うちの公爵令嬢がサンマ食べたいとか言い出した (いらえ丸)
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うちの公爵令嬢がサンマ食べたいとか言い出した

 えー。

 かの勇者様御一行が大魔王を討ってから、かれこれ200年ぐらいが経ちましたね。
 残党とか、新魔王とか、まぁそれなりに色々あったりもしましたが、今現在のこの国の治世ってのはなかなか平和なんじゃあないでしょうか。
 実に良い事です。

 えー、平和な世の中になりますと、昔は戦やら何やらでブイブイ言わせていた御貴族方もスラーッと大人しくなるもので、自分っトコの平民が当の御貴族方の噂をしていても全く不敬という訳でもなくなっていました。
 つい百年前なら、その辺でお上の噂なんてしちゃったりなんかしたら一発で首ぃ跳ねられたんですがね。

 ともかく、噂話が大丈夫ってなれば良いも悪いも話したがるのが民というもので……。
 やれあそこの領主はとんでもねぇ阿呆だとか。
 やれあそこの騎士は口が悪いだとか。
 好き勝手な噂話をする。
 お上だって平民の言う事なんていちいち気にしていないんだから、好きに言わせている訳ですね。
 貴族の心、民知らず。民の心、貴族知らず。それでも国は上手く回っているのだから、世は全てこともなし。

 さて、そんな貴族に関わる噂の中にはこういった類の話がございます。
 曰く、貴族は毎日高級なモノばかり食べていて、肉を食っては酒に溺れているのだ。
 ……ってね。
 もし、この噂を耳にした御貴族様がいればこう言った事でしょう。

「俺だってそうしたいわ!」

 実際のところ、貴族の方々というのは自分の好きな物を好きなだけ食べられるといった身の上ではなかったみたいですよ。
 なにせ尊き血、尊き力の持ち主ですから。成熟したお身体ならともかく、年端も行かぬ時分にはそれはもう不自由な食事をしていた様で。

 例を挙げると、お魚ですね。
 魚といえば色々ありますが、こと御貴族様が食べる魚と言えばタイですね。
 はい、あの赤くて平べったくて、それはもう美味しいあのタイです。
 そんな上魚を毎日のように食べられるんだから貴族ってのはやはり良いご身分……という訳ではありません。

 タイと言わずお魚と言えば出来立てが一番美味い。が、なにせ御貴族様にお出しするモノなのだから、何かあっては事だと言うので食事の都度には何人もの毒見役が出来立てほやほやの料理を一口ずつ食べるんですね。
 で、それからしばらくして、毒見役の身に何もなければ大丈夫となって、ようやく貴族様が食べられると。
 まぁ残念ながら、その頃には料理はもう冷めきってしまっていますから、如何せん味気がない。ついでに過ぎた味付けは身体に悪いというので塩気が薄い。おまけに毒見役の数が多いので食べれる量が少ない。
 そういう理由で、尊い身分の方ってのは冷めてて薄味で量の少ないモノを食べていたんですね。

 貴族ってのも、存外窮屈なもので……。




 王国は今日も平和だ。

 

 日の出と共に街のあちこちで子供たちが目を覚まし、中央広場に目をやれば元気いっぱいの芸人たちが客入り前の稽古に励んでいる。門前の行商人達は昨今の情勢について話し込み、夜勤明けの門番がグイと伸びをして太陽の光を浴びていた。

 

 ここはシナイスト王国は南方、エイゲ領。武闘派で知られるエイゲ公爵の領地であり、南西を海に面する王国随一の都市であった。

 都市の中心には巨大な城があった。黒魔石造りの塀は如何なる猛将も攻略を諦めるであろう分厚さで、まさに領主の気風を体現したかのような質実剛健な城であった。

 

 そんな城塞のそのまた奥に、一人の若い娘がいた。

 娘は太陽の如き金髪を陽光に煌めかせ、青々とした朝空をぼけーっと眺めていた。同色の瞳がパチパチ瞬くと、驚く程長いまつ毛が上下に揺れる。

 娘の名はシュリン。シュリン・シナ・サウス・エイゲ。誇り高きエイゲ家のご令嬢である。年齢の程は十と少し。凡そ最も敏感なお年頃である。今日も今日とて彼女の金髪はグルグルしていた。地毛である。

 まさにお花か蝶々か、あるいはテンプレお嬢様。兎にも角にもシュリンはそれはもう美しい娘であった。

 

