もし、碇ゲンドウが少しだけ器用で、用意周到な男だったら。 (煮魚( ))
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第壱話 無慈悲な、召集。

 受話器を置くと、リン、と軽い機械音を返してくる。もう数回同じ事をしていて、この音に虚しさを覚えるばかりだ。

 

 やっぱり、無理なのかな……。

 

 『碇シンジくん江♡』と書かれた女性の写真の裏には、しかし、掛けたものと同じ電話番号が載っている。

 

 電車は集合場所の数駅前で、止まってしまった。非常事態宣言が発令されたのだ。

 

 『迎えに行くからね』と書いてあるので、駅で待ってみたりしたが、誰も来なかった。

 

 それは、そうだ。きっと避難をしているのだろう。

 

 連絡くらいはつくと思ったんだけど……。

 

 頭を掻くと、熱せられた髪に火傷しそうになった。ずいぶんと、時間をかけている。

 

 非常宣言が出されたのにも関わらず。

 

「ふぅ……はぁ……」

 

 あぁ……まずい……。

 

 焦りと暑さで、玉のような汗が背中や首筋をいくつも通ってゆく。

 

 このとき、碇シンジが……非常事態宣言を無視して縋ってしまうのは仕方のない事だと言えよう。

 

 母の死から、十数年会えなかった父。

 

 碇 ゲンドウ

 

 世間から様々な噂を立てられ、閉ざされた日常の中で、自分にとって、一年に一度送られてくる手紙だけが真実だった。

 

 積もる話があるだろうし、もしかしたら、本当にもしかすると、また、家族になれるかもしれないのだから。

 

 父さんに会える、会って話してくれる、その一心ではるばる第3新東京市まで来たのだ。まさか、連絡する段で予定が頓挫するとは、思いもしない。

 

 こんな時に。

 

 なり続ける呼び出し音。

 

 やっと会えるのに。

 

 なり続ける呼び出し音。

 

 どうして……。

 

 なり続ける呼び出し音。

 

 ──現在特別警報発令のため、通常回線は不通となっております……

 

「やっぱりダメか」

 

 『迎えに行くから』そう書かれた写真を、父さんへの切符を、思わず眺めた。きっと、このまま有耶無耶になるんだろうな。

 

 父さんのことだから。

 

 そんな気がしていた。

 

 欲しい時に、その存在は居ないのだ。

 

 いつかの手紙に滴る血液を幻視した。

 

 数年に一度届く、報告書のような手紙を思い出す。今回は珍しく、一方的な内容じゃなく、NERVへの招待という期待は、早くも薄れつつあった。

 

 考えたくはないが。

 

 父としても、可能であれば、という程度の申出だったのかも知れない。

 

「やっぱり来るんじゃ無かったぁ……」

 

 写真を仕舞うと、バッグを背負う。

 

「しょうがない、シェルターに行こう」

 

 実際に言って諦めをつけ、視線を上げると、無人のはずの町に、人が居た。

 

 冴えるような、青髪。

 

 赤い、瞳。

 

 服装は学生服。

 

「えっ……」

 

 しかし、視線は、頭上近くで飛び立った鳥の大群に向いてしまった。

 

 びよびよびよびよ!!!!!

 

 と、ただならぬ鳴き声を発しながら逃げるように飛び立つ鳥。

 

 その間に、彼女は消えていた。

 

「…………うぉっ!?」

 

 間髪入れずに、風が街に吹き荒れる。足を踏ん張らないといけないくらい、強力な突風だった。

 

 聞こえる……。

 

 キーン……という音。

 

 振り返ると、大きな飛行機(きっと戦略自衛隊だ)が隊列をなして山の尾根から飛び出す所だ。

 

 何かと戦って……?

 

 そう思った矢先、人の輪郭に、無理やり生命機関を押し込めたような、悪魔や獣という言葉が似合う、数十メートルはありそうな化け物が姿を表した。

 

 胴体の真ん中に掛けられた、仮面。

 

 いや、あれは、顔……なのか……?

 

「ウッ……」

 

 目が焼けるような閃光。思わず顔を覆って、立ち尽くした。そして、爆発音。爆風に、またもや足を踏ん張らないといけなかった。

 

 閃光が収まると、バケモノはおもむろに手を水平に突き出す。白いロットを虚空から出現させ、戦闘機の一機に撃ち出した。

 

 あえなく墜落する戦闘機……。

 

 その行き先は……ここ!?

 

「うわぁぁぁっ!!」

 

 最悪だっ……!!!!

 

 全力で走るが、後ろで響く破壊音に、足がもつれる。

 

「つだぁ……はっ」

 

 後ろを振り返ると、あのバケモノの、足が、目の前に……。

 

 「あぁぅ……」

 

 強靭そうな鉄の機体を、まるで折り鶴のように、潰してしまった。

 

 頭の中は真っ白だった。

 

 熱風に死を感じて、冷や汗が滴る。

 

 しかし、耳元で響くドリフト音に、この状況で、動く車があるという違和感に、視界を開いた。

 

「ごめーん、おまたせっ!」

 

 目の前でドアを開いた車に乗るのは、あの、『迎えに来る』写真の水着姿の女性だった。顔は……いかついサングラスで見えないけど……?

 

 いや、というか、この状況で、来たなら、間違いないっ!!

 

 何も言わずに飛び乗ると、急いでシートベルトを装着した。

 

「うっ……」

 

 またもや、爆発。

 

 フロントガラス越しでも伝わる熱波に冷や汗が止まらなかった。

 

 周囲に響く破壊音に、地の底から揺れるような振動に恐怖して、口が縫い合わさったように開かない。

 

 気付けば、シートベルトを両手で握りしめていた。

 

 しかし、こんな状況にも関わらず、車はまるで生きているかのように走る。

 

 潰されてもおかしくない……!!

 

 しばらく絶体絶命のドライブをしていたが、比較的速やかに、危機は脱したらしい。

 

 遠ざかる音。バックミラーに小さく映るバケモノに、ため息をついた。

 

「ふぅー……」

 

 まさに間一髪だ。

 

 横の女性は、しかし、まだ何も話さず、横目に使徒を確認しながら、焦ったように車を走らせる。

 

 葛城ミサトさん……だっけ?

 

 説明とか……ないのかな……?

 

 しかし、今は緊急事態。集中している今、話すのも迷惑な気がする……。

 

 仕方のない状況だが、無言のままの彼女に手を揉んでいると、山間まで走らせた車を唐突に止めて、

 

「ちょっちごめんねー」

 

 そう言うなり身を乗り出してグローブボックスから双眼鏡を取り出した。

 

 体が密着する状況に辟易しつつも、身体を縮こませていると、頭上から「N2爆雷を使う訳ぇ〜!?」と声が降ってくる。

 

 N2……?

 

 考える暇もなく、「伏せてッ!!」という声で不自然に体を抑えられて、息が肺から絞り出される。

 

「うっ……」

 

 く、くるし

 

 その苦痛も、到来した熱波と衝撃に腹の底からかき回された。

 

 今の体勢も分からず、体のあちこちをぶつけ、平衡感覚が不快に刺激される。

 

 そして、車が外から加熱されているかのような、圧倒的な、熱……!

 

 息をするのも憚られた。

 

 しばらくすると、熱波は温風になり、やがて閃光もなりを潜めていった。

 

 今日一日で、何回爆発するんだか……。

 

 道路沿いの砂地まで転がされ、横倒しになった車内からやっとの思いで脱出すると、

 

「だいじょぶだった?」

 

 と、軽い雰囲気で声をかけられる。この人は、慣れてるんだろうか……こういうのに……。

 

「ええ、口の中が……しゃりしゃりしますけど……」

 

 呆れのような感情を抑えつつ、彼女の視線を探るが、サングラスで分からない。

 

 車と自分を俯瞰で見てるような印象を受けた。

 

「そいつぁ結構」

 

 そうやって、立ち上がるようにジェスチャーをする。

 

「じゃ、行くわよ」

 

 痛む体を我慢して、車の姿勢を、ひっくり返して正すのを手伝いながら、フツフツと一つの疑問が立ち上がった。

 

 昨日まで、普通に学校生活してたのに。

 

 こんな、当たり前みたいに……。

 

 NERVって、どんな組織なんだろ。

 

 迎えもほぼ手遅れだったし。

 

 電話は繋がらないし。

 

 少なくとも、マトモな組織じゃ、なさそうだよ……。はぁ……。

 

 父の印象を、一つ悪くするシンジだった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ、心配ご無用。彼は最優先で保護してるわよ。だから、カートレインを用意……

 

 電話をする葛城さんを尻目に確認し、ゆっくりと流れる山の輪郭を眺めながら、さっき言われた事を考えていた。

 

『ミサト、でいいわよ』

 

 名前呼び。

 

 思う所がない訳ではないが、この人の有無を言わさない雰囲気に、抵抗する気は起きなかった。

 

 少なくとも、自分に興味はなさそうだ。

 

 ワザとらしい口調も、見たこともない服装も。

 

 仕事だからしている。

 

 そういう雰囲気があった。

 

 なんで名前呼びなんて規定があるのかは分からないけど……。

 

 通話が終わった。

 

 意を決して、ミサトさんに向き直る。

 

「あの……ミサトさん」

 

 何か考え事をしているのか……見つめる虚空の向こうは分からない。

 

 サングラスを外しても、考えている事は闇の中だった。

 

 やっぱり、説明は、無いのかな。

 

 半ば諦めつつ声をかける。

 

「あの、ミサトさん」

 

「ん、なぁにぃ?」

 

「いいんですか……こんな事して」

 

 後部座席を目線で示す。

 

 そこには、他の車から盗んだバッテリーが山のように置いてあった。

 

 爆発の次は窃盗だったのだ。

 

 外し方は手慣れていて、とても今日初めて触ったようには見えない。

 

 説明の如何によっては父親は犯罪組織に与している事になる。

 

 名前呼び(コードネーム)管理の犯罪集団。

 

 いかにも。だった。

 

「あ〜あ、いいのいいの。今は非常時だしぃ、車が動かなきゃしょうがないでしょ?」

 

 目眩がしそうだ。

 

 非常時は非常時だが、決まりで車は鍵を付けたまま放置されているので、やましい事が無いのなら、自分の車を置いて、他の人の車を借りればいいのだ。

 

 後から返却すれば法律に問われない。

 

 これは、小学校で4〜5回は見ている非常事態関連のビデオの内容だし、ミサトさんも知らない訳はないだろう。

 

 だが、書き置きもせずにバッテリーを抜き取るのは、どう考えても犯罪行為……。

 

 あの車たちのレッカー代金は誰が出すんだろう?

 

 

「それにアタシ、こう見えても国際公務員だしね♡ 万事おっけ〜よ」

 

 国際……公務員……。

 

 それはアレかな。国境を超えて大泥棒を追いかける義務がある、みたいな。

 

 本気で言ってるのかな?

 

「説得力に欠ける言い訳ですね」

 

 もはやシンジの中でNERVは巨大犯罪組織だった。父が重役というのも、残念、というより、いかにも。だと考えてしまう。

 

 少し考えればそれに拉致されているような立場の自分をもう少し心配すべきなのだが、あいにく自分を救ってくれた手前、14歳のシンジに害されるという考えは浮かびすらしない。

 

「つまんないの……可愛い顔して、意外と落ち着いてんのね」

 

 声のトーンを数段落として、こちらに厳しい目を向けるミサトさん。

 

 犯罪組織、何をされるか分からない。

 

 その事を今更に思い出して、言葉に詰まる。

 

「そう、ですか……?」

 

 出方を伺いつつ、小声でそう答えた。

 

「あれぇ、怒った?」

 

 またおちょくる様な態度に戻る。

 

 まるで百面相だ。

 

 次はなにをする気なのか……思わず寄ってしまう眉に、シンジは気付かなかった。

 

「んー、ごめん! おっとこのこだもんねぇー?」

 

 こちらは緊張しっぱなしなのに、あくまでも揶揄うミサトさんは、流石に不快だった。

 

 少しやり返してやろうと言葉を繰る。

 

 父親の招待、という事が、少し気を大きくさせていた。

 

「ミサトさんこそ、歳のわりに子供っぽい人ですよね」

 

 彼女は微妙な顔をした直後、キッと前を睨むと、唐突な加速が体を捉える。

 

「っ、うぁぁあぁ!?」

 

 いきなり蛇行走行、危険運転を始めたミサトさんに、(こ、殺される……!)と、慄きながらシートにしがみつくシンジであった。

 

 

 

 

 

 

 

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「特務機関NERV……」

 

 ゲートに印字された文字に、いよいよだと心持ちを新たにした。

 

 地下に敷設された『カートレイン』は、なんの飾り気もなく、まさしく、通路そのものだった。剥き出しの鉄板が、無骨な雰囲気が、ここが敵の本拠地であると主張している。

 

「そう、国連直属の非公開組織」

 

「父のいる……所ですね……」

 

「まあねー、お父さんの仕事知ってる?」

 

「人類を守る仕事だとしか……」

 

 最初の手紙を思い出した。

 

『詳細はいつか教える』

 

 いつか、が今日だと、現実味を帯びてきている。口の中が乾燥して、手がじんわりと湿った。

 

 しかし、まさか、こんな組織だとは……。

 

「これから……父のところに行くんですか」

 

 それは、今や恐怖だった。

 

 父の事情は知らなかったといえ、なぜ、この組織で重役なのか、不安で仕方がない。

 

「そうね、そうなるわね」

 

 父さん……。

 

 手紙の様子からは、ここまで殺伐とした事は予想していなかった。

 

 本当に犯罪組織じゃないよな。

 

 明確な説明を、してくれるといいけど……。

 

「あ、そうだぁ、お父さんからID貰ってない?」

 

「あ、はい、どうぞ」

 

 バッグから一通の便箋を渡した。

 

「ありがと」

 

 便箋を開いたのはいいけど、数枚出てきた紙と格闘している。

 

「……〜入所までの流れ〜っていう書類のポケット部分に入ってますよ」

 

「あ、あぁ……これ。じゃあ、こっち、読んどいてね」

 

 そう言って目の前に差し出されたのは、『極秘』と書かれた書類だった。

 

「どういう事ですか? 僕も、何かするんですか?」

 

 確かに、入所という言葉を不思議に思ったが、主に引っ越し関係の書類だったので、まさか自分も仕事をするとは思わなかった。

 

 だが、また『微妙な顔』をしたミサトさんを見て、すぐに質問を撤回しようと考えを巡らせる。

 

「そう、ですよね……父さんといきなり同居なんて、ありえないですよね……」

 

「そっか、苦手なのね。お父さんが」

 

 苦手、というか、父という認識はあるが、正体不明。というのが、正直な所だったが、発言はしなかった。

 

 上手く言える気がしなかったから。

 

「アタシと同じね」

 

「えっ」

 

 口角を上げて目を瞑るミサトさんは、それ以上語らなかった。

 

 ミサトさんと、同じ……?

 

 その疑問は、しかし、深く考える事は無かった。天井から下に向かって突き出すビル群が夕日を遮る光景が目に入り、思わず窓に近づく。

 

 逆づりのビル群が、森や湖に影を落とす。光の中に、碧く輝くピラミッドがあった。

 

「わぁ、すごい……ほんとに〝ジオ・フロント〟だ……!!」

 

 手紙の中でも唯一心を惹かれた単語、地下都市(ジオ・フロント)。光り輝く天蓋に包まれた箱庭は、想像よりも遥かに力強く、幻想的で、美しかった。

 

「そう、これが私達の秘密基地。NERV本部。世界再建の要。人類の……砦となる所よ……」

 

 しかし、そう言うミサトさんは、未だ、虚空を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

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「おっかしーなー……確かこの道のハズよねぇ」

 

 道、といっても、それは長いベルトコンベアーだ。カートレインと同じく、直径5メートル程の五角形のパイプのような通路が、ずっと続いている。

 

 時折、普通の通路への別れ道や、謎の設備が垣間見えるが、ミサトさんが曲がる事は一回も無かった。

 

 そして、ここまで大規模な移動施設は、外周部にしか敷設されていないはず。

 

 大きな施設だからといって、内部までこんな大掛かりな移動方法を採用していたら、逆に身動きが取りづらいと思うし……。

 

 つまり、これに乗り続ける限り、外周部を回っているだけで、一生着かない。

 

「これだからカレーターで来づらいのよね、ここ……」

 

 シンジは、手ずから製本されたらしい、『極秘』書類をじっくり読みたかったので、分かっていながら、ずっと黙っていた。

 

「リツコは何してんのかしら……」

 

 こんな事で頼られるリツコさんも大変だな……と頭の片隅で考える。

 

 書類の内容としては、あの化け物が使徒と呼称される事、それに対する第3新東京市の機能や、NERVに関する機密保持の規約や、法律上での定義、NERV本部へ繋がる市内通路の案内等、多岐に渡っている。

 

 分かったのは、

 

 犯罪組織、ではない。

 

 普通の組織、でもない。

 

 という事だった。

 

 あらゆる箇所に見える『超法規的措置により』の文字が、それを物語っている。

 

 ここで、一体、何をさせられるんだろう……。

 

「ごめんねぇ、まだ慣れてなくって……」

 

「ここさっきも通りましたよ」

 

 大体読めたので、こう言えば、分かってくれるかな? と自分なりに考えて、さりげなく発言したつもりだった。

 

 だが、読みながらだったからか、小声で、嫌味のような言い方になってしまった。

 

「う…………でも、大丈夫。システムは利用するために、あるものね」

 

 ……完全に意図が伝わっていないが、これ以上は子供が上から目線で話すようなので、黙っている事にした。

 

 仕方ないや……。

 

 しばらくして。

 

 結局、どうやら、リツコさんにナビゲートをお願いしたらしかった。

 

 初めから電話すればいいのに、と思うのは、変だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

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 やっぱりあの巨大な移動施設は外周部だけで、一つの通路に入った後、エレベーターまではすぐだった。

 

 ふと、停止するのを感じて、目線を上げる。

 

「あ、あら……リツコ……」

 

「はぁ……」

 

 乗ってきたのは女性。ブロンドの短髪、自信ありげな、或いは無機質な表情、赤い球のピアス……。

 

 典型的な、頭のよくて少しナルシストな人。威圧的な態度は、怒っているからか、普段からそうなのか……。

 

 これが、リツコさん、か。

 

 水着の上から白衣、という奇抜な服装からは、それ以上何も察する事が出来ない。

 

 そう思い、書類に目を戻した。

 

「何やってたの、葛城一尉、人手も無ければ、時間もないのよ」

 

「ゴメン!」

 

「はぁ……」

 

 会話が途切れる。

 

「……例の男の子ね」

 

「そう、マルドゥックの報告書による、3rdチルドレン」

 

「宜しくね」

 

「あ……はい」

 

 身構えていなかったので、適当な返事になってしまった。

 

「これまた父親そぉっーくりなのよぉ」

 

 少し呆れたようなミサトさん。

 

 重役ともあろう人がこんな感じなんだろうか……?

 

「可愛げのないところとかねぇ……」

 

『歳のわりに落ち着いてんのね』という言葉を思い出した。イヤミ、なんだろうな。

 

 これは。

 

 扱いづらいっていう、意味での。

 

 ……嫌われたな。

 

 

 

 

 

 

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 すっかりミサトさんが嫌になっていた。それと楽しげに話すリツコさんに対しても信用はあまり無かった。

 

 これは14歳のコドモ。

 

 仕事だから連れてきた。

 

 扱いづらい面倒なやつ。

 

 そんな雰囲気を隠しもしない。

 

 二人に連れられているだけで、不安になる上、これから父に会うという事を考えて、頭が痛くなりそうだ。

 

 仕方なく、読み終わった資料を最初から読み直していた。

 

 いま乗っている傾斜トラムのシャフト側面はガラスになっている。そこから不気味な赤い光が差し込んでいるせいで読みにくく、皮肉にも、時間潰しには丁度いい。

 

ー繰り返す、第1種戦闘配置、対地迎撃戦用意ー

 

「ですって」

 

「これは一大事ね」

 

 第1種戦闘配置。使徒が第3新東京市の防衛機構の範囲内に入った事を意味していた。

 

 いるんだ、あれが、近くに……。

 

「で、初号機はどうなの?」

 

「B型装備のまま、現在冷却中」

 

「それホントに動くのぉ? まだ一度も動いた事、ないんでしょう?」

 

「起動確率は0.000000001%……O9システムとは、よく言ったものだわ」

 

「それってぇ動かない……ってコト?」

 

「あら失礼ね、0ではなくってよ」

 

「数字の上ではね……ま、どのみち、動きませんでした……では済まされないわ」

 

 嫌な予感がする。

 

 だが、しかし、それは、それこそ、ないだろう。

 

 何の訓練も受けていない素人が、いきなり化け物と……使徒と戦うなんて……。

 

 ありえない。

 

 ましてや、今、自分でO9システムだと言っていたじゃないか。あるわけないんだ。そんな事……。

 

 早く父から、安心する言葉を聞きたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 会話もなく、ピリピリとした雰囲気に包まれていた。

 

 荷物を回収され、真っ暗な大部屋に進む。 

 

 ここが目的地である事は、流石に自分でもわかる。

 

 父さん……。

 

 心の底から湧き上がる不安に、拳を握りしめた。

 

 閉まり始めた扉。

 

 真っ暗にする必要があるのか……?

 

「あの、どうして真っ暗に……うわっ!?」

 

 突然の、明転。

 

 目の前に現れたのは、赤い巨大水槽に浮かぶ、頭。

 

 宇宙活動をしそうな、近未来的なフォルムの、紫が主体の緑がアクセントで入っている、独特な……恐らく、ロボットの頭部だった。

 

「ロボット……? これは……冊子には、何も」

 

 思い返しても、どのページにも、こんなロボットの事は書いてなかった筈だ。

 

「書いてないわよ」

 

「えっ」

 

 当然、というように言い放ったリツコさん。

 

「人が作り出した究極の汎用人形決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン、その初号機」

 

 人造……人間……? これが? 機械的なフォルムは、全く人間には見えない。

 

「建造は極秘裏で行われた。我々人類の、最後の切り札よ」

 

 人類を守る仕事。

 

 瞬間、脳のシナプスが結びついた。

 

「これが、父さんの仕事ですか」

 

『そうだ』

 

 頭上のスピーカーから、聞き覚えのあるものより、少し低い声が響く。

 

『久しぶりだな』

 

「父さん……」

 

 遥か数メートル頭上、ブリッジのような場所に、父さんが立っていた。

 

 遠い。表情は、伺い知れない。

 

 そのまま、数分が経過しただろうか。

 

 すまなかった、とか、お疲れ様、とか、僕は何か安心できる言葉を欲して、黙っていた。

 

 なんでもいい。

 

 虚像だった父さんが、実像だったと分かればなんでも良かった。

 

『使徒は、およそ不滅だ』

 

「……なんの、話? 父さん?」

 

『そのためのエヴァがある』

 

 聴こえて、ないのか?

 

「どういう事だよ、父さん……今までの事とか、NERVの事とか、これからの事とか、色々、他に、話す事があるじゃないか!」

 

 またもや、数分の沈黙。

 

 意味が、分からなかった。

 

 ちがう! ちがう!! ちがう!!

 

 これじゃない。

 

 求めていたのは、こんな事じゃないんだ。

 

 無言の重圧に耐えかねて、下を向く。

 

 そうだ。

 

 僕はただ、普通に父さんに会って、普通に話したかっただけじゃないか……。

 

 聞きたかった、だけじゃないか……。

 

 どうして、こんな事に……。

 

『シンジ、お前が乗るんだ』

 

 心臓を鷲掴みにされたようだった。

 

 ドクドクと鳴る胸が、ハッキリと分かる。

 

 あの仮面が、ちらつく。

 

「なぜ、なぜ僕なんだ父さん……」

 

『お前しか乗れないからだ』

 

「だから、どういう事なんだよ!」

 

『仔細を話す時間はない』

 

 そういうことじゃない!! 喉から血が出るまで、叫び転がりたい気分だった。だが、もう、無意味な言葉しか出てこない事を知っていた。

 

「使徒は、これでしか倒せない……」

 

 煮え繰り返るはらわたを落ち着けつつ、脂汗を背中や首筋に感じながら、事実を呟き、自分の中に落とし入れる。

 

『あぁ、あれは完璧な単一兵器だ』

 

 完璧な、単一兵器。その言葉に、涙が出そうになる。それに、挑むんだ、僕は。

 

 自殺。

 

 その2文字が去来し、足がすくんで、目頭が熱くなる。

 

 手にかけた包丁を思い出し、血とを幻視して、心の奥底から湧き上がる、死の恐怖。

 

「……僕にしか……乗れないんだね、父さん」

 

『……そうだ』

 

 沈黙。

 

 込み上がる虚無な熱に、胸が張り裂けそうだった。

 

 矛盾。

 

 諦めたはずの、価値。

 

 それが、唐突に、のしかかる……。

 

 涙が、止まらなかった。

 

 これは、あのとき、引けなかった包丁だ。

 

 責任なんだ。

 

「シンジくん……」

 

 どうにもならない感情が、大きく、胸をばらばらにして、虚空を広げていた。

 

『……明日、時間を作る』

 

「父さん……」

 

『エヴァに乗れ、シンジ』

 

 感情は窺い知れない。突き放すようにも、頼むようにも聞こえなかった。

 

『……でなければ、明日はない』

 

 そうだ。

 

 だが、これを、超えれば、会う。

 

 父さんは今、約束したんだ。

 

 真実は、そこにしかない。

 

「ッ……分かっ……た……」

 

 拳を握りしめ、涙を拭う。

 

「乗るよ、使徒は、僕が倒す」

 

 なにもない、胸の虚空を、闘志で繋ぎ合わせる。いま、今だけは、ばらばらになる訳には、いかなかった。

 

『……出撃準備だ』

 

 そう言い残して、父さんはブリッジの奥に消えていく。

 

 その姿を、僕は、ジッと、見ていた。

 

 心の恐怖には目を瞑って。

 






 次回 「孤独な幼兵。」


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第弐話 孤独な、幼兵。

 柔らかな触覚に包まれて、微睡みから目覚めた。

 

 左腕が、痛い。

 

 頭が、痛い。

 

 あれから……どうなったんだっけ?

 

 確か、エヴァに乗って、出撃……したんだっけ……。

 

 頭が痛くて、ぼうっとしている。もやがかかったみたいだ。

 

 上半身を起こすと大部屋に、一つベッドが置かれていて、そこに居るのが分かった。

 

 病院……だろうか。

 

 痛みがつらくなって、また横になる。

 

 枕に後頭部がうずまると、少し落ち着いた。

 

「……ここ……どこだろう」

 

 知らない、場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは山間の、NERVが管理する病院だった。

 

 『身体には問題ありませんが、記憶の混濁が見受けられます。1日様子を見た方が良いでしょう』

 

 メガネを光らせて、そう言われた。

 

 記憶の混濁……。

 

 何故か、昨日を思い出そうとすると、頭が痛くなる。その激痛があるから、僕は、何も考えないように、山々の景色を見てぼうっとしていた。

 

 白い部屋に寝ていると、色々考えてしまうから……。

 

「初号機パイロット」

 

 だからだろうか、背後に現れた、青髪の女性が、いつからそこにいたのか、全く分からなかった。

 

 赤い瞳。

 

「いっ……君は……」

 

 痛みの中、記憶から、飛び立つ鳥と、消えた人の映像が、フラッシュバックする。

 

「君は……あのときの……?」

 

「私は初めて会った」

 

「あ……あァ……グッ……」

 

 その声が聞こえる前に、脳髄を貫かれる痛みが、左腕が折られた恐怖が、胸のおくそこから這い出て、身体中の筋肉を食い散らかしてしまったようだった。

 

 立っていられなくなって、座り込んで、震える肩を抱く。

 

「はあっ……はぁっ……はっ……」

 

 映像がフラッシュバックする。

 

 眼前に迫る、死の仮面。

 

 折られた、左腕。

 

 頭に突き刺さる、光のロット。

 

 装甲が剥がれ、剥き出しの頭部に、〝生えた〟エヴァの〝瞳〟

 

 父さんの手紙。

 

 あれは、確かに人だった。

 

「ぁ……アぁ……っ……」

 

 人に、人の、中に、乗って……。

 

「……誰か、呼んだ方がいい?」

 

 呟くような声に、地面の、リノリウムの冷たい触覚が戻ってきた。

 

「……ぃや、だい……だいじょうぶ……」

 

「顔色、悪そうね」

 

「きみは……?」

 

「綾波、レイ。14歳。マルドゥク機関の報告により発見された、ファーストチルドレン。0号機専属パイロット」

 

 まるで練習したかのように、スラスラと出てくる台詞に、呆然とするしかなかった。

 

 なんとか見上げた視線は、彼女の瞳とぶつかる。そこには、何の表情もない。

 

 そして、次は貴方の番。とでも言いたげに、黙っている。

 

「……僕は、碇、シンジ……その……どうして、ここに?」

 

 相手の感情が分からない。恐怖が形を変えた事で、いくぶんか軽くなる。

 

 手すりに体重を預けつつ、震える足を叱って立ち上がった。

 

「定期検診」

 

 彼女はそれだけ言うと、黙ってしまった。

 

 何か……用があるんじゃ……ないのかな?

 

 ジッとその赤い瞳で見つめられると、しかし、なぜか、安心するような……気がした。

 

 なぜだろう……。

 

「あー……と……何か、用があったの?」

 

 人の反応を待たずに、二の句を継いだ事に、自分の事ながら驚愕。

 

 こんな事、今までしなかったのに……。

 

「いえ、別に」

 

「そ、そう……」

 

 沈黙。

 

 やっぱり慣れないことは、しない方がいいな。

 

「乗ったとき、違和感はなかった?」

 

 唐突にそう切り出され、僕は混乱した。

 

 違和感といえば違和感でしかないが、どこをどう捉えた質問なのか、分からなかった。

 

 例えば、なぜ人造人間なのに操縦する必要があるのか、とか、感覚を共有するシンクロってなんなの、とか。

 

 なぜ、あんなことに……。

 

「……いろいろ……あるけど……」

 

 思考をまとめきれずに、そう答えた。

 

 次に仮面に焦点があったら、僕は……。

 

「そう……」

 

 彼女は、ふぅ、と息を吐くと、思考の海に潜っていった。

 

 目線を下に逸らして、佇んでいる。

 

「綾波さんも、違和感があったの?」

 

「えぇ、今も、そう」

 

 今も。

 

 エヴァ。

 

 それは、そうなんだろうな……。

 

 気持ちは……分かるけど……。

 

 うーん……。

 

「貴方なら、分かるかと思って」

 

「ごめん……いろいろ……あるんだけど、その……言葉に、できないんだ」

 

「そうね」

 

「うん……」

 

 沈黙。

 

「ありがとう」

 

「えっ」

 

「分からない事が、分かった」

 

 意味を捉えかねて、言葉が出ない。

 

 沈黙。

 

「こういうとき、ありがとう。と言うはず……何か、違う?」

 

 相変わらず感情は見えない。

 

 が、首を少し傾げる姿は、本当に分からない、という風だ。

 

「……い、いや……その、こちらこそ、僕と話して、くれて、ありがとう? というか……何か楽になった気が、する……からさ……」

 

 ありがとう、を問われると、分からなくなる。今まで何気なく使っていた気がしたけど、意識すると、確かに数えるほどしか言ったことがない。

 

 感覚がおかしいのは僕かも知れない。

 

 それが恥ずかしくなって、言葉がうまく見つからなかった。

 

 変な事を言った気がする。

 

 話してくれて、ありがとう。なんて……。

 

 頬が熱い。

 

「そうね」

 

 綾波は、いつの間にか、笑っていた。

 

 口角を少し上げるだけ。

 

 しかし、

 

 目を奪われる、純粋な微笑みだった。

 

「うん……」

 

 思わず目を逸らしてしまったが、これ以上見つめ合うと、熱が出てしまう。ような気がした。

 

「じゃあ、またね」

 

「あ、うん、また……」

 

 彼女は、僕の言葉を聞く前に、歩き去って行く。

 

 綾波レイは笑っていた。

 

 分からない。でも、分かってくれた気がした。

 

 苦々しい暴走の記憶は……もう、痛く無い。

 

「ありがとう……か……」

 

 少し、頬が、熱くなった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 病院の、待合室。

 

 エレベーターから出てきた、黒服で、髭面の、サングラスをかけた……

 

「……父さん」

 

「話せる事は、あまりない」

 

「……いいんだ……分かる気がするよ」

 

「そうか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「シンジ……靭く、なったな」

 

「僕は、強くなんてない……」

 

「……そうか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「手紙の事、ぜんぶ、本当なんだね」

 

「そうだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「父さん……父さんは、父さんだよね?」

 

「……ああ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「その、ありがとう……父さん。時間を、作ってくれて」

 

「…………」

 

 左腕の時計を確認すると、父さんは踵を返して、エレベーターに乗り込む。

 

「またね、父さん」

 

 その背中に、呪いをかけるつもりで、僕は呟いた。

 

「またね……」

 

 少ない会話。

 

 何も与えられない情報。

 

 胸が苦しい。

 

 だが、耐えられる。

 

 今は事情があって、話せないのかも知れない。だが、手紙が真実だと、父さんに言って貰えた。今はそれでいいんだ。

 

 それでいい。

 

 また、会うために。

 

 認めてもらう為に。

 

 いつか、家族に、なるために。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 キッチン、バスルーム、リビングのみの無機質な、マンションの一室で、リビングに置かれたベッドに彼女は腰掛けていた。

 

 綾波レイ。

 

 掃除が終わり、本日の予定は就寝前の食事を残すのみであった。

 

 規則通りの彼女の生活は変わらない。

 

 夕陽に照らされながら、ベッドの脇のタンスに据え付けてある〝日記〟を読んでいる。

 

「ありがとう……感謝の言葉

 

 私が発言するのは、初めての言葉。

 

 記憶の言葉……」

 

 エヴァに乗るたびに感じる、違和感。

 

 自分が何かに、侵食されるような、とても言い表せない、感覚。

 

 まるで、自分が『曖昧』になっていくような……。

 

 まろびでる碇司令との記憶。

 

「心理感覚の相違……」

 

 それが、赤城リツコ博士が、シンクロの妨げとして挙げた理由だった。

 

 1番目にあって、自分に無いもの。

 

 碇司令。大切な人。1番の人。

 

 でも、それだけじゃ、ない……。

 

『言葉に……出来ないんだ……』

 

 シンジの姿が、脳裏に現れる。

 

 自分の事じゃないのに。

 

 私と同じように苦しんでいて、言葉に出来ないと言われて、知らない感覚が体を襲っていた。

 

 エヴァのと似ていて……。

 

 でも、嫌じゃない。

 

 あたたかい。

 

『その、ありがとう。気持ちが楽になったというか……』

 

 彼の気持ちが楽になると、なぜか、あたたかくなる……。

 

『あ、うん、また……』

 

 碇、シンジ。碇くんの言葉……。

 

 どうして……。

 

 瞬間、記憶と感覚が結びつく。

 

「うれしい……私、うれしいのね」

 

 分かった事が、また嬉しくて、今日の日記に書こうとシャーペンと下敷きを取り出したが、一文字目で筆が、ぴたりと止まった。

 

「分からない。嬉しい、をどう書いたら……」

 

 頭では、分かっている。状況を書いて〝嬉しかった〟と表現するだけ。

 

 起動を成功させた初号機パイロットに問題を相談。解決はしなかったが、同じ違和感を感じている事が判明。その後、気持ちが楽になったと告げられ、嬉しかった。

 

 意味が、わからない。

 

 今までの日記と何も変わらない。

 

 これでは次の自分がまた困惑するだろう。任務に支障が出る。

 

「言葉にできない……」

 

 1人目にあって、私に無いもの。

 

 今は、輪郭はあるが、それが、碇司令と結びつく事は無かった。

 

 どうして?

 

 碇司令は、私を作ったもの。

 

 私のすべて。

 

 1人目は、碇司令の事を考えると嬉しくなる、と書いていた。

 

 私もそうなって当然だと考えていた。

 

 それが計画、私の意味なのだから。

 

 ならなければならない。

 

 でも、そうじゃない……。

 

 どうして?

 

 碇くん……あなたは、なに?

 

 綾波レイはその日、明日も行われる起動実験に対して、不安がある事を書き残した。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「0号機って、出撃したんですか?」

 

 病院の待合室。

 

「どうして、0号機の事を……?」

 

「綾波さんに教えて貰ったんです」

 

「あぁ、レイに。会ったのね」

 

 迎えに来た、と言うミサトさんに、気になっていた事を聞いていた。

 

 ミサトさんは、暫く黙って何かを考えていたが、ゆっくりと口を開く。

 

「0号機は……起動しなかったのよ」

 

「起動しなかった……?」

 

「ええ、ハーモニクス値は基準以上、ただ、シンクロ率は最大で6% 起動指数には、届かなかったわ」

 

「そうですか……」

 

 ずっとその方が、良いかもしれない……。

 

 綾波が使徒と戦う姿は、想像出来なかった。

 

「あらぁ、心配なのぉ? もしかしてぇ……」

 

 意味ありげな目で、腰にしなりを作り、そこに手を当てるミサトさん。

 

「……?」

 

「ひ、と、め、ぼ、れ?♡」

 

 そう言い、バチコン、とウインクをした。

 

 好き。

 

 その単語で、反射的に頬が熱くなる。

 

 まだ、会ったばかりなのに、そういうのは早すぎるというか、なんというか……。

 

 とにかく!

 

「そ、そんな訳ないじゃないですか!!」

 

「あらぁ、隠さなくても良いのよぉ、良いじゃない、青春! って感じで!」

 

「だから違います!! その……同じパイロットだから……心配になっただけです」

 

 言いながら、思わず目を地面に向けてしまった。心がもやもやする。心配したのは、たぶん、そんな理由じゃないのに……。

 

「ま、いいわ……なんにせよ、パイロット同士で交流があるのは良い事よ。これからも仲良くしてあげてね、レイと」

 

 あの、『微妙な』扱いづらそうな雰囲気を滲ませるミサトさんに、思わず眉を寄せた。

 

「はい……」

 

 きっとこの人は、綾波に対しても〝こう〟なんだろうな。

 

 正直に言うと仕事人間のミサトさんには、あまり関わりたくない……。

 

 綾波レイ、か……。

 

 そういえば、最初に会った綾波は、何だったんだろう。見間違え? 幻覚……かな?

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 NERV本部に〝入所〟の手続きをしに、ミサトさんの付き添いで来ていた。

 

 正直、父さんの手紙があれば一通りの手続きは一人でも行えたので、丁重にお断りしたかったが、きっと彼女も仕事なのだろう。

 

 嫌味を言われるのも嫌なので、大人しく言う通りにしていた。

 

 それに何かあったとき、大人の人が居ないと、困るし……。

 

 そんな言い訳をしながら、いよいよ手続きも最後を迎えていた。

 

「君の住居は、この先の第六区画になる」

 

「ありがとうございます」

 

 これでやっと終わり。

 

 一息つける、と息を漏らした所だった。

 

「一人でですか!?」

 

「……そうだ。問題は無かろう」

 

 対応している職員さんも怪訝な顔をしている。

 

 思わず、左側に立つミサトさんを見上げた。

 

 どういう事だろう?

 

 パイロット同士で綾波と相部屋……なわけないか。相部屋の男子寮とか……?

 

「それでいいの? シンジ君」

 

 こちらに話を振るミサトさん。

 

「良いんです、一人の方が……楽ですから」

 

 相部屋の、2段ベットの隣人に気を使いながら生活する様子を想像してしまって、思わず苦笑した。

 

 父さんは……言えない事の方が多いようだし、今は……空白の時間の重さを、知ってしまった。

 

 同居はまだ無理だ。

 

 次点で、一人の方が楽なのは本心。

 

 ただ、ミサトさんの憐れむような目は、明らかに僕を放っておくようには見えなかった。

 

「分かりました……」

 

 予想に反して、ツカツカと廊下に出るのを見て僕はすっかり安心していた。

 

 書類を処理してくれた人にペコリとお辞儀すると、後を追って廊下に出る。

 

「ミサトさ……ん……」

 

 ──今日は、これで──

 

 という言葉は、虚空に消えていく。

 

「ええ、そうよ。私が責任を持って引き取ります」

 

 引き取る。

 

 僕を?

 

 書類の手続きは?

 

 え?

 

「そんなのあんたがやっときなさいよー!! 大体ねぇ!!」

 

 ……リツコさんも、大変だなぁ……。

 

 理解の追いつかない展開に、もはや自分の脳は対岸の火事として処理する事を決めたようだ。

 

 なんだか、映画でも見ている気分だった。

 

「よし。シンジくん、行くわよ!」

 

「あ、はい……」

 

 アッサリと覆された書類手続き。

 

 思い出されるのは、盗まれたバッテリーだった。抵抗しても、無駄だろう。

 

 監視役、とか……?

 

 それならそうと、最初からそう書いてくれればいいのに。

 

「国際公務員、か……」

 

 風通しが悪いんだな。NERVって。

 

「な〜んか、言ったかしらん?」

 

 笑顔のミサトさん。

 

「ひ、いえ、なにも!」

 

 車に到着するまでに、結局、妙案は思い浮かばなかった。

 

「さぁ〜! 今日はパーっとやるわよ!! パーっとね!!」

 

「あはは……そう、ですね……」

 

 背中を叩かれて、無理に笑いを絞り出す。

 

 知らない人と、しかもミサトさんと、仕事で暮らす。

 

「はぁ……」

 

 初めてのことばかりな上、明らかに気を遣っているミサトさんに、どうしても緊張してしまう。

 

 (あまりにも理不尽だよ。父さん……)

 

 仕方がないと分かっていながら、届くはずもない苦情を、ジオフロントの責任者に念じざるを得なかった。

 

 しかし、シンジは、そのぼうっと地面を見つめる表情を、ミサトに盗み見られているのを、知らない。

 

 ましてや、その胸中など、知る由もなかった……。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ミサトさんの車は、住宅街ではなく、郊外に向かって走っている。

 

 レトルトとお酒をぽいぽいと放り込むと、さっさと会計してしまうミサトさん。

 

 手続きもあったし、僕はすっかり疲れていて、終始黙っていた。

 

 それがいけなかったんだろうか。

 

 郊外に逸れた時、違和感を感じて問うた。

 

「どこ、行くんですか?」

 

「ふふ、イ、イ、ト、コ、ロ♡」

 

 教える気はない。

 

 運転も荒くない。

 

 表情も、表面的には笑顔だった。

 

 だが、詳細は話さない。

 

 怒られる……のかな。

 

 やがて山道に入り、「自然の展望台」と命名されそうな公園にたどり着くと、整備された柵に向かって歩き始めた。

 

 景色が開けるにつれて、第3新東京市の全体が見えてくる。

 

「…………」

 

 ミサトさんの少し後ろで立ち止まる。

 

 格納されたビルの天井ハッチが、夕陽に照らされていた。

 

 その光景は酷く殺風景で……第3新東京市という名前には似つかなかった。

 

「なんだか、寂しい街ですね」

 

「…………」

 

 ミサトさんは左手の腕時計を見ている。

 

「時間だわ」

 

「……?」

 

 突如鳴り響いたサイレン。

 

 心にさざなみが立つのが分かる。

 

 何か来るんだろうか……。

 

「ビルが……生えてく……」

 

 カゴンッ、フシュー。

 

 それぞれの場所から機械の作動音が鳴り響く。

 

 陽炎の海の中に、無骨な塔が聳え上がってゆく。その力強く異世界じみた光景は、目を奪って離さない。

 

 敵対存在のサイレンかと思ったが、そうではなかった安心が、感動を促進させていた。

 

「これが、対使徒迎撃要塞都市──第3新東京市、私たちの街よ」

 

 ミサトさんは微笑を湛えている。

 

「そして、あなたが守った街」

 

「…………」

 

 何も言えなかった。

 

 心に浮かぶのは、暴走の記憶と、綾波と、仕事人間のはずのミサトさん。

 

 そして父さん。

 

 街を守った、という気持ちはカケラも無かった。

 

 僕は……なんて自分勝手な人間なんだろう。

 

「シンジ君……」

 

 表情を曇らせたミサトさん。

 

 思わず顔を背ける。

 

「……すいません」

 

 潮風に吹かれながら、そう答えた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「シンジくんの荷物はもう届いてると思うわ。実は私も先日、引っ越したばっかりでね〜」

 

「…………」

 

 気まずい。

 

 こんな関係性は初めてだった。

 

 ミサトさんに気を遣わせてばかりでは、いけない。

 

 話しかけられる度に、失礼のない、場を盛り上げる返し方を考えるのだが、考えた時には、機会を逸していた。

 

 それで、ずっと黙っている。

 

「さ、入って」

 

 視線を上げると、開いたマンションの一室から暖かい光が漏れていた。

 

「あ、その……お、お邪魔します……」

 

「シンジ君?」

 

 少し険しい顔のミサトさん。

 

 失礼、だったかな……?

 

「ここは、あなたの家なのよ?」

 

 しばらく意味を捉えかねていたが、何かを期待していそうな、満面の笑みのミサトさんを見てピンときた。

 

 だが、それは、またもや数回した使ったことのない言葉だ。

 

「た……ただいま」

 

 間違っていないか、分からない。気恥ずかしくて頬が熱くなった。

 

「おかえりなさい」

 

 ミサトさんは監視で来たんじゃ……ないのかもしれない。

 

 満足そうな声音を聴いて、安心していた。

 

「じゃ、適当に寛いでて〜」

 

 いたの、だが……。

 

「あぁ……まぁ、ちょーっち、散らかってるけど気にしないでね〜」

 

 ミサトさんは奥の部屋に入っていった。

 

 そして目に飛び込んで来たのは、洗ってない食器、空いた弁当箱、捨ててないゴミ袋。大量の飲んだあとのビール缶、瓶、積んである段ボール……。

 

 少なくとも人に見せられる状態ではない、リビングだった。

 

「これが……ちょっち……」

 

 ミサトさんには、これより上がある。

 

 この上は、生ゴミだろうな……。

 

 想像できてしまうだけに、胸に暗い影を落としていた。

 

「ごめん、食べ物冷蔵庫に入れといてー」

 

 部屋からミサトさんが言う。

 

「あ、はい……」

 

 ひとまず冷凍庫を開けると、氷。

 

 チルド室を開けると、ツマミ。

 

 冷蔵室には、大量のビール……。

 

「どんな生活してるんだろ……」

 

 仕事に支障とか出ない……んだろうな。出撃前とか、酔ってなかったし。

 

 うーん。

 

 分からない。

 

 部屋を見渡すと、さらに大型の冷蔵庫らしき機械もある。

 

「あのー、冷蔵庫2つ使うんですか?」

 

「あー、そっちはいいのー、まだ寝てると思うから」

 

 寝てる……?

 

 何かを……飼ってる? 冷蔵庫で……??

 

 かなり気になるけど、寝てるなら開けない方がいいかな。

 

 ヘビとか出てきても困るし……。

 

「さ、ご飯にしましょ!」

 

「あ……はい」

 

 部屋から出てきたミサトさんは、黄色の半袖Tシャツ(なぜか袖をまくってタンクトップになっている)にホットパンツのラフ過ぎる格好だった。

 

 普通なら、見ていられない格好だけど、なぜか、何も感じなかった。

 

 全体的に整っているというか、フォルムが一定なお陰で、図書館の庭の彫刻のように、人体として印象を受けているのか。

 

 それか、ミサトさんだからか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっただっきまーす!!」

 

「いただきます……」

 

 テーブルに並ぶ、温めた缶やレトルトの食品。

 

 手を合わせるや否や、猛禽の目でビールの蓋に手をかけたミサトさんは、ゴッゴッゴッ、とここまで聞こえる音量で喉を鳴らしてそれを流し込むと、恍惚の表情で余韻に浸っていた。

 

「ッぷはぁぁー! やぁっぱ人生、この時の為に! 生きてるようなモンよねぇ〜!」

 

 本当に嬉しそうだ。

 

「あれ、食べないの? けっこうウマイわよ、インスタントも」

 

「あっ、いえ、あの……」

 

 食べ始めるのは目上の人が先、と聴いたこともあるし、失礼は無いようにと考えていたのだが、そのまま言うわけにもいかない気がして……

 

「こういう食事……慣れてないので……」

 

 あまりオブラートに包めなかったかもしれない。苦笑いを浮かべると、ミサトさんは眉を釣り上げた。

 

「ダメよ! 好き嫌いしちゃあ!」

 

 ふんす、と鼻息あらくミサトさんは、眼前まで顔を近づけてくる。

 

「あ、いえ、あの違うんです」

 

 必死に次の言葉を考える。

 

「えっと……」

 

「楽しいでしょ?」

 

「へ?」

 

 ミサトさんは、ニンマリと笑っていた。

 

「こうして他の人と食事すんの」

 

「あ……はい」

 

 思わず目を逸らして、苦笑いしてしまったが、仕方ない気がする。

 

 もう何が失礼とか、分からなくなりそうだ。

 

 

 

 

 

「じゃあ、次、行くわよ」

 

 食事も終わり、2人して真剣な面持ちで、かれこれ20分ほどじゃんけんをしていた。

 

「あらー、悪いわねぇシンジ君」

 

 ミサトさんがまた〝2人の生活当番表〟に『シ』と書き込んでいく。

 

 今や、その表の殆どは『シ』で埋められていた。

 

「おし、公平に決めた生活当番もこれでオッケーね〜」

 

 じゃんけんをする前、ミサトさんばかりになったら不味い……なんて心配をしていたが、杞憂に終わった。

 

 ミサトさんはグーばかり出すので、簡単にこういう状況に出来たのだ。

 

 ただ、これくらいの気遣いはミサトさんも察しているはずで〝公平に決めた〟と、わざわざサボらぬように釘を刺されるのは心外だった。

 

「はい……」

 

「さて……今日からここは貴方の家なんだから、なーんにも遠慮なんていらないのよ?」

 

 指を突き出し、ウインクをするミサトさん。

 

「あ……はい……」

 

 流石にこれはポーズだよな。

 

 あ、でも遠慮されると気持ち悪いからっていう警告かもしれない。

 

 読み切れず、自分が微妙な表情になってしまうのが分かった。

 

「もー……ハイハイ、ハイハイって辛気臭いわねぇ〜、おっとこのこでしょう! シャキッとしなさい、シャキッと」

 

 頭をぐしゃぐしゃと掴まれる。

 

「はい……」

 

 もはや予測不能な行動に、力なく応えるしか無かった……。

 

「まいいわ。ヤな事はお風呂に入って、パーッと洗い流しちゃいなさい。風呂は命の洗濯よ?」

 

 

 

 

 

 気まずく感じたまま脱衣所に入ると、ブラなどの下着が干してあった。取りやすいからここなんだろうけど……。うーん。

 

 入る段になっても存在を無視できずに、扉の前で思わず眺めていると、足に水飛沫が……

 

 水飛沫?

 

「グワワワワッ!!!!」

 

 謎の生物が、目の前で赤いトサカを揺らして身震いしている所だった。

 

「うわぁぁあああ!?」

 

 思わず脱衣所の出口まで走り、謎の生物と、ミサトさんを交互に見やる。

 

「んみっ、ミッミサトさん!? あの、あれ、その……」

 

「なに?」

 

 謎の生物を指さそうとしたが、それは悠々と足元を通り過ぎるところだった。

 

「あ……」

 

「ああ、彼? 新種の温泉ペンギンよ」

 

 そのまま冷蔵庫に向かうと、自分でボタンを押して開けて、入っていってしまう。

 

 タオルの掛け方も様になっているし……。

 

「あ、あれ……」

 

 エヴァやNERVに関係あるんじゃ……。

 

「名前はペンペン、もう1人の同居人」

 

 が、それは飲み込んだ。

 

 ミサトさんがそう言うなら、それ以上は知らない方がいいんだ……たぶん。

 

「それより前、隠したら?」

 

「アッ……」

 

 ミサトさんの焦点がそこに合っているのを見て、羞恥に悶えながら風呂に入った。

 

 見てたよな……。うぅ……。

 

 思い出して、何度も頭が熱くなる。

 

 最悪だ……。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 湯船に浸かるのは、あの時以来だった。

 

 葛城ミサトさん……か……。

 

 気を遣ってくれるし、分からない事も多いけど、最初思ってたより、悪い人じゃないんだ……。

 

『風呂は命の洗濯よ』

 

 脳裏に浮かぶ笑顔のミサトさん。

 

 優しい人なんだ。

 

「でも風呂って、嫌なこと思い出すんだよな……」

 

 手首が痒くなる。

 

 心のささくれが血を流していた。

 

「エヴァか……」

 

 心のささくれ、それは今2つあった。

 

 もう乗りたくない。

 

 今まで通り自分を諦めてしまえば、価値が無ければ、心が無になれば、人形生命体の一つになれば……何も感じなくて済む。

 

 だが、乗らなければならない。

 

 自分にしか、乗れない。

 

 人類の敵、使徒を倒せる。

 

 愚かにも、それに喜び、もろ手をあげてエヴァを歓迎する自分がいるのも事実だった。

 

 エヴァに乗っていれば、僕は生きていける! 

 

 価値があるんだ! 僕にだって!!

 

 すごいんだ!! 僕だって!!!!

 

 そう叫んでいるんだ。

 

 生きているだけの自分と、エヴァに乗る自分が離れていく。

 

 だけどエヴァは与えられているだけだ。

 

 このまま依存して、そして……。

 

 エヴァが無くなった時、僕は……。

 

 手首がヒヤリとして、とても痒くなった。

 

 心がバラバラになって、胸の虚空が広がる。

 

 頬を伝う涙。

 

 僕は。

 

 湯船を飛び出した。

 

 やっぱり、水は苦手だ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの曲を掛けると、心が落ち着いていく。何も考えなくても大丈夫になる。

 

 曲の調べに身を任せて、ぼうっとしていた。

 

 ベッドや枕が違う。

 

 ここも知らない場所なんだと、肌で分かる。

 

『ここは貴方の家なのよ』

 

 脳裏に浮かぶミサトさん。

 

 でも、家じゃない。

 

 ミサトさんは優しいけど、保護者だ。

 

 先生と同じだ。

 

 ここに安らぎはない。

 

 しかも、この街で知っている場所なんてどこにもない……。

 

 僕の場所はない。

 

「なんでここに居るんだろう」

 

 口をついた自問。

 

 僕がここにいる理由。

 

 エヴァ。

 

 知らない兵器。

 

 シンクロ、人造人間、〝瞳〟

 

 なにも知らない。

 

 エヴァってなんなんだ? なんで僕しか乗れないんだ? 使徒ってなんだ……どうして攻めてくるんだ……。

 

 いきなり降って沸いた状況が、出来すぎている気がする。

 

 そもそも、なぜ初陣で勝てたのか分からない……。

 

 もし、もし次に乗るときは?

 

 また分からないまま勝つのか?

 

 それとも死ぬのか……?

 

 喉が、乾く。手がじっとりと湿っていた。

 

 冷や汗が背中を濡らしている。

 

 どうやって……。

 

 なにかおかしい……。

 

「シンジくん、開けるわよ」

 

 思考は、ミサトさんの声に分断された。

 

「一つ言い忘れてたけど、あなたは人に褒められる立派な事をしたのよ」

 

 息を吸うミサトさん。

 

「胸を張っていいわ、おやすみ。シンジ君」

 

 その声は、やはり気遣いが滲んでいる。

 

「がんばってね」

 

 去っていく足音。

 

 頑張ってね。

 

 期待、されている。

 

 その甘美な響きを死の恐怖に被せて、僕は〝それ〟をゆっくりと、心のおくそこに封印した……。

 

 でなければ、僕はエヴァになってしまう。

 

 そんな、気がした。

 

『ええ、今も、そう』

 

 綾波、レイ。

 

 今すぐにでもここを飛び出して、この違和感を言葉にして、伝えてあげたかった。形を与えて、一緒に語らいたかった。

 

 だけど……。

 

 僕はやっぱり、説明できないよ。

 

 綾波……。

 

 あの笑顔を思い出すと、糸が切れるみたいに、スッと意識を手放してしまった。

 

 深い、眠りだった。






 次回 「停止する、心。」


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第参話 停止する、心。

今回は7000くらいです。


「しかし……良く乗る気になってくれましたね、シンジ君」

 

 初号機を見守る壁面のブリッジの中、モニターに映る電動率の数値類をチェックしつつ、呟く。

 

 伊吹マヤは、心中を察するに余りある少年に、心からそう思っていた。

 

「人の言うことには大人しく従う。それがあの子の処世術なんじゃないの?」

 

 先輩にあたる赤城リツコ博士は、同じくシンクロ数値を見つつそう言う。

 

 が、しかし……。

 

「処世術……」

 

 それだけで、激変した環境の中、一日数時間の訓練を文句も言わずこなすなんて。

 

 なんて強いのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 ここのところ、よく眠れていない。

 

 エヴァとシンクロして撃つ銃は重く、反動が激しくて、上手く扱えないからだ。

 

 このままじゃ次の使徒で死んでしまうかも……。

 

 そう思うと、眠れない。

 

 疲れが取れなかった。

 

「ミサトさん、もう朝ですよ」

 

 毎朝、布団にくるまるミサトさんを見ると、やるせないというか、僕も疲れてるのに……なんて思ってしまう。

 

「んぅ……さっきまで当直だったの、今日は夕方までに出頭すればいいの。だから寝かせてぇ〜」

 

 当直でなくても、ミサトさんの帰宅は遅い。生活リズムがまるで合わないのだ。

 

 今日みたく、布団の中で、顔を見ない日の方が多い。

 

「あ、今日木曜日だっけ。燃えるゴミお願いねぇ〜」

 

 分かってますよ。

 

 という言葉を飲み込む。

 

 殆ど僕がやってるのに。片付け。

 

 いや、この怒りは場違いだ。

 

「……はい」

 

「学校の方は、もう慣れた?」

 

「……ええ」

 

「そう、いってらっしゃい」

 

「いってきます」

 

 形骸化した挨拶がむなしい。

 

 今や会話終了の合図でしかなかった。

 

 

 

「んぅ、はい、もしもし? なんだ。リツコかぁ……」

 

 ミサトは布団にくるまりながら、だらしなく大学からの親友の電話を取っていた。

 

「どう? 彼氏とは上手く行ってる?」

 

 おちょくるように語尾をあげる赤城リツコ。寝起きもあり、すぐにはピンと来なかった。

 

「カレぇ……? あぁ、シンジ君ね。転校して2週間。相変わらずよ。誰からも電話かかってこないのよねぇ」

 

「電話?」

 

「そう、必須アイテムだからって随分前に携帯渡したんだけどね、自分で使ったり、誰からも掛かってきた様子、ないのよ」

 

 葛城ミサトは、自分が碇シンジ君とお世辞にも上手くやっているとは思えなかった。

 

 だが、どうすればいいのか分からない。

 

 彼は自分といると気を遣うようだし、こちらから砕けても、距離を開けられるばかりだ。

 

 仕事を持ち帰らずにこなすようになって久しい。

 

 学校で誰か気の合う人でも居れば、と、期待していたのだが……。

 

「あいつ……ひょっとして友達いないんじゃないかしら……」

 

 それは、今まで、薄々気付きながらも放置していた懸念だった。

 

「シンジ君って、どうも友達を作るには不向きな性格かもしれないわね」

 

「…………」

 

「ヤマアラシのジレンマって話、知ってる?」

 

「ヤマアラシぃ? あの、トゲトゲの?」

 

 唐突なヤマアラシに、声がうわずってしまうミサト。

 

「ヤマアラシの場合、相手に温もりを伝えようと思っても、身体中の棘で相手を傷付けてしまう……人間にも同じ事が言えるわ」

 

「今のシンジ君は、心のどこかで痛みに怯えて、臆病になってるんでしょうね」

 

「……ま、そのうち気付くわよ。大人になるってのは、近づいたり離れたりを繰り返して、傷付かずに済む距離を見つけ出す……って事にね」

 

 指摘された事が的を得ている気がして、だが、解決策が思い浮かばない。

 

 寝ぼけ頭だった葛城ミサトは、碇シンジの成長に、全てを丸投げしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校の人間は、関わるとろくな事がない。

 

 僕にとってここは……目立たないように、暗すぎず、明るすぎずを演じて、最低限の関わりを持って、ただやり過ごす場所だった。

 

 疲労が溜まっていたから、何故か最近、クラスで浮き始めている事に、なんの対策も考えずにいる。

 

 それを考えるはずの頭は、綾波のことで埋まっていた。

 

 起動はしたが、綾波のシンクロ率は不安定で、実戦には参加できない数値だったのだ。

 

 その綾波はシンクロ実験ばかりで、NERV内部で顔を合わせる事もない……。

 

 不安だった。そんな、毎日毎日、土日は1日使ってシンクロ実験だと言われたら、かなりつらいと思う。

 

 かといって、学校で話しかける話題も無ければ、いきなり労いに行くのも不審すぎるから、機会もない。

 

 そうやって憂鬱になる度に綾波の事を考えてしまって、他の人の反応は、すっかり頭に入ってこなかったのだ。

 

 だから僕は、状況が悪化するのを薄々予感しながら、休み時間は音楽を聴いて過ごしている。

 

 救いなのは、以前の学校に比べて人数が少ない事だろうか……。

 

 疎開。

 

 はるか昔、戦争をしている時と同じ事が行われている……。

 

 使徒との戦争。

 

 教室にいるとそんな雰囲気を感じて、どうしても憂鬱になってしまうから、どうしようもなかった。

 

 ……余裕がない。

 

 分かっていながら、発散する方法は分からない。

 

 ピピピ……。

 

 授業中に、メッセージ受信の通知音が鳴った。すぐにチェックして通知音を切ると、ウィンドウに〝碇くんが あのロボットのパイロットというのはホント? Y/N〟という表示がされた。

 

 なんで……バレてるんだ……?

