純潔の星 (4kibou)
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第一部 星の反逆者
0/『プロローグ』


息抜き。

書きたいモノを書き散らしたくなったので息抜き(洗脳)


今度こそはゆっくり投稿です。


 Number:Nine

 Chief:One

 Type:Energy

 Code:Unicorn

 

 The other side of the sky...

 

 

 

 西暦二一六〇年。

 異常なほどの寒さに包まれた十二月――東京の冬。

 

 本日の極東地域における出生数はゼロ。

 これにて二百日連続の記録を更新。

 

 対する死亡数は確認できただけでも三十を越えている。

 昨日より十人増加、といったところ。

 それもこれも寿命ではなく、戦闘による被害であるのだから笑えない。

 

 ――かつて七十億を越えていた世界人口は、いまやたったの五千人程度まで落ち着いた。

 

 増えるばかりだった命はやがて消耗のスピードに追いつかれ、人類はいつかの未来だと思い描いていた衰退と減少の一途を辿った。

 それもこれも、たったふたつの外的要因によるものだ。

 

 ひとつは宇宙(ソラ)から飛来した災害の如き異形の怪物たち。

 瞬く間に文明を蹂躙したそれらは、かつての人間の大半を殺した絶滅の切欠だ。

 

 決定打となったのはもうひとつ。

 突如として地上の大気を汚染し、地球環境を変貌させた未知の粒子。

 曰く、〝純潔の乙女以外に害を与える神秘のエネルギー〟。

 

 これによって男性人口は急激に低下、さらには出生率まで低下し、種の継続は困難と判断される。

 クローン技術や人工授精による研究も進められたが、どれも失敗のまま文明は半壊。

 かくして人類はいつ終わるか分からない時代にありながら、風前の灯火みたいに辛うじて生き残っていた。

 

 ……要は、これはそういう時代の話。

 

 もはや終わるしかないと信じて疑われなかった、終末のテクスチャに縛られた未来の物語。

 ――そして、向かい風の環境に真っ向から刃向かった、ひとりの馬鹿の叛逆劇。

 

 さあ、これより祝福をはじめよう。

 その名は――――

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ――思えば、物心ついたときからそうだった。

 

 なにかを頭で考えるとき、なにかを心で思うとき。

 ピンと張った糸みたいに、どこかに繋がった感情の線。

 それが、おもむろに震える時が何度もあった。

 

 〝イヤだ、ダメだ、気にくわない〟

 

 衝動じみた反骨精神。

 こうあれかしと願われるその姿が我慢ならない。

 自由になんてこだわりはないのに、どこか縛られているとなぜか魂が叫んだ。

 

 〝ふざけるな、認められない、そんなのは間違いだ〟

 

 常識的に、世間的に考えればおかしいのは己自身。

 こんなのはただの馬鹿か阿呆の言い分で、後先もなにもない勢いのままの心情でしかない。

 だというのに、心の奥底から出た本音は、抑えるのも酷く辛かった。

 

 だから。

 

「――ああ。だから、仕方ねえよ。しょうがねえよなァ。だって俺は俺なんだぜ」

 

 くつくつと喉を震わせて笑う。

 長く過ごすうちに()()のクセが移ってしまったらしい。

 それがどことなく嬉しかった。

 こんなどうしようもない自分にあっても、まだ〝らしい〟部分がちゃんとある――

 

 ――()()()

 

「悪い、すまねえ、許せよ、ごめんな。俺は――――馬鹿だからなァ!!」

 

 もうこれ以上、ウダウダと考えるのはやめにしたんだ。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ドタドタと慌ただしく軍靴の音が鳴り響く。

 極東第一男性収容所。

 東京の湾岸に建てられたそれは、今となっては貴重な男の保護・管理を名目とする施設のひとつだ。

 

 職員の数はおよそ七十名。

 収容された男性は十二名、と小さな島国としてはこれ以上ないほど人的資源を詰め込んだ重要な場所でもある。

 

 ――しかし、そんなめちゃくちゃやべぇトコロで事件は起きた。

 

 起きてしまった。

 

《――全職員に告ぐ! 全職員に告ぐ! アンダー五階より脱走者一名! 現在中央の階段を地上に向かって逃走中! 迅速に対処せよ! くり返す! アンダー五階より脱走者一名! 現在中央階段を地上に向かって――》

「おい! 見つけたか!?」

「いいやまだよ! 早いわ! まるで男とは思えない!」

「というか誰よこんなバカなことする奴は!?」

「アンダー五階のバカと言えばひとりしかいないでしょう!?」

「アンダー五階…………、――――まさか!」

 

「そうッ!!」

 

 ガン、と手すりに靴底のぶつかる音。

 見れば階段を駆け上がる彼女たちの真横から、急に飛び出てきた人影があった。

 

 物陰に潜んでいたのだろう。

 その身なりは酷く汚れている。

 ボロボロのズボンと、擦り切れるまでに煤けた灰色のシャツ。

 荒れ果てた黒髪の隙間から覗く眼光は、どこまでも真っ直ぐに上を見ながら。

 

「俺だッ!!」

 

 直後、一直線に軌道を描く人型。

 彼はさながらロケットのように、手すりを足場にして上階へと一気に飛び去った。

 

「――――流崎(りゅうざき)貴様ァ!?」

「あんた自分がなにしてるか分かってんの!?」

「死にたいのかおまえ!? 死にたいんだな!? そうなんだな!?」

「やめなさい流崎くん! それ以上はバカのやることよ!」

「しょうがねえだろコイツバカなんだから!」

「ああそうだったわねバカだったわね流崎クン!」

「いやバカバカうるせえなァ!?」

 

 下から聞こえてくる会話に一言返しながら、彼は素早く足を動かせる。

 

 部屋を飛び出してからわずか三分。

 流石とも言うべきか、彼の脱走は一瞬にして気付かれた。

 

 色々と手の施された施設である。

 許可もなく抜け出すどころか、()()()()()()()()逃げたのは派手すぎたらしい。

 

「このッ――――力尽くじゃないと分かんないか!」

「ここはアタシに任せなさい! CQCの基本を見せてあげる!」

「バカ! 男相手だぞ!? 怪我でもさせてみろ! 手荒な真似はできん!!」

「じゃあ()()もダメってことよね……! ああもう! ほんと厄介なんだから!」

 

《構わん。多少手荒にしても私が許す。とにかくそこのバカを捕まえろ》

 

「「「「「神塚(かみづか)所長!?」」」」」

 

 ふと、スピーカーから聞こえてきた声に少年の口もとが緩む。

 こういう非常時でも慣れ親しんだものは心に染み渡るらしい。

 

 ニヤリ、と悪い笑みを浮かべながら、彼は職員たちの無線越しでも聞こえるよう声を張り上げた。

 

美沙(みさ)のヤローか! なんだ! 機嫌悪そうじゃねえの!」

《よくもやってくれたな(はるか)。今ならまだ間に合うぞ。軽い罰で済ませてやる》

「へぇ! そいつは一体!?」

《――私の抱き枕だ。一週間は横で寝てもらおう》

「「「「「所長乙女かッ!!!!」」」」」

《誰にモノを言っている。私は至って健康体だ。生粋の乙女だぞ?》

「悪いがそれは御免だなぁ! 此処は出るってもう決めちまったからよォ!!」

 

 と、その返答になにか思うところがあったのか。

 ピタリと鳴り止んだ放送に、彼がこてんと首を傾げる。

 

《――――ふん。別にいいが、このまま逃げられるとでも?》

「「「「「所長拗ねてる!!」」」」」

《うるさい。拗ねてない。さっさと動け馬鹿ども》

《こちら司令室! 所長の顔がめっちゃ不機嫌です!!》

《言うなァ!! 馬鹿ァ!!》

「だはははははッ!! なんだよ美沙ァ! おまえ可愛い反応するじゃねえか!!」

《ッ――――――――》

《所長顔が真っ赤です!!》

《悠ァ!!》

「ぎゃはははははは!! あー腹痛え!! あっはっはっはっは!!」

 

 爆笑しつつも彼の足は止まらない。

 追いすがって捕まえようとする職員たちを見事に躱しながら地上へ向かう。

 

 このまま行けばあと三秒でロビーに入る。

 分厚い壁で隔離された施設(ココ)ともおさらばだ。

 

 けれども、それは。

 

「――――ああ、ほんと、面白えんだよ。ここは」

 

 それは、心の底から出た彼の本音。

 

 彼に一切の不満はない。

 なにか不自由を感じたというワケでもない。

 

 こんな時代において衣食住が確保されていて、安心して眠りにつける環境が整っている。

 管理されているが故の息苦しさも狭苦しさも感じなかった。

 

 結論としていえば分かりきったコト。

 

 ここは自分たちにとっての楽園だ。

 なにもしなくても幸せな毎日を過ごしていける場所だ。

 

 なにかを訴える必要も、ましてやこんな風に逃げる必要もない。

 

だがなッ!! それじゃあ意味がねえ!!」

 

 そんなコトは分かりきった上で、なおも彼は迷わない。

 

 迷えない。

 

 だって、そう、すべては彼のその一心。

 まとめて全部ひっくるめて、価値を落とす愚かな思考。

 

 だから気に入らない。

 

「こんなんじゃあ、生きてる意味なんてまったくねえ!!」

 

 走りながら今になって思い返す。

 

 世話になった、ありがとよ。

 退屈が嫌いってワケでもないし、十分に楽しめてたさ。

 

 でもこればっかりは仕方ない。

 なにもかもが彼自身の問題で、どうしようもない衝動の部分だ。

 

「そうだろ!? ああそうさ!!」

 

 覚悟も決意もすでに終わっていた。

 ここを出ていくとそう決めた。

 

 命の使い方はとうに昔から己自身と定めている。

 

 それは証明のために。

 あるいは胸に刻むために。

 

 死んだように生きているなんて我慢ならない、と彼は吼え叫んだ。

 

 まさしくその通り。

 

 ――生きているのなら、死んでいくのなら、前のめり以外にありえない――!

 

《ロビーの出口シャッターを閉めろ! 急げ! 現場職員は包囲網を形成!》

「だっはっは! 男の子なんてこんなもんよォ!」

「もう逃げられませんわよ?」

「大人しくお縄につきなさい! そして所長への手土産にするのよッ!!」

「というか馬鹿なコト考えんなよ流崎……外出ても男が生きていける環境じゃ」

「ごちゃごちゃとうるせぇぇえええ!!」

 

 外と中を隔てる壁が一枚、また一枚と降りてくる。

 

 非常時用の鉄製シャッター。

 何層にも重なるそれは、到底人の力でどうにかできる代物ではない。

 

 活路は潰えた。

 逃げ場はない。

 前は閉じられ、後ろは囲まれている。

 

 しかし、彼の目に諦めの色は一切浮かばなかった。

 

 

 

《なッ――――所長!! この、反応は――――!?》

 

「ははははははッ!! んだよ、案外上手くいくもんだなァ……分かるだろ? 分かるよなあ……ッ、――そう、コイツはァ!!

 

 強く握り絞めた拳が色付いていく。

 周囲を揺蕩う微細な粒子が感応して光り輝いた。

 

 それは人類を終焉へと導いた破滅の極光。

 同時に、怪物と戦う力を少女たちへと与えた進化の煌めき。

 

 澄んだ青空のように透明で、原初の海より透き通った――

 

 ――空色の、燐光。

 

「馬鹿なッ! ()()()()()だとぉッ!?」

「あ、あれって私たち――女性しか使えないはずじゃあ!?」

「いや! 誰だって使えるんだ! 純エーテル()()は! でも!!」

「純エーテルの性質は純潔の女性以外に対する絶対的な有害性! つまり――」

《――――気が触れたか、悠ッ!!》

「もとより正気でなんざ生きられるかよォ!!」

 

 沸き起こるのは人体を越えた力に対する全能感と、それを上回る絶不調の大津波だ。

 

 とんでもない吐き気と頭痛。

 脳から回って内臓まで血管が千切れていく錯覚。

 口の中には鉄の味が広がって、身体の節々には剣を突き刺されたような痛みが走る。

 

 もはや五体満足かどうかなんて分からない。

 意識はとっくに腕が何処を向いていて足が何を踏んでいるのかすら定かでない闇の中。

 

 ――ああ、それでも。

 

 これがいい、と彼は盛大に笑い飛ばした。

 これだから、これでこそ。

 

 ――このぐらいじゃないと、生きてる気がまったくしない!!

 

「あははははははははははははははは!!!!」

 

 くり返される意識の断絶。

 全身を巡る電気信号すら何度も消えて、記憶が擦り切れていく死の間際。

 

 気絶と覚醒の連続で脳みそが弾けそうになったその刹那に、

 

 ――――彼は気合いと根性で、渾身の拳を()()()()()

 

「いやいやいや! 使い方違くない!?」

「あれぇ!? ねえ! 純エーテルってビームだっけ!?」

「んなワケあるかよ! 特殊な武器と能力! それらふたつの発現に要る燃料だ!!」

「じゃあなにあれ!? なんで純エーテルだけであんな――」

 

「だらっしゃああああああああ――――ッ!!」

 

 空色の光が炸裂する。

 

 直撃を受けた天井が、砂の城を崩すように砕け散る。

 

 ガラガラと崩壊する厚さ五メートルもの外壁。

 彼らを守るために造り上げられた防護壁は、皮肉にもそのひとりによって砕かれた。

 

 舞い散り振り落ちてくる爆音と粉塵。

 やがて、衝撃波を伴って撃ち抜いた壁の向こうから、深い空の色が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――いや、見えねえ。

 

「水ゥ!?」

「馬鹿かおまえ!? 施設(ウチ)の構造がどうか教えられなかったのか!?」

「所長が何度か説明した気がするわよ!!」

「んなもん覚え――――あー! あーッ!! いま思い出したぞちくしょう!!」

「ダメだバカだったこの子!!」

「ていうかやばいわよ! エントランスが水浸しに!!」

「それどころじゃねえよ! 周囲五百メートルたっぷり水槽になってんだぞココは!! それが破られてるってコトはだ!!」

「洪水!」

「水族館!!」

「――――死ぬわねッ!!」

 

 ざばあ、と天井から流れてくる大量の水。

 漏れ出した、なんて度合いではない。

 さながら滝のような勢いで落ちてくる水に、今度は別の意味で施設が騒然とする。

 

「言ってる場合かさっさと動け! このままじゃあたしらまとめて溺死するぞ!?」

「あー……なんだ。その、すまねえ、悪ぃ、申し訳ねえ……」

「反省してる場合か流崎ィ!! おまえッ――ああもういいからおまえもこっちに来い!! というかあたしらよりもお前に死なれるほうがよっぽど困るんだよ!!」

「人類のためとか以前に所長が情緒不安定になるでしょう!? いいの!?」

《ならんわ莫迦者。――総員ロビーから退避。出入り口と生活ルームに繋がる防水シャッターを展開しろ。穴の大きさから十分程度は保つ。急げ、迅速にだ》

「了解ッ!! ――――流崎くんっ!!」

「流崎!!」

 

 焦るように呼びかける声。

 返ってくる言葉はない。

 

 していなかったかと言えば、その場にいる誰もが予想をした。

 同様に、彼ならばやるだろうという嫌な予感も含めて確かにあった。

 

 だが、まさか。

 

 ああ――まさか、これはないだろう、と。

 

《――ッ、どこへ行く悠!!》

「最初に言った筈だぜ! ここを出るとなァ!!」

《ふざけるな!! いまがどんな事態か分かっているのか!? 私はお前のためを思って言ってるんだぞ!? いいから戻れ!!》

「悪いとは思ってる!! 恩を仇で返してるってのもだ!!」

《悠ッ!!》

「だがな!! これはテメエで決めたコトだ! だったらもう止まれねえ! あばよ美沙!! てめえら!! 次会うときは死んでからだッ!!」

 

 いま一度彼の拳に空色の光が宿る。

 今度のダメージは内側だけに済まされない。

 

 破裂していく静脈と、筋肉を切って断裂していく全身の皮膚。

 口もとからは含みきれない血が溢れた。

 穴という穴から液体が見苦しく噴き出てくる。

 

 痛みは熱に変わって、感覚は再度途切れて闇の中。

 

 脳髄はもはやぐちゃぐちゃだ。

 自我も認識も曖昧になって、一瞬のうちに記憶が摩耗する。

 

 純エーテル。

 

 純潔の女性を除いたすべての人類に対する有害性・有毒性を持つ粒子。

 およそ百年前に宇宙から降り注ぎ、地球の大気を覆った未知のエネルギーは、否応なくその真価を発揮していく。

 

 前述の性質を第一とするならば、その特徴は全部で三つ。

 ひとつは人体を介した超活性化時における治癒・解毒作用。

 そして、もうひとつは――――

 

「しゃおらああああああああああッ!!」

 

 不可能すら可能にするとまで言われた、強大すぎる神秘の力。

 

  ――さあ、歓迎しよう。

 

 それは反逆を意味する音。

 

 それは寵愛を授かりし者。

 

 ようこそ世界へ、流崎悠(愛しい人)

 

 ――――その日、極東第一男性収容施設より、ひとりの男が地上へ放たれた。

 




本作は女の子ばかりの世界で男の子が頑張る(意味深)というエッチな作品にありがちな設定ですが、えっちぃシーンを書く予定はいまのところ一切ありません。ご了承ください。

伏線はバラバラしておきますが考察は程々にオナシャス(前作の反省を踏まえて)

??「ようやく出てきたな、ハルカ♡」


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1/『その男、獰猛につき』①

 

 

 

 

「――――おげえええええええ」

 

 びちゃびちゃびちゃ、と色のない液体が口からこぼれる。

 

 悠が施設から脱走して一時間と少し。

 走れるだけ走りきった肉体は、環境の変化もあって盛大にガタが来ていた。

 

「えほっ、げほっ……おえっ……空気が、まじぃ……」

 

 ぺっぺっ、と吐き出すように唾を飛ばして口もとを拭う。

 

 フラフラとした足取りと朦朧とする意識。

 それらを繋ぎ止めながら、彼は必死で前を向いた。

 

 厚さ五メートルの外壁、さらには五百メートルの水槽。

 焼け石に水とはいえ、その状態で防げていた純エーテルは多かったらしい。

 

 事実、外に出た彼の体調は最悪を通り越して最凶だ。

 

「つか、なんだよ……ここ、本当に同じ日本か……?」

 

 幾度となくくり返される目眩をこらえながら、周囲へと視線を向ける。

 

 あたり一面に広がる赤土の荒野。

 都市の残骸も、生命の名残も存在しない自然の末路。

 砂と埃だけが舞っている淋しい風景。

 

 過ぎていった時間も時代も元には戻らない。

 人がいなくなってもかつての生態系が復活するなんて虫の良い話はなかった。

 

 あるのはただ、すでに終わった形だけ。

 

「…………、」

 

 呆然と、空を眺める。

 黄ばんだ空は薄汚れていて、どこか息苦しさを覚えた。

 活性化していない純エーテルがそう変えたのか、他の要因によってそうなったのか。

 

 空の色、なんてよく言う。

 あんな輝かしい色は、すでに剥げ落ちて過去のものとなって久しい。

 

 見上げた景色は、どこまでも嫌な配色で憂鬱だ。

 

「――ロクなもんじゃねえな。期待はしてなかったケドよ」

 

 ぼやきながら歩を進める。

 あれほど唸っていた心がいまは冷静だ。

 外の景色を見て落ち着いたのか、それとも外に出たことで満足したのか。

 

 どちらにせよ疑問はそれだけで、後悔なんてモノは微塵もないあたり察するべきだろう。

 彼はぶるりと身を震わせて、荒れた大地を踏みしめていく。

 

『……しかし寒いな。いまは冬か。施設だと空調効いてたのかそうでもなかったが、外はこうも冷えるってコトだと。……あー、どっかに防寒着でも落ちてねえかなあ』

 

 言うまでもなく薄着な悠である。

 シャツ一枚にズボンひとつ。

 格好でいえば夏から秋にかけてぐらいの服装は、当然現在の気候に相応しくない。

 

 なにせ外気温は真昼の時間帯にして一桁台。

 夜になれば当然氷点下にまで及ぶ極寒の状態だ。

 

 そんな場所でいまの彼が過ごしていくのは……まあ、無理かどうか考えずとも分かる。

 

『――でもま、悪くはねえ。悪くはないな。どうせ施設(ウチ)に篭もってたって意味もなくチ○コおっ勃ててヤるぐらいだろ。それよか外に出て野垂れ死んだほうがまだ俺らしいってもんだ。……つか、嫌いなんだよなあ俺、ああいうの……』

 

 ポリポリと頭をかきながら、ひとつ重苦しいため息をこぼす。

 頭にはちょっとした響くような頭痛。

 

 生理的な嫌悪感、というのはどうにも耐えがたい。

 思い出しただけで喉の奥から込み上げるモノがあるのは相当だった。

 

 どうしてなのかは、彼自身よく分からないけれど。

 

「ッ……ったくよぉ……これじゃあバカだぜ俺。いやバカだな。バカだった。――なんだ間違ってねえじゃんかよ。とりあえず、どうするべきか――」

 

 と、そこで彼はよせばいいのに、頭の片隅にある記憶を引き摺り出した。

 

『――たしか北の大陸には〝氷の十字架〟が()()んだっけ? 前に美沙から聞いたことがある。とすると、この寒さもソイツのせいか? オイオイなんだよ、ピンと来ちまったぜこりゃあ』

 

 よし、なら北だな、いざ進め、と彼はくつくつ喉を鳴らして歩き出す。

 

 黄ばんだ空には朧気な太陽と、赤銅色に染まった雲。

 広大な荒れ地では時間の流れはもちろん、方向感覚なんて以ての外である。

 

 盛大に踏み出される一歩は自信満々に。

 彼はまったく疑わない足取りで、真っ直ぐ〝西〟へと進み出した。

 

 言わずもがな。

 

 流崎悠は、生粋のバカである――――

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 一方その頃。

 彼女の心境は、いたく沈みきっていた。

 

「……………………、」

「……だ、大丈夫ですか所長」

「大丈夫だ。……ああ、大丈夫だとも」

「とてもそうには見えませんが」

「気にするな。良いから壁の修理を急がせろ。緊急避難用の地下通路から捜索隊も出せ。メンバーの選定は任せる」

「所長、あの、本部への連絡は」

「一応しておけ……あの戦闘バカ共にたかだか男ひとりの脱走が取り合ってもらえるとは思えんが」

「わ、わかりました」

「………………、」

 

 はあ、と何度目かになる力無いため息。

 脱走直後はこれでもかというぐらい眉間に寄っていたシワも、いまとなっては影も形も残っていない。

 

 衝動的な激情がそれを上回る悲しみに打ちのめされた結果だ。

 美沙はゆっくりと瞼を閉じながら、ぎゅっと静かに拳を握り込む。

 

「にしても、思いきりましたね流崎のヤツ。なんでこんなコトしたんでしょうかね?」

「知らん……あいつはいつもそうだ……急に気が触れたみたいに突飛なコトを……」

「あっはっは、流崎いなくなってるからガチ凹みしてる。おもろ」

「笑ってる場合か! これでもうちの最高責任者なんだぞ!?」

「心がポッキーしちゃってるんだなって……かなしいなあ」

「――――――」

 

 職員たちの言葉をガンスルーして、ガンと机に頭を打ち付ける美沙。

 こぼれる吐息は最早数えるのも馬鹿らしくなるぐらい重苦しいものだ。

 

 原因はなんだったのか、そも理由のある行動だったのか。

 見かけによらずマトモな思考回路がある悠だが、時折なにかに耐えきれなくなるように「かけられた期待を全力で裏切ろうとする」コトがある。

 

 一種の病気みたいなものかと彼女は考えていたが、その認識の甘さが最悪の形で露呈してしまった。

 

「ほ、ほんとに大丈夫ですか所長!?」

「――――これが大丈夫に見えるか島並(しまなみ)

「い、いえ、全然」

「オイオイ体裁を取り繕うコトもやめやがったぜこの所長」

「これが組織(うちら)のトップで大丈夫か?」

「どうだろなあ」

「……とにかく急いで探せ。いくら自由奔放で無鉄砲で考えなしの大馬鹿でも、あいつは男だ。……そう、男なんだよ。だから」

「純エーテルに溢れた外ではロクに動くのもままならない、ですか?」

 

 ああ、と美沙は机に身体を預けたまま答える。

 先ほどまで全職員を指揮していたとは思えないだらけっぷり……というより意気消沈っぷりは彼女のテンションをこれでもかと示していた。

 

「純エーテルの有害性は純潔の女性以外もれなく発揮される……それは()()()()()()()をした私たちでも例外ではない。ましてや悠は男」

「でも、彼ピンピンしてましたよ。純エーテルを自分の手で使って」

「そこだ。だから問題なんだ色々と。……あいつは男なのに純エーテルに愛されている。間違いない。アレは正真正銘、本気で神秘の申し子だ。お前らもさっきのを見ただろう」

「デタラメな使い方してましたもんね。極太レーザー兵器だわありゃ」

「男のくせによくやるっていうか……私たちでもあんなことできないわよ」

 

 本来、純エーテルとは特異な性質以外を持たない未知のエネルギーである。

 神秘の粒子、架空要素でしかないそれは、資源としての運用はおろか物質の破壊すら不可能な代物だ。

 だからこそ通常の〝力〟として使う場合、粒子を一個の形として安定させる手法を取るのだが。

 

「強引な活性化、臨界状態の維持。純エーテルに対する適正値の高さ故だな。そのせいであんな馬鹿げた真似ができている。――尤も、非効率極まりないが。あんなのは火をおこすのにタンク丸ごとガソリンをぶちまけているようなものだぞ」

「え。じゃあなんすか。流崎のヤツ、ボロボロになりながら治ってるワケっすか?」

「寿命を削っていまの怪我を治してるだけだ。純エーテルの影響は変わらず受ける。身体がいくら綺麗でも、あれでは二十五年と生きられないだろうな」

「やばいですねそれー……ただでさえ男性諸君の精子量が終わってるのに」

「唯一まともだった流崎が脱走、雲隠れ、しかも早死にかー。いや天は二物を与えずっていうか……むしろ二物与えちゃった結果、器ぶっ壊れてんよ的な?」

「そうだな……」

 

 期待の星、といえばその通りだった。

 

 純エーテルの影響で極端に下がった出生率。

 男の数はもちろん、その種の質も量も壊滅的となった現代。

 

 残された希望は間違いなく彼だったろう。

 普通ならありえない適正値に、施設の中とはいえ元気に動けるほどの強さ。

 繁殖の素体としてこれ以上はない。

 

 だから、彼の脱走は誰が思うよりも致命的なモノであって――

 

「――――だが、そんなコトはどうでもいい」

「え?」

「ん?」

「所長?」

「流れ変わったな」

「??」

 

 バン、と両手のひらを机に叩きつけながら美沙が面を上げる。

 

「活性化による治癒の性質。臨界状態の純エーテルが起こす破壊現象。たしかに凄いさ。戦闘部隊でもそんな真似ができるヤツはそういない。だがそんなのはどうでもいい

「所長?」

「男なのに健康体。ここで生きられるだけの素質がある。精子も精力も申し分ない。種の継続にはもってこいな肉体。だがな、そんなのはどうでもいいんだ

「神塚所長??」

「私は――――ッ、私はなぁ――――」

 

 そう、そんなコトはぶっちゃけ正直いまは()()()()()()

 

 純エーテルの適性? 種の継続?

 なんだそれは、それがどうした。

 

 なにが良いんだそんなコト、と彼女は冷静に己の心情を判断する。

 

 大事なのはただひとつ。

 ああそうとも――ただひとつ、無二の例外だけ。

 

「………………十年だ…………」

「はい?」

「私がここに入ってきて……担当職員となって十年間……ッ、ずっとずっと私は、悠の成長を見守ってきた……あいつが七つの頃から、私が十五のときから、十年間……ッ」

「ああ、そっか。流崎の担当、ずっと所長でしたもんね」

「ああそうだッ! 誰にも渡したくなかったからな! こんな役職に上り詰めてまで絶ッッッッッ対に渡さなかったんだ! その意味が分かるか!?」

「分かりたくもねーですヨ」

 

「あいつと一緒になりたかったんだよ私はァァァアアアアッ!!!!」

 

 ガンッ、といま一度握り絞めた拳を打ち付けて美沙は吼えた。

 

 そう、問題なのは人類の未来云々なんて大きな話ではない。

 回答はもっと簡単でいたってシンプルだ。

 

 ――彼がいない。

 

 大好きで大好きで仕方ない、ずっと片想いしてきた彼がもうここにいない。

 というかおそらく、最悪ずっと帰ってこないかもしれない。

 

 それが美沙の心をズタズタに引き裂いた主な要因だった。

 

「純エーテルの影響とか性交した場合の問題とかどうでもいい……ッ! ただあいつとエッチがしたかった……ッ!!」

「ぶっちゃけましたよこの所長(オンナ)

「本当に組織(うち)のボスがこれで大丈夫か?」

「大丈夫じゃないよ大問題だよ」

「うーんこれは普通に考えて緊急所内会議案件では?」

 

 ごもっともである。

 

「だってぇ……初恋なんだぞぉ……!? 生まれてはじめて、胸がときめいて、きゅんきゅんしてッ……もう、もうこのヒト以外いないって……! 私の身体を捧げるのはこの男の子以外にいないって、そう思うぐらいのモノだったんだぞぉ!? それをッ、それをおまえ……ッ、おまえ――――!」

「まあ見るからに分かりきってましたが……」

「毎日仕事が忙しくても絶対流崎くんの顔見に行ってましたしね。夜中でも」

「てか重……そういうの多分流崎くんムリですよあの子セッ○ス嫌いですし」

「そもそもアイツ性欲あんの? 全部闘争本能に変換されてそうな暴れ馬だけど」

「種馬だけに?」

「やかましいわ。あと不謹慎だわ。種馬いうな貴重な男性陣だぞ……、種馬じゃん!」

 

 ちなみにそういった行為が解禁されるのは色々と条件があれど基本十八からである。

 

 なんか第四の壁を越えたレーティングのせいとかそういうのではない。

 断じてない。

 

 男性側の身体面を考慮しての事情と、女性側の人員が少ないのもあってのコトだ。

 

 このご時世、そういったコトをするというのは自ら純エーテルの加護を剥がすに等しい。

 乙女からしてみれば自殺にも近い行為と言われるのも無理はなかった。

 

 ――まあその乙女がこうして錯乱しているのだが。

 

「私がッ……私があいつのイヴになるつもりだったのに……!」

「自分でイヴとか言い出しちゃったよこの人」

「もうダメみたいですねコレは」

「置かれた立場はともかく流崎はアダムってガラじゃないしな。むしろアレ、アウトロー気取るチンピラ? エセヤンキー? 本人根が真面目ちゃんだからなー」

 

 口々に言いながらも手を動かしていく職員オペレーター一同。

 

 美沙の言い分はともかく、施設として悠の脱走に手を尽くさないワケにはいかない。

 なにはともあれ貴重な世界に残存したヒトのオス。

 

 そう易々と死なせてしまうわけにはいかない、と――

 

「――――所長!」

「……どうした、島並。そんな慌てて」

「本部より伝令! 東京郊外、ここから北西に〝羽虫〟の出現を確認! すでに部隊の派遣をはじめているようです!」

「――――なに?」

 

 突如として入ってきた情報に室内が凍りつく。

 先走る嫌な予感と、どこかそうなるかもしれないと思っていた内心の的中感。

 

 ここにおいて彼女たちの心はひとつにまとまった。

 

 ……嫌な音が脳裡でよぎる。

 それはとても重苦しい、なにかの歯車が噛み合ったような。

 

 とても、とても――――

 

 




えっちなコトが嫌いなオトコノコなんていません!(お目々ぐるぐる)


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1/『その男、獰猛につき』②

 

 

 対異形災害用戦闘部隊。

 

 純エーテルを戦闘で扱えるレベルの女性のみで構成されたその部隊は、いわゆる人類に唯一残された反撃の牙だ。

 所属人員は各地域を合計してもおよそ三千人程度。

 うち、極東地域におけるのは一割以下……三百人にも満たない少数精鋭である。

 

 彼女たちの使命は至ってシンプル。

 地上の人間を悉く蹂躙した怪物たち相手に、一矢報いて可能であれば撃破するコト。

 命を散らして勝利を掴め、人類に栄光あれ、我らに明日をもたらしたまえ――。

 つまりは残された人間の役目として未来を切り開きながら戦って死ね、というのが彼女たちに課せられた最大にして最悪の責務。

 

 無論、簡単にできる話でもない。

 ましてや相手は七十億といたニンゲンをあっという間に消した埒外の化け物ども。

 死んでいくのは当たり前で、苦しい思いをするのは当然で、絶望に打ちひしがれるなんてまあ日常茶飯事だったり。

 

 立たされた状況は別け隔てなく等しく地獄だった。

 たった数人、十数人で化け物相手にどうしろと? なんてのはもっぱら彼女たちの愚痴であるのだが、そこはまあ追々と。

 

 ――ともかく、戦う力を持った少女たちは怪物へ立ち向かう役目を背負った。

 

 それは変えようのない真実だ。

 どんなに嘆こうと、どう泣き叫ぼうと現実はかくも非常で変わらない。

 ならばそこに重苦しい雰囲気が漂うのもきっと間違いだろう。

 

 なにはともあれ、明日は明日の風が吹く、ともいうのだし。

 明日をも知れない命なら、せめて毎日気楽に、真剣に、らしく生きてやろうと。

 

 そんな風に決意した強かな少女たちが、この時代には溢れているのである。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「なあー妃和(ひより)ぃ」

「? なんだ」

「なんか面白い話してくれー。タイクツだぁ」

「ええ……」

 

 ……そして。

 そのうちのひとつである極東管轄本部所属、第三部隊。

 

 わりと真面目かどうかでいうと()()なほうに振り切れた彼女たちは、現在赤土の荒野を時代遅れな鉄の塊(クルマ)で爆走中であった。

 

「なんかあるだろぉ。こう、昔話的なのでもいいし」

「いや、そう急に言われてもな……」

「なんでもいいからよ。出現地点までまだまだ距離あんだろ? 暇なんだよー話題提供をしてくれよー」

「……そうだな。じゃあ、これは私の暮らしてた町が壊滅したときの話なんだけど」

「いや重いわッ!! あたしは〝面白い〟話をしろって言ったのであってヒトコトも〝重い〟話をしろとは言ってないわッ!!」

「待て待て。ちゃんと面白いんだぞ。雲の隙間に天使が見えたんだ」

「それのどこが面白いんだてめえ!?」

 

 うがー! と唸りながら立ち上がる短髪の少女。

 悪路のためにガタガタ揺れる車内がいっそう激しく震える勢いだ。

 

「――おやめなさい竜乎(りょうこ)さん。お行儀が悪くってよ」

「うるっせぇエセお嬢様! そのパツキンロールはなんだドリルかァ!?」

「ぶっ殺しますわよ?」

「上等だやってみろやァ!!」

「落ち着け竜乎。それに、有理紗(ありさ)さんも」

「わたくしのはドリルではなくスクリュードライバーでしょうどう見ても?」

「気にするのはそこでいいのか?」

 

 自信満々で「ふふん!」と髪の毛をふわふわ漂わせる金髪縦ロール(スクリュードライバー)

 妙なところに拘る彼女は、なぜか座席で優雅に紅茶を飲んでいる。

 

 震動でゆっくり味わえたものでもないだろうに、としばしジト目を向けた妃和だったが、どうにもそのあたりは全くもって無問題(モーマンタイ)らしい。

 ピシッと着こなされた戦闘部隊特有の黒い制服にはシミひとつなかった。

 

 たぶん特殊な訓練かなにかでも受けたのだろう、知らんけど。

 

「静かにしてくださいよ……運転してる隊長の邪魔でしょう」

「いやいや、良いんだよー私のコトは気にしなくて、柚葉(ゆずは)。ちょっと無線が聞きづらいだけっていうの? ともかく元気なのは良きコト哉って!」

「それ邪魔になってんですよいい加減にしてください。なんでそううちの人らはちゃらんぽらんなんですかウチの心労マッハなんすけどああもうお腹痛いぃ……」

「大丈夫か柚葉。水飲むか?」

「ウチの心配するより先にあの人らの喧嘩止めてくださいよ妃和先輩」

「む、……それもそうだな」

「おい妃和ぃ! てめえこのエセですわの肩持つ気かァ!?」

「ですわとは何事ですわッ!! ――――ワケわかんないセリフになったじゃありませんのォ!!」

「知るかバーカ! そんなんだからエセなんだよエセ!!」

「ぬ、ぬぐぐぐぐぅ――――――!!」

 

 と、その惨状を見た妃和がくるりと柚葉のほうを向く。

 

「無理じゃないか?」

「諦めないでくださいウチだってそう思いますケド」

「じゃあ無理じゃないか」

「だから諦めないでくださいって妃和先輩こういうのに首突っ込むの得意でしょう」

「そんなつもりは一切ないぞ……」

 

 キリキリキリ、と痛む胃をおさえながら睨む後輩(ゆずは)

 丸眼鏡の奥から覗く瞳がこれでもかと「なんとかしろ」と物語っている。

 

 圧が凄い。

 

「あ、待って待って無線太いのキタ。妃和ー? ごめん私からもその子ら黙らせてお願いだから。チューニング、チューニングっと……ここだァ! アレ違う!?」

「隊長まで」

「ヴッ」

 

 柚葉の姿勢が一段と下方に下がる。

 もはやお腹をおさえるのではなく蹲っているレベルだった。

 それでもなお妃和を見つめるあたり意志の強さは評価するべきだろう。

 

 なんというか、やっぱり圧が凄い。

 

「……喧嘩はダメだぞ、ふたりとも」

「これだから紅茶飲んでるヤツはダメなんだよ! コーヒーにしとけコーヒー!」

「あんな泥水を啜るとか正気ですのォ!? 品位がしれてますわね!!」

「言ったなァ!? てめえ言ったなァア!? うちの総大将がコーヒー好きなの忘れたかよオイコラァ!?」

「しーりませんわよそんなコトぉ!! だいたい総大将って総司令のコトを言っておられますゥ!? ――――あッいやちょっとお待ちになって今の撤回、前言撤回致しますわ」

「いや急に冷静になるなよ……」

 

 スンッ、と熱が冷めたように縮こまる有理紗嬢。

 勢いのままに口走った内容が不味かったことを自覚した様子である。

 

 覆水盆に返らず、吐いた唾は飲み込めない。

 もはや手遅れであるのだが、それはそれ、やべえと思ったらやべえと止まってしまうのが人間の危機察知能力だ。

 

「ふたりとも、静かに。いま隊長が」

「だってよぉ妃和このエセドライバーが」

「だッッッ、だれがエセドライバーですのッ!? 貴方わたくしに喧嘩売ってますの!?」

「売ってんだろうが実際よォ!!」

「チンピラ紛いがよくぞ言えたものですわね!? ぶっ飛ばしますわよ!?」

「――隊長。これ無理です」

「えっまじぃ?」

 

 車内に搭載された化石レベルの無線を弄りながら、運転席の女性がくるりと後ろを向く。

 

 人員、物資運搬用の車両は後部スペースに数人が乗り込んでもそこそこ広い。

 わーきゃーと騒ぐ馬鹿ふたり、それに手を焼くひとり、それらに「ぽんぽんぺいん」とうずくまる最年少がひとり。

 

 合計自分を入れて五人のフルメンバーを拝みながら、彼女はニコリと微笑んだ。

 

「――うん。ここから徒歩でいこっか!」

「よォし今日はこのあたりにしてやらあ気が変わったァ!!」

「奇遇ですわねわたくしもそう思ってところでしてよ賛成ですわッ!!」

『仲が良いなこのふたり……』

 

 ふんッ! と互いにそっぽを向きながらドカリと席に腰掛ける両者。

 喧嘩するほどなんとやら、という意味がちょっと分かる気がする。

 

《――本部から第三部隊へ。本部から第三部隊へ。聞こえますか?》

「はーい、こちら第三部隊隊長金宮美鶴(かねみやみつる)ー。ぜんぜんばっちし」

《そこから南西二十キロ地点〝羽虫〟の反応を確認してます。現在人の住んでいない廃村を徘徊中とのコト。他に必要な情報はありますか?》

「あー、応援の数とか知りたいナー。私たちだけじゃないでしょ流石に」

《第七部隊と第五部隊が合流予定です。あとは第十一部隊も、欠員が埋まっていませんがなんとか出撃は可能との回答をもらっています》

「そっかー。てことは実質三部隊プラスアルファ? 四部隊未満? 〝羽虫〟相手に? うーん参ったなあコレ大丈夫? 不安いっぱい胸おっぱいなんだけど」

《は?》

「あ、ゴメンじょーだんタダノジョークよジョーク。ま、応援待って交戦開始といきますから、両部隊に早めに到着求ムと伝えといてー」

分かりました貴女たちの幸運を祈ります(ツマンねえコト言うなクソがよ)。では》

 

 ブツン、と無線通信が打ち切られる。

 要点だけを簡潔にまとめたオペレーターは鉄もかくやという態度の冷たさ。

 あまりの暖簾に腕押し感にさしもの彼女も堪えたらしい。

 

「あっはっは遠回しに死ねって言ってない? ねえ? あれちょっとー? おーい。……え、おっぱいでマジギレ? まじすかイマのめちゃくちゃフランクなギャグでは……?」

「なにやってるんですか隊長ぉ……、……ヴッ」

「柚葉。どうどう。ほら、水」

「妃和先輩ッ……! ウチもうこの部隊抜けたいんですけどぉ……!」

 

 悲痛な後輩の叫びをフイッと視線をそらしながら受け流す。

 きっと重くて、どろりとしていて、とても受け流せるものではないとしても必死にスルーを決め込んでおく。

 

 言わずもがな、彼女だって歴としたこのメンバーの一員だ。

 正直なところ居てもらわなくては瞬で空中分解する、とどこかで妃和は確信していた。

 

「――てなワケでみんな聞こえたー? 一番乗りは私たちだけど戦うのはみんなと足並み揃えてからね。ま、言わなくても分かるか! たった五人で〝羽虫〟とやり合うなんてフツーに無謀だしね! 絶望的にも程があるっていうの? あはは、うけるー」

「一切うけませんよ隊長……ッ」

「竜乎と有理紗は大丈夫か? ちゃんと聞いてたか?」

「おうとも。ばっちしだぜ」

「誰にモノを言っているのかしら妃和サン。このわたくしは――」

「エセドライバーな」

「死にますの?」

「やんのかァ?」

「だからやめろってふたりとも……」

 

 またもやいがみ合うふたりを宥めつつ、妃和はほうと息をひとつ。

 車内には弛緩しながらもどこか引き締まった空気が漂い始めている。

 

 言わずもがな、軽い態度とは裏腹に誰しもが頭で理解っているコト。

 

 そう、きっと、これから先は――――

 

 

 

「――――は?」

 

 ふと、運転席から間の抜けたような声が聞こえてきた。

 緊急事態、というほどの重みはない。

 代わりに「とんでもなく信じられないモノを見た」とでも言いたげな音の震えがある。

 

「隊長? なにを」

「まッ――――やっばこれ人じゃなーい!?」

 

 〝えッ〟

 

 フロントガラスの向こうに見える赤土の荒野。

 ほんのわずかな刹那の瞬間に、妃和はその光景を垣間見た。

 

 

 

 

 

 

 ――――誰か。

 

 生命の在処が失われた不毛の大地に、

 人の気配が消えた終わりの地平に、

 似合わない影と形(ヒトガタ)をした

 

 ――――誰かが、いる――――

 

 

 

 

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 継ぎ接ぎだらけの鉄を軋ませる衝撃音。

 慣性の法則に従って少女たちの身体が吹っ飛びかける。

 それをどうにか抑えこんだのは偏に個々の力量だ。

 

 ……けれど、ああいや、たしかに()()けれど、まさか。

 こんな大樹も岩壁もないような荒野のど真ん中で、なにかにぶつかるなどと――

 

「ちょおッ……なにしてんだ隊長ォ!?」

「あっぶないですわァ……! お紅茶が溢れるところでしたわよ!」

「た、隊長。いまのは、いや――人、を……!」

「最悪ですねなんですかコレウチもう帰りたいんですけどぉー!」

「いやいや私だってちょっと意味がよくわか――」

 

 

 

「オイオイなんだよコイツはァ」

 

 

 

 ぎしり、と。

 車体の前面から響いてくる低い声に、全員の動きが固まる。

 

 過去における法定速度なんてカワイイもの。

 メーターが経年劣化で壊れていなければ、彼女たちを乗せていた車は三桁は間違いないレベルのスピードを出していた。

 

 当然、そんな高速で走る質量の塊がぶつかれば人体など呆気ない。

 声を出すコトはおろか、原形すら留めないほどぐちゃぐちゃになっているのが自然の道理なのだが。

 

「ま、まさかよぉ……〝羽虫〟ってコトはねえよなぁ……?」

「ありえませんわ。ヤツらは人の言葉なんて喋りませんわよ」

「じゃあ……なんなんですか、アレ」

「怪我を……して、いないのか……?」

「……うん。確かに人みたい。見るの怖いケド……いや、本当に人カナーあれは……」

 

 ガラス越しに映る人影を視認する。

 

 身長はおよそ百七十前後。

 シルエットはコレといっておかしくもない普通のヒト。

 格好はボロボロで、首には赤色の襤褸切れを巻いていた。

 

 いまのところ、武器と言えるようなモノを構えている様子もない。

 

「待て。アレ、あたしらの()()じゃねぇか……?」

軍靴(ブーツ)もそうですわよ。というコトは、別の隊の方ですの?」

「めちゃめちゃ人騒がせなのもいたもんですね……ヴッ」

「……いや、けれど……」

「――――とりあえず。先ずは会話からカナっと私は思うわけよ」

 

 無線機を外部スピーカーのチャンネルに切り替えて、彼女はそっとマイクを握り絞める。

 

「……あー、もしもし? ごめんなさい思いっきりぶつかっちゃって。平気? 怪我とかはない? 大丈夫? あとコレが一番聞きたいんだけど、どこの所属かなー……?」

 

 

 

「――――んなもんねえ。さっき逃げてきたばっかだ」

 

 

 

 戦闘部隊の制服――黒を基調としたコートのような――を羽織った人影が答える。

 

 依然変わらず声は低い。

 それはトーンとか、話し方とかではなく、もっと声帯的(ちがう)部分での差異だ。

 

 ちくり、と違和感のようなトゲが思考を刺激した。

 

「……逃げた? 部隊をってコト? それはまた……いや、思いきったねぇ……」

「みたいだ。()以外は元気もねえ奴等ばっかりでよ」

「ほぉほぉ。……そーれで? どうしてこんなところに?」

「行き当たりばったりだがよ……いや、まあ、渡りに船ってヤツだ。いいな、コレ。そうだろ。いいもん見つけたぜ、なぁオイ」

 

 びゅおう、と風が吹く。

 荒れた大地に敷き詰められた、粗い砂埃が空気を舞う。

 

 ひらりと流れていく深紅の首巻き。

 

 見ようによっては不出来なマフラーにも見えるそれが、隠していた顔を曝け出した。

 

 

 

 

「――――――え?」

 

 

 

 

 それは、見間違いでなければ。

 いや――見間違いでないとオカシイような。

 そんな、いまでは普通に見られなくなった顔のつくりで。

 

「な、なんだよッ。どうした隊長!」

「誰でしたの? なんでしたの!?」

「しっかりしてください。相手の目的はなんですか」

「隊長!」

「い、いや、待って! ちょっと待って! だって――まさか、アレって――!?」

 

「申し訳ねえけどなァ!!」

 

 ――ギギギ、と。

 

 異様な音が空から降ってくる。

 

 いつの間にか前方に立っていた人影は消えていた。

 残っているのは派手に飛び散って乱れた砂の痕。

 

 跳躍の痕跡だ。

 

 ――――天井から、光が漏れる。

 

「こっちも生き死にかかってんだ。だからよォ!!

 

 歪む、歪む、歪む。

 

 旧時代の弾丸を受けても凹まないほどの装甲が。

 たかだか生き物の力程度ではどうにもならない鉄の皮膚が。

 

 バリバリ、バキバキと冗談のように裂けていく。

 

「はァ!? 嘘だろコイツ!!」

「なんのおふざけですのこれはッ!!」

「このご時世に内乱とか時代遅れだとウチ思いますケド!」

「い、いや、流石に馬鹿力すぎるな……!?」

「そういう問題じゃないそういう問題じゃない! だって、その子は……ッ!」

 

 指の先に宿る空色の光をバーナーのようにして、それは血反吐をまき散らしながら車の屋根をこじ開けた。

 

「こういうの、昔はなんて言ったかな。……ああ、そうだ。タクシーだったか? まあいい、ちょっとで構わねえから乗せていってくれよ――――()()まで」

 

 太陽を背にして笑う闖入者。

 その姿に誰もが度肝を抜かれて、肝心要の部分に気付くのが遅れた。

 

 骨張った手と、骨格からして異分子となった身体の違い。

 歯を見せて覆い被さる姿は絵面もあって〝悪漢〟という字がこれ以上なく似合っている。

 

 

 ……ともかく、これが彼らの初対面。

 お世辞にも良いとは言えないような、ハプニングじみたエンカウントだった。

 

 

 




ダイナミック乗車。


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1/『その男、獰猛につき』③

 

 

 

「――――――」

 

 突飛と言えばあまりにも突飛すぎるその行為。

 吹き抜けになった車上からもれなく全員空を見上げる。

 

 おかしいのは言動だけでなく格好もなにもかもだ。

 事実、その人影はわりとデタラメな事に関して耐性のある彼女たちから見てもめちゃくちゃなものだった。

 

 なので、

 

「隊長ォ!」

「あ、ウン。どしたの竜乎」

「すげえ! コイツ馬鹿だ!!」

「あん?」

 

 シンプルな感想(コトバ)がストレートにぶっ飛んでくる。

 鮮やかな回答は本来悪口にある筈の嫌味を一切感じさせないほど。

 真正面から罵倒された人影だが、しかしその反応は僅かに首を傾けるに済んだ。

 

「ていうかあなたッ、乗せてくれって、それが人に物を頼む態度ですのぉ!?」

「……ん? ああ、わりぃ。是非とも乗せてもらえると助かる。歩くの疲れたんだよもう俺はァ」

「ああいやなんなんですかこの……なに……? なにぃ……?」

「――すまない。傷はないのか? (コレ)と衝突しておいて、無傷なハズは……」

「ああ、もう治った。ありがとよ心配してくれて。良い人だな、あんた」

「いやそんなコト――――…………は…………?」

 

 

 

「……? なんだよ。そんな、化け物でも見たような顔して」

 

 ぴたり、と妃和の声が唐突に途切れる。

 

 ようやくといった答え合わせ。

 違和感の在処はどこにあったのか。

 太陽を背にして立つ姿に、けれど誰もが「あれ?」と今更な思考を抱いた。

 

 聞けば聞くほど低い声、五人の誰と比べても高い身長、そして「あったから着た」とでも言いたげな部隊の制服類。

 当然そうだと思っていた常識が、根底から覆っていくような感覚。

 

 

 

「――――おと、こ…………?」

 

 

 

「おう。見りゃ分かんだろ。それがどうした」

「はァ!? いや、おかしいとは思ったけどまじか!? はぁあ!!??」

「とッ、殿方でいらっしゃいますの!? え!? それが!? こんなところで!?」

「うーわもう無理ウチもう無理これ以上は無理もう意味分かんないですハイ」

「だよねぇ……」

 

 はあ、と頭を抱える第三部隊隊長サマ。

 そこそこ長い経験を持つ彼女であってもこの事態は予想外らしい。

 というか、こんな事件がそうそう起きてたまるかというものである。

 任務中に車をぶつけたかと思えば、その相手がまさか男子などと――

 

「……ああ、そうだワ。キミ、いちおう訊くけどその制服どーしたの……?」

「――拾った」

「ひろった」

「オウ。……あんたらと同じような別嬪さんがそのままだったからよ。送ってきたついでに、ちょっと拝借したっつうか……帽子はちゃんと供えてきたぞ?」

 

 送ってきた、というのは葬送(そういう)コトなのだろう。

 彼女とて人知れず命を落とした仲間がどうなっているかは簡単に想像がつく。

 

 時間の経過はどれほどだったのか、惨状はどれぐらい酷かったのか。

 訊いても仕方のないコトではあるが、少し、ほんのわずか気になった部分を胸に仕舞う。

 

 ……なにはともあれ、そのままにされるよりかは大分マシだろうし。

 流石に死体からの追い剥ぎは思うところがあったのか、ふいっと目を逸らしている少年のコトを思っても、糾弾する気にはなれなかった。

 

「……そっか。お墓、つくってくれたワケね」

「……線香立てに行くなら案内するけどよ。それか花の一本でもありゃ良かったな」

「いやぁ、埋めてくれただけ十分だよ。放っておくのは可哀想だしね。それでいいよ。だから私からはこれ以上なにも言わない」

 

 ほんのわずかに柔らかい笑みを浮かべる運転席の隊長。

 そこに今まであった警戒の色が解けたのを見て、少年もそっと目を伏せる。

 

「……そうかい。じゃあ俺も勝手に背負った気でいるコトにすらぁ」

「……へぇ。なに、()()()ってみんなそうなのかなー……?」

「どうかな。テメエの考えだけどよ。大事な部分だしな、きっと背中引かれるぐらいがちょうどいいぜ。俺が看取ったのに持ってかないなんて、淋しいじゃねえの」

「――――なるほど。とりあえずキミが変わり者だってのは分かった」

「じゃあそれでいいさ。――――よっと」

 

 すとん、と壊した屋根から車内に落ちてくる男子。

 襤褸布のマフラーに黒コート、編み上げの軍靴(ブーツ)と格好は一昔前の風来坊さながら。

 口調も相まってまさしくな出で立ちだが、いくらなんでも今の時代には異質すぎる。

 このご時世、身ひとつで外を練り歩く男というだけでなんならホラーだ。

 

「流崎悠だ。よろしく頼むぜ美少女ども」

「隊長?」

「――――うん。とりあえず確保で。丁重に縛って拘束ネ。私、本部に連絡するー」

「しゃあッ! オラ大人しくしとけよ男子ィ!?」

「ごめんあそばせ! しかしわたくし殿方とかはじめて見ましたわ! ちょっと失礼!」

「申し訳ない。流石にちょっと大胆すぎるからな、うん」

「えーっと、手錠とかどこに仕舞ってましたっけ……あ、ロープはありますね」

「はッ? いや待てオイ。俺はちょっと(うえ)に行きたいだけ――ってなんだなんだ!? いきなりなにを……あッバカ離せ! 離せこらッ……だあああどさくさに紛れて匂いをかぐなよなんだテメエ!?」

「あ、繋がった。もしもし本部? こちら第三部隊隊長金宮美鶴ー、緊急通信ー、なんか逃げた男性ひとり確保ぉー」

《――――は?》

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ともかく、そんなこんなで一時的に身柄を拘束された悠である。

 本部に報告はしたものの、処遇に関しては向こうからの連絡待ち。

 おそらくは美沙のほうにまで情報がいって、一件落着連れ戻しとなるのだろう。

 

 が、それまではいちおう部隊預かりだ。

 彼と出会って車を止めること三十分。

 ちょっとずつ緊張感を解いていった車内は、それなりにいつも通りの空気を取り戻していた。

 

「なあなあ、流崎サン」

「あん?」

「あんた、マジで男なんだよなぁ?」

「おうとも。見りゃ分かんだろ?」

「いやァ、見たことなくってさァ! ちょっと触ってもいいか?」

「好きにしろよぉ。どうせ動けねえし。こんな雁字搦めにしやがって」

「悪かったって! あ、あたし竜乎な、永槻(ながつき)竜乎!」

 

 言いながら、少女はぺたぺたと悠の顔をぐにぐに引っ張ってみる。

 どこかふて腐れたような表情が崩れるのは如何せんギャグテイストだ。

 そのまま「おォ……」とか「ほぉ……!」なんて声を上げつつ、満足いくまでひと通り撫で回してから一言。

 

「皮膚が硬ぇ!!」

「俺は新種の珍獣か何かかコンチクショウ」

 

 実際珍しい生き物かどうかでいえばきっちり珍しい分類に入るヒトのオスである。

 その喩えはあながち間違いでもないかもしれない。

 大昔に流行ったウーパールーパーとか、ジャイアントパンダとかそのあたりで。

 

「あのあの、悠さん!」

「ああん?」

「申し遅れました! わたくし豹希院(ひょうきいん)有理紗といいますの!! それで早速ですが、喉を触らせてもらっても構いませんコト!?」

「いいけど、絞めんなよ」

「当然ですわッ!」

 

 わきわきと手を踊らせて、今度は有理紗が首元に手を這わせる。

 もちろん鎖やらロープやら手錠やらでぎっちり捕らえられた悠に抵抗はできない。

 

 身の危険を感じるのは触れられる場所が場所だからか。

 ちょっとばかりくすぐったいが、きゅっと口を真一文字に結んで我慢する。

 

「…………おー!」

「なんだよ」

凸凹(でこぼこ)してますわね! ボタンみたいですわ!」

「押すなよ」

「フリですのッ!?」

「ちげえよッ!!」

「そうですの……」

「どうしてそこで残念そうな顔をすんだよ」

 

 怖えよ、と若干距離を取ろうとする悠。

 しかしジャラジャラと巻き付いたモノが多すぎて身動きは取れない。

 

 悲しいかな、いまの彼は例えるなら島流しにでもされるのかといった罪人スタイル。

 拘束具だらけのファッションはとんでもなくロックだ。

 

 それこそ往年のロックスターでも「いやちょっと……」とやらなかったぐらいに。

 

「あ、ちょっと動かないでくださいヒモが解けますから」

「こんだけ鎖があったらヒモの一本ぐらい要らねえだろ?」

「え、なんか言いました?」

「オイさらっと首輪を出してくるな付けようとするなやめろ馬鹿!」

「なんですか着けてほしいんですか」

「ほしくねえよ耳になにかつまってんのか!? 警戒心高すぎんだよッ!!」

 

 ジリジリとにじり寄ってくる彼女の手にはベルトタイプの首輪がある。

 金具から伸びているリードは紛うことなきペット用のそれだ。

 犬猫のごとき扱いを受けるのは悠としてもご遠慮願いたい。

 

 もっとも、このご時世にペットなんて文化はほぼほぼ無いようなものなのだが。

 

「ウチ男とかあんまり見慣れてないんで……あと単純に車の屋根バキバキにする人は猛獣扱いも妥当かなと思いまして」

「そりゃあ……! ……俺が悪いなッ!! すまねえ!」

「お分かりいただけてなにより。あ、いちおう名乗っておくと天城(あまぎ)柚羽です」

「ご丁寧にどーも。よければちょっとぐらい緩めてもいいんだぜ」

「そうですね」

「いやキツくなってるキツくなってる! やめろなんか出るわッ!!」

 

 なにが出るのかは言うまでもなかった。

 人の中身なんて男だろうが女だろうが同じである。

 

「…………で、()()()はなにしてんだ?」

「ああ、いや、指に血がついてるからな。拭いておかないと汚いだろ?」

「そういやそうか。爪がバキバキに割れてた気がする。思い出した、痛かったなありゃ」

「本当か? どの指だ? 必要なら軽い治療を……」

「平気だ。どうも俺は怪我の治りが早いらしい。もうなんともねえだろ?」

「……たしかに、見当たらないが……」

 

 それは体質の問題だろうか、と首を傾げながら少女が血を拭っていく。

 

 いくらなんでも車の屋根を〝裂いて剥がす〟というデタラメな行為だ。

 出来ただけでも驚きなのに、それによって生まれた傷さえないというのは凄まじい。

 

 都度二回目のショック、ダブルパンチ、二度目のハンマー、二重の極み的なアレというかなんというか。

 

「んで、あんたの名前は?」

(ともえ)妃和だ。よろしく頼む。そっちは……流崎、でよかったか?」

「おっけぇ。でもってサンキューだ。やっぱり良い人だな」

「そんなコトはないよ。気になったから勝手にやってるだけだ」

「そういうの、お人好しって言うんじゃねえの。あと、さっきから――――」

「ん?」

「……いや、なんでもない。人それぞれ、だもんな」

「??」

 

 ぼそっと吐き捨てるように呟きつつ、悠はどこか遠くを見た。

 近くにあるものは直視しづらい、とでも言いたげな投げやりな視線。

 

 初対面のイメージからはちょっとズレた静けさに、妃和のほうも僅かに目を引かれる。

 

 ……どうしてなのかは、正直、彼も彼女も分からないけれど。

 

 その瞬間、なにか、まったく別の理由で、

 けれどまったく同じようなトコロに、指を引っ掛けたような気がした。

 

「――ま、いいや。でもってそっちの如何にも偉い人が隊長サンか?」

「やっほぉ。金宮美鶴ね。どうぞよろしく、男の子」

「こちらこそだ。……ああ、施設に戻るとき、どこか途中で下ろしてもらえりゃそれで」

「いやいやそういうワケにはいかないからね? 引き渡しまでちゃんとするよ?」

「チッ」

「露骨だねぇ。うーんホントに逃げてきたってカンジで凄いわ」

 

 命知らずにもほどがある! とからから笑い出す美鶴嬢(タイチョウサマ)

 その声を半ば聞き流しつつ、さてどうしたものかと悠は思案する。

 

 勘違い……とも言えない強引な方法で車を奪取(ゲッツ)したは良いものの、それはガッツリ施設とも関係のある公的機関。

 おまけに話が通れば即帰還という流れらしい。

 美沙にとってはこれ以上ないほど棚ぼただろうが、悠にとってはとんだ落とし穴である。

 

 まあ自分から踏みに行ったあたり自業自得にすぎるのだが。

 

「ごめんねタクシーじゃなくって。ていうかよく知ってたねタクシー。収容所だとそういうコトとか勉強できるの?」

「いや、そりゃあ知ってるだろ。タクシー。勉強もなにもあんなのあって――」

 

 と、そこで思考にまっさらな空白が生まれた。

 

 ぽかんと呆けながら悠は固まる。

 虚を衝かれた感覚とはこういうのを言うのだろう。

 どうにも思考が定まらない。

 

 ……頭痛がする。

 

 なんだろう、自分は、なにか――

 

 

 

 

 

「――なんでかな。いや、分かんねえけど、知ってたような気がしてよ。タクシー」

「へえ。博識だ。私だって聞いたコトあるぐらいで見たコトないのに」

「俺だって見たことはおろか聞いたことすら無かったよ」

「? なのにタクシーを知ってたの?」

「いや、知らねえけど」

「?」

「??」

 

 ううん? と二人して首を傾げてしまう。

 

 ずきん、と悠の頭にはひときわ大きな鈍痛。

 

 そう、なにかは分からないけど。

 おかしなコトに、彼はそれを知っていたような気がしたのだ。

 

 本当に、当たり前じみた一般常識として。

 

「――つうかよォ、流崎サンあんたさっきどうやって屋根をぶち開けたんだ? 素手じゃねえよな? でも武器はねえしよォ」

「……あぁ? んなもん決まってんだろ。気合いと根性だよ」

「なんだそりゃあ。でもいいな! あたし好みだ! 良いなあ流崎サン!」

「だろ、そうだろぉ。そう思うよなあ!」

「そうだよなあ! やっぱなあ!」

「「ぎゃはははははははは!!」」

「うっわなんかめちゃくちゃアブナイ匂いがする結託はじまってなーい?」

「言ってる場合ですか隊長。ウチこれ以上の厄介ごとは嫌ですよ」

 

 三人寄れば文殊の知恵、塵も積もればなんとやら。

 馬鹿ふたりが集まればどうなるかなど言うまでもない。

 シンプルに地獄の一丁目だ。

 主に騒がしさと方向性の危うさで。

 

「というより明らかに純エーテルの光でしたわよね、さっきのアレは」

「そうだな。私も見たぞ。空色の光だった」

「まっさかァ、そんなワケ――」

「使えるぜ、純エーテル」

「え?」

「――おォ!? まじかよ流崎サン男なのに純エーテル使えんのか!?」

「当然だろ、試しにホラ。見てろよ」

 

 ジャラジャラと拘束具を揺らしながら、悠がピンと人差し指を立てる。

 ちょうど上方、空と彼の間にはちょうどよく遮るものもない。

 

 ニヤリ、としめたように口の端が歪んだ。

 

 一瞬の静寂。

 

 図らずも五人全員の意識が集まったとき、変化は起きた。

 

 ほんのりと淡く灯る空色の光。

 神秘の輝きはわずかに少年の顔を照らしながら指先を包み込む。

 

 そして、

 

「ばぁん」

「「「「「!?」」」」」

 

 ばきゅーん、と。

 開けた天井のど真ん中を、天に向かって直線が走った。

 

「――――すっげぇぇえええええ!! ビームじゃねェかァ!!」

「ちょッ、いまのどうやりましたの!? というか使い方間違えてません!?」

「ば、馬鹿みたいですね。こう、色んな意味で……」

「いや、凄いな。それだけ純エーテルの適正値が高いのか」

「私でもできないヨSo You Know(そーゆーの)。きみホントに男の子かね? 実は男装の麗人だったりしない? ちん○んついてる?」

 

 ふふん、と不意打ちが成功したコトでドヤ顔なんか浮かべてみせる悠。

 脱走してからの道中、アレコレと試しながら掴んだ新しい特技だ。

 

 もっともやっているコト自体は施設を抜けだした時と大差ない。

 エネルギーをぶっ放す要領はそのままに、単純に集束させただけである。

 要は小手先の技術、テクニックにもならないちょっとした誤魔化し。

 

 ……まあ、そもそも純エーテルをそのまま扱うという時点でズレているのだが。

 

「はははははははッ!! 凄えだろ男でもこれぐらごばぁ

「「「「「「!?」」」」」

 

 びちゃびちゃびちゃ、と口から唾液混じりの血がこぼれる。

 調子に乗った天罰はすぐさま下ったようだった。

 

 適性が高いといっても効果は裏切らない。

 彼だけの特権、二つとない素質があるとしても毒は毒。

 

 当然、使いすぎれば身体を蝕むのは自明の理だ。

 

げぼッ、ごぼッ、おげえええええッ、おえぇぇええぇッ……ごぶッ、おぶッ……

「うわーーー!? ちょッ、隊長ォ!? 流崎サンが血ィ吐いてるゥ!!」

「これ不味いんじゃありませんの!? というかどう見てもヤバいですわ!」

「えッ、なにがあったんですか! まさか鉄アレルギー!? 鎖とかダメですか!?」

「男の子なのに純エーテル使っちゃったからね! そうなるよね! ウン! なんとなくキミの性質(カラクリ)分かってきたよ!」

「だッ、大丈夫か流崎? とりあえず横になるか? ああ鎖が邪魔だな……! 誰だこんなにキツく締めたヤツは……!」

でめぇらだよごんぢくじょう……!

 

 なおも口から血を垂れ流しながら、介抱しようとした妃和の手を払って悠は居住まいを正す。

 

 出血は身体に負担を強いた一時的なものだ。

 どこかを切ったとか、内側のなにかがダメになったとかではなく、もっと別の問題。

 

 本来耐えられるように設計されていない肉体(カラダ)が悲鳴をあげている証拠だろう。

 

 傷付くのも純エーテルなら、それを癒すのもまた純エーテル。

 しばらく放っておけばこの蛇口の栓を開けたような吐血も収まってくれる。

 

 そうするコトで自分が保っている事実を、悠はどことなく理解していた。

 

「ふぅ――――いや、悪い。つい出ちまった。すまねえ、車汚しちまって」

「気にするとこそこじゃねえよォ!!」

「というか屋根をぶち壊してる時点で汚すもなにもないですわ!!」

「これやっぱり首輪つけてたほうがいいですよね。そうですよね。うん」

「流崎、とりあえず血は拭こう。ほら、服にまで垂れて」

「あっはっは。自分で分かってると思うケドあんまりそういうのは控えておいたほうが――――って、うん? ありゃりゃ通信? もしや返答が来たカナー?」

 

 微弱な音にくるりと振り向いた美鶴が無線機を弄りはじめる。

 

 正式な命令が下りるまで待機としていた彼女たちだ。

 行くにせよ退くにせよ報告があれば嬉しいコトこの上ない。

 

 早速とばかりにツマミをきゅっと回して回線を合わせていく。

 

 ちなみに、誰かさんとぶつかったせいで機械の調子はちょっと悪い。

 

《本――ら……隊■! ……か――■部……! 緊――■! ……――! 羽虫の――が…………ちらに――て……■ 直ちに――……ださい! く■――ます! 本部――第■……へ、本部■――――》

「あー待って待って、もうちょいもうちょい……うーーん? ここカー? どこダー? イマイチしっくり来な――――」

 

 そうして、ふと、彼女がなんとなしにフロントガラス越しから空を眺めたとき。

 

 

 

 

 

「――――――――――」

 

 

 

 

 

 瞳は、たしかにその姿を捉えた。

 

 シルエットは四角(カタ)い。

 

 (イロ)は泥のような木々の幹の色。

 

 遠い遠い黄ばんだ空の果てから、雲を裂いて羽ばたいてくる。

 

 

 ――――ソレは。

 

 

 ああ、その、正体は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――全員、即刻退避ッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 間違いなく、彼女らにとって絶望の象徴だった。

 

 

 

 

 




???「おっと私の夫発見伝♡」


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1/『その男、獰猛につき』④

 

 

 

 悠が脱走して三時間が過ぎようとしていた頃。

 唐突に、その連絡は美沙たちのもとへ入ってきた。

 

「――所長! 本部から通信です!」

「! わかった、繋いでくれ! 回線に不調は!?」

「いまのところ問題ありません! 繋ぎます!」

 

 ざざ、と不規則に響く電子音。

 しばらく待って帯域は安定した。

 

 数秒の無音。

 

 逸る気持ちをおさえつけて、美沙はひとつ深呼吸をする。

 

 

 

《――久方ぶりだな、美沙》

 

 

「……おまえ」

《ふむ、顔が見られんのが惜しい。その声だとさぞ愉快な表情だろうに》

「……うるさい。ようやく回復したか、阿呆め」

《手厳しいな。これでも無茶だったのだよ。全盛期の二割といったところか》

 

 ガチャガチャと煩く鳴っているのはおそらく義手だろう。

 電波の向こう側にいるのが誰なのか理解した上で、美沙は呆れたように息を吐く。

 

「それでよく生きていたな」

《これでも彼女たちのトップだ。まだまだ死ぬワケにはいかないだろう。それに、なにより成すべきコトは沢山残っている》

「そうか。いつものおまえらしくて安心した。――それで、用件は? ()()()

《聞かずとも分かっているだろう。お前の起こした始末だよ》

「――――――」

 

 予想通りというか、そうでなければ困るというか。

 厳かな口ぶりでこぼした相手に、無意識のうち唇を噛んだ。

 

 彼女たちはともかく、収容所(こちら)戦闘部隊(あちら)の仲はあまりよろしくない。

 この状況の打開を狙うのは同じものの、相手への反抗を主に置くか種の継続を重きにするかの違いである。

 

 窮地の間際、絶体絶命であろうとも意見の衝突、他者との対立は避けられないもの。

 それが知性、理性、および感情を獲得した人間という生き物ならば

 

《金宮――第三部隊の隊長から報告があった。どうも逃げた男を捕縛したらしい。おまえのほうからも支援要請は入っていたな。名前は流崎悠。間違いないか?》

「……ああ。その子だよ。悠は私のところから脱走した男だ」

《そうか。では部隊のほうをそちらに送らせる。貴重な男だ、出迎えの準備だけしておいてくれ――――と、済めばよかったのだがな》

「…………何事だ?」

 

 来た、と身構える。

 考え方の差異、重要視する部分が別なら導き出す答えもまた別だ。

 

 言わずもがな、悠の特異性――優れたトコロは美沙も把握済み。

 その上で〝人類の継続には必要不可欠〟と彼女は答えを出した。

 

 彼が(カレ)であるが故に。

 

 

 

 

 

 

《どうもその少年は走行中の車両を強引に停止させ、天井を引き剥がして車内に侵入してきたらしい。しかも無手、武器もなにもない状態でだ》

 

「――――――――――」

 

 

 

 

 〝な、なにをしてんだあの馬鹿ーーーーーーッ!?〟

 

 

 

 

「だッ、大丈夫なのか!? その、悠に怪我は!!」

《案ずるな。いまのところ無事ではいるらしい》

「そ、そうか……、すまない。取り乱した」

《構わんよ。珍しい姿を見られた。役得だな》

「うるさい」

《だがな。()()()()()。……この報告だと、私としても耳を疑うのだ》

 

 あまつさえそんなコトをしておいて、と付け加える戦闘部隊総司令。

 むしろ美沙は車両を止めた、というほうに耳を疑ったのだがそれはそれ。

 向こうにとっては少年の身の安全より、その素性のほうが興味深いものだったらしい。

 

《率直に問おう。彼は何者だ? 本当に男か、美沙》

「……男だよ。それは私がこの目で確かめた」

《付いていたのか》

「付いていたッ、……本当にただの男だ。おまえが目を付ける必要など、微塵もない」

《ほう。ただの男がこのような荒事に耐え、外で元気に生きられるのだと――おまえはそう言うのだな? 収容所の責任者である所長の、トップのおまえが。美沙》

「ああそうだ。こちらもハッキリ言わせてもらおう。()()()()()()()()。あの子はただ純エーテルの適正値が高いだけの男だ。おまえたちのように怪物どもに対抗するのはおろか、ただ走ったり動いたりするのだって本当は無茶なんだ」

 

 そう、あれほどのコトをしておいてなんだが、流崎悠は歴とした収容所暮らしの男性。

 身体機能を維持するため定期的に施設内で運動はしていたが、それもあくまで軽く身体を動かす程度のものだ。

 今まで生きるためだけに生きていた人間が、急に戦うため動けるワケがない。

 

《その適正値というのどれぐらいだ?》

「……聞いてどうする」

《いや、なに。純粋な疑問というヤツだ。私もそれなりに高いが、数値にすればA判定といったところになる。人より多く純エーテルを扱えて、巧く操るコトができ、治癒の促進も瀕死の重傷から生き残れるぐらいには強い》

「だから?」

《純エーテルの加護下にある(わたし)でそれだ。その男子……悠といったか? 外で暴れ回るぐらいだそうじゃないか。男であるというデメリットを打ち消してだ。それはどの程度だ? なあ、美沙。もしかしてとは思うが――()()()()()なんてコトはないだろうな?》

「――――――」

 

 ……声が詰まった。

 だって、それは。

 

《分かりやすい。それは肯定していると受け取るぞ》

「いや、待て。だがな、よく考えろ(あおい)、悠は男だ。世界に百人といない男性なんだぞ? それをまさか、戦場で使い捨てるのか? 正気か?」

《そうだな、正気じゃない。それがただの男であればだ。だが、()()。――――もしも彼に私を越える才能があるとすれば》

 

 そうするのは吝かではない、と。

 彼女――戦闘部隊総司令、陽向(ひなた)葵は言外にそう告げた。

 卓越した純エーテルに対する素質があるならば、外敵と戦うべきだなんてコトを。

 

「――ふ、ふざけるなッ! おまえ、あの子をなんだと思っている!? 何度も言うぞ! 悠は男子だッ! 外でマトモに生きるのも限界がある男なんだよッ!! 本来なら純エーテルを使うコトすら自殺行為だ! それをッ、――――それを、強制させる気か!?」

《ならば私としても言っておこう。美沙、おまえ、ヒトをなんだと思っている?》

「なにを!」

《日に日に人類は減る一方だ。純エーテルの影響もあるが、先ずは脅威・天敵を消し去らなくては意味がない。今なんて酷いものだ。先の北極への遠征で戦闘部隊は半壊している。()()使()()どもは役に立たない。私ですらこの有り様だ。単純に戦うための人手が足りていない》

 

 言わずもがな、葵は部隊における司令塔であると同時に最高戦力でもある。

 その実力がどれ程かというと、彼女が安全の約束された場所から指示を飛ばすより、前線に立って自ら戦ったほうが遙かにマシなぐらいだ。

 

 名実ともに戦う人員のトップ。

 人類最強とも言われる力量は伊達ではない。

 

 ――そんな彼女が、数ヶ月の間まともに歩く事もままならない傷を負った。

 義手と義足を取り付けて、戦うための力の大半を失った。

 

 それがどれほど絶望的かなんて、少しでも内情を知っていれば理解できる。

 

《猫の手でも、とは言うがな。本当にその通りだ。戦える人材があるのなら、私たちはそれが欲しくてしょうがない》

「男でもか!!」

《無論、男でもだ。良いじゃないか、強い男子(ヤツ)は嫌いじゃない。むしろ好ましいな。おまえたちの施設を抜け出すほど剛毅なのだろう? ――――私好みだ。是非ともこの身体が万全であれば手合わせしてみたいな》

「このッ――――戦闘バカが……! 悠は違うぞ! あいつは()()()だからな! おまえみたいな三度の飯より血の匂いが好きなド変態とは違うからな!」

 

 と、その言葉に反応するオペレーターたちがいた。

 

「良い子……? 流崎くんが良い子……?」

「とてもそうは思えねえ」

「何とも言えない認識の齟齬を感じる。流崎くんには手を焼かされた記憶しかないデス」

《良い子が脱走するのか? 面白いな。とても会ってみたくなった》

「やめろッ! そしてオカシな考えはよせ! 悠は私のだぞ!?」

「所長、出てます。素が出てます」

「ついに言っちゃったよこの人。戦闘部隊(向こう)の総司令相手に」

 

 はあ、とため息をつくオペレーター諸君である。

 この所長(オンナ)、大好きな彼ピッピのコトになるとまるで冷静じゃいられない。

 

《まさか、美沙。おまえその子を好いているのか。あのおまえが?》

「――なんだ、悪いか。良いだろう別に、誰かを慕うぐらい」

《ああ良いさ。良いとも。良いだろう。が、それとこれとは話が別――――む?》

「……? どうした葵。今度はなにを」

《……まずい。第三部隊のもとに羽虫が向かっている。急に移動したようだ。――――接敵まで残り十秒もないだと? すまん美沙! そちらは》

「各員通信を繋げッ!! 迅速にだ!! 急げ、本気で悠が死ぬぞッ!!」

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ぐしゃり、と潰れていく旧世代の装甲車両。

 

 悠にぶつかった時より何倍も大きな破壊の衝撃。

 押し潰していく不協和音が快音となって荒れ地に響き渡る。

 

 爆ぜて炎上する鉄の塊。

 

 燃え上がる火炎と、バラバラに散った配線(コード)破片(ガラス)の中。

 さもその所有権は自分にある、とでも言いたげにその影は揺らめいた。

 

 我が物顔で地上に降り立つ緩慢な動作。

 ギコギコと擦り合って嫌な音を立てる手足の節。

 

 (カオ)は蝉に似ている。

 胴体(カラダ)は網目状に組まれた大小様々な木製だ。

 

 伸びた爪から足の棘に至るまで、すべてが枯れ木の枝葉で出来た奇妙な姿。

 

 とくに目を引くのはその背中だろう。

 カラダと違って丁寧に編み込まれ、繊細なつくりを施された見事な羽。

 虫のような翅ではなく、天使みたいな羽毛を蓄えた純白の双翼。

 

 ――それこそが、人類をここまで追い詰めた脅威のひとつ。

 

 雲の上、はるか空から気まぐれに降り注ぎ、未だなお人命を脅かす外敵。

 木製の怪物、彼女らに〝羽虫〟と呼ばれる今回の討伐対象だ。

 

「――ホラ。やっぱり首輪つけて正解だったじゃないですか」

「言っとけよ、偶々だろぉが。……で、ありゃあなんだ。随分と不気味だが」

「私たちが戦ってる相手だよオトコノコ。……しかし、参ったネこりゃ。車が台無しだ。あはは、援軍到着までは帰る目処も立たないなー……ところで全員無事?」

「あたしはピンピンしてるぜェ。妃和は?」

「平気だ、心配いらない。……有理紗はどうしたんだ?」

「はッ、まさかあいつ死んで――」

「ませんことよ!?」

 

 どばぁ、と地面の砂をかき分けて這い出てくる淑女。

 咄嗟の判断で地中に潜っていたらしい。

 ぷはっと息継ぎをしてもがく様子はなかなか陸地で見られない水泳の光景みたいだ。

 

「よし、五人全員無事。流崎クン(おとこのこ)もこの通り無傷。いやあ、良かった。不慮の事故で死んだら浮かばれないからねぇ」

「隊長、ウチら不慮の事故じゃなくても今から死にそうですけど?」

「うーんバッドラック! だって、まさかねー……そりゃあ本部から緊急通信も来てたワケですよ。まさか羽虫(アッチ)からコッチに来るとはね」

 

 果たしてどういう因果か、と考えながら美鶴は腰を低く落とす。

 

 彼我との距離は目測で大体二十メートル。

 人間なら全速力で走って三秒もあれば詰められる程度だ。

 純エーテルの加護で多少の無茶が効く彼女たちなら更に速い。

 

 ……が、相手はその人間を食い物にする埒外の脅威。

 

 隔たりはないに等しい。

 この間隔、この距離では時間稼ぎにもなりはしない。

 戦うのならもっと近く、逃げるのならさらに遠くでなければ意味がないだろう。

 

「どうするよォ、隊長」

「交戦しますの? というかわたくし達だけでどうにかできますの、アレ」

「無理ですってウチらだけなんて。ここは一旦逃げません……?」

「私たちはともかく流崎はどうするんだ。このままだと不味いぞ」

「勝手に決めんなよ、俺の意思があんだろォが。なんなら殺り合ってもいいぜ」

「いやー無茶言わないでよ流崎クン。さっきの吐血見てると戦力としては論外っていうか――」

 

 ぎち、と木製の間接が稼働する。

 遠目からでも分かる動きの前兆。

 

 舞い上がった煙と撒き散らされた火の粉が見えた。

 

 ――――瞬間。

 

「!!」

 

 それはまるで、急成長でも行ったかのように。

 

 ――伸縮(伸びる)刺突(伸びる)直進(伸びる)

 

 枝葉じみた右の腕が、

 枯れ木色に染まった自然の槍が、

 

 彼女たちの群れに潜む(いぶつ)に向けて、伸びていく――――

 

「――――ッ、流崎ィ!!」

「あァ!?」

 

 ……が、間一髪、それを防いだのは妃和だった。

 

 引き寄せるようにして翻る悠の身体。

 突発的に助けられた少年は、自らの瞳でその光景を直視する。

 

 ぐちゃりと潰れていくヒトの肉体。

 

 彼を庇った少女の脇腹が、鋭い切っ先に容赦なく抉られていく。

 

 火の走ったような痛み。

 それは一体どちらの頭に浮かんだモノか。

 

 ――――頭痛が、した。

 

「妃和ッ!?」

「――――ッ、てめえ!!」

「大、丈夫だ。それより、無事か。流崎」

「――――っ、ああ無事だよ! ふざけんなありがとうよ! なめてんのかお人好しィ!」

「ッ……お礼を言うか怒るかどっちかにしてくれ……」

 

 青い顔で立ち上がる妃和。

 傷口を手で押さえながらも、彼女の姿勢はわずかにブレるだけだ。

 

 悠には勝らないでも少女たちは歴とした戦闘部隊のメンバーである。

 適正値は常人より高い。

 おかげで純エーテルの治癒促進は多少ながらも発揮される。

 

「サンキュー! だけど頼んでもねえ! 自己犠牲もいい加減にしろよ良い奴め!!」

「流崎サン落ち着け! 感情がぐちゃぐちゃになってねェか!?」

「一先ず動くよ! 竜乎は妃和を連れて脱出! 柚葉もそのまま流崎クン引っ張って! 有理紗と私は背後に気を配ってできたら時間稼ぎ! 戦っても勝ち目ないからね! 逃げるよ!」

「了解ですわッ!! 久々に腕が鳴りますわね!!」

「ええッウチ男の子抱えるとかしたコトないんですケド!?」

「いいッ! 気遣うな走るぐらいできらァ! とにかく逃げるんだな気にくわねえが!」

 

 吼えながら立ち上がって、悠はいざ行かんと地面を踏む。

 がしかし、

 

「ぶべぇ!」

「流崎サン!?」

「そうですよ縛ったままでしたね!」

「走れるワケないだろう常識的に考えて……!」

「――だああ誰だよこんな風にしたヤツは!?」

 

 べしゃあ、と顔面からこけつつも悠は器用にもう一度立ってみせる。

 経緯はどうあれいまは非常事態、文句よりも逃げるのが先だ。

 

 ヒモ、鎖、手錠、足枷、その他もろもろ少女たちのおふざけの限り。

 逃げないようにと縛ったツケがここに来て最悪の形で回ってきた。

 

 ここで解いているような暇はない。

 とすれば、残された手段はただひとつ。

 

「――流崎さん首輪の内側に手を!!」

「あァ!? ――いや、そういうコトか! おっけぇ乗ったァ!!」

「行きますよ走り(いき)ますよぉ……、――――ふんッ!!」

「――――ッ、ご、ぉあッ――――がッ!?」

 

 どがががががががっ! と砂埃を巻き上げて爆走していく柚葉ウィズ男子。

 

 彼女は手に巻き付けた首輪のリードを引っ張りながら全力で荒れ地を駆ける。

 当然、リードを握られて嫌な散歩をするワンちゃん状態の悠も引き摺られていく。

 

 首輪に手を差し込んだのは息ができなくなるのを防ぐためだ。

 が、それも応急処置に近いその場しのぎの策でしかない。

 

 当然ながら首は絞まるし息もちょっとヤバめになってくる。

 

『――が、我慢するしかねぇ……ッ! なんだか全ッ然分からねえが、切羽詰まってるのだけは分かる! 一番事情を知らねえ俺が動き回るのはどう考えても悪手ぅうぐおぉ――ッ!?』

 

 さらに絞まる首、詰まる呼吸。

 ギチギチと不吉な音をたてはじめた命綱(リード)

 明確な命の危機に瀕した頭が、瞬間的に脳内の思考を冷却する。

 

 ……余分な感情(モノ)が断線される。

 それも一瞬、彼はわずかばかり未知の感覚に囚われて――

 

 

「――ッ!!」

 

 

 どくん、と心臓が高鳴った。

 

 途切れ途切れの意識の隙間、ぼやけた視界に何かが映る。

 

 凄まじいスピードで此方を追いすがる鋭い黒色。

 鮮明に見えずとも何かは判断できた。

 

 先ほどと同じ木の腕だ。

 向けた先端を槍のように尖らせて、前と同じく彼の肉を抉るよう迫ってくる。

 

 

 

「――――できるとお思いになりましてぇ!?」

 

 

 

 二度目の遮断。

 今度はその金髪を揺らしながら、有理紗が掴むように槍を防ぐ。

 

 ――否、それは掴んでいるのではない。

 

 左手から溢れだす空色の閃光、神秘の輝き。

 いまなお推進力を失わない木の腕に対し、彼女もまた力を発揮せんとする。

 

「おほほほほッ!! 見ていてくださいまし、悠さん!! これこそがわたくし達の優雅で繊細な戦い方!! そしてッ!!

 

 粒子が渦巻く。

 風景が歪む。

 

 それは純エーテルを確固たるモノとして確立し、その場に形作る人為的な現象。

 

 すなわち、

 

 

 

「純エーテルの本当の使い方、ですわッ!!」

 

 

 

 拮抗する燐光と木製の腕槍。

 有理紗から放たれる空色の光はコンマ一秒ごとにその輝きを増していく。

 

 美沙(だれか)は悠の行為を〝火を起こすのにタンク丸ごとガソリンをぶちまけているようなもの〟と喩えた。

 だとするならそれこそが正しく神秘に点火する使用方法。

 

 ――ギリ、とひび割れたような音が聞こえる。

 

 

 

鉄潔角装(ギアホルン)ッ!!」

 

 

 

 少女の腕に、神秘の鋼鉄が螺旋を描きながら生み出される。

 

 渦巻く快音、火花をあげて砕ける木片。

 

 鬩ぎ合っていた羽虫の腕は、あっという間にその〝武装〟を前に崩れ去った。

 

 現れ方はさながら魔法みたいに。

 木製の槍を打ち払った有理紗の腕には、仰々しい鋼の機械が握られている。

 

「……オイオイッ、なんだよそいつはァ!!」

「見ましたか! 気付きましたか!! そうこれこそが鉄潔角装!! わたくし達が操る純エーテルで出来た武器!! つまりッ!!

 

 と、そこで悠は驚異的なまでの察しの良さを見せた。

 

 先に向けて鋭利になっていくシルエット。

 巻き込み、吸い込み、大気を轟かせる回転音。

 

 ……先ほど、彼が来てからもう一度くり返された竜乎との漫才(いつものノリ)を思い出した。

 ぐるぐるとした姿は正しく彼女の言っていた()()と一致する。

 

「あぁ! それがアンタの言うスクリュードライバーか!!」

 

「――――わたくしのコレはドリルでしょうどう見てもッ!!」

 

 

 違った、どうも金髪縦ロール(スクリュードライバー)ではないらしい。

 紛うことなきドリルだ、と胸を張る有理紗のセンスがイマイチ分からない悠だった。

 

 

 

 

 




ドリル系女子(金髪縦ロール)(スクリュードライバー)(ドリルではない)(どう見てもドリル)(ゲッ○ー2)(グレン○ガンか?)(わたくしの名前は神○人!)


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1/『その男、獰猛につき』⑤

 

 

「そんな攻撃は無駄でしてよッ!!」

 

 背後から迫る木の槍を有理紗が捩り砕く。

 

 なおも荒れ地を走る第三部隊メンバーおよび悠の足は止まらない。

 距離はすでに二百メートルを超え、背後の羽虫も姿を小さくしていた。

 

 それでも攻撃は伸びてくる。

 

 障害物、遮蔽物のない赤土の荒野では直進する腕を邪魔するものがないからだ。

 地中に潜るのも一つの手だがそんな暇はないし、なによりそんなコトをしてもアレが見逃してくれるとは到底思えない。

 

 結果、彼女らに残された逃走手段はただひたすらに走るコトだけ。

 今まで支えてきてくれた自分の足だけが唯一の生きる希望だった。

 

「――もう三百ぐらいカナ? 結構離れたねー……それでも腕が飛んでくるのかあ、流石は我らが天敵〝羽虫〟ちゃん」

「褒めてる場合ですのッ!? このままだとジリ貧ですわよ隊長ッ!!」

「そうなんだよねえ、でもどうしようもないじゃない、コレ」

隊長(アナタ)が匙を投げてどうしますのッ!?」

 

 再度背後で弾ける木片。

 

 部隊の面々はそれぞれ必死で動くのが今できる最大限。

 引き摺られるがままの悠は意識を薄れさせながらも思考を回すので手一杯だ。

 

 状況把握は冷静に、けれど心の底で渦巻くものは冷やさずに。

 彼にとって理性とは後付けで、本能こそが本心に近いもの。

 

 ので、

 

「――――来る、ぞォッ!!」

 

 その予兆に真っ先に気づけたのは、偏に後方を注視していたからだろう。

 

 バサリと広げられる純白の翼。

 

 木製の腕は縮んで人間大の長さにまで戻っていた。

 あの武器はあくまで遠距離武装、伸びるにも限度があると見るべきだ。

 

 ならば、射程外に出ていった獲物をどうやって捉えるのか。

 簡単だ、至極真っ当な圧倒的弱者を刈り取るための狩りの基本。

 

 ――こちらの得物が届かないのなら、確実に届く位置まで迫れば良い。

 

「有理紗!!」

「分かってますわ!!」

 

 美鶴と有理紗のふたりが足を止めて後ろを向くのと、それが羽搏くのは同時だった。

 

 ぐっと溜められた一瞬の隙、関節を軋ませたわずかな間。

 

 この荒れ地において異質なほど白い羽が、空を掻くように稼働する。

 

 ――――直後。

 

 十数秒かけて稼いだ彼我の距離は、あっという間に零へと回帰した。

 

 羽音は一秒にも満たない。

 大気を震わせた飛行は音を越えて。

 気付いたときには、すでに影は目前へと――

 

 〝速ッ――――!?〟

 

 羽虫の左腕が振り上げられる。

 

 右腕とは異なる、しなるように歪んだシルエット。

 肘から指先にかけて人体らしい部分はひとつもない。

 

 蟷螂を思わせる捕獲肢。

 

 けれどもそれはより鋭く、獲物を捕らえるのではなく斬り殺すために洗練された形だ。

 

 ――近付くのも一瞬ならば、振り下ろすのもまた一瞬。

 

 上から下へ。

 凶器はこれ以上ない単純さを持って、有理紗の肩口目掛け走った。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――」

 

 ……痺れるような熱さ。

 

 鮮血が制服を濡らしていく。

 

 脳からの電気信号がブツリと途絶えてしまった錯覚。

 気分はコンセントに刺さっていたコードを急に抜かれた電化製品だ。

 

 右肩から肋骨あたりまでバッサリと。

 

 少女の身体はまるで豆腐でも切るように、あっさりと別れてしまって。

 

「――――、ぇ…………」

 

 ぐらりと傾いていく身体。

 

 彼女自慢の金髪は赤黒く染まって、左手はぷらぷらと宙に揺れる。

 

 霞む碧色の瞳孔と、蝉の頭をした羽虫の複眼(ヒトミ)がぶつかった。

 

 どう考えても致命傷、どう見ても取り返しの付かない傷を負って。

 

 有理紗はそのまま、右手をふらりと動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()

 

 

 

「――――ゼロ距離ィ、ですわねぇッ!!」

 

 

 

 機械が軋む。

 神秘の鋼鉄が唸りを上げる。

 

 回転、螺旋、すなわち捩れ斬り。

 

 羽虫の表皮に突き刺さった彼女の武器が、空気を巻き込んで動き出す――

 

 

 

「だらッしゃぁぁぁああああああああああ!!!!」

 

 

 

 とても淑女らしくない雄叫びをあげながら、有理紗がドリルを突き上げる。

 

 胸を穿った純エーテルの一撃は木の腕を砕いたモノと同じだ。

 木製の表皮は容易く、ボロボロと崩れるように砕かれていく。

 

 ――それが、まったく同じ硬さで出来ていれば。

 

 〝――あれ。おかしいですわね。なんか、まったく、貫けませんコトよ?〟

 

 ガリガリと空転し始める自慢の(ドリル)

 

 不思議に思った瞬間にまたもやバッチリと瞳が合う。

 

 表情はないのに硬質な羽虫の顔がニタリと笑った気がした。

 

 ……まさか、とは思うけれど。

 

 〝身体のほうが硬かったりしますの? あ、でも伸縮性を考えたら一理あ――〟

 

 ベギィ、と人体から響いてはいけない音が鳴る。

 ブツブツとなにか大事な繊維(モノ)を千切りながら鎌が抜ける。

 

 蹴られた、と認識したのはその数秒後だ。

 

 内臓から背骨までを叩き潰した脚撃は有理紗の身体を〝く〟の字に曲げ、遙か彼方へと吹き飛ばした。

 

「――ナイス奮闘、有理紗」

 

 が、その隙を逃すほど彼女たちも甘くはない。

 

 声はすでに羽虫の()()()()()()から。

 ソレが有理紗の対処へ意識を向けている隙に、美鶴は自身の鉄潔角装を顕現させて突き刺した。

 

 全長およそ三メートル、持ち手だけで五十センチはあるかという大槍。

 

 硬い胴体ではなく、あくまで壊せる腕に限って砕きながら。

 彼女は勢いのまま力を込めて、引っ付いたゴミを払うように大槍を振り回す。

 

「ぶっ飛んじゃいなよ、このクソ虫――――!!」

 

 移動の速度、攻撃の威力、基本的な性能がヒトより高い羽虫だが、その質量は二十キロにも満たないほど軽い。

 

 異様な身体構造の弊害だ。

 

 抜け殻のように中に何も持たない羽虫は、外皮と翼だけで出来た生き物である。

 骨も、肉も、水も、脳みそや血の一滴すら存在しない木の皮の化け物。

 

 それを砲丸投げの要領で放り投げるのは容易い。

 

「そらぁーーーい!!!!」

 

 びゅっ、と風を切りながら槍と共に飛んでいく羽虫。

 それが遠く離れたのを確認して、美鶴はパチンと指を鳴らした。

 

 ……物質として安定していた大槍が粒子に解けていく。

 

 純エーテルからつくるのも人の手なら、それを戻すのもまた意思のままに。

 勢いだけを残して槍は消え、羽虫は最早見えないぐらい後方へ。

 

「――よし! 有理紗は! 大丈夫!?」

「隊長ォ! アイツそっち飛んでった!!」

「わかった! 一先ず私が拾っとくから! 竜乎と柚葉たちはこのまま走って!」

「了解です! 流崎さんも気張ってくださいッ!!」

「ぉ、ごがッ――、あがごがッ!? ぉおッ――――!?」

「大丈夫か……流崎……!」

 

 〝大丈夫じゃねェ!!〟

 

 思わず叫びたい悠だったが、この状態で口を開くと舌を噛みそうだった。

 大人しくぐっと黙りこむ。

 

 状況は依然として危機一髪、絶体絶命と言って良い。

 とくにマトモな戦闘ができると約束されていない悠は致命的。

 逃げの一手は正解ではないが、他に比べるとマシな策だ。

 

 ……先ほどの一瞬の攻防を脳裡でくり返す。

 

 足を止めてきちんと視認していた有理紗ですら反応が遅れた超スピード。

 骨肉を別け隔てなく切断する左手の鎌。

 おまけに胴体(カラダ)のほうは腕と違ってそれなりに硬いと来た。

 

 ……なるほど、どうして。

 

 アレが人間を殺せたのか、異様に想像がつきやすい。

 

『だがよ、あんなのが化け物だと? 古い人類を滅ぼしただと? 美沙から聞いた話とはスケールがまるで違うぜ。少なくとも、アレ一匹どうにもできないほど二十一世紀の人間は貧弱だったのかよ?』

 

 なにかが引っ掛かる、と悠は眉間にシワを寄せる。

 

 たしかに強い。

 アレは生身でヒトが戦っていいものじゃない。

 

 それは見ていただけの悠にだって伝わってきた。

 

 けれど人間の武器とは知恵と道具だ。

 素手では勝ち目のない相手にも銃火器や毒をもってすれば殺してしまえる。

 

『……まあいい。そんなのは頭の良い奴に任しときゃ勝手に推理でもしてくれる。問題はいまだ。一発目といい()()()といい、アイツの狙いは――』

 

 ――ずきん、と鈍痛が頭に走る。

 

 誰も声をあげていないのに、(だれ)かの(こえ)が聞こえた気がした。

 

 〝…………うる、せえ……!〟

 

 何かしらを訴える、天啓じみた無音の声。

 人間の声帯では絶対に発せられないその音が、短く脳裏に響いていく。

 

「――――ッ、オ、イ!!」

「ッ、なんですか! 流崎さん!!」

「おまえッ、ユズハ……とか、言ったな!」

「ええ! そうですが!?」

「手ェ離せ! どうも、あっちが狙ってんのはッ、……俺らしい!」

「はッ!? いや、なおさらできるワケないじゃないですか!?」

「なんでだよッ!!」

「男の人って貴重なんですよ!? それを死なせたらとか――ッ、いやウチが死ぬのも怖いですけど! もっと怖いでしょう男の人見殺しにするなんて!?」

「――――――ッ、そう、かよ……ッ、ちくしょうッ……!」

 

 ……ああ、なんだろう。

 

 とても正論なハズなのに。

 普段の彼からすれば理解できるような事のハズなのに。

 

 どうして。

 

 ――どうしてこんなにも、我慢できないモノがある?

 

「なんだよ! 流崎サン狙って来てるってェ!?」

「それは不味いな……! にんじんをぶら下げて走ってるようなものだぞ……!」

「――そう、だろぉが! だから、よぉ!!」

「見捨てろってェ!? そんなン面白くねェだろォ!?」

「同感だ! 流崎は大事な男だろう! それをみすみす渡すわけにはいかないな!」

「――――――この、お人好し、どもが……ッ」

 

 ギリ、と奥歯を噛んで後方を睨む悠。

 

 どいつもこいつも馬鹿げたコトを言う。

 口も甘ければ心構えだって甘すぎるだろう。

 

 たかだかひとり、このまま縛ったまま放り捨てれば、もしくは無事に逃げきれるかもしれないというのにだ。

 

 ……だいたいなんだ、男だからなんだ。

 

 悠にはその優位性、優先度が心底理解できている(まったくわからない)

 

 世界中集めても数が少ない、いまの時代における種の継続には必要不可欠。

 クローンも人工授精も精子をつくる技術もすべて消えてなくなった。

 

 復元させようにも多くの問題がある。

 人手がない、知識がない、時間が、設備が、資源が。

 

 だからこそ残った男は後の繁栄のためにも生きていかなくてはならない。

 

 そんなのは当たり前だ。

 現代における常識だ。

 

 誰も彼もがそうだと言って主張する、根源的な人類種としての総意。

 そうであれ、そうあるべき、と押しつけられる傲慢な願い。

 

 それが、

 

 

 

「――――――――――ッ!!!!」

 

 

 

 ――――それが、彼には気にくわない。

 

 これ以上ないほど、無性に腹が立ってしょうがない。

 

 捻くれている。

 でもなければとんでもない大馬鹿者だ。

 

 ……言わずもがな。

 

 彼は、()()()()()()からそういう性分だった。

 

『……ッ! 二度あるコトは、三度あるってなぁ……おい……ッ!!』

 

 空を裂くような羽搏きの音。

 木々の羽音が荒れ地に木霊する。

 

 なにか、なんて今更確認しようもない。

 

 美鶴に放られた遙か後方から、消えたはずの影がとてつもないスピードでやって来た。

 

「ちょッ、マジかァ!? もうあたしらに追いつきやがったぞォあの虫野郎ッ!!」

「流石に速いなッ……隊長は、どこにいる!」

「あっちですあっち! いま有理紗先輩抱えてコッチに……!」

「――――――ッ」

 

 どうする、と悠は引き摺られながら考える。

 

 万全に動けるのは自分を含めて四人。

 うち、人並み以上の活躍が期待できるのは悠を除いて三人だ。

 

 その三人ともが自分以外の荷物を背負っている状態である。

 戦いに専念してなお攻撃を防ぐのがギリギリ、足止めなんて以ての外、この少人数で倒そうというのは最早論外と言っていい。

 

 〝――――どうする〟

 

 羽虫は凄まじい速度で迫っている。

 

 接触まではあと十秒、いや九秒をきった。

 時間が足りない、考えていてもキリがない。

 

 分かるのは欠けてしまった要因だけ。

 

 そう、今度は誰も悠を守れないというコト。

 このままでは他の誰かがどうこうという前に、己自身の命が危うくなっている。

 

 〝――――()()()()

 

 判断は迅速に。

 行動は無駄なく素早く。

 

 ブレる視界のなかで悠は躊躇なく首輪から手を離し、両手を強く握り絞めた。

 

 ぐっと立てられる人差し指。

 正面を向けて突き付けられた手のカタチはピストルのように。

 

 歯を食い縛って、全身から神秘をかき集める。

 

『――――――ハ』

 

 バキン、と脳の血管が破裂したみたいな頭痛。

 先ほどの不思議な感覚とは違う明確な痛みに視界が眩む。

 

 構わない。

 

 いまはどんな不調を背負おうとも、この一撃に意識を集中させる――

 

『――――、――――!』

 

 不規則に途切れていく脈拍。

 

 鼓動はすでにリズム感を失ってしまった。

 

 血液の循環は正常かどうかなんてもう分からない。

 

 ――身体が壊れていく。

 

 明確なイメージであればまだマシだ。

 これは実際に彼の肉体を襲っている不調に他ならない。

 

 それでも生きているのは全身を駆け巡る空色の神秘がある故に。

 

 純エーテルによって壊され、純エーテルによって治った身体が悲鳴をあげている。

 

『――、――!! ――――、――――!!!!』

 

 あまりの痛みに理性が溶けた。

 悠の顔に浮かんだのはこれでもかというぐらいの笑みだ。

 

 ……ああ、それでいい。

 

 その程度で薄れる意識が保てるなら、安すぎて幾らでも払ってしまえる。

 

「――――ハ」

 

 羽虫の顔が見える。

 飛行速度は衰えない。

 右腕が千切れてもアレにはまだ左腕がある。

 

 ――3。

 

 こちらとあちらの違いは継戦能力だ。

 純エーテルによってある程度回復できるヒトとは違い、どうも羽虫は身体を治すコトができないらしい。

 右腕は美鶴の槍に貫かれた状態そのまま。

 なら気をつけるのは左腕の鎌だけだろう。

 

 ――2。

 

 羽音が近付く。

 腕が振り上げられる。

 得物の範囲に入った。

 もう逃げられない。

 凶器が迫る。

 

 ――――1。

 

 

 

 閃光が、弾けた。

 

 

 

「――――――ッ!!」

 

 ガツン、とたしかな手応え。

 

 収容所の壁をぶち抜いたときよりも高純度、高出力の純エーテル。

 超活性化した状態で放たれた神秘の粒子は相応の破壊力を生む。

 

 普通の木片ならば穴が開いて木っ端微塵。

 空色の射撃は、羽虫の外皮をゴリゴリと削って――

 

 

 

 

 

『はァ!?』

 

 ――い、ない。

 

んッ――そりゃ、あ……!」

 

 ごぷっ、と水気交じりの呼吸が起こる。

 口の中に広がる今まで以上の鉄の味。

 

 目と、耳と、鼻からも鮮血を垂れ流して。

 

 ――ああ、けれど。

 

 削ることはできずとも、鎌ごとはじけたのは僥倖だった。

 おかげで首の皮一枚、命は繋がってくれたらしい。

 

ごッ、げぼっ、おぼぉ、おげぇええッ、ごばぁ――」

「わああああ流崎さーーーん!?」

「しっかりしろ流崎……ッ! だがよくやった! いまのは本気で危なかった!」

「悪ィ! あたしがしっかりしなくちゃなんねえってのによォ!!」

「ちょっとちょっとなんなの!? 男の子ってもしかして無茶が好きなのカナ!? 遠目からでもえげつない極太ビームだったケド!?」

「し、しにますぅ、しにますわぁ……きずぐちがじんじんしてますわあ……ぁふ……」

 

 合流した美鶴と有理紗が各々口を挟む。

 大怪我ではあるがなんとか生きているらしい。

 

 もっとも戦闘が行えるかというのはまったく別の話。

 いまだ美鶴の制服を濡らす出血を見る限り、復帰は絶望的といっていいだろう。

 

「しかし隊長ォ! あたしらこのまま走ってもキリがないぜ!」

「しょうがないでしょう出会っちゃったんだから! 真正面からぶつかりあってアレに勝てるようなら私たちも苦労しないからネ!?」

「せめて流崎をなんとかしないと……ッ、ここで死なせたら……!」

「――――だああああああもういい! 何回言うんだそんなコトぉ! 大体逃げてばっかりってのが気に喰わねえ!! 今からでもぶちのめすッ!!」

「無茶言わないでくださいよ!? というか流崎さん喋れるんですか!?」

「慣れたァ!!」

「慣れたんですか!?」

「ぃ……ぁ……ぃたぃ……いたい、ですわよ……ふぁふ……」

 

 荒野を爆走する三人と抱えられるふたり、引き摺られるひとつの影。

 

 命懸けの鬼ごっこはまだまだ終わる気配がない。

 本部が気付いた以上ほかの部隊も動いているだろうが、もともとの出現ポイントからここまでだと距離がある。

 もうしばらくは堪えないと援軍は望むべくもなかった。

 

「――――ッ、ああッ! しつけえぞてめえッ!!」

 

 都合三度目の羽音が耳朶を震わせる。

 

 先の一撃で羽虫が傷付いたような様子はない。

 建物なら崩してしまえる悠の攻撃は、かすり傷ひとつ付けないまま()()()()()

 

 ……認識を間違えていた。

 

 アレを一匹。

 たったの一匹どうにかできない、という事実がいまさら重くのしかかる。

 

 なにせはじめから分かっていたコト。

 目の前に迫るのは人類の天敵。

 数多の兵器・反撃を受けてなお、大量の殺人を犯した災害のごとき生命体。

 

 異形の怪物、そのひとつ――――〝羽虫〟。

 

 

 

 

 

 

 ああ、今度こそ。

 

 その脅威が、悠たちへと牙を剥く――

 

 ――縺?縺九i。

 

 ――縺ゅ≠、縺?縺九i、譌ゥ縺。

 

 ――譌ゥ縺乗擂縺ヲ。

 

 ――蜉ゥ縺代※、繝上Ν繧ォ縺上s――

 





これでもチュートリアル


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1/『その男、獰猛につき』⑥

 

 

 

 それはゴールの見えないマラソンで、

 果てしない距離を走る持久走で、

 おまけに、一定の速度を出し続けなければいけない拷問だった。

 

 終わる未来がまったく見えない。

 けれど同時に終わってしまう結末は何度でも体感してしまう。

 

 ……そう、いつかは。

 

 いつかは追いつかれて、あの怪物の食い物になるのだと――

 

「ふざけてんじゃ、ねぇぞ……!」

 

 後方を見遣る悠の視界には相も変わらず敵の姿がある。

 右腕を粉砕された木製の羽虫。

 純白の翼を広げて迫り来る脅威は、たかだか腕を落とされた程度で片付かない。

 

「――妃和ィ! もうそろそろ自分で走れそうかァ!?」

「ッ、ああ! なんとか!」

「頼むぜマジで! あたしもてめえも大事な戦力なんだからよォ!!」

「わかってる……! せーので下ろしてくれ! いくぞ、せー」

「のォ!!」

「まッ、速――――!?」

 

 と、急な動きに体勢を崩しかけた妃和の手を悠が掴んだ。

 

「しっかりしろヒヨリぃ!! あァ!? ヒヨリで良かったよな名前!?」

「あ、ああ! 大丈夫だ! ぜんぜん!!」

「顔が赤ぇが!?」

「すまない! 咄嗟のコトで気が動転している! なんだか胸が高鳴ってるんだが!」

「それはしらねえ!」

「そうか!」

 

 竜乎の背中から降りて走りだす妃和。

 傷はまだ完全に癒えないものの、どうにか運動に支障はないレベルまで回復した。

 万全の状態とは言えないが、これでなんとか二人は手が空く。

 

 ……その際にあったアレコレはとりあえず緊急事態につき置いておくとして。

 

「ともかくだ! あたしと妃和でアレを――」

 

 対処する、と言いかけて竜乎はふと背後に視線を向けた。

 

「――――あ?」

 

 ぐるぐる回っている頭と足が急に空回り出す。

 ぽかんと穴が開いたような思考の白紙。

 

 影も形もない。

 

 先ほどまで空を切って飛んでいた羽虫の姿が、綺麗さっぱり後方から消えている。

 

 〝イヤ、待て〟

 

 そんなことはない、そんなハズがない。

 逃げきったか、もしくは振り切った。

 そんな都合の良いコトがあるだろうか。

 

 ――――ありえない。

 

 この非常時、こんな危機的状況でそんな甘い未来が見られるのはよほど頭がお花畑だ。

 砂糖かなにかでも詰め込んでいなければ出てこない幸せな夢。

 

『……羽音。そうだ、消えてねェよな、飛んでる音ッ! ってことはよォ――!』

 

 聴覚に従って反射的に空を見上げる。

 

 薄汚れて黄ばんだ景色。

 太陽も翳って雲も汚れて、あまりにも醜いその中に。

 

 ――ひとつ、不自然に漂う影を視認した。

 

「ヤベえぞ〝上〟だァッ!!」

「はぇ!? うそまじぃ!? いや、そ――――」

 

 首をまわした美鶴の声が、息を呑むように途切れる。

 

 目に映ったのはこれ以上ないほど分かりやすい姿の変化だ。

 追いついても意味がないとアレらなりに学習したのだろう。

 

 二枚だった翼は四枚へ。

 

 さらに飛行速度をあげて、羽虫は地上の獲物へと狙いを定めた。

 

――散開ッ!! 全員飛び散って! ハリー! まずい! あれマズイ!」

「無理だ隊長ッ! 間に合わない!!」

「いいから動け妃和ィ! どのみち近くだとモロに巻き込まれるぞォ!!」

「流崎さんちょっと強く引っ張りますね!? いいですね!?」

「オウ来いやぁぼごがッ、がァ――――!?」

「いたい……いたいですわ……もうむりですわ……」

 

 風の起こりは刹那の間に。

 薄い大気を四本の(つめ)でかき分けて、羽虫は空中で加速した。

 滑るように、流れるように。

 

 ――枯れ木色の星が、白い尾を引いて墜ちてくる。

 

「――――――――!!」

 

 それは落雷のような衝撃だった。

 あるいは本当に隕石が墜ちてきたみたいな。

 

 水飛沫のごとく巻き上がる砂煙。

 その下の硬い岩盤まで届かせて土砂が跳ねる。

 

 形成されたクレーターの大きさは目視でも直径百メートルはくだらない。

 

 現実離れした光景に視覚情報が脳の処理能力を凌駕した。

 光には及ばないでも優に音を置き去りにできる速さ。

 

 上空いくらという高さから放たれた人間大の弾丸は当然のように地形を歪めていく。

 

「――――――――」

 

 荒れ地にできた砂の窪み。

 深さは中心でも十五メートルほど。

 

 外に広がる斜面はなだらかで、そこまで急でもない様子だ。

 逃れようと思えば、決して上れない高さではない。

 

 問題があるとすれば、その蟻地獄を形成したのがあの化け物であるというコト。

 

 煙が晴れる。

 クレーターのど真ん中、一番深い最奥にゆらりと蠢く姿を視た。

 

 ――ああ、なんて、勝ち誇った――

 

「――――全員、生きてる……!?」

「流崎さん大丈夫ですか!?」

「心配すんな! 平気だこのぐらい!」

「げほっ、えほっ! クソッ……! なんだァこれ……!?」

「……どうも、向こうの狙い通りらしいな……!」

「うん! よし! とりあえず確に――有理紗? 待って有理紗は!?」

 

 立ち上がって周囲を見渡す美鶴。

 先ほどの衝撃で彼女たちの位置は盛大に離れている。

 

 己から見て北西側に妃和、そこから数メートルほど離れて竜乎。

 いっぽうの悠と柚葉はその反対だ。

 全員で綺麗に三角形を描く形である。

 

 ……そう、何処を探しても、最後のひとりが見当たらない。

 

「オイオイざけんなよあのエセお嬢様ッ!! 生きとかねえと承知しねえ!!」

「外に飛ばされていればいいが……ッ、最悪、ここの下敷きになっている可能性も」

「ちょッ、怖いコト言わないでください妃和先輩ィ!」

「ヒトの心配も結構だがそれどころじゃねえ! このままだとッ」

 

 言うが早いか、中央に佇む羽虫の鎌が揺れる。

 

 ……そう、逃げられないワケではない。

 

 全力で走れば、あるいは協力すれば、なんらかの手法や道具を使えば。

 もしかしたらと頭につくが、このクレーターから生きて脱出するコト自体は可能だ。

 千尋の谷に落とされたのでもあるまいし、物理的に無理な話ではない。

 

 だが、実際はどうだろう。

 

 この蟻地獄を支配するのは四枚羽の怪物。

 走って逃げようにも追いつかれるのは難なく想像できた。

 容易に背中を見せれば刺されるのは道理である。

 

 つまるところ、そこに残っていた全員が落ちてしまっている現状は。

 

「ッ!!」

 

 はじけ飛ぶ荒野の瓦礫。

 今度は残像さえ見えない。

 

 直視できる光景はさながら線のように。

 四枚の翼を余すことなく使い切って、羽虫が最速のままに接近する。

 

『――――なろぉ……!』

 

 秒速十万キロにおよぶ神速。

 

 見てから反応したのでは遅すぎる急襲は、認識した時点で終わっているに等しい。

 必死で腰をあげる悠の動きですら(おそ)すぎた。

 

 鎌が擡げられる。

 それを、

 

「ごォアッ――――!?」

 

 強引に引き寄せられた首輪の締め付けが、すんでの所で回避を成立させる。

 

 ぐるんぐるんと回りはじめる視界。

 頭が千切れるのではというほどの衝撃が思考を真っ白に染め上げた。

 

 咄嗟の判断は彼だけのものではない。

 リードを引っ張っていた柚葉の気転だ。

 

 べしゃあ、と若干のデジャビュを感じつつ悠は顔から地面にダイブする。

 

「ッ、悪ぃ! 手間取らせ――」

 

 た、と続く言葉が虚空に消える。

 振り向きながら開いた口は塞がらない。

 目を見開いた影響で、思わず瞳孔がぐわんと揺れた。

 

 一瞬、ほんのたった一秒間。

 

 毒でも飲んだみたいに、舌が痺れてしまって。

 

「――――――ぁ」

 

 吐息のように洩れた高い声。

 土気色になりかけた少女の顔。

 

 その左手には悠の首輪につながったリードが握られている。

 彼女(ゆずは)が引いたのは間違いない、正真正銘命を救われた。

 

 ――どこかから血が降っている。

 

 くるくると回る風車みたいに。

 不格好に飛ぶブーメランみたいに。

 

 黒い制服の裾ごと切り落とされた柚葉の右腕が、宙を舞ってぼとりと落ちる。

 

「――――――――…………」

 

 そのすぐ傍には、鎌を赤黒い液体で濡らした羽虫の姿が。

 

「ッ」

 

 反応は速かった。

 巻き付いた鎖も手錠もそのままに悠の身体が跳ねる。

 

 先ほどまでの牽引で現状の感覚は嫌というほど掴んだ。

 この重量では持続的なスピードを出せない。

 

 だからこその跳躍。

 今度は足元、踵から爪先にかけて空色の粒子を集中させる。

 

「――――んのボケェ!!」

 

 ガン、と羽虫の頭部が揺れた。

 

 勢いを乗せた渾身の回し蹴り。

 手応えは申し分ない。

 

 それは後退をさせずとも、コンマ五秒の隙を生む。

 

 

 

 

 

 

「――――は?」

 

 

 けれども。

 

 不思議とソレを蹴り上げた瞬間、悠は妙に軽い感触に襲われた。

 

 あまりにも前後関係がなくて整理が追いつかない。

 鎖は雁字搦めのままで、首輪はぎゅうぎゅう締めつけて、おまけに鉄枷もついたままだ。

 

 だというのに、感じているのはただ軽さだけ。

 

 ――ぼたぼたと、砂の大地を濡らす雫の音。

 

「なんッ――――」

 

 そこでようやく気付いた。

 先ほどまでついていた両足が、膝の下から綺麗さっぱりなくなっているのを。

 

「――――、ぁ、あぁ――あ―!