 ふと、四角い空の隅から小さな飛竜が飛んでいった。竜は甲高くキーッと鳴くと、シュリンの眼から離れていった。その時になって、シュリンの頭上に電球が灯った。まさにオーパーツである。

 

「あーこれこれ、ラックス! ラックス!」

「はっ、お呼びにございますか、お嬢様」

 

 主の呼びかけに即応し、、ドアの向こうから一人の鎧騎士がやってきた。

 ラックスと呼ばれた青年騎士は主の前まで歩み寄ると、片膝をついて主と視線を合わせた。シュリンは目線を外して話す相手が嫌いだった。

 

「見てみなさいラックス、今日の空には雲ひとつありませんわ」

「左様にございますね」

 

 これは何かあるな、とラックスは直感した。お嬢様が何かやりたい時はまずこうやってワンクッション挟むのである。昨日は楽団を呼んだし、一昨日はお忍びで城下町に出向いた。

 はてさて、今日は何をなさりたいのか。ラックスはあらゆる我儘に対応できるよう身構えた。

 

「せっかくのお天気ですし、わたくし遠乗りでもしようかと思いますの。どの辺りまで行けば丁度良いかしら」

 

 珍しくまともな事を言い出した。とはいえお嬢様の頭にはその日以外の予定は収められていない。ラックスは主に恥をかかせぬよう、穏やかに云った。

 

「明日には王都から舞踊鍛錬の先生がいらっしゃいます。でしたら此処から近いメガロなど如何でしょう」

「メガロですの? 確かにあそこは海と山とがあって、景色も美しい」

 

 メガロとは、この都市のすぐ隣にある漁村の事である。そこで穫れる質の高い魚といえばエイゲ印の特産品であり、中でも特上のタイともなれば貴族・オブ・貴族な公爵令嬢であるお嬢様の口に入る事もしばしばであった。

 少しおつむの弱いシュリンお嬢様とて、自領の事となればちゃんと頭に入っている。無論、かの地に行った事も一度や二度ではない。しかし、それは大量の家臣を引き連れたクソデカ馬車での旅であった。それだけで地理を覚えられるほどシュリンお嬢様の頭は賢くない。

 遠乗りついでに自領の地理を身体で覚えてもらおう、教育係を兼任する若き騎士はそのように企んでいた。

 

「そうですわね! 俄然行きたくなってきましたわ!」

 

 シュリンお嬢様は勢いで出来ている。予想通りの反応にラックスの口の端は自然に持ち上がった。

 さて、同行する護衛の選別と弁当の用意と、それとお昼のお茶も持っていかねばならない。あの茶器は外に出せないし、今はどのお菓子なら用意できるかな。

 ラックスが遠乗りの支度を組み立てていた、次の瞬間であった。

 

「それじゃ、さっそく行きますわよ! はいやー!」

「お嬢様!?」

 

 ばびゅーん! 言うが早いか、お嬢様は部屋を飛び出してしまった。

 この程度で呆気に取られてはお付き騎士などやってはいられない。ラックスはささっと書置きをして部屋を出ると、通り過ぎ様の侍女に託け、同じく執事に託け、お嬢様が向かったであろう飛竜舎へダッシュした。

 

 ところ変わってお嬢様。

 勢いよく飛竜を駆って空を飛んでいたものの、これがどうにも寒くて仕方がない。

 それもそのはず、高い空は空気が冷たく、竜の背に吹く風は寒い。着の身着のまま、外套も纏わず部屋着のままのお嬢様はそのうち凍えてきてしまった。

 そんなこんな、メガロに着く直前に身体が冷え切ってしまって竜などに乗っていられなくなってしまった。

 これは堪らぬ。お嬢様はブルブル震えながら良い具合の盆地に愛竜を下ろすと、飛び降りては二の腕をさすさすし始めた。

 

「お嬢様! お嬢様!」

 

 すると、そこにお嬢様付の騎士が飛竜にまたがって颯爽と現れた。こんな事もあろうかと、とばかりにその背にはお嬢様お気に入りのオサレ外套。たぶん寒がってるだろうな、というラックスの気配りである。

 遅いですわよこのスットコドッコイ! という悪態もそこそこに、お嬢様はラックスの持ってきた外套を身にまとってひと心地ついた。

 

「こ、凍え死ぬかと思いましたわ……」

 

 さっきまでは憎たらしかった春風がお嬢様の髪を揺らす。柔らかな火の光がほんのり暖かい。草花の間で白い蝶々が飛んでいる。実に和やかな風景であった。

 ぽかぽかとあったかくなってきて、お嬢様はすっかり遠乗りの気分ではなくなっていた。

 

