六年前を覚えている (海のハンター)
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1章 少年は再び光の道を歩む
0話 『プロローグ』


初めて投稿します。なので温かい目で見てください。



 上坂澪(かみさかれい)には五人の幼馴染がいた。

 一人は人見知りをする黒髪の女の子。

 一人はマイペースな白髪の女の子。

 一人は優しい茶髪の女の子。

 一人は男勝りな赤髪の女の子。

 

 一人は大好きな桃色の髪の女の子。

 

 周りは女の子ばっかりだったが、彼はいつも彼女たちと一緒だった。

 学校の時も遊ぶ時も出かける時もいつも一緒だった。

 

 だけどそんな楽しい時間は、いつまでも続いてはくれなかった。

 

 小学三年生の夏、上坂は母親を亡くした。

 

 母親が亡くなってから上坂は変わってしまった。

 大好きだったピアノを辞め、まじめな性格なのか非行には走らず勉強に励んだ。

 その結果上坂から子供らしさというものが抜けてしまった。

 

 それがきっかけか彼女達との関係が崩れてしまった。崩れたというよりは上坂が一方的に彼女達を切り離しただけだ。

 

 そうして壁を作り幼馴染と距離を置いて約半年が経ち四年生に上がる前の春休み、父親の仕事の都合で彼は街を出た。

 

 今生の別れになってしまうほど新しい土地は離れてはいないが、小学生の上坂には十分すぎるぐらい遠いものだった。

 

 長い付き合いがあってのことか、引っ越しの日には幼馴染が見送りに来ていた。

 突き放した彼女たちが来てくれたことは素直に嬉しかった。だが彼女たちは別れを惜しむ涙を流してはいるもののどこか浮かない顔をしていた。

 その理由を上坂澪は知っている。

 

 見送りの場には、突き放しても最後まで離れなかった桃色の髪の大好きな少女の姿がなかった。

 

 

 

 三〇分程前の事、最後の荷物をまとめ後は運転手の父を待っているとインターフォンの鐘の音が片付いた静かな家に響いた。

 家をでるとそこには桃色の少女の姿があった。

 

「ちょっとだけいい?」

 

「なに? 早くして欲しいんだけど」

 

 素っ気なく冷たい態度とっているにも関わらず少女は嫌な顔一つしていなかった。というよりは少女は自分のことでいっぱいのように見えた。

 

 少し俯いていた桃色の髪の少女が真っすぐ上坂を見る。顔が紅潮し呼吸も早く今にも倒れてしまいそうだった。

 桃色の髪の少女は胸に手を当て深呼吸を入れ乾いた唇を開いた。

 

「わたし、澪のこと……」

 

「ごめん、俺子供に興味ないんだよ。もっと年上のお姉さんがタイプなんだ」

 

 少年は少女の思いをあざ笑うように断ち切った。

 これから先この選択を後悔するとは知らずに、

 

 少女も振られることは初めから分かっていただろう。ただ思い残すことがないようにと思いを伝えた。

 しかし少年の態度が最悪だった。正面から勇気を振り絞った言葉を少年は適当で無神経な言葉でよけた。

 その言葉で少女がどれだけ傷ついたのかも知らずに。

 否、少年は分かっていた。分かっていて尚傷つけた。

 この行為は人として最悪の行為だ。だけど彼には彼なりの考えがあった。

 例えば、いい返事をしたとする。しかし結果は遠距離、小学生の二人が会う機会なんてほとんどない。だったら未練がなくなるように嫌われればいい上坂はそう考えた。

 子供っぽさが抜けていると思われていてもやはり小学生、青臭い考えは残っていた。それが不幸かこのようなことが生まれた。

 

 パーンッ、と風船が割れたような乾いた音と共に頬に刺すような痛みが走った。

 上坂が赤く熱の帯びた頬を触ると、腕を振り抜いた桃色の髪の少女がぼろぼろと涙を流しながら利き手を抑えていた。

 その姿を澪は痛々しくて直視出来なかった。

 

 少女は良く泣く子共だった。嫌な事、悲しいことはもちろん嬉しいことがあっても泣いていた。

 だから少女が泣くことは最早日常の一部で見慣れていた。

 しかし今少女が見せる涙は今までのものとは違った。

 悲しいのとは違う怒りの涙だ。迫力に欠ける怒った顔は少女が普段から怒りなれていないことが容易に想像できた。

 

 桃色の髪の少女は慣れない目つきで少年を睨む。

 思いを踏みにじられた事、否、きっと少女はこう思った、

 

 どうしてうそをつくの、と

 

 その後、気持ちを抑えることが出来なくなった桃色の髪の少女は上坂の元を去った。

 

 上坂は改めて赤くなった頬を触る。ぼやけていた痛みが鋭くなった。しかしそんなものは胸の痛みと比べればたいしたことはなかった。

 

 こうして上坂澪は胸にしこりを残したまま街を去った。

 

 

 

 

 

「またあの夢か……」

 

 上坂はゆっくりとベッドから体を起こす。

 

 引っ越した当初はよく見ていた夢だが、近ごろまた見るようになった。

 上坂は再び生まれた街に帰ってきた。

 帰ってきたことはいいがどうしても昔を思い出してしまう。

 

 上坂は帰って来て一週間経つがあの時の桃色の髪の少女はおろか他の幼馴染にすら会っていない。

 

 上坂はゆっくりとベッドから体を起こし伸びをする。

 静かな朝だった。

 スマホのアラームより早く起きて気分がいいはずなのに夢の所為か表情は沈んでいた。

 上坂はまだ覚め切っていない瞼をこすりながらカーテンを開けると制服を着た学生が何人か見えた。

 

「空は快晴、今日は入学式日和だな」

 

 六年が立ち上坂は高校生になった。

 空は雲一つない快晴で真っすぐ入り込んだ光が部屋を明るくした。

 一見飾り気のないような部屋だが壁は防音壁で作られ二〇畳はある部屋の中央にはドラムが鎮座していた。

 

 上坂は学校の制服である学ランに着替え朝食を取るために階段を下りリビングに向かう。

 

 朝食はここ一週間同じで焼いていない食パンにペットボトルのインスタントコーヒー。

 手抜きな朝食にも理由はある。一つは上坂が一人暮らしだと言う事。上坂家の家族構成は長男の澪の他に父と弟がいる。しかし弟が中学三年生と受験生の為、帰ってくるのが来年で父親も弟につき帰って来るのは来年だ。つまり上坂は一年間自由を謳歌できるということだ。

 二つ目理由は上坂が料理をできないという事。料理は出来のいい弟が担当しており上坂は食器を用意するぐらいしかしなかった。上坂はピアノをしていた事の名残か、手を守る傾向があった。その為料理だけでなく裁縫や木工、球技が極端にできない。

 そういう理由もあって上坂の食事は殆どパンか外食だった。

 

 朝食を終え身支度をすました上坂は、玄関に向かうが一つの部屋の前で足を止める。

 帰ってきてから一度も開けていない、開かずの間となってしまった亡くなった母親との思い出の部屋。

 中にはピアノが置いてあり、上坂はこの部屋でピアノを覚え沢山の時間を過ごした。

 上坂はドアノブを握ろうとするが指が鉄でできたみたいにピクリとも動かない。

 

「行ってきます」

 

 部屋を開ける事を諦めた上坂は、誰もいない部屋に言葉を投げ家を出た。

 



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1話 『入学式』

 上坂澪(かみさかれい)は六年前毎日のように歩いた道を進み今日から三年間を過ごす高校へと向かった。

 

「変わったな」

 

 実際は街の風景はほとんど変わっていはいない。しかし六年間で伸びた身長分大きく見えた街が小さく感じた。

 身長が伸びたと言っても成長期が早かったため虚しくも身長は一六〇で止り、男子にしては低めの身長は上坂にとってコンプレックスだった。

 

 戻ってきて一週間、上坂はまるで初めての場所を歩くような高揚感があった。

 外に出たのは商店街にあるパン屋に二回程度と、春休みにしていた短期バイトだけだ。それに外に出たといっても短期バイトは好待遇送り迎えと食事付き。しかしその実態は上坂を逃がさないための処置だった。そんな昼、晩と食事がついている労働時間が異常でその上休みが無いと言うとんでもない職場だったが給料がかなりいいバイトだったため高校生の身ではありながら欲しいものはある程度簡単に手に入るだけのお金は持っていた。

 そいう殊勝なバイト事情があったため上坂は街に帰ってからパン屋にしか行けていない。

 

 だから商店街の道とは違う高校への通学路は上坂にとって新鮮でしかなかった。

 

 桜が咲き誇りひらひらと花びらが宙を舞い、上坂の色素の薄い黒髪が揺れ、舗装されたアスファルトの上を歩いていたその足は突然止まった。

 周りに赤信号はなく足を止める必要なんてものはなかったが自然と足は止まった。

 

 目の前に広がる大きな建物、上坂がこれから三年間過ごす場所。

 

 高校の名前は花咲川高校、数年前まで女子高だったが生徒数の減少と近辺に共学もとい男子校がなかったのが原因だ。共学になって歴史も浅く男女の比率は、女子が八割、男子が二割。もう一つ近くに進学校の女子高があったがその学校も同じ年に共学になった。

 

 校門前には“入学おめでとう”と書かれた看板が立てかけられている一歩踏み出して門をくぐれば中学生から高校生へと変わる。

 

 上坂は門をくぐる。この瞬間上坂は本当の意味で義務教育を卒業した。

 

 たくさんの人だかりの中から白い看板が頭をのぞかせていた。

 上坂は人込みを縫いたどり着いた看板の中から名前を探す。

 

 別れた幼馴染も同じように今年から高校生だ。同じ高校なら探せば見つかるかもしれない。

 だけどいたとしてなんて声を掛ければいいか分からない。それもそのはず、六年も音信不通で今更平然と笑って姿を現すなんてこと普通はできない。

 張り出されたクラス表を指で追ったが幼馴染の名前はなかった。どうやら隣の学校らしい。

 上坂は胸が軽くなるのを感じた。

 

(最低だよな……)

 

 上坂は口の中で呟いた。

 

 

 

 沈んだ気持ちを切り替え向かった先は1-Aの教室。これから上坂が一年間過ごす場所だ。

 教室の中は流石は元女子高だった。周りを見渡せば女子ばかりで男子なんてものは両手で数え切れるぐらいにしかいなかった。

 大半が女子であるにも理由がある。花咲川高校は中間一貫校であり、下の花咲川中学はいまだに女子高。つまり男子生徒は全員が外部入学である。

 そんな狭き門を潜り抜けた上坂は教室に入る。窓際の一番後ろという一等地である自分の席を目指して。

 上坂は席に座り、最近新しくなったにもかかわらず昭和のレトロ感あふれる学校指定の鞄をかける。

 

 上坂は頬杖をつき教室をぼんやりと見渡す。

 

(思ったより男が多いな)

 

 共学になったばかりにも関わらず片手では数え切れなかった。

 

「こんなにたくさん女子がいるのに隣男かよ」

 

「あ?」

 

 舌打ちと共に聞こえた低い声に顔を上げると金髪ツーブロックの身長一八〇センチ越えのモデル体型のイケメンだった。

 イケメンは上坂を見るやがっかりした表情を浮かべるが睨みつければ簡単に委縮した。

 

「悪かったって、でもえ~っと……名前は?」

 

「上坂」

 

「上坂か……俺は四季春夏(しきはるか)。上坂だって隣が俺なんかより女の子の方が良かっただろ?」

 

「別に」

 

 嘘ではない、上坂にとっては隣の席はおろか学校すら街の中ならどこでも良かった。

 

「この学校に来てる限りそんなことないだろ?」

 

「そんなことあるんだよ。というかお前、俺なんかにかまってていいのかよ」

 

 首を動かし後ろを向くように促すと四季は固まった。

 クラスの女子の視線が四季に注がれていた。

 

「どうやら俺は早速女の子のハートを掴んじまったみたいだぜ」

 

「よかったな、女の子の方から来てくれて、行って来いよ」

 

「もちろんそのつもりだぜ。……でも上坂が寂しいていうならいてやってもいいんだぜ」

 

「別にいらねえから行ってこいよ。女の子と話したかったんだろ?」

 

 四季は女の子の群れの中に行った。しかしその背中から活力が感じられずチラチラと不安そうに振り向く姿は出荷される子牛のようだった。

 

 

 

 入学式は体育館で行われた。

 流れ自体は中学校と変わらない。校長の長い話、生徒会長挨拶、そして生徒代表。

 シンプルだからこそトラブルなんて起きない、誰もがそう思った。しかし突然周りがざわめき始めた。話を右から左に聞き流していた上坂には何が起きたのか分からない。

 そして騒ぎは、教師による閉会の一言で終結した。

 

 

 

 トラブルのあった入学式を終え教室に戻り席に着くとスーツ姿のそこそこ若い女性が入ってきた。担任だ。

 やはり元女子高、教師も女性が多いらしい。

 担任が入ってきたことに気づいた生徒は次々と席に着き、全員が座り終えたことを確認した担任は次のイベントに移った。

 

 自己紹介。

 多くの生徒はエスカレーター式で高校に上がり互いの事を知っているが、上坂のような一般入試組は初顔しかないため初めが肝心だ。

 

 自己紹介はトラブルなく順調に進み上坂の順番まで直ぐに回り視線は上坂に向く。

 

上坂澪(かみさかれい)です。趣味はドラムです。よろしくお願いします」

 

 面白みのない自己紹介を終わらせ席に着く。

 クラスメートは少し物足りないような顔をするが上坂には関係がない。街を離れて六年間上坂はこうして生きてきた。街に戻って来たからと言って変えるつもりなんてない。

 

 目立つこともなければクラスメートの心をつかんだわけでもないそれなのに視線を感じた。隣の席の四季が目を輝かして上坂を見ていた。

 どこに彼の気を引くものがあったのか上坂には分からない。

 

 順番は周り隣の四季の番になった。

 

「ふっ、ようやく俺の番か」

 

 四季が席から立ちあがると女子から歓声が沸いた。

 

「名前は四季春夏、趣味はギターとベース」

 

 聞きたーい、と女子からコールがかかる。

 

「いいぜ、聞かせてやるよ。だけど惚れんじゃねーぞ」

 

 四季は勢いよく席に座り教室は黄色い歓声に包まれる。だが騒ぎの原因である四季は垂直に座り顔を真っ赤にして机に伏せ悶えてた。

 

(恥ずかしいなら言わなきゃいいのに)

 

 四季を憐れんでいると一人の少女の自己紹介が始まった。

 

戸山香澄(とやまかすみ)十五歳」

 

 元気のいい少女だった。

 しかしどういうことか茶色い髪をスプレーか何かで猫耳のような形に固めており、それだけでも十分戸山という人物の異常さを知ることが出来るが本番はここから先だった。

 

「私がこの学校に来たのは楽しそうだったからです。中学は地元の学校だったですけど、妹がここに通ってて、文化祭に来てみたら、みんな楽しそうでキラキラしててここしかないって決めました! だから今、すっごくドキドキしてます!」

 

 話したいことがたくさんあるのか戸山は興奮し早口だった。

 

「私、小さい頃『星の鼓動』を聞いたことがあって。キラキラ、ドキドキってそういうものを見つけたいです。キラキラドキドキしたいです!」

 

 戸山は話し切って満足したのか席に座った。

 

 上坂は戸山にだけは関わらないと誓った。上坂は目立たず平和に学校生活を送りたい、しかし四季や戸山のような個性の塊のような人物といれば楽しいかもしれないが苦労が絶えない。そんなものは上坂が望む学生生活ではない。しかし残念ながら四季とは隣の席関わることは最早回避不可能に近い。だからせめて戸山だけは関わらないようと思った。

 

 

 

 自己紹介の時間は終わり担任が教室を抜けた。

 

「なあ上坂……名前の澪でいいか?」

 

「別にどっちでもいいよ」

 

「なあ澪、お前ドラムやってんだろ? このクラス他にも楽器できる奴いるみてえだし、人数集めてさ、俺達でバンド組もうぜ」

 

 四季が自己紹介中に目を輝かせていたのは自分と同じ音楽を趣味とする上坂に親近感を覚えたからだ。

 

「却下、俺はお前と違って目立ちたくねえんだよ」

 

「そんなこと言わずに頼むよ。バンドはあれだ、女子にもてるぜ」

 

「興味ない」

 

 そんな浮ついた気持ち、上坂は当の昔に捨てた。

 

「同じクラスだったんだね」

 

 顔を上げれば栗色のポニーテールが似合う女子がいた。

 

山吹(やまぶき)さんだっけ?」

 

 どこかで見おぼえのある顔だった。

 

「名前覚えてくれたんだ。改めて自己紹介するけど私、山吹沙綾(やまぶきさあや)。さーやでいいよ。最近うちのパン屋来てくれてるよね、同い年だったんだ。今日からよろしく」

 

 山吹の家は上坂が帰ってきてから唯一行ったパン屋の娘で家の手伝いをしており、上坂とは面識があった。

 しかし上坂はそんな面識のある少女よりも彼女の後ろにいる少女に目が行った。

 

「私、戸山香澄。私も香澄でいいよ。よろしくね」

 

 関わるつもりのなかった戸山と早速関わってしまった。

 

 上坂の平穏は高校初日にいきなり潰れた。

 



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2話 『昼休み』

三回目の投稿にして早くもタイトル付けに苦戦中


 高校生活も五月に入り学校生活にも慣れてきた。

 

 上坂は昼を告げる鐘と共に鞄から食パンとジャムを取り出した。

 

「お前弁当に食パンって正気じゃねえぜ」

 

「仕方ないだろ、これしかねえんだから」

 

 四季に文句を言いながら上坂はパンにジャムを塗る。

 確かに購買や食堂という選択肢はもちろんあるが、パンは消費期限が非常に短く一人暮らしの上坂は弁当として持ってこないと腐らせてしまうと言うのが理由なのだが、冷凍すれば問題は解決する。とは言っても上坂がパンを解凍をトースターを使ったところで炭を量産するだけだ。

 

「そんなわけあるか、あったらおかしいぞ。お前んちの冷蔵庫の中どうなってんだ」

 

「どうもこうもねえよ、うちの冷蔵庫飲み物とジャムぐらいしか入ってないし」

 

 やや大げさ気味に突っ込むのは最近昼を共にするようになった相沢綾人(あいざわあやと)。赤色のマッシュヘアーに身長一八〇近くある少年で、相沢と昼を共にすることになったのも彼もまた楽器をたしなんでおり、バンドを組むことを諦めていなかった四季に連れてこられ今に至る。

 

 基本的に昼食は殆ど三人で過ごしている。

 

「あのさ澪、お前が一人暮らしなのは知ってっけど、冷蔵庫の中身ぐらい揃えとけよ」

 

「中身が揃ってても料理できないし」

 

「今どき料理できない男子はモテないぞ」

 

「別にモテたいなんて思ってないし」

 

「けっ、イケメンは余裕だな」

 

 相沢は唾棄するように吐き捨てるが、上坂は冷めた目で相沢を見る。

 上坂は確かに見た目は整っているが、精々中の上程度。それは相沢も同じことだ。

 

「なんだよその顔」

 

「別に……」

 

 二人はそろって中性的な顔立ち、髪や声が違うだけで大まかな顔のつくりは似ていた。

 つまり上坂をイケメンと言う事は、自分もそうだ、と言っているようにしか聞こえなかった。

 

「そんなことよりさ、今度の休みCiRCLE 行こうぜ。こうやって昼一緒に食ってるけど俺達遊びにいった事ないだろ。だから行こうぜ」

 

 二人の話を退屈そうに聞いていた上の上の顔の持ち主四季が遊びに誘うが相沢が怪訝そうな表情をする。

 

「そんなことって、あー、あー、いいよな本当のイケメンは余裕で。知ってんだぞ、お前が既に何人にも告られてるって事をよぉ」

 

「でもここにいるってことは……」

 

「あー、こいつ全部振ってんだよ、マジ信じらんねー。俺なら即オーケーしてこんな野郎ばかりのとこからおさらばすんのに」

 

 顔面偏差値の高い三人(四季が一人で底上げ)が一緒に昼食を食べる姿は一部の女子から目の保養と言われてはいるが、やはり告白されているのは四季一人だ。そしてそんなモテ男は高校生になって早一カ月、既に片手では数え切れない数の女の子から告白を受けている。しかし誰一人として付き合っていない。

 

「悪いなもともとの素質が違うんだよ。それに俺は誰とも付き合わねえよ、だって俺が誰かのものになっちまったら世界中の女の子が泣いちまうだろ」

 

 髪を掻き揚げ自信たっぷりな表情をする四季を二人は無言で見つめる。

 

「おいっ、テメーら黙ってないでなんか言えよ! 言ってくれなきゃ俺が恥ずかしいだろ」

 

 真っ赤にして訴える四季に二人は顔を見合い相沢は頷き、上坂は嘲笑に近い表情をする。

 

「もう十分恥ずかしいし、聞いてるこっちも恥ずいわ」

 

 言葉のナイフがぐっさり刺さった四季は泣きそうな顔で上坂を見る。

 

「四季が女の子を振るのって女の子とうまく話せないからだろ?」

 

 四季の顔は百人に聞いたら百人がカッコイイと言うぐらい容姿が優れている。もちろん入学当初は休み時間になればかなりの数の女の子が四季の席を囲っていた。だが会話がうまくできず息苦しい環境が続いた四季は休み時間になった途端上坂に話しかけることで女の子に囲まれる事態を回避した。

 つまり四季は自ら男子とつるむことで身を守った。

 

「う、うるせー! 澪、お前は綾人以上に言ってはならねえ事を言っちまったぜ。見てろよ、女子相手でもちゃんと喋れるところを見せてやるぜ!」

 

 四季は勢いよく立ち上がり四、五人程度女子のグループに混ざりに行った。途中なんどか振り返り始めて保育園に行く子供のような視線を向けるが引き留めてりしなかった。

 

「澪、おまえ以外に容赦ないのな。俺でも言えねえよ」

 

 テンパり、たじたじになりながら女の子と話す四季を遠目で見ながら相沢が呟く。

 

「ん? 何がだよ」

 

「天然かよ、(たち)悪いな」

 

 そこまで言われると上坂も言葉の意味に気づき眉間にしわが寄る。

 

「だったら助けに行くか?」

 

 こうして話している間も遠くで四季がヘルプのサインを出している。

 

「んっや行かね、だって見てる方が面白いし」

 

「いやいや助けてあげなよ」

 

 突如割り込んできた声に顔を上げると栗色の髪のポニテ少女山吹と猫耳娘の戸山がいた。

 山吹は戸山に四季を連れ戻すようお願いすると、両手を腰に当て現在進行形でお昼な二人を見下ろす。

 

「上坂も相沢も友達なんじゃないの? どうして四季が困っているのに助けてあげないの?」

 

 優しいがどこか歯向かえないそんな不思議な強さが山吹にはあった。

 

「俺と澪はあれだ、女子と話せない春夏のためを思ってだな……」

 

「嘘、楽しんでたでしょ」

 

 じっと見る山吹に我慢できなくなった相沢はビシッ、と真っすぐ上坂を指さす。

 

「……つかなんで俺ばっか責められんだよ。もともとは澪だっていうのによぉ」

 

「えっ、上坂なの? 私はてっきり相沢かと……」

 

「ちっくっしょぉぉぉ──ー」

 

 信用されておらず濡れ衣を被らされた相沢は女の子からの低い評価を目の当たりにして投げやりに叫んだ。

 

 相沢が叫び終わると四季が戸山に手を引かれ戻って来た。

 上坂は絶句した。目の端では叫び興奮状態だった相沢も同じように絶句していた。

 入学式ではやばさを全開に出していた戸山が包容力のある母にしか見えなかった。

 

「おまえらどうして助けてくれね~んだよ。俺達友達だろ?」

 

 お母さん(戸山)に腕を引かれた四季は目に涙を浮かべ迷子の少年のようだった。

 

「友達だからこそあえて見守ってだな……」

 

 調子のいいことを言った相沢はギロッと山吹に睨まれる。

 

「と言うか遊びに行く話はどうなったんだ?」

 

「澪くん達遊びに行くの!」

 

 上坂が尋ねると四季の目に光が戻り同時の戸山が机を叩き身を乗り出す。

 

「そうそうそうだったぜ、なあ今度CiRCLE行こうぜ。やっぱ将来バンドを組むんだったらさ、生のライブは見とかねえとな」

 

「バンド組む予定もねえし、CiRCLEに行く予定もねえ」

 

 爛々と目を輝かせる四季だったが、相沢がバッサリと切り捨てる。

 

「綾人、それはちょっと冷たすぎない?」

 

「バンドはめんどくせえし、それに何が嬉しくてバイト以外であそこに行かなきゃなんねえんだよ」

 

「へぇ綾人、CiRCLEでバイトしてるんだ」

 

「まあな、楽器ってバカみてえに金かかるし、そんで折角だから自分のプラスになるCiRCLEでバイトするって決めたわけだ」

 

「そういえば綾人ってギターとベースやってたよね」

 

「まあな、それに最近は俺の眠れる才能を信じてキーボードとドラムにも手をつけようと思ってるんだけどな」

 

「それはまたずいぶんとお金がかかる話だね」

 

 相沢と山吹の会話がひと段落つくとタイミングを伺っていたように戸山が山吹のセーラーの裾を引く。

 

「さーや、CiRCLEって何?」

 

「あー、香澄は知らないか。CiRCLEってのはライブハウスのこと」

 

 戸山の髪でできた耳がセンサーのようにピクリと動いた。

 

「ライブハウス! 面白そう。さーや今度一緒に行こうよ!」

 

「わ……私はうちの手伝いがあるからいいかな」

 

 山吹は視線を外し何かから逃げるように答えた。

 

「それで、結局そのCiRCLEってライブハウスには行かないってことでいいんだな?」

 

「行かなくていい、つか来るな!」

 

 上坂の問いに相沢が四季に話させないように間髪入れずに答える。

 

「そんなこと言わずに澪、綾人行こうぜCiRCLE!」

 

 二人の腕を掴み必死に食らいつく四季に相沢は怪訝な目で見る。

 

「今日のお前いつも以上に食らいつくじゃねえか」

 

「そりゃあ俺は澪と綾人とバンドを組みたいと思ってるからな。だから生のライブを見てもらってバンドの素晴らしさをだな……」

 

 四季の顔から子供のような無邪気さが消え、苦しそうに汗まで流していた。

 

「噓つけ」

 

「な、何が嘘なんだよ! お、俺は生まれてこの方嘘なんかついたことがないんだぜ?」

 

「疑問符ついてる時点で自信ねえじゃねえか。それに俺はお前がCiRCLEにこだわる理由を知ってんだよ」

 

「そのCiRCLEってライブハウスは他のところと何が違うんだ?」

 

 完全に傍観者に徹していた上坂が悪い顔をする相沢に聞く。

 

「別に他のライブハウスと変わんねえよ……ただ……」

 

「ただ?」

 

 相沢が四季を見ると上坂もつられる。

 

「最近うちに出入りするようになったガールズバンドが美少女そろいでな」

 

「べ、別にいいだろ! それに男だったら誰だって興味持つだろ!?」

 

 男のつかみ合いもといじゃれあいという大変見るに堪えない光景を上坂はぼんやりと眺めながら相槌を鳴らす。

 

「つまり相沢はその中に好きなやつがいるから四季を合わせたくないんだな」

 

 上坂が冗談で言ったという真偽は分からないが、この一言をきっかけに相沢の握っていた拳の向きが変わった。

 

 

 

 上坂は靴を履き替え学校を出る。

 放課後になりそれぞれが部活動の見学やバイトに行く。

 結論から言うと、遊びに行く話はなくなった。むしろ友情自体がなくなりかける事態にまでなった。理由は誰一人彼女がいないのに女の話だというのだから笑える。

 

 (山吹も戸山も止めてくれればいいのに……)

 

 山吹は手に負えないとすぐに諦め、戸山はひたすらおろおろしていた。男の殴り合いを止めろと言うのが無茶な話ではあるのだが、それでも声一つかけてくれれば止まっていたかもしれない。おかげで上坂は一方的に殴られた。

 

 上坂は頬にできた青あざを押える。

 無神経な一言によって生まれた不名誉な傷だ。その青あざを触り思い出す。直接的な原因を作った女のことではない、話の根本、ライブハウスの話だ。

 上坂のいない六年の間に知らないライブハウスが出来ていた。

 

(ライブハウスか……)

 

 上坂は物思いに更けながら誰もいない家へと帰った。

 



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3話 『男共の日常』

すみませんタイトル通りです。


 月曜日。上坂は重たい頭で学校に向かう。朝が苦手なわけでも特異なわけでもなければ、学校が嫌いでも好きでもない。ただ月曜日という日が気持ちを憂鬱にさせる。

 そんな重たい足を前に進め上坂澪は今日も学校に向かう。

 

 ジャーン

 

 最後の角を曲がろうとしたところ眠気を覚ます激しい音が聞こえた。

 慌てて角を曲がると見知った顔があった。茶色の髪をヘアスプレーで猫の耳のように固めた少女、戸山香澄だ。

 

 戸山は何やら校門前で見るからに真面目そうな人ともめていた。

 理由は言うまでもなく戸山が腕に抱いてる赤い星の形をしたギターだ。

 

「はい。これは没収します」

 

「えー、ギターダメなんですか!」

 

 無慈悲に取り上げられるギターに戸山は抵抗する。

 そもそも花咲川高校は別にギターを持ってきてはいけないなんてルールはない。こうして戸山が抵抗している間もギターケースを背負った生徒が登校している。

 しかし戸山だけが止められていた。

 

「弾きながらとかありえないから。放課後、生徒会室に取りに来てね」

 

「うう、そんな~」

 

 ギターを取り上げられた戸山の背中からは哀愁が漂っていた。きっと今日一日、正確には放課後ギターを取り戻すまでは元気を取り戻すことはないだろう。

 

 今日一日教室が少し静かになるな、と考えていると一人の警戒心のない少女が爆心地(戸山の元)へと足を踏み込んでいた。

 

「……あ、香澄ちゃん」

 

 声をかけたのは上坂と戸山のクラスメートの牛込りみ。

 黒髪ふんわりとしたボブヘアーの女の子で性格は内気と戸山とは真逆のタイプの少女だ。

 

「りみり~ん! ギター、取られっちゃったよ~!」

 

 戸山は人の目も気にせず牛込に抱き着き泣きついていた。

 牛込は困った顔で辺りを見渡していたが、誰も彼女を助けることもなく、かという上坂も面倒ごとを避けるために黙って校舎に入った。

 

(戸山、楽器始めたんだ)

 

 

 

 教室は静かだった。騒がしい戸山が外で捕まってはいても1-Aにはうるさいのが後二人いる。

 

「四季、なにがあったんだ?」

 

「俺にも分かんねえよ、俺が来た時からこいつこんなんだったぜ」

 

 二人が視線を下した先には机の上で伏せて大きなため息だけが漏れる相沢の姿があった。

 

「ほんと人って二日やそこらで変わるもんだな」

 

「澪、ほかに何かあったのか?」

 

「さっき戸山が生徒会にギターを取られてた」

 

「ふ~ン……いやちょっと待て! 戸山が! ギターを! 取られた? どっから聞いたらいいかもう分かんねえぜ」

 

「俺も見ただけだから詳しくは分かんないけど」

 

 話が終わると知らない間に相沢の頭が机から離れていた。相沢は二人を見ては小ばかにするように笑い再び顔を伏せた。

 

「おい綾人、てめえふざけんなよ。人を悩みのないバカみたいに見やがって」

 

「春夏やめろ! 揺らすなー! 吐く、吐くって! 」

 

 四季によって肩を激しく揺さぶられた相沢は顔面蒼白で本当に具合が悪そうだった。

 

「それでなにがあったんだ? いつもうるさい相沢がおとなしいって珍しいな」

 

「うるさいは余計だっつうの」

 

 相沢は口をつぐんでいたが柔道の組手みたいな構えをとる四季に大きなため息を吐いて降参した。

 

「お前ら俺がCiRCLEでバイトしてるの知ってるだろ?」

 

「先週の金曜にそんなこと言ってたな」

 

「そう、その金曜日。はぁ~ほんと何のフラグなんだよ……」

 

 頭を抱える姿に上坂と四季は少し心配になる。

 元気しか取り柄のない相沢が頭を抱えるほど参っている状況は1-Aでは異常だった。

 そんな相沢の心身をすり減らすものとはいったい、

 

「先週の金曜日、俺はいつも通りバイトに行ったんだよ」

 

 相沢が唐突に語り始めた。もともと上坂達が話を振ったが、自分から話すあたりストレスの元凶を吐き出したかったのだろう。

 

「そしたら職場の先輩が、スタジオを借りに来た女の子と話していて……」

 

「「それで?」」

 

「先輩が俺に指さして言ったんだよ『もっとうまくなりたいの? だったらあそこにいる綾人くんを貸してあげる。あの子あんな冴えない見た目だけどなかなかのレベルだから。大丈夫、実力に関しては私が保証してあげる』って」

 

 相沢の口振りではなく微妙に上手い(本人を知らない)声まねでその先輩と言う人が女性だと言うことは分かった。

 

「でもよかったんじゃない、女の子とお近づきになれて」

 

 冴えない見た目のところを突っ込まないのは、上坂のささやかな優しさだ。

 

「まあ聞け、話はそれで終わりじゃないんだよ」

 

「早く頼むよ、俺もいつまで四季を抑えるか分からないから」

 

 女の子とお近づきになったことを聞いた四季は必死に耐えてはいるが、いつまでもつか分からないので保険として上坂が抑えている。二人(主に四季)の姿に相沢は軽く引きながら、ああ、と答え続きを放す。

 

「それでまあ、その子の練習を見ることになったんだけど、ちょうどそのタイミングで別のバンドの子が入ってきてさー、後は同じ、そんなこともあって土日が潰れたってわけ」

 

「それは、その……大変だったな」

 

「ほんともう大変ってもんじゃねえよ。やばいからな」 

 

「一つ聞いていいか?」

 

 上坂と相沢はギョッと目を見開いた。ついさっきまで怒りを必死に抑え込んでいた四季が爽やかな笑顔を向けていた。

 

「その後から入って来たバンドの子ってどんな子?」

 

「…………」

 

 相沢は黙る。無言も十分答えになるんだ、と上坂は思う。

 そもそも何となく予想はついていた。普通男に『子』なんてものつけるだろうか、もし入って来たのが男だったら相沢はきっとこう答えた。『別のバンドの()が入って来た』と、

 

 相沢は喉をごくりと鳴らす。この時相沢だけでなく上坂でさえ思った。

 

 死んだ(な)……

 

「てめえふざけんな! 何へこんでんだよ、ハーレムじゃねえか! 俺が一人寂しい休日を送っている間にハーレムですか? いいご身分だぜ。何人だ! 何人に教えるんだ!?」

 

「うっせえ、一〇人だよ一〇人! ハハッ、ハーレム? 俺も初めはそう思ったよ、全員かわいいし役得だってなあ!」

 

「こいつ開き直りやがったぜ」

 

「だけどあいつらクセがすげえんだよ。おかげでこっちはへとへとなんだよお!」

 

 争う二人に注がれる視線が痛々しく、無関係な上坂は離れようとしたが息ぴったりな二人に両手を掴まれる。

 

「おいおい何離れようとしてんだ?」

 

「一人だけ他人を決め込むなよ。俺たちは三人でひとりだろ?」

 

 二人は上崎の腕を掴んで離さないまま器用に片手でつかみ合う。

 上坂は隙を見ては、何度か腕を引っ張るが細腕の上坂の力では抜け出すことが出来なかった。

 

「だったら半分俺がもらってやるぜ!」

 

「教える辛さが分かんねえ奴が偉そうなこと言ってんじゃねえ!」

 

「そんなこと言って俺にハーレムを奪われるのが怖いんだろ? まあ、綾人が怖がるのも無理ないぜ。なんせ俺の魅力は学校なんて小さな箱には収まりきらないんだからな」

 

「言ってろ、ろくに女子と喋れねえ奴が偉そうに」

 

「うるせえ! 俺が話せねえのはそうだな……共通の話題がないからだ。バンドっていう共通点があったら話せんだよ!」

 

「お前はバンド組んでねえだろ! ……まあいい、そこまで言うんだったら紹介してやるよ! 精々テンパらねえことだな!」

 

「うおっしゃあああぁぁぁ──ー!!」

 

 四季は握っていた拳を天高く上げ勝利の雄叫びを上げる。

 

「…………」

 

 相沢が無言で上坂を見つめる。その泳ぎに泳いだ瞳は何か言いたいことがあるのだろうが、ちっぽけなプライドが邪魔をする。

 

「俺が下手なことをしないか見といてやるよ」

 

「すまん」

 

 相沢は頭を下げると掴んでいた腕も自然と離した。

 相沢の心配は四季に女の子を奪われることではない、嬉しさのあまり小躍りまでするバカを紹介して相沢綾人という人間の品位を落としたくないからだろう。

 

「それで綾人、いつ紹介してくれんだ? 紹介してもらう身であれだけど早く頼むぜ」

 

「じゃ、今週の土曜日SPACEな、別に無理だったら無理して……」

 

「分かった。あー楽しみだぜ、服買って、美容院行って……やべっ、時間がねえよ」

 

 一人遠足前夜のような異様なテンションに上坂は弱音をこぼした。

 

「約束してあれだけど見張れるか不安になって来た」

 

「澪、不安になるなよ。頼むぞマジで」

 

 上坂と相沢は大きなため息を吐いた。

 

 上坂はガールズバンドの聖地と呼ばれるSPACEに四季の保護者として同伴することを約束した。

 今は騒いでいても、いざ女の子を目の前にすると四季も静かになるだろう。そうでも思わないと約束の日、上坂は家から出れそうにない。



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4話 『SPEACE』

 土曜日、相沢と四季とSPACEに行く日になった。

 

 SPACEはライブハウスの名前で、ガールズバンドの聖地と呼ばれている。

 

 目的のライブは十六時から、それまでの上坂と言えば朝起きてトーストをかじり、それから軽く歯を磨いたり着替えたりしてから街の中でも有数な広さを誇る家の掃除を一人で行った。たった一つ思い出のピアノの部屋を除いて。

 そしてあらかた家の掃除を終えた上坂は約束の時間までの間、虚無の時間をソファーの上で過ごした。テレビをつければ今年初の台風1号が上陸したとの報道があったが、上坂には関係がない話だ。

 別に上坂としてはライブが始まる以前から集まり遊びに行ってもよかった。しかしテンションが絶頂な四季を相手にする時間は極力減らしたいという相沢の願いもありライブからの集まりとなった。他人にあまり関心のない上坂なのだが、実は相沢の方が冷たいのかもしれない。

 

 昼になり、朝のリンゴとは違う桃のジャムを塗ったトーストをかじった上坂は、約束の時間まで適当に時間をつぶしてから約束の広場に向かった。

 

 

 

「遅い!」

 

 約束の広場に着いた上坂を待っていたのは相沢からの不満の一言だった。

 約束の場所は大きな噴水がある広場で、タイルでできた中央広場を囲むように整えられた芝生が広がるなんともゆったりとした広場だった。

 

「そんなに遅かったか? まだ約束時間の一〇分も前だろ?」

 

 時計を見直してもやっぱり時計は約束時間の一〇前だった。それなのに相沢はまるで何時間も待たされていたような苛立ちを見せていた。

 

「確かにまだあんまり待ってねえがな、俺がどんな気持ちで待ってたか知らねえだろ!?」

 

 相沢の指さす方を見ると金髪の男が複数の女の子を囲っていた。四季だ。

 ちなみに、四季が女の子相手に話すことが出来ないのは学年内では最早常識とまでなっている。せいぜい四季が対等に話せるの女の子は話す回数が多い戸山と山吹ぐらいだ。

 だからこそ外に出ると四季がいかにイケメンなのかを痛感させられる。

 

 女の子を囲っていたのではなく囲まれていた四季は、上坂を見つけると助けを訴える表情を作る。とてもモテてる人のする表情ではない苦虫を嚙み潰したような顔だった。

 

「どうする?」

 

 上坂は狂犬のように唸る相沢を見る。

 

「無視だ無視! あんな奴おいていくぞ! それにあいつがいない方がこっちの負担も減るだろ?」

 

「それもそうだな」

 

 二人は四季に背中を向けて歩き出す。

 

「なぁ、SPACEってどこにあるんだ?」

 

「結構ここから近いぞ。この広場を来た道と反対に抜けて、四つ目の角を曲がったら見える」

 

「へぇ~」

 

 しっかり場所を把握している相沢に感心しているとなにやら必死な声が聞こえる。

 

「澪、綾人……嘘だろ? おいっ! 俺を置いていくなよ! 頼むから戻ってきてくれえぇ──!」

 

 四季の叫び声はピクニックに来ていた家族やベンチでいちゃついていたカップルの視線すべてを集めた。

 

 

 

 四季を女の子の群れから引っ張り出した上坂は、広場を抜けSPACEへと向かった。

 相沢が広場を抜け四つ目の角と丁寧に場所を教えてくれたが説明の必要なんてなかったのかもしれない。

 広場を抜けた道を真っすぐ歩いていたら嫌でも分かった。

 相沢の言う通り四つ目の角に差し掛かった時、目の端に行列が映った。

 

「澪、お前が遅いせいであんなに並んでるだろ」

 

 ライブハウスから伸びる行列は上坂達の近くまで並んでおり、少なくとも五〇人は並んでいる。

 

「結構並んでるな……なあ相沢、お前の知り合ってこんな人気あるのか?」

 

 最後尾に並んだ上坂は一息つく。

 

「んっや、確かにあいつら人気はあるけど、それは最近の話し、ここまでの人気はねえよ」

 

「じゃあどうして……」

 

「それはきっとグリグリが来てるからだと思うぜ」

 

 相沢が答えようとする間もなく目を輝かせた四季が答える。

 おとなしい上坂に対し四季は列に並んでからずっとそわそわしている。

 ライブハウスの開く時間まで後十五分もある。その間ずっとこの調子だと思うとうんざりする。

 

「それで、そのグリグリってなに?」

 

「澪、お前グリグリも知らねえのか?」

 

 四季は驚き、

 

「グリグリっていうのは略称で、正しくはGlitter*Greenって言ってうちの三年なんだぜ。演奏、歌がうまいのはもちろんなんたって全員……」

 

 流れるような言葉が突然ぴたりと止まり、上坂は首をかしげる。

 四季はゆらりと不気味に相沢の方を向く。

 

「なあ綾人、お前が教えてる人って……」

 

「そういやまだ聞いてなかったな、相沢が教えてる奴はどれなんだ?」

 

 上坂はSPACEのホームページの出演者リストを見せると下から三番目と四番目を指さした。

 

「このアフターグロウとロゼリアっていうのがそうか?」

 

「バカ! 声が大きいんだよ!」

 

 手のひらで口を塞がれた上坂は禍々しい殺気を感じた。

 

「へえ~、ふう~ん、ほ~ん、そうかそうか相沢はAfterglowとRoseliaを教えてるんだな?」

 

「べ、別にいいじゃねえか、紹介するんだしよお~」

 

「天誅!」

 

 ゴツッ、と鈍い音が上坂の耳に届いた。

 そんな視線を集める騒ぎにすっかり慣れた上坂が聞く。

 

「そういや話し戻すんだけどさ、今日三年生修学旅行だよな?」

 

「それがどうしたんだよ」

 

 四季に掴まれる相沢は必死に抵抗しながら返答する。

 

「いや、グリグリ間に合うのかなーって」

 

「大丈夫だろ……グリグリの演奏技術は高えからリハなくても問題なんてないだろ。まぁ俺だったら帰っていきなりライブとかしたくねえけどな」

 

 一撃で四季を沈めた相沢が何事もなかったかのように答えた。

 

 

 

 SPACE内装は聖地と呼ばれることから少しぼろくなっているのを想像していたが、そんな事はなかった。受付のカウンターにテーブルや椅子、よく見れば傷や綻びが見えるがそんなことはほとんど気にならないくらい清潔に保たれていた。

 

「上坂達もライブ見に来たんだ」

 

 声に料金表を見ていた顔が上がる。

 真っすぐな癖のない黒髪にすらりとした体型をした大和撫子と言う言葉がよく似合う少女だ。彼女は花園たえ。上坂の同級生でクラスメイトの少女。

 

「そうだけど、花園ってここでバイトしてたんだな。それでいくら?」

 

「そうだよ。料金高校生は六〇〇円」

 

 上坂達は財布からお金を出す。

 

「花園、さっき『も』って言ってたけど、俺達以外にクラスの奴来てるの?」

 

「うん、牛込さんと、後さっき戸山さんと隣のクラスの市ヶ谷さんが来てたよ」

 

「ふ~ん」

 

 上坂は性格が反対の牛込だけではなく、隣のクラスの人とも仲良くなれる戸山に感心しながら、迷惑にも出した万札のお釣りを受け取り財布にしまった。

 

 

 

 分厚い鉄の扉の向こうに広がっていたのは宇宙だった。

 外からの光をすべて遮断した空間は真っ暗のはずなのに我慢できず一足先につけられたサイリウムの光が赤や青、緑と様々な光が星のように輝いていた。

 なにも上坂はライブハウスに来るのは何も初めてではない、寧ろ何度も来ている。ただ立ち位置が違う。いつもはステージで、今日は観客席。

 上坂は中学時代に様々なバンドの助っ人に入った頃を思い出して不思議な気持ちになる。

 

「いやさ、俺ライブハウス初めてでさ、今すっげー興奮してんだぜ」

 

 四季は落ち着きがなく辺りを見渡しては視線を集めていた。

 それが、浮いているのか、イケメンなのかは分からない。

 

「春夏お前あんなにバンド組もうってしつこかったくせにライブハウス初めてかよ」

 

「別にいいだろ! ……一人で来るのが怖かったとか……そんなんじゃないからな!」

 

 顔を真っ赤にする四季に相沢は興味がなさそうに手をひらひらさせる。

 

「分かった、分かった。てっきり春夏のことだから女の子目当てで来てると思ってたわ」

 

「できれば俺ももっと早く来たかったぜ。でもよぉガールズバンドの聖地だぜ? 周りを見てみろよ、女の子ばっかじゃねえか! そんなところに俺が一人で行けるわけねえだろ!?」

 

 四季の言う通り周りを見れば女性が多い。てっきり四季の様な目の保養を目的とした野郎どもで溢れ返っていると思っていたがそうでもなかった。

 確かに男の頭の数は少なくはない。しかしそれ以上に女性が多かった。

 

「それじゃ、今からでも置いていくか」

 

「そうだな」

 

「ちょっ、綾人、それに澪まで!?」

 

 四季の掴んだ指はライブが始まるまで離れはしなかった。

 

 

 

 ライブが始まれば四季の指は自然と離れていた。人の心を釘付けにするぐらい彼女達の演奏は魅力的だった

 

「すごい……」

 

 上坂は思わず言葉を漏らす。

 彼女たちの演奏は上坂が以前住んでいた街の演奏レベルを超えていた。

 

「だろ? だけどあいつらはもっとすごいから、楽しみにしてな」

 

「ああ」

 

 頷きライブに視線を戻した。

 今回の目的は相沢が幸か不幸か世話をすることになったというAfterglowとRoseliaというバンドの演奏を見るということだ。順番はRoseliaが先でAfterglowが後だ。

 

「ガールズバンドの聖地って言っても普通に男のバンドもいるんだな」

 

 素朴な疑問だった。ライブは既に半分以上進んでおり、その中では何組もの男性バンドがステージに上っていた。

 

「当たり前だろ。ガールズバンドの聖地って言ってけど、別に男のバンドが禁止とは言ってねえからな」

 

「だったら俺達もいつかはあそこに上れるって訳だな」

 

「だからバンドは組まねえって」

 

 四季の鉄板のボケに相沢が素早くツッコム。

 

 時間が経つのは早い。それだけライブを楽しんでいたという事だろう。隣を見れば未だに相沢が鬱陶しそうに近づいてきた四季の顔を押し返していたが先頭を歩きステージに上がる少女を見た途端、二人の手の動きが止まりステージを見る。

 その二人が争いを止めるほどの強烈なオーラを見て確信した。

 パンフレットは既にズボンの後ろポケットに丸めて入れているため見えていないが、彼女達がRoseliaなんだろう。

 先頭の銀色の髪の女の子を先頭にRoseliaメンバーがステージに上がり演奏は始まった。

 

 彼女達の演奏は決して見掛け倒しなどではなかった。ギター、ベース、ドラム、キーボード、すべての音が綺麗に合わさり耳に届く。そしてなんと言っても圧倒的な歌唱力。

 上坂が見てきたバンドでもここまでのものは見たことがない。

 しかしそんな誰もが認めるであろう実力を持つRoseliaは、自分達の演奏を納得しているようには見えなかった。

 私達はもっと上に行ける、そういう思いを感じた。

 

 そんな凄いバンド相手に相沢は指導をしている。上坂は相沢が楽器を弾いているところを見たことがない。しかし目の前でレベルの高い演奏を見せているRoseliaの技術指導をしている事実を知ると、いったいどれぐらいの実力があるのかと純粋に興味がわく。

 

 演奏は終わった。圧倒的な演出に魅了され上坂は最後まで気づかなかった。

 

「あこ……?」

 

 知っている顔があった。

 それは紫色の髪のツインテールでドラムを叩いていた少女だった。

 

「澪ってあこの事知ってたんだな」

 

「昔の幼馴染だよ……まぁ……戻ってきてから会ってないんだけどな」

 

 上坂は俯き小さく呟いた。

 正確には幼馴染の妹、六年前に別れた赤髪の少女の妹だ。

 

「ふ~ん、あこの幼馴染と言う事はあいつらの幼馴染と言う事か」

 

 相沢はにやにやと嫌な笑みを浮かべて言った。

 

「あいつらに会ってないとかほんと損してるよな」

 

「えっ?」

 

 上坂の蚊の指すような小さな声は歓声によって打ち消された。

 歓声の大きさだけならステージに上がった彼女達はRoseliaにも負けていなかった。

 

 Afterglow。

 

 そのステージに上がった五人の姿を見た時、息が詰まった。

 

 六年前別れた幼馴染達があれから誰一人欠けることなくステージに立っていた。

 



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5話 『少年は再び光の道を目指す』

 帰ろう,上坂は思った。

 

 彼女達に会う資格なんてない。

 

 そう思っていたが上坂は幼馴染がどれだけ成長をしたのか見てみたいと言う欲に負けてしまった。

 

(なんて弱いんだ、違う学校に通う事が分かったあの日から、会わないと決めたのに……)

 

 

 

 演奏は始まった。

 

「あいつら姉妹揃ってドラムな上に、二人とも上手いってすげえよな」

 

 名前なんてものは出さなくても上坂には誰のことを言っているのか分かる。

 

 その後も相沢は順番にAfterglow のメンバーを楽しそうに紹介する。

 

「あと、モカって奴がいるんだけどこいつがまた天才でさ、教えるのがほんと大変なんだよ」

 

 なんだかんだで楽しいのだろう。その声は明るく楽しそうだった。

 

「知ってる」

 

 上坂は相沢よりステージに立つ五人の事を知っている。

 

「だってあいつらは、俺の大切な幼馴染だから 」

 

 だからこそ会わないと決めた。

 大切だからこそ干渉はしない。

 今更会いに行ったところで引っ搔き回してむちゃくちゃにするだけだ。 

 

「……澪、お前も春夏みたいな恥ずかしい事いうんだな」

 

「うるさい」

 

 少し顔を赤くした上坂はステージに視線を戻した。

 

 

 

 演奏が終わり成長した幼馴染を見て、もう思い残す事はなかった。

 幼馴染達の演奏は、技術的にはまだ課題はあるが、息の合いようは完璧だった。互いが確認しなくても相手の事が分かり、演奏しやすいように演出している。きっと彼女達はそんな事を考えて演奏なんてしていない。体ではなく、心に染み付いているのだろう。

 

(もう俺はあの輪には入れない)

 

 言うなれば幼馴染達は完成されたパズルの様だった。一つでは未完成で足りない事ばかりだが、ピースが集まる事で一つの完成された作品となる。

 幼馴染というパズルは五つのピースから出来ている。五人はそれぞれ足りないものを補い、やがて今、ステージの上で輝く程の芸術品とまでになった。もちろん完成されたパズルには繋ぎ目は存在せず、上坂というピースが加わる事は不可能だ。

 だから上坂は幼馴染の成長を見ると同時にピースの繋ぎ目を探してしまった。まだ心のどこかで助けが必要なのでは、と思って。繋ぎ目なんてものはなく彼女達の関係は完成されていた。もし彼女達が困っていたら弱みに付け込むように戻れるのにと考えたが上坂はピタリと考えるのを止める。

 

(あいつらが一番困っていた時に手を振り払ったのは俺じゃないか)

 

 六年前、母が亡くなり落ち込んでいた上坂を励まそうとした幼馴染を上坂は冷たくあしらった。彼女達の気持ちを理解しないで、自分だけが不幸だと思って。

 

「会わねぇのか?」

 

 演奏が終わりステージに背を向けたところで相沢が呼び止める。

 

「あぁ、悪いけど俺は帰る、最後にあいつらの姿が見れてよかった」

 

 不思議と体が軽くなるのを感じた。結局のところ会わずに逢わずにしていた幼馴染が心配だったということだ。

 

「本当に合わなくて良いのかよ!」

 

 最後に上坂が振り返ると、逃がさまいと横で会話を聞いていただけの四季が両肩を強く掴む。奥歯をかみしめる四季のその表情は心配と、怒りが混ざった複雑な顔だった。

 

「四季、痛いから手を放せ」

 

「澪が幼馴染に会うまでぜってーに離さねえ」

 

「何急に熱血に目覚めてるんだよ。恥ずかしい」

 

「なっ!」

 

「前から思ってたけどよくそんな恥ずかしい言葉すらすらとでるな」

 

 逃げれないときは相手を不快にさせればいい、上坂は六年間そう過ごしてきた。わざわざ不快にするような人の心に土足で踏み込む人はいない。

 上坂は軽く力を入れ振り払おうとしたが肩から腕は外れなかった。

 

「はなせよ……離せっていってるだろ!」

 

 上坂から余裕の表情が消えた。

 

「だから言ってるだろ、離さねえって。それになんだ声を荒げやがって、それが澪の本性か?」

 

「うるせー! いいからさっさと離せよ!」

 

 上坂は腕を振り上げる。

 

「どうした、殴らねえのか? ヘンッ……所詮澪の覚悟なんてそんなもんだぜ」

 

 震えながらも視線を外さない四季に上坂は天高く上げた拳をだらりと落とした。そして落とした拳と一緒に膝も崩れ座り込んだ。

 

「会いたい、……あいつらに……会いてえよ」

 

 頭を抱えて小さく丸まり上坂は震えた。

 言わないように、思わないようにしていた言葉がこぼれた。

 

「だけど……俺にはあいつらに会う資格なんてない」

 

 裏切り者に彼女達と会う資格なんてない。

 うずくまっていると、ガバッ、と胸元に伸びた腕に襟を掴まれ、上坂は引き上げられた。

 

「人に会うのに資格なんて関係ねえよ。会いたいんだろ? だったら行って来いよ!」

 

 悲劇のヒロインを演じている上坂に怒鳴り上げるが、幸いにもライブ中のバンドの演奏に声がかき消され誰も上坂達に気づかない。

 

 確かに人に会うのに資格なんていらない。

 上坂も出来る事なら今から幼馴染にあって、いい演奏だった、の一言ぐらい言ってやりたい。

 だけど上坂には幼馴染に会いに行けない明確な理由があった。

 

「俺はあいつらを捨てたんだ。今更戻るなんて都合がいいんだよ」

 

 胸ぐらを掴まれ宙に浮き明らかな劣勢だった。にも関わらず上坂は動じず冷たい目をしていた。

 子供とは正直で、冷たい態度を取ると簡単に離れる。それでも一人最後まで上坂の傍を離れない者もいた。しかし結局その子も最後には傷つけ上坂の手から離れていった。

 

(────)

 

 上坂は口の中だけで呟いた。

 

 六年前、最悪の別れをした桃色の髪の少女の名前を。

 

「だから逃げるのか? それこそ都合がいいんじゃねえか」

 

 正面の四季からではない、横から相沢が口を割る。

 

「会いたいなら会いに行けばいいだけじゃねえか」

 

 相沢はさも当然かの様な声で言った。

 この言葉に毒気を抜かれたのか四季は掴んでいた両腕を離した。

 

「は? お前今の話聞いてたか?」 

 

 一瞬相沢が何を言ってるのか、上坂には分からなかった。

 

「俺はあいつらを捨てたんだ、今更会う資格なんてねえんだよ!」

 

 荒げる上坂に対し相沢は異様に落ち着いていた。そして相沢は指さしてはっきり言った。

 

「澪、お前のそれは単なる逃げでしかねえぞ」

 

 子供を叱りつける様に言った。

 

「会いたいけど、捨てたから資格なんてないって言うけど、結局、はあいつらにビビってるだけなんだよ。なにをうじうじしてんだこのチキン野郎」

 

 痛いところを突かれ怯む上坂に相沢は休む暇を与えてくれない。

 

「お前は、受け入れられないのが怖いんじゃねえ! お前があいつらにしたように、捨てられるのが怖いだけなんだよ!」

 

 結局の所上坂は幼馴染に会うのが怖かった。

 学校が違うと分かり安心もした。

 それに家の場所も知っており、会いに行こうと思えば会いに行けた。

 でも一度たりとも会いには行かなかった。

 

 結局『自分』が可愛かったからだ。

 会いに行って怒られるならまだしも、通行人Aを見るような何の興味の無い目で見られるのが怖かった。

 それに捨てられるぐらいなら会わなければいい。

 そうすれば綺麗な思い出のままでいられる。

 そんな事を考えていた。

 

 しかし実際、相沢に言われ想像すると折角地に着いた足がすくみ気を抜くと崩れそうになる。

 結局、上坂は自分が立っているのがやっとの物を幼い時の彼女達にやってしまったということだ。

 

「俺は……どうしたらいい?」

 

 罪悪感に押しつぶされそうだった。

 何かしないといけないことは分かっている。

 しかし今まで間違い続けてきた上坂に何ができる。

 きっとまた後悔することになる。

 だから彼は縋った。

 あと一歩のところまで引っ張り上げてくれた彼らに。

 

 後悔の念に駆られる上坂とは裏腹に相沢と四季は目を見開きキョトンとし互いの顔を見ていた。

 

「「そんなの知らねーよ。お前はどうしたいんだよ」」 

 

 二人の声はピッタリハモっていた。何の意味のないように聞こえる答えだが、上坂には十分すぎる言葉だった。

 

 上坂は顔を上げた。

 彼の中でも答えは出ていたのかもしれない。ただ最後に前に進む勇気が欲しかった。それだけだ。それさえあれば情けなくてもみっともなくても彼女達の元へ行ける。

 

 上坂は心配ないと見せつけるために溢れそうになった涙を腕で拭い宣言する。

 

「そんなの決まってる! 俺はあいつらに謝りたい! いや、謝るだけじゃない、俺はあいつらとこれからも一緒にいたい!」

 

 上坂の瞳に光が宿る。覚悟を決めた者の瞳だ。それが十年、二十年かかって彼は彼女達の隣に立つことは諦めないだろう。

 

「早速だけど、今から会いに行ってくるよ」

 

「早く行ってこい」

 

「もうちょっとなんかあるだろ? 俺、これでも凄く緊張してるんだけど」

 

 相沢からは雑なエールを送られ四季に至っては鬱陶しそうに手ではらうようにして上坂を追い出そうとする。

 

「別に心配なんかしてねーよ。あいつらは優しい奴らだ、澪がやってしまった事だって許してくれる。あいつらはそんな器が小さい奴らか?」

 

「違いない」

 

 上坂は笑っていた。

 相沢が幼馴染の優しい所を知っているからっということもあるが、上坂の笑顔はそんな優しいものでは無い。

 上坂は優しくて、可愛いくて、そしてかけがえのない幼馴染の事を相沢よりも一〇〇倍は知っている。悪くもその優越感が上坂を笑顔にさせた。

 

 

 

「それじゃ、()()()()、行ってくる」

 

 驚く二人を背に出演者の控え室に足を向けたが余りにも様子がおかしかった。

 静かだった。観客の雑談なようなものは聞こえるが、そもそも観客一人一人の声が聞こえるのがおかしなことだ。

 上坂はステージを見る。 

 

 最後のバンドであるグリグリがステージに上がって来ない。 

 

「まさか!」 

 

 慌ててポケットからスマホを取り出し触る。 

 

「おい、何があったんだ!」 

 

「これ!」 

 

 そこに移されたのは日本列島に大きな雲がかかった画像だった。 

 

「台風のせいで飛行機が遅れて時間に間に合わなかったんだよ」 

 

 コツコツと軽い音が響いた。他の観客も音に気付いたのか静まり余計に音が響いた。 

 

(間に合った?) 

 

 そんな考えが過るが今も航空会社のサイトには飛行機が遅延と書かれている。

 

(じゃあ一体誰が……)

 

「お、おい!」

 

 スマホとにらめっこをする上坂に四季が慌てたように肩を叩きステージを指さす。

 

「戸山?」

 

 ステージに上がったのは上坂達がよく知る頭に猫耳を乗せた少女だった。

 

 戸山が来ているとは花園から聞いていた。しかしライブに出る方とは思ってもみなかった。なんせ戸山がギターを始めたのは最近の話、普通に考えればステージに立てる程上達したとは思えない。

 上坂の予想通り配られたパンフレットには戸山という名前はなく、それに楽器だって持っていない。

 

「香澄の奴あんなところで何してんだ?」

 

 相沢は驚いていた。

 

「分からない、だけど迷惑でやっていないことだけは分かる」

 

「それもそうだな」

 

 戸山は一人ステージの上で歌い出した。

 

 キラキラ星。

 

 確かに戸山にはぴったりな選曲だが明らかにライブハウスという場所には合わない。

 一人で歌うキラキラ星は声が震え不安を増長させる。戸山は途中で歌を止めステージの袖へと戻っていった。

 

(それでいい)

 

 楽器を持たない戸山が頑張らなくても誰かが助けてくれる。

 しかしステージに上がったのは又も戸山だった。もう一人、戸山に手を引かれてステージに上がった金髪の少女は手ぶらではないもののカスタネットだった。歌に合わせて叩いてはいるが上坂のところまで音は届かない。

 だけどそんな小さな演奏会に影響されもう一人ステージに上った。

 同じクラスの牛込だ。手にはピンクのベースを持っており、そのおかげで演奏の質は大きく上がった。しかしGriter*Greenの存在は大きく一人また一人と観客は帰っていく。

 

 キラキラ星を演奏しきった三人は達成感を感じるや否や慌てふためいていた。

 

 しかし誰も彼女達を助けたりしない。寧ろ観客は見限って帰っていく。

 このままじゃあまりにも報われない、勇気を振り絞ったのにこんな結末では前を向いた上坂には納得ができない。

 

(助けてくれる誰かがいないなら……)

 

 上坂は大きく息を吸い、吐いた。

 

「俺も行ってくる」

 

 相沢と四季が何か言ってるが聞こえない。上坂は人混みの中を駆けて行った。



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6話 『ステージの裏表』

今回はちょっと長め


 ライブハウスは混んでいたがライブが始まってすぐの頃と比べれば明らかに観客の人数が減っていた。

 グリグリの出番が待てなかったのだろう。

 上坂は少なくなった人の波を潜り抜けステージに繋がる通路を目指した。

 道中、押されたり踏まれたりと酷い目にあった上坂だったがなんとか人込みを抜け扉を開けた。扉には『関係者以外立ち入り禁止』と赤字で大きく書かれていたがそんな些細なことは気にしない。そして躊躇いもなく勢いよく開いた先に待っていたのは、なんて事のない一直線上の真っ白な廊下。

 この道を突き当たりまで真っ直ぐ進み角を曲がればステージはすぐそこにある。

 

 上坂は走る。ここでも『廊下は走らない』と、楽器などのデリケートなものを扱っているライブハウスで、万が一接触による楽器の破損を防ぐための張り紙が貼られているのだが、上坂は目も入れない。

 頭の中はステージに行くことしかなかった。

 だからこそ失念していた。

 

 通路をまっすぐ走っていると不意に控室と思われるドアが開いた。

 

「ご、ごめん。大丈夫か?」

 

 上坂はぶつかり倒したしまった少女に手を伸ばそうとしたがその手は止まった。

 

「痛ったー。もぅ気を付けて……れ……い?」

 

 桃色の髪のおさげの少女だった。

 上坂が会いたくて会いたくて仕方がなかった少女。

 名前は上原(うえはら)ひまり、六年前のあの日、酷く傷つけた少女だ。

 

 少女はまるで死人を見ているかのような目で上坂を見る。

 それもそのはず、彼女にとって上坂は二度と会うはずのない人物なのだから。

 

「ひまり、ちゃんと前見てないから……。澪、どうしてあんたがこんなとこに……」

 

 尻もちをついた上原の様子を見に来た四人の少女は上坂を見ては上原同様信じられないっといった顔をする。その中で一人いち早く意識が戻った赤色のメッシュの少女があっけにとられながらも親の仇のように上坂を睨みつける。

 目の前にいるのは五人の幼馴染の少女達。しかし上坂には彼女達とゆっくり話している時間はない。ステージで待っている戸山達のところに向かわなければならないからだ。

 

 しゃがみこんだ桃色の少女の代わりに赤メッシュの少女が一歩強く踏み出す。文句の一〇や二〇言いたいのだろうが、上坂に立ち止まっている時間はない。

 

「ごめん」

 

 伸ばした手を引き、上坂は短い言葉を残して幼馴染達の元を去る。

 口から出た言葉は短いが意味は一つではないと思う。

 

「澪!」

 

 少女の今にも泣きそうな声が背中から聞こえる。背中越しからでも誰の声なのか分かる。だけど上坂は振り返らなかった。振り返り泣いている少女の顔を見てしまえば、ステージに向う足は一歩たりとも動かなくなってしまうからだ。

 

 

 

 幼馴染を振り切り通路を走る上坂は角を曲がった。後は階段を登りきるだけだ。

 最後の段を踏んだ上坂は真っすぐドラムの元まで走る。ドラムはギターやベースとは違いライブをスムーズに行うためレンタル制だった。とは言ってもステックまでレンタルなわけではない。ドラムには二本のスティックが置かれていた。アンコールにアンコールを重ねた前のバンドが今のような状況を危惧して置いていったのかもしれない。本当にライブとは一人で作る単作ではなく、たくさんの人によって生み出される合作だ。

 

 バーン、と力一杯叩きつけたドラムの音がライブハウス中に響いた。巨大な風船が割れるような単調な音ではあったが、それでも観客の視線を集めるには十分な威力だった。

 

「えっ、澪くんなんで!?」

 

 余程慌ていたのか戸山はようやく気がついた。

 

「香澄、お前達が困ってたから助けに来たんだよ」

 

「えっ……澪くん、香澄?」

 

 名前で呼ばれたことに戸山は困惑した。

 そんな戸山の気も知らないで上坂は深呼吸をする。落ち着いている。幼馴染達に会って動揺して叩けないのでは、と上坂は思ったが問題はなさそうだった。

 上坂はスティックでシンバルを叩いた。

 気持を昂るらせるようにシンバルを鳴らし、昂ぶりが絶頂に達したタイミングでバスドラム、フロアタム、スネアを叩き爆発させる。

 

 体全身で叩く。いつもより強く激しく。観客の意識を引き付けるために上坂は全身で音を鳴らした。

 

 時間にして五分弱。上坂のソロ演奏は締めにシンバルを盛大に鳴らしそして終わった。

 

 上坂はキラキラと光る星屑を呆然と眺めていた。

 時間稼ぎのつもりが演奏を楽しんでいた。

 今まで何度もステージの上でドラムを叩いてきたが、演奏を楽しむことも、大きな歓声が上坂に届くこともなかった。

 だから歓声が起きた時彼は呆然と眺める事しかできなかった。

 

「澪くんこれからどうしよ」

 

 戸山の不安が感じられる一言に上坂の意識は一気に現実に引っ張られる。

 

「へっ……悪い何も考えてなかった」

 

 勢いだけで来た上坂に打開する策などない。

 

「どうしよ」

 

「お前は何しに来たんだよ」

 

 今までの上坂ではしない頭を抱えて慌てる姿に、金髪ツインテ少女(花園から名前を聞いたが忘れた)からの厳しいツッコミが入った。上坂は内心、お前も同じだろ、とツッコムがだからと言って現状が変わることはない。

 

「ねぇ、どうしよ」

 

 戸山がじっと見る。しかし上坂に出来ることはほとんどない。ドラムもいつもより激しく叩いたせいか腕が重い。とはいってもまだまだ叩けるのだが、永遠にそれも無名なドラマーのソロ演奏なんて聞けば観客も飽きて帰ってしまうかもしれない。

 だったらやることは一つしかない。

 

「香澄、腹を括れ。ぶっつけ本番だけど俺達で……」

 

 上坂は出かけた言葉を途中で止める。ふと耳に三人以外の声、正確には低い声が聞こえた。

 

「一人で人で突っ走りやがって、お前らホントバカだよな」

 

「ヒーローは遅れてくるもんだぜ」

 

「綾人、春夏お前らどうして……」

 

「「友達を助けるのに理由なんてねえよ」」

 

 そこには二人の救世主(親友)がを立っていた。

 

「助けに来たって言っても……てかおまえら、その楽器どうしたんだ!?」

 

 四季と相沢には弾く楽器がない、そう思っていたが二人の腕には青いギターと赤いベースがあった。

 二人はドッキリが成功にしたり顔になり。

 

「知り合いが貸してくれたんだよ」

 

 相沢がそう言ってステージの中央へ上った。

 

 

 

 

 

 

 少し前のこと。人込みを逆らう上坂の背中を二人は眺めていた。

 

「澪のやつマジで行きやがった」

 

 今までどこか距離を取っていた彼にはありえない行動だった。相沢はその行動力に若干の引きはあったが、本来の姿であろう彼の姿が嬉しかった。

 

「で、俺らはどうする……行くか?」

 

「行くかって行けるわけないだろ」

 

 行くにしても演奏する楽器がない。

 上坂が使うドラムやキーボードと言った大きくてかさばる楽器は初めからSPACEのものだ。

 だがギターやベースと言った小さくてお手軽な楽器は個人のものだ。

 

「楽器がなー」

 

 どうする事も出来ない、手ぶらで行ったところで何も出来ない。戸山のようにアカペラになるのが関の山だ。相沢はキーボードも弾ける。だが始めたばかりでとてもじゃないが人に見せれるものではない。

 

「綾人、あなた来てたのね」

 

 背中からの声に相沢は振り向く。

 

「あっ友希那さん、こんにちは」

 

 相沢が振り向けば五人の少女がいた。

 

 相沢に名前を呼ばれた長い銀色の髪の少女は湊友希那。Roseliaのボーカル担当。高い歌唱力は誰もが納得するもので、一度プロにも声をかけられた事があるとかなんとか。

 

「やっほ〜。綾人、一緒にいるのは友達?」

 

 ベース担当今井リサ。見た目は明るめの茶色に染めた髪が目立つギャルのような見た目だが、中身は家庭的でギャップがある人物で、一部の人からはリサ姉と呼ばれている。

 

「俺は、四季春夏。ライブ最高でした。今度俺のためだけにその音色を聞かせてくれませんか」

 

「あ、あはははは……、春夏って面白いね流石綾人の友達だよ~。私は今井リサ、よろしく。……春夏大丈夫? 顔すごく真っ赤だけど」

 

 いつもの口説くような口調に美少女からの名前呼びとダブルパンチの四季は顔から湯気が出そうなほど真っ赤になっていた。

 

「リサさん気にしないでください。こいついつもこんなんなんで」

 

「初対面の方を口説くなんて相沢さんの友達らしいですね」

 

「紗夜さんは一体俺のことなんだと思ってるんですか!?」

 

「いえ、言葉のままだと思うのですが、相沢さんあなたこの間今井さんに同じようなことをしていたじゃありませんか」

 

 疲れたため息を吐くのはギター担当、氷川紗夜。長い青髪が特徴の少女で、頭が超合金かなんかで出来ているのか、というぐらいドが付くほど真面目な性格。相沢はそんな氷川の砕けた姿が見たいと色々手を尽くしてはいるのだが、鉄仮面が外れたこと一度もない。同じRoseliaの湊もあまり表情を変えるような性格ではないが湊に関しては今井の情報によっていつでも崩せる。後はタイミングと好感度だけだ。

 

「あれは思ったことを言っただけで……」 

 

 確かに以前Roseliaの練習の時に今井が持ってきた手作りクッキーを食べて、いいお嫁さんになれますね、と言ったが四季のような下心なんてものはなく、おいしかったからこそ自然に出た言葉だと相沢は思いたい。

 

 バーン、と爆発ではないが何かが爆ぜた音した。

 

「何なのかしら」

 

 湊が不思議そうにステージの方に顔を向けるが相沢はその音の正体を知っている。

 

「いや〜、俺の連れがバカなもので勝手にステージに上がってしまったんですよ」

 

 ここまで無茶苦茶になったら、もう開き直るしか無かった。

 またあなたの友達ですか、と表情だけで氷川が伝えてくるが相沢としては、こっちも被害者なんだよ、と声を大にして言いたかった。そんな碌でもない友人達に困らされる相沢だったが嬉しいこともある。六年ぶりの幼馴染の再開に立ち会うことが出来ることだ。

 

「ほら、あこ見てみろ、ステージの奴お前も知ってるだろ?」

 

 宇田川あこ。担当はドラム、上坂の幼馴染ではあるが学年は一つ下の中学三年生。紫色の髪を高い位置でツインテールにした少女だ。

 

「綾人さんどうしたんですか?」

 

 相沢はあこの敬語を聞くたびピクリと反応する。それは敬語が間違っているとかではなく、あこは親しい人にはフランクに話すからだ。小さい頃から年上に囲まれて育ったからだろう。しかし相沢は未だに『綾人さん』だ。名前で呼ばれる当たりそれなりに高い好感度を期待したいのだがあこは親しい相手には愛称で呼ぶ。湊や氷川と言った愛称のような呼ばれ方を嫌がる人は別なのだが、相沢は別に愛称で呼ばれることが嫌ではない、と言うよりは女の子相手なら愛称で呼ばれたいというのが本心だ。だからこそ今井の『リサ姉』のように相沢も『綾兄』と呼ばれるために可愛がっているのだがどういうわけか『綾人さん』から一向に昇格しない。

 

「あれって……‼︎お兄ちゃん! しかも何でドラムなの、あこもう意味わかんないよ!?」

 

 ステージの方に視線を向けたあこは多くの情報が入ってきて混乱していたが聞き捨てならない言葉があった。

 

「あこってお姉ちゃんだけじゃなくお兄ちゃんもいたの!?」

 

 相沢が問うよりも早く今井が聞く。

 

「ううん、あこの姉妹はあことお姉ちゃんだけ。お兄ちゃんは幼馴染だけどお兄ちゃんなの」

 

「へ~そうなんだ。今までそんな話聞いたことがなかったからびっくりしたよ。……それで綾人達はどうしてそんなに怒りに震えているの?」

 

「リサさんは知らないと思いますが、男ってのはですね年下の女の子に『お兄ちゃん』って呼ばれたいんですよ」

 

 隣で四季は首を激しく縦に振っているが、今井は知りたくもなかった情報に軽く引いていたが、相沢も四季も気にならない程度に興奮していた。

 

「このままだとあこのお兄ちゃんが大変な目に合うなー。あっ、そうだ!」

 

 相沢と四季はどうやってステージにいる上坂を血祭りにあげようか考えていた。遠くから狙う拳銃はもちろんナイフすら持っていない。信じられるのは己の拳一つ。隣を見れば四季も同じ考えに達したらしくお互い無言でうなずき、ステージを目指す。全国の妹のいない男児の夢をかなえた裏切り者を粛正するために。

 

「お兄ちゃん!」

 

 その声に二人は振り返る。

 

「お兄ちゃん達もあこと一緒にステージ見ようよ」

 

 今井によって仕込まれたセリフは酷い棒読みだったが、それでも一人っ子のお兄ちゃんには効果は抜群だった。

 

「あこがそう言うんだったら仕方ないよな」

 

「そうだな。危うく可愛い妹にR18指定を見せるところだったぜ」

 

 人命を左右する出来事を事前に止めた今井は大きく胸をなでおろした。

 

 

 

 そんな今井の心配も知らず言われた通りのことをしたあこはやたらと絡んでくる男二人を余所にステージを見る。

 六年越しに見た成長したお兄ちゃんの姿を。

 

「あ……ちゃ……、あこちゃん」

 

「ごめんりんりん。それでどうしたの?」

 

 キーボード担当、白金燐子。長い黒髪に弱弱しく垂れた目、そして胸のサイズに反した控えめな性格で清楚を敷き詰めたような少女だ。

 

「あこちゃん、お兄さんがドラムを叩いたことに驚いてたけど、どうしてかなって。あこちゃんの言いぶりだとその……他の楽器を使っていたみたいで……」

 

「お兄はちゃん昔ピアノを弾いていたんだ。すっごく上手でそれこそりんりんにも負けないくらい」

 

 今となっては過去の出来事ではあるがそれでも自分のことように誇らしかった。

 

「あいつピアノも弾けたのかよ。何で言わねえんだよ?」

 

「それもそうですね。白金さんにも負けない程の実力があるというのにどうしてキーボードではないんでしょうか?」

 

「えっ……それは……」

 

 お母さんが死んで思い出のピアノを封印した、なんてあこの口からじゃとても言えなかった。だけどそれでは高まった好奇心を抑えることはできない。

 

「始まるわ」

 

 救いのような湊の一言で皆ステージを向き、あこは安堵した。

 

 

 

 ステージの上で上坂がドラムを叩く。その別人のように荒々しくなった姿を相沢は黙って見ていた。威嚇する様な無駄に大きな音は本来であれば鼓膜に響き不快にしかならないが、上坂の演奏は不快感は全くと言っていいほど感じられず、むしろこれで鼓膜が潰れるならそれは本望だと思ってしまう程だった。

 

 演奏は終わった。

 

 思わず見入ってしまった。

 最初は時間稼ぎのつもりで遅めのテンポだったが、後半になるにつれ目的を忘れ走った演奏となった。だけど走った演奏の方がいい、それは相沢一人だけでなくSPACEにいる全員が思った事だろう。

 

「すげー、あいつあんなにうまいんだな」

 

 明らかに高校生のレベルを凌駕していた。

 

「だな、めちゃくちゃうまいよな」

 

 あまりのレベルの高さに二人は言葉がみつからず、ただ、『うまい』という言葉しか出なかった。

 

「何あれ、お兄ちゃんすっごい上手なんだけど!」

 

 つい先ほどまで神妙な顔をしていたあこも今では興奮し今井の服の裾を引っ張っている。

 

「綾人の友達やるじゃん」

 

「そうね」

 

 五分弱と短い演奏だったがRoseliaは上坂を認めた。

 

「相沢さんの周りは凄い人ばかりなのですね」

 

「いや、俺もあいつがあんなにできるなんて知りませんでしたよ」

 

 Roseliaからの高評価に相沢も納得したがここまでべた褒めされると多少の嫉妬は芽生える。この辺りで一つかっこいいところを見せて上坂に向けられた賞賛を自分に向けてやろうと相沢は思ったが、そんな暇はない。

 

 何度目かの観客が騒ぎ出した。

 

「あいつ絶対何も考えず行っただろ」

 

「だな」

 

 ステージの上ではオロオロしている上坂と戸山の姿があった。

 

 二人は急にかっこ悪くなった上坂の姿を見て安心した。

 結局どんなに凄い演奏をしても上坂は上坂であり友達には変わりない。

 

「助けてあげればいいじゃん」

 

 今井がさも当たり前のように言う。しかし事態はそんな簡単な事ではない。

 

「リサさん何を言ってるんですか、行くにしても演奏する楽器がないじゃないですか」

 

 上坂を助けに行くにしても相沢の手には楽器は無い。

 

「楽器ならあるじゃん。ここに」

 

 そう言って今井は背中に背負っていたベースを手に持ち替える。

 

「綾人はギターでしょ、紗夜、貸してあげなよ」

 

「今井さん何を言っているのですか。飛び入りなんてそんな事許されるはずないじゃないですか」

 

「紗夜お願い! 紗夜の言いたい事は分かるけど、今、綾人の友達が大変な時だと思うの」

 

「紗夜さんお願い! 綾人さんにギター貸してあげて」

 

 真っすぐ見つめる瞳に氷川はあきらめたように小さいため息をついた。

 

「分かりました。ただしこれっきりにしてください」

 

 相沢は氷川からギターを受け取った。

 

「やったー!紗夜さんありがとう」

 

「あっははー。紗夜ごめんね」

 

 そう言って今井は小さく舌を出す。

 

「春夏は何か弾けるの?」

 

「俺は……」

 

「リサさんこいつベース弾けるんでリサさんの貸してください」

 

「オッケー、ハイハイッと」

 

 今井からベースを受け取った四季はベースと相沢を交互に見る。

 

「折角今井さんに話しかけてもらったのにお前は~」

 

「うるせえ! どうせテンパるだけだろ! 時間が惜しいんだよ!」

 

「綾人、春夏ケンカしないの。ほらほらこれでいけるでしょ。だから早く行ってあげなよ」

 

 相沢は背中を押される。

 

(は〜、行きたくないな)

 

 飛び入りなんて趣味はない。

 そんなのは漫画やラノベの主人公がする事で、相沢の様な平凡な高校生がする事じゃない。

 

 だけど……

 

 武器(楽器)は与えてもらった。

 

 行ってこいとも言われた。

 

 ステージに上がるきっかけも貰えた。

 

「リサさん、紗夜さん、ありがとうございます」

 

 相沢は頭を下げステージを目指す。

 

「これをきっかけにバンドの良さを知った綾人はめでたくバンドを組むわけだな」

 

 こんな時でもぶれない四季に敬意さえ払う。

 

「うるせえ、俺もそんな気がすんだよ!」

 

 

 

 

 

 そして現在

 

「で、何するんだ」

 

「え〜キラキラ星じゃダメ?」

 

 まだ歌い足りていないのか、それとも歌える曲が無いのか戸山がそんな答えを出す。

 

「キラキラ星はもういいだろ。流石にずっとキラキラしてたら観客も飽きるだろ」

 

 別人のような上坂のツッコミに若干戸山は驚く。

 

「それと香澄悪いけど、後は俺たちだけでやらしてくれないか?」

 

 ここで三人が集まったのは何かの運命なのかも知れない、だからこの三人でこの場を乗り越えたいと思った。

 

「大丈夫、私も手伝うよ」

 

 戸山に悪気はない。本当に何か力になりたいのだろう。だがこれだけは譲れない。

 

「香澄の気持ちは分かる。中途半端で投げ出したくないんだろ? だけど安心して俺たちに任せてくれないか。今日、俺はこの場でこいつらと一緒に演奏する事で何かが変わるかも知れない、そう思ったんだ」

 

 今日はいろんなことがあったライブを見に行った、六年ぶりに幼馴染に会った、友達と本気の喧嘩をした、そしてステージに立った。今日という日は上坂にとって人生最大の分岐点なのかもしれない。

 だから今日という日ぐらい普通の高校生ではなく物語の主人公になってもいいと思う。

 六年間ずっとしたばかり向いて来た。だけどそれも今日で終わり。

 上坂澪はじめじめした陰ではない、みんなのいる明るい光の道を歩くと決めた。

 

「分かった。下で応援してるね」

 

 上坂の気持ちが伝わったのか一瞬だけ考えた戸山とその仲間はステージを降りていった。

 

「じゃあ始めるとするか」

 

 四季の一声で三人だけになったステージで軽いミーティングが始まる。

 

「で、誰がボーカルをするんだ?」

 

 上坂と四季は押し付けるかの様に言い出した相沢を見る。

 

「ふざけんな! 何で俺なんだよ!」

 

「やっぱこういうのって多数決じゃない? それにギターボーカルってのが一番妥当だと思う」

 

「はい決定ー」

 

 四季の行動は早く相沢に否定はさせない。

 

「はぁ、分かったよ。そんでなに弾くんだよ」

 

 まだ理不尽に納得しきっていない相沢は投げやりに問う。

 

「綾人が歌うんだし、任せる」

 

「そうだな〜、天体〇測何てどうだ? 香澄がキラキラ星なんて歌ってたし星繋がりみたいな、……お前らいけるか?」

 

「全然大丈夫」

 

「俺も問題ないぜ」

 

 演奏する曲が決まりステージの熱で浮かれているのか相沢は調子良く客席に向かって叫んだ。

 

「随分と待たせたな、じゃぁ行くぜー!!」

 

 上坂達の初めてのライブが始まった。



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7話 『インスタント』

 ライブは無事成功した。湧き上がる歓声に激しく振られるサイリウム。文句のつけようがない。

 上坂はライブの余韻に浸り、いまだに興奮が収まらない。

 

「俺達の演奏、最後まで聞いてくれてありがとー」

 

 ステージのセンターに立っていた相沢は高まった気持ちのまま観客席に向かって叫ぶ。再び観客席から大きな声援が上がり頬が若干緩んだ相沢はそのまま振り返る。

 

「なぁ、MCって何話すんだ?」

 

「取り敢えずメンバー紹介でもしとけって」

 

「春夏、お前自分がしないからって適当に返しやがって」

 

「でもそれがテンプレだろ?」

 

「それもそうか」

 

 相沢は順番にメンバー紹介を行う。飛び入りらしくない当たり障りのないごく普通の相沢のメンバー紹介だ。内容に関しては問題はなかった。しかし当たり障りのないということは型にそっている、つまり遊びがなく短いということだ。

 早々に紹介を終えた相沢は次に何を話したらいいか分からず鯉の様に口を開けたり閉めたりをしていた。

 

「綾人。MC、変わってやろうか?」

 

「その顔はムカつくけど、今日ぐらい花を持たせてやるよ」

 

 どの口が言ってんだよ、と上坂はツッコミながら受け取ったマイクを握る。特に必要はないが自分がここにいるということを確認するためにマイクの感触を確かめる。

 飛び入りのバンド、実際MCなんて必要ない。寧ろMCを入れる方が非常識なのかもしれない。それでも今は少しでも時間を稼ぐためにマイクを握らないといけない。

 

「えー、先程紹介に預かりました、ドラム担当、上坂です」

 

 観客に向かって、言葉を投げかける。

 

「先に謝っておくよ、せっかく見に来てくれたのに、バント名もない、しかも飛び込みの奴のライブに付き合わせてしまって、だけどさ……」

 

 上坂は目を閉じた。真っ暗な世界は沢山の光で色付いていた。

 

(香澄の言ってたキラキラ、ドキドキってこう言う事か、今なら分かる気がする)

 

 ゆっくり目を開けた上坂の顔は笑っていた。

 

「俺達のライブ、悪くなかっただろ」

 

 Griter*Green、Roselia、Afterglowのようなブランド知名度のない出来立てのインスタントバンドでも、観客を感動させる事が出来る。

 

 ライブハウスに歓声が広がる。

 

「実は俺達、今日が初めてのライブなんだ。本当は俺達今日、みんなのいるそっち側にいたんだ」

 

 観客席の方を指さす。観客席から賞賛と驚きの声が届き上坂も自分自身が信じられないといった感じに頬を指で掻く。

 

「でもさ、さっきのキラキラ星を歌っていた奴なんだけど……、あいつ俺達の友達なんだ。俺、観客席であいつの歌を聞いた時、どんなバンドよりもショボかったけど、どんなバンドよりも勇気が出たんだ。だからこうして俺は、いや、俺達はここに立っている」

