[パッチワーク・オブ・ドリーム]ハリボテエレジー育成シナリオ (ターレットファイター)
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[ハリボテエレジー登場!]
[ハリボテエレジー登場!]―ジュニア級・4月 その1


 子供の頃の夢は、ウマ娘だった。トゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘になることが夢だった。

 ウマ娘のようにどこまでも速く駆けたい。将来はウマ娘になって、皐月賞や日本ダービー、菊花賞、桜花賞にオークス、秋華賞、めくるめくレースに出走して勝ちたい。それが、将来の夢だった。

 

 ――だけど、健康診断の結果と、小学校で身近な場所にはじめて現れたウマ娘の存在は、そんなものにはなれないということを私に教えてくれた。

 だからわたしは、トレーナーの道を選んだ。

 

 

 ――夢を観た。

 それは、あるウマ娘の夢。

 レースで最後方に陣取り、最終直線での追い込みを図るウマ娘の夢。

 速度は十分。レース中盤までは狙い通りの位置で後半へ向けて脚を溜める。そして、終盤にかけてスピードを上げ、ゴール前では先頭に立つ。

 第三コーナー――レースが終盤に入る曲線の入口。前を行くウマ娘たちの背中を見ながらじわりと速度をあげる。

 その瞬間、体がぐらりとカーブの外側へ振られる。腰のあたりで何かが裂ける音――

「――トレーナー君? トーレーナーくーん?」

 ターフの上の景色が一瞬で消え、自分がどこにいるのかわからず、周囲を見回すと、トレセン学園のトラックの傍らに立っていた。目の前では担当のウマ娘――アグネスタキオンが全身から湯気を立ち上がらせながら不審げに私の顔を覗き込んでいる。その顔を見て、ようやく今の状況を思い出した。タキオンの朝練に付き合って、走り込みのラップタイムを測っていたのだ。

「あちゃー……」

 手元のストップウォッチを見ると、案の定というべきか後半のラップタイムは全く計測されていなかった。

「ごめん、押し忘れてたみたい」

「まあいいさ。今日は特に新しく試したものもなかったからね」

 走り込み後の柔軟体操をしていたタキオンはそう言って肩をすくめると、不意に眉をひそめる。

「……しかし、ストップウォッチを押し忘れるなんて君らしくない。それに今日は随分と浮かない顔をしているな」

 タキオンが心配するというのはよほどのことだ。どうやら、わたしはそうとうひどい表情をしていたらしい。

「まあ……ちょっと、嫌な夢を見ちゃってね」

「ふぅン? 夢というのは無意識下のものが発露したものだとも言われている。君のパフォーマンスにそこまで影響を与えるなんて、どんな夢なのか興味があるね。聞かせてくれたまえ」

 そして彼女が、担当トレーナーのひどい表情の原因に興味を持たないはずがなかった。

「ふぅン……」

 わたしが見た夢の話を最後まで聞き終えると、タキオンは目を細めて考え込む。

「ウマ娘になる夢と言うと、強い活力とかエネルギーに対する憧れの反映、体がバラバラになる夢というのは極度の疲労や混乱した状況の反映と一般的には言われてるが……君、そうなのかい?」

「そうなのかい、って言われてもなぁ……」

 強い活力とかエネルギーに対する憧れはともかく、疲労や混乱状態に関してはさっぱり心当たりがない。

 担当するウマ娘であるアグネスタキオンは去年の暮れに有馬記念、そしてほんの半月前にはURAファイナルズの中距離でも優勝して「最初の三年間」で十分な成果をあげて一段落。トゥインクル・シリーズに残るか、ドリーム・トロフィー・シリーズに移籍するかという話も移籍の方向でまとまりつつある。疲労や混乱とはむしろ正反対の状態だった。

「ふむン……。やはりこのあたりは当てになるか微妙なところだね」

 私の答えに、タキオンはそう言って首をかしげる。去年の有馬記念以来、「精神的な要素が走りに与える影響」に興味を持ち出したタキオンは、心理学から占いの類まで、およそ精神に関係しそうなものなら分野を問わずに資料を集めて、その成果を私で試していた。今持ち出してきたのは、夢占いか何かの本から得た知識だろう。もっとも、そちらの方向での成果は今ひとつのようだった。

「そういえばタキオンってウマ娘の夢を見たことはあるの?」

「私かい? 子供の頃から何回かそんなことはあったが……せいぜい皐月賞のときくらいまでだったからなぁ。あまり考えたこともなかったな」

 わたしの質問にタキオンはそう答えたあと、わずかに首を傾げてふと思い出したように呟いた。

「……そういえば、たいがいのウマ娘は一度はそういう夢を見ると聞いたことがあるね」

「そうなの?」

「ああ。そういえば、奇妙なことにその夢に出てきたウマ娘がレースでのライバルになることが多いという話もなにかの調査で――」

 タキオンがそう言いかけたところで、チャイムの音が練習コースに鳴り響く。朝の予鈴――ホームルーム10分前、8時の鐘だ。

「おや、もうこんな時間か。……トレーナー君、片付けはおねがいするよ」

「もちろん。行ってらっしゃい」

 校舎までの距離を考えたら、今すぐに出れば少しぎりぎりになるがホームルーム前には教室にたどり着ける。確か、今日のホームルームで提出しないといけない書類があったはずだから、タキオンとしても遅刻するわけにいかないのだろう。