 

 趣味はチェロくらいしかない。

 

 人は僕に話題がないと悟るや、興味を失った瞳をして去る。このクラスでも通過儀礼を終えて、まともに話した事があるのは綾波だけ……。

 

『なぁ、碇シンジってパイロットなの?』

 

 調子良く問いかける男子A。

 

『…………』

 

 あの瞳で見つめる綾波。

 

『あの……』

 

『…………』

 

 ありえない。

 

 綾波がバラすなんてありえない。

 

 答えたとして、

 

『なぜ、知りたいの?』

 

 そう言われそうだ。

 

 きっと根も歯もない噂に違いない。

 

 NO、っと……。

 

 〝ホントなんでしょ?〟

 

 送信する前に、畳み掛けるように受信したメッセージ。

 

 なにやら確信されている……。

 

 仮にYESと答えたら……?

 

『やっぱりホントだったんだぁ。あのロボットってなんなの?』

 

『敵ってなんなの?』

 

 うわ……。

 

 父さんの〝噂〟を思い出す。

 

 目の前が暗くなって、身震いがした。

 

 彼らは人間として見ていない。

 

 まただ……噂を〝見て〟いるんだ……。

 

 きもちわるい……。

 

 乗り越えたつもりでも、元凶の影を見ると冷や汗が出て、胸にナイフを突きつけられたようなチクチクとした嫌悪感があった。

 

〝NO〟と送りつけて、個人の受信設定をオフにする。

 

 授業後にまで聞かれたら、『授業中だから切った』『ロボットには興味がない。分からない』という事にしよう。

 

 どこからかため息が聞こえた。

 

 興味が無くなったら、いいんだけど。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「なぁ、ちょいと付きおうてくれや」

 

 ジャージ姿の柄の悪い男子生徒とメガネをかけた生徒の2人組が、昼休みになるや、真っ先に声をかけてきた。

 

「あ……うん、いいよ……」

 

 目が怒っている。

 

 後ろにいる彼も真剣だ。

 

 何か気に触る事をしただろうか……。

 

 あまり悩みたくない学校で、さらに憂鬱の種が育ちそうな予感に、気分は最低だった。

 

 連れて来られたのは校舎裏。

 

 いかにも、だ……。

 

「なぁお前、パイロットなんやろ」

 

「いや……知らないよ、ほんとに」

 

 目を逸らしてしまった。怒気に溢れた目に怖気付いたんだ。

 

 このタイミングは最悪だ。

 

 嘘をついていますと白状するのと同じ。

 

 瞬間、口が乾いて手が湿った。

 

 スタスタと近くまで来ると、ガッと胸ぐらを掴まれる。

 

 い、息が、くるしい……。

 

「嘘を付くなや!!」

 

 その言葉に、口が真一文字に縫い合わされたようだった。

 

 エヴァが嫌いな人。エヴァパイロットが嫌いな人。確かめて危害を加える人……。

 

 そんな人がいるなんて、気が付きもしなかった。僕は馬鹿だ……!

 

「トウジ、それ以上は……」

 

「じゃかしぃわ!! ケンスケ、おみゃーも確かめにゃならんと言うたんやろが!!」

 

「そうだけど……さ」

 

 どうしたらいい……。どうしたらいい。どうしたら

 

「何とか言わしてみんかい!!」

 

 ゆすられて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。言った時と、言わなかった時の比較ができない。

 

「の、乗ったよ……」

 

「あぁ!?」

 

「僕は、乗ったよ。パイロットなんだ。あれの……グッ!?」

 

 突然に視界が吹き飛んだ。

 

 頭が痛みで真っ白になる。

 

 背中からの衝撃でぼやけた視界を開くと、ジャージ男は拳を振り抜いたまま固まっていた。

 

「やっぱし……そうか……」

 

「すまんなぁ……転校生。ワシはお前を殴らにゃいかん。殴っとかなきゃ気がすまへんのや」

 

 拳を収めると、そう言って睨まれる。

 

 隠そうとしたから……だろうか。

 

「悪いね……この前の騒ぎでアイツの妹さん、怪我しちゃってさ。ま、そういうことだから」

 

 メガネが困ったような顔でそう言うと、さっさと歩き去る2人。

 

「…………」

 

 その姿を、泣きそうになりながら見つめた。

 

 確かに、完璧には戦えなかったかもしれない。怪我人もいただろう。

 

『あなたが守った街なのよ』

 

 ミサトさんの言葉。

 

 分かる。言いたい事は、分かる。努力もする。だけど……。

 

「そんなのは、無理だよ……」

 

 今それを考えてしまったら、戦えない。

 

 次に戦う時は、また使徒の事だけ考えるだろう。僕が強かったら違うかもしれないが、無理だ。僕は弱い。気を抜いたら、死んでしまうんだ。

 

「それは無理だよ……」

 

 青空を見上げながら、これから始まるかもしれない嫌がらせに、乾いた心で涙した。

 

 その青に、赤い瞳が写る。

 

「非常召集、行かないの?」

 

「えっ……非常召集?」

 

「支給された携帯電話、確認して」

 

 ……携帯電話。

 

 そういえば、携帯してない。

 

「ごめん……次からは、ちゃんとするよ……」

 

 自分の無責任さに俯くと、目の前に白い手が差し出される。

 

 綾波の手……綺麗だな……。

 

 変な事を考えてしまう頭を振って、その一回り小さな手を掴んで立ち上がると、綾波はなぜか僕の触った自分の手を見て固まっていた。

 

 だが、不思議と違和感はない。

 

 久しぶりに綾波と話せた。

 

 綾波はやっぱり、見定めるような目も、探るような目もしない。

 

 それだけで、心が救われるようだった。

 

「ありがとう。助かったよ、綾波」

 

 また楽になった気がする。

 

 お礼を言うと、いつも通り綾波は目を合わせて──

 

「いえ……どう、いたしまして」

 

 目を、逸らされた……!

 

 軽いショックを覚えながら、しかし、思いの外ダメージは少なかった。

 

 綾波が他の人と話す時は、目を逸らさないから……だろうか。

 

 自分の時だけ目を逸らしてくれるから嬉しい……って……。

 

 それは、嫌われているのでは?

 

 えぇ? でも、なんで?

 

 突然苦しくなった胸を押さえて、苦笑いしながら思考の海に潜る綾波に声をかける。

 

「もう、行かないと」

 

「……そうね」

 

 了解した。という風に一つ頷いた彼女と、小走りで本部へ向かった。

 

 

 

 

 鳴り始めたサイレンの中、綾波と2人でNERVに向かう途中、つい目を逸らされた理由を考えてしまっていた。

 

 何かしたかな……。

 

 手に土が付いてたとか? いやでも払ったし、それ以上は仕方ないよな……。

 

『助かったよ、綾波』

 

 そういえば……あの時……。

 

『たよ、綾波』

 

 綾波

 

『綾波』

 

 呼び捨て!!!!

 

 知らず知らずの内に、心で馴れ馴れしく読んでいたのが露呈していて、ひどく恥ずかしくなる。

 

 そりゃあ目も逸らすよ……!

 

 だけど、後から呼び捨てを謝るのもおかしい気がするし……

 

 いや、気にされてたらもちろん直すべきなんだけど……

 

 うーん……うーん……

 

 ジオ・フロントが視界に入り、これから死ぬかもしれない現実で思考を切り替えようと必死になるまで、僕は何度も、綾波に声を掛けようとして、踏みとどまっていた。

 

 僕の心には、かける言葉が見当たらなかった。

 

 今まで考えた事もなかった。

 

 嫌われたか確かめる術が無かった。

 

 その勇気が、なかった。

 

 胸が苦しい。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生臭い独特な香りのLCL。

 

 嫌でも闘争心が刺激される。

 

 乗りたくて乗っている僕に、心を全て傾ける。今だけは、エヴァが僕の価値だ。

 

 矛盾で壊れそうなヒビは、闘争心で固めていく。自分は弱いから、扱いは簡単なんだ。

 

 僕は強い。僕は強い。僕は強い。

 

 そうだ。

 

 大丈夫だ。死ぬのなんか、怖くない。

 

 エヴァと一緒なら、大丈夫なんだ。

 

『そうね』

 

 脳裏に浮かぶ綾波の姿。

 

 なぜだろう……エヴァから、綾波の感じがする……。

 

 どうして綾波……?

 

 しかし、とても安心できる感覚だった。

 

 疑いも探りもせずに、僕に入ってきてくれる……

 

 まるで皮膚の一片すら逃さずに何かに抱擁されているような……エヴァとのズレが、フラットになっていくような……

 

「シンジ君、出撃、いいわね?」

 

 そう言われても、緊張は無い。

 

「はい」

 

 今なら、訓練の以上の動きすら出来そうだった。

 

「良くって? 敵のATフィールドを中和しつつ、バレットの一斉射。練習通り。大丈夫ね?」

 

「はい」

 

 今回は失敗しない。

 

 1マガジン、全て当て切る。

 

 

 

 体を襲う加速感と重みが消えて、第3新東京市が視界に開ける。

 

「ATフィールド展開」

 

「作戦通り、いいわね、シンジ君」

 

「はい」

 

 先程のミーティングで打ち合わせた通りの位置に、銃口を合わせるイメージをする。

 

 大通りに飛び出すと、いる。

 

 ウナギの着ぐるみのような、ふざけた赤のフォルムの使徒が……!

 

「くっ!」

 

 目を見開いて、マズルフラッシュの向こう、相手の体の中心に弾が吸い込まれて行くのを確認する。

 

 当たってるッ!!

 

 そのまま、酷くなる砲身のブレを両腕で慎重に押さえつけ、全ての弾薬を使徒へ命中させた。

 

「はっ……はっ……」

 

 使徒の存在は今や煙の向こうだ。

 

 やったか……?

 

 刹那、煙の中から紫の残滓が見える。

 

 飛び道具!?

 

 飛距離が不明。後ろはダメだ。

 

 ならッ!!

 

 咄嗟に片膝を付いてしゃがむと、上半身のあったところを恐ろしいスピードで、紐状の何かが通り過ぎてゆく。

 

「予備のライフル、Aの22よ。受け取って」

 

 ミサトさんの音声通信。

 

 大通り沿いのコンテナが開いた音がする。

 

 バレットを投げ捨て、傾いた体勢も無視して後ろに全力で走り、新しいバレットをコンテナから引きちぎり、振り返る。

 

 見ると、使徒は直立体勢のままのっそりと向かって来ている所だった。

 

 真っ二つになった装甲ビルが見える。

 

 攻撃力は計り知れない。遮蔽物に意味はない……。

 

 だが移動は遅い。なら今しかない!

 

「硬いな……」

 

 ATフィールドは中和している筈なのに。

 

 まるで効いてないみたいな……。

 

 移動し続けているとしたら、そろそろ射程中か。

 

「次ッ! Bの12!!」

 

 その声で更に後退するが、突如、内部電源に切り替わる。

 

 ケーブルが、やられた……!

 

 横目に後ろを確認した時〝飛行形態の使徒〟が目に入った。

 

 なッ……!?

 

「うッうぁぁあああああ!!」

 

 反転ッ!!

 

 瞬間、肉薄し形態変化する使徒にプログナイフで斬りかかるが、天地がひっくり返った。

 

 足が、掴まれて!?

 

 そのまま、一度地面に叩きつけられた後、空に放り出されて、無制御の加速度が体に襲いかかる。

 

「ぐっ……ぁ……」

 

 歪む視界。真っ白になりかける脳をフル回転させて、何か方法はないか模索する。

 

 が、空中で姿勢制御の方法はない。

 

 背中から吹き荒れる風と落下加速感に恐怖しながら、どうする事もできない。

 

「がッ……」

 

 やがて重力の力のままに脊髄が叩きつけられ、肺に残っていた気泡が飛び出した。

 

 あと4分と少し……!!

 

 どうやら山間に落ちたらしい。

 

 すぐに起きあがろうと上半身を起こすと、視界に2人の人影が映った。

 

 左手の間。うずくまっている。

 

 〝鈴原トウジ〟

 

 〝相田ケンスケ〟

 

 モニターに表示される顔写真。

 

 メガネとジャージ!? なぜこんな所にッ……

 

 今も秒数は消費されている。

 

 飛翔形態でこちらに迫る使徒。

 

 人類滅亡と殺人が天秤にかかる。が、考えている時間はない。

 

「くっ……」

 

 肉薄した使徒は、やはり飛行形態のまま紫光のムチのようなそれを振るう。

 

 目を見開き、一瞬、スローに見えた世界でその先端を捉えた。

 

「ぅうぁぁ……ッ……」

 

 手の神経組織がズタズタにされるような痛みだった。だが、離したら、全員死んでしまう。

 

 生理的な涙が溢れるが、気合いで持ち堪えていた。

 

「シンジ君、そこの2人を操縦席へ。2人を回収した後、一時退却。出直すわよ」

 

「はいッ……!」

 

「許可のない民間人を、エントリープラグに乗せられると思っているの!?」

 

「私が許可します」

 

「越権行為よ、葛城一尉」

 

 揉めてどうするんだよ……!!

 

 退却時間は減り続けている。

 

 闘志が少しずつ削られているのが分かる。

 

「……エヴァは現行命令でホールド、エントリープラグ射出、急いで」

 

 ミサトさんの命令で、急速に遠のくエヴァの感覚。やがて真っ暗になると、体が後ろに引き出されるのが分かった。

 

「なんや、水やないか!」

 

「ああっ、カメラ、カメラが……」

 

 煩い音声が耳に直接響く。

 

 気分は最悪だ。

 

 が、そんな事はお構い無しにシンクロが再開される。

 

 先程との連動の齟齬が、筋肉痛の上位互換のような痛みを両腕に与えた。

 

 掴めていたシンクロの感覚も、ずっと遠くに離れていってしまう。

 

「くっそっぉ……ぉぉ!!」

 

 痺れる両腕をしならせ、なんとか使徒を後方へ撃ち出す。

 

 滑るように射出された使徒は、自身の飛行能力で山の麓まで押し戻されていた。

 

「今よ! 後退して!!」

 

 くそっ、くそっ。

 

 緩慢なエヴァの反応にたたらを踏む。

 

 手の神経が痛む。

 

 立ち上がるのもやっとだった。

 

「回収ルートは34番」

 

 あの使徒は早い。

 

 追いつかれたら? 

 

 綾波は出撃できない。

 

 初号機は大破。パイロットは死亡。

 

 人類は……滅亡……。

 

 今も遠のき続ける感覚。

 

「山の東側に後退して」

 

「転校生、逃げろ言うとるで!!」

 

 トウジの言葉に頭が真っ赤になった。

 

 理不尽。

 

 言うだけ。

 

 そして人類滅亡。

 

 誰のせいだ? パイロットのせいだ。そう、僕のせいだ。

 

 これも、それも、なにも……上手く、できないからだ。

 

 お前が弱いからだ。お前のせいだ。

 

 違う! 違う! 違う!!

 

 ボクはッ……今だけは……ッ

 

 強くなきゃ……ッ、ダメなんだよ!!!!!!

 

「うあぁぁぁあああああああ!!!!」

 

 瞬間、哀しみと怒りが限界を超え、エヴァと感情が一体になった様な鈍い触覚が全身を襲っていた。

 

 視界にはコアしか見えない。

 

 予備プログレッシブナイフを構え、山を滑り降りる。

 

 刹那、飛んでくるムチ。

 

「ッぐぅ……ぁぁあああああ!!」

 

 腹部が燃えるよう、吐き気や神経の犯される痛みで頭が飛んでしまいそうだったが、怒りとアドレナリンで、意識は保っていた。

 

 腹部でズリズリと触手が動くのをお構い無しに、突進は止めない。

 

 ナイフがコアを捉える。

 

「ああぁぁぁあああああ!!」

 

 喉から血が出る。

 

 だが、何か叫んでいないと、意識が飛びそうだった。

 

 押し込む。気合いで、前へ前へとナイフを押し進める。

 

 くそッ。

 

 左手を構えると、ナイフへ打ち出す。

 

「ぅおらあ゛あ゛あ゛っ!!」

 

 ピキッ。

 

 軽快な音を立てるコア。

 

「はぁ……っぐ……はぁ……はぁ」

 

 赤いコアが色を失うのを見て、力尽きた。

 

「はぁ……うっ……はぁ……」

 

 腹部が燃えるように痛い。

 

「うっ……くっ……うぅ……」

 

 腹を手で押さえながら……自然に出てしまう涙。

 

 うまく……できない……

 

 僕は……エヴァでもダメだった……

 

 僕は……弱くて……最低だ……

 

 消えてゆく、闘志の理由。

 

『がんばってね』

 

 パンドラの箱は、いつのまにか、空いていたのだ。

 

 なんのために……

 

 こころが、ばらばらになって、

 

 なんのために……

 

 見えない……おくふかへ沈む……

 

 なんのために……

 

 底なしの闇へと……







 次回 「涙、枯れた底に。」


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第肆話 涙、枯れた底に。

今回は4000くらいです。


 第4使徒戦、第二次直上決戦終了後。

 

 パイロット回収に向かった車内。

 

 音声記録なし。

 

 本部へ帰還。

 

 同車内。

 

「どうして、私の命令を無視したの?」

 

「エヴァの感覚が……遠くなって……」

 

「作戦行動が不能なレベルの数値異常は認められていないわ」

 

「……すいません」

 

「あなたの作戦責任者は私でしょ?」

 

「はい……」

 

「あなたには私の命令に従う義務があるの、分かるわね」

 

「はい……」

 

「今後、こう言うことの無いように」

 

「はい……」

 

「……仕事なのよ、これは」

 

「……はい」

 

「あんた、またハイハイハイハイって……!! 本当に分かってんでしょうねぇ!?」

 

「申し訳……ありません……ッ」

 

「…………」

 

「くっ……う……」

 

「……ごめんなさい。言いすぎたわ」

 

「…………」

 

「……夜、何か埋め合わせはするから」

 

「…………」

 

「いいわね」

 

「…………」

 

 後部ハッチ解錠。

 

 降車しようとした初号機パイロット、転倒、失神。

 

 NERV本部医療室へ搬送。

 

 迷走神経性失神と診断される。

 

 [精神汚染診断・状況記録1]より抜粋。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 すこし寒い。

 

 体が冷えているから、布団が暖まらない。

 

 こんな感じなのかな。

 

 死ぬってどんな感じなんだろう。

 

 黒く、深く、底のない。

 

 自分のこころ。

 

 明日が無いって……いいな。

 

 もう苦しいのは嫌だ。

 

 そう、いつだって死にたいのに……

 

 傷つかなくて……済むんだ。

 

 もう殴られないし、怖いことはない。

 

 死ねばいいのに。

 

 死ぬのが怖い。

 

 役に立つ事すら、できないのに?

 

 なんでいるの?

 

 なんでいるの?

 

 なんでいるの?

 

 お前なんか、死ねばいい。

 

 役立たず。

 

 なぜ、そうしない?

 

 矛盾。

 

 何もない。

 

 死にたいのに、怖い。

 

 何もない。

 

 臆病なんだ。

 

 何もない。

 

 なぜ、息をしている?

 

 ナニモナイノニ。

 

 苦しいだけなのに。

 

 ナンノタメニ。

 

「涙……もう、でないや」

 

 あの時超えられなかった壁が、ゆっくりと溶けるのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「先に申し上げておきますと、これだけでは、正確な診断は難しいのです。精神的な問題を1日で理解するのは、容易ではありません」

 

「かまいません」

 

「やはり……無気力症候群、あるいは、大うつ病性障害の可能性が高いと思われます」

 

「無気力症候群……」

 

「ええ、彼は、日常的に極度のストレス状態にあった事が伺えます。家庭問題や、いじめ等……原因は分かりませんが、少なくとも数日は安静にしていた方が良いでしょう」

 

「治るんでしょうか」

 

「これまで通りの生活を強いられ、何のケアも無ければ、悪化し続ける可能性が高いでしょう。しかし、ストレスの原因を特定し、適切なケアをすれば、悪化する事はない。としか……言えませんね」

 

「…………」

 

「14歳なんです。人格の整形期にあるのですから、影響は出てしまうかと」

 

「……ありがとうございます。学校へ提出する診断書は、私の執務室へお願いします」

 

「了解しました」

 

「それで、初号機パイロットはどちらに?」

 

「精神科1号室に入院していますよ」

 

「ありがとうございます」

 

 医務室を後にする葛城ミサト。

 

 その内心では、碇司令の執務室での一幕を噛み締めていた。

 

『葛城一尉、ご苦労だった』

 

 手を組む碇司令。

 

『ありがとうございます』

 

『ところで、プラグに異物を入れたそうだな』

 

 冬月副司令が怪訝な表情をしている。

 

『申し訳ありませんでした。人命優先のため、勝手をしました。処分は如何様にも』

 

『それはいいが、パイロットのメンテナンスを担当すると言ったのは……葛城一尉、君だぞ』

 

『……はい』

 

『精神汚染の診断結果は確認したかね』

 

『していません』

 

『うつ病……だそうだぞ、パイロットは』

 

『…………』

 

『我々は、君に一任している。その責任は果たせ』

 

 最近変わった、色の濃いサングラスは碇司令の表情を映さない。

 

『はい』

 

『以上だ』

 

『はい。失礼します』

 

 

 

 

 

 碇ゲンドウ、父親その人が何を考えるかは分からない。

 

 彼の父親なのに。とは思う。

 

 だが、父親を知らないから、碇ゲンドウの在り方を否定するのは躊躇われた。

 

 廊下の空気が生ぬるく感じる。

 

 うつ病……学校でいじめでもあったのだろうか。

 

 いや、言い訳はしない。家に置いているにも関わらず、シンジから距離を取っていたのは自分だ。

 

 距離が遠すぎたのかもしれない。

 

 だが、その近づき方がまるで分からない。

 

 (お互いに傷つかない距離を見つけ出す……子供なのは、私か)

 

 防壁が崩れて、中身の肉塊が見えているような、嫌な不快感が胸に現れるのを、葛城ミサトは感じていた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「……碇君」

 

 いつからだろう。

 

 いつも通り制服を着ている綾波は、いつのまにか、ベッドの脇の椅子に腰掛けて、こちらを見ていた。

 

「顔色、悪そうね」

 

 変わらない、赤い瞳。

 

「……そうだね」

 

 その顔を、見れない。

 

 視界は天井を映していた。

 

 拒絶の様子が少しでもあったら、嫌だから……

 

「…………」

 

「…………」

 

「今回の平均シンクロ率、68%」

 

「…………?」

 

「碇君のシンクロ率。乗ったとき、何か違った?」

 

 思い出す、エヴァの中。

 

 朧げに浮かんでくる感覚を、うまく言葉にできない。

 

「乗ったとき……エヴァから、綾波の匂いがしたんだ」

 

 なにを言ってるんだろう。

 

「まっすぐ僕を見てくれる……あたたかい……ような……」

 

 軽蔑されたかな。

 

 冷えた感覚が、足元から遡る。

 

「ぁ……私も」

 

「……?」

 

 聞いたことの無い声の抑揚に、視線を天井から引き剥がした。

 

 綾波の瞳が揺れている。

 

「…………」

 

 長い、長い逡巡の後、口を開く。

 

「私も、碇君といると、あたたかくなる」

 

「どうして……?」

 

 その言葉が、ゆっくりと脳に染みて。

 

 ゆっくりと、だが、確実に、壁の溶けたところに、滴ってゆく。

 

 冷え切った体が、暖かくなる。

 

 涙が、溢れる。

 

「なぜ、泣くの」

 

 そんな声に、答えられない。

 

 壁が決壊して、乾いた畑を潤す小川のような、晴れた秋の日に降る夕立のような、暖かい濁流が心に流れ込んでいる。

 

 その勢いのまま、涙になって外に出ていっているよう。

 

 大粒の涙が、頬を伝う。

 

「……分からないよ」

 

 やっと、それだけ絞り出した。

 

 きっと、数分、そうしていた。

 

 やっと収まってきた涙を拭って、じっと僕を見つめる綾波を見ると、嬉しくて、変な顔になってしまうのが、自分でも分かる。

 

 だけど、今は何も抑えたくなかった。

 

「綾波。僕はたぶん、その、すごく……嬉しいんだ。綾波が、暖かい気持ちになるのが……」

 

「…………」

 

「どうしてだろう……それだけで、生きてて……いいのかなって……暖かい気持ちになるんだ……」

 

「…………」

 

「……気持ち悪い、かな」

 

「いいえ。私も嬉しい……と思うもの」

 

「同じ……なの、碇君と……」

 

「…………」

 

「だから、うれしい……」

 

 綾波は、泣いていた。

 

 表情を変えずに、涙が流れている。

 

「これは、涙……?」

 

「綾波……」

 

「嬉しくても……涙が出るのね」

 

「うん、そう……みたい」

 

 少し呆然としていた。

 

 綾波も、同じなんだ。

 

 そう思うと、どうしようもなく暖かい気持ちになる。

 

 綾波は何度か涙を拭うと、もう落ち着いたらしかった。

 

「碇君……」

 

 その頬は、すこし紅に染まっていて……

 

「まだ、ついてる」

 

「え?」

 

 綾波は、腰を浮かすと、右手を僕の左目に近づけると、目尻のあたりを拭う。

 

 左手も僕の頬に添えているから、まるで、この体勢は……

 

 心臓が加速して、顔が真っ赤になるのが分かる。

 

 綾波の表情も、微かに微笑んでいて、心なしか、高揚しているように見えて──

 

 ばさり。

 

 何か、書類が落ちる音がした。

 

「う……ウソ……」

 

 綾波が振り返り、視界が開けたそこに立っていたのは……

 

「んみっ、ミッ、ミサトさん!?」

 

「お疲れ様です」

 

 お辞儀をする綾波。

 

「レ……レイ……その、あなた……」

 

 わなわなと、幽霊でも見るように綾波を見るミサトさん。

 

 明らかに、見られてる……! その羞恥で、熱が出そうなほど血がのぼる。

 

「ご、誤解です!!!!」

 

「……そ、そうよね。そんな筈ないわよね」

 

「…………?」

 

「レイは、どうしてここに?」

 

「碇君のこと、知りたかったので」

 

「あ、あっ、あ、綾波!?」

 

「な……」

 

 口をあんぐりと開けて、活動を停止したミサトさんを数秒見ていたが、

 

「失礼します」

 

 お辞儀をして、

 

「じゃ、碇君、またね」

 

 そう言い残して去っていった。

 

「あ…………」

 

 挨拶、出来なかった……。

 

 嵐のような展開に、半ば呆然としながらそう思っていると、再起動に成功したミサトさんが、バツが悪そうにベッドの脇に立っていた。

 

「まさか、レイに先を越されるとはね……」

 

「み、ミサトさんは、ダメです!!」

 

 危機感を感じて、布団を掴むと胸まで引き寄せて距離をとる。

 

「し、しないわよ!」

 

「ほんとですか……? なんか、目が本気でしたよ……」

 

「それは、あのレイが……って、いいの。そんな事は!」

 

 ミサトさんは、思考の海から決意したように顔を上げると、僕をジッと見据えた。

 

「な、なんですか……?」

 

「シンジ君、ごめんなさい」

 

「へ……?」

 

 ミサトさんが、腰を折って謝っている。

 

 どうして?

 

「私、自分勝手に引き取って、部屋を片付けて貰ったりして、都合よく上官面して……。家族としては、最低だわ」

 

「い、いや、いいんですよ。片付けとか、当番ですし……ミサトさんは、保護者じゃないですか。怒るのも、当たり前というか……」

 

「それは違うわ」

 

 ミサトさんは、目を、逸らさない。

 

「違う……?」

 

「私は、家族になるつもりで引き取ったのよ。保護者じゃダメなの。覚悟が……足りていなかったわ」

 

「ミサト、さん……」

 

 そこまで……。

 

 また、涙腺が緩んでいく。

 

 今日は泣いてばかりだ。

 

「ごめんなさい、シンジくん……」

 

 頭が、暖かいものに包まれる。

 

 ミサトさんの体は、少しお酒臭かった。

 

 涙は、数分のうちに、枯れてしまった。

 

「今日、ハンバーグ食べたいです」

 

 解放されるや、ミサトさんにそう宣言した。

 

「いいわよぉ、シンちゃんの頼みだもんね〜」

 

「シ、シンちゃん……」

 

「あら、ダメ?」

 

「い、いや、いいですよ、ちょっと、恥ずかしいだけで……」

 

「や〜ん、シンちゃん可愛い〜!!」

 

「ミ、ミサトさん!?」

 

 またもや押し付けられたそれに、今度は顔が真っ赤になるのが分かった。

 

「や、やめてください!」

 

「あ〜ら、急に恥ずかしくなったの?」

 

「違います! こういうのは、時と場合というか、なんというか……」

 

「ウソね」

 

「うっ……恥ずかしいのは、そりゃ、そうじゃないですか! 干してる下着を見られても大丈夫な、ミサトとは違うんです!」

 

「に、にゃにぉ〜!?」

 

 暫く言い合いは続いたが、それはずっと、暖かいままだった。

 

 家に帰っても、そうだった。

 

 僕の、家が、そこにあった。

 

 パンドラの箱は、開いていた。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい」

 

 挨拶が、交わされる。






 次回 「守りたいもの」


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第伍話 守りたいもの。

今回は10000文字くらいです。


『これは、涙……?』

 

『綾波……』

 

 NERV本部、司令執務室。

 

 そこでは、精神科1号室、監視映像のリプレイが再生されていた。

 

「なぜだ、レイ……」

 

 苦々しい顔でモニターを見つめる。

 

 碇 ゲンドウ。

 

 再生が停止する。

 

 薄暗い部屋に訪れる静寂。

 

 その中で暗闇を見つめ、1人思考の海に、深く、深く……沈んでゆくのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 AM7:10

 

「あ、そうそう。愛しのレイちゃん、次の実戦から参加するらしいわよ〜」

 

 怪しい目をして、良かったじゃなぁい〜、と小突いてくるミサトさん。

 

「もう……それは、誤解だよ。それに、シンクロ実験から解放されるのは良いかもしれないけど、実戦に参加するのは……」

 

 不安な声を滲ませると、幾分か真剣な、作戦部長の顔をされる。

 

「不安なの?」

 

「はい……あそこに、安全はないので」

 

「じゃあ、なおさら平時に親睦を深めておきなさい。戦場で不仲は、死ぬわよ」

 

 真面目なアドバイスだ。

 

 本当なら、はい! とか元気よく返事をしたいところだけど……。

 

「努力は、します……」

 

 あいにく、綾波とこれ以上距離を詰めるのは、考えられなかった。

 

 お互いに、いた方が心地いい存在。くらいの、今の距離感がベストというか……

 

 なぜ、同じなのか。

 

 その疑問がある限りは……

 

 この先は『綾波に何があったのか』知らなければ、進めない。それはきっと、同時に僕の過去も明かさないと……綾波だってそれは分かっている筈だ。

 

 それはとても辛い事だと思うから。

 

 お互いに、何ひとつ知らない。

 

 でも、心地いい。

 

 だからこのままでいたい。

 

「あー、もう焦ったいわねぇ。あんな雰囲気出しといて、なーんで告白しないのかしらぁ……」

 

 ふにゃと格好を崩して、パンを齧りながらそう呟くミサトさん。

 

 そんな、軽々しく〝告白〟なんて言葉が出てくるのに驚いた。それは、関係を迫るということ。

 

 最後の手段のようなイメージがあるけど。

 

「じゃ、ミサトさんなら、どうするの」

 

「私なら……そうねぇ」

 

 暫く考えていたが、困ったような顔をして頭を掻いた。

 

「そういえば……そーゆー事は、私から言ったこと、ないかも」

 

「そうだと思いました」

 

「あによぉ〜、それ」

 

「ミサトさん、そういうのと無縁そうだし」

 

「付き合った事くらい、あるわよ……もう」

 

「上手くいかなかった……?」

 

「違うわよ、ただ、思い出したくないだけ」

 

 明らかにゲンナリした表情のミサトさん。

 

「なんとなく、分かりました」

 

「はぁ……まぁ、そうねぇ。付き合うのが100%シアワセとは、いかないものね」

 

「そうですよ。そういうのは、25歳くらいから考えればいいと思います」

 

「あーいかわらず冷めてるわねぇ、10代で経験はしといた方が良いのよ〜」

 

「機会があれば」

 

「あら、シンちゃん……意外と考えてんのね」

 

「へ? どういう事?」

 

「あぁ、ゴムでも携帯してんのかと思ったのよ」

 

「ごッ、ごほ……ゴム……」

 

 お味噌汁を啜っていた所だったので、思わずむせてしまった。

 

「お互い天下のエヴァパイロットなんだから、避妊はしなさいよ」

 

「そもそもしません!!」

 

 脳裏に浮かぶ綾波の白い手。

 

 想像は連鎖してしまって……。

 

 顔が赤くなるのが分かる。

 

 ミサトさんはニヤニヤと楽しそうにしていた。

 

 急いで残りのお味噌汁を飲むと、お皿を片付けてしまう。

 

「ごちそうさま!」

 

「……そうねぇ、シンちゃん料理うまいんだし、まずはお弁当でも作ったら?」

 

 背後からミサトさんの声がかかる。

 

 お弁当……そういえば、綾波、お昼ってどうしてるんだろう……。

 

「レイは昼も絶対サプリよ。シンちゃんのお弁当なら……イケるわ!」

 

 なぜか闘志を燃やすミサトさん。

 

 まぁ、でも、確かにそれくらいなら……

 

「今日、聞いてみようかな……」

 

「そうねー、本当はサプライズでって、言いたい所だけど……シンちゃんには難しそうだし」

 

「えぇ、お弁当なのに……アレルギーとか色々、怖くないですか?」

 

「そういう事じゃ、ないのよねぇ」

 

「じゃ、どういう事?」

 

「乙女の気持ち、よ」

 

「…………」

 

 確かに、クラスの女子とは別のベクトルでも、綾波が未知の存在である事に変わりは無かった。

 

「分からないなぁ……それは」

 

「ま、何事も経験よねぇ〜」

 

 手を頭の後ろで組んで、天を見上げるミサトさんは、何か考えているようだった。

 

 それを横目に、バッグを用意する。

 

「いってきます」

 

「ばしっと聞いてきなさい」

 

「はーい」

 

 サムズアップするミサトさんにひらひらと手を振って、家を出る。

 

 最近は良く眠れているし、訓練のストレスも前よりは少ない。

 

 変わったのはそれだけじゃない。まず家の当番制は廃止され、基本的に炊事と洗濯は、帰りが早い人がやる事になったのだ。

 

 まぁ、訓練スケジュールの見直しで、殆どは僕の仕事になったけど……不満はない。

 

 買い物はミサトさんがしてくれるし。

 

 どれが一番大変だったかと言えば、敬語の禁止かな……。

 

「よぉ、センセ。今日も朝からけったいな顔して考え事か〜?」

 

「あ、トウジ。おはよう」

 

 下駄箱で一緒になるトウジとケンスケ。

 

 いつも遅刻ギリギリのトウジがこんな時間にいるのは珍しい。

 

「また綾波か〜? お前はミサトさんというものがありながら、このっ、このっ」

 

「あ、ちょ、ケンスケ、やめろよ」

 

「ホンマ羨ましいやっちゃな〜」

 

「このっ、このぉ」

 

「だから違うんだって」

 

「なにが違うんだよ。美人のお姉さんと2人暮らし。鉄仮面の綾波と笑顔を交わし合う美少年……お前以外に誰も居ないよ。そんなやつ」

 

「何もかも違うよ……まず、ミサトさんはガサツだし、綾波ともたまにしか話さないだろ。おまけに僕は普通以下だし」

 

「はぁ……どこまでも罪作りなやつ」

 

「ケンスケ……シンジにそないこと言うてもしゃーないやろ、シンジやぞ」

 

「どーいうことだよ、それ」

 

「碇は鈍感だけど良いやつだよなって」

 

「そやそや」

 

「なんか煙に巻かれてる気がする……」

 

「良いやつってのは本心だよ。俺だったら、恫喝して殴ってきた癖に『俺を殴ってくれ〜!』なんて言うやつ、無視するからな」

 

「それは、そうかもしれない」

 

「まだ言うんか、それ……ワシにも余裕っちゅーもんがのうて必死だったんや。どっちもワシの本心じゃ!! 男らしくぶつかってこそ、友情っちゅーもんやろ!! なぁ!?」

 

「うん。わかるよ。トウジ。分かるけど」

 

「いいんだよ。碇。こいつはこういう奴だから」

 

「なんか気持ちがシャッキリせんなぁ」

 

「「珍しい」」

 

「どーゆー意味や!!」

 

 ガヤガヤと廊下を騒がせながら教室に入ると、

 

「おはよう鈴原。今日は早いのね」

 

 驚いた顔の洞木さん。

 

「おはようさん。目ぇ、覚めてしもうてな……」

 

「これは雨でも降るかもね」

 

「んな訳あるかい」

 

 いつもの会話を背景にそれぞれの机へ向かう。

 

 遅くても早くてもトウジには声をかける洞木さん。鈍感と評される僕でさえ疑ってしまうが、トウジには一片の曇りもない。

 

 いつでも本気のトウジの辞書には、恋のkの字もなさそうだ。

 

 机の荷物を纏めると、綾波の席へ行く。

 

 何か話すときは、朝、一回だけ。

 

 これもいつものことだった。

 

 時間が一番合うのが朝だからだ。

 

「おはよう、綾波」

 

「碇君、おはよう」

 

 窓の外を眺めていた綾波は、僕を認めると少し笑って目を合わせてくれる。

 

 あの日から、綾波は笑ってくれるようになった。それが微かな表情の変化でも、好意を示しているのは分かる。

 

「実は、明日からお弁当にしようと思ってるんだけど、良ければ、一緒に綾波の分も作ろうかなって考えてるんだ」

 

「どうして?」

 

「いつもサプリメントで済ませてるって、聞いたから。忙しいのは分かるし、お弁当があれば嬉しいかなって……」

 

「…………」

 

 綾波は目線を潜らせ、思考の海に浸かってしまった。

 

 やっぱり、お節介だったかな。

 

「要らない、かな」

 

「…………」

 

「…………」

 

「決められない」

 

「……?」

 

 決められない……?

 

 予想の斜め上の回答に、思考が固まる。

 

「今、決められないから」

 

「……分かった、じゃあ、放課後に──」

 

「明日、言うわ」

 

 なぜ、明日なら言えるのか。

 

 まるで、今日どこかに許可を取りに行くみたいな……。

 

『レイならきっと昼もサプリメントよ』

 

 昼も……毎食サプリメントなのは、忙しいせいじゃ、ない……?

 

 赤い瞳。

 

 定期検診。

 

 似ている雰囲気……。

 

 脳のシナプスが直結し、一つの予想を立てた。

 

 綾波は病気があって、病院に篭りきりだった時期がある。

 

 そして、食べ物にアレルギー等が多い可能性が高い……。

 

「その、これは僕のお節介だし、理由があるなら、わざわざ許可まで取らなくても……」

 

「……そう?」

 

「……うん」

 

「そうね……」

 

 僕は自分の席に戻った。そして、ミサトさんの事を考えていた。

 

 ミサトさん、綾波の食事に管理が必要なこと、知らなかったんだ……。知っていたら、お弁当を作るなんて発想は無いはず。

 

 逆に、朝か夜の食生活は知っていた。やっぱりNERVでは関わりがあったんだ。

 

 ミサトさんが綾波を苦手そうにしているのは、今なら分かる気がする。自分だって、綾波が居なかったら、どうなっていたか……。

 

 関わろうとして、失敗した。

 

 今は互いに不干渉。

 

 ってことかなぁ……。

 

 

 

 

 

 

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 コンフォート17、葛城家。

 

 PM20:16

 

「第4使徒の視察、ですか?」

 

「そうよ。戦闘において、最も重要なのは情報。何も知らず、無策に突撃するのは自殺と変わらないわ。パイロットであるあなたにも、同行して貰います」

 

「了解です」

 

 はぁ〜、とため息をつくミサトさん。

 

 お仕事モードは終わったらしい。

 

「とはいえ、私も名前くらいしか知らないけどね〜……」

 

「実は全部知ってたりして」

 

「んなわきゃないでしょ〜? 次の使徒の特徴とか、時期とか、分かれば言ってるわよ」

 

「その意味不明な使徒が、なんで攻めてくるのか、とか」

 

「なんでって、それは……」

 

「それは?」

 

「知らないわ……」

 

「作戦部長なのに?」

 

「だからこそ、ね。使徒に関しての情報すべてにアクセス権があるわ。NERVにだって知らない事くらい……あるのよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「あ、そういえば」

 

「……?」

 

「お弁当、どうだったの? 喜んでたんじゃな〜い?」

 

「許可を取るから1日待ってくれって言われて……辞退したんだ」

 

「許可……? レイに……?」

 

「毎食サプリメントなのは、多分、アレルギーとかが酷いからじゃないかなって……。この前も、定期検診って言っていたし」

 

「……ありえるわね」

 

「ありえるって、暫くは綾波と一緒にいたんじゃ……」

 

「私が来たときから言葉数は少ないし、そもそも関わる機会が無かったのよねぇ……」

 

「じゃあ、来る前は? 綾波っていつからチルドレンなの?」

 

 きっと、病気が辛うじて回復したのとチルドレンになった時期は同じはず。

 

 1年前か、2年前か……

 

「それも、分からないわ……データがなんにも無いのよ」

 

「関わる機会が無いっていうのは……」

 

「普通に作戦部長として仕事を任されてたのよ。来たばっかりで、余裕無かったのよね」

 

「…………」

 

 ぜんぜん分からない。

 

 綾波は、どうしてNERVにいるんだろう……。

 

「データ権限……私、意外と無いのかも知れないわね」

 

 そう呟いて、ミサトさんは、なにやら真剣な顔で考え始めた。

 

 とはいえ、自分に出来ることはなにもない。今日はお風呂を頂いて、手早く寝てしまう事にした。

 

 明日は土曜だけど、山間部まで行くから早起きしなきゃいけない。

 

「おやすみなさい」

 

「あぁ、おやすみなさい」

 

 お風呂から上がっても、ミサトさんは何やら考えていて……

 

 NERVという組織に、胸がざわつくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 第4使徒遺骸、屋外研究施設。

 

 AM10:58

 

 A棟、コア摘出作業中。

 

 

「これが、使徒……」

 

 近くで見ると、大きいんだな……。

 

「なるほどね。コア以外は殆ど原型を留めている……ホント理想的なサンプル」

 

 陸橋の上でレポートを取るリツコさん。

 

 今日の視察のメイン、使徒の主な情報を得られるという、ここ、リツコさんの臨時研究室に着くまで、本当に長かった。

 

 ミサトさんの視察の付き添いなので、原理不明の浮遊影響下にあった土壌や、使徒のエネルギー兵器のカケラ等、麓の研究施設から順繰りに回る必要があったのだ。

 

 これでもミサトさんは急いでくれたようなので、文句は言えない。

 

 こちらに気付いて振り向くと、彼女は珍しく笑顔だった。

 

「ありがたいわ」

 

 ……そう言われても、次もコアのみ破壊出来るとは思えないけど。

 

「で? 何か分かったわけ?」

 

 ミサトさんの声に疲れが出ている。

 

「見た方が早いわ」

 

 ミサトさんは、そう言って陸橋からさっさと降りるリツコさんに、ため息をついた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 同 屋外研究施設。

 

 技術部部長 臨時研究室。

 

「なにこれ?」

 

 601

 

 ミサトさんの言う通り、ナゾの数字だけが画面に浮かんでいる。

 

「解析不能を示すコードナンバー」

 

「つまりワケ分かんないってこと?」

 

「そう、使徒は粒子と波、両方の性質を備える光のようなもので構成されているわ」

 

「で、動力源はあったんでしょ?」

 

「らしきものはね……でも、その駆動原理がサッパリなのよ」

 

「まだまだ未知の世界が広がってるワケね」

 

「兎角この世は謎だらけよ……例えば、ほら」

 

 そう言ってモニターの前を開けるリツコさん。

 

「この使徒独自の固有波形パターン」

 

「これって……!?」

 

「そう、構成素材に違いはあっても、信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似しているわ。99.89%ね……」

 

「99.89%って……」

 

 バナナだって50%は同じだ。猿に至っては99%同じだし、遺伝子情報でそのものの性質を測るのは拙い気がするけど……。

 

「改めて私たちの知恵の、浅はかさってモノを思い知らしてくれるわ」

 

『オーライ! オーラァイ!!』

 

 遺伝子情報に食いついてしまった2人を置いて、何かが始まったらしい外の様子を見に行った。

 

 そこには、取り出されたコアが置かれ、まさに接地する瞬間のリフトがあった。

 

 それを待つ、父さんと青髪短髪の制服姿の少女、そして白髪の男……。

 

 父さんは、青髪の彼女の肩に腕を回していた。

 

 綾波……?

 

 スカートから覗かせる足の色白さと、青髪に、脳裏には綾波しか浮かばない。

 

 だが、なぜ、ここに?

 

 いや、というより、なぜ父さんと……?

 

 瞬間、脳のシナプスが3つの情報を繋げていた。

 

 大病。

 

 NERV。

 

 チルドレン。

 

 綾波も、エヴァに乗れる……。

 

 そういうこと、なのか……?

 

 父さんと母さんの間に何があったのか、分からない。

 

 母さんは死んだ。父さんは去った……。

 

 僕と同い年。

 

 綾波。

 

 綾波のために、NERVの責任者になったのか……?

 

 複雑な感情が入り乱れる。

 

 確かに、綾波も大変だっただろう。

 

 だが、その間、父さんは何をしていたんだ?

 

 何かしていれば、僕と同じになんか、ならない筈だろ……父さん……。

 

「どしたのー?」

 

 背後から声がかかった。

 

 無理矢理目を引き剥がす。

 

「あ、いえ……別に……」

 

 リツコさんとミサトさんの視線が突き刺さって、思わず目を逸らした。

 

「あのねぇ、そういう顔して別にぃ、って言われてもねぇ、説得力ないわよ」

 

「えーっと……」

 

 綾波と父さんがそこに居たから……と言っても、伝わらない。

 

 記録がないのは気になるけど……仕方がない。

 

「綾波って父さんの子供なのかなって」

 

「は……? コドモ?」

 

 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔のミサトさん。

 

「どうして……そう思うの?」

 

 対して、リツコさんは先程の上機嫌が吹き飛んでしまったらしい。

 

「今、そこに父さんと綾波がいて、仲良さそうだなーって思ったんです、それに……」

 

「僕、父さんのこと知らないから、理由なんて無いんですけど……2人ともエヴァに乗れるし、一緒に居ると、気が楽だから……兄弟なら、納得できるかなって」

 

「…………」

 

「…………」

 

 2人とも黙って、何か考え込んでいるようだった。

 

「赤城リツコ博士、コアの視察、可能ですー」

 

 作業員に声が掛けられるまで、2人が動くことは、無かった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体育の授業中。メンバー交代で休みになった僕は、思わず水泳の女子グループで、フェンス際に体育座りして沈黙する綾波を見ていた。

 

 病弱な兄妹(きょうだい)かも知れない。

 

 どうしても、色々と考えてしまう。

 

「みんな、ええ乳しとんなぁ……」

 

 トウジの発言に思考が分断され、少しだけ和んだ。

 

 トウジは悩みとか無さそう。

 

 いや、むしろ悩んでるトウジは、想像できないな。

 

「おっ、センセ。なーに熱心な目で見てんのや」

 

「熱心というか……」

 

「綾波かぁ〜!? ひょっとしてぇ」

 

 言い淀むと、トウジを押し退けて出てくるケンスケ。

 

「そうだけど、違うよ」

 

 思わず微妙な顔をして、目を逸らしてしまった。

 

「どーゆーこっちゃ」

 

「わっとと」

 

 トウジが復活して、怪訝な顔をしている。

 

「綾波とは最近、家庭の事情で……色々あってさ……。誰にも、言わない?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 2人とも、困惑した顔で、固まってしまった。

 

「そりゃ、気にならんと言ったら嘘や……」

 

「俺は聞かないでおくよ」

 

「ケンスケ……」

 

「聞かれたくないだろ? 碇も」

 

「まぁ……そうだね」

 

「ならいいだろ。知らない方がいい事も、世の中には沢山あると思うな」

 

「知らない方が……か……」

 

 確かに……こんな事、

 

 知りたくなかったな。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 NERV本部。

 

 今日、久しぶりに行ったシンクロテストは、零号機と合同だった。

 

 綾波も60%前後を保っているらしい。

 

 不思議なのは、父さんが零号機の近くに居た事だ。

 

 テスト終了後、綾波も親しげに父さんと話しているし……

 

「時間の差か……」

 

 そんな当たり前の事に、羨ましいと思ってしまう……

 

 綾波も望んでそうなった訳じゃないだろうに……むしろ、父さんと楽しそうに話せるのは、兄妹として歓迎するべき事なのに……

 

 嫌な感情だ。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 PM21:28

 

「じゃ、おやすみなさい」

 

 珍しく酔って帰ってきたミサトさんは、机の上でダウンしていた。

 

「うにゃ……ぁ……シンちゃん? あー、ちょっと待って……」

 

 のそのそとバッグを漁るミサトさん。

 

「はい、これ」

 

 渡されたのは、NERVのセキュリティカードだった。

 

 綾波の……。

 

「これは……」

 

「リツコのやつ、今日渡してくんのよね〜。明日までにどこかで渡してくれってさぁ」

 

 明日は日曜日だ。

 

「ミサトさんも午後は本部だったっけ……」

 

「そうよぉ……午前は半休の予定だったのにぃ……って思ったんだけど」

 

「分かったよ。午前中に届けてくれば良いんでしょ?」

 

「さっすがシンちゃん! 話が早くて助かるわぁ〜」

 

「はいはい、ベットで寝ないと風邪ひくよ」

 

「うぇー、誰か私を連れて行ってぇ、優しくしてぇ〜……」

 

「はぁ……」

 

 ミサトさんを介抱して、ベッドにつくころには23時を回っていた。

 

 綾波の家、か……。

 

 カードの住所を見ながら、複雑な感情が渦巻く。

 

 きっと父さんと同居してるんだろうな。

 

 僕は、どんな顔をして、行けばいいんだ。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 どう転んでも本部には遅刻しないように、かなり早めに家を出た。

 

 着いたのは、郊外に近い、恐らく耐震工事中の団地の1部屋だった。

 

 古いマンションだ。

 

 コンクリートはひび割れているし、アスファルトは色落ちしている。

 

 こんな所に……。

 

 表札には〝綾波〟と書かれている。

 

 一人暮らし、なんだろうか。

 

 父さんが分からなくなる。気にかけているのに……?

 

 それは、確かに綾波に何かあっても気付かないかもしれないけど……。

 

 これも何か理由があるんだろうか。

 

 あの親しげな様子は、何か義務的な、ものなのかも知れない……。

 

 作られた表情を見抜くほど、僕は聡い人間ではないから。分からない。

 

 複雑な感情のまま、意を決してそのスイッチを押す。

 

 カチ。

 

 ……カチ。

 

 ……カチカチ。

 

 インターホンを鳴らしても、反応がない。

 

「壊れてるのかな……」

 

 ドアを叩いてみる。

 

「綾波? 碇だけど、セキュリティティーカードの更新があるんだ」

 

「…………」

 

「新しいカード、持ってきたんだけど」

 

「…………」

 

 工事の音が響いている。

 

 中の様子は分からない。

 

「うーん……」

 

 玄関前に置いて、気付くような大きさじゃないしな……。

 

 暫く考えていると、ドアの向こうに人の気配が現れる。

 

「碇君……?」

 

「良かった。寝てたらどうしようかと……」

 

「なぜ、知ってるの?」

 

「その、セキュリティカードに書いてあるんだ。綾波の新しいやつ」

 

「そう……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「入ったら?」

 

「え?」

 

「外は、暑いから」

 

 少し、考える。綾波の部屋に入ったとして、何かやる事がある訳でもない。

 

 それに、何かの拍子に変な事を聞いてしまいそうだし……。

 

 NERVの休憩室にでも行って暇を潰そう。

 

「いや、いいよ。本当に、カードを渡しにきただけなんだ」

 

「そう……」

 

 何故か、気配が消える。

 

 暫くすると、ドアが開いた。

 

「私も行くわ」

 

 綾波は、いつもの制服で佇んでいる。

 

 いや、それよりも

 

 今……カギ、空いてなかった?

 

「まだ、早いけど……」

 

「……? 碇君、行くんでしょう?」

 

「そう、だけど……それより、カギは?」

 

「カギ……?」

 

「しないの? 玄関のロック、というか、施錠というか……」

 

「必要、ないもの」

 

「そうかなぁ……」

 

「私は持っていないわ」

 

「カギを?」

 

「ええ」

 

「…………」

 

 絶句。

 

 鍵すら、無いとは……。

 

 つまり開けようと思えば、さっきだって空いた訳で……だから中々出なかったのか。

 

「父さんって、ここに来るの?」

 

「……碇司令?」

 

「そう」

 

「いいえ」

 

 父さんは来ない。じゃあ、何のために……?

 

「人が来たこと、ないわ」

 

 またもや絶句。

 

 つまり、配達も何もないという事だ。

 

 NERVで処理されているんだろうな……ここ。

 

「……なぜ?」

 

 なぜ、と言われて頭が真っ白になった。

 

 なぜって……

 

「なんとなく……綾波が、僕と兄妹なんじゃないかって、思ってたんだ」

 

「…………」

 

 綾波は、驚いたような顔をしている。

 

 といっても、目を少し見開いただけ……

 

 しかし、初めて見る綾波の表情だった。

 

「だから、父さんなら、鍵預けたりとか、たまにここに来たりとか……するんじゃ無いかなって」

 

 なのに、人すら来ないなんて。

 

「どうして?」

 

「綾波と父さんは、ずっと一緒に居たみたいに……話をするから。綾波も、家族なのかなって……」

 

「家族……」

 

 綾波は少し考えていたが

 

「分からないわ」

 

 そう、僕に、言った。

 

 瞬間、脳がオーバーフローを起こし、夏の暑さや、工事音、すべての感覚が一緒になってしまったようだった。

 

 分からない。

 

 分からない。

 

 分からない。

 

 父さん?

 

 綾波は、父さんの、なんなんだ?

 

「綾波、父さんの事、どう思ってる?」

 

「碇司令……」

 

 少し考える。

 

「一番の人。尊敬している人」

 

 笑わない、綾波。

 

 僕は、手紙を思い出した。

 

 恐らく。

 

 恐らく、父さんは、綾波とも間接的にしか関わってないんだ。

 

「綾波」

 

「なに?」

 

「やっぱり、たぶん、僕たちは兄妹だよ。血の繋がりが、なくても」

 

「同じヒトの子供……碇司令の?」

 

「そう、父さんの」

 

「……そうね」

 

 思考の海に潜る綾波。

 

「……そうかも、しれない」

 

 その声音は、納得したような、軽い雰囲気をしていた。

 

「…………」

 

「ありがとう」

 

「……?」

 

「分かったから。碇君は、私の兄妹」

 

 頬を染めて、微笑む綾波は、何か吹っ切れたような顔をしていた。

 

 伝わったようで、嬉しいけど……

 

 何故か、ゆっくり近づいてくる。

 

 その距離に困惑していると、そっと、腕が背中に回されて……

 

「あ、綾波……!?」

 

 首元に、頬が押し付けられている。

 

 抱きしめられてる……!?

 

 その身体が、柔らかい感触を伝えていて……

 

「ま、まって、離れて!」

 

「なぜ?」

 

 綾波は、胸元からまっすぐ見つめてくる。

 

「碇君の半分は、私なのでしょう?」

 

「そ、それは……!!」

 

 そうかもしれないけど!

