獣人で腹筋割れてる系で問題抱えてる感じの女冒険者と二人きりで遭難する話 (ジョク・カノサ)
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人生最大の博打

「お前達!何をチンタラやってるんだ!」

 

 苛立ちを隠さない女の声が響いた。その言葉の矛先は俺を含む十数人の男達。

 

 旅路でくすんだ金色の長髪を揺らし、女にしては珍しい高い身長と赤い瞳で文字通りに俺達を見下す。

 

「足を動かせ!顔を上げろ!歩く事すら出来ないグズなのか!」

 

「いやあ、そりゃアンタが速いんで――」

 

「黙れ!お前達のような雑魚は何も考えずに、ただ歩く事に集中すれば良いんだ。そうでなければここで死ね」

 

 こちらの言い分を封殺し、女――ルイゼは再び前を向いて歩き出した。

 

「クソっ、なんで私がこんな……」

 

 愚痴をこぼしながら前へ前へと進んでいくルイゼを見送った後、俺は深い息を吐いた。他のヤツらも同じような気持ちなのか、ホッとしたような顔をしている。

 

「またかよ。この森に入ってからずっとああだぜ」

 

 俺達が今居るのは名も知らない森の中。目的地に向かうまでの道中だ。

 

「イラついてんだろ。いい気味だ」

 

「俺達も巻き添えくらってるけどな」

 

 男達も思い思いの愚痴をこぼしている。それもその筈だった。

 

 辺境付近に出没した強大な魔物を討伐せよ。それが俺達冒険者に課せられた任務で、そのリーダーが最近急激に活躍し始めた女冒険者ルイゼだ。

 

 だが、こんな任務は恐らく意味が無い。強大な魔物が出没したっていうのも確証が取れている訳でもないし、現状じゃ人里に大きな被害が出たわけでもない。つまり緊急性も薄い。なら何故、今勢いに乗っている筈のルイゼがこんな任務を受けているのか。

 

「あからさまな嫌がらせだからな。嫌われてんだろう」

 

 あの高慢な態度。口の悪さ。実力は確かなんだろうが、敵が増えるのは道理だ。

 

 つまりこれはヤツを嫌う上の人間からの嫌がらせであり、俺達は巻き込まれた事になる。

 

「……ロイ、水をくれ」

 

「ダメだ。もう少し我慢しろ」

 

 食料や水をまとめて運んでいるのが俺だ。一刻も早く任務達成の体裁を取りたいのかルイゼは最低限の休息で進み続けている。当然物資の消耗も激しく、俺がしっかりと管理しなければならない。

 

「クソっ、あの犬女が……」

 

 満足に水分を摂れない苛立ちもルイゼへと向かう。そして、それを更に増幅させているのがルイゼの姿だった。

 

 頭上に付いた犬のような耳、尻から生えた尻尾。呼び名としては獣人が一般的な人間とは異なる種族。最近になって人間との交流が増えてきたが、その異様な姿を受け入れ切れていない者も多い。この嫌がらせもそれが関係している可能性がある。

 

 ルイゼ本人の性格と言動が悪感情を生み出し、それを種族的な差別意識が増幅させる。このクソみたいな旅路で獣人嫌いは増える事だろう。

 

「はあ……」

 

 荷袋を背負いなおし、俺はもう一度深く息を吐いた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「ウソだろ……」

 

 それは突然の出来事だった。

 

 疲れ果てた俺達が何度目かのルイゼの癇癪を浴びていた最中、目の前の怒りの表情が一変する。

 

 明らかに付近を警戒し始めたルイゼに釣られ俺達が剣を抜いた瞬間、そいつは現れた。

 

「ぎ、銀狼……」

 

 誰かがその名を呟いた。

 

 全身に生え揃った眩しい程の銀色の体毛。通常の狼を何倍にも大きくしたような体躯。過去、多くの優秀な冒険者達が犠牲になったという半ば伝説のようにも語られる魔物。

 

「本当に居たのか……」

 

 今回の任務対象である強大な魔物。そんなものは居ない、ルイゼに嫌がらせする為の方便だと思っていた。

 

 その大きな瞳に俺が映る。足が動かない。

 

「お前達は動くな!私の獲物、だっ!」

 

 ただ一人、その言葉と共に動いたのがルイゼだった。

 