「……あれ?」

 しかし、コース脇の待機小屋にはタキオンの通学カバンが置きっぱなしになっていた。どうやら置き忘れていたらしい。

「桐生院さん、ちょっとお願い!」

 同じように担当ウマ娘のトレーニングの後片付けをしていたらしい同僚のトレーナーに声をかけると、待機小屋を飛び出す。

 時計を見ると現在時刻は8時9分。ホームルーム開始まであと1分を切っている――今から走っていけば8時半に始まる一時間目の前には教室に届けられるだろう。コースを飛び出し、校舎へ向かう道を駆ける。ひどい夢見に反して、今日は随分と体が軽かった。駆け足くらいのペースのつもりだったのが、知らず識らずのうちに全速力へと変わる。寮と校舎を結ぶ通路に出る頃には、自分でも驚くほどの速さになっていた。

 遅刻ギリギリで走っているウマ娘たちを追い越し、あっという間に校舎の前にある三女神像が見えてくる。

 少し意外なことに、タキオンはまだ校舎に入らず、三女神像のあたりにいた。

「タキオーン! 忘れ物!!!」

 タキオンのカバンを掲げながらそう叫ぶと、とても驚いた様子でタキオンがこっちを見た。かなり驚いているらしい――目を大きく開け、口をぱくぱくさせているのが遠くからでもはっきり見えた。実験でとんでもない結果が出たときのような興奮した様子ではない、どちらかと言うと、とんでもない不意打ちを受けたときのような表情だ。

「トレーナーくん! いったいどうしたんだい!?」

「タキオン、忘れ物!」

 通学カバンを差し出すと、「あ、ああ……」とタキオンは思いがけないものを差し出されたように通学カバンを受け取る。それと同時に、チャイムが響く。

「あれ、もうこんな時間? タキオン、もう一時間目が始まるんじゃない?」

 けっこうなペースで走ったつもりだったが、実際にはそれほどでもなかったらしい。一時間目にも間に合わなかったということは、それどころか随分と時間がかかってる――そんな考えを見透かしたのか、タキオンが呆れたようにため息を付いた。

「……いまのはホームルームのチャイムだ」

「え?」

 さすがに、そんなことはないだろう――そう否定しようとするのを制するようにタキオンはわたしとの距離を詰めながら問いかける。

「それよりトレーナー君……君、トレーニングコースを飛び出した時刻は覚えているかい?」

「ホームルームの鐘が鳴るまで1分を切ったあたりかな」

 そう答えながら右手にはめた腕時計をちらりと確かめる。――もしかして、腕時計の時間が狂っていたのだろうか? だとしたらどこかで修理に出しておかないといけない。腕時計が示す時刻は8時10分をちょっと過ぎたあたり。ということは10分以上は時間がずれているのを覚悟しないといけない。

 その一方で、タキオンはほとんど触れんばかりの距離で顎に手を当てて考え込む姿勢になっていた。

「ふむン……ここからコースまではざっと800メートル……ヒトのその距離での世界レコードは確か1分と40秒少々だったか……それだけのペースなら時計の針を見間違えた程度で済むか……なあ、トレーナー君、君、実は陸上の中距離走でヒトの世界レコード並みのタイムを叩き出せる豪脚の持ち主だったりしないか?」

「へ?」

 突拍子もないといえば突拍子もない質問に思わず首を傾げてしまう。「いや、そんなことはまったくないけど」

 確かに、子供の頃はどちらかといえば脚は早い方だったが、それはせいぜいクラスの中で上位集団に入れるという程度のものだった。陸上部で大会に出るような同級生にはとうてい脚の速さではかなわなかった。

「トレーナー君、ちょっと君の腕時計を見せてくれたまえ」

 そう言うと、タキオンは答えも聞かずにわたしの手を取って腕時計を覗き込む。わたしのことなどお構いなしに、時計塔の時計と腕時計を見比べたり、いろいろと角度を変えながら腕時計を観察する。

「デジタル時計となると見間違いではない……電波時計……時計塔の時計との誤差は殆どないな、これは……なあトレーナー君、もう一度聞くが……コースを出たのは8時9分を過ぎてからだったんだね?」

「まあ、この腕時計が正しければそういうことになるけど……」

 わたしの答えを聞いて、タキオンはため息をついて額に手を当てる。わたしの腕時計が壊れていたことがそんなにショックだったのだろうか――。そんなことを考えた拍子に、周囲のざわめきが耳に入ってきた。もうホームルームが始まっているというのに、やけにざわめきが大きい。

「これは……さすがのわたしでもにわかには信じられないな……。ううン……けれども、いや、やはりあの走りを考えればこちらのほうが筋が通るが……」 

「タキオン……?」

 さすがに、遠巻きにざわついているのを見てると少し不安になってくる。トレーニングコースを出たあとにタキオンはまたなにか実験でもしていたのだろうか。

 そんなわたしの様子に呆れたのか、タキオンがもう一度ため息をつく。

「君、かなりとんでもないことをしたことになるぞ」

「え?」

「つまりだ、君……800メートルを――4ハロンをおよそ1分足らずで走り抜けたことになるぞ。おそらく、50秒台のタイムということになる」

 レース直前での追いきりであれば、よく仕上がったウマ娘の場合4ハロンの目安は52秒――4ハロン1分足らずというのは、それにも匹敵するタイムを意味していた。




というわけで、読者にはバレバレですがタキオンのトレーナーはウマ娘になってしまいました。
次回は生徒会室で諸々のお話です。夕方に投稿するか、明日投稿するか、月曜日に投稿するかのどれかになると思います。