「さ、お嬢様、ご騎竜のほどを」

「あー、いやー、そうですわねぇ……」

 

 お付きの言葉にお嬢様は生返事。今になって、あの寒い寒い空を往くのは億劫になってきたのだ。

 とはいえ、シュリンにはシュリンなりのプライドがある。ついさっき自分で遠乗りに行きたいと言って、もう嫌なので止めるー! とは言い難い訳である。

 お嬢様心とは複雑なのだ。

 

 ここで、シュリンの頭上に新たな電球が点灯した。これまたオーパーツである。

 

「ねぇラックス」

「はっ」

「もし、ですわよ? 戦場で竜や馬を失った場合、貴方は如何なさいますの?」

「はっ、戦場でそれならば徒歩にてお嬢様をお護り致す所存です」

「え、ええ! 良い覚悟ですわね!」

 

 嬉しいやら、恥ずかしいやら。決然とした騎士の宣言に、お嬢様は少しばかり顔を赤らめては殊更大きく頷いてみせた。

 

「ごほん。で、あるならば、手綱さばきだけでなく足も鍛えておかねばなりませんわね!」

「御意にございます」

「……ところで、あそこの丘に立派な木が生えておりますわね」

 

 お嬢様が指差す方向には、言葉の通りそれはそれは立派な木がデデンと屹立していた。ラックスはもしやと思った。シュリンはにんまり顔になった。

 

「ではあそこまで徒歩にて競争ですわ! はじめ!」

「お嬢様!?」

 

 ばびゅーん! 今度はかけっこが始まってしまった。お付き歴数年のラックスの眼をしても、この展開は予想外であった。

 てっきりもう帰るものかとばかり思っていたラックスは、虚を突かれて一歩も二歩も出遅れてしまった。

 しかもお嬢様は自分が乗ってきた竜をほっぽり出している。かくいうドラゴンくんも慣れたものでその辺の木の実をムシャムシャやっていた。実に利口な竜である。ラックスは竜に謎のシンパシーを感じた。理知を湛えた竜の瞳は「はよ行けや」と言っていた。

 

 それはそれとして走り出したお嬢様を一人にはできない。ラックスは竜に待機するよう命じ、腰の剣を確かめつつわんぱく令嬢を追いかけた。

 

「おーっほっほっほ! ラックス、最近少し運動不足なのではなくって?」

 

 やがて大樹の元までやってきた騎士を待っていたのは、口元に手をやって高笑いするドヤ顔お嬢様であった。

 程よい運動で身体が暖まったのか、先ほどまでガクブルしていたお嬢様はすっかりお元気な様子である。

 これにはラックスも苦笑い。そもそもいきなり駆けだしたのはお嬢様だし、ラックスはというとクソほど重たい鎧やら鎖帷子やらを着込んでいる。その上に剣やらポーションやら魔道具やらまで持ち込んでいるのだから、身軽なお子様とかけっこで勝てるはずもないのだ。あまつさえ身体強化魔法も使っていない。

 まあ、言うだけ野暮である。ラックスはご機嫌になったシュリンお嬢様を見てほっこりしていた。

 

「ふぅ、走ったらお腹が好きましたわ。ラックス、お昼ご飯の用意を」

 

 持ってきて当然、といった風に言うお嬢様。当然、持ってきてはいない。

 なにせこの時代、まぁ色々な訳あってお貴族用の弁当を作るのは一苦労なのである。言って作らせ持って行く、とはいかないのだ。

 ラックスはまっすぐお嬢様の眼を見て答えた。

 

「お急ぎのご様子でしたので弁当は持参していません」

「べ、弁当がないですって!?」

「はい」

 

 驚愕に目を真ん丸にするお嬢様。とはいえ理由が理由なので納得せざるを得ない。いくらお嬢様でも、モノの道理というものは分かっているのだ。癇癪など、起こりようもない。

 

「そう、ですの……。そうですのね……」

 

 むしろ、しゅんとしてしまうお嬢様なのであった。

 

 こうなると一層お腹が空いてくるものである。シュリンお嬢様はついにくぅくぅ言い始めたお腹をさすって空を仰いだ。

 

 遠い青空に、野良の飛竜が飛んでいた。そいつはというと、滑空ついでにブリッと糞をぶちかまし、遠くの森にうんこ爆撃を敢行していた。まっこと恥ずべき竜である。うんこ爆撃機とはアイツの事だ。

 

