ワンピースあれこれ (ヘビとマングース)
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マクシムが壊れて青海に落ちたら
雷が降ってきたと思ったら人間だった


 その日、空は快晴だった。

 雲一つないというのは嘘になるが、ちらほらと浮いている雲は白くて小さく、あからさまに何かを内包している様子はない。乗れもしないし、ただの雲だ。

 

 それなのにその日、空から雷が降ってきた。

 一筋の光が走ると同時、ゴロゴロと音が轟いて、地面が焼けていた。

 

 目撃したのはたまたま近くに居たからだ。地面に座って休んでいただけで、ここが島の全景を見るのに十分もかからないほど小さく、無人島であることは確認していた。

 空から降ってきた雷は、申し訳程度に立っているわずかな木を避けて、地面をわずかに陥没させるように当たっていた。

 そしてなぜか、そこにはいつの間にか人間が立っていたのだ。

 

 頭にタオルを巻いて、耳たぶが異様に長くて、上半身は裸。背中から円形の棒とそこに繋がった太鼓が生えるように存在している。あれは何だろう。手には黄金の棒を持っていた。

 誰も居ないのは確認したのに、どこから現れたのだろう。

 さっきの雷で生まれた人間だろうか? そんなはずはない。

 

 「へそ」

 

 こっちを見て、変なことを言われた。

 いきなりの異常行動を見て荷物をまとめる。早めに離れた方がよさそうだ。

 おれが去ろうとしたのに気付いたみたいで、また声をかけられる。

 

 「ここは……青海だな? お前は誰だ?」

 

 こっちが聞きたい。とは思うものの、あまり関わり合いになりたくないため話すのはやめた方がよさそうだ。

 荷物をまとめて、リュックを背負って、出発しようとした時に気付いた。

 

 空から何かが降ってくる。

 船の残骸か、巨大な木材や変な装置、大小様々な物体が島や海に降り注ぐ。幸いにして潰されるような状況にはならなかったため、その場に突っ立ったまま眺めていたのだが、この男が現れたのを見る限り、どうやら無関係というわけではなさそうだった。

 

 噂の空島から落ちてしまったのかもしれない。行ったことはないが、少なくともおれはその土地の噂を信じていた。だとすれば珍しい事案だ。

 少しだけ興味が沸いて振り返る。

 何をするでもなく、胸を張って立っている自信満々な姿。なぜそれほど自信が感じられるのかは知らないが、只者ではなさそうな雰囲気はある。

 

 海に落ちて、海水を跳ね上げ、海面に浮かんでいるが徐々に沈んでいこうとしている巨大な船の残骸を確認する。

 その後で、改めてその男と向き合おうとしてみた。

 

 「あんた誰?」

 「失敬な。我は神なり」

 

 雷? なるほど。さっきの雷はこいつ自身だったのか。

 世の中には“悪魔の実”という不思議な果実がある。まずくて不快で食べられた代物じゃないが一口かじれば悪魔の能力を与えてくれるらしい。

 世界各地で色々な能力が確認されていて、噂だけは広まるもので、その一種に雷になれるものがあったとしてもおかしくはない。

 おれはその発言を聞いても、「なんだこのおかしい奴は」とは思わなかった。

 

 「私の質問に答えていないぞ。お前は誰だ?」

 「おれは……旅人だよ。ただ旅をしている」

 「そうか、旅人。ここが青海であることは間違いない。で、ここはどこだ?」

 

 どこと言われてもおれだって知らない。旅をしていたら辿り着いた、名前がつけられているのかも定かではない無人島。確認する方法なんてあるはずがない。

 もしかしたら近くの島まで行けば質問できるかもしれないが、そこまでして知りたいという欲求はないので、こいつのために聞きに行ってやるのも面倒でしかなかった。

 

 「知らない。無人島であることは確かだよ。ここには誰も居ない」

 「お前が居るではないか」

 「おれは旅人だから、すぐに出ていくつもりだった」

 「ふむ、まあいい。実は船が壊れてしまってな。あの海賊どものせいだ。爆弾で破壊しようとした損傷が激しかったようで、飛行中に崩壊してしまった」

 

 何を言っているのか理解するのに少し苦労したが、空島に居たのではなかったのかもしれない。船が空を飛んでいたとでも言うのだろうか? まあどうでもいい。

 その船はもう壊れて海の藻屑になっているのだし、引き上げたところで再構築できるはずもないのは周囲の惨状を見れば明らか。本人もそこは冷静に判断できているようだ。

 

 「おかげで数年がかりで造ったマクシムが……ご覧の通り水の泡だ」

 

 確かに、水の泡と化して残骸が沈んでいく。

 島が小さいせいで海はすぐ傍に見えた。悲しい光景から目を逸らすことはできない。

 悲しんでいるのだろうかとあの男に振り返ってみるのだが、わりと清々していて、それほど落ち込んでいる様子は見られない。大物だ。

 

 「それは残念だったね」

 「そうだ、すごく残念なのだ。私には目的がある。“限りない大地(フェアリーヴァース)”に到達することだ」

 「フェアリー……何? それどこ?」

 「そのためにマクシムが必要だった。しかし、マクシムは壊れてしまった。あの海賊どもに復讐するのも一興だが、限りない大地(フェアリーヴァース)へ向かうためには空飛ぶ船が必要だ」

 「へぇ、そう」

 

 質問には答えてもらえなかった。フェアリーヴァースって何のことだろう? 長く旅を続けているがそんな島は聞いたことがない。やはり世界は広い。

 

 「私は青海に来たのが初めてでな。土地勘などない。そこでだ、小僧。船を造ることができる場所へ案内してくれないか? 褒美はやるぞ」

 「船? それなら、ウォーターセブンがいいと思うけど。あそこは有名な造船所がある」

 「ほう、そこならマクシムに代わる船を造れるか?」

 「空飛ぶ船ってのはどうかと思うけど、船大工の腕ならウォーターセブンが確実だ。あそこには腕のいい船大工が集まる」

 「よし。ではそこへ行こう」

 

 なんだか話が進められているけれど、おれも行く流れになっていないか?

 目的がある旅ではない。でも知り合ったばかりの怪しげな人物の言うことを聞いてもいいものかは悩む。褒美という言い回しからして偉そうだし、あまりいい予感はしない。

 適当な嘘を言って逃げるか? それも面倒だ。

 島まで送ってやれば解放してもらえるはず。それなら少し手伝うくらいはいいか。

 

 「いいけど、どうやって行く?」

 「うん? お前はここまでどうやって来た?」

 「歩いて」

 「船はないのか?」

 「ないよ」

 「ではどうやって来た」

 「歩いて」

 

 嘘は言っていない。本当に歩いてここまで来た。船を買う金なんてないし、買ったところで操ることなんてできない。だから歩いて旅をする。

 荷物は少なく、食事は狩りや漁をしてなんとかする。

 金は賞金首を捕まえればまとまった額が手に入るから、節約すれば長期間でも耐えられる。慌てる必要はないので、前に賞金を受け取ったのは半年以上前だ。

 

 嘘は言っていないのだが、信じてもらえなくても仕方ないだろう。

 本当に船はない。その証拠に、この小さな島の周囲に小舟の一隻も停まっていないのは少し見てもらえればわかるはずだ。だから真偽を確認するのは容易い。

 同じことを思ったのだろう。辺りを見回して、明らかに呆れた雰囲気があった。

 

 「ではどうやってその島へ行く?」

 「船は……そうか。沈んだのか」

 「仕方ない。お前が歩いていくというのなら、押していけ」

 

 また変なことを言い出した。

 かと思いきや、貝を取り出してどこかを押し、中から玉のような雲が出てくる。ふわふわしていてぽよんと柔らかそうだ。

 その上に飛び乗って胡坐をかき、見下ろされる。

 なんだか嫌な予感だ。

 

 「歩けるのなら、これでいい」

 「おれが押していくの?」

 「当然だ。我は神なり」

 

 雷とこれが何の関係があるのだろうとは思うけど、まあ、別に構わない。

 試しに少し雲に触れてみると、これが思った以上に感触が優しく、乗れないのは少し悲しくもあるが触り心地がいい上に軽い。上に人が座っていても影響は感じられなかった。これなら押して動いても辛くなることはないだろう。

 

 勝手に飛んでいる雲が相手なら苦労はない。

 この男を信用する気はないけど、一時だけの協力なら。

 ずっと一人だったし、ただの気まぐれだ。おれは了承した。

 