 

 一気に血の気が引いていく。

 

 足がない。

 走れない。

 つまるところが踏ん張れない。

 

 一体自分はいまどうやって跳んだのか。

 いや、跳ぶまではたしかにあったのに。

 

 ちゃんとこの両足の先に、付いていたハズなのに――

 

「流崎ッ!!」

「妃和ィ待てッ!」

 

 ぐるんと回転する枯れ木色の上半身。

 

 妃和と竜乎たちから羽虫までの距離は数値にして二十メートルそこそこ。

 左手の鎌は射程範囲外だ。

 

 ――キリキリと破損した右腕が持ち上げられる。

 

退()けェ! ぶちかますッ!!」

 

 竜乎が妃和より一歩前へ踏みだした瞬間、無数の枝が羽虫から伸びた。

 

 脆く崩れた腕はその先端に何十という棘を蓄えている。

 たとえ肩口までしかないとしても問題はない。

 

「お――――ぉおおぉおおッ!!」

 

 が、それにしたって所詮は一度破られた技。

 いくら怪物といえどそんな真似は彼女たちを嘗めきっている。

 

 故にその慢心ごと打ち砕くように。

 

 竜乎の手に現れた巨槌は、細い腕たちの進行を容易く防いだ。

 

「――――――はッ」

 

 鼻で笑いながら、竜乎はバラバラと折れて転がる木片の先へ目をこらす。

 

 注意を引きつけたのなら御の字。

 もしこちらに来るようであれば――対処のしようがないという点を除いて――期待以上の働き。

 

 果たしてどうか、と彼女はぐっと腰を落として、

 

「竜乎ッ!!」

 

 ――ふと。

 

 なぜか、遠く、

 

 妃和が名前を呼ぶ声を、他人事のように聞いていた。

 

 不格好に崩れていく身体。

 おかしなコトに中身がこぼれている。

 

 八割方、ぱっくりと脇腹を切断されて。

 

 ――――血液交じりの臓物が、触れてはいけない外気に――――

 

ァッ……!?

「竜乎! しっかり――」

 

 〝ヒトの心配も結構だがそれどころじゃねえ!〟

 

 駆け寄ろうとした妃和の足が止まる。

 咄嗟の判断から身体を止めたのは脳裏によぎった悠の言葉だ。

 

 なにかがあったと言えばあったに違いない。

 認識の外側から急に来たみたいに、突然倒れ臥した竜乎の姿。

 

 その意味を彼女は瞬時に察知した。

 

「ま……ッ、ぐ――――!?」

 

 直感的に鉄潔角装(えもの)を構えて歯を食い縛る。

 

 防御が成立したのはホントに偶然だった。

 交差するよう彼女の手に握られた双剣。

 

 受け止めた一撃はとてつもない重さと速さの代物だ。

 直撃は防いだのに妃和の首、薄皮一枚を切られている。

 

『なんッ――――なん、だ……!』

 

 羽の増加は見た目以上に大きな変化を伴った。

 二枚から四枚になっただけでもはや手も足もでない。

 

 戦闘部隊と言えど人間は人間、純エーテルの恩恵にも限度がある。

 

 目視が絶望的だというのに音すら頼りにならない超高速。

 許容範囲で言えばすでにオーバーだ。

 

「!!」

 

 羽虫が消える。

 重みがなくなる。

 

 ふらりと揺れた体を強引に立ち上がらせて、()()()()()()()()()()()()()

 

「――――? ぅ、あ…………

 

 百舌の速贄みたいに空中へ持ち上げられる妃和の肢体。

 背後から胸を貫いた枯れ木色の鎌は自分からでも見下ろせる位置にある。

 

 今更になって肉体がその事実を認識したらしい。

 

 急に覚えた息苦しさと、口の端から流れていく赤い液体。

 ごぶっ、と咳じみた吐血が断続的にくり返されていく。

 

「ぁ、ぅ……ッ、――――――」

 

 ぶん、と妃和の身体が無造作に放り投げられる。

 

 おかげで意識がぐらぐらと揺れはじめた。

 気絶する一歩手前のぼんやりした思考回路。

 

 それを、なんとか気力で凌ぐのが彼女にできる最大限だった。

 

「がッ――ぁ、……あ、ぁ……ッ」

 

 頭痛と、吐き気と、それ以上の激痛に苛まれて喘ぐ。

 幸いかどうか、投げ飛ばされたおかげで悠に近い。

 

 〝……ッ、なんとかして、流崎、だけでも〟

 

 そう思ってしまうのは、果たしてどういう心理か。

 

 なんだかよく分からないし、いまは分からなくてもいいだろう。

 なによりどうでもいいコトではあるのだし。

 

 ……それに、きっともう分かる事でもない。

 

「りゅ、う……ざ、き」

 

 返事はない。

 彼は両足を失った痛みに悶え、そのまま――

 

「――――ああッ、もう! こい、つ――――!!」

「ぁ…………」

 

 切羽詰まった美鶴の声に正気が戻った。

 ぺたぺたと手足を動かしてどうにか立ち上がろうとしてみせる。

 

 苦しい、辛い、今にも死んでしまいそうだ。

 

 〝――けれども、彼女(わたし)巴妃和(わたし)だから〟

 

 だから、やることは決まっていて。

 

「このッ、ああもう、――――ッ、虫ぃ野郎ぉ……!」

 

 妃和を含めた全員が何秒と保たなかった。

 辛うじて打ち合っている美鶴の実力は紛れもなく隊長(トップ)クラスだ。

 

 それでも次第に傷は増えていく。

 

 切り裂かれる制服。

 わずかながら飛び散っていく血液と肉片。

 

 体勢を崩したところへ容赦なく鎌が振り下ろされた。

 

 ――左脚が、根元から切り落とされる。

 

「――――――――――ッ!!」

 

 鮮血に塗れて崩れ落ちる最後の人影。

 

 これで全員。

 

 無傷な者も戦う体力が残っている猛者もすべて潰えた。

 余すところなくマトモな力を失った彼女たちには、もうどうすることもできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そう、()()()()には。

 

 

 

 

「…………ぇ」

 

 

 

 

 荒々しい吐息、水が沸騰するような音。

 洩れ出た声は異様なまでに低く、聞くものを圧倒する響きを孕んでいる。

 

 手は縛られ、身体には鎖が巻かれ、進み立ち上がるための両足ですら失った。

 

 その心に抵抗の意思は浮かばない。

 

 

「…………じゃ、ねぇ…………」

 

 

「りゅ……う……ざ、き……?」

 

 だというのに、少年(カレ)はどうか。

 

 ギラギラと燃えるような目付き。

 こんな機会は滅多にないとばかりに湧き上がる反発衝動。

 

 勝ち目がない、逃げるのが正解、挑んでも負けるだけ。

 

「…………んじゃ、ねえ…………!」

 

 だからどうした。

 

 そんなのは一体いつどこで誰が決めた。

 

 ――いいや、誰も。

 

 そう、誰もなにも、彼を抑えつけるコトなんてできはしない。

 正真正銘、(カレ)自身にですらそれは不可能だ。

 

 

 

「てめえぇええぇええ!! 調子ィくれてんじゃあねぇえええええええ!!!!」

 

 

 

 理性は不要だ。

 本能は上辺だけだ。

 

 必要なのはその感情。

 燃料になるのはその心。

 

 だからこそ、悠にとってコレは至極真っ当な道理に他ならない。

 

 それは荒れ地に響く咆哮と共に。

 

 溢れだした純エーテルの行方を、彼だけが掴むように知っていた。

 

 

 



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2/『刀角を顕す』①

 

 

 

 唸りをあげたとき、悠の胸中にあったのはこれ以上ない激情だった。

 

 何に対して怒っているのかなんて言うまでもない。

 彼は別に、彼女たちが傷付けられたコトが許せなかったのではない。

 

 だってそうだろう。

 

 出会ってからまだ数十分、下手をすれば一時間すら経っていないぐらいの付き合いだ。

 先ほど知り合ったばかりの無関係だった人間同士。

 彼と彼女たちの間柄は一言で表すとそうなる。

 

 だというのに、目の前でボロボロにされたからといってここまで感情が高ぶるのか。

 

 ――否、彼はそこまで聖人君子ではない。

 

 無関係な誰かを想って怒れるほどにできた人間とは違う。

 それを素晴らしいコトだとは認識していても、そう振る舞えるような性質(タチ)ではなかった。

 

「お――――おぉオぉォお――――!!」

 

 故にその激情は真実彼だけのものだ。

 

 神秘と一緒に沸騰していく身体中の血液。

 渦巻く純エーテルは彼の叫びを祝福するように周囲を漂う。

 

 ……そう、誰かのために、なんて冗談じゃない。

 

 彼が怒っている理由はただひとつ。

 

「あァぁぁあぁアあッ!! あぁァあアぁあああ――――!」

 

 どうにもできないからと避けてきた。

 

 勝ち目がないからと正面から戦わなかった。

 

 圧倒的な実力差があるとこの目でたしかめた。

 

 だから逃走の一択をとる。

 正解だ、自分より強い者に挑むなど馬鹿のやるコト。

 

 そんな当たり前に流されて、痛む頭を押さえつけて、一緒になって逃げていた。

 

 

 

 それが気にくわない。

 

 

 

「あ――――!!!!」

 

 逃げるコトしかしなかった自分。

 鎖に巻かれて見ているしかなかった自分。

 足手まといになっている自分。

 誰ひとり助けられなかった自分。

 手も足も出ずに負けた自分。

 

 そうして今の今まで、大人しくしていたらしくない自分。

 

 自分、自分、自分――――

 

 ――そうだ、彼は、

 

 

 

 自分自身(てめえ)が、この世で一番気に入らない――――!

 

 

 

「てめえェ――――ッ!!!!」

 

 下半身にまとわりつく空色の光。

 ()くした足の切断面が別の生き物みたいに蠢いていく。

 

 膝の下からこぼれていた赤色が急に止まった。

 ぐちゃぐちゃと音を立てながら波打つ人肉。

 

 それは治癒というにはあまりにも不気味で、常軌を逸した反応だった。

 

「――――――――」

 

 純エーテルの性質はあくまで治癒の〝促進〟、そしてあらゆる病や毒に対する解毒作用。

 

 この時代において男女問わず病気というものに頭を悩まされる心配はない。

 適性さえあるのなら多少の怪我でも放っておけば無事完治する。

 

 だがそれは、所詮ヒトの自然治癒を増幅させただけの効能だ。

 多少の傷なら修復してしまえる自己再生の延長線。

 

 そこそこ適性のある妃和たちであれば致命傷を受けても一命を取り留められるほど。

 もっと高い彼女たちの()()()であれば、半身を失っても一か月はそのまま生きていられる。

 

 ――ならば、アレはなんなのだろう。

 

『………………ばか、な』

 

 妃和のぼやけた視界に、信じられない光景が映り込む。

 

 止血やある程度の再生ならまだ分かる。

 男であろうと女であろうと適性から得られるメリットは一緒だ。

 それは悠自身が純エーテルを扱えるという時点で分かりきっていた。

 

 だからこそ度し難い。

 

 水気を含んだ音を立てて歪む両足。

 回帰か、再構築か、あるいは蜥蜴の尻尾みたいに。

 切断された足が、みるみるうちに元ヘ戻っていく。

 

「――あぁあッ!! もう限界だッ!! 止めてくれるなよぉ!! 止めてくれるんじゃあねえ!! 俺を――――、俺がッ――――そうだ! 俺はなァ!!

 

 完全に元通りになった足で悠が立ち上がる。

 ジャラジャラと巻き付いた鎖がいまになって似合わず音をたてた。

 

 そんなものを気にした様子すらない。

 彼が瞳に捉えているのはここにおいてひとつのみ。

 美鶴を切り落とした位置から動かず、悠を眺める羽虫一匹。

 

 

 

「俺はてめえがッ!! 気に入らねえぇぇええええッ!!!!」

 

 

 

 荒れ地に絶叫が木霊する。

 

 ビリビリと肌に伝わる大気の震え。

 憤怒の形相で怪物を睨みつける悠。

 そこに今まであった理性も恐怖も浮かびはしない。

 

 ……ゆったりとした動作で羽虫が振り返る。

 

 キチキチと忙しなく口が動いた。

 ソレらに発声器官は備えられていない。

 故になにを言ったのかも、なにを伝えたいのかも理解不能。

 

 相互関係は決定的に断絶している。

 ならばこそ、悠と羽虫の睨み合いは正真正銘殴り合いだ。

 

「――来いよ!! 虫モドキィ!!」

 

 挑発はゴングを鳴らすように。

 悠の声に反応して羽虫が四枚の翼を広げる。

 

 刹那の羽搏き。

 

 ばさりと空を掻いた怪物が、神速の鎌を振り上げた。

 その胸に、深く深く突き立てるように。

 

 

「――――ハ」

 

 

 

 ――だが。

 

 だが、本当に、今度の今度こそ。

 

 その鎌は()()()()()によって呆気なく弾かれた。

 

「ハハ――ハハハ――――」

 

 高笑いをあげる少年の声。

 その音は喜色に染まっている。

 襲い来る激痛と不調の波にいま一度感情の秤が壊れた。

 

「ハハハハハ! ハハハハハ――――!!」

 

 鎌を防いだのは少年の胸から生まれた刃だ。

 身体に巻き付いた鎖を断ち切って、絶死の一撃を受け止めている。

 

 ――その光景に、悠の笑顔がより一層極まった。

 

 狂い果てたような諧謔の笑み。

 真正面から悉くの正義を叩き潰すに相応しい悪人顔の哄笑。

 目と鼻の先にまで近付いた羽虫を直視して、彼は心底気分を上げた。

 

 

「ハハハハハハハハハハハハ――――ッ!!!!」

 

 

 身体中から剣が飛び出す。

 その本数は数え切れない。

 

 胸を、足を、首を、腰を、腕を。

 

 全身の至るところから血肉を裂いて、彼を縛ったモノを断ちながら現れる剣刃。

 

 

 

「アハハハハハハハハハハハ――――――――!!」

 

 

 

 まるでガラスを割るみたいに砕ける羽虫の鎌。

 罅ひとつ入らなかった超硬度の外皮に傷がつく。

 

 飛び出した剣は銃弾のように。

 びゅうと風を切りながら、隙だらけの羽虫へと飛来する――

 

「――ああそうかよ! そういうコトかよ!! なんつうモンだよオイ!!」

 

 歯を剥き出して悠が動く。

 その手をぶらりと宙にかざす。

 

 剣弾に吹き飛ばされ、地面を転がる枯れ木の羽虫。

 

 その身体に突き刺さった刃の数々が、一瞬にしてすべて消えた。

 

「ハハハハッ!! ああ良いぜぇ! やってやるよ!! そのためのモンだ! なあ、オイ!! そうだろぉが!!」

 

 身体全体を汚した出血がたちまち止まる。

 穴だらけだった悠は一秒と経たない間に無傷の肉体へと完治した。

 

 それは不思議なことでもなんでもない。

 彼にとっては当然のもので、この世界(じだい)にとっても当たり前のルール。

 

 純エーテルの寵愛は、どこまでも人の尊厳を踏みにじる。

 

「さぁいくぜぇ!! これがッ! 俺のォ!!

 

 神秘の粒子が集められる。

 天に掲げた悠の手にはなにもない。

 当然だ、そこに掴むのはこれから()()()もの。

 

 気合いと気勢は十二分に。

 彼は研ぎ澄ました感覚をもとに、純エーテルを手中におさめた。

 

 

 

鉄潔角装(ギアホルン)だァああぁあッ!!」

 

 

 

 ――やり方はこの目で確認した。

 

 できない道理はない。

 彼は純エーテルの扱いに関して間違いなく並の人間を凌駕している。

 

 ――構造は一目で把握できた。

 

 おそらくは生まれ持った適正値ゆえ。

 どうすればそうなるのか、理論立てて説明が出来ずとも彼は実践できる。

 

 鉄潔角装。

 

 それは本来、才能のある少女たちが数年に及ぶ鍛錬の果てに会得する技術だ。

 一朝一夕では成し得ない、純エーテルの扱いを極めた者だけの戦闘技能。

 ひとつの到達点にして、怪物と戦うために必要な最低限のラインがそこになる。

 

 その上で彼女たちには最奥と呼ばれる切り札があるのだが――そこはいまどうでもいい。

 

「ま、さか……流崎……ッ、おま、え……!?」

「――ぁ、あァ……ッ!? マジ、かよ……! 流崎、サン……!」

「ぇ、ぁ……ぅ……?」

「……あは、は……うそでしょお……信じ、らんないって……」

 

「おォぉオオおぉオおおオォおお――――ッ!!」

 

 

 その仕組みは極めてシンプルだ。

 自ら純エーテルを操作して、物質として変換しその場に固定させる。

 

 材質はなんでもいい、なにしろ正体は空色の光。

 鋼に見えようと木に見えようと本質はとんでもない神秘の塊だ。

 

 だからこそ、その扱いはとんでもなく難しい。

 物質として変換して固定するとは言うが、そんなイメージをそうそう確固たるものとしてやってのける人間は極少数だろう。

 イメージができたとしても技能が合わさっていなければ当然無意味になる。

 

 

 

 だからそれが、もしも。

 

 

 もしも、いきなり出来たのならば。

 

 

 

「オ、オ、オオ――――――」

 

 そいつはきっと、凡人ではない。

 けれども決して、天才とは言われない。

 

 言ってはならない。

 

 同種の規格を逸したものを、古くから人々はこう呼んできた。

 

 埒外の存在。

 同じでありながら理解の外にある異常者。

 

 

 

 ――――そう、自分たちと違う()()()だと。

 

 

 

 

「――――――らァッ!!」

 

 

 銀閃が光を断つ。

 

 ぎらりと揺れる神秘の刃。

 彼の手に集束した空色の光は、一本の剣と成って此処に現れた。

 

 あまりにも高い純エーテルの適正値が生み出した。

 

 

 ――――純潔の、怪物。

 

 

「さァ! 存分に殺り合おうぜぇ!!」

 

 

 口の周りを赤黒く汚してそれは吼える。

 毛髪はグシャグシャ、瞳孔はかっ開いたままに。

 絶え間ない激痛と身体の不調に襲われながら、生死の狭間を彷徨って。

 

 

()()に喧嘩を売ったコト、後悔させてやらごばッがぼッごえぇッげぼォ!!

 

「「「「流崎(サン)(クン)(さん)――――!?」」」」

 

 ここぞという場面で血反吐をまき散らした。

 

 いや、本気で格好がつかない。

 いまのはめちゃくちゃキマるハズだったのに。

 

 

 




負荷がしゅごい(なお


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2/『刀角を顕す』②

 

 絶え間なく脳髄を揺らす、金槌で打たれたような頭痛。

 開いた毛穴に溶岩を流しこまれたみたいな刺激が全身を襲う。

 

 手足の痺れは最早慣れたものだ。

 うっすらと残った感覚だけで、彼は立って剣を握る。

 

 口の中に広がる鉄の味。

 どくどくと不規則に脈動する心臓に活を入れて前を見た。

 

 ――標的は、視認可能らしい。

 

 ならばなにも問題ないだろう。

 平時なら顔をしかめる不調も、平時でなかろうと膝をつきそうになる激痛もなんのその。

 悠はただひたすらに気合いと根性だけで、正面に佇む影を見据える。

 

「――――――ハ」

 

 喜色に歪んだ表情はなかなか直らない。

 筋肉の動きと感情の動きがまるで合わないままだ。

 

 けれどいまはそれで良かった。

 おかげで、余計なコトを考えなくて済む。

 

「――――――、」

 

 羽虫が翼を広げる。

 相対する悠も鉄潔角装(えもの)である剣を構える。

 

 両者の動きはほぼ同時に。

 

 音を抜いて翔け出したのは、枯れ木色の白い残像。

 

 両腕を粉砕されてなお、それは人間を殺さんと飛びかかり、

 

「ひひ」

 

 予想より半分も早く、その顔と対面した。

 

「ははははははッ!!」

 

 硬い外皮が削られる。

 切り裂かずとも深く刻まれた剣閃。

 この場に於いて明確な決定打を持つのはたったの一人しかいない。

 

「んだよオイ!! ビビってんじゃ、ねェ――――ッ!!」

 

 これ以上踏み込むのは愚策だ。

 そう悟ったのか、羽虫が翼を反転させて後ろへ飛ぶ。

 

 ――――それに。

 

「逃げんなァ!!」

 

 それに、追いつく人影がある。

 

 前述のとおり羽虫の飛行速度は音を越えている。

 数値にしておよそ秒速十万キロ。

 雷にも近い神速を人間サイズで出すことのできる脅威は、真実彼らにとって触れられぬ流星のような天敵だ。

 

 ならば、どうしてこの男はそれに追いついている――?

 

「どうしたぁ!? 驚くコトじゃあねえだろぉ!!」

 

 振り下ろされる斬撃を砕けた鎌が防ぐ。

 推進力の合わさった重みが外骨格(フレーム)を歪ませた。

 

 ――そう、推進力。

 

 ただ力押しに打ち込むだけではない。

 目を凝らせば。

 

 悠の背後から、バーナーのように噴射される空色の純エーテルが――

 

「てめえが態々見せ(おしえ)てくれたんだろうが! ありがとうよ感謝するぜ!! でもって死ねや虫モドキィ!! 大人しく砕かれちまえ――――!!」

 

 言いながら、悠は剣に渾身の力を込める。

 彼がしているのは簡単なコトだ。

 

 指や手から打ち出していた活性化状態の純エーテル。

 建物の壁とか装甲車の部品ぐらいなら壊してしまえるそれを、背中から放出させることで自らの足りない機動力を補ったに過ぎない。

 直線軌道が限界ではあるし、なにより一時的なモノではあるが、その時ばかりは彼も羽虫と同じ領域に身を置く生命体になる。

 

 無論、身体の負担については度外視だ。

 内蔵が何個潰れようと意識を失おうと、純エーテルが溢れる限り肉体は再生されるのだから。

 

「らあぁぁあああ――――――ッ!!」

 

 わずかに残された鎌に罅が広がる。

 ここに来て両者の力関係は完全にひっくり返った。

 

 悠は上、羽虫は下だ。

 

 弱肉強食が自然の摂理。

 逆転した天秤は、そう簡単に戻せるものでもない。

 

「ハハハハハ!! ああ気分が悪い! 最悪だな! 吐きそうでドキドキすらぁ!!」

 

 反面、胸にはこれまでの鬱々としたモノを吹き飛ばす色が溢れている。

 

 ボロボロと崩れていく己の身体も、

 ブチブチと千切れていくどこかの大事な繊維(ナニカ)も、

 いまこの瞬間においては全部が快感のフレーバーだ。

 

 収容所で精液を搾り取られた時でもこんなモノは感じなかった。

 

 命の使い道。

 生きるというコト。

 死なないというコト。

 

 その本質に触れる。

 

「――あぁ!? どこへ行く!! 虫モドキィ!!」

 

 さらに逃走を謀る羽虫に向かって悠は叫ぶ。

 

 意識は背中のなにもない空間へ。

 攻撃に転用していた神秘の粒子を加工せずに解き放つ。

 

 爆発する青の閃光。

 羽虫の飛行から学んだ純エーテルのスラスター。

 

「てめえが四枚ならこっちは()()だ!!」

 

 六つの噴射口から空色のエネルギーを放出しながら悠が追随する。

 

 ゴキゴキと骨の砕ける音。

 脳からの電気信号が一瞬、バツンと断たれた。

 

 心臓が止まる。

 血液が逆流する。

 内臓が幾つか潰れたようだ。

 

 バラバラになった肋骨が肺に刺さって息ができない。

 

『――――――――――』

 

 かかる負荷は当然のものだ。

 ヒトの身のままにヒトを越えた出力を出せば、いくら治癒があるとはいえ壊れる。

 

 痛覚とは生命の危険信号だ。

 命ある限り、その活動が失われる可能性は存在する。

 

 それは異様なまでの回復力を見せた悠でさえ例外ではない。

 全身をくまなく消滅させられるか、あるいは治癒が間に合わないほどの傷を負えば死んでしまえるだろう。

 

『――――――ッ!!』

 

 そんなのは分かっている。

 理解した上で彼は無理を押し通すと決めた。

 

 ……そうだ、間違ってはならない。

 

 一体なにが怖くてなにが嫌なのか。

 そこは誰にも触らせない、個人の不可侵領域。

 

『――――ぁ――――あ――――!!』

 

 死ぬのが怖いのか。

 違う。

 もとより身勝手に生きようとしている愚か者だ。

 施設を抜けだした瞬間から、彼は無意識のうちに生命の終わりを予感していた。

 

 痛いのが嫌なのか。

 それも違う。

 たしかに腹が立つぐらい思考のノイズになるが、それは大きな問題ではない。

 

 多くの痛み、多くの傷。

 多くに溢れる死の感覚が、彼の(こころ)に火を点ける。

 

「――あぁはははッ!! 見えたぜてめえッ!!」

 

 そう、彼は。

 最初からそうだったように。

 

 この命の使い道は徹頭徹尾己自身のため。

 他人に回す余裕なんて許さない、と少年は嗤った。

 

 まったく捻くれているにもほどがある。

 バカでクズで救いようのない人間だ。

 

 ――――それでも。

 

「何度も言わせんなッ!! 逃がすかよぉ!!」

 

 それでも、譲れない意思(モノ)がある――!

 

「ハハハぁ――――!!」

 

 バギン、と羽虫の頭を砕く一刀。

 西瓜割りを彷彿とさせる唐竹割りが見事に刺さる。

 

「――――あァ!?」

 

 けれどもそれは決定打になりえない。

 中身のない羽虫は硬い外皮を歪めて笑う。

 

 脳みそがあれば別だろうが、ソレらは正真正銘異形の怪物。

 生物と同じカタチをしていても、構造はまったく違う化け物だ。

 

「てめえッ!! どこまでもぉ!!」

 

 顔面を蹴り抜いて強引に刃を抜く。

 神秘で出来た刀剣は多少雑に扱おうと刃こぼれ一つ起こさない。

 そのまま悠は再度得物を構えようと――――、

 

「ッ、なんだぁ!?」

 

 ギッと、木材の軋む音を聞いて固まる。

 数メートル先には飛ばされた羽虫。

 その右腕がわずかに掲げられていた。

 

 手首に巻き付いているのは蔦のような細い木の腕。

 槍として使えなくなってもまだ、その用途は残っているらしい。

 

「この――猪口才なァ!!」

 

 両腕から剣刃を生成して拘束から逃れる。

 

 鉄潔角装の応用だ。

 物質として固定できるのなら、身体の内側から生やすことだって当然可能。

 

 もっともめちゃくちゃ痛いし血はドバドバ出るので彼にしかできない反則技なのだが。

 

「いい加減にしろや虫モドキ!! いつまでも出張ってんじゃねぇッ!!」

 

 純エーテルを噴かして距離を詰める。

 

 今まで多くのヒトを殺戮してきた人類の天敵。

 木々の羽虫。

 枯れ木色の小さな脅威。

 

 それがどうだ。

 

 たったひとりの男を相手に、こうも蹂躙されるなど――

 

縺ゅ≠縲√ワ繝ォ繧ォ縺上s――――

 

 羽虫の口が何事かと動く。

 頭の中に疼くような音が聞こえる。

 

 ――関係ない。

 

 もはや敵の首は目の前、これを取らずにいられようか。

 悠は振りかぶった剣もそのままに、猛然と突っ込んだ。

 

 

 

「おぁぁああああああああ――――ッ!!」

 

 

 

 断頭台の刃は鮮烈に。

 

 羽虫の首が宙に舞う。

 

 処刑人は澄んだ青の尾を引いて、勢いを余らせながら地面を滑った。

 

 砂塵と一緒に純エーテルが撒き散らされていく。

 

「――――――――」

 

 ピクピクと痙攣する枯れ木色の身体。

 ふと、それが風に揺られてぐらりと傾いた。

 

「――――げぼぉッ!!

 

 堪えきれず悠の口から大量の血液がこぼれる。

 

 己の身体のコトは己が一番熟知しているだろうが、いまはそんなコトすら分からない。

 無理をしすぎだ、見える部分はおろか内側だってボロボロだ。

 

 治るとはいえ治りきる前に壊していてはキリがない。

 さしもの彼でもしばらくは呼吸をするのに手一杯だろう。

 

「えほっ、ほっ……お、げぇ……ぇえぇおごぉ……!」

 

 ひゅーひゅーと情けなく息をする。

 ともかく、これにて一旦脅威は去った。

 頭と胴体を別たれた羽虫は、そのまま荒れ地に崩れ落ちて、

 

 

 

 

 

 

「――――――……?」

 

 

 掠れ掠れの声で悠が呟いた。

 

 切られて頭をなくした身体。

 その、人間でいう首の断面から花弁が散っている。

 

 ぽふん、ぽふん、と。

 

 紫色の花が。

 

「――――――――――!!」

 

 大地が砕ける。

 荒れ地に枝葉が浸食する。

 

 もはや虫のカタチなんて残っていない。

 それは根を張る植物のように、全身の枝葉を周囲へ伸ばした。

 

「ッ、て、めえ! ざけんなよぉ!!」

 

 言いながら、迫り来る触手を切り払う悠。

 純エーテルはまだまだ使えるが、流石に体力は限界を超えている。

 

 おかげで何発か喰らった。

 身体にぽっかりと穴が開く感触。

 歯を砕かんばかりに噛みしめて痛みを押さえつける。

 

「――――――ッ」

 

 焦るコトはない。

 アレは変化したように見えただけで真実は自壊だ。

 本来想定されていない、楔から解き放たれただけの力の暴走。

 

 現に伸びる枝葉の威力は羽虫状態の時より落ちている。

 厄介なのは単純な手数の多さと、

 

『圧巻だなぁ……おい……!』

 

 見上げるほどに大きくなったその巨体。

 

「ちょッ――!? な、なにこれぇ!? あ痛ぁ!? 怪我ッ、やば! 死ぬ!?」

「隊、長ッ……! うる、せェ……! 元気ありあまってんじゃ、ねェか……!」

「ッ、流、崎……ッ! 流崎ッ、おまえ……ッ!!」

「――――ぇ、ぁ……ぅわ……なん、ですかコレ……ユメです……?」

「ハハッ……んだよあいつら。いや、しぶといな。っていうと言い方悪いか。根性据わってんな。流石によぉ」

 

 荒野に一輪の花が咲く。

 無数に伸びた木の触手を携えて。

 

「……あぁ、でも、そうだよ。()()()()()

 

 そうして彼は、笑いながら。

 

「――()()、そっちのほうはあんまり嫌いじゃないな」

 

 ぽつりとひとりこぼす。

 誰に言うでもなく洩れたその一言は、彼以外に届かぬまま空へ消えていった。

 

 

 




基本的に男の子はボロボロになればなるほど美味しい。最後まで足掻きながら死んだらサイコー。実を言うとそんなスタンスの本作です。


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2/『刀角を顕す』③

 

 

 

 ――かつて、まだ人間という種族が生まれてもいなかった頃。

 地上を覆い尽くした植物は、今以上の大きさを誇って茂っていたという。

 

 そんな時でさえこんなモノはなかっただろう。

 

 身体を構成していた枝葉をぐるぐると伸ばして、地中に根を張りながら肥大化する花。

 一昔前の特撮作品もかくやという不気味さは言葉にしがたい。

 

 高さはすでに五十メートルを超えている。

 ちょとしたビルぐらいなら追い抜いてしまえるほどだ。

 

 頭に特大の花を乗っけて、無数の枝葉(しょくしゅ)を広げる成れの果て。

 

「……しかし、でかくなっただけか? 些かつまんねえなッ!!」

 

 純エーテルの羽で飛び上がる悠。

 

 狙ってくださいとばかりに飾られた(アタマ)はおそらく弱点だろう。

 なら簡単な話、それをぶった切ってしまえばいい。

 

 少し前までなら位置が高すぎてどうにもできなかっただろうが、純エーテルによる飛行を覚えたいまなら楽勝で潰せる。

 

「――――って、やっぱそうくるよなぁ!!」

 

 即座に迎撃態勢に移行する木の枝。

 ぐねぐねうねうねと曲がりながら、羽虫の腕と同じ要領でそれらが射出された。

 

「そいつは見切ってらぁ!!」

 

 我武者羅に刃を振り回して悠が枝葉を凌ぐ。

 

 今更な話、彼に戦闘経験というものはない。

 得物の扱いだけで言えば第三部隊の面々に手も足もでないド素人。

 

 そんな彼が戦えているのは偏に才能・素質の暴力だ。

 余りある純エーテルとその扱いだけで少年は一時的な強者として君臨している。

 

「――ッ、おい! またかよ拘束(コイツ)もぉ!!」

 

 だからこそ搦め手にはめっぽう弱い。

 というか搦め手に対する手段がごり押しという時点で絶望的に弱い。

 

 ちょっと伸ばす枝葉の数を増やして手足を縛れば三秒、五秒――長くて十秒間、彼はその位置から動くことができなくなる。

 

 敵のほうもそのあたりをきちっと学習したようだ。

 ぐるぐると全身を縛られて「ふんぬぐぎぎぎぃ」と剣を生やす悠。

 

 そして、それだけの時間があれば向こうも追撃を仕掛けられる。

 

「ごッ――――!?」

 

 土手っ腹から貫くような衝撃が走る。

 巻き付けた枝葉もそのままに殴りつける木造(どんき)の槍。

 飛翔時よりも数倍速いスピードで吹き飛ばされた悠は、とんでもない轟音と共に地面へ叩きつけられた。

 

「ばッ、ばぁ――!? ……ッ、おぼっごぼぉ……!!」

 

 大地に亀裂を走らせる二個目のクレーター。

 中心には蓑虫みたいにピクピクと痙攣する男子の姿がある。

 羽虫の時より何倍も強い力は彼自身想定もしていなかったろう。

 

 ……まあ、単純な話。

 色々な理屈とか理論とか様々な観点からそうとは言えない場合も多いのだが。

 

 めちゃくちゃシンプルな考え方として、でかい奴は強いのだ。

 

「りゅ、流崎――――!? ちょっ、大丈夫かおまえ!? なんか凄いことになってないか? ああもうほら、ハンバーグとかつくれそうだぞおまえの肉で!」

「か、ぁ――――ヒ――ヨ、リィ! おかしな、コト、言ってんじゃねぇええッ!! というか、てめえのほうが無事かよちくしょうッ!! ムネぶっさされてたじゃねえか!!」

「ああ! なんとかっばぁ!? ――――なんとかッ、いける……!」

「いけねえよッ!! 怪我人は大人しくしてな! どいつもこいつも!! でもって!」

「なんだッ!?」

「離れとけ! コレ、解くからよぉ!」

「! わ、わかった!」

 

 さっと離れる妃和を確認して、悠がぐっと全身に力を込める。

 

「――――ふんぬッ!!」

 

 バギン! と剣山のごとく突き出る刃。

 バラバラと断ち切れる枝葉を見る限り、強度のほどはそこまで変わっていないようだ。

 これならまだなんとなる――と、悠はいま一度飛び立とうとして。

 

「……あ?」

 

 剣を握った手の甲に、見慣れないモノをみた。

 

 できものだろうか。

 蚊に刺されたときのような腫れ物。

 サイズは大きい、というかむしろどんどんと大きくなっている気がする。

 

「――違ぇッ! これ蕾か!? いや蕾だな!? 間違いねえ! なんでか分からねえが確信できるぞこいつ!!」

 

 その推測通り、腫れ物は肌色から紫色へと変色していく。

 人体から生えて異様な膨れ方をする花の蕾。

 どういうコトか、と空を見上げれば一目で理解した。

 

 遠く天辺に鎮座する開いた花弁。

 そこから垂れ流されている、なにやら大気を曇らせるものは――

 

『――花粉だと? それでヒトに? いや待て。んなもん植物じゃ……ああいや違う、植物じゃねえ! 化け物だもんな! なんでもありかッ!!』

「――――が、ごほっ! げほっ、えほっ!!」

「! ヒヨリ!」

「りゅ、流崎。なんだか、気分が。というか、息が、できな――くるし――」

「……あのくそ(ハナ)モドキ」

 

 見れば彼女の身体にはすでに紫色の花々。

 ちっ、と舌打ちしながら悠は全身に純エーテルを巡らせる。

 

 普段から体調不良(そういうの)に慣れていたせいで気付かなかった。

 多少の気分の悪さ、頭痛、吐き気、目眩、手足の痺れなんて男にとってはいつものコトだが、純エーテルの悪影響を受けていない少女たちからすれば異常でしかない。

 

「――――が、コイツもアレだろ。ちょっとばかし別物だが、身体にとっちゃ毒だ」

 

 ごう、と悠の身体から炎のように空色の光が立ち上る。

 射撃、噴射の応用で全身から放出した純エーテルは、瞬く間に手の甲の蕾をかき消した。

 

 ついでに、傍で倒れていた妃和の身体からも。

 

「――す、すまない」

「いいやまぐれだ。気にすんな。悪い。てめえ以外にも効果あるってコトはそういう認識じゃねえな。単純に純エーテルの出力で無くなっただけみたいだ」

「……? 解毒効果ではなく、ということか……?」

「だな。試しにやってみろよ、ヒヨリ。こう、全身からばーっと。出せるだろ?」

「で、できないぞ私。そんなの。というか、そんな使い方聞いたコトもない!」

「諦めんなよ鉄潔角装(あんなの)出せんだから出来ねえワケねえだろ!」

「無茶だ!」

「無茶じゃねえッ!!」

「いやちょっと二人ともなにイチャついてんのかナァ!? 上ッ! 上ーッ!!」

「「!!」」

 

 見上げた視界には枝葉(しょくしゅ)の束。

 落雷じみた攻撃は一直線に悠たちへと向かってくる。

 

「こ、こなくそォ――――!」

「えッ、ほぁあっ!?

 

 咄嗟に妃和を抱きかかえて地面を蹴った。

 背後からは爆発でも起きたのかという衝突音。

 ぐらぐら揺れる大地を全速力で駆け抜けていく。

 

りゅ、流崎っ、あの、なんだ、あの、あれ

「あぁ!? なんだよ! はっきり言えはっきり!」

いや、これ、あのっ、その、流崎? 流崎??

「それだけじゃ分かんねえ! 俺ぁ馬鹿だからよぉ!」

「――――――っ、いや! なんでも、ない!!」

「そうか!!」

「う、うんっ!!」

 

 なんともらしくない(うんっ! とかいう)返事をしながら妃和は黙って彼の首へと腕を回した。

 

 特に他意とかはない。

 ない筈である、だって落ちない為であるのだし――などと自分に言い聞かせて。

 

 ほっぺたとか耳たぶとか赤いのはちょっとした体調不良だ、たぶん

 

「――っとぉ! おいおい! 揃って元気な顔してるよてめえら!」

「皮肉カナー、流崎クン? 私の足見えない? ぶった切られてるんだけどぉー? てかそれお姫さまだっこ?

「あたしなんざ腹ァ開かれてんぞ……くそがよォ……つうかなんだ、妃和、おまえそれェお姫さまだっこかァ?

「私も腕ないですよぉ……うぅ……泣きたい……というか、妃和先輩なんでお姫さまだっことかされてんですか……?

「いや、これは、だって、その。……流崎、が

 

 ぽつぽつとこぼす妃和に、悠が「うん?」と首を傾げながら彼女を下ろす。

 

「あん? なんだよ、抱き方が気に入らなかったのか。悪い、急だったからそこまで考え回んなかった。そうならそうと言やあいいのに」

そ、そういうワケでは、ない、と……思う、んだが

「?? 歯切れ悪ィな」

私も、なんだ。ちょっと分からない。なんでだろうな。ほんと……なんだろうな……

「あっはっは。ギャグかな? でも非常時だもんネー。気持ちはちょっと分かる」

 

 いまや絶滅危惧種を通り越して神話か幻に片足つっこんでいる男女関係だ。

 美鶴だってあと十歳若いか、一般隊員のままだったら危なかったろう。

 

 ()()妃和が、という疑問はあるがそこはまあ人の事情である。

 なにが起こるか分からないのが恋愛、青春、果ては人生というもの。

 

 うんうんと何やらのほほん頷く美鶴だが、その足は当然失われたままだった。

 色々とヤベえな戦闘部隊(コイツら)、という悠の内心はおそらく間違ってもない。

 

「ケド、今は先にやるコトあるのも事実だよ。でしょう、流崎クン?」

「……アテにしてんのか? 言われなくてもぶっ潰せるぜ、あんなの」

「そりゃ頼もしー。でもさっき叩き落とされてたでしょ。あれじゃいつまで経ってもダメだと思うヨ。なにしろあいつ、移動砲台じゃなくて固定砲台に変化したみたいだし?」

 

 それつまり迎撃特化ってコトじゃないの? と美鶴は人差し指を立てて悠に説く。

 

「……ああ、そういう。すげえ、隊長サン、頭めちゃくちゃ回るんだな」

「お世辞はいいってー。これでもめちゃくちゃガンバッて考えてるの。――でもってぇ、その防御性能をガン上げした相手をどうにかするって場合、ひとりだと単純に分が悪い」

「つまり、なんだ?」

「私たちで露払いしてあげるから、その隙に本体ぶっ叩いてほしいんだよ、男の子」

「正気かよてめえ」

正気だよ。うん。全然正気。というかこれ以外にないから、可能性とか?」

 

 ギッと悠の視線が鋭くなる。

 対する美鶴の様子はからから笑うだけで変わらない。

 

 ……その笑顔の奥にとんでもないモノが渦巻いているとしても、表面上は朗らかだ。

 

「てめえ自分の体のコト分かってんだろ。死ぬぞ」

「そうだね」

「そうだねじゃねえッ! なんだ、自殺願望でもあんのか!? いいから怪我人は大人しくしてろッ! むざむざ命を使い捨てる必要がどこにある!」

「アレを倒せるならお釣りがくるケド、流崎クン?」

「ざけんなッ! やっぱ〝なし〟だ! 頭悪ぃのかてめえ! 俺ひとりでいいッ!」

 

 くるりと背を向けて歩き出す悠。

 話にならないと眉間にシワを寄せる姿はなんとも分かりやすいことこの上ない。

 

 言い方の問題はあれ、そこにあるのは彼なりの気遣いだ。

 けれども、そんなものは今更すぎる。

 彼女たちにとってしまえば余計なコト。

 

「ふぅーん? 君が四苦八苦してる間眺めてろって言うんだ。酷いナー」

「なんだよ」

「どのみちそれ、私たちは死ぬからね。こんな体であの枝葉(しょくしゅ)を避けられるとお思い?」

「…………あんた」

 

 ひらひらと美鶴が右腕を軽く振るう。

 

 乱雑に破かれた黒い制服の下。

 露わになった血液交じりの白い皮膚には、群生するように咲く紫色の花が見えた。

 

 ……本当に、正気じゃない。

 彼女の顔はすでに真っ青で、気分の良いところなんて声色ぐらいなものだった。

 

「これ、どうも生気を吸い取ってるみたい。養分にされちゃってるワケだね。あっはっは、植物人間……はまた意味が違うから、人間植物? いやあ、新人類だねぇ」

「アホ言うな。無理してんなよ()()()()。任せろ、いま焼く」

「いいよ、どうせ純エーテルのお陰で死にづらいから。それに――――」

「!!」

 

 美鶴が槍を出すより早く、言葉の端から察した悠が後ろを向く。

 

 振り抜かれる鉄潔角装。

 木片を散らす剣閃は誰にも阻まれない。

 

 最初は羽虫の槍ですら反応できなかった少年が、いまではこの有り(よう)だ。

 荒々しいだけの太刀筋に泥臭いド素人の戦闘技術はともかく、呑み込みはとんでもなく良いほうだろう。

 

 だからこそ、美鶴としてはこの人材をここで失うなんてありえない。

 

「――それに、時間もない。大丈夫、安心して。道はちゃんと拓くから」

「うるせえ、安心なんざできるかよ。……全員守りながらアレ叩きゃ済む話だろ」

「それこそ無理だよ。いまの流崎クンにそこまでの技量はないと思うな? いくらキミが化け物じみた人間だとしても」

「………………、」

「……あとはまー、もーちょっと色々、理由とかあるんだけども? まあ、その辺はね」

 

 口にしたところでつまらない、と美鶴は軽く微笑んだ。

 こんなご時世、確固たるものとして頼りたい概念もあれば、すでに風化した知識の類いもごまんとある。

 

 男だから、なんてのは古すぎたらしい。

 

 故にきっと、それは彼が彼であるために。

 

「――適当な墓しかつくってやれねえぞ」

「いや、それで結構。ほんと十分。最高だよ。ふふ、お姉さん年甲斐もなくちょっと胸がドキッとしちゃった。あっはっは」

「お姉さん?」

「まだ二十一歳だからネ! 私! そんなに老けて見えるカナ!?」

「違えよ。なんならもっと若いと思ってた」

「そっかー! うんうん! いいね! よし! 張り切って死ねそう!

「……ほんと、正気じゃねえ……」

 

 はあ、と大きく肩を落とす悠。

 浮かない表情はそのままに、彼の視線はすでに鋭さを増している。

 

 研ぎ澄まされた五感が伸びていく。

 握り絞めた剣の柄がギリギリと音をたてた。

 

 ……決断は、きっとそうなる前、彼女との問答を終えた瞬間から。

 

「あらら、命を賭ける女の子は嫌いかな?」

「馬鹿言え、大好きだ。覚悟があんなら尚更良い。ただ目の前で人に死なれるのは嫌だろ」

「慣れるしかないよ、そのあたりは」

「慣れたくねえな。絶対に」

「そっか。――――預けたよ、流崎クン」

「持っとけ」

「ふふっ、いや。やっぱりいいね。なんとなく妃和の気持ちも察する」

「ああ?」

「なんでも?」

 

 お互いに首をこてんと傾げながら向き合うふたり。

 噛み合っていないようで絶妙に噛み合っている話の不思議さか。

 

 ――作戦は決まった。

 これからの問題はその成否。

 

 遙か上空で咲く巨大花は、当然そんなコトを知らずにゆらゆらと揺蕩っている。

 そんな暇が続くのもここまで。

 

「――んじゃあ、なんだ。正直長ぇし、十二分に()()の足は引っ張ってくれてるし」

 

 くつくつと、花を見上げて悠は笑った。

 

「そろそろ羽虫(てめえ)の相手も飽き飽きだ。ここらで盛大に腐り落ちて、このあたりの腐葉土にでもなりやがれ――!!」

 

 空色の羽を広げて少年が空を翔ける。

 

 ほどなくして訪れる終わりを予感しながら、彼はいま一度笑みを浮かべた。

 

 カーテンコールは遠くない。

 どちらにせよ、決着がつくのなら短時間のうちに。

 

「さぁ――ぶちかますぜッ!!」

 

 

 

 



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2/『刀角を顕す』④

 

 

 

 

 

 命を賭ける理由がどこにあるのか。

 人生を捧げる意味がなんにあるのか。

 

 その漠然とした疑問に、鮮烈すぎる笑顔で返した少女を美鶴は知っている。

 

『さあ、そんなのは知らないよ?』

 

 軽い口調で、晴れやかな表情で。

 あまりにもこの時代に似つかわしくない精神(ココロ)を持ちながら。

 

『大体、美鶴は深く考えすぎじゃない? その堅物思考は直したほうがいいナー。うん、だってそうでしょう? 最初からなにもかも答えが出るのなら、私たちが生きてる意味はまったくないワケなんだし?』

『……一言余計だわ。貴女こそ、その短絡的な思考はどうなのよ、境香(きょうか)

『私は私だからこれでいーの。そもそもアレよ、アレ』

『どれ?』

『世界は数学かって話? 公式とか方程式とかマジで意味分かんないよねって、あっはっは!』

『は?』

『おっとっと顔が怖いネ。体調不良?』

 

 くすくすと声を押し殺して笑う少女。

 その態度がどこか気に入らなくて――当時は本当に心底ムカついて――あまり好きではなかった。

 

『……貴女に相談したのが間違いだったようね。もういいわ』

『探せばいいんだよ』

 

 だから。

 その言葉に籠められた想いとか、それこそ重さとか。

 色んなものが溢れた音に、心臓を殴られた。

 

『……探す?』

『分からないのは仕方ないさ。だからって分からないままっていうのは、そうだねぇ……ちょっと違うんじゃない?』

『それは……そうかもしれないけれど』

『だから探そう。命の在処も生きる意味も、それこそ人生の使い道も! そのほうがきっと生きてて楽しいヨ? てか私はそうするナー』

『……しっかりしてるのね、貴女は』

『そうでもないそうでもない。この前とか下着忘れて戦ってたし! おっぱいちょう痛かった』

 

 彼女の個人的な(くそどうでもいい)話題を聞き流しつつ、美鶴は思案する。

 悩んでいたかどうかでいえば、間違いなく己の心情は翳っていた。

 それこそ生涯を賭しての命題かもしれないと思ったぐらいだったのに。

 

『……やっぱり、苦手だわ。貴女』

『え、ちょっ、マジ傷付く……なんで? 相性的な問題? というか部屋も同じで配属先も同じなのにそれ言っちゃうの? あっはっは、つらぁ……』

『…………』

 

 ……本当、なんなのだろう。

 

 ケラケラヘラヘラと笑うだけ笑っておいて、

 笑顔は絶やさないクセして声音に真剣味は乗せて、

 態度も気にくわなければその性質もちょっとアレだ。

 

 他人の悩みを、そこらの雲を吹き飛ばすように晴らしてくれやがった。

 

『……でもさ、ふふふっ』

『なによ』

『イイ顔になったじゃん美鶴。よかったよかった。――うん。そうだね、私、そういう人の顔は見ていたいよ。だから、それが私の探し物かもしれない』

『……貴女の? それって、どんな』

『えー、言葉にするのは難しいナー……あえて言うなら人? 会話? というか、こう、モノのつながりみたいな織物? イマイチピンと来ない……シンプルに、笑顔?』

『笑顔』

『まあ、そういうカンジ。なんて言う(ゆー)か、いいよね。誰かと話して、こうして繋がるワケよ、人間。私、それめっちゃ素敵なコトだと思うんだよね! あっはっは!』

 

 少女の笑い声は続いていく。

 ずっとずっと、彼女の中に響き続けている。

 

 とっくに終わった昔の夢。

 痛みと、心を折りに来た現実を前にそれを見た。

 

 ……本当、なんだったのだろう。

 

 こんな似合わない言葉遣いをして、

 こんな似合わない真似までして、

 もう何年も前に死んでしまった誰かの影を見続けている。

 

 結局彼女は、最後まで探し物を手に入れられなかったろうに。

 

『良いんだよ。私はもう、手にいっぱいだし? 先行くね? あーダイジョブ。心配しないでくれるカナ? これでも、心残りひとつないから! だってさ、こうして生きてきただけで、私の人生は満ち足りてたよ! うん!』

 

 その意味が、あのときはひとつも理解できなかったけれど。

 

 ――ああ、いまなら、すこし分かる気がする。

 

 彼女が求めていたコトも、自分が求めたナニカも。

 どこか遠くにあった願い星は、いつの間にかこの胸にするりと落ちていたらしい。

 だから、

 

「――私も、ようやく見つけたワケだ」

 

 きっとこんなのは自己満足。

 それでもいい、と美鶴は笑って瞼を開けた。

 

 失った足は安すぎる。

 この身体も、この命も、この瞬間に燃え尽きるために残っていれば十二分。

 

 なんでもない自分がそれをするに値する可能性を、この目で見たのだから。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 飛翔する少年に迫る木槍を、美鶴は鉄潔角装を投擲して撃ち落とす。

 

 片足でまったく力の入らないフォームでもなんとかなるのは耐久性の低下だ。

 無理な変化をしているからか、巨大花の枝葉は羽虫と比べて脆い。

 増しているのは質量と手数ぐらい。

 

 一回り以上に太い枝葉と、全方位へと伸ばされる無数の触手が接近を拒んでいる。

 

「――――ぐ、ふぅっ……!」

 

 が、それ以上の問題が撒き散らされる花粉だ。

 吸い込んだ人の肉体を苗床に成長する紫の花は、全身の至るところに咲き誇る。

 

 悠曰く純エーテルで〝燃やす〟コトは可能らしいが、彼女たちにそんな技術はない。

 おそらくではあるが、あの芸当は彼の適性の高さ故に可能な特権行為だろう。

 

 並みの域を出ない人間には再現不可能な代物。

 となると、この花に蝕まれた時点でやりようは決まっていた。

 

 ――彼に燃やしてもらう? ありえない。貴重な戦力だ。

 

 ――全員で生き残る? それも最早ありえない。なにせこんなにも身体はボロボロだ。

 

「……ッ、そう、ありえない、でしょう」

 

 大槍を構えて上を向く。

 

 生きるコトを諦める。

 それはきっと彼にとって、許しがたい選択だった。

 目の前の人間が関係の薄い誰かでも怒ってしまうほどに。

 

 だからこそ、彼女はその行為を良しとした。

 

 優先するべきものはなにか。

 命を賭ける理由はどこにあるのか。

 人生を捧げる意味がなんにあるのか。

 

 いま一度自分に問うて、間違いない答えを叩き出した。

 

 この場で守り抜くのなら、それはただひとつ――

 

「――全員ッ!! 流崎悠を援護!! 彼に枝葉一本触れさせるな!!」

「……ッ、オイオイマジかよ隊長ォ!! 本気なんだなァ!?」

「そうだけど!!」

「どうしてこうなるんですか!? ちょっと!? 説明してください妃和先輩!」

「私に訊くなッ! とにかく――流崎を()()のは、おそらくアリだ!」

「そういうコトッ!! いい!? 男とか女とか関係ないよ! あの子には生きてもらわなくちゃならない!! 絶対に!!」

「根拠はなんだァ!? そこまでやるワケは!?」

「私がそう思ったからネ!!」

「ふざけてんのかァ!?」

 

 声を張り上げながら、脇腹をおさえて立ち上がる竜乎。

 彼女の怪我はいまだ治りもしていない。

 

 わずかだが切られた箇所からまだ血が滴っている。

 おまけにもう紫色の花が咲き始めている始末。

 それは当然妃和と柚葉もそうだ。

 

 この場に於いて、あの怪物を打倒できる者は一人しかいない。

 

「だがよォ! あたしだって戦闘部隊の一員だ! しょうがねえから命ぐらい賭けてやらァ!」

「――――ッ、ああもう嫌ですよぉ! 死にたくないッ! 死にたくないのにッ!!」

「流崎が死ぬのはもっと駄目という話だろう! 大いに賛成だ!」

「そうッ!!」

 

 再生成した大槍をいま一度投げながら美鶴が叫ぶ。

 

 まともに動けるのが妃和と柚葉のふたり。

 そのうち万全の体勢で攻撃できるのは妃和のみだ。

 

 胸を刺されたのは重傷だが、急所を外れたのは大きい。

 残った蝋燭の数でいえば彼女がいちばん多いとも言える。

 

「竜乎はあたしと一緒にここから迎撃! 柚葉は鉄潔角装(ライフル)で狙って! 唯一の飛び道具だからね! 妃和はどう! 流崎クンについていける!?」

「少し厳しいかと! そも、あいつの速度には!」

「じゃあ花の(からだ)! 登れる!?」

「それは、なんとか!」

「よし、ならそのルート! 全員気合い入れていくよ! ここ、まず間違いなく正念場だから!!」

 

 美鶴の声に準じて各々が戦闘態勢に入る。

 

 個人個人の意思はともかく、第三部隊の面々が導き出した結論は同じ。

 守る対象としてではない。

 男だからなんて理由でもない。

 それは至極真っ当な、考えずとも分かるコトとして。

 

 たったひとりで羽虫を斃し、いまなお奮闘を続ける少年。

 

 それが人類にとってどれほど、

 反抗勢力(かのじょら)にとってどれほど、欲しいと願ってやまないものか――

 

「――ほんと、化け物だ」

 

 天才と呼ぶにはあまりにも失礼すぎる。

 神童だなんて言うにはなんとも悪魔的だ。

 

 なにせ彼の才能は真実常識を覆す類いのもの。

 あるべき現実を簡単にねじ曲げる祝福(のろい)の塊を、英雄(バケモノ)と呼ばずなんというのか。

 

 空を舞う純エーテルの翼。

 悠は刃を振り回して高みに鎮座する花へと向かっている。

 

「だからこそ、生きてもらわなくちゃしょうがない――!!」

 

 渾身の力で投げられる大槍。

 肩が壊れるのも、傷口が開くのも無視した捨て身の投擲。

 

 それしかできないからこそ、美鶴はその行為に自身のすべてを焼却する。

 

 生き残るなんて気は毛頭ない。

 ここで死んでも構わない。

 

 そのための命、使い道は揺るぎなくブレないままだ。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――――ッ、だああくそッ!! うぜえ! 死ねえ! テメエ何本腕があんだよバケモンか!? バケモンだったなそういやァ!!」

 

 枝葉を砕きながら悠は純エーテルを精一杯に噴かす。

 

 場所は地上およそ三十から四十メートル。

 ビルで言うなら十階相当の高さ。

 

 目的地である花はさらに百メートルほど上空だ。

 必死に飛び上がる彼だが、巨大花も成長を続けている。

 差はなかなかどうして縮まらない。

 

 と、

 

「うおッ!? ――ああ! 隊長サンか! よくやる! 片足ねえのにここまで届くかよオイ! とんでもねえな! 戦闘部隊ッ!!」

 

 真横を通り過ぎる大槍を見ながらニィと笑う。

 彼自身、己がこの場で一番未熟だと理解しているが故か。

 素人目には無茶でもできるものはできる、と強引に示された気がした。

 

「だったらこっちもやってやんよお! 任されたからにはなぁ!! だはははははッ!! もってくれよぉ身体ぁッ!!」

 

 どう考えても無茶で無謀。

 それでも勝手に焚きつけられた彼は止まらない。

 点いた火はなかなか消えてくれないのだ。

 

 ――六つでダメなら、その倍を。

 

 背中に意識を集中させて、純エーテルの発生源を拡張する。

 

「持ってけ十二だッ!! ははははははッ!! 飛べぇ――――!!」

 

 黄昏の空に広がる閃光。

 爆音を伴ってはじけた粒子が悠を押し上げる。

 

「お――――ごァ――――が、――ぎぃ、あ――――!?」

 

 バキバキと砕けていく全身の骨。

 粉砕骨折というのも生温い重傷は、けれども彼にとって掠り傷と変わらない。

 

 純エーテルの加護が壊れた箇所を治していく。

 治癒と破壊の痛みは連鎖的に。

 

 痺れる脳髄をどうにか正気のままにしながら、悠は意識を目前へと持ち直した。

 

「――――ッ、な、ろォ――――!!」

 

 押し寄せる枝葉を体当たりで砕く。

 ぐちゃぐちゃに潰れた肉体が水っぽい音を出して修復をはじめた。

 

 とにかく前へ。

 いまはそれだけでいい。

 

 余計なコトは考えず、あの花だけ目指していれば――

 

「ごッ――――!?」

 

 真横からの衝撃が走る。

 

 枝葉の槍だ。

 

 加速した悠の身体に合わせるよう、的確に位置を調整した一撃。

 ぐらり、と体勢が致命的に崩れた。

 

 それを、

 

「!!」

 

 ……大槍が、下から突き上げる。

 

「……ッ、ははははは!! 最高だよッ!! 隊長サン(あんたァ)!!」

 

 背中の純エーテルを再度爆発させる悠。

 

 こちらを向いていた枝葉のうち、三割が真下へと伸びていった。

 負傷した彼女たちはそれを防ぐ手段を持たない。

 おそらく防げるとしても悠の進路を確保するコトを優先する。

 

 気にするのはタブーだ。

 地上の被害に意識を向けていては、そのために切り開いた道が無駄になってしまう。

 

「は――ははは――――! ははは――はは――――ッ!!」

 

 進行方向から迫る木槍を槍が貫く。

 真横から伸びる触手を巨槌が押し潰す。

 背後に回った枝葉を弾丸が撃ち抜いた。

 下から追いすがる木々も二振りの刃が切り落としていく。

 

 ――悠の進む道に、邪魔なモノはひとつとして存在しない。

 

「見えたぜてめえ――――――ッ!!」

 

 視界におさまる紫色の花弁。

 見間違いはしない、それこそが彼の目標。

 常に思考を占領していた到達点。

 

 だからこそ反応は迅速だ。

 

「――――――――!!」

 

 構えた刃を大きく振りかぶる。

 渾身の力を込めた一刀。

 

 断ち切るのは花におさまらない。

 それは莫大な純エーテルを刀身に宿して、そのまま――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐちゃり、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伸びてきた細い枝葉が、ヒトガタを真っ直ぐ貫いた。

 

 ひとつはを。

 もうひとつは心臓を。

 

 赤い鮮血は花のように散って、ドロドロとした水滴をあたりへ撒き散らす。

 

 さながら太陽に近付いたヒトの末路。

 人工の翼は溶け堕ちて、愚かな男は真っ逆さまに。

 

 荒れ地の海へと、落下する――

 ああ、でも。

 でも、それで。

 そんなものでは、終わらないだろう――?

 そうだろう、ハルカ――



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2/『刀角を顕す』⑤

 

 

 悠の治癒は常人と比べて異常なほどの再生力を誇る。

 手足の欠損、肉体の破損程度なら十秒とかからず戻せるだろう。

 

 が、それでも彼は生きている人間だ。

 急所を突かれれば動きは止まるし、細胞の一つも残さず消されれば再生もできない。

 

 万物にありふれた死。

 動いているもの、成長しているもの、そこにあるものはいつか必ず破滅する。

 彼が人間である以上、絶対的なそのルールからは逃れられない。

 

 

「――――――流崎!!」

 

 

 落ちる悠の身体を、茎を登っていた妃和は咄嗟に抱きとめた。

 背中の翼は霧散して純エーテルの色も消えている。

 潰された胸と頭は不気味に蠢くものの、すぐには治りそうもない。

 

 当然だ、なにせどちらもヒトにとっては急所も急所。

 肉体への電気信号と血液の循環機能。

 そのどちらも強制的に停止させられた肉体は、驚くべき速さで腐って(しんで)いく。

 

「流崎! 流崎ッ! しっかりしろ、頼む! 流崎ッ!!」

 

 返事はない。

 脳もなければ口もない彼に答える術はない。

 ゴポゴポと血泡を立てながら変形する傷口が妙に不安をかきたてた。

 

 ……まさか、とは思うが。

 彼はこのまま、治癒と崩壊のバランスを崩して死ぬのではないかと――

 

「――妃和ッ!! そのまま流崎クンを守って! それ以外は全員触手の迎撃!! これ以上傷を増やされたら本気で手遅れになるッ!!」

「……ッ、りょ、了解……ッ!!」

 

 すかさず悠を片手で抱いて、空いた手で剣を構える。

 巨大花の追撃が止んだワケではない。

 落ちる彼の身体目掛けて、トドメと言わんばかりに枝葉を伸ばしてくる。

 

「させるかよォ!!」

 

 縦回転を加えて投げられる竜乎の巨槌。

 伸ばされる触手が攻撃が防御かなんて関係ない。

 枝葉を巻き込んだ神秘の鋼鉄は、ごしゃごしゃと木材を轢殺しながら進んでいく。

 

「ひひひっ……いッ――あぁッ……やべ、やっぱイテェ……! クソ、マジで、よぉ」

「竜乎ッ!!」

「あぁ!?」

「上!」

 

 〝――――!!〟

 

 咄嗟に頭上を睨む。

 視界が切り替わるコンマ一秒。

 景色のなかで鋭く尖った枯れ木色はなんとも目立った。

 

『あ、まじぃ。コレ』

 

 思考はあまりにもシンプルにまとめられた。

 余分はものがなさすぎる。

 そのせいで身体は指一本として動かない。

 だって、視認したせいで気付いてしまった。

 

 

 

 ――コレは、無理だ。

 

 

 

「――――ハ」

 

 少女の身体が〝く〟の字に折れ曲がる。

 羽虫に蹴られた有理紗の比では無いヒトガタの崩壊。

 千切れた下半身が力なく地面に落ちた。

 

 それでも彼女は、ざまあないとニヒルに笑みを浮かべて。

 

 〝――――――あたし狙うなんざ、ヒマだねェ。なあオイ。どうにもよォ〟

 

 人体が千切れる。

 内側から破裂した枝葉が周囲へ伸びていく。

 

 石榴を思わせる惨殺死体。

 

 腹を突き破った触手はそのまま彼女の全身から姿を現した。

 呆気なく、それこそ悲しむ余暇もない。

 

「――――――ッ」

 

 ぎり、と歯を食い縛る音は誰のものか。

 地上からの妃和への援護はまだ残っている。

 投擲される大槍と、狙いをつけて撃ち抜く弾丸。

 

 ――今度の標的は、飛び道具を構えた彼女へ。

 

「ひッ――ちょ、うち、ですか――!?」

 

 瞬間的に飛び退って柚葉は回避する。

 片腕は失っても両足が無事なのが不幸中の幸いだった。

 傷は痛むけれど、動けないわけじゃない。

 

「あああッ! 嫌だ! 嫌です! 死にたくない! 死にたくないよぉ! なんでぇ! どうしてこうなるんですかぁ!? ヴッ!!」

 

 必死に枝葉から逃げ回る柚葉。

 心も身体もすでに限界。

 ため込まれた疲労がなだれ込んできて目眩を起こしそうだ。

 

 それでも死にたくないから走る。

 情けない声をあげながら荒れ地を駆けていく。

 

「あぁあぁぁあ――――――――ッ!!」

 

 ……なのに。

 ああ、自分は今にも足を止めれば死んでしまいそうなのに。

 竜乎の二の舞になりそうだというのに。

 

 肝心な場面で、見えてしまった。

 

 落下するふたつの影。

 大槍はその少し上を木片と共に進行中。

 

 

 

 そこに、剣を構えた妃和の死角から迫る触手が――

 

 

 

「なんで――――ッ!!」

 

 身体を反転させて鉄潔角装(ライフル)を構える。

 

「――――――」

 

 ……びっくりした。

 枝葉はすぐそこまで迫っていたらしい。

 眼前には視界を埋め尽くすほどの枯れ木色。

 

 一秒後の未来があっさりとシミュレートできる。

 

 ダメだ、死ぬ

 これは死ぬ

 逃げないと死ぬ

 間違いなく死ぬ

 

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――――

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁああああああああぁぁぁああぁぁああああ!!!!」

 

 

 

 

 断末魔をあげながら銃口を空へ向けた。

 

 怖い。

 

 片手で持ち上げる鉄潔角装の重みを耐える。

 

 嫌だ。

 

 狙いは一点、すでにスコープの内側へ。

 

 だめ。

 

 引き金は軽いもの、あとは撃つだけ。

 

 逃げないと。

 

 

 

 

 

 ――撃鉄の落ちる音。

 

 

 

「ぁ――――――――」

 

 

 なにせ命は鉄砲玉。

 放てば一度。

 二度とは戻って来ない。

 

 

〝――――――――いや、な、のに――――――〟

 

 

 後悔を引き摺る。

 思い出が痛みに焼かれていく。

 

 声なき身体の悲鳴を彼女は聞いた気がした。

 手足も、頭も、胴体も。

 みんながみんな、枝葉に貫かれて離れ離れに――

 

 

 

 

「ッ!!」

 

 ふと、妃和の腕に微かな反応があった。

 緩慢だが痙攣する悠の指先。

 どくん、と熱を持った脈動の音を聞く。

 

「流崎、おまえ、心臓が――――」

 

 生きている。

 彼はまだ生きている。

 

 死の淵に瀕しながらも、まだまだしがみついてくれている。

 

 それは、なんて。

 

「――――ああッ…………!」

 

 なんて、救いのあることか。

 

「あぁあッ……!!」

 

 片手の剣を振りかぶる。

 

 背後では炸裂する柚葉の弾丸。

 前方の枝葉の追撃を無理やり砕く。

 

 下がっていく妃和(おのれ)の体温なんて気にもならない。

 繋いだ希望は胸の中に。

 彼を最後まで守り抜けば、勝ち目はあると信じて。

 

 

 

 

 ――枝葉と打ち合った腕の骨が、おかしな方向に曲がった。

 

 

 

 

「……ッ、頼むぞ、流崎……!」

 

 剣を握っていた手が千切れていく。

 一瞬の隙を巨大花は見逃しはしない。

 

 だからこそ、抵抗は最後まで。

 

 妃和は抱えていた悠の身体を、残った力を総動員して放り投げた。

 

「おまえが、私たちの――」

 

 顔を爆ぜさせる枝葉の刺突。

 血液を垂れ流して少女の肢体が空を舞う。

 さながら糸の切れたタコのように。

 

 

 〝――――――――〟

 

 

 一方、放られた悠の身体は猛スピードで地上へ落下する。

 勢いをつけたのはこれ以上ない判断だった。

 

 枝葉の速度は追いつかない。

 追いつく前に、最後に残った美鶴の大槍が打ち砕く。

 

『笑えない犠牲! いやほんと笑えない! でも――――』

 

 土煙が高くあがる。

 少年の身体は高度から落下しても原形を留めていた。

 致命的ではない傷は直ぐさま治っていく。

 完璧に塞がった胸の傷と、いまだ蠢く潰れた頭部。

 

 ――あと、少し。

 

「この――――邪魔――――ッ!!」

 

 鉄潔角装を振り回して美鶴は駆け出した。

 なんでもいい、とにかく今は目の前のコトが全てだ。

 

 走れ、ただ走れ。

 

 後先考えずとも結果は目に見えている。

 

 流崎悠を、切り札として残せ――

 

「ッ!!」

 

 途端、足が止まった。

 前に進めない。

 

 踏みだした足とは反対側、後ろに持っていった足を狙っての一撃。

 

 降ってきた枝葉の触手は杭のように、美鶴を地面へ縫い止める。

 

「こ、のォ――――!!」

 

 空から落とされる死の槍。

 それは美鶴の頭上と、悠の直上に構えられた。

 

 この拘束から逃れている暇はない。

 優先順位はすでに明確だ。

 美鶴だけ助かるコトなんて簡単。

 

 だが、己が助かったところでその後なんになる?

 

 

 

 

 ――答えは、なんともつまらない。

 

「らぁああァ――――――!!」

 

 大槍を彼のほうへ投げる。

 待ち構えていた枝葉が見事に散っていく。

 

 そして、彼女は。

 

「――――――――、」

 

 最後に、誰かの影を幻視して。

 

 

――――あはっ。……待たせたわね、境香

 

 

 その枝葉を全身で受けて、沈黙した。

 

 ◇◆◇

 

「――ふ、ふははっ――ははは! あははははは!!」

「――――素晴らしい!!」

「誰もがおまえを望んでいる!!」

「誰もがおまえを生かしている!!」

「これ以上はない、ああ最高だ、素敵だよ。流石は私の()だ」

「だから、さぁ――目覚めておくれ。愛しいハルカ」

「そのために、私は待っていたのだから――!」

 

 ◇◆◇

 

 ――頭痛がする。

 

 ぼやけた意識は泥の中で眠るようだった。

 覚醒と気絶を繰り返しながら空を見ている。

 

 砕け散った木片と、空を翔る大槍。

 

「――――ぅ、あ…………ッ」

 

 降ってくる枝葉の残骸に驚きつつ、悠は即座に思考を回す。

 

 ……なんだか、おかしい。

 

 頭のなかに致命的な違和感を覚えた。

 

 ――頭痛がする。

 

 なんだ、なんだろう。

 どこかのネジが外れたか、歯車がひとつ欠落した感覚。

 なにかがおかしいのに、どこがどうやっておかしいのか全く理解できない。

 

 ――頭痛がする。

 

 身体が動かない。

 ダメージは回復しきっていなかった。

 肉体は修復できても完全な復帰までにはあと一秒かかる。

 

 ――頭痛がする。

 

 そして、一秒もあれば。

 

 

「――――――ッ」

 

 

 いま一度その肉体を射止めんと枝葉を伸ばす、巨大花の追撃が。

 

『なん、だ――――…………!』

 

 なのにがおさまらない。

 

 精神(ナニカ)がおかしい。

 心臓(ドコカ)がおかしい。

 

 流崎悠という人間において決定的だった(モノ)(バグ)っている。

 

 どうして、ああ、こんなに、なんで――――

 

 

 

 

「!!」

 

 

 

 乱れかけた思考を正気に戻したのは目前の危険だった。

 

 鋭く尖った枝葉の触手。

 いま一度振るわれる木造の槍は悠目掛けて一直線に走る。

 

 防ぐ手段はない。

 第三部隊は壊滅した。

 彼自身の手足は動くまでもうしばらく。

 

 間に合わない。

 

 大質量の枝葉が、

 枯れ木色の触手が、

 

 極太の槍となって、彼女たちと同じように少年を潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、直前。

 

「――――ふふふ」

 

 彼はたしかに、傍から響いてくる大気を裂く音を聞いた。

 

 

「ふふふっ! おーっほっほっほ!!」

 

 

 地面が渦巻く。

 土砂が逆巻く。

 

 それは枝葉を粉砕して、地上に絶大な唸りを上げる。

 

 螺旋を描く鋼の色。

 嵐のように吹き荒れるそれは。

 

 

「ビンゴォ、ですわねぇ――――ッ!!」

 

 

 姿を消していた彼女の。

 砂にまみれた金髪をなびかせる、有理紗の鉄潔角装(ドリル)――!

 

「――あ、んた……! 生きてたのかよ……!」

「驚きました!? 地面にもぐって回復に専念してましたの! 途中酸欠で何度か気を失いかけましたが、見事舞い戻ってこられましたわ!! 流石わたくし!!」

 

 えっへんと胸を張る彼女の言は本当なのだろう。

 それを証明するかのように全身砂だらけ、土汚れだらけだ。

 口調はお嬢様でもまったくお嬢様っぽくはないド根性精神。

 

「だが助かった。お陰様でな。マジにサンキューだよ、アリサ」

「いえいえそれほどでも! なにせわたくしはわたくしの心に従っただけ! 大人しく死ぬぐらいなら泥水啜って土や石を投げてでも生き足掻くのが心情ですので!!」

「そうかよ、最高だな! あとは俺に任せとけッ!!」

「あらまあ、そうはいきませんわよ?」

「は?」

 

 ぐるり、と有理紗が周囲を見渡す。

 つられて悠も辺りへ視線を向ける。

 

 それで、気付いてしまった。

 

「……おい」

「わかっていますわよ。みなさん、奮闘された結果でしょう?」

「違え。なにが分かってんだてめえ。俺は――……俺はよォ」

「生かされた。そういうコトですわね。大方、隊長の判断だとは思いますが」

「――――ッ、ああ当たりだ。そうだなぁ、そうだ。そうだぜ、本気でッ」

 

 知らず、拳を握り締める。

 直視できないはずの光景を目に焼き付ける。

 

 嗚咽も悲観も胸には浮かばない。

 ただ心臓が焼けるような熱さを持った。

 

 ……()()()()()()()()に。

 どうにもいま、(ジブン)は他人のために怒っているらしい。

 

「でしたら、わたくしがどうするかも分かるでしょう?」

「マジかよ」

「マジですわ。これでも部隊の一員。遺書は常に更新しておりますの。任務一回ごとに」

「準備万端だなァおい!」

「それにピンピンしてるのはフリだけで身体は本調子とは言えませんし」

「――――…………そう、かよ」

 

 こうして立っていられるのも奇跡だと、彼女は自慢げに言った。

 

 ……何を以て基準とするかは疑問だけれど、彼自身でいってしまえばそれはほど遠い。

 

 なにせ流崎悠の適性は逸脱している。

 他人と隔絶した才能は時として周囲との齟齬、軋轢さえ生む劇物だ。

 

「――――、一回」

「……いっかい?」

「一回だけ、わたくしの全てを振り絞って道を作りますわ。ですから悠さん、貴方が決めてくださいまし」

「はぁッ? なんだよッ、どいつもこいつも正気じゃねえぞ。どうしてそんなに命を捨てたがる。自殺願望でもあんだろやっぱよォ! そんなのは――」

「隊長の指示は地中からでも聞こえていましたもの。従うのは当然ですわ」

「てめえ!!」

 

 胸ぐらを掴もうとして、悠は逆に引き寄せられた。

 無理やり崩される体勢と、一瞬の不安定さ。

 

 ズドン、とつい先ほどまで己が立っていた場所に枝葉が突き立てられる。

 

 ……本当に、間一髪で。

 

「悠長に喧嘩している場合ではないでしょう。即断、即決、即行です! 構えてください悠さん! わたくしのドリルでッ!!」

「――――ッ、ああもうッ! なんだってんだお前らッ!! 会ったばかりの他人をどうしてそこまで信じ抜く!? おかしいだろうが常識的に考えて! そこまでの価値が俺にあるって本気で思ってんのかァ!?」

「さあ、どうでしょうね」

「あァ!?」

 

 鉄潔角装を掲げながら、くすりと有理紗が微笑む。

 

「そこまでの価値があるかどうか、なんてわたくしちっとも分かりませんし、知りませんわよ。とんでもなく短い付き合いですから。ああ、いえ、男性が貴重なのは分かっていますけど」

「だったらァ!!」

「ですから、見せてください」

「――――――あ?」

 

 大気が鳴き声をあげる。

 鋭い鋼が渦を巻く。

 気流はどんどんと広がって、ついぞ二人の身体すら覆い尽くした。

 

「――見せろって、なにをッ!!」

「決まっていますでしょう!!」

「だから、なんだそいつはッ!!」

 

 正真正銘、全身全霊をかけた一撃。

 その威力に耐えられず身体が自壊するコトも受け入れて、彼女は腹を括った。

 

 掲げたのは自らが是とした自慢の一品。

 荒れ地に生まれた神秘の嵐は枝葉を弾いていく。

 

 彼女がここまでする理由。

 こうまでしてしまえるワケなんて、ひとつ以外にありえない。

 

「――――意地、ですわッ!!」

 

 鉄潔角装が振り上げられる。

 少女の身体は千切れるように破裂した。

 

 だが武器は下ろさない。

 最後の最後、道が開けるまではこの力を絶やさない。

 

「――――ッ、証明を! 貴方こそが相応しかったのだと! 私たちが命をかけた意味があったのだと! その証明をしてくださいな! 悠さん!!」

「そのために意地を張れってか!?」

「ええッ! その通りッ!! 貴方にだってあるでしょう!? 譲れない気持ちが! 負けられない部分がッ!! だからこその意地を!! 勝利を!! そして、私たちの犠牲に価値を付与する証明をッ!!」

「狂ってんなァ!!」

「そうでなくてはこんなことできませんから!! さあッ!!

 

 嵐の中央、台風の目。

 そこにできたのは、枝葉ひとつ存在しない隔離空間。

 

 

「見せてくださいな!! 流崎悠!!」

 

「――――ああくそッ!! しかと瞳に刻めやァ!!」

 

 

 羽をつくる。

 空を飛ぶ。

 

 純エーテルの噴射は十二。

 

 かかる負荷の全部を無視して高みを目指す。

 その先に。

 

「今度こそ潰すッ!! そのご立派な花弁ごとォ――――!!」

 

 二度目の対峙。

 正面切って向かいながら、悠は剣を手に純エーテルを噴かした。

 

 

 

 

 




次回、決着です。長え。


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2/『刀角を顕す』⑥

 

 

 

 空を見上げて、手放すように有理紗は腕を下ろした。

 もう力は一ミリだって残っていない。

 

 正真正銘、己の全てを賭して開いた勝利の道。

 そこを登っていく影を見送って、満足げに倒れこむ。

 

「ああ――――まったくなんてコトでしょう。我ながら勢い任せの、でたらめ具合……」

 

 はあ、とこぼれた溜め息は自分に向けてのものだ。

 誰かに願いを託すという行為。

 その珍しさ故にぶっちゃけてしまったが、それもちょっとやり過ぎた。

 彼にとっては荷物以外の何物でもなかったろうに。

 

「……ふふっ。でも繋ぎましたわよ。わたくし、少しは頑張りましたから」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 遠く、耳鳴りの向こうから死の気配を感じた。

 ぼやけた視界には枯れ木色のナニカ。

 

 ……だから、そろそろ。

 

「わたくしたちの、勝ちですわ」

 

 泥のように。

 今度こそ砂に埋もれて眠るとしよう――――

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 痺れる脳髄と焼き切れる神経細胞。

 一秒ごとに停止と蘇生をくり返す心臓。

 折れた骨の数なんていちいち覚えてもいられない。

 内臓は一通り潰れて口の中は血の味でいっぱいだった。

 

 ――それでも(はし)る。

 

「――――――ッ、――――!!」

 

 握り絞めた剣の柄に力を込めながら、悠は眼前を睨んだ。

 花はすぐそこにある、辿り着くのに苦労はしない。

 なにせここまで運んできてくれたのが有理紗の功労。

 

 地上で咲いた枯れ木色の花を他所に集中する。

 ……気にとめてはいられない、気を削がれてはいけない。

 そも、彼に他人の心配をするほどの余裕はない。

 

「――――ァ、あァああぁアああ――!!!!」

 

 気を抜けば不調の洪水に溺れそうだ。

 意識はまともに保っているだけ奇跡。

 理性が残っているのはそれを通り越して異常だろう。

 まともじゃない、でもなければ間違いなく狂っている。

 

「邪魔だァ!!」

 

 ――火花が散る。

 

 剣を振っただけで全身に激痛が走った。

 

 枝葉が砕かれる。

 速度、威力、ともにこんな絶不調で申し分ない。

 

 それもそのはず、彼の身体が悲鳴をあげているのは身に余る素質によるもの。

 激痛は同時に歓喜の雄叫びとなって肉体を支配する。

 

「くそが――くそ、くそ、てめえちくしょう、クソ野郎がよォ!!」

 

 ――目眩がする。

 

 幾度も伸ばされる枝葉を、

 四方八方から蠢く触手を、

 彼は手に持つたった一振りの剣で切り裂いた。

 

 痛みを凌駕する感情にが点く。

 頭が燃えるように熱い

 

「俺はッ!! 俺はよォ!! 俺はなァ!!」

 

 誰に向かってなにを言うのか。

 その判断すら正常ではない。

 だからこれは宣言にも似た自己の暴露で、

 

「――俺はッ! てめえらみたいに大層立派な(こころざし)なんざねえ!!」

 

 そして、今は亡き彼女たちに対する明確な意思表示だった。

 

「誰かのためだとか未来のためだとか! そんなン微塵も考えたコトすらねえ!!」

 

 ひときわ大きな頭痛が襲う。

 

 血を吐き散らしながら吼える少年。

 顔面を苦痛に歪めながらも、彼の訴えはおさまらない。

 

「ああそうだ! 我儘で身勝手で、そのくせ馬鹿でおさまりつかない!! 救いようがねえよこんなのは!! 自分で自分が嫌になる!! だがなァ!!」

 

 積み重なった疲労が刃を鈍らせる。

 体力の低下が判断力の甘さに直結する。

 

 時間が経てば経つほど彼にとっては不利な状況に追い込まれる状況。

 

 だというのに、未だ剣閃は歪みながらも圧倒的だ。

 枝葉を打ち砕くスピードは落ちない。

 

「だからこそォ!! 俺の人生ッ! 俺の行く道!! 俺の生き方をォ――――!!」

 

 花まではあと五メートル。

 棒振り剣術もヒト相手でなければ何ら問題ない。

 枯れ木色の脅威を弾いて空色が線を描く。

 

 

「そいつを邪魔する奴はッ!! もっと許さねえぇぇえぇえええええええッ!!!!」

 

 

 

 

 ――バキン、と砕ける音。

 

 割れるような頭痛。

 重なって手元の感覚が軽くなる。

 

 初めての顕現、初めての構築。

 それで今まで良く保った方だろう。

 

 

 

 鉄潔角装(やいば)が、折れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――いいやッ」

 

 

 半ばから欠けた剣を捨てて花を鷲掴む。

 正気なんて残っていないハズなのに、頭の回転はやけにスムーズだ。

 余計なものがなくて平時より何倍も心地いい。

 

 両手に馬鹿みたいな力を込める。

 そう、なにも武器は鉄潔角装に限らない。

 あれは単純に都合がいいから使っていただけで、そこに拘る必要は皆無だ。

 

 

 

「まだだァ!!」

 

 

 

 べりぃ!! と千切れる紫の花。

 

 渾身の力で引っこ抜いた花弁がひらひらと舞う。

 切るよりずっとしんどいが、わざわざもう一回鉄潔角装をつくるより速い。

 なら、やるべき解答(こたえ)は明白すぎた。

 

「おぉぉおおおぉぉおおおおぉおおおぉお――――――――――!!!!!」

 

 千切る、千切る、千切る。

 

 さながら巨大な花占い。

 キランソウに似た紫の花が見る見るうちに削れていく。

 

 枝葉はやってこない。

 花と密接した彼に攻撃をすればどうなるか、本能で察している。

 最終手段である花粉の放出も悠にとってはどうということもない。

 

 まさに独壇場、これ以上はない蹂躙の仕返し。

 巨大花は触手(ムチ)をのたうちまわらせながら、花弁を散らしていって――

 

「仕上げだァッ!! てめえよくもッ!! ああそうだ!! ()()()はよくも平気な顔して受けてくれやがったなァ!? だったらよォ!!」

 

 振り上げた拳には空色の燐光

 

 小細工なんて今更しない。

 一点集中も推進力としての利用も頭蓋の外へはじき出された。

 

 これより行うは脱走(はじまり)の再現。

 施設の壁と水槽を一撃でぶち破った――馬鹿の極みじみた神秘の奔流。

 

「食らって弾けろォ!! 中身ごとォ――――!!」

 

 悠の拳が突き刺さる。

 放出される純エーテルはそのまま花の内側へ。

 茎を通って、枝葉をなぞって、まるで、血管を浮かび上がらせるごとく。

 

 ――膨れ上がって、破裂していく。

 

 

「あぁああぁあぁあぁあああああぁあああ――――――ッ!!!!」

 

 

 爆発は連鎖的に。

 

 花は散って、枝葉は砕けた。

 風船を割るみたいに弾ける巨大花。

 

 ……空色の閃光が地上に咲く。

 

 断末魔はなく、ファンファーレは鳴り響かず。

 

 枝葉の怪物。

 木々の羽音。

 そして、変貌した枯れ木の|紫花。

 

 数多の人類を殺戮してきたその異形は、ここに腐り落ちた。

 〝窶補?輔ワ繝ォ繧ォ縲√¥繧凪?補?〟

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――――――はは」

 

 墜落の衝撃で五体を投げ出しながら、悠は思わず笑みを浮かべた。

 

 手足にはまったく力が入らない。

 度重なる純エーテルの使用はここまで続いた時点で奇跡だ。

 

 身体の容量、器の限界はすでに超えている。

 

「どうだ、見たか……やったぞ、オイ」

 

 息も絶え絶えにぽつりとこぼす。

 血と砂埃と花粉に塗れた少年の身体。

 中も外もボロボロで、無事な部分なんて殆どない。

 

 それでも自慢げに笑う彼に、傷の度合いなんて関係ないのだろう。

 なんならむしろ勲章だとでも言いたげに。

 

「勝てないなんて、決めつけてんなよ。……誰の勝手か知らねえケド」

 

 思えばそれは、無意識のうちに沸いた衝動だった。

 言ったのは美鶴だったか。

 

 たった五人で戦うなんてありえない。

 

 事実、羽虫の時点でヒトと比べるのも馬鹿らしい戦闘力があった。

 だからそれは、なんらおかしい思考でもない結論。

 誰もがそうだと信じて止まない現実。

 

 ……結局のところ、彼はそんな当たり前に「ふざけんな」と言いたかっただけかもしれなくて。

 

「だから、そうだ。ああ、そうだぜ。見ろよ、見てみろ。ホラ、どうだ――」

 

 咳き込みながら拳をあげた。

 歓声はない。

 祝福は真実静かに、密かに。

 

 

「――――俺の、勝ちだ」

 

 

 ……ぱたん、とあげた腕をおろす。

 なだれ込んできた疲労が気絶まがいの眠気を誘発させる。

 今夜はとんでもなくぐっすり眠れそうだ。

 

 ――が、その前に。

 

『……墓、つくってやらねえとな。口約束でも、守らねえと格好つかねえ』

 

 最後の気力だ、と悠は睡魔を振り払って立ち上がった。

 無茶なのは承知していたが、こんなのは化け物と戦うのに比べればなんてコトもない。

 歩くのも、息をするのも、気持ち前よりずっと楽である。

 

 ……腐り落ちた枝葉は細かな粒子となって風に流されていく。

 彼女たちの遺体には無惨な傷跡だけが残って、取り扱うのに苦労はしなかった。

 

 ひとり、またひとり。

 

 できるだけ丁寧に、慎重に、これ以上傷付かないように運び出す。

 

「……悪い。ごめんな。でもって、ありがとうよ。感謝してんだ、心底」

 

 失ったものは彼の目で見ても大きい。

 もっと広い視野から見てみればどうだろう。

 

 男一人が生き残って、戦う人員である彼女たちが息絶えて。

 だからどうかなんて、まったく分からないけれど。

 

「…………」

 

 と、

 

「………………、ぁ」

 

 そこで、ひとつだけ。

 

「――――ぉ、い」

 

 たったひとつだけ、消える前のモノを見つけた。

 

「おい、おい……! なあ、もしかして、だけど。おまえ――」

 

 抱きかかえた格好は奇しくも同じだった。

 本日二度目の体験は意識のないうちに。

 微かな温もりと断続的な吐息を洩らしながら、その命はまだ燃えている。

 

「――――んだよ。はははッ……あーちくしょう。おかしいな、やっぱ。おかしいぜ俺。なんでこう、安心しちまうかなァ」

 

 知らず、ぎゅっと抱き締める。

 空中で攻撃を受けたのが奇跡的に即死を免れたらしい。

 目覚める気配はまだないけれど、今はただそんな事実に感謝した。

 

「――――さあ、どうしたもんかな」

 

 見上げた空は変わり映えのしない黄ばんだ色

 それでも心はこれ以上ない晴れ間を垣間見た。

 明けない夜はないように、止まない雨はないように。

 

 ――腕のなかで眠る少女(ヒヨリ)は、未だその結末を知らずにいる――

 

 

 

 

 




あなたを待っています。


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3/『はぐれもの』①

 

 

 

『おーす、美沙っ』

 

 それはまだ、彼が幼かった頃。

 そしてまだ、彼女が甘さを知らなかった頃。

 毎日のように顔を合わせる少年は、どちらかというと苦手だったのを思い出す。

 

『……おはよう、悠くん』

『なんだよ、怖い顔して。笑ってねーと幸せがそっぽ向くぞー?』

『……朝食はこちらに。今日の予定は午後から一時間ほどトレーニングルームで運動の予定が入っている。……体調は大丈夫か?』

『おー、ばっちり。ひひ、動くのはあんがい好きだな』

『なら良いんだ』

 

 いただきます、と手を合わせてパンをかじる男子。

 その姿を冷めた目で見ていると、不意に視線がぶつかった。

 

『……いるのか? コレ』

『いや、いい。私たちは私たちでちゃんと食べている』

『ふーん。そうか』

 

 ならいいんだけど、と呟いて彼は食事に戻る。

 はぐはぐ、もぐもぐと。

 施設の中であろうと生きづらいだろう男子のくせに、食欲は人並みだ。

 

 ……もっとも、その誤解を知ったのはしばらくしてから。

 

 当たり前に食べて、当たり前に話して、当たり前に笑う。

 純エーテルに満たされた世界において、男はそうできない。

 

『――ごちそうさま。おいしかった。……な、美沙』

『なんだ、悠くん』

『ハナシしようぜ。色々と聞きたいコトとかあるんだ。外の事とか、他にもっ』

『すまない。あまり時間は取れないんだ。後にしてくれ』

『まじかよー! ……ならしょうがないか、うん。そうする。ごめんごめん』

『…………、』

 

 歳のわりに、よく考えている子だと思った。

 

 今となっては荒々しい言動に塗り潰されてしまったが、彼は元より純粋さの目立つ性質だった。

 古びた基準で言ってしまえばとんでもなく良い子。

 癇癪も起こさなければ駄々もこねない、素直で聞き分けの良い子供。

 

 その印象もせいぜい保って二週間ぐらい。

 

『な、なにをしている……!? 悠!?』

『なにって……運動?』

『バカ! 降りてこい! そんな高い所に登って……! 落ちたらどうする!?』

『心配するなよ、美沙。……あ、いや、違うな。気が変わった。美沙、受け止めてくれ』

『はァ!?』

『あいッ、きゃん、ふらぁああいッ!!』

『ば、ばかぁーーーーーーーーーー!!!!????』

 

 いやほんと、とんでもないバカだと思った。

 

『おまッ、おまえはッ! もう! 本当! 分かってるのか!? 自分のコトが!!』

『分かってるよ。何度も聞いたし』

『いいや分かってない! 大体な、悠! どうしておまえは――』

『……美沙の説教長ぇんだよなあ……タイクツだ……』

『は、る、かッ!!』

『いててててて! 美沙ぁ!? ちょっ、ぼーりょくはんたい!?』

 

 普段は大人しくて他人の言うコトを聞く優等生。

 なのに時折思い出したかのように、あまりにも突飛な事をする。

 

 理由なんてない。

 まさかそんなことはないだろう、という油断を表したような奇行。

 間違いなく、悠は施設で一番の問題児だった。

 

『よす、美沙!』

『……なんだ、その顔。またなにか企んでるのか』

『いいや、ぜんぜん?』

『………………、』

『なんだよー。ヒトのこと疑ってんなよー』

 

 ニヤニヤと笑う彼の表情を見て、疑うなというほうが難しい。

 彼がまだ十三の時である。

 毎日の仕事として部屋に訪れた美沙は、その年一番の嫌らしい笑顔と共に迎えられた。

 

『――ま、いいや。バレてんならしゃあねー。ほい、これ。日頃のお礼!』

『……なんだ、これ?』

『プレゼント。今日が誕生日だろ? イヤリングな。色んな職員(ヒト)に無理言って材料もらったから、つくってみた。自作だぞ、自作。ひひ、どうだ。かっちょいーだろ?』

『――――あ、あぁ。あり、がとう』

 

 ふふん、と胸を張って悠は小さな箱を渡してきた。

 中身は彼の宣言通り小さなイヤリング。

 荒削りでちょっと歪んだ一品ではあるが、どこかキラリと光るモノがある。

 

 センスは悪くない、なんて思った。

 

『――お、早速つけてんのかよ! 見せろ見せろ!』

『ばッ、ちがっ――これは、おまえっ、その。……アレだ! 折角だから、だな――』

『照れ隠しになってねーんだよこんちくしょー! あははっ! いいなあ美沙っ』

『い、いいなとはなんだっ』

『嬉しいんだよ。ほんと。苦労してつくった甲斐あったってもんだし!』

 

 次の日、そんなコトを言ってきたのは心臓に悪かったが。

 

『悠』

『んー? どうしたー?』

『これから先、私以外が担当になるかもしれないから、そのつもりでな』

『……なんかあったのか? 美沙』

『昇進だよ。ここの頭を任されるコトになった。それで、私も忙しくなるからな』

『へぇ。よかったじゃねえの。めでたいコトだ』

『……そうだな』

『美沙に会えないのは淋しいが、まあせっかくだしな! ちょうど良い、俺もそろそろ親離れの時期かと思ってたんだ』

『誰が親だ、誰が。……淋しいか?』

『当たり前だろ、今までずっと一緒に居たんだから。――でもまあ、それも一歩だよな。いずれはそうなるって分かってたし、そう深刻でもねえよ?』

 

 くつくつと笑う彼の表情は、本当に深刻さなんて微塵も感じさせない爽やかさで。

 ……けれど、それより胸に響いた感想が思考を遮った。

 

 例え一時的なものだとしても。

 彼自身がそう言ったように、いずれは来る絶対的なものだとしても。

 

 今はまだ、良いんじゃないかと。

 

『なあ、美沙』

『なんだ、悠』

『外ってさ、どうなってんだろうな?』

『……バカな考えはよせ。純エーテルまみれの世界で男が生きていけるワケないだろう』

『思っただけだ。別にそんな気は――今んところ、ねえけどよ』

『おい、本気で止せよ。おまえ、絶対出ようとするなよ? 本気だぞ?』

『あいよ。分かってる。外だって良いもんじゃないってのは。分かってるんだよ』

 

 嫌な予感は、いつからか常にあった。

 

『氷の十字架、嵐の巨人、空の海月……とんでもねえな、ソイツら』

『ああ。だから外は危険がいっぱいなんだ。残っている人類だって、たまたま暮らしている場所が襲われていないから残っているに過ぎない』

『でも倒したんだろ? ヒトの手で』

『それまでに沢山の犠牲者が出た。倒せたというのも結果論にすぎない。普通の人間はな、悠、怪物共に手も足も出ん』

『ほぉ。なんともそりゃあ……』

『怖いか?』

『いいや。ちょっと、楽しみになってる自分(てめえ)がいやがる』

『本気でやめろよ? 怒るからな? マジでしばくからな?』

 

 何度も何度も彼女は彼に説明をくり返した。

 

 北極の大地に突き立つ氷付けになった十字架の蛇。

 カリブ海の底に沈んだヒトガタの嵐を纏う女神の石像。

 人々の血を吸って雲のように空を漂った黄昏色の水母。

 

 エトセトラ、エトセトラ。

 人類の前に現れた脅威のデタラメさを何度も語った。

 

『此処は出るってもう決めちまったからよォ!!』

 

 なのに、やっぱり彼はそんなコトを言って。

 あまりにも呆気なく、掴んだ手からするりと抜けるように行ってしまった。

 

 

 

「…………悠…………っ」

 

 

 枕を抱きながら耳飾りに触れる。

 彼の残り香を少しでも掴んでいく。

 手放してしまった事実を、二度と忘れないためにも。

 

んっ♡

 

 ……いや、いまのはちょっと、そう。

 手が滑っただけだから、うん。

 そうに違いない。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――おはよう、諸君……」

「おはようございます、所長!」

「また流崎の部屋でお眠りですか。いい加減子離れしたらどうです?」

「誰が親だ、誰が。……状況は? 捜索はどうなっている」

「まったくですね。影も形も見つかりません」

 

 気分の悪さを隠しもしない声で挨拶を交わしながら、美沙は自分の椅子に腰掛ける。

 悠の脱走からすでに三日。

 司令室の通信機器は少ない人員でも交代しながらフル稼働を続けていた。

 どんなに小さな情報でも即座に入手できるよう彼女が尽力した結果だ。

 

「……生きては、いるのだろうな」

「誰ですか、死んだらお墓ぐらい立てるものだとか流崎に教えたヒト」

「私だよ。あいつがまだ八つのときだ。……あの頃は可愛かったなあ……いまは格好良くなったんだけどなぁ……あァッ……悠ァア……ッ!!」

「うっわメンドクセーこの所長(オンナ)……」

「第三部隊でしたっけ? ひとりだけ生き残りもいるみたいですし、その子と一緒に行動してるんなら絶望的ではないかなと」

「むしろ流崎のほうがリードしてたりして。前時代的な男らしく? ぶわっははは!」

「ありそうッスね。あのバカ、やけに強いですし。やせ我慢とか、忍耐力とか?」

 

 脱走当日、つまりは悠が第三部隊(かのじょたち)と合流した日。

 襲撃に遭った場所に他部隊が着いたとき、すでに事は終わっていた。

 

 あったのは簡単につくられた四つの墓。

 丁寧に名前まで彫られた荒野の石碑はどう考えても悠のお手製だろう。

 どうやったかなんて美沙は想像もつかないが、やけに器用な彼なら不可能ではない。

 

 ……なにせ、イヤリング(こんなもの)までつくるぐらいだし。

 

「戦闘部隊の様子はどうだ」

「ガンガン動き回ってますよ? 一時間に一回は定期報告をコッチにも飛ばしてますし。うちの捜索隊でも見つかったら情報寄越せって脅されてますし? なんか、アレですね。めちゃめちゃ狙われてるカンジしてますねー」

「現場に羽虫の残骸があったから流崎くんがやったんじゃないか、とか言ってるんですっけ? そんなコトありますかねー?」

「どうかね。あのバカにそんな力があるなんて思えねーけど。男だし」

 

 本来ならその考えに間違いはない。

 が、事ここに至ってやらかしたのは流崎悠だ。

 はあ、と美沙は重苦しく嘆息する。

 

「……そうだと半分確信しているさ、向こうは。なにせ隊員の素質は把握しているだろうからな。第三部隊の人員だと羽虫の個別撃破は不可能とのコトだ。だったら何がどうなったか、なんて考えるまでもないんだろう」

「えー!? じゃあホントに流崎さんがやった可能性あるんです!? すごー!」

「あぁ! 凄いんだぞ悠は本当に……!」

「急にドヤ顔」

「後方腕組彼女面同担拒否厄介女ムーヴかよ」

「なにそれ?」

「旧時代の滅びた言語を持ち出すな」

「たぶん百年前の人も自分たちのスラングがそんなコトになるなんて思ってないよ」

 

 ちなみにガヤガヤと言う彼女たちではあるが、長年美沙の言動を見続けてきたコトもあって悠との基本セット感は根強い。

 それこそどこぞの馬の骨に奪われたら「はぁー!? 流崎くんはうちの所長のものなんですけどー!?」とか言うかもしれないほど。

 

「……おまけに、この前の遠征で大怪我を負った総司令様まで出陣してる始末だ。奴等は本気だぞ。横取りされる可能性は大いにある」

「なんかそれは気にくわないッスね。流崎は施設(ウチ)の流崎なのに」

「ああそうだふざけているよなッ!?」

「声でけー。くそめんどくせー」

「あと私の悠だが!?」

「知らねえよ勝手に言ってろ」

「あー、テステス。定期報告どぞー。あ、こっち騒がしいのは気にしないで」

 

 ……ともかくとして、行方不明の男子は現在絶賛捜索中。

 昔ならまだしも、いまの時代に勝手気ままな生き方というのはできない。

 男である以上、力がある以上、求められるのは必然だ。

 

「帰ってきてくれないかなぁ……悠……」

「まあムリでしょうね強引に連れ戻さないと」

「てか流崎は清々してんじゃね? あいつシモ事情嫌いだし」

「あはは、精液採取するときめちゃくちゃ嫌な顔されたの思い出した。ほんと筋金入り」

「そうだな。悠はとんでもなく――――いや待て貴様取ったのか? あいつのを??」

「あッやば」

「私以外があいつのアレを取ったのか貴様――――!?」

「いやちょッ、待っ!? すと、ストップです所長! たまたま、一回だけですよ!? 定期検診の時と所長の会議がバッティングしちゃって仕方なくわたしがシただけで!?」

「知るかァ!!」

「理不尽ですけどぉ!?」

 

 極東第一男性収容施設。

 まったくと言っていいほど問題の起きないそこは平和そのもの。

 ただ、それに一抹の淋しさを覚えるのは、もちろん美沙だけではなかった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

――ひっくしゅん!! うぅ……? 薄着すぎたかァ……?」

 

 

 

 

 





悠→美沙
「姉弟みたいなカンジ。口うるさいけど好き。むしろそれがいい。良いお姉ちゃん」

美沙→悠
「 エ ッ チ し た い ! (迫真)」


うーんすれ違い。


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3/『はぐれもの』②

 

 

 ――夢を見る。

 

 空を飛ぶ鳥を眺めて、

 

 ――夢を見る。

 

 地を駆ける野良猫を追って、

 

 ――夢を見る。

 

 水を泳ぐ魚をつかまえて、

 

 

 ――いつかにありふれた、もう戻れない過去(ユメ)を見る――

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 父親の顔は知らない。

 母親の愛も知らない。

 けれど、人の温もりは知っていた。

 

 怪物たちの襲撃から逃れた小さな村。

 辛うじて現代に残る人の住処。

 そこで生まれた、たったひとつの小さな命が彼女だった。

 

『妃和、元気かい?』

『どうしたの。なにか困ったことでも?』

『妃和ちゃん! ほいこれ、果物! 美味しいぞ!』

『大丈夫か、妃和。怪我は、していないか?』

 

 減るばかりだった人類にとって、生命の芽吹きはなにより尊い。

 誰もが彼女を気遣った。

 生活は決して楽とは言えなかったけれど、周囲の環境には恵まれた。

 

 なによりみんな良い人だったし。

 辛いコトも苦しいコトも、みんなが居ればぜんぜん気にはならない程度で。

 だから。

 

『嫌だ! 嫌だっ! 助けて、誰か、助け――』

『ああっ……あぁあっ……終わりだ、もう。俺たちは……』

『お願い、許して! ああ! あああ! 死にたくないっ、死にたくないよぉ!』

『待って! 待って!! わたしっ、わたし……! ひぃっ、あ、あぁあぁ――――』

『ひ、より。ひより、ヒヨリ、妃和――――』

『たす、け』

 

 〝――――――――――〟

 

 そう、だから、彼女は。

 

『すまない。だが、これしかなかった。……許してくれ。君の大切なモノを――』

 

 そのとき、太陽に抱かれて。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ――パチパチと、なにかの燃える音がする。

 

 鼻孔をかすめる煙の匂い。

 ほのかに伝わる火の温度。

 熱には一倍敏感な彼女の身体は、それであっさり眠気を手放した。

 

 ……瞼を持ち上げる。

 鮮明になっていく視界のなかで、見慣れた姿をひとりみつける。

 

 喉は、微かに震えてくれた。

 

「……りゅう、ざき……?」

「ん、起きたかよ、ヒヨリ」

「…………ここ、は」

「さあ。知らねえ。どっかの森だ。それよか、身体は平気か?」

 

 横になったままの彼女の顔を、じっと悠が覗きこんだ。

 

 ……驚きから固まって、しばらく見つめ合う。

 身体は平気かと聞かれたが、そんなことをたしかめられるワケもない。

 

「……顔色は良さそうだが。ヒヨリ、これ何本に見える?」

 

 言って、彼は人差し指をぴんと立てた。

 当然それ以外の指は下ろされている。

 

「……一本」

「おっけぇ。目はいいな。頭も大丈夫か? ……まだ痛むなら寝てていいぜ」

「……いや、動けはする……と、思う」

 

 怠さの残る手足を引き摺って起き上がる。

 潰れた右手は半ばから千切れて戻ってはいなかった。

 悠とは明確に違う才能の差だ。

 おそらくは一生涯完治しまい。

 

 とはいえ、痛みはたしかに残っていたが、我慢できないほどでもない。

 これなら問題ないだろう、と妃和はそのまま立とうとして、

 

「……制服?」

「布団代わりだ。ちょっとは違うだろうと思ってよ」

「そうか。……その、助かった。ありがとう。流崎」

「礼には及ばねえよ。拾いモンだしな。なんならそのまま貰ってくれてもいいぜ」

「私だって制服は持ってる……」

「そういやそうだったな」

 

 くつくつと笑う悠。

 その姿がどうにも記憶とブレて、「うん?」なんて妃和は首を傾げた。

 

 ……なんだろう、姿形は一切変わらないのに、猛烈な違和感を覚える。

 思わずそれまでの出来事を走馬灯のように思い返してしまうほどに。

 

「……そうだ。みんな。流崎っ、他のみんなは」

「死んじまったよ」

「――――――――、」

「全員、死んじまった。生き残ったのは俺とおまえだけ。それはもう確認した」

「…………そう、なのか」

 

 ぐわん、と頭をハンマーで殴られたような衝撃。

 足元がおぼつかない。

 急に視界が揺れて、彼女は力無く地面にへたこんだ。

 

「私と……流崎、だけ」

「ああ」

「そう、だったのか……みんなは。流崎は……、……わたし、は」

「――ヒヨリ?」

「…………いや、そうだな。仕方のない、コトなんだろう。それは」

 

 ぐっと拳を握り込む。

 

 ぐちゃぐちゃに乱れそうになった思考を瞬間的に引き締める。

 心臓を冷やすために細く息を吐いた。

 

 そうでもしなければ、今すぐにでもこの胸を裂いてソレを取り出しかねない。

 

 だから、細く、冷たく。

 吐く息は白く、夜闇に消えていく。

 

「……夜」

「ああ。もう夜だ。あれからぐっすりだったよ、あんた」

「それは……そうだろう。なにせ、あんな無茶をした後だ」

「だよな。とんだ無茶だ。全員が全員、命を投げ捨てやがって」

「……だが、私はこうして生き残った」

「なんだよ、嬉しそうじゃねえな」

「嬉しいものか。私は――――……ああ、いや、なんでもない」

「……ふーん」

 

 なにか言いたげな悠は、けれど結局そのまま口をつぐんだ。

 

 どこかも知れない森の中。

 木々の開けた広場で、密やかな沈黙が舞い降りる。

 

 ふと、妃和は気まぐれに顔を上げた。

 見上げた空は夜の色。

 紫がかった空は昼間と違ってまだ自然みが溢れている。

 星は一切見えないけれど、たしかにそれは夜空らしい。

 

「……ああ、でも」

「? なんだよ」

「いいや。その、流崎が生きていてくれたのは、良かった。そこは素直に喜べる」

「――――じゃあ、なんだ。てめえが生きてるのは喜べねえってか、ヒヨリ」

「そういうワケじゃない。私は……私だからな。自分が生きてるのは、普通、嬉しがるものだろう」

「そんなに苦虫噛み潰したような顔してんのにか」

 

 鋭い切り込みに言葉が詰まった。

 まったくよく見ている。

 

 沈みきった妃和の表情は死人を連想させる()()だった。

 を通り越して表情に色がない

 どころか、放っておけばそのまま壊れてしまいそうなほどで。

 

「違っ……そんなんじゃ」

「なにが違う。なあオイ、ヒヨリ。誤魔化すんじゃねえ」

「ッ……ちが、うんだ。だって、私は。……私、は……」

「………………、」

 

 はあ、と思わず溜め息をつく悠。

 必死に否定しようとしているも、言葉が出なくては意味がない。

 そも、沈黙は肯定とも取られる。

 

 意外だったのはそれを見た己の心境だ。

 はっきりしなくてモヤモヤして、普段ならイライラするコトこの上ないハズなのに。

 まるで迷子になった子供みたいにうつむく彼女は、ちょっと放っておけなかった。

 

「……ほらよ」

「…………? なん、だ。これ……?」

「お茶。そこらの草からつくってみた」

「……すまない」

 

 そっと手渡されたコップにはなにやら薄緑色の液体が入っている。

 ほかほかと上る湯気に、ツンと鼻をつく青臭さ。

 こんなご時世に茶葉なんて取れるワケもなし。

 はたしてそれをお茶と呼べるのだろうか、なんて考えながらコップを傾けた。

 

「――――まずッ!?」

「だろ」

「えほっ、うぇっ……流崎、なんなんだ……これ……!」

「だからその辺の草すりつぶしてお湯と混ぜたお茶だ」

「それは……! お茶と言わない……!」

 

 どちらかというと草汁である。

 

 というかまずい。

 死ぬほどまずい。

 感傷的になっていた気分がどっかにいくぐらいまずい。

 なんだこれ味覚をピンポイントで潰す大量殺戮兵器かなんて思うほどまずい。

 

「良薬は口に苦しってな。これでも栄養とかいっぱい出てる証拠じゃねえか?」

「……そうだろうか……?」

「こんな時代に自生してる植物だぜ? すげえに決まってらあ」

「そう言われると……まあ、たしかに……」

 

 ずず、ともう一回口に含んでみる。

 

「えふっ」

「あ、オイもったいねえぞ吐くなよ」

「やっぱりまずいよ流崎……っ」

「ゼイタクめ。あるだけ良いだろ、あるだけ」

 

 ふん、と鼻を鳴らして悠は妃和からお茶モドキを受け取った。

 ちょびっとしか飲んでいないのか、中身はそれほど減っていない。

 余程彼女の口には合わなかったようだ。

 

「ったく……」

「ぁ…………」

 

 そのままコップに口をつけてひと息に嚥下する。

 

「――――くそまじぃ」

だ、だから言ってるじゃないか……

「……? なんだよ。なんか変だな、ヒヨリ」

へ、変、か?