 こちらを観察でもしているのか動かない銀狼に向かい、剣を手に地面が抉れる程の踏み込みと共に突撃する。

 

 そうだ。ここには性格はともかく実力は確かな女が居る。コイツなら何とかなる。

 

「――がっ!?」

 

 その考えは早々に否定された。俺がギリギリ視認出来る程の速度で突撃した筈のルイゼの身体はその方向を変え、横合いに弾き飛ばされていた。そのまま木へとぶつかり、地面へと倒れ込む。

 

 何が起こったのかは分からない。だが状況が最悪な事だけは分かる。

 

「逃げろ!!」

 

 動けなかった冒険者の一人がそう叫ぶ。その理由は明白。

 

 銀狼の体表には突き飛ばされる直前にルイゼが付けたのであろう小さな傷があった。流れる血と痛みが自分にとって珍しいのか、銀狼は犬のように前足で傷を擦っていた。

 

「今しかねえ!散れ!」

 

 その言葉と共に俺も含めた各々が動き出す。そして恐らく、全員がそれに気づいている。

 

「……」

 

 ぐったりと倒れたルイゼの姿が視界に映る。この逃げの一手はアイツは見捨てるという事だ。

 

「へっ、ざまあねえ……!」

 

 誰かが呟いたその言葉を聞いた時、付近の茂みを使い身を隠しながら移動しようと考えていたその瞬間。

 

 俺の中にある考えが浮かんだ。そしてその考えによれば。

 

 この状況はチャンスだった。

 

「……!」

 

 進路を変える。目的はルイゼが倒れているあの木の下。

 

 茂みを利用し円を描くように近づく。銀狼はまだ動いていない。一気にルイゼへと近づく。

 

「おい、生きてるか!?」

 

「……ぅ」

 

 俺の声に反応したのか、ルイゼは小さな呻き声を上げた。生きているのならそれで良い。

 

「っ重いんだよ……!」

 

 今コイツは動けそうにない。半ば引きずるようにして身体を運ぶ。

 

 俺よりも高い身長。獣人特有の強靭な肉体。身体に触れてすぐに分かった。

 

 銀狼にこそ敗北したが、やはりコイツは本物だ。

 

「死ぬなよ……!ここでお前が死んだら」

 

 言葉が止まる。銀狼が俺を見ていた。

 値踏みをするような視線。やがて俺達に興味が無くなったのか、逃げた他の冒険者達の方へと姿を消した。

 

「は」

 

 報告によれば、銀狼の犠牲になるのは決まって優秀な冒険者だけだ。つまり、弱者には興味が無い。

 

 意識を失った死に体のルイゼと俺はお気に召さなかったらしい。

 

「順調……順調だ……!」

 

 少しでも落ち着ける場所。それが次の目的だ。

 性格に似合わない整った顔を歪ませ、間隔の短い呼吸を続けるルイゼを見る。

 

 俺にはコイツを治療する手段がある。つまり、上手くいけば恩を売れる。生き残りさえすればこれからも活躍するであろう冒険者に。

 

「うんざりなんだよ……」

 

 いつまでも向上しない実力、地位、給金。俺は自分の冒険者としての限界を悟っている。

 

 少しでも良い生活がしたい。その為にコイツを利用する。

 

 これは、俺の人生最大の博打だ。

 



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洞穴の夜

「ここで良いか……」

 

 山が近い事からかこの森は地形が歪だ。ここまでの道程から、洞穴や洞窟といった落ち着けそうな場所が多い事は分かっていた。

 

 ルイゼの身体を引きずり、初めに辿り着いたのは小さな洞穴だった。

 

「狭いな……おい、生きてるか」

 

 縦横の幅はギリギリで、奥行はほとんど無い。だが場所を選んでいる暇は無い。

 

 内部にルイゼの身体を運び込み、俺は跪いて両手を合わせた。

 

「白き神よ」

 

「……ぅ」

 

 ルイゼの身体が白い光に包まれ、苦し気な表情が少し薄まった。

 

 治癒術。医術とは異なる治療法で、俺が出来る唯一の特技。

 

「後はコイツ次第か」

 

 傷は塞がっていくだろうが、治癒術では失った血を即座に取り戻す事は出来ない。ここに運ぶ際に腹に巻いた布にはかなりの量の血が染み込んでいた。

 