 

 上坂は自分の足元を指差す。

 ステージの袖を見ると戸山と目が合った。戸山は嬉しそうにそして少し照れながら頭をかいていたがはっきりと『しょぼい』と言われて何か文句を言いたそうに地団太を踏んでいた。

 

「まぁ、俺達は道連れだけどな」

 

「だな」

 

「悪かったって」

 

 二人は口では文句を言うが、怒っている様には見えなかった。

 上坂は再び観客席に視線を戻す。

 

「俺達は飛び込みだけど、かき集めのインスタントバンド。だから別にバンドのメンバーって訳じゃ無いんだ。同じ学校の同じクラスで俺の自慢の友達。だからこうして三人でステージに立って演奏をしたのは何かの運命じゃないかと思ったよ」

 

 いつもであればこんな恥ずかしい事を言えば軽く一週間は笑いのネタにされるが、ステージの上という非日常が上坂を見逃してくれた。

 

「結果、俺達インスタントバンドはライブを成功させた。この歓声を聞いたら成功でいいよなぁ!」

 

 観客席から興奮した声が返ってくる。熱は下がっていない。上がった興奮とは反対に上坂は静かに口を開く。

 

「俺、他のバンドの助っ人とかはした事あるけど、自分のライブっていうのが初めてなんだ。だから今日、初めて仲間と言える奴と演奏して知ったんだ……」

 

 中学時代、上坂に近づいて来る人は殆どいなかった。近づいてきても上坂の持つ技術が目当てだった。

 

「ライブってこんなに楽しかったんだな! こんな事言うのは他のバンドに失礼だよな。だけど本当に知らなかった」

 

 すべては上坂が心を閉ざした自業自得だった。

 

「俺は今まで人のためにドラムを叩いた事がないんだ。助っ人の時だって、困ってるから助けてあげようなんて一度たりとも思った事がない。自分勝手な奴なんだ」

 

 ライブの時、上坂には一緒に演奏している共演者や観客の顔なんて見えていなかった。見えていたのは無機質な高い壁だけ。一度だって他の物が見えた事は無かった。

 上坂はこの天辺の見えない壁が、本当はどれ位の高さなんだろうと考えた事があるが答えが出た事はない。

 

 だけど今なら分かる。分からなかった昔の自分自身をバカにしたいぐらいだ。

 

 天辺の見えない壁、

 

 それは心の距離だ。

 

 母親が亡くなり、悲しみを埋めるためにドラムに没頭した。上坂にとってドラムは単なる慰めの道具でしかなかった。

 初めてライブハウスに行った時は多くの人が声を掛けてくれたが、その手を全て振り払った。

 高い技術を買われ助っ人に駆り出されもしたが、ステージでは好きなようにドラムを叩いた。

 

 高い壁で周りの音が聞こえなかった。

 

 友達になりたいという叫び歌声も、助けたいという思い音色もすべてが聞こえなかった。

 独りよがりなドラムを叩いても助っ人のオファーは来る。自分の音しか聞こえていない上坂には分からないが、ライブは成功したんだろう。

 

 だけど声を掛けてくれる人はいなかった。

 

 上坂は一人になった。

 

 ライブハウスが嫌いだった。どれだけ手を伸ばしても届きはしない輝きが眩しかった。

 嫌いなライブハウスに上坂は何度も通った。もしかしたら今日こそ光に届くかもしれない、そんな淡い期待を持って。

 だけど、手が光に届いたりしなかった。むしろ日に日に遠くなっていった。

 それもそうだろう、上坂は自ら光の道を絶ったのだから。

 

 本当は羨ましかった。

 

 メンバーで抱き合う姿が。

 

 羨ましかった。

 

 次のライブのための反省会が、

 

 羨ましかった。

 

 ライブの打ち上げが、

 

 羨ましかった。

 

 上を目指して努力する姿が、

 

 羨ましかった。

 

 時にはぶつかりケンカする姿が

 

 羨ましかった……

 

 上坂だって本当は分かっていた。

 全部自分の自業自得だと。

 だけど怖かった。

 また繋がりが切られたらって思うと。

 本当に怖くて怖くて仕方がなかった。

 だからいつも遠くから光を眺める事しか出来なかった。

 懸命に手を伸ばした光だって本当は一ミリたりとも近づけてはいなかった。影の居心地がよかったからだ。

 

 高校に入って変わろうと思った。だから近づいて来た()()を歓迎はしないものの上坂は拒みはしなかった。どうしてもあの光が欲しかった。昔は誰かに分け与えれる程持っていたあの光が。

 そして流されるまま、成り行きで嫌いだったライブハウスに行くことになった。平然を保っていたがスポットライトにサイリウム、たくさんの輝きが上坂を不快にさせた。そして追い打ちをかけるような五人の幼馴染。

 帰ろうと思ったが()は許してはくれなかった。

 

 友は言った、『どうしたいんだ?』と、

 

 友は言った、『逃げるな』と、

 

 そしてそれを祝福するようなキラキラ星。

 

 その言葉と歌は勇気をくれた。

 

 上坂は休んでいた木陰影から足を出す。影鬼という遊びのルールは地域によって異なるところはあるが、影の中は安全と言うのが共通だ。ただ上坂の影鬼は影の中にいる時間に制限はなく、そのルールに甘えていた。だけど安全地帯影から見ている影鬼の何が楽しいのだろうか、相手にされない分一種の孤独とさえ思えてしまう。せっかく遊ぶのだから一緒に太陽の下を走りたい。カラッとした暑さが皮膚を焼き、流れる汗がべたつく。だけど上坂は思った、なんて気持ちがいいのだろう。と、

 

「だけど今日、初めて人のために演奏した」

 

 たったそれだけの事が、目の前に立ち塞がっていたあの天辺の見えない壁を跡形もなく粉砕した。

 

「凄くいいものだな。誰かのために演奏するって。俺、ステージの上がこんなにいいところなんて知らなかった」

 

 何も見えなかった顔がはっきりと見える。そこには応援する観客と信頼できる友の顔が、

 

「だから、ステージがこんなにいいところだなんて教えてくれたみんなに伝えたい……」

 

 思いっきり息を吸って吐き出した。

 

「ありがとおおおぉぉぉ────!!」

 

 上坂は、ようやくこの日を持って変わる事が出来た。

 

 

 

 歓声と拍手に包まれた。

 無事に終わった事で安心した相沢と四季は観客に手を振りながらステージを降りようとした。

 

「終わった気になってるけど、まだ俺の話は終わってないからな」

 

 上坂はまだマイクを離していない。

 

「「は?」」

 

 二人の声が見事に声がハモる。

 

 ステージの袖には既に緑色の衣装に身を包んだGriter*Greenと思われる人達がいるが上坂はまだステージを降りない。

 

「俺、お前達に言いたい事があるんだ」

 

「ちょ、待て! 俺はそんなかしこまった話聞きたくない!」

 

「いいじゃん、聞こうぜ」

 

 何かしらの危険を感じた相沢がステージ降りようと走ろうとするが、察した四季に肩を組まれ止められる。

 会場から観客のちゃかしの声が飛ぶ

 

 上坂は椅子から立ち上がり二人の元へゆっくり歩いた。

 

「今日こんなに盛り上がったのに終わりにするなんてもったいなくねえか?」

 

 夢のような時間を一度だけにするなんてもったいない。もっと光を、輝きが見たい。

 

 相沢は焦り、四季は期待の間差しを向ける。二人共もうオチは見えてるようだ。

 

「やめ、やめろおおおぉぉぉ──」

 

『いっけえええぇぇぇ──』

 

 相沢の叫びを四季と観客の声が軽く塗りつぶす。

 

 一〇〇点満点のシチュエーションに思わず笑みがこぼれる。

 

「バンド、しようぜ!」

 

 四季が毎日のように言っていた言葉だ。上坂もまさか自分が言う羽目になるとは思っていなかっただろう。

 

「澪、嬉しいぜ! お前がバンド賛成派になってくれて」

 

「く、苦しい。いいから離れろ。春夏お前でかいんだよ」

 

 喜びのあまり抱き着く四季の固い胸板によって酸素を奪われた上坂は危うく別の輝きを見るところだった。

 

「春夏、女の子と話せないからってとうとう開けてはいけない扉を開けちまったのか?」

 

「俺としたことが迂闊だったぜ。野郎に抱き着くとはな」

 

「俺も春夏が正常で安心した」

 

 上坂は再びマイクを構え相沢を見る。

 

「綾人、どうする。二対一……嫌、ここにいる全員がお前の敵だ! 断るなんてそんなことしないよな? それと俺に言っただろ、『お前はどうしたいって?』俺はバンドがしたい。春夏も綾人も俺のわがままに最後まで付き合ってもらうからな」

 

 相沢は頭を悩まし、そして諦めるような大きなため息を吐く。

 

「そういう意味で言ったんじゃ……ハァ〜……しゃあねえ、付き合ってやるよ」

 

「ほんとか! みんなも聞いただろ? 俺達は今日からバンドを組むぜ、だから忘れんなよ!」

 

 気づけば手に持っていたマイクは四季の手にあった。

 

「「お前が締めるのかよ!!」」

 

 

 

 上坂は赤面してうずくまった四季を引きずりながらステージを降りた。

 段差なんて関係ない。階段を降りるたび四季が『もっと優しく扱ってくれよ』と言うが、置いていかれなかっただけありがたいと思ってほしい。

 

 階段を降りると森の妖精のような衣装に身を包んだ複数の女性がいた。

 

 Griter*Green。

 

 メンバーの一人が上坂に近づき軽く肩を叩く。

 

「ありがとう、でもね君達、空気温めすぎ」

 

 そう感謝と苦言を言って、笑いながら上坂達の隣を抜けステージに上って行った。

 

「澪君達すごかっ……」

 

 近づいてくる戸山に上坂は片手を突き出して制す。

 

 何故そんな事をしないといけないのか、理由ならある。

 問題はこれで終わりではないからだ。言わば今までは物語でいう序章。これからが本当の上坂の物語。

 

 目の前には幼馴染の少女。今は人数が減り赤色のメッシュの少女と長い赤髪の少女となんとも赤々しい二人になっている。

 

 幼馴染の一人、赤いメッシュの少女が咆える。

 

「澪、なんであんたがこんなところにいるの!」

 

 上坂は呼吸を整え少女を真っすぐ見る。

 

「お前達と向き合いにきたんだよ」

 

 上坂と彼女達(幼馴染達)の物語はようやく始まる。



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8話 『覚悟』

 目の前には二人の女の子がいた。

 一人は美竹蘭(みたけらん)。気の強い目に左髪にある一本の赤いメッシュの少女。昔の人見知りな性格は跡形もなく感じられなくなっていた。

 もう一人は宇田川巴(うだがわともえ)。胸辺りまで伸びた長い紅蓮の髪にさっぱりした性格の少女。身長は上坂と同じくらいかそれ以上で姉御という言葉が昔より似合いそうだった。

 

「澪! なんであんたがこんなところにいるの!」

 

 美竹は咆える。声と視線は、大切なものを壊されたかのような怒りだった。

 

「蘭、落ち着けって。……それにしても澪、久しぶりだな」

 

 殺伐とした空気の腰を折る宇田川の明るい声は冷たく感じた。

 実際は宇田川にそんな気がなかったかもしれないが、身構えていた上坂には冷たく感じた。

 

「ああ、久しぶり。二人とも変わらないな」

 

 上坂は六年ぶりに再会した幼馴染への第一声は上坂自身びっくりする程落ち着いていた。

 

「そっか〜? 蘭なんて結構変わったと思うんだけどな」

 

「巴!」

 

「そうか? 今ので思ったけど蘭も印象とかは変わっても、根っこのところは変わってないよ」

 

 美竹は気の弱い少女から気の強い少女へと成長した。見た目の印象は別人のように大きく成長したが、中身の優しい気持ちは昔のまま、変わっていない。

 

「そうそう、さっきのライブ見たよ。凄かったぜ。まさか澪がドラム叩けたなんてな」

 

「巴、今はそんな事どうでもいいよ!」

 

 宇田川の前に割り込んだ美竹は出会った時以上に上坂を鋭く睨む。

 

「私は、あんたを許さない。あんたのせいでひまりは、辛い思いをした。どうして今更私達の前に現れたの! ひまりはようやく、……ようやくあんたの事を忘れようとしてたのに……」

 

 美竹の身を削るような悲痛の思いがナイフとなって上坂の胸に刺さる。

 

「今年に四月に戻って来て……今、花咲川に通ってるんだ……」

 

 上坂は静かに答える。

 楽しい時間は終わり。これからは向き合う時間だ。

 

「戻ってきた!? だったらどうして戻ってきて直ぐにひまりに会いに行かない! どうして行って謝らないの! あんたにとってひまりはその程度の存在だったの!?」

 

「そんなわけないだろ!!」

 

 上坂の怒号に顔を真っ赤にし怒っていた美竹でさえ肩が跳ねた。

 逆切れだ。そんなこと上坂だって分かっている。それでも美竹の言った一言は見逃せなかった。

 

「そんなわけないだろ……俺が、ひまりのことを、その程度なんて思うわけないだろ?」

 

 上坂は今にも泣きそうな顔だった。ただ、怒り、悲しみ、自棄、様々な負の感情が(こぼ)れそうで零れていない。

 

「だったらあんたは何でひまりに会いに行かなかったの?」

 

 上坂は大きく深呼吸をした。

 戻るためには嘘はつけない。

 

「本当は、みんなの前に現れるもりはなかった……。怖かったんだ、みんなに会うのが」

 

 必要ない、と切り捨てられると思うと、足が震えた。

 

「だったらどうして……」

 

 美竹は歯をギリギリと上坂の耳に音が届くぐらい奥歯を噛みしめ怒りを押し殺す。

 

「言われたんだよ、友達に」

 

 首だけを動かし背中を押してくれた親友を見る。

 

 今はもう足は震えていない。

 

「『お前はどうしたいんだ』てな」

 

 傷つけないための選択が少女を返って傷つけてしまった。そんな相手のことを思って後悔するぐらいならわがままになると決めた。

 下がっていた視線が上がり真っ直ぐ美竹を射抜く。

 

「酷い事をしたのも分かってる! 罪滅ぼしもする! 俺は昔のようにみんなと一緒に居たいんだ!」

 

 感情をぶつけ興奮で息を切らす。そして上坂はゆっくり深呼吸をし心を落ち着かせ美竹に手を伸ばす。

 

「だから俺に、もう一度みんなとやり直すチャンスをくれないか?」

 

 幼馴染の元へまた戻れるなら上坂は何だってする。

 あの毎日が輝いていたあの頃に戻れるなら。

 

 

 

 美竹は肩を震わせる。都合がいい、そう思っている事だろう。

 上坂のありがた迷惑な行動に一人の少女が傷つけられ、幼馴染全員が少年によって掻き回された。それなのに今更現れては、やり直したい、と言われても都合が良いとしか言いようがない。

 

「もうあたし達のところにあんたの居場所なんてないから」

 

 みんなが靴を並べているのに土足で踏み込むなんて迷惑でしかない。

 

 残る理由がなくなった美竹は上坂に背中を向けて吐き捨てる。

 

「蘭!」

 

 上坂に呼び止められ、去ろうとした美竹の足はピタリと止まる。

 

「何? もうあんたと話すことなんて……」

 

 振り返った瞬間、美竹は目を疑った。

 

「たとえ嫌われていようがそれでも俺はみんなのところに帰るよ。これは俺のわがままじゃない、覚悟だ」

 

 上坂の穏やかな表情は美竹の知る昔の上坂と何も変わりはなかった。

 

 

 

 美竹は去った。

 最後の彼女の表情はやはり怒っていた。たとえ怒っていたにしても、少しでも気持ちが伝わればいいな、と上坂は思う。

 追いかけはしない。美竹は感情の整理がつかず混乱している。落ち着く時間も必要だ。

 

「まぁ、蘭はあんな事言ったけど悪く思わないでくれよ。蘭はただ友達思いの奴なだけなんだ」

 

「あぁ知ってる。あいつは昔から誰よりも友達思いな奴だったからな」

 

 感情に任せ飛び出した美竹を、宇田川はため息を漏らしつつもどこか誇らしげに話す。

 

「でもさ澪、ひまりが辛かったのは本当なんだ。澪が引っ越した後のひまりは、しばらく家に閉じこもって、私達にも顔を見せてくれなかったんだぜ」

 

 それでも立ち直った。

 それだけ宇田川が、美竹が、みんなが、頑張ったという事だ。

 ステージ上の少女の笑顔は、四人の努力の結晶なんだろう。

 

「迷惑かけたな」

 

「ほんとな」

 

 二人は小さく笑う。

 

「……巴は……俺に文句とかないのか?」

 

 笑っている少女も言いたいことの一つや二つあるだろう。

 

「文句か~、あたしはそういうのはない……」

 

 宇田川の口がピタリと止まる。

 

「いや、ひとつあったな……。澪、お前いつまでもこんなところで(くす)ぶってないで早く行ってやれよ。待ってるからさ」

 

 誰が、とは言わなくても分かる。

 

「巴。俺、ひまりに会ってくるよ」

 

「場所は分かるのか?」

 

「だいたいな」

 

 居場所はだいたい想像がつく。六人でいつも集まったあの場所か、家のどちらかだ。

 

「澪、ひまりの所に行く前に一つ教えといてやる」

 

 上坂は首を傾げる。思い当たる節がない。

 

「澪はあたし達に酷い事をしたとか言ってたけど、そんな事はないからな」

 

 言ってる意味が分からない。

 上坂は六年前幼馴染にひどい事をした。その気持ちは今も変わらない。

 だけど目の前にいる真紅の髪の少女はそれを否定した。

 

「澪のお母さんが亡くなって辛かったのは知ってる。だからあたし達は澪に元気になって欲しかった。だけど、大きくなって分かったんだ、優しさが時に人を傷つけるって事に……」

 

「そんな事は……」

 

 そんな事があるから上坂は幼馴染を突き放した。

 

「だから澪だけの責任じゃない。これはあたし達みんなの責任なんだ」

 

「…………」

 

 なんて言えばいいか分からなかった。

 ただ上坂のせいで知らなくてもいい事を幼馴染達は知る事になってしまったという罪悪感。

 今でも六人一緒と言ってくれる嬉しさ。

 二つの真逆の感情が混ざり、上坂は自分が嬉しいのか、悲しいのか分からなくなった。

 

「ま、でも、ひまりに関しては澪が悪いから早く謝れよ」

 

「……分かってる」

 

「因みにだけど蘭が怒ってるのもそこだからな」

 

「え!?」

 

 シリアスな空気を入れ替えるために宇田川が明るい口調で話すが、上坂の表情は固い。

 

「澪」

 

 伸びてきた宇田川の手は上坂の頬を掴みそのまま引っ張った。

 

にゃにしゅんだよ(なにすんだよ)

 

「澪、今からひまりに会いに行くっていうのに、そんな顔で行くのか?」

 

 あっ、と沈んだ表情に気が付いた上坂は目に力を入れ覚悟を決める。宇田川もそんな上坂の覚悟を決めた瞳に納得し引っ張っていた手を勢いよく離す。

 

「いったいなー」

 

「そう怒んなよ、あたしなりの餞別だ。背中を押すみたいなもんだよ。あたしの話はこれで終わりだ。ほら、早くひまりの所に行ってこい」

 

 宇田川は思いっきり上坂の背中を叩く。

 

「イタッ、どうして二回? 餞別なら今さっきくれただろ?」

 

「さっきのはあたしの分で、今のは蘭の分だ」

 

 手をひらひらさせた後にじっと手のひらを見る宇田川は、明らかに勢いだけで背中を叩いていた。

 

「巴、今度こそ俺はひまりのところに行く。だから……」

 

「分かってる、蘭のことだろ? 任せとけ。そもそもあたしは蘭が暴走しないよう見張るために残ってたんだ。だから澪は何も考えずひまりの所に行ったらいい。なあに、澪とは幼馴染の中でも特に付き合いは古いんだ。手のかかることぐらい分かってるよ」

 

「ハハッ……」

 

 余りのカッコよさに上坂は思わず笑う。

 

「急にどうしたんだ?」

 

「いや、何にもないよ。ただ巴が女の子で本当によかったなって」

 

「澪それはどういう意味だよ?」

 

 少し不機嫌になる宇田川だが、別に悪口で言っている訳ではない。上坂が知り合いでここまでのイケメンはいない。それこそ宇田川もし男だったらこれから会いに行く少女を取られていたかもしれない。そんな人生最大の幸運に笑いがこぼれた。

 

 上坂は扉に手をかける。

 

「澪!」

 

「分かってる。次会う時は六人一緒だ‼︎」

 

 上坂はドアを開け先に広がる光路のような真っ白な廊下を駆けて行った。

 



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9話 『珈琲のように苦く』

 一本の長い通路を上坂は観客席のフロアに戻る。

 ステージを見ればグリグリのライブが続いている。観客は熱気であふれ上坂はその人だかりに逆らう様に進みライブハウスを飛び出す。途中ロビーでクラスメイトから声を掛けられるのだが上坂は気づかない。

 

 外は夕暮れの赤を越え夜になっていた。街灯や建物から溢れこぼれる光が血の気の悪くなったコンクリートに朱を差す。台風が上陸したばかりにも関わらず風が強く感じ、すでに落ち一ヶ所に集められた桜の花びらが前を横切る。

 そんな少し強い風も人混みを必死に抜けた上坂には心地よかった。

 

 息を整え走り出そうとした。

 

「澪くん、久しぶりだね」

 

「つぐ……」

 

 羽沢(はざわ)つぐみ。上坂の幼馴染。主張しない暗い茶髪に柔らかくも落ち着いた表情、頭の上に一本髪を結んでいた昔と比べ、あどけない顔立ちは残してはいるが大人っぽく見えた。

 

「澪くん、ひまりちゃんのところにいくんでしょ」

 

 上坂は黙って頷く。

 

「ひまりちゃんがどこにいるか知ってるの?」

 

「まあな。つぐがここにいるって事は、ひまりは家にいるんだろ?」

 

 羽沢の家は商店街で苗字のまま『羽沢珈琲店』という喫茶店をしている。

 そこは昔、幼馴染全員が何かあるごとに集まった最も思い出のある場所だ。

 だからこそ上坂は上原の居場所を羽沢珈琲店か、上原家か、この二箇所に絞り込んでいた。

 今、目の前に羽沢がいる事から上原の居場所が家だということはまず間違いはないだろう。

 

「澪くん、流石だね。正解」

 

 羽沢は隠すことなく簡単に居場所を言う。

 なんの躊躇いもなく。

 誤魔化すなんて考えが最初からなかったかのように。

 

「やっぱりな」

 

「…………」

 

「…………」

 

「行かないの?」

 

 羽沢は驚いた。居場所が分かれば、直ぐにでも上坂は飛んでいくとそう思っていた。

 

「俺だって早く行きたいよ。だけど……つぐはどうしてここにいるんだ? 何かあるからここで俺を待っていたんじゃないのか? それとも本当にひまりの居場所を親切に教えに来てくれただけなのか?」

 

 上坂も気持ちが早まっているのか一度に複数の質問をする。

 羽沢が居場所を教えに来てくれただけだとは思っていない。

 優しさから出来ているような羽沢であっても、ただ居場所を教えるだけだなんて、そんな甘い事はしない。そこには目的がある。

 

「凄いね。澪くんには何でもお見通しか」

 

「分かるよ。だって幼馴染だからな」

 

 フフッ、と羽沢は小さく笑う。

 

「本当はね、澪くんとお話するために待ってたの」

 

 道路の上を転がる小さなアスファルトの破片を小さく蹴りながら呟いた。

 

「少しぐらいなら付き合うよ」

 

 本当は今すぐに上原の下に行来たい上坂だが、向き合うと決めた以上大切な幼馴染の願いを無下には出来なかった。

 

「久しぶりだから沢山お話ししちゃうかも」

 

 羽沢は首を大きく横に振った。

 

「時間かかるなら今度でもいいか? 流石に長時間は付き合いきれないよ」

 

 向き合うとは言っても流石に一般的な子供の寝る時間までには話が終わらなければ上坂も困る。

 

「澪くんが、早くひまりちゃんの所に行きたいのは分かるよ。だけどね、ひまりちゃんにも気持ちを整理する時間がいると思うの」

 

 その通りだ、と上坂は思ってしまった。美竹は『取り乱していた』と言っていた。経過した時間からして混乱は収まっているかもしれない。だが落ち着くだけの時間がない。

 駆け足をしていた足はいつのまにか止まり、上坂は真っ直ぐ羽沢を見ていた。

 

 上坂は自分の気持ちを大切にする余り、大切にしなければいけない人の気持ちを考えきれていなかった。

 

(変わらないといけない事が沢山あるな)

 

 今までの上坂なら、ダメだな俺、と悲観的になったかも知れない。だけど今、変わる事を決めた上坂は違う。少しずつだが前へ進もうとしている。

 だから、羽沢に諭されている筈の上坂の顔は穏やかだった。

 

「分かった、つぐの言うとおりにするよ」

 

「じゃあうちに行こっか」

 

 上坂は羽沢の後ろを歩いていった。

 

 

 

 向かった先は羽沢の家、『羽沢珈琲店』。異性におうちに招待されれば多少は何かを期待するかも知れない。しかしそうはならない。

 これは決して上坂が異性に興味がないわけではないく、正確にはうち()ではなくうち()に招待されたからだ。

 

 店の入り口には、曲線が滑らかな木の板に店の名前である『羽沢珈琲店』と大きく書かれている。

 

 羽沢が入り口のドアを開けるとカランカランと金属同士がぶつかる軽い音が鳴り響く。

 

「変わらないな」

 

 余りの懐かしさに言葉が漏れた。幼馴染もそうだが思い出深いお店も上坂の知る昔のままだ。内装も六年前とほとんど変わらず木材を中心としたシックな感じだった。

 

「本当は何度か改装の話が会ったんだけど、ここにはみんなとの思い出が詰まってるから変えないでってお父さんに頼んだの」

 

 テーブル席に案内された上坂は一人された。どうしたらいいか分からず店内をキョロキョロと見渡していると、目の前に少し冷えた夜には湯気が立ち上るぴったりな温かいコーヒーが置かれた。

 

「私からのサービス」

 

 コーヒーを置いた羽沢はテーブルの向いの席に座る。

 

「本当に久しぶりだね、いつ帰ってきたの?」

 

 どんな話が来るのか身構えいた上坂は普通に世間話に肩の力が抜けた。

 

「四月からだよ。高校に通うために戻ってきたんだ」

 

 上坂の報告を聞いた羽沢は勢いよくテーブルに両手をつき、身を乗り出した。

 

「じゃあ、ずっといるんだよね!」

 

 テーブル越しに詰め寄る羽沢に上坂は圧倒され仰け反る。羽沢もそれに気づき、ごめん、と一言いい椅子に座る。

 

「つぐは怒らないんだな」

 

「何が?」

 

「会いに来なかった事だよ」

 

 羽沢は一瞬考え、

 

「もちろん怒ってるよ。私達ずっと一緒だったのに、どうして会いにこなかったのって思うもん」

 

 羽沢は真剣に怒っているが、顔は怒りとは遠い存在にあった。結局、優しさで出来ている羽沢には怒る事なんて出来ない。

 

「だけどね、そんな事忘れるぐらい、澪くんが帰ってきた事が()()()嬉しいの」

 

 羽沢は極上の笑顔を向ける。

 

「私達はって、さっきその事について蘭にめちゃくちゃ怒られたんだけど」

 

「あ……その、蘭ちゃんは、ほら素直じゃないし、でも澪くんが帰って来た事、絶対嬉しいと思ってるよ」

 

 揚げ足を取られた羽沢は慌てながらも、一生懸命に返す言葉を探していた。

 

「あはははは」

 

「もう、からかわないの」

 

「ごめんごめん」

 

 上坂は羽沢が慌てふためく姿が面白くて笑う。

 

「そういえば澪くん、私達のライブ見てくれてたんでしょ、どうだった?」

 

 羽沢は何か思い出したかのように肩が跳ね、目を大きく開いた。

 本来であればライブに参加していた本人が思い出したと言う表現はおかしいと思うが、決して間違いではない。それだけ上坂が帰ってきたことは羽沢にとって衝撃的だった。

 

「正直、個人の技術はまだ拙いところがあると思う。だけどバンドとしての一体感だけは今日来てたバンドの中で一番だったよ」

 

 羽沢は前半部分で思い当たる所があるのか複雑な顔をするが最後まで話を聞き嬉しそうだった。

 

「澪くんは厳しいな。だけど技術面も問題ないよ。最近練習を見てくれるコーチが出来たんだ。今はまだ教えてもらって日が浅いから、あんまり結果は出なかったかも知れないけど、その人楽器も教え方もすごく上手で、もう教わる事ばかり。だから次、澪くんが聞きに来た時は私達はもっと上手になってるよ」

 

 羽沢は自信満々に胸を張りながら言う。

 

「そのコーチいい奴だな。無償で教えてもらってるんだろ?」

 

 友達が褒められる事は嬉しかった。

 

「そうなるかな」

 

 羽沢の言葉の歯切れが悪かった。練習を見てくれるコーチは、無償では見てはくれているが上司からの命令のため一〇〇%善意ではない。その例のコーチは初めこそ抵抗して嫌がっていたが、今では嫌がる振りをしていて実質一〇〇%善意なのだが羽沢含め幼馴染のメンバーはそのことを知らない。

 

「でも、凄くいい人だよ。今度紹介するね」

 

「大丈夫、紹介しなくていいから」

 

「どうして……?」

 

「知ってるから。あいつは、相沢綾人は俺と同じ学校の同じクラスで友達。そして俺のバンドメンバーだよ」

 

「本当に⁉︎」

 

 羽沢の声が無人の店に響き渡った。

 

 

 

 羽沢は驚いていた。目の前にいる涼しい顔をしている少年が、自分達のコーチと知り合いだと言う事、それもあるが羽沢が一番驚いた事は……。

 

「澪くん、バンドやってるって本当⁉」

 

 余りの衝撃に、一度に信じられなかった。

 上坂がピアノを弾ける事は知ってはいるが、上坂の母親が亡くなってから引けなくなったのも知っている。

 

「今日結成したばかりだ。まぁ、楽器はドラムなんだけど」

 

 上坂は羽沢が何に対して驚いているか察し楽器名を答える。

 

 羽沢はまた上坂のピアノが聴けるかと期待したが違った。

 少しがっかりしたが、それでも嬉しかった。上坂が音楽を続けていた事が。

 

「だったら、いつか同じステージに立てるね」

 

「その時はよろしく、先輩」

 

「先輩は恥ずかしいから辞めてよ」

 

 目の前で笑う上坂を見て思った。

 上坂も自分達と同じようにバンドを組んだ。

 そこにはどんな理由があったかなんて分からない。

 ドラマや漫画のような凄いストーリーがあったかも知れない、それとも、なんとなくバンドを始めました。みたいな理由かも知れない。

 

 だけど一つ言える事がある。

 

 それは、また同じ場所に立っているという事。

 

 だから彼にも知ってもらいたい。

 

「澪くん、私達がどうしてバンドを始めたか分かる?」

 

 真っ直ぐ少年を見て少女は言った。

 

 

 

 真剣な眼差しを向ける羽沢に上坂は首を横に振る。

 

「いいや」

 

 コーチをしている相沢からもAfterglow 創設の話など聞いた事がない。

 

「答えはね、私達がずっと一緒にいる為なんだ」

 

「そうか」

 

 羽沢の言う一緒に上坂は入っていない。そう思うと、思わず表情が曇る。

 

「中学二年生の時、蘭ちゃんだけ違うクラスだったことがあったの」

 

 上坂は不安に思った。

 人見知りの美竹が幼馴染と離れてうまくいくわけがない。

 思っていたことが分かったのか羽沢は頷く。

 

「そう、澪くんの思っている通りだと思うけど、蘭ちゃんクラスにうまく馴染めてなかったの、だからみんな心配してみんなで出来る事を探したんだ」

 

 思い出しているのだろうか、楽しそうに歌うように言葉を並べる。

 

「それがバンドか」

 

 彼女達がどれだけ離れていても一つになれる場所、それがバンド。

 

「そうだよ」

 

 そして上坂に優しく語りかけた。

 

「だけどそれだけじゃないんだ。私達がバンドを始めた理由」

 

「何があるんだ?」

 

「澪くんだよ」

 

 羽沢の声に優しさが増し、まるで聖母のような優しさがそこにはあった。

 

「本当は、私達が集まれるなら何でもよかったの。だけどバンドにしたのは、種類は違っていても音楽を続けていたらいつかまた澪くんに会えると思ったからなの」

 

 幼馴染は諦めていなかった。

 上坂に会うことを。

 

 慣れない音楽を始めてまで追っかけてきたというのに。

 結局、上坂は逃げていただけだった。

 初めから帰る場所はあったというのに。

 飛び込む事が怖かった。

 

 もっと早く向き合っていれば……

 

「そしたら今日、本当に会えてビックリしたよ。……って澪くんどうしたの!?」

 

 上坂の目から涙が流れていた。

 涙を流している上坂に拭くものを持ってこようと羽沢は立ち上がるが、腕を掴まえ離さない。

 

「俺の帰る場所は最初からあったんだな」

 

 静かに涙を流しながら呟いた。

 呟く上坂の手を羽沢は優しく握られていないもう一方の手で優しく包んだ。

 

「そうだよ。澪くんの帰る場所は最初からあったんだよ。ただちょっと長い家出をしていただけ」

 

 握られた手はいつのまにか離れ、羽沢は隣に立っていた。

 

「だから……お帰り、澪くん」

 

 羽沢は涙を流す上坂を優しく抱きしめた。

 

 温かい体温に甘い香り、聞こえる心音そのすべてが心地よかった。

 だが同時にこっぱずかしくもあった。昔、仲良く走り回った相手に母親のように優しく抱きしめられ頭を撫でられる、こんな恥ずかしいことはない。

 それでも嬉しかった。鍵をかけずドアを開いて迎え入れてくれることが、

 

 上坂は涙で顔を濡らし震える声で言った。

 

「ただいま……」

 

 この言葉は、みんなと一緒に歩くための魔法の言葉に違いない。

 

 

 

 流れた涙は止まっていた。

 

「その、ありがとう。……変な意味じゃないから」

 

 上坂の顔は赤かった。羽沢も上坂の顔色から理解したらしく同じく真っ赤になる。

 上坂はそんな気まずい空気を壊すように両手の平で自分の頰を叩き気合を入れる。

 

「よしっ!」

 

「行くの?」

 

 勢いよく立ち上がった上坂に羽沢は聞く。

 

「いいや、行く前に一つやっておきたい事があるんだ」

 

「え……うそっ!」

 

 羽沢は上坂の視線にあるものを見て口元を両手で抑える。

 

 視線の先には黒いピアノが置かれていた。羽沢が小さい頃に練習していたピアノだ。上坂と羽沢は昔、このピアノを使ってよく知り合いばかりを集めたミニコンサートを開いていた。

 

 上坂はそんな懐かしのピアノが置かれているカウンターのすぐ横にまで歩いて行った。

 

 上坂は鍵盤を指で撫でた。長い間弾かれず置かれていたにも関わらず埃や錆なんてない。

 そんな手入れが行き届いた鍵盤を撫で振り向いた。

 

「俺は、バンド仲間の綾人や春夏、そして学校の友達に、幼馴染の蘭、巴、ひまり、モカ、それにつぐ、みんなのお陰で俺は前に進む事ができた」

 

 再び鍵盤を撫で、

 

「でも、結局これを弾けなければ俺の、上坂澪の物語は本当の意味で始まらないんだ。だから俺は弾くよ。みんなの元に戻る為に。だからつぐ、聞いてくれるか?」

 

「もちろんだよ」

 

 上坂は椅子に腰かけ鍵盤に指をのせようとするが指が震えていた。

 無理もない。上坂が最後にピアノに触ったのは母親が亡くなる前日だったのだから。

 笑った顔、亡くなった時の感情が抜け落ちた静かな表情が脳裏に浮かぶ。

 

 上坂は鍵盤から指を離し目を瞑った。

 

 今日の出来事を思い出した。

 四季に怒られた事、

 相沢に諭された事、

 戸山に勇気を貰った事、

 美竹に拒まれた事、

 宇田川に元気付けられた事

 羽沢に励まされた事、

 上坂は泣きたくなった。本当に自分がどうしようもない奴だと思えて、

 

 だけど、

 

(大丈夫一人じゃない、俺には、みんながいる)

 

 みんなの顔を思い浮かべると自然と震えは無くなっていた。

 

 大きく息を吐き、もう一度、今度はゆっくり鍵盤の上に指を置き弾いた。

 

 上坂が弾いているのは、ピアノが弾ける人なら誰でも弾けるそんな曲だった。

 この曲は上坂が初めて弾けるようになった曲で上坂の原点だ。

 ゆったりとした曲調が心地よく、先程まで指が震えていたのが嘘かの様に滑らかに鍵盤を弾いた。

 ピアノの音は店中を包み込み、聴いている人全てがその曲の世界に入り込んでしまうそんな演奏だった。

 

 上坂は余韻に浸っていた。ピアノから奏でられる音、鍵盤の重さ、冷んやりとした手触りピアノの全てが愛おしかった。

 

 どうしてこんなに良いものを六年も辞めていたのだろう。

 ピアノを弾き終えた上坂にはもう一生分からないだろう。

 

「どう……だった……」

 

 振り返った上坂は恐る恐る聞いた。

 六年もブランクが、羽沢をがっかりさせていないか心配だった。

 

「何も変わってない、私が聴きたかったあの音だよ」

 

 涙が溢れていた。羽沢は涙がこぼれない様に指で涙を拭っていた。

 

「ねぇ澪くん、私達の出会いって覚えてる?」

 

「あぁ覚えているよ。コンクールだろ」

 

 羽沢もピアノを習っていて、幼稚園の時のピアノのコンクールで二人は出会った。

 

「そうそう、それで私、澪くんの演奏を聴いて思わず声をかけたんだよね」

 

「あれはビックリしたな。それで家が近所だって事が分かって。あれからだよな、俺達が一緒にいるのって」

 

 昔を思い出して懐かしくなった。

 

「始めは澪くんだけだったのが、ひまりちゃんに巴ちゃん、モカちゃんに蘭ちゃんみんなに出会う事が出来た。ありがとう澪くん、私をみんなに合わせてくれて」

 

 真っすぐ感謝を伝えられ上坂は顔を赤くする。

 

「私、本当はね、澪くんの事好きなんだ」

 

 あまりに突然だった。初めは冗談だと思った。だが、ほんのりと赤らめる顔がそうは思わさなかった。

 

「一目惚れなんだ。初めはピアノを弾いてる姿がカッコいいって思ったから、勇気を出して声をかけたの。どうしたらそんなに上手になれるの? って。でもね澪くんと一緒にいるうちにピアノを弾いてる澪くんじゃなくて澪くん自身に惹かれていったの」

 

 優しく、困っている人がほっとけない。そんな上坂が羽沢は好きだった。

 先頭で引っ張るような人ではなかったが、幼馴染が同じ方向を向くようにまとめていた上坂に憧れもあった。

 幼馴染全員が上坂がいなくなった後も誰一人欠けず一緒にいるのは、まとめ地盤を固めた上坂のおかげなのだが上坂は知らない。

 

「つぐ、おれ……」

 

 言葉が出なかった訳ではない出せなかった。たとえ逃げる行為だとしても上坂は羽沢を傷つけることが怖かった。

 

「分かってる」

 

 羽沢は優しく呟いた。

 

「ひまりちゃんが好きなんでしょ」

 

「なっ!」

 

 上坂は驚く。

 

「見ていたら分かるよ。澪くんいっつもひまりちゃんのこと見てたし。それにひまりちゃん以外みんな知ってるよ。澪くんがひまりちゃんが好きな事」

 

 羽沢は笑いながら、からかう様な口調で話した。

 

「嘘だろ?」

 

 上坂は突然の爆弾発言に開いた口が閉まらない。

 

「澪くんって賢い割に分かりやすいんだから」

 

 おかしく顔をゆがめる上坂に羽沢はクスクスと笑う。

 

「振られたんだし、今日ぐらいはからかってもいいよね」

 

「…………」

 

 どんな鈍い男だろうがそんなこと言われたら言い返せるはずがない。

 

「……つぐ、その……これからも友達でいてくれるか?」

 

 とても振った相手に言う様な言葉ではない。傲慢ではあるが上坂はもう何も失いたくなかった。

 からかっていた羽沢の口が止まる。

 

「もちろん。それに今更そんな事言わないでよ。私はこれからも澪くんの友達でいるつもりだよ」

 

「つぐ、ありがとう」

 

「もう、澪くんが変なこと言うから、これ以上からかうなんて出来ないよ。だからもうひまりちゃんの所に行っていいよ」

 

 羽沢は店から追い出す様に上坂の背中を押す。

 

「澪くん頑張って、私応援してる」

 

 羽沢は手を胸の前で小さく握る。

 

「ありがとう。絶対にひまりと仲直りしてみんなの元に帰るよ。だから……」

 

「だから?」

 

 羽沢は小首を傾げる。

 

 上坂は恥ずかしかった。

 羽沢は知らないとは言え、普段言わない言葉(決めゼリフ)を二回も言うなんて、

 

「つぐ、次会う時は六人一緒だ」

 

「うん」

 

 上坂は過去を乗り越えみんなの元へ帰る為に、暗くなった夜の町をかけた。

 

 

 

 上坂を見送った羽沢の目から涙が溢れていた。

 理由は分かっていた。上坂が上原の事を好きなのは知っていた。だけど本人から聞いたわけでもなく、あくまで観察してそう思ったからだ。

 だけど、今日、上坂が上原が好きな事を直接聞いた時、羽沢の中で何かが崩れる音がした。

 もしかしたら上坂は上原の事を好きじゃないかも知れない、そう例えれば母性や父性のような見守るべき存在という考えだ。

 羽沢の中でもその考えはほとんどなかったかもしれない。

 しかし、ゼロに近いその考えを羽沢は捨てきれなかった。

 今日、上坂によってそのゼロに近い考えがゼロにされた時は本当は泣きたかった。だけど泣いてしまえば上坂はきっと羽沢の側にいてくれただろう。

 だから泣かなかった、上坂の決心を鈍らさない為に。

 だから泣かなかった、笑顔で上坂を送り出す為に。

 だけど上坂は言った『友達でいてくれるか』と

 その言葉に再び涙が出そうになった。だから涙を流す前に追い出した。

 

 きっと次に会う時は、二人は恋人になっている。

 

 だって、二人は両想いだから。

 

 上原(友達)に好きな人を取られて悔しい、だけど任せることが出来る。

 

(私の大切で自慢の友達)

 

 羽沢は流れる涙を慌てて服の袖で拭いた。

 

(こんな姿お客さんに見せたら失礼になっちゃう)

 

 袖で擦られたまぶたは腫れるまではいかないが、見たら分かる程度に赤くなっていた。羽沢は赤くなったまぶたに気付かず、涙が止まったことに安心していた。

 

 カランカラン、と金属同士がぶつかる軽い音が鳴り、お店のドアが開いて外から新しいお客が入って来た。

 

「いらっしゃいませ」

 

 太陽の様な眩しい笑顔で羽沢はお客を出迎えた。

 

 こうして少女の一〇年以上にも渡る長い初恋は終わった。



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10話 『一方その頃』

 そこし時間は戻る

 

 外は暗く街灯が無ければ周りが良く見えず、気温は季節が春なのか少し肌寒いがその程度だった。

 

「友希那さん、どうして俺までRoseliaの反省会に参加するんですか?」

 

 街灯と夜空の星のちっぽけな明かりが光る商店街を歩く中、相沢は湊に尋ねる。

 上坂の騒動が落ち着いた後、SPACEのオーナーに勝手にステージに上がった事を怒られ、ナーバスな気分で四季と観客席に戻ったら湊が仁王立ちで待っていてた。そして気がつけばこうだ。

 

「あなたも反省会に参加するのは当たり前でしょ」

 

 Roseliaの反省会はファミレスか羽沢珈琲のどちらかで行われ今日は後者である。そこに意味はない。

 

「今日はRoseliaと綾人達の合同反省会なんだから」

 

 本日の湊はご機嫌ななめだった。原因は相沢がバンドを組んだことだ。

 

 何故なら。

 

「綾人達の演奏一曲だけだったけどすごかったよね、紗夜もそう思うでしょ」

 

「えぇ、悔しいですけど、相沢さん達の演奏は、今日のどのバンドより素晴らしかったですから」

 

 これである。

 今井と氷川が相沢達の演奏を絶賛する。湊はその自分達と同レベルかそれ以上の演奏に対抗意識を燃やしていた。

 

「リサさんも沙夜さんも褒めすぎですよ。でも友希那さん、俺達全員揃ってませんよ」

 

 一人足りてない。今この場にはRoseliaの五人と隣には緊張のあまり一言も話さない四季がいる。そう、オーナーからの説教も、湊からの強制参加の反省会からも上手く逃げ昔馴染みに会いに行った少年がいない。

 

「ドラムの人には後から綾人が伝えれば問題ないわ」

 

「そうですけど」

 

 これから起こるであろう殺伐とした空気の中で行われる反省会及び尋問。相沢はこれを何とか回避しようと試みるが失敗に終わる。若干憂鬱になりため息を吐く相沢を隣を歩く四季が心配そうに見る。

 決して相沢を心配している訳ではない。

 

「なぁ、俺も参加していのか?」

 

 そう言ってはいるがライブハウスを出てから相沢の側を離れようとしない。

 

「じゃ帰るか?」

 

 珍しく気を使ったの相沢だったが四季はしがみついて離れようとしない。相沢は締め付けられ痺れた腕で四季を払う様にして思った。

 

(何がそんなにいいんだよ。帰れるなら俺が帰りてーよ)

 

「ホント二人、中が良いね。春夏も参加して良いに決まってるじゃん。同じベースだから色々話とか聞きたいしね」

 

 相沢が四季を雑に扱ってる様に見えるが、今井は楽しそうに二人を見ている。

 

「それにしても澪だっけ? どうしてこれなかったのかなー」

 

 いつもならうるさいはずのあこが今井の疑問に答えられない程静かだった。

 

「あいつにも色々用事が有るんですよ」

 

 何よりも優先すべき事が。

 

「何か聞こえます。……どこか聞き覚えのあるような」

 

白金が珍しく自分から声を上げ、音の発信源を探すため手の平を耳にそえた。

 

「りんりん、何にも聞こえない」

 

「あこちゃん大丈夫。その……私達の歩いている方から聞こえてるみたい」

 

 白金はそういって少し早足になる。白金にしては珍しいことだ。相沢達も白金に続く様に早足になる。

 

「この方角っていったら商店街からか」

 

「多分そうです。でも、どこから聞こえて来てるかまでは……」

 

 不確定な情報を提供してしまったことに白金は肩を落とす。

 

「安心してください白金さん。確かに聞こえますね、これは……ピアノの……音のようですね」

 

 氷川は前へと進む足が自然と緩んだ。

 

「そうね、しかもかなりうまいわ」

 

 湊にも謎の音色が届き、白金は勘違いじゃないことが証明され胸を撫で下ろす。

 

「そんなに凄いんだ。私はまだ聞こえないなー」

 

「あこもー」

 

「そんなに凄いんでしたら俺も聞いて見たいです」

 

 聞こえない組はどんな音か聞きたくなって少し早足になった。

 

「あっ、聞こえた。確かにこれは無茶苦茶うまいな」

 

「俺もそう思う」

 

「白金さん以外にこんなに上手い奴がいるだな」

 

 初めに聞こえたのは相沢と四季だった。

 

「あっ、ホントだすごい上手」

 

 続いて今井、

 

「あこも聞こえたー」

 

 そして最後はあこ、

 

「でもこの音って……」

 

 ピアノの音がここで消えた。

 

「あーあ、私全然聴け無かったよ。あこ残念だったね」

 

「あー、残念だったねリサ姉」

 

 あこの返事はどこかぎこちない。

 

「あこちゃんどうしたの?」

 

「りんりん。あこ、この音知ってる。とても懐かしい音、だけど思い出せない」

 

 あこは首を横に大きく振り、顔を曇らせた。

 その顔は思い出せない悲しみと、何か分からない苦しみがあった。

 

「あこ、そんなくらい顔するな」

 

「綾人さん……」

 

「思い出せなかったら、突き止めてもう一度弾いて貰えばいいだろ」

 

 元気づけようとにっこり笑う相沢に今井が聞く。

 

「でも、綾人場所なんて分かるの?」

 

「おおよその目星は付いています」

 

 相沢はニヤリと顔を歪ませ、

 

「周りを見て下さい」

 

「「?」」

 

 相沢の言う通り周りをRoseliaのメンバーと四季は自分の周りを見た。

 そこは夜も遅いことから商店街のお店は閉まっており、シャッター街へと姿を変えていた。

 

「そう言うことですか」

 

「分かったの?」

 

 ええ、と氷川が頷く。

 

「相沢さんが言いたいのは、空いているお店が限られているという事です。今シャッターが閉まっているお店は殆どが八百屋や精肉店といった個人のお店です。だけど見て分かる通り私達のいる場所は真っ暗ではありません」

 

 たしかに商店街はシャッター街へと変貌したが、真っ暗ではなく、決して月や星の輝きを頼りに歩いているわけでもない。

 

「つまり、光が付いているお店にその人はいます。それもスーパーやレストランと言った会社が経営しているものではなく、個人が経営しているお店です。で、いいですか相沢さん?」

 

 説明をする氷川は眉ひとつ動かさず、淡々と相沢の推理を答える。

 

「その通りです、さすが紗夜さん」

 

 会社が経営する店は内装が店舗ごとにある程度統一されている。ピアノのような値がするもの揃えられている確率は低い。

 

「じゃあこの辺で言ったら……」

 

「分かった。ラーメン屋さんだ。あこ夜にお腹が空いた時、よくお姉ちゃんと行くもん」

 

「あこ〜、流石にラーメン屋さんにピアノは置いてないよ」

 

 ラーメン店にピアノが置いてあれば、ピアノは油でギトギトになってしまう。

 

「早く行くわよ」

 

 湊の小さく鋭い声に全員が視線を集めた。

 

「友希那、行くってどこに? ……まさか、本当にラーメン屋に行くの?」

 

「何を言ってるのリサ」

 

「だって、ラーメン屋に行くんじゃ……」

 

 ため息交じりに湊が答える。

 

「行かないわよ。それより早く羽沢珈琲に行きましょ」

 

「「あっ!」」

 

 今井とあこは何か思い出したかの様な間の抜けた声を上げた。

 

 

 

 相沢達は反省会をする為、羽沢珈琲を目指し歩いている。と言うよりそこに例の人物がいると考えたからだ。

 

「相沢さん」

 

「紗夜さんどうしたんですか」

 

 氷川が相沢だけに聞こえる声で話しかけた。

 

「先程私は、あなたの代わりに答えましたが、あの推理では不十分です」

 

「ど、どうしてですぅ?」

 

 自身満々に言ったものを否定された事が恥ずかしくなり、引きつった変な敬語になる。

 

「相沢さんは前提として、まずピアノはお店に置いているものと考えています」

 

 相沢は嫌な予感がし、額からじっとりとした変な汗が流れてくる。

 

「ですが、白金さんの様にご自宅でピアノを持っていたら、相沢さんの推理は根本から崩れます」

 

(あああぁぁああぁぁぁ〜~~)

 

 顔から火が吹きそうだった。

 商店街=店と考えていたがあこや山吹のような商店街の中に家があるものもいる。なによりこれから行く羽沢珈琲店は羽沢の家だ。

 

(五分前の俺を殴りたい)

 

 と相沢は思わずにはいられなかった。

 

「紗夜~、綾人をいじめないの」

 

「私は別に……」

 

 氷川は決して相沢をいじめていたわけでもなくただの冤罪だった。

 しかし今井には先程の相沢と氷川のやり取りは聞こえていなかった。だから今井は相沢の顔色で判断するしかない。

 激辛料理を食べたかの様な赤い顔色は氷川によって起きた事だろうそう判断した。

 今井は、いじめると言う言葉を使ったが正確にはニュアンスが違い本当の意味でいじめてるとは思っていない。ここでのいじめとは、氷川が辞書の様な正論を並べた、そう言う意味だろう。

 

「で、場所の目星は付いたはいいけど、どうやってお願いするの?」

 

「それに関しては推理以上に問題ありません」

 

 先程の氷川の説明のダメージが大きく、言い方が若干自虐的になる。

 

「リサさん達がお願いしたらいいんです」

 

「えっ、それだけ⁉︎もっと他にないの?」

 

「単純ですけどこれが一番確実ですよ。Roseliaの皆さんみたいな可愛い女の子がお願いしたら、一発ですよ」

 

 ドヤ顔をした。今度こそ反論の出来ない完璧な案だと思った。

 

「可愛いって……でも綾人、女の人だったらどうするの?」

 

 今井は嬉しそうな顔をしながら首をかしげる。

 

「えっ、えっ〜と」

 

 相沢は完全に自分基準で考えていた為、ピアノの演奏者が女性かもしれないと言う考えが抜けていた。

 相沢はどちらかと言えばカッコいい部類に入っていると自分で思っている。

 人に言っておいて都合のいいことだが、お願いします!ピアノをもう一度聞かせてください、なんて軽いナンパみたいな事恥ずかしくて言えない。

 

「だったら、こいつにお願いさせます。こいつ顔だけはイケメンなんで」

 

「綾人、俺がそんなことできるわけないだろ!?」

 

「お前はいつものように軽口を言ってればいいんだよ。大丈夫、後でちゃんと慰めてやるから」

 

「ふざけんな!どうして俺一人がそんな恥ずかしい目にあわなくちゃならねえんだよ!」

 

 もめる二人を見る今井は何事もないように言った。

 

「春夏だったら大丈夫だね。イケメンだし。まぁ私としては綾人にもお願いして貰いたいけど」

 

 四季の目に光が宿る。四季は単純だ。だから今井の言葉も前者しか頭に残っていない。四季は金色の髪を搔き上げて言う。

 

「任せときな、俺にかかればどんな子ねこちゃんもたちまち素直なっちまうんだぜ」

 

 いつものように顔を赤くした四季を横目に歩いていると一軒の店の前で足を止める。

 お店の外観は商店街から浮かない様に派手さはなく、他のお店同様、看板だけはでかでかと『羽沢珈琲店』と店名の主張が強い。

 

「着いた……」

 

 相沢はRPGで言う様々な冒険の果てにとうとう魔王の城に来たみたいな演技くさい声を出した。

 

「フッフッフ、この魔王の城に一体どんな強敵が待っているのやら」

 

 隣であこがノッて来るが、『大魔王あこ』を名乗る少女が勇者側に立つのはおかしい、と相沢は思う。

 

「早く入りましょ」

 

「えぇ、どんな方が弾いてるか気になります」

 

 そんな中二病が抜けていない二人を余所に湊と氷川は店に入ろうとする。

 

「分かりましたよぉ~」

 

 相沢は店のドアノブを握ろうとしたがそれより先にドアが開く。

 

「いっ、てぇ──」

 

 突如開いたドアが無抵抗に相沢の顔を襲う。

 

「綾人大丈夫か?」

 

 相沢はその場でしゃがみ込み顔を抑える。隣では美少女ではなく、野郎(四季)が心配する。

 

「誰だよ! 一言ぐらい謝れよ!」

 

 勢いよく立ち上がり振り返るが、夜空のせいで見えない。

 

「あははははっ」

 

「リサさん面白くないですよ」

 

 ギャグ漫画の様に綺麗にドアで顔をぶつけた相沢を見て今井はお腹を抱えて笑う。

 

「ったく、……入らないんですか?」

 

 笑っている今井と心配する四季以外の四人は店とは反対にある暗闇を見つめる。

 

「さっきの綾人の友達じゃないかしら」

 

「はっ?」

 

 相沢にピアノを弾ける友達は、今一緒にいる白金と今から入る店で働く羽沢だけだ。

 

 仮に羽沢がドアを開け、相沢にぶつけてしまったのであれば優しさ一〇〇%で出来ている羽沢は謝るだけではなく優しく手当をし包帯まで巻いてくれるだろう。

 だから謝らない時点で羽沢ではない。

 

 じゃあ一体だれが? 

 

 そもそも二人以外にピアノを弾ける友達がいたのか? 

 

「お兄ちゃん……」

 

 紫色の髪を両サイドで結んだ少女はポツリと呟いた。

 風が強くて小さい声なんか聞こえるはずがないのにその声は相沢の耳に届いた。

 呼ばれた名前は愛称ではあったがそれが誰の名前か直ぐに分かる。

 

「澪……」

 

 少年も同じように姿があるはずのない暗闇を見て呟いた。

 

 少女は言った、

 上坂はピアノが弾けたと。

 

 少女は言った、

 その上手だったピアノを辞めてしまったと。

 

 相沢はピアノの事が急にどうでもよくなった。

 上坂は弾けなくなったピアノが弾けるようになった。

 上坂とバンドを組んだ相沢はこれから嫌と言うほどピアノの音を聞かされるに違いないから。

 

 恥ずかしい思いまでして見つけた答えが知り合いだと分かり、今この場に広がるシリアスな空気がバカバカしく思えた。

 

「早く入りませんか? 俺、お腹すきました」

 

「それもそうね」

 

 湊の一言で相沢を先頭に店の中に入っていった。

 

 店の中に入ると、ベージュの制服にエプロンを見にまとった羽沢つぐみがいた。

 瞼と頰が薄く赤くなっていて、それが涙のせいであるのは分かっているが、なんだか化粧をしているように見え、いつもより可愛く見えた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 今まで見たことがない優しい笑顔だった。

 相沢は決して自分に向けられていないと分かりながらも不覚にも顔を赤くしてしまった。



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11話 『六年越しの I LOVE YOU』

 上坂がいるのは一軒の家の前。小さくもなく大きくもないそんな普通の家だ。そして表札にはの苗字である『上原』と書かれている。

 

 上原家は商店街から外れているとはいえ羽沢珈琲から近く、走った上坂に疲れは見えない。

 だが目と鼻の先に上原がいると思うと、緊張で脈が早くなる。

 

 上坂は大きく深呼吸をし、震える指でインターフォンを押す。ピンポーン、と電子音と同時に家の中から足音が聞こえドアが開いた。

 

「どちら様ですか?」

 

 出てきたのは桃色の髪をした女性。上原の母親で名前は上原夏葵(うえはらなつき)。年齢は四〇を超えているが見た目は実年齢より一回り程若い。

 インターフォンで誰が来たかを確認せず不用心に玄関の扉を開けた夏葵は夜に訪れた年頃の男の子の姿に少し警戒していた。

 

「お久しぶりです。上坂です! 上坂澪です!」

 

 過去のことを考えれば名前を出したところで警戒が解けるとは限らない。むしろより一層警戒され、なんならバケツ一杯の水ぐらいかけられてもおかしくはないが叫ばずにはいられなかった。

 

「澪君なの!? 見ない間にカッコよくなって。待ってて今をひまりを呼んでくるから」

 

 夏葵は上坂だと分かると警戒心がなくなり距離をつめてきた。無警戒さは上原が過去のことを話してないのかとさえ上坂は思う。

 だが安心はした。嫌われていたのならば、まず合わせてもらえない。

 

「すみません、お邪魔します」

 

 入り口を隔てる鉄のドアを開け上坂は夏葵の隣を横切る。許可もなく人の敷地に侵入することは不法侵入罪で通報されてもおかしくない。しかし上坂はフランクに話し掛けてくれた夏葵の優しさを信じ甘えた。

 

 上原を呼んでもらうのは別に悪い事じゃなかった。ただ散々待たせた上に会いに来てもらうなんて恥ずかしいことは出来ない。

 逃げた一回目とは違う上坂は正面から胸を張って上原に行きたかった。

 

 他人の家にも関わらず上坂は玄関で靴を脱ぎ捨て階段を駆け上がった。

 階段の段数は十三段。他の家と変わりはない。しかし上坂にはたった十三段の階段が学校の階段すべてを登るのか、と思わせるぐらい長く感じた。

 

 

 

 許可もなく他人の家に入っていった礼儀も知らない少年の後ろ姿に上原の母親、上原夏葵は頬が緩んだ。

 六年前引っ越した少年はやはり娘の元に帰って来た。夏葵はもちろん娘と少年の間に何があったのか知っている。子供ではない夏葵は小さかった少年の青臭い考えぐらいお見通しだ。

 娘の口から出てくる男の子の名前は決まって不法侵入をした悪い少年だった。嫌、最近もう一人『綾人くん』というどこの馬の骨か分からない男の名前が出てきてきたが、もう可愛い娘の脅威にはならない。

 今日はいつも以上に良く眠れそうだ。夏葵は伸びをする。

 

「さ~て、今日は……遅いから、赤飯は明日ね。おめでとうひまり、ひまりの六年間は決して無駄なんかじゃなかったわ」

 

 夏葵は窓の開いた娘の部屋を見上げて小さく呟いた。

 

 

 上坂は息を切らしていた。たった十三段の短い階段が上坂の体力を消耗させた。

 勢いよく駆け上がった階段はスピードこそあったが無駄な動きが多く、それに加え地面を走るのと変わらない登り方をしたことで階段の角で足や脛を打ったり、あまつさえ踏み外し落ちそうになったりもした。

 そんな短くも小さな冒険をした上坂は一つの部屋の前に立っていた。

 何度も来たことのある部屋、六年前のこととはいえ今更間違えるはずがない。

 部屋の扉には六年前にはなかった自分の部屋だと主張するプレートがかけられてそもそも間違えようがない。

 その可愛らしいプレートは見るだけで女の子の部屋だと実感させるが、礼儀知らずの悪い少年はノックもせず勢いよく部屋を開けた。

 

「‼︎」

 

 中にいたのは桃色の髪の少女、上原ひまり。上坂がどうしても会いたかった少女だ。服装はSPACEであった私服のようなライブ衣装とは違い、髪と色と同じ桃色の薄手のワンピースのパジャマに変りそれだけでは寒いのか上から水色のカーディガンらしきものも羽織っていた。風流にも夜風を楽しんでいたのか部屋の窓は開いており、手には写真立が握られていた。今は驚きの表情に塗り替えられているが、写真立を持ち乾ききっていない髪が夜風で揺れていた様子は儚く絵にも描けない美しさだった。

 

 上坂は安心した。着替えられた服、乾ききっていない髪を見て少なくとも少女は入浴を済ませる程度には気持ちが落ち着いていた。

 

 部屋の主の少女は上坂の姿に驚き手に持っていた写真立を落とす。落ちた写真立は小さな音を立てて落ちるが少女は拾おうとはしない。

 少女は目の前の光景が信じられない、とばかりに上坂を真っすぐ見ていた。

 

「れ……い……? 澪がどうしてここにいるの?」

 

 情報の処理が追いつかず、軽く混乱している少女に上坂は短く端的に答えた。

 

「ひまりに会いに来たんだよ」

 

 

 

 短い言葉に混乱が覚めた上原は上坂を部屋に招き入れる。

 

「この部屋も変わったな」

 

 上坂はあまりの部屋の変わりように呟く。以前は人形やぬいぐるみと言った可愛い物を詰め込んだ感じの部屋だったが、今ではファッション雑誌や化粧品といった年頃の女の子の部屋になっていた。

 

「そりゃあ私だって成長するもん」

 

 自慢気に言う上原はベッドに腰かけ、上坂にも隣に座るように促す。

 

「久しぶりだな」

 

 上原の隣に腰かけた上坂は呟く。

 

「六年ぶりだもんね」

 

 上原の声は落ち着いていたが、それでもぎこちない。それは上坂も同じことで、二人はただ当たり障りのない会話をしているだけだ。

 

「…………」

「…………」

 

 六年という時間が二人の関係をぎこちないものにしてしまった。

 

「……ねえ、澪……。どうして今日、私達を置いてどっか行っちゃったの?」

 

 上原が言っているのは上坂がステージに上がる前の出来事だ。

 

「本当はみんなの傍を離れたくなかった。ひまりも知ってるだろ? あのキラキラ星歌ってたやつ。あいつ友達なんだ。だから助けたかった」

 

 そむけた目は一向に上原を見ない。

 怖かった。昔の友達より今の友達を優先するんだ、なんて言われてしまえば真実は違えど事実ではそうとしかとらえられない。

 本当に救わなければいけない少女を置いていったのが何よりの証拠だ。

 

「澪は……昔の友達より今の友達を優先するんだ……」

 

「ち、違う。そんなことは───」

 

 寂しそうに呟く上原の言葉を否定しようとした。しかし目の前には胸を痛めるような少女の姿はなく、にやりと笑う少女の姿だけだった。

 

「嘘に決まってるじゃん。もお、澪ったら本気にしちゃって。そんなに必死にならなくても分かってるよ」

 

 上原は笑顔のままけらけらと笑っていた。だからこそ上坂は奥歯を噛みしめた。

 上坂が六年前見た少女の最後の表情は怒り、泣いていた。こんなに笑顔が似合う少女から笑顔を奪ってしまった過去の自分自身を殴ってやりたかった。

 

「……ひまり、ごめん。長い間辛い思いさせて」

 

 上坂はぽつりと呟き頭を深く下げる。

 

「本当はみんなに会うつもりはなかったんだ。あんなに傷つけたというのに今更どんな顔をして会えばいいんだって。でもみんなと同じくらい大切な友達が俺の背中を押してくれたんだ。それでここに来るまでに、みんなからひまりがどれだけ傷ついたかのか聞いた。どれだけ辛かったのかも聞いた」

 

 感情が高まる。

 

「全部俺の所為だ! 俺があんな事言わなければひまりは辛い思いをせずに済んだ」

 

 もっとまともな断り方をすれば、今とは違っていた。

 

「俺はただひまりに嫌われたかった。俺なんか忘れて自由になってほしかった」

 

 きっと普通に振っても上原は待つだろう。

 また会える保証がないのに何年も何年も、

 だからわざと嫌われるような事を昔の上坂は行った。

 だけど上原を傷つけただけだった。

 

「忘れられるわけがないじゃん!」

 

 上原はボロボロと涙を流し、上坂の服の胸辺りを両手で力強く握り締めた。

 

 上原の叫び声は部屋中いや家中に響いていただろう。

 

「私にとって澪との思い出は宝物なんだよ。それをどうして取り上げるの? そんな残酷な事しないで!」

 

 それは言葉通り大切なものが取られたかのような訴えだった。そんな中、上坂は床に落ちた写真立に重なっている写真を見た。幼い日の上坂と上原のツーショットの写真。上原はなんともないように上坂を部屋に招き入れたが、大切な宝物を拾い忘れるぐらい動揺していたということだ。

 

「私は知ってる。澪が傷つけるだけの人じゃないって、だからあの言葉にも何か意味があるんじゃないかと思えた」

 

 震える声で、それでも涙に負けないように強く噛み締めながら。

 

「私は知ってる。澪が優しい人だって、困っていたらいつも助けてくれた」

 

 上原は知ってほしかった。

 

「私は知ってる。澪が素直じゃないってこと。素直な様に見えて以外に強がりでカッコばかりつける」

 

 上坂澪がどんな人なのか。

 

「私は知ってる。澪が大好きな事。だから辛くてもずっと待っていられた」

 

 上原は知ってほしかった。

 

()()()は知ってる。私たちには澪が必要だってこと」

 

 みんなにとって上坂澪がどれだけ大切な存在なのか。

 

「だからみんなの所に帰ってきてよ! れいいいいぃいいいいぃぃぃ〜〜〜!!」

 

 話す事も出来なくなった上原は上坂の胸で泣き続けた。

 

 

 

 泣き疲れて上坂の胸で眠っていた上原は目を覚ました。

 

「あれっ? ここは……」

 

 ハッと思い出し上原は驚いた勢いで上坂を突き飛ばす。

 

「うおっ」

 

 突き飛ばされた上坂の体がベットに沈む。

 

「澪、大丈夫?」

 

「下がベットだったからなんともないよ」

 

 上坂はベットに沈んだ体をゆっくり起こした。

 

「ねえ、私どれぐらい寝てた?」

 

 子供の様に泣き疲れて眠ったのが恥ずかしかったのか、両手の人差し指を胸の前でくるくる回していた。

 

「せいぜい一〇分ぐらいだよ」

 

「よかったあ~」

 

 安心した様に上原は胸をなで下ろす。

 

「なぁひまり、眠る前自分がなんて言ったか覚えるか?」

 

「その……覚えてるけど」

 

 上原の言葉の端切れは悪かった。

 それもそのはず、泣いて叫んだ言葉が冷静になった今、凄く恥ずかしかったからかだ。

 

「だったら……」

 

 上坂は腕を伸ばし上原の額を軽く指で弾いた。

 上原はどうして自分が叩かれたのか分からないと言った顔をするが答えはすぐに分かった。

 

「ひまり勘違いをしているようだけど俺は別に謝るだけにここに来たわけじゃない」

 

 上坂は呆然とする上原に笑いかけ、

 

「俺がひまりの所、みんなの所に帰るってことも伝えに来たんだ。だから『帰ってきて』じゃなくて、『帰るんだ』よ」

 

 上原は、涙が枯れるまで泣いた筈がまた瞳から涙が溢れていた。この涙は悲しみの涙ではない、幸せがあふれ出した喜びの涙だ。

 上坂はそんな溢れ出す涙を指で優しく拭う。

 

「泣くなよ」

 

「だって〜」

 

 子供のように間延びした声に上坂は笑った。

 

「泣いたらただでさえ止まっていた話が進まないだろ?」

 

「えっ、澪まだ何かあるの?」

 

 上原は袖で乱暴に涙を拭い急いで涙を止める。

 

「そうだなー。この話が終わってようやく俺はひまりの元に戻れるかな」

 

「どんな話?」

 

 上原が絵本を読む前の子供のような表情を浮かべるが、上坂の顔は赤い。

 

「ひまり」

 

 真っ直ぐ上原を見る。見れば伝染したのか上原もかしこまっていた。

 

 緊張する。

 脈が早くなり、心臓の音もはっきり聞こえる。

 走ってもいないのに呼吸が乱れて苦しい。

 きっと六年前の上原も同じ、いやそれ以上だったに違いない。

 それを上坂は踏みにじった。

 

(本当に最低な事をしたんだな)

 

 今、この時になって初めて上原の気持ちが理解出来た。

 

 上坂は大きく息を吸ってゆっくりと吐いて……

 

「俺はひまりが好きだ」

 

 

 

『好きだ』の一言だけでも死ぬ程恥ずかしいのに自然と言葉が、思いが、溢れてくる。

 

「俺は、これからも幼馴染みんなで一緒に歩いて行きたい。だけどひまり! ひまりの隣は俺が歩いていたい。ひまりが転んだら一番に俺が手を差し伸べ、俺が道を間違えそうになったら一番にが引き止める。そうして同じペースで歩いていきたい。ひまりが思っている以上に俺はひまりが好きなんだ」

 

 上坂にとって上原が、

 上原にとって上坂が、

 一番でありたい。一番であって欲しい。

 

「……ねえ澪、それって私が大人っぽい女性になったから?」

 

 笑っていた。だけどいたずらをするような悪い笑みだ。

 

『年上のお姉さんがタイプなんだ』六年前上坂が言った言葉だ。

 ただ上原は”年上のお姉さん”を”大人”と認識していたようだ。

 

「ひまりのどこが大人っぽいんだよ。唯一大人なのはその大きな胸ぐらいだろ」

 

「なっ‼︎」

 

 上原の雰囲気、幼さが残るあどけない顔からはとてもじゃないが大人らしさを感じられない。ただ胸だけは別で立派に育っていた。

 真っ赤な顔の上原に満足した上坂は軽く笑い。

 

「年上とか大人とかそんなの今も昔も関係ないよ。ひまり、お前だからだよ」

 

 上坂は左手で上原の体を抱き寄せ右手を頭に回し、

 

 そして優しく口づけをした。



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12話 『幼馴染』

 初めてのキスは暖かくて柔らかくそして甘かった。

 唇だけじゃない、髪から匂う花のような香り、暖かすぎる体温、そして恥ずかしさで少し赤らめた頬、上坂が求めていたものがすべて腕の中にあった。

 上原に抵抗するそぶりはない。

 唇を離した上坂は上原が頬を染め上目遣いで見ていることに気づく。

 二人を邪魔するものはいない。

 上坂は柔らかな桜色をした唇に顔を近づける。

 

「結局、ひーちゃんとれー君は付き合う感じ?」

 

 背後からの突然な声に上坂は肩が跳ねる。

 失念していた。

 嫌、決して忘れていたわけではない。なんせ今声をかけた少女も大切な幼馴染の一人だからだ。

 

 文字通り目と鼻の先にいる上原は声の主が視界に入り目を見開いていた。

 

 上坂は壊れかけたロボットの様に首だけをゆっくり動かし振り向いた。

 考えてなかった訳ではない。ただ上原に会うまでの興奮の熱と、夜遅くに居る訳がない、という常識が深く考えさせることを止めていた。

 

 上坂は一番簡単なことを忘れていた。

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 背筋が凍る思いをしながら振り返った先にはニヤリと笑った天使の皮を被った白い悪魔、青葉(あおば)モカがいた。

 上坂の幼馴染の一人で、肩にかからない程度の短い白髪の少女。昔からパーカーのようなゆったりとした服装を好んでいたが、今着ているパジャマは確かに青葉好みのゆったりなものではあるが胸元だけがゆったりを通り越してぶかぶかだった。パジャマという服装なことから上原から借りたものだろう。かがめば中が見えかねないのにそれを全く気にしない程のマイペースさは六年前と変わらないが、眠たそうに垂れた目から光る何かが腹黒さを感じさせるようになっていた。

 

 言葉を失った上坂に満足し青葉は口元を手で隠してなおニヤニヤと笑うが、問題は青葉だけではない。

 

 その後ろにもあった。 

 

「お前ら……いつからそこに……?」

 

 幼馴染が勢揃いしていた。

 

 公開羞恥プレイに顔が真っ赤になるのを通り越して乾いた笑みが浮かぶ。

 にやけている青葉は手遅れな感じがするが、青葉の後ろに控えている三人の幼馴染の口から、今来たところ、と言うのを上坂は本気で願った。

 

「モカちゃんはひーちゃんが泣いたあたりから見てたよ。ひーちゃん達ずっと自分達の世界に入ってたみたいで気づかなかったみたいだし」

 

「あたし達はその……あれだな。仲直りしろとは言ったけど、まさかあそこまでいくとは……」

 

「もういっその事言ってくれー!」

 

 宇田川は笑い言葉を濁すが、最後の言葉が全てを語っている。

 

 羽沢は真っ赤な顔を両手で覆い隠していたが指の隙間から二人を除いていた。

 

 そして、

 

「蘭……」

 

 上原家に幼馴染が全員集合していると言うことはもちろん美竹の姿もある。約束通り宇田川が何とかしてくれたようだ。

 美竹は睨む。それでもSPACEであった頃に比べれば穏やかだった。

 

「何びびってんの。あたしは確かにあんたをぶん殴ってやりたいと思ってる。でも、そんなひまりの顔見せられたら怒れる訳ないじゃん」

 

 上原を見れば赤らめた顔で口角を軽く上げ上目遣いで上坂を見ていた。

 

「澪、あたしが言いたいのはたった一つ、またひまりを悲しませたら今度こそあんたを許さないから」

 

『許さない』そう言っていた少女がチャンスを与えてくれた。

 きっと少女はかなり我慢をしている。

 だったらただ甘えるのではなく、最大限彼女の気持ちに応えなければならない。

 

「もうひまりを悲しませるようなことはしないよ」

 

 上坂はもうひまわりのような明るい笑顔を陰らすわけにはいかない。

 

「それにひまりだけじゃない、巴につぐ、モカ、そして蘭、みんなも悲しませたりはしないよ。……もし、もしそんなことがあったら、その時は好きにしたらいいから」

 

「……分かった」

 

「ありがとう、蘭」

 

「うっさい!」

 

 一喝した後に美竹は小さく本当に小さく笑った。

 まるで上坂がそう答えるのを待っていたかのように、

 

「それで~、結局ひーちゃんとれーくんは付き合うの?」

 

 上坂は上原に視線を戻す。気持ちを伝えたがまだ答えを聞けていない。

 

 部屋中に何とも言えない空気が漂った。

 上坂は緊張で固唾を飲み込み喉をゴクリと鳴す。

 

 上原はゆっくり口を開いた。

 

「澪、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。キスまでしたのに断るわけないじゃない」

 

 上原はキスの感触が残る唇を優しく指でなぞり顔を赤らめた。

 

 こうしてと上坂と上原は恋人になった。

 

 

 

 

 

「ほんとみんなには迷惑を掛けた。俺に出来ることなら何でもするから」

 

 上坂は駆けつけた幼馴染に頭を下げた。と言うよりは土下座だ。

 幼馴染達にしたことを考えれば頭を上げることはできない。それだけのことを六年にも渡って上坂はしてきた。

 

「れーくんの土下座レア~」

 

「っていうか初めてじゃないか?」

 

「いい気味」

 

「もぅ、みんなひどいよ。澪がこんなに謝ってるってのに。つぐ~何とかしてよ」

 

「澪くんも今回ばかりは悪いことしたんだしいいんじゃないかな?」

 

「つぐまでひどいよ。みんながひどいことばっかり言うから澪の頭、全然上がらないじゃない!」

 

 上原が指さすが、上坂の床につけた額はピクリとも動かない。

 

「まっ、からかうのもこの辺にしとくか」

 

「あたしはまだ全然足んないけどね」

 

「蘭、流石にもういいだろ。澪、もう頭下げなくてもいいぞ」

 

 宇田川に言われた通り頭を上げると、上坂は驚いた。怒涛の一日があったにも関わらず幼馴染達は遠い思い出のように楽し気に話していた。

 

「でもほんと大変だったよな」

 

「ほんと」

 

「でも今日という日も、きっと私達にとって大切な思い出になるよ」

 

「私にとってはすでに大切な日だよ。ね、澪。……澪?」

 

 他の幼馴染にとっては大変な一日だったかもしれないが、上原にとって今日は記念すべき恋人になった日であり、既に忘れる事の出来ない大切な日になっている。

 そんな大切な日だというのにパートナーの表情は浮かなかった。

 

「あっ、ごめん。……いや、あんなことがあったっていうのにみんな切り替えが早いなーって思っただけ」

 

「そんなの決まってるじゃない!」

 

 上原が勢いよく腕に抱き着き視線を部屋の入り口に向ける。上坂も視線につられ入り口を見ると、そこには笑っている幼馴染達の姿が。

 

「そうだよ澪くん。私達は何より澪くんが戻ってきてくれたことが憂しいんだよ」

 

「つぐ……」

 

 羽沢だけではない、幼馴染みんなが同じ思いだった。

 

「澪、またあたしたちと一緒に居たいんでしょ? だったらいつまでも座ってないで早く立ちなよ」

 

「分かってる。蘭、そう急かすなよ」

 

 上坂は腕に上原くっつけたまま立ち上がる。

 

「ねえ澪、さっきは聞いてなかったようだからもう一度言うけど、私達にとっては今日は大切な日だよね」

 

 上原が不安そうに見るが上坂には上原が何に不安がっているのか分からない。

 

「もちろん大切な日に決まってるだろ? こうしてまたみんなの元に帰れたこともそうだし、何より……」

 

 上原が一番聞きたいところで上坂の口がピタリと止まる。

 顔を赤くしているわけではない、むしろ難しい表情をしていた。

 

「一番いいところだよね!? どうしてそこで止まるのよ~!」

 

 上原は抱き着いていた腕を離し、上坂の肩を大きく揺さぶるが何も返ってこなかった。

 

「ひーちゃん、れーくんは気づいちゃたんだよ」

 

「モカ、澪は何に気づいたの?」

 

「何って、そりゃあこれから毎年みんなからお祝いされるってことだよー」

 

「おい、ちょっ、モカ!」

 

 上坂は止めようとするが青葉は聞く耳を持たない。

 

「お、それいいな。やろーぜ」

 

「じゃあその日は、うちでお祝いしようよ」

 

 いつもであれば青葉のからかいを止める側である宇田川、羽沢も今回ばかりは、散々迷惑をかけた上坂を懲らしめる為に敵に回る。

 

「えつ! みんなお祝いしてくれるの⁉︎ちょっと恥ずかしいけど……嬉しい。澪もそうでしょ?」

 

 上原は腕に抱きついたまま、恥ずかしさで顔を赤らめながらも、上坂に満面の笑みを向ける。

 

「ひまりはちょっと恥ずかしいぐらいですむかも知れないけど、俺はなー」

 

 今日一日で、かっこ悪い所、情けない所、泣いた所、沢山を見せてしまった。これが毎年、思い出話で蒸し返されると思うと耐えられない。

 

 遠慮する、と口を開こうとすると、上原が捨てられる子犬のような保護欲をそそる目を向ける。

 上坂は両手で顔を覆い大きなため息を吐いた。

 

「もう、勝手にしてくれ……」

 

 上坂の諦めた反応に青葉、宇田川、羽沢、そして美竹まで笑う。一人、上原だけが何のことか分からず戸惑っていたが、みんなの姿を見て意味もわからず笑った。

 お祝いも初めは青葉の冗談だっただろう。だが幼馴染達が乗ったことと、ましては当事者である上原が望んだ事によって嘘が真へと変わってしまった。

 

 上坂はこれから毎年、今日という日にはからかわれるだろう。

 記念日の数日前には、プレゼントは用意した? と急かされ、なんだかんだで上原を抜いた幼馴染みんなでプレゼントを選び、そして上原は仲間外れにされたことと、幼馴染全員の思いが入ったプレゼントに泣くのだろう。

 

 楽しい未来予想図だが、少し疲れる。

 

 一年は三六五日と長い。

 

 だから、来年の事は来年の自分に任せよう。

 

 上坂は覆っていた両手を離し笑った。

 

「あはははははは────」

 

 今はみんなで笑いあえるのが幸せなんだから。

 

 

 

 上原家から聞こえる笑い声は、窓も開いていた事から遠くまで聞こえていただろう。だけど、

 上原の母親が近所迷惑だ、と怒りにくる事はなかった。きっとあるべき形に戻った事が嬉しかったのだろう。

 

「それじゃあ、私からお願いしていい?」

 

 そうお願いしたのは上原ではなく羽沢だった。

 

「なんだ?」

 

「私、澪くんのピアノが聴きたいな」

 

「「‼︎」」

 

「つぐ、お前……」

 

 羽沢を除いた幼馴染達は驚く。無理もない、上坂にピアノの話をするのは禁句だからだ。

 

「澪くん、どうなの?」

 

 羽沢はわざとらしく、小首を傾げる。

 

 だがそれは過去の話だ。

 

「つぐ、そんな簡単なお願いでいいのか?」

 

「そんな簡単な事がいいんだよ」

 

「じゃあ、喜んで弾かせてもらうよ」

 

 そこには強要されたような嫌な顔も困った顔もない。あったのは良く知る男の子の顔だった。

 

 二人はみんなを驚かせるべく、わざとらしく大げさに話した。

 

「つぐ、どうして澪がピアノ弾けるって知ってるの?」

 

 今のわざとらしいやり取りを見たら、流石に誰でも羽沢が上坂がピアノを弾けるようになった事を知っているのだと分かる。

 上原は上坂の服の裾を掴んでいるにも関わらず羽沢に聞く。まだ上坂本人に聞くのは怖いようだ。

 

「実は、澪くんがひまりちゃんの所に行く前に弾いてくれたの」

 

 上原は上坂の顔を見てすぐに羽沢の顔を見た。

 

「ずるい、つぐ。先に澪のピアノ聴くなんて」

 

 両手を軽く振って、いかにも怒ってますよっていうアピールをする上原に羽沢はそっと近づいて耳元で囁いた。

 

「これくらいはいいよね」

 

「?」

 

 上原は言葉の意味が分からず首を傾げ、その顔を見た羽沢はクスリと笑い上坂を見て目配せをした。

 

「ははっ……」

 

 上坂は引きつった笑みしか出なかった。

 

 

 

「ピアノを弾くって事は澪の家か?」

 

 宇田川が切り出す。上坂の家には大きなピアノがある。その上、夜でも迷惑にならない完全防音の部屋で演奏するにしてもこれ以上ない環境だ。

 だが羽沢は宇田川の提示したプランAに対しプランBを提示する。

 

「今日はうちのお店でお願いしたいの」

 

「そりゃ、また、どうしてなんだ?」

 

 羽沢の言葉は、優しく言っているように見えるがどこか力強く感じた。

 

「せっかくの澪くんのピアノだよ。私達だけなんてちょっともったいと思わない?」

 

「……それもそうだな」

 

 羽沢が頑固になるときは決まって考えがある。考えを言わない当たりサプライズか何かなんだろう、と宇田川は思う。

 

「つぐの所に決まったんなら早く行こ」

 

「蘭~、れーくんのピアノ好きだもんね」

 

「違っ、そんなんじゃない! ただこのままいたらひまりのお母さんに迷惑がかかるから……」

 

「蘭はほんと素直じゃないんだから~」

 

 青葉が美竹をからかうが、誰も止めようとしない。

 これが上坂がいなかった時間にできた彼女達の日常。

 上坂もこれから少しずつ知らなかった彼女達の時間を知っていく。それが嬉しかった。

 

 話が進まないと感じた上坂は部屋を出ようとした。

 

「澪、どこ行くの?」

 

「ピアノ聴きたいんだろ?」

 

 行先は羽沢珈琲店だ。

 

「で、でも……」

 

 言葉の端切れが悪い上原はなんだか恥ずかしそうにしていた。

 

「どうしたんだ?」

 

「私とモカこんな格好だし、着替えないと」

 

 上原と青葉の格好はパジャマ姿だった。

 

「れーくん、締まんな~い」

 

「うるさい! モカ、お前も早く着替えろよ」

 

 格好を付けたのに空振りをした上坂は、顔を赤くして部屋を出た。

 

 

 

 上坂、宇田川、羽沢、美竹の四人は玄関で二人を待っていた。

 最初上坂は玄関で一人で待つと言ったのだが、美竹が、あんた絶対覗くでしょ、と信頼ゼロの言葉によって必要のない見張りが付くことになった。そして二人では心配だと宇田川もついてき、だったら私も、と羽沢もついてきて今に至る。

 

「遅い」

 

 それが上坂の感想だった。

 時間としては何十分も掛かっているわけでもなく精々一〇分程度だろう。

 だが上坂家の家族構成は上坂と父と弟と男オンリー、女の子の身支度が時間がかかるなんてことは知らない。

 

「澪くん、女の子は着替えに時間がかかるもんだよ」

 

「そんなもんか?」

 

「でも、モカにしては長いよね」

 

「たぶん、ひまりにあれこれ言われてるんだろ」

 

 遅いのは上原が原因だと幼馴染は言う。

 上坂もファション誌や化粧品が揃えられている部屋を見た時から薄々そうではないかと疑った。

 

「ごめーん、おまたせ」

 

 謝りの言葉と同時に、ドタドタと上原が階段を降りてきた。後ろには着せ替え人形にされたと推測される青葉がげっそりとした顔で降りてきた。

 青葉は別にファッションに無頓着ではない。ただ持ち前のセンスで簡単に服を決め手いるため、今日のような着せ替え人形は慣れていない。

 

 上原の格好はごめんと謝る割には隙なくバッチリオシャレをしており、今から高級フレンチのデートにでも行くのか、と思わせるほどだった。

 

「あれ、澪どうしたの?」

 

「澪くん、女の子の着替えが時間かかるなんて知らなくて……」

 

「待ちくたびれちゃったって訳? だからひーちゃん言ったじゃん。早く着替えて行こーって」

 

 青葉も余程着替えの時にしんどい思いをさせられたのか、追い討ちをかける。

 

「だったら先に行っててもよかったのに……」

 

「先に行ける訳ないだろ」

 

 ぐったりとした上坂が両手で膝をついてゆっくり立ち上がりドアに手をかける。

 

「俺達は六人一緒なんだから。それとひまり、その服似合ってるよ。待った甲斐もあった」

 

 夜風は涼しく、上坂の熱を持った頬を冷ましてくれた。

 

 

 

 後ろには幼馴染達が付いてくる。

 

 いつも上坂が先頭を歩いているわけじゃない。

 今日がたまたまな上坂なだけ。

 幼馴染は皆平等。

 誰が一番でも誰が最下位でもない。

 みんなが同じ。

 その証拠に後ろから、からかいや冷やかしの声が届く。

 それが隔てる心の壁がもう存在しないと証明する。

 

 上坂は嬉しかった。

 溢れた笑顔は誰に見せなかった。

 

 だって、何もないところで笑うなんて、恥ずかしいから。

 

 だけどその笑みを崩さない。

 

 だって、これからずっとみんなと笑っていけるから。

 

 そう思うと笑わずにはいられなかった。



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13話 『Epilogue』

今日は2話連続更新。
って言っても、元々1つの話を2つに話に分けたから短めです。


 上坂達は羽沢珈琲店に着き家に帰った様な何も気兼ねない気持ちでドアを開けた。

 店内は変わっているはずがない。それでも上坂は足を止めた。

 

「皆さんお客様なのにお待たせしてすみません」

 

 店内には既に相沢、四季そしてRoseliaがいた。

 Roseliaは殆ど知らないようなものだが中にも知ってる顔があった。

 

「あこ久しぶりだな」

 

 手を振り挨拶をするとあこは椅子から立ち上がり上坂に寄る。

 

「お兄ちゃん久しぶり、どうして戻ってきたの?」

 

 久しぶり会えた事が嬉しく、飛びくような勢いだ。

 

「この春から高校に通うために……」

 

「違うよ。さっきここをでて行ったのに何でまた帰ってきたの」

 

 上坂の服をぐいぐい引っ張りながら首をかしげる。

 

「俺の中の戦いがようやく終わったから、凱旋しに来たって感じかな?」

 

「お兄ちゃんはやっぱりカッコいー。あこの求めてたカッコよさはこれだよー」

 

 あこは上坂の姿ではなく、言葉に目を輝かせていた。それが一体どんな意味なのか分かりもせずに。

 

「あこの厨二病は澪が原因かよ」

 

 椅子に座っていた相沢が立ち上がり上坂の下まで真っ直ぐ向かう。

 

「綾人、散々迷惑かけたな、改めてお礼を言うよ。ありが……」

 

 ゴスッ、っと鈍い音が頭の中で響く。

 

「痛った──ー。何するんだよ!」

 

「うるせー、さっきの仕返しだ!」

 

 頭突きを入れた相沢も痛そうに額を押さえる。

 

「仕返しって何だよ。俺そんなの知らねえよ」

 

 無抵抗で受けた頭突きは胸ぐらを掴まれた事で衝撃を流す事が出来なかった。

 周りでは幼馴染が心配した様な顔をし、事態を知っている四季が駆けつける。

 

「澪、綾人を許してやってくれよ。あいつ澪の開けたドアで思いっきり顔ぶつけたんだぜ」

 

「あっ!」

 

 上坂は上原の所に向かうために一度勢いよく羽沢珈琲を飛び出した。その時何か鈍い音がした記憶があるような、ないようなそんな気がした。だけど実際、目の前で幼馴染達に心配されたり笑われたりしている相沢は怒っている。

 つまりそう言う事だろう。

 

「綾人の奴、あんな事したけどずっとの心配してたんだぜ。と言ってもこれは俺もそうなんだけどな」

 

「春夏、お前いい奴だな」

 

「何だよ、照れるじゃねえか」

 

「どうして彼女出来ないんだ?」

 

「それは俺が聞きてえよ。俺こんなにカッコいいのにどうして綾人の奴の方が女の子と親しげなんだ? おかしいだろ。なあ澪、お前は裏切ったりしないよな? なあ!」

 

「そうだな、春夏に足りないのは自身じゃないかな。うん、そうだと思う」

 

 そう適当に返事を返した上坂の目は泳ぎ明後日の方向を向いており、四季を見てはいない。

 

(彼女が出来た何て言えないよな)

 

 いつかバレると思うが今は言わないでいよう、と上坂は思った。

 

「澪、早く」

 

「はいはい」

 

 散々相沢をバカにし楽しんでいた美竹は、終えると同時に上坂を急かす。

 

「何か始まるの?」

 

 小首を傾げながら隣に立つあこが訪ねる? 