 

 しかし、言葉にしようと考えると、身体全身から伝わる触覚の反応が処理されてしまい、脳は、ついに生成される熱に屈した。

 

 まあ、いいか……。

 

 僕は手を繋いで本部に向かうまで、ほぼ何も考えていなかった。

 

 何か、嬉しさで浮かれていたのもある。

 

 綾波と兄妹になった。

 

 正体不明の状態から、明確な、しかも最も近い距離に綾波が居ることが、とてつもなく嬉しかったのだ。

 

 だからこそ、本部を前にして誓った。

 

 エヴァと使徒。

 

 綾波が実戦に出るのは、仕方ない。

 

 だけど、僕が必ず、守るのだと。




 次回 「決戦、第3新東京市」

 ※私情により、明日(2021/09/09)は更新をお休みします。
 次回更新は9/10、PM20:00の予定です。すみません。


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第陸話 決戦、第3新東京市。

今回は10000くらいです。


決戦、第3新東京市 

 

 

 NERV本部、ケイジ内。

 

 シンクロテスト中。

 

 碇ゲンドウ、赤城リツコ等、技術責任者が船橋のようなモニタールームに集合していた。

 

 今回は、純粋なシンクロ率やハーモニクスデータをチェックするため、ダミープラグを使用していないからだ。

 

 責任者である赤城リツコ博士の他に、興味を持った碇司令、冬月副司令が訪れた。

 

「綾波レイ、何か、あったんでしょうか」

 

 赤城リツコの呟き。

 

 碇ゲンドウは、眼鏡のツルを触るだけで、声を発する事は無かった。

 

 モニターには、シンクロ率73%という驚異的な数字が表示されている。以前に比べ、10%以上も上昇したのだ。

 

「適正がある。むしろ、当然だろう」

 

「そうですが……しかし……」

 

 赤城リツコは困惑していた。

 

 綾波レイのダミーは不完全だったのだ。明らかに、1人目の性質を完全には受け継いでいなかった。

 

 感情感覚の相違……というより、あれは喪失だった。だからこそ、コアとなった1人目とシンクロ出来ないのであり、喪失したそれを、外部から与えるのが困難な事を、医者である自分が一番よく知っていた。

 

 碇司令と、1人目と同じように行動を共にすればあるいは……と思っていたが、改善は見られなかった。

 

 変わったのは……碇 シンジ。

 

 彼が来てからだ。

 

 碇ゲンドウの息子。サードチルドレン……悪魔の子供。

 

『兄妹なら納得出来るかなって』

 

 流石、あの人の子だと言えよう。本質的に近い所まで、ヒントも無しに辿り着いてしまった。

 

 計画に必要なだけで、肉親関係ではない! と叫んでしまいそうなのを、必死に堪えるので精一杯だ。

 

 あの時点で否定出来なかったのは、明らかな失敗だった。

 

 あの後、更に何かしたに違いない……。

 

 確かに、今はいいかもしれない。たが、今やダミーシステムは完全に失敗していると言っても過言ではないのだ。

 

 本来なら計画に関係のない、予備である碇シンジが必ず必要になるのだから……。

 

 ありえない。

 

 一番、ありえない……が。

 

 もしかしたら、全て知っていて、恨みから復讐されているのかも知れない。

 

『可愛い顔して、なんつーか、冷めてんのよねぇ〜。アタシ、たまに思うのよ。まるで子供じゃ無いみたいだ……って』

 

 以前、ミサトが酔って言っていた。

 

 その時は「確かにシンジ君の方が、あなたより精神的には大人かもしれないわね」とか返した記憶がある。

 

 しかし……

 

 ミサト、あなたの勘、案外当たってるかもしれないわ……

 

 赤城リツコは、涼しげな顔でシンクロ率75〜8%を維持している碇シンジを、憎々しげに見つめていた。

 

 

 

 

 

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「総員、第1種戦闘配置。総員、第1種戦闘配置──」

 

 シンクロテストの正にその最中、本部内にアナウンスが鳴り響いた。

 

「聞いた? レイ、シンジ君」

 

 続けて入るミサトさんの通信。

 

 まさか、今日来るとは……。

 

 綾波の事を知らないまま、使徒が来てもおかしく無かったんだろう。

 

『戦場での不仲は死ぬわよ』

 

 ミサトさんの言葉が思い出される。

 

 良かった……。と、使徒が来ているのに、どこか安堵する自分がいた。

 

「休憩ナシで悪いけど、そのまま出撃してもらうわ。シンジ君が前衛、Aの3からリフトアップ。 レイがバックアップ、Cの6からリフトアップ、いいわね」

 

 前衛、バックアップと言っても、どちらもやる事は変わらない。ATフィールドを中和し、物理攻撃をコアに与える。

 

 今回は、バレット等を装備しての出撃ではないけど……。

 

 出撃してから回収するんだろう。

 

「「了解」」

 

「初号機、零号機、両機発進準備」

 

「第一ロックボルト外せ」

 

 フリー状態の赤いランプを確認する。

 

「解除確認」

 

「解除確認」

 

「了解」

 

「第二拘束具外せ」

 

 実際に行ったのは2回しかない発進準備は、未だに慣れない。

 

「了解」

 

 これから戦うであろう、強力な使徒を想像して、鳩尾の辺りが燃えるようだった。

 

 綾波は守りきる。どうなろうとも……。

 

「エヴァ両機、発進準備よし」

 

「発進!!」

 

 ミサトさんの号令で、体にダンベルでも載せられたかのようなGがかかる。

 

 以前と違い、鈍くだが風の感覚すらも捉えるようになっていた。

 

 光が差し込み、リフトアップ完了が近い。

 

 独特な浮遊感を伴って、リフトが急停止する。すぐさま辺りを見渡して──

 

「ダメ、避けて!!」

 

 悲痛なミサトさんの叫び。

 

 ビル群から一つ抜けた所、快晴の空に、濃紺の水晶体が浮いていて……

 

 閃光が、視界を覆った。

 

 瞬間、熱と痛みがプラグ内を制圧する。

 

 全身の肌が痛み、肺が燃えて、脳が熱に対してあらゆる拒絶反応を示していた。

 

 声にならない叫びを上げるが、その声を脳が処理することもない。

 

 朦朧とした意識の中で、力が抜けていくのが分かる。

 

 瞬間、体に衝撃が走って痛みが復活した。

 

 が、何かが切れたように、視界が闇に閉ざされた……。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 NERV本部、司令塔。

 

 第5使徒会敵より136分経過。

 

 同時刻。

 

 エヴァンゲリオン初号機1/1ダミー。

 

 第3新東京市を使徒に向かい進行。

 

「敵荷粒子砲、命中。ダミー蒸発」

 

 報告を受けるが、葛城ミサトの表情は変わらない。

 

「つぎ」

 

 指示を受け、独12式自走臼砲が芦ノ湖を隔てた対岸より使徒を狙撃。

 

「12式自走臼砲、消滅」

 

「なるほど、ね……」

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 10分後。

 

 NERV本部作戦部 第2分析室。

 

「これまで採取したデータによりますと、目標は一定距離内の外敵を自動排除するものと思われます」

 

 モニターには、爆散するダミーや12式の映像が流れている。

 

「エリア侵入と同時に、荷粒子砲で100%狙い撃ち。エヴァによる近接戦闘は……危険すぎますね」

 

 今度こそ融解するだけだろう。

 

「ATフィールドはどう?」

 

「健在です。相転移空間を肉眼で確認出来るほど、強力なものが展開されています」

 

 映像には、光の壁とでも言うべき薄氷のようなそれに、アッサリと12式自走臼砲の攻撃を弾かれる様子が映る。

 

「誘導火砲、爆撃など、生半可な攻撃では泣きを見るだけですねぇ、こりゃあ」

 

「攻守共にほぼカンペキ、まさに空中要塞ね〜……で、問題のシールドは?」

 

「現在目標は我々の直上、第3新東京市0エリアに進行、直径17.5メートルの巨大シールドがジオフロント内、NERV本部へ向かい潜行中です」

 

「敵はここ、NERV本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね」

 

「しゃらくさい。で、到達予想時刻は?」

 

「……は、明朝午前0時06分54秒。その時刻には22層全ての防御を貫通してNERV本部へ到達するものと思われます」

 

 葛城ミサトは焦っていた。あと10時間足らずで、実行可能かつこの使徒に有効な攻撃を考案するのが自分の仕事だからだ。

 

 しかし……。

 

「敵シールド、第一装甲板に接触」

 

 悩んでいる時間も惜しい。

 

「こちらの初号機の状況は?」

 

「胸部、第3装甲板まで見事に融解。機能中枢をやられなかったのは、不幸中の幸いだわ」

 

「あと3秒照射されていたら……アウトでしたけど」

 

「3時間後には換装作業、終了予定です」

 

「了解……零号機は?」

 

「問題、ありません」

 

 ケイジからの報告を受けて、考えを巡らせる。

 

「初号機専属パイロットの容体は?」

 

「身体に問題はありません。神経パルスが0.8上昇していますが、許容範囲内です」

 

「敵シールド到達まで、あと9時間55分」

 

「最悪ではないけど……決定的な手が無いのも事実ね」

 

「白旗でも上げますか」

 

「その前に、ちょっちやってみたい事があるのよねぇ……」

 

 

 

 

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 NERV本部、総司令官公務室。

 

「目標のレンジ外、超長距離からの直接射撃かね」

 

 冬月副司令の復唱が部屋に響く。

 

「そうです。目標のATフィールドを中和せず、高エネルギー収束帯による、一点突破しか方法はありません」

 

「マギはどう言っている」

 

「スーパーコンピュータ、マギによる回答は賛成2、条件付き賛成が1でした」

 

「勝算は8.7%か……」

 

「最も高い数値です」

 

「反対する理由はない。やりたまえ。葛城一尉」

 

 黙っていた碇司令が、許可を出した。

 

「はい」

 

 これで、ひとまず実行には移れるだろう。

 

 

 

 

 

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 NERV本部、エヴァ兵装管理棟。

 

 直行中のカレーター上。

 

 

「しかし、また無茶な作戦を立てたものねぇ。葛城作戦部長さん?」

 

「ムチャとはまた失礼ねー、残り9時間以内で実現可能。おまけに最も確実なものよ?」

 

「コレがねぇ」

 

 リツコは、しかし、スペックを改めて確認するまでもなく、NERVの所有するエヴァ専用陽電子砲(ポジトロンライフル)(円環加速式試作20型)では、大電力に耐えられないのではないかと感じていた。

 

 数分後。

 

 兵装を前にして、ケーブルの規格などを確認するが、やはり不可能だ。

 

 

「やっぱり、ウチのポジトロンライフルじゃそんな大出力に耐えられないわよ? どうするの?」

 

「決まってるでしょ、借りるのよ」

 

「借りるって……まさか」

 

 NERVになければ、そんな兵器は他国か、犬猿の仲である戦略自衛隊くらいしか保有していないだろう。

 

「そ、戦自研のプロトタイプ」

 

 貸してくれる訳がないだろう。

 

 笑顔のミサトに、リツコは嘆息した。

 

 

 

 

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 戦略自衛隊兵器開発研究部。

 

 試作自走陽電子砲保管倉庫内。

 

「以上の理由により、この自走陽電子砲は本日15時より特務機関NERVが徴発致します」

 

 徴発令状を掲げた葛城一尉は、つくば技術研究本部所内に集められた戦略自衛隊研究員の責任者各位にそう宣言した。

 

「かといって……しかしそんな無茶な……」

 

「可能な限り、原型を留めて返却するよう努めますので」

 

 明らかに納得していない顔の戦自職員であったが、葛城一尉はあくまでも明るく言い放った。

 

「では、ご協力感謝致します。いいわよー! レイ! 持っていって!」

 

 すると、つくば技術研究所本部の、一般的な平面のつり天井は巨人の手によって捲り返され、青空の元に試作自走陽電子のパーツコンテナが晒された。

 

「精密機械だから、そぉーっとね!」

 

 搬出作業を見守っている、徴発令状を認めた本人である日向マコトは、武器の調達にひと段落した事に安堵しつつ、次の段取りの不安を上司である葛城一尉に伝えた。

 

「……しかし、ATフィールドをも貫くエネルギー産出量は最低18000kW。それだけの大電力をどこから集めてくるんですか?」

 

「決まってるじゃない。日本中よ」

 

 それは、誰が各所に許可を取るのだろう……。

 

 日向マコトは、軽い絶望に見舞われた。

 

 

 

 

 

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〝本日、午後11時30分より明日未明にかけて、全国で大規模な停電があります。皆様のご協力を宜しくお願いします。繰り返します、本日……〟

 

 全国のテレビ、ラジオ、その他あらゆる伝達手段を用いて、同じ情報が伝えられる。

 

 日本は1人の女性によって、全国全ての発電所の直結という、未曾有の事態を経験していた……。

 

 

 第3新東京市

 

 NERV本部

 

 総合作戦司令室発令所(発令塔)

 

「敵シールド、第7装甲板を突破」

 

 尚も使徒侵攻の様子がアナウンスされる。

 

「エネルギーシステムの状況は?」

 

「現在予定より3.2%遅れていますが、本日23時10分には、なんとか出来ます」

 

自走式陽電子砲(ポジトロンライフル)はどう?」

 

「技術開発部第3課の意地にかけても、あと3時間で形にしてみせますよ」

 

「防御手段は?」

 

 通信は第8倉庫にも飛んだ。

 

「それはもう、盾で防ぐしかないわね」

 

「これが……盾ですか?」

 

「そう、SSTO(単段式宇宙輸送機※俗称スペースシャトル)のお下がり。見た目は悪くとも、元々底部は超電磁コーティングされている機種だし、あの攻撃にも17秒もつわ。2課の保証書付きよ」

 

「結構、狙撃地点は?」

 

「目標との距離、地形、手頃な変電施設を考えると……やはり、ここです」

 

「うん……確かにいけるわね。狙撃地点は双子山山頂。作戦開始時刻は、明朝0時。以後、本作戦をヤシマ作戦と呼称します」

 

「了解」

 

「……あとは、パイロットの問題ね」

 

 数分後。

 

「初号機パイロット、意識回復しました。検査数値に問題なし」

 

「そう、では作戦は予定通りに」

 

「はい!」

 

「……でも彼、もう一度乗るかしら」

 

 第8倉庫から発令塔に戻ったリツコは、ミサトにそう声をかけた。

 

「……どういうこと?」

 

「肺まで焼かれて、14歳が怖気付かないかしらって事よ」

 

「……腹を裂かれて、立ち直った子よ。レイも付いているし、問題ないわ」

 

「14歳らしくないわね。本当に」

 

「まあ、ね……」

 

 ミサトは深い思考の沼に嵌りそうになり、しかし、すぐに復帰した。

 

「双子山決戦、急いで」

 

 

 同時刻。

 

 中央病院 第3外科病棟。

 

 目が覚めると、ぼうっとする頭に、ひぐらしの鳴き声が染み入る。

 

 左手に、人の手のような触覚を覚えて振り向くと、両手を添えて、ベッド脇の椅子で船をこぐ綾波がいた。

 

 手の感触を確かめながら、その姿を見やる。

 

 どうして……こうなってるんだろう。

 

 やがて、目を覚ますと、綾波は微かに微笑んだ。

 

「碇君……顔色、よさそうね」

 

「うん……大丈夫そう」

 

「…………」

 

 満足そうに目を伏せて、手を離す顔をじっとみていると、気付かれて、フイ、と目を逸らされる。

 

 所在なさげなその姿が、なんだかこそばゆい。

 

 感覚がしっかりしてくると、倒れる前の記憶が胸に鈍痛を与えてくる。

 

 そうだ。確か、使徒に焼かれて……。

 

「使徒は?」

 

 頬を緊張させて、そう聞いた。

 

「殲滅作戦が進行中」

 

 真面目な顔をすると、そう伝えてくれる綾波。

 

「進行中……?」

 

「使徒はNERV本部へ向かってボーリングによる掘削を開始、到達予想時刻は明朝0時」

 

「この後、夜ってこと?」

 

「そう」

 

 でも、どうやって止めるんだろう……。

 

「同時刻、発動されるヤシマ作戦で殲滅」

 

 綾波は、手帳を取り出すと読み始める。

 

「碇、綾波の両パイロットは本日1730ケイジに集合。1800初号機、及び零号機、起動。1805、発進。同30、双子山仮設基地に到着。以降は別命あるまで待機 明朝、日付変更と共に作戦行動開始」

 

「エヴァで山に?」

 

 綾波はうなずく。

 

「どうして……?」

 

「知らない」

 

「分かった。今は?」

 

「1706」

 

 もう、行かなきゃいけないのか。

 

「今度は、倒せるといいけど……」

 

「不安なの?」

 

「……ちょっとね」

 

「失敗したら、ヒトが滅びる……私達も、死ぬだけよ」

 

 綾波は、真面目だった。

 

 それは悲しいことなのに。

 

 紛れもない事実だ。

 

「…………」

 

「…………」

 

「綾波」

 

「なに?」

 

「僕か綾波のどちらかが死ねば、使徒が殲滅できるとしたら、どうする?」

 

 今、聞かねばならない気がした。

 

「…………」

 

 綾波は、思考の海に潜ってゆく。

 

「なぜ、そんな事を聞くの?」

 

「そうなった時、お互いに迷わないように」

 

「私は死んでも、いい」

 

「僕も、別に死んでもいいんだ」

 

「なぜ? 碇君に、その必要はないわ」

 

「綾波が死ぬより、ずっといい」

 

「……なぜ」

 

「なぜ、私に生きることを望むの」

 

「綾波だって、僕に望んでるじゃないか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「同じ……」

 

「僕は……今、綾波のために、生きてる」

 

 言葉にすると、湧き上がる実感。

 

 どんな事情があろうと、兄弟(同一可能性存在)の綾波。

 

 互いに安らげる、関係。

 

 初めて守りたいと思えた、存在。

 

 世界で唯一の……価値。

 

 それは、命よりも重い。

 

「…………」

 

「わたし……」

 

「私……は……」

 

「いいんだ。綾波」

 

「…………」

 

「犠牲になるとしたら、僕だ」

 

 彼女は思い詰めたように、ベッドの虚空を見ている。

 

「続きはあとで話そう」

 

「…………そう……ね」

 

 綾波はゆっくりと立ち上がって、ドアの前で一瞬振り返ったが、ケイジへと向かった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 双子山山中、朝日滝付近。

 

「敵シールド、第17装甲板を突破。到達まで、あと3時間55分」

 

 アナウンスが鳴り響く。

 

 山道には、大量の変圧設備を載せた車が列をなして、作業所に向かっていた。

 

「ハブ変圧システム、問題なし」

 

「四国、および九州エリアの通電完了」

 

「各冷却システムは、試運転に入って下さい」

 

 改造陽電子砲(ポジトロンスナイパーライフル)設置作業。

 

 担当 初号機。

 

「精密機械だから慎重にね」

 

 リツコさんの監督で、山肌に急造された基礎部分に設置を完了した。

 

「でも……こんな野戦向きじゃない兵器で……」

 

「仕方ないわよ、間に合わせなんだから」

 

「……倒せますよね」

 

「理論上はね」

 

「けど、銃身や加速器が持つかどうかは、撃ってみないと分からないわ。こんな大出力で試射したこと、一度もないもの」

 

 嫌な気分だった。

 

 そんな奇跡に頼らないと、人間は生きていけないのか……。

 

「本作戦における、各担当を伝達します。シンジ君、初号機で防御を担当」

 

「はい」

 

「レイは零号機で、砲手を担当」

 

「はい」

 

「これは、今はレイと零号機のシンクロ率の方が高いからよ。今回は、より精度の高いオペレーションが必要なの」

 

 葛城一尉のブリーフィングが終わると、リツコさんが口を開く。

 

「陽電子は地球の自転、磁場、重力の影響を受け、直進しません。その誤差を修正するのを、忘れないでね。正確に、コア一点を貫くのよ」

 

「はい」

 

「テキスト通りにやれば、大丈夫だから。最後に真ん中のマークが揃ったら、スイッチを押せばいいの。後は機械がやってくれるわ」

 

「分かりました」

 

「それから、一度発射すると冷却や再充填、ヒューズの交換等で次に撃てるまで時間がかかるから……」

 

「初弾撃破を、目標にします」

 

「もし、反撃されたら──」

 

「僕が守ればいいんですね」

 

「そうよ」

 

「分かりました」

 

「時間よ。2人とも着替えて」

 

「「はい」」

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 カーテン一つで仕切られた更衣室で、防御を担当する事について考えていた。

 

 あの攻撃をもう一度、体で受けることになれば、致命傷になるかもしれない。

 

 だが、素肌に刃物が触れて、冷たさと痛みを感じた時より、恐怖はずっと少ない。

 

 これで、いいんだ……。

 

 そう思いながら、その手首のフィットボタンを押した。

 

「……碇君」

 

「……なに?」

 

「私が、もし……死ねと言ったら……どうするの?」

 

「綾波のために?」

 

「……そう」

 

「嫌だ……と思う」

 

「……どう、して?」

 

「僕は、綾波がなにより大切なんだ。それは、兄弟で、綾波のためだから、死んでも良いと思える」

 

「…………」

 

「僕は、何があっても綾波に、死ね。なんて言えないし、言わない。それが、どれだけ怖くて、苦しい事か、知っているから」

 

「…………」

 

「それを知らずに、試すつもりで言っているなら、僕は綾波を許さないし、嫌だと思う」

 

「知って、いたら……?」

 

「もし、知っていて死ねと言うのなら……」

 

「…………」

 

「綾波の恐怖は、僕が貰うよ。僕を暖かいと言ってくれた、綾波のために……。それで、綾波が生きられるなら……」

 

 綾波は、泣いていた。

 

 顔を覆って、声を出して。

 

 初めて見る、激しい感情の発露だった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 エントリープラグ 搭乗搭。

 

 迫り出した鉄板の上で、綾波レイと碇シンジが座っていた。

 

 双子山の夜空は澄み切り、月と星が輝いている。

 

「碇君……」

 

「なに?」

 

「私……碇君が私のために死ぬと言うのに」

 

「…………」

 

「なのに、私は碇君のために、死ねない……それが、苦しくて……寒いの……」

 

「……どうすれば……いいの……」

 

「…………」

 

「綾波は……エヴァに乗る、理由があるんでしょ?」

 

 僕には綾波の他に無いもの。

 

 死ねない、理由。

 

「…………」

 

「……あるわ」

 

「なら、僕が居なくても、戦えるよ。綾波は、強いから……」

 

「…………」

 

「こんなに……苦しいのに……?」

 

 綾波は、またぽろぽろと涙を落としていた。

 

「綾波……」

 

「…………」

 

「僕は、その時、居ないかも知れないけど」

 

「…………」

 

「でも、僕が居たことは、本当なんだ」

 

「…………」

 

「僕が、綾波に、生きていて欲しいと、心から思うのも……本当のことなんだ」

 

「ッ……ぐ……」

 

「ひど……い……わ……シンジ、くんっ……」

 

「……ごめん」

 

 自分は死んでいるのに。

 

 自分の願いを押しつけて、生きることを強いている。

 

 胸が……苦しい。

 

「………ぅ……」

 

「…………」

 

「行こう」

 

 綾波は、顔を上げた。

 

「……時間だ」

 

 その顔は、悲痛に彩られていた。

 

 ヤシマ作戦が、はじまる。

 

 

 

 

〝ただいまより、0時0分0秒をお知らせします〟

 

 

 

 双子山 14式大型移動指揮車

 

 車内。

 

「作戦、スタートです!」

 

「レイ? 日本中のエネルギー、あなたに預けるわ。頑張ってね」

 

「はい……」

 

「第1次、接続開始!」

 

 葛城一尉の号令がかかる。

 

「第1から、第803管区まで、送電開始!」

 

〝第一次送電システム、正常〟

 

〝ハブ変圧機、出力問題なし〟

 

〝超電動誘電システム稼働〟

 

〝変換効率は予定内を維持〟

 

〝電圧上昇中、加圧壁へ!〟

 

 あらゆる変電設備に通電し、日本のエネルギーそのものが、移動を開始した。

 

「了解、全冷却システム、出力最大へ」

 

〝電子凝縮システム、正常〟

 

〝補助系列機、作動中〟

 

〝オーム判定、問題なし〟

 

「陽電子流入、順調也」

 

「第二次、接続!」

 

「全加速器、運転開始」

 

「強制収束機、稼働!」

 

〝全電力、双子山変電所へ〟

 

〝第3次接続、問題なし〟

 

「最終安全装置、解除」

 

「撃鉄おこせ」

 

 陽電子砲(ポジトロンスナイパーライフル)のボルトハンドルが引かれ、1発分のヒューズが装填される。

 

〝地球自転、及び、重力の誤差、修正〟

 

〝+0.0009、電圧、発射点まであと0.2〟

 

「第7次、最終接続」

 

〝光電子収集菅、収束を開始〟

 

「全エネルギー、陽電子砲へ!」

 

 変圧器は煙を吹き上げ、冷却設備は過剰運転を余儀なくされる。

 

 いま、まさに、一国のエネルギーが1点に集中しようとしている。

 

〝カウント、8〟

 

〝7〟

 

〝6〟

 

〝5〟

 

「目標に高エネルギー反応!」

 

〝4〟

 

「なんですって!?」

 

〝3〟

 

〝2〟

 

〝1〟

 

「発射!!」

 

 瞬間、同時に射出された2つの閃光は、中間点で互いに干渉して歪み、互いの至近距離で爆発を引き起こした。

 

 双子山変電所に吹き荒れる暴風。

 

「ミスった……!?」

 

〝敵シールド、ジオフロントへ侵入!〟

 

「第2射急いで!!」

 

 ボルトハンドルが引かれ、使用済みのヒューズが飛び出す。次弾の装填に時間は掛からなかった。

 

「ヒューズ交換、再充填開始!」

 

〝銃身、冷却開始〟

 

〝陽電子加速再開〟

 

「目標に、再び高エネルギー反応!!」

 

「まずい!!」

 

 浮遊する結晶体が、閃光を発する少し前。待機していた初号機は、駆け出していた。

 

「レイ!!」

 

「碇君……!!」

 

 双子山を守るように、盾を地につけて構える初号機。

 

「盾がもたない……!」

 

「まだなの!?」

 

「あと、10秒」

 

 その数秒後には、融解した盾は意味を為しておらず、その身一つで閃光の海を割る初号機があった。

 

「いけます!」

 

「発射!!」

 

 瞬間、結晶体から発せられる光を破り、襲来する陽電子砲の攻撃に、第5使徒は火を吹いて沈んでゆく。

 

「いよっしやぁ!!」

 

 誰もが喜びを露わにする14式大型移動指揮車、車内。

 

 対して双子山、山中。

 

 姿勢制御も出来ずに、沈む初号機。

 

 各装甲板が融解した姿は、大破といっても過言ではない。

 

「碇君!!」

 

 融解した初号機の背部装甲をむしりとる零号機。

 

 エントリープラグを射出させると、熱を持ったそれを接地させ、自身も降機した。

 

「ッ……くぅ……」

 

 そのエントリープラグを解放しようと、煙を吹き、焼けついたプラグスーツを無視してハッチをこじ開ける。

 

「碇君……?」

 

 エントリープラグには、気を失った碇シンジがぐったりと横たわっていた。

 

「碇君、大丈夫? 碇君?」

 

 演習通り、肩を叩いて呼びかける綾波レイ。

 

 ゆすられた碇シンジは、微かに目を開くと、かすれた声を発する。

 

「あや……なみ……?」

 

「良かった……!」

 

 気がつくや否や、綾波レイは、碇シンジの首筋に頭を埋めていた。

 

「怖かった……ッ……碇君が、本当に……」

 

「……まだ、生きてるよ」

 

 綾波レイは一度離れると、碇シンジの頬に両手を添えて、やや強引に正面を向かせる。

 

「私、絶対に守るから」

 

 赤い瞳は力強く、その黒い瞳を捉えていた。

 

「…………?」

 

「死なせないわ」

 

 そう言って抱きしめられる碇シンジは、困惑しながらも、しかし安心して、眠りに落ちていくのだった……。




 



 次回 「願い、明日の彼方に。」






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第漆話 願い、明日の彼方へ。

1時間遅刻いたしました。すみません。


 コンフォート17、葛城家

 

 AM7:42

 

 朝食後。

 

「えっ……その、本部は……?」

 

「だいじょぶよ〜、1日くらい」

 

 澄ました顔でビールを煽るミサトさん。

 

 もはやその肝機能に驚く事はないが、朝も夜もビール漬けなのは、流石に体に悪いと思う。

 

 もっとも、毎回思うだけで言いはしないけど……。

 

「進路相談って言われても……話すこと、無いんだけどな……」

 

「だから来なくていいっての?」

 

 片眉を上げて見せるミサトさん。

 

 しかし、それは図星だった。

 

 何もないのに、来るだけ時間の無駄だと思っていたのだ。

 

「そもそも、人類が滅びるかもしれない時に、将来のことなんて聞かれても……」

 

「その未来を担うあなたが、そんな事でどうするのよ……」

 

 そう言われても、無いものは無い。

 

 ミサトさんは困り顔で、しかし真面目な声音で続けた。

 

「明日はあるのよ、誰にだって。エヴァーを降りた、あなたにもね」

 

 ……考えた事もなかった。

 

 エヴァを降りた自分。

 

 エヴァを降りた綾波。

 

 その後なんて……。

 

「今からしっかり、考えなさい」

 

「……はい」

 

 降って沸いた難題に、思わず唸る。

 

〝ピン、ポーン〟

 

「はーい、あら? わざわざありがとう。少し待っててね」

 

 ミサトさんがインターフォンに対応した。

 

 きっと、トウジとケンスケだろう。

 

 二人が毎朝のようにミサトさんの事を口にするので『そんなに会いたいなら、来ればいいじゃないか』と言ったものの、まさか毎朝来るとは考えもしなかった。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「いってらっさい。昼には、行くからー」

 

「分かった」

 

 玄関を開けると、二人が待ち構えていた。

 

「「おはよう!!碇クン!!」」

 

「お……おは」

 

「「では、行ってまいります!! ミサトさん!!」」

 

「…………」

 

 練習でもしたのか、二人は息ぴったりに玄関へ半身押し入ると、リビングへ声をかける。

 

「いってらっしゃい、気をつけてねー」

 

「「はい……」」

 

 恍惚の表情で固まる二人に、呆れて片手で顔を覆った。

 

「早く行こうよ……」

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「おはよう。鈴原。昨日の放課後は、一体どこにいたのかしら?」

 

「おはようさん。なんや、委員長。そないしょーもない事聞いてどないすんのや」

 

「どうもこうもないわよ! 当番でしょ! 昨日は!!」

 

 ほとんど変わらない朝の風景。

 

「おはよう、碇君」

 

「綾波、おはよう」

 

 変わった所もある。

 

「今日、行けないから」

 

 綾波は僕より後に来て、声をかけてから席に着く事が多くなった。

 

「分かった」

 

 僕が頷くのを見ると、自分の席へ向かう綾波。

 

 きっと、昼休みの事だ。

 

 昼休みになると、屋上の給水塔の裏にふらりと現れて、隣に腰掛ける。

 

 何か話したり、これは大丈夫だからと弁当のおかずを催促する時もある。

 

 本来、静かで景色がいいから食べていたその場所は、いつの間にか二人で過ごす場所になっていた。

 

『死なせないわ』

 

 耳元で言われた事を、思い出す。

 

 お互いを守りたいという想い。

 

 それは確かに、二人の距離を縮めている。

 

 まだ、互いに何も話していないのに。

 

『知らない方がいい事も、世の中には沢山あると思うな』

 

 その通りだと、思う。

 

 ただ、知らずに踏み込むには、深すぎる闇があるような気がするんだ。

 

 エヴァを降りた綾波。

 

 守り守られる必要のない綾波。

 

 彼女とどう接するべきか、分からない。

 

 エヴァから降りたら、死んでしまうような……そんな考えすらよぎる。

 

 このどうしようもない不安は、闇を払わないと……消えないだろう。

 

 父さん……何を隠しているんだ?

 

 最近、手紙の真実には、裏があるような気がしてならない。父さんは、ただ僕の父親として、NERVに居るわけじゃないんだ……。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 昼休み後。

 

 解体される第5使徒と、続々と保護者が到着する様を、なんとはなしに眺めていた。

 

 すると、赤いフェラーリが若干速度超過をしつつ駐車場に侵入して、ドリフトを披露しながら停車する。

 

 乱暴な運転……。

 

 心当たる人物は一人しかいない。

 

 余りに目立つ登場に、思わずため息をついた。

 

「おぉー!! いらっしゃったで!!」

 

 横にトウジがつくと、大声でそう喧伝するから、クラス中の男子が窓枠に張り付いた。

 

「ちょっ、ええ……」

 

 横から生えてきたケンスケなんかはカメラを構えているし。

 

「「おぉ〜」」

 

 車からミサトさんが出てくると、至るところから色めき立った声が聞こえる。

 

「あれが碇の保護者!?」

 

「なに、碇ってあんな美人に保護されてんの!?」

 

 そんな声すら聞こえてきて……。

 

「トウジ……ケンスケ……」

 

 まぁ、これだけ入れあげていたら、噂くらいするか……。

 

 ため息が腹からついて出た。

 

「あぁ〜、ミサトさんはやっぱりええなぁ」

 

 恍惚の表情で見守るトウジ。

 

「うん、うん」

 

 頷くケンスケ。器用にも、撮りながらピースをミサトさんに返していた。

 

「あれでNERVの作戦部長やいうのがまた凄い!」

 

「凄いかなぁ」

 

 思い出されるのは、朝夕2回の飲酒。

 

 それで務まる仕事というのが本当に凄いのか、疑問が残る。

 

「……えがったなぁ、ケンスケ。シンジがお子様で……」

 

「ま、敵じゃないのは確かだね」

 

 お子様、かぁ。

 

 一緒に住んでいないからそんな事が言えるんだよ……。

 

「あぁ、あんな人が彼女やったらなぁ」

 

「……学生と付き合うのかな」

 

 思わず呟いた事に、ガクッと肩を落とすトウジ。

 

「言うな、碇……」

 

 ケンスケも、何か悲しそうな目をしていた。

 

「……なんか、ごめん」

 

「そうや、まだ分からんやろ! 諦めたらそこで試合終了やで!」

 

「そうだよ。そういう碇は、暮らしてて何も思わないのか?」

 

「そりゃ、お風呂上がりだらしないのとか、恥ずかしいとは思うけど……」

 

「けど?」

 

「作戦部長でもあるし、普段は……なんだろう……家族にお姉さんが居たらこんな感じかなって、雰囲気だし……」

 

「ますます羨ましいよ……」

 

「そやなぁ……」

 

「えぇ……」

 

 絶対に伝わっていない。いい例えはないかと頭を巡らせて……

 

「そうだ。多分、トウジから見た、洞木さんみたいな感じだよ」

 

「委員長ぉ?」

 

「うん」

 

「どうゆうこっちゃ……そりゃ……」

 

「僕も、そう思ってる」

 

「……なんちゅーか、センセの気持ちも、少しは分かる気がするわ」

 

 神妙な顔で考え込むトウジ。

 

 カメラを下ろすと、ケンスケはため息をついた。

 

「俺に言わせれば、碇にはロマンがないよ」

 

「ロマン……?」

 

「想像するだけ、夢を持つだけならタダだろ〜? 夢がないって言ってんだよー」

 

「うーん……」

 

 確かに、それはそうかもしれない……。

 

 しかし結局、進路相談までにそれは思い付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 第28放置區域(旧東京都心)、上空。

 

 AM11:18

 

 要人2名、葛城ミサト、赤城リツコ輸送中VTOL機(UN-0876-32)

 

 機内。

 

「ここがかつて、大都会と呼ばれていた花の都とはね……」

 

 葛城ミサトが見下ろす地平には、海の一部と化したビル群が続いていた。

 

「着いたわよ」

 

 赤城リツコは、タブレットをチェックしながらそう伝える。

 

「何も、こんな所でやらなくてもいいのに」

 

 そこでは、廃墟の一部を埋め立て、大海の中に白い施設がぽつんと建設されていた。

 

「その計画、戦自は絡んでるの?」

 

「いえ、介入は認められずよ」

 

「どうりで好きにやってる訳ね」

 

 戦略自衛隊は旧兵器で使徒に対抗できない事を根に持ち、超法規的な保護下にあるNERVを毛嫌いしている、保守的、アナログな体質。

 

 このような新兵器の開発が戦自に知れていれば、海のど真ん中に建物を立ててまで、計画が押し進められる事は無かっただろう。

 

 

 

〝祝 JA完成披露記念会〟

 

 PM12:00

 

 誇らしげに壇上へ掲げられた横断幕。

 

 豪華絢爛な、パーティ会場もかくやというラフな形で行われた記念会で、しかしNERVの席に料理は一皿も無かった。

 

 もちろん、給仕が周る事もない。

 

 NERVに投下される巨額の資金を羨む団体は、戦略自衛隊だけではないのだ。

 

「本日はご多忙のところ、我が重化学工業共同体の実演会にお越しいただき、誠に、ありがとうございます」

 

 拍手が鳴り止む。

 

「皆様には後ほど、管制室の方にて、公試運転をご覧頂きますが……ご質問のある方は、この場にてどうぞ」

 

 1人、いい終わるや否や挙手をしている。

 

「はい」

 

「これは、御高名な赤城リツコ博士。お越しいただき光栄の至りです」

 

 司会の張り付いた笑みは白々しい。

 

「質問を、よろしいでしょうか?」

 

「えぇ、遠慮なく、どうぞ」

 

「先程のご説明によりますと、内燃機関を内蔵とありますが」

 

「ええ、本機の大きな特徴です。連続150日間の作戦行動が保証されております」

 

「しかし、格闘戦を前提とした陸戦兵器にリアクターを内蔵する事は安全性の面から見てもリスクが大きすぎると思われますが」

 

「5分も動かない決戦兵器よりは、役に立つと思いますよ」

 

「遠隔操縦では緊急対処に問題を残します」

 

「パイロットに負担をかけ、精神汚染を起こすよりは、より人道的と考えます」

 

「……よしなさいよ、大人気ない」

 

 真っ向から勝負するリツコに、葛城ミサトは諦めを含んだ声をかける。

 

「人的制御の問題もあります!」

 

 しかし、赤城リツコは止まらない。

 

「制御不能に陥り、暴走を許す危険極まりない兵器よりは、安全だと思いますがね……制御できない兵器など、全くのナンセンスです。ヒステリーを起こした女性と同じですよ……手に、負えません」

 

 捲し立てる司会者に、会場には笑いが起こり始めていた。

 

「そのためのパイロットとテクノロジーです」

 

「まさか……科学と人の心があの化け物を抑えるとでも? 本気ですか?」

 

「えぇ、もちろんですわ」

 

「人の心などという、曖昧なものに頼っているからNERVは先のような暴走を許すんですよ。その結果、国連は莫大な追加予算を迫られ某国では2万人を超える餓死者を出そうとしているんです。そのうえあれほど重要な事件にも関わらず、未だにその原因が不明とは……せめて、責任者としての責務は全うして欲しいもんですなぁ、良かったですねぇ〜NERVが超法規的に保護されていて。あなた方は、その責任を取らずにすみますから」

 

 もはや、質疑応答では無かった。NERVの席は初めから、日々の鬱憤をぶつける為に用意されていたのだ。

 

 現にこの会場にいる全ての企業、団体は、第3新東京市への進出に失敗していた。

 

「なんと仰られようと、NERVの主力兵器以外であの敵性体は倒せません!」

 

「ATフィールドですか? それも今では時間の問題に過ぎません。いつまでもNERVの時代ではありませんよ」

 

 会場は、公式な場とは思えないほど私語や笑いが発生していた。

 

 

 JA完成披露記念会館 NERV控え室。

 

 「このッ、このッ、俗物どもがッ! どうせウチの利権にあぶれた連中の、腹いせでしょぉ〜!? はらたつわねぇ〜!! このッ、このッ」

 

 葛城ミサトが蹴りつけるロッカーは歪み、既に原型を留めていない。

 

「よしなさいよ、大人気ない」

 

 赤城リツコはJAに関する冊子を燃やしていた。

 

「自分を自慢し、褒めて貰いたがっている……大した男じゃないわ……」

 

 2人ともフラストレーションは限界だった。

 

「でもなんでアイツらがATフィールドまで知ってんのよ!」

 

「……極秘情報がダダ漏れね」

 

「諜報部は何やってんのかしら」

 

 

 

 

 

 

 JA管制室

 

 PM14:00

 

 室内

 

 

「これより、JAの起動テストを始めます。なんら、危険は伴いません。そちらの窓から安全にご覧下さい」

 

〝起動準備よし〟

 

「テスト開始」

 

〝バルブ、解放!〟

 

〝圧力、正常〟

 

〝冷却機の循環、異常なし〟

 

〝制御棒、全開へ〟

 

〝動力臨界点を突破〟

 

〝出力問題なし〟

 

「歩行開始!」

 

〝歩行、前進微速。右足前へ〟

 

〝了解。歩行前進微速、右足前へ〟

 

 瞬間、動き始める人型陸戦兵器JA(ジェットアーロン)

 

「おぉ〜」

 

 制御室には感嘆の声が広がった。

 

〝バランス正常〟

 

〝動力異常なし〟

 

「了解、引き続き左足前へ、ヨーソロー!」

 

 かなりのスピードで歩行するJA

 

「へぇ〜、ちゃんと歩いてる。自慢するだけの事はあるようね」

 

 葛城ミサトは、もっと稚拙な物を想像していた。右足と左足の指示さえ必要な、作業にすら使えない代物だと思っていたのだ。

 

「変です!」

 

「どうした?」

 

「リアクターの内圧が上昇していきます!」

 

「一時冷却水の温度も上昇中」

 

〝内圧上昇、2.5%、11.8%、16.5%……停止しません〟

 

「バルブ解放、減速剤を注入」

 

「ダメです! ポンプの出力が上がりません!!」

 

「いかん、動力閉鎖。緊急停止」

 

「緊急停止信号、発信を確認」

 

「受信されず!」

 

「無線回路も、不通です!」

 

「制御不能!!」

 

「そんな……バカな……」

 

 尚も前進を続けるJA、その歩みは、管制室へ向かっていた。

 

 パニックを起こし、騒然とする管制室。

 

 そこへ巨大な白い鋼鉄の足が振り下ろされ、天井ごと数人を押し潰した。

 

 そのままJAは横断してゆく……。

 

「作った人に似て、礼儀知らずなロボットねぇ〜」

 

 赤城リツコを抱えて緊急退避し、全身煤まみれになった葛城ミサトは、破壊された天井からJAの後ろ姿を見ていた。

 

「各種値に異常発生!」

 

「制御棒、作動しません!」

 

「このままでは、炉心融解の危険もあります」

 

 先程の司会でもあり、JAの責任者でもある時田シロウは、呆然とその報告を聞いていた。

 

「信じられん……JAには、あらゆるミスを想定し、全てに対処すべくプログラムは組まれているのに……このような事態は、ありえないはずだ……」

 

「だけど今、現に炉心融解の危機が迫っているのよ」

 

 葛城ミサトは、時田シロウを睨みつける。

 

「こうなっては、自然に停止するのを待つしか方法は……」

 

「自動停止の確率は?」

 

「0.00002%、正に奇跡です」

 

「奇跡を待つより捨て身の努力よ!!」

 

 そう言い切る葛城ミサトは、非公式にも数週間前に日本全国の発電所を直結せしめた人物。その言葉には何の陰りも無かった。

 

「停止手段を教えなさい」

 

「方法は全て試した」

 

「いいえ、まだ全てを白紙に戻す最後の手段が残っている筈よ。そのパスコードを教えなさい」

 

「全プログラムのデリートは最高機密、私の管轄外だ。口外の権限はない」

 

「だったら命令を貰いなさい! 今すぐ!!」

 

「私だ、第二東京の万田さんを頼む。そう、内務省長官だ」

 

 そう始まった時田シロウの電話は、終わらなかった。

 

「では、吉澤さんの許可を取れば宜しいんですね? えぇ、えぇ、ウィッツ氏の承諾は得ておりますから。はい! はい、では……」

 

「たらい回しか……」

 

「今から命令書が届く! 対応は正式なものだ」

 

「間に合わないわ! 爆発してからじゃ、何もかも遅いのよ!!」

 

〝JAは厚木方面へ進行中〟

 

 葛城ミサトの言う通り、このまま第3新東京市のある厚木方面へ向かうJAは、今や都市部を狙う核爆弾だった。

 

「時間がないわ。これより先は、私の独断で行動します。悪しからず」

 

 時田シロウには、反対できなかった。

 

 

 

 

 NERV控え室

 

 室内

 

「日向くん? 厚木にナシ、付けといたからシンジ君と初号機をF装備でこっちに寄越して。そ、緊急事態」

 

 葛城ミサトは、防護服を着込みながら、初号器出撃の段取りを進めていた。

 

「無駄よ、お辞めなさい葛城一尉。第一、どうやって止めるつもりなの」

 

「人間の手で、直接」

 

 葛城ミサトは、既に覚悟した瞳だった。

 

 

 

 再び、管制室。

 

「本気ですか?」

 

「ええ」

 

「しかし……内部は既に汚染物質が充満している……危険すぎる」

 

「上手くいけば、みんな助かります」

 

 職員の1人が、コンピュータの一つを破壊した。

 

「ここの指揮信号が途切れると、ハッチは手動で開きますから──」

 

「バックパックから、侵入できます」

 

 時田シロウはそれを見て、背を向けた。

 

「希望……それがプログラム消去の、パスワードだ」

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 数分後

 

 初号器輸送機内

 

「目標はJA、5分以内に炉心融解の危険があります。ですから、目標をこれ以上人口密集地に近づける訳にはいきません」

 

「日向くん?」

 

「はい」

 

「エヴァを切り離した後は速やかに離脱、安全高度まで上昇して」

 

「了解」

 

「シンジ君?」

 

「はい」

 

「目標と並走し、私を背後部に取り付けて。以後は目標を可能な限り堰き止めてね」

 

「……乗るんですか、ミサトさんが」

 

「そうよ」

 

 ミサトさんは本気だ。

 

 炉心融解、生き残るのは無理だろう。

 

「ミサトさん……」

 

 しかも、自分はエヴァに乗っている。核爆発にも耐える各種装甲だと、説明は受けていた。

 

 壁が、ないんだ。

 

 ミサトさんには……。

 

 声を掛けなければと思うのに、何も出てこない……。

 

「そんな顔しないで……やる事、やっておかないと、後味わるいでしょ?」

 

「分かりますよ。でも、帰ってきて下さい」

 

「…………」

 

「必ず帰ってきてよ、ミサトさん」

 

 ミサトさんの手を握る。

 

 それは、少し震えていた。

 

「……敵わないわね」

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「エヴァ投下位置!」

 

「ドッキングアウト!」

 

 その声を聞いて、ロックを解放した。

 

「了解」

 

 体験した事のない、体に受ける加速度と、滑るような地面に冷や汗を流しつつも、なんとか着地を成功させた。

 

 人を手に載せるのも初めてで、右手の感覚に全神経が集中していた。潰してしまわないか、不安だ。

 

 そのまま前方を走るJAに肉薄する。

 

「追いついた……!」

 

「あと4分もないわ、このまま乗りつけて!」

 

 左手でバックパックを掴む。左手で力みながら、右手の力を抜くのは想像より難しかった。

 

「ぐっ……」

 

「構わないわ! やって!」

 

 JAが完全に停止した訳ではないが、ミサトさんをハッチ上へ運ぶ。

 

 が、飛び降りた瞬間、振動で転げ落ちる。

 

「ミサトさん!!」

 

 そこから落ちれば、数十メートル下まで何もない。

 

 防護服など意味がない。

 

 右手に持ち替えて、左手で救助を……!

 

 そう思っていたら、タラップの一つに捕まった。

 

「ふぅ……」

 

 息が漏れる。

 

「気をつけて」

 

 そう言うと、ミサトさんは真面目な顔で頷いた。

 

 そのまま前方へ回り込むと、前進しようとするJAに組み付く。

 

 が、JAのあらゆる穴から冷却剤らしいものが吹き出していた。

 

「急いで……ミサトさん……!」

 

 数秒で、持っている機体からも熱が発せられ始めた。

 

「ミサトさんッ!!」

 

 幻視する爆発。

 

 何も出来ない歯痒さに、血を吐くようだった。

 

 しかし、いきなり掌に感じる圧力が無くなったかと思えば、JAは膝をついた。

 

「ミサトさん……?」

 

 無事、なんだろうか。

 

「大丈夫ですか? ミサトさん?」

 

「えぇ……ま、最低だけどね……」

 

「……良かった……本当に、良かった……」

 

 ミサトさんは、生きていた。

 

『私と同じね』

 

 出撃前の姿に、いつかの言葉が思い出される。あれは、本当にそうだったんだ……。

 

 普段から、もっとミサトさんを知ろうとしていれば、違う方法があったかもしれないのに……。

 

「ミサトさん」

 

「……なに?」

 

「帰ったら、色々、聞かせて下さい」

 

「今回のこと?」

 

「他のことも」

 

「悪いけど、昔の事は……話さないわよ」

 

「…………」

 

 僕には、方法が、無かった。

 

 それはきっと、とても辛いことだから……。

 

「僕は……皆んなが生きていれば、いいんです。それが、僕の願う明日……だから……」

 

「…………」

 

「ミサトさんには……生きていて欲しい」

 

「分かってるわよ」

 

 それは、芯の通った声で。

 

「分かってるわ」

 

 自分に、言い聞かせるようだった。

 

 それは、僕の願いは拒絶するようで……。

 

 やはり聞けない何かが……ある。

 

 クレバスのような冷たいそれに、触る勇気がない自分に、タールのような黒い感情が心の底に蔓延る。

 

 だが、もうそれは底なしの沼ではない。

 

 ただ溜まる、嫌な感情だった。

 

 いつか綾波やミサトさんと、心から分り合いたい。

 

 その為に、これを、超える。

 

 今日じゃなくても、いつか。

 

 必ず。








次回「アスカ、来日。」




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第捌話 アスカ、来日。

今回は1万2千くらいです。


 NERV本部 総司令官執務室

 

 室内

 

「綾波レイの行動は、本来のダミープラグの想定から外れつつあります」

 

 手渡した資料を前に、そう宣言する赤城リツコ。

 

「一度、リセットした方が良いかと」

 

 対して、碇ゲンドウは手を組んだまま、無言を貫いていた。

 

 数十秒の余白を置いて、語り出す。

 

「……現在の目的は、使徒殲滅にある。問題はない」

 

「それでは、逃亡の恐れがありますが」

 

「……問題ない。彼らは逃れられんよ」

 

「なぜ……」

 

「原因究明を急げ」

 

 赤城リツコは碇ゲンドウがこれ以上語らないと悟り、閉口した。

 

「はい。失礼します」

 

 なぜ、2人目に執着するのか。嫉妬の炎が燻りつつあるのを、自覚しないままに……。

 

 同時に決意していた。原因究明、それは、碇シンジの過去を調べるしかないからだ。諜報部には、MAGIのパーソナルデータ解析に必要な程度の調査しか依頼していなかった。

 

 そのパーソナルデータからの行動予測すら外れている碇シンジという少年は、NERVの管理下に入ってから外部との接触をしていない。

 

 であれば、過去に接触があったとしか見方が無いのだ。

 

 MAGIの予想をこうも外されるなんて……男の考える事は、苦手なのかしら……母さん。

 

 ……親子ね、私たち。

 

 沈黙を守る碇ゲンドウの姿を脳裏に浮かべて、赤城リツコは拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「あ、そうだ。次の日曜日、空けといてね〜」

 

 何か嬉しそうなミサトさん。

 

「日曜日……? どうして?」

 

 その日は、訓練も実験もない筈だし……。

 

「その時のお、た、の、し、み」

 

 にへへ〜、と笑うミサトさんに、首をかしげるばかりだったが……。

 

「こういう、ことか……」

 

 爆音で回転する上部のローター。

 

 それに揺られてはや数十分。

 

 既に気持ちはお通夜だった。乗り物が好きなケンスケやミサトさんはいいかもしれないけど……

 

「ミル55D輸送ヘリ!! こんな事でもなけりゃ、一生乗る機会ないよ。全く、持つべきものは友達ってカンジ。な、シンジ」

 

「え!?」

 

 隣に座るケンスケの話すら、メインローターブレードが空を切る音でぶつ切りだった。

 

「毎日、おんなじ山の中じゃ息苦しいと思ってね〜、たまの日曜だから、デートに誘ったんじゃないのよ」

 

「えぇ!? それじゃあ今日はホンマにミサトさんとデートっすかぁ!? この帽子、今日この日のために買おうたんです……ミサトさぁん……」

 

 デートと言われ、息を吹き返したトウジが前のめりになっている。

 

 分かりやすいなぁ……。

 

「で、どこに行くの?」

 

 自分はもう、早く降りたかった。このまま遊覧飛行でもされたら、降りる頃には萎びた野菜みたいになってしまう。

 

「豪華なお船で、太平洋をクルージングよ?」

 

 ウインクするミサトさん。

 

 ケンスケは目を輝かせていたけど……。

 

「ふ……船……」

 

 腹の底から魂が抜けていった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「おぉ〜、空母が5、戦艦4、大艦隊だぁ! ホント、持つべきものは友達だよなぁ〜」

 

「これが豪華なお船……?」

 

 眼下に見える、鉄塊のような幅広の船は、互いに一定間隔を空けて同じ方向へ進んでゆく。

 

 トウジの言う通り、とても豪華客船には見えない。

 

「ゴージャス! 流石国連軍が誇る正規空母! オーバーザレインボゥ!!」

 

「でっかいなぁ……」

 

 それが近づいて来ると、スケール感覚の違いに思わずそう呟いた。

 

 遠くで見ていると、数十メートルの横幅と数百メートルの縦幅があるようには見えなかった。

 

 まるで陸みたいだ。

 

「よくこんな老朽艦が浮いていられるものねぇ……」

 

「いやいや、セカンドインパクト前の、ビンテージものじゃあないっすか〜」

 

 ケンスケとミサトさんが話しながら、ミル55は着艦した。

 

 減速するローターが最も煩いのは、まるで追い討ちをかけるみたいだ。

 

 

 

 

 オーバーザレインボウ、管制室。

 

「はっ、いい気なもんだ。オモチャのソケットを運んできよったぞ。ガキの使いが……」

 

 国連軍の艦隊司令長官は、悪態をつく。

 

 セカンドインパクト後の地獄を戦い抜いた歴戦の猛者からすると、エヴァの輸送任務は艦隊を出撃させるには及ばない出来事なのだ。彼は、任務開始から不機嫌だった。

 

 使徒がNERVにしか倒せないというのも、第3新東京市では隠しようもないが、遠い異国の地では、噂程度でしかない。

 

「おぉ〜!! すごい! すごい!! すごい!!!! 凄すぎる〜!!」

 

 降りてからも、元気そうにカメラを回すケンスケ。

 

「男だったら涙を流すべき状況だね〜、これはぁ〜!!」

 

 周囲の海には、戦艦や空母だけでなく、補給艦、フリゲート級の船多数や駆逐艦が浮いていて、確かにすごい光景だ。

 

 大艦隊。そんな感じがする。

 

 ただ、そこまで興奮する理由は分からないけど……。

 

「すごい!! すごい!!──」

 

 歩き回るケンスケを追うように、甲板で作業中の外国籍軍人の間を歩いていると、トウジの帽子が風ですっ飛んでいった。

 

「あぁ! 待て!! 待たんかい!!」

 

 いつ帰れるんだろう……。

 

「くぁ……」

 

 追いかけるトウジを見ながら、あくびついでに伸びをする。目を開くと、作業員らしからぬ少女が、トウジの帽子を踏みつけている所だった。

 

 艶やかな明るい茶髪。ブロンドとブラウンの中間色のような、映える色だ。

 

 それを赤い髪留めでツインテールにしている。

 

 青い瞳。

 

「ヘロゥ、ミサト。元気してた?」

 

 日本語は完璧だった。

 

 銀のチョーカーに小麦色のワンピース、赤いヒールという姿は日本では中々見ない。

 

 帰国子女……?

 

「まあねー、あなたも背、伸びたんじゃない?」

 

「そ、他のところもちゃんと女らしくなってるわよ」

 

 ミサトさんと知り合いらしい……なんて、ぼうっと聞いていたが……。

 

「紹介するわ、弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン。惣流・アスカ・ラングレーよ」

 

 目を、見開いた。

 

 そうだ。綾波はファーストと言っていた。

 

 呼び名なんか気にしていなかったが、僕がサードなら、セカンドがいるわけだ……。

 

 開いていた視界に、そのセカンドの白い下着があって──

 

 自信ありげなその表情が、羞恥に歪むのを見た。

 

 瞬間、流れるようにトウジ、ケンスケ、僕の頬をしばいて周る。

 

「何すんのや!!」

 

 その声を意にも介さず、一度離れてからゆっくり向き直ると

 

「見物料よ、安いもんでしょ」

 

 不機嫌さを隠しもせずにそう言った。

 

 強い……。

 

 張られた掌もさることながら、なんというか、瞬間に殴るという結論を弾き出す精神も強いと思う。

 

「なんやてぇ!? そんなモン、こっちも見せたるわ!!」

 

 おもむろに脱ぎ始めたトウジは、下着までずり下ろしていて……。

 

 思わず、片手で頭を抱えた。

 

「ナニすんのよッ!!」

 

 両頬を更にしばかれたトウジを一通り睨み付けると、ミサトさんの前に進む。

 

「で、噂のサードチルドレンはどれ? まさか今の……」

 

 目で後ろを指すが、その顔は怒りに染まっていた。

 

 あの顔はされたくないな……。

 

 殴られるだろうし。

 

「違うわ。この子よ」

 

「ふーん」

 

 彼女は目の前まで来ると、暫く目を合わせて、

 

「冴えないわね」

 

 そう言った。

 

 思わず眉根が寄ってしまう。

 

 苦手な人間(ヒト)だ。

 

 冴えてる自覚があって、加害に抵抗がない……。

 

 黒いタールが、熱を持つようだった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 オーバーザレインボウ、管制室。

 

 先程合流したアスカも加えて、この太平洋艦隊の艦長であるという人に召喚されていた。

 

「おやおや、ボーイスカウト引率のお姉さんかと思っていたが、こちらの勘違いだったようだな」

 

「ご理解頂けて幸いですわ。艦長」

 

「いやいや、私たちも久しぶりに子供達の子守りが出来てシアワセだよ」

 

 いきなり険悪な雰囲気。

 

「この度は、エヴァ弍号機の輸送援助、ありがとうございます。こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」

 

 しかしミサトさんは、気にしていない風だった。皮肉っぽい声音とかでもない。

 

「ハッ、だいたいこの海の上で、あの人形を動かす要請など聞いちゃおらん!!」

 

「万一の事態に対する備え……と理解して頂けますか」

 

「その万一に備えて、我々太平洋艦隊が護衛しておる。何時から国連軍は宅配屋に転職したのかな?」

 

 副艦長が反応した。

 

「某組織が結成された後だと記憶しておりますが」

 

人形(オモチャ)一つ運ぶのに大層な護衛だよ。太平洋艦隊勢揃いだからな」

 

「エヴァの重要度を考えると足りないくらいですが……では、この書類にサインを」

 

「まだだ! エヴァ弍号機及び同操縦者はドイツの第三支部より本艦が預かっている。君らの勝手は許さん!!」

 

「では、いつ引き渡しを?」

 

 またもや副艦長が口を挟んだ。

 

「新横須賀に陸揚げしてからになります」

 

 きっと激昂した艦長のフォローだろう。

 

「海の上は我々の管轄だ。黙って従ってもらおう」

 

「分かりました。ただし、有事の際は我々NERVの指揮が最優先である事を、お忘れなく」

 

 そう締めくくったミサトさんは冷静で、作戦部長の時よりも、声に感情がない。

 

「リツコさんみたい……」

 

「カッコえぇなぁ〜」

 

「相変わらず凛々しいなぁ!」

 

 思考は、腑抜けたトウジの声と、茶化すような男の声で遮られる。

 

「加持せんぱぁ〜い!!」

 

 嬉しそうな惣流さんに加持と呼ばれた男は、入り口で身を壁に預けていた。

 

 よれた首元のシャツ、雑なネクタイ。整った背格好。そして自信ありげなニヤケ顔。

 

 惣流さんに好かれる訳だ。

 

 遊び人って感じだし。

 

「うぇ〜?」

 

 ミサトさんが驚愕していた。

 

「加持君! 君をブリッヂに招待した覚えはないぞ!」

 

「それは失礼」

 

 そう言って消えていく。

 

 ミサトさんが再起動して退出するまで、数秒かかった。

 

「では、これにて失礼します。新横須賀までの輸送は、よろしくお願いします」

 

 そう挨拶しているミサトさんを、一足先に出た階段から見ている。

 

「これがデートかいな」

 

 トウジの呟き。

 

「まぁ……忙しいからね」

 

 前に一緒に外出したのも、第4使徒の視察の時だったし。

 

「そないなもんか……」

 

 トウジは残念そうだが、ひとまず納得したらしかった。

 

 

 

 

 再び管制室 

 

「シット! 子供が世界を救うと言うのか」

 

「時代が変わったのでしょう。議会もあのロボットに期待していると聞いています」

 

「あんなオモチャにか!? バカ共め! そんな金があるんなら、こっちに回せばいいんだ!!」

 

 怒る艦長のフラストレーションは、溜まるばかりだった……。

 

 

 

 

 

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 空母のエレベーターは、狭い。

 

 お茶でもしようという事で、エレベーターで階層を移動するという話になったが、詰めれば入るからと一度に乗り込んだのだ。

 

 6人も。

 

「なんであんたがここにいんのよ!」

 

 そう言うミサトさんの胸が頬に当たっており、嫌でも熱くなってくる。

 

 ミサトさんは相変わらず、恥ずかしいとかそんな感性には無頓着だ。

 

「彼女の同伴でね、ドイツから出張さ」

 

 彼女、きっと惣流さんの事だろう。

 

 ドイツから来たらしい。

 

 寒い風土の人々は勇敢だと言うし、皆んな遊び人なのかもしれない……。

 

「うかつだったわ……充分考えられる事だったのに……」

 

 数秒の沈黙。

 

「「ちょっと!! 触らないでよ!!」」

 

「「し、仕方ないだろ〜!!」」

 

 ミサトさんと惣流さんが叫んで、加持さんとトウジが情けない声を出した。

 

 狭いのに……!

 

 しかし、押しつけられたそれで、声を出すことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

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「今、付き合ってるやつ……いるの?」

 

 頬杖をついて、優しい声音で語りかける加持さん。

 

「それが……あなたに関係あるわけ?」

 

 ミサトさんは、勤めて無視したい風だった。

 

 どんな仲なんだろう?

 

 二人の様子からは、察する事ができない。

 

「あれぇ、つれないなぁ」

 

 特に意に介してないようで、コーヒーを一口飲むとこちらに顔を向けた。

 

「君は葛城と同居してるんだって?」

 

「え、はい」

 

 加持さんはテーブルの上で両手を組んで真剣そうな目をし、ニヤリと口元を歪めて口を開いた。

 

「彼女の寝相の悪さ、治ってる?」

 

 なるほど。

 

 付き合うのが100%幸せじゃないと知らしめた人だから、やりにくそうなのか。

 

「な……なに言ってるのよぉッ!!」

 

 答えるまでもなく、ミサトさんが真っ赤になって食いつく。

 

 加持さんの意地悪そうなしたり顔。顔がいいから、それすらもカッコいい。

 

「相変わらずか、碇シンジ君」

 

 名前を呼ばれた事に少し驚く。

 

「まぁ、はい。それより、どうして僕の名前を?」

 

 自己紹介をする時間も無かったし、特に話したりもしなかったのに。

 

「そりゃ知ってるさ。この世界じゃ、君は有名だからね。何の訓練も無しに、エヴァを実戦で動かしたサードチルドレン」

 

 有名と言われて、思わず苦笑い。

 

「そんな、偶然です……」

 

 あれは、動かしたとは言い難いのに。

 

「偶然も運命の一部さ。才能なんだよ、君の」

 

 才能と言われてチクリと痛む胸。

 

 必死になって転げ回った過去は、そんな名誉な事じゃない。

 

「じゃ、また後で」

 

「あ、はい」

 

 どうにか笑顔で答えた。

 

 加持さんの含みのある笑いは、僕の何かを透かして見ているようだ。

 

「冗談じゃない……悪夢よ……」

 

 葛城ミサトの呟きを聞き届ける者は、いなかった……。

 

 

 

 

 

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 食堂付近 艦橋デッキ。

 

「どうだ、碇シンジ君は」

 

 鉄柵に体重をあずけ、鉄棒の要領で体を揺らすアスカ。

 

 隣の鉄柵へ寄りかかる加持は、そう問うた。

 

「つまんない子。あんなのが選ばれたサードチルドレンだなんて、幻滅」

 

「しかし、いきなりの実戦で彼のシンクロ率は40を軽く超えてるぞ」

 

「うそ……!?」

 

 アスカは驚愕した。

 

 数年かけて起動させたエヴァが、大幅に起動基準を超える数値でシンクロするなんて。

 

 ありえない。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 階層移動中、エスカレーター上。

 

 

「しっかし、いけすかん艦長やったなぁ」

 

「プライドの高い人なのよ、皮肉の一つも言いたくなるんでしょ」

 

 思い出してイラついていくトウジを諌めるミサトさん。

 

 そんな姿を見ていたら、加持さんの事を聞きたくなった。昔の事は話したくないと言っていたけど……加持さんの事は、前に少し話してくれたし……。

 

「加持さんって、賑やかな人ですね」

 

「昔からなのよ! あのヴァーカ」

 

「あ……はは……」

 

 予想よりも険悪そうな物言いに乾いた笑いが出てしまう。

 

「サードチルドレン!!」

 

 これから何が聞けるのかと期待していたら、上りエスカレーターの終わりに、惣流さんが立っていた。

 

「ちょっと付き合って」

 

 その青い瞳で睨まれると、少し憂鬱な気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 

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 殴られるのは嫌なので、黙って付いてきたが、まさかフリゲート級の連絡船に飛び乗ってしまうとは思わなかった。

 

 連れて来られたのは、弐号機が保管されているプールのある空母の甲板だった。

 

 テントになっている天井のシートを剥がした惣流さん。

 

 その隙間から、機体が見えている。

 

「……赤いんだ。弐号機って」

 

「違うのはカラーリングだけじゃないわ!」

 

 そう言うと、さっさと内部に入っていってしまう。

 

 追いついた時には、弐号機の上に登って仁王立ちしていた。

 

「所詮、零号機と初号機は開発過程のプロトタイプとテストタイプ。訓練なしのあなたなんかにいきなりシンクロするのが、そのいい証拠よ」

 

「…………」

 

 でも、動かなかったら使徒はどうなっていたんだろう。セカンドインパクトと同じ事が起こって、半球は壊滅。人類は滅亡。

 

「けどこの弐号機は違うわ! これこそ実戦用に造られた、世界初の実戦用のエヴァンゲリオンなのよ!」

 

 とはいえ、人造人間。実戦用とテストタイプとプロトタイプは何が違うんだろう……気にしたこと無かったな……。

 

「正式タイプのね!」

 

 熱弁をふるう惣流さんをぼうっと見ながら考えを巡らせていると、いきなり揺れが襲った。

 

「うわっ……」

 

 プール上に浮かぶ連絡路でバランスを取るのに必死になっていると

 

「水中衝撃波! 爆発が近いわ……」

 

 そう言って滑り降り、走り出す惣流さんの後に続いた。

 

 甲板に出ると、いきなり目の前で爆散する、ひしゃげた一隻の船。

 

「あれは」

 

 水中で、何かが暴れ回っている。大きな水柱が何本も立っていた。

 

「まさか、使徒……!」

 

「あれが? 本物の!?」

 

「第一種戦闘配置……」

 

 パイロットは、出撃準備を完了した状態で待機していなければならない。

 

 でも、ここに初号機はない……。

 

 この場合、どうするんだろう。

 

「チャーンス……」

 

 何かを呟いていたが、意味は分からなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 オーバーザレインボウ、管制室。

 

「各艦、艦隊距離に注意の上回避運動」

 

「状況報告はどうした!」

 

「シンベリン沈黙! 被害多数! 目標確認できません!!」

 

「くそ……何が起こっているんだ」

 

 慌ただしく行われる報告。

 

 完全に意識外からの攻撃であり、巨大生物との戦闘など行った事が無いのだから、当然であった。

 

 艦長は、完全に手をこまねいている。

 

「ちわー、NERVですが見えない敵の情報と、的確な対処はいかがすかー?」

 

 管制室に、葛城ミサトが顔を出す。

 

「戦闘中だ。見学者の立ち入りは許可できない」

 

「これは私見ですが、どう見ても使徒の攻撃ですねぇ」

 

 未だに、使徒と判明していないから、という理由で駄々をこねる艦長にミサトは辟易していた。

 

「全艦任意に迎撃!!」

 

「了解!」

 

 指示を飛ばす艦長。

 

「無駄なことを……」

 

 仕方なく、葛城ミサトは室内で待つ事にした。

 

「この程度じゃATフィールドは破れない……か」

 

 艦橋のデッキから状況を見守っていた加持リョウジは、そう呟いて行動を開始する。

 

 彼の行先は、自室のトランクケースだ。

 

 そこには、胎児にまで還元され硬化ベークライトで固められた第一使徒、アダムの体がある。

 

 その輸送任務中だったからだ。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「ねえっ、どこいくんだよ!?」

 

 惣流は、来なさいよ! と腕を掴んで移動し始めて、プール周辺のロッカーから赤いバッグを回収すると、階段まで戻ってきていた。

 

 ここに弐号機があるんだから、すぐにでもプラグスーツを着て待機すべきなのに……。

 

 その疑問に耐えきれず、そう聞いたが、不機嫌そうに

 

「ちょっと待ってなさいよ!」

 

 と言われ、階段の前で放置された。

 

 どういうことなんだ……?

