闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~ (くによし)
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大陸なんぞ驀(まっしぐら) ※幻想入り前パートです
第一部 ジェスフィールド76号①


 事の発端は何かと問われれば、昭和二十年八月かもしれないし、昭和十一年の十二月かもしれなかった。歴史的に見れば昭和十四年の初夏か、明治三十八年……考え出せばきりがない。

 少なくとも昭和十三年の寒い夜、彼女は上野駅の雑踏を避けて客待ちの円タクからの視線を憚るように駆け抜け、人影もまばらな入谷方面へ足を向けた。

 看板建築の立ち並ぶ通りは、制限法のおかげで枠木よろしく夜空を地面から一段切り取っている。駅からの明かりが完全に視界から消え失せると、寒々とした群青の空に一際黒く電信柱が等間隔に腕を伸ばす様が不気味に浮かび上がる。

「…………」

 追手の気配は、予想通り早かった。革靴の足音が湿った地面に丸みを帯びた音を立てて弾み、耳に入ってきた。角を曲がって裏道に入ると、四つ辻を駆け抜ける風が背骨をジンと軋ませる。

 彼女は懐から取り出した短銃をドブ板の下へ滑り込ませると、何かを数えるように視線を滑らせ、元来た方向から一直線に進む道へ走り出した。浅草、三輪はもう配備が完了しているだろう。刑事たちにとってみれば、あとは線路から公園沿いにかけて網を張り、夜陰に紛れて脱出しようとする獲物を網にかけるまでだろう。

 数本の道は安心して進めた。あとは、もう一度市電を跨ぐときに出来るだけ人目につかないようにする事であることを彼女は心得ていた。

 慎重かつ大胆な彼女の歩武は、その遥か手前で止められた。泥臭い幌で荷台を覆い隠した自動貨車が、彼女の十メートル前方で急制動をかけて停止したのだ。

 短銃を捨てたのは尚早だったかもしれない……。しかし後悔するよりも早く体が自然を装いゆっくりと方向転換にかかる。

「御嬢さん、御一人はあぶのうございますよ」

 更に行く手を遮るように現れたのは会社員風の男である。地味な背広に無難なタイという背景に徹する出で立ちが、却って男の職業を推しはからせた。

 人通りも疎らな夜半にくさい芝居を打つ必要もあるまい。あえての駆け引きは、相手の余裕の証か。

さすがに彼女の足が止まる。湿気った地面に靴底がザリ、と鳴った。

「あぁ、おっしゃらないで、我々は警察じゃないもので」

「……は」

「かつて行動右翼、極左へ転向、今はアナーキスト……警察ではそういう事になっていましたっけね。全ての罪を無かったことにする代わりに、御国の為に働きませんかな。そのご同行を願いに出張って来ておるのですよ」

注意を引くにはあまりにも突拍子の無い申し出に、靴底のマグネシウムを撃発させる機会を失した。背後で自動貨車が発動機の唸りを一際高くした刹那、頸椎に一撃を食らい、彼女の意識はそこで途絶えた。

   *

 

 とても寒い。

 しかし、眼前に広がる光景は明らかに夏の中心街であった。それが証拠に、道行く人間は皆一様に袖を短くし、白い被服やカンカン帽の反射が目にまぶしい。

「やっぱり、ここしかないか」

 響いたのは自分の声だった。この感覚は、まるで夢。夢の中で自分の過去を追体験しているようだ。

 女学校を卒業する直前まで、彼女の人生は順風満帆であった。実家は、大きくはないがそこそこ安定した薬品卸行で収入を得ており家族関係も世間一般で言う良好なものと言えた。

 しかし、彼女が最高学年に上がった直後、実家がピストル強盗に押し入られ、抵抗した父、駆け付けた母は凶弾に斃れた。警官が早急に駆けつけた為、財産の多くは守られたが、金以外の多くを失う。

 親戚の家へ移り、学校へ通い続ける事を希望した彼女であったが、通学路で不良女子に金を巻き上げられ、人生の大損失を被った人間に対する周囲の反応の変化が起き、着実に精神を蝕んでいった。おぼつかない足元でおろおろ歩く様はまるで野良犬であった。

 ある日、逃げた犯人が別の件で死体となって発見され、それが人生の転機となる。

 犯人はとある右翼団体の構成員と小競り合いになり最終的に刃物で刺され死亡したのだが、恩に感じたわけではないが、彼女はその戸を叩く事となる。

 女学校の優良子女の面影を感じさせないまでに荒んでいた彼女は、日々喧嘩に明け暮れるようになっていた。その団体の長が、かつて明治三十七八年戦役(日露戦争)の終結に際して憂さ晴らしのような国内での焼き討ちではなく、独力で対露破壊工作を企てた人物だったと知り、あくまでも闘争を貫く姿勢に親近感を覚えたのかもしれない。

 左翼の体制転覆に限らずテロルが横行した時代、大陸への武器密輸や、逆に国内で使用する爆薬の調達や極秘輸送などに、着飾った彼女の容姿が役に立ったのだろう。長みずから彼女を呼び立て、指令する事もしばしばであった。

 二度目の転換期は、団体への絶望からである。

 老いた長は、権力と財産を維持する事に執着し始め、組織内の独裁性が強まり、それは思想信条にも及んだ。

 結局、地元代議士と結びついて甘い汁を吸う老人の手駒に過ぎなくなった団体を見限り、汚職相手の政敵暗殺を命じられた時に逆に事務所を銃撃し、火を放って逃亡した。

野良犬は野犬となり、狂犬となった。

 保守勢力への絶望はそのまま反動となり、これまでとは裏腹に、しかし表裏一体と言える極左勢力から勧誘を受け、その時の彼女は受けた。こちらはこちらで国家や為政者のような大樹の庇護もなく、より生存の為の闘争に明け暮れる事になるだろうとも予測したからだ。

 しかし、そこでも彼女は人生に裏切られた。政治や法律を学ぶ者が聞けば卒倒しそうなものだが、極左テロルをスパイ小説の敵役か何か程度にしか思っていなかった(右翼への知識も同様であったが)彼女は、またしても組織の数少ない武器庫を襲い、長い放浪の末に東京市内へ流れ着いた。

 いつからか、権力に組みせず、小規模なやくざの用心棒としてあぶく銭を稼ぎ短銃を調達してみたり女を買ってみたりと、爛れた愛欲と暴力の日々がいつしか定着した。

 それも、あの上野駅の夜までだった。数日前、たまたま酔った男と口論になり殴り飛ばしたのだが、そいつが刑事だったらしく、身内の被害にいっとう厳しい警察権力に追われる羽目になったのだ。

 

   *

 

「……か…」

 耳元を微かな声が吹き抜けた。急に現実へ引き戻される。が、視界は判然とせず一枚いちまいレンズを重ねていくように緩慢な速度で陰影が輪郭を浮かび上がらせ、わずかな明かりの電燈が照らす板張りの床らしきものが見えてきた。

 やはり拘束されている。もしかしてさっきまでの光景は走馬灯というやつだろうか。それなら直後の運命はなんとなく予測がつく。知らなかった。絞首刑とは木椅子に座らされるのか。

「名前は藤花、だな」

「……念仏なら要らへんよ」

 ここを絞首台と思っているのか、と眼前から嘲笑するような声が投げてよこされた。

「うちは警察じゃないんでね。御望みとあらば手続きなしですぐにでもやってもいいが……そうするなら連れてきたりはしない」

 受け答えができるようになってくると、視界もかなり明確になってきた。小さな机を挟んでチャコールグレーの背広に身を包んだ男の上半身が見えた。首から上は、電燈の光が弱く輪郭くらいしか分からない。その輪郭の中心には橙色の小さな点が灯っており、ツンと鼻を突く舶来の煙草の匂いがした。光が少し強くなるのに合わせて、光の奥に細くしっかりとした鼻立ちの顔が浮かび上がる。

「選択肢は二つだ。一つ、我々の下で働く。その時はすべての罪状を抹消することを約束するが、経歴戸籍に至るまで全て我々のものにする」

「雇うんなら……黙って金だけ寄越せばいいものを」

 ごり、と後頭部で音がした。小さいが、硬い。銃口だろう。

「二つ……」

 男は、藤花が沈黙し、状況を理解するのを待った。

「…………」

「黙ってここから出ていく、だ。そうだな、さっきの入谷で解放してやろう。その後どうなるかは我々の知る処ではない」

「罪状を抹消?それで警察が諦める?あんたら……何?」

「それを知るのは君が決断してからだ。一つ、七十六号とだけ教えておこう」

「なな……?」

   *

 

「時間があまりない。答えを聞こう」

 男は傍らから灰皿を取り出すと机に置き、長くなった煙草の灰を落とした。

 気まずい沈黙が部屋を支配すると、どこからか聞こえてくる風の音と、微かに聞こえる紙巻き煙草の焼ける音が耳から入り、神経を刺激した。時計でもあれば部屋の支配権は時間にあっただろうが、男の視線と、背後から狙われている藤花にとって、時間感覚が次第に早まっていく。理由は銃だけでなく男にもあった。

背広に身を包んでいるが、内包された骨格は剛健たるもので、それを包んでいる筋肉の隆起が僅かに縫い目を歪ませるほどのものであることがその証左だった。紳士的な佇まいを繕ってはいるが、条件が整えば一躍全身の細胞が沸騰して拳でも手刀でも、相手の急所をへし折り、粉砕する一撃を放つだろう。大男を擁する侠客を相手取ったこともあるし、倒したことはないにせよ御し方は心得ているつもりだ。しかし、体躯作りに加えて暴力の"適正な"使い方を理解する知性も兼ね備えているとなると一筋縄ではいかない。化学的に、効率的に追及された構成員。軍隊だろうか。だが古参の軍人とてここまではいくまい。そんな人間の眼前に手足を縛られ(言い忘れていたが彼女は後ろ手に縛られ、足にも縄が掛けられていた)どうにも動けないというのは、想像以上に恐怖だった。未だ銃で撃たれる経験の無い彼女だが、拳で殴られる経験なら嫌というほど覚えがある。人間、実際の威力より身近な痛みの方が脅しになる事もあるものだ。

「……わかった」

 一呼吸おいて、もう一度。今度は首肯も伴った。

「やらしてもらいます。分かったからその物騒なもんしまってくれへんかなぁ……」

 とても従順とは取れない反応だったが、男は一つ頷く。最後に指先の煙草を勢いよく吸うと、煙を吐き出しつつ短くなったそれを灰皿に押し込んだ。煙草の無くなった指で空間を横に切ると、藤花の後頭部から違和感が消える。

「あー……ヤな時間やった。ブローニングは背中に感じやすいから嫌いなんよ」

彼女なりの強がりだったのかもしれないが、目の前の男には受けたらしい。喉の奥で小鳥の啼くような含み笑いをこぼす。

「そうだ、そういうところを買われたんだ貴様は」

「褒めても何もで…」

 言いかけたところでまた後頭部に衝撃が走った。今度は背後の男に拳銃で殴られたと理解できたが、その情報は何の役にも立たなかった。

 



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第一部 ジェスフィールド76号②

 次に藤花が目を覚ましたのは、どこかのアパートメントの一室だった。といってもアパートメントだとどこかに書いてあるわけでもない。畳ばりの床、裸電球、卓袱台、空の棚、こじんまりとした化粧台、最低限の調度から推し図る他にない。

 

「痛ッたぁ………」

 

身を起こそうとすると首筋に疼痛が走った。一晩に二回も同じところを殴られればそうもなるだろう。これまでにない強硬な方法で協力を強制され、一夜明けてみれば体格差に怯えていたのも忘れ一介の不良少女の怒りの炎が燃え上がり始めた。そうだ、よく分からないうちに連れ去られたのだから、こちらもいつの間にかいなくなってしまえばいい。東京市を離れるのは惜しいが今までに見たことのない相手だ。ほとぼりが冷めるまで東北かどこか、静かな町に身を潜めていよう……。

 

 そうと決まれば即座に行動を起こすしかない。部屋の中を漁ってみたが、めぼしいものは何もない。押入れに何着かの訪問着や背広のような服が押し込められていた。今一度、自分の身なりを確認する。相手の用意した服で逃げるなど相手に追ってこいというようなものだ。

 

「でも、ええなそれ」

 

思わず声が出る。逃げ延びてやる。闇夜を潜り抜け。

 

横文字で歌でも口ずさみそうになる衝動を抑え、いかにこの比類なき死線を最大限の遊び心でもって切り抜けようか策を巡らせ始めた。流石に訪問着で走る事もできまい。モスグリーンの背広のような服を引っ張り出してみる。いつの間に測ったのか誂えたようにぴったりだ。もしかしたら変態結社なのかもしれない。

 

シャツやタイまで用意されているあたり、連中は身なりにはそこそこ気を遣う組織のようだ。戸外からの音に注意しながら玄関をのぞくと、昨晩まで履いていた靴に加え、何足か置いてある。一体何をさせようとしていたのだろうか。

 

手持ちの小道具を全て持った事を確認し、鏡の前で一呼吸置いて玄関へ向かう。チラとしか見なかったが、街中にも溶け込むし、昨夜までのいかにも人目をはばかっていそうな格好より知的な雰囲気を漂わせ、かつての女学生時代を思い出した。

 

「さて」

 

 足音を忍ばせ戸口に立ち、ノックしてみる。

 

 反応は無い。

 

 ゆっくりとノブを捻る。抵抗なく回った。鍵すらかけないとは、ますます相手の考えが読めなくなった。

 

 戸を押し、一歩引いてみる。ゆっくりと戸板が開いていく。が、誰か駆けてきたり、隠れていた凶器が飛び出したりといったことも起こらなかった。

 

 顔だけを出し、外を確認すると思った以上に普通のアパートメントだった。

 

音と風の向きを確認すると、意を決して廊下へ飛び出した。

 

 ちく。

 

「いだッ!?」

 

 並ぶ戸の一つが音も無く開き、飛び出してきた男を避けたまではよかったが、首筋に何かされた。

 

「早速の脱走とは肝が据わってるなぁ、お前」

 

「な……ウチに何した!?」

 

「釈明なら今のうちに聞いておくぞ。返答次第だ」

 

「さ、散歩に行こうと思っただけや」

 

「全力疾走でか?」

 

 男の右手に握られたものを視認して、藤花の血の気がサッと引いた。

 

 注射器だ。

 

「な、なぁ。それ何?」

 

「脱走するやつは、せめて新薬の被験者になってもらおうってな」

 

 嫌な予感しかしない。

 

「な、何の薬……?」

 

「うん、その事だがな」

 

「早ぅ言え!」

 

「あんまり興奮するな、薬が早く回るぞ」

 

 汗が噴き出る。

 

「端的にいうと、筋肉が弛緩し、立つこともままならなくなる。最終的に自分の舌で窒息死する。体格差にもよるが、効くまでに十五分から三十分かかる」

 

「いやいやいや」

 

 冗談だろう、と言おうとしたが、怖い。

 

「そう思うなら出口はあっちだ。我々は効き目を明日の朝刊で確認する」

 

「う、うそ……」

 

「早く決めな」

 

 藤花はもはや呆然と立ち尽くすばかりだ。なんとなく踏み出そうとして足が動かしづらいのは、緊張のせいだろうか、それとも薬。だとすると情けない死体を裏路地で晒すような羽目にはなりたくない。

 

「な、なんでもするから……助けて…」

 

「じゃ、採用試験だ」

 

「……え」

 

 こんなところで何を言い出すのだろうか。心なしか体の末端が痺れはじめたような気すらしているのに、こいつ他人の命を弄ぶつもりか。

 

 しかし、相手の目は至って真面目なようだった。それもそうだ。そもそも自分の事を知っている時点で表の人間ではない。

 

「表の車に乗れ、走りながらそこで試験内容を話す。車が止まったら試験開始だ」

 

 階下から乱暴な革靴の足音ふたつ、たちまち両脇に回り込まれ、無理やり立たされた。

 

 もはや選択の余地は無かった。

 

 

 

   *

 

 

 

「貫地町二丁目交差点で車は停まる。こちらの指示した家に行き、試験開始から三分以内に家の人間と並んでバルコニーに立て。水の入ったコップを持ってだ。我々の構成員ではないから、押し入ったり脅したりすれば試験は続行不可能になるぞ。そうなれば貴様が死んで試験は終了、我々は撤収する」」

 

「死にたくねェ……」

 

 通りを疾走する古ぼけた乗用車の後部座席で、屈強な男二人に脇を固められながら藤花は打ちひしがれていた。訳のわからない連中に連れ去られ、訳の分からない薬を注射され、訳の分からない条件を突きつけられている。もしかして自分はもう死んでいて、地獄にいるのではないだろうか。いやそうだ、そうに違いない。

 

 足が動かしづらいが、無理な姿勢のせいか薬のせいなのか判断がつきかねる。

 

現実逃避と諦観が支配し始めた彼女の脳髄に、新たな刺激が走った。

 

「文字通り死力を尽くせ………着いたぞ。あの赤瓦屋根の家だ。頑張れよ」

 

「…………要はあそこの旦那でも嫁さんでもいいからコップ持って外に出れば仲間入りってことでええの?」

 

「そうだ」

 

「あぁぁ……」

 

 藁をもつかむ思いか、やけくそか、ふらふらと、しかし歩みを速めて目的の家の扉の前に立った。そこそこ大きく、立派な家だ。

 

「ごめんくださいまし」

 

 待つ。てかこれ留守だったら詰むじゃないか。焦燥感に思考を邪魔されながら苛立ちを募らせていると、磨りガラスの向こうに人影が見えた。助かった。

 

「はい。……どちらさまでしょうか?」

 

 引き戸がしめやかに視界を滑り、モダンな柄にふっくらとした躰を包み込んだ婦人が顔をのぞかせた。藤花は全力で人のよさそうな笑顔を作り、口を開いた。こういう時は、素早く行動するに限る。

 

「市の交通安全委員会の者ですが…今年に入ってこちらの通りで自転車の事故が増えておりまして……ご存知でしょうか?明後日警察署の方で都市計画の先生も呼んで講演をやるのですけども、お恥ずかしながら肝心の資料を先生が忘れてしまいましたの」

 

「まぁまぁ。主人は留守にしておりますが、大学へ電話しましょうか?」

 

まさかの何か教授の家だったらしい。偶然ではあったが、藤花の演技が見事にはまった形だ。

 

「いえいえ!急遽ですが交通量を調べて新たな資料を作る事にしておりまして、大変恐縮ですが、二階からの道路の見え方を確認させて頂けませんか?」

 

「えぇ……それだけでしたら」

 

 急な訪問であるにも関わらず、夫と顔見知りらしいというだけで藤花を通してくれた。不用心だが、この時ばかりはこのような無垢な女性がこの世にまだ存在していたことを感謝しなければならなかった。

 

 つややかに磨き上げられた床を歩きながら、夫人に気さくに話しかける。

 

「明日にも監視員が来ると思いますから、正式な挨拶は、その時にさせて下さい……旦那さんには、警察署から協力の御願いを……」

 

「ほんとに、外でいいんですか?なんでしたら、窓の向きが良い部屋を…」

 

「いえいえ!こちらで構いませんの。……しかし、今日は暑いですね。お恥ずかしいのですが、お水を一杯頂けますか?」

 

   *

 

 

 

 解毒剤を注射され、アパートメントに寝かされた。どれだけ眠っていたのかは分からないが、目を覚ました藤花を訪れたのは、ずっと顔を出していた男ではなかった。丸眼鏡をかけ、暗黒街の存在とは無縁そうな、どちらかといえばカフェーで誰かとブラジリアンでも飲んでいそうな女性だ。何かの信条があるのか、服装の統一感の中で大きな三つ編みひとつの髪型が気になる。

 

「無事合格、おめでとう」

 

「あぁ……ありがとさん…別嬪さんに見舞いに来てもらえると元気出るわぁ……」

 

「それは何より。来週には移動するから、それまでには元気になるように言われるようね」

 

「ここは、何なん?」

 

 藤花の質問は二重の意味があった。この組織と、そしてこの家。

 

「名前はもう誰かから聞いてるんじゃない?」

 

「七十六号……?」

 

「そう、それ」

 

「聞いたけど、さっぱり分らへん……」

 

 あの夜の男の口ぶりから、名前である事は想像がついていた。が、暴力団にしては名前が無味乾燥すぎる。ああいう組織は、凝りすぎず長すぎずのある程度の威厳を持たせたような名前ではなかろうか。こういう記号化された一種不気味な呼称は、やはり軍隊的である。

 

 藤花の胸中を察したのか、眼鏡の女はひとつ頷いた。腰の物入れからチェリーを取り出して、一本吸う?と差し出してくれた。礼を言って受け取る。

 

「もしかして、長い話?」

 

「いずれ知らなくちゃならない事だけどね。大陸に送られるから」

 

「た、大陸?」

 

 突拍子もない話に驚きつつも、煙草はしっかり火を点けてもらう。そして女は、お茶を入れましょう、と立ち上がり台所へ向かった。

 

「まずは上海、次は安徽か、北京かは分からないけど。そのあたりに送り込まれるみたいね」

 

「上海!?じ、順を追ってお願いします……」

 

「まず言うと、七十六号……今はまだ準備部隊程度だけど、その主導は陸軍。政府に対支那和平工作を握り潰された上に、都市部で蒋政権のテロルが絶えないものだから、向うの特務と手を組んでそれを壊滅させる機関を発足させるのよ。南京は陥落したし、蒋政権が盛り返しを図ってきたときにに横やりを入れる必要もあるの」

 

「あー………んん…?」

 

「だから長くなるって言ったじゃない……まあ、その組織で秘密戦も特殊戦もできる情報員(スパイ)になれっていう依頼ね」

 

 依頼なんて言う生易しい接触ではなかったが、要は大陸で中国相手に秘密戦をやれという話らしい。藤花にとって政権や軍の意向は知ったところではない。

 

「名前は、上海の予定地が極司(ジェス)非爾(フィー)路(ルド)の七十六号地だから今はそう呼んでいるの」

 

とにかく組織の首領になれというような規模ではないので、安心した。とりあえず煙草を一息。

 

「訓練は兵隊と情報員の必須科目を半分こしたような課程で行うみたいね。だいたい語学と徒手格闘、銃剣道、射撃、爆破と暗号、応急医学、地理学、民族学、薬学、操縦……」

 

「げっほ!」

 

 落ち着くつもりが余計に堪えた。半分こと言いながら武器の扱いや座学の多さが眼前に津波めいて押し寄せてくる。操縦って何を操縦するんだ。

 

「文字通りその辺の女つかまえて無茶言いよるね……げほっ」

 

「暗号や国際政治は苦手そうね。でも酒や煙草の嗜好品や乗り物は実際に扱えるから役得よ。そこいらのモガよりもね」

 

 確かに魅力的な響きではある。乗り物の知識は引退後も食うには困らないという点で、過去の清算とあわせてカタギ向きだ。ただ、こういう組織がすんなりと引退を認めてくれるかは疑問が残る。現にさっきは毒殺されかけたのだ。

 

「でも、なんでウチなんやろ」

 

「話してる限り、貴女はあんまり思想犯めいていないし、暴れられる場所が欲しいのではなくて?」

 

「そうだったのかもしれへん……実家に立て続けに不幸があってから……」

 

 自分の事だというのに、藤花は、まるで他人事か遠い異国の出来事のように総括している自分に気づいた。数々の暴力は、非常な現実に対して自分のものではないという声なき主張だったのかもしれない。事実、路地裏での殴り合いや、時折無理に女を買っては股座にアブサンを垂らして顔をうずめる爛れた日常は、女学生の頃の彼女からは想像もつかない。

 

「じゃあ、意識も戻ったし説明も済んだから失礼するわね。部屋の物は貸与らしいけど、服はずっと使う事になるだろうから好きにしていいのよ。ただしお手入れは万全にね」

 

「おおきに……おねえさんウチに優しいけど、教官か何か?」

 

 年齢はそんなに変わらないように見えるが、理知的な雰囲気は自分と釣り合わない。

 

「同期、てところかしら。園町井子と呼んでくださいな」

 

「よろしゅう。ウチは…」

 

「藤花さん、でいいかしら?名前はもう聞いてます」

 

「あ、はい」

 

 井子はにっこりと笑い、明日また来ると言って出て行った。そういえば、この建物の扱いについて聞いておくのを忘れたと気づく。おそらく逃げる事は不可能だろう。事実、外出させないとばかりに卓袱台には乾パンと水、軍用煙草が無造作に積まれていた。

 

情報員のタマゴ初日にしては豪勢さが無い、と落胆しながらも、体は養分の補給を求めて不満の声を上げ始めていた。

 

 

 

   *

 

 

 

「藤花はどうだ、使えそうか」

 

「思想性はありませんね。その点は警察の杞憂だったようです」

 

「まあそうだろうな」

 

 藤花の元を去った井子は、別室の男を訪ねていた。こちらの部屋は先程とは打って変わり、学校か会社の事務室程度に整備されていた。しかし、組織の性格からか仮住まいといった雰囲気は拭えない。窓際で煙草をふかす男の傍らには木の机だけがポツンとおかれており、やや離れたところに質素な椅子が居心地悪そうに引き出されていた。

 

「根性はあいつが一番据わってそうだ。九鬼、お前の手であいつに知性を再度叩き込んでやるんだ。つなぎ止めておく方法は、一任する」

 

 藤花の前で井子と名乗り、組織からは九鬼と呼ばれた女性は、小さく頷いた。

 

   *

 

 

 

 翌朝、まだ通りが青っぽい宵の闇に包まれているころ、部屋の戸がしめやかにノックされた。

 

「あい……」

 

 組織に属さないということは、律する者がおらずすべてを自分の手加減で行えるということである。そこを気に入っていかなる組織にも入らずに一匹狼を貫くつもりでいた藤花にとって、この一連の出来事は不幸以外の何物でもなかった。命が惜しいとはいえ、この規律に呑まれた生活がいつまで続くか。

 

「十五分後に出発よ」

 

 昨日、井子と名乗った女が顔だけ戸口からのぞかせて言葉短に告げた。

 

「……出発って、どこに」

 

「それはあとで分かるわ。服だけまとめて出てらっしゃい」

 

 そういって戸口に布の背嚢を置いて行った。

 

「遠足みたい……ていうほど楽しそうでもないわな」

 

 藤花はつぶやき、布団を這い出て背嚢を拾い上げた。

 

 実を言うと、藤花は今しがた部屋を去った女の名前を聞いていた。昨晩、部屋に残された藤花は早速天井板を持ち上げ、卓袱台と箪笥をよじ登り、屋根裏を音もなく這って会話を盗み聞きしている。生きるためには、待つばかりではいられなかった。

 

 七十六号、絶えない抗日テロルに対し、来年にも中国人協力者を中心に据えて上海で正式に発足する予定。

 

ここは陸軍が借り上げ、日本人情報員の寝泊り用に構えている分室のようだった。藤花を捕らえ、尋問し、簡単な(?)採用試験を実施したあの男が日本人なのか中国人なのかは分からなかったが、あの女は既に大陸に渡ったこともある手練れの人員らしく、九鬼 椿というのが本名のようだ。なんとも花のある組織である。

 

 背嚢に詰める服の隙間に、手帳を滑り込ませる。

 

「陸軍……上海……」

 

 組織に属する事をあれほど嫌っていた自分が、統制という単語が最も似合う組織の下で動く事になる。



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第一部 ジェスフィールド76号③

 七十六号が日本人である藤花に狙いを定めた理由は定かではないが、とにかくも外国人、租界重要人物、抗日組織に対する諜報や破壊工作をやらせるつもりなのは明らかだった。

 

 荷物をまとめて表へ出ると、見覚えのある自動貨車が発動機を回したまま待機していた。椿の助けを借りて荷台によじ登ると、運転台のすぐ後ろに待機していた男が前に対して「乗車終り」と声をかけた。ガクンと揺れて貨車は人影もまばらな表通りへと滑り出した。時折信号で停車すると、排気音と振動に混じって幌越しに声も少なに歩く会社員の群れが立てるゾロゾロという音が聞こえてきた。

 

「サテ今後だが」

 

 ここへきて男がようやく口を開いた。話によると、藤花はいちおう一次試験を合格したという扱いらしい。これからとある島へ移動し、訓練と最終的な試験を行い、それが終わったのちに大陸へと向かう事になるようだ。

 

「島って、どこ?伊豆でも行くん?」

 

「聞いても分からないと思うわよ。地図に無い島だもの」

 

 確かに地図になければ聞いても分からない。極秘の訓練場というわけだ。組織の力というのはこういうときに便利なのだろう。

 

「じゃあ、芝浦あたりにでも向かってんのか……」

 

 独り言を漏らす藤花に、椿がクックと笑った。何がおかしいのか、藤花はムッとしたが、幌の隙間からだだっ広い芝生が見えてきた辺りで愕然とした。

 

「ここ……飛行場やん」

 

 港にしては静かすぎると思っていたら、眼前に広がるのは旧羽田町の地に広がる東京飛行場の全貌であった。人の目の高さでは大半が生い茂る芝生くらいしか見えないが、空がもっと明るくなり、高くから俯瞰すれば「トウキヤウ」の白文字と数年前にできたばかりのモダンな建屋が見止められたはずだ。

 

 正規の出入りではないのか、柵の一角で整備員と陸軍の兵隊が待ち構えている。手の込んだ芝居ではなく本当にカーキ色の服の下で働く事になったのだと、今更ながら実感する。

 

 時間が惜しいのか早朝で他に飛ぶ飛行機もいないからか、貨車は整備場脇まで疾走し、そこで止まった。しかし轟音は響き続けている。

 

「総員、降車!」

 

 誰かの叫びに飛び上がって慌ただしく荷台を降りると、夜露に濡れた草の香りと、音の正体が出迎えた。白っぽい塗装を施された高翼の単発機が発動機に火を入れたまま待機していたのだ。

 

「おお!」

 

 思わず子供のような声が出る。女一人旅など一般的でない世に独り流れ者であった藤花だが、空の旅など夢のまた夢であった。

 

 彼女は知る由も無かったが、九〇式輸送機の搭乗員は、一時間前に聞かされた飛行予定の大幅な変更をなんとか頭に詰め込めるべく、操縦室で四苦八苦していた。霞ヶ浦の片隅で埃をかぶっていた旧型輸送機を引っ張り出し、要人でも乗せるのかと思い待機させられていたが、行き先は聞いた事のない島であった。軍の管理する訓練に供するための島と言われたが、学校時代もそんな島は聞いた事もない。

 

 とにかく、渡された地図には確かに島があったし、燃料はなんとか間に合う距離だ。しかし、一度離陸して西日本へ向かったあと変針してから向かうというのも妙だ。そこまでして極秘に運ばなければならない客とは……緊張した面持ちで計算尺をいじっていると、現れた貨車から降り立ったのは男に女二人ではないか。

 

「はて…」

 

 南洋庁あたりの偉いサンと愛人だったりしてな、と邪推してみる。

 

 それっきり、彼は言われた通り深く考えず飛行にのみ集中するよう思考を切り替えた。

 

 

 

   *

 

 

 

 一方、”客”の方はといえば荷物を抱えて飛行機まで走り、近代科学の成果をまじまじと眺める時間も無いまま薄暗い機内へ追い立てられた。 簡素な座席に座ると、発動機の振動が直に尻に伝わってくる。

 

「これで全部ですか!?」

 

 藤花らの後から包みを次々運び込んでいた地上作業員が、怒鳴る。任務の上で大事な遣り取りだが、藤花はそれどころではない。機内の調度を眺め、操縦席を眺め、窓から外を眺めてみる。自分らを乗せてきた貨車が物凄い勢いで後進をかけて整備場から去っていくのを見送っていると、騒音が一段小さくなった。後部の扉が閉じられたのだ。原型が練習機の為、操縦席と客貨物室を隔てるものが無い。搭乗員たちが何事か言葉を交わし、スロットルレバーをゆっくりと操作すると発動機の唸りが一際高くなり、機がゴロゴロと滑走を始めた。

 

「おおおお……」

 

 離着陸装置と発動機架、それぞれから伝わる振動が座席を揺らす。ついでに上に座っている藤花も揺れた。それはもういろんなところが。

 

「……これ、肩こりそう」

 

 人生初、彼女の飛行に関する第一印象はそれであった。

 

 滑走路にたどり着いた機が方向を定め、更に加速して重力の束縛から放たれ薄暮の空に消えて行ったあと、飛行場には静寂が戻った。

 

 太陽が昇り、民間航空の格納庫が開かれる頃には、輸送機も、貨車がいた痕跡も全く残っていまい。

 

 

 

   *

 

 

 

「行く先だが」

 

 陽光が切り取られた窓から横殴りに差し込む機内で、男がようやく藤花の知りたい情報について口にした。

 

「名を沖ノ浪島という」

 

「やっぱり、聞いた事ない名前やね……」

 

「まあな、そういう事だ」

 

 男は頷く。搭乗員が分けてくれた海軍の熱量食を水で飲み込みながら、続けた。

 

「おおよその訓練はそこで行う」

 

「島の事は分かってんけど…」

 

「何だ」

 

「おじさんの事はなんて呼べばええのかな。そろそろ不便になってきて」

 

「私の事は李でいい」

 

 こちらから深く関わりたいと思う人物ではなかったが、李という苗字なら日本人にも無くはないし、相変わらず怪しげである。

 

「あと二~三時間はかかるから、寝るなら寝ておけ。明日からと言わず今日から大変だぞ」

 

「あぁ……はい。それじゃあ、九鬼はんも訓練受けるのん?」

 

「そ、う……え?」

 

「あっ」

 

 椿が真顔になり、藤花は少し青くなった。隠し立てしたところで余計に事態が悪化しそうな気もして、素直に本名を盗み聞きしたことを白状する。

 

それを聞いた李は、むしろ笑みさえ浮かべた。

 

「自主学習大いに結構。今後もそのつもりで行け」

 

    *

 

 

 

 尻の下がむず痒い感覚が神経を伝い、脳を揺り起した。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。窓の外を見ると一面和紙を敷き詰めたような、どこか現実味のない濃紺の平面が眼下に広がっていた。既に昇り始めている太陽の光を反射した部分だけが細かい浪模様を浮かび上がらせており、おかげでそれが海なのだとわかる。成程、鳥の視点というのはこういうものなのか。

 

 時折霧のような薄い雲が窓の外を幽霊のように撫でては後方へ消え去っていった。紺と白の濃淡の奥で、白い帯を巻いた三角形の島が所在なさげに浮かんでいる。周りに白い波が立っているのが見える高さまで飛行機が下がると、徐々に島が視界から消える。風向きの都合か何かで回り込んでいるのだろう。

 

「着陸します」

 

 これまでほとんど聞かなかった搭乗員の声が大きく客室内に響いた。座席で大人しくしているしかない藤花はどうする事も出来ず縮こまっていたが、落下感が収まり、着陸装置が地面を捉えたことを意味するゴロゴロという振動が再びよみがえってくると、思わず感嘆してしまった。

 

一本の滑走路しかない簡素な飛行場である。飛行機が躍動を終えると、搭乗員は縛帯を外していそいそと降機の準備を始めた。李や椿も手荷物を引っ掴むと、早く降りろと藤花を急かす。もしかしたら一生味わう事のなかった人生初の空の旅を慌ただしく終えた藤花は、人の手で均された滑走路へ足を付けた。牽引車もいないと見えて、飛行機を押す役らしい兵隊たちがゾロゾロと駆けつけてきては、藤花と椿をチラチラと見てくる。

 

 李が背後から促す。

 

「滑走路に長居するな。すぐに移動」

 

 言われるまま藤花は背嚢を背負い、歩きやすいように一揺すりする。

 

「……なあ、九鬼はん」

 

「なあに?」

 

「ここが訓練所やんな」

 

「そうよ」

 

 残りの行李などは御付の兵隊のようなものが現れて、次々に担ぎ上げられていた。絶海の孤島で文字通り右も左も分からないので、取りあえず李の後ろをついていくしかない。

 

「他に訓練受ける奴はもう着いてるんかな?えらい寂しいけど」

 

「今は貴女だけだけど」

 

 何を言っているのかという顔で、椿が答えた。藤花は愕然とする。

 

口を開けて、周囲を見渡す。

 

「こ、こんなに兵隊おるのに?」

 

「皆さん基地の運営で忙しいもの。もちろん銃火器の取扱を教えたり、語学や現地情報を教える人もいたりするけど。さすがに落下傘と戦車は内地へ戻ってからやるのよ」

 

「ウチ一人に皆して付きっきりて……なんかやりにくいなァ…ってか戦車!?」

 

「情報員適格者が事務職みたいな感覚でほいほい集まれば苦労はしないのよ」

 

 確かに、それはその通りだった。

 

 

 

   *

 

 

 

 辛うじて壁と屋根がある程度の格納庫や備蓄庫、ほか何に使われているのか分からないバラックの群れを抜けると、周囲に比べて一回り大きい校舎めいた建物が見えてきた。藤花などは裏社会に出入りしながら麻布歩三のモダン兵舎などを見慣れてしまっているせいで、内地を離れるとこうなってしまうのかと落胆する。しかし部隊名も何も出ていないおかげで、パッと見では兵舎と分からない。滑走路が小さいのは島の規模のせいかもしれないが、もしかしたら漁村か何かに偽装しているのかもしれない。

 

 これまた校庭めいた砂地の片隅を通り抜け、建物に入ると島の風景に比べて文明が通っているのを目の当たりにできた。電燈はあるし、通り過ぎる扉の中を覗けば書き仕事に従事する軍人の姿もある。

 

「奥に二人の部屋がある。いつまで居るかは仕上がり次第だが、仲良くな」

 

「ぁい……」

 

 これまで旅行気分だったのが、急に不安になってきた。板張りの廊下を歩き終え、曲がりくねった先に入った部屋で、それは的中する。

 

「九鬼はん」

 

「なぁに」

 

「この箱何?」

 

 藤花が指さした先には、寝台、机、椅子、被服棚の一式。そして床に置かれた木箱の山であった。

 

「貴女の装備でしょ、被服でしょ、座学の教材でしょ…武器は……さすがに部屋には無いわね。あぁ小銃ならこっちよ」

 

 藤花が振り返ると、扉の脇に木枠が組まれ、横にわたされた木にはいくつか窪みが作られている。その窪みのうち二つに三八式歩兵銃が立てかけられていた。思わず歩み寄ってまじまじと眺める。

 

「こういうのって仰々しく受け取るものやと思ってたけど」

 

「確かに軍人は銃の扱いは聖遺物のように教えられるけど、しぐさで軍の関係者だと言って回るような人間は情報員には不要なの。皇室の話が出て直立不動になったり、思わず敬礼してしまったりしたら即刻命に係わるしね」

 

 あと寝言を日本語で言うと罰直あるわよ、と言われて藤花は絶句した。中国で中国人に成りすましているのに寝言やクシャミ、煙草の吸い方が日本人式なんて事があればその場で即銃殺も有り得るらしい。

 

もしかしたら、いやもしかしなくともとんでもない所へ来てしまったようだ。

 

 休む間もなく食事や入浴、教育場所についての説明を受けると、被服や火器の他、語学や現地文化について教育する人間を紹介された。初日はこれで済んだが、明日からは地獄のような訓練が続くだろう。服の着方を教わりながら、早くも藤花は頬がこけてきたのではないかという想像にかられた。

 

その後の椿との風呂は彼女にとって刺激的な体験となったのであるが、ここでは割愛する。

 

 

 

  *

 

 

 

 翌朝、慌ただしい起床と点呼、朝食を終えて作業衣に着替え営庭で体操。語学、大陸の文化について学び、昼食と休憩の後に格闘技や射撃、その他兵器の取扱について講義を受けた。夜の自習は恰好の臨時睡眠時間となるべきところであったが、何しろ椿がつきっきりで教えてくれるので油断はならなかった。

 

 弱ったのは床術の講義まであった事だ。言うまでも無くレズだと教官に主張したのだが、そんな踏絵めいた試練で露呈するような情報員は務まらないと諭された。

 

「大丈夫よ、藤花ならやればできるわ」

 

「子供が?」

 

 こんな時でもとぼけることが出来る性根を買われたのだなと己の図太さを恨みながら、相手役の男の太いのか細いのかよく分からないものと取り組まされた。横で慰安所の女がつきっきりで教えてきたのだが、後で周囲に人がいなくなるのを見計らって彼女の唇を奪ったのは言うまでもない。

 

逆に藤花が希望を見出したのは射撃教練であった。明るい空の下で轟音と共に各種銃器をぶっ放せるのは爽快そのものであったし、何より以前から経験がある。機関銃の類は始終持ち歩くものでもないので簡単な操作と実射のみだったが、拳銃は毎度のようにやらされた。

 

「九鬼はん、今日もあれやる?」

 

「懲りないわね、私は良いけど」

 

 成績に関しては藤花も椿と同等だったので、昼食の卵一個であるとか、煙草ひと箱などを賭けて成績を競っていたのだ。しかし、このところ椿が三連勝している。藤花としてはこれ以上彼女の快進撃を放っておくわけにもいかず、今日こそはと勝負を申し入れた。

 

 屋外の小銃射撃場とは別に、拳銃射撃場は地下に設けられていた。基地の規模や目的にしては立派な建物と多彩な設備が整っていたので、もしかしたら先日感じた学校のような印象は本当だったのかもしれない。

 

 賭けの対象を椿とあれこれ話しつつ、藤花は薄暗い階段を降りながら支給された拳銃の遊底を指でなぞった。

 

 階下からは今でも断続的に銃声が反響してくる。彼女らに限らず、基地の軍人たちも訓練に利用しているのだ。

 

「九鬼はん、ウチこうまでして情報員の仕事叩き込まれてるけど、大陸はもう首都陥落なんやろ?向こうに渡ってからやる事って……あるん?」

 

「山ほどある…かな。首都が陥ちれば終わりっていうのはこちらの観測的希望でしかないし、上海では日々諜報合戦よ」

 

 階段を降り切る頃には銃声が一旦止み、射撃位置にいた下士官が号令に合わせて姿勢を解き、弾倉と弾を抜いて拳銃を納め回れ右して退いていった。

 

 頭と胸に同心円状に白線が広がる標的紙が持って寄越されると脇の黒板へ採点結果が書き込まれてゆく。肝心の藤花の順位は、良い日は上位半数の中に名前があったが、悪い日はビリケツでしかも殆ど致命傷になっていない点数しか獲得していなかった。

 

 ちょうど今の一連射で区切りがついていたらしく、軍人の一人が振り返って「やるか」と訊いてきた。

 

 ほんなら、と藤花が手を挙げ、名札の下に置かれた彼女の弾倉を手に取り、射撃位置につくと、弾込めの号令でカチンと銃へ挿入した。そのまま左手を遊底へ添え、勢いよく引き切る。複数の細かな金属部品が一様にかみ合う小気味よい音と共に初弾が装填された。

 

「最近分かったんよ。手の先で撃つからあかんねん。拳銃は腹で撃つんよ腹で」

 

「訓練生、余計な事しゃべらずにねらえ」

 

「ふぁい!」

 

 上向きで拳銃を保持していた右腕が、ゆっくりを前に倒れてゆく。

 

 照星、照門、そして片方瞑った藤花の目が一直線上に並ぶ。

 

「撃ち方、はじめッ」

 

 

 

   *

 

 

 

 

 

「藤花、貴女最近射撃姿勢が崩れてきたんじゃないかしら」

 

「なに急に、負け惜しみ?」

 

「拳銃以外で勝ってるのに今更そんなこと言わないわよ」

 

 先日の拳銃射撃で藤花が連勝記録を塗り替えて以来、二人の間の賭けは自然消滅していた。このところの藤花の成長は著しく、流転の身だった彼女の欲求に応えるだけの破壊の道具を取りそろえられる軍部に居ついて初めて落ち着ける場所を見つけたという様子である。余裕が出てきたのか語学や暗号でも成績は伸びており、テーブルマナーや変装術においては良家の才女の真似をしろと言われれば誰もが騙されるであろう領域に達していた。

 

「小銃は……重いねん」

 

「普通の情報員がやらない事まで学ばされているから、その感想は当然と言えば当然なんだけどね」

 

 今日は機関短銃の復習があり、黒光りするノイハウゼンとトムソンの轟音を嫌というほど耳に叩き込まれたばかりだ。

 

「何というか、拳銃撃つとき左手がどんどん前に出てきてるのよ」

 

「だって、咄嗟に物影に飛び込んだり相手引っ掴む時に便利やねん。あと相手が刃物の時に心臓守ったり」

 

「殴り合いの構え方じゃないんだから……」

 

 習志野で戦車を駆り、軍人ですらまだ十分な訓練体制の整っていない落下傘降下を異例の回数やらされ、もはや椿と藤花の体は幾らという価値では語れない国家財産となっていた。

 

「簡単に死なれちゃ困るのよ」

 

 

 

   *

 

 

 

 情報員としての教育を優先する為、射撃や格闘はあくまでも二次的なものであったが、座学は多岐に亘る理論を学ぶ事となり、ちょっとした大学のような光景であった。入ってくる情報を素早く分析し即対応に移せるよう、統計学や法医学まで履修を求められたのは、裏社会の人間だった藤花にとって不幸だったのかもしれないが、逆にその経験を反芻し自らの体験に重ねる事で、知識の早急な吸収と過去の整理を同時に付けた事になる。無論とんとん拍子とまではいかなかったが、そこは椿の存在が彼女を手助けした。自習時間は中国、西洋の文学に目を通すこと等を勧め、気分転換と外国人の倫理観や宗教観への理解を深める事を両立させたのも椿である。おかげで藤花の皮肉に独自の知性が加わり、それに辟易させられることにもなったのだが。

 

 とにもかくも、翌年の本土で雪虫が舞い始める頃には、訓練を完遂させ大陸へ渡る用意を固めるよう命令が下った。教練中もきっちり見張られていたらしく、態度、精神に問題なしとしてここへきてようやく正式に拳銃を貸与された。

 

「事の性格上、公にできるものではないが当地まで関係各所責任者に同席願った。訓練生前へ」

 

 格式ばった場面は苦手といった様子で、藤花が歩み出る。

 

 李による訓示が長々と続いたが、彼女は心ここにあらずといった様子である。使命感や陶酔に陥るような人間ではなかったが、少なくとも礼儀正しい人格者というわけでもなかった藤花にとって、詰め込むものであった知識やマナーを実践するものと認識するのに時間を要しているようだ。

 

 数時間後には、偽の旅券を携え、まずは香港へ向かうべく身支度を整えることとなる。

 

 

 

   *

 

 

 

 フィリッピンを経由して香港へ海路で渡り、一度杭州に出たあと上海へ入った。最初の指令は現地協力者との情報手交と合流である。

 

 外灘を歩けば海に面し広い空と運輸の象徴たる黄浦江、そして船から次々と運び出される貨物を札をくわえ汗を流して運ぶ労働者、それを涼しげな顔で眺める白人、そして海岸線との区切りを強調するように走る通りを自動車が疾走していく。時折警笛を鳴らされる人力車に乗り、視線を巡らせば睥睨する江海関の大時計。

 

 人力車はその威容を全周目に止めておくように香港銀行ビルの角を曲がると、市内への進みを速めた。言うまでも無く乗り込んでいるのは藤花であった。

 

 北京西路をしばらく走ったところで人力車を止め、立ち並ぶ商店の陳列に見入った様子でゆっくりと歩きはじめる。十分もすると思い出したように歩みを北へ変え、細い運河沿いの古びた倉庫の隙間を縫うように歩きはじめた。と思えば何かに気付いた様子で北京西路へ戻ってみたり、尾行を気にしている様子だった。しかし二往復目で無事を確認したのか、道端で坐り込み両手を差し出す物乞いの脇をすり抜けると風雨に晒され擦れた文字が浮かび上がる倉庫の裏道で歩みを止め、どこからかルビークイーンを取り出して紫煙を燻らせ始める。傍目には、乙仲の事務員あたりが仕事に区切りをつけて一休みしているようにも見えただろう。物入れから赤みがかった表紙のペーパーバックを取り出し始めたのも、何やら読み書きに通じた職業に通じた風である。

 

 そのまま、文字を視線でなぞりながらおもむろに散歩を再開し、裏道に入ってくる角に入った靴屋の前で足を止めた。

 

 ふと一足の靴を手に取ろうとして、誰かとぶつかる。

 

「あら、失礼」

 

「こちらこそ。…香港から来た方ですかな?失礼、言葉に訛りがあったもので……」

 

「先月来たばかりですから。では」

 

 男がチラと店主を見やると、居眠り中である。

 

「……藤花と申します」

 

「ここではいい。龍浦路の店に個室を予約してあるから、そこで…」

 

 そう言われ藤花は足早に男の側を離れ、雑踏へと消えていった。

 

 

 

   *

 

 

 

 ラヂオからくぐもった流行歌が流れ、今の時期にはそぐわない団扇が傍らに置かれていた。客人はひとしきり料理を楽しんだと見えて、すっかり消費されつくした料理の跡に川エビの尻尾が散乱している。飲み残された粥がいかにも寂しげだ。新たな愉しみとして龍の意匠が施された灰皿が取り出され、二本の煙草が細く煙をたなびかせている。

 

 藤花は席で、紫煙が予測不能な法則で立ち昇り、隙間風に主を変えて霧散していく様をただぼんやりと眺めていた。

 

 もう一方の席、食事の前に楊と名乗った男は茶を一あおりすると席の下から革の鞄を引っ張り出す。

 

「憲兵隊は貴女の事を知っとりますから、滅多な事では邪魔は入りませんよ」

 

「そう……」

 

「旅券はもっと都合の良いものへ差し替えておきます。そうですね……こっちの商工会の人間の名刺を渡しておきましょう。外交官や商社の人間に会うのに一等便利ですから」

 

 楊は慣れた手つきで紙片の束を取り出すと、一枚、二枚とめくり選別して藤花の方へ放った。外灘の片隅に事務所を構える貿易商社と汽船会社、警察関係の人間のものもあった。

 

「ちょっと有名すぎへん?」

 

「それくらいの人でないと、配った名刺の数を覚えているかもしれませんから」

 

「成程なあ……」

 

 会ったことも無い人間の名刺を仕舞い、藤花は茶と煙草に戻った。出すものは全て出し、余裕の出てきた楊は煙草を押し消すと笑みを見せた。

 

「コードブックの方はどうですか、順調ですか」

 

「領事の娘とポーカー友達になった。先週お茶に招待された」

 

 藤花の反応はそっけないものだったが、楊は満足げに頷いた。

 

「貴女の腕なら奪取はもうじきですね」

 

「せやけどなぁー、ウチの想像してた仕事と違いすぎて……」

 

 藤花の言葉に、楊は小さくため息をつく。

 

ここしばらく藤花のこの衝動は、連絡係の男にとって悩みの種であった。とかく藤花は命知らずな銃撃戦に飛び込みたがる。揉み消せる範囲内ならば多少は目をつむる事もできただろうが、抗日組織もいつも同じ場所でテロルを敢行するわけでもなく、時折南京路のような交通量も多く共同租界への影響も大きいところで爆弾などを炸裂させるものだから、各地での警備も強化され後の行動に支障を来しかねないのだ。そこで藤花が頻繁に目撃されていたら。

 

 その時、遠くからの腹に響く轟音、そして一拍遅れて震える窓。

 

「おっ、やりよった!」

 

 藤花はバネ仕掛けのように立ち上がり、窓辺に取りついた。

 

ここからでは騒ぎの全容は見えないが、そう遠くないところで小規模な爆発があったようだ。日本人商店への襲撃か、軍を狙ったものなのかまでは不明である。

 

「ほんなら、楊さんありがとうな!コードブックの件はまた今度!」

 

 楊の返事も待たず、風のように飛び出していくと、戸口に響く慌ただしい足音を残して藤花の後姿が路地を駆け抜けていった。

 

「……妈的!」

 

 楊は小さく悪態をついて部屋を後にした。彼の気苦労はしばらく絶える事は無いだろう。



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第一部 ジェスフィールド76号④

 時と場所を移り北支へ目を向けてみる。創設後、重慶からの国府軍情報員を次々と葬った七十六号も李主任の暗殺や組織内の派閥争いも相まって日本軍の直接的な影響は弱まり、南京政府の下で特工総部に改組されていた。

 

 上海を中心とした沿岸とその内陸部への網を張っていた七十六号の北支連絡拠点として増設が予定されていた北京支部の構想も空虚なものとなり、実質北支方面軍司令部の便利な特務として危険な戦場を渡り歩かされていた。

 

 当地に配属されていた情報員の中に、九鬼椿その人がいた。

 

 彼女は早朝の呼び出しを受け、連絡将校に会うべく日の出前の柔らかな光に包まれた廊下を急いでいる。

 

「九鬼入ります」

 

「よし」

 

「お待たせしました」

 

 部屋へ入り、九鬼は電燈の下で待ち受けていた連絡将校へ一礼した。

 

「おお、貴女か。女一匹大陸を行く、スパイの九鬼とは」

 

 知らない間に随分と大それた二つ名がつけられたものだ。大きめの眼鏡の下で、彼女の眉が困ったように下がる。

 

「いえ……それほどの者では」

 

 面倒な指令の前にはおべっかがつきものだ。椿は直後に言い渡される命令を何となく察することが出来た。

 

「命令。九鬼隊は其の総力を以て無線隊と協同し、第一軍の第十八集団軍(八路軍)司令部及び主要機関、護衛の三八六旅独立団奇襲攻撃を支援すべし。人選及び火器の調達は第一軍山本特支隊隊長に一任す」

 

「は……」

 

「正式な命令書だ。糧秣は後ろから部隊を追いかけさせて届ける。貴女は目録の通り装備を整えて山本隊へ合流せよ」

 

「はい。……ひとつよろしいでしょうか」

 

「何だ?」

 

「先程、九鬼隊と申されましたか?」

 

「その通りだ」

 

「私は、その、部下はおりませんが……」

 

 椿の言葉に、将校は意外そうな顔をした。流石に彼の職務には含まれていないようで、鞄へ書類をまとめつつ思いを巡らせているようだ。

 

「まだ聞いていないのか。一人付くそうだが」

 

「失礼致しました、御手間を取らせまして……作戦には間に合わせます」

 

「頼むぞ、では」

 

 素早く礼を交わして将校が出ていくと、椿は取って返して自室へ戻る。と、そこへ"部下"が到着していた。

 

「……久しぶりやね」

 

「貴女だったの」

 

 ずっと空きだったもう一つの寝台に腰かけ、明かりもつけずに藤花が煙草をふかしていた。懐かしい顔との再会ではあるが、腰を落ち着けて語り合う時間はそう残されていない。

 

「いつ来たの?もう出撃になるわよ」

 

「一昨日、飛行機で。敵の飛行機はビルマからの輸送に集中してるみたいで静かなもんやったわ……」

 

 あれほど組織への帰属を嫌っていた彼女が情報員という国家の為の立場でわずかな言葉ながら戦局について考える様は、採用前からの姿を知る椿にとって意外であった。肉付きも心なしか変わっており、この三年間で色々な意味で成長したようだ。

 

 と、藤花が煙草を灰皿に押し付けて火を消し、真剣なまなざしで向き直った。

 

「八路に挺進隊けしかけさせるらしいやん」

 

「一番の好機だからね。一昨年の国府軍程じゃないけど、情報は掴んでるのよ」

 

 開戦以来の八路軍の動向や、国府軍との戦力差など、様々な考えが去来したが、目の前の戦友の姿に視線は注がれていた。小さく息をついて、煙草を一本取りだして彼女の脇へと坐る。

 

 ルビークイーンの香りと、山西省の絹を練ったような山々の青い匂いが立つ。激務のせいか、大陸の土埃にまみれた風のせいだろうか、どことなく疲れた様子の藤花、その髪の房から乱れて立っている数本が、どうにも色っぽく見えて困る。

 

そこへきて、椿は藤花の横顔、その目がこちらを見据えているのに気が付いた。

 

「どうしたん?」

 

「いや……なんでもない」

 

 ばつの悪そうな顔で向き直ると、燐寸を擦る音がして、椿の眼前に火種が差し出された。

 

「次はいつゆっくり吸えるか分らへんもんね」

 

椿は微笑むと、両手をかざして火が消えないように燐寸をつまむ藤花の手を包みこみ、ゆっくりと煙草へ火を移した。吸気に艶と辛みが追加され、肺に満ちる。一瞬の沈黙のあと、吐き出す。目の前に紫煙の壁が立ち上る。

 

出撃が近づいていた。

 

 

 

   *

 

 

 

 この地は朝夕は冷え込み、昼は暑くなる。日中の行動を気にして軽装で出発した九鬼隊一行は肌寒い朝の村を抜け、待機していた貨車へ乗り込んだ。発動機が唸りを上げ、会話が周辺から聞き取られないようになってから、二人はおもむろに口を開く。

 

「隊長の山本大佐って、どんな人かしら」

 

「ドイツ帰りらしいで。陸大でも受けたら出世街道まっしぐらやったんちゃうかな」

 

「知ってるの?」

 

 ここへ来る藤花は、ここへ来る前に会った、と短く答えた。貨車が大きな水溜りの跡を通過し、荷台が大きく跳ねる。

 

「支那語も堪能やし、いかにも出世畑って感じやったけど、ドイツで学んだ特殊戦の理論を実証したいみたいやね。あとは、護衛の八路軍部隊を前に取り逃がしてたから、その意趣返しやろなぁ」

 

 椿が相槌を打った頃、貨車が板バネを軋ませて停車した。ここで無線隊を拾っていくらしい。八路急襲の先鋒を担う挺進隊は既に行動を開始しており、常に無線で最新の情報を受け取りつつ本隊へ接近しているようだった。間を置かず、いくらかの兵隊が貨車の方へ駆けてきた。無線機や予備の電池、手回し発電機を手に手に抱えている。

 

「麻田への車か!?」

 

「せやで!」

 

 荷台の上から藤花が怒鳴り返す。集まってきた兵隊たちは口々に女だ、おんなだと言って顔を見合わせている。

 

「とっとと乗車ぁ!」

 

「はいっ」

 

 真っ先に飛び乗った曹長の襟章を付けた男が次々と続く部下と荷物を引っ張り上げる。その多くが若い兵隊だ。被服以外は私物の多い藤花と椿の他に、編上靴と巻脚絆の足が一様に並んだ。

 

 最後の一人が乗り込むと、待ち受けていた兵隊が一斉に跳ね板を閉じ、運転台と隊長に向かって叫ぶ。

 

「乗車終りッ」

 

「よし、出発ッ!」

 

    *

 

 

 

 移動中、突然兵隊たちが帯革を解き、軍衣を脱ぎ始めたので何も知らない藤花は面食らった。

 

「え、え、なに」

 

「相手は八路の本隊だからな、開戦以来誰も尻尾を掴めてない鰻の尻尾だ。あからさまな日本軍が無電背負って支那軍勢力圏に行くわけにはいかん」

 

数分後には刈り上げた頭を帽子で隠し、すっかり便衣姿に変わった無線隊が出来上がっていた。

 

 藤花は、傍らの椿に耳打ちする。

 

「大作戦なんは分かるけど、ウチらが出る幕あらへんやん」

 

「私たちが周辺警戒するのよ」

 

「は……」

 

 藤花は絶句した。完全に兵隊の仕事ではないか。上海で潜入調査から突然外され、北支へ行けと言われた時点から何かおかしいと感じていたが、もしや行動大隊の編成に何か大きな変化があったのだろうか。

 

 藤花の心境を察したのだろう、椿は分かってる、とだけ言い。

 

「国府軍の撤退が早すぎるのよ。蒋政権は土地の広さをすなわち防壁として日本の息切れを待ってるの。そこへ対米開戦でしょ。国府のあとに出張ってくる八路を抑えきれないのよ。南支じゃ戦勝報告もあるけど、北支は遊撃戦ばかりよ、そこに情報員の知恵が必要っていうのが表向きの理由」

 

 表向きと言うあたり、椿も女性情報員の不遇は察しているのだろう。彼女自身一足先に北支に来ているのがなによりの理由だ。

 

 太陽が真上を過ぎたあたりで貨車は停まった。眼前には川と細い橋が一本、ここから先はよほどの部隊でないと進出しないゲリラの名所である。

 

 停車を命じた隊長は、先程まで周囲の安全確認に使用していた双眼鏡を押し込み、総員降車を命じた。そして整列。

 

「ここから一キロ北へ進出して川を渡る。どっから見られ、どっから聞かれているか分からん状況だ。俺たち無線隊ですら、後方部隊と安心できん、各員細心の注意を以て任務にあたるよう。また喫煙は慎め。現地民との接触はもってはならん。以上終りッ。敬礼よろしい。直ちに出発」

 

 行李や背負い袋で巧妙に偽装した無電を背負い直し、全員が歩き出す。少しして反転した貨車の排気音が遠ざかっていく。ここから先、支援は望めない。

 

 崩れかけた土塀には抗日標語が白書きされ、ところどころに宣撫の伝単や標語があっても破り捨てられたり、「皇軍」の字に虫偏が追加で落書きされたりしている。文字情報ですら無事ではいられない地域だ。人間などひとたまりもないだろう。

 

 北方とはいえ初夏の太陽の下では気温は一気に上昇する。じりじりと熱せられ吹き出る汗をぬぐい、時折吹き抜ける風は同時に砂塵も巻き上げてゆき、一行の顔つきはいかにも戦火を逃れやってきた農夫たちといった様子に仕立て上げられているだろう。

 

 とは言え任務は斥候などではなく挺進隊への情報連絡である。歩いている様は化かせていても無電を取り出して定期的にどこかと通信すれば日本軍の進出を宣伝しているも同じだ。どうしているのかと藤花は不思議に思って観察していたが、時折誰かが小便といって消えては木立の陰に入っているので、どうやら定時連絡は手短に行われているようだ。

 

「帝国陸軍もいろいろ考えてるんやなァ」

 

 

 

   *

 

 

 

 事態が動いたのは、それから間もなくであった。

 

 司令部からの情報を待たずして、山本部隊の方が郭家峪において有力なる敵部隊の動向を確認し、報告してきた。情報は無線隊を通じ、後方の大隊、さらに連隊本部、軍司令部へと文字通り連絡される。

 

「ついに八路の尻尾を掴んだ!」

 

 山本部隊が捕捉したのは護衛を務める三八六旅独立団の本隊であるらしく、万全を期して夜半の奇襲攻撃を強く主張していた。一方で八路軍本部の所在が不明瞭な事を理由に、もう一隊の益子隊長は薄暮攻撃を具申していた。

 

「ここへ来て意見が分かれんのは面白ぅないなァ」

 

山本大佐は戦術目標の破壊にばかり特殊部隊を投入させる事に反発して篠塚中将のお目玉を食らったと耳にしていたが、どうも三八六旅独立団絡みに関しては個人的感情が先行してしまっている。中原会戦勝利の一翼を担った益子隊長とドイツ帰りの秀才山本隊長、いずれの能力も疑う余地は無かったが、一抹の不安が残る。

 

 しかし、益子隊も郭家峪の別部落に敵部隊視認の報を受け、益子隊は網を張り、山本隊が三八六旅独立団へ奇襲攻撃を開始後に脱出を図る本隊へ打撃を加えるという計画に落ち着いた。

 

「ええのかなぁ山本隊……」

 

 拳銃の弾倉を確認しつつ、耳にした作戦計画をぼやく藤花。

 

「困ったときの歩兵操典じゃないの」

 

「凡そ兵戦の事たる、独断を要するもの頗る多し。而して、独断は其の精神に於いては決して服従と相反するものにあらず…………なぁ椿はん」

 

「なぁに」

 

「八路の勢力圏で歩兵操典の話してるの、まずいんちゃう?」

 

 藤花の懸念に、椿はクックと笑う。まくった袖を直しつつ、農道の行く末の一点を指さした。

 

「あそこの農夫、たぶん八路の斥候よ。あんなところ耕しても芋すら育つわけない。彼が陣地に帰って……本部に報告して、討伐作戦を練り終える頃には山本隊が突入を開始するでしょうね。こちらの存在を認識した途端の奇襲、驚くわよぉ……」

 

「逃げようにも益子隊の網が待ち受けてるし……椿はんもやらしい風に考えるんやね。でも心理効果は絶大か」

 

 二人の顔に嗜虐を帯びた笑みが浮かぶ。

 

 もうじき日が暮れる。

 

 

 

   *

 

 

 

 昼間に比べて息が白くなるほどの寒暖の差が一行を襲う。しかし、山をいくつか超えた先では山本隊が村に隣接する崖下に身を潜め、予想される脱出路には益子隊も兵を伏せていた。

 

 広大な畑、部落から最も離れたそれの一角に立つ小屋に無線隊は潜んでいる。外の見張りを除いて皆、薄暗い小屋の中で挺進隊からの連絡を待っていた。

 

 滅多な事では無線封止は破られる事は無い為、小屋の中は基本静かだ。だが、不安に駆られたのか、兵の一人が藤花と小声で話し込んでいた。

 

「浅草で言うたら天井桟敷ってとこやね」

 

「でも、八路の一部がこちらに出てくるかも……」

 

「そん時はウチも一緒に戦うやん。こう見えてもイギリス領事館に忍び込んだこともあるんやで」

 

「やっぱり、スパイなんですか」

 

「せやで。……まぁこんな芋くさい恰好じゃ見栄えせえへんけどね」

 

 そういって胸元から一枚の写真を取り出した。上海の写真館で撮ったものだ。無言で自分と椿を指差し、兵に見せる。

 

「すげえなこりゃあ、初年兵には目の毒だぜ」

 

脇から覗き込んだ古参兵が笑う。言われた初年兵といえば、脳裏に焼き付けておかんばかりに写真に食い入っている。藤花たちも十分に若いつもりだったが、階級章に星ひとつのあどけなさを見せられると、数年の差を痛感せざるを得なかった。ちょっとしたブロマイドめいた一枚である。

 

「……ちょっと、何か言うてや。写真に穴あいてまうやん」

 

「すッすみません!」

 

 慌てて写真が藤花の胸元へ突き返される。

 

「声がでけえぞ!」

 

 歩哨に出ていた軍曹が戻ってきた。皆して居心地の悪そうに電池を確認してみたり、腕を枕に体を倒してみたりする。

 

 その時だった。

 

「やりやがった!」

 

 外からもう一人の歩哨の声。よくよく耳を澄ませてみると、遠くから断続的な発砲音が聞こえてくる。腕時計をのぞきこむ。

 

「機関短銃やから……山本隊やね」

 

「いよいよか……」

 

 おおよその方角は分かるが、火の手が見えたり実際の戦況が見えるわけではない。しかし、無線封止が敷かれている今、挺進隊からの連絡を待たずして動くことは出来ない。皆、緊張した面持ちで銃声の響く黒々とした山々を眺める事しかできなかった。

 

「司令部にいる将軍たちも、こんな気持ちなんだろうなァ」

 

 

 

   *

 

 

 

 夜明けと共に両挺進隊から連絡が入った。山本隊は、敵の遺棄死体三十を確認、中には政治委員も含まれていたそうだが、首脳部は取り逃がしてしまった。益子隊は八路本部の急襲に成功し、現在も追撃中であった。

 

「大戦果だ」

 

 無線隊は戦勝気分に沸いた。が、一行にとってここからが正念場である。戦果はともかくとして、結局八路の首脳部は一部を犠牲にしつつも逃亡を続けており、増援も周囲に集まりつつある。特殊部隊はともかく、無線隊は丸腰も同然である。敵愾心に燃える八路に包囲されれば、捕虜で済めばいい方である。

 

 司令部への電信を終えると、行李をまとめて慌ただしく出発した。

 

早くも太陽は周辺を照らしている。周囲は明るくなってきているが、太陽はまだ完全な姿を見せていない。

 

殊に農民は朝が早い。畑の一角に陣取っていると人目に付く為、乾パンと熱糧食という口を酷使する朝食を押し込み、包み紙に至るまで入念に埋めてから出発した。藤花の提案で、暍病予防錠を各員に配り汗を流す体の一助とする。

 

 奇跡的にも、昼までの道程は穏やかなものであった。人のいる土地を通り抜けるときは必ず隊長と誰かが組となって先行し、情報を収集する。やはり昨晩の急襲は噂となって駆け巡っているらしく、人通りはいつもより少ないくらいらしい。先を急ぐ無線隊にとって好条件だったが、予断を許さない状況である。

 

 地面が踏み分けられた草から割った石で舗装された道路に変わり、板張りの建物が目立つ部落が望める位置まで到達すると、隊員の一人が妙な事を言い始めた。隊長も怪訝な表情をしている。

 

「雑音が多く、交信が思うように上手くいきません」

 

「本隊は応答せんのか」

 

「遣り取りは出来ておるのですが、混信しているのか時折聞こえづらくなるのであります」

 

「標高はどうか、昨日より低い所か」

 

「いえ、むしろまだ高い位置を移動しています」

 

「では湿度か」

 

「自分はこれより湿度の高い山林で交信した事があります。こいつより出力の小さい機材でしたが、問題にはなりませんでした」

 

「では……」

 

 不安げな隊員のいくつか条件を例示して見せた隊長であったが、やがて誰もが憂いている事態を確認せざるを得ない状況となった。

 

「誰か近くで別の無電を使っているということか」

 

 

 

   *

 

 

 

 午後には更に事態が悪化した。

 

「平安縣の守備隊が八路の猛攻を受けています」

 

 隊長が渋りきった顔で振り返る。

 

「本隊は何と言ってる」

 

「車両を喪った山本隊が支援を兼ねて向かうそうです。本隊からも増援を二方向から向かわせると」

 

「それでは我が隊は……貨車の迎えは来ないという事だな。如何なる事態に立ち至ろうと歩いて帰隊せよと」

 

 城の守備隊と小さな無線隊では割り振れる労力に差がありすぎる。結果、こちらは零となったのだ。

 

 その時、一行の頭上で奇妙な虫が鳴いた。

 

「伏せろッ」

 

 道を外れて草地に飛び込んだ直後、虫の合唱が増えた。また、軌跡すら見て取れるようになる。機関銃を含めた一斉射撃であった。

 

「どこからだ!」

 

「八時方向!閃光が見えました!」

 

 他の隊員は、懐の拳銃の位置を探っている。命令が下れば装填して反撃なり逃走なりに移らねばならない。ひとり双眼鏡を持っている隊長は慎重に路傍の石の陰から片目分、部下の指示した方向を観察した。なだらかな斜面、その空と畝の境が断続的に光っている。道の片側に並んで伏せているのに弾着は路上、もしくは反対側の茂みのみである為、まだ包囲はされていないと判断した。

 

「立つな!進路はそのまま行く、本隊へ一歩でも近く!刀治本軍曹、森に辿り着いたら帰隊まで指揮を取れ。前方の森まで、匍匐前へ!」

 

隊長の号令で、方針は一刻も早い離脱と決まった。移動し始めた全員を確認すると、隊長は一発撃ち、場所を移ってはまた一発と反撃する。

 

「隊長はん!あんたも早く!」

 

「まだガキみたいな兵隊も女もいるんだ。先へ行け。ここで粘って敵を引き付ける」

 

 隊長はあくまで発砲を続け、こちらがまだ留まっていると敵に誤認させる腹積もりである。しかし、敵がすぐに迫って来るであろうことは誰にも予想できた。

 

「……すぐ来てや」

 

 藤花は隊長の武器の事を思い、懐のモーゼルを隊長の方へ滑らせた。予備の弾倉も二、三本放る。

 

「すまない」

 

 銃を帯革へ挟み、隊長は片手を上げた。そして、入れ違いに何かを藤花の方へ投げて寄越した。受け取ってみると、御守りの木札と封筒を紐でまとめたものであった。

 

「隊長はん、これ!」

 

「行け!敵が斜面を下り始めた!」

 

 隊長は、刺し違えるつもりなのだ。特務から済し崩しのように流れてきた自分と違って今後も生死を共にする部下を持つ身のはずだ。替わりたい一心でもう一度呼びかけたが、振り返ることなく「行け」と短く一喝されたのみだった。

 

「御武運をッ」

 

 藤花は目を伏せて振り返り、森へと駆けだした。

 

 銃声はしばらく聞こえていたが、やがて一発の爆発が轟き、それきり静かになった。

 

 

 

   *

 

 

 

皆に追いついた頃、平安縣の守備隊陣地に八路軍が突入し、山本隊と激しく交戦している旨の連絡を傍受したところであった。小鹿曹長の代行による隊長絶筆の打電を最後に、平安縣からの通信は途絶えた。

 

 藪をつついたら蛇のあとから鬼が出てきた、そういった状況である。山本隊の支援に差し向けられた部隊も、各地で八路軍の待ち伏せに会い、多数の損害を出して足止めを食っていた。地の利を心得ている八路は手薄な日本軍部隊に殺到し、包囲分断されるのではという恐怖で士気の低下を図っていた。

 

ここでも、寡兵とみた敵が強硬策に出てくれば、壊滅的な被害は免れないだろう。

 

「通信機材は、全て破棄する」

 

 本体から発電機まで、銃把や石を使って破壊した後、藤花と椿の持っていたテルミットで溶かして処分した。光と煙で八路が集まってくるだろうが、地形を利用して転がり出るように森を脱する。

 

包囲が完成する前に森を出られたらしく、川沿いに身をかがめて進む一行に撃ちかけてくる者はいなかった。対岸に渡り、下流へ進めば日本軍の支配地域に出るはずだ。

 

しかし大陸は広く、点と線を辛うじて維持する日本軍に対して、相手は神出鬼没の八路軍である。ここで安心して姿を晒す事は出来ない。

 

「軍曹どの、橋が見えます」

 

「安心するな、あんな風になるぞ」

 

 振り返って睨みつける軍曹が、橋のたもとを指さす。泥のついた鉄帽を被り、血を流した兵隊が突っ伏していた。

 

「五感を研ぎ澄ませるんやで。そうすれば……椿はん」

 

「なあに」

 

「あの兵隊……今動いた」

 

 新兵に先輩風ふかして話していた藤花の目が丸くなる。

 

 慌てて皆して兵隊に駆け寄ると、重傷だが、まだ生きていた。川の水をかけて、揺さぶる。軍曹が太い腕で何度か声をかけながら揺すり続けると、わずかながら反応があった。

 

「……もの、日本軍の偽物がいる」

 

「何?」

 

 それっきり、兵隊はガックリと首を落として、動かなくなった。軍曹は、ゆっくりと息絶えた兵隊を横たえ、周囲と顔を見合わせる。

 

「おーい」

 

 次の瞬間、対岸から誰かが声をかけてきた。全員が飛び上がって振り返る。見慣れたカーキ色が小銃を肩にかけて走ってくるところであった。

 

「おぉ、流石に友軍が出てきてるのか」

 

 軍曹が小さくつぶやいて、立ち上がる。

 

「おーい」

 

 返事を待っているのか、対岸の兵隊がもう一度片手を上げるのが見えた。

 

「……あ、あれ日本軍じゃ無い!」

 

椿が、今しがた死んだ兵隊の小銃を拾い上げ掌底で安全装置を外すのと、対岸の"日本兵"に見える男が肩から降ろした小銃を構えたのは、ほぼ同時だった。

 

 重なり合った銃声が響く。数分にも感じられる沈黙の中で、変わらないのは川の流れと頭上に被さる木々の葉が擦れる音だけであった。

 

椿の射線上、立ち尽くす相手はしばらく唇を噛み締めてこちらを睨めつけていたが、やがて肩から力が抜け、崩れ落ちた。

 

「…た、助かった」

 

 一歩遅れていたものの、油断なく拳銃を構えていた軍曹がため息をついて構えを解く。

 

「あいつ、なんですぐ撃ってこなかったんだろう」

 

「こっちも支那服着てたから、味方か敵か判断しかねたんやろな……」

 

「敵も味方も相手の服着て化かし合いとくるんだから、やりきれないわね」

 

 椿は苦々しげに台詞を吐く。しぶとい敵にというより、彼我共に取っている行為についてだろう。

 

「何にしても助かった。全員異常はないか」

 

 安堵の表情で皆が顔を見合わせる。一人を除いて。ちょうど横一列の中心に立つ形になっていた彼は、下腹部より出血していた。納屋で藤花たちの写真にいちばん見入っていた兵隊だ。信じられないといった表情で、川へ倒れ伏す。

 

「おい!」

 

「しっかりせい!」

 

 彼は痙攣し、どす黒い血を吐いた。川がほとんどを洗い流してくれるおかげで綺麗なものだったが、明らかな致命傷である。藤花が抱きかかえ、耳を近づけると、彼は何かを言いかけていたが、全身からすぐに力が抜けて行った。

 

 一歩遅れて貨車が到着した。兵隊を満載しているので、迎えというよりも警戒に回っているかどこかへ討伐へ出るところだろう。

 

先に藤花と椿は乗り組み、死んだ兵隊は戦友たちによって変装を解かれ、軍服姿で貨車へと載せられた。

 

「そういえば、あの兵隊さんの名前、結局聞かへんかったな……」

 

襟元には星ひとつ。

 

認識票代わりに名札をはぎ取られていたことが、彼女にとっては救いだった。



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第一部 ジェスフィールド76号⑤

 昼の熱さを予感させる夜明けだった。

 

 今日に立ち至るまで、藤花は表舞台から姿を消していた。もちろん、何もしていなかったわけではなく開戦前の対ソ諜報をあらゆる方面から命じられ行動している。開戦していないとはいえ、それはあくまで正規戦が行われていない状態というだけで、秘密戦の上から言えば、その期間こそ彼女の舞台であった。

 

 しかし、それも昭和二十年の八月九日までであった。南方戦線の苦杯に対して、大陸では一号作戦で国府軍の戦線を打ち崩す事には成功しており、関東軍には楽観的な雰囲気が漂っていた。しかし、巨視的に観察すれば誰の目にも明らかであっただろう。増大する労農赤軍の通信量、強化される鉄道、次々と欧州から送り込まれる東アジアの軍備、日ソ中立条約の不延長宣言……。

 

 そう、ヤルタ会談以後、ソ連は対日参戦を具現化すべく動き始めていたのだ。

 

 最高戦争指導会議や大本営、関東軍の一部が盛夏から晩夏にかけての開戦の気配有と結論付けていた通り、ソ連は八月九日早朝、満洲国境を侵して大軍を推し進めた。精強と知られていた水戸第二連隊の末路を見るまでも無く、関東軍の主力部隊は次々と南方に引き抜かれており、第一線部隊は絶望的な状況下での戦闘を強いられ、居留民に至っては置き去りであった。各地で赤軍に限らず匪賊、暴徒の襲撃を受け、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられた。

 

 永久要塞も次々と陥落し、地の利を生かした一般部隊も遅滞戦闘がやっとの中で、日本は十五日を迎えた。しかし赤軍の武力進出は止まず、一部の日本軍部隊も停戦命令を拒否、まだ戦争は終わっていなかった。

 

 

 

   *

 

 

 

 野戦応急飛行場には、九九式双発軽爆撃機三機と、二式複座戦闘機二機が翼を連ねている。明るい太陽の下であれば日の丸を描かれた機体が並ぶ様は壮観であっただろう。しかし、僅かな機体たちは簡素な擬装を施されて静かに主たちが現れるのを待っていた。

 

濃緑と灰色の塗り分けがなされた軽爆に対して屠龍は斑迷彩など、尾翼の部隊記号もまちまちの混成部隊である。このあたりで残っている航空機はこれが全てだった。

 

「それは命令違反にならないでしょうか」

 

 天幕の下、軽爆二番機機長の呑(のみ)村(むら)中尉が遠慮がちに机を囲む面々を見回した。上座に位置する戸尾大尉の傍らには黒板が据え付けられ、赤軍の進路とそれに対抗する矢印が描かれている。そのまた横に掲げられた、一枚の紙。

 

「今の質問に答える」

 

 紙は、大陸命(大本営陸軍部命令)第一三八二号であり、積極戦闘を即刻中止するよう各地域の陸軍部隊へ伝達する者であるが、自衛の為の戦闘はこれに当たらないという条件付きであった。

 

「敵は我が軍使の乗った車両を銃撃、依然武力を以て避難民を虐殺しつつ前進中である。然るに是を叩き、全航空戦力を以て地上部隊及び避難民の支援に当る。機材へは既に小官の命により百キロ爆弾、二百五十キロ爆弾の搭載を行いつつある……これが帝国陸軍最後の爆撃行になるやもしれんのだ」

 

 軍刀の柄を音を立てて握りしめた戸尾大尉の言葉に、全員が顔を見合わせた。

 

 いや、おそらく全員が、正面の中空に各々の思いを巡らせていたに違いない。戦況が既に決した今、この攻撃に何を見出すか。悲壮美、他社の為に命を擲つ美しさか、悪あがきへの嫌悪かもしれないし、陶酔への冷めた考えかもしれなかった。

 

「補給が終わり次第、整備隊は貨車で脱出させる。彼らの時間を稼ぐためにも俺は行こうと思う。無理にとは言わない。言い出せないものは、離陸後日本へ向かって飛べ」

 

「彼女も道連れになるんですか」

 

 別の注意中尉が、天幕の片隅に居心地悪そうに座る飛行服姿の女を見やった。全員の視線が集中し、ますます縮こまる。着ぶくれした飛行服に、横には装備を詰め込んだと思しき袋と落下傘が逆に堂々と鎮座していた。

 

「……ウチは、飛び上がったあとが任務なんです。避難民に紛れて、要塞への連絡と、敵の後方攪乱をやるんです」

 

 道路を爆破してほじくり返したり、地雷を置いたりするのだろうか。任務とやらの内容は知らないが、全員が小さく息をついて向き直った。

 

「軽爆二番機、行きます」

 

「三番機、行かせてください」

 

 戸尾大尉は全員を見回した。

 

「皆……」

 

 最後の方は藤花の位置から聞き取れなかったが、すまない、と言っているように思えた。

 

 その時、入りますと声がして天幕の一部をめくり、整備兵が顔を覗かせた。

 

「全機、燃料弾薬の積み込み終わりました」

 

「御苦労、飛べない機体と支援機材は爆破遺棄して脱出しろ」

 

「は……」

 

「発動機は回して行ってくれ。すぐに乗り込む」

 

 戸尾大尉は半分ほど残った角瓶を整備兵の方へ放って寄越し、片手を上げた。

 

「では、これより我が隊は大陸命第一三八二号に基づき、自存自衛の為、目下武力進出中のソビエト地上部隊に対し攻撃を試みんとす。攻撃は屠龍隊の低空進入で敵対空砲火を沈黙させ、主力戦車隊が散開する前に軽爆隊が全弾投下しこれを破砕する。赫々たる武勲を穢す事なきよう、各自全力を尽くせ」

 

 

 

   *

 

 

 

 ウイスキーで水杯を交わした一同は、翅を回し始めた愛機へ一斉に駆け込んだ。落下傘を身に着けての疾走に慣れていない藤花は、懸命に追いかける。

 

「お客さん、こっちだ!」

 

「ウチの戦争、飛行機で始まって飛行機で終わったな……」

 

「どうした?」

 

「宜しく御願いします!」

 

 他の空中勤務者の助けを借り、狭い昇降口へ体を押し込んだ。最後に乗り込んできた一人が、戦闘騒音が近づいてきています、と機長へ告げた。

 

「整備の連中はもう貨車に乗り込んだな。もう滑走路もあって無いようなもんだ。直ちに離陸する」

 

戸尾大尉はフラップを開き気味に、スロットルを押し込んだ。機外の咆哮と足元を昇ってくる躍動が高まる。

 

羽田飛行場の時と比べると、地上に構造物が殆ど無い為、いまいち加速している実感が無い。後方へ消えゆく飛行場を見ておこうと首をひねったが、翅の巻き起こす風で砂塵が濛々と立っており、二番機、三番機の影が少し見えるだけで他はよく視認できなかった。

 

「高度四,〇〇〇まで上がる。ソ連の戦闘機に用心しろ」

 

 満洲の夏空は、日本とそう変わらないように思えた。ただ、今はどちらも累累たる屍と流血が巻き起こっている。

 

上昇していく中で、遠い爆音に振り返ると緑の絨毯の中に切り取られた明るい飛行場の砂色、そのまた中に黒い点が見えた。滑走路と機材を爆破処理したように見える。敵から遠ざかるとはいえ、彼らにも辛い道程になるだろう。

 

手近な機体を除き、交信する相手もいないので無線も航法もほとんどやる事が無い。全員が風防に張り付き、地上の戦車隊、上空の敵機を警戒していた。ある程度の高度を取ると機体の姿勢にも落ち着きが見られはじめたが、その中でも藤花は定められた配置が無いものだから、ばつの悪そうな顔で操縦席横の通路に立ち、警戒に加わったり操縦席にぶら下がっている御守り袋をぼんやりと眺めたりしている。

 

「大尉どの!十時方向に煙が見えます!」

 

 突然機首から怒鳴り声が響いた。

 

   *

 

 

 

 爆撃手の声に、機長、藤花、そして後方の無線手が窓に取りつくのと爆撃機の行く手にアイスキャンデーめいた曳光弾のうねった尾が走ったのはほぼ同時だった。

 

「視認と同時に自己紹介とは気合が入った敵さんだな!」

 

「しかしこれでは命中弾は望めません……」

 

 爆撃手が振り返って小さく首を振った時、今度は後方からの歓声。

 

「屠龍隊だ、屠龍隊が行くぞ!」

 

 爆撃機編隊のはるか下方、薄い雲をついて双発機が二機、地上の砂埃を立てて進む敵戦車隊へ突き進んでいた。重戦闘機兼襲撃機、胴体下には二百五十キロ爆弾を懸架している。

 

「今だ。爆撃進路に入る。急降下でやるぞ!」

 

「はッ」

 

 三機の軽爆は翼をゆすって大気を滑り、二千五百メートルほどを一気に駆け降りた。藤花の頬がカッと熱くなる。敵対空砲が襲撃機の相手をしている間に、出来るだけ有利な位置につかねばならない。

 

 ハ一一五発動機の唸りが高まる。

 

 眼下では屠龍の二十ミリ機関砲が火を噴き、弾薬か何かを積んだ敵の貨車を一台、派手な花火と共に吹き飛ばしていた。もう一機は三十七ミリを使用、航空機ではあまり耳にしない戦車砲の発砲音が対空砲を積んだ貨車を横転させる。

 

「敵が散開しきる前にやる。全機我に続け、突入角さん……いや、四十五度!」

 

 一番機が、まずひときわ大きく主翼を翻し、大地に這いつくばる敵戦車の群れに狙いを定めた。襲撃機の活躍で、敵の砲火はやや収まっている。それでも何かが機体で跳ねるのは、小銃から何まで無茶苦茶に撃ちかけてきている証拠だろう。

 

翼下に急降下制動板を展開し、軽爆三機はがっちりと編隊を組んだまま曲芸の手本のように見事な挙動で最終的な突入態勢を取った。これほどの人物たちが喪われていったことに、藤花は命が惜しいと思わざるを得なかった。

 

「爆撃用意」

 

 眼前には満洲の大地、そして粒のような敵戦車の群れ。無線で遣り取りを行っていなかったが、長年の経験からそれぞれがどのあたりに落とすかは心得ているのだろう。艶の少ない濃緑で塗装された機体が、ヌラリと陽光の反射を変化させつつ最後の微調整を行っている。爆弾倉の戸は既に開き切り、詰め込まれた黒々とした爆弾は投下されるのを待っていた。

 

「てッ」

 

 戸尾大尉の号令一下、全機は一斉に中身を敵の頭上へとぶちまけた。一直線だった挙動が、徐々に頭を上げ始める。爆弾が無くなったことにより、機体が軽くなったのだ。完全に機首を上げ離脱を始めると、後部銃座が地上めがけて乱射を始める。これが最後とばかりに。

 

「やりました!」

 

 さしもの勇猛さを誇った戦車隊の威容も、進撃を演出する砂塵を黒煙へ変えてその被害を物語っていた。爆撃隊が投下できる爆弾はそれほど多くは無かったが、侵攻後さしたる抵抗も無かった敵にとっては手痛い洗礼となったはずだ。

 

 だが爆撃隊の歓喜もそう長くは続かなかった。直後の機銃手の叫びが機内の空気を、皆の肩を震わせる。

 

「後上方、敵機!」

 

 言い切るが早いか、立て続けの発砲音とほぼ同時に後続の一機が右の翼の半分ほどを吹き飛ばされ、機体は均衡を失って横滑りに編隊から脱落していった。

 

 横を追い越していくシルエットには、見まごうことのない赤い星。

 

「ウォアホークか」

 

「いや、ラボーチキンや、あいつ二十ミリ積んどるで!」

 

 鰹節めいた曲線に縁どられた胴体めがけて機銃が咳き込むが、敵機は足の遅い爆撃機は後回しとばかりに屠龍隊へ突っ込んでいった。さしもの襲撃機も、身軽な単発戦闘機相手は不利だ。たちまち殿を務めていた一機が発動機から炎を吐きつつ退避に移り始めていた。

 

「ウチらもこのままじゃ危ない、早く離脱を……」

 

「何言ってるんだ。姉ちゃんを言われたところに降ろすまで任務は終らないんだよ」

 

「そんなこと言うてる場合……」

 

 藤花の叫びははっきりと聞き取れる爆発音で遮られた。残り一機の屠龍は燃料に引火したのか空中で撃破され、早くも敵機は多数の破片をかいくぐりつつ再びこちらへ機首を巡らせ始めている。残る友軍機は藤花が登場している一番機と、横についている二番機だけだ。空もまた敵の跳梁下にあった。

 

 左右に分かれ、それぞれ離脱を試みる。

 

「呑村、もういい、貴様は日本へ向かって飛べ!」

 

 しかし、二番機は変わらず翼をゆすり、敵機を挑発するように悠然と直線飛行を続ける。

 

「行くんだ、行け……行かんかッ」

 

 ソ連軍後方へ進入を続ける一番機を差し置き、挑戦を受けて立つように敵機が二番機に吸い込まれていく。もはや豆鉄砲でしかない七.七ミリ機銃の曳光弾が悲しい。

 

距離は大きく離れつつあったが、やがて二番機の断末魔のような爆音が操縦席の風防ガラスを震わせた。

 

「馬鹿だ」

 

 戸尾大尉は、友軍機のいた方向を見ようともしなかった。

 

「敵も味方も、皆大馬鹿だ」

 

「ウチはもう飛び降りるから、早く離脱して!」

 

 藤花は落下傘の縛帯を確認し、機体後方へと移った。

 

「お前も馬鹿だ。いま降りたって敵の進行経路の真上だぞ。戦車の鼻先に落ちたら要塞へはたどり着けないぞ」

 

「敵機、来ます!」

 

二十ミリ機関砲が弾切れか故障を起こしたのか、残る一丁の機関銃をもったいぶって発砲してくるだけになったのが唯一の救いであった。この状況を作り出す為だけに、屠龍二機の四人、軽爆二機の八人の命が散った。情報員失格の烙印を押されてもいい、戦争を通じて藤花の心はその重圧に耐えかねている。

 

「そうは言ってもあと数分だ。いつでも飛び出せるように戸はもう開けとけ。ヨンハチ(九九式軽爆)の板なんざ機銃相手にはブリキだ」

 

 一番若いであろう機銃手が赤くなった目をこすり、昇降口を力いっぱい開いた。外の轟音と気流が容赦なく機内へ飛び込んでくる。

 

「……すみません、なんてお礼を言えばいいか」

 

「いいんだ。俺もむざむざ地面で死ぬより、こうしたかった」

 

「大尉どの!敵機が発砲を止めました」

 

機関銃もついに弾が尽きたのか、射撃位置につけても撃ってこない。旋回機銃が反撃を止めて様子をうかがっていると、徐々に近づいてきた。やがて顔がはっきりと視認できる位置にまで近づいてきた。相手もじっとこちらを見ている。日本軍の物より角ばった飛行眼鏡と、革の上衣が特徴的だ。やがて彼は前方を指差し、親指だけ立てた手を下へ向けた。

 

「ついて来いと言ってるな」

 

「余裕があるところを見ると、たぶん僚機を呼んであるんやろうね……」

 

 爆撃に慌てて要請された支援機だろうから、こちらを軍使か何かとは思っていまい。着陸したところで、無事では済まないだろう。良くてシベリア送り、悪ければ略式法廷を経て、いや、そんなものもなく銃殺されるだろう。

 

「みんな済まない」

 

「大尉どの、言わんで下さい」

 

 藤花の横で爆撃手が軽く笑って首を振った。

 

「御客さんを無事降ろせれば、こちらの勝ちです」

 

「そうは言ってもな、若いやつには悪い事をした」

 

「やっぱり、後ろの子は若いん?」

 

 戸尾大尉は頷き、やっぱり閉めよう、寒くてかなわんと言って戸を閉めさせ、飛行中にも関わらず煙草を取り出した。

 

「女も知らんだろうな。成人前の子供みたいなやつまで借り出して、自決用とかいって千枚通しを持たせて飛行機乗せたんだ。ひどい国だよ」

 

 藤花が言葉を失っている間、大尉は皆に煙草を配った。外で何か聞こえたような気がするが、こちらの事情を知らないソ連兵には挑発しているようにしか見えなかったのだろう。いや、もしかしたらこちらの腹積もりが分かって、死ぬなと叫んだのかもしれなかった。

 

 しかし、全員分の覚悟が行き渡ると、大尉は操縦席へ戻った。

 

 その時に備え、藤花が機体後部へ這入りこむと、いちばん若いという一人が機銃に片手をかけ、敵機に向け目を見開いていた。

 

「あんた……」

 

「は、はい」

 

 

 

 

 

   *

 

 

 

「オチャコヴォ〇七、こちらセヴェルヌィポリュス。サムライは未だ飛行中か」

 

「セヴェルヌィポリュスへ、敵機は襲撃後、依然北進中。引き続き支援を求む。我残弾なし」

 

「セヴェルヌィポリュス了解。オチャコヴォ〇八が急行中。引き続き追撃せよ」

 

「オチャコヴォ〇七、了解」

 

 

 

   *

 

 

 

迫りくる危険の中で、藤花は降下前の最後の準備を終えた。手伝ってくれた若い空中勤務者と並んで腰を下ろしていた。九九式軽爆の胴体は途中から細く絞り込まれ、御世辞にも広いとは言えない構造である。肩を寄せ合うといった表現が似つかわしい。

 

 若いという彼が、年頃の女性と肩の触れる距離で平静を保っているものの、残された時間の短さ、また彼の若さそのものを思うと……

 

「なあ」

 

「はい!」

 

「あんた、いちばん若いんやって?」

 

「はい……」

 

「死んだらあかんで……って言おうと思ったけど、飛行機やしなあ」

 

「いいんです!悔いは、ありません」

 

 藤花は、小さくため息をついた。

 

「足が震えてるで」

 

「……すみません」

 

「謝る事なんかないで。ウチかて戦が終わってんのに小細工しに行くねんから」

 

 もう膝がガクガクいうて、と自嘲する。その時、機内前方から大尉の声が響いた。

 

「そろそろ戸を開けておいてくれ。敵さんに応援が来た」

 

「ほな、な」

 

「ご、御武運を」

 

「もう軍国主義式はええって。最後くらい、母ちゃんでも好きな娘でもええから、心ん中であいさつしときな。あの大尉はんの腕なら、もしかしたら生きて帰してくれるかもしれへんし」

 

「は、はい……」

 

若すぎる軍人の目に、涙。

 

「姉さんよ!そろそろ敵の第一線部隊を飛び越すはずだ!ここまで無事に来られただけでも奇跡みたいなもんだ!降りてからも、くれぐれも用心してくれよ!」

 

「おおきに!……おおきに」

 

 機首と、傍ら、機内の全員に頭を下げた後、涙をぬぐう若人を胸へ抱き寄せた。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「今は、これが精いっぱい……」

 

 藤花は、うんうんと渋い顔をして自分の言に頷く。

 

 振り返って苦笑する大尉ににっこり笑った後。

 

「ほな、御先に!」

 

 日本陸軍の空挺降下の操典を完璧に無視した頭からの飛び込みを狭い戸からやってのけ、彼女の姿は機外へと消えていった。

 

 後に残されたのは、ぽかんとした表情で固まる少年と、苦笑する大尉たちであった。

 

「おい!大丈夫か」

 

「……………………は、はい!」

 

 飛び上がって風防で頭を打つ様に、思わず全員分の笑いが爆発した。

 

「分かりやすいなあ、お前。でもよかったな、最後に思い出が出来て」

 

「でも、自分は、もう少しああやっていたかったのであります」

 

「自分だけ御願いされちゃって、よく言うぜ」

 

「よし、じゃあ、皆」

 

「はい」

 

「帰るか!」

 

「……はッ!?」

 

 大尉がひねくれた様子の笑みで振り返った。

 

「もっとしたいんだろう」

 

「はい」

 

「だったら、生きて帰らなきゃな。重いから無線も照準器も全部捨てちまえ。機銃は……怖いからまだ積んでおくか」

 

 大尉は飛行眼鏡をかけ直した。窓の外では僚機の到着を確認した敵機が急速に距離を置きつつあった。おそらく、駆け付けた一機が撃ちかけてくるのだろう。

 

 ハ一一五発動機が咆えた。

 

「一キロでも日本の近くへ!」

 

 中空を落ち続ける藤花は、軽爆の変針と加速を見届けて安堵した。少なくともあの若い兵隊の魂が幾らか救われるどころか命が助かる可能性が何百倍にもなった。例えそれがどんなに低いものであっても、零であるよりはずっと良い。何故急に抱きしめようと思ったのかは今となっては彼女にも分からなかった。何かの罪滅ぼしのつもりか、それとも嗜虐心程度のものだったのかもしれない。落下傘の紐を引きつつ、藤花は、あの軽爆乗りたちだけでもなんとか生き残り、天寿を全うしてほしいと願わずにはいられなかった。

 

 彼女は、深淵の地底と神代の天空の間に横たわる荒野へ再び降り立つ。

 

 

 

   *

 

 

 

 

 

 土の下に兵士が眠る。

 

 素朴な兵士たち。

 

 地位も持たず。

 

 勲章も持たないで。

 

 

 

   *

 

 

 

 軽爆の影が丘陵の向こうへ消えていった久しい。しばらく立ち込めていた一筋の黒い煙も、霧散して何事も無かったかのように青空へと戻っている。珍しく更なる敵機の姿を見る事も無く、藤花は静かな大地へ降り立った。

 

「わ、わ」

 

 始めは小さな違いだった。しかし、時間が推移するにつれてその差は次第に大きくなる。誤る値によっては、とんでもない結果を招く事になるだろう。しかし、藤花を責めることはできまい。

 

遠くに見えていたはずの森へ、風に流され突っ込んでしまった。傘は高枝にひっかかり、掻き裂けだらけになった。索は流石に頑丈なおかげで木の高さからの墜落は避けられたが、体中に絡みつき、宙吊りにされている。

 

「もー!」

 

万一首に絡みついたりしていたら目も当てられない屍となって朽ちる羽目になっていただろうが、幸い何本も垂れ下がる索は藤花の腕や足、太腿に回り込む形でがっちりと張られており、調度椅子に腰かけたような姿勢になっている。楽なように見えるが、指先が痺れてきたのでいずれにしても早い所脱出しなければいけない。

 

しかし、動こうにも索が二の腕や太腿に食い込んで思うようにもがくこともできない。

 

「だ、誰か……!」

 

 呼んでみるが当然誰も答えない。

 

「いや、誰かおったら困るやろ」

 

 自分で自分につっこみ、この話は御流れとなった。膝下にかかった索に体重を預けると上半身が動かしやすくなることに気付いたので、なんとか腕に絡まる索を外し、腰から小刀を取り出すことに成功した。下までの高さを計算し、一本ずつ索を切ってある程度の自由を取り戻すと、主傘を切り離して飛び降りた。

 

「はやッ」

 

 自分とは別に武器と装備を入れた鞄を吊下げていたことを忘れていた。自分の体重で飛び降りた場合の計算をしていたので、想像以上の衝撃が彼女を襲う。

 

「痛い……もう嫌や……」

 

 鈍い痛みが走る関節をいたわりつつ立ち上がり、装備を開く。ぱっと見は現地人にも避難民にも見えるような服に着替え、いきなり発砲される危険性は極力下げた。外被と傘は穴を掘って埋め、不要不急な装備は背嚢へ戻して背負う。水筒は軍用だが、これは民間も似たようなものなので常用していたものをそのまま身に着けた。

 

危険地帯であることは百も承知だが、大型の武器を持っていてはせっかくの変装が無に帰してしまう。心細さを覚えながらも水筒を拾い上げた。

 

「あれ」

 

 自分の水筒はもう身に着けている。しかも、手にした同じ形のものは軽く、中身は殆ど入っていない。予備なんて洒落たものを入れる余裕は無かった。では、これは誰の物だろうか。負い紐から本体を持ち替え、表を見てみると紐の一部に白い布を巻いて苗字らしき漢字が記されていた。

 

藤花のものではない。そう認識した瞬間、拾った水筒はそっと地面へ戻し、しゃがみ込んで周囲の様子をうかがった。

 

あちこちに装備が散乱していた。

 

少し離れた地面に弾薬盒が落ちている。脇の草から突き出ているのは歩兵銃だ。

 

「何やの、これ」

 

 戸惑っている時間はなかった。急いでいるというよりも、本当は彼女は答えを知っていた。草むらに横たわる歩兵銃、その横に靴が落ちており、保護色で見えづらいものの巻脚絆が伸びている、つまり、履いている足が見えているという事に。兵隊靴ではない。つまり、これらの装備の持ち主は軍人ではなかった。

 

 また歩き出し、足へと近づく。体も全て見えていた。一目で見て小柄であるとわかるその体躯に、肌の雰囲気から言って、明らかな子供であった。関東軍の将校ははるか後方で家族や財産まだ全て抱えて列車に乗っていたが、本土で言えば国民学校を出たばかりの身が何故こんなところで冷たく横たわっているのか。

 

彼女は見てしまった。暴力の行き着く先を。政治が、近代科学が手を貸した場合それがどうなるか、そして自分が今までそれへ手を貸してきたという事実を。

 

前線へ身を置くようになって以来、情報員としての彼女の思考に変化が表れ始めていたのは自覚していた。人命の損失とその背景にある人生や記録といったものが破壊される様への嫌悪感、それは厭戦といって差支えないのだろう。情報員としての性で、それは覆い隠されてきたが。

 

「………………」

 

 ふと、足元の歩兵銃を手にした。感情の激流に任せて要塞まで乱射しながら走ろうか。どうせこの任務だって、死ぬために、存在を消すために命じられたようなものだ。死にに来た人間を送り届ける為に何人もの命を散らす。矛盾である。何人かの命が救われると言えばいくらか救いになる人間もいるだろうが、生きて帰れる人間を道連れにするなど。

 

「どうして……」

 

 突然足元の死体が喋った。

 

 文字にならない叫びをあげ、背中を鞭で打たれたかのように走り出す。方角なんて分かっていない。

 

 何かに躓いた。

 

 今度は女性だった。背中におぶった赤子を貫いて銃弾を受けていた。

 

「どうして……」

 

 まただ。

 

 半狂乱になり女性の死体を蹴飛ばすようにしてもがき、地面を転がり、なんとか立ち上がってまた走り出す。

 

 兵隊。

 

 中国人。

 

 男。

 

 女。

 

 次第に性別程度しか区別しなくなってきた。死屍累々、そのどれもが。

 

「どうして……」

 

 どうして、何だ。しかし耳を傾けても、それ以降は聞こえなかった。

 

 藤花がそれに気づいた頃には、涙が頬をつたい、止め処なくあふれ始めた。

 

 そして視界は暗転する。




幻想入りまでを一気に駆け抜けました。

次回から東方っぽさが出てくる……はずです!



