過労で倒れたエアグルーヴのトレーナー (LAKI)
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過労で倒れたエアグルーヴのトレーナー

 夏も終わってしばらくした頃。残暑も和らぎ、朝の肌寒さがそれを尚更実感させている。

 トレセン学園に併設されている病院、その一室。一人の男がノートパソコンを膝に乗せて仕事をしていた。

 バン、と扉を開く音が響く。その先には息を切らした彼の担当ウマ娘、エアグルーヴ。

 

 「貴様、ようやく目を覚ましたんだな?」

 

 彼女はいつもの様に鋭い目付きと手厳しい口調を投げかけつつ近寄っていく。

 

 「ん、たっぷり寝たもんで絶好調!」

 

 そう言ってへらへらと笑う彼。エアグルーヴは近寄るや否や襟を掴み、ぐいっと引き寄せる。

 

 「なにが絶好調だ。普段から生活習慣についてあれほど言っていたのに、睡眠不足、過労、はたまた職場でダウンだと?こんのたわけが。大体貴様はいつも──────」

 

 睨みつけてくどくどと説教を始める彼女だが、いつものようなやり取りをしているだけで、特段怒っている訳では無い。……いや、無理をして倒れたことに対しては怒っているのだが。

 

 怒られるのも仕方がない。彼はここ一ヶ月、ろくに寝もせずに昼も夜も働き詰め。家を掃除に来たエアグルーヴに何度も言われていたのにそれを続けてこのザマだ。

 

 「あー、説教されてたら具合悪くなってきた。また倒れちゃうかもなぁ?」

 

 悪びれる様子もなく笑みを浮かべるトレーナー。彼女は不服そうな顔をしながらも彼をベッドに寝かせ直した。

 

 「……無理をするようなスケジュールでは無い筈だ。いったいどうしてそこまで?」

 

 彼女はベッドに腰掛け、彼の手を持ち上げる。軽口は叩いても体調は戻りきっていないのか、やや血色が悪い。

 

 「あー……言わなきゃダメ?」

 

 「ダメだ。……そんなに私は信用できないか?」

 

 エアグルーヴは少し俯き、耳も垂れる。自身の感情を大袈裟なまでに表現できるのはウマ娘の利点だろう。欠点にもなりうるのだが。

 

 「ずるいなぁ、そういうの。らしくないぜ?女帝サマ」

 

 「頼む。」

 

 どこか祈るように吐き出される言葉。彼はこの表情に弱い。何年もの付き合いではあるが、こうして言われると断ることなんて出来やしない。

 

 「……秋の選抜でトレーナーがつかなかったウマ娘、結構いるだろ?そいつらの癖とか、長所短所、性格。一人一人リストアップしてたんだ。」

 

 「なんで……そんなことを」

 

 「グルーヴ、ずっと後輩の指導してるだろ?少しでもその助けになりたかっただけだ。自分で言うのもなんだが、絶対役立つぜ、これ」

 

 彼はそう言って一つのUSBメモリを振ってみせる。

 

 「ああ、それ自体は役立つだろうな。だが貴様が倒れて、こうして私が見舞いに来てるんじゃ本末転倒だ」

 

 「……そうだな。悪かった、ゴメン」

 

 そう言って彼女に頭を下げる。それを見たエアグルーヴはむず痒そうにした後、頭を上げさせた。

 

 「急に素直になるな!調子が狂うだろ?」

 

 「んだよ、たまにはいいだろ?」

 

 そう言って彼は柔らかに笑う。それに釣られて、エアグルーヴの表情も緩んでいく。それは張り詰めていても仕方ないと思わせるのか、別の想いがあるのか。

 

 「全くもう……チームの皆も心配していたぞ。後で連絡するように」

 

 「へいへい」

 

 「それに……貴様がそんな無理をするなら、後輩を見る頻度を減らすことにする」

 

 「それはダメだ」

 

 彼は芯の通った声音で鋭く言い放つ。驚いて振り向いたエアグルーヴの目をじっと見つめて。

 

 「……直接の原因ではないとはいえ、それで貴様がまた倒れたら──────」

 

 「それは俺一人の責任だ。お前が止まる必要はない。」

 

 「……そう、か」

 

 「何か悩んでるのか?」

 

 「いや、私はそんな……」

 

 「嘘をつく時、お前は手を組む癖がある」

 

 「……っ!!」

 

 エアグルーヴは目を見開き、咄嗟に今組んだ手を離した。恐る恐る彼の方を向くが、さっきと変わらず、穏やかな顔のままだ。

 

 「そんな目で見んなって。別に問いただそうって訳じゃない。言いたくなったら教えてくれよ」

 