 「ヤハハ! では行こうか! 今度こそ限りない大地(フェアリーヴァース)へ!」

 

 ぽんと丸い雲を押すとふよふよと進んでいく。案外楽しいものかもしれない。

 なんだかよくわからないまま了承してしまったけど、長く旅をしていると、きっとこういうこともあるのだろう。

 こうしておれは、雷様を連れて海へ歩き出し、ウォーターセブンへ向かう旅を始めたのだ。

 



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青海とはかくも広く

 旅をしていると色んな出会いがある。

 それは忘れられない経験をもたらしたり、ちょっとした幸せを感じたり、こいつは何なんだと嫌な気持ちになったりもする。

 何を想うかは人それぞれ。良しとするか悪しとするかはその人次第だろうけど、おれほど稀有な体験をした人物も居ないのではないかと考えたりする。

 

 「お前は本当に海の上を歩くのだな」

 

 雷様が乗った玉雲を押しながら移動する。

 出会った瞬間に変な人だと思ったけど、話してみたら意外にも、実はいい人だったなんてことはなく本当に変な人だった。

 聞けば空島の出身だそうで、なるほどと思ってしまうのは空島の人に失礼かもしれない。

 

 空島の話を聞かされるのは新鮮な体験だった。とてもではないが、彼自身の話を聞くと善人だとは思えないが、それでも興味深い話なのは間違いない。

 支配していたエンジェル島の人間を働かせて、空飛ぶ船“マクシム”を造ったはいいものの、遊び半分で相手にした海賊とゲリラに思わぬ苦戦を強いられ、マクシムに多大なダメージを受け、しかも結果として海賊に負けてしまい、なんとか出航したのだが空中で船が崩壊してしまったそうだ。

 にわかには信じ難い話だけど一応信じることにして、とんでもない相手と出会ってしまったかもしれないと、旅立ってから気付いた。

 

 とはいえ、玉雲に座って、足場のない海を通過している間は大人しいものだ。

 悪魔の実を食べた能力者はカナヅチになると知っていて、雷の能力でも空を飛ぶことはできないらしい。或いはできたとしても島から島へ渡るほどの体力がないと考えられる。当然だ。それ自体は別に不思議なことじゃなく、そうでなければ化け物だろう。

 化け物じゃなくて人間だったことに少しだけ安堵する。

 

 ウォーターセブンまで案内するなら、この旅は長くなるかもしれない。一度だけ訪れたことがあるけれど、距離は近くないだろうし、正確な所在地もわからない。おれは昔からずっと旅から旅への根無し草だ。船に乗らないから航海術は身に着けていないし、コンパスや海図も持っていない。行き当たりばったりでなんとなく進んで、偶然辿り着くまで粘るしかないと思う。

 本人にもその旨を伝えたのだが、なんとかしろと言われてしまった。おれが運んでやってる状態なのになんて言い草なのだろう。蹴り落としてやろうかと少し考えた。

 

 「ウォーターセブンか……本当に腕の立つ大工が居るのか? マクシムは私の能力を利用して空を飛ぶことができた。同様の物を造ってもらわねば困る」

 「そう言われても、おれは大工じゃない。本人に言ってもらわないと」

 

 道中は退屈で、風に乗れば船は速いだろうけど、歩くとなればそういうわけにもいかない。速度は一定でほとんど変わらない代わりに単調で変化に乏しかった。

 雷様と話す時間が長かったのはそういう理由だ。

 正直に言えばそこまで興味があったわけではない。ただ歩くのが退屈で、ちょうど話相手が居るからあーだこーだと言っているだけで、彼が何を考えていようとどうでもよかった。

 

 たまに何を言っているのかわからなくなるが、要するに自分が偉いってことを言いたいのだろうと聞き流していた。

 まるで自分が神であるかのように語るので、多分、友達も居なかったのだろう。黙って話を聞いてあげたのはおれなりの優しさのつもりだ。

 

 「おい、いつになったらウォーターセブンに着く? 何時間歩くつもりだ」

 「さあ」

 「さあとは……お前、わかっていないのか?」

 「わかってない。だって、ウォーターセブンの位置まではわからないし」

 「何だと? ならなぜ歩いている」

 「いつかは辿り着けると思って」

 

 大きなため息はつくけれど、雷様は怒ろうとはしなかった。

 海の上へ連れ出されたことも関係しているのかもしれない。今ここでおれに見捨てられてしまうと自力で陸地に辿り着くのは難しい。

 

 大人しくしてくれているのはおれも助かった。

 雷と喧嘩したことはないし、海の上ではお互いに無事では済まない。

 陸地に辿り着いた時にどうなるかはわからないけど、それまでに機嫌を直して、揉め事を起こさないようにすれば雷と喧嘩するという稀有な経験はしなくて済むはずだ。

 こんなおれでも、流石に死を望むほど絶望していない。まだ生きてはいたかった。

 

 普段がそうであるように、おれの足を頼りにする航海は一日や二日では済まないものだ。島から島へ移動するには数日間を寝ずに歩き続ける場合もあって、船よりも過酷な可能性がある。

 すっかり慣れたおれは立ったままでも眠れるし、時には海王類や巨大魚の背を借りて休むこともあるわけで、決して辛いばかりの移動ではない。

 

 雷様はどうだっただろう。体力的に堪えている様子はなかったが、気持ちは違ったらしい。

 幸いにも一週間もかからずに近くの島を発見して、町がある島へ到着することができた。残念なのはウォーターセブンじゃなかったことだ。

 

 「ここはウォーターセブンか?」

 「いや、全然違う」

 「バカめ。船が造れないなら意味がないではないか」

 

 玉雲の上でしっかり睡眠を取っていた雷様は元気そうだ。おれも体力には自信があるので、一日や二日眠らないだけではなんとも思わないが、腹は減るし休息も必要である。ここがどこであろうと人が居るのは有り難かった。

 とりあえず食事をして宿に入って眠りたい。おれの意見は意外にもすんなり受け入れられた。

 

 「まあいい。とりあえず腹ごしらえをするか。お前を非難するのはその後だ」

 

 どうやらおれの旅にケチをつけたいらしい。

 反論してもいいけれど言い負かされそうな気がしてならないのは、おれ自身もこの方法がおかしいと理解しているからに違いない。

 こうなれば、言い逃れするよりも素直に謝った方が穏便に済むことを知っている。まずい場合はそうするつもりだ。

 

 長く旅をしていると色々な経験をする。良いこともあるし悪いことも。

 学ぶことは多く、記憶していることもたくさんある。

 特に人との向き合い方は大事だ。おれは旅をしていて人間についてたくさん学んだ。でなければこんなに傲慢な変人を相手に冷静で居られるはずもない。

 

 「さて、改めて確認しておきたいのだが。私の目的は再びマクシムを建造し、今度こそ限りない大地(フェアリーヴァース)へ辿り着くことだ。そのためにウォーターセブンへ向かっている」

 「もちろん」

 「お前がそう言ったからだ。船を造るならウォーターセブンだと」

 「間違いない」

 「だがお前は船を持っていない。ウォーターセブンがどこにあるかも知らないし、辿り着くかどうかは運任せ。一体これは、どういうことだ?」

 「いつもそうしてきた。だからそれは仕方ないことだ」

 

 後でと言っていたのに、店に入って遠慮なく料理を注文して、店員が厨房へ引き返していくのを見送ってすぐにその話になった。非難したくて堪らなかったのだろうか。

 おれは正直に話した。いつも通りだ。嘘はついていないし、よくないと知っている。誰を相手にしても自分の意見を素直に伝える。それが単純にして重要な会話の要素だ。

 

 雷様は傲慢で面倒で一部には愉快な一面を持っているけど、話せばわかる相手なのではないかと勝手に思っている。話の通じない悪人でないのは幸いだった。

 雷であるのは恐怖だけど、攻撃されなければ大したことじゃない。

 

 「言っておくが、お前の罪は重いのだぞ。神である私を玉雲に乗せたまま、青海の上を数日間連れ回したのだ。あれが続くようなら雲流しとそう大差ない。本来ならばお前を罰して黒焦げにしていてもおかしくはなかった」

 「だから、あれがおれの普段であって、別にハメようとしたわけじゃないんだから」

 「すぐに船を調達しろ。それができないなら今度は黙っていないぞ」

 