「いや、変だろ。なにをそんなに動揺してんだ」

べ、別に、なんでも。……なんでも、ないん、だろうけど……

 

 赤くなった頬をかきながら、妃和はそっと視線を逸らす。

 

 まったく気にしていないのか、それとも気付いていないだけか。

 こてんと首を傾げる少年の態度は依然として平常そのもの。

 

 ……間接キス(さっきの)で意識してしまったのがちょっと恥ずかしい。

 

「ああ、それと。まあ……なんだ」

「……?」

「てめえがどう思ってるかはともかく、俺はけっこうオマエに救われたぜ」

「……わたし、に?」

「おう」

 

 驚いて、恐る恐る彼のほうを見る。

 少年はふらっと夜空を見上げていた。

 気遣うでもなく、怒るでもなく。

 ただその横顔に浮かんだような、らしくない心の平静さに吸い込まれる。

 

「全員死んだと思ってたからな。息があるって気付いた時はビビった。……でもよ、そうだろ。無くしたもんは多いけど、ちっぽけだが守れたもんがあったってコトだ」

「……それが、私なのか……?」

「そうじゃなくて何になる。いや、誰かを守りたくて戦ったワケじゃねえけどな? 俺は俺のために戦ったんだし。でも……いや、だからかな。残ってるもんがあるコトに、感謝したのは間違いない」

 

 その理由は未だに分からない。

 解答欄は埋まらないまま。

 それでも彼は単純故に、感情に従う己の素直さを発揮して、

 

「だから、俺は良かったぜ。あんたが生きていてくれて。そこは素直に喜べるってな」

「――――――――」

 

 それは。

 ああ、それは、とんでもない一言(いちげき)で――

 

「……って、オイ。なんだ。ヒヨリ。まさか、泣いてんのか」

「……ぇ……? あ…………ちがっ、これ……」

 

 ずるい、ダメだ、反則だ。

 

 言いたいことは山ほどあった。

 言えることはなんだって思いついた。

 

 でも、どうしてか涙が止まらなくて。

 

「いい。落ち着けって」

「っ」

 

 ぽん、と手のひらを頭の上に置かれる。

 

 ほんとに、いけない。

 こんなのは耐えられない。

 

 もう、なにも。

 

 

 ――なにも、言えない。

 

「ガキの頃は美沙によくされたんだ。わりと効くだろ?」

「…………っ、ぁ……ぅ……ッ」

 

 わからない。

 どうしてこんなに。

 なんであんなに。

 

「――――――ッ」

 

 ああ、嫌だ。

 とんでもなく嫌だ。

 

 心臓にのし掛かる重苦しさを、

 頭を締めつける茨のような痛みを、

 妃和は歯を食い縛って無理やり想起する。

 

 こんなので。

 こんな、あまりにも理由のない優しさで揺れるなんて――

 

 

 ――許せなくて、嫌だ。

 

「……なん、なんだ……!」

「なにがだよ」

「男の子って……みんな、そうなのか……!?」

「人それぞれだ。男だ女だと括っても意味ねえぞ」

「流崎……っ」

「なんだ」

「わたし、これ、いやだ……!」

「……そうかい」

 

 そっと手を離して息を吐く。

 そういう意味ではないとしても、悠自身いまの妃和に触れるのは違うと思った。

 

 シンプルな直感だ。

 きっと泣いているのは悲しいのとは違う。

 本来なら心の奥底に眠っていたなにかが、ちょっと出てきてしまっただけ。

 

「こんな、わたし。――こんな幸せ(気持ち)に、なりたくない……っ」

 

 それこそが、救いようのない彼女の本音なのだろう。

 

 

 




あッ(幸福)ウッ(死にたくなる)系ヒロイン


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3/『はぐれもの』③

 

 

 

「――すまない。酷いところを、見せた」

「気にすんな」

 

 焚き火に薪をくべながら、悠がわずかに頬を緩める。

 なんとなく腹に一物抱えているのは彼でも分かっていたからか、驚きは少ない。

 

「人それぞれ、って言ったろ。俺は俺で厄介な事情だって持ってて、ヒヨリはヒヨリで色々とあって当然だしな。そのあたり責めるのは違うだろうぜ」

「そう、か。……強かだな、流崎は」

「サンキュー。そう言われて悪い気はしねえ。まあ、実力が伴ってなくちゃ負け犬の遠吠えだろうけどな」

「……そんなことは、ないだろう」

「羽虫一匹片手で払えないようなヤツだぜ、俺は」

 

 ……その羽虫はそもそも数十人でようやく安全に倒すコトができる奴等なのだが、そのあたり彼は分かっているのだろうか?

 

 妃和はちょっとだけ心配になった。

 初めての戦いで常識を覆した少年に、正しい知識があるとは考えづらい。

 

「……五年だ」

「? なにがだよ」

「私が鉄潔角装を出せるようになったのは、それだけ訓練してからだった。一朝一夕で出来るものじゃない。ましてや、見様見真似では」

「それがどうしたってんだ」

「それが出来たおまえは、十分凄いと言っているんだ」

「偶々だろうよ。俺には出来た。ヒヨリには五年かかった。そんだけだ。きっとそれ以外の部分で比べりゃ劣るトコロのが多いぜ」

「…………、」

 

 自虐交じりの言葉は、けれど不思議と自信に満ちていた。

 足りない部分を嘆くのではなく、足りないからこそやりがいがあるという気勢。

 

 くつくつと笑う姿は落ち着いた雰囲気とはまったく別だ。

 その身体の奥で一体どんなものが煮えたぎっているか、想像できないぐらいに。

 

「……そういえば、流崎。どうしておまえ、北極に行きたかったんだ?」

「ん? いや、いるんだろ、北極に」

「なにが……、え、待て。おまえ、まさか」

()()()()()

「しょ、正気か?」

 

 こくり、と頷く純朴少年。

 無知とはこれほどまでに恐ろしいのか、と戦慄する妃和だった。

 

「……流崎は、この前の遠征を知らないんだな……」

「ああ。なんだそりゃあ」

「戦闘部隊をあげての大規模作戦だ。……北極に突き立つ氷の十字架、それを倒すために多くの人員が集められた。結果は……惨敗だが」

「へぇ。てことはめちゃくちゃ強いんだな、そいつ」

「強いというより、相手にならない。冷気を操るせいで近寄るのも一苦労だったらしい。私たちの総司令でさえ重傷を負って退却を余儀なくされた」

「……ああ。たしかに美沙もそんなコト言ってたな……」

 

 曰く、絶対零度の世界を広げる死の十字架。

 そこに在るだけで生物を死滅させる殺戮の権化。

 近くの地域はその余波だけで住めるモノではなくなっているという。

 例えばウォッカの国とか。

 

「……先ほどからちょっと気になっていたが、ミサ、というのは……」

「収容所で俺の担当だった職員だ。口うるさくていつもこう、目の端をピンって吊り上げてやがるヤツ。良い人なんだけどな。なんだかんだで」

「仲が良かったのか。その、居心地が悪いから出て来たとかではなく」

「それとこれとは別だろ。あそこは嫌いじゃねえよ。ただ、俺が生きていくのに我慢ならなかったってだけで。……美沙も、まあ、姉貴みたいな感じでよ。気に入ってた」

 

 その姉貴分がまさか脱走したショックで「エッチしたい」とか言っている事実を悠はまだ知らない。

 というか夢にも思っていない。

 

 悲しいかな、彼女にとっては大好きな異性でも彼にとっては大事な家族枠である。

 年齢の壁は想像以上に厚かったようだ。

 

「――と、そういや思い出した。たしかここに……」

「?」

「……あった。ほい、土産だ。なにも食ってないから腹空いてるだろ?」

「みやげって……流崎、おまえこれ」

「ひひ、抜け出すときにちょっと拝借してきた。貴重な食料だぜ」

 

 そう言って渡してきたのは、どう見ても備蓄用の保存食だった。

 妃和たち戦闘部隊の面々も時折お世話になる任務のお供である。

 

「良いのか……ぎんばいじゃないか、そういうの」

「食料庫の見張りとは仲良くてな。いまから逃げるって言ったら無言でポケットに詰めるだけ詰め込んできやがった。サムズアップ付きで」

「めちゃくちゃ仲良いじゃないか……」

「頬に口付けてきたのは意味分かんなかったケドな!」

『あっ』

 

 それはつまりそういうコトでは? と察してしまった妃和だった。

 

 いや、別に、だからどうというワケではないけれど。

 そも彼の事情なんて気にするようなものでもないのだし。

 

「いただきます。ほら、ヒヨリも食えって」

「……いただきます」

 

 ぴり、と包装を破いて中身を取り出す。

 スティック状の簡易食は匂いも見た目も彼女が知っているのと同じものだ。

 少なくとも先ほどのお茶と違って警戒するような要素はない。

 

「……うわ、これ味気ねぇな……」

「そんなものだろう。……大体、普段はどんなものを食べてたんだ、流崎は」

「フツーに。なんだ、野菜とか。たまに魚とか肉とか。あと米な」

「普通じゃない! めちゃくちゃ贅沢じゃないか!」

「だよな。戦えもしねえ男どもにそんな資源割いて良いのかね」

「……男というだけで価値はあるだろうが……」

 

 まだ怪物たちも来ていない昔の話。

 人類は未来に起こる資源不足を危惧していたという。

 

 その当時の人間たちですら想像しなかったであろう。

 まさか、資源を消費する前に人間たちがこんな形で数を減らすなどと。

 

「……ん? 待て。ということは流崎、そのコップも収容所から?」

「いや、これは俺がつくった」

「つくった」

「そこらの適当な倒木削り出して」

「けずりだして」

「いや、だから、ほら」

 

 びゅっ、と空色に光って五指から放たれる純エーテル。

 その破壊力は妃和も間近で見ている。

 だから驚くべきはそれが出来た威力より、そこまで細かく扱えた彼の器用さだ。

 

「……本当に、純エーテルの扱いは巧いのだな……」

「だろ? 俺が女なら天下取れてたかもな?」

「本気でそう思うよ。……私からも、これ」

「? ハンカチ?」

「血だ」

「なるほど」

 

 口の端からつぅっと垂れる血を、妃和から受け取ったハンカチで拭う。

 平気な顔で居られるのは真実彼の適性と性根によるものだろう。

 

 純エーテルに苦しめられたコトが無い妃和には想像もできないけれど。

 飄然とした顔色の下がどうなっているかは、ちょっとだけ気になった。

 

「……やっぱり、辛いのか」

「どうかな。なんか分かんねえ。辛いような気もするし、いつものコトと言やあそうだ」

「……どうして外に出たんだ。ずっと収容所にいれば、おまえは」

「だから言ったろ。それじゃあ我慢ならない。似合わない。俺の気持ちの問題だ。……なにより、男は隔離されて安全に暮らせってのが気に喰わねえ」

「それが普通だろう。なにをそんなに」

「普通だからなんだ。いや、普通だからこそだ。そんなの、腹が立ってしゃあねえだろ」

「……ワケが、分からないな」

「持病みてえなもんだ。気にすんな」

 

 ボリボリと携帯食料を囓りつつ、悠はそう吐き捨てた。

 

 ……まったくもって分からない。

 その才能も謎なら思考回路まで摩訶不思議だ。

 

 流崎悠という異質。

 およそ自然発生したとは思えない人間。

 そこに、なにかしらの影を垣間見た気がして――

 

「「!!」」

 

 不意に。

 がさり、と背後の茂みに動く気配があった。

 

「――――っ、誰だてめえ! ツラ見せろォ!」

「落ち着け流崎! 羽虫の場合、戦闘はッ」

「ああ!? 構うかよ! ()()()()叩き潰してやらあ! あんな野郎ッ!!」

 

「あ、それじゃあやっぱり、アレ、貴方がやったんだ」

 

「「!?」」

 

 ばっと、ふたりして声のほうを振り向く。

 木々の隙間、悠たちから少し離れた場所にその影はあった。

 

 身長はだいたい百四十ぐらい。

 歳はまだ十二ほどだろうか。

 背には大きなバックパックを背負っている。

 

 亜麻色の髪を青い大きなリボンで後ろにまとめた姿。

 そして、なにより一番目についたのは――

 

『…………ありゃあ、……か……?』

 

 基本兵装が鉄潔角装となった現代ではまったく見ない手持ちの武器。

 

「はじめまして……で、いいのかな。お若いふたりで楽しんでいるところごめんね」

子供(ガキ)のくせになに言ってやがる?」

「おい、流崎。まだ小さいんだぞ。そういう言い方は……っ」

「ふふっ、大丈夫です。これでも還暦はとっくに越えてるおばあちゃんだから」

「「!?」」

 

 驚いていま一度その姿を目におさめる。

 じっと、頭の天辺から足の爪先まで。

 

 じぃっと、じぃぃっと。

 

 何度も何度も、たしかめるように見続ける。

 

「――いやどう考えても子供(ガキ)だろ!? 年寄りには見えねえよ!!」

「そ、そうだな。その意見には、私も同意する」

「ちょっと事情があって。でも、あなた達の何倍も生きてるのは本当」

 

 くすくすと笑いながら、少女はこちらに歩いてきた。

 見れば見るほどにその格好は幼い子供そのもの。

 本人の言といえど、おばあちゃんだなんて欠片も思えない。

 

「わたしは麻奈(まな)紺埜(こんの)麻奈。世界中を旅してるんです。あなた達は?」

「……流崎悠だ」

「巴、妃和……で、す」

「そう。なら〝はーくん〟に〝ひーちゃん〟だ」

「は?」

「え……?」

 

 そうして彼女はニッコリと、見た目相応な笑みを浮かべて。

 

「よければちょっとだけお話しない? 夜は退屈でしょう?」

 

 そんな風に、切り出してきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ちなみにこのヒトは〝いーくん〟ね。今は眠っちゃってるんだけど」

「……誰をさして言ってんだ、あんた」

「え、だから。このヒト」

 

 かちゃり、と刀を揺らして少女は答えた。

 

 真顔で。

 冗談ひとつ無い顔色と声音で。

 

 ……これは、ちょっとやばいかもしれない。

 

 もちろんアタマが。

 

 

 

 

 




ロリババア(ガチ)

刀に名前つけて話しかけてる痛い子に見えるだけのめっちゃ優しい人


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3/『はぐれもの』④

 

 

 

「よいしょっと」

 

 どさり、と少女――麻奈は荷物を置いてひと息ついた。

 自分の背丈の1.5倍ほどもある巨大なバックパックである。

 中はぎっしり詰まっているようで、見るからにぱんぱんだ。

 

「……話っつってもよ、一体なにをどう話すっていうんだ。あいにくと子供に話すようなコトなんざ無いぜ、俺ぁ」

「だから、流崎……」

「そんなこと言わないで。……そうだね、ちょっと気になる部分から」

「なんだよ」

「ふたりは恋人なのかな」

 

 ばくん! と跳ねたのはどちらの心臓か。

 

「――違え。命を掛け合った仲だ」

「なるほど、シンプルだね」

「…………、」

 

 さっぱりとした悠の返答は決して間違いではない。

 間違いではないのだが……いや、うん、間違いではないので。

 

 なので、とくに、こう、思うところとかあるワケもない妃和である。

 

 ないったらない。

 そんなのはまったく、これっぽっちも、小指の先ですらない。

 

「……がんばって。ひーちゃん」

「な、なにをですかっ」

「なんでもないよ?」

「――――ッ、だったら。その、違いますから。……本当」

「? どういう話だよあんたら」

「な、なんでもないッ!」

「??」

 

 思わず怒鳴ってしまった妃和だった。

 

 いや本当ないから。

 こんなのは一時の気の迷いというか周りに彼しかいない弊害みたいなものだから。

 

 ……などと、自分に言い聞かせてみたりする。

 意味があるかどうかは、彼女のみぞ知るだろう。

 

「ふふっ。まあ、この話はそれぐらいにしておいて」

「どのぐらいだよ」

「本題は、さっき言った通りかな。君がアレをしたのかってところ」

「羽虫か」

「そう。開花までしたアレを倒したのは間違いないんだね?」

「俺ひとりでやったコトじゃねえけどよ。……あぁ、仕留めたのは俺だな」

「そっか」

 

 にこりと笑いながら、麻奈がうんうんと頷く。

 どこか納得いった、とでも言いたげな様子で。

 

「どうりで。ああ、でもそうだね。君があの〝奔星(はしりぼし)〟なのかな」

「あ? なんだそりゃあ」

「え、知らないの?」

「知らねえ。意味も分かんねえ」

「………………そう」

 

 その回答は正しく予想外だったのだろう。

 目を見開いた麻奈の表情は分かりやすいほど驚いている。

 

 同時に、どこか思考を巡らせているようにも見えた。

 思い当たる部分があったのかどうか。

 彼女は数秒顎に手を当てて考えながら、

 

「――ねえ、はーくん」

「……その呼び方はどうにかなんねえかな……ぞぞっとくる」

「はーくん」

「…………なんだよ…………」

「君は空の向こう――上の世界を見たコトがあるかな?」

「……空の、向こう……?」

 

 反射的に視線を夜空へ投げた。

 彼女の言いたいことの本質はさっぱり読み取れない。

 

 もとより空というのは曖昧だ。

 雲を越えて大気圏を抜ければそこから先は広大な宇宙空間である。

 

 ……まさかとは思うが、麻奈はそのことをさしているのか。

 

「俺は地球生まれの地球育ちだが」

「ないんだね」

「……あんた、なにが言いたい? いや、なにを確かめたいんだ?」

「ごめんね、詳しくは言えない。でも、分かったよ。……うん。なら君はまだ大丈夫」

「…………、」

 

 一体、なにが大丈夫なのだろう?

 悠にはそのあたりが依然さっぱり分からない。

 

「安心したよ。とりあえず、今のところは」

「……胡散臭え。何者だあんた。会話になってねえぞ」

「うーん。強いて言うなら、おもちゃ箱の人形……とかかな」

「はぁ?」

「物の例え。わたしは結局、なにもできなかった人のひとりなんだよ」

 

 刀を抱えて麻奈は自嘲気味に笑った。

 

 ……おかしいことに。

 その絶妙な表情だけで、悠の視界はパッと晴れたようだった。

 

 言葉の重み、纏う雰囲気、細かいところの手足の動き。

 それら全てが上手く噛み合わさっているとしか思えない態度。

 見た目は一切変わらない少女のままなのに、そこにはたしかな歳月がある。

 

「……あの、紺埜……さん」

「ん? どうしたの。ひーちゃん」

「い、いえ。その……驚かないんですね。流崎……男の人を、見ても」

「そりゃあ、長いこと生きてたらね。はーくんみたいな子は何人かいたし」

「そ、そうなんですか……?」

「うん。いたよ。外でも生きられた貴重な男の子たち。かくいうわたしの夫もそうでね」

 

 どこか遠いところを眺めながら、麻奈はきゅっと刀を握りしめる。

 

 もう二度と会えない誰かの影。

 そんな幻影を夜闇にでも見たのだろうか。

 

 悠と妃和には、当然その真意は分からない。

 

「激しい人だった。喧嘩が好きで、ヒリつく感覚が好きで、どこまでも真っ直ぐなプライドと信念を抱えて生きたひと。正面を塞ぐ壁も苦難も全部切り裂いて、旅立っちゃったバカなひと。……雰囲気は、はーくんに似てたかな」

「俺?」

「うん。純エーテルなんてくそくらえー、なんて言ってね。怪物たち相手に刀一本で立ち向かって、血まみれになりながら生きてたり」

「それは……流崎そっくりだな」

「ヒヨリ。なんか俺のこと勘違いしてねえか」

「そうは思えないが。……いやだって血まみれで剣一本で立ち向かったじゃないか」

「俺、喧嘩はそこまで好きじゃねえよ。生きてる実感があるのは愉しいが」

「戦ってるときの流崎、とっても愉しそうだった」

「ありゃ喧嘩じゃねえ。殺し合いだ」

「同じじゃないか!」

「ぜんぜん違え!」

 

 意地が足りねえだろ意地が! という悠と、

 なにが意地だ!? と声を上げて反論する妃和。

 

 対する麻奈はやいのやいのと騒ぐふたりを見て頬を緩める程度。

 微笑ましい若者の痴話喧嘩を見守るおばあちゃんだった。

 

「アオハルだね」

「「誰がッ!?」」

 

 息もぴったりである。

 

「ふふふっ……でも、そうだね。ふたりを見てると、昔のこと、思い出しちゃった」

「…………、」

「はーくん。気をつけなよ。純エーテルの使いすぎはとくに。君たち男の子にとっては猛毒なんだって、しっかり理解しておくんだよ」

「分かってるよ。そんなコトは、随分と前から」

「年寄りのお節介だから。でも、取り返しのつかないコトになってからだと遅いの。途中で足を止めないと、君はいつか必ず後悔する」

「それこそごめんだね。一度決めたら最後までだ。止める足なんざ持ってねえよ」

「……無理はしないでね。ひーちゃんだっているんだし」

「? ヒヨリ? そりゃあいるが。……ヒヨリー? なんか言われてるケドよ」

「き、気にするなっ。……気にしないで、いい。おまえは。流崎っ」

 

 そうか、と応えて悠は妃和から視線を逸らす。

 妃和としてはもうワケが分からないのでそういう話はやめてほしい。

 ちょっと頭がバグりそうだ。

 

「……本当に、気をつけなよ。こんな世界、まともに生きるのも正解じゃないんだから」

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 

 

 

 遠い遠い昔の夢。

 おぼろげになった誰かの記憶。

 

 

 

 

 全身の気怠さと、過去最高潮になる節々の痛み。

 

 胸には杭を打たれたような悲しみがある。

 なぜか涙が止まらない。

 

 

 べちゃり、べちゃり。

 

 

 誰かを殴っている。

 誰だろう、顔が腫れていて分からない。

 息はしている、殺してはいないようだ。

 

 

 ぐしゃり、ぐしゃり。

 

 

 誰かを殴っている。

 誰かは分からないのに、胸からこみあげる恨みがあった。

 

 殺せはしない、殺すほどの拳を放てない。

 せいぜい自分にできるのはコレを病院送りにするまで叩きのめすコトだ。

 病に侵された身でありながら、こんな無理を押し通してまで。

 

 

『あぁッ、オマエがッ、オマエをッ、彼女はッ、彼女がッ、彼女を――――』

 

 

 

 ぐちゃり、ぐちゃり。

 

 

 誰かを殴っている。

 顔の分からない誰かを。

 この世で最も憎い誰かを。

 

 殺したいのに殺せなくて、仕方ないから全力を振り絞って。

 最早かすかな命の灯火まで使い果たして、殴ろうとしている。

 

 

『オマエがッ、彼女を――――――!!』

 

 

 ……結局。

 それで胸は、一切晴れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ふと、目が覚めた。

 

 飛び起きるように身体を持ち上げて、荒い呼吸をくり返す。

 どうにも悪い夢を見たらしい。

 

 夢の内容は覚えていないけれど、胸中には嫌な感情が残っていた。

 

「――――っ」

 

 ……頭痛がする。

 

 いつもの体調不良とは違う、おかしな頭の鈍痛。

 何度経験しても慣れないそれを、悠は堪えるように噛み殺した。

 

「――――…………、」

 

 頭痛はしばらくしておさまった。

 もとより痛み、刺激の類いにはある程度慣れている彼である。

 起きてから十分も経てば動いても支障はない。

 

 そっと立ち上がってマフラーをきつくしめる。

 まだ眠る気にはなれないので、少し離れて夜空を見ることにした。

 

『……奔星、か』

 

 ついでと言うべきか。

 眠る前、麻奈に言われたコトを思い出す。

 

 それがどういう意味なのかを、悠は直感的に知っている気がした。

 願いを背負う夜這星。

 誰がなにを思ってそう呼んだのか、彼にとってはなにも分からない一言だ。

 

「なんだかね、それも」

 

 夜の森は一寸先も見えない闇が降りている。

 寒さは手足を凍えさせるに十分なほど。

 

 月の光も遠く薄れた微かなものだ。

 はあ、と白い息を吐きながら森を歩く。

 

 ……と、

 

「あん?」

「うん? ああ、はーくん」

「だからその呼び方は……まあいい。なにしてんだ、あんた」

「ちょっとお散歩。きみは?」

「眠れねえから気分転換だ」

 

 わずかに木々の隙間が広くなったあたり。

 亜麻色の髪の少女、……というべきかは未だ分からない……麻奈は、背中を大木に預けて座り込んでいた。

 

「座る? 隣」

「いや、いい。悪いがまだそこまでじゃねえ」

「そっか」

 

 言いながら、悠はひとつ空けた木の傍に腰を下ろす。

 

 ふたりの距離はおよそ三メートル。

 それはそのまま互いの心の距離でもあるように。

 

 どこか思うところがあるのを押しこんで、枝葉の隙間から星を眺めた。

 

「…………ねえ」

「なんだよ」

「君から見て、この世界をどう思う?」

「終わってんな」

「あはは、すごいストレートだ」

 

 苦笑交じりの複雑な表情は、けれどどこか同意の色が強いように思えた。

 反射的に口に出した答えがとんでもなかったような、そんな錯覚すら感じる。

 

「純エーテルと怪物の発生については知ってるかな」

「嫌というほど施設で聞いたよ。耳にタコができるぐらいな」

「じゃあ、ここ十七年で怪物たちの活動が急激に低下したのも?」

「……それは初耳だ」

「ちょうど人口が一万を下回ったぐらいからだったかな。それまで大量に殺戮と破壊をくり返してきた怪物たちが大人しくなったの。もちろん脅威の度合いは変わってないんだけどね」

 

 それは奇しくも彼が生まれた時期と一致する。

 流崎悠、御年十七歳。

 純エーテルに適性のない男性からしれみれば、平均寿命の折り返しにさしかかった歳でもあった。

 

「……大人しくって、俺がやり合った羽虫とかもか?」

「あれこそ分かりやすいよ。本当の怪物はたかだか鉄潔角装でどうにかできるような存在じゃないからね」

「まるでそいつと戦ったコトがあるような言い方だな」

「お恥ずかしながら。人類初の怪物撃破はわたしだったりするんだよ、これでも」

「…………それが本当ならとんでもねえ婆さんだな、あんた」

 

 不機嫌な表情を隠そうともしない悠。

 数人の命と引き換えに討ち倒した相手を「取るに足らない」とはっきり言われたのがどうも納得いかないらしい。

 

「ともかく、怪物たちはその猛攻を緩めたの。まだ人類が滅んでいないのがなによりの証拠。興味を失ったのか、生かされてるのか、それとも別の問題なのか」

「そんなのは頭使うヤツらが考える話だろ」

「そうだね。でも、ちょっとは考えてみてもいいと思う」

「なにをだよ」

「純エーテルって、一体なんなんだろうね」

 

 ぴくり、と悠の眉が動く。

 

「……エネルギーじゃねえのか」

「純潔の女性を好み、それ意外に有害性を撒き散らす神秘の粒子。そうは言うけど、いくらなんでも()()()()()()()とは思わない?」

「都合……?」

「効果が限定的すぎるってこと。深淵を見ればなんとやら、とも言うんだし。くれぐれも過信は禁物だよ、はーくん。こんなもの、本当は無い方がいいんだから

 

 それで言いたいコトもなくなったのか、麻奈が「よいしょ」と声を出して立ち上がる。

 

 ……過信をするな、とは言うけれど。

 悠にとってはそれがどの程度のものなのか、いまは皆目見当もつかない。

 

「いずれ分かる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。わたしは後者を願っておこうかな」

「おいおい、意地が悪ぃな」

「分からない方が良いこともあるんだよ」

「……それはそうかもしれねえな」

 

 ぱんぱんと服を叩いて麻奈は踵を返した。

 暗闇でまったく気付かなかったが、彼女はずっと刀を抱えていたらしい。

 そのまま得物を握り絞めて悠の来た道を帰ろうとする。

 

 ――その、近くに。

 

 

 

〝え?〟

 

 

 

 音も無く、

 気配も無く、

 暗がりから鋭く飛び出た、鋭利な枯れ木色(羽虫)の影を見て――

 

 

「ッ、オイ! 危ね――――」

「ん?」

 

 

 くるり、と笑顔で振り返る無防備な帯刀少女。

 そこには血の色はおろか、凄惨な匂いすら感じさせない。

 

――――いや、悪い。……気のせいだ。驚かせた

「ふふっ、いいよ。ぜんぜん。わたしの方こそごめんね」

「……なんであんたが謝るんだよ」

「なんとなく。……じゃあね、今度こそおやすみ。はーくん」

「……ああ」

 

 力無く手を振って、木々の合間を縫うように歩く彼女を見送る。

 

 勘違い、もっと言うなら酷い見間違いだ。

 こんな夜中の森で、暗がりから羽虫に襲われるなどと。

 

 どうりで、悪夢を見るのも頷けた。

 

「……俺も帰るか」

 

 立ち上がって来た道を戻る。

 

 靴の裏には土と草と木の根っこみたいな感触。

 ザリザリとした足音をならして森を歩いていく。

 

 闇は深くても、恐れるべき相手の気配はない。

 

 途中、パキパキと音がした。

 寒さで折れた枝でも踏んだのだろう。

 

 いまぐらいの時期なら、なにもおかしくはない話だ。

 

 

 




夜に電灯もないと真っ暗だからね。


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3/『はぐれもの』⑤

 

 

 

 次の日の朝、悠は鼻孔をくすぐる美味しそうな匂いで目を覚ました。

 瞼を持ち上げて一秒と待たず、がばっと跳ね起きる。

 

「お。元気がいいね。さすが男の子」

「……男は元気が悪いもんだが」

「ああ、そっか。そうだね。間違えた。じゃあ改めて。おはよう、はーくん」

「……あいよ。おはようさん」

 

 コキコキと首を鳴らしながら麻奈の挨拶に返す。

 寝起きの気分の悪さは大分軽い。

 一日過ごしたせいか、それとも彼自身気付かない程度に慣れてしまったのか。

 外に出てきたばかりの頃に比べて俄然マシだ。

 

「それで、なんだよこの匂い」

「あ、これ? キノコと山菜のスープ。まだひーちゃん起きてないけど、食べる?」

「もらう」

 

 即答だった。

 

 それもそのはず、悠は先日の脱走以来まともなモノを一切口に入れていない。

 昨晩の保存食だって食べたのはたったのひとつである。

 空腹を満たすには量が少なすぎた。

 

 ので、もう朝から彼のお腹はぐうぐうと唸りを上げる始末なのだ。

 

「そこは待ってあげるところだよ、男の子」

「……起こしてくらあ」

「うん、わかった」

 

 ガリガリと頭をかきながら踵を返す悠。

 妃和の姿は彼が寝ていた場所とそう遠くない位置にあった。

 わずか三十センチほど離れて、ほぼ隣り合う形で眠っていたコトになる。

 なのに熟睡できた警戒心の少なさは……まあ、死線を越えた間柄故かもしれないが。

 

「おーい。ヒヨリ。朝だぞー。メシだー、メシ。起きろー」

「――――……ぅ、うぅ……ん……」

「ヒーヨーリー。メシだぞー。要らねえのかー。要らねえなら俺がもらうぞー」

「…………りゅ、う……ざき……?」

「おう。目え覚ませ。朝だ朝、起きやがれよ、寝ぼすけ」

「あぁ……おは、よう……りゅう……ざき……、…………」

 起き上がってごしごし目を擦っていた妃和が、なにかに気付いたようぴたりと固まる。

「…………りゅう、ざき?」

「おうとも」

「………………、」

「………………?」

 

 パチパチと目をしばたたかせる。

 バッチリぶつかり合った視線が交錯した。

 

 少年の黒い瞳には少女が。

 少女の黒い瞳には少年が。

 

 互いの虹彩に互いの姿を映しながら、数秒間見つめ合う。

 

 

「――――流崎ッ!?」

「おうッ!?」

「な、ななななな! ななななな――――!!??」

「なんだなんだ! 落ち着けヒヨリ! てめえなにがあった!? 悪い夢でも見たか!」

「いまが悪いユメみたいだ!!」

「どういうことだてめえ!?」

「ふふふっ、いいねえ」

 

 はしゃぐ若者を尻目にぐるぐると鍋を混ぜるおばあちゃん。

 青春だね、なんて感想が言葉にせずとも伝わってくる微笑ましさだった。

 

だ、だって。流崎。おまえ。私の。ねっ……寝顔、を……っ

「ああ、気持ちよさそうに寝てやがったな」

「――――っ、おま、おまえっ! そ、そんなことっ

「良いじゃねえか悪いユメ見るよりかよぉ」

「……で、でりかしー、とか

「あるワケねえだろ、そんなもんッ」

「自信満々に言うコトじゃないッ」

 

 たしかに彼に繊細さとか求めるのはお門違いかもしれないが。

 むしろそういう言葉とは最もかけ離れている人種かもしれないが。

 

「そう怒んなよな。変な顔も寝相もしてなかったぜ。むしろほら、愛嬌とかありそうなツラっていうか? そこんところあんまり分かんねえけどよ」

「な、なんだ。その褒め方。……というか、寝顔を褒められたって、嬉しく、ない

「そうか。そうだな。……いや、褒めてねえけどよ? 単純な感想だぞ?」

「……すまない、流崎。ちょっと何も言わないでくれ

「はぁ?」

 

 彼の言を妃和は手のひらを向けながら遮った。

 その表情は俯いていて悠からは読み取れない。

 

 なんだよ、と文句ありありな様子で彼が口をつぐむ。

 なにがそこまで気にくわなかったのか、彼の内心の疑問はもっともだ。

 

 ……が、そんな勘違いを直に見て悟っていた人物がひとり。

 

「――ふふふっ」

 

 くすくすと笑ってふたり分のお椀にスープを注ぐ。

 麻奈からしてみれば分かりやすいことこの上ない。

 そう、あれは機嫌が悪くて俯いているのではなく――

 

「ほんと、若いっていいなあ」

 

 ただ、赤くなった顔を見られたくなくて隠しているだけなのだろう。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 三人揃っての朝食を終えると、麻奈はすぐさま支度をはじめていた。

 

「なんだ、もう行くのかよ」

「うん。もともと気になってたコトは確かめ終わったし、私の事情で君たちと一緒に動いてはあげられないんだ。ごめんね」

「いや、それはいいが」

「そっか」

 

 言いながら、彼女は綺麗にした鍋をバックパックに詰める。

 いっぱいの中身は調理器具と食材だったらしい。

 かなりの重量になるであろうそれを担いで移動できるのは素直に凄かった。

 

「ほんと、厄介だよね。色々ルールは付きまとうもので」

「へぇ」

「とくにわたしたちみたいな〝はぐれもの〟はね。いくつか制約があるんだよ」

「そのひとつが俺たちと一緒にいられない、か?」

「うん。厳密にいうと、君たちと居るのを集団と取られると困るんだ。わたしたちは個として在り続けなくちゃいけないから」

「不思議なルールもあるもんだな。誰が決めたんだ、そんなコト」

「――さあ、誰だろうね」

 

 複雑な笑みは、この短い間で何度か見かけたものだ。

 悠はそういう類いの雰囲気に覚えがある。

 

 まだ収容所にいた頃、美沙が彼を気遣っていたときと同じ空気。

 

 つまるところ、なにかしら隠し事をしているということ。

 

「……いいけどな。別に。単純なコトだが、上手いメシつくってもらって絆された」

「あはは、そりゃまた随分だね。……ひーちゃん聞いた? お料理だって、お料理」

「ど、どうしてそこで私に振るんですか」

「どうしてだろうね?」

「だから、その、違いますから。……本当」

「? どういうことだ妃和」

「なんでもないッ」

 

 ぷい、とそっぽを向く妃和に悠がまたもやこてんと首を傾げた。

 

 なんともまあ、仲の良いことで。

 くすくすくす、と麻奈は堪えきれなくなって笑みをこぼす。

 

 絶妙に噛み合わないが、ある意味でガッチリ噛み合っていることをきっと当人達だけが気付いていない。

 

「――うん、ありがとう。君たちを見てるとやっぱりこう、もらえるものがある」

「……なんだぁ、そりゃあ」

「あはは。いつか分かるよ、はーくん。ひーちゃん。……ああ、そうだね。いつかはきっと、おそらく、君たちも分かってしまうのかも知れない」

「「?」」

 

 大きな荷物を背負って、麻奈がそっと立ち上がる。

 手には離さないよう握りしめられた一本の刀。

 

 結局肌身離さずのままだったそれは、一度も振るわれる姿を見せなかった。

 飾りではないと悠は思うのだが、彼女がこれを振り回している姿もなかなか想像できない。

 

「よっと。それじゃあね、ふたりとも。元気にね」

「そっちもな。若い身体で腰痛めんなよ」

「こら、流崎。……その、ありがとうございました、紺埜さん」

「いいのいいの。――っと、そうだそうだ」

「?」

 

 くるり、と彼女は最後に振り返って、

 

「はーくんに、一言だけ伝えるよ」

「俺?」

「そうそう。わたしは反対なんだけど、どうしてもって言うから」

「??」

 

 ――ざあ、と風が頬を撫でる。

 

 周囲一帯から押し寄せてくる枝葉の擦れ合う音。

 冬の朝はまだ薄明るい。

 空気は白みがかっていて、鮮明とはほど遠い景色が印象的だった。

 

 ……だからなのか。

 

 

 

「次は是非とも、喧嘩をしよう」

「――――――」

 

 

 

 ぼやけた視界に、なにかの影を捉えた気がした。

 

「……ケンカ、だあ?」

「そう、喧嘩。君の使命も、人の未来も関係ない。ただ意地と誇りだけをかけた真っ向からの大喧嘩。どうにも、それがしたいみたい」

「あんたが、俺と?」

「そうだね。いちおう、そういうことにはなるかな」

「――――はッ」

 

 嘘をつけ、とは言わなかった。

 代わりに、どうしてか納得できる感情があった。

 

 なんとなく。

 

 それをするのは、とんでもなく気分が良さそうだ。

 

「いいぜ、次だな。ああしてやるよ。やってやらあ。ひひ、良いな。喧嘩か」

「待ってるよ。いつ会えるかは分からないから、その日を待っていよう。……じゃあ、今度こそお別れ。ありがとうね、それがわたしからの言葉だよ」

 

 ふりふりと手を振って、彼女はあっという間に去っていった。

 振り返ることは一切なく、その背中が見る見るうちに小さくなっていく。

 

「……なんだか妙な人だったな。雰囲気といい、話し方といい」

「妙なもんかよ。なんとなく分かったぜ」

「? そうなのか?」

「ああ。あいつは多分だが――」

 

 そう、初めて会ったときからそうだった。

 どことなく感じていた当たり前のおかしさ。

 言動に隠されてはいたが、彼女には不自然な部分がある。

 

「ひとり旅なんて、してねえんだよ」

 

 思えば一切、その顔に孤高の色を滲ませもしていなかったな、などと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――ほら、伝えたよ、いーくん」

 

「……もう、またそんなこと言って」

 

「わたし、喧嘩は嫌い。誰かと傷付け合うなんて間違ってるよ」

 

「違うもん、わたしはいーくんが言うから仕方なく……」

 

「あっ、もう! 本気で怒るよ! まったく!」

 

「…………うん」

 

「……うん、そうだね」

 

「わたしも気付いたよ。おそらく、彼が――――」

 

 

 

 



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3/『はぐれもの』⑥

 

 

 

 

 ――時折、寝苦しさで目が覚める。

 

 それは突然やってきて、彼女の胸にドンと杭を刺していく。

 

 痛みはない。

 けれど、それ以上に消えない傷をガリガリと擦られていた。

 

 当たり前のコトを当たり前と受け止める感性がないからだ。

 だからこうも、心を磨り減らして生きている。

 

「…………、」

 

 まだ太陽も顔を出していない早朝の時間帯。

 その日たまたま早起きをした妃和は、折角だからと簡単な朝食をつくることにした。

 

 悠に教えてもらった方法で火を起こして、彼お手製の調理器具を用意する。

 そこに疑問を抱かないのは偏に順応してしまったが故だろう。

 

 ふたりのサバイバル生活もすでに一週間。

 色々な場所を点々としながらも、日々の暮らしにはすっかり慣れていた。

 

『火を、よく私がつけられるものだな……』

 

 はじめの頃は無理だと高を括っていた神秘の扱いも、悠ほどではないができるようになった。

 純エーテル自体に燃える性質はないのだが、活性化した状態だとそうでもないらしい。

 とくにコレに関しては彼女のほうが顕著で、そこは彼に勝る部分である。

 

『さて』

 

 とりあえず準備はできたが、なにをつくるべきか。

 旅の事情が事情だけに使える食材は非常に少ない。

 廃村で拾ったすこし大きめの鞄にいくらか蓄えているが、それも二日三日と保たない程度のものだ。

 

『……野菜……いや、ずっと同じだしな……ここのところ……』

 

 むむむ、と頭を悩ませる年若い主婦。

 悠の持っていた保存食は早々に使い切ってもうない。

 

 調味料なんてこの状況で望むべくもなく、あるといえば小瓶程度の塩のみ。

 そも、限界の時代でこれだけ食に困っていないコトをもっと感謝すべきである。

 

『むぅぅ…………、』

 

 が、それはそれとしてマンネリはどうにかしたい。

 

 たっぷり考えて二十秒ほど。

 うんうんと唸っていた少女は、ふとピンと来たのか手を叩いて呟いた。

 

「釣るか」

 

 思い立ったが吉日、妃和はすぐさま木の竿を担いで川へと向かった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ぼう、と竿の先を眺めつつ川岸に腰を下ろす。

 日はまだ昇る気配を見せない。

 冬の朝、夜の時間がずるずると尾を引いているような薄暗さだった。

 

 周囲からは川の音、水の流れ、すこし離れて木のざわめき。

 世界にひとりだけ取り残されたような錯覚。

 

「………………、」

 

 ほう、と息を吐いた。

 微かに見えた白い吐息は余計に寒さを感じさせる。

 震えそうな手を握りしめて、身体を小さく折り曲げて寒さに耐える。

 

 釣り竿に反応はない。

 

「…………、…………」

 

 誰にも侵されない静かな時間。

 自然のひとつとして人がある原初の風景じみた世界。

 

 ぼんやりと視線を投げていれば、嫌でも頭は考え事の方へ回っていった。

 

 例えば、彼はいまなにをしているのだろうとか。

 

 まだ眠っていそうでもあるし、すでに起きている可能性もある。

 その場合、自分を探してくれていたりするのだろうか。

 なぜだか分からないけど、それはちょっと嬉しいような気がして――

 

「――――ッ」

 

 ギッと、心臓が締め付けられる。

 頭の中に消えない記憶がリフレインした。

 

 誰かの悲鳴、なにかの叫び、聞こえない音、見えない身体。

 

 胸が痛い、杭を刺されたみたいに。

 

「――――は、ぁ…………っ、…………」

 

 キリキリと鈍痛が継続している。

 それはよくない、と誰かに言われたような気分だった。

 

 ……なにがよくないのかなんて、分かりきったコト。

 

「…………ダメだな、やっぱり」

 

 彼の心に根付くものが反発衝動なら、妃和のそれは心の歪みがもたらしたものだろう。

 

 当たり前のコトを当たり前と受け止められない。

 誰にでもあるべき権利をどこか胸の内で遠慮している。

 

 彼に話せば馬鹿げているとでも言われてしまうだろうか。

 

「………………、」

 

 自分の感情と、己のやるべきこと。

 

 それらを天秤にかけることは簡単だ。

 どちらにせよ彼女は悠の傍にいる、というコトで結論付く。

 

 けれど、それが妃和自身にとって良いかどうかはまた別の問題になる。

 

「……どう、なんだろうな」

 

 ひとり生き残った事実を知ったとき。

 

 彼に救われたと話を聞いて悟ったとき。

 

 実際にその心を拾い上げられてしまったとき。

 

 彼の笑顔を見てしまったとき。

 

 彼と過ごしてしまっているとき。

 

 胸の傷は、許さないと言わんばかりに彼女自身を痛めつける。

 

「……私は……」

 

 悠と一緒に居るのは嫌ではない。

 だからこそなにより苦痛だった。

 

 ああ、なんで、どうして。

 

 どうしてこんなにも()()()()()()()()()()()()()()のか――と。

 

「……呆れた。これじゃあ流崎を笑えないな」

 

 諦めたように苦笑する。

 自分の物差しを持たない彼女にできるコトなんてごくわずかだ。

 

 生きていくのは大前提として、残った命は使い尽くさなくては意味がない。

 

 それは第三部隊の一員として……なんて直近のものではなく。

 

 ずっとずっと前。

 

 まだ彼女が世界を知らない昔の頃から。

 

「……ん? お、引いてる?」

 

 くいくいと竿を掴んでゆっくり動かしてみる。

 当たりかと思って上げてみると、早速獲物がかかっていた。

 とりあえず一匹確保だ。

 

「よし」

 

 もう一度餌をつけ、竿を投げて川岸に座る。

 そういえばどうして朝食をつくろうと思ったのか、その理由に思考がいった。

 

 ……いや、別に?

 どこかの誰かさんに料理だよと言われたのを思い出して急遽実行したとか、そういうのではないけれど?

 

 ほら、なんにせよ朝ご飯は用意しないといけない問題だし。

 

「――――っ、ああ、もう……っ」

 

 馬鹿みたいに胸が痛い。

 きゅんきゅんなんて擬音がつけられるならつけてほしいものだ。

 

 これはそんなものではない。

 もっと深い部分にある、彼女の歪みが起こした重い傷。

 

 いつかは向き合うことになる、巴妃和のいちばん間違った部分。

 

「…………っ」

 

 いつか彼にこぼしてしまった言葉を思い出す。

 

 幸せになりたくない。

 

 とんでもないコトを言ったと自分でもそう思った。

 だって、そうだろう。

 

 生きている限り自分の幸せを願わないのは、人として明らかに間違っている。

 なのに、それが当たり前にできないということは。

 

「……おかしいな、本当に」

 

 笑えないのに顔は笑っていた。

 なぜだか分からないけど。

 それで、良かったような気がする。

 

「――おっ、二匹目」

 

 それはそれとして幸先がよろしい。

 もちろん胸は痛いままだったが。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 はじかれるように目を覚まして、悠は即座に跳び退いた。

 考えるより先に反応した肉体の生存本能。

 その直感が当たりだと実感するのに時間はいらない。

 

 ……彼が横になっていた地面へ人影が降りてくる。

 

「ほほう?」

 

 少し掠れた女性の声。

 妃和のものではない。

 彼の記憶にそのトーンと一致する知り合いは思い当たらない。

 

 一歩、知らず後退る。

 

「いや、反応は良い。とてつもなく。だが逃げ腰はいただけないな、少年」

「挨拶もなしになんのつもりだてめえ。礼儀作法ってモンがなってねえぞッ」

「それは貴様も同じだろう? いや、だが重畳だ。こうも偶然巡り会えるとは」

「あぁ?」

 

 バサリ、と舞い上がっていく黒い制服(コート)

 意匠は彼らが着込んでいるものとまったく同じ。

 つまりそれは、彼女が歴とした戦闘部隊の一員であるというコト。

 

「総司令への良い手土産になる。……が、正直、私は気が乗っていないのだ」

「……へぇ」

「多少手荒にしても構わんとはそちらのお目付役の言だ。なに、多少だよ、多少」

「甘いこと吐かすなよ。はっきり言え。やりたいんだろ俺と!」

「――くっ、はははッ、あはははは――――!!」

 

 大口を開けて笑い出す闖入者。

 余程ツボだったのか、目に涙まで浮かんでいる。

 

「――ああ、良いな。貴様は良い。一先ず及第点だ」

「だったらもうちょっとポイント稼がねえとなあ、オイ」

「ふふっ、そうとも。分かっているのか、凄いな貴様。……して、その方法は?」

「実技試験で加点だろぉが。ぶちのめして終わりだてめえッ!!」

「ははははははははッ!! 良いぞ良いぞ! そうこなくてはッ!!」

 

 最大限まであがった口角が彼女の心境をこれでもかと映し出す。

 

 戦闘部隊特有の黒い制服、両手にはめられた白い手袋

 肩口までの紫がかった黒髪と切れ長の瞳はきつめの印象を受けさせるも、先ほどまでの言動で跡形もなく崩れ去っていた。

 

 間違いない。

 アレは妃和たちのような守るために武器を取る人種とは違う。

 どこまでも自分のために、とことん自己の欲求を満たすために。

 

 強すぎる我を押し通す、(ジブン)と同じロクデナシ――――

 

「しかし、そうだな……体裁として、一応伝えておこう」

「…………、」

「極東管轄本部、第九部隊隊長の甘根真樹(あまねまき)だ。君を保護する名目でここに来た。大人しくご同行願おう」

「名目ってこたァ表向きの理由だな? 分かりやすくていいぜ。来いよ、暴力女ッ!」

「物分かりが良くて非常によろしいッ!! ああそうとも! そうでなければッ」

 

 両者とも駆け出すのはまったく同時に。

 開いた距離を一気に詰めながら、ふたりは虚空へ手を伸ばした。

 

「「鉄潔角装(ギアホルン)ッ!!」」

 

 

 

 



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4/『素晴らしき闘争』①

 

 

 

「……あれ? 流崎どこにいったん――」

 

 だ、と言い切る前に視界を黒い影が横切った。

 彼と野営をしていた場所からそう遠くない位置。

 

 ……なにやら非常に胸騒ぎがする。

 

 魚の入ったバケツを乱雑に置いて、直ぐさま彼女は駆け出した。

 

「――――、――――」

「――――――!」

 

 聞こえてくるのは明らかに声を張った人の話し声と、火花を散らすような金属音だ。

 断続的に響くそれは彼女たちの実践練習で耳にするものとよく似ている。

 

 ざわり、と否応に増していく最悪の予感。

 もしかしてなんて想像を頭に思い浮べた瞬間、彼女のもとへ砲弾のように迫るナニカがあった。

 

「なッ」

「あぁッ!?」

 

 ――――悠だ。

 

「りゅうざッ、ごばぁーーーーー!?

おぉおおぉおおぉおおおッ!?

 

 どんがらがっしゃーん! と転げ回っていくふたり。

 いきなりのことで受け身すら取れなかった。

 

「なんッ――なんだ……! なにが起きてる、流崎!?」

「うっせぇ! てめえの知り合いじゃねえのかよ! あの紫髪はッ」

 

 鉄潔角装を構え直して、悠が真っ直ぐ正面を見遣る。

 

 砂煙が立ち上る景色にゆらりと蠢く人影。

 薙ぎ倒された樹木や枝葉をパキパキと踏み鳴らす音。

 

 肩で風を切る姿は彼女にとって見覚えのある人間だ。

 

あ、甘根隊長ッ!? なにをしているんですか!?」

「ん? ああ、第三部隊の……たしか巴隊員だったか。元気そうでなによりだ」

「ど、どうも。……で、ではなくッ、なぜ鉄潔角装(ぶき)を構えているのです!」

「決まっているだろうそんなものッ!!」

 

 わずか三十センチの短刀を握りしめて黒衣が駆ける。

 

「なろぉッ!!」

 

 吼えながら、悠は咄嗟に彼女――真樹の刃を無理やり弾いた。

 

 剣閃の火花が散る。

 刃と刃の擦れ合う甲高い音が耳をつんざく。

 

 リーチの差なんてなんのその。

 振り回されるナイフは小さく細い代物なのに、まったく隙を見せてくれない。

 

『ッ、コイツ、まじかよ――』

 

 額に冷や汗を浮かべて短刀と鍔迫り合う。

 

 彼女の動きは決して鮮やかとは言えない。

 どちらかと言えば悠に似て荒々しさが漂う一撃の連続だ。

 

 が、恐るべきはその形で研ぎ澄まされた練度だろう。

 一合、また一合と重ねるたびに後退させられる。

 

 拒否権はない。

 これは単純な実力差、力の有無が生み出した結果で。

 

「鈍いぞぉッ!!」

「がッ――――――!!」

 

 土手っ腹を死なない程度に蹴り抜かれる。

 

 瞬間的に全身を襲う浮遊感。

 今度は受け止める相手もいない。

 

 そのまま悠の身体は木々を巻き込んで、森を裂くように飛んでいく。

 

「流崎ッ!!」

『――――ッ、めちゃくちゃ、だろォ…………ッ』

 

 

 甘根真樹。

 

 第九部隊の隊長を務める彼女は、ふたつの理由で有名な女性だ。

 

 ひとつは単純な戦闘力。

 極東地域でも五指、世界的に見ても完全に上澄みに入るレベルは尋常じゃない。

 実力者のみを集められた北極の遠征に参加したコトからもその強さは頷ける。

 

「ははははははッ! どうしたどうした不良男子!! その程度か流崎悠! もっとだ! もっと見せてみろ! おまえの強さはそんなものか!!」

 

 

 そして、もうひとつは。

 

 

「ああ、気分がいい! さあ立ち上がれ! 燃え上がれ! 生きているのなら、まだ死んでいないのなら、気勢を上げて立ち向かうのが人の強さだろう!?」

「て、めェ――――!!」

「そうとも! ああそうだ! 来い、流崎悠!! おまえがそうする限り、私は何度でもおまえと斬り合おう――!!」

 

 

 あまりにも螺子の外れた、理性というにはほど遠い思考回路。

 

 

「――――流崎、流崎! ああ、ダメだ、まずいぞ流崎ッ! あの状態の甘根隊長はタチが悪い! 最悪だ! やめろ! 相手にするなッ! 逃げるぞ!?」

「ふざけんなァ!! こんなヤツ相手に背中見せろってぇ!? それこそダメだろうがッ!!」

「ばッ――おまえ! そんなことを言ったら!」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハ――――!!!!」

 

 森中に真樹の笑い声が木霊する。

 

 妃和が悠のほうに駆け寄れば、すでに彼の傷は塞がりかけていた。

 治癒の効果は羽虫との交戦時と比べ物にならない。

 それだけ純エーテルまみれの外の世界に適応したというコトだろう。

 

 だが――だからこそ。

 彼が彼であるからこそ、戦わせるのは忍びない。

 

「――嗚呼。いや、少し疑問だったのだよ。たかが逃げ出した男ひとり、我々が総出で探す必要があるものかとな。だがそんなモノは現在(イマ)木っ端微塵に砕け散ったッ

 

 ナイフが構えられる。

 戦闘部隊の黒衣が揺れる。

 

 紫髪の隙間からアメジストの瞳が鋭く光った。

 

 怪物との戦いでは感じられない寒気。

 生物として基本的に備わっている感覚が暴走しかけた。

 

 ――とんでもない、殺気。

 

「本気で戦闘不能にする! そのあとはたっぷり時間をかけて持って帰るとしよう! どうせ連れて行くのだ、多少のツマミ食いは勘弁してもらいたいッ!!」

「誰に弁明してんだてめえッ!! いいから来いよ! 返り討ちにしてやらあッ!!」

「流崎ッ! 待て! ダメだ! 甘根隊長は私たちとレベルが――」

「退いてろヒヨリぃ! おまえに怪我させたくて無茶してるんじゃねえんだ! 大人しくしてろぉ!!」

「――――――ッ」

 

 ズキン、と胸が痛む。

 

 潰れた右手は当然ながらそのままだ。

 利き手を失った彼女はもはや戦闘部隊として最低限の実力すら残っていない。

 

 なにより妃和の鉄潔角装は二振りでひとつ。

 

 現状、強さでいえば悠のほうが何倍も上になる。

 

「流崎悠ァ!!」

「あァッ!?」

「貴様に問う!! なぜ収容所を抜けだした!!」

「気にくわなかったからだァッ!!」

「だから自ら危険な外へ出たと!?」

「ああそうだ!! 悪いかちくしょう!!」

 

「素晴らしいッ!!」

 

 

 幾重にも及ぶ悠の斬撃を軽々と流して、真樹が悦びの表情を濃くしていく。

 

 ……そう、はじめは彼と刃を合わせた瞬間から。

 命のやり取り、お互いに本気で殺意をぶつけ合う戦いの最中で。

 

 彼女は徹頭徹尾ずっと笑っていた。

 

「その選択を、その結末を! 貴様は後悔していないのだろうな!?」

「するかよォ!! するワケがねえッ!! 俺の選んだ道、俺の進んだ道だ!! それを否定する権利なんざ(おれ)にだってくれてやらねえ――――!!」

 

「最ッッッッッ高だァァァアア――――!!!!」

 

 

 真上へと跳ね上げられる悠の刃。

 ガラ空きになった胴体はどうやっても守れない。

 

 ――一瞬の出来事だった。

 まるで最高潮にまでアガッたテンションをそのまま再現したみたいに。

 

 真樹は真っ直ぐ彼の胸にナイフを突き立てて、顔面を蹴り抜いた。

 

「ごォッ――――!?」

「ああ、なんだ貴様! なんなんだ貴様は!? どこまで私の心をかき乱せば気が済む! いいじゃないか、とても!! 男のクセに言ってくれるしやってくれる!! なるほど収容所(むこう)の所長が躍起になるワケだ!! こんなイイ男を放っておけるわけがない!!」

 

 ……もし。

 

 もし、悠が並の男性と同じ身体ならば。

 きっとその一撃で命の灯火は消え失せていた。

 

 そんなコトすら失念していたような追撃。

 

 それもそのはず。

 彼女はいま、ただ気分がいいというだけで彼に本気の殺意を向けている。

 

 もっと言えばその場のノリと勢いで。

 

「気が変わった!! 私と来い流崎悠!! 貴様の子なら産んでみるのも一興だ!! この時代、女として男とまぐわうなどと馬鹿のするコトだと思っていたが、此処に来て俄然興味が湧いてきた! そうだ、貴様は私たちのような加護を持っていないのだろう!? それでいてその生きる力強さ、心の強さを保てるのはどれほどのものかッ!!」

 

「あ、甘根隊長ッ!? なにを言っているんですかッ!?」

 

「てめえボケたコト吐かしてんじゃねぇ!! 産んでみるのも()()だと!? ガキの命をなんだと思ってやがる!! てめえ自身の身体もそうだ!! どっちも大事にできねえようなら心底呆れる!! とっとと一人で死に腐れェッ!!」

 

「怒った表情も魅力的だな!! ではこうしよう!! 私がこの戦いで勝てば貴様のコトをもらう!!」

 

「だったら俺が勝ったら大人しく尻尾巻いて帰れやァ!! とんだクソ女がよォ!!」

 

 

 額に血管を浮かび上がらせながら悠が叫ぶ。

 彼の性交に関する嫌悪感は心情と一切関係のない衝動じみたものだ。

 

 曰く、相手がいるのなら無条件に憎悪する。

 そこに恋仲らしい想いの色がなければ腸が煮えくり返るほど怒りが沸いた。

 

 なぜだかは彼自身も分かっていない。

 けれど、ひとつ分かっているコトがある。

 

「そんな下らねえ理由で処女捨てるようなバカは嫌いだッ!! いきなり本番とか頭沸いてんのか!! まず親交を深めて来い!! ヒヨリみてえにッ!!

 

「りゅ、流崎もなにを言ってるんだ!?」

 

「命を投げ捨てているバカに言われたくはないなッ!! だがそれがいい! 燃えるように生きる貴様は私好みだ!! 流れ星みたいで愛したくなるッ!!」

 

詩的(ポエミー)なんだよ死ねてめえッ!!」

 

「死ぬワケがないだろうそう簡単にィ!!」

 

 強がりはそれこそ口から洪水のごとく溢れてくる。

 打ち合いはそう見えているだけの行為に貶められた。

 

 いくら剣を振っても届かない。

 いくら短刀を防いでも傷が増えていく。

 

 もはや疑う余地などなかった。

 

 この女は、真っ当に強い――!

 

「さあ踏ん張れ! 前を向け! 強さを見せてくれ流崎悠!! 必要なものはなんだ! 愛か! 勇気か!! それとも絆か!? なんだっていい力にしろ!! そして私にぶつけるがいい絶ッッッ対に受け止めてやるぞォ!!」

 

「うるせえ黙れェ――――!!」

 

 響く。

 

 耳に響く。

 頭に響く。

 

 声が、剣戟の音が、彼を取り巻く周囲の雑音が。

 

 とても居心地が悪く、

 頭蓋に、響く。

 

「なにもいるかよ戦いにィ!! ああそうだなにもいらねえ!! 在るものだけでいい!! だったら簡単だァ!! この胸にあるものなんてひとつだろ!! そうだ、そうだろッ、それしかねえぇ!!」

「ならば何だッ、何なんだそれはァ!?」

「俺の意地だァアァァアアァアアアアッ――――――!!!!!」

「イイぞォオォオオオオオオオォオオッ――――――!!!!!」

 

 

 意思無き怪物であればその壁は感じなかっただろう。

 

 荒々しいとはいえ流石の戦闘部隊。

 慣れ親しんだ武器の扱いは悠より断然巧い。

 

 才能では潰せない経験の差が牙となって襲い来る。

 無理を押し通して勝てるのはせいぜいが獣じみた外敵までだ。

 

 人間相手に、彼の優位性は微塵も働かない。

 

「おぉぉらぁぁあああああああ――――!!」

「ハハハハハハハハハハハハハ――――!!」

 

 

 振り抜いた剣を短刀で受け止められる。

 

 

 ――ピシリ、と。

 

 

 悠の刃に、亀裂が入った。

 

 一度壊れだしたら止められない。

 あっさりと、まるで木の枝を折るみたいに砕かれる鉄潔角装。

 

 得物を無くした彼は正真正銘の無手。

 

 

 

 ――――そう、手が空いた。

 

 

 

「――――――」

 

 真樹が垣間見た刹那の光景に身を震わせる。

 ゆっくりとスローモーションじみた世界の中。

 

 悠は丁寧に握りしめた拳を引き絞る。

 

 放たれるまで一秒と要らない。

 それはすでに彼女のほうへ狙いを定めて。

 

「しゃおらぁぁあああああああッ!!!!」

「がばぁ――――――――――!!??」

 

 ――その顔に、突き刺さる!

 

「だははははッ!! どんなもんだよ見たかオイ! バカならそこで頭冷やしてなァ! いいゲンコツ入ったんだ! 反省して寝ろやクソ女ァ!!」

 

 ぜえぜえと肩で息をしながら、悠は人差し指で彼女を差した。

 

 木々の隙間を転がっていった人影に動きはない。

 気絶をしているのか、と思ったがどうにも違うようだ。

 

 ……声が聞こえてくる。

 

 この短い間で何度も()()()聞いた、うるさい女の笑い声が。

 

「フハハハハハハハハハハ――――!! なるほど痛いな! 痛すぎて濡れる!! これは濡れてしまうな!! だが仕方ない! それだけのヒト、それだけの男だ!! そうだそうだよそうでなくてはッ!! もはや決めたぞ私はッ!! ()()()()()()()()!!

「あァ!? まだやんのかよォ!! いいぜだったら何度だって殴ってやるよ!! 女の顔だからって容赦はしねえぞッ!!」

「古くさい価値観を持ち出してくる!! 気にするなよ色男ッ!! どうせ傷を負うのなら貴様の傷がイイ!!」

「気持ち悪いんだよてめえ――――!!」

「アハハハハハハハハハハ――――!!」

 

 戦いは終わらない。

 人間同士の無意味な争いに介入するものはない。

 

 それは信念の、あるいは精神のぶつかり合いじみている。

 

 気にくわないと少年は嗤い、

 気に入ったと彼女は笑う。

 

 ただそれだけの、単純(バカ)すぎる戦闘行為。

 

 ……いや、本当に、馬鹿らしい。

 当人たちはともかく、傍で見ている妃和はなんとも言えない気持ちになった。

 

 はやく終わってくれないだろうか。

 できれば悠の勝利で。

 

 




狂ってる女の人は好きですか?

ちなみに第九部隊は実力十分として北極遠征に参加、第三部隊は不十分として居残りさせられていたという裏設定があります。

え? 第九部隊のメンバーはどうしたのかって? 

隊長以外遠征で全員死にました。


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4/『素晴らしき闘争』②

 

 

 

「だがいいぞ、()()()()()

「あぁ?」

 

 

 くつくつとニヒルに唇を曲げながら真樹が笑う。

 その姿に覚えた嫌悪感は珍しく彼自身から発せられた心情だ。

 

 目の前のイカレ女が思い出深い人と同じ笑い方をした。

 彼にまで伝染った喉を鳴らす笑い方。

 独特ではないけれど、たしかな特徴であるそれが琴線に触れる。

 

「なに笑ってやがる、てめえ」

「笑うさ。笑うとも。ああ、そうだ。こんな状況、こんな場面でッ! こんなにも素晴らしき闘争を前にして、笑わないでなんとなるッ!?」

「頭沸いてんのかァ!!」

「いいや私は正常だよ! 紛うことなく、真っ向に、真っ当に! マトモに正常だッ」

 

 短刀を悠に突き付けてなお笑みを深める真樹。

 その周囲に色付いた大気が渦巻く。

 

 空色に光る神秘の粒子。

 密度を濃くした純エーテル。

 

 鮮やかな架空要素の奔流は、波紋となって世界に響く。

 

「――流崎悠。空の果てを見たコトはあるか――?」

「……なんだ、てめえ。いいや、どいつもこいつも。空だなんだと――」

「まずいッ! 流崎! 流崎!! 逃げろ! ダメだ!! それはッ」

「フハハハハハッ!! 先に言ったぞ巴隊員!! 逃がさないと!!」

 

 いつか少女の語った言葉を思い出す。

 

 空の向こう、上の世界。

 

 その意味は未だ分からずにいる。

 だが、だからこそ悠にだって分かるコトはあった。

 いつだってそうだ、直感と記憶、数少ない経験則を頼りにすれば答えは出る。

 

 空の果て。

 

 それは、麻奈の言うものとはまた違った力の表現だ。

 

「――――ッ、正気ですか甘根隊長……! 貴女の目的は流崎の殺害なのですか!?」

「いいや違うとも! 捜索と連行だ!! 殺す気など毛頭ないッ!!」

「ではなぜ()()を使うのです!? 過剰な対応としか思えない!!」

「笑止千万ッ!! ここで使わなくていつ使う!? あまりにも勿体ない!! こんなにイイ男だ!! 飽きるほどにぶつからねば始末がつかん!! 私の胸を焦がした焔は未だ勢いよく燃えているのだァ!!」

 

 神秘が溢れる。

 空気が淡く光り出す。

 

 それは奇跡の前触れみたいに。

 空色の霧に包まれた世界は、なんだか絵本の挿絵じみていて。

 

「聞いているか流崎悠!! 貴様のことだぞどうしてくれる!? 貴様のせいで私は昂ぶっているのだ! ああそうとも! 興奮している人生一番にッ!! いまはただ貴様が欲しくて堪らないッ!! 貴様と(アイ)し合いたくて堪らないッ!!」

「だからキモいんだよォ!! とっととくたばれクソ女ァ!! 俺はいま人生一番に頭に来てるよ本気の本気でッ!! 詩的(ポエミー)なのも癇に障る死ねェ!!」

「だからッ!! そう簡単に死ぬワケがないだろう――――!!」

 

 振り上げられる真樹の右腕。

 悠にはその動作の真意が手に取るように分かる。

 

 なにせ自分でもやったことだ。

 掴むように、あるいは操るように。

 純エーテルを引き寄せる、明確な撃鉄の下ろし方。

 

「いくぞォ流崎悠ァ!! せいぜい抵抗してみるがいいッ!! 本気でだ!! でもないと死んでしまうぞ!? ハハ! ハハハッ!! ハハハハハハ――――!!」

 

 

 

 

 

 

 バギン、と。

 

 握り込んだ手が、彼女の短刀を砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 兆 角 醒(Virgin Lord) !! 」

 

 

 

 

 

 

 視界が塗り潰される。

 

 書き換えられていく現実の世界。

 いまの風景が融けるように消えていく。

 

 天井には雲ひとつない()()の澄んだ青空が見えた。

 地面は波の模様を広げる一面の海原だ。

 

 空と海で閉じられた景色。

 あまりにも鮮やかな終末とかけ離れた幻想の色。

 それが一瞬にして展開された事実。

 

 ……ただ、心底驚かされる。

 

 こんな。

 こんな馬鹿げた出来事が、人の身で再現できるなんて――

 

「ハハハハハハハ――――!! いいぞォいいぞッ!! 実にいい!! 気分があがるッ!! 最高だこんなのは!! どうだ流崎悠ァ!!」

「てめえ、こいつはッ」

「周囲一帯ッ、三百キロメートルの()()()()()()!! 人智を超えた超常現象を見るのは初めてか!? 反応が愉しいぞ!! もっと見せてやりたくなるッ!!」

「ヤロォ見くびってんじゃねェ――――!!」

 

 水面を蹴って悠が走る。

 瞬間、

 

「残念だァッ!!」

「――――!?」

 

 荒れ狂う波が〝槍〟となって、彼の全身を貫いた。

 

 ……本当に、なんの前触れもなく。

 海中から突き出てきたのではない。

 実際に得物が投げられたワケでもない。

 

 ぐるりと渦を巻いた水がとてつもない威力を伴って、悠の肉を裂いたのだ。

 

『なんッ――どぉ、なってんだ……! この……!』

 

 がダバダバとこぼれる。

 海面はそう見えているだけで固い地面と変わらない。

 血痕は沈むことなく血溜まりになって残っていた。

 口から漏れる赤色が混ざらずに水の上を流れる。

 

「水の世界は私の世界!! 波は刃に!! 渦を巻けば針に!! 放てば銃弾にッ!!」

 

 ドン、と腕を撃ち抜かれる。

 

 ウォータージェットの要領で水面から噴出された水が風穴をあけた。

 が、またこぼれる。

 

「て、めえッ」

 

「さあ来い! どうしたどうした男の子!! その程度か貴様の意地は!? もっとだ!! もっと見せてくれ!! もっと楽しませてくれ!! もっと好きにならせてくれッ!! ああそうだ!! 勢い任せに言ってやろう!! 流崎悠ッ!! 私はいま、貴様を明確に愛している――――!!」

 

「黙れぇえええッ!! お断りなんだよ行き遅れェ!! そんなんだからてめえいつまで経っても処女なんだろうが――――!!」

 

「処女でなくてはこんな真似できるワケがないだろうッ!!」

 

「あああああああああッさっきからどうしてこう古くさい文句が浮かんでくる!?」

 

 

 ――頭痛がする。

 

 まただ。

 普段の体調不良とは違う、おかしな頭の揺れに顔をしかめた。

 

 ズキンズキンと。

 

 頭蓋骨をハンマーで軽く叩くような気味の悪い鈍痛。

 

「くそが、よォ……!! てめえッ、なにがッ」

「流崎っ! 流崎、流崎! 流崎――――!!」

「うっせえヒヨリぃ!! 怪我すんぞスッ込んでろ!!」

「バカ! 怪我してるのはおまえだ!! にしてもまずい! これはまずい!!」

「なにがまずいィ!?」

「兆角醒だ!! 鉄潔角装なんて目じゃない!! 本当に! 規格外だ!!」

 

 そんなのは事情を一切知らない悠ですら分かっている。

 

 真樹が空の果てと語った彼女の秘奥。

 兆角醒。

 鉄潔角装の生成を超えたさらにその先。

 純エーテルの扱い極めた一部の人間のみが辿り着くという神秘の極致。

 

 それは武器をつくるだなんて現象とは格が違う。

 

 人の身で起こす奇跡。

 世界を換えるという暴挙。

 そのすべてを純エーテルで行ったあまりにも馬鹿らしい制限の無さ。

 

 ――加えて、悠の直感が示したのはその本質だ。

 

 つまり、なんていうか。

 いまこうなっているのは彼女の能力がそういうものだからで、兆角醒の本質とは全く関係ない彼女自身の強さだというコト――!

 

「ヴァージンロードだかヴァンパイアロードだかなんだか知らねえが構うかよォ!! たかだか世界を換えたぐらいで調子乗ってんじゃねェ――――!!」

「ハハハハハハハハハハ!! そうこなくてはなァ!?」

「死ねボケェ!! 第一印象から最悪なんだよてめえはよォ!!」

「ふふははははははっ、そういう罵倒もいまはどうしてか心地良い!!」

「ああああああああ死んでくれよ頼むからよぉおおおお!!」

 

 懇願に近い罵倒が口から漏れる。

 激しい頭痛に襲われて頭蓋が破裂するかと思った。

 

 海の上を歩くたび、

 空の下を走るたび、

 バチバチと、火花を散らしたような目眩がする。

 

 それは処理しきれないほどの情報量、脳に回される電気信号だ。

 純エーテルの適正値がここにきて足を引っ張った。

 彼はもとより高いからこそ、この力の本質を見抜けてしまう――

 

『ぐ、の、ォ……!!』

 

 兆角醒はあくまで人の身に有り余る現象を引き起こす力だ。

 

 例えるなら雷を纏う、モノを燃やす、水を操る。

 簡単に行ってしまえば純エーテルで起こす超能力と思えばいい。

 

 だから、彼女が行ったのは単純なコト。

 この地上にまったく別の世界を作り出す。

 そんな馬鹿げた幻想を、こうして実際形にしてみせた。

 

「ざけんなァッ!!」

「!!」

 

 ――学ぶのは二度目だ。

 

 前回と条件は同じ。

 だが経験はした。

 一度目とは違うハッキリとした感覚がある。

 

 ――確かめるのは二度目だ。

 

 もとより、流崎悠は純エーテルの扱いにおいて非常に長けている。

 それは彼女たち戦闘部隊と比較しても一切劣らない。

 

 才能は、十二分。

 

 

「ひとりでェッ!! 悦に浸ってんじゃねぇえぇえええええ――――!!!!」

 

 

 猿真似だと嗤うがいい。

 どれだけ馬鹿にしようが構わない。

 

 なにせこんなのは一発勝負。

 ハッタリと見くびるのならそこまで。

 本気で出来ると微かにでも思ったのなら褒めてやろう。

 

 ――そう、それが、純エーテルを介した力であるのなら。

 

 

「 兆 角(Virgin) ―― 」

 

 彼に出来ない道理は、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「      」

 

 ふと。

 そんな声と一緒に。

 意識の外側、彼も彼女も予期しなかったタイミングで。

 

 

 

 が、枯れ木色に割れた。

 

 

 

 ……羽音が聞こえてくる。

 

 嫌な羽音が。

 聞き覚えのある羽音が。

 

 枯れ木色の、天敵が。

 

「――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――バカらしい。

 頭が回るより先に身体が動いた。

 

 上を向いて手に剣を形作る。

 

 敵影はひとつ。

 それに対処する人影は――――ふたつ。

 

 

 

「「邪魔だァッ!!!!!」」

 

 

 

 その一言は、見事に彼の天敵をゴム鞠の如く転がしていった。

 

 



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4/『素晴らしき闘争』③

 

 

 

 

「――なんなのだ藪から棒にィッ!! 挨拶もなしに男女の逢瀬を邪魔するとはッ!! よもや化け物は空気も読めない醜き命か!!」

「こいつらがそんなモン読めるかよッ!! てめえ!! マキっつったなァ!?」

「ッ!! 貴様、名をッ」

「手ェ貸せボコるぞォ!! てめえとのタイマンはその後だッ!!」

「――ハハハハハ!! いいだろう流崎悠ァ!!」

 

 結託は迅速に交わされた。

 拳を握り直す真樹を尻目に悠は直ぐさま駆け出していく。

 

 向かう先はただひとつ。

 この状況で唯一狙われてはならない、彼のアキレス腱そのもので――

 

「ヒヨリ掴まれェ!!」

「流崎!? いやっ、ちょっ、ダメ、あッばッまたぁーーーーー!?

「ああ()()だ!! 随分と俺たちにはアイツとの縁があるらしい!!」

そ、羽虫(そっち)じゃないッ!!

「どっちだァ!?」

抱っこ(こっち)だぁあ!!

 

 腕の中で顔を真っ赤にしながらきゃーきゃー騒ぐ妃和。

 

 なにをそんなにといった顔の彼はその心情に気付かない。

 多分絶対気付かない。

 

 無論、そんなことはこの数日間で嫌と言うほど思い知っている彼女でもある。

 

「――――ヒヨリ!! 自分(てめえ)の身は守れるか!?」

「わ、私だって戦闘部隊だ! 利き腕がないぐらい、どうとでもなる! 普段の生活だってもう慣れてきた頃合いだぞ!?」

「誤魔化すなッ! 冷静に考えてモノを言え!!」

「そんなに怒らなくてもいいだろうッ!?」

「怒るに決まってんだろうが!! そんぐらい死んで欲しくねえんだよ察しろヒヨリ!! おまえのことわりと気に入ってんだぞ!?」

「――――――ッ」

 

 ……ほんと、質が悪すぎる。

 そんなストレートな物言いを咄嗟に出してくる時点で反則だ。

 

 くり返すが、彼はきっと気付かない。

 多分絶対気付かない。

 

 そんなこと、腐るほど思い知っていたハズなのに。

 

「――抵抗は、できる。でも、羽虫相手だとたぶん、生き残れない」

「おっけぇ、素直にサンキュー。良い子だぜ。コレ終わったら頭撫でてやらあ」

「い、いるかバカっ。そんなことより下ろせ! このままだとお前も――」

「いいやこのままでいいッ!!」

「はッ!?」

 

 言いながら、彼はブレーキをかけるように海面を踏み込んで反転する。

 枯れ木色の脅威はおよそ二十メートルは離れた地点で立ち上がっていた。

 

 攻撃は通ったが流石の高硬度外皮、致命傷にはなっていない。

 

「このままってどういうコトだ!? 一体なにを考えてる流崎!?」

「このままはこのままだッ! ヒヨリ(おまえ)抱えて戦うっつった!!」

「バカか!? いやバカだったな!! 勝てるワケないだろう片手だぞ!? 片手だから無理するなとかそういう感じの気遣いしてるのはどこのどいつだ!?」

「嘗めんなヒヨリィ!! 俺ぁ別にハンデ背負ってやりたいワケじゃねえ!!」

「じゃあなんのためにッ!?」

「てめえを守るため以外になにがあんだよ馬鹿野郎ッ!!」

 

 ――ああ、ダメだ。

 もうイヤだ、誰か私を殺してくれ。

 

 妃和は切にそう願った。

 真っ赤になった顔を隠したくて俯く。

 

 ちょっとマジでダメだ、ホントダメこれ本気(ガチ)死にたい

 めちゃくちゃ幸せでめちゃくちゃ生きてるのが申し訳なくてめちゃくちゃ死にたい

 

「殺せぇ……! 誰か私を殺してくれぇ……!」

「誰にも殺させるかよォ!! ヒヨリをよォ!!」

「あぁぁああぁぁああぁぁああッ!!!! ――――死にたいっ……!」

「いくぜェ!! 舌噛むなよぉ! ちゃんと捕まってろよヒヨリィ!! 初手から十二枚だァツ!!」

 

 彼女の慟哭もそのままに悠は腰を低く落とす。

 腕の中にある温もりは真実ハンデなんかではない。

 

 無茶を押し通すより何倍も負ける気がしなかった。

 なにせ守るべき対象がこんなにも間近に感じられる。

 

 初めての感覚だ。

 けれど、不思議と悪い気はしない。

 

 ――なら、足手まといだなんて微塵も思えない。

 

 例えどんな理論理屈がそれを否定しようとも、そのすべてを覆してしまいたくなる。

 

「さぁぶちかますぜ虫野郎ッ!!」

ひやぁああああああああッ!?

 

 ごうっ、と加速していく景色。

 空の色も海の色もあっという間に追い越していく。

 

 悠にとってはすでに手慣れた、

 妃和にとっては未知の感覚だ。

 

 彼の背中から噴き出す純エーテルは束にして十二。

 生身の人間ならその速度に耐えきれない。

 

 のを、

 

「――――……あ、れ……?」

「はははははははは!! やってみるもんだなッ!!」

「え、なん……風が、来ない……?」

風除け(シールド)だぜ! 純エーテルのッ!! ヒヨリの身体ボロボロにしてちゃ意味がねえだろ!?」

「そ、それはありがたい、が……そんなことを、してまでッ」

「でもってヒヨリィ!! さっき俺はなんて言ったァ!?」

「えッ!? わ、私を気に入ってる!?

「その後ォ!!」

 

 違った、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

()()()()()()だッ!! なあッ、ヒヨリィ!! 身体はちゃんと抱えてやらあ!! てめえの手が足りないなら補うのも()だってなァ!! 鉄潔角装(エモノ)構えろォ!!」

「バカか!? バカだな! やっぱり流崎ひとりのほうが良くないか、それ!!」

「行き当たりばったり!! どうなるかはお楽しみだろう!? さァ進むぜェッ!!」

きゃあああああああああああ!!?? 流崎のばかーーーーー!!??

 

 左腕で妃和を抱えながら悠が飛翔する。

 空いた右手には鉄潔角装である剣。

 本領発揮とは言えない状態でも、少年の態度は微塵も変わらない。

 

 ……妃和の無くした右手は戻らない。

 彼に全部預けてフリーになった左手は辛うじて人並みに動かせる程度だ。

 彼女自身の鉄潔角装も形作ることはできる。

 

「このッ――ああもう……! どうなっても知らないからな……私……ッ」

「ああッ!! 任せとけェ!! ヒヨリィ!!」

「なんだッ!!」

「絶対死なせねえからなァ!! 覚悟しとけよッ!!」

「――――――頼んだ、流崎っ!!」

 

 羽虫がふたりの方を向く。

 ギチギチ、ギチギチと。

 木製の関節を軋ませて、片腕があげられた。

 

 〝――――伸びる腕!〟

 

 一度見ていれば反応も遅れない。

 音速のスピードで放たれたそれを悠は飛びながら身を捻って躱す。

 

 接近は一瞬、外敵は目の前。

 

「おぉおおぉおおぉおおおおおッ!!」

 

 推進力を乗せた刃の一振り。

 今更のコトだ、と少年は笑う。

 

 苦労はしたし完璧にとはいかなかった。

 けれど交戦経験の有無は対策を立てるのに十分すぎる意味を持つ。

 

 この距離、この速度、この威力なら。

 いまの羽虫(コイツ)に、防ぐ手立てはない――――!

 

「――――らあァッ!!」

 

 

 火花が散る。

 

 

 鉄潔角装が固い音をたてて阻まれた。

 

 

 刃が、進まない。

 

 

 〝あァ!?〟

 

 キリキリと蠢く虫の口。

 もう片手の鋭い鎌がピタリと剣に合わせられている。

 

 ――――ありえない。

 

 最初に遭遇したアレは六つで事足りた。

 十二も使えば普通お釣りが来る。

 なのになんだ。

 

 これは――よもや――まさか――()が違う?

 

「――――りゅう、ざきぃいいいッ!!」

「!!」

 

 その鎌が懐からの剣に弾かれる。

 彼女(ヒヨリ)だ。

 双剣の片割れだけを呼び出して、不安定な状態で渾身の力を振り絞ったのだろう。

 

 腕に抱いた少女の動きに引っ張られて、悠の身体がぐらりと傾く。

 羽虫と彼の距離は吐息すらかかりそうなほど近い。

 

縺ゅ≠縲√ワ繝ォ繧ォ縺上s――

 

 キチキチと顎が震える。

 腕は伸びて鎌は跳ね上げられた。

 

 防ぐものはない。

 それを好機と判断して、彼は倒れる上半身を無理やり持ち上げる。

 

 頭は振り子のように。

 逸らした背中をバネのようにしならせて――

 

「おらァッ!!」

 

 ――頭蓋を、叩きつける。

 

「だはははははッ!! あァ痛ぇッ!! おでこが痛ぇなコレぇ!!」

「言ってる場合か! めっちゃ血が出てるぞ流崎!? というか退け今のうちに!」

「おっけぇ! 後ろ飛ぶぞ構えろッ!!」

「よしッ!!」

「ははははははははッ!! 一時退散だッ!! あのヤロウ蹲ってやんのぉ! 羽虫のくせに生意気だなァ!?」

「生意気か!? いやたしかに虫のクセにといった感じだが!!」

 

 すかさず距離をとって、悠は剣を握ったまま額を擦った。

 

 滲んだ血の量は予想以上に多い。

 咄嗟の判断で純エーテルを回したのは間違いなく良い機転の利かせ方だった。

 そうでもしなければ今頃頭突きをした反動で骨が砕けている。

 

 石頭、というにはちょっと固すぎるぐらいだ。

 

「というかッ、油断するな流崎! なんだ今の! 完全に防がれてたじゃないか!」

「知るかよ俺の想定ならアレでカタが付いたんだッ!! なのによぉ!!」

「個体差だろう!? 前とは違って反射神経がいいみたいだ! ヤツらにそんな機能があるかは知らないが!!」

「ああそういうコトかッ!! 厄介だな!! また長期戦とか、もう懲り懲りだぜ!!」

「同感だッ!! こいつはさっさと――」

 

 バサリ、と純白の翼が広げられる。

 蹲っていた羽虫はいつの間にかこちらを睨んで構えていた。

 

 頭部、胴体、両腕両足すべて損傷なし。

 

 思えば悠の優位性も向こうが武器を失ったコトで起きたものだ。

 最初から万全の状態で戦うとなればこの前みたいに圧倒とはいかない。

 

「――――くるぞッ!! 流崎!!」

「分かってる!! ヒヨリも構えろよォ!! ああそうだ!! 言いそびれた!! さっきはサンキュー助かったぜぇ!!」

「いい!! 私のほうが助けられてるぐらいだ!! まだ返したりない!!」

「はははッ!! そうかよォ!!」

 

 武器を握る。

 眼前を見つめる。

 

 一瞬だって余所見はできない。

 経験に基づいた確かな予感がそれを確信に変えていく。

 

 下手に動けば、死ぬのはこっちだ。

 一度倒したからなんて慢心はなんの役にも立たない。

 

 ――天使の羽が、空を掻こうと空気を掴んで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、待て」

 

 

 

 突然。

 その躯が、水の鎖に拘束された。

 

「オマエしかり彼しかり、なかなかどうして人の庭で暴れてくれるではないか」

 

 私の世界だぞ、なんて厳かさの欠片もなく語る真樹。

 その両手には手袋の上から薄く水の膜が張られている。

 兆角醒を起こす前から握っていたナイフは見当たらない。

 

「他者を害するというコトはオマエ自身も害されるという可能性を孕んでいる。自分自身にだけ上手く回るようこの世は出来ていない。故にだ」

 

 冷たい声は悠と戦っていた時と大違いだった。

 低く落とされた感情が透けて見える。

 

 楽しさなんて微塵もない。

 彼女にとって熱量を持たない相手はただの案山子と変わらない。

 

 なにせそこに、意思のぶつかり合いだなんて起こるべくもないのだから。

 

「急に現れ、私たちの闘争に割って入り、あまつさえ襲いかかるなどと――オマエ、殺されても文句は言えん()()であるコトは分かっているだろうな?

 

 ぐっと、水を纏った拳が丁寧に握られていく。

 純エーテルとはまた違った力のカタチは悠も経験したものだ。

 たかだか水などと馬鹿にできるものか。

 

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけという。殴っていいのは殴られる覚悟のある奴だけという。ならばァ!!

 

 声を張り上げて、真樹はその胴体を鋭く殴りつけた。

 瞬間、

 

 

「その覚悟を持ってッ、先ずオマエを殴り殺そう!!」

 

 

 羽虫の躯を貫いて水飛沫が吹き荒れる。

 

 拳は食い込まずとも威力だけが突き抜けたみたいだ。

 純白の羽ごと木っ端微塵に散っていく様はその強度すら錯覚させた。

 

 それぐらい容易く。

 彼女は武器に頼るコトなく、人間の天敵を一方的に殴殺したのだ。

 

 

 

「……マジかッ! なんだよあの女!?」

「ああ、そうだった……甘根隊長は本気で別格なんだ……」

「にしてもホドがあるだろ!? なんだよ神様! バグってんじゃねえのかアレぇ!!」

「そちらは随分と楽しそうだな流崎悠。なんだ、浮気か? 浮気なのか? 私との関係は所詮遊びだと? 随分なコトをしてくれるじゃないか!

「誰が浮気だッ!! 勝手言うなよバケモノ女ッ!!」

「酷いな! これはもう夫婦喧嘩をするしかないッ!! さあ得物を持て我が伴侶!!」

「いつテメエと結婚したァ!! 出会いから距離の詰め方が異次元なんだよテレポートでもしてんのか!?」

「そう言いながらも戦いには俄然ノッてくれそうな貴様が好きだぞ流崎悠ッ!!」

 

 ストレートな好意はぶつけられて嬉しくないワケがない。

 そんなコトを当たり前のように思っていた悠である。

 なにせ根が単純で純粋な彼の思考は余計なノイズが入らない限り極めてピュアだ。

 

 ……まあそのノイズが最近多いのだけれど、それはそれ。

 彼本来の性分として受け止める他ないのも事実である。

 

 だからこそ、目の前の女性を前にして思うコトはひとつだった。

 ――いや、なんというか、食べ過ぎ飲み過ぎが良くないのはその通りというか。

 何事にも限度というものがあるということで。

 

「ヒヨリッ! 下ろすぜ! 退いてろ!」

えッ!?

「あん!?」

「あッ、いや、すまん! なんでもない! ちょっと急でビックリした! いやほんと、もう終わりかとかそれぐらいくつろいでた自分にびっくりだ! ほんと!

「ワケが分かんねえけども!!」

「なにをまたイチャついているゥ!?」

「「イチャついてないッ!!」」

 

 抱えた妃和を海面に下ろしつつ、彼も右手の剣を構え直す。

 

 人間相手、さらに言えば無手との戦闘なんて生まれて初めてだ。

 感覚も対処もすべて突貫工事、やり合いながら培っていくしかない。

 

 それは(ラク)ではないだろうが、きっと楽しくないワケでもないだろう。

 

「いいぜちょうどだ! ちょうどいいッ!! ここらでハッキリ分からせてやるッ!!」

「フハハハハハハ!! やはり()()でなくてはなァ!? 人との殴り合いのほうが断然心躍る!! ああそうだとも!! 生きた心地が段違いだ!!」

 

 そして。

 

 ふたりは駆けて、敵意をぶつけながら。

 

 

「――――――――!!」

 

 

 その武器が混じり合う寸前。

 今度は怪物らしく爆音を伴って。

 

 青色の空が、粉々に砕けて落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――羽虫の数は、残り三十匹。

 

 

 

 

 



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4/『素晴らしき闘争』④

 ――世界は崩れ、幻想は融け堕ちた。

 青色の空と海が真樹の中へ戻るように消えていく。

 

 代わりに、見えてきたのは枯れ木色に塗り潰された景色だった。

 

「……なんの冗談だ、コイツら」

「し、知らない。だって、流崎、まさか……こん、なの」

「ふむ。どうにも私の兆角醒が食い破られたか。いやはやこんなのでも異形の怪物だな」

 

 楽しそうに笑う真樹。

 が、彼女にとっては心躍る展開でも悠たちにとってはそうでもない。

 

 なにせ一体でもあれだけ苦労した羽虫を三十体。

 それを連続ではなく同時と来たものだ。

 出来るかどうかなんて答えはすでに決まっているようなモノ。

 

 ……耳障りな羽音が彼らを取り囲んで嘲笑うように響く。

 もはやこの場において逃げ道はない。

 

「おいマキ。もう一回さっきの出来ねえのかよ」

「フハハ。兆角醒か? 遠征前ならともかく、今の私に連発は不可能だぞ? せいぜいが一日に一回程度のものだな」

「あ? 遠征前?」

「氷の十字架とやり合った代償だ。実のところ死にかけている。純エーテルを回して無理やり動くのが精一杯というコトだ! だからなんだという話だが!」

「とんでもねえ話じゃねえかッ!! それで他人と殴り合うとかアンタ阿呆か!? 俺よりバカだろ!! もっと自分の身体を大切にしやがれ!!」

「優しいなッ! もっと惚れる!!」

「あぁッ!?」

「流崎ッ、楽しくお喋りしてる場合じゃない! 来るぞッ!!」

 

 どこが楽しいのかまったく疑問だが、そこは置いておいて。

 

「ッ……! 野郎どもォ……!」

 

 黄昏色の空を背景に羽虫の大群が飛んでくる。

 狙いは残酷なほどに分かりやすい。

 人の気配を感じさせない森のただ中、標的は彼ら以外に誰がいるのか。

 

「――――――――ッ」

 

 〝――――ずきん〟

 

 どうする、と悠は刹那の間に必死で思考を回す。

 接敵までは多く見積もっても一秒未満。

 相手をするには戦力が圧倒的に足りない。

 

 第三部隊のメンバープラス悠で無理やり勝てたのが基本的な羽虫の強さだ。

 先ほどの真樹の一撃で認識がバグりそうになるが、アレはおそらく彼女の兆角醒による影響が大きく乗った状態と見ていいだろう。

 

 〝――――ずきん〟

 

 だとするならそれを使えない現状、真樹が羽虫を全部倒せるかは未知数。

 妃和はそもそも戦う人数に入れられず、悠だって仕留められなかったのが事実だった。

 

 〝――――ずきん、ずきん〟

 

 三十体。

 一体でもなかなか倒しきれない化け物を三十体。

 一体でも戦闘部隊数人を容易く殺してしまえる怪物を三十体。

 

「……んだよ、それ……」

「流崎……?」

 

 〝ずきん、ずきん、ずきん――――〟

 

 ああ、そんなの。

 そんなのは。

 全くもって――――

 

 

「――――ふざけてんじゃ、ねえぞ――――!!」

 

 

 背中の純エーテルを噴かせて空を飛ぶ。

 こちらに真っ直ぐ降り注ぐ羽虫は彼よりも遅い速度。

 身体への影響を考えずに起こした速さは自滅まがいの彼の特権だ。

 

 今度は油断も慢心もない。

 彼の心を支配したのは理不尽に対する怒りのみ。

 例えそれが台風や地震に対するような一方的すぎるものだとしても。

 

 たしかな原動力があるのなら、動かない道理はない。

 

「おぉぉおおおぉおぉおぉおおお!!!」

 

 ――頭痛がした。

 

 刃にを纏わせる。

 純エーテルでコーティングした斬撃。

 咄嗟の思い付きを持ち前の器用さで形にしながら、悠は盛大に剣を振り抜いた。

 

『まず一体ッ!!』

 

 当たりどころが良かったのか、真っ二つになって墜ちていく枯れ木色の死骸。

 ……と、

 

「あァッ!?」

 

 死骸(そこ)から伸びた枝葉の鞭に、四肢を絡め取られる。

 忘れていたワケではない。

 けれど、真樹が倒した時に無かったせいで思考がブレた。

 

 撃破した羽虫が、開花する。

 

「どけぇ邪魔だぁッ!!!!」

 

 枝葉を断ち切って全身へ力を込める。

 周囲に漂う純エーテルが淡く光った。

 

 それは青い星みたいに。

 羽虫たちの暗い色を照らして、空に燦然と輝いた。

 

 ――臨界状態の純エーテルが、撒き散らされていく。

 

「あぁああぁぁぁああぁあああああぁあぁぁああッ!!!!」

 

 開花直前の状態で爆散していく枯れ木色の紫華。

 

 ……頭痛が酷い。

 思考がまとまらない。

 なにか大事なコトが抜け落ちている気がする。

 

『ハルカ。ハルカ。嗚呼、ハルカ』

 

 ああ、でも、それより眼前には大量の羽虫が迫っている。

 だから剣を。

 この手に剣を。

 

『私の恋人。私の愛。私だけの素敵な幼馴染み』

 

 勝ち目がないから。

 勝機が薄いから。

 誰もが無理だと目を瞑る光景だから。

 

『かわいそうに。その意志は星からの命令だろう。憐れな反逆者だ。まったく下らない。腹が立つ。だから早く、私のもとへ。私と一緒に、自由に、幸せになろう。それがいい』

 

 彼は/俺は、アレを/あいつを、倒さ/救わ、ないと――――

 理不尽ないまに、刃向かわないと。

 

『そうだろう? ハルカ』

 

 そうだろう、()()

 

 

 

「――――流崎ぃいぃいいいぃいいいッ!!!!」

 

 

 

 バチン、と。

 頭の中に流れていたノイズがはじけた。

 

 頭痛はやまない。

 

 関係ない、今はそれより声の主を確認するのが先だ。

 直ぐさま視線を真下に向ける。

 

「ばか! 前だ!! 前!! 腕の――――ごぶぅーーーーー!?

 

 言いかけて妃和が真樹に殴り飛ばされる。

 その、羽虫から攻撃を庇うようなカンジで。

 

 ……衝撃的すぎて思考がマトモに戻った。

 冷えすぎて気分が悪い。

 というか単純に真樹が妃和を殴ったのが嫌すぎて最悪だ。

 

「てめえッ!! クソ女なにしてやがばぁーーーーーーッ!?

「なんだ貴様ッ墜ちてくるのか!! 戦闘中に余所見とは阿呆だな!!」

 

 〝アンタのせいだろくそったれェ――――!!〟

 

 伸びる腕槍の強襲を受けて墜落する悠。

 傷は負ったが深手ではない。

 せいぜいが内臓を二つ三つ潰された程度だ。

 これぐらいなら数秒もせず完治する。

 

「――――――――あぁあァッ!!!!」

 

 純エーテルを再噴射して地面との衝突を最小限のダメージでおさえる。

 落ち着いて回した思考はなにより先に彼女(ヒヨリ)のコトを考えた。

 

 真樹には任せていられない。

 彼女は一応死なないように配慮してくれるだろうが、その度に殴られては妃和のかわいい顔に消えない傷が付くのは確実だ。

 

「クソッ!! ヒヨリ!! ヒヨリィッ!! 生きてるかァ! 生きてるよなァ!!」

 

 空から降ってくる腕の槍を無視して走る。

 手足が千切れようがなんだろうが構わない。

 

 痛みだけなら耐えれば済む話だ。

 致命傷さえ避けている限り、即座に純エーテルが治してくれる。

 

「りゅう……ざ、き……」

「ッ!! おいヒヨリ! しっかりしろ!! どこが痛い!!」

「顔が……というか、私の心配は、いいから……ッ」

「いいワケねえだろ!! ああクソ!! さっきまで頭回んなかった!! 悪ぃ!! あんな大口叩いといてよォ!! てめえが恥ずかしいなオイ!!」

「いいからッ……あの大群を、なんとかッ……しないとッ……!」

「なんとかだァ!?」

 

 ぐるんと妃和を抱えて振り向きながら、伸びてくる枝葉の槍を斬り落とす。

 悠の初撃と真樹がすでに何体か倒したお陰で数は少しばかり減ったか。

 それでも二十体以上はざっと見て確認できた。

 

「だああああちくしょうッ!! こんなの――ッ!?」

「りゅ、流崎!?」

 

 ――頭が割れるように痛い。

 

 ついこめかみに指を当てて、悠は砕けんばかりに歯を食い縛った。

 耐えるように搾り滓じみた理性を保つ。

 

 一体自分はいまなにを言おうとしたのか。

 それを胸中で再確認して、身を焦がすような衝動に呑まれそうになる。

 

 ……こんなのは、無理だと。

 数を見て、戦況を見て、こちらの状態を正しく認識して。

 それでも勝てるワケがないと冷静な部分で判断しそうになった瞬間、頭蓋の内側、脳みその奥から針を刺されたような気分だった。

 

「――ぅうあぁぁああッ、ヒヨリぃ……!」

「な、なんだッ!?」

「殴れ……! 俺を殴ってくれ! 今すぐ! はやく!!」

「わ、わかったッ!?」

 

 ぽかっ。

 

 肩にちょっとボールが当たったかなぐらいの衝撃だった。

 

「ちゃんとやれぇええええ!!!!」

「そんなに怒るコトないだろーーーー!?」

「いいからッ! 頼む今すぐ!! ヒヨリ!!」

「ああッもう!! ほんと、知らないからな!! 私ッ!! てぇえええぇえッ!!」

「がばッ」

 

 いいストレートだった。

 左手にしてはなかなか鋭い。

 思わず彼が白目を剥きそうになるぐらいには。

 

「――――サンキュー……! スッキリしたァ!!」

「ええ……」

「ともかくなんとかだ!! なんとかだなッ!! ああ()()()()してやるよッ!!」

「で、できるのか!?」

「それは今から試してみるってヤツだなァ!!」

「ばか! ばかだ! ばかだった! もうばかーーーー!!」

 

 妃和の叫びを心地良く耳に聞きながら、悠はもう一度飛翔する。

 ぐちゃぐちゃになりそうな頭の中身を整理できたのは偏に彼の心からくるものだ。

 

 頭痛もなにも無視して()()()()部分を総動員する。

 自分ひとりだけ、己の命ひとつだけ。

 そう考えられていたのは彼と外の繋がりがあまりにも少なかったからだ。

 

 いまは違う。

 だから、優先順位もなにもかも違ってくる。

 

「この程度でッ」

 

 刀身に空色の粒子を走らせる。

 やり方は単純だ、なにより一回試していた。

 巨大花の撃破時に……あの時は夢中で忘れていたが……彼自身が選んだ手段。

 

「無理だなんざ言ってられっかァ――――!!」

 

 宣言はただの強がり以上の意味を持たず。

 突き刺した剣の切っ先から溢れんばかりの純エーテルを流しこむ。

 

「散れェッ!!」

 

 ばぁん、と風船のようにはじける羽虫。

 枯れ木色の四肢はバラバラと砕けて爆ぜた。

 

 花は咲かない。

 真樹がしたように木っ端微塵に砕けば流石の向こうも次の手はない。

 

「はははッ――そういう、コトだなァ!!」

「どういうことだッ!?」

「光明が見えたァ!! やっぱり雑魚だな!! たかだかあと二十何匹程度だッ!! 全部蹴散らしてくれるぜ!!」

「待て待て待て!? 油断するなよ流崎!! 冷静に!! 落ち着いてッ!!」

「落ち着いてるよ俺は全然ッ!!」

「そうは見えないが!?」

 

 言いながら、悠は二体目の羽虫を爆散させる。

 地上ではすでに真樹が小さな死体の山を積み上げていた。

 あちらが無限に沸いてくるワケではない以上、いずれ底を尽きる軍勢だ。

 

 ならば――――

 

 

 

 

 

「…………あ?」

「――――、りゅ、流崎……?」

「なんだ、コレ。待て。いや……なんッ」

 

 ふと。

 急に、純エーテルの噴射方向がおかしくなった。

 彼から見て右斜め後ろ側。

 そこに向かって、なにやら吸われているような。

 

「――ッ、引き寄せられてんのかァ!!」

「えッ、な、なににだ!?」

「分かんねえッ!! だがこの感覚は間違いねえッ!!」

「あああもうッ!! なんなんだ!! これ以上はもう私もキャパがッ」

「ちくしょうてめえッ!! どこのどいつだ水差してんのはァ!!」

 

 

 

「流崎悠、ここまでらしい」

 

 

 

 

 下から聞こえてきた声にどういう意味だと顔を向ける。

 先ほどまで短刀を握って交戦していた真樹は、すでに戦闘態勢を解いていた。

 まるでもう必要ない、とでも言いたげなぐらいに。

 

「どうにも私と行き先が被ったようだ。ご到着だよ。()()の」

「あァ!? 誰だそいつはァ!!」

「流崎! 流崎!! そこッ!! 森の中に、誰かいるッ!!」

「なにィ!?」

 

 妃和の指差したほうを見れば、たしかに木の陰に紛れるヒトガタが見えた。

 

 辛うじて確認できるのは日に当たって輝く橙色の髪

 腰に提げられた数本の刀は鉄潔角装だろうか。

 彼の目からすると以前見た麻奈のモノとは()()()()で違うと分かる。

 

「――――ッ、まさか、あの女が引っ張ってんのか!!」

「まさか! そんな、流崎!! だとしたらアレは!!」

「アレは、なんだ!? なんだっていうんだよッ!!」

 

 純エーテルの噴射方向を変えて、悠たちはなんとか上空に留まる。

 が、その出力は彼らだけに許されたものだ。

 

 空気を掻いて飛んでいた羽虫たちは足掻くこともできず引き込まれていく。

 森の中、ひとり佇む女性のもとに。

 

「ああ、本当に惜しい。もう少し愉しみたかったのだが。……彼女が居ると、なあ……」

 

 ぽつり、と独りごちる真樹。

 残っていた羽虫の猛攻は止んだ。

 固まって引っ張られるソレらに抵抗する術はない。

 

 

 

 ――それはほんの一瞬で。

 

 爆発的な熱量の火炎と共に、その全てを悉く滅ぼした。

 

「――――燃え、やがった……?」

「……ぁ、あぁあッ……」

「? ヒヨリ? なんだよ、どうした。オイ、ヒヨリ!」

「あぁッ……流崎、流崎ッ……あれはッ……あの、人は……ッ」

 

 爆炎の中から、無傷の人間が歩いてくる。

 森の半分以上を焦土に変えた灼炎。

 間違いなく人智を超えた能力は彼女が兆覚醒の域に手をかけている証拠だ。

 

 

 

「――――陽向、総司令……ッ!!」

 

 

 震える声で妃和が告げる。

 それは拭っても消えない過去の傷。

 

 ――ああ。

 あの日の太陽が、また窮地を燃やしにやってくる。

 

 

 



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4/『素晴らしき闘争』⑤

 

 

「陽向……総司令……」

「……ヒヨリ?」

 

 掠れた声に違和感を覚えて、悠は腕の中の彼女を見た。

 どうした、なんてかける言葉も出て来ない。

 目に見えて分かるほどの緊張と異変だった。

 

 ……妃和の表情は強張っている。

 おまけに顔色も真っ青だ。

 それは三十匹の羽虫に囲まれた時ですらしなかった、本当に死にそうな代物で。

 

「……落ち着け。知り合いか? いや、知り合いなんだろ」

「あ、あぁ……ッ、あの人は、私の――じゃなくて、私たちの……」

「妃和」

「ッ」

 

 遠くから放たれた声に、びくんと少女の身体が揺れた。

 

 咄嗟に悠もそっちの方を向く。

 というより、容赦なく睨みつける。

 

 視線はわずかに逸れてぶつかった。

 向こうの瞳は妃和を、彼の瞳はその人影を。

 

「腕を失くしたのか」

「……はい。申し訳、ありません」

「どうして謝る。いい、怒っているワケでは――いや、たしかに怒っては、いるが」

「…………っ」

 

 ざり、と軍靴を鳴らして女性が近付いてくる。

 悠はゆっくりと着地して、妃和をその目から隠すよう背後にして立った。

 きゅっと、後ろから軽く服を掴まれる感触。

 

「……ああ。お前が美沙のお気に入りだな? たしかに男前だ。先ほどの純エーテルの使い方もなかなか良かった」

「美沙の()()()を知ってんのか。アンタ」

「旧知の友人だよ。彼女とは度々話す仲だ。……ところで、なぜ妃和を背に庇う?」

「気に入らねえ」

「ほう?」

「ビビってんだろうが、コイツが。なのにそれをどうとも思わねえのか、てめえ」

「ッ……ちが、流崎、ちがう……から、これは……っ」

 

 背中から伝わる服を握った感触が強くなる。

 なにが違うのか、と言いたいところを喉元で堪えた。

 

 余計なコトは言えない。

 

 常識に照らし合わせた問題ではなく、下手な隙を見せた瞬間に取り返しがつかなくなる。

 そんな第六感的な直感が働いた。

 

「――すまない。それは私の責任だな。どうも、こんな事態だからか冷静でいられないらしい。威圧感を与えてしまっているようだ」

「だったらその戦意を抑えろよ。目ぇギラつかせてこっち見やがって。なあオイ、ヒトを親の仇みてえに睨んで来るじゃあねえか!」

「…………ふむ。甘根隊長」

「ああ、なんだ? 総司令殿」

「手を出すなよ」

「……仕方があるまい。つまらんが、上の指示か」

 

 それが、開戦の合図だった。

 

「ッ!!」

 

 一度。

 瞬きをしたその直後に、目の前で姿を捉える。

 

 何十メートルとあった距離を刹那で潰された事実。

 一体どれほどの速さで動いたのか、目で追うことができない。

 

『――ああ、いや、違う。コイツ――』

 

 こちらを引き寄せて、その上で向こうも動いたのか。

 

「がっ――――!?」

「りゅ、流崎っ!?」

 

 顎を掬うように跳ね上げられる。

 ぐわん、と脳みそが揺れる感覚。

 消えそうになる意識はすんでのところで留まった。

 

「て、めえ!!」

「なんだろうか?」

「ごッ!?」

 

 今度は鳩尾を突く鋭いトーキック。

 呼吸ができない。

 痛みで腕から指先が痺れていく。

 

 思考はたしかなハズだったのに、散り散りに乱れてバラバラだ。

 

「……どうしたんだ?」

「――――ッ、――――……!!」

「その程度なのか? 君は。私は鉄潔角装も本気の兆覚醒も、ましてや純エーテルですら使ってはいないのに」

「あん、だとぉ……!!」

「だが」

 

 うずくまったところで顔面を蹴られた。

 鼻が折れたらしい。

 ダバダバとがとめどなく溢れてくる。

 悠の身体なら治るのには数秒間、二秒も経てば止血はしてくれるが。

 

ぐ――――ッ、ぉ――――……ッ

「適わない。もう一度訊こうか。その程度なのか、流崎少年?」

「……ッ、なに、をォ……言って、やがるゥ……!!」

「第三部隊がその命を以てして。妃和がその腕を失ってまで。そうして繋いだ君の価値はその程度なのかと訊いている」

「なにがッ、価値だァ!! ふざけたコト吐かして――」

「口がよく回る」

「ぐぶッ」

 

 頬に鋭い痛みが走る。

 軍靴越しの脚撃は一発一発が骨を折るような重さだった。

 

 死なない程度の手加減というのはこういうのを言うのだろう。

 上手いこと調整された攻撃は、致命傷にならないギリギリを狙ってくる。

 

 見誤ってはならない。

 この女は彼からして――――完全に、格上だ。

 

「ひ、陽向総司令ッ! なにを、しているんですか……!?」

「妃和。お前はじっとしていてくれ。少し彼を試しているんだ」

「た、試すって……一体、なにを!」

「私は許さない」

「だ、だからッ、なにを!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――愛娘がこんな軟弱者(オトコノコ)に靡くなど、絶対に許さない」

 

 

「そッ、総司令!?」

 

 

 

 ブチン、と頭の中にある大事なナニカが切れる錯覚。

 総司令――陽向葵のこめかみにはこれでもかというほど血管が浮き出ている。

 

 それで悠はなんとなくこの戦闘の真意が掴めた。

 掴めてしまった。

 

 似たもの同士というか、類は友を呼ぶというか。

 大抵、他の職員と話していたときに美沙(だれか)が見せた表情と被って見える。

 

「なあ、流崎少年。妃和が腕まで捨てたんだぞ……?」

「ッ、だから、どうしたァ……!!」

「彼女の適性は高くないんだ。治癒はあくまで促進剤程度で、再生なんてしないんだ」

「それが、どうしたって言ったんだァ!!」

「消えない傷を君のせいで作ったというコトだァァァアアアアッ!!!!」

「ごばッ!?」

「流崎ーーーーー!?」

 

 ずざざざざざざー! と地面を滑る悠。

 きっと純エーテルの力がなければ顔をおろし金ですりおろされたみたいになっていた。

 

「初め、話を訊いたときは君を良い男だと思ったよ。美沙からの言もある。大層剛毅な益荒男だと思ったさ。だが、だがな。それは君が単体で、個で、独立していればという前提条件があっての印象だ。妃和と関わるなら話が違う」

「総司令っ! 陽向総司令っ!! や、やめてください!」

「これでも育ての親になるワケだ。血が繋がっていないとはいえ、本当に自分の娘みたいに思っていた。可愛くてしょうがなかった。戦闘部隊に入るのも止めたが、彼女がどうしてもと言うので仕方なく許可もした。……思えばそれが、間違いだったと今なら言えよう」

「――ッ、なにをォ、勝手にィ……! アンタが言ってやがる……!!」

「美沙には悪いが不合格だ!! 君を妃和の相手とは認めないッ!!」

「ごッ、がッ、あッ、ごォ――!?」

「うわわわわわ、流崎ッ、流崎――――!!」

 

 サンドバッグみたいに悠が殴打される。

 傍目に見てもマズイ状態というのが分かった。

 

 いくら治癒の関係で死なないとはいえ、痛みはそのまま身体に残るのだ。

 あれだけやられて意識を保っているのは……まあ、彼なので当然だろうが……ともかくアレはマズイ。

 

「かわいがっていた娘を疵物にされた私の気持ちが分かるか……!? 大事な妃和の片腕がないんだぞ!? それをッ! 君は! どう思っている!?」

「がッ、ごッ、おごッ」

「もしも死んでいたら! 片腕じゃ済まなかったら! ああ酷いな! そんな想像はしたくもない! だが今ある現実も真実だ! どうなんだ! 流崎少年!!」

「ぐっ、おッ、あぁッ、ぎぃ――」

「君にとって妃和はなんだ!?」

「ごべぇ――――!!」

 

 腹にもらった一撃は他のと比べて数段痛かった。

 ボールのように転がりながら悠は地面に横たわる。

 

 先ほどとは違って今度は真っ当な体調不良で頭が痛い。

 顔中血まみれの身体中傷だらけだ。

 

 全くもってヒトの体をなんと思っているのやら、と言いたい気分である。

 

「流崎っ! 大丈夫か! しっかり!」

「退くんだ、妃和。彼を殴れない」

「な、殴らないでくださいっ! どうして貴女がこんな真似を!!」

「流崎少年に巻き込まれなければ妃和の腕がなくなることはなかったハズだ」

「流崎は羽虫を倒しました! 私がこの程度の怪我で済んでいるのは彼のお陰で、」

「羽虫はそこの流崎少年を狙って来たとすればどう思う」

「――――――」

 

 ……それは。

 頭のどこかで、妃和も同じように考えていた予想のひとつで。

 

「彼が外に出たタイミングと羽虫の出現は殆ど同時だった。先ほどの大量の襲撃もある。もしかしなくても、可能性はゼロじゃないだろう」

「そ、早計でしょう……! 大体、流崎はこの先必要な人間です! 私の命や体で彼が残るなら、そんなのは――」

「「ふざけたコトを言うんじゃない(ねぇ)ッ!!」」

「っ!」

 

 叱責の言葉は重なるように響いた。

 ひとつは総司令……陽向葵から。

 もうひとつはすぐ近くの彼から。

 

 悠は治りかけの身体を引き摺って、彼方を睨むように立ち上がる。

 

「おいてめえ、ヒナタっつったなあ」

「ああ。なんだ、流崎少年」

「コイツがなんだ、って訊いたよなあ。さっき。ああいいぜ、教えてやるよ」

 

 鉄潔角装は使わない。

 純エーテルも必要ない。

 

 状態は同じ、舞台はすでに整っている。

 素の身体能力なんて彼は素人に毛が生えた程度だが、それでも十二分だ。

 

 大事なのは別のトコロ。

 

「死なせたくないヤツだ。生きていてほしい相手だ。それ以外にあるかよ、バーカ」

「…………ほう?」

「なッ――ば、流崎……!」

「育ての親だかなんだか知らねえが、いきなり出てきて喧嘩ふっかけてんじゃねえぞ。言っておくが手なんざ出してねえからな。そこんところ勘違いすんなッ」

「ほほう?」

「なにを言ってるんだ流崎!?」

 

 もちろん事実である。

 たしかな身の潔白である。

 流崎悠はこう見えてピュアなのだ、多分。

 

「腕が要るなら俺がそうなったって良い。責任取れっつうんなら取るさ。そんぐらい気に入ってんだ。オカシイよな。たかだか人間ひとりに、てめえより重いモン抱えてやがる。けどな、これがどうにも良くって仕方ねえのさ」

「その心意気は認めよう。だが言葉ならなんとでも言えると、私は思うんだ」

「はっきり言いな。なにがしたい?」

「覚悟を見せろと言っている」

「総司令!?」

「妃和。いいから下がっていてくれ」

「――――どうして、こう、なるんですか……ッ!!」

「妃和がいるんだ。こうもなる」

「どうしてッ」

 

 嘆くような一言は黄昏色の空に消えていく。

 親バカ此処に極まれり。

 おそらくまだ収容所で落ち込んでいる美沙が見れば「とんでもない阿呆だなおまえは!」とかいうブーメランを投げるであろう状況だった。

 

「……これだから、()()()は、苦手なんだ……ッ」

「オイ言われてるぞ」

「それもまた親子だろう?」

 

 無敵かこいつ。

 

 

 




人類最強(モンスターペアレント)


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4/『素晴らしき闘争』⑥

 

 ひとつ、細く呼吸をくり返す。

 眼前に立った葵との距離はわずか十メートル。

 

 彼女なら一秒と経たずに詰められる差だ。

 両者の間にある空間なんて有って無いようなもの。

 

 完治した身体をコキコキと鳴らして、悠はニヒルに笑みを浮かべる。

 

「……覚悟、ねぇ」

「不満かな、流崎少年。話に聞いていた君は、もっと生き生きとしていたようだが」

「いいや、ぜんぜん? だが話ってのは気になるな。美沙か、美沙だな」

「そうとも。だからまあ、安心していい。ちゃんとして生きて連れ帰るさ」

 

 無事に、と言わないあたり分かりやすい。

 生きて連れ帰る。

 それは生きているなら例え傷を負っていても構わないというコトだ。

 

 先ほどの攻防でボコボコにされた手前、冗談と受け取るのは難しすぎた。

 

「――はははッ、んだよそれ。そんなの御免だね」

「なるほど。怖いのか」

「違うさ。連れ帰るってのが気に喰わねえ。無理やりてめえの行く道変えられるのはなァ……我慢、できねえだろうが――ッ!!」

 

 地面を蹴って悠が飛び出す。

 構えた拳は型もなにもないただの無茶苦茶な喧嘩殺法。

 戦闘部隊として長年鍛錬を積み、そのトップに立った彼女からすればお粗末極まりない。

 

「あくまでそれが答えか。流崎少年」

 

 反撃の手を構える。

 彼我の実力差は先も示した通り圧倒的だ。

 とくに深く考える必要もない。

 

 悠の攻撃を捌いた上で、今度こそ意識を刈り取る一撃を放つ。

 

 それで終わりだ。

 彼の旅路も、妃和との繋がりも。

 すべて、次の一撃でぜんぶ断つ。

 

「――――ハ」

 

 小さく響く笑い声。

 

 ふと、走っていた少年の口角がつり上がった。

 考えなしの疾走、無策の突撃ではない。

 

 ――振り抜いた拳から、刃が突き出る。

 

「ッ!」

「ハハハハッ!! やっぱりなァ!!