 だが、獣人は元々傷の治りが早い筈。食料と水も十分にある。

 

 何としてでもコイツには生きてもらわなければならない。でなければ博打は失敗、俺の帰還すらも怪しくなる。

 

「あ」

 

 次にすべき事は何なのかを考え、それに気づいた。塞がるといっても傷口の洗い流しや血のふき取りは必要だ。服も破かなければならない。

 

「……文句は言うなよ」

 

 躊躇っている時間は無い。コイツが生き残る確率は少しでも上げたい。

 

 そう思い、傷口……腹に当たる部分に手を伸ばした時。

 

「待、て」

 

「!起きたのか」

 

 ルイゼが目を覚ました。意識が朦朧としているか、声と動きは弱々しい。

 

 ……ここからは気を引き締めなければならない。

 

「お前には出来る限りの治療をする。今は大人しく寝ていろ」

 

「……何故……助けた……」

 

 掠れた小さな声だが、それはハッキリと聞こえた。

 

 俺達が自分に悪感情を向けていた事ぐらいコイツは理解しているだろう。なのに何故助けたのか、この質問はコイツが意識を取り戻した時にするだろうと覚悟していた質問だ。

 

 これにどう答えるか?恩を売る以上、コイツの心情に訴えるような答えが望ましい。

 

 他種族の尊重と融和を掲げる団体のような言葉か。あるいは一目惚れとでも言って男女の愛でも囁くか。

 

 まだ、博打は続いている。

 

「……お前の事は好きじゃないが、冒険者としての実力は確かなのは知っている。これは貸しだ。お前が生き残ったのであれば、俺にそれを返せ」

 

 少し迷った後、俺は正直に自分の思惑を伝える事にした。

 

 恐らくコイツにウソは通じない。獣人が持つという勘の鋭さは侮れない。

 

「これは取引だ。俺がお前の命を助けた。分かるな?だからそれ相応のモノを――」

 

「……人間に……助けられ……」

 

「……?おい」

 

「……」

 

「……気を失ったのか」

 

 朦朧とした様子で何事かを呟いた後、ルイゼは気を失った。まだ言葉のやり取りが出来る状態では無いらしい。

 

「ふう」

 

 息を吐く。俺のような下っ端冒険者の取引にコイツは応じるのか、それもまた賭けだった。

 

 弱者を見下しているコイツのことだ。恩もクソもあるかと一蹴される可能性がある。治した直後に殺されてもおかしくない。

 

 ひとまず、その賭けは持ち越されたようだった。

 

「はは……」

 

 綱渡りすぎる自分の状況に思わず笑う。だがもう引き返せない。

 

 俺は再び、割れ物でも扱うかのような慎重さでルイゼの腹へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「っ!」

 

「……起きたか」

 

 日が落ちかけた夜の手前頃。洞穴の壁を背に座り干し肉を齧っていた最中、目の前のルイゼが飛び起きた。最初に見たのは服の代わりに包帯の巻かれた自分の腹。

 

「ここは――ぐっ!」

 

「動かない方が良い。腹の傷はともかく打ち傷もある。安静にしてろ」

 

「何だこの感覚は……身体が重い……お前、何をした……」

 

「治癒術。それは副作用だ。分かっちゃいると思うが、俺達は銀狼(アイツ)に襲われた。その後、死にかけのお前を抱えてここまで逃げてきたのは俺だ」

 

「……」

 

「これは貸しだぞ」

 

「……貸しだと?名すらもはっきりしない、弱者のお前が……?」

 

 毅然とした俺の態度が気に入らないのか、横たわった状態で不快げにルイゼは答えた。

 

 ここまで弱った状態でも感じる強者特有の威圧感のようなモノに言葉が詰まりそうになる。だが、ここで退くべきじゃない。

 

「名前なら教えてやる。俺はロイだ。……俺が弱いのは正しい。だがそんな弱者に救われたのはお前だ」

 

「……」

 

「治癒術は施し続ける。食料も水もここにある。お前が満足に動けるようになるまで、俺は手を貸すつもりだ」

 

 ウソも脚色も無い事実。それだけを伝える。

 仰向けの状態で少し天井を見つめた後、ルイゼは小さく息を吐いた。

 