 「……全く。狡いな、あなたは」

 

 呟くように、自分に言い聞かせるように彼女は口を開いた。彼の生むこの空気に、ずっと救われてきた。トレーナーなんて必要ないと思っていた過去の自分に見せたら、卒倒するだろうか。こんな雑な男の何がいいんだと憤るだろうか。彼女は意を決し、一度深呼吸をした。

 

 「私は、怖いんだ。……期待されなくなるのが」

 

 ぽつり、ぽつりと話し始めた彼女を彼は何も言わずにじっと見ている。

 

 「私は女帝たるべしと生きてきた。人の目標になれるウマ娘でいたい。その想いは今も昔も変わらない。でも……」

 

 「最近……貴様が倒れてから、やっと気付いたんだ。人から期待されなくなるのが怖い。忘れられるのが、怖い」

 

 それは女帝としてではなく、エアグルーヴとしての恐怖。ただ一人のウマ娘として持っている恐れだ。

 

 「だから母から良き娘であるように期待され、後輩から良き先輩であるように期待され。……あなたから、良き隣人であるように期待される。それが私の願いだった」

 

 エアグルーヴは振り向くと彼の胸に額を擦り付けた。震えた声音を隠すようにゆっくりと話し続けている。

 

 「ひとつ欠けるごとに、私が壊れるような気がしていた。大きなものが失われれば、それだけ大きく。……まだ言わなきゃ分からないか?」

 

 エアグルーヴはゆっくり顔を上げ、彼の頬に手を添えた。しばらく見つめあった後、困惑している彼にそっと額を合わせた。

 

 「……怖いんだ、あなたを失うのが。その心を感じられなくなるのが、どうしようもなく」

 

 「グルー……ヴ?」

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ姿に、彼は呆然として上手く話すこともできない。その姿に見蕩れていたのか、状況に対応出来ず困惑していたのか。彼自身も分からなかった。

 

 「利己的だと笑うか?醜いと失望したか?皆の世話を焼くのも、生徒会として学園のためにと働くのも……全部私のためなんだ」

 

 少し離れると彼女は彼の手を取り、自分の頬にそっとあてた。

 

 「でも……見放されるのは嫌だな。醜い心の内を晒しても、まだ共に在りたいと思っている」

 

 「……グルーヴ」

 

 声をかけられた彼女はビクッと身体を震わせる。伏せていた目をゆっくりと開き、不安げに彼を見つめる。

 

 「人間臭くて、安心した」

 

 「……へ?」

 

 「つってもお前はウマ娘だけどな。……色々並べてても、結局みんな自分のために動くんだ。俺だってそう。お前のためって作ったコレも、お前から好かれていたいって汚い思いの結果出来たもんだ」

 

 好かれていたい。彼からそう思わせる人でいられてるんだな、と少し嬉しくなり、彼女の頬がさらに緩む。

 

 「お前だけじゃないぜ、グルーヴ。……それに女帝ってのは傲慢じゃなきゃやってらんねぇぞ?」

 

 ニッ、と悪戯っぽく笑う彼の額をそっと小突く。

 

 「……かもな。それとさっきの事、他の奴には内緒だぞ。……会長にも、だ」

 

 「えー?どーしよっかなぁ?これからは『あなた』って呼んでくれるなら考えてもいいぜ?」

 

 エアグルーヴはふと自分の言動を思い返し、ぶわっと顔が赤くなっていく。……いつから呼び方が変わった?……なんであんなに密着していた?無意識にとはいえあんな至近距離で。ぐるぐると様々な思考が頭を駆け巡る。

 

 とりあえず、彼女はすぐそこでニヨニヨしている彼の額を強めにピンと弾いた。さすがはウマ娘の力だ。彼は頭を抑え、「いってぇ!」と声を上げている。

 

 「調子に乗るな、たわけが。……いつか、な」

 

 いつものように手厳しい言葉をなげかける。最後の一言は、彼に聞こえないように。

 

 「俺は人間なんだぞ?加減してくれよマジで!」

 

 「ふふっ、これに懲りたら考えて言葉を発するんだな」

 

 半分は彼に、もう半分は自分に。今後は気をつけねばな、と強く刻み込む。

 

 「林檎持ってきたぞ。食べるか?」

 

 「マジ?食いたい食いたい!」

 

 子供のように目を輝かせる彼を横目に見ながら、彼女は皮を剥き始める。

 先程語った想いに嘘はないが、一つだけ言っていないこともある。それは今言うべきではないだろうと胸に押し留めたままだ。いつか時が来れば、きっと。少なくともそれまではそばに居てくれるだろうから。



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