「……君は」

「気付いてんだよ最初ッからァ!! アンタの()()()()()()()()()()だろうがッ!!

「凄いな。ああそうとも、純エーテルの義手義足だ。しかしどこで見破った? 服で肌は隠れていただろうに」

「殴られた感触だボケェ!!」

「なるほど」

 

 言いながら、葵は悠の拳を易々と受け止める。

 刃は通らない。

 鉄潔角装の質に於いて、彼の剣は彼女の腕に到底届かないほどだ。

 

「だがそれでも動きは私の圧勝だな。流崎少年。これで終わりか?」

「アホ言うなよ、総司令サマがよッ」

「――ふむ」

 

 びゅっ、と頬を掠めていく悠の蹴り。

 

 センスはある。

 はっきり言って男の中なら飛び抜けて彼は優秀だ。

 純エーテルの影響を耐えてここまで動ける男子などなかなかいない。

 

 ……が、それはそれとして合格点に足りないのも事実だった。

 

「一手少ないようだが――」

 

 がしっ、と。

 振り上げた足を曲げて、鉤爪のように葵の肩を掴む。

 

『なるほど』

 

 二撃目の拳はすでに構えられていた。

 やはりイイ線をいっている、才能だけならピカイチだ。

 戦闘部隊の中でも彼みたいに出来るのはせいぜい半分以下だろう。

 

 ――勢いの乗った一撃を左手で受け止める。

 

 寸前、

 

「!」

 

 きつく握られた拳が、ぱっと開かれた。

 仕込まれていたのは大きなものではない。

 

 さらさらと風に流れてばらまかれる――細かな土砂だ。

 

『ッ、小手先だけで――』

 

 新しく創造した刀を構える。

 抜きはしない。

 鞘に収めたままで十分だ。

 

 空気の流れ、周囲の音。

 それらをたしかに把握して、鋭い一振りを放つ。

 

「がッ――――」

「…………」

 

 手元に返ってくる感触はあった。

 並大抵の人間ならこれで膝をつく。

 

 

 

「――――使ったな? 鉄潔角装(エモノ)をッ」

「!!」

 

 吹き荒れる暴力的なまでの純エーテル。

 嵐の中に居るのかとすら錯覚させる空色の奔流が、瞬く間にふたりを包み込んだ。

 

 ――やはりというか、そこは期待以上というべきか。

 

 底を知らない神秘の使い方は間違いなく、その一点で葵を越えている。

 

「……なんと。流石に驚くな、それは」

「驚きついでにいくぜダメ押しィ!!」

「!!」

 

 その燐光が彼の手に集まっていく。

 出来上がるのは唯一無二、悠だけの神秘に塗れた鋼色。

 ならばこの後の衝突がどうなるかなど、考えるまでも無い――

 

「おぉおおぉおぉおおおおぉおおおッ!!」

「――――――――、」

 

 斬撃は胴体を薙ぐように。

 放つ速度は音を越えて光に迫った。

 

 けれどもそれでは遅すぎる。

 葵にとってはまだまだ対応できる範囲。

 

 力任せの一撃は容易く防がれて、

 

『――――なに?』

 

 彼の剣が、砕け散る。

 

『手応えがない。上手く作れなかったのか? 初めの頃はよくある。やはりまだまだ――』

 

 

 

 ――いいや、違う。

 

 そんなハズがない。

 

 あれだけの純エーテルを扱えて、あれだけの神秘を構成材料としておいて。

 それでこうも簡単に砕けるのなら、鉄潔角装は武器として成り立たない。

 

 つまり――

 

「おらァッ!!」

「ッ!?」

 

 ごん、と頬を鋭い痛みが貫いていく。

 

 思考が生んだ一瞬の隙。

 一秒にも満たない空白を穿つような全力の拳。

 

 それは全身全霊で、今の彼が持てるすべてを擲ったひとつの成果。

 悠は剣を握った瞬間から、ただ「彼女を殴る」コトに専心していた。

 

 ……その執念が、最高の形で実を結ぶ。

 

「っ……流崎ッ、少年……!!」

「どうだ、見たかよ総司令サマッ!! 殴られると痛えだろ! さっきのお返しだッ!!」

「なるほど、それは痛いな! ああ痛い、痛いとも。……よくやる」

「褒めてんのかァ!? だがまだ足りねえッ!! こんなもんじゃねえッ!!」

 

 掴むように握られて形成される鉄潔角装。

 今度こそはハッタリでもなんでもない。

 彼は切っ先を天高く持ち上げながら、口もとを己の血で汚して高笑う。

 

「妃和には悪いがてめえはぶっ飛ばす!! 俺の全霊懸けてェ!!

「――ふ、はははっ、あはははははっ!! なるほどこれは本当によくやってくれる!」

「ちょッ、待て待て待て!? 流崎!? おい流崎!? なんだそれ!?

 

 妃和が驚くのも無理はない。

 

 なにせ彼が構えたのは文字通り天を衝くほどの純エーテルの刃。

 振り上げた鉄潔角装から伸びた神秘の粒子が雲を裂いて極大の刀身を再現する。

 

 小手先の技術でどうにかならないならそれこそゴリ押しだ。

 つまるところ才能でぶん殴ればいい――そんな答えを思わせる長大さ。

 

 それは正しく彼にしかできない、たったひとつの冴えたやり方。

 

「覚悟を見せろとてめえは語ったッ!! なら全力だ!! あんた強えんだろ!? だったら俺の本気程度受け止められるよなァ!! いいや!! 受け止めてもらわなくちゃ困るってもんだ――――!!」

「――いいだろう。その一撃、受けて立つ……!」

「総司令!? 流崎っ! 落ち着け! 相手は人間だ! 無理に戦うなどと!」

「ヒヨリィ! コイツは最早止めらんねえぜ!! 抜いた刀はおさめらんねえ!! そうだ! そうだろ! ああそうさ!! ()()()()()()()()()()だッ!!」

 

 

 

 極大の剣が振り下ろされる。

 純エーテルの刀身が大気を焦がしていく。

 

 出力は以前にも増してあがっていた。

 彼の素質が成せる業だろう。

 

 その力に頭打ちはない。

 かき集めた神秘の粒子もその操作も神がかり的な巧さ。

 

 ああ、今。

 

 黄昏色の空が。

 赤銅色の雲が。

 

 歪んだ頭上の景色が瞬間、原初の色に戻っていって、

 

 

「おぉぉおぉおおおおおぉおおおお――――――ッ!!!!」

「…………っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――雲の中の、なにかに当たった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『は?』

 

 

 

 

 腕が動かない。

 刀が振り下ろせない。

 臨界状態の純エーテルが空回っている。

 

「……? 流崎……?」

「――――――」

 

 冷や汗が頬を伝う。

 尋常じゃない寒気が全身を包んだ。

 

 現状、悠の持てる全てを注ぎ込んだと言っても良い一撃。

 この前までとは比べ物にならない出力の純エーテルは羽虫の外皮すら削れるぐらい。

 

 なのに、それが完全に阻まれているというコトは。

 

「……流崎少年? なんだ、どうした」

「――――ま、じい」

「なに?」

「コイツ――――」

 

 

 

 

 

 

 頭蓋が、震えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

EAっ……Soの

 

 

 

Aっ、お、おハよu。ハRuカくン……っ』

 

 

 

『ひ、久Siぶリっ……日ハそNo、いI天気……だNe』

 

 

 

『え? わ、Waたしは、Ra。その……こんNaんし』

 

 

 

似合っRuよ。きっと。地味だKaら……土いZiり、とか』

 

 

 

『ハルカくんは……花とか、す、好きなの……?

 

 

 

『ユニちゃん、元気……? げ、元気か、そっか

 

 

 

『大事だもんね、幼馴染み、なんし……』

 

 

 

『わ、わたしっ、可愛いかな!? いや、そんなコトないと思うけどっ!?』

 

 

 

『そ、そういうの、やめた方がいいと思います。はい……』

 

 

 

『これ、あのっ、ぷ、プレゼント、で……えと、キランソウっていうんだけど』

 

 

 

『う、うんっ! こちらこそ、受け取ってもらって、あり、がとう』

 

 

 

『……いいなあ、ユニちゃん』

 

 

 

『い、いいよ、わたしは。あの、なんていうかっ……そういうトコロが、うん、アレ、だし』

 

 

 

『ね、ねえ、ハルカくん』

 

 

 

『ハルカくん』

 

 

 

『ハルカくん、ハルカくん、ハルカくん――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――して」

 

 

 

 

 

「……ろして」

 

 

 

「ころして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺して」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺して、殺して、殺して」

 

 

 

 

 

「殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私を殺して、ハルカくん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――ッ!?」

 

 

 

 純エーテルが砕ける。

 空色の光を通して鉄潔角装すら粉々にされた。

 悠の手元にはすでになにもない。

 

 いや、それより、先ほどの声は、映像は――アレは、一体なんだ――?

 

「っ!」

 

 不意に空を見た。

 黄昏色の空を背景に赤銅の雲が割れている。

 

 ――その隙間に。

 

「……なんだ、ありゃあ」

 

 なんだか途轍もなく嫌悪感を抱く。

 枯木の、天使を見た。

 

 本番はこれから。

 人類を追い詰めた異形の怪物。

 その本当の力がいま、彼らに振り下ろされようと――

 

「やっと、会えた」

 

 枯木の君は、どこか笑顔を浮かべたように見えた。



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5/『樹木の天使 前半』①

 それは割れた雲の隙間から、こぼれるように現れた。

 

 金色の髪紺碧の瞳

 肌は温度を感じさせないほどの白さで、纏う衣服もそれ以上の

 

 人間らしい部分で見れば悠たちとなんら変わらない。

 羽虫のようはモノとは違う、真っ当なヒトの姿形だ。

 

 ……その背中に、歪な翼がなければ。

 

「――――――」

 

 縦横無尽に張り巡らされる樹木の羽。

 複雑に絡み合う枝葉で出来たソレは羽搏くための器官として成立していない。

 ただあるだけの飾りでありながら、浮遊できる性質を持つ矛盾。

 

 ……皮肉なコトに。

 彼女自身に似合うであろう純白の翼は化け物が持っていて、化け物にあるべき異形の翼を彼女が持っていた。

 

「……人間……じゃねえよな、どう見ても」

「あ、あぁ……、普通、ヒトは飛べないからな」

「俺は飛べるが?」

「いやこんなときに何と張り合ってる流崎」

 

 その基準でいくと悠も人外扱いされそうだったので一応言っておく。

 まあそれはともかく。

 

「……嫌な感じだぜ。羽虫どもとは明らかに様子が違う」

「そう、だな……どうにも、不気味だ」

 

 知らず、彼は鉄潔角装を握りしめた。

 妃和を近くにしてすぐにでも彼女の手を取れるよう構える。

 

 上空のソレに動きはない。

 虚ろな瞳はいまだ虚空を見つめたまま。

 

 ただゆっくりと、樹木の羽を使って空に漂っているだけだ。

 

「………………、」

「くくくッ、コレはなんとも」

 

 一方、葵と真樹は睨むように空へ視線を向けた。

 

 どちらもすでに臨戦態勢。

 それぞれ得物を手にした状態で意識を研ぎ澄ましている。

 

 長年怪物どもと渡り合ってきた直感が働いた結果だろう。

 動きがなくともその雰囲気でふたりは察した。

 

 間違いない。

 

 アレは、今なおその名を轟かせる怪物どもと()()()()()()だと。

 

『――――――』

 

 ……そっと。

 静かに瞳が動かされる。

 

 ハイライトのない昏い眼光。

 その焦点はピタリとひとりの人物に合わせられた。

 

 言わずもがな、この場に於いて接触があったのはたったひとり。

 ――流崎悠、その人だけ。

 

『――――――……、』

 

 天使の右手が持ち上げられる。

 樹木の羽根がメキメキと音をたてて開いた。

 

 大きさは遠目に見ても分かるぐらい()()()

 せいぜいが百六十程度の身体に生える全長十メートル以上の巨大翼。

 

 そうして彼女は、薄く口をあけて、

 

『       』

 

 クスリ、と。

 艶やかに笑った。

 

 〝おはよう、ハルカくん〟

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 

 頭が痛い。

 なんだかよく分からない。

 

 けれど、その顔を彼は知っている気がする。

 これまで生きてきて一度も出会ったコトのない人物なのに、そんな確信があった。

 

 一体、どこの誰だったろう。

 そのことを気にかけようとして――

 

『な――――』

 

 空から降ってくる無数の弾丸(枝葉)に、思考がはじけた。

 

「――――ヒヨリィ!!」

「えッ!? うわっ!!」

 

 咄嗟に彼女を後ろにやりながら純エーテルを操作する。

 

 切り落とすのは不可能に近い。

 上空から放たれた枝葉は文字通りの弾幕だ。

 

 避けるにしても逃げるにしてもその数の多さから無意味だと分かる。

 

 取れる手段はただひとつ、防ぐしかない。

 

「このォ――――野郎ッ!!」

 

 鉄潔角装の応用で足元から連なるよう剣を生やす。

 神秘の鋼鉄、刃金の盾は急拵えながら良い出来だった。

 そんじょそこらの攻撃では傷ひとつ付かない硬さ。

 

 ――それが、易々と削られる。

 

「オイオイ嘘だろッ!!」

「――――ッ、流崎……!? なにが、起こっている……!?」

「とんでもねえッ!! コイツまじかよ!! ケタが違ぇッ!!」

 

 あの羽虫にも剣を折られたコトはあった。

 先ほどの戦闘でも悠の鉄潔角装は葵に砕かれている。

 

 だが、それらはあくまで理由あってのものだ。

 前者は初めての創造故に脆く、後者はそうなるよう仕向けた結果。

 

 だからこそ目の前の現実は非常に重い。

 幾層にも連なった剣刃の盾が、薄っぺらい木の板でも割るようにガリガリと砕かれる。

 

「あぁあぁあああぁぁあああぁぁあぁぁああッ!!!!」

 

 ――防ぎきれない。

 

 脳内の冷静な部分で悠自身がそう囁く。

 

 鉄潔角装を再展開するにも時間が要る。

 クオリティアップは当然ながら望めない。

 

 必要なのはなにか、捨てても良いものは。

 

 切ってもいい手札はなんなのか。

 それを考え抜いた上で、彼は迅速に決断を下した。

 

「クソがよォ!! もってけこんちくしょう――――ッ!!」

 

 大事なものは決まっている。

 なら方法に拘ってはいられない。

 

 痛みで気が狂うのを覚悟しながら、

 もしかしたら戻れないと念頭に置きながら、

 妃和を庇うように立った彼は、全身から剣を生やすことで自身の身体を盾とした。

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 

 が噴き出る。

 意識が途切れる。

 

 それでも崩れることはできない。

 落ちていくモノを歯を食い縛って必死に堪えた。

 

 ――痛みに耐えるのは、慣れている。

 

 〝ど、どうしてそんな体で学校来てるの……!?〟

 

『――――ああ、てめえ――』

 

 わからない。

 痛みで意識が朦朧としている。

 

 普通ならなにもできないハズだった。

 こんな激痛の連鎖、こんな苦しみの積み重ねに体が動くワケがない。

 

 なのに、常識と反していやに己はマトモだ。

 

「――――――、――――――」

 

 枝葉の弾丸が途切れる。

 掃射は時間にして十秒程度で終わった。

 

 血まみれになった身体は無事ではない。

 けれど、なんとか生きている。

 

「ッ、ご、ぼォッ……! げぼッ、おえッ、ごえぇッ……!!」

「! 流崎! 流崎!? お、おまえっ、なにを! いや、こんなッ」

「ッ、ヒヨ、リィ……! 距離、取れェ……ッ、逃げ、ろ……!」

「に、逃げろって、そんなコト!」

「良いからッ! 早く!! じゃねえとッ……死んじまうだろ……!!」

「――――っ」

 

 全身を襲うのは外部からの痛みと内部からの痛み両方だ。

 

 純エーテルを回した悠の身体はその反動を、

 攻撃を受けた箇所は外傷による痛みを訴えている。

 

 べしゃり、と受け身も取れず倒れたのは当然だった。

 こんなのは、息が出来ているコトすら奇跡にすぎる。

 

「――――私がッ、おまえを放って逃げられるか、ばか……!」

「あ、ぁッ……!?」

「一緒に退くぞ! 利き手じゃなくても力はある! 流崎ひとりを抱えるのは――」

 

 無理でもやるべきだ、と彼女が決断をした瞬間だった。

 その思考を読んだかのように、頭上の天使が腕を下げる。

 

「でき、るん……だ……――――」

 

 ……せいぜい。

 

 羽虫を相手にするとき、気をつけるのはその攻撃だけだった。

 アレらは人を殺すだけの生き物で、知恵を使うことは滅多にない。

 最低限の学習機能は持っていても人並みの知能は持たないとされている。

 

 だが、これはどうだろう。

 

 遠く、妃和たちから百メートルは離れた森の彼方へ向けて枝葉が伸びていく。

 

 展開したのは言わずもがな空の天使だ。

 なにを目的としたのか深く考えなくてもいい。

 

 まるで――――のようだ。

 

「……まずいぞ。これは、もしかしなくても――」

「閉じこめられたなッ、巴隊員、流崎悠!」

「甘根隊ちょ……ッ!?」

 

 と、妃和はその声がしたほうを振り向いて絶句した。

 

「私も落ちたものだよ。いや、なに。流石に力を使いすぎてしまってなァ」

「だ、大丈夫ですか!? 血まみれですけど!?」

「案ずるな。まだ死なんよ。鉄潔角装はもう無理に振れんが」

「ん、だよてめえ……! ダメじゃねえか……ッ」

「貴様もな流崎悠。得意の治癒はどうした?」

「まだあと二分はかからァ……!」

「そうか」

 

 治るならそれでいい、とばかりにふいっと視線を逸らす真樹。

 

 戦力の把握は簡潔に終わった。

 まともに抵抗できるのは治癒を見込んで悠と、あとは――

 

「総司令殿はいけそうだ。首の皮一枚私たちも繋がったようだぞ」

「あの弾丸の雨を掻い潜ったのかよ……」

「見ろ。盛大に燃えているぞ」

 

 ぴっ、と彼女が指差したほうへ視線を向ける。

 ……なるほど、たしかに分かりやすい。

 森のただ中で火炎が渦巻く光景は〝いける〟か〝いけない〟かだと間違いなくいける。

 

「流石は総司令殿。此度の手柄も決まったようなものかもしれんな」

「……そんなに凄えのかよ、あいつ……妃和の親御サマ」

「……まあ、うちの母さんは、実力だけは本物だから……」

〝嵐の巨人〟〝空の海月〟を倒したのは総司令殿だぞ? どちらもほぼ単独でだ」

「ああ、そうかい。聞いたコトのある化け物どもを……」

 

 もはや状況は人を連れ帰るか否かではなくなった。

 なによりもまず戦って生き残らなくてはならない窮地。

 

 悠はともかく、妃和や真樹はその戦闘行為ですら少し難しい。

 その上退路まで防がれている。

 

 絶望的だ。

 

 

 

 だからこそ、輝くような光がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「 ―――― 兆 角 醒(Virgin Lord) 」

 

 

 

 

 

 太陽が、地上に咲く。

 

 

 

 

 












【嵐の巨人】
百メートル超のヒトガタのハリケーン。アメリカ全土縦断して悉く破壊したやべー奴。核となる本体は女性の石像。討伐隊を組むも総司令以外全滅。彼女にハリケーンをぶった切られて大人しくなり、現在活動停止してカリブ海の底に沈んでる。

【空の海月】
空飛ぶクラゲ。青白いシル○ーブルーメ的な(おい 空から触手伸ばして人から血を吸う。体液が空気より軽いため自分の体内で割合を弄くって浮かんだり沈んだり風に流れたりする。空が汚れてるのは多分こいつのせい。日本に立ち寄ったところを総司令にぶち殺され済み。


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5/『樹木の天使 前半』②

 

 

 

 

 

 雲を越え、空を越え、浮かぶ天使を越えた更に先。

 彼女(それ)は遙か彼方から、地球(ほし)の様子を眺めていた。

 

「憐れよなぁ、枯木」

 

 嘲笑が虚空に木霊する。

 視界に映った塵同然の影。

 自身の長い髪に指を通しながら、彼女は三日月のように口の形を歪めた。

 

「よもや私のハルカに手を出すとは。愚かにも程がある。……そうまでして求めたかったのか? 卑しい女だ。だからオマエ()は嫌いなんだ。どいつもこいつも。喩え()()()()()であろうとも私の夫を奪い取るなど万死に値する」

 

 彼女の額には長い突起が生えている。

 イッカクのような螺旋を描く鋭い角。

 

 黄褐色茶色が混ざった奇妙な髪の毛。

 瞳の色は深い緋色で、容姿は文句なしに良い。

 

 きっと世界の誰も、彼女の存在を汚すことが出来ないと思うぐらいに。

 

「しかしだ――ふふっ、傷付いたハルカも魅力的だな。アレはちょっといかん、ダメだ。うむ、エッチだ。エッチだな。流石は我が伴侶。地上に咲く色気の塊だ」

 

 だがしかし、残念ながらその評価もいまは見当違いだ。

 

 彼女はすでに汚れている。

 いつかは額の角が割れるぐらいに狂っていた。

 それは姿形ではなく彼女自身の魂からなるもの故に。

 

 ……あの日受けた屈辱を一生忘れはしない。

 

 けれど、

 

「ああ我慢できない。早く来いハルカ。そんな塵に構うな、地上の雌蟻どもに合わせてやるな。おまえは至高だ。ようやく再会できた私の恋人だ。もう二度と離してなるものか」

 

 同時に、あの日見た少年の輝きを死んでも忘れはしないだろう。

 

「条件は満たされている。私の贈り物は役に立つだろう? 祝福はすべてお前のためだ。ああそうとも。病に身を侵されようと必死で取り繕っていたその原動力は伊達じゃない」

 

 肉体が削がれるのも、骨が折れるのもくだらない刺激だ。

 彼にとっては造作もない。

 

 なにせ彼女は知っている。

 あの少年が、ただひとつの純粋なモノを持って()()()()に居続けたコトを。

 

「思えば、気付くのが遅すぎたな。だが今度は見誤らない。さあハルカ。早く来てくれ。準備はできている。今度こそ元気なお前に、はっきりと言いたい。愛していると、そう」

 

 愚かな人生、愚かな獣生。

 本能的な美しさのみを追い求めていた醜い過去。

 

 それらの彼女が培っていた価値観を壊したのは誰でもない彼だ。

 

 ただ一度の穢れもなき乙女の純潔。

 そんなものを至高と断じていた半生に反吐が出る。

 

 そうだ、彼女は知ってしまった。

 それ以上に美しく儚い、見事なモノがあるのだと知ってしまったから。

 

「式を挙げよう――誰もいない此処で。私たちだけの婚姻の儀を。そしてふたりで星を眺めるんだ。ロマンティックで良いだろう? きっとおまえも私も、互いがいるだけで幸せなんだ。だって、そうだろう?」

 

 空の向こうで女が笑う。

 楽しそうに、嬉しそうに。

 地上に生きる彼以外のすべてを見下して。

 

「ハルカ。私の初恋。私の唯一の幼馴染み。私の愛した――――男の子……」

 

 噛みしめるように、そう告げた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――――――うッ」

「流崎……? どうした……?」

「なん、か……急に、気持ち悪さというか、寒気が……ッ」

「だ、大丈夫か!?」

「無理もない。総司令殿がアレだ。体調も悪くなるだろう」

 

 真樹の言につられて悠が顔を上げる。

 森を灼き尽くした火炎は蜷局を巻くように葵へと集束した。

 

 周囲の景色が歪むほどの膨大な熱量。

 見間違えでなければ彼女の肌は燃えている。

 

 焼かれているのではない。

 人体が燃えるとき特有の嫌な感じは一切ない。

 そう、それは真実存在そのものが燃焼されているような錯覚で――

 

「一先ず、お返しといこうか」

 

 腰に提げられた刀が一本引き抜かれる。

 鉄潔角装は壊れずに摂氏七千度を超える彼女の手に包まれた。

 

「――――ふッ」

 

 紅炎が天へと昇る。

 大気を焦がして焔が走る。

 

 振り抜かれた刃は速く、鋭く。

 一秒とかからずに天使の体に着弾した。

 

「……む」

 

 損傷は、なし。

 

「怪我の影響は深刻だな……どうにも力が落ちている」

 

 いまので挨拶代わりにもならないとは、と吐き捨てる葵。

 

 当然、羽虫を燃やした炎より何倍も威力のある代物だった。

 小さな町のひとつ、この森の半分程度なら一瞬で消し去れるようなものである。

 

 ――――と。

 

「……ああ、またか」

 

 遙か上空で持ち上げられる右手と、音をたてて開かれる翼。

 一度目は無知故に葵自身が防ぐので限界だった。

 

 が――それがどういう攻撃か分かった上でなら幾らでもやりようがある。

 

「それはつまらないな」

 

 射出された枝葉の弾丸を、すべてこちらに引き寄せていく。

 

「妃和を危険に晒すという一点でとてもつまらない。……先ほど守り切ったのは良かったな、流崎少年のほうは。うん、ちょっとは認めてやってもいいかも」

「なんだァ!! なにか言ったかァ!?」

「――危険だからそこを動かない方がいい。妃和を守っていろ。さもなくば殴る」

「言われなくてもそうしてやらァ!!」

「いい返事だ」

 

 向かってきた枝葉をすべて燃やしながら笑いかける。

 弾丸は彼女のほうを目指しても身体に届かない。

 例え届いたとしても表面の熱量に耐えきれず燃えて尽きていく。

 

 それは人智の及ばぬ天体を無理やり人の器に落とし込んだが故の権能。

 すなわち、彼女の兆角醒は、

 

「私も気合いを入れて相手するとしよう」

 

 自身の肉体を換えて太陽そのものとするコト。

 

「なに、()()()を弄るのは得意だからな」

 

 その性質上、彼女は常に全力を出すことができない。

 出力の調整、能力の取捨選択、方向性の指定は必須項目である。

 

 たとえ地上の怪物を一層できるとしても、地球の表層に人間サイズの疑似太陽を創り出せば星が耐えきれない。

 彼女の一呼吸で生物が死滅し、一挙手一投足で自然が崩壊する悪夢など誰が見たいものか。

 

「さて――このぐらいなら、どうだろうか」

 

 いま一度鉄潔角装を構える葵。

 

 天使の表情は変わらない。

 彼女は弾丸をすべて受け止めた相手を無感情に見つめている。

 

 ――逆巻く灼炎は勢いを増して。

 掬い上げるように放たれた斬撃は、そのまま焔の刃となって天使へ飛来した。

 

 

 

 

『     』

 

 

 

 

 バキバキと石膏みたいに砕けていく皮膚。

 右の肩から左の脇腹にかけて裂傷じみたモノが走る。

 

 悠の最大威力で傷ひとつ付かなかった硬い外皮。

 それをいとも容易く突破しながら、葵はトンと地面を蹴った。

 

「――――――」

 

 そのまま重力を無視して突き進む。

 空を翔るひとつの影。

 

 後押しの推進剤は悠がしていたのと同じ要領だ。

 彼は臨界状態の純エーテルを、彼女は自身の火炎を燃料とするだけの違い。

 

 比べても速度は劣るどころか優に超えている。

 地上から天使の眼前まで行くのにコンマ三秒。

 

 ――彼女は一瞬で、その腕を切り飛ばした。

 

「なにも飛べるのはおまえだけではないというコトだ。ヒトを嘗めるなよ」

『     』

 

 視線がぶつかる。

 刃が走っていく。

 

 追撃の手は緩まない。

 肩から腹へ、腹から足へ、足から腕へ、腕から胴体へ、胴体から頭へ。

 

 繰り出される剣閃は瞬く間に天使の皮膚を裂いた。

 

『        』

 

 反撃をさせる暇すら与えてもらえない一方的な蹂躙。

 

 天使の身体はすでに四割が砕けて粉状に崩れている。

 マトモに稼働できるような部分は残っていない。

 

「息絶えろ。おまえに明日は来ない」

『――――――――』

 

 何事かと天使が口を動かす。

 葵には関係ない。

 そのまま情け容赦もなく、首を目掛けて刃を振るった。

 

 だから、届いた声はたったひとりの脳内に。

 

〝あなたじゃない〟

 

「――――あ?」

 

 その奇妙な呟きを、悠はたしかに聞き取って。

 天使が森に落ちてくるのを、呆然と眺める。

 

 ボロボロになった肢体と巨大な樹木の翼。

 飛行でも浮遊でもなく、それは間違いなく落下の挙動だ。

 怪物は葵の連撃に為す術もなく破れた。

 

 ……土煙が高くあがる。

 

「ッ!! やりやがったぜ、あの野郎……!!」

「にしては圧倒的すぎないだろうか! いくらなんでも! いや凄いのだけれど!」

「いいや十分だ。総司令殿を相手にアレはよく――――」

 

 と、そこで誰しもの思考が途切れた。

 

 急激で劇的な変化。

 まるで景色にそのまま絵の具をぶちまけたように色彩が変貌する。

 

 木々はを散らして痩せ細り、そのまま枯れて朽ちた。

 足元のが無惨にも散っていく。

 

 真冬なみの寒さだった気温は小春日和もかくやといったところ。

 それにつられて広がっていくのは無くしたはずの緑色だ。

 

 ――森の名残はすべてない。

 あるのはただ、地平線まで広がる青い草原

 

 そこから、

 

「ッ!!」

「な――こいつ、ら……流崎……!」

「ああッ! 分かってる……!! マキ! いけるかよォ!!」

「できるとも。無理でもやってやるとも。それが私の信条だよ、流崎悠ッ」

 

 がさがさと。

 顔を出すように、大量の羽虫が這い出てくる。

 

 ……兆覚醒の真似事では決してない。

 

 真樹のように世界は閉じてもいなければテクスチャを張り替えたのでもない。

 アレは真実大地と繋がることで、現実の環境を強引に変えたのだ。

 

 一秒足らずで森を枯らし、草花を成長させ、歪な自然を繁栄させた。

 

 

 

 樹木の天使は、まだ生きている。

 

 

 



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5/『樹木の天使 前半』③

 

「――いや、マズいな」

 

 上空百メートルを超えた高みから地上を見下ろしつつ、葵はぽつりとそうこぼした。

 

 撃墜した樹木の天使。

 雲の隙間から引き摺り下ろしたその怪物は未だに生きている。

 その証拠に眼下の景色は写真をすり替えたように変わり果てた。

 

 見晴らしのいい草原には、そこが己の玉座とでも言わんばかりに佇む天使の姿。

 

「なるほど、種。ただの弾丸ではなかったのか。……これはしてやられたなッ!」

 

 二度に渡る枝葉の弾丸。

 その本質が単なる攻撃だとどうして思えたのか。

 

 樹木の翼から放たれたそれは土に埋まり、急速に成長し、天使の落下と共に発芽(羽化)したようだ。

 

 何十、何百なんていうものではない。

 夥しい数の羽虫たちが、女王を守る兵士の如く生えてくる。

 

「いいぞ、そのすべて焼き払ってくれる――!」

 

 背中のバーナーを噴射して葵は直ぐさま降下した。

 狙われているのは彼女ではなく三人のほうだ。

 

 戦力外の妃和、手負いの真樹、辛うじて戦える悠。

 それでも羽虫一体だけならなんとかできる人員である。

 平均的な一部隊と比べてもなんら劣るコトのない戦力だ。

 

 ――しかし、ああまでも数で責められればどうすることもできない。

 

「――――ふせろッ!! 全員ッ!!」

「あぁ!?」

「流崎! いいからしゃがめ! 早く!」

「言う通りにしたほうがいい流崎悠! 無駄に火傷をするぞ!」

「ッ――ああ分かったよちくしょうッ!!」

「……聞き分けの悪い男子め」

 

 くすりと笑いながら、刃にを走らせる。

 

 数えるのも馬鹿らしいほどの物量はたしかに脅威だ。

 場所と状況によっては三桁近い被害者が出てもおかしくない。

 

 ――もっとも、それはすべて彼女がいなければ、という話。

 この場に於いて前提条件は覆されている。

 

「それでは尚更妃和はやれんなァ――――!!」

 

 斬撃は弧を描いて全方位へ。

 

 水面を伝う波紋のように広がる灼炎の刃が青草を燃やし尽くす。

 そのついでと言わんばかりに羽虫の群れも火に炙られていく。

 

 燃焼する枯れ木色の身体に花は咲かない。

 虫けらは虫けらのままにその些末な命を終わらせた。

 

「――――ッ、とんでもねぇなァ……! 羽虫(アレ)が弱いのかって錯覚しそうだ!」

「何を言う、流崎。総司令だぞ。むしろ適わなかったら逆にヤバいんだ」

「巴隊員、私たちが数ヶ月前にどんな状態で帰ってきたか忘れたか?」

「あ」

「……それぞれ元気そうでなによりだ」

 

 その敗北については思うところがあるらしく、はあ、なんて深いため息をついて葵が視線を切った。

 

 彼女は文字通り現存する人類でトップクラスの実力者だが、その才能はせいぜいが優秀程度に落ち着く。

 いくら戦闘部隊の総司令でも一分とかからず大怪我を治すようなコトはできない。

 

 失った肉体を保管したのは創り出した鉄潔角装によるものだ。

 生き延びたというより無理やり生きながらえているというほうが正しい処置。

 

 だからこそ、というべきか。

 

「……流崎少年」

「あん?」

「君はその再生能力が兆角醒か?」

「違えだろ。フツーに純エーテル回してりゃこんぐらい治る」

「――なるほど。そうかそうか」

 

 妃和を守ってズタボロになった少年の身体はすでに傷ひとつない。

 遠目に見ても無事とは言えないような惨状だったのは彼女も分かっている。

 

 普通に立っていられるだけ頑丈なものだと感心していたが、そう――思えば殴り合っていた時から彼の状態はおかしかった。

 

「流崎少年、ひとつレクチャーしよう」

「はぁ? なんだよいきなりてめえ、こんなときに」

「いいから聞きなさい。体の中の純エーテルを空に届く勢いで爆発させる。できるか?」

「できるが」

「……なるほどなるほど」

「……なにが言いたい?」

「なにも言えない。賞賛しよう。君は正しく純エーテルの申し子だよ」

 

 呆れたとでも言わんばかりに首を振る葵。

 悠にその真意はちっとも分からない。

 分かるのは、ただ彼女の言ったコトが彼にとって至極簡単な手順だという事ぐらいだ。

 

「娘の意見は聞き逃すものじゃないな」

「……?」

「君の存在価値だ。磨けば光る原石どころの話じゃない。その適正値はなんだ、男子」

「知るかよそんなん。どうでもいい。つうか、立ってるぞ、天使(アレ)

「知っているとも」

 

 くるりと振り向きながら葵は剣を構える。

 何とはなしに訊いた質問への即答は彼女のなかで悠の評価を二段階ほど引き上げた。

 

 迷いも戸惑いもなくやれると言い切れた事実。

 ぼんやりとしていた輪郭がそれで定まった。

 

 彼に研磨するような才能があるワケではない。

 努力しても身に付くようなものは所詮付け焼き刃程度でしかないだろう。

 

 なにせ彼は、最初から必要な解答(こたえ)素質(のうりょく)を持っている。

 

「……とんでもないのが生まれたものだな、このご時世に」

 

 だとするなら後はやり方さえ学べばいい。

 

 視るか、聞くか、人伝に説明を受けるか。

 どれにせよその方法を知った時点で彼はその才能を発揮できる。

 

 純エーテルの扱いも、鉄潔角装の創造も。

 言わずもがな、兆覚醒の発動も。

 

「――――ふッ」

 

 いま一度翼を広げようとする天使に炎刃を放つ。

 念のため出力は少しだけ上げた状態。

 

 先ほど身体を砕いた斬撃よりもっと高い焔の一撃。

 相手に防ぐ手段はない。

 逃げようにもソレが飛ぶより彼女の刃のほうが一足先に届く。

 

 ――衝撃は快音を添えて。

 

『     』

 

 ぐらりと傾いていく天使の身体。

 焼き切れた草原は半分が黒色の絨毯みたいだ。

 そこに寝転がるのなら、まだ幸せな死に方だろう。

 

 樹木の翼は力無く揺れて、

 

 

 

 

 ――ふらついた肢体に、が吸収されていく。

 

 

 

 

「っ!」

 

 葵がその異変に気付くのと、天使が右手をあげるのは同時だった。

 

 切り落としたはずの身体が再生している。

 さらには削ったはずの外皮も綺麗さっぱりの元通り。

 敵が傷ひとつない状態に戻っていた。

 

 ……羽虫たちに自己修復機能はない。

 開花して姿形を変えるコトはあっても失った部分を治す事は不可能だ。

 世の中を探せばそんな異能もどこかにあるかもしれないが、怪物たちにそれはできない。

 

「――――まさか」

 

 嫌な予感がして、試しにもう一度火炎の斬撃を放った。

 威力、出力ともに先ほどのものと同じ。

 普通なら防げないハズの攻撃。

 

 それを、

 

『      』

 

 アレは、吸っている。

 

「……吸収。ああ、つまりなんだ。おまえ――」

 

 森が忽然と姿を消したのは塗り潰されたのではなく。

 木々が枯れて草原に変わったのは書き換えたのでもなく。

 

 そのすべてをエネルギーとして蓄えて、力の余波が溢れただけなのか。

 

「それは、厄介だぞ……!」

 

 思わず笑う。

 笑ってしまう。

 笑う他ない。

 

 天使の足はすでに地面と結合していた。

 膝から足首かけた血管のように浮き出た筋が見える。

 いや、血管というよりそれは草木の根みたいだ。

 

 ……植物が根を張るのはなんらおかしいコトではない。

 それを使って栄養を蓄えるのも当然の道理だろう。

 

 だからこそ、その規模がおかしすぎて笑えてくる。

 

 まさか地上にあるひとつの自然そのものを。

 森自体を栄養としてその体に吸い上げるなんて。

 

「遠距離は――――ダメみたいだなッ!!」

 

 鉄潔角装を構えて葵は駆け出す。

 

 炎の斬撃は通じない。

 独自の形態変化を挟んだのか、地上に降りたのが原因か。

 

 なにもかも吸い込んでエネルギーにしようとするアレに火炎は悪手だ。

 なにしろ餌を与えているようなものである。

 

 どうにかするなら、直接叩く他ない――――!

 

『!!』

 

 けれど。

 その手が容易く通じるなら、人類の天敵などとは呼ばれない。

 

 草原から枝葉(しょくしゅ)が伸びる。

 

 手足にぐるぐると巻き付けられる自然の拘束具。

 解くのは簡単だ、自身をそのまま太陽に変換できる彼女なら強引に枝葉を焼いてしまえる。

 

 だがそれで時間は費やされた。

 

 一瞬。

 まばたきの間にも満たないわずかな間。

 

 葵の進行が停止する。

 

「――――――なに?」

 

 どががががががっ、と隆起する眼前の大地。

 

 地鳴りのような響きは数秒間続けられた。

 

 ……塔が見える。

 鉄骨も煉瓦も使っていない枝葉で編まれた木製の塔。

 

 遠目から見れば巨大な幹のようだ。

 高さは六百メートル以上。

 

 その頂に天使が立っている。

 

 依然変わらず、足から根を生やしたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 〝あなたじゃない〟

 

 〝あなたじゃない〟

 

 〝あなたじゃない〟

 

 〝違うの。()()()()()

 

 〝奪いたいワケじゃない、そんなコトは思ってない〟

 

 〝やめたいの。もういらないの〟

 

 〝だから、早く〟

 

 

 〝――――早く殺して、ハルカくん〟

 

 

 



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5/『樹木の天使 前半』④

 

「なんだよなんだよオイ……! こんなの聞いてねえぞッ!!」

「私もだ、流崎! というか聞いてるも聞いてないもないと思う!」

「流石に親玉ということか。我らが総司令殿が手こずっているなァ」

 

 遙か上空に伸びた樹木の塔を仰ぐ。

 直径でいえばおよそ五十メートルほど。

 枯れ木色の枝葉で編まれた木の幹はそのまま天使の足に繋がっていた。

 

『――――――』

 

 ……紺碧の瞳が眼下を睥睨する。

 

 天使は玉座の上で待ち構えるよう佇んでいる。

 ふと、空を見た悠とその視線がぶつかった。

 

 知らないのに知っているような顔。

 どこかは分からないけれど、やっぱり彼はそれに見覚えがある気がして。

 

「――――あァッ!?」

「流崎!?」

 

 突如、地面から生えてきた枝葉に手足を絡め取られた。

 

「なッ――んだ、てめえ――!?」

 

 高く持ち上げられていく悠の身体。

 不意打ちじみた拘束は天使の支配圏によるものだ。

 

 森から草原に変わった時点で周囲一帯はすでに彼女の根が張られているも同然。

 足りないエネルギーを補給することだってできるし、このように枝葉を出すコトだって自由自在。

 

「うおおおお――――ばッ――――んだこの――――!?」

 

 上昇は止まらない。

 高く高く彼の身体は持ち上げられる。

 

 地上から葵が攻撃するも吸収されて届かない。

 

 両腕、両足、首に胴体。

 すべてに巻き付いた枝葉を砕くのは流石の彼も簡単にとはいかなかった。

 

 負荷に耐えながら純エーテルを回す。

 少しずつ少しずつ、その密度と濃さをあげていって、

 

 

「――――――」

 

 

 不意に、動きが止まった。

 

 驚いて目を見開く。

 

 悠の正面に見えたのはあまりにも色のないヒトの顔。

 生きているのか死んでいるのかも分からない表情をした天使。

 

 その瞳が、じぃっと彼を覗き込む。

 

 〝…………ハルカくん?〟

 

「――なんだてめえ喧嘩売ってんのか」

 

 〝ハルカくんだ〟

 

「うるせえ」

 

 〝ハルカくん、ハルカくん、ハルカくん――――!!〟

 

「やかましいッ!! 大体イントネーションがおかしいだろうがッ!! ()()ッ!! そこら辺名前呼ぶならきちっとしろやァ!!」

 

 〝ハルカくん!〟

 

「やっぱ喧嘩売ってんだなァ!?」

「おい巴隊員。彼、何事か喋っているぞ。あの化け物と」

「え、いや、それより連れて行かれた流崎の身体の心配とかは!?」

「あの程度で死ぬワケがないだろうそう簡単に」

「そ、そうですか!」

 

 彼の頭蓋に直接響く声。

 本来なら聞こえないモノを受け取ったのは流崎悠という人間の真実故だろう。

 

 天使の言葉は彼以外に届かない。

 もとより、届いても会話にならないのが普通だ。

 

 〝お願い、止めて。私を止めて。()()()()()を止めて〟

 

「誰だそいつらッ!! 知らねえぞ俺はッ!!」

 

 〝早く殺して。みんなを殺して〟

 

「名前も知らねえヤツが俺に指図するんじゃねえッ!! てめえいい加減に!!」

 

 〝これ以上、誰も死なせてしまわないために〟

 

「だからいい加減にしろやァてめえ!!」

 

 〝お願い――――――たすけて、ハルカくん〟

 

 ずきん、と頭蓋に鈍痛が走る。

 

 分からなかった、一体なにが助けてほしいというのだろう。

 彼には化け物の感性なんて理解できない。

 

 まったくこれぽっちもその意図が読めないでいる。

 

 

「大体ッ!! 助けを乞うにも態度ってモンがあるだろうが――――!!」

 

 

 我慢できない、と悠が身体中の純エーテルを爆発させた。

 

 臨界状態の神秘の奔流ですべて吹き飛ばす。

 そうすれば邪魔な枝葉も木っ端微塵だ。

 

 この程度の拘束は一度力を引き出してしまえば彼程度でも簡単に突破できる。

 

 

 

 ――それが本当に、発動できたなら。

 

「!!」

 

 ガコン、と炉心を急に停止されたような錯覚。

 

 純エーテルが回らない。

 いや、たしかに体内には巡っているのに、まったく操作が効かなくなっている。

 

 見れば彼の皮膚からは淡い燐光が洩れていた。

 空色の粒子は引き寄せられるように樹木の拘束具を伝っていく。

 

 そう、神秘ですら例外なく。

 

「――ッ、この野郎ォ! てめえ!! 横取りかよ意地汚え!!」

 

 〝ごめん。ごめんね。ごめんなさい〟

 

「謝んなァ!! ぶっ飛ばすッ!!」

 

 〝ごめんなさい。ハルカくん――〟

 

「ご――――ッ!?」

 

 全身を貫く枝葉の槍。

 

 羽虫のものとは比べものにならない速度だった。

 一瞬にして悠の胴体が穴ぼこだらけになる。

 

 防御も回避もできない状態。

 

 さらに加えてまずいのが、体内の純エーテルを吸われているという事態だ。

 つまり、このままだと治癒が一向に進まない。

 

「――――あ、――ご、おぇ――…………!」

 

 瞼の裏で火花が散る。

 前頭葉が焼け爛れている気がした。

 

 頭痛は酷い。

 全身が痛みに塗れていて暑苦しいからだろう。

 

 思考が/断線して/まともに/頭が/働かなく。

 

「――――――」

 

 ――ああ、でも。

 でも彼は、その痛みに覚えがあった。

 

 いつだったか遠い昔の話。

 まだ彼が()()()()生まれてもいなかった頃。

 

 ――そう、()()は、いつも死にかけの身体を引き摺っていて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……(カレ)()……?」

 

 

 

 

 

 映像(きおく)がフラッシュバックする。

 

 わからない。

 

 知りもしない誰かの思い出。

 そんなものが走馬灯のように悠の脳内を駆け巡る。

 

 わからない。

 

 若くして全身の至る所に悪性腫瘍が見つかった。

 普通なら病院のベッドの上。

 それでも誰かは、どうせ死ぬならとその命を使い潰した。

 ただ、小さい頃からの幼馴染みと少しでも一緒に居たいからと。

 

 ――わからない。

 

 今から百年ほど前の時代にあった、語り継がれるコトもない昔話。

 それをどうして、今の()が知っているのだろう――?

 

『ハルカッ、ハルカぁ……っ』

 

 ユニ(だれか)が泣いている。

 

 嫌だ、悲しい、辛い苦しい。

 涙を流さないでほしい。

 

 この先ずっと、その顔には笑って欲しかったのに。

 

『いやだっ、なんで、どうして……! 死ぬな、頼む死なないでくれ……っ、分かったんだやっと! やっとおまえの気持ちが! 私の大切なものが理解できたんだ! ごめん、ごめん悪かった私が悪い私のせいだっ……! だから、頼む……っ』

 

 大好きだった。

 愛おしかった。

 

 彼女が笑うと(オレ)も嬉しくて、

 彼女が泣くと(オレ)も悲しい。

 

 いまの立場に不満はなかったから、傍にいるだけで(オレ)は幸せだった。

 

 ああきっと幸せだ。

 なにせ一番大好きな彼女の、たったひとつしかない特等席(おさななじみ)

 そこに座れただけでもう十二分。

 

 彼女から答えを返されるようなコトも、ましてやそういう関係になるコトも考えてはいなかったのに。

 

『私をひとりにしないでくれ……っ、ずっとずっと、一緒に居てくれよぉ……!』

 

 最後はそんな風に、とびきり酷い思いをさせてしまった。

 

 それが心残り。

 それだけが(オレ)の残した忘れ物。

 

 身体は容易く風化しても中身はとびきり頑強だったらしい。

 なにせボロボロの四肢を引き摺って学校まで通っていたバカだ。

 

 おまけに、女神(だれか)にまで愛されているときた。

 

 

「――――ハ」

 

 

 意識が切り替わる。

 

 この程度の激痛は可愛いものだ。

 身体中の細胞が死滅していく感覚に比べればなんてコトもない。

 

 黒い瞳が真っ直ぐ天使を射貫く。

 にへらと、悠の顔に脱力した笑みが浮かんだ。

 

「あいつじゃねえのは、ちょっと残念だな」

 

 それは旧知の間柄に冗談でも言うようなトーンで。

 

 

「けど、そっか。――お前なのか、枯木」

 

 

 天使は、わずかに頷いた。

 

「ハハハッ――ああ、なんだ。ちくしょう……――――

 

 思考が断線する。

 

 意識がまたブレた。

 

 曖昧な記憶を頼りに継ぎ接ぎだらけの自我をつくる。

 

 知っていること、知らないこと、知らなくていいこと、知らない方がよかったこと。

 

 ぜんぶがぜんぶ、彼の持っているもの。

 

 

 

「――――ちくしょう、がよォ……!!」

『――――――』

 

 流崎悠(ジブン)としての記憶。

 流裂遙(ダレカ)としての記録。

 

 まだイマイチわからないことだらけだ。

 でも今はそれで良い。

 

 今はまだ、それで。

 

「なにが〝たすけて〟だァ!! 枯木ィ!! そんなのはなァ――――!!」

 

 それで、十分だから。

 

「ちゃんと言葉にしてみろやァ――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――良い吼えっぷりだ、流崎少年」

 

 

 突如、下から切り上げられる枝葉の触手。

 灼炎を噴射して飛び上がった葵が彼を抱きかかえる。

 

 炎は吸収されても物理攻撃は効くらしい。

 一瞬にして彼の拘束すべてを断ち切りながら、彼女は直ぐさま地上へと反転した。

 

「! あんたッ」

「だが分からんな。怪物と知り合いなのか? ああも楽しそうに会話するとは」

「どうにもそのあたり(オレ)にも曖昧だッ! けどなあ! ひとつ分かってるコトがあらァ!!」

「ほほう。それは一体?」

「あいつはここで止めなきゃなんねえッ!! 殺してでもだッ!!」

なるほど。シンプルで分かりやすい。ならば手を貸してもらうぞ」

「望むところだ総司令サマ! もとより(オレ)もそのつもりよォ!!」

 

 拘束から逃れて回りだした純エーテルが急速に傷を治していく。

 

 この恩恵も思えば分かりやすいものだ。

 女神様はどうにも彼に死んで欲しくない様子。

 

 そのための祝福と贈り物。

 

 要はこの肉体はカミサマに直接弄られたと言って良いオーダーメード。

 流崎悠(カレ)という精神性を最も強く輝かせるための衣装に近い。

 

「こんなふざけた喧嘩()()()()()()()()ッ!! さっさと終わらせてやらあ!!」

 

 

 

 





【悲報】百年経ったら知り合いが化け物になってた件wwwwww【怖い】


生命の流転、ヨシ!(指さし呼称)

どうして百年前の人の記憶があるんですか?(現場猫並感)


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5/『樹木の天使 前半』⑤

 

 

 

「方法はひとつだ、流崎少年」

「ああッ!? なんだそいつは一体ッ!!」

「アレが吸収による回復と力の増加を持っている以上、普通に攻撃したところでジリ貧だ。まずはその補給路を断たなくてはならない」

「つまりィ!?」

「あの巨大な木の柱から切り離す必要がある」

 

 いくら傷を入れたところで大地と繋がっていては埒があかない。

 地球(ホシ)そのものからエネルギーを摂取していればガス欠にもならないだろう。

 

 直接叩くとしても――むしろそれ以外方法がないのだが――なんにせよあの枝葉の幹をどうにかしない限り治癒が発動してしまう。

 

 それは羽虫とはまた違った、彼女特有の厄介さだ。

 

「おっけぇ分かったァ!!」

「できるのか、君は」

「何事も挑戦だろッ!! やる前からできないなんて決めつけてんじゃねぇ――!!」

「なるほど」

 

 落下途中に葵から離れて純エーテルを噴かせる。

 

 現在上空百メートルほど。

 

 身体の傷はすでに治りきっていた。

 無理も無茶もできるぐらいに調子はいい。

 

 刃に走らせた神秘の粒子。

 空色の極光を臨界域にまで引き上げる。

 

 

「おぉおおぉおぉおぉおお――――ッ、らぁぁぁああぁぁぁぁああ――――!!」

 

 

 衝撃が大樹を揺らす。

 木片がパラパラと周囲へ砕け散った。

 

 枝葉の集合体、樹木の塔、枯れ木色の巨大な幹。

 

 その硬度はいくらなんでも天使の体ほどではない。

 全力で振り抜いた悠の刃は、三十メートル近い切り込みをそこに刻み込む。

 

「――――さァもう一発だッ! それで――――」

 

 だが。

 

 だがしかし、その言葉の続きを遮るように。

 

 傷付いた枝葉の幹は、一瞬にして元の形を取り戻した。

 

 ……凄まじいスピードで小さな枝と枝を重ね合って欠損部分が修復される。

 

 追撃を入れる暇もない。

 まさしく瞬間。

 

 彼が刃を振り抜いたと認識したとき、ついた傷は間髪入れず塞がりはじめた。

 

「――くそが一発で削り取れってかァ!?」

「やっぱり無理だろう流崎少年!」

「うるせえ一回だけで決めんなァ!! (オレ)ァいま猛烈に頭に来てんだよッ!!」

「なぜだ!」

「知らねえ! 知るかよぉ!! だがな! 良い気分しねえ! それは間違いねえ!! そうだ! そうだろ!? そうなんだよなぁ!! おい()()ィ!!」

 

 記憶が混濁している。

 自分が何者なのか一秒ごとに分からなくなった。

 

 リュウザキハルカ。

 

 名前は記号だ。

 ただの飾りだ。

 その本質は別のところにある。

 

 思えばどうして、こんなにも心が掻き毟られるのか疑問だった。

 

 でも当然だ、だって彼はその理由を徹頭徹尾持っていた。

 

「歯ァ食い縛れよ!! いまは(オレ)の全部、てめえにブチ込んでやらァ!!」

 

 純エーテルが、彼の周囲で光り輝く。

 

「ハ、ハハ! ハハハ! ハハハハハハ! アハハハハハハハ――――!!」

 

 思考回路がブチブチと千切れていく音がする。

 マトモな理性が熱に溶けて消えていく。

 

 苦悶に歪むはずの表情が真逆の笑みに染まった。

 感情から出力されるモノが反転したみたいだ。

 

 哄笑する悠に余裕などありはしない。

 痛みによって頭が漂白される。

 

 余計なコト、要らないモノが頭蓋の外にはじき出された。

 

 それでようやく彼自身。

 

 つまらない飾り付けをすべて取っ払った、真っさらな本当の彼。

 

「はははははははははははははッ!!!!」

 

 目尻に赤い涙が溜まる。

 涎と一緒に鉄臭いものが溢れていく。

 

 鼻からも耳からも赤黒い液体は止まらない。

 

 純エーテルの負荷が否応なしに襲った。

 外の世界に慣れたと言っても過剰なエネルギーの行使はまだまだ自殺行為。

 

 彼はそれを慎重に、冷静に、必死に押さえて研ぎ澄ませる。

 

 

「――――砕けろやァ枯木ィイ!!」

 

 

 刃金に灯る純潔の輝き

 エネルギーの刀身を伸ばして悠は大きく剣を振りかぶった。

 

 頭痛がやまない。

 

 声なき声がすべてに逆らえと命令してくる。

 どこかの誰か(ユニ)が早く来いと呼んでいる。

 

 

 

 ――――関係ない。

 

 

 

 斬撃は真横に一文字、裂くように。

 

 

「おらぁあぁぁぁぁああああああぁぁぁあああああッ!!!!」

 

 

 どろどろに汚れながら叫ぶ悠。

 

 七孔噴血もかくやといった出血量だった。

 毛穴という毛穴から血がダバダバと流れている。

 

 負荷は凄まじい。

 

 いつもより純エーテルの回りは酷く暴走しながら安定していた。

 出力が跳ね上がっているのに、扱うだけならそれほど苦労もしない。

 

 きっとそれは、(オレ)の記録が前面に出たことで歓喜したユニ(ヤツ)がいるから。

 

「ご、ぶぁごぉッ、ぐぶ、げぼぉおげぇえッ――!!」

 

 ――――断ち切った幹の隙間から向こうの景色を垣間見る。

 

 けれどそれも束の間。

 一秒にも満たない出来事だった。

 

 即座に再生をはじめた枝葉が幹の傷を塞いでいく。

 

 刃自体は届いても威力が低かったか。

 加えて振り抜くまで時間もかかりすぎた。

 

 難しく考えるまでもない。

 

 失敗だ。

 

「――――あぁぁあぁクソ! クソッ!! 切れたのによォ!! 一歩足んねえッ!!」

「落ち着け流崎少年! 一旦退くぞ! 体勢を立て直す!」

「仕方がねえッ! ああ分かった! 退くさ! だがどうだ切れたぞ見ろよ! 無理だなんざと言うのは早えよなあ!?」

「すまない! いや君を嘗めていた! なかなかやってくれる! 私的に五十ポイントだ!」

「なんだそりゃあ――――!!」

 

 ワケの分からない会話をくり広げながら、悠は葵と共に地上へ飛び降りる。

 

 決定打にならなかった要因はシンプルに相手の回復力故だ。

 エネリギーは十分と蓄えられたのだろう。

 ただの得物で切り裂いただけでは残っている分で離れた身体を補強できてしまう。

 

 だからこそのあと一歩、もう一手。

 回復を阻害する攻撃が追加で要求されるという事実。

 

「! まずい! 来るぞ! 追撃だ!」

「あぁッ!?」

 

 そしてなにも、天使だってただ殺されるのを待つだけではない。

 半植物だと油断することなかれ。

 樹木の翼は先の通り攻撃力に関して圧倒的だ。

 

 スケール、能力、すなわち格の違い。

 

 あれは正しく羽虫の親玉として申し分ない怪物である。

 それを努々忘れるな、と彼は自分に言い聞かせようとして。

 

 

『――――――――』

 

 

 己に迫る、無数の(えだ)を見た。

 

「――――うおあぁぁぁああぁぁぁああぁッ!!??」

 

 反射的に剣を振るう。

 ひとつ切り裂けばふたつ懐に入り込んだ。

 

 速い。

 多い。

 なにより読めない。

 

 不気味な軌道で迫る枯れ木色の手。

 それはあっという間に彼を捕まえて、全身を握り潰さんと軋みをあげる。

 

「――――がッ、ご、おぉおおぉ――――ッ!?」

 

 〝ハルカくん、ハルカくん、ハルカくん――〟

 

 遠く空の手前に天使が見えた。

 頭に響く声は震えているようだ。

 

 無表情の白い仮面。

 その下で流れている涙を幻視する。

 

 ずきん、と脳髄を揺らす頭痛に苛まれる。

 

 ――――そう、彼女は、こんなコトができるような人間ではない。

 

「ッ、泣いてんのかァ!! 枯木ィ!!」

 

 〝たすけて、たすけて、たすけて――〟

 

「うるせえ!! ばーか!! なにがたすけてだッ! いいようにされやがってぇ!! いまに見てろてめえッ!! どいつもこいつもよォ!!」

 

 知らない記録が蘇る。

 

 邪魔だ、要らない。

 そんなものは必要ない。

 

 流れてくる感情と映像に頭が痛む。

 

 うるさい、黙れ。

 必要ないったら必要ない。

 

 いま必要なのは感傷に浸るようなセンチな弱さじゃあない。

 

 〝ハルカくん――――!!〟

 

 

 

 

 

「ハルカハルカハルカってェ!! うるせえっつったんだよぉぉおおおおお!!!!」

 

 

 

 

 全身から剣を放出して木手の拘束から外れる。

 いい加減聞き飽きた、と彼は怒りの形相で敵を睨んだ。

 

 彼女の正体は半ば掴めていた。

 それは経験からくるものでも、知識から予測したコトでもない。

 余計な情報がもたらした感覚の一致。

 

 あの怪物が、もとはただの少女だった。

 

 ――そんなのはどうでもいい。

 

 どうなろうと構わない。

 昔がなんだろうと今は今。

 樹木の天使は間違いなく人を殺した異形の怪物ならば。

 

 ――彼にとって、殺戮(きゅうさい)以外の選択肢など存在しない。

 

 

 

 

 〝みんなを、たすけて〟

 

 

 

 

 だって、そう。

 彼女のコトは、どうしてか知っているから。

 

「――――ぐ、ぅ、づあぁあぁあああぁあぁあああああぁぁああッ!!!!」

 

 諸刃の剣が此処に来てついぞ悪い方向に触れた。

 ボロボロになった身体にトドメとばかりの枝葉が突き刺さる。

 

 致死量を上回ってこぼれる血液。

 折れて砕けた骨が内臓をぶすぶすと破る感覚。

 身体をミキサーにかけられたような気持ち悪さが包む。

 

 

 

 

 

 

『私ね、ハルカくんのこと――』

 

 

 

 

 

 

 ……ああ、そういえば。

 

 死ぬ一か月ぐらい前に、彼女に告白されたんだっけ。

 いや、なんとも男運のない。

 

 バカですぐぶっ倒れるような軟弱者を好きになるなんて。

 

 

 

 

 

 

「――――――――――」

 

 

 

 血を流して落ちながら思い返す。

 

 別にどうってことはない。

 両思いというワケでもなかった。

 

 (オレ)には好きな人がいて、彼女ではなかった。

 だから別に、特別重い記録(カンジョウ)があるかといえば違う。

 

 ――でも。

 

 ああ、でも。

 

 いまの自分が吼え叫ぶ。

 

 気に入らねえ、気に喰わねえ。

 だからどうした、ふざけてやがる。

 

 知り合いをこんな風にされて。

 知ってるヤツをこんな形に利用されて。

 

 

 

 ――――頭に来ねえなら、てめえの心が廃れてるってモンだろうが――――!!

 

 

 

「そう、だよ、なァ……!!」

 

 再三になる決定。

 変わりなき選択。

 たすけるために、止めるために。

 

 そのために、やっぱりあいつは殺す。

 

 

 




呪い祝福詰め合わせセット的な今作主人公。

長所は痛いのを我慢できることです。えらい!


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5/『樹木の天使 前半』⑥

 

 

 

 

「――――流崎っ!」

 

 落ちる悠を拾ったのは、いつもの如く妃和だった。

 

 なんであれ戦闘部隊。

 片腕がなくとも人並み以上に動けるのが彼女たちである。

 

 ので、真っ逆さまに振ってきた彼を受け止めることなど造作もなかったらしい。

 

「大丈夫か! 大丈夫じゃないなッ!!」

「ヒ、ヨリィ……!」

「! 意識があるのか、凄いな」

「うるせえ……てめえ……! ああ、だが、安心したッ!」

「なぜだ!?」

「おまえが〝流崎〟って呼んでくれたからだよ!」

「そ、そうか!」

 

 どうにも反応に困る言葉をスルーしつつ……少なくとも彼女は見事にスルーできたと思っている……妃和は思考を回す。

 

 遙か空の彼方まで昇っていった樹木の天使。

 戦況は若干向こうの流れに寄っているかといったところ。

 なにせ葵は無傷ながらも攻勢を止め、悠はこの通りボロ雑巾にされている。

 

 羽虫程度で命をかけていた妃和にとっては手を出すこともできない相手だ。

 ……いや、まったく、非常に悔しいが。

 

「――無事か、妃和」

「ッ、総司令!」

「母さんとは呼んでくれないのか」

「いまはプライベートとは違うはずですがッ!」

「だが任務中ではないぞ」

「緊急事態でしょう!?」

「私はそのほうがやる気がでる」

「母さんッ!!」

「うむ」

 

 満面の笑みだった。

 なにをこの状況で、と睨みつける妃和を差し置いてひとり幸せになっている。

 片手間に迫る枝葉を斬り伏せながら。

 

「さて、まだ動けるな流崎少年?」

「当たり前だァ! こんな程度で終われねえ!!」

「それはなにより。私としてもこのまま持久戦になるのは避けたい。病み上がりだからな。長引くとリスクが高くなる。そのためにも短期決戦だ」

「じゃあどうするよッ!!」

「私が幹を切る。君は()()()を叩いてくれ」

「おっけぇ乗ったッ!!」

 

 跳ね上がりながらニィッと歯を見せて笑う悠。

 先ほどまでの怪我の弱りようが嘘みたいだ。

 

 以前とは目に見えて違う。

 

 ……それは妃和が初戦から彼の戦いを知っていたからこその気付き。

 彼の回復力も純エーテルの総量も度を超えてあがっている。

 

「甘根隊長! そちらはどうだ!」

「いやはや厳しい! この傷だと安静にしたいのだがなッ」

「そうは言うが枝葉をはじけているあたりまだ全然と見えるぞ!」

「この程度ならば問題あるまい! アレには勝てんが!」

「そうか! では妃和を頼む!」

「保証はしかねるぞ!!」

「してくれ!!」

 

 仕方がないと言わんばかりにため息をつく真樹。

 彼女の怪我も相当だろうに攻撃の対処は難なくこなしている。

 

 言わずもがな、葵に適わずとも彼女だって一部隊の隊長クラス。

 北極遠征に参加した実力は伊達じゃない。

 

 ……だからこそ、妃和にとってはもどかしい。

 この場において一番足手まといは誰か、嫌でも分かってしまう。

 

「妃和は自分の身を守ることに専念するんだ。これ以上傷を増やされては私は倒れるぞ」

「…………っ、わ、分かって、る」

「賢い子は好きだ。頼んだぞ、妃和。おまえが生きていてくれる限り、私は戦えるから」

 

 ぽん、と頭を撫でられる。

 諭すような言葉は真実妃和の心境を慮ってのコト。

 

 実力不足なのは否定のしようがない。

 戦闘部隊の端くれで、腕も一本失っている彼女に戦力として期待できないのは今更だ。

 

 ここで駄々をこねたところで、無駄に死ぬ命がひとつ増えるだけ。

 

「――――さあ流崎少年! 準備はできているな!?」

「ああッ! いつでもいけるぜこんちくしょうッ!!」

 

 ふたりが鉄潔角装を構える。

 見上げる先には枯れ木色の敵。

 守るべき相手は背中に。

 

 ……そう、時間をかけて危なくなるのはなにも自分たちだけではない。

 悠にとっても葵にとっても大事な彼女が危険に晒され続けている。

 

 だからこそ、余計に時間は取れないだろう。

 

「即行で、カタをつけ――」

 

 なのに。

 

 その思惑を、一瞬で叩き潰す光景が目に入った。

 

 ゆらりと彷徨わせた片手を振り下ろす樹木の天使。

 悠たちの気持ちを嘲笑うかのように虚空から枝葉が出現する。

 

 それは瞬く間に折り重なり、肥大化し、ひとつの形として集結した。

 

 

「――――――な」

 

 

 空を覆う樹木の塊。

 

 巨岩、でもなければ星の上につくられた隕石か。

 

 直径は目視で測れない。

 少なくとも彼らのいる森をすっぽりおさめて余り有る。

 

 辛うじて見える巨塊の果ては遙か先だ。

 

 ――それが、頭上にあるという現実。

 

「ありかよそんなのォ!!」

「……まずいな。あんなものが落とされたらひとたまりもない」

「見てりゃ分からァ!!」

 

 質量の暴力。

 

 大きさの違いでもって存在としての規模を示された気分だ。

 

 村ひとつ、街一つなら容易く潰してしまえる枝葉の塊。

 その重さはどの程度のものか。

 考えるまでも無く、人体なら粉々にできるだろう。

 

 そうなればきっと死んでいる。

 悠の治癒だって意味が無い。

 

「――――――」

 

 ごお、と空気の揺れる音。

 

 天使が塊を動かした。

 地上数百メートル先から巨星が墜ちてくる。

 

 なにもかもを押し潰す、枯れ木色の星が。

 

「――――いけ、流崎少年」

「あんだとォ!?」

「作戦変更だ。アレは私が叩き切る。君が仕留めろ」

「できんのかよそんなコトッ!!」

「やってみせるとも。()()()()()なのだろう? やる前から決めつけるのはよくないな」

「…………てめえ」

 

 お返しと言わんばかりの物言い。

 先ほど幹をぶった切った際にどこかのバカがそんなコトを吐かした。

 

 当然、樹木の塊はそれより何倍もの大きさを誇っている。

 その対処を悠ができるかというと博打になる。

 

「――ああ分かったよッ!! やってやらァ!!」

「すまないな。幸運を祈る」

「そっちもなァ! 後でやっぱりできませんでしたなんて聞かねえぞッ!!」

「ならないさ。……させない、というほうが正しいのか?」

 

 それぞれが得物を手に戦場を駆ける。

 

 悠は純エーテルを噴かして空へ。

 葵は静かに鉄潔角装を構えて地に立った。

 

 立ち向かうべき相手はサイズの大小だけで脅威は変わらない。

 

「――――しかし」

 

 視界を遮る枯れ木色の壁。

 

 叩き切るとは言うが、そんなのは人の領域を軽く超えている。

 例えるなら手に持った刀一本で山を割るようなもの。

 

 できるできない以前に、考えるのすら馬鹿らしい所業だ。

 

「久しく骨が折れそうだ。……今の私でどうなるか未知数だが、まあ、試してみよう」

 

 灼炎を刃に纏わせて葵が笑う。

 

 巨塊はすでに落下をはじめてしまった。

 なら結果はふたつにひとつ。

 

 迫り来る塊を粉砕して全員生き残るか、抵抗虚しく全員押し潰れるか。

 

「――――は」

 

 馬鹿らしい。

 後ろに妃和がいるのに悪い予想をした自分を鼻で笑う。

 

「……ああ、そうとも」

 

 負けるワケにはいかない。

 倒れるワケにはいかない。

 

 勝つのは己だ、と強く自分自身に言い聞かせる。

 

 上昇する火炎の熱量。

 逆巻く焔が彼女を包んだ。

 

 それは正しく、地上に輝く紅い太陽みたいに。

 

 

「できない道理なんて、ないだろう――――!!」

 

 

 練り上げた灼炎が刃を走って空へ届く。

 

 超高温度の焔の刀身。

 燃え上がる太刀の狙いはひとつ。

 

 その壁を、ぶち壊すためだけに。

 

 

 

「おぉおおぉおおおぉおおぉおおおぉおおおお――――ッ!!」

 

 

 

 いま、彼女に振り下ろされて。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はははははははは!!」

 

 

「いやいや、見事だ。素晴らしい。これだけは褒めてやるぞ枯木」

 

 

「あれを見ろ。あの姿を見ろ。あの輝きを目におさめろ」

 

 

「ハルカ。ああハルカ。私のハルカ」

 

 

「お帰り。待ってたぞ。遅かったじゃないか。よくぞ戻った」

 

 

「であれば、そう! 私も介入を辞さない構えだ!」

 

 

「だってハルカだ。ハルカだぞ? そうだハルカなんだ。ハルカなんだよ分かるか枯木!」

 

 

「土いじりばっかりだったおまえの手で触れるなどと癇に障るコトをしてくれる!」

 

 

「だからこそ見せてやろう! いまの時代の神秘は私だ! 純エーテルは私の一部だということだ! そのルールすべてが私から発生した秘匿なのだよ!」

 

 

「故に授けよう! 彼に祝福を! 私の後押しをッ!!」

 

 

「――おまえたちの魂をその役割に押し込めたのは私なのだから、斃すタイミングを決めるのも私でいいだろう!?」

 

 

 

 

 

 

 

 



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6/『樹木の天使 後半』①

 

 ――他人の生き死にを、あまり意識したコトがなかった。

 

 それは葵が戦闘部隊の総司令になるよりずっと前の話。

 

 毎日のように駆り出された戦場で、いくつもの死体を見ていた。

 誰も彼もが生き残れる強さを持っているわけではない。

 

 だからそれはある意味当然で、当たり前の光景だ。

 

 見知った顔、見慣れた顔。

 昨日話をした彼女、今朝朝食を共にした彼女。

 

 そんな仲間たちが、勝利のあとに無惨な姿で見つかる。

 

 不思議と犠牲に涙は出なかった。

 悲しいという感情すら浮かばない。

 

 だって、そう。

 

 戦って死ぬのは当たり前なのだから。

 

『おまえはつくづくこの仕事が似合っているよ、葵。イカレているところも含めて』

 

 男性の収容施設に行った同期(みさ)からそう言われたこともある。

 

 彼女には分からなかった。

 

 倒すべき相手に立ち向かうなんて簡単だ。

 理由もなにも全部用意されている。

 人類のため、未来のために命を懸けるのは当然のこと。

 

 そう決めたのならただそうするだけでいい。

 そんなシンプルなことを、どうして難しくしようとするのだろう。

 

『怖くないんですか? 戦うことが。……死んでしまうことが』

 

 分からない。

 

 例え怖かったとしてなんだというのだろう。

 そんなのは足を止める理由にならない。

 

 戦って死ぬのは当たり前だ。

 この道を選んだ以上、それは可能性のひとつとして常にあるもの。

 

 覚悟を決めれば後は進むだけ。

 

『やだッ、いやですよぉ! 死にたくなんてないッ! わたしはッ、わたしは……!』

 

 分からない、分からない。

 

 誰かが死んで涙を流す時間に、一体どれだけ敵を倒せるだろう。

 誰かを亡くして悲しむ間に、一体どれだけ他人が犠牲になるだろう。

 

 考えれば分かるコト。

 彼女の中にはもとよりひとつしかない。

 仲間が死のうが、手足が千切れようが、戦って殺すのが自分たちの使命だと。

 

『ズレているよ、おまえは』

 

 そんなことをくり返していればいつの間にか今の立場にまで成った。

 

 幸運なことに彼女の力は人並み外れていて、

 その精神性も人の常識からは外れていたらしい。

 

 人類の敵だというから立ち向かって、戦う力があるからただ倒す。

 

 ……やっぱり分からなかった。

 そうも難しいことだろうか、と。

 

『きっと総司令は、一人でお強いんです。だから、それは貴女の凄さだと思いますよ』

 

 ずっとずっと、彼女はそうやってきた。

 ずっとずっと、そんな景色ばかり見てきた。

 

 気付けば生きていたのは彼女だけ。

 

 周りの誰もが力尽きて志半ばで死んでいく。

 苦しみ悶えて悲嘆に暮れながら消えていく。

 

 それが、当たり前だった。

 

『美沙。どうにも私は死神らしい』

『そりゃまた、なんでだ?』

『任務で同じくしたメンバーの死亡率がトップクラスだ。脅威の八割を誇る』

『はははッ、おまえそれ、本気で死神じゃないかッ』

『……笑うことではないだろう』

 

 敵を倒すために必要な犠牲だった。

 

 そう思う。

 それ以外になにを思える。

 

 分からない。

 

 何度も何度もくり返して。

 何度も何度も同じことをして。

 

 ――――そんな、ある日のことだった。

 

『あああ! たすけて! たすけてたすけてたすけて――――!!』

『ごめんなさい、ごめんなさい……! ごめんなさいごめんなさいィ!!』

『逃げて、逃げ――あぁ、あぁぁああああッ、あああああああ――』

『誰か、誰かッ――頼む、おねがい、誰でも、いいからぁ……』

 

 ひとつの村が壊滅する瞬間に立ち合った。

 太平洋から飛来してきた異形の怪物。

 

 空の海月。

 

 宙に浮かんで人の血液を吸い殺す化け物は、たったの数分で小さな村の住人を平らげた。

 

『――――――』

 

 別に、それが初めてだったワケじゃない。

 強いて言うならタイミングが悪かった。

 色々と重なった結果、最悪の形で頭に響いただけ。

 

 葵は個として最強だった。

 彼女は単体で完成されている。

 

 その強さに偽りはない。

 本気を出せば星さえ壊してしまう力は、慎重に扱う必要があれど強大だ。

 

 でも、それだけ。

 

 たったひとりで守れるものなんてたかが知れている。

 いくら彼女が強くても、彼女だけではなにも守れない。

 

 敵を殺しても戻ってくる命はない。

 当たり前だ。

 今更なにをと、そんな馬鹿げた感傷を蹴飛ばして。

 

『…………ぁ』

 

 すべてが終わったとき。

 彼女は視界の隅でわずかに動く、小さな小さな命を見つけた。

 

『――――――…………』

 

 あたり一帯は兆角醒の影響で火の海になっている。

 生きているのも辛いだろう現実に、けれど少女は呆然としながらも立っていた。

 あんな地獄の中にいながら、命の灯火をどうにか繋げて。

 

『…………そう、か』

 

 だからだろう。

 そのときはじめて、彼女は思い知ったような気がした。

 

 死んでいく仲間たち。

 誰一人生き残らない戦場。

 

 自分が守れるものなんて不確かな未来だけ。

 その手にあるものはひとつもない。

 

 ――そんな自分が、はじめてなにかを残せたみたいで。

 

『ちゃんと、あるんだな――』

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「おぉおぉおぉおおぉおおおおお――――!!!!」

 

 

 爆ぜる炎刃が枯れ木色の星を捉える。

 一千万度を超える神秘の熱量が表面を溶かしていく。

 

 いつもなら抑えている出力のリミッターをひとつ取っ払った。

 威力のほどは申し分ない。

 身体にかかる負荷もせいぜいが内側から焼かれるような痛みだけだ。

 

 両手に力を込めて、振り下ろす刃に勢いを乗せる。

 

「こんなッ、程度でッ、私をどうにかするつもりかァ――――!!」

 

 巨塊を切り裂く灼熱の刀剣。

 大気を焦がして枝葉が粉砕される。

 

 だが。

 だがしかし。

 

 ――(そら)が見えない。

 

 振ってくるのが文字通り分厚い壁だ。

 いくら外側を削ったところで薄皮を裂いたようなもの。

 

「――――――――ッ」

 

 純エーテルを回す。

 神秘の力を最大限まで開放する。

 体内で加工された熱量が刃を通して空へ走った。

 

 悲鳴のようにあがる激痛。

 明滅する視界のなかで飛んでいく空色の影。

 

 彼は行ったらしい。

 

「――――ならばッ、私も! 意地を見せなくてはなぁ――!!」

 

 枝葉は砕ける。

 

 火炎を受けても燃えはしない。

 彼女の能力を吸収した恩恵だろう。

 あれには耐熱性がすでについている。

 

 おまけに形成された神秘の密度が桁違いだ。

 物理法則を無視した一撃に思わず視線を鋭くした。

 

「小癪な、真似をォ――――!!」

 

 どうする、と葵は自問する。

 

 搦め手、奇策の類いは使えない。

 そも、そういったコトは入念に準備してするものだ。

 土壇場で試行錯誤しようと結局は決定打にならない。

 

 ならば解答は至ってシンプルに。

 真正面からしか撃てないのならそうする他ないだろう。

 

 つまるところ力押し。

 効かないのなら効くまでぶつける。

 

 燃えないのなら――もっと高温の火で焼けばいい!

 

「あぁああぁぁぁぁあああああぁぁあああ――――!!!!」

 

 鉄潔角装に罅が入る。

 限界を超えた出力にまず得物が耐えきれなくなった。

 

 つられて全身を引き千切られるような痛みが襲う。

 

 枝葉の巨塊はまだ割れない。

 周囲への被害を考えると出力をあげすぎるのもダメだ。

 

 なにせそう遠くない位置に妃和がいる。

 必死に交戦している真樹がいる。

 

 それらを自分の能力で殺すワケにはいかない。

 

「――――ハハハハハッ!! 我ながら甘い! だがちょうどいいなこのぐらいがッ!! 私としてはこれがたまらなくいいというワケだ!!」

 

 大事なものを見誤ってはいけない。

 やるべきことを見失ってもいけない。

 

 降り注ぐ脅威を砕く。

 それは彼女が責任を持ったこと。

 

 今し方飛び去って空の天使へ向かっていった男子のためにも、そこは失敗できない。

 

「だから――――ッ!!」

 

 爆発的に上昇する架空の熱量。

 刃は炎を伴って枯れ木を裂いていく。

 

 断面がわずかに燃えた。

 その隙間から黄昏色の空が見える。

 

 ――――成果は十二分。

 

 ニッと笑う。

 渾身の力を柄に込めた。

 

 これで鉄潔角装が折れるのを想定して。

 この次の手までわずかに時間がかかると分かった上で。

 

 ――――形振り構わず、全力で振り抜いていく。

 

 

「あぁあぁあぁあああぁぁああぁあああああぁああ――――ッ!!!!」

 

 

 燃える星。

 

 割られる巨塊。

 

 火の粉と枝葉を撒き散らして天を覆う壁が砕けた。

 

 見事に真っ二つ。

 手元に残った鉄潔角装は刃から先のぜんぶがなくなっている。

 左手は負荷をかけすぎたのか血がいっぱいで。

 

「ふははははッ、どうだ、見たか。やってやったぞ」

 

 けれども、これで果たした。

 

 あとは彼次第。

 

 条件は満たされている。

 気付いたのならもはや引き摺り出すだけだ。

 

 神秘の秘奥、ひとつの純エーテルの到達点。

 

 すなわち彼の――――

 

 

 



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6/『樹木の天使 後半』②

 

 

 

 

 

 

「おー、やってるやってるっ」

 

 ひゅー、と口笛を吹きながら遠くを眺める。

 

 十数キロ先からでも視認できる枝葉の塔。

 灼炎と共に崩れる巨塊は今し方砕かれたものだ。

 

 話に聞いていたよりも大事だな、なんて彼女は冷静に思った。

 

「しっかし派手だねえ。なんかもう大怪獣バトルー、って感じじゃん。映画みたい。てかなんか飛んでるんですケド。あれが〝奔星〟ちゃん?」

 

 目を凝らせばその姿が捉えられる。

 

 背中から羽のように純エーテルを噴出させた少年。

 首にかけた双眼鏡を使って見れば大体の特徴も一致していた。

 

 おそらく間違いない。

 

 となれば、本気であそこは大怪獣バトルもかくやといった戦場だろう。

 

「あははっ、凄い凄い。流石は神様のお気に入りだよ。いやー、麻奈さんは見ててあげてとか言ったけど、それどころじゃなくなくなくない?」

 

 あれいま〝なく〟何回言ったっけ、なんてぼんやり考える頭ゆるふわ系女子。

 彼の戦う姿に触発されたのか、そもそもじっとしていられない性格なのか、うずうずと二の腕を擦っている。

 

「ね! ね! どう思う()()()()()! やっぱあーしたち的には見守るのが正解なのかな? でもあれだけ頑張ってるしなー。加勢ぐらいしてあげたいなー」

 

 誰かに話しかけるような口調は、けれど彼女の独り言だ。

 周囲に人影は見当たらない。

 荒れ地のなかでぽつんと座り込む姿は実に目立っている。

 

「あ、セーフ? ほんと? じゃあ行こっか! 久々のデートだデート! ふっふーん! カガリっちとのデート! よーし伽蓮(かれん)さん頑張っちゃうぞー!」

 

 がばっと立ち上がって彼女は満面の笑みをつくった。

 ウェーブのかかった暗緑色の髪が日射しに照らされる。

 

 手には大きな革のボストンバッグ。

 白いシャツとホットパンツの上からカーキの色をコート を羽織った姿。

 すらっと伸びた足には太股まで覆う黒いブーツを履いている。

 

 現代ではなんとも珍しいコーデには、たったひとつだけ不釣り合い。

 

「ごーごーれっつごー! いざお出かけだー! テンションあげてこ! カガリっちー!」

 

 腰に提げた紅い鞘の日本刀に語りかけながら、彼女はタンと地面を蹴るのだった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ――砕けた巨塊を背に空を翔る。

 

 爆音と共に焼かれた枝葉はすでに炭化してこぼれていた。

 あれなら地上に落ちても大きな損害にはならない。

 風が吹けば飛ぶようなものは葵でも真樹でも吹き飛ばしてしまえるだろう。

 

 だからこそ、悠のやる事は決まってひとつだ。

 初めからそれしか見えていないとも言えるくり返した決意。

 

 樹木の天使、その討伐。

 

「――――――」

 

 今回の敵に手こずっているのはどうしてか。

 考えられる理由はいくつかあれど、突き詰めれば三つになる。

 

 傷を引き摺らない高度な治癒。

 こちらを圧倒する数の暴力。

 なにより質量、規模で押されては人間である以上辛いのは明白だ。

 

 どんなに並外れた力量を持っていようがその器はせいぜい二メートル足らずの生き物。

 人である限りその器は越えられない。

 

「本当に、厄介だなァ……!」

 

 ぼやきながら剣を振りかぶる。

 散り散りに乱れていく思考を自我だけで繋ぎ止めた。

 

 考えていたってどうしようもない。

 もとより彼は頭を回すのが苦手だ。

 

 馬鹿で単純で無鉄砲。

 無理無茶無謀は当たり前の愚か者。

 

 なればこそ、わざわざどうするかなんて言うまでもない。

 

「だがよッ!! ぶった切る!! なんだろうとォ!!」

 

 急速に奔りだす空色の光

 

 作戦は至ってシンプルだ。

 一瞬でカタをつける。

 そのために幹を切って、ついでに天使も切る。

 

 無駄がないスマートなやり方はこれ以上ないほどだろう。

 

「おぉおおおぉぉおおぉおおおぉおぉおおお――――!!」

 

 純エーテルの刃を真正面から振り抜く。

 枝葉の幹に切っ先が沈む。

 

 

 

 ――――瞬間。

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 血のように噴き出した爆炎が、無防備な彼を襲った。

 

 

 

「が――あ、あぁ!? あぁあぁあああぁあぁあああ――――!!」

 

 

 

 皮膚が燃える。

 血肉が焦げる。

 

 熱い

 とても熱い

 

 鉄潔角装が握れない。

 全身が痙攣していた。

 

 いや――内臓がヒリつくように痙攣していて、脳の電気信号がまともに通わない……!

 

「な、んッ――あぁッ、あぢい!? あぢぃいぃぃああぁああぁぁあぁ!!??」

 

 遠のく意識をなんとか保てたのは偏に痛みへの我慢強さだった。

 

 じわじわと嬲るような熱さではない。

 触れた瞬間から人体が爆ぜていくような灼熱の火炎。

 

 そんな攻撃は先ほどまで微塵も様子を見せなかった。

 それをいきなり、なんの前触れもなく、なぜここで起こしたのか。

 

 心当たりはひとつ。

 

 目の前の天使はたしか、葵の炎を吸収していたような――

 

「――――ッ、な、ろォ……!!」

 

 即座に純エーテルを回して傷を塞ぐ。

 以前までなら数秒とかかった怪我もいまは一秒足らずで完治する。

 

 彼が強くなったのではない。

 その恩恵、身体に染み付いた何らかの匂いが濃くなっていた。

 

 強いて言うなら素質が進化したとでも言うべきか。

 なにはともあれ、いまだけはメリットでしかない代物を遠慮なく使い倒す。

 

「嘗めんじゃねェ――――――!!」

『ああそうだ! ハルカを嘗めてもらっては困るな!』

 

 頭痛がする。

 

 うるさいばかりの誰かの声が響く。

 

 知らない、関係ない、興味もない。

 いまリソースを割くのは目の前のコトだけだ。

 

 そんな誰とも分からない言葉なんて、気にするだけ無駄になる。

 

「こんなんで退いてられっかよォ!! 枯木ィ!! てめえふざけんなァ!!」

『ああふざけている! ふざけているとも! そこの喪女は私がいなければお前をかっ攫うような塵芥だぞ!? 馬鹿にしているな! お前ごときがハルカに釣り合うものか!』

「ここで殺すさ!! 殺してやるッ!! だから待ってろてめえ!!」

『ああ殺せ! 殺してくれ! 私たちの幸せにそこの怪物は不要だ! いいぞ! 首領である私が許可する!!』

 

 〝ハルカくん――――〟

 

 まったく馬鹿げている。

 一体全体なにをどうすればこうなるのか。

 出来るなら落ち着いて話を聞きたいコトだ。

 

 ……が、いまはそんな風にも言ってられない。

 

 神秘の粒子で刀身を象る。

 振りかぶった空色の刃に力を込める。

 

 まずは――――幹から。

 

 

「どらぁぁああぁぁぁああああああぁあああああッ!!!!」

 

 

 バキバキと砕けていく枯れ木色の大木。

 音を立てて裂けるたびに灼熱が渦を巻いた。

 

 当然無事ではいられない。

 

 鉄潔角装を握っていた腕がボロボロに爆ぜていく。

 皮膚は爛れて肉は抉れ、ところどころ中の骨まで見える始末。

 

 関係ない。

 

 傷の痛みなんて後回しだ。

 

「いい加減にィ! しろってんだよォ――――!!」

 

 真横に一閃、いま一度幹を切り離す。

 同時にひときわ強い爆炎が全身を包んだ。

 

 内臓がいくつか破裂する感覚。

 左手がイカれた、一秒は使い物にならない。

 

 それだけの時間があれば彼は天辺まで昇ることができる。

 さらには頂上の天使を切り付けるコトすら可能だ。

 

 ――決断は一瞬のうちに。

 

 悠は後戻りすることなく真っ直ぐ上を目指す。

 

「――――――――ッ」

 

 バランスが悪い。

 

 どうしてかふらつくと思えば脚も片一方が千切れていた。

 踏ん張れないが、どうせ空中戦になる。

 何合か打ち合っているうちに身体は治りきるだろう。

 

 なら、痛みに引き摺られて傷を気にするなんて馬鹿らしい。

 

 

「――――ぉおぉおおぉおおおぉお!!!!」

 

 

 枝葉の塔を登り詰めた最上階に辿り着く。

 天使はくすりと唇を歪めて待っていた。

 

 再度ぶつかり合う両者の瞳。

 

 隙らしい隙といえばその程度だった。

 なのに、

 

「あ?」

 

 がっしりと、身体を拘束される。

 

 ぎりぎりと軋む骨肉。

 彼を掴んだのは左右の翼から二本飛び出た枝葉の腕だった。

 

 だが今更そんな真似をしたところで――

 

 

 

「ごォッ!?」

 

 

 

 ぎりぎり、ぎりぎりと。

 

 骨肉がさらに軋む。

 身体が腰を境目にしてぎゅううっと絞られていく。

 

 まるで雑巾を絞るみたいに。

 

 彼の肉体は臓物を撒き散らして、ふたつに別れながら空中でねじ切れた。

 

 

「――――、――――」

 

 

 ぼやけた視界、ぐらつく脳髄。

 

 あまりにも気持ちが悪くて吐き気がする。

 でも肝心の中身がない。

 

 自分の目で自分の腸が見えた。

 他にも色々と垂れている。

 じゃあつまり、アレは神経とか、血管とか、そういった人体の色々なのだろうか。

 

 

「ぁ――――、ぉ――――…………」

 

 

 声がうまく出ない。

 思考がまったく働かない。

 

 今度は頭を掴まれる。

 螺子を回すようにキリキリと枝葉の手が動く。

 

 首が。

 

 胴体から、ミチミチと音をたてて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっほぉう! ノックしてもしもぉーし!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千切れる瞬間、何者かにその拘束を解かれた。

 

「うぇーい!? なんてグロッキー!? これテレビに乗せらんないよ! あ、中継とかない感じ? 電波終わってる? そっかー。そっかぁー……」

「な…………、ぁ…………ぉ…………」

「あ、いーよいーよ、大丈夫皆まで言わない。ちょっとお姉さんテンション高めでマジバイブステンアゲって感じで今夜は焼き肉っしょ! ってカンジだからホント気にしないで。久々のデートで乙女心が燃え燃えなワケです。ついでに闘志も燃えてるー!」

 

 ――――なんだこいつ。

 

 そんな感想をすぐにでも洩らしたかった悠だが、悲しいかなやっぱり声が出ない。

 

「君が奔星ちゃんだね? おっはおっは! 聞いてたとおり男の子してる! でもフェイスに甘さが足りないかな! カガリっちはねー、あのねー! ……えへへ、かわいいんだよ、ほんとーにっ」

「て…………ごッ、ぅ…………ぁ……あ……」

「おおう凄いじゃん、もう身体が繋がりはじめてる。どう思うカガリっち? 確定? ああそうだね確定だね。うん! じゃあ早速いこうかっ!」

 

 とてつもないマシンガントーク。

 気配すら悟らせなかった割り込み。

 そして、好き勝手に話しながらも天使の攻撃をすべて防ぐ実力の高さ。

 

 そのすべてに呆気に取られる。

 

「いざお手合わせね枯木サン! あーしこれでも結構強いよ? でもってあーしとカガリっちならもう百億万人力だから勝ち目はないね!」

 

 刀を構えて少女が笑う。

 闖入者は声を上げながら、ばちこーんと元気よくウィンクなんてしてみるのだった。

 

 

 

 

 



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6/『樹木の天使 後半』③

 ふっふっふ、と不敵に笑いながら佇む少女。

 その姿は初めて見るが、悠はどこか似たような雰囲気を知っていた。

 

 喋り方とか態度とか、そういったところとはまた別の部分。

 存在レベルで酷似した人物と、以前出会っていたような――

 

「て……めぇ、は……」

「うん? えッ、もう話せるの! すごー! ねー見てみてカガリっち凄いよこの子! 人体の神秘ってカンジ! マジヤバい!」

「やばッ……く、ねぇ……!」

「いやいやヤバいヤバい! というかもう祝福の量がヤバい! まじまじマジ卍! 古いか! そっかー! カガリっちはどう思う!?」

「――――――」

 

 うるせえ。

 

 心から洩れたシンプルな感想だった。

 語彙がヤバいとかテンションがヤバい以前にやかましい。

 

 悠が万全なら多少の文句は間違いないぐらいである。

 

「まあでもいーさ! そこで見てなよ奔星ちゃん! こっから先はあーしとカガリっちのターンだから! なにせセーフラインだし! ほら、キミら四人は集団じゃないっぽいし!」

「なに、をっ」

「いくよー! れっつ! ぱーりぃ! たーーーーいむぅ!!」

 

 フゥー! なんて馬鹿げた声をあげながら少女が刀を手に取る。

 天使の攻撃は通らない。

 枝葉の槍も翼からの弾丸も悉くが撃ち落とされていく。

 

 むき出しの刃に、ではない。

 彼女は刀を抜いてすらいなかった。

 

 その手に握られている得物の刀身には、いまだ紅い鞘が残ったまま。

 

「いぇーーーい! 運動! ダイエットとか必要ない体質だけども! でも体を動かすのはやっぱり楽しいね! だよねカガリっち! ――――えッ!? いやあーし割と真面目だけど!?」

 

 一体どの口がほざくのか。

 

「しょーがないっ! カガリっちからの言葉だし素直に聞こっか! でもさでもさ! 分かるんだよあーしには! カガリっちだって楽しいんでしょ!?」

 

 刀を振りながらひとりで喋りまくる。

 戦闘においても彼女の口は閉じないばかりかそのスピードをあげていた。

 余程その、姿も見えない〝カガリっち〟とやらと話すのが楽しいのだろう。

 

「――そうだよね! うん! だからさ! やっちゃおうよ! ふたりで一緒に! 久々のデートなんだから! このぐらいの贅沢はしちゃわないとね――!」

 

 少女の手が鞘を掴む。

 握られた柄にぐっと力が込められた。

 

 カチン、と鳴り響く鯉口。

 

 露わになる銀色の刀身。

 

 解放はそれこそ、逢瀬を重ねた恋人のように。

 

 

 

「 真 理 抜 刀 ぉ !! 」

 

 

 

 引き抜かれた紅い鞘が雲霞のごとく空気に溶けていく。

 刃金は薄く鋭く、それでいて強靱な輝きを持っていた。

 

 鉄潔角装とは違う。

 それは構成物質から何から何まで異なった別の代物だ。

 

 宿っているオーラは到底武器とは思えない。

 まるで生き物がそこに現れたような莫大すぎるエネルギーの奔流。

 

 

 

「おはよう! カガリっちぃーーー!!」

 

 

 

 驚くべきはその行動すべてに純エーテルが付随していないという事実。

 天使の攻撃を防いだのも、他者を圧倒する空気を放出したのもすべて生身の彼女自身。

 

 何事かと目を疑うのは当たり前だ。

 

 言動もなにもめちゃくちゃな少女が、明らかに己より生き物として上と直感する。

 悠にとってそれは、正真正銘初めての感覚だった。

 

「あはははは! あーたのしー! しあわせー! もう死んでもいい! いやでも死ねない! カガリっちを残して死にたくなーい! あはは! やだー!」

 

 振り下ろされる銀閃。

 伸びた枝葉が強引に叩き落とされる。

 

「やっぱカガリっちと一緒だと段違い! うん! もうたまんないね! マジやばぁー!」

 

 四方八方から迫る枯れ木色の槍、弾丸、果ては腕まで。

 

 天使からの追撃は止まることなく放たれる。

 息をつく暇もない連撃だった。

 

 圧倒的な物量と速度で行われるそれは普通なら一瞬でカタが付く。

 戦闘部隊の隊員であっても二秒耐えればいいところ。

 

 ――なら、そのすべてを対処するあの少女は一体なんなのか。

 

カガリっち! ああカガリっち! カガリっち! 俳句できた! ――え!? いやカガリっちは季語だから! もうオールシーズン季語!」

 

 枝葉の槍が真っ二つに裂かれる。

 翼を広げて放たれた弾丸の悉くが弾かれていく。

 伸ばした腕は一本たりとも彼女の皮膚に触れることすら叶わない。

 

 たかだか少女ひとり。

 たかだか刀一本。

 

 それで悠たちが散々苦しめられた天使を相手取っている。

 ――見間違いでは、ない。

 

「短歌!? 下の句!? ごめんあーし国語2だから! ほら夏休みとかずっとカガリっちに勉強見てもらってたじゃん忘れたの!?」

 

 天使の攻撃が速度を増す。

 

 段階を踏むなんて考えは向こうにないらしい。

 最初の三倍近い速さで放たれる脅威は視認すら不可能だ。

 

 人の反射神経、認識の限界を軽く超えている。

 防御、回避、ともに見てからでは遅かった。

 

 

 

 ――ならば。

 

 その速さが人を超えているのなら、対応する影はさらにその先か。

 

 空の果てすら届かない。

 高みに羽ばたいたコトすら人の器におさまる些末事。

 彼女は正真正銘、上の世界に至った力を見せつける。

 

 故にそれは。

 

「そうだよっ! だから! あーしにはカガリっちが必要で! ずっとずっと一緒に居てもらえたらそれでいいってコト!」

 

 

 すべてを越えた、空の向こう。

 

 

 

「ああもう最っっっ高! 愛してるよー! カガリっちぃーーーーー!!」

 

 

 

 十や二十は敵にあらず。

 百や千などわずかなもの。

 万に及んだとしても彼女には一手すら届かない。

 

 現行の人類最強は間違いなく陽向葵だ。

 だがそれは常識的な範囲で考えた上での話。

 強さ比べ、戦力としての評価をする際、必然的に離れた者が存在する。

 

 曰く、それらは秘密を語ってはならない。

 曰く、その得物の成り立ちを明かしてはならない。

 曰く、集団に属してはならない。

 曰く、その者たち同士で争ってはいけない。

 曰く、空の向こうで見たコトを口にしてはいけない。

 

 孤高にして究極。

 現代に生きる人類の枠から外れたはぐれ者。

 

「――――よもや、まさか。あの女」

 

 地上から空を眺めていた葵がぽつりとこぼす。

 

 彼女に限らず、戦闘部隊にとっては目の上の瘤みたいなもの。

 役に立たないくせしてその力だけは認めざるを得ない別種の化け物ども。

 

 人のために戦うなんてことをせずフラフラ世界を渡り歩く日々。

 時折手を貸したかと思えば絶対に交わらない。

 自由気ままな最悪の流浪人。

 

 

 

「聖剣使い……!!」

 

 

 

 世界でたった四人しかいない、時間からすら取り残された本当の人外。

 

「ブーツとコートにボストンバッグ……――――三本目か! 子波(こなみ)伽蓮だなッ!! 貴様どういうつもりだッ!?」

「――うん? おお! やっほー総司令ちゃん! 元気ー!?」

「どういうつもりかと訊いているッ!!」

「どうもなにもあーしはあーしらしく動くだけだからね! お子ちゃまは見てなさい! 大丈夫! あーし総司令ちゃんより強いから!」

 

 ぐっ、と親指をたててウィンクをする伽蓮。

 葵のこめかみにビキリと血管が浮き出てのは言うまでもない。

 

「腹の立つ言い方をする! 支離滅裂な言動はどいつもこいつも同じか! だから貴様らは嫌いなんだ! 心底不愉快だッ!!」

「ひどっ!? ちょっとちょっと! カガリっちあの子凄いぐれちゃってるケド! ……え? あーしもまあまあ悪い? まじかー……どこで育て方ミスっちゃったかなー……」

「誰が貴様に育てられたッ!! ふざけるなよ妄言ばかりの人でなしどもッ!!」

「へぇ! 妄言! 言うに事欠いて妄言かあ! ちょっとダメだよそれは! あーし久々にちょっぴりキレそう! 妄言吐いてんのはどっちだってコトじゃない!?」

「なにを!!」

「カガリっちのコト忘れて生きてんのはあんたらでしょうがァ!!!!」

 

 

 本気の咆哮だった。

 

 勘違いでないのなら。

 気が触れていないのであれば、確実に堪忍袋の緒が切れている。

 

 先ほどまでのからからとした笑みすら一瞬消えていた。

 でも、ほんの一瞬。

 すぐにいつもの軽さを取り戻した伽蓮は、余裕綽々に天使を相手しながら笑う。

 

「でもまあいいよ! もう百年近く前のコトだしね! あーしもそこまで心が狭いワケじゃないし! 赦す赦す! カガリっちも気にしてないって言ってるし!」

「そういうところが妄言だと言っているのだが!!」

「カガリっちあの子怖いよ! レッテル貼ってくる! まじかんべん!」

「貴様ァ!!」

 

 けらけら笑いながら彼女は刀で枝葉を捌く。

 それは俄には信じがたい天秤の傾き。

 

 聖剣使い。

 その三本目の使い手、子波伽蓮。

 

 司る概念は〝凌駕〟。

 

 すなわち――彼女のなかで指標となるものは、因果と摂理を無視して強制的に越えられる。

 

 枝葉の速度も、人体の限界も、離れた距離も。

 

 

 ――その、強さですらも。

 

 

 

 

 




平たく言うと概念武装的なアレ。
自分に向かってくるもの、目の前にあるものならなんでも越えていくとかいうアホ能力。AをA+1にされ続ける相手の心境は如何に。


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6/『樹木の天使 後半』④

 

「聖剣使いィ……?」

「そうそう! あーしたち、聖剣使い!」

 

 このうるさいのがそうなのか、なんて悠は半眼で伽蓮を見つめる。

 なにかに似ているかと言えばようやく思い至った。

 

 ワケの分からない言動と、人の話を聞かない一方的な会話。

 鉄潔角装ではない得物を持っている点といい、麻奈と同じような人種だ。

 

「……おっけえ。どうでもいいが、ああ分かったぜ」

「まじ!? 理解力パないね! 天才じゃん!」

「要するにてめえら強えんだろ。じゃあちょうどいい」

「うん、なにかなー。協力の申し出なら喜んで引き受け――」

「ちっとばかし退いてろ。(オレ)の喧嘩だ、邪魔すんな」

 

 剣を握って真正面から少女を睨みつける。

 脳髄の奥から響く声は賛同していた。

 

 こんな状況に甘えて流されるなんてありえない。

 そいつらよりもおまえの勇姿を見せつけてくれ。

 

 珍しく、一分の隙もなく思考が固まった。

 

「――え、まじ? 本気で言ってる? 君わりとボコられてなかった!?」

「冗談でンなこと言うかよ。悪いが押し通らせてもらうぜ」

「いやいやいや!? にしてもこう! なんかあるよねワンクッション!」

「ねえ。退け。いいから(オレ)にやらせろ。そいつを殺すのはてめえらじゃねえ」

「――――――――」

 

 いきなり現れて好き勝手暴れるような奴に取られるのは癪だ。

 

 一度決めたのなら最後まで。

 体が千切れるぐらいの痛みで止まれるのならここまで来ていない。

 

 倒すと決めた、殺すと誓った。

 ならば途中で他人に任せるのも無理だと諦めるのも違うだろう。

 

「うーん、想像以上! ……やめた方がいいよ? 取り返しがつかないことになる前に」

「傷のコトを言ってんなら心配要らねえぜ」

「違うってば。純エーテルなんてモノ使ってるから言ってるのー。きみ、手遅れになったら終わりって分かってるっぽいのにー」

「それでビビって止まるってェ?」

 

 明らかな挑発の意図を含んだ口調。

 くつくつと喉を鳴らして悠が笑う。

 

 ああ、おかしい。

 まったくどうしてこうなのか。

 

 人を心配するにしても、分かってなさ過ぎる。

 

「構うかよ。どうでもいい。死ぬのも消えるのも。この命が尽きるのは最初から勘定に入れてんだ。なんてこたァねえんだよ」

「…………きみ」

「だから大事なのはどう生きるかだ。なにを誇るかだ。なにを掴むかだ。なにを掛け替えのないものとするかだ。でもってそいつは! (オレ)の芯なんだよッ!」

 

 聖剣使いがありえないものを見る目を向けてくる。

 人外の化け物が奇妙な顔でクスクス笑った。

 

「曲げらんねェ! ああ曲げらんねえよなァ! そうだろ、枯木ッ!! てめえが呼んだんだ! てめえが起こしたんだ! その始末ぐらいつけろよなァ!!」

 

 〝ああ、ハルカくん――――〟

 

 

「お望み通りやってやるよォ!! だから退いてろ聖剣使いィ!! コイツは(オレ)の獲物だッ!!」

 

 

「あっはっは! まじかー! うーんやばすぎじゃん! ねえねえカガリっち! あの子すごい! やばい! ちょっと本気でなんかもうフレッシュ! ()()()!!」

 

 予想外にも褒めだした伽蓮を尻目に加速する。

 

 大体、余計に難しいコトが多すぎた。

 空の果てとか空の向こうとか、誰が誰で声がなんだとか。

 

 脳裡を支配していた思考はバラバラに。

 いまはすべて後回し。

 彼は天使へ駆けながら、自信の奥底に眠るモノへと手を伸ばす。

 

「そりゃお気に入りになるはずだ! めちゃくちゃだもんあの子! こんなご時世にあんなこと言える男の子が何人いるって話! ふふふ! すごーいなぁもーう!!」

 

 遮られた超抜の感覚を取り戻す。

 

 扱い方は一切知らない。

 彼にとって知識とは鍵のかかった箱の中身だ。

 ヒントさえ与えたならばいずれ解き明かして開けられる。

 

 それを間近に見た以上、できない道理は存在しない。

 

「――うん、そうだねっ! しょーがない! どうせあーしらは時間に取り残されたはぐれ者だし! ここは大人しくお膳立てをしてあげよっか! 奔星ちゃんの!」

 

 伽蓮が下へ飛ぶ。

 悠は前へ駆け抜ける。

 

 最早彼の頭には枯木(カノジョ)のこと以外浮かばない。

 

 ――神秘の光が渦を巻く。

 体内から溢れていく空色の輝き。

 あまりの変化に爆発する純エーテル。

 

 それらすべてを、悠は手中におさめて――――

 

 

 

 

 

 

 

「 兆 角 醒 ッ !! 」

 

 

 

 

 

 

 一気に、解放する。

 

 

 

「おぉおおぉおぉおおぉおおぉおおおお――――!!」

 

 

 光を越えた光の束。

 

 美しさの微塵もない爆光があたりを照らした。

 空が青色に塗られていく。

 

 それは彼自身が世界を換えたから――のとはまるで違う。

 

 原因は純エーテルの出力。

 架空の光、熱量、神秘のエネルギー。

 

 それらが黄昏色の膜さえ変貌させる勢いで放たれた。

 

「見ろよ! 見てみろ!! ああそうだッ! しかと目に焼き付けやがれェ!!」

 

 シンプルにして強力。

 単純にして明快。

 

 桁違いの純エーテルをまとった彼の変化はただそれだけ。

 だが同時に、人の器を越えているかと言えば間違いなく。

 

 

「これがッ!! 俺のだァアアァァアアァァアア――――!!!!」

 

 

 噴き出す神秘。

 身体に漂う空の光。

 

 そのリミッターは存在しない。

 量も質も爆発的に上がっていく。

 

 ――通常、人が純エーテルを扱う場合は周囲に漂うモノを利用する。

 

 百年前に地上へ降り注いだ神秘の粒子は未だ減少傾向を見せない。

 いくら使おうが尽きることはないだろう。

 

 だが、出力として考えるのなら別だ。

 限界だって存在する。

 

 どれだけ大きな弾を込めたとしても、それを放つ銃の規格にあっていなければ。

 もしくは銃自体がボロければ自壊してしまうからだ。

 

 取り込んで、己のものとし、出力する。

 この三工程が大原則。

 どれだけ才能があろうと誰しもそのルールからは逃れられない。

 

 ――普通ならば。

 

「枯木ィ――――――!!」

 

 際限なく上昇していく空色の光。

 悠の身体から溢れる輝きは殊更大きくなる。

 

 普通ではない。

 だからこその根本から覆す常識破りの変化だ。

 

 彼は肉体そのものを炉心としている。

 周囲の純エーテルをかき集めているのではない。

 内部でつくりだしたエネルギーを循環させるコトで神秘を纏ったのだ。

 

「いくぜェ!! てめえ――――!!」

 

 流崎悠の兆角醒。

 その本質は出力の無限上昇。

 

 彼は体内の純エーテルを連鎖反応させ、超高速でエネルギーを創出している。

 仕組みで言えば擬似的な核分裂反応に近い。

 

 打ち止めのない粒子の増殖。

 走りだしたら止められない。

 そんな彼を象徴するかのような、勢い任せの馬鹿げた力。

 

 故にこそ、それが悠の切り札だ。

 

「おぉおおぉらああぁぁぁああああああ――――!!!!」

 

 

 天使の枝葉と鍔迫り合う。

 

 拮抗は一瞬。

 

 止められたと思った悠の攻撃はあっという間に樹木を突破した。

 

 ――まだ上がる。

 

「ははッ!! はははははははは!! ははははははァ――――!!」

 

 翼の弾丸は避けるまでもない。

 

 全身を撃ち抜かれる。

 

 傷が即座に塞がっていく。

 

 治癒の効果だって何倍にも膨れ上がった。

 致命傷が掠り傷にもなりはしない。

 

 ――まだ上がる。

 

「ははははははははははははははははは!!!!」

 

 突然暗くなった。

 あたり一体を覆う黒い影。

 

 二度目の巨星が頭上につくられる。

 

 意味がない。

 

 振り上げた剣は空色の輝きをまとって。

 

 その刃を受けた全長二十キロ以上の樹木の塊が、エネルギーの増幅に耐えられず木っ端微塵と散っていく。

 

 ――まだ、上がる。

 

「はははははははははは――――!!!!」

 

 ゆらりと蠢くひとつの影。

 一体どちらが化け物なのか。

 

 言わずもがな、彼だってその突出した才能は正しく人外の化生。

 

 純潔の怪物。

 

 純エーテルを扱うという行為において、彼に勝るものは一人として存在しない。

 

 ――そう、絶対に。

 

 人類の天敵だろうと、関係なく。

 

 

 

 

 



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6/『樹木の天使 後半』⑤

 

 混濁していく意識。

 自我の融解、己という存在の摩耗。

 

 有り余る純エーテルの恩恵と害を同時に受けながら悠は笑う。

 

 擦り切れていくのは記憶か神経か。

 バチバチと眼球の奥で散る火花が導火線についた火のように心を焚きつける。

 

「はははははははははははは――――!!!!」

 

 無限に上昇する神秘の火力。

 いまの彼にとって目前の天使は脅威たり得ない。

 

 いくら手足を吹き飛ばそうと、いくら内臓を潰そうと所詮は一時のもの。

 次の瞬間に再生している傷は決定打にならないだろう。

 

 

『ふ、はは、ふはははははッ、ははははははははは――――!!』

 

 

 脳髄に彼女(ユニ)の声が反響する。

 空の果てに手をかけた――向こう側に近付いた影響だ。

 

 彼女からの祝福は否応に増していた。

 その意識がぬるりと頭に滑り込んでくる。

 

『ハルカ、ハルカッ、ああハルカッ!!

 

 この世界を決定的なものにした超常の存在が笑った。

 ひとりの少女を化け物にした元凶が昂ぶっている。

 

『やはりおまえは最高だ!! こんなにも輝かしい! こんなにも鮮烈とは! そっちではもったいない! 早く来てくれ耐えられない! 私はこんなにもッ! 嗚呼こんなにも!