 なんて勝手な人なんだろう。連れていけと言い出すから、親切にもウォーターセブンまで案内してやろうと言ったのに、お礼の一つも言わずにこんなにも命令口調だなんて。

 

 「そもそもなんでおれがそんなことを? おれは別に、あなたの部下じゃないのに」

 「なぜであるかはもう何度も言っているだろう。我は神なり」

 「わかってるよ。雷様」

 

 脅迫されているという理解でいいんだろうか? 逆らえば雷に打たれるぞと。

 時折こういうことを言い出すのだが、いまいち意味がわからなくて苦労している。

 とにかく、偉いんだから辛いことをさせるなってことなんだろう。

 

 「船を用意しろって言ってもそんな金はない。まずは稼がないと」

 「稼ぐ? 奪えばいいだろう」

 「それじゃあ海賊と変わらない」

 「海賊か……忌々しい連中だ。奴らが現れなければ私の計画は全て上手く進んで、マクシムが壊れることもなく、今頃は限りない大地(フェアリーヴァース)へ辿り着いていたはずなのに」

 

 運ばれてきたグラスを荒々しく取って、水をぐいっと一気に飲んだ。

 料理がいくつか運ばれてくる。暇だったんだろうか。店内には大勢の客が居て、あちこちで大騒ぎをしているけど、見れば確かに酒を飲んでいるだけで料理は口にしていない。調理の方はあまり忙しくなかったのかもしれない。

 

 水を飲んで落ち着いたみたいで、雷様はにやりと笑った。

 店に入った時にはあまりの騒々しさと店の汚さに不機嫌そうだったけど、暴れるのも面倒なくらい気が滅入っていたんだろう。腹が空いていてきっとよかった。

 

 「だが案ずるな。我は神なり。海賊どもとはものが違う。神が寄こせと言うのなら差し出すのが当然であろう? 誰に見咎められる必要もない」

 「海賊とは違うって? 世間はそうは思わない」

 「世間など相手にならん。神の所業の前にはな」

 

 ずいぶん思い込みが激しいタイプだ。関わるのは危ないかもしれない。

 ウォーターセブンまでと言ったけれど、それが結構大変だと気付いたのは昨日。今はできることなら早めに縁を切った方がいいかもしれないと考えている。

 さて、これからどうしたものか。

 

 「海賊認定されると海軍に追われ続けることになる。気ままな旅はもうできないよ」

 「旅など必要ない。目的は限りない大地(フェアリーヴァース)のみだ」

 「でも空飛ぶ船を造ってもらうなら目立ったことは避けた方が」

 「そのためにまた玉雲に乗って押されろと言うのか? あれでは足も伸ばせん」

 

 なんてわがままな人だろう。人の善意を全否定しようとしている。

 いや、もうされているか。

 

 「誰が追ってこようと敵うものか。その方が楽というものだ」

 「それじゃ協力しにくくなる。おれの立場が危うい」

 「お前の立場など知ったことではない」

 「うわ、ついに言った」

 

 なんてひどい発言だ。ここまで運んであげたのに。その礼も言わずおれに勧めようともせず指で掴んで料理を食べ始め、かっこつけるかのようなにやりとした顔だ。

 

 「心配するな。私はお前が思っている以上にお前を気に入っている。私に従うのならお前も限りない大地(フェアリーヴァース)へ連れていってやってもいい」

 「別に興味ないんだけど」

 「ヤハハ、謙遜はいらん。お前は使える男だ」

 「謙遜とかじゃなくて」

 

 おれの話なんて聞くつもりがない。

 言いたいことだけ言って勝手に料理を食べ始めている。ある程度の我慢はできるが、腹が空いたならおれだって食べたい。

 はっきりと拒絶したいところだが、一旦中断して食べることにした。

 

 おれたちが食事を始めた途端だ。さっきから雷様が注目を集めているなと思っていたのだが、柄の悪そうな人々がこっちに近付いてきた。

 気に障ったのだろうか。何も言わずにテーブルを蹴られて料理が落ちてしまう。

 

 おれはあーあという感じだけど、これが一つ理由にもなるし、安心していた。

 機嫌が悪くなる様子を感じさせずに、雷様が笑っていたのだ。

 



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雷様と歩行人間

 「船を造ってもらうならまずは金を稼がないと」

 「金? 私は神だぞ」

 「船大工は商売で船を造ってるんだ。報酬がないと誰も従わない」

 

 たまたま目についた店だから思いつきで入ってみたけど、味は悪くない。ただ焦げ臭いのが食事にとってはマイナスな要素でしかなかった。

 だからおれはやめようと言ったのだ。

 外に出てからなら状況は違う。店の中ではやめろと言ったのに聞かなかった。

 

 「神である私に労働をしろと言っているのか? 馬鹿馬鹿しい。無力な人間など奴隷にでもして働かせればいいだろう。それとも海軍とやらが怖いのか?」

 

 こちらの事情や心境なんてまるで考慮しないで、唯我独尊、自分勝手の極み。こんなにも身勝手な人間の下に大勢の部下が居ただなんて信じられなくなってきた。

 間違ってもこいつの部下にはなるまいと改めて誓う。

 

 「海軍も怖いし面倒なんだ。ルールを犯してまで得られるメリットが少な過ぎる」

 「神より怖いものなどあるはずがない。私が居れば敵は居ないのだ」

 「一度負ければいいのに」

 「負けるものか。私は無敵で、恐怖その物が神なのだ」

 「でもゴム人間に負けたって」

 「黙れ」

 

 この話題はまずいみたいで、あからさまに不機嫌そうな顔で遮られた。いい気味だ。

 

 「負けてなどいない。ただ手こずって面倒だっただけだ。それに私の目的は奴らではなく限りない大地(フェアリーヴァース)だった」

 「船が壊れて落ちた」

 「整備不良だったな。今度は腕のいい船大工に造らせなければ」

 「攻撃を受けたからだったんだよ」

 「黙れ」

 

 体がゴロゴロし始めた。よっぽど負けたことに触れられたくないらしい。

 プライドが高いことはわかった。あまりにも面倒な時はこれを利用すればよさそうだ。一歩間違えればおれにも雷が飛んでくるかもしれないが。

 強いのは確か。周りで倒れてる人々のようになってはいけない。

 

 「ウォーターセブンの職人たちは力に屈しないと思うから、船を造ってもらうなら金を用意するのが一番簡単な方法だ。こいつらみたいにしたら誰も造れなくなる」

 「フン。面倒だな」

 「幸い、こいつはちょっとした額になるみたいだから、少し稼ぎになる。大物さえ仕留めれば金はまとめて一気に入ってくるよ」

 「問題は額か。確か青海は通貨が違ったな。何という?」

 「ベリー」

 「面倒だが私は青海初心者だ。ひとまずお前の言うことに従っておいてやるか。マクシムを造るには手間と時間がかかるしな」

 

 なんとか冷静になって考え直してくれたようだ。

 これほどの強さに加えて悪魔の実の中でも最強種“自然系(ロギア)”、中でも雷というかなりの当たりを引いているのだから、億越えの賞金首でも苦戦しないはず。相手さえ見つけることができれば金を稼ぐのはすぐだ。ひょっとしたらおれも余った金で楽な生活を送れるかもしれない。

 

 彼を好きかと聞かれれば、決して好きではないが、能力に限って言えば好きだ。雷のロギアだなんてとんでもなく素晴らしい。ただ食った人間が最低だっただけで。

 おれもそれなりに旅をしている。危険な目にだって遭ってきたし、上手く逃げたことも切り抜けたことも少なくない。今回だってなんとかできる。

 自信はあった。最悪、海に逃げれば彼には追えないはずだし、多分大丈夫。

 

 「では賞金首とやらを狩るか。どこに居る?」

 「さあ?」

 「知らないのか? では探すしかない。どんな奴だ?」

 「さあ?」

 「死にたいのか?」

 「死にたくはない。でも知らないことは知らないと言うしかない」

 

 かなりせっかちみたいだ。とにかく結論を急ぎたがる。

 旅というのは行き当たりばったりな部分も多くて、のんびりゆったり進めるものだ。少なくとも今までおれはそうしてきた。それを急に変えろというのも難しい。

 そう伝えたところで雷様は納得していなくて、これ見よがしに不満そうだった。

 

 「お前の話は要領を得ない。ひどく不愉快だ」

 「そのまま返すよ」

 「まあいい。時間がかかると言うなら青海の漫遊を楽しもうじゃないか。お前を面白いと思ったのと同じように、どこかには使える人間が居るかもしれん」

 