 

「何だと思う?」

 

「あこ、分かんない。お兄ちゃん、何が始まるの?」

 

 あこの反応に満足した上坂は凶悪な顔、まるで作った落とし穴に誰かが落ちたような、そんな意地悪い笑みを浮かべる。

 ただし落とし穴と言っても穴の中にあるのは竹やりでも泥でもましてや石灰でもない。お菓子やおもちゃといったファンシーなものだ。

 

「俺の演奏会だよ」

 

「ほんと!?」

 

 あまりの嬉しさにあこは、すでに目に涙を浮かべていた。

 

「ほんとだよ。あこも長い間待たせてごめんな」

 

 上坂はあこの頭に掌を乗せ優しく撫でた。

 撫でた所為で髪の毛が少し崩れるがそんな事を機にする事なくあこは嬉しそうだった。

 

「じゃあ、蘭も急かす事だし行ってくるよ」

 

「あこちゃんだけずるい。私まだ澪に頭撫でられてない」

 

「はいはい」

 

 ぽんぽん、と作業のように上原の頭に手を乗せる。

 

「も〜、適当にしないで、ちゃんと撫でてよ」

 

「また今度な」

 

 怒る上原を余所に上坂はピアノに向かう。

 

 ピアノに着いた上坂は椅子に座り、手首をほぐす。

 鍵盤を鳴らし調律が合っているか確認すべきだが、つい一、二時間前に弾いたばかり、合っていない筈がない。

 上坂は深呼吸をし、自分の気持ちと同じように軽やかに鍵盤を叩いた。

 

 上坂はこの日何曲も弾いた。

 頼まれたリクエストには全て答えた。

 何曲も何曲も。

 弾きすぎた指に疲れなど感じなかったから。

 いや、疲れはあっただろう。

 それでも上坂は何曲も弾いた。

 

 また沢山の人達に自分のピアノを聴いて貰えていると思うと、嬉しくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 家に帰ってきた。

 

 時計を見ると既に日をまたいでいる。

 日をまたぐ前に終わった羽沢珈琲での演奏会だったが、流石に女の子を深夜近い時間に家に返すわけもいかず、家まで全員を送り届けこの時間になった。

 本来なら今すぐにでも寝たいが上坂にはやるべき事がまだ残っている。

 

 上坂は洗面所で水の入ったバケツと雑巾を用意し玄関の一番手前にある部屋の前に立った。

 

 母との思い出の部屋。

 

 この部屋には昔から使っているピアノがある。

 

 つい一月前は震えていた指も今ではなんともなく上坂はためらいなくドアを開けた。

 開けると中から六年分の埃が舞い、あまりの埃の量に咳き込む。上坂は慌てて窓を開け宙に舞った埃を外に逃がす。

 埃は夜の黒に吸い込まれ次第に視界が晴れる。

 

 上坂は掃除を始める。

 

 積まれた音楽雑誌に散らばった楽譜、そして埃まみれのグランドピアノ。

 

 上坂は散らばっていた雑誌や楽譜を一つ一つ拾い集め手で埃を払い落とした。

 ある程度雑誌と楽譜を片付けた上坂はピアノの音を鳴らす鍵盤を守るカバーを開ける。

 

 守られていた鍵盤は白を保っていた。だが、降り注ぐ埃が綺麗な白を灰色に汚す。

 手で軽く埃を払った上坂は、埃が被った鍵盤を鳴らした。

 

 べーン

 

「変な音……」

 

 あまりの間の抜けた音に思わず軽く笑ってしまう。

 六年ぶりの音色は昔のようなしなやかさはなく、固くなっていた。

 それもそうだ、六年も放置をしていたピアノの音が狂っていないわけがない。

 

 上坂は用意していた水の入ったバケツに手を入れ、指に付いた埃を落とし、そのままバケツにかけられている雑巾を絞りピアノを拭いた。

 水は冷たく眠たい夜にはいい眠気覚ましになる。

 

「長い間待たせてごめんな」

 

 雑巾に積もる埃は年月を感じさせ、上坂は丁寧ピアノを拭き続けた。

 

 

 

 朝、窓からは優しい光が差し、風が色の抜けた黒髪を揺らす。

 部屋は本来の形を取り戻し埃っぽい匂いなんてもう残っていない。

 そんな数時間でビフォーアフターを成し遂げた功労者は静かだ。

 それもそのはず、

 功労者(上坂澪)は黒く輝くグランドピアノに背中を預け眠っているのだから。




私めの話に付き合っていただき誠にありがとうございます。
以上で1部完になります。
次回から2部に入ります。
よろしくお願いします。


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2章 少年は文化祭で永遠の輝きを知る
14話 『新しい日常』


ご愛読ありがとうございます。

皆様の応援もあり無事に2章に入ることが出来ました。

他の作品と比べてオリキャラ率の高い本作ですがこれからもよろしくお願いします。




 怒涛の土曜日が過ぎ本日は月曜日。

 

「流石に寝すぎたな」

 

 上坂澪(かみさかれい)に昨日の記憶、正確には朝以降の記憶がない。

 昨日か一昨日か判断しずらい時間に帰って来た上坂は開かずの間であった母との思い出の部屋を丁寧に丁寧に掃除をした。

 朝になり窓から差し込む日差しと心地よいそよ風を覚えているがそれきり、気が付いたら今になっていた。部屋の時計は電池が切れておりスマホで時間を確認すると時刻は六時。昼寝程度の睡眠だと思っていたら、日付が一日分進んでいた。

 いつもよりほんの少し早起きできたことはうれしいことだったが、起きてからが大変だった。

 まず上坂はピアノに背中を預けて寝ていた。固い床に、固い背もたれ、座った体勢での長時間睡眠で体中の節々が悲鳴を上げていた。次に埃被った体。ガジガジに固まった体をゆっくりゆっくり動かして上坂は浴室へと向かい埃と汗を流した。そして何より大変だったのが、三桁に達していたLINEの未読通知。

 制服に着替えた上坂はカットされただけの食パン(今日はシンプルなイチゴジャム)をかじりながら、LINEの件数って三桁いくんだ、と新たな発見に少し感動しながらスタンプのないすべて丁寧に手打ちされたメッセージを読む。

 朝食を食べ終えた上坂はまだLINEは半分も確認できていない。一度読むのを中断して洗面所で歯を磨く。磨き終えると上坂はワックスの付いた手で髪を触る。癖のなさすぎる真っすぐな色の抜けた黒髪は顔にくっついてしまうため、上坂は毎朝めんどくさいと思いつつ、ワックスで髪を固める。

 学校に行く準備が整い上坂は幼馴染全員が座っても余りある広いソファーに座りテレビのリモコンを手に取る。家を出るまでの間に朝のニュースを確認するのが上坂も日課だ。

 

 キンコーン、といかにも金持ちの家にありそうな重低音の鐘の音が家中に鳴り響いた。

 

 新聞の勧誘かなんかだろう、とインターフォンのモニターを覗いても誰もいない。

 朝からピンポンダッシュか、と思いながらも上坂は玄関の扉を開ける。

 

「澪、一緒に学校行こ」

 

 目の前にいたのは桃色の髪の少女こと、上坂の幼馴染であり恋人になったばかりである上原(うえはら)ひまりだ。

 上原は灰色のブレザーに赤系統のネクタイ、紺チェックのスカート姿と上坂の通う花咲川高校の隣の学校である羽丘高校の制服姿であった。

 

 上坂の家はこの街の中でも五本の指に入るほどの豪邸で、庭は広く玄関からインターフォンまでの距離はテニスができる程ある。つまり上原はインターフォンを押してすぐ、待ちきれず家の前まで侵入したということだ。

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 目を丸くした上坂は慌てて自室にある鞄を取りに行った。

 

 

 

 隣を歩く上原はご機嫌斜めだ。

 玄関で見た時の彼女は笑顔だったにも関わらず今では頬を膨らませていた。

 女の子の機嫌は山の天気より気まぐれだな、と上坂は思う。

 

「どうしてLINE無視したの!?」

 

「ごめん寝てた」

 

「嘘でしょ⁉︎」

 

 上坂はポケットからスマホを取り出し読み切れなかったLINEを流し読みする。家で呼んだ分は恋人になったばかりの初々しいメッセージに顔が思わずにやけてしまうこともあったが、今上坂が流し読みをしている後半は次第に怒りのメッセージに変わっていた。

 

「嘘じゃないって。一昨日のあの日、家に帰ってから掃除をしてたら終わった時には朝になっちゃってさ、そのまま力尽きて寝てたら気づいたら今日になってたってわけ。だから体があちこち痛くてさー」

 

「そんな大掃除するならわざわざ一昨日にしなくても昨日でもよかったんじゃない? 言ってくれれば私も手伝ったのに」

 

「それもそうなんだけど。なんかずっと埃が被りっぱなしっていうのが可哀想でな」

 

 上坂の言葉で全てが分かった上原は小さく、あっ、と空気が抜けるような声を出して、

 

「それじゃあ仕方ないなー。その代わり今度そのピアノで聴かせてよね」

 

 上坂より少し前へ出た上原は振り返ってとびっきりの笑顔を向けた。

 

 

 

 上原のご機嫌斜めだったのは一瞬だけで、今では機嫌も治り隣で鼻唄を歌っている。女の子の機嫌は山の天気以上に変わりやすい。

 

「ねぇ、澪って何組なの? 学校で見なかったけど」

 

「えっ!」

 

 子供のように無邪気に聞いてくるが上坂は驚き思わず足を止める。

 

「澪、どうしたの?」

 

「ひまり、この制服見て気づかない?」

 

 上坂は学ランの襟を掴んで目の前のブレザー姿の上原に見せつける。

 

「澪、なんで学ランなの? ブレザーは?」

 

 答えを見せてなお答えに辿り着かない上原に、上坂は頭を悩ませる。

 

「それはこれが俺の制服だからに決まってるからだろ? 言ってなかったっけ? 俺、高校、花咲川なんだけど……」

 

 上原は一瞬かたまり目を見開いた。

 

「えええぇええぇえぇ────!! 聞いてない! 高校、花咲川なの? どうして羽丘じゃないのおぉ──!?」

 

 上原は大声上げ腕を振り上坂を軽く叩く。上原が怒っている光景も周りから見ればただイチャついているようにしか見えない。

 

 そんな絶賛イチャついてますよ感を漂わす中、上坂の家と商店街を結ぶなんの変哲も無い交差点でそんなこと御構い無しといった感じに、上原と同じ黒の学生鞄を掲げた赤く長い髪の少女、宇田川巴(うだがわともえ)が手を振っていた。

 

「おはよう。すっかりあの頃の仲の良い関係に戻ったって感じだな」

 

 今いるのは幼馴染達ががいつも集まる集合場所らしい。

 なんでも学校までの道のりで一番最初に合流できるかららしい。

 

「仲がいいのは認めるけど、この状態を見て言う?」

 

「あたしから見れば十分仲いいよ。……あれっ? 澪、その制服……」

 

「ああ、俺、花咲川なんだよ。ていうか巴には言っただろ?」

 

 上坂が宇田川に言ったときはまだ今の関係になる前の出来事のことで忘れていたとしても無理はない。

 

「そういえばそうだったな。なんだ、同じ学校じゃないのか。それでひまりは拗ねてるのか」

 

「澪とのスクールライフが……」

 

 第三者に言われた事がとどめとなった上原は立ち直れていなかった。

 視線を下に落とし何やらぶつぶつ呟いているが上原は上坂の腕をしっかり掴んでいた。

 

「ひまり元気出せよ。これからはいつでも澪に会えるんだ。会えなかった六年に比べたらそれぐらい我慢出来るだろ?」

 

「巴~」

 

 にっこり笑う宇田川。上原は、上坂の腕を簡単に上坂を放り捨て宇田川に抱きついた。

 

「彼氏の扱い雑じゃないか?」

 

 よろける体勢を戻し目の前の百合百合しい光景を見るが、どう見ても彼氏と彼女の関係のようにしか見えなかった。

 

「澪くん、ひまりちゃん、巴ちゃんおはよー」

 

 後ろから幼馴染三人の声が聞こえた。

 一人は茶色い髪の少女、羽沢(はざわ)つぐみ。

 一人は白い髪の少女、青葉(あおば)モカ。

 一人は黒髪に一本の赤色のメッシュがはいった少女、美竹蘭(みたけらん)

 三人も上原や宇田川同様灰色のブレザーに紺チェックのスカート。唯一違うのはネクタイの色ぐらいだ。

 

「おはよー。ってひーちゃんまた泣いてる」

 

「澪、あんたまたひまりを泣かして……」

 

 宇田川に泣いている上原を見た美竹はこの場の原因を作ったであろう上坂を睨む。

 

「ちょっとまて! これは俺のせいじゃない!」

 

「問答無用!」

 

 待った無しの美竹の全身から繰り出される腰に力の入った右ストレートが上坂の顔を捕える。

 美竹の拳に体の上坂は簡単に吹っ飛んだ。

 

「蘭、お前も……仮にもバンドマンなら……腕は大切にしろよ……」

 

 よろめきながら立ち上がった上坂は、美竹の力が強かったのもあるが、女の子のパンチで吹っ飛ばされた事に上坂は情けないと思った。

 

「澪君大丈夫?」

 

 追い討ちをかけるかの様に隣で羽沢に心配され、外的傷よりも内的傷の方が大きく傷つき、上坂はしばらく立ち直ることが出来なかった。

 

 

 

 上坂が立ち直った頃には上原が美竹に誤解を解いていた。

 そしてようやく六年ぶりに幼馴染全員がそろって登校した。

 

「蘭は知ってると思うけど、澪のやつバンドを組んだんだぜ」

 

「ええぇ──っ。澪もバンド始めたの」

 

 上原は声を上げ驚いた。

 

「二日前のあの日だよ。メンバーは綾人ともう一人、二日前につぐんところに綾人と一緒にいたやつだよ」

 

 初対面でまだ四季のことを覚えていないと上坂は思っていたが、このままでは四季が上坂と相沢と良く一緒にいる男の子、とモブ認定を受けかねない。

 上坂は幼馴染達に親友の四季を紹介しようと誓った。ただし手は出させない。

 

「れー君は楽器、何するはずだったの。まさかボーカル?」

 

「モカ〜何言ってんの、そんなのキーボードに決まってるじゃん」

 

「いやいやひーちゃんこそなにいってんの? れー君がピアノを引くようになったのって一昨日の事でしょ〜? それなのにバンドを組んだなんておかしくな〜い?」

 

 はっ、と物語の不自然さに気づいた上原は上坂を見た。

 

「澪の担当って何なの?」

 

「ドラムだよ」

 

「えぇ──ーっ!」

 

 上原の驚く顔に宇田川は笑っていた。

 

「それにしても澪のドラムはマジで凄かったな。なぁ蘭」

 

「確かに澪のドラムは凄かった」

 

「蘭が珍しく素直だ〜」

 

「うるさい!」

 

 青葉にからかわれた美竹は不機嫌になる。

 

「そんなに凄いんだー、私も聞きたかったなー」

 

「ドラムぐらい、いつでも叩いてやるよ、離ればなれじゃない、これからはずっと一緒にいられるしな」

 

 好きなだけ聴かせてあげれる。

 それがドラムだろうとピアノだろうと。

 これからはずっと六人一緒でいられるから。

 

 

 

「じゃあ俺こっからこっちの道だから」

 

 幼馴染達と歩く楽しい時間はあっという間だった。それもそのはず上坂はみんなと学校が違う。

 

「なぁ、気になっていたんだけど一ついいか?」

 

 宇田川は一人別の道へ歩き出そうする上坂を引き止める。

 

「なんだよ巴、そんなに改まって」

 

「澪はどうして羽丘に来なかったんだ? 今の成績は知らないけど澪だったらいけたんじゃないか?」

 

「澪君頭良かったもんね」

 

 上坂は昔頭が良かった。

 それは近所の大人達がひいき目に見て天才って言うぐらいだ。

 実際には今でも勉強はできる。

 どれぐらい賢いかといえば花咲川の一学年が約二八〇人その中で上坂は七番にいる。これはあくまで実力テストが参考なだけであって実際一〇番以内は確実で、完全進学校の羽丘高校を受験してもまず落ちることはない。

 

「……」

 

 黙ってしまった上坂に落ちてしまったと思った幼馴染達も黙り込んだ。

 

「ひまりが……いると思ったから……」

 

 上坂は申し訳なさそうに言った。

 そもそもの話、本気で会うつもりがなかったら上坂は戻って来ていない。ただ、きっかけと、最後の勇気がなかっただけだ。決して学力がなかった訳ではない。

 

「あ〜そう言うこと〜。ひーちゃん勉強苦手だもんね」

 

 青葉はわざわざ丁寧に解説までつける。

 

 周りは妙に納得し、味方がいなくなった上原は叫んだ。

 

「なんでよおぉおぉぉぉ────!」

 

 上原の今日一日の声が青空に広がった。

 

 

 

 幼馴染と別れた上坂は、特に何事もなく学校に着いた。靴箱で上靴に履き変え、教室に向かう。

 教室に入り口付近で話していた戸山と山吹ら女子に挨拶する。

 

 上坂は自分の席に視線を向けると、一つ手前の席で四季と相沢が話していた。

 上坂は声をかけようとすると相沢は視線を外し、四季は立ち上がり上坂の元へ寄ってきた。

 

 嫌な予感がした。

 と、言うよりはこれから自分の身に起こることが上坂には容易に想像できた。

 四季の今にも血涙を流しそうな顔を見たら一目瞭然だ。

 

「春夏どうしたの?」

「春夏くんどうしたの?」

 

 戸山と山吹が驚くが四季は止まらない。四季は上坂の胸ぐらを掴み青春ドラマのラスト一歩手前のシーンのように怒りをぶつけた。

 

「この裏切り者‼︎」

 

「まぁまぁ春夏、何があったか知らないけど落ち着きなよ」

 

「そうだよ春夏くん落ち着いて。澪くん浮いちゃってるよ」

 

 上坂はのそのそ遅れてきた相沢を睨みつける。

 

「俺じゃねえよ、つかなんで俺なんだよ」

 

「綾人、お前じゃなかったら一体だれがしゃべるんだよ!」

 

「いるだろーが! 俺なんかよりおしゃべりなやつが!」

 

 上坂は開いた口が閉まらなかった。

 

「……ひまり…………」

 

 相沢が知っていた所で広めてた人物は別にいる。

 

「澪は俺と綾人と同じこっちの人間だと思ってたのに……」

 

「ふざけんな、勝手に俺を入れんな!」

 

 相沢のその鋭いツッコミも今の四季には届かない。

 

「澪ってあんまり女子の話とか乗ってこないから俺、澪って実は女子に興味無いんじゃないかって思ってたのに、それなのに、それなのに……」

 

 四季は上坂を持ち上げたまま、ぼろぼろと涙をした。

 

「抜け駆けしやがってえええぇ──!!」

 

 バタン、と勢いよく扉が閉まる音と同時に四季の姿が消えた。

 

 

 

 チャイムの音が鳴り響き教師が教室に入って来た。

 

「あれ、四季君休み? いつも元気なのに風邪かしら。だれか聞いてない?」

 

 いつもうるさい四季がいないことに教師は気づく。教室中からニヤついた女子の視線と憎悪に満ちた男子の視線が上坂に集まる。

 

「上坂君知ってるの?」

 

 事情の知らない先生は真剣に心配し、それを知られるべく上坂は真っすぐ手を上げる。

 

「せんせー」

 

 上坂は間の伸びた声で答えた。

 

「春夏は早退しました」

 

 この日上坂は突然のリア充宣言で男子からは話し掛けて貰えず、昼は戸山はいなかったが山吹達女子と一緒に食べた。しかし質問責めにされうんざりな日になった。



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15話 『ライバル』

今回は初の10000字越え。頑張りました。


 先日の一件から少し時は経ち五月中旬。

 春も後数日で終わり、そろそろ風通しの悪い学ランでは熱く感じシャツ一枚の夏服が恋しい頃。上坂は一枚の紙きれを見ては必死に感情を抑え込んでいた。

 

 上坂は先日の彼女出来ました宣言で男子に相手にされなかったが、幸運にもそれは先週末にあった中間テストと共に終わった。

 自由を手に入れた男共にとっては上坂の事なんてどうでもよくなっていたと言うよりかは相手が他校の生徒だと言うのが一番の理由だ。美少女が揃う花咲川で争うライバルが減った事は男共にとって朗報でしかない。

 ただ上坂の恋人が美少女だと知れば再び同じようなことになり兼ねないということもあり上坂はクラスメイトに相手がどんな子か教えていない。

 それでも全ての情報を遮断することは不可能で、『どんな子?』と言う質問に対し『危なっかしくてほっとけない子』と上坂は言うのだが視線は戸山に集まり、危うく戸山と付き合っているというありもしない噂が広まりかけた。

 

 そんなひやりとした過去も一枚の紙きれの力によって綺麗に塗りつぶされた。

 

「澪、テストの結果どうだったんだ?」

 

 予鈴と一時間目が始まる間の五分の短い自由時間。本来授業の準備をしなければいけない時間なのだが、金髪のイケメン四季春夏(しきはるか)は準備もせず楽しそうに話しかける。

 四季のお目当ては上坂の持つ紙切れもといテストの結果が書かれた紙だ。

 

「そういう春夏はどうなんだよ」

 

「俺か⁉︎俺はそうだな〜、いつもどうりだぜ」

 

 楽しそうな顔から一変、四季は慌て言葉を濁す。

 

「春夏、自分が自信ないのによくその話切り出せたな」

 

 上坂に先を越され傷ついた心が癒えなかった四季はテストの直前まで引きこもっていた。

 そんな奴がテストで点を取れるなんて考えにくい、と言うよりも、慌てる表情からおおよそ想像はつく。

 

「俺はまだ言ってねえだろ。そ、そんな可哀想な目を向けてくんなよ! 俺の事はいいんだ、澪お前の順位はどうなんだよ!」

 

「俺か? 見ても後悔するだけだぞ?」

 

「澪、そんなこと言って結果悪かったんだろ? なんせ彼女が出来たんだもんな。さっ、澪が無様に落ちた瞬間を拝んでやるぜ!」

 

 四季が上坂の持っている紙を取り上げ中を見る。

 

「はぁ! 一位!」

 

 学年順位が載ってある右端の数字には一の数字が堂々と書かれていた。

 花咲川高校は四○人、七クラスの約二八〇人で上坂はその頂点に立っている。

 入学して直ぐの実力テストでは一桁ギリギリの順位だったが、今回は幼馴染と仲を取り戻し後ろめたい気持ちがなくなった事で集中でき今回の結果となった。

 

「言っただろ、後悔するって?」

 

 初めての一位は嬉しく、四季から紙を取り返す際、上坂は顔は悪い笑みを向ける。

 四季の大きな声によって瞬く間に結果はクラス中に広まった。クラスメイトの大部分を占める女子からの賛辞が追い打ちとなり、四季は机に突っ伏した。

 

「春夏、落としたぞ……」

 

 拾ったのは長方形の紙、中には()()()数字が書かれていた。

 上坂は黙って紙を半分に折りそっと四季の机の上に戻した。

 

 

 

 ホームルームと同時に上坂は鞄を手に取る。部活をしていない上坂には放課後、学校に残る理由はない。

 

「澪くん、教えて」

 

 視線をあげるとなんちゃって猫耳少女戸山香澄(とやまかすみ)が立っていた。

 

「教えるって勉強?」

 

 一位を取って調子づいていたこともあるが、戸山がテストの結果を見て青い顔をしていたのを知っているからだ。

 

「勉強もそうだけど、今日は楽器かな?」

 

「別にいいけど、香澄ギターだよな。普通俺じゃなくて綾人に頼むんもんじゃないか?」

 

「綾人くんは今日用事があるんだって」

 

 相沢はRoseliaと上坂の幼馴染達Afterglowのバンドの指導をしている。幼馴染達から練習があることを聞いていない辺り今日はRoseliaの指導なのだろう。

 上坂も一度、上原に強制連行されAfterglow の練習を見に行った事がある。相沢の教え方はとても分かりやすく感性だけ上達した上坂とは違い立派にコーチをしていた。

 

「じゃあ春夏は?」

 

 朝、泣き散らかしていた奴もベースとギターの両方が弾け、指導経験がないにしてもギターが弾けない上坂に比べたら明らかにましだ。

 

「誘い辛いなら俺が……」

 

「俺は参加するぜ」

 

「あっ、春くん」

 

 春くん? 

 

 戸山の突然な呼び方に上坂は理解が遅れた。

 

「香澄が楽器教えて欲しいって頼んで来たから行くんだけど、なんか他の楽器の子もいるみたいだし澪も誘ったらって言ってみた」

 

「あー、そういうこと」

 

 返事をするがいまいち話が頭に入ってこない。

 四季と戸山が話しているところは見たことがある。だが愛称で呼ぶまで仲良くなっていたことを上坂は知らない。

 

「春夏と香澄って仲良かったんだな」

 

「うん、友達」

 

「友達って正面から言われると照れるぜ。……でもそうだな」

 

 二人が笑い合う異様な空間に話を振った上坂が無理やり話を戻す。

 

「楽器教えるって言っても俺ギターは出来ないぞ」

 

 上坂の担当はドラムとキーボード、戸山はギター、かすりもしていない。他の子がいると言ってはいたが相手は同じクラスでふんわりとした黒髪の少女、牛込(うしごめ)りみだろう。

 

「澪くんにはキーボードと後ドラムで曲を合わせて欲しいの」

 

「なぁ香澄、なんで俺がピアノ弾けるの知ってるんだ?」

 

「俺が教えた」

 

「やっぱり……」

 

 上坂は別にピアノを弾ける事を隠していたわけではない。ただ話していなかっただけだ。

 

「すっごい上手なんだよね」

 

 瞳を星のようにキラキラさせた戸山が顔のすぐ近くにまで詰め寄る。

 

「まぁそれなりには……」

 

 体を後ろにそらした上坂はブランクのせいもあった素直に上手と言えなかった。

 

 

 

 上坂は戸山達の練習場所である音楽室に向かった。

 花咲川では吹奏楽部や軽音楽部などと言った音楽関係の部活はない。軽音楽部に関してはこの地域自体がガールズバンドが盛んな為わざわざ部活に入らずともバンド人口が多い。吹奏楽部に関しては完全に管楽器の人気が弦楽器に負けているため、昔はあったものの今では廃部になりなくなった。

 

「ほんとはおたえにギター教えてもらうはずだったんだけど今日バイトが入ったから来れなくなって」

 

 戸山、上坂、四季の三人は並んで目的地へと向かう。

 目的地は聞いていない。戸山が、着いてからのお楽しみ、と言って頑なに教えてくれない。きっと大したこともないだろう、と思いつつも上坂は黙って戸山の隣を歩く。

 

「で、俺らを誘ったって事か」

 

「おたえって誰?」

 

「澪くん知らないの⁉︎」

 

 上坂の呟きに戸山は驚愕する。

 

「だからおたえって誰?」

 

「同じクラスの花園さんの事だぜ」

 

 上坂はクラスメイトの名前はもちろん覚えているが、流石に愛称までは把握しきれていない。

 

「なんで春夏が花園の愛称を知ってるんだ?」

 

「そんなの香澄に聞いたからに決まってるからじゃねえか」

 

 四季が女子(戸山)と普通に話せていることに感動すると同時に、女子と話しただけで慌てていた四季が懐かしく寂しくなった。

 

 

 

「とおちゃーく」

 

 上坂が案内されたのは大きな教室だ。入り口には『音楽室』とプレートが刺さっている。

 

「なぁ香澄、いつもこんな所で練習してるのか?」

 

 バンドを結成しているならまだしも、まだメンバー募集中の戸山が音楽室のようなサイズも設備も申し分ない教室を練習のたびに借りれるはずがない。

 

「違うよ。いつもはね、有咲の家の蔵でするんだけど……有咲って言うのはキーボードを弾く子の事でね」

 

「つまり俺達が来るから今日は音楽室ってことか」

 

「どうして分かったの⁉︎」

 

「分かるよ、そのありさって子も初めて会う奴がいきなり家に来るなんて嫌だろうしさ」

 

 そう言って上坂は音楽室のドアを開けた。

 

「遅いぞ!」

 

 鋭い声が聞こえ、上坂は声の主である金髪のツインテール少女と目が合った。

 鈍い金髪に高い位置でとめたツインテールに制服の上からでもわかる大きな胸。先の捻じれたツインテールが一昔前のお嬢様のようだった。

 少女はドアを開けてすぐの所で仁王立ちをしており、今か今かと戸山を待っていたことは一目瞭然だった。

 

「すみませ〜ん、人違いでした。オホホホホホー」

 

 上坂を見た少女は間違えた事が恥ずかったのか何事もないように音楽室に引き返した。

 

 上坂はあまりに先程との違いに声が出なかった。

 きっと最初のが素で、このお嬢様の様な話し方ら演技なのだろう。

 

「有咲ごめーん」

 

 戸山が上坂の隣から飛び出した。

 

「あっ、香澄ちゃん」

 

 黒のショートボブの少女牛込(うしごめ)りみがアンプにコードを繋いでいた。

 

「戸山さんだめじゃないですか、遅くなるならあらかじめ教えてくれないと。今度からは気をつけて下さいね」

 

「どうしたの? いつもと違うよ、変なものでも食べたー?」

 

「ブフッ」

 

 戸山と必死に猫を被る少女のやり取りが面白くて上坂は思わず吹き出す。

 笑い声が聞こえてしまったのか、猫被り少女が睨みつけるがたが直ぐに優しい表情に戻した。

 

「おい、お嬢様って本当に居るんだな」

 

 そんな猫かぶり少女のバレバレの大根芝居に親友四季は騙されていた。

 

「お嬢様にあんまり夢を持つなよ。それにが思ってるほどお嬢様って良いものではないぞ」

 

「澪にお嬢様の何が分かんだよ!」

 

「いや、分かるよ。嫌っていう程な……」

 

 思い出しただけで冷や汗が流れる。

 昔、遊びに付き合わされた自由の権化といっても過言ではない少女を思い出して、

 

「俺はお嬢様全員がアレならお嬢様なんて滅んでしまえばいいと本気で思う」

 

 上坂は遠い目をした。

 

「お……そうか」

 

 上坂の思いもしない反応と言葉に四季は口を閉じる。

 

「戸山さん、あちらの方は誰なのですか?」

 

 ようやく話が終わったらしく猫かぶり少女は上坂と四季について尋ねる。

 

「そうだ忘れてた。今日私達に教えてくれる澪くんと春くん」

 

「「よろしくおねがいしまーす」」

 

「こちらが市ヶ谷有咲(いちがやありさ)。有咲って凄いんだよ〜。キーボードも上手だし、勉強もずっと一番だし……」

 

 市ヶ谷を紹介する時の戸山の声は弾んでいたが、ふと何かを思い出したかのように口が止まる。

 

「そう言えば澪くんが一番って春くんが言っていたような……今回のテストどうだった?」

 

 戸山がダイナマイト級の爆弾を落とす。

 

「残念ながら二番でしたわ」

 

 聞かれた市ヶ谷は何とか笑顔を保っているが笑顔が引きつっており、上坂はとても生きた心地がしなかった。

 

「あなたが一番でしたのね。負けた事は正直悔しいですが、次は負けないように頑張りますわ」

 

「あぁ……」

 

 無理して笑う市ヶ谷の笑顔に威圧され上坂は言葉が詰まった。今も市ヶ谷は頭の血管がひくつかせいつ破れてもおかしくはなかった。

 

「牛込さんも待ってる見たいですし、早く練習を始めましょう」

 

 これ以上戸山に余計な事は言わせまいと話を無理矢理切った市ヶ谷は、隣の教室にある音楽準備室室から用意したと思われるキーボードの所へ戻っていった 。

 

 

 

 戸山達は練習を始めたものの曲を合わせたりしなかった。

 

「春く〜ん、このコードが分かんない」

 

 何故なら戸山は全てのコードをまだマスターできておらず、曲を合わせるまでのレベルには至らなかった。

 四季も本来得意なのはベースなのだが戸山が余りにも分かっていないため、戸山につきっきりだ。ベース担当の牛込は練習が始まってからずっと一人で黙々と練習をしている。

 

 四季が丁寧に戸山にコードを教えているのを上坂はぼーっと眺めていた。

 

 春夏、彼女が欲しいなら戸山でいいんじゃないか? そんな高校生らしい事を上坂は考えていた。

 

「貴方は先程から練習を見てばかりですね。どうして来たのですか?」

 

 隣では笑顔を辞めた市ヶ谷がキーボードの鍵盤から手を下ろしていた。

 口調は丁寧でもやはり負けたことのないテストで負けたのが悔しく話す言葉の所々に毒が含まれていた。

 

「香澄に頼まれたからだよ。見てるのも俺はあんまり教えるの上手くないし、それに俺の担当は香澄と違って優秀みたいだし、まぁあまり言う事がないんだよな」

 

 実際市ヶ谷のキーボードは申し分なかった。

 聞いてる限りじゃ音も安定していて、昔から鍵盤を触っていたそんな音だった。

 

「そういえば貴方楽器は……」

 

「ドラムと後キーボード……になるのかな?」

 

「どうして疑問系なのかしら?」

 

「ピアノは弾けるけどキーボードは弾いた事ないんだよ」

 

 市ヶ谷はクスクスと笑い。

 

「ピアノとキーボードはそんなに差はありませんわ。私だって初めて一ヶ月も経っていませんもの、あなただってきっと大丈夫ですわ」

 

「そうなのか、だったら俺も初めて見ようかな?」

 

 キーボードを初めるにしてもまず買わなければいけない。機能、メーカー、価格これから調べないといけない事が沢山ある。

 上坂はキーボードについてぶつぶつと呟いていた。

 

「あなたお名前は?」

 

 振り向けば市ヶ谷の顔は赤くなっていた。猫を被らないと人付き合いのできない不器用なお嬢様が精いっぱい振り絞った勇気。

 始めてから一か月もたっていないと言っていたことからきっと上坂が同じ楽器を担当する初めての知り合いなのだろう。

 

「澪だけど」

 

「苗字のことです」

 

 質問の意図が伝わらず市ヶ谷は呆れた顔をしていたが笑ってもいた。

 

「上坂」

 

「上坂……」

 

 苗字を聞いた市ヶ谷は上坂の名前を噛み締めるように呟くと、赤くなった顔はみるみると青くなっていった。

 

「上坂って……あの……コンクールに出ては金賞を持っていったあの上坂か?」

 

 猫を被る事もできないほど動揺した市ヶ谷は確認するかのように恐る恐る話した。

 

「まぁ俺も昔は、コンクールで金賞は取った事はあるし、同姓同名も聞いたことないから多分そうなんじゃないか?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()は市ヶ谷が心を開いたと上坂は思った。

 

「なんだ市ヶ谷、俺の事知ってるのか?」

 

 目の前にいる市ヶ谷の変化に気づかず、上坂は昔の知り合いだと思い声が弾む。

 

「やっぱりお前が……」

 

 聞こえた声は静かだが明らかに怒りの感情が含まれていた。

 

「お前のせいで私は……」

 

 握った拳は震え、必死に怒りを抑えようとする市ヶ谷の声は上坂に深く刺さった。

 

「有咲!」

「有咲ちゃん!」

 

 市ヶ谷は二人の呼びかけに応えず音楽室を出ていった。

 

 

 

 市ヶ谷が飛び出した音楽室は静寂に包まれていた。

 

「おい澪、お前あんな可愛い子に何したんだよ」

 

 内容はともかく、そんなどうしようもない静寂を破ったのは四季だった。

 

 上坂は空気の読めない四季に不思議と苛立つ気持ちが湧かなかった。

 あるのは、早く市ヶ谷を追わなければいけない、と言う気持ちだけだった。

 追わなければまた幼馴染との関係のように、取り返しのつかない事になる、という不安が頭に過る。

 

「悪い、ちょっと行ってくる」

 

 四季の疑問に答えず、上坂は勢いよく音楽室を出て市ヶ谷の後を追った。

 

 

 

 上坂は勢いよく音楽室を飛び出したものの市ヶ谷の居場所を知らない。だから一番行かれたくない所へ向かった。

 昇降口だ。

 帰られてしまうと見つける事が出来ないからだ。

 

 上坂は真っ直ぐ靴箱へ向かった。

 予想は当たり、そこには手ぶらで靴箱からローファーを取りだそうとしていた鈍い金髪のツインテールの少女がいた。

 

「市ヶ谷、待てよ!」

 

「離せ! 気安く私の名前を呼ぶな!」

 

 上坂は市ヶ谷の手首を掴むが市ヶ谷はそれを跳ね除ける。

 

「ちょっ、待てよ。俺が何したって言うんだよ!」

 

 上坂は分からなかった。今日初めて会った人がどうしてここまで怒っているのか。

 

「お前本当に分かんねーんだな?」

 

 呆れていたのか急に顔が冷め、赤色の顔がみるみると元の肌色に戻る。

 

「私は、お前の目にすら入っていなかったんだな」

 

「どう言う……」

 

 その顔は寂しそうだった。

 

「私だって昔は様々なコンクールに出ては賞を取った銀賞も取った事もある。だけど金賞だけはいつもお前が持っていった」

 

 ピアノ、コンクール、賞……

 

 上坂は何か思い出しそうだった。

 

(いた、そう言えば、いつも食いつく様に俺の演奏を聴いていた金髪の子が……)

 

「市ヶ谷って……」

 

「おせーんだよ。やっと思い出したか!」

 

 呟いた言葉は細くて小さかったが、市ヶ谷にはしっかりと聞こえた。

 確かに上坂は市ヶ谷を思い出したが、あの頃の市ヶ谷はふわふわのドレスで本当にお嬢様のように見えた。間違えても今のような姿ではない。

 

「市ヶ谷お前の事を忘れていたのは悪かった。だけど、どうしてお前はそんなに俺を目の敵にするんだ?」

 

 上坂は市ヶ谷が怒った理由が分からなかった。二人の繋がりはピアノのコンクールしかない。それにお互い名前は知ってはいるが話したのは実質今日が初めてだった。

 話したことのない相手を怒らせる理由は上坂にはない。

 だからこそ分からなかった。市ヶ谷がどうしてここまで目の敵にしているのか、

 

「教えてやるよ。私は、お前のせいでピアノをやめたんだよ!」

 

 はっ? 上坂は市ヶ谷の思いもよらない言葉に一瞬頭が真っ白になった。

 

(何を言った? どうして俺のせいで、話したこともない市ヶ谷がピアノをやめる?)

 

 本当に訳が分からなかった。

 

「私が本当に辞める前とは別にピアノをやめようと思った時があったんだよ」

 

 声はひどく沈んでいた。

 

「上手くならないってのが理由だった」

 

 昔の話を初めて声は沈んだままだが、顔は少し明るくなっていた。

 

「最後に一回コンクールに出てピアノを辞めようと思ったらお前がいた。お前の演奏を聴いたら私の抱えていた悩みなんてちっぽけに思えてきた。そして私もお前の様な人の心を動かすピアノが弾きたい、そう思ってたくさん練習した。そしたら賞も取れるようになって銀賞までも取れるようになった。後は金賞だけだ、そう思っていたのに……」

 

 話すに連れ市ヶ谷の顔は曇っていった。

 

「市ヶ谷……」

 

 あまりに苦しそうな顔をする市ヶ谷を見ていられなかった。

 

 突然顔を上げた市ヶ谷は上坂の胸ぐらを両手で掴んだ。

 

「どうして六年前、夏のコンクールに来なかった! いや、それだけじゃないそれ以降もだ! 私はやっとお前に勝てると思ってたのにお前はあれ以降一度も来なかった!」

 

 手にかかると力が更に強くなった。

 

「二年だ! 二年もお前を待った! いつお前が戻って来てもいいように練習も手を抜かなかった! だけどお前は帰ってこなかった。どうしてなんだよ‼」

 

 市ヶ谷は掴んでいた手を離し開いた手を胸元へと引き寄せる。

 

「中学受験の時ピアノをどうするか考えたよ。だけどお前のいないコンクールで賞をとっても意味がない、現にあのコンクールで私は初めて金賞を取っただけどお前がいないコンクールで金賞を取っても虚しさしかなかった。だからピアノを辞めた。……まっ、お前のせいとか言ってるけど、結局辞めたのは受験のせいなんだけどな」

 

 市ヶ谷も上坂が傷つけてしまった一人だった。

 ピアノを辞めたのは上坂のせいではないと言ってはいるが、最後に後押しをしたのは上坂だ。

 もう上坂は市ヶ谷を見捨てることは出来ない。

 自分で蒔いた種は自分で解決する。それが幼馴染達と同じ上坂の帰りを待っていた人ならなおさらだ。

 

 市ヶ谷は話した。ピアノを辞めた理由を、

 

 だったら次は──

 

「市ヶ谷、六年前のあの日、俺はピアノをやめたんだ」

 

 上坂の事を待ち続けた市ヶ谷に上坂は話す義務がある。

 

「六年前のあのコンクールの前日、母さんが倒れたんだ。心臓の病気だったよ。そしてコンクール当日、母さんは死んだ」

 

 あの日の上坂はピアノを弾ける状態じゃないというよりはピアノなんて頭の隅にもなかった。

 

「ピアノは母さんとの思い出なんだ」

 

 初めてピアノを触ったのは三歳になる少し前だった。

 

「母さん昔から体が弱くて外へ行けなかったから、俺が家にいる時にピアノを教えてくれたんだ」

 

 ピアノを弾いている時だけが母と上坂を繋ぐ大切な時間だった。

 

「上手に弾けると褒めてくれてそれが嬉しくて、……だから母さんが亡くなってからはピアノが怖くなったんだ。ピアノを前にすると母さんの事を思い出して指が震えて、気付いた時には大好きだったピアノには埃が積もっていた」

 

 上坂はゆっくり一呼吸を入れた。

 

「それが俺がピアノをやめた理由だ。そのまま次の春に父さんの仕事で引っ越して今年ようやく帰ってきたんだ」

 

 

 

 市ヶ谷は納得した。と言うよりは納得するしかない。

 亡くなった人には勝てないと言うがなにも結婚相手や恋人だけの話ではない。家族もまた同じだ。

 話が分からない程、市ヶ谷もバカではない。

 

「わる……かったよ」

 

 どうして上坂がピアノを辞めたのか、

 どうしていつまでたっても上坂が戻ってこなかったのか。

 市ヶ谷の知りたかった全ては分かった。

 

「別にいいよ。誤解も解けたし。何より俺と市ヶ谷、二人ともこうしてまたピアノを弾けるようになったんだしな」

 

「あぁ、そうだな」

 

「それに俺はこれからも市ヶ谷と仲良くしたいと思ってるし」

 

「急にどうしたんだよ」

 

 急な上坂の友達宣言に思わずつっこんだ。

 

「俺と市ヶ谷って似たもの同士だと思うんだけどな」

 

「はぁ? どこがだよ」

 

 上坂との共通点はピアノしかない、だから何が似ているか市ヶ谷には見当もつかなかった。

 

「俺も市ヶ谷も一度はピアノは辞めた。だけど俺には沢山の友達が、市ヶ谷には戸山がそれぞれ背中を押してくれた」

 

「なんで分かるんだよ!」

 

「分かるよ。だって市ヶ谷、といる時凄く楽しそうだし、まぁ牛込さんはまだちょっと硬いかなー」

 

「香澄はそんなんじゃ……まぁ、ちょっとだけな」

 

 確かに戸山といる事は楽しいめんどくさい事やしんどい事は正直多い。

 それ以上に戸山といると新しいことの連続で毎日が楽しい。

 

「俺達は確かに勉強は出来る。だけどそれだけなんだ。俺達は決して一人で生きてはいけない、誰かの助けがなくちゃ生きていけない、そういう所が似てるんだよ」

 

 上坂も市ヶ谷も頭がいい。だから大抵のことは自分で解決できる。ただその分解決できない問題を前にして人を頼る事をせず自分で抱え込んでしまう。

 

「だから困った事があったらお互い相談しあえるそんな友達になりたいと思ってる」

 

 一人の知恵より二人の知恵、それが賢ければ尚のこと。

 上坂は手を差し出すが、その手を軽く跳ね除ける。

 

「友達って、香澄見たいなこと言いやがって。お前となんかぜって〜友達になんかなってやんねー」

 

 上坂は予想外の発言に戸惑っていたが市ヶ谷は、ざまーみろ、とさえ思う。

 これまでずっと背中を追って来たのにいきなり仲良く隣になんて入れるわけがない。

 何より上坂を抜かすために努力をした市ヶ谷本人がそれを許さない。

 

「お前は私の目標で、その……ライバルなんだからな!」

 

 追い抜いて始めて友達になれる。

 

 市ヶ谷は右手の人差し指を上坂に指して宣言した。

 

 

 

「あはははは……」

 

 笑ってしまった。

 

「何がおかしいんだよ!」

 

 笑ったことに対して市ヶ谷は顔を真っ赤にして怒っている。

 

「そうだな、俺達は互いを高めあうライバルだ」

 

 上坂と市ヶ谷は友達という関係よりこれから競っていくライバルの方がいい関係が築けるだろう。そう上坂は思い手を差し出し握手を求めた。

 

「油断するなよ、したらその鼻先へし折ってやるからな!」

 

 二人は硬い握手を交わした。

 

 

 

 

 

「あ、り、さぁ──‼」

 

 教室に戻りドアを開けた瞬間、戸山が市ヶ谷に抱きついた。

 

「有咲ちゃん良かったー。私も心配したんだよ」

 

 牛込も市ヶ谷の側へ寄る。

 

 なんだか和ましい空気を壊さないように上坂はその場を離れる。

 

「一体、何したんだよ」

 

 何も分からず置いてけぼりにされた四季は不満気だった。

 

「大した事ないよ。ただ俺と市ヶ谷の間にあった誤解を解いてきただけ」

 

「大した事って、お前……」

 

 四季は文句を言うが上坂は聞いていなかった。

 

「有咲ぁー、本当に心配したんだよー」

 

 市ヶ谷に抱き着いている戸山は未だ離れない。

 

「あっバカ、制服が濡れるだろ、はーなーせ~!」

 

 言葉では嫌がってはいるが顔はどこか嬉しいしそうだった。

 

 上坂も市ヶ谷も大切な人に出会ったから今の笑顔がある。そしてその笑顔はこれから先も永遠に途絶えないだろう。

 

 

 

「そうだ、せっかく音楽室に居るんだしピアノ弾いてやるよ。戸山が聴きたがってたし、市ヶ谷も聴くだろ?」

 

 音楽室には立派なピアノがある。

 

「聴きたい!」

 

 戸山は目を輝かせ、市ヶ谷は、

 

「折角だし聴いてやらねーわけでもない」

 

 顔を赤くし照れていたが、頰が少し緩んで嬉しそうに見えた。

 

「有咲は素直じゃないんだから」

 

「うるせー」

 

 戸山と市ヶ谷の絡みが落ち着き上坂は音楽室にあるピアノの椅子に座った。

 

「折角だし曲は今香澄達が練習してる曲でいいか?」

 

 戸山達が練習している曲『私の心はチョココロネ』は牛込が作ったオリジナル楽曲だ。

 上坂がこの曲を選んだのは、市ヶ谷に今の上坂の実力を見せる為、いわば宣戦布告。

 

 音楽室のピアノな事もあり調律はバッチリ、上坂は鍵盤に指を置きゆっくり音を鳴らした。

 

 

 

 市ヶ谷は心が熱くなった。

 待って待って叶わなかった上坂のピアノが六年越しに叶った。

 

 牛込の作った『私の心はチョココロネ』は楽器が素人の戸山でも弾けるように短くて簡単だ。

 演奏はあっという間終わった。

 ブランクは確かにあった。何度も何度も、それこそビデオテープが擦り切れるまで上坂のピアノを聞いた市ヶ谷には分かる。

 だがそのブランクをもってしても市ヶ谷はまだ勝てないと思った。

 

()()

 

 握った手には力が入っていた。

 壁は高ければ高いほど登り甲斐がある。

 

(見てろよ、すぐに追い抜いてやる)

 

 市ヶ谷は自分に誓った。



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16話 『クライブ』

 

「澪くん達もクライブおいでよ」

 

 戸山達に楽器を教えた数日後の昼休み。上坂は教室でいつものメンバーと昼食を食べていたら、昼食から帰ってきた戸山が三人に声をかけてきた。

 戸山は要件を短く伝えると、両手を大きく広げ目をキラキラさせていた。

 

「クライブってなんだよ」

 

「蔵でライブをする事だよ。今巷では、蔵でライブするのがブームなんだ。なぁ春夏」

 

「あぁ、そうだぜ」

 

「嘘つくな、そんなん聞いたこともねーぞ! 後、なんでお前らは分かんだよ!」

 

 赤い髪のマッシュヘアーの相沢綾人(あいざわあやと)のツッコミはいつも通り鋭かった。

 

「香澄が蔵で練習してるの知ってるし」

 

 蔵といっても詳しくは市ヶ谷の家の蔵だ。

 蔵が有る家ってどれだけ大きいのだろう、と上坂は思う。

 

「それでも普通は分かんねーよ」

 

「で、来てくれるの?」

 

 戸山が弁当箱が片付いた机の上に両手を乗せ身を乗り出す。

 

「あぁ行くよ。俺も少なからず手伝ったし、何より香澄達の演奏聴いて見たいし」

 

「だな。あのコードも知らなかった香澄がどこまで弾けるようになったか見てみてえし」

 

「綾人はどうする?」

 

「俺も行く。香澄の演奏が純粋に気になるってのもあるけど、それよりそのクライブってのが気になる。なんなんだよ蔵でライブって」

 

 上坂だけではなく相沢も四季も参加すると言い戸山は嬉しそうにしてた。

 

「綾人達もクライブ来るんだ」

 

「いきなり、ファーストネーム」

 

「嫌だった?」

 

「別に構わねーよ」

 

 相沢は直ぐにファーストネーム呼びを受け入れた

 

「おたえ!」

 

 そこにはおたえと呼ばれる真っ直ぐな長い黒髪の少女花園(はなぞの)たえが立っていた。

 

「香澄、綾人達も誘ったんだ」

 

「うん、澪くんと春くんは『おたえドキドキ作戦』に協力してくれたし」

 

「『おたえドキドキ作戦』ってなんだよ俺初めて聞いたけど」

 

「あれっ、澪くんには言ってなかったっけ? 『おたえドキドキ作戦』っていうのは私達のライブでおたえをドキドキさせてバンドに入ってもらおう。っていう作戦の事だよ」

 

「それ本人の前で言っていいのかよ……」

 

 あまりに堂々と花園に言う戸山を見て相沢は言わずにいられなかった。

 

「大丈夫だよ、知ってるから」

 

「知ってんのかよ!」

 

 相沢はもはやツッコム気力が残っておらずぐったりしていた。

 

「香澄、結局クライブはいつするんだ?」

 

 うるさく騒ぐ相沢をよそに上坂は話を戻す。

 

「今週の土曜日の朝一〇時から」

 

「分かったけど、俺市ヶ谷の家知らないんだけど」

 

「じゃあ一緒に行こうよ!」

 

 こうして戸山と一緒に市ヶ谷家に行く事になった。

 

 

 

 

 

 土曜日クライブ当日、上坂は戸山と約束した時間の一〇分前に集合場所である中央広場についた。公園のような遊具などはなく、遊び場はテニスコートやバスケットゴールしかなく他はただ芝生が一面に広がっているだけだ。

 上坂がついた頃にはやはり相沢と四季が付いていた。相変わらず二人の到着は早い。

 そして上坂達は案内係である戸山を待ったが時間になっても現れず、ある意味予想通り少し遅れて姿を現した。

 

「ごめ~ん」

 

「おせーよ!」

 

 相沢の言葉は怒りというよりも呆れだった。

 戸山という人間を知っている人は大抵こういう反応をする。

 

「ほら行くぞ、どっちなんだ?」

 

「あっち」

 

 市ヶ谷の家があるであろう方角を指差した。

 待たされた事に少しはお怒りだったのであろうか相沢は足早に歩いて行った。

 

「まってよ〜」

 

 戸山は案内係より先を歩く相沢を追っかけ上坂と四季はそんな戸山の後ろをついて行った。

 

 

 

 

 案内されたのは大きな家の前だ。高い塀のせいで家は見えないが、塀の天辺に屋根のようについている瓦と目の前にある大きな木造の扉のおかげであらかた予想はつく。

 

 戸山がインターフォンを押す。本来どの家庭にも付いているインターフォンだが、この市谷家に関しては違和感がある。インターフォンを取り外して三〇〇年ぐらい前の時代に建てた方が違和感はないのかもしれない。それぐらい趣がある家だ。

 

「遅いぞか……す……み……」

 

 大きな木造の扉を開け上坂を出迎えたのは市ヶ谷有咲だ。鈍い金髪のツインテール少女で、緩いロールのかかった髪は正に一昔前の西洋貴族のように見え、市ヶ谷が出てきた今も家の住人と言うよりはホームステイをしに来た外国人のようだった。

 

「よっ」

 

 上坂は軽く手を上げる。

 

 デジャヴ。

 

 以前合った時も同じようなことがあった。

 以前と違うのは、二人が知り合いかそうじゃないかだ。

 

 市ヶ谷は呆れながらも待ちわびていたという顔から、上坂を見た途端、虫を見つけてしまった時のような苦い顔をする。

 

「何でお前がいるんだよ」

 

「いや何でって、俺もクライブに誘われたんだけど。香澄から聞いてないのか?」

 

 上坂の後ろでは、相沢が上坂と市ヶ谷の関係を聞いていた。

 

 上坂はてっきり聞いているものだと思っていたのだが、目の前の少女はそんな情報を知らないと言った顔をしていた。

 市ヶ谷の視線が上坂から戸山に移る。

 

「香澄!」

 

「はいっ!」

 

 市ヶ谷の力の入った声に相沢と話しをしていた戸山は肩が飛び跳ねた。

 

「どういう事だ?」

 

「え〜っと……」

 

 戸山は母親に悪い点数が見つかった様な顔をしていた。

 

「サプラ〜イズ! あはははは~、有咲が喜ぶと思って」

 

「何で私がこいつが来たら喜ぶんだぁ⁉」

 

「だって澪くんと有咲、仲良いし来たら有咲喜ぶかなーって」

 

 戸山は視線どころか顔すら上がっていない。

 

「仲なんか良くねーし! もういい! 早く入ってこい!」

 

「入っていいのか?」

 

「ここまで来て帰れなんて言えねえだろ」

 

 上坂は顔を真っ赤にした市ヶ谷の後に続き蔵に向かった。

 

「これはひまりに報告だな」

 

「何をだよ」

 

 相沢に肩を叩かれた上坂は首を傾げた。

 

 

 

 庭を通り上坂達は蔵に案内された。

 途中立派な盆栽がいくつかあり、それを戸山が、有咲が育てたんだよ、と自慢げに話していたが市ヶ谷に怒られていた。

 

「普通の蔵みたいだけど本当にライブなんて出来るのか?」

 

 案内された蔵は骨董品などが置かれていてとてもじゃないがライブなんて出来る状態ではない。

 

「そんなわけねーだろ。下だよ、下」

 

「下?」

 

 市ヶ谷は床下についてある取っ手を引っ張る。

 

 地下室、その光景に男達は感動した。

 地下にある部屋、タンス型階段、そこにある楽器の数々。

 

 まるで

 

「秘密基地みたいだぜ!」

 

 四季は興奮していたが無理もない。

 上坂と相沢も声を大にしては言ってはいないが少なからず興奮していた。高校生とはいってもまだ子供、少年の心はまだ残っていたらしい。

 

 中には既に人が集まっており、その中には見知っている顔がちらほらあった。

 

「やっぱ澪達も来たんだ。香澄が話してたからもしかしてって思ってたんだ」

 

 ソファーに山吹が腰掛けていた。

 山吹と呼んでいた上坂だったが、今では『さーや』と呼んでいる。

 初めて呼んだ時はえらく驚いていたが、直ぐに適応していた。

 

「でもどうやら一名にえらく歓迎されてないみたいでさ」

 

 視線だけで蔵の主の市ヶ谷を見ると無言で睨まれる。

 

「澪、市ヶ谷さんに何したの?」

 

「何もしてないよ」

 

 本当に上坂には市ヶ谷を怒らした心当たりがない。

 

「久しぶり」

 

 見覚えのある顔だった。

 

「香澄、何でここにグリグリの人が……」

 

 Glitter*Green、通称グリグリ。この辺りでバンドをしている人なら誰でも知ってる程の有名なバンドだ。

 彼女との接点は殆どなく、SPACEで演奏した日の一回だけだ。

 

「ゆりさんはね、りみりんのお姉ちゃんなの」

 

 牛込ゆり。ふんわりとした長い黒髪の少女でグリグリのギターボーカル。

 牛込を見ると急に自分に視線が向けられた事にびっくりながら答えた。

 

「私のお姉ちゃんなの」

 

 同じ学校の先輩だと言うのにちょっとした有名人に会った気分だ。

 

「あの時のお礼ちゃんと言えてなかったね、ありがとう。おかげで無事ライブが出来たよ」

 

 ゆりは頭を下げる。

 

「そんなお礼だなんて、俺達はただ友達が困っていたから助けた。それだけです」

 

「俺と春夏は澪に巻き込まれただけだけどな」

 

「悪かったよ」

 

 笑うふたりに軽く謝る。

 

「友達を助けられるって凄い事だよ。現にあの時、私達やりみ達は貴方達に助けられた。これは誇れる事なんだよ」

 

 ゆりは右手で軽く胸を叩き、上坂の行動の偉大さを説明する。

 

 

 

 上坂とゆりの会話を市ヶ谷は離れて見ていた。

 今もキーボードの調整をしているが、意外な組み合わせに気になる。

 

「なぁ、ゆりさん何の話ししてるんだ」

 

「知らないの? 有咲いたじゃん!」

 

「はぁ?」

 

 思い当たる節がない。

 

「グリグリが遅れた日、私達ステージでキラキラ星歌ったよね」

 

「あー、あれはやばかった。忘れもしねーよ」

 

 あの日、戸山はステージでキラキラ星を熱唱、

 市ヶ谷はカスタネットを叩いた。そんなとんでもない一日を市ヶ谷は忘れる事が出来なかった。

 

「あの時、飛び込みの奴が来なかったらマジでヤバかったよな」

 

 キラキラ星も限界でもう手がないと思った時、飛び込んで来た人がいた。事実戸山達はそれで救われた。

 

「有咲、あれが澪くん達だよ」

 

「マジかよ……ふ〜ん、あいつがバンドか……」

 

 上坂も市ヶ谷も再開したのはこの間の楽器指導の時だと思っているが違った。

 実は再開したのは、SPECEのステージの上だった。

 

「あの時、澪くん達バンドを組んだから、いつか一緒にライブ出来たらいいね、有咲」

 

「そうだな……。って別にそんな事思ってねーし」

 

「有咲、素直じゃないんだからー」

 

「うるせー!」

 

 

 

 ライブ時間が近くなり上坂は急遽用意されたパイプイスに座ると、隣から飲み物が回ってきた飲み物を受け取る。

 

「姉がいつもお世話になっております」

 

 見覚えのない少女が突然頭を下げる。

 

「えーっと、君は?」

 

「失礼しました。私は戸山香澄の妹、戸山明日香(とやまあすか)と言います」

 

 上坂の目の前にいる少女は戸山の妹と名乗った。

 確かに顔は似てはいるが、目の前の少女と戸山が姉妹と言われても疑いしかない。

 まだ戸山が妹と言う方が信じられる。

 

 その証拠に隣に座っている四季が戸山と同じDNAを待つ妹なのに話すことが出来ず口をパクパクさせている。

 

「まぁ確かに世話はしてるけど、その分仲良くして貰ってるからおあいこだよ」

 

「そう言って頂ければ、これからもおちょこちょいな姉ですがよろしくお願いします」

 

 明日香は姉の香澄の方に視線を戻した。

 

「いい子だ」

 

「あんなラノベみたいな妹いるんだな、知らなかったぜ」

 

 上坂が呟き、隣でも四季が呟いていた。

 

 戸山達が楽器の準備で静かになっていた空気がざわついた。

 

 うさぎだ

 

 花園が連れてきたらしい茶色い毛に右目が青て左目が赤色のオッドアイだ。

 名前はおっちゃん。決して中年男性のような呼び方とは違う。

 

 戸山達がおっちゃんを抱えているのを見て上坂は少し、いやとても羨ましかった。

 おっちゃんの毛がフサフサでサラサラなのが見て分かり花園が大切にしている事がわかる。

 

 上坂はおっちゃんを見て両手をにぎにぎさせる。

 周りから見れば、ただ危ない人だ。

 上坂はふわふわの毛にがまんできず立ち上がろうとした。

 

「つーか、みんな揃ってるぞ。今日はライブするんだろ」

 

「うん! よし、みんな準備しよ」

 

 市ヶ谷の間の悪い一言で戸山達はライブの準備を始める。

 

「なんだよ」

 

「別に」

 

 せめてもの仕返しに上坂は目を細めて市ヶ谷を見た。

 

 

 

 準備の出来た戸山がマイクを握る。

 

「こんにちは、戸山です! クライブに来てくださってありがとうございます」

 

「あいつ敬語なんて使えたんだな」

 

「そりゃ使えるだろ。香澄も一応高校生だし」

 

 相沢は小声で上坂に話しかけ、戸山が敬語を使ったことに感動していた。

 

「今日はおたえと……さーや、あっちゃん、ゆりさん、おばちゃん、澪くん、綾人くん、春くん、みんなをドキドキさせます! してくださったら嬉しいです。いきます! 『私の心はチョココロネ』!」

 

 上坂と特に四季は驚いていた。自分達が練習を見に行った時は合わせる段階にまで達していなく、戸山なんてまだコードが弾けるようになっていなかった。あれから一週間も立っていない。なのに戸山達はライブを成功させた。その事実に驚いた。

 

「凄いな」

 

「思ってたより上手いな」

 

 本来なら相沢の反応が正しかったのかも知れない。

 

「そうじゃねえよ。綾人は知らねーけど戸山なんてこないだギター教えた時、コードも碌に弾けなかったんだぜ」

 

 四季は上坂を挟んで相沢にライブの凄さを熱説している。

 

 戸山達は自分達の演奏がミスする事なく終わった事に興奮していた。

 

「やった! 最後までできた!」

 

「まじやばかった! ほんとやばかったって!」

 

「でも、楽しかった」

 

 演奏した戸山達は喜び合うがしかし今回のライブは演奏が無事終わる事ではない。花園をドキドキさせる事がこのクライブの目的だ。

 

「どうだった、おたえ? ドキドキした? SPECEに立てるくらい演奏上手くなったかな?」

 

「ううん、演奏はまだまだ全然」

 

「ええ⁉︎」

 

 戸山は自分の思っていた事と違う花園の感想に驚いた。

 

 花園は戸山の反応を見ると笑みをつくり。

 

「でも、気持ちは伝わってきたよ。バンドと音楽と本気で向き合ってるって……だからかな。みんなすごく輝いていた。一緒に演奏しているうちに震えちゃうくらい」

 

 とても満足した顔をしていた

 

「おたえ〜! おたえもキラキラしてたよ」

 

 戸山は花園に飛びついた。

 

 

 

「いいよな」

 

 戸山達が喜びを分かち合う姿に四季が羨ましそうに呟く。

 

「なあ、俺達もライブしようぜ」

 

「春夏、お前も香澄みたいに急な事言いやがって。そんな簡単に出来る訳──」

 

「やろう!」

 

 黙っていた上坂が立ち上がる。本当に以前の上坂ではありえない行動だ。

 

「澪、わざわざ春夏の思い付きに付き合わなくてもいいんだぞ?」

 

「そんなんじゃねえよ。一ヶ月後、一ヶ月後にライブをしよう」

 

「また具体的だな。どうして一か月後なんだ?」

 

「忘れたのか? あるだろ?俺達の初ライブに相応しいステージが」

 

 あっ、と四季が呟く。見れば相沢も同じような反応をしていた。

 

「「文化祭!!」」

 

 約一月後の文化祭。その日が野郎共にとって本当の意味での初ライブとなる。



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17話 『お灸』

久しぶりの野郎回です


 

 今日は金曜日、今日を乗り越えれば明日は休みだ。にも関わらず親友の相沢と四季の顔は浮かない。

 

「どうしたんだよ、元気ないぞ。今日乗り切ったら明日は休みだろ?」

 

「そんなのわーってるよ」

 

 相沢が気だるげに答える。

 

「分かってるなら元気出せよ。その方が良いことあるだろ? なぁ、春夏」

 

「…………」

 

「なんだよ二人そろって。……なぁ今日金曜日だろ? 放課後遊びに行かないか? 先週ショッピングモールに新しいカフェができたみたいでさ、そこのチョコレートケーキが美味しいてひまりが言ってたんだけど──」

 

「うるせえええぇええぇえええ────」

 

 相沢の絶叫は教室中に響き、すぐ近くにいた上坂はカフェの画像を探していたスマホを落としかける。

 

「びっくりしたー。なんだよ急に大声出して」

 

「なんだよじゃねえ! お前朝からうるせえんだよ。朝だけじゃねえ、お前今週ずっとうるせえんだよ!」

 

 叫んだ相沢は頭を抱える。

 

「確かに以前に比べたらそりゃあ口数は増えたけどさ、そこまでうるさくないだろ?」

 

「だったら春夏を見てみろよ! お前がちょくちょくひまりの名前出すから泣いてんじゃねえか! それに幸せオーラが駄々洩れなんだよ。ちったぁ遠慮して抑えろバカ」

 

 最近の上坂は文句の付け所がないぐらい順調だった。

 幼馴染達の関係は好調、勉強に関しても学年一位、交友関係も相沢や四季、戸山のバンドメンバー以外にも話す人は増えた。少し前の上坂では考えられない。

 そんなこともまり今の上坂はなぜか自信にあふれ、機嫌が腹立たしいほど良い。

 

「女の子はみんな澪と綾人の周りに集まって俺の周りには集まらないんだ」

 

「俺は澪と違って集まってるだけなんだよ。もうそろそろ誰かフラグが立ってもいいだろ」

 

「…………はぁ」

 

 四季はため息を吐き相沢の脛をつま先で蹴る。

 

「いってー、なにすんだよ」

 

 相沢は怒るが、四季はそっぽを向く。攻略対象者の女の子からの相沢の評価は低くなく寧ろ高い。四季はそのことを自覚していない相沢に腹を立てた。

 

「はぁ、どうせ今聞こえる声の女の子も澪か綾人にようがあるんだろうな」

 

「聞いてねえし……ん? 女の子?」

 

「綾人って春夏と比べて別にカッコいいって訳じゃないのになんか人気あるよな」

 

 学校ではモテてるとは言わない相沢だが何故かガールズバンドからは人気がある。

 

「褒めるなら普通に褒めろこの一般人代表。後なんで俺がそっち側なんだよ。いや、俺もリア充側が良いけど……」

 

「これで綾人も怒れないよな」

 

 相沢が口をつぐむ。

 

「────」

 

 相沢が静かになったことで廊下から確かに声が聞こえる。

 

「────ら」

 

 女の子の声、それも縋るような声だ。

 

「どうせあの女の子も澪か綾人のどっちかなんだぜ。もう分かってんだよ」

 

 同じことを二度も言う四季だが、そんな悲しい予想は裏切られた。

 

 教室の扉が勢いよく開く。

 不機嫌な顔で教室に入って来たのはクラスメイトの渡辺一也(わたなべかずや)。濃い青色の髪に、目の下にある色っぽい泣きぼくろ、身長は一七〇前半と高くもなく低くもない少年だ。

 

「いい加減離さんか! もう教室ついてもうたわ! 自分教室こことちゃうやろ、早よ自分の教室戻らんか!」

 

 渡辺一也は大人しいというよりは目立たない人間だ。それこそ関西弁と言う個性がなければ無個性な少年で、四季や相沢、戸山のような騒ぐ人種ではない。

 珍しくも騒ぎ立てる渡辺に視線が集まると思いきや視線は渡辺より少し下、腰辺りに集まっていた。

 

 ピンク色の何かが渡辺の腰から伸びていた。

 いや、人だ。肩まであるピンク色の髪の少女が渡辺の腰に顔を押し付けていた。

 

「一也くん。私頑張るから! 頑張るから、お願い! 私を見捨てないでえええぇええ!」

 

「朝からやかましいわ! 変な誤解されたらどうすんねん! 後自分二年やろ。ここは一年の教室や、早よ出ていきぃ」

 

 少女は思い出したかのようにキョトンとし、膝を払い立ち上がる。

 

「…………そうだよ一也くん。私、先輩なのにもっと敬いの気持ちとかないの?」

 

「敬い? 何ゆっとん。歌も踊りも全然な上に、こんなところまでしがみついてきた先輩をどう敬えとゆうんや? そんな仏のような後輩おるんやったら是非とも拝んでみたいわ」

 

 涙を払いショックを受ける少女の顔はかなりの美少女だった。

 

「あれってパスパレの丸山彩(まるやまあや)じゃねえか……!」

 

 いつの間にか四季の顔は上がりピンク色の髪の少女、丸山彩に釘付けだった。

 

「パスパレって名前しか知らないけどあれだろ? ちょっと前にエアーがどうやらって騒がれたとこだろ?」

 

 正式名称pastel*palettes。女の子五人で構成されているアイドルバンド。過去に機材トラブルにより口パクとエアー演奏が露見し一時話題になった。今では過去の出来事を乗り越え、本格アイドルバンドと言われるようにまで成長したことは上坂も知っているのだが、話題性もあり不死鳥の如く復活したことよりも、イカロスの如く地に落ちた時の方が印象が強い。

 

「バカ、その話は禁句だ! ……聞こえてない……みたいだな」

 

「……ごめん」

 

 失言をした上坂は相沢に頭をはたかれる。

 

「聞こえてないからいいけど、あれを見ろよ。イヴちゃん、あの子もパスパレなんだよ」

 

 視線を渡辺と丸山の方に戻すと女の子が一人増えていた。

 白い髪に二本の太い三つ編みの少女。名前は若宮(わかみや)イヴ、フィンランドと日本のハーフの少女で、整った顔と上坂を超える高い身長からモデルをしている。そして仕事をしているにも関わらず華道部、茶道部、剣道部と三つの部活を掛け持ちしている超人なクラスメイト。

 

「カズヤさん、アヤさんおはようございます」

 

「おはよ」

 

「イヴちゃんおはよ~。ねえ、イヴちゃん、イヴちゃんは私のこと尊敬してる?」

 

 丸山から出た言葉はとても自分から言うようなことではなかった。

 

「ハイ、尊敬してます。アヤさん、いつもレッスン一生懸命取り組んでいて、私も見習わなくっちゃって思ってます」

 

「イヴちゃんありがと~。一也くん聞いた? 私だって尊敬されてるんだよ……って何してるの?」

 

「見てわからんか? この器が大層大きいブシドー様を拝んどるんや。ほれ先輩、自分も拝みい、勤勉さがつくで」

 

「カズヤさん、アヤさん、止めてください。皆さんが見てます!」

 

 初めは『ブシドーは偉大です』と胸を張っていた若宮だったが、丸山が本気で願い事を口に出し始めた辺りから慌てだした。

 

 

 

 何も解決していないはずだが丸山は満足した顔で一年生の教室を出て言った。

 

「渡辺ってあんなキャラだったんだな」

 

 クラスメイトの大半が同じことを思っているだろう。

 

 厄介者を追っ払ったとばかりに大きなため息をついた渡辺がジッと上坂達を見る。渡辺は素っ気無いイメージがある。昼食はいつも一人、話し相手も前の席の若宮ぐらいと環境だけなら少し前の上坂より酷いかもしれない。

 他人と自ら関りを持とうとしない渡辺が初めて上坂達に近づいた。

 

「上坂やったっけ? 悪いな、まだクラスの奴らの名前覚えきれとらんねん」

 

 上坂は名前を呼ばれ渡辺を見上げ、両サイドにいる相沢と四季は上坂を見る。

 

「なんやえらいおもろそうな話しとったな」

 

「面白い話し?」

 

 心当たりがなく首を傾げると、渡辺が睨む。

 

「とぼけんなや、聞こえとらんとでも思うとるんか? あの二人は聞こえとらん見たいやったけど、この耳にはあんたの声がよう聞こえとるんや」

 

 若宮に配慮してなのか、その声は静かだった。

 一度は首を傾げはしたが、今は分かる。

 

「悪かったって。あれは俺も失言だった……反省してる。もう言わないよ」

 

 三人の関係は分からない。ただ、渡辺が友達のために怒っていることは分かった。

 

「ごめんで済んだら警察はいらんねん。せやけどほんまに反省しとるんは分かったわ。今回は聞かんかったことにしといたる。……ただこれだけは言わせてもらうで、あんたからしたらただの失言なんかも知らへんけど、その何気ない一言が人を悩まし、悲しませ、傷つけるってことをあんたは知るべきや」

 

 渡辺は上坂の席の反対、廊下側の一番後ろの席に戻り何事もなっかたかのように若宮と話した。

 

「…………分かってるよ」

 

 上坂は小さく呟く。言葉の刃がどれだけ深く突き刺さるか上坂は良く知っている。

 

「羽目外しすぎたな」

 

 幼馴染達との仲直り、学年一位、戸山からのライブのお呼ばれ、最近うまくいきすぎていた。

 

「羽目外すなんてそんな可愛いもじゃないだろ、調子に乗りすぎなんだよ」

 

「ハハッ……そうかもな……」

 

「でもよかったんじゃね? お灸を据えてもらって。これで来週から静かな一週間が過ごせるぜ」

 

 上坂が大人しくなっても四季の思う静かな一週間は訪れないとい。と言うよりはその平穏を四季は自らぶち壊す。

 五月も終盤、そろそろ学校でも一二を争うイベント文化祭の前触れだ。




二話連続オチが同じになってもうた
次回文化祭編!……入れたらええな~

最後に謝罪
元々オリキャラ色の強い作品ですが更にオリキャラを増やしてしまいすみません。後悔はしてません


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18話 『文化祭は準備期間が一番楽しいのかも知れない』

 週が明け月曜日、気だるげな月曜日ではありえない程、教室の空気は温まっていた。

 今日から二週間強、毎日が騒がしくなる。

 バンッ、とクラスの委員長が黒板を手のひらで叩き注目を集める。注目を集めたりせずとも全員が前のめりになって名前しか書かれていない黒板に噛り付く。

 

 彼女の一言で祭りが始まる。

 

「A組の出し物はカフェで文化祭委員長は戸山さん、副委員長は山吹さんに決まりました」

 

 そう、文化祭である。

 

 

 

 

 

 と言うのが回想であり今は文化祭準備期間も折り返しに入った六月。

 放課後、クラス一丸となって作業をする中、上坂は一人冷房の効いた羽沢珈琲店で珈琲を飲んでいた。

 

「澪君もうすぐ文化祭なんでしょ。クラスの出し物のお手伝いしなくて大丈夫なの?」

 

 満を持して学ランから半袖もシャツに変わった上坂は羽沢珈琲店の看板娘の羽沢からおかわりのコーヒーを受取る。

 もともと女子高だったということもあり女子の夏服は白の薄手のセーラーと手が込んでいることが一目で分かり、半袖シャツの男子の夏服と比べ値段が五倍近く違う。安いに越したことはないのだがここまであからさまな差別は不満が溜まる、と言うのが多くの男子の意見だ。

 

「別に俺の仕事は学校じゃなくても出来るからいいんだよ」

 

 置かれたコーヒーを口に含みブラックの苦味とかすかな酸味を味わう。

 羽沢は花咲川の隣の高校、羽丘の生徒会に所属しており、文化祭のような学年全員を巻き込むビッグイベントには敏感で、それに加え羽丘では文化祭は九月と時期が違うため今後の参考までに気になっている。

 

「俺のクラス文化祭でカフェをするんだよ。だからその視察も兼ねて来たってわけ。別にさぼってるわけじゃないから」

 

 カフェの出し物をするまで色々大変だったと上坂は思い出す。1-Aのマスコット戸山香澄は文化祭委員長として一生懸命まとめようとしていたのだが、どうしてもマスコット色が強く本人も含め話がいろんな方向に脱線した。途中何度か戸山は話を戻そうと奮闘したのだが結果は同じになってしまい、どうなるのだろう、と一部の真面目な人間が思っていた時に出てきたのが文化祭副委員長山吹沙綾。彼女が介入してから話し合いは一瞬で終わり出し物は、『1-Aカフェ』になった。初めは山吹の実家『山吹ベーカリー』のパンの委託販売のようなものだったのだが、『カフェっていうなら料理もいるだろ』という相沢の一言で簡単ではあるが何品か料理のメニューも加えることになった。

 

「そうなんだ。でも澪君、ウチのことなら知り尽くしているんじゃない?」

 

「ゲホッゲホ……ゴホッ……」

 

 口の中に注いだコーヒーが喉ではなく気管を通り上坂は大きく咳き込む。

 

「べ、別にここが居心地が良いからとかそんなんじゃないからな!」

 

 さぼりではない。いざ自分がカフェを開くとなると見方が変わる、上坂はそう思っているのかもしれない。

 

「あはは、澪君、蘭ちゃんみたいなこと言って……澪君そのテーブルに広げている紙は?」

 

 羽沢は上坂が広げているいくつか束になっている書類に目がいく。

 

「あーこれは、出し物の進み具合をまとめる紙に備品の発注許可用紙、そしてこれがお金関係の書類」

 

「やっぱり澪君、賢いからそういう書類系の仕事なんだね」

 

 羽沢は上坂の仕事内容に納得したが、上坂は苦笑いを浮かべる。

 

「そういう訳じゃないんだよ……」

 

「何かあったの?」

 

 上坂は苦笑いを超え、自嘲気味な笑顔を浮かべた。

 

「要するにリストラだよ」

 

 

 

 

 

 一週間ほど前に遡る。

 

「じゃあ衣装班は私のとこ、料理班はさーやのとこに別れて下さい」

 

 戸山の一言でクラスが二手に別れた。

 

「澪くん、衣装の方なんだ。これから一緒に頑張ろうね」

 

「よろしく……」

 

 当然料理のできない上坂は衣装班になる。

 

「まずはね、ここのラインをなみ縫いで縫っていって……」

 

 委員長という仕事を任されていた戸山はいつも以上に張り切っていた。

 戸山によるエプロンの作り方の説明が終わったと同時に他の衣装班が一斉に取り組み始めた。

 

 上坂は困った。針を刺しても布はくっつかない。どうしたものかと針と布を交互に見る。

 

 料理が出来ないから裁縫は出来るとは限らない。

 上坂が以前住んでいた街の学校では家庭科は必修ではなく、上坂はもちろん受けていない。それは中学校だけでなく小学校も同じことだ。つまり上坂は今人生初めての裁縫にチャレンジしている。

 

「澪くん分からないの? さっきから針と睨めっこして」

 

 戸山が背中から顔を覗かせる。

 戸山は作り方が分からないクラスメイトがいたら直ぐに教えにいけるように見回っていた。

 

「あー……、どういう訳か縫っても布がくっつかないないんだよ。ほら」

 

 上坂は針で布を通しくっつかないって事を見せた。

 

「くっつくわけないよ。だってその針、糸ついてないんだもん」

 

「じゃあどうやって糸をつけるんだ? テープか何かで付けるのか?」

 

「テープ? そんなの必要ないよ。こうやって……糸を湿らせてここの小さい穴に糸を入れるの。それで先を止めたら……ほら、糸が針から外れないでしょ」

 

 戸山は糸先を舐めて針の穴に糸を通し、針を使って糸先を結ぶ。

 

「慣れてるんだな」

 

「こないだの家庭科でやったじゃん」

 

「いや、俺家庭科取ってないし」

 

 花咲川高校の選択授業は家庭科と書道と情報処理であり上坂は情報処理を選択している。家庭科の授業は女子の人気が高く一見女の子目的の男子が集まりそうに思えるのだがソーイングセットやエプロンと色々持ち物や手間がかかることから男子の人気はない。だから男子は決まって書道か情報処理を選択する。おかげで上坂の受けている情報処理は珍しく男子の比率の方が高い。

 

「そういえば、渡辺って選択家庭科だったよな?」

 

 先日の一件以降上坂は渡辺が気になる。周りには彼の姿はない。

 

「そうだよ。一也くんってすごいんだよ。この間のナップザックの課題だって、早く終わったからって五つも作ってたんだよー。兄弟いっぱいいるのかなあ。あーあ、一也くんがいたら百人力だったのにな~。どうして料理班に行っちゃったんだろ。あっちにはさーやがいるのに」

 

 残念そうにため息を吐く。戸山は自分が頼りがないことを自覚しているようだ。

 

「へぇー、あいつってそんなにすごいんだ。それに料理もできるって俺とは正反対だな」

 

 関西弁以外個性のない少年だと思っていたが、上坂が知らないだけで家庭科の達人という立派な個性を持っていた。

 

「糸の付けかたは分かったよありがとう。もう大丈夫」

 

「また分からない事があったらいつでもいってね」

 

 手を振り戸山は見回りへと戻った。

 

 上坂は作業に戻り、針の穴に糸を通した。

 しかしこれがなかなか難しく穴に通そうとすると、穴の手前で曲がってしまう。

 

「しっかしこれ難しいな。香澄はよくこんな事簡単に出来るよな」

 

 ぶつぶつ言いながら糸を針の穴に通す。

 

「はぁはぁ、やっと通った」

 

 三分ほど糸と格闘しやっとのおもいで勝利したが糸を針に通せた時点ではまだスタートラインにすら立てていない。

 

「香澄は針の周りに糸をグルグルさせていたよな……痛っ!」

 

 糸先を結ぼうと針に糸を回し付けると誤って針に指を刺す。左手を見ると人差し指から血が流れ手が赤くなっていた。

 

「上坂くん大丈夫?」

 

「大丈夫、こんなの時間が経ったら止まるって」

 

 心配する牛込に大丈夫である事を見せるために血が流れている左手を軽く振るが、上坂の左手は針で刺した割にしては多くの血が指から流れていた。

 

「私、絆創膏持ってるよ」

 

 慌てる牛込の姿を見て近づいた花園から絆創膏を受け取る。

 

「ありがとう。それにしても絆創膏なんて持ってきてるんだな、助かったけど」

 

「ギター練習する時に指切る事多いからいつも絆創膏と消毒は持ち歩いてるの」

 

 上坂は受け取った絆創膏のシールを剥がす。

 

「せめて消毒しなくちゃ!」

 

 大きい声を出す牛込の圧力に圧倒された上坂は、されるがままに傷口を消毒液で洗浄し血をティッシュで拭き取ってもらい、絆創膏まで丁寧に貼ってもらった。

 

「……ありがとう」

 