 

 今更なにを、と笑い飛ばす。

 ぐちゃぐちゃに融けた意識が原初の形に凝固した。

 

 数々の痛み、数々の苦しみ。

 それらが人格を削るナイフとなって余分なモノを取り除く。

 

 彼の祝福はふたつあった。

 

 ひとつはこの時代の神秘を司る彼女からのもの。

 純エーテルに高い適性を持ち、それを高水準で扱い、己のものとする才能。

 

 その代償として彼は生前の彼女の感覚に引っ張られている。

 かつて純潔を至高と信じた獣性。

 故にこそ悠は純潔の乙女しかまともに生きられない世界で性欲など持てない。

 己がその至高を汚すコトを無意識のうちに拒んでいるからだ。

 

『愚かだと笑ってくれ! 遅いと叱ってくれ! それでも、ああッ! おまえに言いたい! いま言わなくては敵わない!』

 

 ――もうひとつは、心の奥底に根付いていた生まれつきの反逆衝動。

 

 かくあれかしと望まれるコトが許せない。

 そうであれと願われるコトが耐えられない。

 

 それはこの星に生まれたが故に持たされた祝福だ。

 

 理由のない感情はすべて星の意思によるもの。

 声なき声は、末世に陥った地球(ホシ)が届ける無音の叫び。

 

『――おまえに恋をした。どうか、私と一緒になってくれ、ハルカ――』

 

 

 

 

 そのすべてが、剥がれ落ちる。

 

 

 

 

「ははははははッ」

 

 余計な装飾、後付けだった部分。

 

 身体中を走る激痛に思考が飛んだ。

 頭が随分とスッキリしている。

 

 自分が誰なのか、なにがなんなのかハッキリと分かった。

 

 明確な意識の切り替わり。

 いまの彼は正真正銘飾らない彼そのもの。

 

「――――ホント、遅いな。それは」

 

 眼孔から噴き出た(ほむら)が、悠然と天に揺らめいていく。

 

 生来から埋め込まれた呪いが思想の自由を縛っていたらしい。

 他によって歪められ、介入された思考のまま生きていた少年。

 

 それがこの瞬間だけは、正気に戻った。

 

「もう遅いよ。こんなもの。――こんなコトをしたのなら、もう遅い」

 

 百年の想い、常軌を逸した積年の情。

 

 先に好きになったのは間違いなく彼のほうだ。

 だからこそもう遅い。

 

 彼女はもう彼の知っている人間ではなくなった。

 ならば一体どうして、それでもなお間に合うと思ったのか。

 

「遅すぎたんだ、全部が全部」

 

 幸せの在り方なんていっぱいあっただろうに。

 生きていく方法なんて無数にあっただろうに。

 

 こんな手段を取ってしまった時点で、彼の恋心は跡形もなく冷めた。

 

「――だから、決着をつけよう」

 

 さあ、いざ讃えよ。

 

 見るがいい。

 

 あれなるは剥げ落ちた彼の正体。

 流崎悠なんて名前(カザリ)は嘘だらけだ。

 

 誰かによって介入され、

 誰かによって歪められた仮初めの記号(なまえ)

 

 

 〝ハルカくん――――!!〟

 

 

 樹木の枝葉が襲い来る。

 翼の全て、存在の悉くをかき集めたような一斉掃射。

 それが、

 

 

 〝――――――――、〟

 

 

 大地を震わせる破壊音と共に、成長を止めた。

 

 

「――あっはっは! やってやったよ奔星ちゃん! 見事あーしら()()()()()! やったよね! カガリっち! ……おお! カガリっちに褒められた!」

 

 

 足元の根が断ち切れる。

 

 ボロボロと崩れていく枝葉の幹。

 

 供給源はない。

 彼女の持つエネルギーは正真正銘彼女だけのものとなった。

 

 残された分を贅沢に使うことはできない。

 攻撃に傾けている以上、回復にまわす余分はなくなっている。

 

 

 

 ――――討伐の条件は、此処に。

 

 

 

「――――――」

 

 残された枝葉に刃を通した。

 膨れ上がった樹木が大破する。

 

 手応えはない。

 だからそれが決定的な確信に繋がった。

 

「ああ――」

 

 焼けるように巡り出す熱量。

 爆発的な連鎖増殖をくり返していく純エーテルは彼以外に――いや、彼自身でも耐えられない劇毒だ。

 

 それでもなお正気は融け落ちない。

 決まっている。

 身体中を病に侵されようと生きていた彼の精神は尋常ではない堅牢さ。

 

 たかだか火に炙られるような痛みだけでは、到底悲鳴をあげさせられない――

 

「ああ――――」

 

 痛みが飾りを取り払う。

 熱が祝福(のろい)を振り切っていく。

 

 残ったのは純真無垢な彼の本質。

 

 流崎悠となる前の――――ただのヒトに過ぎなかった、唯一無二の男の子。

 

「――――――――」

 

 枝葉を粉々に砕いて突き進む。

 

 進撃は止まらない。

 止められない。

 

 彼の目はたったひとつ正面の彼女のみを見据えている。

 

 焼かれた脳細胞はすでに超常の声も音も拾わなかった。

 

 ちょうどいい。

 

 耳障りなノイズがないのならこれ以上ないほど思考はクリアだ。

 

 

 

 

 

 ――その名前に込められた本当の意味。

 

 ひとつの時代において正しく選ばれていた命の在処。

 

 運命は彼を射止めた。

 故にこその真なる響き。

 

 彼女の幼馴染みだった()()の彼そのもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――空をれ、闇をき、かに輝く奔星(はしりぼし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 流裂遙(リュウザキハルカ)

 

 その銘を以てして、空色の光が唸りをあげる。

 

「――――いくよ、枯木」

 

 強さで言えばもはや圧倒。

 規模で言えばすでに同等。

 

 格の違いと、それに伴う脅威の度合い。

 その点を考えれば天秤は傾ききっている。

 

 空色の瞳と、紺碧の瞳がぶつかった。

 

「もう辛いだろう。疲れたろう。よく頑張ったよ、十分だ」

 

 〝遙、くん――――〟

 

 ひとときの夢幻。

 儚いまでの淡い光景。

 

 天使の顔に理性が戻る。

 色のない表情に少女の面影が見えた。

 

「だから」

 

 別の可能性、違う世界線なら彼らが結ばれる未来もあっただろう。

 事実そうなってしまう記録を誰か(ユニ)は知り得た。

 

 相性が悪かったワケではない。

 出会い方が違えばなんて、些細なボタンのかけ違いでもない。

 

 ただこの歴史において、紺埜結仁(おさななじみ)が居てしまったというだけ。

 そしてたまたまその少女に、彼が心底惹かれてしまったというだけ。

 

「オレが君に、引導を渡してやる――」

 

 それも消え去ったいま、もはや存在は薄れていく一方だろう。

 

 だから彼自身、二度目はないと悟っていた。

 そのためにもこの瞬間は貴重に扱おう。

 

 たった一度、たったひとり。

 

 知り合いを助けるためなら、最後に力を振り絞るのも悪くない。

 

 

 ――なにより。

 そう、なにより。

 

 

 泣いている女の子を、男の子が見過ごすワケにはいかないのだから。

 

 

 



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6/『樹木の天使 後半』⑥

 

 

 

 

 勝敗は激突する前から決していた。

 

 天使に次の手はない。

 彼の刃は一撃必殺。

 

 大地からの供給、無限にも近いタンクを潰されたあちら側と、

 兆角醒に到り、無限にも近い出力を得たこちら側。

 

「それじゃあな、枯木」

 

 別れの挨拶はいつも通りの気楽さで。

 本当にあの頃に戻ったようなまま、遙は剣を振り上げた。

 

「似合わないコトしないで、今度はちゃんと生きてくれよ」

 

 幕引きの斬撃は呆気なく。

 

 抵抗もなくずるりと沈んでいく刃金の色。

 枯れ木色の身体がバツバツと千切れていった。

 

 ――――天使は笑っている。

 

 涙を流して笑っている。

 

 そっと、その手が彼の頬に添えられた。

 

 

 〝――――――〟

 

 

 その時間は到底幸せとはいえない。

 事実、彼女は自壊を求めるほどに苦しんでいた。

 

 怪物だなんて馬鹿げている。

 本当はそんなコトができる精神性なんて持ち得ていないというのに。

 

 勝手に彼女を祭り上げた誰かには本気で腹が立つ所存だ。

 

 

 〝…………うん〟

 

 

 

 色褪せた思い出はそれでも彼女のなかで鮮明だったのだろう。

 なにひとつ変わっていない少年の顔が懐かしい。

 

 もうずっと昔の話。

 ちょっとだけ乱暴で、けれども命の儚さを知っている、そんな誰かに想いを寄せていた。

 

 ――それが、例えこの末路の引き金になっていたとしても。

 

 

 〝ばいばい、遙くん――〟

 

 

 手放すように意識は解けていく。

 

 すでに命を失った枝葉は木片となって崩れ落ちた。

 異形の怪物、天災の如き生命体。

 

 樹木の天使。

 

 その脅威は、もう二度と振るわれない。

 彼女の餌食になる人間は一人として現れない。

 

「――――は」

 

 木々で組まれた足場の上で、彼はひとつ笑い声をあげた。

 真っ直ぐ頭上を睨みつける。

 

 黄昏色の空と赤銅の雲の向こう。

 感じるのはそのずっと先からだ。

 

 物理的な距離ではない。

 これよりもっと高い次元、異なる世界。

 

「……たしかに、ずっとオレだったよ。おまえのほうに行くのはずっとずっとオレの役目だった。それは間違いないのにな」

 

 幼い頃から変わらない。

 

 彼女にただ認めて欲しくて、

 彼女にただ笑っていて欲しくて、

 彼女のことが好きで好きでたまらなかった。

 

 本当に死ぬまでの間、変わらぬ想いを抱き続けたのだ。

 

 

 

 

 でも、それももう終わり。

 

 

 

「残念だ。見損なったよ。おまえは最低だ、結仁。どうしてそうなった。なんでそういう道を選んだ。おまえはそこまで弱くなかったはずだ」

 

 少なくとも、男一人死んだ程度で変わるような馬鹿ではなかった。

 

「分からないな。さっぱりだ。無くしたものは戻らない。死んだ人間を取り戻そうっていうのは間違いだ。そこが分からない奴じゃないだろう。結仁。オレは生きたよ。生きて命を使い尽くしたんだ。そこに後悔があったとしても、引き摺るようなものじゃない」

 

 振り返ればそれはもう酷い人生だったろう。

 やり直したいこと、無かったことにしたい記憶なんていっぱいだ。

 胸を張って満足な一生だったと言えはしない。

 

 それでも、悪くない最期だった。

 

 だからそれで十分なのに。

 

「もしそれがオレのせいなら、そうだな。ひとつ、決着をつけなくちゃならない」

 

 誰も彼もを巻き込んだ罰だ。

 

 彼女が縋った最期の希望。

 残されていたわずかな願いの欠片。

 

 それがいま叶ってしまっているとはいえ、本当に成就してしまってはいけない。

 

「散々振り回したんだ。オレが始末をつけてもおまえは喜ぶだろうな。だから、おまえに届かせるのはオレじゃない。本当のオレは、もういらない」

 

 因果応報。

 

 それまで好き勝手にやってきたのだから、

 彼女を最期に打倒するのは正真正銘いまの時代の命だ。

 

「泣くなら泣けよ、笑ってやる。どうしてオレがおまえを好きだったと思ってるんだ。どうしてオレがおまえに惚れたと思ってるんだ。――いまのおまえは、醜いよ

 

 憎悪に塗れた言葉を、過去の最愛の人に贈る。

 

 本当に馬鹿らしい。

 なにをどう考えたのか知らないが、最早言い訳のしようもなく手遅れだ。

 

 たったひとりの人間を掴むのに何人犠牲にしたのか。

 どれほどの命を無為に散らせたのか。

 それほどまでの価値が己にあると本気で思っていたのか。

 

 まったくもって阿呆の極みだ。

 世界と故人を天秤にかけて世界を捨てるなどと。

 

 そりゃあもちろん、百年の恋だって冷めるだろう。

 

「じゃあな、バカ。もう二度と会うこともないだろうよ。せいぜいオレの残り香でも影でも追ってろ。そうして盛大に破滅するがいいさ。見えないものを見ようとするやつってのはどいつもこいつもそうだろう? おまえもそのひとりになって死んでしまえ」

 

 全身から力を抜いていく。

 意識はパラパラと完成したパズルをひっくり返すように沈みだした。

 

 それはきっともう二度とは戻らない感覚。

 脆いピースは落ちた瞬間に砕けて粉々に。

 

 ――急速な落下。

 

 どうにも足場の枝葉が完全に崩れたらしい。

 けれどもまあ、地上には沢山彼の知り合いがいるだろうし。

 

 やっぱりオレは、この時代に要らないだろうと。

 

 

 

 

「――おまえとなんか、出会わなければ良かったんだ」

 

 

 

 

 記憶が記録に劣化する。

 

 肉体から浮き出るように剥がれ出るナニカ。

 それが自分自身の感覚だと知ったとき、彼は一切の抵抗を捨てた。

 

 今度こそ、さようなら。

 

 ちょっとばかり騒がしすぎる未来というのは嫌いじゃないけれど。

 それ以上に、最悪だと思う部分が多すぎるからやっぱりダメだ。

 

 泡沫の夢、ひとときの幻想。

 

 

 

 

 

 意識を無くした悠の身体は、真っ直ぐ地上に落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――は』

 

 

 

『は、はははッ、ははははははッ』

 

 

『あははははははははははは――――――――!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――――素晴らしいぃ……っ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何年ぶり、何十年ぶりの快感だ……!』

 

 

『おまえにこれほどの感情、これほどの言葉をかけられたのはいつ以来だろうか』

 

 

『心が躍る。ぞくぞくする。ああ好きだ。やっぱり好きだ』

 

 

『勝手に死ぬなど許せんよ。消えることなど認めない』

 

 

『――ああそうだ、私はあんな別れを、あんな世界を認めない』

 

 

『どうして私だけなんだ? 他の雌どもは全員おまえと結ばれて家庭まで築いて呑気に幸せそうに暮らしておいて、なぜ私にだけその未来が用意されていない?』

 

 

『何百、何万、何億、どの可能性にもそれがない?』

 

 

『ふざけている。おかしいだろう。それが運命なのか? おまえと私が出会えばおまえが先に死ぬのが、そんなくだらない結末が運命だと?』

 

 

『いいや認めない。認めてなどなるものか。おまえは私のモノだよ、ハルカ。私の夫だ。私の恋人だ。唯一無二の私の幼馴染みだ。私だけの奔星なのだよ』

 

 

『それを他の誰かにやるなどと認めない』

 

 

『私がおまえと幸せになれないなどと認めない』

 

 

『そのための祝福だ。そのための贈り物だ』

 

 

『死なせはしない。消させはしない』

 

 

『大丈夫だ、気にするな。私がおまえを守るよ、ハルカ』

 

 

『今度はそう、私の番なのだ』

 

 

『おまえが私を守ったように、おまえが私を愛したように』

 

 

『おまえになんと言われようと、おまえにどれほど嫌われようと』

 

 

『ずっとずっと、私はおまえを愛し尽くそう……!』

 

 

『壊れるほどに、狂うほどに』

 

 

 

 

 

 

 

『それだけが私の、待ち望んだ願いなのだから』

 

 

 

 

 

 



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7/『幕間:遥か昔の回想』

 

 

 

 それはすべてが終わったあと。

 

 功労者である彼はいまだ眠りの中。

 

 ――かすかに残った記憶の残滓。

 少年は、覚めない夢を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、中庭の花壇に行くと先客がひとりいた。

 似合わない金髪と、学校指定の制服を思いっきり着崩した不良っぽい少年。

 

 それが知らない誰かではなく、見知った彼であるコトを確認して声をかける。

 

「遙くん」

「ん? おっす、枯木」

「お、おっす」

 

 ひょい、と手を上げて笑う男子。

 軽薄な挨拶に慣れないまま返すと、その笑みが余計深くなった。

 

「な、なに」

「いや、似合わないなって。枯木、そういうタイプじゃないし」

「……馬鹿にしてるでしょ。私だって、女子高生だし」

「知ってるよ。でもって馬鹿にもしてない」

 

 ……本当だろうか。

 

 疑いの視線を向けてみれば、彼は「悪い悪い」と言わんばかりに顔の前で手刀を切る。

 まったくもって油断ならない。

 

 ちょっと怒りながら傍に座り込む。

 

「……で、なにしてるの」

「草むしり」

「似合わないね。遙くん、そういうタイプに見えないし」

「意趣返しか。なかなか枯木もやるようになってきたじゃん」

「そっちが先に言ったんだし」

「そりゃまあそうだな、うん」

 

 言いながら、彼は軍手越しにざっくざっくと花壇の雑草を引き抜いていく。

 

 見た目は正しくチャラチャラした学生そのものだが、性根はわりと真面目だ。

 というよりその見た目こそブラフと言っても良い。

 

 彼の格好はなんちゃってチョイ悪モード。

 もしくは好きな人の気を引きたい小学生心理の表れ。

 

 試しにと髪を染めてみたとき、幼馴染みから散々嫌味を言われたらしい。

 それならやめてしまえばと思うのだが、どうにも彼はそこまで話しかけてくれた……もとい気にしてくれたことが嬉しかったとのこと。

 

 馬鹿じゃないかな、と失礼ながら思った。

 

「……? どうしたよ、そんなじっくり人の顔見て」

「いや、いつ染め直すのかなーって」

「直さないから。結仁が気にしなくなるまでは」

「え、まだ言われてるの?」

「だって顔を合わせるたびに話しかけてきてくれるんだぞ? めちゃくちゃ得じゃないか。いままで完全スルーだったのに!」

「…………馬鹿」

「馬鹿で結構。幼馴染み馬鹿なんだよなあ、オレ」

 

 嬉しそうに語る彼は本気でその人が大好きなのだろう。

 

 紺埜結仁。

 

 彼と同い年の、隣家に住んでいる女の子。

 容姿端麗、成績優秀、授業態度も真面目そのもの。

 

 女子なら誰でも基本的に優しく接するが、男子には気持ちキツめ。

 なかでも蛇蝎の如く嫌っているのが何の因果か目の前の少年である。

 

 正直、脈とか一切ないぐらいの好感度だ。

 

「……そんな幼馴染み馬鹿の遙くんが、こんなところ居ていいの」

「どういう意味だよ」

「結仁ちゃんなら音楽室だと思うよ。部活中だから」

「……いや、枯木。そんなオレを結仁のことしか考えてねえように言うんじゃないよ」

「違うの?」

「違う違う。というか、結仁のケツばっかり追いかけてもしょうがないし」

「男子サイテー」

「比喩表現だよ」

 

 はあ、とため息をつく男子。

 評価に不満があるらしいが、今更何をというのが正直な感想だ。

 

 学校中はともかく、クラス内だと全員理解しているぐらい露骨なのに。

 

「こっちは趣味だぞ、趣味。土弄りっていうか、花の世話っていうか」

「それは知ってる。一年間もずっと一緒だったし、美化委員で」

「だよな。今更だった。そういうワケで、オレもずっと結仁のコトばっかりじゃないの」

「ふーん」

「……なにその反応。なにそのジト目」

「別に」

「枯木ぃ……」

 

 オレは悲しいよ、なんて微塵も思っていないことを口にする彼を無視して立ち上がる。

 

 とりあえずただ喋っていても――まあ、ちょっと楽しくはあるけれど――わざわざここに足を運んだ意味がない。

 

 少し離れた用具置き場からジョウロとバケツ、軍手を持って花壇に戻る。

 決して彼と会話をしにきたのではなく、美化委員の仕事をしにきたのだし当然だ。

 

「あ、そっちはもう一通り片付けたから」

「そっちってどっち」

「オレから右側。水やりオッケーだ」

「ん、分かった」

「バケツは置いててもいいけど」

「じゃ、あげる」

「あいよ」

 

 ……なんだか、いまのって。

 

「熟練のパートナーみたいだな、オレら」

「は、はあ?」

「ツーカーとまでは言わなくてもああ言えばこう言うみたいな」

「……それ、全然通じ合ってるって意味じゃないよ……」

「たしかに」

 

 はあ、と今度はこっちがため息をつく番。

 

 ……まったく。

 

 本当、彼には幼馴染みのコトしか頭にないらしい。

 

「……ああ。そういえば枯木」

「なに」

 

 少し離れた端の花壇から水やりをはじめる。

 彼の言う通りたしかに雑草は綺麗に抜かれていた。

 

 やっぱり真面目だ、なんて。

 

「オレ、今日誕生日なんだよな」

「へー、そうなんだ」

 

 そう思いながらジョウロを傾けて、

 

 

「――――えッ、誕生日!?」

「うるさっ!?」

 

 あまりにも大きな声が出た。

 ちょっと恥ずかしい。

 

 ――いや、というよりも。

 

「な、えっ、なっ、なんで!」

「え、うん……?」

「私聞いてないんだけど……!」

「そりゃあ、いま言ったから。うん。いまだな、いま」

「――――――」

 

 ……信じられない。

 

 一年間も同じ委員会に所属して。

 一年間も一緒に花壇の世話をしてきて。

 

 いや、誕生日を知らなかった私にも非はあるけれど、まさかこんな形で突然カミングアウトされるとかちょっと嫌すぎる。

 

「なんでもっと早く言ってくれないの……!」

「なんでって、そうそう言う機会もないだろ、自分の誕生日」

「教えてくれたらプレゼントぐらい用意したのに!」

「マジか。惜しいことしたなぁ……いや、別になくても良いが。気持ちだけで」

「私の気持ちは片付かないよ……!」

「それはごめん」

 

 ごめんで済んだら警察はいらない……!

 

 第一、なんでいまシレッとなんでもないコトのように言うのか。

 どういう反応を期待してその話題を振ったのか。

 

 オレ誕生日なんだよね、そうなんだおめでとう、みたいな感じだろうか?

 ありえないよ一年間も過ごしてきた相手なんだけど?

 

「もうっ……今度なにか、持ってくるから」

「いや、いいよ。そんな。どうせそろそろだし」

「そろそろって」

「まあ、なんていうか。お出迎えっていうか、リミット的な。だからいいんだぞ、枯木」

「………………っ」

 

 ……そうだった、と思い出す。

 

 本人が一切顔に出していないので瞬間的に忘れてしまっていた。

 

 本来ならありえない奇跡を目にしていること。

 完全に人間の想定を超えた現象が起きていることを。

 

「でも、そうだな。せっかくだからなんか花でも見繕ってほしい」

「……花?」

「おう。この花壇の奴がいいな。部屋に飾る用で」

「部屋っていうのは」

「察してくれるとありがたい」

「……そう」

 

 余計に申し訳ない気分になるが、彼がそういうのだから仕方ない。

 

 なにより頼まれたことだ。

 なにもしないより全然マシなのはたしかである。

 

 分かった、と頷いて私はぐるりと花壇を見回して、

 

 

「――――――ぁ」

 

 

 ふと目に止まったそれに、とてつもない自己嫌悪の感覚が湧いた。

 

 ……いや、違う。

 あれは違う。

 

 たしかにいまの彼に似合う意味合いはひとつあるが、それもちょっと皮肉めいてしまう。

 

 残りに関してはモロすぎるしアレすぎるし。

 

 うん、ダメだ。

 あれはダメだ、却下、次、またお越しください。

 

「枯木ー? あれだとちょっと、なんだろうな。ストレートだぞ、めちゃくちゃ」

「は、はあ? な、なにがっ」

「いや、だってさ。帰らない人間待つとか、どうなんだよ。淋しいぞ?」

「――――――っ」

「……ありがたい話だけど、運がないな。枯木。もっと男を見る目鍛えなきゃ」

「う、うるさい……っ」

 

 ほんとうに黙ってほしい。

 私のなかではとっくに取りやめになっている候補だから。

 

 視界の隅で忘れるように咲いていた紫色の花。

 よく見なければ雑草と見間違いそうなそれが残っていたのは、世話をしていた彼が知っていたからだろう。

 

 キランソウ。

 

 別名、ジゴクノカマノフタとか、イシャイラズとか、イシャゴロシとか。

 ……まあ、つまり、いまの彼にはそういう意味合いのほうが強いだろうと思って。

 

「ごめんな。でも、仕方ないぞ。こんなすぐ居なくなるような男選んだって」

「だ、だからっ、うるさいっ」

「オレが悪い男の子だったらアレだからな。枯木なんてもうすぐめちゃくちゃだぞ」

「セクハラぁ!!」

「すんません」

 

 思っていたのに、どうやらその真意を透かされたらしい。

 

「……なんで」

「オレが結仁と一緒にいるときと同じ顔してるもんな、いまの枯木」

「っ……」

「そりゃ気付く。でもって参ったなって。勘違いなら良かったんだけどなあ。まさかな、オレの身体のコト知ってる上でそうなるとは思わないわ」

「っ…………!」

「だからごめん。ありがとう。そしてさっさとこんなヤツのこと忘れろ、枯木。悪いこと言わないから。悲しいだけだぞ、オレみたいなのを引き摺ったって」

「それは……私の、勝手、でしょ……っ」

「……そうなんだけどなあ」

 

 ムカつく。

 なにをペラペラと。

 

 大体仲良くなった人間を簡単に忘れられるはずがない。

 ましてや彼はその、なんていうか、初めてのヒトだというのに。

 

 こんな甘酸っぱさよりしょっぱさが過ぎる気持ちとか、知りたくなかった、私。

 

「……枯木泣かせたって知ったら、結仁に殺されるかもな。てかむしろそのほうがいい」

「ばか言わないでよっ」

「ああ、うん。いまのはバカだった。たしかに。……いやでも、男の夢だろ。好きな人の胸で死にたいってのは」

「私じゃだめなの……!」

「だめかなあ」

「なんでッ」

「オレが恋してるのは結仁なので。すまん。許してくれ」

「許さない……っ」

「ヤンデレか」

 

 ああもう。

 

 ほんと、最悪だ。

 

 

 

 

 

 

「……遙、くん」

「ん、どした。枯木」

「私……っ、私、は――――」

 

 ずっとずっと、前から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あなたが振り向いてくれるのを、待っていたから。

 

 

 

 

 




次回よりちょっと長めの箸休め。最後のリラックスタイムともいう。
枯木美智留(カレキミチル)

女子高生。享年十七歳。ハルカくんの元ヒロインその一。花好きな女の子。二年のときに彼と一緒のクラスになりずっと美化委員で一緒だった。とある切欠でハルカの身体のコトを知る。

結仁の居ない世界だとワンちゃんある子。その場合五人の子供に恵まれてハルカくんも健康なままふたりとも元気に過ごします。老後は庭の花壇を世話するのが毎日の楽しみというカンジ。


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8/『脅威は過ぎて①』

 

 

 

 

「――はいっと、無事とうちゃくー」

 

 ふわりと地面に降り立つ影。

 落下する悠を抱えて着地した伽蓮は、いつの間にやら刀を鞘に戻していた。

 

 すでに彼女の殺意と戦意は消え失せている。

 撃破された樹木の天使。

 その残骸が空から降ってくるのもかまわず妃和たちへ足を向けた。

 

「とりあえず誰に渡そうかなー……総司令ちゃんはあーしらに色々嫌味言ってくれたし」

「おい」

「そっちの隊長さんは色々雑そうだし」

「ふむ。聖剣使いに喧嘩を売られるのは初めてだなァ。いや、いいぞ。今此処でしても」

「うーん、君に決めた! 大事にねー、優しくしてあげなよ? 死ぬほど疲れてる」

「えっ、あっ、は、はい」

 

 伽蓮から直々に彼の身体を受け取って抱え直す。

 どうして妃和を選んだのかは……まあ、言葉通りの消去法なのだろうが。

 

「――気をつけなよ。あーしらみたいになると、もう取り戻せないからね」

「……? なにを、ですか……?」

「たしかなカタチ? あたりまえの姿? まあ、アレかな。美女と野獣、カエルになった王子様とかベタだよねベタ! うん!」

「??」

「彼がたしかに今居ることを感謝するよーに、ってコトだよ要は」

 

 くすりと微笑んで伽蓮が妃和の頭を撫でる。

 聞いているばかりではどうにもピンと来なかったが、向こうには直感じみた何かがあったということなのだろう。

 

 その忠告は意味こそ曖昧なくせに、どうしてか含まれたものが重い。

 今居ることを感謝する。

 そっと悠の顔を見れば、彼は戦闘後とは思えないほど穏やかに眠っていた。

 

「……それは、はい。生きているだけ、感謝で一杯ですけど」

「あっはっは。じゃあ、君、そこの彼がたとえば怪物になっても愛せる?」

「あ、愛――――いや、その。……流崎が流崎なら、別に、変わりませんし……」

「ふーん。なるほどなるほど。そっかそっかー」

 

 からからと笑う聖剣使い。

 そっと腰の刀に伸ばされた手がなにを意味するのか。

 

 両者の瞳が不意にぶつかる。

 妃和は不思議そうに見上げ、

 伽蓮は悟ったように彼女を見下ろしながら。

 

「……()()()にはならないようにね」

「え?」

「ううん、やっぱなんでもない。後ろの総司令ちゃんの顔が怖いから、ここらであーしたちは帰るね! 喧嘩したくて来たワケじゃないし!」

「えぇ?」

「おい待て貴様ッ、子波伽蓮!!」

 

 たたっと走りだした伽蓮を呼び止める鋭い声。

 見れば葵が未だ鉄潔角装を解かず彼女を睨みつけていた。

 瞳に宿るのは半分ぐらい本気、半分ぐらい冗談の殺意だ。

 

「なに? どうしたの総司令ちゃん。話聞こっか?」

「貴様ッ――ああもういい。今はどうでも。それよりだ」

「うんうん」

「なぜ今回に限って手を貸した。いつもは助力を求めても戦わないのが貴様らだろうが」

「いやそれは違うケド」

「北極遠征で声をかけたのを忘れているのか。それとも覚えていないか、阿呆め」

 

 ――そう、それは数ヶ月前の話。

 神出鬼没、フラリと現れては思い出したように力を振るう聖剣使い。

 そんな彼女らを戦力としてどうにか確保できないか、と動いたことがあった。

 

 結果は先述のとおり。

 

 一本目は丁寧に言葉を重ねて断られ、

 二本目は逆に会話にならず、

 三本目である伽蓮はこの調子でのらりくらりと躱し、

 四本目はまさかの所在地まで分かっておきながら門前払いという始末。

 

 それが人類の命運をかけた討伐作戦であるコトを理解しておきながら、誰一人として頷かなかったのだが。

 

「あはは。そりゃ無理だよあんな提案。総司令ちゃん、あーしら集団行動できないから」

「なめ腐っているのか貴様?」

「冗談じゃなく本気でだよ? というかそもそもあーしらとそれ以外じゃ見てる景色が違うからねー……対立とか衝突とか正直避けられない気がするっていうか? なんかこう、みんな頑張ってるなーっていうカンジで見ちゃうというか? うんうん」

「やはりなめ腐っているな貴様?」

空の向こう見てきてから言ってね。それがあーしらと手を組む最低条件」

 

 兆角醒じゃないヨ? とご丁寧に説明する伽蓮の心境は如何ほどか。

 こめかみに血管を浮かび上がらせた葵には到底分からない。

 分かりたくもない。

 

「その点、奔星ちゃんは合格ラインだね。あの子は凄いよ、多分生まれ持った素質の時点でその領域。自覚しちゃえばひとっ飛びで導かれる的な。まあ成り立ち的に当たり前なんだろうけども」

「……彼のコトか」

「そうそう。いやほんと、大事にしなよー、奔星ちゃん。少なくともあの子が生きている限り人類滅亡とか絶対ないから。最後の希望だねー」

「…………ほう」

 

 その根拠がどこから来るのかは知らないが、真実だとするとなかなかな朗報だ。

 

 彼の力量に関しては葵も十分理解できた。

 たしかに桁外れている。

 男にしてはとかそういうレベルではなく、生き物として明らかに才能の箍が外れているといっていい。

 

 天才ではなく怪物。

 そんな評価が自然と浮かび上がってしまうぐらいには。

 

「じゃ、ホントのホントに今度こそバイバイってコトで! 奔星ちゃんによろしく! あーしらは旅に出ます。二人旅、新婚旅行? たはー! まだ式も挙げてないのに!」

 

 そう言いながらヒラヒラと手を振って、彼女はひとり去っていく。

 

 傍から見ればその言動は正しく狂っている。

 見えない誰かと一緒に歩いているような姿は歪で不自然だ。

 

 格好もおかしければ、存在レベルで世界から浮いている人間性。

 なのに孤独さを抱えないのは、やっぱりそういうことなのだろう。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 〝――どうしてそう喧嘩腰なの、伽蓮ちゃん〟

 

「えー、だってさ。先に喧嘩売ってきたのはあっちだよ? カガリっち」

 

 しばらく歩いて、後ろに葵たちの姿が見えなくなってきた頃だった。

 タイミングを見計らって声をかけてきたのはもちろん彼女の大切な彼である。

 

 〝大人げないってば。もっと、ほら。オブラートに包むとか……〟

 

「時にはビシッと言った方がいいと思うよ? というか変に優しくして甘えられても面倒だしねー。あーしらはハブられてるワケじゃん?」

 

 〝ハブられてるっていうか……特別扱いっていうか……〟

 

「同じ同じ。歳は取れない、大事なことは話せない。おまけに秘密を知ってその上でこの世界を生きろとか、超理不尽でまじ萎えるわ、ってコト」

 

 ないない、と首を振る伽蓮。

 現状に不満しかないというと嘘になるが、多いのは事実だ。

 

 できるなら本気で殴ってやりたい、喧嘩を売りたい相手は別にいる。

 誰かなんてのはわざわざ口に出すまでもない。

 

 制約のひとつ。

 空の向こうで知ってしまったコト。

 その名前を言うのは、事実上禁じられている。

 

「こんな世界、ぜんぶアレのおもちゃ箱なのにね」

 

 〝でも、生きてることに変わりは無いよ。時間に取り残されても、僕らはまだ死んでないんだから〟

 

「カガリっちのそういう前向きなところ好きだけど、うん。好きだね。愛してるー!

 

 〝ごめん恥ずかしいからあんまりそういうコト叫ばないで……ッ〟

 

「しかしこういうのには弱い。どういうことなのか」

 

 〝ほ、方向性の問題だよ……!〟

 

 方向性の問題なのか、と伽蓮がひとりうなずく。

 

 ……言葉は彼女以外に聞こえない。

 彼の声は空気を震わせることなく伝わってくるもの。

 会話になるのも、それを会話と認識できるのも伽蓮だけ。

 

「――けど、麻奈さんもよく見つけたもんだよね。偶然かな」

 

 〝じゃないかな。少なくとも、あの人が初めて発見してくれてよかったと思う〟

 

「そりゃあーしらの中じゃ一番マトモだもん、麻奈さん。緋波(ひなみ)さんは口数少なくて無愛想だし会話下手だし、(そら)ちゃんは自分以外のために聖剣使うとかしないぐらい執着してるヤンデレちゃんだし」

 

 〝あはは。……そんな可愛いものかなあ、彼女……〟

 

「まあちょっと狂気は感じる」

 

 要するに聖剣使いというのは一癖も二癖もあるような人間ばかりなのだ。

 もちろん彼女含めて。

 この時代においてハイテンションでデートだなんだと騒いでいる彼女は狂っているとしか見られない。

 

「……ほんと、五本目は生まれないと良いんだけどねー。四本目の時点でお腹いっぱいだよ、あーしら」

 

 〝能力が能力だし。……もし彼がなるとすると、本気で強いかも〟

 

「それこそ嫌な想像じゃん。あんなハッピーセットみたいな魂どうなることやらー」

 

 歩きながら、ふと思い返す。

 

 強い願い、強い想い。

 心からの祈りが発露したのがその形。

 

 話し相手である彼は伽蓮(だれか)に手を差し伸べるため、ただその脅威を乗り越えるコトに専心した。

 

 だとすれば、あの少年が芯にする部分がなんなのか。

 どう考えても答えは出そうにないので、一先ず伽蓮はその考えを取りやめた。

 

 全くもって。

 

 そんなこと、本当はないほうが良いのだから。

 

 

 



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8/『脅威は過ぎて②』

 

 

 

 

 それは呼応するように、長い眠りから覚めた。

 

 目を開けたのはいつ以来だろう。

 暗い闇の中で身じろぎする。

 

 大地を削る衣擦れの音。

 やがてそれが息苦しい地中なのだと気付いて、迅速に掘り進める。

 

 かつては誰か。

 いまは何か。

 

 それは熱。

 それは炎。

 それは燃える青い雌鳥

 

 火星の大地を突き破って、異形の焔が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 ふと、目が覚めた。

 

 ガタンガタンと揺れる空間。

 手足の先に伝わる感覚がぼんやりとしている。

 

 どうにも上手く身体を動かせない。

 それは疲労によるものというより、なにかを失った代償じみていた。

 

 なんだろう、としばし考えてみる。

 

 …………結局、答えは出ないので後回し。

 

 瞼を持ち上げてみる。

 視界に映ったのは、寝ぼけた頭でも分かる――知らない光景。

 

「流崎?」

「…………ひ、より……?」

「その、大丈夫か。怪我とか、痛いところとか……ないか?」

「……ああ、平気だな……」

「そ、そうか」

 

 よかった、と安堵する妃和を尻目にあたりを見回す。

 

 全体的に暗い色、ガラスと鉄と合成樹脂と、何人かのヒトの気配。

 背中から伝わる振動は仄かに強い。

 

 妃和の顔が見えたのは彼の体勢故だ。

 俗に言う膝枕、というやつである。

 

「ここ、は……」

「護送車の中だ。総司令が連絡して用意してくれた。いまは流崎が逃げてきた収容所に向かっているところらしい」

「……そうか、あそこに……」

 

 戻るのか、とだけ呟いて視界を落とす。

 

 体力が全快していないのか、それとも別の要因があるのか。

 不思議なコトに気力が一切湧いてこない。

 

 あれだけ必死に帰るまいとしていた施設への帰還。

 本来なら全力で抵抗するところだが、いまはそんな気持ちすら浮かばなかった。

 

「……意外、だな」

「なにがだよ」

「暴れられるかと。……心変わりでもしたのか?」

「さあ……なにも変わってねえハズなんだが、どうにもな……」

 

 自嘲気味に笑う悠。

 妃和から見てもその姿には驚くほど覇気がない。

 羽虫を倒したときも、天使を切り裂いたときもあったはずの力強さが欠けている。

 

 似合わない、と彼女は思った。

 同時に、珍しい彼の姿はちょっとだけ新鮮でもあったけれど。

 

「体調が優れないのか?」

「どうかな、分かんねえ。自分が自分じゃないみたいだ。頭ん中ぐちゃぐちゃで」

「それは……まあ、無理もないだろう。なにせあの枝葉の怪物を倒したのだから」

「――――たお、した……?」

 

 誰が、と続きそうな表情だった。

 なにも知らない、なにも分からない。

 

 本当に本気で引っ掛かる部分がなにもない、と言わんばかりの見事な驚き。

 

「覚えていないのか……?」

「覚えてるも、なにも……俺は、あの天使相手に――――」

 

 

 

 ――――ずきん。

 

 

 

「――――あ、れ……?」

 

 なんだか、

 

 記憶が、

 

 うま――/繋ら、/……ない

 

「俺……は」

「……流崎が、あの怪物を倒したんだ。兆角醒まで使って」

「俺が……? そんな、こと」

「総司令も、甘根隊長も、私も見ていた。あともうひとり、おまえを助けた聖剣使いも」

「…………だめだ、やっぱり。さっぱり。……思い出せねえ」

 

 ずきずきと頭蓋の奥に鈍痛が走る。

 考えれば考えるほどドツボにはまっていくような感覚。

 

 たしかに天使と相対した記憶はあるのに、その後が水で滲んだように不鮮明だ。

 意識もぼんやりしていれば、直近のコトでさえぼやけている。

 

「まだ整理がついてないのかもしれない。時間もそう経っていないからな」

「そう、かね」

「だろう。……ほら、少し休め。あれだけ頑張ったんだ。記憶が混乱するのは、仕方のないことだと思うし」

「…………、」

 

 混乱とはまた違うと彼自身思うのだが、もはや抵抗の意思は薄い。

 返答するのも忘れてただ妃和に髪を梳かれる。

 

 手足は痺れたように動いてくれない。

 辛うじて身体の大事な部分はなにも問題なかったようだ。

 

「……なあ、()()

「ん、どうした」

「名前、呼んでくれよ」

「……流崎?」

 

 ゆるりと彼は首を横に振った。

 違う、といった鋭い視線が彼女に突き刺さる。

 

「悠って呼んでくれ」

「い、いきなりだな。どういう心境の変化だ……?」

「さあ。なんでかな……妃和に、呼んでもらいたくなりやがってよ」

「……おまえは……もう……」

 

 彼の言葉にはそれまでと違う響きがある。

 微妙な差異だ。

 

 妃和の名前を口に出すときの声色。

 

 以前よりずっと大人しく、カッチリとはまるような音。

 思わずはじめて名前を呼んでもらったのでは、と錯覚するほどのものだった。

 

「…………は、悠?」

「もう一回だ」

「悠っ」

「もう一回」

「悠ッ」

「はははっ。――ああ、なんか、いいな」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑う。

 

 分からない。

 理由も現状も全然理解できてはいない。

 

 けれど、それは心のどこかで残していたモノだったのだろう。

 誰でもない今の彼女に〝ハルカ〟と呼んでもらう。

 そんな些細なものを、噛み締めるように笑みを浮かべた。

 

「――なんなのだ。一体……」

「なんでもねえよ。……でも、そうだな……」

 

 話しているうちに眠気が襲ってきた。

 

 どうやらまだまだ休み足りない様子。

 微睡みのなかで留まることすらできない。

 

 落ちるように意識が霞んでいく。

 

「安心、したんだ。ちょっと」

「……?」

「妃和が、悠って言ってくれて。嬉しいのかな。分かんねえ。でもさ、いいや。これ」

「流ざ――……、……悠……」

「ふ、はは、あははは。はははッ――――なんだかなぁ……わりと、好きなんだ……」

 

 その真意は一体なんだったのか。

 回らない頭で考えてもしっくり来る答えは一切でなかった。

 

 瞼を閉じる。

 もう限界だ。

 すでに半分夢の中。

 

 今度はいい夢が見られるよう願いながら意識を手放す。

 

 

 

 だから、きっと彼は知らない。

 自分がなにをしたのかも、己自身がどういう状況なのかも。

 

 ――――ましてや、彼女がその言葉にどんな表情を浮かべたのかも。

 

 ぜんぶ、知らないまま眠りにつく。

 

「…………おやすみ、悠」

 

 頭を撫でる柔らかい手のひらの感触。

 らしくもないことに、その暖かさがずっと続けばいいと彼は思った。

 

 いつまでも、どこまでも。

 

 

 



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8/『脅威は過ぎて③』

 

 

 

 

 ――どこか懐かしい匂い。

 

 ずっとずっと慣れ親しんだ感覚と、久しく使えていなかった柔らかな布団の感触。

 

 瞼越しに入ってくるのは自然の光ではなく電灯のものだ。

 外の世界から完全に遮断された空間では朝の日射しなど望むべくもない。

 

 思えばそう長くはないのに、そっちの方が当たり前になっていた。

 順応力、適応性の高さだろう。

 彼は真実外に出るという行為を認識した上で脱走したのだ。

 

 それも、先日までの話。

 

「――――――……」

 

 ゆっくりと目を開ける。

 意識は浮上するように覚めていく。

 

 身体の感覚は限りなく元通りになっていた。

 護送車のなかで妃和と話した時のような気怠さは残っていない。

 

 ……そして、やはりというかなんというか。

 あたりを見渡せば、そこは――

 

「……俺の部屋、だな」

 

 極東第一男性収容所、アンダー五階。

 地下七十メートルの場所に存在する、純エーテルを限りなく排した世界。

 

 室内には机と丸テーブル、ベッド脇に箪笥と本棚があるぐらい。

 必要最低限の調度品しか置いていないのは悠の性質故だ。

 なにかモノを集めるという性分でもなかったからか。

 

 生活感はさほどない。

 色もない。

 

 簡素で面白みのない部屋だが、これでも施設のなかでは割と()()()部屋である。

 他の男性諸氏はもっと酷いものだと誰かが言っていたっけ。

 

「……しかしまあ、調子が悪くないのは、こう……変だな。なんだか」

 

 一度経験すればありがたみも分かるというものだろう。

 

 頭痛がしない、吐き気がしない。

 なにより空気に苦みがない。

 

 彼らにとって天敵である純エーテルの薄い空気だ。

 悠程度の適性があれば何ら問題の無い濃度である。

 

 それ故に、外の大気がどれだけ汚染されているか理解できた。

 

「そうだよな。――だから出たってのに、また帰ってくるなんてなぁ」

 

 朦朧とした意識のなかで受け入れた事実。

 

 連れ戻されたことに関しては然程問題ではない。

 一度できたことだ。

 彼がその気になればもう一度脱走することだって不可能ではない。

 

 なにより悠も純エーテルの使い方を学んで色々と力を蓄えたのだし、

 となると早速――なんて、体を起こそうとして。

 

「ん?」

 

 ガチャリ、と重い金属音が響いた。

 

 ……手足をぐいっと引っ張り返されるような感触。

 

 その重さには彼自身覚えがある。

 なんの因果か外に出てからの経験が早くも生きたらしい。

 

 見れば、彼の四肢には鉛色の枷が二重三重とつけられていた。

 

「な、んだ……こりゃあ……?」

「――――う、ん……?」

「!」

 

 もぞもぞと布団が蠢く。

 反射的に身構えた。

 

 大きさはちょうど人ひとり、子供ではなく大人サイズ。

 彼に寄り添うようベッドに寝転がっている。

 

「なんだ、起きて――いるのか……」

 

 その、声は。

 

「て、めえ――――」

 

「……ああ、おはよう。悠。久方ぶりだな。いい朝だ」

 

 くすりと、楽しそうに唇を歪めて。

 

 彼女――神塚美沙は、満面の笑みで挨拶をした。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――――どぉいうことだ、なんだこいつは……!」

「ふむ。まあ慌てるな。暴れるな。落ち着け。……ふふっ、忙しないヤツだな、相変わらず」

「落ち着いてられるかよぉ!? 美沙っ! これなんだっ! おい!!」

「じゃあとりあえず、おはようのキスでもだな――」

「美沙ァ!?」

 

 んっ、と顔を近付ける彼女から、

 ぐんっ、と体ごと仰け反らせて離れる悠。

 

 本能からのアラートというか、危機管理能力の高さというか。

 なにはともあれほぼ一秒もない間の攻防だった。

 

 完全に不意を突いた美沙の一撃を避けられたのは幸運としかいいようがない。

 

「なにする!? いやなにをしようとした!?」

「キスだが?」

「どうしてそこで当たり前みてえな顔しやがるッ!! おいッ!! おい誰かッ!! 誰でもいい!! 偉いヤツを呼んでこい!! ここの責任者を出せェ!!

「私がここの責任者だぞ、悠」

「ああちくしょうそうだった……ッ!」

 

 ふふんと自慢げに美沙が胸を張る。

 

 一糸まとわぬ姿で。

 

 先ほどの一連の流れで体にかけていた布団がずり落ちたのだ。

 だがこんなのは想像もできないだろう。

 まさかその下にパジャマどころか下着もなにもつけていないなんて。

 

「――――待テ。オマエ、ナニしてる? なンだソレ?」

「そう見るな、照れるだろう」

「じゃあ服着ろよッ!! なんで全裸なんだよッ!! ふざけてんのかアァ!?」

「なんだ、興味があるのか? ふふ……おまえも大人になったのだなあ」

「誰かァ!! こいつをッ!! こいつを今すぐつまみ出せェ!! 責任者ァ!!

「私だ」

「あぁああぁぁぁああぁああぁッ!!!!」

 

 かつて人類が繁栄していた時代、朝チュンなるものがあったという。

 いまの悠にはちょっと思い当たらないが多分正しくそれだ。

 

 これで彼も裸だとダウトなのだが、そこは無事だった。

 ちゃんと寝間着になっている。

 

 ……いや、つまりは一回脱がされたということなのだが、まさかこのご時世に自分から処女を捨てる人間なんていないだろう。

 

「しかしおまえ、筋金入りだな」

「あァ……!?」

「普通は寝起きで女の裸を見ればちょっとぐらい反応するものだが」

「なにがだァ!」

ナニがだ。いや、本当に驚きでな。まさかこうも勃たんとは。それでも男か?」

 

 なんだろう、悠は一切そういうコトを気にしたことはなかった。

 

 なかったのだが、これはまあなんか、うん。

 多分だけれど、男子としてそんな暴言を吐かれてキレないのはおかしいのではないだろうか。

 

 つまるところ喧嘩を売られているのでは? と。

 

「調子ィ乗ってんなよォ……美沙ァ……!」

「そう怒るな。私としてもちょっと傷付いたのだ。おまえにまだ女として見られていないのだな、私は」

「誰が見るかァ!! むしろ母親だろうがてめえは!! 血は繋がってねえが育ててくれたのはてめえだぞ!? 抱けるかどうかなら抱けるハズねえだろうがバカかよ!!」

「世の中の業は深いものだが」

「俺にはそんな趣味嗜好性癖は()()ッ!!」

 

 そもそも彼自身忘れているが、等しく純エーテルの恩恵を受ける女性を相手に()()コトなんて悠はできないのだ。

 

 嫌悪感、拒否感が高まれば衝動的なものになる。

 適性の高さによる弊害はわりと大きい。

 

 そういった感情を持っても良い妃和相手ですら欲求が微塵もないあたりでお察しだ。

 

「ともあれ、元気そうでなによりだ。短い家出だったな。おまえが帰ってきてくれたのは素直に喜ばしいよ、悠」

「……はッ。そうかい。俺も美沙の顔を見られて嬉しいぜ。そこだけはな」

「そこ以外は不満か」

「当然だろうが。手足は縛られてるし、新種の嫌がらせじみた仕打ちは受けるしで散々だ。なにより前から言ってるが、ここに居るのは俺としても気にくわねえんだよッ」

「嫌がらせではない。私の愛の証明だ。悠」

「寝言か? ちゃんと寝て言えよチクショウ」

 

 手厳しいな、と美沙がくつくつ喉を鳴らして笑う。

 

 ……一体全体なにをどうすればこうなるのか。

 抜けだした当事者である悠からすればさっぱり分からない。

 

 彼のなかの美沙のイメージはもっとこう、ピシッとしていてカッチリした感じの、まともな部類に入る人間だった。

 

 それが今はどうだ。

 例えると酷さが分かるが、いまの彼女は聖剣使い並に話が通じない。

 

 いやそれは言い過ぎか、ちょっと言い過ぎだ、聖剣使いよりはマシぐらい。

 

「そもそもおまえ、帰ってきてまともな自由があるとか思っていたのか?」

「……なるほど、そういうコトか」

「理解が早くて助かる。なにせ一度大脱走をしてくれたのだ。厳重に囲っておかなくてはな? またもや逃げ出したとあっては私らの面子も丸つぶれだろう」

「ああそっちは納得したぜ。当たり前だもんな。そうかいそんじゃあこっちはとりあえず不問だ。おっけぇ。把握した」

「良い子だな、悠は」

「――――問題はてめえだなッ!!」

 

 ガチャガチャと鎖を鳴らして悠が吼える。

 身をよじらせるのはせめてもの抵抗だ。

 

 スキンシップついでに近付く美沙はまだ生まれたままの姿である。

 

 よしよしと頭を撫でながら唇を狙うのはやめてほしい。

 本気でやめてほしい。

 

 なんなのだこの暴走っぷりは。

 発情期なのか、発情期なんだな?

 

 でなければこんな――

 

 ――――こんな。

 

 自分の育ての親が、こんなにバグっているはずがない――――

 

「やめろッ! くそッ! 来るんじゃねえ! いいか美沙! 俺はおまえのことが嫌いじゃねえ! むしろ好きなほうだ! だがこんなのは違うぞオイ!!」

「ストレートに好きと言われるのは、なんだ。照れるな。式はいつにする?」

「やっぱバグってんだろォ!! 人の話を聞けよてめえッ!! ああいいやそれよりも!!」

「なんだ、旦那様」

「――――いいから服を着やがれッ!! 話は全部それからだッ!!」

 

 この痴女が、と悠は心底から思った。

 親代わりだったはずの女性に対して、本気で困惑しながら。

 

 

 



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8/『脅威は過ぎて④』

 

 

 

「――まあ、戦闘部隊の総司令様がふざけた要求をしてきていたりするのだがな」

「……ふざけた要求?」

 

 もぐもぐとプレートに盛り付けられた食事を口に運びながら、悠は首をかしげた。

 

 その肌にはわずかに口紅の痕がある。

 結局強引に襲われてキス魔の餌食になった結果だ。

 

 せめてもの救いはそれで満足したのか美沙の気が落ち着いたことだろう。

 彼女はすでに服を着ていつもの真面目モード。

 食事を摂る悠の様子を静かに眺めながら話を続ける。

 

「オブラートに包まず言うと、おまえを戦力として寄越せとのコトだ。きちんと返してやったんだぞ、なんて要らん理由までつけおって」

「へえ。てことはマジで俺が倒したのか、あの天使」

「おまえが覚えていないでどうする。異形の怪物の親玉、その一匹だぞ。しかも男が決定打となったなら快挙だ。歴史が変わった瞬間といってもいい」

「そんなにか」

「そんなにだ」

 

 イマイチその凄さとやらを分かっていない彼をじろりと睨む。

 もとから名誉にこだわるタイプではないと思っていたが、こうもストレートだとなんとも清々しい。

 取って食えない名誉名声よりいま目の前のご飯が大事とでも言いたげな態度。

 

「……悠はどうしたい? やはり戦うのがいいか、おまえのことだから」

「バカ言うなよ。縛られて戦うなんて御免だね。俺らしくもねえ。そうらしくも生きられねえ。美沙が機嫌悪くする以前の問題だ。こっちからお断りだよ」

「……そうか。それは少し安心できるな」

「かといってここに居るのが良いってワケじゃねえぜ? いつかまた出ていくからよ」

「そのためにコレがあるんだぞ?」

 

 がしゃり、と満面の笑みで悠の手足についた鎖を引っ張る美沙。

 ベッドの脚と彼の身体を結ぶ鉄の糸は人力で千切るのも難しい固さ。

 ましてや基本的に力の弱い男子はどう足掻いても抜け出せないだろう。

 

「はッ――そんなもんで俺を止められるかよ?」

「そうだな。だがそれだけではないよ」

「なにィ?」

「そのために私がいる」

「………………そうかァ」

 

 はあ、と肩を落としながら大きなため息を吐く。

 つまり彼女は監視役も兼ねてここに居座っているというコトだ。

 

 たしかにそれはなかなか辛い部分がある。

 脱走するためには鎖を解いたあとに美沙を越えなくてはならない。

 

 怪物を倒した実績があろうと彼は彼。

 流崎悠は神塚美沙に育てられた子供なのだ。

 

 そのハードルは羽虫や天使とは別方向で果てしなく高かった。

 

「懲りてないんだな、外で苦労したろうに」

「懲りるかよ。むしろまだ足りねえ。まだまだだ。もっとだな」

「バカめ。男のくせになにを言う」

「その男がバケモン倒すんだ。世の中分かんねえよなぁ?」

「……まったくおまえは」

 

 やれやれと頭を振る美沙にこれといった表情の深刻さはない。

 おそらくは彼との問答を最初から予想していたのだろう。

 

 どのような思考回路でどんな選択肢を取るのか。

 長年付き合ってきたが故の経験則だろう。

 

 なんだかんだいって現状悠の一番の理解者なだけはある。

 

 ……先ほどの奇行については一先ず置いておくとして。

 

「完全に自由にするワケにはいかんが、ずっと監禁……軟禁していては身体にも悪い。私同伴なら所内は自由に回れる。運動がてら、他のヤツに挨拶でもしておくか?」

「そんなことするガラに見えるか、俺が?」

「見えないが、おまえはそういう気配りができる人間だろう」

「別れの挨拶もしてねえのがなにを話しに行くんだってコトだ」

「全員おまえが脱走したのは知っているよ。他の男性諸氏も心配している部分があるんだ。あまりストレスをかけてやるな。おまえと違って彼らは弱い」

「弱くねえだろあいつら」

「無茶言うな。おまえ、彼らに怪物が殺せるとでも?」

 

 まあ無理だろうな、という感想は胸の内にとどめておいた。

 たぶん、言わなくても共通認識であることに変わりはないのだから。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 悠を基準とすると盛大に混乱するが、基本的に現代の男子は大人しい。

 というよりも徹底的に元気がない。

 

 いくら地下の世界とはいえ純エーテルはどこにでも存在する。

 濃度の違いはあれどそこは変えようのない部分だ。

 そんな中で生きているのだから、普通の男性は有害性で心も体もボロボロになる。

 

 止まない頭痛、関節痛、吐き気を伴う気持ち悪さ。

 体調不良など当たり前、酷ければ立って起き上がれるだけマシというぐらいなもの。

 

 収容所ですらそうなのだから、彼らが悠のように外へ出ればどうなるか察しもつく。

 

「おー……流崎、戻ってたのか……」

「大丈夫か、流崎。怪我とか、してないか」

「早い帰りだったね。でもよかった。ちょっとだけ淋しかったんだよ」

「そうそう。流崎がいないと、どうにも元気が足んなくてさ」

「元気のあるやつが足んない、ってほうが正しいだろ」

「んだよてめえら。揃って死にそうな顔しやがって」

「「「「「いつも通りのこと」」」」」

「ソウダッタナ……」

 

 なんとも言えず遠くへ視線を投げる悠。

 いや、彼らは悪くないのだけれど、事実なのが本当になんとも言えない。

 

「……ったく。ヒトの心配してんなよ。メシ食ってるか。野宿してた俺より栄養足りてねえとかよっぽどだぞ」

「それはおまえがよっぽどだ」

「野宿したんだ……流崎……」

「大丈夫か、蚊に刺されたりしなかったか」

「流崎のタフネスとおれ達の体力比べられちゃあなー……どうしようもない」

「元気を分けてくれ」

「分けられるんなら全員に分け与えてやるよ今すぐにでも」

 

 低く平坦な声音に囲まれて、悠はいつも通りの調子で言葉を返す。

 

 それぞれ程度や形は違えど気にしてくれていたのだろう。

 同じ男として思うところはあるものの、彼は彼でここの最年少。

 おまけに元気がある子なのだからちょっとした弟感もあった。

 

 結果として男子同士の仲は然程悪くない。

 むしろ良いぐらいだ。

 

「ともかくおかえりだな。もう無茶すんなよ」

「流崎は本当すぐバカやるからなー……昔っから」

「自重は大事だぞ。うん。罰が当たってからじゃ遅いし」

「言っても無駄だ、無駄無駄。だって流崎、もう目が脱走してるもん」

「なんだよ目が脱走って」

「たしかに今すぐにでも逃げ出してえが生憎とこれでよ」

「「「「「……ああー……」」」」」

 

 手枷足枷を見て納得する面々。

 それもそのはず、彼らだってここ最近の所長サマを見ているのである。

 主に悠が居なくなってからの彼女を。

 そして現在進行系で五歩ぐらい後ろの柱の陰に隠れている彼女を。

 

「ご愁傷さま。神塚所長と幸せにな……」

「骨は拾って……じゃない、おめでたの時には呼んでくれよな。体調が良かったら顔出すから」

「指輪も手作りするの、流崎?」

「一生ペットとか奴隷とか言わないだけマシかも。まあそんなコトになったら大問題待ったなしかもしれんが」

「でもお似合いだから心配すんなよ。うん。おーるぐりーん」

「勝手言うなよまだなにもしてねえしなにも決まってねえしついでに予定もねえ」

 

 ペット云々奴隷云々に関してはそんなコトを宣った瞬間に暴れるであろう悠である。

 

 現状でも反逆衝動が疼いているのだ。

 それを我慢せずに発揮して良い状況なんて、なった瞬間にすべて崩れ去る。

 

 つまるところ歯止めが利かなくなるのが目に見えていた。

 

「……そういや、佑麻(ゆうま)のヤツはどうした? あいつはまだ立って歩けるぐらい元気だろ。ここには見えねえが」

文月(ふみつき)なら部屋。たぶん絵ぇ描いてるな」

「まだやってんのかぁ……」

「おまえが脱走したときも無心で描いてたらしいから。珍しいっつうか、筋金入ってるよな文月も。おれ達にはもうすでにそんな気力ないというのに」

「頑張れよてめえらも。同じ男子だろうが」

「一緒にしないでほしい」

「悪く言ってるわけじゃないぞ。自覚してくれという意味で」

「流崎、おれ達は辛いよ……」

「なんか、すまん」

 

 ぺこりと頭を下げると乱雑にわしゃわしゃと撫でられた。

 

 体調の悪さというのが如何ほどのものなのか悠には想像がつかない。

 けれど自分の何倍も生きづらいであろうコトは確実だ。

 

 それでもこうして話せるあたり、精神性の強靱さはとてつもないと見るべきか。

 少なくとも弱くはないな、とやっぱり思う悠だった。

 

 

 

 

 



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8/『脅威は過ぎて⑤』

 

 

 

 

 ――例えば。

 

 散々何事かと言われてきた悠だが、これでも彼自身まともな部類に入ると思っている。

 

 才能、素質の面は抜きにしても彼の性根は特別おかしなものではない。

 せいぜいが突き抜けているだけで、ありふれた方向性なのは確かだ。

 

 反抗心、敵対心というのは得てして誰にでも灯るものだし。

 なによりこんな時代において立ち向かう意思を持つのはおかしくないことだろう。

 

「――――――」

 

 結論として、流崎悠という少年を真っ当に評価すればたしかにまとも寄りだった。

 色々特筆するべき部分はあるだろうが、それにしたってそうそう理解の範疇は出ない。

 

 ――だからこそ、彼から見てもそれは余計に。

 

 部屋中に散らばった紙と絵の具。

 ベッドから壁まで無数の色に埋め尽くされた光景。

 

 その中央で、キャンバスに向かって筆を走らせる姿がある。

 

「……ったくよぉ」

「? その声は、なるほど。悠だ」

「なぁにがなるほどだ。画家気取りめ」

「ベレー帽でもかぶったほうがいいかな。今度取り寄せてもらおう」

「もらってもかぶるよか書く方に集中するだろどうせ、おまえは」

「それもそうだ」

 

 くすりと笑って顔をこちらに向ける青年。

 

 歳の程は悠の二つか三つほど上。

 大人しめの雰囲気と、それに拍車をかける線の細さ。

 

 前髪は目が隠れるほどに伸びている。

 その隙間から見える分厚い眼鏡がさらに陰鬱さを強調していた。

 

「いいもんできたか、佑麻?」

「どうだろう。あまり気にしなかったから分からない」

「へぇ、そうかい」

「趣味だからね。楽しくなくっちゃ意味がないだろう?」

「そりゃまあそうだが」

 

 果たして一日の大半を費やしているコトを趣味と呼んでもいいものか、と悠は首を傾げる。

 

 朝起きてから夜寝るまで描いているのは当たり前。

 目を離せば一食二食抜いていることだってザラというのがこの男だ。

 担当の職員が必死に食べさせようとあたふたしているのを何度か見たコトもある。

 

 ……もっとも、それでもまだマシな方なのだが。

 

 紙とペンがもらえないと思っていた頃は、それこそ自分の指を切って壁紙に血で描くなんて狂った事をしていた奴である。

 

「調子は……って、おまえは聞く意味ねえか」

「そうかな。なんだかちょっと残念だ。少しは心配してくれてもいいと思う」

「言っとけよ。基本的に純エーテル関係なくボロボロなくせしやがって」

「いいや、わりと最近はいいんだ。こう、筆が乗りやすいから。たぶん健康じゃないかな」

「………………、」

「そんな〝嘘をつけ〟みたいな目で見られても」

 

 少なくとも健康と胸を張っていえる人間は隈などつくらない。

 その中でも青白い顔をしている奴は論外だということを此処に記しておく。

 

「まあいいや。メシは食ったのかよ。昼過ぎてるが」

「ああ、まだだ。忘れてた。また怒られるところだったよ」

「なんだ、ついに怒られるようになったのか、おまえ」

「そうなんだ。この前なんて悠が脱走しててんやわんやだったから二日とちょっとご飯を食べるの忘れてた。流石に意識が朦朧として」

「なにやってんだてめえ!?」

「集中しちゃって、つい」

 

 つい、でやるようなコトじゃない、と悠はため息と共に肩を下ろした。

 彼の場合何日かご飯を食べていないということはその間の睡眠も取っていないということだ。

 

 男とはいえ適性が少しでもあれば純エーテルによってできる無茶である。

 普通の人間なら即座にぶっ倒れるところを治癒の応用で耐えられてしまっているからだろう。

 

「しっかりしろよ。他のヤツらもおまえの姿見てねえって言うし」

「ああ、みんなには挨拶してきたのか。それで僕にもなんて、真面目だ。でもって律儀だね。悠は」

「うるせえ。美沙に言われたから成り行きでだ。なんだどいつもこいつも。いきなりここを出ていったの怒ってんのか」

「まあ、話しもせずに脱走したのはちょっと傷付いた。悠との秘密なら僕らは喜んで隠し通すし協力だってしたのに」

「馬鹿言えよ。たかだか野郎ひとり死にに行ったようなもんなのに」

「じゃあなんで帰って来たんだ?」

「連れ戻された。ボロボロになったところをな」

「納得いった。そこまで粘るのはやっぱり悠ぐらいなものだろうな」

 

 彼の中で悠がどういう評価をされているのかちょっぴり気になる口ぶりだったが、そこはあえて気にしないでおくコトにした。

 

 まあ粘ったかそうでないかで言えば彼なりに粘ったのは事実だし。

 結局は悠の認識でいうと()()()()()()()()()()()疲れ果ててこの有様なのだから。

 

「でも、僕の心配より自分を大事にしなよ。悠はわりと、周りで君を大事に思ってる人のコトを忘れるときがあるから」

「肝に銘じとく。ありがとさん、っと」

「……あれ、なんだ、もう行くのかい」

「顔見に来ただけだ。元気そうならそれでいい。職員呼んでくらあ、メシ食ってねえことは告げ口しといてやるぜ」

「うん。じゃあね。また」

 

 ひらひらと手を振って見送る佑麻。

 その手にはなにも持っていない。

 

 先ほどまで握られていた筆はどこかへ消えたようだった。

 思えばいつから持っていて、いつから持っていなかったのか。

 

 ちょっと疑問に思いつつも、まあいいか、と悠は扉を出る。

 外で待っていた美沙を伴って、ふたりは次の目的地へと向かうことにした。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 最後に訪れたのは収容所の地下最奥。

 何重もの扉を抜けた先にある病室だった。

 

 いくら濃度が薄いとはいえ適正値のほどは人それぞれ。

 中には男で適性も低いという死亡まで一直線な人間だっている。

 

 そんな彼らを保護しているのがアンダー十階。

 地上とは比べものにならないほど純エーテルが混ざらない世界だ。

 

「……悠。おまえ、逃げたんじゃなかったのか……」

「色々あって出戻りだ。本当は帰るつもりなかったんだけどな」

「そこまでにしとけよー……所長が怖い顔してるわ。はは……あー頭痛い……」

「大丈夫かよ。無理せずにな」

「いやいや、流崎がいると、ちょっとは気分がいいんだ。おまえ、少し前だろ。帰ってきたの。その頃から喋れる程度には元気も出てきた」

「マジか。俺って凄えのな。空気清浄機みたいじゃねえか」

「ははは。なんとなく言えてる」

 

 果たしてそれが彼の適正値によるものなのか、多大な恩恵によるものなのかは分からないが。

 

「なんだったら手でも握ってやるぜ」

「おお、マジか。たすかるー。握れ握れ。ほれ」

「いや効くのかよ」

「効く効く。スゲー効く。絵面は地獄だけどなあ」

「絵面よか命だな。おら手ぇ出せ野郎ども。シェークハンドだ」

「さんきゅー……、……おお、なんだか頭がスッキ――あ、待てこれ痛い。待て待て痛いぞ流崎っ、おまえっ、ちょっ握る力強ッ!?」

「ひひひ」

「この悪ガキィ……! 嘗めてると吐血(ゲロ)るぞォ……!」

 

 すまねえ、と謝りながら力を緩めた悠がぶんぶんと手を振る。

 それで本当に辛さが薄れるのだろう。

 先ほどまで眉間にシワを寄せていた彼らの表情が、少しだけ柔らかいものに変わった。

 

 悠自身によってもたらされるもの。

 その恩恵を身近で見てきた美沙からすれば、彼をどこかに送り出すなど言語道断だ。

 

 やはり戦闘部隊のバカ共にやるわけにはいかない、なんて。

 

「なんならここで寝泊まりしてくれよ。つかずっと添い寝してくれ」

「そりゃ御免だ。あいにく動きを制限されるのは好きじゃない。なんならここからも飛び出してえワケだ。すまねえよ、許してくれ」

「おのれ自己中……いや、じゃねえと流崎らしくねえけどよ?」

「はははっ、そういうこったなァ」

「まあ、俺らもおまえの人生潰したいわけじゃないし、好き勝手やればいいさ。ていうかまともに人生送れるのがおまえだけだから、半分望み託してるみたいなとこあるし」

「んじゃ期待に応えて二回目の大脱走計画立てねえとなァ!」

「流崎、後ろで所長が睨んでるぞ」

「………………、」

 

 ……その前に、彼自身をここに留められるよう色々しなくていけないようだが。

 

 

 



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8/『脅威は過ぎて⑥』

 

 

 

 

「……、ここ……であってるだろうな……?」

 

 地図を片手に正面の建物を睨む。

 

 生活圏とは少し離れた場所にある巨大施設。

 周囲には分厚い壁と、水をたっぷり入れられた水槽。

 

 一箇所だけ無理やり直した形跡があるが、あれは悠が脱走時に開けた坑だろう。

 

 聞いていたとおりでなんという無茶か、と呆れながら歩を進める。

 外の門から入り口までの長い水中通路を進めば、そのままロビーに出た。

 

「あら、貴女……」

「? ああ、すいません。ええっと……面会したい相手が」

「悠くんよね!」

「えッ、あ、はい!」

「ちょっと待ってて! すぐ段取りするから! ――引き渡しのときに一緒に居た子よね!? 大事そうに悠くん抱えてきてくれた!」

 

 だだっと走り去っていく受付の職員。

 覚えられていたのは幸か不幸か。

 個人的にその印象で知られているのはちょっと恥ずかしいな、なんて思う妃和である。

 

 とくに悠を大事に、というあたりが。

 

「ねえねえ司令室ー! 悠くんのフィアンセ来てるー!

「ちょッ!?」

「しかも隊服じゃないからプライベートよプライベート! はやく繋いで待たせちゃうから! ほらほらっ! あ、所長は黙っててください!」

「いや待ってください! 本当に! あの、私と()はそういうんじゃ――」

「悠ですって! きゃーーー!!」

「どういう反応でしょうか!?」

 

 たしかに私服で来ているがこれにはワケがあってのコトだし。

 そもそも名前で呼んでくれというのは彼の要望であるのだし。

 

 何故にこうテンションが跳ね上がっているのだろう、と妃和は困惑するばかり。

 

 ……なお、司令室がそれ以上の混沌に満ちているのは誰かさんの名誉のため秘匿とする。

 婚約者とか許嫁とかちょっと彼女的に認めがたい代物なのだ。

 

 多分、きっと、めいびー。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――悠。お客さんだ。いいか」

「…………客ゥ?」

 

 ごそごそとベッドから起き上がりつつ、悠は扉越しにかけられた美沙の声に首を傾げた。

 

 彼が収容所に帰ってきて二日目。

 色々と見て回った翌日のコトである。

 

 ここを訪れる人間は極めて少ない。

 中でも男に会おうなんてのは()()()()のを除いて年に数回あるかないかだ。

 

 一体何事だろう、と考えながら適当に「おう」とだけ返事をしておく。

 

「……入れていいのか?」

「? いや、来てんだろ。入れなくてどうすんだよ」

「本当にいいのか? おまえ、もしかしたら襲われ――」

「そんなコトしませんがッ!?」

「…………あぁん?」

 

 と、そこで聞き覚えのある声が耳朶を震わせた。

 時間があいたとはいえまだまだ記憶には新しい。

 

 勘違いでもなければその音は彼の知る中でひとりだけである。

 

「客って、なんだ。妃和か」

「……ほう、妃和……」

「な、なんですか」

「随分と親しいようだが。……ああそうだ。この前もすぐ傍でうちの悠を支えていたな。一体どういう関係だ、巴嬢」

「か、勘繰らないでください。彼とは、別に……なにも」

「いいから入って来いよ。妃和に警戒するコトなんかねえし。心配要らねえ、大丈夫だ。妃和は俺のお墨付きやってもいい」

 

 からから笑う少年は事の重大さ……もといふたりの間に飛び散る火花が見えていない。

 

 もっとも部屋の中からでは見えるハズもないのだが。

 なんなら真ん前にいても実際飛び散っているワケではないのだが。

 

「……私はここで待っていよう。部屋の中にはカメラもある。おかしな事をすればすぐに分かるぞ。貴重な男だ。気をつけて接するように」

「……わりと長い間、一緒に居たのですが」

「なにか言ったか?」

「いえ、なにも。……その、入るぞ。悠」

「おう。入れ入れ。なんもねえけどな!」

 

 ガチャリ、と扉が開いていく。

 

 室内を照らす薄明るい電灯。

 地上の何倍も純エーテルがない空気。

 

 待ち構えていた彼はすこし驚いて、

 足を踏み入れた彼女は相手を見つけてほっと一安心しながら。

 

 逃亡生活を共に過ごしたふたりは、示し合わせたように頬を緩めた。

 

 ……ばたん、と背後の扉がゆっくり閉められる。

 

「……久しぶりだな。どうだ、その、調子は」

「ピンピンしてるよ。ここだと尚更な。そっちはどうだ。具合は」

「身体はとくに問題ない。傷は残っているが、体調は悪くないんだ」

「そうかい。そりゃあなにより」

「私もだ。……ああ、うん。元気で良かった」

 

 たしかめるように呟いて、妃和はひとつ息を吐いた。

 

 気を失った彼を運んだのは彼女である。

 一度起きたものの、その後はずっと泥のように眠っていたコトが心配だったのだろう。

 

 動いている姿を見てようやく、といった心持ち。

 

「にしても急だな。制服も着込んでねえし。休暇でも貰ったのか?」

「いや、クビになった」

「へえ、クビ。…………クビ? 辞めさせられたのかよ?」

「この傷だからな。戦闘部隊の人員として不適格として総司令直々の決定だ。戦えない人間を参加させても無駄死にさせるだけだと」

「けッ、よく言うぜ。人手欲しさに俺をどうこうって言ってるヤツらがなにをって話だ」

「それは悠が戦力として求められてるからだろう?」

 

 それはまあそうなのだが。

 イマイチ納得いかない、と不機嫌そうに顔をしかめる悠である。

 

 たしかに片腕がないのは痛いだろうが、それでも一応現役の隊員であった妃和だ。

 リハビリをすればなんとか出来ないコトもないだろうに、と。

 

「もともと私の鉄潔角装は二振りだ。そのうち一本しか出せなくなった。質も大幅に下がっている。いまの私の武器は木より脆い」

「……そいつも怪我の影響か?」

「おそらくは。……だから、仕方ないと言えばそうなんだ。こんな私じゃ、怪物相手になにもできないだろうから」

「………………、」

 

 彼が斃した天使はおろか、羽虫ですら粘れるかどうか分からない。

 

 万全の状態で部隊を壊滅させれらた記憶がふたりの間に蘇る。

 

 結局のところ窮地を乗り切れたのは誰の力によるものか。

 怪物にトドメをさしたのは一体どこの誰だったのか。

 

 考えなくても理解できる。

 必要なのはどちらかと言えば――

 

「……それで、そんな格好でウチに来たわけか」

「まあな。……その、なんだ。変、だろうか」

 

 きょろきょろと視線を泳がせる妃和。

 先ほど悠も一瞬気を取られたように、本日の彼女は制服ではなかった。

 

 大人しめの色でまとまった比較的暖かそうな服装。

 コートとマフラー、ブーツというのは脱走中の悠の格好にも少し似ている。

 

 違うのは色合いと着こなし方ぐらいだろうか。

 黒とは違う、ベージュっぽい色味はいまの彼女の雰囲気によく似合っていた。

 

「変ではねえよ。安心しな可愛いぜ。こうして見ると美少女ってのがよく分らあ」

「び、美少女って……言い過ぎだろう、それは。流石に」

「言い過ぎなワケあるか。良いだろ、褒められて損するコトなんざねえんだし。素直に受け取ってくれよな。わりと本気だ、俺は」

「……そういうコトをさらっと言うな……ばか……」

「あっはっは。照れんな照れんな。顔が赤いぜ美少女」

「悠ッ!」

「あっはっはっは」

 

 新鮮だからというのもあるだろうが、実際可愛く見えるのは本心からだ。

 

 制服で見慣れていた彼女のプライベートな姿である。

 その時は薄れていた年頃の少女らしさというものが溢れていてなんともらしい。

 

 個人的に悠としてはこっちのほうが良いな、なんて素直に思ってしまったほどだ。

 

「――けど、そうか。戦う必要がなくなったワケだな。これからどうすんだよ」

「……それを悩んでいてな。家にいても仕方ないから、おまえと話ができればと思って来たんだ。色々とアクシデントはあったが……」

「アクシデント?」

「まあ、なんだ。ここの職員と所長は、おまえのことが大好きなんだな……」

「……あー……うちのアホウどもが揃って悪ぃ。こういうところで生活してるからテンションおかしいんだ。許してくれ」

「そこまで気にしているワケではないよ。むしろ少し良かった。おまえにとってたしかにここは良い場所だったんだな」

「……そうだな」

 

 頷きつつ、わずかに悠が笑顔を浮かべる。

 

 彼の心情は妃和も理解していないワケではない。

 胸に浮かんだ反逆衝動の話も聞いていた。

 

 だからこそなのだろう。

 その気持ちが、なんとなくいまは読み取れた。

 

「……おまえとは、また違う話だけど。私も幸せなところから逃げたい気持ちっていうのが、ちょっとあって」

「……へえ」

「なんだろうな。生きているのは、やっぱり辛いだろう。だから、そういう思いをしてないと、どうしても息苦しくなって」

「それで戦闘部隊に入ってたってところか」

「まあ、そうだな。多分、そうなんだろう。……結局、死ぬまで苦しんでいたいんだ。そのために、戦うことは、ちょうど良かったんだろうな……」

 

 例え、その思想が間違いだらけの歪なものだとしても。

 

「本当、私はどうしたら良いんだろうな。そのあたり、なんだかよく分からなくなった」

 

 彼女の心を支えてきたものであったのは、間違いないのだから。

 

 

 



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9/『急接近①』

 

 かつて、少女は幸せになりたくないと語った。

 

 その言葉を悠はずっと覚えている。

 抑えきれずに溢れた本音。

 真意のほどはともかく、声に乗せられた気持ちに偽りはない。

 

 今だってそうだ。

 

 本気で首を傾げて、

 本当に困ったように眉尻を下げて、

 

 妃和は傍から見ても下手くそな笑みを浮かべている。

 

「…………、」

 

 全くもって馬鹿らしい。

 まともじゃないのは、ズレているのはどちらなのか。

 

 最早見過ごすことのできない彼女の歪み。

 きっとそれは一朝一夕でできたものでもない。

 長い時間をかけてつくりあげられた欠陥は、きっともう心に溶けこんでしまっている。

 

「……つまり、なんだ。痛いのが好きなのか、妃和は」

「そんなワケないだろう。痛いのも、苦しいのも、好きになんてなれない」

「じゃあ傷付くのが好きなのか」

「同じだ。傷をつくって喜べるのはそれこそ甘根隊長とか、そのあたりの人たちだけだ。私はそこまで螺子が外れているつもりでもない」

「じゃあなにが」

「好きなんじゃなくて、辛いんだよ」

 

 目を見開く。

 ちょっと、あまりにも衝撃だった。

 

 彼女の顔はなんとも弱々しくて。

 なんだか、迷子になった子供を思わせた。

 

「辛くないのは、辛いんだ」

 

 だから苦しむほうが良いんだよ、なんて。

 そんな馬鹿げたことを言いながら。

 

「…………おまえ」

「いい、分かってる。変だろう、こんなのは。……でも、しょうがない」

「なにがしょうがないんだ」

「本当に心が締めつけられてしまうんだから、しょうがないだろう」

「――――――――」

 

 どこか諦めまじりの微笑。

 助けてほしいとさえ彼女は願わなかった。

 

 ただそうであるというコト。

 自分自身がそんな生き物であるという告白。

 

 ……まったく、おかしいのはどちらだというのか。

 

「ずっとずっと、そうだった。私の中では大事な思い出があって、消えない記憶があって。何度も夢に見る。何度も、何度も。瞼の裏に、焼き付くぐらいに」

「……そいつは良い夢か、悪い夢か」

「良い夢だよ。少なくとも私にとっては」

「妃和にとって()か」

「そうとも。だって、忘れていないコトを自覚できる。まだ心に残ってるコトを確信できる。大事なものが、消えて薄れていないんだって、安心できる」

 

 燃える集落。

 融けていく村の人たち。

 

 空にはふわふわと浮かぶ影があって、

 たったひとり残った自分だけが炎の中で生きていた。

 

 悲鳴と、慟哭と、助けを求めて重なる声。

 

 きっと一生忘れない。

 忘れるコトなんてできない。

 したくもない。

 

 それが根底にある、彼女の歪んだ願いの源。

 

「けど、もうダメだ。ああそうだ、全部が分かってる。命は大事だ。無駄にできない。でもただ生きていくなんて無理だ。何もせず生き長らえるなんて耐えられない」

「……矛盾の塊だな、妃和」

「だから、よく分からないと言っただろう。私にはもう、さっぱりだ」

「…………、」

 

 思考回路のブレ、歪み、震え、ノイズ。

 自分の意思によるものと、それを否定するような別の衝動。

 

 それは彼にだって存在する頭のエラーだ。

 まったく同じではないだろうが、その気持ち悪さを悠は知っている。

 

 相反する思考が中でぐちゃぐちゃになっていく感覚。

 脳髄をミキサーにかけれられてもあんな風にはならないだろう。

 

「……けどなァ。そう難しい話でもねえ気がするぜ、俺ぁ」

「え……?」

 

 でも、それは彼特有のものだ。

 くり返すように妃和とは違う。

 

 彼には彼の抱える欠陥があって、

 彼女には彼女の抱える欠陥がある。

 

 生まれ育った環境もなにも違うのだから、そこが同じであるハズがない。

 

「要するに、おまえ。妃和、幸せになっちまえよ」

 

 くつくつと笑いながら。

 悠はなんでもない回答を返すかのように、そう告げた。

 

「辛くないのが辛いなら、じゃあどうやっても辛いじゃねえか。なにを複雑に考えてやがる? それならおまえ、ただ生きてるだけでもう十分だろ」

「そ、れは……」

「普通に過ごしてりゃ辛くて苦しくてそのままお陀仏だ。悲しいもんだね。救いもなけりゃ残るものもねえ。どう足掻いてもな」

「……たしかに、そうかもな」

 

 なるほど、なんて素直に頷く妃和。

 

 疑う余地などない。

 彼女はいまの助言を本気で受け取ったのだろう。

 

 悠からしてみれば、めちゃくちゃ腹立たしいことに。

 

「ありがとう。ちょっとだけ、分かった気がする。そうか、難しく考えすぎてたな。私、生きてるだけでもう十分なんだな。……ああ、それは、とても良いことだ」

「――――――――」

 

 一体、なにが良いことなのだろう。

 

「妃和」

「なん――」

 

 ふと。

 

 急に、身体を引かれた。

 

 前にもこんなことがあった気がする。

 ……あれはいつだったろう。

 

 考えるよりも先に彼女は悠の腕におさまって。

 

「なんつうか、でもな」

 

 吐息が重なるほどの至近距離。

 すぐ傍から彼の心音が聞こえてくる。

 ならたぶん、妃和のそれも向こうには伝わっているハズだ。

 

「おまえがそうなるのは、とんでもなく嫌だな。俺の勝手な意見だけどよ」

「――――――…………、」

「てめえの心情だし、てめえの悩みだし、てめえの持った性だ。好きにしろ、良いようにやれって感じなんだけどなぁ……どうにも」

 

 渇いた笑い声は自嘲を含んでのものだろうか。

 顔が見えないので、イマイチ妃和には分からなかったが。

 

「あるもんだなあ、自分(てめえ)より重いモン」

 

 背筋を走る痺れるような感覚は、間違いなく心をかき乱す原因だった。

 

「は、るか」

「なんでこうなっちまったかね。俺自身、ワケ分かんねえけど」

「はッ、え、や、なに、が――」

「俺、おまえのこと好き過ぎじゃねえか?」

「い、いきなり言われても知らないが!?」

「知っといてくれ。頼むぜマジで。ほんと。口に出すのもどうかって思うけどなぁ……」

「じゃあ言うな……まったく……」

「ところで妃和は」

「なんだ」

「いや、どうかなと」

「…………、」

 

 視線を感じる。

 こう、なんだか圧力的な何かの込められたものが。

 

 俺は言ったんだから、というコトだろうか。

 

「……おまえと、話してると」

「おう」

「心底、辛い」

「なるほど。妃和」

「…………、」

「ちょうど良いからふたりで旅にでも出ようぜ」

「急だな!?」

 

 よいしょ、と立ち上がる悠と、その腕に抱かれる妃和。

 もはや慣れたものであるお姫さま抱っこに取り乱す様子はない。

 

 というかちょっと堂に入っている。

 彼の腕にあまり負担がいかないよう位置をズラしているあたりとか特に。

 

「待て待て待て! ちょっと待て! 落ち着け! ――あああなんか扉からすごいノック音が!」

「悠!! 悠ァ!! ああ嫌な予感がしたワケだ聞こえたぞお前ェ!!」

「だっはっは! 思い立ったがなんとやら! 行くぜ妃和ィ!!」

「すとっぷ!? すとーーーっぷ!! 頼む! 悠! まずい! これはまずい! そもそも私頷いてもないのに!?」

「嫌なのかァ!!」

「嫌ではないんだが、ないんだがな? うん。時と場所が」

「言ってられっかそんなことォ!!」

「わーーー!! わーわー!! ああ頼む! 頼む悠! 待ってくれダメだやめてくれ本気でまずいから!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしくなるアンダー五階。

 結局のところ妃和による必死の説得で脱走計画は中止となったが、彼を縛っていた拘束具に関してはどうなったか言うまでもない。

 

 全身から鉄潔角装を生えさせるのは何度かやった得意技。

 手首足首の枷を外すことなんて悠には造作もないこと、とだけ。

 

 

 



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9/『急接近②』

 

 その日は珍しく、真昼の空に星が輝いていた。

 

 いつからか消えた青空よりも濃い

 黄昏色を背景に彗星の如く尾を引いていく。

 

 なんとも見事に。

 きらきらと鮮やかに、

 

 ギラギラと激しく燃えながら近付く蒼い星。

 

 ……ふと、誰かが言った。

 

 なんだか、気のせいでなければ。

 アレはもしかして、こっちに近付いてはいないだろうか。

 

 そんなざわめきが伝播するよりも速い。

 雲を裂いた星が歪に形を歪めていく。

 

 莫大な熱量、運動エネルギー、存在自体が持つ瞬間火力。

 

 ほんの一瞬。

 視界に捉えてから数秒と経たない合間の出来事。

 

 

 

 南西太平洋、オセアニア、ニュージーランド付近。

 半径二千キロに及ぶ爆発は陸地を砕き、地表を抉り、周囲一帯の海を干上がらせた。

 

 

 

 ……炎があがる。

 ゆらゆらと激しく燃え上がる蒼い炎

 

 火星に閉じこめられていた、あまりにも強大な刺客。

 大気を焦がして、それは矢のように空を駆けていく。

 

 目的地は――――たったひとつの熱源を捉えて。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「よく説得してくれた巴嬢。こればっかりは感謝する。本当に、本気でありがとう」

「いえ、そんな。……むしろ、あのテンションからよくやめてくれたものだと」

「妃和が乗り気じゃねえんだもんなー。いいと思うのになー、二人旅」

「「悠」」

「へいへい。……ったく、オチオチ脱走ジョークも言えねぇ」

 

 それは言わなくていい、と心底思うふたりである。

 初対面から険悪な雰囲気漂う仲であったが、ここにきて心を通わせる部分があった。

 

 なんだかんだで彼に振り回されるのはそのとおり。

 ここは一旦色々なコトは置いておいて協力するのが吉だろう、とアイコンタクトまでする始末。

 

「……次に逃げ出したら間違いなく私は下ろされるのだが、この馬鹿はそのあたり分かっているのだろうかな……」

「んだよ、そんな大事か。男たったひとり逃げたぐらいで」

「大事だ。おまえ、バカ。バカだったな。ああバカめ。男ひとりとは言うがな、悠。おまえみたいな男がどれだけ貴重か――――」

「そいつは耳にタコができるほど聞いた。聞き飽きた。つうか、そういう理屈を踏まえてもやっぱりしょうがねえんじゃねえかな」

「なにを根拠に」

「だって聞いてるだけで堪んねえ。大事にされてる。大切にされてる。だからこうして温室育ちってワケだろ。堪んねえよな、そうだ、堪んねえ。――――そういうの、盛大にぶっ壊してやりたくなんだろッ!!

「アホめ」

 

 呆れ一色の視線だった。

 気持ち声に込められた感情が死んでいるように思える。

 

 実際美沙の瞳は半分ぐらい死んだ魚みたいになっていたが、それはそれ。

 世界で一番というレベルのバカを前にしてなんだかバカらしくなっただけだ。

 

「妃和からもなんか言ってやれ。ほら、散々一緒に外で生活したじゃねえの」

「悠……」

「おう」

「おまえのそういうところは、たぶん、直したほうがいいと思うぞ」

「妃和ィ!」

「いや、だって普通に考えてありえないだろう……」

 

 無論、彼女だって分かってはいる。

 分かってはいるのだが、だからといって頷くワケにもいかないのが普通の反応だ。

 

 彼の反逆衝動、反骨精神に助けられたコトはたしかに多くあるが、それがそもそもの発端であるのもまた事実。

 なにより純エーテルの影響ですぐ治るとはいえ、あまり悠の傷付く姿を見たくないと思う妃和である。

 この収容所で暮らしているうちはそういう心配がない。

 

 彼と二人旅というのは非常に心惹かれるものがあるが――やっぱりいけないコトはいけないコトなので。

 

「……なんだよ。さっきまでメソメソしてた奴が元気になりやがって」

「め、メソメソはしてないだろう?」

「いいやしてたね。泣きそうな顔でどうすればいい、なんて訊ねてきやがって」

「な、泣いてなんかないっ」

「本当かァ?」

「むむむ…………、」

 

 じろり、と見てくる悠をぎらり、と睨み返す妃和。

 こればっかりは彼の悪ふざけ。

 

 彼女は一切泣いてなんていない。

 胸中の具合はともかく涙は一滴もこぼれていなかった。

 

 頬は濡れていないし、目も鼻も赤くないし。

 

「ま、ちっとは良くなったならいいけどよ。妃和のコトなんだから妃和自身がどうにかしねえとな? 俺ができるのは適当に話聞いて口挟むぐらいだぜ」

「……そういうところはマトモ寄りだというのに。なぜ致命的な部分でズレているんだ、おまえは……」

「言っただろ、そういう人間だ。生まれた時からきっとそうだぜ。そういう星の下って奴だな。……自分で言ってなんだが、あんがいしっくり来るな」

 

 植え付けられた反逆衝動。

 それが本当に星から来ているものだとは彼も予想だにしなかったろう。

 

 いまの意識に記憶として刻まれてはいないが、たしかにその言は的を射ていた。

 刃向かうための因子、現状を変える劇薬、なにかに逆らうという概念。

 

 現代における流崎悠の本質はそこにある。

 

「諦めろ、巴嬢。そいつのソレは筋金入りだ」

「……ああ、なるほど。昔から苦労を……」

「階段から飛び降りたり、食料庫で隠れん坊したり、勝手に部屋から出て司令室に居座ってたり……数えればキリがない。普段は真面目なくせに、突然奇行に走るんだ、こいつは」

「ご愁傷さまです……」

「なんだ。仲良いのな、おまえら」

「「おまえのせいだぞ」」

「??」

 

 そこは分かれ、と怒鳴りたくなるふたりだった。

 

「……ったく、なんだってこうも賑やかに――」

 

 

 ――――ずきん。

 

 

「……悠?」

「どうした、大丈夫か。頭、痛むのか……?」

「いや――――」

 

 

 

 ずきん。

 

 

 

『あ、あは、あはははははッ』

 

 頭蓋を響く音に痛みが走る。

 ずっしりとした重みのある誰かの声が聞こえた。

 

 誰だろう、分からない。

 聞き覚えのない波長と、思い出そうとする頭。

 

 ……頭、そう。

 

 頭が、痛い。

 

『久々の空気だ! いいね! 変わり果てても故郷だ! 流石にテンションもあがる! でもってなんだよ、オマエ! そこに居るのか! 居るんだなァ!』

 

 妙に鮮明だ。

 

 前にもこんなコトがあったような気がする。

 いや、たしかにあったハズ。

 

 だとすると、違うのは声に含まれた人間性か。

 

「ッ、く、ぉ――――」

「おい、悠。しっかりしろ。巴嬢、頼めるか。私は職員に連絡をしてくる」

「は、はい。……落ち着け、大丈夫だ。ゆっくり息をしよう、悠」

「ち、がッ――――ま、て……――ッ」

 

 

 

 ずきん。

 

 

 ――ずきん。

 

 

 

 ――――ずきん。

 

 

 

『変な役割もらっちまったがな! 死んじまったんだ、そりゃあ仕方ねえ! それぐらいの覚悟はしてたさ! でもな! アタシにだって未練とかあんだよ!!』

 

 耳たぶが熱い。

 脳みそが沸騰したみたいに茹だっている。

 

 意識は朦朧として汗が止まらなかった。

 響いてくる声のせいだ。

 

 音が燃えている。

 聞こえる音と言葉の全部が、揺らめく火のように。

 

『久しぶりだな()()! 会いたかったぜぇ! でもってなんだ! もう周りにユニも誰もいねえんだな! ははっ、ちょうどいいッ!!』

 

 分――か――■……な、い。

 

 いや、違う。

 

 分からない、ワケがない。

 

 彼は知っている。

 記憶には残っていなくても、知識としてそれを知っている。

 

『いまのアタシは人でなしだ。せいぜいどうにかしてくれよ? でもってついでに満足させてほしいなぁ。――――喧嘩、してみたかったからなァ!!』

 

 大気を切り裂く震動。

 聞こえるはずのない音と景色を垣間見る。

 

 時間はない。

 

 なにもかもが気付いた時にはすでに手遅れ。

 もはやどうしようもない刹那に、悠は渾身の力で叫んだ。

 

 

 

「――――やべえのがッ、来るぞォ!!」

 

 

 

 直後。

 

 収容所は、蒼い炎に包まれた。

 

 

 

 

 



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9/『急接近③』

 

 

 

 

 〝――――これは……なん――だ…………?〟

 

 全身を揺さぶる衝撃。

 明滅する視界。

 三半規管を使い物にならなくする感覚に、一瞬、妃和は意識が飛びかけた。

 

 ……あまりの音に耳がやられている。

 視力だって回復するまであと数秒はかかるだろう。

 

 悠長に待つ時間はない。

 先ずは無理にでもなんでも、状況把握に努めるのが先決で――

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 その、目を向けた現状の光景が。

 容赦なく、心に罅を入れた。

 

 〝なん、だ。これは?〟

 

 押し殺していた胸の痛みが再発する。

 

 崩れ去った一秒前までの光景。

 積み上がった瓦礫の山。

 その隙間に見える誰かの影。

 

 建物のカタチなんて跡形もない。

 

 収容所には取り囲むように巨大な水槽があった。

 ぶちまけられた水の量はそれこそ膨大だ。

 

 なのに、それをものともしない勢いで燃え上がる蒼い炎。

 

「――――――――」

 

 脳裏に描いた記憶が重なる。

 

 燃える町、死んでいく人々。

 数多の叫び声、呻き声。

 助けを求める誰かの声。

 

 耳に染み付いて離れないあの日の音。

 

 ――――()()

 

 ああ、また。

 私は二度も三度も、恥知らずに生き残って――

 

「ん、だァ……こいつ……ッ」

「!!」

 

 現実から逸れようとした意識を呼び戻したのは、近くから聞こえた彼の声だった。

 

 そうだ、と直前の記憶が蘇って頭の中がリセットされる。

 異変に感付いていた悠はその身を守るコトができたのだろう。

 

 彼女は思わずなにかに縋るよう、声の方を振り向いて。

 

「――――は、るか?」

「んだよォ、ははッ……無事かァ、無事、だなァ。妃和ィ」

「お、まえ――な、んで。いや、そん――ッ、あああッ、――――悠っ!」

「寄るなッ、動くんじゃねえ! まずい、なんだかッ……知らねえがよォ」

 

 ボタボタと血をこぼしながら悠が叫ぶ。

 

 それはいい。

 いや、個人的に妃和の精神上よくはないが、彼が血だらけなのはいつものことだ。

 

 純エーテルを用いて戦う以上、負荷は受けて然るべきもの。

 同時にその恩恵も受けるのが男でありながら適正値の高い彼の特徴である。

 

 ――――なら、目の前の光景はどういうコトだろう。

 

「ッ、ええい……! 一体、何事だ……これは……!!」

「起きたかよ美沙……! イチバン遅えなぁ、てめえッ」

「はぁ? おまえなに――いや待て。なッ、バカおまえッ! その怪我!」

「いいッ、気にすんなァ! 怪我なんかより、大事な、もんがッ」

「悠ッ!!」

 

 ごぼっ、と吐血する悠。

 ほぼ無傷であるふたりと違って、彼は全身至る所がボロボロだった。

 

 咄嗟の判断で彼女たちを守ろうとしたのだろう。

 周囲に散らばる鉄潔角装の残骸がどれほど力を行使したのか悟らせる。

 

 加えて、傷の度合いは決してぜんぶ守り切れたとは言えない有様。

 

「バカが……! おまえがこの場で一番大事だろうが! 自分だけなら完全に守れただろう!」

「てめえら見捨てろって……? するワケねえだろ、したくもねえなァ……!」

「ッ……ああくそっ、そうだな! おまえはそういう奴だよッ」

「はははッ、流石は美沙。分かってらァ……!」

 

 くつくつと笑う悠だが、その顔は未だに険しい。

 なんとか立って居るものの、いまはそれが限界だろう。

 

 抉れた肉、折れて飛び出た骨。

 両腕は原形を留めないほどにぐしゃぐしゃだ。

 顔だって半分ほど面影がない。

 足はまともに付いているように見えて、実際のところ千切れる寸前。

 

 その上、まとわりつくように蒼い炎が身を焦がしている。

 

「だが、まずいぜ、これ! ぜんぜん、ダメだッ」

「なに?」

()()()()()()ッ! 火が、消えねえ……ッ! ずっと、燃えてやがんだよッ」

「水は!」

「見りゃ分かんだろォ! びしょびしょだよ! 俺自身、いまッ! けどなァ!」

 

 は消えない。

 水をかけても弱まりさえしない。

 

 むしろその勢いをどんどんと増していく。

 

 息をするたび、身体を動かすたび。

 開いて閉じない傷口を広げながら。

 

 

 

「――――ちくしょう、てめえッ! ナニモンだァ!!」

 

 

 

 ギッと眼前を睨む。

 悠の正面に映ったのは揺らめく蒼色だった。

 

 ひとつの熱、脆く朧気なヒトガタ。

 

 そのシルエットには女性らしさがある。

 人間が燃えているというより、火がそのまま人の形を象ったような姿。

 

 線は細い。

 頭からは髪のように長い焔が尾を引いている。

 

 そしてなにより、両手には鳥を思わせる燃える翼。

 

新種か……! 報告にあった怪物どものどれとも違うぞ、あれはッ」

「んなこたァ見りゃ分かるッ! むしろこんだけど派手に暴れて話題にならないほうがおかしいだろうが!」

「しかしここにピンポイントで来るとは最悪だ! とにかく逃げろ、悠!」

「逃げられると思うかよ!」

「逃げなきゃどうにもならないだろうが、あんなものは!」

 

 美沙の言葉に悠の動きが固まる。

 どうにもならない。

 

 ……どうだろうか。

 

 多分、彼女の言はまったく正しい。

 こんなところで自身のくだらない衝動に身を任せるのは間違っている。

 

 そのあたりきちんと頭を回した彼だ。

 だから、逃げるという選択肢があるのであればそれを取るのもやぶさかではない。

 甘んじて選べるというのなら選んでみせよう。

 

 ――――だが。

 

「………………、」

 

 だが、引き下がるのはどうにも。

 

「どうした、悠ッ」

「四十人だ」

「はッ?」

「四十人、見ただけでも生き残ってんぜ。探せばまだいるだろうよ。職員も、野郎も」

「他人の心配をしてる場合じゃないだろう! そういうのは私たちの仕事だ!」

「誰が怪物を倒したかってコトだろぉが。覚えてねえから、自信はイマイチだがッ」

 

 歯を食い縛って痛みを耐える。

 

 少しずつだが回復速度があがってきた。

 傷はまだまだ塞がらない。

 けれども治癒は着々と進んでいる。

 

 ……別に、痛みで戦えなくなったワケでもなし。

 彼にとってこの程度のモノは、まだ生きて動ける範疇だ。

 

「殿、引き受けてやらァ」

「バカがッ! おまえ、いくらなんでも無茶だろうが!」

「いいぜそれでッ! 過保護も大概にしろや美沙ァ! ここで使わなくていつ命を使うってんだよォ!」

「ああもうッ――――今世紀最大の大馬鹿者めが……ッ」

 

 中空に手をかざす。

 周囲に満ちた純エーテルは崩壊の影響で外と変わらない。

 

 空色の粒子を手繰り寄せるよう掴み取る。

 

 ……以前、葵と戦っていたのが功を奏した。

 足りない部分を鉄潔角装で強引に補う。

 

 そんな無茶ができるものだと()()()のは大きい。

 

 そのまま彼は、己の武器をつくろうとして――

 

 

「!?」

 

 

 が、走った。

 

「なッ――――ぅ、あぁあッ――んだッ、こん、あぁあぁ……ッ!?」

 

 怪物は微動だにしていない。

 

 手も足も頭も。

 その身体の一切を動かしてはいなかった。

 

 攻撃とは違う。

 

 明確な害意の込められた罠ではない自然的な反応。

 つまり、これは。

 

『――――や、べえ』

 

 このは、おそらく。

 

『――純エーテルで、燃えやがんのか……ッ!!』

 

 彼らを殺すための、洗練された特異能力だ。

 

 

 



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9/『急接近④』

 

 

 

 

「悠ッ!」

「寄んな美沙ァ!! さっさと行けよォ!!」

「だから言っただろう! 無茶にもほどがあるぞ!」

「うるせえッ!! 無茶だろうがなんだろうがやるんだよそう決めたァ! だったらそう簡単に退いてられっかよォ!!」

 

 身を焦がしながら悠が叫ぶ。

 蒼い炎は依然として消えていなかった。

 

 その性質は尖っているというより偏執的だ。

 

 普通の火が酸素を送られて燃え上がるように。

 それらは純エーテルを燃焼の材料としながら、熱と光を発している。

 

「妃和を頼んだぜぇ! 怪我させたら承知しねえッ!!」

「ばッ、おい! 悠!!」

 

 ダン、と飛び跳ねて蒼い火炎と対峙する少年。

 

 意志と覚悟は一瞬のうちに。

 命の使い所すら躊躇せず、真正面から外敵を睨みつける。

 

 視線は鋭い。

 それこそ、未だなお痛みを耐えている怪我人とは到底思えない強さ。

 

「――――ッ、ええい、あいつは本当に……ッ」

 

 立ち上がって体勢を整える美沙。

 突然の出来事で万全なコトなどなにひとつないが、焦っても仕方ない。

 

 状況把握は冷静に。

 

 現在、収容所は壊滅している。

 建物は跡形もなく崩れて壁も水槽もない。

 あの蒼い火炎に吹き飛ばされた結果だろう。

 

 本来なら全滅していてもおかしくない被害だが、余程運が良かったのか、それとも造りの堅牢さが幸いしたのか。

 生き残っている人員の数はそこそこ多い。

 彼女の見立てでもおよそ半数はいる。

 

 大小様々な怪我をしつつも死なずに済んだのなら儲けものだ。

 女性職員はもちろん、男性でもある程度適性が高ければ傷の回復は純エーテルの恩恵がある。

 

「――巴嬢。……? おい、巴嬢、しっかりしろ!」

「――――え、あ……っ」

「大丈夫か! とにかくここに居てはまずい! 君はまだ走れるな! 逃げろ、今すぐに!」

「に、逃げる……って……」

 

 引き摺られるような錯覚。

 いつかの幻聴、幻覚が妃和の五感を塗り潰していく。

 

 逃げる。

 また、逃げる。

 

 目の前の惨状から、身近に降り注いだ惨劇から。

 なにも守れることはなく、なにもできるコトはなく。

 

 ただ、逃げる。

 

「私は生存者をひとりでも多く避難させる! その間は――とても嫌だが、悠に頼って任せるしかない……!」

「――――わ、私も手伝います! 傷は全然ありませんからッ」

「はッ!? 待て、その腕では――――ああどいつもこいつもッ!! どうしておまえらは人の話も聞かずに突っ込んでいくんだッ!!」

 

 咄嗟の判断は悩むよりも前に浮かんだものだ。

 

 選び取った行動とは違う。

 当たり前じみたものとしてその選択肢は胸にあった。

 

 胸中の思いなんて最早分からない。

 苦しみたいとか、幸せが辛いとか、そんなコトはどうでもよかった。

 

 ――なんだか、とても。

 とてもスッキリとした感覚で。

 

 大事なものが、一瞬だけ分かった気がする。

 

 そう、結局。

 結局、妃和(わたし)は――――

 

『……ああ、そうか』

 

 歪んだ思考。

 壊れたココロ。

 過去が生んだ消えない傷。

 

 人として形を保っておきながら在り方は酷く不自然だ。

 

 ――それでも、命が残っている。

 

 なら、それは自分自身のためにではなく。

 遺ってしまったものとして、使い潰すべきだと。

 

『私はきっと、自分のために生きたくなかったんだ』

 

 そんな答えに、やっと気付いた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 蒼色に燃える世界。

 大気に満ちた神秘の粒子が炎を激しくさせる。

 

 どうにも引火した純エーテルはその性質をなくしているらしい。

 鉄潔角装の材料にするコトもできなければ、治癒もまったく働かなかった。

 

「なろォ、なめやがってぇ……!!」

 

 火に巻かれながら神経を研ぎ澄ます。

 

 生半可なレベルの行使では先ほどのように引火する。

 せっかくかき集めたエネルギーも燃えてしまえば意味がない。

 

 加えて、人体を介して操作する以上、一歩間違えれば自傷を伴う危険行為だ。

 火がついてしまえば今の悠と同じ状況の完成。

 

 適性の高い彼でさえ治癒速度が絶望的にまで落ちているのだから、他の人間だとどうなるかなんて想像に難くない。

 

「――だったらこっちも張り合ってやらァ!!」

 

 彼の導き出した解答は単純にして強引。

 無理やり突破口を開けたに等しい力業。

 

 すなわち、

 

 

 

「 兆 角 醒 ッ !! 」

 

 

 

 燃やされてダメになるのなら、それを上回るスピードで純エーテルを流せばいい。

 

 

「おぉおおぉおぉおぉおおおぉおぉお――――!!」

 

 

 超高速で分裂と増殖をくり返す体内の神秘。

 空色の閃光が燃えずに粒子となって溢れていく。

 

 それで治癒の性質がようやく炎を越えた。

 塞がらなかった傷口が、いつも通りほどではないとはいえ、そこそこの速さで治っていく。

 

「はははッ! やってみるもんだなァ、やっぱりよォ!!」

 

 創り出した鉄潔角装を手に握る。

 火を消すコトはできないが、少なくとも最低限戦うための力は整った。

 

 怪我の痛みも純エーテルの副作用もガンガンと効いてくるが、それはそれ。

 立って武器が構えられているのならそれ以上なんてない。

 

 ……眼前の蒼い火炎を睨みつける。

 

 ゆらゆらと蠢く脅威は依然として動かないままだ。

 鳥のような燃える翼は下ろされている。

 炎だって周囲に撒き散らされたものだけが猛威を振るっていた。

 

「――――来ねえなら、こっちから行くぜッ!!」

 

 瓦礫の上を翔る閃光。

 背中から噴出する純エーテルをバーナー代わりに悠が飛ぶ。

 

 接敵までそう時間はかからない。

 

 瞬きひとつの間に彼の鉄潔角装、その射程距離圏内に入る。

 

「――――――」

 

 その直前。

 くすり、と見えない顔が笑ったような気がした。

 

「ッ!?」

 

 逆巻く焔が天へ昇る。

 周囲一帯へ蒼い火を撒き散らしながら、それは竜巻のように空へ飛翔した。

 

 その火炎自体には然程威力がのっていない。

 せいぜい彼の純エーテルを一番外側だけ燃やしたぐらいだ。

 

 自身から無限に生成される悠相手にはまったく意味を成さないが。

 

「――――あ?」

 

 本命は、違う。

 

「なん――――」

 

 バサリ、と。

 緩慢な動作で翼が開かれる。

 

 手と一体化したような燃える両翼。

 そこから羽根が散るように、無数の火の玉が溢れ出た。

 

 まさしく見た者の顔色と同じような。

 

 真っ青な、火球。

 

「――――――!!」

 

 放たれる蒼い弾丸。

 降り注ぐ火球は槍のように地上へ迫る。

 

 速度、威力、ともに最大級。

 人体が受ければひとたまりもない一撃。

 

 それがざっと見ただけでも三百超。

 

 

 

 容赦なく、振り下ろされる。

 

 

 



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9/『急接近⑤』

 

 ――油断や慢心があったか?

 

 それはない。

 彼は怪物の恐ろしさをその身で体感している。

 二度の接敵で嫌と言うほど強さを思い知った。

 

 ――どこかで相手を見くびっていたか?

 

 それもない。

 なにせ奇襲で施設全体を壊したのだ。

 考えずとも〝まずい〟敵だと理解できる。

 

 ならばこそ、あるとすればそれは単なる誤解。

 決定的な思い違いがあった。

 

 初めての時はそうでも無かったのに。

 総司令や部隊の隊長を含めた戦闘経験が認識を歪めたらしい。

 

 当然のこと。

 

 例え誰かひとりが比肩する力量を持っていようと、

 例え誰かひとりが抵抗する術を持っていたとしても、

 その場にいる他の誰かを守るコトなんて、到底無理な話だ。

 

「――――――!!」

 

 蒼い火が降り注ぐ。

 落ちる火球のスピードは尋常ではない。

 

 球体は尾を引いてさながら光の槍みたいに。

 無数の蒼光が地上へと放たれる。

 

『ま、ず――――』

 

 即座に反転して、悠は純エーテルを噴かしながら加速した。

 

 狙いは施設の崩壊跡にのみ絞られているらしい。

 数え切れない火の玉は雑に投げられているものの、命を一掃するのに十分すぎる。

 

 アレはどうにかしなくては全員が死ぬ。

 必死にあたりを駆け回って救助している美沙と妃和の姿が見えた。

 

 まだまだ探せば生存者は出てくるだろう。

 それごと殺して余り有る。

 

 ……ああ、本当にそうだ。

 怪物というのはそのスケールを以てして、大勢の人を殺すのだと――

 

「――くそがよォ!! やれるだけやってやるがなァ!!」

 

 上昇した出力をそのまま身体の外へ放つ。

 

 襲い来る激痛。

 純エーテルの影響による絶不調からの吐き気。

 

 耐えきれない莫大なエネルギー量に器が悲鳴をあげた。

 

 ……蒼い火が肉に走る。

 治癒の速度で補えるのは一定まで。

 

 純エーテルを燃やし尽くす火が、その性質を根こそぎ奪っていく。

 

「――――そいつがァ、どうしたァ!!」

 

 構わない。

 

 全身焼き焦がれてでも前進する。

 一度決めたのなら最後まで。

 

 歩き出した時点で、そもそも彼の最期は決まっているのだから。

 

 

 

「お、おぉおおぉおぉおぉおおお――――ッ!!!!」

 

 

 

 

 空中を埋め尽くす空色の粒子

 絨毯のように彼の高密度な純エーテルが広がっていく。

 

 展開された光の防護壁。

 それは蒼い光を呑みこんで、

 

 

 

 

 

「     」

 

 

 

 

 

 

 なんでもないかのように、突き破られた。

 

 

 

 

 

 

 翼が解ける。

 手足が千切れる。

 

 降り注ぐ炎の弾丸が呆気なく少年の身体を蹂躙する。

 

 傷は治らない。

 ダメージを受けた部分から炎が燃え上がって治癒を阻害しているせいだ。

 息苦しさ、痛みの辛さだけが長々と続いていく感覚。

 

『な――――ぁ――――ぉ――――……』

 

 戦闘行為というにはあまりにも圧倒的だった。

 

 話にならない相性の差。

 純エーテルを食い物にする怪物。

 

 彼がその恩恵に頼っている時点で勝敗は決していた。

 鉄潔角装も兆角醒もアレにとっては脅威たり得ない。

 

 なら、どうすればいいのだろう。

 人類にある抵抗の手段は、それしか残っていないのに――?

 

『――――――――』

 

 墜落する途中で地上の景色を見た。

 

 光の華が咲いている。

 

 瓦礫の隙間に埋もれた、

 足を引き摺って逃げようとしていた、

 肩を貸して手を取り合っていた、

 

 襲撃から辛うじて生き残っていた生命が。

 

 ――ああ、あんなにも、呆気なく――

 

「――――、――――」

 

 知り合いの顔は多い。

 つい昨日まで話していた相手が炎に巻かれて死んでいる。

 血液に塗れた死体はもう見飽きたぐらいだ。

 

 それが増えていく。

 

 脚を吹き飛ばされて飛んでいくのは美沙だった。

 その近くで火に炙られながら悶える妃和の姿も見える。

 

 ダメだ、まずい、これ以上はいけない。

 

 彼女たち、彼らは悠よりもまともな適正値の人間だ。

 治癒の度合いもなにも人並み程度。

 その事実がなにを意味するか、直感的に悟ってしまった。

 

『――――ふざ、けろ――――』

 

 身体が動かない。

 火球の直撃をもらった肉体は弾けて消えた。

 

 右手は半ばから骨が見えている。

 左手なんて肩から先がないままだ。

 

 脚はぷらぷらと繋がっているのかいないのか分からない状態。

 

 辛うじて動いている心臓だけが生きているコトを実感させる。

 

『ふざ、けろよ――――てめえ――――』

 

 動け、と力を込める。

 

 だが駄目だ。

 まったく、これっぽっちも肉体は反応しない。

 

 そうしている間にも意識が薄れていった。

 

 怪我をすれば死に瀕する。

 死にかければマトモではいられなくなる。

 

 常識だ。

 彼がどんなに恵まれた人間であろうと、その絶対的なルールからは逃げられない。

 

 ――――意識が。

 思考を回す脳髄が、限界だとその活動を緩やかに停止させて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなものか? ハルカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと。

 声を聞いた。

 

 透き通るような高い声。

 耳に馴染む音は真実彼の知る音を孕んでいる。

 

 けれども分からない。

 それは一体、どこの誰だろう――?