 まだ見ぬ労働者候補の人、ああ可哀想に。

 本当ならばおれもすでにその労働者になっていてもおかしくはないのだが、そこは本人の気持ち次第でどうにでもなるもので、別におれは奴隷になったわけでも労働者になったつもりもない。雷様から受ける扱いとしてもそこまで悪いものじゃないし、なんとなく協力者だ。この関係がいつまで続いてしまうのだろうという心配は抱くけれど、そこまで落ち込む状況ではない。

 

 デザート代わりに受け取ったそのままのリンゴをかじって、雷様はさっきと違って多少は機嫌が良さそうだ。ほんの少し、本当にちょっとだけ暴れてストレス発散したのかもしれないし、これからの旅の目的がおぼろげでも決まったのが良かったのかもしれない。

 何にせよ、まだ少しおれの同行は続きそうだ。

 

 別にいつ離れてもいいのだが、賞金首を捕まえるのが楽になるなら得はある。

 船が云々は抜きにして、ウォーターセブンまで案内してあげるのはよしとして、本当に面倒になるまでもう少し付き合ってあげようと思う。

 

 「腹も満ちた。そろそろ行くか」

 「行くってどこへ?」

 「賞金首を狩るのであろう? まずは顔を知る必要がある」

 

 意外とおれの話を聞き入れてるみたいで、冷静な判断だ。

 おれの生活にも関わるし、仕方ないので手配書を手に入れてこようと思う。おそらくどんな町だろうと酒場にでも行けば手に入るはずだ。

 

 「そういえば、こいつらも金になるんだったか?」

 「まあ、一応は。店の床を焦がしたから弁償は必要かもしれないけど」

 「構わん。我は神なり」

 「評判が悪くなると金が受け取れなくなるんだ。おれと一緒に来るなら大人しくして」

 「フン、青海のルールは面倒だな……いっそ私がルールを作ってやるか」

 

 また変なことを言い出してるがこういう時は無視に限る。相手にしたってしょうがない。

 色んな人が居る世間を渡るためには他人の話を聞き入れずにスルーすることも大事なのだ。

 

 「待て。そういえば、こいつらが賞金首だとよくわかったな」

 「ああ、前に見たことがあるから。手配書で」

 「名前もわかるか?」

 「一応」

 「では他の賞金首は?」

 「一部なら。でもまさかこの島に居るとは限らないし」

 

 一体何の話なんだと、この会話に意味はあるのかと、しばらくはバカの相手をしているみたいな気持ちでおれもわかっていなかったのだが、そういえば思い出したことがある。

 心網(マントラ)だったか。雷の能力と併用すれば島中の人間の“声”はもちろん、正確な会話の内容まで盗み聞くことができるらしい。

 

 なるほど。名前さえわかれば誰かの会話の中に出てきて察知できるかもしれない。

 そう思ったけど、よく考えれば会話に名前が出た程度ではその人が居る証明にはならない。似た名前も同じ名前もあるだろうし、噂話で名前が出ることだってある。この島で賞金首と同じ名前を聞いたからと言ってこの島に居ることにはならないだろう。

 考えることはわからんでもないが、あまりにも短絡的ではないだろうか。

 

 その旨を伝えると、いいからやってみろと言われてしまった。

 それならちゃんとやった方がいいと思って、店を出た後、おれが手配書を集めてやって、顔と名前を同時に伝えた。

 

 「これで満足?」

 「ひとまずは十分。まあ見ていろ」

 

 こんなことに意味があるのか。まあ、やるだけやってみればいい。

 無法者が集まる町、ジャヤにあるモックタウン。いくら海賊が自由に出入りできるこの町でも額の高い賞金首は早々現れないし、居たとしても本物を引き当てるのは無理だろう。

 

 そう思っていたら、おそらく“声”を聞いていたであろう雷様が急にバリッと消えてしまい、直後にはバリッと目の前に戻ってきた。

 右手には若い青年が服を掴まれて提げられている。黒焦げだ。

 地面に放り捨てられて、ぴくりとも動かない。死んではいないだろうが気絶していた。可哀想にほんの一瞬で負けて連れられてきたのか。これで人違いだったら笑えない。

 

 「確認しろ。それは賞金首だろう?」

 

 と思ったけど、よく見ると見覚えのある顔な気がした。

 手配書と照らし合わせてみる。

 なるほど。会話か“声”か、どっちにしても当たりだ。

 

 「“不死鳥のパズール”。懸賞金は一億ベリー。大物だ」

 「会話を聞いたのでな。念のために仲間も仕留めておいた。追ってくる者は居ない」

 

 したり顔で自信満々に言われる。

 億越えでも苦労しないだろうとは思ったけど、一秒もかからないとは。おれが想像する以上に強くて逃げるのが難しいかもしれない。

 ただその分、賞金首さえ見つければ簡単に捕まえることができそうだ。

 

 「この調子で金を稼げばいいわけだな。ヤハハ、簡単ではないか」

 「そう簡単にはいかないと思うけど」

 「何を言う。我は神なり。敵う者などどこに居よう」

 「ゴム人間」

 「黙れ」

 

 予想以上に楽な仕事になりそうで、楽に稼げそうな状況だ。

 これは次の島へ行くのも楽しみになってきた。

 



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要塞に降る雷

 その風貌、明らかに異質であった。

 黒い服装に身を包み、素性を隠すように帽子を目深にかぶって、それだけでは飽き足らず顔から後頭部まで隠す仮面を着けている。黒くて分厚く、表情を模した造形さえもない、つるりと無機質な外見だ。無骨な様子には相手が恐怖してもおかしくはない。

 それでいて小柄である。身長は子供であろうと思われる程度しかなく、体は細くて、肩から小さな鞄を提げていた。

 

 賞金稼ぎのルースと言えば有名であった。

 年齢も素性も本名も不明。唐突にふらりと海軍基地に現れて賞金首を差し出し、言葉を多く交わすことなく金を受け取って去っていく。主な活動場所は“偉大なる航路(グランドライン)”であり、現れる時期も場所も一定ではない、神出鬼没の謎の人物だ。

 

 噂が流れ始めて少なくとも数年。年齢はわからないが、小柄な身長と見るからに怪しい仮面が有名だと巷で囁かれていた。

 これまで彼は単独で行動していたはずだが、その日は違った。

 

 「気に食わん奴じゃ。天竜人のクズどもを思い出す」

 「ハァ、おのれ……!」

 

 聞けば空から降ってきた雷様こと、エネルというらしい。手配書にはないが、態度は尊大で悪魔の実の能力者、どこか怪しげな人物はルースが連れてきた男だ。

 賞金首の引き渡しをしている間、一体何をしたというのか、ルースが外へ出た頃には海軍の英雄と呼ばれるガープと戦っており、珍しく嫌悪感を露わにする彼を前にして片膝を突いている。初めこそ驚いたものだが、相手を見るとああそうかと納得してしまった。

 

 ルースは驚きもせず、助けようともせず、見送りにきた海兵に頭を下げて離れていった。

 広い練兵場で戦う二人を遠目に眺めて、隅に陣取って座る。どうやら観戦を決めたようだ。

 

 エネルが気に障ることを言ったのは間違いない。一緒に旅をしているからわかる。

 思えば、結局は金を出すのを渋り、玉雲に乗せて彼を運んだ時もそうだ。その移動手段が気に入らない様子の彼はしきりに文句を言い、やれ自分は神だ、これでは満足に眠れんと不満を垂れて、押してやっていることへの礼や感謝など微塵も感じさせない。いっそのこと海の中へ沈めてやろうかと思ったのは一度や二度ではなかった。

 あんな男によく部下など居たものだ。それがもし本当で、部下だったという人物に会うことができたのなら精いっぱい労ってやりたいと思う。それほどルースは辟易としている。

 

 共有する時間が増えたのなら感じ方は違うのだろうか。

 いや、きっと同じだろうと結論付ける。

 どうやらエネルはロギアの能力者でありながら素手で殴られているようだが、ルースは驚く様子もなく、せっかくなら自分の代わりにもっと殴ってやってほしいと眺めていた。

 

 「貴様を見ているとあの忌々しいゴム人間を思い出す……我にひれ伏せ!」

 「やれやれ。アホの相手は疲れるが、こいつをほったらかすと部下に被害が出るか」

 「今度こそ消えろ! 神の裁き(エル・トール)!」

 