2021/9/15
幻想入りまでの戦中パートを細かく分割しました


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用語解説(1) 戦時中パート   ※幻想入り前

第一部、戦時中パートで登場した単語の解説です
あくまでそれっぽい紹介なので、詳しいところは他の詳しい人たちに譲ります(


 

アブサン……

ニガヨモギを用いた酒の一種。含有されるツヨンに向精神作用が有るとして販売停止となる国が相次いだが、戦前は健在で多くの文化人も嗜んでいた。現代では成分を調整したものが購入可能。

 

 

 

円タク……

市内一率一円で走るタクシーの業務形態。大正期に生まれた。昭和13年には経済統制の為に消滅したはずだが、物語冒頭で藤花が円タクの横を駆け抜けている。通称か、書いた奴の直し忘れと思われる。

 

 

 

九九式双発軽爆撃機……

陸軍の軽爆撃機。ソ連のSB軽爆に触発されて開発された。機体は使い勝手が良く、大陸、南方問わず広く使用された。が、防弾性能と搭載量に難があり、連合国からの評価はあまり高くなかった。本作では急降下爆撃可能な2型が登場。

           

 

 

九〇式輸送機……

海軍の機上作業練習機をベースに開発された九〇式陸上輸送機。藤花を離島の訓練所へ移送した。想定年代に対しても古さの否めない機種であり、霞ヶ浦で埃をかぶっていたのを引っ張り出してきた描写があるが、作者の趣味で出した感もある。

 

 

 

皇軍に虫偏……

中国戦線でよく見られた、抗日勢力や中国軍の手による落書き。日本軍の美称である「皇軍」の「皇」に虫偏を追加すると「蝗(いなご)」になる。現地徴発を多く行った日本軍を皮肉ったもの。

 

 

 

昭和一〇年代の喫煙事情……

成人男性の九割が煙草吸っていた時代。

 

 

 

ジョンソン小銃……

米軍向けに1941年に開発された自動小銃。ガーランド小銃に敗れたが一部が海兵隊に使用されている。オランダ軍に少数納入され、鹵獲された一丁が藤花の手に渡った。

 

 

 

制限法……

市街地建築物法による通称”百尺規制”の事。戦後しばらくまでビルディングは約三十メートルの高さ制限があった為、大都市では一律の高さのビルが立ち並ぶ光景が見られた。その代わりに地下六階など訳の分からない造りのビルも時折あったらしい。

 

 

 

テルミット……

アルミニウムと他金属との化学反応によって起こる反応、及びそれを利用した溶接・破壊の事。撤退時の暗号機破壊などに用いられた。本作でも藤花と椿が無線機の破壊に用いている。

 

 

 

東京飛行場……

現在の羽田空港。藤花が島の訓練所へ移送される際に使用された。

 

 

 

76号……

上海に実在した諜報機関「ジェスフィールド76号」の事。この通称は立地住所をそのまま用いており、CIAをラングレーと呼ぶようなノリで定着したもの。中国軍出身の現地人スパイなどを駆使して敵側スパイを次々と粛清し、恐れられた。

 

 

二式複座戦闘機……

1930年代、各国であらゆる任務に使える万能双発戦闘機の開発競争が巻き起こり、その中で日本陸軍が採用した機体。(双発戦闘機全般に言えた事だが)流石に万能は無理があり、対地攻撃や爆撃機迎撃に特化させて各地で活躍した。

 

 

 

ペペ・ル・モコ……

1937年のフランス映画。邦題は「望郷」。

 

 

兵長……

帝国陸軍の階級。上等兵の上、伍長の下に位置する。陸軍は基本的に二等兵が訓練中の為、前線の兵は一等兵か上等兵しかいない。しかし、支那事変が長期化するとなりたての一等兵と三年以上軍隊にいる一等兵が同居するシチュが大量発生し人事上不都合が多かった為に新設された。班規模の集団なら神様扱い、頭の良い人なら分隊規模を指揮する事もある。

 

 

 

北支一九式……

帝国陸軍の代表的な拳銃、十四年式に類似した外観を持つ自動拳銃。資料及び現存している個体が極端に少なく、不明な点が多い。基本的なレイアウト、弾薬は十四年式に準じているが、随所に簡略化と改良された点が見受けられ、マニアの間では満洲国軍や一部の日本軍部隊、あるいは満州鉄道の自衛用に現地生産させたものではないかとの見方がある。

 

 

 

益子隊……

戦時中、実際に行なわれた八路軍本部急襲作戦の中核を担った特殊部隊。数百名が中国兵に扮して侵入し、山中に潜伏していた八路軍本部を捕捉。寡兵と見た中国軍の猛攻を受けるも、数名の負傷を出したのみで殿を務めていた八路軍将官を暗殺、その後帰還した。藤花と椿の参加した無線隊はこれら挺進隊と後方本部をつなぐ役割を果たした想定。

 

 

モスグリーンの背広のような服……

藤花の服装には、若干レアな婦人用国民服を想定。女性の戦中の服装と言えばモンペが一般的だが、実は女性向けにもシャツ&ネクタイスタイルの国民服が制定されていた。作中では国民服制定前なので試作品を与えられていた模様。

 

 

 

 



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美鈴編 装填
オリ主紹介 藤花 (イラストあります)


そういえば主人公の容姿や服装について、大まかにしか書いていなかったので絵も貼っておこうと思い追加した紹介ページです。


 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

○経歴

 

昭和15~20年にかけて特工総部のスパイとして活動、幻想入り後は煙草屋を起業し今日に至る。

幻想入り後、苗字は一度たりとも明らかにしておらず不明。

大陸戦線では現地語の訛りを「香港出身だから」という理由で胡麻化すために「海鈴(アイリーン)」を名乗っていた時期あり。

幻想入り後はすぐさま帰還を希望するも、霊夢に断られ独自の幻想郷脱出計画を練っている。その大半が人妖の均衡を崩し機構を無力化するという思想の下に立案されているが、同志の不在と情報収集のために身を置いている自警組織の任務に忙殺され、その進捗は遅々として進まない。

幻想郷の知識も得なければならないと痛感しており、休みの日は鈴奈庵の店先や里の外環で農民や比較的話しかけやすい妖怪に会話を試みている。

帰還願望は日に日に強まっており、家の秘密の収蔵庫には火器類のほかに戦死した戦友の託された遺品が山積されている事から窺い知れる。寝言も戦中の記憶によるものと思われる、日中露語が入り混じった不気味なもの。

背負っている戦友たちが忘れ去られることを恐れており、一刻も早く帰って彼ら彼女らの存在した証を残したいと考えているため幻想郷を「いずれ出ていく土地、もしそこで死ぬときはそばにいる人間に自分のことを忘れないでほしいと言い残して死ぬ」と考えている。

 

 

 

○性格

 

普段は面倒見の良いお姉さんという感じで、店先で寺子屋帰りの子にキャラメルをあげたりしている。

 

……一方で脱出計画を練っているということは彼女はまだ大東亜戦争の中にいるつもりでおり、全てが演技である可能性も。

いずれにせよ全体的に飄々としており、悪意のある相手と対峙したときも冗談は言えるタイプ。

スパイとして自決は愚策の最たるものという教育を受け、厄介事や騒動に巻き込まれたときは生き残ることを大前提に考えるために立案する策は慎重というか大いに逃げ道を残してある。

諦めが悪い。最後の任務が「自分が死にに行くために二十人の兵士が命を落とす」というものであったため、簡単には幻想郷脱出もあきらめないと思われる。

正義感……は少なくとも目前の悪事は止めに入る方だが、人から聞く程度ではあまり関心を持たない。しかし身内が被害を被ったときは自身の計画を中断してでも行動しようとする。また上海潜入時代にお気に入りの娼妓が死んだ件以来、快楽のための凶行は毛嫌いしておりそういった相手には残忍な一面を見せる。

自分の思考に余力を残しておきたいタイプなので、真面目な人間には好んでついていく(どんどん仕事してくれるから)。

沸点は高めだが、怒るとまず争いを避けるために急に煙草を吸い始める。上級者の前で煙草吸い始めるとめっちゃ怒ってる。

 

脱出計画の同志をさりげなく探しており、初対面の人物と話すときはそれとなしに環境に満足しているかどうかを聞いてくる。

会話をもたせる事が得意で、YES NOではなく相手が必ず二、三言話すような質問をするので気付けば色々話させられる事もしばしば。

無機物に対しても、何かしら利用価値を見止めようとするので好奇心旺盛に見える。一方で本職を悟られたくないため銃火器はほどほど。

 

嗜好品はオンパレードで好き(昔の人なので娯楽が少ない)。

酒、煙草、コーヒー、茶なんでも来い状態。一人で飲む事はないが、誘われるとどんどん飲む。大陸時代は九鬼 椿とペアで「事あらば飲まんとする面々」と呼ばれていた。煙草は二日で一箱吸いきるか程度。野戦ではガムで代用(リグレーのスペアミント味)。

 

 

 

○口調

 

西日本めいた訛りのある言葉を話す。しかしその訛りは昭和初期の大阪弁とはかけ離れており、いわゆる「イメージ関西弁」。

本編では登場しないが大陸戦線時代、離反の恐れのあった日本軍部隊に潜入した際に「訛っているとそれが素だと思われやすい」とコメントしており、実は関西人ではないのでは説があるが、幻想郷内部の人間は知る由もない。

なお英語、中国語で会話しているときも訛りで書かれているが、いわゆる「ジャパニーズイングリッシュ」の表現と思って戴きたい。

 

 

 

【服装】

 

普段は中国服シャツ(寒いときは綿入り服を羽織っている)で店先に座っている。

自警組織で仕事するとき、重要な会議に出るときはモスグリーンの婦人用国民服を着ている為、外来人から軍人と思われた事も。

 

 

 

【基本装備】

 

幻想入り時はジョンソン小銃、北支一九式拳銃、銃剣、軍刀、手榴弾。その他歩兵装備一式。

煙草屋を構えてからは原則それを隠しており、普段出歩くときは丸腰。博麗神社や紅魔館といった里から出るときは小銃を布で隠して担いでいく。

 

それよりも煙草が大事。ルビークイーンかゴールデンバットを常時携帯。点火はマッチ派。

 

 

 

【武器】

 

基本的に「兵士ではない」という信条で拳銃を好む。またそれも最後の手段であり、自分の手を汚さない、できるだけ策略だけで勝って自分は脱出するという考えのため、最大の武器はというと「臆病な心」。

体力との兼ね合いもあるため、単身で里を出るようなとき以外は長物を持たない。

…………のはずだったが、しょっぱなから放っておけない悪事には武装して乗り込むようになった。あぶない。

 

 

 

【能力】

 

「~する程度」みたいなものとは縁遠い。

スパイとして仕込まれた上流階級の知識やマナー、戦術はフルに活用する。

 

 

 

 

【基本理念】

 

○単独

銃撃戦、格闘戦ともに避ける。丸腰である時が一番脳みそをフル回転させられるが、万一のために拳銃は隠し持っている。

殺害は、一般人より多少は止む無しと思っている節があるが後始末のことも考えて戦えない程度に傷つける地雷タイプ。

妖怪はめっちゃ怖いと思っており「殺しても死なへんやろ」くらい。買い物、物々交換など相手の立場が上でこちらがへこへこするのが当たり前なシチュ以外(交渉、戦闘)では誰かを伴っていないと怖くて会えない。

 

 

 

○集団

戦慣れした人間と一緒であればそいつを中核として援護に回る。英雄を擁する事よりもフォーメーションを重んじて戦うため適材適所で出しゃばることを嫌う。丸腰、戦闘能力を持たない連れがいる場合はとにかく逃がす、安全圏に置いて攻撃を引き受けようとする。

指揮官は「将校教育受けてへんから」ということでやりたがらない。

 

 

 

【社交性・協調性】

 

本人の能力は中程度だが、スパイとして無いようにも有るようにもふるまう。

嫌いな相手がその場限りの場合は好き勝手にふるまい、遠ざかる。立場上避け得ない人物の時は相手に用事を思い出させてどこかへ行くよう仕向ける。

しかし一気呵成なやつが出たりしたとき、ブツブツいいながら後釜を引き受けたりしているので面倒見のいい性格は健在な模様。

 

 

 

 

【移動・行動理念】

 

「兵隊は歩くのが商売」というモータリゼーション後進国なキャラなので人間の領域は基本的に徒歩。

一方で馬、単車といった個人で動かす乗り物は大好きな模様で、紅魔館で陸王をあてがわれたときはテンションがめっちゃあがっていた。

戦車のようなごつい防護装備がある乗り物とは無縁だったため、早く動けるならなんでも乗りたがる。

また森に苦手意識があるため、里外では乗り物に乗りたがる傾向があるようだ。

 

 

 

【グロテスク・暴力耐性】

 

戦場だと取り乱してると自分も死ぬため淡々と受け入れているように見えるが、あとで一人で泣くタイプ。

 

 

【エロ耐性】

 

床術を教えに来た娼妓の唇を奪ったり、不良娘時代はイケイケだった模様のレズ。

スパイ時代に必要にかられて男と寝たのかは不明。

好きなプレイはアブサンを相手に垂らしてぺろぺろするやつ。

女の子キャラはそれとなくそのケが無いか探っているぞ。

 

 

 

【一人称】

ウチ(基本)、自分(軍人相手)

 

 

【二人称】

〇〇はん(さん)、〇〇ちゃん(ちょっと慣れてきた)、呼び捨て(意中、相棒)

あんた(タメ~年下)、あだ名or略称(比較的仲の良いタメ)

 

 

 

口癖じゃないけどうまいこと言おうとすることしばしば

「失礼だがあんた金はあるのか?」

「まーねー」

 

「やればできるわよ」

「子供が?」



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第二部 人里①

 森を抜けようとして、彼女はまだ走っている。

 任務に嫌気がさしたか、戦争が嫌になったか、死体を見たくないか、それすら難しい事に感じられる藤花にとって、目下の願望は、「早くこの場所から逃げ出したい」であった。

 如何なる状況にあっても口元をニヤリと曲げて勝手な捨て台詞の一つでも投げつけられる性根を買われ、情報員に引き抜かれたはずだ。しかし状況が、戦争が、大国が一個の人間に対してあまりにも強力過ぎた。そして、彼女は刃先での舞踏にどっぷりと浸かりすぎたのかもしれない。

「待って……」

 不安定な地形に揺さぶられる口元から、言葉が漏れ出でる。一時の半狂乱状態から、落ち着きつつあった。

「待って」

 ようやく思考が周囲の環境に適応し始めた。と言っても、次の言葉で、正しく混乱できるようになったというべきか。

「この森、何……?」

 無理に足を止め、瞬間的に荒くなる呼吸に肩を上下させながら、藤花は周囲を見渡した。まず気づいたのは、木の肌である。北満の戦線を更に国境へ向かって進んでいたのだから、木々も白い肌の目立つ木立になっていたはずだ。しかし、どちらを見渡しても、見覚えのある日本の山林の植生にしか見えない。

 有り得ない事が起こっている、そう認識した。もしかして発狂したのか、幻覚とはかくも現実味に溢れたものだったなんて知らなかった。木の幹に手を触れてみる。形の通りに感触があり、殴りつけてみるとしっかり痛い。意識もしっかりして、いるはずだ。しかし何だこの浮遊感は。まさかと思うがこの極彩色の茸のせいだろうか。

 その時、幹に触れている手から腕に向かって小さな大名行列が左右に揺れながら歩いてきた。

「ギャッ」

 足を滑らせ、派手に転倒する。胸に衝撃が走り、奇妙な咳が出る。目の前には極彩色の不気味な菌類が、大小の傘を広げて無秩序な群体を形成していた。日光が殆ど差し込んでいない陰鬱とした光景の中なのに、何やら陽炎めいた陰影が中空に踊っているように見える。

「ガス!?」

 反射的に動作を取ってしまうのは悲しき性であったが、生命の危機が迫る状況下にあっては有利に働いた。脇の雑嚢を弄り、底が抜けんばかりに突っ込まれた手があれやこれやをまさぐり、小さな紙箱を掴んで出てくる。乱暴に蓋を取ると、茶色い液体の詰まったアンプルを取り出し、やする時間ももどかしく首をへし折りトロリとした中身を、舌を突き出して一気に喉奥へ流し込む。

「ぐうッ……」

 きつい匂いが喉を締め付け、鼻腔を奥から刺激する。四つん這いになり荒い息を整えようとするが、手足が震えだし、目も焦点が定まっていない。

「ふ、船に……」

 最早、彼女の目に、脳裏に何が浮かんでいるのか外観からは推察できなくなった。手足だけをばたつかせながら進むこともままならず、木の根に足を取られて気胸患者めいた不気味な呼吸音を立てながら斜面を転がり落ちていった。

 

   *

 

 ピンクの象が舞い踊り、大名行列が曳火手榴弾の旗印の下に肉の華の縁を突き進むところ、万華鏡に目鼻が付き貧乏神は戦慄する。肉食植物に捉われた藤花はファルタの翅をもがれた哀れな蝶々めいて助けを求めていた。

「帰りたい!乗せて!あれに……」

救い主の姿は分かっていた、が、肝心の名前が出てこない。精神病めいた幻覚の中で既知の事物があらぬ組み合わせでシルビウス裂を舐め回し、鼓膜の裏を突き、瞼にのしかかってきた。

「しゅらしゅしゅしゅ!しゅらしゅしゅしゅ!」

「気が付いたかい」

「えっ」

 突然、頭蓋骨に反響した声に、だんだら模様の世界が暗転し、赤くなり、白い光に満ちてくるのを感じた。それが覚醒だと実感したのは、先程までの狂騒も同時に冷め、冷静になりつつあるからだろう。

「随分と良い装備で森に挑戦したようだけど、一歩足りなかったようだね」

「ここは……そういえば、ウチ、解毒剤を……」

「君が持っていたアンプルの事かい。ジメルカプロール系じゃ、使い道は限られているよ。あの手の薬に対して、森の瘴気は多彩すぎるよ」

「ていうか、あ、あんた誰や……」

 藤花がからくり人形のようにかくかくとぎこちない動きで身を起こそうとする。まだ四肢に動かしづらさが残っているが、なんとか動ける。その様子を見て、青年は意外そうな顔をしていた。瘴気とは何の事だろうか。

「たまたま薬を持ってきていたからよかったものの、一歩間違えれば……というのは聞きなれているか。何にしても、マリサに感謝した方がいい」

「どうしてワシリーサが…?」

頓珍漢な名前の人物にいぶかしげな顔をする藤花に対して、僕や魔理沙の事を知らないかい、と問うてきた。首を横に振る。

「そうなのか、まあいい。僕の事は霖之助でいいよ、森近霖之助。……妙に会話がかみ合わないと思ったら、そうか。君はもしかして、里から森へ入ろうとしたわけじゃないんだ」

「里って何の事よ……」

相手をどう呼ぶかも定まったところで、ようやく藤花にも周囲を見渡す余裕が生まれてきた。雑然とした古物商、それが第一印象だ。

 と、藤花は森で七転八倒の苦しみを味わうまでの顛末を思い出し、慌てて霖之助の方へ振り返った。

「そや、霖之助はんとか言うたっけ。珍しい服装やけど、漢民族でも満州族でもなさげやね……日本語うまいけど、あんたも早いとこ逃げた方がええよ。赤軍がもう…」

 霖之助と名乗った男の眉が、眼鏡の奥で困ったように下がる。

「君が言わんとしてるセキグンがどれかは知らないけど、そういった軍勢はここらにいないんだ」

「そんなわけないやろ、現にウチは数時間前に交戦してきたところやで……」

「ここは、君の認識していた世界、時間とは別のところなんだよ」

「何やて……」

   *

 

 次の瞬間の藤花の発言は、思いのほか冷たい声だった。

「今一つ、仰ってる意味が分らへんなあ」

 眼鏡の奥、霖之助の目がまた瞬いた。小さく息をついて、横たわる藤花の傍らから、定位置の椅子へと移る。藤花が押し黙ってしまった店内は、板張りの床が嫌に大きく鳴った。

先刻、彼女は赤軍と口にした。少なくとも、西暦で言う一九一八年以後の世界から来たとみて間違いないだろうと霖之助は判断していた。戦争中の人間となると、尋問と思い口を堅くしてしまうかもしれない。彼の思考は、一旦説明を取りやめる事に帰結した。

立ち上がり、この時期はスツールか何かと化しているストーブを回り込みつつ、混沌とした店内でもとりわけて雑に扱われていそうな本の山から一冊を手に取り、藤花へ手渡した。彼女が怪訝な表情で矯めつ眇めつするのを見ながら、戸口を親指で示す。

「必要以上に拘束するのは本意ではないし、君には実際に見てもらうのが一番だろう。ああ、瘴気の事は身を以て経験しているだろうから、間違っても森へ行こうとは思わない方がいい。」

「……?」

「本は餞別だよ。何かあればまた来てもらって構わないよ」

藤花はよろよろと立ちあがり、商品に躓きそうになりながら弾も抜かずに立てかけられているジョンソン小銃を杖代わりに、荷物をまとめて無言で店を出て行った。

 

   *

 

 戸口をくぐった途端、空気が変わるのを感じた。

 礼を言う事も忘れるほどに混乱している彼女にとって、人気のない道ですら安心できない。明らかに緑深く分け行ってゆく道と、逆に木立が疎らになっていく道と、選ぶのは明らかだった。店主の言に従うまでも無く、さっきの森は何か妙だと内心藤花も理解し始めていた。

 狐に鼻をつままれた気分で木陰に入り、荷物を確認する。銃の弾が抜かれていないどころか、食糧や被服にも手を付けた後は無い。流石に解毒剤は無くなっているが、これは昏倒する直前に彼女自身がぶちまけたので致し方ない。

 取りも敢えず、小銃の薬室を再度確かめると、道に並行して前進を開始する。まだ陽は高い。変な経験をしたからと言って敵機の目につくところに出ていくのも愚かしい事だ。

「……にしても、静かやなあ」

 店が見えなくなってしばらく経っている。あの建物を見る限り、外地に建てるには手の込んだ近代木造建築だった。日本軍、日本人を拘束しようとする手合いなら何かしら理由を付けてついてきそうなものだが、その気配もない。

とにかく、里とやらへ行って複数の人間から情報を集めれば分かる事もあるだろう。藤花は取り出しかけた煙草を仕舞い、道を急いだ。

と、急に視界が開けた。というよりも道幅が広くなった。

先程まで感じていた蒸しっぽさも気にならなくなり、また一向に人や車が姿を見せないので小銃は布で隠蔽し道へ歩み出てみる。行く手にぼんやりと、人工的な直線が見えた。おそらく家屋の屋根だろう。ところどころ煙のようなものも見えるが、焼き討ちというよりも煮炊きの煙に近い。先程の珍妙な格好の店長もそうだが、どうもこのあたりの住民に緊張感が感じられない。

「え、どないなってんのあれ」

 近づくにつれ、家が、甍の波が見えてきた。里というには、また藤花の想像とはかけ離れた光景が展開される。

「……大船(おおふな)かな?」

 言うまでも無く藤花は大陸戦線にいると固く信じており、そのつもりで行動してきた。しかし、目に映るのは黒々とした瓦屋根、板葺屋根の家々と、行き交う野良着や洋装、果ては見たことのない派手な染色と飾りの施された装束に身を包んだ通行人であった。背広や仮装めいた謎の服はともかく、野良着の農民などまるで日本の田舎ではないか。せめて、協和服か長袍の一人でもいれば話しかける勇気が持てたものを。

 村ぐるみで日本軍を騙す程度なら八路軍が常套手段としてきたが、この街並みをたかが数人の日本人を騙すために用意したとは到底信じられない。何より、看板、漏れ聞こえてくる立ち話、屋根の組み方から梁の構造まで日本式だった。

 もう歩みは止められなかった。何本道を通っても、建物は変われども雰囲気は変わらない。遠くそびえる山すら、青々とした日本のそれだ。

 藤花は、今自分が踏みしめている地面すら信じられなくなる感覚を、生まれて初めて味わっていた。

 もう死んでいるのでは。

 ここへ来て最初の感想がそれだった。冷静に考えて一眠りしている間に日本へ戻れるわけも無く、またこんな規模でこの建物が並ぶ町があるという事が理解できない。

 でなければ、帰りたいという欲望から抜け出す事の出来ない幻想へ迷い込んでしまったに違いない、と結論付けた。

 餞別に貰った本。これだけ見ていれば降伏へ導く欺瞞工作と切り捨てていたかもしれないが、この町並みを見せられた後では違って見えた。

『あたらしい憲法の話』

 奥付は、藤花にとって未来の日付が印刷されていた。

 

   *

 

 道端にひっそりと立つ、五角形の奇妙な窓が組み合わさった家屋と対峙し、頷いた。

「こんなんがあるしなあ」

 日本にいた頃、見聞きし、一度は現物を目にしたことがあった。どこかの地主が酔狂で作り始め、あまりの熱中ぶりに家族が愛想を尽かして出て行った後も改装を重ねたという奇妙な建築物。結局家主が高価な電話を何の理由も無く売り払うような奇行に走り始めて以後は住む者がいなくなり、取り壊されたはずであった。

 狂った自分には狂った建物がお似合いだ。

 死ぬ直前に見る幻想なら、ここで飲み食いなどすれば黄泉の住人の仲間入りであろう。路地のどこかから漂ってくる小豆をすりつぶす臭いを振り切り、人気のない二笑亭の戸を開けて中へと入りこんだ。

 おそらく調度品の無い状態でまるまる建っているのだろう。

「偽善ぶって世の中捨てたもんやないみたいな事を言うて回ったのがあかんかったんかな」

 中庭で空を仰ぐ。

 今までどんな苦境に直面しても捨て台詞ひとつで切り抜けてきたような気がしていたが、ここへきて理解を超える出来事に今まで無意識下に押し込めてきた感情が一気に噴き出してくる。堂々巡りの自己嫌悪から無気力状態となり、やがて一室で動くことが出来なくなった。

   *

 

 丸二日何も摂らずにいれば、人間食べ物の事しか考えられなくなる。この世の物ではない食品を口にすればというが、携帯口糧の類はどうなのだろう。そもそも自分と来たのだから、属性は同じではないだろうか。

 飢えた藤花にそれを思案する気力などあるわけが無く、雑嚢に入っている軍粮精に飛びつく理由づけでしかなかった。震える手でひっくり返し、紙箱を破り、中身を数個まとめて口に押し込んで噛み締めた。ついでに出てきた暍病予防錠もゴム栓を引っこ抜く。薬めいた外見だが、どうせ砂糖と塩である。

 噛み締めようとして愕然とした。唾液が全く出ない。甘味と塩分が飢えた体に染み渡る、はずだがそれ以上に体が疲弊していた。水筒も空となると、口内と喉を頼みの食物がただの襲撃者と化す。飲み込もうにも錠の粉末でむせてどうにも上手くいかない。気づけば戸を開け放って表に転がり出ていた。派手に誰かとぶつかる。

「み、みううえーッ」

 見ず知らずの人間に水呉れと叫びながら飛びついたつもりだったが、立ちくらみはするし解けた脚絆につまづくしで世界が大きく一回転した。したたかに背中を打ちつける。星の瞬く視界の隅に手刀を構えた人影を見止め、そこで初めて、口の中のものが全て吹っ飛ばされ、打ち倒されたのだと理解した。

「ああっ」

人影がサッと構えを解いた。慌てて藤花は目をこすり、一瞬の出来事に素早く反応して見せた人物を確認する。

【おいでなすった……乳が欲しければおばさんが来る…親類に会いたくなればおじさんが来る……】

 思わず、懐かしい(?)中国語が口をついて出た。元々、匪賊に潜入するときに使う文句だったが、気に入った表現だった。

 殴る時どうしていたのか、買い物かごを傍らへ置き、こちらを不安げに覗き込んでいるのは、赤みがかった髪を綺麗に流し、切込みの多い支那服(藤花視点)に身を包んだ女性だったからだ。地面に仰向けに倒れたまま、藤花は涙する。

【良かった……中国やった…】

【その呼ばれ方をするの、久しぶりだけど、以前どこかで会った事が?】

 ムッとした様子で支那服の女性が首をかしげた。流暢な中国語を耳にして藤花が微笑んだ。

【初めてだけど……良かった…やっぱ中国やったんや】

【噛みあわないなあ……大丈夫ですか?】

 女性の手が藤花の肩を揺する。今の藤花といえば髪は乱れ、唇は乾燥し、目の下に隈を作って飛び出してきたかと思えば打ち倒されて涙し、かと思えば笑い出すのだから見るからに大丈夫ではなく、どちらかといえば近寄りたくない人間にしか見えなかったが、関わってしまった以上きちんと介抱してくれる女性の優しかったからという一点に尽きる。

 良かったよかったと連呼しながら涙する藤花に手を焼いたのか、女性も流石に通行人に助けを求めた。

「すみません、誰か一緒に永遠亭に……」

「うおおおおお日本語!?」

「ええええええ日本語!?」

 互いに言語が切り替わり、同じ言葉で飛び上がった。急に身を起こした藤花を避け立ち直る身のこなしは、何かしら体術の心得がある人物のそれであった。かぼちゃ帽めいた被り物が頭頂に乗っかっているが、紅軍の類にはとても見えない。

 と、そこで藤花は何かを思い出した。

「お、おなか減った……」

 



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第二部 人里②

 中国服の女性の助けを借りて、すぐ近くで香ばしく、甘い匂いを立てる団子屋へ入った。やけくそで円札を突き出したところ、なんと会計が出来たのでこれ幸いとばかりに出来立ての団子を大量に注文、月見には時間も季節も早いが、山と重なる団子をお詫びに女性にも分けつつ一心にほおばり続けた。喉を突かん勢いで串をくわえこみ、引き抜けばもう団子は一個も残っていない。目といえばもう一方の手で確保された串団子を見据え、醤油だれの垂れ具合を粍単位で観測し、固まり過ぎず流れすぎずの一瞬に口元へ運ぶ。

 一連の作業を号外発行に勤しむ輪転機めいて完遂した藤花は、湯呑みから幸せそうな音を立てて茶を飲み干すのだった。

「す、すごい食べっぷりですね」

「……っと、いかんいかん。おおきに、付き合うてもろて。えーと」

 ここへ来て初めて相手の名前を聞いていなかった事に気付いた。相手もそれに気づき、片手を自分に当てて微笑んだ。

「美鈴です。紅美鈴」

「美鈴はんやね。ウチの事は、藤花って呼んでな。よろしゅー」

 先刻は済まなかった、と団子を勧めると、美鈴はどうも、といって受け取った。

「いえいえ、ただならぬご様子でしたし……あの家に住んでる人がいるとは思いませんでしたよ」

「あいや、あの…住んでるというか、居ついてるというか……」

藤花の目が泳ぐ。ごまかしついでに震える手で煙草を取り出そうとして、止めた。美姑娘とお近づきになったのは喜ばしいことだが、くつろぎすぎるのも考え物だ。

そして、ついに疑問を口にした。

「美鈴はん、ちょっと教えてほしいねんけど……ここって中国、戦地や無いの?」

「せんち……?あっ。もしかして、藤花さんは外から来た人ですか」

 その言葉に、藤花は再び肩を落とした。口へ運びかけていた湯呑みを降ろす。

「……人外魔境って気分やな」

「?」

これだけの規模を構築している日本風の空間で雑誌新青年も通じないとあっては、半ば諦観に似た形で藤花も現実を受け入れざるを得なくなってきた。小さく頷いて、美鈴の方へ向き直る。

「そうみたいで、ウチは日本で生まれ育って、色々あって大陸へ渡ったつもりやねん……けど、気付いたらここに」

「たまに、藤花さんみたいな人が来るんですよ、ここ。つまり、藤花さんが生きていた世界とは、時間も空間も隔絶した場所なんですよ」

「そ、そうなんや……」

 いつしかの霖之助とやらからも聞いた言葉だ。しかし、美鈴に心配させるのもなんだか気の毒に思い、まずは落ち着こうと改めて湯呑みを傾けた。

「ちなみに、藤花さんのいた時代は関ケ原からは何年ですか?将軍職はまだ徳川ですか?」

 団子屋の前に、茶の霧による虹が浮かび上がった。

 

   *

 

 美鈴は、買い出しを終えて屋敷へ戻る途中だったという。これ以上付き合わせるわけにもいかないので、里のはずれまで見送る事にした。その間、親切にも里で暮らすのに必要な事柄について、二、三教えてくれた。

団子屋では円が通じたので、一応貨幣経済は回っているらしい。森や山についても教わったが、藤花にしてみれば余計な詮索はせずに、生活基盤を固める事が先決のようだった。

「とりあえず、飯のタネになる事を始めんとなぁ……美鈴はんは何してはるのん?」

「私はですね、湖の方の屋敷で門番を…」

「たしかに」

 藤花は煙草に火を点けながら頷いた。出会ったときにも薄々気づいていたが、格闘技の覚えがあるらしく、それは動く時の体重移動や歩き方にも表れている。藤花もかつて何人かの師範から見よう見まねで習ったが、流石に専門家というまではいかず、用心棒の職を求めるのは諦める事にした。

 聞いてみたところ、住んでいるのは大半が日本人で、元の世界で言うところの外国人は極僅からしい。

人の住む集合体が一つしかない以上、他の人間勢力との争いは起こるまい。となると、スパイは廃業するしかなさそうだ。外国人相手に通訳なら七十六号で学んだ語学と文化の知識が活かせるだろうが、里の外国人が皆して日本語に強くなってしまえば廃業だ。ひとまず、戻って手持ちの道具から使えそうなものを選び出すしかあるまい。

「おおきにな美鈴はん、何かあったらまた話してもええかな?」

「勿論ですよ!」

 美鈴は、屈託のない笑顔で頷く。めっちゃ良い娘や、惚れそう。

 と、どこからともなく郷愁を誘いそうな鐘の音が響いてきた。それに反応して美鈴が飛び上がる。

「でッ、では!今日はもう日も低いので、ごきげんよう!」

「はい、ごきげんよう」

 家路を急ぐ美鈴の背中を見送りながら、藤花は振る手に持った残り短い煙草を見つめ、首をかしげた。

「変わった挨拶やなぁ。……夜型の家族、なんかな」

 

   *

 

 日が落ちると、里の人通りは一気に少なくなった。勝手知らぬ土地で夜で歩く必要もあるまい。藤花はまっすぐ家(?)に戻ると、僅かな明かりで荷物を解き、調べ始めた。

 糧食の類は必要最低限しか持っておらず、明日明後日で尽きるだろう。薬品に関しても同様だが、この里にも医者くらいは居るだろう。日中、美鈴も藤花を卒倒したと思いこんだときはどこかへ運ぼうとしていた。

 となると残りは野戦で使用する装備だ。銃。これはあまり持ち出さない方がいい。里の文化、技術の程度から言って徳川幕府か明治の片田舎といった程度であるし、そんなところで自動小銃なぞが万が一他人の手に渡った時に怪我や争いの元になる。

 ひとまず押入れに油紙で包んで武器、弾薬の類は堅く封印した。気を取り直して背嚢をひっくり返すと、まだ包みが出てくる。よくもまあこんなに詰め込んだものだ。

「ほっ」

 出てきたものを見て、藤花の顔が綻んだ。恐らく宣撫工作用のものだが、煙草や塩だった。そこそこの量がある。ここで通用するかは不明だが、軍票の束と偽中国紙幣もある。

「公社みたいやなあ」

 とりあえず、煙草屋でも始めようかと頷く藤花。最後に取り出した包みを見て絶句する。

 生きて日本の土を踏んだらと託された遺書や遺髪、遺品をまとめた包みだった。今まで会った全員ではないが、度々そういったものを託されてきたのだ。

藤花は静かに泣いた。自存自衛の為、まずは生きなければならなかった。

   *

 

 翌日、藤花は目を覚ますと陸軍毛布を跳ね除けて中庭へ歩み出た。まだヒンヤリとした空気が風に乗って流れると、寝汗に湿気った首筋が心地良い。伸びをしてひとしきり天突きで体をほぐすと、手ぬぐい片手に散歩がてら繰り出し、目当ての井戸を見つけて水汲み中の婦人へ挨拶した。

「どーもー、おはようさんです」

 暮らしの安全は良好な近所づきあいから、そう思い努めてにこやかに会釈したのだが、相手の反応は予想と大いに異なった。

 まず、藤花同様に「どーも」と言いかけたのだがドーで固まり、チラチラとこちらを伺いながら水汲みに戻ったかと思いきや足早に帰って行った。一体何がいけなかったのだろう。もしかして新入りなのに蕎麦を持って来なかったからだろうか。勘弁してほしい。蕎麦屋が何処にあるかか以前に蕎麦があるかどうかすら知らないのだ。

 次にやって来た青年も同じような反応をした段階で、藤花は何かがおかしいと気づいた。もしかしたら自分が知らない文化があって、それに逸脱した行為や装いをしていたのかもしれない。昼にでも団子屋に行って聞いてみようか。

 そう思って水をすくおうと手桶を覗き込み、天を仰ぎ、次に凄い勢いで手桶を覗き込んだ。

「なんじゃこりゃああああああ」

 波が収まった水は止水、それ即ち明鏡に至る。古代より人物を写すとして鏡は特別な意味合いを持たされてきた、と、そんな事は今はどうでもいい。

 水面に映る藤花は、桃色とも藤色ともつかぬ髪色に染まっていた。

 

   *

 

「開けろぉぉぉッ!開けろおおおおぉぉッッ!開けろ開けろおおおおッッッ!」

 数十分後、藤花は先日来た道を駆け足で戻り、香霖堂の戸を乱打していた。

 一部の人物を除き、染めた髪のようなものは基本的に見かけなかった。地域の気候や太陽光によって髪色に個人差が生じる事はあっても、ここまで短期間に、しかも劇的に変わるなんて事は聞いたことが無い。何にしてもここへ来て何かされたのはここで解毒剤とやらを飲まされたのが初だった。

 しかし、それ以上に驚くべき事に、どこからともなく折りたたまれた新聞が飛来し、藤花の後頭部を直撃したのだ。紙とは思えぬ衝撃によって彼女はよろめき、障子を突き破らん勢いで顔を押しつけた。店を早くから開けるつもりだったのか、聞き覚えのある藤花の声に反応して出てきてくれたのかはわからないが、霖之助が出てくる途中だったらしい。中から「うわっ」なんて声が聞こえてくる。

「香霖堂の兄ちゃんいはる!?うわっ、やなくて、ウチも驚天動地の状態なんやけど!」

 戸を開けると霖之助が雑多な店内の物体をまたぎつつこちらへ来るところだった。

「うわっ、じゃないよ。それは新聞だよ」

「新聞くらい知ってます!飛んできた事に驚いてるんですわ!後、この髪の事も聞きとうて!」

 礼と詰問、入り乱れて敬語と語尾の荒くなった言葉もちゃんぽんになりつつ藤花は新聞を霖之助の傍らの小机の上に安置する。

「まあ、それもあるんやけど……礼も言わずに行ってしもうたから、まずはそれを言いたくて」

 頭を下げ、とっておきのフィリッピン葉巻を差し出した。藤花の昭和十年代の基準では、だいたいの成人男性は煙草を嗜んでいた。霖之助は、取りあえずそれを受け取ると良い葉だね、とつぶやいて葉巻の匂いを鼻先で楽しむと新聞の上へ置く。

「ご丁寧にどうも、全部の力になれるかはわからないけど、おそらくここの事はまだ全然知らないんじゃないかな」

 藤花は頷く。

「その節は、ほんまに済みません」

「急に別世界と言われて理解できる人もそうそういないし、仕方がない。何人かに一人は受け入れられなくて森に駆け込んだりするからね、その後は、一度も見かけていないけど……」

 藤花は身震いした。やはり、あの森は何かあるのだ。ならば森を抜ければまた満洲……という想像は抱かないに越した事はない。そうなると、一点の疑問が生じる。

「そこで……ここからそ、その、元居た世界に戻ったって人はいはるんでしょうか」

 藤花の問いに、霖之助は首肯した。その動きで彼女の気が晴れなかったのは、どこか重苦しい表情を察したからである。

 片手の掌を上に向け、人差し指と親指で輪を形作った。

「もしかして……これがかさむとか?」

「それは相手次第だけど……すぐにできるかは聞いてみないと分からないな」

「聞くって、どちらはんに行けばよろしいんでしょ」

「後で教えるけど、これまた何度も通ってきた道で、博麗の巫女に聞いてみない事には、だね」

「はくれい……」



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第二部 人里③

「巫女さん居てはるの、ここ?」

 藤花は目を瞬かせた。そういえば世界は隔絶しているが、里は整然とした景観が形作られているし何かしらの統治機関、規範となるものがなければ人間社会の維持は不可能だろう。

巫女と言っていたが、里で民間信仰めいた道具や儀式を見かけたことも無いということは神社か。内地じゃ猫も杓子も国粋で神祇院の仕事など今更無いと思っていたが、思いのほか頑張っているじゃないか。

「やっぱり、結界とかそういう感じなん?」

「そうそう、まずはそこからだ」

 長くなるけど、と前置きしたうえで霖之助は幻想郷と呼ばれる土地の起こりから現在の形に落ち着くまでの歴史を要約してみせ、神や妖怪、妖精に至るまでが人と共に暮らしている様子から生まれる特殊な社会構造とそれ以外、山に潜む獣の危険についてまで語ってくれた。特務機関仕込みの藤花の聞きかじった知識に基づく質問にも丁寧に答え、逆に明治とそう変わらぬ暮らしをする農民が大半を占める人里に突如現れた都会育ちの藤花の生い立ちに興味を示して逆に質問攻めになる程であった。

戦も終わり、異なる世界へ来たとあっても藤花は頑なに言葉を濁し、拷問を伴わないとあればとことんしらばっくれた。彼女が暮らした内地の様子や社会的関心の高かった出来事については詳細に話し、何とかそちらへ話題を持って行くよう努める。

「そこで、霖之助はん。巫女はんてのは、こう、話の分かるというか、そういう感じなんでっしゃろか」

「うーん、本当にこればかりは向こう次第だなぁ。人によっては頭下げたり物を積んだりして頼み込んでいたようだけど……」

 もしかして超現金な巫女なのだろうか。というか神主はどうした。誰も頑なに神主という言葉を出さないが、もしかして何かあるのか。何か触れてはいけない話題のような気がして、藤花はその事については沈黙を守った。詮索好きな犬はいつか棒で叩かれる。

「うんうん、分かりました。とりあえず喜捨の心で以て接してみよかな……離れるとなっても、しばらく置いてくれた土地の恩もあるしなあ」

 腕を組み、藤花は頷いた。最初の一日に比べたら大分と態度が軟化したので霖之助も落ち着いたのだろう。神社の場所は知っているかと訊ねるので、遠目に見た大鳥居について藤花が言及すると、そこだ、と首肯した。

「おおきに!すぐにとはいかんと思うし、その時はまた挨拶に来まっさ!」

 藤花は明るい笑顔で立ち上がり、相手の返事もそこそこに店を後にした。

 

   *

 

 店を出て十歩、早くも藤花はスキップの姿勢のまま固まっていた。

 帰る術を知っているらしい情報も得た。神社の位置も分かった。が、鳥居も思い切り緑の中に建っていたような気もする。彼女にしてみれば一体の森は全て同じに見えた。

 一時間後、里を離れる藤花は、長い布の包みと肩掛け式の鞄を携えていた。現世とどれほど差があるというのだろう。天頂を過ぎた陽光が柔らかく木立から降り注ぐ獣道を歩きながら彼女は考えた。空には太陽も昇るし月も出ていた。被(ガス)甲(マスク)越しに風が吹き抜ける。そういえばあの時の森に比べると湿度も低いし、妙な幻覚も見ない。空気が安全だからか、それとも吸収缶がしっかり働いているからだろうか。いずれにしてもあの日の苦しみが相当堪えていた彼女は一定時間毎に被甲の気密を確かめ、偽装を解いた小銃を油断なく構えながら斜面を進んだ。誰かに会わなかったのは奇跡と言っていい。鳥居が見えたあたりで殺生の道具を振りかざすのも悪いと思い、慌てて仕舞い込んだ。最後は息苦しさと疲労との戦いだったが、遂に彼女は「博麗神社」の文字を読み取れる位置にまで到達した。

「おぉ、ここが……!」

鳥居の手前で立ち止まり、深呼吸……は意味が無い。

と、藤花はそこで初めて境内の人影に気が付く。

「えぇ、あれは……?」

 相手は呼吸器を保護するものを身に着けていないようなので、ゆっくりと被甲を外してみる。妙な湿気も臭いも無い。ここの空気は安全なようだ。一礼の後、何でも無いような事の幸せを噛み締めた顔で再度、人影の方に向き直る。

 赤い服。最初はそう言った印象だった。目を点にして藤花の方を眺めている。固まっている相手の様子から察するに、掃除か何かの片づけをしていたところのようだ。

 それよりも藤花の気を惹いたのは服装だった。質の悪いゼラチン封入ガラス越しでは良く見えなかったが、袴ではない。というか腋が、わきが出ている。髪をまとめているのも巨大なリボンであり、藤花程の年頃の女性であれを身に付けるものもいまい。しかも腋が見えている。

 あまりにも藤花の表情が大きく変化した為か、相手の少女があからさまに警戒している。いけない、これから神頼みというか、頼みごとをしに来ているというのに関係者の機嫌を損ねては今後に差支えてしまう。少女が口を開こうとした刹那、藤花は包みを背負い直し、被甲を仕舞い込んで足早に社殿のへ向かった。

 取り出したのは山ほどの軍票。

 背後で箒か何かを取り落す音が聞こえた。きっと金持ちに見えたことだろう。軍票の価値は大日本帝国が保証する、が、果たして幻想郷でそれが通じるかは未知数だ。しかも団子屋では、数日前から大量に見かけるようになり、額面通りの価値はもう無いと言われた代物だ。腹立たしさから屋根からばら撒こうとしたが思い直して止めたのが昨晩。

「無事、帰られますよう……」

 数枚引っ掴んで賽銭箱へ入れる。そして二拍。

「…………」

 周囲は無音だ。少女は機嫌を直さなかったのだろうか。もしかしたら足りないのかもしれない。しかし、巫女とやらはどこにいるのか……。

「これは、大江大尉どのの分……」

 もう一掴み放り込む。

「これは、関曹長の分……」

「…………ッ」

 息をのむ音が聞こえた。景気づけにもう少し。

「これは……荒木はんの分………これは、大久保はんの分……これは、左文字少尉どのの分……」

後半はそもそも死んでない人間も含まれていたが、言われて出すより初めから大目に見せておいた方が受けは良い事を、長年の宣撫工作で心得ていた。

何気ない様子でチラと後ろを伺うと、少女の瞳が一瞬、航空兵の動体視力試験めいて通貨記号が渦巻いているように見えたが、すぐに顔を振ってこちらにおずおずと近づいてきた。早い所、巫女さんとやらの元へ案内してもらおう。

「あんた……何者?」

 思いのほか友好的ではない反応で思わず足元が滑りそうになった。まったくここの巫女は教育がなっていない、と思いつつも表面上笑顔を取り繕う。

「あ、あのな…あのですね、実は、古道具屋のにいさんの紹介で、巫女はんにお会いしたくて来たんですけど……お話しできます?」

「あ?私に?」

 今度は、藤花の目が点になった。

   *

 

 藤花は、目の前の謎めいた装束の少女をまじまじと見つめた。

 年は高めに見積もっても、藤花よりも少し低い位か。警戒しているせいか目つきはやや鋭く、何がそうさせたのか目の下に隈まで作っていた。

 巫女と言い張るには昭和モダン期を過ごした藤花でさえ見慣れぬ恰好ではあったが、霖之助も変人がいる等とは一言も言っていなかった。そうは言っても狩衣めいた袖括りの意匠は和装の趣を添えるには十分であったし、この土地で信仰やその周辺環境も独自に発展する事もあるだろう。あまり変な顔をするのも好印象とは言えなさそうなので、努めて平静を装う。

「えーと…あんたが巫女はん?」

「他に誰がいるのよ」

 お言葉ではあったが他に人も見当たらない。この時間帯まで一人でせっせと手入れをしていると思えば、広さや里から離れている立地でもこの状態が維持されている事は何となく納得できた。藤花は、ひとまず目の前の少女が話に聞いていた博麗の巫女であると結論付ける。片手で残りの軍票を全部賽銭箱に放り込み、一連の作業を終えると改めて一礼した。

「突然で申し訳ないんやけど……」

「ま、まあ、ここじゃなんだから、お御籤でも引いてく?」

「おおきに!」

 そう言って少女は奥を指さした。先程の喜捨の心得が通じたのだろうか。名も知れない人里の群集の一人に過ぎない藤花は知る由も無かったが、ある種の奇跡だった。金の力と言い換えても良かったが、後日賽銭箱を検めた巫女はどういう顔をするだろうか。

 と言ってもどこか私室や荘厳な間まで上げてもらう訳ではなく、あくまで外陣に入れっぱなしのお茶が一杯出てくるのみである。当然、藤花はそれが奇跡に近い一杯と知る由も無く「おかまいなく」の一言で受け流した。

 そこでようやく藤花は巫女の名を知った。そして、霊夢と名乗った巫女がやはりこの神社を管理している事、遠回しな表現で推し図るしかなかったが、彼女が少なからずこの幻想郷の存続に関わっているらしい事も知る。

 無論これ幸いとばかりに態度を豹変させる事も無く、引き続き霊夢の緊張をほぐす為に、何気ない会話は続ける。それも一方的にしゃべるのでもなく、相手が一言二言返せるよう話題を選べば、自然とやりとりが続き打ち解けたように錯覚させられる事を藤花は心得ていた。

「それじゃあ、貴女外来人だったわけね」

「そう呼ばれとるみたいやね」

「もしかして」

 霊夢の手が、湯呑みを持ち上げかけて止まった。本題に入る。

「さっきのは、元居た世界に返してっていう御願い?」

緊張した面持ちで、藤花が頷く。

「そうなんです」

「あー、残念だけど応えられないわ」

「なして!?」

藤花の目が見開かれた。完全に今いける雰囲気やったやん、と口には出すまい。あの霊夢が若干申し訳なさそうにしているところを見ると、藤花の大量お賽銭作戦は成功していたようだ。

「近頃多いのよね。キリが無いの」

「ま、前がつっかえてるって事……?」

「そんなとこね」

 上手い事を言う、とばかりに笑顔になった霊夢に内心ムッとする藤花だったが、よくよく訳を聞いてみる。

「外来人異変というやつね、いい年した爺さん婆さんから生意気な子供まで続々と。皆がみんな帰りたいっていうわけではないけど」

「そうなんや……」

「一人送り返すうちに里に四人五人と増えてるの。たまったもんじゃ……ていう話をするのもこれで何回目かしらって感じ」

 そもそも送り返すという行為を明細に知る事のない藤花にこれ以上の陳情は不可能だった。もう少し度胸があれば包みを解き、小銃を突き付けて今すぐにでもやれと脅す事も出来たかもしれない。しかし妖怪の類が日常に存在する幻想郷で一人生活する霊夢がどれほどの人物かも知らないし、それが彼女を慎重にさせた。後日その判断が正しかったと知る事になるだろう。

「……分かりました」

「飲み込みが早いのね。まあ、そっちの方が助かるのだけど」

「…………………」

 突然の来訪を詫び、藤花はすっくと立ち上がった。包みを携え、静かに社殿を後にする。

 神社を出る時、霊夢が何か言っていたような気がしたが、藤花は鮮やかな紅を帯び始めた空にそびえる鳥居の影の下で一礼すると、石段を下って行った。

 この石段からは、麓の風景が良く見える。家々では夕食の支度が始まっているらしく、所々から煙が白っぽい筋となって立ち昇っていた。

「ええとこではあるけど……」

 妖怪たちを存続させるための信仰を蓄積させる場所、そのように理解していた。人口と面積はジリ貧すれすれの境界で均衡がとられているらしく、大半が農民としてせっせと働き、生活している。幕政下や現代日本と異なるのは租税の類が無い事くらいだろうか。

しかし、藤花の心情は「帰りたい」の一言に尽きた。その理由は、家の押入れ、火器の類と分けられ堅く封印されたもう一つの包みにある。眠りに落ちた彼女の寝顔は安らかとは言えない。託された遺品や遺髪。情報員の仕事から非正規戦の手伝いをさせられるようになってから、死にゆく者たちの顔を幾人も見てきた。皆、たとえ戦塵に塗れ異国の地で朽ち果てる運命だとしても、生きた証の欠片だけでも帰ることが出来れば、と彼女の小さな背中に思いを託したのだった。

藤花自身は帰っても家族は既に亡く、戦死者の意思に突き動かされる様はある意味空っぽの器と言えた。そんな彼女が絶望を覚えれば、こんな里に魅入られるのもある意味道理と言える。しかし、彼らを日本に帰って下ろしてやらぬ限り、どこかへ消え去ってしまう事は彼女自身が許せなかった。

藤花は、いつしか立ち止まり夕暮れの夏風の吹き抜ける坂道で苦々しい顔つきのまま景色を見下ろしている自分に気づいた。

 



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第二部 人里④

 翌日から、藤花の職探しが始まった。

情報員時代に貯め込んだ貯蓄は敵の進駐までに遊び倒して使い果たすつもりで腹に括り付けていた為、当面の生活費は何とかなると思われたが、どうやら貨幣価値がとんでもない時代に合わせられているらしく、初任給が数十円という感覚の藤花にとって食事に数百円かかると知った時は目玉が飛び出した。

 幸い、外来人向けに畑を割り当てられたので朝早く起き出しては畑に向かう日々。昼に路傍の石に腰かけて煙草を吸っていれば、隣の農夫が握り飯を分けてくれたりしてそれなりの近所付き合いも構築できる。食い扶持を維持しなければ壁を舐める生活もやむなしと覚悟していたが……。

「やっぱ、ウチ農家向いてへん……!」

 諦めは早かった。軍と密接な関係がありながら買収されないようにと保障されていた、豊かさと自由な生活に味をしめた彼女に規則的な生活は合わないらしい。

大半の人間が、まず自分の食い扶持を確保するために農業か畜産業に就く幻想郷社会の中で、運良く藤花はその例外に入ることが出来た。

酪農家で終日バター製造機を回し続けるという、農業より彼女向きではなさそうな仕事を終えて帰宅した際、ある部屋の隅に覚えのない煙草が落ちていた。拾い上げて首を傾げた翌日、もう一度覗くとまた落ちている。銘柄はまちまちで、大半が知らないものだったが文字通り降って沸いた煙草の入手経路の確保により、彼女は就職ではなく起業するに至った。

思えば、外界から流入する物資を拾い集めて生活する者も少なからずいた。古道具なら香霖堂へ持ち込んでも良かったが、里の並びに彼女の興味を引く屋号があった。

「すず…な?」

趣のある書体で「鈴奈庵」と書かれた看板を見上げる藤花の横を、店から飛び出してきた子供の群れが駆け抜けていく。会話の様子から、紙芝居か読み聞かせでもしているのだろうか。店頭を覗く限り、貸本業が主なようだが、児童文学から藤花も興味をそそりそうな技術関係の専門書、果ては見たことのない禍々しい本が片隅にちらりと見えていたり、所々怪しい。

だが、奥に腰かけているのは、外したばかりの眼鏡を拭いている艶やかな彩りに身を包んだ少女である。藤花と目が合うと、ぺこりとお辞儀して戸口へ駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませー!」

 元気な子だ。人懐こそうな顔と派手すぎない柄の服でいかにも柔和な雰囲気を漂わせている。

「おおきに、もうかっとる?」

「え、ええまあ…」

 少女の背後から微かに音楽が漏れ出でていた。鳴きつる方を見れば、勘定台の側にアサガオの喇叭も輝かしい蓄音器が一台。

「あー、文明の香りや……」

蓄音器で音楽鑑賞など幻想郷へ来て以来、いや、戦地でも長らく御目にかかっていない。何やら嬉しそうに目を細める藤花を前に、少女が首を傾げる。

「多分、初めましてですよね」

「せやね、ウチはこないだ森に出てきたばっかりで。…藤花って言います。よろしゅうね」

「小鈴って言います。本居小鈴。よろしくおねがいします!」

「成程、文字通り看板娘ってわけやね……」

「ささ、どーぞゆっくり見てって下さい」

 小鈴はにこやかに藤花を迎え入れる。藤花も思わず物珍しさから店内へ足を踏み入れた。

 珍しい事に、内装は彼女の想像していたものとさほど変わりは無かった。現状自由に使える資金の少ない彼女だが、本棚の一つに貼られた小さな紙に視線が注がれる。

 古書買取承ります。

「む……」

「どうかしました?」

 台の向こうで本を開いていた小鈴が顔を上げた。

「そういえば、良ければ引き取ってもらいたい本があるんやけど」

「どんなでしょう!」

 読書の間だけかけているらしい眼鏡を指で直しつつキリリとした顔つきになる。小さな店構えの割に所狭しと並ぶ本といい、里の人々というより店側も活字に飢えているのかもしれない。

「あの、これ……」

 藤花が雑嚢から取り出したのは掌大の冊子の山である。ひらがなは殆ど使用されておらず、見るものの購買意欲を掻き立てそうな天然色の装丁でもなかった。

「ちょっと専門的すぎるかもやけど……」

「あぁ、これですか」

「へ?」

 藤花の眉が片側だけ下がって困惑を形作る。よほどの軍事愛好家なのだろうか。

「近頃、この手の本を欲しがるお客さんがいて、覚えてたんですよ」

「あぁ、それで……」

 ちょっと安心した。こんな年端もいかない少女の間で歩兵対空行動が流行中なんて聞いたら、少女倶楽部の編集者が腰を抜かすだろう。

 一方で、軍の作成した冊子を集中的に買い求める客という存在が気になった。いつ出ていけるとも知れない幻想郷で、起こるかどうかも分からない戦争に備えるのも妙である。気付けば、少し考えると言って売却は諦める事にした。

「その、こういうの買いに来るのんって、やっぱりウチみたいな人なん?」

「うーん、狐の子だったりするんですけど、どうも誰かのおつかいみたいなんですよね」

 ますます謎めいてきた。狐の子供が貸本屋に遊びに来るのもそうだが、わざわざ代わりを立てて軍事関連の、それも雑誌でもない作戦指導用の冊子を買い集めるのは蒐集家でもするまい。

「…………足の悪い、蒐集家かな?」

 不思議そうな顔をする小鈴をすっとぼけてかわしつつ、その日は鈴奈庵を後にした。

帰路につく藤花の目は、博麗神社の帰りの石段で里を見つめていた時と同じだった。

   *

 

藤花が夕暮れの通りを歩き切り、今のねぐら、二笑亭の前で足を止めた。通りに面した玄関は半分をこじんまりとした煙草屋に改装中であり、引き戸を半分潰して無理やり店舗を収めた。今のところ、店であることを示す標識は張り紙による「煙草屋開店豫定」というものだけなので、そのうち看板も作る予定だ。どうやら建築技術にも一定の制限が加えられているらしく、人里どこを見ても全体ベトンで固めた鉄筋ビルヂングなど見当たらない。まるで聖書の逸話のようだ、と内心苦笑しながら見聞を取り止め、懐から煙草を取り出し燐寸を擦った。

大工連中も、円紙幣と煙草で快く工事を引き受けてくれた。あとは経営が軌道に乗れば。

「……やろか」

 霊夢の助力が望めない以上、藤花は無謀とも思える考えを巡らせていた。

 独力での脱出。

 日中、鈴奈庵で耳にした軍事書籍の大量購入もそうだが、近頃の幻想郷はどこかきな臭いらしい。山の天狗が軍備を近代化させ、これまでほとんど見られなかった銃器の氾濫がそれに拍車をかけた。何やら河童が武器弾薬に興味を示し、幻想郷での戦闘に特化した改良を施したのがきっかけだと小鈴は語っていた。すかさず全身緑で嘴を備え、甲羅を背負って頭に皿を載せた小柄な妖怪を想像したが、小鈴の談では皿ではなく作業帽を被り、甲羅ではなく巨大な背嚢を背負いからくりに通じているらしい。それってただの職工ちゃうんと聞いたが、実際珍妙な道具を試作してはどこかで使用してみたり、資金調達の為に市に出てきたりしているらしい。

「……やっぱ胡瓜やんな」

 藤花は、唇を焼かんばかりに短くなった煙草を捨て、家に駆けこんだ。

 胡瓜に関しては調達は容易だった。栽培している農家はいくらでもあったし、こちとら元は忍び込むのが専門である。農家の警戒など、七十六号の試験に比べたら可愛いものだ。

「幼稚園の、お遊戯やないねんから……」

 夜半の畑の真ん中でゆっくりと身を起こすと、手元を動かしやすいよう擬装網を緩め鋏を取り出す。手に持ったそれを一回転させて決めてみる。

「照れちゃうぜ……」

 いや、照れている場合ではない。手早く仕事を終えると、陽動に放っておいた野兎が農家の連中を騒がせている間に退散した。

 翌日から早くも野菜泥棒が人里中で話題となった。胡瓜を重点で盗むとさすがに河童の関与が疑われ報復を受けかねないし、頻繁に里を離れる彼女が捜査線上に浮かぶ恐れもあった為、他の野菜もまんべんなく収穫し、そちらの戦果は藤花の食卓に彩りを添えた。

 ある日などは"仕事"中に突然空が光ったかと思うと翌朝の新聞に「怪異!野菜泥棒の正体見たり!」と写真が掲載されたりした。しかし、帝国陸軍仕込みの身体擬装を施した藤花の全身は写っておらず、毛むくじゃらの何かが畑に現れては食っていくという内容にされていて、しかも"いえてぃ"という謎の名前まで付けられている。顔も知らない"いえてぃ"氏が罪をかぶる事を胸中で詫びながら、河童の工業力に依存する作戦方針は放棄せざるを得なかった。

 新聞は明らかに妖怪の手によって発行されていたし、擬装網は人目を騙すことは出来ても体温や匂いまでは誤魔化せない。仮に妖怪が生気を察知するなどしていたら対策の施しようがなかった。

「も、もうちょっと勉強しよ」

 一人で考えても頭が煮えてしまいそうだ。何より、郷に長く住む人物とつながりを構築しておきながらそれを利用しない手は無い。兎角、森での体験が心の痛手となっていた彼女にとって妖怪の研究が後手に回るのは致し方ない。明日から開店準備と里の見物に集中しようと頷き、その夜は床についた。

 

   *

 

翌日、店構えは不十分ながらも藤花の「高黍屋」は開店した。屋号は満洲を懐かしんで高粱にでもしようかと思ったが直球過ぎるので和名である。煙草なので「ほまれ」あたりにしようかという案もあったが、同名の店が既にあるらしく、そちらも諦めた。

店を開けてすぐ一人目の客が現れた。看板も用意できていない店だが、誰かの買う姿を見て一人、二人と店を覗いていくのでチラシも撒いていなかった藤花としては大助かりである。

消耗の速い割にまとまった数が入手しづらく、また被服に供する商品作物以外の栽培をほとんど行っていない幻想郷での煙草需要は意外とあった。団子屋の店先で一口のキセルを分け合って吸う様子を見かける事もあった。聞けば幻想郷で一番煙草需要のある天狗は自家生産で完全に賄っており、コネのある人間はどこからか調達してくるらしいが大っぴらに天狗が人里に卸してくれる事がまずないとの事。

藤花の方でもそれは苦労しており、割り当てられた畑を全て煙草用に切り替えても在庫を補完する手製煙草の生産が追い付かないのだ。刻み煙草は袋に入れて数百円で販売できるのだが、一方の紙巻き煙草に使う巻紙が圧倒的に足りなかった。おかげで流入煙草(藤花が勝手に命名した外界製煙草)は千円越えが珍しくなくなってしまった。ただ、藤花ですら馴染の薄い吸口(包装にはフィルターと書かれていた)付きの煙草は里の人間にも高級そうに見えるらしく、洋装の金持ちそうな客はそちらを買い求めた。

 

   *

 

 午後、藤花が買い置きしていた団子をぱくついていると、往来に再び見知った顔を見かけた。

「めーりんはん!」

「あら、お久しぶりです!」

 味噌か何かだろうか、巨大な樽を担いだまま笑顔で駆け寄ってきたのは美鈴だ。あれを担いで湖の方まで帰るというのだから、日ごろの鍛錬はどれほどのものか。

「お知り合いですか」

樽の陰になっていて見えなかったが、お連れの方がいたらしい。流し見が似つかわしそうな切れ長の目が、藤花を見つめていた。

「別嬪さんやなあ、めーりんはんのお友達?」

「あッ、いえ、なんというか、上司というか」

「紅魔館で従者の長を仰せつかっております、十六夜咲夜と申します」

 濃紺の女給服に透き通るような銀髪と、見た目に違わずどこか冷たさを感じる声だ。若干気圧されながらも、藤花はドーモ、と挨拶を返す。樽の陰でよく見えなかったが、その種のカフェーを思わせる丈の短いスカートから生えた脚が艶めかしい。しかし、その裏に隠された何かを藤花は察した。美鈴の格闘技といい、屋敷とは何物なのか。

「もしや、こちらの門番が何か粗相を……」

「いや!いや!」

 細見でありながら大した気圧であった。よくよく見れば藤花より年下に見えるというのに、あの美鈴がぎょっとして振り返り、藤花も彼女の為に慌てて訂正せざるを得ない。

「ウチあの、いわゆる外来人なんやけど、行き倒れかけたのを美鈴はんに助けてもろうて、御礼もせなあかんなと思うとった次第で…」

「なんと」

 咲夜の目が瞬いた。横で照れくさそうにしている美鈴をチラと見、小さくため息をついた。

「悪かったわね、今度おかずおまけするから許してちょうだい」

「やったーッ」

 どうやら帰りが遅いと小言の一つでも飛ばしたのかもしれない。屋敷の得体の知れなさに比べて、彼女らの関係は至って普通の友好的なもののように見えた。

「美鈴はん、今日も買い出しか何か?」

「はいー、お嬢様が縁日に遊びに行きたいとおっしゃってるので、今のうちにと」

 お嬢様!洋風の女給を従えている屋敷の事だ、バイオリニストみたいなモダンな雰囲気なのだろうか。古風な街並みと見慣れぬ道具に溢れた幻想郷にあって、鈴奈庵に次ぐ数少ない藤花が共感できる題材を見つけた事を軽く感動しつつ煙草に火を点ける。

「縁日か……」

「そろそろその季節ですよね!藤花さんは来て初めてじゃないですか?」

「せやね!」

 表向きは明るく頷いてみせたが、天を仰ぐ彼女の眼はどこか覇気が無い。こちらでは縁日でにぎわっている、すなわち本土ではもう秋口なのだ!鈴奈庵あたりを訪ねれば、その後の日本について知ることは出来るだろう。しかし戦友たちの遺志と生きた証をこの手で見止めなければ、彼女の戦争は終らない。今でも夢に見る。

 乾坤純和の奇跡とも言うべき幻想郷において、彼女は聾桟敷に置かれているも同然だった。生活基盤が整った今、行動を起こすしかない。

「なあ、美鈴はん、ウチもその縁日、ついてってもええ?」

 



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第二部 人里⑤

 一旦屋敷へ戻るという咲夜と美鈴を見送り、藤花も早々に店じまいの支度を始めた。来年からは事業拡大と宣伝も兼ねて出張販売と行くか、と意気込んで店を閉じて、ふと考える。果たして来年の同じ時、自分はまだここにいるだろうか。

 玄関を閉め、そのままの格好で表へ出ると、何となく人通りに法則性があった。その寺とやらは人里においてもそれなりの求心力を持っているらしい。藤花は人波に乗ることなく別の方角へ歩みを進め、同じく店じまい中と思われる鈴奈庵を覗き込んでいた。

「小鈴ちゃんおるー?」

「藤花さんいらっしゃい、出来てますよ!」

「おおきに!ごめんな、一番安いのでお願いしちゃって」

 照れくさそうに頭をかき、藤花は勘定台に置かれた紙の束を見やった。

今度から行きつけの商店や酒屋に置いてもらおうと考えている煙草屋のチラシであった。何だかんだ言っても、活動資金を出してくれる後ろ盾がない以上、ある程度は稼がなければならない。「新製吸口付、舶来製続々入荷」や「戸外ひる寝にこの一服」などなど景気の良い文句が散りばめられたそれを小脇に抱えつつ、紙幣と本を小鈴へ手渡す。ついでにキャラメルも一粒。

「ほんなら、また本借りに来るわな」

「はーい。あっ、そうだ、藤花さんもこれから命蓮寺ですか?」

「みょう…ああ、ウチも後で顔出す予定やけど、小鈴ちゃんも来るん?」

「ええ、ここいらのお店は皆さん早じまいして出店の準備してましたねー」

 小鈴も表に出しているものを片付けつつ、出かける準備のようだ。そういえば、そのうち美鈴たちも戻ってくるだろう。屋敷がどれほどの距離なのか知らないが、待たせるのはよろしくない。

「ええなあ、ほなら、あとで」

「はい!お疲れ様です」

 

   *

 

 日も落ち、人通りは普段よりぐっと少なくなっていた。カラスも祭りの夜は町中に用は無いと見えて、夕暮れの空に浮かぶ影は見当たらない。

「あら」

 店の前に、人影ひとつ。よくよく見ると、壁にもたれて所在なさげに足をぶらつかせている美鈴だった。

「やばっ!」

 束ねたチラシを抱えなおし、慌てて駆け出す。さっきの女給さんがいないが、もしかして先に向かってしまったのだろうか。

「めーりんはーん!」

「お」

 藤花の呼びかけに気付いた彼女がこちらへ振り返り、その顔がぱっと明るくなった。嫌な顔一つせずに待っていてくれた事に感謝しつつ、不要なものは玄関先へ放り込み早速出発である。

「ほんまに申し訳ない!」

「いいんですよ!お仕事お疲れ様です」

 先程までの味噌樽の重量が減ったせいか、心なしか美鈴の足取りが軽い。藤花も相手の遅れを埋め合わせたいと無意識のうちに歩みが早まる。

「美鈴はん、門番やって聞いてたけど大変やない?見たところすごい鍛えてるように見えるけど」

「ええ、まあ、体力勝負ですから!」

 にっこりと笑ってみせるが体力というなら新聞配達や大工もそうである。しかし美鈴を見ていると、それとは違う何かを感じざるを得ない。わざわざ番人が必要な屋敷というのだから、賊か何かがしょっちゅう現れるのだろうか。

 いつの間にやら駆け足になった二人を、子供舘が競争だーと叫んで追い抜いて行く。

「そ、そういえば」

「はいなんでしょう!」

「美鈴はん、屋台で好きなものって何!?」

「そうですねえ、ここ最近、チョコバナナっていうものが出てるんですよ!美味しいですよ」

「チョコとバナナかぁ……ここやと何処で採れるんやろ……じゃ、先に着いた方がそれオゴリな!」

「おっ、負けませんよー!」

「速っ」

 駆け足が気づけば徒競走になり、御詫びに奢ればいいものを、そこはドケチな土性骨、勝った方がタダという虫のいい条件を出したのも束の間、美鈴の背中が見る見るうちに小さくなっていく。

「てか、寺どっち!?」

 出不精が災いして命蓮寺への道を知らずに競争を提案した我が身を呪った。結局、美鈴が折り返して迎えに来てくれるまで町内をさ迷い歩く羽目になったという。

「やっぱり、煙草やめよかな……」

   *

 

 人々の履物が立てるパタパタと小気味よい足音と喧騒、道の両脇から漂う匂いは少し湿った地面に投げかけられる暖色の明かりと相まって何とも雅である。

「んー、クニを思い出すなァ……」

 感慨深げに腕組みしつつ人ごみを進む藤花の横で、美鈴が新商品チョコバナナを頬張っている。カカオとかバナナとかどこから収穫しているのか大変に気になるが、それゆえに競合他社の存在しない独占事業として成り立つのだろう。存外に腹に貯まるバナナに、鈍い輝きを放つ魅惑の甘味であるチョコをたっぷりとかけたそれを、美鈴は惜しげもなく齧り付いていく。

「うぅぅ……うまい!」テーレッテレー

 かわいいなこの子。

 素朴な感想を抱きつつ、夕食を摂っていない事から来る軽い体調不良や腹部に生じる空虚な感覚、すなわち空腹をどう始末するかについて藤花も考え始めていた。

「そういえば、美鈴はんは咲夜はんとこ戻らなくてええのん?」

「お嬢様たちが型抜きに夢中らしくて、しばらく動かないみたいなんですよ」

「なるほどなあ」

 と、そこへ金属に何かの弾ける小気味よい音が響いた。思わず身構える藤花と対照的に「おや」と音のした方を見やる美鈴。そちらには、周囲の屋台とは字体や雰囲気が明らかに浮いている一角があった。

『飯綱銃砲火薬店』とだけある。詳細は張り紙で見られるようだ。

「何やろ、あれ……」

「あそこですか、里にできた銃砲店みたいです」

「じゅ、え?何、テッポウ売ってんの」

 藤花が目の前の現実ではなく、美鈴の言葉へ振り返る。

「け、境内で殺生の道具売ってんの……?」

「いえ、今日は違うようですね」

 しかし、出し物は極限まで戯画化された射的のようだった。丁度上手い具合に的を射ぬいた少年に、ぬいぐるみ等が手渡されている。しかし、張り紙の一角に気になる文言があった。子供と大人の景品が異なるようだ。

“大人 当店割引券ほか豪華景品進呈 ”

「割引券か……」

 藤花は、ここ数週間練りに練っている腹案について思い返していた。

 

   *

 

 彼女は、独自の方法で幻想郷からの脱出を計画していた。ここでの生活に慣れるほど、人々に愛着を抱くほど過去の亡霊は彼女に付きまとった。確実に精神を削ってゆく彼ら/彼女らの顔を振り払う為にも、一度通り抜けた壁(少なくとも彼女はそう理解していた)を再び突き破ろうというのだ。飛び出す先が日本か満洲かは分からない。しかし同じ世界へ戻らない事には。

 二笑亭の部屋の一つを計画用の一室と位置づけ、来客の類は決してそこへは通さなかった。武器弾薬は油紙に包んで保管し、作戦計画は怯むことなく一から考えた。

 しかし、それもすぐに行き詰まる。原因が何かは分からないが、作戦計画書に大量の虫食いが発生し、使い物にならなくなるのだ。紙を替えても結果は同じく、薬を焚いても変わらないのには彼女も参ってしまった。

他の本や煙草の包み紙は無事だったので、これも人里を遠巻きに支配管理する妖怪の仕業かと頭を抱え、現在に至る。

 

   *

 

「さっきは負けたけど、こっちなら負けへんかなーと、思ったり、思わなかったり……」

「なんですって、いいでしょう!受けて立ちますよ!」

 なんだか騙しているようで申し訳なさもあったが、競技そのものには美鈴も興味を示してくれたので早速代金を払い、銃を手に取る。

「んー?」

 コルク式なら藤花も覚えがあったが、どうやら空気銃らしい。美鈴は里でも有名なのか早速男たちが群がって構えから操作まで手取り足取り教えをうけていたが、藤花はというととんと気配がない。

「神様仏様有坂様……どーか当たりますよーに……ッ!」

 ままよ大胆、どうせ形は慣れ親しんだ槓桿式(ボルトアクション)である。ガシャガシャと勝手に操作して立射、目標敵散兵、距離……五メートルもない。標的は米国西部開拓時代のならず者を象った紙だ。

寒夜に霜が下りるが如く。

「いけッ」

 結果、藤花の思惑は外れ、彼女の小銃の成績の悪さがあだとなったのか、あれこれと指南を受けた美鈴の呑み込みが早かったのか同点であった。

「おかしい……」

 肩を落とす藤花の横で、美鈴ははしゃいでいる。

「すごい!本日の新記録だって!景品はブドウ酒か割引券だそうですよ」

 成績はともかく、狙いだった割引券には届いたらしい。まあいいかとため息ひとつ、景品を受取りに行く。

「美鈴、こんなところにいたの」

 二人を呼び止めたのは咲夜であった。用事をほっぽり出した形になってしまったが、そもそもが藤花の誘いであったので、美鈴の方はさほど怒られはしないようだ。が、これから帰るところらしい。

「ではでは、まだ日も低いですが、ごきげんよう」

「はい、ごきげんよう」

 しかし、変わった挨拶だ。

「夜型の、お嬢様……?」

 首を傾げたとき、一際高く彼女の腹が鳴った。

「とりあえず……何か食べよう…高いかき氷か、まずい焼きそばか……」

 

   *

 

 今夜の縁日も佳境というところで、屋台と雰囲気を異にする一角を見つけた。射的の時とは違って、いかにも役所的な天幕がある。どうやら里の自治組織か何かと、企業の出展らしい。

「新聞……そういえば新聞取ろうかなあ」

 あのような街並みだが印刷業はそこそこ栄えているのだろうか。あれって結構技術が要るらしいが。

そして。

「え、けいぼ、う、だん……?なに、警防団あんの、ここ」

 藤花の見る先には、確かに「人里警防団 準備室」と掲げられていた。

   *

 

 時間にして三十秒程、藤花は看板の前で考え込んでいた。

「警防団までこんなとこに流入してるん……?」

この地の特性を考えると、警防団という組織そのものが現世で不要とされたか、忘れ去られていると考えるしかあるまい。それはすなわち、日本の民間組織に至るまで変革が要求されたという事だろう。米軍は本州へ上陸しただろうか。ソ連は満洲、樺太へ侵攻してきた。どこまで行った?朝鮮?北海道?彼女の首筋を、冷たいものが流れる。

「そこのお姉さん!」

「はい」

 すかさず振り返る。おそらくおばさんと言われていたら微動だにしなかっただろう。

「今しがた、新聞の購読、考えていましたね!?」

「エッ、ああ……そういえば」

 そうだ、現世であっても一つの駒に過ぎなかった彼女が大局を憂いても事態は好転しない。

 と、眼前に紙片が突き出された。購読を勧めるチラシのようだ。大きな字で文句が謳われている。

「目に見えて ズンと効く! 溌剌とした農工、お子達の教育に まずは文々。新聞を購読せられよ」

 そういえば、と藤花は一人思い出していた。河童へ持参しようと野菜を失敬して回った時、「いえてぃ」と名付けて報道していたのがこの新聞だ。霖之助の家で彼女の後頭部を直撃したのも……。

「せやね……お願いしようかしら。えーと」

「あや、申し遅れました!わたくし本日こちらで文々。新聞の広報に出展させて頂いております射命丸 文と申します。ささ、こちらにご記入どうぞ」

 お辞儀し名刺を出し藤花を案内し坐らせて申込用紙と万年筆を素早く取り出す。物凄い勢いで案内され、契約内容もよく分からないままに署名してしまった。まあ煙草屋の経営もこのところ順調だし新聞くらい自前で取っておいて損は無い。

「射命丸はん、新聞やねんけど」

「何でしょうか?」

「ここ一年分くらい、縮刷版とかあったりします……?」

「うーん、探してみますよ。よければこっちの最新の号外も持ってって下さいね」

 文の差し出した号外には「人里 警防団創設」の文字が躍っている。周囲には「対妖怪戦力となるか」や、「里長私兵との批判も」といった話題を盛り立てるというか、けしかけるような切り口はこの新聞の特色なのだろうか。いずれにせよ、ここの警防団の情報なら何でも欲しい。

「おおきに!そいえばおたく……」

 気付いてはいたが、気にしてはいなかった。相対しているこの文という少女の、襦袢姿かと思えばよくよく見ると背に生えたるは一対の翼。小ぶりな帽子かと思いきや、頭頂のそれは頭襟にしか見えない。いかん、目が合った。完全に翼をガン見していると気づかれている。ちょっと背中を見せて動かして見せるんじゃない。ちょっとかわいい…。いや、結構かわいいかもしれない。えーと、えーと。

「速いの?」

 自分で何を言っているんだという気になってきた。

「勿論!執筆も配達もちょっぱやです!」

 鼻高々というか、文字通り天狗だった。配達も、という事は香霖堂で後頭部に直撃してきたのは彼女が投擲したからだろうか。後々病気になったりしないか心配だ。

「情報はスピードですから!藤花さんといえば確か近頃話題の煙草屋さんですよね、今度人里の若き実業家たちってことで特集を組むので取材させて下さいね!」

「エッ、ああ……ウン」

手元の号外と、文の顔とを見比べる。今後の目的の関係上、あまり目立つことはしたくなかったのだが……。

 取りもあえず文の元を離れ、警防団準備室と書かれた天幕を覗き込んでみた。公的な出店とは言えここも祭り気分のようで、おじさん連中が麦茶などを片手に談笑に興じていた。

「あら、藤花さん」

 ひょっこりと顔を出したのは小鈴だ。手伝いか何かだろうか。

「藤花さんも警防団に?」

「えーと……まあそんなとこやね。ほら、ウチの商いって火種扱うてるようなもんやし」

「そうでしたか…」

 それほどの覚悟を決めてきたわけでは無かったが、何となく加盟の意思を表明してしまった。それに対して、何故だか小鈴の顔は明るくない。それを見て藤花は首を傾げる。

「ウチ、何か悪い事言うてしもうたかな……」

「い、いえいえ!藤花さんじゃないんです。…これを見て下さい」

 小鈴に引かれるまま、すれ違う顔見知り達に挨拶しながら奥に掲げられた一枚の板の前に立つと、何となく事情は察せられた。

「思ったより盛況やね」

 人里警防団は、里の東西と周辺地域にそれぞれ分団が配置される予定らしい。いざというときの対応時間が短くて済み、かつ知り合いでまとまって加入するせいか里の内部は募集人員を殆ど達成しているようだった。

「お給料が出るとかお酒が出るとかいろんな噂が飛び交ったりして、若い人も結構参加する予定みたいなんです」

小鈴との会話に集中しながらも、かつての職業柄、あちこちに散らばる文字情報の収集と解析を藤花は怠っていなかった。天幕の片隅ではおじさん方がまだ何やら協議中であり、今は各分団で使用する消防車両、消防機材の調達をどうするか話し合っているようだ。そんな彼らの手元の書類に、当面の課題が書き出されており「銃器犯罪への対処、捜査」が連なっているのを見逃さなかった。

「銃火器、か……」

 おおよそ出所は例の鉄砲屋だろうが、法律がない以上廃業しろとも言えないのだろう。一方で各家庭に武装させようものなら暴動ひとつでこんな規模の集落は一瞬で灰と化すだろう。戦争するには、里は狭すぎる。

「そうか……」

 藤花は何かをひらめいたらしく、それっきり黙り込む。小鈴が不思議そうに振り返った。

「どうしました?」

「ううん、多少里から遠くても文句は言わへんよ、どっか空いてへんかなあ……あっ、ここでええよ」

 彼女の指差す先には、「紅魔分団」の文字があり、その下に手書きで十六夜咲夜、紅美鈴の名前が手書きで加えられていた。

 



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第三部 紅魔館へ The red gate keeper①

 里外での勤務を希望する人材が殆ど無かったと見えて、藤花が紅魔館方面を希望した事は幾分かの驚きをもって迎えられた。

 彼女自身、紅魔館への興味が尽きなかったという理由もある。また、一方で森に出入りする理由も欲していたのだ。

電話や郵便の整備されていない事もあって、里に買い出しに来ていた咲夜をとっ捕まえて来訪と美鈴の出迎えの約束を取り付けると、早速準備に取り掛かった。

 美鈴も安全な道を案内してくれるそうだが、用心に越した事はない。久しぶりに短銃を取り出すと、使い慣れた南部弾と一九式を選択し雑嚢の奥へ押し込んだ。店には「臨時休業」の張り紙を出しておき、行動に支障は起こらないはずだ。

 

   *

 

 金曜(少なくとも彼女はそう理解している)の午後、約束通り美鈴が二笑亭の戸を叩いた。包みを背負い、鞄を携えて藤花が出迎える。

「すごい荷物ですね。まるで夜逃げみたい……」

「警防団本部が制服とか書類とかドッサリ寄越してん……まさかこんなになるとは思えへんかったわ…」

「お持ちしましょうか?お嬢様からは一応お客様としてお招きするよう言われてますし……」

 ありがたい申し出だったが、美鈴は既に背負子に酒やら調味料の壜を大量に結わえつけており、片手の買い物鞄も膨れ上がっている。それでも涼しい顔をしているのだから大したものだったが、藤花は苦笑して辞退した。手ぶらで行くのもなんだからと山ほどの野菜(流石にお嬢様に煙草を教えるわけにもいくまい)が入っているし、鞄も火器ごと預けるわけにいくまい。

 二笑亭を離れて二区画も行かないうちに、見覚えのある制服姿の警防員とすれ違った。誰が規定したのか、紅魔分団の幹部と位置づけられた美鈴と藤花へ敬礼していく。

「なんか懐かしいな……」

「すごいですよね、あの人たちが歩くようになってから早速スリや泥棒の被害が減少したそうですよ」

 美鈴が感心した様子で、真面目そうな二人連れの警防員を振り返った。藤花としては警察権の無い警防団しか記憶に無かったので、どことなく違和感もあるが、風景としてはなんだか馴染み深い。

「でもこっちにもピストル強盗とか出るんやってね。さすがに丸腰で相手さすんのも可哀相やけど……」

 藤花は考え込み、本日最初の煙草に火を点けた。紫煙を滑らかに流す秋風が顔に心地良い。美鈴が、お互い仕事が増えちゃいそうですねえと苦笑した。

「紅魔館のあたりって、こういう町があるん?」

「いえ、湖の周りって人間はほとんど住んでいないんですよ。ただ屋敷が求人を出してる事もあって門番志望の人とか、庭仕事でもいいからって人達がテント張って暮らしてる事がありますね……」

 人里の貧民窟程ではないようだが、そういった集団は幻想郷にあっても存在するらしい。

「大丈夫かなァ、ウチら……」

「ま、まあ見た目はちょっとやさぐれてるかもですが、皆さん紅魔館で働きたいと言ってきた人たちばかりですから悪さはしませんよ!」

「成程なー……」

 そんな会話をしている内に、人里の外環までやって来た。先程まで往来で賑わっていた通りも、ここまで来ると人影もまばらだ。香霖堂に足を延ばしてみたが、不在なのか店は開いていなかった。

 森へ目を向ければ確かに、里を離れ森へ通じる道は続いている。しかしヒトが一旦里を離れてしまえば妖怪、幻獣の襲撃を含む様々な脅威に曝され、命の保証は無い。

「まるで収容所やな……」

「どうしました?」

「ううん、何でも……」

 藤花は、やり場のない感情と、眼前の親切な先達へ向ける視線の落差に戸惑いつつ、道を急いだ。

   *

 

「あれ、美鈴はん」

「はい」

「館って森の向こうやないの?」

 香霖堂を訪ねた後、てっきり森へ入るものと思い被甲を引っ張り出そうとしていた藤花が怪訝な声を上げた。前を歩く美鈴は森ではなく人里へ戻るような道を選んで歩いている。

「咲夜さんからの言付けで、警防団に使う車を確認してくるように言われてるんですよ」

「へ、車?」

 たしかに命蓮寺の縁日でも偉い人連中が車両をどうとか言っていたが、まさかここで消防車を量産し始めたとも思えない。

 人里の縁に沿って歩いていると、家々が途切れ、田畑で視界が開けた。路傍に「警防団車両基地」の立て看板が真新しい木材の香りと共に出来ており、矢印の先に柵で囲われた土地が見えている。

「おっ」

 思わず藤花の足が早まる。この地へ来てなかなか耳にしていなかった排気音が轟轟と聞こえてくるのだ。

「あれは……!」

 彼女らの眼前に見えてきたのは、おそらく警防団立ち上げの為にかき集められたであろう車の数々だった。形も大きさも様々、一部は藤花も見たことも無い流線型の物もあったが、一台は古ぼけたフォードM68だった。本当に走る車達らしい。

「ようこんなに集めたもんやね!」

 興奮を抑えきれない様子ではしゃぐ藤花を、まるで子供を見守る親めいた笑顔で美鈴が観察していた。

 彼女らの目の前で試運転中だった一台が、女性にいいところを見せようとしたのか、一際高く空ぶかしを行う。

「あァー文化の音ォー!!」

 背後の美鈴は思わず「大丈夫かな」とこぼしたが、興奮冷めやらぬ藤花の耳には届かない。

 

「御嬢ちゃん方、何用だい」

 騒ぎを聞きつけた作業衣姿の男が一人、油を手拭いで落としながら近づいてくる。我に返った藤花の横で、美鈴がなにやら紙片を取り出していた。

「こっちの分団で使う車が用意できたと聞いてきたんですけど……」

「ああ、紅魔さんとこね。それはあっちだ」

 若い女性二人とあって、ごつごつとした男の当たりもなんだか柔らかい。案内されるまま、居並ぶ車の列を抜けていくと、あちこちの車に「竹林」や「命蓮寺」、「博麗」といった札がかけられている事に気付いた。どういった基準か分からないが、各分団に配備される車はてんでばらばららしい。やがて先頭を歩く男の足が止まった。

「これだな」

 指さす先に、群れから少し離れて鎮座する乗用車が一台。

「おおー」

 自分たちで使えると言われると、流石に藤花の後ろにいた美鈴も物珍しげに前から後ろから、車内を覗き込んだりしている。そのうち彼女は、物入れから手帳を取り出して何事か書き留めはじめた。

「あれ、美鈴はん何してはるん」

「あとで屋敷の図書館で調べるんですよ。本部の人が全然情報を寄越さないもんですから……」

「なるほどなあ」

 よし、と美鈴が満足したところで、二人は車両基地を後にした。聞けば各分団で資金を募って車両を調達しているとの事で、紅魔分団では少なくとも乗用車一台を配備する予定らしい。それで今日の見学と相成ったわけだった。

 鎮座していた車。名をレパードと言った。

   *

 

 湖が見えるまでの道のりは、女性にしては厳しい訓練を積まされた藤花にも辛いものだった。軍の装備程ではないにしても土産を山と背負い込み、おまけに呼吸は被甲で大いに阻害されている。小銃まで持つ必要が無かったのは不幸中の幸いというべきか。

肌にまとわりつく森の湿気が神経を逆なでしっぱなしであったが、視界が白くぼやけ始めた時は流石に足を止めて震える足を落ち着けようとせざるを得ない。美鈴が見かねて、背負子の荷物を揺らしながらひょこひょこと倒木を跨ぎ、駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか?」

「びっくりした……霧かぁ、これ」

「湖の方から立ち込めてるんです、もうすぐですよ。多少開けて呼吸も楽になります」

その言葉に勇気づけられたのか、再び足が歩行を開始する。それにしてもこの門番の、さして底も厚くない布靴で不安定な地形もものともせず定めた方角へ歩き続け、しかも大荷物を背負って保護具も付けないこの体力はどこから来るのだろうか。そういえば人かどうかも訪ねた事が無かったが、藤花自身の過去について語る機会が生じる事を恐れて取り止めにした。

「にしても美鈴はんすごいなあ、こんなん付けずに息は大丈夫なん?」

「これは、まあ鍛錬の賜物ですよ。教わったものですが、体調を崩さないちょっとしたコツがあるんです」

「な、成程……」

 木々の影が薄くなり、乳白色の靄が一層濃く視界を塗り込める。それが湖畔の開けた風景である事に気付いたのはかすかに聞こえてくる水音によってだった。この穏やかさで霧が晴れたなら風光明媚な土地に違いない。

「そろそろ日も暮れますし、何かと集まってきますから早いとこ館へ行ってしまいましょう。そろそろそのマスク、外しても大丈夫ですよ」

「お、おおきに……」

 思慮深い同行者の事であるし、一応信用したものの一度体験したあの感覚が体に染みついて、すぐには外せない。何かあったらその腕力で一緒に運んでくれと胸中で念じながら、ナムサンの掛け声も高らかに(丸腰に近い状況でそれをやった事について、彼女は後悔した)外してみる。

「大丈夫、かな……」

「では、行きましょうか」

「せやね」

 呼吸も会話も楽になれば、足取りも自然と軽くなる。湖がどれほどの規模か見当もつかなかったが、感覚にして数十分、見えましたよ、という美鈴の声に顔を上げてみれば、前方にぼんやりと目的地が姿を現していて。

「こわっ」

 すごい失礼な単語だったが、それが率直な感想だった。そもそもあんな森の側、人里離れた山の麓という立地も然ることながら、もっぱらの原因はその威容というか異様であった。

