車か徒歩が多い為、それらしい車が学園から出る度に出待ちファン達はSNSを駆使してまで情報共有を行っていたらしい。

 その執念深さに俺は「そうなんだ、すごいね!」と阿呆の子全開な感想が漏れるだけだったのだが、東条さんやルドルフ先輩達はファンの手際の良さから、ネット中心のグレーなメディア団体の思惑を警戒したらしい。

 その裏を突いて、リギルメンバーは変装したり、むしろ逆に目立つように車で移動したり、果てはリギルファンには有名なマルゼン先輩の愛車『たっちゃん』を出動させたり、目立たないような格好で敢えて電車で向かったり……と言った具合で、ファンを散り散りに撒いたのだった。

 ちなみに俺とフジキセキ先輩の変装のコンセプトは『学校見学に来た小学生とその保護者』らしい。非常に解せない。

 

 ……なお、見付かる危険度的には車が一番アウト──レース場の駐車場は、だいたい毎回ファンとマスコミがスタンバイしている──なので、俺は大人しく変装して電車に揺られる選択をした。

 今は右脚にギプスを嵌めているので、それを見た人達に「有は怪我のせいで負けた」等と勘違いした噂を立てられたくない為だ。あれは全力の末の負けなので、()()()()なんかに入って来て欲しくはない。負けは負け、それ以外には何も存在しない。

 あとは、徒歩は怪我をしていない方の脚の負担を考えて却下され……『たっちゃん』も当然──普段ならまだしも──今は論外だった。

 

「ふむ……脚の具合はどうかな?」

「全然大丈夫です。と言うか、物理的に走れなくするのが目的でこれ(ギプス)着けられてるみたいですから、本当に軽傷ですし」

「それでも心配なものは心配さ。……怪我が治ったらセンター以外のダンスも練習しようね。センターとその他とじゃ、やっぱり脚の負担も違うからね」

「……お恥ずかしい限りです」

 

 俺は恐縮のあまり、肩身を縮めた。

 有の直後、センター以外の踊り方がよく分からなかったせいで目測を誤り、右脚を本格的に痛めた……なんて、正直笑い話にもならなかった。

 

 とんとんと、松葉杖を右側で突くに合わせて、フジキセキ先輩が左側を進んでいく。位置取り的に、俺が転びそうになったら助けに入ろうとしてくれているのだろう。本当に申し訳なかった。

 駅の構内に降りると、車内に迷い込んでいた音の断片とは比べ物にならない程の、情報の洪水とでも言うべき多くの音声が降り掛かった。

 

 その話題はほぼ全て統一されていて──概ね、俺達が東京レース場に向かう目的のレースに関する情報だった。

 

 トゥインクル・シリーズで目覚しい成績を残したウマ娘だけが移籍出来るドリームトロフィーリーグ。

 そこで開催される冬の大舞台の会場は、全国の大型レース場を毎年のように転々としている。その会場に今年選ばれた場所こそが、東京レース場だった。

 

 中央トレセン学園生の多くの汗を──多くの涙を──多くの夢を飲み込み続けたターフ、東京レース場。

 そこでは本日、あるレースが開催されるのだ。

 

 お品書きは、『チームリギル所属のテイエムオペラオー』対『チームスピカ所属のトウカイテイオー』。

 レースの名称は、冬のドリームレースこと『ウィンタードリームトロフィー』。

 

 ──『世紀末覇王』と『不屈の帝王』。日本を代表する二大チームの伝説的ウマ娘が、本日のこの地で激突する。

 見るもの全てを飲み込む天才達の夢の舞台が、眩い太陽と共に、揚々と幕を上げる。




 更新出来ていない間も、沢山のお気に入りやご評価、ご感想を頂いておりました。皆様の応援のお陰で、筆を折らずに済んでおります。
 本当にありがとうございます。

追記:
 今回の話は公開後、少し推敲するかもしれません。しないかもしれません(保険)
 ……推敲する時間がなかったんです。すいません。

2022/3/25 連絡:
 いつも『走り抜けても『英雄』がいない』をご愛読頂き、本当にありがとうございます。

 第16話後書きのハーツクライ(前世)の戦績に間違いを見付けた為、修正させて頂きます。
【誤】:2006年 ドバイシーマクラシック(二着:ハリケーンラン)
【正】:2006年 ドバイシーマクラシック(二着:コリアーヒル