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[ハリボテエレジー登場!]―ジュニア級・4月 その2

なんだかんだで話の座りが悪いので連投です。



 

「――結論から言おう。手作トレーナー、君はウマ娘だ」

 そう告げたシンボリルドルフの言葉には、はっきりと困惑の色が出ていた。

「……はい?」

 けれどもそれは、言われたわたしからしても同じことだ。

 そもそも、なんでこんなことになっているのかも飲み込めていないのだ。

 放課後の生徒会室でシンボリルドルフと一対一――ほとんど生徒会室にいないナリタブライアンはともかく、エアグルーヴにまで席を外させてというのはそうとう重要な話だというのはわかるが、そんな話をされることになったのもよくわからないのだ。いや、されるとすれば朝の一件もあってサポート科の施設やら練習コースでの走り込みやらと今日一日かけて受けさせられた検査に関することなのだろうが、それにしたってわざわざシンボリルドルフから一対一で告げられることだとも思えなかった。

 その上に――ウマ娘だと告げられれば、もう混乱は手に負えない。

 思わず自分の頭のてっぺんあたりを何度もなでてみるが、当然そこにウマ娘の耳は生えていない。

「……生まれたときから耳は生えてなかったのですが」

「うん。そうだろうね。過去の検査記録でも、君は全くウマ娘ではないと診断されていた」

 なんとかひねり出した答えに、シンボリルドルフはあっさりと答える。

「『本格化』については当然、君も知っているだろう?」

「ええ。ウマ娘がその能力のピークを迎え、競技者として開花する時期のことですよね?」

「ああ、そのとおりだ。そして、基本的に本格化は十代の半ばで起こる。――けれども、二十代になってから本格化を迎えるウマ娘もいることは知っているね?」

「ええ。それほど事例はありませんが、そういう例があることは。ですが……その場合でも、もともとウマ娘であることが判明していた事例ばかりだったと記憶していますが」

「うん。そのとおりだ。――とはいえ、ウマ娘の体についてはまだまだ謎なことも多い。稀に、成人してからウマ娘だと診断される事例はある」

「それは……確かにそのとおりですが」

 確かに、そういう事例が極稀にあるというのはトレーナー育成学校のテキストのどこかに書いてあったような気がする。しかし、自分がその事例になるなどと考えたこともなかった。

「つまり……診断から漏れていただけで、わたしもウマ娘だった、ということですか」

「うん、そういうことだ。手作トレーナー」

 ようやく事態を飲み込めたわたしの答えに、シンボリルドルフはあっさりと頷く。

「そう……でしたか」

 子供の頃、ウマ娘になりたかった……そんな夢を抱いていたことが不意に頭をよぎる。ということは、気づかなかっただけで夢の一部はとっくにかなっていたんだな。自分の中のどこか冷静な部分がそう囁いていた。

 とはいえ、ウマ娘だからといって誰もがレースに出られるわけではない。出身地では誰もかなわないような天才が――並みのウマ娘よりも遥かに素晴らしい才能を持つウマ娘の大半が大した結果を残せずに引退していく、それがレースの世界であることを子供から大人になるまでの間に知ってしまっていた。

 だから、ウマ娘だとわかったところで、それだけのことなのだ。

 しかし、話はそれで終わりではなかった。

「さて、それでこれからのことなのだがね。手作トレーナー――トレセン学園に、編入入学する気はないかな?」

「……はい?」

 シンボリルドルフが放り込んできたのはさらなる爆弾だった。

「君には、トゥインクル・シリーズで活躍できるだけの素質があるということだ」

 シンボリルドルフは手元の書類に軽く目をやりながら言葉を続ける。

「練習コースでのタイムを確認させてもらったよ。……その結果を見る限りでは、君の脚は十分に将来有望だ。レースに出ても十分にやっていけるだろう」

 それはつまり――子供の頃に抱いた夢への道が、また開かれたということだった。

 けれども、そんなことをいきなり言われたとしてもすぐ飲み込めるわけがない。

「考えさせて……ください」

 そう答えるのが精一杯だった。

「ああ。そうだろうな。こちらも根回しなど準備がある。……即決できる話ではないだろうから、今すぐ答えなくてもいい」

 それを見透かしたように、シンボリルドルフはそう言って柔らかく微笑んだ。

「ありがとうございます」

 とりあえず、どうしよう――。即決を求められなかったことに安堵して、生徒会室を辞そうと腰を上げる。

「手作トレーナー」

 しかし、"皇帝"はわたしに、最後まで息をつかせるつもりはなかったらしい。ドアに手をかけたわたしに、シンボリルドルフはゴール前の末脚のように、最後の爆弾を投げ込んできた。

「――できればぜひ、君にはトゥインクル・シリーズへと出走して欲しい。アグネスタキオンに負けずとも劣らない――いや、ひょっとしたらそれ以上かもしれない。君の脚は、クラシック三冠も夢ではないほどの素質を持っている。そのことは、私が保証しよう」

 どきり、と心臓が跳ねる。

 タキオンと同レベルかそれ以上――それは、現役のウマ娘の中でもトップレベルの脚ということだった。

「そう……ですか」

 そして、シンボリルドルフはゴール前で後続をさらに突き放す末脚のように、その名前を告げた。

「それともう一つ、君が継承した想いの名前も伝えておかないといけないな――」

 