「……認めよう。お前の手が無ければ私は力尽きていた」

 

「……!」

 

「金牙族……我が一族は受けた恩を忘れない。たとえそれが弱者かつ打算でしかなかったとしても、命を救われたとあってはな」

 

 不貞腐れたような態度だったがルイゼは俺の訴えを認めた。顔を横に向け、蔑みを隠さない表情で俺を見る。

 

「何が望みだ」

 

「……今は良い。後でキッチリと返してもらうさ」

 

「そうか」

 

 何をもって返させるのか、というのはまだ決まっていない。どこまで要求出来るのか、俺が最も利を得る事が出来る要求とは何なのかは後で考えるつもりだ。

 

 今はともかく、この状況を乗り切る。

 

「……腹が減った。食料を寄越せ」

 

「ん」

 

 要求通り水と食料が入った袋を差し出すと、ルイゼは傷に影響しないようにゆっくりと食事をし始めた。

 

 小さな咀嚼音だけが響く無音の時間が流れる。

 

「……寒い」

 

 ルイゼがぽつりと呟いた。恐らく大量に血を失ったのが原因だろう。

 

「火は無理だ」

 

 通常の獣はともかく、魔物は焚き火程度の火は恐れない。むしろ呼び寄せてしまう。

 

 この森には銀狼以外の魔物も居る。洞穴が狭すぎて穴の奥で火を使うというのも無理だ。

 

「使え」

 

 俺が着ていた上着を差し出す。大きさは合わないだろうが風避けには使えるだろう。

 

 だがルイゼはそれを受け取らなかった。俺が差し出した上着に対し、何かを考えているようだった。

 

 心当たりはある。コイツが最初に意識を取り戻した時に呟いた言葉。

 

「人間の手助けは受けたくないか?」

 

「――お前!どこでそれを……っ」

 

「動くなよ。……さっきお前が起きた時にそんな感じの事を言ってたんだよ。覚えてないか」

 

「……」

 

「別に、珍しい事じゃないだろう。人間嫌いの獣人なんてのは」

 

 今でこそ人間の中に獣人が混じって暮らす光景は珍しいモノでは無くなってきているが、昔は互いが住む領域は完全に別れ、時には争いが起きる事もあった。獣人に嫌悪を抱く人間が居るのはそのせいでもある。

 

 そしてそれは、人間を嫌う獣人が居る事も示している。

 

「格下にやたらと厳しいヤツだとは思ってたが……人間嫌いの感情もそこに乗せてたって事か」

 

「黙れ」

 

 不愉快そうな声でそう言い、ルイゼは俺の手から上着を取った。

 

「そういうのはさっさと捨てた方が良いと思うけどな。人間の中に混じってるんだ、人間嫌いなんて枷でしかない。そもそも、この嫌がらせじみた任務の原因も――」

 

「口を閉じろ!殺されたいか!?」

 

 そのサマは威嚇する獣のようだった。牙のような犬歯を剥き出しに、唸り声でも聞こえそうな顔で俺を睨む。

 

「父も母も人間(おまえたち)に殺された……!どの口で戯言を……!」

 

「……」

 

「ちっ……」

 

 感情のままに思わず口に出してしまったのか、ルイゼは表情を歪め俺から顔を背けるように身体を横に向けた。

 

「……配慮が足りなかったのは謝る。でも助言は本気だ。お前には上手く立ち回ってもらいたいんだよ」

 

「……」

 

「お前が立場を失えば、俺の売った恩も安くなる。俺はお前に賭けたんだ。その為なら友人紛いの事もするさ」

 

 俺は素直な協力の意思を示す。そもそも俺達は相手が銀狼とはいえ任務を失敗した身だ。ここから無事に帰還出来たとしても、身の振り方には慎重さが求められる。

 

 コイツは俺の働きを認めた。ならば最大限の利を得られるように俺は立ち回る。

 

「友人?人間と私がか……?」

 

 小馬鹿にするような声で小さくそう言い、ルイゼは俺の上着を被って動かなくなった。

 

「……」

 

 俺は穴の外を見る。草木から漏れる日の光はほんの僅かになっていた。

 