 また、作中で『ドリーム・シリーズ』や『ドリーム・カップ』と表記していたものをアプリ版準拠の『ドリームトロフィーリーグ』に順次統一させて頂きます。
 加えて、アプリ本編で『モンジュー』の名前が出て来ましたが、キャラクターイメージを固めやすい為、本作ではこのまま『ブロワイエ』で行こうと思います。
 もし『モンジュー』が本当に実装されたら臨機応変に対応します。ご容赦ください。


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第20話 追い駆ける

 ──綺麗だった。

 

 走る姿は鳥のようで、脚を止めれば墜ちてしまいそうだった。何処までも走り続ける精神性は、完全に人間味を切り捨てていた。一心に勝利へと身を捧げた末になってしまう、超然とした有り様だった。

 それが人間として正解なのか、不正解なのか。そんな事はどうでも良かった。初めて彼女の走りを観た日から、彼女こそがウマ娘の理想形だと信じたから。

 だから、完全な押し付けであっても、彼女に自分の願望を重ね合わせていたのだ。

 

 何処までも勝ち続けるウマ娘。

 ひたすら見る者の賞賛に応え続ける絶対性。勝利という栄光だけに向けた、余所見をしない正直な心根。

 皆が誇り、憧れて当然の英雄像。

 

 そんなものを、勝手にアフターマスへと期待していた。

 だから、自分が感じた怒りは理不尽なものだと知っている。理不尽だとは感情が落ち着いてから気付いたものの、『菊花賞』の直後に分かっていたとしても、きっと同じように怒りを抱いた事だろう。

 

『勝てないんだ。何度やっても、どれだけトレーニングしても、どんなに必死に走っても』

 

 なんだそれは。巫山戯ているのか。それっぽっちの事で、お前が首を下げて良い訳ないだろう。

 お前は勝利の象徴で、負けを認めちゃいけないウマ娘なのだ。勝ち続けなければならないウマ娘なのだ。例え敵が、自分相手であったとしても。

 

 そう怒りに駆られたから、彼奴の事はもう、終わりつつあるウマ娘だと考える事にした。これから先は、クラシックのような奇跡を起こせないだろうと思う様にした。

 もしかしたら、敵とすら見られていなかった自分自身への怒りすらも、彼女へと押し付けていたのかもしれない。それでも、そうする他に道は無かった。

 勝手に期待した癖に身勝手だ……そう言われても、自分の中の理想が傷付く事には耐えられなかったから。超えたいと願った後ろ姿が、本当は()()()()だったなんて考えたくなかったから。

 無敗の三冠ウマ娘。幼い頃に夢見た非現実を現実にした綺麗な少女が、有り触れた存在だなんて思いたくなかったから。

 全盛期が過ぎたウマ娘なら、弱い姿を晒していても仕方がない……そう言い訳が出来るから。

 

 勝ちたいと心底願ってしまうあのウマ娘は、きっともう下げた首を持ち上げられない。だって、自分と()()()競ってくれる前に、心がターフで死んでしまっている。まるで、何時の間にかターフに背を向け消えていた、かつての仲間達のように。

 彼女は特別だった。強過ぎたのだ。勝負の神様が彼女を見初めてしまうくらい、心を殺してしまうくらい特別だったのだ。だからきっと、彼女がターフの中で消えて行くのは仕方がない事だったのだ。

 

 ──その筈だったのに、今更何故なんだ。

 

『──アフターマス! また伸びる! まだ伸びる! 『衝撃』の末脚は終わらない! ハーツクライ捕らえられるか!? 逃げ切るか!? どうだ!? ハーツクライ! アフターマス! ハーツクライ! どっちだ!?』