 

 疑問に思いながらも、待ってろと言われたんだから仕方ない。

 

 流石に、第一種戦闘配置のことくらいは知っている筈だ。

 

 しかも訓練を受けた正式なパイロットだと言う。僕の知らない別の手順が、あるのかもしれない……。

 

 いや、でも、この感じだと、自由きままに行動してるかも知れないよな……。

 

 だんだんと説明もなく連れ回されている事にイライラしてくる。使徒が来ているのに。惣流には、何の危機感もなさそうなんだ。

 

 そう思っていると、ほぼ赤のプラグスーツを着た惣流が現れて、何かを投げつけけてくる。

 

「これは……」

 

「さ、行くわよ!」

 

「乗るの? 僕も?」

 

「あったりまえでしょ!」

 

 そう言ってプールへ向けてスタスタと行ってしまう惣流。

 

 確かに、考えてみればここに居ても死ぬかもしれない……。一番安全なのは、プラグの中だろう。

 

 意外と考えてくれてるんだ……。

 

 と、思っていたが。

 

「ふふん、私の見事な操縦、目の前で見せてあげるわ! ただし……邪魔はしないでね?」

 

 展開したエントリープラグの前で、得意そうに笑った後、睨んだ顔は、本当にそれ以外考えていなさそうだった。

 

「分かったよ……」

 

 不安だ……。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「こんなところで使徒襲来とは、ちょっと話が違いませんか?」

 

 加持リョウジは用意された自室で、何かを探すように暴れ回る使徒を観察しながら、碇ゲンドウへ通話を繋いでいた。

 

『そのための弐号機だ。予備のパイロットも追加してある。最悪の場合、君だけでも脱出したまえ』

 

「……分かってます」

 

 恐らく、使徒はアダムを探している。どちらにせよ自分が離れた方が安全なのだ。加持リョウジは、そのつもりだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 邪魔しないように。

 

 もはや、なにも考えないようにするつもりだった。

 

「LCL Fullung. Anfang der Bewegung.

Anfang des Nerven anschlusees.

Ausloses von links-Kleidung. Synchro-start」

 

 いきなり英語ともつかない言語を喋り始めたシート内の惣流。

 

 起動準備かな……?

 

 そう思い、シートの一部にしがみついていた。

 

 が、シンクロは中断されると、バグ発生の警告文がプラグ中に表示される。

 

「バグ? どういうこと?」

 

 説明は受けた事があっても、見たのは初めてだ。

 

「思考ノイズ! 邪魔しないでって言ったでしょ!?」

 

「えー、そう言われても……」

 

「……あんた、日本語で考えてるでしょ! ちゃんとドイツ語で考えてよ!」

 

「ドイツ語……ば、ばーむくーへん?」

 

「バカ! いいわよもう!! 思考言語切り替え、日本語をベーシックに」

 

 シンクロできるのかなぁ。

 

 惣流の乗るエヴァもこんな感じだったら、ついていけないな……。

 

 そう思いながら、シンクロはスタートした。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「オセローより入電! 弐号機、起動中!」

 

「なんだと!?」

 

「ナイスアスカ!!」

 

 艦長は焦ったように声を発する。

 

「いかん、起動中止だ!! 元に戻せ!!」

 

 そのマイクを、葛城ミサトは横から奪い取った。

 

「構わないわアスカ!! 発進して!」

 

「なんだと!? エヴァ及びパイロットは我々の管轄下だ!! 勝手は許さん!!」

 

「何言ってんのよこんな時に!! 段取りなんて関係ないでしょ!?」

 

 マイクを取り合い始める葛城ミサトと艦長。

 

「しかし本気ですか、弐号機はB装備のままです!」

 

「えぇ?」

 

 副艦長の報告に葛城ミサトは狼狽した。

 

『海に落ちたら、やばいんじゃない?』

 

『落ちなきゃいいのよ』

 

 管制室に響く、エヴァからの通信。

 

「シンジ君も乗ってるのね!」

 

『はい』

 

「こ、子供がふたり……」

 

「試せる……か」

 

 葛城ミサトは、B装備での水中戦闘の危険より、ダブルエントリーの実戦データを優先させた。

 

 指揮官として、今後の選択肢の重要性を取ったのだ。

 

「いいわよ! アスカ、出して!!」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 弐号機とのシンクロは、初号機とあまり変わらなかった。

 

 ただ、いつもより感覚が遠い。

 

 操縦する訳じゃないから、むしろありがたいけど……。

 

 振動が強くなり、使徒が向かって来ているのが分かる。

 

「来たッ」

 

「行きます!!」

 

 弐号機は高く跳躍すると、近くのフリゲート級に脅威的なバランス力で着地する。

 

 操縦に集中している惣流に変わって、周囲を見ていた。

 

「どこ!?」

 

「左、あそこ!」

 

「あと58秒しかない……」

 

「分かってる、ミサト! 非常用の外部電源を甲板に用意しといて!」

 

『分かったわ!』

 

「さぁ、飛ぶわよ」

 

 その瞳は、近くの駆逐艦を見ていて……。

 

 来るべき衝撃に備えて、シートに捕まった。

 

 何度か跳躍し、オーバーザレインボウに接近する弐号機。

 

「エヴァー弐号機、着艦しまーす!!」

 

 最後の一声で若干無理しつつ着地すると、大きく傾く空母。

 

 それを、エヴァの重心移動だけで元に戻してしまった。

 

 訓練された動きは違う……!

 

『目標、本艦に急速接近中!!』

 

「来るよ! 左舷9時方向」

 

「外部電源に切り替え……切り替え、終了!」

 

 なんとか間に合った。

 

 しかし……

 

「武装がないよ」

 

「プログレッシブナイフで充分よ」

 

 今までの使徒で、ナイフで倒せたのはウナギみたいなヤツだけだ……。

 

 邪魔しないために、何も言わなかったが、思わず息をのんだ。

 

「けっこう……デカい」

 

「思った通りよ」

 

 水面から顔を出す、まるで魚のような白い巨体にはコアが見当たらない。

 

 飛び出して、艦橋一直線だった使徒をなんとか受け止めると、組みつく。

 

 だが、止めているだけで、何の解決にもなっていない。

 

「「うわぁ!?」」

 

 状況に歯噛みしていると、左足を戦闘機の格納に使用する昇降機で滑らせ、海へ転落した。

 

『アスカ! B型装備じゃ水中戦闘は無理よ!』

 

 水中で響くミサトさんの声。

 

「そんなの、やってみなくちゃ分かんないでしょ?」

 

 そう言うが、弐号機は相変わらずしがみついているのがやっとだ。

 

「なんとかしなくちゃ……」

 

 操縦技術は凄いが、恐らく惣流にはなんの作戦もない。

 

『ケーブルが無くなるわ! 衝撃に備えて!!』

 

 瞬間、背部からの衝撃で使徒から引き剥がされる。

 

「しまった……!」

 

『エヴァ、目標を喪失!』

 

 水中に漂う弐号機。

 

 考えろ、考えろ、考えろ……

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 オーバーザレインボウ、甲板。

 

「おーい、葛城ー」

 

 そこには、加持リョウジとトランクを乗せた戦闘機が昇降機によって上げられていた。

 

「届け物があるんで、俺、先行くわ〜。じゃ、宜しく〜。葛城一尉〜」

 

 外部スピーカーでそう残し、飛び去る戦闘機。

 

「な……ぁ……」

 

「に……逃げよった……」

 

 葛城ミサトと、トウジ一行はその様子を見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

『目標、再びエヴァに接近中!!』

 

「また来たッ」

 

 相変わらず、コアが分からない。

 

「今度こそ仕留めてやるわ」

 

 惣流は意気込んで両手の操縦桿を引くが、エヴァの反応は無かった。

 

「ぁ、何よ!? 動かないじゃない!!」

 

「B型装備だからね……」

 

「どうすんのよ!?」

 

「気合いでコアを見つけて、壊す。しか……」

 

「なぁ〜!? アテになんないわねぇ! サードチルドレンのクセに!!」

 

「来るよ!」

 

 接近してくる使徒は、大きく上下に展開する。その中には牙や、舌のようなものが見てとれた。

 

「クチぃ!?」

 

「あった、コア!!」

 

 その奥、赤い球体が中に浮かんでいる。

 

 が、身動きが取れない弐号機は、そのまま使徒に食われてしまった。

 

 来るべき脇腹の痛みを覚悟したが、シートに座っていないからか、異物感があるだけだ。

 

 ……暫く食われたままなのに、状況が動かない。

 

 とにかく、

 

「なんとかコアを壊さないと……」

 

「うっさいわねぇ! 出来たらしてるわよ!!」

 

『アスカ! 聞こえる!? 絶対に離さないでね!!』

 

「「え?」」

 

 離さないでね……? このまま?

 

『沈降可能な巡洋戦艦2隻による直接攻撃を口内に行います! ケーブルリバースの後、使徒を保持しながら可能な限り口を開けて!』

 

「開けるって……どうすんのよ……」

 

「どうするって、やるんだよ」

 

「また気合いぃ〜!?」

 

「しょうがないだろ!」

 

『2人とも作戦内容、いいわね!?』

 

「はい!」

 

『ケーブル、リバース!』

 

 瞬間、引き剥がされた時よりも強い衝撃で、2人の悲鳴が漏れた。

 

『エヴァ浮上開始! 接触まであと70!』

 

「くっ……動きなさいよ、このっ」

 

『接触まであと60!』

 

「惣流、時間が……!」

 

『接触まであと50!』

 

「あんたもなんか考えなさいよ!!」

 

 そんなこと言ったって、やるしか、無いんだよ!!

 

「きゃっ、なにすんのよ!?」

 

 その声を無視して、横から惣流の手ごと操縦桿を握ると、2人で触れるように引き出し、展開した。

 

「やるしかないだろ!!」

 

『間に合わないわ! 早く!!』

 

「……変なこと、考えないでよ」

 

「分かってるッ!」

 

 力を込めると、エヴァと惣流、自分の感覚が一体になったような感覚に襲われる。

 

 いつもより難しく、だが力強いシンクロだった。

 

 右手で使徒の上顎を掴み、左腕で下顎を押しのける。

 

 口を、開くこと。

 

 その一点で意思が統一された瞬間、惣流と、エヴァと、感覚がフラットになる。口は軽々と開いた。

 

「「やった!!」」

 

 そして、爆発に巻き込まれたエヴァは、空を舞っていた。

 

「「うぁぁぁああ!?」」

 

 電源が切れるまでに、何かに着地したらしい事は、分かった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 二人で乗ることが、こんなに恥ずかしい事だとは思わなかった……。

 

 浮いているためにスースーする胸元を押さえながら、一言も語らない惣流の後に続いていた。

 

 早く着替えたかったが、ミサトさんによると、どうやら漁港まではこのままらしい。車で迎えに来るそうなので、行くしかない。

 

 仕方なく下船ため設置されたエスカレーターを下っていると、トウジとケンスケが待ち構えていた。

 

 惣流と僕の間で視線を行き来させると──

 

「ぺ、ペアルック……」

 

「いや〜んなかんじ」

 

「とっ、撮るなよ!!」

 

 その後、誤解を解くために数十分尽力することになり、惣流の事は頭の片隅に押しやられるのだった……。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 湾岸用作業車。

 

 漁港へ移動中。

 

「また派手にやったわねぇ」

 

 赤城リツコは、傷だらけの空母を見やりながら嘆息した。

 

「水中戦闘を考慮すべきだったわ……」

 

 落ち込んだ様子の葛城ミサト。

 

「あら、珍しい。反省?」

 

「いいじゃない。貴重なデータも取れたんだし」

 

「そうね」

 

 そう言い、捲るページはダブルエントリーのモニター数値に到達する。

 

「ん? ミサト、これは本当に貴重だわ」

 

「シンクロ値の記録更新じゃない」

 

 新しいデータに、顔を綻ばせる赤城リツコ。

 

「たった7秒間じゃ、火事場の馬鹿力でしょ」

 

 葛城ミサトは疲れ切っていた。

 

「ね、加持さんは!?」

 

 そこへ、横からアスカが期待した声を発して乱入する。

 

「もう本部に着いてるわよ!! あのヴァーカ!!」

 

 葛城ミサトはアスカに、そう吠えた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 NERV本部 総司令執務室。

 

「やはり、これのせいですか?」

 

 加持リョウジは、碇ゲンドウに対してトランクの中身を開けてみせる。

 

「既にここまで復元されています。硬化ベークライトで固めてありますが……生きています。間違いなく」

 

「…………」

 

「人類補完計画の、要ですね」

 

「そうだ。最初の人間、アダムだよ」

 

 じっと、その目玉に肉片が付いたような不気味な〝アダムの肉体〟を見る。

 

「全ては……ここからだ」

 

 碇ゲンドウは、眼鏡のつるを直した。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 数日後。

 

 いつも通りの朝。

 

 いつも通りの学校には……

 

「惣流、アスカ、ラングレーです!」

 

 制服を着込んで……

 

「よろしくっ」

 

 笑顔を振りまく、惣流が居た。

 

 雰囲気が……違いすぎる……。






次回 「瞬間、心重ねて」

 


 また、クオリティ維持のため隔日投稿とさせて下さい。毎日と宣言した手前、申し訳ありません。


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第玖話 瞬間、心、重ねて。(前半)

 今回は4000くらいです。
 特に後半が難航しており、前後編で分けさせて頂きました。


 第3新東京市立第一中学校 校庭。

 

 昼食後。休憩時間中。

 

「あ〜あ……猫も杓子も、アスカ、アスカ……か……」

 

 ケンスケは、釣り銭を確認しながら、そう呟いた。

 

 当日に思い立ち、翌日から売り上げを出しているアスカのプロマイドは、今日も好調だ。

 

「まいどあり〜」

 

「みんな、平和なもんや」

 

 トウジは客を見送ると、現像されたネガを、日に透かして覗く。

 

「写真にあの性格は……あらへんからなぁ〜……」

 

 そこには容姿端麗なハーフで中学生の女の子という、輝かしさしか映っていなかった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 やっぱり、というか、惣流は1日で人気者に上りつめていた。顔がいいし、愛想も良くて、明るい性格。

 

 そこにあの暴力的で、気ままに行動していそうな惣流は陰りも存在しない。

 

 想像を絶する変わり身だった。

 

 転校から二日で男子人気投票の一位になったとか、トウジとケンスケは言っていたし……。

 

 あれからマトモに話した事はないが、意に介さなくても当然かという気もする。

 

 もうNERVでしか関わる事はないだろうな。

 

 なんて思っていたのに……。

 

「ヘロゥ、シンジ。guten Morgen!」

 

「ぐ、ぐーてんもるげん……」

 

 学校に入る歩道橋で、まるで友達のように話しかけてくる惣流に、困惑しながら挨拶を返した。

 

 その周りには常に人がいるから、苦手なんだよな……。

 

「ま〜た朝から辛気臭い顔して。この私が声かけてんのよ?」

 

 満足げな表情で肩をはたかれる。

 

 それに向き直ると、

 

「ちったぁ嬉しそうな顔、しなさいよ」

 

 悪戯っぽく、額にデコピンをされた。

 

 苦笑いしか浮かばない。

 

「で、ここに居るんでしょ? もう一人」

 

「……誰が?」

 

「あんたバカァ? ファーストチルドレンに決まってるじゃない!」

 

 不機嫌そうな顔。

 

 察しが悪かったから? でも学校では、こんな事で怒る惣流は見たことがない。

 

 何かしたっけ……?

 

 しかし怒らせて徳はないから、綾波は恐らくまだ来ていない事を伝えようと……

 

「綾波なら……ぁ」

 

 続けようとしたところで、人垣の中に赤い瞳と、青い短髪を見出した。

 

「あぁ、」

 

 惣流はその視線を目敏く追って、綾波の前に対峙する。

 

「ヘロゥ、あなたが綾波レイね。プロトタイプのパイロット」

 

「…………」

 

 綾波は、じっと見つめるだけで何も答えない。

 

「私、アスカ。惣流、アスカ、ラングレー。エヴァ弐号機のパイロット。仲良くしましょ!」

 

 惣流はいつもの調子で、胸を張って明るく宣言した。

 

「なぜ?」

 

 綾波の姿は……いつもと変わらないように見える。

 

「その方が都合がいいからよ。色々とね」

 

 得意げな表情。エヴァパイロットとして付き合う、という、当然ながら一種の線引きをする発言に思わず眉を顰めた。

 

 使徒と戦うのに、人間関係の線引きなんてしてしまったら、命を張って戦えないじゃないか……。

 

「……それなら、必要ないわ」

 

「どういう意味よ」

 

 眉を顰める惣流。

 

「あなたはきっと、ヒトの為に死ねないから」

 

 表情を変えずに、そう言い放った綾波。

 

 多分……綾波の言うことは間違ってない。

 

 惣流とは違うから。

 

 そこには、越えられない壁がある。

 

 ただ……。

 

 それじゃ、ダメなんだ……。

 

 尚も進展の糸口が掴めない、ミサトさんが脳裏に浮かんでいた。

 

「…………」

 

 惣流はひどく不快そうに睨むばかりで、口を閉ざしてしまう。

 

「さよなら」

 

 そう言うと、さっさと歩き始めてしまった。

 

 僕の近くまで来ると、一度止まる。

 

「碇君、お昼に」

 

「……うん。分かった」

 

「……またね」

 

 さっきよりも幾分か軽そうな声音。

 

 その後ろ姿を、呆然と見送った。

 

「なによ、あいつ」

 

 惣流の呟きは、歩道橋に広がる騒めきに消えていった……。

 

 

 

 

 

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 赤城リツコは空のメッセージボックスを見て、不機嫌にコーヒーを口にする。

 

 遅すぎる。

 

 もう何かしらの情報を掴んでもいい日数が経っていた。

 

「少し痩せたかな?」

 

 背後から聞き覚えのある声と共に、男の腕が体へ回される。

 

「そう?」

 

 嘆息する思いで、そう吐いた。

 

「悲しい恋をしてるからだ」

 

「どうして、そんな事が分かるの?」

 

 耳元で囁かれる声に、嫌な気はしない。

 

「それはね、涙の通り道にほくろがある人は、一生泣き続ける運命にあるからだよ」

 

 頬に触れて、瞳を見つめながらそう囁く加持リョウジ。

 

「これから口説くつもり? でもダメよ。こわ〜いお姉さんが見ているわ」

 

 赤城リツコが目線で示すと、そこには鼻息荒く一部始終を見ていた葛城ミサトが、ガラスに張り付いていた。

 

「お久しぶり、加持君?」

 

「や、しばらく」

 

 加持リョウジは、変わらぬ軽い雰囲気でそう返す。

 

「しかし加持君も、意外と迂闊ね」

 

「こいつのバカは相変わらずなのよ。あんた、弐号機の引き渡し済んだんならさっさと帰りなさいよ!」

 

 入室するなり、食ってかかる葛城ミサト。

 

「今朝、出向の辞令が届いてね。ここに居続けだよ。また3人でつるめるな……昔みたいに」

 

 加持リョウジは、戯けるように嘯いた。

 

「誰があんたなんかと……!」

 

 そこへ鳴り響く警告音。敵性生命体発見の知らせが、あらゆるモニターに表示される。

 

「敵襲!?」

 

 葛城ミサトは、司令塔へ駆けていった。

 

 

 NERV本部、司令塔。

 

「警戒中の巡洋艦、はるなより入電。我、伊豆半島沖にて巨大な潜航物体を発見、データ送る」

 

「受信データを照合。波長パターン青、使徒と確認!」

 

 日向マコトの報告により、冬月副司令が宣言した。

 

「総員、第一種戦闘配置!」

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 伊豆半島上空。

 

 NERV高速輸送機、EVA専用仕様。

 

 同機体による輸送中、初号機。

 

 プラグ内。

 

「先の戦闘によって第3新東京市の迎撃システムは大きなダメージを受け、現在の復旧率は26%、実戦における稼働率は0と言っていいわ」

 

 管制車からミサトさんの通信を聞きながら、零号機の本部待機という戦闘配置に緊張していた。

 

 きっと、惣流は作戦を軽んじる。

 

 本当は綾波と出撃したいけど、ミサトさんの作戦部長として、何かあった時に動けるエヴァが無いのは最悪、という判断くらいは自分でも分かる。

 

 あんな事があって、惣流と綾波は仲が悪いし……。

 

 どう転んでも、自分が頑張るしかない。

 

『碇君、無理は……しないで』

 

 出撃前、綾波はそう言っていたけど、2機で倒せなければ綾波一人で相手する事になるんだ。

 

 なんとしても……殲滅して戻る。

 

「従って今回は上陸直前の目標を、水際で一気に叩く。初号機並びに弐号機は、交互に目標に対し波状攻撃。近接戦闘で行くわよ」

 

「「了解!」」

 

 しばらくすると、惣流が口を開いた。

 

 モニターにプラグ内映像が表示される。

 

「あ〜あ、日本でのデビュー戦だっていうのに、どうして私一人に任せてくれないの?」

 

 本当に一人で倒せると思っている、いつもの自信満々な様子だった。

 

 ため息が漏れる。

 

「惣流は凄いけど、作戦は聞かないよね……」

 

「精神論者に言われたくないわよ! 気合いが作戦なんて、ホント、信じらんない!」

 

「うっ……ごめん……」

 

 先の水中戦闘を根に持たれていたらしく、凄い剣幕で捲し立てる惣流に、思わず謝った。

 

「なーんでこんなのがパイロットに選ばれたの……?」

 

 そう言われても……それこそ、訓練されたエヴァパイロットが規律正しくないのは、何故なんだろうと考えてしまう。

 

 これはパイロットとして課せられた仕事でもある。

 

 与えられた任務は遂行する。当然、他人にもそれを求める事。

 

 つまり、ミサトさんは指揮官として全霊で任務を遂行するし、命令を与えられた僕らも、別命あるまで全霊で取り組む。

 

 その信頼関係が作戦行動の基本だとミサトさんも言っていたのに……。

 

 確かに自分が至らないのかもしれないけど……。

 

 微妙な雰囲気のまま、降下地点に到着してしまう。

 

 砂浜に着地すると、またもや惣流が口を開いた。

 

「二人ががりなんて、卑怯でイヤだなぁ。趣味じゃない」

 

 ま、まだ作戦に納得してない……。しかも、ミサトさんの作戦にケチをつけている。

 

 パイロットとして処罰されてもおかしくない行動だった。

 

「私たちは選ぶ余裕なんて無いのよ。生き残るための手段をね」

 

 ミサトさんは怒っていなかった。

 

 その通信の間に外部電源の接続を完了させる。

 

 惣流は、ひとまず作戦を受け入れたらしく、何も言わない。

 

 やがて水平線に水柱が立ち上がると、中から、光のパイルを使っていた使徒より肩に滑らかな曲線を持つ、人形使徒が現れた。

 

「来た……」

 

 どんな攻撃手段なんだろう。

 

 腕や足は太く、3本の指のようなものも見て取れる。きっと掴まれて荷粒子砲を撃たれるだけでも、致命傷になりかねない。

 

「攻撃開始!」

 

 その声で近接武器を支給された弐号機は走り出した。

 

「じゃ、私から行くわ! 援護してね!」

 

「了解」

 

 波状攻撃のため、距離を詰めながら射撃を繰り返す。

 

「イケるッ!!」

 

 反応がない使徒を見てか、そう言って跳躍し、水没した建物の屋上を伝って一気に距離を詰める弐号機。

 

 ついていけない……!!

 

 一度射撃をやめて、走り出す。

 

 水際から一気に、飛ぶ!! が──目測を誤って、膝下まで海に浸かった。

 

「くそっ……」

 

 建物に登って、更に跳躍しようとしていると……

 

「うらぁぁぁあああ!!」

 

 その間に肉薄した弐号機は、手にした槍で使徒を真っ二つに切り裂いていてしまっていた。

 

「すごい……」

 

「どう? サードチルドレン。戦いは常に無駄なく、美しくよ!」

 

「……?」

 

 でも、切断面にコアはない。

 

 コアがない……使徒……?

 

 そう思っていると、仮面が内部へ回転し、新しい仮面が出現した。

 

「まだ生きてる!」

 

「え……?」

 

 使徒は脱皮する様にそれぞれの肉片から、一回り大きい使徒を出現させる。

 

 オレンジと、白の使徒。

 

 腹のあたりに、コアが見えた。

 

 2対1はまずい……!!

 

「避けろ、惣流!!」

 

 二号機があった所を弾丸が通過する。が、元々半分ほど撃っていたからすぐに弾切れを起こす。

 

「大人しく!! やられなさいよ!! きゃっ」

 

 そこへ、弐号機が追撃に行ったらしい……

 

 が。

 

 煙幕が途切れた海上には、無傷の使徒が2体──その足元では、切れたアンビリカルケーブルが電流を海水に撒き散らしていた。

 

「え……?」




 次回 「瞬間、心、重ねて。(後編)」


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第拾話 瞬間、心、重ねて。(後編)

今回は1万1千くらいです。


 NERV本部 作戦部第3視聴覚室。

 

 第7使徒戦反省会により、パイロット2名を召喚。

 

 司令塔より、冬月副司令、加持、日向、青葉、伊吹の諜報や広報含む使徒に関するオペレーションを担当する責任者が集合していた。

 

 同室内。

 

 伊吹マヤの概要説明が始まる。

 

「本日、午前10:08:18、2体に分離した使徒の攻撃を受けた弐号機は活動停止。同50秒。初号機は追撃を受け、駿河湾沖2キロに水没。この状況に対するE計画責任者のコメント」

 

『無様ね』

 

「もぉーっ!! アンタのせいでせっかくのデビュー戦が滅茶苦茶になっちゃったじゃない!!」

 

「デビュー戦とか関係ないだろ! 今頃、使徒が本部に攻撃してたらどうするつもりなんだよ!!」

 

「アンタだって人のこと言えないわよ! アッサリやられてるじゃない!!」

 

「惣流だって人のこと言えないだろ!!」

 

「午前11:03をもって、NERVは作戦遂行を断念。国連第二方面軍に指揮権を譲渡」

 

「全く、恥をかかせおって」

 

 冬月副司令は、対決するチルドレンに怒りを呟いた。

 

「同05分。N2爆雷により目標を攻撃」

 

「また地図を書き直さなきゃならんな……」

 

「構成物質の28%を焼却に成功」

 

「やったの?」

「足止めに過ぎん。再度進行は時間の問題だ」

 

「ま、立て直しの時間が稼げただけでも儲けものっすよ」

 

 冬月は諌めようとする加持に、少々の怒りを覚えるが……そもそもはこの場に居ない、パイロットを担当する葛城ミサトの責任である事を鑑みて立ち上がった。

 

「いいか君たち、君たちの仕事はなんだか分かるか」

 

「エヴァの操縦」

 

「使徒の殲滅です」

 

「その通りだよ。使徒に、勝つ事だ。こんな醜態を晒すために、我々NERVが存在している訳ではない。その為には君たちが協力しあってだな……

 

「なんでこんなヤツと!!」

 

「……もういい」

 

 冬月副司令がリフトで司令塔へ戻り、視聴覚室が明転した。

 

「どうして皆んな、すぐに怒るの?」

 

「大人は恥をかきたくないのさ」

 

「ミサトさんは? 次の作戦は何時間後ですか?」

 

「今は後片付けをしてるよ。責任者ってのは、責任とる為に居るからな……」

 

「責任……」

 

 使徒が来ているのに、そんなものを取ってる場合なのか?

 

 碇シンジは、困惑していた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 葛城ミサトはデスクに山積みにされた書類を、眺めていた。

 

 デスクの一角とかではなく、限界ギリギリまでスペースを使い、うず高く積まれたそれらは、数ヶ月掛かりそうな様相を呈している。

 

「関係各省からの抗議文と被害報告書。で、これがUNからの請求書。広報部からの苦情もあるわよ?」

 

「うー……」

 

「ちゃんと目を通しておいてね」

 

「読まなくても分かってるわよ。ケンカをするならここでやれってんでしょ〜」

 

「御明察」

 

「言われなくったって、使徒が片付けばここでやるわよ。使徒は、必ず私が倒すわ」

 

 それは、たとえ書類が片付かなくとも使徒は倒してみせる。という、諦めに近い覚悟の仕方であった。

 

「副司令はカンカンよ。今度恥かかせたら左遷ね、間違いなく」

 

「碇司令が留守だったのは不幸中の幸いだったわ〜」

 

「居たら即刻クビよ。これを見ることも無くね……」

 

「で、私のクビが繋がるアイディア、持ってきてくれたんでしょ?」

 

「一つだけね」

 

「さっすが赤城リツコ博士。持つべきものは、心優しき旧友ね〜」

 

「残念ながら、旧友のピンチを救うのは私じゃないわ。このアイディアは加持君よ」

 

「加持の?」

 

 そのデータチップを、呆れたように優しく見やる葛城ミサトを、赤城リツコは静かに見ていた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 使徒は倒せていない。ミサトさんに、結局、あの分裂する使徒をどう倒すつもりなのか。聞こうと探してみたりしたが、何の手掛かりも得られなかった。

 

 惣流は居ないし、綾波も待機が解除されて帰ったという。

 

 帰ろう。

 

 そう決めたのは、数時間経ってからだった。

 

 昼過ぎ、3時ごろの熱射に当てられてやっと帰宅した。

 

「ただいまー」

 

 声は帰ってこない。

 

「って、誰もいない……か」

 

 夜までには帰ってくると良いけど……なんて。考えながらリビングに進むと、そこには所狭しと赤い文字の書かれた段ボールが積まれていた。

 

 ビール……?

 

 いや、流石にこの量は……

 

 不審に思いながら、自室を開くと

 

「な、なんだこれ……」

 

 そこには、段ボールやバッグ、ポーチ等明らかに誰かが引越して来たような大荷物が積まれていた。

 

「失礼ね、私の荷物よ」

 

 風呂から上がったばかり、という様子の惣流がリビングに出てきていた。

 

「惣流!? どうしてここに」

 

「アンタこそまだ居たの?」

 

「まだって何が?」

 

「アンタ、今日からお払い箱よ」

 

 憐れむような瞳。

 

 お払い箱?

 

 このタイミングで?

 

 本当に?

 

「なんで……?」

 

 撤退、出来なかったから……?

 

「ミサトは私と暮らすの」

 

 そう言ってサムズアップした右手で自分を示す。自慢げで、意地悪そうな顔をしていた。

 

「ま、どっちが優秀かを考えれば当然の選択よねー。ホントは加持さんと一緒の方がいいんだけど」

 

 部屋の中にうっとりとした表情を向ける惣流。

 

 空いた口が塞がらなかった。

 

 優秀だから一緒に暮らす訳では無いと思うし、加持さんと暮らしたいならそうすればいいのに……。

 

「しっかし、どうして日本の部屋ってこう狭いのかしら。荷物が半分も入らないじゃない……」

 

 話を聞きながら、またミサトさんが説明も無しに住所を変更したんだろうな……。と、自分の時を思い出していた。

 

「あ……」

 

 そこで廊下の置物と化していた、一つの段ボールに目が止まる。中には自分の荷物が雑に積まれていた。

 

「オマケに、どうしてこう日本人って危機感足りないのかしら? よくこんな鍵のない部屋で暮らせるわね。信じらんない」

 

 襖を開け閉めしつつ、文句を言う惣流に、どうしたらいいか途方に暮れていた。

 

 それは無いと思うけど、本当に部屋を明け渡すなら明日から住所不定だし、自分が近くの部屋に移るにしても、手続きとか色々あるのに……

 

「日本人の心情は、察しと思いやりだからよ」

 

「「ミサト(さん)」」

 

「おかえりなさい。さっそく上手くやってるじゃない」

 

「「何が?」」

 

「今度の作戦準備」

 

「どうして?」

 

 これが……? 作戦準備?

 

「そう、今回の作戦は……と、言いたい所だけど」

 

「「……?」」

 

「先にお風呂入っていいかしら? もうべっとべとでサイアクなのよね〜」

 

「もう、早く上がって説明してよね!」

 

 ため息が腹をついて出る。

 

 こればかりは、惣流に賛成だった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 リビングのテーブルに3人で腰掛けると、ミサトさんは広げた資料に手を置きつつ語り始める。

 

「第7使徒の弱点は一つ! 分離中のコアに対する2点同時の荷重攻撃。これしかないわ」

 

「……?」

 

「つまり、エヴァ2体のタイミングを完璧に合わせた攻撃よ。その為には2人の協調。完璧なユニゾンが必要なの」

 

 惣流と……?

 

 横目で見ると、惣流も微妙そうな顔でこちらを伺う所だった。

 

「そこで、貴方達にこれから1週間、一緒に暮らして貰うわ」

 

「「えーっ!?」」

 

 いきなり、明らかに感性が真逆と言ってもいい人間と……? 綾波とも学校でしか話さないのに。

 

「嫌よ! 昔っから男女7歳にして同衾せずってね!!」

 

 惣流の言葉に横で頷いた。

 

「使徒は現在自己修復中。第二波は6日後。時間が無いの」

 

「そんなムチャな……」

 

「そこで、ムチャを可能にする方法。2人で完璧なユニゾンをマスターするため、この曲に合わせた攻撃パターンを覚え込むのよ。6日以内に。1秒でも早く」

 

 作戦、やるしか……ないか……。

 

 そう思って横を向くと、嫌そうな顔をした後、フイとそっぽを向く惣流がいた。

 

 不安だ。

 

 間違っても、綾波みたいに突き放すのはやめておこう……と、2人の学校での険悪さを思い出していた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 あれから2日。自分が、人のことを知る方法をまるで知らない事を理解した。

 

 今にして思えば、知りたいと言いつつ決定的な行動を何も起こせていなかった自分が恥ずかしい。

 

 綾波やミサトさんと違って、惣流は比較的分かりやすくて、聞きやすい……そんな幻想は初日で散っていた。

 

 思えば、トウジやケンスケ、ミサトさん。綾波に至っても話しかけてくれたのは向こうからだ。

 

 お互いに気を使う生活。しかも、型を覚えるのは惣流の方が早いし、日中の練習ではタイミングがまるで合わず、段々とフラストレーションの溜まる惣流……。

 

 そんな状態で、一体何を話せばいいのかすら分からない。

 

 そう考えると、皆んなと打ち解けていて、ミサトさんとも公私混同で接する姿は、自分より数段大人で、羨ましくも思えた。

 

 それが分かるだけに、自分には敵対すらしているような、エヴァパイロットでなければ話もしないような雰囲気に悲しくなる。

 

 拒絶されて、悲しいと思う。

 

 そんな感情はいつか捨てたものだった。

 

 苦しまないために……。

 

 遠い砂浜で、欠けた貝殻を拾ったような感覚。

 

 戸惑いはするけど、あの時より苦しくはない。胸を刺すような痛みは、表面的なものだった。

 

 きっと惣流は……この痛みを知る、強い人なんだ。

 

 惣流の印象は既に、大きく変わっていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 3日目。

 

 連日変わらないように、ユニゾンの練習中だった。時折、惣流のする舌打ちが空気を憂鬱にする。

 

 2日目でミサトさんが折れたのか、今日から数値の記録係を綾波に変更し、意見を貰おうという事だった……が、あまり状況は変わらない。

 

 むしろ悪化しているような……。

 

「休憩にしましょう。ちょっと、飲み物でも買ってくるわ」

 

「そう? 分かった」

 

「レイ、荷物運ぶの手伝って」

 

「はい」

 

 そう言って2人は出て行った。

 

「……やるわよ」

 

 それに頷いて、練習を再開する。

 

 しばらく2人だけの気まずい雰囲気が続いたが……インターホンが、鳴った。

 

 2人で顔を見合わせると、諦めたように頷いた惣流を見て、自分もヘッドホンを外す。

 

 そのまま玄関に向かうと、驚いた顔で頬を染めるトウジ、ケンスケ、そして真顔の洞木さんが居て……。

 

「う、う……うらぎりもの……」

 

「またしても今時ペアルック……! いや〜んなカンジ……」

 

「「こ、これは、日本人は形から入るものだって無理やりミサトさんが……!」」

 

 早数日、慣れた服装とはいえ知人に見せるつもりなんて微塵も無かったから、恥ずかしさがいきなり襲ってきたが、それは惣流も同じらしかった。

 

「ふ、不潔よ!! 2人とも!!」

 

 べつに不潔な付き合いではない。

 

「「誤解だよ(だわ)!」」

 

「五階も六階もないわ……! そんな……!」

 

「あら、いらっしゃい」

 

 そこへ、買い出しの終わった綾波とミサトさんが帰って来た。

 

「これは、どーゆーことか説明して下さい」

 

「そうねぇ……とりあえず、上がったら?」

 

「長くなるのよ」

 

 そう言ったミサトさんは、疲れたような笑顔をしている。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 ミサトさんの披露する第7使徒とユニゾンの概要話で、場は盛り上がっていた。

 

 第3新東京市で使徒は最早身近な存在であるため、特に興味津々だった。

 

 皆んなはエヴァパイロットが揃って3日も来ないので、お見舞いに来たつもりだったから、いっそう気が抜けてしまったらしい。

 

「そんならそうと、早く言っといてくれたら良かったのに」

 

「で、ユニゾンは上手く行ってるんですか?」

 

「それは……見ての通りなのよ」

 

「あー……」

 

 全員に見られながら失敗するのは、流石に耐えられなかったらしく、惣流はヘッドホンを投げ捨てた。

 

「あったりまえじゃない!! このシンジに合わせてレベル下げるなんて、上手くいくわけないわ!! どだい無理な話なのよ」

 

 惣流の体運びは完璧。それに、天性の武道センスというか、相手のタイミングと絶対に合わない、自分だけのリズムを持っている。惣流がタッチする度に、表拍子より少し早かったり、少し遅かったり……それに自分が合わせられていないのは、本当だった。

 

「じゃあ、やめとく?」

 

 ミサトさんの問いかけ。

 

「他に人、居ないんでしょ?」

 

 惣流は、それで自分を落ち着けたらしい。

 

 すっかりいつもの自信ありげな表情に戻っていた。

 

「レイ」

 

「はい」

 

「やってみて」

 

「はい」

 

 綾波は投げ捨てられたヘッドホンを拾い、こちらに歩いてくる。

 

 表情を暗くする惣流。しかし、毅然とした態度で横に退いた。ミサトさん、どういうつもりだろう……? 綾波は本部待機なんじゃ……?

 

「型は?」

 

 この練習は、型をなぞらえて光るランプに手足を触れさせ、音楽によりその動きのシンクロを目指すものだ。

 

 そもそも制服で隣に立つ綾波は、今日初めて聞いた筈……。

 

「分かるわ」

 

 それを聞いて、自分もベッドホンを付けた。

 

 音楽が始まると、とりあえず正確に表拍子でタッチしていく。初めの一回くらいは合わないかと思ったけど……綾波はリズムに合わせて、正確なタッチを繰り返す。

 

 一度のミスもなく進行していた。

 

 集中していれば、間違えようの無い綾波の調べ。それはベッドの中に身を預けるような、エヴァに乗る時のような……不思議な安心と一体感がある。

 

「もう、イヤッ!! やってらんないわ!!」

 

「……?」

 

 その声でヘッドホンを外し、見上げると、既に惣流は玄関へ向かった後らしかった。

 

「鬼の目ぇにも涙やな……」

 

 半開きの襖を見るトウジ。

 

 涙……? あの惣流が?

 

 なぜ?

 

「いーかーりー君!?」

 

 洞木さんは本気で怒っていた。

 

 その剣幕に息をのむ。

 

 トウジは、毎朝これを平気な顔してあしらっているのか……?

 

「追いかけて!! 女の子泣かせたのよ!?」

 

 無言で数回頷くと、玄関へ走り出した。

 

 ◇

 

 その後、碇シンジが走り去った後……。

 

「葛城一尉」

 

「なぁに?」

 

「先程仰っていた通り、作戦は、私と碇君で行うのが良いと思います」

 

「まぁ、そうでしょうねぇ」

 

「では、なぜ……?」

 

「作戦の立案者としては、そう思うわよ。でも、指揮官として、それではいけないの。レイ……貴方に分かる?」

 

「……いえ」

 

「これからの作戦行動には、必要な事なのよ」

 

「教えて頂けないのですか」

 

「教わることでは、ないのよ」

 

「……彼女は、幼稚だと思います」

 

「だからこそよ」

 

「……?」

 

「レイ、貴方やシンジ君だけでなく、人間は同じものを抱えているのよ」

 

「…………?」

 

 本当に分からない、という風に首を傾げる綾波に、葛城ミサトはため息をついた。

 

「分からない、か……」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 辺りを少し探し回ったあと、近くのコンビニエンスストアでその姿を見つけた。

 

 横開きのガラス戸を開けて清涼飲料水のコーナーの前に、座り込んでいる。

 

「何も言わないで」

 

 そう言われて、開きかけた口を閉じた。

 

 近くに屈む。

 

「分かってる……分かってるから……私はエヴァに乗るしか、無いのよ」

 

 開いたガラスに反射する、悲壮な横顔。

 

 その悩む姿は、いつかの自分に重なった。

 

 あの惣流が。顔が良くて、性格が良くて、人に好かれ、ミサトさんと心を開いているように見える惣流が。

 

 エヴァしか、無い……?

 

「どうして……?」

 

「……何よ」

 

 底冷えするような、声。

 

 だが不思議と怖くは無かった。きっと僕を嫌っているんじゃない。自分が嫌で、それに触れようとする他人が嫌なんだ。

 

 僕みたいに。

 

 それが自然に、矢の如く闇の帷を破って、凄まじい勢いで心に不時着した。

 

 ……そうだ。強くなんてない。

 

 この表情を見ろ、今にも死にそうだ。壁が崩れそうで、必死に耐えている、顔。これがあの惣流か……? いや、

 

 惣流だって同じ……同じ人間なんだ……。

 

 人間って……こういうことなんだ。

 

「惣流は、すごいと思うよ。今まで、ミサトさんがあんなに楽しそうに話すの、見たこと無かったんだ……それに、クラスでだって……」

 

 そんな、人を褒めるなんて、初めての事だった。上手く言えていないと思う。

 

「煩いわねッ!! 黙りなさいよ!! みんな建前に決まってるじゃない!! 必要だからするだけよ!! みんな!! みんな!! みんなね!!」

 

 恐ろしい形相で、胸ぐらを掴まれる。

 

 今にも殴りかからんばかりだった。

 

 だが、今なら分かる。

 

 惣流にも、傷付いている心があるんだ。

 

 放っておけない。

 

「そんなことないよ」

 

「ッ……アンタ、底なしのバカよ……!! グズのくせに!! 何にも知らないくせに!!」

 

「そんなこと、ない」

 

「じゃあ精神論者でバカなアンタに何が分かるって言うの!? 言ってみなさいよ!!」

 

「建前だったとしても、嫌な思いをしてでも、全員と仲良くするのは、凄いよ」

 

「は……?」

 

「そんなの、誰にでも出来る事じゃない。惣流がずっと努力した、その結果だって事くらいは……分かる」

 

 惣流は、しばらく呆気に取られたように見ていたが、ゆるく睨んだまま、口をきゅっと閉めると後ろを向いた。

 

「そんなの、当然よ」

 

「うん」

 

「私は天才なの。だから……当然よ」

 

 明るくなった声に安心したが、でも、それは加持さんの言葉だ。

 

 加持さんはきっと……何度も同じ言葉を掛けたに違いない。

 

 僕に言ったように。

 

「才能とか運命って、僕は嫌いなんだ」

 

「…………」

 

「頑張ることって、そんなに楽じゃないのに……みんな才能とか運命って、決めつけて自分が頑張らないようにしてるんだ」

 

 僕みたいに。

 

 加持さんですら。運命や才能だと、何かを諦めているんだ。

 

 そうだ。

 

 別にすごくない。

 

 みんな……生きているだけなんだ。

 

「ッ…………」

 

「普通の人は、がんばれないよ。だから……凄いんだ」

 

「バカ……アンタ、だけよ……」

 

「……そうかな」

 

「……そうよ!」

 

 そこで、初めて惣流は振り返った。

 

「アンタみたいに、アンタ……みたいに……」

 

 眉をぴくぴくとさせて、口をへの字に曲げていたが、無理矢理やっている風だ。

 

「僕みたいに?」

 

 気が抜けて、ちょっと面白くて、思わず苦笑しながらそう言うと惣流は顔を真っ赤にした。

 

「な、なに笑ってんのよ!!」

 

「だって、眉とかぴくぴくしてるし……っ……」

 

「うるさい!! 誰のせいよ! 誰の!」

 

 げしげしと肩を殴られる。

 

 割と痛い……。

 

「ごめん。ごめんって。変なこと言って悪かったよ……僕のせいだ」

 

「そうよ! 急に変なこと言うからよ!」

 

 ふん! と後ろを向いて腕を組み、しばらく何かを考えていたが、はぁ〜、とため息を吐いた。

 

「あ〜あ。怒鳴ったせいで、喉が乾いちゃったわ……ちょっと、付き合いなさいよ」

 

「じゃあ、カゴ持ってくるから」

 

「……そう? 悪いわね」

 

 僕が離れると飲み物を選び始める惣流。その微笑が、ガラスに反射していた。

 

 

 第3新東京市を眺める近くのベンチで、しばらくお握りや飲み物を頬張っていたが、飲み込んでしまうと、やがて口を開いた。

 

「こ〜なったら、なんとしてもレイやミサトを見返してやるのよ!」

 

「気合いで?」

 

「うぐっ……そ、そうよ! アンタも気合い入れなさい!」

 

「えー……第7使徒は絶対、惣流と倒す!」

 

「わざとらしいわねぇ〜……」

 

「なんだよ……えー、じゃあ、第7使徒は必ず、アスカと倒す!」

 

「呼び方の問題じゃないわよ!! このバカシンジ!!」

 

「あでっ、じゃあ、どうしろって言うんだよ……」

 

「うるさいわね〜、気合い入れば、なんでもいいのよ」

 

 そう言ってサンドイッチを頬張るアスカは笑っていた。

 

「やるわよ、シンジ」

 

「うん」

 

「締まんないわねぇ〜」

 

「やろう、アスカ」

 

 もう、怖くない。

 

「バカ」

 

 互いに笑って話をしていた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 翌日。

 

 朝食時。

 

「昨日なにがあったのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃな〜い?」

 

 にやりと企む顔をするミサトさん。

 

 あれからスコアは伸び続けている。

 

 惣流はなるべく表拍子に合わせようとするし、型をゆっくりと行うようになった。自分はなるべく早く正確に型の体運びをして、アスカに追いつこうとする。

 

 そして、一回毎に互いの反省を話すようになった。険悪だったり憂鬱だったりする雰囲気は無く、2人で真剣に上達を目指していた。

 

 ミサトさんは急な変化を気にしていたが、アスカが『なんでもないわよ』と取り合わないので昨夜は折れていたのだ。

 

「ミサトの期待してるよーな事は何にもないわよ。残念ながらね」

 

 アスカは毅然とした態度だった。

 

「誰にも言わないわよ〜」

 

 むっとした後、ミサトさんから、僕と逆側に目を逸らす。

 

「うるさい小言を……貰っただけよ」

 

「……そう……ま、いいわー」

 

「ごちそうさま!」

 

 アスカは味噌汁をかきこむと、さっさと片付けに行ってしまった。

 

「素直じゃないわね〜」

 

「……? アスカ、どうしたの?」

 

 割といつも通りに見えたけど……。

 

「えっ……シンちゃん、ホントに昨日なにを言ったのよ」

 

「逆にどういう想像をしてるの……」

 

「いや、なんちゅーか、そりゃあ……歯の浮いちゃいそうな台詞とか……?」

 

「それは加持さんでしょ」

 

「な、なんで加持が出てくるのよ……」

 

「ミサトさんが落ち込んだら、そうするんだろうなって」

 

「むー……シンちゃん、最近容赦が無いわねー、まったく……」

 

「ダメですか?」

 

「そうは言ってないでしょ。とにかく、男女の仲ってのは茶化すもんじゃないわ」

 

「それはミサトさんもでしょ」

 

「うぐっ……」

 

「ごちそうさま」

 

「はぁ。全く……敵わないわねー……」

 

「ミサトさんも、思ってる事は言った方がいいと思うな」

 

「あによ〜、それ」

 

「加持さんのこと」

 

「はぁ〜……分かってるわよ」

 

「頑張ってね」

 

 そう言って皿の片付けに向かった。今までより、前に進めている気がする。

 

 ミサトさんも何か心残りがあるようだし、それが解決したら、愚痴でもなんでも、加持さんの昔話を聞かせてくれるかもしれない……。

 

 ◇

 

「加持の事か……」

 

 葛城ミサトは、2人の準備中、レイが来てユニゾン訓練が開始されるまでずっと、何かに悩んでいるようだった……。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

『碇、シンジ君の事だろう?』

 

 技術部から諜報部への内線を取ったのは、加持リョウジであった。

 

『気にしなくていいさ。所で、これからランチでもどうかな?』

 

 赤城リツコは、食堂に向かっている。

 

 とっくに昼食の時間は逃しており、清掃人くらいのもので殆ど人もいない通路を進む。

 

 こんな所で話す内容ではない──その意味が、足を急がせていた。

 

「おっと、偶然だねぇ、りっちゃん」

 

 横の通路から現れた加持リョウジは、わざとらしくウインクをしてみせる。

 

「どこに行くんだい?」

 

「……話があるのではなくて?」

 

 赤城リツコは、無表情だった。

 

「コーヒーでも、どうかな」

 

「頂くわ」

 

 

 通路の一角、自販機が立ち並ぶ喫煙室で、2人は煙を燻らせていた。

 

「彼の反応が予想とは違ってね。少し、気になっているんだ」

 

「ええ、MAGIの予想からも既に大きく外れているわね」

 

「そうか……」

 

「それで?」

 

「彼には、いや……正確には、彼の在籍した学校に干渉した形跡があった」

 

 少し驚く赤城リツコ。E計画担当者として、パイロットの情報は全て知っている筈だった。予備に干渉するなど、聞いていないからだ。

 

 そして、マルドゥク機関を差し置き、パイロットに干渉する存在などあり得なかった。

 

「まぁ、証拠は何も残っちゃいないがな」

 

「干渉というのは?」

 

「不明な金の流れさ。何かを揉み消したのか、何なのか……」

 

「そう。助かったわ」

 

「どこ、とは聞かないんだな。りっちゃん」

 

「……分かっているのではなくて?」

 

「知らないさ」

 

「そうね。そう言うことに、しておきましょうか」

 

 立ち去る赤城リツコを、加持リョウジは怪訝そうな目で見つめていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 決戦前夜。

 

 昨日から、ミサトさんは後片付けの残りをこなしに本部へ向かう様になった。

 

 電話で『明日に向けてね。最悪、徹夜になっても終わらせるわ』なんて言っていたし、今日は帰らないだろう。

 

 敷き布団の上でうつ伏せになり、枕で上半身を起こして、改めて作戦の詳細が書かれた冊子を読み返していた。

 

 急遽配備された迎撃設備を含めたパターンは練習よりも数倍多い。簡単な応用で対応出来るようには組まれているが、ミスは許されない。

 

「ミサトは?」

 

「仕事。今夜は徹夜だって」

 

 振り返ったりはしなかった。風呂上がりのミサトさんとアスカに、恥かしいとかそう言う概念は無いから、見ない方が体に良い。

 

「まだ覚えてないわけ?」

 

 頭上から声が降ってくる。

 

「どうしても……その、不安なんだよ」

 

「バカね〜……こういうのは、失敗するって思うからミスんのよ」

 

「そうは言ってもなー……」

 

「本っ当、戦闘の時は気合いだ何だって言うくせに、どーして普段はこうなのかしら」

 

 げしげしと腰の辺りを足で押された。

 

「こうって、何だよ。もう」

 

「自信もちなさいよ。使徒を3体も殲滅したのよ? 分かってんの?」

 

「そうだね……」

 

「はぁ……シンジがそんなじゃ、私が、バカみたいじゃない……」

 

「……ごめん。でも……そんなに直ぐには、変われないよ。僕は今まで、何にも努力できてないしね……」

 

「そんな………」

 

「え?」

 

「そんなこと、ないわよ」

 

「……そうかな」

 

「そうよ。凄いと……思うわ」

 

「……そうかもしれない」

 

「そうなのよ。凄いことなの」

 

 アスカにそう言われると、そんな気がしてくるから不思議だ。

 

「じゃあ、今日はもう寝ようかな」

 

「そうよ。とっとと寝て明日に備えなさい」

 

 そう言って消える足音。

 

 電気が消えると、横の布団に入り込んだ。イヤホンを付ける。

 

「おやすみ」

 

「…………」

 

 返事はないが、あまり気にならない。ここ一週間で最も早く、安心して眠りに落ちていった。

 

 

 

 深夜。

 

 布団を近づけ、シンジの寝顔を間近で見守るアスカ。その穏やかな顔に、静かな安心感を覚えるのを自覚していた。

 

「私もヤキが回ったわね……」

 

 認めて、しまった。

 

 こんな……なよなよっとした奴が、エヴァで凄い事をしてきた。

 

 私のエヴァで……。

 

『普通の人は、頑張れないよ』

 

 そんな事を言う奴が。

 

『だから、凄いんだ』

 

 …………。

 

 でも、嫌じゃない。

 

 使徒を、殲滅してきた。

 

 それは認めてやってもいい。

 

 あいつは凄い。私と同じくらい。

 

 でも……。

 

『アスカは体運びが完璧だから……』

 

『おはよう、アスカ』

 

 頬が熱くなる。

 

「本当に、何なのよ……もうっ……!!」

 

 男らしさなんてカケラもないのに、だからこそ、もっとしっかりして欲しいと思ってしまう。

 

 アスカはままならない心臓の高鳴りをぶつけるように、眠るシンジの肩にそっと拳をぶつけた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 翌日。

 

 NERV本部、司令塔。

 

「目標は、強羅絶対防衛戦を突破」

 

「来たわね〜……今度は抜かりないわよ」

 

 モニターには、山間部に侵入した第7使徒が映し出されていた。

 

 

「音楽スタートと同時に、ATフィールドを展開。後は作戦通りに。二人ともいいわね?」

 

「「了解!」」

 

「目標は山間部に侵入」

 

 青山シゲルの報告に、気を引き締める。

 

「いくわよ、シンジ」

 

 その声に頷く。

 

「いくよ、アスカ」

 

 真剣に頷いた気配がした。

 

「目標、0地点に到達します!」

 

「外電源パージ、発進!」

 

 音楽が、スタートする。

 

 エヴァだからか、練習よりもずっとスムーズに体が動く。

 

 コアを攻撃し続けること。

 

 銃火器で攻撃し、攻撃を回避して、体術で反撃し、防衛施設の攻撃に合わせて退避する。まるで一緒に踊っているようだった。楽しさすら感じるシンクロ……!

 

 元の大きさに合体し、そこに分離したままの二つのコアがある事を確認する。

 

 作戦通りだ!

 

 示し合わせるまでもなく、音楽に合わせ繰り出した、飛び上がる角度、強さ、スピードまで揃った完璧な飛び蹴りは──コアを正確に射抜き、山を一つ爆散させた。

 

 

 爆心地で、左右に分かれて座るように鎮座する初号機と弐号機。

 

 外に出てLCLを吐き出し終わると、予備電力で動く非常回線の呼び出し音が鳴り響く。

 

 アスカ、何かあったのかな?

 

 不審に思いながら出ると

 

「シンジ!!」

 

 爆音が耳をつんざいた。

 

「……どうしたの?」

 

「完璧だったじゃない!! 殲滅したんでしょ!? これ!!」

 

 アスカはとても嬉しそうだ。

 

「うん、もう居ないよ。大丈夫」

 

「やったっ……って……少しは喜びなさいよ! なんでそんな冷めてんの?」

 

「いや、嬉しいけど、ホッとする気持ちの方が強いというか……?」

 

「もー! しゃっきりしないわねぇ!!」

 

『……君たち、これは私用回線ではないぞ』

 

「「すいません……」」

 

『まったく、恥をかかせおって……』

 

 冬月副司令の呆れた声が、辺りに響き渡った。





次回 「チルドレン外出計画。」


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第拾壱話 チルドレン外出計画(前半)

 今回は4000くらいです。

 またもや後半が難航しておりまして……(焦)


 第3新東京市立第一中学校、屋上。

 

 昼休憩中。

 

 碇シンジと綾波レイは昼食を終え、いつもの様に給水塔裏へ腰掛けて、静かに語らっていた。

 

「弐号機パイロットに、何を教えたの?」

 

 まっすぐ第3新東京市を見据えて、そう切り出した綾波を思わず見やった。

 

 だけど、いつもの無表情を湛えている。

 

「……教えた?」

 

「葛城一尉は、碇君とペアである必要があり、それは、教わる事でもないと言った」

 

「…………」

 

 僕である必要が……?