 エネルの右腕が雷に変わり、前へ突き出すと青白い閃光となって、まるで極太の柱のように、眼前に居る敵を炭さえ残さず消し去ろうとする。

 海軍中将、ガープはあくび混じりにそれを見ていた。しかし浴びるのは嫌だ。なぜならゴロゴロしていて痛いからである。

 

 仕方なく、本当に仕方なさそうに、振り上げた拳を思い切り前へ突き出した。

 雷とは言わず、もはや強烈なエネルギーの塊となっていたはずの攻撃は、ただ一度のパンチで風が過ぎ去ったかの如く消えてなくなり、エネルの視界が開ける。ゴロゴロ轟く雷鳴も、辺りを眩しいほどに照らしていた光も、異常なパワーを誇る雷ごと消し飛ばされた。

 さっきも見た光景。しかし、一度ならず二度までも、今度ばかりは信じないわけにはいかない。

 

 エネルは驚愕した。

 それはもう、思わず後ずさりして、顎が外れんばかりに大口を開けて慄き、目が飛び出しそうになるほどバカみたいな顔で驚いた。

 

 「な、なんだお前は……!? 化け物か!?」

 「覇気も乗っとらんような攻撃で、わしが死ぬか」

 

 ガープは老兵である。若い頃は黒かった髪が白くなり、顔には深い皺が刻まれ、体は全盛期に比べて遠く及ばないほど動きが悪い。しかしそれでも、英雄である。

 一足飛びで前へ出たガープは速く、雷には敵わないが、驚愕して動けない隙だらけの相手に接近するのは苦労するはずもなかった。

 “覇気”を纏った拳を突き出し、全力で腹を打ちつける。

 重い音と共に突き刺さり、エネルの体は面白いように飛んだ。

 

 まるでゴムボールのように地面を跳ね、飛び上がり、転がり、動かなくなる。

 人間の体、ましてや雷で構成されている能力者の体である。話に聞いたゴム人間でなくともあれだけ弾めるのだなと感心した。

 座って眺めていたルースは思わず拍手をし、その音でガープが振り向いた。

 

 「おお、お前か。換金は終わったのか?」

 

 認知されているのだろう。ガープに微笑みかけられてルースが小さく頭を下げた。

 ぶわっはっはと笑う彼はエネルと対峙していた時とはまるで別人で、よほど嫌いな相手でもない限りは朗らかに接する男である。海兵ではないとはいえ、海軍や世界政府の味方であり、それなりに名を売っているルースは敵として認識する相手ではなかった。

 

 「今度は億越えじゃったか? これで何人じゃ? 海賊が捕まるのはわしらにとってもいいことじゃが、金を払う政府はいい顔をせんじゃろうな。ぶわっはっは! まあそれは別にいいわい! わし政府嫌いじゃし!」

 「ガープ中将、滅多なことは言わない方が……!」

 

 部下が注意するのだがガープは何も気にせず大笑いする。

 顔を合わせたのはほんの数度。いつもこんな調子だ。

 無口で知られるルースは何も言わず、無機質な仮面を向けるのみだった。

 

 「それより、あれはどこのどいつじゃ? 自分が神とか雷とかうるさい奴で、イラッとしたんで殴っといたぞ。付き合う人間は考えろよ。天竜人みたいなクズには構うな」

 「ガープ中将、またそんなことを……!」

 「本当のことじゃろうが」

 

 恐れを知らないガープ中将は世界政府を牛耳る存在さえ軽く見ているらしい。ずいぶんな胆力だが賢そうだと思えないのはなぜだろうか。

 その一方、ルースは彼が好きだった。話したことはないし、話そうとも思わないが、なんとなく好意的な気持ちを抱いているのは自覚している。

 黙って座っているルースを見つめて、ガープはわずかに真剣な顔を見せた。

 

 「聞いたぞ。海賊に家族を殺されたそうじゃな。なぜここまで海賊に拘るのかを知りたかったんじゃが納得がいった。しかし賞金稼ぎとは……」

 

 ルースは何も言わない。物言わぬ仮面で向き合うだけだ。

 

 「海兵になるという道もあったはずじゃが、そっちを選ばなかったというのはつまり、そういうことか……海兵は嫌いか?」

 

 何も言わないが、ルースがこくりと頷いた。

 事情は聞いている。海賊に恨みがあり、海兵にも遺恨があり、彼にとってはどちらもそう変わらない存在として映っているのだろう。海兵を前にした緊張は明らかだ。

 人によってはそれを敵意と受け取る者も居る。事実、ルースは素行の悪い海兵に対峙した際、再起不能になるまで殴りつけたと聞いている。そうしたのも海軍に対する複雑な思いがあってのことだろう。それでも彼を逮捕しないのは、捕まえるのに苦労することと、海賊に対する大きな戦力になるためである。

 

 ガープも思うところがあるのか、多くは言わなかった。

 正義の集団と言われていても一枚岩ではない。海軍に一切の害がないとは思わない。

 今の彼にできることは、協力者であるルースに笑みを見せることだけだった。

 

 「すまんな。いつも世話になっておる。じゃが、友達は選ぶようにしろ」

 

 こくりと頷いて、何も言わずに立ち上がると歩き出した。

 殴られた影響で倒れたままのエネルへ近付き、彼の太鼓を掴むと引き摺って連れていく。親しい様子は多少感じられるが気遣いは見られない。

 見送るガープはやれやれと言いたげで、しかし呼び止めようとはしなかった。

 

 小柄な彼だが腕力は大柄な男にも負けない。

 あくまでも噂であったものの、帆船の側面を拳で殴って大穴を開け、沈没させたという逸話が広められている。それは港ではなく、海の上の出来事だったようだ。

 

 持ち上げることも可能かもしれないが、背負うのは面倒だと言いたげに、ずるずると地面に引き摺られるエネルは肌に感じる違和感によって目を覚ました。

 雷である自分を殴ったのは、これで二人目である。

 まさかその二人が血縁者であるとは知らぬまま、なぜ、どうしてゴム人間ではないはずの男が自分を殴れたのかと、目覚めたばかりの彼は混乱していた。

 

 「がふっ、ゴホッ……あの男、一体……」

 「武装色の覇気だ。心網(マントラ)と対を成す覇気だよ」

 

 強引に引き摺るのは継続したまま、ルースは冷静に声を発した。

 エネルは地面に擦りつけられる感触など気にならず、腹に残る拳の感触、内臓にまでドクドクと響く痛みを感じながら、彼の顔を見るために視線を上げた。

 

 「ハキ……? そういえば、前にも言っていたな」

 「呼び方は違うけど、心網(マントラ)と同じ力だ。ただ用途が違って、自分の体や武器に纏って攻撃の威力を増す。ロギアが相手でもこれで触れられる」

 「そんな力を使う奴が、どのくらい居る……」

 「たくさん。基本的には誰もが持っている力で、鍛えた人だけが使えるから」

 「心網(マントラ)と同じ、か。馬鹿げている……神である私に触れられるとは」

 

 歩く速度をわずかに速めているためか、引き摺る力は強くなっているようで、地面に接触しながら移動するエネルの体は一部が雷に変質しており、生身であれば肌が裂けて血が出ているだろうと想像できるほど強かに擦りつけられている。しかしエネルの体は悪魔の実の能力により、全身が雷と化している。従って地面に擦れても血が出ることはなかった。

 これは便利だ。微弱な雷が地面を撫でるのを見て、運びやすいとルースが喜ぶ。

 

 「心配しなくても雷様だって使えるよ。見聞色は使えるんだし、少し訓練すれば」

 「フン、訓練など……私は存在自体が恐怖なのだぞ」

 「でもおれは恐怖していないし、ゴム人間も、さっきの人も、雷様が相手でも怯えない」

 「待て。まさかお前も」

 「一応ね。鍛えればこんなこともできる」

 

 パッと手を離すとエネルの体が冷たい地面の上に放り捨てられた。

 それはいい。雷の体はそんな程度で痛みを感じない。

 気になったのはルースの行動で、エネルは思わず目を見開いた。

 

 傍から見ればただ手を突き出しただけだ。拳さえ作らず、指は揃えられて掌をかざし、腕を押しつけるように伸ばしたが届いていない。しかしそんな動作で、触れていないはずの木の幹が独りでに破裂して、直後には大きな音を立てながら倒れてきた。