 

 余りにも綺麗だった。心の奥底が震え上がった。

 彼奴の本気の走りを初めて見た()の、彼奴のメイクデビューで覚えた感動。それよりもずっと大きな情動が、自分の中に居座った。

 何処か彼奴に感じていた違和感がさらさらなくて、総毛立つくらい腑に落ちるような必死の姿。アフターマスという一つの象徴が、自分の中から消えてくれなくなる走りだった。

 ようやく、恐ろしく速い本当の()()と走れるのか……彼奴はまたしても、そう自分の目を眩ませに来た。

 レースで負けた癖に。いつもの自分達みたいに、最後は悔し涙を流した癖に。

 

 ……だからこそ、勝利の象徴だった。自分の理想だった。皆が誇りに思ってしまう程の負けず嫌いだった。心底悔しいが、アフターマスは敗北を経験した上で、そんなウマ娘だった。

 怪物集団であるチームリギルの中にあっても一際輝く、『皇帝』の対抗バとなり得る日本史上最強候補。或いは、死んでも走り続けてそうな一周回った優等生。そして、最後には必ず立ちはだかってくれる、たった一人の世代の壁。

 自分達が必ず倒すべき存在が、無敵にさえ思えた好敵手(片想いの相手)が、そんなウマ娘だったからこそ──。

 

「お邪魔しまー──あれ、よく会うね」

「……あ、あんた。その脚、どうしたのよ……?」

「え。あ、ちょっと怪我で──ってうわ!? 大丈夫!? 救急車、救急車っ!?」

 

 ──松葉杖に身を預けた彼奴のギプス姿を見て、そのまま卒倒した。

 

 

■□■

 

 

「あの子、大丈夫かな?」

 

 東京レース場の特別観戦室は、和やかな空気を纏った学園生達で満ちていた。

 この場に暗い感情は不釣り合いだ。

 そんな不文律が漂う室内で、リギルメンバーが集まる一角に座りながら、先程ばったり遭遇した少女を案じる。

 

 現在はちんまい体に甘んじている俺である。ではあるが、それでも中身は大人なのである。

 だから目の前で急に子供が倒れたら心配するし、とにかく気になって仕方がない。それも最近何かと縁のある藍染リボンの少女が相手ともなれば、もはや動揺するなという方が無理であった。

 

「同行していた友人も大丈夫だと言っていたんだろう? なら、過度に気を向け過ぎない方が良い。良かれと思って取る言動が、逆に相手を困らせる事態を招かないとも限らない」

「そんなもんですかね?」

「ああ、そんなもんさ」

 

 何処か遠い目をしながらそう言ったルドルフ先輩に、こくりと首肯を返す。

 脳裏では、倒れた少女を回収しに駆け付けた、何処か影っぽい少女の言動を思い出しながら。

 

 ──あ、成程ね。大丈夫大丈夫。放っておけば治るから。それよりその脚どうしたの? え、軽い怪我? そっか。お大事にね。それじゃ、この子は連れてくから! ご迷惑、おっ掛けしましたー!

 

 思い出して、思う。

 ……あれ、明らかに俺から早く遠ざかろうとしてたよな。一緒にいたフジキセキ先輩、苦笑いしてたし……と。

 何故だか、ほんのちょっぴり涙が零れた。

 

「……殷鑑不遠、か」

「えっと、どういう意味です?」

「いや、なんでもない。それよりも、URAも思い切った事をしたな。埋め合わせとは言え、まさかウィンタードリームトロフィーの特別観戦席を一部屋丸ごと貸し切るとは。確か学園に残っている中等部の美浦寮生は全員が観戦予定だったか、ヒシアマゾン」

 

 ルドルフ先輩に話を振られて、前の座席に座るヒシアマ先輩が振り向く。釣られて、ヒシアマ先輩の隣に座っていたフジキセキ先輩も。

 