 子供のようにされるがままに絆創膏を貼ってもらった上坂の顔は恥ずかしさで少し赤くなっていた。牛込もそんな上坂の顔に反射するように赤くなり黙って本来いた自分の場所に帰っていった。

 

「りみ、行っちゃった」

 

 花園が牛込の背中を見て呟く。

 

 戸山、牛込、花園と迷惑をかけてばかりの上坂は、これ以上の迷惑はかけれないと気を取り直して作業に戻る。

 無事玉止めを成功させた上坂は布に針を通す。

 

 ザクッ

 

「……おたえ」

 

「どうしたの?」

 

「悪いけど、もう一枚絆創膏くれないか?」

 

 今度は布を押さえていた左手から血が流れていた。

 

「……悪い」

 

 絆創膏と消毒液を受け取り、血が流れていた左指に貼る。一回目の怪我からものの数秒で二回目をやってしまい恥ずかしさのあまり顔が上がらない。

 

「上坂がまた怪我をしてもいいようにここでするよ」

 

 花園は上坂の正面に座りチクチクと布を縫い付けエプロンを作っていく。

 

「怪我する前提かよ」

 

「でも、そうでしょ?」

 

「…………」

 

 上坂は言い返すことができなかった。

 

 それから上坂は作業を続け分からない所があったら花園に聞きエプロンを作っていく。

 初めてのことで苦労する事も沢山あったが上坂はエプロンを完成させる事が出来た。

 

「香澄、出来たぞ!」

 

 文化祭委員長である戸山に完成したエプロンを手渡す。

 戸山はまじまじとエプロンを見てにっこり笑った。

 

「澪くん出来たんだ。頑張ったね」

 

 子供にするようなほめ方ではあるが、今の上坂にはすごく嬉しかった。

 

「でも香澄、上坂はもうエプロン作りは辞めた方がいいかも」

 

「おたえどうして? 澪くんちゃんとエプロン作れてるよ」

 

 戸山が持っているエプロンは、縫い目も真っすぐではなく綺麗とはとても言えないがそれでも合格ギリギリラインのできだ。

 

「香澄これを見て」

 

「ちょっ、おたえ」

 

 上坂は隠した腕を花園に掴まれ戸山の前へと引っ張り出される

 

「どうしたのその手! すごい怪我」

 

 上坂の手には絆創膏が初めの二枚じゃ収まらずきれいにすべての指に一枚ずつ貼られていた。

 

「名誉の負傷ってやつ」

 

「違うよ。ただ針が刺さっただけ」

 

「……そうなんだ」

 

 戸山が上坂の手を見て心配そうな目をする。

 上坂は迷惑をかけないように努力をしたが、結果戸山の顔を曇らせてしまった。

 

「……香澄、俺衣装班じゃなくて料理班の方にいどうしていいか?」

 

 戸山も花園も何も言わない。

 上坂の手の怪我を見て難しいと思ったのだろう。

 

 こうして上坂は衣装班をクビになった。

 

 

 

 上坂は料理班のいる家庭科室へと向かった。

 

 料理は得意ではない。

 それは上坂の私生活を見ていたら一目瞭然。

 だけど血まみれになった裁縫に比べたら料理の方が出来ると思い料理班へ移動した。

 

 家庭科室では料理班が、カフェに出すパン以外の料理を考えている。

 

 扉を開けた上坂は、もっと料理班は包丁で食材を切ったり、フライパンで炒めたりともっとワイワイ楽しんでいるものだと思っていた。

 いや、楽しんでいた。しかし楽しみ方のベクトルが違う。

 みんなが一か所に集まり興奮する様子はスポーツ観戦のそれに似ている。

 

「なぁ。何集まってるんだ?」

 

 吸い込まれるように人だかりに交じる上坂は金髪が目印の四季の隣に並ぶ。

 

「あれ? 澪お前、こっちだったっけ?」

 

「衣装班がクビになったから、こっちに来ま……した」

 

「お前、何してるんだよ」

 

 学校の文化祭の準備でクビになるという事は相当な事で、これだけで四季は上坂の裁縫スキルの低さが分かる。

 

「俺のクビ事情はいいだろ。それよりこの集まりはなんなんだよ?」

 

「あれを見てみろよ」

 

 人だかりの中心には男子が二人。

 一人は赤い髪の相沢綾人。もう一人は青い髪の渡辺一也。

 二人が同時に溶いた卵をフライパンに注ぐ。

 

「とりあえずオムライスを作ることになったんだけどな、綾人が半熟のオムライス、渡辺が薄焼き卵のオムライスともめてな、今どっちを作るか実際に作って勝負してるんだぜ」

 

「なんだよ勝負って……アホな綾人はともかく、俺の中の渡辺のイメージがどんどん崩れていく」

 

 誰だ渡辺を無個性だと言った奴は……って俺か、と上坂は心の中でつっこんだ。

 

 上坂が頭を抱えていると歓声が響き渡った。決着がついたらしい。

 

「こんなオムライス出されたら引き分けでも納得やわ」

 

「まさか引き分けとわな。一也すげーよお前」

 

「相沢、自分もすごかったで」

 

「二人のオムライスほんとにすごかった。こんなのどちらかなんて私には選べないよ」

 

 赤頭と青頭のがっしりと握手をする謎の友情劇も審査員長山吹の感動の一言で幕を閉じた。

 

 

 

「どうした、こっちに来て。衣装作りクビにでもなったのか?」

 

「なんで分かるんだよ!」

 

「そりゃぁ、その絆創膏まみれの指を見たらわかるだろ」

 

 上坂は慌てて手を背中に隠す。

 

「はぁ……どうしたらそんな指になるんだよ」

 

 相沢は上坂の指を見てため息を吐く。

 言い返すことが出来ず乾いた笑みを浮かべているとポニーテールのエプロン少女が近づいてくる。

 

「澪、こっちに来たんだ」

 

「まぁ、料理は得意じゃないけど、裁縫よりは出来るかなって」

 

 上坂は山吹に衣装班をクビになったことだけを伝える。

 

「むこうでなにがあったかは知らないけど。私達が作るものは、綾人と渡辺がさっき作ってたオムライス。比較的簡単だから安心していいよ」

 

 何度か頷いた山吹は上坂の事情を深く言及しなかった。

 

「さっきの話を聞いた感じ澪不器用そうだし、取り敢えず技術の必要な卵じゃなくて材料を切って炒めるだけのチキンライスの方にしよっか。でも澪、料理をするときはビニール手袋しないとダメだよ。傷口に細菌が入っちゃうからね」

 

 料理に血が混じる、とストレートに言わない当たり山吹の優しさが分かる。

 

「それじゃあオムレツ組とチキンライス組に分かれたね。それじゃあ始めよっか。こっから先は自由。みんな、怪我をしない程度に楽しむこと。分かった?」

 

「「「は~~い」」」

 

 山吹の一言で料理班は散らばる。二手に分かれた料理班はここから各自小さなグループを作る。

 

「はる……」

 

 近くにい親友に声をかけようとするが、別の方向から腕が引っかけられる。

 

「上坂やるで、若宮もついてきい」

 

「ハイ、精一杯お供させていただきます」

 

「えっ? えっ?」

 

 訳も分からず上坂は渡辺に引きずられ、困惑した四季が親鳥を追いかける雛のように前をついてきた。

 

 

 

 流水で手を洗い終えた上坂の装備はいたって単純。つい先ほど作った不細工なエプロンにビニール手袋そしてこれから装備するであろう包丁。そんなRPGゲームの初期装備でもありえない格好をした上坂のパーティーは白髪ハーフモデル若宮、関西弁の家庭科の鬼渡辺、残念系イケメン代表四季の三人だ。

 とは言ってもこのパーティーの勇者は上坂ではない。

 

「…………以上がチキンライスの作り方や。言っても材料切って調味料と一緒に炒めるだけの超お手軽なやつや。生まれてこの方包丁握ったことない奴でも出来るやろ」

 

 渡辺の言い回しは毒がある。その相手は若宮でも四季でもない上坂のことだ。

 上坂は生まれて一度も包丁を持ったことがない。一人暮らしはジャムの乗った食パンかインスタント麺。家族と住んでいた前の街では掃除担当で触る機会はなかった。

 

「なあ、渡辺、どうして俺を誘ったんだ?」

 

 誘ってもらったことは嬉しいことだが、どうしても疑問は残る。

 先日の一件、許してはもらえたがだからと言って仲良くなったわけではない。むしろ嫌われているだろう。

 

「大した理由なんてあらへん。あいつにあんたのこと頼まれたんや」

 

 上坂達チキンライス班ともう一つの班オムライスの主役、卵班の中心にいる人物を見る。

 

「俺の事は相沢でも綾人でもない。シェフと呼べ!」

 

 相沢は菜箸を手のひらに叩きつけ、同時に卵班はノリが良く『シェフ』と叫ぶ。

 普段なら相沢の一、二本ネジの緩んだテンションについてくることはない。しかし文化祭という魔法が普段抑え込んでいる自制心を緩ます。

 

「あいつ……だれや? ……まあええ、要するに衣装作りはクビになるは、料理は作ったことないはの家庭スキルゼロの自分の面倒見たるってことや」

 

 言葉は一〇〇%毒で構成されているが、上坂に料理を教えてくれるということだ。

 

 毒一〇〇%の言葉にカチンとなるが飲み込む。事実ということもそうだが、争って周りのテンションを下げたくないというのが本音だ。

 

「それで、何をするんだ?」

 

「自分はまず、包丁の使い方を覚えるところからや」

 

 渡辺の指示で四季と若宮はそれぞれ作業に入る。

 

「左手また爪見えとるで」

 

 納得がいかない。

 

「なあ、どうして切るのは野菜のへたと頭ばっかりなんだよ」

 

 上坂の作業はいたって単純。人参、玉ねぎ、ピーマン。チキンライスに使う野菜のへたや頭を切って回すことだ。

 まだ四季と若宮、二人分ならまだよかったのかもしれない。終われば次のステップに自動的に上がれる。

 しかし渡辺はおせっかいなのか嫌がらせか分からないがすべての班から野菜を集め下準備の下準備を上坂にさせる。

 

「小さいものを切るのは危ないねんで。折角これ以上怪我が増えんようわざわざ他の班から材料かき集めた言うのに文句ばっか言って」

 

「流石にこれはやりすぎだろ……」

 

 テーブルには袋単位で置かれた野菜。いくらへたや頭を切り落とす作業だけだとしても終わりが見えない。

 子供お料理教室でも怪我が起こらないようにとここまで過保護になることはないだろう。

 

「さっきまで切り方も知らんかた奴が偉い自信やなあ~。……そんなゆうんやったら次いってみるか?」

 

 終わりの見えなかった野菜たちのへたと頭をあっという間に渡辺は切り終える。

 プロのような見えない包丁さばきではなく、丁寧で無駄のない包丁さばきだった。

 

「まず半分にしてスライス。そっからみじん切り。できるんやろ? やってみぃ」

 

 白いまな板の上には頭の落ちたピーマン。

 上坂は怪我をしないように丸めた左手をピーマンに乗せ、包丁の刃を入れる。

 

 後ろからは背中がピリピリするほどの高圧的な視線。ライブやコンクール、何かとステージに上がり人の視線を感じることの多かった上坂だがそのどれよりも緊張した。

 縦に割り終え、半分になったピーマンを丁寧にスライスしていく。難易度は小さくなるにつれ上がる。

 

 ザクッ、

 

「あっぶなー」

 

 半分を切り終えこれからが勝負と言う時だった。

 背中に何かがぶつかりその反動でピーマンが切れる。

 手は猫の手と丸めていて無事ではあったが、もし伸ばしていたら上坂の指は失っていたかもしれない。

 猫の手が大事だということを上坂は肌で感じた。

 体中の血が床に落ちたような錯覚を感じ右手で左手を包む。分かってはいるが指が繋がっているそのことに安堵した。

 

「大丈夫か!?」

 

「えっ! ……へっ?」

 

 真っ先に駆け付けたのは意外にも渡辺だった。

 

「手は切ってないみたいやな……」

 

 上坂の足元に血だまりが出来ていないことに安堵した渡辺は声のトーンが恐ろしく低くなった。

 

「まさかここにも問題児がおったとはなあ?」

 

 渡辺の威圧的な声の先には前を見ようとしているが焦点が合っていない四季の姿があった。

 

「自分のしたことの意味分かっとん? 一歩間違えれば友達の指、切り落としとってんで」

 

 四季は一回だけ頷く。

 態度がいけなかったのか、渡辺は目を鋭くし四季に迫る。

 家庭科室はなんとも言えない空気に包まれる。みなどうすればいいのか困惑していた。

 それは上坂も同じことで四季と渡辺どちらの見方をすれば分からなかった。

 

「まってくださいカズヤさん」

 

 皆が足を止める中、一番最初に動いたのは若宮だった。声は少し震えており、大きな瞳からも涙が浮かんでいた。

 

「私の……私のせいなんです」

 

 話はこうだった。若宮は顔だけは良い四季をモデルに誘った。初めこそノリ気と言うよりはいつもの軽口で承諾してしまった四季だが話が、どんどん本格的になり逃げだした先でぶつかり今に至るという話だ。

 

 無音が響く。

 取り合えず渡辺が止まったのだと安心し張りつめていた空気を抜く。

 

「そうか……だったら若宮、自分も同罪や」

 

「ハイ」

 

 若宮は覚悟を決めた真っすぐな目をしていた。

 

「お、おい……」

 

 非を自ら認め反省する相手に叱るなんておかしい。

 自分から非を認める、それだけでも十分な罰だろう。

 

「なんや上坂、そんなに若宮を怒るんがおかしいか? 悪いことしたやつを怒るんは当たり前のことやろ?」

 

 上坂はただ茫然と眺める事しかできなかった。

 説教の内容は『刃物のある傍で走るな』と極々当たり前の話だ。そんな子供でも分かるようなことを真剣にそれでいて丁寧に二人に言い聞かせていた。

 母親が子供に叱りつけるように怒りながらも確かに相手のことを思う気持ちがあった。

 上坂は渡辺が友達のために本気で怒れることを知っている。上坂も大切な幼馴染や友達のために怒れるだろう。

 逆に上坂は幼馴染や友達を本気で怒ることが出来ない。この場に渡辺がいなければ、いいよ、の一言で許してしまうだろう。それが上坂と渡辺の違い。

 渡辺は友達のために友達を怒ることが出来る。そういう人だ。

 

「澪、ごめん」

 

「レイさん、すみませんでした」

 

 お叱りを終えた二人は上坂に頭を下げる。

 

「大丈夫、ビックリしただけだから。ほら、指もこの通りくっついているだろ、だからもう気にするなよ。まだ準備期間とはいえ折角の文化祭だ。楽しまないと損だろ?」

 

 四季と若宮、二人の顔に笑顔が戻り、二人はチキンライス作りに戻った。

 

「上坂、自分ちょっと甘ないか? 指が失なりかけたん他の誰でもない自分やろ?」

 

「別にいいんだよ。俺の指はこの通りくっついてるし」

 

 渡辺の真似をして怒る必要はない。怒ったところで渡辺のようにうまくはいかない。

 人には人の、上坂には上坂のやり方がある。

 

「それに俺のために必死に怒ってくれた奴もいたみたいだし、これ以上言う必要もないだろ」

 

 指が失いかけたことよりも上坂のために本気で怒ってくれたことが嬉しかった。

 

「急にへんな事ゆうなや。自分結構痛いこと言っとるって気づいとる?」

 

「痛いって酷いな。もうこの際、俺の指なんてどうでもいいだろ? 暗い話より明るく楽しい話をしないか?」

 

「……ほんと少し前の自分とは別人やな。……それで楽しい話ってなんや。悪いけど楽しい話なんて俺にはほとんどあらへんで」

 

 呆れているのか、返答も相槌とそれほど変わりがない。

 

「一也、お前の大好きなパスパレのことを教えてくれないか?」

 

 

 

「すまん山吹、俺がついておきながらこんなことになってしもうて」

 

 料理班最高責任者の山吹は両手を合わせ頭を下げる渡辺を見てはいない。

 

「一応聞くけど、これ、チキンライスだよね? 私の知ってるのとは違うんだけど、どうして黄色いの?」

 

 完成したチキンライスはトマトの赤ではなく、黄色だった。

 

「一也がいてこれかよ。澪、どうなったらこうなるんだよ」

 

 山吹の隣で相沢が呆れつつも必死に笑いを堪えていた。

 

「知らねえよ!」

 

「知らねえよ、じゃあらへん! 全部自分のせいやろ!」

 

「それで一也、何があったの?」

 

「山吹、聞いてや」

 

 渡辺は話した。

 塩と砂糖を間違えたなんて序の口で、炒めるだけのフライパンにはひたひたの油を用意したり、ちょっと目を離したすきに引き出しに入っていたカレー粉を入れたりと、渡辺は丁寧に話した。

 

「そっかー、この黄色はやっぱりカレー粉だったんだ……」

 

「口を酸っぱく知らないものは触ったらあかんってゆうたのに」

 

「それは大変だったね」

 

 話を聞いてるだけの山吹も疲れた顔をし、どうして知らないものを入れようとしたなんて聞く気力も勇気もない。

 

「もう無理や。こんなバケモンの相手なんかできひん。俺は降りる!」

 

「ちょっと待ってよ。一也が降りたら誰が……」

 

「そんなん山吹か相沢が教えたらええやろ!」

 

「私は……そのみんなを見ないといけないし……」

 

「俺はオムレツの指導があるし……」

 

「オムレツの指導やったら変わったる」

 

「いやだめだ。とろっとろのオムレツは俺しか教えることできねえ」

 

 今の光景を簡単に説明するならいらない子の押し付け合いだ。見れば誰でも分かる。

 しかしそういった事はさりげなくすることで堂々とすることではない。

 隠すそぶりを見せない当たり問題の大きさが嫌でも分かってしまう。

 

「なあ、この問題って俺が出て行ったら解決するよな」

 

 一度クビ宣告を受けている上坂には二回目のクビに抵抗なんてものはない。

 

「待って澪! このままだったら折角の文化祭なのにやる事無くなるじゃん」

 

 衣装班も料理班もクビになった上坂には山吹の言う通りすることは残されていない。

 

「何か……そうだ、本当なら文化祭委員の私とがする仕事なんだけど」

 

 山吹は鞄の中からいくつもの書類を取り出す。

 

「これ、お願い出来る? 香澄には私から言っておくから」

 

 上坂は三度目にしてとうとう天職を見つけた。

 

 

 

 

 

「そういう訳で、色々あって今の仕事になったわけ」

 

 長い話にも関わらず羽沢は苦い顔一つせず上坂の話を聞いた。

 

「なんだか壮絶だね」

 

「だけどさ、この書類の仕事は早いって褒められたんだよ」

 

 裁縫、料理と迷惑しかかけてこなかった上坂は褒められた事がようやく自分も協力してるという気になって嬉しかった。

 

「良かったね。でも、いま聞いた話だと澪君家庭科苦手なんだね」

 

「筆記はできるんけど、実技がな〜」

 

 筆記は知識さえあれば解けたから問題はなかった。しかし実技は知識があれば出来る物ではなく経験が必要だ。上坂は幼少から料理だけではなくスポーツもあまりしていない。

 それは、ピアノを弾くのに指を怪我したくないっていうのが理由だ。それはピアノを辞めてからも変わらない。だから包丁の様な刃物を扱う料理なんて、もってのほかだった。

 

「なぁつぐ、今度料理教えてくれよ。俺でもできそうな簡単なの知ってるだろ?」

 

 今まで料理なんて覚える必要ないと思っていた。しかし今回の件で迷惑をかけることが分かった。だから最低限で良い料理が出来るようになりたかった。

 

「えっ、えっと〜……」

 

 渡辺も相沢も山吹もそろって匙を投げたことだが、優しさで出来ている羽沢は教えてくれるだろうと上坂は思っていた。だが優しさ出来ている羽沢でさえ上坂に料理を教えることはお手上げらしい。

 

 カランカラン

 

 お店のドアが開く音がした。

 救いの鐘の音に羽沢は逃げる様にお客を迎える。

 

 入ってきたお客は桃色の髪の少女。

 

「つぐ〜、聞いてよ〜」

 

「ひまりちゃん、いらっしゃい」

 

 上原は空いている席に座ろうとしたが、上坂に気づき一度座ろうとした席を離れ上坂の向かいの席に座る。

 

「澪も来てたんだ。もぉ、来るなら言ってよー」

 

 羽沢が上原の前に水の入ったコップを置く。

 

「ねぇつぐ、澪と何話してたの?」

 

「実はね……」

 

 話を聞き終えた上原は上坂に視線を戻した。

 

「澪は料理が出来なくても大丈夫」

 

「何でだよ。出来るに越したことはないだろ?」

 

 料理が作れるようになれば生活の幅が広がる。それに今の不健康な生活から脱出できていい事しかない。

 

「澪が料理出来ない分、私が作ってあげるから!」

 

 テーブルから身を乗り出して息巻いていた。

 普通だったら料理を覚えたいという事を否定しない。だけど上原は否定する。

 

「話を聞いて……」

 

 話を聞いていたか?、と言い返そうとしたが上坂はその口を閉じ頭を掻く。

 

(まぁいいか、俺もひまりの手料理食べたいし)

 

 料理ができない事で彼女の手料理が食べれるなんて、料理が出来ないのも悪くない。

 

 上坂はそう思った。



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19話 『上坂、初めての買い物』

 空は夕日が沈み暗くなってきた。

 窓から見えた活気ある商店街も今では人足も減り寂しいものになっていった。

 時計を見づとも時刻を教えてくれる天然の時計に上坂も帰らなければと席を立ち会計を済ます。

 居た時間に対してコーヒー二杯とケーキが一つと店側からすればコストパフォーマンスは悪いが、それでも羽沢は笑顔を絶やさない。

 因みにコーヒー一杯とケーキは上原分だ。

 

「これをみんなに渡したらいいんだね」

 

 おつりを渡した羽沢は数枚の紙をひらひらさせてからエプロンのポケットに紙をしまう。

 

「頼むぞ。それがなかったら入れないからな」

 

 上坂が渡したのは文化祭の入場チケット。花咲川高校は元が女子校でナンパ目当てで来る不埒な輩多い。そのため安全面を兼ねてチケット制になっている。

 チケットは特に枚数制限などはなく、必要な枚数を文化祭委員に言えば発行してもらえる。枚数制限がないとこから一応対策してますよ感が拭えない。

 

「えっ……私貰ってない」

 

 上原の表情が空と同じ色ぐらい暗くなる。

 

「ひまりのチケットもあるに決まってるだろ」

 

 鞄の中をあさり、ファイルに挟んであるチケットを上原に手渡す。

 

「後で渡そうと思ってたんだよ」

 

「そうなの? だったら言ってくれればいいのに、私だけ貰えないのかと思ったじゃない」

 

「俺がひまりの分を忘れる訳がないだろ? つぐ渡す物も渡したしそろそろ帰るよ。また参考にしたい事があったら来るからその時はよろしく」

 

「じゃあ私は文化祭できちんと参考になったかチェックしに行くね」

 

「それはちょっと厳しいなぁ。と、言いたいとこだけど、結構凄いのになりそうだから、楽しみにしていいよ」

 

 今クラス一丸で文化祭に向けて頑張っている。衣装はいつも遅くまで残っていて、料理班のメニューも今では三品まで増えている。

 これだけ頑張っているのだから絶対に良いものが出来るに決まっている。

 

「うん。楽しみにしてる」

 

「じゃあ、また」

 

 羽沢に手を振り、上坂は店を出た。

 

 

 

「ねぇ」

 

「どうした?」

 

 羽沢珈琲から出た上坂と上原の二人は家に帰る為に商店街を歩いていた。

 

「澪は文化祭でライブしないの?」

 

 上原の問いに上坂は数回瞬きを入れ

 

「しまった! 文化祭準備のドタバタのせいですっかり忘れてた!」

 

「そんな大事な事忘れてたの⁉それじゃあ澪、ライブするの?」

 

 上原はかなり興奮気味だった。

 それもそのはず、上原は一度も上坂達の演奏を聴いた事がないからだ。

 

「するする。でも曲作りなんてなんにもできてない、どうしよ」

 

「澪が曲作るんだ」

 

「別に俺がって訳じゃないけど三人の仲じゃ俺が一番暇だし」

 

 上坂もまた興奮している。だが上原の喜びが強い興奮とは違い焦りの色が強い。

 文化祭まで後三週間、上坂はライブをするにしてもまだ何一つ準備をしていない。

 

「まだ文化祭まで時間はあるんでしょ? 澪なら大丈夫よ」

 

 三週間で曲作りに練習となかなか無茶な挑戦ではあるが、好きな人からの応援はそんな無茶な難問を易問に変えてしまう力がある。

 

「そうだよな、まだ時間はあるよな。俺ならってところはともかく絶対間に合わすよ。ひまりに俺達の演奏聞いてもらいたいし」

 

「澪、大好き〜!」

 

「うわっ」

 

 抱きつく上原を抱きしめ頭を優しく撫でた。

 外が暗くなっているという事もあり多くの目はなかったがそれでも、商店街でお店を構えている人には見られていた。

 恥ずかしさはもちろんあったが、上原を抱きしめることが出来る日常がひどく嬉しかった。

 

(ギリギリなスケジュールでも綾人と春夏には強制的にライブに出てもらおう。忘れていたあいつらも同罪だしな)

 

 暗くなった空でもはっきり顔が見えるぐらい眩しい笑顔を浮かべる上原に、ライブが出来ませんでしたとは報告出来ない。

 

「えへへ」

 

「……」

 

 抱き着くのに満足した上原は上坂から体を離した。

 上原の顔は赤く、上坂も頬に熱を帯びていた。

 最近無事に一カ月記念を過ぎ付き合い始めた二人には、まだスキンシップには抵抗がある。

 

「澪、今日何食べたい?」

 

「そうだなぁ……って?」

 

 あまりの自然な会話に一瞬違和感が感じられなかった。

 

「どういう……」

 

「さっき言ったじゃん。澪の分のご飯も作るって」

 

「あれホントだったの?」

 

「ダメなの?」

 

「ダメじゃない。むしろ食べたい!」

 

 上坂は目を光らせ上原の両手を握りしめる。上原も想像以上の反応に戸惑い何回も首を縦に振る。

 

「澪は……何か食べたい物とかってある?」

 

「う〜ん。食べたい物が沢山ありすぎて直ぐには出ないな」

 

 ハンバーグにシチューにカレー食べたい物があり過ぎてまとまらない。

 

「じゃあどういうのがいい?」

 

「そうだな〜。強いて言えば手作り感が強いのが食べたい」

 

 上坂は日頃から日頃からラーメンやハンバーガーとのようなジャンクな物ばかり食べていた事もあり、手料理に飢えている。

 

「手作り感か〜。じゃあ、肉じゃがなんてどお?」

 

 上坂は首を大きく縦に振る。

 彼氏に作ってあげたい料理代表の肉じゃがだが、上坂はもちろんそんなことは知らない。

 

 空は暗くチラホラシャッターが下りている店もあるが、流石は日頃から活気のある商店街、シャッターが下りていない店の方がまだまだ多い。

 

「いらっしゃい。あれ? れーくんが来るなんて珍しいね」

 

 精肉店に着くとクラスメイトの北沢はぐみが水色の夏用の制服姿で立っていた。

 オレンジ色の短い髪に元気いっぱいの八重歯が似合う少女だ。

 

「珍しいって言うか、初めて来たし。それにしてもはぐみはここでバイトしてたんだな」

 

「澪の知り合い?」

 

「この子は北沢はぐみ。俺の同級生」

 

「私は上原ひまり。よろしくね」

 

「よろしくね。れーくん、この子が噂の彼女?」

 

「そう。この子が俺の彼女」

 

 北沢に自慢げに上原を紹介していると服の裾が勢いよく引っ張られる。

 

「どうして私が彼女だって知ってるの?」

 

「春夏が喋ったんだよ」

 

「あの時は凄かったね」

 

「はぐみは関係ないからいいけど当事者としては結構きついんだぞ」

 

 友達には首を絞められ、クラスの男子からは一週間無視され散々だった。

 

「なにがあったの?」

 

「なにがあったって……はぁ……」

 

 元を辿れば上原が話したのだが、そこについて上坂は触れない。

 

「それでれーくん、何しに来たの?」

 

「何しにって、買い物に決まってるだろ? 今日はひまりが作ってくれるんだよ」

 

 手作り料理の嬉しさに上坂は聞かれてもいない事を答える。

 

「なになに、れーくん今日彼女の手料理なの?」

 

「そうなんだよ~、はぐみ何かオススメってあるか?」

 

「オススメはコロッケだよ」

 

「精肉店なのにコロッケ売ってるの?」

 

「えっ……⁉」

 

 北沢が信じられない物を見る目をしている

 

「何を言ってるの、お肉屋さんにはお肉も欠かせないけど、それと同じくらいコロッケも欠かせないんだよ!」

 

「そ、そうなんだ。知らなかった」

 

 北沢の圧力に圧倒される。

 

「それにうちのコロッケはすごく、すごーく美味しいんだよ」

 

「そんなに美味しいんなら」

 

 買い物の権限を持つ上原を見た。

 上原も上坂の視線に気づき

 

「そうだね、今日はこれからご飯があるから明日にでも」

 

「じゃあ冷凍だね」

 

「それじゃあコロッケ二つとこの牛細切れ下さい」

 

 北沢はコロッケと肉を袋に詰め、上原がお金を出そうとしたが、先に上坂が出した。

 

「別に私が出すのに」

 

「女の子にお金を払わす事は男にとって恥ずかしい事なんだよ」

 

 上原は"もぅ"と一言いい上坂は財布からお金を取り出す。

 

「お待たせ。はい、コロッケと牛細ね。毎度あり。じゃぁまた明日バイバーイ」

 

「ああ、また明日」

 

 北沢は上坂にお釣りと袋を渡した。

 精肉店を出た上坂と上原はその後八百屋で野菜を買い、調味料や他の食材を買う為スーパーで買い物をした。

 

「まさか買えないとは」

 

「流石に私も未成年は買えない事なんて知らなかった」

 

 スーパーを出た二人の肩は落ちていた。買い物袋からは肉や野菜は入っているがそれだけ。そもそも二人はスーパーの袋を持っていない。

 買えなかったのは調理酒とみりん。調理酒はまだ名前に”酒”と入っており分かるが、しかしみりんもお酒である事は上坂はもちろん上原も知らなかった。

 

「どうする?」

 

「こうなったら、家から持ってくる。澪には最高の肉じゃが食べてもらいたいもん」

 

 二人は上原の家へ向かった。

 

 

 

 上坂は上原家の前で待っていた。

 上原が足りない調理酒とみりんを取りに行っている為である。

 家の中から何やら騒がしい声が聞こえるが、何を言ってるかまでは分からない。

 ドアが勢いよく開き上原が真っ赤な顔をして出てきた。

 

「どうせお母さんに俺の家でご飯を作ってく。的な事を言ったらからかわれたんだろ」

 

「なんで分かるの⁉︎」

 

「それぐらい分かるよ、荷物重たいだろ? 持つよ」

 

 上坂は上原が家を出てから背負っていた少し大きめのリュックに手を掛けようとした。

 

「大丈夫。澪にはいっぱい持って貰ってるし、これくらい自分で持つよ」

 

 上原は上坂が伸ばした手をひらりと避ける。

 上坂も上原の思わぬ反応に黙って引き下がった。

 

 

 

 二人は上坂の家に着き、上坂は鍵穴に鍵を刺して回しドアを開けた。

 

「澪の家久しぶり」

 

 玄関に入っただけなのに既に上原は興奮して持っている袋がガシャガシャと音を鳴らしている。

 

「何もないけどゆっくりしてよ。って言ってもあまりゆっくりは出来ないか」

 

 本来であればゆっくりしていって欲しかったが、今からご飯を作る上に夜が遅いという事もありあまりゆっくりは出来ないだろう。

 リビングに入り上原は部屋中を見渡した。

 

「変わってないね」

 

「まぁそうだろうな。最近帰ってきたし」

 

 上原は久しぶりの上坂家に懐かしさを感じ、目的である台所へ向かった。

 上坂はテーブルから料理をしている上原を見ていた。

 手際の良さから料理慣れしている事が分かる。

 

「なんかこうして見ると新婚みたいだよな」

 

 何も考えずに思った事だけを口に出してしまった。

 

 上坂の言葉に反応して上原は握っていた包丁がピタリと止まる。

 すると沈黙した空気に文字どおり水をさすかのようにジャガイモを茹でていた鍋から水が溢れ出し、上原は慌てて火を止めジャガイモをザルにあげた。

 

「もう、変なこと言わないでよ」

 

「悪かったって」

 

 顔を赤くし持っていたおたまを上坂に向けた。

 上原は調理に戻るが、先程の言葉が気になるのだろう、上坂をチラチラ見てあまり料理に集中出来ていない。

 

「澪、ちょっと悪けど、料理に集中出来ないからあまり見ないで欲しいんだけど」

 

「……分かった」

 

 リビングから追放された上坂は頑張る彼女に対し時間を弄ぶのもなんだと思い、風呂場の掃除に行った。

 家庭科スキルが極端に低い上坂でも掃除は出来る。

 小さい頃からより良い環境でピアノを練習する為こまめに掃除をしていたからである。なのでシャワーから突然水が出てびしょびしょになったり、風呂場で滑ってこけるというようなベタな展開はない。

 

 なんなくお風呂掃除を終えた上坂はリビングに戻ると上原が料理を盛り付けていた。

 

「お帰り、今出来たところ」

 

 上坂はせめてもと思い食器の準備をする。

 上坂が食器の準備をする間にも上原は次々と料理を並べる。ご飯に肉じゃが、味噌汁にほうれん草のお浸しと和のメニューだ。

 上坂は信じられない光景に思わず目頭を押さえた。

 

「どうしたの、嫌いなものでも入ってた?」

 

「いや、違うんだ。家でちゃんとしたご飯を食べれるなんていつ振りだろうって考えてたら涙が出てきて」

 

「もぅ、大げさだな〜」

 

 上原は冗談だと思っているが、冗談ではない。上坂は四月にこちらに帰ってきてからまともな食事をとっておらず実に約二ヶ月振りである。

 上原は目の前で料理を待たされソワソワしている上坂を見て

 

「じゃあ、食べよっか」

 

 手を合わせ、いただきますをして箸をつけた。

 上原の料理は凄く美味しかった。いつも食べるようなジャンクな味ではなく、口に入れただけでその人の愛情が分かる優しい味だった。

 

 この日以来上坂は、愛情というスパイスを信じるようになった。

 

「美味しかった。また作ってくれるか?」

 

 本当は毎日でも食べたかったが流石に毎日来てもらう訳にはいかない。

 

「勿論。明日の朝だって美味しいの作ってあげる」

 

「いやいや、明日の朝も来てもらうなんて流石に悪いよ」

 

 今日も遅く、明日も朝から食事を作ってもらうなんてそれは恋人というより家政婦だ。

 

「大丈夫。今日泊まっていくから」

 

 一瞬言葉が出なかった。

 

「……泊まるにしても、着替えとか学校の準備とかあるだろ?」

 

 上坂はあえてここで泊まる事を否定せず泊まる準備ができていない事を理由に帰らそうとした。

 

「着替えも学校の準備もあるよ。ほら」

 

 ぱんぱんに詰まったリュックの中からパジャマと教科書を取り出した。

 

「リュックを持たせたくない理由ってそういう事か」

 

 あのぱんぱんに詰まったリュックを上坂が持たせると多分泊まることがバレ阻止されると上原は思ったのだろう。

 

「後、お母さんにもちゃんと言ってるから大丈夫」

 

 上原は頭の良い上坂を出し抜けた事が嬉しく胸を張った。

 

「……分かったよ」

 

 これは仕方がない。

 上坂はそう自分に言い聞かせた。

 

 こうして今宵彼女とのお泊まり会が始まる。



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20話 『二人きりのお泊まり会』

 リビングに戻った上坂の服装はシャツとハーフパンツに変わっていた。

 

「澪お帰り、早かったね。もうちょっとゆっくり入ってきてもよかったのに」

 

「もう、十分温まったし問題ないよ」

 

 ソファーに座りテレビを見ていた上原は首だけを回し上坂を見る。上原は既に入浴を済ませており今はピンクのパジャマ姿へと変わっていた。

 上原は上坂の日頃の入浴時間なんてもちろん知らない。だが上坂自身も無意識に待たせてはいけないと、いつもより少し短く切り上げた。

 上坂は上原の隣に腰を下ろすが、視線がチクチクと刺さる。

 

「ひまりどうしたんだ? この格好どこかおかしかったか?」

 

 上坂はファッションに疎い。だから常にSNSなどで流行を追っている上原の審査に引っかかったのかと上坂は思った。だけど上原の視線は少し上にあった。

 

「澪の髪ってほんとサラサラ、羨ましい。……もう、どうしてよけるの?」

 

 不意に伸びた腕に驚きよけると上原が不満そうな声を漏らす。

 

「いや、びっくりして……」

 

「絶対違う! だって澪すっごい髪抑えてるもん。いいじゃん髪ぐらい触らせてくれたって!」

 

「はぁ、そんなに怒らなくたって髪ぐらい触らせてやるよ。こんなぺったんこの髪の何がいいんだか」

 

 髪を押さえた手を離すと上原が上坂の髪に指を入れる。

 

「澪の髪すっごいサラサラ。どこのシャンプーとリンス使ってるの?」

 

「どこのって、ひまりもさっき使ってただろ?」

 

 上坂は赤い顔で答える。髪を触るにも上坂の短い髪を触るには自然と頭頂部になる。

 

「澪、顔赤いけどまさか逆上せた?」

 

「いや……その……頭を撫でられるのがほんと久しぶりでさ」

 

「あっ、ごめん。嫌だった?」

 

「照れるけど嫌じゃない。…………できたら手を離さないでもうちょっと撫でてくれないか? 思い出したんだよ、頭を撫でられるって嬉しいことだって」

 

 手の平の温かな体温が伝わり、守るように傷つけないように頭を撫でる。その温かさと優しさが頭いっぱいに広がるのが嬉しかった。

 

「澪ってこんなに甘えんぼだったっけ?」

 

「今日だけ、今日だけだから」

 

 顔を真っ赤にして訴えるも、上原はニヤニヤとした顔を抑えようとしない。

 

「フフン、澪も私の包容力の前では成すすべなしってことね」

 

 上原は頭を撫でながら笑みを浮かべる。

 頭を撫でられている上坂と言えど調子が乗っている上原の態度は小バカにされているようで気分がよくない。

 彼女は調子に乗ればとことん調子に乗る。それは今も昔も変わっていない。

 頭を撫でられているのには変わりはないのだが、乱暴に揺さぶられているようにも感じた。

 

「よしよし。澪って普段はかっこいいのに髪下ろしてると女の子みたいで可愛いよね。ねぇ、今度私の服着てみない? あーあ、ここが私の家だったらすぐにでも取って来るのになぁ」

 

 調子に乗った時の彼女への対処は決まって鼻が伸びきる前にへし折る。

 これは好きな女の子に嫌がらせをするというのではなく上坂なりの愛情だ。

 

「流石はひまり。この包容力には俺も抗えないよ」

 

「そうでしょ! 澪もやっと私が成長したって認めるんだ」

 

「認めるよ。……でも包容力抜群のお姉さんなひまりはもう前のように『澪、澪ー』って甘えてくれないんだな……」

 

 頭に乗っていた上原の手が重力のままに力なく落ちる。上坂の顔をじっと見ているのは変わりないが唇は細かく震えていた。

 

「澪、澪ー。私もっと澪に甘えたい。お姉さんなんかなりたくないよぉ~!」

 

 勢いよく飛び込んできた上原に『やりすぎたかな』と上坂は反省し頭を撫でる。

『なれないことはするべきではない』これが二人の教訓となった。

 

 

 

 頭を撫でられた上原は静かになった。今も上坂の胸に頭を擦り付けている。同じ整髪料を使っているはずなのに上原の髪からはほんのりと甘い香りがした。

 そんな甘い匂いと柔らかな体の感触、温かすぎる体温が上坂の理性を揺るがすが、大画面のテレビから流れるポップでキュートな音のお陰もあり耐えることが出来た。

 テレビから流れていたのはアイドルバンドPastel*palettesのライブ映像。

 

「そういえば澪ってアイドルとか興味あったんだ」

 

 顔を上げた上原は不機嫌そうではなく不思議そうに尋ねる。

 パスパレのライブは今たまたまテレビから流れている番組ではなく画質が良いBlu-rayディスク。しかもテーブルの上に置かれているケースには『初回限定版』と書かれていた。

 エンタメの類にあまり興味のない上坂がアイドルに興味を持つのが上原にとって不思議でしかなかった。

 

 上坂は気を紛らわすためにライブを見ていたが気が付けば見入り撫でていた手が止まっていた。

 

「特に興味があるわけじゃないけどパスパレは別かな? 俺も意外だったよ、ひまりも興味あったんだな」

 

「興味があったというか……確かに学校の先輩がいるってところは大きいけど、彼氏の家にアイドルのDVDが置いてあったら普通気になるでしょ?」

 

「気になるものか?」

 

「気になるものよ! 澪がどんな女の子が好みなのかとか……それでどの子が良いの?」

 

「そんな風に見てないんだけどなー」

 

 上坂がパスパレのライブを見るのも見た目のキュートさと言うよりは純粋な演奏力、一つのバンドとして彼女達を見ている。

 そんな上坂に、どの子が良い、と聞かれても困るだけだ。

 それでも上坂はいつぞやクラスメイトの腰にしがみついていた少女を指さす。

 

「そうだな~、俺はこのピンクの髪の丸山彩さんかな?」

 

「そこは違くても私っていってよ~」

 

「ええっ⁉」

 

「もういい! それで澪はどうしてこのピンクの子なの?」

 

 ご機嫌斜めな上原に悪さをしていないのにも関わらず変な後ろめたい気持ちになる。

 

「どうしてって……そのピンクの髪の子、丸山彩さんって言ってうちの高校の先輩なんだよ」

 

 他にも同じクラスの若宮イヴと噂ではあるが有名女優の白鷺千聖も同じ花咲川の生徒らしい。芸能界に詳しくない上坂からしたら有名であろうがなかろうが同じ芸能人に変わりない。

 

「そうなんだ~、学校の先輩なんだ~。ふ~ん」

 

 親し気に話してしまったせいか上原の目は冷たくなっていく。親し気に話したと言っても上坂と丸山の関係は渡辺に紹介されただけで互いに名前しか知らない。

 

「そんなひまりの考えているようなことじゃないって。その丸山さん俺のクラスに知り合いがいるんだよ。だからたまに見ることがあって、見ていくうちに思ったんだよ『あ、ひまりに似てる』って」

 

 二年の丸山が上坂達一年の教室に来ることは何回かある。その全てが半べそを掻きながら渡辺にしがみ付いているのだが、

 いくら上原が泣き虫とは言えその点に関しては上坂も似ているとは思わない。しかし考え足らずなくせに行動力があったり、いじられキャラだったりと外面の同じピンク系統の髪よりも内面の方が二人は似ていた。

 

「つまり澪は私が一番ってこと?」

 

「そんなのあたりまえだろ? 俺が何年ひまりの事を想ってきたと思うんだよ」

 

「澪……」

 

 同じ視線でも今の上原の視線は火傷がしそうな程熱い。上坂も緊張で頬を染める。

 上坂と上原は付き合い始めて一ヶ月経つが、実は余り二人きりになったことがない。

 互いに学校やバンドがあるが一番の理由は大体幼馴染六人でいることが多いからだ。初めのうちは幼馴染達は気を使ったり冷やかしから上坂と上原を二人きりにしようとしたが、結局二人きりより幼馴染全員でいた方が居心地がよく結果二人はあまり二人きりと言うものになっていない。

 

「そ、それにこのDVDは友達から借りたやつだから俺のじゃないんだ。つぐの所で話しただろ? 最近仲良くなった奴のなんだ」

 

 上坂は慣れない空間に話題を変える。

 DVDは仲良くなった証にパスパレオタクの渡辺から借りたものだ。

 

「うん、つぐの所で聞いたけどどんな人なの? 澪の友達だからいい人だと思うけど……つぐの所で聞いた澪の話しだとちょっと怖いというか」

 

「このDVD貸してくれた奴、渡辺一也って言って怖いって言うか口うるさい奴なんだよ。俺は良く分かんないんだけどみんなあいつの事『オカン』って呼んでたな」

 

「オカン?」

 

「そこはあまり気にしなくていいよ。クラスの奴らが悪ふざけで呼んでるだけだから」

 

 1-Aのクラスでは渡辺の事を『オカン』、山吹の事を『おかあさん』と裏で呼んでいる。

 

「それでまぁ、今度その渡辺と遊びに行くことになって」

 

「ええ! いいなぁ~。私も澪と遊びたい!」

 

 上坂と上原はあまり二人きりになったことがない。つまりデートも殆どしていないということだ。

 

「ひまり、それを言われると本当に申し訳が立たないよ。すぐには無理だけど文化祭が終わったら二人で遊びに行こっか」

 

「やったー! 澪、約束だからね」

 

 

 

 上原とデートの約束をし、残りのパスパレのライブを見終える。見終えた二人は途中参加にも関わらず完全に見入っていた。

 

「澪、パスパレってすごい。可愛いだけじゃなく演奏も上手でAftergrowとは違うカッコよさがあるというか」

 

「だろ⁉ひまりなら分かってくれると思ったよ。ほんとはひまりが興味を持ったところでもう一枚って言いたいけど時間がなぁ」

 

「えっ……もうこんな時間」

 

 時計は十一時になっていた。

 

「そろそろ布団の準備をするか。DVDはまだ暫く借りる予定だからまた見に来たらいいよ」

 

「うん! 絶対行く!」

 

 上坂はリビングを出てすぐ向かいの部屋に上原を案内する。

 

「澪の部屋って二階だったよね?」

 

「そうだけど?」

 

「じゃあこの部屋は?」

 

「客間だけど、どうかしたのか?」

 

「ううん、全然、何にも、問題なんてないよ」

 

 上原の完璧だと思っていたお泊りプランはここで完全に崩れた。要するに爪が甘かった。

 

 上原の計画では、上坂が布団がなく『どうしよう』と困っている時に『一緒に寝ても良いよ』って言い同じベットで寝るという算段だった。しかしこの技が通用するのはアパートやマンションの一人暮らしだけだ。上坂自身は一人暮らしだが、以前家族と住んでいるうえに上坂自体がお金持ちだ。布団がない事なんてあるはずがない。

 その上『問題ないと』言った上原だが案内された部屋が問題だった。別に女の子の人形やお札が壁に隙間なく貼られているような部屋ではなく上坂家では珍しい畳の部屋。しかしその畳の部屋が返って雰囲気を感じさせる。

 そうは言っても上原は案内された部屋を知っている。それもまだ小さな頃の上原が幼馴染のみんなと共に泊りに来た、そんな思い出深い部屋だ。

 思い出深い部屋であれば一直線に、懐かしい、と言って入ってもいいものだがその足が部屋に入ることはない。

 

「ん? どうした? ひまり入って来いよ」

 

 お泊まり会のホスト上坂は畳の部屋に布団を敷く。

 

「あ、あれだよね? れ、澪もこの部屋で寝るんだよね?」

 

 上原の言葉は真剣で、やましい気持ちの一つも感じられない。

 

「ひまり、何言ってるんだよ。付き合ってるとは言え流石に同じ部屋っていうのはまずいだろ」

 

「そうだよねー、そんなわけないよねー、あはははは~…………はぁ」

 

 一〇人以上入っても十分余りあるだだっ広い客間に上原は足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 上坂が自室に帰り一人になった上原は親切に部屋の中央に敷かれた布団の上で正座をしていた。嫌がらせに近い行為だが上坂に悪意がないことは分かっている。

 

「もう遅いし寝よ」

 

 そんな一人になった上原は独り言でも声に出さないと落ち着くことが出来なかった。

 布団を頭まで被り力いっぱい目をつむる。視界は一面真っ暗、それなのに部屋の広さが分かってしまう。少しでも家具を置いてくれればと思うが客を招く客間。時間を知らせる時計と気持ちばかりの骨董品に掛け軸しかない。

 コチコチと鳴る時計の針が不安を煽る。

 

「も、もう嫌!」

 

 上原は布団を蹴飛ばし部屋を出た。

 

 初めこそは寝ようと頑張った上原だったがもう限界だった。時間として一時間も経っていないがそれでも一〇人入って余りある部屋で耐えたことは褒められてもいいだろう。

 

「澪には怖いって言って一緒に寝てもらお。高校生にもなって怖いって恥ずかしいかな? いいもん恥ずかしい思いをして怖くなくなるならそれがいいもん。それに澪と一緒に寝れるなら……そうよ! 初めからこうしてたら良かったのよ! 初めから素直に言っておけば怖い思いをせずに済んだのに」

 

 猛烈な独り言を言い終えると目の前には上坂が眠ってあろう部屋。

 

「追い返したりしないよね。…………ううん大丈夫よ! だって澪が怖がっている子をほっとくはずがない…………かも……」

 

 いつもなら断言できる言葉も物静かな暗闇の所為で揺れてしまう。

 

 それでも上原は扉を叩く。

 

 コンッコンッ

 

「ん、ひまりどうした?」

 

 扉を開けたのはもちろん上坂。しかし先ほどまで眠っていたのか瞼を擦り付けても目が半分も開いていない。

 

「あの……流石にあの広い部屋で一人で寝るのはその……怖い……かな」

 

「…………」

 

 上坂は数秒黙り部屋に戻る。

 

「えっ、澪、嘘でしょ⁉」

 

 思いもよらぬ行動に呼び止めるが上坂は布団に潜る。

 

「澪~寝ないで起きてよ~……あれ? 澪起きてたの?」

 

 上原は罪悪感を感じながらも無理矢理起こす事を決意し、部屋に入り上坂を揺するろうとしたが上坂の目は開いていた。

 

「一人で寝るの怖いんだろ?」

 

 上坂の隣にはもう一人寝れるだけのスペースが開けられていた。 

 

「澪〜」

 

 上原から怖いという気持ちはもう欠片も残ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、上坂は目を覚ましたが意識はまだ半開だった。視界は黒く、まだ若干寝ぼけている上坂にはどういう事か分からず、分かった事といえば、優しく包まれるような暖かさがあった。その温度が心地よく腕に少し力が入りそれを引き寄せた。

 

「んっ」

 

 なんだか色っぽい声が聞こえたような気がした。

 

「ちよっ、……れ……い。……澪!」

 

 しかし気のせいだろう。何故なら今家にいるのは上坂と下の客間で寝ている上原だけだ。

 ハッ、と何か気づいた上坂は完全に意識が覚醒し恐る恐る顔上げた。

 思い当たるのはたった1人。

 

「ひまり……おまえ……いつから」

 

 上坂を見下ろしている上原と目があった。

 

 

 

「ごめん」

 

 頭をベッドに押し付け謝る。ベッドの上のお陰もあり形は自然と土下座だ。

 上坂が目覚めた時、上坂は上原の背中に手を回し抱き枕の様に抱き着き、顔を胸にうずめて、いや埋まっていた。

 上坂は謝りながらも上原の胸の大きさを再確認した。

 

「いいよ別に、澪は気にしなくていいよ。それに澪があんなに激しく……」

 

 上原はほんのり顔を赤らめ上坂はその反応に体から血の気が引いていくのを感じた。

 

「な、なにがあったんだ?」

 

「澪、何か変な勘違いしてない?」

 

「へ、変な勘違いなんてしてないよ。それよりひまり、どうして俺のベッドの中にいたんだ?」

 

 何かあったような気がするというだけで上坂は昨晩のことを覚えてはいない。

 

「えっ、覚えてないの? 昨日私が一人で寝るのが怖いって言ったら、澪がベッドに誘ってくれたの。それで私がベッドに入ったら澪が急に抱きついて……」

 

 上坂は一晩の過ちを犯していなかった事に体中の力が抜けた。

 

「っていう事は、俺は一晩中……その……抱きついていたのか?」

 

「うん」

 

 上坂は折角上がった頭を再びベッドに押し付けた。

 

 

 

 コトっと上坂の身の前に食器が置かれた。

 朝の一件の後、約束通り朝ご飯を作ってくれた。今日のメニューはご飯にはぐみのところで買ったコロッケ、卵焼き、温野菜だ。

 

「沙綾には悪いけど、トーストの朝からとうとう解放された」

 

 元々ご飯派であった上坂が、自炊ができない為に二ヶ月間パンを食べ続けていたが、それがとうとう終わった。

 それにトーストと格好をつけてはいるが上坂が食べていたのは食パン。熱は通っていない。

 

「なに、感動してるの?」

 

「朝がトーストじゃないところに感動してたんだよ」

 

「なにそれ、パンもおいしいじゃん」

 

「おいしいけど流石に二ヶ月はなぁ~」

 

「モカなら一生でも文句言わないと思う」

 

「確かに、『まだまだ足りな~い』とか言いそう」

 

「それモカなら絶対言う!」

 

 上原が椅子に座った事を確認し、食事を始めた。

 コロッケははぐみがオススメしてた通り衣がサクサクで食べるとジュワッと油が広がるが油ぽく無く食べやすかった。卵焼きは上原が甘い物が好みという事も有り砂糖が入った見た目が綺麗な卵焼きだった。味も心得ており甘すぎず少しお菓子に近かったがいくらでも食べれる味だった。

 

 昨日と今日で食べた料理全てまた食べたくなるものばかりだ。

 上坂は動かしている箸を止め

 

「また作りに来てくれるか?」

 

 正直毎日でも食べたい。しかしそれは流石に迷惑がかかる。だから時々でもご飯を作ってもらって……いや二人で食事がしたかった。

 

「もちろん。毎日でもいいよ」

 

 上原は胸を大きく叩いた。

 その上原の眩しい笑顔に思わず誘惑に負けそうになった。

 

「流石に毎日は悪いよ。だけど時々頼むよ」

 

「うん。まかせて!」

 

 上坂の返事を聞いた上原は笑顔が更に眩しくなった。

 

(反則だろ)

 

 上原の可愛さにそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

「ひまり行くぞー」

 

 食事を済まし身支度を終えた上坂は玄関で上原を待っているが来ない。

 

「待ってよ〜。女の子は準備に時間がかかるんだから〜」

 

 そうは言いながらも上原は、洗面所にある鏡の前から動こうとしない。

 

 五分程してようやく上原が来た。

 

「女の子ってそんなに準備に時間がかかるもんなの」

 

「これでも急いだ方だよ」

 

 余程急いだのか、話しながらも髪を気にしていた。

 

「はい」

 

 上原はカバンの中から布に包まれた箱を上坂に手渡した。

 

「ひまり、まさか……これって……」

 

 上坂の手には宝箱(お弁当)があった。

 

「そう、お弁当」

 

「ひまりありがとう」

 

「うわっ、きゃぁー!」

 

 喜びの余り上坂は抱き着くが、上原は不意の一撃にバランスを崩し上坂も一緒に倒れる。

 

「大丈夫か‼︎」

 

 大きな音に心配の声と共にドアが開く。

 真っ赤な髪が特徴的な宇田川巴だ。

 

 宇田川は勢いよく入ってくるものの上坂、上原の姿を見て察し冷静になった。

 

「はぁ、ひまり、澪、お前ら一体なにしてんだ?」

 

 宇田川の目の前に広がっていたのは、四つん這いで上原を押し倒している上坂の姿だった。




お泊まり回なのにあまりイチャイチャできなかったなぁ~
イチャイチャ書くのホント難しい


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21話 『普段しないことをする時は気を付けよう』

 顔が近い。

 手を伸ばさなくても届く。

 視線を落とせば赤く柔らかな唇がある。

 押し倒された少女も視線を落としたことに気づいたのか静かに目を閉じる。

 上坂はその血色のいい唇に、

 

「大丈夫か⁉」

 

 心配でドアを開けた宇田川が見たのは上原を押し倒しキスをしようとしていた上坂だった。

 

「「あっ……」」

 

 ドアの開く音で2人は驚き振り向いた。

 

「澪、ひまり二人共一体何してんだ?」

 

 宇田川が見たのはキス寸前の二人だった。 

 

「巴、違っ!これは誤解だ!」

 

 上坂達を見下ろしている。

 

「分かってるよ。いいからいつまでそうしてるつもりなんだ」

 

 宇田川はため息をつき、上坂は上原から離れる。

 

「巴なんでうちに……」

 

「朝ひまりの家に行ったら、ひまりのお母さんが澪の所に居るって言ってたからさ」

 

「もぉ〜お母さん」

 

 上原は幼馴染に彼氏の家に泊まっている事を暴露され、今この場にいない母親に文句を言う。

 

「事も片付いたし、澪もひまりも準備出来ただろみんなを待たせると悪いし早く行こうぜ」

 

 宇田川も色々気になる事はあった筈、しかしそれをしないのは遅くなると美竹辺りに上原が泊まっていた事がバレめんどくさい事になる事が何となく分かっているからだ。

 二人の間を詮索しない宇田川は本当に男前だ。

 

 

 

 上坂達はいつもより準備が早く終わったので、いつもの待ち合わせ場所で幼馴染を待っていた。

 三人がこれといった特徴のない路地で待っていると美竹と青葉の姿が見えた。

 美竹が何か言っているようだが青葉がヒラリと避ける、そんな感じだった。

 

「おはよ」

 

「オッハー」

 

「おはよ」

 

 上坂に続き上原と宇田川も上坂に続く様に挨拶をする。

 

「二人共朝から元気だな。何を言い合ってたんだ?」

 

「うるさい。澪には関係ないから」

 

 相変わらず美竹は平常運転で誰も傷ついた上坂を慰めてくれない。

 

「ひーちゃん達が早いって珍しい。何かあった?」

 

 いつもこの待ち合わせ場所に初めに来るのは幼馴染大好きな美竹とそんな美竹と一緒に来る青葉だ。だからいつも身支度に時間がかかり集まるのが遅い上原が一番に来るのは珍しい。

 

「もうちょっと髪とか整えたかったけど澪が早く行こってせかすから」

 

「おいっ!」

 

 上原の発言に宇田川は手で顔を覆い空を仰いでいて、上坂と言い合っていた美竹と青葉は驚いていた。

 

「ひーちゃんもしかしてれー君の家でお泊まりとかしてたり?」

 

「あっ!」

 

 上坂は自分の失言に口を抑える。

 上原の言い分だけでは上坂が迎えに来たで説明はつくが、上坂の反応が決定的だった。

 

「モカ、そんなわけないじゃん」

 

「で、ひーちゃんどうなの?」

 

「私が澪の家でお泊り? そんなの流石にまだ早いよ」

 

 青葉にじっと見つめられた上原は完全に目が泳いでおり、誤魔化す為に口笛を吹こうとするが、音が擦れて殆ど聞こえない。

 

「蘭ー。という事だそうです」

 

「澪、どういう事?」

 

「もうなんだよ。早く来ても変わらないじゃないかー!」

 

 ちょっと騒がしいがこれが日常。

 結局上坂は幼馴染最後の一人羽沢が来るまで恐れていた美竹からの尋問、青葉からのからかいを受ける羽目となった。

 

 

 

 学校に着いた上坂は朝から机に突っ伏していた。

 

「お前、文化祭の準備書類の整理だけなのに何でそんなに疲れてんだよ」

 

「きっと深夜のアニメでも見て夜更かしでもしたんだぜ」

 

「朝から色々あったんだよ」

 

 上坂は重い頭を上げる。今の上坂には、相沢の皮肉に反論する程の元気はなかった。

 朝の色々について説明すれば悔しがる顔を見れるが、ただでさえ文化祭準備は一人書類整理で浮いているのに、昨日の事を説明でもしたら完全に文化祭ぼっちになってしまう。

 

「そんなんで明日、大丈夫なんか?」

 

「んあ?渡辺か……大丈夫大丈夫今だけだから」

 

 重たい頭をさらに回せば青い髪に泣きぼくろの少年渡辺の姿があった。

 

「澪、お前彼女がいるのに休みの日に男同士で遊びに行くのかよ」

 

「そういう綾人は遊んでくれる女子も男子もいないだろ?」

 

「残念だったな。俺はこの土日は美少女達にちやほやされるんだよ」

 

「ちやほやされるのは良いけど、俺の幼馴染には手は出すなよ」

 

 相沢はAftergrowとRoseliaのバンドを見ている。

 土日と言った辺り両バンド、つまり相沢は一〇人の美少女にちやほやされるわけだ。

 

「はいはい、分かってるよ」

 

 適当に返事をする相沢はAftergrowの練習で美竹をからかい殴られるに違いない。

 

「それで澪と渡辺はどこに遊びに行くんだ?」

 

 四季が尋ねる。

 

「上坂()ってもええんか?」

 

「嫌、言わない方が春夏のためだろ」

 

「なんだよお前ら二人仲良くしやがって、俺にも教えろよ」

 

 肩を揺さぶられている渡辺はうんざりした表情を上坂に向ける。

 

「分かった、教えるからその手を離してやれ」

 

「分かったらいいんだよ。それでお前らはどこに遊びに行くんだよ」

 

「そんなに俺達の予定を知りたいか?……パスパレのライブに行くんだよ」

 

 予想通り四季はその場から崩れ落ちた。

 

 

 

 四時間目終了のチャイムが鳴る。

 隣では朝に血涙を流す勢いでショックを受けていた四季がご機嫌に鼻唄まで歌い机を動かす。

 

「早く来週にならねえかな」

 

 理由は四季が立ち直る時に使った呪文(言葉)が原因だ。

 ライブに行けない四季のために推しのサインを貰わなければいかなくなった。

 アイドルのライブに行ったことのない上坂は売店にでも売っているのだろう考える。

 

「脳内お花畑なバカほっといてさっさと弁当食べねえか」

 

「それもそうだけどその前にこれ見てくれないか?」

 

 上坂はノートを相沢に渡す。

 

「そういえば澪、今日の授業中ずっとそのノートに書いたり消したり何してたんだ?」

 

「俺も忘れてたんだけど文化祭でライブするって言ってただろ?だから曲考えてみたんだよ」

 

「ライブか~そういや俺も忘れてたな。つか澪、曲作れるのかよ」

 

「今日、蘭に作り方聞いたから多分問題はないと思う」

 

「だったら問題ねえか」

 

 相沢は受け取ったノートをパラパラとめくる。

 

「見た感じ詩だけか」

 

 ノートにはオタマジャクシは無く、文字だけが並んでいた。

 

「作ってみて思ったけど曲作りってホント難しいよ。だからとりあえず詩だけ。でも近いうちに絶対完成させるからまぁ待っててよ」

 

「じゃ、そんまでに詩の方は覚えといてやるよ。一通り読んだ感じ悪くないし」

 

「綾人、俺にも見せろよ」

 

 初めて書いた詩に緊張は勿論あった。しかし二人のハッキリとしたゴールが見えやる気に満ちた表情を見れば緊張なんてものは些細なことだ。

 詩のオーケーサインは出た。後は曲だけだ。

 

「言う事も言ったし昼食べないか?」

 

 上坂にとって今日一番のイベント。

 

「澪が弁当って珍しいな」

 

「そうだろ」

 

 鞄の中から取り出した白い弁当箱に二人は釘付けだった。

 

「澪、お前それは誰に作って貰ったんだ?澪の家庭科の成績じゃ絶対作れないだろ?」

 

 四季の声は大人しながらも力強い。雰囲気も威圧的で四季の周りからゴゴゴゴゴと文字が浮かび上がっている様に見えた。

 上坂は全身から血の気が引くのを感じた。

 

「えっと……ひまりから」

 

 張り付いた笑みを浮かべる。

 今まで一度たりとも持ってこなかった弁当箱を持ってこれば当然聞かれる。しかしそんな簡単な事を忘れるぐらい彼女の手作り弁当に浮かれていた。

 

 嘘をつく手もあったがそんな事は今の四季には通用する訳がなく、かえって怒らせるだけだ。

 

「てめー。彼女の手作り弁当とか羨ましすぎるぜ!」

 

 拳を強く握り勢いよく四季は立ち上がるが、それが無意味な事を悟ったのか両手を離し頭を抱えた。

 

「何でお前に彼女が出来て、俺には出来ないんだ。顔は俺の方が良いはずなのに」

 

「お前そんなんだから彼女出来ねーんだよ。そんな事より早くひまりの手作り弁当開けようぜ」

 

「そうだな。春夏も静かになった事だし食べるか。言っとくけどおかずはやらないからな」

 

「ちっ、分かってるよ」

 

 上坂は心踊りながら弁当箱を開ける。

 昨日の晩と今日の朝、両方美味しかった。だから弁当も期待できる。

 

「…………」

 

 言葉は出なかった。

 上坂の弁当には数種類のおかずとご飯の上に大きく桜でんぶでハートが作られていた。

 

「澪、お前ほんと愛されてるよな」

 

 必死に笑いを堪える相沢が肩を叩く。

 隣に座っている四季はあまりのショックにしばらく立ち直る事が出来そうに見えない。

 

 ピコン

 

 スマホにメッセージが届いていた。相手はこの場の元凶である上原からだ。

 

 お弁当どうだった?ビックリしたでしょ⁉

 

 上坂のスマホを盗み見をした浅尾が上原に返信しようとスマホを取り上げようとしたので上坂は慌ててポケットにスマホをしまった。

 

 ほんといつもひまりには驚かされる。

 

 上坂はおかずの一つを口に運ぶ。期待通り美味しい。ただ口の中の幸せとは違いお弁当から生まれた再燃焼した現状をどう乗り切るか頭を回した。



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22話 『*迷惑*』

更新が遅れてしまいすみません。
一つ言い訳をするなら書いていたストックが付きました。まぁ書けってだけの話なんですけどねw
なるべく早く以前の更新スピードに戻しますのでよろしくお願いします。


 

 空は綺麗な青が広がり、遮るもののない太陽の光が肌を焼く。

 カラッとした熱ならまだ六月も始まったばかりで耐えれないこともないのだが上坂の周り、嫌、辺り一帯の湿度が異様に高かった。

 

「覚悟はしてたけど、やっぱり多いな……」

 

 上坂はパスパレのライブが行われるドーム前の時計台の下にいた。

 周囲には上坂と同じように人を待っている人で溢れ待ち合わせ場所として機能がしているかどうか怪しいがそれはドーム周辺にある他の待ち合わせポイントも同じ事だ。

 

「それにしても遅い」

 

 上坂は既に待ち合わせ時間の三◯分以上は時計台の下で待たされている。今日一緒にライブを見る渡辺一也は良くも悪くも真面目で約束の場には遅れないとばかり思っていたがそうではなかった。お陰で上坂が待ち合わせ場所に着いた頃にいた人達は残っておらず、別の待ち合わせ人に入れ替わっていた。

 既に入場ゲートの入り口は開き幸運にも最前列の席を引き当てた団扇やサイリウムを持った人達は学校がスッポリ収まるぐらいのドーム状の建物に入っていく。

 

 ペットボトルに入ったお茶が底を尽き暑さに唸っている時だ。

 青い髪の少年が時計台に向かって走る。正確には時計台ではなく時計台の下にいる上坂に向かってだ。

 

「すまん! すっかり待たせてもうたな」

 

 関西特有の言葉使いをする青髪泣きぼくろの少年渡辺一也は膝に手をつき息を切らせる。頬も紅潮しているが熱ではなく笑いによるものだった。

 

「いや、別にいいけどさ、どうしてそんなに嬉しそうなんだよ」

 

「そんなに顔にでとったか?」

 

「ああ、すっごいでてるよ」

 

「それもそうか……上坂、着いてきい」

 

「渡辺入り口そっちじゃないぞ」

 

 渡辺は入場口と反対に向かって歩き出す。

 

「上坂感謝しい、特等席でライブ拝ませたるわ」

 

 

 

 アイドルのライブが初めての上坂でも最低限の常識ぐらいは分かる。

 

「ちょっと待てよ、流石にこれはダメだろ?」

 

 入場口から遠ざかるように歩いた上坂が辿り着いたのは何十人も一気に入れるドームの入り口ではなく一人よくても二人までしか同時に入らない小さな扉の前だった。

 扉には、staff only、の白いプレートが貼られており、この先にはアイドル『パステルパレット』がいる事が容易に想像できた。

 

「何も問題あらへん。行くで」

 

「ちょっ、待てよ」

 

 ツッコミ所はいくつもあった。扉のロックを解除したこと、構えている警備員や守衛からは見逃されたこと、一ファンが出来る事を渡辺はあまりにも超えていた。

 

「なぁ渡辺、お前って……」

 

「心配そうな顔せんでも大丈夫や言うとるやろ? ほら着いたで」

 

「おまっ、ここって……」

 

 上坂はぽっかり空いた口が閉まらなかった。

 案内された部屋の扉には『パステルパレット様控室』と書かれていた。

 渡辺は扉に手をかけ二、三度叩く。

 

 ハーイ、と中から女の子の声が聞こえた。

 

「そう言えば言ってへんかったな、俺は一ファンと同時にアイツらの楽器の先生やねん」

 

 嬉しそうに、そして誇らし気に扉を開いた。

 

 

 

 中は事務用の白いテーブルとイスの殺風景な部屋だったが、五色のパステルカラーが並んでいた。

 上坂がテレビ越しでよく見るパステルパレット五人の姿だ。

 

 ライブ仕様のツインテールの丸山が目尻に涙を浮かべながら椅子から立ち上がる。

 

「一也くんどうしよ〜、私緊張してきたよ〜」

 

「そう言う時は『人』って文字を三回手の平に書いて飲んだらええ。それと丸山先輩は明日以降緊張せんようにみっちりしごいたる」

 

「あれぇ? なんだか緊張が解けたような〜。みんな! 今日は頑張ろ」

 

「「おぉ──ー〜」」

「ハイッ!」

 

「彩ちゃん、あなたって子は……」

 

 別の意味で体が強張った丸山に頭を悩ますのは女優兼アイドルの白鷺千聖(しらさぎちさと)。小さい顔に大きな瞳、腰まである長いブランドヘアーの少女。

 上坂は殆ど空気のように蚊帳の外だったのだが白鷺はそんな上坂に声をかけた。

 

「あなたが一也君の言ってた上坂君ね。話は聞いてるわ」

 

 遠目では気づかなかったが白鷺の身長は思ったよりも小さく、どこぞのツンツン娘の身長と変わらなかった。

 

「ねぇ千聖ちゃん、澪くんって私のファンなんだよ」

 

 丸山が知ってるのも渡辺が口を滑らした訳ではなく上坂が丸山に聞かれ答えただけだ。

 

「そうだ忘れてた!」

 

 上坂は手提げ袋の中から色紙と油性ペンを取り出す。

 

「えっ⁉︎サイン? もぅ澪くんサインだったら今じゃなくても学校で書いてあげるのに。でもいいよ今日はとびっきり凄いの書いてあげる」

 

 だが、色紙を受け取ろうとした手は空を切る。丸山は何も持たない手を見てパチパチと瞬きをする。

 

「白鷺さん、サイン下さい」

 

「ええ、勿論いいわよ。でも彩ちゃんじゃなくていいのかしら?」

 

「そうだよ、どうして私じゃないの⁉︎澪くん私のファンだよね⁉︎」

 

「そうですけど、これは友達にお願いされたもの何です」

 

 今日来ていない四季へのお土産だ。サインがなければ月曜日にめんどくさいことになるだろう。

 

「そういう訳なので『はるかくんへ』でお願いします」

 

「ええ、分かったわ」

 

 芸能界に長くいる所為か油性ペンが流れるようにサインを描く。

 

「ねえねえ、千聖ちゃん何してるの?」

 

 白鷺の背中から顔を覗かせたのは氷川日菜(ひかわひな)。ショートボブのライトブルーの髪の少女で衣装も丸山や白鷺同様髪の色と近い水色。とにかく悩んでいる顔が似合わないそんな少女だ。

 

「サインを書いているのよ。日菜ちゃんあなたもアイドルなんだからいい加減彩ちゃんを見習ってサインの練習をしたらどうかしら?」

 

「う~ん、やっぱそうだよね。でもいまいち……いいこと思いついた。千聖ちゃんちょっと借りるね」

 

「日菜ちゃん待って!それは……」

 

 日菜はサインを書き終えた白鷺から色紙とペンを取り上げ同じ色紙にサインを書く。

 

「うん。やっぱりルンッときた!」

 

「日菜ちゃん、あなた……」

 

「?千聖ちゃんどうしたの?」

 

 ファンの前なのかそれとも日常的なのか白鷺は怒ったりはしなかった。

 

「上坂君ごめんなさい。ライブが終わったらまたここに来てくれるかしら、新しいサイン用意するから」

 

「そこまでしなくても大丈夫ですよ」

 

 サインはあくまで四季のもの、そこまで必死になるものではない。

 

「いいえ、私はこれでもプロよ。ファンを蔑ろにすることは出来ないわ」

 

 上坂は、忘れたら忘れたでいいや、と軽い気持ちだったが白鷺はそんな軽い案件で際真剣だった。とても『これでも』と謙遜するような人物には見えない。

 

「でしたらお願いします」

 

「それじゃあライブ後またここに来てちょうだい。後、日菜ちゃんは謝る」

 

「は~い、ごめんなさ~い。……謝ったことだしこのサインどうする?折角ルンッてきたけど千聖ちゃんがダメって言うし……」

 

「パスパレ二人のサインがもらえたのでいっその事その色紙にパスパレ全員のサイン貰ってもいいですか?」

 

「この色紙でいいのかしら?いうのもあれだけど結構ぐちゃぐちゃよ」

 

「問題ありません。むしろこういう手作り感溢れる物の方がファンはかえって嬉しいんです」

 

 型にはまった綺麗なサインも勿論嬉しいのだが、少しハプニングがあった不格好なサインの方が同じ思い出を共有したという点で嬉しいはずだ。

 

「だったら……彩ちゃん、サイン書きたいのでしょ?」

 

「千聖ちゃん……うん!」

 

 色紙を受け取った丸山がペンを走らせる。

 

「アヤさん次は私達の番です」

 

「あの~自分なんかのサインで本当にいいのでしょうか?」

 

 クラスメイトの若宮イヴと緑色の衣装を着た大人しめの茶髪の少女大和麻弥(やまとまや)も集まり手の届く距離にパステルパレット全員が集まった。

 

「良いに決まってるよ。ちょっと待ってて……あー!勢い付けすぎてサインはみだしちゃった。折角途中まで可愛いのが書けてたのにー」

 

「アヤさんドンマイです。次こそはきっと可愛いのが書けます」

 

「そのためには精進やな」

 

「その通りですカズヤさん。アヤさんも私と一緒に精進しましょう」

 

「一也くんの所為でイヴちゃんが厳しいぃー!」

 

 笑いが起きるが訳の分かっていない若宮は首を傾げる。

 どこに行ってもピンクが似合う女の子は落ち担当なんだと上坂は思った。

 

 

 

「すみません、お待たせしました」

 

「いえ、こちらこそありがとうございます」

 

 サインを書き終えた大和から色紙を受け取る。

 パスパレ全員の名前が入った豪華なサインは四季にあげたりせず家に飾ろうと思っていたがしっかり『はるかくんへ』と名前が入っていたため予定通り四季に渡さないといけないはめになった。

 

「あの~すみません、自分どこかであなたとあった気がするんですが、失礼ですが名前を教えて貰ってもいいですか?一度一也さんから名前を聞いたのですが、なんせ自分人の名前を覚えるのが苦手で」

 

「麻弥ちゃん、(みお)くんだよ上坂澪(かみさかみお)くん」

 

「日菜ちゃんも違うでしょ上坂澪(かみさかれい)君よ」

 

「上坂澪ってあの上坂澪ですか⁉」

 

 大人しかった大和が大声を上げる。一番近くにいた上坂は勿論だが、パスパレメンバーや渡辺はそれ以上に驚いていた。

 

「なんや大和先輩こいつの事知っとるんですか?」

 

「もちろんです。上坂澪っていったらトッププロとも張り合えるドラマーだと学生ドラマーでは有名な話っす。自分も何回か上坂澪のライブ聴きに行きました。やっぱりすごかったです。自分も一応プロですが自分なんかとても」

 

「上坂今の話はほんまなん?」

 

「そんなわけないだろ、話題性だよ話題性。確かに前の地元じゃ敵なしだったけどさ、プロにはやっぱり勝てないよ」

 

「そんなことないっす!上坂さんなら仮に話題性だったとしてもきっとトップのドラマーとも張り合ってくれます」

 

 大和は鼻息を荒げ目をらんらんとさせる。

 パスパレを語っている時の渡辺と同じ顔だ。

 

「麻弥ちゃん、お話が盛り上がっているところ悪いんだけどそろそろ時間よ」

 

「ほんとっすね。自分憧れの上坂さんに演奏を聴いてもらうのは恥ずかしいですが、自分頑張ってきます!」

 

 大和と白鷺は上坂の隣を通り過ぎ控室を出る。

 

「レイさんてピアノだけじゃなくドラムまで……やっぱり凄いんですね」

 

「イブちゃんも数カ月であれだけ引けたらすごいよ。俺なんて歴が長いだけだから」

 

「そんなことないです。でもありがとうございます。私頑張ってきます」

 

 若宮も部屋を出、

 

「よ、よーしやるぞ~。一也くん澪くん行ってくるね」

 

「あ~あ、みんな行っちゃったしあたしもそろそろ行こうかなか。一也くん、みおくん行ってくる」

 

 声に若干震えを残した丸山と緊張のかけらもない日菜、パスパレ全員がステージに向かっ向かった。

 

「ほな、行こか」

 

「そうだな」

 

 きっと後ろの方しか席は残っていないだろ。だけどアイドルと話をした今の時間を考えると一番最前列で構えているファンよりいい思いをしているに違いない。

 

 

 

 

 外の日は落ちた。しかし天井を締め切ったドームではその大きな変化も分からない。

 それでもドームの中も外同様に明かりが落ち、パスパレ五人を照らす最小限の光と観客の持つこれまた五色のサイリウムだけだ。

 明るいというよりは眩しい。お花畑のように無数に広がるサイリウムの光もそうだがライブの始まったパスパレの五人は太陽のように眩しかった。

 

「なあ、本当にいいのか?」

 

「しつこいなぁ、ええってゆっとるやろ」

 

 上坂と渡辺がいるのはステージの袖。最前列でも最後列でもない真横。

 パステルパレットはまだ結成されて間がない。つまりまだ曲が少ない。その為パスパレのライブは半分近くが先輩アイドルのカバーでプレイリストが構成されている。

 今演奏している曲はパスパレのデビュー曲『しゅわりん☆どり~みん』隣ではしゃいでいる渡辺は勿論上坂も好きな曲だ。

 そんな盛り上がる曲なのに一番の歌詞が終わると同時に渡辺の表情が鎮まる。

 

「上坂も知っとるけど、あいつらあんなことあったやん。メディア共はあいつらのこと『不死鳥のように復活した奇跡のバンド』とのたまわっとるけどそうは思わへん。あいつらは成功して当たり前なんや!それだけの努力をみんな知らんだけでやっとる」

 

 どんなに熱狂的なファンでも渡辺には適わない。一緒にいる時間、厚みが違う。渡辺は文字通り彼女達と苦楽を共にし命すらかける覚悟がある。

 

「俺も全部が分かるわけじゃないけどパスパレが偶然や奇跡と言った不確定なもので戻って来たとは思わない。実力があるから今ああしてステージに立ってるんだと思う」

 

「なんや自分も分かるようになってきたやんけ」

 

「借りたDVDのお陰でな」

 

 ライブのDVDを見るたびに少しずつ演奏が上達していることが分かる。それは録音した音声を使っていないということだ。彼女達は嘘偽りなく自分達の音楽で勝負し、その結果が満員のドームだ。

 

「渡辺」

 

「なんや?」

 

「良かったな」

 

「なんや気持ち悪い。……でもそうやな」

 

 渡辺は小さく笑った。

 

 ライブはアンコールに入る。曲は同じく『しゅわりん☆どり~みん』。連続の同じ曲であっても観客の熱は冷めていない。寧ろ底なしに上がっている。

 

「渡辺はバンドしたいとか思わないのか?」

 

 そこそこ楽器が弾ける人が一度は考えることだ。

 

「なんや上坂急に」

 

「普通あんなに楽しそうに演奏してる姿見たらやりたいとか思わないのかな~って」

 

 プロ相手に指導する程のレベルを持つ渡辺が思わない訳がない。

 

「そんなん想うたこと……はぁ、嘘や噓、考えたことぐらいある。あいつらが立ってるようなステージで自分が演奏する姿なんか嫌っちゅう程想像したわ」

 

 嘘をついても仕方がないと思った渡辺は正直な気持ちを答える。

 

「だったら……」

 

「だったらなんや?自分とこのバンド入らんかってゆうんか?ふざけんな!俺があいつらを教えとるんはなんもボランティアとちゃう、きちんと金もろうとる仕事なんや!そんなふらふらしとってあいつらを最高のアイドルに出来るわけないやろ!」

 

 渡辺と相沢、二人は楽器の技術指導をしている共通点がある。しかし同じ共通点でも二人は明らかに違う。仕事かボランティアかだ。

 渡辺の怒号はドームに鳴り響く大音量に搔き消される。

 

「それがおまえなんだな?」

 

 上坂は睨みつける。

 

「ああ、そうや」

 

 渡辺は頷く。

 

「どれだけ頑張っても陰、渡辺お前は、お前の大好きなパスパレと同じ眩しいステージに立ちたいとは思わないんだな?」

 

「そうやゆうとるやろ‼自分ホントに性格悪いな、そこまでして俺にバンドやらせたいんか!俺はやらんゆうとるやろ!」

 

 上坂は性格が悪い。そう思っているのは渡辺だけだ。

 怒っているのに覇気がない、この表情を見れば上坂の性格が悪いなんて思わない。

 

 上坂は掴まれた腕を払う。

 

「だったらその顔はなんだよ!諦めきれてねえじゃねえか!別に一緒にとは言わない、でもバンドがしたいならしたいって言えよ!」

 

「うっさいわボケ!」

 

 肩を強く押された上坂は尻もちをつく。

 

「俺はあいつらを日本一のアイドルバンドにするって決めたんや。もうほっといてくれ、ありがた迷惑なんやこのお人好しが!」

 

 必要以上の拒絶が返って助けを求めているように聞こえた。

 上坂は体を払いゆっくり立ち上がる。

 

「お前と比べたら俺なんか全然お人好しなんかじゃないよ。初めて話した日も、料理を教えてくれた日も、そして今日だってお前はいつも人の事ばかり、いい加減自分を後回しにするのは止めないか?」

 

 人のために怒り、人のために料理を教え、人のために気持ちを殺し尽くす。

 悪いことではない、寧ろ多くの人が賞賛さえするだろう。

 

 ただ、人のために行動することが幸せなのだろうか

 

「もっとわがままになってもいいだろ?やりたいことを我慢する必要なんてどこにもないんだよ」

 

「上坂自分、いったい何人の人に迷惑かけたんや?」

 

 怒ることも馬鹿らしくなったのか渡辺は冷静さを取り戻していた。

 

「そんなの多すぎて覚えてないな。少なくともクラスの三分の一の人には迷惑をかけたよ。でもさ渡辺、みんな俺の事別に嫌ってないだろ?」

 

 自意識過剰な気もするが間違ってはいない。今一番迷惑の掛かっている渡辺が否定しないのが何よりの証拠だ。

 

「だから渡辺ももうちょっとわがままを言ってもいいんじゃないか?少なくとも俺は嫌ったりはしない。あの子達も渡辺を嫌ったりしないよ」

 

 渡辺とパスパレの五人は上坂と幼馴染達のように生半可な事じゃ絆は切れない。それは短い時間ではあったが控室でのやり取りを見ていれば思う。

 

「そんなん分かっとる。あいつらが嫌いにならんことぐらい俺が一番よう分かっとる。せやけど上坂、迷惑はかけるんや」

 

 真面目で面倒見がいい、それが渡辺一也だ。だからこそ気の知れた相手であっても踏み込むことを恐れる。

 

「そんなことは分かってる。でもさ、迷惑が必ずしも悪いとは思わないよ。文化際の準備で俺は渡辺に迷惑をかけたし」

 

「ほんまあれは酷かったな」

 

「ごめんって。でもあの迷惑があったから俺は渡辺……ううん違うな、一也と仲良くなれた。俺達のように迷惑から始まる縁もあるんだよ。だから迷惑をかけてもいいんだ、そこから絆が深まったり新しい出会いがあったりもする。一也、迷惑かけろよ、良くしてもらうだけの友情なんて気持ち悪い。俺とあの子達も一也が迷惑かけるのを待ってるからさ」

 

 与えられるだけの関係なんて友情でも何でもない。助けられた分助ける。お互いに迷惑を掛け合うことで対等な関係になり友情が生まれる。

 

「そんなんゆわれてもやっぱりバンドなんかできひん。質を落とさんまま指導とバンド二つの事をするなんて俺にはできひん」

 

「何言ってんだよ、俺が出来ない料理と裁縫どっちもできる器用な一也が出来ないわけないだろ?」

 

「それこそなにゆっとんねん!明らかにレベルがちゃうやろ!」

 

「そうか?俺からしたら料理と裁縫の方が難しいけど」

 

「それは自分が不器用なだけや」

 

 若干上坂の心が傷ついたところでパステルカラーの少女達が戻って来た。

 どうやら喧嘩と仲直りをしている間にライブは終わってしまったようだ。

 

「お待たせ~、二人共私達のステージどうだった?」

 

 丸山が大手を振って感想を待つが先の喧嘩の所為で余り覚えていない。

 

「「よかった」」

 

 二人は顔を見合わせ一言で答えた。

 

 

 

「ハイ、これが約束のサインね」

 

「ありがとうございます」

 

 ライブ前にいた控室で白鷺から約束通りサインを貰った上坂は頭を下げる。四季には勿体ないお土産だ。

 

「サインも貰ったし、余りここにいても迷惑だから帰るよ」

 

 渡辺に小声で伝えるが肩を掴まれ帰らしてはくれない。

 

「あんだけ迷惑かけとって今更ゆうんかい……まあええ」

 

 手を話した渡辺は部屋の中央を向く。しばしばそういうことがあるのかパスパレの五人は揃って渡辺の方を向く。

 

「みんなに一つ言わなあかんことがある」

 

 はっきりとした聞きやすい声だ。

 

「一也くん、ライブが終わって反省会をしたいのは分かるけどまず着替えてきてもいいかな?頑張ったから汗かいちゃって」

 

「そうだよ、折角ライブがあったんだし反省会するならドドーンとファミレスでポテトでも食べながらしようよ~」

 

「いいですね、やりましょう」

 

「なら自分予約取ってきます」

 

「もうみんな勝手に……はぁ、一也くんとりあえず着替えてきてもいいかしら?」

 

「白鷺先輩諦めんで下さい。それになんも反省会とは言ってないです」

 

「そう?だったら何かしら?」

 

「それを今から話すんです。ハイハイ静かにしい、うるさかったら話せんやろ」

 

 渡辺の号令で綺麗に鎮まる。丸山に至っては、静かにするんだよ、と日菜や若宮に言っていた。

 

「ハイ、こん中で俺に迷惑をかけたことがあると思うやつは手を上げてください」

 

 反応は違うが五人全員が手を上げる。

 聞いた渡辺本人も一瞬驚いた顔をするが納得し頷く。

 

「よし、全員手え上げたな」

 

「一也くんこれからどうするの?」

 

 一番鋭く手を上げた丸山が尋ねる。

 

「んや、特になんもせえへんで。ただこれから自分達に迷惑をかけられた分の迷惑をかけるだけや」

 