「ラックスや、あの竜も弁当を食べたのかしら」

「お労しや、お嬢様……」

 

 お嬢様は大きな根に腰を下ろしてぼんやりし始めた。

 グルグル金髪お嬢様と、クソ強青年鎧騎士。途方に暮れた二人は黙って空を見ていた。

 

 そんなぼんやりしているところへ、何やらお嬢様の鼻に馴染みのない匂いがしてきた。

 こう、油っぽく、焦げっぽく、それでいて無性に食欲をそそる匂いであった。

 どうやら、二人がいる近所の農家で何か食材を焼いているようであった。

 

「ラックス、ラックス、この変ちくりんな香りは何ですの?」

 

 興味津々にお嬢様が問うと、ラックスは鼻を利かせて匂いの正体に見当をつけた。

 

「はっ、これはサンマにございます」

「サンマとは何ですの?」

「はっ、魚にございます」

「ほう、魚ですの。では、一度食べてみるとしますわ」

 

 そう言うお嬢様だったが、驚いたのはラックスの方である。

 サンマという魚は、シュリンお嬢様の如きいと尊き身分の方が口にするものではないからだ。

 

「いえ、あれは下々の魚にございまして、高貴な血のお嬢様のお口には合いませぬかと……」

「だまらっしゃい! あなた戦場で好き嫌いが言えますの?」

 

 やんわり収めようとするラックスに対し、お前サバンナでも同じ事言えんの? みたいな事をおっしゃるお嬢様。

 ちなみにお嬢様は生まれてこの方戦場に出た事はない。心意気は立派なのだが、なにせ世は太平。貴族自ら出張るような大魔獣でも出てこない限り、お嬢様が戦に出る事はないであろう。

 

 それはともかく、このお嬢様の強情さは知っている。ラックスは諦め半分に軽く息を吐いた。

 

「とにかく、サンマの目通りを許しますわ。疾くこちらへ」

 

 という、お嬢様の命令には従わざるを得ない。

 

 そんな訳で、ラックスはお嬢様を連れて件の農家へ。お嬢様を木陰に残すと、ラックスは焚火の前でしゃがみこむ農民へ声をかけた。

 

「そこな平民」

「へいっ、これはこれは騎士様、いらっしゃいまし。えーっと、どうなさいましただ?」

 

 純朴そうな農民であった。ラックスはなるべく威圧感を与えぬよう、かつ威厳を以て云った。

 

「うちのお嬢様がサンマをご所望でな。どうだ、そのサンマを譲ってはくれまいか」

「はっ。お安い御用でございます。そっくりお譲りします」

 

 騎士は貴族には逆らえない。そして、民は騎士には逆らえない。これはこの世界、この時代では絶対の理である。

 

「有難い。これは駄賃だ」

「えっ、ぎぎぎ銀貨!?」

 

 だが、上の者が下の者に横暴を働いて良い、という訳でもないのだ。ラックスは腰の道具入れから巾着を取り出し、その中のひとつを農民に手渡した。

 

「う、うちにはお釣りなんてありませんが……」

「釣りはいらぬ。その代わり、この事は村の秘密にせよ」

「は、ははあ! ありがたやありがたや!」

 

 銀貨一枚といえば、平民が一ヵ月余裕で食べていける額である。そんな額を下魚なんぞでもらえるというのだから、農民だって嬉しくなって仕方がない。

 

 そうとなれば適当やってたサンマをじっくり丁寧に焼き上げて、なるだけ上等な皿に盛って採れたての根菜のおろしと果実など添えて、仕上げに塩をふりかけてはお嬢様へと献上した。

 

 それを見て、お嬢様は眼を真ん丸にして驚いた。

 今まで、魚といえば冷たくてパサパサして味気の無いものだと思っていた。ところが今お嬢様の前にあるのは、細くて長くて真っ黒な物体Xである。

 焼きあがったばかりのサンマはぷつぷつ油が滾っており、まだうっすら火が燃えている。その上、端々には消し炭がくっついているものだから、それはシュリンには何かしら毒がこびりついている様に見えてしまった。

 お嬢様視点、かなりアンビリーバボーな体験であった。

 

「ラックス? ラックス? これ、食べても大丈夫な奴ですの? ねぇ、毒とかありませんわよね?」

 

 ちょっと怖くなってきたお嬢様。安心材料を求めて後ろの騎士を上目遣いに振り返った。

 

「サンマに毒はありません」

「そ、そうですのね。うむ……」

 

 しかし空腹には勝てない。腹ペコお嬢様は意を決してサンマの身を解しはじめた。

 瞬間、ぶわりと舞い上がる熱気。次いでサンマからあふれ出た油がつつーっと皿に広がっていった。なんですのこの汁は? と魚油そのものを知らぬお嬢様はまたもびっくらこきそうになったが。恐る恐るサンマを口に入れた。

 

「――ッッッ!?」

 

 熱い、塩辛い。

 そして何より、美味い!