「ああ! お陰様で、事情があって帰省出来ていない子達も大喜びさ! 寮長としては、正月くらいのんびりと楽しく過ごして欲しかったから万々歳だよ! フジ、栗東寮の様子はどうだい?」

「此方は全員参加ではないけど、雰囲気は似た感じだね。ただ本音を言えば、最近引き篭ってばかりのアグネスタキオンやエアシャカール達も連れ出したかったんだけど、失敗してしまって悔しい限りさ」

 

 ヒシアマ先輩、フジキセキ先輩、ルドルフ先輩。この三人が集まった時の話題は、専ら寮住まいの生徒達の近況と相場が決まっていた。

 俺は「あ、なんか誤魔化されたな」と思いながらも、訳知り顔で頷いておく。顔を作った理由は特にないが、何となくそういう気分だった。

 

 ……いや、訳知り顔自体は間違いではないのだが。

 何故なら、今回のウィンタードリームトロフィーの特別観戦室貸し切りは、先だって開催された『有記念』の補填の一環なのだ。

 厳密には、『有記念』で起きたメディア関連のあれこれで割を食った学園生達──出走ウマ娘以外のウマ娘にもそれなりの余波があり、最終的には大なり小なり学園生全員が影響を受ける事となった──への、URAとトレセン学園からのお詫びみたいなものなのだが……何にせよ、俺は切っ掛けとなった出来事の当事者であった。

 

 リギルが頻繁に間借りする何から何までお高そうな部屋ではなく、この特別観戦室で本日のレース観戦を行うのも、当事者が別行動するのはちょっと褒められた行為ではないからだった。

 俺に付き合わせてしまった先輩方には申し訳ないと思うが、本人達も普通に楽しそうにしているのでセーフ……という事にして欲しい。

 ちなみに同じチームであっても、ウィンタードリームトロフィーではコース脇で応援なんてさせて貰えない。

 控え室までは俺達でも入れるが、今日のオペラオー先輩は少し掛かり気味と言うか……取り敢えず、先輩は精神を落ち着かせる必要があるようで、東条さんのみが控え室へと付き添っていた。レース直前のウマ娘にはよくある事だが、少しだけ心配だった。

 

「うーん……オペラオー、羨ましいデスね。エルもテイオーと勝負したかったデース」

「あらあら。エルったら、往生際が悪いですよ? W()D()T()の予選リーグよりもブロワイエへの備えを優先したのは自分ではありませんか」

「それはそうですけど、ブロワイエがこっちでレースに出走するって噂、これっぽっちも聞かなくなったんデスよね……」

「やはりデマだったのではないか? そもそも、彼女が祖国のフランスではなく日本で今更走る理由が思い付かないのだが。私も噂を聞いた当初は、もしやスペシャルウィークへの雪辱戦を考えているのかとも思ったが……最近では後進の育成に熱を入れていると聞くぞ」

「デース……」

「エルコンドルパサー、元気出してくだサーイ! 予定通りのレースも楽しいですが、サプライズで走れる方がたくさんハッピーデース! きっとチャンスは回ってきマース!」

「それはそうなんデスけど……うう、負けっ放しは主義じゃないのデース! 早くリベンジマッチしたいデース!」

 

 後ろの座席から、エル先輩、グラス先輩、エアグルーヴ先輩、タイキシャトル先輩の賑やかな会話が聞こえて来る。

 内容は、エル先輩のリベンジレースに関してのようだった。WDT──ウィンタードリームトロフィーの略称──の会場に秘められた、レースへ向けた熱気に充てられたのかもしれない。

 

 欧州の元絶対王者ブロワイエ──彼女に『凱旋門賞』で敗れて以来、エル先輩は打倒ブロワイエに燃えている。

 ……燃えてはいるのだが、現実問題としてエル先輩が雪辱を果たすのは、中々に難しかった。

 と言うのも、件のブロワイエが第一線を離れてしまい、現在では後輩達の指導に回ってしまっている為だ。

 エル先輩が敗れた当時、ブロワイエは欧州で生きる伝説としてターフに君臨していた。それが意味する事とはつまり、他文化圏に属するウマ娘ではそもそも一緒に走る機会すら貴重だったという事だ。