 この夜を無事に過ごせるのか、それもまた賭けだった。



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孤独の獣

 父様と母様は私の目の前で死んだ。私達金牙族が住む場所に物資を求めて侵入した人間共の手で。

 

 怪我人を装い、こちらの善意を利用し庇護を求め、内に入り込んだ上での騙し討ち。父様は母様を人質に取られ、何も出来ずに首を落とされた。

 

『人間共に必ずや報いを!』

 

 残された幼い私は当然の如く復讐を誓った。他の金牙族もそれに賛同し、私は戦士として鍛え上げられた。

 周囲の誰もが認める屈強な戦士に成った頃、私はそれを悟った。

 

『人間共は……多すぎる』

 

 あの日私達を襲い、取り逃がした人間達の残党。それを残らず殺し尽くす事こそが復讐の目的だった。

 

 だが、人間達は数が多い。獣人(わたしたち)のように目立つ特徴がある訳でも無い対象を見つけ出すのは不可能に近かった。次第に復讐は、人間という種族全体に向けられていく。

 

 だがそこでも人間の数の多さというのは脅威だった。金牙の精鋭だけで人間共を滅ぼせる筈も無い。

 

 そして時流は、人間と獣人の融和に向かっていた。その中で私は一つの決断をする。

 

『踏みつけてやる。人間共を全て』

 

 正面からでは無理なのであれば、その内部から。

 

 融和という時流を利用して人間共に混ざり、権力と地位を得る。そして人間共が虐げられるような世の中を作る。人間に不満を持つ獣人は少なくない。それらを利用して獣人(わたしたち)の世を作る。

 

 だが、私が導き出したこの答えを他の金牙は受け入れようとしなかった。内に入り込み姑息な手で敵を倒すというのは父様と母様が受けた仕打ちと何が違うのかと。金牙はあくまで正面からの闘争に拘った。

 

 そして私は、金牙と袂を分かった。

 

『臆したのか!逃げるのか!――裏切者め!』

 

 金牙はもう私の同胞ではない。人間共の国に入り込み、冒険者として名を上げる事だけに励む余裕の無い毎日。

 

 人間共と馴れ合う気が起きる筈も無い。そしていつしか、同胞とも呼べる獣人にすら私は見向きもされなくなっていく。

 

 私は、一人になった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「ぐっ……ああっ!」

 

 結局、俺が危惧していた夜は何事も無く過ぎていった。ルイゼに見張りを任せる事で短時間だが睡眠を取る事も出来た。

 

 洞穴の外では雨が降っている。勢いは中々で、雨粒の音は休まる気配が無い。

 

「はあっ……!はあっ……!」

 

 だが依然賭けは続いていた。起床した俺がもう一度治癒術をかけ直すのと同時に、ルイゼは苦しみ始めた。

 

 引き締まった筋肉の硬さと女の柔さが混ざったルイゼの肉体、その全身に玉のような汗が浮かんでいる。

 

 治癒術の副作用だ。

 

「何か要るか」

 

「……み、ず」

 

「分かった」

 

 ルイゼの口に向かって水の入った革袋を少しずつ傾ける。この洞穴に多量の水と食料を持ち込めたのは幸運だった。

 

 治癒術は時に死すらも否定するが、その代償は治した傷の深さによって大きくなる。

 

 放っておけば死んでいた状態から、生存可能な状態にまで無理矢理引き上げた事による肉体の悲鳴。今、ルイゼは様々な苦痛を味わっているのだろう。

 

「その苦痛は絶対だ。俺じゃ取り除く事は出来ない」

 

 こればかりはルイゼの精神力次第だ。場合によっては、傷は完治しても心が壊れてしまうかもしれない。

 しかし俺には見守る事しか出来ない。

 

「……父様……母、様ぁ……」

 

 瞳を揺らし、ルイゼは恐らく無意識に呟いた。人間に殺されたという両親を求めるような声。

 

 ……俺には何も出来ない、だが――。

 

「……気張れよ」

 

 力の抜けたルイゼの汗ばんだ右手を取り、強く握る。

 

 子供の頃、俺が体調を崩せば母親はこうやって手を握ってくれた。病や苦痛の中で側で見守ってくれる他者の存在というのは中々に大きい。気休め程度だが、俺に出来る事はこれくらいしかない。

 

「ぁ……」

 