「それってどういう……えぇ!一也くん何してるの⁉」

 

「すまん!自分達を日本一のアイドルにしたるとか偉そうな事いいながら他にもやりたいことが見つかってしもうた」

 

 渡辺は顔が隠れるほど深く頭を下げる。

 

「別にコーチを辞める訳やあらへん。せやけど質が落ちるって言われたら落とすつもりがなくても文句は言えへん。やけど俺だって自分達と同じようにバンドがしたいんや!やりたくなってしもうたんや!」

 

 下げた頭は上がらない。だけどそれが泣いた顔を隠すためなのだと濡れた床を見て分かった。

 

「一也君、ようやくわがままを言ってくれたわね」

 

 肩を叩いたのは白鷺だった。

 

「白鷺先輩……」

 

「私達はあなたのその言葉をずっと待ってたのよ」

 

「そうだよ、待ってたんだよ。一也くんは何色にする?青は日菜ちゃんと被るし……」

 

「彩さん、何も一也さんはパスパレに入ったりしないんですよ」

 

「でも、一也くんがパスパレに入ったら入ったらで面白そうだよね~」

 

「日菜ちゃんも悪乗りしない。……上坂君、一也君の事よろしく頼むわね」

 

「任せてください」

 

 視線が集まる。何も白鷺一人の意思ではなくパスパレ全員が同じ思いだった。

 

「これからはカズヤさんは師であり共に高め合うライバルですね」

 

 一人の少年を中心にパステルカラーの花が開く。

 花びらの色は違うがそれでも綺麗に花は咲いていた。

 

「どこに怖がる必要があったんだよ、一也お前はすごく愛されてるじゃないか」

 

 恥ずかしそうに笑う少年を見て上坂は呟いた。




次回、文化祭本番!!……入れたらいいな


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23話 『文化祭当日』

 

「いらっしゃいませー! 1-Aカフェで休憩していきませんか〜!」

 

 木製の片手サイズの看板を持った戸山の声は弾んでいた。

 六月の中頃、とうとう迎えた待ちに待った文化祭当日、いつも騒がしい教室が二割三割増しに騒がしい。

 それもそのはず、クラス全員が今日のたった一日の為だけに放課後遅くまで学校に残り準備をしたのだから。

 しかし時折戸山はと言うよりはクラス全員が不安と不満の表情が隠れていた。

 今朝、山吹の母親が倒れたということを戸山聞いた。戸山は『さーやがいつ戻って来てもいいように私達だけで頑張ろう』と言ってはいたが、実質クラスを引っ張った立役者が不在の今、盛り上げようという気持ちの裏に自分達だけ楽しんでもいいのかと言う気持ちもあった。

 だがそんな不安も不満も一瞬だった。みんなは分かっていた、山吹が何のために頑張っていたのか、1-Aの文化祭を最高の思い出にするためだ。

 揃っていないから楽しめない?違う、来れなかった山吹の長い努力が無駄にならない為に、安心させる為に、山吹が悔しがるぐらい楽しもうと声には出さずともクラス全員が思い行動した。

 

 

 

「お待たせ致しました。こちらオムライスとカフェラテが五つと、パンの盛り合わせ二つになります。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」

 

 上坂もその一人だ。

 先日の一件で新メンバーが加入しライブの方は何の心配もないのだが、文化祭の方は上坂だけやはり暇。

 書類に次ぐ新しい仕事を手に入れたのだがそれでも暇には変わらずせめて当日ぐらい楽をした分馬車馬のように働こうと思った。

 上坂は丁寧な口調で盆に乗った料理と飲み物を並べる。

 相手(お客様)は上坂が招待した幼馴染五人。

 

「澪君ありがとう」

 

「おっ、サンキューな」

 

「わぁ美味しそう」

 

「ありがと」

 

「お〜、これこれ」

 

 料理や飲み物をテーブルに並べたのだが、幼馴染達は上坂から目線を離さない。

 

「澪いつもと雰囲気違うよな」

 

「うん、カッコイイ」

 

「ありがとう」

 

 本日の上坂は文化祭スタイルであり、ワックスで髪をオールバックにし黒の執事服で身を包んでいた。

 1-Aカフェの衣装は男子が執事服で女子がエプロンだ。

 一件上坂達男子の着る執事服は浮く様に見えるがこれが受けがいい。

 

「ねぇ、澪君のクラス接客のレベルかなり高くない?」

 

「そうだろ、そうだろ」

 

「何で澪が誇らしげなの」

 

「だって俺が接客の仕方教えたし」

 

 書類関連の仕事だけではやはり早々に暇になった上坂は接客指導の話が上がった時に真っ先に名乗り出た。理由は足手まといになりたくないということだ。

 ただ輪に加われた嬉しさに少々力の入った指導になり始めのうちはクレームが入ることがあったのだが、ホール担当全員どこの接客業に出してもおかしくないレベルまで仕上がることが出来た。

 

「へー、接客って澪バイトで教わったのか?」

 

「どこでしてるの⁉ 澪そんな話し一回もしてくれなかったじゃない」

 

「バイトはしてないよ」

 

「アルバイトしてないのにどうしてそんなにしっかりした接客が出来るの。澪君ここの接客うちのお店より高いよ」

 

「言い方が悪かったな。今はしてないんだよ。中学の時短期のバイトをしてて、この服だってその時の制服なんだ」

 

「その服作ったんじゃないのか?」

 

「この服もあの服も全部俺が家から持ってきたやつ。ほんとよかったよ、こうして俺の服が役に立てて」

 

 上坂の他に二人の男子生徒がホールで接客をしててその全てが上坂の私物だ。

 不必要になった服が再利用できたことに喜んで入るがなんせクラスでも低身長の上坂の物二人の男子がサイズの合わない衣装に苦しい思いをしていることは知らない。

 

 

 

 少女達は満足そうに胸を張る少年に聞こえない声で話す。

 議題は勿論少年のバイト事情だ。

 

「(ねぇ、澪って何のバイトしてんの?)」

 

「(分かんない。でもあの接客レベルだったら高級レストランとかで働いてたり)」

 

「(ホストだったりして)」

 

 青葉の爆弾発言に四人は一斉に青葉の方を向いた。

 

「(そんなわけないだろ!せめて……そうだなー執事喫茶とかだろ)」

 

「(そうよ、澪がホストなんて……でも澪の顔ならありえるかも)」

 

「(ひまり、そんなわけないから)」

 

「(じゃあいっそのこと直接聞いちゃう?)」

 

「(つぐ正気か!)」

 

「(私達は澪君が居なかった六年を知る必要があると思うの)」

 

「(つぐの言う通り。私澪の事全部知りたいもん!)」

 

 羽沢は意を決して上坂の方を振り向きゆっくり口を開け聞こうとした。

 

「れーくん昔、何のバイトしてたの?」

 

 四人は一斉に青葉に向いた。

 羽沢達の先程の葛藤は一体何だったのだろうか。

 

 上坂は先程までにこやかだった顔から光が消えさらに青くまでなる。

 

「……ごめん。あまり言いたくないし、思い出したくない」

 

 上坂のあまりに暗い顔に言葉を掛ける事が出来なかった。

 聞きたい事は山程ある、触れないでいる事が優しさだと五人は認識した。

 

 

 

「そんな事より、折角の料理なんだし食べてくれよ」

 

 上坂は気持ちを切り替えて笑顔を作った。

 パンは山吹ベーカリーからの委託販売みたいなもので出来立てではないが、教室の簡易用キッチンで作った愛情たっぷりのオムライスとポットで沸かしたお湯で作ったインスタントコーヒーからは美味しそうに立ち上がっていた湯気が萎んでいた。

 

「これカフェラテじゃなくてコーヒーだよね。まぁ大人な私はブラックの苦みも分かるんだけどね」

 

 上原だけではなく五人のカップの中はミルクの混ざったブラウン色ではなく真黒だった。

 

「ごめん忘れてた。当店自慢のサービスにラテアートがあるんだった」

 

 コーヒーにミルクを入れステンレスの針でミルクで出来た白いキャンバスに針を滑らせた。

 

「これって……」

 

「私達の似顔絵?」

 

 五つのカップに描かれたのはそれぞれの似顔絵。

 線の少ない簡単な絵ではあるが、それでも誰の顔が描かれているのか簡単に分かってしまうレベルだ。

 

「すごい、すごいよ」

 

 上原は感動のあまり泣きそうになっていた。

 

「もーひーちゃんは相変わらず泣き虫ですな」

 

「でもこれ本当に凄いな」

 

「ねぇ澪君。今アルバイトしてないんでしょ?だったらうちで働かない⁉」

 

 羽沢なんて勧誘してくるしまつ。

 

「今はまだ学校での生活を大切にしたいから辞めとくよ。だけどもし俺の気が向いた時は……」

 

「分かった。気が向いたらでいいから」

 

 上坂はバイト先を一つ確保した。

 

「それじゃあ乾杯しようぜ」

 

 宇田川が気分がいいのか打ち上げの席みたいに陶器のカップを掴む。

 

「ちょっと巴!写真撮ってないんだからまだ飲まないでよ~!」

 

「おっとそうだったな。いや~ごめんごめん。でもさ、絵の方は無事だからいいだろ?」

 

 宇田川はカップに入った似顔絵入りラテの無事を上原に見せる。

 

「もう気を付けてよね。澪悪いけど私のスマホで写真撮ってもらえる?」

 

「分かったよ」

 

「じゃあみんな、私と同じポーズをとって……蘭恥ずかしがらない、後モカもめんどくさがらない」

 

「ひ~ちゃんこの体勢きつい~、疲れた~」

 

 幼馴染達はカップの中身が崩れない程度にカメラに傾けた。

 

「笑って笑ってー……蘭笑えよ、撮れないだろ?」

 

「うっさい!この体勢しんどいんだから早くして」

 

「ハイハイ分かりましたよ。それじゃ撮るよーハイチーズ!」

 

 撮れたのは五人が各々自分の似顔絵が描かれているカップを持ち上げ中を見せるように傾けた写真だ。

 

「こ、これは……絶対に映える!」

 

「ひまりちゃんどんな感じにとれたの?……わぁ凄い、澪君ばっちり」

 

「二人で楽しんでないであたし達にも見せろよ」

 

「蘭ー、笑顔がぎこちな~い」

 

「そういうモカこそ笑てないじゃん」

 

「モカちゃんはいいんです。だって笑わなくたってモカちゃんは十分可愛いのだからー」

 

「理由になってない」

 

 ツッコム気力が無くなった美竹は一つため息を吐き完全に湯気が消えてしまったオムレツにスプーンを入れる。

 

「凄いだろ?」

 

 1-Aカフェでは二種類のオムライスがあり美竹が注文したのは『半熟卵のオムライス』。その予想を超える卵のトロトロ具合に美竹は目を見開いた。

 

「だからどうして澪が自慢気なの?……まさかこれも澪が……」

 

 スプーンの動きがピタリと止まる。上坂が料理が出来ないのは幼馴染全員周知のことだ。その上坂が作ったとなれば動きを止めることは可笑しくない。

 

「そんなわけないだろ?料理のできない俺がこんな美味しいもの作れるわけがないだろ?」

 

「だったら安心……!」

 

「どうだ美味しいだろ!」

 

「……むかつく」

 

 美竹は悔しそうに頷いた。

 

「私もそっちにすればよかったな~」

 

 上原が注文したのは『家庭の味!お母さんオムライス』。考案者は名前に納得していなかったが多数決の前には無力だった。

 上原は指を咥え卵がトロトロと流れる美竹の皿を羨ましそうに見つめる。

 

「ひまり、そっちも美味しいから食べてみてよ」

 

 人気的には見た目のインパクトのある『半熟卵のオムライス』の方が若干人気ではあるが、家庭の味大好きな上坂の個人的な意見では『家庭の味!お母さんオムライス』の方が美味しいと思った。

 

「じゃあ、あれやってよ!ケチャップで文字とか絵とか書くやつ」

 

 上原は上坂の着ている服の所為か『1-Aカフェ』の事をどこか別のお店と勘違いしていた。

 

「そんなオプション……分かったよ、ちょっとキッチンからケチャップ取って来るから待ってて。後、蘭絶賛オムライスの製作者もついでだし呼んでくるよ」

 

 上坂は上目遣いで訴えるお姫様の要望を叶えるために絶対にキッチンに戻った。

 

 

 

 美竹は嫌な予感がした。上坂は美竹が人付き合いが得意ではない事は知っている。その事を知っている上坂が知らない人を紹介するはずがない。

 

 じゃあ誰だ

 

 美竹が知っていても上坂も知っているやつなんて一人しかいない。

 

「なんだよ。俺今めっちゃ忙しいんだけど」

 

「そう言うなよ。お客様がおよびだぞ」

 

 戻って来たのは二人。ケチャップを持った上坂とそれに腕を組まれ無理矢理連れてこられた相沢だった。

 

「やっぱりお前らも来てたんだな」

 

「これ綾人君が作ったの⁉︎」

 

「俺が作ったつーか、作り方を教えたのは俺だな。後、ひまりと巴が頼んだのは別の奴が考えたの」

 

「あやとん料理上手なんだー」

 

「綾人君、今度このオムライスの作り方教えてくれる?」

 

 女の子に褒められた相沢はとても満足な顔をしていた。

 

「蘭はどうだ?俺の作ったオムライスうまいだろ!」

 

 相沢の自信満々にやついた顔が美竹には腹立たしかった。

 

 左を見る。

 幼馴染達が相沢の料理を褒め更に調子ずかせる。

 

 右を見る。

 ケチャップで名前とハートマークを書いているバカップル。

 

 見方はいない。

 

「いつもどおり」

 

 涼しい顔で答えた。

 

「いつもどおりって、お前初めて食べただろ!」

 

 いつもの技は調子に乗ってテンションの高い馬鹿には不発。寧ろカウンターを受けた分ダメージが入る。

 幼馴染達からは素直じゃない、相沢からはツンデレと事あるごとに言われるがそういうのではない。

 何かまでは分からないが負けた気がする。それが美竹は嫌だった。

 しかしこの場を一人で切り抜ける打開策がないのも事実だ。

 

「……おいし……かっ……た」

 

 奥歯からギリギリと嫌な音が鳴る。

 心身をすり減らす思いで言った感想に、相沢は我儘な子供を見る親のような呆れた表情を浮かべる。

 

「美味しかったらそう言えよ。ほんとツンデレだな」

 

「うるさい‼︎」

 

 文字通り匙を投げようとしたが慌てて宇田川に止められる。

 

「綾人、あんまり蘭をいじめんなよ」

 

「誰がいじめられて……」

 

「おい巴!あんまり蘭を刺激するなよ。止めるこっちが大変なんだからな」

 

「お前はひまりとイチャイチャしてるのだけだろ!」

「あんたはひまりとイチャついてるだけでしょ!」

 

 余計な一言が相沢と美竹の二人を引き付け、ある意味上坂は敵となる形で争いを止めた。

 

 

 

「わかった。わかった。気をつけるよ」

 

 相沢が両手を上げ降参のポーズをとる。

 

「分かったんならいいけど」

 

 上坂の些細な犠牲のお陰かそれとも上坂が知らないだけで『いつも通り』なのか美竹の怒りは収まっていた。

 

「蘭、俺もうすぐ上がりなんだけどみんなで文化祭回るか?」

 

「うん。折角だしみんなで回ろうよ」

 

「そうだね」

 

「だな」

 

「蘭〜いつまでいじけてんの〜」

 

「別に……」

 

 文化祭らしい楽しい話題が広がっていた。

 

「澪も一緒に上がるの?」

 

 上原が希望に満ちた目を向ける。

 

「残念だけど俺は行けないよ」

 

「どうして?」

 

 先程の表情とは反転、一気に瞳から光が失われた。

 

「衣装作りや料理に参加してない分暇だっただろ?だから他の人より働けるよう頼んだんだ」

 

「でも……」

 

 上原にも事前に用意したプランがあったのかもしれない。

 

「本当はみんなと文化祭回りたかったって言うのが本音なんだけど、クラスのみんなが頑張ってここまでのものを作ったのに俺だけ楽をするなんてそんな事は出来ないよ。俺だって頑張った一員になって心の底からみんなと喜びたいんだ。だから六人で回ってこいよ」

 

 文化祭に招待しておいて一緒に行動できないことは確かに酷い話ではある。しかしそんな大切な時間を潰してでも文化祭を成功させたかった。

 

「でも澪が頑張ってるのに私達だけ……」

 

「ひまりの事だから自分だけ楽しむなんてって考えて楽しむ事出来なさそうだから一つ約束をしようか」

 

 文化祭には相応しくない暗い顔をしている上原の両手を優しく包む。

 

「約束?」

 

「ひまりが今日の文化祭最高に楽しむ事が出来たら何でも一つ言う事聞いてやるよ」

 

「なんでも?」

 

「あぁ約束だ」

 

 先程まで暗い顔だった上原の顔が急に明るくなった。

 

「それに……」

「約束だからね。こうしちゃいられない!みんな文化祭を全力で楽しむぞー。えいえいおー!」

 

 テンションが最高潮になった上原は勢いよく教室を出ていった。

 

「ひまり待てよ!」

 

「ひまりちゃん待ってー!」

 

 上原に続く様に四人も教室を飛び出した。

 

「まだ言う事があったのに……」

 

 上坂は呟く。

 

 全く時間がないわけではない。カフェの仕事が終わり、ライブも終わったら少しではあるが一緒に回る時間もある。

 とりあえずナンパ防止用ガーディアン(相沢綾人)に言伝をする。

 

「じゃぁ、みんなの事頼んだ」

 

「澪、お前よくあんなこと言えるなぁ。俺だったらメンタルが死んで一週間は家に引きこもるな」

 

「綾人それは大げさじゃない?」

 

 相沢は本来であれば目の前でカップルがいちゃついていたら"リア充死ね"って考えになるが、今回の上坂に関しては歯に浮く様なセリフで上原をなだめた事による賞賛があった。ただ賞賛と言えど意味合いは違う。

 

「澪く〜ん」

 

「香澄!」

 

 振り向けば戸山が背中に抱き着いていた。

 

「私達の事そんなに思ってくれてたんだ〜。絶対に文化祭成功させようね」

 

 見渡せば教室中の視線が集まりお客からはゲリラで行われた劇だと思われ拍手が上り、クラスメイトからは物語の友情シーンのような爽やかな笑みが向けられる。

 

「さっきの上坂凄かった。まるでドラマみたいだった。りみなんか見惚れて顔が真っ赤になって」

 

「おたえちゃん!」

 

 戸山に続いて花園と牛込が来た。

 牛込はやはりさっきのやり取りが気になっているのか顔を真っ赤にしてチラチラ上坂の方を見ている。

 

 カシャッ

 

「綾人、お前今……」

 

 明らかな機械音に視線を相沢に戻す。相沢は分かっていたのか黙って手に持っていたスマートフォンの画像を見せた。

 そこには戸山に抱きつかれている上坂の写真がバッチリ……、

 

「……その写真をどうするつもりだ?」

 

 相沢は凶悪な笑みを浮かべ

 

「勿論あいつらに見せる」

 

「ちょっ、待てって。くそ、香澄いつまでくっついてんだよ!」

 

「私達ずっと友達だよ~」

 

「俺やっぱりリア充を応援なんて出来ねーよ。リア充死ね!じゃーな」

 

 背中くっついた戸山が重りとなって簡単に逃げられてしまった。もう相沢の姿は見えない。

 相沢はエプロンを付けておらずもう休憩に入ったに違いないと上坂は思う。

 つまりもう相沢は1-Aの教室に戻ってくることはない。

 

「上坂大丈夫。きっといい事あるよ」

 

 花園は四つん這で打ちひしがれている上坂の頭を撫でた。

 当の戸山は首をかしげる。

 

「おたえ、取り合えず香澄を引きはがしてくれないか?」

 

 一人になりたい、そう思ったが休憩までまだ時間はある。

 

(ほんと折角頼んでシフト入れたのにちゃんと働けるか心配になってきた) 

 

 仕事の活力として逃げた相沢を鉄拳を喰らわすことを誓い、上坂は弱弱しく立ち上がった。



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24話 『二回目』

 

 上坂は足音を鳴らしながら廊下を歩いていた。

 

「綾人の奴、次あったら絶対にぶっ飛ばしてやる」

 

 午前中に戸山に抱きつかれた所を写真に撮られ、それを幼馴染に見せると言われた。

 追いかけて行きたかったのだがまだシフトが残っており、泣く泣く見逃す羽目になった。

 そして上坂は陰気な気持ちを抑え込み仕事を終えた。

 全ては憎き相沢を殴るためだ。

 

「何があったかはおたえから聞いたから知ってっけど、もういいじゃねえか許してやれよ」

 

 隣を歩く四季は相沢と入れ替わりのシフトだったため聞いた内容しか知らない。

 

「あのなー、こっちは冤罪が掛けられそうなんだぞ」

 

「いいじゃねぇか。そのまま別れて俺達の元に帰ってこいよ」

 

「くそっ、春夏もあっち側だったな」

 

「なんだ彼女がいるのがそんなに偉いか? 俺は今日ライブを成功させて彼女を作るんだよ!」

 

「お前帰ってこいとか言いながら裏切る気満々じゃねぇか!」

 

 廊下の真ん中で上坂と四季は言い合いを繰り広げ交通量の多い文化祭では二人は邪魔でしかなかった。

 

「ええ加減にせえ!」

 

「「いでっ!」」

 

 同時に二人の頭に手刀が落ちる。

 堂々とした関西弁を使う四人目のバンドメンバー渡辺だ。

 

「自分ら高校生にもなって掴み合いの喧嘩して恥ずかしないんか⁉周りを見てみい、みんな困っとるやろ。自分達だけで喧嘩するんやったら止めはせんけど周りの皆さんには迷惑かけたらあかんやろ」

 

「「ごめんなさ~い」」

 

 上坂と四季は手刀のダメージで頭を押さえているはずが、お母さんの雷から身を守るような構図になってしまう。

 廊下を走っていた生徒は立ち止まり、たまたま通りかかった保護者からは乾いた拍手が届いた。

 

「何の騒ぎかって来てみれば、お前ら何やってんだ?」

 

 頭を上げれば金髪ツインテの市ヶ谷が立っていた。人込みをかき分けた市ヶ谷は頭を抱えしゃがみこんでいる二人を見てはため息を吐く。

 

「なんやあの女子、自分らの知り合いかなんかか?」

 

 渡辺が市ヶ谷について尋ねる。

 最近バンド加入を果たした渡辺は金髪ツインテのいかにも高飛車なお嬢様を知らない。

 

「あいつは市ヶ谷有咲、香澄の友達でバンドメンバー」

 

「初めましてやな、俺は渡辺一也。こいつらバカのバンドメンバーで保護者みたいなもんや」

 

「バカ……フフ……」

 

 市ヶ谷は上坂を見下ろしては嘲笑うが、上坂は慣れてしまったせいかいちいち気にしない。

 

「それで市ヶ谷、お前は何しに来たんだ? 用があるから声をかけたんだろ?」

 

「用つーか、お前忘れてないだろーな?」

 

「市ヶ谷、お前こそ忘れてるだろ」

 

「何がだよ」

 

 上坂は市ヶ谷と渡辺を交互に指さす。

 その意味は市ヶ谷と親しい人なら誰でも分かる。

 

「あー、そういうことな。別に問題なんかねーよ。そもそもお前の知り合いに猫被る必要なんてないだろ」

 

 初対面の人には必ずと言っていいぐらい一昔前の少女漫画のような言葉遣いだった市ヶ谷が理由がどうであれ猫を被らなかったことは一種の成長だ。

 

「なんやあの子自分の事凄い敵視してるみたいやけど一体何やったんや?」

 

「何もしてないよ。ただ俺と市ヶ谷はライバルみたいなもの」

 

「みたいじゃねえ! ライバルだ!」

 

「それで市ヶ谷、忘れてるようだけど結局何しに来たんだ?」

 

「お前が話を逸らすからだろ!」

 

 市ヶ谷はしかめっ面で左手に巻いている腕時計に指をあてる。

 

「時間。お前ら私達の後だろ、大丈夫なんだろうな?」

 

 時間とは勿論ライブの事だ。

 

「大丈夫、大丈夫、忘れてないって。なに、市ヶ谷わざわざ心配して呼びに来てくれたの?」

 

「バカ、違ーし。お前と同じクラスの香澄が呼ぶの忘れてると思ったから」

 

「あってんじゃん」

 

「あぁーもういい! 早く行くぞ!」

 

 市ヶ谷は人込みに紛れ姿を消した。

 

「なんなんだあいつ」

 

 いつも騒がしいが今日は一段と騒がしかった。

 

「澪、俺が悪かった」

 

 四季が肩を叩き軽く頭を下げる。

 

「分かってくれたならいいよ」

 

「忘れてたぜ、お前はどうしたって俺達側に帰って来ないって事を」

 

 四季は悟りきった目で仲直りの握手を求めた。

 

「あぁそうだ。写真がなんだ、俺とあいつの繋がりは紙切れ一枚なんかじゃ崩れたりはしない」

 

 話が噛み合っていない人は力強く握手をした。

 

「なんやよう分からんけど仲直り出来て良かったわ」

 

 四季は横目に渡辺を見ては、こいつも鈍感タイプか、と思った。

 

 

 

 体育館に入り準備室の扉を開けると既に相沢の姿はあった。

 相沢は上坂の姿に気づくと肩をビクッと震わせた。

 

「……澪、あの写真なんだけど……」

 

「綾人、気にするな。もう怒ってねぇよ」

 

 相沢は上坂の思いもよらない反応に安心を通り越して呆気にとられた。

 

「春夏、何があったんだ?」

 

「俺達は忘れてたんだよ。俺達がどんなに邪魔してもあいつは俺達側には帰って来ないって」

 

「何となく分かっちまうけど、それと今のがなんの関係があんだ?」

 

「それは澪がなんか都合の言いように勘違いして……」

 

 四季は戸山と話している上坂に目をやり、相沢もつられて視線を向ける。

 

「澪くん知らない? 有咲、澪くん達を呼びに行って帰ってきたら顔真っ赤にして戻ってきたの」

 

「やっぱりあれは俺達を呼びに来たのか。そんなことはいいとして市ヶ谷大丈夫なのか? 風邪とかじゃないよな?」

 

「ううん熱はないみたい」

 

「じゃあ、なんなんだろうな?」

 

 簡単な答えも分からず考え込む二人の傍に話の種である市ヶ谷が近づく。

 

「香澄‼︎、余計な事やってないでとっとと行くぞ!」

 

「香澄から聞いたけど大丈夫なのか?」

 

「うるさい! お前も香澄の言った事にいちいち気にするな!」

 

「あーりーさ〜。私は有咲の事心配して〜」

 

 戸山は手首を掴まれそのまま引きずられていった。

 少し離れた所で会話を聞いていた二人は互いに顔を見あう。

 

「見ての通りさっきの市ヶ谷さんのあの顔の原因は」

 

「だよな」

 

「あれを間近で見せられた俺はさっきの言葉を言ったんだけどさ」

 

「あー、成る程」

 

 理解した。相沢はポケットに入っているスマホを取り出す。

 映っているのは例の写真だ。

 

「本当に見せてやろうかな」

 

 相沢は少しだけ考えポケットにしまった。

 

 

 

「二人とも楽しそうに何話してたんだ?」

 

 会話相手の戸山が連れていかれ一人になった上坂は男達の輪に戻る。

 

「お前には関係ねーよ」

 

「なんだよ」

 

 少し素っ気ない態度に上坂は寂しさを感じるのだが、二人の会話を知っていれば素っ気なくもなるのも分かる。

 

「そうだ綾人、俺のいない間あいつらの面倒を見てくれてありがとな」

 

 相沢には上坂が一緒に文化祭を回れない分、幼馴染の護衛として回ってもらった。

 

「いくらしっかりしてるつぐと巴がいるにしてもあの強個性メンバーを見るのは骨が折れたな。だけどあんな美少女達と文化祭回れて、むしろご褒美だな。回ってる時だって野郎どもが羨ましがる目で俺を見てたんだぜ。こんな役得な仕事回してくれた澪には感謝しかねーよ」

 

 余程いい思いをしたのか相沢の口はいつも以上に回っていた。

 

「なんでお前一人そんないい思いをしてるんだよ。澪も綾人一人に任せず俺にも任せてくれてもよかったんじゃねーか?」

 

「確か自分、女の子をナンパするゆうて最初のシフト開けとったやろ?」

 

「そういえばそうだったな。それで春夏どうだったんだ?」

 

 四季は相沢と入れ替わりでシフトが入っていた。それもこれも文化祭に来たばかりの女の子をナンパする目的でだ。

 

「それでナンパは成功したのか?」

 

「そんな心配しなくても女子と話せない春夏がナンパなんて出来るわけないだろ?」

 

「お前らなー」

 

 二人の容赦のない言葉に既にメンタルがやられていた四季は泣きそうに……いや、涙を浮かべていた。

 

 

 

 文化祭の演目も進み、そろそろ出番だ。

 出番は最後のおおとり。

 最後になったのも別に期待されているからとかではなく、単なる幕間の申し込みがギリギリだっただけだ。

 そして上坂達の一つ前が戸山が率いるバンドだ。

 

「沙綾ちゃん来ないね」

 

 戸山達の方からそんな不自然な会話が聞こえた。

 

「牛込さん、沙綾も来るの?」

 

 戸山達の表情は全体的に暗い。

 順番はもうすぐだというのにライブを行う顔には見えない。

 

「えーっとね上坂君、沙綾ちゃんも来るはずなんだけど……」

 

 牛込も話ながらもだんだんと顔が暗くなっていた。

 

「でも沙綾って……」

 

 今日文化祭当日、山吹は学校に来ていない。

 理由は母親が倒れたからだ。

 今回は命の別状がなかったのだが、それでも一応入院はしているそうだ。

 詳しくは知らないがもともと体が弱く病院のお世話になる事が多いらしい。

 

 まるで上坂の母親の様に……

 

「来るよ! 私信じてる、紗綾は絶対に来る! だって私達は五人でPoppin’Party だから」

 

 仲間を鼓舞する一声ではない。

 山吹が絶対に来ると確信してる一声だ。

 それは戸山の真剣な眼差しから見て取れた。

 

「Poppin’Partyか、お前ら達らしくていい名前だ」

 

 褒められた事が嬉しかったのか戸山は真剣な顔から一変いつもの明るい顔になった。

 

「でしょー、この名前有咲が考えたんだよ」

 

「へー、この名前市ヶ谷がなー」

 

「なんだよ、文句あんのか」

 

「いや、別に」

 

 戸山達はこれまで頑張ってきた。

 後足りないのは……

 上坂は振り返り、女の子の話で騒ぐ相沢と四季、そしてその二人に呆れる渡辺を見る。

 三人ともこれから上坂がしようとすることを分かっていない。

 

「行こう!」

 

 上坂は真っ直ぐな瞳で三人を見る。

 

「お前またかよ」

 

「ほんとしかたねー野郎だぜ」

 

 相沢と四季は一言だけ文句を言い準備を始める。

 

「綾人と春夏は置いといて一也は大丈夫か?」

 

 おいっ、とツッコミが入るが聞き流す。

 

「大丈夫な訳ないやろ。せやけどまぁ……あいつら困っとる見たいやし。それにしても自分判断早すぎとちゃう? 普通もうちょっと考えるやろ」

 

「まぁ、二回目だしな」

 

「ホンマ自分ら何やっとん? これは入るバンド間違えてもうたかもしれんな」

 

 メンバーからの言質を取った上坂はステージに繋がる階段に足をかける。

 

「香澄! 俺達が時間を稼いでやる。だからお前達は紗綾を待て!」

 

「澪くん⁉」

 

 戸山は驚きこれ以上言葉が出ない。

 

「ちょっ待て、お前学校のイベントだぞ⁉そんな勝手な事していいわけないだろ!」

 

「そんなの分かってるよ。だけど俺達はPoppin’Partyの本気の演奏が聴きたいんだ。その為だったら怒られるぐらい安い買い物だよ」

 

 市ヶ谷の反論も分かる。学校にはルールがある。学校という組織は秩序を維持する為ルールを守らなければならない。

 今回は前のSPACE と違い盛り上がれば許されるわけ(実際はかなり怒られたらしい)ではない。

 

 戸山達から不安の色が抜けない。

 やはり自分達のために上坂達が悪いことをするのに罪悪感があるのだろう。

 

「心配するな! 俺達の演奏で誰にも文句なんか言わせないからさ」

 

 上坂は戸山達を不安を取り除くために堂々と言い切った。

 

 上坂は階段を登る。途中、何を思ったのか突然止まり振り返る。

 その顔は自信満々に嫌みたらしい顔だった。

 

「俺達が先に演奏するけど聴いてびびるなよ」

 

 宣言するように指さした。

 同じ日にデビューするライバルに向けての宣戦布告だ。

 

「負けない! 私達が揃ったら澪くん達にも負けたりしない」

 

「うん。負けない」

 

「そうだね、沙綾ちゃんが来たら上坂くん達にも負けないよね」

 

「見てろよ、私達全員でお前らをギャフンと言わせてやる」

 

 やはり戸山達は上坂の思っていた通り弱くはなかった。

 

「お前達の演奏楽しみにしてるよ」

 

 上坂はそう言葉を残しステージに上がった。

 

「香澄達じゃなくて俺達がステージに上がったらみんな驚くぜ」

 

 今聞こえる歓声は上坂達のものではない。

 

「ま、プログラムの順番が変わっとったらそりゃぁ驚くやろな」

 

 後ろに控えているpoppin'partyのものだ。

 

「春夏お前面白がってるけど、一番目立つのはボーカルの俺だからな!」

 

「綾人、目立つ目立たないは関係ないだろ? 俺達がするのは見に来た人全員を演奏で驚かすそれだけだ」

 

 観客の表情が困惑から興奮に変わる、

 その表情を想像するだけで頬が緩む。

 待ちに待った楽しい楽しい時間の始まりだ。



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25話 『ダイヤモンドは砕けない』

今回は挑戦しました。


 

 進行を進める放送部や生徒会、教師も戸惑いステージを止められてもおかしくはない。

 

 四人は互いに見て頷きう。

 

 ギュイ──ン

 

 渡辺がギターを鳴らす。

 ざわついていた観客の視線が一斉にステージに向いた。

 

 渡辺がリードギターとして入ったことで、相沢がギターボーカルに落ち着き負担がかなり減った。

 

 体育館内は開幕の一撃で静かにはなったが、まだ完全な静寂とは言えない。

 そんな不完全な静寂の中上坂は静かにシンバルを鳴らしリズムを取る。

 

 始めるなら今しかない。

 完全な静寂なんか求めていない。視線さえ集まれば十分。

 今日は文化祭、発表会やコンクールとは違うお祭りだ。

 曲は『全力少年』。

 少年だろうが少女だろうが関係ない、全力で文化祭を楽しもう。

 

 

 

 演奏は終わり上坂はマイクを握る。

 今ではバンドのMC担当となっている。

 

「どうだ俺達の演奏凄かっただろ?」

 

 体育館からは歓声が上がる。

 盛り上がり具合から誰一人として不安や疑問を抱えた人はいない。

 

「それじゃあ、この辺りで自己紹介。まず、ギターボーカルの綾人」

 

 相沢がギターを鳴らす。

 続いて四季、渡辺も紹介する。 

 

「そして最後はドラムの澪!」

 

 両手がスティックで塞がった上坂の代わりに相沢がコールをする。

 

 上坂は、メンバーの名前、音を聴いて全員で一つの作品を完成させたという実感が湧いた。

 それは映画のエンドロールで流れる製作者の名前と同じようなものだ。

 名前、ポジションが第三者に伝わることによって関わったという証明になる。

 四人で作った作品。一人でも欠ければ贋作どころか作品として成り立たない。

 

 芸術品、美術品で真っ先に思い浮かぶのは絵画だと思う。

 しかし絵画の良さなんて画商でもなければ簡単には分からない。

 かの有名なピカソの泣く女にしたって絵の心得がない人が見れば落書きと評するかもしれない。

 それに比べまだ宝石の方が分かりやすい。

 宝飾用のダイアモンドには品質を評価する四つの基準がある。

 色、透明度、重さ、研磨だ。

 仮に世界一大きなダイアモンドが出来上がったとしても色がくすんでいたり、透明度が弱ければそれは最高のダイアモンドとは言えない。

 

 彼らはまだ見つかったばかりの原石。

 だがダイアモンドのような誰もが目に止めてしまう絶対的な輝きを手に入れるためこの名前を付けた。

 

 ドラムを叩き終えた上坂は再びマイクを握る。

 

「俺達のバンド名は『4C(フォーシー)』。1-Aのバカ四人で結成した最高のバンドだ!」

 

 最後に宝石には花と同じように石言葉と言うものがある。

 ダイアモンドの石言葉の一つにこういうものがある。

 

『永遠の絆』

 

 

 

 盛り上がりは絶頂。

 しかしこれで終わりではない。

 

 上坂は視線をステージの端に落とす。

 教師と生徒会はイレギュラーな事態とイレギュラーな盛り上がりに場を収めるのを諦めているように見えた。 

 

「一曲目は俺達4Cに興味を持ってもらうためにみんなの知ってる曲を選んだんだ。みんなをみたら作戦が成功したんだって分かるよ。だけど次が本番だ。次の曲は俺達の俺達による俺達のための曲。そんな独りよがりな曲だけど聞いてほしい。いきます、俺達の初めての曲『コード10(じゅう)』」

 

 ドラムの激しい音から始まった。

『コード10』この曲はドラムから始まりはしたがギターメインの曲で曲調も激しい王道のロック。

 しかしそれでも上坂のドラムが霞むことはない。主張こそしないが存在感がないわけではない。

 詩は上坂、曲は渡辺が作った。

 渡辺はpastel*Palletsの楽器の技術指導をしており全ての楽譜が読める。

 その上pastel*Palletsの曲は完成したら一度渡辺のチェックが入る。それは渡辺自身が彼女達のレベルにあった曲に修正するためだ。

 つまり4Cの曲はプロが手掛けていると言っても過言ではない。

 

 曲に関しては申し分ない。しかし詩の方は素人の上坂が書いたものだ。

 詩の作り方を幼馴染の美竹に教わり後は独学。

 作り方は美竹と同じで気持ちを歌に、それともう一つ自分の軌跡、経験も上坂は歌にした。

『コード10(じゅう)』この曲はダイアモンドの硬さ硬度十からとったギャグ臭い名前だ。

 しかし詩の内容はギャグやコミカルな要素はなく、 伝えたいのは絆。

 人の繋がりは硬い。喧嘩をしても絆の糸は切れたりはしない。たゆんでいるだけ。

 熱した鉄を叩くように糸を叩きダイヤのような硬い糸を作ればいい。

 そして苦楽を共にしダイヤの糸で作られた絆は自分を成長させてくれる。

 そういう詩だ。

 

 勿論これは上坂と幼馴染達の事である。しかしそれだけではない。

 上坂は幼馴染だけではなくたくさんの人とぶつかった。少なくとも、相沢、四季、渡辺とはぶつかった。

 熱い鉄を叩いて叩いてできたダイヤの糸が4Cだ。

 

 上坂がこの詩を作った時にもう一つ伝えたいことが一つあった。

 

 ダイヤで出来た糸を希少だと思うかもしれない。

 それこそ砂漠の中から砂金を探すようなものだと思うかもしれない。

 だけど探す必要なんてない。

 すぐ近くにある。

『話したい』、『仲良くなりたい』そう思った人にダイヤの糸がある。

 運命なんて不確定なものに頼らず、自分の力で切り開く。

 そうすれば明るい未来が待っている。

 

 

 

 最後にギターの音が鳴り響きこだまする。

 会場内は静まる。

 激しいのロックにあるまじき反応に上坂は不安を覚えたりはしなかった。

 結果は分かっている。

 

 大成功だ。

 

 瞬間、聞いたことのないほどの歓声が上がった。

 その大きすぎる歓声に四季は喜びの余り叫び、相沢は渡辺と肩を組み喜び、その渡辺も背中越しでも照れているのが分かるぐらい喜んでいた。

 そして上坂も説明が出来ない高揚感があった。

 

「俺達バンド結成して今日が初めてのライブなんだ。だからライブが終わった今でもすごく心臓がばくばくで、すげーやりきったって感じだよ」

 

 マイクで話しているのに心臓の音が聞こえてくる。

 あまりの大きな音に心臓の音をマイクが拾うのではないかと思った。

 これだけ音が大きいと絶対体に悪いと思う。

 だけどそんなしょうもない理由でライブをしないなんていう選択肢はない。

 

「俺達はこれで終わりだけどみんなはまだまだ楽しんでほしい。次もバンドなんだけど、俺は凄く期待してる」

 ステージの袖を見ればpoppin'partyの姿がある。

 

「こんな事言ったら凄く痛い奴だけどさ、俺達は今日の文化祭自分の事主役だと思ってた。なっ痛いだろ?」

 

 三人から、お前と一緒にするな、とツッコミが入る。

 

「だけど違った。控え室でさ、……次の奴らまぁ友達なんだけど、そいつらと話してたんだ。そしたらさ直感なんだけどなんか分かったんだ。今日の主役は俺達じゃない、あいつらだってな。直感だけで何の根拠もないけど期待していいと思う。そういう訳でそろそろ時間だし話しはこれぐらいにして、脇役はさっさと後段して本日の主役にバトンタッチするよ。みんな今日はありがとう」

 

 静かにマイクを下ろしステージから降りた。

 

 

 

 控え室に入ると戸山達がいた。

 

「澪くん凄かったね。私達も期待に答えなきゃ」

 

「楽しみにしてるよ。お前達なら……沙綾、間に合わなかったんだな」

 

 戸山が頷く。

 poppin'partyは戸山、市ヶ谷、牛込、花園の四人しかいなかった。

 あと一人の姿がなかった。

 

「……ごめんね。折角澪くん達が頑張ってくれたのに」

 

 顔色に覇気がない。

 とても今から演奏するような顔つきではなかった。

 

「気にするな。沙綾は今日来れなかっただけだろ? だったら次は五人で演奏出来るよ。それより香澄、沙綾の事ばかり気にしてるけどよそ見してる余裕あるのか?」

 

「うっ……!」

 

 戸山はギターを始めてまだ三カ月も経っておらず余裕があるはずがない。

 予想通りの戸山の反応に思わず笑いさえ出てしまう。

 

「ほらないだろ? だったら今は目の前に集中。そんな顔で演奏しても人を感動させることなんてできないよ。ステージってのは全力で楽しむところだろ? だから香澄は笑って、いつもの明るい顔をステージの上で見せてくれよ」

 

 無茶を言っているのは分かっているつもりだ。

 だけど落ち込んでいても良いことが無いことを知っている。

 

「分かった。私達の演奏を澪くん達や会場のみんなそしてここには居ない沙綾にも届くような演奏をしてくる」

 

「その域だ。行ってこい」

 

 戸山達は勢いよく階段を駆け上がりステージに上がった。

 4Cのライブは終わった。

 扉を開けて体育館に戻ると観客の一人に戻る。

 

「あなた達自分が何をしたのか分かってるのですか?」

 

 扉を開けると長いライトブルーの髪の少女が待ち伏せをしていたかのように立っていた。

 

 

 

 氷川紗夜(ひかわさよ)それは花咲川高校の最強の風紀委員だ。花咲川では彼女に捕まったら逃げられないといわれている。

 

「紗夜さん違うんです。これには深い理由が……」

 

「理由がどうであろうとあなた達が先生方やこれまで頑張ってきた人達に迷惑を掛けた事には変わりはありません」

 

 一番付き合いの長い相沢がなんとか説得しようとするが、間違えた事をしている分、正しさの前では太刀打ち出来ない。

 

「相沢さん、そしてあなた達も今から生徒指導室まで来てもらいます」

 

 氷川は相沢の腕を掴む。

 相沢自信も諦めたのか抵抗はしなかった。

 

「ほらあなた達も早くついて来なさい」

 

 ついていくことは正しい。

 悪いことをしたという自覚もある。

 

「すみません。待ってください」

 

 だけどついて行ってしまったら友達の初ライブを聴くことができない。

 それだけはどうしても嫌だった。

 

「なんですか? 要件は早めにお願いします」

 

「今ステージで演奏してるの友達なんです。友達の初ライブなんです。お願いです、これだけ見させて下さい。この演奏が終われば必ず生徒指導室に行きます。だからお願いします」

 

「紗夜さんお願いします。俺もあいつらの演奏聴いてやりたいんです」

 

 上坂の言葉に焚きつけられた相沢の目に力が入った。

 

 氷川は目を瞑りため息をこぼす。

 

「はぁ、そこまで必死にならなくても大丈夫です。ただし生徒指導室には必ず来るようにして下さい」

 

「ありがとうございます」

 

「紗夜さんありがとうございます」

 

「ほら、あなた達ライブ見るのでしょ?そこにいたら通行の邪魔になりますので、端によってください」

 

 二人の熱意に折れた氷川は上坂達と同じように壁に背を預ける。

 

「あれ? 紗夜さん。紗夜さんは俺達のこと気にしないでもっと見えやすいところで見てもいいんですよ」

 

「そうですね、あなた達が何も問題を起こさなければ、きちんと聴けたのですが」

 

「すみませんでした」

 

 相沢は綺麗に頭を下げた。

 

 

 

 poppin'paartyの一曲目が終わった。

 クライブの時と比べれば違いがはっきりと分かるほど成長していた。

 しかし同時に物足りなさも感じる。

 

「ありがとうございました! 次は今日の為に作った曲です! みんなで作った曲……今日は一人いないけどいつか一緒に歌おうって約束しました。いつかはまだだけど……しんじてる。一緒に歌うことができるって。そんな気持ちを込めて歌います聞いてください……」

 

 戸山は吹っ切れていた。

 ステージを五人ではなく四人で乗り越えようと、

 しかしそんな覚悟を裏切るように『いつか』は迫る。

 

 『いつか』はまだなんかではなかった。

 

 『いつか』はすぐそこまで来ていた。

 

 バンッ、と勢いよく開く体育館の鉄の扉の音に上坂は笑みが零れる。

 

「みんな!」

 

 ヒーローは遅れてくるものだ、とはよく言ったもんだ。

 

「さーや!」

 

 ステージに立つ五人が同じように叫ぶ。

 

 栗色の髪をしたポニーテールの少女、

 山吹沙綾だ。

 

 山吹はステージまで一直線に走る。

 

「沙綾!」

 

 上坂は自分の前を横切る山吹に声をかけた。

 

「澪、どうしたの?」

 

「……ごめんなんでもない。止めて悪かった。頑張れよ」

 

 上坂は手ぶらでステージに向かう山吹にスティックを渡そうとした。

 しかし山吹の手には既にスティックが握られていた。

 

 病院にいた山吹がスティックを持っているはずがない。

 きっと体育館に来るまでに何か素敵なドラマがあったのだろう。

 とは言ってもこれは上坂の推測でしかないのだが、

 

「うん。ありがと」

 

 山吹がステージに上がりようやくPoppin’Party は一つになった。

 

「香澄達ここまで来るのに長かったな」

 

「そうだな」

 

 上坂と四季は感傷に浸っていた。

 上坂と四季は他のバンドのコーチをしている相沢や渡辺と違い、戸山達がここまで来るのにどれだけ大変な道のりだったのかよく知っている。

 

「俺嬉しさで涙が」

 

「泣くには早いぞ。ほら、しっかり目を開けてあいつらの演奏見るんだろ」

 

 二人の気持ちは最早子供を持つ父親のようだった。

 

 ステージを見ると戸山がマイクを持っていた。

 その顔は生き生きと言うよりはうずうず。

 

「みんなが揃った事だし聞いて下さい、STER BEAT! 〜ホシノコドウ〜」

 

 戸山、花園、牛込、市ヶ谷、山吹、全員が揃った初めての演奏だ。

 

 全員が伸び伸びと音を奏でる。

 少し演奏が早いところがあったがそれはみんなで演奏する事が楽しい、待ちきれないという気持ちが出ていたのかもしれない。

 

 えっ! 演奏はどうだったかって? 

 

 そんな事決まってる。

 

 最高だった。

 




今回の挑戦、ハイッ、オリ曲です。そうは言っても曲なんて作者は書けませんからこんな感じの曲ですってのを書いただけなんですけどね( ´∀`

話は変わりますが今回で2章は完結します。長い間付き合っていただいた皆様には感謝しかありません。
物語は続き3章に入りますが引き続きよろしくお願いします。


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3章 少年達と少女達は大きな輪を作る
26話 『始まりは突然に』


三章スタートです。
今回はプロローグ的な感じで短めになっています。


 楽しい文化祭を終え、辛い期末試験も終え、後は夏休みが来るまでの半日授業をただのんびり過ごすだけだった。

 少々刺激は足りないが充実しすぎた三カ月を過ごした彼には丁度良い休息だ。

 

 と、夏休みまでスケジュール帳を空白にしていた少年上坂澪(かみさかれい)は内心首を傾げる。

 

「もう一度だけ言うわ」

 

 銀色の長い髪をした少女が上坂達4Cを静かに見る。

 

「そのイベントが私達が参加するに値するか見せてもらうわ」

 

 どうしてこうなったんだろう? 

 

 

 

 

 

 楽しかった文化祭も終わり季節は本格的な夏を迎えた。

 空は晴れ模様。連日の雨のせいで顔を見せることが出来なかった太陽は取り返さんとばかりに地を焼く。

 おかげ昼だというのに外から人の声らしきものが聞こえない。

 早めの昼食(上原の作り置き)を食べた上坂はソファーに座り込み食後のコーヒーを口に含む。

 刺激的な苦みと冷蔵庫でしっかり冷やされた冷たさが満腹が理由で襲う睡魔を払い去る。

 

 今日は家から出ない。それは上坂が決めたことだ。

 そもそも今までが可笑しかった。確かにここ最近の多忙な日々は上坂にとって理想の学校生活と言ってもいいだろう。

 上坂は拗ねていた時期もあり一人でいることが多く、楽しかった半面疲労も出る。

 その積み重なった疲労が反動になり、そのような考えに至ってしまった。

 今の勢いだと誰からの誘いがなければ華の高校一年の夏を自宅だけで過ごしかねない。

 そんな引きこもりに一歩足を踏み入れようとした上坂だったが、幸な事にテーブルの上に置いていたスマホが鳴る。

 

 相手は親友でありバンドメンバーの相沢からだった。

 

 かまっての四季とは違い相沢から電話があるのは珍しい。

 そもそも初めてかもしれない。

 

「綾人どうした? お前が電話かけてくるなんて珍しいな」

 

『俺だって電話かけるんだったら野郎なんかより女子にかけてえよ』

 

「そうか、だったら電話切るぞ」

 

『待て待て悪かった、だから切るな』

 

「それでなんなんだ?」

 

『あー、……説明しづらいって言うより面倒だから取り合えず今からCiRCLEに来い』

 

「CiRCLEって綾人のバイト先のライブハウスだろ? いいのか? 綾人今まで散々来るなって言ってたけど」

 

『今回だけは特例で許してやるから早く来い! ……ちょっ、湊さん急かさないで下さい。大丈夫ですあいつチョロインで絶対……と、言うことだから澪、全速力で来いよ』

 

 電話の後ろで何やら失礼なことを言われた気がするが上坂は気にせず空になったグラスを水に漬け家を出た。

 

 

 

 場所を調べ炎天下の中を歩き回った上坂はようやくCiRCLEの看板を見つけた。

 ライブハウスCiRCLE。建物自体は他のライブハウスに比べて大きいが、汚れが目立たない綺麗な外観はまだ出来て新しい。

 

 中はシンプルで楽器が飾られたカウンターにミニテーブルとイスだけだった。

 居るのはカウンター席で頬杖をつきながら音楽雑誌をめくっている二〇歳ぐらいの女性だけで呼びつけた相沢の姿はなかった。

 呼びつけておきながらいないという事実に帰ろうと考えた上坂だったが、今は少しでも冷房の効いた部屋で減った体力を回復させようと思った。

 

「君、ここの利用は初めてかな?」

 

 カウンター席に座っていた黒髪ショートヘアの二〇歳ぐらいの女性が読んでいた雑誌を閉じ立ち上がった。

 

「あ、ハイ」

 

「私は月島(つきしま)まりな。気軽に私の事はまりなさんって呼んでくれたら嬉しいな。このライブハウスのスタッフをしているの」

 

「俺は上坂澪って言います。今日はスタジオを借りに来た訳ではなく友達に呼び出されてきました」

 

「ふ~ん、君が澪君ね~、綾人君なら外のラウンジで美少女に囲まれてるよ」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 楽しそうに報告する月島に上坂は頭を下げる。

 もう一度炎天下の下で肌を焼かないといけないのか、と憂鬱な気持ちになるが、そんな顔を見た月島は面白くないといった顔をする。

 

「君って冷めてるんだね」

 

「何がですか?」

 

「普通友達がハーレム状態って聞いたら怒らない? さっき来たお友達なんか話したら目の色変えて飛び出して行ったよ」

 

 相沢以外にその手の話で激昂するのは残念イケメンの四季しかいない。

 

「怒ったりしませんよ。飛び出したそいつが異常なだけです」

 

 小さな頃から女の子に囲まれて過ごした上坂にとってあまり羨むものではなかった。

 

「そっか~、私って異常だったんだ……」

 

「それじゃ、俺はラウンジに行きます。教えて頂きありがとうございます」

 

 地雷を踏みつけた上坂は、逃げるようにラウンジに向かった。

 

 

 

「澪、やっと来たか」

 

 ラウンジに上がれば赤いマッシュヘアーの少年相沢綾人(あいざわあやと)が聞いていた通り女の子に囲まれていた。

 気のせいかいつもより自身に溢れている。

 

 上坂はそんな相沢を無視し、金髪の少年を見つけては近づく。

 

「? 澪どうした?」

 

「いや、まりなさんって人から春夏がすっごい顔で出て行ったって聞いたから……」

 

 大変なことになっていると思っていたがラウンジは平和そのものだった。

 

「俺も最初は綾人の奴をつるし上げてやろうと思ったけど相手がな~」

 

 相沢を囲う少女はみな美少女ばかりいつもの四季なら発狂してもおかしくはないのだが、囲う少女の中に一人上坂が良く知る少女がいた。

 

「お兄ちゃん、やっと来たー!」

 

 お兄ちゃんと呼ぶ少女は血の繋がりがなければ義理の妹でもない。

 宇田川(うだがわ)あこ。幼馴染の一人で宇田川巴(うだがわともえ)の妹。両サイドにくせっけのある紫の髪を括った髪に、一部の中学生が好みそうなファッションをした女の子。他の幼馴染には『ちゃん』付けで呼ぶあこだが、どうしてか上坂だけは『お兄ちゃん』と呼ぶ。

 

 相沢を囲む少女達、それはあこが所属するバンドRoseliaだ。

 

 RoseliaとはGlitter*Greenに次ぐ上坂達が住む街では有名なガールズバンドで、相沢はそんな凄腕な彼女達の技術指導をしている。

 

 四季としても一度過ぎた事まで腹を立てたりはしない。

 

「綾人、揃ったのでしょ? だったら早くしてもらえる? 私達は暇じゃないの」

 

「大丈夫です湊さん。すぐに終わらせますから」

 

 相沢が長い銀髪の少女をなだめる様に説得する。

 少女は湊友希那(みなとゆきな)Roseliaのボーカル。一度その歌声を聴いたが圧倒的で、歌のレベルが上の下の相沢が教えれることがあるのかと疑問を抱いた程だ。

 

「んじゃ、春夏も澪も来たし全員揃ったな」

 

「全員って一也はいいのかよ?」

 

 渡辺一也、上坂と同じ4Cのメンバーで世話焼きなことからクラスのオカン的存在の少年だ。

 

「一也も今頃女の子に囲まれてんだよ」

 

「つまり仕事中な訳か」

 

 渡辺も相沢と同じようにバンドの技術指導をしている。

 相手は本格的アイドルバンドPastel*Palettes。

 

「だから俺達三人とRoselia、そして香澄とおたえ、これが全員だ」

 

 猫耳少女の戸山香澄(とやまかすみ)とさらりとした長い黒髪の大和撫子花園(はなぞの)たえも同席している。

 

「香澄達も綾人に呼び出されたのか?」

 

「ううん、違うよ。私達がRoseliaにイベントに出てもらうようにお願いに行こうとしたらまりなさんが綾人くんを貸してくれたの」

 

「イベント?」

 

「その辺の話は今からするから。つーか『貸す』ってとこにツッコめよ!」

 

「綾人、遊んでないで早くして」

 

「湊さん、それはあまりにも酷くありません?」

 

 相沢は小さく言葉を漏らした。

 

「Roseliaの皆さんも待ってることだし、ちゃっちゃと澪、春夏、お前等二人を呼んだ理由を説明すんぞ」

 

 そして相沢は面倒臭そうにまるでついでの事かのように言った。

 

「来週CiRCLEのライブに出るぞ」



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27話 『物語は知らない所で始まる』

遅れての投稿ですみません。

今回の話の都合上26話の時間帯を朝から昼に変更しました。
やっぱりストックはあった方が良いですね、いつでも修正できますしw

後、作品の紹介文を大きく変更しました。理由はここまでこの作品に付き合って頂いた皆様には分かると思います。


 

 辛いテストを何とか一夜漬けで乗り越え、後は来る夏休みまで小銭を稼ぐだけだと思っていた。

 

 そんなここ最近交友関係が異常に広まった赤い髪に中性的な顔を引き立たせるマッシュヘアーの少年相沢綾人(あいざわあやと)はスタジオの掃除を終えロビーに帰って来た。

 

「まりなさん掃除終わりましたよ」

 

「綾人君お疲れ様。今日はRoseliaの練習を見るんだったね。彼女達もうラウンジに居るみたいだしもう上がっていいよ」

 

 二〇歳ぐらいの黒のショートヘアの女性、月島(つきしま)まりなは誰よりもCiRCLEの事を考えその上後輩からは一番慕われている。

 相沢もシフトに入る度に月島から面倒ごとや厄介ごとを押し付けられているが彼女を慕っている。ただ口に出せば付け上がるため口が裂けても話はしない。

 その彼女の押し付けた面倒事の一つがRoseliaの指導だ。

 初めこそ面倒だと思っていた指導だったが着々とレベルが上がる彼女達の姿を間近で見るのは今まで味わったことのない達成感があった。

 それは同時期に指導することになったもう一つのバンドAftergrowも同じだ。

 

 今になって思えば月島からバンド指導と言う面倒事を押し付けられなければ親友の上坂が幼馴染と再開することはなく、そして相沢自身もバンドを組むなんてことはなかった。

 そう思えば感謝はある。少し程度の面倒ごとなら喜んで引き受けようとさえ思う。

 

「まりなさん最近元気が無いみたいですけど何かあったんですか?」

 

 元気を振る舞う月島だが最近明らかにため息の数が増えている。

 

「綾人君も気づいてると思うけど最近お客さんの出入りがね……。こんな調子で今度のイベント成功するのかなーって」

 

「イベント?」

 

「あれ? 綾人君、オーナーからイベントの話し聞いてない?」

 

「聞いてないです」

 

「それじゃ、私から説明するね。このライブハウスは元々、オーナーがこの辺りで活動しているガールズバンドを応援したくて作ったものなのは、知ってるよね」

 

「まぁ、そりゃあ」

 

 オーナーがCiRCLEに来るのはとても珍しく、相沢も片手で数えれる程しか会った事がない。つまり月島が殆どオーナーの代わりに取りまとめていると言っても過言ではない。

 

「それもそうだよね。だって綾人君、面接の時に下心丸出しに『俺は女の子と仲良くなりたいんです』って言ってたよね。やったね、君の言った通り今じゃ女の子に囲まれるハーレムだよ」

 

「まりなさん、俺そんな事言ってませんよ。俺がここで働いてるのも空いた時間にタダでスタジオを貸して貰えるからですよ」

 

「確かそんな理由だったね。綾人君が女の子にモテモテだからすっかり忘れてたよ。でも、綾人君、動機通りスタジオをタダで使えてよかったね」

 

「あいつらのバンド指導って言う名目ですけどね」

 

 初めのうちこそはバンド指導にバイト代を別に請求した事もあった相沢だが、月島に、タダでスタジオを使う上に美少女達の指導をするんだよむしろバイト代を引いてもいいぐらい、と反撃しようのない理由を言われ論破された。

 

「もぉ、綾人君をからかうのが面白いから話がそれちゃったよ」

 

「それって俺が悪いんですか?」

 

「ハイハイ言い訳は良いから説明するね」

 

「言い訳って……」

 

 相沢は言いたい気持ちをグッと抑え込む。

 

「それでイベントって言うのは、今度ガールズバンドを集めたライブイベントをやることになったの」

 

「それは良いですね華があって」

 

「うんうん、綾人君なら分かってくれると思ったよ」

 

 少女達がステージで輝く姿が想像できているのか調子よく月島は話していたが、思い出したかのようにため息を吐く。

 

「でも肝心のバンドからの応募が一つもなくてねえ……ライブハウスとしての知名度もイマイチな状況じゃ、まぁ、当然なんだけどね。ねぇ綾人君、綾人君のひろーい人脈で何とかならない?」

 

「何とかって言われましても……」

 

 人脈が広いと言われれば嘘になるが、いくつか当てはある。

 相沢はスマホを取り出し電話をかける。

 

「こんにちわーっ!」

 

 運がいいのか入ってきたのは猫耳少女の戸山香澄(とやまかすみ)

 そして運がなかったのか相沢が電話をかけた相手だ。

 

『あっ、携帯がなってる。……もしもし戸山です』

 

『おれおれ』

 

『綾人くんおはよう』

 

『おはようって、もうすぐ昼だけどな』

 

 電話で会話をしながら正面の戸山に手を振る。

 

「誰? 綾人君の知り合い?」

 

 隣の月島は猫耳少女について尋ねる。

 

「あいつは戸山香澄(とやまかすみ)、バンドをやってる当て(いち)です」

 

「流石は綾人君、ハーレムを作ってるだけあって女の子の知り合いがすぐ見つかるんだね」

 

『綾人くん、何の話をしてるの?』

 

『実はな……』

 

「はー、はー……やっと追いついた……」

 

 勢いよく入ってきたのは金髪ツインテールの市ヶ谷有咲(いちがやありさ)だ。

 市ヶ谷は入ってきては体力が枯れたのか膝に手を付き深い息を吐く。

 

「まったく、ほんっとに言うこと聞かねーやつだな。……お前ら何してんだ?」

 

「今綾人くんと電話してるの」

 

「そんなの見たら分かるつーの。私は何で目の前にいる相手と電話してるのかを聞いてんの?」

 

「そんなのノリに決まってるだろ?」

 

「ノリって何なんですの⁉」

 

 市ヶ谷は相沢の顔を見ては表情が引きつり、言葉遣いも表と裏二つが混り変わった話し方になる。

 

「もしかして俺の事覚えてない?」

 

「覚えてるに決まってるだろ⁉ お前ってあれだろ?あいつと同じバンドの奴だろ?」

 

「お前って言うけど、俺の名前は知ってんのか?」

 

「…………」

 

 市ヶ谷のメッキで作られた自信は跡形もなく崩れ落ちた。

 

「そんな事言うお前は私の名前知ってんのか⁉︎」

 

「市ヶ谷有咲だろ? 因みに俺は相沢綾人、覚えとけよ。……はぁ、有咲はやっぱり澪の事しか見てないんだな」

 

「やっぱりってなんだよ! それにあいつの事なんか見てねー、私はあいつのピアノを見てんだよ!」

 

「分かったから落ち着けって」

 

「ちくしょー! やっぱりあいつの周りはろくな奴がいねー!」

 

 子供をあやすようななだめ方をする相沢に市ヶ谷は頭を掻き回した。

 

「お楽しみのところ悪いんだけど、綾人君からライブの事聞いてみてよ」

 

 一人そっちのけになっていた月島はタイミングを見つけて会話に入る。

 

「そういえば香澄、さっきの話なんだけど、うちが主催のライブイベントに出ないか?」

 

 戸山が答えを返す前に自動ドアが開いた。

 

「香澄、有咲、やっと見つけた。って、綾人までどうしているの?」

 

「どうしてってここ俺のバイト先だし」

 

 入ってきたのは栗色の髪を後ろに一本結んだポニーテールの少女、山吹沙綾(やまぶきさあや)だ。

 戸山が背負っているギターケースを見た時点で練習後か練習前と予想していたためいずれ来る事は予想していた。

 山吹の後ろからは他にも二人、ショートボブの牛込(うしごめ)りみと腰まである長い黒髪の花園(はなぞの)たえも続けて自動ドアを通り過ぎる。

 

「へ〜、ここがCiRCLEかー」

 

「知ってる風に言ってるけど、俺はここでバイトしてるなんて一言も言ったことがないからな」

 

 働いてるところを見られたくない相沢はバイト先の話をする事は殆どない。すると言えどバイト先を知るバンドメンバーだけだ。

 相沢がCiRCLEでバイトをしてるなんて知ってるはずがない。

 つまり裏切り者がいると言う事だ。

 とは言えそこまで深く考える必要はない。

 犯人は二択まで絞り込んでいる。

 口の軽い四季か失言の多い上坂のどちらかだ。

 

「それで香澄はどうしてそんなに興奮してるの?」

 

「なんか相沢が私達にライブイベント出てくれってさ」

 

「さーや、出ようよ!」

 

「ん〜、出るにしても詳しい話を聞かないと……」

 

「詳しいも何もCiRCLEの存亡を賭けたガールズバンド限定のイベントライブに出て欲しいって話し」

 

「そんな大事なステージ、私達なんかが出てもいいのかな?」

 

「りみ、大丈夫。私達はあのSPACEのステージで演奏をしたんだよ。自信を持って私達なら出来る」

 

「そうだぞ、おたえの言う通りお前達には資格はあるしCiRCLEの未来と俺の財布を預ける価値もある」

 

 先週、彼女達poppin'party通称ポピパはガールズバンドの聖地SPACEでのライブを乗り越えた。

 ライブ当日は勿論応援に駆けつけ、開演前から長蛇の列を並んだ事は記憶に新しい。

 

「綾人くんがここまで私達を信じてくれてるんだしみんな出ようよ〜!」

 

「……ま、こうなったら香澄は聞かないし、それに香澄の言う通り綾人がここまで私達のこと信じてくれてるみたいだしね」

 

「サンキュー……」

「ありがとう! 助かるよ! ライブの練習には、うちの併設スタジオを使ってくれていいからね」

 

 返事をしようとする相沢を月島が押しのけて喜びを表す。

 

「……まりなさん、今の所は俺が感謝を伝えて友情を深める場面ですよね?」

 

「彼女達が参加してくれるんだからそんなのどうだっていいじゃない? それに彼女達の相沢ハーレム入りを阻止したんだし私、ファインプレーじゃない?」

 

 月島は笑顔を浮かべ両手でピースサインを作る。

 

「相沢ハーレムなんてそんな幸せな組織俺は知りません」

 

「構成メンバーは十人!」

 

 AfterglowとRoseliaの事を指しているのだが構成員の一人と思われる上原は彼氏持ちの為実質構成メンバーは九人。

 

 先のやり取りで上昇中だった相沢の好感度も月島の一言で、市ヶ谷と山吹は引き、牛込は怯える始末となった。

 

 

 

 相沢、月島、ポピパの五人は練習用スタジオにいる。数分まで相沢が掃除をしていたと言う事もあり中は目立った汚れはなかった。

 

「……で、つまり、出演者が私達以外決まっていない、と」

 

 イベントの詳しい話を聞いた市ヶ谷が呆れた表情を浮かべる。

 

「あ、あはは〜……それで、よければ綾人君と一緒に他のバンドのスカウトを手伝ってくれないかなー、なんて……」

 

 月島は申し訳ない気持ちを冗談ぽく笑って誤魔化す。

 

「バンドの目処はついているんですか?」

 

 山吹は尋ねる。

 結成して間もないポピパにはバンドの繋がりは小さくとてもライブを開けるだけのグループを集めれる自信がない。

 

「それについては綾人君だよりなんだ。なんせ彼顔が広くて……特にガールズバンドの。彼がいたから君達とも仲良くなれたしね」

 

「まりなさん、ハーレムキャラを定着させるのやめてもらえませんか?」

 

「いいじゃんハーレム、男の子の憧れでしょ?」

 

「確かに憧れですけど、『俺、ハーレムなんだぜ』って自分から言うのは痛いです」

 

 普通の男子高校生より女の子に囲まれている自覚はある。

 ただそれはバンドの指導者やクラスメイトという立場なだけであってその立場がなければ女の子とはまず関わる事がないと相沢は思う。

 

「それで綾人、候補の目処はあるの?」

 

「俺が用意できたのは三バンド、一つはお前達ポピパ、あと二つは俺が練習を見てるRoselisとAfterglow の二つ」

 

「綾人君ならもっといけるんじゃない? Pastel*Palettesとかハロー、ハッピー、ワールドとか」

 

「だからまりなさんは俺をなんだと……パスパレなら友達に頼めば何とか……」

 

 バンドメンバーの渡辺が本格アイドルバンドPastel*palettesのバンド指導をしている。

 

「やっぱり顔広いじゃん。それじゃあみんなには早速綾人君と一緒にRoseliaのスカウトに行ってほしいんだけど……」

 

「もっちろん、手伝いますよっ! ……でもどうしてRoseliaから何ですか?」

 

 戸山も相沢の知り合いから誘う方が誘いやすいのは分かる。しかしそれなら同じ知り合いのAfterglowからでもいいだろう。

 

「彼女達、もうすぐスタジオを使う時間でね、今、外のラウンジにいるの」

 

「だったら早く行かなくちゃですね」

 

「私も行きたい。私、いろんなバンドに出会ってみたい」

 

「だよねたよね!」

 

「彼女達、すっごくストイックで真面目で自分達の納得出来るステージじゃないと出演しないんだけど……その辺りは綾人君がいるし問題ないよ」

 

 指導者であり親しい関係の相沢が参加すると言うことだけで成功率は格段に上がる。親しいはともかく指導者と言う肩書きが大きい。

 

「それじゃ、綾人くん、おたえ一緒に声かけ行こ」

 

 相沢は手を引かれ半ば引きずられる形でスタジオを出た。

 

 

 

 相沢がラウンジに上がるや長い銀髪の少女が不機嫌な顔で迎える。

 

「綾人、何をしているの?」

 

 彼女は湊友希那(みなとゆきな)。絶対的な歌唱力を持つ歌姫。

 

「綾人の周りにはいつも女の子がいるよね」

 

「リサさんまで俺をハーレムキャラに定着させないで下さい」

 

 湊の隣の席に座る茶髪のギャルのような風貌の少女、今井(いまい)リサが相沢の両サイドを見て楽しそうに笑う。

 

「ハーレム? あっははー、いいじゃん。なら私達Roseliaも相沢ハーレムのメンバーなのかな?」

 

「えっと、……それは……」

 

「今井さん、冗談だとしてもやめて下さい。戸山さんに花園さん、二人ともその人から離れた方が賢明です」

 

 困っている相沢を助けた船はとんだ泥船だった。

 

「紗夜が知ってるって事は花咲の生徒? 紹介してよ〜!」

 

 長い水色の髪の少女、氷川紗夜(ひかわさよ)は相沢から離れた二人を紹介する。

 

「一年後輩の戸山香澄さんに、花園たえさんよ」

 

「紗夜ー、あと一人残ってるよ〜」

 

「はぁ、後もう一人、相沢綾人さんです」

 

 氷川はうんざりした顔で答えるが、今井は嫌な顔をせずむしろ笑顔だった。

 

「よくできました〜。じゃあ次はアタシ達かな、アタシはリサ。ベースをやってるんだ」

 

 今井はボーカルの湊友希那(みなとゆきな)、ドラムの宇田川(うだがわ)あこ、キーボードの白金燐子(しろかねりんこ)を紹介する。

 

「それで、私達に何のようかしら? 私達これからスタジオに行くのだけど」

 

 話している限りファンではない事は想像できる、かと言って湊の通う高校、羽丘の生徒でもない。自分達と同じガールズバンドと言うのが一番妥当でそうなれば次第と要件が分かる。

 

「友希那さん、今度CiRCLEが主催するライブイベントに出てくれませんか?」

 

 Roseliaのバンドとしての完成度は高く、ライブイベントの誘いが来る事もしばしばある。

 

「イベント自体に興味がないわけではないけれど……、ただ、そのイベントに出てRoseliaに得るものはあるのかしら?」

 

 しかしその完成度の高さ故に彼女達は自分達のレベルにあったステージにしか立たない。

 

「俺がバンド練習と合同練習の両方を見ます。指導の回数が二倍になる事はRoseliaにとってもプラスになると思います」

 

 自意識過剰な説得ではあるが相沢にあるカードはこれ一枚しかない。

 

「綾人、それは最低条件よ。確かに綾人の言い分だと二倍にはなるけど、他のバンドもいる合同練習でいつも通りの指導ができるのかしら?」

 

「うっ、それは……」

 

 バンドが最終いくつ集まるかは分からない。だけど、ライブイベントを開く以上最低でも五バンドは集まるだろう。ただそれを一人で見るとなると器用な相沢でも不可能だ。

 

「綾人くん……」

 

 戸山から不安の声が聞こえる。

 初めから当たって砕けろの精神であれば不安になる事もないのだが、月島が『大丈夫』と言った手前、断られた時のダメージは大きい。

 

 せめてもう少し人がいればゆっくり時間を割く事が出来るのだが、CiRCLEのスタッフにRoselia程のバンドを指導出来る人材が相沢以外いない。

 

「あっ!」

 

 指導者がいなければ参加バンド同様見つければいい。

 幸い相沢の周りには音楽レベルが高い人が集まっている。

 使わない手はない。

 

「綾人、急に勝ち誇った顔をしてどうしたの? 残念だけど私達は……」

 

「友希那さん、Roseliaのみんなを満足させる程の指導者が他にもいたらこの話引き受けてくれますか?」

 

「どういうことかしら?」

 

 湊の顔つきが真剣になる。

 これは初めて話し合いの席に座った事を意味する。

 

「友希那さんも知ってると思いますけど、俺のバンドメンバーってどいつもこいつもすげー奴ばかりなんですよ」

 

「もちろん知ってるわ」

 

 Roseliaは相沢達4Cの演奏を知っている。

 白金から貰ったチケットで湊、今井、あこの三人も文化祭に招待されたからだ。

 

「それでそいつらもイベントに向けての指導者に入るとしたら? 俺は確かにギター、ベース、ドラムにキーボードの知識はあります。だけど詳しく教えれるのはギターとベースぐらいです。ドラムとキーボードに限ってはかじった程度、あこと燐子さんの方が断然上手いです。だけどそんな俺の苦手な二つを綺麗にカバー出来る奴がいたら?」

 

 狙ったように相沢の弱点を補う人物が上坂だ。

 

「それに他にもプロを相手に指導してる奴もいて……俺の力だけじゃなく、あいつらの力もあればRoseliaは大きく成長できます」

 

 三人からの返事は聞いていないが、相沢の中では参加は確定事項だ。

『バンドとは一心同体』この言葉は仲良し幼馴染バンドから教えてもらった言葉だ。

 

 わがままばかり言うバンドメンバーだ、偶にはわがままを言ってもいいだろう。

 

「綾人の言い分は分かったわ。だったらRoseliaの指導者に相応しいかどうか見させてもらうわ」

 

「見せるも何も友希那さん、俺達の力は知ってますよね?」

 

 湊が文化祭での演奏を見ていなかった事はない。

 何故なら相沢はステージの上から真剣にステージを見る湊を見つけていたからだ。

 

「そんなの知ってるわ」

 

「だったらどうして?」

 

 認めているにも関わらず首を縦に振らない湊に相沢は首を傾げる。

 

「綾人のバンドがRoseliaのライバルに相応しいかどうか見るためよ」

 

 意識の高いRoseliaがライバルと宣言するのは音楽一本でご飯を食べている人達ぐらいかも知れない。

 そんな湊の宣言に相沢は思わず言葉を失う。

 

「来週開かれるCiRCLEでのライブ、そこで綾人達の力を見せてもらうわ」

 

 言いたい事を全て言った湊は、椅子に座り氷が溶け切ったぬるいジュースを口に含む。

 

「こんな小っ恥ずかしいセリフは俺じゃなく澪の奴が言うんだけどなぁ……」

 

 相沢は湊の前に立ち赤くなった頬を指で掻く。

 

「見せてあげますよ! 俺達の力で、Roseliaを認めさせてあげますよ! 認め合って仲間になる、少年漫画みたいで熱いじゃないですか!」

 

 そして相沢は高らかに宣言した。



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28話 『ライブに出よう』

 

「来週、CiRCLEのライブに出るぞ」

 

 相沢は上坂と四季にそう宣言した。

 

「ライブは別に出るのは別にいいんだけどさ、その前に訳を教えろよ」

 

 要件だけを告げられても分からない。

 相沢は面倒くさい事が嫌いで、ライブをに出よう、なんて事は絶対に言わない。それこそ女の子にお願いされなければ自分から動こうとしない。

 

「なんだよ」

 

「いや、綾人がライブに出ようなんてありえない事を言うのはそう言う意味だったんだな〜って」

 

「うるせえ、違えよ! 嫌、違わねえけどさー!」

 

 ジト目で相沢の周りにいるRoseliaを見る上坂を抗議する相沢だが、理由は違えど結果は女の子にお願いされたからと言う事で間違いがない為強く言い返す事が出来なかった。

 

「それでライブの参加の理由だけど」

 

「そこにいるRoseliaにお願いされたからだろ?」

 

「だから違っ! くないけど……あぁもう、うるせー! お前ちょっと黙れよ!」

 

 満足し黙った上坂に苛立ちを遺しながら相沢は話す。

 

「今度CiRCLEで大規模なライブイベントをするんだけど、その参加条件ってのがガールズバンドって訳」

 

「だったらどうして俺等を呼んだんだよ、関係ないだろ?」

 

「それが関係あんだよ。今、そのライブに参加してくれるバンドを探してんだけど……」

 

 答えにキレがない辺りあまり上手くいってないのは明白だ。

 

「因みに私達は出るよ。それでまりなさん……ここのスタッフさんに頼まれて綾人くんと一緒にRoseliaに参加してもらえるようお願いに来たんだ」

 

「だからそれでどうして俺と春夏は呼ばれたんだ?」

 

 戸山の話を聞いてもポピパがイベントに参加する事ぐらいしか分からない。そもそもRoseliaの件については落ち着いた状況を見て解決したようにしか見えない。参加バンドは二つ、確かにイベントライブをするには数は少ないが心配する程でもないと上坂は思う。

 

「だからRoseliaの参加条件がお前等なんだよ!」

 

 相沢は痺れを切らしたように叫ぶ。

 説明としては間違いではないのだが何せ言葉が足りない。

 その所為もあって、

 

「Roseliaの参加条件が俺等とのデートって事か? だったら話は早いぜ。なんだよ綾人、そう言うのは早く言ってくれよ」

 

「バカ春夏! ライブだって言ってんだろ! 俺だってまだなのに、何でお前がデートできんだよ」

 

「類は友を呼ぶとは正にこの事ですね」

 

 静かな声に相沢は背中が凍るような錯覚をする。それは四季も同様で、四季の場合は声だけではなく冷え切った目も見ている為顔色は相沢より悪い。

 視線の主は氷川だ。

 

「相沢さん、これ以上あなたに任せても話が進まないので私が説明します」

 

 氷川は軽蔑の視線を向けた後にまだ三人の中ではまともな上坂を見る。

 

「私達は私達に相応しいステージにしか立ちません。申し訳ありませんが参加バンドを探しているようなステージは私達に相応しくはありません」

 

「はぁ」

 

 話の見えない上坂は適当に合槌を打つ。

 

「だけど相沢さんの提案は魅力的です」

 

「提案?」

 

「ええ、相沢さんはRoseliaの成長の為にライブイベントに参加するバンドの指導を『自分達がする』と言ってくれました」

 

 相沢を見れば苦笑を浮かべてはいたが顔にはしっかりと『頼んだ』と書かれてあった。

 暇を持て余していた上坂だ、指導の話し自体に文句はないがやはり呼びつける時に最低限の説明は欲しい。

 それは隣で未だに氷川の視線に怯える四季も同じだろう。

 

「あなた方の実力は文化祭の時に見ていたので分かっています。ですが……」

 

「たった一度の演奏であなた達を認めた訳じゃない」

 

 突然入ってきた湊の言葉に氷川は、ええ、と頷く。

 湊は立ち上がり上坂、相沢、四季と視線を順番に動かしそして最後にもう一度上坂に戻す。

 

「だからそのイベントが私達が参加するに値するか見せてもらうわ」

 

 

 

 湊は一言、先に行ってるわ、と相沢に言い姿を消した。

 

「それで、RoseliaがCiRCLEであるガールズバンド限定のイベントに参加してもらうために指導者である俺達が力を見せないといけないって事だよな?」

 

「だからそう言ってんだろ? よろしく頼むぞ」

 

「はぁ……」

 

 時間が無かったにしても相談はして欲しい、と上坂はため息を吐く。

 

「これってRoseliaは参加オーケーでいいって事かな?」

 

 結局はっきりしないままに終わった議題に戸山は首を傾げる。

 

「オーケー、オーケー。問題なし!」

 

「綾人、無責任な事言うなよ。Roseliaはまだ決まった訳じゃないだろ? 来週俺達の演奏によっては出ないって可能性も……」

 

「んな事気にすんなよ。俺達なら大丈夫だって」

 

 励ますと言うよりは、ただただ楽観的に笑う。

 

 そう、気にする必要はない。

 楽しんで演奏すれば何の問題もない。

 この辺りでは有名なRoseliaだが4Cも負けてはいない。

 優っている自信さえある。

 

「上坂、にやにやしてどうしたの?」

 

 花園が若干高い身長から見下ろす。

 

「別に何ともないよ。ただ来週が楽しみだなって」

 

「そうだな澪、俺達の力でRoseliaに一泡ふかしてやろうぜ」

 

「さっきまでビビっていた奴がやく言うよ」

 

「ビビってなんかねえし」

 

 恐れていた氷川がいなくなった瞬間に調子づく四季から小物臭がした。

 

「でも上坂達凄いよ、あのRoseliaにライバル視されてるんだから」

 

「そっか、俺達ライバル視されてるのか……」

 

 実際はライバルになりうるバンドかを見定められているだけだ。

 ただ、Roseliaの目に止まった事だけは確実と言っていい。

 

「うん、自信持っていいと思う」

 

「別に気遅れなんかしてないよ。おたえも見ただろ? 自信に満ち溢れた顔を」

 

「うん、気持ち悪かった」

 

「そこはもうちょっとオブラートに包んでくよ。ま、Roseliaの事は俺達に任せていいから、おたえも安心して他の参加バンドを探したらいいよ」

 

「うん、そうする。取り敢えず戻ろ。Roseliaの事、ライブの事、言わなきゃいけない事沢山あるから」

 

「それもそうだな。俺もまりなさんには相談したい事あるし」

 

 上坂は三人を呼び、CiRCLEの館内へと戻った。

 

 

 

「それでRoseliaはどうだった?」

 

 受付の席に座る月島が相沢に尋ねる。

 

「悪い返事ではなかったですよ」

 

「流石綾人君。君に任せて正解だったよ」

 

「まだ出る事が確定したわけではありません。取り敢えず話し聞いてもらえますか?」

 

 相沢は月島に起こった出来事について丁寧に話す。

 上坂も、これくらい丁寧に説明してくれればよかったのに、と思うほど丁寧に話した。

 

 月島は話を聞いて何度も頷き、情報を整理する。

 

「つまりRoseliaの参加条件が綾人君達の技術指導で、君達の力を見るために綾人君は来週のライブに出る。って事で合ってる?」

 

「それで合ってます。だけど勝手に色々決めちゃったんですけど、よかったですか?」

 

「問題ないよ。むしろ好都合! いや〜、初めは指導者はこちらで探そうと思ったんだけど、まさか参加バンドより先に見つけちゃうとはね。綾人君の仕事の早さには脱帽だよ〜」

 

 仕事が一つ減った月島は親指を立てる。

 そして話を切り替えるように月島は両手を胸の前で一回叩く。

 

「それじゃぁ、Roseliaの参加は来週の君達次第って事で頼むよ。CiRCLEの未来の為だ、私に出来る事があったら言って、何でもするから。……ただ、やらしいお願いはお姉さん受け付けないらね」

 

「誰も頼まないんで体を抱くの辞めてもらえませんか?」

 

「そんなこと言って綾人君、私の体に興味深々な癖に~」

 

「すみません、一つご相談があるんですが……」

 

 手を上げる上坂に相沢はギョッとした視線を向ける。

 

「澪、お前マジか⁉︎冗談だよな?」

 

「はぁ、綾人お前何言ってるんだ? それでまりなさん、来週のライブに準備して欲しい物があるんですが……」

 

「え、あー……そうだよね。それで何を準備して欲しいのかな?」

 

 上坂の言葉に相沢と月島は力が抜ける様な息を溢した。

 

 

 

 上坂は月島だけに聞こえる声で話した。

 

「確かに面白そうだけど、これってそんなにこそこそする話かなぁ?」

 

 内緒話に期待していた月島は物足りないといった顔をする。

 

「澪、バンドメンバーの俺等にも内緒か?」

 

 相沢が尋ねる。

 

「内緒って言う訳じゃないけど、香澄達もいるしな。まぁ言うなら来週のライブは新曲をお披露目しようかなって思ってる」

 

「そういうことな。澪の言いたい事は分かったけど、ちょっと自意識過剰じゃないか?」

 

「べ、別にいいだろ⁉︎それじゃぁまりなさん、よろしくお願いします」

 

「オッケー、任せといて!」

 

 上坂の一週間は新曲の練習と決まった。

 空白のスケジュールに予定が埋まった事に寂しさは感じない。

 はっきりとする事が決まり、ゴールに向かって走る事は胸が高鳴る。

 だから相沢からの急な呼び出しにも答えた。

 上坂は何もない暇な時間が嫌いになったらしい。

 

「それじゃぁ、早速練習するかー。まりなさん、スタジオって空いてますか?」

 

 慌てているのも時間が無いからと言うわけではない。文化祭の時もそうだったのだが4Cのメンバーは個人スキルが異常に高く、個人のパートさえ出来ていれば音合わせは一回だけで殆ど済む。

 

「もちろん空いてるよ」

 

「ありがとうございます。綾人、春夏、一也はいないけど今から練習するぞ」

 

 こうして急かすのもワクワクといった興奮からだ。

 

「俺は行けねえぞ」

 

 相沢がバッサリ切り捨てる。

 

「どうして⁉︎」

 

「いや、だって、俺はこれからRoseliaの指導があるし」

 

「……ごめん、忘れてた」

 

 やる気になっていた分恥ずかしく、上坂は身を縮める思いだった。

 

「そっかー、綾人君いなくなるんだー。バンド探しどうしようか?」

 

「私頑張ります!」

 

 月島の表情から不安な色は消えない。

 戸山がやる気を見せるが、先のRoseliaの話も事後報告から殆ど相沢が決めた様なものと月島は思っている。それに戸山に参加バンドの当てがあるとは思えない。

 しかし初めに頼んだ以上、戸山達に任せないといけないのも事実。

 

 だがそんな不安を抱えているのは月島一人だけだ。誰も心配はしていない。

 戸山のコミュニケーション能力は月島が頼りにしている相沢の何十倍も高く、他クラスからも名前を覚えられたり、不登校気味の生徒を毎日学校に通わす様にしたと言う実績がある。

 

 ただ月島が戸山の事を知るには時間が短すぎただけだ。

 