 欧州の至宝。フランスの誇り。そうとまで謳われた伝説的ウマ娘こそがブロワイエである。

 そんな彼女が第一線を退いたと言うのだから、負ける可能性を侵してまで彼女が再び国際レースの場に立つ事は、周囲がおいそれと許しはしないだろう。

 つまり、エル先輩がブロワイエにリベンジ出来る可能性は絶望的と言えたのだ──とある噂が流れるまでは。

 

 ──近々、ブロワイエが日本のレースに出走する。

 

 そんな噂が、突如としてブロワイエの本拠地であるフランスから流れて来たのである。それも、噂の発祥元は『凱旋門賞』の舞台として知られるパリロンシャンレース場の運営関係者だという。ロンシャンの芝がブロワイエのホームグラウンドと呼ばれている事を鑑みれば、噂の信憑性はそれなりに高かった。

 だからこそ、エル先輩はそれはもう大喜びでその噂に賭け、対ブロワイエ戦の備えを行い始めたのだ。夢の舞台とも称されるドリームトロフィーリーグのレースを差し置いてまで。

 名誉よりも大切なものがある。

 トレーニング中のエル先輩の背中からはそんな想いが伝わって来て、些か……と言うよりかなり格好良いのだ。

 ……格好良い分、現在の落ち込みようは見ていて痛ましいものがあったが。

 

 俺は聞こえてしまった背後の呻き声から意識を切り離すように、座席に据え付けられた小型モニターへと視線を落とした。画面の中では、出走ウマ娘達が誘導係に連れられて、地下バ道を進んでいる。

 同じ方向を向いて並べられた特別観戦席の正面の壁は一面硝子貼りで、東京レース場のコースを眼下に一望出来る。だが、コースから離れた場所に設置されているパドックや地下バ道の様子は、此処からではテレビ等の中継映像を介してしか確認する手段がない。その為、全座席に設置されているのがこの小型モニターであった。

 

 個人的にはいつもの高級ホテルみたいな部屋も、この近代的な設備の整った部屋も、明らかにお金が掛けられ過ぎていてとても落ち着かない。

 小市民と笑うことなかれ。良い所のお嬢さんに生まれていようとも、俺はそもそも馬である。藁やら木やら以外の物ばかりに囲まれていては、リラックス出来る道理がないのだ。流石に慣れたから、トレセン学園内であれば例外となるが。

 

 ──オペラオー先輩、やっぱり調子が()()()()なぁ。凄くそわそわしてる。

 テイオー先輩は普段通りのコンディションかな。合宿の時からかなり意気込んでたし、何かしら企んでそうな気がする。

 ……あれ。誘導係の芦毛のウマ娘、ちょっとゴールドシップ先輩に似てたような──。

 

「──そうかぁ? アタシって割とゴルシティ高い方だぜ? ゴルシちゃんと張り合うにはまだまだ攻撃力が欲しい所だわな。もっと腕に錨巻くとかよ」

 

 ぬっと、隣に人の熱が現れた。顔の真横から突然聞こえてきた声に、びくりと肩が跳ねる。

 顔を通路側──つまり右手方向に向ければ、ゴールドシップ先輩が少し屈んで俺の座席の小型モニターを覗き込んでいた。

 

「よう! 遍く世界からこんにちは、ゴールドシップ様が来てやったぜ!」

「ケ!? ゴールドシップ、今何処から現れたんデスか!?」

「何処ってそりゃ、そこからだが」

 

 驚いたように飛び上がったエル先輩へと、ゴールドシップ先輩は自分の後ろを親指で示しながら真顔を返した。

 普通に歩いて来たと言いたいんだろうか。何言ってんだ此奴……そんな文字が先輩の顔から読み取れた。

 ルドルフ先輩がゴールドシップ先輩へと朗らかに口を開く。

 