 

「なぜ、彼女は変わったの?」

 

「分からないよ。ただ……」

 

「…………」

 

「ただ、アスカが僕を認めてくれたような……そんな気はするんだ」

 

「なぜ?」

 

「……?」

 

「なぜ、名前を呼ぶ必要があるの?」

 

「それは、アスカが名前で呼ぶから。そうして欲しいのかなって」

 

「碇君、嬉しいのね」

 

「だって……いい事だろ? 人が喜ぶのは、いい事だと思うんだ」

 

「そう……分からないわ」

 

「最近、他人(ヒト)の事が少し分かったんだ。アスカも喜んでくれるんだ。ミサトさんだって、そのうち……」

 

「ヒトって、なに?」

 

「…………」

 

「同じものがたくさん。要らない物もたくさん……碇君の、何を見てるの?」

 

「いいんだ……例え、僕を見ていなくても」

 

「……そう」

 

「綾波」

 

「なに?」

 

「必要ないのは、アスカも同じなんだ」

 

「どうして?」

 

「あの時、泣いていたんだ。……エヴァに乗れない。自分に」

 

「…………」

 

「だからアスカも、同じように見てあげたいんだ。それは、良いことだと思うんだ」

 

「なぜ……」

 

「アスカも、強くないんだよ。綾波。きっと、僕らと同じように」

 

「……死ぬ理由が、ないのに」

 

「でも、エヴァを降りたらきっと死ぬよ。それは……分かる」

 

「そう……我儘なのね」

 

「そうかもしれない。アスカは……我儘だからね」

 

「彼女が死ぬ時、身代わりになるの?」

 

「……まだ知らないと思うから。そうしてあげたいと……思う」

 

「…………」

 

「綾波は?」

 

「……命令があれば、そうするわ」

 

「僕はきっと……そうはさせない」

 

「……そうね」

 

 綾波は僕の方を見て、少し微笑むと、近くにあった僕の左手を右手で包んで……また街を見据えた。

 

「私たち、我儘なのね」

 

「……少しくらい、我儘でも良いと思うんだ」

 

「どうして?」

 

「ヒトはみんな、我儘だから」

 

「……そうかもしれない」

 

 綾波は、静かに考えていた。

 

 温かな左手に、指を絡めて。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 PM20:12

 

 今日の夕飯は回鍋肉的な肉野菜炒めで、3人は大皿からさえ箸でつついていた。

 

 回鍋肉の実際の作り方は知らないので、ニンニクやコショウ、豆板醤などを適当に使った中華風創作料理というのが確かな所だろう。

 

「そういえば、アスカとシンちゃんは学校でどうなのよ? 仲良くやってんの〜?」

 

 にやにやとお酒を飲みつつミサトさんが聞いてくる。

 

 このところ、隙あれば僕達を酒のツマミにしようとしているフシがあると思う。アスカとはそういうんじゃ無いのに……。

 

「どうもこうも無いわよ。シンジが話してる所なんて見たことないわ」

 

「え〜? だって、鈴原君と相田君が居るじゃない」

 

「2人が話してる所に僕が居る。というか……とにかく、僕から話すことは、確かにあんまり無いんだ」

 

「……苦手なんでしょ?」

 

「「何が?」」

 

「話すことよ」

 

「そうなの?」

 

「まぁ……自信は無い、かな……」

 

「バッカねぇ。ハキハキ喋ればいいのよ。言いたい事を、ちゃんとね」

 

「それが出来たら苦労はしないよ」

 

「そうねぇ……」

 

「えーっ、ミサトまで苦手なワケ? 向こうで話かけたのもミサトからだし……話すの好きじゃないの?」

 

「前に、ちょっちね。色々あって……シンちゃんの気持ちも分かるのよねぇ」

 

「へぇ〜、意外だわ」

 

 途切れる会話。

 

 考え込んでしまったミサトさんを他所に、アスカは何やら真剣な顔つきで回鍋肉と白米を口にした。

 

 しばらくして。

 

「確かに……シンジの頑張れないってのは深刻ね。改善は急務だと思うわ」

 

「ごめん……努力は、してるつもりなんだけどね……」

 

「そーゆー所よ! いい? 第一、シンジの事なんて他の人は1ミリも気にしちゃいないわ! 皆んな言いたい事言ってんだから、言われっぱなしじゃ損するだけよ!」

 

「他の人は……ねぇ」

 

「うっ、うるさいわね!! あまり恣意的な解釈をするんじゃないわよ! たとえミサトでも許さないわ!!」

 

 アスカは怒りのあまりか、耳を赤く染めてミサトさんを睨みつけた。

 

「はいはい。心配しなくても言わないわよ」

 

 涼しい顔でビールを煽るミサトさん。

 

「ッ〜〜〜〜!! とにかく! 言いたい事は言うのっ! 分かった!?」

 

「う、うん……」

 

 その噛み付くような剣幕に数回頷くと、アスカは残りを手早く食べてしまった。

 

「ごちそうさま!」

 

 キッチンに向かうアスカの顔は赤い。

 

「……ミサトさん」

 

「なぁに?」

 

「あんまりアスカを怒らせないでよ。後で酷いんだから……」

 

「可愛いもんじゃない。男なら、どーんと構えて受け止めてあげなさいよ」

 

 猫のように意地悪な顔をするミサトさん。

 

「ミサトさんが何を言いたいのか、分かりません」

 

「またまた〜分かってるくせに〜」

 

「僕はまだ、分からないよ。アスカが、なぜ怒るのか……」

 

「本当なの?」

 

「はい」

 

「…………」

「アスカは、あなたの為に怒ってるのよ」

 

「どうして……?」

 

「教わる事じゃ、無いのよね〜」

 

「…………」

 

「…………」

 

「うーん……やっぱり貴方達は、兄妹よねぇ」

 

「そうなの……?」

 

「だって、こんなに似てるもの」

 

 そう言って、懐かしむような目をするミサトさんに、じっと見つめられていた。

 

 そう言われても……。

 

 アスカが好きな人は、きっとたくさんいる。

 

 仲が良い以上の存在。

 

 自分の喜ぶ事をしてくれる存在。

 

 それはアスカにとって、僕である必要は無いはずなんだ……。

 

 恐らく、パイロットとして怒ってくれているだけで、僕の為に怒るというのは……本当に考えられなかった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 翌日。

 

 下駄箱の近くで『行くわよ』と声をかけられ、放課後に予定されていた訓練の為本部へアスカと向かっていた。

 

 その、バスの車内。

 

 一番奥、左端に座ったアスカ。

 

 今は空いているが、混み具合は日によるし、距離を空けるのもどうかと思われて気恥ずかしさを感じながら隣に座った。

 

「週末暇でしょ? 空けておきなさいよね」

 

 バスが走り出すと、そう切り出された。

 

 窓の外を見て事もなさげだ。

 

「どうして?」

 

「いいから。分かった?」

 

 嘆息するように目を瞑られる。

 

「いいけど……どこ行くかだけは教えてよ」

 

「遊園地よ」

 

 ガラスに反射するアスカの表情は、つまらなさそうな、自然体とも言えるもの。

 

 いつも笑っている、学校では見ない表情だった。

 

「誰と?」

 

「誰とってねぇ。話せる人なんて、ヒカリにジャージと軍事オタクくらいでしょ?」

 

 指折り数えられると恥ずかしい。

 

「まぁ、そうだけど……」

 

「とにかく! 社交ってものを少しは勉強しなさいよ。必要なことでしょ」

 

 僕の友人の少なさを再確認した共感性羞恥心からか、耳までほんのり赤く染めてそう言うアスカ。

 

「その、なんというか……ありがとう」

 

 数人で遊びに行くことに全く興味が無い訳ではなかった。ただ、自分から動く程の魅力を感じなかった。

 

 こうして誘われるのは、理由がどうあれ嬉しいと思う。

 

「はぁ〜……当然よ。全く。もっと感謝されても良いくらいね!」

 

 すっかり機嫌を良くして、そう言って胸を張った。

 

 だけど、皆んなで行くと言えば、何か忘れているような……。

 

「あ、そうだ。綾波も誘っていい?」

 

「ファーストぉ? なんで? 来るの?」

 

 明らかに怪訝な顔をすると、ちょっと身を引いてこっちを向くアスカ。

 

「分からないよ。だけど、来れるなら綾波も来た方が良いと思うんだ」

 

 ちょっと考えた後、学校でするように笑って胸を逸らせた。

 

「……ま、社交性が0なのは間違いないわね。もっとも、ファーストには成長の余地も無いと思うけど」

 

「そんなことないよ。一応皆んなとは面識あるし、綾波も結構話すし笑うんだよ?」

 

 そう言うと、明らかに笑顔は瓦解した。

 

「……あの……ファーストが……?」

 

「うん。屋上でよく話すし……」

 

「ぁ……な……え……? ホントに?」

 

「う、うん……」

 

「なに……話すのよ……」

 

 ちょっと怖い。真剣な、何か思い詰めたような顔をしていた。

 

「うーん……使徒の事とか、エヴァの事とか……?」

 

「……それだけ?」

 

「綾波は、必要なことしか話さないから」

 

「なにそれ、飽きないワケ? 必要な事しか話さないんでしょ?」

 

 それは僕にとっても必要な事であり、つまり綾波は、本当に必要な事しか話さない。

 

 ここが自分の言語化能力の限界であり、他の言い換えを探してみるも、

 

「飽きるとかじゃ無いんだ。綾波と話すのは……綾波は、僕を見ているからかな……」

 

 あまり上手く言えた気はしなかった。

 

「なにそれ……意味わかんないわよ……」

 

 困惑を深めるアスカ。

 

 どうして一緒にいるのか、一言で言ってしまえば……

 

「うーん……兄妹が一緒に居たいと思うのは、普通のことだろ?」

 

「は……? 兄妹なの? ファーストと?」

 

「多分ね。血が繋がってるか、とか、父さんは何も言わないし……そこら辺はまったく分からないんだけど」

 

 アスカは暫く様々な感情を瞳に浮かべて、こちらをジッと見ていたが、

 

「……分かったわよ。ファーストはシンジに任せるわ。今週の日曜、いい?」

 

 どっと疲れたように片手で頭を抱えて、折れてくれた。

 

「分かった」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 PM18:49

 

 ミサトから足りない食材を受け取り、キッチンに消えたシンジを確認するなり、アスカは着替えに向かうミサトを引き止めた。

 

「ミサト、綾波レイってなんなの?」

 

「どうしたのよ、薮から棒に」

 

「今日、シンジから兄妹だって聞いたのよ。瞳の色も髪の色も違うのに、どういうことなの?」

 

「あぁ、そういうこと……」

 

「で、なんなの?」

 

「私も知らないのよねぇ。それ」

 

「ミサトが知らないの?」

 

「記録が無いのよねぇ。私には調べようがないわ。問題があるワケじゃないから、諜報部に依頼するのも違うし……」

 

 カリカリと頭を掻くミサト。それは本当に苦々しそうな表情をしていた。

 

「記録がない……? じゃあ、なんで兄妹なんて話になるわけ?」

 

「似てるのよ。外見とかじゃないの。なんて言うのかしら……人間として、かしらね」

 

「意味分かんない……」

 

「ま、一緒に居ればそのうち分かるわよ」

 

 そう言って自室に向かおうとする所を、更に押し留めた。

 

「待って……その、チルドレンの親睦を深める為にも、お願いがあるんだけど」

 

 アスカは、規定外の行動をする時に必要な許可もしくはNERV職員の同行を、今、確認してしまう事にした。

 

「分かってると思うけど、あんまり高額なのは無理よ」

 

 作戦部長の顔になるミサト。

 

「今週末、ファーストとシンジと私が遊園地に行っても良いかしら?」

 

「今週末? 日曜日に? 近くのやつ?」

 

「そ、近くのやつ。良いでしょ? ファーストは知らないけど、シンジと私は実験も訓練も無いワケだし」

 

「まぁ、そのくらいなら……良いわよ。レイの許可も取っておくわ」

 

「サンキュー、ミサト」

 

「レイとケンカとかするんじゃ無いわよ」

 

「この私がする訳ないじゃない!」

 

「えぇ……お願いね」

 

 表情を崩して、少し疲れたような声音で自室に入っていく。

 

「はぁ……私……信用ないのかしら……」

 

 アスカは少しだけ表情に翳りを見せて、虚空に呟いた。




 次回 「チルドレン外出計画(後編)」

 そして、この小説の趣旨に合いそうなタイトルが思い付いたので、今一度投票のご協力を、宜しくお願い致します。

 変更の際にはあらすじも少し変えるかも知れません。

 投票期間2021/09/18、PM20:00〜翌日(09/19)PM20:00
 ※終了致しました。


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第拾弐話 チルドレン外出計画(後編)

 アンケートのご協力ありがとうございました。
 10票近くの差が開き、変更なし。となりましたので、そのようにしたいと思います。

 また、誤字、脱字報告ありがとうございます。すべて適用させて頂きました。

 1時間投稿時間を間違えてしまったようで、申し訳ありません。

 今回は8000くらいです。





 NERV本部。

 

 チルドレン外出の申請がされた、翌日。

 

 訓練終了後。

 

 帰宅前に、総司令官執務室に綾波レイが召喚されていた。

 

「レイ、体調は大丈夫か」

 

 いつもと違い、そこに笑顔はない。

 

 席に腰掛け、テーブルで手を組んでいた。

 

「はい」

 

「そうか」

 

「…………」

 

「…………」

 

 長い沈黙の後、重苦しく、碇ゲンドウは口を開いた。

 

「碇シンジは、お前の何だ」

 

「兄妹です」

 

「そうか……」

 

 眼鏡の山を触り、手を組み直すと熟考する様子を見せる。

 

 また、暫くの後。

 

「……全ては、約束の時の為にある。ゆめゆめ忘れるな」

 

 そう締めくくった。

 

「……碇君も、その為にあるのでしょう?」

 

「なに……?」

 

 予想外な切り返しに、少し動揺していた。

 

「兄妹だと思うから」

 

「……奴は予備だ。本当に必要なのは、レイ、君だけだ」

 

「……家族って、なに?」

 

「…………」

 

「守る為には、犠牲になりたいと……思う。例え彼が、予備であっても」

 

「ユイ……おまえ……」

 

「貴方は私に、誰を見ているの?」

 

「貴様ッ…………」

 

 思わず立ち上がり、拳を握る碇ゲンドウ。

 

「私は貴方を見ているのに」

 

「……な……に……?」

 

 その声は震えていた。

 

 それは、いつか、ユイが発した言葉だった。記憶が蘇る。遠い冬の、記憶。

 

「とても、似ている。寒いのよ……あなた」

 

「……おまえ……お前は、誰だ……!」

 

 震えながら、見出したユイの魂に、涙で視界が歪んでゆく。その続きは、あの時は……あいしていると……

 

「零号機専属パイロット。マルドゥク機関の報告により選ばれたファーストチルドレン。綾波、レイ。14歳」

 

 碇ゲンドウは、しばし噛み締めるようにその姿を見ていたが……崩れるように椅子に座った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「碇君は、寂しがっているわ」

 

「…………」

 

「またね」

 

 

「私では……ないと言うのか。ユイ」

 

 薄暗い執務室の中で、男は頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「まさに夢のショット! いや〜、こんな最高の機会に誘って貰えるなんて、碇には足を向けて寝られないよ〜!!」

 

 まだ、開場前の行列に並んでいるだけだと言うのに、ケンスケのテンションは最高潮に達していた。

 

 アスカや綾波の周りに張り付いて、あらゆる角度から撮影をしている。

 

「そんな、大げさだよ」

 

 言い出したのはアスカなんだし……。

 

 という言葉は胸にしまっておく。やっぱりアスカが男子を遊びに誘うというのは、色々な誤解を生むので自分が誘う事になったのだ。

 

 この事は、墓まで持っていかなきゃいけない。

 

「大袈裟なもんか……! ランキング1位2位のツーショットだぞ……!? こんな奇跡、碇以外の誰も起こせないさ」

 

 さささっと近くまで寄り、僕に耳打ちするケンスケ。

 

 実際に綾波を誘えたのは自分だから、そう言われると照れる。

 

「そうかなぁ」

 

「そうだよ! あ、いいね〜、その顔!!」

 

「僕も撮るの!?」

 

「当たり前だろ〜? 綾波と並ぶ、ミステリアスなパイロット! 女子に密かな需要があるんだ」

 

「えー……嘘だぁ」

 

「実際、碇のプラグスーツ姿は売れたからなぁ」

 

「なッ……! あれ、売ったのかよ!?」

 

「いいだろ〜、減るもんじゃないし」

 

「そういう問題じゃないだろ!!」

 

 ケンスケを問い詰め始めるシンジを見て、アスカは嘆息した。一度、ヒカリからの告発を受けて闇商売は根絶された筈だったのだが……。

 

「はぁ……あの盗撮魔を誘ったのは、間違いだったかも知れないわね……」

 

「大丈夫。相田君も反省してたし、きっともう売ってないわよ……写真好きみたいだし、そういう意味で、最高のショットなんじゃないかしら?」

 

「甘ぁい! 甘いわ! ヒカリ!! ああいうのは、絶対変な事をするの! 後でデータを貰ってしっかり管理しなきゃ」

 

 データは貰うんだ……と、ヒカリは思ったが口にはしない。

 

 シンジを気にかける様子は、少なくともクラスの中では既成事実になりつつある。

 

 放っておけない。その気持ちは痛いほど分かるし、次々に行動を起こすアスカを見ていると、清々しい気持ちになるからだった。

 

 その隣。洞木と綾波に挟まれながらそれを見ていたトウジは、何故か横に付いた綾波レイに視線を向けた。

 

「綾波サンは、こういうんに興味無いかと思っとったわ。センセとはよく行くんか?」

 

「センセ……?」

 

「碇の事や、碇シンジ」

 

 反応が返ってきた事に少し驚く。普段、学校では必要最低限の受け答え、しかも数回に一回の反応である事が当たり前だったからだ。

 

「いいえ」

 

「ほうか……じゃあ、もしかして初めてなんか?」

 

「ええ」

 

「初めてなんか! したらワシと同じやなぁ。この、入り口から手が込んどる感じ、中がどんなか楽しみで仕方ないわ」

 

「そうね」

 

「綾波サン……なんか、あったんか?」

 

「なぜ?」

 

「ちゃうんや、別に、何もないならええんやけど。前はそんな話さんかったやろ? せやから、いきなり変わったなと思うたんや」

 

「私が……変わった?」

 

 首を縦にぶんぶんと振るトウジ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 なにやら考えている様子の綾波レイを、じっと見つめて反応を待っていた。

 

「きっと……今は、楽しいから」

 

「はぁー……綾波サンも、浮かれるコトがあるんやなぁ」

 

「これが、浮かれる……」

 

 感心したように腕を組むトウジを、不安そうな目で見つめるヒカリの姿があった。トウジが親しげに女子と話す姿なんて、学校では見たことが無かったからだ。

 

「心配しなくても、ファーストはシンジしか見てないわよ」

 

「え?」

 

「電車で手なんか繋いじゃって、あれは生粋のブラコンよ……間違いないわ」

 

「えー……ブラコンって……え?」

 

「兄妹らしいのよ。シンジとファースト」

 

「へぇー、初耳だわ」

 

「ほんと。驚天動地の事実よ」

 

「でも、分かる気がするわ。だって……なんとなく似てるもの」

 

「見た目が?」

 

「違うわ。何というか、こう、雰囲気が似てるのよね」

 

「ヒカリまで……」

 

 アスカは打ちひしがれた様子で、綾波レイと碇シンジを見やるヒカリを見ていた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 数時間後……。

 

 先程の、雰囲気を高める通路を40分強も並び、少なからず高揚した気分のまま爆音と光によって展開されるストーリーを体験する高速のコースターで、綾波レイは酔っていた。

 

「うぅ……」

 

 所謂、人混み酔い。1日の疲れも相まって、交感神経にによる血圧の変化で吐き気や倦怠感を招来している。

 

 苦しそうな顔でテーブルについた腕で頭を支える綾波レイをつまらなさそうな顔で見守る、アスカ。

 

 ──結局、アスカとシンジの二人で面倒を見る事になり、時間いっぱいを使って他のコースターにも乗りたいトウジとケンスケだけでは合流が不安なので、ヒカリが着いていく事になった。

 

 こうして、園内のカフェテリアで休む事になったのだが、熱中症の疑いもあるという事で、シンジは団扇を調達しに行っていた。

 

 初めて二人きりという状態になったアスカは、しかし、弱っている姿に追い討ちをかける様な気にはならず、むしろ心配している。

 

「水、いる?」

 

「……ありがとう」

 

 給水所から運び、渡した紙コップを弱々しく受け取る綾波レイ。

 

「アンタにお礼を言われるなんてね」

 

 頬杖をついて、若干険しい顔つきのアスカを見て困り眉をする。

 

「気に触る事をしたのなら……ごめんなさい。こういう時、どうすればいいか分からないの……」

 

 シンジが消えてから明らかに弱々しくなった彼女に、アスカの敵外心はぐずぐずに解れていた。

 

『綾波も来た方が良いと思うんだ』

 

 なるほど。これは重症だと、アスカは内心ため息をついてしまう。

 

「どうもしないわよ。何にも出来ないんだから、せいぜい私に頼りなさいよね」

 

「…………」

 

 綾波レイは赤い瞳を逸らして頷く。

 

 明らかに学校とは違う不安定な様子に、アスカは完全に綾波レイのミステリアスなベールを看破した気になった。

 

 少なくとも、人の為に自殺するため、エヴァに乗る気の狂った女には見えなかったのだ。

 

「なんか……損した気分だわ。アンタは、もっと強い人間だと思ってたのに……エヴァにも、どーせ、乗せられてるんでしょ?」

 

「いいえ……碇君の為に」

 

 唐突に宿った赤い瞳の光に、アスカは面食らった。

 

「碇君を守るために、乗る」

 

「……それで、死んでもいいワケ?」

 

「それで碇君が生きるなら……いい」

 

「…………」

 

 アスカは狼狽えていた。自分の死について、考えた事など一度も無かった。こいつだって、どうせ口だけだと、そう考えていた。

 

 否、死ぬなんて馬鹿のする事だと考えていたのだ。だからこそ、生きる為に研鑽を積んでここまで来た。

 

 死というトラウマに直面したアスカは、それを最も遠い場所に封印し、鍵をかけていたのだ。

 

 しかし、そこに碇シンジが挟まり、生きた証を肯定してくれた、生を知っている筈の人間を守る為に死ぬという決意を見て、自分の浅はかさを突きつけられたように感じ……言葉につまっていた。

 

 馬鹿にする資格などありはしない……少なくとも、そう思ってしまった。

 

「だけど、碇君は貴方のためにも……死ぬわ」

 

 思考は混沌へ叩き落とされた。

 

 考えもしない所で、碇シンジが現れて、しかも自分の為に死ぬと言う。彼だって死にたくない筈なのに?

 

 困惑と、言い知れぬ幸福感と喪失感で視界が歪むようだった。

 

 鍵が壊れかけている。

 

「碇君が死んだら、貴方はどうするの?」

 

 綾波レイは、水に口をつけながら、既に冷静さを取り戻していた。ここで、惣流アスカラングレーという人間を見極めようとしていたのだ。

 

 自分の命を賭ける価値があるか、どうか。

 

「それは……」

 

「…………」

 

「私が、そんな事態許さないわ。その為の訓練と、正式なエヴァンゲリオンよ」

 

 青い瞳に、強い意志を宿してそう言い切るアスカ。

 

 10数年余りでつけた自信に寸分の隙もありはしなかった。考える事をやめても、普段の生活には全く問題が無いほどに、人間として実力を付けていたのだ。

 

「……変わらないのね」

 

「……なに?」

 

「貴方は、人の為に死ねない……もし、そうなったら。と考えない。その時───きっと見ているだけ」

 

「……うるさいわね。アンタに、何が分かるのよ」

 

 ぶつかり合う視線。

 

「貴方を見ている他人(ヒト)はいる?」

 

「……は?」

 

私たち(兄妹)には、私たちしか居ないもの」

 

「意味不明よ……」

 

「ヒトは、陽を求めて互いに拒絶する、たくさんの向日葵」

 

「…………」

 

「でも、私たちは違う」

 

「…………」

 

「……貴方は、どうするの?」

 

 綾波レイは、水の残りを飲み干し、コップを置いた。

 

 コン……と、小さな音が静寂を乱す。

 

「知らないわよ……そんなの」

 

 そう、絞り出すのがやっとだった。

 

 理解してしまった。

 

 似ている、似ているのは……

 

 つまり、お互いに光を見ている。だから、お互いの為に死ぬんだ──と。

 

 そんな生き方は知らない。知ってはならない……拒絶反応で震えるようだった。

 

 アスカは恐れていた。死を身近に感じてしまえば、今まで培ってきた全てが瓦解する気がしていたのだ。

 

 人は、誰だって、死ぬ。

 

 でも、私は死なない。

 

 その、ハズなのに……。

 

 自信を失った自分は、生きていけない……。

 

 それを直感していた。

 

 だからこそ、弱い自分。他人を求める自分。それを律してきた。

 

 同時に、死から引き離してくれる、強い存在を求めていた。

 

 今、問われて、碇シンジにちゃんとして欲しい……という欲求が、自分の弱さに原因がある事を決定付けてしまった。

 

 私も少なからず、求めている。

 

 碇シンジという少年を。

 

 浅はかにも碇シンジという少年に、救ってもらおうとしている。

 

 ままならない鼓動は、言いようも無く嬉しくなるのは……

 

 好き、だから……

 

「イヤ……そんな……そんな事……ないのに……」

 

「……怖いのね」

 

 アスカは、ハッとなってその赤い瞳を見た。

 

 なぜ、悟られたのか。

 

 全く理解できなかった。

 

「──

 

 その口が、二の句を継ごうとした時。

 

「どうしたの? アスカ、大丈夫?」

 

 団扇を持ってきたシンジが現れた。

 

 アスカは暫く、揺れる瞳孔でその姿を見ていたが……焦点を結ぶと、音を立てて立ち上がる。

 

「外の空気を……吸ってくるわ」

 

 逃げるように去ったアスカの背中を見送り、シンジはゆっくりと席についた。

 

「どうしたんだろう……アスカ。何かあったの?」

 

「……教えたの」

 

「……何を?」

 

「死ぬ理由が、ないことを」

 

「…………」

 

 シンジは、どうやって、とか、なぜ、という困惑を言葉に出来ずに息を飲み込んだ。

 

「作戦の為に死ねないヒトは……いらない」

 

「だからって……」

 

「まだ答えていないわ……逃げたから」

 

「知らなくてもいいだろ」

 

「必要よ」

 

「……分かった。後で話そう。ここで皆んなを待ってて欲しい」

 

「どうするつもり?」

 

「そのままで良いって、伝えに行くんだ」

 

「……なぜ?」

 

「僕は……良い事だと思うんだ。人のことが分かるのは。その人の事を知るのは。そうすれば、もう苦しまなくて済むと思うから」

 

「…………」

 

「僕が苦しめることは、絶対にしない。それが分かるから」

 

「…………」

 

「綾波はアスカの苦しみを、知っているの?」

 

「……苦しいの?」

 

「僕も……何が苦しいのかは分からない。だけど、アスカだって、苦しむんだ。少なくとも、それは、間違いなく……苦しめる」

 

「なぜ……怒るの?」

 

 シンジはハッとした。

 

 自分は、なぜアスカの為に怒っているのだろう? アスカが好きな人は沢山いて……学校でも楽しそうに……なら、自分で解決するんじゃないのか……?

 

『エヴァに乗るしか、無いのよ』

 

 あの時の、顔。

 

 そして、微笑。

 

 自己満足していた事を自覚した。

 

 怒るのを心のどこかで嫌っていたとしたら?

 

 その先の関係を知らないから、恐れて逃げたのは自分じゃないのか? アスカが、アスカから歩み寄ってくれていたのだとしたら?

 

 それを、アスカだからと切り捨てていたとしたら……?

 

「アスカは……僕を怒ってくれたから」

 

「…………?」

 

「見ていたんだ。僕は……馬鹿だ」

 

「…………」

 

「綾波。戻ったら、僕はきっと怒る」

 

「……なぜ?」

 

「皆んなと待っていて」

 

「…………」

 

 綾波レイが静かに頷くのを見て、シンジは夕暮れの園内へ走り出した。

 

 その瞳に、光を宿して。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

『アスカ! 今、どこにいる!? 話したい事があるんだ!』

 

 ずいぶんと前に、その電話に答えた。

 

 かなり適当に答えたと思う。

 

 だけど、今は一人になりたかった。

 

 携帯の電源を切って、今まで通り、大丈夫、大丈夫だと暗示をかける。

 

 一人でも生きていける。

 

 今までよくやってきた。だから、これからも、一人で頑張れる。

 

『頑張れないよ』

 

 イヤ、思い出さないで。

 

 それを解いてしまうから……

 

 けれど、一人だとどうしようもなく寒くて、深い穴に嵌ってしまったようだった。

 

 明かりが消えてゆく。

 

 そのおくそこにある箱から、恐ろしい化け物が這い出している。

 

 暗示が、効かない。

 

 開きそうな扉を幻視して、思わず座り込んだ。

 

 やめて、やめて、やめて、やめて。

 

 そんな事思い出さないで。

 

 イヤ。イヤ。イヤ。イヤ。

 

 私は一人でも大丈夫……。

 

 誰も必要ない!!

 

 な! い! の! にッ!!

 

 どうして……

 

「どうしてこんなに……苦しいの……助けて……助けてよ……」

 

 喪失してゆく、自信の強さ。

 

 初めてそれに直面したアスカは、成す術なく、抱え込んだ体を揺すっていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 凡そ2時間経って、日はすっかり暮れていた。汗だくの肌を攫う生ぬるい風を不快に思いながら、走る事をやめない。

 

 園内で、人が行かなそうで、石がテーマになっている場所は複数ある。

 

『うるさいわね……近くの……石柱が沢山あるところよ』

 

 震える声で、そう言っていた。

 

 また、どこかでしゃがんで、自分を励ましているんじゃないのか。

 

 そう思うと立ち止まれなかった。

 

 後一つしかない。

 

 急げ。

 

 

 海賊とその砦をテーマとした、尖塔が連なるエリアの中。

 

 誰も上らないような、狭い、細った尖塔の最上階で、柱の間から漏れる月明かりに照らされている。

 

 体育座りで、自らの頭を埋めるアスカの姿。

 

 ブロンドに似た明るい茶髪は、星の青を受けて黒に近い色に見えた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息を整えて、近くに寄る。

 

 来たは良いものの、探すのに精一杯で、具体的な言葉はまるで考えていなかった。

 

「……大丈夫? アスカ……?」

 

 返答はない。

 

 そのまま、隣に座った。

 

 石の冷たさが体に伝わる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 言葉を探したが、どれも、誤解されるかも知れない……口にするのが怖い言葉ばかりだった。

 

 でも、当たり障りのない言葉を選んでも、届かない。

 

 今までと何も変わらない。

 

 ……嫌われるかも、知れないな。

 

「……泣くと、楽になるんだ。アスカは、情けないって思うかも知れないけど……」

 

「それは弱いからじゃない」

 

「涙は、自分のために流れるから……」

 

「それに暖かくて、生きてるって思わせてくれる。今は死んでない。生きてるんだって」

 

「だから……」

 

 反応がない。

 

 もしかすると、さっきまで泣いていて、枯れてしまったのかも……

 

 だとしたら、意味がない……

 

 そう思った時だった。

 

「ッ……く……」

 

 小さな嗚咽が漏れ始める。

 

 まだ、涙がある。それに安堵しつつ、やるせなさを抱えていた。綾波がした事は、自分の罪でもある。

 

 ……アスカを追い詰めたのは、応えられなかった僕なんだ。

 

 だから、堪えるような泣き方を見て……贖罪をしようとその肩を抱いてしまった。

 

 ともすれば、拒絶されるかもしれない行為。

 

 冷や汗が出て、喉の水分が消し飛んだ。

 

「っ……ぁ……あぁ……うぅ……」

 

 やがて、その手を求めるように体勢を崩して、胸の中で泣き咽ぶアスカがいた。

 

 その体は、予想よりも小さく、自分の体に収まってしまった。

 

「ぁーっ、うっ、ひぐっ、ぁーっ」

 

 その声は、胸の底まで届く叫びだった。

 

 その体を、強く、抱きしめる。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 泣き止んだアスカは、頬を染めて隣に座り直すと、黙ってしまった。

 

 手は繋いだまま……

 

 そうかもしれない、と考えると恥ずかしくて、確かめる事も出来ずに黙っていた。

 

 そこで、大砲の様な音が夜空に咲いた。

 

〝レディースエン、ジェントルメン!! 最高の星々の下、本日最後のパレード。輝く魔法のひとときをお届けします!!〟

 

 その爆音で弾かれるように立ち上がると、2人で尖塔の外周部へ躍り出た。石の柵の中にスペースがある。

 

 ナレーションが終わると、園内の湖に塔が輝いて出現した。音楽が始まり、目を奪われるようなキャラクターの演劇が始まる。

 

「……このさいだから、言っておくわ」

 

「…………?」

 

 クライマックスに差し掛かり、盛り上がる音楽でよく聴こえない。

 

 だけど、照明に照らされて、真っ赤になった顔は見てとれた。

 

 気が引き締まる。

 

「あなたのことが、好き」

 

「っ……えと……それ……は……」

 

 普段の訓練のお陰か、はたまた驚異的な集中力のお陰か、そこだけは、全くノイズが入らずに、アスカの声がくっきりはっきり聞こえる。

 

 だが、聞こえたとしても、頭に血が上って、マトモな思考は出来なかった。あの、アスカが。アスカが……

 

 なんて答えればいいんだ?

 

 はい。とか、宜しく頼みます?

 

 頼みます? 頼む事ではなくないか?

 

 目線を飛ばしながら、色々考えていると──

 

「もう、だらしないわね」

 

 そう言って嘆息し、一瞬目を瞑ると、半目で、意味ありげな表情……潤んだ唇が急速に接近してきて……!!

 

 思わず、目を瞑った。

 

 やがて……柔らかな感触を唇に残して、人生ではじめての感覚に指で残滓を触った。

 

「ぁ……」

 

「いいでしょ?」

 

 何が、いいのか。

 

 頬を染めて、両手を下で組んで、上目遣いにそう言われたら、考えられない。

 

 もはや分からなかったが、とにかく、こくこくと頷いた。

 

 アスカは弾けるように笑うと、すぐに2回目を敢行して、目を白黒させている内に、抱きしめられていた。

 

 柔らかな感触が全身に伝わって、甘い、花のような香りが漂う。

 

 「だいすき……」

 

 耳元からスムーズに脳漿に侵入する声。それはいとも容易く理性と思考を食い散らかして、体に抱き返す反応を許した。

 

 暖かい存在に、応えなきゃいけない。

 

 「アスカ……僕も……」

 

 ラストの花火の爆音が咲く中、目の前の柔らかい感触を、どうしようもなく嬉しく抱き止めていた。

 

 「僕も、好きだ」

 

 アスカは首元で、小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 一方そのころ。

 

 パレード前。

 

「しかし、ホンに探さなくてええんか?」

 

「いいって言ってるでしょ!! 今は、ほっといてあげるべきなのよ!」

 

「そないなもんかなぁ」

 

「ま、俺も野暮な事はしたくないしね。元々、そういう予定だったんだろ?」

 

「なんや、ケンスケは聞いとったんか?」

 

「いや、知らないけどね。分かるだろ? 普通に考えて、さ」

 

「何を考えとるんかサッパリや」

 

「もう、鈴原には期待してないわよ……」

 

「なんやてぇ?」

 

 その少し後ろ。

 

 三人に連れられて、疲れ果てた綾波レイ。

 

「碇君……」

 

 何度目か分からない言葉を、地面にぶつけていた……




 次回「マグマダイバー」





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第拾参話 マグマダイバー。

 今回は1万5千ほどです。





 第3新東京市立第一中学校、屋上。

 

 昼休憩中。

 

 

「昨日は……ごめん」

 

 眉根を少し寄せて、そっぽを向いている綾波。

 今日は朝から機嫌が悪そうだった。

 あの後、帰りの電車で綾波は寝ていたので、謝る機会が無かったのだ。

 

「……弐号機パイロットは?」

 

 綾波は若干深く呼吸をして、表情を落とした。とりあえず許してくれるらしい。

 

 アスカの事を聞かれて頬が熱くなる。どうなったか、言うのは簡単だけど……

 

「えっと……それが……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……なに?」

 

「え……っと……こ、恋人に……なったみたい……で……」

 

「…………?」

 

「あの後、色々あって……アスカは、好きだって言ってくれたんだ。だから、答えなきゃって思って……それで……」

 

「恋人……恋しく思う相手、互いに慕いあい、愛し合う間柄……」

 

「うん……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「碇君は、弐号機パイロットを愛しているの?」

 

「アスカのこと……僕は……」

 

 僕の事を好いてくれるアスカ。信頼して、笑いかけてくれるアスカ。

 

 それはとても嬉しいし、同じように信頼して、笑いかけたいと思う。

 

 だが、それはアスカの体や、甘い香りに反応する体と同時に湧き上がる思いでもある。そんな動物的な感情を苦しく思っていた。

 

「愛って、なに?」

 

「それは……」

 

 人間として、定めた相手に興奮するのは当然なのかもしれない。だが、畜生のようなそれが愛とは思えない。

 

「分泌される化学物質は、生殖行動を促す」

 

「…………」

 

「それ以上の意味が、あるの?」

 

「…………」

 

 確かに、意味なんか無いかもしれない。

 

 愛では無いのかもしれない。

 

 だけど……

 

 きっと綾波の世界には、自分しかいない。そこに僕が居るのは、同じだからだ。

 

 なんて寒くて……空虚な世界なのだろう。

 

「……綾波。なぜ、アスカに殲滅の為に死ねと説いたんだ」

 

「必要だから」

 

「それは違うよ。アスカが死してしか殲滅出来ないなら、どうするかはアスカの自由だと思うんだ」

 

「……どうして?」

 

「それで滅びる時は、皆んな一緒だよ。そこに意味なんて……ない」

 

「…………」

 

「……綾波。結局……僕たちは、自分のためにエヴァに乗ってる。我儘なんだ。他の人たちと……同じように」

 

「……そうね」

 

「だから、もし、アスカと綾波が生き残ったら……その時は、綾波の自由だと思うんだ」

 

「私の……自由」

 

「そう……誰の願いでもない。綾波の」

 

「碇君は、生きて欲しいと私に願うのに?」

 

「……綾波を失ったら、僕はアスカの事すら怖がると思うんだ。そして、怖くてエヴァにも乗れず……消えてしまう。それが、今なら分かるよ」

 

「…………」

 

「自分が出来ないのに……綾波に願うなんて、できない」

 

「なら……碇君の元へ行くわ」

 

「そしてアスカにも選ぶ権利はある」

 

「…………」

 

「その時、アスカが生きたいと願ったら、僕たちは何も言えない」

 

「…………」

 

「そうだろ? 生きる願いと、死への願いに価値なんて……ないんだ」

 

「……そうね」

 

「だからきっと……知る必要は無いし、教えるべきでもないんだ」

 

「ごめんなさい。分かって、いなかったわ」

 

「ごめん。僕も言い過ぎた」

 

「…………」

 

「…………」

 

「綾波……使徒を全て倒したら、どうする?」

 

 綾波に、他人と関わる可能性を話しておくべきだと思った。綾波は、その事を無視しているように思えるから……

 

「…………?」

 

「人と関わって生きなきゃいけない」

 

「…………」

 

「綾波……?」

 

「……分からない」

 

 感情を削ぎ落とした表情で、そう零した。

 

「エヴァを降りたら、どうする?」

 

「……知らない」

 

 目を逸らす。

 

 どういう事だ……?

 

 今、綾波は考えすらしていない。どんな事にも深い思慮を経る綾波が……

 

 諦めている……? 否。

 

 なら、第5使徒で引き金を引く必要は無かった筈だ。エヴァになんか、乗っていない。

 

 他人に興味がないのは、生きる理由が無いのは……

 

 人が滅びると知っている……?

 

 僕の知らない、綾波が乗る理由……。

 

「サードインパクトは起こされる……?」

 

「…………」

 

「でも、なぜ?」

 

「……知らない」

 

「…………」

 

「それは……碇司令の願いだから」

 

 愕然とした。

 

 だとしたら、言っている事がめちゃくちゃだ。

 

「そんな……父さん……父さんは、何を願うんだよ。エヴァは、人類のためじゃ無いの……?」

 

「一つになること。家族と……きっと、今は寒いから」

 

「なら、でも、どうして……今は……」

 

「怖いのよ」

 

「…………」

 

 息を呑んだ。

 

 そんな……そんな事って……。

 

「私たち、家族なのね」

 

「……そうだね」

 

 遠い、第3新東京市の地下をビルに見出して、父の姿を見た。

 

 悲しいほど似ていて、自分よりも数倍強く、死ぬために生きる父の姿を。

 

 きっと、父さんにとって母さんは綾波だったんだ……

 

 どんなに他人に嫌われても、帰れば必ず愛してくれる人……そんな人を亡くしたら……

 

「一つになる……か……」

 

「…………」

 

 それは確かに、死が持つ側面の一つかも知れない。

 

 求めてしまうのかもしれない。

 

 けれど……それを……

 

 それを、自分から引き起こすなんて……

 

「僕は、嫌だ」

 

 父さんと、アスカと、ミサトさんと、トウジと、ケンスケと……

 

 生きて分かり合う事は、心が通ずる事は、暖かな日の光だと理解したから……

 

 例え偽満でも、照らされた光は暖かい。

 

 灯りを消すのは、最後でいい。

 

 ならばその為に、どんなに傷付こうとも生き続けよう。綾波が消えようと、アスカが消えようと、人類が陽の光を失わないように……

 

「父さんは……間違ってると思うから」

 

 決心した。

 

 父さんを否定すること。

 

 それが、きっと僕に出来る事なんだ。

 

「……そう」

 

「一つになれるよ。みんな」

 

 生きて、分かり合える。

 

「それが、碇君の願い」

 

「……うん」

 

「私も……そうなりたい」

 

「……良かった」

 

 繋いだ手が、暖かさを伝えていた。

 

 綾波。

 

 父さんは綾波を怖がってすらいない。エヴァに乗るように仕向け、笑って話しかける……

 

 それは酷く悲しく、しかし、一つの違和感を残していた。

 

 父さんは綾波に何をした?

 

 そんな計画を受け入れるように、幼い頃から教育したとしか……

 

「綾波……昔は……どうしてたの?」

 

 声が震える。

 

 それは……きっと、綾波の全てだ。

 

 だが、そんな筈はない。と信じたい一心で聞いてしまった。

 

「……本部で生活していたわ」

 

「辛いことされなかった……?」

 

「……知らない」

 

「…………?」

 

「私は……2人目だから」

 

 2人目。

 

 地面が崩壊し、暗闇に飲まれてしまうようだった。平衡感覚が犯されて、冷や汗と吐き気が襲ってくる。

 

 綾波レイは、何人もいる。

 

 理解して、しまった。

 

 他人も、生きる事も望まない。

 

 造られた存在。

 

 人造人間。

 

 綾波、レイ。

 

 父さんが、怖がりな父さんが造ったもの……。

 

 残酷……すぎる……ッ……!!

 

「……僕は、父さんを許さない」

 

「…………?」

 

「絶対に」

 

「…………」

 

「…………」

 

「碇君……泣いているの?」

 

「分かるから……悲しいんだ。分かるから……許せない」

 

「……そうね」

 

 そう言って俯く綾波の手を、強く握り直した。

 

 意味は無くても、愛はある。

 

 例えば……守りたい。綾波と歩みたいと思うのは、きっと……

 

 兄妹を愛しているから。

 

 必ず阻止して、綾波の希望を取り戻してみせる。

 

 そして、アスカも……

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 リビング。

 

 夕食後。

 

 作戦部長の顔をしたミサトさんの元に、僕とアスカは席に戻った。

 

 ビールを飲み干すと、一言。

 

「修学旅行に行っちゃダメぇ〜!?」

 

 アスカは絶叫した。

 

「そうよ」

 

「どうして!」

 

「戦闘待機だもの」

 

「そんなの聞いてないわよ!!」

 

「今、言ったわ」

 

「誰が決めたのよ!」

 

「作戦担当である私が決めたの」

 

「ふぅ〜ん……で、それ、いつ決まったワケ? まさか、私とシンジが楽しそ〜に準備してるのを、黙まぁ〜って見てたはず、無いものねぇ〜?」

 

 廊下では、僕が私服を制服しか持ってないと知ったアスカに連れられて揃えた服や、他にも修学旅行を楽しもうと準備し、詰め込まれたキャリーケースやトランクが佇んでいた。

 

 アスカはそれを目で示す。

 

 確かに思う所はあるけど……

 

「まぁまぁ……ミサトさんも忙しいんだし、言えなかったものは仕方ないよ」

 

 作戦部長なんだし。

 

「これをシンジは許せるの!? 横暴よ! 職権濫用よ!! 犯罪的よ〜っ!!」

 

 びしびしとミサトさんを指差しながら眉を吊り上げるアスカ。

 

 これは暫く収まらないな……

 

「まあね……ミサトさんも、一言、謝ってくれればいいのに」

 

「は……?」

 

「ギリギリまでミサトさんも言わなかったんだから。いきなり仕事入れられたら、そう思わない?」

 

「あぁ……まぁ……そうね……」

 

「当たり前よ!!」

 

「あー……ごみん! 次から気をつけるから! だから、ね?」

 

「そうやって……あんまり日向さんに無理させると、嫌われますよ」

 

「あーんでそういうこと言うのよ〜!! 謝ったじゃなぁ〜い!!」

 

「シンジの言う通りよ! 明らかに普段謝ってないわね! 謝罪ってものがなってないわ!!」

 

「なぁ〜っ!? アスカに言われたくないわよ!」

 

「いーっだ。前日に戦闘待機って言い出す作戦部長に言われたくないもーん」

 

「はぁ……ごめんなさい。悪かったわよ……」

 

「フン! 初めからそう言えばいいのに」

 

「あんたねぇ〜……!」

 

「今回はミサトさんが悪いと思うな」

 

「シンちゃんまで……」

 

「確かに、ミサトさんは修学旅行に行けるように色々と努力してくれたんだと思います。でも、それはそれ、これはこれだから」

 

「シンちゃん……! やっぱり私を癒やしてくれるのは、シンちゃんだけねぇ〜!!」

 

「……分かってる?」

 

「分かってるわよぉ〜」

 

「……また、やるわね」

 

「あによぉ〜、それ。次は誠実に謝るってのに……」

 

「ミサトさん、違うよ」

 

「え?」

 

「努力はするけど、修学旅行には行けないかも。って、一言断ってくれるだけで良いんだ。そしたら別に、悲しいけど……やっぱりね。で終わるから」

 

「あー、そういうことぉ……?」

 

「本当、ミサトってメンタルケアは苦手よね」

 

「うっ……悪かったわね……苦手で」

 

「まぁまぁ……」

 

「……ところで、2人にはやって貰う事があるわ」

 

「なによ? また実験でもするの?」

 

「勉強よ」

 

「なんで……?」

 

「なんでじゃ無いでしょ〜? 見せなきゃバレないと思ったら、大間違いよ」

 

 ミサトさんは部屋着のズボンのポッケからデータCDを取り出した。

 

 そこには、碇・シンジ、惣流・アスカ・ラングレーとテプラが貼ってある。

 

 見覚えがあって……

 

 それは、学校で配られた成績表だった。

 

「良い機会だから、ちゃんと勉強なさい」

 

 頬が引き攣った。

 

 そんな事を言われても、どこからどう手をつけて良いのか分からない。

 

 とりあえず溜まった課題でもやるべきか……。

 

「今更? 旧態然とした減点式のテストなんか何の興味も無いわ」

 

「郷に入れば郷に従え。日本の学校にも、慣れてちょうだい」

 

「うまくやってるわよ!」

 

「じゃあ、これも出来るわね?」

 

「うっ……当然よ!」

 

 そう言い切ったアスカの表情も、諦めの覚悟のようなものを滲ませていた。

 

 から元気というやつである。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 第2羽田空港

 

 観望用R階。

 

 皆んなの見送りを済ませ、フェンスに囲まれた屋上から、2人で滑走路を眺めていた。

 

 今、まさに飛び立とうとしている飛行機。

 

「はぁ〜、せっかく沖縄の海でシンジにスクーバ教えてあげようと思ってたのになぁ〜」

 

 アスカは心底残念そうだ。

 

「えっ、そうだったの?」

 

 しかし、それは初耳だった。

 

「そうよ! 2セット用意したんだから」

 

「あの……ごめん……」

 

「なんで謝るのよ?」

 

「実は……水が苦手なんだ。嫌なこと……思い出すから……」

 

「そうなの? でも、珊瑚礁とかすごく綺麗だし、海も透き通ってて、環境は全然違うはずよ! やってみなくちゃ……!」

 

「ごめん、そうじゃなくて……体に触れる、水の感触が嫌なんだ」

 

 不快感が走る手首を触る。

 

「水に入りたく……ないんだ」

 

 思わず下を向いて答えると、背後から柔らかく暖かい感触に包まれた。

 

「……あ、アスカ?」

 

「いいの、そんなこと思い出さないで……」

 

 そう言われると、手首まで暖かく包まれたようで、緊張していた心が解れる。

 

「ありがとう……アスカ」

 

「……いいの」

 

 腹に回された腕に、力が篭った。

 

 飛行機が遠ざかる。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 火口内に正体不明の影を認識。

 

 浅間山地震研究所の報告は、NERV本部へいち早く共有された。

 

「これではよく解らんな」

 

 作戦部、第2視聴覚室には司令部から冬月、青木、技術部から赤城、伊吹、以上4名が集合している。

 

 赤トーンに黒点が散在する写真を数枚見せられ、冬月はそう評した。

 

「しかし、この影は気になります……」

 

 青木は流されまいと進言した。

 

「もちろん無視はできん」

 

「MAGIの判断は?」

 

50%50%(フィフティーフィフティー)です」

 

 技術部では解決出来ないと見るや、冬月は次の判断を下した。

 

「現地は?」

 

「既に、葛城一尉が到着しています」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 浅間山地震研究所。

 

 主モニター室。

 

「もう限界です!」

 

「いえ、あと500お願いします」

 

〝震度1200、耐圧隔壁に亀裂発生〟

 

「葛城さん!!」

 

 観測器のオペレーターは声を張り上げた。長年の仕事道具が、ありえない使い方をされているのだから、当然である。

 

「壊れたらウチで弁償します。あと200」

 

「モニターに反応」

 

 その声で日向のモニターに張り付く葛城。

 

「解析開始!」

 

「はい」

 

〝観測器圧壊。爆発しました〟

 

「解析は?」

 

「ギリギリで間に合いましたね……パターン青です」

 

「間違いない……使徒だわ」

 

 そのモニターには、繭に包まれた胎児のような禍々しい影が映っていた。

 

「これより当研究所は完全閉鎖! NERVの管轄下となります! 一切の入室を禁じたうえ、過去6時間以内の事象は全て部外秘とします!」

 

 そう宣言すると、慌ただしく動き始めるオペレーター。その間を縫って部屋を出ると、廊下の隅で携帯電話を取り出した。

 

「碇司令宛にA17を発令して。大至急」

 

「気を付けて下さい。これは通常回線です」

 

「分かっているわ。さっさと守秘回線に切り替えて!」

 

 葛城ミサトは、青木シゲルを怒鳴る。

 

 もちろん、通常回線を開いたのは葛城ミサトであった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 NERV本部 総司令執務室。

 

 A-17に対するゼーレの緊急召喚

 

 ホログラムにより、迅速な会議が手配された。

 

「A17……こちらから打って出るのか?」

 

「そうです」

 

「ダメだ、危険すぎる! 15年前を忘れたとは言わせんぞ」

 

「これはチャンスなんです。これまで防戦一方だった我々が、初めて攻勢に出る為の」

 

「リスクが大きすぎるな……」

 

「しかし、生きた使徒のサンプル。その重要性は既に承知の事でしょう」

 

「失敗は許さん」

 

 ゼーレの責任者であるキールローレンツがそう括り、ホログラムは消失した。

 

「失敗か……その時は人類そのものが消えてしまうよ」

 

 15年前。セカンドインパクトを代償に、アダムの胎児を手に入れたゼーレだったが、それ故に覚醒前の使徒には敏感になっていた。

 

 それは冬月も同じである。

 

「本当に良いんだな」

 

 しかし、碇ゲンドウは、補完計画を完全にするため、生きた使徒の解析は必要だと考えていた。

 

 リリスの魂の束縛に失敗し、アダムの体、S2機関のみでは碇ユイを起点とした補完が難しいと予想していたのだ。

 

 生きた使徒の理解、それのみで世界を紡ぐ、ネブカドネザルの鍵が必要だった。

 

「ああ」

 

 それゆえ、碇ゲンドウは重々しく頷く。

 

 自らの願いのために。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 作戦部 第2視聴覚室。

 

 チルドレンへの作戦通達に際して、現場にいる葛城一尉に代わり赤城リツコが担当していた。

 

「これが……使徒?」

 

「そうよ。まだ完全体になっていない、蛹のようなものね」

 

 モニターには、先ほどの繭が映っている。

 

「今回の作戦は使徒の捕獲を最優先とします。出来うる限り原型を止め、生きたまま回収すること」

 

「出来なかったら?」

 

「即時殲滅、いいわね」

 

「「「はい」」」

 

「作戦担当者は、アスカ。弐号機で担当して」

 

「はい」

 

「シンジ君、初号機はバックアップ」

 

「はい」

 

「レイと零号機は、本部での待機を命じます」

 

「待機でしょうか?」

 

「……プロトタイプの零号機には、特殊装備は規格外なのよ」

 

「分かりました」

 

「心配しなくても、ちゃんとやるわよ」

 

「ええ……お願いするわ」

 

「ふふん、任せときなさい!」

 

 手を当てて胸を張るアスカ。

 

 赤城リツコは、自分の意思を持ちつつある綾波レイを……射るように見ていた。

 

「A-17が発令された以上、すぐに出るわよ。支度して」

 

「「「はい」」」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「耐熱仕様のプラグスーツと言っても、普段と変わらないのね」

 

「手首のスイッチを押してみて」

 

 赤城リツコにそう言われ、アスカはフィットボタンとは別にあるそれを押し込む。

 

「いや〜! 何よこれぇ!!」

 

 更衣室に悲鳴が響き渡った。

 

 

 エヴァ換装作業ケイジ内。

 

「何よーっ、これぇ〜!!」

 

 そう叫ぶアスカは、でっぷりと膨れ上がったプラグスーツに身を包んでいた。

 

「耐熱耐核防護服。局地戦用のD型装備よ」

 

「これが、私の弐号機……?」

 

 そう言って見上げる弐号機も、分厚い装甲を上から被せられ、着ぐるみのような姿に変貌している。

 

「戦えるワケないじゃない! こんなので!!」

 

「そいつは残念。アスカの勇姿が見れると思ってたんだけどな〜」

 

 弐号機の上のブリッジから、加持さんはニヤケ顔で声をかけていた。

 

「加持さん……勇姿もなにも、動けなきゃ勝てないのよ!」

 

 驚きつつも、すぐに怒り顔に戻ると弐号機を指差すアスカ。

 

「おっと……? そりゃ、ごもっともな意見だなぁ……」

 

 少し驚いて、顎を触り始めた加持さんに嘆息しつつ赤城博士は口を開く。

 

「こう見えても、最低限の可動域はあるのよ?」

 

「最低限……」

 

 アスカはじっとりと赤城博士を見やった。

 

「仕方ないでしょう。今文句を言っても、何も変わらないわよ」

 

「……分かったわよ」

 

 アスカは弐号機を見上げ、ため息を一つ吐くと搭乗準備を始めた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「なんですか……あれ」

 

 到着し、探査芯の打ち込み終了まで山頂待機を命ぜられている時だった。

 

 浅間山の上空を旋回するように、航空機が陣を組んで飛んでいるのが目についたのだ。

 

「UNの空軍が空中待機してるのよ」

 

「この作戦が終わるまでね」

 

 技術部の返答に、アスカが口を開いた。

 

「どうして? なんか実験してるワケ?」

 

「いえ、後始末よ」

 

「私たちが失敗した時のね」

 

「失敗って……どうすんのよ」

 

「使徒を熱処理するのよ。私たちごとね」

 

「はぁ……信用ないわね〜、私」

 

 アスカは悪態をつく。

 

「そういう問題じゃないわ。煩い大人を黙らせるための、碇司令の案よ」

 

「父さんが……」

 

 綾波の事が脳裏に浮かんだ。結局、僕らも利用しているだけなのだろうか……

 

『レーザー作業終了』

 

 その報告で、アスカは前を見据える。

 

「シンジ、頼んだわ」

 

 バックアップの事だろう。

 

「分かってる。アスカも気を付けて」

 

 それにアスカも頷いた。

 

『弐号機、発進位置』

 

『了解。アスカ、準備はどう?』

 

「いつでもいけるわ」

 

『発進!』

 

 牽引ロープや循環パイプに吊るされ、ゆっくりと大地の赤い裂け目に近づいていく弐号機。

 

 底では、ゆっくりと対流する高熱のマグマが火を吹いていた。

 

「うわぁ……あっつそー……」

 

『弐号機、溶岩内に入ります』

 

 侵入と同時に悲鳴が上がる……なんて事はなく、水に入るように沈む機体を見てホッとする。

 

「現在、深度100。沈降速度20。各部問題なし。視界は0。何も分からないわ……CTモニターに切り替えます」

 

 しかし、代わり映えしなかったのか

 

「これでも透明度120か……」

 

 そんな残念そうな通信が届いた。

 

 沈降するロープを眺めているだけなんて、なんて歯痒いんだろう。

 

『深度400、450、500、550、600、650……』

 

 順調に下がっている。もし、そんな深くの溶岩内で使徒が暴れたら……

 

『950、1000、1020、安全深度オーバー』

 

 アスカは……

 

『1300、目標予測地点です』

 

『アスカ、何か見える?』

 

「反応なし。いないわ」

 

『思ったより対流が早いようね……』

 

『目標の移動速度に、誤差が生じています』

 

『再計算急いで、作戦続行。再度沈降よろしく』

 

『……深度1350、1400』

 

『第二循環パイプに亀裂発生』

 

『深度、1480。限界深度オーバー』

 

『目標とまだ接触していないわ。続けて』

 

『アスカ、どう?』

 

『まだ持ちそう……早く終わらせて、シャワー浴びたい』

 

『近くにいい温泉があるわ。終わったら行きましょ。もう少し頑張って』

 

 そこまでして、胎児の使徒を捕獲する必要があるのか……?

 

 いくら作戦だと頭で分かっていても、限界深度オーバーと聞いて、冷静では居られなかった。

 

 アスカも、あれは……から元気だ。

 

『限界深度、プラス120』

 

『エヴァ弐号機、プラグナイフ喪失』

 

『限界深度、プラス200』

 

『葛城さん、もうこれ以上は……! 今度は人が乗ってるんですよ?』

 

『今回の作戦責任者は私です。続けて下さい』

 

「ミサトの言う通りよ。作戦は遂行するわ」

 

『深度、1740。目標予測修正地点です』

 

「……いた」

 

『目標を映像で確認』

 

『捕獲準備』

 

『お互いに対流で流されているから、接触のチャンスは一度しかないわよ』

 

「分かってる。任せて」

 

『目標接触まであと30』

 

「相対速度2.2。軸線に乗ったわ」

 

「電磁柵展開、問題なし。目標、捕獲しました!」

 

『ナイスアスカ!』

 

「はぁ……捕獲作業終了。これより浮上します」

 

 通信から響くため息に釣られて、息がついて出た。

 

 ともあれ、後は上がるだけだ。

 

「アスカ、大丈夫?」

 

 深度1700の溶岩から上がる。

 

 牽引ロープがいくら丈夫でも少し不安だった。

 

「案ずるより産むが易しってね、楽勝よ!」

 

「なら……良かった」

 

「それより、これじゃプラグスーツというよりサウナスーツよ……あー……早いとこ温泉に入りたいなぁ……」

 

「もうすぐだよ。頑張ろう」

 

「分かってるけど〜……って、何よ……これぇ!?」

 

「アスカ!?」

 

『まずいわ! 羽化を始めたのよ! 計算より早すぎるわ!!』

 

『捕獲中止! キャッチャーを破棄! 作戦変更。使徒殲滅を最優先。弐号機は撤収作業をしつつ、戦闘準備』

 

「了解……! バラスト放出! ッ……早い!?」

 

 明らかに攻撃されている。

 

 どうする? 初号機に特殊装備はない。

 

 武装もナイフしかない……

 

「まずいわね……見失うなんて……」

 

 しかも相手は溶岩を高速で動き回るらしい使徒。

 

 どちらにせよ、あの重鈍な弐号機じゃエサにしかならない……

 

『アスカ、今のうちに初号機のナイフを落とすわ。受け取って』

 

 その声を聞いて、牽引ロープを目印にナイフを投げ込んだ。

 

「了解!」

 

「やば……まだなの!? シンジ!!」

 

「今行ってる!」

 

『ナイフ到達まで、あと40』

 

『使徒、急速接近中』

 

「いやーっ、来ないでぇ!! もう! 早く来てぇー!! おそいー!!」

 

 もがくアスカの音声が一度途切れると、衝撃音が響いた。

 

「ッ……しまった」

 

『まさか、この状況で口を開くなんて……』

 

『信じられない構造ですね……』

 

 目まぐるしく届く音声。

 

 ナイフが、届かなかった。

 

 アスカが喰われてる。

 

 アスカッ……!!

 

『初号機、ATフィールド5ヨクトで発生! 3、2、1、反転します!!』

 

『なんですって!?』

 

『相転移空間が展開!!』

 

 考えるより先に、体が動いていた。

 

 やられる前に、やってやる!

 

 こんな所で、失ってたまるか……!!

 

 使徒を、一方的に殺すべき敵だと認識して、体が燃えるようだった。

 

 絶対に、何があっても、使徒は殺す。肉片も残さず蹂躙してやる。

 

 そして、アスカを守る。

 

 何かを護りたい。

 

 エヴァの想いが、伝わる。

 

 煮えたぎるそれに反応して、初号機から感覚どころか心まで同化しようと抱きしめられているようだった。身を任せ、体温まで感じる……ATフィールドも変質しているらしいが、今は都合がいい。

 

 赤い視界に、熱も感じない。

 

 ATフィールドが拒絶しているんだ。

 

『初号機、は、速い……! 速度80。沈降していきます!』

 

『あのバカっ……!! なにしてんのよ!!』

 

「アスカが喰われてるんだ!! 今、助けなきゃいけないんだ!!」

 

『弐号機、左足損傷』

 

「耐熱処置! こんッちきしょォォオ!!」

 

 赤い視界の中、白い機体に食らい付く黒い影が見え始める。

 

 弐号機は片足を切断し、食らい付く使徒に懸命な抵抗を試みていた。

 

「……アスカからッ! 離れろ!!」

 

 相手のATフィールドが、解るッ!!