「ちょっと様子を見に来たら……澪と春夏もスタジオ借りに来たの?」

 

 スタジオのあるエリアからロビーに向かって来たのは山吹沙綾。

 

「沙綾も知ってると思うけど、俺達もライブイベント関係で綾人から呼び出されたんだよ」

 

「でも澪、あのイベントってガールズバンド限定だよね?」

 

「だから俺達は指導者って形での参加するんだよ」

 

「そうなんだ。……そうだ香澄、Roseliaはどうなったの?」

 

「絶対大丈夫だよ!」

 

 戸山は自分に言い聞かせる様に言う。

 

「香澄どう言う事?」

 

「来週あるライブに澪くん達が出るんだけど、その結果によってRoseliaの人達判断するって」

 

 山吹は少し黙ってから口を開いた。

 

「そっか、それで香澄は不安がってるんだ。出てくれないかも知らないって。確かに不安だよね、来るか来ないか分からないのって」

 

 山吹が文化祭の時ステージに上がったのはポピパが演奏している途中だった。だから山吹は待っているだけの彼女達の不安を知らない。

 

「香澄はさ、文化祭の時、私が絶対来るって信じてくれたよね。だったら4Cの事も信じてあげなきゃ。私は知らないけど一番近くで演奏を聴いていた香澄は信じてあげないとね」

 

 だけど五人揃った時の喜んだ顔は知っている。

 山吹自身も嬉しかった事は覚えている。

 来たらいいな、とかそんなあやふやなものではない。来る、と信じてくれたからこそ本気で喜ぶ事が出来た。

 本気で喜ぶ為に友達の事を信じて欲しい。

 

「そうだね、さーやの言う通りだよ。私澪くん達を信じるよ」

 

「と、言う事だから澪、春夏、綾人、私達の期待を裏切らないでよ」

 

「「「そこでプレッシャーかけるなよ」」」

 

 少年三人は綺麗に声を揃える。

 

「あははー、ごめんごめん。それでまりなさん、Roseliaは決まりましたし次はどこのバンドを探したらいいんですか?」

 

 山吹の中ではRoseliaは既に参加確定となっている。

 

「そうだね〜、ホントは綾人君と仲の良いAfterglow の勧誘に行ってもらいたかったんだけど、綾人君Roseliaの指導でいなくなっちゃうし……」

 

「まりなさん、Afterglow なら俺より適任がいます」

 

 相沢は上坂の肩を強く叩いた。

 

「こいつ俺よりもあいつ等と親しいんで」

 

 上坂は久しぶりに幼馴染達の練習を見に行くことになった。



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29話 『Aftergrow』

 上坂と戸山、山吹の三人はAfterglowが練習しているスタジオに向かっていた。

 先の話の後、相沢は約束しているRoseliaの所に向かい。花園も負けてられないと借りているスタジオに帰った。そして初めは付いてくる気満々だった四季だが担当しているベースとは別にギターも弾ける為,花園に連れていかれた。

 そう言うわけもありAfterglowの勧誘には花園の代わりに山吹が付いてきている。

 

「ねえ澪、迷いもなく進んでるみたいだけどこっちで合ってるの?」

 

「合ってるよ。出る前にLINEで聞いたし間違いないよ」

 

 炎天下に晒されて山吹はぐったりしていた。

 CiRCLEからAfterglowが練習するスタジオはそう遠くはない。ただ照りつける太陽が気力と体力を奪う。

 

「私も付いてきて何だけど、連絡先知ってるならLINEで聞けばよかったんじゃない?」

 

「それもそうなんだけど、沙綾、あれを見て言えるか?」

 

 上坂は少し前を歩く戸山を指さす。

 

「さーや、澪くん早く〜。どんな人なのか、会ってみるのが楽しみ!」

 

 戸山が急かさんとばかりに大きく手を振る。

 

「ごめんむり」

 

「だろ?」

 

 諦めた山吹は戸山の所まで走って行った。

 

 

 

「それで澪、Afterglowってどんな子達なの?」

 

 暑い空の下、走ってしまった事もあり山吹の体力は底が見えていた。

 だからせめて話をして気を紛らわせたいと言う気持ちがあったのだが、

 

「え〜! さーや、聞いたら面白くないよ〜」 

 

 戸山が首を横に振る。

 

「だってさ。それにもうすぐ着くし今更聞いてもあれだろ?」

 

「分かった」

 

 山吹が納得した所で、ポケットに入っているスマホが振動する。

 

「澪どうしたの?」

 

「いや、ちょっとLINEが……」

 

 要件は『着く前に連絡ちょうだい』と言うもので、相手はもちろん上原からだ。

 

「なんて?」

 

「着く前に連絡してって話なんだけど……」

 

 見上げればCiRCLEよりも一回り小さい建物。

 この場所で幼馴染達Afterglowは練習をしている。

 

「着いちゃったけど連絡してあげなよ」

 

「分かってる」

 

 上坂は短く『今ライブハウスの目の前にいる』と連絡を入れスマホをポケットにしまう。

 

 中に入ればありがたいことに冷房の涼しい風が吹いていた。

 上坂と山吹は立ち止まり風を浴びる。

 

「さーやに澪くんも早く行こうよ。Afterglowは直ぐそこにいるんだよ」

 

「「ハイハイ分かりました〜」」

 

 一人元気な戸山はズンズンと進んでいった。

 

「あふたーぐろう、あふたーぐろう……どこかな〜?」

 

 手前の部屋から順番に窓を覗いては目的であるAfterglowを探す。

 顔も分からないのにどうやって見つけるんだろう? 、と上坂は思うが楽しそうに窓の隙間を覗く戸山の顔を見ると止まる事が出来なかった。それは隣を歩く山吹も同じだ。

 

「────おい、急に飛び出したら危ないだろ⁉︎」

 

「離して! 澪が直ぐ近くまで来てるの!」

 

「行くなとは言ってない。とりあえず落ち着け」

 

 女の子の声が聞こえる。

 しかし防音の部屋ではっきりと声が聞こえる訳がない。

 部屋のドアが開きっぱなしか、部屋の外のどちらかだ。

 

『澪』と言う知人の名前に戸山の頭の上についている耳がピクリと動く。

 

「澪くん、そうだよね?」

 

 上坂が一回頷くと戸山は走り出した。

 

 

 

 上坂と山吹が後を追いかけると戸山が困った顔で立ち止まっていた。

 

「あれ、あそこにいるのって……」

 

 山吹が呟く。

 長い真っ赤な髪の少女が必死に抵抗する桃色の髪の少女の腕を掴んでいた。

 宇田川巴(うだがわともえ)上原(うえはら)ひまりだ。

 

「澪……それにさーや?」

 

 腕を掴む宇田川は上坂と目が合えば見てはいけないものを見るような目を向ける。慌てて視線を逸らすと視線の先にいた山吹に宇田川が首を傾げる。

 

「澪⁉︎」

 

 上原は筋肉とは縁のない腕を盛大に振り宇田川の手を振り解く。

 

「ちょっ、ひまり! ……まっ、止めてもムダか……」

 

 宇田川が、後は任せた、と言った視線を上坂に向ける。

 

「澪いいぃいいぃ──~~」

 

「ぐふっ……」

 

 上原はゴム鉄砲のように上坂の胸に飛び込みそのまま押し倒す。上原は胸が大きく抱きつけば柔らかいはずなのに勢いの所為もあり体の中から骨が軋むような音が聞こえた。

 

「うわっ! 澪くん大丈夫?」

 

「香澄ほっといてあげなよ。それより巴、久しぶりなんじゃない?」

 

 山吹は一度楽しげな表情で上坂を見て視線を宇田川に向ける。

 

「さーや知り合い?」

 

「うん。同じ商店街に住んでるんだ。宇田川さん私達と同じ一年生だよ。この子は戸山香澄。一緒にバンドやってるんだ」

 

「へぇ、よろしくな」

 

 山吹が戸山を紹介するとスタジオの扉が開き複数の女の子が出てきた。

 

「ねぇ、巴ちゃん今すっごい音しなかった?」

 

 羽沢(はざわ)つぐみが尋ねる。

 

「巴、止めるんじゃなかったの?」

 

 美竹蘭(みたけらん)が上原に押し倒されている上坂を見下ろして呟く。

 

「いやいや蘭~、ともちん程度がれーくんを相手にしたひーちゃんを止めれる訳ないじゃん」

 

 青葉(あおば)モカは愉快な現場にニヤついた顔が戻っていない。

 

 スタジオに入ってから出会った女の子全員が上坂の幼馴染だ。

 

「モカ、それは酷くないか? アタシだってこれでも頑張ったんだぜ? ……そんな話はまぁいいや。沙綾アタシも紹介するよ。こっちのバンドメンバーの蘭にモカ、つぐみにそこにいるのがひまりだ」

 

 宇田川は上坂に抱きついている上原を指した。

 

「巴、あの二人ってもしかしなくてもそういう関係?」

 

 苦しんではいるが嫌がる素振りを見せない上坂を見れば誰でも思う事だ。

 

「ああ、沙綾が思ってる通りあの二人付き合ってるよ」

 

「へ〜、あの子が噂の彼女か」

 

「えっ、私、噂になってるの⁉︎」

 

 上坂の胸板から顔を上げた上原は恥ずかしそうに頭を掻いているが明らかに喜んでいた。

 

「そうなんだ〜。澪の友達がなんか大声で『裏切り者! 抜け駆けしやがって!』って言ってたからクラスのみんなどんな子なんだろって一時期話題になってたんだから」

 

「綾人だな」

 

「綾人だね」

 

「それはあやとんですな」

 

「ちょっとみんな、確かに綾人君以外考えられないけど……でも、もうちょっと綾人君を信じてあげようよ」

 

「つぐが一番酷いんじゃない~?」

 

 青葉の言葉に羽沢が本気でショックを受けた。

 

 本来広めたのは四季なのだが、Afterglow のメンバーは四季がどういう人なのかまだよく知らない。精々上坂と相沢のバンドメンバーという認識ぐらいだ。

 

「あは、あはははは」

 

 山吹は噂を広めたのが相沢ではない事は知っていたが、ここまで全員に言われた相沢に対し山吹は同情する。

 

「巴が澪の知り合いという事は、巴達が組んでるバンドってAfterglowって名前?」

 

「ああ、うん。そうだけど。それがどうしたんだ?」

 

 宇田川が尋ねると戸山の方が跳ねる。

 

「ラッキー! ねえねえ、ライブイベント、出て見ないっ⁉︎」

 

「ちょ! 急、急!」

 

 一人先走る戸山に山吹は戸惑いを隠せなかった。

 

「ライブイベントって? 詳しく聞かせてよ。澪の奴『今からみんなの所に行くから場所を教えて』って理由も教えてくれなかったんだよ」

 

「えーっとね、CiRCLEでガールズバンド限定のイベントライブがあるんだ〜。それで今参加してくれるバンドを探してるの」

 

 戸山はイベントの説明をする。

 

「ガールズバンド限定のライブ何でしょ。何で澪がいるの?」

 

 あまりにも場違いな上坂について美竹は聞く。

 

「俺のバンド4C がライブを成功出来るように参加バンドに指導するんだよ」

 

「へぇ……おもしろそうだな。みんな、どうする?」

 

「出る! 絶対でる! 澪がサポートしてくれるんでしょ。つぐは?」

 

「私も出たいっ! 澪君の指導なんてなかなかないし」

 

「澪、モテモテだね」

 

「そんなんじゃないから」

 

 からかわれた上坂は顔を背ける。

 

「つぐがそう言うんじゃあ、決まりだね〜。あたしも出てみたいし〜」

 

「あれ……? モカちゃんって……どこかで見たことあるような……」

 

 山吹が青葉の顔をまじまじ見る。

 

「困ったな〜、あたしもすっかり有名人か〜。マネージャーのれーくんを通してくれないと困っちゃうよ〜」

 

「どうして俺がマネージャーなんだよ」

 

「そうよ、澪は私の専属マネージャーなんだから!」

 

「ひまり、恥ずかしいからやめてー!」

 

 周りから生暖かい目を向けられ上坂は両手で顔を覆った。

 

「なんかあの二人凄いね」

 

 山吹は上坂の普段見せない顔に若干引きつつ青葉に聞く。

 

「いつもあんな感じー、……ってもしかしてー、パン屋の人?」

 

 青葉はよく山吹の家のパン屋、山吹ベーカリーを利用していた。それもポイントカードにスタンプがビッシリと並ぶほどに

 

「あはは……そうそう、そうだ! よくうちの店にきてくれてるよね。いつも、ありがとう」

 

「あ、もしかしてやまぶきベーカリーの……」

 

 青葉によく連行されている美竹も山吹の顔にピンとくる。

 

「あー、そういうこと。改めて、よろしくね」

 

「さーやも澪くんも知り合いがいてずるいよー!」

 

 戸山は両手を振る。怒っているというより羨ましいといったところだ。

 

「俺はこいつらとは幼馴染だし」

 

「私は家がお店やってるとね。……って、話がそれた。それじゃあライブイベントには出てもらえるってことでいいのかな?」

 

 山吹がライブの話を持ち出すと目立たぬよう幼馴染の中でも後ろに立っていた美竹が前に出る。

 

「澪、それに二人も。最終的にはあたし達の音を聞いて判断してほしい。今から弾いてみせるから、聞いてて」

 

 Afterglow にもプライドがある。上坂や山吹の知り合いだからと言う友情出演では今まで頑張ってきたAfterglow のプライドが許さない。

 

「お、かっこいい事言うねえ〜。ひゅーひゅー」

 

「確かに、ただ知り合いってだけじゃなくて、ちゃんと音で判断してほしいよな。みんな、それでいいよな?」

 

「もちろんっ! 最高の演奏見せちゃおうよ〜」

 

「うんっ!」

 

 仲良し幼馴染、意見は総意だった。

 

 

 

 ギターの音が静かに鳴り止む。

 

「すごい演奏だったよ、! めちゃくちゃかっこよかった!」

 

「すごい、すごいすごい! なんか、すっごいよ!!!」

 

 Afterglow の演奏を聴いた戸山達はすごいの一言しかなかった。それ以上の事を言うには戸山達はまだまだ足りない事が多い。

 

「あはは、サンキュ。アタシ達の演奏どうだった」

 

「いつも通り。やっぱり、お前達の演奏は俺が今まで見てきたバンドで、一番音がはまってるよ」

 

 やはり幼馴染バンド、息がぴったりだ。

 

「イベントの参加はオーケーでいいよな?」

 

「……ま、当然だね」

 

「みんな、これからよろしくねっ!」

 

 戸山の顔は参加バンドが増えた喜びと言うよりは新しい友達が出来たような喜びだった。

 

「ああ、よろしくたのむぜ」

 

「出演バンドが揃ったら、一回みんなで集まりたいと思ってるから、その時はまた連絡するよ」

 

「了解」

 

 山吹はスマホを取り出し連絡先を交換し、宇田川は、いつでもかかってこい、といった顔をする。

 

「ん〜〜っ、なんだか調子いいね、さーや! 澪くん! この調子で他のバンドもドンドン! スカウトしちゃおうっ」

 

「そうだね」

 

「だな」

 

 今日一日で参加バンドが三組(一つは不確定)決まり、戸山の言う通り本当に調子がいい。

 

「澪、アタシ達以外どこが決まってるんだ?」

 

 参加バンドとしてはやはりどこが来るのかは気になるのだろう。

 

「今、参加が決まってるのが、Afterglow と、ここにいるさーや達

 poppin party、後確定じゃないけどRoseliaの三組のが決まってる」

 

「よくRoseliaが話を聞いてくれたな?」

 

「話しぐらいは聞いてくれるよ」

 

 上坂は笑いながら返事をする。

 

「まっ、参加してもらうには来週のライブで結果をださなきゃなんだけどな」

 

「それってどう言う事なんだ?」

 

 宇田川の顔が険しくなる。

 

「澪くん達はね、来週CiRCLEのライブに出てRoseliaの人達に力を見せなきゃいけないんだよ」

 

「そうそう、それでRoseliaの人達は澪達を指導者に相応しいかチェックするんだって」

 

「だったら何の心配もいらないな」

 

 戸山と山吹の話を聞いて宇田川は険しい顔を忘れ力強く笑う。

 宇田川だけじゃない、四人の顔からも不安の表情はない。

 

「なんだよ、みんな信用しすぎだろ?」

 

 嬉しくなり上坂は笑う。

 

「そんな事言って澪、負ける気さらさらないんだろ?」

 

 勿論、と上坂は自信満々に頷いた。

 

 

 

「よし、それじゃぁみんなも参加してくれるみたいだし俺達はそろそろ帰るよ」

 

 両手を叩いた上坂は話をシメにかかる。

 

「あれ? 澪も帰るの?」

 

 山吹が尋ねる。

 

「帰ったら不味いのか?」

 

「そんな事はないけどいいの?」

 

 山吹の視線に釣られその先にいたのは上目遣いで上坂を見上げる上原だった。

 

「澪、帰っちゃうの?」

 

「CiRCLEに戻ってみんなの参加の事まりなさんに報告しないといけないし……」

 

「そっか……」

 

 上原の視線は落ち、俯いた顔は上がらなかった。

 

「澪、その子、彼女なんでしょ? 悲しませたらダメだよ。別にまりなさんへの報告は一人いたら十分だから澪がいなくても何の問題ないよ」

 

「良いのか?」

 

「いいって、いいって。じゃあ私達は戻るから、澪は巴達の邪魔にならない程度にゆっくりしていきなよ」

 

 そう言って山吹は戸山と一緒にスタジオから出ていった。

 

 閉まったドアを見て上坂は呟く。

 

「なぁ、巴といい、沙綾といい、どうして商店街に住んでる人はあんなイケメンが多いんだ?」

 

「? よくわかんねーけどサンキューな。沙綾のおかげで澪も残る事になったし、一足早いけど色々教えて貰うかな。なっ、つぐ」

 

「うん、綾人君基本ギターがメインで、自分でもドラムとキーボードは上手じゃないっていってたし今日は沢山教えて貰おうね、巴ちゃん」

 

「おいおい、ハードル上げるなよ」

 

 上坂が残る事になり上坂と同じ担当楽器である宇田川、羽沢はより高い指導を期待していつもよりテンションが高い。

 

「私も澪に教えてもらう!」

 

「ひまりはベースじゃん」

 

「ひ〜ちゃん楽器違うんだから諦めなよ〜」

 

「そんな〜」

 

 上原は、どうして自分はベースを選んだんだ、と後悔するが、Afterglow 結成時に担当楽器を決めた時はキーボードとドラムは羽沢と宇田川の経験者がいた為、結局の所はどうしようもない。

 

「練習するんだろ? 見てやるよ。ちなみに言っておくけど綾人みたいに上手くはないから期待はするなよ」

 

 上坂は二回手を叩き、どこからか持ってきたパイプ椅子に座る。

 

 この日以降上坂は Poppin party だけでなくAfterglow の練習も見るようになった。

 これから上坂は近くで幼馴染達の成長を感じる事が出来る。その幸福感を感じながら彼女達の演奏を聴いた。



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30話 『Pastel*Palettes』

タイトルとは裏腹にパスパレ成分少なめです


 

 朝、上坂はいつものルーティーンを済ませ、一人で座るには大きすぎるソファに座りテレビをつける。日曜日はニュース番組が少なく、あってもワイドショーぐらいだ。

 

 昨日の一件でスケジュールが埋まった上坂の本日の予定は午前中に戸山とライブイベントに参加してくれるバンド探し、午後からは来週行われるライブの練習。

 今は戸山との約束の時間までの時間潰しだ。約束場所は駅前、そこまで遠くはない。

 

 ワイドショーを見終わった上坂はテレビを消しピアノの部屋に向かった。

 音楽以外無趣味な上坂は暇な時間があればピアノかドラムを鳴らす。

 特にどっちの楽器を使うかとか決まりはないが、今はピアノの気分らしい。

 

 ターン、と最後の鍵盤を叩いた上坂は一息ついた後に顔をしかめ一面ガラス張りの窓へ立ち寄る。

 

「香澄、それに市ヶ谷、どうしているんだ? 約束場所は駅前だっただろ?」

 

 窓にはビッタリ戸山がへばりついており、上坂は窓を開けて戸山を窓から引き剥がす。

 

「我慢できなくて、つい来ちゃった」

 

 戸山は笑って誤魔化す。

 

「香澄は極端なんだよ。どうしていつも約束事には遅刻するのに今日はこんなに早いんだよ」

 

「それは私も思ったけど、遅刻するよりいいだろ?」

 

「で、どうして市ヶ谷がいる?」

 

 戸山とは昨晩LINEでバンド勧誘に行く約束をした。『二人で』とは言ってはいないが、個人でLINEしてるため普通はそう思う。

 

「いたら悪いかよ」

 

「悪くないけど、何でかなーって」

 

 上坂は視線を戸山に流す。

 

「今日急におばあちゃんのご飯が食べたくなったから有咲の家でご飯を食べて……」

 

「ん? ちょっと待て、何? 香澄と市ヶ谷って従姉妹なの?」

 

「澪くん、違うよー、おばあちゃんは有咲のおばあちゃん」

 

「じゃあ香澄は急な思いつきで人様の家でご飯を食べた訳?」

 

「だっておばあちゃんのご飯美味しいんだもん。特に卵焼きが丁度いい甘さでね……」

 

 戸山はおばあちゃんのご飯について語る。深く細かい話から何度も足繁く通っていることが想像できる。

 上坂は今朝の朝食を思い出す。

 アプリコットジャムを塗った食パンにコーヒー。

 

「ばあちゃんの料理は美味いんだぞ! どうだ羨ましいだろ?」

 

 市ヶ谷は自分が作っているわけでもないのに自信満々に胸を張る。

 

「なぁ、市ヶ谷。俺もおばあちゃんのご飯食べたいから食べに行っていいか?」

 

 確かに市ヶ谷の言葉通り上坂は羨ましがった。しかし期待した反応とは明らかに違う。

 そう、上坂が上原の手料理以外は貧相な食生活を送っている事は同じクラスの戸山はともかく隣のクラスの市ヶ谷は知らない。

 一瞬理解が出来ずキョトンとした市ヶ谷は顔を赤くして震え出した。

 

「いいわけないだろ⁉︎何でお前がうちでご飯食べるんだよ!」

 

「別にいいだろ? 聞いたところ香澄も何度も行ってるみたいだし」

 

「うん、今じゃおばあちゃん、学校の日と練習の日は私の分のご飯も用意してくれるんだ」

 

「香澄! 余計な事を言うな!」

 

「いいなー香澄は。俺もおばあちゃんのご飯食べてみたいよ」

 

「お前等のばあちゃんじゃねえ! 私のばあちゃんだ!」

 

 市ヶ谷が叫んだところで戸山がニコニコと笑っていた。

 

「有咲ってすっごいおばあちゃんっ子なんだよ〜」

 

「へ〜」

 

「悪いかよ」

 

 市ヶ谷も事実を受け入れているのか否定はせず、上坂を睨みつける。

 

「いや、悪く無いよ。そっかー、市ヶ谷はおばあちゃんっ子かぁ」

 

「何だよ、文句でもあんのか?」

 

 怒る一歩手前の市ヶ谷に上坂は勢いよく首を横に振って否定する。

 

「ただ、市ヶ谷にも可愛いところがあるんだなって……」

 

 直後、小さな握り拳が飛んできて慌てて避けた上坂は盛大に尻餅をつく。

 

「何するんだよ!」

 

 突然拳を振り上げられてヘラヘラする程上坂は優しく無い。

 

「うるせえ! いいから早く準備して来い! 参加してくれるバンド探しに行くんだろ⁉︎」

 

 『触らぬ神に祟りなし』、真っ赤で怒る市ヶ谷をこれ以上刺激しないように上坂は窓を閉め荷物を取りに戻った。

 

 

 

 家を出た上坂は戸山、市ヶ谷の三人でCiRCLEのライブイベントに参加してくれるバンドを探しに出かけるた。

 

「そういや香澄、どうして俺の家の場所を知ってたんだ?」

 

 電車に揺られ暇になった上坂は過ぎた事を尋ねる。

 イベントに参加してくれるバンド探しは徒歩で行ける近場から電車に乗る遠場へと変えた。理由はポピパやAfterglowと上坂が紹介出来るバンドがいなくなってしまったからだ。

 

「春くんから聞いたよ」

 

「やっぱり……」

 

 春くんとは上坂と同じバンドメンバーでクラスメイトの四季春夏の事だ。四季は口が羽毛のように軽く、情報が漏れる場合は大概四季から漏れている。

 

「それにしても澪くんの家大きかったね、有咲の家と同じぐらい大きいんじゃない?」

 

「……そうだな」

 

 市ヶ谷の返事は冷たい。

 ムスッとした仏頂面は上坂が荷物を取りに戻った時から変わっていない。

 

「いい加減機嫌直せよ。って言うか何に怒ってるんだ?」

 

 市ヶ谷が睨みつける。

 

「おま……おま……お前が……その……か、かわ……かわ……」

 

「どうした? 体調でも悪いのか?」

 

 上坂は手の平を市ヶ谷の額に当て、もう片方の手の平を自分の額に当てた。

 

「有咲大丈夫?」

 

「ん〜、熱はないみたいだな」

 

「よかった〜、有咲無理しちゃダメだよ。……有咲?」

 

 戸山は市ヶ谷の心配をするが返事は返ってこなかった。

 

 瞬間、

 

「────///」

 

 市ヶ谷は目を回し座り込んだ。

 

 

 

 ガラコンッ、と自動販売機から飲み物が落ちる。

 

「熱はないみたいだし、朝から熱中症か?」

 

 ベンチでぐったりとした市ヶ谷にスポーツドリンクを差し出す。

 市ヶ谷が座り込んだ時に車内は軽く騒ぎになりかけた。幸い次が降りる駅だった為、扉が開くと同時に上坂と戸山は市ヶ谷を抱え滑るように電車を降りた。

 

「そんなんじゃねーよ」

 

 弱々しく呟いた市ヶ谷はスポーツドリンクを奪い取るように取り一気にそれを飲み干す。

 

「ん」

 

 市ヶ谷は空になったペットボトルを上坂に向ける。

 

「ごちそうさん」

 

「それが飲み物を恵んだ恩人にする事じゃないだろ?」

 

 上坂は悪態を吐きつつもペットボトルを受け取りゴミ箱に捨てた。

 

「それで市ヶ谷、どうするんだ?」

 

「どうするって何をだよ?」

 

「これからもっと暑くなるし帰るなら今のうちだぞ」

 

 まだ昼前、これからどんどん太陽は上り気温も上がる。冷房の効いた車内で倒れる市ヶ谷には難しいと上坂は考えた。

 

「ここまで来て誰が帰えんだよ! っと……」

 

「有咲、大丈夫⁉︎無理しなくていいから」

 

 勢いよくベンチから立った市ヶ谷は足元がふらついた。

 

「見た感じ顔色は良さそうだからいいけど、香澄には迷惑かけるなよ」

 

「有咲、私なら大丈夫。普段有咲に迷惑かけてる分今日ぐらい迷惑かけてもいいよ」

 

「(確かに無茶苦茶な奴だけど、その、迷惑だなんて思ってねーし)……ほら香澄いくぞ!」

 

「有咲、待ってよ〜」

 

 市ヶ谷は口の中で呟き日差しの中に飛び出し、戸山も続いて飛びだす。

 

「危なっかしいけど元気になって良かった……?」

 

 市ヶ谷が何を言ったのかは良く聞こえなかったが、言及すればまた碌でもない目にあうと思い、黙って二人に続こうとする。

 すると市ヶ谷が手を伸ばし何か要求する素振りを見せる。

 

「こんな暑い中、私が何も持たずに歩ける訳ないだろ?」

 

 弱音を吐く市ヶ谷に疲労の色はない。

 それに態度もでかい。

 

 上坂は首を傾げる。

 すると市ヶ谷は呆れたため息を吐き、表情とは合わないVサインを伸ばした方の手で作る。

 

「飲み物。私と香澄の分、二本な。なぁに、あんなに大きな家に住んでるお前なら飲み物の二本ぐらい安いもんだろ」

 

 マジか、と内心思いながらも上坂は自動販売機で二本飲み物を調達し二人に届けた。

 

 

 

 青い空の下、空のペットボトルを持った市ヶ谷は目の前の高さ一五メートルはあるであろう建物を見上げ呟いた。

 

「……私達はバンドを探しに来たんだよな?」

 

「うん、そうだよ」

 

「だったらここはありえねーだろ! ご丁寧に『芸能事務所』って書いてるじゃねーか!」

 

 市ヶ谷の激しいツッコミと同時にペットボトルがグシャリと悲鳴を上げた。

 

「香澄、市ヶ谷連れてくるんだったらちゃんと話しとけよ」

 

「つい、うっかり」

 

 戸山は拳を軽く握り頭を叩き小さく舌を出す。

 

「有咲、言い忘れてだんだけど今日『pastel*palettes』って言うバンドをイベントに参加してもらえないか誘いに来たの」

 

「pastel*palettesってあれだろ? アイドルバンドの……って香澄まさか、そんな有名人に出演してもらう気じゃないだろな?」

 

「もちろんそのつもりだよ。それじゃあ早速会いに行こー!」

 

「ちょっ、香澄!」

 

 戸山は市ヶ谷の腕を引きビルの中に、上坂も二人に続き芸能事務所に入る。

 

「おい、香澄、やべーって」

 

 市ヶ谷は初めての芸能事務所に挙動不審に見渡し戸山の服の後ろ裾を何度も引っ張る。

 

「有咲は心配症だなぁ。そんなに心配しなくても大丈夫だよ、パスパレにはクラスメイトのイヴちゃんと一也くんがいるし。……ここがゲーノー事務所っ!」

 

 辺りを見渡し興奮する戸山は市ヶ谷に言葉をかけるが不安は消えていない。

 

「そうだ、アポイント! 香澄、アポイントはどうすんだよ?」

 

「アポー? アポー……りんご?」

 

「んな訳ねえだろ。アポイントつーとは合う約束見てーなもんで、それがなかったら芸能人には会えねーんだよ! それぐらい常識だろ?」

 

 芸能人は事務所でパソコンを叩いたりせず、営業マンのようにいろんな所に行って自分を売る。

 つまり事務所に所属しているとは言え事務所にいるとは限らない。

 いなければ時間と電車賃が無駄になる。

 

「香澄、市ヶ谷、四階だってさ」

 

「ちょっと待てよ、お前アポイントなしで行く気かよ」

 

 市ヶ谷に引き止められた上坂は何度か瞬きを入れる。

 

「何言ってるんだ? ちゃんと取ってるに決まってるだろ?」

 

「えっ、でも香澄のやつアポイントの意味すら知らなかったぞ」

 

「先に言うけど俺はちゃんと香澄にその事言ったからな。どうせ香澄の事だ、難しい言葉は聞き流したんだろ?」

 

「あー、そう言われると納得した」

 

 二人が戸山を見ると、戸山は可愛らしく小首を傾げた。

 

 

 

 エレベーターの扉が開くと一人の少年が笑顔で上坂達を迎える。

 

「約束時間の一○分前にくるなんて感心やな〜」

 

 青い髪に泣きぼくろ、渡辺一也(わたなべかずや)だ。

 

「そりゃぁ、遅れたら怖いし……」

 

 上坂は目を逸らし呟く。

 四季と相沢共に騒ぎ、何度も怒られている上坂にはしっかり恐怖の対象となっている。

 

「一也くん、おはよー」

 

「戸山もおはようさん。まぁ、こんなとこで立ち話も何やし案内するわ」

 

 上坂達は渡辺の後をついて行った。

 

 足を止め、渡辺が部屋を開けると白髪の少女が嬉しそうに近づいてきた。

 

「カスミさん、レイさん、お待ちしてました」

 

 緩い三つ編みを両肩から垂らした若宮(わかみや)イヴが頭を下げる。

 

「やっほー! イヴちゃん! 来たよー!」

 

「イヴちゃんおはよ」

 

「おはようございます……カスミさん、後ろの方は……」

 

 若宮の視線は戸山の背中に隠れる市ヶ谷に向く。

 

「初めまして、市ヶ谷有咲です……」

 

 一言挨拶をし、市ヶ谷は再び戸山の背中に隠れた。

 

「あなた達ってもしかして、Poppin'Party?」

 

 渡辺の肩から顔を覗かせるのは丸山彩(まるやまあや)。明るいピンクを肩まで垂らした少女だ。

 

「あっ! 丸山先輩! おはようございます」

 

「あれ? 私の事知ってるの? そうか私もそろそろ芸能人の自覚を持たないとだね」

 

 一人舞い上がる丸山を見た市ヶ谷は戸山に尋ねる。

 

「香澄、何であの人の事知ってるんだ?」

 

「あの人は丸山彩先輩。花咲の二年だよ。丸山先輩は偶に一也くんに引きずられて教室に来る事があるんだー」

 

「ちょい待ち、戸山、その言い方やと俺が先輩を引きずり回して喜んどる見たいやろ! ちゃうわ、先輩が離してくれへんからしゃーなくそのまま教室に来とるだけや!」

 

 一週間に一回程度の割合で渡辺は丸山を引きずって学校に来る。そう言うこともあり丸山がアイドルだと知らない生徒はいても、1-Aのクラスでは丸山の認知度は一○○%だ。

 

「私、隣のクラスでよかったのかも知れない」

 

 1-Aの壮絶な日常に今まで戸山と他のポピパのメンバーと同じクラスになりたかったと思っていた市ヶ谷だったが、初めて自分のクラスのありがたみを知った。

 

 

 

 丸山は顔を覆い小さく丸まっていた。

 一つの事に集中すると周りが見えなくなる丸山は渡辺に引きずれている周りの視線を気にした事がない。それも渡辺の教室に入ればごく自然に若宮が挨拶をしてくれるからだ。

 だから今まであまり気にしてはいない丸山だったが、改めて奇行を言われると恥ずかしさが込み上げる。

 

「彩ちゃん、今更何を恥ずかしがってるの? 彩ちゃんの奇行は今に始まった事じゃないでしょ?」

 

「……千聖ちゃん」

 

 顔を上げればすぐ近くに背中まで伸びるブランドヘアー、大人気女優の白鷺千聖(しらさぎちさと)がいた。

 白鷺は優しく肩を叩き笑顔を見せるが、普段からの事もあるのか言葉には棘がある。

 しかし丸山はそんな言葉の棘には気にせず、心配してくれてありがと、と言い立ち上がる。

 

「それと一也君、今日はイベントの詳細について聞くのでしよ?」

 

「そないでした。すみません白鷺先輩」

 

 戸山と話し込んでいた渡辺は頭を下げた。

 

 注意を受けた渡辺は気持ちを切り替えてクセのあるメンバーを一声で集めた。素直に集まるのは彼と彼女達の信頼関係なのだろう。

 

「ねえねえ、一也君。今から何が始まるの?」

 

 短いライトブルー髪の少女、氷川日菜(ひかわひな)が元気いっぱいに手をあげる。

 

「日菜さん、昨日一也さん言ってましたよ。イベントライブに出るとかどうとかって」

 

「おもしろそうっ!」

 

「日菜さん、それ昨日も同じ反応してましたよ」

 

「おもしろそうなんだし昨日とおんなじ反応しても別にいいじゃん」

 

 日菜はニコニコと笑顔を浮かべ、渡辺は静かになった事を確認した。

 

「やっぱり大和さんがいると楽やわ」

 

「そんな……一也さん、恐縮っス」

 

 栗色の髪に眼鏡をかけた大和麻弥(やまとまや)は嬉しそうにアイドルらしからぬ笑い声を上げた。

 

「と、いう訳で上坂、待たせたな。早速話し聞こうか」

 

 渡辺はパスパレに向いていた意識を上坂に向けた。

 

 渡辺だけじゃない全員の視線が集まったのを確認して上坂は話した。

 

 来月CiRCLEでガールズバンド限定のライブイベントがあること。

 参加バンドの数が足りていないこと。

 上坂や渡辺が参加バンドのレッスンを請け負うこと。

 文字で説明できないことを伝えた。

 

 話を聞き終えた渡辺は何度か頷く。

 

「……先に結論からゆうけど、パスパレはイベントに参加する方向で話は進めとる」

 

「やったー、パスパレもOKで、残るバンドも後少しだね」

 

「戸山、人の話は最後まで聞かなあかんっていつもゆうとるやろ?」

 

「?」

 

 渡辺の言葉に戸山は飛び跳ねるが、渡辺はすぐさま首を横に振る。

 

「芸能会だけじゃない仕事ちゅうのは学校の時間割みたいに正確に決まっとらんねん。いつどのタイミングで入ってくるか分からんし、それこそ明日の予定が前日に入ることだってある。だから悪いんやけど絶対参加できるなんて約束はできひん」

 

 同じ高校生でも住んでいる世界が違う。

 パスパレは高校生バンドとはいえプロ。そこには厳格なスケジュールがありお金も動く。当人達の意思だけではどうしようもない部分が必ず存在する。

 

「そっかぁ……アイドルのお仕事って演奏する事だけじゃないもんね」

 

「すまん。俺もバンドの仕事限定にはなんねんけどスケジュール開けるように調整しとくから」

 

 渡辺の謝罪に今度は戸山が首を振る。

 

「大丈夫、一也くんが頑張ってくれるなら絶対何とかなるよ」

 

「戸山はえらい俺の事を買い被るなぁ、一体俺の事なんやと思うとん?」

 

「……お母さんみたいな?」

 

「お、おか、お母さん⁉︎」

 

 渡辺はクラスでは『オカン』の愛称を持つがそれは裏で呼ばれているだけであって当の本人はその事を知らない。

 

「何でそこはオトンやなくてオカンなんや?」

 

 渡辺がどうでもいい事を聞く。

 

「だってみんな言ってるよ、一也くん、オカン見たいだって」

 

 ギョロッ、と渡辺の鋭い視線が上坂に向く。

 

 渡辺は自分の愛称は裏でのみ呼ばれている。

 それは単純にバレたら説教が待っているからだ。

 

「あは、あはは、あはははー」

 

 誤魔化すように笑うがそんなものがオカンに聞く訳がない。

 

 今は時間が決められ怒られることはないが明日はそうはいかない。

 

 上坂の脳裏にはクラス全員参加の大説教会の様子が過った。



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31話 『Roselia』

 

 半日授業は本当にありがたかった。

 学校が昼までに終わることで、午後からはバンド練習ができた。

 それは全て今日の日のための努力だ。

 

「綾人君達……えっと4Cだったね、今日は頑張ってね、期待してるよ」

 

 受付で立っているCiRCLEの代理店長的存在の月島は気楽に笑う。

 今日の4Cの結果によってRoseliaがイベントライブに参加してくれるかが決まると言うのにそれでも尚、笑顔を絶やさない。

 

「なぁ、綾人。ここっていつもこうなのか?」

 

 上坂はクイクイと相沢の服を引っ張る。

 ライブ当日だと言うのに入ってくる人の数が少ない。

 全く入ってこないというわけではないがSPECEと比べれば圧倒的に少ない。

 

「いつもこんなんだよ、だからその為のイベントだ、つってんだろ」

 

「そう、だから4Cには頑張ってもらわないと。ライブ成功でお客さん増加。それにイベントにRoselia参加。いいことづくし。さ、頑張って!」

 

 月島は追い返すなように背中を押した。

 

「綾人、今日は見せてもらうわ」

 

 ロビーは湊友希那を先頭にしたRoseliaを見てざわめき出す。

 中にはパンフレットと彼女達を交互に見て目を丸くする人もいる。

 

「演奏の方はどう? 私達が納得出来るレベルの演奏は出来るかしら?」

 

 両肘を抱き湊が問う。

 

 今日行われるライブにはRoseliaは参加しない。

 RoseliaはCiRCLEの常連でライブに出る事もあるが、4Cをじっくり観察もとい見定めをする為ライブに参加しない。

 知名度抜群のRoseliaが参加しない事もありライブに初参加ではあるがトリを任された。

 

「問題ないですよ友希那さん。絶対がっかりはさせません。だから楽しみに見てて下さい」

 

 相沢は飄々とした態度を取るが目は真っ直ぐRoseliaを見ていた。

 

「おっ、綾人言うね〜」

 

 湊の隣で今井が楽しそうな表情浮かべる。

 

「そりゃぁ、俺達この一週間めちゃくちゃ頑張りましたし」

 

 この一週間4Cは頑張った。

 どれぐらい頑張ったかと言えば、スケジュールが黒で塗りつぶされているメンバーが多い中、無理して集まって練習したぐらいだ。

 

「頑張ったと言いましても、たった一週間ぽっちの事ですよね?」

 

 練習を毎日欠かさない氷川にとって一週間程度の練習、鼻で笑うどころかバカにされているとさえ感じる。

 

「さーよ、一週間でも頑張ったのなら褒める事だよ。それが綾人なら尚更。あのめんどくさがりの綾人が一週間も頑張るなんて凄いことじゃん」

 

「リサさん、それ褒めてますか?」

 

「え? もちろん褒めてるよ、褒めてるに決まってんじゃん」

 

「ならいいんスけど……」

 

 悪気のない言葉に相沢は強く言い返すことが出来なかった。

 

「確かにそうですね、相沢さんが一週間も頑張ることは評価すべきですね。ですが演奏は別です。貴方達の演奏、楽しみにさせてもらいます」

 

「そうね、……綾人、あなた達の演奏、楽しみにしてるわ」

 

 湊と氷川はライブ会場へ入っていった。

 

「友希那も紗夜も綾人達を緊張させるような事を言って〜。じゃあねまた後で、ライブすっごい楽しみにしてるから」

 

 今井は相沢に手を振った後に湊や氷川とニュアンスは違うが同じ事を言ってしまった事にハッ、と口元に手の平を当てて会場へと入っていった。

 

 今井の背中を見送った相沢はだらしない顔で手を振っていた。

 そのだらしない表情はモテるのにモテないという矛盾を持つ男、四季を怒らすには十二分すぎる着火剤だった。

 

「おい、綾人テメェ。テメェまで俺を置いていくとは言わねえよな?」

 

「……これはリサさんルート入ったんじゃね?」

 

 ただ怒りは緩んだ顔の相沢には届かない。

 

「相沢、なんか意味の分からん事ゆうとるけど、あーゆうコミニケーション能力が高い人って誰にでもあーゆう事するんとちゃう?」

 

「……それを言うなよ! あーあ、リサさんがバイト先で客にも同じ事してたの思い出しちまったじゃねえか!」

 

 しかし怒りは届かなくても事実はしっかり耳に届く。

 

「なんか知らんけど、すまん」

 

「気にすんな! こうなったらこの熱が冷めねえうちにリサさんルートに突っ走ってやる」

 

「お、おう、そないか……」

 

 相沢の投げやりな態度に渡辺は気後れする。

 

「人の恋愛をとやかく言うつもりはないけど、相手はちゃんと一人に決めろよ。そうじゃないとうちの蘭が悲しむから」

 

 相沢の興奮気味だった表情が冷水でも被ったかのように真顔に戻る。

 

「は? なんでそこで蘭の奴の名前が出るんだよ?」

 

「…………」

 

 美竹は人見知りで幼馴染以外にあまり心を開かない。言いたいことがあっても言えない、言葉が見つからない。そんな少女が遠慮なしに事を言えると言うことはそういう線もあると言うことだ。

 

「後もう一つ、澪、お前も相手はちゃんと一人にきめろよ」

 

「はい? 俺がひまりと付き合ってるの知ってるだろ? 今更何言ってるんだよ?」

 

「…………」

 

 相沢は黙る。

 案外第三者の方が好意というものが良く見えているのだろう。

 

「あ、あの……」

 

「りんりん頑張って」

 

 あこともう一人、黒い髪をさらりと伸ばした少女が身を縮こめて立っている。

 白金燐子(しろかねりんこ)。Roseliaのキーボード担当で上坂と関係はないように見られる少女だがその実、関係はあった。

 上坂がまだピアノを止める前、コンクールで度々あった少女だ。

 

「えっと……白金さんでしたよね?」

 

「あっ、はい……」

 

 返事をするが白金の視線はフロアから離れない。

 

「りんりん…………」

 

「あこちゃん……大丈夫」

 

 何か決意をしたのか白金はフロアから視線を外す。

 

「あの……その……が、頑張って下さい」

 

「あ、うん。ありがとうございます」

 

 上坂が返答すると白金はスタスタと足早に上坂の隣を駆け抜ける。

 

「りんりん待ってよ〜」

 

 あこも会場なら入りRoselia全員を見送った上坂も控え室に向かおうとしたが、振り返れば呆れた相沢、怒る四季、真顔の渡辺と表情は三者三様だった。

 

「何なんだ? そんな面白い顔して」

 

 首を傾げると相沢が肩を軽く叩く。

 

「お前、巨乳に好かれる呪いでもかけられてるのか?」

 

「あの人とは昔、ピアノのコンクールで何度か会った事があるんだよ」

 

 上坂も同じように呆れた口調をする。

 

 市ヶ谷の一件以降、上坂は一度昔の事をゆっくり思い出した。

 白金もその時思い出した少女だ。

 

「うがー! そんな呪いがあるなら俺も欲しいぜ!」

 

 四季の叫びに視線が一気に集まり上坂と相沢、渡辺の三人はそそくさと控室に向かった。

 

 

 

 ライブの順番は最後、トリだ。

 上坂達は知らないがライブのパンフレットには『あのRoseliaが大注目』とご丁寧にというより抜かりなく月島はライブの宣伝をしていた。

 それがSNSで拡散したのか初めは寂しい会場であったがライブが始まる頃にはそれなりに集まっていた。

 

「トリをやらせてもらいます4Cです。よろしくお願いします」

 

 ライブも終了間近、ステージに上がった相沢はマイクを持ち簡単に挨拶をする。

 いくらMCの担当が上坂とは言っても、やはり一番目立つのは相沢のボーカル。初めの挨拶だけは彼に任せる事になった。

 

「じゃあ早速行くぜー!『コード10』! 」

 

 ギターの音が鳴り止む。

 見る人全員がライブを理解してる事もあり人数は文化祭の時より少ないとはいえ盛り上がりだけ見れば今の方が上だ。

 やはりライブハウスではアップテンポの激しい曲が似合う。

 

 観客席からは、もっと興奮を味わいたいのかアンコールの声が届く。

 

「じゃあアンコールを貰った事だし……、行くか」

 

「ああ」

 

 上坂は立ち上がり相沢からマイクを受け取る。

 

 観客からしてはドラムがステージの前まで来るという事に疑問しかなかった。

 

「スタッフさん、お願いします!」

 

 上坂がマイクで声をかけると、待ってましたと言うように素早くステージにそれを用意した。

 用意されたのは黒く輝くピアノ。

 本当は見た目で目を引くグランドピアノが良かったのだがそこまでわがままを言えない。今日の日の為にレンタルをしてくれただけでもありがたいというものだ。

 

 上坂は椅子に座り音がおかしくない事を確認したところでOKサインを出した。

 

「それじゃあピアノも準備出来た事だし二曲目いきます。『たったそれだけのこと』」

 

 一曲目が王道のロックに対し二曲目は邪道のバラード。

 

 選曲的には明らかにミスだ。

 折角沸かしたお風呂を水でぬるめるのと同じ事だ。

 観客が血が騒ぐぐらい興奮して帰りたいのは知っている。それでも最後の曲にバラードを選んだ。

 これはいつものようなわがままではない。

 観客を納得させるだけの自信が上坂にはあった。

 

 上坂は優しく撫でるようにピアノを鳴らす。

 その音色に合わせ観客も静まる。

 

 上坂の曲作りは経験から出来ている。つまりこの曲にも上坂の人生の一部が入っている。

 高校に入学したばかりの上坂は物事にあまり関心を持たなかった。だから基本的には周りに流されていた。

 それは考える事を辞めた逃げと同じ。

 自分の選んだ選択肢に後悔したくない、だったら周りに流された方がいい、そうすれば間違えても自分の所為じゃない。

 

 後悔はしない。

 

 傷つきもしない。

 

 そう思っていた。

 

 だけど神様の気紛れで少女に出会ってしまった。

 それが嫌がらせなのか、それともチャンスなのかは分からない。

 ただ楽しんでいるだけかも知れない。

 

 選択肢を人に委ねる事はもうできない。

 自分の事は自分で決めなければならない。

 だけど長年流されてきた彼に答えを選ぶ事は出来ない。

 

 だから彼は願った、せめてヒントを下さい、と。

 

 情けない事だが願いは届いた。

 

 お前のやりたいようにやればいい、お前に足りないのは勇気だ。

 

 言葉は違っていたが少年にはそう聞こえた。

 

 少年はそんな適当で無責任な言葉を信じて進んだ。

 そしたら驚く事に世界がいい方向に変わった。

 

 小さな勇気を振り絞る、たったそれだけで少年の世界が、見え方が変わった。

 

 この詩は少年が光の道を歩くまでの物語だ。

 この話を知っている人は多い。だからバレないように歌詞は気持ちや経験をストレートに書いていない。誰も望んで黒歴史を話したりしない。

 それでも良く読めばあの出来事の事だって分かる。

 だから上坂も諦めている部分はある。

 とりあえず、物語のヒロインとバカ二人にバレなきゃいい、その程度にしか考えていない。

 

 

 

 演奏が終わり上坂達は今の曲の雰囲気を崩さないように静かにステージを降りた。

 

 控室に戻ると椅子には月島とRoseliaの五人が腰掛けていた。

 本来関係者しか立ち入りが許されない控室にRoseliaがいる事は許されない事なのだが、月島が一緒にいる辺り彼女が招き入れたのだろうと上坂は思う。

 

「それでは結果はっぴょ〜!はい、はくしゅ〜!」

 

 月島が調子良く声を上げるが誰一人彼女のテンションに乗らない。

 

 Roseliaのメンバーはもちろん、上坂達も曲の余韻が残っており、月島の砕けたテンションにはついていけなかった。

 

「あなた達の全力見させてもらったわ」

 

 最初にシリアスとコメディが混ざる混沌と化した空気を破ったのは湊だった。

 

「それで友希那さん、どうでした?」

 

 相沢が尋ねると湊は小首を傾げる。

 

「『どう』って、ただそれだけよ?」

 

「はい?」

 

「湊さん、相沢さんが言いたいのは、演奏の感想と私達がライブイベントに参加するかどうかの答えです。私はその答えを湊さんにお任せします」

 

 首を傾げあう奇妙な光景に氷川が助け舟を出す。

 

「確かそうだったわね」

 

 ふと、湊は立ち上がりそれを見た今井が慌てて声をかける。

 

「ちょっ、友希那!どこ行くの?」

 

「リサ、ここは関係者以外立ち入り禁止よ」

 

「そうだけど……でも、その前に教えてあげないと……」

 

「分かってるわ」

 

 湊はカツカツとローファーの音を鳴らし控室のドアに手をかける。

 今井やあこはため息を吐き湊に続く。

 

 そんなあからさまな二人の態度を見て四人と月島は悟った。

 

「綾人、あなた達のレッスン楽しみにしてるわ」

 

 湊は背中越しに語り、最後尾にいた白金が軽い会釈をしてドアは閉まった。

 

「ね、ねえ、これってRoseliaは参加OKでいいってことだよね?」

 

「「「「よっしゃあぁーーー」」」」

 

 月島が恐る恐る尋ねるが答えはしない。

 

 四人は叫んだ。

 叫ぶのと同時に廊下からも騒がしい声が聞こえたが気には止めない。

 

 四人は嬉しかった。

 彼女達の参加よりも、今、最も勢いのある彼女達に認めてられた事が嬉しかった。

 

 そして少年達も忘れかかっていたがこれで参加バンドは四組になりバンド探しもいよいよ大詰めとなった。



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32話 『ライブの後の日常』

 

 ライブが終わり、家に帰った者、まだライブの余韻に浸っている者、いろんな人がいる。

 Roseliaに認められ喜びはしゃいだ4Cのメンバーは人の減った会場を泳ぐように進む。

 行き先は一応4Cのリーダー上坂の幼馴染、Afterglowの所だ。

 

「おーい、みんな〜」

 

 上坂は元気いっぱい手を振るが返事は返ってこない。

 代わりに返ってきたのは両肩に当たる軽い衝撃だ。

 

 視線を落とせば両肩に二つの頭が、

 

「ひまり、それに……つぐ」

 

 人懐っこい上原はともかく、羽沢が抱きついてきた事に驚きがあった。

 上坂は助けを求めるように視線を他の幼馴染に飛ばすが、あんたの所為でしょ、と言いたげな表情を美竹が浮かべていた。

 

「おい、澪。すぐ泣くひまりはともかくつぐが泣くってお前何したんだよ」

 

「しらねえよ」

 

 身長差がなく胸ではなく肩に飛び込んできた二人の肩は小刻みに小さく震えていた。

 

「ひまり、つぐ二人共どうしたんだ?」

 

 上坂はそっと優しく尋ねると顔を上げたのは羽沢だった。

 

「澪君、……あんなの反則だよ。う、う……うわあああぁぁぁーーーん」

 

 目を赤くした羽沢は再び上坂の肩に顔を埋め泣き叫び、隣りの上原は掴む手に力が入っていた。

 

 

 

 羽沢が泣き出してどれくらい経ったのかは分からない。

 ただ会場は人混みとは言えない程度には観客は減り、知り合いの顔が目立つようになっていた。

 

「澪君……」

 

 落ち着きを取り戻した羽沢は両手で涙を拭う。

 

「つぐ、泣く程感動してくれたのか、嬉しいよ」

 

 何が、とは言わない。

 長い付き合いもあり、言いたい事は何となくではあるが分かる。

 

「まさか、澪君のピアノをステージの上で聴けると思ってなかったから」

 

 涙を拭いても拭いても、羽沢の目から涙がぼろぼろと溢れる。

 そして泣いた顔を見られたくないのか羽沢は再び顔を肩に埋めた。

 

「ごめんね……」

 

 羽沢は肩に顔を埋めたまま呟く。

 

「俺達の演奏に感動してくれたんだろ? だったら謝る必要なんてないよ。それに、こんな小さな肩ぐらいいくらでも貸してあげるよ」

 

「……ありがとう澪君」

 

 少しして肩を震わせていた少女から寝息のような音が聞こえた。

 

「……さてと、ひまり、そろそろいいだろ?」

 

 羽沢の反対側の肩に顔を埋めていた上原の肩が大きく揺れた。

 

「れ、澪、いつから気づいていたの?」

 

「ついさっき、つぐが眠った辺りからだよ」

 

 顔を上げた少女の目の目元は赤くなっている事は間違い無いのだが、表情はいつも通りだった。

 目を泳がす上原は肩を掴んでいた腕を腰に回し外れないように両手で固めた。

 

「にヘヘヘへ〜」

 

 上原は幸せそうに笑うと甘えるように顔を肩に擦り付けた。

 上坂も初めは離そうとしたが下手に動けばもう片一方の肩で眠っている羽沢を起こしかねない。

 

「ったくー、しょうがないなー」

 

 上原を引き剥がそうとしていた行き場の失った腕を上原の頭を包むように乗せた。

 

 そんな一段落ついたタイミングを見計らったのかタイミングよく幼馴染三人が上坂の下に集まる。

 

「ヒューヒュー、相変わらずお熱いですな。モカちゃんは大変だったと言うのに」

 

「モカ、二人の面倒見てくれたんだな、ありがとう」

 

「チッチッチッ、れーくん、実は二人だけじゃなかったのですよ」

 

 青葉は舌打ちではなくハッキリと言いながら指を振る。

 

 上坂は首を傾げながら青葉の後ろにいる美竹と宇田川を見るが二人も心当たりがないという感じに小首を傾げる。

 

「蘭もれーくんの演奏で大泣きしちゃって〜」

 

「違っ、泣いてないから‼︎澪、これはモカの冗談だから!」

 

「わ、分かってるって。赤くなってない目元を見たら分かるし、俺がステージの上で見つけた時だって我慢はしてたけど泣いてないのは知ってるから……蘭?」

 

 美竹は力を込めるようにパキパキと指の関節を鳴らす。

 

「泣いてないし、我慢もしてない」

 

 異様な空気を察知したのか青葉と宇田川はそそくさと逃げ、上坂を除く男子陣も離れる。

 

 美竹をフォローするつもりだった上坂もいつもの事みたく余計なことまで口を滑らした。

 流石の上坂もこの後の出来事が予想できる。

 今にも飛んでくる拳が上坂と相沢以外に振るう事がない事を上坂は本気で願った。

 

「ちょっ、蘭、待て! 今手を出したらひまりとつぐに当たるだろ?」

 

「じゃあを離せばいいじゃん」

 

 ずるい考えだが今の二人は人質と変わりない。今上原と羽沢の二人は上坂にくっつき上坂は顔しか見えていない状態だ。ここで二人を離してしまえばボディがガラ空きになりサンドバッグ如く好き放題殴られるだろう。

 人質がいれば友達思いの美竹が手を出さない事は分かっていた。

 

「こんな幸せで可愛い顔をしてるひまりと安らかに眠っているつぐに離れろなんて、そんな残酷な事俺には出来ないよ」

 

 本音とはいえ、殴られたくない気持ちの方が強かったのか上坂のセリフは芝居がかっている。

 

「私なら大丈夫だよ。もうしっかり充電したから」

 

「えっ……」

 

 上原は締め付けていた両手を離し、これ以上ないくらい幸せな顔をして離れていった。

 上坂は突然な事にただただ立ち尽くしているだけだった。

 

「澪、覚悟は出来てるでしょうね?」

 

 指を鳴らす音がどんどん鈍くなりその音が死刑台の階段を登る音に聞こえた。

 

「つ、つぐはどうするんだよ。寝てるし、俺がもし体制を崩したら危ないだろ?」

 

 人質はもう一人残っている。

 美竹ももう一人の人質を見て奥歯を鳴らす。

 

「……ん? 私、寝ちゃってた?」

 

 タイミング悪くと言うより名前に反応して羽沢が目を覚ました。

 

「つぐ、そこは危ないから離れて」

 

「えっ、蘭ちゃんそれどういうこと?」

 

 もちろん目を覚ましたばかりの羽沢には理解できない。

 

「つぐ、何も危ない事なんてないよ」

 

「えっ、えっ?」

 

 目を覚ました羽沢は上坂と美竹を交互に見て困惑する。

 

「つぐー、こっちこっち」

 

 困惑している羽沢に青葉を筆頭に上坂と美竹、二人から離れたメンバーが手招きをする。

 

「澪君、よく分からないけどなんか呼んでるみたいだから行ってくるね」

 

「ちょっ、つぐ!」

 

 羽沢は上坂の側から離れていった。

 

 上坂はハッと顔を上げる。

 人質はいなくなった。

 

「澪、もう諦めたら?」

 

 身を守る物は何もない。

 待っているのは上坂へのダイレクトアタックだ。

 

 不可避な未来に諦めた上坂は頬を叩き気合いを入れる。

 

「あー、もう。蘭、この際だから言っておくけどちょっと短気すぎや……」

 

 言い切るよりも先に美竹のストレートが上坂の頰を撃ち抜いた。

 

 

 

 床に背をつけた上坂は立ち上がり幼馴染の所に戻る事なくロビーへと向かった。

 今戻っても先の二の舞になるだけだ。

 ご機嫌斜めの蘭の面倒は綾人に任せよう、と完璧他人任せな上坂はロビーに向かう。

 

「うええぇぇん、私、感動したよ〜」

 

「ええい、離さんか! それに感動するんは勝手やけど先輩達には自分達を超えてもらわなあかんねん」

 

 少し歩いた先で、つい数分前と同じような光景、ライブを見に来た丸山がバンドメンバーの渡辺に抱きついていた。

 パスパレは全員揃っているわけではなく、仕事の都合上か丸山と大和、若宮の三人だけだった。

 

「一也くん達を越えるなんてそんなのムリだよ〜」

 

「彩さん待ってください。それを言ったら……」

 

 大和の声は丸山には届いてもいなければ、丸山の声は十分渡辺に届いている。

 

 渡辺は引き剥がそうとしていた腕をだらりと落とす。

 

「ムリ? そんなん分からんやん。でもまあ、今の練習でムリやゆうんやったら練習量増やさなあかんな〜」

 

「えっ⁉︎」

 

 丸山のアイドルらしからな低い声に大和は見てられないと顔を手で覆う。

 

「一也くん、そんなことしたら私死んじゃう」

 

「そんな簡単に人は死んだりせえへん。それに倒れるか倒れへんかの見極めぐらいしたる」

 

「そ、そんな〜」

 

 丸山は掴んでいた手を離し崩れ落ちた。

 

「あっ、レイさん!」

 

「なんや上坂、えらいやられたなあ」

 

「ほんとな、見てくれよこの頬」

 

 上坂の右側の頬は誰が見ても分かるぐらい腫れていた。

 

「まぁ、自業自得やな。これを機に軽口は控えるんやな」

 

「これは自業自得じゃない、理不尽だ!」

 

 頬の腫れが自業自得で片付けられて仕舞えばこの世の八割は自業自得で片付けることだろう。

 

「すみませんレイさん、今冷やすものを探したのですが……」

 

「別にイヴちゃんが気にすることないよ。確かに痛いけどこんなの一日もあったら治るよ」

 

「そうですか……ならよかったです」

 

「それより演奏、見てくれたんだろ? どうだった?」

 

「ハイ、凄く良かったです! レイさん、ピアノもドラムも凄く上手でした。チサトさんとヒナさんも来れたら良かったのですが」

 

「暗くならなくても、俺達の演奏はこれっきりじゃないしさ、今日いない二人にも聴いてもらえる時は絶対に来るよ」

 

「そうですね、ありがとうございます」

 

 何に対して『ありがとう』なのか分からず小さく笑っていると若宮が大和を連れて戻って来た。

 

「大和さん、こんにちわ」

 

「ども、こんにちわッス」

 

「大和さん、俺のドラムどうでした? 前より上手くなってるでしょ?」

 

 上坂の問いに大和は唸る。

 

「そうッスね……正直以前と音が変わりすぎていて判断が出来ません。ですが、自分は今の上坂さんのドラムの音の方が好きです」

 

「そう言って頂けて凄く嬉しいです。ありがとうございます」

 

「いえいえ、自分はありのままの事を言っただけですので」

 

 二人は物腰低く何度も頭を下げる。

 

「それじゃあ、お邪魔してすみませんでした」

 

 上坂は最後にもう一回軽く会釈をしてロビーに向かった。

 

 

 

 ロビーには飲み物を飲んでいる人やゆっくり椅子に腰をおろし談笑をしている人がちらほらいた。

 そして談笑しているグループに戸山達ポピパもいた。

 

「やっぱり香澄達も来てたか」

 

「あっ、澪くん。ライブお疲れ。澪くんのライブすごかったよ。澪くんも春くんも綾人くんも一也くんも皆んなキラキラしてた」

 

「ありがとう」

 

 上坂は軽く挨拶をすると何処からか椅子を持ってきて当たり前のようにその輪に加わる。

 

「んげ!」

 

「人を見るなりなんだよ、市ヶ谷」

 

 丸型テーブルの向かい側には市ヶ谷が座っており、市ヶ谷は上坂を見るなり害虫でも見るような視線を向ける。

 

「香澄、めんどくさいのに捕まる前に早く帰ろって言ったじゃねえか」

 

「? 澪くんめんどくさくないよ?」

 

「そうだよ有咲。上坂、春夏達や有咲といる時凄く面白いよ」

 

「それがめんどくせえんだよ!」

 

 失礼な事を言う市ヶ谷だが本人を目の前にして隠す素振りを全くと言っていいほど見せない。

 

「はいはい、ポピパ水入らずにお邪魔してすみませんでしたー」

 

「おう、帰れ帰れ」

 

「ちょっ、有咲。澪も有咲の言う事気にしなくて良いから」

 

 上坂は立ち上がるが腕をテーブルにつけたところでピタリと止まると片手を目元に当てた。

 

「市ヶ谷どうした? 目が赤いぞ」

 

 指摘はするが目が赤い理由は分かっていた。

 泣いたのだろう、それも上坂達のライブで。

 

「うっせー! 見んな!」

 

「有咲はね、澪くん達の……」

 

「香澄ちょっとこい!」

 

 戸山は言葉を遮られ市ヶ谷に腕を引かれ少し離れた所に連れていかれた。

 

「澪、あんまり有咲をからかうのはやめなよ」

 

 唯一の反対者市ヶ谷を撃退した上坂は再び椅子に座る。

 

「分かってるんだけどな、どうも市ヶ谷を見るとからかいたくなるんだよな」

 

「上坂ってツンデレ?」

 

「別にツンデレじゃないよ。ただからかいたいだけ」

 

「でも、有咲ちゃん困ってるよ」

 

「でもお前達もわかるだろ。香澄と話してる時のあいつ面白いし、可愛くないか?」

 

 結局はそう言う所だろう。上坂は昔のお利口な市ヶ谷より、今の戸山に振り回されている市ヶ谷が好きなだけだ。

 

「確かにそうだけど、いいの?」

 

「なにが?」

 

 山吹は手の平で顔を覆った。

 

「彼女いるのに他の子の事を可愛いとか言って」

 

「あー、別に大丈夫だよ。だって一番可愛いのはひまりだし」

 

 何がどうなろうと上坂の中で一番可愛いのは上原だ。

 

 上坂ののろけに山吹と牛込は顔が赤くなった。

 

「なぁ香澄、市ヶ谷さっきからこっちをチラチラ見て話してたけどなにを話して……」

 

 戸山に説教を終えた市ヶ谷はしゅんとなった戸山を連れて戻って来た。

 

「有咲さっき上坂がね……」

 

「わー、わぁー。何にも、何にもないからね」

 

 山吹は花園が言おうとした事を全力で止めた。ここで話してしまったら大変な事になる。そう思った。

 

 山吹を不思議そうな目で見た市ヶ谷は視線を落とすと上坂と目があった。

 

「からかった時の市ヶ谷の顔が可愛いなって話し」

 

「なっ‼︎」

 

「?」

 

「分かる。有咲すっごく可愛いよね」

 

 市ヶ谷に叱られ凹んでいた戸山は、大好きな市ヶ谷を褒められた事で元気になり、

 

「バカ! 澪なんてもう知らない!」

 

 誤魔化そうとした努力が無駄になった山吹は声を荒げライブハウスを出ていった。

 

 山吹を引き止めようと立ち上がった所で目があった。

 

「可愛いっていうなあぁ──!」

 

「ぐふぇっ!」

 

 顔を真っ赤にした市ヶ谷に美竹に殴られたのと左側の頬にこれまた鉄拳が炸裂し上坂は椅子とテーブルを倒し盛大に倒れた。

 

「澪くん大丈夫?」

 

「香澄、さっさと行くぞ!」

 

「でも澪くんが……」

 

「放っとけ! そんな奴!」

 

「待ってよ有咲ー」

 

 赤い顔をこれ以上見られたくないのか逃げる様にライブハウスをでた。

 

「じゃぁりみ、私達もそろそろ行こっか」

 

「でも、おたえちゃん」

 

 牛込は殴られ倒れている上坂と帰ろうとする花園を交互に見た。

 

「上坂くん、ごめんね」

 

 結局牛込は帰る花園について行き上坂はロビーで一人倒れたままだった。

 

 

 

「澪、大丈夫?」

 

 上原がひょこっと上坂の頭上から顔を覗かせた。

 

「あれ? 何でひまりがここに?」

 

「何でって澪のこと探したから。因みにもう蘭は怒ってないよ」

 

「それはにわかに信じ難いな……」

 

 美竹の怒り具合は数分やそこらで完全に鎮火出来るものではない。

 

「それよりどうしたの⁉︎すごい顔だよ」

 

「あーこれは……」

 

 上坂の顔は今大きく腫れており、それこそ小さな子供が見たら"あのお兄ちゃんあんぱんのヒーロー見たい"と言われるだろう。

 

 右は美竹で左は市ヶ谷、どうして一日二回も殴られるのだろうか? 流石にこれは相沢でもないだろう。

 

「ひまり、そろそろ帰るぞ。っておい、お前、まさか澪に……」

 

「ひーちゃんとうとうれーくんを尻に敷いてしまったんだね」

 

「ちょっ、待って私じゃない!」

 

 遅れて来た四人が見たのは顔を大きく腫らした上坂の顔を覗いている上原だ。

 

 周りに勿論上坂の知り合いらしき人は上原だけだった。

 

「ひまりちゃん何をしたの?」

 

「ひまり、澪に腹立つ気持ち分かるよ」

 

「何で私がに手をあげた事になってるのよー!」

 

 誤解を解くには翌日まで時間がかかった。



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33話 『ハロー・ハッピー・ワールド』

タイトル通りとうとう彼女達が本格参戦します。
お楽しみください。

※今回は自己紹介やその他諸々の事情もありテキスト通り成分高めになっています。
ごめんなさい。それでも頑張ってオリジナリティを出したので見てください。



 

 ライブから一週間が経った。

 今日から夏休みだ。

 夏休みと言っても土曜日なため夏休みと判断するには難しいところだが休みということには変わりない。

 気温は三五度を超え自宅のクーラーで涼んでいると思いきや駅周辺は人、特に学生で溢れていた。

 

 上坂は今、駅の中にある文具店にいた。

 大量の宿題をただこなすだけでは飽きてしまうと思った上坂は文具一式を買い替え新鮮な気持ちで宿題に取り組もうと思った。

 商店街にも文具店はもちろんあるのだが、如何にも学校行事で配られそうな面白みのない鉛筆やボールペンばかり取扱っておりかえって宿題に対するモチベーションが下がってしまう。それに引き換え駅中にある文具店は全国展開しているチェーン店で便利な物や面白い物も扱っており涼む事が目的ではないのだが長居してしまった。

 

 上坂は会計を済まし袋いっぱいの文具を店員から受け取り駅を出ると、クーラーの冷気を外の熱気が一気に奪う。

 

 太陽は何か良いことでもあったのだろうか、と思い上坂は一瞬で温まった体に唖然としながら空高く登る太陽を見上げる。

 

 現在イベントライブに参加してくれるバンドは四組。

 Poppin party、Roselia 、Afterglow 、Paste*Palettesの四組だ。

 もう少し参加バンドが欲しいところだが四組も集まれば一応ライブとして成立するだろう。

 参加メンバーの顔合わせの日が明後日の月曜日、本当の意味での夏休み初日だ。

 だから長かったメンバー探しは今日、明日で終わり、後は『澪くん達に頼ってばかりだったから後は任せて』と言った戸山を信じるしかない。

 

 上坂もライブが終わった今暇であり、一人でメンバー探しをするのもやぶさかではないのだが、ガールズバンド限定のイベントライブの勧誘を男である上坂がするのは何か変なナンパと思われそうと考えた上坂は戸山に残りの全てを任し休みをエンジョイしていた。

 

「あ、澪くん何してるの?」

 

 戸山に後を任せた筈なのに数十メートルある距離から戸山が手を振り一気に詰め寄る。

 

「夏休みに入ったし文房具揃えてたんだよ」

 

「文房具買うの早くない? 学校は九月からだよ?」

 

「何言ってんだよ。夏休みでも勉強はするだろ」

 

「?」

 

 首を傾げる戸山の後ろから体力が尽きかけの牛込が戸山の隣で足を止める。

 

「香澄ちゃん! 早いよ〜」

 

「ごめーん、りみりん。大丈夫?」

 

「うん大丈夫。香澄ちゃん心配してくれてありがとう」

 

 膝に手をつく牛込の背中を戸山が優しく撫でる。

 

「二人はバンド探しか?」

 

「うん、そうだよ。ここは人が多いしバンドやってる子も絶対いるよ!」

 

「そんな都合よく……ん?」

 

「澪くんどうしたの? ……あの人だかりなんだろう?」

 

 顔はよく見えないが長い黄色の髪の少女を中心にサーカスのような派手な五人組が見えた。

 

「世界を笑顔にっ! ほらほら、あなたも笑顔! 私も笑顔っ!」

 

 黄色い髪の少女は三十センチ程の棒をバトンのようにクルクルと回し太陽が地上に降りて来たのかと思わせる程眩しく笑っていた。

 

「あれって同じ学校の弦巻(つるまき)こころちゃんだよね? なんか楽しそうなことしてるっ!」

 

 上坂にはぼんやりとしか見えなかった少女も戸山にははっきりと見えていた。

 

 すぐ近くからガサガサと音が聞こえた。

 視線を落とせば持っているビニール袋が小刻みに揺れていた。

 

「俺はちょっと……」

 

「行こっ!」

 

「あっ、香澄ちゃん!」

 

 戸山な上坂と牛込の手を引っ張り騒ぎの中心へ向かった。

 

 

 

「あれ? かーくん?」

 

「やっほー! はぐだ! ハグハグ! こんなところで、何してるの?」

 

 一番最初に戸山達に気づいたのは同じクラスの北沢(きたさわ)はぐみだ。

 オレンジ色の髪を短くしたスポーティな少女だ。

 

「ライブだよ! ちょうど今終わったとこっ。はぐみ達はね、世界を笑顔にするためにバンドをやってるの!」

 

「へーっ! はぐもバンドやってたんだね! このクマのキグルミもバンドメンバーなの?」

 

 北沢達のバンドメンバーには遊園地のマスコットにいそうな、存在感がありすぎるクマのキグルミがいた。

 

「キグルミじゃなくてミッシェルだよ! ミッシェルはDJなんだ!」

 

 バンドにDJって珍しいな、と言いたい上坂だが今は黙る。

 

「なんて愛らしいんだ。君達も私に会いに来てくれたのかな?」

 

 紫色の髪をした男性のようなキリッっとした顔の女性が声を掛けてきた。自分に酔ったいわゆるナルシストだがなんちゃら歌劇団にいそうな超美形な顔を見れば納得できてしまう。

 

「…………っ!!!」

 

「わっ、りみりん顔真っ赤! 大丈夫!?」

 

 牛込の顔は高熱が出たかのような赤さだった。

 

「えっ、本当!? あれ、なんでだろう……」

 

「も、もしかして熱があるんじゃ」

 

 今度は水色の髪の少女が顔を真っ赤にした牛込を心配する。

 

「りみりん、熱があるの!? 大丈夫?」

 

「なんとかわいそうに……君のような可憐な女性が……もしかして、恋の病というやつかな」

 

「〜〜〜〜〜〜っ!」

 

「は、はわわ、どうしようっ! とりあえず救急車……!」

 

 牛込は頭を大きく揺らし今にも倒れそうになり、そんな牛込を心配する水色の髪の少女もパニックで目を回していた。

 

 これから先牛込がホストに行くようなら全力で止めようと上坂は思った。それはさておき一人一人が主人公になれそうなぐらい濃いメンツに囲まれた上坂は最早空気だった。

 それならそれでも良い、今の上坂の心情はいち早くバレる事なくこの場を去る事だった。

 黙って帰ったら怒るかな、そんな事を考えながら一歩また一歩上坂は後退する。

 

「あーあーあー、もう。花音さんちょっと落ち着いて。てか、A組の戸山さんと牛込さんに上坂……くん?」

 

 慌てる水色の髪の少女、花音を黒いキャップを被った少女になだめられた。

 

「あっ、美咲ちゃん! ミッシェルって美咲ちゃんだったんだね」

 

「あ、どーも」

 

 黒のキャップを被った少女は上坂達と同じ花咲川の生徒で奥沢美咲(おくさわみさき)という。奥沢は先程まで着ていたキグルミ(ミッシェル)を人の邪魔にならない所に片付けこちらにやって来ていた。

 因みに片付けられたキグルミ(ミッシェル)は地面に座り木に持たれている状態で小さな子供達が魂が抜けたミッシェルに『熱中症?』『大丈夫?』と声をかけていた。

 

 上坂は奥沢に向けて目を細める。

 

「上坂くん、そんな目を向けて。私何か悪いことした?」

 

 上坂と奥沢は学校で何度かすれ違った事があるだけで話した事はなく、奥沢が嫌悪の視線を向けられる事はないはずだった、

 

「あらっ? あなた達、どこかで見たことあるわね。そう、学校! 多分、学校で見たことあるんだわっ。あっ! あなた澪じゃない!」

 

 黄色の髪の少女弦巻は、まるで無くしたおもちゃが見つかったような顔で上坂を見る。

 

「うん、同じ学校なんだし同じ学年だからね。……てか、あんた私達以外に知り合いいたの⁉︎」

 

「そうよ、久しぶりねっ。いつぶりかしら」

 

「春休みにあったばかりですよ、こころお嬢様」

 

 笑顔で挨拶する上坂の表情は硬い。

 嫌悪の視線の理由はこれだった。

 

「お嬢様! 澪くん、こころお嬢様ってどういう事⁉︎」

 

 上坂と弦巻のやり取りに戸山は驚きを隠せなかった。

 

「俺の父さんの会社の社長がこころお嬢様のお父様ってわけだ。俺も父さんの仕事の手伝いでこころお嬢様の家に行った時に遊びのお相手をさせてもらったって訳」

 

 上坂は夏休みや冬休みといった長期休暇は父親の仕事を手伝っていた。主に父親が苦手なパソコンを使った仕事でとても小学生や中学生にさせるような仕事ではなかったのだが、上坂は持ち前の頭脳で何とかこなした。

 

 上坂が中学校に上がる前の事、突然父親に社長に会いに行くと言われ弦巻家に連れていかれた。

 

 ここからが本当に大変だった。一日の仕事量は大人でもこなす事が難しい量だった。そんなもの中学校に上がる前の子供にさせるのはどうなのか、と毎日のように思っていたが、小、中学生に持たすには多い下手をしたら大人でも多いと感じる程の給料を前にすると文句の言葉が見つからなかった。

 ハードな仕事ではあったが最も体力を使い、最も重要な仕事が弦巻の遊び相手だった。

 もともと短く貴重な休憩なのだが父親から弦巻の相手をする様に言われた。弦巻は奔放で連れ回され上坂は体力が持たなかった。しかし弦巻の相手は休憩の時間だけでは終わらなかった。上坂は弦巻家には泊まり込みで働いていた。したがって、仕事が終わってからも寝るギリギリまで弦巻の相手をさせられ、上坂にとって弦巻家は寝る時以外は仕事しかない。まさにブラック企業そのものだと思っている。

 

 そんな今までの苦い記憶から、弦巻が同じ学校だと知っておきながら上坂は彼女に会いに行こうとしなかった。

 

「こころの相手を一人で……上坂とは仲良くなれそうだよ」

 

 弦巻に振り回される同じ境遇の人を見つけた奥沢は少し気持ちが楽になり、上坂も奥沢という人物が自分と似た境遇を持つ数少ない人間だと感じた。

 

「奥沢さん」

 

「美咲でいいよ」

 

「じゃあ美咲。これからもこころお嬢様と仲良くしてくれたら嬉しいよ。かなり大変な事を言ってるのは分かる。辛い事があったらいつでも相談乗るから」

 

「上坂、そこは手伝うって言わないんだ」

 

「いや……それは……」

 

 弦巻と関わる事は古傷を抉るのと同じだ。しかし同じ境遇の奥沢をほっとけない。そこで出した妥協案だったがそれも奥沢にはバレてしまった。

 

「別に気にしなくていいから。私が上坂だったら相談すら乗らなと思うし」

 

 上坂と奥沢はポケットから携帯を取り出し連絡先を交換した。

 

「美咲、あなたばかりズルいわ。私とも交換しましょっ」

 

「……分かりました。こころお嬢様」

 

 上坂は携帯を取り出した。弦巻ともアドレスを交換する。

 

「あんた油断したね。こころが見逃すはずないじゃん」

 

「美咲、ハメやがったな……」

 

「ハメたなんて人聞き悪い。私はただこれからは二人で頑張ろうって言いたいだけ」

 

 奥沢の言葉は聞く人によればプロポーズに聞こえない事はないが、意味を知っている上坂には呪いの言葉にしか聞こえなかった。

 

「これで澪といつでも遊べるわ。後、私の事をお嬢様と呼ぶ必要ないわ。初めてあった時みたいに『こころ』でいいわ。今はお父様もいないんだし澪もそんなにかしこまる必要はないわ」

 

「分かりま……分かったよ、こころ」

 

「それでいいのよ!」

 

 初めて自分に見せた本当の上坂に弦巻は満足気な顔をした。

 

「そうだこころ、実はお願いがあるんだけど」

 

「澪がお願いって珍しいわね、何かしら?」

 

「今度CiRCLEっていうライブハウスでガールズバンドをばかり集めたライブイベントがあるんだ。それでイベントを盛り上げてくれるバンドを探してるんだけど、こころでないか? 今出演が決まってるのは戸山達と……」

 

「いいわね、参加するわ!」

 

 上坂がライブイベントについて説明しようとするがその前に弦巻が参加の意を伝えた。

 

「ちょ、早すぎる! 誰が出るかもよく分かってないのに……!」

 

「他に誰がでるかなんて、関係あるの? だって、あたし達は世界を笑顔にするためにいるのよ! それならこんな楽しそうなイベント、出るしかないじゃないっ」

 

「かのシェイクスピアもこう言っている。『行動は雄弁である』……と。つまり、そういうことだよ」

 

 要するに二人は、とりあえず行動してみよう、と言っている。

 

「ああもう、分かりましたよ! そうですね、そういうことですね! 戸山さんと牛込さん何より上坂がいるなら大丈夫……かな。……待って、なんでガールズバンド限定なのに男の上坂がいるの?」

 

 ようやく上坂がいることについて奥沢がつっこみを入れた。

 

「美咲、そんなの関係ないじゃない。たくさんいた方が楽しいわよ」

 

「そういう訳じゃなくて……」

 

 いつも通りの話の噛み合わさには少し呆れていた。

 

「俺も参加する理由なんだけど、今話したイベントを無事成功させる為にサポートやら技術指導などをする為なんだ」

 

「そういう訳ね」

 

 上坂の説明には納得した。

 

「イベントには参加でいいんだよね!」

 

「もちろんよっ!」

 

「ところで、このバンドの名前なんていうの?」

 

「はろ……」

「ハロー、ハッピーワールド! よ! 世界中を笑顔に!」

 

 奥沢はまたもやは話そうとしたところを弦巻にとられた。

 

 ハローハッピーワールド、世界中を笑顔に、まさに弦巻にぴったりなバンド名だと上坂は思った。

 

「…………はい、今いったことがすべてです。一応紹介しておくと、ボーカルはこいつ弦巻(つるまき)こころ」

 

 横に立っている弦巻を親指で指した。

 

「ギターはそこの王子様。瀬田薫(せたかおる)さん」

 

 牛込が先程から熱を出していたのが紫色の髪の少女に視線を投げる。

 

「ベースは同じ学校の北沢(きたさわ)はぐみ、ドラムは松原花音(まつばらかのん)さん。花音さんは花咲川の二年なんだ。で、あたしっていうか、このクマのミッシェルはDJ」

 

 奥沢はメンバー一人一人簡単に紹介していった。

 どういう訳か弦巻、瀬田、北沢の説明は雑で松原だけ説明の口調が丁寧だった。

 

「たくさんの役者が揃う大舞台で私は王子を演じるわけだね。なるほど、おもしろい。ならばその役目、演じきって見せようとじゃないか」

 

「いろんなバンドと一緒にできるの、楽しそうだねっ、対バン、対バン!!」

 

「たくさんのバンドがいると、いつもよりもっと緊張しそうだけど……私も頑張りますぅ!」

 

「……ってなわけで、よろしく」

 

 ハローハッピーワールドは中々の個性揃いだその中でもまともなのがと松原だ。

 しかし松原は見た限りでは控えめな性格だろう。

 なので、実質、強個性をまとめているのは一人である。最後の一言からでもがどれだけ苦労しているかが分かる。上坂は本当に奥沢とは仲良くなれそうだと思った。

 

「美咲ちゃん、よろしくね! バンドの顔合わせは明後日の一○時だからその時は……」

 

「うーんっ! 新しい出会いはやっぱりワクワクするわねっ! もっともーっといろんな人を笑顔に出来るかと思うと、黙ってられない!」

 

 相変わらず弦巻は気持ちが先走り話を最後まで聞かない。

 

「よし、決めた!! 今からもう一度ライブするわよっ!」

 

「さんせー!!!」

 

「わぁ、見たい見たい!」

 

「ちょ、マジ!? 今、牛込さんがいったこと聞いてた!? 今度顔合わせと音出しの日があるって……」

 

「美咲、そこで文句を言うあたりまだまだ甘いな」

 

「あんたは少し黙ってて」

 

「それじゃ一曲目、行くわよっ!」

 

「あーもう!こころちょっと待ったー!!」

 

 奥沢は慌ててミッシェルを取りに行く。

 振り回される奥沢の姿に上坂は微笑ましい気持ちになる。

 これから彼女も同じ道を辿ると思えば笑わずにはいられない。

 

 音楽と共に自由な少女弦巻は高らかと歌う。

 気持ちが最高潮まで高まった弦巻は何人たりとも止める事は出来ない。



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34話 『美男美女』

 

「わ〜、なんだかこの狭い空間にこんなに女子高生がいるだけでなんかドキドキするね」

 

「まりなさん。それすげー分かります」

 

「俺なんて楽しみで昨日は寝れなかったぜ」

 

 上坂達はCiRCLEにいる。

 本日は待ちに待ったガールズバンド達の顔合わせの日だ。

 Poppin'PartyにAfterglow、ハロー、ハッピーワールドと既に両手の指で数えれないだけの美少女が揃っていた。

 どこを見ても目の保養ととんでもない光景に四季はもちろんだが普段から美少女を目にしている相沢もテンションが高い。

 

「すみません! 遅くなりました! Pastel*Palettesです」

 

 更に追い討ちをかけるようにアイドルという美少女の証であるPastel*palettesがスタジオ入りをする。

 

「なんやお前らキモい顔して」

 

 遅れて入ってきた渡辺が相沢と四季を見て二人に冷たい視線を送る。

 

「キモいとはなんだよ!お前だってこの美少女だらけの楽園を見たら文句は言えなくなるんだよ!」

 

「そうだそうだ」

 

 渡辺は一つ小さなため息を吐き辺りをぐるりと見渡す。

 

「まぁ確かにこんなに女の子がよおさんおったら目の保養にはなるわな」

 

「そうだろ、分かったか!俺達はキモくねえんだよ、これが正常なんだよ!」

 

「んや、悪いけど自分らやっぱり異常やわ。いくら目の保養やゆうてもそこまでだらしない顔にはならへんわ。それに見てみい、上坂だって普通にしとるやん」

 

「こいつは幼馴染と彼女しか見てねえからカウントしねえんだよ」

 

「ん?なんか言ったか?」

 

「こいつマジで聞いてねえ……。こんなリア充はほっといて、そういえば一也、今日はポーチつけてねえんだな」

 

「ポーチなんやそれ?」

 

「偶につけてるだろピンクのポーチ」

 

 相沢は渡辺の腰と奥で戸山と楽しく話している少女を交互に見る。

 

 楽しげに笑う相沢に渡辺の視線は冷たくなり、上坂と四季はゆっくりとバレないように距離を取る。

 

「相沢……ジョークぐらい誰でも言うし、それに俺も好きやねんけどな、流石に好きなアイドルバカにされてまで笑ってられへんわ」

 

 相沢に待っていたのは楽しいお説教タイムだった。

 

 

 

 調子に乗った相沢は大勢の美少女がいる中正座で説教されていた。

 前々から思ってはいたが相沢綾人と言う人間はいつももバカではあるが、女の子が周りにいると二割り増しぐらい更にバカになるらしい。

 

 上坂は正座をさせられている相沢を見ながら気の毒だと思った。

 

「澪、あれ見ろよ、白鷺千聖がいるぜ!」

 