 苦痛の大きさによるものか、ルイゼの目元には涙が流れていた。俺の手に応えるように、あるいは母親とでも勘違いしているのか、僅かな力で握り返してきた。

 しばらく、そうしていた。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 雨は俺達にとって向かい風だった。ルイゼが回復するまでここを動けない都合上、移動の妨げになるというのはどうでも良い。

 

 問題は雨宿り先を求める獣や魔物がこの洞穴に行き着いてしまうのではないかという点だった。

 

 そして、その心配は的中してしまった。

 

「……!」

 

 足音。雨粒の規則的な音とは違う草木の揺れる音と荒い息遣い。それも複数。

 

「クソ」

 

 俺は、はっきり言って弱い。今回この任務に同行したのも治癒術を評価されただけで、戦闘面は考慮されていない。

 

 息遣いと足音は近づいている。ルイゼは当然だが動けない。洞穴には近づけさせたくない。

 

「……俺に出来る事はやる……やるんだ」

 

 ルイゼの手を離し、剣を手に洞穴を出る。近づいて来たのがただの獣であれと願いながら。

 

「……っ」

 

 しかし、俺が見たのはどうしようもない現実だった。洞穴の出口を囲い込むように近づいていたのは猪だった。

 

 通常の猪を凌ぐ巨体、雨に濡れた剛毛、血に染まったような赤い牙、敵意に満ちた目。

 

 赤猪――魔物だ。それが五体。

 

「……大丈夫だ……やれる……」

 

 魔物と呼ばれる生物は総じて強い。通常の獣とは何においても格が違う。正面からは無理だ。

 

 まずはとにかく逃げる。洞穴から離れさせて、森の中で一匹ずつ仕留める。

 

 髪を掻き上げ、横の草木に飛び込む為に俺は足に力を込めた。

 

「っお前らじゃデカすぎてここは使えないぞ!こっちだ!来い――」

 

「貸せ……」

 

 踏み出す寸前、今にも倒れそうな声が俺の手から剣を奪った。

 

「お前っ、何で……」

 

 俺が止める間も無く、ルイゼはそのままふらふらと前へ進む。痺れを切らした一匹がそれを標的に突進をし始めた。

 

 避けろ、とそれに対して思わず俺が声を出そうとした瞬間――。

 

「失せろ……」

 

 赤猪は吹き飛んだ。ルイゼは銀狼が自身にしたように、突進に合わせ横から剣を合わせその巨体を叩き飛ばしていた。

 

 宙を舞い、草木の向こうへと消えた一匹。呆気に取られていた俺が目の前に視線を戻した時、既に残る四匹はそこから消えていた。

 

「は……理解(わか)ってるじゃないか……それで良いんだ――」

 

「おい!」

 

 倒れ込むルイゼの身体を慌てて支える。限界が近かったのか、体重のほとんどを俺に預けていた。

 

 当たり前だ。今もコイツの全身には絶えず苦痛が襲っている筈。傷もまだ治りきっていない。

 

「剣を握る手が……震えていたぞ……軟弱者め……」

 

「喋るな!」

 

 ルイゼを支え洞穴へと戻る。雨に濡れた髪を下敷きにルイゼは倒れ込んだ。

 

 その身体は、小刻みに震えている。

 

「その状態で雨に濡れりゃそうもなる!……ちょっと待ってろ」

 

 持ち込んだ荷物に入っていた布を取り出し、身体を拭いて上着を被せるも震えは止まらない。俺は自分の服を脱ぎ、水気を払ってルイゼの風避けの足しにする。

 

 他に何か出来る事は無いか。そう考えていると、ルイゼが俺の腕を掴んだ。

 

「ん、何――をっ!?」

 

「寒い……」

 

 馬鹿力でそのまま引き込まれ、目の前にルイゼの青白い顔が迫る。

 

「おい!」

 

「熱を寄越せ……出来る事はやるのだろう……」

 

「……お前はそれで良いのか?」

 

「構わん……」

 

 鼓動が雨音に混じる。肌で感じるルイゼの体温は仄かに温い。

 

 ルイゼが小さく鼻を鳴らした。

 

「臭うな……」

 

「……お互い様だろ」

 

 獣のニオイが混じったような、独特な女の体臭。余計な事を考えそうになり俺は顔を横に動かした。

 