 配慮はないのか、倒れた木の幹にエネルの体が下敷きになるのだが、雷である彼の体には触れた実感もなく通り過ぎて地面に倒れる。

 多少思うところはあるものの、今は先程の力に注目する。

 

 心網(マントラ)とは、青海では覇気と言い、エネルの理解が足りない部分があった。

 彼が思う以上に利用価値のある力であるらしく、偶然にもルースはその使い手のようであった。

 訓練などというものは面倒だが、忌々しいゴム人間だけでなく、ただのパンチで雷を消し飛ばす異常な老兵まで目撃した後。興味を持つのは当然だった。

 

 「旅のついでに教えてもいいけど。どうする?」

 「ハッ……ヤハハハハ」

 

 エネルは笑った。

 楽しくて笑ったわけではない。悔しさや悲しさや好奇心、様々な感情が入り混じっていた。しかしその一瞬がプライドをへし折ってまで思考を変えるきっかけになったのは間違いない。

 ルースが差し出した手をしっかりと握り、エネルは再び立ち上がった。

 



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指針を見つける裸の付き合い

 おれはあまり、海賊という奴が好きじゃない。

 幼い頃、何のきっかけだったかはわからないが、海賊を名乗る人間が両親を殺した。母のお腹には妹か弟のどちらかが居たらしい。

 偶然にも、おれは父によってクローゼットに隠されたので助かったが、海賊なんて、と思うようになるには十分な幼少期の体験だったと思う。

 

 おれはなんだか、海軍という奴も好きじゃない。

 なぜかと問われれば鮮明な記憶があって、多くの人が死んだからだ。

 バスターコール。大勢の人間が一つの島と共に消えた。正しくは、消されたのだ。世界政府とそれに従う海軍によって。

 両親を失ったおれは流れ流れてその島で生きていた。優しい人ばかりだった。島の人たちは多くの本に囲まれていて、おれ自身は決して読書家ではなかったけど、平穏なその土地が好きだった。

 

 二度も失う経験をしたおれは、激しい感情を抱くようになり、しかしそれを他人には悟られないようにと努めるようになった。

 復讐は考えていない。相手があまりにも強大過ぎる。

 

 「つまらん」

 

 隣に座る雷様が発言通りつまらなそうに呟いた。

 カナヅチである我々は風呂に入ることさえ難儀する。浸かっている面積が増えれば増えるほど体の力が抜けていくので、肩まで浸かれば間違いなく溺れる。自力で抜け出すのは非常に難しい。

 なのでおれたちは半身浴をしている。でなければ死ぬかもしれない。お互いを助けることもできないのでまずは溺れないことが重要だ。

 

 「つまらん男だな、お前は。それで目的もなく旅をしているのか」

 「おれは満足してる」

 「海賊、海軍、世界政府。どれもくだらんものばかり。神の名に敵う者が居るか?」

 「負けたばかりでよく言える」

 「黙れ。負けてなどいない。お前が勝手に連れ出しただけだ」

 

 雷様はそう言うけれど、あれは確実に負けていた。

 英雄ガープは中将という地位に居ながら大将クラスの実力者。老いて力は衰えているかもしれないけどその辺の雑兵が千人居ても止められない。ただのパンチで数十人をまとめて殴り飛ばす。

 正直、雷様が生きてたのは手加減されたからだと思われる。本気で殴れば体の表面よりも内臓を破壊していたに違いない。ただのパンチと思うなかれ、どんな凶器より恐ろしい。

 

 雷様も一応は覇気について学ぶつもりのようだけど、元々が階級意識が強いというのか、自分が偉いし強いと思ってるから訓練とか修行は面倒そうだ。それでも真面目に聞き入れるつもりがあるだけ前に比べればマシで、よっぽど敗北が堪えてるんだろう。

 指摘しても絶対に認めようとしないのはなんともわかりやすかった。

 

 「私は違う。このままでは終わらんぞ。限りない大地(フェアリーヴァース)の前に奴らにはわからせてやらねばな。神に抗うことの愚かさを」

 「負けた後で言われても」

 「バカめ。ただの殴り合いのような小さい話ではない」

 

 今度は何を思いついたのか。

 聞きたくはないが、勝手に話し始めるので聞かざるを得ない。

 

 「お前の話を聞いて思いついた。海賊だの海軍だのと目障りな奴が多い。ちまちま海賊を狩って金を稼ぐのもしょぼい。であれば、我らが支配してやればいい」

 「我らって……」

 「お前の悲願も叶う。全て壊してしまいたいのだろう?」

 

 なんて恐ろしいことを。

 おれは気ままな旅人。何も望まないし、争いを拒んで平穏を望む。

 こんなにも大人しい人間を捕まえて何を言い出すかと思えば。流石に今回ばかりは全く見当違いだと言い切るしかない。

 

 「謙遜するな。でなければあの覇気とやらの説明がつかん。お前の中にあるのは稲妻のように鋭く冷たい殺気だ。だから私は気に入った」

 「謙遜じゃなくて誇大妄想だ。そんなことない」

 「私を助けただろう? あのじじいが私を痛めつけた時、じじいに逆らった。お前が私に心を開いているわけではないのはわかっている。しかしお前は、あのじじいの方が気に入らなかった。海軍だからであろう?」

 

 まあ、その意見は、素直に言えば間違っていない。

 英雄と言われていようと、個人の意見は違っていようと、英雄ガープが海軍に所属して海兵を名乗っている限り、おれから見れば虐殺に関わる人間だとしか思えない。バスターコールの脅威に勝るとも劣らない戦力を個人で保有しているのなら、その気持ちは余計に揺るがないだろう。

 

 傲慢不遜ではあるけれど、おれの心情を読むあたりは意外に他人へ関心があるのかもしれない。相手がおれだったからなのか、全員に対してかはわからないが、少なくとも今回は当たりだ。

 おれが海軍の味方でないのは何年も前から明確だった。ただ金を受け取るだけの関係。

 

 「奴らの鼻を明かしてやろうではないか。さぞ滑稽な顔を見せるであろうよ。そのためには色々と入用だな。使える部下も数人欲しいところだ」

 

 勝手に頭の中で色々と決めているようだ。そしておれも巻き込まれようとしている。

 別に鼻を明かしてやりたい相手なんて居ないけど、ここで反論するような何かを言えばまた話が長くなるのもわかっているので、面倒な時は反応しない。これが和やかに過ごす鉄則。

 

 「ウォーターセブンには向かう。しかしそこまでの旅路を楽しめそうだ」

 「そんなことして何の意味があるんだか」

 「ヤハハハハ。意味など考えて何になる。忘れたか? 我は神なり」

 

 また出た。

 決め台詞なんだろうか? とにかく主張したがる。

 いい加減聞き飽きたのだが伝わらないようで、なぜか上機嫌に笑っていた。

 

 別にいいか、くらいの軽い気持ちで同行してしまったのだけど、ウォーターセブンに辿り着くのはまだ先になりそうだし、このままだと面倒なことに巻き込まれてしまいそうだ。

 そろそろ逃げた方がいいだろうか?

 それはそれで面倒で、何せ相手が雷だから速くって仕方ない。今までなんだかんだと同行を続けているのはそのせいでもある。

 

 一方で、ひょっとしたら面白いのかもしれないとも考える。

 雷様の能力が強いことは確かだし、覇気使いが相手になるとまた別とはいえ、思ったよりも付き合いやすさみたいなものがあるように感じている。

 もう少しくらいなら。いつものようにそう思う自分が居た。

 

 世界をどうにかしたいなんて気持ちはない。

 これまでの経験で多くのことを諦めて、おれは傍観者になった。だから今も傍観しているのだ。このおかしくて面白い、かなり変わった雷様を。

 

 「よし、では使える連中を探しに行くとしよう。神隊は何かと使えるからな」

 

 まあ別にいいか、くらいの気持ちでおれは雷様と共に湯から上がった。

 たまたま辿り着いた温泉施設だったが中々いいものだ。島の位置と道さえ覚えられるものなら何度でも来たいと思える場所である。

 特に気に入ったのは番頭さんだ。うっかり番頭と呼ばれているらしいその人はとにかくうっかりしているみたいで、うっかり番頭台ではない場所に座っていて、なぜかは知らないが雷様を見つめて驚いている姿を確認することができた。雷様が何も気付いていない様子だったのは、うっかり番頭がいつもの位置に居なかったからだろう。面白いのでおれも何も言わなかった。