 

 ここから掴める(・・・・・・・)

 

 それを引きちぎると、使徒はまるで、巨人の指に握り潰されたかの如く、散り散りになって消えていった……

 

「え……?」

 

 目の前の現実が、分からなかった。

 

 ATフィールドと同じように……

 

「使徒が……」

 

『パターン青、消滅……使徒、圧壊しました……』

 

『初号機、急減速していきます……』

 

『……初号機の神経回路を切断』

 

 その指示で、モニターは真っ暗になった。

 

 突如失われた巨大な感覚に戸惑う。

 

 熱くなり始めたプラグの金属壁の中で、不安に感じながらも、どこか安心していた。

 

 確かに、あのままだと何が起こったか分からない……弐号機までも、切ってしまったかもしれない……

 

 圧壊……するなんて……

 

『アスカ。初号機を受け止めて。そのまま浮上』

 

「り、了解……弐号機、浮上します……」

 

『シンジ君、後で、話を聞かせて貰うわ』

 

「……はい」

 

 赤城博士の言葉を、重々しく受け止めた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 LCLを洗浄し、プラグスーツから着替えた後。精神汚染の心配があるという事で、様々な検査を受けた。

 

 制服姿で、正直ぐったりしている。

 

「頭部装甲の一部自損、最大シンクロ率88%、ハーモニクス74%……深度限界点ギリギリよ。本当に、よく戻ってこられたものね」

 

 浅間山研究所の会議室で、資料を挟んだバインダーを片手にじろりとこちらを見やる赤城博士。

 

「すいません……」

 

「それに、普段の実験ではあり得ない数値よね」

 

 テーブルに置いたバインダーを、とん、とん、と指で叩く。

 

 手抜きしていたのではなくて? と語る目線にたじろいだ。

 

「違うんです。守りたいって思ったら、その……エヴァが反応してくれたみたいで……」

 

 自分でも要領を得ない説明だと思ったが、そうとしか言えないのだから仕方ない。

 

「……そう。では、使徒を圧壊させたのは? 心当たりがあるのではなくって?」

 

「相手のATフィールドが見えたんです。それを掻き切ったら……あんな風に……」

 

「使徒の相転移空間の展開は確認されていないのよ……碇、シンジ君?」

 

「でも、確かに見たんです」

 

 感情のない瞳でじっと見つめられて、押し黙る。

 

 見られても何も言えることはない。

 

「そう……分かりました。私からは以上です」

 

 諦めたように目線を緩めると、さっさと立ち上がった。

 

「私からは……?」

 

「作戦部長、すごい剣幕だったわよ」

 

 そう言い残して退出する赤城博士を見送り、すぐに明らかな不機嫌顔のミサトさんが顔を出した。

 

 ツカツカと僕の前までやってくる。

 

「えっと、その……ご……申し訳……ありませんでした」

 

 立ち上がって、45度でしっかり頭を下げる。

 

 今は、パイロットとして、謝らなければならない。

 

「直りなさい」

 

「はい」

 

「初号機パイロット。碇、シンジ君」

 

「……はい」

 

「作戦外行動、規律違反……今すぐ本部に送還して三日間は禁固刑よ」

 

「ぁ…………」

 

 直立不動の体勢のまま愕然とした。

 

 ミサトさんは、許してくれる。どこかでそう甘く考えていた。

 

 そんな事は……無いか……

 

「と、言いたい所だけど……反省しているみたいだし、この前は私も事前に相談しなかったし……おあいこにしてあげるわ」

 

 格好を崩すと、頭を掻きながら苦々しい顔をした。

 

「ミサトさん……!」

 

「ま、使徒も殲滅できたしね〜……ただし、お互い次はないわよ。いいわね?」

 

「……はい」

 

「じゃ、さっさと行くわよ」

 

「……行くって?」

 

「決まってるでしょ〜? お、ん、せ、んよぉ〜! ほら、きびきび歩く!」

 

「わっ、押さないでよミサトさん!」

 

「ほらほら! 温泉は逃げなくとも、時間は逃げるのよ〜!」

 

「わ、分かった! 分かったからぁ!」

 

 廊下を駆けるように抜けた。

 

 シャワーを浴びてぐったりとしたアスカを載せた車は、比較的優しいミサトさんの運転で走り出す。

 

 

 車で寝たからか、元気を取り戻したアスカはロビーから部屋まではしゃぎっぱなしだ。

 

 疲れていたから、ミサトを連れて、さっさと温泉へ向かってしまう姿を見送って、一休みしてから向かおうと考えていた時だった。

 

 リリリリ……と部屋の電話が鳴る。

 

「はい」

 

「お客様。お届け物がございますので、ロビーまでお越しください」

 

「……分かりました」

 

 今はNERVの貸し切りよ〜! とさっき上機嫌のミサトさんが言っていたし、間違いなくNERV宛の荷物には違いない。

 

 一泊の予定だけど、アスカが服でも送ったのかな……?

 

 いや、でも、そんな暇あったのかなぁ。

 

 そう思いながら対面した箱を開けると……

 

「グワワワワッ!!」

 

「うわ!?」

 

 タオルと保冷剤が敷き詰められたクール便から、ペン2と書かれたホルダーを下げた首輪をしたペンギンが飛び出した。

 

「なんだ、ペンペンか……」

 

「クワっ!」

 

 潤んだ目を見開き、何かを主張する。

 

 まぁ、ペンペンが求めるものは……

 

「お風呂なら、そこを曲がって右だよ」

 

「クワワッ!!」

 

 ぺしぺしと足をヒレで叩かれる。

 

「あはは、いくらペンペンでも、分かんないか……」

 

 仕方ない。と、ロビーでタオルを貰って、ペンペンを連れて温泉へ向かった。

 

 

「はぁ〜……」

 

 周囲の大自然の気配と、立ち登る湯気。

 

 鉱水の匂いに、息が抜けた。

 

 何にせよ、上手く終わって良かった……

 

 夕日が優しく辺りを照らしている。

 

「クワ〜……ク〜ワっ……クワァ……」

 

 ペンペンが立てる水音も、今は心地いい。

 

 脱衣所で逡巡していた時間が無意味に思える程、温泉を楽しめていた。

 

 不快感は無く、むしろ暖かい。

 

 冷たかった底に、少しずつアスカの純粋な暖かさが堆積していた。知らぬ間に、心から信頼したいと思えるようになっている。

 

 黒いタールは消えて。

 

 今はアスカが、僕の中にいる。

 

 暖かい手に涙が出そうになるのは、それを自覚したからだった。

 

 そんな感情で浸かる事に、我ながら長風呂を予感していた……

 

 

 アスカは話題が無くなると、初めて目撃したミサトの胸の傷に、目線が吸われていた。

 

「あぁ、これね? セカンドインパクトの時、ちょっちね」

 

「……ミサトも、思い出したくないのね」

 

「ま、そうね〜……」

 

「……シンジも、左手首を気にするのよ」

 

「…………」

 

 ミサトは険しい顔になった。

 

 その実、〝なぜ碇シンジが大人びているのか〟と、思考した事が無かったからだ。

 

 一度気になって調べたが……結局、何の問題も起こさない、気弱な男子という結果しか得られなかった。

 

 何か、あったのだろう。という同情で記憶の隅に置いたのは、保身の為だった。

 

 それが眼前に躍り出ている。

 

「ファーストも、そうなのかな……」

 

「レイ……か……」

 

 葛城ミサトは、しかし、そう考えるのが妥当だと感じていた。

 

「そうかも、知れないわね」

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人は、それぞれ言語化不能な思いを飲み込み、夕陽を眺めていた。

 

 

 夜。

 

 案内された客室の間取りの一つ。山を一望する、観望用の小部屋の中で、ぼうっと景色を見ながら音楽を聞いていた。

 

 すると、障子をスラリと開けて浴衣姿のアスカが現れる。

 

 見ていると、椅子をずらして来て隣に座った。

 

「なにしてんの?」

 

「別になにも。ただ、眠くないから……」

 

「ふ〜ん……」

 

 手元のウォークマンを見つめるばかりのアスカ。

 

「聞く?」

 

「いい」

 

 ふい、と外を向いてしまう。

 

 何となく此処に来たのかな……?

 

 仕方なくそっとすると、しばらくして、口を開いた。

 

「ねぇ、シンジ……アレ、どうやってやったの?」

 

「あれ……?」

 

「使徒を殲滅したやつ。あんなの、私も知らないのに……」

 

 両耳からイヤホンを外して、考える。

 

「何となく……分かった事があるんだ」

 

「……なに?」

 

 アスカの声音は硬い。

 

「ATフィールドは、エヴァの心……意思の力、みたいなもの……なんだと思うんだ」

 

「兵器に心なんて」

 

 アスカは口をつぐんだ。

 

 でも、確かに、目の前で使徒は崩壊した。

 

「最初、エヴァが見てくれているような気がしたんだ。暖かいような……今は、何か分かるよ。エヴァにも、心がある」

 

「……そんな……わけ……」

 

「……弐号機は、分からない。正式タイプだから、そんな不確定要素は無いのかもしれない。でも、確かに……初号機は優しくて、綾波に似ているんだ」

 

「……狡いわよ。そんなの」

 

 アスカは悲しそうな顔をしていた。

 

「ばか」

 

 軽く肩に拳を触れさせると、俯いてしまう。

 

「はぁ〜、自信なくなるわね。ホント」

 

 椅子の上で足を寄せて、体育座りをするアスカ。頭を埋めて、いつかの落ち込む姿勢に入っていた。

 

「アスカ……アスカは今でも充分強いよ。僕がD型装備だったら、きっとやられてる」

 

「……うるさい。シンジにはATフィールドがあるでしょ……」

 

「それは……」

 

「…………」

 

「アスカを守らなきゃ、って、必死だったから……」

 

「…………」

 

「その……僕も、よく分かってないんだ」

 

「……じゃあ、エヴァの心ってなんなの?」

 

「それも何となく、ってだけで……」

 

「シンジのくせに、頼りないわね」

 

 顔を上げると、じとっとした視線を向けられる。

 

「ごめん……」

 

 申し訳ないと思いつつも、頭を掻いた。

 

 頼りないと言われても、すぐに変わるなんて無理だ。

 

「良いの。分かってる」

 

 アスカは嘆息しつつ頭を振って足を解くと、僕の手を取った。

 

「ありがとう。シンジ。来てくれて嬉しかったわ」

 

 頬を染めながら恥ずかしそうに、笑ってそう言われると、こっちまで恥ずかしくなってくる。

 

「うん……アスカが無事で、良かった」

 

 アスカは潤んだ瞳を揺らすと、立ち上がって、しなだれかかるように僕の頭を抱いた。

 

「自信もってよね。もう……」

 

「…………」

 

 柔らかくて、甘い……自信を持って、なんて言われて……顔が熱い。火が出るみたいだ……。

 

 湧く邪念を振り払うので、精一杯だった。

 

 解放されると、指でついっと顎を上げらる。

 

 そこには、青い月の光を受けて黒く輝く髪の中で、白い肌に月のように浮かぶ青い瞳。それがゆっくりと閉じて、近づいてきていて……

 

 柔らかい感触を残した。

 

「これは……狡いよ」

 

 思わず口を尖らせると、アスカは悪戯っぽく笑った。

 

「嫌じゃないでしょ?」

 

「そうだけど……」

 

 その表情を直視できなくなって、横を向いた。

 

 嫌じゃない。嫌じゃないけど……。

 

 生成された熱量は、どうすればいいんだ。

 

 ちょっとムッとして、立ち上がると、アスカの顔を正面から見据える。

 

 少し驚いた様子のアスカに、仕返しをしようとして、その甘く香る頬にそのまま触れた。

 

「……ばか」

 

 目を逸らされる。

 

 その様子に溜飲が降りて、張り詰めていた息が漏れ出た。

 

「……じゃあ、僕はもう寝ようかな」

 

「……もう?」

 

「う、うん、疲れちゃって……」

 

 正確には気疲れだった。浴衣の端を摘んで、残念そうな顔をするアスカは、自分にどんな破壊力があるか、きっと自覚していないんだ。

 

「仕方ないわね……」

 

 その声に頷いて、障子を開けると……腕を組んで静かに佇む、ジト目のミサトさんが居て……

 

「……結構だけど、避妊はしなさいよ」

 

「「そ、そもそもしない(わ)よ!!」」

 

「ならいいんだけど……」

 

 疲れたようにため息をついた。




 次回 「静止した闇の中で。」






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第拾肆話 静止した闇の中で。(前編)

 今回は6千くらいです。

 後半が書き上がっていないので、今しばらくお時間を頂きます。
 すみません。





 NERV本部 技術部長執務室。

 

「そんなに仕事ばかりで、疲れないかい? りっちゃん」

 

 部屋にふと、現れた。

 

 ニヤケ顔の男に赤城リツコはため息を吐く。

 

「今度は何を企むのかしら。諜報部特務課長さん?」

 

「何も企んじゃいないさ。ただ、ちょっとばかし興味があるだけでね……」

 

 デスクを撫でるように触ると、存在を無視して動くマウスをその手で抑えた。

 

「ミサトが怒るわよ」

 

「つれないなぁ。ま、それでもいいさ」

 

「……いい加減、話したら?」

 

 赤城リツコは画面から目を離し、その男を見据えた。

 

「バレバレか……ATフィールドの事さ」

 

 男は手を離し、それを頭の横を通して所在なさげに垂れ下げる。

 

「それが?」

 

「触れずに使徒を圧壊させるってのは、知っていたのかい?」

 

「どこでそれを……」

 

「皆んな噂してるさ。機密ってのは隠そうとすると、広まるからな」

 

「……そうね」

 

「お見通しか」

 

「いえ」

 

「へぇ……赤城博士も、知らない事があるとはね」

 

 その顔を、赤城リツコは睨む。

 

「おおっと、心配しなくてもいいさ。今回はもうコーヒーを淹れてあるんだ」

 

 事もなげにウインクをしてみせる加持リョウジ。

 

「……呆れた。後で警備班が泣くわね」

 

「だろうな」

 

 加持リョウジは、感情を失うように、その顔から表情を落とすと口を開く。

 

「……第三の少年が相転移空間──使徒と同様のATフィールドを展開したのは、理由があるんだろう?」

 

「聞いて、どうするつもり?」

 

「どうもしないさ。ちょっと気になるだけでね……気になるだろう? チルドレンの事は」

 

「そう、ね……」

 

「第三の少年に続いて、全員が変わり始めている。誰も予測できないだろう」

 

「…………」

 

「いいのかい? りっちゃん」

 

「……答えを用意できると?」

 

「さぁ? 聞いてみないと、分からないな」

 

 そして、またニヤリと微笑む。

 

「あんまり遊んでると、火傷するわよ」

 

 赤城リツコの表情は変わらなかった。

 

「人生には、息抜きが必要だろう?」

 

 しかし、息を深く吐くと、語り始めた。

 

「……ATフィールドは、ほぼ未知の領域にある。ATフィールドでしか中和出来ない──という事すら、当初は推論だったのよ」

 

「いやはや、まさか、本当に分からないとは……」

 

「全くの未知ではなくってよ? 感情に反応していると、本人が証言したわ」

 

「そんな曖昧な……冗談だろう?」

 

「数字上のデータから精神的な動向を推察するのは不可能よ。シンクロ……精神と直結した制御手段では、パイロットの証言が最も重要なの。お分かりかしら」

 

「つまり、まるっきりシンジ君に頼るしか無いわけか。エヴァンゲリオンというのは」

 

「そうね。展開時のデータサンプルが複数あれば、また違うのだけれど……」

 

「実験では展開しないわけか……知ってか知らずか、末恐ろしいな。シンジ君は」

 

「時間の問題よ。戦力が向上している以上、使わざるを得ない」

 

「碇司令か……凍結の危険もあったと?」

 

「……口が過ぎたようね」

 

「いや、面白い話を聞かせて貰ったよ。少し調べてみようかな。もちろん、君にもプレゼントを贈るよ」

 

「どうかしら」

 

「じゃ、仕事はほどほどにな」

 

「お互いね……」

 

 立ち去る加持リョウジの背中に、赤城リツコは呟いた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「ねぇ、ファーストは不安じゃないの?」

 

「何が?」

 

「エヴァに乗ること」

 

 本部へは3人で行く事が多くなったが、綾波とアスカの間に会話は無い。

 

 そもそも、綾波が話すこと自体少ないから不思議では無いけど……

 

 突然、不透明だった綾波のスケジュールが僕らと同じになった事に違和感を覚えていたが、それより驚いた。

 

 それとなく変わる並びの中、たまたま綾波と僕が横に並び、少し前をゆくアスカは綾波に声を掛けている。

 

 しかもエヴァの事で……

 

 そういえば、時間があるから徒歩で行こうと言い出したのもアスカだった。

 

「どうして?」

 

「私は、エヴァの為に出来ることをした。なのに、エヴァの事は分からない……貴方もそうでしょ?」

 

「……目標は使徒の殲滅よ」

 

「考えない──私にそう言ったのは、アンタよ」

 

「…………」

 

「要するに何となく、で兵器を扱ってんのよ。分かってる? シンジは心だと言ったけど……私には分からないッ……」

 

「……そうね」

 

「じゃあ、なぜ、エヴァは動くの? 不安にならないワケ?」

 

「動くなら……問題はないわ」

 

「もう! 素直じゃないわね! アンタも。思い出したくない事がある、違う?」

 

 不機嫌そうな、しかし困り顔で振り向くアスカにハッとした。アスカにも、僕にもあるように、綾波にあるとしたら……

 

 なぜ、2人目なのか。

 

 それは、消えた1人目の事なのか?

 

「……知らない」

 

 目を逸らす綾波。

 

「はぁ……それ、もう、答えじゃない……」

 

 今は、言えない……だけど、あるのは間違いない。

 

「だから、動くのかな」

 

「そ、だから聞いたの。はーっ、これで一つスッキリしたわ!」

 

 そう言うアスカの足取りは軽い。

 

「ホントにさぁ、誰かに似て素直じゃ無いわよね〜。ファーストって」

 

「誰かって、もしかして僕?」

 

「他に誰が居んのよ」

 

「アスカには結構素直だと思うけど……」

 

「う、うるさい! バカ! 鈍感!!」

 

「いたっ、痛いって!! どういう事!?」

 

「もう、シンジはいいの! 私が居るから!」

 

「え〜……じゃあ、綾波も素直になれってこと?」

 

「そういう事よ!! レイ!!」

 

「……なに?」

 

「素直になりなさいよ!!!!」

 

「お、怒りながら言わなくても……」

 

「別に怒ってない!! はぁ。もう、いいわよ……」

 

「……素直。汚れなき心……まっすぐなこと……なぜ、私に求めるの?」

 

 遅れて思考の海から戻ってきた綾波は、赤い瞳で真っ直ぐにアスカを見つめる。

 

「素直じゃないからよ」

 

「でも……誰に?」

 

「決まってるでしょ」

 

 アスカは僕をちらりと見ると、前を向いて

 

「自分によ」

 

 そう言った。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「あら、副司令。おはようございます」

 

「「おはようございます!」」

 

 技術部、赤城リツコ、伊吹マヤ。司令部、青葉シゲルは早朝の電車で冬月副司令に遭遇した。

 

 電車での遭遇にオペレーター2人は声が少しうわずっていたが、冬月はさして気にした様子でもない。

 

「あぁ、おはよう」

 

 新聞から目線を外し、ちらりと見やると、すぐに情報の摂取に戻った。

 

「今日はお早いですね」

 

 赤城リツコは2人分ほどの席を開けて腰掛ける。

 

「碇の代わりに上の街だよ」

 

「あぁ、今日は評議会の定例でしたね」

 

「くだらん仕事だ。碇め昔から雑務はみんな私に押し付けおって……MAGIが居なかったらお手上げだよ」

 

「そういえば、市議選が近いですよね。上は」

 

「市議会は形骸に過ぎんよ。ここの市政は事実上MAGIがやっとるんだからな」

 

「MAGIが……そんな事までしていたんですね」

 

 伊吹マヤは、技術部として自分に任されたMAGIの意外な側面に驚く。

 

「3系統による多数決。キチンと民主主義の基本に則ったシステムだ」

 

「議会はその決定に従うだけですか」

 

「最も無駄の少ない効率的な政治だよ」

 

「流石は科学の街。まさに科学万能の時代ですね」

 

「……そういえば、零号機の実験だったかな。そっちは」

 

 冬月は赤城リツコに話を振った。

 

「ええ、本日10:30より第2次稼働延長試験の予定です」

 

「朗報を期待しとるよ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 NERV本部 零号機実験ケイジ瑞設モニター室内。

 

 第二次稼働延長試験中。

 

「実験中断! 回路を切って!」

 

 赤城リツコは声を張り上げた。

 

 モニターには緊急事態を知らせる警告が表示されている。

 

『回路切り替え』

 

『電源、回復します』

 

 実験ケイジ内の照明が回復し、モニターには結果が表示されていた。

 

「……問題はやはりここね」

 

「はい。変換効率が理論値より0.008も低いのが気になります」

 

「ギリギリ計測誤差の範囲内ですが……どうしますか?」

 

「もう一度同じ設定で、相互変換を0.01だけ下げてやってみましょ」

 

「了解」

 

「では、再起動実験を始めるわよ」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 同時刻 NERV本部。

 

 司令塔直結エレベーター前。

 

「おーい! ちょっと待ってくれ〜」

 

 ミサトを驚かせようと悠々と近づいていた加持は、予想より早いエレベーターの到着に走り出した。

 

「……はぁ……はぁ。いやぁ、助かった」

 

 開いているエレベーターの扉の前で、減速する加持。

 

「今日は優しいじゃないか。これは、期待してもいいのかな……?」

 

 男は入るなり、肩に伸ばした手を払い除けられる。

 

「いい訳ないでしょ……エレベーターくらい、誰でも開けるわよ」

 

「どうかな」

 

「誰にでもそうやって……」

 

「君にだけさ」

 

「リツコから聞いてるわよ」

 

「は……はは、参ったな。こりゃ」

 

「まったく……」

 

 暫く、無言のまま階数を見上げる2人。

 

「……あら?」

 

「停電か?」

 

「まっさか〜、あり得ないわ」

 

 ミサトは笑ったが、エレベーターは非常灯の仄暗い光に包まれる。

 

「……変ね。事故かしら」

 

「赤城が実験でもミスったのかな?」

 

 

「主電源ストップ! 電圧0です」

 

「わ……私じゃないわよ?」

 

 赤城リツコは、スタートボタンに手をかけたまま、固まっていた。

 

 

「でもま、すぐに予備電源に切り替わるわよ」

 

「……どうだろうな」

 

 

 NERV本部 司令塔

 

 同時刻

 

「ダメです! 予備回線繋がりません」

 

 対応に追われる青葉シゲルは、冬月副司令に縋るように報告した。

 

「バカな……! 生き残っている回線は?」

 

「全部で1.2%。2567番からの旧回線だけです!」

 

「生き残っている電源は全て、MAGIとセントラルドグマの維持に回せ!」

 

「全館の生命維持に支障が生じますが……」

 

「構わん! 最優先だ!」

 

 

 NERV専用連絡通路 ゲート前。

 

「……あれ?」

 

 カードキーを通しても、反応がない。

 

「…………?」

 

 隣のゲートでも、綾波がカードを眺めている。

 

「もう! 壊れてんじゃないの、これ!!」

 

 反対側では、アスカが叫んでいた……

 

 

「……タダごとじゃ無いわ」

 

 非常連絡用のボタンを連打しながら、焦りを滲ませるミサト。

 

「ここの電源は?」

 

「正、副、予備の3系統。それが同時に落ちるなんて、考えられないわ」

 

「となると……落ちたというより、落とされたってカンジだな」

 

「なんであれ、この状況で使徒の攻撃でもあったら……最悪よ」

 

 ミサトはあらゆる手を尽くしたが、力なく受話器を戻した。

 

「……ダメね。非常用回線も繋がらない」

 

「ま、ジタバタしても仕方ないさ」

 

「はぁ……そうねぇ……」

 

 項垂れるミサトに、壁に寄りかかりながら加持は声をかける。

 

「ウチで……子供たちの様子は、変わりないかい?」

 

「何よ、こんな時に」

 

「だからこそさ。焦っても、仕方ないだろう?」

 

「……別に、普通よ。問題は何もないわ」

 

「そうか……年頃の子供2人に普通、かぁ。昔の君からは、想像もできないな」

 

「なによ……文句でもある?」

 

「いや……ただ、どう折り合いを付けているのかな。と思ってね。俺だって、惣流と上手く付き合えている気はしないさ」

 

「アンタが……? けっこう懐いてたじゃない?」

 

「いや……あれは上辺だけだよ。それくらいは分かるつもりでいるが……意外だったかな?」

 

「意外も何も……アンタが嫌われてる所なんて、見たことないわよ」

 

「……嫌われないだけさ」

 

「そうねぇ……私も、陰でどう言われてるか、分からないものね」

 

「へぇ、とてもそうは見えないが……」

 

「……最近、分からなくなるの。シンジ君も、打ち解けて来たと思うわ。でも……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「でも、なんだい……?」

 

 ミサトは胡乱に男を見やったが、頭を振ると、言葉を発した。

 

「これは私の問題よ。貴方に話すような事じゃないわ」

 

「碇、シンジ君の過去か。本当に、彼に何があったんだろうな……」

 

「どうしてそれを……!」

 

「気になって調べたのさ。彼の中学校に、外部から介入の形跡があった」

 

「介入……どうして?」

 

「イジメだよ。それを扇動した何者かがいる。そして、彼は浴槽で自殺未遂を計った……」

 

「ッ……」

 

「俺は恐らく、NERVだと考えている」

 

「そんな訳が!!」

 

「綾波レイ。彼女はどうだろうな」

 

「ある……わけ……」

 

「惣流、アスカ、ラングレー。彼女でさえ、呪われた過去がある」

 

「…………」

 

「運命を仕組まれた子供たち。君が違和感を感じるのは、仕方のない事だと思うよ」

 

「碇司令は……彼らをどうするつもりなの?」

 

 ミサトは『こんな時だからこそ』という、加持の言葉に意味を感じ始めていた。あらゆるMAGIの端末が停止した今、だからこそなのだ。

 

「エヴァへの……依存……だろうな。都合よく使うための」

 

「そんな……! 実の親子なのよ!?」

 

「碇司令がどう思うかは、分からないだろう?」

 

「許せないッ……!!」

 

「おいおい。まだ決まった訳じゃない。だからこそ、避けているかも知れないだろ?」

 

「……どういうこと?」

 

「赤城は精神による直接制御だと言っていた。そして、チルドレン。依存が鍵だとは……思わないか?」

 

「全て、エヴァの為だって……言うの……」

 

「だから聞いたんだよ。葛城。変わりは無いか? とね……シンジ君は打ち解けている。そうだろう?」

 

「……ええ」

 

「変わり始めて、いるんじゃないのか?」

 

「……分からないの……私には……」

 

「……どうして?」

 

「アスカとシンジ君は、確かに変わった。今はよく笑って、通じ合っていると思う。でも、私は……疑って、しまうのよ」

 

「…………」

 

「変わらないのは……私だわ。だから、分からない……」

 

「葛城……君は変わったさ。君が気付かないだけで」

 

「加持君……」

 

「優しくなっただろう? 俺はそう思う」

 

「もう……こんな時だからって、口説くなんて。信じれない」

 

「自分の気持ちには、嘘を吐きたくないからな」

 

「はいはい……」

 

「ま……でも、ありがとう。礼は、言っておくわ」

 

「どういたしまして」

 

「……ふん」

 

 虚空を見つめ、思考を巡らせるミサトは、加持の慈しむような瞳に気付く事はなかった。




 次回 「静止した闇の中で。(後編)」





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第拾伍話 静止した闇の中で。(後編)

 今回は7000くらいです。







 NERV専用通路。市内出入り口。

 

 緊急用も兼ねる、主要な場所に3人で集まっていた。

 

「ダメ。こっちも繋がらない」

 

 携帯電話を仕舞う綾波。

 

「非常回線もダメね。どの施設も動かないし……どうなってるの?」

 

 受話器を下し、困惑するアスカ。

 

 その様子を見て、さっきから不安に思っていた事をつい口に出した。

 

「……下で何かあった、とか?」

 

「そう考えるのが自然ね」

 

 そう言うと、綾波はNERVの職員パスから非常用のマニュアルを抜き取り始める。

 

「殆どの場合、極力チルドレンは本部待機じゃ無かったっけ?」

 

「そうね。行きましょう」

 

 数行目を通すと、頷く綾波。

 

「行くって、でも、どうすんのよ……」

 

「そこのA-17の手動ドアから入れるわ」

 

 具体的な場所も確認していたらしく、さっさと歩き始める綾波に2人で続いた。

 

「これね……シンジ、手伝って」

 

 そこには、重厚そうなゲートと、右側にemergencyと円状に刻印された手回し用のクランクハンドルが取り付けられている。

 

 アスカは既に手をかけていた。

 

「うん」

 

 2人で唸りながら苦労して扉を開けると

 

「お疲れ様」

 

 そう言う綾波に言葉が詰まった。

 

「綾波……これは、ありがとう。でいいんじゃないかな?」

 

「そう? じゃあ、ありがとう」

 

 そうだけど、そうじゃないんだよ……

 

 前を行く綾波に複雑な心境を抱いていると、アスカが唐突に耳打ちした。

 

「……ねぇ、レイっていつもこうなの?」

 

「まぁ、そうだね……」

 

 こそばゆいのを我慢してそう答えると、アスカは少しだけトーンを落とした。

 

「シンジにこう言ったら悪いけど、やっぱり可愛げが無いわよ」

 

「それも素直じゃないってこと?」

 

「かなり……重症ね」

 

 頷いて、ため息を吐くアスカ。

 

 薄暗い通路を進む中、考えずにはいられなかった。

 

 綾波が自分に素直じゃない。

 

 その言葉の意味を無視できるほど、アスカの事を理解している訳もない。

 

 だが、かといって、アスカに直接……なぜ? とぶつけるのも躊躇われた。そんなのは、アスカに直接反抗するような事だ。

 

 折角言ってくれたのに、否定したくない。

 

 そもそも綾波が本当に素直だったとしたら、もうこの世には居ないかもしれない。

 

 悲しい怒りが湧いてくるのを感じながら、拳を握りしめた。

 

 きっと、恐らくだけど……計画の為に生きていると思うから……

 

 それでも、アスカは素直になれと言ったんだ。

 

 綾波はアスカにどう見える?

 

 考えた事が無かった。僕じゃなく、人が人からどう見られるかなんて……。

 

 そうだ……綾波はきっと、ひどく無口で、必要な事しか話さないから、アスカからは、自分を押し殺しているように見えるのかもしれない。

 

 エヴァのために、自分を殺してパイロットに徹している。

 

 でも、素直になってほしい──

 

 だとしたら、アスカは綾波と話したいのかもしれない。知りたいのかも。

 

 なら、手伝ってあげたい。アスカが綾波を知ったら、綾波がアスカを知ったら、きっと綾波も考えてくれる筈だ。

 

 他人について……!

 

 でも、そうだ。

 

 どうして急に……?

 

 何か変わったとすれば、兄妹だと話したこと、綾波と過ごす時間が増えたこと、アスカと……たぶん、愛し合っていること?

 

 未だに、アスカとの事が分からなかった。甘くて、柔らかくて、苦くて……これが愛なのか……僕には、まだ分からない。

 

 アスカが喜ぶと、自分も嬉しい。自分が笑うと、アスカも楽しそうにしている。それは酷く暖かくて、すべてを溶かしてしまうような……

 

 守りたい、存在。

 

 アスカもそうだとしたら、既に変わっているのかも知れない。

 

 僕と綾波は兄妹だから。

 

 だから、知りたい。

 

 あの険悪な感情は消えて、そう思ってくれているのかも知れない。

 

 なら、僕から話すべきか、どうか……。

 

 綾波を失う意味を理解した。母さんを亡くした父さんが、滅びを願うのは理解できる。

 

 でも、こんなこと、どうやって伝えたらいい? アスカはきっと、生きることに不安が無いんだ。分かる筈がない。

 

 しかし、理解しないからこそ。

 

 だから暖かくて、明るく照らせるんだ。

 

 無理だ……

 

 綾波とアスカ。2人は、真逆の存在なのかも知れない……決して分かり合えない……

 

『だいすき』

 

 分からない。という思考を否定するように、アスカとの日々が思い出される。

 

 遊園地でのこと、買い物に行ったこと、勉強を一緒にしたこと……

 

 そうだ。

 

 僕には、今なら、アスカの気持ちが分かる。自分の為に努力をして、自分の為に装っていた、アスカ。学校ではしない表情を、態度を、してくれているんだ。

 

 それは、安心しているから。

 

 装わなくていい。

 

 受け入れてくれると、信頼してくれている。

 

 それって……きっと……

 

 アスカはとっくに、僕の事を……それは、もう、絶対に変わらないもの。

 

 そう信じても、いいのかもしれない。

 

「……何よ、さっきっから」

 

「え?」

 

「見てるでしょ? ずっと」

 

「あ……いや、僕も、素直じゃ無かったかも……って思ってさ」

 

「なにが」

 

「えっと……色々、かな?」

 

 本当は言っても良かったが、こんな時に話す内容じゃないと思い、濁して頭を掻いた。

 

「……意味分かんない」

 

「後で話すよ。今は急ごう」

 

「絶対よ」

 

「うん」

 

 きっと今なら、応えるだけじゃなく、好きだと、自分から言えると思うから。

 

「静かに」

 

「どうしたの?」

 

「人の声よ」

 

 綾波の言葉に黙ると、微かに声が聞こえてきた。

 

〝現在、使徒接近中。繰り返す! 現在、使徒接近中!!〟

 

 日向さんが、上の通路をを何かで高速に移動しながら拡声器でそう叫んでいる。

 

「「使徒、接近!?」」

 

 こんな時に……!?

 

 第一種警戒体制とはいえ、普段のカレーターの速度から考えるとかなり遅れて到着することになるような……

 

「近道しましょう」

 

 それに少し驚いたけど、確かに、綾波なら知っているのかもしれない。

 

「そんなのあったんだ。なら、最初から……」

 

「そうよ! わざわざ遠回りしてたっての?」

 

「道じゃないもの」

 

 そう言って綾波が指さしたのは……

 

「もしかして……その穴?」

 

「はぁ……通気ダクトで近道って……本気?」

 

 頷く綾波に、アスカと顔を見合わせて……諦めたように頷く。

 

「仕方ないわね。行くわよ!」

 

 その声を聞くまでもなく、綾波は狭い穴に入り込んでいた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 NERV本部 司令塔

 

「このジオフロントは、外部から隔離されても自給自足できるコロニーとして作られている……その全ての電源が落ちるという状況は、理論上ありえない」

 

 冬月は、状況を見守る碇ゲンドウ、赤城リツコに確認するように呟いた。

 

「誰かが故意にやったという事ですね」

 

「恐らく、その目的はここの調査だな」

 

「復旧ルートから、本部の構造を推測する訳ですか」

 

 予想通りの回答を得られ、冬月は嘆息する。

 

「癪なやつらだ」

 

「MAGIにダミープログラムを走らせます。全体の把握は、困難になると思いますから」

 

「頼む」

 

 許可を出した碇ゲンドウを、冷静に見返す赤城リツコ。

 

「……はい」

 

 しかし、そのサングラスの裏を想像して司令塔から降りて行く。

 

「本部初の被害が、使徒ではなく同じ人間によるものとは。やりきれんな」

 

「所詮、人間の敵は人間だよ」

 

 碇ゲンドウはごく平坦な声で応じた。

 

 

「現在、使徒接近中! 直ちにエヴァ発進の要ありと見取る!!」

 

 選挙カーで司令塔に登場した日向マコトの報告を受け、碇ゲンドウは立ち上がった。

 

「冬月、後を頼む」

 

「碇?」

 

「私はケイジでエヴァの発進準備を進めておく」

 

「まさか……手動でか」

 

「緊急用のディーゼルがある」

 

「しかし……」

 

 碇ゲンドウの降りたタラップを見つめ

 

「……パイロットがいないぞ」

 

 冬月はそう独りごちた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ねぇ、レイ! 本当に大丈夫なの!?」

 

「何が?」

 

「近道してるのに、着かないじゃない!」

 

 狭い場所と、蒸し暑さに耐えかねてか、僕の背後でアスカが弱音を出した。

 

「……ずいぶん降ってきたし、きっともうすぐだよ」

 

 まさか本部に住んでいたから、と言うわけにもいかず、同じ文句で濁したが

 

「それはさっきも聞いたわよ!」

 

 アスカは限界らしかった。

 

「止まって」

 

「うわっ」

 

「……なに?」

 

 急に止まった綾波をじっと待っていると、ガッ、ガッ、と何かを蹴るような音が響いてくる。

 

「えっ、ちょっと、なにしてんの?」

 

 座っていると、前を見ようと脇から顔を寄せたアスカ。

 

「ケイジがそこの下みたいで」

 

 ダクトの下部分が排気のため開口部になっており、そのカバーを破壊していたのだ。

 

「意外と、容赦がないのね……」

 

「そうだね。ちょっと意外かも……」

 

 真剣に力を振るう綾波というのは、見た事が無かった。

 

 そして、カバーを蹴り落とすと、ひょいと飛び降りてしまった。

 

「ほら、私達も行くわよ」

 

 後ろからせっつかれて開口部を覗くと……

 

「うわ……高……」

 

 そこは、3メートルはありそうな高所だった。思えば、ダクトは天井にあるんだから、当然ではあるけど……。

 

 既に降りた綾波は、何事も無かったらしく、特に心配でもなさそうにこちらを見つめていた。

 

 近くには何故か、何かの機器を操作する赤城博士と伊吹オペレーターもいる。

 

「あ〜。シンジぃ、怖いんでしょ〜?」

 

「そ、そんなことない」

 

「仕方ないわね〜! 怖いなら私、先に飛ぶわよ。何か持ってきてあげるから。ほら」

 

 場所を交代しようとせっついてくるアスカ。だんだんと恥ずかしくなって、大した高さでは無いような気がしてきた。

 

「大丈夫だよ!」

 

 思い切って訓練を思い出して飛び降りる。

 

「ッ〜!」

 

 じんじんする両足をさすりながらアスカの為に場所を空けると、平然としている綾波が居た。

 

「あ、綾波……大丈夫なの?」

 

「何が?」

 

「足、痛くない?」

 

「……痛い」

 

「痛いんだ……」

 

 とてもそうは見えないけど……

 

「降りるけど、見ないでよね!!」

 

 頭上から声が降ってくる。

 

「なんで!?」

 

「いいから!! 上見たら殴るわよ!!」

 

「……分かったよ! 後ろ向いてるから!」

 

 理由が分からないまま背を向けると、背後で着地した音がした。

 

「アスカ、大丈夫?」

 

「楽勝よ! ……って、いつまで後ろ向いてるの?」

 

「えっ、だってそれは……」

 

「……鈍感」

 

 振り返ると、なぜかジトっとした目をされる。

 

 アスカが言ったから……と言葉にするのを躊躇った。

 

 鈍感って……そうか。

 

 スカートだ。

 

「ごめん、アスカ。気付かなかった」

 

「知ってるわよ! だから言ったの!!」

 

「あ、あはは……そうだよね……」

 

「もう……! だいたい、シンジっていつもそうよね! 変なところで敏感なくせに、普段はまるっきりダメなんだから!」

 

「あ、アスカ。ここでそんなこと言わなくても!」

 

「少しは反省しなさいよ!」

 

「ごめん……」

 

「もう、全然分かってないんだから……」

 

「いいかしら?」

 

 声に視線を向けると、赤城博士がポケットに両手を入れて感心するような、呆れたような顔をしていた。

 

「既にエヴァは、スタンバイ出来てるわよ」

 

 予想外の言葉に、どうやったのか疑問で仕方ない。

 

「何も、動かないのに……?」

 

「人の手でね。司令のアイディアよ」

 

「父さんの……」

 

「碇司令は、貴方達が来ることを信じて準備してたのよ」

 

 そう言って、背後を示す赤城博士。

 

 一つ上のブリッジで、作業員に混じって作業をする父さん。

 

 その真剣さを、素直に喜べない自分がいた。

 

 向けられた情熱は、エヴァに対してだ。

 

 向けられた信頼は、どうしても、パイロットに対してではないか……と考えてしまう。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

『第一ロックボルト、外せ』

 

『2番から36番までの油圧ロックを解除』

 

『圧力0。状況フリー』

 

『構わん。各機実力で拘束具を強制除去! 出撃しろ!』

 

 起動が完了すると、集音機からの環境音が響いてくる。

 

 普段の通信は起動しないようで、不思議な感じだ。

 

 

 

 予想よりも重い拘束具を引き剥がすと、換装エリアに進むよう指示され、予備バッテリーの搭載が行われた。

 

『目標は直上にて待機のもよう!』

 

『作業急いで!』

 

『非常用バッテリー搭載完了!』

 

『よし、いけるわ! 出撃!!』

 

 全員が声を張り上げるからか、珍しく大声の赤城博士の声で、竪穴に続く輸送用連絡通路を這って進み始める。

 

 

「……今日はこんなのばっかりね!」

 

 機体のローカル通信で悪態を吐くアスカ。

 

「そうだね。明日は外に居たいな……」

 

 流石に、こうも連続すると同意せざるを得なかった。

 

「じゃあ明日、どっか行くわよ」

 

「分かった」

 

「……竪穴に出るわ」

 

 少し不機嫌そうな綾波の声で黙ると、先頭を行くアスカは既に竪穴に飛び出していた。

 

 両手両足を垂直な壁につけて、慎重に上がってゆく。

 

「……え?」

 

「避けて!」

 

 お互いに集中して無音のまま進む中、唐突にそんな通信が届いた。

 

 

 再び、輸送用連絡通路の中。

 

 前方の竪穴にオレンジの液体が滴っている。

 

「目標は、強力な溶解液で本部に直接侵入を図るつもりのようね……」

 

 さっき攻撃を受けて墜落した弐号機と零号機だったが、綾波曰く溶解液らしい。

 

「どうしようか……」

 

 上までの距離は不明。本部とは連絡が取れない。

 

「初号機のライフルは?」

 

 背部に取り付けられた障害物用の標準ライフルのことなら……

 

「さっきので落ちたんだ」

 

「……作戦があるわ」

 

 真剣なアスカの声に、綾波と僕は弐号機へ機体を寄せた。

 

「ここに留まる機体がディフェンス。ATフィールドを中和しつつ、奴の溶解液からオフェンスを守る。

 

 バックアップは下降。落ちたライフルを回収し、オフェンスに渡す。

 

 そしてオフェンスは、ライフルの一斉射にて目標を破壊。これでいい?」

 

「いいわ。ディフェンスは私が」

 

「……任せるわ。シンジは?」

 

 真剣な目に、温泉宿での事を思い出していた。落ち込む姿は……見たくない。

 

「バックアップをやるよ」

 

 その声にアスカは頷いた。

 

「オフェンスは私ね」

 

「……行くわ」

 

 一拍置いて動き出した零号機に続いて、竪穴を飛び出した。

 

 底に到着すると、右手を下に垂らした弐号機が直上に待機している。

 

「シンジ!」

 

 その声にライフルを投げ渡した。

 

「レイ、どいて!」

 

 響き渡る射撃音。

 

 やがて落下した零号機を弐号機が受け止めた。

 

 そして、上部から響く爆発音。

 

「やった……! レイ!」

 

「なに?」

 

「ナイスディフェンス!」

 

「……ありがとう」

 

 綾波の声は……少し、嬉しそうだ。

 

「ふふん! ここまで上手く行くとは、私はやっぱり天才ね!!」

 

 アスカも楽しそうで、ほっと息が漏れた。

 

 しかし……

 

「それはそうだけど、もう、降りた方がいいんじゃない?」

 

「…………ヤダ!」

 

「……登るの? 後1分で?」

 

「もーっ!! 通路はイヤなのーッ!!」

 

 アスカは吠えた。

 

 それは聞く者の魂を震わせる、心からの叫びだった……

 

 

 数時間後。

 

 結局、竪穴の底から出口へ着く頃には夜になっていて、アスカは魂が抜けていた。

 

 それは無だった。アレは、なんというかこう……何も考えていない。

 

 アスカが話さなければ、会話があるはずもなく……

 

 とにかく、3人で無言のまま背の低い草花に覆われた山肌に腰を下ろす。

 

 プラグスーツの生体情報を追って回収班が来るのを待つしかない。

 

 歩き続けた全身の疲れから体を寝かせると、眼前に満点の星空が広がった。

 

「はぁ……」

 

 本当に吸い込まれるみたいだ。

 

「知らなかったな……空がこんなに綺麗だなんて」

 

「ま、悪くないわね……」

 

 右を向くと、側にアスカが寝ていた。

 

 その瞳にも星空が映っていて、見惚れているように見える。

 

 空いている左手を、右手で包んだ。

 

「なによ、急に……」

 

 不思議そうにこっちを向く。

 

「嫌じゃないでしょ?」

 

 いつもアスカにされるように、悪戯っぽく微笑んでみると、耳まで赤くなって、黙ってしまった。

 

 確かに、これはちょっと……癖になるかもしれない。

 

「素直になろうかなって、思ったんだ。いろいろと……」

 

「……うん」

 

 頬を染めた青い瞳は、何かを期待しているようで……

 

「アスカ……君の事が、好きだ」

 

 彼女は少し目を見開くと、目線を宙に泳がせて、仰向けになり、ぽつりと零した。

 

「……知ってる」

 

「……?」

 

 てっきり、逆襲されるかと思っていたのに……

 

「照れてる……?」

 

「ッ〜! シンジのバカ! 奥手! チェリーボーイ!!」

 

「えっ、なに、どういうこと?」

 

「リードするなら、しなさいよ!! なんでやめるのよ!! そこで!!」

 

「いや、そんな……恥ずかしいよ。僕からするなんて……」

 

「あ〜も〜バカバカバカ!! そーゆー所だって言ってんのよ〜!!!!」

 

「った! 痛い! 強いってアスカ!!」

 

「うるさい!! バカ!!」

 

「何してるのよ……」

 

「ッ〜! レイ、見てたの!?」

 

「何が?」

 

「っと、その……さっきのよ!」

 

「見ていたわ。だから、何? なぜ碇君を殴るの?」

 

「それは……シンジが狡い事するからよ!」

 

「貴女は喜んでいたわ。狡いことって、何?」

 

「それは……!」

 

「……それは?」

 

「狡いじゃない……あんなの……」

 

「嬉しい事をされて、殴るのね」

 

「うっ……それは……だから……つまり……」

 

「何?」

 

「悪かったわよ……」

 

「謝罪なら碇君にするべきだと思うわ」

 

「うっ……悪かったわね」

 

 僕を見据えると、アスカは謝った。

 

「いや、良いんだ。アスカがして欲しい事を裏切ったのは、僕なんだし……」

 

「でも……確かにやりすぎたわ。痛くない?」

 

「うん。大丈夫」

 

「はぁ。なら、良いんだけど……」

 

「……人は、墓を作り、想いとを記録して生きてきた……」

 

「「……?」」

 

「互いを想うことって、何?」

 

「哲学ね……」

 

「……分からないけど、僕たちは大丈夫だよ」

 

「大丈夫って?」

 

「もう寂しくない。何も、怖くないから」

 

「……うん」

 

「ほら、綾波も」

 

 左手を伸ばした。

 

「……そうね」

 

 3人で手を繋ぎ、星を見上げた。

 

 何があっても、きっと……大丈夫。

 

 そう思えた。




 次回 「奇跡の価値は。」








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第拾陸話 奇跡の価値は。(前編)


 今回は8000くらいです。




「うわっ、ジャージにメガネ。なんでここに居んのよ」

 

 脱衣所から顔を覗かせたアスカは、驚いていた。

 

 濡れた所を見る所だったとは……危なかった……事前に連絡すれば良かったかな?

 

 とは思いつつも、トウジやケンスケが追い出されるのは彼らに忍びないので、苦笑いして頭を掻く。

 

「雨、酷いでしょ? 僕が誘ったんだ」

 

「はぁ……良いけどさぁ。その盗撮魔、ちゃんと見ときなさいよ!」

 

 キッと睨むと脱衣所に消えていくアスカ。

 

「誰がお前の見るかっちゃんじゃ!」

 

「自意識過剰だよ……」

 

 そう言って呆れる2人に少しムッとする。

 

 学校では苗字で呼ぶのに、メガネとジャージなんて呼ばれたのに怒っているのかも知れないけど、家に上がっているのはトウジとケンスケの方だ。

 

「部屋にまで来てるんだから、警戒もするんじゃないかな。ケンスケは特に……前科があるからね……い、ろ、い、ろ、と……」

 

 じろりと睨むと、ケンスケはたじろいだ。

 

「うっ、その、……ごめん! 碇! 遊園地の写真を売ったのは反省してるよ。ご慈悲! ご慈悲を〜!」

 

 前回、次にやったらカメラを破壊する。という話までした事を思い出したのか、縋ってくるケンスケ。

 

「本当に反省してるのかなぁ……」

 

 軽い感じにちょっと不安になる。

 

「ケンスケはアホウやなぁ〜。そない言ったらどうなるか分かるやろ」

 

 落ち込むケンスケの肩をバシバシと叩くトウジ。自分は関係ないって風だけど……

 

「トウジもだよ」

 

「は? ワシもか? 何がや」

 

「アスカと仲が悪いのは知ってるけど、家に来てまで悪く言わないこと。……トウジだって、家にアスカが来て散々言われたら嫌でしょ?」

 

「むう……ま、そりゃあそうや……そうか……気をつけるわ。許してくれや」

 

「あ、いや……許すも何も、気をつけてくれれば良いんだけど……」

 

「碇! やっぱり碇は優しいなぁ〜!」

 

「いや、ケンスケは本当に辞めてよ」

 

「うぐぅ……そんな……お慈悲を……」

 

 この世の終わりのような表情で崩れ落ちるケンスケ。

 

 しかし、こればかりは譲れなかった。

 

「慈悲も何も……散々嫌だって言ったのに、まだ諦めてないの? しかも、それだってカメラの為でしょ? 自分で稼ぐまで、それくらい我慢してよ」

 

「いや、これも立派な商売なんだ!!」

 

「だから辞めて欲しいなって……アスカや綾波や僕を売って稼いでる訳でしょ? どこら辺がケンスケの商売なんだよ」

 

「それは……カメラマンとして! そう! 被写体の魅力を最大限に引き出して」

 

「だから頼んでないし、嫌というか……」

 

「なんて……もったいない……!」

 

 そう言われても、それは新しいカメラが欲しい。という、ケンスケの事情だ。

 

 僕やアスカの写真を売って手に入れなきゃいけない理由にはならない。

 

「はぁ。そもそも……ミサトさんに言ったら、多分、処罰されるよ。いい加減にしないと、本当に怒るから」

 

「ひぃ……! それだけは本当に……」

 

 途端に青い顔をするケンスケ。

 

 前回、不法にシェルターを抜け出して処罰されたのが本当に堪えているらしい。

 

 スラリ。と、襖が開くと、仕事着のミサトさんが現れて

 

「あら、いらっしゃい」

 

 そう言って笑った。

 

 最近徹夜の仕事が多いから、こうして夕方に出勤することが多い。

 

「みっ……ミサト……さん……」

 

「お、お邪魔してます」

 

 ケンスケは完全に固まっている。

 

 その様子を見て、ため息をついた。

 

「処罰なんかしないわよ。シンジ君も、あまり不要な事は言わないように」

 

「ごめんなさい……」

 

「なんだ。良かったぁ」

 

「それはそれとして、盗撮は犯罪よ?」

 

「ひっ……! す、すいません!!」

 

「分かればよろしい。2人とも? 今夜はハーモニクスのテストがあるから、遅れない様にね」

 

「はい」

 

「はーい!」

 

 浴槽から、少し遅れてアスカの声がした。

 

「じゃ、行ってくるわ」

 

 そのまま忙しそうに出て行くミサトさん。

 

「いってらっしゃい」

 

 背中に声を掛けるが、既に玄関の開閉音が響いていた。

 

「はー、やっぱりカッコええなぁ。ミサトさんは」

 

「昇進したんだ……」

 

 ミサトさんが横を通る時、驚愕してそのままのケンスケは呟いた。

 

「どうしたの?」

 

「襟章だよ! 3佐に昇進したんだ!! くぅ〜……何も言えなかったなんて……」

 

 ケンスケはとても悔しそうにしている。

 

「だから最近忙しいのかな……」

 

 それがちょっと心配だった。

 

「そうだぞ! 学生二人を養って仕事もするなんて大変な事だ。しかも昇進するなんて……凄すぎる……!」

 

「そう言われると……そうかも?」

 

 最近はミサトさんが忙しいのもあり、炊事洗濯その他家事はアスカと手分けしてやっている。

 

 ミサトさんは仕事に集中出来ていると思う。それに、全員がこの状況を受け入れているから、別に雰囲気が悪い訳じゃない。

 

 ケンスケの言うような悲壮感はあまり感じなかった。

 

「あーあ。分かってないなぁ。碇は」

 

「ホンマ。人の心を持っとるのはワシらだけやな……」

 

 うんうん。と頷く二人に、仄暗い感情を覚えた。ミサトさんは、どうしても、作戦部長として一線を引いている。それは自分も分かっている事だった。

 

 後ろ向きに壁が無いのは、誰もミサトさんを知らないからだ……

 

 しかし、作戦部長という、時には命を捨てろと命令をする立場だからこそ、知ってはいけないと感じるのも理解できる。

 

 知ってしまったら、ミサトさんの中に僕がいたら、アスカが居たら、綾波が居たら……きっと、壁になってしまうから。

 

「心配なら、僕もしてるよ……」

 

「いやいや……こういうのは普通、お祝いするものだろ? 何か準備してるのか?」

 

「それは、してないけど」

 

「やっぱりな。分かってないじゃないか」

 

「…………」

 

 当然。

 

 という様子の二人に違和感を覚えた。

 

 喜ぶべき。という理屈は分かる。

 

 だけど……喜べないのは、ダメなんだろうか。普通じゃないんだろうか。否定されることなのか?

 

 普通ではないこと。

 

 パイロットと指揮官。

 

 以前の自分なら、恐れ、嫌厭し、何が悪かったのか考える所だったが、不思議と喜ばなくてもいい気がしていた。

 

 それに、ミサトさんを知らなくても……仕方のない事だと思ってしまう。

 

 僕はアスカや綾波に、それが必要だったとしても、死ねとは言えないから……

 

 近づく限界。

 

 閉塞しつつある事は感じていた。

 

 だから、仕方のない事だと思ってしまう。

 

「あはは……そう、だね……」

 

 ミサトさんの事なんて知らないから。

 

 でも、それじゃダメだ。

 

 知らないのに、分かっているからと感情を押し付けるのは、お互いに嫌な事だと思うから……

 

 それで、関わらないのか?

 

 家族なのに……

 

 僕はまた、心にもない苦笑いをした。

 

 自分を偽るのは、まだ、慣れない。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 NERV本部、仮想プラグ実験ケイジ併設モニター室内。

 

 ハーモニクステスト中。

 

「ここの所は3人とも、良い数値ですね」

 

「そうね……」

 

 伊吹マヤの反応に、そぞろな態度で赤城リツコは対応した。

 

「特にシンジ君は……たった数ヶ月の訓練で、ここまで安定するとは。まるでエヴァに乗るために生まれてきた子ですね」

 

「いえ。素質は全員にあるのよ」

 

 技術部の一人の意見を否定する。

 

「ですね。アスカも、最近数値を伸ばしていますから」

 

「……数年の訓練の果てにね。しかも、伸び始めたのは先の使徒戦の後からよ」

 

 伊吹マヤのフォローも切り捨てた。

 

「……?」

 

 普段と違う様子を察知して、伊吹マヤは上司の顔色を伺ったが……

 

「あり得ないわ……そんなこと……」

 

「どうして、そんな事が分かるの?」

 

 壁際で、険しい顔でシンクロテストを見守っていた葛城ミサトが口を開く。

 

「……アスカのデータは数ヶ月単位では無いのよ? シンクロは表層的な問題に左右されない──数年の蓄積を覆すような変化は……ありえない」

 

「子供は成長するものよ」

 

「…………」

 

 赤城リツコは、表情を削ぎ落とした顔で葛城ミサトを見据えた。

 

 葛城ミサトこそ、何も変わりない事を、立場上変わり得ない事を理解していた。

 

「パイロットの管理はあなたの仕事よ。最悪の場合……脱走すら考えられる事は、分かっているでしょうね」

 

 本来なら、代わりを期待しても良かったが、事情が変わってしまった。

 

 今、ここにいるパイロットは一人として逃す訳にはいかないのだ。

 

 残念ながら、諜報部は万能では無い……

 

 葛城ミサトさえ変化があるようであれば、拘束すら考えなければならなかった。

 

「する訳ないじゃない。あの子たちが……」

 

 苦虫を噛み潰したように顔を顰める。

 

 その矛盾した様子を見て赤城リツコは悟り、矛を収める。

 

「葛城一尉。くれぐれも……過信はしないように」

 

「分かってるわよ」

 

 アンタよりかはね。という言葉を、葛城ミサトは飲み込んだ。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 テスト終了後。

 

 カーレイン出口から続く一般道を走行中の一般車両。

 

 同車内。

 

「ミサトさん」

 

「……なぁに?」

 

 疲れてシートベルトもせずに眠ってしまったアスカの体温を横に感じながら、前方の運転席にいるミサトさんに声をかけた。

 

「ケンスケが、昇進のお祝いをやろうって言うんだけど……」

 

「…………」

 

 ミサトさんは、真剣な表情で前方を見据えているように見える。バックミラーに映る瞳からは、なにも感じられない。

 

「気にしてない見たいだったし、どうなのかなって思って……」

 

「私が、嫌がるんじゃないかって?」

 

「……うん」

 

「そんな訳ないじゃない」

 

 表情を砕けさせるミサトさん。

 

 しかし、お酒が切れているからか、ひどく乾いたものだった。

 

「でも……嬉しくなさそうですよね」

 

 ミサトさんの、それを、疲れた時に剥がれたそれを指摘するのは初めてだった。

 

 お酒や、他にも様々言わない事は多いけど……最近、増えている気がする。

 

 自分でも分からない。ミサトさんと、どう触れ合っていいのか…….

 

 でも、一歩踏み出すなら今しかない。

 

 これ以上、離れる前に。

 

「…………」

 

 ミサトさんは舌打ちをしそうな、嫌な顔をした。そして、すぐに元の真剣な顔に戻ってしまう。

 

「全く嬉しくないって訳じゃ、ないわよ……でも……それだけがここにいる理由じゃないから」

 

『私と同じね』

 

 その虚空を見つめる瞳に、いつかの言葉を思い出していた。

 

「じゃあ……どうしてNERVに居るんですか?」

 

 ミサトさんの、過去。

 

 その重さに、ごくりと喉が鳴る。

 

 僕は受け入れられるだろうか……

 

「……昔の事なんか、忘れたわ」

 

 サイドミラーをちらりと見やり、そう言われた。

 

 裏切られた。と、思った。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夕方。

 

「ちょっち付き合って?」

 

 無理に笑ったようなミサトさんは、そう言って車へ誘う。

 

 いつか来た、第3新東京市を一望する公園へ連れられ、ミサトさんは語り始めた。

 

「シンジ君、昨日……聞いてたわね。私がどうしてNERVへ入ったのか」

 

 潮騒のような風の音。

 

 今、指揮官でもなく、ミサトさんでもない……そんな、声の表情だった。

 

 だけど、半分は聞き流すつもりだった。ミサトさんは、僕の事を、心から家族だとは……思っていない。

 

 あの時の言葉は……嘘だったのか。

 

『昔の事なんて、忘れたわ』

 

 あの時の表情は、忘れられなかった。

 

「私の父はね、自分の研究。夢の中に生きる人だったわ。そんな父を許す事が出来なかった──憎んでさえいたわ」

 

 僕と……同じだ。

 

 父さん。怖がりな父さん。エヴァンゲリオンに熱心な父さん……

 

 ミサトさんが、急に近い距離に現れて困惑した。なんて僕は身勝手なんだろう……人を測って、突き放すなんて……っ

 

 

「母や私、家族の事など構ってくれなかった。周りの人たちは繊細な人だと言っていたわ。でも本当は心の弱い、現実から……私たち家族という現実から逃げてばかり居た人だったのよ」

 

 家族という現実から逃げる。

 

 その言葉に、父さんと、ミサトさんと、僕が重なる。

 

 僕は、ミサトさんや父さんを、勝手に測って、拒絶した……

 

 でも、真実が異なっていたら? ミサトさんみたいに、父さんだって父さんなりに努力していたとしたら?

 

 綾波の事を、心苦しく思っていたら?

 

 何か事情があって、綾波とすれ違っている可能性もある。

 

 涙が流れた。

 

 愛したい。

 

 本当は……父さんや、ミサトさんだって、心から信頼して、頼りたい。その痛みが胸の奥で、ずっと存在を主張している。

 

 その事を、自覚したから。

 

 こんなに痛くて、苦しくて、涙が出るのは……

 

 愛したいのに、否定していたから。

 

 人として分かるのに、親の相容れない答えに、子として否定しなければならないと思い込んでいたから。

 

 それが自分で分かるから、悲しいんだ。

 

 親を、人として、見ること。

 

 親の、間違いを、許すこと。

 

 そして甘えることは、全部同じ事なんだ……

 

「子供みたいな人だったわ」

 

 ミサトさんの拒絶に、目が冴えるようだった。

 

 どうして?