「だが、悪くない……」

 

 聞いたこと無い声色で、ルイゼはそう言った。

 



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執着の証

 この男は弱者だ。剣を握る手を震わせながら敵と対峙するような軟弱者。

 

 この男は人間だ。父と母を謀った憎むべき種族。

 

 でも、打算とはいえ満足に動けない私を救ったのはこの弱者で、苦痛を受ける私を護ろうとしたのはこの人間だった。

 

 暖かい。この男が私に何かを期待するように、私もこの男に何かを期待したくなった。

 

 何より、もう独りは嫌だと思ってしまった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「おい、調子はどうだ」

 

「ああ……楽になってきた」

 

「そうか。副作用が収まりつつある。あと少しすれば、お前は完全に復活するだろう」

 

「力が漲るのを感じるな……これならヤツとも戦えるだろう」

 

「正気か?ここは一度退くべきだろう」

 

「任務の成功は絶対だ。それに、先の赤猪の死臭にヤツは勘付いている筈だ。戦いは避けられん。安心しろ、次はあのような無様は晒さん」

 

「……信用して良いんだな」

 

「ああ」

 

「なら良い。それと、帰還した後だが――」

 

「恩は忘れん。牙に誓う」

 

「獣人なりの誓い、というヤツか?分かった。なら――ぐ!?お前っ、何を……!」

 

「っぁ。……この首元の歯形はその証だ。私はお前の恩を忘れない。だから、お前も私を忘れるな。置いて行くな。私を心と身体に――刻め」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ルイゼの推測は当たった。夜、完全な回復を果たし洞穴を出た先で、銀狼は月明りに照らされ俺達を待ち構えるように座っていた。

 

 普通では勝てない筈だった。そもそも、ルイゼは軽くあしらわれただけで重傷を負ったのだから。

 

 何か策でもあるのか。その俺に期待に反して、ルイゼが行ったのは極々単純な――。

 

「ははっ!」

 

 闘争だった。剣すら持たず、まさしく獣の様に地面を蹴り、木を掴み、宙を駆ける。

 

 二匹の獣が幾度も交差する。ルイゼの本来の戦い方とはこうなのだと、俺は悟る。

 

 いつしか銀狼は目に見えて疲弊し、俺にも分かる大きな隙を作り。

 

「死ぃ、ねっ!」

 

 力任せに振るわれたルイゼの拳が、その頭を地に叩き付けた。果実を潰したような音が響き、銀狼はぴくりとも動かなくなる。

 

「は、はは」

 

「……ルイゼ」

 

 俺にはその光景が異常に見えた。以前の実力差はなんだったのか。何がここまでルイゼを強くしたのか。

 

 コイツが強いのは良い。それは俺の利になる。だがこれは――。

 

「良い気分だ……私は、本当の強さを得たのかもしれん……」

 

 酒にでも酔ったかのような声色で、ルイゼは頬に付いた血を拭う。そしてその視線は俺へ。

 

「任務は終わった」

 

「……ああ、そうだな」

 

「ロイ」

 

 始めてルイゼが俺の名前を呼んだ。雲に隠れていた月明かりが差し、ルイゼを照らす。

 

 高揚で赤くなった頬と瞳。二つの赤。

 

「少し前からな、お前を見ていると……疼いてしょうがない」

 

 熱に浮かされたような声色。首元の噛まれた傷が何故か痛む。

 

 遠くから獣の遠吠えが聞こえる。それに反応し、ルイゼはいつものような硬い表情に戻った。

 

「いや違う。今じゃないな。――良し、帰還するぞ。お前は夜目が利かないだろう。私の側を離れるなよ」

 

「……ああ」

 

 前を歩き出したルイゼの背を追う。ここまでの道のりでの不機嫌そうな後ろ姿ではなく、今にも跳ねだしそうな童女のような背中。

 

「これで……良い筈だ」

 

 賭けには勝った。恐らく想定していた以上の信頼を勝ち取る事も出来た。

 

 これから、俺の生活は潤い始めるだろう。

 

「――ふふ」

 

 だが何故か、俺はとんでもなく厄介な――獲物を決して諦めない獣にでも目を付けられたような。

 

 何故か小さく笑ったルイゼの声を聞くと、そんな予感がしてならなかった



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