「やあ、ゴールドシップ。何時見ても快活としていて何よりだ。所で、何か用事でもあっただろうか?」

「おう、会長もご機嫌麗しゅう存じ上げましてなんちゃらかんちゃら。いやな、ちょっとアフターマスの怪我の様子を見て来て欲しいって頼まれちまってよ。人参スティック一本で使いっ走りのバイトしてんだよ。人使いが荒いでゴルシ」

「……そうか、成程。ちなみにだが、君の後ろにあるその苗木は、我々に関係あったりするのかな?」

「ん? ねぇけど。これは、あれだ。ちょっと大欅(おおけやき)の野郎に(えのき)としての誇りを取り戻させてやろうと思ってよ。あんなに立派な榎なのに欅だなんて嘘吐かされてちゃ見てらんねぇからな。あ、レース後に植え替えようと思ってんだけどお前らも来る?」

「ふむ。その()()がどうなるのか、確かに()()()()な。参加は遠慮するが。それにしても(けやき)でも(えのき)でもなく(ひのき)の苗木を用意するとは、何とも()が効いていて洒落ているじゃないか」

「待て。そういう問題じゃないだろ」

 

 思わずと言った風に、ゴールドシップ先輩とルドルフ先輩のやり取りへとブライアン先輩が口を挟んだ。

 最後列に座ったブライアン先輩からじゃ突っ込みにくいだろうに、先輩の中に眠っていた天性の突っ込み気質が先輩を衝き動かしたのだろうか。

 

 ブライアン先輩の前で頭を抱え始めたエアグルーヴ先輩を見て、フジキセキ先輩が口を開く。

 

「あはは……ジョークは程々にして貰えると助かるよ。エアグルーヴ、前に会長とアフタのコントショーに巻き込まれたせいで、ちょっとギャグの類にトラウマ抱えてるから」

「いや、私は……別にそんな事は……」

「……ルドルフとイッパイアッテナ」

「お前な……!」

 

 ぽつりと、一日限りで解散させられた漫才コンビの名を呟けば、エアグルーヴ先輩に睨め付けられた。

 ゴールドシップ先輩はひゅうと口笛を吹かせて、肩を竦めた。

 

「まあ、なんだ。大丈夫だろうとは思ってたけど、元気そうで何よりだ。そんじゃ、そろそろレース始まりそうだしアタシは行くぜ。テイオーが()()()()()()になるかどうかが賭かった一戦だ。チームメイトとして、アタシもちゃんと見ときてぇしな」

 

 それに、アフタのお陰で面白ぇもん見れるみたいだしな! それじゃあな、ラスボス系主人公ども!

 ……そう言って、ゴールドシップ先輩は嵐のように去って行った。レース観戦中でも一人遊びに興じる事で知られるゴールドシップ先輩にしては珍しく、愉快げに鼻歌を奏でながら。

 

 リギルの宿敵──と目される──スピカの先輩が去り、緩やかに館内スピーカーから音楽が流れ始めた。いよいよ出走ウマ娘達が入場するようだった。

 先程の賑やかさとは打って変わり、俺達は僅かばかりの沈黙に包まれていた。

 そして……ヒシアマ先輩が、ぎこちなく口を開いた。

 

「アフタ、良いかい。正直に答えるんだよ。アタシ達に何か隠し事してるだろ」

「……ちょっと何を言ってるか分からないんですけれども。あ。そういえば東京レース場の大欅が本当は榎だって噂、本当なんですね。新しい知識を得て知力が上がった気がします」

「誤魔化そうったって無駄だよ! 何を隠して──いや、その顔は言い忘れだね!? 一体、今度はどんな爆弾を持って来たんだい、アフタ!」

 

 此方を振り向いたまま頬をひくひくと引き攣らせたヒシアマ先輩から、しどろもどろに目を逸らす。先輩が更に前のめりになった。

 特別観戦室の座席は段差状になっている為、俺の場所からではヒシアマ先輩が上目遣いになって見える……のだが、勿論、可愛いとかそんな生易しい感想は出て来ない。代わりに、冷や汗ががくがくと流れた。