 上坂よりニ○センチは身長のある四季が、子供のように興奮気味に裾を引っ張る。

 四季の視線の先には長いブロンドの髪に超が付く美少女で女優の白鷺千聖だ。

 

「そらいるだろ?白鷺さんパスパレのメンバーなんだし」

 

「お前は何度か会ってるから分っかんねえだろうがな、普通は会えねえんだよ!テレビの中の人なんだよ!芸能人なんだよ!」

 

 芸能人はパスパレ全員だろ、とツッコミを入れそうになるがグッと堪える。多分本人も分かっている。ただ興奮しすぎたせいか四季本人も何を言っているのか分かっていないだろう。

 因みに以前上坂がパスパレのライブを見に行き、四季にあげたサイン色紙は家宝として奉られているらしい。

 

「白鷺千聖、ほんと可愛いよな。ぜってえテレビで観るより可愛いぜ」

 

「ありがとう。嬉しいわ」

 

 正面にいた白鷺が四季が悶絶している間にわざわざ後ろに回り込み優しく声をかける。

 

「うわぁぁぁあああ!」

 

 白鷺は想像以上な驚き声に一瞬驚くが目と口を黙って開け閉めす?四季の姿にクスクスと笑っていた。

 

「一也くんがいない場で話すのは初めてね。改めて白鷺千聖です。今日からイベントが終わるまでの間お互いに精一杯頑張りましょ」

 

 白鷺の佇まい、礼儀はさっきの悪戯が嘘に見えてしまうぐらい完璧でとても同じ高校生には思えなかった。上坂はアイドルとしての白鷺しか知らないが四季や渡辺の話によれば白鷺は人生の半分以上を芸能界で過ごし生きてきた。

 白鷺のそれらは厳しい芸能界で生き残る為に身についた言わば護身術の一つに違いない。

 

「先日はお世話になりました。話は一也から聞いてます。パスパレが参加してくれる事嬉しく思います。今日から一ヶ月とちょっとですが精一杯お力添えをさせて頂きますのでよろしくお願いします」

 

「随分とご丁寧な挨拶ね。そんなに固くならなくても大丈夫よ。ここにいるのはあなたと同じ高校生なのだからもうちょっと砕けた態度でも構わないわ。ただ同じ高校生と言っても私は二年であなたは一年そこだけはわすれないようにね」

 

 悪戯に笑う白鷺に話し相手の上坂ではなく隣の四季にダメージが入っていた。

 

「分かりま……」

「白鷺先輩、こいつ白鷺先輩の前だから猫被ってるんですよ。普段のこいつは全然違いますから」

 

「澪くん、そうなの?」

 

 返事をしようとした上坂の前に金髪ツインテの市ヶ谷が割り込み白鷺は首を傾げる。

 

「猫は被ってませんが、まぁそうかもですね」

 

「ほら見ろ!見たか!」

 

「……あのな市ヶ谷、先輩と同級生なら多少態度を変えるのは当たり前だろ?」

 

「それでも変えすぎだ!って言ってんだよ。誰だよ、全くの別人じゃねえか!」

 

「確かにちょっと硬いかなって思ったよ。だから砕けて話そうとしたのに市ヶ谷、お前が割り込んできたんだよ」

 

「な、なんだよ。私が悪いって言うのかよ!」

 

「別にそんな事言ってないだろ?」

 

「フフフフフ……」

 

 言い合う二人の様子に白鷺は微笑ましく笑う。

 

「白鷺先輩、急に笑ってどうしたんですか?」

 

「あなた達二人、とても仲良しなのね」

 

「なっ!……」

 

 市ヶ谷は白鷺の思わぬ言葉に言葉が詰まる。

 

「白鷺さんやっぱりそう見えますか?いや〜、俺も市ヶ谷とは仲が良いとは思ってるんですけど……いったいなー、何するんだよ!」

 

 視線を落とせば、市ヶ谷がつま先を力強く踏みつけていた。

 

「うるせえ、黙ってろ!」

 

「やっぱり仲よ」

「白鷺先輩、仲良くなんかありません! 私他の参加者の人にも挨拶してきます。すみません、失礼します。」

 

 市ヶ谷は一礼し、逃げるようにその場を離れた。

 

「あの子、名前は……」

 

 白鷺は市ヶ谷の背中を見て呟く。

 

「市ヶ谷有咲です」

 

「そう、有咲ちゃんだったわね。あの子面白いわね」

 

「分かります?市ヶ谷ってめちゃくちゃ面白い奴なんですよ」

 

「そうね、それと澪くん、あなたも面白いわよ」

 

「えっ……」

 

 小さく、上品に笑う白鷺の目に上坂は蛇にでも睨まれたみたいに背筋が固まった。

 

「(なぁ、なんでそんな普通に白鷺と話せるんだよ)」

 

 白鷺に見惚れていた四季がようやく意識を取り戻した。

 

「あぁ悪い、忘れてた」

 

「?」

 

 上坂の独り言に四季は顔をしかめる。

 

「白鷺さん、こいつが白鷺さんのファンの四季春夏です。春夏もこのイベントを成功させるのに力を貸しますのでよろしくお願いします」

 

「‼︎」

 

 四季は突然自分の事を紹介され驚きを隠せなかった。

 

「あなたが春夏くんね、いつも応援ありがとう。はじめまして私は……って知ってると思うけど白鷺千聖です」

 

「‼︎」

 

 四季驚きで首を左右に動かす。

 普通の女の子でもまともに話せない四季が、超の付く美少女白鷺千聖と話せるはずがない。

 いつもの軽口を叩き真っ赤になるのが先の山だ。

 

「初めましてこね……こ、こ……」

 

 予想通りの軽口ではあったがそれすら言えず四季は逃げ出した。

 

「春夏!……千聖さんすみません」

 

 上坂は四季を追いかけた。

 

 

 

 逃げたと言ってもその場からというだけですぐに追いついた。

 四季はスタジオの隅で膝を丸め長身には似合わず小さく座っていた。

 

「春夏、どうして逃げたんだ?春夏にとって白鷺さんは憧れなんだろ?」

 

 憧れの白鷺を前に四季がどうして逃げ出したのか上坂には分からない。

 四季はゆっくり伏せていた顔を上げる。

 今にも泣きだしてしまいそうなそんな顔だ。

 

「澪、お前が上原さんから逃げようとしたのと同じだ、怖えんだよ」

 

「そうか……」

 

 上坂は四季の肩を叩き隣に座る。

 

「春夏はただのファンじゃなくて、どうしようもないファンなんだな」

 

 上坂はアイドルに本気で熱を出す四季を笑ったりはしない。

 それが偶像だとしても次元が違っていても笑わない。

 本気なら背中を押すのが友達だ。

 そんなに難しいことではない、あの日、SPECEでしてくれた事をそのままするだけだ。

 

「都合のいいことかもしれないけどさ、結果だけを見れば俺はあの日、逃げてなんかいない。だから今の春夏があの日の俺と同じだって言うなら大丈夫だ」

 

「お、俺は……」

 

「春夏、お前はどうしたいんだ?あの日俺に春夏がいたように今の春夏には俺がいる。俺は春夏に勇気をあげたいんだ」

 

 四季は黙って立ち上がり一直線に走り出した。

 

 

 

 上坂が四季に追いついた時には既に少女を呼び止めていた。

 

「さっきは突然いなくなって悪かったな子猫ちゃ……」

 

 ゴツッ、と鈍い音と同時に四季の口端から赤い液体が垂れる。

 四季は軽口を言おうとした自分の口を止める為に頬を殴ったのだ。

 

「ちょっとあなた!何してるの⁉︎」

 

「さっき言ったことは忘れてください」

 

「え、ええ……」

 

 慌てて駆け寄る白鷺を四季は追い返し口元の血を拭う。

 

「は、はじ、初めまして。四季春夏って言います。子役時代からずっと応援してました!」

 

 噛んではいるが初対面の女の子を相手に四季が普通に話しているのは大きな成長だった。

 

 白鷺は大声に驚くが瞬時に笑顔を作る。

 

「子役の時から応援してくれてるのは嬉しいわ。これからも応援よろしくお願いね」

 

「はい! あ、あの……」

 

「どうかしたかしら?」

 

 背中越しでも分かるぐらい四季は耳まで真っ赤になっていた。

 

「千聖さんって……呼んでもいいですか?」

 

 いつもの四季では考えられない行動だった。四季はまず戸山のような例外はあるが、四季は女の子と話す事が出来ない。話せないと言ったら語弊があるが主に上坂や相沢、渡辺がいないところで女の子と話している四季は大概軽口を叩き後悔する。

四季も自覚があるのか入学時に比べ一人で女の子と話す事はなくなった。そんな四季が初めて話す女の子、それも超が付く美少女に下の名前で呼ぶなんて上坂には考えられなかった。

 

 白鷺の優しく笑う表情を見れば四季がどんな顔をしてるのか想像が付く。きっと顔を真っ赤にし折角のイケメンを台無しにしているのだろう。

 

「ええ、もちろん良いわ。春夏くんごめんなさい、私も他の方々に挨拶しないといけないからこれで失礼するわ」

 

 そう言って白鷺は人混みに紛れた。

 

「それにしても春夏すごいな、よく頑張っ……」

 

 上坂は成長を見せた四季に賞賛を送ろうとして声をかけようとしたが四季は緊張の糸が切れ崩れるように座り込んだ。

 

「澪笑うなよ。俺……千聖さんに恋をしてしまったかもしれない」

 

 上坂は瞬きを数回入れた。

 

「……マジ⁉︎」

 

 四季の発言が信じられなかった。

 

「おい、澪!笑うなって言っただろ!俺みたいな一般人が芸能人を好きになるのってそんなにおかしい事かよ!」

 

「そんな事ねえよ」

 

 四季のパンチを上坂は笑いながら流す。

 

 誰を好きになろうが笑ったりはしない。

 

「春夏、俺はお前の恋を応援するよ」

 

 だけど『好き』の気持ちを自覚していないのは別だ。



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35話 『顔合わせ』

 

 四季春夏は恋をした。

 相手はゴールデンタイムのドラマにも出る女優白鷺千聖だ。

 一般人と芸能人。そこには大きな壁が存在するが諦めるのは違う。

 例え生きてきた環境が違っていても、例え住んでいる世界が違っていてもそんなものは些細な事。

 好きと言う気持ちに隔てる壁はないのだから。

 

「ったく、酷い目にあった」

 

 今、まさに青春の一ページを描いているにも関わらず相沢がげんなりした表情で乱入する。

 正座で怒られていた相沢には四季や上坂に起きていたことなんて分かるはずがない。

 

 二人はまたいつもの変わらない日常に軽く笑いため息を吐く。

 

「あァ? お前ら俺を見捨てて逃げたくせに何笑ってるんだよ」

 

 嘲笑に近い笑いに相沢は顔をしかめる。

 

「「自業自得だ」」

 

 声がピッタリ重なった上坂と四季は顔を見合わせ笑う。

 面白くないのか相沢の顔は不機嫌だった。

 しかしそれは仕方がない事だ。上坂と四季にはあって相沢にはないもの、それは人を好きになる気持ちだ。

 相沢も練習に付き合うRoseliaやAfterglowのメンバーは『好き』に分類するだろう。しかしその中から一番を決めるとなれば相沢は一人を選ぶことが出来ない。

 全員が同じくらい大切だからこそ相沢は選ぶ事が出来ない。

 全員が一番で全員が最下位。一番を決めない相沢には一番を決めている二人の気持ちは分からない。

 

「あー、もう。言うなよ! 分かってんだよ、自業自得だって。でもよぉテンション上がるのも分かるだろ?」

 

 見渡せば美少女、美少女、美少女。テンションを上げるなと言う方が難しい。

 

「分かるけどさぁ、限度ってものがあるだろ?」

 

「何だよその余裕。あれか? 彼女がいるからなのか? そうだよな彼女がいたらはしゃぐ必要ねえもんな!」

 

「……俺も流石にこの光景にはテンションは上がってるよ」

 

 と言う上坂はテンションが上がっているように見えない。

 彼女である上原しか見えていないとか、ましてや実は女の子に興味がないと言うわけではない。上坂は普通の男の子だ。いくら小さな頃から女の子に囲まれているとはいえ男子といるより女子といる方が調子は良い。

 ただ、異様にテンションの高い相沢を見て冷静になっただけだ。

 

「その顔見て信じる訳ねえだろ。っても澪は頭が堅くてノリが悪いからな〜仕方ねえか」

 

 酷い言われようだが今の相沢は酔っ払いとなんら変わりはなく上坂は文句の出そうになった言葉をぐっと堪える。

 

「春夏お前なら澪と違って分かるだろ?」

 

 四季は鼻で軽く笑い横目に流す。それが妙にかっこよく見えイケメンの名に相応しい顔だった。

 

「そうだな、確かにこんなに美少女に囲まれてちゃあテンションも上がるぜ。でもなたった一人愛すべき絶対的な美少女がいなければ何人いようが意味がないんだぜ」

 

 上坂は呆然とする相沢の姿を見てただただタイミングが悪かったと思った。四季が白鷺と話す前なら同調して騒ぐところだが、今まだ熱に浸った四季にバカ騒ぎ出来るわけがない。

 

「なんだよ、お前まで! これじゃ騒いでる俺一人がモテないみたいで惨めじゃねえか!」

 

「綾人、何騒いでるの?」

 

 会場から歓声が上がる。

 それは騒ぐ相沢を黙らせたからではない。

 

「……友希那さん」

 

 イベントライブ最後の参加バンドが厚い鉄の扉から入ってきたからだ。

 

 相沢の表情がピクリと固まる。

 

「綾人、これは何? 私達はこんなじゃれあいを良しとする集まりに参加した覚えはないわ」

 

 湊の相沢を見る視線は冷たい。

 他の参加バンドはRoseliaが来たことでこれから始まる顔合わせに興奮を見せるが上坂を含む相沢周辺のみ冷気が漂ったような冷たさがあった。

 

「すみません湊さん。綾人の奴今日の顔合わせが楽しみでちょっと浮かれてて。周りの人は関係ないです。綾人が一人はしゃいでいただけなんで気にしないでください」

 

 不穏な空気を察知した上坂は湊と相沢の間に入り込み頭を下げる。

 Roseliaは他の四バンドに比べてバンドに対する姿勢が違う。他のバンドも各々想いがあるがRoseliaだけは想いもそうだが目標がハッキリ決まっておりゴールに向かって最短距離で真っ直ぐ進んでいるのは湊友希那という人物と話していて上坂は何となく分かった。

 ゴールに向かって最短距離で進んでいるRoseliaに寄り道なんて無い。

 だから参加を決めようが練習を始めようが不要と判断すれば途中辞退もゼロではない。

 

 湊の視線は変わらない。相沢から上坂へとスライドしただけだ。

 

 表情は見えないが無言の圧に上坂は息を呑む。

 

「友希那ちゃんよね。よく来てくれたね。待ってたよ。ささっ、こっちに来て顔合わせ始めるから」

 

 明るい声と同時に圧力が弱まるのを感じた。顔を上げれば月島が一箇所に集まった女の子達を集めていた。

 

「ほら、綾人君達も何してるの? 女の子みんな待ってるよ」

 

 危機はさったが上坂は取り敢えず余計な事しかしない相沢を睨みつけた。

 

 

 

「みんな、今日は来てくれて本当にありがとう。ライブイベントについては、もう説明を受けてると思うから省略させてもらうね、私はこのライブハウスで働いてる月島まりなって言います。よろしくね」

 

 五組のバンド、総勢ニ五人の女の子の前に立った月島は本当に簡単に挨拶をした。

 説明を省く辺り結構めんどくさがりなのだろう、と上坂は思う。

 

「どうしてガールズバンド限定のイベントなのに男の子がいるのって……これも知ってるよね。彼達はこのライブイベントを成功させる為にあなた達をサポートしてくれる子達です。存分にこき使っていいからね。……ほら挨拶」

 

 月島はすぐ隣にいる相沢の背中を押す。

 

「まりなさん、変な事言わないでくださいよ。あいつら本気にしますよ」

 

 相沢が見渡した限りでも美竹は指を鳴らし、湊は小さく笑っている。

 

「変な事も何も私は本気で言ったんだけどな〜。でも言い方が悪かったかな」

 

 月島は視線を相沢から女の子達に戻し、

 

「え〜っと、言い直します。こき使って良いって言ったけどあくまで常識の範囲内で、『ジュース買ってこい』みたいなパシリはなしだからね」

 

 当たり前の事すぎたせいか『はーい』と沢山の木の抜けたような声が返ってきた。

 

「それじぁ、気を取り直して自己紹介いっちゃおう」

 

 月島が片手を突き上げるのと同時に相沢が一歩前に進む。

 

「ボーカルとギター担当、相沢綾人です」

 

「ドラムとキーボード担当の上坂澪です」

 

「ギター担当、渡辺一也や」

 

「ベース担当、四季春夏」

 

 相沢に続き簡単に自己紹介を済ます。

 

 四季も白鷺の一件で成長したと思いきや足は細かく震え視線は合っていない。

 少し間が空いたせいか四季にかかっていた魔法は解けてしまったようだ。今なら女の子うんぬんの質問を投げ掛ければ相沢の期待通りの言葉が返ってくるだろう。

 

『よろしくお願いします!』

 

「おお……なんか、こんなに大勢から挨拶されるとうれしいね! 君達もこんなに大勢の可愛い女の子に挨拶されるとやっぱうれしいよね?」

 

「うれしくない男なんていないっすよ」

 

「やっぱそうだよね。春夏君は?」

 

「俺は……」

 

 月島は大勢の女の子の前での挨拶で頭がパンク寸前の四季に話を振る。

 このまま四季を放置でもすればとんでもない軽口を放ち四季だけではなく女の子達にも被害が及ぶ二次災害が起きかねない。

 

「まりなさん待ってください。春夏はもういっぱいいっぱいなんです。俺が代わりに答えます」

 

「じゃあ澪君はどうなの?」

 

 矛先が変わった事に四季ではなく上坂が安堵する。

 

「そりゃあ俺も綾人と一緒で嬉しいですよ。これだけ多くの子から信頼されるんですよ。うれしくない訳ないじゃないですか」

 

 総勢ニ五人がライブイベントを成功させる為に集まってくれた。

 それは嬉しい事だ。

 

「澪君の答えつまらないね」

 

「えっ!」

 

 月島の評価は厳しかった。

 

「まぁいいわ、男の子達の自己紹介も終わったし、今度は女の子達に簡単に自己紹介してもらおうかな。じゃあ、香澄ちゃんから」

 

 そうして戸山からポピパ、Afterglow、パスパレ、ハロハピ、Roseliaの順番で自己紹介が始まった。

 

「……湊友希那。Roseliでボーカルをしているわ。どうぞよろしく」

 

 湊を最後に総勢ニ五人の自己紹介が終わった。

 

「さっそくあなた達の実力を見せてもらうわ」

 

 一拍置いての湊の一言に会場内がどよめき出す。

 

「実力って……? どういうこと?」

 

 真っ先に反応したのは勝気の強い美竹だ。

 

「私達は自分達に見合わないステージには立たない。だから今日、共演するあなた達の実力を見に来たのよ」

 

「友希那さん、俺達のライブを見て納得してくれたじゃないですか!」

 

「綾人、あなた達は認めたわ。でもそれだけよ。同じステージに立つ共演者達がRoseliaと共にステージに立つに相応しいか、それを見定めさしてもらうわ」

 

 Roseliaは4Cの力を認め参加を決めた。それだけであって他の四バンドを認めた訳ではない。

 

「つまり、あなたたちの実力に見合わなければ出ない……そういう事ですか?」

 

 宇多川は丁寧に話しているつもりではあるが言葉に怒りが感じられた。

 

「ええ、その通りです。そうですね……すくなくとも貴方達ぐらいの実力は欲しいですね」

 

 氷川の言葉通りならRoseliaはAfterglowを少なからず認めている事になるのだが、

 

「アタシ達が最低……、へぇ……氷川先輩おもしろいこと言いますね。それだけあなた達のバンドがすごいって事ですか?」

 

 宇多川も怒りを隠す事が出来ず言葉に棘が含まれていた。

 

「ええ、悔しいですが参加するバンドの中では一番だと思っています」

 

 湊や氷川の言いたい事も分かる。

 意味は違えどイベントライブは遊びではない。

 CiRCLEという一つのライブハウスの運命がかかっている。

 

 上坂は自分の拳に力が入っている事に気づく。

 それを振り下ろす訳ではないが知りもしないで人を見下す姿勢は見ていて気持ちのいいものではない。それが知り合い、大切な人なら尚更だ。

 

 今すぐ間を割って入りたいが、入って仕舞えばイベント自体が最悪破綻してしまう。

 Roseliaの唯一と言って良い参加の動機は上坂達4Cからの指導だ。

 もめた相手の意見を素直に聞くと思えない。そうなればRoseliaがイベントに参加する理由はなくなる。

 

「巴、まあまあ。落ち着いて」

 

「Roseliaのお二人さんも熱くなりすぎや。熱くなるんはステージの上だけで十分やろ」

 

 そんな険悪な雰囲気が漂う中、四人の間を割ったのは山吹と渡辺のお母さんコンビだ。

 

 上坂は二人の姿を見て踏み出そうとした足を戻す。

 個性派揃いの1-Aのクラスが学級崩壊しないのは、個性派共が束になっても勝てない二人の母の存在のお陰だ。

 そんな最強な二人が仲裁に入れば争いは収まったと言っても良い。

 

「バンドなんだし、音楽で自己紹介をするのが一番、自分たちをわかってもらえそうたしね。一曲ずつ、演奏してみようよ」

 

「それもそうやな。初めはRoseliaからお願いしよか。あんだけ言うとるんや、さぞビックリする演奏見せてくれるんやろうな?」

 

「こらこら、煽らない。すみません、そう言う事なんでRoseliaの皆さんお願いできますか?」

 

「かまわないわ」

 

 そう短く返事をした湊はマイクを握った。

 

 

 

 五バンドすべての演奏が終了した。

 今はRoseliaの返答待ち。

 会場は無音で奇妙な空気に包まれた。

 返事を待つニ○人の少女と月島は顔に緊張が走り、上坂達と緊張はするが、一回目のライブはなんだったのだろう、と言う不満と疑問がプラスアルファである。

 

 そして湊と氷川が口を開いた。

 

「どのバンドも実力はそれなりにあるようだけど……」

 

「私達のイメージするレベルには達していないわね」

 

 少女達、特にイベントを一から協力したポピパの落胆な色は大きい。

 

 そんなポピパの表情の変化に気づいていても二人の言葉は止まらない。

 

「私達が求めているのは確かに高い技術……でも音楽が、それだけで上手く行かないことは知っている」

 

「あなたたちには、何かがある気がする。私達にまだ欠けている何かが」

 

 Roseliaの言葉に少しずつ少女達の顔色が良くなる。

 

「つまりつまり、それって! ライブイベントに出てくれるって事ですよね?」

 

 戸山は期待の眼差しを浮かべる。

 

「ええ、出席するわ。それとあなたたちを試すためとはいえ、厳しい事を言ったわ。ごめんなさい」

 

 湊の素直な言葉に美竹が正面に立ち真っ直ぐ見る。

 

「湊さん、演奏凄かったです。でも、あたしはあたし達の演奏が劣っているなんて思ってません」

 

「だったら劣っていないって事をイベントライブで証明する事ね」

 

「言われなくとも」

 

 美竹と湊、二人は小さく笑った。

 

「これで全員揃ったねっ!」

 

「ふう〜、私も一安心だよ〜。みんなの演奏、すっごいよかったよ! 私も思わず体が動いたもん。改めて、みんなもよろしくね!」

 

 湊の了承と戸山の現状確認の言葉にイベントの責任者の月島は安心し肩を落とす。

 

「まだよ!」

 

「えぇっ!」

 

 終わらせてくれない湊に月島は驚き声を上げる。

 

「まだ綾人達の演奏を聴いてないわ」

 

「そうねですね、私達の指導をするなら、ここにいる皆さんが納得するものを見せてもらわないと話になりません」

 

「友希那さんも紗夜さんも俺達の実力知ってるじゃないですか⁉︎」

 

 そもそもRoseliaは4Cの力を知ってイベントに参加をした。実力を見せるも何も知らないはずがない。

 

「え〜いいじゃん。私も綾人達の演奏聞きたいな。皆んなもそうだよね?」

 

 今井の一言で一気に会場が騒がしくなる。『私も』『あたしも』と女の子のコールで埋め尽くされる。

 

「いいじゃないか。俺達の演奏を知らない子もいるし、それに俺達だけ演奏しないなんて不平等だろ?」

 

「だあ──、分かった。やってやるよ。すっげーもん見せてやるから期待してろよ!」

 

 相沢がビシッと指指すと大きな歓声が上がった。

 

「やるならやるって最初から言えよな。綾人ってあれか? ツンデレなのか?」

 

「そうかも知れんな〜。相沢って捻くれとるし」

 

「うるせー! ツンデレってのは赤メッシュとか金髪ツインテとかを言うんだ! 俺はツンデレじゃねえ!」

 

 ご立腹な相沢にギターを宥めながら持たせ、上坂はスティックを叩きカウントをとった。

 

 

 

 渡辺のギターの音を最後に演奏が終わった。

 

「さすがね。やはりあなた達は私達の指導をするに値するわ」

 

「悔しいけど私達より上」

 

「やっぱり4Cの演奏はすごいねっ!」

 

「香澄ちゃんもそう思う? 4Cのみんなの演奏本当に凄いよ」

 

「あなた達の演奏最高よ!」

 

 総勢ニ五人から賞賛が贈られた。

 

「そういう訳でこれから俺達4Cがイベントまでの期間お手伝いをさせて頂きます」

 

 上坂達は他の顔を見るが誰一人として反対を言うような顔をしていない。

 

「そうだっ! いいこと思いついた!」

 

「何だよ急に!」

 

 戸山が突然声を上げ、隣にいた市ヶ谷は肩が跳ねる。

 

「イベントの前にさ、ミニライブをしようよっ! そうしたらイベントに参加できない4Cも私達と一緒にステージに立てるよ」

 

「香澄もたまにはいい事言うな」

 

 市ヶ谷としてはライバルである上坂と同じステージに立つのは歓迎で、直接実力を知るにはいい機会だと思った。

 

「そうでしょ、やったー! 有咲に褒められた!」

 

「ばか、くっつくな!」

 

 戸山は嬉しさで市ヶ谷に抱きついた。

 

「いいわね! お客さんを笑顔にできるチャンスはたっくさんあった方がいいもの!」

 

「あたしも賛成。みんなの音、もっと知りたいし」

 

 他のメンバーもミニライブの参加に乗り気だった。

 

「俺もやりたい。折角みんなでするんだ、俺達も参加できるなら参加したい」

 

「澪、女子ばっかだろ。やりづらくねーか?」

 

「そんな事関係ないだろ。やっぱり俺もこいつらと一緒にステージに立ちたい!」

 

「仕方ねーな。いっちょやってやるか」

 

 そう相沢は言いながらも一番乗り気だった。

 

「うんうん、いいね! イベントの宣伝にもなるし、みんなの交流も深まるよね! 私、ちょっとオーナーにかけあってくるよっ」

 

 ミニライブ開催に向け月島はオーナーの元へ駆けつけ、と言うより静かな所で電話をかけに行った。

 

「ホンマ自分等は勝手に決めるなぁ。少しは相談とか出来んの? 報連相は大事やで」

 

「悪かったよ。でも一也も出る気あるだろ?」

 

「そら、こんな面白そうな事やし参加はしたいねんけどな……」

 

 渡辺は首だけを動かし視線を誘導する。

 誘導された先には動かない四季の姿が、

 

「ライブや練習よりまず四季をどうにかせなあかんやろ」

 

 白鷺の件や、自己紹介の件などで既に限界を迎えていた四季は更に女の子に注目されながら演奏をやり切るという事に、羞恥心のキャパを振り切り、白目を向いたまま半分意識が飛んでいた。

 

 その姿を見て危機感を感じるどころか、上坂は良く知る四季の姿に安堵した。

 

 

 

 ミニライブは日程どころか開催されるかどうかも分からない。

 それでも上坂は少女達と共に同じステージで輝く為に練習をするだろう。分かってから動いて手遅れにならないように。

 

「みんな〜、ミニライブの件、オーナーから許可が降りたよ〜!」

 

 勢いよく戻ってきた月島からの吉報は、上坂の小さな不安を綺麗さっぱり吹き飛ばした。

 



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36話 『合同練習初日』

 

 ミニライブの開催が決まったが、だからと言って特に準備はない。

 所詮イベントライブの番宣、又は少し期間が開いてしまう前座に過ぎないからだ。

 

 今日からは合同練習が開かれる。いくら夏休みに入ったとはいえ上坂達4Cを加えた総勢ニ九人全員で練習する事は難しい。ニ九人いればニ九人それぞれの予定がある。

 とは言え上坂達は一応仕事(給料が発生しない為ボランティア)な為、都合は一切考慮されない。

 そういう事もあり一度に集めれる人数に限度があり、交流も含めてニバンドずつという事になった。

 

 二週間後に開かれるミニライブまで計五回、4Cは集まったバンドと練習、及び指導をする。

 

 自動ドアが開き冷房の冷たい風を浴びる。

 今日は記念すべき合同練習一回目。そんな記念すべき初回を飾るのはポピパとパスパレの二組だ。

 この合同練習のスケジュールは参加バンドに合わせているのは勿論の事だが、一番優先されているのがパスパレだ。芸能人として活躍しているパスパレが五人揃うのは難しい。売れっ子女優の白鷺千聖がいるなら尚更だ。

 そう言う理由もあり合同練習のスケジュールはパスパレを中心に組まれている。

 

 上坂はフロントで月島に挨拶をし、スタジオに向かう。

 

 上坂は指導する側つまりホストだ。ゲストが来るまでに準備をしなければならない。そういう意味もあって約束時間の一○分前ぐらいに来る上坂だが、今日は三○分前に来ている。

 

「それでも最後なんだよな〜」

 

 上坂はぼやきながらスタジオに向かうと案の定既に相沢と四季がおり、二人はドアに付いている円型のガラス戸から中を除いていた。

 

「綾人、春夏……」

 

「うひゃうっ……」

 

 相沢は素っ頓狂な声を上げ、四季は目を丸くして胸を押さえている。

 

「気色の悪い声を出すなよ」

 

「うるせぇ! お前が急に声をかけるからだろ!」

 

「ハイハイ、悪かったよ。……それで二人揃ってそんな所でどうしたんだ? 中に入らねえの?」

 

「まっ、澪もあれを見たらなっ」

 

「そうだな、俺達がここにいる理由が分かるってもんだぜ」

 

「は? 何言って……」

 

「取り敢えず百聞は一見にしかずだ、覗いてみろよ」

 

 相沢に勧められるままにガラス戸を覗く。

 

「ったく、中に何があるって……」

 

 スタジオの中には渡辺の姿があった。

 渡辺はうっとりと頬を赤らめながら愛用の青いギターをクロスで丁寧に拭いていた。口が動き何かを話しているように見えるが防音室という事もあり内容は聞こえない。

 

 4Cの練習場所は上坂の家かスタジオ。前者なら上坂が一番乗りであり後者でも人を待たせる事が嫌いな相沢が一番乗りに来て渡辺が一番に来た事は一度もない。

 今日に限って早いのも、パスパレオタクである渡辺が張り切って一番乗りしたに違いない。

 

「澪くん、何してるの?」

 

「ひゃぅ……」

 

 振り返れば本日のゲストの一組ポピパが揃っていた。

 

「香澄、そんな気色悪い声出す奴なんかほっとけ」

 

 数分ほど前に同じ事を言った上坂には市ヶ谷を否定する事は出来ない。

 両隣にいる相沢と四季はニヤニヤと笑うだけで助ける素振りを見せようとしない。

 

「なあ、香澄。俺が何してたかはここを覗いたら分かるよ」

 

「? 何か言った?」

 

 上坂がガラス戸を軽く叩いた時には戸山はドアを開けていた。

 

 中に居たのは勿論渡辺だ。つい先程まで中を覗いてきたから間違えるはずが無い。

 ただ渡辺の姿が問題だった。

 荒い呼吸を上げながら青いギターに頬擦りする勢いで顔を近づけていた。

 

 上坂は両手で顔を覆う。

 何も見ていない無関係だ、と示すかのように目を覆うがそれが返って不自然に見える。

 指の隙間から見える相沢と四季も口笛を鳴らしたり、ボイスパーカッションを始めたりと上坂以上に不自然だった。

 

「一也くん、おはよう」

 

 とんでもない場面にも関わらず戸山は学校と変わりない様子で声をかける。

 

「おはよう」

 

 渡辺は短く挨拶をし、ゆっくりと顔を上げる。

 赤い顔は一瞬で元の肌色に戻り、表情も子供に見せれない顔から真顔に戻っていた。

 

「戸山、自分は何にも見てへん。ええな?」

 

 弱々しい声ながらそれでもどこか力強さを感じる声だ。

 

「? よく分かんないけど、いいよ」

 

「ええ子や。さて……」

 

 渡辺がギロリと睨む。

 

「俺達は何にも見てねえよ、なぁ春夏、澪」

 

「ドゥッパ、綾人なんか言ったか? 俺ボイパしてたから聞こえなかったぜ」

 

「……」

 

「澪、黙るなよ! こういう時こそ学年一位の頭脳を使う時だろ?」

 

「綾人ムリだ、諦めよう」

 

 上坂は首を横に振る。

 七月に行われた期末考査では市ヶ谷を下し上坂はV2勝利を果たした。

 そんな優秀な頭脳を持ってしてもこの場を打開する策は思いつかない。

 

「ムリなんて言葉ない! 澪、お前なら出来る! 自分を信じろ! そして俺を助けてくれ!」

 

 初めは小声で始まった会話も話の終わった今じゃ小声では無くなっていた。

 

「相沢もう諦めえ、今やったら少ーし説教するだけで許したる。ほら見ぃ上坂なんかもう正座まで始めとるやん」

 

 どうしようもない事を悟った上坂は静かに正座を始める。

 

「クソッ、この裏切り者!」

 

「俺もいくら誰もおらんかったとはいえアレはあかんかったと思うわ」

 

「自覚はあったのかよ」

 

 相沢のツッコミに渡辺は一瞬睨むが飲み込む。

 

「誰にも自分を押さえ込まれん事ぐらいある。せやけど、そこで黙って見て笑いもんにするやなく教えたるんが友達なんとちゃうんか?」

 

 淡々と語る姿に本気さを感じた四季もボイスパーカッションを辞め正座を始める。

 

「相沢自分に聞くわ。自分はどう思っとん?」

 

「く、クソッタレえぇえええ、かかってこいやあぁあああ!」

 

 会場にいる全ての人が息を呑んだ。

 口では反発している相沢だがその姿は正座を通り越してとても綺麗な土下座だった。

 

 

 

 相沢の身を呈した土下座もあり説教はそれ程長くはなかった。

 上坂は立ち上がり膝を払うとドアが開いた。

 

 肩にかかるピンク色の髪、今日のゲストの一人丸山彩だった。

 丸山は慌てたように息を切らしていた。

 

「はぁ、はぁ、間に合わなかったー!」

 

 丸山は突然膝から崩れ落ち床に突っ伏した。そして握った拳で何も床を叩き悔しがる。

 

「彩先輩、間に合ってます、遅刻じゃありません」

 

 駆け寄った戸山が声をかけるが聴こえているようには見えない。

 

 すると直ぐにドタドタと騒がしい音が聞こえた。

 

「彩ちゃん見れた〜? ……な〜んだ間に合わなかったんだ残念」

 

「彩さん、ナイスランです」

 

「二人共待って下さいよ〜。早すぎますー」

 

 丸山が開けたドアから流れるように日菜、若宮、大和が入り、最後に落ち着いた様子で白鷺が入ってゲスト全員が揃った。

 

 パスパレのメンバーは丸山の姿に動じておらず、受け入れと言うより見慣れたように思えた。

 

「一也、何とかしてこいよ」

 

「あーなった彩さんを何とか出来るのは一也だけだろ?」

 

「何でそうなんねん! こら、押すなや!」

 

 上坂と相沢二人がかりで背中を押すが殆ど前に進まない辺り渡辺の本気度がうかがわれる。

 

「そうね、今の彩ちゃんをどうにか出来るのは一也くんだけね」

 

「千聖さん」

 

 いつの間にか白鷺が隣に立っており、四季は白鷺の姿を見て声の調子は上がるが体は固まっていた。

 

「ほら一也くん、彩ちゃんの所に行って来なさい。そうじゃないと合同練習がいつまで経っても始まらないわ」

 

「はぁ……分かりました、行ってきます」

 

 渡辺はとぼとぼと重い足取りで床に伏した丸山の所へ向かった。

 

「ふぅ……、あの様子じゃ彩ちゃん、間に合わなかったようね」

 

 白鷺は額の汗を拭う。

 大きい独り言から白鷺が本気で安堵をしているのが分かった。

 

「ち、千聖さん。あれって何か理由があるんですか?」

 

 何か話のネタが欲しいのか四季が出来ればあまり関わりたくない状態の丸山を指さす。

 

「え、え〜と、何かしらね? アレじゃないかしら? 彩ちゃんが一也くんに構って欲しくて……そうよ! そうに違いないわ!」

 

「白鷺さん、凄い動揺ですよ。一体どうしたんですか?」

 

 勇気を振り絞り意中の相手と話す四季を見守っていた上坂だが、落ち着いた大人のイメージがあった白鷺が余りに動揺する姿は見過ごす事が出来なかった。

 

「心配してくれてありがとう。でも、本当に何もないの。私はこれからPoppin'Partyにも挨拶しに行かないといけないので失礼するわ」

 

 白鷺は逃げるように場を去った。

 

「澪……」

 

 四季が今にも泣きそうな顔で見下ろす。

 言葉がなくても表情から何を言いたいのか容易に想像できる。

 折角の会話チャンスを奪いやがって、そう思っているに違いない。

 

「あ、いや、その……ごめん」

 

 白鷺が逃げてしまう事も予想していたのかもしれない。しかし好奇心が先に動いてしまい、結果親友の恋路の邪魔をした事に変わりわない。

 

 上坂は四季が泣かないように優しくする事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

(あんな事話せる訳がないじゃない)

 

 白鷺はポピパに挨拶をしながらも思っていた。

 

 芸能人にプライベートなんてものはない。

 その言い方には語弊はあるが、正確にはプライベートはあってもプライバシーはない。仕事がない時もネタがないかと記者に見張られ、寝ている時でさえ一○○%無防備になれるかといえば嘘になる。芸能界とは如何に自分を隠すかと言う世界だ。

 スキャンダルは勿論の事だが情報ひとつで芸能界にいられなくなった人を白鷺はそれなりに知っている。

 

 もしあの事が外に漏れるような事があれば丸山のアイドルとしての生命線がプツリと切れてしまうのではないかと思った。

 

 

 

 パスパレの活動が再び始まり軌道が乗り始めた頃、たまたま仕事が早く終わった白鷺は事務所の中にあるレッスン場へと向かった。

 

「いつも最後だから、一番に着いたって知ったらみんな驚くかしら」

 

 上機嫌に小さな独り言を呟きながらエレベーターのボタンを押す。

 結成当時は事務所の指示と言うだけで関心がなかったパスパレも今では演技と同じくらい好きになっていた。

 

 チンッ、と音と共にエレベーターを降りた白鷺は足を止めた。

 

「あれは……彩ちゃんよね?」

 

 丸山がレッスン場のドアの前で立ち止まっていた。

 

「流石は彩ちゃん、あの姿勢は見習わないといけないわね」

 

 丸山は指摘は多いものの一番努力をし、必死なのは白鷺も知っている。その丸山のお陰もあり今もレッスン場に足を運べている。

 決して大袈裟ではない、丸山は誰が言おうとPastel*palettesのリーダーだ。

 

(それにしても彩ちゃん、動かないわね)

 

 ドアの前で立っていた丸山がゆっくりとドアに耳を当てる。

 ドアは少し開いており中の声を聞いているようだった。

 

(えっ? 彩ちゃん、あなたは一体何をしているの?)

 

 レッスン場に入るようにも見えないしかと言ってどこかへ行く様子もない。丸山の動きは怪しく、悪質なファンのようだった。

 

「あ、彩ちゃん……」

 

 恐る恐る声をかける。

 初めは声をかけるかは迷った。しかし丸山のような純粋な心を持つ少女が道を踏み外そうとした時それを正すのは芸能界に長く浸かり人の汚い所を知った自分だと白鷺自身理解していた。

 

「あー、千聖ちゃん今日は早いね〜。ってあそこにいるのは彩ちゃんか」

 

 振り向けば日菜と大和がいた。

 自分の世界に入り込んでいた白鷺は声をかけられるまで気づかなかった。

 

「あれは彩ちゃん、何をしてるのかしら?」

 

「千聖さん、あれは彩さんのヒーリングタイムです」

 

「ヒーリングタイム?」

 

 白鷺にもヒーリングタイムはある。ペットの犬の散歩や友達とカフェでお茶をしている時が白鷺にとって最も安らぐ時間だ。

 いくら仕事に熱心とは言え、仕事にヒーリングタイムはない。

 

「千聖さん知らないんですか?」

 

「麻弥ちゃん、流石にヒーリングタイムの意味は知っているわ。ただあそこまで彩ちゃんを魅了するものって何なのかしら?」

 

 小声でもなく雑談程度で話しているにも関わらず丸山は会話を聴こえていなければ存在すら気づいていない。

 

「千聖ちゃん、千聖ちゃん、取り敢えず行ってみようよ。面白いよ」

 

「え、ええ……」

 

 白鷺は言われるがままに日菜の背中について行った。

 

「ねぇ日菜ちゃん辞めない? 何か悪い事をしてるみたいで……」

 

「えー、いいじゃん! 面白いよ? 今日はどんな反応するかな〜?」

 

「さては日菜ちゃん、一度や二度の話しじゃないわね」

 

 ちょっとした『だるまさんが転んだ』状態の中、丸山が振り返っていないのに足を止める。

 かなりの量話している筈なのにそれでも丸山は気づいたような素振りを見せない。これでもし気づいているのであればそれはもう凄い演技力だ。

 

「千聖ちゃん、どうしたの?」

 

「日菜ちゃん、麻弥ちゃん、何か聞こえないかしら」

 

 男の声と女の声が聞こえた。

 声の大きさは女の方が距離的に大きく聞こえ、丸山のものだった。

 

(面白いってこれの事ね)

 

 側から見れば一人で話しているように見える丸山もレッスン場のドアが少し開いている事から誰か男性スタッフと話しているに違いない。

 集中度合いから言って明らかに何か特別な感情を抱いているに違いない。

 

 分かってみれば面白くも何ともない。

 後は、彩ちゃんおめでとう、だけど私達はアイドル、付き合う事になってもスキャンダルには気をつけてね、と冗談めかしく祝福するだけだった。

 

「彩は偉い奴やな、毎日毎日よう頑張ってくれとる」

 

「ん?」

 

 耳を両手で塞ごうとしたが興味が上回り、一歩、一歩、ゆっくり近づく。

 

 聞き間違いであって欲しかった。

 

「彩、ホントいつも助けてくれてありがとな」

 

 白鷺の知っている関西弁の少年は丸山の事を名前で呼んだりしない。

 

「俺は彩がおらんかったら生きて行かれへん」

 

 それにベタ褒めを通り越した甘たるいセリフを聞いた事がない。

 

「彩ちゃん、何してるの?」

 

「彩、これからも……あっ、千聖ちゃんおはよう」

 

「お、おはよう彩ちゃん。それであなたは一体何をしてるの?」

 

 そう、全ての声は丸山からのものだった。

 

「え、え〜っとね……」

 

 とんでもない瞬間を目撃されたと言うのに丸山は嘆くよりも恥ずかしそうに照れていた。

 こればかりはうっかりで済ませないと思った白鷺だが、丸山がドアの隙間に何度も視線を送っている事に気づいた。

 

 視線から誰かが中にいるのは分かるし、丸山の理解し難い独り言からも誰がいるのかも想像出来る。

 

 白鷺は丸山と同じようにドアの隙間から覗いた。

 

 レッスン場の準備をしている彼の邪魔をしてはいけないと思った。

 

「…………」

 

 絶句した。

 白鷺の知る彼のイメージとはかけ離れた姿があった。

 顔を赤らめ、荒い息を上げながら愛用のギターに頬擦りをしていた。途中思い出したかのようにくろすでギターで拭くのも自制心が制御できていない証拠だ。

 

「すまんな、俺が頬擦りしたせいで汚してもうたな、今綺麗にしたるからちょっと待っといてな。……よし、綺麗になった。このピカピカボディ、ホント自分可愛いなぁ。今日もよろしく頼むで」

 

 うっとりした顔でギターに話しかける彼の姿を見れば丸山の独り言の方がまだ受け入れる事が出来そうだった。

 

「千聖ちゃん、一也くんって私達が来る前にあーやってギターに話しかけるんだよ」

 

 丸山は引くどころか顔を紅潮させていた。

 

「それですっごく褒めるんだー。はぁ、私、一也くんのギターになりたい。私なんて怒られてばっかりで全然褒めてもらった事がないんだよ」

 

 全てが繋がった。

 どうして丸山が独り言を呟いていたのか、

 どうしてドアを少し開けて覗いていたのか、

 

 全ては彼の持つギターと自身を丸山が重ねていたからだ。

 

「もう、千聖ちゃん。もっと『わっ』って驚かした方が面白いのに〜」

 

「日菜ちゃん! 今はそんな事を言ってる場合じゃないでしょ!」

 

 ぼやく日菜を叱りつけ半開きのドアを勢いよく開ける。

 

「一也くん! あなたちゃんと責任取りなさいよね!」

 

 この事は笑い話なんかでは済まない。

 白鷺はこの出来事を絶対に広めないと誓った。

 

 

 

 

 

「待たせたな」

 

 げんなりした表情で渡辺が戻って来た。

 

(ウエストポーチ……)

 

 三人は渡辺の腰にしがみつく丸山を見て思うが口には出さない。

 ついこないだの顔合わせで相沢が指摘して痛い目にあっているのを知っているからだ。

 

「それじゃ、一也も戻って来た事だし練習始めるか」

 

 上坂の号令に女の子がぞろぞろと集まる。

 

「それで一也くん? 合同練習って何するの?」

 

「答えるからまず離してくれんか?」

 

 渡辺は強く握られた指を一本ずつ丁寧に引き剥がしていく。

 

「まず一曲ずつやって演奏してもらう、そっから問題点を見つけ楽器ごとに別れての練習。そして最後に一回通す、これが合同練習の流れや」

 

 渡辺が独断で決めた事ではない。四人が話し合って決めた事だ。

 

「はいはいはーい! 私たちから演奏する」

 

 戸山が元気いっぱい手を挙げアピールをする。

 

「じゃあポピパからで問題あらへんな?」

 

「大丈夫!」

 

「他のバンドの練習を見学できる機会なんて、なかなかないから勉強させてもらうわ」

 

 と、否定的な声は上がらない。

 

「じゃ、みんな! 準備はOK? それじゃあ、いっくよー!」

 

 戸山の楽しそうなギターの音と共に演奏が始まった。

 

 

 

「ん〜っ、今日も楽しかったー!」

 

 演奏を終えた戸山からは疲れが見当たるどころか、演奏をしたことによって回復したように見えた。

 

「みなさんの演奏、素敵でしたっ!」

 

「この間、みんなで集まった時もおもったんだけど、ポピパは演奏がすっごくうまいってわけじゃないけど、すごく、音が楽しそうに聴こえるんだよね〜。なんでだろう?」

 

 日菜の言う通りポピパの演奏は特別上手と言う訳ではない。参加バンドの中では下から数えた方が早い。しかしポピパの音は人を楽しませる何かがある。

 

「そうだよな。こいつらの演奏って日菜さんの言う通り、うまいわけじゃないけどなんか引き込まれるんだよな」

 

「演奏する時に、Poppin’partyのみんなはどんな事に気をつけているの?」

 

「うーん……ここを気をつけようとかってあんまり考えたことなくて……とにかく思いっきりやってます!」

 

 白鷺の問いに戸山は少し考えるが思いつかず、清々しい顔で感じた事をそのまま口に出した。

 

「お前……テキトーすぎるだろっ!」

 

「いや、俺もそれが大事だと思うよ」

 

「はぁ!」

 

 上坂の意見に市ヶ谷は声を荒げる。

 

「確かに失敗しないように気をつける事は大切だけどさ、結局自分が楽しむっていうのが一番大切だと思うんだ。だからの思いっきりやるって言うのは俺的には正解だと思う」

 

「それでも香澄のはテキトーすぎるだろ!」

 

「市ヶ谷も分からない奴だな。だったら市ヶ谷が何も考えず思いっきり演奏できるように俺がしっかり練習見てやるよ」

 

「そこまで言うならやってみろよ! 今度のライブイベントで私にさっきの香澄みたいな事言わせてみろ!」

 

「はいはい、分かった。やってやるよ」

 

 上坂は内心面倒くさいと思いながら頭を掻いた。

 

「香澄ちゃんは失敗しないようにとか思ったりしないの?」

 

 緊張しやすい丸山には戸山の考え方は想像がつかない。

 

「ん〜……あんまり気にしないですっ。だって、そればっかり気にしてても、間違える時は間違えるじゃないですか? 失敗したっていいんですよ。それがロックなんですから」

 

 さっきの言葉戸山は何も考えず発した物だとばかり思っていたが戸山にも戸山なりの考えがあった。

 

「香澄、お前な……」

 

 失敗しない方法を知りたい丸山に失敗を促進する方法を教える戸山に市ヶ谷は頭を悩めた。

 

「私は緊張しちゃうとうまくできなくなっちゃうから、ただただステージをこなすのに必死になっちゃって……失敗しちゃダメだって気持ちで、もっと緊張しちゃったりするんだ」

 

 丸山の話している顔は話が進むにつれ顔が暗くなっていく。

 

「彩さん、俺から一ついいですか?」

 

「澪くんどうしたの?」

 

「これはパスパレ全体ではなくあくまで彩さん個人の緊張の解決法何ですが……」

 

「解決方法があるの!!」

 

「まぁ」

 

 思っていた以上の食いつきに上坂は驚いた。

 

「彩さんは物事をマイナスで捉えすぎてるんです。リスクはあってもリターンはない。だからネガティブになるんです。失敗した時のリスクを考えるんじゃなく、成功した時のリターンを考えましょ。そうすれば緊張もしなくなると思います」

 

「そんな事分かってるけどなかなか難しくて……、私達のリターンはステージを成功させる事だし、そう考えると緊張して……」

 

 上坂の解決法も過去に参考にし失敗した事があるらしい。

 

「大きく考えすぎなんです。ステージの成功はパスパレ全員で成す事で、彩さん一人で成す事ではないんです。五人で百点取ればいいテストで一人で百点満点を狙うようなものです。だから別に考えませんか? ステージの成功以外に何か目標を作るとか、例えば歌が上手に歌えたとかダンスが上手に踊れたとか。百点の目標じゃなくてニ○点の目標です。それでファンや出演が増えるとか分かりづらいリターンじゃなくてもっと分かりやすいリターンをもらえば成長したって実感が湧いて自信に繋がりますよ」

 

 緊張する子は自信がない事が多い。だから少しずつでも成功を体験させて自信を付ける事が遠回りのようで近道になる。

 

「分かりやすいリターンって?」

 

「そうですね……一也にお弁当を作ってもらうとかどうです? 一也の作る弁当凄く美味しいですよ」

 

 学校があった時は四人で昼を食べ相沢と四季、三人で渡辺のおかず争奪戦をよく繰り広げた。

 味は勿論美味しいのだが何より家庭の優しい味がした。

 

「一也くん、料理出来たんだ。私も食べてみたい」

 

「上坂、何勝手に話し進めとんねん!」

 

「一也くん、いいじゃないそれぐらい。それで彩ちゃんが緊張しなくなるって言うなら安いものじゃない?」

 

 詰め寄ろうとした渡辺を白鷺が捕まえ説得する。

 

「うぅ……まぁ、安いわな……。あー、分かった、頑張ったら美味い弁当作ったるわ!」

 

 手作り弁当を食べてもらえるなんてファンとして光栄の極みだと言うのに料理上手の渡辺が今まで作らなかった事に疑問を覚えたが作ると決まった今となってはどうでもいい話だ。

 

「え〜、彩ちゃんだけずる〜い。あたしも食べたい!」

 

「カズヤさんのおかずはどれも最高ですよ」

 

「それは興味深いわね、私もいいかしら?」

 

「なら自分も……」

 

「あー、もう! ステージが成功したあかつきには運動会みたいに重箱に詰めて持っていったるわ!」

 

 この日以降、パスパレはライブ前に全員揃って渡辺特製のお弁当を食べる事が恒例となった。

 

 

 

「パスパレの皆さんって仲がいいですよね?」

 

 渡辺のお弁当談義で盛り上がるパスパレを見て山吹が声をかける。

 

「ふふっ、そう見えているのだとしたら嬉しいわ。それにあなた達も十分仲が良さそうに見えるわ。その仲の良さがきっと、今の演奏を生み出してるんでしょうね」

 

「はいっ! ちょっと失敗しても、みんながフォローしてくれるし、一緒に演奏すると、みんなが何を考えているかわかる気がするんです。あー、さーやは今こんなこと考えてるのかなー、とか。有咲は今、盆栽が心配なのかなー? とか」

 

「そんなこと、お、思ってないし!」

 

 一度市ヶ谷の家を訪れた時に沢山の盆栽があった。それは市ヶ谷の祖母が手入れしている物だと思っていたがどうやら市ヶ谷が手入れをしていた物らしい。

 

「ふふ、私達も負けてられないわね」

 

「じゃあ、ハグです! ハグをしてもっと仲良くなりましょう!」

 

 白鷺はクスリと笑い、若宮は名案だと言わんばかりに力強く手を叩く。

 

「ハグか〜」

 

 丸山はチラチラと渡辺に視線を向ける。

 

「先輩、何でこっち見とるん?」

 

「私、いつも一也くんに怒られてばかりだからもっと仲良くならないとって思うの」

 

「先輩何ゆうとん? 俺と先輩は仲良しやん。今更ハグなんて必要あらへんやろ?」

 

「そ、そう? なんか正面から言われると照れちゃうな」

 

「彩ちゃん、あなた綺麗に丸め込まれているわよ。イヴちゃん悪いけどハグは無しよ。今は上手く抑えれているけど、いつまた彩ちゃんが暴走するか分からないわ」

 

「そうですか……、では今日の練習の帰りにヨリミチでもどうですか?」

 

「おおっ、いいね〜どこに行こっか!」

 

 戸山は若宮の提案にノリノリなのだが、

 

「お前はパスパレのメンバーじゃねーだろっ!!」

 

「ええっ! みんなで行く流れじゃないの?」

 

 市ヶ谷の激しいツッコミが入る。

 若宮の提案はパスパレが更に仲良くなる為の親睦会であり残念ながら合同練習の打ち上げではない。

 

「どっからどう見てもパスパレのメンバーだけで行く流れだろーが!」

 

「香澄さん、わたしはだい……」

 

「香澄は大丈夫だから今日はパスパレだけでいってきなよ」

 

「でも……」

 

 市ヶ谷が戸山を押さえ込んでいる間に山吹が説得するのだが若宮の顔色は暗い。

 

「ポピパに負けないぐらい仲良くなるんだろ? だったら取り敢えず今日はパスパレのメンバーだけで行って来たらいい。香澄達はまた今度だ」

 

「はい……」

 

 山吹の援護射撃で上坂も説得をするのだが返事こそするが顔色は変わっていない。

 若宮が納得しきれていないのは視線の先にいじけている戸山の姿があったからだ。

 

「香澄、今日合同練習終わったらメシでも食べに行くか?」

 

 上坂が声をかけると戸山のヘアスプレーで固めた耳がピクリと動いた。

 

「えっ、行く行くー!」

 

「香澄も元気になったし、これで気兼ねなく行けるだろ?」

 

「あ、はいっ!」

 

 若宮はパスパレの下に戻って言った。

 そして今日練習後のヨリミチについて話し合っているのだろう。

 

「香澄と二人きりだからって変な事するなよ」

 

 綺麗に場を収めた上坂に待っていたのは仁王立ちの市ヶ谷だった。

 

「変な事って何だよ? そもそも俺はポピパ全員を誘おうって余ってたんだけど……」

 

「そうだったらそうと早く言え!」

 

 至近距離の大音量に上坂は耳を塞ぐ。

 

「後、綾人と春夏は強制参加な。綾人はともかく春夏はパスパレの方に付いていきそうで怖い」

 

「澪は俺の事何だと思ってるんだよ!」

 

 合同練習は得るものこそあったが練習をしたか、と問われれば難しい。

 それでも他バンドとの交流や、考え方を知る事は普通の練習と比べれば遥かに成長したと思う。

 

 

 

 そんな楽しい合同練習もあっという間に終わった。

 食事の約束もありパスパレと渡辺とはCiRCLEの前で別れた。

 

 これから上坂達は食事場所を探さなければならなかった。

 練習中に探す時間はあったのだが、探してしまえばポピパというバンドの性質上練習時間が無くなると考え、練習が終わった今考える事となった。

 

「お前が誘ったんだからもちろんお前の奢りなんだろうな?」

 

 市ヶ谷はニカニカと笑う。

 いじりたい、と言う気持ちがあるのだろうが手当たり次第な感じで一言で言えば雑だった。

 

「別にいいけど、まぁ俺から誘ったし当たり前だよな」

 

「何本気にしてんだよ。いくら私だって……おい、今なんて言った?」

 

「奢るんだろ? 別にいいよ」

 

「マジか……」

 

 経済的に余裕のある社会人ならともかく高校生が七人も同時に奢るとなれば凄い話だった。

 市ヶ谷は一瞬理解が遅れ、相沢と四季は、ヒャッホーメシ代が浮いたぜ、とはしゃいでいた。

 

「でも奢ってもらうって、なんだか気が引けちゃうよ」

 

「沙綾、気にすんな、澪の奴金だけは持ってんだよ」

 

「おいコラ、人を金だけみたいに言うな。綾人には奢ってやらねえぞ」

 

 申し訳ございません澪様、と冗談めたく合唱し深々と頭を下げる。

 

「ふ〜ん、あんな大きな家に住んでたら納得だな。じゃあ遠慮なく、高い店で」

 

「こらこら有咲、遠慮なさすぎ。少しは遠慮しようよ」

 

「こいつに遠慮なんて必要いらねえ」

 

「遠慮する必要はないけど、人に言われると腹立つな」

 

「え、うそっ!」

 

 思わぬ上坂の肯定に山吹は驚く。

 

「澪の財布、干物見たいにして泣かしてやるぜ!」

 

「折角の奢りなんだし高いもの食わねえとな」

 

「上坂もいいっていってたし」

 

「ホントに良いの? 私いっぱい食べちゃうよ」

 

「澪も男だ、一度行ったことは引っ込めたりしねーよな?」

 

「心配しなくても今更引っ込めたりしないよ」

 

「それで澪くん、何ご馳走してくれるの?」

 

 戸山がまだかまだかと目を光らせる。

 

「みんなちょっとは遠慮しなよ」

 

「あんまり高いと上坂くん困るよ」

 

 山吹と牛込も今の収拾のつかない惨状から止める事を辞め、如何にすれば上坂のダメージが少なくなるのかにシフトしていた。

 

「沙綾もりみもいーんだよ。こいつがいいっていってんだし」

 

「沙綾ちゃん、今日の有咲ちゃんなんだか必死だね」

 

「そうだね、こんな強引な有咲、香澄相手でも見たことないよ」

 

「必死じゃねーし!」

 

 上坂を金銭的に泣かしてやろうと強引に話を進めた結果裏目と出た。

 

「沙綾もりみもお金に関して気にしなくていいから。ほら市ヶ谷を見てみろよ、あいつ空腹で気が荒くなってるだろ? だから早く決めてあげないと」

 

「有咲ちゃん、お腹空いてたの?」

 

「有咲もお腹空いてるの? 私ももうお腹ペコペコだよ〜」

 

「お前と一緒にするんじゃねー!」

 

 市ヶ谷の叫びが高々と響いた。

 

「じゃあ何なんだよ。俺も香澄も、もうお腹空いてるんだけど」

 

「つか、お前が空腹なんじゃねえか。あー、もう、分かった! そんなら私が決めてやるよ! みんなも文句ねえよな」

 

「有咲、私お肉がいい」

 

「肉かー……。だったら少し歩いたところに美味いって噂の焼肉店があるんだけど……」

 

「私そこでいい! みんなもいいよね?」

 

 市ヶ谷が仕切り花園の念押しもあったおかげで案外すんなり決まった。

 

「言っとくけど食べ放題とかじゃないからな!」

 

「だからそんなに心配するなよ、しつこいなぁ」

 

「値段見てビビるなよ!」

 

「良いって言ってるだろ? もうお腹空いてるんだ、早く行こうよ」

 

 口では憎み口を言うがなんだかんだで市ヶ谷は上坂の財布事情を心配してくれている。

 

 行き先も決まり市ヶ谷の言う噂の焼肉店に向かった。

 

 そこからも色々大変だった。焼肉店の高級感漂う外装に牛込が動かなくなった事や市ヶ谷が高いメニューを片っ端から注文したり、相沢と四季が『このページの物全部』とブルジョワじみた事をしたり、花園はテンションが上がりすぎて焼けていない生肉を食べかけたり、戸山が白米の食べすぎで余り肉が食べれなかったと泣いたり、会計の時に長いレシートを見た山吹が倒れそうになったりと大変だった。

 

 四季に相沢、市ヶ谷の目的である上坂の財布に打撃を与える事が出来たのかは正直のよく分からない。上坂は長いレシートを見て一言"結構食べたな"といい涼しい顔でカードで会計を済ませた。

 言葉からして財布にダメージを与えはしたが上坂本人には大したダメージになってなく三人、特に市ヶ谷は悔しい思いをしていた。

 

 家に着いた上坂は長いレシートを見た。

 金額は、六桁に入っていた。

 みんなの前では涼しい顔をしたがやはりダメージは小さくなかった。いくら貯金が多いからと言っても一○万は決して小さくない。

 

「ちょっと格好つけすぎたかな」

 

 小さな溜息をつき、今更ながら少し後悔した。

 

「だけど、たまにはいいか。みんな楽しそうだったし」

 

 上坂は長いレシートを摘みながら焼肉店でのみんなの顔を思い出し小さく笑った。



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37話 『合同練習二日目』

 

 キンコーン、とインターフォンの甲高い鐘の音に近い電子音が鳴り響く。手に持っていたコーヒーカップを勢いよく傾けた上坂は、慌てて玄関のドアを開けた。

 

「相変わらず早いな」

 

 インターフォンから確認しなくても分かる。

 さらりとした桃色の髪に、愛嬌のある大きな瞳、

 ドアを開ければベースケースを背負った上原が待っていた。

 

「だって今日は澪との合同練習でしょ」

 

 楽しみだったのか上原の話す速度はいつもより速い。

 

「違う。今日はRoseliaとの合同練習だ」

 

 今日はニ回目の合同練習。

 相手はAfterglowとRoseliaのニ組だ。

 

 上坂は家の鍵を掛ける。

 

「でも澪達がコーチしてくれるんでしょ?」

 

 上坂とドアの隙間から上原は覗き込み嬉しさが滲み出るような笑顔を向ける。

 

「そ、そうだな。まりなさんに頼まれた以上しっかり達のコーチはするけど、今日のメンバーあまり言うことないんだよなー」

 

 上坂はその笑顔に顔が熱くなり振り返り颯爽と歩き出し、平然を装う為会話を続けた。

 

「えへへへへ、そう?」

 

 隣に並んで歩いている上原は褒められて顔が赤くなっても笑顔途切れたりしなかった。

 

 上原の笑顔はどんなに濃いコーヒーよりも眠気を忘れさせる。

 

 

 

 二人はCiRCLEに着き、受付にいる月島に軽く挨拶をした。

 月島は上坂と上原を見て、ふーん、ほーん、と納得した後でマシンガンの様に息継ぎ無しに質問を投げつけた。

 上原は丁寧に答えようとしていたが、キリがないと判断した上坂が腕を引きスタジオまで引っ張って行った。

 

 スタジオのドアを開ければ相沢が楽器のセッティングをしていた。

 前回の反省と言うか今日の合同練習にパスパレがいない為渡辺は来ていない。

 相沢は持ち上げたアンプを下ろし一息ついた所で上坂に気付いた。

 

「チッ、見せつけやがってこのリア充が」

 

 本当に嫌な物でも見るかの様な目だ。

 

「何ですか? 俺がせっせと働いてる中、澪は彼女とデートですか? 良いご身分ですね〜、その幸せを俺にも分けて下さいよ」

 

 相沢はアンプの上に腰を下ろして膝を組み、更に組んだ膝の上で頬杖を突く。言ったセリフとポーズがマッチしてか小物臭が漂っていた。

 

「綾人くんってあんなんだったっけ?」

 

「綾人ってあんな奴だろ?」

 

 上坂の知っている相沢は女の子の前では調子が良く、カップルを見れば『リア充爆死しろ』と言うどこにでもいる普通の高校生だ。

 上原がうだうだとものを言う相沢を知らないのも無理はない。上原は女子で周りも基本は女子ばかり、必然的に上原に会う時の相沢はネジが一、二本緩んだ状態の相沢だ。

 

「練習を見てくれている時の綾人くんはもうちょっとかっこいいんだけどなー」

 

 彼女が別の男をかっこいいと言う事は多少妬くところもあるのだが、今の相沢を見て嫉妬の気持ちは微塵もなく寧ろ慰めの言葉に聞こえる。

 

「アレは蘭には見せられないな」

 

「だよねー」

 

 美竹の顔を思い浮かべ呟いた。

 

 相沢を若干哀れむ様に見ていると、ギィ、と弱々しくドアが開いた。

 入って来たのが美竹であれば相沢を隠さなければいけないのだが、入って来たのは四季と渡辺だ。

 

「はよーっす」

 

「おはよう」

 

 二人はパスパレがいない所為かテンションが少し低い。

 相沢を見て何も言わずに素通りした二人は黙々と準備を始めた。

 

「澪、お前あの二人を見てみろよ。仲良く野郎同士で来てるじゃねえか。お前も見習って爆死しろ」

 

「…………」

「…………」

 

 上坂と上原は相沢の脂の乗った舌に言い返す事すら出来なかった。

 

「なぁ澪? どうしてお前に彼女が出来て、俺には出来ねえんだ? 俺、自分で言うのも何だが、そこそこ顔はいいと思うんだよ」

 

 相沢の顔は決して悪くはない。良いか、悪いかで聞かれれば良い。

 ただ内面のバカさや、周りに四季春夏と言うモデル顔負けのイケメンがいる所為か、どうしても女子の視線は四季の方を向く。

 

「なぁ、黙ってないで教えてくれよ」

 

 今の相沢に事実を話すと友情が傾きかけない。

 

「(めんどくさい……)」

 

 結局、美竹が来て相沢を殴りつけるまで長々と愚痴を聞かされ続けた。

 

 

 

 Afterglow、Roselia共に揃い練習が始まる。

 合同練習は思っていた以上にスムーズに進んだ。

 これもAfterglowとRoseliaの二バンドをよく知る相沢の存在が大きい。

 パート別練習が始まるまで何度か美竹と湊が衝突する事があったが全て治めたり、事前に防いだりしていた。

 

「綾人、ここなんだけど」

 

「はいはい、ここわっと……」

 

「綾人ここの箇所、今の音さっきのよりさっきの音の方がいいかしら?」

 

「ちょっと待ってください、……はい、只今!」

 

 パート別練習では相沢が美竹と湊の間をひたすら往復している。

 

 パート別練習はボーカルとギターは相沢と渡辺、ベースが四季、そしてドラムとキーボードが上坂の担当となっている。

 

 ギターを見ている渡辺は問題はなく、ベースを教えている四季は上原と今井に質問攻めをされパンク状態になっていた。

 

「澪、いつまでもボーッとしてないでさ、早く教えてくれよ」

 

 練習風景を眺めている上坂を宇田川が呼びに来る。

 

「どうせ澪の事だひまりでも見てたんだろ? ってひまりじゃない?」

 

 宇田川が上坂の視線を追うと先には相沢の姿があった。

 

「綾人なんか見てどうしたんだ?」

 

「綾人の奴、今日俺とひまりがここに来た時に『リア充が!』って怒ってたんだけどな……どう見ても綾人もリア充だよな」

 

 美少女に頼られ『リア充ではない』と言い切るのなら切り刻まれて畑の肥やしにされても文句は言えない。

 

「まぁ、綾人もモテるからな」

 

 学校では四季があるおかげでからっきしの相沢だが、CiRCLEでバイトをしているお陰もあり、外、正確にはガールズバンドには人気があると以前上原から聞いた。

 

「蘭には勝ってもらいたいもんだな」

 

「だな」

 

 学校では大穴である相沢も場所が変われば競争率は高いらしい。

 

「ところで巴、さっき『綾人も』って言ってたけど春夏がモテるってどうして知ってるんだ? とうとう春夏の人気は学校の壁を超えてしまったのか?」

 

 四季の人気は内面の残念さが露見するにつれ低下していったがそれでも月に一度は告白されるぐらいはモテている。

 

「確かに春夏もモテそうだけどアタシが言ってるのは澪の事だよ」

 

「俺が?」

 

「だってそうだろ?」

 

 宇田川が軽く首を動かし上坂はその先を見る。

 

「…………あっ」

 

 視線の先には羽沢がいた。

 羽沢は目が合うとにこやかに手を振った。

 

「はは……」

 

 乾いた笑い声が喉から漏れる。

 親友の失恋話を話のネタに使える程の仲なのは確かなのだが宇田川の表情からは『さっさとやろうぜ』と書いてあった。

 

 

 

「それじゃあ、練習始めまーす」

 

 ドラムパートとキーボードパートを集めた上坂は宣言する。

 

「やっと始まるぜ」

 

「巴ちゃん、ご苦労様」

 

 上坂を連れてきた功労者を羽沢は労う。

 

「それでどう言った事をすれば良いのでしょうか?」

 

「うーん、そうだな〜」

 

 白金の問いに上坂は考え込む。

 

「ハイハイハーイ、どうしたらお兄ちゃんみたいに上手になれるの? お兄ちゃんのドラム、ババーンってしてビカーンってして凄かった。まるで暗雲よりいでし……りんりーん!」

 

「暗雲よりいでし地を業火に包む黒き光の矢」

 

「そうそう、それそれ〜! 流石はりんりん」

 

 中学生のあこはともかく、大人しい白金が偶に相沢と四季が言う様な言葉を使ったのは上坂にとって意外だった。

 

「巴、俺後半何て言ったか分かんないんだけど」

 

 上坂は小さい声で話しかける。

 

「あこは可愛い妹だしアタシも分かってあげたいんだが、正直アタシにも分からないんだよ。でもあこがさっきみたいな事を言う時って黒っぽいオーラが見えてなんかかっこいいんだよなー。こう琴線が刺激されるっていうかさ」

 

 逆輸入な感じではあるが似た感性を持つ二人はやはり姉妹なのだと改めて思った。

 

「それで澪」

 

「ん?」

 

「『ん?』じゃねぇよ。どうやって上手くなったんだ?」

 

「ああ、そうだったな」

 

 緩んだ空気を切ると言うやらは気持ちを切り替える意味で上坂は両手を叩く。

 

「あこが言ってたまぁ上手くなったって言ったらおこがましいけど、取り敢えず理由は二つある」

 

 上坂は片腕を突き出し指を伸ばす。

 

「これは技術と言うよりは考え方、気持ちの持ちようなんだけど、まず一つ目、いい演奏を聴かせたい、と言う気持ちだ。そして二つ目、絶対に負けない、と言う気持ちを持って演奏する事だ」

 

「あれ? 澪君、言っている事が反対に聞こえるけど」

 

 守備的な前者と攻撃的な後者、どちらも待ち合わせれるように見えるが気持ちを向ける相手が観客かライバル、外と内と考え方が対極にある。

 

「ああ、それは前者がピアノで後者がドラムの考え方だからだよ。ピアノの時は大切な人に最高の演奏を聴いてもらいたいって思ってた。ドラムは誰にも負けたくないって思って叩いた。だから二つあるんだ」

 

「どうしてそこまで考え方が一八○度変わったのですか?」

 

 上坂の過去を知る三人とは違い白金は興味心で踏み込む。

 

「昔すれてた時期があってさ、そのせいかな」

 

「そうですか、嫌な事を聞いてしまいましたすみません」

 

「いいよいいよ、気にしないで下さい。昔ならともかく今は何ともないですから」

 

 上坂が普通に昔話を出来るのも幼馴染や友達のおかげだ。

 

「それで澪の話は分かったけど正確には何をすればいいんだ?」

 

「前者なら聴かせたい誰かを思って演奏する。後者なら闘う相手を作ってひたすら演奏し合う。それを自分で決めて演奏する。それで細かい問題点はあったら見つけ次第指摘するよ」

 

 指導者のプロである渡辺や教え方に定評のある相沢とは違い、素人の上坂にはこれが限界だった。

 

「だったらアタシは後者だな。あこも同じだろ? だったら一緒にやろうぜ」

 

「いいよー。お姉ちゃんが相手でもあこ負けないからねー!」

 

「いいぜ臨むところだ!」

 

 宇田川姉妹は早る気持ちを抑えて早歩きでドラムへ向かう。

 

「その練習方はあくまで個人練習の時だけだからなー、間違っても音を合わせる時にはするなよー。音が合わなくなるぞー」

 

 上坂は注意事項を促し残ったピアノ組に目を向ける。

 

「それで二人はどうする?」

 

「私は『聴かせたい演奏』かな。澪君がそうやって上手になったみたいに私も同じやり方で成長したい。私の目標は今も昔も澪君だから」

 

「わ、私もあこちゃんと一緒で負けたくありません。湊さんも、氷川さんも、今井さんも皆さん上を目指して頑張っています。だから私も似合わないながらも挑戦しようと思います」

 

「分かりました。だったら演奏相手は俺としませんか?」

 

「「えっ……!」」

 

 白金だけではなく羽沢からも驚きの声が上がる。

 

「流石に他にも見なくちゃいけないのでずっとは出来ませんがそれでもよければ宜しくお願いします」

 

「いえ、こちらこそ宜しくお願いします」

 

 白金は何度も頭を深く下げた。

 

 話は終わりやっとの事練習が始まった。

 これから一段と気を引き締め四人のスキルアップに努めなければならない。

 

「湊さん、いい加減にして下さい!」

 

「そういう美竹さんこそ何度言ったらわかるのかしら?」

 

 もう何度目かの聞き慣れた声が聞こえた。

 発生源は相沢が指導するボーカル組で、そこでは一触即発の空気が漂っていた。

 スタジオにいる全員が手を止め二人とその間にある相沢を見る。

 

「湊さん、いつまで綾人に教わるつもりですか⁉︎あたしがなかなか教えてもらえないじゃないですか!」

 

「美竹さんは質問の回数が多いから私の時間が長くても結果的に時間的には同じぐらいだと思うのだけど」

 

 高校生にしては低レベル、まるで小学生や幼稚園児レベルの言い合いだ。真ん中で両サイドから腕を引っ張られている相沢は口では文句を言いながらも満更でない表情をしている。

 

 取り合いになる程慕われているにも関わらず『リア充爆死しろ!』と言うんだから笑える。

 

 周りは誰も二人を止めない。

 内容が内容な為、止めに行きづらいのだろう。

 中には応援しだす人もいる。

 

 上坂は大きなため息を吐く。

 練習が始まった途端にこれだ、ため息も吐きたくなる。

 取り敢えず真ん中の鼻の下を伸ばしたバカを一叩きすれば争いは終わるのだろうか、

 

 そう考えた時には既に足は相沢を目指し進んでいた。



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38話 『合同練習三日目』

 今日も今日とて合同練習である。

 前の練習では終始美竹と湊が相沢を取り合いあまり練習にはならなかった。正直なところ二回の合同練習を終えた今でもまともに練習できているとは思わない。

 だけど焦りはない。

 練習よりも交流が大切だと考えているからだ。

 そして最低限、参加バンド達は必要な課題を見つけているからだ。

 

 だが今日に限っては別だ。

 上坂は頭を悩ませていた。

 今までは練習こそ進まないにしても課題はしっかり見つけている。

 しかし今日に限っては、練習が成り立つのか? と言う不安があった。

 

「ん〜、やっとわたし達の日ね! 楽しみだわ。ねっ、澪」

 

 弦巻の調子は既に温まっている。

 その証拠に上坂を跳び箱みたいに飛び越え更に前宙まで加る体操選手ビックリの運動神経を見せていた。

 

 三回目の合同練習の相手はハロハピとパスパレだ。

 空を飛ぶ鳥のように何者にも縛られない自由人弦巻がいて練習が成り立つするのか、と言うのが過去の経験から上坂が導き出した不安だ。

 

「こころ、残念だけど俺は今日で三回目なんだよ」

 

 弦巻は同意を求めるが上坂は合同練習が初めてではない。

 

「澪あなた初めてじゃないの?」

 

「顔合わせの日に説明したし誘った時にも話しただろ。俺達は指導する側だから合同練習は全部出席なんだよ」

 

 弦巻は初めて聞いたかのような驚いた顔をし口をポカンと開けた。

 

「澪ばかり楽しい思いをしてずるいわ」

 

「楽しいからどうかは知らないけど、仕方ないだろ。俺は教える側なんだから行かないわけにはいかないだろ?」

 

「だったらわたし達ハロハピも澪達と一緒に教えるわ。……そうよ何でこんな楽しい事が思いつかなかったのかしら」

 

 弦巻はキラキラした瞳を上坂に向ける。

 昔から碌でもない事を思いつく時はキラキラと瞳を輝かせていた。その綺麗な瞳は悪意が無いからこそタチが悪く、上坂は何度も悪意のない純粋な瞳の犠牲になった。

 

「こころん! 何か面白い事でも思いついたの?」

 

「こころはいつも私達を楽しませてくれる。それで、今日は何を思いついたんだい?」

 

 北沢と瀬田は弦巻に期待の眼差しを向ける。

 

「わたし達もこれからの合同練習で澪達と一緒に教えようと思うの?」

 

「こころんナイスだよ。絶対、ぜーったい、その方が楽しいよ」

 

「さすがこころ、やっぱり君は面白い子猫ちゃんだよ」

 

 暴走した弦巻を止めるものはいない。

 上坂自身も昔からの事もあり弦巻に強く言えない。

 それだけじゃない、北沢と瀬田が加わる事で更に収集が付かなくなった。

 頼りのバンドメンバーは遠巻きで上坂を観ている。

 基本的に人見知りとめんどくさがりで構成されているのが4Cだ。

 

 このままではライベントが弦巻に、いやハロハピに乗っ取られてしまう。

 

「あんた達その辺にしときなよ。上坂困ってるでしょ」

 

「でも、私達も一緒に教えた方が、みんなで練習出来てぜっ──たいに面白いわ」

 

「はいはいそうですね」

 

 奥沢は弦巻の言葉を右から左に綺麗に聞き流す。

 

「でも。私達って人に教えれるほどまだ上手くないんじゃない? だからまた今度にしよ」

 

「美咲ちゃんの言う通りだよ。こころちゃんも4Cの演奏聴いたでしょ。みんな凄くレベルが高くて……わたし達が入ったらかえって足を引っ張っちゃうよ」

 

 奥沢と松原は弦巻の好奇心という大火を説得という水で消火活動を行う。

 

「うーん、それもそうね。じゃあ次の機会にでもしましょ」

 

 奥沢や松原の力もあってライブイベントが乗っ取られる事はなかった。

 

「あんたも立場があるのは知ってるけど、こころを好き勝手にさせると、いつまたさっきみたいなことになるか分からないよ。ね上坂! ちょっと、聞いてる⁉︎」

 

 奥沢は甘やかしすぎと指摘するが上坂はぼーっと立ち尽くし話など聞いてもいない。

 

「女神」

 

 上坂の口から声が漏れた。

 

「上坂まで何言って……花音さん、言われてますよ」

 

「ふえぇぇぇ〜……あのね美咲ちゃん、上坂くんは美咲ちゃんの事を言ってるんじゃないかな?」

 

「何言ってるんですか花音さん。そんな訳……」

 

 上坂の視線はしっかりと奥沢に向けられていた。

 

「えっ、マジ?」

 

 

 

 話が終わり蚊帳の外となった弦巻の興味は別のものに移っていた。

 

「もうすぐ合同練習の時間でしょ。やっぱり演奏する前は準備体操が必要だと思うの」

 

 至極当然な事を言っているようだが弦巻の言う準備体操は逆立ちや側転だった。しかし途中から側転が車輪の様に回るのが楽しく感じスタジオ中を側転で回っている。

 

「こころんそれ面白そう、はぐみにも教えて!」

 

「こころちゃんそんなに回ったら危ないよ」

 

 松原は頑張って止めようとするが止めるどころか参加者は増えている。

 上坂は自分の無力を悟りその光景を眺めていた。

 

「上坂あんたもあたしの事を女神って正気じゃないね」

 

「声に出てた?」

 

「はっきりとね。冗談にしてもホント恥ずかしいからそう言うの辞めてよね」

 

「分かってるって、もう言わないよ。それとさっきはありがと、助かったよ」

 

「女神ってそう言う事ね……。別に、気にしなくていいよ。こころがあーなのはいつもの事だし」

 

 側転のまま松原を追いかける弦巻を見てため息を吐く。

 

「さっきも言わなきゃいけないって分かってたんだけど、関係ってそう簡単には変わらないんだよ」

 

 上坂は過去の弦巻との出来事を思い出し身震いをした。

 

「あんたとあいつの間に何があったの?」

 

「聞くか?」

 

「いや、聞かない」

 

 奥沢にとって正直とても気になる話だ。

 だが奥沢は聞けなかった。

 この話は上坂が弦巻の思い付きに付き合わされ振り回された話で、いずれ自分も味わうかもしれない予言書の様なものだったからだ。

 

 そんな呪われた予言書、奥沢に読む勇気はなかった。

 

 

 

 もうすぐ練習時間になるがパスパレメンバーはまだ1人も来ない。

 ポピパとの合同練習の時も時間ギリギリの参加だった。芸能人はやっぱり忙しいのだろう。

 スタジオでは今か今かと渡辺と四季はパスパレ待っている。

 

「オッはよー」

 

「おはようございます」

 

「おはようございます」

 

 氷川、大和、若宮が到着した。渡辺は孫を迎えるおじいちゃんのように出迎え、四季は白鷺の姿がない事から分かりやすく肩を落とす。

 

「ほらほらっ! あたしならもっともーっと動けるわよーっ! ついてきなさい!」

 

「こころん負けないよー」

 

「ふふ……君たちは相変わらず身のこなしが軽やかだね。まるで、蝶のようだ……儚い」

 

 弦巻と北沢はスタジオ内をぐるぐると周り、瀬田は二人についていけなくなりぐったりとした様子で床に座り込んでいた。

 

「おおっ! その動き……もしかして、ハグミさんとココロさんはニンジャですか?」

 

「あははっ! 面白そー!! あたしも側転するー」

 

「コラ、氷川さん何行こうとしとるんですか? やめなさい!」

 

 渡辺は弦巻達に混ざろうとする日菜の腕を掴む。

 

「いいじゃん混ざってきても。面白そうだよ?」

 

「あかんもんはあかん! 怪我したらどうするねん!」

 

「ぶー、けちぃ、あたし怪我なんてしないもん!」

 

「するかせえへんかなんか分からんやろ」

 

「もういい、一也君の分からずや……イヴちゃん!」

 

「カズヤさんすみません」

 

 体当たりに近い勢いのあるハグに渡辺の身体が揺れる。衝撃に気を取られている間に日菜は渡辺の腕を振り解き騒ぎの中心に向かった。

 

「氷川さん、もう知らんからな!」

 

 大丈夫大丈夫、と言う声が聞こえ渡辺は頭を抱えた。

 

 

 

 スタジオはとても悲惨な状況だった。

 楽器を練習する所のはずのスタジオで誰一人楽器を持たず身体を動かしている人の方が多い。次に入ってくる人が見れば確実に体操教室か何かと間違えるだろう。

 

「ちょっと俺も行って来る」

 

「あっ、ちょっ……もう好きにしろよ」

 

 上坂の隣にいた相沢も弦巻に合流した事で勢力は更に拡大した。

 昔から弦巻には人を巻き込む謎めいたカリスマ性があったが発揮するのは今ではない。

 

「春夏も行きたいとか言うなよ。もう練習が出来るかどうかも怪しくなってくるから」

 

「千聖さんが来るのに迷惑なんてかけられないだろ?」

 

 裏を返せば白鷺さえ来なければ行くと言っているようなものだ。

 合同練習にパスパレがいて良かったと上坂は少なからず安堵する。

 

「澪、これどうするんだ?」

 

 状況は悪化の一歩を辿っていた。

 

「そりゃぁ」

 

 奥沢に視線を送った。

 

「あたし!! ムリムリ絶対ムリ! さっき助けてあげたんだから、今度は上坂が何とかしてきなよ」

 

「いやいやあれは釣り合い取れないだろ⁉︎どう見たってこっちの方がヤバいって」

 

「釣り合いが取れない分は利子だと思って行ってよ」

 

 奥沢に背中を押されるも上坂は必死に足を踏ん張り抵抗する。

 それでも奥沢の力は強く少しずつだが上坂は前進する。

 

「そうだ春夏が行けばいいんだよ。あれを何とかしたら白鷺さんも悲しまないだろ?」

 

「ダメ、あんたが行く! あれは生半可な覚悟で行ったらミイラ取りがミイラになるんだから」

 

 ズリズリと足は前に進み、犠牲になるのも時間の問題だった。

 

 

 

 丸山はスタジオを目指して一直線に走っていた。

 忘れないように練習の一時間前にアラームをセットし、今日こそは渡辺がギターを愛でてる姿を見ようと思っていた。

 

 丸山の家からCiRCLEまでは距離がある。行くにしても交通手段は必須。

 丸山にタクシーを使う程の経済的余裕はなく選択肢は電車しかない。

 迷う事なく駅に向かった丸山だったが改札を前にICカードの残高がなくなり切符を買うにしても財布を忘れた事に気付いてしまった。

 

 そうして家まで財布を取りに帰った結果が今の丸山だ。

 

「すごい音がしたけど、一体……」

 

 遅れて来た丸山がゆっくりとドアを開ける。

 

「あ、彩さん〜!! 大変、大変何です……」

 

「大変って何が? ……こ、これは凄いね」

 

 スタジオ内に協調性のカケラもなく、正に学級崩壊の様な構図だった。

 

「丸山先輩、あん中楽しそうに見えるかも知れんけど行ったらあかんで」

 

 どれだけ厳しい練習をしたのか渡辺は既に疲れ切っていた。

 遅刻はしたとは言え時間にしては一○分とちょっと、渡辺の体力がなくなるにしても早すぎる。

 

「一也くん何言ってるの? 確かに最初は面白そうって思ったけど、私高校生だよ? そんな興味だけで動く程子供じゃないよ。……えっ! 一也くんどうしたの⁉︎」

 

「先輩すみません。正直先輩の事自分より子供やと思ってました。やけど先輩も成長して……あかん感動して涙が出て来てもうた」

 

 渡辺の瞼には涙が浮かんでおり、腕で涙を隠した。

 

「ねぇ千聖ちゃん、これって褒められてるって受け取ってもいいのかな?」

 