そういえば、書き忘れてましたが主人公の名前は手作さんです。チューリップ帽子がよく似合う手先の器用な長身の女性です



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[ハリボテエレジー登場!]―ジュニア級・4月 その3

 

「……まったく、君のおかげで大変なことになったよ」

 わざわざ待ち構えていたらしいアグネスタキオンは、わたしがトレーナー室に入るなりそう言ってため息をついた。

「君の走りのおかげで私まで今日一日尋問だ。おまけに、これまで溜め込んだ実験データを洗いざらい吐き出させられた挙げ句『さっさと論文を書け』だ……。まったく、そんな時間はないというのに……まあ、そのおかげでドーピングなどでもなく、私の試薬が無関係だと確認されたわけだが」

「あれ、タキオンの試薬は関係なかったの?」

「当たり前だ。ドーピングほどしらける行為はないからね」

 給湯器に残っていたお湯で淹れた紅茶を受け取りながらタキオンは肩をすくめる。「ただの人間をウマ娘に変えられる薬など、どう考えてもドーピングだ。興味もないよ……と言いたいところだが、そんなものがあったら少し興味はあるね」

 山盛りの砂糖を紅茶に注ぎながらタキオンはすっと私の顔を見上げる。

「まあ、それはいい。……トレーナー君、君はどうするつもりなのかな?」

「どうするって?」

「決まってるじゃないか、トゥインクル・シリーズへの出走だよ。シンボリルドルフに呼び出されたのもその件だろう?」

 そう言うタキオンの目には、はっきりと期待の色が浮かんでいた。

 その色から逃げるように、思わず目を伏せる。

「そうなんだけどね。……少し、迷ってるんだ」

「迷ってる? どうしたんだい?」

「……子供の頃は、トゥインクル・シリーズに出るのが夢だったんだ」

「ふむン?」

 わたしが向かい側の椅子に腰を落とすと、タキオンは興味深そうに話の続きを促す。

「けれど、わたしはウマ娘じゃなかったただのヒトの女の子だった。だから、トレーナーになったんだ」

 そう、子供の頃はわたしも将来はウマ娘としてトゥインクル・シリーズに出るのだとずっと張り切っていたのだ。小学校に上がるくらいまではかけっこなら誰にも負けなしだった。

 けれども、わたしにはウマ耳も、しっぽも、受け継いだ思いもなかった。

 ――タキオンのように、恵まれた脚もなかった。

 小学生の時にはじめて出会ったウマ娘は、その存在をもってウマ娘とただのヒトの女の子の違いを教えてくれた。ただのヒトの女の子では、どうあってもウマ娘の脚にはかなわないということを、彼女の背中に思い知らされた。

 そして、進学先としてトレセン学園を選んだ彼女は――地元では敵なしという程度の脚ではとてもトゥインクルシリーズで活躍できないということをその戦績でもって教えてくれた。地元を出るときにはとても大きく見えた彼女の背中は、未勝利戦にすら勝てなかったという戦績とともに帰ってきたときにはとても小さくなっていた。

 だから、わたしはトレーナーを目指したのだ。そのはずだったのだ

「――それが急に実はウマ娘でしたって言われてもね」

 トレーナーとして、タキオンにこんな弱音を漏らしてもいいのだろうか、そんな迷いが一瞬だけ頭に浮かぶ。けれども、言葉は止まらなかった。

「……子供の時見た夢に、わたしはまた手を伸ばしていいのかな、タキオン」

「ふぅン……君がそう言うなんてな……」

 タキオンは目を細めて、じっとわたしを見つめるとぽつりとつぶやいた。タキオンの目が、狂気的な欲望にとりつかれた悪魔のような色を奥底にたたえた目が、正面からわたしへ向けられる。

「――『君と一緒に果てが見たい』」

「え?」

 その言葉に、その目の底にある吸い込まれるような色に、どきりと胸が跳ねる。

「君の言葉だ。月桂杯のときに――それと、スカウトしたときに君が言った言葉だよ。そのままお返ししよう」

 そう言ってタキオンは蠱惑的に微笑む。

「君のせいなんだよ。君がそう言ったから――そのおかげで、諦めかけた夢をもう一度追いかけることになってしまった」

 それは、巧妙に契約を迫る悪魔のような――あるいは、なにかキラキラ輝くものを見つけた無邪気な子供のような表情だった。

「だからね、トレーナー君。君がウマ娘になったのなら……その果てを私は見てみたいのさ」

「そっか……うん、ありがとう」

 その言葉は、わたしの迷いを一瞬で吹き飛ばしてくれた。

「明日、会長に返事するよ」

 速さの果てを目指すなら、タキオンが駆けてきた途を私も辿るだけだ。

「トレセン学園への編入入学をして、トゥインクル・シリーズを目指す」

「そうか。楽しみにしてるよ」

 私の答えに、タキオンはほっとしたように笑みを浮かべた。

「タキオンこそ、ドリームトロフィーリーグ、頑張ってよ」

「あぁ……そうだったね」

 わずかに面倒なことを思い出したような、迷いのある曖昧な相槌を打ってタキオンが腰を浮かせる。

「そういえば、トレーナー君……君が継承した想いは、どんな名前だったんだい?」

「……ハリボテエレジー」

 それが、わたしの手の中に舞い込んだ夢の名前。

「それが、新しい私の名前だって」

 

 

 