 

「目を覚ませ。夏鳥(かとり)のバカに手も足も出んとは。それでも私の夫か?」

 

 ……ふざけた言葉を聞いた気がする。

 

 仕方なく悠は瞼を開けることにした。

 このまま眠っていると余計に面倒くさい事態に陥る気がしたのだ。

 

 そうしてゆっくりと、彼は目の前の光景を視認して。

 

「――――――」

 

 そこに、

 まったく知らない/どこか見知った、

 誰かの姿を見た。

 

「ふふふ、焦って起きたか? 冗談だ。疑いなどしないよ。おまえはいつだってどんなになったって私の夫だ。それは変わらない。決定事項だとも。なあハルカ?」

 

 見た目は彼と同年代。

 十七かそこらのまだ色を知らない少女。

 

 容姿は見惚れるほどに綺麗だ。

 外見に頓着しない悠ですら目を奪われるほどに鮮やかで可憐だった。

 

「しかし、なんだ? こうして向い合ってみると、なんだかな。ふふっ……とても、いい気分だ。懐かしい。しかし新鮮だ。おまえを心底愛していると認識して初めてかな、会うのは。――――ようやく叶った。まだ逢瀬でしかないが、私は相見えたのだ」

 

 嬉しそうに笑う少女。

 

 頬を赤く染めた姿は誰が見ても恋をしていると分かる。

 当然だ、なにせ愛している相手が目の前にいる。

 

 悠ですら自覚した。

 

 到底考えづらいコトなのに。

 思考はその方向に回る筈がないのに。

 強制的に理解させられる。

 

 この少女は、間違いなく、自分に執着していた。

 

「だが、これは私の望むところではない。このままではおまえは消えてしまう。まだ此処に辿り着く資格を持っていないだろう? そんなのは御免だ。私はおまえと永遠を共に過ごしたいのだ。一瞬の快楽のために全てを擲つなど馬鹿げているよ。刹那的な破滅主義者だ。まったく美しくない」

 

 それは言われるまでもなく、悠自身がどこかで感じていたコトだ。

 

 在るだけで押し潰されるような圧迫感。

 この場所では人間程度の魂など跡形もなく消えてしまう。

 普通に生きていけるだけで十分すぎる強者だろう。

 

 ……つまりは。

 この少女が、見た目だけが人間のもので。

 

「故に、私も手を出そう。アレの出現はイレギュラーだ。あのバカは加減が効かないからな。別の星に埋めてやったものを、枯木がいなくなったのを感じて目を覚ましたようだ。本来、地球に来させるものではなかったのだが」

 

 規格からして違う、埒外の存在だという証拠。

 

「純エーテルとはすなわち私の一部、私の細胞と言ってもいい。私がこの世界の神秘を統治する立場になって流れ出したものだからな。それに適合するという事は私と相性がいいというコトだ。おまえのそれが弱くないワケがない。――リミッターを外そう。入り口も出口も。普通なら器ごと壊れてしまうが――」

 

 くすり、と慈愛を込めて彼女は笑った。

 

「おまえのことだ。耐え抜くだろう。そう信じている。なにせ、私の最愛の人だからな」

 

 そんなことを、やはり言うのだった。

 

 

 



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9/『急接近⑥』

 

 喉が焼かれる。

 手足が爛れる。

 

 ただただ息苦しいだけの蒼い世界。

 

 這いずるように伸ばした腕が、ずるりと力無く落ちた。

 

「――――――」

 

 死にかけながらも意識を保っているのは妃和だ。

 彼女の肉体は蒼い炎に燃えている。

 

 純エーテルの恩恵を受けて当然の性別。

 女性であるならば体内にそのエネルギーが〝ない〟なんてことはない。

 

 燃え盛る勢いは悠より弱いが、それでも心を殺すのに十二分な苦痛だった。

 

「――――、――――」

 

 ガリガリと瓦礫をかく指。

 血反吐交じりの吐息。

 

 片腕の少女はすでにその傷を広げている。

 

 顔が、胸が、腹が、脚が。

 全身が蒼色の熱にうなされる悪夢のような現実。

 

「――――――――、――――――――」

 

 普通なら耐えられない。

 とっくに悲鳴をあげている。

 

 いくら戦闘部隊とはいえ、妃和だってひとりの少女だ。

 我慢できないコト、堪えられないモノはあって然るべき。

 

 ただ今回は、そのどちらをも越える強い感情が塗り潰した。

 

「ま、だ」

 

 爪が割れる。

 傷が増える。

 

 痛みは絶えない。

 意識は落ちる寸前で不確かに揺れていた。

 

 明滅する視界、途切れる思考、記憶の欠落。

 

 瀕死の重傷は確実に彼女の命を蝕んでいく。

 このままいけば死んでしまえる。

 

「まだ、私、は」

 

 ボロボロの肢体を引き摺って手を伸ばす。

 目の前の光景は霞の如くぼやけてしまった。

 

 鮮明な景色なんてもう瞳には映らない。

 だけども必死に息をする。

 

 なにもかも、彼女にとっては覚えのあるコト。

 

 肺を焦がす熱の痛みも、

 皮膚を燃やす炎の鬱陶しさも、

 誰かが周りで死んでいくのも、

 

 己の無力を自覚して嘆くのも。

 

 すべてがすべて、あの日に経験したコトの繰り返しだ。

 

「なにも――」

 

 命を手放さなかったのは奇跡だろう。

 

 本来、妃和に怪物の攻撃を耐えられるスペックはない。

 蒼い火に巻かれた時点で彼女の運命は終わっていた。

 

 それを繋ぎ止めたのは単なる幸運か。

 それとも、深く強く願い続けた怨念やら執念の類いか。

 

「できて――ない――……ッ」

 

 やり直したいワケではない。

 過ぎた時間は戻らない。

 きっともう二度と、選んだコトも進んだ道も変えられない。

 

 けれど後悔があった。

 心残りがあった。

 引かれる思いがあった。

 

 目を逸らしてはならない罪過。

 あの日、逃げ延びた彼女が見捨てた命を、彼女だけが知っている。

 

 だから。

 今度こそは。

 

 もう誰も、なにも、諦めるコトなんてできない。

 見捨てるコトなんて、できない。

 

 〝――助け、ないと〟

 

 どうして?

 

 〝助け、ないと〟

 

 誰のために?

 

 〝助けないと〟

 

 なんのために?

 

 〝助けないと――〟

 

 決まっている。

 

 この命を正しく使い潰すために。

 

『いやはや愉快だ、そうやって辿り着く道もあるのか。歪んでいるが、真っ直ぐでいて余分がない。良いぞ、ハルカが世話になっている礼だ。応えてやろう、小娘』

 

 そんな思いが引き金だった。

 

 発露した神秘の欠片が辺りに広がる。

 蒼い火を呑みこむように浮かびはじめる赤い炎。

 

 土も木も瓦礫もアスファルトも関係ない。

 それは神秘の塊である蒼炎さえ食い散らかして。

 万物一切焼け消えろ、と原初の災害を巻き起こす。

 

 彼女には分からない。

 自覚もしていない。

 

 ただ、傍から見ている分には明確な変化があった。

 ゆらりと片腕をぶら下げて、二足で立つ少女。

 

 彼女はただ命を救うため。

 自分以外の誰かを助けるため、足を動かしていく。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 異様に波打つ心臓の音で、不意に悠は目を覚ました。

 

 同時、全身から激痛が返ってくる。

 

 ……傷の度合いは酷い。

 今までの治癒を含めた尺度とは違う。

 

 本気でどうして生きているのか、と疑問になるほどの大怪我だ。

 

「ッ――――――……く、そ……ッ」

 

 頭が痛い。

 まともな思考ができるまであと二秒はかかる。

 

 漠然とした意識のなかで見上げる空。

 ヒトガタの燃える鳥はいまだ飛び続けていた。

 

 大きく動き回ることはないものの、アレはただそこに在るだけで絶望的だ。

 

「とんでも、ねえ……ッ、力を、出しやがる……!」

 

 まともにやり合ってはおそらく勝ち目がない。

 実体があるかどうかすら分からない以上、現時点での討伐はほぼ不可能。

 

 となると逃走以外に取れる選択肢はないのだが――それも許してくれないだろう。

 

 怪物が人類の天敵たる所以は、その力を以てして明確に人を狙う点だ。

 

「だが――ああ、ちくしょうッ……なんだか、なァ。悪い夢でも見たようでッ……」

 

 見えない感覚を研ぎ澄ます。

 掴むのは空色の粒子、神秘の奔流だ。

 慣れ親しんだ純エーテルの操作。

 

「蛇口が、バグってらァ……!」

 

 ガチン、と撃鉄の落ちる音。

 それが自分の中の大切なナニカだと分かった瞬間、

 

 

 

「     」

 

 

 

 自我が、千切れるかと思った。

 

「――――お、ご、ぁああぁあがあぁぁああああああ」

 

 意思を無視して悲鳴が口からこぼれる。

 痛みを凌駕した刺激が身体中を包んだ。

 

 どんな拷問もどんな陵辱もコレには勝てない。

 気分は限界を超えて空気を入れられた風船だ。

 

 全身から溢れる純エーテル。

 それを補う周囲からの供給。

 

 どちらも馬鹿げたレベルにまで引き上げられている。

 

 桁違いだ、ありえない。

 

 今までストローで吸って吐いていたのを、急に水道管に変えたぐらいなもの。

 

「――ッ、あぁあ、う、ぁあッ、ぐぅ、ぃいぃいいあああぁぁあぁ」

 

 べちゃべちゃと地面に垂れる吐瀉物。

 

 気分の悪さは過去最低レベル。

 つまりは純エーテルの回りの良さも過去最高レベル。

 

 適正値の高さがここに来てようやく、正しい形で発揮されたらしい。

 

 蠢く肉片と、波打つ傷口。

 燃えている部位を吹き飛ばすコトによって強引に蒼い火を消す。

 

 傷はその直後、一秒と経たずに治っていった。

 

「ぁあぁあははははッ……ふざけて、やがるなァ」

 

 頭上を睨みつける悠。

 その視線の先にいる相手はひとつしかない。

 

 炎上する無形の怪物。

 蒼い火の雌鳥。

 

 ――――戦意が。

 ――――殺意が。

 

 両者の意識が、交錯した。

 

 

 

「なぁオイッ!!」

 

『――――――――』

 

 

 

 爆発する純エーテルの羽搏き。

 神秘の噴射は軽く音を越え空を翔る。

 

 ――――ならば。

 

 迎え撃つその閃光はどれほどのものか。

 

 姿形はかき消えていた。

 残ったのはただの線。

 

 光の通った後だけが遅れて流星みたいに輝いた。

 

『ッ!! コイツ――――!!』

 

 咄嗟に鉄潔角装を生み出して振るう。

 炎は瞬く間に純エーテルを溶かしていく。

 

 だが遅い。

 胴体に触れた。

 

 接触したならあとは簡単。

 エネルギーの暴力だ。

 

 そのまま、この馬鹿げた神秘でぶん殴れば――

 

「ッ!!」

 

 空に線が走る。

 目で追えない。

 音を拾えない。

 

 この宇宙の物理法則を無視した軌道。

 速さは光を優に超えていた。

 

 認識できるワケがない。

 残った線を目でなぞれば、そこに。

 

「がッ――――!!」

 

 己の胸を貫く、蒼い影が。

 

「――――あぁあッ、てめえ! くそがッ、てめえええええ!!」

 

 ――嗚呼、最早どうとでもなればいい。

 

 傷など気にしてはいては駄目だ。

 

 拳を握る。

 痛みを堪えて力を溜める。

 

 鉄潔角装は放り投げた。

 邪魔だ、要らない。

 

 とにかくこの場合に於いて後のコト全てはどうでもいい。

 

 専心するのはただひとつ。

 

 

「ふざけんなァ――――――ッ!!!!」

 

 

 その顔面を、ぶち抜く。

 

『――――――』

「まだだァッ!! もう一発! 二発ッ! 三発ゥ!! 終わんねえぞクソ鳥ィ!!」

『――――、――――』

「どいつこいつも怪物どもがァッ、調子くれてんじゃねえっつってんだろうがァ――!!」

 

 渾身の拳撃が突き刺さる。

 めしゃりと凹んだ炎がそのまま揺らぐ。

 

 形あるのなら問題ない。

 皮膚が焼けようが肉が融けようが彼にとっては構うものか。

 

 

 

「死ねェ――――――――ッ!!」

 

 

 

 再三に渡って殴打は続いた。

 ぐるりと燃える翼が彼の腕を掴み取る。

 

「邪魔だァッ!!」

 

 

 しかしそんな拘束も無駄なこと。

 純エーテルの爆発で難なく逃れる。

 

 力を使うたびに蒼い火が回ってくるが――それも気にしていては仕方がない。

 

 それになんだかいい加減、飛び続けるのにも飽きてきた。

 

「ぶっ飛べッ、落ちろボケェ――――!!」

 

 

 振り抜いた拳は影の頬を貫いて真っ逆さまに。

 勢いもそのまま、今度は怪物が地上へ墜落した。

 

 

 



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10/『炎が上がる、空を覆う①』

 

 ぐしゃり、と足を潰しながら悠は着地した。

 

 衝撃を和らげる余裕、余力は一切ない。

 動けない程度の怪我を強引に治癒する。

 

 ……落下した蒼い火の鳥。

 

 地面で蠢く影は緩慢ながらもまだ止まっていない様子。

 荒い呼吸をくり返しながら、彼はいま一度拳を握り締めた。

 

「――――、――――ッ」

 

 そう、荒い呼吸。

 

 悠は肩で息をしている。

 つまるところ息が上がっている。

 

 なにせ彼の進化は出力の規格を無理やり変えたようなもの。

 

 身体にかかる負担はいや増していた。

 血反吐が溢れないのはそれ以上に治癒も回っているからだろう。

 

 自傷と回復を同時に行うのは慣れているが、それを何倍も増幅した状態。

 

「――――――」

 

 蒼い火を相手に立ち回るコトを可能とした代償。

 

 彼の継戦能力は大幅に落ちている。

 溢れる神秘をそのままダダ漏れにしていては効率が悪すぎる。

 

 けれども仕方ない。

 

 それは彼自身によるものではなく、外部から操作された強制的な変化だ。

 エネルギーが尽きて枯れないだけ喜ぶべきコトだろう。

 

「――おい、どうしたよ。こんなもんじゃねえだろぉが」

 

 全身から空色の粒子を撒き散らして悠が歩く。

 神秘の光はすでに輪郭さえ覆って実体を溶かしはじめていた。

 

 肉体と純エーテルが交ざり合った不確かな在り方。

 複雑怪奇な現象は狙って引き起こされた奇跡だ。

 

 そのために、彼は自らの拳で蒼い火を殴れるようになっている。

 

「立てよバケモノ。かかってこい。てめえ、散々ッ――ああ散々ッ!! 人ん()をボロボロにしてくれやがってよォ!!」

 

 再度爆発する純エーテル。

 恩恵を受けた肉体が神秘に弾ける。

 

 火の鳥はゆらりと揺らめいて立ち上がった。

 

 ――――迸る殺意は刹那のうちに。

 

 光を越えて駆け抜けた蒼い炎が、彼の胸を貫いていく。

 

「はッ」

 

 鼻で笑う声。

 彼はニタリと、人の悪意をないまぜにしたような笑顔を浮かべながら。

 

「効かねえんだよッ、ボケェ――――!!」

 

 殴る、殴る、殴る。

 

 握りしめた拳を蒼い炎に叩きつける。

 

 手応えはたしかにあった。

 揺らぐ炎は悠の一撃一撃に全身を震わせている。

 

「お、らァアア――――――――!!!!」

 

 ドズン! と沈みこむ渾身の殴打。

 炎に埋もれた拳が真っ直ぐに影を突き破った。

 

「………………あ?」

 

 だが。

 だがしかし。

 

 それで決着がつくのなら、人類はここまで追い詰められてはいない。

 

 新種とはいえ怪物は怪物。

 人を殺すために生きる霊長の天敵。

 

 故に、そのチカラはいつだって侮れない。

 

「――――こ、いつ――――」

 

 周囲に広がっていた神秘の流れが変化した。

 空色の粒子はいきなり自我でも持ったかのように彼の腕を通っていく。

 

 蒼い炎へ突き刺した、未だ抜いていない右腕を。

 

「――――()()かァッ!!」

 

 吸い取られていく純エーテル。

 

 悠自身のエネルギーは無尽蔵だ。

 それで戦えなくなる、というワケではない。

 

 けれども、だからといって放っておいては敵に塩を送り続けるだけのコト。

 今こうしている間にも、蒼い火の鳥はどんどんと熱量を増し――――

 

「小癪な真似をッ! してんじゃあねえ――――!!」

 

 蹴り抜かれる蒼炎の肢体。

 だがそれすらも怪物は自らの糧としようとする。

 

 ゆらゆらと燃える翼が彼の足へうねり巻き付こうと。

 

 

 

 ――――した瞬間、相手は完璧に目標を失った。

 

 

 

「――――――」

 

 爆散する右の脚。

 膝から下が骨ごと千切れている。

 

 掴もうとしたモノもなければ掴めない。

 

 ほんの一瞬。

 時間にして針も動かない合間。

 

 しかしそんなコトですらいまは決定的な隙だ。

 

 即座に脚を治癒する。

 トリックなんて大したものでもない。

 すべて彼の意思によるもの。

 

 悠は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、勢いのままに再構成する。

 

「間抜けがァ――――――!!!!」

 

 二度目の脚劇は完全に蒼い火を捉えた。

 

 地面を跳ねて直線に吹き飛んでいく焔の影。

 そのまま追撃を――と、踏み込んだ時だった。

 

「ッ!!」

 

 ガクン、と膝から崩れ落ちる。

 

 力が上手く入らない。

 スタミナ切れだ。

 厳密に言うならば、治癒で補える範囲を外れた。

 

 力の行使、怪我の度合い、なにもかもに負担を強いて戦うコト。

 それは自身を焼却する行為となんら変わらない。

 

 彼が削っているのは命そのもの。

 いくら器が固いとはいえ、その固さにも限度がある。

 

「あァッ……!? んだコラァ、てめえッ、こんな時にィ!!」

 

 無論、そんな理屈を考えて止まれるような悠ではない。

 

 際限なく膨れ上がる純エーテル。

 神秘は身体を覆うように包み込み、瞬く間に治癒の特性を発揮する。

 

 震える両足が立つコトができるまでに。

 ぼやけた視界が鮮明に変わったコトを認識して、いま一度彼は大地を踏み抜いた。

 

「つまんねえ終わり方ァ、させんじゃねえよォ……!!」

 

 大地を奔る空色の光。

 彼女(だれか)の後押しを受けた希望の象徴。

 

 それは命を燃やして流れる人の星。

 なにかに常逆らうコトを約束された星の奴隷。

 

「サービス、もってけェ!!」

 

 血を滲ませながら拳を振りかぶる。

 

 反撃、損傷、相手の状態。

 なにもかもが頭蓋の外へ。

 

 目の前に殴りたいナニカが居るなら、それを殴らなくてなにをする――!

 

 

「おおぉおぉおおぉおおおぉおお――――――――!!!!」

 

 

 

 揺れ動く蒼炎のヒトガタ。

 突き刺さる拳は鳩尾を貫くように。

 

 不定形の身体が〝く〟の字に折れ曲がった。

 同時に、噴水じみた出血があたりを濡らしていく。

 

 ……もちろん、それは。

 

「――――ハ」

 

 それは、怪物のものではなく。

 真っ赤に染まった液体は、間違いなく人間のもの。

 

 一体誰がなんていうまでもない。

 

 あまりの無茶、あまりの酷使についぞ肉体が悲鳴をあげた。

 全身の血管が一気に破裂する。

 

 目から、口から、鼻から。

 身体中の穴という穴から撒き散らされる赤黒い血。

 

「――――――」

 

 常人なら即死。

 そうでなくても先ず死なないワケがない。

 

 止まった心臓、動かない肺、電源を落とされたような脳みそ。

 

 粉々に砕けた動脈静脈は正常な生命活動など不可能だ。

 誰が見ても一目で手遅れと分かる有様。

 

 如何な天才医師でもその傷は治せない。

 治せるワケがない。

 

 間違いなく彼の命は消えたも同然。

 

 ――――その、身に余る恩恵さえなければ。

 

「ッ、はァッ――――はぁ――――!!」

 

 悠は死なない。

 

 どう足掻いても死ねない。

 死なせてなんてもらえない。

 

 いくら願ったって、その望みだけは絶対に叶わない。

 

 なにせ彼女にとってすればようやく掴み取った逢瀬のチャンスだ。

 百年、千年、下手すれば万年に一回あるかないかという機会。

 

 それをみすみす失うぐらいなら、宇宙のルールなどどうなっても構わないと。

 

「はははッ――――さァ、まだだァ。もっとォ。もっとだァ。なァ、オイ!」

 

 少年の魂を、完全に縫い止めたのだから。

 

 

 



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10/『炎が上がる、空を覆う②』

 

 

 

 

 もとより、この時代に於いて男性の寿命は極端に短い。

 生まれたときから純エーテルに塗れるしかない世界は有害だ。

 

 削れるものは等しく削られていく。

 

 適性の高さなんて精々が上手く力に変えられるかどうかでしかない。

 すなわち有るべき負担を治癒の恩恵でカバーできる素質。

 

 ……それは同時に、どう足掻いても有害性を取り除くことは不可能だという事実。

 

「ははははははははははははッ!!!!」

 

 一時の力、瞬間的な爆発力。

 

 生命力は薪になって炉に焼べられた。

 悠は獣じみた動きと純エーテルの暴力で蒼い火を殴打する。

 

 千切れる意識を繋ぎ止めて、

 ボロボロと崩れる身体を潰しては治して、

 ただひたすらに、外敵へと拳を突き刺す。

 

「はははははははは――――――ッ!!!!」

 

 彼の兆角醒は際限のない純エーテルの増幅。

 分裂と増殖をくり返して行われる、永続的な出力の上昇だ。

 

 止まりはしない。

 嘘偽りなくその能力に限界も歯止めも効きはしない。

 

 時間が経てば経つほど悠の力はいや増していく。

 

「ダメ押しィ、だァァァァアアアアアア――――!!!!」

 

 それが、咆哮と共に一瞬でかき消えた。

 

 ――いや、違う。

 

 光を閉ざして、別の形へと姿を変えたのだ。

 

 天へかざした手のひらに純エーテルが集束する。

 最早素手の勝負は飽きたと言わんばかりの笑み。

 

 ――そこに、握り掴めるほどの柄が創られる。

 

 

 

 

「 鉄 潔 角 装 !!!! 」

 

 

 

 

 刃は重く。

 

 分厚く鋭く。

 

 切っ先は遙か雲の上。

 

 樹木の天使がつくった枝葉の塔よりさらに高い。

 

 否、長い。

 

 まさしく天まで届く極大、極長、極限の一振り。

 

「――――――」

 

 そんなもの、普通なら扱えるハズがない。

 

 大きくなれば鈍重になる。

 空気抵抗がある、重力の影響だって受ける。

 

 質量があるのなら速度を出すのにだってそれ相応にエネルギーがいる。

 

 ――ならば、それを彼は補って余り有るのか。

 

 振り下ろされる刃はなにもかもが変わらず。

 さながらいつも通り剣を振るように、常識外れの一刀は放たれた。

 

 

「おらぁああぁああああッ!!!!」

 

 

 衝撃と轟音。

 大地を割るように亀裂が走る。

 

 吹き荒れる砂塵と瓦礫の山。

 

 蒼い火は潰れるようにその影を揺らした。

 

「――――――ッ、――――――!!」

 

 同時に、一撃だけしか耐えきれなかったのだろう。

 

 彼の才能すべてを注いでつくられた超硬度の鉄潔角装。

 それがバラバラと手のうちから崩れて溢れ出す。

 

 悠の方もいい加減無理を通しすぎだ。

 どれだけの生きる力を戦うために注ぎ込んだのか。

 

 真っ青になった顔、とめどない出血、震える肢体。

 怪我と不具合を純エーテルの恩恵で全部打ち消す。

 

 ……その無茶は、いつまで続くか分からない博打をしているようなものなのに。

 

「まだ、まだァ」

 

 正面を睨む悠。

 その視線の先では蒼い火がゆらゆらと立ち上がろうとしている。

 

 攻撃は効いているが決定打が入っていない。

 アレを討ち滅ぼすための力は今の程度では全然駄目だ、と彼は直感した。

 

「大人しくッ、ぶん殴られるだけがッ、仕事かァ――!!」

 

 故に押し切る。

 休まず攻める。

 

 出力の上昇、純エーテルの恩恵こそ彼のもの。

 長期戦になれば悠が有利だ。

 

 そのために、今はまず反撃を阻むぐらいに圧倒する。

 

「クソ野郎がァ――――――――!!!!」

 

 向けられた拳の行方。

 蒼い火の鳥は燃えながら佇む。

 

 揺れ動く身体を殴られ、叩き切られ、ふらついて。

 

 一方的な蹂躙が、そのすべてを打ち砕こうと――

 

 

 

 

 

『           』

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 

 ぱしん、と。

 

 肌で拳を受け止める柔らかい音。

 燃える翼の先から炎が消えている。

 

 少女のように細い手首と指が見えた。

 ぐっと悠の拳を握り締める白い手指。

 

 

 

 

『――――――――――――――――――――――――――!!!!』

 

 

 

 

 声なき声が大気を震撼させる。

 キィ、と耳鳴りのように響く超音波。

 

 燃え盛る炎が勢いを増した。

 蒼い火が再燃する。

 

 決められた形のない身体は不気味に蠢きながら。

 

 

 

 

 

 

 ――――直後、爆発する。

 

 

 

 

 

「ッ――――――――――――!!??」

 

 頭に回っていた熱が一気に冷めた。

 

 皮膚を焦がす炎。

 純エーテルをかき消す蒼色。

 

 視界が爆発の衝撃に染まっていく。

 飛び散る破片が容赦なく肉を抉った。

 

 己の中にある熱量を一気にぶちまけたような自爆だ。

 

 そんなものを、至近距離で受けていれば。

 

「がッ――――――ぁ、あぁあッ――――」

 

 皮膚が燃える。

 肉が溶ける。

 骨がなくなる。

 

 喉が終わって、肺が終わって、内臓という内臓が機能しなくなって。

 脳も心臓も――生きていくのに必要な部分が、一瞬で蒸発していく。

 

 例外はない。

 

 所詮いくら戦闘能力が高かろうが人間は人間だ。

 命を脅かす脅威の前には等しく死ぬのが生物というもの。

 

『く、そ――がァ――――』

 

 それでもタダでは死ねない。

 すべて吹き飛ばされたとしても炉心は残っている。

 

 本能のままエンジンを点火する。

 

 とにかくいまは純エーテルを回せ。

 戦うために、治すために、殺すために、生きるために。

 

 空色の粒子を、爆発させようとして――――

 

『――――――――ッ』

 

 ――――駄目だ、できない。

 

 追いつかない。

 炎の威力が強すぎて間に合わない。

 

 死にながら歯を食い縛る。

 

 ……正直、これで終わるのなら別に死んでやってもいい。

 この自爆でもう二度と火の鳥が現れないのなら万々歳だ。

 

 だが、燃える世界の中で見えるものがある。

 爆散した焔の身体をいま一度かき集める影。

 自分自身を武器にした一撃ですらソレにとっては数ある攻撃手段のひとつでしかない。

 

 このままではストレート負けの惨敗だ。

 それだけは認められない。

 

 だから――――

 

 

 

 

 

『あ?』

 

 

 

 

 

 ひたり、と触れる白い指。

 

 ゆっくりと撫でられる右の瞳。

 優しく摘ままれた心の臓。

 

 熱の中で人影が動く。

 

 肩につくまでで揃えたオレンジの頭髪。

 鋭い目付き、傷だらけの肌。

 見た目だけでいえば十代の少女。

 

 それが、

 

 

 

『      』

 

 

 

 彼の一部を、抜き取るように奪い去った。

 

 

 

「――――あ、あぁぁあぁぁぁああああぁぁぁああああ!!??」

 

 

 

 信じられないのはその祝福――呪いとでも言うべき恩恵だろう。

 ボタボタと壊れた蛇口みたいに血を流しながら、悠はまだ意識を保って生きていた。

 

 ……炎はそうして和らいだ。

 

 中心には芋虫のように悶える彼と、たしかな形を取り戻した蒼い火の鳥。

 

 きっと、ならば、そう――

 初めから狙いは、それだったのか。

 

「――――ッ、ぅ、あッ――――が、ぁあ……ッ」

 

 のたうち回る悠。

 

 純エーテルは増幅を再開した。

 治癒の恩恵は彼の身に降り注いでいる。

 

 けれども、信じられないコトにどうしても治らない部分がある。

 

 視界の半分が消えた。

 止めるコトなく純エーテルを介して操作しなければ血液が循環しない。

 

 それは抜き取られたふたつのモノ。

 雌鳥(カノジョ)に呑みこまれた彼の欠片。

 

 自爆はそのためのカムフラージュだ。

 

 ――くすり、と。

 どこかで少女の笑い声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 ―――― 兆 角 醒(VirginLord) 』

 

 

 

 

 熱が唸りを上げる。

 以前よりも強力な炎が撒き散らされていく。

 

 ――ああ、それは。

 その兆候は。

 誰よりも近くに倒れ臥した少年だけに許されていた――

 

 

 

『 疑似連鎖(Nuclear)叛逆流星(Rebellion) 』

 

 

 

 

 悠の、兆角醒。 

 

 

 

 

 



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10/『炎が上がる、空を覆う③』

 

 

 

 

 途切れそうな意識を限界ギリギリで繋ぎ止める。

 

 気絶なんてできない。

 したらそれこそ終わりだ。

 

 なにせ今の悠には生きていくのに必要な部品がない。

 

 ぽっかりと胸の中に空いた穴。

 どういう原理か、傷口は塞がっても取られたモノは戻って来なかった。

 

 ――彼の心臓と片目は蒼い火の鳥が持っている。

 

 その人物由来のモノを取り込んだからか、はたまた無限に湧き出る力の源がどちらかだったのか。

 ごうごうと燃え滾る炎は更に更にと勢いを増していく。

 

『――――――ッ、く、そがァ……ッ』

 

 兆角醒自体を掠め取られたワケではない。

 彼は彼で未だに純エーテルの出力を上昇させ続けていた。

 

 ならばこそ、それは猿真似じみた能力の再現だ。

 何事にも抜け穴はある。

 が、現実にそんなものがあって堪るか、と言いたくなる超常現象。

 

 ……これにて条件は同じ。

 違うのは傷の度合いと生物としての根本的な強さのみ。

 

「て、めえッ……」

 

 痛みを堪えてなんとか眼前を睨む。

 人間の身体が如何に優秀かを思い知らされた気分だった。

 

 生きるための繊細な作業を要求されている以上、それ以外に意識を向けるなど到底不可能。

 いまの悠にとっては視線を動かすだけでも死の危険がつきまとう。

 

 支えているのは生命活動そのもの。

 血液の循環、筋肉の伸縮、電気信号の伝達――とにかく全部を純エーテルを介して補う。

 

 できないコトはないが、にしてもあんまりな行為だ。

 コレに注力している間、戦闘なんてできるハズがない……!

 

「――――ッ、――――……!」

 

 怪物がこちらを振り向く。

 気のせいか、その輪郭がハッキリと浮かび上がっていた。

 

 ふたつの命と、ふたつの力。

 

 どんどんと出力を高くしていく蒼い火炎。

 彼の心臓が炉心となって、その異能を垂れ流しているのか。

 

「ヒト、のッ……もん、をォ……!」

 

 ――ああ、できるなら。

 可能であるのなら今すぐにでもその顔面を殴り抜いてやるというのに。

 

 本能で察してしまう。

 未だ残る生の実感が最終ラインを警告している。

 

 下手に動けば死ぬ。

 アレの攻撃ではなく、制御を失った矢先に自滅する。

 

 一撃を入れる暇もなく、言葉を発する余裕もなく。

 

「勝手にッ……使い、やがって……!」

 

 くすくすと笑う声。

 

 幻聴だ。

 目の前の怪物は声帯など持っていない。

 

 反面、視力の方は片側だけでもマトモだった。

 振り上げられた燃える翼と、その先に握られた一振りの刃が見える。

 

 彼の鉄潔角装と全く同じカタチの剣。

 

 必然、対抗心が沸いた。

 

「てめえッ――――」

 

 限られた視界、限られた命。

 死体同然となった肉の躯を稼働させる。

 

 攻撃の矛先が向いた以上、遅かれ早かれ悠は死ぬ。

 なにせこのままだと本当にもう後がない。

 勝機は薄く残っているものの、その薄さは手で触れれば破れてしまうようなものだ。

 

 状況は一変した。

 もはや流崎悠という戦力はマトモに機能しなくなっている。

 だからこその、後先を考えない抵抗だった。

 

「調子にィ――乗んなよォ……!!」

 

 生きていられる時間はどれぐらいか。

 なにが一番向こうにとって致命的か。

 

 理性ではなく本能で算盤を弾く。

 

 たったの一撃。

 放てるとすればそれが全て。

 

 必要以上は望まない。

 望めない。

 

 ――彼は卓越した神秘の扱いで、その手に刃を生み出していく。

 

「――――――――ッ」

 

 のし掛かる生物としての当たり前な危機感。

 気分は地上何百メートルという平均台に居るよりもずっと恐ろしい。

 

 頭痛による意識の断絶、思考回路のブレ、はては外部からの干渉。

 ひとつでも純エーテルの扱いを間違えればその時点でお陀仏だ。

 

 そんなコトを極限まで引き延ばさなければならない。

 

 ――――そう、引き延ばす。

 

 自分の死を未来へ追いやる。

 

 彼の命が尽きる瞬間は目の前の外敵に一矢報いた瞬間。

 それまでは、この仮初めの肉体を動かさなくては話にならない――!

 

〝それでいいのかよ、流崎悠(オマエ)?〟

 

 問いかけるのは自分自身に。

 

 心はもう決まっている。

 決意は胸の彼方に落ちた。

 

 ならば迷うコトなどない。

 とうに死に体。

 

 残った時間の使い道は、最初から。

 

〝ああ、良いさ。良いだろう。良いぜ、やってやるよ〟

 

 故に、ここが死に時だと男は嗤った。

 

 ――最初から、変わってなどいない。

 どうせ死ぬなら前のめり。

 死んだように生きているなんて、それこそ我慢ならないだろう――

 

「――――あばよ、手前ッ」

 

 言うが早いか、翼の剣が振り下ろされる。

 

 頭から割るように狙った容赦のない一太刀。

 淀みのない斬撃はただ殺すためだけに洗練された動作だ。

 技術を研鑽した戦闘部隊のモノとも、荒々しいだけの彼の剣筋とも違う。

 

 ――――だが遅い。

 

 死にかけているからか体内時間はさっきから膨張しっぱなしだった。

 頭を揺らして肩口で刃を受け止める。

 

 直後の追撃はない。

 明確に生じた隙に彼の行動がピタリと当てはまる。

 

 手に握った鉄潔角装から迸る空色の奔流

 

 気分は天にも昇るほど。

 あれほど悪かった体調が嘘みたいになにもない。

 それがどういうコトなのかも理解した上で殊更嗤う。

 

 

「――――――――」

 

 

 どくん、と。

 

 

「――――――――――――」

 

 

 どこからか、

 心臓の音が聞こえる。

 

 

「――――――、」

 

 

 胸に感覚はない。

 

 ぽっかりと空いた穴は純エーテルで塞がれたまま。

 脈動も循環もすべてがつくられたものだ。

 

 ――どうでもいい。

 

 振りかぶった鉄潔角装に、いま手繰り寄せられる全エネルギーを集中する。

 そうして。

 

 

 

「――――――――ッ!!!!」

 

 

 

 胸の蓋を、一気に外した。

 

 〝――――、――――――、――――〟

 

 急速に低下する体温。

 散り散りに乱れていく思考。

 

 細胞が死んでいく。

 手足が末端から感覚を失う。

 

 それはやる前からすでに予想していたもの。

 

 一分とかからない。

 一秒あればもう十分。

 

 だからこそ、その刹那に彼は己の人生を賭した。

 

「     」

 

 剣閃は脇腹から肩までを裂くように。

 揺れる刀身が蒼い火を消し飛ばす。

 

 かき集められた膨大な純エーテル。

 それをまとった刃は原形を留めないほどに暴力的なエネルギーに満ちていた。

 

 振り抜くだけで衝撃波が撒き散らされる。

 

 増大した火力が。

 勢いを増した怪物の焔が。

 まるで風に吹かれたように、鎮められて。

 

 

 ――――これで、振り出し。

 

 

「――――――――」

 

 ……役目は終わった。

 人体は完全に生命活動を停止した。

 

 それでも必死に叫ぶ誰かの声が頭蓋に響いている。

 

 いくら()()と言えど直接的な手出しはできないのか。

 手のひらからすり抜けていった奇跡を悲しむように嗚咽をこぼしていた。

 

 でも仕方ない。

 

 彼は自分で決めて自分で命を擲った。

 ならば、その選択に誰が異論を挟めるというのか。

 

 ……いいや、それは。

 きっと、誰にも。

 

「――――――――――――」

 

 倒れる死体。

 

 残った火の影はその正面で痛みに震えている。

 自らへその手を届かせた彼へ返礼をしようと力を込めている。

 

 力を削ったとはいえ怪物は怪物だ。

 肉片すら残してはくれない。

 

 命を失くした空っぽの入れ物へ照準が向く。

 

 

 

 ――――炎は、瞬く間に広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 ―――― 兆 角 醒( V i r g i n L o r d )  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その寸前。

 響いた声と滑り込んだ篝火が、蒼炎をかき分けた。

 

 それは。

 

 ――――嗚呼、その少女は――――

 

 

 

 

 

 



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10/『炎が上がる、空を覆う④』

 

 

 

 

「――ようやくだな」

 

 戦場に於いてなお酷く落ち着いた声。

 感情の色を落とした音は、けれどたしかな優しさに満ちていた。

 

 その少女には右腕がない。

 

 ごうごうと燃え上がる赤炎のなかで、身を焦がしながら彼を庇うように立つ。

 まだ暴力的で済んでいる蒼炎と鬩ぎ合う。

 

 彼が一度木っ端微塵に吹き飛ばしてくれたお陰だろう。

 いまの出力ならば、彼女の力でも対抗することができた。

 

「ああ、ようやく、おまえに返せる」

 

 貸しばかりがついていた。

 守られてばかりいた。

 

 そこに何か思わなかった彼女ではない。

 だからこそ、その力は素直に喜ぶべきもの。

 

 こんな時代に於いて、純エーテルを扱える才能を持って生まれたコトを。

 

「今度は――――私の番だ」

 

 鉄潔角装を振り抜く。

 左手に握られた一本の剣。

 

 ギラリと煌めいた剣閃は、たったそれだけで蒼い火をかき消した。

 

 そこに、

 

 

 

『――――――』

 

 

 

 邪魔にならないよう隠れる、

 

 怪我人と一緒に急いで逃げる、

 

 怪物を睨んで立ち上がる、

 

 生きている人の姿を見た。

 

 彼ら彼女らはまだ死んでいない。

 蒼炎の爆撃を喰らい、死の淵を彷徨いながらも命を繋いだ。

 

 それは奇跡ではなく、彼女が起こした必然の現象。

 

「私がおまえのために、戦う番だ」

 

 自身を体現する兆角醒。

 

 どこかで消えたいという思い。

 誰かを救いたいという願い。

 忘れられないあの日の記憶。

 

 彼女のなかで一番強い輝きは、すべてを失った火の海の中だった。

 

 故にこそ、放たれる赤炎は世界を燃やす。

 彼女自身を燃やす。

 同時に他人(だれか)の命を救う。

 

 すなわち彼女を除いた全人類への生命力の譲渡。

 およびそれに当てはまらない万物の焼却能力。

 

 人を救い、己を殺し、怪物を滅ぼす赤紅の劫火。

 

「――総員、動ける者は怪我人を運び出せッ!! 巴嬢の火があれば躊躇するな! 積極的に触れろ! まだ息があるのなら誰ひとりとして見捨てるなッ!!」

「了解ッ! てかこれすごいですね本気で! 労災とか出ます!?」

「んなモンあるわけねえだろッ! さっさと逃げるぞバカ!」

「と、というかあの子ひとりで大丈夫!? いやさっきまで流崎くんひとりだったんだけども!」

「あたし達じゃ足手まといも良いところでしょう! 戦闘部隊でもないのに!」

 

 全速力で遠ざかっていく人の足音。

 それを背後に聞きながら妃和は眼前の敵へと視線を固定する。

 

 腐っても空の果てに辿り着いた恩恵か。

 実力差のほどは戦う前から手に取るように分かった。

 

 蒼い火の特性。

 怪物としての素体の強さ。

 多種多様な攻撃手段。

 

 そしてなにより、悠から抜き取った紛い物の兆角醒。

 

「――――――……、」

 

 その強さを目の当たりにしていた妃和には痛いほど分かる。

 

 単純だからこそ搦め手は効かない。

 出力の無限上昇は自身ですら抑えきれない力だ。

 

 それが敵に回ったときの、なんと厄介な事か。

 

「巴嬢! 君は――――」

「時間は稼ぎます。……早く、逃げてください」

「…………、悠は、どうする」

「頼みます。彼は。――――ちゃんと、連れて行ってあげてください」

「……そうか、分かった。こちらも()()()()()

 

 視線を切って、最後の生き残りである美沙が悠を抱えながら走り去っていく。

 

 恨み言も愚痴もなにも、すでに彼には届かない。

 腕の中で眠る心臓のない死体。

 うつ伏せに――それこそ前のめりに倒れた身体はピクリとも反応しなかった。

 

 脈はない。

 鼓動もない。

 純エーテルの輝きだって喪失している。

 

 それが完全に死んでいるのを理解して、妃和は鉄潔角装を握り直した。

 

「……敵討ちとはいかないだろうな。きっと。私では貴様を倒すことは無理そうだ」

 

 純粋な力量差を冷静に判断する。

 

 本気を出して正面からぶつかり合えば結果は目に見えている。

 むしろそこで天秤をひっくり返せるのは正真正銘一部の人間だけだ。

 

 戦闘部隊の誇る人類最高戦力か。

 世界の理から外れた時代遅れな剣士たちか。

 はたまたすべてを越える可能性を秘めた少年か。

 

 そのどれでもない妃和には、どうすることもできはしまい。

 

「だがな、好機はつくれる。希望を繋げる。可能性を残せる。これはそのための戦いだ」

 

 失くしたものは戻らない。

 死んだ人間が生き返るなんてコトはない。

 

 それはこの宇宙を支配する絶対の法則(ルール)

 死者蘇生なんてものは摂理を壊す奇跡の中の奇跡だ。

 

 だから。

 

 彼女がしたコトはそれより劣る低俗な奇跡。

 

 生命力を譲渡する火。

 その焔に巻かれれば死にかけていても命が繋がる。

 

 それを死体に浴びせた。

 これ以上ないぐらい、至近距離で、彼へ命を注ぎ込んだ。

 

 余程の重傷か時間が経ちすぎていなければそれで一時的に目を覚ます。

 

 だが彼は起き上がらなかった。

 

 理由はふたつ。

 

 ひとつは損傷の度合いが彼女の能力では補えきれなかったこと。

 もうひとつは注ぎ込んだとしてもずっと溢れてしまうこと。

 

 胸の穴は塞がっていない。

 いくら生命力を注ぎ足してもどうしようもない欠陥があれば無意味だ。

 

 ――――けれど。

 

 少年の身体を包んだ赤い火は、たしかに命を巡らせた。

 

 死体は辛うじて死に体へ。

 生きているとは到底言えないが、なんとか魂はその場に留まった。

 

 目は覚めない、息もしない。起き上がるワケもない。

 生き物らしい動作のすべてはできないが、それでも彼はギリギリのところで命を灯した。

 

「すまないが、少々付き合ってもらおうか。――後を追わせるワケには、いかないんだ」

『――――――――』

 

 その言葉が伝わったのかどうか。

 蒼炎の怪物が翼を広げる。

 渦巻く焔がとてつもない熱量を撒き散らした。

 

 ともすれば離れた位置でも皮膚が焼けるほどの熱さ。

 それが、徐々にあがっていくという絶望感。

 

「……ああ、本当に。おまえは凄い奴なんだな、悠」

 

 鉄潔角装を構える。

 赤炎を奔らせる。

 

 刹那の合間に初手は放たれた。

 

 飛来する蒼い火球

 雨霰のように降り注ぐ絶死の弾丸。

 

 ――それを、刃の一振りで彼女は防いでみせる。

 

 深紅の焔を、宙に舞わせて。

 

「一先ず退(しりぞ)かせる。話はそれからだ。貴様と心中するつもりはない。――――死に物狂いで、この場から押し出してやる」

 

 片腕のハンデなんてなんのその。

 以前までの彼女とは見えている景色、掴めている情報、使えるモノが違う。

 

 加えて、蜘蛛の糸じみた結果ながらも悠の命を繋いだという大業。

 空の向こうで歓喜した一角の女神は迷いなく彼女の力を後押しした。

 

 命を削り誰かを助け、自身諸共溶け堕ちる。

 この場に於いてすべてが赤い火に燃え焼かれるもの。

 

 ならばこそ、あるのは純粋な殺意のみ。

 

「覚悟しろ、化け物」

 

 身体を焦がしながら少女は笑う。

 

 不思議な感覚だが、いまはなによりそれで良い。

 他人(だれか)のために、(かれ)のために。

 

 負けられない。

 負ける気がしない。

 

 

 ――――いま。

 救済と壊滅の焔が、瓦礫の大地を駆け抜けていく。

 

 

 

 

 



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10/『炎が上がる、空を覆う⑤』

 

 

 

 

 蒼炎を振り払う劫火

 ふたりは対照的な色を放ちながら正面を切ってぶつかり合う。

 

 立場は対等ではない。

 

 方や星の外から飛来した不定形の怪物。

 方や今し方奇跡的な力を得たばかりの人間。

 

 勝敗は目を見るよりも明らか。

 

 ――そんなコトは、妃和自身ですら分かっている。

 

「――――ふッ」

 

 故に彼女は初めから全身全霊を尽くして己を使い潰すと決めた。

 

 覚悟なんてする暇もない。

 もとよりその精神性は何かに捧げるコトへ特化している。

 

 自己保存の楔。

 生物なら誰しも持っているであろう自壊に対する防衛本能。

 

 その鎖と枷を解き放てばどうなるか。

 

 マトモでは成し得ない。

 彼女だからこそできる芸当が、たしかにここに存在する。

 

「――――ッ、――――!!」

 

 灼熱は未だ蒼火に劣らない。

 いずれ崩れ去る均衡だとしても、その脅威を一ミリですら近寄らせないでいる。

 

 願うまでもなく焼べられる代償。

 焦げる人肉の匂い。

 焔に巻かれていく自分自身の肢体。

 

 それらすべてを至極当然のコトと捉えて剣を振るう。

 

 

「――――はははッ」

 

 

 思わず笑った。

 

 想像以上、期待以上。

 たかだか能力(チカラ)ひとつで何が変わるかと思っていたが――いやはやなにも侮れない。

 

 胸の奥底から湧き上がる力はとめどなかった。

 身体は間違いなく死へ進んでいるのに、生きていく実感が溢れかえっている。

 これを笑わずしてなんとするのか。

 

 無論、彼女は知らない。

 空の向こうから降り注がれた渾身の恩恵など感じ取る余地もない。

 

 誰かを救った結果など見ないままひた走る。

 その感謝を最大の形で返された事も気付かずに。

 余計な祝福の対象に入れられた事実を悟ることすらなく。

 

「――――はァッ!!」

 

 怪物目掛けて刃を振り下ろす。

 赤炎を纏った剣。

 それを受け止めたのは――――

 

「そこも真似事か、悠のッ」

 

 彼の鉄潔角装を真似て創られた、揺らめく蒼い刃。

 

 ――頭痛のような苛立ちが走る。

 

 衝動的に彼女は追撃を選択した。

 鉄潔角装を構え直しながら前へと踏み込む。

 

「――――――ッ」

『――――――』

 

 飛び散る火花。

 赤く燃える鋼の大地。

 蒼く焼かれていく大気の神秘。

 

 ――――信じられないことに。

 

 実力は拮抗している。

 空からの後押しが如実に表れた。

 

 怪物の速度に生身の人間が追いつけていける事実。

 いいや、それは、人間の知性と理性を完全な武器へと変貌させた――

 

「――――見えて、いるぞッ」

『!!』

 

 常人ならざる精神性で稼働(うご)く、ある種の人外。

 

「言っただろうッ、覚悟をしろと」

 

 苛立ちが募る。

 そこに彼の面影が重なるたびに腹が立つ。

 彼の心音が耳朶を震わせるたびに込み上げる感情(モノ)がある。

 

 失ってから気付くものがある、と先人は語った。

 居なくなってからでしか分からない大切さがあると。

 

 本当にその通りだ。

 

 共に過ごしていた彼と別れて以来、ずっと、死ぬほど痛感した。

 

 ――――彼は()()言っていたが。

 実のところ、好きすぎているのは私の方じゃないかと。

 

「言っただろうッ、死に物狂いだとッ!」

 

 その瞳は消えない炎を宿している。

 悠と関わり、己と向き合い、気付きを得て獲得した心構え。

 

 歩みを遮る苦痛も、歩みを止める惨劇も彼女には意味がない。

 捨て身の人間になにをしようが止まるハズがない。

 

 奇しくも選んだ道は同じ。

 一度決めたのなら最後まで。

 そうでしかあれないと割り切ったのなら、そうするしかないのが彼女の愚かさだ。

 

 ――――それが、この場に於いては外敵を凌駕する。

 

「そのぐらいッ、私は貴様が嫌いだ――!!」

 

 斬撃が蒼炎の刃を打ち砕く。

 

 決して脆くはない武器だった。

 怪物の異能は並のヒトにどうにかできるレベルではない。

 

 だからそれは単純に、いまの彼女が並を越えているという事実に直結する。

 

 ――――火の鳥が上昇した出力を一気に解き放つ。

 天を衝く蒼火の渦

 周りの神秘を食い破って荒れ狂う熱量が、妃和へと狙いを定めた。

 

「いいだろうッ、来てみろ! それが、貴様の選ぶ手だと言うのならッ!」

 

 中空で弾ける閃光

 真昼の空を照らす蒼い星

 

 今度の欠片は乱雑に墜ちるワケじゃない。

 すべてが怪物の意思によって操作された追尾弾。

 

 総勢、五千発。

 

 直径三十センチにも及ぶ蒼炎の弾丸が、雨霰のように降ってくる。

 

「――――私はッ」

 

 数に頼れば勝てると考えたのか。

 実際、その判断は間違っていない。

 

 人間の腕などせいぜい二本。

 彼女に至っては片腕をなくしたせいで一本しかない。

 

 ほぼほぼ同時に降り注ぐ弾幕の嵐を数秒間。

 

 耐えられるワケがない。

 防ぎきれるハズがない。

 

 常識的にモノを考えれば誰でも分かるコトだ。

 

「――――――」

 

 練り上げられる純エーテル

 

 エネルギーには困らない。

 祝福はまだ続いている。

 

 は唸りを上げながら火力を増した。

 

 自滅救済

 

 その本質は彼女を除いた人間(だれか)の命を救う力だ。

 決して相手を殺すためのものではない。

 

 ――――けれどもそれは、相対する敵が人間であった場合の話。

 

「私はッ、私の総てを懸けて貴様を否定するッ!」

 

 そこに含まれない万物への焼却能力。

 

 それはあまりにも不自然な力の形態だ。

 炎というだけなら、まだ純エーテルを餌とする蒼い火のほうがらしい。

 

 妃和自身ではない誰か。

 彼女以外の生命でないのなら。

 

 必然的に火が点く

 

 鉄であろうと、土だろうと、水だろうと、

 ――――純エーテルを燃料とする、蒼い炎の攻撃だろうと。

 

 一切の物理法則を無視して、()()()()

 

「――――――」

 

 地上から射出される深紅の劫火

 迎え撃つのは降り注ぐ蒼い弾丸

 

 衝突は一瞬のうちに。

 

 色の混ざった衝撃を撒き散らしながら、すべてが泡のように消えていく。

 

 撃ち漏らしはない。

 抜けていった弾丸の数はゼロ。

 怪物の攻撃は大地を荒らすコトすらなかった。

 

 ――――それがもっと理性的な思考を保っていれば、あるいは気付いただろう。

 

 流崎悠との戦闘において最も重要だったのは何なのか。

 

 神秘で燃える自身の蒼火

 対する神秘を増幅させる彼の兆角醒

 

 正面を切っての戦いなら到底負けるハズのない彼を追い詰められたのはどうしてか。

 無限の出力を以てしても、目の前の人間に押されているのは何故なのか。

 

 その答えは。

 

「――――しかし遅いな。悠なら一秒もあればいまの火力に辿り着くぞ。使いこなせていないのか? ……所詮はヒトのものという事かなッ!」

 

 単純な力量差を覆す、絶対的な相性。

 

 純エーテルという燃料そのものが肝心で、能力の方向性もその操作に寄っている。

 そんな悠にとって蒼い火の鳥は天敵だ。

 彼を殺すためだけに生まれたといっても過言ではない相性の悪さがある。

 

 ……だが、その炎が効かなければ脅威度は低い。

 妃和の兆角醒がそれだ。

 

 なにかを食い物にする特異性があるのなら、それを食い物にする〝他〟がないとどうして言い切れるのか――

 

「このまま粘らせてもらうぞッ! 貴様が彼方へ飛び去るまでッ!!」

 

 複雑怪奇な願いの結晶。

 彼女にだけ備わった異能が、鮮烈に輝く。

 

 

 

 

 



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10/『炎が上がる、空を覆う⑥』

 

 

 

 

「――――ふッ!!」

 

 を弾く。

 蒼火を殺す。

 

 散り散りに乱れていく異形の光

 

 戦闘がはじまってすでに十分が経過している。

 

 悠の能力を取り込んだ敵の出力は増え続けていた。

 いまは攻撃を防ぐのも片手間とはいかない。

 全身全霊で迎撃しなければ、意識を張っていなければ簡単に均衡が崩れる。

 

 そんな確信さえ抱かせるほどの超火力。

 

「随分とッ、そこまで時間がかかったようだが!!」

 

 爆発的に上昇しないだけまだ優しい、と妃和は己に言い聞かせる。

 比較対象が誰かなんて言うまでもない。

 

 十分だ。

 

 一秒、十秒と膨れ上がる純エーテルの光景は脳裏に焼き付いている。

 同じ時間があれば、悠ならすでに手がつけられないだろう。

 怪物も人類の最高戦力も追い越して、ただその神秘の質量のみで頂に手が届くのだ。

 

 ならば本当に、目の前の怪物のなんと優しいコトか。

 

「身の丈に合わない力だったようだなッ!!」

 

 荒れ狂う焔を撃墜しながら彼女は笑う。

 

 ざまあない、とらしくもなく嫌味を込めた。

 

 心臓を奪ってまで使おうとするから。

 適性もないのに稼働させたから。

 

 その力を一欠片として使い()()()ない。

 

 ああそうだ。

 それは彼のものだ。

 彼だけのものだ。

 彼の精神性によって生み出された、彼が一番よく似合う、彼が持つべき異能だ。

 

 

「貴様なんぞが手にして良いものではない――――ッ!!」

 

 

 振り払われる蒼炎

 

 天秤はまだ覆らない。

 均衡は保たれている。

 

 ……ともすれば。

 妃和がこの現状に絶望感でも抱いていれば、変わったかも知れない。

 

 心の強さは力の源。

 意思は生きる原動力に直結する。

 

 ――故にこそ、彼女は負けない。

 退かない。

 もう二度と、後ろを振り向かない。

 

 ただ前進する。

 足を踏み出す。

 

 一歩でも、半歩でも、倒れるように前のめりに。

 

 身体に受ける傷もなにも恐れることなく突き進む。

 

 それが、この無茶をただの無謀に終わらせなかった。

 

「――――――ッ」

 

 くり返すが、戦闘がはじまって十分。

 もうそれほど、と捉えるのか。

 まだそのぐらい、と捉えるのかは当人次第。

 

 ――――十分。

 

 相手は無限に火力を増幅させる化け物。

 対する彼女は体力に限りのある人間。

 いくら天からの祝福を受けても生身では敵わないラインがある。

 

 だが、それ以上に厄介なのが妃和自身の兆角醒だった。

 

「――――ぅッ」

 

 肌が燃える。

 肉が焦げる。

 

 誰かを助けたいという純粋な欲求。

 それに混じって願われた、彼女のエゴが詰まった望み。

 

 なんとも憐れな自殺願望。

 

 あの日の炎に焼かれて死にたい。

 誰も彼もがいなくなった世界で、焔に抱かれて息絶えたい。

 

 故に、彼女の赤炎は彼女自身を焼却の対象とした。

 燃焼自体は他と比べて格段に遅いものの、確実に身体を殺していく。

 

 そんな状態で十分間。

 もう耐えに耐えきった。

 

 これ以上は彼女の命だって危ない。

 下手をすれば自身の兆角醒で自滅する領域。

 

 そこに踏み込んだ感覚がある。

 本能が警鐘を鳴らす。

 

 もう後がない。

 いや、先がない。

 

 このままでは、自分を自分自身の手で殺すコトになると――

 

 

 

 

 

「――――それがァ、どうした――ッ!!」

 

 

 

 

 

 雑念を振り切るように吼え叫ぶ。

 

 彼女の直感は間違っていない。

 たしかに身体は限界の一歩手前。

 命は死の危険に揺れている。

 

 先ほどから感じる痛みは着実に生きる力を削ぐものだ。

 下手な外傷なんかよりよっぽど恐ろしい。

 

 ――だが、それが、どうしたのかと。

 

「――――――ッ」

 

 荒い吐息。

 それは疲れてのコトでなく、興奮してのコト。

 

 体力の低下による体調の変化など無視できる程度だ。

 この身を侵している苦痛も、当たり前のようにある生存本能も関係ない。

 

 だって彼女は知っている。

 

 己の力に傷付きながら戦っていた少年(ヒト)を知っている。

 その痛みと苦しみから一度も逃げなかった少年(だれか)を覚えている。

 

 自身を焼く痛みがどうした。

 

/悠はきっともっと痛かった。

 

 限界を迎えた事実がどうした。

 

/悠はそれを乗り越えてですら刃を握った。

 

 なのにどうして、それよりも楽な自分が足を止められる――!

 

「こんなものはッ、あいつの痛みに到底及ばないッ!!」

 

 存在を否定される刺激。

 生きているだけで辛い世界。

 

 そんな地球(ほし)の環境でずっと育ってきた。

 

 戦闘だけではない。

 彼が今まで受けてきたモノは相当多かっただろう。

 

 細かな体調不良から、戦闘中に度々見せた吐血まで。

 数えればキリがないぐらいの純エーテルによる悪影響。

 

 ……だから、そのすべてを恩恵でしか受け取っていない彼女は()()()()だ。

 

 こんなのは諦める理由にも、止まる理由にも、死ぬ理由にすらなりはしない。

 

 こんなものはただの壁。

 乗り越えるだけの、打ち砕くだけの障害。

 

 

「ああそうだッ、だから越えてやるッ!!」

 

 

 鉄潔角装を振りかぶる。

 赤炎は渦を巻いて辺り一帯が焦土と化した。

 

 放出される熱量だけでも申し分ない。

 その火力は全盛期には及ばずとも、いまの総司令(アオイ)に届かんとしている。

 

 

「――――ぶっ飛べぇッ!! ()()()ィイイ――――!!」

 

 

 顕現する火炎の斬撃

 衝撃は灼熱をまとってたしかな攻撃と成った。

 剣閃に焔を乗せて放ったと言ってもいい一発。

 

 ――それが、真正面から火の鳥を捉える。

 

『――――――! ――――――――!!』

 

 炎上する不定形の

 蒼翼がゆらゆらと不確かに揺れた。

 

 空へ昇った怪物はギロリと少女を睨みつける。

 無い筈の瞳は、けれど肩代わりするものが今はある。

 

 すなわち、戦闘中にもずっと顔の位置に見せていた、

 

 悠から奪った片目が。

 

 

「――――どうした、こんなものかッ」

 

 

 視線が鋭くなる。

 

 嘗められてばかりでは済まないとでも思ったのか。

 ゆっくりと、燃える翼が頭上に持ち上げられる。

 

 ……上がった火力を行使しての追尾弾。

 

 今度はそう簡単に防げない。

 威力も速度も一回目の五倍強はカタいだろう。

 

 ――光を放つ空の蒼星。

 

 怪物の凶器がいま、無慈悲に地上へ向かって振り下ろされ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――酷く、目障りね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、突如として割り込んできた声だった。

 

 反応する間はない。

 影が走る。

 

 銀閃が閃く。

 

 ふわり、と空中に佇む影はふたつ。

 駆け抜けたヒトガタが、微かに鯉口を鳴らして音を立てた。

 

 

 

 

 ――――蒼い火炎が、爆散する。

 

 追尾弾として完成するハズだった光は、真っ二つに割れて粉々に砕けていく。

 

「私、とても、不機嫌なのだけれど」

「――――――、あれは」

『――――、――――』

 

 腰に提げた一本の刀。

 戦闘部隊の制服とはまた違った様相の黒衣。

 

 人形のように整った容姿と、冷淡すぎる低い声。

 膝裏まで伸びた長すぎる黒髪と、その奥に隠された同色の瞳。

 

 そこに、純エーテルを使っているらしく形跡はない。

 つまり、

 

「大人しく、してくれないかしら」

 

 三人目の、聖剣使い。

 

 

 

 

 



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11『不夜を奪う①』

 

 

 

 

 

 一番はじめに出会った麻奈。

 その次に天使との戦いで知り合った伽蓮。

 

 彼女たちに共通している点といえば、純エーテルを一切使わないこと。

 怪物をモノともしないほどの力量を持っていること。

 

 そして――どのような方向性であれ、一癖も二癖もある人物であるということ。

 

「――――――、」

 

 空から睥睨する黒い瞳。

 ほう、と吐かれた息には一体どのような想いが込められていたのか。

 

 腰に提げた刀の柄へ手を伸ばしながら、彼女は火の鳥と相対する。

 

 現れたのは正しく一瞬。

 その軌跡も抜刀の瞬間も視認することはできず、ただ蒼火だけが断ち切られた。

 

 空の果てに手をかけた妃和も、

 人間の天敵である怪物すらも上回った神速の一太刀。

 

 それだけで、実力のほどを確信する。

 

「――――ひとり?」

「え? ……私のこと、ですか……?」

「それ以外に、誰がいるというのかしら」

「…………一人、ですが」

「…………そう」

 

 と、彼女はまたもやため息をつきながら。

 

 

「可哀想ね」

 

「……………………………………、」

 

 

 とんでもなかった。

 もしかして煽っているのだろうか、なんて思うような一言。

 

 いや、たしかに、下手に歯に衣着せるよりも良くはあるのだが。

 それにしたってなんというか、こう、もうちょっと言い方とかなんとかならないだろうか。

 

「力を貸すわ」

「――――? え、あ、はい……?」

「……貴女、大丈夫? 具合でも悪い……?」

「い、いえ! 全然ッ、私は平気ですッ!」

「…………なら、良かったのだけれどね」

 

 ぽつりと呟いて黒衣が翻る。

 

 臨戦態勢に入っていく肢体。

 黒瞳は真っ直ぐ燃える怪物を捉えていた。

 

 その視線は揺らぎない。

 

「――――十藤緋波(とおどうひなみ)。別に、覚えておかなくてもいいわ」

 

 はじける大気。

 

 線を描くコトすらない。

 姿は一瞬のうちに消失した。

 

 ――代わりに。

 

 銀閃が、駆け抜けた跡をくっきりと浮かび上がらせる。

 

 気付いた時にはもう遅い。

 

 バラバラと斬られ落ちていく不定形の焔。

 物質としての硬度、質量の有無、幻想と現実。

 

 神秘も科学も等しくそこにあるモノとして切り裂いていく絶対斬撃。

 

『――――――――!!』

「……やっぱり、居合は()()の領分ね」

 

 まるで恋人と語らうように、彼女は刃へ独りごちる。

 

 今のはまだまだ未完成。

 いつの日か見た腕前には到底及ばない、とでも言いたげな不満感。

 

 火の鳥としても妃和としても信じがたい。

 迎撃すらできなかったのに、その技の不出来を嘆かれるなど――

 

「まだ、遅い」

 

 ただ剣を持っているだけの人間が特別視される理由はない。

 彼女らが聖剣使いとして名を馳せているのは確かな特異性があるからだ。

 人智を超えた力は怪物に引けを取らない。

 どころか圧倒さえしてしまえる始末。

 交戦理由が曖昧という点を除けば、その存在は間違いなくアレらへのカウンターと化す。

 

『――――――』

 

 勝負になんてならなかった。

 彼女がこの場に現れた時点で勝敗が決したようなものだ。

 

 万全の状態で乗り込んできた聖剣使い――十藤緋波。

 地上にはまだまだ粘りを見せている妃和の姿もある。

 

 このふたりを同時に相手取れるなら、蒼火の鳥はこんなところに留まっていない。

 

 ――千切れた焔をつなぎ合わせて存在を再構築する。

 小さな爆発と共に復活した怪物は、流星のように尾を引いて瞬時に加速を開始した。

 

 すなわち、逃走を選んだ。

 

「……ええ、そうね。けれど、それ以上に――」

 

 だが。

 

「アナタのほうが、遅いようだわ――」

 

 

 その隙を見落とすような緋波ではない。

 

 都合三度目になる漆黒の一閃。

 一度目はともかく、二度目と同じで回避は不可能。

 

 狙われたのはその翼。

 蒼く燃える怪物の羽。

 

 刹那のうちに走った刃は正確に。

 容赦なく、その象徴を刈り取った。

 

「――――――――」

 

 ぐらり、とバランスを崩して落ちる火の鳥。

 さしものソレでも翼がなければ飛行は厳しいらしい。

 

 ならばこそ、振り絞ったのはあるかも分からない怪物としての意地か矜持か。

 傾いた体勢を無理やり立て直して、蒼火の翼をいま一度広げる。

 

 兆角醒の影響で炎は有り余っている。

 多少贅沢な使い方をしてもガス欠なんて起こらない。

 

 起こるはずがない。

 

 なにせ手にしたのは流崎悠の秘奥、彼だけが持つことを許された祝福の異能だ。

 たとえ猿真似であろうとも、その力を持ってエネルギーが足りないなんてコトはありえない。

 

 

 

 

 

『――――――――――――!!!!』

 

 

 

 

 

 蒼炎が吹き荒れる。

 爆発と衝撃があたりへと撒き散らされた。

 

 彼から心臓を抜いた時とは威力のほどが桁違いだ。

 

 今度こそは目くらまし。

 たったひとりの聖剣使いをその場に留めるためだけに、蓄えていたエネルギーの半分以上を一気に消費する。

 

 躊躇う必要はなかった。

 無くした分はすでに一秒もあれば取り戻せるぐらいなモノ。

 

「…………! ……賢しい……」

 

 苛立ちを吐き出すように緋波は呟いた。

 

 爆炎が晴れるまで五秒。

 視界が完璧に確保できるまでは幾ら早くても七秒かかる。

 

 そして、それほどの時間があれば――

 

「……………………、」

 

 あっという間に背中が見えなくなる。

 

 残っているのは火の鳥が噴かしたであろう蒼炎の残滓だけ。

 肝心要の本体は綺麗さっぱりその姿を消していた。

 

「……情けないわ」

 

 再三になるため息。

 ほう、と彼女は気落ちしながら刀を鞘に収める。

 

 ……確実性を考えて二の足を踏んだのがいけなかった。

 直感に頼って追撃の斬撃を加えていればまだこの場に縫い付けるコトができただろう。

 

 思考回路にリソースを割きすぎた結果だ。

 

 だからまだまだやっぱり()()、なんて。

 

「あ、あの」

「…………、」

 

 空から地面へ降りたところで、妃和から声をかける。

 聖剣使いというだけでちょっとした苦手意識はあるが、それはそれ。

 いまはこの窮地を救ってくれたコトに感謝するのが先決だ。

 

「……貴女」

「巴妃和です。その……ありがとう、ございました」

「別に、お礼なんていらないけれど」

「……そう、ですか」

「ええ」

 

 そうして緋波は、まるで意味が分からない、といった表情をして。

 

「私たちは強いのだから、戦うのは当然でしょう……?」

「――――――は、あ……?」

「…………??」

「……………………????」

 

 妃和の頭を、さらに混乱させにかかるのだった。

 

 ……いや、たぶん、おそらく向こうに悪気はない。

 悪気はないのだろうが、それとやりにくさはちょっと別の問題だ。

 

 思考がぶっ飛んでいるワケでも、会話が抜けているのでもない。

 繋がる部分が下手にでもあるからだろう。

 

 緋波の考えが、妃和にはまったく読めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――総司令ッ! 大変です!!」

 

「どうした」

 

「十二時の方向からとんでもない熱源が本部に接近してます!」

 

「……なに?」

 

「接触まで、あと――――――、ぁ」

 

「――――――――――」

 

 

 

 

 

 

 



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11『不夜を奪う②』

 

 

 

 

「――戦える者以外は全員下がれッ! 即刻避難だ!!」

「一体何人残っている!? 無事か!?」

「総司令ッ! 総司令!! 収容所とも連絡が取れませんッ!!」

「裏口は崩れてる!! 窓から外に出ろ!!」

「ここ二階なんですけど!?」

「いいから早くッ! 骨が折れるのは死ぬよりマシだろ!?」

「待って! 待って! あたし足潰れッ、押さないでー!?」

 

 

 ごうごうと燃え盛る蒼い炎

 真昼の空に浮かぶ二つ目の日輪

 

 極東地域対異形災害本部。

 

 多くの人員と戦力が集まった施設は、相応の広さと堅牢さを誇っている。

 なにより戦闘部隊の面々が滞在しているのは大きい。

 大抵の怪物なら――それこそ今は無き羽虫程度なんて侵入も許さないほどだ。

 

 それが今日、たった数分で半壊した。

 

「――報告します! 総司令! 戦闘行為が可能と思われるのは全員で十三名! うち三人が部隊長です!」

「それは私を入れての数か?」

「はいッ!」

「…………なるほど、そうか」

 

 突如として本部を襲撃した蒼火の雌鳥

 燃える翼と女性らしきヒトガタのシルエットを揺らしながら、それは空を舞っている。

 

 降り注ぐ火炎の弾丸はさながら飛行機の爆弾みたいだ。

 純エーテルを燃やす神秘の異能に限界はない。

 

 ――――そう、どこかの少年と同じように。

 

 エネルギーの底も、出力の天井も知らずに暴れ回っている。

 

「防衛戦だ。傷付いた者が逃げきるまでここを死守する」

「た、倒さないんですか……!?」

「莫迦を言うな。アレはおそらく私の力をすでに超えている」

「――――――――」

 

 言葉も思考も、声音も平坦そのものだった。

 端的に告げられた事実に誰しもの背筋が凍る。

 

 いくら怪我を負って弱くなったとはいえ、葵の強さは未だトップクラスだ。

 戦闘部隊の中でも頭ひとつ飛び抜けていると言っていい。

 

 ならば、それを越えているというのがどういう意味か。

 

「無理をするな。だが最大限抵抗しろ。全員にそう伝えておけ。悪いが力を貸してもらわなくてはどうにもならん。私ひとりでは限界がある」

「は、はいッ」

 

 指示を出しながら、葵はギッと空を見上げる。

 

 最悪なときに最悪なコトを思い出した。

 今朝、愛娘は一体どこに行くと言っていたか。

 先日どこに向かう道を記したメモ書きを渡したのか。

 

 極東第一収容所とは連絡が取れない。

 真昼に誰もいないというワケも、眠っているワケもない。

 

 つまり、

 

「……よもや、抜けてきたのか。彼を」

 

 だとするのなら、もうすでに――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言うと、向こうから先手を打たれた時点で討伐は無理難題となっていた。

 

 極東第一収容所。

 併せて、対異形災害本部。

 

 現代に於いて大きな役割を持つその施設は、一日にして壊滅した。

 

 死者百十五人。

 負傷者七十八人。

 

 建物はふたつとも跡形もなく瓦礫の山。

 人の住んでいた残り香はなく、ただ惨劇の跡が広がるのみ。

 

 下手人は同じだ。

 火星から飛来した新たな怪物。

 

 蒼い火の雌鳥

 

 神秘を喰らい燃やし尽くす――いまは無限の力を手に入れた――最悪の外敵。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い闇の彼方。

 深い海の底。

 もしくは、遠い先の閉じた宇宙。

 

 淀んだ意識のなかで悠は色を見た。

 

『――――――――』

 

 身体はない。

 指先の感覚も、生きている実感もまるでない。

 

 ふわふわと魂だけが浮いていて、妙な気分。

 

 感じ取れるのは気持ち悪いぐらい激しい脈動と、

 片方の瞳が映し出す光だけ。

 

 ――それは、どちらも彼女に抜き取られたモノ。

 

『――――ひ、より――――』

 

 気勢を上げて戦うのは見知った少女だった。

 彼女は皮膚を焼き焦がしながら刃を振るっている。

 

 生命の輝きに溢れた姿。

 

 つい先ほどまで悩んで落ち込んでいた女の子と同一人物とは思えない。

 その生き方はガラリと変わって酷く鮮烈すぎた。

 

 思わず、目を見張ってしまうぐらいに。

 

『――――――…………』

 

 心臓がドクドクと高鳴る。

 

 拍動のリズムは人体の限界を軽く超えていた。

 小さなエンジンを無理やり速く動かしているようだ。

 そうでもしなければならない理由があるらしい。

 

 きっと外の何かが原因。

 

 彼の肉体に固着した性質は、使いこなすのも彼でなくてはならないということか。

 通常の十倍ほどにぶん回して、やっとその異能が発揮されている。

 

『――――は。……へたくそ、だな』

 

 くつくつと笑ってやる。

 

 声は一切でないけれど、それでも刃向かう意思が止まらなかった。

 

 だって、そうだ。

 

 目の前の少女が、こんなにも必死に戦ってくれている。

 

『ひよりが、強すぎて、手も足もでねえ、か』

 

 瞳を見ればどことなく分かった。

 彼女も彼も予測は同じだったらしい。

 

 きっと勝てない。

 

 いつかは崩れ去る均衡を、必死で繋ぎ止めている。

 それが実を結んで長い間の打ち合いを成立させた。

 

 とんでもない。

 上出来だ。

 誰がどう見たって彼女の奮闘は讃えられるもの。

 

 痛ましすぎる光景ではあったが、それ以上に胸を打つ踏ん張りよう。

 

『……すげえよ、ひより』

 

 歯を食い縛って少女は耐える。

 己の身を削ってでも剣を構える。

 

 音も匂いもないが、実感するように見るコトができた。

 

 ああ、でも、いいんだぜ。

 どうせそんなに褒めたって、俺はなにもできやしねえよ、と。

 

『ほんと、よくやってくれてらあ』

 

 もしも。

 

 もしもこの身体が残っていたなら。

 この命がまだ繋がっているのなら。

 この手と足がすぐにでも動くなら。

 

 きっと彼女を抱き締めている。

 凄いものだと、流石はおまえだと、ぐしゃぐしゃになるぐらい頭を撫でている。

 

 それができないのは、少し――――

 いや、とても、彼にとって残念なコトだ。

 

『――――――――』

 

 ぼう、と瞳だけを意識する。

 

 世界に没入する。

 

 悠に残された知覚はそれだけだった。

 お陰さまで余計なコトがなにひとつできない。

 

 心臓の稼働も、視線の操作もすべて奪い取られている。

 身体は動かそうにも感覚が途切れていて繋がらない。

 

 だから、本気で妙な気分。

 

『――――――――――――』

 

 割って入った聖剣使い。

 

 それから逃げて強い神秘の反応を追う。

 

 辿り着いた先でまた蒼炎が爆発した。

 

 ――ずっと。

 

 見知った顔が何人かいる。

 一番手前で鉄潔角装を構えたのは戦闘部隊総司令――――葵だ。

 

 相も変わらず馬鹿げた威力の兆角醒。

 

 それを蒼炎とぶつかり合わせながら、時間を稼ぐつもりのようだった。

 

 ――ずっと、見ている。

 

 惨劇の始めから終わりまで。

 

 目を離すことはできない。

 

 してくれない。

 

 瞼を閉じるコトだって許してはくれなかった。

 そも、あったとしても背けるコトなんてしないのが彼なのだし。

 

 そこは変わらない。

 

 だから結局、これはただの確認にすぎない。

 

 ――自分(テメエ)の目と心臓を持って。

 ――自分(テメエ)の兆角醒を下手に真似して。

 

 好き勝手殺戮をくり返す生き物が存在する。

 

 久しぶりに本気で頭にきた。

 血が上っていくのを自覚する。

 

 そんな感覚すら残っていないハズなのに。

 

 どうにも抑えが効かないぐらい、己の胸中は暴れているようだった。

 

『――――――てめえ』

 

 覚えていろ、と吐き捨てる。

 

 いまはまだ何も出来ない。

 口出しも手出しも不可能だ。

 

 だが。

 だがしかし。

 もし、いつか、その時が来たのなら。

 

 過去も記録も関係なく。

 

 

 ――――オマエは跡形もなく、殺すと決めた。

 

 

 

 

 

 

 



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11『不夜を奪う③』

 

 

 

 収容所、並びに本部襲撃から十時間。

 時刻はすでに夜の九時を回っていた。

 

 冬の季節は日が落ちるのも早い。

 寒さの増してきた昨今なら気温だって氷点下を優に超える。

 

 辺りはすでに真っ暗――――な、ハズだった。

 

「…………、」

 

 闇を照らす薄明かり。

 向かって西の空に蒼い日射しが見え隠れしている。

 おかげで視界は十分なぐらい確保できていた。

 

 夜は来ない。

 出力を増した蒼い火の鳥が、太陽代わりとなって光を灯している。

 

 すなわち、それは。

 

 すでにそんな領域にまで手をかけているという事実。

 

「――――――」

 

 くるり、と妃和は振り返るよう外から視線を映した。

 

 急拵えの小さなテントのなか。

 簡素なベッドに横たわる悠の顔には色がない。

 当然だ、心臓が無くなっているのを無理やり彼女の兆角醒で生かしている。

 

 意識は戻らなかった。

 あれから一度も、目を覚ますコトも反応を返すことも。

 

「無駄よ」

「ッ」

 

 傍に控えていた緋波が立ち上がる。

 

 彼女の表情はまったく読めない。

 平坦な声はその温度すら感じないほどだ。

 

 そのあたりがこの女性のわかりにくさに繋がっているのだろうが――いまはそれよりも、言い返したくなる気持ちに駆られた。

 

「なにが、ですか」

「生命力を送るだけで解決しないわ。どうやっても、心臓がない人間は死んでいるのと同じでしょう……?」

「なら、取り返してしまえばッ」

「取り返して、どうするつもり?」

「――――――ッ」

「……まあ、どうとでもなるでしょうけど」

「…………………………、え?」

 

 どういう意味だろう。

 そう思って顔を上げた瞬間、緋波がするりと横を抜けていった。

 

「あ、あのッ!?」

「? なにかしら」

「どうとでもなる、とは……」

「だから、取り返すのでしょう?」

「…………それで、悠が……本当に……?」

「…………気付いていなかったの?」

「気付くもなにもないと思いますが!!」

「そう……」

 

 ふむ、と考えこむ緋波。

 眉間にシワを寄せている姿はその雰囲気も相まって重苦しい。

 

 おそらくはなにかの算段をつけているのだろう。

 きっと難しいコトだ。

 

 妃和としても頭を悩ませるのは当然だと同意しかけて、

 

「……意思疎通って、難しいわ……」

「……………………………………、」

 

 言いたいことをグッと堪える。

 

 妙に真剣味のある表情だから勘違いをしていた。

 というか、難しさをつくる要因の半分以上は彼女の側にあるのでは、と思う妃和である。

 

 いや、口下手だったり話し方が上手くなかったりするのは個人差で仕方ないところかもしれないが。

 それはそれとしてやっぱりどこか致命的なズレがあるような。

 

「……彼の心臓が治らないのはまだ稼働(いき)ているからよ。瞳もそう。身体と繋がってはいないけれど、そうやって誤認されているから純エーテルが働かない」

「……アレが、取っていったからですか」

「ええ。だから別に、焦るもなにもないとは思うけど……」

「そう、なんですか?」

「……だって、倒せば元に戻るじゃない?」

「た、倒せば……ですか……」

「…………、別に、心臓を潰すだけでもいいけれど……」

「そ、そうですか!」

「ええ……」

 

 少しビックリする緋波をよそに、妃和はパンと頬を叩く。

 

 なんにせよもらった情報は僥倖だ。

 取り返す奪い取るというのは初めから考えていたコトではあるが、潰すだけというのはなんともシンプルでいい。

 

 余計なコトを考えず、ただそれだけに専心できる。

 

「そうと決まれば行きましょう! 早くしないといずれ――」

「そうね。……ええ、頑張って」

「はい! ありが――――え? いや、行かないんですか……?」

「……? 行かないけれど……」

「な、なぜ」

「だって、聖剣使いだもの。私」

「………………、」

「………………?」

 

 なるほど。

 たしかに、意思疎通がとても難しい。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 火の鳥の襲撃から生き残った彼女らが避難場所として選んだのは、本部から十キロ先の山間部である。

 

 木々の少ないはげ山だが、傾斜の少ない平地もそこそこ。

 

 非常用のテントだけは本部周りの居住地からどうにか持ってくるコトができたのが幸いした。

 街から逃げ延びてきた者も含め人数はちょっとした軍隊クラスだが、今のところコレといった大問題は起きていない。

 

 怪我人の容態も妃和の兆角醒でなんとかなっている。

 

 ……そもそも目の前の問題が大きすぎて多少のことなら些事になっているというのが現状だが。

 

「――――話は分かった」

 

 その外周に展開されている戦闘部隊の緊急司令部。

 

 葵を中心に戦える者が数名。

 腕は立たずとも動ける者がさらに数名という有様だが、それでもないよりかは断然マシな戦力だ。

 

 とくに葵が軽傷で済んでいるというのが一番大きい。

 

「とりあえず、妃和。そこの聖剣使い(役たたず)を捨ててこい。こんな事態で動かん奴に食わせる飯はない」

「夕食なら要らないわ。さっき食べたもの」

「ちッ」

「……いえ、あの。ずっと私と一緒にいたんですが、食べてませんよ……?」

「十時ぐらいに、食べたわ」

「……………………、」

 

 もしかしなくてもこの人普通に死ぬんじゃないだろうか、と不安になる妃和だった。

 

「……十藤緋波。貴様、妃和には手を貸したのだろう」

「ええ、そうね」

「ならばなぜ同行しない。理由はなんだ」

「私が聖剣使いだから、という以外に理由がある……?」

「それが、理由、か」

「ええ」

「――――――――」

「………………??」

 

 〝どうしよう母さんが凄いキレそうだ〟

 

 これ以上はないほどの我慢である。

 こめかみにピクピクと浮かび上がる血管を妃和は見逃さなかった。

 

 たしかに彼女としても先ほどは「なぜ」と思ったものだが、緋波だってその通り聖剣使い。

 

 麻奈は個として在り続けなくてはならない、と。

 伽蓮は集団行動ができないだなんてキッパリ言ってのけた。

 

「……私()()で挑むとなると、手出しができないというコト、ですか?」

「! ……そう。貴女ひとり抗うのと、誰もがこぞって戦うのでは違うの」

「ですが、この前の――木の怪物と戦った時は、協力できたと」

「……伽蓮さんのコト? なら彼女、途中から乱入して、好き勝手暴れて帰ったでしょう。あれぐらいならまだ、ギリギリセーフだと思うから」

「…………もしかして、私たちから声をかけた時点でもうダメなんですか……?」

「……そうね。そうなるわね」

 

 はあ、と重いため息をついたのは妃和ではなく葵だった。

 浮き出た血管は収まらないものの、その表情からは少し怒りが薄れている。

 

「……どうして貴様らはそれをもっと早く分かりやすい形で言わんのだ」

「麻奈さんなら言ってくれるわ。あの人は、真面目だから」

「どこがだッ、無理だと丁寧に言われただけで理由は曖昧なままだったぞッ」

「……そう。あの人でもそうするのね……、……難しいわ」

「…………とにかくッ」

 

 これ以上は我慢ならない、と葵が立ち上がる。

 

 なんにせよ緋波の協力は望めない。

 もとより聖剣使いが役に立たないというのは想定していたコトであった。

 

 悠の兆角醒がある限り勝機はないも同然。

 それを絶てば出力の増加は収まるのなら。

 

 ――初めから、手段は限られているようなものだ。

 

「流崎少年の心臓を取り除く、というコトは分かった。だがそこの女が手を貸さないというのなら、単純に戦力が」

「大丈夫でしょう」

「……どうしてそこで貴様が言い切る、十藤緋波」

「だって、彼女が居るじゃない」

「……妃和が?」

 

 葵とバッチリ目が合う。

 彼女がいまどういう心境か、深く考えなくても察してしまえる妃和なのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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11『不夜を奪う④』

 

 

 

 

「自滅を孕んだ兆角醒だと……?」

「ええ。だから倒すことはできないでしょうけど、心臓を奪うぐらいなら可能だわ」

「………………妃和?」

「――――――、」

 

 ふいっ、とそっぽを向く少女。

 

 震える葵の表情は少しだけ青くなっていた。

 心当たりなんてモノは――ちょっと、ありすぎる。

 

 というか記憶に新しい出来事だ。

 

 〝妃和。おまえの兆角醒で怪我を治せるというのは本当か〟

 〝いえ、怪我が治るというか、生命力を渡せるというか……〟

 〝……単刀直入に訊く。ここの負傷者たちを癒すことはできるのか〟

 〝――それは、できます〟

 〝そうか。……おまえの兆角醒は、なんとも優しいものだな〟

 〝――――――ソウデスネ〟

 

 なんてやり取りをしたのが一時間ほど前。

 そのデメリット――彼女自身の炎がどんな性質かなんて詳しい説明はしていない。

 

「おまえ、あれだけいた怪我人を、治したな?」

「……まあ、はい」

「兆角醒を、使っていたな?」

「…………はい」

「………………自分に、影響は?」

「いえ、別に、ちょっと火傷するぐらいなのでそこまで深刻では――」

「服を脱げ妃和ィィイイイイ!!!!」

「!?」

 

 マジか、と言いたくなるような言葉と行動だった。

 ガバッと跳ね上がった葵の身体が真っ直ぐ妃和に向かってくる。

 

「今すぐ肌を出せェ!! 私は知らないぞ!! 聞いていないぞそんなコトをォ!!」

「ちょッ、ま、待ってください総司令! 陽向総司令!? ――――母さんッ!?」

「自分の身を削るだと!? 火傷だと!? どういうことだッ!! おまえの力はッ」

「せ、説明にも時間が要りますので!! その、いま話すべきではないことかと! それに純エーテルのお陰で傷も長引きませんし!!」

「そこまで適性が高いワケではなかったろう妃和はッ!! 見せてみろォ!!」

「きゃーーーーーーーーー!!!???」

 

 ガバッと上着を剥ぎ取られる妃和。

 ついでと言わんばかりに服へ伸びてくる手をなんとか掴む。

 

 この場には同性しかいないが、それはそれ。

 なんにせよ外で他人に肌を見られるというのは普通に恥ずかしい。

 

「母さん! 落ち着いて、やめてください!! こう、変態的です!!」

「なら私以外誰も見ていなければ大丈夫なんだな!?」

「い、いえ。いまそういう時間を取るのは、どうかと。ほら、戦闘準備のほうが――」

「図星かァ! 見せられない理由があるなァ!! 妃和ィ!!」

「――――ああもうッ! こうなるから言わなかったんだ母さんには!!」

「妃和ィ!!!!」

「…………やかましいわね」

 

 三者三様の感想。

 

 なるべく肌の露出しない格好をしているお陰でバレずに済んでいたが、実のところ能力を使うたびに妃和の身体は焼け爛れていっている。

 

 初戦ですでに火傷跡がない部分のほうが少なかったくらいだ。

 全員に生命力を配っている頃には顔にまでつく始末。

 

 髪を切らないで伸ばしていたのが功を奏した――と思っていたのだが、こうなっては意味がない。

 

「…………どれほどの、ものなんだ」

「どれほど、とは」

「一体どの程度、反動を受ける」

「……正直、いまは動くだけで全身に激痛が」

「――――――ッ、そう、か」

 

 ゆっくりと、気持ちを落ち着かせるように葵が椅子に座り直す。

 ただ誰かを癒すだけの力、なんて思っていた彼女からすればショックなのだろう。

 

 けれども仕方がない。

 妃和の会得したものは妃和自身が強く願って心に宿した望みそのもの。

 

 兆角醒とはそのようなものだ。

 今更変えることも、なにかと取り替えることもできない。

 正真正銘、彼女自身に許された神秘の秘奥こそが自滅と救済の炎なのだから。

 

「……妃和」

「は、はい」

「詳しく、教えてくれ。おまえの力がどんなものなのか。……そこの女が言うとおり、本当に怪物を相手にできるものなのかどうか。……そこを、知りたい」

「……ひとつだけ、良いでしょうか」

「……なんだ」

「私はもう、戦闘部隊じゃありません。……母さんがどう判断しても、私はアレと戦いますから」

「………………、莫迦娘」

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 話し合いは五分もかからずに終わった。

 

 結果は言うまでもない。

 昔からこうと決めたコトは簡単に譲らなかったのを思い出す。

 

 現状と、これからの算段と、彼女が起こす可能性。

 それら全てを冷静に考えていけば、自然と答えは出ていた。

 

 陽向葵としてはなんとも認めがたい、

 戦闘部隊総司令としては当たり前の選択肢だ。

 

 …………ほう、と息を吐く。

 

 戦力をかき集めるよう指示は出した。

 あとは数分もしないうちに最低限の人員が揃うだろう。

 

「――――悩み事か、総司令殿」

 

 と、そんな風に物思いに耽っていれば、不意に声をかけられた。

 見ればテントの入り口から覗くような視線が投げられている。

 

「……美沙か」

「なんだ。随分と暗い顔をしている。いまから戦場なのだろう? 気勢を上げるのがおまえだと思っていたんだが」

「……もうそんな歳じゃない。落ち着いたものだ。時間も経験も積んだからな」

「そうか。それはそれで、まあ、良いことだな、うん」

 

 頷きつつ中に入ってくる極東第一収容施設所長。

 

 その格好はいつもと違って荒れ果てている。

 ところどころ破れてほつれた制服。

 黒く煤けた肌、こびりついた血の痕。

 

 火の鳥の襲撃がどれほどのものだったのかは、それだけで想像に難くない。

 なにより彼女たちも本部で同じ被害を受けたばかりだ。

 

「そういう美沙も顔色は悪いように思うが。流崎少年にはついていなくていいのか」

「さっき見てきたよ。いまはまだなにもできない。巴嬢に生かしてもらっているだけだからな。……ああ、彼女の力があって、本当に良かったよ」

「――――そうか。それは、なによりだ」

「………………地雷だったかぁ」

「…………………………、」

「…………………………、」

 

 しん、と静まり返る簡易司令部テント内。

 

 外から聞こえてくる喧噪はおそらく人を呼ぶ声だ。

 葵が把握しているだけでも部隊長クラスの人間が数人は居る。

 

 怪物相手にここまで被害を抑えて撤退できたのは彼女たちの尽力によるところも大きい。

 

「美沙なら分からないか」

「? 分かるって、なにが」

「流崎少年の素質は己の身を削っているだろう。……妃和の力も似たようなものだ。それを使わせてしまうコトが、どうにも」

「ああ、それでそうも気落ちしているんだな、総司令殿。なんだ、かわいいじゃないか。はっはっは」

「……………………、」

「――仕方がない。考え方の問題だよ。私たちの見込んだ相手は、自分の命を懸けて何かを成すことができる逸材というワケだ。それはとても、素晴らしいことじゃないか」

 

 心配なのは変わりないが! と美沙はからから笑ってみせる。

 

 無理な笑みというのは見なくても分かった。

 声の震えはきっとその末路を見たからだろう。

 

 行き過ぎた力の行使、命を投げ捨てたが故の今。

 

 それでもなお、彼女は上手く割り切ろうとしている。

 

「……仕方がないのさ。そうでもなければ、あいつではない。私の知るあいつは、少なくとも命欲しさに前に進むのを止めるような奴ではない。だから気に入ったんだ。恋をしたともいうな。だから、そうとも。あいつだから、仕方ない」

「…………そういう、ものか」

「そういうものだ。あまり見くびってやるな。私たちが思う以上に、あの子らは強く立派になっているよ。きっと」

 

 どこぞの聖剣使いが語ったコトを思い出す。

 相性でいえば完全に他の追随を許さない。

 出力としても一時的だが現状の葵を越えるほどの兆角醒だった。

 

 それが本当なら、妃和は戦力として申し分ないどころか必要不可欠な人材になる。

 

 片腕の欠損というハンデがあったとしても。

 その力に多大なデメリットがあったとしても。

 

「…………ままならん」

 

 ほう、といま一度ため息をつく。

 夜の空には蒼い星。

 未だ動かない光の中心に待つ敵は、選択の時間すらマトモに与えてくれそうになかった。

 

 

 

 

 



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11『不夜を奪う⑤』

 

 

 

 

 現状において必要な資格はいくつかある。

 

 ひとつは戦闘部隊に所属しているか、それと同等の技能を持っていること。

 ひとつは怪我の度合いが重くなく、戦いにおいて足手まといにならないこと。

 ひとつはあの怪物相手にただ蹂躙されるだけでなく、抵抗が可能な戦力であること。

 

 その全てを合格した人員は生き残りのなかでも少数だった。

 部隊に配属されているとはいえ、妃和の力でも手遅れだった怪我や傷を負っている者は参加できない。

 

 結果、集められたのは総勢二十三人。

 うち部隊長レベルと見ていい人材が妃和を含め五人。

 

 羽虫や普通の怪物程度なら一網打尽にできる戦力だが――――相手の力量を察するに物足りないと言っていい数である。

 

「先決は奴の力を削ぐコトだ。そのために心臓の破壊は必須項目になる。鍵は妃和だ。とにかく彼女を通せ。至近距離で優勢に立たせればその時点で事は成せる――――だな?」

「はい」

「よし。そのために私たちが道を開く必要があるワケだが――まあ、なんだ。オブラートに包んでも仕方ない。我ら全員、露払いを全力で。死体で橋をつくれると良いな、貴様ら」

「よっし、総司令からいつもの死刑宣告きたぞ」

「あの、お腹痛いんで帰っていいでしょうか」

「というか本気で勝てるのかアレ……もうトラウマレベルの強さ見せつけられたけど」

「妃和ちゃん、怖いならやめて良いんだよ。自分の命、大事だよ。多分」

「いえ……あの、私は俄然やる気ですし……」

「うーん、似たもの同士ぃ……育てた環境かァ……」

 

 言いながら、妃和が隊員たちにもみくちゃにされている。

 

 なんだかんだで総司令の引き取った子供というのは一部で有名だ。

 大っぴらにはされていないものの、古株の隊員たちには小さい頃から見守られていた。

 

 そのおかげか入隊時にはちょくちょく誘われたりしたのだが、それも昔の話。

 いまは年月を経て落ち着いてきたか――――と完全に油断しきっていた矢先だった。

 

 そりゃあ先ほどの悲惨な現場から生き延びたベテランたちである。

 自然、年季の入ったメンバーが固まるのは当たり前。

 

「その心臓? 潰すのって、総司令だけじゃ無理なんですか?」

「無理だ。いまの力ではせいぜいかすり傷を入れるのも苦労するな」

「うへえ、じゃああたしら力になれませんよー……てか妃和ちゃんならもっとだよー」

「それがこの子、兆角醒に目覚めたんですって。めちゃ強いらしい。凄いね!」

「いえ、それほど、でも」

「あはは。顔カタいよー。緊張してるのカナー。ほら、ほっぺたぷにって」

「――――やめんか貴様らァ! 大事な話をしてる時にヒトの娘をぐしゃぐしゃにしおってからにィ!! 時間がないんだぞ分かっているのかァ!!」

「か、母さんっ」

「私も混ぜろォ!!」

「母さん…………!!」

 

 騒ぐベテラン、もとい緊張感皆無の隊員ども。

 妃和のほっぺを引っ張り頭を撫でたりと好き勝手している彼女たちだが、戦闘準備は全員もれなく済んでいる。

 

 そのあたりの切り替えというか、最低限やるトコロはキッチリというあたりがなんともまあ。

 

「というか、アレよ。悲壮感たっぷりで突っ込んでもそりゃ勝てる戦も勝てないのよ。心に余裕がないと何事も上手くいかないからね?」

「しかし、早くしないとアレはッ……それに、移動する可能性も」

「今んところ動いてないッスよ、蒼い鳥。本部上空で停滞してるッス。たぶん、総司令が足止めしたときにぶちまけた兆角醒の残り滓でも食べてるんじゃないですか? ほら、純エーテル取り込むっぽいですし?」

「そも、すでに私の火力を越えている時点で対抗策はおまえ以外にないようだからな。妃和。……美沙にも聞いた。おまえの火は、アレを打ち消せるのだろう?」

「それは……まあ、はい」

「ならば良い。確実に切り札は妃和自身だ。出力の増加は厄介だが……そっちに関してはあの女から良いコトを聞いた。ひとつ、試してみれば分かるだろう」

「?? 良いコト……?」

「誰も彼もが必死に命を懸けているのに、私だけ無茶をしないのも不公平というコトだ」

 

 くすりと葵が笑う。

 むき出しにされた犬歯と鋭く細められた視線。

 

 妃和が久しく見ていなかった表情だった。

 獲物を狙う肉食獣じみた凄惨さ。

 たぶん、彼女に救われた直後ぐらいはよく見た顔だ。

 

 まだなにも、陽向葵という存在を縛るモノがなかった頃のモノ。

 

「少々暴れさせてもらう。妃和も流崎少年も己が身を削っているのだ。私だって存分にやってやろうじゃないか。まあ、せいぜい怪我をする前に一瞬戻れるかどうかだが」

「母さん。それは、相当な無茶になるんじゃ……?」

「おまえに比べれば造作もない。多少血管が破裂するぐらいだ。多分」

「それは多少ではないと思う……」

「――――なんだなんだッ、総司令殿がようやく重い腰をあげるのかッ」

 

 と、妃和としても聞き覚えのある声が響いた。

 

 特徴的な少し掠れた音。

 豪放磊落と笑うカオはだがしかし凶悪的。

 

 彼女の記憶でも、ニィッと悪人じみた笑顔が似合うのはたった一人だけだ。

 

「あ、甘根隊長……」

「む? ああ、巴隊員。いや、今はもう隊員ではなかったか。まあどちらでも構わん。話に訊くところひとりで怪物を相手にしていたそうだな。……そうだ。総司令殿とは別で、そちらにも少し、興味が湧いているのだが」

「……はあ……それは、どうも……?」

「――――少々、手合わせ願おぉぉおおぉおおおおッ!!??

 

 ごきごきごき、と人体からいやな音鳴り響く。

 一瞬だった。

 妃和の傍から真樹の背後に移動した葵が、容赦なく彼女へとアームロックを仕掛けている。

 

「そこまでにしておけ、甘根隊長(バカモノ)

「く、ふ、ふはははははははッ!! ああなんだ! 痛いな総司令! 新手のスキンシップか!? 正直こちらとしては流崎悠が潰れている時点でフラストレーションが溜まっているのだが!!」

「それを発散する機会がこれからだろう。あの火の鳥相手で我慢しろ」

「つまらんなァ!!」

 

 対人戦でしか得られない栄養とかそういうのがあるのだろうか。

 妃和にはまったく分からないコトだが、どうにも真樹は乗り気でない様子。

 

 怪物相手だとおそらく何かが足りないのだ。

 それがなんなのかは当然さっぱり、皆目見当もつかない。

 

「――――が、事が成せれば彼が目を覚ますのだろう? 実に良いじゃないかッ。素晴らしい! そういう作戦は大賛成だな、私としてもッ」

「まーた第九部隊のアタマが爆発してるよ」

「ていうかあそこは魔境だから。バカとサイコとやべー奴しかいないから」

「その中でも氷の十字架相手に我先にと突貫して生き残った猛者は違うわ」

「いやほんと甘根隊長はなんで五体満足でいられたんだ、アレ」

「……総司令として、貴重な戦力故にいまはなにも言わんが。ああ、言わないんだが……」

「母さん……」

「こいつ、隊員を失ってから余計に歯止めが効かなくなっている気がするな……」

 

 なんとも重苦しい言葉の吐露だった。

 おそらく悲しみを誤魔化すためだとか、仲間の死から逃げているとかではない。

 そんな風にセンチであればもっと顔色に他の色彩が見えている。

 

 あれは多分、単純に今まで立場から堪えていたストッパーがぶっ壊れただけなのだ。

 

「――――ともかく、すぐに決行だ。各人準備はできているな、行くぞ。

――――これより奪還戦、すべて取り返していく

 

 

 

 

 

 



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11『不夜を奪う⑥』

 

 

 

 

 大地が溶ける。

 空気が妬ける。

 

 蒼色に光る夜空の景色。

 その中心には最も明るく輝く一等星。

 

 熱量でいえば二つ目の太陽になってもおかしくないほどだ。

 並の人間なら周囲に近寄るコトすらできない。

 百メートル、五十メートルと距離を縮めるだけで身体は燃え死に至る。

 

 純エーテルを食い物にする怪物。

 悠から心臓と瞳を奪った無限の火力を持つ外敵。

 

 蒼い火の燃える鳥。

 

 それは最早、誰にも手のつけられない脅威だった。

 

 

 

「――流石なものだな、巴妃和」

 

 

 

 ユラリと翼が反応する。

 声の出所はすぐ真下。

 取り込んだ〝彼〟の瞳でその正体を凝視する。

 

「炎の膜とは。アーマー代わりというコトか。いやはや実に素晴らしい。是非とも、時間さえあればなァ」

 

 くつくつと笑う紫髪の人影。

 熱によるものか、そのシルエットが若干ぼやけている。

 

 ……いや、違う、あれは燃えている

 身体を纏うようにして、ただの人間が炎に巻かれて平気でいるのだ。

 

「それを全員に配ってまだ余り有るのだから、相当なモノだろう。いい兆角醒だ。目覚めの瞬間を是非とも拝みたかったぞ。――だがまあ、今はそれよりも、というコトかッ

 

 爆発する神秘の粒子。

 

 変化は急激に。

 怪物が休息状態から臨戦態勢に入るより早く、彼女はその力に火を点けた。

 

 現状総司令に次ぐ戦闘部隊の最高戦力。

 誰もが大きな怪我を負った北極遠征にて生き残った傑物。

 

 

 

 兆 角 醒 ッ !! 

 

 

 第九部隊隊長、甘根真樹。

 

「ハハハハハハハハハ!! 如何せん、全力でとの命令だッ! 血管がぶち切れようがなんだろうがギアを上げるぞ!? 私とてッ、羽虫程度に破られるような空間をつくるのはもう我慢ならんのでなァ!?」

 

 景色が変貌する。

 燃える土砂灼熱の大気もすべてが塗り替えられていく。

 

 澄み切った青い空

 地平線まで広がる水面の大地

 

 ――それはかつての誰かの願い。

 いまはもう過去のものとなった少女の誓い。

 

 本筋では語られるコトのない、意味をなくした物語だ。

 

「ああそうとも。私の世界はそう脆くない」

 

 彼女は過去を振り返らない。

 引き摺りさえしない。

 

 前を見て進む精神性は、けれども原初の想いだけを力とした。

 

 失くしたモノは戻らないから。

 故に、有るものだけを拾い集めて往くために。

 

 ――ああ、だから。

 すっかり忘れた、もう知らない。

 

 黄昏色の空を憎んで、凍りつく海を睨んで。

 鮮やかな景色が見たいと笑ったのは、一体誰のコトだったろう――

 

「これこそが至高の領域だと、私は知っているからなァ」

 

 抜け落ちた記憶は真樹自身にも分からないコトだ。

 けれども残滓がどこかに散らばっていたのだろう。

 

 覚えていないが確信がある。

 己の力に不変の自信を抱く。

 

 ――限界を越えて形成した、青く染まる空と海

 

「ところで準備はいいか? 覚悟はできたか? ああ構わん、応えるな。良くなくとも揃って()()()()()()やるとも」

「――――、――――」

「――――…………――――」

「――――!! ――――!?」

 

 真樹の言に反応するようどこからか声が響く。

 

 くぐもった音はなんと言っているかさっぱり分からない。

 その発信源を探ろうにも隠されていて曖昧だ。

 

 空間に満ちた純エーテルと、その世界を支配する彼女の介入が覆い隠すに値する。

 

「では行くぞッ、心して跳べ!! 全員ッ、射出だァ!!!!

 

 ――瞬間、

 水面から打ち上げられる、ロケットのような水流の渦。

 

「おおおわあぁあぁああああああッ!!??」

「あのバカ! やりやがった本気でッ! あたしらまで巻き込んで!!」

「妃和ちゃんと総司令だけって話じゃなかったぁ!?」

「話が違いますぅ! 空中戦はちょっとアレだよ! 慣れてないよお姉さんたち!!」

「てかその肝心のふたりはどこ行った!?」

「あそこ! 上! ――――真っ先に向かってるってェ!!」

 

 放たれたのは人間を乗せた水の弾丸だ。

 

 能力の応用による輸送。

 真樹の創った世界において空も海も自由自在。

 おまけに全員にかけられた妃和の炎が多少の傷を癒してくれる。

 

 そうすればなんの問題もない。

 誰しも空中に漂う怪物に手が届く。

 

「よくやった甘根隊長! やってみるものだな、案外ッ」

「――――ッ、感謝、します……!」

「大丈夫か妃和! おまえに倒れられては困るぞ!」

「全然ッ、なんの、これぐらいッ! 私は平気ですからッ!!」

「無理をするなよ! だがよく言った!! 先ずはコイツを――――」

 

 灼炎が走る。

 妃和のモノより純粋な、この宇宙の法則に従った火炎の色

 

 力では敵わない、と人類の最高峰に立つ彼女は言った。

 すでに自分の火力を越えている、と。

 

 ――――だが、それは様々な条件によって縛り付けられたものだ。

 

 北極遠征でボロボロにされたとはいえ、それでもなお葵の兆角醒は化け物じみている。

 地上では本気を出せない。

 彼女自身の制御できる範囲でなければ仲間諸共燃やしてしまう。

 

 なによりその存在の重さに地球(ほし)が耐えられない。

 

 ならば。

 

「空から、撃ち落とす!!」

 

 そのうちの幾つか枷を外すコトができればどうなるか。

 

 

 

 兆 角 醒 ―― !!!! 

 

 

 

 吹き荒れる膨大な熱量。

 周りすべてを焼くような火炎

 誰も彼も、彼女の力を前に等しく傷付いていく。

 

 ――――それを防ぐ生命の灯火

 歪む環境すらなおも堪える幻想空間

 

 補っていた身体の鉄潔角装を一時的に取っ払った。

 死にかけの身体を、生命維持の必要な人体を、

 纏わりついた妃和の炎が代わりとなって支える。

 

「そう何度も使えるワケではないが! イマ使わなくて何時使うのかというものだからなァ!!」

 

 揺らぐ蒼炎はすでに輝きを越されていた。

 

 空に浮かぶ焔の塊。

 彼女こそが真実そのものだと讃えるかのような目映い光。

 

 陽向葵という人体そのものを介した太陽の疑似再現だ。

 本来なら集団戦において使用できないハズの超火力を、いまは容赦なく振りかざすコトができる。

 

「――――礼を言うぞッ! 甘根隊長!! 妃和ィ!!」

 

 交ざり合うふたつの

 

 葵の半身はすでに不確かな形となって揺らめいていた。

 周囲に浮かぶのは九つの刀剣はすべてが鉄潔角装。

 摂氏一万度以上の炎を宿して、彼女を護るように展開されている。

 

 いつかたった一人にして怪物を屠ったヒトガタの太陽。

 その時ですら使わなかった()()の力に手をかけた。

 

「――――撃ち抜けェ!!」

 

 炎をまとって射出される鉄潔角装。

 威力、速度、共に攻撃としては申し分なし。

 優に音を凌駕した剣弾が、怪物の翼を貫く。

 

『――――――――!!』

 

「――――私を、忘れるなよ」

 

 

 その隙に。

 追い付くよう上昇してきた妃和が剣を構える。

 

 刀身にはすでに赤火が走っていた。

 彼女の力は最初から万全の状態だ。

 

 蒼炎では対抗できない兆角醒。

 常に途切れることなく回されるソレは、まさしく怪物にとって脅威以外の何物でもない。

 

 

「その瞳と心臓をッ、悠に返してもらおう――――!!」

 

 

 青空に爆発が広がっていく。

 奇しくもそれが、戦闘状態に移行した火の鳥との開戦を告げる合図だった。

 

 

 

 

 



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12『蒼火の雌鳥 前編①』

 

 

 

 

 撃ち抜かれる炎の蒼翼

 焼き殺していく赤火の異能。

 

 挟むようにして放たれる脅威に怪物が震える。

 

 出力の増加は分かっていたように彼と比べて劣悪だ。

 本部を襲撃して数時間も経っておきながら、せいぜいがもとの十倍から二十倍程度。

 

 そのぐらいならまだ想像よりも低い範疇。

 悠なら数分で辿り着ける上昇値だ。

 

「やはり貴様にその力は不相応らしいなッ!!」

 

 妃和の蒼炎を切り裂いていく。

 

 能力の優位性は未だに健在だ。

 いくら火力を増そうとも、いくら攻撃を重ねても意味がない。

 それが赤火の対象外ならすべて例外なく焼き殺される。

 

 焼却・燃焼の概念を担う兆角醒。

 蒼炎を相手にその力が突破されることは、万に一つだってありはしない。

 

「怪物如きがッ、悠のモノをどうにかしようなどと考えるからだッ!!」

 

 燃える翼はいとも容易く断ち切れた。

 ぐらり、と火の鳥の躯が空中でブレる。

 

 上空には狙うように展開される葵の鉄潔角装。

 すぐ傍らには逃がさないとばかりに赤炎を撒き散らす妃和の姿。

 

 数にすればたったの二人。

 けれども、怪物からしてみれば脅威たり得る二人もの人間だ。

 

 ――――反撃は、ないワケがなかった。

 

『――――――――――!!!!』

 

 背中側から噴射される蒼い炎

 

 千切れた翼を、穴だらけの羽根を、

 溢れんばかりの炎で無理やり修復しながら広げていく。

 

 狙いは一点。

 先ず真っ先に落とすべきは(なに)なのか。

 

 ――――ぎろり、と。

 

 の中で蠢く悠の眼球が、妃和に真っ直ぐ視線を向けた。

 

「――――――」

 

 包むように周囲へ伸びていく燃える翼

 三百六十度を覆った灼熱が彼女へと照準を合わせる。

 

 ポツポツと膨れ上がるのは蒼炎の弾丸だ。

 全方位からの一斉掃射。

 至近距離で行われるそれは回避もできない。

 

 防ぎ切るコトができれば問題ないが、この一瞬で妃和が炎を回すのは――――

 

〝まず――〟

 

 すこし、間に合わない。

 

 

『――――――!!』

 

 

 火球が熱量を増していく。

 発射まではコンマ一秒すらない。

 瞬きの直後にはすべてが直撃している未来が見えた。

 

 赤火での防御でやれるのはせいぜいが半分。

 それ以上は時間が許さない。

 

 彼女は刹那、半身の負傷を覚悟して、

 

 

 

「甘いわァ!!」

 

 

 

 切り裂かれていく翼の隙間から、戦闘部隊の制服を見た。

 

「おお! すっげ! めちゃくちゃ切れる!」

「妃和ちゃんの火を回してもらったのが功を奏したわね!」

「本当だよッ! やっぱ総司令が育てただけはある!」

「私たちもやられてばかりじゃあつまんないッスからね! ここいらでやり返すッスよ!」

「――――――」

 

 妃和たちと共に上空へ投げ出されたメンバーだ。

 

 彼女たちは本来この場において戦力たり得ない。

 技能も才能も申し分ないが、頭ひとつ抜けているかと言えば微妙なところ。

 葵ほどの適正値の高さか、妃和のような相性の良さがなければ鉄潔角装だって蒼炎相手に軽く燃え尽きる。

 

 ――だからこその、赤火の防護膜。

 

 それは熱を防ぐだけではない。

 鉄潔角装の周囲にまで張り巡らされた炎は当然ながら斬撃時にもその効果を発揮する。

 流石に彼女自身が使うより威力は落ちるが、翼に傷を入れるぐらいなら簡単だ。

 

「――――助かりましたッ!!」

 

 ――胸の奥にある炉心を回す。

 

 感覚は鈍く重く。

 藻を掴むような手応えを、解放するよう引き摺り上げた。

 

 蒼炎を吹き飛ばす赤紅の火

 

 記憶にある光景と、目の前に漂う外敵の姿。

 見本となるモノはこれ以上ないほど揃っていた。

 故にこそ、現実とするのに苦労はしない。

 

「――――――――ッ」

 

 イメージは鮮明に。

 想像の光景と現実の感覚を合致させる。

 

 始点は己の肩甲骨から。

 並べて三つずつ、同時に放出させるように。

 

 ――――赤い翼が、背中に生えていく。

 

「あぁぁああぁぁぁあぁああぁあぁああ――――ッ」

 

 を覆う燃える赤色

 

 それが彼女の奥底に眠る素質だったのか、

 それとも天の上から授けられた祝福が効果したのか。

 

 なんにせよ、現実に引き出された以上は消えない。

 

 大きさだけで言えば優に怪物を越えている。

 悠が使った純エーテルの翼でさえまだ小さく思えるほどだ。

 

 ゆらりと蠢く三対の羽。

 数値にしておよそ百メートル以上。

 

 灼熱を固めた赤色の燃える翼が、その背後に展開される。

 

 

「――――あぁああぁあああッ!!!!」

 

 

 使用されているエネルギーは相当なものだ。

 純エーテルに頼る兆角醒である以上、その消費は間違いなく激しい。

 

 だというのに息切れを知らないような限度の無さ。

 ああ、ならばそう、おそらくは。

 

 ――――まだ、女神の加護が残っている。

 

 

「――――無理をするなよ、妃和ッ!!」

 

 

 そして、なにも警戒するのは妃和だけではない。

 上空から鉄潔角装を手に落ちてくる太陽。

 

 半身を自らの能力(チカラ)に蝕まれようと意志は不変だ。

 痛みも苦しみもすべてを棚に上げて標的へ迫っていく。

 

「だがいつまでも空では芸がないッ!! 宣言通り墜ちてもらうぞッ!!」

『――――――、――――――』

 

 声なき声で叫ぶ火の鳥。

 

 言葉も感情も彼女たちには一切伝わらない。

 意思疎通の手段はすでに消えている。

 多くの犠牲者を出した時点で人類にとって紛れもない外敵だ。

 

 ――そんな相手に、耳を貸すようなコトもない。

 

『――――――――!!』

 

 の炎が揺らめく。

 

 どちらも蒼炎の力には屈しない。

 

 ひとつはその性質故に真っ向から食い合い、

 ひとつはその出力故に削られながらも十分な威力を残した。

 

 

 

 ――――蒼が爆ぜる。

 

 

 

 悠との交戦時、収容所からの逃走時。

 

 二度にわたって使用された自爆まがいの炎の噴射。

 今回はそれを、周囲一帯灼き尽くすための攻撃に転用して、

 

 

 

 

 

「無駄だろう貴様ァッ!!」

 

 

 

 

 

 爪痕を残す間もなく、妃和の翼でかき消された。

 

「一度見たものでッ、どうにかできると思うなよ――――!!」

 

 走る剣閃はふたつあった。

 左右からどちらも片方ずつ。

 

 今度こそは治す暇もない。

 

 千切れる両翼。

 墜ちる影。

 

 羽を失った鳥がどうなるかなんて考えるまでもない。

 この場において制空権は彼女たちのほうに傾いた。

 

 

 ――――水柱があがる。

 大地の水面に躯を打ち付けながら、蒼炎の鳥がゆらりと蠢く。

 

 

「フハハハハハハッ!! ようやく来たなッ!! 待っていたぞォ!!」

 

 歓喜に満ちた真樹の声。

 それに呼応するよう引き上げられる水の渦。

 

 蒼い炎と接触しても世界は崩れないでいる。

 消え去る細部を常に彼女が補強を続けていた。

 全身全霊を振り絞った真樹の力は侮れない。

 

 そんな神経を磨り減らす行為を成した上で、水の槍を創り出す。

 

「プレゼントだッ!! 浴びて喜べ怪物風情がッ!!」

『――――――――』

 

 世界は塗り替えられた。

 怪物に降り注ぐ恩恵は無いに等しい。

 

 決して覆らないはずの天秤が傾く。

 

 どこからか聞こえる賛美の声。

 天上の意思はそれを潰せと吼え叫ぶ。

 

『――――――――――!!』

 

 

 

 

 

 



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12『蒼火の雌鳥 前編②』

 

 

 

「アハハハハハハハ!! ざまあないなァ莫迦女め!」

 

 空の向こう、星より遠い遙か彼方。

 地上の光景を見つめながら、彼女は盛大に笑い声をあげている。

 

「どうだ、悔しいか。敵わぬだろう、力及ばぬだろう」

 

 いっぱいに釣り上げられた口の端はこれでもかと感情を表していた。

 

 見世物にしては上出来すぎる。

 なにせ自分の一番大事なモノを壊してくれた奴が無様に負けているのだ。

 

 これを笑わずしてなにを笑えようか。

 

「私の後押しを余すところなく捧げてやった。おまえ一匹で勝てるワケなかろう。大人しく死ねよ、夏鳥。ハルカの心臓を奪うなぞ、貴様には出過ぎた真似だったのだ。おまえみたいな莫迦がどうしてあいつと並べると思った? ――――勘違いも甚だしい!!」

 

 苛立ちは心の底から来るものだ。

 堪える、我慢するといった選択肢はない。

 

 地球(ほし)に満ちる神秘の支配者。

 世界に隠れた法則(ルール)そのものとなった彼女は紛れもなく人外だ。

 

 ニンゲンになる前の価値観も相まって結仁にかつての()()()は薄れている。

 

「ああそうだ。気にくわない。おまえは私と仲が良かったな。中学の時に一度、派手に喧嘩をしてからか? 暴力的だが芯の通った良い女だと思ったのにな。――――いつの間にかハルカへ近づきおって。ふざけている。考えれば分かるだろう。ハルカはおまえみたいな莫迦に割く時間などなかったのだぞ? それを、よもや同じ高校にまでッ」

 

 気分も権能も神様じみた者の末路。

 彼女の精神はいつかの時間に取り残されている。

 

 摩耗して擦り切れた人格はもはや別物だ。

 それを醜いとかつての彼は断言した。

 

 まさしくその通り。

 ――――いつかは終わりに向かう、間違いだらけの時代を創った時点で。

 

「ここで潰えろ。その魂も記憶も、なにもかも。おまえに生きる価値はない。ハルカと触れ合う権利はない。彼は私のモノだ。私の夫だ。私の伴侶だ。おまえ如きに、どうにかできるワケないだろう」

 

 いつか見た枝分かれした未来を思い出す。

 

 あんなものは認めない。

 こんな救いようのない女と結ばれて幸せになるなどありえない。

 己とは絶対に、共に生きる結末が用意されていないというのに。

 

 ――どうしてこの女とはそういう可能性がある?