 

 お嬢様の味蕾は未体験の美味にパンク寸前になっていた。小さな唇に油が付くのも構わず、咀嚼しながら更に次なる魚身を食べるべく食器を迸らせた。

 

 もぐもぐ、ごっくん。

 

「こ、こんな美味しいもの初めて食べましたわ!」

 

 一尾食べ終えて、ようやく出た感想がこれであった。

 それはそれは、お嬢様史上最も早い完食タイムであった。

 

「おかわり! おかわりですわ!」

 

 と、お嬢様は更なるサンマを要求した。

 その小さな体のどこに入るというのか。お嬢様は次々焼きあがってくるサンマをパクパクですわと食べていく。

 

 ある意味、自然な事である。

 普段は冷たくってパサパサして味気の無い魚ばかり食べているのだから、軽い運動後に腹を空かせて食べる焼き魚といえばそれはもう筆舌に尽くしがたい美味であった。人生初のドカ食いも仕方がないというもの。

 

 結局、お嬢様はまるまる十尾ほど平らげてしまった。危うくゲップのひとつでも出てしまいそうになったが、そこは何とかロイヤル・パワーで我慢した。

 

「んー、実に! 実に美味でしたわ! ほれラックス、貴方にはこのサンマの骨を下げ遣わしますわ!」

「ありがたき幸せ」

 

 上機嫌になったお嬢様は忠義の騎士に骨だけ与えまして。

 

「こんなに美味しいお魚がこの世界にあるとは知りませんでしたわ。おうちに帰ったら料理番に頼んで毎夜毎夜食べる事にしますわ!」

 

 これ以上なくご機嫌麗しくなっているお嬢様だったが、ここにきてお付きの騎士が待ったをかけた。

 

「恐れ入りながら。メガロにてサンマを食した事、ご口外せぬようお願い申し上げます」

「……わたくしがサンマを食べると何か拙い事がありますの?」

 

 ぴたりと、お嬢様は不穏な空気を察した。お嬢様は馬鹿だが愚かではないのだ。

 

「はっ、私の不徳となり、首が落ちます」

「ひえっ……!」

 

 不徳、叱責……処刑!? シィリンお嬢様の脳裏に、ラックスが処刑台を登る光景が閃いた。

 ぶるり、と背筋が凍るお嬢様であった。

 無論、これはラックスの過言である。が、不徳になる事はその通りであった。上役からのお叱りくらいは飛んでくるであろう。ラックスとて覚悟の上ではあるが、これも教育係の役目というもの。主様も分かってくれるはず。

 

「う。うむ……分かりましたわ。わたくしはこの事を誰にも言いません。ら、ラックスに死んでほしくは、ありませんもの……」

「はっ、ありがたき幸せ」

 

 優しいお嬢様。

 いくら我儘でわんぱくなお嬢様でも、なにくれと世話を焼いてくれる騎士の事は大切に思っているのであった。

 

 そんな訳で、良い時間まであれやこれややってから居城に戻ってさて夕飯となった時だ。

 

 ででん。テーブルの上に例の冷めた上魚が出てきた。

 

 それを見ると、お嬢様はメガロで食べたサンマが恋しくなってしまった。

 思い浮かべるのは、あの黒くて細くて油っこい下魚。目の前にあるのは、赤くて平べったくて味気の無い上魚。シュリンお嬢様は内心げんなりした。

 げんなりしつつも、いつものように食べ終わり、床についてはサンマの夢を見る始末。

 

 そうして時が過ぎていくと、お嬢様の胸中でサンマへの想いが大きくなっていった。食べられない時間が食欲を育てていくようであった。

 

 ある日の昼さがり、窓を視るお嬢様の唇が僅か震えた。

 

「ラックス」

「はっ」

「最近、遠乗りをしておりませんわね」

「左様にございますな」

「……メガロなど、行ってみたいですわね」

「はっ、メガロは風光明媚にございまして」

「いや景色とかどうでもいいですわ」

「左様にございますか」

「ほら? また、あのですわね? 黒くて、長くて、とっても美味しい……お魚を」

「お嬢様」

「い、言いませんわ! サンマを食べたいだなんて言ってませんわよ!」

「左様にございますね」

 