 そして、変則的な形で私のトレセン学園生活が始まることになった。新年度に入学する高等部の一年に編入。高校はすでに一度卒業しているから午前中の学科は免除、その時間を使って桐生院さんと組んでタキオンのトレーナーを続けながらトレセン学園の生徒としてトゥインクル・シリーズを目指すことに鳴る

「桐生院さん……いえ、桐生院トレーナー、よろしくおねがいします」

「こちらこそ、手作さん……いえ、ハリボテエレジーさん」

 そして、選抜レースを待たずにスカウトしてくれた桐生院葵――同僚のトレーナーが私の専属に付くことになった。そして、彼女のサポートとしてトレーナー補がもうひとり付く事になるとは聞かされていたが――

「……それでなんでタキオンがトレーナーのバッジをつけてるの!?」

「トレーナーじゃないよ、トレーナー補だ」

 ――それがタキオンだとは思ってなかった。

「どうして!?」

「サポート科の単位も取っていてね。実務経験を積むために、彼女の助手をさせてもらうことになったのさ」

 わたしの疑問に、タキオンはしれっと答える。勉学に関しては専属になった後はタキオンは落第しない程度の成績を確保するようになった彼女の自由にさせていただけに、そんなことは全く知らなかった。

「えぇー……?」

「おや、学園一の問題児にしてグランプリ、URAファイナルズ制覇ウマ娘の指導は嫌かな? ハリボテエレジー君」

「そうじゃないけど……」

「なら決まりだ。よろしく頼む……ああそうだ、トレーナー君。ドリームトロフィーリーグへの移籍はなしだ。書類は後で取り下げておいてくれ」

「え!?」

「気が変わってね。あと三年ぐらいはトゥインクル・シリーズで走ることにした。手続きを頼むよ」

 そうして――私にとっての、ハリボテエレジーとしての「最初の三年間」が始まった。

 

 

スキルptが120上がった!

 

 




ハリボテエレジーの適性(特に継承などしてない場合)
芝:A ダート:G
短距離:C マイル:A 中距離:C 長距離:C
追込:A 差し:B 先行:G 逃げ:G

成長率
+20%:根性
+10%:パワー

ただし、このハリボテエレジーは因子継承で距離適性は一部変化したりしています。そのあたりの話はまた追々


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[間章・その脚に満ちた可能性]
[間章・その脚に満ちた可能性]


ちょっと先に進む前に間章、タキオンから見たハリボテエレジーの話です。


 ――放課後、日没も近くなった頃。

 人気のないグラウンドで、ハリボテエレジーとシンボリルドルフの併走が行われていた。

 トゥインクル・シリーズ、そしてトレセン学園に君臨する圧倒的な実力者であるシンボリルドルフとトレセン学園への編入入学を許された異色のウマ娘であるハリボテエレジーの併走――公にされていれば、相当数の観客を集めていたであろうそのレースは、行われることそのものを極力知られないようにしたシンボリルドルフの配慮のおかげか観るものはほとんどいなかった。

「ふぅン……」

 その数少ない例外――関係者であるがゆえに併走が行われることを知っていたアグネスタキオンは観客席から走る二人を双眼鏡でじっと見つめていた。

 リードを保ちながら走るシンボリルドルフの後方をハリボテエレジーが追走する形。その実力を計るため、あまりに引き離しすぎないようシンボリルドルフが走っているのは間違いないだろうが、だからといってハリボテエレジーの脚が並外れて遅いというわけではない。ハナを奪って前目につけるのでなければ、実際のレースでも条件線であれば十分と言えるような速さでシンボリルドルフを追っている。

 その脚は――ヒトの脚力としては並外れたものであり、ウマ娘としても優秀と言っていい。しかし、トレセン学園の生徒としてみれば群を抜いて優秀と言えるほどのものではない。「本格化」を迎えたばかりであることを考えればこれからの伸びしろは見込めるが、それほどの素質があると思わせるほどではない走り。はっきり言って、それほど優秀なウマ娘とは思えないものだ。

 私が見たときの走りはあんなものではなかったはずだが――

 忘れ物を届けようと猛ダッシュをしていたときの彼女の走りは、あんなものではなかった。本来ならばもっと速いはずなのだが――。

 タキオンが内心で首を傾げている間にも、二人は向こう正面を通過し、コーナーに差し掛かる。

 それと同時に、ハリボテエレジーの走りが変化した。ぐい、とギアを上げたようにハリボテエレジーが加速する。曲がりきれないで逸走しかねない速度でコーナーへ突っ込み、シンボリルドルフとの差を一気に詰める。負けじと速度を上げるシンボリルドルフに食らいつき、大きく外へ膨れながらもコーナーを曲がる。双眼鏡の視界の中で、ハリボテエレジーの顔が正面を向く。三年間、ウマ娘とトレーナーとして向かい合ってきた瞳が、双眼鏡越しにタキオンの顔を捉える。

 その瞳は――夢見た世界に足を踏み入れ、熱に浮かされている無邪気な少女のようであり、荒野で猛る猛獣のようでもあり――

 ――呼吸も忘れるほど、魅せられる色をしていた。

「ふぅン……」

 最終直線に入ると同時に瞳に浮かぶ色はますますその濃さを増し、そしてハリボテエレジーがさらに加速する。シンボリルドルフを抜き去り、驚異的な末脚でリードを広げる。

「すごい……」

 思わず漏れたそのつぶやきは、タキオン自身のものではなく、その隣で観戦していた桐生院葵のものだった。その声に釣られるように、タキオンはすっかり忘れていた呼吸を思い出し、そっと息を吐き出す。