 

 溺れる危険性をなんとかくぐり抜けて、温泉に浸かってリフレッシュした。

 相変わらず船はないのでこれでまた歩いて旅ができる。

 雷様は不満そうだけど、厄介事を避けるためにはこれが一番いい。でも、よく考えるとこれが原因で海賊と海軍を相手にしようなんていう発言になったのかもしれない。

 

 「あ」

 「なんだ?」

 「話題のゴム人間」

 

 受け取った新聞を開いてみると一面に出ていた。

 ちょっと見ない間にとんでもない事件を起こしているらしい。これなら雷様が負けるのも無理はないかもしれないと思った。

 

 「エニエス・ロビー襲撃事件」

 「なんだそれは。何にしても……忌々しいゴム人間め。笑っているな」

 「エニエス・ロビーは世界政府の要所。新聞に載るのも納得の世界的な大事件だよ」

 「負けてはいられん。奴にも思い知らせてやらねばな」

 

 奮い立った様子の雷様は今までにも増してやる気になったようだ。

 まだしばらく長引きそうだ。

 仕方なくおれは雷様が乗った玉雲を押しながら歩き出した。

 



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盾男が伊達男を拾ったら
あまりに運命的な出会いである


 男は見るからに威容を放っていた。

 身長はおよそ2メートルほどあり、筋肉が大きく盛り上がる強靭な肉体を持ち、眼光鋭く、美しい金色の髪が肩に触れるほど長くさらりと揺れる。

 服はどこぞの民族衣装を思わせるもので、裾や袖がわずかに長く、ゆったりしたサイズだ。

 厳めしい顔は誤解されがちで、性格を判断する前に逃げられてしまうのが常だった。

 

 座り込んで動かない大男は両手首に鉄製の手錠を巻かれていて、少なからず自由を奪われている状態である。足は自由に動かせる反面、両腕を背中側に回されているので、立ち上がることさえ苦労するだろう。

 しばらく座りっぱなしで尻が痛くなってきた。そろそろどうにかしたいところだ。

 

 押し込まれた船室は倉庫のようで、暗い上に湿っぽく、異様な匂いまでする。

 長く居たいところではないが、船はすでに海へ出ているらしく、仮に外へ出たところで島へ辿り着くまで操船しなければならない。

 彼は仲間から折檻を受けているのではなく、海賊に捕まってしまったのだ。手錠を外して甲板へ上がれたとしても自由ではない。そこには敵であると思われる海賊たちが居て、間違いなくもう一度捕まえるか殺すために攻撃を仕掛けてくる。

 

 男は焦ってはいなかった。一人ではなかったからだ。

 抜け出して逃げることは難しくないかもしれない。しかしせっかくならどこかの島へ辿り着いてからでもいいと考えている。

 

 船室には彼一人ではなかった。偶然にも同じく捕まっていた男が同乗している。

 この男がどうにも奇天烈で、捕まっている割には平然としており、堂々としている。おかしな奴だと思いながらも退屈しなかった。

 心配も怯えることもなく二人は呑気に会話していたのである。

 

 「どうかね? おれの盾は。素晴らしいとは思わないか?」

 「ううむ、確かに。硬く、実用的で、何より形がいい。模様も気に入ったし、これは良い盾だ」

 「おお、この良さがわかる人間がこんなに近くに居るだなんてっ。お前は素晴らしい男だ。この出会いに思わず感謝したくなる」

 

 手錠をかけられて座っている男はあまりにも奇妙な外見である。捕まっている今、なぜか取り上げられずに体を前後から挟み込む巨大な盾を装備している。装備しながら、捕まっている。なぜこんな状況になっているのだろうと不思議に思ったが、男はその盾に見惚れたために質問が遅れた。

 どうやらその盾の男、パールという名前らしい。

 理解を示したために態度は柔和で、妙に親しげであった。

 

 「どうしてその盾があって捕まってしまったのだ?」

 「それはひとえに奴らに見つかったのがまずかった。はぐれた仲間を探していたおれを、奴らは問答無用で捕まえると言ってきた。その時に、おれをどうやって捕まえるかを話し合い始めてな。手錠がかけられないからまず盾を奪い取った方がいいと言っていた」

 「なるほど」

 「だがおれはこの盾を奪われたくはなかった。これはおれのアイデンティティ。無傷こそ最強の証明であり、この盾こそおれの力の象徴だ」

 「確かに。それはなんとなくわからなくもない」

 「そうだろう? だからおれから言ってやったんだ。手錠をかけていいから盾を取り上げるのはやめてほしい、と」

 「ほう」

 「すると奴らは喜び、おれは手錠をかけられ、こうして捕まってしまったわけだ」

 

 パールはやれやれと言いたげな顔で首を振る。

 彼自身、ここに居ることをよしとはしていないのだろう。逃げる機会があれば喜ぶはずだ。

 不思議に思った大男はぽつりと呟いた。

 

 「その盾を使って戦えば、捕まることもなかったんじゃないのか?」

 

 素朴な疑問をぶつけてみる。するとパールは一瞬ぽかんとした顔を見せ、後に考え込み、何かに気付いた様子を見せると、目が飛び出しそうになるほど驚愕した顔になった。

 どうやら本当に気付かなかったようだ。

 それほど頑丈そうな盾があるならどうとでもなりそうなものなのに。そう思っていたのだが戦いもしなかったのなら納得できる。パールはひどく落ち込んでいた。

 

 「おのれあいつら、よくも騙し討ちを……!」

 「騙し討ちではないと思うが、まあ、私も同じようなものだ。他の島まで乗せてもらおうとしたら騙されて捕まった。別にそれでも構わないと思っていたのだが」

 「ほう、お前も似たようなものか。それならどうだ? ここは手を組み、奴らの鼻を明かしてやろうではないか。次の島に行きたいのなら我々が力を合わせればいい」

 「それもそうだ。私もお前が気に入った。特にその盾が」

 「センスが優れている相手とは話しやすい。よし、では奴らを叩きのめすとしよう」

 

 大男がぐっと腕に力を込めた。筋肉が膨らみ、メキッと手錠が軋む。

 

 「私の名前はカールだ。よろしく」

 「おお、名前まで似ているな。お前とは上手く付き合えそうだ」

 「ああ、私もそう思う」

 

 カールと名乗った大男はバキッと鉄製の手錠を腕力だけで破壊してしまい、粉々に砕けた残骸は地面へばら撒かれた。

 パールの手錠へ手をかけると同じようにして強引に引っ張り、破壊してしまう。何か特別な力を使用した様子はない。純粋な握力と腕力のみでそうしているようだ。

 自由になったパールは立ち上がり、さほど驚くでもなく冷静にカールと対峙した。

 

 「大した男だ。力だけで壊すとは」

 「昔から力だけは強かった。そのせいで人を傷つけることもあったし、友達もろくにできた試しがない。だが……今回は役に立った」

 「今日からは誇ればいい。お前のおかげで助かったんだ」

 

 密かに動こうという素振りは微塵も見せずに、大声で笑いながらのしのし歩き出して、パールは悠然と甲板へ出て行こうとした。

 笑い声が聞こえたせいか、扉を開いて船員が顔を覗かせる。その時にはパールがすでに扉の前に到達していたため、覗き込んだ顔へ右手に握った小さな盾をぶち当てた。

 

 「な、なんだお前!? 勝手に動いてんじゃ――!」

 「パールプレゼント!」

 「ぶっ!?」

 

 躊躇なく顔面を殴って鼻の骨を折り、鼻血を噴き出してゆっくりと倒れる。

 全身に大小様々な丸い盾を装備したパールは異様に目立つ外見だった。体格だけでさえカールと同等であり、隠れようと思ってもそう簡単に隠れられるほど小さくはない。そのせいもあるのか、隠れるつもりは微塵もなく歩いて甲板へ出て行く。

 面白い奴だと、カールは好意的に受け止めて同様の方法で外へ出た。

 

 外へ出ると、それはもう飽き飽きするほどに大騒ぎになっていた。捕まえたはずの男たちが勝手に自由になっているのだから当然なのだが、カールは呆れて耳を塞ごうとする。

 名も知らぬ海賊たちが手に手にピストルやサーベルを手にするのだが、絶対最強と自負する盾を持つパールは怯まず、今度こそ戦闘に乗り気だ。

 