 

 それもまた、気にくわない。

 

「本当にままならないな。恋に障害はつきものとは言え――流石に多すぎると、なんだ。参ってしまうな。普通に幸せにしてくれんものだろうか。まったく……」

 

 女神の勝手な呟きは、誰に聞こえるコトなく消えていった。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

『――――――ッ!!』

 

 蒼炎の全身を水の槍が貫いていく。

 

 攻撃自体は大したコトじゃない。

 純エーテルで出来たモノはソレにとって燃料だ。

 炎を回せば――強度の違いによる速度の差はあっても――消し去れる。

 

 問題は、

 

「「「「「せぇーーーーのォ!!!!」」」」」

 

『ッ!?』

 

 

 完全に消し去る暇もなく、次々と攻撃が飛んでくるコト。

 

 

「だはははははッ! 捉えた!!」

「針山になった気分はどう!? って怪物に訊いても意味ないか!」

「純エーテルを燃やすっつったって全然だねぇ! こっちで補強すればなんとかなる!」

「いや、慣れてないと難しいッスけどね! 経験浅い新兵ちゃんだとキツいっすよ」

「結論、あたしら敵に回した時点で負けだったってワケよ。残念ッ!」

 

 落下と共に突き刺さる鉄潔角装。

 

 空中に放り出された彼女らは着地までその仕事を全うした。

 まだ翼すら治せていない火の鳥にとってはイイ追撃になる。

 

 警鐘を鳴らしているのは本能か、薄れ始めていた理性か。

 まずい、と燃える焔が焦って蠢く。

 

「――――退け、貴様らッ!!」

「げッ、総司令!!」

「まずいまずい! 突っ込んでくるよ一旦退避ィー!!」

「うおわぁあああああぁあッ!!??」

 

 バラバラと散っていく背中の気配。

 頭上からはそんなものより膨大なエネルギーの反応を感知する。

 

 ――止せば良いのに。

 ソレは他人の瞳を動かして、自分の頭上へ視線を向けた。

 

 そこには、

 

 

「――――吹き飛べ」

 

 

 ありえないぐらいに濃密な、

 明確に死の気配を覚えさせる、ヒトガタの天体が――

 

『――――――!!』

 

 藻掻くように手足を動かす。

 海原には波紋が広がっていた。

 

 けれどそれだけ。

 怪物に残されているのは足だけで、翼はふたつとも切り落とされた。

 

 未だ修復はされていない。

 

 絶え間ない攻撃で躯中穴だらけとなった弊害だ。

 治らないワケではないが、それだけ遅れてしまっている。

 

「――――――ふッ!!」

 

 衝撃は一瞬の間に。

 空から降ってきた熱量に怪物の躯が千切れていく。

 

 太陽に呑まれる無様な蒼色

 

 羽がなければ鳥は飛べない。

 そんなのは人にとって脅威でもなければ手の届かないモノでもない。

 

 当然だ、地に落ちた火の鳥は空を翔るという優位性をひとつ失った。

 蒼炎の絶対性も妃和の炎を前に相殺されている。

 

 最早ソレが圧倒できる理由など、どこにもなかったのだ。

 

『――――――――』

 

 青い世界で蒼炎が飛んでいく。

 

 原形は残らなかった。

 

 現実を浸食した幻想。

 水面で揺らぐ僅かな炎だけがその色を残している。

 

 ……トドメをさした葵に遅れて、妃和が地上へ降りてきた。

 

 その目が見ているのは総司令の足元。

 撒き散らされた焔の残骸に、違和感のあるふたつの異物が転がっている。

 

「――――……妃和」

「…………、」

「案外、大事にはならずに済んだ。そうつまらない顔をするな」

「い、いえ、私は――」

「これを潰せば終わりだ。予想以上に、向こうがそこまでの脅威ではなかったというだけだよ。偶には聖剣使いも見誤るらしい」

「…………そう、ですね」

 

 一歩、傍に近付く。

 

 に囲まれた心臓と瞳。

 不気味に脈動する臓器はいまだ生きている証拠だった。

 

 持ち主から離れて、これだけの形になってもまだ在り続ける。

 

 それを不気味と思わなくはない妃和だったが、いまはそんな感想より悠のコトだ。

 

「これで、あいつも――――」

 

 目を覚ましてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝そうはいかねえだろ?〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ッ」

 

 

 

 突然。

 耳鳴りが響いた。

 

 知らない声がする。

 脳髄を直接揺らすようなナニモノかの言葉。

 

「…………妃和?」

「――――な、んッ――――――」

 

 〝やるじゃねえの。良くやった。褒めてやるぜ小娘ども。数を揃えてボコすってのは基本的なコトだしなあ。勝つためだ。それもアリだろうよォ〟

 

 分からない。

 誰だろう。

 とても挑戦的な口調で、挑発の意味を多分に孕んだ言葉遣いだった。

 

 ……分からない。

 

 けれど似ている。

 奇しくもそれは眠りっぱなしになっていた彼と。

 

 〝ハルカのヤツとやってからやる気出てなかったんだけどなァ。眠気もしてたし、なァんかうるっせえのがちょっかい出してくるしよォ。ははッ、こりゃあイイ。()()()()してたんだが、ちょォっと目が覚めちまった。だから――――〟

 

 ドクン、と妃和の心臓が一際跳ねる。

 

 

 

 

 〝私直々に、相手してやるよ〟

 

 

 

「――――ッ!! まずっ、母さ――――」

 

 

 彼女が言葉を発するより早く、胸に衝撃が走った。

 

 トン、と身体を後ろに押される。

 

 散らばったハズの蒼炎。

 形をなくした燃える怪物。

 

 その残骸が逆巻くように、再度熱量を上げ始めた。

 

 ――――だからだろう。

 

 庇うように妃和を遠ざけた葵の選択肢は間違っていない。

 

 彼女の力量は本物だ。

 並の怪物相手ならどうなろうと生き抜ける。

 

 だから、問題は。

 それが彼の心臓と瞳を取り込んだ、蒼火の雌鳥であったという点に尽きる。

 

 

 

「――――ハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 

 

 炎の渦から聞こえたのは。

 呑まれた熱の先から響いたのは。

 

 誰でもない、その人の――――

 

 

 

「百年以上ぶりだなァ!! シャバの空気ィ!!」

 

 

 

 



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12『蒼火の雌鳥 前編③』

 

 蒼い炎が燃え上がる。

 不定形だったモノに確かな影が出来上がっていた。

 

 それは人。

 よく知る人。

 

 妃和にとっては身近にあった、焔に巻かれた彼女の姿。

 

 ――――陽向葵の、身体。

 

「んッんん!! あァ、良い調子だァ、声も万全ッ。ははッ、やっぱりコレだよコレェ! 肉体が有るってのは気分が良い! まァ、ヒトサマのモノってのがちょっとアレだが」

 

 響く声はまったく同じ。

 違っているのは話し方とトーンだろう。

 意識だけが丸ごとすり替わっているようだ。

 

 ……いや、厳密に言うならば。

 

 葵の身体だけが、その炎に呑まれてしまったのか。

 いつか奪い取った、悠のパーツなんかと一緒の要領で。

 

「しゃあねえよな。もう死んじまってる命だ。贅沢言える立場じゃねえってよ。けどな、悪いがそういうモンなんだ。私らの役割というか、仕事っつうか。まあ、システムみてぇなアレだよな。そう組み込まれてるから、余程じゃねえと歯止めなんざ効かない」

 

 橙色の髪が変色していく。

 肌はと同化するよう揺らいでいた。

 

 戦闘部隊の制服も、整った容姿も、なにからなにまで葵そのもの。

 なのに――けれど――別人だ。

 

 細かい所作が、身の振り方が、声の出し方が、喋り方がまったく違う。

 

 受け入れがたい現実は思考回路を停止させるのに十分だった。

 妃和は呆然と、目を見開いてその姿を眺めている。

 

 ワケが、分からない。

 

「もともと私は割り切りできるほうだし、人でなしのするコトだって思えばなんとでもなるけどな。枯木にはちょっと荷が重かったか。まあ、あいつはあいつでそれも良い。……しっかし残念なコトに、それで萎えちゃうようなもんじゃないんだな、私は」

「――――――」

「要約するとヒト殺すのが私らの役目だ。全力で遂行するから、せいぜい全力で抵抗してくれよ? でねぇと全員死んじまうぜッ」

「…………おまえは」

「あん?」

 

 視界が定まらない。

 意識が保てない。

 身体がふらつく。

 

 分からない、分かりたくもない。

 

 頭痛はおさまった。

 どこからか脳髄に響いていた声はすでに鼓膜を震わせる音になっている。

 

 つまり、それは、あの言葉を発していた存在は

「――――おまえは、なんだ? 総司令を……母さんを、どうした?」

「……てめえさ。分かってるコト聞くなよ。なんだそりゃあ。手前で理解してるような事実をなに確認取ってんだ。腑抜けてんじゃねえ」

「なに、が」

「コイツの肉体はもう私のモンだってコトだ、小娘。さっさと得物構えろ。わざわざ起きてやったんだから、気合い見せろよ現代人ッ!」

 

 戦闘部隊総司令。

 陽向葵は名実ともに人類の最高戦力だ。

 

 その討伐歴からも強さの程は伺える。

 まさしく何十年、何百年に一度という逸材。

 

 たかだか怪物一体ならどうなろうとも勝利してみせた。

 例え、他の仲間が悉く死んでいったとしても。

 

「――――――――」

 

 認めたくない現実が冷気となって心を伝う。

 酷く悲しいハズなのに、頭は嫌というぐらい回りだしていた。

 

 彼女の精神はこういう場面にこそ強い。

 

 誰かを失ってしまったショック。

 自分と近しい相手を取りこぼした喪失感。

 

 それらに慣れているからか、そういうのを感じる器官がガタついているのか。

 とても、冷静に頭が回る。

 

 考えたくもないのに、想像したくもないのに。

 分かってしまう。

 理解してしまう。

 

 あそこにあるのは肉体だけ。

 残っている身体のみ。

 悠のような特異性がない限り、奪われたものはどうしようもない。

 

 だから。

 

 ――――もう、陽向葵(かあさん)は、戻らない。

 

「しっかり受け止めて、ちゃんと認めろ。でもって踏ん張れよ。それが人間サマだろうが。最後の最後まで全力振り絞れよなァ! 病人だって必死こけるんだぞォ!!」

 

 蒼炎が威力を増す。

 気のせいか増幅のスピードが速まっているようだった。

 

 葵の身体を得たコト。

 眠っていた意識が目を覚ましたコト。

 そのどちらもが引き金になっている。

 

 加えてなにやら、本当の熱量さえ混じってきているようで。

 

 

 

 

 

 

 ―――― 兆 角 醒(V i r g i n l o r d ) 」

 

 

 

 

 

 ニヒルに歪む口もと。

 空気を震わせて怪物は天に祈りを捧げる。

 

 それは自身の胸から発露したものではない。

 赤の他人同然の、肉体に染み付いた残滓。

 

 ふざけているのはその所業だ。

 他人の願いを汚すように引き摺り落とす。

 その手で持って身勝手に支配する。

 

 ただの道具と使い潰す。

 

 

 

 

 

 疑似天体(C e l e s t i a l)人型太陽(S u n b u r s t) 」

 

 

 

 

 

 瞬間、視界を覆う蒼い火炎

 今度は純エーテルだけではない。

 

 肌が、肉が、骨が。

 真樹のつくった世界すら、現実にあるエネルギーに歪んでいく。

 

「ハハハハハハハッ!! どうしたァ! そんなんじゃユニにはまるで届かねえぞッ! この時代をどうにかしたいんじゃねぇのかよォ!!」

 

 背中から生える肥大化した炎翼

 人体と融合した燃える蒼色

 

 いまの彼女には三つの力が備わっている。

 

 純エーテルを燃料とする蒼い炎。

 際限なく出力を上昇させる悠の兆角醒。

 そして、葵から奪った身体で行う天体擬きの権能。

 

 ……ああ、一体。

 どこを探せばこんな化け物が、出てくるのだろう――?

 

「なに……あれ……」

「……悪夢かなんかかよ、オイ」

「ふざけてるわねえ……これ、ちっとも夢じゃないってところが、とくに」

「あっはははは……まじッスか……総司令、アレと一緒になってんスか……?」

「――――ふむ。なかなか、いや。とんでもないな。コレは」

 

 真樹すらも冷や汗を流しながら呟く。

 

 遠巻きに見ているだけでそれだ。

 至近距離で相対している妃和の気分は如何ほどか。

 

 当然――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ以上ないほどに、冷えきっていた。

 

 

「――――――」

 

 

 鉄潔角装を構える。

 兆角醒のを回す。

 

 怒りは心を支配する前に消費しきった。

 現状、あるのは不気味なまでに凍てついた思考のみ。

 

 ほう、と小さく息を吐く。

 準備はそれだけで十分だった。

 

「――――すまない。母さん」

 

 言葉は短く。

 反射的に銀閃は走った。

 

「――――――へぇ?」

 

 ばっさりと。

 切り裂かれた首筋から、血液の代わりにが噴出する。

 

 

 〝――なるほど。中身はもう違うのか〟

 

 

「思いきりがいい。迷いもねえ。つうかなんだ、おまえ。驚いてたんじゃねえのかよ」

 

 血も通わない肉体なら好都合だった。

 妃和の炎は対象以外のすべてを灼き尽くす。

 

 それが無機物であっても有機物であっても、ましてや純エーテルで出来たものでも関係ない。

 

 火が付き燃えて焼き殺す、という絶対的な効果。

 なら、その身体はすでに対象ではない。

 

「――――――――」

「……んだそのツラ。やべぇ顔してんぞおまえ。色がなさすぎだろ。ぶっ壊れてんのか。そりゃヒトじゃねえ。現在絶賛人外の私が言うんだからお墨付きだぜ」

「私は人間なのだが」

「そういう応答できる時点でおまえ人間じゃねえよ?」

「…………、まあ、いいか」

 

 とりあえず、当面の目標は変わらない。

 

「まだ心臓は持っているだろう。私たちの狙いはそれだ。だから、早急に取り返させてもらう」

「おう。いいぜ来いよ。ちょっと不気味だがいい塩梅だ。楽しめそうで」

 

 ガチン、と撃鉄の落ちる音。

 それは妃和の心の中で響いた大事なスイッチ。

 

 言われたように、いまの彼女は色がない。

 

 その意味が分かるのは、きっとこの場で自身だけ。

 冴えすぎた思考だけが、その証明を果たしていた。

 

 

 

 

 



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12『蒼火の雌鳥 前編④』

 

 

 生きていて思い悩むこと。

 胸につっかえていて苦しいこと。

 

 いつまでも存在していた心の異物。

 受け入れがたい己の歪み。

 

 それがいまは、どうでもいいぐらいにかき消えている。

 

「――――――」

「はははッ! なんだ、なんだよてめえ! 本気でどうかしてるぞ!!」

 

 頭はおかしなぐらいスッキリしていた。

 靄がかっていた思考のノイズがすっかり晴れている。

 

 おかげでなにをするにも時間がかからない。

 

 火の鳥の肉体は葵そのものだ。

 兆角醒さえ操るのなら、その身体能力だって殆どコピーしているようなもの。

 

 まともに打ち合っては妃和が勝てる道理はないだろう。

 ――――それが本当に葵の技能で、彼女がまともだと定義した場合は。

 

「なァ、おい。見えてねえのか……!」

「…………、」

「腕がッ、千切れてんぞッ! 片っ方しかねぇ腕がよォ! それでどう剣を振るって――」

 

 問答無用で蒼炎の鉄潔角装を返しながら刃を走らせる。

 千切れている、というのは些か過剰表現だった。

 

 せいぜい肉が裂けてぶらつく程度。

 骨は露出ていないし動かそうと思えば動く。

 身体機能として死んだとしても、純エーテルを回せば無理やり動かすことだって可能。

 

 ――そう、いまの妃和の素質はほぼ悠と同程度の域に有る。

 無理やり上げられたモノではあるが、事ここに至っては有り難い祝福だ。

 

「正気じゃねぇな!! やっぱぶっ壊れてんだろ!!」

 

 剣を交えながら神経を集中させる。

 ただひたすらに葵の身体を視界へおさめる。

 

 細かな差異、普段から見ていたからこそ分かるおかしな部分。

 

 ――――片方の目の色が違う。

 

 悠の瞳だ。

 

 強引に入れ替えているのだろう。

 わずかばかりの炎を漏らしながら、忙しなく動く黒瞳の眼球。

 

 なら、彼女たちが求めている一番大事な奪還対象は。

 

「…………そうか、そこか」

「あん?」

「いや、分かりやすくていいものだなと」

「んだよそりゃァ。おまえ、家族に情とかねえの? 別にいいけどよォ」

「おまえは家族じゃないだろう」

「この身体はてめえの親のモンじゃなかったかァ?」

「いまはそれより優先しなきゃならないコトがある」

 

 赤火を薙ぐように放出する。

 距離を取った怪物はわずかばかり後方へ。

 

 妃和は得物を構え直しながらゆっくりと息を吐いた。

 ……肉体の損傷と兆角醒による影響。

 それらを踏まえてどこまでなら使えるかを考える。

 

 もとより人体は消耗品だ。

 いずれ擦り切れて壊れる結末を早めているだけに過ぎない。

 

 そう考えれば無理も無茶も安いもの。

 目の前の怪物を相手するのに差し出して構わないものだ。

 

「――――なるほどねェ。こりゃあやべえ。がしかしちょうどいい。そんぐらいじゃなきゃこんな莫迦げた時代、生き残れねえよなァ」

 

 スッと、火の鳥の手が虚空を掴むようあげられる。

 

「上出来だ。そろそろこっちからも行くぜ?」

 

 〝     〟

 

 言葉が発されるのと、妃和の視界がブレるのは同時だった。

 二十メートルはあった距離が一瞬で縮んだ。

 

 目で追えない。

 なにが起きたのか理解する前に衝撃が飛んでくる。

 

 ――――めしゃり、と。

 

 腹を中心にくの字へ折れ曲がっていく身体。

 偶然下を向いた視界でようやく気付いた。

 

 ……立っている場所が違う。

 怪物が跳び退いた場所から数メートル先。

 向こうが動いたのは間違いないが、同時にこちらもその気が無いのに動いている。

 

 つまり、

 

 〝――――引っ張られた、のか――――〟

 

 蹴り抜かれて吹き飛ぶ身体。

 千切れるように掠れていく意識。

 

 ブチブチと鳴る嫌な音は己の腹部からだ。

 背骨はボッキリ逝っている。

 内臓も何個か潰れてしまって感覚がない。

 

 ――――呼吸が、うまくできない。

 

「ッ――――――――」

「ハハハハハハハッ!! いいね! 即死しないか! 流石はユニの加護だ! そんじょそこらと耐久力も違ってくるか! だったらッ」

「えッ!? ちょ、なになに!?」

「めっちゃ吸い込まれ――吸い――ちがッ、引かれてる!?」

「総司令の能力だッ! あの野郎が使ってんのか!?」

「おおおおおお!? こ、これヤバいっスね! かなりピンチッス!」

「一先ず揃って嬲る!! 不公平はいけねえだろォ!?」

「よ、余計なお世話――――!?」

 

 蒼炎を中心に展開される強大な引力。

 抵抗は不可能に近い。

 

 葵と違って制限を外した能力は劣化しても脅威的だ。

 

 地に足をつけられていたのはたった数秒。

 そこからは身体が真っ直ぐに敵の元ヘ向かっていく。

 

「けれどッ」

 

 揃って鉄潔角装が引き抜かれる。

 刃の切っ先を向ける方向は誰もが等しく。

 

 引き寄せられるのならそれを逆手に取れば良い。

 周囲一帯に引き下がっていた全員からの突貫だ。

 

 このままいけば、向こうに回避の手段は無く――

 

「――――――はッ」

 

 ぐにゃり、と三日月みたいに口が歪んだ。

 その容姿からは普通考えられない表情。

 

 ――――直後、葵の身体が無数の火炎となって弾け飛ぶ。

 

 〝あ――〟

 

 標的はかき消えた。

 目の前に攻撃するべき対象はいない。

 

 引きつける力はまだ残っているようだ。

 

 

 

 鮮血が散る。

 

 それぞれが誰かの刃に刺し貫かれていく。

 

 妃和の炎を纏っていたのが本当に幸いした。

 生命力を灯すお陰で、傷を負っても重傷にまでは陥らない。

 

 ……十分、血反吐をまき散らすぐらいな怪我ではあるが。

 

「ご、ほッ……!?」

「なんッ、あァ……! あんの、化け物ォ……!」

「うちらのッ、総司令の顔で……なんていう……!」

「まずいッス……! やばいッスよ……! これ、手も足もでなッ……!」

「――――――――ッ」

 

 上空で集まった蒼炎が再度人型をつくる。

 

 熱量に変化はない。

 大幅に力を使って削がれるなんて概念は向こうにない。

 

 エネルギーに関していえば悠の兆角醒がある時点で論外だ。

 スタミナ切れなんて狙おうにもどうすれば切れるのか、といったところ。

 

「――――次はてめえだな? 此処つくってんのはおまえだろ」

「……喋る怪物というのは初めてだな。興味深いが、ああ、貴様、ちょっと悪趣味が過ぎないか? 私でも引くぐらいなものだが」

「化け物相手になに言ってんだよ。趣味悪くて当然だろぉが。てめえら殺す装置だぞ?」

「それもそうだなッ」

 

 生み出される水流の槍。

 相手に効くのはすでに実証済み。

 

 真樹の兆角醒は未だに無事稼働している。

 その操作が崩れるコトはない。

 

 故に、攻撃としての威力は十分残っていて、

 

「足りねえよッ!!」

「ぐッ――――!!」

 

 顔を掴まれて地面に押しつけられる。

 身体中の純エーテルが焼かれていく感覚と、実際の皮膚が爛れる感触。

 現実も幻想も燃やす交ざり合った火炎

 

「――――いまの間に全部落としたのか! 凄いなッ、流石に!!」

「んだよ褒めんなてめえ! ちょっと楽しくなっちまうだろ!?」

「そうか!! ではもう少し楽しませてみせようか!!」

「あァ!?」

 

 ――――直下から水流が噴出する。

 

 真樹の身体だけを見事に避けて飛来する水刃。

 こればっかりは避けきれない。

 

 

 蒼炎が傷口からこぼれていく。

 

 

「やるなァオイ!! 褒美だボケェッ!!」

「ごッ――――!!」

 

 ボールのように蹴り抜かれて吹き飛ぶ真樹。

 この場に於いて絶対的なのはただひとつ。

 

 燃え盛る蒼い火だけがただ揺らめいていく。

 

 

 

 

 



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12『蒼火の雌鳥 前編⑤』

 

 

 

 

「どォしたぁ!! その程度かよォ!?」

 

 塵のように投げ捨てられる人の身体。

 

 いくら純エーテルの加護があろうと傷の度合いは生死に直結する。

 無事な人間なんてひとりもいない。

 

 一方的な蹂躙は続いていく。

 蒼炎に焼かれた肢体がゴロゴロと転がっていく。

 

 見れば真樹によってつくられた青空も崩れだした。

 

 ――――本格的に、まずい状況。

 

「まだちょっとしか楽しめてねえぞ! それともなんだァ。やっぱり身体(コイツ)は生かしておくべきだったか? けどなァ、コレ以外だとてめえら全員耐えきれねえしよォ」

 

 ガリガリと乱雑に頭髪をかきながら怪物が呟く。

 

 何度も言うように陽向葵の身体は最上級の代物だ。

 それでいてようやく肉体としてまともに扱えるのなら、他の隊員たちではどうしようもない。

 

 彼女の言うとおり身体が耐えきれず崩壊してしまうのだろう。

 

「こ、の――――ッ」

「妃和ちゃんは、どうしてるの……? 無事……?」

「向こう、めっちゃ吹き飛ばされて、る……っ」

「てか甘根隊長もやべえんだがッ。生きてんのか、あのヒト……」

「まだ兆角醒が残ってるうちは、生きてそうッスけど……」

 

 最悪なのは起死回生の手段がひとつずつ潰されていく状況だ。

 

 真樹の兆角醒が切れかけている。

 同時に妃和の赤い火でさえも段々と薄れていた。

 

 対して相手の熱量は増えていくばかり。

 悠の出力増加と葵の能力が交ざり合った結果、火力が冗談じゃないほどにまであがっている。

 

「いいね。根性あるのは好きだぜ。でもなァ、もちっと頑張れよ? 傷ひとつ付けられないんじゃ仕方ないと思うんだが?」

「いやアンタに言われたくないわ!」

「そう思うなら手加減しろバーカ!」

「つか話通じてる!? 会話オーケー!? こういう不毛な戦いやめません!?」

「バカてめえら。怪物相手に悠長に交渉持ち込むなボケ。私は容赦なく全員殺すぜ?」

「話になんないッスよ!! マジで!! 皆さん気合い入れてくださいッス!!」

「つうわけでオラッ! 喧嘩の時間だァ!!」

 

 地面を爆ぜながら進む蒼火の雌鳥。

 葵の兆角醒を使わずともその速度は音を越えて余り有る。

 火星から地球に、落下地点から日本列島まで一瞬で辿り着いた飛行能力はシンプルな脅威だ。

 

「――――――ッ」

 

 誰もが決死の覚悟で鉄潔角装を構える。

 彼我の実力差は先ほどの段階で十分判明した。

 

 圧倒的だ。

 勝負にならない。

 

 それでも諦めて敗走というワケにはいかないのが現状。

 なにせ彼女たちの目的は怪物に勝つコトではなく。

 

 〝ああくそッ、こんな状況で心臓狙えとかちょっとアタマおかしー!〟

 

 奪われたモノを取り返すコトだ。

 

「全員遅ェッ!!」

 

 振り抜かれる蒼炎の刃。

 軌道から予測しようにも走るは真っ直ぐではない。

 

 折れ曲がり、旋回し、軌跡を描きながら迫る灼熱。

 接触した瞬間も、傷を負った感覚も分からなかった。

 

 ただ、遅れて熱いモノだけがこぼれていく。

 

 〝や、ばッ……!?〟

 〝なんだアレ、あいつ、マジでなんなんだよォ〟

 〝無理無理無理ィ……!! どうすんのこれェ!!〟

 〝えぐいッス。ちょう痛いッス……いや、本気で……〟

 〝どうにもならないわよォ……〟

 

「ハハハハハハ!! んだよ、オイ。終わりか? 終わりなのかァ!? ほらほら、私はまだ元気だぜ、現代人諸君? まさか見逃すってのか!?」

 

 〝マジで何様だよアレッ!!〟

 〝怪物様だろぉな……〟

 

 戦力は削られていく。

 いくらなんでも怪我を引き摺って戦えるほど彼女たちは馬鹿げていない。

 

 そんな芸当を可能とするのは人間としての器を完璧に越えている化け物だけだ。

 妃和だって相性の差でどうにか攻めるコトができていただけ。

 

 この場に於いて、素の力で挑めるようなヒトは存在しない。

 

「誰も立たねぇか? 抵抗の手段は? ……無いんなら終わりにするぞ。後始末をつけてやる。ここに墓をたてて――――」

 

 ぽちゃり、と微かに音が響いた。

 地面になった海原が小さく揺れる。

 その異変に気づきかけた直後。

 

「――――あァ?」

 

 

 ゆるりと。

 海の底から這い上がるように伸びてくる、

 

 ――――赤火の、腕が。

 

「てめッ――――」

「――――あぁあぁあぁああぁああッ!!!!」

 

 が走る。

 刃が煌めく。

 

 鋭く放たれる鉄潔角装。

 血みどろになった姿のまま、水中から妃和が顔を出す。

 

 それは兆角醒としてつくられた世界の自由さ。

 真樹によって支配された空間を最大限に利用した隙の突き方だ。

 

 ――――切っ先が、胸に吸い込まれていく。

 

「てめえッ!! はははッ!! ぶっ飛ばされて気ぃ失ってたんじゃなかったのかよ!!」

「あの、程度で、失うものか……!! 捉えたぞ、貴様ッ……貴様ァ!!」

「ああそうだな! 捉えてやがる!! だが浅ぇ!! まだ届かねえぞオイ!!」

「――――だったら!!」

「!!」

 

 繋がる声は背後から。

 振り向くまでもなく浴びせられる殺気に予感する。

 

 前後からの同時攻撃。

 

 その狙いはすべて怪物の心臓めがけて。

 避けられない包囲網が、完成していく。

 

 〝だがそいつはどうだ? さっき囲んだ攻撃から逃げたのを学習しないのは――〟

 

「――――なに?」

 

 思いかけて、怪物の動きが止まる。

 身体を散らせない。

 どころか、の威力が段々と薄れていって――

 

「ッ、てめえ!! そうか!! 私の身体に刺してやがったなァ!! そこから全身に広げたか!!」

「だからッ、捉えたと、言ったハズだ……!」

「いいぜッ!! なら無理やりにでもてめえぶっ飛ばしてッ」

「できるならばなァ!!」

「ッ!!」

 

 ぎしり、と動かした手足がピタリと止まった。

 

 まとわりつく水流の鎖。

 幾重にも回されて頑丈に縛り上げられている。

 

 で吹き飛ばそうにも間には挟まれるよう回る赤火

 問答無用で灼き尽くす力に対抗されてそこまで届かない。

 

 それは真樹の水流も同じだが、彼女だって常に純エーテルを回し続ければ維持は可能だ。

 

「こ、んのォ――――――――」

 

 どすん、と胸をつく衝撃。

 背中から突き刺された刃が深くまで沈んでいく。

 

 

 

「――――――――」

 

 

 

 溢れていく蒼炎の出血。

 上昇していた出力が嘘みたいに消えていく。

 

 貫いた心臓はに焼かれて燃え尽きた。

 残ったのは視覚情報を補う瞳だけ。

 

 最早そこに、彼の力を扱える道理はない。

 

「――――返して、貰ったぞ」

「……ハハハハハッ、やるねェ、いいぜッ、てめえら」

 

 ニヤリと笑う怪物。

 胸の傷は即座に塞がっていった。

 

 もとより心臓ひとつでその命は揺らぎもしない。

 致命傷とならないのは承知の上だ。

 

 それでも、こちらに戻ってきたものがある。

 確認はできないが、いまはそうであると祈るしかない。

 

「だがな」

「ッ」

 

 ……目眩がしたのかと思った。

 それぐらいに唐突な景色の歪み。

 時空の捩れ。

 

「そんなんで終わりだと思うのは、大間違いだぜ?」

 

 いつからか。

 きっとそれは微かな隙間故に。

 

 浅い、と告げられた瞬間を思い出す。

 

 背中からの斬撃は怪物の身体に傷をつくった。

 もっといえば穴をあけたのだ。

 

 その穴を修復する瞬間だろう。

 

 ――――妃和の切っ先が、離れている。

 

「なッ――――」

「吹き飛べやァ――――!!!!」

 

 蒼炎が噴出される。

 ボロボロの身体は為す術もない。

 妃和は自身をどうにか守り切るので精一杯だ。

 

 他がどうか、なんて。

 

「――――――――」

 

 考えられも、しないのに。

 

 見えた。

 見えてしまった。

 

 蒼い火に囲まれて、その得物を手からゆっくり離しながら。

 

 消えていく誰かの影を。

 焼かれていく誰もの影を。

 

 ――――また、見てしまった。

 

 

 

 

 



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12『蒼火の雌鳥 前編⑥』

 

 

 

 

「ハハッ、ハハハッ、ハハハハハハハハ――――!!」

 

 燃える世界に響く哄笑。

 火炎の舞う水面の上で火の鳥は肩を震わせている。

 

 兆角醒でつくった空間はすでに三割が剥げかけていた。

 

 おそらくはあと数分すら保たない。

 

「――いやァ、生き残ってんな、何人か。ハハハッ、大満足だよチクショウ。実力足んねえのはそうだが、揃って命懸けてんのは素直に凄えよ? 余程選りすぐりとみた」

 

 葵の声で語られる賞賛に満ちた言葉。

 普段なら士気を上げる音も今となっては気持ちを引き摺り墜とす要因だ。

 なんとか蒼炎の爆発を耐えた彼女たちの心すら折りに来る。

 

 勝手なコト、何様だと言いたいのはその通り。

 けれども実際問題、相手に上回られているのは現実で。

 

「だから、まぁ……そうだなァ。私も私で、一発ドデカいもん見せねえとな?」

 

 怪物の正面に蒼火の熱量が集束していく。

 

 周囲に溢れた純エーテル。

 彼女自身が放つ能力としての蒼い炎。

 

 そこへ更に葵の兆角醒を加えた、神秘による極限の焔。

 

 ――そんなモノがぐつぐつと、音をたてながら広がっていく。

 

「火を飛ばすだけじゃガスバーナーと変わんねえし、ひとつ物は試しだ。芸術はなんとやらってモンだろ? 私自身、再生は得意だからよ。自爆技だが油断すんな」

「――――――ッ」

 

 ならば、アレは。

 

ここら一帯吹き飛ばすッ!! 止められねえとは思うが、せいぜい頑張ってみるか、覚悟決めろよ!! みっともなく命乞いしても無駄だぜェ!!」

 

 そんなモノは聞かない、耳を貸さない、意味がない、というところだろう。

 

 火球はどんどんとその大きさを増していく。

 成長のスピードはなかなかに速い。

 一秒経てば二倍へ、二秒立てば四倍へ。

 

 わざわざ説明されずとも理解できた。

 ――あんなものが弾ければ、全員もれなく死ぬに違いない。

 

「…………ッ、ああ、くそ、動かね……ッ」

「ダメージが、尾を引きすぎてるのよ……!」

「……………………ッ」

「――――――――」

「んん? おォ。足掻くヤツは足掻くな。……つうか生きてるヤツだけ足掻いてんのか! なんだよなんだよ。ハハハハハッ!!」

 

 全身に純エーテルを回しながら、妃和は片手の鉄潔角装を握りしめた。

 

 兆角醒の赤火は弱まりつつもまだ残っている。

 立ち向かう気力も、闘志を維持する心もなくしてはいない。

 

 ――――けれど駄目だ。

 

 あまりにも傷を負いすぎた。

 いくら祝福を受けていても所詮器は人のモノ。

 彼女の素質が意図的に引き摺り上げられたとしても、素のスペックは変わっていない。

 

 なにより諸刃の剣を振るっているような妃和は、聖剣使いからも言われたように討伐までの力を残せないのだ。

 

 焼け爛れた皮膚、至る所からの出血、数え切れないほどの外傷。

 そんな状態でここまで戦えたコト自体が異常だった。

 本来なら最早彼女に立ち上がるような身体は残ってもいない。

 

 だから、まともに原形を保っているだけで奇跡の領域で。

 

「――――――――――ッ」

 

 カラン、と得物が手から滑り落ちていく。

 

 身体が動かない。

 手足の感覚が戻らない。

 

 純エーテルの治癒を待つのでは遅すぎる。

 

 赤火のメリットを受けられるのは彼女以外の人間だけだ。

 妃和本人にとっては命を縮める炎。

 

 だからなのか、肉体はとっくに限界を迎えていたのだろう。

 それが致命的な怪我で一気に爆発した。

 

 ……どうにもいまは呼吸をするので精一杯。

 そんなハズはない、まだやれる、と気力を振り絞っても手足が言うコトを聞いてくれない。

 

 ああ、駄目だ。

 間に合わない。

 いま、火球が、蒼色の光を鮮烈に放って――――

 

 

 

 

「終いだ。楽しかったぜ、てめえら」

 

 

 

 

 ……視界が白んでいく。

 

 五感が何かに呑まれて消える。

 

 音と、

 

 光と、

 

 ありえないぐらいの衝撃。

 

 自分が生きているかどうかさえ分からない生死の狭間。

 もう意識を手放してしまおうと諦めかけた瞬間に、

 

 

 

 

 

 ――――誰かの立ち上がる、音を聞いた。

 

 

「勝手に終わらせてくれるなよ、怪物風情が」

 

 

 女性にしては低い声。

 影のカタチは人にはほど遠い。

 

 まるで壊れた人形みたいだった。

 

 引き摺っている足も、ぷらぷらと揺れる手も、半分ほど焼き切れた顔も。

 全部が全部、生き物として完全に終わっている。

 

 生きているのが不思議だった。

 意識があるのが信じられなかった。

 だってあんなシルエットは死体と同じだ。

 

 もう生命が続く事を許されない、砕けて割れた器そのもの。

 

「――――後を頼んだ。総員、命を繋げ」

 

 そうして閃光が、押し寄せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――気付けば、眼前の景色が切り替わっていた。

 

 青色の空と水面が消えている。

 崩れかけていた世界の面影はどこにもない。

 

 あるのは蒼炎に燃える瓦礫の山。

 本部の跡地だ。

 場所で言えばなんら変わっていない。

 

 なのに、真樹の兆角醒によってつくられた空間とは違う。

 

 つまりは、

 

「――――ッ!?」

 

 虚空から響く爆発音。

 見れば正面の空間には純エーテルの蠢くなにかがあった。

 

 壁のように内側を囲う神秘の層だ。

 

 〝――――まさか〟

 

 ボロボロと崩れていく見えない隔たり。

 土塊のように純エーテルが砕けていく。

 

 周囲には妃和と同様の姿が数人。

 息のあるものは全員が壁の外へ飛ばされていた。

 

 空間を越えた対象の出入りである。

 

 それを操作できるのはただひとり真樹だけの特権だ。

 

「――――――――」

 

 偽りの世界は消えた。

 朽ちた幻想は現実に塗り潰される。

 

 融けるように剥がれていく純エーテルの壁。

 

 そこには文字通りなにもない。

 誰かが戦っていた痕跡も、死体も、なにもかも。

 吹き飛ばされてしまって、肉片ひとつ残らない。

 

 

 

 

「――――アハハハハハハハ!! 凄えなッ!! コイツ、抑えやがった!! てめえの空間ひとつで!! 周りへの被害をたったひとりでなんとかしやがったッ!! そのうえ生存者までつくるとか、どんだけだよやべーなオイ!!」

 

 

 

 

 ただひとつ、耳障りな声をあげる蒼い怪物を除いて。

 

「けどなァ。逃がす場所ってのもあるだろ。こんな目の前におかれちゃ、最後まで掃除してやんねえとって気分になっちまう」

「…………ッ」

「後片付けまでして、手を抜きたくはねえしなあ」

 

 ゆっくり、ゆっくりと。

 一歩ずつ、戦闘部隊の軍靴を鳴らしながら。

 揺れる蒼炎が近付いてくる。

 

「まずはてめえからだな。なんか最後に恨み言でもあるかよ? 聞くぜ?」

「――――…………そう、だな。……殺されて、しまうな」

「あん? ああ、まあ、そうだな。殺されちまうな、てめえ」

 

 ゆっくりと。

 

 たしかに地を踏みしめるように。

 その価値を知らしめるように。

 

 蒼火の雌鳥は実に緩慢な動作で妃和へと手を伸ばした。

 

「………………私に、その気はそもそも、あまりなかったんだが」

「……あァ?」

「やはり駄目だな。どうも、年上の話は、間違いがない」

「……ワケ分かんねえコト言ってんぞ、オイ」

「――――私じゃ貴様を、殺せない」

「――――そうだなッ!!」

 

 断頭台の刃は燃えながら

 一瞬のうちに命を奪うよう、容赦なく怪物は火炎を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間一髪だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星が流れる。

 本気で死ぬと予感した直前だった。

 願いを背負って、宇宙(ソラ)を奔って。

 

「ありがとな。助かった。サンキューだぜ妃和」

 

 ようやく、届いた。

 

 

 

 

 

 

「――――は、るか……ッ」

 

 

 

 

 



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13『蒼火の雌鳥 後編①』

 

 

 

 

 ずっと、届かない景色を見ていた。

 

 抜き取られた己の眼球。

 まだ死んでいない離れた身体のパーツは繋がり続けている。

 偏に流崎悠という命の特異性故だ。

 

 だから、手出しのしようもない光景ばかりを見せられた。

 

 奪い取った瞳をぐるぐると動かして、

 奪い取った心臓を無理やり稼働させて、

 蒼い火の怪物は殺戮と破壊を撒き散らす。

 

 それは別に彼がやったコトではない。

 ただ一番間近で、その惨状を目撃しただけ。

 

 大きな建物を壊して、

 たくさんの人を殺して、

 傷付いた躯を癒して、

 その隙を戻ってきた人に襲われて、

 追い払うようにまた人を殺す。

 

 ――ふざけているだろう。

 

 そこで振るわれる力も、そこに介在する能力(チカラ)も彼のものだ。

 見当違いな話ではあるが、犯罪の片棒を担いだような気分に近い。

 

 己の兆角醒が人殺しの手伝いをしている。

 怪物が振りまく災厄の手助けとなっている。

 

 決して良いものではない。

 最悪だ。

 参ってしまう。

 

 意識ははち切れんばかりにどうにかなりそうだった。

 

 それでも身体は動かない。

 心臓がないからどうしようもない。

 

 だから。

 

 ずっと、ずっと。

 

 ここからでは手の届かない景色を見せられる。

 

 腹が立つ、気にくわない、もどかしい、悔しい。

 

 多くの感情、多くの衝動が心を掻き毟った。

 

 彼女たちの奮戦。

 陽向葵の喪失。

 血みどろになった妃和の姿。

 力尽きていく隊員たち。

 たったひとりで爆発を抑えこんだ、真樹の最期。

 

 全部を見た。

 奪われた瞳で視認した。

 

 記憶はたしかに残っている。

 夢だ幻だと断言できるような根拠はない。

 

 

 

 ――己の肉体が脈打ったとき、迷いは微塵も存在しなかった。

 

 

 

 

「いいの?」

 

 飛び出そうとする身体を少女が呼び止める。

 雰囲気と気配。

 あとは出で立ちでどことなく分かった。

 

 麻奈や伽蓮とまったく同じ。

 世界から疎外されているような別物じみた命は、聖剣使いの特徴だ。

 

 ……どうしてそう判断できたのかは、彼自身まったく理解できなかったが。

 

「貴方、もう後がないわ」

「あぁ、そうだな」

「大人しくしていたほうがいいと思うけれど」

「そいつは御免だね」

「……意味がないでしょう」

「意地があるだろォが」

 

 少女がわずかに瞠目する。

 ストレートな返答が驚愕に繋がったのか。

 

 くつくつと喉を震わせて悠は笑う。

 

 なんともまあ、表面上は分かりにくいが――

 ともすれば前の二人より随分と良心的な聖剣使いだ。

 

「……()()()()()どうなるか、察しているんじゃないの……?」

「もちろんだ。なんせ随分と深い付き合いみたいだからな。女神様(アイツ)が待ってるってコトはどういう意味かなんて大体想像つく。最悪の想像だが」

「なら、どうして」

「惚れた奴がいるんだよ」

 

 これまた即答。

 繰り返しのように彼女は声を詰まらせた。

 そうして悠がまたくつくつと笑う。

 

「妃和がいる。あいつが頑張ってる。必死でやってる。だったらてめえのコトなんざ心配してらんねえ。優先順位は明白だ。悪いが俺にとって命より大事なモンってのは()()()()()()しか用意してねえんだわ」

 

 それがなんなのか、誰なのかなんて語るまでもない。

 果たして美沙が彼の言を聞いていればどう思っただろう。

 

 成長か、はたまた完成されていた彼という人間の劣化と捉えるか。

 

 悠にとってなにより優先してきたのは自己だ。

 自分自身を貫くコトで彼は彼自身の人間性を育てていった。

 

 その衝動も、感情も、なにもかも己の内から発露したなら貫き通す。

 

 そんな人間が。

 自己の欲求を押し通してきた世間知らずが。

 

 いまは違う理由を胸に秘めて、武器を取ろうとしている。

 

「止めてくれんな。どうなろうが俺は行く」

「例え、破滅の道中だったとしても……?」

「当然だろ。なにが怖くて足を進めるかよ。――――決めたからな。()()までだッ」

 

 かくて少年は流星のように飛び去った。

 到着まできっと数秒もかからない。

 

 誰かの願いをその身に背負って。

 多くの当たり前をそうじゃないと両断して。

 

 星の反逆者は空を翔る。

 

 

 

 

 

 

「――――ええ、そうね」

 

 

「やはり、奔星というべきかしら」

 

 

「……貴方も一緒でしょう? すぐに、熱くなるのだし」

 

 

「……私は、もっと。冷たいままで、いられるけれど……?」

 

 

「…………負けず嫌いは貴方よ、カイナ」

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 空色の光が蒼炎を払う。

 

 力の差を見せつけるにはそれで十分だった。

 

 目覚めてから数分も経っていない状態だ。

 なにせ彼は今の今まで心臓もないまま寝込んでいたのである。

 純エーテルの生成など当然出来るはずもない。

 

 ――――それがどうだ。

 

 いま、怪物と妃和を隔てるように現れた少年の、神秘の総量は――――

 

「――――ハハッ、ハハハハッ!! ハハハハハハハハ――――!!!!!」

 

 明らかに、彼女の熱量を上回っている。

 

「ああッ! 懐かしいなァ! 二度目だ!! 久々だろォ!? 会いたかったぜハル!! もう元気になったのかァ!? てめえとんでもないなァ!! 昔とは大違いじゃねえかッ!!」

「――――てめえのコトなんざ知るかよ」

「オイオイ吐かすなよ分かってんだろ!? 分かってん()()!? 人格が消えたって記憶は残ってるハズだ!! 私のコト、知らないとは言わせねえなァ!!」

「うるせえ、知らねえ。そんな古ぼけた虫食いだらけの本みてぇーな()()はどっかにやっちまった。――まったく知らねえよ、てめえの名前なんざ」

「だが〝ハル〟って呼ばれてた記憶はあるんだなァ!?」

「だから〝ねえ〟っつってんだろそんなもんはァ!!!!」

 

 刃を弾きながら、腕に妃和を抱いて悠は後方へと飛び退いた。

 

 怪物の中で潰れた心臓は完全に消えてなくなっている。

 すでに治癒の阻害をしていた条件はない。

 最高峰のレベルで発揮される純エーテルの加護がすべてを覆した。

 

 負傷の度合いも、人と怪物の差も蔑ろにする唯一無二の特異性。

 簡単に向こうの攻撃を返すあたり、膂力ですら彼のほうが全然上だ。

 

「人の命をなんとも思ってねえようなクソ女なんぞ俺の知り合いに居るかよ!! いい加減にしやがれ夏鳥ィ!! てめえ意識保ってその様とは何事だアァ!?」

「やっぱり覚えてんじゃねえかァ!! 嬉しいねェ!! 最高じゃんかよォ!! どうだハル! 久々に見た私の姿への感想とかくれよォ!!」

他人(ヒト)の身体で偉そうにしてんじゃねぇよハゲェ!!」

「ハハハハハハハハハ!! そうだそうだ!! 私の身体じゃなかったなァしくじった!!」

 

 けらけらと笑う蒼い火の鳥

 

 煽っているようでもなければ、妃和たちの時みたいに挑発目的のものでもない。

 なにも気負っていない自然体だ。

 まことに信じがたいコトだが、悠との会話を単純に楽しんでいるように見える。

 

 ……それでようやく、ボロボロの心身に怒りが湧いてきた。

 

 その肉体は母さんのものだろう、とか。

 貴様と悠は一体どんな関係なんだ、とかとか。

 明らかにやる気が違うのはおまえちょっとどうなんだ、とかとかとか。

 

――――まぁいい、あんな奴。それよか妃和、生きてるかよ。生きてるよな」

「……ああ。生きてるよ。おまえが生かしてくれたんだ。……もう、何度も」

「そいつは上々。ちょっと待ってろ。――――あのバカ、ぶち殺してくらァ」

「…………勝てるのか……?」

「当然だろ。てめえ、俺を誰だと思ってやがる?」

 

 あまりにも自信に満ちた断言だった。

 お陰で、本当に、すっかり全身から抵抗する力が抜け落ちていく。

 

 この安心感は、そうそうない。

 

「そうだな……おまえだもんな」

「おうとも。俺だ。俺なんだよなァ! だからさァ……!

 

 そっと、気遣うように妃和が地面に下ろされる。

 

 見上げれば目の色が変わったのが見えた。

 これ以上ないほどの臨戦態勢。

 

 気勢を上げた少年が、銀色の刀身を閃かせながら吼え叫ぶ。

 

 

 

「――――止まれねえよなァ!!」

 

 

 例えそれが、自滅に近い道のはじまりだとしても。

 

 

 

 

 

 



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13『蒼火の雌鳥 後編②』

 

 

 

 

 

「ふ、ふふふッ、ふふはははは、はははははははは!! あははははははははは――――!!」

 

 

 

 空の向こうで声が響く。

 

 神秘の首領は堪えきれずに笑っていた。

 

 胸に渦巻く感情は数え切れない。

 喜怒哀楽がないまぜになった可笑しな情緒。

 

 分かるのは、ただ、彼がまた暴れているという真実だけ。

 

「ハルカ! ハルカ!! 嗚呼ハルカッ!!」

 

 興奮気味に女は叫ぶ。

 

 それは愛おしい彼の名前。

 唯一認めた至上の輝き。

 

 これからの全てにおいて勝るものはないであろう至高の存在。

 

「やっぱりおまえは最高だ!! 良かったっ、良かった良かった! 良かったぁ……!!おまえを愛して良かった! おまえを選んで良かった! おまえを見つけられて良かった! おまえが生きていて良かった! おまえが格好良くて良かった!」

 

 溢れてくるモノをダラダラと吐き出していく。

 

 いまはそれで十分だった。

 

 言葉は途切れない。

 熱は冷めない。

 

 彼女は浮かれている。

 大好きな彼の姿を目にして歓喜にうち震える。

 

 その場面さえ見たのなら、醜いと蔑んだ彼でさえ本質は変わっていないのだと気付いたかもしれない。

 

 

 

「――――おまえが幼馴染みで、良かったァ……!!」

 

 

 

 その命に感謝を。

 その光に感謝を。

 その力に感謝を。

 その愛に感謝を。

 

 感謝を、感謝を、感謝を――――

 

 

 流崎悠という存在の近くにいられた世界に、感謝を!

 

 

「もういい! どうでもいい!! なんでもいい!! 来いだなんだと偉そうに言って悪かった! ああすまない! 勘違いをしていたよ! 思い上がっていた! 私は莫迦な女だ! こんな、世界を統べる程度の力を得たコトで調子に乗ったんだ! やはり駄目だな! ごめん! 許してくれ! 謝らせてくれ、ハルカッ! 私が悪かったんだ!!」

 

 すでに我慢の限界だった。

 もう待てない、と女神は重い腰をあげる。

 

 見えない位置から祝福を与えているが、それですらまどろっこしい。

 

 結局ふたりは離れたままなのだ。

 いくら彼女が愛を授けても、受け取る彼は地球(ホシ)の上。

 

「迎えに行く! 連れて行くよ! 一緒に過ごそう! ずっとずっとこの世界で! この場所で! 共に神秘の行く末を見守ろう!! 永い時は退屈だろうが、おまえと一緒なら何も問題ない!! むしろ永遠を望みたいぐらいだ!! いやそうでしかない!!

 

 どうすればこの声は届くのか。

 どうすればこの想いは伝わるのか。

 

 嘆かわしいコトだ。

 こんなにも気持ちは昂ぶっているのに奇跡のひとつも起きやしない。

 

 所詮世界なんてその程度。

 宇宙の法則は泣きたくなるぐらい無慈悲で役たたずだ。

 

 ――だからこそ、彼女はこの座を求めた。

 

「さぁ、手を取らせてくれ! 繋がせてくれ! 握らせてくれ! 今だけは私におまえをエスコートさせてほしい!! 本心なら幾らでもいう!! もうなんだっていいんだ!! ただ私はおまえと居たい!! おまえと共に過ごしたい!! おまえと一緒に笑いたいんだ!! それだけでいい!! だからッ!!」

 

 彼らの住む世界よりひとつ上の次元。

 空の果てを越えたさらに先。

 

 全ての神秘が生まれる発生源で彼女は必死に訴える。

 

 醜悪な一角の獣として過ごした時間。

 無知な一人の女として過ごした時間。

 全能な一柱の神として過ごした時間。

 

 揃えてすべての時間のなかで、なおも輝きを失わない鮮やかなモノこそが彼だった。

 この胸を高鳴らせたのも、この心に温度を与えてくれたのも、この命に大切なものを気付かせてくれたのも全部が彼。

 

 我慢なんて一杯してきた。

 

 もう嫌だ。

 抑えたくない。

 堪えきれない。

 

 見えるところに、すぐそこに彼がいる。

 

 ハルカがいる。

 大好きな幼馴染みがいる。

 

 ――――だったらなんで、わざわざ我慢なんてしなくちゃならない!

 

「神秘の高みに行こう! 空の向こうに!! 世界の最奥に!! 大丈夫だ! 私がついてる!! 祝福だってある!! 条件は揃った!! もう、既におまえはッ!!」

 

 そう、彼は。

 

 

 

 ――――この領域に、手をかけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 蒼い炎がかき散らされる。

 我が物顔で吹き荒れる空色の閃光

 

 純エーテルの塊であるはずのそれは、けれど全くもって火炎を寄せ付けなかった。

 

 妃和のように能力の特性で相殺しているのではない。

 彼の兆角醒は際限ない出力の上昇だ。

 エネルギー自体になんらかの特異性を与えるようなものとは違う。

 

 ――――だというのに実際、力のぶつけ合いは全然話にならない。

 

「ッハハハハハハ!! なんだそれぇ!? なんなんだよオイ!! すげえなハル!!」

「うっせえボケェ!! 黙って戦えねえのかおまえはよォ!!」

「できねえなァ!? 楽しいからよォ!! ハルもそうじゃねえのかアァ!!??」

「全ッ然!? まったく!? これっぽっちも楽しくねえよ!! クソ女ァ!!」

「ギャハハハハハハハハ!!!! 照れ隠しか!! ツンデレか!! 可愛いなァ!!」

「死ねェーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 

 を裂く鉄潔角装。

 刀身は削れない。

 爆発的に上昇した純エーテルが簡単に熱波を押し返していく。

 

 ――――ありえない。

 

 悠と火の鳥にあるのは絶対的な相性の差だ。

 怪物が正面から戦って妃和に勝てないように、彼もまた力押しでは敵わない。

 純エーテルそのものに頼りきった戦闘力だからこそ、それは顕著に表れる。

 

 ……ならば一体、目の前の光景はなんなのか。

 

「面白い手品だなァ!! ハル!! どうやってる!? なにをしてやがる!? てめえは私の炎に手も足も出ねえハズだが!?」

「バカかよてめえ!! 目ん玉かっぽじってよぉく見ろォ!! 実際にどうにかできてるだろうが!! それが現実だァ!!」

「ハハハハハハ!! そうだなァ!! ああそうだ!! 野暮なコト聞いちまった!! 悪いな!! けど気になるぜ教えろよォ!! てめえなんだその力はッ!!」

「聞かれて答えると思うかボケェ――――!!!!」

「たしかになァ――――――――――――!!!!」

 

 火花を散らしながら剣戟はくり返される。

 

 陽向葵の肉体を使った高速連撃も悠にとっては脅威たり得なかった。

 

 誰しもが無理だろうと手放す不利。

 どう見ても不可能だという状況。

 それらを当たり前のように覆して突破していく理不尽さ。

 

 女神の語る通り。

 空へと届かせた魂魄の指先が、輝かしい光となって彼に宿る。

 

「だがッ!!」

「!!」

 

 それでも付け入る隙はわずかに存在した。

 たった一瞬とはいえ見逃すような彼女ではない。

 

 剣を振り抜いた刹那に意識外からの蒼炎を飛ばす。

 

 反応は遅れた。

 迎撃は間に合うハズもないだろう。

 なにせ人体の構造上、防御も回避も不可能なタイミング。

 

 もし防ぐコトができたなら、そんなのは奇跡でもなんでもない。

 

 

 

 

 

「猪口才なァ!!」

 

 

 

 

 ――――のに。

 

 

 

「――――やっばァ……!!!!」

 

 

 彼はいとも簡単に、その火炎を切り払ってみせた。

 

 目に映ったのは明らかな異常だ。

 手足の稼働、生物としての動き、細かい部分でいうのなら呼吸や脈拍、脳から伝わる電気信号。

 すべてが攻撃を視認したと同時、ありえないぐらいに加速した。

 

 彼女に認識できる変化でそれだけ。

 分からないところではもっと多い。

 

「てめえ!! やべえなッ!! ハハハハ!! なんだそりゃあ!! ハル!! 超スピードとか超直感とか超強化とかそんなレベルじゃねえぞ!! おまえそいつは世界の法則をぶち破ってやがるぜ!!」

「だったらどうしたァ!!!!」

「最高だッてことだろ!!!!」

 

 すなわちそれは、極限に位置する女神の落とし物。

 空の果てを遙かに超えた、空の向こうから引き出す神秘の結晶。

 

 はじめのひとつはすべてを集めて束にした。

/第一聖剣【集束】和泉壱真(いずみいっしん)

 ふたつめは目に映ったもの悉くを切り裂いた。

/第二聖剣【切断】雪棟海那(ゆきむねかいな)

 みっつめはあらゆるものを追い越していった。

/第三聖剣【凌駕】折原篝(おりわらかがり)

 よっつめはただひとつのために時を戻した。

/第四聖剣【回帰】木瞳静耶(きどうしずや)

 そして、待ちかねた最新(いつつめ)は。

 

 

「――ああそうかい!! その返答は()()()()()()()、てめえッ!!」

 

 

 ありえないと断言されたものを。

 誰もがそうだと信じ込んでいた絶対を。

 

 

 ――多くの人の願いを裏切り、世界の法則に逆らった。

 

 

 

【叛逆】流崎悠(りゅうざきはるか)

 

 

 



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13『蒼火の雌鳥 後編③』

 

 

 

 

 誰かが思う。

 あの怪物を相手にするのは無茶だ。

 

 誰かが考える。

 アレに勝てるような人間はもういない。

 

 誰かが決めつける。

 どうしようと純エーテルは蒼炎の前に食い潰されてしまう。

 

 誰かが判断する。

 既に勝敗は分かりきったコト。

 人間ひとりがどれだけ頑張ったところで、最早未来は変わりようもない。

 

 戦闘部隊総司令、陽向葵は肉体を残して死んだ。

 

 それだけで甚大な被害である。

 戦力の消耗はとんでもない。

 きっとこの先、人類はただ蹂躙されて滅んでいくだけだと想起させるほどに。

 

「ハハハッ!! ハハハハハハッ!! いいな、いいなァ!! もっとだッ!!」

「くそうるせぇええええ!! てめえッ!! 黙れッ!! 耳障りなんだよその声ぇ!!」

 

 この地球(ホシ)に生まれた人々の無意識が傾く。

 その場にいた心折れた隊員たちの思念が響いていく。

 

 誰も彼もが等しく。

 災厄じみた怪物をどうにかするなんて、はじめから間違っていたと。

 

 

「気に入らねえッ!! 気に喰わねえッ!! ああそうだ!! 俺はなァ!! てめえのなにもかもがッ、最初ッから腹立たしくてしょうがなかったんだよォ!!」

 

 

 湧き上がる反骨精神。

 存在そのものに根付いた星からの反逆衝動(おくりもの)

 

 それこそが〝流崎悠〟としての到達点。

 

 誰かの望み、願い、当たり前と信じた価値観、常識、固定観念――――

 そんなモノを悉く打ち砕く捻くれた能力(ちから)だ。

 

「よってぶっ潰す!! 叩き潰す!! 殺してやる夏鳥ッ!! 俺がッ、この手でだ!!」

「ハハハハハハハハッ!! いいぜ!! かかってこいよ全力でッ!! 私も私の持てる全てで返してやるからよォ!!」

 

 敵わないと思われれば打倒する。

 勝てないと判断されれば圧倒する。

 不可能だと断じられれば可能になる。

 

 なんだって構わない。

 

 なにせ捻くれ者で無法者の反逆者だ。

 微かにでも思われたコトがあるのなら、それに逆らって実現させる。

 

 ――神秘を喰らう蒼炎を前に純エーテルでは刃が立たない。

 

だから空色の光で拮抗できる。

 

 ――怪物を相手に人間が立ち回れるわけがない。

 

だからこの身ひとつですべての剣閃を弾ける。

 

 ――あんなのに勝てるハズがない。

 

だから彼は、実力差も能力の相性もなにもかもを無視して勝利する。

 

「いるかてめえの全部なんざァ!! 大人しく死ねェ!! 昔の人間がでしゃばってきてんじゃねえッ!! 俺たちの時代を勝手に引っ掻き回しやがってェ!!」

「そりゃそうだ!! だが悪いなァ!! そういう文句はユニに言え!! でもってハル!! おまえだって半分ぐらいはその古い時代の人間だろうがよォ!! えぇ!?」

「なワケねえだろバーーーーーーーーーーーーッカ!!!!」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 が出血の如く溢れていく。

 

 否定される蒼い灼熱

 弾かれていく燃える刃

 

 一度だって悠の身体に傷はつかない。

 血の一滴すら滲まない。

 

 誰もが倒れ臥した今、本気でその化け物を倒せると思っているような人間は極わずかだ。

 そんな大勢の無意識が彼の力となっていく。

 

「俺は俺だ!! 流崎悠だ!! とっくの前に死んじまった野郎なんざ知るかよォ!! てめえのコトも!! 空に昇ったクソバカ女のコトも!! ぜんッぶ知るかァ!!」

「分かってんじゃねえの!! 知ってんじゃねえのォ!! ハル!! ハルッ!! ハハハハハッ!! こんなになってまで、ああ! 笑えるな!!」

「なにがだァ!!」

「百年経っても飽きないってコトだよ!! おまえと話すのは俄然楽しいぜ!! もちろんこうやってぶつかり合うのもだ!! なんせ昔はハルのほうがボロボロで喧嘩もろくにできなくなっちまったからなァ!!」

「俺はッ!! まったくッ!! 楽しくもねえッ!!!!」

 

 憤怒に燃える少年と、諧謔の笑みを浮かべる少女。

 

 両者の力は拮抗しない。

 本当に、笑えるぐらい一方的な戦闘だった。

 

 一撃一撃を真正面から潰される。

 奇襲や騙し討ちの搦め手は純エーテルの暴力で蹴散らされていく。

 

 自慢の蒼炎だって何の役にも立ちはしない。

 その火炎が神秘を喰らう絶対的なもの、という認識が残る以上彼には通じない。

 

 空色の極光が悉くを薙ぎ払う。

 

 ――――強い、なんてものじゃなかった。

 

 それは間違いなく、人の器を越えた力の行使。

 触れてはいけない領域に指が触れている。

 通常聞こえないはずの音が響くように脳髄へと流れ込んだ。

 

 高らかに笑う女の声。

 そっと見えない手で掴まれる。

 

 もう少しだ、大丈夫、早く行こう。

 共に生きて歩んでいこう、と。

 

 空の向こうから、誰かが常に誘っている。

 

「ああうるせえ!! やかましい!! どいつもこいつも!! なんでこう俺の癇に障るコトをしやがる!? 少しでも好かれたいなら節度を持ってジッとしてろやァ!!」

「できるかよそんなコトォ!! 目の前におまえが居るんだぞ!? ハルがそこに立って生きてやがんだぞ!? ならジッとしてなんていられねえよ!! てめえ私らを誰だと思ってんだ!?」

「人殺しのクソ阿呆どもだろォがボケェ!!!!」

「てめえのコトが好きだった女子だろうがよォ!!!!」

「知るかァ!!!!」

「知ってるだろォ!!!!」

 

 腕が千切れる。

 足が吹き飛ぶ。

 

 この世で最上に位置する強度の肉体が、なんでもないかのように断ち切られた。

 

 切断面からあがる蒼炎もいまは鈍い。

 散々多くの人間を甚振ってきた罰が回ってきたのか。

 

 今度は彼女のほうが、蹂躙される番のよう。

 

「なんだよなんだよなんなんだよッ!! どうしてそこまでおまえは厄介なんだァ!? 待ち構えてただけあるじゃねえのォ!! ハハハハ!! ハハハハハハハ――!!」

他人(ヒト)のこと言えたクチかよ!! 厄介なのはてめえのほうだ!! こんな不気味な炎使いやがって糞野郎ッ!! 俺の心臓を取ったコトマジで許してねえからなァ!!」

「ダッハッハッハッハ!! 許すもなにもあるかァ!? 普通死ぬだろ心臓なくしたらッ!! それで生きてるってんだからよっぽど悔しかったんだろうなァユニは!! もちろん私もだ!! てめえが死んじまうコトがよォ!! 嫌で嫌で仕方ねえと見た!!」

「ふざけてやがるな!! 勝手にヒトの人生を土足で踏み荒らしやがって!! 気に入らねえッ!! 死ぬも生きるも俺の命は俺次第だろうよォ!! 他人のさじ加減で生かされるなんざ俺は御免だッ!!」

 

 純エーテルが爆発する。

 一度の揺らぎもなかった怪物の身体が初めてぐらついた。

 

 ――――迫る人影。

 右の眼窩から噴出していく空色の光

 渦巻く神秘は人間ひとりから生み出されたとは思えないほど濃厚だ。

 

 すべてが空の向こうに至った恩恵。

 男であるはずの彼ですら、いまは純エーテルの負荷を受けもしない。

 唯一残っていた欠点も消えてしまえば最早どうにもならなくなる。

 

 

 

 ――――完成された純潔の怪物。

 

 

 

 目映いばかりの粒子を撒き散らしながら、悠はさらに出力を上げた。

 

 

 

 

 



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13『蒼火の雌鳥 後編④』

 

 

 

 

 を散らしながら想起する。

 摩耗した記憶はすでに色褪せかけていた。

 

 おそらくは長い時間、胸に抱え込んでしまったせい。

 

 それでもいまこの瞬間だけは色鮮やかだ。

 

『てめえか? 結仁に付きまとってるっつう野郎は』

『は?』

 

 初めて会話をしたのは放課後の渡り廊下。

 夕陽が差し込む中で自販機に立ち寄った彼と、偶然かち合った。

 

『……幼馴染みだけど、オレ。アイツの。そっちこそなに?』

『幼馴染みィ? 近寄るなって言われてるのが? なにやらかしたらそうなる?』

『……知るワケないだろ。オレに限らず、結仁は男嫌いなんだろうな。女の子と一緒にいるときは楽しそうだから。……あ、でも大人のお姉さんとかはそうでもないな……蛇蝎を見るが如くの視線だし……』

『あんたを見る目が一番キツいけどな』

『うるさい。分かってる。……なんでだろうなぁ……オレ、なにもしてないんだけど』

『しつこく付きまとうからだろ』

 

 むすっとしながらコーヒーを傾ける少年は、その頃から内心を隠すのが下手だった。

 なんともないように装ってはいるけれど、表情から彼女のコトをどう思っているかハッキリ分かる。

 

 ……本当はストーカーまがいの勘違いした痛い男子だと思っていたのだけど。

 

 他のクラスメートやふたりを知っている先輩に話を聞いていくかぎり、そういうのとはまた違ったコトらしい。

 

『よく嫌われてるって分かって顔出しにいけるよな。メンタル最強か?』

『考えなしに突っ込んでいってるワケじゃない。ちゃんと用事がある時しかいかない』

『それでも仲介頼んだりとかするだろ。私だったら耐えらんないな、あんな睨まれて』

『けど。なんだかんだで優しいし、良い奴なんだよ。結仁』

『…………めちゃめちゃ避けられてる奴にそれ言えるおまえはなんなんだ…………』

 

 たしかに彼の言い分は理解できないコトもなかった。

 いつもは塩対応だが、熱を出したり怪我をしたりといった時に真っ先にこの少年へ飛んでいくのは結仁である。

 幼馴染みだから仕方なく、という理由があったとしても随分な待遇だ。

 

 ……普段は本当に、一体なんの恨みがあるのか、といった憎み具合だが。

 

『いつかユニの笑ってる顔、間近で見たいよなぁ』

『無理だろ。それこそ物陰から覗くでもしないと』

『ストーカーじゃないか。ありえないだろう。犯罪は御免だけど』

『私は当初おまえのことをユニの周りで動き回るストーカーだと思ってたケドな!』

『ひっどい』

『今となっちゃ笑い話だぜ。ひひっ』

『なら良いか』

 

 同じ中学から進学して、高校でも一緒で。

 結仁とクラスは離れても、彼とは同じだったコトもあって時間はあった。

 

 そう、確かにあった。

 いくらでも、彼女より、ともすれば誰よりも近かった。

 だから。

 

『――て感じらしくて、なに。そういうコトみたいだ』

『……そういうコトって、なんだよ』

『だから、まあ、うん? オレ、実はやばいみたい。ほんと。お医者サマも目ん玉飛び出るぐらい? って奴で。なんで動けてるんだー、ってすごい訊かれた』

『…………冗談、だよな?』

『いやいや、これがこれが。オレもそうだと思ってたのに。たしかに最近調子は良くなかったんだけど、凄いなって。……あ、結仁には内緒でお願い。彼女のことだし、知っちゃうと色々あるだろうから』

 

 多分、結構、

 ショックだったんだろうな、と今になって思う。

 

 だってそうだ。

 これから先も、なんだかんだで連んでいくと思っていた。

 結仁を挟んでの関係だったけれど、顔を合わせて話す回数は向こうより断然多かった。

 

 いつの間にか、変わっていたのかもしれない。

 

 大事なのは。

 大切にしようと思ってたのは、どっちだったのか。

 

『オイ待て! バカ!! やめろ!! ハルッ!!』

『――――――』

『待てッ!! 待てって!! 無理すんな!! 平気な顔してたって中身はまずいんだろ!? そんな状態でなにする気だ!? 下手したらここで死んじまうって!!』

『泣いてるんだよ』

『ッ、』

『結仁が泣いてる。はじめて見た。ありえない。――どうして彼女が、あんな酷い目に遭って泣かなきゃいけない?』

『だったらおまえッ――――おまえが傍に居てやれよ!! 慰めてやれ!! 幼馴染みなんだろ!? 態々ボロボロの身体引き摺ってまで、そんなッ』

『男だぞ。襲われたんだ。居られるワケないだろう。いまの結仁の近くに。……我儘だけどさ、最期の。もうなにがなくなっても良いから、悪いコトだってしてあげられる』

『なにを!!』

 

『――――結仁を泣かせた奴を、殺してくる』

 

 

 本気でどうかしていると思った。

 その狂いようも、覚悟も、命の価値基準の考え方も、彼女への入れ込みようも。

 

 数時間後、本当にボロ雑巾みたいになった強姦魔(はんにん)を引き摺って警察へ来たと連絡が回ってきたときも。

 ……そのせいで、無理をかけ過ぎた身体に限界が来たのも。

 

 たぶん、最初からおかしいのはたったひとりだった。

 特別なのはひとりだった。

 

『夏鳥』

『……なん、だよ』

『結仁を頼む。オレのことなんか忘れてくれって、そう言ってほしい。あの様子だと、引き摺るだろうから』

『おまえ……そりゃあ……ッ』

『…………正直、このタイミングで好きとか言ってほしくなかったなぁ』

 

 からからと笑う表情は嬉しそうで、悲しそうで、苦しそうで。

 本気半分、冗談半分だったのだろう。

 

 けれどもそれは彼からの願い事であって、彼女に届くかはまた別の問題。

 

『――――忘れろ、だと……?』

『バカな遺言だろ? ……ほんと、おかしなコト言うよな、あいつ』

『…………ああ、本当におかしいな。夏鳥』

『…………結仁?』

『おまえ、いつからそこまで遙と近くなった? おまえは遙のなんだったんだ?』

 

 もうすでに、手遅れだったらしい。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「――――大変だったなァ!」

「あァ!?」

 

 振るわれる鉄潔角装を受け止めながら、火の鳥が笑みを浮かべる。

 

「てめえが死んでからよォ! 結仁の奴、バカになっちまってさァ!! ハハハッ!! 死人を蘇らせる方法ばっか探してんだよ!! めちゃくちゃ引き摺ってんの!!」

「なんだそりゃあ!! 笑える話だな!! とんだ大馬鹿野郎じゃねえかァ!!」

「本当バカだよなァ!! そう思うよなァ!! ――――だってそいつが、いまの神秘の支配者になってんだぜェ!?」

「はッ!! そいつがどういうワケだって!?」

 

 刃はすべてが最終的に届いていた。

 

 陽向葵から奪った肉体。

 その全身から血の如くが溢れだす。

 

 傷は治らない。

 

 自分たちの攻撃が効かない、という大勢の意識から彼の刃に能力が付与された。

 当たり前を壊すのが流崎悠の到達点だ。

 いくら削れても直せばいい、と考えてしまった時点で彼女は詰んでいる。

 

「この時代が結仁のつくった時代ってコトだよォ!! なァ、なんのためだと思う!? なんのために純エーテルなんてモンが生まれて、なんのために私らが人類を襲って、なんのためにそれでも人が地上に残されてると思う!?」

「知るかよォ!!」

「ぜんぶてめえを取り戻すためだよッ!! ユニの馬鹿野郎がなァ!!」

「だからァ!?」

「そいつは気に入ってんのかァ!? てめえのいまの状況がッ!!」

「気に入らねえに決まってんだろォがァァアアア!!!!」

 

 咆哮と共に突き刺さる刃。

 怪物の腹部を貫いたそれは、勢いを失わないまま壁へと激突させた。

 

 超至近距離でふたりは睨み合う。

 

 縫い止められた火の鳥は逃げることもできないくせに、一切笑みを崩さない。

 

「ひひっ、ハハハ! アハハハハハハハハ――――!!」

「まだやるかァ、てめえッ!!」

「ああやるね! やるぜ!! まだだ! まだ終わっちゃいねえ!! ――――ハル! いいなァやっぱ!! おまえはいい!! ちゃんとユニのコトを嫌ってるのはいい!! そうだよなァ!! いまのおまえは嫌いになるよなァ!! あいつのコトをォ!!」

「てめえも嫌いだが!!」

「そりゃあ言われなくても分かってるよッ!!」

 

 腹を貫通した刃を握りながら、火の鳥はぽつりと呟いた。

 

「――――だって私らは、すでに死んだ怪物だもんなァ」

「ッ!!」

 

 握りしめて鉄潔角装を砕く。

 この肉体(カラダ)のスペックを最大限に生かした無茶だ。

 

 もう蒼炎には頼れない。

 相性を以てして優位に立てていたのは過去のコト。

 なら、最後は最後らしく。

 

「いくぜハル!! やれなかったコトをやろうや!!」

「てめえ!!」

「――――喧嘩のォ、時間だァ!!」

 

 

 

 

 

 



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13『蒼火の雌鳥 後編⑤』

 

 ごしゃり、と顎骨に衝撃が響く。

 炎ではなく赤黒い鮮血が盛大に飛び散った。

 

 揺らぎはしない。

 燃えてはいない生身の拳。

 

 火の鳥は完全に蒼炎を切った状態で、彼のもとへ拳を届かせた。

 

「――――こ、のォ!!」

「ハハハッ!! おらッ、どうした!! てめえまさか、能力(チカラ)に頼りっぱなしで何も出来ねえとか言うんじゃねえだろうなァ!?」

「あァ!? 喧嘩売ってんのかてめえ!!」

「だから喧嘩の時間だっつっただろォ!?」

「上等だよクソ化け物ッ!!」

 

 振り子のように引かれる少年の頭。

 身構えるまでもなく、その照準がぴったりと怪物に合わせられる。

 

「ごッ!?」

「そっちがその気ならこっちもそうしてやらァ!! てめえッ、夏鳥ィィイイ!!!!」

「――――ハハッ! いいね!! やっぱりおまえはハルだよ!! ハルだな!! ああそうだハルだった!! ハハハハハハハッ!!」

「死ねボケェーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 モノが焼ける音、何かが爆ぜる音。

 

 そればかりが支配していた戦場が、いまは鈍い音だけをたてている。

 

 地面に増えていく血痕

 飛び散っていく蒼い残火

 

 最早その肉体のみが切り札となった怪物と、

 折れ砕けた鉄潔角装を創ろうともしない叛逆の使徒

 

「ッ、はッ――ハハッ――――嗚呼ッ、嗚呼!! ハルッ!!」

「な――んだッ――――ボケェ!!」

「――――ッ、ひ、……ッひひ、――――私、さァッ!!」

「あ、ァ!?」

「――――大好き、だったぜェ!! おまえのコトッ!!」

「そんッ、なのォ――――」

 

 拳を握る。

 渾身の力を全身から絞り出す。

 

 怒り狂っているのもあってか、打てば響くように彼女との戦闘では口が回った。

 

 他の怪物たちではまともに話をするコトなんてできない。

 だからといって目の前の少女がまともかと言えば、そんなこともないだろう。

 

 すでに人外の化生へ墜ちた身。

 彼から見ても、彼女自身からしても――まともであるような理由など存在しないのだ。

 

 

 

「――――知ってたに、決まってんだろォがァ!!!!」

 

 

 

 瞬間。

 

 その瞳で。

 彼のモノだった眼球で。

 

 怪物はわずかに瞠目した。

 

 理由は明白。

 古びていた人の心が残っているのなら、それはきっと埃を被って仕舞われていた骨董品(アンティーク)

 

 もはや使い物にならない、錆び付いたモノだ。

 

 

 

「――――ああ、そうか! そうかよォ、ハル!!!!」

 

 

 

 それでも、その瞬間だけはたしかに人らしく。

 

 彼の記録に残る誰かを思い起こさせるような顔で笑った。

 

 ……まったく馬鹿げている。

 それでいて、同時に本気でふざけている。

 

 一体なにがどう転んだのかなんて悠には分からないし、正直どうもいい。

 けれど、だからといって何も思わないかと言えば別だ。

 

 率直にいって、最悪な気分。

 

「ははっ! はははははははは!! ほんッと! 嫌になってくるなァ!! ハル!! こんなのさァ!! 私らとしては、堪ったもんじゃないだろォ!?」

「だったらッ、やめろやてめえッ!! なに簡単に従ってやがる!!」

「そりゃ仕方ねえ!! 負けたからよォ!! ははは!! ぶち殺されたんだ!! ユニに!! あたしら全員!! 敗者は勝者に従うのが常だろ!? 逆らえねえんだなァこれがッ!!」

「――――バカがよォ!! 揃いも揃って、てめえらはァ!!」

 

 胸の奥はすでにぐちゃぐちゃだった。

 湧き出る怒りの理由が多すぎる。

 

 苛立ちは溜まる一方だ。

 文句が浮かんで止まらない。

 

 ふざけている、気に入らない、気にくわない、どうして、なんで――――

 

 ――――こんなに、救いようがないのだと。

 

「バカだ! バカだろ!! バカなんだなァ!! たかだかガキひとり死んだ程度で、こんな歪んだ世界が出来上がってんだからなァ!? どうしようもねえよ!! そんなのはッ!!」

「ああバカだ!! バカだよなァ! はははははっ!! なにが幼馴染みだよ!! 私のほうがよっぽどおまえに優しかったのに!! よっぽどおまえのことを知ってたのに!! なにを今更そんな独占欲発揮してんのかなァ!? そうだろォ、ハル!!」

「てめえが俺のなにを知ってたってぇ!?」

「おまえが黒髪長髪の女が好きだってぐらいは知ってたぜぇ!? なんせそのためにわざわざ染め直したからなァ!!」

 

 今度は彼が驚く番だった。

 というか色んな意味で一瞬固まりかけた。

 

 こいつ、いま、なんて言った?

 

 

「んな情報持って来てんじゃねぇ!! 知らねえよ!! そりゃあ前の俺だろうがッ!! ぶっ殺すぞッ!! てめえ夏鳥ィ!!」

「マジギレしてんじゃねえよッ!! もうぶっ殺し始めてるだろォ!!」

「それもそうだったな!! じゃあこのまま潰す!! 跡形もなくッ!! 大体いまの俺は違うからな昔とはッ!!」

「そのわりに仲良くしてた小娘はちゃんと黒髪長髪だったなァ!?」

「うるせえボケェーーーーーーーッ!!!!」

 

 この戦闘中一番の咆哮だった。

 

 怪物の頬を捉えた拳が振り抜かれる。

 

 鉄潔角装がなくても彼の性質はそのまま。

 徒手空拳ですら叛逆の概念は消えない。

 

 殴り散らされた蒼炎はたしかに残っていく傷だ。

 

 こんなものは生き物の強弱なんて関係ないただのぶつかり合い。

 だからこそ、心は当たり前のように躍った。

 

「はははっ! はははははははっ! ありがとう! ありがとなァ!! ハルッ!!」

「なにをッ! 言ってッ!! やがるッ!?」

「戦ってくれてありがとう! 元気でいてくれてありがとう! ここまで生きてくれてありがとう! 私らを嫌ってくれてありがとう! 私らを憎んでくれてありがとう! 私らを覚えていてくれてありがとう!」

「うるッ!! せえッ!! なァッ!! オイ!!」

「――――――私らを殺そうとしてくれて、ありがとう!!」

「――――こォんの、クソバカ野郎ォ――――――!!!!」

 

 ひときわ高い打撃音。

 怪物の胸を拳が打った瞬間、ぐちゃりと潰れる音を孕んだ。

 

 たしかなものとした肉体は、すでにボロボロで形を失いつつある。

 

 肉片の代わりに炎が散っていたようなもの。

 器だけが壊れていると楽観視できる間は過ぎた。

 相手が悠である以上、常識も当たり前も通用しない。

 

 取り込んだ身体なら失っても大丈夫。

 そんなことにすら、能力(チカラ)は有効に働いているらしい。

 

 命が、魂が。

 

 存在が、揺らいでいる。

 

「――――はッ、はははッ……いやァ、もう、終わりかァ……」

「逆にッ――……まだ、やんのかよ。てめえッ……」

「名残惜しいんだよ……察してくれよなァ……はははッ――――……ひひ」

 

 ゆったりと、緩慢な動作で彼女が拳を握る。

 

「――――これで、正真正銘、最後だァ……!!」

「――――ああ、そうかい、だったらッ――――」

 

 爪が食い込まんばかりに、力強く、彼は握りつぶすように拳をつくる。

 

 

 

「――――じゃあなァ!! ハル――――――ッ!!」

「これで終いだなァ!! 夏鳥ィ――――――ッ!!」

 

 

 

 水気混じりの、肉を打った鈍い音。

 

 崩れ去る影はただひとつ。

 

 

 勝者は荒い息を吐き出しながら。

 敗者は弾けた身体を投げ出しながら。

 

 

 

 

 

 ――――此処に、勝敗は決した。

 

 

 

 

 



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13『蒼火の雌鳥 後編⑥』

 

 

 

「――――はは。あァ、完敗だ」

 

 からからと笑う少女の声。

 

 同化した肉体は形あるものとしての役目を失っていたらしい。

 地に臥した身体がボロボロと崩れていく。

 

 風に散る灰のように、吹けば飛ぶ草木のように。

 蒼火の残骸が、千切れるように流れていった。

 

「……満足、したかよ。夏鳥」

「そいつは愚問だろォ」

「だったらもう未練はねえな」

「あるもんか。いや、もともとあった気がするんだが――」

 

 最後の最後、引導を渡したのがこの少年だった。

 

 それだけでなにもかもがどうでもよく思える。

 かつての友人に殺されたコトも、死後にすら良いように利用されていたコトも、人を殺すだけの機能に貶められた事実も。

 

 全部が全部、いまの幸福に比べれば些細な問題だ。

 

 だから、十分。

 

「くだらねえ時間だったが、過ごした甲斐はあった。そこだけは感謝しねえとな」

「あのクソ女にか? 冗談きついぞ」

「ははッ、言うね。けど正論だ。実際、私も結仁には文句がいっぱいあるしなァ」

「恨み言のひとつも吐けてねえのか。怪物も悲惨だ」

「所詮は化け物。人の道から外れた天敵。そういうこったよ、ハル」

「…………そうかい」

 

 脳内で記録を探る。

 

 夏鳥慧深(えみ)

 

 平成■■年■月■■日生まれ。

 探せばどこにでもいそうな、ちょっとガラの悪い女子。

 

 はじめて出会ったのは彼が中学にあがったばかりの頃だ。

 初対面の最悪な印象から、なんだかんだでよく話す間柄にまでなった相手だった。

 

 性格はいたってシンプル。

 喧嘩っ早い、考えるのに向いていない、気に入った相手はとことん懐に入れる。

 なにより自分のなかで決めたコトをそうそう曲げない。

 

 それは誰かのなかで鮮烈だった印象なのだろう。

 いちばんに輝かしいのが〝彼女(ユニ)〟であっても、それ以外は眼中にないというほどでもなかったようだ。

 

 きっと、知らないうちに魂へ影響を及ぼしたほど。

 

「……けど、残念だ」

「……なにがだよ」

「届いちまったんだろ、おまえ。ちょっと早すぎたな。今度ばかりは、もう少し人生楽しんでも良かったろうによォ」

「ばーか。こんな世界で楽しめるもんかよ。なにを生きがいにするってんだ」

「生きてるだけで楽しいもんだろ?」

「よく言う。怪物のくせに」

「はははっ――こいつは手厳しい」

 

 死人と言わなかったのは気遣ってか、それとも偶々か。

 消えゆく少女を見つめる悠の顔は、どこか悟ったような色がある。

 

 この先の道筋、辿るべき末路。

 

 神秘の奥底に触れ、空の向こうに手をかけた人間がどうなるのか。

 

 分からないワケはない。

 なにせ彼は導かれた特別だ。

 

 いまのすべてが流崎悠というひとつの命を求めて創られたのなら、おのずと答えは胸に出てくる。

 

「仕方がねえだろ。こればっかりは。だからまあ、考え方の問題だ」

「……へえ、どんな?」

「巡り巡ってようやく来た機会ってな。折角のチャンスだと笑ってやるよ。約束してやる。夏鳥。おまえも含めて()()()、まとめてぶん殴って来てやらァ」

「――――はッ。なんだ、ハル。おまえ、やっぱ覚えてんじゃん」

「いいや、ぜんぜん?」

「嘘つけぇ」

 

 くすりと笑う声。

 

 時間は当たり前のように過ぎた。

 すでに彼女は一部しか残っていない。

 

 終わった命、終わった戦い、終わった身体。

 

 すべて、彼が終止符を打ったもの。

 

「けどまァ、好きにしろよ。ハルの人生だ。好き勝手にすればいい。なにもかも」

「もともとそのつもりだが。俺はそういう人間なワケで」

「はははははッ――――ああ、そうさ。なにもかも、なァ――――」

 

 消えていく焔の残滓

 どこかへ集めるのでもなく、どこかへ逃げるのでもなく。

 

 それが完全に大気へ溶けてなくなるのを見届けて、悠はひとつ息を吐いた。

 

 蒼火の雌鳥

 収容所と本部を襲撃し、陽向葵の身体を奪った前代未聞の怪物。

 人類へと大打撃を与えた災厄は、ここに鎮められた。

 

 完全な消滅という形で。

 

「…………、」

 

 ゆっくりと呼吸をくり返す。

 

 疲労も体力の消耗も、思っていたほど深刻ではない。

 たしかに辛いところはあるが、彼にとってはまるで平気なぐらいだ。

 

 問題なのは別のところ。

 

 ……人間の器が壊れている。

 有り余る神秘と祝福に包まれて、肉体が解けつつあった。

 

「――――――」

 

 頭蓋のなかで響く声はやけにうるさい。

 

 彼女が呼んでいる。

 たまらなかった。

 

 本当、ここまで心をかき乱されるのは久しぶりすぎてたまらない。

 

 好き勝手叫んでいるのもそうだが、今し方消えた元友人相手になんとも思って居なさそうなのが余計悠の逆鱗に触れた。

 

 衝動が溢れだす。

 拳から血が滲まんばかりに握りしめる。

 

 ここまで感情を燃やしておいて、

 ここまで突っ走っておいてなお、胸の憤怒(ねんりょう)が消えてなくならない。

 

 いい加減、どれも限界だ。

 

「……静かにしろよ。なんなんだおまえ。ここまで救いようのないバカは初めてだ。気持ち悪い。ストーカーはどっちだって話だろ、まったくよぉ」

『嗚呼、ハルカ! 私の幼馴染み! 私の最愛のおまえが、もうすぐそこにいるのだなッ!! そうなんだな!!』

「知るかよ。うるせえ。キンキンキンキン喋りやがって。耳障りだ」

『ふふっ、ふふふふふっ! あははははは! ハルカ! ハルカ! ああッ、私はいま、ハルカと話しているんだなっ! なんて幸福だ!』

「…………勝手に浸ってろ、畜生め」

 

 ガリガリと頭をかきながら瓦礫の上を歩く。

 

 火の鳥の消滅と共に蒼炎は消えた。

 本部跡地はいまや焼け焦げた建物の名残しかない。

 

 人類を脅かす怪物は――――この惨状を巻き起こした元凶はもういない。

 

「すこし待ってろ。いま行ってやる。その前に」

 

 ――遠く、海岸線の向こう。

 

 暗雲立ち籠める海上で、ひとつの違和感を垣間見る。

 

 予測も推理も関係ない。

 感覚だけで彼はその状況を理解した。

 

 かつてその〝肉〟を引き剥がされ、水底へと沈められた規格外。

 大勢の犠牲を出しながらも陽向葵に討伐された怪物の一匹。

 

 

 

 ――――衝撃と、爆音。

 

 

 

 穏やかだった海が瞬く間に姿を変えていく。

 周囲の大気が強引に引っ張られる。

 

 水飛沫は乱れるように渦を巻いていた。

 

「――最後にひとつ、仕上げといこうや」

 

 祈るような女神の石像。

 それを核として出来上がる仮初めの実体。

 間違いない自然の脅威を纏って、怪物が姿を現していく。

 

「いっぺん倒されてるから意識はねえよなァ。可哀想によ。折角だから言い合いのひとつでもしたかったもんだが……」

 

 吹き荒れる風。

 逆巻く海原。

 

 波は高く、砂も埃も――軽い瓦礫すらパラパラと飛んでいく。

 

 故にこそ、目の前にいるのは話に聞いた討伐歴のある手合い。

 アメリカ大陸全土を踏み荒し、最終的に葵によって止められたかつての災厄。

 

 

「どうせ喋れても、夏鳥とそう変わんねえか、てめえらは」

 

 

 

 ――――嵐の、巨人。

 

 

 



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14『空の向こう側①』

 

 

 

 

「――――は、るか……?」

 

 後ろからかけられた声にピタリと足が止まる。

 見れば辛うじて立ち上がった妃和が、困惑するように彼を見ていた。

 

 身体の具合はまだまだ酷い。

 能力の負荷と怪我で体重を支えるのでさえ精一杯だ。

 

 その証拠に足が震えている。

 

「おう」

「どこへ、行く気だ……?」

「……なんだ、アイツが見えねえのか。ならもうちょっと待ってな。すぐ終わるからよ」

「……っ、そうじゃ、なくて――」

 

 震動する大地。

 目を凝らせば遠く先に人型の竜巻が見えた。

 

 夜なのに景色は鮮明だ。

 火の鳥が灯した輝きとは違う光源。

 

 すでに怪物が死んだいま、世界を覆っているのはまた別の輝きになる。

 そう、それは。

 

 ――――流崎悠から溢れだした、高濃度の純エーテル。

 

「アレを、ひとりで相手にする気か……!?」

「当然だろ。もうマトモに戦えるのは此処に俺だけだ」

「休憩も挟まず、二体連続になるんだぞ……!!」

「心配すんな。一体だろうが二体だろうがぶち負かしてくらぁ」

「無茶だッ!! そんなの、()()()()()()()()だろう!?」

 

「――――おうとも。ありがとうな、妃和」

 

 

 不意打ちじみた笑顔だった。

 

 彼女は気付かない。

 その真意に触れることすら叶わない。

 

 悠にとっては願ってもない言葉。

 極限の神秘がその能力(チカラ)を容赦なく稼働させていく。

 

「な、にを……言ってるんだ……?」

「勝てるワケがないなら、勝つしかないな。ああそうだ。俺は捻くれてるからなぁ。どうにもそういうコトになるらしい」

「――――ッ、ワケが、分からん! とにかく、待て! 私も!! 私も一緒に――」

「そりゃあ、ダメだろ」

 

 拒絶の言葉はとても優しい声音で囁かれる。

 静かな空間にはそれがよく響いた。

 

 音を伝って、鼓膜を震わせて。

 

 心までしっかりと。

 

 どこか呆れたような彼の表情まで含めて、ぐさりと突き刺さったような気分。

 

「何度も言わせんな。待っててくれ。俺、妃和に死んでほしくねえんだよ」

「わ、私なら大丈夫だ! もう、ほら! 立つコトだってできる!! 兆角醒はまだまだ使えるぞ! 私の炎を見ただろう!! 怪物相手には覿面なんだ! だから、私だって!」

「それこそ無茶だろうが。諸刃の剣だろ。使い所は考えねえとな。大事にしろよ。妃和のモンは妃和のコトだぜ? 俺が言えた義理でもねえけどよ……」

「でも、だって、悠っ」

「いいから。ああ、いいさ。いいって。いいんだ。妃和。そんなに、ならなくてもよ」

「――――――ッ」

 

 ……冷静にならなくても。

 よく考えなくても分かる。

 

 視界を埋め尽くす空色の光

 昼間のように明るい夜景。

 

 怪物が死んでもその風景は変わらなかった。

 

 簡単だ。

 

 それを肩代わりできるぐらい、悠から洩れ出る純エーテルが増えている。

 

 力として撒き散らしているのではない。

 

 いまの彼はただ息をするだけで、

 ただそこに立っているだけで無尽蔵の神秘を吐き出している。

 

 そのすべてが活性化して輝いているのだ。

 数十キロ先までの大気を覆い尽くして、闇を祓ってしまうぐらいに。

 

 そんなコトは本来ありえない。

 才能や素質以前にヒトとしての限界を超えている。

 限界を超えれば身体(うつわ)が悲鳴をあげる。

 

 なのに耐えているのは――――

 

「――――――――」

 

 ――――……いいや、すでに。

 耐えられない領域に入ってしまっているのか。

 

「そんな顔するなよ。今生の別れってワケでもないだろ?」

「…………ほんとう、か……?」

「もちろん。きっとな。いいやおそらく絶対に。……妃和しかいねえと思うぜ、俺は」

「なに、が……私、しか……?」

「そりゃあな……ま、細かい話はいまはいいや」

 

 少年の背中に翼が生える。

 神秘の粒子で出来た()()()のスラスター。

 

 大怪獣が羽でも広げたのか、と思うような巨大さだった。

 

 視界の端から端まで、その空色が埋め尽くしている。

 横幅だけでも十キロ以上。

 きっと、小さな島ぐらいなら簡単に覆ってしまえるだろう。

 

 ……格が違った。

 

 存在規模も、出力も、なにもかも。

 今までとは違いすぎて、戸惑うことしかできない。

 

 彼は彼だ。

 流崎悠だ。

 

 そこは変わらない。

 そこだけは変わらない。

 そこ()()()()変わらない。

 

 ――――彼我の距離は、どこまでも遠く感じた。

 

「それじゃあな。また会おうぜ妃和。遠くないうちに」

「はる、か――っ」

「だから、そんな顔すんなって。俺の勘はよく当たるんだ。きっと大丈夫だろうよ」

 

 暴風が頬を撫でる。

 

 次に瞼を開いたとき、すでに悠の姿は無かった。

 

 ……代わりに。

 海岸線のほうを向いて飛んでいく空色の影がひとつ。

 

 結局まともに見送れもしなかった。

 ろくな言葉もかけてあげられなかった。

 胸を占めるのは嫌な予感とそれをより強くする不安だけ。

 

 さしもの彼女でもいまの彼を見れば一目で分かる。

 

 いつもは強く鮮やかに映るはずのシルエットがいまは弱い。

 儚くて、脆くて、すぐにでも消えそうだった。

 

 だから。

 

 もしもそうなら、どうにかしなくてはならないと。

 妃和は直感的にそう思ってしまって。

 

「――――――ッ」

 

 膝をついて歯を食い縛る。

 握りしめた手は固く結ばれて胸の前にあった。

 

 祈るように彼女は想う。

 

 嗚呼、どうか、誰か、どこかに居るのなら。

 ただ彼に、無事でいてほしいと。

 

 強く、深く。

 

 ひとりの人間として、誰でもない誰かのモノとして願う。

 

 それが結果を左右したのかどうかは分からない。

 彼女にとっては知る由もないし、彼にとってもどうでもいいコトだ。

 

 けれども、ひとつだけ確かな事実は。

 

 彼はいついかなる時だって、人の願いを背負って裏切る星の反逆者だ。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 どちらが上かというのは最初から分かりきっていた。

 

 根本的に宿っている力の質が違いすぎる。

 とてもじゃないが比べるのだって莫迦らしい。

 

 ――――本来なら、それは脅威だったのだろう。

 

 火の鳥の出現に呼応するよう、日本近海に現れた嵐の巨人。

 立て続けに本土を襲った怪物の侵攻は紛れもない窮地だ。

 楽観視なんてできない絶望的な状況。

 

 ――――本来なら、それは多くの犠牲者を出したのだろう。

 

 人の天敵と呼ばれているのは伊達ではない。

 大自然の力を殺すために振りかざされる、なんてされてはいまの人類に対抗手段なんてほぼないのだ。

 

 頼みの綱の総司令(あおい)だって死んでいる。

 史上類を見ない大虐殺が起こっていたのは想像に難くない。

 

 なにせ相手は人型の嵐。

 竜巻、台風、旋風――なんであれ風害は原初からある災厄だ。

 

 そんなものが形を持って人を殺しにくるのだから当然被害は増える。

 

 でも、そうはならなかった。

 相手が悪かった。

 タイミングが致命的だった。

 

 ちょうど彼が手の付けられなくなったところで、怪物の残骸は衝動のみで稼働した。

 他と違って核となる女神像(パーツ)が残っていたからだろう。

 

 どうしようも、ないコトに。

 

『――――――――――』

「……ほんと、センスがねえよな。前の俺は。どうしたって結仁なんかを好きになっていたのかね」

 

 ぽつりと独りごちる。

 意味のない呟き。

 目の前の相手にも、遠く離れた彼女にも届かない愚痴だ。

 

「――おまえもそう思うだろ、千十瀬(ちとせ)?」

 

 呼び名はするりと口から出てきた。

 記憶と記録が混濁している証拠だろう。

 神秘が内側で溢れすぎて、ヒトの身体で保つ意識にも限界が来ている。

 

『――――――、――――――』

「……ああ、ダメだな。聞こえねえ。もう行っちまったのか。残念だ。おまえはとことん優しかったよな、千十瀬。だから、ちょっとは話すのもアリだと思ったが」

 

 ――消えているのなら、わざわざ時間を潰す義理もない。

 

 

「あばよ。もう伝わらねえだろうが、そんぐらいの言葉はかけてやらァ」

 

 

 

 

 

 



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14『空の向こう側②』

 

 

 

 

 

 

 が爆ぜる。

 大気を呑みこむ。

 

 消えた音と目映い輝き。

 それは戦闘というにはあまりにも一方的な、敗残兵の処理だった。

 

 振り下ろされた刃はたったの一度だけ。

 込められた純エーテルの総量も、能力による後押しも、いまの彼にとっては然程本気に至らない。

 当たり前のように剣を振って、当たり前のように斬り殺す。

 

 ただそれだけで事足りた。

 ただそれだけで結実した。

 

 流崎悠として生きてきた十七年分。

 もはやこれ以上はないというほどの最盛。

 

 ――有り余った衝撃が、激突と共にはじけ飛んでいく。

 

 砕け散る女神像。

 空気に馴染んでいく異様な風の運び。

 

 怪物が人類の天敵というのなら、たしかに彼の相手ではないだろう。

 人外の領域に立った神秘の化け物に勝てる存在など居はしない。

 

 故に、

 

 

「――――――いや、思ったより呆気ないな。こりゃあ」

 

 

 ボロボロと身体が崩れていく。

 肉体が空色の粒子になって融け出した。

 

 理由は単純。

 

 規格外の純エーテルは彼の生まれ持った素質を以てしても制御できない。

 体内を循環するだけで全身が擦り切れる。

 いくらソフトが優秀でも、ハードが追い付いていなければ意味がない。

 

 ヒトとしての限界点はそこだ。

 同時に、そこが終着点であるコトを明確に示されている。

 

 

「とんだモンになっちまった。外に出ただけでこんな目に遭うんだから、美沙の言ってたコトはあながち間違いでもなかったかもなあ」

 

 

 くつくつと笑いながら悠は独りごちる。

 

 恐怖はない。

 あるのは腸が煮えくり返るような想いと、妙な期待感。

 

 弾む胸をおさえるように刃を握り締めた。

 

 柄が砕けんばかりに強く、強く。

 空に融ける己の身体を見つめながら、ただ笑う。

 

 

「けど、やっぱ後悔はしてねえよ。色々あったが、まあ退屈しない時間だった。これまでも、きっとこれからもな。俺はこの道を選んで最高だったぜ。だから、よォ――――」

 

 

 意識が薄れる。

 視界がぼやけていく。

 

 感覚はすでに途切れた。

 肉体がどこまで残っているのかも分からない。

 

 消えるように解ける命。

 

 魂の軽さにわずかばかり驚く。

 

 でも不思議と、その感覚は知っていた。

 慣れていた。

 

 どうしてかは分からない。

 たぶん、そういうコトが何回かあったのだろう。

 

 彼だけの話ではないこと。

 誰かに限った状況じゃないこと。

 

 生命は流転する。

 魂は巡り廻って戻り来る。

 それがこの宇宙(せかい)における大原則だ。

 

 ……同じ名前、同じカタチに生まれたのは誰かの手が入った必然でしかないけれど。

 彼はきっと、そういう流れに身を任せた人間だった。

 

 百年の歴史を越えていま一度。

 

 

 

 ――――空の向こう側で待つ、少女に手を引かれて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「掴まえたぞ、ハルカっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、暗い夜空の上にぽつんと立っていた。

 

 見渡せば光る星がいくつも見える。

 どこなのかは分からない。

 見慣れた景色も知っている誰かの顔も一切見えない星の海。

 

 呆然と、昔読んだ古い本でこういう写真()があったのを思い出す。

 

 

 

「ふふっ、ふふふふふっ」

 

 

 

 ――――ふと。

 

 正面から、女性にしては低めの笑い声が響いてきた。

 

 怪訝に思いながら悠は視線を向ける。

 無限に広がる星空から、眼前にある異物へ。

 

 なにもかもがスケールの大きなモノで構成されている中、それだけがチープで、だから余計に異質だ。

 

 一言でいうなら玉座。

 仰々しい装飾の施された三つの椅子。

 

 本来なら埋まるはずであろうそれらのうち、二つは空席のまま()()()()()()

 

 おそらくもう使い物にはならないだろう。

 

 残った中心にはひとり――――頭蓋を震わせるほど衝撃的な、美人が座っている。

 

 

 

「…………あんた――――」

 

 

 

 ――――ずきん。

 

 目眩じみた頭痛。

 真っ白に染まる世界のなかで、女性の顔がハッキリと見えた。

 

 額から伸びるイッカクのような螺旋を描く鋭い角。

 黄褐色茶色が混ざった奇妙な頭髪。

 瞳の色は深い緋色で、彼を慈しむように見つめている。

 

 

「――――てめえ」

「ふふふふふふふふっ」

「なァにが――」

 

 

 刃金を生み出す。

 瞬時に鉄潔角装を握りしめる。

 

 すでに空間での純エーテルの有り無しは関係ない。

 

 彼自身が神秘を生み出す炉心そのものだ。

 一度発動してしまえばそれこそ後は振りかざすだけ。

 

 爆破的に上昇していく出力が、彼方に向けて放たれた。

 

 

「おかしいッ!!!!」

「――――おかしくはないさ」

 

 

 ふわりと漂う懐かしい香り。

 

 見ればすでに彼女は玉座から降りていた。

 振り抜いた刃の先は虚空だけが広がっている。

 

 ……そっと、柄を握りしめる手に触れる温度。

 

 肌を這う指は艶やかで、割れ物を扱うように繊細だ。

 妙にこそばゆい。

 同時に――――残った理性から、果てしない嫌悪感が湧いてくる。

 

 

「いきなり乱暴だな。好ましくはあるが、話ができないのは酷く悲しい。すこし落ち着け。なにも、取って食おうというワケではないぞ?」

「うるせえ。黙れ。手を離しやがれ」

「……それはダメだな」

「離せ」

「嫌だ。離さない」

「てめえ――――」

「――――もう二度と、離すもんか。おまえの、この手を」

 

 

 震えたのは一体なんの意識か。

 

 誰の魂か。

 どんな心境か。

 

 きゅっと、合わせるように手を握られる。

 背後から迫った彼女は悠に体重を預けた。

 

 肩に顎を乗せて、わずかに少年の横顔を覗きながら。

 ――ぽろぽろと、涙を流して。

 

 

「ようやく会えた。ようやく触れた。嗚呼、嗚呼ッ――――私は、そうだ。私は、幾つもの昼と夜を越えて、年月を迎えて、それでも諦めずに願っていたのだ。それが、いま、ようやく――――」

 

 

 成就する。

 

 

「ふふ、ふふふふふっ、あははははははっ」

「――――ッ、こ、のォ……!」

「っ、ああ、もう、そう暴れてくれるな。時間は沢山ある。急ぐことなんてないだろう。しっかり、じっくり、確かめ合っていけばいいんだ」

「なにを確かめるってェ!?」

 

 振り抜いた剣を後ろへ回す。

 

 手応えはない。

 剣閃は再度虚空に閃いて、無為に空間を裂いていった。

 

 代わりに、ゴトリと響く重い音。

 彼女はいま一度玉座になおって、満面の笑みを浮かべながら悠を見遣る。

 

 

〝こいつ――――〟

 

 

「無論、色々だ。本当に、色々。……ずっと待っていた。夢見ていた。おまえとまた出会えるその日を。またこうして、ちゃんと話せる未来を。百年、いつも待ち続けた」

「――――――――」

「……さっき、なにがおかしいと訊いたな? そうじゃないんだ。嬉しいから、楽しいから、良いことだから、好きだから――――笑ったんだ。おまえと会えてから、どうも口角があがってしまって仕方ない。許してくれ。耐えられないんだ。だって、本当なら、いまだって、そうだ。もう、ずっとずっと、私の気持ちが爆発しそうで――――」

「…………なにが言いたい?」

「精一杯、我慢、してる」

「……そうかよ」

 

 とてもつまらなさそうに彼は吐き捨てた。

 おそらくは印象によるもの。

 彼にとって目の前に映るモノがなんなのか、決まり切っている。

 

「先ずは、そうだ。紅茶でも飲んでゆっくりしよう」

「ひとつだけ訊くが」

「? ああ、どうした。なんだ? なんでも訊いてくれ、ハルカ」

「てめえがアイツらを()()()()()にしたんだよな?」

「ああ、夏鳥たちのことか? まあ、そうだな。やったのは私だが」

「だったら話は早ぇ」

 

 

 どこから出したかポットとティーカップを持ってくる彼女に、変わらぬ殺意と刃を向ける。

 

 

 

「――――てめえが俺の、敵でいいんだなァ!!」

 

「――――違うな。私はおまえが大好きな嫁だよ」

 

 

 

 

 

 

 



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14『空の向こう側③』

 

 

 

 

 

「なァにが――――嫁だぁッ!!」

 

 

 唸りをあげる純エーテルの心臓(ろしん)

 体内の血管(かいろ)が焼き切れるのも構わず神秘を回す。

 

 はじめから判断はついていた。

 余分な思考が入る余地はない。

 

 紛うことなく、目の前の存在は敵だ。

 仇敵だ。

 勘違いも誤解もない。

 

 今この場に於いて、出せる全力のこの女にぶつける――――!

 

「まったく……家庭内暴力とか、私、あんまり好きじゃないぞ」

 

 とん、と椅子から降りながら彼女がくすくす笑う。

 

 本当に対処する気があるのかどうか。

 動作は緩慢だ。

 感覚は張りつめるどころか弛緩しきっていた。

 

 油断も隙もありすぎる。

 どこからどう打とうがこの一撃は当たると確信して、

 

「ま、まあ。尤も? おまえに殴られるのは、ちょっと、こう、なんだ。……はしたないコトなんだが、興味が……あったり、する…………

 

「――――――――は?」

 

 

 刹那の言動に絶句する。

 彼女の言い分があまりにも歪んでいたから、ではない。

 たしかにそれも理由のひとつだが、肝心なのは他の部分。

 

 ――見れば悠の手元にはなにもなかった。

 

 撒き散らしたはずの純エーテルもどこかに消えている。

 強固に創造した鉄潔角装と、超高濃度の活性化した神秘の粒子。

 

 どちらもが、跡形もなく。

 

「なん――――だ、てめえ?」

あッ、い、いや! 忘れてくれ! いまのはとても、おかしなコトを言った。ごめん。久々ともなると、こう、ついな? 気分が上がってしまって」

「違うだろ。違う、だろうが。てめえッ、いま、なにをした?」

「う、うん? なにって、ハルカ。それは……純エーテルだろう?」

「だから、なんだ」

「純エーテルは私から生まれたものだぞ? それをどうして、自在に扱えて不思議がる?」

「――――――――」

 

 冗談じゃない。

 蒼い火がまだ可愛く思える。

 

 それほどのデタラメな権能。

 

 すなわち、彼女にとって神秘とは手足も同然。

 生かすも殺すも自由自在。

 そこにある鉄潔角装と純エーテルを消し去るぐらい、片手間で出来るということだ。

 

「……やっぱり驚いているのか? おまえらしくもない。もっと堂々と構えているだろう、いつものハルカなら」

「――……おまえが、俺のなにを、知ってやがる」

「ふふふっ……知っているとも。なにせ唯一無二の幼馴染みだ。色々と、知っているんだよ。おまえのことなら」

「それは前の俺だろうが。今とは違う」

「同じだよ。なにも変わらない。おまえはおまえだ、ハルカ。心の色も魂の鮮やかさもそのままだ。だから分かった。だから好きなんだ。だから――――ここに連れてきた

 

 確信をもって彼女は断言した。

 

 ふわりと微笑む絶世の美女。

 その容姿は完璧と言えるぐらいに整っている。

 きっと世界の誰も汚せないと錯覚してしまうぐらい見事だ。

 

 ――――でも、そうじゃなかった。

 

 それは知っている。

 記録を通じて知ってしまっている。

 だからどうしたと切り捨てた情報のなかで、その部分だけは酷く拭いがたい。

 

 おそらくは〝彼〟という意識であるがために。

 

「なあ、ハルカ。ここがどこだか分かるか?」

「……知らねえよ。興味もねえ」

「そう言うな。私だってちょっとは自慢したいんだ。聞いてくれ」

「………………、」

「そもそも、おまえは何度か耳にしただろう? 彼奴から」

「あぁ? なにを」

「空の向こうだ」

 

 一歩、踊るように彼女が足を踏み出す。

 

「神秘の根源。宇宙の最奥。世界の始点。……おまえたちが生きていた空間と異なる場所。すなわち此処には、私しかいない」

「……へぇ。そんなとこでふんぞり返っていたワケか。長い間、ひとりぼっちでよォ?」

「となると思っていたんだがな。いやはや事実は小説よりなんとやらだ。おまえのために組み上げた世界で、まさか居るとは想定していなかったんだが」

「はぁ?」

「惜しいことに、おまえで五人目だよ。この領域に辿り着いたのは」

 

 ――がちり、と。

 

 不気味なパズルのピースが合った音。

 

 思えば戦闘部隊の誰もが兆角醒を到達点としていた。

 

 その先を目指そうとしたことなんて、

 その先があると確信していたのだって、

 その先への可能性を促したのだって、

 

 いつも、人々の枠組みから外れた誰かだった。

 

 思い出せ、と内心で悠は己に語りかける。

 ゆっくりと、息を吸って吐きながら。

 

 たしか、そう――記憶が間違っていなければ。

 

 

 

 

 

 聖剣使いの人数は、いまのところ何人だっただろう――?