 ゴール前でトレセン学園随一の実力者の意地を示したシンボリルドルフがハリボテエレジーを差し返したところで双眼鏡を下ろすと、桐生院葵と目が合った。

「タキオンさんはどう思いました? 彼女の走り」

「そうだね――ゾクゾクするね」

 タキオンは軽く目をそらし、グラウンドの方を見やりながら答える。トレーナー――ハリボテエレジーは、シンボリルドルフと肩を並べてクールダウンのジョギングをしていた。

 ――私も、一緒に"果て"が見たい。

 かつて、トレーナーがスカウトする時に口にした言葉と、狂気に染まった彼女の目の色が頭をよぎる。

「誰もたどり着き得なかった『果て』を私が見せてやる――か」

 そして、それに応えた己の言葉も。

「なあ……桐生院くんはトレーナー君の――いや、エレジー君の走りをどう見たのかな?」

「そうですね……」

 タキオンの問いに、桐生院葵はわずかに目を伏せて考える仕草を見せたあと、断言する。

「その……彼女さえ良ければ、ぜひスカウトしたいと」

「ほぉう……」

 はっきりした口調の返事に、タキオンは思わず口元に手を添える。

 定説では、ウマ娘の最高速度は時速約七十キロ、ヒトの最高速度はおよそ時速四十五キロ。その間には、けして埋めることのできない深くて、広い溝が広がっている。可能性の果ての手前にあるその谷を、彼女の脚は間違いなく飛び越えてみせた。

 可能性だ、あの脚は、あの身体は――可能性に満ち満ちている。

 ハリボテエレジーの……トレーナーの……あのとき、ともに「果て」が見たいと宣言し、実験体(モルモット)になることも辞さないと行動で示した女性の脚は、今目の前で見せられた走りは――間違いなく、ウマ娘としての可能性を、その素質を確信させるに足るものだった。

 彼女の可能性の果ては、遥か彼方にある。――ハリボテエレジーはもっともっと、速くなれるはずだ。

 その可能性の果てを見たい――あるいは、かつて約束したように、ともにウマ娘の速さの可能性の果てをともに見たい。

 あの脚を、あの脚がウマ娘の――あるいはヒトの速さの果てのその先にたどり着くのを見たい

 そのためには、レースで――それも、できるだけ大きいレースでともに走ることが一番の近道だ。あの脚ならば、間違いなく彼女はトゥインクル・シリーズへと出走することができるだろう。ならば、彼女が大きいレースへ出走するまで走り続けよう。

 いや、レースだけではない。トレーニングでも、練習試合でも、彼女の走りのすべてをその目に焼き付け、データを取り尽くしたい。

 そのために、必要なものは――

「なあ、桐生院くん」

 体の奥底からこみ上げてくる震えをさとられぬよう、なるべくさり気なく聞こえるような口調でアグネスタキオンは桐生院葵に声をかける。

「君はハッピーミーク君の専属トレーナーも続けるのだろう?」

「ええ。そのつもりですが……」

「二人のウマ娘を同時に面倒を見るのはちょっと大変ではないかな?」

「それは……いえ、大丈夫だと思いますが。学園に頼んで、誰かトレーナー補をつけてもらうつもりですから」

「ほう、そうかい」

 その言葉を聞きたかった。思わず浮かんだ笑みに、桐生院葵が首をかしげる。

 おそらく、その目に映っているアグネスタキオンの瞳にも――かつて、トレーナーが担当を申し出てきた時に目に宿していたような光が浮かんでいるのだろう。

 幸いなことに、理論の参考として、あるいはプランBを取ることとしたときに備えて取得しておいたサポート科・トレーナー育成過程の単位は、トレーナー補の資格を申請するために必要な単位数を満たしていた。

「では――GⅠレースとURAファイナルズでの優勝経験もある、現役ウマ娘のトレーナー補はいかがかな?」

 



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[デビュー戦に向けて]
[デビュー戦に向けて]ージュニア級・7月 その1


 新バ戦(メイクデビュー戦)

 トゥインクル・シリーズに出走するウマ娘にとっての初陣であり、ここで勝てるかどうかはレースに出走するウマ娘にとってその後を決める大きな分岐点となる。

 ここで勝利することができれば次は一勝クラスや二勝クラスの条件戦、あるいはそれよりも上のランクであるオープン戦や条件戦へ。

 ここで勝てなければ一勝を収めるまでは未勝利戦へ。未勝利戦でも勝てないレースが続けば――大半のウマ娘はそこで引退。

 メイクデビュー戦も未勝利戦も基本的に九人立てのレースだから、そこから勝ち上がれずに終わるウマ娘のほうが多い。

 現に、トレーナー補として先輩トレーナーのもとや専属のいないウマ娘の立ちを働いていた間に見てきたウマ娘たちも、勝ち上がってトゥインクル・シリーズで栄光を掴んだ娘のほうが圧倒的な少数派なのだ。

 だから――メイクデビュー戦直前の本バ場へ続く地下バ道の雰囲気は、他のレースとは違って独特の雰囲気に包まれる。

 初陣を前にした熱気。目の前のレースに向けて、ウマ娘たちの間から闘志が発散される。

 トレセン学園に入学するウマ娘は日本中のウマ娘のおよそ五パーセント。全員が、徒競走に関しては地元では負け知らずの強豪たちだ。走りに自信があるからこそ、トレセン学園を進路に選び、トゥインクル・シリーズでの栄冠を夢見る。