 赤黒い。煉瓦造りと逆行と、霧によって立体感が損なわれた事による相乗効果かもしれないが、おおよそその全貌が掴めない。様式等は不明だが、容積の割に土地が広くないのか密集しているような印象を受けた。また一際高い塔を備えており、あれは時計台だろうか。屋敷に時計。それはそれで謎だが、領民みたいなものがいるのか、疑問は尽きない。

 気づけば美鈴が先に歩きはじめており、彼女とはぐれてしまうともう姿を現した屋敷だというのにあそこに辿り着けないような不安感にかられ、慌ててその背中を追った。

 

   *

 

 足元が石畳に変わっていると気づいたのは、その直後だった。群霧を抜けたおかげか、先程よりもおどろおどろしい印象は無い。距離も縮まり、逆に縮み上がっていた心臓がゆとりを取り戻し、館の様子をつぶさに観察することが出来た。

「……要塞のような」

 言いかけて、その感想が適切かという事について疑問が生じる。藤花が軍事拠点らしいと感じたのは、窓が少なく、また窓が小さく作られていたからだ。しかし一方で堀や石垣のような軍事拠点としての設備が見当たらず、霧によって見落としたかそもそも存在しないかのどちらかだろう。

「とりあえず、お邪魔します……」

 門をくぐると薄暗い中にもよく整備された庭園が彼女を出迎えた。日中改めて散策させてもらおう、と前向きな希望を抱きつつ、美鈴についていくままに大扉の開く音に振り返った。

「咲夜さん」

 どうやらメイド長が出迎えに来てくれているらしい。

「ただいま帰りました!警防団の藤花さんも一緒です」

「件の煙草屋さん、無事着いたのね。お嬢様がお待ちかねです」

「もうお目覚めになってるんですか?」

 少しだけ会話が漏れ聞こえてくるが、今は夕暮れではないだろうか。

「夜型の、おうちかな……?」

「藤花さん、こちらへ」

 立ち入りの許しを得て、玄関へ足を踏み入れた。

 扉の傍らで、咲夜がスカートを翻して一礼する。

「ようこそ、紅魔館へ」

「うお」

 電気ではあるまいと思っていたが、玄関の高い天井も床も、ぼんやりと暖色というか赤っぽい光で照らされている。反響する靴音だけが妙に大きく聞こえた。

だだっ広い空間を抜け、艶やかな意匠の階段をぐるりと昇り、また玄関の光景を眺めながら二階へと通される。

「藤花様が遠路はるばるお越し頂き、お嬢様も是非挨拶をと申しております。お食事を用意させておりますので、警防団の業務は私と美鈴がその後ということに」

「どうも……土産物も持ってきたし、そうしてもらえると助かります」

 ここへ来て藤花は、館の住人について見当違いをしていたのではと感じ始めていた。お嬢様と言うので主の一家がいてその娘と考えていたが、咲夜や美鈴の言葉を聞くにお嬢様自身が館の主なのではないか。とすると一体どんな。

 美鈴は門番に戻ると言ってどこかへ行ってしまった。咲夜に案内されるまま、ひとつの扉の前に立つ。

「お嬢様、藤花様がお見えです」

 中から小さな返事があった。

 



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第三部 紅魔館へ The red gate keeper②

 咲夜が静かに扉を開くと、空調が効いているのかひんやりとした空気が流れ出てきた。

「どうぞ」

 咲夜の声に促されるまま、大食堂と思しき部屋に足を踏み入れる。屋敷の外観に似つかわしい、長机と規則正しく並ぶ燭台の光景が彼女を出迎えた。

 そして、いた。

 統一感のある調度の中でひとつだけ、主の為だと一目で分かる大きな背もたれを備えた椅子があった。そこに鎮座しているのは、透き通るような肌の腕に頭を預け、驚くほどに真紅の双眸でこちらを見つめている少女だった。ナイトキャップで半ば隠されているが、僅かに癖の見受けられる月光髪の艶といい、年端もいかぬという形容がふさわしい。

「……ほんまに夜型のお嬢様やった」

「ようこそ、紅魔館へ」

 主の少女は、再び歓迎の文句を口にすると、藤花へ食器の用意がされた一席を指し示した。

「ど、どうも……」

 藤花が席の傍らへ歩くと、背後から音も無く咲夜が現れ、椅子を引いてくれた。

「あ、あは、あは。おかまいなく」

 藤花とて伊達にテーブルマナーから何まで仕込まれてはいない。上海英国領事館の夜会に何食わぬ顔で紛れ込んだこともあった。が、これほどまでに劇的な、夜想曲めいた状況下で妖しげな少女と会食する時の対処法など、七十六号の教範には記載されていない。

「うちの門番を迎えに遣らせたけれど、道中は如何だったかしら」

「あぁ、美鈴はんは優秀で、何事も無く」

「自己紹介が遅れたわね、レミリア・スカーレット、この館の主よ」

「ウチは、藤花て言います。……里で煙草屋をやってます」

「食事をお誘いしたのは、貴女そのものよりも、貴女が引っさげてきた案件の事が気になってね」

「警防団の事ですか」

「確かそんな名前だったかしら。人が自ら火消しを買って出てくれるのは、何かと飛び火の多い紅魔館としてはまんざらでもないけれど……」

 そこまで言いかけ、レミリアは真っ赤な液体で満たされた杯を傾けた。藤花の杯には色味の全く異なる液体が注がれてる。こちらはどうという事のない果実酒のようだが、あちらは一体何を飲んでいるのか。今更ながら対峙する少女の背に見える蝙蝠めいた黒い羽が椅子の意匠なぞではなく、背中から直接生えているものらしいと気づいてぞっとしていたところだ。羽が生えているのはもう慣れっこだが、蝙蝠の羽に赤い液体ってもしかして。勝手に想像をたくましくしているとレミリアが会話を再開した。

「妖怪や妖精の間では、人間が喉元に匕首を突き付けてきたと、そういう意見もあるようね」

「まさか、そんな非武装の消防組織に……」

 口では否定してみせたが、先日目を通した文々。新聞でも人里の軍備宣言であるというかのような報道ぶりであった。

「そんな中、貴女は人間が殆ど住んでいないこちらの分団へ志願したそうね。里で妖怪の排除をしながら、異端狩りでも始まるのかしら」

 嗜虐に満ちた口元とは裏腹に全く笑っていない目が藤花を狙っている。

 しばし沈黙。

「ウチが異端諮問官やったら、まずその美貌を罪に問う」

「えっ」

「いや……あの、ここ笑うところ…」

 答え次第ではこの場で血を抜かれて生きる屍にされかねない。面白いかはともかくとして、突然口説くという戦法はこの際正解だったようだ。但し笑いを取ったと言っても鼻で笑われたのだが。

「ふ、分かったわ。この件は咲夜が折衝役になるから、後の事はあちらを通じて下さるかしら」

「分かりました」

「応接室と客室をひとつ、今晩は空けておくわ。お煙草はそちらでお楽しみ頂いて、応接室のテレビ、特別に貴女にも触らせてあげるわ。マイクラ、ご存じ?」

「舞倉……?」

 藤花も辛うじてテレビジョンは知っている。が、突然まいくらという謎の人名を問われて答えに窮する。しかし、異例の厚遇と見せかけて力の差を見せつけてくるのは上海時代の白人連中を思い起こさせた。こっちだって一介のか弱い帝国軍人とはいえ、一時は国の命運を左右する作戦に従事した身である。何とか一つだけでも対抗しておきたい。

「流石、音に聞こえた天下の紅魔館……ウチの”ゆびタッチ”とは、やはりサイズが違う……」

「ゆ、ゆびタッチ……?」

 藤花の涙ぐましい抵抗は、レミリアの怪訝な表情である程度は達せられた。少なくとも、マイクラより遥か前の技術ではあるのだが。

 一しきり目に見えない敵意と好奇の遣り取りを終え、レミリアは空のグラスを残して立ち上がった。

「咲夜の腕は一級よ、料理をお楽しみに。では、ごきげんよう」

 そう言って彼女は藤花の背後を横切り、部屋を去って行った。入れ違いに咲夜がやって来て、青々とした菜葉に彩られた皿を藤花の眼前に置くと、前菜で御座いますと告げる。

「まさかのフルコース!?」

 

   *

 

藤花が久しく触れていなかった西洋料理に四苦八苦していた頃、暗い廊下の片隅で主たるレミリアと従者、咲夜の姿があった。

「よろしかったのですか、あのような人間と」

「いいのよ、まずこちらの品位を見せつけておかないと、後々面倒でしょ」

「いえ、私の方で適当に追い返す事は出来ました。今後は御手を煩わせぬように致します。それに……」

「何かしら」

「あの人間、武器を帯びております」

「武器ぃ?持参品に杭でも打ち込んでたの?」

「いえ、短銃です。河童が最近量産を始めたそうですが、それとの関係は分かりません」

「なんとか団は屋敷へ立ち入る権限はあったかしら」

「警防団です、お嬢様。……現時点では警察権は人里内とその他の人間集落に留まっております。妖怪への権力行使は今後も無いでしょう」

「山の騒々しさに比べれば、警防団が何してるかは新聞程度の情報でいいわ。あの人間も……里に帰さないと問題になるだろうから今日のとこはそっとしておくけど、怪しい動きがあれば手段を問わず調べ上げなさい」

「仰せの通りに」

 

   *

 

 あの後、咲夜にレミリアや彼女の飲んでいたものについて何を訊ねても「お嬢様は大変小食でいらっしゃいますので」としか答えてくれず、戦々恐々と食事をしなければならなかった。里では滅多に御目にかかれない肉も出た時など思わず変な汗が出たが、ただの牛肉だった。締めに甘味を出された頃には、謎の疲労感に苛まれていた。

 座りっぱなしの藤花が妙に疲れているので、咲夜が怪訝な顔で覗き込んでくる。

「お口に合いましたでしょうか?」

「あ、いや…見事な南仏風でした……おおきに」

「上階に応接室がございますので、警防団の件はそちらで御話しましょう。お嬢様の事は御気になさらないで下さい。このところ、山に次いで里がきな臭くなり、どこも緊張状態ですから」

 ちょっと気になる話題が出た。しかし藤花は目を瞬かせ、遠慮がちに応接室に灰皿はあるか、とだけ訊ねた。

 

   *

 

 紅魔館、応接室。

 先程とは打って変わり、来客をもてなす機会が多い、照度の高い部屋で調度の様式も少し異なって揃えられているようだった。

藤花は部屋の片隅、数少ない窓から黒々とした森が数多の妖魔たちを抱いて横たわっている様を紫煙を燻らせながら眺めている。珍しいマニラ煙草の香り。ここでは喫煙者が少なく、咲夜の掃除の手間を省くために灰皿は殆ど設置していないのだそうだ。

お嬢様とだけ聞いて手土産から煙草を省いたのは正解だった、と藤花は硬い灰を落としながらため息をついた。それにしても上質な葉巻を供せられるのだから紅魔館の力は恐ろしいものがある。

「えー…それでは咲夜はんもいらっしゃったところで、人里警防団の紅魔分団創設に関して…その……お手元の資料をご覧ください……」

 貰いものの葉巻片手とは言え、幻想郷新参の自分が紅魔館の、しかもなんか強そうな面々を前に説明を垂れるのは初めてであり、ぞっとしない体験である。思えば一団員として加盟したはずの藤花だったのに、いつのまにかジジイ連中によって里と館の連絡係に仕立て上げられてしまった。連中に煙草を納める時は料金上げてやろう。

 失礼を承知でタイを少し緩め、参加者を見回した。

 



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第三部 紅魔館へ The red gate keeper③

 稗田や、ほか里の重鎮達が承認したという資料を、咲夜は表情一つ変えずに、隣の美鈴は請求書か何かを見せられたような顔で眺めていた。

「……とまあ、外界の勅令に範を取って創設する”警防団”が、今後人里を中心に異変時の避難誘導、水火消防を行おうというのが趣旨です」

「大体把握しました」

 活字を追って酷使した目を休ませつつ、咲夜が顔を上げた。紅魔館を中心とした「紅魔分団」の分団長は、レミリアが多忙の為に彼女が任命される予定となっていた。

「おおきに、何か質問は……」

「人によっては既に……例えばこちらの美鈴は既に門番としての仕事があるけど、それと並行して警事課の警戒を行ったりしても」

「全然、問題は。正直なところ、里以外に居住する人間が殆どおらへんので、そういったところは連絡係を置いて万が一の事態は協力関係を結ぶ、とだけしてるようなとこもあります。博麗の巫女はんのとこもそんな感じで」

「ええ、里以外の分団は随分と裁量が認められているようですね。元より妖怪の領域に足を踏み入れる人間の救助というのは……」

 そう、半分自殺のようなものであると藤花も心得ている。里以外に分団を設けるのは幻想郷の社会構造に変革を試みるものではないという承認を周囲に求めているようなものだ。

「実際、紅魔館の周辺に人間は住んどるんでしょうか」

「公式に回答するなら、”いない”ですが、里から抜け出した、何かしら問題を起こして放り出された、館の採用試験を受けにきたけど落ちて帰れなくなったり、美鈴に格闘技の手合わせを申し込んできた人間が極々少数、集落とも呼べないところで寄り集まってますね。果たして無事でいるかは、私も存じませんが」

 先程の通り、里を抜け出す人間は殆どいないというのが藤花の理解だったが、その殆どに含まれない例外が地図にも載らないような部落を形成しているのだろう。果たしてあのような環境で暮らす人間がまともかは分からないが。

 最終的に、紅魔館で家事に従事する妖精達に消火、避難誘導を訓練させ、一部の妖精と美鈴、そして内部からもう一名を警事課に充てて防犯に務める事となった。

「……あら、終わってしもうた」

 思いの外に協力的だった事に拍子抜けしながら、資料をめくって決定事項に漏れが無い事を確認すると、堪能しきった葉巻を灰皿へ放り込んだ。

「藤花様」

「あっはい」

「今夜はもう遅うございますので、今のうちにお部屋へご案内します」

「あぁ……何から何まですんません」

 

   *

 

 妖精メイドの案内で応接室を後にし、明らかに外から見た時よりも長く感じる廊下と矢鱈と多い部屋に困惑しながらも通された部屋は、情報員の頃に投宿したホテルに匹敵する品質を兼ね備えていた。ただ部屋といい浴場といい、どれも一人きりなので落ち着かない。暇つぶしの類も持参しておらず、妖精にヤラシイちょっかいをかけてみようかとも思ったが何かあると出てくるのは咲夜なので自重する。

「…………ん」

 その時、藤花の下腹部が一息つこうと提案してきた。丁度いい。食事、風呂ときて便所も経験しておけばこの館にもかなり詳しくなるだろう。探検する大義名分が出来たところで、部屋着に國民服を羽織って薄暗い廊下へと繰り出した。

「とりあえず、こっちかな」

 明らかな寝室を除き、扉はどれも同じように見えて分かりにくい。と、前方から食堂の片づけを指揮していたと思しき咲夜が現れ、よく訓練されたメイドの性で藤花が何を探しているか察したと見えて、お手洗いはあちらに御座いますと説明されてしまった。

「……ま、しゃーないか」

 おそらく寝る前のお嬢様達の世話へ行くであろう咲夜の背中を見送り、所期の目標を達しようと歩みを再開させた刹那、前方約十メートル、テラスへ通じていると思しき月明かりが美しく透けるガラス戸がギイと鳴った。

「?」

 夜風を受け、廊下の空気が微かにざわつく。一瞬、掃除の妖精メイドが戻ったのかと思ったが、こんな時間にするものでもないし、何より先刻目にした妖精と容姿が異なった。目についたのは巨大な尖り帽、そしてスカートの裾からちらりと見えるドロワーズを履いた足。携えた箒から、西洋の魔女を連想するのに時間を要しなかった。

「えぇ……」

「ん?」

 そして、一拍置いて「どちら様?」の同時発射。

「ウチは、警防団の藤花やけど……」

 一応、正当な客人である事を表明しておく。館の全員が彼女を認識していない可能性もあったからだ。

「おー、お客さんなんだな!道理で見慣れない顔だと思った」

「それで……」

「あぁ、ただの通りすがりの魔法使いなんだけど」

「あ……あ、そう」

 通りすがっているなら仕方ない、のだろうか。何かを委任されているわけでもない藤花がこれ以上聞き出すのもなんだか憚られた。

「じゃあ…あの、ウチちょっとお花摘みに行く途中やから……」

「トイレならあっちだぜ」

「おおきに」

 釈然としない顔で別れようとしたとき、硬いものを柔らかさを持つ物体で激しく叩く音、そして鈴の音が窓外から駆け上ってきた。それが壁を駆け上る足音だと認識できたのは、テラスの手すりにひらりと飛び上がる人影、見覚えのある美鈴の姿である事を見止めた瞬間だった。

「し、侵入者だーッ!!」

「へぶぁっ」

 美鈴としては門番の責務を果たすべく、身体能力をフルに活用し物理法則の限界に挑み闇夜に乗じて侵入せる不逞の輩を懲罰すべく躍り込んだのだった。ただ一つ、飛びかかったのが黒っぽい装束で廊下の暗がりに半ば溶け込んでいた魔法使いではなくやや目立つ部屋着の藤花の人影だったことが誤りだった。

「おおっ、美鈴!?」

「ああっ、藤花さん!」

「な、何が起こってるんや……」

魔法によるものか美鈴の蹴りによるものか分からないが、藤花は視界一杯に星の舞う世界にいた。とりあえず蹴り間違えた客人の意識が飛んでいない事を理解した美鈴は、そろりそろりと離脱を図ろうとしている侵入者の肩から揺れている帆布の鞄をむんずと掴んだ。

「あんたって人はァ!」

「た、ただ家路を急いでるだけだーッ」

「魔理沙、貴女そんな言い訳が通用すると思って」

 加勢に現れたのは十六夜咲夜その人だった。何やら物騒な刃物が一本、彼女の手に閃いている。

「どうしてワシリーサが!?」

 それまで頭頂部にヒヨコを回していた藤花が、相変わらず名前をロシア人か何かと間違えながら復活したのはその時だ。しかし、それに一瞬気を取られた美鈴の手を振りほどき、魔理沙はテラスへと躍り出た。

「ワシなんとかじゃなくて、魔理沙だぜ!夜遅くにとっ捕まえて人の鞄を覗こうだなんて、プライバシーの侵害だなっ!またなー!」

 そう叫んで魔理沙は中空に浮かび上がった箒へ飛び移ると、月の光の中へと加速していく。

「不法侵入にプライバシーもビタミンシーもあるかァ!思い出したその名前!!」

「ど、どうしたんですか藤花さん」

「ウチの!髪の!こんなんなった理由!」

 そう叫んで藤花は両手で自身の髪を掴み、次いで魔理沙の影を指さした。

「お嬢様の意向で警備強化を検討している矢先に……藤花様、撃ちかけて」

「よっしゃァ!」

咲夜の許可が出たなら何も怖くない。懐の北支一九式を抜き放って初弾装填、不逞の魔法使いを駆逐すべく二、三発を夜空に放った。

「ちょっと待って」

 即座に射撃中断。

「咲夜はん、なんでウチがピストル持っとる事知って……」

 藤花は振り返ろうとしたが、ヒヤリとした感覚が首筋に当たるのを感じて動作を中断した。

 



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第三部 紅魔館へ The red gate keeper④

 感情が昂ぶっている時に思わず咲夜の呼びかけに応えてしまった身を悔いた。

「そのまま歩きなさい。美鈴、貴女は持ち場へ戻るように」

 咲夜の声が一層冷たく耳たぶを撫で、ナイフが当てられた藤花の首筋に別の冷たいものが流れた。人里を妖怪、妖精に対する破滅的な戦乱に巻き込み幻想郷という機構の維持を困難にして脱出する。そんな身の丈に合わない計画をため込んでいる以上、叩けば埃の出る身だ。大人しく従う外にない。

 廊下を戻る形で連れられ、そのまま部屋の一つに引きずり込まれた。

 しかし、寝室のひとつに見えても扉の厚さが明らかに藤花の通されたそれと異なり、別の用途に用意された部屋であると分かる。

 拷問、か。

 異世界での拷問は何をされるのだろうか。いずれにせよ、ほっとけば命に係わる何かをされるのは違いないだろう。

「何これ」

 藤花が、部屋の中央に鎮座したそれを見た最初の感想は「電気椅子とパーマネントマシンを足して割らなかったもの」だった。着席した者を拘束するようにできた椅子と、頭部をおおう金属製のドーム。それからは色とりどりの導線が伸びており、傍らの機材に接続されていた。

「本来はお嬢様が口にされる血液から"夢抜き"をする機械ですが、最初の実験台は貴女にしてあげましょう。手荒な手段はあまり使いたくないので、体に直接聞く事にします」

「え、なんか、その言い方興奮する……」

椅子に投げ込まれ、拘束された藤花を睥睨する咲夜の、メイド服の短い袖に消えてゆく白い二の腕の肉感と、優雅さの中に野性味を感じる髪形に見え隠れする耳たぶあたりをチロリと見やり、思わず正直な感想を漏らしてしまった。直後、怒りに満ちた表情でぶん殴られる。

「て、手荒な事はせえへんって今……」

「お嬢様のペットに噛み殺させて、過失ってことで人里に無言のお帰りをなされてもよろしいんですよ」

「すみません!すみません!ほんまに悪意は無いんです!あのピストルかて森での護身用やったし!」

 藤花の懇願は、届かなかった。咲夜は気に留める様子も無く機械に取り組む。

なんだか頭頂部が熱くなってきたような気がして、身をよじる。が、拘束具は圧倒的な強度で彼女を押さえて放さない。

「ち、ちょっとさっきの夢抜きって何のことなん。頭が熱い気がするねんけど」

「吸血鬼は人間とは異なる栄養を血液から摂取しているので、手間はかかりますが余計な記憶などは除去して接種されています。それを行う機械ですので、と……おしゃべりが過ぎましたが……しかしノイズが…パチュリー様に改良を進言しようかしら」

 なにやらぶつぶつ言いながら咲夜が機械をいじり続けている。どうやらあちらの手元のブラウン管には藤花の思考が殆どそのまま映し出されてしまうらしい。先程の変態的な妄想が反映されなければいいが。

「単語に反応して出てくるイメージを映すから、他の考え事をしても無駄ですよ。嘘発見器も兼ねてるとご認識下さい。貴女はこの紅魔館へ……って、何故紅魔館と聞いて馬と軍人の映像が出てくるんでしょうか」

「それは、庭の隅っこに置いてあった車やね。あの……ほんまに正直に話すから、乱暴せんといて……」

「それは貴女の協力次第です」

 藤花の言う「正直に話す」も「ああは言ったけど嘘は言ってないもんね」戦法で切り抜ける気満々の提言であったが、咲夜があくまで拷問ではなく尋問の体で話してくれるのは気が楽だった。

「ウチは外界……それもあの車が製造された時代から来た。あの車、ここへ来たとき黒焦げやったでしょう」

 それを聞いた咲夜の目が意外そうに瞬く。当初冷徹な機械人形めいて認識していた藤花だが、人間味のある一面を垣間見て考えを改めた。

「ええ、その通りです。あれは車庫に格納して今日初めて外へ引き出していたものですよ。知る限りでは暑い盛りに里へ来て店を開いていた貴女がどこでそれを」

「やから、あの車の外界での末路を知ってるからやねん。あのグローサーメルセデスは空爆で焼けた事になってる。あの車の防弾装備を施したのはウチのかつての親玉、帝国陸軍やで。それに天面の照明、あれは方向指示器やなくてパイロットランプやから、操作通りに点かなくて当然……布で隠してあったんは、それと勘違いしたから」

 御料車、すなわち皇室専用車が転がっているなど恐ろしい事だが、あの化け物めいたというかそのもののお嬢様なら似合うかもしれない。少なくとも、藤花にはあれを乗り回す度胸も技術も持ってはいなかった。他に出していない自動車の詳細を語って見せたことによって、身元にまつわる質問に素直に答えている姿勢を表明した。

 咲夜は藤花が従順になったと判断したのか、小さくため息をついて足を組み直す。

「嘘は言っていないようですが、その観察力で貴女が探偵かスパイ、あるいはそれに類する紅魔館を嗅ぎまわる犬であろうという証拠にしかなりませんね」

「確かにウチはスパイやった。……外界では。でもここで誰かの為に軸足を置いて情報をかき集めるなんてことは、してへんの」

「ならば、何故人里から離れたこちらに?」

「美鈴はんに世話になったからよ。こっちきて死にかけてた時に助けてもろうて……本人に聞いてもらったら分かるんやないかな」

 これも嘘は言っていない、のひとつだった。何らかの形で恩返しをしたいという考えはある。

「分かりました。今夜は部屋へお戻り頂きます」

「おおきに……」

 ドームの目隠しから解放されると思いきや、直後の咲夜の言葉にぎょっとさせられる。

「この時間の記憶は消させて頂きますが」

   *

 

……………

………

 霧の中の夜明けは、陰影ではなく光が物質化して世界に満ちているような不思議な錯覚を起こさせる。

 藤花は、寝台で身を起こすと大きく伸びをしながら片目で室内をぎょろりと警戒した。少なくとも荷物や調度に動きが無い事を確認すると両足を回して寝台から降り、窓からの光を遮っているカーテンを引き開けた。

「ん……」

 植物の意匠が這った肉厚のカーテンはよほど高価なものらしく、遮られていた朝日が予想以上に双眸を貫くので思わず彼女は目を細めて唸ってしまう。

 直後、背後で電話機めいたベルの音が歯切れ悪く鳴り始める。藤花はなんでもないように向き直ってナイトテーブルへ歩み寄り、小刻みに震える懐中時計を取り上げて目覚ましを切った。

 そしてすぐに今度はノックの音。

「藤花様」

 咲夜の声である。起床時間すぐに現れるのは、流石従者の長と言わざるを得ない。目頭をこすりながら応答し、扉を開いた。

「あぁ、咲夜はん。おはようさん」

「おはようございます、昨晩はお疲れ様でした」

「うん、咲夜はんもね」

 咲夜は穏やかな笑みで微笑み、お辞儀する。そして、下にお食事の用意が出来てございますので、と一言添えて退いて行った。

「ようできた女給さんやなあ」

 瀟洒な出で立ちに何やら見とれているような藤花でも、去りゆく咲夜の表情までは知る事は出来なかった。

 

   *

 

 昨晩の騒動を知る由も無い藤花は、お嬢様不在の朝食もそこまでの警戒心を抱かずに平らげると、帰る為の身支度を開始した。最後に一服していこうかと考えたが、その為だけに応接室を開けさせるのも忍びなく、かといって湖に吸殻を放り捨てていくのもこちらの土地柄、何を招くか分からない。

「帰りは美鈴に送らせますので、お待ち下さい」と、咲夜に言われたのは良いものの、ハテ門前にも見当たらず、かと言ってでは失礼しますと一人でほいほい出て行くわけにもいかない。

 どこ行ったのかしらと腰に手をやって不機嫌そうな咲夜を尻目に、ふと館の壁沿いに視線を走らせれば東屋へ向かう道の手前に見覚えのある造型が。ちょっと煤けている所といい間違いなく灰皿だろう。待つついでにちょっと利用させてもらっても、これなら咎められまい。

「……でも、誰やろ」

 美鈴ではあるまい。外見から推し図った経済状況ではなく、あの体力と技術はこんな物をしゃぶりながらでは維持できないだろうからだ。一方でお嬢様は見た目からして嗜まなさそうだ。となると残るは咲夜を筆頭とするメイド達だが……。

 考えを巡らせながら手は頭とは別に駆動し、燐寸と煙草を引っ張り出している。これも吸うようになって長いが、葉から自分で育てたとあって愛着も湧いてきた。

「あか~い、花なーら、曼珠沙華……あら」

 歩み寄る藤花の目の前で、植木の陰から白シャツを纏った腕と細い指が静かに滑り出してきて、指先で保持した煙草の灰をちょんと落とした。カフスの無い袖、あれはメイドの物ではない。

「あら。こあ、ちょっと美鈴見なかった?」

「はえ?」

 藤花ごしに咲夜が「こあ」と呼びかけたのに対し、白シャツの主が陰から反応して顔を出す。藤花に負けず劣らずの赤みがかった長髪、お嬢様と似たようで異なる羽が背中に次いで側頭部にまで見える。羽ありに慣れてきた藤花も、まさか増えるとは予想していなかった。

「ほんまに飽きさせへん土地やな……」

「美鈴さんですか、さっき庭で見かけましたよ」

「まったく……」

「咲夜はん、こちらのこあちゃんとは」

「ああ、藤花様は初めてでしたね。図書館で司書手伝いをしている小悪魔です」

「あ、あく……」

 我ながらとんでもない所へ志願してしまったのかもしれない。人間離れした整った顔立ちや羽に見とれていると、植え込みからガサガサと音がして、今度は見覚えのある顔に再会した。

「あら、藤花さんお待たせしました!」

「どこ行ってたのよ美鈴!」

 咲夜が怒りを通り越して呆れた声で肩をすくめる。美鈴が平謝りしている間に藤花は煙草を吸い切り、こあに懐からルビークイーンを取り出して手渡した。

「あの、こあちゃんこれウチの商品。お近づきにどーぞ」

「わあ、いいんですか!ありがとうございます!」

 封印の印紙を珍しげに眺めているあたり、いかにも図書館員らしい。エクスリブリスめいて凝った意匠に興味を示す様子を見ると、ちゃん付けで呼ばれながらも館の中でも文化水準はかなり高い方に位置するのではないだろうか。

「藤花さんでしたっけ、私も図書館を見回るので警防団に入る事になると思います。その時はそちらの先輩としていろいろ教えて下さいね」

 礼儀正しくお辞儀されて慌てて応えるが、里の生意気なガキンチョ連中と違ってこんなに大人しいのに悪魔の眷属ときているのだから、幻想郷は分からない。

 

   *

 

「そうそう、藤花さん」

「ん、どしたん」

 紅魔館の滞在を終え、昨日歩いた湖畔を戻る途中、ふと美鈴が足を止める。先程庭いじりをしていた時に採取したのか、何やら植物の根に見えるものを持っている。

「藤花さんは、森の瘴気に対する症状が他の人と比べても特に重いように見えるんです」

「せ、せやね……昔いろんな毒飲まされたせいやろか」

「えっ」

「あいやいや!冗談……」

 そこで、と手にした根をずいと突き出す美鈴。さっきから気になっていたが、何なのかは教えてくれない。一本手渡されたのでしげしげと眺めるが、ノビルやニンニクにも似た根っこ。これはもしや。

「私を信じて、かじってみて下さい」

「いやこれ明らかにヒガ…曼珠沙華やん!」

 藤花の脳裏に、一面に咲き乱れる美しくも不気味な赤い花とあの旋律。アルカロイド系の毒を含む茎や根は食えば腹を下すこと間違いなしであろう。

「その通りです」

美鈴自身は至って真面目な顔なのが解せない。藤花の体調を崩して何をしようというのか。

「これは受け売りですが……格闘技を為す人の間で、代謝を高め、毒気を抜く特殊な呼吸法があるんです」

「え、それって」

「流派や体質もあるらしいのですが……藤花さんが会得できれば、森の瘴気に打ち勝つこともできるかもしれません」

 予想外の申し出だった。蹴りで瓶割もできる美鈴の事であるから、格闘技に関する知識は人一倍あるのだろうが、様々な種類の師範に即製ではあるが指南を受けた中でそんな話は聞いた事が無い。

「でもそれって会得失敗したらウチは腹下して数日寝込まなあかんって事やん……」

「…………そうなりますね」



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第三部 紅魔館へ The red gate keeper⑤

 しゅんとした顔で美鈴が肩を落とす。

「でも、やってみよか」

「!」

「ここは別嬪はんが多いな……こんなにウチ心配してくれるなんて、ウチは幸せもんや……」

「藤花さん……」

「分かったで!美鈴はん信じて、やってみようやん!」

「はい!それに、もし失敗してもこのタスケテェリン錠を飲めば大丈夫ですし」

「そういうの持ってたら先言ってや!」

 つっこみを怠らず、一方で抵抗を感じつつも手にした根っこをままよ大胆バリバリと噛み砕いて飲み込んだ。ヌルヌルする。ヒガンバナの根っこ、もう一度食べたいと思える味ではなかった。

「さ、様子見でちょっと歩こか」

 意気揚々と、とはいかないが、先を急ぐと森を入る手前でものの見事に腹痛と吐き気が二人を襲う!

「め、めーりん……ぎもぢわるい…」

「き、きましたね」

 荷物の重みと、精神力が分散され思わず片膝をついてしまう藤花。屈してしまうのか。そこへ、聞きなれない呼吸音が藤花の耳へ入る。

「スゥーッ!ハァーッ!」

「め、めいりんはん、それは……」

 その時である!傍らの美鈴は腰を落とすと両手を前へと突き出し、独特の音と共に深く呼吸を始めた。

「スゥーッ!ハァーッ!スゥーッ!ハァーッ!」

さすがの美鈴も内臓までは鍛えられなかったか、汗が頬を伝う。だが、その目には覚悟の光があった。

「うぷ……」

「スゥーッ!……ハァーッ!……これが、太古の暗殺者が己が拳法の果てに生み出した、チャドーの呼吸です」

「ち、ちゃ……?」

 再び直立の姿勢に戻った美鈴の顔に、体調の悪さは微塵も感じられなかった。呼吸を整え、特徴のあるリズムと共に内気を巡らせ代謝を促進。通常、発汗のみでは零コンマ数%と言われる有害物質、老廃物の排出を常人の何倍にも高める古の暗殺者の調息。忍びの間で連綿と受け継がれてきた秘術だが、あらゆる武術に通じ、幻想郷の過酷な生存競争を生き抜いてきた美鈴によって、勝るとも劣らない効果を生み出した。

「ご、ごうらんが……」

「藤花さんも、ほら」

「う、ウン。今のは何か、言わなアカン気がして」

 よろよろと立ち上がり、まずは構えを真似る。すかさず美鈴が助けに入り、背後から両腕を支えた。

「あちょッ、美鈴はん……」

「まずは普通の深呼吸から!」

 息を吸う。胸が膨らむ。せなに感じる、柔らかな二点。正面を見据えているはずなのに、藤花にはそれが何であるか、どんな大きさか、果ては張り具合までが手に取るように(手に取りたかった)分かった。

 長い試練(指南)が始まろうとしていた。

   *

 

 湖畔の霧が薄く比較的安全な地帯、遠く紅魔館を望む岸辺で重なる二つの奇妙な人影が浮かび上がる。

「め、美鈴はん。これちょっと恥ずかしい……」

「ガスマスクだって何時まで保つか分からないんですよ!このままじゃおなかぴーぴーで森を突破する羽目になります」

「あんたが根っこ食えって言……ヴぉええ…」

 美鈴の右手が、えづく藤花の背をさする。功夫の鍛錬めいて腰を落とし二つの掌を前方へとかざす藤花の呼吸は、まだ荒い。暗殺者の毒手ほど複雑ではないが、アルカロイドは立派な毒である。腹の底へ鉄の棒を押し付けられるような腹痛に耐えかねているのだ。

「ここ、ここに力を込める事を意識して深呼吸して下さい!吸った後」

「すぅー……」

「少し溜める!」

 藤花の脇腹少し下を抑える美鈴の手に少し力が加わる。背後に回って藤花の全貌を観察しようとして顔を近づけるので、必然的に視界の真横に美鈴の息遣いを感じる事になる。

「んっ……はーっ」

「もう一度!」

「スゥー……」

 腹痛や呼吸の乱れよりも動悸が激しい。何より、ああ何よりも背中に感じる二つの柔らかな感触がこれほどまでに意識をかき乱すとは。

「吐くときは五秒以上かけてゆっくり吐いてみて!」

 今度は胴を回って腹を押さえようと白い腕が藤花を這う。それにあわせて背中に感じる圧が強まった。傍目に見れば、前かがみになって汗ばむ藤花を背後から抱きすくめ、上半身を密着させて何事かを囁きながら下腹部へ腕を伸ばす美鈴の全容をご覧いただけるはずだ。

「スゥゥー…………ハァッ!」

 しかし美鈴の肢体に気を取られた事で、腹痛をしばし忘れて呼吸する事に成功している。美鈴のそれとは若干異なるが、繰り返し息をする事で痛みに支配されていた臓器を中心として腹部が熱を持ってきたような感覚にとらわれた。発汗も苦痛によるものというよりも体温を下げ、悪いものを排出する代謝行為として強く感じられる。

「スゥゥー……ハァッ!」

 彼女のものとして、体質はともかく彼女なりに代謝を高める呼吸法が定まってきたようだ。美鈴も個人差については何も言わない。

 そして、名残惜しいが美鈴の腕が支えを解き、上半身の密着も終わった。

 どちらが効いたのかは分からないが、結果として藤花は通常の排出、休養と比較してはるかに短い時間で腹痛を除去した事を実感する。

「これ……ほんま?」

「本当は、何か特殊な精神の持ち主がより短時間で体調を整える為のものらしいんですけど、藤花さんもなんとかものにできたようですね」

「いや、すごい。これ」

 構えを解き、驚いた表情で腹をさする藤花に、もう苦吟の汗は見られない。心なしか腕の振りや歩行も軽々と行えるようになっているようだ。それを見て美鈴も満足げに頷く。

「瘴気に満ちた森の突破はどうなるか分かりませんが、これまでより簡易な防具で通行できるようになるはずですよ」

「ほんま……おおきに!これすごいわ!」

「即製ではありますが、早速森を抜けましょうか」

「あい!」

 

   *

 

 見覚えのある里の外郭が見えてくると、藤花は旅路の後半になってやはり装着せざるを得ない被甲を取り外した。それでも、以前に比べると心構えに余裕が出てきたおかげか、体調はずっと良い。

「美鈴はん、お礼に晩御飯でもどぉ?」

「てへへ」

 藤花の申し出に、美鈴は照れ臭そうに頭を掻いた。

「実は、警防団の書類を交わすついでにちょっと遊んで帰ろうかなと思ってたとこで」

 その言葉を聞いて、藤花も屈託のない笑顔で応えた。

「決まりやね」

 夕日が潤しい橙色で里を染め上げる中、太陽に負けず劣らずの赤い顔で肩を組み、懐かしい大陸の歌を口ずさむ藤花と美鈴の姿が通りにあった。手土産に葱ぬたの包みをぶら下げている。

「あー、よぅく飲みましたねぇ」

 でへへへと遠慮なく笑う美鈴と顔を見合わせ、藤花が心配げに尋ねた。

「帰り道、大丈夫なん?」

「ええ、ええ。寝ながらでも帰れますよぅ!」

「それは、よかった……」

 調子良く拳を振り上げる連れに苦笑しつつ、里で数少ない中華食堂の軒先で歩みを止めた。幻想郷にあって満漢全席とはいかないが、限られた食材で仕立て上げられる中華料理は却って藤花の記憶へ強く働きかける素朴な味なのだ。

「締めに、ここに寄ってこうか」

 

   *

 

 風体からして店に似つかわしい美鈴を見止め、給仕の一人がぱっと顔を明るくした。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 木造のいかにも日本建築なのだが、経営者によって至る所に異国情緒を興す苦心の跡が見て取れる。椅子や机はきちんと中国風のもので統一されていたし壁にかかる札や倒福もそれらしい雰囲気の醸成に一役買っていた。

 しかし、今日は見覚えのある風景を遮る衝立が何枚も建てられており、赤黒の隅で転々と雅に描かれた梅と鳥が舞っていた。その奥からは騒がしく宴会の音声。

「繁盛してるみたいやね」

 怪訝な顔で藤花が給仕に尋ねた。異国料理というものは独自の調味料の調達などで、料理の出自に関わらず幻想郷では高級なものに位置づけられる。警防団も里の有力者たちの援助によってそれなりの団結式を執り行ったりしたものだが、他にいったいどんな団体がやるのだろうか。

「講民党の集会だそうです」

「コーミントウ?」

 聞いたことのない徒党だ。考え込んでいると美鈴が壁の文字から勝手に注文を進めていたので、慌てて脳裏に広がる情報を打ち消した。

「あ、ウチは楊春麺で!」

   *

 

 翌日、藤花は畑から戻ると「本日午後より営業」の札を店先へ出し、私服姿で通りを急いでいた。

 警防団へ入って以来、早朝は畑いじり、日中は煙草屋、もし連絡が入れば警防団本部へ出頭し、と彼女の日常は確実に多忙を極めていた。聞けば里内の分団に入った酒屋などは、河童と契約して自動販売機の展開に着手したらしい。手間賃もそれなりに取られるようだが、藤花の時代のそれと異なり、防犯設備も備わっている為に売上金の強奪の心配も無く手間賃はあれど店主不在の間も売り上げが発生し続けるのが良いのだとか。高黍屋の銘柄で一番売り上げの良い刻み煙草「とき」あたりから始めようかと思案した時、彼女の目的地が眼前に現れた。

「飯綱銃砲火薬店」

 指鉄砲や弾丸を図案化した意匠に彩られた看板に墨痕鮮やかな漢字が躍っている。先日縁日で入手した割引券とやらを携え、警防活動中に使用するであろう火器を調達に来たのだった。手持ちの銃は紅魔館住人の一部を除いて所持すら知られていないし、もしも今後「個人的な」戦闘が発生した場合、公に使用する火器を別に購入しておくのは彼女にとって損は無かったのだ。

「おじゃましまー……」

 使用されている建屋に対し、内装が非常にモダンだった。藤花の知る内地の銃砲店などに比べるとカフェーめいた洒落た照明をふんだんに使用し、銃器をさも高級な調度品めいて顧客へ印象付けている。すかさず洋装の店員が現れて恭しく挨拶する丁寧さだ。

「いらっしゃいませ、何をお探しでしょう」

「あー、その、ウチ警防団の者で……」

店員は小さく頷いた。団結式の写真を総天然色で眺めれば、藤花の髪は嫌でも目立ったはずだ。彼もそれを目にした可能性がある。しばし顎に手を当てて考え込むと、その手で陳列棚を一通り指し示した。そこには小銃、散弾銃、拳銃と一通りの種類が取り揃えられていた。

「皆さん選択は様々です。外来人の方には、以前おられた時代や国籍に合わせた個体をお勧めできますが……いかがでしょう?」

 成程上手いやり方である。しかし藤花も戦時下日本から来たと吹聴して回るわけにもいかない。迷わず「リボルバー」の棚を指差し、あそこから選ぶと伝えた。

 自動拳銃は、明らかに(藤花から見て)未来の銃が混じっているし、操作も個体によって大きく異なる。一方でリボルバーは時代は変われど操作系統はまず同じであったし、彼女の出自を誤魔化すには丁度良かった。

 チラと見た限り、リボルバーは知っている形の物もそれなりに並べられていた。警防団の身分で大手を振って所持できるなら敢えて大柄なものを選び、あいつはでかいのを持っていると周知させた方が仕事もやりやすくなるだろう。戦前から慣れ親しんだS&Wの社章が彫り込まれ、重そうな銃身を備えた一丁を選び取った。

「こちらをご存知ですか?」

「えーと、映画で観てん」

「左様ですか。こちら社外製のラバーグリップをお付けして…そうですね、割引券をお持ちですが、現在警防団の方へはもっとお安く提供させて頂いておりますので、そちらはご不要ですよ」

「ほんまに?」

「ええ、もう一丁、無料でお持ち頂けます」

 藤花は目を丸くした。大盤振る舞いもいいところだ。おそらくだが、銃器犯罪の温床と後ろ指を指されるくらいなら、警防団に大々的に売りまくって正義の味方として里へ印象付けたいのだろう。それに一人あたり二丁売れば、弾薬なり交換部品で後々売り上げは補填される。

「地下に試射室を設けておりますので、よろしければ利用なされますか?」

「あ、ああ、せやね」

 懐に忍ばせやすそうな短銃身の一丁を予備として選び、ついでに自動拳銃の棚にあった見覚えのあるコルトと、さも迷っているそぶりを見せて店員に託した。

「ではこちらへ」

 見れば中庭のようなところに地下へ降りる階段が設けてあり、入り口はベトンで囲われている。これで音は上空へ逃がす仕組みなのだろう。案内されるまま階段を下りていくと、かつて訓練で入れられた地下射撃場を想起させた。

 

   *

 割引で浮いた資金は拳銃嚢と弾丸の購入に充て、しかも当日そのまま持ち帰ることが出来た。警防団への銃個体番号や旋条の登録は店から情報を横持ちしてくれるらしく、手厚い対応である。

 家に戻り店を開けると、勘定台の陰で紙袋を開けて調達した得物を並べて観察してみる。黒光りするリボルバー二丁だ。大型の一丁は銃身に357MAGNUMの刻印があり、銃身下には射撃時の錘として機能する押出棒覆いが装備されており、華奢な少女のような一九式と比べたらまるで大男の腕めいている。もう一方は撃鉄を覆う外装が特徴的な短銃身仕様であった。マグナムは大威力すぎるようにも思えたが、いざという時は三八口径弾を使いまわせるので弾丸の調達にも有利といえる。どちらにせよ、銃をちらつかせれば大体のチンピラが、そして度胸のある人間相手でも権力をかさにきた奴が一発ぶっ放せば大人しくなる事を藤花は心得ていた。

 警防団として里の治安に関わる情報を入手閲覧できる立場、公用車という大衆より秀でた足、そして公認で携帯できる銃と、藤花の計画において重要な要素はなんとか取りそろえることが出来た。

「あとは、真面目に仕事するだけかな……」

 銃を仕舞い、傍らの紙片を取り上げる。そこには「お値段異常!自動販売機契約者募集中」と文字が躍っていた。定期的に森の近くへ来ているという噂を聞きつけたので、あとで覗きに行ってみるつもりだ。それさえあれば、多少警防団にかまけていても稼ぎは出せるようになる。

 その時だった。

「ごめんくださーい!」

「およ」

 威勢のいい挨拶は聞き覚えがあった。いつしかのブン屋さんというか文だ。配達鞄とは別に重そうな紙の束を抱え、戸枠を叩いていた。

「藤花さん、いらっしゃいます?」

「ああ、文はん。いらっしゃい、こっちおるで。……って、あれ。新聞はもうもろてるけど」

「いえいえ、先日お願いされていた既刊ですが、流石に取り置きが無くて…代わりに、年始に出した異変解決号外特集があったので、そっちを持ってきましたよ」

「おお!おおきに」

 受け取ってみるとどっしりと重い。過去に起こった異変を調べれば、幻想郷の結界を破る糸口が掴めるかもしれないと思ったが、これだけの異変が起こっても揺るがないのだから流石と言わざるを得ない。

「そういえば、藤花さん」

「はいはい」

「本日は、銃砲店の方へ行かれたようですが……狩猟でも始められるんですか?」

 ぎょっとして顔を上げると、文は手帳と万年筆を手にし、取材の構えを見せていた。もしかして号外は餌で、こちらが本命だったのではないかと勘繰るほど彼女の目は真剣であった。

 しかしそこは藤花も隙を見せず、からからと笑って傍らの袋を持ち上げた。

「警防団の仕事やで。ここんところの売り上げ調査と聞き込み。それだけやって帰ってきたとこ」

「そうでしたか……」

「煙草屋の取材やったら、いつでも歓迎やねんけどね」

「そうですねー、山の天狗達は警防団関連の記事の方が関心が高くて、人里の経済記事は年明けまで待とうかなと思ってたところで……あっ、煙草屋さんに強盗が入って藤花さんが取り押さえたなんて事があれば、もうバンバン書いちゃいますよ!」

「縁起でもない事言ぃな(言うな)!」

 思わず椅子から転げ落ちそうになってしまった。この新聞記者、どれだけ過激なタネに飢えているのか。

「やだなぁ、冗談じゃないですか」

「でも、里で銃砲売ってるなんて思いもよらへんかったけど」

「うん?そうでしたか」

 意外そうに眼を瞬かせる文に、藤花もまた少し考えを述べる必要に迫られた。漂着して日の浅い彼女とはいえ、生き延びる為に霖之助や美鈴からこの土地の特性は聞き及んでおり、人一倍情報を吸収したつもりでいる。人間が安全に暮らす領域が極端に限られている土地柄、新たに旗揚げする警防団の後ろ盾がついたとはいえ里に事業として成り立つ銃砲店があるのは藤花にとってもどこか不思議に思えたのだ。

「なんていうか、幻想郷……ここって妖怪が、えーと」

「妖怪に有利である、と?」

 それとなく発言を引き出すように語尾を濁していたら、文も藤花と同様の考えを口にする。

「そう、そういう土地で人が揃って銃を持てば、力の均衡に影響が及ぶやん」

「確かにそういった考えの声はあるようですね」

 妖怪は人を襲う一方で、人間は妖怪を退治する事も認められている。マタギなどの例を見るまでもなく、信仰の対象とする一方で狩猟の相手や場を取り仕切る存在として君臨した妖怪がおいそれとそれを認めるとは藤花もにわかに信じがたかったのだ。

「里の銃砲店……ちなみに企業の主は私の上司にもあたる者ですが、実はそれほど憂慮はしていません」

「ん、そうなん……」

「人間の退治屋は既に何人か名前を知られていますが、対決はいつも実体の弾丸を用いない弾幕勝負と掟で定められてますからね。狩猟ならばともかく、銃を振りかざして妖怪の領域に突っ込んでいったところで、勝負にならない……いや、相手にされないという現実もありますよ」

 藤花も現場を見たわけではないが、幻想郷における人妖の対決がそうらしいというのは耳に挟んでいる。先日顔を合わせた霊夢もそういった妖怪の起こす異変に対して何度も出撃しては名を上げているとも。

「それは確かにそうなんやけど……」

「ええ、ええ。私も当初は藤花さんと同じ憂いを口にしましたよ。でもですね」

 その瞬間、足元から上着を吹き飛ばされそうな烈風が巻き起こり、藤花の瞼は反射的に異物の侵入を防ごうと何度も瞬きを繰り返した。何が起こっているのか分からないが、眼前の文が姿を消した事を認識した次の瞬間、後ろから肩を叩かれる。

「鼻にかけるわけではありませんが、藤花さんの射撃の腕で今の速度に追い付けますか……?」

「…………悔しいけど、無理みたいやね」

 藤花の反射神経の速度を超えて、文は跳躍し、背後に降り立っていた。辛うじてそれは認識出来たものの、動きを読み先んじて対応するには到底及ばない。身体能力の差というものを、この短時間でまざまざと見せつけられたのだ。

「加えてですね」

 ただそれだけではない、と文は言い添える。

「銃というものは当然弾丸を込めるわけで、人間がそれを手にして制圧能力を伸ばしたところで、その力は弾が残っている回数、そして時間分しかありません。そして妖怪は鍛えるだけ伸びる己の体力で対峙するわけですから……」

「成る程ね、弾を増やして対応しようとすれば、重さと装備で着膨れして動きが緩慢になるってわけ……」

「今のところ、そういった理論で妖怪は楽観視しているんですよ」

 文も十二分に納得しているわけではなさそうだが、今の瞬発力を目にした藤花も銃の能力に限界を覚えざるを得なかった。

「っと!おしゃべりが過ぎましたね。また、警防団のお話、聞かせてくださいよ」

「あ、ああ……おおきに」

 そう挨拶をして表へ出た文は、素早く跳躍して通りではなく空へと消えて行った。あれだけの機動力があれば取材対象もどこまでもつけ回せるに違いない。羨ましくもあり、今後の活動を考えると若干の疎ましさも覚えた。

「さて、と……河童さんに会いに行ってみよかな」

 独り言を漏らして立ち上がる藤花の背後には、またどこからか大量に調達してきた胡瓜に満たされた籠があった。

 



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用語解説(2) 幻想入り後

赤い花なら曼珠沙華

……昭和十四年のヒット曲。歌詞は「阿蘭陀屋敷に雨が降る」と続く。

歌の長崎はいつも雨降ってるな。

 

 

 

当たったら死ぬ

……射命丸文の投げた新聞と、当たったら病気になる(最終的に死ぬという説もある)という「天狗礫」をかけたのだと思われる。

 

 

 

あたらしい憲法のはなし……戦後、新憲法発布にあたり発行された冊子。軍艦や戦車といった兵器を炉で溶かして民間インフラが走っていく挿絵が有名。発行後しばらくは教科書としても用いられた。霖之助から藤花へ幻想郷が異世界であることを示す餞別として手渡される。

 

 

 

ウルトラ・ストロングバキューム・メルテッドニッケル・クロムモリブデン・バナジウム

……長い。けど実在する合金。超合金なんてレベルじゃなく堅そうだが、イギリスの試作超音速爆撃機TSR‐2の脚支柱に使う為に開発された。

 

 

 

グーテンベルグ

……活版印刷を発明した人。「グーテンベルグか!」というツッコミは、活版印刷の聖書が同じ重量の銀と価値がイコールであったことに由来するのかもしれない。カッパん印刷。

 

 

 

軍粮精

……戦地での栄養補給に供された補助食品。支那事変期に熱糧食というカロリーメイト状のバーがあったが、第二次世界大戦時にはキャラメルに置き換えられていた。幻想郷で飢えに堪えかねた藤花が頬張った。

 

 

 

軍票

……正しくは軍用手票。戦時下、軍隊が占領地において物資の購入等を行う際に使用する疑似通貨。大体は発行国が価値を保証し、支払いを受けた現地人が追って発行国に請求する形を取る。博麗神社で藤花が賽銭箱に大量に投入した。

 

 

 

警防団

……昭和十四年に従来の消防組と防護団を合せて、消防のほか戦時に予想される空襲被害を食い止めるべく編成された民間消防組織。軍事色は薄かったがイキりちらした制服を仕立てて軍人さんに苦言を呈される人がいたりした。戦後アメリカから「こんなん戦争協力組織やろ」とツッコまれて解体。現在の消防団に変わった。

 

 

 

ジメルカプロール

……魔法の森で藤花が服用した解毒剤。糜爛性ガス(ルイサイト)に対する解毒剤で、そもそも瘴気に抗する事は出来なかった。他にも解毒剤を所持していたようだが、最初に出てきたのがこれのようだ。

 

 

 

人外魔境

……前人未踏の秘境のこと。藤花が幻想郷を見て口にしたのは、一九四〇年ごろ連載されていた冒険小説のタイトル。各学問に精通した軍偵主人公が世界各地の秘境を冒険する様子を、友人が手記で紹介するという形式のストーリー。新青年は掲載されていた雑誌の名前。

 

 

 

その種のカフェー

……咲夜のメイド服に藤花が抱いた感想。戦前のカフェーは今よりもキッズお断りな空間というイメージが強く、また女給がそういうサービスを行うお店も実際多く存在した為。

 

 

 

 

煙草の自動販売機

……戦前にも煙草の自販機は一応存在していた。といっても当然電動のものなど無く、硬貨を投入してレバーをガチャンと引くと一個出てくるという代物。また台数も少なく、どちらかというと物珍しさからの広告効果を期待して設置されたものがほとんどであった。

 

 

 

二笑亭

……門前仲町に実在した個人邸宅。どこにも通じていない階段や節穴を利用した覗き穴、木造建築の中で一部間取りだけ鉄筋を利用するなど他には見られない特異な構造が話題となったが、着工から十年経っても完成する気配が無く、おまけに家主の入院をきっかけに無人となり最終的に取り壊された。本作では幻想郷の人里に突如現れ、奇怪な外観から誰も近寄らず、藤花が住み着く事となった。

 

 

 

日産F31レパード……トヨタの後塵を拝していた日産自動車が高級パーソナルクーペの決定版として世に送り出した同社ブルーバードの上級車種。初代は2ドア・4ドアを用意し、ソアラに先駆けて発売されたが諸条件が重なり売上では敗北。打倒ソアラを目指し2ドアのみで投入された二代目も新型ソアラを追い越すまでには至らず、バブル崩壊後の三~四代目は同社セドリック・グロリアの兄弟車同然のモデルとなりその幕を閉じた。本編ではダークブルーツートンカラー仕様が警備車両として紅魔分団に配備され、藤花、美鈴コンビが乗り込んだ。あぶない。

 

 

 

バイオリニストの美少女

……紅魔館のお嬢様と聞いて藤花が想像した人物像。の事。現代でも通用しそうな美貌と卓越した腕前で海外演奏も行った事のある国民的アイドルとして一世を風靡した諏訪根自子の事と思われる。

 

 

 

ほまれ

……日本軍の軍用煙草。藤花が屋号の候補として挙げていたほど日本軍人には馴染み深い銘柄。「突撃前に吸って敵陣に斬り込み、多くの戦友が死んだがあの時の煙草の味は旨かった」と回想する人がある一方、戦後吸ってみて「これこんなにまずかったのか」と感じた人がいる等、評価は人によってまちまち。もちろん同店の品書きにもある。

 

 

 

 

ゆびタッチ

……液晶画面と入力装置などを組み合わせた所謂「タッチパネル」。直観的な操作が可能で、ソフトウェア入力よりも指示が早いといった利点がある。紅魔館でレミリアから「知ってる?マイクラ」と未来のデジタル技術を自慢され、藤花が「画面に触れるんやで!」と対抗して出したのが富士通のワープロ、オアシスLX4500だった。



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第四部 人里警防団大演習①

 昼下がり。仕事がひと段落したところで、藤花は「外出中」の札を店先へ出して根城を後にした。

 秋も真っ盛りになると行き交う人々の装いもより艶やかに、厚みを増して山々に深く降り積もる紅葉を想起させる。人妖の他に動物も娯楽には事欠かないと見えて、カラスが一羽、町中にも秋の恵みは転がっているとばかりに低空飛行で品定めをしていった。

「さーて」

 鈴奈庵を覗いてみたが、小鈴嬢曰く今日はまだ河童の身内を見かけていないらしい。となるとチラシの上で「お値段異常!」と叫んでいる顔だけ描かれた情報を手掛かりに探さないといけないわけだ。ある意味警防団の業務の鍛錬になって良いだろう。ついでに聞き込みのコネを作っておくのも悪くは無い。

 問題は、代金の一部を背負った籠の胡瓜で支払うつもりである事だった。痛む前に見つけなければ大損である。

 

   *

 

 

 

里の外環沿い、「ニトマート」と色とりどりの看板が掲げられた白い箱めいた建物の前に、藤花は佇んでいた。えらくモダンな造りだが、周囲の景観との不一致は紅魔館以上だ。むしろあっちの方がまだ荘厳さを纏っている。

 チラシにも「河城にとり」という責任者名が載っていたので、屋号もおそらくそいつにまつわっているのだろう。意を決して入ってみる。

「いらしゃいませー」

 間の抜けた店員の声がこだました。店内は万屋というか豆デパートメントといった様子で、様々な道具や加工食品のように見える固まりが数種類ずつ置かれている。見るからに便利そうな店舗だが、他に客が見当たらないのは立地のせいなのか、それとも人間お断りだからなのか。

「あのー……河城はん?」

「あぁ、店長なら今日別件で不在ッスけどォ」

 可愛い声だが糞生意気だ。皿も甲羅も無いのに人間サマを馬鹿にしてるな!?と詰め寄ろうとしたが伝説通りなら腕力はこちらを上回るはずだ。

「そ、そうなんやー……この自販機契約のチラシ見て来たんやけど、売上十五パーセント持ってかれるってこれマはぐうううぅッ!!?」

 突如、背後から突き上げられるような、否、彼女は実際突き上げられた。大の大人ならまず警戒していないであろう手段で、藤花の体が床から十センチは持ち上げられただろうか。

人間、突然の大怪我には痛覚ですら反応を忘れる事がある。その一瞬で、子供じみた「かんちょう」を食らったのだと理解した。

「うちらの取り分がなんだって……?」

 藤花の背後、片膝をついて合わせた手から一撃を放った下手人が緑の作業帽の下から彼女を睨み上げる。

「ンな事よりもォ!カネの!話が!!先だろうが!!!」

「んひィ!?」

 突然大声を出されたものだから、藤花の体が反射で跳ねた。瞬間、異物に反応して下半身から激痛とも衝撃ともつかぬ感覚が駆け上ってくる。

「こっちだってなァ、慈善でやってんじゃないンだよ!」

「店長ォ、裏連れて行きます?」

「あひゅ……う、ん…な、中で動かさないで……」

 客がいない理由が分かった。こんなところ、まともかどうか関係なく人間はまず来ない。幻想郷ソドミー同好会でもあれば別だが、あったところで尻子玉を抜かれて大変なことになる奴が続出するのが関の山だろう。

「きゅー……きゅうり…そっち入ってます……ぅ」

「あん?……あ、店長。こいつ前金ちゃんと持ってきてますね」

「うお、やっべ」

 突如藤花を突き上げていた異物感が消え、途端に開放的な気分が取って代わった。そしてガニマタで爪先立ちというあられもない姿を晒していた彼女は均衡を失って思わず倒れ込む。

「ぐぅ……ッ」

 白目をむいて倒れている藤花を、にとりが不安げな顔で覗き込んだ。

「ご、ごめんね?こないだ、うちの後輩が強盗に入られたから……」

 可愛い声出しても無駄だ、と言いたいところだが声が出ない。

「ぁ……ぁの、すみません。起こして下さい……」

 にとりに助け起こされ、持って寄越した椅子へと座らされた。まだ、後ろの方が焼けるように痛い。藤花の座る眼前には勘定台が横たわっており、その奥でおそらくはこの企業の主、河城にとりが頭を下げている。

「お、お詫びってことで初月は割引きにするから、ね?」

「ぁい……はい、分かったから説明おねがいします……ぅ」

 では、と言ってにとりの顔が元気良く跳ねて準備の整った契約書類が台上に広げられた。完全に営業スマイルだ、人のタマを何とも思っちゃいねえ。

 もしかして里に顔を出している妖怪皆してこうだったらと、妖怪の人命観に戦々恐々としながら、にとりの定型文らしき説明は聞き漏らすまいと耳を傾けていた。

 幸いにして自動販売機の機構や形態は藤花の知る、もしくは想像していたものとさほどかけ離れておらず、河童の手による防犯装置も効果は上々で既にご利用頂いているお客様からのお墨付きでもあるという。

 自販機の型式や、一部河童製品も取り扱うようにする事で契約金額が変わるらしい。思いの外商売熱心で驚いた。技術屋だという噂ばかり訊いていたので、その辺りは疎いかと心配していたところである。

 では、と北区に一台、開店前には仕事に出かける農夫が買えるよう別居住区に一台、高黍屋の品書きでも特に売れ行きの良い刻み煙草を中心として置くという事で契約した。

「河童製品は何を入れるの?」

「ウチもよく知らんねんけど……何があるん?」

「今のところ、命取り留め機と、陣笠っ娘かち割り機、バールのようなもの(絹ごし用)があるよ」

「……もう一回」

「命取り留め機と、陣笠っ娘かち割り機、バールのようなもの(絹ごし用)」

 藤花は静かに頭を抱えた。このスカート職工河童は何を口走っているんだ。筋肉隆々の脳まで鍛えてそうな奴の単純な思考をしてゴリラ語などと揶揄する事があるが、河童語というものがあるのだろうか。今度小鈴に聞いてみよう。

 また陣笠っ娘とは何なのか。里の周辺で傘のお化けが人を驚かすというのは耳に挟んだ事があるが、陣笠は「御用だぞ、御用なんだぞ」とか言いながら小娘が十手を突き付けてきたりするのか。ちょっと可愛いぞ。

しかし唐傘や洋傘は避けて陣笠だけかち割られるというのも可哀相だ。里で問題になったりしないのだろうか。バールのようなものについてはもう何も言うまい。

「……分らへん。河童の技術が理解できへん……じ、じゃあこの命取り留め機って…これはまだ用途が分かるけど、いくらなん?」

「同じ重さのウルトラ・ストロングバキューム・メルテッド・ニッケル・クロムモリブデン・バナジウムと交換だよ」

「グーテンベルグかいな……」

 

   *

 

 とりあえず自販機には煙草の他に「にとりのイースターエッグ」という無難すぎる品名の物があったのでそれを入れる事にした。おかげで徴収費用も若干下がった。

ただこのイースターエッグ、藤花の知るそれと異なり色や装飾は河童独自のもので、それぞれ意匠にかたどられた動物を懲らしめる機能があるという。なぜ動物を方々で懲らしめなければならないかはまた謎だったが、天敵の猿を駆逐する為に開発した技術が基だという。そう言われると確かな技術力は培っているらしい。

 一通り契約を終わらせてふくれ面のにとりを残し、その日はニトマートを後にした。

 

   *

 

 店への道を急いでいると、久方ぶりに見る顔があった。

「あれ。あんた、いつだったかの煙草屋」

「霊夢はん、こっちで会うんは珍しいね」

 仕事着(?)の藤花に対する霊夢は、片手に菓子屋の袋など携えていかにも休みを満喫しているといった風だが、連れなどがいないところを見ると彼女も同じく帰り道であろうか。

「ウチもさっき今日の用事が終わったとこやねんけど、よかったらお食事でもどない?」

 にこやかに飲食店の並びを指さす藤花に、霊夢はというとため息ひとつ。

「あんたも、見知った人ばっかりじゃなくて色んなとこに顔売っておかないと今後の商売に差支えるわよ」

「せやから、チラシ刷って配ったり警防団の会議に灰皿差し入れたりして頑張ってるねん。……晩御飯、あかんかな?」

「あかんかなって、警防団の会合はいいの?あ、そっちのトップは咲夜だっけ」

 一応紅魔分団の連絡係として定期的に本部に顔を出していたが、会議とは何事だろう。余計な仕事は増えなければいいが。

「何か”演習”とかやるらしいわね。面倒ったら……」

 ぼやきながら、年恰好に似合わず首筋に手をやってボキボキ鳴らしながら霊夢は去って行ってしまった。

「演習って……こないだ火消しの練習は余所でやっとったし……捕り物の、練習かな……?」

 



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第四部 人里警防団大演習②

 その日、幻想郷を俯瞰する事が出来たら、人里の特異な盛況ぶりを目にすることが出来ただろう。実際、人妖問わず里の一角に形成された黒山の人だかりは朝から清く正しい新聞記者、射命丸文によって朝から監視されており、ついにはどこから持ってきたのか収録機材を携えた応援まで呼び寄せて取材と記録を開始し騒ぎをより一層盛り上げていた。

人の視点で見ても騒ぎの要因はそれとなく知る事が出来ただろう。中心となっている小ぢんまりとした商店を中心に、異変解決の英雄や竹林の案内人、紅魔館の使用人といった錚々たる面子が顔をそろえていたからだ。

更にその中には、煙草屋店主、藤花の姿もあった。

「皆さんおはようございます!清く正しえい幻想郷の良心、射命丸文が人里北区の質屋、新晃堂の前から緊急報道致します!サテ昨今人妖を騒がせている組織、警防団が遂にその全容を白日の下に表す事となりました!こちらで重大犯罪取り締まりの大演習を実施するに当たり、人間のみならず多くの妖怪も詰めかけ、辺りは祭りのような騒ぎとなっております」

 事実、警防団関係者は人里内を担当する二個分団の構成員の他は周辺の分団から派遣された数名がいる程度で、あとは野次馬であった。

 縁日でもないのに道路のあちこちには屋台が出ており、一種いい匂いが立ち込めて文字通りのお祭り騒ぎをかきたてていた。

「今回の演習は、警防団創設後初となる人里内の犯罪の取り締まりに特化したもので、日頃の任務を民衆に知らしめ、技量を高める事が目的と発表されています。……しかし!」

 文がマイクを握る手により一層の力を込める。妖怪内のラジオか何かメディアを通じているようだ。

「あの、是非曲直庁が演習に協力すると共に、近年激務化が進行していると言われる閻魔の負担軽減の為、人間の犯罪防止を呼び掛ける事になっております!多分これ来るのあの人だよね……」

 最後の不安げな一文は、マイクを伏せて傍らの天狗に囁いたものであった。

 

   *

 

警防団本部。

「防犯演習本部」との看板も追加された本部では、行く末を見守る幹部達の席がズラリと並べられ、壁には顔写真付きで今回の演習で誰が何を演じているのかを一覧できる地図入りの図表が掲げられていた。

 人里外での警察権行使を想定しない為、基本的に実働部隊となるのは本部と命蓮寺分団の警防員達だが、何事も経験と言う事で周辺の分団からも警事課員を数名ずつ派遣している。

「是非曲直庁の応援、来ました!」

「来たか……」

 駆け込んできた警防員が声を張り上げ、待機している面子が色めき立つ中、新入りの藤花は今一つその意味をつかみかねていた。

「なあなあ、霊夢はん」

「あん?何」

「その是非……てのは、どちらさんなん?」

「閻魔様が来るのよ。すっっごい面倒くさいから、大人しくしてた方がいいわよ」

 袖を引っ張る藤花の疑問に、霊夢は首をすくめて答えた。

やがて戸口に、迎えに出て行った警防員と、話題の閻魔様が現れ、幹部連中が揃って立ち上がった。先頭に、甲種制服を着こなした団長が出迎える。

「おぉ、これは、四季映姫様、お忙しいところわざわざお越し頂いて……」

「いいえ、咎人が存命中に行いを悔やみ、更生する事に何の面倒がありますか。人の中にこのような動きが出てきた事に、私は感動しています」

「では皆さん、既にご存知の方もおられると思いますが、この度の演習にご協力頂ける四季映姫様と、三途の渡し船頭、小野塚小町様です」

 団長の言葉に合わせて頭を下げた二人が、件の「応援」らしい事は藤花にも理解できた。お辞儀の順番からして、さっき戸口で団長とやりとりがあったのが映姫様とやらで、もう一方の室内にもかかわらず巨大な罐を携えているのが船頭の小町様のようだ。

「これから一旦昼食を摂り、午後から各員に行動を開始してもらいます」

 それから、副団長による簡単な演習内容のおさらいである。

 この演習には、筋書きが無く犯人役も警防団役も市民役(予期せぬ怪我が無いよう、市民も警防員が演じる)も臨機応変に行動し、結果として生きた訓練になるというものであった。市民役、警防員役が本部を出発後、犯人役が密かに出発して犯行に及び、その対応を見る予定となっている。

「しかし……」

 団長が微妙な笑みを浮かべて、傍らの映姫を振り返った。

「閻魔様自ら犯人役とは、いったい……」

「こちらでは、過去数多の罪人を裁いてきた際の記録、統計があります。これを最大限に活かし、里の安寧を脅かす犯人像を作り上げました。町の青年で取り押さえられる程度の犯人では、生きた訓練になりません。警防団の言葉を素晴らしいと思ったからこそ、こちらも全力で悪人役を演じます。ですから、私と思って遠慮せず持てる力を出し切ってくださいね」

「は、はぁ…」

 今の映姫のコメントが締めくくりのような扱いとなり、さりげない拍手の後に、一同は用意された弁当に群がった。

「藤花、ちょっと煙草でも吸いに行かない?」

「え」

 霊夢に促され、藤花と美鈴は派遣要員向けの席を離れて本部建屋の中庭へと向かった。

 中庭の片隅で石に腰かけ、弁当を開く藤花が疑問を口にした。

「霊夢はん、煙草吸ってたっけ」

「吸うわけないじゃない、あんなお金かかるもの……説教避けよ」

「説教?さっき面倒って言うてたけど、やっぱり閻魔様だけあって厳しい人なん?あのえーき様って」

 次の問いに、福神漬けご飯をかきこんでいた霊夢がまた首肯する。

「馬鹿が付くほど真面目よ。なあなあで捕まえてめでたしって訓練じゃ済まない事は確かね」

「……美鈴はん、これ食べたらさっさと里内巡察に出かけよか」

「そ、そうですね」

「あっ、警防員の方々が出発します!いよいよ演習開始のようですね!なお新たに入った情報によりますと、四季映姫様は何と犯人役で参加されるという事です。あらゆる罪人の心理を知り尽くした彼女に、警防団がどのように対処するのか?我々報道陣はその行方を注意深く見守ると共に、最新情報を逐一皆様へお届け致します!清く正しい記者、射命丸文が警防団本部前よりお送りしております!」

 

   *

 

 高黍屋の前に停められた濃紺のレパード。その車内に紅美鈴と藤花の姿があった。

「こちら紅魔三号、現在里内以上なし、どーぞ」

「本部了解、紅魔三号、引き続き警戒して下さい」

「了解」

 本部には現在、副団長、各分団長、無線隊と待機部隊がいるはずだ。数分前に犯人役が本部を出発したという連絡があったので、任意の時間に「新晃堂」という質屋を襲撃する予定だろう。筋書きのない訓練という割に襲撃先が指定されているのもあれだが、万が一住民が怪我をしたりしないよう、客も全て警防員が演じている質屋が指定されたのだ。

「藤花さぁん、世間じゃお休みの日ですよ。こんな日に仕事するもんじゃないですね……ふぁーあ……」

「なーに、あと一、二時間の辛抱やって。犯人が店襲うたら、包囲して検挙やろ」

 乗車してから三本目の煙草に点火しつつ、藤花は時計を確認した。夕食時までに帰れれば良いが。

 

   *

 

「四季様、あたしたち車使って良かったんですかね」

「逃走する時に盗難車を使うのは犯罪の常套手段です。今は犯人役に徹しなさい」

「はぁい……」

 里の通りをゴロゴロと進むオオタ・フェートンの車内に、四季映姫と小野塚小町ふたりの姿があった。

 小町は、里へ到着した時からそのままの恰好であったが(流石に鎌は本部に預けてある)、一方の映姫は犯人役になりきっており、丸い黒眼鏡に深緑色の外套を羽織り、手には革の指ぬき手袋をはめて明らかに怪しい出で立ちである。しかも、おそらくそうやって犯行前に気を落ち着かせた犯罪者がかつていたのであろう、胡桃を二つ手の中でカリカリ回しはじめた時は流石の小町も吹き出しそうになるのを二の腕をつねって我慢しなくてはならなかった。

「し、四季様……着きました」

「あぁ……」

 明らかに点火できていない燻った煙草を一本、窓外へ投げ捨てると、自らも車を出て周囲をわざとらしく睨み付け、目標である新晃堂へと向き直る。ところどころ慣れない仕草が目につくとは言え、これが知る人ぞ知るあの裁判官であると誰が想像できるだろうか。

 そして新晃堂の戸をゆっくりと押し開ける。警防団側は誰が客で誰が犯人かを知らされているが、店側は演習の事しか知らされておらず、誰が犯人か知る由も無い。

 素朴な木造の店内は持ち込まれた大小さまざまな道具で満たされており、売り買いに訪れた客(という設定)が数名、店員と雑談に興じたり品定めをしていた。

「お待たせ致しました。お持込みでしょうか?」

 やがて、室内でも黒眼鏡をかけたままの映姫の下へ店員が一人駆け寄ってきた。

 勘定台の上に荒々しく鞄が置かれる。

「……?」

 鞄の中から、小さなメモ帳が取り出された。一枚目をめくると、新聞を切り貼りした文章が現れる。

『銃を持ってる 大人シく 金を詰めロ』

「…………っ」

 思いがけず演習の先陣を切らされた店員だったが、その行動はあくまで落ち着いていた。少々お待ちください、と静かに告げると、勘定台の方へ宣言する。

「買取査定、十五番お願いします」

 その言葉に、奥にいた店長が顔を上げた。実はこの店の札は十番までしかなく、十五番という札は存在しない。これは演習の舞台に選ばれ、にわかに高まった防犯意識から生み出された符牒であった。意味するところは強盗の来訪の報告と、犯人を刺激せずに通報するよう求めるものだ。

 店長の通報により、警防団本部の熱も高まった。

質屋・新晃堂にて強盗事件発生。

「こちら警防団本部前です!ただいま人里内に緊急配備が敷かれ、次々と待機していた警防員が出動しております!我々報道陣も現場へ急行したいと思います!」

 

   *

 

 最初に気が付いたのは、店外に待機していた小町だった。

 通報によって続々集まってくる覆面車は、モータリゼーションの十分でない幻想郷においては嫌でも目立つ。バックミラーに次々と姿を現した自動車に、思わず車を急発進させた。

「あれです!あの車だ!」

 裏口から表へ出てきた店主が、興奮を抑えきれない様子で走り去ったオオタ号を指さす。数台の覆面車はそのまま店の前を通り過ぎて、小町の車へと肉薄した。

 

   *

 

 一方、強盗の来訪を報告した店員は、次の行動を決めかねていた。知らせた後、どうやって犯人を刺激せずにやり過ごせばいい?その躊躇を感じ取ったのか、眼前の犯人(映姫)がメモをめくった。

『早く金を用意してこの鞄に詰めろ』

「…………」

『早くしろ!殺すぞ!!』

 無言でメモを突き付ける映姫に、店員が肩を震わせたとき、店に新たな客が現れた。

「こんちわー」

「!」

 ここへ来るまでにふかしていたらしい煙草の残りの煙を店外に吐きつつ、入ってきたのは藤原妹紅であった。彼女も竹林分団の応援の一人であり、通報時の駆けつけ要員として待機していたのだ。

「えっと、さっきここで……」

 妹紅が何か言いかけながら物入れから何かを取り出そうとする仕草をした瞬間、沈黙を守っていた映姫が振り向きざまに外套の下から小銃を取り出し、哀れな標的の頭を吹き飛ばした。

「ばーん!」

 

   *

 

 小町の逃走は、複数台に包囲されあえなく潰えていた。動きを止めた車からよろよろと降り立った小町は駆け付けた警防員に取り押さえられ、手錠をかけられる。瞬間、周囲からシャッター音と拍手、そして歓声。

「おおーっ」

「お見事!」

「いやぁ参ったねえ」

 警防員と小町が、かけられた手錠を報道陣にもよく見えるように掲げてみせると、拍手がより一層大きくなった。いかにも和気あいあいと訓練が無事終了したといった光景である。

「文々。新聞です!通報から三分で犯人の一人を検挙しましたが、出来栄えについて何か一言!」

「うん、住民の皆さんも良く御協力して下さり、申し分ない出来かと思いますね」

「いや、まだまだ短縮できるはずだ」

 形式通りといったインタビューを交わす警防員と文の背後から、自信満々な表情の副団長がずいと歩み出た。怪訝な顔の部下を尻目に、意欲に燃える警防団としての姿勢をアピールしようというつもりなのだろう。

「今日は交通規制を敷いて、自動車も馬車も量が少ない。という環境にあって三分というのは、少しかかりすぎなような気もするね」

「はあ、そうですか」

 演習をさっさと成功裏に終わらせ、住民からの信頼を勝ち取って終ろうという公式コメント達は、文のジャーナリスト精神を満足させる事は出来なかったようだ。対照的な表情の警防員達と文の下へ、別の団員が駆け寄ってきてただならぬ様子で報告した。

「た、大変です。四季えい……犯人が藤原団員を”射殺”しました」

「藤原って、竹林の妹紅さんか!?」

「現在、新晃堂は入口に障害物を置いて徹底抗戦の構えを見せています」

「急げ!店に戻るぞ!」

 青ざめた顔で踵を返す団員達と対照的に、今度は文が俄然元気を見せた。

 

   *

 

「……えー、大変な事になってきました!犯人である四季映姫様は駆け付けた警防員、藤原妹紅を射殺し籠城するという手段に出ました!これにより、二時間もあれば無事終了するだろうという警防団側の甘い見通しを、見事に裏切る形となりました。今後我々は警防団側のみならず、できれば犯人側にもインタビューを試み、更にこの演習について深く!鋭く報道して参ります!以上、大盛況の人里北区、質屋新晃堂まえから清く正しいジャーナリスト、射命丸文がお送りしました!」

 



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第四部 人里警防団大演習③

「おねーちゃん!ウチらとお車で遊ばへん?」

「お姉さん煙草屋の……?すごいの乗ってるんだ!」

「へっへへー、どない?あんみつでも」

「乗せてくれるの?」

「貴女たちの為に、空けといたんですよ///」

「もうずっと前から……へへっ」

 騒動の中心から離れた里の一角で、藤花たちは演習も忘れて公用車をダシに小粋な町娘を引っかけようとするという不謹慎極まりない遊びに興じていた。

「ほなお嬢ちゃんちょっと待っとってな、甘ーいあんみつ買うてくるから」

しかし。藤花の目論見は、無遠慮な無線のブザーによって破られた。

「紅魔三号、応答願います」

「え、なに、警防団だったの?」

 町娘が目を丸くし、やがてふくれっ面となる。

「あーあ、留置場でデートする趣味はないんですー」

「あら、あららら……」

 ばつの悪そうな顔で残された美鈴のところへ、藤花が人数分のあんみつを抱えて戻ってきた。

「あれ?お嬢ちゃんは?」

「藤花さん……あんみつ姫は逃げちゃいましたよ」

「えー!何でまた……って、原因はこいつか!はいこちら紅魔三号」

 ブザーの鳴る受話器を引ったくり、不機嫌丸出しの声で応答する。

「確保した小野塚小町の護送願います。至急新晃堂へ向かって下さい」

「紅魔三号、了解……」

 レパードは、無線連絡を受けて大きく進路を変え、元来た方角へと向かった。

「……しっかし、美鈴はんに運転の才能があったなんてなぁ」

「滅多に乗らないですけどねえ。たまに咲夜さんもお嬢様方の送迎に向かわれてますよ……お嬢ちゃん逃してしまって見せつける機会も失われましたけどね!あんみつ姫逃した警防員の恐ろしさを思い知らせちゃる!」

 狭い里の道を派手にドリフトしながら人ごみ直前まで突進し、急停車する。

「紅魔三号現着ーッ!犯人どこやァ!」

「おお、来てくれましたか。ちょっと今、手を離せない状況になりまして……本部への護送をお願いします」

「あははー、よろしく」

 何故照れているのか分からないが、苦笑して頭をかきかき、小野塚小町が引っ立てられてきた。当然、先程の町娘なんか霞んで見えるほど、肉付きも良く美人である。

 演習ではあるが、美鈴はあくまで本番同様に小町を連行する。

「ち、ちくしょー、離しやがれー」

「大人しくしなさい!大人しくしてたらあんみつあげますよ!」

「何で覆面車にあんみつ積んでるのさ!?」

「ええから、あんみつ食べながら車ん中で待っとき。それで、どないしたん」

「犯人の説得って出来たりしますか」

「え……」

 

   *

 

「こちら小野塚小町容疑者の捕縛現場にほど近い、籠城中の新晃堂の前に私立っているわけですけども……この歓声!聞こえますでしょうか?騒ぎを聞きつけて大勢の野次馬が詰めかけておりますが、それは次第に犯人役の四季映姫様へのエールへと変わりました!日頃の評判からは想像もつかないほどのキャラ崩壊を遂げた彼女に、ギャップ萌えの精神で様々な層のファンが集まってきております!そして、合同取材班の記者の念写によって、店内の様子が少しずつ明らかになってきました!どうやら犯人……四季映姫様は店員と客を人質として縛り上げ、一カ所に固まらせようとしているようですね。そして銃!銃をつきつけております!えー、こちらに見えるのは発砲されたという想定の藤原妹紅氏の足でしょうか。こうして観察しているだけでも、誠に慙愧に堪えないといった気持ちが伝わって来るようです。しかし警防団側にも動きがありました!これから二名が犯人の説得に向かうようです!訓練とは思えない迫真の光景に、我々報道陣も固唾を呑んで見守っております」

 

   *

 

「えーと……」

 妹紅は、眼前に突き付けられた銃口の真意を一瞬理解できなかった。

「……な、何か言いました?」

「ばーん!!」

 映姫の有無を言わせぬ口砲が再度妹紅を襲う。思わず肩が跳ねた。

「そ、そんなのあり……?」

「ありです」

 銃を降ろした映姫の目は、あくまでも真剣だった。

「今回の演習は、筋書きが無く、また一般の警防員が遭遇する事態も想定して人妖、能力を問わず負傷、死亡判定が下ります。藤原妹紅、貴女はこれの弾を食らって完全な即死です」

「ええぇぇ……」

「さ、これ着けて横になりなさい」

 映姫が差し出した札には、大きく「死 体」と書かれていた。

「ええ、えええ……!?」

「さて」

 物言わぬ死体となった(設定の)妹紅に背を向け、冷徹な強盗犯になりきった映姫は続ける。

「これから皆さんを拘束します。方法は、まず女性店員に銃を向けて威嚇しつつ、店の備品である荒縄で皆さんの両手首を拘束させ、妹紅が携行していた手錠を最終的に女性店員に自ら掛けさせて完了します。その間、誰かが反撃したりすることは不可能です。何か質問はありますか」

 真面目な性格ゆえに犯人役も真剣に立案されているとあって、その場で対抗策を口にできる人間はいなかった。

「犯人に告ぐ!」

 突如、窓外から拡声器で大きくされた声が飛び込んでくる。

「これより、二名が君の説得に向かう!これ以上罪を重ねるな!」

 呼びかけの裏で不穏な動きがないか、映姫はあくまで犯人らしく窓枠の陰にそっと近づき、外部を伺った。裏へまわり込む等はされていないようだ。

 そして表には、手を挙げた藤花と美鈴が銃を置き、「これからそちらへ向かう」と叫んで歩み始めている。

「丸腰やで!撃つんやないよ!」

 薄暗い口を開けて待ち受けている新晃堂に向け、ゆっくりと歩み寄っていく美鈴に、藤花が耳打ちする。

「ウチが予備の銃を撃って人質を気絶させるから、美鈴はんが自慢のとび蹴りで犯人をノしたって事にできへんやろか」

「……商店街にいるおばさんって意外と図太いですから銃声くらいで気絶しないんじゃ……」

「うーん」

 決定打に欠ける中、とうとう入口へ到達してしまった。目が外から室内に適応し、納得いかない顔で倒れ伏している妹紅が最初に視界に入ってくる。

 その奥で、床に座らされた人質に銃を突き付ける映姫が立ちふさがっていた。

「説得は受けません。こちらが次の行動を決めるまで大人しく待っていなさい」

「……美鈴はん」

「はい」

「あれ一応閻魔様やんな……」

「今は犯人ですよ……」

「手錠を出しなさい」

 目の前で小声で相談という、説得工作において一番やってはいけない事をやりながらうつむく二人に、映姫が言い放つ。二人は言うとおりにするしかない。

「向かい合って互いの手にかけなさい」

 その声に、藤花と美鈴は顔を見合わせた。しかし、人質がいる以上どうしようもない。面倒くさそうにそれぞれ手を取る。

「幼稚園のお遊戯じゃ……」

「ないってのに……」

 軽い金属の噛みあう音が二つ。そして、二人は両手を鉄の鎖で結ばれてしまった。自然と掌が重なり合う。この距離だと、互いの胸もくっつきかねない勢いで、テレビゲームならば「ばよえ~ん」とか鳴って消えてしまうだろう。

「「…………照れちゃうぜ」」

 

   *

 

「あんた達、やっぱり馬鹿じゃないの」

 手錠を掛けさせられ、鍵も奪われた二人がタンゴを踊りながら野次馬の唖然とした視線を潜り抜けて戻って来るや否や、霊夢が冷静に言い放った。

「あ、あの閻魔様完全になりきっとる……」

「早く強行突入でもなんでもやってくださいよぉ」

「できたら苦労しないわよ。銃砲店の連中に聞いたら、犯人の銃はM16とか言って、切り替えひとつで秒間数百発のペースで弾が飛び出すって代物らしいから、記者の目もあって迂闊に手を出せないのよ。ほら、じいさん連中が責任なすりつけてくる前に犯人護送しちゃいなさい」

 結局、藤花たちの説得は失敗に終わり、再び膠着状態へと陥った。

 

   *

 

「えー情報に拠りますと警防団の工作は失敗に終わったようです。住民の間からは、団の練度に疑問を呈する声も上がっており、今後の評価に影響を与えるのは必至かと思われます。また合同取材班のインタビューに非協力的な態度は、これまで批判されてきた人里の権力拡大方針という声を一層強くするものと思われ、今後我々取材班も幹部団員へのインタビューを通じ厳しく追及していきたいと思います!以上!清く正しい新聞記者……」

   *

 

 

「速報です!犯人からの要求が出されました!天狗の山への亡命と、移動用の車、そして仲間の解放と言う事です!この仲間と言うのは、同じく演習での犯人役として参加し昼頃捕縛された小野塚小町氏の事であると見て間違いないでしょう。警防団側は時間を稼ぎつつ犯人の確保に全力を挙げるとしておりますが、度重なる突入計画の失敗、また客役として店内にいた警防団員アリス・マーガトロイド氏が乳児役として用意されていた人形を使って犯人を殴打しようとするなど、警防団のだらけきった内部事情が次々と白日の下に晒されており今後の対策についても幹部へのインタビューを試みる予定であります!以上、現場から清く正しい……」

 

   *

 

「ラジオ消せ!」

 レパードの助手席で、藤花が咆えた。

「何やねンあの天狗!煽り散らしてほんまに……」

 車内に立ち込める濛々たる紫煙の中で、運転席で押し黙っていた美鈴がさっとラジオを切った。

 小町の護送と称して里内をぶらついているだけの気楽な業務に戻ったつもりだったが、犯人が釈放を要求となるとまた渦中の新晃堂へ戻らなければならなくなる。そうしてまた乗車しようとする映姫を取り押さえろなどと言われてはかなわない。

「いやぁ、あたしがまた日の目を見るなんてねえ。四季様迎えに行く前にかつ丼でもかっこんでいこうかしら、なんつって」

「……行っといで」

 後部席で気楽そうに頭を掻いている小町を尻目に、藤花は車を開けてシートを倒した。

「え、いいのかい?護送は?」

「車も要求されとるんやから、こっから警防団本部は歩いて行けるで。あんたらの車は裏手に停めてあるはずや」

「おーっ、そんなら話は早いね。んじゃ、あんみつ御馳走さん!また縁があればどっかで会おうねぃ」

「そのうち嫌でも会うやろ……渡し賃おまけしてや」

「あたしの食い扶持なんだから、やめときなって。死んで墓場に持って行けぬ~って歌ってたのは北村さんだっけ」

「二村さんや。ほなね」

「はい、ごきげんようー」

 飄々として小町が去っていくと、あとは相変わらず紫煙を燻らせている藤花と、疲れ切った表情の美鈴が残された。あんみつはもう無い。

「藤花さん、疲れましたよー」

「もう、寝てよか」

「流石に怒られるんじゃないですか?」

 そう言う美鈴に、藤花は小町の置いて行った札を振って見せた。そこには「手錠を掛けて拘束中」と書かれていた。

「演習は全部、札に書かれた状態を想定して行ってるんやで。護送されてたはずの小町はんが単身現場に帰ってったって事は、ウチらもそれなりに対応せなあかんやろ?」

「どうするんです……?」

 首を傾げる美鈴に、藤花は札の紙を割いて二人分とし、ペンを取り出して何事かを書き付け始める。作業を終えると、ほれ、と言って文面を読ませてみせた。

「……これは、むしろ寝てないとまずいですね!寝ましょう!」

 

   *

 

警防団本部、電話口。

「どうした?」

「連絡も無しに犯人の迎えの車が店の外に来てるぞ!護送してた二人はどうした!」

「それが、紅魔三号は先ほど里内で発見したのですが……」

「二人はいなかったのか?」

「いたんですが、その」

「その何だ」

「札が……”後頭部をスパナで強打”て書いた札を首からかけて車内でピクリとも動きません!」

「叩き起せ!演習はまだ終わっちゃいない!」

 

   *

 

「いやーでかいスパナやったね」

「ほんとに、なかなか目が覚めませんで」

 美鈴の操るレパードは人通りの減った人里外環を抜けて竹林を迂回する道路へ出ると一気にスピードを増した。流石に天狗の住まう山々まで演習ごっこを続けられない以上、なんとしても車を止めなければならなかった。

幻想郷のカーチェイスも、もう車種が見分けられるほどにまで距離を詰めていたが、後を追う二人のレパードと二台の覆面車のサイレンが鳴り渡るのみで、なかなか進展が無い。拡声器で停車を呼びかけろと言う指示が出たので、藤花も慣れない一九八〇年代の受話器を取って通話スイッチを握り込む。

「あー、あー。そこの車ー、停まりなさい。……停まりなさーい」

「甘いですよ藤花さん!ピロートークじゃないんですから」

「そ、そっか。えへんえへん…………おら待てェ!!おのれ紅魔分団ナメとんのんかァ!!」

「その調子!」

「貴様ッ罰金五十万やぞ!」

「もっともっと!」

「ンン百万ッ!」

「もう一声!」

「二百万やッ!!」

「ええぞー!」

 好き勝手に怒鳴り散らす藤花を尻目に逃走を続けるオオタ号だったが、そこへ来て追いかけっこに異変が生じた。

 逃げる映姫車、の右斜め前方から急速に接近する光点。そしてそれはわずかに煙の尾を引いて飛翔する物体であると視認できた。

「何あれ」

「…美鈴ッ!」

 一瞬の判断で命拾いをした。美鈴が咄嗟にハンドルを切ったおかげで、ロケット弾はレパードを逸れて直後を走っていた別の車を爆発炎上させたのだ。

「停まれ…状況中止!」

 大慌てで情報員の顔に戻った藤花は路肩の窪地に車を飛び込ませると、ドアを開け放ち外部へ転がり出る。咄嗟に実包を込めたボディーガードを抜き放つが、遠く映姫車が慌てて急制動をかける甲高い音の他は何も聞こえなかった。

 

   *

 

 結局、大演習は車に乗り移った犯人を山道で取り押さえたという事で収まった。

 翌日、山の新聞はこぞって警防団がおもちゃに過ぎない烏合の衆だと書きたて、一時は警防員の里内の処遇も危ぶまれる事態となったが、銃砲店がここぞとばかりに狙撃銃の売り込みをかけ、射撃実習も含めたシステム一式を納入する契約が成立した。

 新説狙撃隊は郊外でしきりに訓練をしていたが、訓練風景と新聞記事を眺める藤花の顔は苦々しいものだった。彼女にとって、幻想郷の公式な戦闘規範に沿わない弾丸を使う火器であっても、人里が強力な武装を施されるのは本望ではなかったのだ。

 それに輪をかけて彼女を不機嫌にさせたのが、例の演習を狙った攻撃である。当然是非曲直庁が関与しているはずも無く、天狗も「弾幕ごっこ非適用火器の保有は是を認めず」とする公式声明を新聞に掲載した。

 まず警防団が取った行動は、「大演習本部」と書かれた札を「砲撃事件捜査本部」に掛け替える事だった。

 



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第五部 乱階の紅魔分団①

 警防団の車が吹き飛ばされてから二日後、美鈴は本来の職場へ戻ろうとしていた。これ以上、門番の仕事に穴が空くと紅魔館としてもまずいだろうという事は、彼女も心得ていたのだ。

「じゃあ、藤花さんも気をつけて。私も湖周辺の妖怪に聞き込みしてみますよ」

「おおきに……ウチとしても、本部のじいさん連中が言うとる、閻魔様を狙ったテロルって推測がどうも気に入らへんねん。狙いが分らへんのに捜査範囲を決めてまうのも危ないやろ。ウチもちょっと調べてみるで」

「はい!……あの、いいんですか。車乗って行ってしまって」

 美鈴は背後に鎮座するダークブルーのレパードを振り返った。藤花はからからと笑って手を振る。

「ウチ、ああいう赤兎馬とかいう仕様は運転した事あらへんもん。楽と言われても、体がなかなか……」

「オートマですよ、藤花さん。……まあいいや、そう言われるなら、使っちゃいますね」

「はーい」

 美鈴は改めて手を振り、ハードトップの反射も眩しいドアをくぐるとレパードへ乗り込み、タイヤを軽快に鳴らして走り去っていった。

「さて………」

 心地よい風に紫煙をたなびかせ、振り返った藤花の視線の先には迷いの竹林が遠く、鬱蒼と茂っていた。

 

   *

 

「迷いの竹林とは、よう言うたもんやなあ」

 警防団本部で入手した資料によれば、竹林分団は本部所在地が「永遠亭」とされており、別に「派出所 炭焼小屋」と表記されていた。他の分団ではなかなか見ない表記だが、藤花には理解できなかった。

 演習時、四季映姫が使用した逃走経路は里を竹林方面へ抜けて里と緑の境を行ったり来たりしながら最終的に天狗の住まう森へ至るものだったという。途中、遺留品が無いか道端を探索しつつ歩いてみたが目ぼしい物は見当たらなかった。

 警防団車両基地を出て里を抜け、と歩いているうちにつかれてきたが、いざ竹林を眼前にすると涼しげな風と奥に行くにつれ霞むような視界と相まって何とも幽玄な眺めである。

 脇を見れば、「炭売り〼」の古びた立札。なるほど、その永遠亭とやらは竹林の奥深くにあり、夜半の来訪などに難があるから派出所を設けているのだろうか。紅魔館の連絡員の藤花が高黍屋で情報の受け渡しをするのもそうだが、案外警防団の区分は上手くできているのかもしれない。

 気を取り直して竹林の立てるさざ波めいた雅な音に耳を傾けつつ道をゆくと、のっそりと横たわる炭焼小屋が見止められた。

「吉良はんおるー?って、おるわけないか」

 しかし、小屋には吉良上野介はおろか、主らしき人物の姿も見当たらなかった。約束も取り付けずに訪れたのだから当然と言えば当然だが、事件の最中なので協同できないのは後々苦しい。いつまでも待つわけにもいかず、とりあえず本部とされる永遠亭とやらを目指して林道へと足を踏み入れた。

 瞬間、周囲の空気が一段ひんやりと体を包み込んだ。一人で自然を愉しむなら森よりもこちらが断然いいかもしれない。霧でうっすらと煙り始めた太陽を竹林のすだれから垣間見ながら、鼻歌まじりにあるいていくのは何とも心地よかった。煙草の一本でも取り出そうかと考えたが、主の許可なしに竹を焼くわけにもいかないでのそれは諦める。と、足元の道が入口のそれと比べて随分と曖昧になっているのに気が付いた。しばらく誰も歩いていない道か。もしかしたら正しい経路を外れて作業道に入ってしまったのかもしれない。くるりと向き直って来た道を戻……ったつもりだったが、見覚えの無い石がゴロリと転がっているのを見た時点で彼女は自分が置かれた状況を察した。