 ヒシアマ先輩は面倒見が良い分、怒るととても怖い。

 

「あの、あの……心当たりっぽいのが一つしかないんですけど、多分、当たってたとしても大事じゃないと言いますか……」

「うーん……ちなみにどんな事なの? 大事かどうかはお姉さん達が聞いてから判断するわ。アフタちゃん、自分が関わってる事だと良く判断間違えちゃうから」

 

 ルドルフ先輩の向こう側に座るマルゼンスキー先輩がゆっくりと頬に指を添わせた。

 俺は観念して、勇気を振り絞る。どうかやらかしてませんように……と祈りながら。

 

「テイオー先輩の走法を改良するお手伝いをしました」

「……なんだって?」

「合宿の時、ライブの特訓をして頂いたお礼に、テイオー先輩の走り方を改良するお手伝いをしました。主に、背骨関節の使い方についてを少々」

 

 てん、てん、てん。擬音にすると、そんな文字だろうか。静かな間が、小さく流れた。

 背中をゆっくりと冷や汗が流れた気がして、僅かに身を捩って──『はあっ!?』と言う先輩方の合唱と視線が、痛いくらい体へ突き刺さった。

 同時に、部屋のあちこちできゃあきゃあと言う声が大きく響く。瞬きの隙間に正面のターフを見れば、地下バ道からはオペラオー先輩やテイオー先輩をはじめとした、今回のウィンタードリームトロフィー出走ウマ娘達がレオタードに似たデザインのレース服で入場を開始していた。

 スピーカーから実況者さんの声が流れ始め……ヒシアマ先輩の声がそれをかき消す。

 

「走法の改良を手伝った!? なんでそんな大事な事を言わなかったんだい!?」

「べ、別に大事じゃないよなって思ってまして……あと、自分の事で手一杯で伝えるの忘れてたと言いますか……」

「大事なんだよそれは!? じゃあ何かい!? あの才能お化け、今度は加速中に再加速したり、ラスト5ハロンかっ飛ばしたりする様にでもなったってのかい!?」

 

 いやあ、それはないと思います……多分……と、食い気味のヒシアマ先輩へと口を窄めていく。

 

「テイオー先輩、三回も骨折してるって聞いて、ちょっとでも怪我しにくくなればなぁ……と思いまして、参考程度にと……。テイオー先輩、俺と同じストライド走法ですし、体格だってそこまで極端には違わないですし……はい」

「いや、はいって……はぁ。仕方ない、か。敵に塩送るなとは言わないけど、送ったならきちんと言いなよ。一応、うちとスピカとはライバル関係なんだからさ」

「ごめんなさい」

 

 しまったねぇ。アフタの自己評価の低さ、甘く見てたよ。せめて三十分くらい前に分かってたなら、トレーナーに連絡してオペラオーに一言申し送り出来たんだけど。

 ヒシアマ先輩の苦虫を噛み潰したような顔に、ブライアン先輩が続く。

 

「不味いな。今日のオペラオーは行き過ぎなくらい好調だ。テイオーのフォームが変わったなら直ぐに気付く。それも、変化の内容まで見抜く筈だ」

「そうなると、一番身近な近い走りをするウマ娘──言ってしまえば、アフタの走りをテイオーがする可能性も想定して走る事になるだろうね」

「アフタとテイオーちゃんだと仕掛け所等が全然違いますし、駆け引きの次第によってかなり困難な戦いになりそうですね」

 

 ブライアン先輩に続き、フジキセキ先輩、グラス先輩が所見を述べていく。

 それに反比例するように、俺は縮こまって行った。

 テイオー先輩のトレーニングに関する事だから、リギルの先輩方には言わない方が良いかもしれないよね……と、優柔不断に判断し切れなかった粗末な事柄が、まさかここまでの大騒ぎを引き起こすとは思っていなかったのだ。