 

 ここには何もない。

 

 だから。

 

 誰かを、愛したい。優しくなりたい。

 

 素直でありたい。

 

 そして、生きて分かり合いたい……

 

 お互いに幸せになる一つの方法。

 

 それは、僕がアスカや綾波、トウジやケンスケ……ミサトさんや父さんに思うように、誰もがそうだと思い込んでいた。

 

 ミサトさんは、どうして……

 

「母と父が別れた時もすぐに賛成した。母はいつも泣いてばかりいたもの……父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと笑ったわ」

 

 それは確信に変わった。

 

「けど、最後は私の身代わりになって……死んだの」

 

 その声に宿る感情は、とても測れない。

 

 死んでしまって、自分の拒絶を理解したら……そう考えて寒くなった。

 

 僕には、超えられるか分からない。

 

 ミサトさんが、どんな地獄を超えてここに立っているのか、分かる気がした。

 

「セカンドインパクトの時にね」

 

 ミサトさんは……強い。

 

「……私には分からなくなったわ。父を憎んでいたのか……好きだったのか」

 

 ……いや、超えたんじゃない。

 

 忘れようとしているんだ。

 

 愛する気持ちを。

 

 どこにも壁が無いのは、自分にすら、愛する気持ちを持っていないから……

 

 そこに、何もないから。

 

 何もないから、求めるんじゃなく、未だに無に還ろうとしている……

 

 ミサトさんに、家族が居ないから。

 

「ただ一つハッキリとしているのは、セカンドインパクトを起こした使徒を倒す。その為にNERVに入ったわ」

 

 それは、アスカに似て、でも、違う……死ぬ為に、努力をしている。

 

 父さんと……同じだ……

 

「結局、私は父への復讐をしたいだけなのかも知れない。父の呪縛から逃れるために……」

 

 そう言うミサトさんを、背後から抱きしめていた。

 

 動機がなんであれ、どうでも良かった。

 

 ミサトさんは、家族になろうとしていて、指揮官だから、僕やアスカが応えないから、仕事として理解して貰おうとしているんだ。

 

 家族を止めようとしているんだ。

 

 だから、話すんだ……

 

 僕のせいだ……

 

「僕は……それでもいいよ。どうでもいいんだ。帰ってきてよ……初めの頃みたいに、笑って話してよ……」

 

 その少しつんとする背中に、額を押し付ける。

 

「シンジ君……」

 

「嫌なんだ……っ、作戦の度に……どんどん、お酒の量が増えるし、仕事ばかりになるし……そんなの、嫌だよ……」

 

「私は……指揮官なのよ」

 

 一度離れると、向き合い、目の高さを合わせるミサトさん。

 

 何度も指揮官と部下の話は聞いていた。

 

 意味する事も分かる。

 

 僕の肩を掴んで、その瞳には悲しい諦めのような鈍い光を宿していた。

 

「僕も……守るためだったら……何でもするよ。方法が無いなら、迷わない」

 

 アスカを……信じているから。

 

 大学だって出ているし、クラスで強かに生活している。何があっても、アスカなら切り抜けてくれる。

 

 父さんだって……超えられるはずだ。

 

 そう思う他、ない。

 

 もしそうなったら、僕は居ないから……

 

『人は墓を使って、想いとを記録してきた……』

 

 想いを託すこと。

 

 人はそうやって、死んで、生きるから。

 

「私は、アスカやレイにも命令するわ」

 

「……恨まないよ。それに、僕は沢山貰ったから……もう、大丈夫なんだ」

 

 ゆっくりと首を横にふる。

 

 人類を救う為に。

 

 命を紡ぐために。

 

 それは、何よりも意味があると思えるから。

 

 僕じゃなくても、将来、似た誰かが想い合うかもしれない。

 

 未来に可能性があること。

 

 それで、生きようと思えるから……。

 

 一人で生きていても、意味がないんだ。

 

 世界のどこかにいる、僕の為に、アスカの為に、綾波のために……。

 

 誰かの為に、生きる。

 

 世界を、守る。

 

「そう……大人なのね。シンジ君は」

 

「関係ないんだ。大人とか、子供とか、指揮官とか、パイロットとか。気にしないよ。そんなの。僕はミサトさんと……皆んなと、一緒に居たいんだ。その為に僕は……出来る事をし続ける」

 

 ミサトさんは意外そうに目を見開いて、そして、ゆっくりと微笑んだ。

 

「ふふ……アスカが、少し羨ましいわ。私は本当にダメな……ダメな大人ね……」

 

 抱きしめながら、耳元でそう呟く。

 

「ダメじゃない。ミサトさんは……ミサトさんだよ。気にしなくて良いんだ。自分の立場なんて……」

 

 溢れるように……押し殺して、涙していた。

 

 大人だって、きっと……子供なんだ。

 

 みんな、同じなんだ。

 

 霧が晴れるように、心からそれが理解できて、涙が流れた。

 

 同じなのに。自分のために拒絶するんだ。

 

 わがままなんだ……。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 開かれた細やかなホームパーティーには、洞木さん、トウジ、ケンスケ、綾波が訪れていた。

 

「企画立案は、この相田ケンスケ! 相田ケンスケであります!!」

 

 起立して、そう宣言するケンスケ。

 

 飲み物やピザ等が揃って、誰かが音頭を取ろうという話しになった時だった。

 

 少し揉めた末に、ケンスケが動いていた。

 

「ありがとう。相田君」

 

 少し困ったように、でも……

 

 何よりも、ミサトさんが笑ってくれて、良かったと思う。







 次回 「奇跡の価値は。(後編)」






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第拾漆話 奇跡の価値は。(後編)

 諸事情により遅れてしまい申し訳ありません。

 色々あり1ヶ月休みだったので、投稿スピードが維持できて居ましたが、再開し、それも難しくなってしまいました。

 なので、失踪防止も兼ねて小説詳細欄に次話の完成率を掲示致しますので、投稿の目安にして頂けると幸いです。

 今回は1万文字です。






「や、偶然だねぇ。りっちゃん?」

 

「こんな偶然があるもんですか……」

 

 NERV本部。連絡通路。

 

 赤城リツコは、壁に体重を預ける私服姿の男に呆れていた。

 

「いったい、今度は何?」

 

「サプライズパーティさ」

 

「……?」

 

「葛城の家で、これから。どうだい? 君も一緒に」

 

「……なんのつもり?」

 

「君がどんな想像をしているのか……とても興味はあるが、教えてはくれないんだろう?」

 

 赤城リツコは、以前、司令との関係があることやチルドレンについて滑らせた事を歯噛みした。

 

 自分だって隠しているだろう?

 

 深い意図まで加持が明かさなくとも、もはや仕方のない事だった。

 

「……そうね」

 

「当ててみようか。特に、サードチルドレンの様子は確認したいんじゃないのかな」

 

「あら、どうしてかしら?」

 

「精神の管理は重要だろう? E計画担当者の赤城博士としては」

 

 加持リョウジという男が、E計画の表面的な部分を言っているようには思えず、言葉を詰まらせる。

 

「…………」

 

「一度、見てみるといい。彼の精神は予想よりも遥かに彩りに溢れているよ。いや、希望……というのかな。あれは」

 

「プレゼントは、それかしら?」

 

「あれ? 今日はやけに積極的じゃないか」

 

「……茶化さないで」

 

「先はデートでもしながら。どうかな?」

 

「付き合うわ」

 

 ◇

 

 NERV本部直通カーレイン、一般道出口

 

 走行中。

 

 同車内。

 

『ダメじゃない。ミサトさんは……ミサトさんだよ。気にしなくて良いんだ。自分の立場なんて……』

 

 音声記録が途切れると、車内は静寂に包まれた。

 

 暫くの後。

 

「…………」

 

「こんな葛城は……初めて知ったよ」

 

 加持は、自分にセカンドインパクトの事を打ち明けた時、忘れよう。仕方ない。と流した事を思い出していた。

 

 自分が涙したら、葛城も泣いたろうか?

 

「嫉妬?」

 

「そんな訳ないさ。彼はまだ14だぞ?」

 

「彼に執着しているのは、あなたではなくって?」

 

「かも……知れないな。人を疑いもしない彼は……とても興味深い」

 

「それが彼の……処世術なんでしょう」

 

「彼は装っていない」

 

「それは……」

 

「事実だ」

 

 赤城リツコは、諜報部としての加持を信頼していた。先の妨害工作の後始末など、恐ろしい程の速さだった……まるで、事前に知っていたかのような。

 

 同時に自分の予想を遥かに超えた変化をしている事を悟った。

 

 人を疑わない。どのような要因で、何があればそう変化するのだろう? 初めから温室で育った人間なら或いは……しかし、彼は少なくとも〝そういう〟人間ではない。

 

「介入……なんだったのか、知っているのでしょう?」

 

 心当たりがあるとしたら、それだった。

 

「おいおい……本気か?」

 

「……?」

 

「NERVというのは、どうも秘密主義らしいな」

 

「……そのようね」

 

 再び、静寂に包まれる車内。

 

「イジメを扇動した奴がいる。彼は浴槽で自殺未遂……それが全てだ」

 

 より結果から乖離した原因に、赤城リツコは困惑した。

 

 ありえない。

 

 それが、今の正直な所感だった。

 

「碇司令は……何を考えている?」

 

「分からない……私には……」

 

 知らないシナリオがある。

 

 処分されず変異する二人目。しかもコア化した一人目とのシンクロ数値は上がり続けている……理由の分からない介入に、予測不能な変化を見せるサードチルドレン。

 

 私は……全てを知らない。

 

 それは過去を否定されるようで、現在の仕事の意味を失う事でもあった。碇ゲンドウは、全てだったのだ。

 

「大人も子供も関係ない……か」

 

 加持は、珍しく感情を見せる赤城リツコに驚く。怯えて伏せられた瞳を……

 

「案外、碇司令も後悔しているのかもな」

 

「何を……?」

 

「人に頼ることを」

 

 静寂は全てを内包し、そこに存在した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「よっ、遅くなった」

 

 玄関先には、そう言って片腕をあげる軽装の男が立っていた。

 

「あぁ、加持さん……と、赤城博士……」

 

 その横には──私的な付き合いは今まで一切無かった赤城博士が、どうしてかその瞳に憂鬱そうな光を湛えて見下ろしている。

 

「帰りが一緒になってね。俺が誘ったんだ」

 

「お邪魔かしら?」

 

「そんな。皆んな喜ぶと思います。ケンスケとか、エヴァの事が好きで良く聞いてくるし……」

 

「……貴方は……そうやって笑うのね」

 

「え……?」

 

「……忘れて頂戴」

 

 そう言って中に入る赤城博士は、どう見ても普段の様子と違っていた。

 

「赤城博士……何かあったんですか?」

 

「そう、少しな……多分。個人的な事だろう。そっとして置いてくれないか?」

 

 困ったように笑う加持さん。しかしそれはやはり、どこか表面的に見えた。

 

「僕が何か、失礼だったり……?」

 

「そんな事はない。大人を相手にシンジ君は良くやってるさ……人に嫌われないってのは、案外難しい事なんだ」

 

 加持さんは右手を左手で揉むと、元のようにだらしなく垂らした。

 

 その笑顔が寂しそうに見える。

 

「……でも、気になります。どうして赤城博士が、僕に怒っているのか……」

 

「怒っている……? どうして、そう思うんだい?」

 

「2体目……第4の使徒の後から、ずっと……睨むみたいに見るんです。気のせいかも知れないけど……でも……」

 

「怒っている……か……」

 

 加持は困惑した。自分に必要の無い非効率的な、人付き合いそのものを嫌う、冷徹な女医……それが、赤城リツコという女性だった。

 

 全てを理論的に俯瞰し、予測、行動、記録を違えない──分野のプロフェッショナル。

 

 感情。ましてや、怒りという激しいそれを14歳の少年である彼に抱く道理は無い。

 

「しかし、何もしていないんだろう?」

 

「……はい」

 

「あまり気にするなよ。寂しいが、そういう運命にある人だって、時にはいるものさ」

 

 運命。時に加持さんが口にする言葉。

 

 アスカが縋った言葉。

 

 僕が嫌いな言葉……

 

 人の感情は、本能や状況で簡単に変わってしまう。ミサトさんや、アスカ、トウジに、ケンスケ……最近は、普段接していて……それが分かる。

 

 僕でさえも……

 

 運命なんか、存在しないんだ。

 

「リツコさんは嫌がるかも知れないけど……でも、運命なんて……そんなの、寂しいじゃないですか」

 

「人間は、心が寂しがりだからな……しかし、慰め合えない……そんな運命にある人間もいるんだ。それこそ、年齢とかな」

 

「どうして、それが運命なんですか?」

 

「どうして……ってなぁ……」

 

 加持さんと自分の間に、火花が散るようだった。もはや無表情で、お互いに見つめ合っている。

 

「どうして、信じていられる?」

 

「何をですか?」

 

「自分をさ。自分ほど……信用ならない奴はいないよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「加持さんの事、きっと、皆んなもカッコいいと思ってます。アスカも、良く話すし……」

 

「それだよ……自分の事はどう思っているか。考えないのか?」

 

「いいんです。本当はアスカに嫌われてても、本当はミサトさんが家族だと思っていなくても、本当は皆んなに憎まれていても……」

 

「なに……? ならば……なぜ……どうして……君は……」

 

「僕が、信じたいんです。そんな風に、我儘でいいって。アスカが教えてくれたから……」

 

 加持リョウジは恐らく無意識に彼の右手が左手首をさする様子を、その暗い瞳に映していた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「シンジ君。全く、君は……カッコいいな」

 

「……?」

 

「忘れてくれ」

 

 いきなりそう言われて、気恥ずかしさで言葉に詰まると……加持さんはぐしゃりと頭を乱暴に撫でて、奥に消えていった。

 

 にやりと笑った顔は崩れそうで、きっとそれは──初めて見る、加持さんの表情だった。

 

 ◇

 

 同日。

 

 市内一般車道上。

 

 走行中、NERV専用特務仕様車内。

 

「どうだ? 3番目の少年は」

 

 走り出して少し経ち、加持はおもむろに切り出した。

 

「田舎の……おばあちゃんの家を思い出したわ」

 

「はは、そうだな。おばあちゃんか……確かに。そんなゆとりがある」

 

「…………」

 

「…………」

 

「何が……彼を変えたんだろうな」

 

「意味不明ね……まったく……」

 

 しかし。その声音にトゲはなく、諦めに近い何かを含んでいる。

 

「それで、いいのか?」

 

「パイロットが任務に従順であれば、E計画責任者としてはね」

 

「らしくないな」

 

「……過程のデータが無い以上、考えるだけムダよ」

 

「シンクロへの影響の方さ」

 

「あなた……どこまで知っているの?」

 

「さぁ? それとも、君が答え合わせをしてくれるのかな」

 

「……それも、良いかも知れないわね」

 

「……本気か?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……シンクロの仕組みは分からないのよ。彼が変化した結果は観測出来ても、過程が未解明なように……」

 

 加持リョウジは内心、多少は驚いていた。

 

 依存がカギではないか? という仮説も、E計画担当である赤城リツコがNERVの関与を知らない時点で否定される。

 

 しかしATフィールド同様に、未知のシステムを兵器運用しているとは思っていなかったのだ。

 

「だが……このまま上昇を続けると……」

 

 加持は語らない。

 

 先に何があるか知らずとも、赤城リツコがチルドレンの不明な変化を嫌う事、そしてシンクロ率が上昇している事を鑑みれば明白の理であった。

 

「そう……ダミーシステムの開発は急務でしょうね」

 

 ダミーシステムが必要になる事態。

 

 つまり、パイロットに問題が発生する事を意味している。

 

 シンクロ……ATフィールド……そしてパイロットに影響を与えるエヴァンゲリオン。ただ単に〝ダミー〟を生成出来るとは、とても考えられなかった。

 

 インパクトの根源──使徒に対抗しうる唯一の兵器。

 

 その謎が深まる事に、加持リョウジはセカンドインパクトとの関わりを疑わざるを得ない。

 

「ダミーシステムか……」

 

「科学の進歩に、犠牲は付きものよ」

 

 疑念は、確信に変わる。このNERVで、人間を使った実験が行われている……得てしてそれは、使徒との接触実験で使用される材料だった。

 

 セカンドインパクト。使徒。そしてエヴァンゲリオン……明らかな関わりに、加持は目標を新たに定めていた。

 

 

「じゃあ、またね。うん……近いうちに連絡するから」

 

 ノートパソコンでの通話が終了し、ブラックアウトした画面に次いぞ踏み切れなかった話題を零す。

 

「私ね、ときどき自分が分からなくなるわ……母の仇で、レイの親で、計画の立案者……彼を、どう思っているのか」

 

 牙城の上端から少しづつ崩れ、満水に近いそれ──欠けから溢れる澱みを、黒い画面に垂れ流す。

 

 (色々と……ありすぎたわ。殆どの事は時間が解決してしまった……そして、全てを知った気になっていても……まだ、隠しているのね……つくずく……)

 

「……人間は、ロジックでは無いものね」

 

 その壁面を、赤城リツコは乱暴に2つへ折り畳んだ。

 

 賽は投げられた。NERVがシンクロの全容について理解をしていない……制御不能の可能性を残している事を加持リョウジ──もとい日本政府に露呈する行動はNERV存続にすら関わる。

 

 一時の感情……零れたそれによって、余りにも大きな代償を払った己に歯噛みするが、もはや──全て手遅れ。

 

 既に手番は加持リョウジに渡っている。

 

 次の一手を打つのは、私ではない。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 元南極、海上。

 

 赤く染まった視界に、潔白の塩の柱が乱立する特異な環境で巨大な構造体を載せた空母は進行していた。

 

 積載物は細長く……所謂、封印が為された状態であり、表面上からは多量の緑々とした布に覆われ、内容を窺い知る事は出来ない。

 

 その艦橋。観測系機の揃う展望デッキに二人の男が佇んでいた。

 

「いかなる生命の存在も許さない、死の世界。南極……いや、地獄というべきかな」

 

「だが我々人類はここに立っている。生物として生きたままだ」

 

「科学の力で守られているからな」

 

「科学は人の力だよ」

 

「その傲慢が15年前の悲劇、セカンドインパクトをひき起こしたのだ……結果この有様。与えられた罰にしてはあまりに大きすぎる。まさに死海そのものだよ」

 

「だが、原罪の穢れなき浄化された世界だ」

 

「俺は罪にまみれても、人が生きている世界を望むよ……」

 

 対照的な二人は、しかし、祝福を望んではいない。浄化を望み、そして拒絶する彼らは気付きすらせずに、死の槍を運ぶ。

 

 その光景はひどく寒々しく、乾いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「2分前に突然現れました」

 

 発令所に到着した葛城一尉は、日向マコトから改めて報告を受け、モニターを見つめた。

 

〝第6サーチ、衛星軌道上へ〟

 

〝接触まであと2分〟

 

「目標を映像で補足。主モニターに回します」

 

 青葉シゲルの操作により大画面いっぱいを使い、高高度から落下した水滴の波紋の如き歪な水滴の連結体を模した瞳のオブジェのような、禍々しいフォルムの使徒らしきモノが映し出されていた。

 

 それは地球のはるか上空……宇宙空間に存在し、カメラへ瞳を向けている。

 

「こりゃ……すごい……」

 

「常識を疑うわね……」

 

 日向マコトと葛城一尉の驚きも束の間、青葉シゲルは事態の進展を告げた。

 

「目標と接触します」

 

〝サーチスタート〟

 

〝データ送信、開始します〟

 

〝受信確認〟

 

〝解析開始〟

 

 瞬間、映像は歪み、ひしゃげて崩壊するソーラーパネルを映しながら通信を途絶させた。

 

「ATフィールド!?」

 

「新しい使い方ね……」

 

 遅れて到着した赤城リツコは、力場の発生という、非科学ながらATフィールドの不透明さから予測され得る一つの現象を目の当たりにし、半ば呆然としていた。

 

 体内での陽電子の加速が可能である事は結晶化した使徒の肉体という構造があったが、空間への直接作用はもはやファンタジー。

 

 ATフィールド同士の干渉からコアへダメージを与えた可能性から検証していた第8使徒の戦闘データを、ATフィールドが環境へ直接影響している前提で見直そうと決意していた。

 

 

 作戦部 第2視聴覚室

 

 床面モニターには、円状に引き起こされた津波の様子が映し出されていた。

 

「大した破壊力ね……さっすが、ATフィールド」

 

 使徒の一部が射出され、海上に直撃──それだけで、3メートル程の津波により湾岸部が被害を受けている。

 

 葛城3佐は、呆れるような破壊力を心底嫌った声を発した。

 

「落下のエネルギーをも利用しています。使徒そのものが爆弾みたいなものですね……」

 

「とりあえず、初弾は太平洋に大外れ。で、2時間後の第2射がそこ、後は確実に誤差修正してるわ」

 

 技術部の言葉を受けて、苦々しく眉を顰める。

 

「学習してるって事か……」

 

「N2航空爆雷も、効果ありません」

 

「以後、使徒の消息は不明です」

 

 作戦部、司令部の報告を受けて、顰めた眉はそのままに口元を歪めた。

 

「来るわね。たぶん」

 

「次はここに、本体ごとね」

 

 事実上のトップ2はモニターを見つつ、落胆じみた声を抑えられなかった。

 

「その時は第3芦ノ湖の誕生かしら……?」

 

「富士五湖と一つになって、太平洋と繋がるわ。本部ごとね……」

 

「……碇司令は?」

 

 気を取り直し、葛城3佐は現状把握に努めた。

 

「使徒の放つ、強力なジャミングのため連絡不能です」

 

「マギの判断は?」

 

「全会一致で撤退を推奨しています」

 

「どうするの? 今の責任者はあなたよ」

 

 少し考える素振りを見せて、作戦部、日向と司令部の青葉に向けて指示を飛ばす。

 

「日本政府各省に通達。NERV権限における特別宣言D17、半径50キロ以内の全市民は直ちに避難。松代にはMAGIのバックアップを頼んで」

 

「ここを……放棄するんですか?」

 

 驚いた様子の日向マコトに、しかし、安心させるように目元を緩めていた。

 

「……いいえ。ただ、皆んなで危ない橋を渡ることは無いわ」

 

 そして──葛城ミサトはすぐに、次なる仕事へ向かった。

 

 

 NERV本部、女子トイレ。

 

「やるの? 本気で」

 

「ええ。そうよ」

 

 市内の避難も完了し、残す仕事はパイロットへの作戦通達、実行という段。

 

 赤城リツコに声を掛けられた葛城ミサトは、毅然とした態度で応じた。

 

「あなたの勝手な判断で、エヴァを3体とも捨てる気? 勝算は0.000001%。万に一つも無いのよ」

 

「ゼロでは無いわ」

 

「……葛城3佐!」

 

「現責任者は私です。……やる事は、やっときたいの。使徒殲滅は私の仕事です」

 

「仕事……? 笑わせるわね。自分のためでしょ? あなたの使徒への復讐は」

 

「彼らの為でもあるわ。特にシンジ君は実績も覚悟もある……賭けるには充分すぎる可能性よ」

 

「独りよがりな希望ではなくて?」

 

「暴走……そして、オーナインシステムを御して、ATフィールドを操り、火口にダイブするようなシンジ君が……黙って引き下がると思う?」

 

「…………」

 

「覚悟があるわ。私より……よっぽどね」

 

 ATフィールドの可能性を目の当たりにした赤城リツコは、理論的であるが故に反論を封じられていた。

 

 MAGIシステムには未解明のATフィールドによる作用は予想できない。事実──イレギュラーである碇シンジに賭けるという選択肢は、逃亡より否定されるほど愚かではない。

 

「…………」

 

 作戦通達へ向かう葛城ミサトを見送った。

 

「バカね……私も」

 

 心理学という物の無力さを思い知りながら……

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「えぇーッ!? 手で、受け止める……?」

 

 驚愕するアスカ。

 

 宇宙からの直接攻撃……うまく飲み込めないのは、自分も同じだった。

 

「そう。落下予測地点にエヴァを配置。ATフィールド最大で貴方達が直接。使徒を受け止めるのよ」

 

 そうは言っても、打ち上げたバスケットボールだって取るのは難しい。

 

「使徒がコースを大きく外れたら……?」

 

「その時はアウト」

 

「機体が衝撃に耐えられなかったら?」

 

「その時もアウトね」

 

 アスカの追撃に頭の芯が冷えるようだった。過去の経験から意味がないと思いつつも、聞かざるを得ない。

 

「……勝算は?」

 

「……神のみぞ知る。と言った所かしら」

 

 使徒は生半可な存在ではない。

 

 分かっていても、闘志が揺さぶられる。

 

「これで上手く行ったら、正に奇跡ね」

 

「奇跡ってのは、起こしてこそ初めて価値が出るものよ」

 

「つまり、やってみせろって事?」

 

「すまないけど……他に方法が無いの」

 

「やる気、気合い、根性。はぁ……全く、至って平常運転ね。まさか……NERV本部って毎回こうなの?」

 

 嫌そうな顔をしてこちらを向くアスカ。まさかと言いつつ、明らかに嫌味だった。

 

「ほら、でも、実際なんとかなったし……」

 

 苦笑いを返すと、眉を顰められた。

 

「結果の話はしてないの! 反省の色が見えないのよ!! 普通2択くらいはあるものじゃない!? ねぇ、ミサト!」

 

 なんとなく。ちゃんと考えられているのか? という不安をミサトさんにぶつけているような……そんな風に見えた。

 

「無理を言っているのは承知よ。本当に嫌なら、辞退も出来るわ」

 

「…………」

 

 しかし、アスカは何も言わなかった。

 

 ミサトさんは、葛城3佐だった。

 

「皆んな……いいのね?」

 

 その瞳を、頷きも否定も出来ずにただ見つめ返す。

 

「一応、規則だと遺書を書くことになってるけど……どうする?」

 

 事務的で悲痛な瞳に、思わず口を開いた。

 

「そんな顔しないでよ。ミサトさん」

 

「……そんな顔?」

 

「今までだって、ミサトさんの作戦でなんとかなったんだし……今回だって、きっと上手くいくよ。僕は信じてる……だから、ミサトさんも……信じてよ」

 

「…………」

 

「そうよ! そんなつもり、全く無いわよ!!」

 

「私も、必要ありません」

 

「……貴方達」

 

「…………」

 

「…………」

 

 少し俯いて、顔を上げる。

 

「……すまないわね」

 

 そう言って苦笑いをするミサトさんの頬は、濡れていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「これが、ロスト直前までのデータから算出した、落下予想地点よ」

 

「こ〜んなに範囲が広いの!?」

 

「目標のATフィールドを持ってすれば、そのどこに落ちても本部を根こそぎ抉る事が出来るわ」

 

「ですから、エヴァ3機をこれら3箇所に配置します」

 

 図には、円内で最大の辺と角度を持つ三角形の頂点へそれぞれ3体が配置されていた。

 

 意味ありげに展開された円を見ると、全方位カバーされている様には……見える……?

 

「……この配置の根拠は?」

 

 綾波の質問に、

 

「勘よ」

 

 ミサトさんの呆気らかんとした声。

 

「「勘……」」

 

 思わずアスカとシンクロした。

 

「そう、女の勘」

 

 アスカは小声で呟く。

 

「なんたるアバウト……本当に、大丈夫なの?」

 

 そう言われても……

 

「……なんとかするよ」

 

「そういう事じゃないんだけど……」

 

 呆れつつも、少し安心したのか口元が笑っていた。

 

「ま、いいわ」

 

 どこか、満足そうに。

 

 

 搭乗行動中。

 

 直通エレベーター内。

 

「……ねえ」

 

「……?」

 

「シンジは……怖くないの?」

 

 少し考える。

 

 怖くない。

 

 そう言い切るのは嘘だ。

 

「本当は……ちょっと怖いよ……でも……」

 

「でも……?」

 

「何もしない方が、もっと怖い」

 

「…………」

 

 ほんの少し表情を曇らせるアスカの右手を左手で握る。

 

「大丈夫だよ」

 

「……うん」

 

 自信を取り戻したように口元を綻ばせるアスカを見て安心していると、右手を何かが包んだ。

 

「…………」

 

 何も言わず、前方の上昇する壁面を見て強く握りなおす綾波。

 

「…………」

 

 その腕を少し引き寄せた。

 

「明日は、みそ汁でも持っていこうか?」

 

「どうして?」

 

「綾波が好きなんだ」

 

「……そうなの?」

 

「いけない?」

 

「なんか……食べないのかと思ってたのよ。この前だって、ピザには手を付けてなかったし?」

 

「……肉、嫌いだから」

 

 確かに、思い返してみると……お弁当から抜かれたのは、野菜や果物がメインだった気がする。

 

 でも、味付けが濃かったり、肉を扱ったフライパンで料理したりした物も食べていたような……

 

 以外と大丈夫なんだ。なんて、深くは考えていなかったけど……

 

 なら、サプリメントの中身は一体……?

 

「レイって意外に、可愛い所もあるんじゃない」

 

「可愛い? ……これが?」

 

「はぁ……もういいわよ……」

 

 アスカのため息は、ケイジと直結したシャフトから吹き荒れる風に、攫われた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「目標! 最大望遠で確認!!」

 

「距離およそ2万5千」

 

 青葉シゲル、日向マコトの報告がほぼ無人の発令所に響く。

 

『おいでなすったわね……エヴァ全機。スタート位置』

 

 その通信を聞いて、クラウチングスタートの格好を取った。

 

『目標は光学計算による弾道計算しか出来ないわ。よって、MAGIが距離1万までは誘導します。その後は各自の判断で行動して』

 

 少しの間。

 

『貴方達に、全てを賭けるわ』

 

『使徒接近! 距離およそ2万』

 

『……では、作戦開始』

 

 心は既に、決まっていた。

 

「行くよ」

 

 モニターに、それぞれ外部電源をパージする各機が映る。

 

「スタートッ!!」

 

 展開される仮想ガイドに従い、直線を突っ切るルートを全力で疾走した。

 

 流れる市街地、電塔。丘を飛び越え、尚も走る。

 

『距離、1万2千!!』

 

 喪失したガイドの先……赤熱する火球が、視界に入っていた。

 

 間に合わないッ……!!

 

 ビルが倒壊し、地面は泥濘へと変貌していたが、意識は一点にしか無かった。

 

 早く!! 1秒でも早く!!

 

 先へ──

 

「ATフィールド……全……開ッ!!」

 

 雲を破り、激突する寸前の巨大な瞳……グロテスクなそれの真下に、ギリギリで滑り込んだ。

 

「あ゛ッ……ぐぅっ……」

 

 軋む機体。

 

 熱を孕む体からは、あらゆる激痛が骨を貫通し、肉を裂く感覚が与えられる。

 

「うぁッ……ぉおおおおおおお!!」

 

 断裂し、血を吹く両腕へ、更に力を込める。

 

 落とさないッ……何があろうと……

 

 絶対にッ!!

 

「碇君ッ……フィールド、全開!!」

 

 側に到着した零号機が、フィールドの中和を行う。

 

「アスカ……早くッ……」

 

「分かってるッ……ってぇのぉぉおお!!」

 

 飛び込んだアスカが差し込んだナイフは、その瞳孔の奥深くへと吸い込まれていった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「碇司令から、通信が入っています」

 

 発令所に帰り、LCLの洗浄など諸々の作業が終わり、制服姿でミサトさんの前に集合した時だった。

 

 青葉さんからそんな報告を受けて、ミサトさんは顔を引き締める。

 

「お繋ぎして」

 

 展開されたSound Only(音声)と表示される仮想モニターに、声を掛けた。

 

「申し訳ありません。私の勝手な判断で初号機を破損してしまいました。責任は全て、私にあります」

 

「構わん。使徒殲滅がエヴァの使命だ。その程度の被害は寧ろ幸運と言えよう」

 

 しかし、応じたのは冬月副司令だった。

 

 残念なような、少し安心したような……

 

「あぁ、よくやってくれた。葛城3佐」

 

 父さん……

 

 遅れて褒めたその声は、間違える筈が無かった。

 

「ありがとうございます」

 

「所で、初号機のパイロットはいるか?」

 

「あ……はい」

 

 予想外の出来事に、少し狼狽える。

 

「話は聞いた……良くやったな。シンジ」

 

「……はい」

 

 その優しげな声は、とても心からの言葉とは思えなくて、そんな自分が憎ましくて、一挙に訪れた矛盾に……

 

 これが音声通信で、本当に良かったと思う。

 

「では葛城3佐、後の処理は任せる」

 

「はい」

 

 しばらく俯いたまま、顔を上げられ無かった。

 

 

 

 

 そこは、野外にひっそりと佇むラーメンの屋台だった。

 

「ラーメン……」

 

 話す気になれなくて、ぼうっとしていた。確かに、今日くらいは外食でもいいか。なんて話をしていた様な気がする……

 

「偶にはいいでしょ? レイも、ラーメンなら食べれるって言うしさ」

 

「私、にんにくラーメン。チャーシュー抜き」

 

「私はフカヒレチャーシュー! 大盛ね!」

 

「ほら、シンちゃんも遠慮しないで」

 

「じゃあ……醤油ラーメンで」

 

 提供された温かな……仄かな磯の香りと塩っけと油を感じるラーメンを、今だけは美味しいと思えなかった。

 

「……どうしたの? 元気ないじゃない?」

 

 その声に顔を上げると、ミサトさんが──アスカまでも、食べるのを辞めて心配そうな顔をしていた。

 

「いえ……ただ……なんでも……」

 

「ない。ワケ無いでしょ? 分かるわよ。それくらい……」

 

「…………」

 

 口を開いて……それが、形を得てしまうのが怖くて……でも、仕方なく、吐き出した。

 

「もう……分からないんだ……父さんのこと」

 

 泣きそうに、でも、笑うしかなくて……口元は、歪に歪んでいた。





次回 「使徒、侵入」





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第拾捌話 使徒、侵入。(前編)

 今回は6千文字です。






 NERV本部、発令所。

 

 赤城リツコによる技術課の招集。

 

 MAGIにおける第127次〝定期検診〟の実行が指示されていた。

 

「流石マヤ。早いわね」

 

 テスト仕様書に併記されたチェック項目へ一つづつ報告を受けた数値やコメントを書記している赤城リツコは、マヤが行う作業を横目に、そう呟いた。

 

 テストログから人格によるブラッシュアップに問題が無いか検証する作業は、柔軟な対応が求められ、並のプログラマーでは数日かかるだろう。

 

「それはもう。先輩の直伝ですから」

 

 そう言うマヤは数時間にして既に作業の殆どを終えて、佳境とも言える演算処理に関する分野へ入り込んでいる。

 

「あ、そこ。A8の方が早いわよ。ちょっと貸して?」

 

 そうして手元のキーパッドに接続を貰うと、何かを手早く入力する。

 

 もちろん、マヤも持てる限りの知識からあらゆるショートカットを駆使して居たが、一見して分野外のそれをあっさり適用させてしまう赤城リツコによって、唐突に作業が加速した。

 

「さすが先輩……」

 

 感嘆するマヤの後方で、リフトに乗り、発令所へ現れたのは葛城ミサトだった。

 

「どお? MAGIの診察は終わった?」

 

 明るく振る舞っているが、次のオートパイロットに関する実験では〝プラグスーツなし〟……MAGIの間接補助制御のみでのシンクロによるハーモニクスデータの採取が目的と聞いて、定期検診の前倒しを企画したのは彼女である。

 

「大体ね。約束通り、今日のテストには間に合わせたわよ」

 

 事もなげに言ってみせるが、赤城リツコの尽力なくしてはこの脅威的なスピードで終わらせる事は出来なかっただろう。

 

「さっすがリツコ。同じものが3つもあって大変なのに」

 

 なんとはなしにキーパッドや書類、ケーブルの散乱するテーブルに置かれたコーヒーを手にしたが、

 

「冷めてるわよ。それ」

 

 そう声が掛かる時には、既に勢いよく口に含んだ後だった。

 

「んぐっ……」

 

 苦々しい顔をする。

 

「…………」

 

 しかし、特に反応を返す事はない。

 

 葛城ミサトも、今ばかりはそれに冗談を言うほど図々しくできる立場では無かった。

 

〝MAGIシステム。再起動後、3機とも自己診断モードに入りました〟

 

 その報告に、最後となる自分の作業が正常に終了した事を察したマヤは、全体放送で応じた。

 

〝第127次定期検診、異常なし〟

 

 それは作業の終了を意味し、一息吐き出すと、ゆっくりとマイクを手に取る。

 

〝了解。お疲れ様。みんな、テスト開始まで休んで頂戴〟

 

 

 NERV本部、女子トイレ。

 

「異常なし、か……」

 

 動き回っていた赤城リツコは、次の一仕事に向け、眠気覚ましに顔を洗っていた。

 

 カフェインは覚醒作用があるが、故に脳のエネルギーを余分に消費する特性がある。特に、高度に理論的な思考が求められる仕事中には過剰な摂取を控えていたのだ。

 

 前倒しの定期検診など、最たるものであった。

 

「母さんは今日も元気なのに、私はただ歳をとるだけなのかしらね……」

 

 流石に疲れの浮かぶ己の顔に、そう独りごちる。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「えーっ、また脱ぐのぉ!?」

 

 仕切りの向こうで、アスカが叫ぶ。

 

「そうです。ここから先は超クリーンルームですから。シャワーを浴びて下着を変えるだけでは済まないわよ」

 

 今日のオートパイロット実験。別室に案内された他は、さっきまではシンクロ実験と変わらなかったけど……プラグスーツが用意されていなかった。

 

 そして、超クリーンルーム……

 

「なーんでオートパイロットの実験で、ハタガになんなきゃいけないのよ……」

 

 それに内心で頷く。関わりがよく分からない。

 

 裸でプラグに入るのは、何か言い知れない恐怖があった。

 

「時間はただ流れているだけじゃないわ。エヴァのテクノロジーも進歩しているのよ。新しいデータは常に必要なの」

 

 確かに……素肌でのシンクロは、新しいデータなんだろうな……

 

 仕方なく諦めて、アナウンスを待った。

 

 

 洗浄を終えて、時間差で次の部屋へのゲートが上部へ消えると

 

「うわ!?」

 

 曇りガラスみたいなプラスチック製のゲートで、肩から下、足首の上くらいまで隠されただけの、アスカと綾波が居た。

 

 もちろん、あっちからこっちは丸見えな訳で……

 

 前を隠すが、何の解決にもなって居ない。

 

 真ん中のゲートが空いているし……たぶん、これは、入るまでは、何も進まない。

 

「み、見ないでよ!!」

 

 熱が顔まで上るのが分かった。

 

「なっ、あ……み、見るわけ無いでしょ!!」

 

 目を見開いて、顔を真っ赤にして……口を半開きにしていたアスカは、キッと瞳に光を宿すとそっぽを向いて歯を食いしばった。

 

 それはいい。

 

 良くないけど。もう色々、絶対に良くはないけど、今はいい。

 

「綾波!!」

 

「なに?」

 

「なにじゃないよ!」

 

「……?」

 

「見ないで……!」

 

 じっとこちらを凝視して、首を傾げる綾波。もう、熱のあまり涙が出てきそうだった。

 

「兄妹なのに……?」

 

「僕は気になるよ! 綾波の裸だって、見ないようにするし……」

 

 そもそも、ずっと同じ家で育っていたら、そうなるのかも知れないけど、自分にとって、綾波の体は充分に他人の存在だった。

 

「そう……」

 

 そう言って、目を伏せる綾波。

 

 走り出したい足を必死に抑えて、不恰好な体勢のままゲートになんとか入り込んだ。

 

 漣立つ心は、最近の家と同じもの……それに関して明らかに気を使われていて、その度に父さんの言葉を思い出すように……

 

 何か、分かっていないような気がする……

 

 やっぱり、綾波は本当に根本的なところ……そこに、何か穴が空いているようにしか、思えない。僕は綾波で埋められて、綾波は僕で埋まらない。そう。決定的な理由が……

 

 サードインパクトを起こそうとしている。

 

 だけど綾波も、それを知っていてエヴァに乗って戦っている。その気持ちに嘘はない。

 

 どうして違うんだろう……

 

 『私、絶対に守るから』

 

 あの時の、瞳。

 

 …………

 

 埋まらない。訳じゃない。

 

 綾波にはそれしか無いのかもしれない。それが当然。だから……

 

 どうしても足元がふわつくような、根底から湧き上がる愛おしさを感じながら、さっき言った事を少し後悔している。

 

 綾波を、きっと傷つけた。

 

 やっと分かった。綾波に、ほかの人は存在しない……その拒絶と許容の凄絶さを。

 

 でも、世界はそう出来てはいない。綾波を否定しないといけない筈なのに、どうしても、悲しくなってしまう。

 

 父さんに、父さんだからこそ、そう願っていたから……

 

 話せない理由は分かる。

 

 分かっていた。つもりだった。

 

 まるで嘘のように、なんの気兼ねなく褒めるのは……分からない。

 

 なんで今更なんだよ……父さん……

 

「うわっ。これ、動くの!?」

 

 外部との接続ゲートが閉じて、動き出す部屋──ゴンドラに隣で驚くアスカを、何処か他人事のように感じていた。

 

 そのアクリル板の向こうで曖昧になる肌色の奥には、きっと未だ知らない何かがある。

 

 水風呂のように冷える指先を胸に抱いて、浮かんだ考えを見つめていた。

 

 アスカは見抜いている。思い出さなくて、いいと言ってくれる……なのに……僕は……何故泣いていたのか、知らない。

 

 まだ……未だに……何も知らないんだ。

 

 それなのに……アスカは……

 

 明るく、優しく微笑むその顔が、唐突に悲しくて、愛おしくて、暖かく……思えた。

 

 何か返せているのか……返していたい。そうでありたい……

 

 知らない欲望は、咎めようと思えなくて、熱いほどに温かくて……ゆっくりと……心の底から湧いていた……

 

 父さんに……僕は何を返しただろう?

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 NERV本部、模擬体実験ケイジ。

 

 併設モニター室。

 

〝各パイロット、エントリー準備完了しました〟

 

 室内と、全面ガラス張りの壁面の向こう、頭部と下肢のない……欠損部位と仮設神経組織信号ケーブルが融合したエヴァンゲリオン模擬体の格納される水槽にも全体放送が届いていた。

 

「テストスタート」

 

 赤城リツコの指示により、室内の職員は慌ただしく操作を開始する。

 

〝テストスタートします。オートパイロット記憶開始〟

 

〝モニター(計測結果)異常なし〟

 

〝シミュレーションプラグ、挿入〟

 

〝システムを模擬体と接続します〟

 

「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」

 

 今回の実験の操作主任となった伊吹マヤの報告。瞬間、膨大なログデータがメインモニターを兼用するガラス壁面に流れ始める。

 

 プラグ深度等の制御をしつつ、既に受信した模擬体とオートパイロットからの反応データを、齟齬が無いか解析処理していた。

 

 加えて、オートパイロットの仮想OSとして記憶作業の補助を行なっている。

 

「おー、早い早い。MAGI様々だわ〜。初実験の時、1週間も掛かったのが嘘のようね」

 

 葛城ミサトは、技術部が綾波レイによる起動実験のデータ解析に1週間、躍起になっていたのを思い出していた。

 

 その実、データの可視化には時間がかかっておらず、原因究明に時間を割いていたのだが、知る由もない。

 

「テストは3時間で終わる予定です」

 

 故に末端の男性職員の報告は少々的外れだった。

 

「気分はどう?」

 

『何か、違うわ』

 

『うん。いつもと違う気がする……』

 

『感覚がおかしいのよ。右腕だけハッキリして、後はボヤけた感じ……』

 

 想定内のチルドレンの返答に、赤城リツコはすぐに次の段階へ移行する判断を下す。

 

「レイ、右手を動かすイメージを描いてみて」

 

『はい』

 

 本来であれば綾波レイのデータが好ましいが、自我の発達……鎮静剤を使用した心理反応抑制の効果が薄まっている現在のデータに一体いくらの信用があるのか……

 

 最低限の感情が無ければ困るが、有ればいいという話でもない。

 

 事に反抗心を持つようであれば……

 

 水槽内でぎこちなく動く右手に、人ならざる過去の失敗作たちを思い出してしまう。

 

 欠落の程度によっては、次の再稼働は無いのだから……だからこそ、今、実行可能な調整を考えなければならない。

 

 が、崩壊こそシナリオならば、反抗は死を意味するだろう……それこそ、母のように。

 

「データ収集、順調です」

 

「……問題は無いようね。MAGIを通常に戻して」

 

 最悪オートパイロットに〝悪影響〟が出る可能性があったが、接続後も仮想OSのログデータには特殊な動きをした様子はない。

 

 補助を切り離し、本来の解析とプラグ内環境の測定、維持機能を作動させていた。

 

「ジレンマか……」

 

 稼働状況を可視化し〝審議中〟と表記するMAGIシステムを見やり、頭痛がする。

 

 悪影響の根源である筈のそれを、内部に組み込むのはやはり……正気の沙汰とは思えない。

 

 オートパイロット一つにこれ程までに怯えている自分では、汎用性のある次世代コンピュータにそれを搭載するなんて考えすらしなかったに違いない。

 

「作った人間の性格が伺えるわね……」

 

 しかし、正確で……母の息吹は確かに存在していた。

 

「何言ってんの〜。作ったのはアンタでしょ?」

 

 大袈裟に驚いて見せる葛城ミサトに、呆れたような胡乱な目を寄越した。

 

「あなた……何も知らないのね」

 

「……リツコが私みたく、ベラベラと自分のこと話さないからでしょ」

 

 膨れて見せるその様子に、すこし可笑しくなって目を背ける。

 

「……そうね」

 

 笑えてくる。既に自分はゲームを降りているのに、一体なにを隠そうと言うのだろう。

 

 どうせ道化師に過ぎないのなら……

 

「……私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を作ったのは……母さんよ」

 

 諦観を滲ませて、呟くように吐き出した。その目元は、幾ばくか緩んでいる。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 NERV本部 発令所。

 

「確認はしてるんだな」

 

 青葉シゲルのモニターを覗き込み、真剣に問う。

 

「ええ、一応。3日前に搬入されたパーツです……ここ、ですね。変質しているのは」

 

 モニターを拡大してみせる。

 

「87タンパク壁か……」

 

 冬月はそう唸った。

 

「更に拡大すると、シミのような物があります。なんでしょうね……これ」

 

「侵食だろ? 温度と電導率が若干変化しています。無菌室の劣化は、良くあるんですよ〜最近」

 

 実際の処理を担当する作戦部として、残業の原因でもあるそれに不満を漏らす日向マコト。

 

「工期が60日近く圧縮されてますから、また気泡が混ざっていたんでしょう。……杜撰ですよ、B棟の工事は」

 

 司令部として、発注に問題がある訳では無い事を青葉シゲルは言外に言い訳していたが、冬月とてそんな事は分かっていた。

 

「そこは、使徒が現れてからの工事だからな……」

 

 モニターから離れ、目頭を揉む。

 

「無理ないっすよ。皆んな疲れてますからねー」

 

 とはいえ、間違いは間違い。

 

 是正しなければならないし、問題はある。

 

「明日までに処理しておけ。碇が煩いからな」

 

 統治者として正しく機能している男へ、半分は信頼しながら、半分は嫌っていた。

 

「了解」

 

 上司とは一様にして、そんなものだろう。

 

 そうして冬月は、作業を開始する青葉、日向共へ無表情な視線を落としている。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「また水漏れ!?」

 

 赤城リツコは、珍しくも仄かにヒステリーの影を滲ませる声音で振り返る。

 

「いえ、侵食だそうです。この上の、タンパク壁」

 

 受話器を傍に持ったまま、しかし、伊吹マヤは冷静だった。

 

「参ったわね……テストに支障は?」

 

「今の所は、何も」

 

 それを受けて判断を数秒思考するが、学習の中断が如何に影響を及ぼすか等、綾波レイの事象を反省するが故に余地は無い。

 

 以上のリスクと上階の侵食がテストに影響する確率と、予定外の中断により学習失敗に次ぐ不具合を起こす確率を鑑みるに、答えは明白だった。

 

「では続けて。このテストはおいそれと中断する訳にはいかないわ」

 

「了解。シンクロ位置、正常」

 

 そして、テストはいよいよ最終段階へ移行する。

 

〝プラグ深度変化なし〟

 

〝シミュレーションプラグ、模擬体経由でエヴァ本体と接続します〟

 

 シミュレーションプラグ──それは、2機による情報共有、ひいては状態の再現機能を有しており、零号機には無人のそれが挿入されていた。

 

 模擬体と零号機からの反応の差異などを集積し、修正する事により完全な制御を可能とする。

 

 差異があるからこそ、重要かつ、避けて通れない採集でもある。

 

「エヴァ零号機、コンタクト確認」

 

〝ATフィールド、出力3ヨクトで発生します〟

 

 瞬間。

 

 ビーッ!! ビーッ!!

 

 不釣り合いで間抜けな警報音が室内に反響した。

 

「どうしたの!?」

 

 最もあり得ない。あり得てはいけない……実験中断を促す警報音に、赤城リツコは苛立ちと声を抑えられない。

 

〝シグマユニットAフロアにて、汚染警報発令〟

 

「第87タンパク壁が劣化。発熱しています!」

 

「第6パイプにも異常発生」

 

「タンパク壁の侵食部が増殖していきます。爆発的スピードです!」

 

 腐食ではない。異常な速度の侵食。

 

 雑菌が侵入し神経組織を犯している……?

 

 否。

 

 それにしても……早すぎる。

 

 伊吹マヤの報告を最後に、モニターを確認せずともその脳は結論を保留し、一つの状況を弾き出した。

 

「……実験中止! 第6パイプを緊急閉鎖!」

 

「はいっ!」

 

 全閉鎖と表記された、非常表示に囲まれたボタンを押し込む伊吹マヤ。

 

「60、30、38、閉鎖されました」

 

 それを聞き、水槽内に接続されている第6パイプへ視線を戻す。

 

 最悪の状況を想定しつつ、しかし、確定していない事象に必要以上の手段を講じるのを嫌い……その鉄皮を鋭く見つめていた。





 次回「使徒、侵入。(後編)」






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第拾玖話 使徒、侵入。(後編)

13章。

3「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。」

 ヨハネの黙示録‬ 13章 3、4‬節。

 本作品は補完計画の原典を、聖書の中でもヨハネの黙示録としています。

 今回は8千文字です。


 NERV本部、発令所。

 

 オートパイロット実験中。

 

「使徒!? 使徒の侵入を許したのか!?」

 

 連絡を受けた冬月は、声を上げて聞き返した。何の予兆も無く、受けた報告には現実味がない。事実だとしたら、使徒の発見、殲滅を担当する作戦部は何をしていたのか?

 

『申し訳ありません』

 

「……言い訳はいい! セントラルドグマを物理閉鎖、シグマユニットと隔離しろ!!」

 

 ほんの数秒悩むが、作戦部に不可能ならば、司令部が行うまで。冬月は、己の知る最悪を回避すべく、既に指示を出していた。

 

「了解、シグマユニット隔離します」

 

 

「ボックスは破棄します! 総員退避!!」

 

〝セントラルドグマを物理閉鎖。シグマユニットと隔離します〟

 

 全館放送が響く中、ミサトは室内に指示を飛ばしている。

 

 パイプどころか、模擬体に直接侵入し、プラグスーツ無しのまま侵食の危険に晒した上、シンクロ中の左腕を爆砕した……実験中止よりも遥かに重い……パイロットは生きて地底湖に脱出したものの、しかし……最悪の可能性に、リツコは様々な考察を走らせながら、ひび割れたガラス壁面を眺める。

 

 それはあらゆる計画を成功させた赤城リツコが、未だかつて体験した事のない……失態だった。

 

「何してんの!! 早く!!」

 

 ミサトはその、崩壊寸前のガラスを前に動かないリツコを掴み、半ば強引に走る。

 

 疾走する廊下では、各区画の自動隔離措置による駆動音に、背後で閉鎖されたモニターボックスに水が侵入する轟音が響いている。

 

 そんな中、リツコだけが、変わらぬ思案顔で虚空を見つめていた……エヴァンゲリオンでの撃破が難しい事を、予感しながら。

 

 

 

 

 発令所。

 

「警報を止めろ! 誤報だ! 検知器のミスだ……委員会と日本政府にはそう伝えろ」

 

 発令所へ、連絡を取っていた司令室から直接、リフトにより登場したゲンドウは落ち着いて手を組みつつ、そう宣言する。

 

「は、はい。警報、停止します」

 

 唐突な司令の命に、若干恐縮しながらも応じる青葉。

 

「汚染区域、更に下降! プリブノーボックスからシグマユニット全域へと広まっています!」

 

 日向の報告に、ゲンドウの耳元へ身を寄せる冬月。

 

「場所がまずいぞ……」

 

「ああ、アダムに近すぎる」

 

 未だ肉体の解析処理中のアダム(幼体)は、深層深くではなく、一つ上──MAGIユニット群付近に保管されていた。

 

「汚染はシグマユニットまでで抑えろ。ジオフロントは犠牲にしても構わん。エヴァは?」

 

「第7ケージにて待機、パイロットを回収次第発進できます」

 

「パイロットを待つ必要はない。すぐ地上へ射出しろ」

 

「えっ……?」

 

 対使徒における命令とは思えず、聞き返す日向マコト。

 

「初号機を最優先だ。そのために他の2機は破棄しても構わん」

 

「初号機を、ですか?」

 

「しかし、エヴァ無しでは使徒を物理的に殲滅できません!」

 

 青葉の補足に、それでも。

 

「その前にエヴァを汚染されたら全て終わりだ……急げ!」

 

 声を太くし、圧を掛ける司令に二人は冷や汗を流した。

 

「「はい!」」

 

 

 

 

 

 NERV本部。

 

 MAGI、総合記憶領域ユニット内部。

 

 第3非常用通路。

 

〝シグマユニット以下のセントラルドグマは60秒後に完全閉鎖されます〟

 

 微かに聞こえる館内放送に、しかし、加持リョウジは動じない。

 

(物理汚染……? 侵食型の使徒か……しかし、ここが侵されるなら、NERVは終わりだ)

 

 手元の粗末なノートパソコンには、本来なら厳重に管理されている点検用物理接続専用バックドアシステムから検索される情報群が映し出され、今なお変遷を続けていた。

 

(深いな……)

 

 かれこれ数時間。そろそろ誤魔化しの効く潮時かと思ったが、思わぬ客のお陰で更に潜れそうだった。

 

 世間にとって重大な秘密……セカンドインパクトは、人間と使徒によって引き起こされる事実。

 

 そして、使徒は来る。次のサードは、人類滅亡。NERVの存在意義であり、防衛目標。

 

 人は守らねばならない。使徒を倒さねばならない。その使命によって、団結と報酬と残業が約束される……それこそがNERVであるから、本部勤務の者は、事にエヴァ関係職員は知ることになる。

 

 それはパイロットも例外ではない。

 

 ──謎の大爆発。

 

 もとより、政府も知るその程度の情報を、襲来後に隠す意味が無いのだろう。

 

 しかし……それが……第一使徒アダムによるものであり、襲来は〝第三〟から。第二使徒は不明。更にアダムは爆発の後幼体に還元され、下位組織の筈のNERVがそれを得ようとした事……それらの情報と今の権限は、命と引き換えに手に入れた様なものだ。

 

 薄氷一枚の、それ。

 

 何かが少し違えば、今ごろ死んでいる。

 

 しかし、同時に理解したのは……分からない事を知覚した時には……真実はすぐそこにある、真理。

 

 その一歩を踏み出さずに死ぬのは、贖罪の身の上故に耐え難い苦痛だった。

 

 幸運にも、今回も奇妙な運命に手助けされている……

 

 或いは、踊らされているのか。

 

「これは……」

 

Homunculus(ホムンクルス)

 

 画面に映し出される、一つの計画書。

 

 セカンドインパクトの〝副産物〟

 

 本来の肉体へ回帰する魂の利用──

 

 アヤナミレイ。

 

 不死身のパイロット。

 

 フラスコの中の生物。

 

 肉体の器──生命の、在り処(ありか)

 

 その真相に、加持リョウジは既に踏み入っていた。

 

 

 

 

 NERV本部、発令所。

 

「ほら、ここが純水の境目。酸素の多い所よ」

 

 溶存酸素除去による抗酸化処理のされた純水を保管する巨大水槽には品質維持のため循環、濾過システムが搭載されており、その内部には当然酸素の多い箇所も存在していた。

 

 赤城リツコは、汚染のモニター数値を映し出す画面を示す。

 

「好みがハッキリしてますね……」

 

 伊吹マヤの所感に、リツコも頷いた。

 

 しかし、その隣で水槽内映像モニターを見つめるミサトは水槽内部の浄化装置など知る由もなく……その様子に、青葉は口を開いた。

 

「無菌状態維持のため、オゾンを噴出している所は、汚染されていません」

 

「つまり、酸素に弱いってこと?」

 

「……らしいわね」

 

 

 

 

 

 

 数十分後……

 

「オゾン注入、濃度、増加しています」

 

 作戦部による、水槽内への機構内部のオゾン注入が成功していた。

 

「効いてる効いてる……」

 

 青葉シゲルが思わず口角を上げてしまうほど、実にあっけなく使徒はその総数を減らしている。

 

「0Aと0Bは回復しそうです」

 

「パイプ周り、正常値に戻りました」

 

「やはり……中心部は強いですね」

 

 作戦部、技術部、司令部のオペレーターの報告に、冬月は満足そうに指示を出す。

 

「よし、オゾンを増やせ」

 

 そして、十数秒。

 

「……変ね」

 

 赤城リツコは映像モニターに顔を上げて、そう呟く。オゾン増加量に対して、減少値が少なすぎるからだ。

 

「……あれ、増えてるぞ」

 

 違和感を肯定するように、青葉の報告が一同の不安感を掻き立てた。

 

「変です! 発熱が高まってます」

 

「汚染域、また拡大しています!」

 

「ダメです。まるで効果が無くなりました」

 

「今度は、オゾンをどんどん吸っています」

 

 ドミノ倒しに悪化する続報に、赤城リツコは務めて冷静に告げた。

 

「オゾン止めて」

 

 そして使徒の一部生体を分析した結果を映し出すモニターに張り付き、その刻々と変化する様子に若干目を見開く。

 

「……すごい。進化しているんだわ」

 

 突如、館内に鳴り響くアラーム。

 

「どうしたの!?」

 

 予想外な、新たな攻撃──そうとしか考えられず、葛城ミサトは声を張り上げる。

 

 使徒の余りにも不可解な動きに、気付いた時には手遅れ……そんな予感すらしていた。

 

「サブコンピュータが、ハッキングを受けています! 侵入者不明!」

 

「こんな時に……くそッ。Cモードで対応」

 

「防壁を解凍します。擬似エントリー展開」

 

「擬似エントリーを回避されました。逆探知まで18秒」

 

「防壁を展開」

 

「防壁を突破されました!」

 

「防壁を更に展開します」

 

「こりゃあ人間技じゃないぞ……」

 

 秒単位で行われる報告。明らかに使徒らしいが、確定出来ない状況に──また、コンピュータに詳しくないミサトは指示を出しかねていた。

 

 少しづつその眉根に皺が寄る。

 

「逆探知に成功。この施設内です……B棟の地下……プリブノーボックスです!!」

 

 青葉の叫ぶような報告に、一同は驚きを隠せない。

 

 必死に解決案を考えているが、ミサトの脳内には物理的解決手段しかありはしない。

 

「光学模様が変化しています」

 

「光ってるラインは……電子回路? こりゃあコンピュータそのものだ」

 

「擬似エントリー展開、失敗。妨害されました」

 

 悪化するらしい状況に、ついに限界に達したミサトは一つの指示を出した。

 

「メインケーブルを切断」

 

「ダメです、命令を受け付けません!」

 

「レーザー撃ち込んで!!」

 

「ATフィールド発生、効果なし」

 

 いよいよ打つ手のない状況に、作戦部長として焦燥を覚えざるを得ない。

 

 こんな事になるなら、コンピュータも勉強しておけば良かった……

 

 軍行動におけるプロフェッショナル。そして、人を先導する立場に於いての学習に全てのリソースを割いていた葛城ミサトは、一般教養の域を出ない自分の知識に、初めて後悔を感じていた。

 

「保安部のメインバンクにアクセスしています。パスワードを捜査中。12桁、16桁、Dワードクリア!」

 

「保安部のメインバンクに、侵入されました!!」

 

「むぅ……」

 

 呆気なく侵入されていく様子に、しかし、物理的ではなく、あくまでも電子的な……コンピュータ同士のやり取りとしての侵食に、冬月は唸る。

 

「メインバンクを読んでいます。解除できません!」

 

「……奴の目的は、なんだ?」

 

 その呟きは、ゲンドウの感じている不安を煽るのに充分だった。

 

「メインバスを探っています……この、コードは! やばい……」

 

「MAGIに侵入するつもりです!!」

 

 青葉の悲鳴のような報告に、碇ゲンドウはほぼ反射的に反応していた。

 

「IOシステムをダウンしろ」

 

 IOシステム。MAGIの重要な機能の一つ──あらゆる領域との接点……それを切断し、仮想人格のみ独立させるという指示に、青葉と日向はそれぞれ緊急用のキーを取り出す。

 

「ッ……カウント、どうぞ!」

 

「3、2、1、0!!」

 

 同時に解錠されたが──

 

「……電源が切れません!!」

 

「使徒、更に侵入! メルキオールに接触しました!」

 

〝MAGIシステムに侵入者。プラスA。レベル5。MAGIシステムに……〟

 

「ダメです! 使徒に乗っ取られます!!」

 

「メルキオール、使徒にリプログラムされました」

 

〝人工知能メルキオール、自立自爆が提訴されました……否決。否決。否決……〟

 

「今度はメルキオールが、バルタザールに侵入しています!」

 

「くそッ……はやい!!」

 

「なんて計算速度だッ……」

 

 オペレーターの判断の域を出ない──静観していた赤城リツコは、ハードウェアシステムを拒絶され、瞬時に悪化してゆく状況に、数秒の間思考停止に陥っていた。

 

 瞬間、経験から閃きにも似た天啓を受けてソフト面からの対策を絞り出す。

 

「……ロジックモードを変更! Cプロコードを15秒単位にして!!」

 

「「了解!!」」

 

 使徒の攻略が唐突に鈍化した様子がモニターされ、冬月のため息が発令所に響く。

 

「……はぁ。どのくらい持ちそうだ……?」

 

「今までのスピードから見て、2時間くらいは」

 

 青葉の報告に、ひとまずの猶予がある事に、場の雰囲気は一度に緩んでしまう。

 

「MAGIが……敵に回るとはな」

 

 そう独りごちるゲンドウの声音には、焦りが滲んでいた。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 作戦部 第3作戦室。

 

 ローカルマシンのみで集められた印刷物等の資料が机に載り、作戦部、技術部、司令部の責任者からオペレーターまでが集合していた。

 

「彼らはマイクロマシン、細菌サイズの使徒と考えられます。その個体が集まって群れを作り、この短時間で知能回路の形成に至るまで、爆発的な進化を遂げています」

 

「……進化か」

 

「はい。彼らは常に自分自身を変化させ、いかなる状況にも対処するシステムを模索しています」

 

「正に……生物が生きるためのシステム、そのものだな……」

 

 赤城リツコの報告に、感心したように声を漏らす冬月。

 

「自己の弱点を克服、進化を続ける目標に対して有効な手段は……死なば諸共。MAGIと心中して貰うしかないわ」

 

 時は満ちたと言わんばかりに、その硬い眉根を隠しもせずに……葛城ミサトは静かで力強い宣言をする。

 

 それは、自爆させる事を意味していた。

 

 ここに打つ手が無い以上、また、新たな可能性が無い以上は、作戦上最も有効に見えるのは撤退。

 

「MAGIシステムの物理的消去を提案します」

 

「消去……? MAGIを切り捨てる事は本部の破棄と同義なのよ!?」

 

 そんな事は分かっている。もとより、本部の全てを棄てての撤退案……今回の使徒はエヴァで倒せないイレギュラーである以上、どんな手も使われるべきだと考えていた。

 

「では、作戦部から正式に要請します」

 

「拒否します。技術部が解決すべき問題です」

 

「なに意地張ってんのよ!」

 

「……私のミスから始まった事なのよ」

 