 丸山には遅刻仲間がいた。

 遅刻仲間は電車の乗り換えを間違え最寄りの駅で出会った白鷺千聖だ。

 

「彩ちゃんも普段から頑張ってるのは一也君も知ってるし、そう受けとってもいいんじゃないかしら?」

 

「そ、そうかな」

 

 褒められるのは嬉しい筈なのだが素直に喜ぶ事が出来なかった。

 

「す、す、すみません〜〜!!」

 

 丸山が反応に困っている中、松原が申し訳なさそうに駆けつけた。

 

「合同練習までに何とかしようと思ったんですが、ぜ、全然収捨がつかなくなってしまって〜……すみません、私が止められなくて……」

 

「花音が謝ることじゃないわよ。ふふ、ハロー、ハッピーワールド!の皆さんは元気がいいのね」

 

「おや……! 千聖じゃないか。相変わらず麗しいお姫様だね。元気だったかな?」

 

 突然王子様の様なカッコいい女子が現れ白鷺は女子でも見惚れる顔を見て顔をしかめた。

 

 

 

「あっ、千聖さん!」

 

 四季が白鷺の所へ行こうとするが上坂が肩を掴み止める。

 

「待て! ここで春夏が行ったら本当に収拾がつかなくなる」

 

 初めは抵抗していたが抵抗は時間と共に弱まり最終的にはピタリと止まった。

 

「なんなんだあの野郎!千聖さんに馴れ馴れしい!」

 

 四季は白鷺へ話しかける瀬田にギリギリと奥歯を鳴らしていた。

 

「春夏、野郎っ言ってるけど瀬田さん女の人だからな」

 

「へっ?」

 

 やはり四季は瀬田の事を男性だと思っていた。

 瀬田は男性にも見えない事はない。ほんと宝塚何ちゃらに行けば直ぐにでもトップを取れるだろう。それでも瀬田は女性、普通は間違えないが、意中の相手に親しく話しているのを見て四季は正常な判断ができなかったのだろう。

 

 四季は確認する様に奥沢を見るが黙って頷く。

 

「美咲、一応こいつを抑えておくから、ちょっと二人の関係について聞いてきてくれないか?」

 

「分かった」

 

 奥沢はスタジオ唯一の安全地帯へむかった。

 

「……と言うわけだから別に薫さんを敵視する必要はないんじゃないかな」

 

 安全地帯から帰って来た奥沢は白鷺と瀬田の関係性を説明した。

 結論、二人は親同士に繋がりのある幼馴染だった。

 上坂で言えばAfterglowのメンバーと言うより弦巻との関係の方が近い。

 

「美咲、助かったよ」

 

「どういたしまして」

 

「そういうわけだから、春夏落ち着いたか?」

 

 四季はさっきの激しい感情とは違い落ち込んでる様に見えた。

 

「春夏、今の話のどこに落ち込むところがあるんだよ」

 

「親同士の親交があったのが羨ましい……」

 

「ああ、そこね」

 

 四季の意見に奥沢はなんとなく納得した。

 

「親同士の親交がそんなに羨ましいか?」

 

「幼馴染が沢山いるお前にはわからねえよ」

 

 幼少期から可愛い女の子に囲まれて人生イージーモードな上坂には四季の悩みは分からないように見えるが実際は違う。

 

「そっか、上坂もこころと親同士の親交あるから分かるんだ」

 

「俺はあっちの二人と違って完全に上下が決まってたからなー」

 

 もし上坂の父親が弦巻の父親と同等の関係だったら少しは弦巻に自分の意見を伝える事が出来ただろう。

 

「?」

 

 置いてけぼりな会話に四季は首を傾げる。

 

「春夏は知らなかったよな、俺とあそこで綾人と一緒にはしゃいでる黄色い髪のこころって言う女の子は親同士の親交があってお世話をし……世話になった事があるんだよ」

 

 弦巻は側転は辞めており、今は前転競争をしていた。

 回る事を辞めたと思えばまた回る。一体三半規管はどうなっているんだろう、と上坂は思った。

 

「今、世話したって言おうとした?」

 

「言ってないし思ってもない」

 

「お前も苦労してるんだな」

 

 四季は軽く上坂の肩を叩いた。奥沢も同情する様な目で上坂を見ている。

 

「あいつらあんなに動いて元気って化け物か……はぁ、はぁ」

 

 体力の限界を迎えた相沢がノロノロと足を引きずりながら戻って来た。

 

「は、早く練習始めねえと死ぬ……」

 

「綾人、早く戻って来なさいよー」

 

 スタジオの真ん中から聞こえる弦巻の声と共に相沢は倒れた。

 楽しそうの興味本意で近づいた結果が今の相沢だ。相沢は自分の身を削って弦巻こころの恐ろしさを痛感した。

 

 弦巻を止めれるのは上坂と奥沢の二人しかいない。

 奥沢には一度助けてもらった借りがあるし、相沢にも前回の合同練習でもめないように取り持ってくれた。

 

 倒れる相沢を見て上坂はため息を吐く。

 

「こころー! 全員揃ったぞ、練習しないのか?」

 

 前転のモーションに入った弦巻は腕をバネのように勢いよく伸ばし立ち上がった。

 

「そうよ、練習よ! すっかり忘れてたわ! ……でも澪、あなたも忘れてない? まだミッシェルが来ていないわ。ミッシェルー、ミッシェルー。もぅミッシェルはいつも遅いんだから。皆んな困ってるじゃない」

 

 上坂は、困らせた元凶が何言ってるんだ? と言いたい気持ちを押し込め信じられない物を見る目で奥沢を見る。

 

「えっ、こころ何言ってるの? まさか美咲が……」

 

「そう言う事。こころは……と言うかはぐみも薫さんもあたしがミッシェルだって理解してないの」

 

 理解していないという事は一度は正体を明かしているという事だ。

 それが弦巻だけの問題じゃなく後二人もいる事に奥沢の苦労が目に浮かぶ。

 

「それじゃ、さっさとミッシェルになってくるから上坂達は練習の準備しといてね」

 

 奥沢の着替えは早く部屋を出たと思ったら直ぐに戻って来た。

 多分服を着替えるよりも早いと思う。

 

「みんなー、集合だよー!」

 

 ミッシェルは教育番組に出てくるキャラクターのようだった。

 ピンク色の毛を除けばこれといった特徴がないクマのキグルミ。

 ミッシェルは元々商店街のマスコットになる予定だったが誕生日(顔出し)を過ぎた翌日からは色んな所で見られる野生のクマのマスコットになった。

 

「ミッシェルやっと来たのね!」

 

「今日はPastel*Palettesの人達にパフォーマンスと4Cの人達に技術を教えてもらう日なんだから、失礼のないようにしないとダメだよー」

 

 奥沢は抱きつく弦巻を簡単に持ち上げる。

 

「そうね! まずパレットなんとか……? の人たちの話をして聞かないとね」

 

「えっ……これ、どういう状況ですか?」

 

「全然わかんない……」

 

 突然始まった教育番組の様な光景にパスパレはついていけない。

 

「あなた達、アイドルなんでしょ? プロのパフォーマンスを知りたいのよ! ドーンと! 盛り上がる様なやつをね」

 

 弦巻はパスパレからプロのパフォーマンスについて学ぼうとするがアイドルを何か勘違いしている。

 

「ど、ドーンって言っても……なんか、こころちゃんって日菜ちゃんとちょっと似てるね?」

 

 パスパレは弦巻の質問にどう対応すればいいのか悩んだ。

 

「すみません、いきなり言われてもわからないですよね。顔合わせの時にみなさんの演奏を聞いてて、こう……パフォーマンスが完成されてるなあと思ったんですよね」

 

「だから、あの……どうしたらそんな風に出来るのか知りたくって……」

 

 弦巻の分からない質問をが通訳のようにしパスパレに伝えようやく分かった様な顔をした。

 

「ジブンはアイドルから一番遠い存在なんですけど、一也さんからよく言われるのは『イメージを持て』ってことでしたね」

 

「イメージ?」

 

「ステージにいる自分や、バンドを想像するんです。そこで自分はどんな風に演奏しているのか? 周りはどんな表情をしているのか? 最高の演奏をしている姿を想像するんです。常にその理想を自分の中で持ちながら、それに近づくようにレッスンを重ねていくんです」

 

 結局は自分の成功が想像できなければ成功する事は出来ない。大和はそう伝えたかった。

 

「なんだ〜、一也そんな事言ってたのか」

 

「なんや悪いか? 逆に相沢はそういう話せえへんのか?」

 

「俺? しねえよそんな事。俺が出来るのは精々技術を教える事ぐらいでそう言ったのは専門外だ」

 

 技術面だけではなく気持ちや考え方を教える事ができるあたり同じ指導者としても渡辺はレベルが違う。

 

「はぐみもソフトボールの監督に言われたことあるっ! イメージトレーニングってやつだね」

 

 北沢の回答はしっかり的を射ていた。

 

「そうっ! スポーツと同じだよ! 一生懸命練習して、本番のイメージに、自分をどんどん近づけていくの」

 

「常に頭の片隅にステージを意識しておくこと……これは大切なことね」

 

「なるほどー。うちの爆弾は当日までどう爆発するかわかんないからなあ……もっとそのへんをイメージできていれば……」

 

 パスパレの意見が参考になり納得したは頷いた。

 

「爆弾? そんな危険なものは早めに取り除いたほうがいいわね!」

 

「はいはい、そーですね」

 

 弦巻は自分が爆弾と言われていることに気づかず危険なものは取り除くべきとに忠告した。

 

「でも、あなた達の演奏をみたところ、何が起こるかわからないのがよさという感じもするから、一概に私たちのやり方がいいとは限らないわ」

 

「ハロー、ハッピーワールド! のみなさんのライブはびっくり箱みたいで、とっても楽しかったです!」

 

「うんうん、あたしも超超楽しかったよー!」

 

 パスパレはちゃんとハロハピの良いところを理解している。

 

「そうだな俺もハロハピの演奏にはすっげえ驚いた」

 

「歌いながらバク転とかほんとやばかったぜ」

 

「あの発想逆に教えてもらいたいぐらいやわ」

 

「俺はハロハピって何かやってくれるんじゃないかっていう期待はあるよ」

 

 4Cもハロハピの良いところを理解している。

 

「さてとパスパレからパフォーマンスについて聞くことは出来ましたし」

 

 体の大きなミッシェルが上坂に向く事で次第に視線が集まる。

 

「そうね」

 

 弦巻も頷き上坂を見る。

 

「次は澪、あなた達の番よっ! 一体私達にどんな素敵な事を教えてくれるのかしら?」

 

 派手さで言えばハロハピやパスパレに勝てるはずがない。

 教えれる事は技術指導が大半だ。

 

 本当に弦巻は難しい事を言う。

 応えることがどれだけ難しいか分かっていないだろう。

 だけど応えるたびに弦巻は笑った。

 結局、上坂が甘やかしたのも笑顔が見たかっただけかも知れない。

 

「仕方がないなぁ、とっておきを教えてやるよ」

 

 考えはない、ノープランだ。

 上坂は音楽を教えるプロではなくとも弦巻を笑顔にするプロだ、どうにかして上がりに上がったハードルを乗り越えてくれるだろう。

 



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39話 『合同練習四日目』

 

 合同練習も四回目、しつこい様だが練習は出来ていない。

 それもこれも一癖も二癖も強い少女達の手綱を一般庶民の男子共が掴めていないせいだ。

 上坂は学校では教師の目に留まり騒ぎの中心となったりと少なからず目立っている自覚はあったのだが、あくまで一般人の域の話だ。

 曲者揃いの少女達の中だと上坂はおろか4Cのメンバーは目立つ事はなく少女達に振り回されている。

 

 来週にはミニライブが控えている。成功させると気持ちが早るのかと思えばそうではない。練習はしていないにしても少女達の意欲は高く会話を交わし、情報や切っ掛けを掴むだけでどんどん成長していく。

 

 玄関で靴を履き終えた上坂は座り込んで大きなため息を吐いた。

 少女達が成長していくのは嬉しい事だが、上坂自身はあまり成果を上げていない。何もせずに成長する少女達に、自分は必要なのか、と思う他に実績を上げてもいないのに感謝の言葉が贈られると言う事に罪悪感があった。

 

 今日こそは、と意気込み立ち上がる上坂だが自信がない。

 家の鍵を閉め、重い足取りで進んだ上坂はもう一度ため息を吐き門扉の鍵を閉める。

 

「澪、どうした? 朝からテンション低いぞ」

 

「澪君、調子悪いの?」

 

 家の前まで幼馴染達が迎えに来てくれていた。

 前回、上原と二人で行った為相沢の愚痴を長々と聞かされてしまった。だったら全員で行って文句を言えなくしてやろう、と言う考えだ。

 何しろ相沢への対処、と言うより手が早い美竹がいる方が物事がスムーズに進む。

 

「ありがとうつぐ、調子は良いよ。ただ……」

 

「ただ何? れーくんはこーんな美少女に家まで迎えに来てもらって何か不満でもあるの?」

 

「不満なんてないよ。みんなに来てもらえて両手に花どころか花束を持ってる気分だよ」

 

「そんな花束を抱えたれーくんはどうしてため息を吐いてたの? そんなんじゃ綺麗に咲いた花も枯れちゃうよ〜」

 

 覗き込む様な青葉の瞳に上坂はたじろぐ。

 

「うっ、悪かったよ。ただ俺って、合同練習で指導するって言ってた割に全然教えれてなくて、それでみんなから手柄をもらってもいいのかなって思ってさ」

 

 ライブは成功する。これは確信している。

 ただ両手を広げて喜ぶ事が出来るのか、と問われれば分からない。

 

「澪、そんなの気にするなよ」

 

 宇田川は呆れた表情を浮かべていた。

 

「そうそう。澪は実感が湧いていないだけで私達は澪達のお陰ですっごい成長してるんだから」

 

「巴、ひまり……」

 

「おっ、流石はひーちゃん。彼女なだけあって効果は抜群」

 

「……モカはホントブレないな」

 

「それがモカちゃんの長所ですから〜」

 

 掴み所のない飄々とした青葉を見ていると問題でもない事を問題にしうじうじと考えていた事がバカらしく感じた。

 

「あー、うじうじと考えるのは辞めだ、辞め。俺はイベントの成功とみんなの成長の事だけを考えればいいんだ」

 

 目的はイベントの成功と少女達の成長。その二つさえクリアさえすれば何一つ問題はない。

 

 上坂は盛大な独り言を言いながらCiRCLEを目指し歩く。

 

「澪?」

 

「これは吹っ切ったって事でいいのか?」

 

「みんな何してるんだ? 早く来ないと置いていくぞ」

 

 幼馴染達は戸惑いながらも上坂の後を追った。

 

 

 

「ねえねえ、今日一緒に練習するハロー、ハッピーワールド! のギターの人、超かっこよくない?」

 

 道中全くバンドに関係のない話をしていたがCiRCLEの自動ドアを潜った瞬間から話題が変わった。

 それでもバンドとは関係なく、あくまで今日の合同練習の相手についてだ。

 

「どんなひとだっけ?」

 

 あまり他人に興味を持たない美竹はもちろん覚えてはいない。

 

「もお〜! 覚えてないの? 同じ学校の先輩だよ? 背が高くて、ポニーテールの」

 

「瀬田さんの事だろ?」

 

 すっかり調子の戻った上坂が答える。

 ハロハピにカッコいい人なんて一人しかいない。

 

「なんで学校違うのに澪が知ってるの?」

 

「なんでって、前の合同練習で一緒だったからだよ」

 

「やっぱり薫先輩って練習中もかっこいいの⁉︎」

 

 上原は目を輝かせている。

 

 上原はミーハーな所があり上坂家でテレビを見る時も好きな俳優、女優が出てたら彼氏である上坂をそっちのけで興奮する所がある。

 

「まさかひまりも瀬田さんの事、男だと思ってたりしないよな?」

 

 既に瀬田を男と間違えた残念な奴がいる。だから二人目がいてもおかしくない。

 

「澪、何いってるの? 薫先輩は女の人だよ。さすがの私も間違えたりしないよ」

 

 上坂の言葉が冗談だと思い可笑しそうに笑っている。

 

「それを聞いて安心したよ」

 

 上原が四季と同じく性別を間違えるぐらいの頭の悪さじゃなくてよかったと思った。

 

「れーくんもしかして妬いてるの?」

 

「えっ、澪妬いてるの?」

 

 青葉の言葉に上原は嬉しそうな表情を浮かべる。

 上坂の言葉は瀬田に嫉妬をしているように聞こえてもおかしくはない。

 

「なんでそうなるんだよ」

 

「だって〜、薫先輩、れーくんより顔もいいし背も高いし」

 

 容赦のない言葉が上坂に刺さる。

 上坂も決して顔が悪いわけではないただ相手が悪い。瀬田と顔で渡り合えるのは上坂の知る限り四季ぐらいだろう。

 

「顔が勝てない事はわかってるけど、背の高さは言わなくていいだろ」

 

 上坂のコンプレックスの一つが低身長だ。

 身長はコンプレックスと言う程低い訳ではないのだが4C のメンバーである相沢も四季も上坂よりも一五センチ以上背が高い。その所為もありクラスの数少ない男子からは"上坂が真ん中にいると凹凸の凹の字みたいだな"とバカにされる。そしてバンドメンバーの中では一七○前半と一番身長の近い渡辺はバカをする三人を見守る母親的ポジションな為二人に比べて距離が遠く、並ぶ時は相沢と四季に挟まれる事が多い。

 

「れーくん、今何センチ?」

 

 青葉は無神経にも上坂のコンプレックスである身長を聞く。

 

「……一六○」

 

 本当は教えたくなかったのだが、話さなければ逆に気にしてるみたいに思われて嫌だった。

 とは言え長い付き合いの幼馴染には実際上坂が気にしている事はバレバレだった。

 

「ともちんより背が低いんだー」

 

 宇田川の身長は上坂より少し、見れば分かる程度に背が高かった。

 だから声に出さなくても見れば分かるのだが、わざわざ言うあたり青葉の悪意を感じる。

 

「澪、気にするな。身長なんてこれからいくらでも伸びるって」

 

「そうだよ。今度私が身長が伸びるように牛乳たっぷりのシチューを作ってあげるから」

 

「その優しが辛い」

 

 上坂は両手で顔を覆った。

 

「ねえ、あれって……」

 

 美竹が上原の服の袖を軽く引っ張りドアの前で立っている人物を指差した。

 

「薫先輩!」

 

 上原の声に気づき瀬田が近づいてき声をかけた。

 

「やぁ澪、と言うことは君達がAfterglow のメンバーだね」

 

「はいっ! あの……ハロー、ハッピーワールド! の瀬田薫さんですよね?」

 

 上原は有名人を見てるかのような高い興奮があった。

 

「そうだよ。こんな可憐な女性に私の名前を覚えてもらっていたなんて、光栄だな。ところで澪、先ほどから声をかけてるのに答えてくれないなんてつれないね」

 

 瀬田は上坂に無視されてるのに傷ついた様子は一切なかった。それも同じような態度をいつも幼馴染である白鷺から受けているからだ。

 

「瀬田さん、身長はいくつですか?」

 

 見た感じ明らか自分より高いのは分かっていた。しかし聞いておきたかった。

 

「身長? 君は私の背の高さが気になってたのかい。私は一七一センチだ。この間衣装の採寸に身長やウエストを測ったから間違いはないよ」

 

 上坂はあまりの衝撃に思わず膝をつきそうになる。

 

「ひゃ、ひゃくななじゅう……」

 

 見た目からも背が高いのは分かっている。

 だが上坂が夢にまで見た一七○センチ台に瀬田が入っているとは思いもよらなかった。

 

「澪、どうしたんだい?」

 

「大丈夫です。気にしないでください」

 

 瀬田が手を伸ばすも美竹が断る。

 

「ところでドアの前で何してるんですか?」

 

 落ち込んでいる上坂を無視し扉の前から一歩も動かない瀬田に問う。

 

「スタジオへと続くこの扉を開けてもらえるかな? 何度押しても開かないんだ。まるで、この扉は私とスタジオを隔てる天の川のようで……」

 

「このドア『引く』ですよ」

 

 大抵の扉は引き戸だ。それは扉を押して中に居る人に扉が当たってしまうのを防ぐ為だ。

 

 瀬田はフッと少し笑い何事もないように扉を押すのではなく引いた。

 

「ど、ドア、開きましたねっ! おめでとうございますっ! じゃあ早速、中にはいりましょうっ!」

 

「……こういう時つぐがいてよかったって思うよ」

 

「あたしも〜」

 

「ほら澪、いつまで落ち込んでるの合同練習始まっちゃうよ」

 

 上坂は上原に腕を引かれとぼとぼと扉の中へ入って行った。

 

 

 

 スタジオには既に全員が揃い、ハロハピが最後の一人である瀬田を見つけた。

 

「あっ! 薫くんにれーくん! それにAfterglow の人たちだー」

 

「薫! やっときたわね!! それじゃあ一曲やるわよー」

 

 瀬田が来るのを今か今かと待っていた弦巻は顔は笑顔であるが言葉は少し急かして見える。

 

「主役は遅れて登場するものさ……! さあ、奏でよう! 私達の歌を!」

 

 瀬田はいつでも演奏できるようにギターを構え腕を広げ、役者のように自分を大きく見せる。

 

「えっ、そういう感じ⁉︎ちょ、ちょっと待ってって」

 

 奥沢が慌てて姿を消した。

 それもそのはずハロハピのDJは奥沢であって奥沢ではない。

 ミッシェルなのだから。

 

 

 

 ハロハピの演奏が終わった。

 

「薫先輩、超かっこいい〜」

 

 上原は瀬田の演奏にうっとりしていた。

 

「澪、いいのかよ! 上原さん目がハートだぜ」

 

 四季は上原を指差して上坂に訴える。

 

「まだ言ってるのか? 瀬田さんは女の人だぞ」

 

「それはもう分かったって」

 

「何だ分かってるのか。ひまりの事? 別に気にしてないって。だってひまりミーハーだし」

 

 だから上原がカッコいいと言ってもあまり気にはならない。

 

「いつ見ても自由な演奏だな……これでまとまってるってのが不思議なぐらいだ」

 

「あたしが五人いるみたいだね〜」

 

「モカが五人いたら破綻するわ!」

 

 相沢がツッコミを入れる。

 一見ハロハピの演奏を見れば演奏の自由っぷりから青葉が五人いるように見えない事はない。しかしハロハピには自由人をまとめるミッシェルと松原がいる事を忘れてはならない彼女らのおかげでハロハピはまとまっている。

 

「でも……すっごい楽しい」

 

 各自ハロハピの演奏に感動を表した。

 

「よしゃ、さっそく各楽器ごとで練習……と言いたいけど、ハロハピには、キーボードがいないからなー」

 

 相沢が頭を悩ます。

 ハロハピにはキーボードがいない。その代わりにDJがいる。

 

 前回の合同練習では互いに曲の披露こそすれどそこから先は進まなかった。

 進まないと言えば練習が全く進まなかったと思うが実際は演奏→討論会→弦巻のテンションが最高潮になり演奏の繰返しで個人練習が出来なかった。

 

「あら。キーボードがいないのってそんなに変な事なのかしら?」

 

「へんじゃないよ。キーボードがいないというより、DJがいるっていうことの方が珍しいかな?」

 

「でも編成に決まりなんてないでしょ? 元からある枠の中にいるなんて、きゅうくつすぎるじゃない! そんなんじゃあたしのやりたい事はやれないもの!」

 

 弦巻はバンドの事を全く知らない状態からハロハピを作った。バンドを組むにしても本やインターネットで調べたりもしていない、全く白紙の状態から初めた。

 だから当然弦巻は当たり前を知らない。そのたくさんの当たり前じゃないが集まり重なって今のハロハピが出来ている。

 

「こころらしい良い考え方だな」

 

「澪、あなたなら分かってくれると思っていたわ」

 

「ちょっ、上坂余計な事言わないでよ。これで振り回されるのは私なんだから」

 

 奥沢は不機嫌な顔で上坂に詰め寄り、弦巻はその様子を見て笑っていた。

 

「あたし達は世界を笑顔にしたいの。そしてその方法がこれって訳よ」

 

 弦巻は指でヘッドマイクを触る。

 ハロハピは決してバンドをやってるつもりはない。ただ世界を笑顔にする手段がバンドなだけだ。

 

「世界を笑顔か……難しい事だけどこころならやってしまいそうだな」

 

「あたしだけじゃないわ。ハロハピみんなでやるのよ!」

 

「あははっ。壮大で面白いかも! 夢はでっかく! だね」

 

「うんっ! 難しいことはわかんないけど……みんなが笑顔になれれば、それでいいと思うんだ! はぐみ達にとっては、それが一番大事だから!」

 

 もちろん、みんなが良ければ自分はどうでもいいという自己犠牲な話ではない。みんなが笑顔だから自分達も笑顔になれる。という事だ。

 

「いいね。あたしはそういう考え、嫌いじゃない」

 

「あたしも〜。自由って、サイコーだよね〜。なんか、海賊みたい〜。よーほー! ってね」

 

「アタシ達も好きにやってたけど、それはロックって枠の中での話だ。文字通り何もとらわれないスタイルは見てて気持ちがいいな!」

 

「俺も色んな楽器をやってるけどまだ枠の中って事だったんだな」

 

「俺達もそろそろ次のステージに進まねえとな」

 

 相沢と四季は渡辺をチラ見する。

 

「はあ、自由にするのは勝手やけど迷惑はかけんようにな」

 

 北沢の言葉は渡辺さえも納得させるほど人の心を掴んだ。

 

「なんか、わかんないけどはぐみ褒められた?」

 

「はぐみはちゃんと褒められてるよ」

 

「そうなのみーくん? やったー! みんなありがとうっ!」

 

 北沢は体全身を使って喜びを表した。

 

「ま、自由すぎてめんどくさいことばっかりだけど他のバンドからそう言ってもらえると、まんざらでもないね」

 

 奥沢も日頃自由すぎるバンドに不満や文句はあるが、人から肯定されると嬉しい物がある。

 

「自由だけど、ちゃんと『世界を笑顔にしたい』って気持ちはみんな同じだもんね。だから一つの音楽が生まれるんだろうね」

 

 ハロハピのメンバーは道を進む時、寄り道を沢山する。しかし進む道は違っていても最後のゴールは何一つ変わらない。

 

「はいっ! そうだと思います。みんな本当に、世界を笑顔にしたいって気持ちを持っていますから……」

 

「なんか、うちらのバンドがこんなにキレイにまとまった言葉で褒められるとはね……」

 

 文章にならないようなハロハピの良さを簡単に分かりやすくまとめられ奥沢は嬉しさより驚きがまさった。

 

「あのっ! みんなに相談があるんだけど……」

 

 ハロハピの話を黙って聞いていた羽沢が口を開いた。

 

「おっ? つぐ、ひらめいちゃった〜?」

 

「私……今までの枠から外れるために、キーボード、やめようと思う!」

 

 羽沢の一言はAfterglow と4Cに衝撃が走った。

 

「つぐ待て、なんでそうなる?」

 

「ハロハピの話を聞いて思ったんだ。4Cやハロハピの演奏がどうして人を惹きつけるのか、それは表現力が高いからだと思うんだ。型にはまっていた私達がいきなり自由な演奏が出来るはずがない。だから澪くん達みたいに別の楽器を覚えて視野を広げたいの」

 

 羽沢はただハロハピに影響を受けただけでなく自分の考えを持っていた。

 

 別の楽器に挑戦する事で視野が広がるのは確かだ。相沢と渡辺はギター、ベース、キーボード、ドラムと四つ種類の楽器を演奏する事が出来、それぞれの活かし方を知っている。

 だから急遽演奏することになっても上坂や四季に合わせたり、時には前に出たりと、様々な楽器が出来るからこそ楽器の生かし方を知っている。

 

「なるほど、いい心意気じゃない! あたし達も、いつまでも決められた楽器ばかりやっていてもダメよね!」

 

「じゃああたしもこれを機に別の楽器でもやろうかな〜」

 

「それならはぐみの楽器貸してあげるよ!」

 

「それ誰が教えるんだよ!」

 

 相沢は青葉が北沢から借りたベースを指差しす。

 

「そんなのあやとんに決まってるじゃん。全部できるんだし〜」

 

「だったら一也はどうだ? あいつも、って言うよりあいつの方が俺より楽器扱えるぞ」

 

「相沢、勝手に巻き込むなや!」

 

「えっ、一也君も色んな楽器扱えるの?」

 

「そやで、俺に任せたったら全部解決や。しっかり鍛えたるさかい、覚悟しいや」

 

「相沢、何勝手に話してくれとんねん! それとなめた関西弁使いよって! ちょっとそこに直らんかぁ!」

 

 逃げた相沢を渡辺は鬼の形相で追いかけて行った。

 

「つぐもモカも別の楽器するなら、わたしもキーボードとドラムに挑戦する」

 

「なんでその二つな訳? 上原さんベースでしょ、別の楽器ならギターでいいんじゃない。なんで全く違うドラムとキーボードな訳?」

 

 奥沢はハロハピが原因で、Afterglow が楽器移動をする流れになってしまい、本来であれば止めなければならなかった。だけど上原の具体的な移動に、羽沢のようなハロハピの影響を受けたのではなく、以前から考えていたような気がした。

 

「だってドラムとキーボードなら、澪に教えてもらえるから!」

 

 上原の答えは欲の塊だった。

 上原はそう言って上坂に腕に抱きついた。

 奥沢はいつものだるそうな目を大きく開き上坂と上原を交互に見た。

 

「上坂と上原さんってどんな関係?」

 

 野暮だとも思ったが、奥沢の予想が正しければ目の前の二人は別に隠しているようには見えず、聞いても問題ないのだろうと奥沢は思った。

 

「どんな関係って……幼馴染で」

 

「恋人!」

 

「やっぱり」

 

 奥沢の予想はやはり合っていた。

 目の前でここまで見せつけられたら嫌でも分かる。しかしここまで堂々とされれば嫌な気は起きずいっそ清々しかった。

 

「いいのか? このままだとお互い大変な事になるけど」

 

「あ、ほんとだ。すっかり忘れてた」

 

 奥沢にしては珍しくハロハピから意識がそれていた。奥沢も女子高生、色恋に興味がないわけではない。友達に彼女がいるとならば尚更だ。

 

 今こうして話してる間にも相沢は渡辺に追いかけられ、四季は上原を除く幼馴染に流されるままにベースを教え、松原だけが事態を抑えるのに奮闘していると中々の状況が広がっていた。

 

 手遅れに近い場所に飛び込むのは気が引けるのだが、放っておけば問題ないと安心していたイベントライブの成功が危ぶまれる。

 

「じゃあ俺がAfterglow を抑えるから、美咲はハロハピを頼む」

 

「あんたさらっと私にしんどい方押し付けてない?」

 

 日頃から弦巻、瀬田、北沢の問題児ばかり見てる奥沢にとってAfterglow のメンバーは全員優等生にしか見えなかった。

 

「押し付けてない」

 

 上坂は奥沢の目を見ず視線は明後日の方向に向いており、そのまま逃げるように事態を抑えにいった。

 

「あーもう、仕方ない」

 

 奥沢もこれには仕方がないと思った。

 自分がそんな役回りとはいえこれしかなかった。上坂なら一番の問題児である弦巻と関係がある事からハロハピの方も鎮める事が出来る出来るだろう。しかし自分は顔合わせの日と今日二回しか合ってない人たちを抑えることができるだろうか、

 

 奥沢は上坂に腹を立てながらも言われた通りに問題児を抑えにいった。

 

 

 

 上坂は奥沢ほどではなかったが、幼馴染の説得に苦労した。美竹と宇田川は上坂が行った頃には、楽器移動の話は終わっていて、羽沢に関しては楽器移動のデメリットを伝えると引いてくれた。大変だったのは青葉と上原の二人。

 

 青葉は、

 

「モカちゃん天才だから楽器の二つ三つ掛け持ちしても問題ないよ〜」

 

 と言い。

 

 上原は

 

「澪、私と一緒に練習したくないの?」

 

 と情に訴えてきて大変だった。

 

 青葉に関しては、二つ三つ出来る才能を一つに集中してのは増した方がかっこいいと持ち上げ、上原に関しては上坂自身何を言ったのかあまり覚えてない。

 

 覚えているのは解決した後の上原の真っ赤な顔と何故か弦巻の興奮した賞賛だった。

 



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40話 『合同練習五日目①』


今回から暫く地の文の書き方を苗字から名前に変更します。



 

 合同練習も五回目となり大詰めに入る。

 大詰めと言ってもこれで終わりと言うわけではない。今日が終われば待つのはミニライブ、だから大詰め。

 

 そんなミニライブ前最後の合同練習を飾るのはPoppin’partyとRoseliaだ。

 

「悪い、サビのとこ入るの早かった!」

 

 ポピパとRoseliaがメインの合同練習だが、演奏をしていたのは4Cだ。

 演奏が終わると同時に澪はサビ前のリズムを何度も叩く。

 

「すっごく良かったけど、どこがダメなの?」

 

「私には全然分かんないや」

 

 香澄と沙綾だけではなくポピパには4Cの演奏のどこがいけないのか分からない。

 

「歌う側からしたら少し……殆ど気にならない程度だけど違和感を感じるわ」

 

「言われてみればそうですね。私も少し違和感を感じました」

 

 Roseliaでさえも4Cの演奏はやっと問題点を見つけれるレベルだ。

 

「気になるところがあったらどんどん言ってください」

 

「もちろんそのつもりよ。と言ってもあなた達の演奏が高いレベルなのは事実よ」

 

「ええ、ですからこちらも良い練習になります」

 

 4CとRoseliaが互いに質を高め合う中、今の状況に我慢できない人がいた。

 

「今日は私達とRoseliaの合同練習だろ? 何で4Cが普通に混じってんだよ」

 

「何でって、そりゃあ俺達が市ヶ谷達のコーチだからだろ?」

 

「そんな事は分かってるつーの! なんで4Cがコーチじゃなく普通に演奏してるんだって事」

 

「それに着いてはみんなで決めた事だろ? それに俺等は今度のミニライブが本番なんだよ」

 

 話し合って決めた事だ。

 だからどうして4Cが演奏しているのか有咲も分かっているはずだ。

 それでも顔は納得している様には見えなかった。

 

 

 

 

 

 時間は遡るにしては短い五分程前まで遡る。

 

「日曜日はミニライブ! 今から待ちきれないよー!」

 

 香澄が興奮気味にギターを鳴らす。

 興奮するのも納得がいく。

 彼女達は約三週間ミニライブの為に練習を重ねた。合同練習ではあまり練習をしている様には見えなかったが、他バンドから得た物を個人練習でしっかり落とし込んでいる事は演奏を聞いた限り分かる。

 

 しっかり仕上がっていればライブも楽しみだろう。

 

「ミニライブと言えばあなた達は大丈夫なのかしら?」

 

 友希那が澪に声をかける。

 友希那が綾人ではなく澪に話しかけるのは珍しい事で、話の内容は大体がバンドについてだ。

 

「問題ありません。俺達も合同練習とは別の日に集まってちゃんと音合わせしてますから」

 

 4Cは週に二回ある合同練習とは別に週に一回バンド練習をしている。

 つまり澪は約二日に一回のペースでCiRCLEに来ている。

 

「なら、今日の練習は変更ね」

 

「えっ、ちょっと湊さん?」

 

 友希那は澪の言葉を聞かずポピパの所へと歩いていく。

 

「戸山さん、今日の練習はいつもと少し変更でいいかしら?」

 

「ハイ! 大丈夫です」

 

 香澄は理由も聞かず元気に返事をする。

 

「ちょっ、香澄! 何勝手に返事してんだよ。まだどう変わるのかも聞いてねえし」

 

「香澄、有咲の言う通りだよ。それで湊さん、今日の練習はどう変わるのですか?」

 

 有咲や沙綾が驚くのも無理はない。

 香澄が言った事は友希那の言う事を無条件で受け入れると言っている様なものだ。

 

「簡単な事よ。今日の合同練習、私達だけじゃなくて4Cも加えての練習に変更するのよ」

 

「本番前だから4Cに練習の場を作ってあげるって事ですか?」

 

 沙綾の質問に友希那は首を横に振る。

 

「練習をしていなかったらしていないでそれは彼等の責任よ。優しく面倒を見るつもりはないわ。私はただRoseliaの成長の為に彼等の演奏を聞く必要があると判断しただけよ」

 

 友希那は4Cが普段あまり練習をしていないのは知っている。

 それは練習を見てくれる綾人が多忙で4Cが集まる事が出来ないからだ。

 週に一回Roseliaの練習を見るだけでは無く、綾人は他にAfterglowの練習も見て更にCiRCLEでもバイトをしており放課後の青春を全て音楽に注ぎ込んでいると言っても過言ではない。

 毎日が多忙な綾人や一也がいる事もあり、4Cは個人練習こそ出来ても音合わせは殆どしていない。

 実際暇なのは澪と春夏ぐらいだ。

 

 そんな集まるの事が困難な彼等が練習したと聞けば気にならない訳がない。友希那はRoseliaが音楽界の頂点に立つ為に上のステージの音を知る必要があった。

 

「湊さんの言いたい事分かる気がします。確かに私も4Cの万全な演奏は気になります」

 

「決まったようね」

 

 友希那はゆっくり視線を澪に戻す。

 

「私達の演奏は終わったわ。次はあなた達の番よ」

 

 澪達4Cは女子達の圧のある視線に押されながらも楽器の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 そして時は現在に戻る。

 

「だから今日は俺達も練習なんだよ」

 

 過去あった四回の合同練習のような練習が殆ど進まないような事態なら断ろうとも思ったが圧倒的最速タイムで演奏まで終われば言葉に甘える。

 

「グッ……、そう言えばそうだったな。でもさ、やっぱりそれって責任放棄してねーか? 指導する為のお前等だろ?」

 

「市ヶ谷は納得してないかもしれないけど一応みんなで決めた事だからな」

 

「その言い方だと私がわがまま言ってる見てえじゃねえか!」

 

「まっ、そう言う事だ。市ヶ谷もわがまま言わないで今日は俺達の演奏から盗めるものは盗むんだな」

 

「勝手に話を進めんじゃねえ!」

 

 

 

 沙綾が有咲をなだめた事で練習は無事再開された。

 練習内容は至って単純。三バンドが順番に演奏するだけだ。

 そして問題点を指摘し修正する。その繰り返しだ。

 

「今のところ、ベースが少し遅れたわね」

 

「す、すみません……っ!」

 

 指摘をされたりみは慌てて頭を下げる。

 

 りみだけに限らないが似たような事はもう五回目になる。

 

 順調に滑り出したと思われた合同練習だが、完全に動きが止まった。

 友希那がポピパの演奏で問題点を見つける度に演奏を止めているからだ。

 

「もう一回お願いします」

 

 友希那の言葉に挫けない香澄に感嘆の声が漏れる。

 

「ゆーきな! 熱血指導もいいけど、ほどほどにね〜?」

 

「綾人はいつもこうじゃない」

 

 リサは力を入れすぎる指導に注意をするが友希那が制する。

 

「俺っていつもこんなスパルタな感じですか⁉︎」

 

 綾人自身は優しく教えているつもりだった。

 決して友希那のようなスパルタな指導をした覚えがない。

 

「ええ、綾人さんの指導はいつもこれぐらいです」

 

「それに加え友希那や紗夜の指摘もあるからそれ以上かな」

 

 綾人はメンバー全員の共通認識だと知り開いた口が閉じなかった。

 次からはもう少し優しくしようと思ったのだが、

 

「綾人、手の抜いた指導なんてしたら許さないわ」

 

 友希那が釘を刺す。

 

「意外だなー、綾人のコーチって厳しいんだ」

 

「そりゃすっごい厳しいよー。あこがちょっと早いなーって思ったらすぐ気づくんだもん」

 

 レベルの高いRoseliaの演奏でもすぐに反省点が分かりそれを指摘するあたり綾人のコーチの厳しさが見えた。

 

「ポピパも偶に澪と春夏に見てもらってるんだろ? あいつらの指導はどうなんだよ」

 

 ポピパが教室で練習をする時のみ澪と春夏は指導と言うよりは練習を見に行っている。香澄は、蔵で練習する時も来て欲しい、と言っていたが有咲が首を縦に振らないので教室と言う条件付きで二人は練習を見ている。

 

「澪くんも春くんも静かだよ。春くんは聞いたところを教えてくれる感じで、澪くんは演奏が終わったらアドバイスをしてくれて後は自分で練習する感じだよ」

 

 澪も春夏も基本的には問題がなければ見ているだけだ。

 

「澪も春夏も厳しくしろとは言わねえけどそんなんで大丈夫か?」

 

「問題はない、って言うより俺と春夏はただ練習を見てるだけ。それで気になるところがあったらちょこっと口を挟むだけだよ」

 

 澪も春夏も教えているつもりはない。お節介程度にアドバイスをしているだけだ。

 

「なんか草野球を見に来たおっさんみてえだな」

 

「例えが酷すぎるだろ。人には人のやり方があるしそれにRoseliaみたいに既に形が出来ていたらそれでもいいんじゃないか? だけどポピパは結成されたばかりでまだ足りない部分が多い」

 

「だったらなおさら……」

 

 反論をしようとすると澪が首を横に振った。

 

「違うんだ。足りないからこそ自由にさせてあげたいんだ。俺とか春夏がしっかり教えれば違う結果になったかも知らない。でもさ、そんな事してしまったらこれから伸びる香澄等の個性を潰してしまうだろ? 俺は俺自身が絵の具になるんじゃなくてポピパ五人の色がしっかりキャンバスに伸びる為の水になりたいんだよ」

 

「個性を伸ばすか……お前の考えは分かったけど、相変わらずそんな恥ずかしいセリフよく真顔で言えるな。春夏だったら悶絶してるぞ」

 

「別に恥ずかしいことなんて言ってないだろ?」

 

「じゃあ見てみろ、あこが目をキラッキラさせてるのが証拠だ」

 

 綾人の指さした先を見ればあこが興奮気味に『お兄ちゃんかっこいい』と言っていた。

 

「俺だって『お兄ちゃんかっこいい』って……じゃない、お前の言葉は厨二心を刺激するんだよ!」

 

「綾人が何を言いたいか分からないけど、『かっこいい』って言われるならそれでいいんじゃないか?」

 

「無知ってめんどくせー。もうそれでいい。お前はこのまま厨二病を突っ走ってろ」

 

 綾人が鬱陶しそうに手をひらひらさせていると、いつの間にか香澄が澪と綾人の側まで来ていた。

 

「香澄、どうした?」

 

 澪は尋ねる。

 

「本当は演奏が終わった後の方がいいと思ったけど思い立ったら来ちゃった」

 

 香澄は可笑しいと声を上げて笑う。

 

「あのね澪くん。澪くんが私達の事を考えてアドバイスしかしなかったのは嬉しかった。でも私もっと上手になりたい! Roseliaにも4Cにも負けないぐらい! だから澪くん、アドバイスなんかじゃなくて私達が上手くなるように教えて下さい!」

 

 必死に思いを伝え頭を下げる香澄に澪はため息をこぼす。

 

「香澄、言っただろ? 俺は香澄等の個性を……」

 

「負けない!」

 

 頭を上げた香澄の瞳は力強く澪を射抜く。

 

「私達は澪くんがどれだけ厳しい事を言っても負けない! poppin’partyは絶対に自分達の演奏を見失ったりしない!」

 

 必死に思いを伝え頭を下げる香澄に澪はもう一度ため息をこぼした。

 

「言っとくけど俺は綾人や一也程教えるのは上手くないからあんまり期待はするなよ」

 

「うん!」

 

 幼馴染達Afterglowに次ぎポピパの指導まで、澪も等々暇とは言えなくなってきた。

 

「それで香澄、言う相手がもう一人いるだろ?」

 

 澪は視線を投げる。

 

「澪くんありがとう。今から春くんにもお願いしてくる」

 

 香澄は駆けていく。

 澪の時と同じように頭を下げるのだろう。

 

 澪は小さく笑う。

 

(俺じゃなく春夏から頼めば早かったのに)

 

 春夏が断る訳がない。

 

 流石の澪も外堀がしっかり埋まっていれば断りはしないのに。



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41話 『合同練習五日目②』

 澪と春夏が練習を見る事が決まりモチベーションが上がったポピパはその後指摘される事なく演奏を終える事が出来た。

 

 今は体力が限界に近いポピパの為に休憩を挟んでいる。

 

「ねぇ4Cのみんなはどうしてそんなにうまくなったの?」

 

 香澄が思うのも当然だ。

 始めた時期こそ違えど4Cのメンバーは全員香澄と同じ高校一年生。

 とても同じだとは思えない。

 それこそ大人を相手取っていると言ってもいいだろう。

 

「うまくなったつってもなー」

 

「それは私も気になります。相沢さんに演奏技術を教わってはいますが、彼の根本を私達は知りません」

 

「紗夜さん、俺そんな特別な事してませんよ。小さい頃、う〜んあれは小学校三年生ぐらいだったかな。家の引き出しで昔親父が使ってたギターを見つけて、弾いたのが始まりです。その音が凄くかっこよくて……まぁ、好奇心のまま好きなように弾いた結果が今の俺です」

 

「『好奇心のまま好きなよう』ですか……見える結果として技術だけを追いかけた私には難しい事ですね。やっぱりあなたやあの子のような純粋に音楽を楽しめる人が上手になるのかもしれませんね」

 

 紗夜は綾人の言葉を理解した上で寂しそうに呟いた。

 

「そんな事はあらへん」

 

 紗夜の言葉を否定したのは綾人ではなく一也だった。

 

「音楽が好きやないと上手くならへんなんてそんなルール決まってなんかあらへん」

 

「練習前あんな事してたお前が……」

 

「その話しはええねん!」

 

 練習前の楽器を愛でるヒーリングタイムはバレこそすれど極力広められたくない案件のようだ。

 

「俺も昔からあんなんやなかったわ。寧ろ少し前まで音楽が嫌いやったぐらいやわ!」

 

 一也の告白にポピパやRoseliaからだけではなく澪達4Cからも驚きの声が上がる。

 

「両親は売れへんバンドマンで金があらへんのに音楽の環境だけはムリして揃えとったわ」

 

「良いご両親じゃない。一体何処に不満があるのかしら?」

 

「不満しかあらへんわ!……先輩やのにすいません。ちょっと熱くなってしまいましたわ」

 

 一也は先輩にも関わらず友希那を怒鳴りつけた。

 

「両親は稼いだお金も殆ど音楽に注ぎ込み貧しい生活をさせられて、敵討のように興味がなかった音楽を無理矢理やらされ、そんな両親不満しかあらへんかった。友達が外でゲームやサッカーをしとる中一人楽器の練習や。それが嫌やったから高校生になったと同時に家を出た」

 

 自ら人を避けていた澪とは違い一也は人から隔離された環境で育っていた。そう言った人と関わりたいが関わらない環境で育った事もありお節介だが無愛想という性格になったのだろう。

 

「気分のいい話やなかったなすまへん。俺が言いたいんは上手くなるんに好き嫌いなんか関係あらへん。大事なんはここや。心が折れてしもうたら先には進まれへんねん。一度折れてもうた俺が言っても説得力がないかも知れんけど一度折れたからこそここが大事やてよう分かるんや」

 

 一也は握った拳を左胸に当てた。

 

「折れない心が大切ですか……」

 

 紗夜は呟くが表情は曇ったままだ。

 

「氷川先輩、お節介かも知らへんけど先輩が焦っとるんは氷川さんが理由やろ?」

 

 瞬間、紗夜の曇った表情は険しくなった。

 

「本当にお節介よ。貴方に一体私の何が分かっているの?そうよ!悪い!いつもいつも私の真似ばかりして、比べられる私の身になってよ!」

 

 普段の落ち着いた態度は全く感じられない程紗夜は荒れていた。

 

「紗夜落ち着いて」

 

「一也言い過ぎだ。紗夜さんに謝れよ」

 

 リサと綾人が止めに入るがあってないようなものだ。

 

「俺は先輩が思うとる以上に先輩の事を知っとるつもりや。好きな食べ物に嫌いな食べ物、休日の過ごし方、他にも先輩の事色々氷川さんから聞いたわ」

 

「あの子は勝手に……」

 

「先輩はそんなに氷川さんからの好意をどうして拒むんや!」

 

 一也の叫びに紗夜は身体の動きを止めた。

 

「さっきから言ってるでしょ、あの子と比べられるのがしんどいのよ」

 

 疲れた声だった。

 

「お姉ちゃんお姉ちゃんって勝手に憧れて、私にかかる負担なんて何も考えてないじゃない」

 

 酷く疲れた声だ。

 吐き出しても吐き出しても紗夜の顔色は一向に晴れない。

 

「相沢、すまん離してくれんか?もう暴れたりせえへんから」

 

「お、おぅ」

 

 異様に落ち着いた一也の声に綾人は掴んでいた腕を離す。

 自由になった一也はゆっくり紗夜に近づき俯いた頭に手を乗せた。

 

「氷川先輩は必死に期待に応えようとしとったんですね。さっきは色々ゆうてしまいすいませんでした」

 

「別に構いません。ですが早く手をどけて下さい、訴えますよ」

 

「おっと、これはすまへん」

 

 一也が慌てて手をどけ、紗夜は顔を上げる。

 

「貴方は先程意味の分からない事を言ってましたがどういう事ですか?」

 

「言葉のままや。氷川先輩は氷川さんの理想の姉であるために頑張って来たって事です。そうやなかったら『お姉ちゃん』って言葉をそこまで忌諱せえへんやろ?」

 

「理想の姉?そんなん綺麗なものじゃありません。私はあの子に、日菜に負けないように努力してるだけです」

 

 紗夜は小馬鹿にしたように笑う。

 

「本当に氷川先輩は氷川さんがゆうように凄い人やわ」

 

「どう言う事?」

 

 小馬鹿にした紗夜は一也の言葉を煽りと受け取り睨みつける。

 

「普通あんなごっつい要領のええ人相手に勝負なんか仕掛けへんやろ」

 

「仕方ないでしょ、双子の妹なんだから!私だって日菜みたいな天才、相手にしたくないわよ!」

 

 紗夜は真っ直ぐ一也を睨みつける。

 周りは刺すような紗夜の気迫に押され近づく事さえ出来ない。

 

「そこで諦めずに食らいつくのが凄い言うとるんや」

 

 ただ一人、中心にいる一也だけが台風の目の中にいるように平然を保っていた。

 

「それに氷川さんは天才でも何でもない、ただ要領がええだけの普通の女の子や!」

 

「違う!あの子はまぎれもない天才よ。勉強だってギターだってそう、嫌がらせのように私の後ばかり追って、必死に頑張ったものをあの子は簡単に追い抜かすのよ!」

 

「後を追う事の何が悪いんや?」

 

「後を追うだけだったら自分なんていらないじゃない!」

 

 紗夜は傷口を抉るだけではなく塩まで塗り込む、今日初めて会話をした男がこれ以上ないぐらい憎かった。

 今まで自分を律っし強く育った理性がなければ男がどうなっていたのか正直分からないと言うのが紗夜の感想だ。

 

「やったら先輩はマネをした事ないって言うんか?違うやろ。極論な話し、勉強やってギターやって先人が見つけ積み重ねてきたから今があるんやろ?だったら一緒やん」

 

「そんなもの屁理屈でしかありません」

 

 冷静を保っているように見えるが奥歯の音はしっかり鳴っている。

 

「そうや、こんなん屁理屈や。けどなこれだけは言っとかなあかん。氷川先輩は天才の妹にコンプレックスを持っとるけどな、天才って言うのはただ優れてる奴の事を言うんやない、無い道を自分で開拓して突き進む奴の事を言うんや。その分、氷川さんよりもまだ氷川先輩の方が天才やと俺は思うとるで」

 

「私が日菜より天才……」

 

「そうや。ギターやって先輩が先に始めたんやろ?氷川さんゆうとったで『お姉ちゃんがギター弾いてて楽しそうだったから始めたんだー。そして早く追いついてお姉ちゃんと一緒に演奏するんだ』って初めておうた日に聞いてもないのに言うとったわ」

 

 一也は軽く笑いながら語る。

 表情から分かるように些細な思い出も一也にとっては楽しいものだったのだろう。

 

「言うても氷川さんが優秀なんには変わらへん。せやけど氷川先輩と言うこれ以上ない手本がおるお陰で今の氷川さんがおるんやけどな」

 

「…………」

 

「あの人は、双子やったら当然知っとると思うけど超が付く程の気まぐれ者や。せやけどそんな気まぐれ者にも『お姉ちゃんと一緒』ちゅう行動基準がある」

 

 紗夜は静かにまるで物語を聞くように一也の言葉を待つ。

 

「すっごい要領のええ氷川さんが、天才の氷川先輩のマネをしたらそら天才って言われるわ」

 

 小馬鹿にしたように一也は笑うが紗夜の表情は変わらない。

 

「貴方は本当に私の事を天才だと思ってるんですか?」

 

 紗夜自身、恥ずかしい言葉を言っている事は分かっている。

 しかし今まで妹にかけ続けられた言葉が自分に返ってくるとは思っていなかった。

 それだけ『天才』という言葉は紗夜の中では特別な言葉だった。

 

 しかし一也は首を横に振った。

 

「言いましたやん。あくまで氷川さんよりはちゅう話や」

 

 紗夜は全身が熱くなるのを感じた。

 今まで紗夜の事も天才と呼ぶ人も少なからずいた。何せ少々頭が固いにしても文武両道絵に描いた模範性だったからだ。

 その天才という言葉を天才をしる紗夜は冷やかしや戯言にしか感じなかった。事実、呼んだ人は例もなく天才(日菜)を知らない人だった。

 

 だから天才(日菜)を知った上での一也の言葉には気持ちが揺れた。

 

 そんな彼の言葉も語弊があり、

 

 言うならば、

 

「私も日菜も何も特別じゃない普通だったと言う訳ですね」

 

 体の中で溜まっていた熱を外に逃すと同時に何か重りのような物がストンと落ちるような感覚が紗夜に起きる。

 

「その通りや。少しぐらい差があったとしてもそんなん誤差や、気にする必要なんかあらへん」

 

 言い切った一也は両手を打ち合わせ悪い空気を断ち切った。

 

「納得いったんやったら、これで氷川先輩が氷川さんを拒む理由は無くなったやろ?」

 

 紗夜が抱えていたコンプレックスは天才だと思っていた日菜の存在だった。

 天才と言う壁さえなければ紗夜に日菜を拒む理由はない。

 

「そんな簡単な問題じゃありません」

 

 長い時間かけて出来てしまった関係は、たった一日それも数分の出来事だけで劇的に変わったりはしない。

 関係を崩すにもそれなりの時間がかかる。

 

「別にそこは急かしたりせえへん。氷川先輩にその気さえあれば後は時間が勝手に解決してくれるわ」

 

 関係を戻そうと気持ちが前を向けばどれだけ時間がかかろうと良い方向に前進する。

 

「そうですね。取り敢えず日菜と話す事があればあなたの話をしようと思います」

 

「ん?ギターやなくて俺の話か?まあ、生意気な口叩いたし不満はあるやろな。しゃあない氷川さんと氷川先輩の為や犠牲ぐらいなったる。せやから氷川先輩も氷川さんに思いっきり愚痴ったらええわ」

 

 一人話を進める一也に紗夜はため息を吐いた。

 

「確かに貴方は失礼ではありましたが、だからと言って陰口を叩く程私は卑しい人ではありません。それと氷川さん、氷川先輩と私達の呼び方がややこしいです。どうにかしてもらえませんか?」

 

「やっぱりややこしかったか。名前呼び苦手やねんけどな。……氷川さんと紗夜先輩。これでどうです?」

 

「どうして私の方が名前なのですか⁉︎普通は日菜の方でしょ?」

 

 大抵の人は名前呼びをするなら話しにくい人よりも話しやすい人の方を名前で呼ぶ。

 一也はわざわざ難しい方を選んだ。

 

「今更氷川さんの事名前呼びしたら絶対からかわれるやん。それに丸山先輩やそれを面白がった白鷺先輩とか来て、結局パスパレ全員名前呼びせなあかん羽目になるんが簡単に目に浮かぶわ」

 

「渡辺さん、貴方の名前呼び嫌いは相当な者ですね」

 

「名前で呼ぶなんて小っ恥ずかしくて俺にはできひんし、キャラちゃうねん。せやから紗夜先輩あんたは特別や」

 

「そんな特別、嬉しくも何ともありません」

 

 紗夜は小さく笑った。

 控えめな笑顔ではあるが、それでも十分綺麗だと思わせる笑顔だ。

 

「紗夜先輩、折角の笑うてる所申し訳ないんやけどな、先輩も俺の事名前で呼んでもらうで。俺だけ名前で呼ぶなんて不公平やん」

 

「貴方が勝手にした事ですが分かりました。一也さん。これでいいですか?」

 

 紗夜は照れる事なく名前で呼ぶが、一也は顔をしかめていた。

 

「先輩相手に『さん』付けさせるなんて恐れ多いです。呼び捨てでかまいません」

 

「だったら貴方こそ『先輩』は不要です」

 

「なんでですか?先輩に敬いの気持ちがあって何が悪い言うんですか?」

 

「生意気な口ばっかり言って貴方の何処に敬いがあると言うんですか?それと『先輩』っと言う敬称があるから苦手な名前呼びが出来るんじゃないんですか?」

 

 分かりやすく顔が引き攣り、紗夜の言葉が図星だと言うのが丸分かりだと誰が見ても明らかだった。

 

「後、口調もさっきのままで結構です。今更違う口調で話されても違和感しかありません」

 

「なんやそこまで言うんやったら言うたろやないか!さ、さっ、さ……」

 

 強気に出るが、声が詰まり先の言葉が出ない。

 

「やっぱり貴方は名前で呼ぶのが相当苦手なようですね」

 

「そうや言うとるやろ!なんなら自分も言うてみい」

 

「そうですね、では、かっ、かず、かず……」

 

 名前を言えなかった紗夜は静かに黙った。

 一也を小馬鹿にした分、名前を呼ぶ事が出来なかったダメージは大きい。

 

「ほら見た事か」

 

「…………」

 

「…………」

 

 視線を外す紗夜の仕草に気まずさを感じた一也も黙り込む。

 人間関係を不器用に生きてきた二人にとって名前で呼ぶ事は告白と同じぐらい恥ずかしい事だった。

 

 二人は唾を飲む。

 覚悟が決まったとかそんなかっこいいものではない。二人の頭の中はどっちが先に名前を呼ぶのかにシフトしていた。

 かっこよさを追求するバンドマンにとって後出しはかっこ悪い。

 それが分かっての早撃ち勝負。

 

「さ……」

「か……」

 

 名前で呼び合う。

 たったこれだけの事で真剣になれる人はそうはいないだろう。

 

「一也、何甘酸っぱい、それも紗夜さん相手に出してるんだよ!」

 

「綾人はもう、どうして行くかな〜。折角今いい所だったのに。でもあの紗夜がね〜」

 

 二人の間に痺れを切らした綾人が割り込み、遅れてリサが二人の下に飛び込んだ。

 

「いい所って何ですか今井さん」

 

「それはもちろん、綾人の友達と仲良くなった事に決まってるじゃん」

 

「誰があんな人と……ちゃかさないで下さい」

 

「ごめんごめん」

 

 調子良く謝るが、リサは真面目な様子で羽交い締めで引きずられる一也を見る。

 

「改めて思ったけど綾人の友達って凄い人ばかりじゃない?」

 

「ええ、そうですね。どの人もレベルが高くとても参考になります」

 

 一瞬リサはキョトンとするがおかしく感じ笑う。

 

「紗夜、私が言いたいのは、仲間である私達が出来なかった、触れようとしなかった事を初めて話したと思う一也が変えようとしたところだよ」

 

「…………」

 

 忘れかかっていた事だが、紗夜は今日初めてギターの事以外で一也と話した。だけどたった一日で渡辺一也の存在が大きくなってるのも確かだ。

 

 リサが背中を叩き紗夜は体が大きく前に出る。

 

「名前で呼ぶぐらいいいじゃん。私も今さっき呼んだよ」

 

「私は今井さんみたいに簡単にはできません」

 

「でも紗夜、のんびりして先越されても知らないよ?」

 

 視線の先で羽交い絞めをされ疲れた表情を浮かべる一也が苦笑いをしていた。

 

 

 

 いつもなら羽交い締めなんてされれば怒る一也も今日ばかりは疲労が溜まり抵抗はなかった。

 

「一也は澪や春夏と違い女子に興味がないと思っていたのに、まさか紗夜さんに手を出すなんて。ウチのバンドメンバーは誰一人油断出来ねえじゃねえか」

 

 綾人は気持ちが入り締める力が強まる。

 

「痛いからもうちょい力緩めんか。油断できん言うとるけどあの二人は自分と違うて一直線に走っとるやろ?油断ちゅうかふらふらしとるんは相沢、自分だけや」

 

 澪はともかく以前の春夏なら油断は出来なかっただろう。

 しかし恋を見つけた春夏は横見をせずに進んでいる。

 そんな春夏を油断出来ないと言うのなら、それはライバルとして油断出来ないと言う。

 

「澪と春夏は分かったよ。お前はどうなんだよ」

 

「俺か?それこそありえんやろ。俺が好きなんはキラキラと夢を与えてくれる存在や」

 

「このドルオタが……」

 

「アイドルはええで、相沢にもアイドルの良さ教えたるわ」

 

「お前に教わるのだけは勘弁だ」

 

「なんやつれへんなぁ」

 

 一也は締め上げている綾人から視線を落とし少し先でリサからかわれている紗夜を見る。

 

「お互い大変やな」

 

 同情を誘ったつもりだったが紗夜は首を横に振る。

 

「私は貴方と違いメンバーに悩まされたりはしてません」

 

「紗夜、嬉しいんだけど今チャンスだったんじゃない?」

 

 リサの言葉に紗夜は分かりやすく悔しがる。

 

「羨ましいな。()()の方はメンバーに恵まれとるんか?問題児ばかりのウチとはえらい違いやわ」

 

「ええ、()()と違って私はメンバーに恵まれています。Roseliaなら音楽界の頂点にだってなれるでしょう」

 

「音楽界のトップってえらい大きく出たな」

 

「大きくなんてありません。Roseliaにはそれだけの可能性があります。一也には目標はないのですか?」

 

「俺の目標はパスパレを日本一のアイドルにする事や。……でも紗夜の目標が簡単に叶わんように邪魔するんも面白そうやな」

 

「つまり一也も音楽界の頂点を目指すって事でいいんですね」

 

「こいつとあいつらにやる気があったらの話しやけどな」

 

 バンドとは運命共同体、一人の意思では動かない。それを無理矢理動かそうとすれば気持ち、音楽性の違いで解散もある。

 

「俺はそんなめんどくせえ事はやらねえぞ」

 

 一也を締め上げるだけで傍観に徹していた綾人が吠える。

 

「相沢さん、貴方に拒否権はありません。それとRoseliaの指導者なら私達の為に後の二人を説得して下さい」

 

「いや〜、これでRoseliaも更なる成長に期待かな?」

 

「リサさん、無理矢理話をいい感じに終わらせないで下さい」

 

 綾人は締め上げている一也に視線を落とす。

 今ここで締め落とせば面倒くさい話がなくなるのでは、と綾人は考えるが後が怖く腕に力がかかる事はなかった。

 

 

 

 長い話は終わり紗夜はRoseliaの下に戻り頭を下げていた。

 一也が原因とは言え迷惑をかけた事には変わらない。

 Roseliaは誰一人頭を下げる紗夜を責める事はなかった。寧ろ音楽界の頂点を目指すと宣言した紗夜に称賛が送られていた。

 

 そんな平和なRoseliaとは違い4Cは厳しい。

 

「一也ホントありえねえよ。普通あまり知らない人の傷口をえぐるか?」

 

 厳しいと言っても綾人が一人怒っているだけだ。

 

「俺でも紗夜さんの妹の話はしなかったって言うのによ。一也、なんか言ったらどうだ?って言っても言い返せないだろうけどな」

 

 綾人の表情は生き生きとしており怒っていると言うより、日頃の恨みを晴らしているようだった。

 

「相沢ぁ、自分が本気で怒っとるんやったら分かるけどなぁ」

 

「な、なんだよ」

 

「一也落ち着け」

 

「四季、止めんな!こいつは自分の欲求を満たす為に怒っとるんや!そんな奴ゆるせるかぁ!」

 

 綾人に詰め寄ろうとする一也を春夏はしがみつきながらも懸命に止める。

 

「澪も見てないで止めてくれよ!」

 

 春夏が泣き言をいうが、澪は考え込んでいた。

 

「なぁ一也、どうして氷川さんにあんな事言ったんだ?世話焼きの一也にしてもお節介が過ぎるんじゃないか?」

 

 一也は勉強を教えてくれたり、弁当のおかずを分けてくれるお節介だが、人の心に深く踏み込んだりはしない。

 人との距離を分かった上でお節介を焼くのが渡辺一也だ。

 

「お節介って、お節介でバンドに引きずり込んだ自分にだけは言われたくないわ」

 

 毒気が抜かれたのか一也の動きがピタリと止まる。

 

「でも、らしくはないのは確かやな」

 

「仕方ないんじゃないか?」

 

 澪の言葉に一也は小さく笑う。

 

「ああ、そうやな。俺は紗夜の為やない、推しの為に頑張ったんや」

 

 堂々と格好をつける一也に澪も小さく笑う。

 

「よく言うよ、箱推しのくせに」

 



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42話 合同練習五日目③

お待たせしました。久しぶりの投稿です。


 

 紗夜と一也の争いが終わりスタジオは平和を取り戻した。

 紗夜はRoseliaに囲まれ、一也は何故かポピパに囲まれていた。

 そんな二人を離れたところで見ている澪と春夏はひっそりと会話を始めた。

 

「あの話ってまだ続いてるのかな?」

 

「あの話って?」

 

「どうして演奏が上手くなったのかって言う話だよ」

 

「どうだろ、正直分かんねえぜ」

 

「はぁ、俺は話したくねえよ。一也の話の後じゃ話しにくいよ」

 

 一也と紗夜の話を一つの物語とするなら澪の話は続編。

 綺麗に終わった話に無理矢理続きを付ければ大体碌な目に遭わない。

 もし仮に澪と春夏が話すとなればそれは蛇足にしかならない。

 

「澪がどうだか知らねえけど、俺なんかもっと話しにくいぜ?この際言っとくけど俺が楽器を始めたのって女の子にモテる為だからな!後ついでに言えば上達したのだって……」

 

「もうそれ以上言うな。分かってる」

 

 語り、自ら傷つきにいく春夏を澪は見ていられなかった。

 

「「はぁ……」」

 

 ため息が揃う。

 とんでもない爆弾を落としていったと二人は内心一也を恨んだ。

 

「おい、そこの現在進行形で落ち込み中の二人、次はお前らの番だぞ」

 

 真っ先に話終わり安全地帯から御見物ができる綾人は二人を見逃したりはしなかった。

 さっきの今でその行動はとても空気が読めたものではないが、ニヤついた表情からわざと空気を読まず苦しむ様を見たいが為の行動だったのは容易に想像できる。

 女の子の好感度よりも親友への嫌がらせを優先する辺りは流石は春夏と双璧をなす1-Aの問題児だ。

 

「あんな話の後に話せる訳ないだろ!?」

 

「そうだそうだ」

 

 視線の集まりにもお構いなく声を荒げる。

 誰も百点の答案用紙を見た後に三◯点の答案用紙を見せたくはない。

 

「なんやえらい気にしとる見たいやけど、俺の話なんか気にせんで好きに喋ったらええやん」

 

「ええ、そうですね。寧ろ貴方達二人は指導者なのですから私達の成長の為に話してもらわないと困ります」

 

 今の話辛い空気を作った二人は何事もないように振る舞う。

 

「私も二人がどうして音楽を始めたのか知りたい」

 

「香澄、音楽を始めた理由じゃねえ、上手くなった理由だ」

 

「綾人くんも一也くんも話してたし二人にも聞いちゃおうよ。有咲も気になるでしょ?」

 

「別に気になんねえよ」

 

「あ、あれぇ?」

 

 綾人や香澄の所為もありどこか大人しかった空気があっという間に騒がしいものとなった。

 

「おい、春夏、覚悟を決めろ」

 

「綾人の奴、覚えてろよ」

 

 温まってしまった空気の中では話さざるおえない。周りの視線がそう訴えっている。

 別に面白い話や深い話をしなければいけないと言うルールはないが上がったハードルを二人は倒さずに越えなければならない。

 

 背を向けコソコソと話し終えたと思えば二人は拳を振り上げた。

 

「「じゃぁ〜んけぇ〜ん……」」

 

 手の平を悠々と見せつける春夏に澪は拳を握りしめた。

 

 

 

「ぐあぁぁぁぁ〜」

 

 澪は唸りながら頭を抱える。

 

「次は澪の番だぜ」

 

「分かってるよ……」

 

 これ見よがしに手を大きく広げ背中を叩く春夏が腹立たしい。

 

「それで、俺は何を話したらいいんだ?」

 

「演奏が上手くなった秘訣よ」

 

「ああ、そうでしたね。って言ってもピアノとドラムじゃ全然違うんだけどな〜」

 

 まだじゃんけんで負けた事に納得がいっておらず投げやりな気持ちが抜けていない。

 

「私前から気になってたんだけど、澪はどうしてドラムとピアノの二つにしたの?」

 

 沙綾の問いは今スタジオにいる半数近い人が疑問に余っている事だ。

 春夏のようなギターとベースという弦楽器という関連性の近いものでもなければ綾人や一也のように沢山の楽器を扱える訳でもない。

 面白いから、って言葉で済ませてしまえばそこまでの話だが、理由があれば知りたいというのが意見だ。

 

「沙綾!」

 

 中には有咲やあこのように『始めた』ではなく『辞めた』理由を知る者もいる。

 

 強い言葉をかけられた沙綾は困惑していた。

 まさか気の強い言葉がそれも第三者から返ってくるとは思ってもいなかっただろう。

 

「なんだ市ヶ谷、心配してくれてるのか?」

 

「心配してんだよ!事が事だからな!」

 

「えっ、なに?市ヶ谷、本当に心配してくれたの?」

 

「そうだよ、悪いかよ」

 

 澪は驚いた。

 今まで物理的に傷つける事はあっても、優しくする事はなかった有咲が初めて澪に対して優しさを見せた。

 

「やっぱり私、その話はいいかな。どうしても知りたいとかそう言うのじゃないし」

 

 それは真夏に雪が降るほどありえない事で、その異常さが澪の過去がどういったものかを知らせる。

 

「沙綾、今更遠慮なんかするなよ」

 

「おい、お前!」

 

 有咲の声に沙綾の肩が跳ねる。

 

「そう心配しなくても大丈夫だって。俺はちゃんと受け入れてる。だからあの過去も今なら楽しかった思い出話として語れる」

 

「お前がそういうんなら……仕方ないな。でもまぁ珍しく心配までしてやったんだ、情けない顔したら慰めてやるぐらいしてやるよ」

 

「市ヶ谷」

 

「なんだよ」

 

「お前が言うなよ」

 

「はあ!?」

 

 声を荒げている有咲にズボンのポケットから取り出したハンカチを差し出す。

 

「ほらっ」

 

 差し出されたハンカチに有咲は首を傾げるが、澪が自分の目元を軽く叩くと差し出されたハンカチを引ったくり目元を拭う。

 

「いいから早く話せよ」

 

「はいはい分かりました。俺がピアノとドラムをしてる理由だけど、上達した理由も含めて話すよ。まずピアノを始めた理由なんだけど母さんといる為だったんだ」

 

「澪くんどういう事?」

 

「そうだなぁ……」

 

 初めてピアノに触ったのは三歳になる手前の事だった。

 

 

 

 

 上坂澪は子供ながらに家にいる事が多い子供だった。

 理由は母親の体が弱かったからだ。

 家の中では問題なく動く事のできた母親も外に出ればどこまで体力が持つのか分からないからだ。

 

 唯一父親の仕事が休みの時だけ外に出る事が出来た。

 外の世界は眩しくて楽しい。

 だけどその楽しさは父親が作ったもので落ちていたものではない。

 だから父親がいない日に外に出たいとわがままを言った事は殆どない。

 

 そんな子供ながらに半引きこもり生活を送る澪に友達はいない。

 その事を嫌だとは思わなかったし、当たり前だとさえ思っていた。

 

 ある日の日曜日、この日は数少ない外へのお出かけの日。

 澪はお出かけ準備を済まし、父親の準備が整うまでテレビを見て待っていた。

 沢山の楽器が並ぶオーケストラの番組だ。

 澪はその映像を見て興奮気味に激しくテーブルを叩いた。

 

 どうしたどうした、と身支度を終わらせ戻って来た父親がテレビと澪を交互に見て笑った。

 

「澪、お前ピアノがしたいのか?」

 

 コクンと頷くと、父親に嬉しそうに抱き抱えられ部屋を出た。

 

 連れて来られたのは知らない部屋。

 外からは何度か見た事があった部屋だが、入ったのは初めてだった。

 理由は単に身長が届かなかっただけだ。

 

 部屋の端には色あせたスコアや雑誌が棚に並べられ、埃っぽさは全く感じられない。よく掃除が行き届いている証拠だ。

 

 澪はそんな初めて入った部屋に視線を踊らす事なく一点を見つめていた。

 

 部屋の中央にある他全ての物がどうでもよくなる程の存在感を放つ黒いグランドピアノ。

 

 父親は澪を椅子に座らすとカバーを開けと中から黒と白の歯のような物が現れた。

 

 澪は好奇心のままにテレビに映っていた黒いタキシードを着た男と同じように鍵盤を叩いた。

 

 強く耳を刺す音だった。

 強さだけならテレビのピアニストと変わらないのだが、音がバラバラで不恰好、聞いていて心は動かなければ気持ち良くもない。

 

 隣では両耳を塞いだ父親の顔。

 

 澪は半泣きになりながら恐る恐る鍵盤を押す。

 

 ターーンッ、

 

 優しい音が部屋に響く。

 

 テレビのようにいかないにしても涙を吹き飛ばすには丁度いい音だ。

 

 ターーンッ、

 ターーンッ、

 タ、タ、ターーンッ、

 

 同じ鍵盤ばかりを何度も押した。

 

 楽しくて、

 

 嬉しくて、

 

 仕方がなかったのだと思う。

 

 ふふふ、と鍵盤の音に紛れ小さな笑い声が聞こえた。

 

 振り向けば弟を抱えた母親が立っていた。

 母親は抱えていた弟を父親に渡し澪の隣に座った。

 

「澪、上手ね。将来はピアニストかな?」

 

 母親は頭を撫でながら笑う。

 よく笑う母親だったが、ピアノを触っている時はいつも以上に笑っていた。

 それもそのはず、上坂家にあるピアノはそもそも昔母親が使っていた物なのだから。

 

「でも澪見てて、お母さんの方がもっと上手よ」

 

 よく笑い、少し大人気ないのが母親の上坂満天(かみさかみそら)だった。母であり、師であり、何よりピアノを弾く理由をくれた人。

 

 テレビなんてものはきっかけに過ぎない。澪は満天の喜ぶ顔が見たくてピアノを始めた。

 

 

 

 

 

「ピアノを始めて母さんの笑顔は増えたし友達もできた。ここで言えばあことAfterglowのメンバーがそうだな。だから俺は母さんや友達を笑顔にする為にピアノを弾いたんだ」

 

 澪の幸せな第一幕が終わった。

 

「笑顔の為か〜。なんだかこころんみたいだね」

 

「確かに言われてみればそうだな」

 

 こころは世界を笑顔にする為に音楽を始め、澪は身近な人の笑顔の為に音楽を始めた。

 

「病弱なお母さんのためにピアノを覚えたなんて素敵です」

 

「私なんて感動して、泣きそうだよ」

 

「どうだ市ヶ谷、お涙頂戴の良い話だっただろ。泣いてもいいんだぞ」

 

「誰が泣くか!」

 

「そんな事言って、貸したハンカチくしゃくしゃに握っ……」

 

 ハンカチは強く握られての中でくしゃくしゃになっている。

 それを強がりで涙を堪えているものだと思えばそうではない、目は潤むどころか目尻が落ち、何処か心配しているように見えた。

 

「ったく、調子狂うな。それじゃあ次はドラムについて話します」

 

 この時一部を除いては次はどんな素敵な話しが来るのかと期待した。

 

 しかしそんなに優しいものではない。

 

 この話をするにはついてくる物が必ずある。

 

「まずドラムについて話す前に、俺が小学三年生の時、母さんが病気で亡くなった」

 

 小学生だった澪に病名まで分からなかったが、死因は取り敢えず心臓の病だった。

 

「母さんが亡くなって以来俺は母さんとの思い出のピアノを辞めた。そして楽器店にピアノを売ろうとした時に出会ったのがドラムなんだ」

 

 

 

 

 

 澪とドラムが出会ったのは引っ越して直ぐの頃。

 

 その日の空は一面と雲が敷き詰められていた曇りの日の事、澪は母との思い出のピアノを売るために家から近い楽器店に向かった。

 新しい家にピアノは持ってきていない、それでも形が残っているという事が耐えれなかった。

 

 楽器店に入るのもあまり良い気分にはなれない。

 だが、最後に自分の手で音楽人生のゴールテープ切ると思えばすんなり入る事が出来た。

 店内は地元の楽器店と負けず劣らず品揃えが豊富でギターやベースはもちろん、DJセットのような変わり種もあった。

 

 初めは店主にピアノの売却の件を話し書類にサインするだけのつもりだった。しかし足は真っ直ぐレジには向かず、流しい音を鳴らすモニターに吸い寄せられた。

 

 演奏会のようなお利口の形もなく荒々しく音を鳴らすドラマーの姿があった。

 

 一見力任せに叩いているように見えるドラムも良く聴かなくてもリズムが、ビートが刻まれている。

 音の迫力にも驚いたがドラマーの姿にも驚いた。

 髪の染髪は当たり前で、衣装の上半分はなかった。

 衣装がなかったのも元であり、ズボンの裾から布切れがだらしなく垂れていた。テンションが上がり引きちぎったのだろうと推測する。

 

 自由だ、

 

 美しい所作が求められるピアノの演奏会とは違い、ドラムと言うよりステージでの自由な姿に心を奪われた。

 

「気になるのなら叩いてみるかい?」

 

 声に反応し勢いよく振り返るとエプロン姿の老人が立っていた。見るからに目当てである店主に間違いはないのだが声が出なかった。

 八○はあると思われる老人は頭に毛はなく、体つきは筋肉質で澪の倍程の腕の太さがあった。

 そんなアンバランスな体型の老人を前にいるとなると怯むのも納得がいく。

 

 澪が威圧的な容姿に怯むが老人は気にせず口を開く。

 

「こんな天気だ、待っとっても客なんか来やせんよ。だったら老人の暇潰しに付き合ってくれてもいいんじゃないか?」

 

「えっ、あっ、うん」

 

 勢いに押され気づけばドラムを前に座っていた。

 

 澪はスティックを持ち恐る恐るドラムを叩く。

 

 トト、

 

 静かな音だった。

 モニターに映るドラマーのような耳に響く音ではなく、聴き取るのも難しい小さな音だ。

 

 叩く音を少し強めた。

 

 ドド、

 

 ピアノ以外してこなかった澪にとって他の楽器は未知のものだった。

 ドラムの音に抑揚がある事を知らなければ、どんな音を鳴らすのかも知らなかった。

 

 チラッと視線を上げれば金色の円盤が視界に入る。

 

 シャーンッ

 

 ドラムの重音とは違い金属が響くとても軽い音。

 ドラムという一つの楽器でも叩く物によって音の種類が明らかに違う。

 

「爺さん、あんたの道楽に付き合ってやるよ」

 

 この時の澪は母親の死、幼馴染との別れと、様々な事があり格好つけたい時期だった。

 

 そんな口を叩く澪に老人は煽るような視線を向ける。

 

「それは楽しみだ」

 

 その一言の終わりと同時に澪はスティックを叩きつけた。

 

 澪は深い息を吐いた。

 初めこそ老人を驚かそうと無駄に大きな音を鳴らしたり、下手くそなりにモニターに映るドラマーのマネをしたりもした。

 しかし内から広がる破裂音が捻くれた考えを忘れさせ、更に身体を縛っていた見えない糸を断ち切った。

 

 澪は久しぶりに晴れた気分になった。

 ドラムの騒がしい音が雑念を振り払ってくれる。

 何より力強く何かを叩く行為が澪の溜め込んでいた感情を吐き出させた。

 

「また来る」

 

「待っとるよ」

 

 澪は立ち上がり店を出て行こうした所で老人がビニール傘を差し出した。

 

「なんだよ」

 

「また来るんだろ?貸してやるよ」

 

 外は雨が降っていた。

 空はどんよりとした雲がびっしり覆われていたが今朝の天気予報では降水確率三○パーセントと微妙ながらも降らない予定だった。

 

 だから傘は持ってきていない。

 

 澪は老人から傘を受け取り店を出た。

 溜め込んだ雨水を吐き出す雲の下を澪は傘をさし真っ直ぐ家に帰った。

 

 

 

 それからの澪の行動は早かった。

 まだ無数の段ボールが積まれている家に帰って直ぐに父親にドラムが欲しいと頼み込んだ。

 澪が父親におねだりをしたのは初めてだった。

 大雑把で良い加減な性格をした父親に敬いの気持ちがないからだ。

 頼むぐらいなら自分でする、それが澪だったのだが、ドラムのような高価な物が相手になると話は変わってくる。小学生の澪がドラムを買えるほどのお金を持っている訳がなかったからだ。

 

 いつも下に見ている分都合がいいのは分かっていた。

 だけど小馬鹿にした言葉が返ってくる事はなかった。

 寧ろ理由はどうであれ新しく何かを初めようとした姿に泣いて喜び、雨の中を傘を持たずに飛び出そうとした物だから必死に止めた。

 

 結局、次の日には『また来る』という老人との約束を果たし、ドラムを買った。

 

 それから毎日のように夢中で叩いた。

 ドラムを叩いている時が唯一感情が現れ悲しい過去を忘れさせてくれるものだったから。

 初めはまめができたり、腱鞘炎を起こしたりしたがそれでも毎日叩くのを辞めなかった。

 

 劇薬のようにドラムを叩いた澪は指導者いらずともどんどん上達をし、中学に上がる頃には学生で澪に敵うものはいなかった。

 実力からしてバンドの誘いの話しが毎日のように来たがスケットしか引き受けなかった。

 それはバンドメンバーに感情移入をしたくないのと自由に叩きたいという自分勝手な欲求が理由だ。

 

 

 

 

 

「……だから俺にとってドラムは辛い思い出を忘れる唯一のもので、過去から目を背け沢山逃げたから今の様に上手くなったんだ」

 

 話は終わった。

 ドラムについて話したのは初めてだった。

 決して話したくないと言うわけではなく単に進んで話す事でもないと言うだけだった。

 

 気づけばスタジオ内は物音一つしないほど静かだった。

 いつもならふざける綾人と春夏もすっかり黙り込んでいた。

 

「おいどうした?なんか話せよ!」

 

 澪は異様な空気に耐える事が出来なかった。

 

「お前こんな話ししてすぐ話せるわけねえだろ。ったく、お前が入学当時クールぶってたのもそう言う訳かよ」

 

 珍しく綾人が真面目な顔をしていた。

 

 ズズッ、と鼻をすする小さな音がスタジオ内で聞こえた。

 鼻をすする音だけではない、言葉にならない鳴き声も耳に届く。

 音の方を振り向くと、沙綾が大粒の涙を流し泣き崩れており、近くにいた香澄と有咲に介抱されていた。

 

「ごめん。本当にごめん。私のせいでに辛い事思い出させてしまって」

 

 山吹も母が体が弱く、澪の話しを一番理解

 無神経な事を聞いたと沙綾は悔いるが、無神経なのは澪の方だ。

 文化祭の一件で沙綾の母親の体が弱いのはクラスが周知の事だ。その事を分かっていて話すのはあまりにも無神経だ。

 

 澪は崩れる沙綾の前で膝をつき肩に手をくと、沙綾は肩が飛び跳ね顔を上げた。

 

「謝る事なんかないよ。確かに昔は悲しい事、辛い事が沢山あった。だけど、沙綾やみんなに出会えて俺は過去を受け入れ強くなれたんだ」

 

 友達がいたおかげで澪は決別してた幼馴染と仲直りをしたり母の死を受け入れたりできた。

 

 澪はハンカチを取り出そうとするがポケットにはもうハンカチは入っていない。

 ハンカチは今有咲の手にある。

 

「ほんま自分、決まらんな」

 

「うるさい」

 

 小さく慌てる澪を見かねた一也が自分のハンカチを沙綾の隣にいる香澄に手渡す。

 受け取った香澄は沙綾の目元にハンカチを当てた。

 

「まっ……俺は過去を受け入れたんだ、だから沙綾が泣く必要は何処にもない、だから泣くな」

 

「プッ、澪はひどいなー。女の子に泣くなって」

 

「別にいいだろ。悲しむ顔なんて見たくないんだよ。女の子は……って言ったらあれだけど、人間笑ってるのが一番なんだよ」

 

 沙綾が何がおかしくて笑ったのかは分からない。

 格好をつけたけど決まらなかった事や、それでも何事もなかったかのように格好をつけた所なのか、それとも理不尽な言葉を投げられた事なのか、はたまたその全てなのか沙綾本人にも理由が多すぎて分からない。

 

 香澄からハンカチを奪い涙を拭った沙綾は立ち上がる。

 

「さーや、もう大丈夫なんだね」

 

「うん大丈夫。香澄、それに有咲もありがとう」

 

「べ、別に私は……」

「さーや!」

 

「ちょっ、香澄」

 

「おい、香澄!今、私が話してた所だろ」

 

 沙綾に抱きつく香澄に有咲が叫んでいる。

 つい先程までの重たい空気が嘘のようだ。

 

「沙綾、一つだけいいか」

 

「ん?澪、どうしたの?」

 

 沙綾の顔は明かった。

 涙で目元こそ赤く腫れてはいるが、泣いていたのが嘘のようだった。

 

「お母さんを大切にな」

 

 大切に出来ただろうか、

 そんな言葉が澪の頭を過ぎる。

 

 しかし考えるだけ無駄だった。

 思い返せば記憶に残る母親はいつも笑っていた。

 

 それが答えだ。

 

 親孝行は出来ていた。

 だけど後悔がないわけではない。

 もっと沢山の曲を聴かせてあげたかったし、上手になった姿を見せたかった。

 何より、沢山の友達に囲まれている今を見せたかった。

 

「……そんなの分かってるよ!私のお母さんも澪のお母さんに負けないぐらい凄いお母さんなんだから!」

 

 沙綾は真っ直ぐな目で言いきった。

 

「それじゃ、俺が出来なかった事を沙綾に引き継ぐとして……」

 

 澪の向いた先に全員が注目する。

 

「な、なんだよ……」

 

「俺の話は終わった。後は春夏だけだ。さぁ一体どんな素敵な話をしてくれるんだ?」

 

「うるせぇ!澪テメェは知ってんだろ!俺が音楽を始めたのは女の子にモテる為だよぉ!」

 

 春夏の話は特に誰かに言及されたとかがなかった為直ぐに終わった。

 

 おかげで残りの時間を練習に回す事ができ、最後の合同練習だけはしっかり練習する事が出来た。

 

 週末はいよいよミニライブ。

 

 少女達にとっては通過点だが、彼等にとってはゴールだ。

 

 妥協は許されない。

 

 少女達を見送った後少年達はスタジオへ帰った。



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