「ここ、どこ」

 ひぐらしの、鳴きつる方を眺むれば、いずこも同じうつほなりけり。

 どこからか鳥だか虫だかの鳴く声は聞こえるが、霧の如く判然としない。よくよく見れば火山質の土地めいて不安定な起伏が延々と続く地形でありどこから来たのか見定めようとするほど視線が地形に乱されてしまう。

「……落ち着こう」

 幸いまだ明るい。ここで焦ってより深みへ陥ってしまうよりも、多少遠回りしてでも歩いた跡を戻って確実に入口へ近づいた方がいい。その場で気を付け回れ右をし、片足を上げて足跡を見てみる。そして数十センチ先を見て、足跡が視認できないか、湿った面を上にした落ち葉がないかを探った。スパイと言うのは歩幅で正確な距離を測れたりといった技術を仕込まれるものだが、この地形では過信は禁物だ。

 道具どころか自分の身体能力すら満足に発揮できない環境にあって、藤花の労苦は極まりないものだった。一時間後、遂に藤花は五メートル戻る事に成功した。

「死んでまうわ!」

 日が短くなってくる季節、また密集する竹の中とあって見る見るうちに辺りが暗くなってくる。まして今日は小銃も無ければ付き添いもいない。

「あああ……」

 しゃがみ込んで頭を抱え、天を仰いだ。もっとも、よく見えなかったが。

 こんなところでヘマをやらかすとは。己の選択を悔いながら、せめてというかいつもの癖で煙草を取り出しかけた時、頭上から声が降ってきた。

「煙草ならこっちでお願い出来るかな。あと、丁度切らしてるんだけど一本恵んでもらえる?」

   *

 

「誰!」

 積み重なった葉の上で滑りそうになりながら、声のした方へ向き直った。淡い月影の下にあってスポットライトめいた劇的な登場こそしなかったが、素直に助けが来たとは思えない。しかし煙草について言及したりするあたり単純な怪異とは実感が異なった。

「こないだ、顔は見ていると思うんだけどなあ」

 なだらかな坂を這いつくばるように慌てて駆け上がると、竹の間に僅かな円形の土地が開けており、その中の石に発言の主が腰かけていた。

「あんた……妹紅はんやっけ」

「ああ、うん。その様子だと、大分歩き回ったみたいな?」

 藤花は、ひとつため息をついて頷いた。相手が明らかになったところで彼女の足取りは相当軽くなる。胸元から煙草と燐寸を取り出す余裕も出来た。

 対する妹紅は、腰かけている石の傍らに背負子を降ろしていた。太さと言い長さと言い揃っている竹が切り出されて丁寧に積み込んであり、いかにも作業をひと段落させて休憩中といった様子。

「ひどいもんやで。歩きづらいんは森で慣れとったはずやのに、ちょっと踏み入っただけであれやもん。はい、どーぞ」

「ありがとう」

 藤花の差し出す紙巻きを笑顔で受け取る妹紅。すかさず差し出される火種に筒先を突き出して一服する様は相当手慣れたものだった。目を細めて両切りバットのジリリとくる甘辛さを舌先で愉しむと、目を細めて渦巻く紫煙を竹林へ浮かび上がらせる。藤花もつられて一服。

「ふぅーっ。しっかし妹紅はん、こないだの演習では災難やったね」

 薫りを呑み込みながら、妹紅は小さく頷いた。

「まさか、問答無用とはね。まあ悪人知り尽くした閻魔様の事だもの、そこへあの融通の……お堅い性格だとね」

「あとあの新聞!ウチらの失態もそうやけど、妹紅はんのぶっ倒れてるのも容赦なく写真載せとったし……」

「ああ、あれか。おかげで"あの死体の人"で顔を覚えられる日が来るとはね。皮肉と言うか」

 そう言って妹紅は、西洋人めいた”お手上げ”のジェスチュアで呆れ顔をしてみせた。その下がった眉が、どこか演技めいていない事が藤花は若干気になった。酸いも甘いも噛み分けたという言葉が不釣り合いなほどに、彼女の表情はあらゆる成分で構成されていた。見た目の年は藤花に近いか、下であると断言出来るほどであったが、まるで、写真によって一瞬を切り取ってその姿で旅をするような、芸術家が試行に錯誤を重ねて初めて下絵に手を付けたような画を眺める心持ちで見入っている。。

 それは、目の前の藤原妹紅という少女が美しいからのみではなく。横顔、よく切れるというムーア人のナイフのような、美しさの中に精悍さを持ち合わせた顔立ちに、かつての先輩であり戦友の九鬼の面影を思い出したからかもしれず、それは俗っぽく言えば恋に近いと言い換えても差支えなかった。

 

   *

 

「それで、今夜は永遠亭に用事かな」

 しばしの休息を経て、竹林を急ぐ藤花へ、妹紅が問いかける。彼女は案内人をしているとあって、荷物を背負って地形をものともせず進んでいた。

「あ……いや、その。こないだの演習終りの事件あったやん。あれの調査で」

「あれね…中央の人が地元民の意見でも聞きに来たと」

「中央って、ウチはいっぱしの警防員やで……里じゃ皆して聞いて回ってるそうやけど。どうも推理が怪しい気がするねん」

「閻魔様を恐れるあまり里の悪人が手を出したってやつ?外来人も日に日に増えてるらしいからなあ」

 首を傾げて頭を掻きかき、妹紅が何事か考え込んでいる。背負子を避けて横に流した銀髪がふわりと揺れた。気付けば、道に迷ったという判断の決め手になった石が見えている。話しながらでもこの竹林を踏破出来るのだから、妹紅の能力は本物というか、やはり常人離れしたところがあった。

「ルンペンなんかが使う武器やあらへんよ。噴進砲……ロケットなんて組織だってやらんと入手できへん代物やし、仮に閻魔様狙うたんやったらもうちょい狙いやすい時があったと思うんよ」

「確かに」

「かといって警防団は治安面ではまだそんな大手柄は立ててへんし……まだ昔の人里で個人がやってたような泥棒の逮捕くらいやで。手段の過激さの割に原因になるきっかけがあらへんと思うねん。……警防団の旗揚げを面白く思わない妖怪とかって、おるかな?」

「妖怪がロケットを?」

「人間に成りすまし……あくまで可能性の一つやけど。人の手に拠らないものとしたら、実際やるかどうかは別として、作って撃ちこむことは可能なんかなぁと」

 これは推理と言うよりも、藤花の希望、誘導に近かった。持ちつ持たれつの関係を突き崩し、力で上回る妖怪の一撃を先制させ里の食糧生産や公衆衛生の基盤へ大打撃を与えれば、自ずと社会の維持が困難になる。

「それはどうかな……」

 しかし、案の定と言うか妹紅の見解はそれを否定した。

「私も警防団できる前からここで人助けしたり案内人やったりしてるけど、妖怪たちの間で里に手出しできないっていう不文律がある以上、それをどんな形であれ……」

「うん、そうやんね。変な事聞いてごめんな」

「構わないよ…とはいえ仕事だもの、大変だろうね」

 良かったら炭いる?とカラカラと音の出る袋を差し出してくれた。通い袋なのか、”妹紅炭”の印が不滅インクで押されている。気付けばもう見覚えのある竹林の入り口に立っていた。

「おおきに!…ええの?売り物と違う?」

 おずおずと袋を受け取る藤花に、妹紅は苦笑して右手を差し出した。

「煙草のお礼もあるしね。これから宜しく」

   *

 

「もおおお本部のジジイ共がうるそうてしゃーないねん」

 不機嫌そうにパカパカとふかしていた煙草を灰皿へ放り込んだ藤花は、立ったり座ったり忙しなく事務室を動き回っていた。

 事務室と言っても紅魔館の空き部屋であり、館の清掃を警防員が一部手伝う事と引き換えに机や椅子を持ち込んで設えた仮設感の漂う事務所である。とはいえ悪いものでもなく、住めば都と言ったところか警事課の面々は好きなように使っていたのだ。

 配置としては、入り口をくぐって右手に藤花の席と電話台、左手に美鈴、こあと坐っており、奥に分団長たる咲夜の席(今は館の職務に集中していると見えて不在である)

 河童電気通信によって里との回線も引かれており、電話をかける事も出来る。と言っても幻想郷の通信事情は良くて終戦後十年二十年の日本レベルで、紅魔館周辺となると回線は一本しかなく、地団電話よろしく別のところで電話を使用中だと通話できなかった。

 そんな分団の"新居"に何故藤花が出張ってきているのか。事件発生から調査の進展が無い事に痺れを切らせ始めた里の古老や警防団上層部の御機嫌が日を追って悪くなり、一介の連絡員として出入りしているに過ぎない藤花にもその矛先を向け始めたものだから、たまらず本業を自販機に任せて数日前から紅魔館へ転がり込んでいるのだった。

演習の一件以来、同僚として認められ始めたのか咲夜も上司の口調になってきたし、気付けば美鈴も接待口調でなくなっている。

 砲撃事件後、美鈴とこあコンビで紅魔館周辺の調査や聞き取りを行ったようだが、具体的な成果は挙がっていない。これは二人の頑張りと言うよりも、そもそも犯人が森の住民ではない事を意味していると言って良いだろう。水面下で活動する武力闘争集団?藤花は訝しんだ。目的は何だろうか。自分と同じく自力でここを脱出しようと目論んでいるにしては、手段が意味不明すぎる。

「お疲れ様」

「お疲れ様です!」

 と、メイドとしての業務を一しきり終えたらしい咲夜がいつものきりりとした姿勢と表情で部屋へ入ってきた。藤花も思わず頭の後ろで組んでいた手を崩して部下の立場からきちんと礼をする。

「はい、じゃあ皆の分」

そう言って咲夜が早速机に置いたのは、小さな封筒。

「いいものよね、館の仕事しながら、雀の涙ほどとは言え警防団の補助金までもらえるなんて」

 広大な館の清掃維持も並行して行わねばならない咲夜は、激務に比べて分団長という身分からかそういったものはもらえないらしい。なんだか申し訳ない気分である。

「さ、咲夜はん」

「何かしら」

「この、飲食光熱費差引きって、何……?」

 藤花が震える手で封筒から引きずり出したのは、手書きらしい紙片であった。片隅に「明細書」と書かれているのが読み取れる。

「貴女、いつも紅魔館(うち)に居座ってはご飯ばかり食らってたでしょう。警防員として居るのはともかく、居候や居住者として食べさせてるわけじゃないんだから」

 完全に上司の口調で、「分団長」の札の出された机上から言い放たれては藤花には返す言葉も無い。肩を落としてすごすごと自席へ戻る事しか出来なかった。

「はぁ……流石に里に戻ろうかなあ」

「それなら、車庫に単車があるから、そっちで戻りなさい」

「えぇ!?ウチ、仮初にも女の子やで。股開いて帰れって……?」

「一人の送迎に毎回四輪を出してたら燃料代がばかにならないの。そういう事。メイド妖精に話してあるから、そっち使いなさい」

 

   *

 

 紅魔館の車庫は、秋の色をした広大な庭園の片隅にひっそりと横たわっていた。見覚えのあるグローサー・メルセデスとレパードの並んで鎮座している様子は、里でも外界でもまずお目にかかれまい。マニア垂唾ものの光景にも、藤花はさして興味を示さずに咲夜の言う単車とやらを探していた。

とそこへ、殊勝にも窓拭きを終えたらしいメイド服が一人、車の隙間からひょっこり出てきたのを見止めたので声をかけてみる。

「あのー、そこなメイドはん」

「あたしですか」

「そうそう、咲夜はんから単車の事って聞いてはる?」

 相手はしばし口許に手を当てて考えていたが、無事何事か思い出せたようでこちらですと車庫の裏手へ案内された。流石に大型車とクーペと停めてある車庫内には収まらなかったらしい。

「あれですねー」

「おぉ………おお!?」

 静かな庭園……と思ったら車庫裏手には錆びた一斗缶の灰皿が持ち込まれており、そこを囲むようにメイド達が絶賛休憩を消化中であった。業務中で無い事を祈りたい。

 そしてメイドの群れの中で一人が椅子代わりにしている、泥臭い色の単車が一台。

「陸王やん、これ」

彼女に用意されていたもの、それは米国はハーレー・ダビットソン社が世界恐慌の中で日本にライセンス生産を許した単車。陸王であった。カーキ色と錆びた黒い標識が示す通り、帝国陸海軍でも採用された名軍馬である。

「これまた、懐かしい」

 ちょっとごめんな、と腰かけていたメイドをどかすと年季の入った革のサドルへすとんと飛び乗る。ハンドルへ両手を這わせると、かつての大陸戦線の黄土だらけの風が頬を撫でた気がした。タンクに張り付くように配置された計器を眺め、手元、足元と体が記憶している順序でコックを捻るとかちんと小気味よく噛みあう音がして小さな明かりが灯り、鉄の馬に血液が巡り始めた。

「そうそう、こうでないとな」

いつの間にか遠巻きにして藤花を見物していたメイド達だったが、藤花がキック一発、発動機をかけて唸りをあげると黄色い歓声を上げ始める。

「ちょっと、楽しい……」

 思いがけない思い出との再会に、藤花は派手な排気音をまき散らしつつ紅魔館の門から滑り出していった。

 

   *

 

 無事に森を抜け、里への入口へ到達した藤花は、不意に単車を路肩へ停め、傍らの木造建築、香霖堂へ足を踏み入れた。

「……霖之助はん、久しぶりやね」

 藤花の声に、奥のガラクタの山にちらりと見えていた銀髪の頭頂が揺れ動いた。店の主、森近霖之助は立ち上がって笑みを浮かべ、歓迎の意を表した。

「誰かと思えば、煙草屋の君かい。その後、商売は順調なようだね」

「おかげさまで、あのあと店も家も保ってるわ」

 これお土産、と言って煙草を一包み差し出すと、入れ違いに湯呑みが出てきた。湯気の立つ緑茶が注がれたそれを、どうも、と言って手前に引き寄せる。

「そういえば、新聞で見たよ」

 しばしの沈黙を破って霖之助が口を開き、藤花は持ち上げかけた湯呑みをぴたりと止めて視線だけで相手を見つめ返した。

「あぁ、警防団のあれ……その後の事件、知っとる?」

「勿論、それも見たよ」

「最近里で銃砲店が幅利かせとるけど、妖怪退治やら害獣駆除やってる外来人って結構おるやん?」

「ふむん、とすると世間話じゃなくて君の仕事に関する事かい。心して聞こう……確かに、うちにも時々お客としてやって来るね」

「今んとこ幻想郷じゃ、武器売るんにも持つんにも免許は要らへん……誰かが店で買った道具で火遊びしたからって、売った人間まで処罰される事は今のところナシ……その前置きをした上で、ふと思い立ってお邪魔してんけど」

「成る程、たしかにうちにも関係がありそうだね」

そこでようやく藤花は湯呑みから茶を口にした。一息ついて。

「最近、誰かロケット売りに来た?んで、買って行った人おる?」

 藤花の冷静なまなざしの先で、霖之助は小さく頷いた。

「確かに、流入物を拾って生活する人間が、先月持ち込んできた。そして、二週間ほど前かな……M202FLASH、入荷したてのものをと注文して買って行ったよ」

 その言葉に、藤花は小さくため息をついた。少なくとも霖之助を犯罪に加担したとして告発する意思も無ければ、そんな規律も存在しない。ある種の直感が実を結んだ事に対する感想だった。

「それってどんな武器?」

「僕が見た限りでは、爆発物を投擲するというよりも、着弾させた先に火災を発生させるためのもののようだね」

 藤花は小さく頷いた。

「それ……何て奴が買って行ったか分かる?」

「男の名前は名乗らなかったけど、害獣駆除に一部の林を焼くといって、管理してる団体の名前を出していたよ。……えーっと、そう。講民党」

藤花は、湯呑みの中を一気に飲み干した。ぬるくなった茶が喉をぬるりと湿らせた。

「警防団はその事、知っとる?」

「それが、通報しようか迷っていたんだ。売却して数日後、買った男がおかげ様でと写真まで持って、使った様子を言いに来たんだ」

 霖之助が実際に目にしていたり、映像として残っていたならともかく、写真ならいくらでも偽造できる。それは戦争でいくらでも目にしてきた。

 しかし、聞かれてもいないのに売った香霖堂にまでべらべらと喋って自分に都合よく解釈させようとするのは、いかにも犯罪者めいている。

「おおきに、霖之助はん……!」

 藤花は追加で煙草を二、三箱提供すると、一目散に単車へ向かった。

 人里に入って最初に向かう場所は決まっている。

 



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第五部 乱階の紅魔分団②

「おおきに、霖之助はん。……もし講民党の男がまた来たら、次また武器が入荷するって言ってみてくれへん?今度は銃で」

「まあ……構わないけど、来たら警防団へ通報すればいいかい?」

「紅魔分団に頼むわ。里の連中は囮ってもんを分かってへんからね。紅魔分団に連絡すれば、向こうからウチに報せと増援が同時に来るってわけ」

「了解した」

 単車で行けば香霖堂から里へはそう時間もかからない。しかし藤花は、捜査の為の手筈を脳裏で全て描き切っていた。彼女の考えた通りなら、ロケット野郎に辿り着くのはそう時間は要しまい。

 燃料を惜しんで単車は高黍屋の前へ停め、車体を揺さぶる躍動を止めると身を翻して何時しかの中華料理屋へと向かった。店の明かりは落とされていたが、じきに開店するのであろう。丸々として人当たりの良さそうな店主は一段落した掃除の道具を脇へどけて看板を引きずり出している途中であった。

「どーもー、陳さん」

「あぁ、煙草屋のあねきね。ごきげんよう」

「うんうん、商売はどない?」

 挨拶ついでに煙草を一本差出し、店主は謝謝と言って受け取った。勿論火も点けてやる。聞き込みの時に相手へ近づく手段としてこれは定着しつつあった。

「やっぱりうちの店高いのかねえ、けっこうベンキョさせてもらってるんだけど」

「まあ、他には無い味やしええんちゃう?幻想郷で本格中華を食えるんもここだけやもんね」

藤花も続いて煙草をくわえた。店主も火種は持っていたらしく、燐寸を取り出して擦ってくれた。とりあえず二人で一口、味わって押し迫る夕暮れへ紫煙を吹き上げる。

「警防団の方でこないだの砲撃事件、調査してるんやけど、うちは商売あがったりやで。……あんたんとこも、変な客とか従業員相手せなあかんの大変ちゃう?」

もちろん目星を講民党へ絞って来ているわけだが、この店をあれだけ貸し切る資金力だ。常連だったりして犯人扱いされれば店主の態度を硬化させかねない。あくまで世間話や方々で質問していそうなことから切り出した。

「そうねー、うちのお客さん、大体良い人だね。金持ち喧嘩せずってねぇ。こないだも幽霊業界の人。ひと?かな。シキガミとかいう猫の子の祝いの日だって盛大に遊んで行ってくれたね。でも店の若い子、あれが全然だめ」

「店の?」

 考え込むように伏されていた藤花の目が、瞬きと同時に眼前の陳を見据えた。そういえば店主がシンパなら高級店たる中華料理屋へ入り浸る事も可能なわけだ。本当なら捜査はおろか、聞き込みまでやりづらくなるが……。しかし、次のコメントでその疑念は打ち消された。

「そうそう、セミナーとか言って、最近全然お店来ないし」

「うーーん、成る程なあ」

 講民党の、所謂表の顔とは何なのだろう。名前の響きからすると自己啓発とかその辺りか。

「大変やな……ほな、今日んとこはここいらで」

 

   *

 

 中華料理屋で一定の成果を挙げたと確信する藤花は、次の目標を竹林へと定めた。数日ぶりに炭焼き小屋を訪ねると、今度は無事に妹紅に会うことが出来た。

「お久しぶりやね。そっちの分団はどない?」

「どうも、里の分団は外環を支部か何かと勘違いしてるみたいだね。本業の案内人が手につかなくて困ってるとこ」

 やはり中央集権の考えが根付いていない幻想郷の人里で外界の組織を模倣する事は困難なようだ。藤花もその点については辟易させられている。

「ここだけの話、砲撃事件はやっぱり人の手で、それもでかいとこがやったみたいやね」

「おお、何か掴んだのかな」

「まだ名前だけやけどね…。講民党って、聞いた事ある?」

 藤花の言葉に、妹紅はンーと唸って片手で目を覆って何かを思い出そうとしていた。

「どっかで聞いた事あるような……」

「ほんまに?」

思わず藤花が煙草を差し出す。このまま在庫を使い切ってしまわないか心配だ。しかし、彼女の憂いをよそに妹紅は無事記憶から答えを探し当てることが出来たようで、手を顔から放して明るい顔で振り返った。

「思い出したぞ。最近里で加入者を増やしてる慈善団体だ」

「ジゼン……?」

 意外な肩書きだった。普段あまり慈悲を受ける事がないせいか、そちら方面には疎い。

「しかし、なんでまた妹紅はん知ってたん?」

「うん、少し前にね、永遠亭に多額の寄付をして話題になってたかな。人里で職を失ったりした人を保護して犯罪減らすなんて言って」

 その情報だけ耳にすれば社会正義と言った感じではあるが、妹紅も「言われてみれば怪しい」と続けたのを聞いて、藤花も頷いた。

「せやろな。金持ちのおっさんが裏では変態だったなんて、ようある話やし」

「変態かどうかは分からないけど……永遠亭から大量の薬を買ってたな。大半は傷薬とか腹痛の薬だったけど、精神を病んだ人にとかいって、そういう薬をしこたま」

「……宗教戦争に発展するかもやね」

「異変級は嫌だなあ」

 大騒動に乗じて脱出、は藤花も考えないでもなかったが、新興宗教に関しては彼女はあまりいい顔をしなかった。

「変な拝み屋にはウチも恨みあるし…海のあいつ……」

「?」

「いや、こっちの話。妹紅はん、永遠亭への道案内……お願いしてもええかな?」

 年の瀬に向けて日は短くなってきているが、まだ時間は残されている。

 

   *

 

 永遠亭という呼称からは、いまひとつ想像が沸かなかったのだがこうして現物を目にするとその佇まいに圧倒させられる。無論博麗神社や命蓮寺を目にした時も同様に古い建造物を目にした際の感想を抱いたはずだが、日本の寺社は一部を除いて建立後に施した意匠、塗装を色あせるままに時の移ろいも味わう印象が強かったが、永遠亭という名を冠したそれは、それこそいつしかの美鈴の問い「関ヶ原から何年」、ともすれば関ケ原以前に建てられ、劣化を抜きにしたそのままの姿を絵巻物から引っこ抜いてきたような屋敷と言えた。里の初見も「映画村のよう」としか言えなかった彼女だが、その評価はここでこそふさわしいと言える。

「……行こうか」

 しばし言葉を失っていた彼女を、さりげなく妹紅がうながした。

「狸御殿撮れそうやね」

「何だって?」

「あいや、映画でも撮れそうやねって」

 藤花の言葉に、妹紅は鼻を鳴らす。

「蓬莱ニートに言ってあげな。収入源が増えるって喜ぶだろうね」

「日当貰ってんのに?」

「ニットーじゃない!……まあ、会えば分るよ。ああでも今日のお目当ては薬屋さんの方か」

 妹紅の顔を向けた先を見れば、「処方御用命の方は」の流麗な筆文字と矢印の書かれた立札がひとつ。巨大な屋敷であるし、住居と分けて開業医と薬局の入り口が設けてあるのだろう。

 常世の人間の立ち入りを拒むような幽玄さに溶け込む屋敷を回り込み、笹の葉の擦れ合う音と月影清かな光景を楽しんでいると行く手に隙間から漏れ出でる光の筋が、唯一生者のいる空間であることを表すように伸びていた。

「ここだよ」

「おおきに……妹紅はん来ぇへんの?」

「あの演習以来顔出しづらいんだよ……」

「あぁ………」

 心中察した。これ以上は言うまい。藤花は小さく頷いて、ひとり木戸を叩いた。

   *

 

「ごめんくださいまし」

 しばしの沈黙。もしかしたら屋敷へ引き込んでいるのかと思い、そっと扉を押してみた。

 何かと常識を覆してくる幻想郷の常として、藤花の知る医者と異なるであろう事は心得ていた。確かに中に広がる光景は診察室や調剤室を備えた医院というより、構造はともかく、患者と医者の無味な空間というより、彩りに富んでいるせいか酒の代わりに薬瓶を並べたバルめいていた。

「はーい」

 奥から明るい少女の声。まっこと女性の社会進出が目覚ましい。

 声の主が現れる瞬間を引き延ばしてじっくり観察したならば、まず目に飛び込んできたのは一対の白い耳。そして淡い色の髪がなびいてその下からぱちくりと瞬く赤い目であった。耳が見え無ければギョッとしていたかもしれない。

「あっ、お客さん」

「えーと、はい。こっちのお医者さんに……」

「お師匠様ですね、少々お待ちを」

 来た時と同様に素早く引っ込んで行ってしまった。翼の次は耳に慣れた方が良いのかもしれない。

 仕様も無い事を考えていると、二人分の足音になって戻ってきたようだ。

「お待たせしましたあ」

 おっとりした声だ。これは先ほどの兎少女とは違う。

 現れたのは負けず劣らず淡い色の豊かな髪を一まとめにし、シルエットこそ看護婦だが、赤青の市松模様めいた装束の女性であった。

「どーも……」

「お薬ですか、診察ですか?」

「あ、あいや。ウチ警防団の者なんですけど」

 そう言って懐から支給された手帳を示して見せる。身分を隠す職業だった彼女がむしろ明らかにしていかなければならない身分になったのだからなんだか皮肉めいている。

「まあ」

 時間も時間なので世間話をする時間もあまりない。単刀直入に行こう。

「講民党……をご存じ?」

「ええ、ええ」

 こないだも来られましたよ、と言うのでお願いして卸した薬品の目録を見せてもらった。ざっと目を通したところ、町医者や薬局が置いてあるような薬品ばかりである。妹紅が言うような慈善団体が社会的弱者に福祉を行き渡らせるという名目なら、まだわかる。

しかし、どんな薬品が入れ替わり立ち代わりリストに名前を出そうと、必ず含まれているものがあった。

「アンシホルモン……」

 わざわざカナ文字に直してあるが、中身は一目瞭然だ。藤花は覚せい剤取締法など知る由も無いので、ガサ入れの根拠と言うよりも、胡散臭い団体である事の証拠として理解した。薬品で高揚状態にした相手にお告げだ瞑想だと色々吹き込んで信者として引き入れる、とまあこんなところではないだろうか。

「えーと」

「永琳です、八意永琳と申します」

「永琳はんやね、すんません。ご挨拶が遅れて……遅くにお邪魔してお願いばっかりで恐縮やねんけども……これ、今度写しを警防団本部宛てに送ってもらえます?担当は藤花で」

「ええ、分かりました。……男の人の話では、慈善事業と治療の為と言ってましたけど、何か事件ですか?」

「うーん、まだ確証ってわけやありませんが……武器と薬品を集めてるみたいで」

 何かあったら教えて下さい、と伝えて今夜は退散する事にした。何度もお辞儀して永琳の下を去ると、表へ足を進めて闇の深くなった永遠亭の庭先を一望する。来た道を戻りつつ妹紅を呼ぶと、やがて竹林の道の側で手を振る影があった。

「お待たせ……遅ぅまでごめんな」

「ま、仕事だからね。サテ世間じゃ夕食や帰宅だけど……時に藤花どの」

「なんでごぜえやしょう」

 トウカドノと茶化したように呼ばれて、思わずナンバ歩き。見ると妹紅は片手を突き出し、中指から小指を抱き込んで人差し指と親指で輪を作る。輪を立てればゼニの話だが、ここではすなわち杯なり。

「屋台でいっぱい、どうかな」

「…………ウチそういうの好きやねん。案内のお礼に奢ったげる」

「分かってるじゃないか」

 二人して笑いながら竹林を抜けて行った。

   *

 

 翌朝。

屋台の酒が抜けきらぬうちにふらふらと煙草畑へ向かい、戻ってきた藤花を出迎えたのは開店待ちの客ではなく緊張した面持ちの美鈴とこあであった。

「藤花さん、香霖堂から連絡がありました。講民党を名乗る男から接触があったそうです。今日、店に現れると」

「おお、やっとやね……ちょっと待っててな」

 大急ぎで二笑亭へ駆け込み、野良着を脱ぎ捨てておろしたてのシャツ、そして拳銃嚢を身につけた。すっかり身支度を整え終った頃、表でレパードのエンジンが唸りを上げて始動した。

 

   *

 

 香霖堂への道中、こあが見せてきたのは珍しく写真だった。後部座席から差し出されたそれを受取り、藤花は目当ての男の顔を脳裏に焼き付けた。

「塩谷諸太です。塩問屋に養子として転がり込み、寺子屋では優秀な成績だったそうで」

「それがなんでまた警防団を狙うんやろ」

「以前、塩屋の長者が怪異に憑かれた事があって、家の評判がガタ落ちになったみたいですね。それに前後して彼も病を患った事が…‥」

 藤花は写真を戻し、胸元から煙草を取り出した。

「それで反妖怪派に転向したってわけやね。ようある話や」

 こあの話では、反妖怪派、反博麗派も決していないわけではなく、幻想郷成立期に博麗神社と対立した一派の子孫であるとか、以前に文が尻尾を掴みかけてその事を記事にしたとか。

「ただ、警防団を狙った理由がよく分からないね。人も標的にするかなあ」

 運転席で美鈴も意見を述べた。確かに存在を誇示するなら別の機会や、実行後の犯行声明なり出してもいいはずだが、それも無い。

「ま、理由なく人を傷つけられるから犯罪者になれるんやけどね」

彼女らが目的を確認し終り、里の家々の並びが途切れると、窓外は秋の自然一色へと塗り替えられた。

 

   *

 

「でもどうするんですか、まだ実行犯かも分からないのに……」

 香霖堂でこれ見よがしに待ち受けるわけにもいかず、手前の道で脇へ入ってレパードを隠すと、こあが尤もな疑問を提示した。

「それもそやなぁ……ちょっとウチと美鈴で考えるわ。こあちゃん空飛べるんやったら店の手前の上から見張っててくれへん?ウチらはあそこに隠れてるから合図してんか」

「りょ、了解です」

緊張した面持ちのこあを残し、藤花と美鈴はそろそろ見慣れてきた香霖堂への道を落葉を踏みしめ、歩き出す。法律なき警察でしかない警防団が犯罪者を捕縛できるのは殆ど現行犯でしかない。私設警察化を防ぐ為だったが、足かせもいいところだ。

「そや、美鈴が囮になってくれたら」

「おお、なるほど……でも怖いなあ」

「頼むって!晩御飯つけるから」

「め、メシでつられるとか美学が無いよ!」

 もう一押しなところで足踏みして回れ右しかけた美鈴を、藤花は方へ腕を回して口を耳元へ寄せ、回した手を美鈴の眼前で小指を立ててみせる。

「一人、紹介する」

「………なんでもやる」

 藤花の吐息を耳朶で感じ震えながら美鈴は何度も頷いた。

 塩谷が囮の美鈴を見かけた時、考えられる行動は三つだった。一つ目は講民党へ引き入れようと勧誘してくる、次いで妖怪の横暴の宣伝材料として接近してくる、そして最後はその場で非人間的存在として始末しようとして来るかである。とりあえず彼女には紅魔館をクビにされたという設定でオロオロ現れてもらう事になった。

 そうと決まった時、小石が二人が身を寄せ合っている岩へ落ちてきて音を立てた。見上げれば午後の早まる日没を予感させる赤みがかり始めた木漏れ日に見え隠れする、こあの姿が。手を振っている。

「来たで!……上手い事やってや」

「うーん、大丈夫かなあ」

「最終的には、どっちかで決めるって」

 藤花が懐の手錠と拳銃を指し示して見せると、美鈴は格闘家の気合い入れめいた息を一つついて、すっくと立ち上がった。

 香霖堂には、予定していた入荷が遅れると返答するよう要請してある。塩谷が店に入り、出てくる時間はそんなにかからないはずだ。

 思った通り、五分もしないうちに店の戸を引く音がして塩谷が姿を現した。少し伸び気味の散切り頭に、書生めいた袴の出で立ちの痩せた男であった。

「うっ……ぐす……ッ…あんまりだぁ……」

 美鈴が迫真の演技で相手に聞こえるようにべそをかきつつ、森から現れた態で歩きはじめる。案の定、男は振り返って彼女の姿を見止めたようだ。

「…………」

「お嬢様も……あんなに言わなくても……ぉ……うぅ」

 本人が心配していた演技力も、申し分無かった。最後の最後まで「大丈夫かなあ」と繰り返していたが、藤花の「女は天性の役者なんやで」の一言で何とかやる方向に落ち着いたのだ。

「あんた……」

「え………」

 相手の方から声をかけてきた。いきなり凶行に及ぶような事は無さそうだ。藤花が見上げると、こあも位置を移動していつでも飛びかかれるように男の後背、木の上に陣取っている。さすが警備の補佐もしているとだけあって素早い。

「里で市民団体の活動に協力している者ですが、何か事情がある御様子。良ければ御話を……」

 間違いなく講民党の事だ。美鈴もしゃくり上げる演技を交えつつ、見事に応対している。相手は完全に油断しきっていた。

「館を……うぇっ……いきなりクビだなんて……明日からどうずれば……」

「なんと……湖の、あそこですね?資産家の使用人なんて、クビはすなわち住処を失って生活もおぼつかなくなるという事なのに」

「ぞ…ぉ、なんでずよぉ……何百年もお仕事頑張ったのに……うぇえ」

「百……?そういえば、あなたは」

 塩谷は、そこで何かと忘れられがちな事実に気付いたらしい。待機する二人に緊張が走った。

「弱りましたね……私どもの施設で、と思いましたが入所者の中には妖怪の手で家族を喪った方もおりまして………でも御安心なさい、こちらの道を行けば」

 塩谷の手が道を指さす。それにあわせて美鈴が顔を向けるのと、塩谷の別の腕が背中の鞄を投げ捨て、荒縄を引き出すのはほぼ同時だった。

「ちょ、ちょ…先走りすぎやって!」

 藤花が思わずつっこみながら飛び出そうとする。

 しかし。

 縄が首にかけられようとする刹那、美鈴の体がくの字に折れ、同時に片足が張り付いた落ち葉を舞い落しながら靴底で相手の下腹部をしたたかに蹴り出した。

「ぐゥッ」

「よせよせ素人さん、慣れない事をするもんじゃないよ」

 余裕の台詞を吐きながらも、美鈴の躍動は止まらない。地面に接したままの足を軸に体を半回転させ、予備動作無しで上体を一瞬のうちに立て直すとそのまま前に幅跳びめいて跳躍、一切のエネルギーを再び蹴り出す足に込めてなおも立ち向かおうとする相手の中心に叩き込んだ。

「イヤーッ」

「………!」

 その衝撃は前進しようとしていた成人男性を止めるどころか、後方へ数メートルは吹き飛ばすものであった。

「さて……おっと」

 しばらく動けまいと思っていたが、美鈴が捕縛の為に手加減したのか、男は怒りのこもった目で彼女を睨みつけると、懐から拳銃を取り出した。

「そこまでや、生身の女の子に銃は卑怯やろ。塩谷諸太、脅迫及び誘拐未遂で逮捕する。変な気は起こしなや。この銃はあんたのアイバージョンソンより数段強いで」

 

   *

 

 とりあえず別件逮捕であった為、砲撃事件、講民党の黒い疑惑についてまずは吐かせなければならない。持ち物をひっくり返したところ、拳銃の他に警防団車両砲撃に使われたM202の説明書が出て来た為、容疑はますますもって動かぬものになると思われた。

しかし塩谷の態度は不遜なものであり、警防団の分団管轄の曖昧な地区でもあったので取り急ぎ紅魔館特設取調室へ塩谷の移送を急行した。

 



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第五部 乱階の紅魔分団③

 目隠しと手錠で拘束した塩谷を後部座席へ押し込み、レパードは紅魔館へ滑り込んだ。幸いにして牢獄が作り付け(?)になっている館というものはこういった時に便利であった。

「どこだよここは」

等間隔で松明が灯され、じっとりと湿った石が重苦しく敷き詰められた地下の牢獄。そこへ連れ込まれた塩谷の第一声がそれであった。すかさず軽い音がして、美鈴が後頭部を叩いた手を素早く戻す。

「こーゆー時はね、"お騒がせして申し訳ありませんでしたデカさん"でしょうが。まったく、どういう教育受けてんのさ」

「俺を誰だと思ってやがる。里が黙っちゃいねえぞ」

こういう時でもまだ自分の立場を分かっていない辺り、もともとドラ息子であったのだろうと想像がつく。責任重大な塩の取扱いの家系でありながらこんなのに巡り会ってしまった塩の長者に同情せざるを得ない。

取りもあえず手錠をそのままに牢屋の一つに塩谷を放り込み、取り調べの段取りについて協議する事と相成った。

紅魔館、地上階の廊下。

「あ、そうだ」

 藤花のやや後ろ、こあと並んで歩いていた美鈴が何事か脳裏に浮かんだようだった。思わず藤花も意外そうな顔で振り返る。

「何や名案?」

「晩御飯の件、忘れてないでしょーね」

「………塩谷の何かかと思うたら、そんな事かいな。ウチが約束破ったりした事、今までにある?」

「何度もあったよね」

「……あの時はスマンかった」

「私、前から何百グラムってステーキ食べてみたかったんですよね」

「なッ……ステーキ!?食堂の玉丼じゃアカン?玉ねぎも入ってるで」

「ステーキって言ってるでしょ」

「何で五十グラムくらいにせえへんの……」

 ともすれば牢屋の塩谷の事など忘れて夕食へ繰り出しかねない二人であったが、こあの心配そうな声で現実へ引き戻される。そういえば咲夜への報告もまだ済んでいないのだ。上手くいけば里の分団へ全て投げて、晴れて全員が夕食を楽しみに足取りも軽く外へ繰り出せるだろう。

 と、そこへ分団長咲夜が現れた。一行は意気揚々と容疑者逮捕と里への移送も容易な事を告げる。

「そう、ご苦労さまね。里の方から引き渡してくれって連絡もあったわ。直系の家族へ話は通してあるから、これから塩問屋を捜索して容疑が固まったら是非曲直庁で生前審判って流れになるそうよ」

「えーっ」

 一声に不満の声が上がる。当然と言えば当然だった。普段何かと応援と言われて雑事を押しつけられているのに、里の注目度の高い事件に限って美味しい所だけ持って行かれたのではたまらない。

「もう、こっちでやっちゃいましょうよ」

「金一封、それで手ェ打とうやん。もし拒んだら広場で即刻処刑……!」

 咲夜に逆らう事も出来ず、可能かどうかわからない策を練りながら地下へ降りる。再びかび臭さとネズミの糞の匂いが立ち込める牢屋の並びに至ると、鉄格子越しに塩谷を怒鳴りつけた。

「おいロケットマン、移送やで」

 慇懃な様子でふらふらと入口へやって来た塩谷へ目隠しをし、面倒極まりない人里への移送の為に再びレパードの下へと移動を再開する。肝心の犯人が押し黙っているが、先程までの尊大な口撃が鳴りを潜めた事に藤花は首をひねっていた。

「こちら紅魔三号、外環道路を走行中。あと二十分ほどで本部へ到着予定。どうぞ」

「本部了解」

 

   *

 

 夜間と言う事で、塩問屋への立ち入りは最低限の人数で行われた。流石に凶器であるランチャーの押収と報道陣への発表は紅魔分団に花を持たせるという事に落ち着き、藤花ら一行は警防員数名を引き連れ、高級住宅街にほど近い塩問屋へ続々と立ち入った。人間の生存に必要不可欠でありながら幻想郷には海が無い為、莫大な利益を上げ決して小さくない発言力を持つ塩問屋であったが、それゆえに養子とはいえ塩谷諸太のような人物が今日まで手出しされずに生き延びてきたのだろう。

 塩の生産(?)はどのように行われているか、個人的な興味は一同持ち合わせていたが、主人と従業員たちは工場らしき建物の前は素通りして敷地の片隅、塀に寄り添うようにひっそりと建てられた離れへ案内した。

「ここが、それの使っとった離れです」

「なるほど、諸太さんは、他にどこか出入りを?」

「いやあ、本人がもうここから出んのですよ。出かけてるか、ここで寝起きしているかでした」

「分かりました。では失礼して……」

 主人の許可を得て鍵を破壊し戸が開け放たれると、警防団はぞろぞろと室内へ入っていく。あちこちで明かりが灯り、犯人の個人生活が明らかにされた。

「……特に変な部屋ではないね」

「少し殺風景なくらいだ」

 入り口付近で警防員達が口々に感想を述べ合っている中、藤花は靴を脱いで椅子の下、本棚、水差しの中とあちこちをひっくり返し始めた。相手は得体のしれない団体であり、破壊工作などを仕掛けてくる連中となると、何かしら計画書などが存在する可能性もある。

 と、そこで彼女の動きが何もない壁の一点で止まった。

「虫眼鏡貸して」

 受け取った藤花は、しばらく壁の穴とにらめっこをしていたが、やがて小さく頷くと傍らで手帳や紙の束を抱えて歩く美鈴を振り返った。

「やっぱり、何か貼ってた跡があるわ。画鋲かな……ここに小さい穴が開いてるけど、中が殆ど酸化してへんから…」

 藤花は慌てて美鈴を引き連れて玄関へ戻り、外で待機しているであろう主人を探した。

「どゆこと?」

「昨日ないしはつい最近剥がしたって事やね。ご主人、諸太はんが宗教に傾倒してとか、何か頻繁に持ち込んでたとか、分かります?」

「いえ、私どもも殆ど近寄らなかったもので……掃除も自分でやると使用人すら入れなかったくらいで。あ、でも」

 主人は例外となる人物を挙げたが、それを聞いて二人は目を丸くした。

「時々訪ねてきた人が…あれはどこかで見た……そうだ、陳さんの店で働いてる人ですよ」

 中華料理屋の主人、陳の名前を聞いて思い出した。講民党絡みの捜査を開始してすぐ、店の従業員が一人、殆ど顔を出さなくなったと聞いたはずだ。

「明日すぐ陳さんあたってみましょ。とりあえず今夜はランチャーをさっさと見つけなきゃ」

「せやね……ご主人、おおきに」

 藤花が捜索に戻ろうとする刹那、彼女の耳朶を聞き覚えのある、空気を切り裂く飛翔音が劈いた。反射的に「砲弾落下!」と叫んで伏せる。

 塀をかすめ、煙の尾を引いて焼夷弾が離れに着弾したのはほぼ同時であった。

「みんな逃げろ!」

 慌てふためいて飛び出してくる警防員達の後ろで、離れは火の手に包まれた。誰かが消火班を要請している後ろで、藤花は頭を抱えた。

「あああ……証拠品が」

 狼狽して傍らの書類を抱える美鈴を振り返る。そう、書類を抱えて。

「めーりん……!」

「き、鍛えておくものですね!」

「でかした!ステーキおごる!」

「女の子も忘れないでよ」

「も、もちろんぴっちぴちの若い子見つけてあるねん」

「鈴奈庵の子じゃだめだからね」

「ぎくっ」

 

   *

 

 消火班と入れ違いに、北区の端にのっそりと建てられた警防団本部へ舞い戻った藤花達は、早速書類の選別に取り掛かった。証拠を焼失したかもしれないと団長がおかんむりであり、早い所どれか逮捕の材料だけでも見つけておかないと里から放り出されかねない。

大半は事件と関係ないものと思われたが、隠語で書かれたものもないとも分からない。

 しかし分かりやすいがゆえに後回しにしていた手帳を試しにめくってみたところ、カレンダーに印をつけてあるのを見止めた。

 大演習の日に「烽火」と書かれ、師走の数日に点々と印が続いている。メモには破り取られた頁があり、鉛筆で薄く塗ると、懐かしさすら覚えるアルファベットが浮かび上がってきた。

「これは……」

 とりあえず塩谷の罪状は明白となったが、事件はまだ終わりではないらしい。藤花は横で舟をこいでいる美鈴を揺すって「夜食に蕎麦でも取ろうか」と提案して注文へ行かせた。

 暗号を解いている姿を見られるのは、本業を知られるおそれもあって避けたかった。

 そもそも軍事とは無縁の幻想郷にあって、暗号は無用と言って差支えない環境である。したがって寺子屋では秀才と言われた塩谷の使用した暗号も、方式としては古典的なものであろうと藤花は予測する。そういえばと思って書類を探すと、にとりの店のチラシや地図に混じって落書きだらけの書類が数枚出て来た。論文か何かかと思ってよくよく呼んでみれば南北戦争に関する本の写しのようだ。

 何となく使用された暗号のあたりはついた。記号を使用していないから南軍式ではあるまい。北軍となると暗号強度は跳ね上がる。コード・ブックが必要になったりしたら一晩では終わらないだろう。思わず目頭を押さえた。

「待てよー……」

 いくら塩谷が秀才といえども、組織の他の人間は幻想郷出身者が大半だろう。あまり複雑にしすぎると復号に時間がかかり、計画に支障を来す。となると意図的に復号が楽な方式を採用するはず……。

 紙を細く割いて文字列を書き殴り、色々なものに巻き付けてみたが文章は出てこない。となると、

「フェンス・レイルかッ」

 新しい紙に文字列を写し取り、抜き取って並べ替えると……。

「おお、読める読める」

 暗号要員ではなかった彼女だが、暗号強度の低さが幸いした。とにかく、中身を読み解いていく。

『ケイボウダン ダイエンシユウ ハサイ シラシメル

 ヨウカイ ケイジ ユウカイ イカ チクリン コウマ

ヨウドウサクセン ギンコウ

ケツコウビ』

どうやら計画の段階を記していたらしい。警防団の演習を邪魔して存在を知らしめ、刑事誘拐は里から離れており妖怪の比率の高い竹林、紅魔分団から攫った警防員をダシに身代金でも取ろうという事だろう。そして、陽動作戦で捜査の目をそらしつつ、何か大事を起こすつもりのようだ。

「よう考えてるなあ」

 感心している場合ではない。何なら自分も混ぜてもらっても構わないくらいだが、計画によっては自分の身も危うくなる可能性があるなら止めなければならない。とりあえず今回の事件も手持ちの資料に加えて置こう。

 丁度、背後の戸がノックされた。

「蕎麦屋さん、もう少ししたら来てくれるって」

「おお、おおきに!さて、塩谷の計画も分かったところで団長に報告して汚名返上といこか。第二のロケットマンは里で頑張ってもらったらええやろ」

 久しぶりに軍人張りの仕事をしたとあって、藤花の機嫌は上々そのものであった。しかし、団長ほか幹部のおじさん連中は、浮かない顔をして並んでいた。

「……どないしはったん」

「さっき、匿名の電話があった……逮捕されている同志を広場へ釈放しなければ、里の建物を無差別に攻撃すると」

「……はァ!?」

 思いの外、相手の対応が早く一同驚きを隠せなかった。それきり、板張りの廊下に沈黙が垂れ流される。いわば里全体が人質に取られたようなものだ。

「とりあえず、目星はついてるねん。中華屋はんの店の子、至急手配して……」

「もうしてある。里長へは、使いを走らせた……にしても、一度とらえた猛獣をまた野に放つなんて、言語道断だ。対応は慎重に検討せねば…」

「とりあえず、塩谷を連れてきましょう!そうすればそいつに連なる組織も芋づる式にぶち壊せます!」

 横から美鈴も援護した。秩序警察とも言えない警防団であったが、気付けばあたかも法律が存在するかのようにふるまい始めたのは藤花にとって興味深かった。

「わ、私が許可出来ない。無茶苦茶だ……」

 演習後、かろうじて狙撃隊をかき集めた程度で大半が戦闘など未経験の幹部連中に、期待できる事は少ない。

会話が迷走し始めた時、玄関から何者かが声を張り上げた。

「なんか、蕎麦屋の出前が来てますが」

 その言葉を聞き、腕組みして考え込んでいた藤花が顔を上げた。数秒、中空を見つめていたが急に笑顔になって振り返り、美鈴の肩を叩く。

「それ、ウチらが呼んだやつ。さーて、里長の判断を待ちながら腹ごしらえでもしよっかなー。こあちゃんもおいで、一本あげる」

「なんですか一本って……」

 こんな時に何を悠長なという目で団長が睨んできたが、頼んだのはもっと前なので仕方がない。藤花のわざとらしい蕎麦だ蕎麦だという即興の歌声が遠ざかっていくのを、幹部連中はただ見送る事しか出来なかった。

 

   *

 

 夜遅くに里の危機と言う事で、憮然とした表情の里長が警防団本部に入ったのはそれから十分ほど後であった。

 暖色のランプの炎と暖房で可能な限り快適な部屋を用意され、上等な椅子に腰を下ろした里長は杖を傍らへ置き、相変わらず厳しい表情で警防団幹部の報告に耳を傾けている。

 が、肝心の紅魔分団の警防員達がまだ蕎麦を食いに行ったきり戻っていない。青い顔で別の警防員が階段を駆け下りて来たかと思うと、廊下で待機していた幹部の一人に耳打ちした。

「……いないって、どういう事だ」

「それだけじゃありません」

 おい、と男が呼ぶと制服姿の警防員二人に抱えられた青年が現れた。

「誰だそいつは」

「塩谷の牢屋に入れられていた蕎麦屋の出前です。どうやら入れ替えられたらしく……」

「な、何!?」

「勘弁して下さいよ……」

 幹部の驚愕と出前の悲痛な叫びが、同時に廊下にこだました。

 



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第五部 乱階の紅魔分団④

 人影まばらな里の通りを、切れ長のフロントライトを灯して滑るように疾走する一台の乗用車があった。

「意外と何でも似合うじゃないのさ、塩谷クン」

 お世辞にも広いとは言えないレパードの後部座席で、蕎麦屋出前の捩じり鉢巻きを引きちぎるように外した塩谷が運転席の美鈴を睨みつける。広場まではもうすぐだ。現地で塩谷を引き渡した後、連れが出来て逃げ足の鈍った相手をとっ捕まえれば決行日とやらの真相も分かるだろう。

 しかし、日付も変わり往来が全くと言っていいほど途絶えた広場に到着しても、待ち受ける犯人らしき人物は影も形も無かった。

 窓を開けて耳を澄ましてみるも、呼びかけや近づいてくる足音もなく、ただ寒風吹きすさぶ広場のうら寂しさが強調されるばかり。

「……罠かな」

「ちょい待ち」

 ハンドルを切ろうとする美鈴を、藤花が制する。前方、月明かりに照らされて不自然に放置された一升瓶がひとつ。拳銃を抜いて車からそっと降り、近づいてみると飛ばされないよう挟まれた紙片があった。拾い上げて大急ぎで車へ駆け戻る。

『無線の周波数を八八.一に合わせて十五分以内に船着き場へ行け』

「……船着き場て?北区の渡しのとこかな」

「川漁師の船がまとまって留まってるところだと思います。この時間ならまず人がいません」

 こあのフォローで合点がいった。そこなら指定された時間で間に合う。

「しかし、勝手な事言ってくれるねえ」

「勝手やから犯罪者になれるんよ」

「勝手なのは先輩たちも同じでしょう」

「何言ってんのさ、私のはわま、まが、わままま……はっきりしゃべりなッ!」

「……………………わがままだなー」

 

   *

 

 力でねじ伏せた美鈴は、荒々しくギアを入れて船着き場へとヘッドライトを巡らせた。

 昼ならともかく、夜なら左右へ行き交う通行人も無く、車は速度をほとんど落とすことなく里を一直線に走る。周波数を変えたので無線の呼びかけや定時連絡も入らず、車内の誰も口を開かなくなると低くエンジンの振動が響くばかり。

 同じ里の中だけあって、船着き場への到着はそうかからなかった。徐行しつつ、一部陸へと引き揚げられている船の隙間を警戒して進む。

「美鈴、ウチひとつ気付いた」

「ん」

「さっき、犯人はこいつんち容赦なく吹き飛ばしたやん。それってもしかしなくても証拠隠滅なわけで……」

 そう言いつつ後ろの塩谷を振り返る。彼は黙って座ったまま、前方を見据えていた。

 まとめて始末する気か。

あまり言いたくはないが、そんな気がしてきた。

そして予感は的中する。突如として無線機から声が流れ始めた。

『……十数える。塩谷を車から降ろせ』

「……どうしよう」

 塩谷を除く一同が顔を顔を見合わせている間にも、容赦なく秒読みは続いている。美鈴がゆっくりと相棒を見やる。

「何かあったら、すぐに飛び込んできて。急発進させる」

「…せやね」

 藤花は頷いて、車からゆっくりと降りて座席を倒した。塩谷を一人で降ろさせる。

 事態はすぐに動いた。視線を巡らせた藤花が黒い水面に小さな船の影を見止めた瞬間、その周囲がパッと明るくなり、三発目のロケットが発射されたと理解する。

「出せェ!」

 美鈴もすぐ応え、アクセルを踏み込むとタイヤが悲鳴を上げた。間一髪レパードは尻を振って攻撃を回避する。

次の一撃を警戒しつつ、塩谷のいた方角を振り返ると、彼も思わず飛びのいたのか炎の真横でゆっくりと立ち上がる所であった。

 川の人物はというと、船の舳先を回して脱出を図る刹那、何かを塩谷に向かって投擲した。彼が屈んでそれを拾い、あわてて降車して殺到しようとする三人に向き直った時、思わず一同は硬直した。

「塩谷……それ、捨てな」

 小型拳銃を握って構える塩谷の目は、見開かれている。

「あの男は誰なん。警防団が守る、アホな事はやめ……」

「これが…」

「あん?」

「これが、ルールなんだ」

 止めようと足を踏み出した美鈴も、塩谷が銃口をこめかみに当てて人差し指が僅かに引き金を引き絞り始めた瞬間には、目をそらさざるを得なかった。

「何がルールだい……」

 

   *

 

 船上の下手人はと言うと、M202に残された最後の一発を派手に船の列へと打ち込み、火災を発生させて逃亡。その火の手を見て殺到した警防団消火班の前で、藤花と美鈴、こあは怒りに満ちた表情の団長によって武装解除させられた。

「貴様ら……容疑者を勝手に連れ出したな…処分は追って知らせる。それまで大人しくしとけッ」

「お言葉ですが、団長の判断を待たずして……即座に行動したから……こそ!ロケットを無駄打ちさせて里の住人に被害も……藤花やめろ!」

 真剣な、どこか悲しそうにすら見える表情で猛然と抗議する美鈴は、服をずらしたり帽子を取ったりして全力で止めようとする藤花を怒鳴りつけた。

「すんません、失礼します」

 藤花はというと、やるせない表情で美鈴とこあの肩を掴んで車の方へと引っ張り、それぞれを押し込むように乗り込ませると最後に自分も助手席へ滑り込んでドアを閉めた。

「どうしたのさ藤花!?えらく物わかりが良いじゃない!」

 車内でも、変わらず美鈴は深々としたシートから身を起こして相棒の理解できない行動について糾弾する。

「大人になったんよ」

「大人になりすぎなのさ!」

 どすんと座り直し、車体を揺らして美鈴はハンドルを握った。乱暴な加速でレパードは船着き場を出て里を離れる。

 

   *

 

 紅魔館警防団事務所で、三人はぼんやりと椅子に座ったまま動かずにいた。時折藤花が煙草の灰を灰皿に落とし、新しい煙草に火を点ける作業を緩慢に繰り返すほかは時計が刻む音しか聞こえず、やがて濃紺に塗りつぶされていた窓が明度を上げて雑音に遠く鳥の鳴き声が入り混じり始めても、誰も口を開かない。

 藤花が遂に煙草を切らし、実は大半をこあが勝手に吸っていたのだと気付いた時、時計が六時の鐘を打ち、それを合図とするかのように藤花は煙草の空き箱を大きな音を立ててゴミ箱へぶつけた。

「静かにしなさい。お嬢様が寝入ったばかりです」

 直後、咲夜が入って来るなり藤花にくぎを刺し、ここでも仕事を増やして……と小さく愚痴をこぼしながら床に転がるくしゃくしゃの空き箱をゴミ箱へ入れ直した。

「こあ、パチュリー様に朝食を御持ちして。また本が増えたらしくて、今日は早くからエクスリブリスを刷ってるわ。それも手伝ってあげて」

「……わ、分かりました」

 こあが気まずそうにこちらを伺いつつ、失礼しますと言って部屋を出て行くと咲夜は分団長席について残る二人を呼び寄せる。

 藤花と美鈴に、まだ言葉は無い。

「一連の事件で、貴女達の仕事ぶりは私が嫌いとする所をしっかりと踏襲していたわ」

「……それは、どうも」

 顔に影を落として俯きつつ、どこか遠い目で美鈴がこぼした。

「今後、私の許可なく動いたら即刻クビよ。美鈴、紅魔館門番としての貴女もですからね」

「……いっそ、三人で去ろうか」

 藤花の嫌味を無視して咲夜が去ったのは、馬鹿に付き合いきれないという意思表示なのか、聞かなかった事にする優しさだったのかは分からなかった。

 咲夜が退出し、足音が遠ざかって十分前と同じ状態に部屋が置かれている事を認識した藤花は、そっと美鈴に耳打ちした。

「ウチ、里に帰ったら陳さんにもう一回話聞いて店の子とやらを追ってみる。やっぱり、あれはウチで上げなあかん犯人やと思うし」

「……そう、ですね」

「犯人は、陽動で銀行を襲う隙に里の爆破計画を練ってるんやで。いけすかん爺ィ連中がくたばってもまだ逮捕すればめでたしで済むやろうけど、子供に被害が出てみ。……夢見悪いで。ウチは警防員辞めるつもりでやる」

「!」

「ほなね」

 辞表らしき封筒を振ってそう言ったきり、藤花は口を閉ざして帰宅の準備を続けた。その背中は何を語るか。

「……藤花」

「どないしたん」

「私も行くよ!どっちにせよ、私たちが最初にホシを挙げたんですから、きっちり借りは返させてもらうよ!」

「よう言うた…!」

 まっすぐな瞳で微笑む美鈴と、藤花は堅く拳を合わせ、それぞれ上着を引っ掴んで廊下へ飛び出して行った。

 

   *

 

「藤花、警防団辞めたら煙草屋に戻るの?」

「ウチは本来あっちが本業やからね」

 はやる気持ちを胸中に滾らせていても、移動時間までは減らせない。静かな車内の二人は、今の内とばかりに今後の話題へ切り替わっていた。

「そいえば美鈴はとうとう煙草吸えへんかったね」

「体動かすからね、吸ってると動けないんじゃないかなー」

「それもそ、う……あら」

 窓から移りゆく湖の風景を眺めていた藤花が、僅かな変化を見止めた。普通ならゴミか流木として視神経が排除してしまいそうなノイズか。しかし水というものは戦場において水源地、兵站、兵器の維持と必要不可欠な要素でありその奪取や占領者への嫌がらせは日常茶飯事であった。大陸であれば川上から子国民党軍が爆雷を流したりしてきたものだが、その観察眼に止まったのは浮かんでいる……人?

「ちょっと、車停めて」

 ついに美鈴も同じものを認識したようだ。停車するや否や二人はするりと車高の低いレパードの側に降り立ち、湖岸へ走る。

「美鈴、ここってそんな土左衛門くるん」

「いや……そもそも人がほとんど来ないから…って、あれ河童だ」

「えぇ………ん、ほんまや、にとりちゃんやん。河童ってほんまに川流れるんや」

 川の流れがどっち方向だったのかは別として、流れ着いているのは川城にとりであった。慌てて靴を脱ぎ、もはや泳ぐに適さぬ冷え切った湖面に足を浸して彼女へ近づいていく。水底に沈んだ小枝がチクチクと痛い。

服の端を掴んで引き寄せると、慌ててかき抱いて岸辺へと戻る。既に腰まで浸かって藤花も凍えそうだ。美鈴の助けを借り、にとりを上がらせると彼女も駆け上がり、腰からフラスコを引っ張り出して一口。

「んー、うまいっ」

「んなことやってる場合かッ」

「おっと、そうやった」

 美鈴が揺さぶってみるが、反応が無い。ひとまず釦を外して呼吸を戻さなければ。

「な、なんか外し方がヤらしい」

「余計な事言わんでええ!」

 これなら呼気の動きは見えやすいだろう。藤花は口元を拭って美鈴の余計なツッコみを脳裏から排除し、にとりの顎へ手をやると薄い唇へ照準を合わせた。

「……………………」

足から恐ろしく寒くなってくることも忘れて、呼気を送り込む作業に没頭する。視線はわずかに上下する胸元を注視しつつ、数回その作業を繰り返した時自分の意思と異なる流れを感じて慌てて唇を離した。

「……………………げっほ!」

 にとりが大きな咳をしてもがく。助け起こすとゆっくりと目を開いて周囲を確認、二人の姿を認識すると更に目が見開かれた。

「うああぁっ、あんたたち!」

「第一声がそれかいな…」

 気つけの酒を差し出しつつ、藤花が首をすくめる。煙草を取り出そうとしたが、止めた。

「そ、そだね……とりあえず礼を言うよ、ありがとう……」

「なんでまた、流されてたん」

「いや、その……」

 にとりの視線が泳いでいる。作業事故でも足を滑らせたでも、なんとでも理由はありそうなものだが、すぐ出てこないとなると、恥ずかしい理由か、自分らに聞かれるとまずい事かどちらかだろう。

「困った事でも起こったん?朋友(ボンユー)やろ、聞いてーな」

「いや、その……」

 にとりが、あくまで言葉を濁すならカマをかけてみるしかない。一計を案じた藤花は霧にむせぶ雑草を指先で弄びながら白く消えてゆく湖面の行く先を見やった。

「そういえば、さっき設計図みたいなんが流されてったけど、それと関係ある事?」

「うぅ……」

 やはり図星らしい。彼女がここまで隠し立てしたい事とは何だろうか。藤花が次の行動を起こす前に、遂ににとりが重かった口を開いた。帽子を目深にし、あくまで言葉少なに語る様子から、一部は推測するほか無さそうだが。

「……ルが、工場で完成したミサイルが、人間に奪われて……」

 ミサイルが人間に?仲間意識の強い妖怪相手に、そんな強硬手段を取る人間がいるとは思わなかった。身元を突き留められれば仕返ししてくるのはにとり一人とは限らない。ましてや高度な技術を複数結集しなければならないミサイルなら尚更だ。思わず、藤花と美鈴は顔を見合わせる。塩谷のロケットの件と言い、噴進兵器を好む理由とは何だろうか。一発の威力の大きさ?殺傷に不慣れな人里のシンパでも抵抗感なく攻撃を実行できる?これに関してはここで論じあっても分かるまい。

 しかし、藤花は相棒も同じ結論に至った事を悟った。

「おおきに……にとりちゃん、よう言うてくれたね。ウチがこう言ってもしょうがないんやけど…その人間は、ウチらで必ず落とし前つけさせるからな」

 それだけ言うと美鈴と頷きあい、霧の中でかっこよく鎮座しているレパードの方へと駆け戻……る前に、もう一度にとりに向き直った。

「なんか、そのミサイルの資料みたいなんあれへん?」

 

   *

 

 警防団本部。

 上司として無鉄砲な部下の非礼を詫びる為、咲夜は里の幹部連中と対峙していた。これ以上紅魔館の名に泥を塗るような真似もせず、以前から定評のある低い物腰の咲夜に当初は頭に血の昇っていた幹部達も次第に落ち着きを取り戻しつつあった。しかしながらこれを公にどう発表するか、再び議論が紛糾しようとし始めた時、会議室の戸を控えめに叩く音が一同の耳に入る。

「入ります」

「何だ!」

 この忙しいときに、という感情のにじみ出た声で誰かが一喝すると、戸を押し開けて入ってきた警防員が、何やら紙片を議長席へと差し出して耳打ちした。

「……なんだこれは」

 部下の言葉に耳を傾ける議長の視線が、途中からこちらへ向けられたのを見て、嫌な予感を抱いていた咲夜の勘は的中した。

「十六夜分団長、君のところはまだ独断を続けとったのかね」

「えっ」

「エじゃない!香霖堂前で君の部下から受け取ったというメッセンジャーボーイがこれを持って来とるんだ!謹慎命令はどうなった!副団長!」

「はッ、私は確かに……」

「いい、もういい」

 団長は、額の汗をぬぐって持ち込まれた紙片を一同に回覧するよう差し出す。真っ赤な顔で恐る恐る受け取った副団長は、まず目を白黒させ、次いで赤かった顔を青くして震える手で隣の咲夜へと紙片を落とすように寄越した。

「これは………?」

 慌てて紙片を確かめた咲夜の目に飛び込んできたのは、河童の工廠の書式で描かれた製品外観図の写しであった。

『イ號誘導弾改 諸元』

 



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第五部 乱階の紅魔分団⑤

「美鈴、銀行ってどこやろう」

「外で言うギンコーという仕事は厳密にはここには無いね。だいたい高利貸しか、両替屋があちこちにあるけど……でも、一か所だけ”銀行”を名乗ってる店がある」

 美鈴の言葉に藤花がドアポケットから地図を取り出し、ずらりと目を走らせると「倉庫街の手前にある」と言われたのでそちらを見やると、「新幻銀行」の名が記されている一角があり、どうやらそこが銀行と名乗っている唯一の団体のようだ。塩谷のメモで、わざわざ銀行と指定してあったのなら、ここと見て間違いないだろう。

「こあちゃんどうしとる?」

「紅魔館にまだいると思うけど……」

「銀行は陽動作戦で、ミサイルはどこにあるか分らへん。銀行に打ち込むのか他に目標があるのか……いずれにせよ、どこかが狙われとる!」

 藤花は無線の受話器をひったくった。

 

   *

 

 警防団本部で、咲夜の心労は徐々にピークへ達しつつあった。

本来のここを訪れた目的と言い、相変わらず行方の知れない部下と言い、そしてミサイル強奪が発覚してからの警防団の騒ぎも彼女の神経を大いに逆なでした。無責任に「爆発物なら紅魔さんとこが危ないんじゃないか」などと幹部が口走り始めたとなると、時間を止めて何かしてやろうかという気もして来る。

しかし、犯人グループが犯行の継続を明言している以上まだ被害が出る事は確実であるという見解が支配的となり、咲夜の責任問題云々が有耶無耶になった。

「犯人が反博麗派で、奪われたのが河童のミサイルなら、里内で発射ということは無いだろう……里外の分団と協力しつつ、ミサイルの捜索に当たる」

 いつしか連続砲撃事件対策会議となった場で、団長はこのように締めくくった。

 

   *

 

 商店街とは異なるにぎわいを見せる昼過ぎの倉庫街は、人里で数少ないエンターテインメント色よりも商業色の強い賑わいを見せる喧騒で満たされている。

 車を隠して徒歩で銀行を眼前にした二人は、まだ事件らしきものが発生していない事に安堵すると、懐から取り出した黒眼鏡をかけて壁にもたれ、それとなく周囲を見渡した。

 行き交う人々の顔は、昼食時を過ぎたばかりとあってまだ明るい。腹も満たされ溌剌とした様子で包みを担ぐ荷役や、すぐそばをクリークが流れる様子は、藤花に上海の裏道を思い出させるのに十分であった。

 目を細め、悲しげとも取れる顔で藤花は煙草をふかしはじめ、傍らの美鈴に向き直った。

「美鈴」

「うん」

「講民党の連中がどこからミサイル撃つかって情報入ってへんよね」

「そうだね」

「てことは、あとは強盗野郎をとっ捕まえて聞き出すしか方法は無いって訳やんね」

「……そうなるね」

 それっきり会話が途絶えると、二人して懐からハンケチを取り出し、藤花は煙草を捨てて連れだって銀行内へと足を踏み入れる。

 中に入ると、寒さは一段和らいだ。ストーブが焚かれているのか、室内にいる客も従業員も着ているものが一枚少ない。同時に顔も観察するが見覚えのある人物はいないようで、二人は一旦入口の脇に退いて周囲に背を向けた。

「ウチらが強盗ってことにして」

「講民党がいないか手荷物検査、しよっか」

「そうしよか……」

 まさに二人が相談している真後ろで、怒号が飛んだ。そして銃声。

「大人しくしろぉ!」

 鉄火場に不慣れそうだ、怒鳴り声だけでなんとなく察せてしまうのが切ない。藤花、美鈴は振り返って行動を開始する。それを見止めた強盗犯はまず警告。

 しかしそれが運のツキであった。まず警告する以上、それを終え動き続ける標的はしっかりと狙わなければ命中弾は期せない。更に拳銃を掲げる男は机に駆け上っており、結果藤花との位置関係は三次元的に刻々と変化する。至近距離とは言え訓練せずに瞬時に標的を選び出して対応する事は困難であり、その間に四十五度別方向から突入する美鈴の飛び蹴りは仕上げの段階に入っていた。

「イヤーッ」

「ぐはっ」

 あっけなく犯人は机上から蹴り落とされ、妙な音がした顎を抑えて吹き飛ばされる。美鈴の計算は完璧であり男を蹴り飛ばした反動で机上に残ることが出来、一瞬で入れ替わっていた。次いで藤花も、別の位置で拳銃を一発天井へ発射して客や従業員を威嚇する。完全に強盗犯の一味と思われているか、すり替わった事にすら気付かれていないだろう。

「おっしゃ!静かにするんや、ベイビー」

 

   *

 

 騒ぎはすぐに警防団本部へも届いた。会議中の幹部、分団長の前でベルが鳴り響き、控えていた若き団員が受話器を取り、二言三言会話をするとサッと顔を青ざめさせる。

「銀行強盗!それで?うん、ホシは二人……うん。それで、一人は?……………カンフーのような動きでカウンターに飛び上がって?も、もう一人は…………"静かにするんやベイビー"…………?」

 警防員の復唱を聞くや否や、全員の視線が片隅の机で頭を抱えている咲夜に集中した。

「とりあえず、狙撃隊を出動させましょう。強盗犯の立てこもりなら、演習と状況も似通っている事だし、ホシが誰にせよ早期解決を!」

 

   *

 

 そして、まだ騒ぎの収まりきらぬ銀行内。講民党構成員が紛れ込んでいるなら、とっととミサイル発射の情報を掴まなければいけない。

「ほンなら、みんな一カ所に集まれや!」

 完全に強盗犯になりきっている藤花が拳銃を振りかざして全員を入り口から遠ざける。

「姉貴、巻き舌でんなあ」

「……こういう時は、そういう方がええんや。上方の人間が巻き舌で喋っとったらだいたい悪人扱いやからね、あんたは向こうから持ち物検査してって」

「オーライ。…おらおら、みんな、持ち物検査じゃけんのう」

 方言をよく分かっていない美鈴も、思い描く悪人像を頑張って演じながら来客の持ち物を片端から覗き込んでいく。大半は両替しようとする外界の紙幣や硬貨を持ち込んでいたが、そんなものには目もくれず、怪しい書類や無線機の類が紛れ込んでいないかに、二人の興味は集中した。しばらく、行内は荷物をいじる音と、出る人間がいない為に鳴り続ける電話機の音が支配し始める。

 藤花は、美鈴の蹴りを受けて呻いている男に歩み寄って、胸ぐらをつかんで起き上がらせた。

「ミサイル、どこ行ったん?」

「…な、何の事だか」

 白々しくせせら笑う男の顎を引っ掴んで揺らすと、ものすごい悲鳴を上げた。あれだけの衝撃を一手に受けたのだからまだ痛むだろう。同時に”人質”の従業員たちも何事が起こっているのか分からず女性などは何事か叫び出している。

 と、背後で再び美鈴の咆哮が巻き起こり、打撃音がして男の悲鳴。どうやら仲間が美鈴の隙を見て掴みかかり、反撃を受けたらしい。肝心のアクションを拝見できなかったのだ残念だが、彼も同じような尋問を受ける事になるだろう。

 だが相手の拳銃を拾いって立ち上がった藤花が見たものは、愕然とした顔の美鈴と、口から血を流して倒れ込むもう一人の犯人の姿であった。

「こ、これ……」

「毒仕込みよったね……」

 そして背後でもう一つ、今聞いたばかりの雑音。

「…………あっちもか」

「何なのさ、あいつら」

 ここまで狂信的な集団とは思わなかった。手を組もうなどと下心を抱かなかったのは正解らしい。これでミサイルの情報はぷっつりと途絶えてしまったかと思われたが、二人の残した鞄に手がかりがありそうだ。

「美鈴、二人の鞄調べて」

「オッケィ」

 藤花は身を翻して電話機の下へと駆けより、鳴り続けるそれを一旦叩きつけてから記憶していたダイヤルを回した。

「はい!」

「こあちゃん?」

 ここへ来る途中、無線で呼び出し里内で待機させていたのだ。

「塩谷の事、何か分かった?」

「ええ、もう一回問屋へ問い合わせたら、彼には義理の兄がいますね。父親が生前、別の女性ともうけた子だそうです。名前は浩太」

「了解。……あと表の警防団なんとかできへんかな。ちょっと出づらいねん」

「今すぐ出るなら裏は固まってないみたいですよ」

 これは良い事を聞いた。気を利かせてそこまで調べてくれたこあに礼を言いつつ、受話器を置く。丁度その時、美鈴が書類を引っさげて駆け寄ってきた。

「一人が地図を持ってた。この見方が正しければ、河童のトラックか何かを襲ってミサイルを奪った後、ぐるっと回って無名の丘の近くまで持って行ったみたいだ」

「河童除けのまじないでも持ってたんかなァ……とりあえず、ここに行ってミサイルを止めればええ訳やね」

確か手帳によると決行は陽動作戦の翌朝となっていた。そして赤線で記されたミサイルの航路とおぼしき線の先は里の中心辺りを示していた。にとりの設計図で弾頭は高性能爆薬となっていたが、戦中にカルカッタ放送で傍受した新型爆弾のそれとは異なるのだろう。

「あと、これ!」

 美鈴が緊張しきった顔で突き出してきたのは、藤花にはまだ見慣れぬデジタル時計のついた爆弾だった。何故かカウントダウンが始まっている。

「みんな逃げろぉぉぉお!!」

 それを叩き落とし、他の人間が入口に殺到するのを尻目に、藤花と美鈴は従業員勝手口を蹴り破って外へと駆けだす。

 白っぽい土ぼこりを伴う爆発が巻き起こったのは、幸いに全員が駆けだした後だった。戸口から飛び出してぶっ倒れる二人の頭上を、凶器と化した文房具や破片が次々に飛び越していく。

 爆音が止み、表で野次馬が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す騒ぎの中で、裏口の二人は服の土を払い、咳き込みながら立ち上がった。

「ちょっと、私たち舐められすぎじゃないかな……」

「あぁ…温厚なウチもちょっとプッツンしそう」

 だが、気を取り直して車へ戻り、発射地点を抑えようと歩き出した二人の前にゾロゾロと警防員がやって来た。

「紅魔分団の二名ィ!」

「逮捕する!」

「ぅえぇ!?」

 たちまち取り囲まれ、胴上げよろしく担がれてもがくこともままならぬまま連れ去られそうになる。このままでは幻想郷での経歴に瑕がつくばかりか、里の人間に被害が出るのを黙ってみている事しか出来なくなる。

 だが。

 藤花が思わず直立不動になりそうになる迫力を伴った排気音が通りに響き渡るのを、やがて全員が耳にした。自然と皆の目が音の近づいてくる方角へと吸い寄せられる。

 最初に見えたのは、一対の巨大な目であろう。そしてそれは黒光りするフェンダーを伴い、後ろに続く紅のボデーへの美しいラインを際立たせる。運転者が望めば、過給機は近代科学の結実を高らかに歌い上げ、数トンある車体を二百馬力で疾走させるだろう。

 グローサー・メルセデス。上級を自称するに足る巨大かつ優美な四輪が、里の通りを爆音と共に人を、犬を、かき分けて突き進んでくるのだ。誰もが足を止めずにはいられなかった。しかも、運転台にはものすごい目つきの咲夜がハンドルを握って座っている。

 彼女の操るメルセデスは、音を立てて急制動をかけると、群衆の直前で停車した。荒々しくドアを開けて飛び降りてきた咲夜が、二、三歩駆けて怒鳴る。

「美鈴ッ!藤花ァ!」

「は、はい」

「……降ろしなさい」

 担ぎ上げられて縮こまっている二人を確認すると、咲夜は群れる警防員達へと視線を映した。

「しッ、しかし!団長より、紅美鈴と藤花と逮捕するようにと……」

「紅魔分団の私が!離せと言ってるのよ!いいから離せエェ!」

「は、はなせー!」

「はい!」

 警防員達が二人を持ち上げる手で一斉に敬礼するものだから、藤花たちはそのまま地面へと叩きつけられた。次々と走り去っていく警防員の群れが失せた後に、腰を抑えて呻いている二人が残された。

「だ、誰……最後に離せって言ったの」

「う、ウチ……いてて」

 唸りながらようやく立ち上がろうとする二人の下へ、咲夜がつかつかと歩み寄ってきた。先程の激高した感じは和らいでいるが、依然興奮状態である。

「……藤花、私は、貴女が嫌いよ」

「し、失礼しました……」

「待ちなさい!」

 これ以上説教されても仕方ないと詫びて立ち去ろうとする部下二人を、咲夜が一括して呼び止めた。肩を掴んで目を見据え、全てを言葉にしようとすると口が追い付かなくなるような感情を胸中で反芻するような、長く感じる一瞬が流れる。

「でも、奴らの事はもっと嫌いなの。次に何を考えてるか知らないけど、犠牲者をこれ以上出すわけにも、いかないのよ!……逮捕しようなんて考えなくていい、ぶっ殺しなさい!」

「へっ!?あ……あっはい!」

そういうや否や、咲夜は傍らで前方を睥睨し続けるメルセデスのドアを開けた。

 館の備品であろうか。機関短銃、散弾銃、拳銃、そして雑多な弾薬が無造作に積み込まれ、一個小隊くらいは武装させられそうな数の火器が積み込まれていたのだ。

 思わず手もみして品定めしつつ、藤花と美鈴はとんでもない事を言い始めた上司を振り返った。

「行きなさい!」

「はいー!」

「行けエェェ!」

 激高した咲夜に気圧され、敬礼とは裏腹に困惑しきった顔でメルセデスへと飛び込んだ。大物過ぎる車体だったが、美鈴はなんとか操作して発進させる。御料車改造の紅魔館専用車は、里を再び驀進し始める。

 歴代の皇帝、国家元首が乗り込んだ車内で、藤花は一丁選び取った散弾銃に弾を込めつつ、小さく震えていた。

「どうしたんですか?」

「いや、幻想郷に来て、まさか御料車で悪人討伐しに行くなんて、ふふ。考えてもみぃへんかったわ」

「なるほどねー」

「あと……」

「?」

「あんたの上司、ええ人やね」

「ちょっとプッツンしやすいですけどね!」



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第五部 乱階の紅魔分団⑥

 森の敵陣地へ突入する前にも、やる事はあった。こあに問い合わせて塩谷浩太の住所を確認し、まずはそちらをのぞいてみる必要があった。

 聞けば彼の長屋は南部の貧民窟手前の閑散とした宅地にあるという事で、途中巨大すぎるメルセデスは留め置いて徒歩で静かに向かう。冬の陽は早くも橙に変わりつつあり、年の瀬を思い起こさせる寒空の下で外套を羽織らない二人はお互い首を縮こまらせながら足早に通りを離れる。寒いと言葉少なになるせいか、藤花の煙草の消費も心なしか早い。

「あそこか……」

 同じような外観が延々と続く並びのひとつを、美鈴は目で確かめる。藤花も無言で頷き、一瞬視線を交わした後は静かに歩みを進めた。紫煙を吐き出しつつ、吸いきった煙草を地面へ放り捨てた藤花の手が、瞬きでもするようなしぐさで静かに上着の釦を外す。

「……ごめんください」

 二、三度戸を叩いてみるが、物音一つせず誰かがいる気配は無かった。半ば予想通りではあったが。等間隔で美鈴が戸を叩いていると、隣の部屋からこちらをうかがっていたらしい中年女性が顔を出して鬱陶しそうにぼそぼそと話しかけてきた。

「そこの人なら三日くらい前から帰ってないよ」

「あホントに……どんな人やったか知ってはる?」

「さあ、家賃の遣り取りくらいしかなかったからね。でも今月だけ急に払われなくて」

さも面倒くさそうに女は視線を逸らせた。家賃の遣り取りと言う事は、彼女が大家だろうか。

「警防団の者やけど……家賃ちょっと出すからこの部屋のぞかせてくれへん」

「まあ、いいけど」

 女はため息の後、のそのそと出てきて塩谷室の鍵を回しはじめた。何かネガティブな事をしてからでないと動かないのかこいつは。ガタの来ている鍵が外れ、戸が軋んだ音を立てて動かせるようになると女は藤花から札びらを受け取ってさっさと部屋に引き込んでしまった。口頭で確認してあるし、もう入って良いのだろう。遠慮なく戸を引くと昼の空気を残した風が吹き、塩谷の兄の部屋が明らかになった。

「……何や、この部屋」

 まず目に飛び込んできたのは、時を経て黄ばんだ赤白に変色しているレコードプレイヤーや何に使うのか分からない鍵などが大量に掛けられたキーホルダーなど、外界の品の数々であった。

 まずは机の書類を検める。目ぼしい物は既に持ち去られているのか、大したものは置いていなかったが、屑籠の中から銀行で見たものと同じ地図を見つけた。しかしこちらの方が実際に使用するものの為か、ミサイルの航路もより正確に引かれており、裏にはいくつかのメモ書きが見止められた。「全ては子供から始まる」。何ともない文章のようだが、表の着弾地点は寺子屋であった。目標は、ここだ。

「拾った物を売って生活してたのかな」

 本棚の中身を調べていた美鈴が手の埃を払いつつ立ち上がってつぶやく。

「いや、そうやない…」

藤花が視線を巡らせて恐る恐る取り上げたのは、木製の写真立てだった。そこには、日に焼けたカラー写真の中でポーズをとる両親と子供の姿が見える。蓋を外して写真の裏を見ると、「一九六五、七月、熱海にて」のペン書きの文字が見えた。

「一家、もしくは父子で外来人やったんや……」

こあから聞いた話を思い出せば、腹違いの兄というのは、弟の諸太が幻想郷の女性と父親との間で生まれた子供と言う事だろう。

「郷愁と、社会への絶望と、妬みと……」

「大丈夫?」

 気づけば写真を持つ指が白くなるほどに力が加わっていた。美鈴が後ろから心配そうにのぞきこんでいる。

「……大丈夫やで。相手の事は分かった。にとりちゃんの資料では夜一杯かけて設定を行ってるはずや。森のそばとなると妖怪除けに色んな道具使ってるやろから、すぐに分かるはず……」

「ええ」

 頷いて美鈴は、捜索の最後の仕上げとばかりに部屋をもう一度回り始めた。畳を踏みしめる足が少し遠ざかると、藤花は懐から煙草を取り出して表へと歩み出た。

「行く前にちょっとココア飲みたいな……」

 

   *

 

 車に何かあっても困る、二人は長屋を辞すと再び八気筒の咆哮も高らかに里を出発した。とっくに日は暮れており、人間の時間は終わりを告げる。これからはあやかしと、悪だくみをする人間の時間だろうか。

 目標は分かってもミサイルの発射はおそらく人の手で切り開かれた場所からだろう。後から作られる土地となると、道を走りながら探すしかない。少し走っては止まり周囲を捜索する作業を繰り返し、気付けば鳥の鳴き声が聞こえる時間になりつつあった。

「やっぱり、警防団の応援を要請した方が良かったかな」

「あいつらの事やもん、サイレン鳴らして大騒ぎしながら来るで」

「だよなぁ……」

 この距離なら発射から着弾まで数分程度でしかあるまい。わざわざ相手が遠くからこちらを察知できるような戦法は取らないのが吉だ。

「藤花ッ!」

 道の反対側を調べていた美鈴が小さく藤花を呼んだ。身をかがめて明かりを落とした車を回り込み、彼女を探すと草むらの前でしゃがんでいる。ゆっくり近づくと、彼女が前方を指さした。

「明かりが見えるよ」

 鬱蒼とした森の隙間から、ともすれば見落としそうな照明がチラと見えている。おそらく道を行った先に脇へ別れるルートがあるだろう。よくよく耳を傾けてみれば電動機の音も微かに聞こえる。藤花は身を震わせた。

「じゃあ、銃取ってくる……」

「いや」

 藤花は首を横に振った。

「車で突っ込もう」

「本気で?」

 美鈴が目を丸くする。無論藤花とて焦燥感や蛮勇に酔いしれる心で思いついたのではない。

「相手が何人か分らへんし、周囲に守備隊がおったら足止め食らってるうちに発射されてまう……突っ込んで、撃ちまくった方が素人の兵隊は混乱するさかいにね」

「カッコいいとこ見せようとか思ってるんじゃないの。藤花ってほら、浪花節みたいな」

「ウチはそんな時代遅れのもんやないで、既にもっとカッコええもんや」

「何それ」

「…ハードボイルド」

「食えるの?それ」

 強がるように言って立ち上がり、車へ戻り始めた藤花を美鈴は呆れて首をすくめつつ、ついて行った。

 空は白み始めている。

 

   *

 

「これより、新しい世界と秩序の建設が始まる」

 アウトリガーを展開し大地に踏ん張る貨車の横で、塩谷浩太は十名前後の同志の前で最後の訓示を行っていた。羽織っている上着は彼が父親と幻想入りした時、着ていたものであった。

 冬の寒気に湯気を立ち昇らせながら、浩太の演説は続く。法秩序の無く、健やかに、豊かに育てるはずの教育機関が妖怪に怯える心の人間の量産機構に堕し、ヒトという種を乾電池のように変換した幻想郷を今こそ破壊し新秩序の樹立を図る。とまあ、要はそのような趣旨であった。

 大半の同志が彼の訓示を受けていた一方で、歩哨の一人は里からやってくる人や車の有無を見張らされていたが、昨日の陽動が功を奏しているらしく、人っ子ひとり現れる気配が無かった。様々な理由で貧困に陥ったり妖怪に何かしら恨みを抱いているという人間達であった。果たして破壊し、変わった後の世界というものはどうなっているのか。破壊し、古い血を抜くという段階がこれから始まろうという時では、まだ彼も分からなかった。起動し、架台をゆすって動作を開始したミサイル発射装置のノイズに混じって、麓から八気筒の発動機がワルキューレの雄叫びを上げて突進して来るのに気付くのも、ワンテンポ遅れた。

 一応、講民党私兵部隊でも障害物代わりに木箱などを道路に出していたが、四トン近い車体が二百馬力で突っ込んでくることなど想像しているはずも無く、仲間に呼びかけようとした歩哨はライトを消して突入してきたグローサーメルセデスの激突を受けて哀れな最期を遂げた。

「何だ!」

 ドラム缶を蹴倒し、土嚢を吹き飛ばしながら驀進する巨体に、講民党の誰もが驚きを隠せない。歩哨が何も言わず吹き飛ばされてしまい、一部の人間はまだ何が起こっているのかすら把握できていないのだ。

数回、威圧めいて派手にふかしながら一旦躍動を止めた車の両側の窓から、黒い手帳をつまんだ手がズイと突き出された。

「塩谷浩太、お縄の時間やで」

「陽動作戦で私たちの目を銀行に逸らしておいてミサイル撃つなんて、誤魔化されると思ったのかな。全く、間抜けな陽動作戦だ…うわぁぉっぅ!?」

 相手は見栄を切るという文化が無いのか、発言中にいきなり発砲してきた。ドヤ顔で手をひらひらさせていた美鈴は開きかけたドアを閉じ、慌てて車内へ飛び込む。追加の銃撃が襲い来る。

「………あれ?」

 銃火は向こうで盛んに開かれており、弾の飛翔音と弾ける音が体を思わず跳ねあがらせる。が、どれも壁越しのそれだ。

「忘れとった……防弾車や、これ」

「おお!はっははー!館でいつもは加減してるぶん、ズルしてやるもんね!」

 陸軍砲兵工廠の手による防弾装備は、小型拳銃程度ではビクともしなかった。勢いづいた二人は、落ち着いて得物をそれぞれ藤花がM870、美鈴はミニUZIへと切り替え、顔を見合わせた。

「行くで」

「オッケィ!」

 示し合わせ、ふたりは貫通する事の無い豆鉄砲を棒立ちで打ち込んでくる人影に向けて二度、三度発砲する。二人ばかりもんどりうって倒れたのを確認すると、一気に打って出る。

 強気の相手を眼前にして、講民党もそこでようやく身を隠す方に意識が働き始めたらしい。目標は奥に鎮座して天空を睨む河童工廠製の伊号誘導弾改発射装置。手前には集まって来たらしい十人程度の部下たちがそれぞれ身近な障害物に身を寄せて抵抗を試みている。藤花達も上手く手前の木箱の影へと飛び込み、反撃をもろに食らうという下手は打たずに済んだ。身を乗り出して間隔の近すぎる人影めがけてM870を撃つとまとめて影が消える。致命傷にはならないだろうが、素人はこれで十分戦意喪失だ。

「な、なんかいいな、それ」

「撃ってみる?」

「うん!」

 いそいそと得物を交換して美鈴は射撃を継続し、藤花は尻を向けて停められている小型の乗用車へミニUZIのシャワーを浴びせた。派手な火花が散り、近くに隠れていた講民党員が慌てふためいて逃げていく。点射を数回繰り返した時、轟音を立てて車体後部が燃え上がった。

「これが満洲にあればなァ」

 しみじみとつぶやいて美鈴と再び銃を替えると、消費した弾を込めて前進の時間である。発射台も起動後の試験動作を終えて静かにしているのだろう。あまり余裕が無い。流石に銃撃が長引くと多少は心得のある者が生き残ってくる。中には機関短銃を乱射してくる男もおり、油断はならない。馬鹿正直な直線の突進は早々に考えを捨て、二度一緒に発砲してから二人で扇状に目標となる次の障害物めがけて走り出した。

 発射台を挟んで藤花は森側、美鈴が川側を突き進む。散弾銃の一発のでかさを身に染みたのか二人ほどいた敵が森へ飛び込んだのを確認し、警戒しながら美鈴の隠れる方へ機関短銃を乱射する敵を側方から散弾で薙ぎ払う。瞬時に姿勢を低くし、森の敵が戻らないか意識を警戒へと復帰させると、いるいる。草むらからちょうどこちらを狙おうと這い進んでくるところであった。藤花は残弾を確認して、次の突進に備えた。

「ナイスカバー!」

 一方の美鈴は高火力の敵が打ち倒されたのを認識すると、ミニUZIを一旦左手へ持ち替えた。人差し指は引き金ではなく、他の指と一緒に握把を握り込んでいる。前方の若い男は拳銃を撃ち尽くしたのか、スイッチナイフに切り替えて拳闘めいた姿勢で彼女を睨みつけていた。美鈴は余裕からではなく、普段の彼女なりの確実な手段で対応する事を選んだのだ。

 彼女は眼だけを動かして周囲を確認する。藤花はあえて障害物を飛び越えたり挑発するように草むらを薙ぎ撃ったりを繰り返している。もしかしたらこちらの意図に気付いて不意打ちを防ぐべく敵の注意をひきつけてくれたのかと考えるが、その時間も惜しい。右手が静かに前へ突き出されると、手首がしなやかに回って掌を点へと向け、指を曲げる。

「かかってこい」

 炎上する車を背景に、仁王立ちになる紅魔館門番・紅美鈴と男が対峙している。隙あらば撃ってくる藤花を警戒してか、それとも美鈴を相手取る男が講民党内で実力者とみなされているからか、手出ししてくる邪魔者はいない。もしくは、目に見えず噴出する気迫が他者の介入を許さないのかもしれなかった。

 いずれにせよ、両者の睨みあう一瞬、つぶさに観察していた者がいたのなら先に動いた方が負けとばかりに気迫の競り合いが永劫続くかのように思われるも、男は炎に巻き上げられる枯葉が美鈴の顔を遮る刹那、ナイフではなくまず拳から動いた。

 上方からの顔から首筋にかけての照準線が、美鈴の脳裏に即座に描かれる。舐められたものだ。それとも、評判を確聞して一撃に賭けるつもりなのか。近頃、挑んでくる日本人の戦い方が組手や投げ技のようなものから拳闘のような拳の応酬に移行しつつあった。こいつも同様の喧嘩屋あがりだろうか。体力差は歴然としていたが、男はあくまで止まらなかった。美鈴は上半身ごと反って男の拳を避けると、即座に対となる右足で男のローキックを受け止めた。

 美鈴が腕を離したので男は素早く飛び退り、身をかがめて一気に彼女の軸足を狙いに来た。しかし男の回し蹴りが最大威力を得た頃には、赤みがかった髪を翻らせて中空でせせら笑う美鈴の視線を受けるばかりである。 彼女の着地を狙い、体勢を立て直す前に蹴撃……のはずであったが、彼女の動きはすでにそれを織り込み済みであり、男の蹴りをもろに受けても尚姿勢は崩れず、更にその姿勢から足のばねだけで男を三メートルは蹴り飛ばした。

 たまらず倒れ込む男を、両手をゆっくりを運んで拳法の構えを形作る紅の門番が遠くから見下ろしている。

「三脚猫功夫、也敢拿出来抖?」

「畜生……ッ」

 反撃を受けたがまだ動ける。小出しにショートフックなどで挑んでもこちらが消耗するばかりだ。男もワンアクションで立ち上がると吹き飛ばされて得た距離を利用し、もう一度、一撃の大きさに賭けた。美鈴は逃げるでもなくシニカルな笑みのまま待っている。

 だが。

 蹴りを両手で受け止めた彼女も、動きこそすれ、あたかも衝撃が電流のように地面に吸い込まれたと錯覚するほど、ぴんぴんしている。

「!」

 男の足をがっちりと保持した美鈴は上体を大きく捻って男の脚を捩じりにかかる。たまりかねた男の体もつられて回転、地面と顔が平行になった瞬間、足の戒めが解けて美鈴の脚を、今度は胸に受けた。

 肺に強烈なつま先の衝撃が伝わり、しばらく息が出来ないだろう。

 ここに至るまで、二十秒ほどの出来事であっただろうか。

 次に彼女は、相手に追い打ちをかける事よりも、相棒と、ミサイルを気に掛ける方を選んだ。

 発射台も目の前である。ここで打ち上げられてしまっては元も子もない。

 せめて、制御盤に辿り着ければ。

 駆けだして数歩、美鈴の体が思考よりも早く反射的に捻られ、大きくのけぞった。次の瞬間、そのまま走っていたら体があったであろう中空を、切っ先が薙いでいく。退避に徹した動きで、数歩飛び上がった彼女に立ちふさがったのは、日本刀を携えた塩谷浩太その人であった。

「へへ、素手の女の子に刃物なんて、卑怯じゃないかな」

 彼女の能力を以てしても、否、彼女だからこそそれだけで済んだのかもしれないが、美鈴の片腕は掠った刃で紅い液体が滲んでいた。

「貴様ら……」

 背後で金属の噛みあう音がして、格闘していた二人はようやく他者の存在を認識した。藤花が背後二メートルから拳銃を構えて歩み寄り、美鈴と並んだ。

「なーにがキサマラや……美鈴大丈夫?」

「えぇ……こら塩谷。子供たちにミサイル撃ち込むなんて、どうやったってジョークになってないですよ」

「座標も既に入力済みだ……俺を殺せばミサイルの発射は止められなくなるぞ」

 あくまで態度を崩さない塩谷を前に、藤花と美鈴は目配せし合う。

「…………こいつキ印ちゃう?」

「見ればわかるよ……」

「これはほんのプロローグだ……幻想郷で惰眠をむさぼる妖怪どもと、それに阿る人間への…俺を殺しても、その秩序を破壊しようとする人間は現れる!」

 ため息をついて二人が立ち去ろうとしたとき、塩谷がやおら隠し持っていた拳銃で二人を狙う。だが次の瞬間、交叉する銃声の後に斃れたのは塩谷の方だった。

 筒先から微かに煙の立ち昇る二丁の拳銃をそっと降ろし、立ち尽くす女性二人は顔を見合わせた。

「……なんで撃ったん?」

「いや、藤花が撃ったから……」

「え、美鈴先に撃ったんやろ……?」

「いやいや、私はこうビュッと振り返って横投げでこうベァーンと撃ったから弾がこうビュッビュッてなってこうカーブして行ったから藤花より遅いもん」

「は?」

「じゃあ撃ってみなよほらー」

「……ほんまや」

「でしょ?」

 土壇場で責任をなすり合い始めた二人が異変に気付いたのは、僅かな振動と、背後のミサイルが激しく噴煙を上げて架台を動き始めたのを見止めてからだった。

「あっあっ!」

「アアァーッ!」

 駆け寄る二人の目の前で、制御盤のニキシー管目盛が零に達し、ミサイルが轟音と共に加速して空高く舞い上がっていく。流石の美鈴でも走って行って飛び乗るのは至難の業であろう。

 朝焼けの空へ、河童の技術で巡航ミサイルと化した帝国陸軍の伊号誘導弾は消えていく。最後に小さな光点となって、明けの明星めいた姿へと変わる。

「綺麗やなぁ……」

「どこまで行くんだろ…………藤花ァ!」

 どこまで行くかは知っている。慌てて残された発射台と制御盤へと突っ込んだ。制御盤は一般的な配列のキーボードとカウントダウンを表示するニキシー管時計、そして小型ブラウン管の構成で作られており、あとはスイッチや架台を操作するとおぼしきレバー類がにょきにょきと生えており、素人の二人を一層混乱させた。

「美鈴あんたの方が詳しいやろ!」

「と、とりあえず着弾地点の座標をいじればいいのさ……まずは」

「そうそう、落ち着いて行きや」

「これがルートデータで……」

「落ち着いて行きやァ!」

「あれ、入力できない……」

「落ち着いて落ち着いて!」

「うるさいな!」

 右から左から、顔を突っ込んで叫ぶ藤花に美鈴が怒鳴り返す。こうしている間にも、ミサイルは人里上空へさしかかりつつあるだろう。

「…ちょ、ちょっとウチやってみよか?」

「ンァいダァダァァッ!」

 遅遅として作業が進まない相棒にしびれを切らしたのか、藤花が押しのけようとしてよりによって怪我した方の腕を引っ掴んだおかげで美鈴は悲鳴を上げて飛び上がった。おまけに暴れる腕がキーボードを闇雲に触りまくってしまう。途端に操作盤から何やらブザー音が響き始めた。

「はー、はー……私もう知らないもんね……指タッチじゃねえんだぞ!!」

 顔面蒼白で指を舐めなめ画面に触ろうとしている藤花を美鈴が蹴りまくる。

「あれ、で、でも……なんか、ミサイル突っ込まへんで」

「あ?」

 ワンアクションで立ち上がって画面に張り付くと、ミサイルを示す矢印はポリゴンで示された人里で突入直前、再びエンジンに点火して寺子屋上空を通過した事になっていた。

「お……おお!」

「おおお……やるじゃん」

「や、やったかなァ、ウチ!?稗田ちゃんちの本に、名前残るんちゃうウチら!?」

「間違いないね!でも、これどこ行くんだろう」

「さぁ……どっかいくやろ……」

「それもそうか」

「ん?これって、湖?」

人里を離れ、迷走するミサイルの経路をひたすら観察していた二人であったが、デジタルの地図に巨大な青色の表示が現れ、怪訝な顔をする。

「うんうん、次はどうするん?ぐるっと回って…」

「霧の湖の……」

 二人は、またまた顔を見合わせた。

「「 紅 魔 館 ! ! 」」

 

   *

 

「はい、紅魔分団本部……あら藤花さん?え、なに。……ミサイルが紅魔館に落ちる!?」

 こあの復唱で、紅魔館の面々は色めきたった。館では丁度お嬢様姉妹が就寝前の一杯を愉しんでいる時であり、咲夜も一連の作業から解放されて珍しく紅茶でつきあっている折であった。言葉を喪っているレミリアの後ろで、妖精メイドがチラと窓を覗き、時間にして二秒ほど空のどこか一点を見つめていた。次いで滝のような汗を流し始め、口をぱくぱくさせ、震える手でガラスに思いきり突き指しながら叫ぶ。

「き……ききき、来たァ!」

 日頃の訓練はどこへやら、警防団分団本部でありながら皆が這う這うの体でその部屋から飛び出そうとする。

「お嬢様早くこちらへ!」

「フラン!早くー!」

「逃げろおおお」

 次の瞬間、バルコニーで箒を持って硬直していたメイドの一人が伏せたかと思いきや、巨大なミサイルは窓を突き破って部屋へ突入。ガラス片をまき散らし、バルコニーの花を焼きつくし、プランターを土と分からないほどに粉々にし、窓枠を杭めいて成型しお嬢様の心肝を寒からしめ、絨毯を引っぺがし、机を真っ二つにし、お嬢様のティーセットを粉砕し、どちらか分からないがお嬢様を天井まで放り上げ、シェーのポーズで慌てている妖精連中をなぎ倒し、その他ありとあらゆる物体人物を押しのけながら最後にドア、廊下、反対側の壁を破って飛び去って行った。試作品で信管がうまく作動しなかったのか、結局爆発せず、館の被害は右記の損害と、ミサイル通過後の拭き戻しで全てがかきまぜられた程度のものとなった。

「……げほ、お嬢様!」

 従者の鑑、十六夜咲夜は一同の中で真っ先に跳ね起き、大小さまざまなガレキの中に主人の姿を探す。辺りには尻をめくってくの字で気を失っている部下のメイド、なぜかリンゴを丸ごと口に咥えたまま目を見開いて大の字になっている小悪魔、天井から剥がれ落ちてきたアフロヘアのフランドール、杭めいて尖った窓枠で標本よろしくナイトウェアを壁に打込まれてノビているパチュリー、そして無表情だが館の主として最後まで直立、吹き飛ばされてきた全員の召し物をちゃんぽんに身に着けて柄だけになったティーカップを保持、立ち尽くしているレミリアの姿であった。

 

   *

 

「……………よ、良かった。なんか紅魔館も吹き飛んでへん。寺子屋も無事や」

「まったく肝を冷やさせて……今度はこいつ戻ってくるぞ!?」

「ふざけんな!伝書鳩ちゃうねんで!」

「逃げろォ!」

 制御盤もほっぽり出して尻まくって逃げ出そうとする二人、の前に、血まみれの男、塩谷浩太が立ちはだかった。まだ拳銃を構えている。

「俺の…勝ちだ……」

「それはどうかな……………」

 藤花が名状しがたい表情で、ゆっくりと上空を指さす。地上ではなく空であった事が、塩谷を訝しませる。聞き覚えのあるロケットモーターの音が、数分ぶりに大きくなって帰ってきた。

「おかえりー……」

 穏やかな笑みで美鈴が手を振る。塩谷が、声にならない悲鳴を上げる。女性二人分の悲鳴は、はっきりと聞こえた。

「「んぁあああーーーッ!!」」

 森に、火柱が上がった。

 

   *

 

 里から、竹林から、神社から、寺から、ありとあらゆる手段で警防員や住人が駆けつけてきたのはそれから十分ほど経ってからであった。

「藤花さぁーん!」

「美鈴さぁん!」

「美鈴!藤花ー!」

 焼け跡を大人数が、それぞれ名前を叫びながら探し回った。辺りには、木材や車の残骸、ゴムなどが焼ける匂いが立ち込めている。

「藤花さん……美鈴さ……あいたっ」

 捜索隊の中に混じっていた鈴仙の頭上に、何か落ちてきた。

「んん……?」

「これ、靴の左っかわじゃないの」

 ゆっくりと顔を上げると、そこには。

「………いやー、気持ちよく飛んだねえ」

「飛んだなァ!……てか、美鈴、靴なんか落としてみっともない」

「ちょっと、ゆるゆるになってたんだよね…」

 どのように吹き飛ばされたのか、焼け焦げだらけの服から煤塗れの顔をのぞかせ、木の高みにしがみつく二人の姿があった。捜索隊の一同が、あーっと声を上げる。

「こ、こらー!口を閉じなよみんな!」

「しっかし……」

 藤花が、群衆から視線を外し、山々の隙間から森の絨毯を紫から白へ染めていく冬の日の出を眺める。

「ウ、ウチら……すごいな!」

「ワルい奴らには強いし」

「女には強いし!」

「ミサイルには強いし!」

 

「「もう、何でも来ーい!!」」

 

 

(めーりん編・完)




はい!ここで紅魔館パートはいったん終了です。
スパイものでは定石なものの、二次大戦ものでアジアには縁遠いミサイル発射阻止ものに手を出してみました。
まあ阻止できなかったんですけどね!