「……だからって……問題まで背負い込む必要はないでしょ……? 今、重要なのは原因じゃない。違う?」

 

 少なからず……感情的に話の焦点を違えていた事をリツコは又も後悔し、その瞳孔を資料の端に逸らした。

 

 第10使徒とは話が違う。侵食型。ATフィールドを解いた後、爆破からものの数分でサードインパクトを引き起こすだろう……

 

 撤退は解決にならない。

 

 葛城ミサトは、ここがどんな場所か、知りもしない。

 

 そんな事を思考してしまう程度に、今は。

 

 余裕がない。

 

 侵食は進行している。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……使徒が進化を続けるなら、勝算はあります」

 

 その視線をゲンドウへ貼り付け、光を灯す。

 

「……進化の促進かね?」

 

「はい」

 

 応えた冬月に少し目を配り、最高位の二人が同じ資料を見ている事を確認した。

 

「進化の執着地点は自滅……死そのものだ」

 

「ならば、進化をこちらで促進させてやれば良いわけか」

 

「使徒が死の効率的な回避を考えれば、MAGIとの共生を選択するかも知れません」

 

「でも……どうやって……」

 

 日向の呟き。こちらを見やるゲンドウを察して、口を開いた。

 

「目標がコンピュータそのものなら、カスパーを使徒に直結。逆ハックを仕掛けて自滅促進プログラムを送り込む事が出来ます。が……」

 

 言い淀んでしまったデメリットを、伊吹が引き継ぐ。

 

「同時に、使徒に対しても防壁を解放することになります」

 

「カスパーが早いか、使徒が早いか……勝負だな」

 

「……はい」

 

 少し茶化すような……その、承認の言葉を口にしない……知っている任せ方に、赤城リツコは言い知れない心地よさを感じていた。

 

 だが……それはすぐに熱を失い、冷たい雫となって底へ滴る。

 

「そのプログラム……間に合うんでしょうね?」

 

「約束は守るわ」

 

 熱を噛み締めるように、拳が握られていた。

 

 今、立ち向かう必要があるから。

 

 ……パイロットの、ように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 発令所。

 

〝R警報発令、R警報発令。NERV本部に緊急事態発生。D級勤務者は退避して下さい〟

 

 響き渡る全館放送……

 

 そんな中、MAGIの本体とも言える仮想人格ユニット(カスパー)が、最速かつ妨害のあり得ない直結通信による操作のため、リフトにより上昇し、内部配管を外気に晒していた。

 

「なんですか……これ……」

 

 本来ならラグやハードウェアの認識阻害など、想定すらされていない第8世代コンピュータに於いて、その内部機構が晒されるのは開発終了から数えて始めてだった。

 

「開発者のいたずら書きだわ……」

 

 興味深げに、しかし四つ這いの歩みはやめずに進むリツコ。

 

「すごい! 裏コードだ……MAGIの裏コードですよ、これ!」

 

 入り口でその紙切れを読み漁る伊吹の声は、配管が満ち満ちて狭くなる内部空間まで響いていた。

 

「さながら、MAGIの裏技大特集って訳ね……」

 

 その配管にも所狭しと貼られた紙を見て、感慨深げに呟くミサト。

 

 作戦部長として、今回の使徒戦最前線となる現場へ同行していた。

 

「はぁ〜……こんなの見ちゃって良いのかしら……あーっ! これなんて、IntのCよ!! これなら、意外と早くプログラム出来ますね。先輩!」

 

 興奮する伊吹の声を受けて、不明生命体とな直接対決を前にして儘ならない自分の感情が、少しづつ落ち着いていく様だった。

 

「うん……ありがとう……母さん。確実に間に合うわ……」

 

〝碇のバカヤロー!〟

 

 ラクガキ。

 

 過去の記憶。

 

 外面的に仕事人間で、真面目で、他人行儀で……普段の自分には甘々で。

 

 そんな人間らしい母の面影を……狭隘の闇へ重ねながら……進んでいた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 その外装甲を切断すると、大脳皮質のようなパーツが現れる。

 

「レンチ取って」

 

「大学の頃を思い出すわね……」

 

 手前にあった邪魔な支持金具をしばくと、リツコは直ぐに左手を差し出した。

 

「25番のボード」

 

「ねぇ、少しは教えてよ……MAGIのこと」

 

 その端子を生体パーツへ差し込むと、深い息を吐く。

 

 今更隠す意味もない。

 

 それに話すと……何か整理出来そうな気がしていた。

 

「……長い話よ。その割に面白くない話」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……人格移植OSって知ってる?」

 

「ええ、第7世代の有機コンピュータに個人の人格を移植して思考させるシステム……エヴァの操縦にも使われている技術よね」

 

「MAGIはその第1号らしいわ……母さんが開発した……技術なのよ」

 

「じゃ、お母さんの人格を移植したの?」

 

「そう」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……言ってみればこれは、母さんの脳みそ。そのものなのよ」

 

「それで……MAGIを守りたかったの?」

 

「違うと思うわ。母さんのこと……そんなに好きじゃ無かったから」

 

 反射的に否定してしまったが、では、なぜ、本部に拘ったのか分からない。

 

 何か説明をしなければ。

 

 しかし。

 

 嘘を吐くのは躊躇わられた。

 

 芽生えてしまった自分の感情は、消えないのだから……

 

「…………」

 

「…………」

 

「……科学者としての、判断ね」

 

 そういう事に、した。

 

 そう。伝える相手は、もう、永久に……

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たッ……バルタザールが乗っ取られました!!」

 

〝人工知能により、自立自爆が決議されました……自爆装置は3者一致の後0.2秒で行われます……〟

 

「始まったの!?」

 

 その声に応える者は居ない。

 

 内部では赤城リツコが、ユニット周辺では引っ張り出された内部機構相手に伊吹マヤがそれぞれ無言でキータイプをしていた。

 

 〝自爆範囲はジオイド深度−280。−140ゼロフロアーです。特例582発動下のため、人工知能以外でのキャンセルは出来ません〟

 

「バルタザール、更にカスパーへ侵入!」

 

「……押されてるぞ」

 

「なんて速度だッ……」

 

〝該当内務者は、速やかに退避して下さい。繰り返します。該当内務者は……〟

 

〝自爆まで、あと20秒〟

 

「いかんッ……」

 

「カスパー! 18秒後に乗っ取られます!!」

 

〝自爆装置発動まであと、15秒〟

 

「リツコ……!!」

 

「大丈夫、1秒近くも余裕があるわ」

 

「…………」

 

 息を呑む葛城ミサト。

 

〝7秒〟

 

 過去0.000001%の作戦を成功させた本人ではあるが、その奇跡の重みを、直に感じ取るのは初めてだった。

 

〝4秒〟

 

「……0やマイナスじゃないのよ。マヤ!!」

 

「いけます!!」

 

〝3秒〟

 

「押して!!」

 

〝2秒〟

 

 同時に入力されるエンター。

 

〝1秒〟

 

〝0秒…………〟

 

「…………」

 

「…………」

 

 誰もが、静寂に終焉を待っていた。

 

 0という数字のアナウンスは、その思考を停止たらしめる破壊力があったのだ。

 

〝人工知能により、自立自爆が解除されました〟

 

「ッ──いやったぁー!!!!」

 

「はっはー!! よっしゃぁー!!」

 

「はぁ…………」

 

 喜ぶ日向と青葉に、肩を落とす冬月。

 

〝及び特例582が解除されました〟

 

 その様子に、伊吹とミサトは思わず笑みを溢した。

 

「はぁー……」

 

 奥底。MAGIシステムの中枢で、珍しくも脱力する赤城リツコが居た。

 

〝MAGI、通常モードへ移行します〟

 

 

 

 

 

 

〝シグマユニット解放。MAGIシステム再開まで、マイナス03です〟

 

 改めて臨時メンテナンスと相なったMAGIシステムの隣で、パイプ椅子に腰掛け、赤城リツコがダウンしていた。

 

「もう歳かしらね……徹夜が応えるわ」

 

「また約束守ってくれたわね。お疲れ様」

 

 前回は自分が無理をさせた上に、今回は不可抗力とはいえ明らかに無理をしていた……彼女に、労いのコーヒーを渡す。

 

「……ありがと」

 

 今ばかりは、素直に受け取った。

 

「……ミサトの淹れてくれたコーヒーがこんなに美味いと思ったのは初めてだわ」

 

「あはは……」

 

「……3台のMAGIにはね、それぞれ別の人格がインプットされているのよ。実は、プログラムを少しづつ変えてあるの……」

 

「……?」

 

「死ぬ前の晩に言っていたの。母として、科学者として、女としての自分なんだって……」

 

「…………」

 

「カスパーは、女を司っているわ」

 

 最初の犠牲。

 

 メルキオールは科学者だった。

 

 一番大切にしていた、筈の……

 

「……ほんと、母さんらしいわ」











 次回 「魂の座/遺思の、行方。」








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第貳拾話 魂の座/遺思の、行方。

 14章 4彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。

 ヨハネの黙示録。14章。4節より。

 今回は3千文字です。


 NERV本部、司令室。

 

「このままでは、崩壊の危険があります」

 

 碇ゲンドウは、その報告書を一瞥もせずに、しかし、静かに聴いていた。

 

「確か君は……DNA螺旋と魂の在り方について、関係が無いと言っていたな」

 

「……はい」

 

「不安定なレゾンデートルや、永遠の人格形成。これらは、肉体と魂の乖離から起こるのだと」

 

「はい」

 

「では、なぜ定着と崩壊が起こる?」

 

「それは……」

 

「ATフィールドの崩壊……であれば、同様に生成も成立するとは思わないか」

 

「……!? まさか……」

 

「そうだ。既にネクロマンシーは始まっていたのだ。12年前からな……」

 

「投薬を……中止しますか?」

 

 それに頷くゲンドウ。

 

 俯く赤城リツコを、じっと見ていた。

 

「……赤城博士」

 

「はい」

 

「君の、ATフィールド研究には本当に助けられている。これからも、宜しく頼む」

 

「……はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

「まだ……愛していますか?」

 

「……全ては心の中にある。君は知っているだろう」

 

 ずるい人……

 

 その言葉にもはや力が無いことを……ただ一人だけ、知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3新東京市、郊外。

 

 PM16:28

 

 夕陽を受けながら、ベッドの上で綾波レイは日記を読み返している。

 

 機体相互互換試験の失敗……零号機との違い。それを、知っていた。

 

 一つの頁に行きつき、その文が口をついて微睡の光に溶ける。

 

「初号機は綾波に似ている」

 

 それは儚く笑う碇シンジの言った優しさとはかけ離れた存在だった。

 

 零号機、初号機、弍号機。

 

 私の存在を固定する、魂の座。

 

 エヴァはどれも同じ。

 

 そんな幻想を破壊される。

 

 零号機の私の中の私よりも、遥かに……強い。強引なシンクロ。その大きな影に溶けてしまいそうな……

 

 深みに入る前に拒絶された、存在。

 

 その引力を知っていた。

 

「あれが……オリジナル……」

 

 日記の裏で、その左手に微かな黒点が広がるのを気付かずに、続きを読んでいた。

 

 胸中に現れる良い知れぬ虚空は、その日々の記録によって段々と形を得て可視化されてゆく。

 

「違う」

 

 オリジナルで、似ているようで、それでも。

 

「想いの記録……私の足跡。明日へ続く、闇」

 

「人は墓を作り……想いとを記録してきた」

 

「碇君が、私の……」

 

 黒い足跡が浮かび上がる、その広大な白い大地の地平線に、オレンジ色の暖かさが広がるのを自覚していた。

 

 目を瞑り、思う。

 

 やはりそれだけが、向かう先だと。

 

 一筋の涙が頬を伝い、コンクリートの床面へ落下し、弾ける。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 NERV本部、司令室。

 

「何!? 本気か、碇!!」

 

 冬月はテーブルに両手を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。

 

「ああ。現行の補完計画は凍結する」

 

「……なぜだ」

 

 渋々座り直すが、机の上へ出した両手は明らかな苛立ちを表していた。

 

「冬月、神を信じるか?」

 

「いいや」

 

「意志を持つ存在がこの世界へ干渉している……量子論的なゆらぎや、生体パーツに発生しない独自思考について、そうは思わないか?」

 

「それこそが神の意志だと? 下らんな。だとしても、確定の仕様がないだろう」

 

「世界の法則は既に決定されている。ダミーシステムの破綻や、リリスのネクロマンシーを覆す理論は全く不明だ……我々は、予想でなく、事実から計画を修正する必要があるという事だよ」

 

「……大方分かった。それで、どうするつもりだ?」

 

「上書きだ」

 

「…………?」

 

「現在の世界で不可能ならば、法則を一つ加えるしかないだろう」

 

「おい、そんな……方法があるのか?」

 

「可能だ。失われたロゴスの鉢ならばな」

 

「失われた? どういう事だ」

 

「ロゴスの鉢こそ、我々が認知する神の意志という事だ」

 

「創れるのか? そんなものが?」

 

「ああ。材料はある」

 

「まさか……」

 

「そうだ。新たなATフィールドの創造。堕落し……眠れるリリスの、覚醒だよ」

 

「ユイ君を、人柱にするつもりか……?」

 

「ロゴスの鉢には、宿されるロゴスが無ければならん。……真に犠牲になるのは、いつの時代も救世主だからな」

 

「誰だ。それは」

 

「現在、リリスに最も近い男……初号機パイロット……碇、シンジ。相応しい者は、それ以外ありえん」

 

「新たな世界を……背負うのか。14歳が」

 

「革命を齎すのは、老いた政府では無い」

 

「さながら民意の代表か……その意思が悪意に侵されなければいいが」

 

「種は撒いてある。思わぬ芽吹きを迎えたが、問題はない」

 

「……それでいいのか?」

 

「……ああ」

 

「酷な運命だな。お前も、パイロットも」

 

「元より、覚悟の上だ」

 

「それで、ユイ君が息子を取り戻そうとしなければ良いがな……」

 

「…………」

 

「対策はあるんだろう?」

 

「……用意しよう」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 NERV本部、精神科病棟1号室。

 

「…………」

 

 呆然と天井を見ていた。

 

 零号機。

 

 それは。

 

 飛び立つ鳥と、もう一人の綾波。

 

 あの時、あの時の顔だった。

 

『私の、ワタシの、ワタシ、ワタシノモノ』

 

『ねぇ、カゾクなのでしょう?』

 

 犯された記憶の笑顔は、狂気を滲ませて頬に両手を添えて、眼前まで迫っていた。

 

 冷たい両手。

 

 今も気を抜くと、部屋の隅に綾波レイの気配を感じるような気がした。

 

 人であって、人じゃない。

 

 決定的な違い。

 

『私は……二人目だから』

 

 父さんと過ごした……一人目は。

 

 エヴァに。

 

 綾波は知っていたんだ……いや、知っているんだ。きっと、全てを。

 

 シンクロ。その単語が急速に重みを増して、体にのしかかる。

 

 初号機は……一体……?

 

 正式タイプって言うけど、シンクロの感覚が鈍くたって、弍号機も……

 

 誰なんだ?

 

 考えれば考えるほど、あの暖かさを知っている気がして、その記憶に掛かった靄が厚みを増していた。

 

 僕は……何を知っているんだ?

 

 あの、人造人間について……

 

 父さんは……何を造ったんだ……。

 

 その疑問は吐き気すら催して、親である筈の、純粋な父さんの印象を、大きく歪めていた。

 

 分かりたいはずなのに。

 

 知れば知るほど、現れる狂気。

 

 理解できない。

 

 したくない。

 

 でも、返していたい。

 

 家族でありたいから……

 

 相反する思いは、境界線の最中を遊ぶように反転し続け、胸を締め付ける。

 

 ただ……いつか見たように、頭を撫でて。

 

〝今まですまなかった……シンジ〟

 

 そう言ってくれるだけで、ただ家にいて、声を掛けてくれるだけで……それだけで、良いのに。

 

「何なんだよ……なんでなんだよ……父さん……」

 

 10年で何が変わって、何が起こってしまったのだろう?

 

 ただ、普通に……

 

 かけ離れてゆく、現実。

 

 崩れゆく、家族のカタチ。

 

 理由のない涙は、ゆっくりと。

 

 そのシーツを冷たくする。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 NERV本部、通路併設休憩室。

 

「先の暴走事故……原因は分かっているんでしょうね?」

 

 買ったUCCコーヒーに口を付けずに、険しい目元を崩さない葛城ミサト。

 

「……初号機と碇シンジ君の再シンクロ実験は成功。それで、問題があるかしら?」

 

 灰皿に灰を落とした赤城リツコは、目を合わせる事をしない。

 

「まさか、分からないって?」

 

「管轄外の問題でしょう」

 

「今後の使徒戦に於いて、エヴァンゲリオンの安定性は最も重視されるべき事項。作戦部長として、先の実験の報告書の提出を求めます」

 

「珍しく仕事熱心ね……それとも、パイロット可愛さかしら?」

 

「アンタねぇッ……」

 

 不機嫌さを隠しもせずに、ヅカヅカと近寄るミサト。灰皿へタバコを歪むほどに押しつけ、その顔面を睨みつけた。

 

「葛城3佐!! 法外なのは承知の上でしょう。貴方の指示は謹慎と強制別居もあり得る、私情の持ち込みよ!」

 

 その鬼の様な形相に面食らって、目を逸らす。そんな側面があるのは事実だった。

 

 無理は言えない。

 

「……そうね。ごめんなさい。少し、頭を冷やすわ」

 

「全く……」

 

 本当に珍しく、怒って歩き去る赤城リツコに、一つの確信があった。

 

『大体、人が怒るのはね……認めたくないもの、隠したい事を指摘された時なのよ』

 

 彼女のいつかの言葉を思い出す。

 

 やはり、隠している。

 

 私には知られたくない……何かを。

 

 レイだけではない。エヴァ、使徒、何にしても情報が不明すぎる。

 

 とはいえ、自分の権限では既に限界。開示されないのであれば、後は……

 

「なりふり構ってらんないか……」

 

 もはやNERVには頼れない。

 

 破滅をも覚悟して、自分の使命を背負う。

 

 起こした奇跡を実感し、今後の使徒を、打ち倒すために……

 

 そして……無垢な子供たちの為に。

 

 汚れた世界の中で、信じるだけの、それだけの暖かさは……確かに。

 

 そこに存在していた。








 次回 「沈黙/真理の告白。」








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第貳拾壱話 沈黙/真理の告白。(前編)

 今回凄いところで終わっていますが、このウエイトで1万5000文字(70%時点想定)くらいの文量になりますと読むのも疲れてしまいますので(建前) あと下手をすると来年になってしまうので(本音) 前後編となっております……ご容赦ください。

 また、公開可能な情報につきましては、活動報告に考察編として投稿しておりますので、ご興味がある方は左上の作者名から飛んで頂ければと思います。

 以下、本文です。






 実際、私の心はまっ逆さまに落ちることを恐れてあらゆる同意から離れていたのであり、

 この留保によって殺されていたのである。

 アウレリウス・アウグスティヌス作(ローマ帝国。キリスト教神学者)

 山田晶 訳 『告白』より。





 今回は8000文字くらいです。



 第3新東京市、郊外。

 

 PM22:22

 

「信じていたい……か」

 

 加持リョウジは、崩れかけたビルの綻びから突き出す鉄筋に両腕と体重を預け、小望月に隠れる慎ましい星々に煙を燻らせていた。

 

 一度口に含むと、大きく吸いこみ……

 

 眉を歪ませて、それを飲み込んだ。

 

 立ち上る大煙。

 

「……何だったんだろうな」

 

 汚れた正義。

 

 後悔への決別の旅路。

 

 真理を知る贖罪。

 

 なぜ、彼らは死したのか。

 

 なぜ、今を生きるのか。

 

 なぜ、この世は……

 

 そんな、言葉にしきれない、己の半生という重みが変質して……煙に消えてゆく。

 

 肉体の研究──アダム再生計画。魂の研究──ホムンクルス計画すら副産物……これらは全て、裏死海文書に書かれていたという。

 

 詳細な内容は恐らく、ゼーレの首脳と碇ゲンドウしか知らないのだろう。

 

 正に羊飼いに与えられる、予言の書。

 

 彼のシナリオは、常に裏死海文書を目指していた訳だ。

 

 ゼーレと異なる道を行く様だが……それも予言の曖昧さ故か。

 

「…………」

 

 痛みを肺に受け入れる。

 

 何かが麻痺する感覚が心地よく、苦々しさに酔わせた。

 

 確かに……世界は大きな運命によって変化させられただろう。だが、それは……

 

 石版を盲信する狂信者の政。

 

 斃すべき敵も、憎むべき責任者もいない。

 

 探求した闇は、苦しみ、もがいて、進み続けたこの道は……俯瞰して見ると、自分というちっぽけな存在が介入する寸分の余地すらない、黒いキャンバスだった。

 

「地獄か……」

 

 全て、決定された未来。

 

 知ることで、自分にも役割が与えれるのではないか? 途中から、そんな淡い希望を抱いて居たのだと今更ながらに自覚する。

 

 カードは必要な存在に、既に配られていた。

 

 委員会の老人たち。

 

 冷血の男。

 

 使徒。

 

 そしてエヴァを操る、純粋な彼ら……

 

 想像でき得る結末はどれも悲惨で。

 

 ……この世は暗く、覆る事はないらしい。

 

『いいんです。本当はアスカに嫌われてても、本当はミサトさんが家族だと思っていなくても、本当は皆んなに憎まれていても……』

 

 唐突に煙が染みて、むせる。

 

 やはり……似ていた。その濁り切った瞳孔は見覚えがある。

 

 無常観かぶれな思考をしているのだろう。

 

 彼は自身を信用していない。

 

 しかし……

 

『僕が、信じたいんです。そんな風に、我儘でいいって。アスカが教えてくれたから……』

 

 彼はこの世を生きようとしている。

 

 その到底理解できない、献身的な世界との向き合い方が、その強さが、今は染み入っていた。

 

 信用しないどころか、価値が無いとしている。自分の運命を諦めて尚……だからこそ、破滅を恐れない。

 

 セピアの過去が、唐突に色づく。

 

 自分に笑顔を向けるのは、一人の女性だった。

 

 地獄で泥に塗れても、残ったものを、芽生えたものを直向きに守ろうとする姿は……よほど、美しく。

 

「俺も少しは、謙虚に生きるか……」

 

 フィルター寸前まで燃え尽きたそれを鉄筋に押し付け、茂みへ投げ込む。

 

 吐き出した煙。

 

 踵を返すその自嘲的な笑みは、作り物より綻んで、いつもより少し軽やかな歩みは、浮かぶ月へ向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンフォート17、葛城家。

 

 朝日がカーテンの隙間から差し込み、まだ薄暗い室内に一つ、チャイムの音が鳴る。

 

 起き抜けの来訪者に心当たりはない。

 

 不審に思いながらも、渋々玄関の前に立つと──

 

「おはよう」

 

「な…………」

 

 空いた口が塞がらなかった。

 

 青髪。

 

 赤い瞳。

 

 制服に身を包んだ、綾波。

 

 夢だ。

 

 最近に色々ありすぎた脳は当然のように、そう判断してしまう。

 

「……おはよう、綾波……それで、どうしたの?」

 

 夢なら……いっか。

 

 特に考えもないけど、聞いてみる。

 

「登校時間だから」

 

「……まだ早いよ?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 清々しいスズメの鳴き声と、明るくなるマンションの廊下が、現実の時間の流れを教えてくれた。

 

「待って……綾波、なんで、今、ここに?」

 

 頭痛がする気がした。

 

 これには、覚えがある。もう、2回くらいは経験したような……

 

「……近くに、居たかったから」

 

 衝撃。

 

 ミサトさんに相談する綾波は想像できる様で、難しい構図だった。

 

 ぜんぜん、まったく、さっきの発言は……綾波らしくない。

 

 他人として。

 

 今、こうして、ここにいる。

 

 さらに、近くに居たいと、綾波から言ってくれた……それが必要なことだと、考えてくれている。

 

 当たり前の事じゃなく。

 

 近寄れない、近寄り方も分からない。ずっとそうだった綾波の絶対領域が、ない。

 

 てっきり知識や造りの違いが、その差を作っているものだと……

 

「……朝御飯は?」

 

 首を振る綾波。

 

「その……薬は?」

 

「もう必要ないと、赤城博士が」

 

「…………」

 

「…………」

 

「はは、そっか……」

 

 きっと、あの薬が……

 

 晴天の霹靂に思わず気が抜けて、笑った。

 

 解決できない、巨大な壁や、歪みだと思っていたのは……自分だけなんだ。

 

 なんて……馬鹿らしいんだろう。

 

「おかえり、綾波」

 

「……ただいま」

 

 自信なさげに、少し疑問に思っていそうな様子が、なつかしい。

 

「うん」

 

 きっと、もう背負わなくていいんだ。

 

 綾波らしさを。

 

「……おかえりなさい」

 

 両手を差し出す。

 

 数歩歩くと、思い出したように足裏がヒヤリとしたコンクリートの感触を伝えた。

 

 綾波は少し目を見開くと、花が開くみたく笑って、腕を背後へ回す。

 

「……こうしたかった」

 

「うん……良かった……っ……綾波」

 

 その満足そうな声音に、どうしても、込み上げる感情が抑えられなかった。

 

「なぜ、泣いているの?」

 

「……言えない。言えないよ」

 

「どうして?」

 

 これから訪れる暖かさを、同じように、綾波が感じる事ができる。その喜びを、いま、言葉にするなんて……できない。

 

「言えないけど……嬉しいんだ。だって……」

 

 感情が詰まって、言葉にならない。

 

 少し離れて、こちらを見上げる綾波。

 

 温かな両手は、確かにここにあって。

 

「これで、もっと話せるし……」

 

「…………」

 

「それに、家があるって、それだけで……家族って感じがするんだ」

 

「…………」

 

 綾波は握られた両手をじっと見ていたが、握り返すと、すっと目を合わせる。

 

「家族……家。私たちの、帰る場所。ここが……」

 

 確かめるように、その両手を、弄ぶ。

 

「そうかもしれない」

 

 そう言う顔は、真剣で。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「な……ぇ……?」

 

「あ、おはよう」

 

 良い音を立てて焼ける追加の卵とハムから目を離して、停止したアスカに声を掛ける。

 

「遅かったじゃな〜い」

 

 既に二皿用意されていた内の一つに手を掛けて、トーストを二つに折り込んで、頬張るミサトさん。

 

 トーストや簡単なサラダ。ハムを添えた目玉焼きが並ぶ4人掛けのテーブルに……正確には、その一席に釘付けの顔は、次第にイライラした表情をして、ミサトさんの横についた。

 

「どういうこと? また何かの実験?」

 

「見ての通りよ」

 

 澄ました顔でサラダをつまむ姿に、思わず苦笑いをしてしまった。

 

「見たらって……まさか……」

 

「……まーね」

 

「……ッ、まーね。じゃないでしょ! どうなったらこうなるの!? 報連相は!」

 

「はぁ〜……だって、仕方ないでしょぉ〜? いきなり数ヶ月前の許可が降りちゃったんだから……私だって覚えてないわよ〜……」

 

「えーっ、なによ……それ……」

 

「何か、問題が?」

 

「……何がってまず、もう部屋が無いわよ」

 

「それは大丈夫だよ。綾波の部屋、隣みたいなんだ。共通のキーで」

 

「……じゃあ、シンジと隣に移るとか?」

 

「いや、キーは共通なんだし、綾波が隣を部屋みたいに使えばいいんじゃないかな? 他はそのままで……」

 

「全く、青春ね〜。30過ぎると眩しいわ〜」

 

「う、うるさい!! ホントうるさい!」

 

「はいはい。もう何も言わないわよ」

 

「あはは……それで、いいかな?」

 

「いいわよ! もう!!」

 

「はい、じゃあこれアスカの分」

 

 お皿に2枚のトーストを、上にハムと目玉焼きを乗せて渡すと、ひとまずは納得したように受け取って、渋々席に着いた。

 

「ありがと。……いただきます」

 

「何はともあれ、これで全員集合ね」

 

「なんか……意味があるわけ?」

 

「そりゃあね。大有りよ。だって全部、ここからじゃない……レイのこと、気になってたでしょ?」

 

「……べつに」

 

「意地を張らない。命、賭けてんだから」

 

「…………」

 

「ま、だからここからなのよ」

 

「果てしないわね」

 

「人間はあなたが知るより、複雑なものよ」

 

「……ミサトも?」

 

「……印象なんてね、作れるのよ。人は無意識のうちに、楽な印象を持たれようとするけれど……気にしない人だって、いるわ」

 

 表情に色がないミサトさん。

 

「…………」

 

 アスカはその瞳を、射るように睨んでいた。

 

「あ〜……なんで、今、話したのか。アスカなら、分かるでしょ?」

 

 苦笑いして……一見して、食事優先。俯きがちに様子を伺うミサトさんに、不敵に笑うアスカ。

 

「……ふーん。どうしよっかな〜」

 

「…………」

 

「えー、あたし、分かんな〜い。って言ってもいいけど……ミサトが可哀想だから、辞めといてあげる」

 

「ははは……ありがと。午後の訓練で覚えときなさいよ」

 

「うわー、大人気なーい! そっちが振ったんでしょ〜!?」

 

「だからって遊ばないの」

 

 ミサトさんは空になったお皿を重ねてしまうと、用意をしに席を立った。

 

「ちぇー」

 

「なぜ、嬉しそうなの?」

 

「なにが?」

 

「やさしさが無いのに、なぜ、笑うの?」

 

「……ミサトさんって、お酒が抜けると結構無口なんだよ」

 

「…………?」

 

「そもそも言わないわよ、フツーは」

 

「……非常識」

 

「そ。アンタ風に言うと、知識は学習と実践から成る──ってところ?」

 

「それは……ちょっと違う気もするけど」

 

「じゃ、なんなのよ」

 

「ミサトさんの優しさ、かな?」

 

「不器用なのは間違いないわね」

 

「…………」

 

「ほら、冷めちゃうよ」

 

「アンタも食べなさいよ」

 

「分かった」

 

 その言葉に、残りを盛ってしまうとフライパンやエプロンを仕舞い、皿を持って席に着く。

 

「いただきます」

 

「……ふん」

 

 その様子を見て満足そうに微笑み、息を漏らして青い瞳を薄く瞑ってトーストに齧り付くアスカも。

 

 きっと、人の事は言えない。

 

 トーストは……甘い香りがした。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 NERV本部、シュミレーションプラグケージ、併設モニター室。

 

 シンクロテスト中。

 

(既に、実生活はおろかシンクロにも影響がないのね……)

 

 各エヴァを再現したプラグ内のシンクロ情報を冷静に観察しながら、赤城リツコは思考を重ねる。

 

 生体波形のパターンが変化している訳ではない。しかし……

 

(ロストした個体との差……それこそが、ATフィールドの創造……)

 

 故に、その説明には説得力があった。

 

 今も、自身の研究に、全く無かった視点を碇ゲンドウにより齎された事実は、多くの喪失を実感させている。

 

 せめて研究の進歩は欠ける事なく、完遂させて見せる。そんな儚い気概により自身を奮い立たせて。

 

 仕事をする。

 

 それだけが、もはやここに存在する意味だった。

 

「今回も問題なさそうね〜、流石、赤城リツコ博士」

 

「シンクロに関してはね……殆ど何もしていないわよ」

 

 努めて上機嫌な葛城ミサトに、つまらなそうに答えた赤城リツコ。

 

「MAGIでサポートしてるじゃない」

 

「MAGIのサポートは数値による機械的な、環境面への作用。シンクロが高数値で安定しているのは、チルドレンが精神的に安定しているから。強いて言えば、あなたの功績ね」

 

 葛城ミサトは言葉にならない息を漏らし、口を噤んだ。

 

「…………」

 

(それこそ、私は何もしていない……私が……甘えているような物だもの……)

 

 必要な時には立場を押し付けて、なお、言いたい事を言って……気を遣わずに生活している。それがどんなに恐ろしく、無責任な行為か理解しつつ、子供たちにそれを求められて、喜んでさえいた。

 

 居るだけで心地いい、帰りたい場所。

 

 本当は口下手で無責任な自分すら、受け入れてくれる場所……

 

「いや、だからか……」

 

 選ばれたチルドレンが、エヴァパイロットである理由。

 

 シンクロ/シンクロナイズ/同期

 

 幾度でも繰り返され、それぞれの事象に協調性があり、人為的な制御など、原因があり同時に起こる現象……

 

 故に再現性が求められ、そして、その状態とは……

 

 ・エヴァンゲリオンを受け入れること。

 

 ……あの巨大兵器の心理作用など考えた事もなかった。発展途上の技術である事くらいしか知らない。

 

 心理作用。例えば、いきなり知らない人間にプライバシーゾーンを触られたら? シンクロの難しさは、そんな所にあるのかもしれない……

 

 戦場で高数値を維持するチルドレンの、なんと強かなことか。

 

 その思考の様子を疑わしげに監視されている事に気が付かない。

 

「何か秘訣があるのかしら?」

 

 その鋭い声音に、作業員の数名が視線を寄越す。葛城ミサトは少しジトッと湿る背中を感じながら、細む喉から声を絞り出した。

 

「あ……あはは。やーね〜。リツコのお眼鏡に叶う様なのは、何にもないわよ。そんなのがあるなら、私が知りたいわ〜」

 

 暫くの間。

 

「はぁ……想像に難くないわね……」

 

 ため息を吐いて、赤城リツコはモニターへ向き直った。

 

 葛城ミサトはホッと息を継ぎ、すぐに二の句を繰り出してゆく。

 

「そうだ。今度は何着てこうかしら。この前にオレンジのは着たし……」

 

「……青のドレスは?」

 

「ああ、あれ……ちょっちね……」

 

「入らないのね」

 

「うっさいわねぇ……仕方ないでしょ〜? というか、どいつもこいつも三十路だからって焦りすぎなのよ」

 

「まあ、こうも重なるとご祝儀もバカにならないしね……」

 

 疲れた表情で反応する赤城リツコは、しかし、口角の端は楽しげに。呆れているようでも、それを受け入れているようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンフォート17。

 

 リビング。

 

「お墓参り?」

 

「……うん」

 

 いつもの様に、『明日、開けときなさいよ!』と言い放ったアスカ。

 

 不機嫌になったが、何時ものように机を人差し指で叩いて威嚇したり、足を組み直したりはしなかった。

 

「…………」

 

 代わりにフローリングの継ぎ目を睨んで、腕を組んでいた。

 

「聞いてもいい?」

 

 その不機嫌さがエスカレートする様に、片手でがしがしと頭を掻くと、乱れた髪をそのままにスッと立ち上がってしまう。

 

「……やっぱいい」

 

「話すよ」

 

「いいって……言ってんでしょ」

 

「……うん」

 

「…………」

 

「…………」

 

「そうだ」

 

 アスカが自室の戸に手を掛けた所で、一つ思い出した。

 

「綾波……行かないって言うんだ。図書館とか喜ぶと思うから……その……良かったら」

 

「なんッで私……が……」

 

 その蒼白に握りしめた拳が緩むのが、暗がりでも分かる。

 

「レイがお墓参りに……行かない?」

 

「…………」

 

「なんで?」

 

 横顔に愕然と、意味が分からない。という表情を浮かべるアスカ。

 

『私が行っても、意味が無いもの』

 

 墓標の前で、思うこと。

 

 それが何もないのは、分かる。

 

 母さん。そんな概念がそこにはあるだけで、語るべき言葉も、思い出す情景も、何も無かった。

 

 墓に参ることが。

 

 よく分からない。

 

 ただ、意味はある気がしていた。

 

 ただ何となく、そんな気はしていた。

 

 確かに胎に居たことを、確認する必要があるような気がしていた。

 

 どんなに限界でも、人である事は必要な気がしていた。

 

 あっさりと言って、数学書の摂取に勤しむ綾波は、綾波にとっては、意味が無い。

 

 よく、分からない。

 

 綾波にどんな言葉を掛けるべきなのか。

 

 人が本当は、家族が本当は、どんな形をしていたのかも……

 

「分からない。綾波は……意味が無いって言うんだ」

 

「意味って……そんなの……」

 

 言葉に詰まるアスカ。

 

 その喉に何かが詰まって、首筋が震えているのが分かった。

 

「バカ……ホント。本ッ当に。揃いも揃って。愚図しかいないわね……そんなの、当たり前だからでしょ?」

 

 当たり前。

 

 そう思わなきゃいけない。

 

 何かが決壊しかけていて。

 

 アスカが相変わらず、綾波のそういう所がどうしても嫌いなのは分かっていた。

 

 綾波は、きっと考えるキッカケを与えやすいから。

 

 それを見つけてくれるから……

 

 嫌なことを掘り返すから。

 

 でも、きっと……先へ歩むには前を向かなきゃいけないんだ。振り向くには、背後のそれをもう、見ないように。形を知らないといけない。

 

 どんなに恐ろしくても。

 

 我儘。

 

 前を向いていて欲しい。

 

 或いは、そんな祈りだった。

 

 或いは、自分のことだった。

 

 こうあってほしい……そんな、無責任で、切実な、強い祈り。

 

 アスカがくれた暖かさは、白熱する鉄心となって、脊髄の芯に秘められて。その刃を引き抜かせる。

 

「でも、綾波はそうは思わない」

 

「ッ……!!」

 

 否定。

 

 激しい感情。

 

 その肩を怒らせて近づく。

 

 アスカの選択は、拳だった。

 

 椅子から転げ落ちて、痛めた首と腰を押さえながら立ち上がった。

 

「アスカ」

 

「煩いッ」

 

 腹にもう1発貰って、もんどり打つ。

 

 咳き込んで、ゆっくり立ち上がった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……アスカ」

 

「うるさいっ……」

 

 今度は拳の形のまま、腹に添えられた手。

 

「…………」

 

「…………」

 

 その手を包む。

 

「…………ごめん、アスカ」

 

「…………」

 

 俯いたまま。

 

 そのうち、開いた手のひらは、腹に当てられる。

 

 体を密着させると、早まる2つの鼓動が聞こえた。

 

「……大丈夫」

 

 それが分かる様に、身を寄せて。

 

「…………」

 

「…………」

 

 段々と、ゆっくりと、脈打つ鼓動が、時を刻む。

 

「……バカ」

 

 耳元で聞こえる。

 

 その声は、熱かった。

 

 息を吸う。

 

「教えてあげてよ……綾波に」

 

「何で……私が」

 

「アスカじゃなきゃ……ダメなんだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 離れると、少し名残惜しそうに服の端をつまむアスカがいた。

 

 ふと、瞳が合う。

 

 キッと目を逸らすと、パッと後ろを向いて。

 

「はぁ〜あ。仕方ないわね!! ホント、手間のかかる兄弟なんだから!!」

 

「アスカ」

 

「……何よ」

 

「ありがとう」

 

 少しの間。

 

 アスカは頭を掻くと、後ろを向いたまま……

 

「ッ〜! 本ッ当、そういうとこよ!! お礼くらい!! 普通に言えないの!?」

 

「普通に……?」

 

「あ゛〜〜〜〜!!!! もう!! いい!!!!」

 

 スタスタと自室までいくと、襖がピシャリと締められてしまう。

 

「あ……アスカ……」

 

 

 

 

 

 

 

 その頃……

 

「意味わかんない! ほんとッ、意味分かんないから……! 何よあいつ……! あーっ!!」

 

 両手で抱えた枕に叫びながら、悶絶していた。

 

 涙で濡らしながら、嬉しいような、悲しいような、分からないままに。

 

 ただ感情が、溢れていた。

 

 扉越しに、その様子が伝わって、襖の前で立ち尽くす。

 

 そうして、2人の夜が更けてゆく……

 

 夜が開けた日は、土曜日。

 

 その私室に置かれた勉強机。その上の遊園地のチケットは、当日限りと刻印されていた。

 




 世界を滅ぼすに値する
 その温もりは
 2人になれなかった
 孤独と孤独では

 道すがら何があった?
 傷ついて笑うその癖は
 そんなに悲しむことなんて
 無かったのにな

 心さえ
 心さえ
 心さえなかったなら
 心さえ
 心さえ
 心さえなかったなら

 「命にふさわしい」(Amazarashi メメント 収録曲)

















 次回 沈黙/真理の告白。(後編)×→(中編)◯














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第貳拾弐話 沈黙/真理の告白。(中編)

 申し訳ありません。ちゃんと終われそうな箇所がなく、文字数の関係もあり、前回から期間を空けたくない事もありまして中編となっております。

 近日中に後編をお出ししますので、しばしお待ち下さい……

 以下、本文です。






 無頼気取ればOh Let it burn now YA
 無礼決めれば散花?否
 どうかしてる
 獣化してる
 無垢だからだろ?

 一角獣(ユニコーン)

 落ちたARK額のMARK強く照らせDARK

 〝肌〟が合わなけりゃ目も合わせないそれでも We don’t care

 初期不良だとかRecallだとかオトナが喚いてる

 どっち向いて喋ってるの?

 ぼくはこっちだよ

 「一角獣」(てにをは 2020/5/15配信)



 今回は4000文字です。


 翌朝。

 

「それじゃあ」

 

「「行ってきます」」

 

「クワワ」

 

 何か言いたげだったペンペンが扉の向こうに消えると、少し先を行くミサトさんを横目に、アスカの鋭い目線を憂いていた。

 

「その……アスカ」

 

「分かってる」

 

 そう言って歩きながら、目を瞑る。

 

「…………」

 

「任せときなさいよ」

 

 綾波の部屋の玄関前で立ち止まって、腰に手を当てて、でも、自然体だった。

 

 自慢げなんかまるで無く、そう有ることが当然みたいに、微笑んでいる。

 

 数時間前に、嗚咽を漏らしたとは思えない。数センチ背が伸びたような気さえしていた。

 

「うん」

 

 それに頷くと、表情を変えないままに手を引き寄せられて、後頭部を抑えられ、撫でられる。

 

「ちゃんと、弔って」

 

 耳元で囁かれた喉を細む声が、突き刺さって。

 

「……分かった」

 

 緩んだ腕から脱出すると、互いにその真剣な瞳に頷いて、別れた。

 

 

 エレベーターを開けて待っていたミサトさんは、ふぅ、と息を吐いて、簡単に心配する様に口を開いた。

 

「何の話をしてたの?」

 

「……弔って来てほしい。って、アスカが」

 

「…………」

 

「僕も分からなかったんだ。本当に母さんが眠っているなんて、思わないから……」

 

 扉が閉まる。

 

 シャフト内を明るくする蛍光灯の光を受けながら、2人で立ち尽くしていた。

 

「今は、分かるのね」

 

「……今、父さんが死んでも、きっと、何も言えないと思う。怒るかもしれない」

 

「……なんで勝手に死んだんだ……って?」

 

 エレベーターの駆動音が、この個室を支配していた。

 

「きっと僕は、言えるようになりたいんだ。父さんのこと」

 

「…………」

 

「父さんは、世界を守っていたんだって」

 

「っ──そう……ね……そうね……」

 

 前を向いたまま僕の肩を力強く掴んで、頷きながら、涙が溢れていた。

 

 きっと、ミサトさんも……胸を張って、言いたかったのかも知れない。

 

 お父さんのことを。

 

「家族になる……なんて、まだ分からないけど……もう、ミサトさんの事は言えるよ」

 

「だから……大丈夫だよ。ミサトさん」

 

「シンジ君ッ…………」

 

 涙が止まらなくなった、肩を掴むその手を、握っていた。筋張った、大きな手だった。

 

「もう……ズルいわよ……っ……そんなの……」

 

 俯くその横顔は、どこか嬉しそうで、涙を拭う片手は忙しそうでも、振り解きはしなかった。

 

 それに暖かくなるのは、良いことだと思えたから。

 

 

 屋外に面する共用廊下に、チャイムの音が響く。

 

 しばらくして。

 

「なに?」

 

 制服に身を包んだレイが変わらぬ表情で現れるのを、見て。

 

 意を決して言葉を発した。

 

「図書館に行くわよ!」

 

「どうして?」

 

 逆にどーして理由を一から説明しなきゃいけないの?

 

 アスカはその言動に段々と苛立ちを感じながらも、なんとか二の句を繋げる。

 

「そう言うと思ってね……アンタ、アポトーシスって知ってる?」

 

 それに首を振る。

 

「要するに、あり得ないけど……カスパーゼって酵素群がアンタの体の中で一斉に活性化したら、5分以内に骨と幾つかの固形物と液体に分解されるって事よ」

 

 それを聞いて、目線を伏せて硬直するレイ。

 

 それに微かな手応えを感じていた。

 

「そもそも、本来なら神経系の遺伝形質を外界の状況に対して運用するだけの脳みそに理性なんて有るのも、不具合みたいなものなんだから」

 

 目を上げて、こちらを見るレイ。

 

 既に勝ちを確信していて。

 

「知らないんでしょ?」

 

「……ええ」

 

「要するに、物を知らなさすぎなのよ。自分の好きな知識だけ覚えてたって、何の役にも立たないの」

 

「だから、図書館に?」

 

「そうよ!」

 

「分かった」

 

「だからレイも……って……え?」

 

「行くんでしょう? 図書館」

 

「まあ……そうね」

 

 とりあえず仕切り直して、さっさと出発しようと口を開いて──

 

「案内して」

 

「……へ?」

 

 言葉にならない声が漏れた。

 

「場所、知らないもの」

 

「まって、読んでたのは?」

 

「学校図書」

 

「なるほどね……」

 

 似ているようで、似ていない。

 

 真面目な癖に、怠惰。

 

 自分が何に苛つくのか、少し分かり始めていた。

 

「分かった。案内するから、行くわよ」

 

 返事を待たずに歩き始める。

 

 少し先で待っていると、靴を履いたレイが廊下に現れる。

 

 オートロックされる扉。

 

 歩き始めると、そのまま無言でついてくる事も、もはや苛つきはしなかった。

 

 無言の時間にも、圧力を感じなかった。

 

 要するに、面倒なんだ。

 

 喋るのが。

 

 そう考えると、レイと居るのは楽ですらあった。相手が面倒なら、自分も喋らなくて良い訳だし……

 

 そういえば。

 

 シンジと居る時は、何にも気にせず喋ってるじゃん……昨日もあんなに泣いちゃってさ……

 

 何故かは分からない。

 

 でも、それで良い気がした。

 

 そうよ。

 

 別にいいじゃん。

 

 シンジなんだし。

 

 あれ……?

 

 何を……気にしていたんだっけ……?

 

 開放階段を降りる惣流・アスカ・ラングレーは、空を見上げて、そのカラスが飛行する高さまで飛翔する翼が生えたような錯覚さえしていた。

 

 吸気された呼吸は、胸のV8エンジンでエネルギーにされて体中を駆け回り、背中全体から排気されているような気さえした。

 

 別に他人なんて、気にしなくて……いいのに!!

 

「今日……空が綺麗ね!」

 

「……そうね」

 

 数秒空を見上げて、変わらぬ表情と声音で応えたレイを、もはや見てはいなかった。

 

 空に笑うのを、やめられなかった。

 

「ばっかみたい」

 

 そんな自分が。

 

 ひどくちっぽけで、面白かった。

 

「あ〜私もまだまだ……勉強しなくちゃ!」

 

「そうね」

 

「レイに言われたくない!!」

 

 ちょっとムッとしても、表面的な物だった。楽しむ余裕さえあって、その手のひらは、肌色のままだった。

 

 惣流・アスカ・ラングレーは、それには気付いていない……

 

 ◇

 

 電車の中。

 

 指定された約束の時間。昼に差し掛かる白い光が、車内の埃を映し出していた。

 

 霊園に近づくにつれて、考えざるを得なかった。弔うこと。

 

 それは、母さんを知ること。

 

 母さん。

 

 朧げな記憶の向こうで、僕に両手を伸ばしている気がする。

 

 母さん。

 

 それは、ミサトさんとは違う。

 

 アスカとも違う。

 

 綾波とも違う。

 

 ナニカだった。

 

 母さんという人間を知るのは、もう父さんしかいない。

 

 父さん。

 

 父さんは、母さんをどう思って居るんだろう。

 

 やっぱり、道具として見ているのかな。

 

 綾波や僕を、パイロットとして見ているように……

 

 でも、そうは思いたく無かった。それは、父さんの一側面でしか無いのかも。

 

 本当は母さんが大好きで、僕や綾波の事も考えていて、苦悩の末に今みたいな事になっているのかも知れない。

 

 この前誉めたのは、本心で……

 

 分からない。

 

 もう、それを知る人はいない。

 

『父さんは……父さんだよね?』

 

『ああ』

 

 〝僕の〟

 

 その一言が言えなかった。

 

 やっぱり父さんは父さんなんだ。

 

 それは間違いない。

 

 でも、誰のものでも無い。

 

 或いは、誰かのものでも、父さんだ。

 

 確認したかったこと、確かめたかった事は、まだ未知の中にある。

 

 今度は間違えない。

 

 今度こそは。

 

 絶対に、逃がさない。

 

 ◇

 

 黒の背丈ほどの尖塔が並ぶ、無風の荒涼な大地にその名前が掘られていた。

 

「……碇、ユイ……」

 

 それが碇シンジの知る凡そ全てだった。

 

「久しぶりだな。2人でここに来るのは」

 

「……そうだね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「ねえ、教えてよ」

 

「母さんって、どんな人だったの?」

 

「……よく、分からないんだ。母さんのこと」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……人は思い出を忘れる事で生きていける。だが、決して忘れてはならない事もある」

 

「私はその確認をする為にここへ来ている」

 

「…………」

 

「…………」

 

「父さんにとって母さんって何だったの?」

 

「…………」

 

「母さんにとって父さんは何だったの?」

 

「……もういい」

 

「父さんにとって綾波は何だったの?」

 

「…………」

 

「父さんにとって僕は何なの?」

 

「…………」

 

「父さんにとっては……違うことなんだ」

 

「…………」

 

「忘れちゃいけないこと。感じないといけないもの。ちゃんと、何となく……分かるよ。父さんが綾波に……感じていないことも……」

 

「…………」

 

「でも、良いよ。いいんだ。父さんがエヴァパイロットが欲しいだけでも、綾波を薬漬けにしていても、僕を見ていなくても……」

 

「…………」

 

「僕は許すよ」

 

 碇ゲンドウと同じく墓標を見ていた碇シンジは、父親へ振り返る。

 

「…………」

 

「ねえ、だからさ。全部、ぜんぶ終わったら……一緒に暮らそう? 綾波、薬はもう要らないんだ。僕は料理だって覚えたし、家事も──」

 

 それは楽しそうな、笑顔だった。

 

 作り物めいてすらいる、純粋な──

 

「何故だ……?」

 

 その言葉に停止して、段々とその顔を歪め始める。

 

「…………」

 

「…………」

 

「だって……ッ」

 

 ついに溢れ出し、頬を伝うのを気にも留めず、大きく息をしながら、言葉を紡いだ。

 

「だってッ……だってだってだって……っ゛ぐ……それが……家族なんじゃないの……?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「僕は……っ……家族で……いたいよ……」

 

 静かに。

 

 それでいて、止め処なく。

 

「っ……ぐ……っ……」

 

 止まらない涙を掻き消すように、両手で拭い続けていた。

 

 拭い続けて……

 

 いつしか。

 

 その頭が、大きな手で覆われて。

 

「……シンジ。お前が知るより、俺は酷い男だぞ」

 

 その呼吸音が、乱れていた。

 

「……知ってるよ」

 

「……そうか」

 

 背中へ断続的に当てられる手は、優しく。

 

「…………」

 

「…………」

 

 一つ咳払いをすると、語り始めた。

 

「……いいか。サードは起こされる。それこそが終焉だからだ。俺は……それを利用したが……今後は、お前に全てを賭けよう」

 

「賭ける……?」

 

「ああ。結論を全か個かでしか語れない俺ではない……やはり……お前なら、新たな答えを出せるだろう」

 

「それに賭けよう」

 

「…………うん」

 

「強くなったな……」

 

「うん……っ……」

 

「それで良い。そのままでいい。お前の答えを……見つけるんだ」

 

 サングラスは胸に掛かっていて。

 

 その少しやつれた濡れる頬に。

 

 深いクマがある瞳に。

 

 困ったような笑みに。

 

 少し笑って。

 

 涙を溢れさせながら。

 

 力強く、頷いていた。
























































 届かない 気持ち1つ
 思いが 形にならなくて
 手のひらから
 音の粒 こぼれ落ちてゆく

 覗いた 窓の外
 何気なく 交わすその笑顔に
 ほっとする
 足止めても
 世界は動いてる

 ブルーに染まる日だって
 負けそうな時だって
 ほら 耳すませてみて

 独りじゃない
 繋がるmelody
 重なるharmony

 So take my hand and fly
 不可能を 可能にして
 Don't wanna see you cry
 もう俯かないで
 さぁ 手を空へ
 Connective love
 一人より 強くなれるから

「connective」(猫又マスター/佐藤直之 2013年リリース)























 次回 沈黙/真理の告白。(後編)










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第貳拾参話 沈黙/真理の告白。(後編)






 たった一人ぼっちで生まれてきて 
 たった一人ぼっちで消えゆくのに

 そのわずか刹那に意味を産む 
 我ら人類の儚さ祝う



 「永遠」なんかにはさ 
 できやしないことが俺らん中で今飛び跳ねてんだ

 渋滞起きた奇跡 両手広げ待っててよ未来



 光りたいしひっ掻きたい 
 めんどくさい僕らが手にしたい明日は
 儚くて他愛なくて 離したくなくなる かけがえない淡いトワイライト


 「俺たちならいけるさ」なんて 
 グラッグラな星ではしゃごうか

 分かってるそんな甘くないって 
 「だからなに?」って言える今を



 「アイス」



 どんな不味そうな明日だってさ
 頬張ってみるから

 ズタボロの覚悟も決意も
 まだ息はしてるから

 永遠に生きたって飽きるでしょ
 うまいことできてる

 絶滅前夜に手をとる 君と越えていくよ

 明日を迎えにいこう

「TWILIGHT」(RADWIMPS Forever Daze 収録曲 2021)


 今回は3000文字です。


 第3新東京市、某所バー。

 

 PM23:33

 

 店内。

 

 3人は友人の結婚式を終えて、久しぶりに集まったメンバーとそれなりに盛り上がり、いつしか知った顔で何件かの店を探していた。

 

 そうしてビルの一角、ラーメン構造に特有の全面ガラス張りに満月と整理された町並みが映り、伸びる道からテールランプが店内に赤い光を、月が青い光を、蛍光灯がオレンジの光を落とし、混ざるカウンターは夜の店らしい色をした。

 

 葛城ミサトが席を立ったのを見計らい、溜息を吐いた赤城リツコは、二つ隣の席の加持リョウジへ聞こえる程度の声で独りごちる。

 

「いい加減、火遊びはもうお終いかしら」

 

 そのグラスを見つめる鋭い視線に、笑ってみせた。

 

「まさか。と言ったら……君は怒るかな」

 

 ため息を返す彼女を横目に、男は楽しそうにグラスを傾ける。

 

「呆れたわ……私も暇じゃ無いのだけれど」

 

「もう、無いさ……」

 

 笑ったまま、その沈む目元が。

 

「……そう」

 

 横たわった終わりの予感は、二人に纏わりついて、その口を縫い付けた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「ミサト、相変わらずね」

 

「今日は……ちょっと飲み過ぎかな。浮かれてる自分を抑えようとして、更に飲んでる……いや、今日は逆か」

 

「ふふ……流石に、元、同棲者が言うと重みが違うわね」

 

「おいおい……笑うところか?」

 

「加持君が一途らしくてね……そんなの、想像もしなかったわ」

 

「バレバレか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「で、どうするの?」

 

 赤城リツコは、加持リョウジを見つめながら、問うていた。

 

「……どうもしないさ」

 

 男はその瞳を見ようともしない。

 

「これでも心配しているのよ……まさか、三十路を捨てて高跳び?」

 

「ちょっと飲み過ぎじゃないか」

 

 グラスに視線を戻して、ため息をついて、仕方なく滑り出した。

 

「子供と同居しているせいか、最近は公私混同。誰かさんに似て、やんちゃするのよ」

 

 その瞳は子供でも見るようで……

 

「…………」

 

「貴方と違ってずさんだけれど……」

 

「なるほど……な」

 

 感情こそ出さなかったものの、心底参ったように、俯いた。

 

 氷がひび割れる。

 

「…………」

 

「…………」

 

「戻れないのか」

 

「聞いてみたら?」

 

「はは、つれないなぁ」

 

「え、なになに? 何の話?」

 

 空いた席に戻った軽忽そうな女性に、その変わらない軽快な様子に、二人は笑っていた。

 

「少し愚痴を聞いてただけさ」

 

「そうね。最近は仕事が増えているし……私はこの辺でお暇しようかしら」

 

「ええー、もう?」

 

「ええ。また……飲めるといいわね。3人で」

 

「ああ、そうだな」

 

 含みのある瞳に、変わらない表情、が……その奥では刺すような意志がある事を、加持リョウジは知っていた。

 

 だからこそ、笑った。

 

 赤城リツコは振り返らずに、歩き去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3新東京市、市内。

 

 車を停めた駅周辺の駐車場まで近道をしようと、男は女性をおぶって静かな道を歩いていた。

 

 小さな通りの周りは暗闇に隠され、巨大なビルたちは見えず、街灯に照らされたアスファルトが白線を浮かべている。

 

「いい年して、戻すなよ」

 

「悪かったわね……いい年で」

 

「年はお互い様か」

 

「そーよ……」

 

「葛城がヒール履いてんだからなぁ……時の流れを感じるよ」

 

「……無精髭、剃んなさいよ」

 

「へいへい」

 

「後歩く。ありがと」

 

 

 

 

「加持くん……あの時……さ」

 

 葛城ミサトは、暫しの逡巡を見せながらも、既に落とされた解答をその腐泥の胸中から掬い上げようとしていた。

 

「あの時?」

 

「ごめんね。あの時……一方的に別れ話して。他に好きな人が出来たって言ったのは、あれ、嘘。ばれてた?」

 

「いや……」

 

「気付いたのよ。加持君が、私の父親に似てるって」

 

「自分が男に、父親の姿を求めてたって……それに気付いた時……怖かった。どうしようもなく、怖かった」

 

「加持君と一緒に居ることも、自分が女だと言うことも、何もかも怖かったわ」

 

「父を憎んでいた私が、父によく似た人を好きになる。すべてを吹っ切るつもりでNERVを選んだけれど、でも、それも父のいた組織……」

 

「……葛城が自分で選んだ事だ。俺に謝る事はないよ」

 

「もう……自分が良く分からないの。選んだのかさえ……分からない。思い出すと嫌なのに、それで泣くのよ。私」

 

「葛城……」

 

「自分は何て嫌な奴なんだろうって思う度に、笑ってるシンジ君に、真剣なアスカに、また何か言って欲しいと考えてる……!」

 

「ずっとずっと、過去から逃げ続けてるのよっ……」

 

 涙を流す。

 

 加持リョウジは、息を呑んでいた。

 

「酷い大人よ。おかしいわよね。10年近く幼い子に、慰められてるの。いつまでも……」

 

「俺は……慰めにもならないか」

 

「そんなことない!」

 

「なら、やり直さないか? お互いに、全て忘れて……1からさ」

 

「それは……」

 

「街を出よう。葛城。2人で」

 

 背後から密着され、その甘い言葉が耳元をくすぐる。回された両手が熱く縛っていた。

 

「……本気?」

 

「自分の気持ちには……嘘を吐きたくないからな」

 

「…………」

 

「…………」

 

「子供たちは立派になった。今なら出来るさ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「違うの……嫌なの、もう、嫌なのよ。また慰めて貰おうとしてる自分が……だから」

 

「……だから?」

 

「私は……行けない。きっとあの子たちは戦っているわ。今だって……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「加持君」

 

「…………」

 

「だから……待ってて」

 

「…………」

 

「私は……きっと、もう負けないから」

 

「…………」

 

「…………」

 

 そのきつく縛られた両手が段々と緩むと、力なく垂らした片手を仕方なさそうに後頭部へ。

 

「……分かった」

 

 息を漏らして、幾分かスッキリとした表情で目を瞑って頭を掻いていた。

 

「実はな、俺も嘘を吐いてたんだ」

 

「……どんな?」

 

「俺はNERV側じゃない」

 

「は?」

 

「あと、これお土産な。必ず旧型のオフラインで開けよ」

 

 押し付けられた何かのチップと、加持リョウジを交互に見る。

 

「なにこれ? ちょっ、ちょっと待って」

 

「待たないさ。好き勝手言った仕返し」

 

「じゃあ、またいつかな。葛城」

 

 そう言って笑った。

 

 少年のような、笑み。

 

 その屈託の無さに泣きそうになりながら、背中に叫ぶ。

 

「許さないから!」

 

「死んだら、絶対、許さないから!!」

 

 その距離は、離れてゆく。

 

「お前もなー!」

 

 響いたその声に、笑っていた。

 

「ホントに……あいつ……」

 

 くつくつと、底から湧き上がる笑みが、そこには溢れていた。

 

 その笑顔には、何の混じり気もなかった。

 

 満月が、ビルの影を映していた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 同日。

 

 夕方。

 

 第3新東京市、市内。

 

 レイとアスカは、最後尾の隣席でバスに揺られていた。

 

 2人は流れる市街を見ていた。

 

「この世界は素晴らしい……戦う価値がある」

 

「いい言葉ね」

 

 アスカは思わず吹き出した。半分笑いながら、レイに声をかける。

 

「分かってきたじゃない」

 

「馬鹿にしてる……?」

 

「だって……変な顔するんだもん……くくっ」

 

 アスカの言う通り……綾波レイは、先程まで笑っていた。それに、今は不機嫌そうな様子を隠しもしない。

 

「そんなこと、ない」

 

「あはは、はいはい。ふふっ」

 

「むう……」

 

 2人は揺られていた。

 

 楽しそうに。











 次回 そして/夜、目覚めの月。










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