 と、こんな一幕もあったりした。

 

 それからまた日をまたいで、お嬢様は領内の分家に招かれる事になった。

 

 貴族というものは、普段は好きな物を食べられる訳ではなかったが、こういった宴の席では自分の好きな物を食べられる風習であった。

 お嬢様はこの瞬間を待っていた。当日は誰よりも早く起床して、ラックスのいる部屋まで怒鳴り込んでくる始末。入ってくるだけでも相当なのに、しまいにゃベッドで寝ていたラックスにロイヤル・ボディプレスをかまして目覚ましとしていた。

 

「行きますわよ! 起きますのよ! ほらほら早くしなさいな!」

「は、はあ。どちらにせよ色々用意などもございましてですね……」

「とにかく急ぎなさいな!」

 

 まるで散歩に行きたがる犬の様。

 

 豪華な馬車でぱっかぱっか。往路でのお嬢様は何度も足を組み替えてはそれはもうソワソワしていた。

 

 館に着くなり、お嬢様は主への挨拶もそこそこに料理番を呼びつけた。

 

「貴方がこの家の料理番ですわね」

「はっ、料理番にございます」

「わたくしは今晩はサンマを食べたい気分ですの」

「サンマ? あの、サンマですか?」

「そのサンマですわ。黒くて長くて、あのサンマですわ」

「タイではなく?」

「サ・ン・マ、ですわ!」

「は、ははあ!」

 

 当然、貴族の館にサンマの用意などない。

 とはいえ本家のお嬢様のご注文である。すぐにサンマを用意せねばという事になり、早馬を使って近くの魚河岸で出来るだけ質の良いサンマを選りすぐった。

 

 ところが、料理番くんこう思った。

 サンマというものは庶民が食べる下魚で、それはもう雑に焼いて食べるのが一番美味い。美味いというのは分かっているが、こんな油の強いモノをお出ししてお嬢様の身に万が一があっては、ヤバい。あまりにもヤバ過ぎて料理人一同の首が飛んでしまうかもしれない。

 

 要は油っこいのがダメなのだ。兎にも角にも油を抜いてしまおうとなって、買ってきたサンマを魔法の蒸し機に潜影蛇手。そんでもってこれでもかってくらい蒸しに蒸して、サンマから油が取れるまで蒸しきった。

 そうやって出来上がったのはどこぞの鬼の頭領の頭よりも無残なパサパサンマであった。これは不味い、不味いがしゃあない。どーしよどーしよ蒙古みたいな料理番。こんなのお貴族の食う飯じゃない……。

 いや、これじゃ足りない。まだ小骨がある。これが刺さるとヤベーとなって、さらにもう一発! 厨の皆で寄ってたかって一本一本骨を抜く。全身骨抜きになったさかな君はもうされるがままで生きた心地がしない。

 もうこうなるとサンマの方はこの世の何よりバッサバサ。流石にこれは見栄えが悪いとなって、パサパサンマの身を叩いて潰してくりぬいて、ボール状にしてお出しする事になった。

 

 ででん! そうしてテーブルに出てきたのが、塩気も味気も油気もないパッサパサのサンマボール。

 これを見たお嬢様はびっくりして呆然となってしまった。

 

「料理番、これはサンマですの?」

「はっ、サンマにございます」

「こんな形だったかしらん」

 

 それはそれとしてナイフで切って漂ってくる匂いなど嗅いでみると。

 

「おお、これこれ! この匂いですわ!」

 

 微かにあの焦がれた匂いがやってきた。間違いない、これはサンマだ。お嬢様はすっかりご機嫌になり、さっそく恋焦がれたサンマを口に入れた。

 

 ぱくっ。

 もぐもぐ……。

 ……ごっくん。

 

「……料理番、このサンマはどちらで仕入れましたの?」

「はっ、近郊の魚河岸にて」

 

 料理番は真摯に答えた。

 控えていたラックスは察していた。

 お嬢様は、とんでもないドヤ顔を晒していた。さも。わかってねぇなコイツぁと言っている様であった。

 

「それはいけませんわね……」

 

 お嬢様は、自信満々に言い放った。

 

「やっぱりサンマはメガロに限りますわ!」




・主な参考資料



https://www.asahi-net.or.jp/~uk5t-shr/meguronosanma.html

https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/gyosei/shokai_rekishi/sanma/index.html



その他、書籍およびYouTube上の動画等。


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