次回ヒロインは誰になるのか、自警団の任務に振り回されつつも藤花の目論見は前進するのか、気になった方は是非お付き合いください。

次章スタート前に、登場火器解説や用語解説を挟む予定です。


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用語解説(3)

幻想入り ~ 美鈴編 までの登場する単語を紹介するページです。


暗視ホルモン……

要は疲労がポンと飛ぶあれ。戦時中の航空隊における言い方だが、隠語として使ったのかリアル戦中マンがいたのかは不明。

 

 

 

M16……

ソビエトのAK47と人気を二分する…とよく紹介されるアメリカの突撃銃。警防団大演習に後援といいつつ犯人役で参加した四季映姫が犯人になりきって乱射した(口で)。なお本物ではなく、紙巻き火薬の急激な需要減と生産停止で幻想入りしたMGC製モデルガンのM604を想定。

 

 

 

 

オオタフェートン……

1957年まで存在したメーカー「オオタ自動車」の製造していたオオタOCがモデル。警防団演習において映姫、小町コンビが犯人役として使用した。レパードに翻弄されたら一たまりもないだろうが、それでも逃げ続けられたのは小町の腕によるところが大きいと思われる。

 

 

 

グローサーメルセデス……

1930年代の幕開けと共に登場したメルセデスベンツの最高級車であるメルセデスベンツ770の通称。直列8気筒7700ccエンジンを搭載し、深く踏み込むと“ワルキューレの雄叫び”と呼ばれた作動音と共に200馬力を叩き出した。その運転性能は、ヒトラー専用車だった同車を戦後押収した米軍でも高く評価されている。チャージャー無し、日本陸軍の手で防弾装備を増設された皇室向けモデル一台が紅魔館へ漂着し、スカーレット姉妹専用車として使用されていた。

 

 

 

 

三脚猫功夫……

講民党ミサイル発射台の襲撃で、格闘を挑んできた男に美鈴が言い放ったフレーズ。「三脚猫功夫、也敢拿出来抖?」で「見せかけの偽カンフーだね、演武も出来るのそれ?」みたいな意味になる。超皮肉。

 

 

 

 

地団電話……

地域団体加入電話の略。農村集団電話とも。日本がインフラ整備を急ぐ中で、電電公社が有線放送電話より手っ取り早く農村に電話回線を通す為に選ばれた手段。農村を一つのビルと見立て、家々が内線で繋がったイメージ。敷設に手間はかからないが、回線としては一本なので誰か使用中だと他はかけられないという欠点があった。

 

 

 

 

テロリストとココア……

1911年の詩の事と思われる。

 

 

 

フェンス・レイル方式……

古典的な暗号の一つ。例えば、一見するとランダムな文字列に見えるが、冗字と呼ばれるノイズを取り除き一行目は前から、二行目は後ろから文字を拾っていくと読める文章が出来上がる、というもの(他の復号方法もある)。南北戦争などで使用された。

 

 

 

福神漬けご飯……

文字通り福神漬けを大量に混ぜ込んだ白米。警防団大演習の折りに出された弁当に入っていた。実は「軍隊調理法」にもレシピが載っている帝国陸軍の定番メニュー。

 

 

 

二村定一……

戦前の売れっ子歌手。当時のサラリーマンの悲哀をうたった「モダン節」や、大金拾ったら女子高設立してJKと恋愛したりエロ講義したいと歌う「百万円」など、昭和モダン期世相を彷彿とさせるエログロナンセンス曲を数多く遺している。本編で小野塚小町がうろ覚え引用したのは「のんびり暮らせ」の一節。

 

 

 

 

朋友……

「ぽんゆー」と読む。中国語に起源を持つ友人・友達を意味する単語。ミサイル騒動の際、流れてきたにとりを助けた藤花は「盟友」ではなくこちらを使用していた。なお昭和後半以降の生まれの人にはあまり通じない。

 

 

 

 

 



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ファンイラスト 頂きもの置き場①

 

はわさび様より紅美鈴編ファンイラストを頂きました!

ありがとうございます!!!

 

服や得物の質感がヤバいですね!!!!

さりげなく美鈴の脚が良いです

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

せっかくなので執筆に至った経緯などを……(ストーリーとあまり関係ないので次話に飛ぶのもおすすめですよ)。

もともと藤花というキャラクターはオリキャラの1人として厨房時代に生み出したのでした。当時は方言設定もなく、最初は脇役の学生だったのが、スターシステムの採用、筆者の歴史・軍事・兵器・映画etcの趣味を反映、骨董市で手に入れた戦前のアイテムを私物設定で付与していくうちに大陸の諜報戦、反骨精神の強い属性、撃つ時は撃つけど口八丁も見せ場などなど自分の好物盛り合わせみたいなキャラクターに育っていきました。

一部用語解説と重複しますが、コレも見ておくと「闇の奥」がより楽しめるという作品を紹介しておきます。

 

『独立愚連隊』…

大戦末期、将軍廟と呼ばれる地に荒木と名乗る新聞記者がやって来ます。彼は屯する日本軍部隊に、ある見習士官について調べるのが目的だと告げ独立第九〇小哨へむかうことに。この小哨、クズの兵隊をまとめてぶち込んでいることで有名なアウトポストであり、見習士官はそこで現地人の情夫と心中したのだと言われていました。しかし……。

1959年の映画です。主演は「もののけ姫」タタリ神の声でおなじみ(?)の佐藤允。従軍経験のある岡本監督ならではの戦争を笑い飛ばす手法でさりげなく人間や戦争の愚かさを描きつつ、全体的に西部劇タッチな演出とストーリーで筆者イチオシの作品です。ちなみに「闇の奥」本編で藤花が博麗神社の賽銭箱にいろんな人の名前を言いながら金を投げ入れるシーンがありますが、そこに出てくる名前はこの映画シリーズ(何作か作られてます)から取っていたりします。

 

 

 

『間諜未だ死せず』…

戦時中に作られたスパイ映画で、主人公は当時敵国であった中国国民党軍の将校という異色作品です。中国を支援するアメリカの依頼を受けて日本に潜入し、様々な手段で思想撹乱や破壊工作に従事して命を危険に晒すスパイ達の暗躍を描きつつ、東洋人の犠牲を厭わないアメリカをラスボスとして位置づけ、憲兵隊の活躍と同時に市民の防諜の大切さを啓蒙するプロパガンダ映画兼エンターテイメント作品に仕上がってます。

藤花スパイ設定に多大なインスピレーションを与えた映画でして、戦中描写や幻想入り後のスパイ描写はこの作品の影響を受けています。

DVDが出てるので気になる方は是非。

 

 

絵以外は完全に余談でしたが、今後も主人公藤花や幻想郷の住民達の活躍にご期待ください!!



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妹紅編 銃爪(ひきがね)
第六部 警防団から自警団へ


 ミサイル騒ぎで出ずっぱりであった冬が終わりを告げ、藤花にようやく高黍屋の店先を守る日々が戻ってきた。里の甍の波を透かして仰ぎ見る山々が生命の息吹に彩られ、花咲く季節が近づきつつあったが彼女の周辺は何事も無く日々が流れている。

というよりも、何事も為さないまま季節の変わり目を迎えていた。

 無論日々の隠匿した兵器の手入れや里内外の重要人物の資料作成、またミサイル騒動を受けて無差別的すぎる計画は破棄するなどの活動はしみついた癖で寝入る前に行っていたが、あの後の藤花にとって衝撃的だったのが、ミサイル事件が異変でもなんでもなく、新聞での扱いも大変小さなもの(『人里に怪飛翔物~云々』)で終わってしまった事であった。

ひょっとして妖怪たちの間でだけでも語り草になれば、死んだ戦友たちも浮かばれ、自身はひっそりとこの地で生きて行っても良いのではと思っていた彼女の淡い期待は打ち砕かれた。結局美鈴に約束のステーキをおごり、文が一度だけインタビューに来た位で後は恐ろしいほど速やかに、静かにまた平静の日常が始まった。その事に対して、燃え尽き症候群ではないが、虚脱状態に陥ってしまっている。

 今日も今日とて店先に座り、時たま思い出したように傍らの号外(一応宣伝になるかと思って切り抜きを貼ってある)を眺めるばかり。

しかし、

「やっぱり警防団は朝早いんですか?」

「ウチは巡回重点期間くらいかな。別に下着泥棒やってるわけやないし」

という受け答えが

「下着泥棒みたいなもんでんがな。はっはっは」

とまで改変されるとは思っても見なかった。あの天狗適当に書くにもほどがあるだろう。他にも「張り込み中は餡パン一個で粘る」と答えたところが「ヤツメウナギ串にビール」になっていたり、おかげで藤花が下着ドロの為に早起きを欠かさない酒飲みの変人みたいな扱いをされる羽目になった。

 あのあと演習での失態やミサイル事件の後手対応、その他大小さまざまな不祥事等を経て警防団が解体改組された事だけが唯一の幸運と呼ぶべきか。

「紅魔館へ行く用事も無くなってしもうたし……あーあ」

 いかにも閑古鳥な欠伸ひとつ。いっそのこと余った時間で正しい欠伸の仕方でも教わろうか。

「さーぁおだけぇー、さーぁおだけぇー、たーけのこっ、たーけのこっ」

 おお、退屈な日々の中にも雅を感じる旬の物売りの声。しかも可愛らしい。物売りだけあって、声のみで製品の形状を伝えようというのか特徴的な物言いですぐわかった。流石に今後の活動に差支えてもいけない、ここいらで今やシーズン至らんとする筍でも刺身で食えば元気が出るかもしれない。

「………って、あれ妹紅はんやん」

「およ」

 そこな道行く竿竹売り、あの出で立ちは見まごう事なき藤原妹紅であった。背中に背負った籠からは今朝採ったであろう筍がその先を覗かせており、ついでに炭も少量入れて売り歩いているようだ。

「ああ。煙草屋さんかぁ、そういえばお店ここだったね」

「年末はずっと警防団やったからなー、久しぶりやね」

「そういえばあれ以来か。すごい事になってたね」

 店先で籠を降ろし、行商で疲れた肩を労わりながら妹紅が苦笑した。思えば彼女も、大演習でまさかの「射殺」判定を食らい新聞に写真(足だけだが)が載った事を思い出した。

 妹紅が壁にもたれて話すので、カウンターに灰皿を出し自分もと一本取り出す。

「そういえば、藤花は……」

 壁にもたれたまま、妹紅が往来の中空を眺めたままふと呟いた。何やら深く考え込んでいた様子で、横顔をつぶさに眺めていた藤花にも、その視線は春先の蝶めいて探し物が何であったのかを忘れてしまったような軌跡を描いていた。竹林で案内人としての彼女を間近で見て以来、奇妙な感情に揺れ動いていた藤花は彼女をそこまで思わせる物とはいったいなんであろうかと勘を働かせる事も苦ではなかった。

「自警団のニュース、見たかな」

 続いた妹紅の言葉に、眠りに落ちた学生めいて頭がガクリと落ちたのは答えに比較して藤花が真剣に妹紅を眺めていた事の証左である。が、藤花の表情があまりにも分かりやすすぎたのか、妹紅が慌てて謝罪してきたので藤花も場を取り繕った。

「いやあごめんね。んでも自警団は新聞で読んだくらいしか知らんけど、そんな妙な事になってるん?警防団の頭がすげ変わったくらいにしか思ってへんかったけど」

 人里自警団。警防団の資金、組織を大幅に見直して幻想郷に会った形に改組するという年始に式典をやったばかりである。制服も一新され、流入資料に基づく藤花の見知った制服から、米軍式に改まったのも覚えていた。紅魔分団が廃止となった為、藤花もお役御免になったのだが、妹紅の所属する竹林分団は存続しているらしい。

「現場の人間は警防団経験者が多いらしくてね、それはいいんだけど、新しい里の幹部が私に何かとお伺いをたてに来るんだよ。竹林一帯は、実質私が一人で昔からやってたようなものだから、幹部以上に経験者みたいな扱いされちゃってね」

 それには藤花も頷いた。旧警防団にしても、本来はそのような活動を統合する目的で結成されたはずだ。しかし、以前から同様の活動に従事する事を本業としてきた妹紅が藤花にお願いするようなことなどあるのだろうか。素直にその事を訊ねてみる。

「それが、狙撃隊の事なんだよ。さすがにテッポウは私も専門外だし、聞けば藤花が経験者だっていうから」

 照れ隠しのように笑って、妹紅は吸い終わった煙草を灰皿へ押し付けた。彼女は笑っているが、藤花は内心訝しんだ。

「ウチ、そんな心得あらへんよ……?どっかの噂話かな」

「演習と先だってのミサイル騒動で藤花が紅魔館の門番と大暴れしてたって、里のおばさんから聞いたんだけど、もしかして違ってたかな?」

「…………あれか」

 そういえば河童製らしき実包を見せられた時、咄嗟に実家の稼業だったなどと嘯いたのだっけ。適当な取り繕いは思わぬところで足をすくってくるものだ。

「まぁ、やってみん事はあらへんけど……外来人で、妖怪退治が手につかへんかった連中が畑守やってるやん。あのあたりじゃアカンかったん?」

「仕事内容がかぶるから、食い扶持を持ってかれるんじゃないかってけんもほろろでね」

「ありなん……。妹紅はんの頼みやったら、断るわけにもいかへんね!」

「ほんとに!ありがとう…」

 

   *

 

 永遠亭の許可も取り付け、竹林の比較的里から通いやすく、かつ山から離れた一帯を切り開いて射撃場をこしらえた。流石に皇軍丸出しの教練をするわけにもいかないので、あちこち米軍式にしてみたり、銃に合わせて腕手の動きを基と変えてみたりしている内に独自の執銃動作が完成する。まずは木銃でひたすら執銃動作を仕込み、これはと思った人間から狙撃銃を与えた。銃を撃ちたがる若い人間、というか子供もやたらといたが、そういう奴はもったいつけて仕事をしない割に武器を振り回したがると最悪の評価を旧警防団が下していたので、抜擢してくれた妹紅に恥をかかせるわけにもいかぬとその点は特に留意した。

今日も今日とて、藤花は双眼鏡片手に伏せ撃ちの姿勢で地面に固まっている射手の姿を後ろから行ったり来たりしつつ眺めていた。今日などは風も弱く、湿度も低いとあって射撃にはもってこいの日である。

 一連の銃声が耳を劈き、射手が口々に○○撃ち方終り、と怒鳴るのを確認してから、ゆっくりと評定へ入る。

「一番。……息止めが長すぎる。二番。……重さに腕が負けてへんかな、脇を閉めた方がええよ。三番。…ええ感じやね。四番……は、あんた兵隊やったっけ、上手いね」

 将校の真似事などしたことが無く、こそばゆい時間が過ぎると、銃を担いで里へ帰っていく訓練生たちを見送り、藤花はようやく煙草に火を点けた。

 銃砲店が提供してきたのは戦後三十年近く経ってからソ連が開発した自動小銃という代物らしく、担いだ団員の肩から突き出た影を見る限り、里内で使うには大きすぎるようにも思える。

帰って本部に結果を提出しなければと考えつつ、乗馬袴を履いた脚で将校めいてずかずか帰る道すがら、久しぶりに文の取材を受けた。

「お久しぶりですね!」

「あぁ、文ちゃんか。今日は幹部のおっちゃんらは不在やで」

「だからこっちに来たんですよ。藤花さんは私のいい取材対象(カモ)ですから」

「十分早かったら、ウチの部下に撃ち落とされとったところやで」

 包み隠さず、のように見えて底知れないブン屋の文の笑みに、藤花も悪い冗談で応じた。

 文が物入れをごそごそやっていたので、こんなんしかないけど、と紙巻を差し出して火を点けてやった。

「こんなタチの悪い言葉を咎める人もおらんことやし、世間話しとってもまあ罰は当たらへんかな」

 そう言って紫煙を鋭く吐き出す藤花の横顔を、文は意地の悪い笑みで眺めていた。天狗の普段口にする煙草は人間のそれと比べても辛く強いのか、彼女の口許へ運ばれる紙巻きの先端は既に尖って燃えていた。

「本当は藤花さんが咎める側なのに、悪い人だなあ」

「せやろね」

 互いにクックと笑って顔を見合わせると、藤花の目から笑みが消えた。

「山の政治情勢はまだ動かんンの?」

「ないですね」

「やっぱ、アカンか……」

 藤花にとって昨今の興味は、里を数歩歩けば視界に飛び込んでくる凄まじく高い山、通称「妖怪の山」の勢力図であった。ミサイル騒動では、内容の物騒さに比べて妖怪達が静観を決め込んでいた事に落胆と疑問を抱く羽目になった。一方で、今後何らかの武力衝突を勃発させて妖怪の人里武力進出を促し、不慮の「いきすぎた一撃」を打ち込めないかという画策であった。

 さすれば、人妖の均衡や互いの在り方の掟は崩れ去り、幻想郷という地は存続不可能になるのではないか…………

 あの講民党騒動が藤花へ与えた戦訓は多く、個人で行う無差別攻撃の無謀さと、里の危機に対して妖怪の中立表明や協力が非常に迅速に行われる点に注目していた。その結果、藤花は紅魔館の面子と独自の捜査を脇目も振らずに行うことが出来たと言える。

一方で、争いの種といえる数多の妖怪が跋扈する山の動向を文を通じて入手したところ、数や様子が伺えた。それこそ藤花が付け入る隙と判断した要因であり、軍閥や部落相手に培ってきた交渉術を用いる好機と見ているのだ。

「それじゃ、今度こちらの所望した自警団内部資料も見せて頂けますね?」

 見れば、文は一足先に煙草を吸い終わり、一本下駄で器用に吸殻を踏み消していた。

 



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紅の自警団①

 花弁を固く閉ざしているが、彩りこそ冬のそれと大いに異にする山の木々。遠まわしに「行進」を意味する月に入っているが、実際近づいて目にすると咲き誇るとはまだほど遠いのだと実感させられる。ともすれば時に僅かな粉雪を纏って朝日に輝く風が通り抜けていく様は「風光る……」と名句の一つでもものにできようが、あれもまた春の言葉である。しかも粉雪の事ではない。

「文ちゃんも山の偉い人と関わりあるんやろ、ウチと頻繁に会うとったら、立場悪なるんちゃう?」

「いーえー!」

 文は鼻を鳴らして、まるで高級な洋酒でも嗜むように目を瞑って尊大な雰囲気で否定した。

「ジャーナリストとして軸足を大きな組織に置いてしまうと、自由な報道なんて出来ないですからね。組織に属するって事は、半分以上自分の意識で考えられなくなるのも同義ですから!」

 文としては自社発行にこだわる理由を述べたつもりであったが、藤花には別の意味で聞こえたらしい。急に言葉少なになり、「まあ、胸に止めとくわ」とだけ小さく答えた。

 里の外環に近づき、遠目に田畑が整然と広がっているのが見え始めたあたりで、二人はともすれば見落としそうな細い脇道へと逸れた。かつて農具小屋でもあったのだろう、朽ちた小屋の陰で再び紫煙を燻らせながら密談が始まった。

太陽は既に高く昇り、長く凍り付いていた土を徐々に柔らかに薫る情景へと作り変えている。そんな場面の中にあっても、藤花は新たな紙巻きを懐から取り出していた。

「やっぱり、緑は満洲と日本じゃ全然違うね」

「そうなんですか?」

「北満も国境に近くなると、白い幹の木が増えてなぁ……あれはあれで広くて圧倒されたけど。ここ、よう使ってるん?」

 藤花は背後の崩れかけた板葺屋根を見やる。人が使わなくなってそれなりに経つのだろう。幻想郷にもこういう場所はいくつかあるに違いない。

「日中、人目を憚る取材には持って来いですからねェ。その石だって、歴代取材対象の腰かけた由緒ある石ですよ」

 藤花の尻の下を指差し、然したるありがたさを感じない逸話を聞かされた。彼女は小さく首を傾げて、話の続きしよか、と促す。

「過去三年の天狗の序列は?」

「確かに、里に公開されるものではないですから興味を引くのは当然、ですかね。一応持ってきていますが、名前の羅列で見ただけで理解できるかどうか」

 そう言って文が提示してみせた名簿は、確かに天狗の内部文書のようだった。ジャーナリストさまさまと言ったところだが、陸軍省軍務課の参謀でもなければ指揮官の名前を聞いただけで評価や戦力を推し図ることは出来まい。政争の有無や規模、天狗の中でも上位に君臨する烏天狗それぞれの思惑を知るには、更なる深入りが避けられなかった。

「ま、ええか。はい、自警団の武装計画と陣地構築計画」

 藤花は藤花で、しっかりと計画の進展を確認していた。狙撃教習隊の一角を占め、幾人かの部下も出来た。彼女の入手した文書には自警団になった軍歴のある団員、新設された検問や防御陣地構築の指標、また逆に廃止された組織や部署の情報が記されていた。

「ほぅ……」

 しばし文は無言で書類を目で追っていたが、やがて満面の笑みへと変わる。にこやかに天狗印の煙草まで差し出す気前の良さであった。

「いや、これは十分にネタになりますよ!もう、幹部じゃないとか言ってちゃんと仕事してるじゃないですか」

「褒めたって追加はあらへんで、もう……あんまり派手に書きたてて、人はともかく妖怪は怪しめへんの?」

藤花の疑問に、再度書類を流し読みしていた文は肩から大事そうにかかっている鞄に書類を詰め込むと空いた手をひらひらと振って苦笑した。

「まさかぁ、仮に記事になった事態が激化したとしても、それを決めるのは偉い妖怪(ひと)たちですから」

 文々。新聞は妖怪側支持の立場から、人の里武力拡大は幻想郷の均衡への挑戦として糾弾してきた。一方、いつか拾った別の妖怪(おそらく別の天狗)の手による新聞では、山の政情不安定という風説は一部現場天狗クラスの政争に過ぎず、誰かが失脚すれば沈静化するだろうという見方であった。いずれの新聞においてもコメントを誰かしら地位ある天狗ないしは妖怪に求めて掲載していたので、発行元に限らず山の意見はまだ定まっていないという判断は間違いではないだろう。

「里じゃあ、やっぱり心配ですか」

「うーん、心配っていうか。実態を掴めてないやろね。為政者がおらへんから戦争の準備段階で必ずあるやろうナシを通すって事が出来へんし、聾桟敷も同然やね。せめてウチの言うような天狗軍がどっち向くかが分かれば、自警団も腹を決めるやろうか」

 そう言って藤花は、すっかり長い灰になってしまった紙巻きを揉み消した。無論、自警団の意思がどうであろうと藤花は思索を巡らせ天狗による里への介入を招くつもりでいる。しかし、これまでの会話を総合すればそこへ至る道のりは遠いだろう。

ふと時計を見ればかなり時間が経っている。そろそろ戻って店を開けねばなるまい。

「しっかし、文ちゃんそんなにウチと話しちゃってほんまに大丈夫なん?話だけ聞いて頭から食べられたりしてな……ははは、ひと気の無いとこで気前のええ話をされると、不安になるタイプやねんウチ」

 直後、翼を器用に畳んで壁にもたれていた文が、一本足の一本下駄で器用にターンを決め、一瞬で藤花の眼前に彼女の赤っぽい双眸が接近する。

「なんなら、本当に噛みついてもいいんですよ?」

「……やめとき、映画やったらこの向き合い方は接吻する流れやで」

    *

 

 文との遣り取りはその後も続いたが、短期間で大量の書類や情報を動かす事が無用のリスクをはらんでいる事は彼女も心得ていた。話し合いの末に日中の会合を避け、薄暗くなる夕刻以後に里のカフェなどでひっそりと会う事で落ち着き、今に至る。

そんなわけで藤花も定期的な訓練に顔を出すと高黍屋へ戻り、また店を守る日々が戻ってきた。後は自警団がそれなりに仕事してくれればであったが、法律どころか戸籍も怪しい幻想郷にあって、例え里限定であっても決闘以外に"ルール"を定める事に対して内外の反発は根強く、通報を受けても容疑者がまた犯行に及んだ時に現行犯で捕縛する以外に道は無かった。贈収賄や談合に至ってはダメという認識すら普及していない為、自警団の取り締まりはもっぱら暴力を伴うような刑事事件に対して行われている。藤花としては将来的に里と言う機構を破壊する手段を選んだ際にあまり組織だった抵抗をされても困るという意味で、それは静観していた。

「藤花さん、ちょっといいですか」

「あらら、小鈴ちゃんどないしたん」

「自警団から電話なんですけど……」

 またか、と胸中で舌打ちする思いであった。鈴奈庵近くの河童公衆電話を以前緊急連絡先として便宜的に言ったことがあった。しかしその後、何かあるにつけそこへかけてくるので藤花も辟易していたのだ。そもそも現在の自分は嘱託めいた臨時の傭員であるはずで、それ以外の業務は引き受けた覚えがないばかりか給金も貰っていない。毎回走って教えに来てくれる小鈴にも申し訳ないというものだ。

「ちょっと待ってなー……」

 高黍屋に「店主不在」の札を出し、靴を履きかえて風の吹く表へ出ると小鈴がもう足踏みをして待っていた。

「よーい…どんっ!」

 小鈴の掛け声で並行して往来を突っ切る。取りもあえず上着を羽織らずに来たので脇腹辺りからどんどん冷えてくる。今度ちゃんとした外套を買わねばなるまい。最後の角を曲がり、小鈴が「じゃ、宜しくお願いします!」といって店へ戻るのを見届けてから、受話器を外しておいてある電話へ取り付く。番をしていたらしい子供がきゃっきゃと騒いで離れていくと、ようやく藤花は受話器を耳に押し付けた。

「……はい」

「ああ良かった。お疲れ様です」

 何が良いものか。ちっとも良くない。彼女は不平をこらえて用件を尋ねた。

「一応もう一回言うときますけど、ウチはもう捜査からは退いてるんですよ。もう教練以外は関係ないと……」

「それが無いとも言いきれないんですよ」

 何故か憮然とした口調になる相手に、藤花は受話器を離してため息をついた。物入れから煙草を取り出し、点火しながらこちらもとばかりにお返しする。

「そういうてこないだネコ探し手伝わせたでしょ。いくらウチが……」

「例の乱射魔ですよ」

「お稲荷さんが何て?」

「そっちじゃなくて、おたくでクビにした狙撃隊の希望者いたでしょ、彼が自前で銃を手に入れて方々で使用しているらしいんですよ」

 そう言われて、煙を吐き出しつつ額に指を当ててしばし考え込む。何人かの脱落者はあった。それぞれの都合で抜けた者もいたし、自警団の職務に当たるには不適とみなされた人間もいた。だとすると後者のどれかだが……。

「せやけど、ウチが言い渡したわけやないでしょ。何でまた幹部連中やなくてウチに電話して来るんかな」

「いや、それが、調べたら自警団を志望する以前、紅魔館の門番にしてくれといって乗り込んで行って事があるらしいんですよ。貴女警防団の時あそこに出入りしていたもんで、何か知ってるかと」

「いやあ、ウチがいた頃にはもうおらんかったなぁ……」

「月末には要注意人物名簿の更新があります。定期訓練の報告の後、ちょっとお話させてください」

「ちょ、ウチはやるなんて……切りよった」

 細長い灰と化した煙草を忌々しげに踏み消すと、小鈴へ礼を言ってその日は店へと戻った。

 



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紅の自警団②

 里にもカフェーがあると藤花が知ったのは、つい最近である。行動を起こす際に役立つだろうと人里の水利分布を調査していた折、嗅ぎ覚えのある焦げと酸味の交わった香りに思わず振り返ってみれば、夕暮れにランプの映えるガラス窓。覗いてみれば珈琲などと洒落た飲み物を提供しているではないか。思わず腕組みして数分間迷った挙句に入店してはコーヒーを三杯は飲んでしまった。

 それ以来、煙草屋を閉めた後に思い出したように通っている。こちらのカフェの営業もそろそろ終わりが近いが、薄ら寒い夜にスリガラスとランプの明かり、そしてモダンな造りの店舗はどうしてここまで取り合わせ良く、彼女に目に訴えかけてくるのだろうか。もしかしたら帝都の片隅にひっそりと建つような同種の店を瞼の裏に思い描かせるからかもしれなかった。

 しかも、そこいらの家の引き戸に比べると数段凝った意匠の木戸を押し開けると、来店を告げるベルが奥ゆかしく鳴る正統派ぶりである。流石に流行歌とまではいかないが、こちらの楽隊らしき集団のレコードが控えめな音量で流れている様は、寒色の窓外、暖色のランプの陰影と相まってコーヒーを口にする前から体が温まる。

 数歩進み、今夜の一杯を嗜む席を求めて店内を一望する。夕食時直前とあって店内は仕事人風の男や、男女の組みがまばらに着席している程度である。

 藤花は、寒さと温もりとの程よい均衡の中、洒落た沈黙を守ってともすればまどろみそうなひと時を過ごしていたが、彼女の前に誰かが座ってその時間は終わりを告げる。

 煙草から立ち昇る予測不能な軌跡を目でなぞっていると、突如として椅子を引き床の鳴る音で現実へ引き戻された。今更警戒したり、机を蹴倒して立ち上がって対処しなければいけないような相手も幻想郷にはいない。藤花は目を瞬かせて眼前の新参を見上げた。

「なんや……文ちゃんか」

「ご挨拶ですねえ。おっと、今日は手帳もカメラも無し!ただのおねーさんですよ」

 軽装な文は頭冠の飾りを揺らして店主を見やり、私もホットひとつで、と笑顔で注文を入れている。

ふと時計を取り出せば世間は夕食時であった。

「文ちゃんはもう取材はええの?」

「ええ、明日の分はもう。季節の変わり目はそれだけでもネタになりますからねー。人里キャンペーンもしばしおやすみ」

 そう言って文は席に届いたコーヒーをどうも、と言って受取り、静かにカップを口許へ運ぶ。

「天下のブン屋さんがそんなんで満足せえへんのちゃう?何が目的なん?」

「こないだ、里内で会うようにしようってもちかけたの藤花さんじゃないですかー、私も下見ですよん。ここ、いい店ですねえ」

 にこやかに天井や調度品を眺めてはにこやかにコーヒーを飲む文を尻目に、藤花は呆れ顔であったが、やがて彼女も思い出した顔つきで文に向き直った。

「そういえば、里の外に住んどる人間、聞いた事ある?」

「何人かいますね。あ、煙草あります?」

 こういう反応をされたときは、大体数本恵んでやらなければ思い出してもらえないものだ。すかさず懐から箱ごと出して、好きなだけと告げる。

「おっ、どうもです。………んー、魔法使いや紅魔館の使用人…という答えじゃ不満ですね?」

 藤花は、黙って頷く。

「ふむふむ、自警団で外来人探し……当たった!」

 どうだという顔でスプーンを突き付けて満面の笑みの文と、対して表情の変わらない藤花。やがて後者は小さくため息をついた。

「文ちゃん、今日は仕事やないんやろ」

「ははは、そうでしたね。……ここからは世間話ですが」

 ようやく両者の温度差が縮まり、文も藤花の欲しい情報について口にし始めると直感できた。思わず双方の額の距離が詰められる。

「ここ一、二年、幻想郷の著名人の家を訪れては警備や番人を買って出ようとする人間がいたそうですね。いや、それ自体は珍しい話じゃあないですよ。若い外来人は農業に就くより狩人になりたがる傾向がありますからね……でも、極ごく稀に能力持ちの人間が出てきて、それはそちらに属するタイプで」

「能力持ち」

 藤花の口が、気になる単語を反芻する。暗に補足説明を求める彼女に、文はマア慌てず、とくぎを刺して続けた。

「彼の能力は、"思い描いた外界の武器を自由に作り出せる能力"だったそうです。拳銃、小銃、時には機関銃まで。弾も一緒にわらわら出したって言うんですから、大したタマですね」

 文字通り、と言って文は苦笑した。修飾の少ない淡々とした語り口から、なんとなく続きの話しぶりも想像できた。それほどの人物が、里中に知れ渡っていないはずはない。幻獣や妖怪を駆逐する絶対強者として名を残せるはずだ。しかし藤花も知らないとなると、有名だが口々に賞賛されるタイプではなく、むしろ庶民が口をつむぐタイプ……ならず者だったのだろう。

「やけど、評価されなかった」

 文はコーヒーを飲み込みながら頷いた。

「最初のうちは里でも歓迎ムードだったようですね。外来人は少なからず新しい技術や道具ももたらしますから。でも、最初に紅魔館だったかな。冥界や寺子屋にも顔を出していたようですが……里に用意された家を無断で空けて、組合の集いにも来ないとぼやいてる慧音先生の話を聞いた直後ですよ。紅魔館に現れて、パフォーマンスとして魔理沙さんを"撃墜"したそうで」

「ゲキツイ?」

 藤花が怪訝な顔をする。早打ちや狙撃の実演はともかく、いきなり生身の人間相手にというのか。

「その、魔理沙ってウチも名前は知っとるけど、生きてるん?」

「紅魔館の方たちの話によると、弾は猟師が使うような金属ではなくゴムだからと語っていたらしいですが……」

 そいつを紅魔館へ呼び寄せたのは半分はお嬢様の興味本位であったようだが、その実演に引いてしまったのか契約内容も適当になものになり、最終的に居眠り中の門番に発砲した辺りで解雇は本決まりとなったらしい。 

「その後は竹林、冥界と足取りを追っていましたが、その間も霊夢さんの妖怪退治に援護と称して突然発砲する、山の獣をまたまたパフォーマンスとして狩る、とまあさんざんで」

 弾幕と呼ばれる、幻想郷での独自の決闘については藤花も確聞していた。はたしてその外来人がどれほどの戦果を挙げたのかは不明だが、ともすれば相手や周囲から霊夢が卑怯な助太刀を雇ったとみなされかねない。聞いているうちに頭が痛くなってきそうだ、というか。次の文の話でそれはこの話者にも起因すると分かった。

「ま、とにかく山で森で好き放題やってくれたわけで。領域を荒らされて勝手に獣の命を奪って、おかげで天狗の対人感情は一時的に著しく硬化しましてね、あわや戦争という事態でしたよ」

 成る程、文もまた被害をこうむり、怒りを腹に据えかねたという事か。というか美鈴も発砲されていたとは知らなかった。とかくそれで正義漢ぶっていたというのだから、確かに誰も仲間にはしたがるまい。文の外来人評というか愚痴はまだ続いており、おそらくは人妖の均衡を掻き乱し調律を取るために呼び寄せられた因子ではないかとか、まあそんなところにまで及んでいた。

 最終的に自分の言葉で興奮してしまったのか、ぷりぷりした様子で、帰ります!と言って店を出て行ってしまった。

「まったく、騒がしい夜やな……」

 藤花も会計を、そしてその前にもう一服をと思い机の箱を手に取ってみるが、中身は空っぽであった。どうやらマシンガントークの最中、文が凄い勢いで吸って行ったらしい。

「後は、そいつがどこにおるかも聞きたかったんやけどな……」

 かつての相棒も危うい目にあわされているとなると話は変わってきた。同じ不穏分子としてお調子者に御灸をすえてやろうと珍しく義侠心にかられながら、藤花は夜道を帰って行った。

 




前回更新から間が開いてしまいました。
色々忙しかったですが、今後もアイデアが降ってき次第更新していきます!

ちなみに(ちなむか不明ですが)藤花が調べていた水利分布は、上下水道が人里のどの地域を流れているかというもので、水害や(恐ろしいことですが)毒が流れた場合にどの地域に被害が出るかというデータになります。スパイなのでこういうのに目をつける……という事にしておきましょう。


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紅の自警団③

 翌朝、藤花は自販機に「店主長期不在につき、臨時セール」と張り紙をして高黍屋を後にした。店の売り上げに少なからず影響の出る警防活動であるが、薄利多売ででも凌がなければならない。その代り全ての在庫を一杯にしていく。安くない利用料を河童に払っているのだから、せいぜい機械に頑張ってもらうしかないのだ。

 ジョンソン小銃を布にくるみ、担いで里を出るとまずは博麗神社へと足を運んだ。数多の異変、妖怪と対峙してきた巫女なら多少なりとも情報を持っているかもしれないし、その知名度から言って例の外来人ライフルマンが訪れた可能性も高い。まずは横やりの入ら無さそうな里から探るつもりであった。

「ここーはー、おくーにーを、何百里ー……でもないか」

 本土なのに本土ではない、見慣れた山の緑なのにどこか実感が無い。博麗神社への不気味な山道で包みを解き、警戒して進む藤花はふと戦場から幻想郷、そして帰り着く場所へ繋がる道を考えた。一体誰があのような地獄から曲折を経る事になると予想できるだろう。思えばこの山道も次に行く石段も、ここへ来て最初の方針を固めた場所であった。あとは藤花の計画が発動するのが先か、霊夢がすんなり戻してくれるのが先か、だけであろう。

 大鳥居の下へ行き着き、小銃をまた包み隠して石段を上ると、吹き上げる風の中で面倒くさそうに箒を動かす霊夢の後ろ姿があった。

「お久しぶりやね」

「………あー、あんたね」

 一瞬振り返る動きの間はすごくうれしそうな顔に見えた霊夢だが、向き直る頃には最初に見た時と同じような表情に戻っていた。珍しい参拝客と思ったのかもしれないが、ここまで温度変化を見せられるとこちらも反応に困る。むしろそういうところを愛想良くした方が集客にもつながるのではないか。

 とりあえず雑嚢から取り出したものを賽銭箱に入れながら、巫女のご機嫌伺いとしてみた。

「……っと、景気はどない?」

「相変わらずよー。せっかくだから、お茶でも出すわ。待ってて」

 目の前で賽銭箱に音を立てて落ちた"紙"、満洲国紙幣の束はそれなりに役立ったようだ。町の両替屋でも滅多に見ないから判断しかねると両替を保留にされてしまったものだが。

「いつ来ても、人、おらへんね……」

「一応これでも来てるのよ。あんたが毎日変な時間に来るだけ」

 どうぞ、とお茶に加えて煎餅まで出て来た。初回に比べると紙幣が音を立てて落ちるという一気出しのインパクトが大きかったのか、御利益も大きい。いつだったか実際神社としての御利益について聞いてみたが、「たぶんボム一個分くらい」と適当に返されてしまった。生憎と藤花はボムはおろか弾幕も放てないので、こちらの実体のある恩恵を期待するしかない。

「おかまいなくー、いや…なんか悪いなぁ、突然押しかけてしもうて」

「見ての通り、お手すきだから別に。また見回り始めたんですって?」

 先に一枚煎餅を手に取り、軽快な音を立てて食べ始めた霊夢が、いかにも世間話と言った風体を整えて第一声を発した。藤花も、んじゃあいただきますと言って焼き目も見た目に香ばしい厚みのある煎餅に噛みつく。

「………っ。て言うても勿論お願いされてやし、特定の件だけやで。それもあって今日ここへ来てんけどね」

「妖怪?……あんたならそんなわけないわね。なら外来人かしら」

 煎餅を飲み込みつつ首を振る藤花を見て、霊夢が腕組みする。片目も瞑って何かしら考えているのは、彼女にも心当たりがあるからかもしれない。その間に、藤花は煎餅を一枚多く平らげる。

「ま、若い外来人ほど人生やり直せるなんて甘い考えに取りつかれやすくて、ちょっとはっちゃけた人間が多いのも事実ね。ってか藤花あんた、いま二枚同時に食べたでしょう!」

「けちくさいなぁ……ええやん別に。でもそう、武装した外来人、って知っとる?」

「ぱっと思いつくだけでも片手じゃ足りないわね。武器とか口癖とか、特徴があれば私でも知ってるでしょうけど」

 幸い、霊夢はまだ協力的だ。単刀直入、文から伝え聞いた能力持ちの外来人について問うてみる。

「能力持ちで、好きな武器を作り出せるってやつ……」

「あぁ?あいつね……」

 霊夢が、突然眉間に皺を寄せて肩を落とすのでびっくりした。彼女の「あぁ?」は全部に濁点が付いていそうな発音なので尚更面倒くさそうに聞こえる。とはいえ、すぐさま脳裏に浮かぶという事は相当面倒くさかったか、最近ここへ来たかのどちらかだろう。

「やっぱその筋では……」

「どの筋よ……。射手として腕は立つのか知らないけど、いかにもな有名人のところに押しかけて回ってた奴と言えば、誰でもね」

 煎餅が切れてしまい、茶で口が潤うと一服したくなる。が、霊夢は吸わないらしく神社にも灰皿などの設備が見当たらないので、遠慮する。結果として藤花は意味深に背広の胸に手を入れただけの不審人物と化してしまった。霊夢も煙草なら向こうでなどと言ってくれればよかったが、怪訝な顔をするばかりなので始末に困る。

 やり場のない顔の向きを、仕方なく上空へ向けた時、藤花の視界に芥子粒のようなものが見えた。

虫ではない。

遠くにいるから小さく見える物。

「あら」

 霊夢も気付いたらしい。しかし藤花の緊張と違い、何か親しげなものを見た時の反応であった。

「あれ、魔理沙ね」

 思わず立ち上がって目を細め、手で日光を遮りつつ接近してくる粒めいた影を注視する。明らかにこちらを目指している影はやがて帽子をかぶった上半身を形作り、下半分の形状を理解するには、「箒にまたがって空を飛ぶ」という現象が日常茶飯事の常識を備えていなければならない事に気付いたのは、その後からであった。

「どうしてワ……魔理沙が」

 香霖堂で耳にした正しい名前を記憶した藤花がどう対応してよいか決めかねている間に、空飛ぶ箒は着陸進路を取り、鳥居を一直線にくぐると境内で大きく鼻先を持ち上げ、大きく速度を削いでからひらりと持ち主を飛び降りさせた。

 脇に立てかけられている霊夢のそれよりも、節くれ立った一本木のごつさが目立つ箒をひょいと担ぎ、屈託なく莞爾と笑って挨拶してきたのは言うまでも無く霧雨魔理沙その人である。

「よっ、霊…む?」

 この瞬間まで藤花の存在に気付いていなかったらしい。魔理沙は挙げた片手をそのままにして藤花をしばし見つめていた。

 藤花は森の瘴気を抜くついでに自分の髪をこんなにしていった張本人という情報と、乱射魔の被害者第一号すなわち聞き込み調査を実施しなければならない対象だという情報が脳裏で交錯し、処理に時間を要している。魔理沙は、ともすれば紅魔館の廊下で顔をつきあわせたという事実すら忘れていたのかもしれない。

それから数秒して、ようやく絞り出されたのは双方の口から同時に出た「ど…ドーモ」という挨拶であった。

「魔理沙はん、やったね……なんて言うか、あんときはどーも」

「おぉ!てっきり紅魔館の番人かと思ったら、里で煙草屋やってるんだってな!…いやあ、あそこも外来人雇うようになってからはおちおち本も借りづらくなったなぁ。タカキビさんだっけ」

「それは店の名前で、ウチは藤花やで……」

 トーカさんね、よろしくよろしくとまた明るい笑顔に戻り、魔理沙は頭をかきかき霊夢の傍らへと座る。しばらく行儀悪く皿の底に残された煎餅の欠片をつまみつつ、霊夢と藤花の顔を見比べていたが。

「珍しいなぁー……霊夢がこんなにもてなしてるなんて」

「人をサービス精神欠如してるみたいに言わないでよ。自警団で件の外来人調べてるから、その捜査に来てるのよ」

「確かにっ。最近ガラの悪いやつ増えてるもんなー。……で、誰の?」

 霊夢と藤花の肩が十度ほどガクリとずれた。てっきり根に持っているのかと思ったら、心当たりなしであった。二人が同時に口を開こうとして、しばし見つめ合った後に霊夢がおずおずと掌を見せて発言権を譲る。藤花は小さく咳払いをして、本題に入った。

「またちょっと紅魔館絡みなんやけど、魔理沙はんが前に飛んでるところそいつに撃たれたって話を聞いて、ちょっとお話をと思うてね。なんでも他でも光りもん振り回してたっていう危険人物らしいから、自警団で問題を処理しよかって話に」

「あー!あいつかぁ!」

 ようやく思い出せたようだ。

「でも、紅魔館が腕の立つメイド長をすんなり差し出すかなあ」

「「そっちじゃやないっわてよ!」」

「ステレオでつっこまないてくれよ、分かってるって。テッポウ作れるとか言ってたあいつだろ」

 通じにくい冗談に自分で苦笑しつつ、魔理沙は手をひらひらと振った。その特徴が分かれば、彼女も理解していると思える。遠慮がちにため息ひとつついてから、藤花は話を続けた。

「魔理沙はんがそいつを見たんっていつ頃かな」

「去年の春先が最初かな。紅魔館に向かう途中、何かが飛んでくる音がしたんで、慌てて飛び降りたな」

「と、飛び降りた?」

 さっきこちらへ向かってくるときも、かなりの高度を取っていたが無事では済むまい。その外来人の話以前に魔理沙をよく理解しなければならないようだ。

「飛び降りたて……身一つで?」

「屋敷の屋根に閃光を見たから、何かを飛ばしてきてるっていうのはすぐ分かったぜ。でもレミリアや咲夜じゃなさそうだったからなぁ。あぁ、飛び降りて大丈夫なのかって事か。そういう時は魔法で制動をかけて着地するんだ。箒は自力で手元に飛んでくるしね」

 身振り手振りを交えて説明してくれた本人の談であるから、とりあえず魔法の存在と魔理沙の実力は信じるほかない。その外来人は初弾を外し、飛び降りた魔理沙を見て撃墜したと思い込んだのだろう。戦闘機同士の空中戦でも戦果誤認は良くある話だ。藤花は頷いて、話を円滑に進めるよう努める。

「んで、それ以降あそこに近づくと撃ってくるようになったと」

「そうそう。最初は腕の立つ奴を雇ったんだなって警戒してたけど、あそこでも手を焼いてたみたいだな。里に買い物に来てた美鈴に聞いた話じゃ身内にもぶっ放すらしいって聞いて、私の為じゃないけどクビをおすすめしたね」

「賢明な判断やね」

 だろー?ひどいよなと頷いて魔理沙は腕組みする。と、片目を閉じて中空を見据え、何事か考えていたがその目が藤花へと動き、思いがけない一言を漏らしてきた。

「そいや、里で妹紅からも聞いたけど一緒に捜査してるのか?」

「え、妹紅はんも?」

「なんだぁ、てっきりコンビ組んでるのかと思ったぜ。そうそう、そいつ里でも不良にぶっ放して止めに入った慧音先生に逆切れしたんだった。それであいつもほっとけないんだろうな」

「そうなんや……おおきに」

 今日のところは早々に切り上げて、竹林へ河岸を変える事にした。魔理沙は今後の捜査協力も引き受けてくれたし、問題は無いだろう。さりげなく髪の事について聞いてみたが、「瘴気と薬の副作用」との事だった。いつ抜けるかは分からないらしい。まあ既に里も彼女の髪は見慣れてきた頃合いだし、今更毛染めをするような事でもないだろう。何より今日まで生き延びてこられたのもその薬とやらがあってこそだ。

 



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紅の自警団④

 里まで送ろうかという魔理沙の申し出を断り(箒の相乗りの方法など分からない)、竹林へと足を運ぼうと考えたが、もしかしたら妹紅は行商に出ているかもしれない。ちょうど時間もいい頃合いだし、昼食まで里をうろつく事にした。とはいえ鈴奈庵は子供相手の読み聞かせか何かをしていて入りづらい。気付けばいつものカフェの前に立っていたが、予想外の盛況を見せており思わず足が止まる。

 近代的なビルなどひとつもない幻想郷だが、町娘などは新しいものに敏感らしい。天気の良すぎる日はじっとしていてはジリジリと熱せられるとでも言いたげに、店内は満席で、空いていると言えば外に引き出された椅子程度であった。

「若い子でカフェやなんて、何考えてるんやろ……ま、ウチも十分若いけど」

 誰ともなしに同意を求めつつ、仕方なく朝の御品書きを引き込めに来た店員に席を求める。

「テラスで御相席となりますが、よろしいですか?」

 相席など久しぶりに聞いた。一介の情報員として緊張感を忘れたつもりなどなかったが、気付けばのんびりとした幻想郷の暮らしに呑まれつつあるのではないだろうか。

「まぁ、ええよ」

「ではあちらの奥の席へどうぞ」

 店員の指し示す先には、成る程大半の机が二人以上で埋まっている中、三つの椅子に対して一人しか座っていない箇所がぽっかりと空いている。少女が一人、ぼんやりとカップを傾けていた。

「おおきに、ホットひとつね」

「承知いたしました」

 席へと向かう藤花の脇を、どやどやと少年たちが駆け抜けていく。なんとも平和そのものである。

ウチにもあんな時代があったんやなぁ……。

待てよ、無いか。

ありもしない男子学生時代の青春の記憶を振り払い、示された席へと到着すると、先客へ相席の旨をそっと告げて、腰を下ろした。目の前の少女は、一度藤花をチラと見たが小さく会釈するとまた物思いにふけるような姿勢に戻ってしまう。

「…………………」

 本の類も持ち合わせていないとなると、時折相席の彼女に視線が移ってしまう。春風に揺れるチュニックワンピースは年恰好に見合った可愛げのあるものであったが、足元のアンクルブーツはなんとも活動的だ。服装の割に大きな鞄が脇へ置かれているところを見ると、何かしら仕事をしているのかもしれなかった。

 注文の品が来るまでの間を持たせようとしたのか、少女の珍しい洋装に惹かれたのかは分からない。藤花の性的嗜好はともかく、そこまで分別の無い彼女ではなかった。

 もしかしたらもっと素朴な、どこか人形めいた整った顔立ちの彼女の表情を揺り動かしたいという衝動からかもしれなかった。気付けば、口を開いていた。

「お嬢さ…」

「ごめん、お待たせ」

 洒落た大人の会話でもしようとした瞬間、空いていたもう一つの椅子の背にかかる手と、声があった。

 やれやれ、連れがいたのか。見れば、独り立ちしていそうだが兵隊の恰好をすると「まだ子供じゃないか」と言われそうな貴重な時期の青年が藤花と彼女の間に腰かける。

 どうやら少女の憮然とした顔は、青年の遅刻に起因するものであったようだ。頭をかきかき、遅刻の非礼を詫びる青年と、やや突き放すようにすました顔でカップを傾ける少女と、年は離れているようだが兄妹だろうか。どことなく距離感は交際相手のように見えなくもない。と、それ以上口を挟めない相手を詮索するのもナンセンスだ。コーヒーを飲んで、予定通り妹紅を探しに行けばいい。

「分かったよ……とりあえず何か頼んだら?」

 一時は険悪(?)なムードも漂っていたが、少女の提案は事態の鎮静に向かわせる事をにおわせていた。基本仲は良いのだろう。気分を落ち着かせるのにコーヒーはうってつけだ。

「じゃ、このビックリパフェで」

「びっくりぱふぇで心が落ち着くか!」

 思わず突っ込んでしまった。この青年、物静かに見えて実はすごく食わせものなのではないだろうか。それより驚いたのは(それ以上に二人の顔の方が驚いていたが)少女がさりげなく、まるで頬でも掻くような自然さで手が鞄で伸びていた事だ。ルビヤンカから送り込まれてきた殺し屋でももう少し分かりやすく背広の釦を外していたような気がする。

「ご、ごめん……つい」

 ずーんと沈んだ表情で深々と頭を下げる。

「あ、あは、すみません。相席の方もいるのについ」

「ほらもう、いつか怪我するよって言ってるのに」

 少女の方が、言わんこっちゃないとばかりに眉を下げている。

「あーびっくりした……てかパフェなんて洒落たもん、ここのお品書きにあったっけ」

「本当にすみません、ほんの冗談で、実家の近所にあった喫茶店のメニューでして……あれ」

「ん」

 苦笑する青年の顔がきょとんとしたものになり、藤花を見上げた。

「じゃあ、お姉さんもしかして外来人だったりしますか?」

「げっほ!」

 思わずむせてしまった。どうして幻想郷の飲食店はこうもむせるような質問をしてくる人材に恵まれているのだろうか。気管支からじわじわいじめ殺すスパイ組織があれば引っ張りだこだろう。下らないことを考えつつ、コーヒーの匂いが気道にしみついて、むせる。

 しかしこの青年、するりと藤花の出自を突っ込ませて見抜いてしまった。狙ってやったのならここへ来て以来の一大危機である。落ち着いて胸元を抑え、もう一度コーヒーを今度はゆっくりと飲み下し呼吸を整える。

「やぁ失礼しつれい、ウチは確かに外から来た人間やで。今は里で煙草屋と自警団の二足のわらじやけど」

 青年が関心高そうに頷く。藤花はあまり実感した事が無かったが、外来人同士の集いのようなものがあったりするのだろうか。外だと同郷のよしみのようなものがあったが、基本ここは里で完結している。もしかしたら、藤花の外来人という背景を見抜いたのはそういう観点からか。

「自警団…?何か活動してるんですか」

 今度は少女が怪訝な顔をする。もしかしたらちょっと警戒しているのではと身構えた。なぜにこの二人はそんなにスペックが高そうなんだ。

「ウチは傭人みたいなもんやから、普段から警邏とかしてへんけどね。紅魔館の美鈴はんとか、竹林の妹紅はんには何かと世話になったから、せめてものお手伝いやね」

「ご存知なんですか?」

 ますます二人の背景が分からない。藤花は、思惑もあってだが旧警防団の頃から里を離れる事がしばしばだった。基本的に人間は里から出れば危険が付きまとうというが……。直球に尋ねるのもどうかと思い、自警団の身分を明かした事を利用して、それとなしに聞いてみる。

「そうそう、お世話になったからなァ……ちょっとその自警団で珍しく仕事があんねんけど、外来人で悪さするやつって、有名なんとかおるかな。里の外となると、住んでる人に聞くんが一番かなと思うて」

「ああー、確かにたまに耳に挟みますね。でも、そんな」

 煙草を取り出そうとして、テラス席には灰皿を置いていない事を思い出して止める。所在なさげに上着を脱ぎ、目立たないように拳銃も包んで脇へ置いた。

「いや、な。なんかテッポウ創れるやつがおるらしくて」

「銃ですか……?」

 二人は顔を見合わせている。まあ、確かに不穏な話題だろう。もしかしたら彼らの流入時期が件の乱射魔の活動時期と合っておらず、事件を知らない可能性もある。

「その、どこかから持ってきたとかじゃなくて、つくる、ですか」

 青年が念を押す。確かにただ言葉だけを聞けば妙な話であるから、本来は彼のような反応が正しいのだろう。

「せやねん…」

「取り寄せるんじゃなくて」

「?…だからそうやって」

 藤花の答えを聞いて、青年は何故か大きく息を吐き出した。例の天狗の銃砲店の社員なんだろうか、たしかにあそこなら慌てるかもしれない。聞き込みと二人の背景を探るあまり、表情や他の動きに対する注意力が散漫になっていたのかもしれない。一言も発していない少女が訝しげにこちらを見ているのに今頃気が付いた。

 冷めかけのコーヒーを呑み干し、会話を切り上げにかかる。とりあえず今日のところはこれくらいにして、あそこにいる妹紅に会いに…。

「おおおおお妹紅はんおったああ!あ、ごめんな急に話しかけて、今度また。ウチ向こうで煙草屋やってるから、もしよかったら寄って」

 右記の驚きと挨拶と別れを早口で済ませ、代金をカップの横に置くと席を立って往来をかき分けて見覚えのある後姿を追いかけた。

 席を立つ前から騒がしかったおかげか、一区画もいかないうちに彼女はこちらを振り返る。

「あれ、藤花。ど、どうしたのさ。そんなに竹探してた?一揆?」

「ちゃうねん」

 息を切らせて否定する藤花。疲れのせいかちょっと笑えた。

「れ、例の……外来人の件で、妹紅はんの名前聞いたから、ちょっと…げほ、一緒に捜査さしてもらいたくて」

「その事か。なんだ、藤花も探してるの」

「ちょっと意趣返しの必要があってな」

 呼吸も整い、影に入って風も心地よくなってきた。テラス席で徐々に熱せられた体は遠赤外線でじんわりと温まり、コーヒー豆なら一味違う焙煎の仕上がりになっただろう。今度店主に提案してアイデア料でも取ろうか。ひとつ伸びをすると、脇を潜り抜けていく風が上着なしの上半身に心地よい。

「そういえば、藤花、上着は」

「やばっ」

 




今回、初めての読者さんキャラクロス回となりました。
幻想郷にカフェがある事は公式で少々触れられている程度なので、かなり独自解釈で書いていますがコーヒーはどこから入手しているんでしょうね……やはりボーダー商事?
それはさておき、青年と少女、よそのこ初登場ですが名前や今作での扱いなど、後々まとめていこうと思います。


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紅の自警団⑤

 息を切らせてきた道を戻ってみたが、あろうことかテラス席の男女は忽然と姿を消していた。会計も、片付けも済まされていると見えて、机の上は空いたカップひとつない。当然、藤花の上着も拳銃もそこには無く。周囲の席にもそれらしき物体や、藤花の姿を見止めて忘れ物を差し出してくれるような人物もいなかった。

「こ、この辺で、ノーフォークジャケットみたいな服と……あと何かの忘れもん見ませんでした……?」

何度か席を見渡した後、店内へ駆け込んで店主へ訊ねてみたが届けられてはいないという。

 里に出回っている銃は、全て店から旋条痕等のデータを自警組織に提供され一応管理されているという体裁をとっている。外の世界から持ち込んだ未登録の一九式なので仮に犯罪に使われたとしても即藤花の身上が明かされるわけでもないが、逆に何処に問い合わせても使用されたかどうか、誰かが拾ったのかも分からない。

「困った……」

 やはり先程の二人には住所くらい聞いておくべきだったと悔やむが後の祭りであった。帰りが遅いせいか、妹紅が心配して見に来てくれた。

「さっきからどうしたの、なんかストレスマッハの犬みたいになってるけど」

「上着と、拳銃がどっかいった……」

「どこか行くって……つ、付喪神的な?」

「ちゃうねん」

 上着はともかく、拳銃は問題だ。妹紅もようやく事態を理解したらしくとりあえず寺子屋が近いのでそこで落ち着こうと提案してくれた。

「びっくりパフェでもあればな……」

 

   *

 

 寺子屋。

 既に大人として社会生活を営む藤花にとっては無縁の場所だと思い、あえて足を向けようと考えた事も無かったが、今のような状況に立ち至った身にしてみれば、幻想郷ひいては人里の内情を基礎から知るのにうってつけかもしれない。仕事中にもかかわらず心配してくれる妹紅に深く感謝しつつ、太い木でがしりと作られた寺子屋の入り口をくぐった。

「今は子供たちがいるから、こっちから静かについて来て」

「うん……」

 成程、春の日差しに新緑と日差しが映える庭園には、どこからともなく講義の声が聞こえてくる。良く通るが、眠りを誘うように思えるのは春の陽のせいか幼い日の記憶のせいだろうか。

 本来であれば、互いの情報を突き合わせて足取りを掴み、その地へ赴くはずだったが、拳銃が無くてはどうしようもない。いざという時の保険は持っておきたいし、今はともかく現場で妹紅に面倒をかけるわけにもいかなかった。

 悩みの種が尽きない藤花を尻目に、妹紅はしめやかな足取りで板張りの廊下を渡り、とある一室の前で足を止めた。彼女は藤花へここで待っててほしいと告げると、どこかへ行ってしまった。

 そっと障子を開けて足を踏み入れると、日に暖められた紙や草の香りが鼻腔をくすぐった。空き教室などではないらしい。壁には一面の本棚がどんと構えており、大小さまざまな書籍が詰め込まれている。資料室か何かだろう。

 つい癖で部屋の大きさや方角、調度品の配置を観察している自分に気づき苦笑してしまった。しかし、背表紙をつらつらと眺めている程度なら許されるだろう。部屋には座布団が置かれていたが、そちらに座らず、靴下を挟んで擦れる畳の感触を指で愉しみながら数ある蔵書の景色を見やった。

大半は説話集や図鑑、時代がかった算術の参考書といったものだった。一角に稗田家が代々記してきた本だと記憶している題名がズラリ並んでいたので思わず手に取りそうになったが、誰かが鳴らす鐘の音と足音に振り返って動きが止まった。今度個人的に借りられないか聞いてみてもいいだろう。新聞の扇情的な書き口よりも冷静に過去の異変やその失敗の経緯を学べれば、これ以上ない情報となる。

 障子戸の向こうからは、足音と何事か会話を交わす様子が近づいてきている。断片的に漏れ聞こえてくる単語から察するに、妹紅が経緯を簡単に説明してくれているらしい。本当に親切だ。正直なところ、一目惚れに近い感情を抱いていると最近自覚してきたが、そこまで親切にされると色々通り越してこそばゆい。無論、向こうがそれを理解しているかは別問題だが。

 やがて戸が奥ゆかしい音と共に滑り、足音の主たちが姿を現した。

「……どーも」

 改めてお辞儀し、一通りの挨拶を経ると妹紅が紹介してくれた。

「藤花、こちらが上白沢慧音先生だ」

「初めまして、貴女が…」

「藤花です、よろしゅうに……」

 妹紅とは対照的な、寒色系統の装束に身を包んだ女性、慧音が穏やかな笑みで座布団を勧めてくれる。

「妹紅とは既にお話を?」

「ああ、えーと、追ってるのが共通の男……というか少年かな。……っていうのが分かったのがついさっきの事で」

「成る程、じゃあ最初から順を追った方が分かりやすいかな」

 いわく。

 寺子屋でその存在を認識したのはそいつが幻想郷へやって来てすぐの事らしい。当初、人里に住むつもりか空き室を探してうろついているところを慧音に助けられ、お礼代わりと言って外界の社会構造や戦争について講義した事があるようだが、その時点ではまだそこまでの悪評は出ていない。

 その後、里の集いに顔を出さず、家へ行ってみたがいつの間にか無人になっており、紅魔館から連絡が入るまで行方不明という扱いだった。その時点で慧音も世話した身としてかなり心配したようだが、彼からの連絡はそっけないものであったという。

 連絡の内容はともかく、無事である事に安堵したのも束の間、その後すぐに例の魔理沙銃撃事件を引き起こしていたのだ。それ以外にどんな事をしでかしたのかまでは慧音も耳にしていなかったが、「紅魔館に近づくと撃たれる」という事で物好きな釣り人などは随分恐れていた声があったらしい(そもそもそんな所で釣りをするなと言いたいが、そういう声もやはりあると)。

 その後も、しばらくの空白を開けつつ永遠亭や竹林周辺、妖怪の山で目撃証言があり、その大半が発砲の報告であった。そこでようやく紅魔館から「銃を作り出せる能力」についての情報がポツリポツリと出始めたが、遅かった。

 その少年が人里をうろついているという情報を受け、旧警防団で警戒していたが往来でチンピラ風の人間と口論になり突然発砲、彼と顔見知りでもあり心配していた慧音が駆け付けた(警防団日誌の写しには突進して止めたと書いてあったが藤花はよく分からなかった。体を張ったのかなくらいに思っていた)ところが手を出したのは先方だの一点張りで正当性を主張、埒が明かなかった。

「……乱射魔っていうか、キ〇ガイやん」

「端的な感想、ありがとう」

 慧音が、個人的感情と、教師と言う聖職の立場上保たなければならない面目の間で揺れていた。あれはそういう顔だ。庇護は要求するが自身に求められる事柄への対応はおざなりで、外界の規範や対人関係が消えた反動からくると思われる無軌道さ、そして常軌を逸した倫理観。

「もしかして、そいつって年齢は」

「寺子屋を出て働き始めるくらいか……そうだったな」

 慧音の言葉に、妹紅も頷いた。

「あ、そういえば妹紅はんはどんな話をしたことがあるん」

「いや……煙草あげたら”俺は変わった”とか言ってたな」

 煙草やったくらいで何が変わるというのか。粘膜が荒れたくらいでいちいち報告してこないでほしい。少なくともここで得られた情報を総合しても、夜道で出会ったら三秒で回れ右して逃走しようと判断する事請け合いだ。

 それはともかくとして、要は外界でうだつのあがらなかった少年が芽生えたばかりの自我と能力を持って暴走し、自分にではなく能力を恐れられているという事に無自覚なまま突っ走ってどこかに潜伏しているという事だろう。

「慧音はん、それで、何か特徴は?」

「そうだな………左の掌(たなごころ)に、私の角の痕があるはずだ」

「つ、つの?」

 思わず藤花は手を頭にやってしまう。もしかしてその御召し物が、と言いかけてそうじゃない、と否定されてしまった。

「その、慧音先生、もしかして青草とかお食べになられる……」

「牛じゃあないんだよ!」

「ご、ごめんなさい!」

 慌てて頭を下げる藤花に、そうか、まだ知らないのかと言って慧音は簡単な身の上話をしてくれた。それはそれで大変グロ100パーセント(藤花は戦前の人なので表現が変)であったのだが、流石教師をしているだけあって物言いも語彙も洗練されている。このような人物に世話されておきながら奴はどうしてああなったのか。慧音の角の粉末を煎じて飲ませてやりたい。

 被害者の身上とホシの情報、過去をあらかた掴めたという事で、これからまた教え子たちのもとへ戻るという慧音に礼を言って寺子屋を後にした。

 

   *

 

 昼下がり、落ち着きをみせている往来をすり抜けながら、妹紅と今後の捜査方針について話し合う。

「里外にいるのは確かみたいやね。武器があるなら幻獣の類は退散させられるやろうってのは熊の一件であきらかやし」

「問題は、場所だなァ」

「霧の湖近くのスラムはどうやろう。あそこも少なからず人がおるって咲夜はんに聞いた事あるけど」

「どうかな、あそこはあそこで監視の目を光らせてるらしいし……一度は紅魔館がクビにした以上、また近づくのは許さないんじゃないかな」

「とすると、妖怪の山……」

 言いかけて藤花は止めた。なわばりを荒らされて怒り心頭の天狗の口へ飛び込むほど馬鹿でもあるまい。いや、話を聞く限り馬鹿っぽいのだが。

「そういえば」

「おっ、何か思い出した?」

 癖で煙草を差し出す藤花から、どうもと言って一本もらい、目にも止まらぬ速さで指先に火を灯すと紫煙を吐き出す妹紅。もしかして困窮しているのは本当なんだろうか。

「あの少年を人里を村八分にしようって意見が盛り上がって、能力の事もあるから警防団で捕縛計画もあったらしいんだ。ちょうど藤花達がミサイルを追ってた時」

「おお、あん時かぁ」

「でも、消えた。逃げおおせたんだ。……一発も撃たずにだから、誰か手引きしたんじゃないかって話だ」

 不気味な話だ。利用しようとした紅魔館や親切心で保護した寺子屋や永遠亭を足蹴にしつつふらつくような人間を、誰が匿うというのだろう。

「おもろそうやね。……心当たりあるん」

「調べてみた結果だけど、キジンセイジャじゃないかって話が、里のスラムで噂になっていた」

「…………きじん?」

 




しばらく間が開いてしまいました。
クロスキャラは「玄関開けたら八雲邸」より、佐々木奬くんにご登場願いました。
先方作品を読まなくても理解できるように書いていきたい……ですがせっかくなので両方読んでもらえるとより楽しめる!……はずです

サテ本編はコンビを組む妹紅に、上司である慧音先生の登場を迎えつつ問題の人物を追う糸口を掴むかというところまで来ました。
しかし寺子屋と警察組織の兼務ってストレスがヤバそうですね。


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紅の自警団⑥

 容疑者、高堂洋治は山中に潜伏せる模様。

 自警団にはそのように報告を入れた。だからといって増援がついたわけでも情報を寄越された訳でもなく、噂の裏付けを取るべく地道な聞き込みが継続される。妹紅はしきりに店を訪れては進捗を教えてくれたが、高堂と鬼人正邪どちらから接近したのか、そもそも噂の信憑性を確かめるところからである。まだ井戸端会議以上の情報は集まらなかったが、伝聞をさかのぼり、近いうちに目撃者に辿り着くだろうと語ってくれた。

 藤花にとってもう一つの懸案事項であった拳銃は、素性を極力隠したい方針から一刻も早く回収したいところだが、カフェ、商店を回ってもあの二人と再会する事はなかった。

あの時同席した少女の挙動が気にかかったが、善良な市民である可能性も考慮して改めて店の位置も記した広告を貼り出した。これで店に届けてでもくれれば手間も省ける。

一縷の望みに賭けながらも、ここへ来て初めて遭遇する事態に、万が一敵対的な人物であった場合の対処をどうするか考えずにはいられない。心のどこかで鎌首を擡げる嗜虐的な一面を否定しつつも、今夜もジョンソン小銃の手入れに勤しんでいた。

面倒な動作機構、複雑な螺旋式弾倉に手を焼かされたが大陸ではこれを肩に西へ東へ飛びまわっていた。しかし、幻想郷に放り込まれてからは一度も火を噴かずにここまでこれた。スパイにしてみれば目立つ長物の発砲や正体の発露は愚の骨頂である。このまま計画が動き出せば、と思っていたが今やその気持ちも揺らいでいる。何しろ山に棲む得体のしれないモノから寺子屋の教師に至るまでめちゃくちゃ強そうなのだ。これではヤケを起こして完全軍装で蜂起したとて今度開通する路電のキオスクすら占拠できないだろう。

「どーしたもんかなあ」

 くさくさしても仕方がない。表で夜風に当たり、一服したら寝よう。そう思って空いた缶詰の灰皿と紙巻きを携えて表にふらふらと出ると、日中は往来に満ち鳥が餌を求めて低空を行ったり来たりする通りもシンと静まり返っている。番犬が吠えている声も、どこか遠くなのだろうが良く聞こえるほどだ。

「ふう…………」

 と、紫煙をたなびかせていると、通りの向こう、薄暗い路地への入り口に誰かが立っているのが見えた。さっきは気づかなかったが、いつ頃からいたのか。

「………………?」

 こんな夜半に何をしているのか。里の中とはいえ、危険なのは妖怪だけとは限らない。不逞の輩だってそれこそ路地に潜んでいないとも限らないのに。

「うお」

 一瞬、足元が暗くなった。何かが頭上を通り過ぎて月影が遮られたのだと顔を上げて気付いたが、通過した物体を目で追うのが一拍遅れる。視線と焦点が物体に合わせられた時、方向は先ほどの人影の位置へと戻されていた。

 首が飛んでいた。

「ちょっと藤花、こんなところで寝てると風邪ひくよ」

「あっぶぶさぶぶぶ」

 朝の冷え込みに体の芯まで熱を奪われ、震える藤花を妹紅が揺すっていた。既に空は橙と水色の陰影に彩られた夜明けを演出しており、人影も首も消えていた。

「うわっ、冷たっ」

「ふ、ふふふふろにっに」

「そうだね、すぐ沸かそう」

 勝手に体が震える藤花を抱え上げ、妹紅は二笑亭の木戸を押し開けてくれた。藤花一人ではあぶないと判断したのだろう。新春の夜に外で外套も羽織らずにいれば、それはそうなるだろう。

「そ、そそうやっもももこたん」

「どうしたのさ……」

「でっででで、出たんよ、かか、か怪人赤憲兵マント……」

藤花の言葉に、妹紅の目が点になっていた。連絡に来たと思えば相棒は店の前で冷えているし、訳の分からないモノを見たという。タチの悪い妖怪の妖気に中てられて気を病んでしまったのではと一瞬心配になる。とりあえず藤花の指し示す方向に浴室を見つけたので、大急ぎで水を張って火を起こした。

 一度落ちすぎた体温で、藤花はしばらく火のそばでぶるぶる震えていたが、やがてお湯も沸きなんとか寝間着を脱ぐと転げ落ちるように浴槽に飛び込んだ。

「おぉ……極楽が見える…」

「極楽見ないで。何があったか説明してよ」

「ああ、そやった。ゆうべウチが店の前で煙草吸うとったら、真っ赤な憲兵マント来た首なし人間が、現れたんよ……」

「憲兵マント……?」

 藤花の説明によると、トンビコートの上っ張りだけのような丈の短い立ち襟マントを羽織っていて、首が無かったらしい。

「何となく誰かわかったけど……それで、どうしたの。そいつに話しかけられたりしたのかい」

「妹紅はんに起こされたんやで」

「えっ」

「えっ」

 しばし沈黙。

「……………藤花、気絶してたのか」

「妹紅はんに起こされたんやで」

「……気絶、してたな?」

「うるさいな!」

 浴室から水面を叩く音が聞こえる。確かに恥ずかしいのかもしれないが、何事かあると不安なので妹紅も訊ねたまでだったのだ。

「ま、なんにせよ元気になってよかったよ。これからは表で気絶するのはやめな?」

「やから、気絶ちゃう!」

「分かったわかった、じゃあ私も案内が一件入ってるから今日はこれで行くよ」

 浴室の窓から湯の飛沫を飛ばして抗議する藤花を尻目に、妹紅は二笑亭を辞して竹林へと帰って行った。

 

   *

 

「やぁ、お待たせ」

「私も丁度来たところですよ、妹紅さん」

 炭焼き小屋の側、いずれを向いても竹竹の景色の中でひときわ大きく育った竹にもたれてサキが立っていた。

「定期的に医者に通わないといけないってのも、不便なもんだね」

 サキを気遣い、物入れの煙草をぐいと奥に押し込みつつ妹紅が一歩先に竹の迷路へと足を踏み入れる。サキは苦笑しつつ、肩からかかる鞄を歩きやすいように後ろに回して妹紅の歩調に合わせていた。

「神様の分霊とはまた違って、ヒトの例が少ないらしいんですよね。私も出来るだけ協力をと思って、気になる事があれば診てもらう程度なんですけど……妹紅さんも、忙しそうで」

「まあね、今朝も一人助けてきたところ」

 無論それはここではなく里で、しかも目の前のサキと会った事がある上に重要な忘れ物の行方を知りたがっている人物であったのだが、互いにそれは気づいていない。不運なすれ違いとはつゆ知らず、二人は雑談に興じつつ静かな春の朝の霞をかき分けて永遠亭へと向かって行った。

 




前回に引き続き、「玄関開けたら~」よりサキさんにちょい登場していただきました。
顔見世程度にすれ違うだけじゃ味気ないし……と思ったら本当にすれ違ってしまって藤花の拳銃がまだ取り戻せません。


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紅の自警団⑦

 入浴で元気を取り戻した藤花は、手ぬぐいを手に底冷えする脱衣所を早々に抜け出し、桜色の戻った躰を服で覆い隠した。

 襦袢を羽織り、カフェへ置き忘れた上衣の代わりに羽織るものをと捜し歩いていると、中庭へふわりと降り立つ影ひとつ。

「文ちゃん……覗き見なんて趣味わるいで」

「お店が開いてなかったのでおかしいと思ったんですよぅ……何やら一回戦終えてきたみたいなカッコしてますね」

「やらしく例えんといて……体冷やしたから風呂入ってたんよ」

 そう言って藤花は軽く頬を赤らめ、前の開いた襦袢を慌てて閉じ、部屋にかかったスカートを取る為に一度姿を消す。次いで文の前に出た時は、スカートと同色のネクタイも増えていた。

「ま、藤花さんがよければまたおつきあいしますけどね」

「え……て、まだその話かいな。ウチの布団に入って来てまで調べる事ももうあらへんやろ。んで、急ぎの話?」

「あぁ、そうでした。明日にも記事にしますが、天狗軍の演習ですよ。初夏にも大きいのを山でやるという事です」

 手にした羽団扇を落語家よろしくひらひらと動かして来るべき天狗の一大デモンストレーションについて力説する文を尻目に、藤花は考え込む。

 大演習の体裁を取るという事は、昨年鈴奈庵でチラと聞いた資料の蒐集や教練が一通り完了したという事だろう。演習の出来栄えによっては、もしくはそのものを以て外交交渉を開始する腹積もりだろう。天狗(妖怪)対妖精の交渉条件またどちらかがどれほど呑むかによって開戦、和平の決断が下されるに違いない。いずれにせよ、今年が正念場であると決まったわけだ。

「……おおきに、妖精の反応はどんななん」

「演習そのものについてはまだコメントを取っていませんが、良くは無いでしょうね。数で勝っていたのは妖精側ですから、和平交渉次第と言う事に。ま、夏の終わりには決まってるでしょう」

「演習の出来如何では参謀が発動を渋るかもしれへんよ……天狗の外交担当が引き延ばし工作を始めたら、開戦は冬と見て間違いない思うけど」

 藤花の言葉に、団扇を手に腕組みしていた文の目が瞬いた。何やら脳裏の情報を組み合わせて思案していたようだが、なるほどと呟いて頷く。

「今度の特集では、意見を聞かせてもらいますよ。でも、お詳しいですね」

「……ウチの国はそうやっておっぱじめたからね」

 

   *

 

 去り際に文が興味深い事を教えてくれた。

「そういえば、里で藤花さんの事を探し回ってる人がいましたよ。何でも返したいものがあるとか…以前うちで広告を打ってたのを知って尋ねて来たんですけど」

 飲み屋のツケ以外で貸し借りはほとんどない。あるとすれば、先日の上衣と拳銃の事だろう。文を経由して情報が来るとは思わなかったが、裏が無いかだけ確かめてみる必要があるだろう。文曰く「商店街の近くにある」とだけ店の情報を与えたという事なので、近々会うだろう。

 件の来客は早速現れた。

店先で頬杖をついてぼんやりしていると、真横からズイと現れたのは、見まごう事なきカフェで会った青年。袋に入れた見覚えのある緑を携えている。

「あの、もしかしてこないだカフェで会った……」

「もしかしなくてもこれ見たら分かるやろ……そうやで、もしかして、忘れ物届けに来てくれたん?」

「ああ、良かったです。あの後すぐ追いかけたんですけど、すれ違いになってしまったみたいで、すみません」

 そう言って頭を下げた青年は、袋に入った藤花の上衣を勘定台へ乗せた。拳銃も入れてあるらしく、似つかわしくない重量感のある音が出る。

 藤花は御礼にと言って煙草を勧めてみたが、彼は嗜まないと言う。ならば重畳だ。藤花の目が情報員時代の光に満ちる。

「わざわざ来てもらったんやもん……今日はあのケンカしてたお嬢ちゃん一緒やないの?」

「け、ケンカじゃないですよ、今日はちょっと寄る所があって夕方まで別行動なだけで」

 尚更好都合だった。藤花は、そうかそうかといってにんまり笑い。

「よかったらお茶でも飲んでく?」

「いえいえ、そこまで…悪いですよ」

「ええのええの、お礼もせんと帰すんも悪いし、ちょうどお客さんも来んと暇してたとこやねん」

 そう言って藤花はさりげなくタイを緩め、青年の視線が一瞬移る隙をみて「ね?」と駄目押ししてみる。色仕掛けと言うか、行動中に一押しすると意外と相手も押されてくれるものだ。青年も特に急を要する用事もないという事なので、横の戸を開けて彼を招き入れる。

 四畳間に上げて今お茶淹れるから、と言って湯を沸かす。基本的に冒険を好まない彼女なので人を家に招くことは滅多になかったが、もしもの機会の為にいかにもな茶の間を作り上げてある。といっても明らかに時代の違う彼からすると、時代がかったセットのように見えた事だろう。

「えーと、煙草はいらんのやったね」

「すいません」

「はは、吸う人がスイマセンやったらシャレになっとったんやけどね」

 年恰好の割に緊張気味の彼を落ち着かせるため、しようもない駄洒落を飛ばしつつ気負いすぎない女性を演じ、湯呑みと急須を携えて部屋へと戻る。

 卓袱台の横で正座して座布団の上に畏まる彼に、粗茶やけどと言って一杯差し出した。

「おかまいなく」

「けど、その様子やとだいぶ歩き回ってくれたんとちがう?」

「いえいえ、射命丸さんに聞いたらお店の事、教えてくれたんですよ」

「しゃ……ああ、新聞屋さんか。ウチが前に一回だけ広告出した事あったなぁ。流石やね」

 照れますね、と言って青年は所在なさげにしていたが、湯気の立つ湯呑みという大義名分を得てしきりに茶を口にしている。

 御茶請けに乾燥納豆を出し、青年とは相対的に脚を崩して座り前かがみになってぽりぽりとやっていると、流石に青年も開いた襟首が気になるらしい。彼女の性的嗜好から、あまり色仕掛けと言うのは好まなかったがこういう時は早く動いた方が良い。

「そうや、名前をまだ聞いてへんかったね、ウチの事は藤花て呼んで?」

「…そうでしたね!自分は奨、佐々木奨て言います。近しい人は皆、奨で通ってますね」

 目頭を押さえ、奨は苦笑して自己紹介した。

「ほんなら、ウチも奨くんて呼ばせてもらおかな」

「ええ、もう、歓迎ですよ」

「歓迎?」

「あー、何と言うか……構いません」

「あはは」

 しばし身の上話をしてみたが、外来人である事、どこかのお屋敷に間借り(藤花にはそのように理解された)している事がとりあえずは理解できた。

 時間にして半刻も経った頃だろうか。奨の受け答えが怪しくなってきたところで、藤花は動いた。

「どないしょ、このあと晩御飯でもどない?」

「あ、い、いいぇ………夕方にはもう待ち合わせが……」

「それまではゆっくりしてって?な、ええやろ……?」

 藤花は男物であったシャツを前合わせを無理やり逆にして着ているものだから、釦を一つ外すたび、その布に圧迫されてきた沸き上がる紅い血潮を奥深くに巡らせたる豊満な肉が逆に残りの釦を引きちぎらんばかりに主張してくる。既に薬で奨の意識が朦朧となっているならば、もう一歩であろう。

「ちょちょちょっと……それはあまりにも急すぎるというか……」

「ええから……もうちょっとゆっくりしてってね」

 そう言って穏やかな顔で暫くもがく彼をかき抱いていたが、やがて抵抗が寝息へと変わると藤花は相手の体を卓袱台の脇へと横たえ、釦をかけ直した。

「ま、こんなもんやね」

 持ち物と体を探ってみたが、めぼしいものは特に見当たらなかった。唯一、黒光りする拳銃が彼女を緊張させたが、誰かの差し金で差し向けられたのなら茶などに手を付けないか、もう少し慎重に来たことだろう。今日のところは彼が無害な存在であることを確かめられた事を戦果として、銃の事はあとで銃砲店に自警団権限で販売記録をあたればいい。

 彼が目覚める頃には藤花は地味な色気と無縁の支那服に着替え、夢か何かだったのだろうかと首を傾げる事だろう。

 

   *

 

 妹紅が日中の作業を終え、永遠亭にサキを迎えに行ったのはそれに前後する。

 人も動物も家路へ急ぐ頃だ。護衛とはいえわざわざ獣と鉢合わせする用事を作る事も無い。サキもすぐに姿を現し、二人は無事竹林を抜けて里への田舎道を歩いていた。

「妹紅さんも里へ行かれるんですか」

「あー、自警団がらみでまだやり残しがあってね。それが終われば今日のお仕事もおしまい!」

「ふふ、お疲れ様です」

 自警と言っても里のあんちゃんとは年季の違う妹紅を見る目は、やはり違っていた。サキの興味は妹紅の日頃の働きぶりから、昨今の自警団のあり方にまで至った。妹紅としても誰かに指図したりされたりする新規の組織にはまだ慣れていなかったが、そう悪い人たちばかりじゃないしそうでなければ成り立たないという彼女の言葉に、サキの自警団を見る目も多少は軟化したように思われる。

 妹紅が怪訝な顔をしたのは、サキが「煙草屋を探している」と言いだしてからだった。何でも連れの奨が忘れ物を届けたいと。

「煙草屋……そういえば里に一人知り合いがいるけど、まさかね」

「そうなんですか?煙草屋さんもそうたくさんあるわけじゃないですから、もしかするかもですね」

 反応の違うふたりが同じ顔で驚いたのは、高黍屋から藤花と奨が出て来たのを目にした時だ。

「あれ、妹紅はん」

「藤花ってば、お知り合いだったの」

「えっ」

 目を丸くする自警二人組を尻目に、奨とサキも似たり寄ったりの顔で節操がないとか誤解だとか騒いでいた。

「ごめんな、サキちゃん、やっけ。お礼に彼氏に一杯おごってただけやねん」

「彼氏じゃないですよ……」

「そ、そうだよ、誤解だって……何事も、無かった……うん、無いですよね」

「なんでウチに聞くのん……それもっと誤解されるで」

「間!何その間は!」




今回は「玄関開けたら~」より、佐々木奬くんの登場です。
一服盛られて眠らせてしまいましたね(
なんで彼が武器を帯びていたのか……は、あくまでここでは掘り下げません。詳しくは彼の登場する本編を読んでいただきましょう!(コラボを忘れない二次書きの鑑


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紅の自警団⑧

 思いがけず拳銃紛失が解決した事により、藤花も積極的に捜査に加われるようになった。いつしかは電話口で面倒だと言っていた彼女だが、妹紅と共に身内が被害に遭っているなら自ら鉄槌を下すのもやぶさかではない。

「そういえば妹紅はん」

 カフェで朝食という、幻想郷では上級階層がやりそうな優雅なひと時を過ごす中で、カップを傾ける藤花が目を上げた。パンを咥えつつこちらを見ている妹紅に言葉を続ける。

「こないだウチが妖怪赤憲兵マント見たって言うた時、何か知ってるって言うてたけど」

「……ああ、あれか。まあね、里も表向きは安全だけど、いろんな思惑で入りこんだり、時にはちゃっかり生活している妖怪もいるんだ」

「へぇ……貧民窟の人間に聞くより、そういう妖怪に聞いた方がヤツと正邪の行方も分かるかもしれへんね」

 菜っ葉のサラダをしゃくしゃくと咀嚼しつつ、妹紅は黙って頷く。しばしもぐもぐやっていたが、飲み込んで会話を再開。

「その…赤マントの知り合いがいるからこないだ聞いてみた」

「流石は妹紅はん、顔広いねんね」

「まあ、そっちは竹林にいるからなんだけど」

 曰く、以前正邪を追った事のある一人で、属している妖怪組織でも赤マントを通じて高堂の蒸発と正邪の関わりが噂になっていたという。

「で、今度のキーマンは?」

「こっちにとって好都合なのが、目撃者が"草の根妖怪ネットワーク"に属している事だ」

「草……何て?」

「草の根妖怪ネットワーク。一部の妖怪が所属してるコミュニティで、目撃者二人がそれに属してた。まずはその赤マント……赤蛮奇という奴だけど、あまり人には協力的ではないから、わざわざ里に潜んでる彼女を正邪や高堂が単身探しに来るとは思えない」

 藤花は妹紅の話す情報を手帳へ書き付けた。妖怪の友好度は彼女の今後に大きく関わってくるだろう事項である。話題の高堂と同じ人種とは思いたくなかったが、選んだ道によっては彼の代わりに正邪のような孤独な妖怪と手を組んで逃亡していたかもしれない。

 ミサイル騒動の時もそうであったが、藤花は追う犯人のどこかに自分と同じ要素を感じて感傷に耽る自分に嫌気がさしていた。少なくとも自分は手段は選んでいるし、現にその最中だ。その時点で決定的に違う。それ以上考えるのは止めよう。

 そこで彼女らの朝食は終り、席を立つ時が来た。

 

   *

 

 念の為として里内を歩き回ってきたが、赤蛮奇らしき影は見つけることが出来なかった。日没までにと思い、二人は竹林に旧警防団時代に配備されそのままにされているアルファロメオ164を駆って一路霧の湖を目指している。

「湖に、その何とかネットワークの最後の目撃者がおるわけやね」

「そうだね……それも逃亡中のみならず、噂を聞きつけたのか一度正邪が探しに来たらしい。彼女怯えていたよ」

 これは確かな情報と言える。とりあえずその鬼人正邪をひっとらえ、高堂の居場所を吐かせれば仇も討てるだろう。ついでに是非曲直庁に正邪も突き出せば、感謝されて藤花の事も語り草になればだが、それは高望みだろう。まずは湖周辺で目撃者を探さねばならない。

「可愛い子やったら、泊りがけで守ったるねんけどなぁ」

「あそこで泊まりなんて正気じゃないよ」

「紅魔館あるやん、あそこどうかな」

「あそこを宿感覚で利用するかね……」

 たしかに外来人の出入りは多いらしいけど、と呟いて胸元から煙草を取り出す妹紅。ハンドルを握る彼女の為に、脇から藤花が火種を差し出してやった。

 少し開けた窓から紫煙を逃がし、妹紅は頭を掻いた。

「だいたい藤花の言う可愛い子って、基準は何さ」

「ケツやね」

「ケツ……だと………」

「せやねん」

 妹紅に出した燐寸を自らの咥える一本にも点火しつつ、藤花は訳知り顔で頷く。

「ええ女ってのは、ぴちぴちの尻を有するもんやねん。ほら、ウチもなかなかの安産型やろ。へへ」

「へへじゃねえ……と、見えてきた」

 視界の先がぼやけ始め、それを合図に目を凝らすと、地面と色の違う広大な湖が広がっているのが認識できる。適当な開けた場所に車を停めると、周囲を見渡して獣の類を警戒しつつ、夕闇迫る湖畔を歩き出した。

「それで、その目撃者ってどっちに住んでるん」

「だから湖さ。ここの中」

「えっ……………兎とか鳥で慣れとったけど、そうか、そっちもおるのか……」

 思わず腕組みして水面に視線を落とす。静かな湖畔の森の陰から、僅かに鳥の飛び立つ音が聞こえてきた。

「亀か何かに乗っていくん?」

「姫ではあるけど、そういうのじゃないんだな……」

「しっ」

「えっ」

 雑談を始めておいて突然沈黙を求める藤花に、妹紅が怪訝な顔で振り返った。眉間に皺を寄せ、手を耳にあててしばらくじっとしている藤花だったが、やがて眼を見開いて霧に沈む湖を見渡し、音源を突きとめた。

「あそこ!」

「いたか」

 彼女の指差す先、木陰の近くに若草色の装束が揺れている。

「運がええな、ウチら」

「確かに、わかさぎ姫だ」

「面白くなってきたなー」

 安心して歩みを再開した二人であったが、妹紅が何かに気付いた。紅の双眸が、鋭く行く先の対象を観察する。揺れている、が手を振っているわけではなさそうだ。むしろ溺れている人の挙動に近い。だが水棲の姫が溺れるわけもなく、何か理由が無ければならない。

「まさか」

 妹紅は顔を巡らせ、湖ではなく陸地にその原因が無いか探る。

 あった。

 



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紅の自警団⑨

 木の側で、水中では不利と見たのかあえて距離を取って釣竿か何かをふるう人影。釣り人ではあるまい。むしろ姫は釣り好きからは慕われている部類だ。もしそんな無礼を犯せば、妖怪仲間から目を付けられるか、仲間内でもただでは済むまい。

「正邪だ…!姫を拉致しようとしてる!」

「ちょっとおもしろすぎるやろそれ」

 藤花が拳銃を抜いて応じた。合図も無く、二人同時に駆けだす。もう目と鼻の先だ。もがくわかさぎ姫の服や下卑た笑みを浮かべて竿を振るう正邪の顔までくっきりと見えた頃、叫ぶ。