 

 

 

「はじめて来たときはびっくりしたものだ。有無を言わせず勢いで放り投げてしまったよ。おまえに敵わずとも良い男でな。……彼に惚れた彼奴は、ずいぶんとセンスがいい」

 

 彼が出会ったのは三人。

 

 紺埜麻奈。和泉壱真(いーくん)

 子波伽蓮。折原篝(カガリっち)

 十藤緋波。雪棟海那(カイナ)

 

 いつだったか忘れたぐらいのとき。

 話に聞いた時代遅れな一匹狼は全部で四人だという。

 

 そうしてその全員が、どこか致命的にズレた世界を眺めている。

 

「折角の逸材だ。私が認めた人間だ。無くすのは惜しいだろう? 使い手もろとも魂を固定化してしまえば寿命で死ぬコトもない。頂上に立つ能力(チカラ)のせいで戦闘で傷付くコトもない。児戯だが、退屈しのぎにはなったな。色々とバレてはまずいから、記憶に封をしたり()()()をしたりと大変だったよ」

 

 時間の流れから取り残された誰か。

 

 ずっと長生きだと嘘もなく語った少女を思い出す。

 

 病気でもからかっているのでもなんでもなく。

 本当に、真実彼女は年月を重ねた人特有の重みを持っていた。

 

 その理由に、察しがつく。

 

「……また怖い顔をして。奴等は幸せものだぞ? なんだかんだで想い人と添い遂げた者達だ。これ以上の幸福がどこにある? ――ああ、ちなみに私も、ちょっとだけ、うん。やってみたいとは思ってたり、する。……使うのでも使われる側でも、私はどちらでも構わんぞ?」

「俺はどちらでもごめんだ、畜生」

「そうなのか。それは少し残念だ」

「そぉだな。俺も残念だ。とっても、めちゃくちゃ、残念で仕方ねえよなぁ」

 

 こぼれたため息は予想以上に重かった。

 もっと気楽に吐くつもりだったのに、がっくりと肩が下がっていく。

 

 彼は呆れている。

 嘆いている。

 気落ちしている。

 

 目の前の存在すべてに、彼女の今までに。

 

 そこまで心に響かないだろうと思っていたコトは、どうにもそうでなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど、やっぱり。

 

 

 それ以上に湧いてきて、それら全部を塗り潰していくのは。

 

 

 

 

「――――おまえ一体いつからそんなクソ野郎に成り下がった?」

「ふふっ、心外だな。辛辣なおまえもいいが……私は不変だぞ?」

「んなワケあるかよ。変わり果ててるぜ。腐敗臭まで漂ってくらァ」

「私はいつ何時おまえと会ってもいいように最高のコンディションを保っているが?」

「死ねよ」

「死なないな。おまえと再会したんだから」

 

 

 空中で創造して放った鉄潔角装が砕け散る。

 

 破壊音さえ聞こえない見事な粒子化だった。

 もしもコレが全力で潰されに来ていたら、恐ろしいどころのものではない。

 

 圧倒的な力量差は見るものを絶望の淵に叩き落としていく。

 彼らにとっての武器は彼女にとっておもちゃ同然。

 

 

 

 目の前にいる相手に向けて、一番強い唯一つの刃だけが向けられない。

 

 

 

 

 



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14『空の向こう側④』

 

 

 

「そもそも、私はそう簡単に死なんぞ? なにせまだ後継者がいないからな」

「……妙な理屈だな。都合が良すぎるだろ。夢でも見てんのか?」

「そういうものだ。この時代は私のつくりあげたものだからな。当然、都合も良い」

 

 結仁(カミサマ)は笑みを崩さない。

 余裕を持って少年へと近寄っていく。

 

 彼は表情を緩めない。

 握りしめた拳からは血が溢れていた。

 とめどなく起こる感情の渦に、知性と理性がゴリゴリと削られる感覚。

 

「この地球(ホシ)のルールだ。神秘は時代によってその在り方を変える。その性質を変える。私を含めてこれまで九つ。時には隠され、時には多くの人に認知されながら歴史を紡いできた。呪いとか、魔術とか、超能力とか――――そんなものはすべてがその時代の首領(わたしたち)から溢れた神秘のルール。純エーテルというのはすなわち、そういう類いのものだ」

 

 古くは天上の神々が位置する場所として。

 時代の流れと共に隠された指導者として。

 そして文明の発展と共に忘れ去られていた大原則。

 

「おまえと私が共に生きていた時代は()()()のものでな。己の権能を二十の魔法(チカラ)に分けて人々の中に宿していた。大気に存在する神秘もただのエーテル、魔力だったか? いまとは別物だった。私とは違う、異能が表に出てこない時代だ。気付かなければ普通に生きて死んでいく」

 

 悲しげな顔は誰を想ってのものか。

 彼女の向ける感情が何に対してなのかは言うまでもない。

 

 たったひとり、ただひとつ。

 

 そう何度も口にしてきておいて、今更間違うハズもない。

 

 あの時の彼はなにひとつ気付くことなく、

 なんの事件にも巻き込まれることなく、ただ生きて死んだ。

 

「もともと私は()()()()に近い存在だからな。知らなかっただろう、ハルカ。私、もともとは人間じゃなかったんだ。いや、人になってからも実際、人らしくなかったな。……それを直してくれたのは、おまえだ。ハルカ。おまえが私を、ちゃんとした人間に――――女にしてくれたんだ」

「…………俺が?」

「そうだ。莫迦な私を、愚かな私を、醜い私を変えてくれた。おまえの愛が。おまえの好きが私の心に響いたんだ。とっっっっっても心地良かった。あの瞬間を私は忘れない。――――おまえに恋をした、あの時を」

「…………そうかよ」

 

 なんだか。

 いま。

 無性に、腹が立っている。

 

 理由は不明。

 

 彼ではぜんぜん分からない。

 でも、心はうるさいほどがなり立てていた。

 

 比べれば簡単なコト。

 

 莫迦なのはどっちか。

 愚かなのはどっちか。

 醜いのはどっちか。

 

 彼に執着する前と後で、おかしいのはどっちなのか。

 

「……変わってるよなぁ」

「? ハルカ?」

「ちょっとおかしいんだわ。そいつさ。けど、随分しっかりしてた。餓鬼の頃から自分(てめえ)があって、意志が固くて、自分自身の感覚を貫ける強さがあった」

「…………ハルカ…………」

「格好良いじゃねえか。正直惚れるのも分かる。きっと()()はそうだった。てめえの幼馴染みになれたのは偶然でも幸福だったろうさ。なんにせよ特別な立ち位置だ。なんだかんだで優しくもしてもらえて、最高だったろうよ」

「……そうか。おまえは――――」

「 だ が な 」

 

 

 神秘が渦巻く。

 星空を覆い隠すように空色の光が充満した。

 

 脈打つ心臓(ろしん)、焼け付く血管(かいろ)

 

 限界を超えてなおチカラを手繰り寄せる。

 

 

「てめえは駄目だ」

「――――――、」

()()に惚れてる。俺に執着してる。それ以外をどうでもいいと思ってる。いまのてめえはてんで駄目だ。最悪だ。惚れる価値もないただの屑だ。それが共通見解だ。分かれよストーカー。常識がねえのか、それとも知らねえのか。だったら教えてやる」

「……なにをだ?」

 

「結婚は互いの同意がねえとできねえよ。ひとりでやってろこの喪女が」

 

「――――――――――はははっ」

 

 顔をおさえて結仁が声をあげる。

 立ち上がっていた彼女の身体がふらついた。

 

「ははははは……っ」

 

 玉座に手をつく。

 倒れるのをなんとか堪える。

 

 脳内では水音のような何かが反響していた。

 どうにも沸騰しそうで気分が優れない。

 

 ああ、なんて――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――良いな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ?」

 

 なんて、

 

「生のおまえの罵倒が、とっても心地良い……ッ!」

「――――――きめえ」

「はははっ……仕方ないだろう! だって、おまえ! 百年ぶりだぞ! 何を聞いてもそれは興奮するに決まっている! 例え罵倒でもだ!!」

「だからそれが〝きめえ〟んだろ、おまえ!」

「大体、駄目だからどうした!? 嫌いだからなんだ!? 私は知っているぞ!! なあハルカ!! どれだけ冷たくあしらわれても! どれだけ邪険にされても! 諦めずにただひとつの恋心を抱え続けた()()を!!」

「――ああ、そんなバカもいたなァ!」

「だから私は諦めない!! おまえと共に在る夢を!! 共に過ごす未来を!! そうだ!! いつかはきっと叶う!! おまえの恋が、私を振り向かせたように!!」

 

 人の想いこそが無限の可能性なのだと、彼女は謳うように。

 

 

 

「そのためなら、私はなんだってしてみせよう!!」

 

「そうか! だったら今すぐ死ねよ紺埜結仁ィ!!」

 

「それは無理な願いだなッ!! ハルカ!!」

 

「だったら殺してやるよォ!! おまえが神秘のなんだろうがァ!!」

 

 

 

 再度、悠の手に鉄潔角装が握られる。

 その周囲に空色の粒子が撒き散らされていく。

 

 純エーテルとは結仁そのもの。

 彼女の願望、本質、心の奥底をひとつの法則として流出させたこの時代の神秘だ。

 

 悠が上手く扱えるのは至極真っ当である。

 ――なにせ彼の活躍を望んだのは彼女だ。

 

 彼に似通った人間ほど適性値は跳ね上がる。

 ――故に空の向こうへ手を伸ばした全員が男だった。

 

 そして、男に害を与えるのも。

 ――彼女を強姦(ヨゴ)(コロ)したのは、紛れもない男性(ソレ)なのだから。

 

 

「はははッ! まだやるのか! おまえらしいな! そういうのは大好きだぞ!! だが無駄だ! 純エーテルは私のものだと言ったろう! ならその手で行う反撃はすべて無意味になる!!」

 

 

 虚空に手をかざす結仁。

 

 侮るなかれ、見誤るなかれ。

 態度こそアレなものの、彼女は正真正銘この時代における神秘の覇者。

 

 秘密の首領、隠された指導者、超常を統べる存在だ。

 

 なればこそ、それが純エーテルである限り彼女には届かない。

 

 

「俺の反撃がなんだってぇ!?」

「――――――なに?」

 

 

 本来なら。

 

 

「どぉした! 消すんじゃなかったのかよ!! てめえの権能で砕くんじゃなかったのか!? 神秘の支配者なんだろう!! おまえェ!!」

 

 

 振り上げた鉄潔角装に欠落はない。

 空色の光は途絶えない。

 

 彼は神秘のすべてを完全にコントロールしていく。

 

 際限なく上昇していく出力。

 唸りを上げて爆発する閃光、熱量。

 彼女の手によって消し去られるはずのモノたち。

 

 くり返すように純エーテルであれば、結仁にどうにかできないハズはない。

 

 ――――ただひとり、彼を除いて。

 

 

「気に入らねえ」

 

 

 膨大なエネルギーが夜空に展開される。

 

「神様気取って時代だ権能だと、自分(てめえ)こそが絶対に偉くて強えんだと思ってるそのザマが気に入らねえ。反抗だってしたくなっちまうだろ。なあ、オイ。結仁」

「おまえ――――ッ」

「てめえが語ったのは純エーテルだけだ。俺のコイツに関しちゃ別ってことだよなァ? なにが無駄だ? 無意味だ? てめえがどうにかできると思った時点で、()()()()()()()()させてぇだろォ!!」

「――――叛逆の性質か! たしかに私のモノではないな! 地球(ホシ)の意思がおまえに擦り付けただけのコトだものな!」

 

 剣閃が走る。

 瞬きの間ですらない刹那。

 

 ――――あまりの速さが、全能の認識を追い抜いた。

 

 彼女の右腕から、が溢れる。

 

「なんッ……という!」

「まだだァ! 腕一本! 欠損ひとつじゃ足んねえだろォ!! その命でもって償えやァ!! 一体何人を殺したと思ってる!! おまえの気まぐれでぇ!!」

「あまりにも増えすぎた人を消してやっただけだろう!! おまえを求めるのなら最小限の人口で構わない!! 殺したのもおまえと相性の悪い人間が大多数だ! 残っている人間はおまえと馬が合っただろう!?」

「だから屑なんだてめえはぁぁああああああ!!!!」

 

 

 振り抜かれる刃。

 今度はその肩口を狙って。

 袈裟斬りに通るように。

 

 

「違うだろうが!! 違うんだよ!! てめえ!! いつからそんな莫迦になった!! そりゃあそうだ! 合う合わないは人同士ある! だがなんだ!! それが死んでいい理由になんのか!? てめえの嫌いな人間は全員死ねってか!! ふざけんじゃねえ!! 誰だって生きてる時間の価値は同じなんだぞォ!!」

「違うな!! おまえは!! おまえだけはッ、私にとっての至高だ!! 最上だ!! 他の何を差し置いてもおまえだけが一番なんだ!! だから!!」

「そのためなら人も殺すのか!! それがふざけてるって言うんだ!!」

 

 

 絶え間なく斬撃は入る。

 その肢体からとめどない血が流れていく

 

 彼は臨戦態勢だ。

 すでに心は殺意をもって剣を握ってしまった。

 

 対する彼女はいまだ対話の姿勢を崩さない。

 いくら切られても、いくら傷付いても。

 

「ああ殺すとも!! おまえを取り戻すために!! おまえと一緒になるために!! 他のなにがどうなろうと知ったコトではない!! あのとき、魔法使いどもをぶち殺して! 神秘の首領の地位と権能を奪い取った時から! 私はなんだってすると心に決めていたのだから!!」

「そうかよ!! 気分はどうだ!! 何人もの命を奪って手に入れた、俺との再会は!!」

「最ッッッッッッッ高だとも!!!!」

「莫迦がよ! だからてめえは駄目なんだ!! おまえと添い遂げるぐらいなら()()()()()()マシだなァ!! オイ!!」

 

「――――それは聞き捨てならないッ!!!!」

 

 

 

 瞬間だった。

 

 風が吹き荒れる。

 彼女の手に握られた槍が、純エーテルを振り払って刃を砕いた。

 

 鉄潔角装だ。

 

 あまりにも緻密で、あまりにも完成度の高い。

 すべての見本とすべきような練度の、武器の生成。

 

「死なせない。もう死なせるものか。奪わせるものか。おまえは生かす。なんとしてでも。待ち続けたんだ。死んだおまえの魂が、廻り巡ってこの世に宿るのを。記録があるのだ。分かっているだろう? 知っているだろう? 自分が、以前に一度死んだことを。それでなぜそんなコトが言える? そんな言葉を吐ける? やめてくれハルカ。私は嫌なんだ。私はもう、もう――――――」

 

 もう、二度と。

 

 

 

「――――おまえを、失いたくない…………!!」

 

 

 

 ふと。

 

 身体が、上手く動かなくなった。

 

 悠の意識は浮かんでいる。

 心臓の音が聞こえない。

 

 なんだろう、なにかがおかしい。

 

 ぐるぐると回る思考とは反対に、ズレていく何かの感覚を掴む。

 これは、一体、どういう。

 

 ――――なにが、起こっている?

 

「…………すこし、頭を冷やしてくれ。私もその間、おまえときちんと話せるように熱を冷ますよ。すまない、ハルカ。だが忘れないでくれ。私はいつでも、どこでも、どうなっても――――おまえを愛している」

 

 

 空の向こうに辿り着いた者の末路。

 世界に取り残された異端。

 

 誰もが望んでそうなったワケではない。

 

 大切な何かを護るために、

 大事な信念を貫くために、

 譲れないモノがあるために、

 叶えたい願いがあるために、

 

 ここまで行くしかなかったからだ。

 

「……それまでは、ああ、そうだな。彼女に預けよう。褒美だな。おまえの命を救ったあの子は、私にとっても恩人に近い。むしろ、あの子以外は認めたくないものだ」

 

 命が内側に沈んでいく。

 柔らかいはずの肉体が鋼のように硬い。

 

 生物としての在り方を蹂躙する変化/変態/変身。

 

 すべて神様の言う通り。

 人体を純エーテルとして分解した後、ひとつの形として魂と共に固定化する。

 

「いってらっしゃい、ハルカ。いずれまた会うときがくる。ゆっくりしていてくれ。私もそうする」

 

 そうしてそれは、音も無く夜空に溶けて。

 

 

「――――ひと先ずは。おまえが五本目の、聖剣だ」

 

 

 なにもかも、封じられて墜ちていく――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――まだだろォが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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14『空の向こう側⑤』

 

 

 

 

「そう、簡単にィ――済んで、たまるかよォ」

「――――――」

 

 ぎちぎちと、闇が裂けていく。

 空間がこじ開けられる。

 

 抵抗の手段なんてなかった。

 完全に武器(はがね)と化した彼になにをする術も残っていなかっただろう。

 

 なのに、どうして、よもや、これは――――

 

「ハルカ……」

「まだだ、まだァ……まだ、終わっちゃ、いねぇぞ……てめえ……!!」

 

 鈍色に染まった指先と爪。

 刃で編まれたように破れた皮膚。

 

 辛うじてヒトガタを保った身体は、しかしもう手遅れだ。

 

 彼に挽回の策はない。

 この場において結仁を引き摺り下ろすコトは不可能である。

 

 どう足掻いても、どんな手を使っても。

 

 ただその圧倒的な力量差を前に、蹂躙されるだけ。

 

「やっぱり、そうだ……! ああッ、分かっちゃ、いたがなァ……!! てめえッ! てめえはッ!! そうだッ!! てめえは俺のッ、敵だァッ!!」

 

 夜空が割れた。

 空間の裂け目から空色の光が覗く。

 

「――――紺埜、結仁ィ!!!!」

 

 神秘を纏う異形の影。

 見送ったはずの彼がその場に舞い戻る。

 

 限界寸前のところで聖剣化に抗ったのはその怒り故か。

 

 流崎悠という存在を甘く見てはいけない。

 この領域に手をかけた時点でその規模は人のモノを越えている。

 

「――――嗚呼。ハルカ、おまえはどこまでも――――」

「タダじゃ済まねえ! タダでは終わんねえ!! そのためなら、多少の無茶も無謀も無理も存分にやってやらァ!!」

 

 ――――それはさながら名前の如く。

 

 射出されたは一直線に。

 夜の闇を切り裂いて、流星みたいに空を奔った。

 

 彼の手に得物はない。

 空色の粒子は勢いだけを増して虚空へ消え去る。

 

 当然だ、どちらにもすでに用はなかった。

 

 握りしめた拳は硬く。

 食い縛った歯は折れんばかりに。

 見つめる相手は真っ直ぐ真正面。

 

 ただひたすらに。

 ただそれだけのために。

 

 

 ――――拳を、振り抜く。

 

 

「ごッ!?」

 

 

 綺麗な顔だった。

 整った容姿だった。

 美人のものだ。

 

 殴るなんて以ての外。

 そもそも美醜に関係なく女性に顔はアウトもアウトだろう。

 

 以前のとき、夏鳥(だれか)からそんなコトを聞いた記録が蘇る。

 

 

 

 ――関係ない。

 

 どうでもいい。

 男も女も一切合切判断には含まれなかった。

 

 なにせいま、目の前にいるのは人でなしだ。

 

 顔面を殴るのに、心はひとつも痛まない。

 

 

「約束ッ、したんでなァ!! あいつらの分までって!! だからこれはまず、俺の分だッ!! でもってェ!!」

「が――――ッ!?」

 

 

 容赦なく撃ち抜かれる頬骨。

 掬い上げるようにして砕かれる顎。

 

 一発一発、常軌を逸した威力で拳は放たれる。

 

 その頭蓋すら、陥没させるほどに。

 

 

「ひとつじゃ、終わらせねえぞッ!! てめえ結仁ッ!! 俺はッ!! 俺はァ!!」

「――――――――ッ」

 

 

 思い返す。

 強引に記録を漁る。

 

 樹木の天使。/枯木美智留。

 

 蒼火の雌鳥。/夏鳥慧深。

 

 嵐の巨人。風巻(かざまき)千十瀬。

 

 空の海月。海錫佑奈(みすずゆうな)

 

 氷の十字架。凍坂鍔紗(とうさかつばさ)

 

 どれも、彼の記録に存在する少女たちだ。

 

 なんの変哲もない、

 探せばどこにでもいそうな、特別性のない、

 けれども、そこにしか居なかったひとつの命。

 

 代わりの効かないただひとりの人間だった。

 

 それを、コレは、悉く打ち壊してくれやがって。

 

「俺はてめえのコトを!! てめえが死ぬまで許さねえ!!」

「――――あ、ははッ。いいぞ、許すな。ずっと、ずっと、覚えていてくれ。ハルカ」

「減らず口をォ!!!!」

「叩くさ。……私は、ただ。おまえがいれば、それでいいから。だから、何度、でも」

 

 

 くり返すように身体が固まる。

 魂が内側へと仕舞い込まれて、意識がぼうっと溶けだした。

 

 振り抜いた拳は届かない。

 

 

 

 けれど、まだだ。

 

 まだ足りない。

 まだ全然気持ちは晴れていない。

 

 こんなものじゃない。

 この程度で終わってたまるか。

 

 どうなろうと、どんなコトになっても。

 

 いくら時間がかかったとしても。

 

 

 

「――――――結仁ィ!!!!」

 

 

 

 揺らぐ意識を叩き起こす。

 

 必死で固まる口を動かせば、なんとか言葉が発せられた。

 こちらを見る彼女の瞳は――――変わらず、気色悪い気持ちを宿していたが。

 

 そんなコトよりも、言っておかなければならないコトがある。

 

 そうだ、文句のひとつでも吐かなければ。

 それが喩え意味のない行為だとしても、たしかな殺意を敵意を込めて。

 

「いまに見てろォ!! てめえをもう一発ぶん殴りに来る!! 何年かかっても!! 必ず!! 絶対にだッ!! 俺がてめえを叩きのめすッ!!」

 

 いつかきっと、現実にする。

 

「それまではせいぜいふんぞり返ってるこったァ!! 首を洗って待っていやがれ!! 次に会ったときがてめえの破滅だよ!! 潔く死ね!! もうおまえの恋が叶うコトはねえと思え!! 叶うはずがねえだろォ!! てめえが人を殺した瞬間からァ!!」

「……いいや、叶えてみせるさ。きっと。諦めない。おまえが私を諦めなかったように。私もずっと、この心を持ち続ける」

「あァそうかよ!! じゃあ言ってやる!! 俺が好きなのはてめえじゃねえ!! 俺が恋をしてるのはおまえじゃねえ!! 俺が愛してんのはあんたじゃねえ!! 俺にとって一番心を傾けてんのは――――」

 

 一番大事なのは。

 誰かなんて、今更の話だ。

 

 

妃和だァ!!

 

「――――――――――ふふっ」

 

 

 虚空へ消えるひとつの命。

 空の向こう、神秘の領域に届いた存在は元在る時空へと戻った。

 

 生き物としての形をなくして、地上へと降り注いだ。

 

「…………照れ隠しなぞしなくていい。まったくおまえは、いつまで経っても子供だ」

 

 結仁は笑う。

 変わらず微笑む。

 

 その意識、人格、性質はとっくの昔に歪んでしまった。

 

 もう元には戻らない。

 なにせ彼女が彼に惚れた時点で、それは致命的なバグのようなもの。

 

 取り返しがつかないというのなら、こんな風になる前から手遅れだった。

 

「一体なにがいけないんだろうな。怪物(アイツら)だってそうだ。人口が一定値にまで減れば活動が衰えるよう設定したというのに。別に世界を壊そうとか、人類を滅ぼそうとかいうワケではないんだぞ? 私だってもとは人間だ。神秘の統治者らしくやっているだけなのに、ハルカのやつめ……もうちょっと私の言葉に頷いてくれてもいいだろう」

 

 かつての少女の面影は、すでに数えるほどしかない。

 

「だが、それもまたあいつらしい。ハルカはハルカだ。大丈夫、安心しろ。そういうところも含めておまえを愛そう。私の惚れた男なのだ。簡単に手に入ってはつまらんというコトなんだろう? ふふふっ、楽しみだ。再会の約束をした。ずっと待っていよう。だからいつか――迎えに来てくれよ? 私の王子様

 

 空の向こうで女神は踊る。

 

 二千十年代から百年続く九番目の時代。

 男と非処女を嫌う歪な世界。

 

 純潔の星はまだ終わらない。

 

 これからも――――彼を待ち続ける限り。

 

 新たな時代が来るのは、ずっと先の話だろう。

 

 

 



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14『空の向こう側⑥』

 

 

 

 

 遠く、海のほうで光が輝いた。

 

 鮮やかな落雷じみた閃光

 元に戻っていく深夜の風景。

 

 夜は変わらず夜らしく、闇の暗さに包まれていく。

 

 それだけで、美沙は此度の一件が終わったことを直感した。

 

「…………そうだ、悠は――――」

 

 

 

 

 ――――ずきん。

 

 

 

 

「…………ッ?」

 

 

 慣れない音に首を傾げる。

 

 はて、と彼女は胸中で疑問を抱いた。

 

 怪物による襲撃はこれにて終幕。

 危機が去ったいま、心配するコトはこの後をどうするかだ。

 

 

 

「……悠なんて知り合い、いたか……?」

 

 

 

 そこで真っ先に出てきた()()は、覚えがない。

 彼女と親しい間柄の人間に、そんな名前はいなかったと思う。

 

「……まぁ、いいか。問題は施設の立て直しだな。やれやれ……()()()()()()()()()()()()()()()収容所(ウチ)が、外からの攻撃で壊れるとはなんたる皮肉か」

 

 ため息をつきながら美沙は所長服の上着を羽織った。

 

 なんだかおかしな気分なのは、たぶん疲れているからだろう。

 最近はあまり眠れていなかったのもある。

 

 どうしてかは――――ちょっとよく分からないけれど。

 

 疲労の蓄積だけは間違いないのだから、とりあえずどこかで休息を取らなくては。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 呆然と、波の彼方を見る。

 

 離れた位置から此処まで聞こえる爆発音。

 肌に伝わる微かな衝撃。

 

 嫌な予感が先走って、妃和は思わず駆け出した。

 

 

 

「は――――――」

 

 

 

 ズキン。

 

 

 

「――――――ッ」

 

 

 

 頭蓋が割れるような痛み。

 視界が真っ赤に染まる錯覚。

 

 ぼんやりと、微かに開けた瞼で世界を認識する。

 

 なんだか、おかしい。

 

「――――……っ」

 

 でも、なにがおかしいのだろう。

 そこがまったく分からなかった。

 

 だって、そうだ。

 

 

 

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 蒼火の雌鳥との戦闘後、近海から出現した嵐の巨人

 

 それを遠距離から自慢の火炎で撃ち抜いたのが先ほどのコト。

 攻撃は見事的中し、弱点を貫かれた怪物はたった一撃で沈黙した。

 

 疑いようもない、人類側の勝利だ。

 

「……ああ、そう、だろう……私の、勝ち、だが……」

 

 ――――なんだろう。

 

 分からない。

 胸から湧き上がる不安が消えてくれない。

 

 羽虫との戦いでひとり生き残って、

 樹木の天使を葵や甘根、聖剣使いの協力と共に討伐して、

 何人もの犠牲を出しながらも今回の襲撃を乗り切ったのに。

 

 なんだかそれが、まったく、実感が湧いてこない。

 

「……死体を、見ていないからだろうか……」

 

 分からないけれど、たぶんそうだった。

 

 嵐の巨人はたしかに倒したが、この距離だと目視が難しい。

 爆発はしたが、生き延びている可能性はある。

 

 だから安心できない。

 不安がなくならない。

 

「……そうだな。確認は、大事だ」

 

 瓦礫をよじ登って歩いていく。

 

 最後に残った力を全部振り絞ったせいか、身体は異常に怠かった。

 無事戦闘を乗り切ったと思えないほどボロボロだ。

 それほどまで怪物たちとの戦いは熾烈なものだったということになる。

 

 ――けれど、勝つことができた。

 

 彼女の火炎は向こうにとって余程相性の悪いものだったらしい。

 二匹の怪物を打倒したのは間違いない偉業だ。

 葵が生きていればなんて言っただろうか。

 

 考えても詮無いコトではあるが。

 

 ともあれ、あの収容所で兆角醒をモノにできたのは紛れもない幸運。

 

『……思えばどうしてあんなところに居たんだ、私。いや、タイミング的にちょうど良かったが……わざわざ顔を出す理由も――』

 

 

 

 ――――ズキン。

 

 

 

「――――ッ、今日は、頭痛が……酷い、な……?」

 

 純エーテルの加護によって体調不良というものに馴染みのない現代人である。

 

 それこそ頭痛やらなんやらというのは男たちが慢性的に抱えているものだ。

 大怪我でもしない限り、そういうのはないと思っていたのだが。

 

「………………、」

 

 考えても仕方ない。

 とりあえずの目的は決まっていた。

 

 妃和はひたすら足を動かしていく。

 

 海岸まではおよそ十キロほど。

 彼女の身体能力なら、無理をしなくても一時間程度で着く。

 

 焦る必要はない。

 わざわざ走る理由はない。

 

 心臓がやけに脈打つワケも、不安に駆られるコトも。

 

 ないハズなのに、なんでだろう。

 

 足を一歩前に動かすたびに、言いようのない気持ちに襲われた。

 

「――――――、」

 

 蒼火の雌鳥は消失した。

 嵐の巨人もこの手で撃破した。

 

 その記憶に間違いはない。

 

 つい先ほどのコトだ。

 そんな間近の出来事を忘れてしまうような彼女ではない。

 しっかりその頭に焼き付いている。

 

 空を飛んで蒼い影を撃ち落とした記憶が。

 鉄潔角装を折られても戦った記憶が。

 

 

 〝――――嗚呼、なんて無茶を、していたのか。私は〟

 

 

 渇いた笑みを浮かべながら歩を進める妃和。

 冗談のような気分も、次の瞬間には別のなにかに押し潰される。

 

 分からない。

 まったく分からない。

 さっぱりだ。

 

 けれど、直感じみた何かがあった。

 

 この違和感を見逃してはいけないと思った。

 他の誰でもない、彼女だけは気付かなくてはならない。

 

 そんな、天啓のような感覚

 

 

「――――、――――」

 

 

 草木をかき分けて前に進む。

 急いでしまった分、すこし息があがっていた。

 

 何度も何度も自分に言い聞かせたのに、結局は早足になっていたらしい。

 

 

 ……砂浜が見える。

 押し寄せる波はわずかに高い。

 

 爆発の影響だろう。

 

 とりあえずここからなにか見えるだろうか、と彼女は一気に目を開けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その中心。

 如何にも不釣り合いな代物を見つけて、眉をしかめた。

 

 

 

「…………剣?」

 

 

 

 一歩、足を踏み出す。

 

 海辺の砂はじゃりじゃりと音をたてて沈んだ。

 

 見れば朽ち果てたような剣だった。

 刀身はガタガタで刃としての体を成していない。

 

 鍔は外れたのか無かった。

 柄には襤褸切れじみた赤色のマフラーがはためいている。

 

 

「どうして、こんなところに――――」

 

 

 気になって、彼女はそれを砂浜から引き抜いた。

 あっさりと、なんの抵抗もなく。

 まるで吸い込まれるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝え?〟

 

 

 

 

 

 

 

 

「       」

 

 

 

 

 瞬間、

 妃和の脳は、一瞬でスパークした。

 

 

 

「――――あ、ぁあ?」

 

 

 頭の中に情報が流れ込んでくる。

 絶えず音と共に映像が走る。

 

 

 

「あぁ、ああぁぁあああ、ああぁぁぁあぁああぁああ」

 

 

 

 痛い。

 

 頭が痛い。

 

 思わず手でおさえながら蹲る。

 

 それでも剣は離さない。

 離してはならない。

 物事の道理を無視してそう確信する。

 

 常識ではなく、知識ではなく。

 

 魂が、これを手放すなと叫んでいる。

 

 

「ぁ、ぅ――――あぁああ――――あァ――――っ」

 

 

 

 痛い、痛い、痛い。

 

 頭が割れそうだ。

 自我が狂いそうだ。

 

 耐えられない。

 もう嫌だ。

 なんだこれは。

 

 なにを見せられている。

 

 分からない、分からない、分からない。

 これは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『落ち着け、妃和』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――これは、大事な。

 

 とっても大切な、ものだ。

 

 

 

 

 

 

「あ、あぁ……あぁあっ! う、ぅあっ――ああぁぁあああっ!!」

『大丈夫だ。ゆっくりな。無理すんなよ。心配しなくても、俺は逃げねえよ。いやァ、逃げることすらできねえんだが』

 

 

 誰かがいたこと。

 誰かが成し遂げたこと。

 誰かの生きていたこと。

 誰かと共に歩んできたこと。

 

 忘れていた。

 

 信じられない。

 頭の片隅にも残っていなかった。

 

 恐ろしい。

 

 ふざけている。

 馬鹿げている。

 

 こんなにも拭いがたいと思ったものなのに、

 こんなにも失うのが嫌だと思っていたものなのに、

 

 

 ――――つい先ほどまでの彼女は、完全に、流崎悠のコトを覚えていなかった。

 

 

 それが、とても――泣きたくなるほど、怖くて。

 

 

「は――――るか…………」

『おうとも。なァ、俺の言った通りだろ。すぐに会えたじゃねえか』

「はる、か、はるか、悠、悠っ、悠! 悠ッ!!」

『何回呼ぶんだよ。聞こえてんだろ? なぁ、妃和』

「――――ふ、ぅ……ッ、ぅあ、あぁっ……! あぁああぁ……っ」

『……こんなんになっちまったのは、ちょっと癪だが』

「――――――――ッ」

 

 

 流れ込んできたのは彼女のモノだけではない。

 今までの彼の記憶が同調するように叩きこまれた。

 

 妃和はすべて知っている。

 

 彼がどうやって生きてきたのか。

 なにを考えていたのか。

 空の向こうで――――一体(いったい)なにを見てきたのか。

 

「あれ、が…………ッ」

『あぁ。アイツが』

「あんな、のが…………ッ、ふざけて、いるのか、こ――――」

 

 

 〝紺埜結仁(こんのゆに)

 

 衝動的に名前を呼ぼうとして、喉が引き攣った。

 

 

 

「――――――ァ…………」

 

 

 

 声がでない。

 たった五文字の名前を出せない。

 

 思わず首に手をやった。

 

 当然、なにもなかったけれど。

 

 

『無駄だとも。やめたほうがいい、巴妃和。おまえはこれにて聖剣使いだ。ルールは絶対厳守。破ることは許さない。いまのおまえなら、無意識のうちに理解できるだろう?』

「――――――――――、」

 

 

 曰く、それらは秘密を語ってはならない。

 

 曰く、その得物の成り立ちを明かしてはならない。

 

 曰く、集団に属してはならない。

 

 曰く、その者たち同士で争ってはいけない。

 

 

 

 曰く、空の向こうで見たコトを口にしてはいけない。

 

 

 

 

『ハルカを頼んだぞ? 無論、すこし貸してやるだけだが。くれぐれも扱いは間違えぬように。私の夫だ。大切にしろよ。でなければ魂の一欠片すら残さず消してやるからな』

 

 

 それは、なんて。

 

 なんて傲慢な、文句だろう。

 

 

 彼女は分かっている。

 

 アレが悠と懇意にしている関係ではないことも。

 アレに悠が心底怒り狂って罵倒をしたことも。

 アレによって、彼がこんな形に貶められた結末も。

 

 全部、分かってしまった。

 

 

「――――ふざ、けるな……!」

『……妃和』

「こんなッ……こんな、コトが! あって、堪るか……! 悠ッ、悠はッ!! 母さんは! 私たちは!!」

『ああ、そうだな。分かってる。そうだとも。俺も同感だ』

 

「――――なんのために、命を懸けていたんだ……ッ!!」

 

 

 あまりにも愚かな現実。

 知りたくはなかった世界の真実。

 

 本当にふざけている。

 

 だって、もう、こんなコトを知ってしまったら。

 

 

 ――まともにこの時代を生きていくなんて不可能だ。

 

 

「――――――――ッ」

 

 

 はじめてだった。

 

 誰かを殺したいと、心の底から願ったのは。

 

 けれどももう遅い。

 

 この剣で切りたいものができた。

 先ほどまではなにひとつ無かったのに。

 

 ……ああ、でも。

 

 それができない。

 

 空の向こうに繋がる道は途絶えて消えている。

 彼の分だけ用意されて、彼女には一切案内すらされなかったのだ。

 

 上の世界へと辿り着く方法は、すでにない。

 

 

「――――――――――ッ!!」

 

 

 これ以上ないほど、あの存在に。

 

 怒りをぶつけたくて。

 叩き切りたくて。

 

 自分の信念なんてどうでもよくなるほど――

 ――殺したいほど、憎いのに。

 

 それだけが、叶わない。

 

 ……なんて無様。

 

 ああ、そうだとも。

 

 こんな現実。

 こんな世界は――――

 

 

 

 

 

 ぜんぶアレの、薄汚いおもちゃ箱だ――――

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡易日報記録 九四期

 

 

■月■日

 

第三、および第五特定災害生物の消失を確認。

 

証言から二体ともに元戦闘部隊員である巴妃和が討伐したものと確定。

 

なお、当人は負傷者の治療にあたった後、姿を消している。

 

現在消息不明。

 

捜索隊が組まれたが、有益な情報は入っていない。

 

 

■月――■日

 

戦闘部隊の戦力低下が問題視されている。

 

連日の怪物との交戦において撃退、討伐報告が二割を下回った。

 

人員の補充が必要。

 

 

……月■〓日

 

本部の総会議において男性戦力の動員が決定。

 

収容所と連携して戦力となる者の選定を進める。

 

 

■■月……――日

 

極東第一男性収容施設にて一名確保。

 

それ以外の成果は乏しくない。

 

勇気ある少年に感謝を。

 

彼の活躍を期待する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――というワケで、貴方は今日から戦闘部隊の一員として働いてもらいます。ここまではいいかしら」

 

 

 

「うん。まあ、大体」

 

 

 

「…………まぁいいわ。とりあえず、自己紹介からいきましょうか。私は扇条綾袮(せんじょうあやね)。一応、いまの第六部隊隊長をしてるわ。……貴方は?」

 

 

 

「佑麻」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕の名前は、文月佑麻っていうんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15『幕間:紺埜結仁①』

 

 

 

 

 

 

『我らは誇り高き一族。その高潔さを忘れてはならない』

 

 幼い頃から何度もそう教えられた。

 私たちは私たちであるが故に、信念を無くしてはならない。

 

 額の角は強さの証。

 その鬣は勇気の象徴。

 

 どんなものにも臆することなく立ち向かっていく。

 

 そうやって私たちは生きるのだと、周りの誰もが語っていた。

 

『恐れるな。我らは唯一つの血統。地上における無二の神獣。外敵など存在しない』

 

 地を駆ければ豹よりも早い。

 狩りをすれば虎よりも巧い。

 

 鋭く研ぎ澄まされた一角は喩え山でも突き崩す。

 何倍もの体格を持つ象ですら殺してしまえる。

 

 幻想に生きるモノ。

 

 それが私たちだった。

 

『穢れを憎め。神聖なる血液こそが我らが力の根源。汚れを否め。この地球を腐敗させる愚かな彼奴等に、容赦をする必要などないだろう』

 

 偉そうに語る長老の声。

 

 住処の中でいちばん長く生きた同族だった。

 ヒトを百人以上殺したという噂もある。

 

 長く鋭く、年月を重ねた角を見るにそれは嘘じゃない。

 

 私はしきりに頷いていた。

 たぶん、その言葉は正しいと思ったから。

 

 

 

 ――――でも、長老はその数日後に死んだ。

 

 

 

 ニンゲンに殺された。

 

 

『狡猾で残忍なヒト共め……! 我らが(オサ)を罠にかけるとは……ッ!!』

『ああッ、長老様ァ! 長老様ァ!!』

『許せない……怒りで角が砕けそうだ……』

『そうだ。あんな惨いコトを、酷いコトを。まさか、まさか――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――森の中に処女の乙女を置いて、我々を誘き寄せるなど……!!』

 

 

 

 長老の死に誰もが涙を流した。

 

 私たちは強い。

 幻想に生きる獣の名は伊達じゃないのだ。

 

 ヒトの一人や二人ぐらい、この自慢の角で貫いてみせる。

 

 でも、処女は駄目だ。

 あれは反則だろう。

 なにせ私たちからしてみれば猫にとっての木天蓼みたいなもの。

 天上の神々どもやニンゲンどもがわいわいと騒ぎながら呑む酒のようなもの。

 

 あれを目の前にすると、私たちは冷静な判断を失う。

 

 不可抗力だ。

 仕方ない。

 我々は処女に弱い。

 

『ニンゲンどもは俺たちの角が欲しいのだ。砕けば万病の薬になる。ふざけているだろう。我々をなんだと思っている? 立場すら弁えられないのか』

『阿呆の極みだ。神秘にすら簡単に触れられん莫迦どもには分からんよ』

『だいたい角が折れたらどれだけ痛いか知らんのか。神経がたくさん詰まってるんだぞ』

『長老の死体には角がなかった。骨しか残っていなかった。食ったんだ。あの蛮族どもめ。許さない。我らが一族――――その血筋を嘗めたことを、後悔させてやる』

 

 すでにみんなの闘争心には火が付いていた。

 

 なにせ私たちは幻想に生きる一角獣。

 たかだかニンゲン如きに喧嘩を売られたとあっては黙っていられない。

 

 獰猛で、勇敢で、力強く、他のなんにも屈するコトはないのだ。

 

 だから、奴等に目にものをみせてやらねばと。

 

『うおおおおおおおおおおおおお!!!!』

『覚悟しろニンゲンどもぉおおおおお!!!!』

『いけぇぇえええ!! 突っ込めぇええええ!!!』

『やってやるぞぉおおおお――――――あッ処女ォ!!

『『『なにィ!?』』』

 

 報復をしにいった仲間たちは全員死んだ。

 

 やっぱりニンゲンどもに殺された。

 森の中に処女の乙女が置かれていたのである。

 

 なんというずる賢い奴等か。

 

 おのれ下等生物め。

 そんな手段を取らなければ私たちに勝てないのだ。

 

 だからおまえらは弱いのだ。

 

『――そう思うだろう、お嬢さん?』

「ええ、そうね。鼻息ばかりでなんだか分からないけど、アナタがなにかを伝えたいコトは分かるわ」

『そうかそうか。分かってくれるか。やはり純潔はいいな。処女の身体は温かい……』

「よしよし、良い子ね。――――今よ狩人さん」

『しまったァ!!』

 

 結局私も捕まった。

 ほんと許せない。

 やはりニンゲンは愚かだ。

 

『くそォ! 離せェ!! 私は誇り高き一角獣の血族だぞ!? それを、貴様ッ、あぁやめろ! おい! 角を切り落とそうとするな!! ばか!! 手入れにどれだけ手間をかけていると思っている!? やッ、いや、やめッ、やめて! お願い! 許して! なんでもするか――ァああ痛い痛い痛い!! ちょっ、あああああああ!! やだああああ死んじゃうううううう!!!!』

 

 死んだ。

 マジであのニンゲン許さない。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 この宇宙(せかい)にはルールがある。

 

 とはいえそう大したものではない。

 ただ単純な事実。

 

 生きている以上、いつかは必ず死に至る。

 生物であるのなら待っている冷たい終わり。

 

 絶対の法則性だ。

 

 誰しもそこから外れることはできない。

 

 そうして死んだ命は、やがて新たに地上へ降りる。

 すべての繋がりとすべての色を断ち切って、まったく違うモノとして生を授かる。

 

 それが世界の大原則。

 

 この世にあって無駄な魂なんとひとつもない、と原初の神様は酷くしみったれた価値観を持っていたらしい。

 

 

 

 ……が、なんであれ例外、異常はあってしかるべきで。

 

 あまりにも膨大な命を抱えたシステムが故障したのか見落としたのか。

 

 私の意識は生涯の終わりと共に断線しなかった。

 

 それは祝福ではなくただの誤り。

 奇跡とはほど遠い致命的な欠陥。

 本来ならそうなるはずのモノとは違う歪さ。

 

 そもそも生まれてきているのがおかしい。

 

 

 ――――紺埜結仁という少女(わたし)は、そんな存在(モノ)だった。

 

 

『だがまあ、いい。そういうのもふくめてわるくない。ひとのおなごになれたのは()()()()だ。うむ。よきかな……おちつくぅ……』

「見てみて。ほら、母さん。結仁が笑ってるよ」

「あらまあ……そんなにお父さんの抱っこが気に入ったの?」

『しんせんみがあってとてもいい。われらがいちぞくはきほん()()()()だからな』

 

 前世からの(ケモノじみた)衝動と本能は残っていたが、それらはすべて自身の肉体で押さえ込めた。

 

 一角獣の血族は処女の傍でのみその心を穏やかにする。

 わざわざ誰かに寄り添うまでもない。

 

 二度目の生。

 要らない記憶(モノ)が残っていたり、邪魔な衝動(モノ)があったりするけれど。

 

 私はただ息をして過ごしているだけで、これ以上ないほど幸せだった。

 

「結仁は頭がいいね」

「将来は研究者とか学校の先生かしら?」

「どうだろう。僕も君も地頭はよくないからなあ」

「あらァ……私、貴方よりよっぽど勉強はできたと記憶してるわよ?」

「はっはっは。母さん。英語が3点しかとれてなかったのはもう赤点とかそういうレベルじゃないと思うんだ……」

「今日のご飯は〝もやし炒め()〟よ」

「ごめん母さん」

 

 人間関係には恵まれたと思う。

 

 ヒトでさえなかった私はきっと周りから見てもおかしかった。

 気味悪がられて距離をおかれても仕方がなかったろう。

 

 それを正してくれたのは誰でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――()()()()()()()だ。

 

 

 肉体のお陰で好戦的な面も鳴りを潜めていた私は、下手ながらもなんとか育つことができた。

 

 外で体を動かして、家で本を読んで、食べて寝て笑い合って。

 

 

 そうして迎えた五歳のとき。

 私は唐突に、両親に呼ばれて玄関まで向かった。

 

「ほら、結仁。こっちだよ」

「? どうしたの、とうさん」

「お客さん。結仁と同い年だって」

「――――おない、どし」

 

 幸運なコトに知識があった。

 しかも今ではなく昔のモノ。

 

 同い年、幼馴染み。

 たしか同郷のモスくんが「幼馴染みを不治の病から救うため角を取りに来た」と宣う男にボコ殴りにされて泣いていた。

 

 すなわち、それは

 

 

『――――けがれなきおんなのこ!』

 

 

 私は歓喜した。

 胸中で舞い上がった。

 テンション爆上がりだった。

 

 両親の手前必死におさえていたが、誰も見ていなければ嘶いてしまうほどの衝撃だった。

 

 いままで周りの人間といえば母さんと父さんぐらいだったが、そこに新しく純潔の少女(幼馴染み)が加わるという。

 これを喜ばずしてなにを喜ぼうか。

 

「あなたが結仁ちゃん?」

「――はい、こんのゆにっていいます」

「まあ。偉い。……それじゃあほら、ハルも」

「うん」

 

 来た。

 

 どくんどくんと心臓を鳴らしながら待ち構える。

 

 玄関に立つ見慣れない大人ふたり。

 その隙間から、そっと黒い短髪を揺らして。

 

 

 

 ――――ふわりと、笑顔を浮かべながらソレは現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「りゅうざき、はるかです。……よろしく?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――…………よろ、しく」

 

 

 深く、長く、強く。

 息継ぎをして、一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝――――男じゃねぇかクソァアアァアァァアア!!!!〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は心の中で吼えた。

 

 なんたることか。

 こんな現実があっていいのか。

 

 ……なあ、おまえ。

 

 ハルカとか言ったな?

 

 

「??」

「ふふ、ふふふっ――」

 

 

 森に行こうぜ……、久々にキレちまったよ……。

 

 

 

 

 

 



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15『幕間:紺埜結仁②』

 

 

 

 

 ――――とまあ、一時期は正気を失いかけた私だったが。

 

「まって、結仁!」

「ああ、わかった。まってやるから。早くこい。遙」

「まって、まって……! ッ、ぜぇ、ひゅー……!」

「……遙、体力ないな……」

 

 なんだかんだで同年代が貴重というのもあり、結局はそれらしい関係で落ち着いた。

 

 まあたったひとりの幼馴染みが〝男〟というのは些か癪だが、騙し討ちを行ってきやがった昔の野郎どもに比べれば全然マシである。

 まだ幼いのも相まって嫌悪感もない。

 

 というか私自身が最高の精神安定剤になっているお陰でちょっとやそっとでは心に波風はたたないのだ。

 

 ……初対面の時は、間が悪かったというか。

 偶々だろう、多分。

 

「ごめん……」

「あやまることはないだろう。ないなら付ければいい」

「そっ、か……」

「がんばれ遙。男の子はつよいほうがモテるらしい。たぶん()()はしないぞ」

「……結仁もつよいほうがいい?」

「――――そうだな。うん、私はつよいほうが好きだ。うんうん」

「へぇー……」

 

 それこそ血湧き肉躍る死闘を繰り広げられるのは良い。

 己の限界点の間際で振り絞る力は時に交尾の快楽を上回る。

 

 かつて獰猛だった過去を想起した。

 

 仲間たちと角で突き合った時間が懐かしい。

 そういう観点からすると、強い相手のほうが好きなのは事実だ。

 

 なにせ根源は一角獣。

 いまだ眠る本能は獰猛さの塊じみた獣性。

 人間となった現在でも、その感覚は簡単に消えない。

 

「つよくなれるかな?」

「遙がそう思うならなんとでもなるだろう」

「そうかなあ?」

「そうだとも」

「どうして?」

「……私の幼馴染みだからな」

 

 申し訳ないぐらい適当な返答だった。

 ぶっちゃけいい文句が思いつかなかったのである。

 

 なのでまあ、私としてはちょっと納得いかない言葉だったのに。

 

「じゃあ、がんばる。オレ、つよくなるよ。きっと」

「……そうか。それはちょっと、たのしみだな」

「そう?」

「そうだとも」

「どうして?」

「そんなの――――」

 

 いやまあ、二回も言わせるなと。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 そんな口約束をした一週間後。

 私の眼前では、顔を真っ青にしながらベッドに横たわる男子の姿があった。

 

「――――、――――ぅ」

「むりするな。遙」

「ごめん……」

「だから、あやまること……というか、本気でだいじょうぶか?」

「へーき。熱、さがったから。結仁のおかげ」

「おまえの両親のおかげだ」

「えへへ……」

「なぜ笑う」

 

 現実というのはどうにも上手く回らないようにできているらしい。

 いくら時代が変わろうともそれは同じだ。

 

 意思の力だけでどうにかなるのならこの世に奇跡という言葉はない。

 

 遙の身体は生まれつき弱かった。

 病気というより体質に近いもの。

 細かいところで言えば筋肉とか、代謝とか、骨とか血管とか、色々問題があるという。

 

 ……とんでもなく身勝手で、さらに言えば失礼かもしれないが。

 

 そこに私は少しだけ、似たようなものを感じた。

 

「……がんばりすぎだ。たおれたらダメだぞ。自分はだいじにしろ」

「そうだね。うん。そうみたい。お父さんもそういってた」

「そうだろうそうだろう」

「結仁、おとなのひとみたい」

「そうだろうそうだろう」

「オレは、ぜんぜんダメだね」

「……そういうワケでは、ないが……」

 

 欠陥を抱えて生まれたのはふたりとも。

 度合いも方向性もまったく違うけれど、異常は異常だ。

 

 遙はその体に。

 私はこの心に。

 

 あるべきものとは違う不足を抱えて生を受けた。

 

「ダメでもともと、ともいうからな」

「もともと」

「いろいろやっていけばいい。道はひとつじゃないぞ、たぶん。遙は遙の思うように、やりたいように、好きに生きていくのがいちばんだ」

「……いまいち、わかんない……」

「遙はいまなにがしたい?」

「遊びたい……」

「ならまずは体を治さないと。ゆっくり休め。そうしたらまた、なんとでもなるさ」

 

 根拠のないコトを言っている。

 その自覚はあった。

 

 だからといってなにをどうするのか。

 

 獣性に塗れていた、最近になってヒトになってきた私では経験が足りない。

 強い言葉を叩きつけて心を折ればいいのだろうか。

 

 それこそ惨い仕打ちだ。

 酷すぎるだろう。

 

 なにより、彼は彼でちょっと愛着みたいなものが湧いているのだ。

 どうにも私は、遙が悲しむ顔を見るのが嫌いらしい。

 

「なんて言っても、私の幼馴染みだからな」

「――――うん」

 

 嘘も方便という言葉は、気持ち悪いぐらい便利だなと思った。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 それから月日は流れて。

 小学校に入ると、私の世界は一変した。

 

「それでね、お母さんがね――」

「ねーねー、昨日のテレビ見たー?」

「このふでばこかわいいー!」

 

 女子、女子、女子。

 

 右を見ても左を見ても女子。

 視界の端、景色の片隅に男子はいるがとにかく女子。

 男女それぞれ十数人程度のクラスだったがともかく女子である。

 

 女子である。

 

 大事なコトなので二回言わせてもらった。

 

〝ああ、これが天国――――〟

 

「結仁ちゃん笑ってる。なんかいいことあった?」

「うん。あった」

「そうなんだ、なになに?」

「いっぱい」

「そっかー! よかったねー!」

 

 毎日が幸せの連続だった。

 少女、小学生、すなわち穢れなき女子(おなご)たち。

 それらが絶え間なく私の心に深く突き刺さってくる。

 

 獣性は鳴りを潜めた。

 私自身の純潔に加え、周囲に漂うこの清廉さが精神を鎮めたらしい。

 

 本当に良かったとしか言えないだろう。

 

 これこそ私たちが待ち望んだもの。

 憎き人の世にこそ楽園は存在した。

 パライゾはあったのだ。

 エデンの園は、パラダイスは、極楽浄土は実在した。

 

 それに加えて、

 

「遙! サッカーするぞサッカー!」

「わかったー! いま行くー!」

「……あまり無理するなよ、遙」

「うん、分かってる! じゃあね結仁!」

「……ああ」

 

 年を重ねるにつれて遙の体調はよくなっていった。

 

 まだ時折具合を悪くして寝込みはするが、普段の生活にはほぼ支障が出ない程度。

 他人(ひと)よりちょっと風邪を引きやすいようなものである。

 

 身体能力に関しても同年代における他の男子たちと比べて遜色ない。

 

 嬉しいコトに、私の心配が杞憂に終わったワケだ。

 

 素直に喜ばしかった。

 

 

 

 ――忙しない日々は続いていく。

 充実した時間はあっという間に流れてしまう。

 

 とくにこれといった不幸にも見舞われず、私も遙もすくすくと成長した。

 

 関係性に大した変化はない。

 付かず離れず、深くもなく浅くもなく。

 どういうものかと訊かれればただ幼馴染み、とそう言えるような間柄。

 

 私は私なりに女子の友人を、

 遙は遙なりに男子の友人を持って、

 

 そうやって、なにを思うこともなく育っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたし、遙くんが好き」

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘れもしない。

 六年生の二学期。

 合唱コンクールが迫った十一月。

 

 偶然机の中に忘れ物をして、教室へ取りに戻ったときのコトである。

 

 その日はちょうど遙と()()()が掃除当番で、遅れて放課後の練習に参加する予定だった。

 

 いちばん顔を合わせて、いちばん話をして、

 たぶんいちばん仲の良かった女子だった。

 

 殆どいつも一緒にいて、私にとっても相応に大事な相手だったように思う。

 

 だからなのか、なんなのか。

 

 手をかけた扉越しにその言葉を聞いた瞬間、私の頭は震えそうになった。

 

 

 〝――――――――〟

 

 

 扉は開けられない。

 息を殺して一歩下がる。

 

 胸には不思議と、奇妙な感覚がじわりと広がった。

 

 分からない。

 私の素性はただのケモノだ。

 たかだか十数年人間として生きていても、そう簡単に根っこの部分は変わらない。

 

 知らないこと、理解できないことは多かった。

 

 人ではないからだ。

 誰とも違うからだ。

 

 呆然と息を呑む。

 さっぱり分からない。

 

 胸が苦しい。

 

 うまく呼吸ができない。

 

 ほんの一瞬、たった一回。

 心の渦巻いたのは、誰かに向けたトゲだった。

 

 それは一体誰なのか。

 

 考えれば分かる。

 愚かな私だ。

 醜い私の根源だ。

 いくら純潔によって心を穏やかに保とうと、その奥底では汚れた獣性が眠っている。

 

 だから分かる。

 

 それまでの私の思考をなぞれば答えは簡単だ。

 

 きっと私は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――遙に憎悪を向けてしまった。

 

 

 

 

 

 

 そうだ。

 そうに違いない。

 そうに決まっている。

 

 だって私だ。

 処女に取り憑かれた純潔の申し子だ。

 

 それが仲の良い女子に近付く男を、本能的に嫌ったのだろう。

 

 つくづく終わっている。

 

 私は深くため息をついて、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたんだ、結仁。なんか変だけど」

「……いや、別に」

「別にって顔じゃないけど……」

「…………さっき、告白されてただろう」

「え、聞いてたの。どこで?」

「ごめん。偶々、耳に入った。……どうするんだ?」

「いや、断ったけど」

「あ――――そう……なのか……」

「うん」

 

 

 そのやり取りが決定的だった。

 安堵した私を彼はどう思ったろう。

 

 ……いや、印象なんて意味がない。

 

 彼がどう思おうと、私にとっては明確な結論が出た。

 

 やはり駄目だ。

 許容できない。

 

 今まで人として培ってきた理性で判断する。

 

 難しく悩む必要もなく、

 言い訳を並べ立てるコトもなく、

 私という存在(モノ)は、致命的に駄目だ。

 

 小学生とはいえ想いは想いだ。

 それを踏みにじるような心持ちなんてありえない。

 

 恋路が叶わず安心するなどふざけている。

 

 そんなのは人として間違っているだろう。

 

 だから駄目だ。

 ひとときでも胸に痛みを覚えてしまった。

 

 たぶん、彼を憎んでしまったのだ。

 

 救いがたい。

 ここにきていま一度、己という魂の度しがたさを知った。

 

 こんな生き物。

 こんな思想の人間が近くに居ては害悪だ。

 

 彼に良くない影響しか与えない。

 

 絶対に、駄目だ。

 

 自己嫌悪が最高潮に達する。

 

 私は。

 

 

 ――――こんなのが。

 遙の傍に居たままだと、彼が幸せになれない。

 

 それがとても嫌だった。

 

 

 

 だから――――

 

 

 

 

 

 

 

 



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15『幕間:紺埜結仁③』

 

 

 

 

「どうだろ、結仁?」

 

 きゅっ、とネクタイを結びながら遙が聞いてくる。

 

 中学の制服はブレザーだった。

 小学校が完全に私服だったため、どちらからしても慣れない格好。

 

 同時にまだまだ珍しい代物でもある。

 

「……ああ。似合っているよ。男前だ」

「ん、そっか。なんか恥ずかしいな」

「胸を張れ。格好はついているからな。流石は遙だ」

「さ、流石? なにが……?」

「まあ、色々と」

 

 本当に色々と。

 

 複雑なモノを押し殺しながら自分も装いを整える。

 

 隣同士、幼馴染みという関係は嫌ってもいなかったが、意識すると厄介だ。

 進学ということで折角なら、と制服のお披露目をわざわざふたりでさせられるとは思わなかった。

 

「……結仁も」

「ん?」

「結仁も似合ってるよ、なんか大人っぽい。綺麗」

「…………そうか」

 

 ふわりと微笑む顔から視線を逸らして、胸元のリボンを弄る。

 

 〝――――――――ッ〟

 

 ……まただ。

 

 そこまで彼を警戒しているのか。

 たった一度のコトでそうも憎んでいるのか。

 

 胸に広がる痛みは鉛のように溜まっていく。

 彼の一挙手一投足に今まで知らなかった感覚が走る。

 

 分からない。

 

 今までなんともなかったのに。

 今でも理性では彼に良くあるようと思っているのに。

 

 私の本性は、ここまで汚れているというのだろうか。

 

「……行こう、遙。母さんたちに見せる番だ」

「うん、分かった」

「……あ、こら。ボタンはちゃんとしろ。裾も折るなっ。まったくおまえはっ」

「ご、ごめんごめん。なんか窮屈で」

「――――――、ほんとうに……」

 

 本当に、なにをしているのだろう。

 

 こんなのはもうこれまでだ。

 

 時期だってちょうどいい節目になる。

 なにを思うこともなく共に在るような日々は終わった。

 

 この先どうなるかなんて私にも分からない。

 いまはすっかり鳴りを潜めているが、いつ最悪の形でこの気持ちが発露するのか――考えただけでおぞましい気分になる。

 

 だから、決断しよう。

 

 決意しよう。

 

 動かなければ変わらない。

 私は醜悪な獣だが、この生はまさしく人のものだ。

 

 ならば人のルールに、常識に、流れに従うのが当然の事。

 

 郷に入ってはなんとやら。

 人であるのなら、この獣性を撒き散らしてはいけない。

 

 誰かの幸福を願えないのは間違っている。

 私という欠陥を抱えた人間はそこが駄目なのだ。

 

 彼の幸せを願うなら。

 彼の人生に幸あれと望むなら。

 私は彼の傍から、離れなくてはいけない。

 

 彼の近くに、居てはいけない。

 

 

 

 

 

 ……それはそうと。

 

 これは単純な、面倒な思考を一切挟まない私個人の直感的な意見として。

 

 

 彼の制服姿は、目を見張るほど――思わず見入ってしまうほど、格好が良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――所詮、二度目の生だ。

 

 人と獣の違いがあるとはいえ、私にとっての命はふたつめ。

 生き抜いた先に誤って意識を繋いだようなもの。

 

 なら、今生に拘る必要もとくにない。

 なにより私は私で、言ったように息をして過ごしているだけで幸せだ。

 

 優先するべきはどちらなのか、客観的に見ても明白だった。

 

 遙に良い人生を送ってほしい。

 

 本能ではなく理性でそう願う。

 それを下らない衝動(モノ)で憎みたくなんてない。

 

 普通なら喜べるはずだ。

 彼の幸せを祝福できるはずだ。

 

 けれど私はそれができない。

 

 どうせ人になりきれていない紛い物。

 根っこから人らしく、なんて土台無理な話だったのだろう。

 

 

 

 

 

 ――小学校を卒業して、中学に上がった。

 

 彼と接する時間は目に見えて減った。

 私は新しい友人にも新しい環境にも恵まれて、忙しない日々を送っている。

 

 それでいい。

 それがいい。

 

 幼馴染みだろうがなんだろうが、関わらないほうがいいのならそれが正解だ。

 

 きっとそうだ、そうに違いない。

 だって私は、彼が女子といるだけで胸がざわつくような、度し難い屑なのだから。

 

「――――あれ、流裂は?」

「休み? 昨日までは元気だったけど」

「あー、なんか体調崩してるっぽい。病気ではないみたいだけど」

「マジ? どこ情報?」

「本人。ライン」

「うわー、ご愁傷さまじゃん。誰かお見舞い行く?」

「流裂の家知らねえしなぁ……」

 

 やがて。

 数ヶ月経って、そんな日が回ってきた。

 

「へぇ、結仁。聞いたか?」

「聞いているよ。別に、休むぐらい大したコトないだろう」

「相変わらずだなァ……幼馴染みなんだろ? 心配とかしないんだ?」

「する必要がないからな」

 

 当然だ。

 遙の身体のコトは知っている。

 

 驚くような情報でもない。

 

 たまにある不調の時期だ。

 昔と比べて大分良くはなったが、それでもまだ脆さは残っている。

 

 とくに拗らせたりしなければ明日にでも登校できるぐらいになるだろう。

 

「いこう、夏鳥。次は科学室だ。早くしないと授業に遅れる」

「ん、了解。まァ、静かに過ごすのもたまには良いかもな?」

「…………そうだな」

 

 絞り出した声は思っていた以上に小さかった。

 

 どうしてかなんて分からない。

 いまは考えたくもない。

 

 わざと避けるようになった私と打って変わって、彼は積極的に話しかけようとしてくれた。

 

 ありがたいことだ。

 誰かにそこまで思われるというのは相応の幸せなのだろう。

 

 けれど、それを甘受する資格は私にはない。

 

「あまり彼とは、関わらないほうがいいから」

「…………ふぅん」

 

 すくなくとも、この胸の疼きが取れるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――なんて、思っていたのに。

 

「……………………、」

 

 どうしてか帰路に着いた私の足は自分の家ではなく、スーパーに寄ってから彼の家まで一直線だった。

 

 気付けば隣家の門の前。

 表札を正面に愕然と固まる。

 

 ほとんど無意識だった。

 授業も終わって一時間程度で部活も切り上げて、さて帰ろうとひとりトボトボ歩いていただけなのに。

 いつの間にか見舞いのリンゴなんか手に提げて、人差し指でインターホンを押しかけている。

 

 ここまで、無意識だった。

 

 

〝――――なにがしたいんだ私?〟

 

 

 正直混乱している。

 ワケが分からない。

 

 なにがどうすれば当たり前のように彼の部屋へ顔を出せる?

 ついこの間まで意図的に離れようとしていた人間がどの面下げて?

 馬鹿なのだろうか?

 

 いや馬鹿なんだろう。

 そうだ、思えば私は昔から頭が弱くて――――

 

 

「あら、結仁ちゃん?」

 

 〝あ゛ッ〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ありがとう、結仁……」

「…………礼を言う必要は、ない」

 

 胸中で息を吐きながら項垂れる。

 

 さっさと自分の家に戻らず固まっていたのが悪かった。

 そんな場面を遙のお母さんに見られたのだから運の尽き。

 

 きらっきらな笑顔で「さあさあ入って! あがって! ハルも喜ぶから!」と彼の部屋まで通されてしまったワケだ。

 

 ……本当、なにをやっているんだろう、私……

 

「……リンゴ、食べるか……? というか、食欲はあるか……?」

「……少しは。うん。全然食べる。……お願いしてもいい?」

「ああ、いいぞ。任せろ。大体、ずっとそうやってきただろう」

「……それも、そうだった」

 

 自己嫌悪に苛まれながら果物ナイフで皮を剥いていく。

 

 最悪だ。

 なんでなんだろう。

 

 私はいま、ここで、こんなコトをしていて良い生き物ではないのに。

 彼にはもっとマトモな人と過ごしてもらいたいのに。

 

 ……もしかしなくても。

 その位置を奪ってしまっているのは、やっぱり私なのだろうか。

 

 だとしたらとんでもなく、最悪だ。

 恥を知れと自嘲したくなる。

 

「……なんか、さ」

「ああ」

「安心、した。……最近、結仁、冷たかったから。なにか、悪いことでもしたかなと思って」

「……そうだったか?」

「うん。いや、オレの勘違いかもしれないけど。なんか、あんまり話せてないなって」

 

 とんでもない。

 遙はなにも悪くない。

 

 悪いのは私だ。

 終わっているのは私だ。

 

 私の変えられない、醜い性根がいけないのだ。

 

「幼馴染みなのに、離れちゃったなって」

「……そういうコトでもないだろう」

 

 ほら、この通り。

 おまえと話すだけで、胸が、痛い。

 

「私とおまえと、家族だけで世界が完結していた時とは違う。……色々と繋がりが増えた。でも時間は限られていて、一日の長さも、おまえが使える長さも同じままだ。単純にひとりあたりと過ごす時間は短くなる。……それは別に駄目なことではない。関係性が広がるのは良いコトだ。みんなと仲良くなっていくのは素敵なコトだろう」

「…………それは、そうだけど」

「良いじゃないか。私以外にも、親しい相手がいる。頼れる誰かがいる。私にこだわる必要なんてない。おまえの時間だ。大事に使っていけ。たかだか幼馴染みひとりに無駄遣いするコトもない」

「………………」

 

 くすくすと笑いながら口を動かす。

 

 嘘ではない。

 本心からそれは喜ばしいことだ。

 

 彼が私以外の誰かを頼って、

 

ずきん。

 彼が私以外の誰かを信頼して、

 

ずきん。

 彼が私以外の女子(ダレカ)を部屋にあげて、

 

ずきん。ずきん。

 彼が、彼が、彼が、彼が、

 

 

 遙が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずきん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結仁?」

 

「――――――――ッ、り、リンゴ。でき、たぞ」

「え、あ……ありがとう。ごめん、いつも」

「いい。……私の勝手で、していることだ」

 

 呼吸が苦しい。

 胸が痛い。

 心臓が潰れそうだ。

 

 彼の意識が食べ物に向いている隙に、押さえつけるよう胸ぐらを掴む。

 

 わからない。

 なんなんだこれは。

 どうしてここまで彼に対して衝動(こころ)が暴れる?

 

 そこまで遙が嫌なのか。

 そこまで彼を嫌っているのか。

 

 冗談じゃない。

 理性ある私が好きなものをどうして本能が拒否している。

 

 控えろ、黙れ、私は私だ。

 

 彼のことを憎む私なんて、欠片も必要ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――無駄遣いとは、違うと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――、は、ぁ……?」

「だから、さっきの話」

 

 ふと、遙がリンゴを咀嚼しながらそう切り出した。

 

 顔色はいつもと比べてすこし悪い。

 でも悪いときの状態だと考えれば大分マシなほうだ。

 

 真っ青になって寝込んでいたあのときから随分と良くなっている。

 

「たしかに友達とか、部活の先輩とか、関わる人は増えたし、時間も色々と取られるようになったけど、それをどう使うかはオレ次第っていうことだろう?」

「……まあ、そうだな……」

「じゃあオレは少なくとも率先して結仁に使いたい。幼馴染みなんだし、そのぐらいの贔屓はする。なによりみんな平等とか、オレできないし。そこまで性格良い奴じゃないし。いちばんが結仁なんだから、そこに時間を注ぎ込んでも無駄じゃない」

「しかし」

「要するに、なんか難しいコト言ってるけど関係ないよ。結仁との時間は、大事だ」

「――――――そう、か」

 

 ぽつりと返す。

 

 胸の痛みが一瞬取れた。

 

 

 ……ああ、おまえは凄いな。

 とんでもないよ。

 

 でも、だからこそ。

 

 余計にそれは頷けない。

 頷いてはいけない。

 

 誰かに優しくできる彼なら、

 誰かとの時間を大事と言葉にして伝えられる彼ならば、

 もっとマトモで良い誰かと仲良くなれるはずだ。

 

 こんな紛いモノ。

 

 こんな醜い化け物にわざわざ執着するコトはない。

 

 やっぱりそうだ、間違っている。

 私と彼では生きていける世界が違う。

 触れられるモノの価値が違う。

 

 つり合いなんて概念があるのなら最初から取れていない。

 

 だから駄目なんだ、遙。

 

 私はおまえと一緒に居られない。

 

 気持ちは嬉しい。

 とても嬉しい。

 もう、思わず笑っちゃうぐらい幸せになれる言葉だった。

 

 でもな、駄目なんだ。

 

 だって私は悪いヤツで。

 おまえが誰かと居たら心がすぐにくすんで。

 大好きなおまえと他人の幸せを望めないような、器の小さい生き物だから。

 

 駄目なんだ。

 なにもかもが。

 

 きっとそうだ、すぐに気付く。

 

 なあ遙。

 はやく目を覚ましてくれ。

 

 こんな馬鹿に付き合っても良いコトなんてない。

 

 間違いなく、私が傍に居ないほうがおまえは幸せになれるんだから。

 

 

 

 

 



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15『幕間:紺埜結仁④』

 

 

 

 

 学校生活での遙との接触は格段に減った。

 私が意図的にそうなるよう動いた結果である。

 

 好意はありがたい。

 言葉は胸に突き刺さるぐらい温かかった。

 

 でも、だからといって自分で決めたコトは曲げられない。

 

 唯一つを信じ貫くのは一角獣(もとから)の性質故。

 いまさら変えようもない生き方だ。

 

 くり返すように、私自身の生に執着することはないだろう。

 生きているだけで丸儲け。

 呼吸をしていれば幸せだ。

 

 だから願うのは、彼の人生にこそ鮮やかさを。

 私のようなくだらないモノにこだわらず、広い世界を見てほしいから。

 

「――――結仁」

「…………、」

 

 ただ、問題があるとすれば。

 

 私がどれだけ冷たい態度をとっても、嫌な顔をしても、

 遙が一切愛想を尽かせる様子が見られなかったコトだろうか。

 

「久しぶりだね、こうして一緒に帰るの」

「……ああ、そうだな」

「……怒ってる?」

「いいや、別に。ただ、今日はそういう気分じゃなかったんだ」

「そういう?」

「……なんでもない。はやく帰るぞ」

「……? うん」

 

 ……いやまあ考えると、たしかにアレだけ言っておいて私も甘かったところがあるかもしれない。

 

 非情に徹しきれなかったのは痛いところだ。

 

 彼が定期的に体調を崩すたび見舞いに行っていたし、

 その度にいくらか話して距離感を探っていたし、

 なによりこういう風に避けられないアタックをされてしまうとどうしようもない。

 

 断ればいいのだろうに断りきれないのは私の弱さだ。

 

 というか遙に弱いのである。

 なんというか、こう、悲しげに笑う顔を見ると我慢できなくなってしまって。

 

 ……本当、我ながら情けない。

 

 泣きたくもなってくるものだ。

 

「もうすぐ三年生かあ」

「…………そうだな」

「結仁は高校、どこにするか決めた? やっぱり頭良いから西高(ニシコー)?」

「それは――――」

 

 と、すこしだけどう答えるか迷って。

 

「――まだだが。女子校、というのもありだ」

「女子校? ……隣町の譲羽(ユズリハ)? 五駅ぐらい離れてるよ?」

「そのぐらいなら全然通えるだろう。まあ、選択肢のひとつだな。有力だ」

「そっか。じゃあ、高校は別になるのかな」

「かもしれないな」

 

 なんとはなしを装ってそうぼやく。

 

 口からでまかせ。

 咄嗟に思いついたコトだったが、あんがいプランとしては悪くない。

 

 周りに女子がたくさんいる。

 私の獣性が押さえ込める。

 なにより、女子校となれば遙と顔を合わせることもなくなる。

 

 彼とこうして近くで過ごして、胸のうちのトゲに悩まされることもないハズだ。

 

 学生生活は真面目にこなしてきたお陰で学力も内申も問題ない。

 大抵の進学先ならどこだって選べた。

 

「オレは南高かな。近いし。結仁ほど勉強もできないから」

「そうか」

「うん。そうなると、あんまり会えなくなるね」

「ああ、そうだな」

「こうして並んで帰ることもなくなるよね」

「もちろんだ」

「――――ちょっと、寂しいな」

「…………………………、」

 

 最後の言葉は、聞かなかったコトにしておいた。

 聞かなければ良かったコトだから、聞こえていないフリをしてしまった。

 

 声音から感情は読み取れる。

 

 十何年になる付き合いだ。

 すこし距離を開けたぐらいがなんになるというのか。

 

 彼のコトはたくさん知っている。

 分かっている。

 理解できている。

 

「……こだわりはないのか、遙には」

「うん。特にないよ」

「……そうか」

 

 例えばの話。

 

 私が以前の記憶なんて持っていなくて、

 おかしな性質を受け継いでいない普通の女の子なら、

 

 なにを思うコトもなく遙の傍に居られたはずだ。

 

 まったくもって余計なモノが残ってしまった。

 思えばそれを幸運に思ったことなんて一度もない。

 人に生まれたことの感謝ことすれ、記憶があって良かったと心の底から本気で思ったことなどない。

 

「………………、」

 

 いま一度思い返す。

 

 なんのためにここまでするのか。

 盗み見た彼の表情はどこか悲しげで元気がない。

 

 きっと、そういうのがダメなのだろう。

 

 ――私は結局、そこを判断できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えッ、うそ」

「…………、偶々だ。夏鳥たちと離れるのは、嫌だろう」

「あ、そっか。そうかあ。ははっ。なんだ、そういう――」

「勘違いを、するなよ。……遙のために選んだのでは、ない」

「うん。わかってる。大丈夫。ありがとう。ごめんね、結仁」

「……だから」

 

 謝る必要なんて、微塵もないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 高校に入れば距離はさらに遠くなった。

 

 クラスはずっと別だ。

 そこは幸運としか言いようが無い。

 

 お陰様で出会う機会も話す機会も月に数回という程度。

 

 思いきって体調を崩したとき見舞いに行くのもやめた。

 ああいう甘さを見せるからこんな羽目になるのだろう。

 

 きちんと考えて、きちんと決めて、きちんと貫く。

 

 そうすればきっと、この歪な関係を清算できると思った。

 

 彼にとっての私がどうでもよくて、

 私にとって彼が大事なものになるのなら。

 それ以上なんてないぐらい。

 

 だってそうだろう。

 

 傍に居られないのなら、せめて手の届かない遠くから見守るしかない。

 隔絶された世界で彼の行動に一喜一憂するのがお似合いだ。

 

 ……どうして遙が幼馴染みだったのだろう。

 

 別の誰かならたぶん、そこまででもなかったのに。

 彼以外の男子が女子と喋っていても、心は揺れ動かないのに。

 

 たったひとり。

 いちばん大事な男の子が誰かと一緒にいると、耐えられない。

 

 とっても、辛かった。

 

 

 

 

 

「――好きです、紺埜さん。俺と、付き合ってください」

「……すまない。気持ちは嬉しいよ。けど、私なんかじゃ君に相応しくない」

「そ、そんなことは」

「本当にすまない。ありがとう。その言葉を伝えてくれただけで、私は幸せだ」

「――――――――ッ」

 

 十六にもなればそれなりに色恋沙汰も増えてくる。

 週に多くて三回、少なくとも一回。

 容姿に恵まれていた私は、男子女子・学年問わず告白を受けた。

 

 贅沢なことだ。

 良いコトだ。

 

 誰かに想われるのは素敵だと、理性(ワタシ)はたしかに分かっている。

 

 

 

 でも、心はさっぱり満たされなかった。

 

 なんでだろう、わからない。

 人に想われて嬉しくないのだろうか。

 好きだと言われて喜ばしくないのだろうか。

 

 以前遙に真正面から言われたときは、内心で飛び上がるほど嬉しかったのに。

 

 心がわからない。

 気持ちがわからない。

 

 わからないことは怖い。

 それが自分のモノなら尚更だ。

 

 私は一体なにをどうして、こんな気分のまま生きているのか。

 

 呆然と毎日を過ごしていれば、あっという間に季節は過ぎて。

 まるで飛んでいくように、時間は流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――、」

 

 

 

 その日はちょうど、雪が降っていた。

 

 高校二年目、三学期。

 二月も半ばにさしかかるかといったところである。

 

 冬の寒気は去っていく気配もみせず未だ存在を主張中。

 路面はまだまだ見えているものの、歩道や道端には薄く白雪が積もっている。

 この分では明日はけっこうな積雪になるだろう。

 

 どうしたものか、なんてなんとなく考えながら歩いていく。

 

 学校からの帰り道。

 部活を終えてから寄り道したからか、すこし遅くなった。

 

 時計を見ればもうすでに八時半を回っている。

 

 

 

 

 

 ――危機感が足りないと言えば、その通りだった。

 

 

 

 

 

「ねぇ」

 

 

 

 

 

 突然、声をかけられた。

 

 後ろから強引に。

 肩を掴んで、口を押さえて。

 

 軽い身体はふわりと浮いて。

 

 ――――そのまま、

 

 

 

「――――、――――――!」

「きみ、かわいいねぇ。南の生徒? いいね、綺麗だねぇ」

 

 

 呆気なく、押し倒される。

 

 

「ごめんねぇ。しずかにしててねぇ。へ、へへ。大丈夫、痛くしないから、大丈夫」

「――――ッ、――――」

「だから、しずかに、しててねぇ……すぐ、終わるからさぁ」

 

 

 

 まさかだった。

 予想だにしなかった。

 

 そういうのがあるとしても、私は関係ないと無意識のうちに思っていた。

 

 だって私だ。

 醜い化け物だ。

 性根の腐った人非人だ。

 

 たしかに外見は整っているが、その内側は人とも言えないおぞましい何かだ。

 それをよもや、こうして、己の劣情を向ける相手として選べるものか――

 

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ」

「――――――ッ!」

 

 

 焦燥感に襲われる。

 

 まずい、やばい、いけない。

 どうにかしなくてはならない。

 

 けれど、なにをどうすればいいのだろう。

 

 混乱している。

 

 腕は縛られた。

 頭の後ろだ、動かせない。

 

 口は塞がれている。

 

 息はできるが大声を出せない、助けを呼べない。

 

 服が裂かれた。

 下着が取られた。

 

 肌が露出する。

 

 寒い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝――――――――ぁ〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、それは。

 ゆっくりと、

 

 

 

 〝いや、ダメだッ。――それは()()()!!

 

 

 

 焦りが恐怖に切り替わる。

 

 いけない、本気でいけない。

 

 今生でいちばん精神が昂ぶった。

 

 じたばたと藻掻くように足を動かす。

 

 

 

「暴れないで、大丈夫、大丈夫……」

「――――――――ッ!! ――――――!!」

 

 

 

 〝やめろ!! やめてくれ!! いやだ!! どうしてこんな――〟

 

「痛く、しないから……!」

 

 〝どうでもいい! 関係ない!! それはダメだ!! それだけはダメなんだ!! 大事なものなんだよ、なぜ分からない!? あぁ! あぁあ!! いや、いやッ、やめ、それがないと、わた――――〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐちゃり、と。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――ッ!?」

 

「ぁは……っ」

 

 

 

 〝    あ     〟

 

 

 

 

 

 大事な何かの、壊れる音がした。

 

 

 

 

 

 



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15『幕間:紺埜結仁⑤』

 

 

 

 

 ――拳を握り締める。

 

 歯を食い縛る。

 こぼれそうになる何かを、必死で押さえつける。

 

 いまはそれが精一杯だった。

 

 

「――――ッ、――――」

 

 

 ぼやけた視界。

 回らなくなる思考。

 

 なんだかやけに気分が悪い。

 耳に付く水音が酷く朧気だ。

 

 それがなんなのか理解して、余計に強く自分を保つ。

 

 

「――――――――!!」

 

 

 ああ、けれど。

 

 もうダメだ。

 こんなのはダメだ。

 

 襲われた。

 襲われた。

 襲われた。

 

 私の純潔を奪われた。

 

 

 

 ――――それがどういうコトなのか、この男は分かっていない。

 

 

 

 いいや、誰も理解できるはずがない。

 

 なにせ私は紺埜結仁だ。

 人でなしの化け物だ。

 

 他の誰かがとき解いて良いような代物じゃない。

 

 

〝だ、めだ〟

 

 

 ぐっと、強く。

 

 骨ごと潰さんばかりに拳を握り締める。

 

 

 〝だめだ。やめろ。いけない。これはいけない。もうむりだ。これいじょうは〟

 

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

 奥歯をさらに噛み締める。

 

 

「――――――――ぇ、ぉ」

「はぁッ……はァッ……」

「ぃ……、ぇ………………」

 

 

 頼む。

 

 どうか、どうか。

 

 気が済んだのならはやく行ってくれ。

 私を捨ててさっさととんずらこいてくれ。

 

 この生に執着はない。

 

 どうせ二度目の命だ。

 

 私の処女を奪ったコトなんてどうでもいい。

 私の身体をめちゃくちゃにしてくれたコトなんてどうでもいい。

 

 だから、ただ。

 嗚呼、ただ、いまは。

 

 胸の奥から溢れんばかりの、この――――

 

 

 〝――――にげろ。すぐに。やめてくれ。いやだ。わたしは、ひとだ。にんげんなのだ。こんな。こんな――――〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――この獣性(しょうね)が、押さえきれなくなる前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝だれかをころしたくなんて、ない――――〟

 

 

 

「ふ、ふふっ、あははははっ」

 

 

 男が笑う。

 気分が悪い。

 

 信じられない。

 

 なにを笑っているのだろう。

 そんな暇があるのならはやく走れ。

 この場から去ってくれ。

 

 でないと私は堪えられない。

 押さえきれない。

 

 純潔でなくなったいま、胸の内にある獣性に蓋をする術はなくなった。

 

 最悪だ。

 ぜんぶ台無しだ。

 

 必死でつくりあげた積み木を一気にバラされたような感覚。

 

 ……結局私は、そういう生き方をしていたというワケだ。

 

 気が付けば人でなしの考え方をしている。

 獣の価値観で物事を捉えている。

 ひとつ皮を剥いでみれば、当たり前のように自分を襲った男を殺そうとする人格がある。

 

 ふざけるな。

 

 理性で本能と衝動を否定する。

 

 人を殺すのはいけないことだ。

 殺人は犯罪だ。

 たとえ相手が悪人であっても、同じ命を奪うのは悪いコトだ。

 

 だったらそれはできない。

 いくら憎くても嫌いでも、生きている人間を死なせるコトはできない。

 

 ――殺してしまえと囁く声が聞こえても。

 ――死んでしまえと呪う声が聞こえても。

 

 理性(ワタシ)はまだ、健在だ。

 

 私は人だ。

 紺埜結仁だ。

 

 それを見失っては、ならない――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 震える夜は長かった。

 

 苦しいのは身体のコトじゃない。

 悲しいのは心の問題じゃない。

 

 誰かにとっての当たり前は私にとっての特別だ。

 

 だから、犯されたこと自体はそこまで引き摺っているワケでもなかった。

 

 冷静に考えれば理解できる。

 中身がどうだろうと私だって見た目は人間。

 それなりに容姿が優れた十代の女子。

 

 気の狂ったような男が狙うにはちょうどよかったのだろう。

 

 ならばそこは悲しむべきではない。

 周りの人間、他の女の子が餌食にならなかっただけマシだ。

 

 壊れた心は戻らない。

 継ぎ接ぎだらけの精神で生きていくのは辛い。

 

 自分のような異常者が選ばれたのは僥倖だった。

 不幸中の幸いというべきである。

 

 ――――ただ。

 私にとって()()()というものが、とりわけ異質であっただけ。

 

 

 

「……結仁。お母さんよ。さっき、け――――」

「来るなぁ!!!!」

 

 

 

 気付けば部屋の中。

 固く閉じこもって形振り構わず必死に吼えた。

 

 ズキズキと頭が痛む。

 

 額が割れて砕け散りそうだ。

 

 ああ、まずい。

 これは本格的にまずい。

 

 この十数年で築き上げた私が悲鳴をあげている。

 まともに生きてきた私自身が壊れようとしている。

 

 それは外からの影響ではなく、内側からの作用。

 

 

 ――――かつての獣性(ワタシ)が、もう抑えるものはないと歯を見せて――――

 

 

 

「関わらないでくれ!!!! 話しかけないでぇ!! わ、私ッ、私は――――!!」

「――――――っ」

 

 

 

 生まれてはじめて母親に怒鳴った。

 生まれてはじめて父親を拒絶した。

 

 床と壁を掻き毟りながらひとり蹲る。

 

 痛い。

 痛い、痛い、痛い。

 

 頭が痛い。

 胸が痛い。

 心臓が痛い。

 身体が痛い。

 

 耳元で誰かの囁く声がする。

 

/コロせ。

 頭蓋に響く何者かの音を聞く。

 

/コロしてしまえ。

 まだ人の世を知らなかった、無垢で野蛮な私が目を覚ます。

 

/ヒトになにを思う? 我々は誇り高き一族だぞ。

 

 ましてや相手は己を襲った強姦魔。

 一体なにをどうして躊躇う必要があるのか。

 

 殺してしまえ、消してしまえ。

 

 命ひとつの価値は不変だ。

 我々と比べてヒトの生など取るに足らない。

 

 神秘にも触れられぬような劣等種がどうすれば我々より偉くなれる?

 

 

 

「――――――――――ッ!!!!」

 

 

 

 ああ、いやだ。

 そんなのはいやだ。

 

 そんな考えは持ちたくない。

 獣になんて戻りたくない。

 

 私は人だ、人間だ。

 

 人間として生を受けたひとつの命なのだ。

 

 過去がどうであれ今は今。

 愚かにも騙されて死んだ、荒々しい幻獣の私とは違う。

 

 私は人だ。

 

 私はヒトだ。

 

 

 

 ――――ああ、でも、()()って一体なんのことだっけ――――?

 

 

 

 

「――――――ぅうぁあぁあああああ!! あぁぁあぁあああッ!!!!」

 

 

 

 

 壁に頭を叩きつける。

 ガリガリと剥がれかけた爪であたりを掻き毟る。

 

 いやだ、いやだ、いやだ。

 やめて、お願いだ。たのむ、やめてくれ。

 

 奪わないでくれ。

 

 私から理性(マトモ)を奪わないでくれ。

 私から(りせい)を取らないでくれ。

 

 十何年と生きてきた。

 人として道を外れぬようにと頑張って生き抜いてきた。

 

 周りにはたくさんの人がいる。

 大切な相手がいっぱい溢れている。

 

 大切な流裂遙(だれか)が近くにいる。

 

 その全てを、どうでもいいと思うのか。

 愚かな劣等種、下等生物としてしか見なくなるのか。

 

 ありえない。

 

 それは死ぬこと以上に恐ろしい価値観の逆転、精神の変化だ。

 きっとそうなれば私はもう私ではない。

 まったく別の何者かに成り果てる。

 

 そんなのはいやだ。

 

 私は私のまま生きていたい。

 私のまま死んでいきたい。

 

 私のまま、遙の幸せを願っていたいのに。

 

 

 

 

「ああぁぁぁぁぁあうぅううぅううぅう――――…………!!!!」

 

 

 

 

 こわい。

 

 いやだ。

 

 たすけて。

 

 だめだ。

 

 まずい。

 

 あたまが、いたい。

 

 いたい、いたいよ。

 

 かなしいよ、くるしいよ。

 

 どうしてこんな。

 

 どうしてわたしが。

 

 おねがい。

 

 たすけて。

 

 たすけて、たすけて、たすけて――――

 

 

 

 

 

 

「はる――――――」

 

 

 

 

 

 

 ふと。

 

 耳を澄ましたとき、鼓膜を音が拾った。

 

 奇跡にも近い精神の落ち着き。

 一瞬でしかないそれを狂ったように手繰り寄せる。

 

 あれから何日たっただろう。

 

 分からない。

 

 血まみれの部屋を見て困惑する。

 

 手も足も爪もボロボロだ。

 皮膚には何度も引き裂いたような痕。

 

 額からは盛大に出血していた。

 まだ頭蓋骨が砕けていないのが奇跡だ。

 

 ……でも、どうして。

 いま、私は意識を、

 

「どうしてッ、だって! 遙くんは!」

「ッ、落ち着いて母さん。分かってる。そうだ。あの子は。でも」

「なんで、あの子たちがこんな目に遭わなきゃいけないの……! 結仁は部屋から出て来ないの! 遙くんはもうずっと、あの男を捕まえてから中央病院のベッドの上よ……!? なんで、なんで――――ッ」

 

「     」

 

 

 

 反射的だった。

 ドアを蹴破って外に出る。

 

 そのまま廊下を抜けて階段を駆け下りて、玄関まで一直線。

 

 

「きゃっ――――結仁!?」

「まッ……待ちなさい結仁! そんな状態じゃ!!」

 

 

 呼びかける両親の声を振り切る。

 

 止まれない。

 止まりたくない。

 

 歩道の雪は溶けていなかった。

 足の裏から容赦なく冷気が伝ってくる。

 

 冷たい。

 痛い。

 

 白雪を鮮血で汚しながら駆けていく。

 

 町の中は入り組んだ迷路みたいで最悪だった。

 信号が多い。

 人が多い。

 

 どちらも無視して走り続ける。

 

 途中、知らない誰かにぶつかったのが十五回。

 車にひかれかけたのが七回。

 

 関係ない。

 

 最短距離で家から病院までの間を走破する。

 

 人に気など配っていられない。

 そもそも他人なんて()()()()()()

 私にとって大事なのは、そんな有象無象じゃない。

 

 

 

 

 

 あれ、でも違うな。

 

 

 

 

 違うぞ、待て、違う。

 

 

 

 違う、違う! 違う!!

 

 大事なのは他の誰もだ。

 私以外の大切な人たちだ。

 

 それをどうでもいいなんて、一瞬でもなんで思えた――!?

 

 

 

 

「あ、あァッ、ぁぁあうぅ――――――」

 

 

 

 

 ずきん。

 

 頭が痛い。

 はちきれそうだ。

 思考が回らない。

 

 ただ走る。

 目的地に向かう。

 

 はるか。

 

 遙、そうだ、遙だ。

 

 遙、遙、遙、遙。

 

 遙が。

 

 遙が倒れて、病院で、男が、

 

 

 

 

 

 ――――私のせいで、彼が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――」

 

 

「結……仁……?」

 

 

 どうやってきたのかは分からない。

 無意識のうちに私は私らしく動いたのか。

 

 病室のベッドの上。

 

 取り乱す私とは正反対に、落ち着いた様子の彼がいた。

 

 顔色は悪くない。

 声の調子もしわがれているというより生気に満ちあふれている。

 

 けれど、周りの機械はとてもそうとは思えないほどごちゃついていた。

 

 

「――――――」

 

 

 不思議と。

 それはおかしなコトだと、私は思った。

 

 きっと彼は寝ていなければならない。

 そうでなくとも起き上がれるはずがないのだろう。

 用意された設備からそのあたりの配慮が読み取れる。

 

 でも違った。

 

 彼はその身体を当たり前のように起こして、私と目を合わせた。

 それは、どういう原理なのだろう。

 

 

「どう、したの。結仁。なんでここに。いや、それより。君は――――」

「なんで」

 

 

 ぐしゃりと、

 しがみつくように病衣を掴む。

 

「……ごめん」

「なんで」

「許せなかった。怒ってたんだ。ほんとうにごめん。……君があんな目に遭ったって聞いたときから、冷静じゃいられなかった。だって、そうだろう。幼馴染みが酷い目に遭わされて、頭にこないワケがない」

「なんでっ」

「それだけ、大切だったんだ。結仁のコトが」

「――――――――っ」

 

 ああ、それは。

 それは、なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしいコトなのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ぁ」

「…………? 結仁?」

 

 

 〝待て〟

 

 いいや待たない。

 待てるワケがない。

 

 そうか、ああそうか。

 

 なるほどそういうワケだ。

 

 答えが分かった。

 理解できた。

 

 理性と獣性。

 どちらの私から見てもこんなのは鮮明に映る。

 

 

 

 ――――唯ひとつを貫いて、すべてを注げる輝きを見た。

 

 

 

 知っている、分かっている。

 ずっとずっとそうだった。

 

 彼は私にどんな態度を取られても一緒にいてくれた。

 冷たくしても離れていっても、傍に居ようと必死で努力した。

 

 

 

 〝やめろ。違う。そうじゃない。それはだめだ。それこそだめだ〟

 

 

 

 なにがいけない。

 

 気持ちは同じだ。

 そうだろう、いい加減に認めればいい。

 

 私はどう思う?

 私はいまどんな感情だ?

 

 ――――単純なコト。

 

 

 

 〝ちが――――――〟

 

 

 

 彼に大切だと言われた。

 彼の想いを知った。

 彼と己の心が同じであると分かった。

 

 ならば気持ちはどうなのか。

 

 誤魔化しようもない。

 だっていま、自分の胸に訊けば簡単に分かる。

 

 そう、私は。

 私というモノは。

 

 

 

 

 

『流裂遙のコトが、これ以上なく好きなのだ』

 

 

 

 

 

 〝ぁ〟

 

 

 

 

 

 砕けていく硝子の意識。

 

 恋心を認めた瞬間、獣性はその感情を共にするモノとして射止めた。

 

 

 ――――ふわりと。

 

 

 痛みが引いていく。

 気持ち悪さがなくなっていく。

 

 一体なにをそこまで怖がっていたのだろう。

 つい一秒前までのことなのに、もうなにも分からない。

 

 清々しい気分だった。

 

 己の身体が穢されたのは誠に度し難く許しがたい、怒髪天を衝く行為だったが――そんな愚かを犯した男も彼によって誅された。

 

 なるほどと、理解する。

 そうか、そうなのだ。

 

 これこそが。

 

 この気持ちが。

 

 

「――――――嗚呼」

 

 

 彼に身を寄せる。

 胸がはずむ。

 

 これが恋。

 これが愛。

 

 ずっと勘違いをしていた。

 

 たかだか女子と近くなっただけでなぜ衝動が出てくるのか。

 自身の純潔で完全に制御できていたモノが溢れるハズはない。

 

 錯覚だ、真実は違う。

 

 今まで胸を貫いてきたのは、彼を憎んでのコトではなく。

 

 

 

 ――彼に好意を抱くが故に、近付く誰かに嫉妬していただけだ。

 

 

 

「ふ、ふふ、ふふふふふっ……」

「……結仁……?」

「私も、だ」

 

 

 くすりと、彼の眼前で微笑む。

 とびっきりの、表情で。

 

 

「私も、ようやく気付いた。私のなかでいちばん大事なのは、おまえだったよ」

「え――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――おまえが好きだ、()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15『幕間:紺埜結仁⑥』

 

 

 

 

 

 

「――――そこから先はつまらない」

 

 

 

 女神は語る。

 空の向こうで。

 

 誰にでもなく、なんにでもなく。

 

 ただひとり、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

 

「彼の身体は弱いままだった。強く育ったワケじゃない。我慢することが、耐えることが上手くなっただけだった。結果、私が恋心に気付いた時にはすでに遅かった」

 

 

 あのときほど己の額に角がなかったコトを悔やんだ時期はない。

 

 万病の薬となる一角獣の角。

 

 それさえあったなら、彼女自身の手で折ってなんとかしただろうに。

 

 

「彼は死んだ。私の前から消えてしまった。……なぜだろうな。私の大事なモノはいつもそうだ。この身の純潔も、彼という存在も、悉くが奪われていく。悲しいコトだ。一体どうしてそんな世界を認められる? ――そんなハズがないだろう」

 

 

 たしかな怒り、たしかな憎しみ。

 

 紺埜結仁は世界を恨んだ。

 はじめから備わっていたその獣性を持ってして、当時の時代に喧嘩を売った。

 

 支配者から分けられた二十の大いなる神秘。

 

 それを受け継いで生まれた魔法使いたち。

 

 首領の座へと昇るため、それらを手にかけた。

 

 

「もとより私は幻想に生きるもの。神聖なる一角獣の魂だ。隠されていようと神秘に触れるのは難しくない。所持者を殺せば魔法は奪える。たかだか二十人だ。時間はかからなかったよ。ひとり()れば芋づる式で釣れもした」

 

 

 その力に目覚めている者。

 その力を持ちこそすれ気付いていない者。

 その力の使い道と真理を理解していた者。

 

 すべて例外なく殺した。

 

 

「なんでもできると思った。魔法とは神の所業、隠された神秘の切り札。当時の支配者が地上にもたらした力の欠片だ。彼を取り戻すコトなんて造作もない。そう思っていたさ。だが――――『星』の魔法を手に入れたとき、私は絶望した」

 

 

 数えて十七。

 希望と閃き、願いを叶える天の切り札。

 

 それがもたらすのは正真正銘この地球(ホシ)における絶対性だ。

 

 

 すなわち、過去から未来まで含めた星の記録の閲覧と改竄、編集。

 

 

 枝分かれした平行世界から、もはや残っていない紀元前の事象まで。

 すべてをひとりの人間の手中におさめる極大の神秘。

 

 彼女の手に渡ったとき、正式な継承者ではないという点から使える機能は制限されていたが――――それでも十分だった。

 

 

「何度も探した。(ページ)をめくった。あらゆる可能性を探したとも。でも、ないんだ。どこにもない。私と彼が出会って、恋をして、ただ寄り添い、共に過ごし、結ばれ、幸せに暮らす。そんな世界が存在しない。おかしいだろう? 枯木(ほか)とはあるのに。夏鳥(べつ)ならいるのに。私とだけが、絶対に、存在しない」

 

 

 あのときの怒りは未だに消えない。

 胸の奥でちりちりと焦げ付いている。

 

 すべてを知った。

 すべてをこの手に掴んだ。

 

 けれど、すり抜けていったものはもう遅い。

 

 彼女は知らない。

 

 その人格が歪むまでなら、ともすれば可能性は残っていた。

 

 彼女は分からない。

 

 どうして紺埜結仁という少女が彼に好かれていたのか。

 

 

「許せないだろう。ふざけている。私は彼が好きで、彼も私を好きだった。両想いだ。幸せだ。なのになぜそれを世界が祝福しない? なぜそれをわざわざ引き剥がそうとする? ありえないだろう。そんな末路(モノ)は認めない」

 

 

 違いは明白だ。

 想い人である彼でさえ愛想を尽かして当たり前。

 

 なにせかつての少女が願ったのは己の幸福ではない。

 

 ただひらすらに、ただひとえに。

 

 自分の身体はどうでもいいから、

 自分の心はもういいから、

 自分はどうなってもいいからと――――少年の幸せを願い続けた。

 

 それが自己犠牲と呼ばれたとしても、その想いは嘘じゃなかった。

 

 他人の幸せを願える少女と、己の幸せのため他者を蹴落とす存在。

 どちらに少年の心が傾くか、言うまでもない違いだ。

 

 

「私はこの領域に立って時代を変えることにした。前代の支配者など邪魔で不要だ。即座に消してしまえば私だけの時代をつくれる。そうして出来たのがこの世界。純エーテルと怪物によって少数の人を絶えず管理する純潔の時代。悪しき者、穢らわしい者、私の癇に障る者のいない素晴らしい地上が、ここに成ったのだ」

 

 

 誰もが穢れなき心を持つ。

 

 素晴らしいコトだ。

 これ以上はない。

 

 生き残った女も男も殆どが薄くだが彼女の影響を受けている。

 

 その純潔を無駄にはしないように。

 その性別故に肉欲を迸らせないように。

 

 ただ必要な分だけ命を繋ぎ、ただ必要なときにのみ命を育む。

 

 ――――肉体関係を心の底から嫌悪した、流崎悠(ダレカ)のように。

 

 ……まあ時折、恋心が勝ってしまうこともあるが、それはそれ。

 どちらにせよ彼女らしい思考回路だ。

 

 

「そこからは長い旅だった。なにせ百年だ。冷めないかと心配しながらこの気持ちを抱え続けたよ。いや、簡単に冷めるようなものではなかったがな? それを確信したのは彼の魂が還ってきたときだ。()()、音の同じ母親の胎内に宿ったのだ」

 

 

 最大にて最高の贈り物だと、彼女は疑わなかった。

 

 

「すぐに意識を繋げた。干渉した。ハルカだ。ハルカという名だ。その赤子の名前は決まっている。その魂に違いはない。私がその(いろ)を間違うはずがない! なにせ、一度は己の身で経験した出来事だ! 実際そうだった! 昂ぶらないワケがないだろう!? ――――まあ、高次元から私が過度に接触したせいで、その女は死んでしまったのだが。それはどうでも良いコトだな。ハルカを産めただけであいつは幸せだったろう。名誉の死というヤツだ」

 

 

 くすくすと女神は笑う。

 

 彼を彼とした代わりにひとつの命が消えるなんて安いもの。

 むしろ認識できたという時点でお釣りがくるぐらい良い買い物だ。

 

 たかだか女がひとり死んだ程度、なにを思うでもない。

 どうせ徒人ならいつかは死ぬのだ。

 それが遅いか早いかの違いを、うだうだと頭を抱えるほうがどうかしている、と。

 

 

「そこから先は()()()も分かっているだろう? 健やかに育ち、らしく生き、ハルカはこうして私の元まで辿り着いた。もう一度私と会ってくれた。嬉しかったよ、最高だった。だからこそ、落ち着いてから話したいとしたのだ。私の恋心は変わらない。ハルカだってそうだ、知っているんだ。ずっとずっと持ち続けた恋心が、そう簡単に消えるはずないだろう? だから多分、冷静になれば分かるはずなんだ。私とハルカは、結ばれるべき運命にあることなんて」

 

 

 ――――笑う女神を、見る影がひとつ。

 

 それは意識だけのまま空を越えて、彼女の眼前に立っていた。

 使()()()としてたった一度、許された接触だった。

 

 

 〝――――――そうか〟

 

「ああ、そうとも。すべて理解できたかな? いや理解できなければおかしい。なにせ()()()はそもそもが同じだ。儚く消えたかと思っていたが、いやまさか正しく循環の流れに乗っていたとは。世の中分からないな。そうだろう、()?」

 

 〝……勘違いを訂正させてもらおう。私は貴様ではない〟

 

「ほう?」

 

 〝私は私だ。巴妃和だ。この命がかつてどうであれ、いまの私はそれ以上でも以下でもない。ましてやそれ以外のなにかでもない。貴様とは違う〟

 

「そういうところだよ。己は己と信じて疑わない。強い心がひとつ、芯の通った精神がある。そこは変わらないな。この姿が一角獣(きげん)に近いのはそのせいだろう。獣としての部分が私、理性(ヒト)としての部分がそちらということか。消え失せたはずの私の意識の欠片、魂の片割れだけが新たに生まれ変わったからだ」

 

 〝関係ない。ただ私が思うことはひとつ。なにがあろうと変わらない。それは私の命の正体がなんであったとしてもだ〟

 

 

 強く射貫くように真っ直ぐ見つめる瞳。

 

 影が重なる。

 姿が見える。

 

 額を割って幻獣じみた女神とは違う。

 たしかな人間の形をした、在りし日の少女が浮かぶ。

 

 

 〝私は貴様を許さない。必ず殺す。その罪を償わせる。覚えておけ。首を洗って待っていろ。せいぜい夢に踊って死ねばいい。――――おまえが悠の隣など、ありえないだろう〟

 

「ふッ、ははは――――言うじゃないか。妄言だな。戯れ言だ。一度呑まれたくせに分からないのか? 弱い人格(ワタシ)め。人を殺すことにあれだけぎゃーぎゃー泣きわめいて、必死になって、情けない。惨めだったな。だからおまえはダメなんだ」

 

 

 指を鳴らす。

 

 影は消える。

 

 会話はそれで途切れた。

 

 

 ……まったくもって矮小だ。

 その感情が理解できない。

 自身のコトがどうでもいいというその考えは愚かにして醜悪だ。

 

 彼の幸せを願うだと?

 彼と共に過ごせば幸せだと分かっておきながら、それを手放すだと?

 

 ――――ありえない。

 

 己が己であるのなら、いちばんは自分自身だとなぜ分からないのか。

 自分と彼以外はどうでもいいのだとなぜ気付かない?

 

 

「――――所詮はヒトの理性。くだらない価値観だ。やはりおまえは弱くて惨めなものだよ。だが同一なのは認めてやろう。故に、貸してやるのだ。有り難く思え、阿呆め」

 

 

 彼女は知らない。

 彼女は分からない。

 

 己の全てを封じてでも、ただひとりの少年に笑ってほしいと願った少女の輝きを。

 己の心が報われなくても、ただひとりの少年に幸せでいてほしいと望んだ彼女の光を。

 

 獣性を越え、理性を奪い、

 たしかな神格として空の向こうに居座る彼女には、知る由もない。

 

 

 ――――その輝きが、いつまで経っても彼の心に映っているのを。

 

 

 決して、理解などできない。

 

 

 

 

 



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16/『エピローグ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――正直、実感なんてないんだ」

 

 

 歩きながら言葉を紡ぐ。

 

 目的地までどのぐらいか。

 分からないまま歩き続けている。

 

 急ぐ必要はない。

 時間は有限ではなくなった。

 いまはただ、成るようになるだけの命。

 

 

「私はおまえじゃない。アイツじゃない。記憶も記録もひとり分だ。だから、その映像を見たところで変わるワケでもないんだ」

 

 〝そりゃあそうだろうなぁ〟

 

 

 くつくつと笑う声。

 それは周囲には響かない、彼女の中にだけ宿るモノ。

 

 

「でも、ちょっとだけ分かることはあった」

 

〝へぇ、そいつは?〟

 

「おまえと初めて会ったときだったかな。……なにか、致命的な、自分にとって見逃せないモノに指をかけた感覚があった」

 

 

 まだ妃和が流崎悠というすべてを知らなかったとき。

 そのときに感じたモノの正体。

 

 ……きっと、全部忘れてもそれだけは残っていたのだろう。

 

 ただひとつと信じたもの。

 ただひとつと願ったもの。

 正しく生まれ落ちた命の片隅に、想いの残滓が付着していた。

 

 

「……ああ、そうとも。実感はない。実感はないが――まぁ、なんだ。言っておかなければいけないような気も、するからな。私個人の意見とは、別として」

 

 〝? なんだよ〟

 

「ちょっとしたものだ。一度しか言わない。それこそ、ぜんぜん、関係ないからな。アレとは。本当に関係ないから、心して聞けよ」

 

 〝だからなんだよ〟

 

 

 そうして彼女は、いつも以上に穏やかな声音で。

 

 

 

 

 

「――――強くなったな、遙」

 

 〝――――――――〟

 

 

 

 

 

 どこかの誰かへ向けた、最大級の賛辞を放った。

 

 

 〝……俺はオレじゃねえけどな〟

 

「分かってるよ。だから関係ないと言った。個人的な問題だ。……悔しいのは、理解できてしまうコトかな。ならばこそなのだろう。近いんだろうな、感覚は」

 

 〝妃和と結仁が?〟

 

「壊れる予感があるのなら。自分自身が要らない何かを抱えていると確信しているなら。きっと己の心を封じてでも、誰かの幸せを願って当然だろう」

 

 〝…………そういうもんかね〟

 

 

 そういうものだ、と少女は独りごちる。

 

 純潔で封じていた獣性。

 長年押さえつけていたそれは、最早別のなにかで代用できるものでもなかったろう。

 

 それこそ破られれば二度と元には戻らない。

 

 溢れてきたモノは瞬く間に身体を蝕んで人格を歪ませた。

 理性を殺して意識を消して、新しいカタチとして確立した。

 

 それは間違いなく己であって、己でないなにかと同じ。

 

 

「――だからまあ、その分まで甘受しよう。私にその心配はない。所詮、一度精神が壊れたぐらいの、どこにでもいる普通の女子だ」

 

 〝精神が壊れたヤツがどこにでもいたらやばい世界だろ〟

 

「やばい世界だぞ?」

 

 〝そういやそうだった〟

 

「……まあ、そういうコトだ。私はきっと、感謝すべきなのだよ。この状況を。そうだ。そこだけはあの女に頭を下げてやってもいい。それ以外は最悪も最悪だが」

 

 〝言えてるな〟

 

 

 ふたりして笑い合う。

 

 時間は無限だ。

 どこまでも往こう。

 

 その旅路に果てはない。

 それだけは心から喜ばしい事実だ。

 こんな時代、まともに生きてはいけないのだから。

 

 

「悠」

 

 〝なんだよ、今度は〟

 

「好きだ、おまえが」

 

 〝……知ってるよ〟

 

「ふふ、そうか」

 

 〝妃和〟

 

「なんだ?」

 

 〝愛してるぜ、馬鹿野郎〟

 

「――ははっ。照れているのか。可愛いところもあるじゃないか」

 

 〝うるせーボケ〟

 

 

 首に巻かれた赤い襤褸切れ。

 落ち着いた色の服装と、荒々しさを際立たせたような刀。

 

 本部襲撃を退けた功績を投げ捨てて、流浪の民となった変わり者。

 

 

 

 ――――五人目の聖剣使い、巴妃和。

 

 司る概念は叛逆。

 

 それは人々の想いを背負いながら裏切る、最新の権能――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦二一六一年。

 

 異常なほどの寒さに包まれた二月――東京の冬。

 

 

 

 本日の極東地域における出生数はイチ。

 

 これにて連続の記録を途絶。

 

 

 

 対する死亡数は確認できただけでも十を越えている。

 

 昨日より数人増加、といったところ。

 

 それもこれも寿命ではなく、戦闘による被害であるのだから笑えない。

 

 

 

 ――かつて七十億を越えていた世界人口は、いまやたったの四千人程度まで落ち着いた。

 

 

 

 増えるばかりだった命はやがて消耗のスピードに追いつかれ、人類はいつかの未来だと思い描いていた衰退と減少の一途を辿った。

 

 それもこれも、たったふたつの外的要因によるものだ。

 

 

 

 ひとつは宇宙ソラから飛来した災害の如き異形の怪物たち。

 

 瞬く間に文明を蹂躙したそれらは、かつての人間の大半を殺した絶滅の切欠だ。

 

 

 

 決定打となったのはもうひとつ。

 

 突如として地上の大気を汚染し、地球環境を変貌させた未知の粒子。

 

 曰く、〝純潔の乙女以外に害を与える神秘のエネルギー〟。

 

 

 

 これによって男性人口は急激に低下、さらには出生率まで低下し、種の継続は困難と判断される。

 

 クローン技術や人工授精による研究も進められたが、どれも失敗のまま文明は半壊。

 

 かくして人類はいつ終わるか分からない時代にありながら、風前の灯火みたいに辛うじて生き残っていた。

 

 

 

 ……要は、これはそういう時代の話。

 

 

 

 もはや終わるしかないと信じて疑われなかった、終末のテクスチャに縛られた未来の物語。

 

 ――そして、向かい風の環境に真っ向から刃向かった、ひとりの馬鹿の叛逆劇。

 

 

 

 

 さあ、これより祝福を繋いでいこう。

 

 

 

 

 その名は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 




























ということで長らくお付き合いありがとうございました。ようやく一区切りでございます。くぅ疲以下略


はい。完走した感想ですがマジでこれ長いのなんなの(真顔)って感じでゴリゴリ精神力削れていく作品でした。書きたいコトが……書きたいコトが多すぎる……!

まあ結局好きなように書けばいいだろ! の精神で筆を走らせたワケですが。なんだかんだ書いてるときは楽しいからネ……! 仕方ないネ……! ウン。中毒だこれ。


そんなこんなでとりわけ好き勝手やりました拙作です。折角産み落としたものなので手入れはしてあげたいなーって感じでいつかは二部やると思います。肝心のプロット? HAHAHA! 武器がなきゃ戦えないんだ……すまない……

ともかく今作は一旦完結にて、また別の作品か続き書いたときにお時間いただけますと幸いです。この度は誠にありがとうございました。



いや本当もう毎日投稿とかしない。絶対(鋼の意思)




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