 もう穴があったら入りたいと言うか、穴を掘るから埋めて欲しいくらい、いたたまれなかった。

 

 再びルドルフ先輩の口許が動いたのを見て、ぎゅっと目を瞑った。

 もはや申し開きの言葉はない。先輩方からサンドバッグにされる覚悟は決めた。全面的に俺が悪い。

 

「──しかし、丁度良かったかもしれないな」

 

 ……へ? と。聞こえて来た想定外の声色に目を丸く開いた。

 怒鳴り散らされても仕方がない……そう覚悟を決めていた分、驚いて腰が僅かに浮く。

 

「そうねぇ。オペラオーちゃん、最近ずっと白熱したレースに飢えてたみたいだもんね。この前の有記念、本当に羨ましそうに観てたし」

「テイオーなら使えるものを全て使って勝ちに行くだろう。間違えても鎧袖一触なんて事態にはならないな」

「良いなぁ、オペラオー。エルも走りたいデース……」

 

 マルゼンスキー先輩が意見を述べ、ブライアン先輩が独白し、エル先輩が羨む。

 そんな光景へ向けて、ヒシアマ先輩が苦笑した。

 

「呑気だねぇ。負けたらどうすんのさ?」

「負けたら負けたまでだろう。そこから更にオペラオーが強くなるだけだ。勝ったら勝ったで、流石は史上唯一のグランドスラム(年間無敗)……と言うだけの話だ」

「まあ、違いないね」

 

 ブライアン先輩が真剣な眼差しでターフのオペラオー先輩を眺めている。どんなレースをするのか。もはや先輩はその一点しか見ていないようだった。

 

 ……ちょいちょいと、左肩をつつかれた。視線を向ければ、マルゼンスキー先輩がルドルフ先輩越しに腕を伸ばしている。

 ルドルフ先輩は少し困ったように笑いながら、眉尻を垂れさせていた。

 マルゼンスキー先輩が、俺へとウインクを一つ飛ばした。

 

「怒られると思った? 大丈夫よ。長く走り続けると今回みたいな事も起きるわ。でもその代わり、レースをきちんと観ておくのよ? 次に似た事が起きた時、オペラオーちゃんの場所に立っているのはアフタちゃんかもしれないし……それにあんなに楽しそうな顔してる子達の真剣勝負、滅多にお目にかかれないわよ?」

 

 ほら、皆の顔付きイケイケじゃない? こんなレース、観るっきゃない!

 マルゼンスキー先輩は親指を立ててにこりと笑い、前へと向き直った。

 釣られてターフの上へと目を向ければ、出走する先輩方がゲートインを済ませていた。自分の中でうだうだとしている内に、いつの間にか時間が程々に過ぎていたようだった。

 ルドルフ先輩が締め括るように静かに、けれど響くように言葉を紡ぐ。

 

「期待を背負って走る。夢を背負って走る。そして何より、自分が走りたいから本気で走る。アフタにはこのレースで、テイオーとオペラオーからその姿勢を学んで欲しい。レースは、才能と技術だけでは決着しない」

 

 『皇帝』シンボリルドルフ。またの呼び名を、『永遠なる皇帝』。

 日本()()の最高傑作と呼ばれた競走馬の姿を、先輩の横顔に幻視した。

 

 館内スピーカーからがしゃんと言う音が響いて、反射行動のようにゲートへと視線を戻す。

 音が、忘れていた自分の仕事を思い出したように『ウィンタードリームトロフィースタートです!』と、実況者さんの声を伝えた。

 

 天気は快晴。バ場状態は良。風は緩く、冬にしては音が賑やか。

 フルゲートで開いた夢の舞台で、十八の脚が一歩目を踏み出した。

 テイエムオペラオーとトウカイテイオー。そして、彼女達と轡を並べる事を許された十六人の怪物達。

 偉大な競走馬達の魂を継いだ少女達の戦いが、弾けたように幕を開けた。



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