「正邪ッ!」

 その声に、正邪は一瞬驚いた顔をしてみせたものの、すぐに笑みを取り戻す。片手で竿を保持したまま、あろうことかもう一方の手はコルトを引き抜いてきたのだ。

「おッとぉそれ以上近づくな!姫様の顔にでっかい傷が付いちゃうぞ」

 初対面の藤花であったが、正邪の性格は嫌と言うほどわかった。なるほど好かれないわけだ。藤花と妹紅は、正邪の脅しに屈せずじりじりと接近する。

「そういうのはまともな人間に言いな!」

「そのガバメントどっから手に入れたん?」

「あんたの事より、その銃を"創った"やつの事を探ってるんでね」

 二対一、人質の通じない形勢を早々に不利と判断したのか、正邪は舌打ちひとつ、竿を放り捨てると身を翻して森へ逃げ込もうとする。

「藤花、姫を!私は奴を追う!車の側で落ち合おう」

「よっしゃ!」

 今こそ可愛い子ちゃんを保護、のはずだったが振り返ると顔を隠して水中に飛び込む姫の尻尾だけ。しぶき一つ残して雲隠れしてしまった。

「ケツが………ぴちぴちしとった……」

 

   *

 

 暴れる竿と人質を手放した正邪はすばしっこかった。追跡する妹紅にも時折振り返っては手にした45口径を発砲する。

「敢えて弾幕を撃たないつもりか……」

 だがそこを妹紅は逆手に取ってみせた。足しげく通う方ではないが、彼女も湖で釣り糸を垂れた事も何度かある。竹林譲りの地形把握能力は、こちらの森でも発揮された。見覚えのある地点では正邪の進行方向に銃弾を食いこませ、着実に藤花と合流できる地点へと誘導する。急な坂道で岩から岩へ飛び移り始めた正邪を確認すると、妹紅は真後ろから追撃する事を止め、別の経路で斜面を滑り降りた。

 行く先で緑色の闇が見切れると、開ける視界と道の脇に止まっている白い車。

 予定通り、最初の地点へと舞い戻る。そして、藤花も拳銃を構えて全速力でこちらへ向かってきている所であった。

「パーティには間に合うたかな」

「一人でモノにしたかったんだけどね」

 シニカルな笑みを浮かべ、妹紅は飛び石の勢いで止まれなくなった正邪が転がり落ちてくる予想地点を指さす。闇の中に、正邪の服と赤いラッシュが見え隠れしていた。

「一発で止めるよ」

「オッケィ」

 並んだ二人が一斉に拳銃を構え、殆ど重なり合った銃声が湖畔にこだました。

「ぎゃッ」

 手ごたえあった。というか何か聞こえた。二人は念の為に起こしておいた撃鉄を下ろし、顔を見合わせて声の聞こえたあたりへよじ登った。

「大丈夫かな?おら、出てこい」

 銃口を突き付けた先に、足を撃たれて転がる正邪が、いなかった。

「あ、あれ?」

 慌てて駆け寄り、地面を確かめる。影になっている所も。しかし、見当たらなかった。岩の一つによじのぼると、かすかにせせらぎが耳をくすぐる。どうやら川があるらしい。

 逃がした。

「藤花さ私……ちゃんと足狙ったんだけど」

妹紅の言葉に、藤花がぎょっとして顔を上げた。地面をなでていた指を叩いて立ち上がる。

「ウチも足狙ったで」

「でもほら……藤花、時々外して撃つじゃん」

 妹紅は渋い顔で現在の愛銃、スタームルガー・セキュリティシックスをホルスターへ納め、両手を広げて見せた。無言のうちにどこからともなく同意を求めている。

「妹紅なんかしょっちゅうやん。本人はインするけど弾はアウトするってよう言うで」

「いやでも」

 あくまで妹紅は譲らない。ここでの舌戦如何で、里に戻った時に慧音に突進されるのは誰か決まるのだ。

「悪いけど、今回はちゃんと撃ったんだもん、アシ」

「でもしょっちゅう外すで」

「いや、ほら」

 妹紅が苦笑する。

「言い方が悪かったかな。別に、あの、責めてるわけじゃないんだからさ。正直に、言ってもいいと思うけど……」

「……外したんやろ?」

「……私は足撃ったって言ってるでしょ!ちょ、ちょっと藤花の銃貸しなよ」

 物入れに手を突っ込んで不機嫌そうに立ち尽くす藤花の脇へ手を突っ込み、胸を手の甲でどけながら妹紅の手が彼女のM586を掴みだした。撃鉄を起こしてシングルアクションでどこかを狙い撃つ。

「ほらホップしてるじゃん藤花の、こう弾がびゅーんて!」

「ウチそれ計算に入れてるもん」

 数秒、銃を手にしたまま妹紅が硬直する。口許が若干歪む。

「しょ、正直に言ったらいいじゃんかよぅ!私は足撃ったって言ってるでしょう!」

 藤花も痺れを切らしたのか、妹紅のショルダーホルスターから相棒同様に銃を引っこ抜くと、遠くの岩を狙い撃つ。

「ほらまっすぐ行くもん私の、ほらほら。同じとこ撃つよ?同じとこ。……ほらちょっと上に当たるもん藤花の!」

 

   *

 

「何てことしてくれたんだ……正邪を取り逃がすなんて」

 翌朝、寺子屋の一室で慧音は目頭を押さえて呻いていた。

「いや!モコーが撃ったんで」

「トーカがやったの!トーカが!」

「こういつもみたく一気にバーンて撃つから」

「あの変なフォームでばーんてやって!で弾がぴゅーんて」

 彼女の前には、机を挟んで藤花と妹紅が指導を受ける生徒よろしく並んで立たされており、早口に、交互に相手の方が悪いと必死に主張し合っている。その度、慧音は一喝して大人しくさせなければならなかった。窓やふすまの隙間からは色とりどりの目がかわるがわる覗き込んでは、大の大人が恥ずかしげもなく保身に走りまくる様子を興味深げに観察している。

「それに、何。湖畔で乱射してるとこを音を聞きつけた紅魔館の連中にホールドアップ取られた上に遺留品も没収されたって?」

「いやそれも妹紅……」

「トーカが悪いんです!」

「どっちも悪い!」

 どのような技がかけられたのか、またどれほどのエネルギーをぶつけられたのか不明だが、二人の体は今ひとたびの慧音の一喝と共に、天井近くまで放り上げられていた。

 慧音を怒らせてからというもの、藤花と妹紅は「正邪を追ったら自警団クビ&寺子屋出禁」を言い渡されてしまった。

二人も「正邪が高堂の用意したコルト持ってんですよ!無理ですよそんな」と抗議するも、その声は発言者ともどもあっけなく撃墜されてしまい、足枷として里内の風俗店の調査など命じられる始末。

 とはいえその程度でへこたれるような連中でもなく、妹紅の「なにも二人がかりで女衒調査することもないでしょ」という慧眼すぎる一言で調子を取り戻し、コイントスでどちらが里にとどまるかを決めようと言い出して現在に至る。

「よっしゃ、ほんならこれ」

 藤花が取り出したるは鈍く輝く「福」の字が刻まれた硬貨ひとつ。指先でつまんで裏と表を妹紅に示し、相手が確認している間に煙草へ点火して一息つけた。妹紅は妹紅でしばらく硬貨を矯めつ眇めつしていたが、サイコロと違ってイカサマのしようがない。オッケーと呟いて返還された硬貨を、藤花は親指で小気味よい音とともに跳ね上げ、手の甲で受けるとほぼ同時にパチンとそれを覆い隠す。

 そして無言で相手を見やり、賭ける対象をどちらにするかそれとなく促した。

「表。……福って書いてある方が表だよね。んじゃ表。あちょっと待った」

 結果を開帳しかけた藤花を制し、妹紅は煙草をつまんだ手をひらひらと動かして硬貨の動きをシュミレートすると、一つうなづいて再び藤花の伏せられた両手を指さす。

「やっぱり裏」

「じゃ、ウチが表やね」

 

   *

 

 居住区からやや遠く、と言えども貧民窟ほど足が遠のいていない微妙な距離。しかし行き交う人間の意味深な視線は、その町がどのようなものなのかを理解し、視線を注ぐべき場所を心得ている人間のそれであった。

成程その通りに面している店はどれも飲食店や床屋らしき屋号を掲げているが、業務形態に似つかわしくない間口や奥から聞こえてきそうな喧噪の不在は見る者に何かあると思わせるには十分である。それが証拠に、今ちょうどとおりすがった男性は窓から顔をのぞかせる女性と何事か言い交したのち、人目を忍ぶように戸口へと消えていったではないか。

「……どうやって調査しろっていうんだろ」

 外套に身を包み、目深帽子で髪を極力隠した女性が一人、往来に明らかに目立ちつつ立ち尽くしていた。

 物入れから取り出した紙片には、ある程度目星がつけられたと思しき店名が書き連ねられている。さすがに日中から娼妓とよろしくやれという指令ではなく、店側が甘く審査しがちな、検査等の必要性の低いいわゆる「のぞき」の店ばかりのようだ。

「……やるしかないか」

 意を決し、とある店舗に向かおうとする後姿を、Tシャツ姿といういかにもな外来人が目ざとく発見した。

「あっ、もこたんが風俗にインしたお!」

「うるさいな!」

 

   *

 

「……とはいえ、わかさぎはんも会うてくれるかな」

 高堂の足取りと正邪との銃撃戦を資料にまとめ、買い物に来ていた咲夜から遺留品の返還を取りつけた藤花は、森を突破すべく高黍屋に置きっぱなしになっている陸王をいじくっていた。

 湖の姫様に話を聞き、高堂と正邪の関係を突き止め一刻も早くアジトへ踏み込むことが当面の目標である。昨晩はそれを前進させる絶好の機会であったが取り逃がしてしまい、なんとか挽回したいところだ。単車でおおよその獣を振り切りつつ突破とはいささか心もとないが、やるしかないとキック一発、マシンの咆哮に頼もしさを取り戻しつつ急発進した藤花は、裏道で前方に飛び出した人影に慌てて停止せざるを得なかった。

「だァーもう!危ないやんかこのタコ!」

「タコじゃない!」「タコじゃありません!」

 眼前に立ちすくんでいるのは、ウェーブがかった濃茶の豊かな髪を揺らす女性と、彼女をかばうように前に立ちはだかる目に鮮やかな赤。

「あ、あんたは」

 藤花には見覚えがあった。あの気絶した夜。彼女の目の前で首を浮かべていた怪人赤憲兵マントその人である。

「今はかまっちゃいられない。失礼するわ」

 マントは鋭い目で藤花を一瞥し、裾を翻して去ろうとしたが、藤花は妹紅の言葉を思い出し慌てて陸王から飛び降り、道を急ぐ二人へ追いすがった。

「ま、待って!妹紅はんから、あんたたちの身内が高堂と正邪を見たって話を聞いて、探してるねん!ウチはともかく、妹紅はんに協力したってんか……!」

「え……」

 少女の声ながら表情に乏しかった光が灯った。目を見開き、藤花へ向き直ったのだ。

「今のところ、湖のわかさぎ姫はんの証言が手掛かりやねん。早いところ湖へ行って……」

「攫われたの」

「……は」

 今まで沈黙を守っていた長髪のドレスを着た方が口を開いた。

「早朝に、二人がかりでって……さっきチルノちゃんが知らせてくれて」

「ちょちょちょ、ちょっと待って!もうすぐ妹紅はんが戻ってくるから、一緒に行こか。その前に自己紹介しときたいんやけど」

 一刻を争うのは事実だが、訳もわからず散って探したところで網にはかかるまい。大慌てでどこかへ行こうとする二人を落ち着かせ、藤花はまず重要と思われる点を提案した。

「そ、それもそうだったわ……竹林の、今泉影狼と申します。こっちは赤蛮奇ちゃん」

「ウチはそこの煙草屋の藤花言うねん。妹紅はんとは、自警団で。わかさぎ姫はんを一緒に連れ去った高堂て男の足取りを追ってる」

「一緒はいいけど……足だけは引っ張らないでほしいわね」

 頭をかきつつ、次の行動を考えあぐねている藤花を一瞥し、赤蛮奇はあくまで言葉少なである。

 影狼の証言からすると、高堂が正邪に使われている、もしくはそそのかされていると見るのが自然だろう。高堂が本来持ち合わせている射撃の知識がどれほどかは未知数だが、銃撃戦に持ち込んだ方が不慣れな指揮官を置いている相手方を不利にさせる事が出来るだろう。

「それより、妹紅は本当に来るんだね?」

「竹の子ネットワークだますのに単車なんか乗れへんよ!」

「草の根だよ!馬鹿にしてるの!?」

 憤慨する赤蛮奇を尻目に、藤花は表通りの片隅にぽつねんと置かれた河童公衆電話を発見すると、飛び出して行ってかじりつく。とりあえず見回っているはずの店に恥を忍んで問い合わせるしかない。

「あッ小銭あらへん。公衆電話に金貨はちょっと……あ、そこのお札だらけのお嬢さん、そうあんた。小銭持ってへん?」

「何やってんのさ、藤花」

 道端にうずくまっている少女に苦笑しつつ声をかける藤花の視界、その隅に見覚えのある赤もんぺが映り込む。はっとして顔を上げると、妹紅その人が丁度見回りを終えたらしく、軽装に戻って歩いてきたところであった。

「妹紅はん!ええとこへ来た!今ここで二人と会うて……それより大変や、また正邪と高堂が現れて、姫はん連れ去ってしもうたって」

 藤花の言葉と、その後ろで憔悴しきっている赤蛮奇と影狼を見てある程度察したらしい。妹紅は一つ頷くと、高黍屋へ一旦あがれないか、と尋ねてきた。普段あまり人を近づけない我が家だが、この際仕方ないだろう。

「ていうか藤花。里にいるのも驚いたけど、貧乏神からお金借りようとしてる人初めて見たよ」

 二笑亭の一室で、卓袱台を囲んで奇妙な組み合わせの会議が始まっていた。細工なしの茶が湯気を立てて全員の前に配置され、家主たる上着を脱いだ藤花が座布団の上へ落ち着くとようやく一同の顔にも落ち着きが見え始める。

「とりあえず、名前と顔は分かった」

 藤花が手癖で煙草を取り出しかけて客人の顔を見て戻し、とりあえずといった体で頷く。

「高堂の根城が分からない段階でこれはまずいなぁ」

 妹紅は竹林住まいを同じくする影狼やネットワークに属する赤蛮奇については既知の関係であるし、藤花もまた然りだ。これ以上互いの素性を語る時間は必要あるまい。残る二人の視線は、人数分の湯呑みが隅を押さえている幻想郷の地図に注がれていた。

「犯人のプロフィールから行動を予測するしかないね、あいつの知識とか」

「銃火器については、腕はともかく素人よりは扱えるやろうね。厄介もんとして追い払われて、それを認められへん性格なら、向かってくる人間は敵として取り扱うやろうね。だからこそ、姫さんみたいな人間に害のないやつを攫えるんやろうし」

「そこから、何かわかります?」

 影狼が遠慮がちに地図の一角を押さえていた湯呑みを持ち上げ、口をつける前に藤花へ尋ねる。プロファイリングなど、ここにいるだれもが初めての試みだった。

「まあちょっとウチの専門に偏ってまうけど、元兵隊やないんやったら、外で撃ち合う為の設備をこしらえる知識は無いんやないかなって思うねん。野戦の方が得意とか言いながら、そいつ室内か市街地でしか銃抜いてへんのやろ?」

 そういって藤花は、無言のうちに妹紅に見解に対する意見を求める。妹紅もそれを知ってか、首肯してかつて高堂が凶行に及んだ箇所を点々と指差した。

「紅魔館から、居住区で、寺子屋で……とまあ山や森で獣を撃った以外は、基本的に建物のあるところだね」

「答えが見えないんだけど……」

 一連のやり取りに首を傾げたのは赤蛮奇だ。回りくどい方程式であっても、途中を省くと全員の認識に祖語をきたす恐れがある。藤花は言葉を選びつつも、先を急ぐ草の根妖怪ネットワークの要望に応えようと努力した。

「仮にあまんじゃくが協力したとしても、歩けない姫様を連れて動き回るには限界がある。野戦築城の知識の無いあいつが根城にするなら、湖の近く、紅魔館みたいな拠点から見えにくい、かつ往来の無いもしくは無くなって久しいところかもしれへんって事」

 藤花の発言は、出揃ったヒントの羅列に近い。全員が腕組みをして考える後ろで、豆腐屋のラッパが通り過ぎて行った。

 ドップラー効果を伴ったその音色が角を曲がっていったのか小さくなっていったとき、妹紅が顔をあげ、指を鳴らす。

「…………プリズムリバー邸!」

「でも、妖精達が黙ってないんじゃ…」

「何かと出ずっぱりな楽団の事だ、留守中に調べまわって手入れされてない一角を見つければ雨風は凌げる。あそこの立地なら、姫誘拐現場の目撃者がチルノだったのも、説明はつく」

「そうと決まったら、行くしかない」

 立ち上がった、のは妹紅と赤蛮奇だった。出遅れた影狼は、解答らしきものが出た今もなお腕組みしている藤花と規律した二人の顔を見比べておろおろしている。

「一気にいこうよ、藤花」

 決意に満ちた目で藤花と、既に玄関に向かい始めている赤蛮奇を見、妹紅が親指で出発を促す。しかし、藤花は数秒経って力なく首を振った。

「……高堂相手に一気は無理やって。確かに一刻を争うけど、暴れるだけのキチガイやのうてサイコパスの類やで。突っ込んで姫様になんかあったら」

「そうしてる間に逃げられたらどうするのさ!」

 玄関から顔だけ出して(もしかしたら本当の"顔だけ"だったかもしれない)声を張り上げた赤蛮奇の発言には、明確な怒りが込められていた。

「………藤花」

 それ以上の反論がなくなった藤花に、妹紅は静かに告げる。

「私も、これまで結構あんたに合わせてきたんだよ。今回は、竹林でのやり方を取らせてもらう」

 卓袱台の傍に留まっている側の答えを待たずして、二人分の足音が玄関をくぐり抜ける。

「近くに行ったら、あんたの頭で屋敷を偵察してほしい。その間、私は妖精を説得して応援…は無理でも、邪魔だけは入らないように話をつけておくよ」

「仕方ないね……やろう」

 

   *

 

「影狼はん、あんたは行かんでよかったん?」

 戦術を練りつつ湖へ足を進めた二人と対照的に、打って出るタイミングを逃した影狼の傍らで藤花は考えすぎて考えが足りなくなったのか遂に煙草を取り出し、燐寸を擦っていた。

「あのこ……何の抵抗もなしに連れて行かれたのが、どうも気にかかって」

 それを聞いて、紫煙を吐き出す藤花は二、三度瞬きをして、影狼を振り返る。

「そういえば、姫様は何か能力持ってるん」

「優しい性格だけど……水の中で不覚を取ることなんて無いと思って……高波くらいなら起こせるはずで」

「めっちゃ強いやん」

 正邪や高堂相手なら、波をぶつけて駆逐することが出来たのではないだろうか。昨晩は罠(というか釣り針)で自身に危険があったのかもしれないが、一度襲われて警戒していれば同じ轍を踏むこともなく……。

「同じ轍を踏まず……」

「え?」

 やおらに藤花は立ち上がり、壁の上着と拳銃を引っ掴んだ。

「人間なら始末してしまえばやけど、妖怪相手なら脅すなりなんなりして追っ手から遠ざけなあかんよね。まぁウチの推測やけど、人質ないしは人質がいるって脅しを受けたんやないかな。それなら心優しい姫様も無茶はできへんやろ」

「それじゃ…!」

「妹紅はんらは屋敷から調べ始めるやろうね。やから、ウチらは周辺に潜伏してるだろう正邪を追うで!」

 

   *

 

 如何なるカラクリで高堂が見張っているかも分からない。妹紅と赤蛮奇という赤々しい先発隊は、湖の遥か手前で各々の移動を徒歩へと切り替え、傾く太陽の下を急いでいた。

 妹紅の説得にチルノはすんなりと応じてくれ、むしろ「あの厄介者をさっさと連れてってよね」とくぎを刺される始末であった。援護についても彼女の脳裏をよぎったが、わかさぎ姫という人質がいる以上、妖精対人間という無用な確執を生みかねない派手な応援要請は避けたほうがよいと判断した。

 湖畔と草むらの境を、身を低くし進んでいると先んじて屋敷の捜索に赴いていた赤蛮奇と合流することが出来た。

「どうだった?里で買った双眼鏡も役に立ったでしょう」

「……頭だけでどうやって持てって言うの」

「…………オッケーおっけー、先を急ごう」

 



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紅の自警団⑩

 妹紅、赤蛮奇が先に出撃した以上、追加で正面切って高堂と撃ち合っても正邪や人質を移されてしまう危険が伴う。仲間割れとも見える状況だったが、ここは別働隊として正邪を最優先目標として妹紅たちと正反対の方角から攻め込めば逮捕はかなわずとも懸案の人質奪還は成る。

影狼の耳と鼻に期待しつつ、藤花も一路霧の湖へと陸王を走らせていた。

頬を撫でる不穏な湿気を帯びた空気が和らぎ、濃緑のお化けの影がうっすらとかかる白い霧に取って代わる頃、藤花は排気音をまき散らす単車をしばし休める事に決め、影狼と共に湖畔と伝って廃洋館を目指す。

 だがその進撃は、しばし歩いた先で不意に押しとどめられた。

 その理由は、岸部に立ち尽くす藤花たちの眼前、中空に浮かんで威圧する小柄な妖精にあった。

「えーと、そこんとこ何とかならへんかなあ」

「あたいとしてもね、縄張りとメンツってもんがあるんだから、単なる関所ごっこじゃないって肝に銘じてよね!」

 あくまでもチルノはほいほいと通行許可を出す事を良しとしたくないらしい。こうなるくらいなら妹紅達と一緒に出発して道中作戦を練ればよかったと悔やむが後の祭りである。きょろきょろと周囲を警戒している影狼の前で、藤花が目を見開いた。

「あッ、ああー!!」

「えっ、何よ」

 藤花がだだっぴろい湖の中空を指差し、驚愕の表情を浮かべる。二十一世紀あたりなら誰も引っかかりなさそうな悪戯の類にしか見えず、一般的に馬鹿にされるチルノも流石にこの時は腰だめにした手もそのままに二人を睥睨して動かない。

「ちょっと、馬鹿にするやつをほっとくのも考えもんだなー。あれ別に本気でやってたんじゃなくて、こっちが襲って相手は怪我せずに逃げるって構図を守るためにやってただけだからね」

「え、まじ?……じゃなかった、ちゃうよ!大の大人を見くびらんといてんか!あれや!」

 一瞬目を丸くした藤花だったが、すぐに真剣な表情を取り戻し、チルノにも注視を促す。

「あれ、もしかして霊夢はんの言ってた、そこいらの妖怪でも手におえないっていう……」

 突然霊夢の名前を出し、里で噂の凶暴な怪異か何かを発見したと主張し始めた。影狼に同意を求めたいらしく、しきりに振り返っては……ウインクした。

「……そ、そうね!意外と大きいんだ……」

「え、え、うそ」

 事態を察した影狼の発言を受け、チルノも思わず湖に目を凝らし始めた。

「あそこあそこ、あの鳥みたいな影!案外ユーモラスな顔つきしとるね」

「動いてるところ初めて見た……逆立ちして移動するのね」

「ちょっと、どこよ」

 二人が逃亡を図るでもなくその未確認生物に見とれている事を確認したチルノは、片手を双眸の上にかざして遠くを見透かそうと努力する。が、その発言通りの特徴を備えた生物が見えるはずもなく、ただ静かな水面が霧の奥に消えていくばかりである。

「あれの情報って、何だったかしらん」

「あれや……そう、氷に弱い!!!」

「えっ」

 決断的速度で傍らのチルノを振り返り、頼もしそうな眼を輝かせて暗に攻撃をかけさせようとする藤花。しかし未だその生物を視認できないチルノは首を動かして湖面の観察に夢中である。

「行けェチルノはん!写真撮って天狗に送れば、明日の一面はいただきやでぇ!」

「大丈夫!近づけばチルノちゃんにも、たぶん見える!」

「しょッ、しょうがないわね!あたいの勇姿かっこよく撮りなさいよ!」

 猛スピードで遠ざかっていくチルノ。やがて白いベールの向こうに包まれて影すらも見えなくなった。

「た、単純な子」

「言えたな」

 嗚呼、いつの間にか歩き慣れたはずの湖ですらこんな発見があるのかと思わぬところで力を消費し、やや肩を落とした藤花を筆頭に、遊撃隊は霧の奥へと身を翻した。

 

   *

 

「静かだな……」

 廃墟というものは通常、静かなものであったが、ここ幻想郷では外の常識は通用しない。住み着いているであろう妖精の類は総出でどこかへ行っているのか、話し声ひとつ響いてこなかった。

 崩れ落ち、苔むした塀の影から妹紅はしきりに内部の観察を試みたが、日没の迫る薄暗さでは人影を見止める事はできない。意を決した彼女は赤蛮奇に脱出するような人物があればすぐに知らせるよう願うと、奇怪なセンサーの類が仕掛けられていないか確認し、颯の如く中庭へと駆け込むと少ない時間の中で足音を立てない最短の経路を選び出し、ぽっかりと口をあけた窓にたどり着くとそのまま内部へと躍り込んだ。

 霧の中と違い、却って館内の方が音がよく響いた。火を灯そうかとも思ったが、高堂は赤外線スコープなども繰り出していたのを思い出し、自身のほかにむやみに熱源を作り出すのは得策ではないと心得た。

「…………」

 風だろうか。聞こえた気がした。

 一階の探索を続けるか、それとも二階か地下を探るべきかと選択に迷っていると、行く手の廊下の闇から、埃と黴で柔らかさを失った絨毯の上を転がるように、しかし音もなく何かが進んできた。

「――――ッ!!」

(ご、ごめん)

(吃驚するじゃないか。まぁいいや。人質見っかった?)

(それかどうかはわからないけど、二階に人の気配があるね)

(妖精じゃなくて)

(声がした……たぶん、正邪かも)

 妹紅は生唾を飲み込んだ。ビンゴ。しかし部屋の中でインペリシャブるのは人質に被害が出かねない。ルール外と敬遠してきたが、この時ばかりは肩から提がる重みに頼らざるを得ないだろう。

 妹紅は足音を忍ばせ、二階への経路を選択した。

 

   *

 

 正邪は、不機嫌であった。

 彼女の眼前には、高堂の仕留めた鹿らしき獣を解体した肉が散乱している。最近ようやく血抜きや関節の解体を覚えたという程度のサバイバル知識で山暮らしを提案してきたのだから、先を見通す能力は甚だ低いというほかない。

逃亡生活の大先輩として何かと説教、そして高慢な高堂の土性骨をへし折って彼が機嫌を損ねる様子を腹の底でせせら笑っていたが、食糧の問題が持ち上がってからはそうも言っていられなくなった。そこへ来て後ろで縛り水槽に放り込んでいる目撃者を出す事態に至り、ようやく正邪も高堂を身辺警護の代用から逃亡生活の一員として格上げし何かと教え込むという異例の対応を取る決断を下したのだ。

近頃入手した「おもしろいもの」を与えてみたところ、口数が減って以前ほど彼を玩具として扱えなくなったのは不満であったが、使い物になりはじめた出来栄えに一応の満足はしている。あとはこの目撃者をどう始末をつけるかだが。

「煙草が切れてるじゃんか……おぉい、とっちゃんぼうや、地下室行って予備を取ってきな」

 奇妙な仲間内での地位を改めたからと言って彼への口調は変わらない。命じられた高堂は、一息入れたとも鼻で笑ったとも取れない返事のようなものを一つつき、戸口へ向かった。はずだった。

 彼の不遜な態度のにじみ出る後姿を半笑いで見送った正邪だったが、彼が出て行ってすぐに後ずさって戻ってくるのを見ると、怪訝な表情を浮かべた。

「ご一統様、お迎えの時間だよ。……姫様、どこへやった」

 戸口で用心深く身を寄せつつ、妹紅がこちらへ銃口を向けていたのだ。

 妹紅が正邪とその周囲を確かめようとした一瞬、高堂が身を躍らせて物陰の小銃に飛びついた。妹紅の銃口が爆ぜる。

「……ッチィ!おい姫さん、こっち来な……来るんだよ!」

 猿ぐつわをかまされ、嫌がる姫を無理やりに袋へ押し込め、乱暴に引きずりながら鉄火場からの脱出を図った。

「正邪ッ!」

 裏口から森へ逃げ込もうとした彼女を出迎えたのは、包み隠してくれる夕闇のみではなく、春の暮れの空気を切り裂く発砲炎と彼女への一喝であった。

   *

 

 正邪は、あくまでも冷静に拳銃を抜き放ち発砲してきた。構造が万全な建造物なら抑え込む算もあったが、崩れかけた邸宅の状態がそれを許さず、彼女は袋を乱暴に引きずったまま逃走を継続する。袋から漏れ聞こえる悲鳴が何とも痛ましく、藤花は発砲を控えつつ次の手を考えていた。

高堂への意趣返しも尤もだが、まずは人質を安全に救出する事を第一としたい。姫様の口から高堂と一緒にいるのは確かに正邪だと証言してもらえれば、単なるヒト間の逮捕劇ではなくなる。更なる妖怪や、霊夢をはじめとする手練れの連中を呼び寄せることもかなうはずだ。

 屋敷の上階からは、小銃の散発的な銃声が響いている。妹紅の拳銃では高堂を抑え込むのは難しいだろう。

移動しつつある銃声は、高堂が着実に屋敷から脱出するように動いていた。正邪を押さえる前に、妹紅の無事だけでも確認しておかなければならないだろう。

影狼に拳銃を渡して一旦屋敷へ戻ろうか、そう考えた矢先に窓の一つが轟音を立てて吹き飛んだ。思わず影狼を庇い、瓦礫の影に身を伏せる。

崩れかけの窓辺から吹き飛ばされた破片は大した量ではなかったが、結果的に正しい判断であった。顔でものぞかせていたら、直後飛び降りてきた高堂の発砲の方で怪我をしていただろう。

「高堂ッ!」

 正邪を追ってか飛び降りた後もなお逃走を続ける高堂が振り向きざまに発砲し、屋敷のほったらかしにされた庭園のそこここで弾着の土埃が上がる。

「あんたたち、大丈夫かい」

「妹紅はん!無事やったんやね」

「やられるわけないでしょ。運がいいんだから。……あいつらは」

 藤花は遠ざかる草をかき分ける音のする方角を指さす。正邪が連れを待つ性格とも思えないが、おそらく別の逃亡先を用意していたに違いない。

「………追おう!」

 

   *

 

 森の中は最早暗闇も同然だった。妹紅は高堂の尻尾を掴んだらしく、それに対して彼も発砲するので追いかけっこはまだ続くだろう。藤花が気がかりだったのは、巨大な袋を引きずる正邪がどうやって逃げたかだ。同じ道なら荷物のある分、追いつかれて銃撃戦に加わるのがおちだろう。だが人質を連れてそんなリスクを、藤花なら負わない。妹紅へ、すぐに追いつくからと言ってしゃがみこんだ彼女は、ほたる燈を取り出して地面を調べ始めた。

 痕跡はすぐに見つかった。乾いた落ち葉の中で何枚かが湿った面を上にして散らばっていた。調べれば、獣道とおぼしきひとつにぶち当たる。先ほど妹紅達が駆け馳せていった経路とは明らかに異なる。正邪がこちらを選んだとみて間違いないだろう。

 灯台下暗し、森の中に開けた場所があり、そこの岩陰に身を寄せる影を見止めたのだ。

巨大な岩は、元は一体なんであったのだろうか、朽ち果てた注連縄らしきものが頂にあしらわれており、古くは信仰の対象であったのだろうと想像させた。しかし詣る人もおらず、その縄だってもしかしたらかけていたのは外界の人間かもしれない。今はその傍らに腰を下ろしている二つの影が寄り添うばかりだ。人影を煌めかせて光っているのは霊的な何かかと一瞬身構えるも、すぐに背後にある池なのだと気付く。水源もあるなら、なるほど獣の問題を除けば身を寄せるのに十分だ。

月明かりに浮かび上がる広場の情景は何とも言えず絵画的に見えたが、いるのは容疑者と人質である。

「やーい、うりこの姫子、遊んでーや」

「あァッ!?」

 明るい広場に出れば夜の森の中は見通せまい。藤花は少しずつ場所を変えながら、声色を変えて不可思議な呼びかけを繰り返した。

「どこだァ!出てこい!」

 二、三度繰り返したあたりで正邪が痺れを切らせて拳銃を抜いた。

「否定せえへん所を見ると、瓜子姫の話はほんまやったんかな、正邪」

「なに……」

 広場の周囲を回りつつ、藤花は出来るだけ自信たっぷりに聞こえるよう努める。

「今すぐ人質解放しぃや。さもないと、あんたの可愛らしい過去が小鈴嬢の絵入りで里のちびっ子たちに無償配布されるで」

「……なンの事を言ってるのかねぇ。私らがそんなので言うこと聞くと思ったら」

「小町はんにも聞いたで、瓜子姫、今じゃ獄卒でせっせと働いてるらしいやん。あんたが来るのを首を長くして待っとるらしいわ」

 正邪の声色から感情が消えた。怒っているのか、藤花はそう判断して自分の言に自分で笑って見せた。さぞ結末が楽しみだという子供のように。その間、肩からM586を抜き出し、シリンダーをそっと出して残弾を確かめる。万が一の為だ。

「絵本の結末はお子達向けにマイルドにしてあるねん。まぁ、その分あんたが逃げてくオチが可愛らしゅうなっとるけどね。もしかしたら、里の人気者になれるかもやで」

「う、うるさい!」

 正邪の反応が予想以上のものであったことに、藤花はいささか驚きを禁じ得なかった。正邪としても、子供に人気なんていうキャラクターは断じて承服しかねるのだろう。ちなみに瓜子姫が死後獄卒になってるというのはハッタリである。

「頭下げて差し出せなんて事は言わんといてあげるわ。立ち去って人魚姫が取り戻せたらウチはそれ以上は追わへんよ。どない?」

「……覚えてろ!」

 正邪が駆け出した。これ以上人質を抱え込んでリスクしか増えない状況に嫌気がさしたのかもしれない。藤花としては万々歳だったが、あまりに森の中をぐるぐる回って声を出していたので、藤花の位置を掴みかねた正邪がこちらに向かって走り始めた時は流石に驚いた。

 予想外の展開だったが、意を決し、木の後ろから回り込んで正邪を背後から抱きすくめた。

「てめェ!卑怯だぞ!」

「卑怯はあんたの専売特許やろ!こっち来る方が悪い!……捕まえたいわけやないから、話聞いてくれへんかな。これはここだけの話やけど、ウチはここ、幻想郷から逃げ出したいねん。あんたが下剋上とやらを真剣に考えて何かしら案があるんやったら、ウチは喜んで協力するで」

「あ、あん?」

 もがく正邪の動きが一瞬止まった。その隙に腰に差されたガバメントのグリップをしっかりと握りしめ、拘束が解かれても武装解除する用意は出来ている。

 とはいえ正邪はあまり信頼できる相手ではない以上、そこまでの期待は寄せていない。

「ま、考えといて。その証拠に、言うた通りこれ以上あんたの事は追わへんよ」

 幻想郷の住人として、自警団の一翼を担う人間としては信じられない対応だったが、藤花も同じ不穏分子なので表向きの刑事役として人質と高堂だけ対応出来るだけでも十分であった。

 正邪が藤花の戒めを振り払い、警戒に満ちた目で後ずさっていくのを彼女は無言で見送った。五メートルも離れると藤花も向き直り、袋詰めにされた姫様を解放する為の作業へと移行した。

「しっかりして!」

 袋をずらすと、ぐったりした姫様が現れた。幸い、外傷の類は見受けられない。

 人質を取り返したならあとはこっちのものだ。ハッタリが効いていれば正邪もこれ以上高堂とつるんだりすることもあるまい。拠点を失った子供など、火力があってもいつかは息切れする。

「…………」

「あ……ッ」

 迂闊だった。数メートル先に高堂が立っている。黒いBDUに身を包み、編上靴のビブラムソールで夜露に濡れた草を踏みしめ、立っている。小銃は弾切れか、森の中では不利と踏んだのか、今は藤花の知らない機関短銃へ持ち替えていた。

 その時だった。

「……ッッ今だァ!やれ!」

「ッ……正邪!!貴様……」

 敵はどこまでも卑怯で、拙速を尊び、そして往生際が悪かった。足音を忍ばせて正邪まで戻ってきていた。作戦の成就に浮かれていた藤花の完全な落ち度だ。

 慌てて姫様を池の際へ転がす時間が仇となった。

 正邪に羽交い絞めにされ、もがく藤花を、同士討ちを避けようとする高堂は革柄のナイフで一突きにした。

 



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紅の自警団⑪

 相手は妖怪でも妖精でもない、同じ人間だ。しかし、腹の刺された点の熱さと、そこから触手を伸ばすぞっとするような冷たさは何だ。かすり傷や命に関わらない負傷ならいくらでも経験がある。何なら服を脱いだ時にそこここに残る傷痕にまつわる話をしていけば一晩では済むまい。

 だが、悔しいかな現在の藤花は逸話どころか言語を理解し発する事も困難な状況にあり、頭の中身がぽっかりと血肉とも消え失せたような感覚の中で眼球を操作する事もかなわず、ともすればガクリと落ちそうになる頭を支えるだけで精一杯だった。これが心の臓を刺されたであればとっくに意識を失い、命も消え失せていただろう。

 高堂、どこまでも中途半端なやつ。

 練度の低い兵隊は、無意識に抵抗を感じてとどめとなる攻撃を避ける傾向にある。そんな事を教わったのはどこだっただろう。自分の方が練度が上だったとしても、刺されたら元も子もないではないか。如何に優秀な兵隊であっても、死んだら終わりだ。

 やがて藤花の意識は、流水へ浸された染みのように輪郭がぼやけ、温度を失っていく。

 いかにも死ぬ瞬間らしい感覚だ。

 命の温かさを喪い、呼吸が止まる。

 かつて戦地で共に戦い、死んでいった戦友達にも同じような瞬間があったに違いない。

 では、あの揺れる光から浮かび上がってくるのが走馬灯のような…というあれだろうか。

 だが、藤花の思索はそこで遮られた。今際の闇の奥から浮かび上がってきたのは、自分の半生でも死神でもなく、わかさぎ姫の穏やかな笑みであった。

 

   *

 

 時間を少し遡る。

 凶刃が藤花へと突き立てられ、正邪の勝利を確信した嘲笑を高らかに幻想郷の夜空へ打ち上げた刹那、抵抗する力を失った藤花に組み付く二人は、しなやかな、それでいて確かな質量を持った物体が地面を叩く音を耳にした。弾着などではない。予想外の雑音に、思わず殺人未遂の下手人達は周囲を見回す。

誰かが背後に立っていたわけではない。

直後、地面の次は水面の動揺を想起させる物音。見れば確かに傍らの池は明鏡止水を破り、映り込む月を歪に変形させていた。それが運のツキ。

手練れの幻想郷住人であれば、人質の脱出に気付いただろう。

だが二人はそれが一歩遅れた。辛うじて、正邪だけが人質の能力が何であったのかまでを思い出すに至る。しかし、対応策を考えあぐねている間に、文字通り水を得た姫が再び自ら跳躍し、己が尾でしたたかに凶器を持った手を打ち据え、飛沫に驚いて飛びのいた正邪から離れた藤花の体躯を抱えると再び地面を打って池へと飛び込んでいたのだ。

「やろ………てめェ!」

 地団太を踏んでいた正邪が高堂の銃を奪い取り乱射するが、水棲の姫の一瞬の威容を留めるものは何もなく、ただ揺れ続ける月と霧雨めいて降り注ぐ弾着の水飛沫が舞い踊るばかりであった。

 

   *

 

 浮遊霊めいて自身の生死が曖昧な藤花は、突如として現れた姫の顔が意味するものを掴みかねていた。

 従って姫の手が彼女の顔を保持し、暗がりの中でも髪の房が見て取れる距離に互いが近づいても、もしかして食われるのだろうか、嫌だなぁとか人質って腹減るもんなとか、突拍子もない事を脳裏でつむぐ事しか出来ない。

 そういえば人間の目は水中で焦点が合わないはずなのに、どうして姫を識別できるのだろう。

 その時、姫はすこし顔を傾げると藤花と唇を重ねた。

「…………!!」

 水底で藤花の目が見開かれる。遠慮がちな舌が藤花の歯列を撫ぜ、慣性と驚きとで僅かに開かれた口へ新鮮な空気が送り込まれる。それと同時に、助けを受けた意識が日常のサイクルを取り戻し、それにつれて視界も戻ってきた。

 しばしの接吻を解き、悪戯っぽくバブルリングを作って微笑む姫に抱かれ、藤花は水面ではなく暗闇の底へと連れられていく。

 彼女の命を繋ぎ止めた接吻は、涙の味がする。人魚の涙、その鉱物にも似た口に広がる残り香は、藤花にとってこれまで得た何ものよりも価値のあるものであった。

 

   *

 

「……………ここは」

 さっきよりも生の実感を抱きつつ、藤花は硬い地面から身を起こした。しかし、何も見えない。見回せども一向に周囲が見えてこないのはどういうことか。

「ご気分はいかがですか?」

 暗闇が話しかけてきて飛び上がらんばかりに驚いた。

「最悪やわ……」

「ご無理もありません」

 ようやく、ここへきて洞窟か何かにいて、声の主は人質に取られていたわかさぎ姫なのだと認識した。寒いやら暗いやらでもじもじする藤花を、姫はもうじきに目が慣れると伝える。

「弱いですが、光る石があちこちにありますから、目もそのうち慣れてくるはず……でも、怪我をしていますから、すぐに送りますよ」

 そうなのだ、腹部には深さは分からないが刃物が…。

「あれ……」

 ここでもし「あの時もらった硬貨が」というような形で無傷であればどれだけ劇的だっただろう。藤花の国民服は下腹部が裂かれ、水で洗われたもののなにやらぬるぬるしていた。

 傷口には触らぬよう、服の裂け目を指でたどっていくと、腰の物入れに当たった。ここには煙草入れを納めていたはずだ。

「刃が滑ったんか……」

 思わず足を上げたのだろう。高堂の刃は金属の煙草入れに当たり、滑って結局彼女の体を切り裂いたらしい。こっけいな話だが、臓器に達する傷ではなかったので文字通り怪我の功名といったところか。しかし切り傷の範囲は広く、放っておけば失血で意識を失うのはそう遠くないだろう。かといって代用血液になりそうなものも真水の幻想郷では望めまい。

「少しの辛抱です、頑張って下さい」

「おおきに……これ」

「?」

 藤花は煙草入れを暗闇で開き、中をまさぐった。貴重な煙草が水に濡れてくしゃりと中身を指にまとわりつかせる。

 最終的に彼女が取出し、手探りで姫に持たせたのは石ころだった。

「綺麗なもんやないけどね……満洲の石やで」

「まんしゅう?」

「ここに来るまでに……ウチがおったところ。その石は、もし死んだら身代わりに内地に帰るはずやったんよ。命の恩人に託すには、もってこいやね」

 自己満足やけど、といって藤花は力なく笑う。姫も、しめやかに微笑んだのだろう。その返答には、くすぐるような響きがあった。

「何を貰ったかじゃないですよ、誰から貰ったかが大事なんです。命の恩人に分身を授かるなんて、この上ない贈り物じゃないですか。忘れませんよ」

 忘れない。その単語の響きで、藤花が涙を溢れさせるほどに魂が救われた事に姫は気づいていなかった。

 




洞窟で光ってるのは、昭和二十年代の冒険小説に登場したハイギョの体内に生成されるという架空の宝石「ザウエル」ですね。個人的に気に入って登場させてみました。
姫も水辺だけではなく水中の世界にも通じてると思ったので……


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紅の自警団⑫

 冷却された体で代謝が落ち、傷口を押さえる程度で意識が保てているのは奇跡に近い。姫に手を引かれて再び水の世界へ身を投じた藤花だったが、去る直前にようやく自分がどのような世界にいたのかを僅かながら視認できた。

 姫いわく地底湖に滞留した空気と、ぽっかり突き出た岩に乗っていたようだが、プラネタリウムめいてところどころに自身で光を放つ鉱石が点々と埋まっていた。おそらくほとんどの人間が知ることのない謎の鉱石だろう。西洋の書物に言う肺魚の体内でのみ生成される幻の宝石について想起させるに十分な光景といえたが、鉱物に関する知識を持ち合わせてここへ潜り込んだなら涙を流すような感動とは別物になっていたに違いない。

「岩に漱ぐ仙人……でもないか」

 大きく息を吸い、力の抜けかけた腕で必死に姫の小さな背中に命を託しながら、藤花は地底の隠れ家を脱した。

「すぐに上へ出ます。このあたりの水脈は、私にっとて散歩道みたいなものですから」

 

   *

 

 時折息継ぎを挟みながら、藤花は再び空気に満たされた世界へと帰還した。冷たい流水の中で体力は限界を通り越していたが、それでも手を離さず今でも呼吸を続けていられるのは、生への執着ただ一点に尽きる。

死線をかいくぐり、地下水脈を人魚の助けを借りて突破するなど本郷義昭でも体験したことはあるまい。藤花は小説を超越していた。

「ここ……どこ」

 意識があるとはいえ、既に彼女は周囲を観察し視覚情報を分析する能力すら発揮できない状態である。こんな彼女を、姫は水のある範囲のどこへ連れて行こうというのか。

 岸部へ近づく二つの頭に、向こうからぺたぺたと足音が近づいてきて、水際で止まる。

 姫が不安げに顔を上げた。

「ちょっと、ここは私有地ですよー。用も無しに、表じゃなくて地下水道から潜り込もうなんて事するのは大泥棒くらいってどんな教育受けたのさ……ってあれ、藤花!?」

 水中の顔を認識した途端、両手を腰だめにして睥睨している姿勢を崩し大慌てで飛び込んできたのは紅魔館門番、紅美鈴その人であった。

 

   *

 

「貴女なんてもの拾ってきたのよ」

「だって、怪我してるし……顔も知ってる人じゃないですか」

「それはそうだけども……」

 夜遅くに、身内のはずの美鈴が玄関で開けてくれと騒いでいたので怪訝な顔をして開けてみれば濡れ鼠でぐったりした煙草屋を担ぎ込んできたのだから、咲夜の機嫌は悪かった。

「ほっとけば空腹の人魚あたりが食べてくれたかもしれないのに」

「しれーっとひどい事言わないで下さいよ……その姫さんが連れてきたんですよ、何でも腹を刺されたとか。せめて応急処置と輸血だけでも」

「分かったわ……その代りお嬢様の説得は手伝いませんから」

「あら、美鈴たら新しい輸血袋でも手に入れたの?」

 扱いで意見がまさかの二分している紅魔館使用人二人の背後から、意地の悪い質問を投げかけてきたのは、主たるレミリアであった。

普段やかましい藤花が沈黙しているので、彼女の足音だけが夜半の玄関広間に霧散して一瞬で消える。

「彼女は多分O型ですね……汎用性の高い輸血袋です」

「美鈴、"ハイオク血液"って入れといて」

「お二人ともこないだ観た映画に影響されすぎです!」

 一刻を争う事態なのに世紀末アトモスフィアを堪能し始めた主と上司を目にし、美鈴が敢然と抗議した。レミリアは腕組みしたままからからと笑う。

「冗談よ。時間を無駄にした分は、夢抜き前の五袋使っていいとパチェに伝えて補いなさい。それで彼女との貸し借りもチャラよ」

「お嬢様……!」

 迅速かつ寛大な対応を許す主に、従者と門番が感動のまなざしを向ける。ちなみに貸し借りとはミサイルの一件だろう。

一度顔を合わせているからこそ助けを許すが、一方で深入りはさせないというお嬢様の意思を汲み、咲夜は早々に倒れ伏したままの藤花を玄関から遠ざけた。

運び込まれたのは、彼女が未だ目にした事のない紅魔館が誇る大図書館の一角であった。

 

   *

 

 渦中の藤花の意識は湖で顔を出した前後から混濁状態にあり、レミリアのおふざけや美鈴の奮闘など知る由もなかった。したがって、見覚えのない寝台で燭台の暖色の灯りに包まれて目覚めた時も、「YES」と書かれた枕を片手に首を傾げるばかりで、あたかも記憶喪失の患者めいてその様子は生まれたての四足歩行動物めいていた。

「良かった、無事目覚めたのね」

 幽かな声にまたしても首を回してみるが、部屋のどこから話しかけているのか分からない。それも、寝台の際まで山積された雑多な古物によって、どこまでが部屋かすら分からないのだ。

丸まった羊皮紙、煤けて何が入っているのかわからない標本箱、真鍮製と思しき古びた計測器材、そして何よりも多くの本が、紙の、革の、木の表紙を無造作に寄せ合いながら積み上げられ視界をそこここで遮っている。

幸いにして地下水脈をたどりどこかへ運ばれるところだったまでは脳が記憶していた。てっきり永遠亭のような医療機関へ行くものとばかり思っていたが、見回せば見回すほど治療というよりも探求の為の部屋に思えてくる。もしかして解剖学者しか手すきがいなかったのだろうか。

「……………どこ?」

「ここが?それとも私が?」

 ひとつの疑問については答えが出てきた。視界で唯一、見覚えのある本棚という物体の前に残されたわずかな空間に、ゴロゴロと音を立ててライブラリーラダーが滑ってきた。声の主はその上によりかかっている。

「ここは紅魔館の大図書館よ。確かここまで入ってくるのは初めてだったかしら」

 

藤花の記憶にある、紅魔館の玄関や会食をした広間のような薄く引き伸ばされたような空気と違う、確固たる存在感を持った静かな空気、もとい静かにしていなければ埃が舞うと鼻が認識するような空気だった。同じ館なのに、空気や時間の流れがそれと違って感じられる。

「初めまして、パチュリー・ノーレッジよ。近しい人はパチェと呼ぶけど」

「……藤花です」

ラダーを降りてくるにつれ、パチュリーと名乗った少女の風体が徐々に蝋燭の灯りに近づき、浮かび上がってくる。ここではナイトキャップが流行中なのだろうか。豊かな髪と痩せた肢体は、まさに「知識(ノレッジ)」を体現するかのような組み合わせに感じられた。

「ウチは確か怪我をしてたはずやけど……図書館?そういえば傷は……」

 下腹部の痛みが消えていることに気づき、そこで藤花は初めて自分が一糸まとわぬ姿になっていることに気付いた。

「ひ、ひええ」

「濡れた上に切り裂かれていたもの。そのまま横たえたんじゃまるで違う儀式みたいになっちゃうでしょう」

 パチュリーのもっともな指摘に、藤花はただ赤面して頷くしかない。

「魔法を学びたいとか魔法の恩恵にあずかりたいといって訪ねてくる人は時々いるけど、寝ている間の貴女は一番面白かったわ。……日本人だけどロシヤの言葉を話したりして。熱河作戦の戦況について気にしていたけれど、軍人さんかしら」

 ラダーの一番下に腰掛け、傍らの本の塔に放置されていたカップを手に取ったパチュリーは、身振り手振りで藤花の寝相をまねて見せる。それとなく飛び出した、熱河作戦などの単語を理解されているという事は、若干ではあるが藤花を焦らせた。

「パチュリーはん……何者?軍神か何か」

「別に、それ専門とは言っていないわよ……トマトスープをすすっているからと言って菜食主義者とは限らないようにね。御所望とあれば、タティスカンナの対抗呪文詠唱体系でも、ティトシー・ハキックマーの薬草学についても話せるけれど、どう?それとも外来人の方はオスマントルコの税収政策の方がお好み?」

「…………遠慮しときます」

 成る程、事件現場に近く、必要な知識も持ち合わせた人材がいるという理由で紅魔館へ運び込まれたようだ。意外な再会ではあったが、知らない一面も見る事が出来た。

「ちょっとおしゃべりが過ぎたわ……貴女にしたのは手術ではなくて魔法の施術ね。傷は消えても、体は回復の最中だから、今夜は眠りなさい。館内に小悪魔の子がいるから、何かあれば呼んで頂戴」

「おおきに……」

「お礼なら、美鈴に」

 そう言ってパチュリーはいくつかある燭台のひとつを手に取り、静かに寝台のもとを離れていった。

 




パチュリーが口にする著者の名前は架空のものでして、皆さんがPCでこれを読んでいれば目の前に答えがあります。
と思ったら同じ発想でHNをつけている人がネット上にもいて、なかなか自分オンリーの発想というものはないなあと痛感しました。


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紅の自警団⑬

 多くの人間がそうであるように、藤花もまた夜中の図書館を逗留先に選んだ事など今まで無かった。

 去り際のパチュリーに説明を求めたが、藤花に施されたのは回復の魔法の一種らしく、なるほど腹の傷は塞がっており、大人しくしていれば痕も明日には消えるだろうと言う。

 その影響かは分からないが、彼女は全く眠くなかった。そして周囲には興味深い書物が山と積まれている。しかし、着るものが取られてしまっている現在、全裸で図書館を徘徊するわけにもいくまい。吸血鬼の恐ろしいものが隠れていないとも限らない。そういえば、こあが図書館のどこかにいると言っていた。厠へ立ちたい時など呼ぶ必要が出てくるし、ちょっと呼んでみようか。

「ん」

 どこかで物音がした。図書館がどんな状態でどこまで続いているか分からないが、寝台の周囲を見る限りどこかで本でも崩れたのだろう。結論を急ぐのは解答を知りたくない心理の裏返しでもある。流石に門番まで置かれている館の貴重な蔵書の中に外部の妖怪が徘徊しているとは思えないが、物音を聞いて、こあが来るかもしれない。それが証拠に、物音がした方向から板張りを叩く靴底の音が連続して響いてきた。

「こあちゃん?」

 足音が止まった。

 藤花の脳裏に、いくつもの疑問符が浮かんだ。パチュリーが言伝を忘れたのだろうか。だとしても面識のある彼女が藤花の声を聴いて立ち止まるような事はあるまい。仮に意外だったとしても、一拍置いて返事の一つくらい…。

 足音が、さっきよりもゆっくりと再開した。

 返事くらいしてくれ。

 館の警備体制を信頼して確認するべきなのかもしれない。が、恐怖小説で最初に死ぬ人間はだいたいそういう奴だと藤花は心得ていた。寝台で布団の端を握りしめている彼女のもとへ、足音は着実に接近しつつあった。

 いくら未知の土地とはいえ一介の情報員が妖怪に後手に回り続けるのも面白くない。折り紙一つあれば人は殺せる。何か武器になるものを取って物陰から奇襲するしかないだろう。鈍器か、鋭利なもの……そう思って周囲を見回した時、視界に煌煌と灯る燭台が入った。

 肝心の灯りを消し忘れていた事に藤花が息を呑んだのと、燭台へ移る視線の隅に何かが映り込んだのはほぼ同時であった。

「わっ………ぷ!」

 寝台から飛び上がろうとする藤花に、人影が風のように走り寄り、手で口を塞がれてしまう。が、何かに気付いた彼女はそれ以上抵抗するような真似はしなかった。

「んんん!」

 目を丸くする藤花の眼前で、人差し指を立てて沈黙を要求しているのは、魔理沙だったのだ。

「ちょっと、図書館ではお静かに、ってね」

「……な、何してるん、こんな時間に」

「図書館なんだから、本を借りに来たにきまってるじゃん」

「それもそっか」

 だろー、と囁いて魔理沙は笑った。しばらく笑みを交わした後、白黒の闖入者は自身が乗り上げている寝台と、その下に組み敷かれている藤花、そして二人を隔てている毛布からチラと見える素肌に気付く。

 魔理沙がゴクリと生唾を飲み込んだ。

「いやいやいや」

「お、おおぃ藤花もしかしてそんな……西洋風な……」

「何が!?なにが!?」

 毛布をめくろうとする魔理沙と押さえつけて離さない藤花の間で、今度は喜劇めいた問答が始まった。

「ええじゃないかちょっとくらい」

「ちょッ、やめ、貴様ァーッ!」

 魔理沙の腕は本体同様すばしっこく、片方が毛布の隙間へ潜り込もうとするのを藤花がガードしている間、もう一方が隙を見つけて脇から毛布をめくりあげられてしまった。新春の図書館のシンとした空気に晒され、藤花は思わず身震いする。

「お、おお……」

「ああーもぅ……」

「誰かいるんですか?」

「!!」

 パチュリーのもとで働く小悪魔の声だった。文字通り寝台で文字通りちちくりあっていた二人は思わず顔を見合わせる。返答がない事を奇妙に思ったのか、続いて「藤花さーん」と呼びかけながら足音が近づいてきた。

「どうしよ!?どうしよう……!?」

「か、隠れろ!というか隠れさせろ!」

 胸をさらけ出して魔法使いと抱き合ってるさまなど見られたくない。焦るあまり、侵入者を蹴りだせば済むものをレズの本能がそうさせたのか大急ぎで魔理沙を布団にもぐりこませ、帽子を押しつぶし、自身は半身起き上がらせて極力ひとり分のふくらみに見えるように偽装した。

「藤花さー……ああ、いたいた。どなたかとご一緒でした?」

物陰から現れたこあに、藤花は顔を真っ赤にしてかぶりをかぶる。

「あッいやいや、ウチ寝言が多くてなぁー……おはようさん」

「まだ日は昇ってませんが……おはようございます。あっ、そうか、服がないからおトイレも行きづらいですよね……すみません、何か用意します」

「あは、あは、おおきに……………………んんッ!?」

 小悪魔が一礼して去り、藤花は布団の中で飛び上がった。思わず布団ごと中の魔理沙を押さえつける。

「こら、魔理沙、おふざけが過ぎるって!あかんてそんなとこ……ちょッ、あッ………」

 

   *

 

 予期せぬ騒動に見舞われた藤花だったが、良いこともあった。魔理沙が、妹紅と文へ託けを持って行ってくれるという。何を補給したのか艶やかな笑みになった魔理沙は二つ返事で藤花から紙を受け取り(紙片はそこらから失敬した)、去って行った。

 




個人的に、パチュリーの部下である小悪魔は複数いる説を取っています。
美鈴藤花編で紅魔館分団に配属された子はパンタグリュエルという名前で、中世フランスの風刺小説、更に古くは聖史劇に登場する悪魔の名前です。


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紅の自警団⑭

 天井までそびえる本棚の群れと、薄暗い中で点々と主張する背表紙。それが、目が覚めたのだと認識した最初の印象だった。紅魔館にいると分かってはいても、昨晩初めて踏み入った領域で寝起きするのはまだ慣れていない。その為か体が目を醒ましたのは随分早い時間だったらしい。周囲にはまだパチュリーや使用人として客人を起こしに来るであろうメイドの姿はなく、魔理沙が去った時と同じようにシンと静まり返っている。違うのは、蝋燭が消えていてもぼんやりと周囲が見渡せるようになっている程度だ。

 小悪魔が就寝前に持ってきてくれた西洋風の部屋着のまま、冷たい板張りの床へ足を下ろした。足音を忍ばせ、滞留したまま冷え切った空気をかき分け、雑多な本や機材の合間を縫って進む。やがて視界は、どこからか差し込む僅かな光で本棚の輪郭が浮かび上がる広大で荘厳な景色へと変わる。本を守るために計算されつくしているのか、光は本棚を直接照らしておらず、それが規模を図りづらい図書館の奥行きをより際立たせていた。

 そういえば、傷の治癒はどうだっただろう。慌てて服をまくって腹を見てみると、なるほど手術の痕ではない。まるで皮膚や肉を「溶接」したような跡がうっすらと残っていた。パチュリーの言葉をそのまま信じるなら、この痕も消えるのだろう。

 背後から咳払いが聞こえた。

 慌て服を整え、外気に晒していた腹部と下着を身に着けていない地続きの下半身を隠す。図書館で露出など変態と思われても致し方ないだろう。

 後ろで立っていたのは、何やら包みを持った咲夜であった。足音も立てずにここまで接近するとは何者なのだろうか。やはり瀟洒な従者に見えて戦闘力は高いのかもしれない。

「その成りではご帰宅は難しいだろうと思ったので、着替えをお持ちしました。サイズが合わないといけないので、美鈴が練習着を貸してよいと……」

「……おおきに」

 見れば咲夜の手には、丁寧に折り畳まれたラオズブの支那服上下が。これならゆったりとしたつくりで多少の体格差は問題にならないだろう。藤花は改めて深々と頭を下げた。

「何から何まですんません…」

 咲夜は、恥ずかしいのかぽりぽりと頬を人差し指で掻き、再び咳払い。

「輸血はお嬢様の間食用のストックを、寝床はパチュリー様から、服は美鈴ですから、お礼はそちらへ。……追って請求はさせて頂きますけれど」

 仕方のない事だ。仮に天下の帝都で金持ちの屋敷へ駆け込んで輸血して手術しろと言って応じるところもあるまい。大体のところで蹴りだされるだろう。請求はされど、命を助けられた事には変わりない。

「朝食のご用意をしておりますので、着替えられましたら、食堂へお越しください」

「あい」

 といっても肌着なしの直に羽織るだけなので時間は要しない。お嬢様の前にそれで出て行って問題ないかが気がかりだが、あちらからの提供なので有難くそれで出させてもらおう。それより、こあが図書館のどこかにいるらしいのでまずはそちらを探さなければいけない。

 結局そちらも時間はかからなかった。こうも文字通り人里離れた館でありながら構造はしっかりと図書館然としている。閲覧机をずらりと並べた一角があり、その片隅の電灯が点っていた。

「こあちゃん」

「あら、藤花さん。お着替え、似合ってますよ」

「おおきに!……ていうか、里やと似たような恰好でうろついとるしね……咲夜はんが朝ごはんできたやって」

「おー、それでは、上がりましょうか」

 小悪魔は、ひざ掛けと何やら数冊積み上げた本をどかして退出の身支度を始める。

「何の仕事しとったん?」

「増えた本にエクスリブリス貼ってたんですよ。そうしてしまえばもう逃げてったりしませんからね」

 本が逃げるという表現も気になったが、なにしろ目の前にいるのも悪魔なので最早驚かない。

 

   *

 

 見覚えのある食堂は、陽光の降り注ぐ健康的な空気で満たされていた。

 食事はというと、卵や肉がちらほら見える豪勢なもので、基本的に大量の白米を塩分過多の一品と漬物でかき込む昭和十年代の食生活を送っていた藤花は面食らった。

 傍らの咲夜を見上げる。

「な、なんか前にお邪魔した時より豪華やない……?」

「一応、療養中でいらっしゃいますので」

「そっか……パチュリーはん、あれってどこまで行ったら治ったことになるんやろ」

 お嬢様の姿は見えないが、藤花からやや離れたところに腰かけてスープを口にしているパチュリーを見やる。

「痕が完全に消えたら……ね。くっついたわけじゃなくて、体に”傷なんてない”と思い込ませてる状態だからあんまり無理をすると切られた時と同じ状態に一瞬で戻っちゃうから、気を付けてね」

「お、おぉ………」

 そんな治療は寡聞にして聞いた事が無く、本当にその場しのぎの魔法の類なのだろう。後からの請求が怖いが、ここで臆して栄養補給を怠るわけにはいかない。食えるだけ食って、憎き正邪と高堂に責任を取らせたらきっちりと返しに来よう。藤花は猛然と朝食を平らげ、パチュリーをはじめとする面々へ礼を述べると食堂を辞した。

「藤花」

 食堂を出、打って変わって夜半と変わらぬ薄暗さを保たれた廊下へ歩き始めた彼女を飛び止める者があった。その声には聞き覚えがある。見やれば奥からゆっくりと浮かび上がってくる有翼のシルエット。

「レミリアはん……この度は、ほんまにお世話になりました」

「いいのよそれ位。何やら面白い人間を追ってたそうじゃない」

「まあ、ちょっとおもしろすぎるくらいに危険なやつを……」

「そのようね」

 そういえば、高堂は紅魔館にいたことがあるはずだ。藤花の考えを見透かしたのか、うちには大した証拠も資料も残ってないけどね、とレミリアは言い添える。

「うちの門番も屋根もめちゃくちゃにしてった奴よ。人間同士でカタがつくなら、必ず責任を取らせなさい。それが貴女を治療したことに対する要求よ」

「そんな虫のええことは言わへんよ……後日高堂の首とあわせて、お礼は返さしてもらいます」

「絨毯が汚れるから首はいいわ。貴女の腕でなんとかなるとは思うけど」

 シニカルな表情を崩さず、レミリアは笑った。

「はは、おおきに……って、ウチの腕とは」

「知ってるものは知ってるの。そんな怖い目をしなくてもいいじゃない」

 刺されて穴の空いた服に何か入っていただろうかと、藤花は脳裏で考えを巡らせる。彼女は知る由もないが、初めて紅魔館で魔理沙と顔を合わせた直後から、記憶は一晩分消されている。

「嫌やなぁ、そんな……まあ、ウチはどうあれ、必ずやらせてもらいます」

 カマ掛けなんて初歩のトリックだ、藤花は取り乱してぼろをだすよりも、会話を終わらせる方を選択した。軽く会釈して、荷物を取りに図書館へ戻ろうとした彼女が、はたと足を止めた。

「そういえば、前に小耳に挟んだんやけど、レミリアはんは、運命が見える、とか」

「ええ、そうね。貴女も教えてもらいたいの?何故か知らないけれど、外来人からはよく聞かれ…」

「私の運命を、誰にも言わないでほしい。私自身にも」

「ええ…………ぅえ?」

 突然口調を変えて真剣なまなざしでお願いを言ってきた藤花に、畏まってるし荘厳な雰囲気で接し続けておこうと腹を決めていたレミリアも、思わず腕組みしたまま目をぱちくりさせて言葉を乱してしまった。

「ほな、ごきげんよう」

 いつものひねた笑みに戻った藤花は、それっきり、階下へ歩み去ってしまった。

「別に、まだ見たわけじゃないんだけど……」

 調子を狂わされたレミリアは、首を傾げつつ自室へと戻っていった。

 

   *

 

 図書館の一角に藤花の荷物は集積されていた。といっても破れた服を乾かして畳んだものと、身に着けていたもの程度だ。

 だがその中に、見慣れない紙片を見つけ取り上げてみた。

「妹紅から伝言!藤花の"ニセ葬式"は、ばっちりセッティングしといた!」

 手書きの文字の下には、三角帽子の署名。藤花はにんまり笑って、持ち物をまとめるとその場を後にした。

   *

 

 紅魔館を出た藤花は、湖からの声で出迎えられた。

「藤花さぁーん!」

 姫様の聞き覚えのある声だ。水際まで走っていくと、湖畔の岩によじ登って手を振っているのが見える。

「おおきにな……おかげでこの通り、助かったわ」

「良かったです本当に、命あっての物種ですもの」

 心優しき姫に藤花は再び目頭が熱くなるのを堪えながら、うんうんと頷く。そして姫が用件を思い出し、森の方角を指さした。

「魔理沙さんが、里で人に会ってから迎えに来るそうですよ。何でも、作戦会議だとか……?」

「そうそう、あいつら懲らすためにちょっとな……姫様も、しばらく安全なところにいてな。どんどんぱちぱちやってるって言うて肝っ玉ある人間でも流石に里を出たりすることはせえへんみたいやから、あんたのお友達も顔出されへんみたいやし」

 藤花の言に、姫も頷く。とはいえ、地続きではなく住む環境が違いすぎる姫に、しばらく引きこもっていろというのも辛い。せめてではないが、藤花は一歩踏み出して岩に坐する姫と抱擁を交わした。

「魔理沙さんは車で走るのと同じ経路を通って来てほしいと言ってました。そうすればおそらく道中で会えるはずです」

「手伝わせてしもうてごめんな……おおきに」

「いーえー!お気をつけて」

 藤花は笑顔で片手をあげて応じると、服を整え、所持品を納めた背負い袋を結び直すと復活の道程の一歩を踏み出した。

 

   *

 

 連日の銃撃戦で鳥獣の類が警戒しているのか、不気味な静けさだった。

 思えば警防団に関わった時以来、ここは車で通っていた。時間もかからず獣の類にも強いので安心していたが、まさか武器なしで魔理沙を待たなければならなくなるとは。思わず近場の枝を拾い上げて振り回してみる。

 無いよりはましより少し下くらいの安心である。魔理沙よ早く来てくれ。

 と、路傍の黒い影に気付いたのはその時だった。

「え」

「その声は、煙草屋さん?」

「そ、そうやけど……」

 てっきり黒い球かと思ったら反射している部分が見当たらない。まるで細かい毛で覆われた玉のように見える。どちらにせよ良くないものの匂いがぷんぷんしているのだが、こちらを煙草屋の人と認識しているのはどういうわけか。

「ほんとだ」

 一瞬、影の球の中に金髪の少女が見えたような気がした。魔理沙もそうだが、記憶にある彼女と容姿も声も似ていない。影のある女性は美しいが、濃すぎて見えない。

「ごひゃっかんもんとお昼ごはん、もらったー!」

「えええ!?」

 警戒していなければ咄嗟の回避が効かず、喉笛を食いちぎられて鼻と口以外から空気を漏らしてのた打ち回っていただろう。突然藤花めがけて少女の声で喋る球が飛びかかってきたのだ。

 七生報国で残機が七くらいある藤花でも、体力上、回避は一回が限度だ。今度あの速度で来られては避けきれまい。

 ああ、魔理沙の声が聞こえる……。

 心細すぎて待望の声が遠くからでも聞こえるようになっていたらしい。這いずり回って逃げつつ上空を見上げれば移動する黒点。あれは逆光の魔理沙なのだと分かった。そして向こうもこちらの事態を認識したようだ。速度を変えてぐんぐん近づいてくる。助かったと思って背中を切られる例は枚挙にいとまがない。

 とりあえず、魔理沙が到達するまでの時間だけでも稼ごう。

「ウチ、煙草屋のお嬢さんやないよ!」

「えーそうなのかー」

 一瞬の沈黙

「なんて言うと思ったのかのろまめー!!」

「ぎゃーこいつ賢い!」

 今度こそ喉仏とおさらば…。だが間に合った。

 間に割って入った魔理沙は地面すれすれで箒の鼻先を跳ね上げ激しい土埃と共に着地、両足で地面を踏みしめると跳ねあがっていく箒を片手で抑え、もう一方の手は懐から八卦炉を掴み出していた。

 それでも這い寄り続ける球への閃光。が、魔理沙の構えた筒(?)先が球へ突っ込まれ時に何を持っているか認識したのか、相手の動きがぴたりと止まった。

「……し、失礼しまし」

「マスタースパアアアァァァァァク!」

「ンアアアアーッ!」

 撃った、やっぱり撃った。影っぽい少女はそのまま閃光の勢いで木々の向こうへと吹き飛ばされていった。

「大丈夫かー煙草屋さん。……て、何で五体投地してんの」

「伏、せ!これは伏せてんの!!」

 仕事柄、ついつい閃光や落下音がするとその場に伏せてしまうようになっている藤花は、よろよろと立ち上がり服の埃をはたいた。魔理沙は苦笑し、改めて大丈夫かと尋ねてくれる。

「お迎えおおきにね。武器を落としてしもうたから心細くて……」

「だろうなぁ。なーに、こっからは早いさ!」

 魔理沙の携える箒を見やる。初めて航空機へ乗り込んだ時、一般子女がまず体験しないだろうと感想を抱いたが、まさか箒で空を飛ぶ事になるとは開戦前の自分でも予想するまい。ただ元のところへ戻ったとして「天狗や河童が乱舞し、箒で少女が空を飛ぶ世界で自分の葬式を見た」と語ったところで気が狂ったか死線に見た幻と断じられるのがオチだ。

「あのー、ところで魔理沙はん」

「はい何でしょ」

「その箒……二人乗れるん?」

 箒の柄は歩兵銃とそう変わらない長さだ。棒状の物体に人が跨り、体が下に回転してしまわないようにするには両手の保持と両足でしっかりと挟み込むことが必須だろうと推測する。そうなると藤花が魔理沙にしがみついたところで、彼女の尻と足の為のスペースは残されていないように感じるが…。

「それなら大丈夫、ほら!」

 魔理沙がどこからか取り出したのは折りたたまれた風呂敷状の物体。

「……てかそれウチの携天やん!」

 見覚えがあると思ったらカーキ色の生地にアルミの環が等間隔に配され、革の補強が所々に施された陸軍の"携帯天幕"であった。

「あんたの店先に置いてあったからさ、ちょっと借りたんだー」

「ま、まあ借りるんはええけど……もしかしてそれ」

「?」

 数分後、魔法の森上空で悲鳴を上げながら飛んでいく袋が目撃され、文々。新聞のコラムの隅を飾ったというがそれは別の話。

「降りるよー」

 携帯天幕をこれでもかと突っ張らせ、梱包された藤花は箒にぶら下げられながら魔理沙のアナウンスを耳にした。だが胎児よろしく四肢を折り曲げて呼吸すらおぼつかない彼女がどうしようという事もない。魔理沙がうっかりして接地の瞬間を伝えなかったものだから、衝撃で野太い声の「ぅごはぇ」みたいな呻きが漏れる。

 苦笑する魔理沙に包みを解かれ、藤花はようやく四肢を伸ばすことが出来た。

「も、もう嫌……」

「長旅おつかれさんー、そしてようこそ」

 魔理沙がサッと向ける手の先には、藤花にあまり良い思い出のない森の光景に溶け込んだ建物ひとつ。

「あれ……ここ、魔理沙はんの家?」

「んで、店さ」

 藤花の疑問に追加して、魔理沙が看板を指さす。森の湿気で色濃くなった板には「霧雨魔法店」や「なんかします」と書かれており、予備知識が無かったとしても不気味な魔法使いの店にしか見えない。

「道具か何か持っていくん?」

「いやいや、里であんたの葬式を偽装してるんだからさ、そのままの顔と格好で姿現したら大騒ぎじゃん」

「……ああ、それもそうか」

 魔法で豚とかに変えられたら嫌だなと思いつつ、家主の背中に続いて戸口をくぐる。

 魔法店という屋号から業務形態が全く予想できなかったが、そもそも人の足では赴きづらい立地からして店舗の形態をとっているわけはなかった。店内(とおぼしき入り口そばの領域)には魔法の道具と推測できるが使い道の分からない多種多様な材質で構成された小道具、書籍が散乱しており足の踏み場もない。香霖堂にちょっと似ていると思ったが、あそこはまだ一般人の道具の割合が高いので理解しやすい。

 てっきり魔法を使役するのかと思ったが、魔理沙は箒をそこらへんに立てかけると、窓からの明かりだけで薄暗い室内をずんずん進んでいく。迷うほどの豪邸ではないが、何やら怖くなっていそいそと後をついていくと、さっきとそう変わらない混沌具合を呈しているが寝台で辛うじて居室とわかる部屋に行きついた。

「さー時間がない。さっさと着替えてシュッパツでっぱつ」

「えっえっ」

 事がことだけにもてなしは無いと思っていたが、藤花そっちのけで魔理沙がごそごそし始めたのは衣装箪笥らしい。ちょっと失礼して肩越しに覗き込んでみれば、現在魔理沙が身に着けているような普段着とおぼしき服が、部屋の様子に比べるとやや丁寧に収納されているのが見えた。

「あッ!?」

「どしたの」

 魔理沙の意図するところが何となく予想できて変な声が出た。

「その辺の本は不用意に開くと目が焼けるから気を付けてね」

「ンなもんその辺に置いといたらアカンよ!?そうやなくて、もしかして」

「もしかして?」

 藤花の疑念に回答するよりも早く、魔理沙は引っ張りだした一着を広げて藤花の体に重ねてサイズを確かめ始める。いちばんドキリとする形で解答が出てしまった。

 彼女とて変装は初めてではない。日本人新聞記者や満洲人や広東人に化けた事もある。が、魔法使いに化けたスパイなんて聞いた事がない。藤花の常識を著しく逸脱する変装を要求されているのだ。

「せ、せめて猫ちゃんに一時間だけ化ける……とかじゃアカンの?」

「いやぁーそっちは得意じゃないんだよね。さっきのルーミア吹っ飛ばすようなのなら専門だけど」

 もはや逃げ場は無いらしい。腹を決めて破壊専門の魔理沙と共に服を探し始めた。

「そっちの紫っぽい服は?」

「そ、それはちょっと古いから無理かも」

「そうなんや」

だいたい白黒の装束で箒を携えているものだと思っていたが、流石に一張羅でも同じ服が何着もあるわけでもないらしく、それぞれ微妙にデザインが異なっている。

 最終的に「確かこれが一番大きい」とあんまり嬉しくない情報と共に差し出された一着を着るために魔理沙の視線を憚るように大急ぎで着替えてみる。

 身長差と、見えている足が妙に目立つ。

「ちょ、ちょっとウチの年でこのふりふりはキツイんと違う……?」

 赤面して振り返ると、魔理沙は至って真面目にどこからか出してきたかつらををかぶせ、何と見比べているのかンーと唸って考えている。

「……ま、里を突っ切って家に入るまでごまかせればいいから、こんなもんか」

「なんか、恥ずかしい……」

衣装選びに着替えと一通りのイベントを早急に経てしまい、真面目さを取り戻した魔理沙はクールなまなざしで戸口を示し、じゃあ行こうかと促す。

「里の手前までは送っていくから大丈夫!さっと通りを走ってパッと煙草屋に入ればいいんじゃん。声かけられても適当にごまかせば私が後日取り繕っとくから」

 本人がそう言うのなら仕方がない。どうごまかせばいいか迷い、真っ先に候補に挙がったものを真似してみようとして、今一度魔理沙を呼び止めた。

「…………ZE☆」

「……………よし、行こう!」

「何か言ってや!」

 

   *

 

 背負い袋を身に着け、近寄ってみると妙に背の高い魔理沙は、明らかに目立っていた。

 せめてもの抵抗として背をやや曲げ、足早に立ち去ろうとする姿は普段の魔理沙を知る人間からは妙に見えるらしく、顔見知りと思しき道端の商店から声がかかることもしばしばであった。

「まりちゃん、お急ぎかーい?新しいお茶入ったよ」

「ZE☆?」

「えぇ……」

 店先の青年が怪訝というか呆然として立ち尽くしている。どうせ後で本人が取り繕うというのだから、全力で取り繕ってもらおう。

霧雨藤花のラストスパートだった。

「魔理沙ー」

「ZE☆?」

「おや、お嬢ちゃん今日はおひとり?」

「ZE☆?」

「あ、魔理沙さん、サキを見かけませんでし…」

「ZE☆?」

……。

………。

…………。

 魔理沙は相当顔が広いと見えて、老若男女から声をかけまくられ、遂に藤花は全てをZEで乗り切ってしまった。

 息を切らせ、煙草屋まであと一ブロックというところまで来て、異変に気付く。いつもの同じ時間帯と比べても往来が多い。その原因が我が家にある事を理解したのは、角を曲がり視界にそれが飛び込んできてからだった。

 本当に盛大な自分の弔いが用意されていた。

 霊夢をはじめ、里の著名なメンツに声をかけたのだろう。黒白のしめやかな幕が張られた二笑亭は嫌でも目立った。近所の人たちが意味ありげな目で眺めては立ち去り、文がそこここで声をかけてはインタビューに興じているのだ。

「ここ高黍屋店主、藤花さんは旧警防団時代から敏腕捜査員として知られ、年始のあの講民党事件でもミサイル破壊に尽力し地域の信頼も厚い方でした。鋭い勘と行動力で鳴らした名団員も、この度の不運を予測していたのでしょうか。以上、悲しみに暮れる人里よりお送りしました」

「……………」

 自分の葬式を見るってこんな感覚だったのか。ていうか文も警防団大演習の時はこき下ろしまくっていたくせに何を言い出すのか。腹の底から黒い何かがむくむくと湧き起ってくるが、藤花の死を偽装し、高堂の耳に入るよう出来るだけ広めてくれと言ったのは他ならぬ自身なので、苦情のつけようもない。最後に霧雨藤花としてため息を一つつくと、「はいちょっとすみませんねー」と人ごみをかき分けて関係者のみと書かれた高黍屋へと足を踏み入れた。事情を知ってか、文は流石にこちらに話しかけてはこない。

表戸を閉め、帽子を脱ぐとようやく解放された。この年で魔女っ子はきつい。どれくらいきついかと言うと中で湯茶を汲みに来たらしい霊夢が藤花を見るや吹きだして三十秒ほどむせ込む程度のきつさだ。

「お………お、お疲れ様。上でみんな待、待って…ヒッ、ヒヒ」

「霊夢はん、もう何も言わんでええ……てか、あんたもこんな!腋見せびらかして!言う事や!無いやろ!!」

「あはッ、あははははは……あーお腹痛い」

 霊夢の腋と、ついでに横乳も少しくすぐりながら彼女を追いたて、主要なメンツが来ているらしい部屋へと上がる。自分の家だが、果たしてどんな人物が顔をそろえているのか。

 自分の家の階段と廊下なのに心ときめかせながら襖を開けると。

「藤花……よく生きてた…!」

 喪章つきの妹紅が出迎えてくれた。

「あ、ああ……妹紅はんごめんな、すぐに連絡できんで…」

「長年やってたんだ、あそこは私が気付かなくちゃいけなかったところだ」

 勝手に動いたのは藤花なので、謝られると大変心苦しい。だが妹紅なりにもプライドを持ってやってきた仕事であり、それが彼女を傷つけてもいるのだろう。

「まずは、高堂どもを挙げて、ウチらの仇を打って……そこまでいかんとまだ終わりやあらへんからね」

「うん……そうだな、その通りだ」

「た、大変だよ!」

 幾人かは煙草を取り出す余裕も出てきたところで、背後の襖が荒々しく引き開けられた。

「どないしたん、赤蛮奇ちゃん」

「近所の人たちが、藤花に線香あげたいって白蓮さん連れて団体で来てる!!」

「なんで表で誰も止めへんの!?」

 おそらく玄関を通ってもう来ているのだろう。しめやかな、しかし複数人とおぼしき足音と共に既に誰かが嗚咽を漏らしているのがこの部屋からでも聞こえるほどだ。霊夢が狼狽しきった顔で振り返る。

「魔理沙、あんたあっちには相談してなかったの!?」

「いやあ、こういうときだけ寺社頼みってのも節操ないかなって……」

「何でこんな時だけ妙に気を遣うのよ……」

 足音はもう近い。全員が顔を見合わせ、藤花に飛びついた。

「藤花!早いとこお棺に収まりなさい!」

「ええ!?」

 襖の外の足音多数は、もう階段を上る音に代わっている。

 藤花は押し込まれるようにして、白木の棺に頭から入っていった。足をばたつかせながらなんとか全身を納め、大急ぎで姿勢を整えると、出来るだけ来客が間近で藤花を見られないように部屋の全員で棺に取り付き、各々が勝手なことを叫びながら泣き声を上げる。

「藤花あぁ……早すぎるよこんなのおおお」

「一緒に温泉行こうって笑ってたのにぃ……いッ、あんまりだわぁ!!」

「私一人でなんてカッコつけて……悪かったなぁ藤花ぁ……やっぱり、二人で一人だよぉ……!」

 そして襖が開き、商店主たちの意を受けて藤花の弔いを引き受けた聖白蓮が厳かなな表情で棺へと歩み寄り、読経を開始する。

 流石に棺を開けようとする人物はいなかったが、中で腕組みして憮然とした顔で自らの弔いを聞いていた藤花はため息ひとつ。

「……化けて出てやる!」

 




咲夜が持って来た美鈴のカンフー着のラオズブとは、漢字で「老粗布」と書きます。中国の古い綿製品のことです。

魔理沙んちの紫っぽい服は「うふふ」とか言っちゃうやつですね。
彼女のセリフはステレオタイプなZE語尾多用にならないように気を付けているつもりですが、藤花の化けた魔理沙は逆に倍プッシュしすぎたようです。

サテ自身の死を偽装して標的・外来人高堂にどう立ち向かうのか、今の章も佳境に入りつつありますので、皆さんお付き合いいただけると嬉しくて小躍りします。


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紅の自警団⑮

 霊夢がなだめて何とか外部の人間にお引き取り願った後、ようやく藤花は棺から這い出る事が出来た。

「もう……どんな喜劇やの」

「しばらく死んだことにするってのはあんたの発案でしょうが」

 呆れ顔の霊夢に、藤花はそうやったね…とげんなりした顔をして見せる。

 そのまま、先刻の騒動で確認できなかった助っ人、というかルーミア相手にも歯が立たない藤花に代わる実働部隊のメンツを眺めた。

 まず、いつの間にか二笑亭へ到着している魔理沙。これは彼女が頼んだようなものなので当然だ。霊夢も並んで異変解決、妖怪退治の誉れ高い実力者と言える。自分が仇を討つといった手前もあるのでじゃあお願いしますねなどといって任せきりには出来ないが、歴戦の兵士というものは周囲に助言を与えるだけでも部隊の実力向上に一役買うという事を藤花は心得ていた。

 そして妹紅。何かと正邪の登場により討伐が進んでいないのは確かだが、第一目標はあくまでも高堂である。妹紅と共に奴の始末をつけない事には、この事件は締まらない。

「えーと、それから……」

 言葉に詰まったのは、まず口にしたいと思う話題が二つ、これまで確認した面々の後ろに控えていたからである。

情景として描写するならば、霊夢、魔理沙そして妹紅の後ろにまだ人影が三つあり、ひとつは見知らぬ水兵。そして残り二つは誰に呼ばれたのか口をあんぐり開けて固まっている奬とサキだったからだ。

「………どちらさん?」

 最終的に、藤花は顔見知りの奬とサキの顔につっこむのを後回しにし、まず知らない相手を知ることを優先した。

「ああ、そうだった。私がさっき引き留めたんだ」

「魔理沙、あんた本当に人集めてなかったのね」

「昨日知ったばかりなんだ、あちこちにナシを通すだけでも結構大変なんだよ」

 どうやら、さっき押し寄せてきた近所の人たちに帯同してきた尼さんや付添いの妖怪から引っこ抜いたらしい。

「あー、やっぱり初めましてだよな。こちら煙草屋の藤花さん、んでこちらは村紗水蜜さんだ」

魔理沙が妙に紹介慣れしているのが気になったが、曰く外来人は恐怖が薄いのか仕事をするにあたり、妖怪に声掛けするのを里出身者に比べて躊躇わない傾向にあるらしい。

という事は夏衣と略衣が混ざったようなこのムラサと呼ばれる子も妖怪か……。流石幻想郷と感嘆する暇もない。

「ムラサはんね、よろしゅう。……その成りやと、やっぱり武器は水になるんかな」

「自前の柄杓と、あとここでは振り回しかねますが錨であります!あ、自分の事はキャプテンでも何でも読んでください!」

 目を丸くしてしまった。船幽霊であることはともかく、あります調で話す人など数年ぶりだ。もしかして帝国海軍の血も少し入っているのではと訝しんだが、そんなことは無いらしい。

「まあ、あんまり先人にタメで指図するんもあれやし、ムラサはんで呼ばせてもらうね。キャプテンやけど……えらい丁寧やね。船長やったらもう少し偉そうでも…」

「藤花さん」

「アッハイ」

「船には、船長がいますが船主もいるんでありますよ」

「そ、そうやね……」

 こちらの手中を伏せるのは魔理沙を通じて文へ打診してある。対価として正邪逮捕、高堂逮捕もしくは射殺となった場合の独占スクープを要求されているが、それ位いくらでもくれてやろう。まずは自分と妹紅でムラサを支援に回しつつ確保し、余力があれば正邪を追って最悪彼女は霊夢と魔理沙に花を持たせるというのも手だ。

「ああ、そうだ」

 ムラサが何事か思い出したようだ。短すぎる袴から丸められた紙片を引っ張り出す。

「死んだ事にして正解だったみたいですね。今朝、里にこんなものがばら撒かれていて」

 そう言って差し出された紙を見て藤花は再び目を丸くする。自身の手配書だ。大陸で軍閥に追われた事もあるので今更驚くことでもないが、どこから出るのか懸賞金の額まで書いてある。

「ごひゃっかんもん……」

「あー、そういえば」

 やり取りを横で眺めていた魔理沙も気付いたようだ。

「そうだよ、森でルーミアが変なこと言ってた!"五百貫文もらったー"って。あれ、この事だったんだな」

「殺人予告みたいなもんやん。自警団に言うて応援頼まれへんかな」

「いやーそれが、私も声かけてみたんだけどね。懸賞金をかけてるのは正邪みたいだけど今一つ証拠に欠けるから怪文書以上の扱いにならないってけんもほろろでさ」

「全く、厄介ごとが減ると思って警防団の時に協力したのにこれじゃあね」

 自分で持ち込んだらしい煎餅の封を切りながら、霊夢もため息ひとつついて懸念を表する。正邪に手を焼かされ続けている藤花だったが、この二人の反応を見る限り逮捕に情熱を注いでいるというか「またか」という反応であるように見受けられる。やはりきりのない相手なのだろう。

「待てよ」

 火種を妹紅と共有しつつ、一服始めた藤花がムラサを上から下へと眺めながらつぶやく。

「ムラサはん、あんたがウチを殺した事にしてくれへん?」

 水に放り込まれてから突拍子もない提案を連発し続ける藤花に、妹紅が咽せ、他のメンツも首を傾げている。だが藤花は至って真面目なのだ。

「ど、どんだけ設定を練るつもりなのさ……」

「あいつら、ウチの死体は見てへんから戦果不確実って事で懸賞金かけたんやろ。てことは、ウチにトドメ刺したってやつが現れたら首実検に現れるんと違うかな」

 行き当たりばったりではあるが、手繰りかけた糸を切れるままにするのは惜しいという意見は他も同様だった。闇雲に探すよりは、決戦場も分かるこの計画に拠るのが今のところ唯一の案として全員が承服する。

 具体的な作戦案を練る前に、まず藤花がしなければならなかったのは、放置され、口をようやく手動で閉じた奨とサキに驚かせて済まなかったと謝る事だった。

 

   *

 

 翌日、里の広告塔に張り紙が出された。

「水煙草えびすアリマス 村紗水蜜」

 えびすと言えば現代においては福の神のようなイメージだが、遠回しに水死体を意味する単語でもある。

 煙草のえびす。

怪文書をばら撒いた下手人がこれを見て理解すれば、近いうちに死体もしくは殺した証拠を検めに来るだろうと予想する。そして警戒心がそれなりにあるなら、集合場所は罠の張りやすい里内ではなく外であろうとも。

高堂の言動を聞く限りそこまで賢くないのではと藤花は心配したが、正邪だけでも気付けば必ず動きが見られると他の面々は断定した。流石に五百貫文は手にできないと思われるので、ムラサには藤花が追って個人的に礼をするという事で落ち着いている。

「今度こそ逃がさへんつもりやけど、こう出歩かれへんってのは不便なもんやなあ」

「死んだふりするって言い出したのは藤花じゃん」

 変装に使用した服を取りに来た魔理沙が、中庭に面した縁側で腰を下ろして出されたお茶をすすっている。葬式以来、高黍屋は故人の遺志で博麗神社に寄進されたという事で表向き処理されており、藤花に代わって買い出しに行く妖怪の姿が度々目撃される事も相まって「神社にたむろする妖怪が乗っ取った」という噂が立ち、今のところ押し入ってくる輩はいない。

「霊夢はんみたいなこと言う……」

 そう言って藤花がぱくついているのは、魔理沙の手土産の団子である。いくら幻想郷と言えども、普通の人間が死んだ後に素知らぬ顔で表をほっつき歩くわけにもいかない。

結果、外に出られないとなると食事やお茶の時くらいしか娯楽が無くなってしまったのだ。鈴奈庵に事情を話して退屈しのぎの雑誌でも取り寄せようかと思ったが、これ以上計画の手の内を明かす対象を増やすと成功がおぼつかなくなるので涙を呑んで我慢した。

「魔理沙はん、鞄からガラガラ聞こえとったけど、酒とか持ってへんの?」

「残念ながらこれは酒じゃないんだなぁ……」

 中庭の陽光に目を細め、魔理沙は苦笑した。傍らの鞄を開けて取り出して見せたのは、コルク栓で封印されたフラスコであった。中には僅かに濁った青い液体が波打っているようだが、破損防止のために薄いゴムが巻かれている為に中身が何であるのかを具に観察することは出来なかった。

「何それ、魔女の秘薬?」

「これはあれさ、こう持って……投げると」

 そう言って魔理沙はフラスコの首を掴み、球体が上に来るように保持すると振りかぶって投擲する動作をスローモーに再現して見せた。さながら大陸で見た柄付き手榴弾の扱いを想起させる。

「…爆発する?」

 自然と導き出された答えに、魔理沙は得意げに鼻を鳴らして首肯した。酒というかモロトフカクテルというか、と考え込んでいると、これ何かと便利じゃないかと思い至る。

「魔理沙はん、これ売ってくれへん……?」

「え、何あんたも紅魔館に本借りに行くの?」

「いやいやいやいや……そうやなくてウチは里を……里を守るためやんか」

 里を吹き飛ばしたくて、と口にしかけて止めた。魔理沙も、ああ高堂に使うのかといって納得したらしい。いくら払えばいいのか分からないのと、魔法使いと聞く彼女には紙幣などより別のものがよいのかと想像して大陸で換金目的に秘匿していた宝石付き指輪を持ってきて見せてみる。

 何となく魔法使いだから薬草や宝石、というのは安直すぎる気もしたが当の魔理沙は濡れてきれいだなーなどと言って眺めていたのでまんざら悪い選択でもなさそうだ。

「どっから出してきたかって詮索は無しやで」

「これをね……いいよ」

 魔理沙は膝から先を庭先に出してぶらぶらさせたまま、上体を寝かせて指輪の宝石を眺めている。藤花もすぐ横で寝そべり、傍らのフラスコボムを指でつついたりしていた。

「見たところ沢山あるみたいやけど……ウチがお願いしたらまた作ってくれる?」

「いいけど……もうお金や宝石はいらないかな」

「え、じゃあどう……」

 気付けば、寄り添って寝転がっていた魔理沙の片足が藤花のそれへとかけられ、足首を絡ませてきていた。二人の間にあった手も、自然と結ばれる。

「うーん……私も最近けっこう退屈してたとこだからね」

「もう…分かったって」

 自宅の土地だが、藤花は周囲をチラと見てから襦袢の前を首元から二つ三つと開いていく。

「全部買うよ」

「いいとも、袖口に仕込んで持ち運べる小型版もつけるよ」

 魔理沙が上体をひねり、顔を藤花の胸元へと載せる。藤花の鼻孔を、髪から立ち上る少し湿った甘い香りがくすぐった。

「高いか安いかは……やってみなくちゃ分かんない………」

 藤花の中国服の前合わせを、魔理沙は歯と舌で器用に外していく。綿布で全周から押さえられていた藤花の胸が戒めから放たれ、重量に従って少し揺れた。

 

 

 

※※※ここから先は有料コンテンツです。無料アカウントで引き続きご鑑賞いただく場合、卑猥な単語がすべてファミコンゲームタイトルに差し替えられた全年齢対象版として表示されます。※※※

 

 

 

「そう……上手いよ、魔理沙……もうドルアーガの塔やわ……」

時とともに激しさを増す魔理沙のディープダンジョンに、藤花はエキサイトバイクしていた。正直、年下に見える魔理沙では十分満足できるボンバーキングは得られないと思っていたのだが、彼女の繰り出すディープダンジョンは、思った以上のビックリマンワールド。

「藤花……どう?月風魔伝?」

「ああ………すごい、源平討魔伝や……」

 藤花の上で、腰をエグゼドエグゼスする魔理沙のポパイを愛撫する。

「愛してるよ、魔理沙……こんなじゃじゃ丸の大冒険しちゃった以上、もうあんたをディグダグしたりせえへんから……」

「うん………ぅ、ん……ディグ…ダグしないでっ……私達…もうチャレンジャーなんだから………」

藤花は魔理沙のピンボールを舌でバブルボブルし、魔理沙はエグゼドエグゼスを更にマッハライダーする。

「ああ………魔理沙、あんたは最高のマイティボンジャックや……!」

「私……もう…駄目……スペランカーしちゃう………」

魔理沙の水戸黄門はもうメタルマックスだ。

するといきなり、ムラサが急に扉をデビルワールドした。

「あんたたち……ハリキリスタジアーム!!」

 

   *

 

「いてて……まさか壺酒が飛んでくるとはなぁ」

 二人の情事は「いいところ」で食料を買い込んできたムラサの乱入で中断され、錨ではなく買ってきた壺酒で頭をかち割られそうになるという形で幕を閉じた。

 二笑亭の風呂場は浴槽が二つあるこれまた奇妙なもので、大小がそれぞれ上流、下流に位置しており、上の浴槽からあふれた湯はそのまま一段下の小さい浴槽に溜まるようになっている。

 魔理沙は下段の小ぶりな浴槽で足を投げ出して浸かっており、時折滴の垂れる天井をぼんやりと眺めていた。

 洗い場で酒臭い頭を洗っていた藤花は、今一度湯をかぶると、浴槽の縁に柔らかな尻を載せて魔理沙を見下ろす。

「いや、でもこれで準備は整ったわ……あとは決戦前に、続き、しとく?」

 魔理沙の鼻先へ、濡れた藤花の足がするりと持ち上げられる。魔理沙が悪戯っぽく笑った。

「ちょっと、船長に罐焚きをさせておいて全然反省してないじゃないですか!!今晩の会合場所教えませんよ!!」

 窓の外からムラサの厳重なる抗議の声が降り注ぎ、二人は顔を見合わせた。

 




「玄関開けたら~」から佐々木くん達が再登場です。
えっちなシーンはやろうと思いつつテーマがぶれるかな……と思って村紗に乱入してもらいました。あります口調なのは中の人の趣味なのでご容赦ください。


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紅の自警団⑯

 その後しばらくの二人の情事は、怒り心頭のムラサによって風呂で大津波が起き、脱衣場まで水浸しにされて中止を余儀なくされた。

「で、これが広場の張り紙に挟まれていたのであります」

 つっけんどんなムラサが突き出してきた紙は現物だろう。粗末な紙片に細い字で「今夜十の半に湖畔へ来い」とだけ書かれており、手紙であれば署名が入るであろう位置には上下を指す矢印が描かれていた。文面、模様の意味するところからして、おそらく正邪のものだろう。