 そして――勝てなかったら、というほんのわずかな不安。

 トレセン学園に集うのは徒競走に関しては地元では負け知らずの強豪たち。必然的に、ただの強豪ではいともたやすく埋もれてしまう。トレセン学園に入学すれば、そういった自分より遥かに強い強豪たちがいることを否応なしに突きつけられる。

 トレーナー補として、あるいはトレーナーとしてこれまでに何度も目にしてきた光景だ。

「さて、エレジー君。調子はどうかな?」

「……うん、大丈夫」

 傍らに立つタキオンの問いかけに、静かに頷いてみせる。本当のところは、ほかのウマ娘たちと同じように不安な気持ちは湧いてきていた。けれども、それを表には出せない。表面上だけは自信ありげに振る舞うしかない。今まで見てきたウマ娘たちと同じだ。トレーナー補になったばかりの頃はなかなかそれに気付けなくて苦労したし、不安ならそう言ってくれたほうが励ませるのにと思っていた。けれども、現にその立場になってみると確かにこう振る舞うしかない。

「……タキオンはメイクデビュー戦のとき、不安になったりしたの?」

「私かい? いやぁ、そんな事は全然なかったね。むしろ、早く終わらせて、研究を進めたいとじれったく思っているくらいだったよ」

「……まあ、タキオンならそうだよね」

 タキオンの答えに、思わず肩の力が抜ける。三年間トレーナーとして接してきてわかったことだが、このウマ娘にとってレースでの勝敗など、研究のための過程に過ぎないのだ。名高い一族の「最高傑作」と呼ばれ、それだけの才があることを自覚していた彼女にとってメイクデビュー戦とは勝って当たり前のレース、すでに意識はその先へ向いていたのだろう。逆にそこまで自信満々に返されると、なんだか不安に思っていたことが馬鹿らしく思えてしまうくらいだ。

「なあに、そこまで硬くなることはないさ。君の可能性の果てはこんなところじゃないんだ」

「……うん。ありがとう」

 そう言って頷くと、タキオンは「うん、それでいい」と言ってからむくた様子でわたしの肩をつつく。

「だいたいだ、桐生院くんには自分は大丈夫だからハッピーミークの出るレースの方に言って欲しい――だなんて言ったんだろう。そう宣言したのなら、しっかり勝ってきたまえよ」

「あはは……そうだったね」

 確かにそのとおりなのだ。少なくとも、地下バ道に入るまでは、桐生院さんにそう宣言できるくらいには自信があったのだ。

 地下バ道の出口までやってくると、タキオンは足を止める。

「さあ、行ってくるんだ」

 トレーナーがついてこれるのはここまで。ここから先の本バ場へ出れるのは、出走するウマ娘だけだ。

「うん……そういえば、いつもとはあべこべだね」

 今までは、ここで足を止めるのが(トレーナー)で、本バ場へ出ていくのはアグネスタキオン(ウマ娘)だった。

「ふふ、そのとおりだね」

 愉快な冗談を聞いたように、タキオンが笑みを浮かべる。

「でも、これからは私が君を見送る場所になるさ。さあ、行きたまえ、トレーナー君……じゃなかったな、ハリボテエレジー君」

 だが、これからは、(ハリボテエレジー)が本バ場へ出てゆき、それをアグネスタキオン(トレーナー)が見送ることになるのだ。

「――うん、行ってくる」

 タキオンにそう頷きかえすと、地下バ道のなかと比べてまばゆいばかりの光に満ちた本バ場へ踏み出す。吹き付けてきた風が、未だにウマ耳の生えない頭を撫でる。

「――広い」

 本バ場の空は抜けるように青く、そして広かった。

 



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[デビュー戦に向けて]ージュニア級・7月 その2

 

 

 東京競バ場第五レース・芝1800m

 メイクデビュー戦。

 

 晴れ渡る空のもと行われるメイクデビュー戦。

 応援投票券の投票は地下バ道に入る直前に締め切られ、何番人気かはすでにわかっている。

 三番人気はオユマルネンド。

 一番人気はレジンキャスト。

 そして、ハリボテエレジーは二番人気。単勝応援券の倍率はおよそ二倍。一番人気のレジンキャストとは僅差だ。

 ファンファーレが鳴り響く。

 最後の音が青空に消えるとと、レース場を静寂が包み込む。トレーナーとして観戦する時にいつも聴いている、実況の音声が聞こえない。

 ゲートが開く。同時に、隣の枠に入っていたレジンキャストの白い髪が翻り、弾丸のように飛び出していく。彼女は先頭に立ち、ゴールまで逃げ切るつもりなのだろう。

 それには付き合わず、他のウマ娘を先に行かせるように後ろにつける。

 ハリボテエレジーの武器は切れる末脚だ。それを活かせる作戦は、後方から終盤に一気に追い上げる追い込み。そのために、終盤までは後方でスタミナを温存する。先頭集団から引き離されすぎない位置について、最終直線で一気に先頭へ躍り出る。

 向こう正面の直線では狙い通りの最後方についた。あとは、スタミナを温存しつつ、仕掛けどころを待つだけ――

「――っ!」

 直線から第三コーナーに入った瞬間、視界が揺れた。心臓が跳ねる。身体が熱くなる。己の意思に関係なく、脚に力が籠もる。ぐい、と身体が加速する。自分よりも前、後方集団に控えていたウマ娘たちを一瞬で追い抜かす。

 ――早い!