 幸いにして、午後には妹紅が行商で里へ出てくるはずだ。合流して計画を実行に移すなら、今のうちから動いておいた方がいい。

 魔理沙は、フラスコボムをとりあえず手持ち分譲ってもいいと提案してくれた。さっき程度の情事で退屈が満たされたのかは不明だが、"追加請求"があったところで藤花としてもまんざらではない。袖口に隠せる小型ボムは後日持ってきてくれるらしい。

「今日あんたが私用で使う分はどないするん?」

「まだ家にあるから、紅魔館に向かう前にまた家に寄るさ」

 別れ際に堅く拳を交わし、魔理沙は飛び立っていく。同族はやはり匂いで分かるか。

「……して、自分はどう動けばいいんでありますかね」

 見送る藤花の背後で、腰だめに手をやったムラサが先刻の出来事を思い出してか、不機嫌そうに言い放った。

「ムラサはん、力持ちやったりする?」

「無論」

 そうでなければ船幽霊やってられないのであります、と鼻を鳴らす。

当然、呼び出されて行くのだから彼女でなければいけない。が、藤花が歩いて同行したり、あるいは袋詰めで担いで行かれるわけにもいかないのだ。戦場においてもそうだが、死んだふりをする奴というのは多い。ましてや追手のついている正邪が(高堂はどうか知らないが)仕込みを警戒して死体を検めないわけがなく、戦場の兵士同様に調べるなら刃物で刺したり下手すれば一発撃ちこんでみる位の事はやるだろう。

「死体用意できる?」

「調達しておきます」

 思いの外すんなり頷いたので拍子抜けしてしまった。その辺の人間を水死させて持ってこないかが心配だ。

「じ、じゃあ店の物置に紐とか天幕あるからよければ使ったって」

「ありがたくあります。では、村紗水蜜、高黍屋倉庫にて携帯天幕及び紐の受領後、死体探索へ出発いたします」

「うむ、ご苦労……」

 あります調で復唱の上に敬礼されたので思わず答礼してしまった。ほんとに海軍じゃないのかこいつは。

「して、藤花さんは」

「ウチはウチでやる事あるねん」

 そう言って藤花は野良着と手持ちの変装道具から長髪のかつらを取り出して見せた。

 

   *

 

「大丈夫かなぁ……」

 大陸で変装の経験もあるし、持ってきた装備の中には先述のしかるべき道具もある。ただ妙に勘の鋭い人間が周囲にいるのも確かだ。

 藤花は挙動不審にならないように、かつ目立たないようにそっと店を抜け出し鈴奈庵のある通りへと歩み出た。思えば小鈴も読書家だけあって洞察力に優れている。できるだけ店内の視線を避けながら、店の傍の河童公衆電話へ取りつく。

「すんなり出てやぁー……」

 記憶している番号は本来自販機の修理問い合わせ回線のものだ。ただ時間帯によっては、にとりが直接電話に出る事を彼女は心得ていた。

 番号をダイアルすると、河童の接客態度とは裏腹に軽快な音楽が流れて、相手を呼び出し中である事を告げられる。藤花が記憶したメロディを口だけ動かし、ノッてきたあたりで音楽が途切れた。

「あい、河城ですがぁ」

「……うらめしやぁ」

「何言ってんの煙草屋」

 一発でばれた。

「ウチもどうしてもにとりはんにキュウリを奢りたい!その一心で現世に留まって……あちょっとまって、命蓮寺読経Remixかけんといて。その音量はウチに効く」

「あいあい、てゆーか朋友生きてたんだ。なんか死んだって聞いたけど」

「ワケあって死んだ事にしてるだけやねん。内密にな。てか新聞まだ読んでへん?」

 藤花の耳を劈いていたユーロビート調の読経の声がため息が聞こえるレベルまで小さくなり、営業マンじゃないからねーと気の抜けたコメントが返ってきた。

「そうなんや……で、この回線でお願いしたいことがあるんやけど」

「えー、なに」

「佐々木奬って子の家に電話ってあるかな。良ければ番号教えてもらいたいんやけど……」

 藤花の願いに、何かポリポリしながら対応していたらしきにとりが電話交換手じゃないんだけどなあ、と声を上げた。

「顔広いんだなー、あいつも。ちょっと待ってね」

「おおきに!」

「通話料は三分キュウリ一本ね」

「エッ、アッハイ」

 にとりはにとりで妙なところで親切なのが読めない。言われた通りに待っていると、先ほどと同じ呼び出し音楽が流れ始めた。一応繋いでくれているらしい。しばらくそのまま、今度はサビまで流れ始めたので空いた手でリズムを取りながら歌う暇すらあった。

「……もしもし?」

「みーどり♪あっ?」

 思い切り歌ってしまった。

「ごめんごめん、奬くんかな」

「はい……えっ、あれ、どちら様ですか……」

 受話器向こうの声は困惑している。確かに電話加入者が圧倒的に少ない幻想郷にあって通話する人間は基本的に顔見知りばかりだろう。そこへ突然かかってきた電話だ、藤花の顔を覚えていてもすぐに結びつかないのは無理もない。

「ああ、ごめんごめん。ウチやで、煙草屋の藤花」

「と、藤花さん?なんでこの番号……」

「あー、それは、あれやん。こないだウチ来たとき教えてくれたやん」

 その時、奬は一服盛られて爆睡していたので記憶はないはずだ。騙されやすい性格であってほしい。

「そうだったんですね、あいや、あは、そうか……」

「?」

 藤花は気に留めていなかったが、奬は「おねえさんと番号交換とか久しぶりだな」みたいな感じで舞い上がっていた。だが直後の藤花のおずおずと切り出された依頼に、ちょっと声を堅くする。

「奬くん、前々から気になっとったんやけど……銃、持っとるよね」

「ちょっと待ってください、何でそれを……」

当然だが、焦りらしきものが音声情報からでも伝わってくる。だが藤花としてもまずは自身の目的を達したい、そういう人間であったので努めて奬には落ち着いてもらおうと再度口を開く。

「あいや、別にお縄とかやないねん。どうしても、今追ってるホシとケリをつけるんに必要なんやけど……こんなこと頼めるん、ウチには…奬くんしかおらへんの……」

「えぇ……」

 語尾を震わせて男の気を引いてみるが、果たしてどこまで動くかわからない。思わせぶりより、実利的な物言いが好まれるタイプだろうか。

「あとで、女の子紹介したげる。今夜会うねん」

 受話器の向こうで息を呑む音が聞こえた。あと一押しだ。

「えっえっ……俺、あの僕もしかして女紹介するって言ったら何でもしてくれるキャラみたいになってるんですか」

「……思ってる」

「ええぇ…………………絶対紹介してくださいね」

「ふふ、オッケーおっけー。ああ、あとキュウリも二、三本用意しといて」

「きゅうり?」

「好きな子がおるんよ」

 そして今夜里に一番近いニトマートの前で、と言って通話は終わった。

 高堂の能力を鑑みると、無策で丸腰は一番いけない。使い慣れないものであったとしても、何かしら小道具がある事が必要だった。

 




ついに、よその子を使いっ走りにしはじめました、藤花さん。


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紅の自警団⑰

 竹林へ向かって、日の影り始めた道を歩いていた。

 まだ日も短く、逆光の自然は真っ黒い影となって日中感じさせる優しさのようなものを拒絶して視界に迫ってくる。それは生命とは真逆の、肌に冷たい風のせいかもしれない。

 最終決戦に向かう勇姿にしては、少しさびしい。

 北支戦線で八路軍を急襲した時もそうだが、藤花の戦い方は常に地味で妙に泥臭かった。上海時代が懐かしい、と思ったが上流階級に取り入ってというような華やかさでもなく、使用人とチェスをして接近などというような手法ばかりだった。

 正道とは無縁。

 それが情報員だと分かってはいても、いや、割り切っていたがどこかで釈然としない自分がいた。

 死んでも靖国に名前が刻まれるわけでもない。しかも自分が外へ帰りたい理由の一つでもある戦友たち、彼らは藤花と違う。しかしその最後や故人を偲ぶ遺品は国へ帰れず、生きた証を抱えた藤花が消え失せてしまっては本当に消えてしまう。

 人は、その人を記憶する人が消え失せて初めて死ぬ。

 それが藤花の思想だった。自分とて、忘れ去られたくない。だから屈託のない顔で忘れないと言ってくれる、わかさぎ姫たちのような存在が彼女には何よりも大切だった。

「寒いと考えが暗くなってあかんなぁ」

外套を羽織ってこなかった事を少し後悔した。

その時であった。前方が、嫌に騒がしくなった。何やら追いかけっこの声も聞こえる。それも子供の遊びではなく、本気で捕まえようと、逃げようとする足音と、混じる怒号。

「止まれエェーッ!」

「およ」

 曲がった道の向こうから、怒号は接近してくる。だが妹紅より先に別の人影が飛び出し、あわや藤花と衝突しそうになる。

「どけェーッ!」

「正邪!?」

 姿を現したのは、赤いラッシュの混じった髪を振り乱し、疾走してくる正邪だったのだ。珍しく真剣な表情で全力疾走していた彼女は、藤花を見止めるや否や口元を歪ませていつもの天邪鬼な顔つきへと戻る。

 藤花の横を駆け抜けるかと思われたが、素早く腕を回して彼女を軸に方向転換し、そのまま腕を巻きつけて密着。片手にはどこから取り出したのか45口径まで握りしめている。

「へッ、へへへ、神様たちは私の味方だったみたいだなァ……」

「あっ正邪貴様!」

どうやら竹林付近で出くわして追いかけてきたらしい妹紅が思わず驚きの声を上げる。

「どーぉするよ!竹林の案内人さんは人質もろとも私を撃てるか!」

「どこまでも卑怯なやつ……!」

 ここへ来て、藤花は感じていた違和感の原因を突き止めた。

 正邪は、今人質に取っている女が藤花だと気付いていない。長い黒髪と化粧で顔だちも違った印象になるように変装しているので、当然と言えば当然なのだが、思いがけない効果をもたらしたようだ。

 妹紅まで気付いていないといけないので、もがくふりをして正邪に気取られぬようかつらを少しずらして地毛を引っ張った。ついでに目の形を変えるために小さく貼っていたテープもはがす。

 案の定、妹紅は目を丸くしていた。だが、気付いてくれたと分かる。

 とりあえずこれで大丈夫だろう。二人は、小さく頷きあった。

「瓜子姫、今助けるからな」

「う、うり……えぇ!?」

 予想外の名前が登場し、正邪が素っ頓狂な声を出して抱きすくめている人物の顔を覗き込もうとした時、藤花は正邪が顔を回そうとした方向へ一気に上体をひねらせた。抑え込もうというブレーキが緩んだ方向へ正邪は引っ張られ、二人してバランスを崩しそうになる。妹紅が走り込みとび蹴りを直撃させる時間を稼ぐには、それで充分であった。

 その後、二人がかりでしっかりと正邪を縛り上げ、ビンタしまくった。

 嘘交じりの正邪の証言と、妹紅の情報、そして藤花が里で得た情報を突き合せたところ、死体の見分の為に正邪単身で里の近くへ潜り込み、ついでに食料泥棒をやらかすつもりだったようだ。しかし途中で妹紅に発見され、現在に至ると。

「妹紅はん、車ある?」

「あるけど、ニートが邪魔とか言ってきたからニトマートの前に停めてある」

「おお、丁度ええやん。ニトマートで人と待ち合わせしとるからそっち行こうか」

 

   *

 

 丸焼きよろしく長い木の棒へとくくりつけられ、ウマい話があるから聞いてくれとか実は双子で悪さをしていたのは妹の方なんだとかいろいろ嘘を騒ぎ始めた正邪を二人で担ぎ、約束の時間の差し迫るニトマートへと急いだ。もちろん正邪の銃は藤花が失敬して腰に差している。

 時間通りにムラサは来ているらしい。既に店を閉めたニトマートの前には、大きな包みと壁にもたれている人影がある。

「あれ、藤花さん正邪捕まえたのでありますか!」

「いやあ、なんかそこで会うてね……」

「ありゃあ、せっかく死体用意したのに無駄足でしたね」

 死体を用意したと言っているムラサの後ろの袋は何故か動いており、「あー」とか「うー」とか「はーれのさんさも!」とか色々口走っている。

「ムラサはん、死体はしゃべれへんよ……何入れてきたん」

「こっちのほうが犯人が覗き込んだ時に食らいついたりして便利かなと思ったのであります」

 そう言って袋の口を少し開けると「中身」が顔だけを出し、青いカボチャ帽を被りお札をつけられた頭がぽこんと飛び出してきた。

「キョンシーやんけ!」

「でも、これは実際犯人にけしかけたりすると便利であります」

「まーどのさんさも!」

 袋から顔を出すキョンシーに正邪を近づけるとものすごく首を振って逃げようとするので面白かったが、縛った正邪で遊んでいる暇はない。どこからともなく排気音が接近してくるのが一同の耳に入ったのだ。

「単車、でありますか……?」

「にしては小ぶりやなあ。でも高堂が正邪取り返しに来たんやったら厄介か……せや、ウチの変装用かつらかぶせて盾にしよっと」

「ハンッ、三下の知恵でそんな上手くいくわけ……やっぱ無理むりいやいやいや、そういうのやめようぜ!なあ!!なあってば!!!おい撃つなよー!」

 かつらをかぶされて別人の顔で騒ぐ正邪を見るのも面白かったが、幸か不幸か近づいてくる音の主は高堂ではなかった。なにより奪還作戦にライトをつけた単車で乗り込むのもおかしな話だった。

「ああ、あれ奬くんか」

「お待たせしました!」

 ラフに肌着など見せているが、淡いジャケットを羽織りカジュアルさを損ねない完ぺきな春先ファッションで固めた奬が、原付に乗って颯爽と到着した。モッズよろしくパーカーコートなど羽織って服への配慮も万全だ。

「えらい気合入ってるやん。デートでも行くん?」

「えー。だって、せっかく……じゃなかった、まずはお仕事を済ませてしまいますか」

 そう言って降り立った奬は、座席の一部と後部を利用して器用に結わえつけられた荷物をどさりと下ろす。米軍のダッフルバッグめいてもち運びと梱包開梱が容易になっているそれをひっくり返すと、銃と弾倉がごろごろと出てきた。

「お好きなものをどうぞ」

「おぉ………おおお」

「いや……はははは、こりゃすごい」

 銃一丁につき、当然予備弾薬が必要になるので実際の種類以上の黒い山となっているのだが、却ってそれが壮観で何とも頼もしい山に見えてくるのだった。

「流石やわ奬くん!やればできるやん!」

「それと、はい、キュウリも」

「おっ、サンキュー」

 奨はしっかりと袋詰めされたキュウリも用意していた。藤花は笑顔で受取り、もみ手して銃の選別にかかる。この際、苦手意識は持っていられない。散弾銃もあったが、妹紅が手にしたので彼女に任せる事にした。藤花は黒光りする拳銃を取り、一丁だけの代わりに予備弾倉は多めに頂く。

 だが、和気藹々とした時間もこれまでだ。正邪の戻りが遅いと高堂も気付いているに違いない。これから向かうのは相手の構える筒先の真ん前だ。藤花と妹紅は静かに顔を見合わせて頷く。乗り込むのは妹紅の愛車である白塗りのアルファだった。

「ちょ、ちょっと藤花さん」

「何やのカッコよう出撃しよ思てたところに」

 車に向かう藤花を、遠慮がちに奬が呼び止めた。

「藤花さんの紹介してくれるって誰の事なんですか」

「あぁそうやった……悪いわるい」

 藤花は苦笑して妹紅に少し待ってくれと言い、後ろを指さした。

「ほら、河童、船幽霊、死体、よりどりみどり」

「え、えぇ……」

 流石の奬も不満をあらわにする。彼もまた幻想郷にそれなりに通じていれば、目の前のメンツの名前すら分かってしまうだろう。

 しかし、そんな奬の視線が一人の人物に向けられて止まった。

「あれ」

 藤花も視線の先にあるものを見て、理解した。奬は見慣れない少女に気を取られていた。藤花は大急ぎで取って返し、縄を懐の小刀で切った。正邪も怪訝な顔をする。

「え……な、なんだよ」

「こいつについて行ってドンパチが収まるまで大人しゅうしててくれるんやったら、あんたとは今夜会わへんかった事にしといたる」

「何だって……」

「と、藤花さん。その人は……」

 小声で正邪への耳打ちが終わると、立ち上がって振り返り、にんまり笑った。

「そうかそうか……奬くんも隅に置かれへんな。確かに、せいちゃんって野性味と清楚のバランス抜群やもんね。ぷれぜんと・ふぉー・ゆー!」

「うおお、ほんとですか!綺麗だ……」

 ビシッと西洋人よろしくサムズアップを決めると、せいちゃんこと正邪を奬へと明け渡す。

 並んで立ち、周囲からお似合いだとかご両人なんて声をかけられて奬は顔を赤くしている。一方、未だ状況の呑み込めていない正邪は、かつらを外すのも忘れてきょとんとしていた。正邪に対する先入観を排除すれば、確かに小柄なのにキツめの視線に黒髪ロングヘア―(かつらだが)は男心をくすぐるのかもしれない。

「ほな、おふたりさん!達者で暮らしやー!」

 車に駆け込む藤花が笑顔で叫ぶ。奬の方も愛車のスタンドを蹴飛ばし、出発の用意をしている。正邪は、彼の事を逃がし屋か何かと思い始めたのだろう。あの天邪鬼が他人のスクーターの始動を静かに待っているのはなんだか微笑ましい。

 やがて二台分のヘッドライトが並び、藤花と妹紅は手を振って囃し立てる。正邪はというと、天邪鬼な叫びを返していた。

「はぶ・あ・ぐっど・タイム!」

「いぇーい!」

「うるせー!」

「丈夫な子を産めよー!」

「いぇーい!」

「ふぁっきゅー!」

 正邪のお礼(とは思えない何かの叫び)がスクーターの灯と共に遠ざかっていく。

「いぇーい!…………ははは、奬のやつ、分かってなかったんじゃないかな」

「正邪も分かってへんかったと思う」

一通りの騒動とやり取りを終え、ニトマートの敷地を出ようとする車へ、ムラサが駆け寄ってきた。

「私も行きます!」

「面倒なところばっかりムラサはんへお願いできへんよ。それより、里のことお願いな」

「や、やだなあ。それじゃあもう会えないみたいな挨拶じゃないですか……」

「元気でな、いい女見つけなよ」

 妹紅と藤花が静かに笑い、車は森への道を滑って行った。

 ムラサは追いかけようとして数歩走りかけたが、それ以上は続けなかった。

「妹紅さん……藤花さん………」

 




もこたんの愛車はアルファロメオ164です。あんな曲がらない車を幻想郷で乗るのはどうかと思いますが、まあカッコいいのでヨシとしましょう。

そしてコラボしてくれた「玄関開けたら~」の佐々木奬くんですが、能力を利用させてもらいこちらも火器を準備することができました。
初のコラボ相手に天邪鬼をあてがったのは悪かったかなと思いつつ、面白かったので許して下さいなんでもryという気持ちです。

では、次回から本格的に高堂への復讐が始まります。


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用語解説(4)

決戦シーン前に久しぶりの用語解説です


 

アルファロメオ164……

イタリアの自動車メーカー、アルファロメオが1987年から販売していたセダン。人里自警団竹林分団の覆面車として白の同車が配備され、妹紅が乗っていた。

レパードほどではないが、あぶない。

 

 

 

憲兵マント……

日本軍の憲兵向けに制定されていた防寒具の一つ。通常マントというとすごい丈の長い印象があるが、これは腰くらいまでしかなく、馬や車、バイクに乗る際に邪魔にならないようになっている。そのぶん防寒性能は限定的だったが、かっこいいので好んで着用する人も多かったとか。

ばんきっきの出で立ちを藤花が「怪人赤憲兵マント」と表現した。

 

 

 

スタームルガー・セキュリティシックス……

アメリカの銃器メーカー、スタームルガー社が販売する6連発リボルバー。

それまで同社のイメージは安さが先行していたが、本銃は引き金を指の力で引かないと撃鉄と撃針が噛み合わないという安全装置を組み込み、コルトやS&Wが採用していた横にカバーを持つ構造ではなく引き金のガード周りと一体化した機関部とすることでメンテナンスのしやすさを持たせた点などが顧客に評価され、同社を一流の銃器メーカーへと押し上げた。

本編では妹紅が6インチモデルを使用。

 

 

 

 

ザウエル……

本編中に名前こそ登場しないが、わかさぎ姫の水中ハウスで照明代わりに随所で光っていた石がこれ。

香山滋の冒険小説に登場する架空の宝石で、ニューギニアの奥地に住む肺魚が消化器官の中に持っており一個一億円くらいの価値のあるものとか。

香山滋って誰だよって思った人、ゴジラの原作者っていうとだいたい「あー!」って言ってくれる。

 

 

 

 

本作の小悪魔……

名前があったりなかったり忙しいキャラだが、本編では「メイド妖精=昨夜の部下」としてパチュリー部下で小悪魔複数いる説を取った。

直接呼ばれるシーンは無いが、名前は「パンタグリュエル」。

パンタグリュエルとはフランスの風刺小説に登場する巨人・ガルガンチュアの子の名前だが元ネタを辿ると聖史劇上の小悪魔に行き当たる。

ちなみに風刺小説の中ではルー・ガルー退治に赴いており、もしかして影狼と仲が悪いんじゃないか説というものも副産物として生み出された。

外見としては紅魔郷小悪魔を更に髪を伸ばして首元装飾を無くし、サイドウェーカラーのアウターを羽織らせたスタイル……と妄想ばかりたくましくなっているが本編では描写する隙が無かった(しまった)。

性格は比較的大人しく、人間につっかかる事も少なかった。また数少ない紅魔館喫煙キャラとして、庭の隅で藤花と紫煙を絡ませる程度の仲だった。



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紅の自警団 ⑱

 高堂の待ち伏せが湖に到着してからとは限らない。正邪をしばいた後で聞きだした情報は、いかんせん天邪鬼相手とあって信頼性には、良く言えば限りがあり、悪く言えばあてにならないのだ。

 

   *

 

「プリズムリバー邸?」

「ああ、あいつなら戻るかもなぁ」

「湖近くのスラム?」

「身を隠すならそこなんじゃねえの?」

「水が必要でこないだの池の近くに野宿してる可能性は」

「それはねえんじゃねえの、変な奴」

 

   *

 

 と、まあ始終こんな感じであった。もし否定の解答が「イエス」の裏返しであったのなら水源地の近くにキャンプを張っている可能性がある。

藤花は、高堂の戦闘能力と装備について聞くついでに、かつて竹林を訪れた彼について妹紅から思い出話を聞かされていた。

「うーん、地底では穴の中だっていうのに土蜘蛛相手に催涙ガス使ったりして霊夢がぼやいてたな。戦ってる最中に自己判断で煙草を吸い始める、現場で作ると時間がかかるからって移動が遅くなるレベルの弾倉を持とうとして空飛べる連中に後れを取ったり、そのくせ天人相手にした時は相手の目の前で大掛かりな機関銃を作り始めて……ごめん、私にもよくわかんないや、あいつ」

「妹紅はん……前々から思っとったんやけど、高堂って別に元軍人や無いんやろ。なんか教範を持って戦っとる感じがせえへんもん……厄介なのは能力と、出てくるテッポウが河童の工場で作っとるのよりも新しいって事くらいやね」

 長々と話していられるのも、ライトを暗めに、エンジンを絞り運転しているからだ。会話で小ばかにされている高堂とて、待ち伏せ戦術を取れば戦局は有利に運ぶ。妹紅の次のセリフで、更に用心している理由が語られる。

「もしかしたら私の話を聞いて投降してくれるかもしれないって思ってる節もあるけど、どうかな……力に酔ってる若い子ってすぐ尊大になるから。でも怖いのは重火器もだけど、暗闇を見透かす機械とか、離れたところの音を拾う機械とか、そういう能力を補う装置も出してたって事だね」

 藤花も、脅威に感じるとしたらその点であるという意見には同意だった。米軍と相対した事はないが、集音マイクによる警戒網は夜襲の際に大きな障害となるだろう。

 その時、車載無線機に雑音が混じった。

「あー、あー、聞こえてるかな」

 世間さまを見下すような若干幼い声。手段と言い態度と言い、これは高堂からの入電だろう。

 車は止めずに走り続けて、と妹紅へ耳打ちして藤花は静かに受話器を取った。

「高堂か」

「自警団だか知りませんが、ごっこ遊びであんまりこっちの手を煩わせないでもらいたいもんなんだけどね」

「よぅ言われるわ。特にあんたみたいな犯罪者には」

 確かに聞いていてイライラしてくる口ぶりだ。レミリアが一度ぶちぎれたと耳に挟んだことがあったが、よくぞ一回で済んだと思う。

「その関西弁、聞いた事ある。標準語で喋れよ。お前も外来人だってな。あのなぁ、ぽっと出の素人が戦争できると思ったら大間違いだぞ」

「ひょーずんご忘れてしもたんよ。世の中の事を分かりきったつもりでおるとっちゃん坊やは今までぎょーさん見てきたけど、ウチの事まで知ったつもりでおる奴は初めて見たわ」

 高堂は答えない。

「プロやったら教えてもらおか。ウチも自警団はさっさと抜けたいところやねん。せやな……猟師でもええかもしれへん。猪撃ちと鹿撃ち、装薬の緩燃性を重視するならどっち?雷汞を含む弾薬をクロムメッキしたメトフォードボアの銃身で発砲した場合に錆が発生するのは約何発撃った時?初速940m毎秒で撃つ時に獲物の肉を損じない弾頭の種類は?このヤマ終わったらウチも自警団やめるからさ、教えてくれへん?」

 通話状態にはあるが、高堂は答えない。藤花とて銃は仕事上必要な扱いを心得ているばかりであって専門家ではなく、これらの質問の解答を知っているわけではない。

 森の湿度と地形から鑑みて、個人が携行できるような無線機で会話できるという事は、高堂はかなり近くにいるのだ。至近距離からの射撃を外させるには、雑念と怒り、後は呼吸に乱れも欲しいところなのだ。

 撃たれたら即座に車を滑らせられるよう、藤花の手がそっとハンドルを取る妹紅の手に重なった。彼女も、時間稼ぎと気付いたのだろう。小さく頷いてハンドルを握る手を固くする。

「答えられるわけないやんな。とっちゃん坊や。あんたのおったところの証言まとめたけど、あんたロクに弾薬の選定も照準眼鏡の調整もせずにドンパチしてたらしいやん。魔理沙はやられたふり、美鈴はあんたが職にあぶれないように寝たふり、妹紅はんだってあんたの心境を心配して相談に乗っとっただけなんやで。ゴムだか知らんけど、会話ついでに女の子撃つようなあんたは鬼になんてなられへん。せいぜい野良犬から良性取っ払った野犬がええところ。おい犬!返事せェや!」

 怒鳴ると同時にタイヤが悲鳴を上げた。走行中の車内からでも聞こえる、弾をめり込ませて枝を落とす木々の音が聞こえる。ハンドルを切っていなければ防弾車とて無事では済まなかったろう。前方に夜の僅かな光を浴びてぬらりと揺れるものが見えた。おそらく湖の近くに到達したのだろう。ここまで来ればある程度道は分かる。ライトを消し、速やかに襲撃現場を脱した。

「妹紅はん、湖まで出たら却って奴と離れすぎてしまうかも……」

「遠くからじゃタマ数でも得物でもこっちが不利か……せっかくの説得の用意も藤花の啖呵で不要になっちゃったね」

「え、それじゃまるでウチがキレさしたみたいやん!」

「だって藤花があんなこと言うから!」

「どのみち撃たれるんやから外させるにはああするしかないやん!」

 不要な議論を生じさせるコンビに対して、主張するように車外を風切音が走った。

 後ろにいて追ってはいるのだろう。ミラーを覗き込んでみるが、流石に姿までは見えない。魔理沙からもらったフラスコボムは2発あるが、まだ使うときではないだろう。

「どうする?このままいけば5分で湖だ!」

「車は停めずに……飛び降りよう。追い越した今なら、こっちが不意打ちに持ち込める!」

 アクセルに棒切れをかませ、速度の上下が収まったのを見て、藤花は二人で飛び降りる瞬間の安全と引き換えに、フラスコボムを一つ犠牲にする決断を下した。

 一瞬だけライターを擦り、藤花は腕時計の文字盤を確認する。

「2時間以上かかりそうなら、一目散に逃げるで。それ以上は弾を節約してもこっちが持たへん……100分でケリつけよう!」

「オッケィ!」

 暗闇に白の襦袢と青い支那服が躍る。タイムリミット100分の復讐劇は、そうして幕を開けた。

   *

 

 文明の光が存在しない魔法の森を俯瞰すれば、一点の光を見出すことが出来ただろう。

フラスコボムは青みがかった炎を上げて燃えていた。藤花は極力炎には目もくれず、のろのろと走り去る無人のアルファを数秒だけ見送ると大事に抱えて飛び出した雑納をかけ直し、匍匐で道路を渡って妹紅を探した。

ここ数日、藤花や正邪がぶっぱなし続けているおかげか動物の鳴き声はほとんど聞こえない。それでも、幻想郷にあっても虫の音だけは夜の空気に満ち満ちている。

ここでじっと待つのも手だが、暗視装置付きと思われる高堂がのこのこと出てくるような真似をするとは流石に思えなかった。

暗視装置なら藤花も知識だけながら聞いた事がある。ただ彼女の知るものより小型軽量化が進んでいるであろうことは心得ていた。

妹紅も道路の反対側に伏せていた。道の脇に出来た窪地に入り、丁度銃を抜いたところだった。

「さっきの無線やと、ウチしかしゃべってへんけど、妹紅も説得してみる?」

「もう遅いって……」

 ここへ来て気になり始めた敵の情報もいくつかあったが、既に砲門が開かれた以上ひそひそと話しこむ余裕はない。藤花の脳裏には、蝮の大移動めいてうごめきながら無音で接近、切込みをかけてきた共産ゲリラとの戦闘を思い出していた。

 だが、高堂は藤花の既知の戦術と全く異なる方法を取った。突然炎の向こうで閃光が走り、一瞬視界が紫色の残影で染まる。耳を劈くような爆音と共に。だが炎の向こうだけあって、藤花は驚きこそしたものの知覚に大きな影響はない。

「え、なにあれ」

 道路の両脇に展開して待ち伏せと考えていた藤花は、出鼻をくじかれたと思い思わず身を固くする。今道路に飛び出すのは危ないが、閃光が炎の向こう、すなわち来た方角からだったのが気にかかった。

「確か、あいつもボムみたいなの投げるんだよ。ある程度の範囲にいると、耳と目をやられてしばらく動けなくなっちゃうらしい」

「なんとなく機能は分かったけど……それって…筒か何かから飛ばしとった?」

「いや、手で投げてたよ」

「………………」

 こちらも同様の装備で固めていると思ったのだろうか。にしても暗闇でわざわざ自分が近くにいると分かる投擲武器を使いながら前進してくるのはどういう了見か。いずれにせよ、彼はあの近くにいて威嚇しつつ前進しているという理解で相違ないだろう。

「いるのは分かった。回り込もうか」

「いや、万が一罠やとまずいから、湖の方角にじりじり下がりながら待つで。あいつが道路を堂々と来るか、森の中を来るかもまだわかってへんからね」

 おしゃべりもこれくらいにした方がいい。死にはしない弾幕ごっこと違って相手は殺すつもりで撃ってきている。妹紅には「今度近づくときは鳥の鳴きまねをするから、そんときは撃たんといてね」と言い含めて一足先に森を前進した。頃合を見計らって道路を渡らなければならない。

 道路の端までにじりよると、手ごろな石を見つけて手榴弾の要領で伏せた姿勢から一気に遠投。数秒して遠くで枝にぶつかりながら落下する音がかすかに聞こえた。

 その後だ、くぐもった銃声が数発、音のした周囲に拡散して消えた。おそらく消音機の類を装着した小銃だろう。しかも自動小銃と来ている。発砲を誘発できたのはこちらの意図通りだが、相手が装備に恵まれているせいで位置までは特定できない。

 罠に気を付けながら、じりじりと湖の方向へと這い進む。

「…………?」

 遠く落ち葉を踏みしめる音が時折聞こえる。妹紅も立派な革の編上靴を履いていたが、仮に藤花の知るような兵隊靴と同じだったとしても足音が少し違うように思える。

「藤花!」

 妹紅の叫びが聞こえ、銃声が轟く。高堂が持ち替えたりしていなければ、あれは彼女の散弾銃だろう。何よりこちらに飛んでくるような弾もない。

 藤花は太さのしっかりした木にぴったりと身を寄せ、ゆっくりと顔を覗かせて敵の存在を示す兆候がないか注意深く視線を巡らせた。妹紅が発砲に踏み切ったという事は、敵は近い。

 起伏の多い森の夜景の一点に視線を固定し、視界の中で動くものがないか待った。

 何かいる。

 妹紅の叫びとあの位置では、短時間に移動するには疾走しても間に合わない。つまり、自分たち以外の誰かだ。

「来たな……」

 だが直後、聞き覚えのある抑え込まれた銃声が立て続けに響き、藤花の隠れている周辺で木の裂ける嫌な音が漏れ出でる。衝撃が身をかすめるたびに、反射で体が跳ねてしまう。フルサイズのライフル弾とはかくも恐ろしいものなのだ。

「来いよ関西弁、それとも降伏したらどうなんだ」

 慇懃な高堂の声が着弾音に交じって聞こえてくる。だがそんな状況下でも藤花は身を伏せて待っていられるのも、逃げも隠れもしない銃声、妹紅の散弾銃が近づいてきたからだ。

 そして数えていた。彼の連射が二十発で途切れる、その瞬間がもう一度訪れるのを。

「18……19……20ッ、頼むで奨くん!」

 とっておきのG18Cが藤花の手の中で爆ぜた。だが藤花は知らなかった。発砲直前にいじったレバーが安全装置ではなくセレクターである事に。

「ッひぃ!?」

 情けない声が出た。流石に引き金を引きっぱなしにするようなヘマはやらかさなかったが、数発はラッキーホームランめいて木々を突き抜けあさっての方向へと消えて行った。

「もおおお……なんちゅうテッポウ」

 藤花の発砲に呼応したのか、新たな銃声が増えた。新手ではあるまい。高堂は散弾銃と連射火器を目にして相手の評価を改め、M21狙撃銃を捨てて更に短い突撃銃へと切り替えたのだ。銃の名称など知る由もない藤花からすれば、「なんかうるさくなって見えやすくなった」位の感動であったが、高堂の動きが明らかに変わった。先刻よりも躍進距離が延び、足音も聞こえるようになった。おそらく高堂の中で狙撃銃と突撃銃を構える人物の動きが異なるのだろうが、状況が同じでは却って目立つようになっただけである。

 そのまま顔を出したりひっこめたりしていては、相手の狙いが次第に正確になる。藤花は木の反対側から、発砲炎を目に入れないよう暗闇に慣らした目を銃本体の影でかばいつつ二、三度バーストで相手の注意を引いた。最後の一連射で、藤花は世話になった大木の下を離れ、次の身を隠す場所を求めて跳躍した。向こうでは藤花に構っていた高堂へ、妹紅が牽制し動きを封じている。

「ナイスフォロー!」

 藤花は雑納から予備の弾倉と、最後一本となったフラスコボムを取り出して視界に入った獣道を見てにやりと笑った。

「仕掛けるんやったら、ここかな」

 



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紅の自警団 ⑲

 獣道に罠を仕掛ける前に、妹紅を前進させなければならない。高堂を足止めしたところで、相手の弾薬は無尽蔵なのだから、再装填中か躍進してくるところへ攻撃を仕掛けなければジリ貧状態となる事を藤花は心得ていた。

 点射二回、その合間に妹紅を短い叫びで呼び、相手は二度目の点射が終わる直前に応えた。高堂が銃声が途切れたのを確認して銃を構え、撃ち返してくるまでの間に妹紅は道を渡って藤花のすぐ傍へ滑り込むことが出来た。

「弾はどない?」

「道路越しじゃ駄目だ、雑草で遮られちゃう。真ん前でぶっ放せば強いだろうけど…」

「それで、朗報」

 藤花はフラスコボムを柄付き手榴弾よろしく持ち上げて見せ、それで獣道を指し示した。妹紅は今一度両者を見比べ、頷く。

「やろう、放っとけば弾の数でこっちが不利になるばっかだもん」

「妹紅、適当な紐ってある?」

 どういう原理か分からないが、フラスコボムは投げて爆発させるものらしい。ということは適当な高さに吊るして相手が足を引っかけたりこちらが吊るしているものを切ったりしてフラスコを落とせば罠としての機能は完成する。しかし、二人して身一つで飛び出したものだから身に着けている装備は極めて限定的だ。

 藤花が妹紅のサスペンダーを引っ張ろうとしたが、全力で拒否された。確かに、ずりおちたもんぺで足をもつらせて撃たれるなど、やられている様もやられた後の評価も恥ずかしすぎる。警防団大演習の二の舞はごめんだろう。

「もう、別の場所で投げて使おう。早くしないとあいつ追いついてくるよ」

「うーっ………」

 藤花は、あちこちの物入れや周囲を探って紐の代わりを探したが、そもそも人通りの無いに等しい森では、そうそうゴミも落ちていなければ漂着物が都合よく転がっている等という状況はなかった。せっかくの好機を逃すわけにもいかないが……。

「妹紅、それ貸して」

 藤花は散弾銃をひったくった。

「藤花、ここじゃ良くても相打ちだよ」

 だが藤花は、高堂めがけて飛び出していくでもなく、銃身下のハンドグリップを操作してすべての散弾を抜き出してしまった。

「ちょ、ちょっと」

 散弾銃が空になったのを確認すると、物入れから小刀を取り出し、片手いっぱいの(それでも数発だが)散弾と共に妹紅へ手渡した。

「それ切り裂いて中の火薬全部出して!」

「わ、分かったよ…!」

 妹紅が作業に取り掛かり始めると、藤花はグロックの弾倉を入れ替え、獣道の入り口を今一度確認する。待ち伏せを警戒し、ある程度探し回りながら進んでいるのだろう。位置関係としては、獣道の今いる地点はなだらかな坂を上る途中であり、視界は限定的だが、高堂が進んで来ればすぐに分かる。両脇にしっかりとした岩のある地点を見つけ、ここを待機場所とした。

「と、藤花……終わったけど、こぼれそうこれ……」

 押し殺した妹紅の声に振り替えると、粒状の火薬を掌に載せた妹紅がそれを崩さぬようにゆっくりと振り返ろうとしていた。

「これで、蟻の行列みたいに岩陰からこの木まで道を作るんよ。……んで火を点ければ」

 藤花は遠すぎず爆破しても危険のなさそうな距離の木に又のある枝を立て掛け、そこに泥を塗って偽装したフラスコボムを挟み込んだ。そしてボムをかませた枝を、火薬に火が走れば焼けてバランスが崩れるよう微調整する。今のところ無風だが、点火の瞬間まで何事も起こらない事を祈るしかない。

「大丈夫かな……」

「時間無いねん、しゃーないよ」

 話し声か作業の音を聞きつけたのだろう、厚いビブラムソールが落ち葉を踏みしめる音がはっきりと聞き分けられる距離にまで迫っていた。

「待ち伏せして、その後はどうするつもりだ?妹紅も残念だぞ、お前は味方だと思っていたのに」

 藤花は位置を露呈させるために一発撃って怒鳴る。

「ウチの話聞いてなかったんか、妹紅はあんたが先生にキレるほどグレとると思うて相談に乗っただけやってのに、あんた、受付嬢が自分に惚れてると思うタチやろ」

 応答は弾であった。

 おそらく数十発の弾倉なのだろうが、先刻の狙撃銃と比べて射撃が再開される間隔が短い。近接戦闘に切り替えるだけの判断力はあるようだ。試しにギャッと叫んでみる。

「藤花!?」

 示し合わせていなかったものだから、妹紅が驚きの声を上げる。却って真に迫った演出として高堂も戦果誤認したのか、発砲が止む。すかさず手近な石を獣道の行く先、頂上の奥で下り坂になっているだろう方角へと転がした。狭い一本道なら突入を躊躇うかもしれないが、負傷した藤花が先へ逃げたと思えば踏ん切りがつくかもしれない。

 悪戯っぽく舌を出し、妹紅の方へ振り返ると彼女も事情を察したようだ。大丈夫か今行くと叫んで藤花と同じ真似をして見せた。結果として、真に迫った状況が物陰から作り出された。

これで獣道はクリアしたと踏んだのだろう。相手が上り坂の向こうへ消えたのなら高みに陣取って地の利を得ようという腹積もりか、若干速まった足音が近づいてくる。

そう言えば火薬の道は向こうの岩へ続くように作ったが、妹紅は火種を持っているだろうか。再び、今度はやや不安げに顔を向けた藤花に、妹紅は指を振って口許へあてて見せた。

めっちゃかっこいい。

 藤花は、声に出さずに相棒を称賛して見せた。そして今度は彼女がゆっくりと手を上げる。入り口から罠までの歩数は、当然記憶している。

三、二、一……。

手が振り下ろされる。

妹紅の指先に火が灯る。同時に、花火か爆竹か、細かな火薬の粒が数多の破裂音を立てながら物陰から枯れ草を焦がしながら走った。

「伏せ……!」

 二人の向こうで、轟音が巻き起こった。

 

   *

 

「……上手くいかんと困るけど、上手くいったもんやね」

「………これさ、スペルカードで吹き飛ばしても、よかったのかな」

「も、妹紅……」

「は、はい」

「そういう事は早う言って」

「な、なんかごめん」

 吹き飛ばされた枝や木片の落下が収まると、二人はゆっくりと顔を出した。

 元は弾幕ごっこ用、手榴弾よりも威力は劣るしガラス容器では破片によるダメージも期待できまい。吹き飛ばして頭でも打っていてくれれば重畳、そうでなくともとどめを刺す時間的余裕が欲しい。

 周囲を焼け焦がした爆発の後に立つと、草木とボムと思われる匂いが混じって何とも言えない臭気を発生させていた。流石に山火事はあるまいが、チリチリと線香めいた煙を上げてくすぶる枝を踏み消しながら、ボムを仕掛けた木と反対側をゆっくりと覗き込んだ。しかしこうも暗闇では迷彩服を着こんだ人間の姿はそうそう見つけられるものではない。

 二人は頷き合い、意を決して草をかき分け始めた。最初に見つけたのは、枝に引っかかったHK416だった。弾倉が抜けており、遊底も後退しきって止まっていた。もはや火を噴かないそれを、とりあえず藤花が元来た道の方へ放り投げる。

「あれは戦利品になるかな」

「死体持って帰るんもあれやから、何か言われたらあれ見せたらええかもね」

「こっちは?」

 妹紅が拾い上げたのは、米軍式ピストルベルトだ。熱で溶けたと思しきナイロンの残骸が所々にぶら下がっていた。簡単な作りのバックルだけが綺麗に取り外されていた。

「え」

 この状態で遺すには、自力で外すしかない。

 長大なバネを押し縮めるために槓桿を二度操作する音が聞こえたのと、藤花が妹紅を押し倒したのはほぼ同時であった。

   *

 

「あんなん野戦やない…!ただのテッポウのごり押しやんか!」

 妹紅を引っ掴んで窪地へ転がり込んだ藤花が絶叫する。50口径弾は容赦なく周囲の木々をなぎ倒しているが、幸いにして二人に被弾は無い。自然の原理に従って二、三回転がっていた二人は、やがて藤花を下敷き、妹紅を上にして止まった。

「藤花……もう放してくれて大丈夫だから」

「う、うれしい……」

「何だって?」

「くるしーっ」

 互いにしがみつく腕の力を抜き、妹紅が上体を起こすと胸の下からちょっと笑顔の藤花が現れた。高堂は追撃してこず、盛んに重機関銃を乱射している。ボムによる不意打ちに対する怒りからか、とにかく弾を次々に生成して撃っているようだ。

「ふぅ……明らかに冷静さを失ってるなあ、あれは」

 数発の点射がいつのまにか間断ないフルオートと化している。もしかしたら銃身の過熱もそのままに引き金を引き続けていたせいかもしれないが、わざわざ敵の前で据え付け式の重機を出して来たり銃身もしくは新たな銃の生成をせずに撃ちまくっている事から、妹紅の判断は結果としては正しいもののように思われた。

「休んどる隙はない……動かれへんテッポウに切り替えたんやったら、回り込むまでや」

 ここへきてようやく拳銃が有利になってきた。高堂の気が変わらぬよう、銃声の合間に「前に進めないよ」だの「やばい」だの消極的な台詞を吐き続けて圧倒されるキャラを演じ続けて移動を開始する。

二人はそれぞれの得物を引き抜くと地形の低みを縫って進み、藤花は銃声が近づくにつれて上着を脱ぎ始めた。

 位置が露呈する発声はここで控え、藤花は脱いで丸めた上着を着た方向に向かって思い切り遠投した。夜の森におぼろげに輪郭を浮かび上がらせつつ、木の葉めいて枝に引っかかりながらゆっくりと落ちていく。

 目ざとく見つけた高堂がそれへ発砲、見える曳光弾。射撃位置はもう目の前だ。

「……妹紅ッ!」

「おう!」

 二人して斜面を駆け上り、遂に二人は高堂をその照準器の先に捉えた。

 重機に取り付く高堂が、こちらに気付いて目を見開く。

 重なった銃声が幾重もの残響を伴って、湖へ、森へ轟いた。

 

   *

 

「貴様ら……」

「なーにがキサマラや」

 迷彩服の右腕や脇腹を血に染めながら、高堂が恨めし気に二人を見上げている。これ以上銃を出されてはかなわないと、藤花が挨拶代わりに腕を打ち抜いたのだ。

「随分、私たちと遊んでくれたよねえ」

「五百貫文の懸賞金もかけてもうて、なあ」

 藤花がせせら笑った次の瞬間、右手を閃かせて高堂の頬をしたたかに殴りつけた。平手ではなく拳だ。命を狙うどころか、一度刺された恨みは大きく、反対側の頬も丁寧に殴りつける。肉と骨のぶつかり合う音に、鼻血か何か、湿った音が混じり始めている。

「乱暴だよそりゃ……ほら鼻血が」

 荒く息をつく高堂に、妹紅がハンケチを取り出し乱暴に鼻にあてがい、そしてもう一発殴った。

「しぶといなー、こいつ」

「何ならもう一回戦やったっていいんだぞ」

 そう言って妹紅は、傍らの白く煙を上げる重機を見やる。そんなになるまで撃っていたのだから、もう一度撃ったところで狙い通りに弾は飛ぶまい。

「こいつにそんな度胸ないっしょ」

「……それもそっか」

 慧音と美鈴のお礼参りも済ませたところで、二人は軽蔑しきった笑みで高堂を今一度見下ろし、立ち上がる。里ではまず見られない怒りと侮蔑の表情そして捨て台詞と共に。

「じゃーなー、マザコン野郎」

「クニ帰ってママのおっぱいでもちゅっちゅっちゅっちゅ吸っとくんだな」

 風が通り抜ける。髪をなびかせて振り返り、湖の方へ向け歩き始めた。藤花は、煙草でも取り出すのか腰のあたりをまさぐっている。だが、高堂はどこまでもしぶとかった。よろよろと木に寄りかかり立ち上がると、渾身の力でリボルバーを作り出し、そして撃った。

 それをしたところで、負傷した体で命中弾は望めず、ただ怒りの表明にしかならなかった。

そして藤花と妹紅は銃声とほぼ同時、振り向きざまに撃ち返し、高堂の頭の中心線に着弾の煙が上がった。

「今更だけど正当防衛だよね……」

「当然やろ」

 風が止んだ。二人は、崩れ落ちる高堂を後ろに残し、森の小路を歩いて去って行った。

 



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紅の自警団 ⑳

「……あぁ!ようやっと終わったなー」

 湖畔に歩み出て、森よりも少し明るい空気にひとつ伸びをして、藤花が感慨深げに呟いた。

「慧音もほめてくれるかな」

「そらそうやろ……おっ」

 銃声を聞きつけてきたのだろうか、見覚えのある横長のヘッドライトが闇を照らしながらこちらに向かってくる。あれは懐かしき紅魔三号だ。

「ぉーぃ!」

 遠くに美鈴の声が聞こえてくる。よくよく見てみると、2ドアの車によくも押し込んだものだと思える人数の歓声を伴っていた。

「おぉ……慧音も来てる!」

「よ、よう分かったなこの距離で」

 笑って手を振り返そうとした刹那。

 ざり。

 と背後で地面を踏みしめる音。慌てて振り返ると、木の枝に体を託した高堂が、森からよろめきつつ出てくるところであった。

「えぇ………」

「不死身かあいつは……」

 二人のつぶやきが届いたのか、高堂はゆっくりと顔を上げてニヤリと笑った。

 再び銃声。

 遠くに紅魔三号が急制動をかける音が聞こえてくる。

 藤花は先ほどから正邪のガバメントを使っていたが、この一発で弾が切れてしまった。奬から受け取ったグロックも沈黙して久しい。こうなるとただ、筒先から立ち上る細い硝煙の筋を、追うばかりだ。

 と、視界の隅で銀髪の影が揺れた。

「妹紅!?」

 目の前の高堂も、力と弾いずれかが尽きたのか動かない。そして、彼は倒れた。

「妹紅ってば!」

「………………だいじょぶ、かすっただけ」

「………ばっかやろぉ」

 緊張の糸が切れた藤花がよれよれの言葉を絞り出し、妹紅を助け起こした。

「しっかし、何やねんあいつは」

「これでまた生き返ったら……ギャグだな」

「それ言うたらギャグあんたやん」

「すみませんね何回もほんと」

 妹紅が苦笑し、藤花からハンケチをもらって腕を縛り上げた。

 そこでようやく、駆け付けたメンツの歓声が再び湧き起る。停車したレパードによじ登り、美鈴や影狼が手を振っている。よくよく見れば湖には姫様も顔を出している。

 二人は顔を見合わせた。そして笑顔を駆けつけてきた一同へと向ける。

「いぇい!皆さんご苦労!」

「言うたやろ。ウチらは運がええんやって」

 大団円を目指して歩いていく二人の背後で、まさかのギャグが再開した事に気付いたのは、一番視点を高くしていた美鈴だった。目をこれでもかと見開き、振っていた手を慌てて二人を指さす動きへと変える。その驚愕は周囲に伝染し、レパードの周辺の皆が妙な動きで指差す踊りと化す。遠くからでは声も正確に伝わらず、藤花と妹紅は踊りから全てを察するほかないが、察する事などできない。

「え、何してるんあれ……」

「んん?……あ、もしかしてこれ?大丈夫だいじょーぶ!」

妹紅が傷を縛った腕を振り、健在ぶりをアピールしてみる。

そうじゃない。一同の不思議な動きに変化はない。怪訝な顔をする藤花と妹紅、とりあえず指差しポーズを並んで真似してみる。

「いぇーい」

 だが口々に何を叫んでいるのかわからないが、向こうの動きがさらに激しくなる。

「何やのもう、腰が入ってないって?」

「とりあえず付き合っておこうよ。いくよ、せーの」

「イェェェエイ!」

 腰など振って笑顔で指差す二人はそれなりに絵になったが、ここへ来てお迎えの動きに変化が生じた。横向きの指が、今度は下だ、下だと指しはじめたのだ。

「え、何今度は、下?」

「なんだよもーわがままだなー、ああいいともさ踊ってやる踊ってやるとも!藤原妹紅が!」

「おお!踊ったれおどったれぃ!」

 妹紅がアンクルブーツで軽快に地面など蹴り、藤花が思っていたよりもアップテンポで西洋風なタップを見せつけた。これでもう文句はあるまい。一通りの足の動きを見せつけたと思った瞬間、車の傍のメンツが一斉に元来た方向へ逃げ始めたのだ。

「藤花……」

「どゆこと?」

「藤花」

「なに」

 藤花が隣を見やると、妹紅は最後のステップを踏んだ姿勢で固まっていた。その顔は、逃げて行った集団でも、藤花でもなく足元の一点を見つめている。そして、妹紅はゆっくりと片足を上げた。

 手榴弾が転がって来ていた。

 二人が勢いよく振り返ると、高堂があおむけに倒れ、地面にどさりと落ちる瞬間だった。

 もう一度足元を見る。

 やっぱり手榴弾だ。

「……んああああぁぁぁぁーーーーッ!!!!!」

 湖畔に、火柱が上がった。

「妹紅ー!」

「藤花ァー!」

 慧音や美鈴を筆頭に、駆け付けた一同が大急ぎで爆発現場へたどり着いた。

 吹き飛んだ枝や大小の石が吹き上げられた土にまみれて散乱しており、いつもの静かな情景とはまるで変ってしまっている。

「藤花さん……妹紅さん…」

 湖からは、飛び込んで爆発を避けようとした赤蛮奇と影狼を、姫が両脇に抱え、涙していた。

 もうすぐ夜が明ける。気付けば藤花達の追いかけっこも覚悟していた時間よりも大幅にオーバーしていたのだ。

 遂に高堂は倒された。

 だがそれ以上に、二人が爆発に巻き込まれた事に一同はショックを受けていた。

 

 ……だが、だが。もうひとつおまけに、だが、その時、森の折り重なった朽木の一部が動いたのだ。

 それは汚れ切った白い襦袢をまとった腕を突き出させ、その腕が周囲の木をどかせようと動く。

「……ああ、くそぅ」

「どうなってんだこりゃ」

 泥だらけの藤花と妹紅が、這い出してきた。

「全くもう……」

 

 

 

 

 

「「死ぬかと思った!………けほっ」」

 

 

 

 

 

(もこう編・完)

 




しばらく更新に間が開いてしまいましたが、みなさんいかがお過ごしですか。
個人的にめーりんに次いで妹紅が好きだったので第二章のヒロインを勤めてもらいました。そして個人的に倒したかったイキリ外来人とがちんこバトルさせられたので良かったかなぁという感じです。
ある時期に一世を風靡した幻想入り小説「東方〇戦録」、めーりんをいじめた罪は重い。震えなくていいから永遠に眠れ。


というわけで創作は殺意がないと書けないなと思った冒頭~第二章でした。
これからは書きたいパートをつなぎつつ、どうオチへつなげていくかという流れになると思います。
感想とかこのキャラは出ないのかとか、コメントいただけたら励みになります。
では最近スパイっぽくなくなってきた主人公・藤花の活躍をもうしばらくお付き合いいただければと思います。
では、かしこ。


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雷鼓編 照門
第七部 永遠の竹林支部①


 男が走っていた。一部を除いて経済活動の競争や公租公課といった要素に煩わされる事の少ない幻想郷にあって、せかせかと生きる人間は少ない。だが彼はそんな例外に含まれるらしく、路地裏で野良犬を蹴飛ばし、曲がりきれずに衝突した植え込みを戻す親切心も見せずに走り続けている。

動物への愛護の精神の欠如を見ても、彼を善人ではないと判断するには十分だった。

現に男は三十分程前、里内で店じまいをしていた古物商店主を脅して現金及び目ぼしい外界の道具を奪って逃走中の身なのだ。

 身に危険が迫っていると判断したのか、男は抱えていた鞄を投げ捨て、右へ左へと折れて不規則に路地を走る。

 その理由は、背後から迫る景気良いステップの追撃者にあった。

 そして、どこをどう間違えたのか男が角を曲がった時、追撃者は目の前に立ちふさがっていたのである。

「お、俺は何も知らないぞ。だいたい妖怪だの物の怪の連中が里で人追いかけまわすなんざ、みんな黙っちゃいねえぞ!」

 何も聞かれていないのに賑やかに喋るという犯罪者の特徴を見事に踏襲しながら、男は虚勢を張るが眼前の人物はあくまでもクールに懐へ手を入れた。

「やー、悪いね。私も自警団なんだ。さ、盗んだもの出してもらおっか」

 追撃者の女は自警団で支給される手帳をつまみ出し、顔の横で振って見せる。

 人里自警団は、拡大の一途をたどっている。

 人間の里の内で妖怪達が人間を襲う事は本来ご法度である。が、例えば里内を逃走中の犯罪者を捕えてよいかどうか、それに関して見過ごすよりは良いのではないかという事になり、天下御免で人間を追いかけ懲らしめられる自警団員というポストはにわかに脚光を浴びる事となった。

無論、人に迎合するものだとして忌避する妖怪もいるし、自警団員の立場で犯人を追撃中に勢い余って食べちゃったりした場合には容赦なく罰せられることとなるが、人を追い立てられる上に畏敬の念も戴けるとあって今のところ目立った協定違反は発生していない。 

「ふん、それで奪われたブツってのはどこにあんのかね?」

 あくまで慇懃に、男は西洋人めいて両手を広げて見せる。

「ああ、さっき来た路地にも落ちてたっけか」

「それみろ、俺じゃないんじゃないのか……」

 男の言葉は続かなかった。不意に女が投擲した物体が男の頭をかすめ、帽子だけを後方へ吹き飛ばしたのだ。投げられた運動エネルギーを削ぐことなく背後の土壁へ突き刺さったのは、一本のビーター。どういう強度をしていてどういう勢いで投げつけられたのか不明だが、帽子は切り裂かれ、頭頂部が二重構造になっていたのかハラハラと紙幣が風に舞う。

「駄目じゃん、盗んだお金そんなところに入れてちゃ。あと、付喪神だ。二度と間違えんな」

 衝撃波と気迫で恐れをなしたのだろう。男は観念した様子でへたへたと座り込んでしまった。

 女は笑顔で手帳をしまい、代わりに手錠が出てきた。

「まっ、今度ヤマ踏むときはうちの管内は避けるんだね」

「あーっ、雷鼓はん!」

 路地へ躍りこんでくるなり、国防色の開襟に袖を通した女性が藤色の髪を直し、両手を腰だめにして不満げな顔をしていた。

「一人でモノにしたかったんやけどなぁ……」

「犯人捕まえたことないんじゃしょーがない。さ、こいつ連れてくよ」

「一人は自決、一人は爆死、一人は正当防衛で撃ったんやもん。ウチかて追い詰めるんは慣れてるんやからね!」

 引きずるように雷鼓についていく男の後ろを、藤花がぶつぶつ言いながら固めている。

「見ての通り、あいつの前を走ってった男はみんな死んでったからね。悪い気は起こさないこった」

「おっかねえ。妖怪以上じゃねえかよ」

「ちょっ、犯人と意気投合せんといてや!」

 

   *

 

 少し日を遡る。

 藤花と妹紅に辞令が下ったのは、高堂事件のすぐ後だった。内密かつ最後の目撃者(のはず)である奨ですら見まがう変装で送り出したはずだったが、正邪を追っていたことがばれてしまい、高堂討伐で金一封でもと期待していた二人はお咎めなしの代わりに褒賞なしという骨折り損な結末となってしまった。

 慧音も言いつけを破った事については怒りこそすれ突進する事もなく個人的な慰労会まで催してくれ、藤花と妹紅は朝まで飲んだくれて黄色い朝日をぼんやりと船着き場で眺め、妹紅と慧音がそれなりの仲である事をその時知った藤花は大いに泣いた。

 それが事件の締めくくりとなった。

 藤花は竹林支部(分団から支部へ改まったのもこの頃だ)に籍を置いたまま、派出所からへ異動となり、今度は本部の置かれる永遠亭に頻繁に足を運ぶ事となった。

 

   *

 

 寒々しい夜に影を横たえる印象とは裏腹の、春の陽気に浮かび上がる永遠亭は誠に風情がある。

 時の移ろいを感じさせないたたずまいの中に「各種処方・調剤承ります」と墨書きされた看板が添えられている様子は見る者に生活感を覚えさせ、建築物の威容を和らげるのに一役買っていた。神社を除いて、里の人間に最も近しい存在が、この永遠亭と言っても過言ではないだろう。

 しかしそこへのアクセスは非常に困難を伴い、案内人兼護衛がつかなくては複雑な地形で立ち入る者を惑わせる竹林を踏破する事は難しかった。今日も今日とて藤花は、異動後も変わらず交流を持ち続けている藤原妹紅と肩を並べて明青色の波の合間を前進中である。

「あぁ、藤花じゃ仕方ないかなぁ」

「んな事あらへんよ、あと一歩のとこやったんやからあそこは頑張りを見せたウチに花持してくれても良かったと思うんよ」

 藤花は何やら不満を表明しており、竹林では半ば保護色として機能している国民服の肩もどことなく持ち上がっていた。

「そーれはどうかな、結果だよ結果が全て。私が優秀っていうね」

 見れば、一行は妹紅を中心に三人連れで歩いていた。妹紅の右を歩く藤花の反対側から、幻想郷には珍しく白の開襟にネクタイ姿も近代的な堀川雷鼓が鼻を鳴らして見せる。

「雷鼓はんは放っといてんか!」

 永遠亭に本部を置く竹林支部はその立地も相まって紅魔支部に次いで人間の比率が低く、藤花が移動時に紹介されたのも影狼と面識があり竹林に縁があったという雷鼓であった。ここに濃緑の上着、白の襦袢、濃紺のネクタイという出で立ちの藤花と、白、黒、臙脂という対照的なカラーリングの雷鼓のコンビが誕生し、以来任務に就いている。

 そして、今の話題は昨日二人が追撃し取り押さえて中央へ連行した強盗犯の手柄の所在についてのようだった。

「あんまりヤイヤイ言ってるとニートがうるさいよ。じゃ、何かあったらうちの派出所に連絡してよ。私と慧音はあんた達には協力するからさ」

 天然の直線に混って永遠亭の甍が別の人工物のアウトラインを見せ始めたあたりで、妹紅はまだ言い争う二人に苦笑して片手を上げ、案内と話題の終了を宣言した。

 

   *

 

「大ばか者ーっ!」

 本部となる広間に、女性の声が響いた。

「誰が、また里の建物壊してきなさいと言ったの。誰が!」

 紅魔館と内装を大いに異にする執務室で怒りをあらわにしているのは、竹林支部の長である蓬莱山輝夜である。太閤秀吉の誇った聚楽第もかくやと思われる天井の下で、輝夜はとりあえず苦笑する二人を睨んでいた。

「里から犯罪者を一掃するのが、自警団の最大のテーマですから」

 実を言うと、輝夜が怒るのも今回が初めてではない。いつだったか誘拐犯を挙げた時も、事件解決で一度は褒賞ものと期待されたが、永遠亭の資金を見せ金として使おうとしていた事がバレて藤花雷鼓コンビは輝夜の大目玉を食らった。またある時は町の不良に拉致されそうだった少女の代わりに雷鼓が拉致されてしまい、藤花が銃を片手に大立ち回りを演じてしまった時も、事件解決のめでたさとは裏腹に「部下の命をダシにするとか姫様おそろしい」と噂されてしまい、あやうく竹林支部の永遠の閑職である竹カウント課(竹の本数を数える)に転属させられるところだったのだ。

 そういうわけで、今回の輝夜の現状も、おおかた昨日の逮捕劇に起因するものであろう事は二人にも容易に想像出来た。

「おかげでこのザマよ、見てみなさい」

「アッ!?」

 輝夜が傍らから取り上げて見せたのは、何やら請求書らしい。おおよそ雷鼓がビーターを投げて壊した土壁の修繕費用だろう。

「い、いやー」

「藤花の追撃すさまじかったもんね」

「このヤロさっきまでウチは頑張ってないみたいな事言うとったくせに!」

「どちらにせよ」

 幻想郷には子供しかいないのかと思えるほどに見覚えのある責任のなすり合いを始めた二人に、輝夜は見慣れた様子でため息をつき、争いを遮った。

「今後、里の内外問わず殺人誘拐窃盗詐欺婦女暴行密輸誘拐放火に関して私の許可なく手出ししたら即、クビ。分かったわね」

「い、いややなぁ。いくらウチかて輝夜はんちの兎コンビには手ェ出せへんって」

「セット兎じゃないわよ!」

 輝夜の投擲したアタリ2600を体の中心線に食らい、藤花は畳を三枚ほど越えて吹っ飛ばされた。藤花に比べてまだ余計なひと言を堪える甲斐性を持っていた雷鼓は、立ち尽くしたまま胸をなでおろす。が、そこへ突き出される二枚の紙片。

「これ誓約書」

「へっ?」

「こうやって縛るのも、万が一の事があっては困るからよ……」

 何かと尊大な月の民、という印象を持たれている事も拭えないが、輝夜も一人の女性として人を気遣う一面があるのだと胸を高鳴らせることが出来よう。しかし、そんな事など二人はお構いなし。

「いやぁウチら運がええから」

「黙って署名捺印!」

 PCエンジンが飛んでくる前に二人は大急ぎで書類に飛びつく。それにややおくれて、襖の向こうから優しげな別の女性の声が漏れ出でてきた。

「ちょっとよろしいですか……?」

 あの声は永琳だろう。入室を許可する輝夜の応答の後、静かに襖が横へ滑り、視界が四角く彩りを変える。

「中央から捜査協力の要請です」

「今度は何かしら……?」

 目の前の二人が関わるとまた心痛の種が増える、と憂いを露わに電報めいた書面に輝夜が目を通すと、予想された文面と異なっていたのだろう。目をぱちくりさせ、部屋の隅の机で書類への記入を済ませて顔を上げた藤花と雷鼓を見やった。

「玄武の沢に奇怪な生物ですって」

「へ、へえ、そうなんだ。あ、ばっちりサイン致しました」

「ウチも署名捺印したで、ほな、これで……!」

 奇怪な生物などという意味不明な依頼には付き合いきれないと、早々に退散しようとする二人。無理もない。人間相手ならまだしも、野生生物相手など姿を捉えるだけでも数日かかる仕事だ。ましてや種類の分からない生き物となると行動パターンすら分からず、問題解決に要する日数は未知数となるだろう。

「じゃ、このヤマは貴女達が当たりなさい」

「ええ……?だって沢やったら河童がまた変な機械作って追っ払ったらええやん」

「その河童が神社に泣きついてきたそうよ。博麗支部は妖気を吐く蛇口の解決で手が離せないらしいから、うちへ回ってきたみたいね。仕事熱心な貴女達にはもってこいの案件じゃないかしら」

「そ、そんなぁ」

 許可なく事件の捜査をしてはいけないという治安維持にあるまじき縛りを課せられた直後に体よく面倒な仕事を押し付けられてしまい、雷鼓などは「グレちゃおっかなー」とか言いながら畳に寝転がる勢いだ。そんな部下を尻目に輝夜は隣の永琳を振り返っている。

「それで、これは誰に返事をすればいいのかしら」

「中央の海野警備局長だそうですよ」

「あー、次期自警団長最有力候補とか言われてるんだっけ。……まぁ里の中のまつりごとなんてどうでもいいけれど、貴女達その海野…えーと警備局長にお会いして、通報内容を詳しく聞いてきなさい。くれぐれも支部の名前にこれ以上泥を塗らないように。はい行ってらっしゃい」

 この二人を大人しくさせておくには持って来いだと確信を深めたらしい。輝夜は立ち上がって手にした扇子で出発を命じた。

「ふぁーい」

「ふぁーいじゃない、ハイ!」

「………ふぁい!」

「イェス」

 



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永遠の竹林支部②

「……で、その海野警備局長てのはどんな人なん」

「藤花ってばアンテナ低いなぁ。確かあの人も外来人さ。なんでもここへ来て二、三日でスペルカードを習得した超の付くスピード出世株だよ。来て二週間はあちこちから有名人が興味を持って顔を見に来たっていうから、大したもんだよね」

 中央本部の建物の廊下で、藤花と雷鼓は目当ての人物が現れるのを待っていた。これまで藤花が相対してきた外来人といえば、野望や能力で何かと凶暴な一手に出る印象があったが、その海野とやらは順調に出世コースへ乗ることを選んだらしい。悪人になるよりはマシだが、いざ藤花が行動を起こす時にそれ以上の頭のキレを見せつけられないかだけが心配だ。

 丁度その時、廊下の奥から団員が一人足早にやって来て警備局長が奥の部屋でお待ちですと告げた。警備局長室と札が出された部屋がそれらしい。成程多忙なのだろう。

「失礼します……」

「おぅ、君達か!」

 入室して二人は目を丸くした。付喪神としての雷鼓の実年齢などはさておき、他の幹部と比較してもまだ若く見える。全体的に幼く見える妖精でも無ければ本当のスピード出世なのだろう。神童とは彼の事を言うのかもしれない。

「堀川、雷鼓です…」

「と、藤花です」

「丁度前の警防団に入った時も、私は君達と同じくらいの年齢だった……。こう見えてもね、昔は血の気が多い方でね」

幹部と言えども、まだ年も離れているかどうかという来訪者を眺めつつ早くも思い出話が入り始めている。藤花と雷鼓はチラと互いに目を合わせた。

「まあ、幻想入りして三日で紅魔館のお嬢さんに手を上げた位ですから……あ、し、失礼しました」

 思わず口が滑り、いつもならそちら側のポジションである藤花ですらギョッとして雷鼓を振り返った。海野も目に見えて激怒したりしなかったが、雑談はそれきりとなり、どうぞと促されて部屋の奥に鎮座する彼の机の前へ通された。輝夜はすぐ怒鳴ってゲーム機などが飛んでくるが、もしかしたら超優しい方なのかもしれない。

「里の自警団と言いつつ沢への出張を命じるのは大変心苦しいが……河童の技術は里の運営にも大きく影響している。また水源地が不明生物に汚されれば生活に与える衝撃は計り知れない」

「……局長、その生物とやらに、特徴は」

「強力な顎で河童の捕獲装置も簡単に破られたそうだ。また皮膚も硬く、ちょっとの打撃ではビクともせんかったと……後は、接近してくる時は水面に目玉が二つ飛び出していたと言っていたな」

 目玉が飛び出しているとか怖すぎる。藤花は捜査の行く末を憂いた。しかし、海野警備局長はあくまで自信満々の笑みで立ち上がり、二人を励ますように力強く頷いた。

「無理難題を押し付けようとは思っていないよ。目撃情報や河童の投入した機械の情報も、既にこれだけまとめさせてある。ここはスピード以上に、私の顔も立てて頑張ってくれたまえ。無論、協力は惜しまないつもりだ」

「!!……はい!」

 

   *

 

「スピード以上やて、聞いた?」

 太陽の降り注ぐ廊下で、警備局長室を辞し笑顔で歩く二人の姿があった。安泰な幹部の椅子に収まってもなお溌剌と動く警備局長の姿に感動したのか、若き(?)自警団員二人はしきりに彼の事で盛り上がっている。余程白熱しているらしく、すれ違う自警団員が思わず振り返る程の声量だ。

「"手を上げな"」

 雷鼓が、犯人をホールドアップする刑事よろしく指鉄砲を構えて見せる。藤花が犯人役で両手を上げてみる。

「"スピード以上のものを持ち合わせてなきゃ、私には勝てないぜ"」

「………クール!今度からこれやな!」

 藤花も、犯人に対する決め台詞の決定版のように思えたのだろう。思わず口許を押さえてにやける顔を隠さざるを得なくなっていた。雷鼓も満足げに頷き、歩調を再び相棒と揃えて廊下の歩行が再開される。

「流石違うぜ、次期団長候補は……」

「ウチの姫様なんて」

「"面白そうね!"」

「"減俸!"」

「これやもんなぁ……」

 息もぴったりに輝夜のものまねをしている二人を、またしても怪訝な顔をして団員がすれ違う。だが二人はまだ留まるところを知らない。

「"こう見えても、昔は血の気が多い方でね"」

「似とるなぁ……」

「ふふ、似てる?海野警備局長に」

 新たな宴会芸を習得したかとしたり顔の雷鼓に、藤花が資料を詰めた封筒を持った手を上げて制止する。だが彼女の顔も雷鼓に似たり寄ったりでにやけている。

「いやいや、海野警備局長が、ウチらの生き方に似てる」

「ちょっと待ってよ……」

 はっとした顔で雷鼓が相棒を見やった。

「って事は、私ら将来」

「次期団長候補!」

「バラ色の老後じゃん!」

「「んん………運が良いからなァ私らは!!!」」

「うるさいわよあんた達ィ!」

 よく分からない方程式を組み上げ、老後まで彩られてしまった二人の爆笑を、後ろから関係者の聞き取りに来ていたらしい霊夢が怒鳴りつけた。

 



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永遠の竹林支部③

 問い合わせてみたところ、ニトマートは里に近い一軒が営業を継続しているらしい。他にどこの店舗があるのか等未だ不明な点の多い企業だが、まずはそこへの聞き込みを開始しようという点で二人の意見は一致した。

「聞き込みもそうだけど、やっぱり退治なり捕獲なりについては河童の協力が必要なわけだし、そっちでも頭下げなきゃいけない感じかなあ」

「まあ、せやろね」

 ニトマートを訪れるなら日中に済ませておきたい。また煙草屋の人間一人が行くよりも、付喪神であるとはいえ雷鼓も帯同していけば河童の態度は軟化してくれるだろうとも予想していたからだ。

「それよりも」

 自警団中央本部を出て以来、口にしていた紙巻きを投げ捨てつつ、藤花は相棒を振り返った。

「お腹減ったなぁ」

 

   *

 

「でもさ」

 食堂でファーストフードともいうべき丼ものを注文し、席で海野局長から受け取った資料を右へ左へ流し読みしている藤花へ、雷鼓が話しかける。

「博麗神社の巫女さんが忙しいからって回ってきたお鉢だし、技術屋の河童の身内でも解決できないってんじゃ軽く異変級なんじゃないかな。なんだか不安になってきたよ」

「里の外に動物と話が出来る仙人がおるって書いてある。これにお願いしたらええんやないかな」

「おお、耳より情報。で、どこにいるのさ」

「それが書いてへん…………仙界ってどこ……?あ、どうも」

 藤花が眉を下げて困っているところへ店の女将がお待ちどおと言って二人の丼を運んできた。 

藤花は、帝都での味を懐かしんで「豆腐丼」のレシピを幻想郷で再現できるよう考え抜いてメニューに組み込ませた。雷鼓は、いつも「ロックだから」という理由で川魚の揚げ天を飯に乗せたものを注文しているが、どのあたりがロックなのか分からない。

「ま、とりあえず脳みそに栄養を行き渡らせへん事にはええ考えも浮かべへんやろ……いっただっきまーす」

 苦笑し、藤花は硬めに炊き上げた米と醤油ダシが満ち満ちた丼へジャクリと箸を突き入れた。少しすくいあげて濃いめのダシを米でかきこむと、頂上に鎮座する褐色の存在、崩れかかるまでに甘辛く煮込まれ、これまたダシを吸いまくった豆腐へと手を付けた。

帝都で味わったそれと若干味は異なるが、海の幸が手に入りにくい幻想郷でモダーンな東京を懐かしめる程度には仕上がっている。彼女は胸中で女将に感謝し、熱く、ほとんど反発無く咀嚼できる豆腐を飲み込むと白米とダシで追い打ちをかける。

「おーい、藤花ってば。もう、それ食う間は無言になるんだから」

「…………ん、どうしたん?」

醤油と甘辛ダシの連撃で少しくどくなった口内に効くのは漬物、無論これも待機していた。

それへ箸をつける刹那、相棒の呼びかけに応じた。

「警備局長じゃなくて、うちの本部には何て言っとこうか。そういえば昼に終わったら連絡するって言ってたの忘れてたよ」

「あー、そうやったね……ニトマートに河童電話あるし、そこでかけたらええんちゃう?」

「ん、そうしようか」

 雷鼓が、箸で取った魚の揚げものとにらめっこしつつ頷く。藤花はそれっきりまた豆腐飯の摂取へと戻り、ダシと温度で適度な柔らかさに変化しつつある白米へと目標を切り替えた。崩れてきた豆腐によって嵩増しされた米をダシでかきこみ頬張る、そして噛み締めると多幸感はいやがうえにも満腹中枢と脳を駆け巡る。

 雷鼓の倍近い速度で丼飯を平らげると、ここへきてようやく湯呑みの茶を口に含み、藤花の一連の栄養そして幸福の摂取作業が完了した。

「退治の専門家に声かけるんは後でええやろね。まず生物とやらがなにかも分からへんし、河童のメンツもあるやろから……」

「そういえばそうだった」

 恐らく博麗神社に個人的に相談しに行ったか、噂が伝わって自警団が動く事になったのだろう。あくまで住まう河童を中心とした駆除ないしは捕獲計画を立てなければ、後々やりづらくなるだろう。

「とりあえず……」

「一服しようか」

「せやね。おばちゃん、お勘定」

 混み始めた店内を一足先にすり抜けると、二人は表で煙草へ点火した。栄養摂取に忙しかった精神が、研ぎ澄まされてゆく。

「分かった」

「え、何が」

「ロックて、岩魚やろ。あの丼」

「ええ、今更……?」

 あきれ顔で雷鼓が頭をかいた。

   *

 

 ニトマートは開店しているらしいが、道中の掲示板に何やら張り紙がしてあり「今月は午後より営業」とだけあった。もしかして不明生物の影響だろうか。

 そして、店へ向かう道には懐かしい顔が。

「小鈴ちゃん、こんなとこで何してるん」

「ほぇ」

 まだ戸を閉ざしている軒先へ向きを同じくして歩く、貸本屋の看板娘の姿があったのだ。年のせいか容姿のせいか、不良がたむろしている風には見えない。

「ここはまだそんなに危なくはないけど、何してるんだい」

 くわえ煙草の雷鼓が藤花の後ろからひょっこりと顔を出す。携帯電話や携帯ラジオの文化もなければ端末もないので、集うメンツの行動は自然と煙草を吸うかきょろきょろするか、持ち合わせがあれば文庫本の一冊でも取り出して木陰へ移動するという行為に収束するだろう。

「うちのお店に置いてる山の新聞、ここでもらってるのもあるんですけど、今日来てみたら、あれですよ!」

 困ったように張り紙を指さす。何時頃からいるのか分からないが、昼食を済ませて来た藤花達よりは長いはずだ。

「それでまた、藤花さんは今日はお店はいいんですか?」

「いやあ、ウチは自警団でちょっと用事がね。そっちは小鈴ちゃんのお友達?」

 藤花の興味は目的が判明した小鈴から、彼女の隣にいる背丈も年齢も、ついでに言うと仲も近しいと思しきもう一人の少女へと向けられた。

 子供向けながら、丁寧に誂えられた訪問着に身を包み、足の運びも慎ましくしかし並んで歩く小鈴に後れを取る事がない。目線の高さを同じくすれば、圧倒されるような「家柄」のようなものを感じさせる少女である。

 一方で赤青みがかった髪に光る飾りは少女に許された大きな花だ。見とれているとそれが揺れ、会釈されたのだと気付いて慌ててこちらも続いた。

「稗田阿求と申します」

「ご、ご丁寧にどうも……ウチの事は藤花って呼んで」

「はい、新聞で拝見した事があります」

「アッハイ、どうも……」

 何だかやりにくいのは、子供離れした言動か佇まいのせいだろうか。背が低いだけで、存在感はまるで大学教授めいた落ち着きがある。

 着慣れた開襟でくわえ煙草な自分がなんだか嫌で火をもみ消そうとした時、一同の行く先で戸が開かれる音がして、自然と視線がそちらへ向かう。

「はーい、いらっしゃ……なんかすごい組み合わせが来てるね」

 これから点灯されるであろう店内の薄暗い空気からのっそり顔を出したのは、にとりであった。昼食なのか間食なのか装飾なのか、木箸を刺したきゅうりを片手にしている。

 目的がはっきりしており、足早に駆け込む姿が似合う小鈴達を先に店内へと促し、藤花ら大人はゆっくりと、従業員たるにとりについて入り口付近に留まった。河童としても、あまり人間の子供を周囲に置いて話したがる話題でもないだろう。藤花もあくまで小声で続ける。

「霊夢はんから聞いてきたんやけど」

「あー、まさかあれ」

「沢の……"不明生物"」

 プライドを傷つけまいと出来る限り低姿勢で来てみたものの、にとりの反応はどちらかというと呆れた感じに近い。不機嫌になられるよりは良いが、予想外だった。

「若いのがよせばいいのにあちこちで喋っちゃうからねー、あの"怪獣"もほっとけばどこか行くかもしれないのに」

「でも、"でかぶつ"が居座ってる間はそっちも不便じゃ?」

「そりゃまあそうなんだけどさ」

「何の話ですか?」

 気付けば、息を弾ませ小鈴が後ろで立ち聞きしていた。いつもなら多少焦るところだが、にとりの先程の反応を見た後ならまだ大丈夫だ。

「いやー、ちょっと沢に"化けもん"が出るって話でな」

「河童が知らないと言うからには、未知の?」

 阿求の言葉に、小鈴がおぉーと感嘆する。

「小鈴ちゃんえらい気に入ったんやね、"化けもん"の話」

「だって、外の世界じゃ滅多に見られないという妖怪がわんさかいるのに"分からない生き物"って、それだけで好奇心くすぐられちゃいますよ!」

 本と言う知識の源泉に常に触れている身分の為か、小鈴の意見は随分と外来人にも分かりやすく、闊達な見解表明だった。そもそも河童と付喪神が目の前で立っているというのに、"不明"なのは確かにおかしな話なのだ。

「資料見てみる?こいつをどうやって追い出すか捕まえるかしよって事やねんけども」

「その前に……」

 藤花が手にした封筒を開けようとする。人質のいる事件等であれば捜査資料を見せびらかすわけにもいくまいが、半ば自警団の管轄を逸脱した任務である。むしろ子供の目で見てもらい、新しい意見でも出た方が得策だと踏んだのだ。

 だがその前に、背伸びして資料を覗こうとする小鈴を阿求が制した。

「まず"名前"を決めるべきじゃないかな。"不明生物"とか"化けもん"じゃまだるっこしい……退治するなら、認識を統一するのが先だと思う」

「「こいつ頭いいな」」

 藤花と雷鼓がステレオで感心してしまった。予想以上にもっともな意見が子供から出てきてしまった。藤花が阿求の生い立ちというか血筋を理解していれば、その感動ももっと早かったのかもしれないが、妙なところでアンテナというのは立ちにくいものである。

「じゃあ……じゃあ作戦会議、名前募集」

「そ、そだね」

 にとりが青緑色のパイプ椅子を人数分出してきた。彼女もちょっとやる気になってきたらしい。

一通り自己紹介を終えた後、議長役を藤花が担当する。

「えーと、じゃあ、阿求ちゃん。早速で悪いねんけど、学術的な観点から名前は決められるやろか」

「そうですね……」

 阿求が目を細めて、証言に基づくスケッチの写しを観察する。スケッチとはいえ描いた側もよく分かっていないのだろう。ただ水面から、目と、長い鼻が突出されているのだろうと推測できる程度だ。

「証言とスケッチから言って、外界でいうジュラ紀に生息していた恐竜、オルニトレステスの頭頂部に似ているかも。仮に外の世界から来たとすれば、土地の国号を取って"ニッポニア・オルニトレステス"とでもするところでしょう」

「おおぉ………」

 耳を傾けていた一同から感嘆のどよめきが起こった。物腰もそうだが、そんな知識を即座に引き出せるとは、阿求という子供は只者ではない。藤花は胸中で敬服せざるを得なかった。

「でもちょっと長くない?」

 阿求の意見は十分な説得力に満ちており、また学術的な手続きも踏んでいるように思えてけちの付け所がなかったが、小鈴は逆に超庶民的な、しかし同じくらいにもっともな疑問をぶつけてきた。

「ま、今のはあくまで分類が同じか、近いものと仮定して学者が名づけるとしたらっていう想定だからそうしたけど、自警団が作戦を立てる上でそれを連呼するのはちょっと不便かもね。でも凶暴な生物を相手取っていると全員が理解するなら、必要な要素ではある…」

「うん………おおきに」

「そういえば」

 そこで、腕組みして考え込んでいた雷鼓が何か思いついたらしくぱっと顔を上げた。

「外の世界の学問じゃ、発見した人の名前がつけられる事があるそうじゃない。最初に見つけた河童の、あだ名とか無いの」

「あー、確かね、そばかすのある……そうだ、ごましお」

 不運なあだ名としか言いようがない。しかもそれを恐竜につけるのか、と藤花は不安げに雷鼓を振り返ったが、彼女はあくまで真面目だった。

「ごましおが見つけた恐竜でしょ………決まり、ごましおザウルス」

「えぇ……」

 短くなった。恐竜(と思しき凶暴な生物)である点も分かる。問題点は解決したが、逆に言うと問題点しかクリアになっておらず、他がまた問題になっていそうなネーミングだ。もっとこう無いだろうか、藤花が考え込みつつ、助け舟を求めて視線を泳がせていると、もう一人、真剣な眼差しの人物を見つけた。小鈴だ。

「私は……」

 藤花の目が瞬いた。先程から子供に驚かされてばかりいる。きっと小鈴嬢も阿求に負けず劣らず事態の打開策を提示してくれるのではないだろうか。謎の他力本願に憑りつかれつつ、藤花は発言を促した。

「恐竜ならドンがいいと思います。ごましおドン」

「えぇ……」

 まさかのそこ。

「馬鹿な、恐竜ならザウルスと相場が決まってるよ」

 何故そこで粘る雷鼓。

「いえいえ、ドンですよ。通はドンを選びます!」

 物おじせず小鈴は鼻息を荒くし、胸を張っている。まだ反論は終わらない。

「しかも、なんとかドンという恐竜は決してマイナーではありません!プテラノドン、ディメトロドン、シノコノドン、イグアノドン……いずれも根強い人気があります!」

「どこに!?」

 具体的な名前も挙げて自身の説を補強し、小鈴をニヤリと笑う。

「つまり王道を選ぶならドンを付けるんですよ。分かりましたか。それに、私が幼少期に恐竜博士と呼ばれていたという話は、もうしましたか?」

「くッ、くそぉ……」

「あの、あの、一応断っとくけど自警団の生き物駆除の会議やからね、これ」

 ていうか雷鼓もなんで悔しそうにしてるんだ。子供に言い負かされるんじゃない。

 阿求、雷鼓、小鈴と来て、順番が回ってきたと思ったのだろう。にとりも一応と言って発言しようと努力していた。

「話によると、そいつは水の中をかなりの速度で泳いでたらしいんだよね。素潜りの河童も遅くは無いから、それなりだよ。ずばり、"リバー・イーグル"じゃないかな」

「なんでまた横文字やの……」

「や、や。それもどうかと思うな。まだ水棲とわかったわけじゃない。上陸したら"リバー"は余計になるじゃん!」

 雷鼓が、汚名返上とばかりに反論する。

「水棲じゃなかったら陸地で見つかるはずじゃん。それに横文字だっていいでしょ、藤花達なんかババくさいというか、ゆとりがないんだよ」

「なッ、バァ!?」

 にとりの一言で藤花も議長役の肩書を完全に忘却した。阿求や小鈴はともかく、残るメンツの中では一番若いはずだ。

「おのれ言うに事欠いてババアとはええ度胸やん!表出ぇ!」

「おっ、人間ごときがやるってゆーの?」

 最後まで聞き手に回っていながらキレるのが一番早かった藤花を見て、雷鼓も落ち着きを取り戻したらしい。慌てて二人の間に割って入る。

「ちょ、店長さんも落ち着きなって!藤花も!ちょっと嬉しそうに脱ぐのは止めな!子供が見てるって!!」

 上着を脱ぎ捨て、タイを緩め、何故か襦袢のボタンにまで手をかけていた藤花を無理やり座らせる。藤花もため息を一つつくと、腕まくりに留め、事態の収拾へと戻る決意を固めた。

「それやったら、議長のウチが決める………断固、"ズドバン"で」

「え何それは」

「何でもええ、強そうやったら」

 これまで積み重ねてきた生物学、分類学的観点をかなぐり捨て根拠のない"強そう"に裏打ちされた命名に、今度は他が一致して非難の声を上げ始めた。

「ズドバン!?いい年こいてズドバン!」

「だったらズンズンとでもすればいいでしょう!」

「パンダか!だったらフレハリ・モンドべとかにすればレスラーみたいじゃん!」

「やっぱり、最初の案通り、ニッポニア・オルニトレステスで……」

「それやと子供が覚えにくいやろ!」

「外界の台風みたく女性名つければいいじゃん!"ひばりちゃん"で決まりだよ!!」

「くっそーどいつもこいつも毛唐の言いなりになりよってからに!今度やれば絶対勝つねん!!」

「何の話だよ!ごましおザウルスでいいだろ!」

「ドン!誰が何と言おうとドンは外せません!」

「ニッポ…」

「あっきゅんまだおったんか!」

「あのー……」

 ここで、一同は部外者(?)の存在に気が付いた。

振り向けば奨とサキが買い物かごを手に立っており、暗に会計を促していた。

そして彼らの後ろにはまだまだ雑多な妖怪が列を成して待たされており、そのどの目も来客そっちのけでドンとかバンとかで言い争う一同を睨みつけているのだ。

「ひッ…………!」

 その後、一同の悲鳴に基づく「ギェェェン」が公式呼称として発表されたが、誰一人として使わなかったと言う。

 




あけましておめでとうございます。
僕は元気です。

話し合いってクッソどうでもいいところで盛り上がるのは何ででしょうね。
背景キャラとして『玄関開けたら~』より奬くん達に再登場願いました。
さて次の更新はまたいつになるか……

ちなみに藤花が食べている豆腐丼は我々の世界に実在しており、「とうめし」という甘辛く煮た豆腐を載せたどんぶり飯です。
東京の古くからあるおでん屋のメニューに現存しておりますので、興味のある方はぜひ。


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永遠の竹林支部④

 騒乱冷めやらぬニトマートからよろよろと脱出した藤花と雷鼓は、ひとまず手近な電話に辿り着き輝夜へと捜査進捗の第一報を入れた。

「了解、ご苦労ね。じゃあ今日は戻らなくても構わないから、目撃者への聞き込みと河童との折衝をよろしくね。中央へ鈴仙を遣る用事があるから、本部へはその時報告させておくわ」

「はぁ……おおきに。なんや総出で忙しいみたいやね」

「確かにね。まあそんな時期なんでしょう里は。月に影響されて事故が増える程度だしね」

 どういうわけかそこここで忙しいようだが、沢で遊んでいていいのだろうか。

正直、巨大生物も一度は河童が取り逃がして神社などに助力を求めたものの、次は彼女ら(彼ら?)の威信にかけて捕獲しようとしているように見えた。

「で、支部長、何だって」

 通話を終え、スローモーな動きで受話器を戻す藤花の横顔を、雷鼓が覗き込む。

河童のアジトがあるという沢の近くへ向かうには話を通してから出発するのが無難だろう。しかし、ニトマートはまだ営業時間内であり、にとりが手すきになる時間までにはまだかなりの余裕がある。となれば雷鼓の、より正確に言うならば二人の興味は、これから飲みに行ける店はどこかという点であった。

「………あぁ、ごめんな。とりあえず中央にはうどんげちゃんが行くから報告に戻らんでええって」

「ッヤッホーィ!飲むぞー!」

 

   *

 

「あれ」

  日の沈まぬうちから開いている店は少ない。その中から二人が選び、のれんをくぐったのは比較的小さい店であった。それゆえに早々に開店して利益を上げようという魂胆かもしれないが、こっちの都合に合う時間帯に開いていればどんな場所でも文句はなかった。

「霊夢はん、こんな時間に何してるん」

 カウンター式の比較的近代的に見える造りの店内、気持ちよく一直線に並ぶ構造物と椅子のラインに突如挟まる赤い影。

 藤花の声に振り返ったのは他でもない博麗霊夢であったのだ。

「あん?それはこっちの台詞よ。あんた達、河童のとこへ行ったって聞いたけど」

「情報早いなぁ、それはこれからやで。ニトマート閉まって、にとりはん出てくるまで暇やねん。それまで抜き打ちの風紀検査やで」

 店主が怪訝な顔をするので、藤花は冗談ジョーダンと言って自身の発言を打ち落とした。霊夢はといえばクスリともせず鼻を鳴らすばかりだ。

「風紀検査ね、そのメンツで。ほーん」

 他に客もいないが、自然と二人は霊夢に隣り合わせて椅子を引く。この調子だと早くから盛況になると踏んだのか、モダンにもレコードをかけ始めた。

「霊夢はんもその様子やとまだ一合目ってとこかな」

「わ、私は退治終えて中央に報告に行ってようやくのご飯よ」

「最近里じゃお水をお猪口でやるのが流行ってるんです?もう、霊夢さんたら風流なんですからぁ」

 霊夢を挟んで藤花と反対側に座った雷鼓が、目ざとく中身の空いた器を見つけてニヤリと笑い、冗談めかして揺すった。

「もう、今日は仕事終わりゆっくり飲めると思ったのにぃー……」

 入店早々に絡みついてくる二人組に辟易してしまったのか、霊夢は食器をかき分けながらゆっくりとカウンターに突っ伏す。

「ははは、ごめんて。霊夢はん人気者やから、周りに自然と人が集まるんやって」

「フォローになってない!」

 ぷりぷりする霊夢をなだめつつ、藤花と雷鼓はそれぞれ好きに注文し、「幻想郷に明るいうちから酔ってはならないという法は無い」という歌が即興で作り上げられた。雷鼓がいるので無論楽器はドラムのみである。

 藤花がラバウル小唄を基にしたものだから当初はゆったりとしたペースだったものが、酒が入り雷鼓にロックの魂が降ってきたのかいつの間にかペースが上がり、それにつられて増える増えるわ徳利の森。

「……なんか最近竹林の支部も忙しいけど、毎年里ってこんなもんなん?」

「どうかしらね。仕事の波なんてあってないようなものだし、暇なときはずーっと暇よ。あでも、命蓮寺の方もなんかザワついてたわね」

 遅れを取り戻そうというつもりか分からないがハイペースで杯を乾かす藤花達に比べ、霊夢の手の動きはまだ緩い。

「いや霊夢はん、すごいわホンマに、妖怪退治とか」

「あんた分かりやすい酔い方するわね……仕事よ、仕事なんだから当然って、こんな話もしょっちゅうしてる気がするわ」

「雰囲気に呑まれてるけど割とシラフやでウチ。いやでも、ウチが外におったときの職場じゃ吸血鬼とか妖怪に真昼間会うた時の対処法なんて教えてくれへんかったもん」

「そりゃそうでしょ。そこいらで教えてもらえるなら私、仕事にあぶれちゃうじゃない」

 それでも霊夢は分かりきった顔で藤花の称賛の言葉をいなしている。

「はいはい、もういい時間でしょ。さっさと河童のとこ行ってきなさい」

「あッ、もうそんな時間か。早いなぁもう。霊夢はん、よかったらまた今度一緒に飲まへん?」

「ああ、別にいいわよ」

「やたー!おっちゃん、この竹の子って妹紅のとこのやんね。これ美味しい……今度真似さしてもらお」

 席を立ちつつも皿に残るつまみを二、三口に放り込み、慌てて二人は店を後にした。

 

   *

 

「藤花ってば、えらく霊夢にご執心だったじゃん。狙ってるの?」

「いや、昼間輝夜はんに電話した時も、なんか忙しそうやったから季節柄でもあんのかなと思って。その辺は土地の先輩にも聞きたいとこやねんけど」

 そう言った藤花は傍らの雷鼓を振り返るが、彼女はあくまで手を横へ払った。

一応藤花からすれば雷鼓とて立派な付喪神であり、弾幕だって派手なのが撃てるらしい。その時点で相当強いと認識していたのだが、謙遜だろうか。

「こう見えてもまだ新参扱いでさ、若さが素敵だなんて、誰にも言わせないよん」

「訳わからへん……」

 さっきの店で地獄マタタビ酒をちゃんぽんしたのが効いているのか、よく分からないことを口走り始め、セクシーに腰を動かしてポーズを決めている相棒を残し、足早に道を急いだ。

   *

 

 急ぐ道の背景は、草の波に乗せて流れてくる虫の音で下がりゆく気温と夜の長さを思い起こさせ、歩く者に背筋がシンと震える冬の残り香を思い出させた。藤花と雷鼓も酔いをやや醒まし、酒の滴から空に瞬く星へと思いを切り替えている。

 ニトマートの前でも考える事は同じなのか、にとりが店じまいを終えて瓶を傾けている最中だった。

「へい、朋友」

 果汁かと思いきやきゅうりの酒らしい。いかにもな飲料だったが、おかげでにとりは若干ご機嫌だった。乾杯の仕草の後に勢いよく呷られ、そして喉を鳴らしてまた数口飲み込まれて戻った瓶が、深みのある水音を立てる。

「お仕事お疲れさん。きょう話しとった目撃者の子、今日の内に会うとく事って出来るかな」

「多分まだ工場にいるよ。あそこは開発熱心なやつが多いから遅くまでやってるしね」

 勿論私もそうだけど、とプライドの高さを思わせる一言を言い添え、行ってみますかの一言で歩みが再開された。

 きゅうりのおかげか、にとりも若干饒舌になっており、手持ちの捜査資料以上の事をぽろりとこぼすのもしばしばであった。矢鱈と秘密主義だったのではなく、外部に事件が知れ渡っているものの、やはり河童は河童で解決したいという意向があるのだろう。

 藤花も今後の為、その点は保証すると言い、日暮れの迫る濃緑の森の巨大な影に包まれつつ、にとりの言う工場とやらを目指した。

 

   *

 

 沢への立ち入りは流石に許しが出ず、そこから少し離れているという工場へ直接案内された。確かに、水質保全の観点から言っても水の流れに直結した工場は河童自身としてもまずいのだろう。藤花としても、河童が自らアジトから離れていると明言した場所なら心置きなく戸を叩けるだろうとも心得ていた。

 木々の間に広がる地に、ポンと珍妙な工場が建っていた。規模としては町工場よりは流石に大きかったが、人から妖怪にまで技術の成果をお届けしているという割には小さく感じる規模だ。もしかしたら他にもあるのかもしれなかったが、今日は工場見学が目的ではないので"ごましお"とあだ名されている目撃者を訪ねる事だけを考えた。

 とはいえ、信仰心、畏敬の念を失わせないために技術力が極端に制限された里の光景を見慣れてしまった目には、ここの工場ですら藤花に外界の繁栄を強く想い起させずにはいられない。せいぜい家内制手工業の里に比べれば、原動機の音や小気味よい工具、果ては溶接の音すら聞こえてくるその建屋は、現代科学に魅了されその"戦果"までまざまざと見せつけられた近代戦争に直結した。

「どったの、もしかして大きい音苦手とか?」

「そんなんやったら太鼓とコンビ組まへんやろ……大丈夫やで。行こか」

 木とトタン板めいた軽い金属で組まれた建屋に近づくと、何となく違和感の根源が分かった。通常、工場と言えば製品の量産と出荷が対になっている。が、ここの建屋は輸送に使う乗り物のアクセスが良くない森に立っており、道路もさほど整備されていない。実際木々の合間を縫う道があり、古ぼけたトラックが停まっているが、幻想郷の住民の数を考えると何を生産するにしてもあれでは輸送力不足なのは明白だ。

 聞き込みの前に、ひとつだけ質問させてもらった。

「にとりはん、ここは何造ってるん?」

「造れと言われれば何でもやっちゃうけどさ」

 巨大な背嚢を背負い直し、にとりが少し得意げに振り返った。手を振る仕草がついているという事は、厳密には工場ではないのだろうか。

「何も売るために作るだけが河童じゃないからね。何でも工場って呼んじゃうけど、からくりの解明や試験は仕事に似た遊びだから。ま、賢そうに言うならあそこは研究所だね」

 そう聞くとなんだか納得できた。心にゆとりが出てきたせいか、少し口寂しさを覚えて胸の物入れに手を突っ込もうとしたが、にとりに咳払いされて止めた。何故に妖怪や物の怪の類は煙草が駄目なのか。それは流石に今質問する事ではないのだろう。煙草と共に胸にしまっておくことにして、眼前に迫った建屋を見上げた。

「入ってすぐに部屋があるから、そこで待ってて」

 工作機器の音がするのだから、当然と言えば当然だが電気が通っている。電灯に照らされた金属なのか合板なのかよくわからない材質の戸が軽い音を立てて開き、中へと招き入れられた。

 外見に違わず、中身も藤花の知る外の工場とそう変わらない。奥へ続く廊下を踏破し、もう一つの戸をくぐれば河童たちの工作現場を目にする事が出来ただろうが、先程にとりからそれはかなわない旨はすでに通告されている。今の彼女らが許されているのは、脇に開いたまた別の戸の奥、飯場とも休憩室ともつかない畳敷き十畳程度のスペースで待機している事だけだ。

河童のイメージカラーなのか、にとりの服と同様の水色に染まったつなぎをまとった姿が二、三休んでいるのが見える。

それだけではなく、藤花でもまず見た事のないテレビジョンが設置されており、総天然色の映像が流されていたのだ。試験的なものなのかすでに妖怪の間には膾炙しているものなのか不明だが、休んでいる河童たちは新参者である藤花達をチラと振り返った後、すぐに画面に見入る姿勢に戻ってしまった。

「じゃ、待ってて」

「アッハイ」

 にとりが去ってしまうと気安く話しかけて良いのか分からない。致し方なく雷鼓と顔を見合わせ、河童たちの背中越しに何やらニュースらしき映像と音声を鑑賞する事にした。

 

「昨日、うろ覚えのパチュリーイラストを騙し取っていた詐欺グループが、摘発されました。このグループは"幻想郷うろ覚えのパチュリーイラストコレクション財団マヨヒガ支部"を名乗っていたとされ、"今、本部のある冥界ではうろ覚えのパチュリーイラストが高騰していて、幾らあっても足りないくらいだ。頭の飾りが逆でもいいから殴り描いてほしい"などと、言葉巧みにフェルトペンを握らせ、主婦や妖怪などから凡そ十万枚に及ぶうろ覚えのパチュリー氏のイラストを騙し取った疑いが持たれております。騙し取られたイラストの中には、ナイトキャップのデザインをレミリア氏と混同したと思われるものや、辛うじてパチュリー氏と分かる頭巾の女性からフキダシが出ていて"そーれのまいっ"と書かれたものなど、希少価値の高いものも含まれていると見られ、妖怪の山では作品の行方を全力で捜索しております」

 

「……何やこれは」

 妖怪の世界は謎が多すぎる。天狗の軍勢と接触する前に、もう少し勉強させてもらおう。藤花が謎の決意を固めていた最中、背後で扉の開く音がして、聞き覚えのあるにとりの声と「自警団の人?」という問いが投げかけられた。

   *

 

 内容を掴みかねるニュースに熱中する理由も無くなった。藤花と雷鼓は、にとりが連れてきた河童すなわち最初の目撃者へ挨拶する為に、向かい合うまで体を回し、立ち上がる。

「自警団の、雷鼓です」

「………藤花です」

「やっ、どーも。縹汐音です」

 戸の脇へ退いたにとりに並び、背丈も顔の雰囲気も良く似ており、服も共通のつなぎを着ているものの、顔のそばかすで聞いていた通りの印象の河童が立っていた。河童のお肌手入れ事情なぞ知る由も無い藤花であったが、少なくとも彼女だけは見分けられるだろうと勝手に判断した。

「里からの応援だって。こないだ見かけた時の事、話してあげてよ。んじゃ、私はこれで上がるから」

 これで用済みとばかりに、にとりはくるりと後ろを向いて片手を振って見せた。すかさず、ごましおと背後でテレビを見ていた河童達が「おつかれさまでーす」と声を上げる。

 戸口へにとりが消えると、テレビの雑音も消えて代わりにどやどやという押し寄せてくる河童の足音と雑談が辺りに満ち始めた。見回してみれば、休憩室の河童達も立ち上がって親しい間柄と見える誰かの顔を見つけて次々にくっついて帰っていくところであった。

「あれれ、みんな帰ってまうん?」

「そりゃあ、定時ですから」

「律儀だな……」

 とりあえず藤花達も出ていく河童へ会釈して見送った。そこで、ある事に気付く。

「汐音ちゃんは帰れへんの?」

「ごましおで、いいですよ」

 少し照れくさそうに、ごましおが頬を指でかいて苦笑した。河童の性格に個人差があるのだろうが、ニトマートの一件以来どうも苦手意識の抜けなかった藤花にとって、ありがたい話ではある。そして眼前の河童は続けた。

「今日は、あたしが当直なもんで。泊まり込みです。間に合わせでよければご飯作りますけど、お腹空いてます?」

「おぉ……おおきに」

 一瞬、きゅうり尽くしだったらどうしようかと心配になったが、ごましおが缶詰を引っ張り出してきたので安心した。聞けば、いじってる内に生産ラインができてしまい、里から現物払いで持ってこられる食べ物をとりあえず加工しているらしい。藤花がいつか畑から失敬して回った野菜もどこかに入っているのだろう。

「あとはー、これ!」

「キ……」

「"きゅーかんばー・えーる"って、何……?」

 傷だらけの、如何にも工場の休憩室に似つかわしい古びた卓袱台に重い音を立てて瓶が置かれた。藤花らが読んだ通り、ラベルが貼られており、商品名の横ではコミカルにアレンジされた河童(おそらくにとりだろう)が笑顔で「よっ、やってる?」と問いかけてきている。

「キュウリ味のビールを飲めばいいと思うよ」

 

   *

 

「えっ、それで、鼻づらが見えた時どうしたん」

 ごましおからの聞き取りは、酒が入った事もあり居酒屋の雑談めいて賑やかなものになっていた。

キュウリ味のビールとは全く想像できなかったが、味噌か何かで少々くどい味付けの缶詰の野菜煮や川魚の肝でこってりした舌がさっぱりと洗われて非常に爽快な気持ちになれる。これは外界でも売れるのではないだろうか。

「それでさ」

 ごましおも酒精に顔を赤らめ、妙に饒舌になっている。朋友とは藤花が言い出した言葉だが、早速膝を突き合わせて酒など飲めば、種族の違いも乗り越えられるというものなのだろうか。とすれば、にとりもそのうち酒に誘うのが吉かもしれない。

「こっちに向かってきてるのが分かった瞬間、あたしの中のクールタッチのゲバルトが熱く燃え始めてね。捕まえられないんじゃ一発ぶん殴ってお引き取り願おうと思ったのさ!」

 クールは英語だしゲバルトはドイツ語である。興奮すると横文字がぽんぽん飛び出すタイプなのかもしれないが、なんだか内地で学生を相手にしているような感覚になってきた。

「そうそう、気になったんやけど立ちあがったら大きさはどんなもんやろ?想像で」

「あれ、立てるのかな。あたしが見た限りじゃずっと泳いでたけど水から出てた鼻から……尻尾?あたりまででヒトの大人と同じようなもんだったけどなあ。たぶん四足歩行だね。歩行機械にしたら面白いかもしんない。うんうん。おぷてぃかる・もーびる」

「お、おう」

 資料を作った段階では河童の口も重かったのだろう。ごましおの語る情報は、当初"恐竜"という単語に形容された藤花らのイメージを大きく塗り替えるものであった。そして、藤花が紙をもらって万年筆を走らせ、ある一枚の図を描き上げた。

「おーっ、あたしが見たのもそんな感じだ!」

「もしかしてやけど……ワニやな、それ」

「ワニか!………永遠亭に戻ってさ、てゐちゃんに"ご先祖の仇を討て"ってけしかけたら解決しないかな」

 雷鼓の提案に、藤花の肘ががくりと卓袱台から落ちた。

「そっちのワニやのうて。真水に住む肉食の怖いやつやね」

「なんだってそんな生き物が」

「とっ捕まえて取調べしてみる?」

 冗談めかして藤花が笑って振り返ると、雷鼓は西洋人よろしく手を広げて首をすくめて見せた。

 しかし、ごましおはというと何やら真面目な顔をして考え込んでいる。

「ご、ごましおちゃん。冗談やで……?」

「あー、いや。取調べは任せるけどさ、種類が分かれば捕獲もしやすくなるかな」

  ひとまず、相手がジュラ紀の恐竜などではないという情報が一同を安心させた。ワニの特徴や捕まえ方は鈴奈庵か、より詳しい情報が欲しければパチュリーあたりを訪ねるのが良いだろう。いつしか聞き込みもビールの空き瓶が増えるにつれ、やれ女のここをみて良し悪しを判断するであるとか、やれどんな妙な肴で酒をやったことがあるだとか、関係ない話題に移って行った。

「いやいや、真の酒飲みはカステラでもぐいぐいいけるもんやねんで!」

「あッははは、そんなの藤花だけだって」

 酔った河童というものを初めて見たが、つなぎを上半身だけ脱いで肌着だけになり、ぶらつく腕の部分を腰で縛っている出で立ちなので今一つ昔話の妖怪という実感がわかない。よれた肌着に浮かび上がる体のラインは妙に艶かしいが、頬を紅潮させて「尻子玉は無いよー?」などと本当にあったところでご相伴にあずかるにはちょっと抵抗のある提案をしてくるあたりはそれっぽいといえばそれっぽい。

「流石にそれには及ばへんよ……雷鼓はん、遅くならんうちに里戻って、輝夜はんに報告しよか」

「ああ、もういい時間か」

「えー、泊まって行けば?」

 ごましおの提案がまさかのものであったので、藤花は思わず目を瞬かせた。

「困った時はお互いさまの朋友じゃん!こういう時なら、尚更ね」

 



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主人公設定画2 & 改めて携行品紹介

 

【挿絵表示】

 

 

 

国民服…

ドラマで戦時中っぽさを出すツールとしてよく着用される国民服だが、試作当初は男性用で四種類くらいあったり更に婦人用が存在したことは殆ど知られていない。

本作ではその知名度の低い婦人用国民服を主人公ウェアに採用……といいつつ、デザインはあまり似せていない。婦人用はベルトがあったりスカート丈が長いのでバイク乗れない(そもそもスカートがバイク向きではない)という難点があり、いわゆる甲型をベースに着やすくしたやつにアクションフィギュア用みたいな分割のスカートを合わせた。

 

ちなみに史実における国民服は、「皆んな同じ服にすれば資材の節約になるっていうけど、自分で買った背広そのまま着続けた方が節約になるのでは……?」と気付いた人が少なくなく、着用率はそんなに高くなかった。

 

 

 

 

S&W…

ちょっと前に東方で新登場したトレカ天狗がカードの次に目を付けたのは何故か銃火器。烏天狗だけに飛び道具だろうか。

作中で文がさりげなく語っていたように、「人間社会に氾濫してもあくまで銃を持つ人間のスペックからはみ出す事は無いので妖怪はあまり怖くない」&「のちのち投機対象になる事を期待して」の事だった。

そして藤花が外界から持ち込んだ火器は(当たり前だが)戦時中のモデルばかりだったが、そのほかに里で購入して使用する銃は全てS&W社のリボルバーで統一されている。

これは同社の内部機構や操作方法が1900~1980年代まで大きく変わる事無く続く由緒正しいメカであること、そしてその歴史の長さからいつの時代に訓練を受けた人間なのかを隠すのに役立つからだった。。

いちばん大きいM586は、同社製リボルバーが内部安全装置の追加など設計を変更する前の最後の世代にあたる。

 

 

 

 

Tutima Flieger chronograph…

「チュチマ」とはドイツの高級時計メーカーで、統合や合併をさかのぼると19世紀末創業とされている。

戦時中はいくつかの時計メーカーと一緒に軍パイロット向け航空計測時計(クロノグラフ)を納入していたが、基本的にパイロットが墜落すると腕時計も一緒に喪われる為、現存数が少ない。

藤花の腕時計も同製品を採用したが、別に高級路線を気取っているからではなく、前にソ連に潜入するため彼女がドイツへ赴くという長編を考えていた事があり、その中でドイツ軍の時計をパクってくるというエピソードを妄想していたから……

 

 

 

(藤花ちゃん基本的に戦中派キャラなので舶来品信仰が強いです)

 




何度目かの用語解説と、藤花の身の回りに近いグッズの解説でした。
長生きな火器ならコルトのM1911シリーズでいいじゃん、って気もしなくも無いですがあれは戦時中当時まだ米軍採用銃で広く輸出されてるわけではなかったっていうのと、上記の理由からやはりS&Wに落ち着きました。

サテこんな設定を増やしまくって全部活かされる日は来るんですかね……


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永遠の竹林支部⑤

 しばしの雑談もひと段落し、ごましおが風呂を沸かすというので退出したので、藤花は雷鼓と翌日以後の捜査方針について、輝夜に体裁よく報告できるよう情報をまとめる時間が出来た。

 特に、不明生物とやらが外界にも存在する動物であると判明したのが大きい。確かに獰猛な生き物ではあるが、科学の枠を超えた妖怪と違って知恵で対抗できないわけではない。少しの助言で河童が捕獲装置もしくは多少頑丈な罠を張れば沢から引きずり出す事は可能である。霊夢や他の分団も同様の雑事に追われているようであるが、一足先に戦果を効果的な「生け捕り」という形で里で展示なり出来れば自警団の株も上がって輝夜どころか警備局長からも褒賞の可能性があった。

「運がいいなあ、私ら」

 海野警備局長の生き方とスピーディな事件解決を重ね合わせてバラ色の生活でも思い描いているのか、雷鼓はわずかに残ったキューカンバーエールを惜しむように飲みながら満足げに頷いている。いつ終わるとも知れない地道な聞き込みが終われば、大層気が晴れる事は藤花も心得ていた。二人して顔を合わせ、運が良いからな、と繰り返してにんまりしていると、ごましおが休憩室へ戻ってきた。

「三人いるから盛大に沸かしちゃった!遠慮せずに入っちゃって。間欠泉センターほどじゃないけど、居心地の良さは保証するよ」

「ほんなら……」

「お言葉に甘えて……」

 藤花と雷鼓は今ひとたび互いを見合うと、タイを緩めてどこから出してきたのか手ぬぐいなど肩にかけて準備万端になっていた。

 

   *

 

 ごましおに連れられるまま廊下へ出た。もしかして工場内を突っ切って行くのかと思い、にとりの内部極秘という言いつけを思い出してギクリとしたが、そちらではなく一旦外へと歩み出る経路を辿った。

魔理沙の住まう方角に比べるとまだ風通しが良いのか、魔法の森特有の鼻につく湿気もなく夜だとむしろ肌寒い。風呂上りにまたここを通るなら、夕涼みなぞしていると風邪をひいてしまいそうだ。

工場の裏手に張り付くような小屋が作られており、換気用と思しき小さな窓から煌煌と明かりが漏れている。藤花も見覚えのある丁の字型の煙突が刺されたようににょっきり生えており、夜陰にまぎれて煙を風に棚引かせている様はなんとも素朴だ。水車小屋や粉挽き機の音も聞こえれば東北の童話めいた光景であっただろう。木戸を開いたごましおに続いて足早に入ると、これまた下町っぽく生活感のある、そこにできて幾星霜の風格を帯びた脱衣所だった。すのこや木棚は黒々と色を変え、やや頼りなさげに当たりを照らすちっぽけなランプには、種類の判別しかねる小さな虫が寄ったり離れたり。

「なんか……」

「どしたの」

「人里より、外界みたいな生活してるんやなって…」

 室内の調度を人文学者めいて観察する藤花を、ごましおは苦笑して眺めていた。里も蒸し風呂ばっかりじゃないでしょ、と言われて昭和期の建築に住まう藤花としては首肯せざるを得ないのだが、彼女には何とも言葉にしづらい感覚であった。

 ごましおは、河童共通のものらしい帽子だけ脱いだところで、もう一回火の様子を見てくると言って結んだ髪を揺らして出て行ってしまった。

残された二人はとりあえず脱いだ上着を畳んで棚へ押しやり、忘れ物を思い出そうとしているかのように緩慢な動作でタイを解いた。かつて藤花と組んだ少女達は基本的に普段着のまま行動を共にしていたので、特に妹紅などは先に着替え終えてしまいしゃっちょこばった服装の藤花はいつも待たせてしまっていたのだが、雷鼓は似たり寄ったりの出で立ちであるのでこういう時は気が楽だ。

 室内とはいえ、脱いでしまうと流石に足元からじわじわと寒気が締め上げてくる。こんな工場の一角の風呂であろうと一番を黙って戴くのもなんだか気が引けるところではあったが、内部構造を観察する名目でそっと浴室へ足を踏み入れた。

「ほう」

「こっちも綺麗なもんだね」

 日中も使用するのかは分からないが、三人で入るには十分な容積を有した木造の浴槽があった。

「ねー、工場にしちゃお洒落やね」

「あぁ、ちょっとジジくさいかと心配してたけど、この桶なんかロックだね」

 そう言って雷鼓が傍らのホーロー引きの桶を取り上げ、底をノックする。濛々と立ち上り放送コードをギリギリで回避する湯気を、軽快な音が震わせた。

「ちょっと、お湯見てもらえるかなー?」

 換気と日中の明かり取りを兼ねているであろう高い窓から、ごましおの声が飛び込んできた。先に脱いで浴室の品評などを行っていた事に若干の申し訳なさを覚えながら、藤花が湯に手を突っ込む。

「うん、ええで。熱さ江戸っ子級」

 藤花が端的に湯加減を報告すると、先に浴びちゃっていいよーと返事が返ってきた。二人は素直に礼を述べ、雷鼓などはきゃほほーいと叫んで飛び込み、藤花も控えめにかけ湯で冷えた体を桜色に染めると、湯に体を沈めて大きく一息ついた。

「じゃ、あたしもー!」

 入り口から突然大声を出されたので全身で湯を愉しみ始めたばかりの二人は慌てて振り返った。

 つなぎ姿で立っていたはずのごましおが、次の瞬間には着衣すべてをその場に残して人間砲弾めいた軌道を描き、二人のところへ飛び込んできたのだ。

   *

 

「ごましおちゃんさあ……天井から水落ちてきて冷たいんだけど…」

 大家族が入るにはやや狭く、三人程度ならやや広めに浸かれる程度の浴槽。その縁にもたれ、力を抜いて天井を仰ぎみていた雷鼓の額に、滴が落ちてきてぺちと音を立てた。大きな塊から離れ、天井で形成されたそれは温もりを喪って触れた者をびくりと震わせる。

 ごましおの飛び込みで大きな水柱が上がり、先客の二人は頭からお湯を被って髪がべったりとつぶれてしまった。長さがさほど変わらない髪型であった為、色味以外なんだか似通って見える。

「あはは、これくらいのお泊りの醍醐味だよねえ」

 肝心の飛び込み選手はというと、さほど悪びれてみせる様子もなく、無邪気に振り返って笑っていた。

「全くもう……」

「風呂に飛び込むとか、何年ぶりに見たやろ……砂糖入り麦茶より長らく見てへん気がする」

 両手で湯をすくって顔に浴びていた藤花が、疲れか酔いでむずむずしてきた目頭を押さえながら苦笑した。

「ところで、ごましおちゃんは先程から何してはるん」

 藤花の興味は、温かいとはいえ水中である湯船に鎮座する河童の行動に移っていた。ごましおの実年齢は例によって不明だが、ヒトの外観に照らし合わせてみるなら十代後半か二十代前半と言ったところだろう。

 そんな彼女は、控えめな胸元の隆起を僅かに彷彿とさせる曲線を水面にちらりとみせる程度まで浸かり、首筋へ汗の玉を浮かべていた。雷鼓の小言を受け流した後、ごましおは揺れる水面、否、その奥に透けて見える藤花の肢体を凝視していたのだ。

 

   *

 

「あーもう、相棒がそこまで見境ないとは思わなかったね」

「待って!雷鼓はん、なんか誤解しとるよ!?」

「うるさい!河童の胸わしづかみにされながら開口一番に"ちゃう、これは相手を人肌で温めようと…"なんて言い訳するか普通!?いま!風呂に!入ってンんだろが!!」

 工場の表で一服しようとくわえ煙草で肩を怒らせ、歩き回る雷鼓を藤花がおろおろと追いかけていた。

「でも、ごましおちゃんも幸せそうやったし……」

「あの姿勢でびっくりして胸で締め付けたらそらそんな顔にもなるわ!なんだ、自慢か、しあわせ二つぶらさげて頭の中はめでたいってどんだけさ!なんなら明日からてゐと組むか?幸せコンビで里も歓迎だろうさ!」

「ちょっと雷鼓はーん!」

 二人の叫びがぐるぐると夜の工場を回っていた。

 

   *

 

 翌朝、藤花達が目を覚ましたのは河童達が工場へやってくる少し前であった。生き物が常駐しない工場という建物の中にあって、休憩室といえども暖房の類がなければ朝夕の底冷えは厳しいものがある。そんな寒気が彼女達を真下から揺り起こしたのだ。

「んッ、くぅー……」

 被っていた毛布を跳ねのけて伸びをすると、凝り固まった筋肉がほぐされて思わず背骨を震わせる。表で顔も洗って完全に眠気が吹き飛んでしまった。ついでに永遠亭帰還前に体操なぞしていると、弱弱しい朝の寒風に混じって低い排気音がどろどろと木立の間をすり抜けてきた。どこから来ているのか分からなかったが、工場へ延びる道は一本しかない。じっと見つめているとやがて古ぼけたKA型トラックが荷台に大きな包みと複数の河童を積み込んで到着した。

「あれ、まだいたの」

 荷台から飛び降りてくる河童の中に、にとりがいた。顔を見るなりご挨拶である。

「あのあとしばらく聞き込みしとってね……」

「そうなんだ、まあ今日がリバーイーグルの最期だよ。前は釣り具に毛が生えたようなのしかなかったけど、今度はあれがあるからね」

 積荷は捕獲装置らしい。丁度目の前で覆いが外されたので見やれば、複雑な仕掛け戸を有する大きな檻である。確かにワニは釣るものではない。河童の一ひねりした知恵の入った檻ならまずは安心だ。

「時に、にとりさんさあ」

「ん、どしたの」

「工場に電話ってあるかな。永遠亭に一応連絡を入れておきたいんだけど」

 雷鼓が手帳に檻の情報でも書き加えているのだろうか、何やら書きつけていたペンの尻でこめかみを掻きながら、視線をにとりへと巡らせる。だが相手は首を振った。

「ここには無いよ。沢の手前に電話ボックスがあるからそこでかけてくれるかな。あれが捕まれば里のおじさん達も多分見たがるだろうから、後で持ってくって伝えてよ」

 藤花は目を瞬かせた。

「え、捕まえたやつ里に持ってくのん?」

「同じ水に住んでる河童が飼うもんじゃないでしょ…希少だから展示したらって話もあったんだけど、食べるものがかぶったりすると厄介じゃん」

 ワニがキュウリを食するのかは藤花も寡聞にして知らない。だが、にとりの次の発言で疑問は氷解する。

「中身は厄介払いに、檻は"害獣捕獲に!"っていって畑守ってる人間連中に売り込めるかなってね」

 新製品のデモンストレーションも兼ねていたわけだ。成程ワニを捕まえられるなら犬や狼程度の大きさの生き物も捕獲できるだろう。今回ばかりは、河童の仲間意識よりも人里との損得勘定が勝ったというわけだ。

 トラックはすぐに沢の近くへ向かうと言うので、雷鼓と共に藤花も荷台へと飛び乗り、ギェェェンことごましおザウルスことワニの最後を見届けるべく、河童達と共に道を急ぐ事となった。

 

   *

 

 里を離れて遠く、沢は自警団の権力の及ばない河童の縄張りである。二人は捕獲現場の観察は許されたものの、沢へ入る事は断られてしまった。どのみち河童と違って陸上生活特化型の二人であったので、たとえ船があったとしてもワニと格闘する羽目になるのは避けたい。

 夏場に散歩でもすれば涼しいかと思ったが、実際に川面に近いところまで降りると、その希望ははかなくも打ち砕かれてしまった。辛うじて歩ける場所はあるものの、濡れた岩場は頑丈な靴を履いていても心細く、姿勢を崩せば全身を角ばった岩場へぶつける羽目になる。

「噂に勝る絶景やねぇ……」

 峻険な岩場が両岸にそびえる沢は、見る者に畏敬の念を抱かさせる。玄武の名を冠するにふさわしい流れの傍で、藤花達は岩越しに日光を仰ぎ見たり、岩を磨きながら流れゆく水の飛沫に足を濡らし、身震いしながら河童の行列へ連なって進んでいった。

 時折行列の行く先から何かが沢へ投げ込まれていたので、何事かと目を細めると、どうやら魚らしい。燻製なのか発酵させたものなのか、沢の緑の薫りに混じって鼻にツンとくる。餌の存在をワニに誇示する為だろうか。

このままどこまで続くともしれない岩場の隊伍を眺めていると、不意に肩を叩かれた。振り返ると、ごましおの人差し指が頬に刺さる。

「そこの道を上ると電話があるよ」

「……お、おおきに。いてぇ」

 ごましおの指さす方を見れば、階段状になっていると言えなくもない岩が、周囲よりわずかに苔を薄くして上へと続く道を浮かび上がらせていた。すぐ追いつくから、と雷鼓に伝え、ごましおを伴って半ばよじ登るようにして沢から上がると、森のどこかへと消えてゆく小路があり、途中まだ日が当たるところに電話が設置されていると思しき小屋がひっそりと建っていた。

「おじゃましまー……」

 勝手知ったるはずのごましおが、遠慮がちに中を覗き込む。倉庫兼電話口なのだろうか。中は薄暗く、常駐する者もいないようだ。

「あんまり詳しく言えないけど、沢のアジトと行き来する時に使うんだよね」

「へぇ……」

 詳しく語られないのなら、こちらから聞くこともあるまい。藤花は原材料と思しきずた袋や箱の山を避け、入り口横の見覚えのある電話機へ取りついた。まずは永遠亭につないでみる。

 かかった。

「はい、永遠亭でございます」

 この声は永琳だ。思えば迷いの竹林でどうやって電話線は繋がれているのだろう。妹紅か誰かが立ち会えば工事は出来たのかもしれないが、それを伝って外部の人間が迷わず行き来できるようになれば案内人は不要になってしまう。やはりというか、おそらくあの竹林にはまだ謎が多いのだろう。

「あ、藤花です。永琳はん?いま河童のとこから電話してるんですけど」

「そうでしたか、報告をお待ちしてましたよ」

「お待たせしてもうてすんません、でももう河童と捕獲しに沢へ向かってるとこで、昼には罠も設置してあとはかかるのを待つだけって感じやね」

 とりあえずの報告として、罠で捕獲する計画と、捕獲後は里へ輸送する予定だという話を伝え、一応自警団としてやれるだけの事はやったと報告することが出来た。河童のメンツも立つし、自警団らしく助言と人員の派遣を行えたのだから、今回はお褒めの言葉で仕事を終えることが出来るだろう。

「そういえば、輝夜はんいはらへんの?」

「ちょっと今、別件で皆出払ってしまって」

「忙しいんやなぁ……」

 電話口で藤花は苦笑した。片手が暇なのでつい癖で煙草を取り出そうとするが他人の土地ということもあってそうはいかず、とりあえず机の横にしゃがみ込んでこちらを見上げているごましおの頭を撫でる事くらいしか出来ない。

「ええ、ちょっと緊急事態で……。罠の設置が終わったら、お二人のうちどちらか戻ってこられますか?」

 思わず、眉が下がった。緊急とは何だろう。確かにどこも忙しそうにしていたが、輪をかけて仕事が増えたのだろうか。

「竹林で、銃殺体が発見されました」

 藤花の動きが止まった。

 



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永遠の竹林支部⑥

 藤花の指の動きが止まったのを見て、ごましおが不思議そうに首を回して受話器を持ち硬直している彼女を見上げていた。

「もしもし?聞こえていますか?」

 受話器から心配げな永琳の声が漏れる。

「……ああ、すんません。聞こえてます。雷鼓と話して、どちらか戻るようにします」

「お願いします。こちらでは、解剖の準備を進めておきますので」

 緩慢な動作で、受話器を戻すと、小さく金属のかみ合う音と控えめな呼び出しベルが一度だけ叩かれる音がし、それっきり室内には沈黙が戻った。別に事件が恐ろしかったわけではない。自警団の身分になる前から、命のやり取りは経験がある。しかし何故か今の電話は、彼女の不意を打ったのだ。

「……ほなら、ごましおちゃん。皆のところ行こか。ウチ、ちょっと忙しくなりそうやわ」

 

   *

 

 恐る恐る岩場を降り、再び沢に沿って進むと、おそらく最初の目撃現場だと推測される場所で、罠を沈めているのが見え始めた。雷鼓の白い開襟が、群衆から一歩離れたところで妙に目立っている。

 藤花は、ごましおが同僚の傍へ戻るのを見届けると、雷鼓の肩を叩いた。

「雷鼓はん、ちょっとええかな」

「えっ、もうバレたの。早いなあもう」

 予想と違う反応に怪訝な顔をしていると、雷鼓はホラと言って懐から小さな紙の袋を取り出して藤花へと突き出す。見れば「ヤツメウナギ」と書いてある。肩がガクリと落ちた。指二本で、袋を差し出す雷鼓の手を元に戻す。

「そうやなくて……報告の電話入れたんやけど、永琳はんから、竹林で死体が見つかったて」

「死体?……それまた剣呑な」

 自警団本部から支部長たる輝夜、そして自分たちへ流れてきた雑事にかまけていたせいか、彼女もまた驚いたように目を開いた。だがそこは肝が据わった付喪神、すぐに真剣な表情に戻ると上着の襟を治して、それでどうすればいい?と尋ねてきた。

「どっちか戻って来てほしいそうなんやけど、ウチが先に帰ってもええかな?」

 銃殺体とあらば銃創か銃弾、もしくは両方が確認されているはずだ。いま現在、支部に誰が残っているのかは分からないが、凶器に関する知識が必要とされているのだろうと藤花は判断した。

 雷鼓も、藤花が適任と考えたのか、即座に頷いてくれた。

「構わないさ。何か進展があれば支部へ連絡を入れておくよ」

「おおきに!ほな、よろしくね」

「レディの扱いは、お任せ」

 雷鼓は目を細めて笑い、指を鳴らしてそのままの勢いで親指で自身を指示して見せた。

 

   *

 

 玄武の沢を辞し、ニトマート前を経由して人里外環へたどり着き、妹紅の付添いを受けて永遠亭へ戻る頃には、太陽は頂上を過ぎて藤花の空腹も限界に達していた。何しろ沢から人の往来のある場所まで送ってくれる車もなく、里へ着いたら致し方なく人力車を捕まえて無駄な抵抗を試みたりもしたのだが焼け石に水、着いた頃には解剖も終わっていたのだ。

 そして今は、薬局として設置されているスペースの片隅で椅子に腰を下ろして領収書を名残惜しげに手にしている藤花を、永琳は苦笑しながら眺めていた。

「経費で落ちるかは後で聞いてみましょうね。……さて」

 急に真剣な眼差しに戻り、刀圭界に身を置いていなければ「なんか臓器に似たあれ」としか形容しようがない金属の皿を静かに卓上へ乗せた。見れば綿が敷き詰められており、その中に一点、金属光沢を血と油でやや失った小さな固形物が混じっている。円筒形のそれは、片方がやや尖頭になるよう成形されており、素人目に見ても摘出された弾丸である事が分かった。

 藤花も領収書に関しては後々覚悟を決める事にし、今は目の前の証拠物件に集中する。

「ん……小さいね。32口径かな」

 藤花がより観察しやすいよう、永琳はピンセットを出してくれた。調査のために一度洗浄してあるだろうが、落としてしまわないよう藤花の手つきは繊細そのものである。

「直径は8ミリ弱、脇腹に撃ちこまれて肝臓に達していました。そこからの内出血とショックが死因のようですね」

 永琳はこめかみを掻きつつ、複雑な表情で書類と記憶に齟齬がないか確認しつつ、慎重に結果を読み上げた。発見状況については伝聞の形であるが、それについては問題ない。第一発見者はそもそも妹紅であり、ここへ至るまでの道中、詳しく報告を聞かされたばかりだったからだ。

 妹紅いわく、死体は竹林に分け入ってそう遠くない位置で倒れており、朝に竹炭を出そうとした彼女が点々と続く血痕に気付き、発見したのだそうだ。獣の類に荒された形跡もなく、死亡は昨晩(これは永琳の診断にも合致する)で別の場所で銃撃を受け、竹林まで逃げてきて力尽きたのだろうという推理だった。

「ホトケさん以外の証拠としてはこれしかなかったんよね。薬莢とか」

「周辺を調べてみたものの、薬莢は落ちていなかったそうです。一応旋条痕は紙に写し取ってあるので、あとで里へ送付して登録された銃がないか確認してみます。それは鈴仙にお願いしましょう」

 藤花は大きく頷き、一息つく余裕が出来た。

「とりあえず、すぐに解剖できたんは重畳やね。あとは銃弾の判定を待とか……」

 そこまで言いかけた時、藤花の腹が一際大きく鳴った。何しろ朝からほとんど何も食べていないのだ。死体の話のあとに聞く生を象徴する音は、何とも滑稽さを際立たせている。

 永琳も控えめに笑い、何か作りましょうかと言ってくれた。このまま鈴仙に帯同して里へ出ても良いのだが、先に手を付けているワニの件について雷鼓からの報告がまだなのでしらばっくれようと判断した。

「今日はお客さんも少ないので、作ってきてしまいますよ。わざわざ戻ってきてもらったんですし」

「……お願いしてもええですか。朝から何っも食べてなくて」

 すがるような目で見上げる藤花に笑顔で頷き返し、永琳はここじゃなんですから後で事務所へお持ちしますと言って奥へと消えて行った。

未だ現場にいるであろう雷鼓の事を思うと若干の申し訳なさもあるが、あちらはあちらで弁当か何かを摂りつつ成果を待っているかもしれない。

どちらにせよ、彼女は人気のない事務所へ戻り、煙草をくゆらせつつ資料のとりまとめにかかっていた。永琳から預かった解剖結果と、銃弾の資料を添付し、書式に法って事件の発生日時、場所、状況をまとめて通し番号を振った。先程の会話通り、初動で出来る事はこれくらいだろう。第一発見者:藤原妹紅という表記を見て輝夜がどんな顔をするか想像しつつ、記入者の印を押して書類は一応の完成を見た。同時に唇を焼かんばかりに短くなった煙草を、傍らの灰皿へ放り込む。

一気に事を終えてしまうと、急に押し寄せてくる静寂の中でこの世に自分一人になってしまったような錯覚に陥る。ともすれば恐ろしいこの妄想を、彼女は半ば楽しんでいた。幻想の世界へ転がり込んだ自分が、一瞬でも嘘のように感じられるこの瞬間が好きだったのだ。

だがそんな時間も本当に一瞬だった。何本あるともしれない竹林が立てるざわざわという音に耳を傾けていると、廊下をひたひたと歩む足音が接近してくるのが分かったのだ。振り返ったのと、永琳がお食事をお持ちしましたよと声をかけたのが、ほぼ同時だった。

「おおきに、いただきます………おぉ!」

 藤花が思わず声を上げたのも無理はない。てっきり握り飯か何かを予想していたのだが、永琳が持ってきたのはハイカラなパン食。それもカツが添えられていたのだ。

「大したものじゃないですが……」

「いえいえ、カツなんて久しぶりやから、つい」

 いい年をして声を上げて感嘆してしまった自分に赤面しつつ、藤花は盆ごと食事を受け取った。

 薄手であるが、それはビーフカツレツである証拠である。あくまでも添え物は控えめ、だがそれは質素さとは無縁の、肉の出来栄えを十分に味わえることを意味している。藤花も、どっぷりとソースをかけられ、クレソンなど添えられた皿に興味は無い。ビーフカツレツとはシンプルに味わうものなのだ。その点、永琳はよく心得ていると言えた。

 里の外来人の店のものだろうか。食パンは焼かずにそのまま、そこへ薄くバターが塗られていた。思えば藤花も煙草屋を開業するまでに酪農家のところで生産の手伝いに少しだけ顔を出した事を思い出した。パンの横、バターのそれよりも少し濃い黄色は辛子であろう。カツレツの味を楽しむなら、この程度で十分だ。これ以上はくどくなる。藤花は思わず頷かずにはいられなかった。

 カツレツは既に切りそろえられており、ナイフで切り分けるあの感触を楽しめないのが残念でならないが、永琳の腕前は本物だろう。色と、細かく表面に立っている衣の質感を具に観察すれば一目瞭然だ。

 十分すぎるまでに目で楽しませてもらった。あとは、カツに心持ち辛子を塗り、パンに挟んでいただくだけだ。

 かぶりつこうとする藤花の視界の片隅、窓の外に何かが揺れた。

 永遠亭の庭先と奥に見える竹林、緑に満ちた四角い自然に、白いものがふたつ対になって揺れながら移動していた。それは窓の中央まで移動すると、少し下へ消え、次の瞬間には持ち主の顔と共に再び現れていた。

「………てゐちゃん、何してんの」

 白いものは、てゐの耳であった。高堂の一件で鈴仙と会っていたので耳程度では藤花ももう驚かなくなっていた。

「藤花、鈴仙見なかった?」

「永琳はんに言われて本部に行ったんちゃう?ウチは今日まだ会うてへんよ」

 てゐは窓の縁に腕をかけ、おそらく外で足をぶらつかせて聞いていたのだろう。だがそんな彼女も兎。どこで踏ん張ったのかよいしょの掛け声ひとつで縁を飛び越えて室内に転がり込んでくる。

「うわァっとと……あぶないなぁ」

「そういえば、お師匠様が書類出来たら見せてほしいって言ってたわよん。早く行ったげたほうがいいかも」

 そう言うなり、てゐはそそくさと廊下へ駆け出して行ってしまった。戸があるのだからそこから入ればいいものを、と藤花が怪訝な顔で見送っていると、サンドイッチが手から消えていることに気付いた。落としたかと思い慌てて足元を探すが、パンくず一つ落ちていない。皿を見るが、そこにも無い。

「まさか」

 畳を踏み鳴らして廊下へ飛び出すと、てゐが物凄い勢いで何かを口に押し込みつつ表へ通じる廊下を全力で遠ざかっていくところであった。

「てエエェェェゐ!貴様アァァ」

 食い物の恨みは恐ろしく、追いかけっこは藤花が落とし穴に落ちるまで続いたという。

   *

 

 その後、雷鼓から電話が入ったのは太陽が色を変え始める直前の頃合であった。電話口の彼女は、やや興奮した様子で河童との協同作戦についてまくしたてた。

「やったよ!かかった!初めて見たよ、ワニってすごいんだな」

「お、捕まえたんやね。いやあよかったよかった。じゃあ河童の機械はうまいこと働いたわけや」

「なんか今のところワニも大人しくしててね。トラックがあるからそれで日が暮れるまでに本部前に持ってくよ」

 一週間弱で成果を上げたのだ。これは、他の支部で抱えているヤマと比べると早い方と言えるのではないだろうか。海野警備局長もご満悦であろう。藤花は輝夜と警備局長の両方からお褒めの言葉とついでに金一封でも受け取る事が出来れば雷鼓と痛飲に繰り出すのもやぶさかではない。藤花は永琳に外出の旨を託けると、鈴仙を伴って里へと向かう事にした。

 

   *

 

 里外でも出来事とあって流石に盛大な式典が用意されているわけではなかったが、幻想郷ではまずお目にかかれない生物のお披露目とあって本部前には自警団員がちらほらと顔を出しており、騒ぎの匂いを嗅ぎつけた野次馬も集まり始めていた。

 まだ命令を発した海野警備局長の姿は見えないが、発令者となれば藤花雷鼓コンビの報告を聞くべく出てくるはずだ。社会的注目の大きい事件には、そういった「らしい」締めくくりがついて回る事を藤花は心得ていた。こういう時にタイの着用率の高い竹林支部は助かる。

 と、にわかに通りの向こうの人ごみがわっと分かれるのを見止めた。まだ真ん中を歩く人々も、何かに気付いて振り返り、慌てて脇へ退くのを見ると後ろから何か接近してきたのだろうと分かる。そしてそれは次第に大きくなる排気音と、群衆の向こうに屋根を見せ始めたトラックで結論が出る。

「道を開けてください、トラックを通します」

 数名の自警団員が両手を広げ、あの大人数に迎えられるトラックは何であろうと首を伸ばす群衆を押しとどめている。やがてトラックが制動をかけて覆いをかけられた荷台を自警団本部前に向ける頃には、警備局長を含めた幹部連中も何人か姿を現していた。そろそろ自分も行かねばなるまい。顔見知りの自警団員に手を振って通してもらい、荷台から降りる雷鼓の横に辿り着くことが出来た。

 覆いが取り払われると、群衆からどよめきが上がった。

 ごましおとにとりが、拡声器でワニの紹介もそこそこに河童達が如何に腐心してこの檻を作り上げたか、そして獰猛な動物にもびくともしない強度を通販番組めいて語り合っている。野次馬だけでなく自警団員達も興味を隠しきれないと見えて、大半が檻に注目していた。警備局長は外来人だけあってそれほどの興奮を示していないようだったが、スピード重視の作戦で成果をあげた事に満足したのか、笑顔で拍手に加わっている。

 ヤマの終わり方としては上出来だ、と満足げに雷鼓と顔を見合わせた藤花であった。その後、ワニをその辺の池や川へ放すわけにもいかず、里のもの好きの外来人が引き取って庭で飼育するよう落ち着く。

 後日、藤花と雷鼓は社会的反響の大きさから表彰されたものの、金銭的な余禄にあずかる事は出来ず、朝まで痛飲も無くなってしまった。ただ悪い事ばかりではない。

 その日ののパン屋巡回を終え、表へ出た藤花達を、呼び止める者がいた。

「うどんげちゃん?」

 



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永遠の竹林支部⑦

 いつもはひっそりと薬売りに出かけたり、ついでに本部の連絡要員として仕事をそつなくこなしたりしていた鈴仙が、珍しく焦った様子だった。

「永遠亭から連絡は受けましたか?」

「何やの藪から棒に……今日は特に聞いてへんよ」

「こないだの死体遺棄、本部が証拠を持ってっちゃったんですよ」

「え?」

 藤花と雷鼓は怪訝な顔をした。重大な事件の匂いがするとはいえ、捜査協力ではなく捜査権を持ってかれたというのだ。藤花は、外界程の縄張り争いは無いとはいえ、管内で起こった事件はその支部が解決するのが常となっている認識でいる。中央で何か手口の似た殺しでも掴んでいたのだろうか。

「誰から聞いたの、それ」

 雷鼓も納得がいっていない表情だ。ワニの一件が解決して、竹林支部としても本腰を入れて捜査しようとしていた矢先なのだから、無理もない。

「警備局長からお師匠様へ電話で……」

「海野はんが?」

 次々仕事をこなしている警備局長が、手すきすぎて暇ヒマと連呼して仕事を引き受けているのだろうか。それにしても捜査協力で済む話だ。支部の挙げたヤマを掻っ攫って良いはずがない。

「うん、とりあえず分かった……藤花、あとで本部に尋ねてみようか。うちの支部だって忙しくないのにそこまでされてもどうしたらいいか分からないし」

「せやね……証拠って何を持ってったん?銃弾と、解剖結果……。うどんげちゃん、ありがとう。とりあえずウチらも本部に聞いてみて、竹林の巡察が終わったら戻るわ」

「分かりました」

 鈴仙は一礼して帰って行った。残された二人は、往来の隅でとりあえず煙草に点火して雑念を紫煙と共に春の終わりの空へと吹き上げた。

「あの海野はんにしては、珍しい仕事の仕方よね」

「ああ、そう思う。えー、明日から何すればいいんだろ」

 腕組みして苦笑する雷鼓だったが、本部に行ってみない事には分からないという考えは藤花と共通の認識だったようだ。手土産に銃砲店での旋条痕判定結果でも先回りして聞いていこうか、と提案してきた。

「それはええね。ウチらで処理できるってとこ、警備局長に見せたろか」

 

   *

 

「該当銃なし……?」

「そうです。口径と重量からして32ACPと思われますが、うちでも微妙に取扱量の少ない代物でして……すぐに照会できたんですが一致するものはありませんでした」

「それってつまり」

 銃砲店の店先、店員の言を聞いた二人は顔を見合わせた。

里に他の銃砲店はまず無い。あったとしてもモダンな兵器はまず置いておらず、古くからいる猟師が使う種子島や旧式の猟銃程度、ましてや自動拳銃弾の取り扱いは無い。

また里に売った、もしくは旧警防団から自警団に納入された銃器は全て登録されており、所持者がいればすぐに分かる仕組みだ。データの無い銃身とは、それすなわち店を経た銃ではなく、どこかから拾ってきた、もしくは所有者と共に外界からやって来たものというわけだ。

「それ、自警団は知っとります?」

「いえ、これから竹林支部へ打診しようとしていたところですが」

ここへ来て急に難易度を上げてきた事件の闇に、二人は店への礼もそこそこに自警団本部へと急ぐ。道中、目にする里の市井は平穏そのもので、各支部が手一杯になる程の事件にあふれているとは思えない。藤花は脳裏に湧き上がる疑問をぬぐえずにいた。

と、そこへ見覚えのある顔を見かけた。

「霊夢はん、久しぶりやね」

「あん?ああ、誰かと思えば煙草屋の」

 珍しく一人の霊夢に出くわした。今日は流石に明るいうちから酒などをやっている様子ではなさそうで、こちらへ向き直る様子から何やら急いでいる様子であった。せっかくなので昼食でもと誘うには都合の良い時間帯ではあるが、二人もまた本部へ急ぐ身であったので、立ち話程度しかできない。

「どないしたの、またえらい急ぎで」

「どうもこうもないわ、また里で変な道具が出たっていうからそれの調査よ。このところ自警団が原因を教えてくれるから探る時間は減ったけど、こうも五月雨式に用事が来るんじゃあね…」

 自警団との協調は悪くはないようだが、霊夢はげんなりした様子で天を仰いでいた。収入や神社の信仰に関わる事でもあるので無下にできないというのが彼女を疲れさせる要因だろう。これから稗田邸に行くと言う霊夢を見送り、お互い大変やねと雷鼓と顔を見合わせた。

 

   *

 

 多忙かと思いきや、警備局長は自室にいた。通された二人の顔を見るなり、ああワニの時のと笑みすら浮かべたが、訪れた二人の表情はやや硬い。

「局長、竹林での死体発見についてなんですけど……」

「その事なら心配いらないぞ。やるべき事はまだ山とあるんだ」

 管内の事で君達も心配だと思うがね、と言い添えて局長が机から出してきたのは地図と、何かが羅列された書類だった。実はこちらを各支部にお願いしたいと思っていたところでねと言って差し出すので、仕方なく受け取ってみる。

「違法賭場の疑いがある場所のリストだ。里の自警団員じゃ顔の知れている者も多くてね」

「お言葉ですが局長……これ、どちらかというと風紀課の仕事では……」

 藤花がどのタイミングで言うべきか迷っていた台詞を、眉間にしわを寄せて書類に食い入っていた雷鼓がついに漏らした。偉い人間の考える事は分からんと二人して思っていたが、流石にこれは問い質さざるを得ない。

 だが、警備局長もそんな質問すら織り込み済みだったのか、そう思うだろう、とまたしても笑みを浮かべた。機嫌を損ねるのではと憂いていた二人は、思わぬ反応に目を瞬かせる。

「そういった賭場でやり取りされているのは金銭だけではない。債権のやりとりをして、借金のカタといって目を付けていた家から一人娘をさらっていく輩もおる。また薬物やヤミ銃器。それは竹林での事件にも通じるものだろう」

「確かに……」

「里内のヤマの捜査は外部協力者にも当たってもらっている。竹林の事件の手がかりが見つかるやもしれんからな」

 そういうわけでよろしく頼むよと局長が締めくくり、二人としても威勢よく返事するほかない。僅かに残った疑念は、局長が最後に机から取り出した「個人的な表彰」という封筒でどこかへ失せてしまった。

 

   *

 

 待望の金一封で気を良くした雷鼓と藤花は、永遠亭へ一度戻るとその足で妹紅を伴い屋台へと繰り出し、明日からの潜入捜査の成功を祈って杯を掲げた。

「局長ももっとウチら頼ってくれてもええのになあ」

「最初はエッて思ったけど姫さまよか話が分かる感じだよ。まあ賭場調査なんてさっさと片付けて、竹林の殺し捜査に戻りたいよ」

「何とかなるやろ……なんたってウチら」

「「運が良いから」」

    *

 

 人里は、つい先日までの冬の冷え込みを想起して足早に家路を急ぐ人々の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 黄昏時の路地裏はひっそりと静まり返り、家々の隙間に細長い闇を何本も作り出している。時折何か光ると思えば、それは猫の目であったり、塵芥を捨てるために開かれた戸口から漏れる灯りであったりする。

 そして、どこも同じような黒に塗りつぶされた里を眺めている人物がいれば、雲間から顔を出した月が路地裏の黒の中を歩いていた二人の人物を見止めたであろう。

 並んで歩いている二人は、迫りくる夜の世界に慌てる事無く、歩調を合わせて進んでいる。

「昨日の子どないしたん」

 そのうちの一人、藤花が口を開いた。

「午前零時の壁時計の鐘と同時に別れた」

 もう一方が問いに答える。そちらは言うまでもなく雷鼓だ。

「ええ子やったやん」

「だって生活変えてくれとか言うんだもん」

「相手を変えたがるもんやからなぁ、女って生き物は」

 まだ未練があるのか、口を尖らせる雷鼓の言葉に、藤花は苦笑する。

「今更変えられるかっての……」

 ため息交じりに、雷鼓も踏ん切りがついたらしい。それはもしかするとこれから始まる仕事の為に一旦記憶の片隅にしまい直すための儀式なのかもしれなかった。

 そして二人は同時に、懐の拳銃を取り出してシリンダーを出し、込められた弾丸の底を確認した。どれも撃針の痕なく、真っ新である。二人はこれまでに、二か所の地下賭場を摘発してきていた。盗まれた美術品やヤミ銃器を巡る賭けが行われており、いずれも関係者がお縄についているが、まだ32口径の拳銃は見つかっていない。

今夜は三度目の摘発となるわけだが、そろそろ裏稼業の人間にも顔が割れてきたようで、このように拳銃を帯びての出陣と相成った。

「無理やろうな」

 思い出したように、藤花は雷鼓の言に頷いて見せた。

「こんな面白い仕事、やめられないよね」

 

   *

 

 看板を下ろして久しい雑貨屋、そこが賭場の開かれている場所だった。主人が老衰で亡くなり、生前ギャンブルで作った借金のカタに業者が遺族から引きついたものだが、しばしばそういった裏の仕事に供されている噂のあった建物だ。両隣、正面は飲食店や倉庫になっており、夜半の人通りは無いに等しい。人目をはばかる連中にとって、もってこいの立地だったのだろう。

 賭場の人間もおおっぴらに見張りを表に立てておくようなことはしなかったが、ここで開かれるという情報は限られた人物にのみ流されており、入り口で都度顔を確認される。だから玄関で煙草をふかしていた男も、控えめなノックに対して「誰だ」とだけ言って僅かに扉を開けて見せたのだ。

 しかし覗き込んできたのは、銃口二つ。息を呑んで慌てて飛び退ると、立て続けに銃声が響き渡り、木戸がめりめりと音を立てていくつもの弾痕をつけていく。

 大声で賭場荒らしだ等と叫ぶような下手は打たなかった。ただし大急ぎで奥へ駆け込み、様子を見に来た立場が上と思しき男に耳打ちする。奥から来た男は頷くと、客を逃がせ、とだけ言って部下と入れ違いに銃声の止んだ玄関へと向かった。

 その間、藤花と雷鼓は余裕綽々といった表情でスピードローダーを取り出し、得物の銃弾をそっくり入れ替えていた。一連の作業が終わると、木戸を蹴破り、土埃の舞う玄関へとゆっくり足を踏み入れる。

「いくら自警団でも、一般人の財産に発砲はこちらとしても腹に据えかねますよ」

「やくざが一般人なわけあるかいな。……奥に通してもらおか」

 そう言うなり二人は、男を先行させる事無くずかずかと奥へと歩を進めた。短い廊下の奥の襖を乱暴に引き開けると、まだ肌寒い夜だというのに鯉口の襦袢を来て半纏を羽織った男が一人。

「客はどうしたのさ」

 男以外に人も半丁打つスペースも無い和室をぐるりと眺め、雷鼓が男を睨みつけた。

「連日の手入れでサブがって、見ての通りですわ。ボン(賭博)が開けるような状況じゃないんでね」

 しらばっくれる男に雷鼓は思わず舌打ちしたが、そんな短時間に賭場の痕跡を隠せるわけはあるまい。藤花は部屋の片隅で積み上げられた座布団の山へ椅子のように腰を下ろすと、手を隙間へ突っ込んだ。

「んー……まだ温いやんか。炭焼き小屋にでも隠したんか?客」

「まだおっしゃいますかい」

 鯉口、腹巻、素足。こんな気温の夜に古式ゆかしい賭場の正装でしかない出で立ちの男は、あくまでもシラを切る。しかし、そんな彼の足元へいっとう似つかわしい物体が、投げつけられた。

 花札。月に芒。

 藤花が座布団の山に紛れ込んでいた一枚を、つまみあげたものだ。

「現行犯やないとかヌかすんじゃないよ。ヤッパ(手錠)かけたげるから外したかったら本部に自分で行きな」

 噛みつきそうな表情の男達に、雷鼓は笑顔で手錠をかけていく。もちろん後から自警団員が追いかけてきているので、彼らの手で正規に連行されるだろう。

「客が逃げちゃったなぁ」

「まあ、裏手のうどんげちゃんが捕まえるやろ。姫様のとこにも花持たせとかんと、ひがまれるしなぁ」

 無事摘発のスコアを伸ばして鼻高々の二人だったが、裏口から出てみると表情が変わった。

 数名の客と思しき男女を連行する自警団員の後ろから、鈴仙がすまなさそうな表情で歩いてきたのだ。

「すみません……一人取り逃がしちゃいました」

「逃がした、て……」

「もう、世間に兎がトロい動物やと思われてしまうやんか。なんで逃がしたん」

「それが、追っている最中に銃で撃たれて……」

 鈴仙の言葉に、雷鼓が手を振って苦笑した。

「言い訳するにももうちょっとマシな嘘をついた方がいいって、私らが中にいたんだよ。表で、この場合は裏か。裏口で銃ぶっ放したら音で気づくって」

 だが鈴仙の表情はあくまでも真剣だった。上手く言えないんですけど、と追加したうえで更に説明する。

「パチンコや弓矢じゃなくて、ほんとに銃だったんですよ!それが、異様に音が小さいというか、ほとんど聞こえなかったんです」

 その言葉を聞いて、藤花も怪訝な顔をした。

「音のしない、拳銃……?」

 



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永遠の竹林支部⑧

 警備局長から指定されていなかった賭場の摘発は、思いのほか反応が大きかった。

 ある程度は怒られるだろうと思っていた藤花と雷鼓であったが、輝夜の叱責ではなく本部からの直々の呼び出しと聞かされた時は、思わず顔を見合わせたものだ。

 曰く、「リスト外の賭場については違法性を調査中の段階であるので、あまり見切り発進で踏み込まれて空振りに終わると自警団の威信に関わるので止めるように」という事だった。

「そうは言ってたけどさ、昨晩の賭場だってヤミ物資のやりとりがあったわけだし、だからこそこっちが踏み込んだ時に慌てて客を逃がしてたんじゃん。むしろ棚ぼたで誉めてもらいたいもんだよ」

 昼食の為に立ち寄った食堂で、雷鼓は味噌汁をすすりながら険しい顔をしている。里に顔を出しつつ暮らしていく為の収入源としては唯一の自警団勤務がそんなようでは、やっていけないというのが彼女の主張だった。煙草屋と二足の草鞋の藤花とは重みが違う。

「やっぱり」

 雷鼓と対面して腰を下ろす藤花も、鶏そぼろと共に甘く煮込まれた大根を麦飯に乗せてかっこみ、全体的に淡い色の膳を平らげている最中だ。

「警備局長から来る話、全体的におかしいと思うねん。証拠をうちから持っていったり、捜査からウチらを外したり」

「藤花もそう思う?」

 ねっとりと口内を満たしていた大根と麦飯のでんぷんを、漬物と茶でさっぱりと洗い流し、雷鼓の問いに藤花は再度首肯した。

「本筋の殺しについては何の進展も聞かされてへんやん。賭場のヤミ物資摘発が関係あるんは確かやけど、それよりも」

 摂取作業を中断した藤花が声を低くし、上体を前に倒すと雷鼓もつられてそれに倣った。

「殺しに使われた32口径、該当銃なしっていう銃砲店の話は、ウチらに初めて話したって店員も言うとったのに警備局長は何でヤミ銃が使われたって知っとったんやろ?」

 藤花の言に、雷鼓は一秒ほど固まっていたが、思わず机を叩いてその手で藤花を指さした。その通りだと言わんばかりのひらめき方だ。

「そうだよ!私らに話したから店から直接返答はしてないはずだよ。私らが捜査に加わったら真っ先に報告して警備局長からの株上げようってんで隠しといたのに出さずじまいだった情報……を、なんで局長は知ってたの?」

「ウチに聞かんといてよ……」

 藤花が眉を下げて困惑した表情をしてみせる。ただ一つだけいえる事があった。

「今回の事件、ウチらで独自に動いた方がええかもしれへんね」

 彼女の提案に、雷鼓も異存はないようで頷く。藤花は物入れから小さな金属の塊、支払いのほか占いや物事の決断にも使われるコインを取り出した。

「じゃ、これでどっちがやるか決めよか」

「よしきた。じゃあ私は黄金色の面で」

「……どっちも黄金色やねんけど」

 藤花は指先の硬貨を弄び、雷鼓へ両面を見せる。額が小さい硬貨は里でも使用する機会が少なく、そうやって彼女らの順序を決める儀式ことコイントスくらいにしか使われなくなっていた。

「分かったわかった、じゃああの、ハトがびゅーんって飛んでる方!」

 雷鼓の指定が済むと藤花が親指で小気味よい音と共に硬貨を跳ね上げ、手の甲で受けてさっともう一方の手が覆い隠す。

 両者の注目を浴びながら結果が開陳されると、なるほど一銭硬貨の面は鳥類の刻印を上にして出てきた。思わず雷鼓がガッツポーズをする。

「ィやったぁ!真実はやっぱり私の手で明らかにしなくっちゃなー!」

 だが喜ぶ雷鼓を尻目に、藤花は呆れた顔を崩さず、静かに言い放った。

「これ、ハトやなくてカラスやねんけど。おばちゃーん、お勘定お願い」

「がくーっ」

 

   *

 

 結果、雷鼓が表向きのリストアップされた賭場の捜査を継続し、藤花は一旦竹林へ戻って永遠亭に保管されている僅かな写しからの再調査を実施する運びとなった。

 コイントスに不本意な結果で敗れた雷鼓は、不機嫌な表情で街角で待機している。視線の先には夕方から賭場が開かれるという空き家が雨戸を閉ざし、午後の往来の中で一段黒々と横たわっていた。

「あんな話聞いた後じゃあね……結果が分かりきったような賭けに付き合わされてるのと同じじゃん。面白くないなー」

 彼女も付喪神だけあって物に八つ当たりするような不遜さは持ち合わせていなかったが、短時間で次々と消費される煙草は胸中に隠された苛立ちの数少ない発露と言えた。

「それなら証拠なり証人見つけてキョクチョーに突き付ければいいのに」

 壁に寄り掛かっている雷鼓の足元から、退屈しきった子供めいて間延びした声が打ち上げられてきた。見れば彼女の足元には柔らかそうな白い耳が一対生えており、それは周囲を警戒するようにひょこひょこと動いている。持ち主は藤花の代わりに竹林からやって来たてゐだ。退屈しのぎに枝で吸殻を集めたりかきまぜたりしていたらしいが、それにも飽きて持ち場を離れかねない勢いだ。

「今の段階じゃしらばっくれられて終わり、じゃないかなー。だからさっさと賭場に出入りしてる人間で局長とつながりがある奴をとっ捕まえたいとこなんだけど……」

 むずがゆい思いなのは雷鼓も同じだったようだ。もー!と叫んで立ち上がったてゐに、「裏口を張ってみるか」と提案したのだ。

 裏路地は店舗の入り口も無く、一足先に暗くなる。この雰囲気を前にして、カムフラージュの賭場であっても何か出くわすのではないかと雷鼓も内心期待していたのだ。ただ現実はそう都合よく事が運ぶわけがないという訳か、路地はシンと静まり返っている。

 しかし、ひとつの裏口が軋んだかと思うと、光の筋が裏路地の冷たい地面を切り裂いた。雷鼓達は慌ててゴミ箱の影に身を潜める。遠くてよく分からないが、「その調子で頼むよ」等と誰かが用件を済ませて出てきた様子だ。

 ゆっくりと顔を出し、立ち去る人影の顔を戸口からの灯りで見止めた雷鼓は愕然とした。傍らのてゐが、怪訝な顔で彼女を見上げる。

「どうしたのよ」

「あれ……自警団の海野警備局長」

 私服に帽子で隠されていたが、雷鼓は裏路地の暗がりで照らし出された人相を見誤る事は無かった。

 事態の展開を面白く思ったのか、てゐも目を輝かせる。悪い奴相手ならば里の中でも心置きなく悪戯を仕掛けられるからだ。

「追いかけてみようよ!」

 俄然やる気を見せるてゐに対し、雷鼓はあくまでクールさを忘れなかった。しばし腕組みをして考え込み、去りゆく局長達の背中を目で追う。

「いや……局長は次だ。……一連の事件、黒幕が局長ならもしかしたら竹林の殺しは連れの男の仕業かも。後を尾けてみて、分かれるようなら男を追うよ!」

   *

 

 雷鼓達の張り込みが進展を見せる頃、藤花は永遠亭の静謐の中で警防団時代からの資料と永琳が用意した数少ない竹林事件の捜査資料へ目を通していた。

 本部が捜査資料を引き取りに来るまでに作られた範囲でしか写しは存在しない為、残りの部分すなわち死んだ男の素性や里からの足取りについては所持品の資料や服装から推し量るしかなく、推理には慎重を要した。

だが、いま彼女の興味を引いていたのは海野が警備局長へ上り詰めるまでの経歴だった。外来人である彼は、幻想郷へ来て早々にスペルカードの才能を発現させている。いわゆるフリーで活動していた間は、時折里の内外の著名人と衝突していたこともあり、その点は高堂や他の外来人のような野心型もしくは問題児と言い換えて差し支えない手合いのように思える。

だが、里で「何でも屋」を始めたあたりから彼の地位は向上の兆しを見せていた。高黍屋から持ってきた文々。新聞の過去大小の異変に関する記事の片隅に、「友人と開業した……」という一文を見つけた。何でも屋と言いつつ用心棒めいた業務内容であったようだが、奇妙なのは彼が旧警防団に入ってからその友人とやらの記述がぱたりと途絶えた事だ。幻想郷へ来るという事態を考えると、せっかく合流した友人と袂を分かつとは考えにくい。

それに警防団でも彼は変わらず成績を上げ続けており、藤花らがミサイル騒動に躍起になっている間も、何やら表彰されている。

「んー?……強盗、窃盗、盗品売買、人身売買、無届賭博、同じく、盗品売買……」

 傍らの紙片に、海野が解決した事件の内容を書き連ねて行った。興味深い事に、発生後に制圧に赴いたような事件を除き、大半が水面下の売買の摘発であった。

「大半が初犯て……」

 ついでに摘発された賭場や地下競売の詳細を見たところ、ぽっと出の泥棒が売りさばこうとしたであるとか、少なからず任侠めいた色合いを持つ業界へ参入しようとした新参外来人が多数だった。

 藤花の頭をよぎったのは、リスト外の賭場の様子だった。客を逃がす手際と言い、外界でも通用する狡猾さと組織力だ。おまけに無届け銃器の援護もついていた。これほどまでに根を下ろした組織犯罪の匂いがしていながら、何故海野は新参者ばかり逮捕しているのだろう。

「……癒着と、汚職の匂いがする」

 同じく外からの身でありながら、外来人は道具だけでなく新手の犯罪まで持ち込むのか、と小さくため息をついた。

 だが目星はついた。黒幕は海野だ。おそらく里のどこかに、海野への密告者と、竹林の男を殺した人間がいるに違いない。藤花は書類と上着、そして拳銃を引っ掴むと表のどこかで待っているであろう妹紅の下へと走った。

「お待たせ妹紅!あれ、妹紅おるー?」

 屋敷のどこかで姫様が執務中の今、大声で呼ぶのははばかられるが、事は急を要する。一刻も早く雷鼓に伝え、次の手を打たなければならない。

「やー、ごめんごめん」

 一度竹林の入口へ戻っていたのか、竹の青い簾の奥から、妹紅がひょっこりと顔を出した。

「ああ、そこにおったん……もしかして忙しかった?」

「いやいや、例の白い覆面車が見つかったって連絡が入ってさ。それを受領しに行ってたんだ」

「ほ、あれが?」

 高堂討伐の折に乗り捨てたと思っていたアルファが、見つかったらしい。里へ乗っていくかと提案してくれたので、それに甘えさせてもらう事にした。

 

   *

 

「……分かれたね」

「局長は本部の方向に歩いていくな……よし、予定通り男を尾行するよ」

 藤花が海野の陰謀に確信を深めている中、こちらも事件の核心に迫りつつあった。男は色を変え始めた空の下、往来に溶け込んでゆっくりと歩いている。鈴仙の話が確かなら、消音拳銃を持ち歩いている恐れもある人物だ。迂闊に手は出せない。

「藤花は何してんのかな。海野の尻尾を掴んで来たなら、完全なクロだけど」

「でも、何でギャンブルで人死にが出るの?……あっ、口移しか」

「何を移すんだよ……口封じね」

 呆れ顔の雷鼓をよそに、男は黙々と歩き続けていたが、やがてとある角を曲がり、姿を消した。二人も続き、曲がる直前で壁に身を寄せて行く先をそっと窺ってみた。

「増えてる……」

 てゐの悪目立ちする耳を押さえながら、雷鼓はこめかみを指で掻いた。人影は、ずっと尾行してきた男のものと、それよりずっと背丈の低い影がひとつ。傾いた陽が深い黒の影を作る側に身を寄せていかにも怪しげな雰囲気であった。

「あッ?」

「どしたの」

「あれ、貧乏神姉妹の……」

 



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永遠の竹林支部⑨

 てゐの耳がはみ出して気づかれぬよう、雷鼓は彼女の頭を押さえながらしばらくジッと様子を窺っていた。

「あれは……妹の方だな。貧乏神疫病神姉妹の」

 どういう訳か、彼女は変装している。いつもであれば里の数少ない洋装の人物の中でも悪目立ちする艶やかな装いでほっつき歩いている印象であったが、今日は違った。わざわざ姿を変えて怪しげな男と会っている。何らかの後ろめたい意図があるのは明確だった。

「この後どうするんだろ。あ、分かれた……げ、こっち来る!?」

 厄介な事に、依神女苑が俯き気味に足を向けたのは、里の中心へ戻る方角、すなわち雷鼓とてゐが身を潜めている角に向かってであった。慌てて頭を引込め、周囲を見渡すと店じまい直前の雑貨店が入り口を開けていたので二人してそこへ飛び込んだ。とりあえず手近に積まれていた雑誌を取り、立ち読みを装ってみる。

「こ、こぉら、てゐ、あんたの買い物についてきたんだからそんな雑誌見てないでさっさと用事を済ませなー」

「えー、でもホラ見てよこれ。写真凄くない?」

「寄り道ばっかりしてると……ほんとだ、凄ぇ…」

 てゐが店先で取り上げたのがよりによってゴシップときわどい写真まみれの雑誌だったおかげで、却って悪目立ちしそうな変態コンビになってしまったが、女苑の足音は速度を変える事無く店の前を通り過ぎ、そして小さくなっていった。二人はジトリとした目でそっと振り返ってみたが、彼女の姿は無く、途中本気で写真に食い入ってしまった為に後姿すら見えなくなっていた。

「あっ、やべ、見失っちゃったよ……」

「っと、こんなところにおった」

 雷鼓が女宛の姿を求めて店を出ると、里へ急行してきた藤花が通りがかったところだった。

「リストの調査はどないしたん」

「いやいや、サボってたわけじゃないさ。今日の店、あえて裏口を張ってたらさ。誰に会ったと思う?」

「待って待って、ウチもどうやら真相につながる証拠掴んできたっぽいところやねん。一斉に答え合わせしようか」

「よしきた。せーの」

「「海野が犯人」」

 声は全く重なった。異なるルートから頭を突っ込んで鉢合わせしたのだから、これは信憑性が高いとみて違いない。

藤花は永遠亭でまとめ上げた情報を整理し、手帳に記している。まずは彼女の推理からだった。

「海野は友人を使って賭場のチンコロ(密告)さしとったみたいやね。それで旧警防団の信用を得て、急成長しとる。今回の事件でも、ウチらに雑事を押し付けて"外部協力者"に捜査を手伝わせとったけど、その協力者というのがどうもあいつのお友達と同一らしいねん。里の裏稼業がズタズタになったんと、あいつが一介の捜査官から自警団幹部にのし上がった時期は一致しとった。これは一種の汚職やね」

 竹林の殺しは、遺体を持って行かれてしまった為に現物を見る事は出来なかったが、検視結果には致命傷となった銃弾の入り口は"皿状に広がった大きな銃口を押し付けられたような"丸い痕があったという。大きな痕がついているものの銃弾は三十二口径と小粒だった。これはおそらく、消音拳銃を使用した痕であり、口封じに殺された男だろうと断定出来た。

「鈴仙が逃げた客を追ってた時も同じ銃で撃たれてる。下手人は同じってこったね」

 雷鼓も頷いた。どちらの事件でも、自動拳銃用の弾薬でありながら薬莢は回収されていない。藤花は英国製の暗器"ウェルロッド"の名を挙げた。

「海野を黒幕として、お友達は一人ないし二人。中核はそいつらやろうね」

「そこでだよ。私らも今日いろいろと見かけちゃったんだ」

「面白くなってきたやん」

 藤花もニヤリと笑って懐から一本取り出す。夕闇に白く、目新しい白い煙が立ち上って霧散した。

「賭場の裏口からこっそり、海野警備局長その人が出て来たのさ。お友達も伴ってな。んでそいつは、さっきそこで依神女苑と会ってた。貧乏神を賭場に紛れ込ませれば、密告とみかじめで得られる銭、疫病神効果で巻き上げられる分と合わせてターゲットから巻き上げれば莫大な金額になるだろうね」

 これで、このところ犯罪者より妖怪の方が好きそうな霊夢までもが自警団の依頼で忙しそうにしていたのも説明がつく。自由に動かれて貧乏神を退治されてしまっては元も子もない。海野という男は随分てきぱきと仕事をこなすと思っていたが、竹林の殺しの隠蔽と合わせて、ほとぼりが冷めるまで妖怪退治のプロを含めて正規の自警団員を遠ざける狙いがあったのだろう。

「答え合わせは盛り上がってるけど、これからどうするの?」

 聞きに徹していたてゐはつまらなさそうに、腕組みをして二人を見上げた。

「決まってるやん」

「貧乏神をとっ捕まえて、海野のお友達を手繰り寄せる」

「最後に警備局長もパクリといくさ」

   *

 

 てゐには通常の捜査を続けていると報告させるために一旦竹林へと帰し、今夜ガサ入れする賭場をどうするかを雷鼓と話し合った。海野が裏口から出てきたという賭場は、リストに名が載っている。裏で私腹を肥やす彼が資金作りの重要な要素である女苑を行かせるとは思えず、それ以外だろうというのが大方の予想である。

「運の良さを頼ってリスト外の場所へ行ってみるかい?」

「それは、どうやろな……いくつ立つかも分からへんし、そうするならもっとええ方法がある」

藤花がふと思い出したように周囲を見回した。雷鼓は首を傾げ、まだ真意を掴みかねていた。

「ウチらが独断でガサ入れしたとこ、あったやろ。あそこの元締めをしとった鳴田はんってヤクザ、今日が釈放のはずやで。本部やと海野の横槍が入りそうやけど、出てきたとこで"ちょっと立ち話"する分には、ええんちゃう?」

「そうかぁ……それだ」

 30分後、自警団本部の留置所をひっそりと出された鳴田という男を窺う二人組の影があった。

 殺しや強盗といった強行犯でもなければ、ここでも外界と同じく保釈金を積んで釈放を早めるのが常だった。彼の釈放を聞きつけていた藤花らは、それを待ち受けたのだ。

 出迎えの部下が来ていると言っても二人組のみ。狭い幻想郷の人間社会、市井の一角とはいえある程度の顔が効く彼にしては随分と小ぢんまりとしている。

 と、彼らの行く先に何かが落ちている。部下の一人が拾い上げると、財布であった。

「あアアァーッ!」

「どないしたん雷鼓はん!?」

「私の財布が無いィー!どっかで盗られたに違いないわー!どこだー!誰だー!見つけ次第生き胆抜いてステージで食らうパフォーマンスしてやるうううあ、意外といいかもそれ」

 彼らの前方10メートルで、二人組の女性が突然騒ぎ始めたのだ。そして一通り何やらわめきたてた後、予告なしに急に振り返り、男たちを指さす。

「いたああァ!あいつらだー!」

「現行犯やァァァァ」

「な、なんだ貴様ら!」

 藤花と雷鼓が敢然と走りだし、財布を手にした男と鳴田に飛びついた。だがあくまで親分である彼は渋い表情だ。

「何のつもりだ。俺ぁ今日釈放されたばかりだぞ。訳の分かんねえ手段に出るんだったら、こっちも抗議させてもらうぞ」

「ま、とりあえず話聞かせてもらおか」

 激昂する寸前の鳴田を、藤花は有無も言わせず向こうの方へ引っ張っていく。部下二人は健気にも「親分!」と叫んで後を追おうとするが、雷鼓が拳銃を見せて立ちはだかった。

「用があるのはあん人。あんたら動くんじゃないよ」

 雷鼓の手にしている拳銃による威圧もあったが、藤花が引っ張っていく先が自警団本部に向かう方向ではない適当な路地であった事が彼らを困惑させた。彼らは、ただ引っ張られていく鳴田と藤花の後姿を見送るほかになかった。

 部下の視界から外れると、藤花は鳴田を引っ張る力を緩めた。

「堪忍な。ああするほか無くて」

「どういうつもりだって聞いてンだ。それに納得いく答えが出せねえんなら……」

「海野から何て脅されたん?」

「何だと」

 藤花は懐から煙草を取り出し、点火した。物入れに片手を突っ込み、もう一方の手は煙草入れを鳴田の方へ差し出す。

「あんたんとこ、シノギは賭場の一本どっこで頑張っとったやん。それが急になんで無届の盗品を扱い始めたんよ?」

「あんた、もしかして」

 鳴田は静かに藤花の煙草入れから一本取り上げた。すかさず彼の眼前に火の点いた燐寸が代わりに出てくると、彼も自身の一本に点火する事が出来た。 

 二人して一息の紫煙を吐き出すと、藤花は再び口を開く。

「ウチが狙っとるんは、海野と、そこで使われとる貧乏神の行方やねんけど。真面目に極道やっとるあんたが、官憲と癒着はしても使われる側になっとるんは、訳がある思うてね」

「半年ほど前だ」

 これだけ気を利かせれば、誰だって藤花が上意下達の組織人ではない別の意図で動いていると予想できる。鳴田が口を開くのは早かった。

 曰く。

 彼の下で開かれる賭場に、見知らぬ女が増えているのに気付いたという。常連の紹介だと聞かされ、当初は気にも留めていなかったが、数日立て続けに負けた客がイカサマだと自警団にたれこんだらしく、自警団外部協力者の辰宮と名乗る男がやって来たというのだ。

 言いがかりもいいところだった。しかし瞬く間に部下を数人虐殺され、従うほか無かったという。司法取引でもないのに自警団の命じるように賭場を開く事を強要され、上納金らしきものもふんだくられていた。

 要は、海野の押収品や盗品、他のやくざから巻き上げた金品の浄化や横流しの実行犯をやらされたのだろう。便利に使われていた結果、藤花と雷鼓が踏み込んでも手出しさせなかったに違いない。

「今日、他のボン(賭場)が開かれる場所と時間。教えてくれる?」

「さァな……今夜なら、九つから、船着き場近くの嘉行屋っていう料亭でやるって聞いたが……うちじゃねえ。シマ荒してた別の組の下のモンがやってるはずだ」

「他に、開かれるとこは無いね?」

「あぁそうだよ」

 鳴田の言葉に、藤花は満足げに頷いた。どうやらリストの賭場はほとんどがダミーのようだ。海野の策略であるが、とんだ無駄足を自警団総出で踏ませているらしい。

 彼女は鳴田達を解放すると、待っていた雷鼓にウインクし、二人肩を並べて川辺へと向かった。

   *

 

 暮れの押し迫る船着き場は、外界の情景を彷彿とさせる数少ない場所だった。古めかしい川漁師の小ぢんまりとした木造船ばかりだが、船や橋というのは遠くまである世界というものをここまで思い起こさせるものなのだと知る。

「貧乏神、とっ捕まえたらどないしようか」

「竹林の中に一旦保護してしまえば、おいそれと襲われないんじゃないかな。仮に海野の殺し屋が追ってきたとしても里の人間が単身で来られるようなところじゃないし」

「一人は辰宮って名前らしいってのは分かったけど、もう一人おるんかなぁ」

 今宵のフォーメーションについて討議を重ねていると、嘉行屋とされる二階建ての建物が周囲より一回り大きくそびえていた。

名の知れた店であるから、自警団幹部が常連として懇意にしていても無理はない。或いは主の弱みでも握って賭場の会場にするよう強要したのかもしれない。

 

   *

 

 店内では、暖色の灯りが畳敷きの座敷を照らし出していた。横長の部屋は参加者と共興人が対面して並んでおり、間には白い布を張った板が天の川めいて夜の賭場の風景にまぶしい。

 藤花がボン(盆)と称している通り、行われているのは手本引で賭けの対象が金ではない事を除けば博徒の良く知る情景である。どこぞの外来人が持ち込んだのか、サイコロ賭博よりもスリリングだとして金銭がかかっているかを問わずそこここで開かれていた。

そしてそこへ最後に入室した客、僅かに会釈して一枚の座布団を用意された女性。それは雷鼓の尾行から逃げ出した依神女苑であった。

 海野の指示か、彼女はいつもの出で立ちを捨て、遊び好きな商家の娘といった様子でつくねんと腰を下ろしている。人間で言えば若く、それなりの器量を持った連れを同行させていそうなものだが、彼女は一人客であり、それ故かすぐ隣の男などは賭け金を数える合間にちろりと彼女の方を垣間見たりしていた。

 そのような一部を除いていわゆるカタギの旦那衆は胴元の一挙一動を見守っているが、そこに藤花らの姿はない。彼女たちは、未だ嘉行屋外の塀で声を潜め、何やら問答していた。

「やっぱ、こっそり入った方がええって」

「別にいいんじゃないの、ガサ入れなんだから」

「店の人間もグルやと、逃がされてまうかもしれへんやろ」

「……どうするつもりなの」

 成人男性程度の高さの塀は、無理すれば乗り越えられなくもない。そして中からは、賭場とは異なる部屋で騒ぐ男女の集団の声が漏れ出でてきていた。

「あれ、寺子屋の同窓会みたいやね」

「まさか」

「同窓会やったら、もしかしたら知り合いで押し通せるかもしれへんやろ」

 



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永遠の竹林支部⑩

 庭付きの料亭と言うと豪勢なように聞こえるが、実際のそれはさほど広くもなく、店側もあまり見せる気がないのかこちらに面した障子戸を閉ざしていた。不規則に並ぶ植込みと思い出したように生えている松の間に降り立った藤花は、表で雷鼓を待たせて単身同窓会場へ潜り込む作戦に出たのだ。

「でもどうやって入ろかな……」

 月影清かな夜空の下で、障子戸からの光が冷えた地面を照らしている。なんだか情報員の頃に戻ったかのようだ。

 そこへ、便所に立とうとしたのか夜風に当たろうとしたのか、突然障子戸の一つがガラリと開いて中から男が出てきた。しゃがみこみもせずに庭先に突っ立っている藤花は、真っ先に男の目に留まった。

「んん?誰だおまえ」

 だいぶと酔っているらしく、赤ら顔の男は藤花のことを顔をしかめて眺めている。そこへ気付いたのか、もう一人、今度は女性が出てきた。

「あーっ、吉本さん!吉本さんじゃない?」

 口調ははっきりしたものだが、藤花を吉本さんと見間違える程度には酔っているらしい。どちらにせよ、思いがけず室内に堂々と上がり込む口実が出来てしまった。

「……うん、そう、吉本です」

 とりあえず言われた通りの名前を名乗った。

「おお、吉本かお前!何してんだー、早く上がれよ」

「みんなーっ、吉本さんも来たよー」

 促されるまま、微妙な顔で藤花も後へ続いた。中を覗き込めば、長机に所狭しと料理と徳利を並べての宴会の最中であり、外で予想した通り、昔寺子屋で同じ講座を受けた仲で集っているのだろう。

「あ、あは、久しぶり……でも、すぐ行かなきゃ」

 吉本さんとやらは当時こんなアヴァンギャルドな髪色をしていたのだろうか。とにかく、頃合を見て便所か何かと席を外せばいいだけの事だ。

「何いってんの、さ、座ってすわって!」

「どんどん飲めのめ!遅かったなー、慧音先生は挨拶してすぐ帰っちゃったぞ」

 その方がいい。事情を知らない彼女がいたならば、藤花の正体は見破られてしまい作戦が振り出しに戻るところだ。

 半ば無理やりに座布団の列の隙間に座らされた藤花の眼前に新たな杯が滑って来たかと思うと、早速誰かの手が酒をなみなみと注いでしまう。変に断っても却って長居させられるかもしれない。いただきまァすと一飲みすると周囲から何故か歓声が上がった。

「いまどこで暮らしてンのぉ?しばらく会わなかったじゃん」

「あ、ああ……せや、そうね」

「そういえば、吉本よぉ」

 語尾を濁す彼女に、隣にいた丸々とした男が赤い顔を近づけてきた。

「な、なに」

「お前ミツオと付き合ってたって、ほんとか?」

「えぇ……」

 新たな人物が登場してしまった。ミツオって誰だ。

 だがすぐに答えがやって来た。

「なんだよ、オレの話かァ?」

 いかにも軽薄そうな男が間に割って入ってくる。藤花は無表情のまま、男の腕が肩に回る感覚をおぼえていた。拳銃は雷鼓に預けてきて正解だったと胸をなでおろすが、そう楽しい状況ではないので素直に喜べない。

「そ、そうだよ。お前、吉本と付き合ってたのか」

「あ?あー、付き合ってたぜ」

「そんな」

 丸々とした男(今後、マルオと呼ぶことにする)の顔からサッと血の気が引いた。

「だってお前、俺が吉本に惚れてるの、知ってただろうがぁ……」

「アッハハハ、だってこいつ、デブ嫌いって言ってたもんオレが応援したところで無理むり」

 マルオの目に涙が浮かんでいる。ミツオはおそらくお調子者なのだろうが、女子受けを優先して地味な男子を蹴落とすタイプの人間だろうか。言われたマルオはわなわなと震えていたが、やがて声を張り上げる。

「お、俺はデブじゃねェ!ちょっとふくよかなだけだァあ……!」

「ちょ、ちょっと……」

 入室して三十秒で修羅場に巻き込まれてしまった。マルオは頭を抱えて転がってしまい、ミツオの腕は隙あらば藤花の胸元をいじろうとしているのが丸わかりだ。いっそここで別人だと名乗ってしまった方が良いのではないか。

「いやあの、実はウチ……」

「ちょっとミツオ!」

「あ、曽野……」

「あんたナツミとは真剣だって言ってたじゃないのよ!!どうしてくれんの!」

「えぇぇ……」

 ミツオが離れてくれたのは良かったが、ミツオは二股といわず四か五はしていたらしい。なるほど、キャラの男女比である。

「だいたい吉本も!ヒロシが好きだってつってたのに!」

「いっつもうまい事逃げるよね!あんたって!」

「いやあの、ウチ……」

「人の心を弄んで!」

「青春を返せ!」

「でぶじゃない!おれはでぶじゃないぞ!!!」

「まずい……」

 藤花の焦燥をよそに、周囲の興奮はいやが上にも高まっていた。どれか特定の話題ではない。誰もが口々に、かつて抱いた恨みつらみを述べているようだ。

「あたしをこんな体にしたのはアナタじゃない!」

「おんどりゃぁ、コネをいいことにヤミでモノを売りさばいとるそうやのォ!」

「あたし、知ってるの……行方不明になったカズコちゃんは、本当は西の雑木林に埋められてるの……埋めたのは……」

 何とかして事態を収拾しなければならない。とはいえ、一人ひとり話を聞いて解決を模索するなんて事は出来まい。そもそも藤花は吉本ではないのだ。

「ま、これも……」

 何を言い出すのかと、群衆が一段静かになった。藤花はできるだけいい笑顔で、皆を振り返った。

「過ぎてしまえばエエ思い出やねっ」

 焼け石に水だった。先程よりも二段階ほど怒号が増えたような気がする。おまけに後ろの襖が開いたかと思うと、料理を運んできた従業員が目を丸くしていたのだ。「さっきいなかったですよね!誰ですか!?」等と口走り始めた。

 ますますまずい。

 雷鼓に助けてもらいたいところだが、彼女が踏み込んでくるのは店を挙げての乱闘が始まってからだ。部屋の一つで喧嘩が始まったくらいでは来ないだろう。藤花は覚悟を決め、覚えたばかりのサインを決めてみた。

 顔の前で中指を立てる。

「ふん、がたがたヌかすなッ。騙される方がアホなんや!」

 全員が一斉に「ぶちころす」と唱和し、入り口の藤花と従業員の方へ突進してきた。料理を両手に持って動けない一人がもみくちゃにされている隙に、藤花は廊下を駆け出した。靴下ではどうにも滑る板張りを、最後の曲がり角をかっこよく滑り込んでやりすごすと、前で雷鼓も拳銃を抜いて入ってきたのが見えた。

「ほら!藤花の拳銃!」

「おおきに!雷鼓はんあっち頼むわ!」

「よしきたッって何だあいつら!?」

 藤花が来た方からは酔っ払いの集団が激怒して追ってきている。料亭で拳銃を抜いて立ち尽くす雷鼓の出で立ちもかなり場違いだが、それ以上に彼女も肝をつぶさんばかりに驚いていた。

「とりあえず渡り廊下に逃げて、賭場にあいつら突っ込ませたら貧乏神捕まえて逃げるで!」

「そ、それしかない!行き当たりばったりだけど………」

    *

 

 店の人間も出てきて廊下の騒動は押しとどめられそうになっているが、構っていられない。L字型の嘉行屋は広い庭に渡り廊下を挟んだ離れを一つ有しており、金払いのいい客や里の要人を相手にするときはそこを利用しているようだ。賭場の元締めが店主の弱みでも握ったのかは知れないが、今夜のボン(賭場)はそこで開かれている。藤花と雷鼓は時折振り返って挑発しながら怒り狂う泥酔者の群れを闘牛めいて逃げ回りつつ、誘導していた。

 酔っぱらい共が追跡を諦めないよう振り返って今時あっかんべぇをする雷鼓などは可愛げがあったが、徒競走ももう終わりだ。

二人は離れの警備役から見えにくくなるように身をかがめ、一気に渡り廊下を駆け抜けた。そして入り口の両脇につくと一気に開き、そのまま自身らは内側の壁にぴったりと張り付く。

 客は怪訝な顔をし、上役などはぎょっとしていた。恐らく三下は部外者を入れてしまったと肝をつぶしたに違いない。だがそれは数秒後、誰しも同じ感想を抱くことになる。

 怒れる酔っ払い一個分隊程が板張りを踏み鳴らす音も騒々しく、城攻めめいて廊下を突き進み、室内になだれ込んできたのだ。

「それッ、今や!」

 藤花達も逃げる他にする事があるというのは心得ていた。戸口から入って身を翻し、両脇に身を屈める一瞬で賭場の客、その中の怪しげな女性に狙いを絞っていたのだ。

「あッ」

 酔っ払いと任客、そして店の人間と入り乱れる場外乱闘の最中で、藤花はその白い腕を掴んだ。どうやら雷鼓と同時だったらしい。人並みの中で彼女と目が合った。

「よし……このまま走るで!」

「い、嫌ァ!はなしてーッ!」

 両脇から腕をがっしりと捕まえられた女苑は、為す術もなく嘉行屋から連れ去られてしまった。

 

   *

数分後、すっかり日も落ちて寒々とした里の通りを疾走するシトロエンDSの姿があった。

一見すると牡蠣の殻めいたシルエットを持つその車は、柔らかなサスペンションで里の路面を捉え、滑るように移動している。睨みつけるようなヘッドライトは街灯などという洒落たものの存在しない夜は良く目立った。

車内ではハンドルを握る雷鼓と、時折もがく女苑を押さえつける藤花が座していた。戦後すぐの設計ながらヒーターなどと粋な装備を持ったシトロエンはキリリと冷えた空気を解きほぐし、少しばかり窓を曇らせながら一気に車内を暖めてしまった。

「すぐに、すぐ降ろしてよ」

「悪いけどそうはいかないんだなァ」

 嘉行屋の薄暗い賭場では分かりづらかったが、変装していても髪や顔だちは聞きしに勝る派手な貧乏神そのものだった。よく今日までバレずに来られたものだ。雷鼓は彼女の要求を、一笑に付した。

「いつもこんな乱暴な事するの?」

 雷鼓では話にならないと思ったのか、女苑は傍らの藤花を睨みつけた。だがこちらも運転者とさして変わらない雰囲気で苦笑する。

「ま、十回に……十回くらいちゃうかな?」

「あんた達姉妹には、海野の汚職を暴く証人になってもらわなくちゃいけないんでね」

 だが女苑はあくまでも反抗的だった。

「こんな事してただで済むわけないじゃない……里の任客も黙ってないわ」

「まァ悪い奴には強いから、ウチら」

「自警団にも抗議するんだから」

「はい、自警団です」

「ウチも自警団やで」

 ハイ到着とばかりに胸を張る二人に、女苑はため息をつく他になかった。

 彼女へ目隠しをすると、シトロエンはしばらく里を迷走し、嘉行屋周辺が静かな事を確認すると船着き場の奥、寂れた一角へと滑り込んだ。

 この辺りは廃船が複数放置されており、また使用できる船の主もこの時期は川漁へは出ず、干物の生産や出荷に忙しく滅多な事ではやって来ない。雷鼓と藤花にとって絶好の私設取調室というわけだった。

 灯りの無い真っ暗な船倉へ女苑を引き入れると、そこで初めて彼女の目隠しを外した。

「フン、素敵な部屋じゃない」

 皮肉たっぷりに強がってみせる女苑を、雷鼓は満足げに頷いて笑った。少しづつ目が慣れてくると、どこからか漏れてくる外の光でぼんやりと部屋の様子を掴む事が出来た。

「ウンウン、良かったなー、好みが一緒で」

 二人は小言をいなしつつ海野との関係を聞き出そうとしたが、女苑はあくまで頑なであった。だがしばらくして、彼女には焦りの色が見え始めたのだ。

「ちょっと、ただの客だったのに、朝まで帰さないつもりなの」

「ただの客が自警団の偉いさんや外部協力者とコッソリ会うたりせえへんやろ。何て言って海野に近づいたん?辰宮って男は知っとる?あんたの姉さんも一枚噛んでるん?」

 藤花の問いにも答えない。何か隠し事をしているように思えてならなかった。

「雷鼓はん、ちょっと試そっか」

「何を」

 藤花は、雷鼓を船倉の隅へ連れて行って耳打ちした。

「しっかり隠しとくより、チラつかせて辰宮とかいう男をあぶりだせないかなって」

「もしもの事がありそうな手段は止めときなって……」

 藤花の提案は、里を走り回って海野の手下と目される辰宮をおびき出し、その間にどちらかが姉の方の居所を女苑から聞き出すという作戦だった。

辰宮は他にもう一人殺し屋を引き連れているはずで、そいつらと決着をつけない事にはこちらが逃げに徹しなければならなくなると藤花は心得ていたのだ。

「ウーン、そうだなー。ま、上手くいけば一歩どころか十歩くらい前進ってわけだ」

「そゆこと」

「で、どっちが男でどっちが女を相手するの?」

 恐らく二人の希望は重複するだろう。それが証拠に、藤花がまたコインを取り出しても雷鼓は止めなかった。だが彼女はコイントスの実行役を、一銭硬貨をひったくる事で自分がやると主張した。

「藤花はすぐズルするからなー……よッと。……んー、裏」

 藤花が燐寸を灯し、雷鼓の保持された手の甲を照らし出した。出ているのは表だ。

「…これ両方表なんじゃないの」

 コイントスに絶望的に弱い雷鼓がとんでもない事を言い出したので、藤花はコインを彼女の手からつまみあげて燐寸の火で両面を示した。そしてその火を無駄にする事無く、懐から取り出した煙草へ点火するのに供する。

「ちぇー、変な事するんじゃないよ」

「ふふん、レディの扱いはお任せ、やで」

 藤花が得意げに紫煙を吐き出すのを、雷鼓はジトリと見やると指を鳴らして「頼んだぞ」と藤花の体部分を指さした。

「なんでウチの股にお願いすんのよ」

「決まってるでしょ」

 雷鼓は捨て台詞めいて振り返らずにこぼすと、腐りかけの木戸を押し開いて船倉を出て行った。

「サテ……おしゃべりの続きしよか。自警団のえらいさんの依頼やったら、ウチらから逃げる必要ないやろ。なんで逃げようとするん?」

 

   *

 

 一方の雷鼓はシトロエンへと舞い戻り、エンジンを回して船着き場を後にしていた。一旦嘉行屋付近を流した後、北部の市場の辺りへと出た。この時間は出歩く人間も少なく、稀に見かける人影も、よからぬ店に出入りする者か、里でひっそりと行きつけの店を作った妖怪か何かだろう。

 ただあてどなく走ったのでは囮だと吹聴して回るようなものだ。

雷鼓は意味深に急加速して角を曲がってみたり、戻ったら食べるつもりの蕎麦を買い求めたりして時間をつぶし、半刻ばかり走った後に戻る経路を選択する。

チラとバックミラーを確認すると。いるいる。ヘッドライトを消した見るからに怪しいフォードが一台、数ブロックの間隔を開けて尾けてきていた。幻想郷では自動車そのものが悪目立ちするシロモノであった。

やがて船着き場へシトロエンを滑り込ませると、急ぎ車を降り、藤花と女苑の待つ廃船へと駆け込む。

「ただいまー」

 即製の机と椅子だけという殺風景な船倉では、相変わらず女苑が不機嫌な様子で座っており、藤花は壁にもたれて煙草をふかしていた。

「ふふ、良かったー無事で」

「ウチがついてるねんから、当たり前やん」

「だから心配なの」

 買ってきた蕎麦と汁を机に並べつつ、雷鼓は藤花の軽口を空中で撃墜した。

「それで、お車の首尾は?」

「追っかけ以外の男に後を尾けられるってのは、気持ちいいもんじゃないね」

「大丈夫?辰宮がここに突っ込んで来たりせえへん?」

「私があいつなら、まず車を吹っ飛ばして逃げ足を断つね。それなしに突っ込んでくるようならトーシロ、私らの敵じゃないよ」

 確かに、密告しようとした男を消すのに消音拳銃を使うような男なのだから、手抜かりはないはずだ。

待てよ、消音拳銃。

単発の銃を使うのに、到着を知らせるファンファーレめいて車を吹き飛ばすような真似をするはずがない。消音拳銃の利点を最大限生かすなら、音もなく忍び寄って不意打ちという手段に出るのではないか。もしかしたら今この瞬間に辰宮は彼女らの車をパンクさせるなり障害物で行く手を遮るなりして、こちらへ向かってきているのではないか。

廃船の痛んだ木材がどこかで軋んだ。藤花と雷鼓が、椅子に座らせた女苑を引っ掴んで床に伏せた。

 



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