 第三コーナーの時点ではまだコースの半ばくらい。仕掛けどころとしてはあまりに早すぎる。しかし、己の意思に関係なくハリボテエレジーの身体は加速する。

 「掛かり」、ウマ娘がレース展開との折り合いを欠いてむやみに前へ出ようとする状態。スタミナを浪費し、終盤での脚を残せなくなる。今までにもレースを見ていて幾度となく目にした光景が、今まさに自分に起きようとしている。

 そして何より、今ここで――コーナーで速度を出しすぎれば、小さく曲がることはできない。

 体力を温存するために、内側の最短距離を曲がろうとしていた身体が外へと振られる。

 ――曲がれない!?

 直線に入るまでの間に加速したことで、内の最短距離どころかカーブを曲がることすらできない。どんどんと内ラチが遠ざかり、大外へと振られる。無理にでも曲がろうとした足が滑る。遠心力で身体のバランスが崩れる。

 一瞬、頭の中が真っ白になる。内に入れないどころではない、曲がれないどころではない。このままでは転倒してしまう。そうなれば――競走中止。このレースでは着順がつかないということになる。それどころか、ウマ娘の全速で走ったまま転倒すれば、命に関わる怪我すらもありえる。

「曲がれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 意識するよりも先に、その叫びがほとばしる。視界に文字がちらつく。視界を文字が埋める。

 

 その瞬間、体が軽くなった。

 

 これまで強烈に身体を前に押し出していた力が消え去り、頭が冷える。そうだ、まだ仕掛けどころではない。速度を落とし、大外からコーナーの出口へと最短コースへ足を向ける。大外に振れているうちに、再び後方集団の後ろへと落ちていた。ハナを切ったレジンキャストが引っ張る形で馬群は縦長に伸びている。

 レジンキャストが第四コーナーを曲がり終え、直線を向く。二番手、三番手もわずかに遅れて直線に。ハリボテエレジー自身が直線を向くまでの時間差は一秒弱。

 ――行ける!

 強く踏み込むと、ウマ娘としての肉体は気持ちいいくらいに反応して身体を前に押し出す。第三コーナーで掛かったのとはまるで違う、心地よい感覚。

 前をゆくウマ娘たちの背中があっという間に迫り、そして視界から消えていく。馬群を形成していたウマ娘たちは一秒と経たずに姿を消し、前方には逃げ続けるレジンキャストのみ。

 

 それも、すぐに視界から消えた。

 

 

 

 



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[デビュー戦の後に・目指すべき場所]
[デビュー戦の後に・目指すべき場所]ージュニア級・7月


 ゴール板の先で待っていたのは、歓声だった。

 

「どうしたんだいエレジー君、やけにぼうっとして」

 検量所を出たあとタキオンに声をかけられてもまだ、私の身体は力の抜けるような充足感に包まれていた。素早く脈拍を測ったタキオンが興味深そうに顔を覗き込む。

「……ふぅン、随分と興奮しているようだね。どうだったかな、デビュー戦は?」

「……すごい歓声だった」

 私の答えに、タキオンが不思議そうに首をかしげる。

「ふむン? 歓声の大きさという意味ならもっとすごいものを浴びたことがあるだろう」

「それは……そうだけど」

 歓声の大きさでいえば、タキオンが走ってきたクラシックレースやGⅠとは比べ物にはならない。大きなレースのない日のメイクデビュー戦を見に来るのは相当のファンだけで、レース場の入場者数だってそれほどのものではないし、訪れるファンが目当てにしているのはもっぱら午後に行われるオープン戦の類だ。だから、メイクデビュー戦のあとにあがった歓声は、だいぶ控えめなものだった。

 そして、レースで勝ったウマ娘に向けられる歓声はトレーナー補として、あるいはトレーナーとしてこれまでにも聞いてきた。直接的にはウマ娘に向けられるものであっても、自分が担当したウマ娘が歓声を浴びる姿を見るの喜びはなににものにも変えがたい。

 しかし、それを自分のものとして聞いたのは、これが初めてだった。

 歓声は歓声であり、これまで聞いてきた歓声もその一部は自分に向けられたものとして喜んでいた、だから、その喜びは自分自身が走ったレースであっても変わらないと思っていた。

「……でも、自分で走ったあとに聞くのはまるで違うなって」

「ふぅン……」

 私の答えに、タキオンは興味深そうに目を細める。その目に一瞬、不思議な光が浮かぶ。

「そうだね、エレジー君……」

 その光は、これまで――トゥインクル・シリーズでの走りのなかでタキオンの目に浮かんでいたものとは、全く違う色をしていた。

「タキオン?」

「ああ、そうだったね」

 思わず首をかしげると、タキオンはハッとしたように首を振る。

「疲労回復効果のあるドリンクだ。大丈夫、ドーピングを疑われるような成分は一切入ってない特別製だ。ぐいっといきたまえ」

 そう言って怪しい色合いのドリンクを差し出すタキオンの目は、元の色に戻っていた。

 特製ドリンクを飲み干すといつものように、どんよりと沈んだ目の色のタキオンが微笑みを浮かべる。

「エレジー君。――おめでとう。さあ、ウィニングライブに行ってきたまえ」

 




というわけでストックが尽きました。書き溜めてはいきますが、しばらく更新が止まります……。


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