 「まったく、余計な手間だ。初めからこうしておけばよかった。なにせおれの盾はてっぺき! よって無敵!」

 「なあパール。実は私も言っておきたいことがあるのだ」

 「うん? なんだカール。では戦いの前に聞いておこうか」

 

 後ろからやってきたカールに振り向き、パールは周囲の怒声も気にせず眺める。

 すーっと大きく息を吸ったカールは、胸の前まで上げた右腕に力を込めた。

 

 「フンっ!」

 

 ボコンッと異様な音を発して、カールの右腕が変形した。パールとは対照的な四角い形。それは確実に彼の腕なのだが、盾のようにも見えた。

 感心した様子のパールとは裏腹に、海賊たちは一斉にどよめく。

 誇るように腕を見せたカールは厳めしい顔に笑みを浮かべていた。

 

 「私はタテタテの実を食べた盾人間。自分の体を硬い盾にすることができる」

 「おおっ……素晴らしい。我々は出会うべくして出会ったということだ」

 「ああ。私もそう思う」

 「では我々の最強の盾を使って」

 「無傷で勝つとしよう」

 

 決めてかかると二人は同時に動き出した。

 包囲されていたのだが気にしない。二人がそれぞれ別方向に駆けて敵を殴りつける。

 パールが両手に握った丸い盾で男たちの顔を殴りつけると、鼻血が飛んで甲板を汚し、次から次に倒れていき、背後から撃たれても装備した盾が銃弾を弾いてしまう。

 カールも同様で、自らの体の一部を盾に変化させ、敵の攻撃を的確に防ぎながら攻撃を行った。徒手空拳で刃も銃弾も弾き返して、盾で殴りつければ簡単に血が流れる。

 

 わざわざ攫ったという割には手応えのない相手だった。

 全員を気絶させるまでそう時間はかからず、外傷は皆無。そもそも脅威となるほどの強者も存在しなかったのだろう。二人はあっという間に船を占拠してしまった。

 

 立派な造りの帆船だが海賊船としては小規模。見渡してみれば人数も少ない。メインマストの上には海賊旗を掲げているが知らないマークだ。

 名も売れていない弱小海賊団。二人の認識は一致していた。

 考えようによっては悪くない状況であり、顔を見合わせて考えることは同じだ。

 

 「船が必要だ」

 「ああ。おれは仲間の下へ戻らなければ」

 「それなら、このまま頂こう」

 

 そう言って彼らは倒れた海賊たちを協力して海へ放り捨て、船を奪った。

 パールはともかく、カールは海賊ではなくただの旅人だったのだが、そうすることに躊躇いは持たずに行動している。そもそも、彼らは騙して手錠をかけて船室に詰め込み、海へ無理やり連れ出した相手だ。よっぽどの聖人でもなければ許すはずもないだろう。

 

 カールは長らく旅をしていた。自分の居場所を見つけるためだ。

 彼を産んだ両親は普通の領域を出ない、至って平凡な人間だった。しかし突然変異的に彼だけが異常に頑丈で優れた肉体を生まれ持ってしまった結果、親しい者などできなかった。

 広い海のどこかには自分の居場所があるのではないか。そう思って旅立って早数十年。

 いまだ定住地は見つからず、ただふらふらと歩き回るだけの時間が続いていた。

 

 「仲間を探していると言ったな」

 「そうだ。運悪くはぐれてしまった」

 

 パールに質問したカールは物思いに耽る。

 その時にはすでに海へ捨てた海賊たちのことなど覚えてはいない。

 海を旅していれば荒事に巻き込まれることもある。しかし生まれ持った肉体と腕力だけでどうにかくぐり抜けてきた。そうして精神は鍛えられてきたのである。

 パールに仲間が居ると聞いて素直に羨ましく思った。

 共に旅をすることになって余計にその気持ちは隠しきれなくなったのだ。

 

 「乗りかかった船だ。仲間が見つかるまで、私も協力しよう」

 「そうか。助かる。お前はおれと上手くやれそうな気がするんだ。そうだ、仲間と合流できた際には一緒に来ないか?」

 「え? いいのか?」

 

 パールは上機嫌に笑って頷いていた。

 不意に希望を抱いた瞬間である。

 カールは期待を胸に、海賊から奪った船で新たな旅を始めたのだ。

 



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ほぼ遭難である

 パールとカールによる二人旅は順風満帆に始まった。

 出会いこそ海賊に捕まって暗い船室での顔合わせであったが、その海賊を倒してしまえば奪った船には小舟も食料も水もある。小型の船だが大砲も数個、武器まで揃っている。

 旅の目的はパールが仲間に合流すること。

 彼らの旅路は、良い状態から始まったと言えるだろう。

 

 ただ大きな問題があった。

 戦闘員であったパールはともかく、一人で旅をしていたカールは航海術を持ち、波や気候を読む力を持つ一方、方向音痴である。パールの仲間を見つけてやりたいと思う気持ちは本物だが、自分が考えている通りに事が進むとは限らない。

 

 「ううむ、中々仲間が見つからないな」

 「一体どこへ行ってしまったんだ」

 

 本人に自覚はなかっただろうが、カールはドジであった。道や航路を簡単に間違え、気付かないまま自信満々に進んでしまい、気付いた時には取り返しのつかないことになっていることも少なくはない。だが一人で旅をしていた経験から、それがおかしいと指摘されることはなかった。改める機会が今までなかったのである。

 そして残念なことに、パールにも問題があった。自らの頑丈な盾と、自身の無傷と、カールの体を盾にする能力にしか興味を示さない彼は行き先などまるで気にしない。仲間と合流するために旅をしているはずだが目的を忘れていることが多々あった。

 

 二人の旅は想像以上に長くなっていた。

 広大なイーストブルーのあちこちを巡って、行く先々で様々な出会いを果たし、時には何かしらの収穫も得ながら次の旅へ出かける。

 

 海賊に襲われたという復興中の町では名物だという白い犬に噛まれ、傷つけられたパールが興奮して辺りに火を放とうと暴れ出し、カールと決闘する一幕があった。

 偶然訪れた島では、海賊と間違えられて三人の子供たちに襲われ、間違いだと気付いた後は素直に謝った彼らに小さな村を案内してもらった。以前、海賊に襲われたことがあるのだという。悪い羊が居たらしい。

 海に面した村に辿り着いた際には、二人組の新米漁師に魚を譲ってもらい、奥にあるという農園からミカンを分けてもらった。主人は美しい女性であった。色目を使ったつもりはないのだが、村の警官だという男がやけに騒がしかった。

 そして海上に浮かぶレストランを訪れた際には、パールを見ただけでコックたちが目つきを変えて追い出されてしまい、その後で彼の一味が以前襲ったのだと知る。

 

 イーストブルーは広く、思い出はそのつもりがなくとも次々にできる。

 目的を果たせていない事実とは裏腹に楽しい旅だった。

 

 「君たちは有名な海賊団だったのだな」

 「もちろんだとも。イーストブルー最大規模の一味だったからな。ちょっとしたミスがあって一度は崩壊したわけだが……」

 「しかし、見つからないなぁ」

 「見つからんもんだな」

 

 一向に目的が果たせず、一味については以前の活動に関する噂は聞いても現在はどうなっているかもわからないまま、旅が長引いても呑気な二人は焦っていなかった。

 共に居る時間が長くなる度、互いへの理解が深まっていく。

 共通点や価値観が近いこともあって、親友と呼べるほど仲良くなるまで時間はかからなかった。

 

 「私はこのまま、一人で生き、一人で死ぬのだと思っていた」

 

 とある夜のことだ。

 船の甲板、小さな明かりを囲んで話をしていた時、カールがぽつりと語り始めた。

 振り返れば彼は行動的で常に余裕を感じさせる態度であり、堂々としていたが、その一方で思考は悲観的になることも少なくない。本音を聞いてもパールは驚かなかった。

 

 「生まれた時から私は人一倍力が強かった。敵意を持たれることもあったし、謂れのない中傷を受けて殴りかかられたこともある。しかし殴られても痛むのは私ではなく相手の拳だった。何もしていない私が人々から忌み嫌われて、苛立ちに任せて拳を振るってみれば、それだけ私の傍から人は離れていった」

 

 語るカールは珍しく真剣な様子で、日頃とは違った印象だった。

 その話を笑いもせず、パールも真剣に聞いていた。

 

 「自分は誰からも認められないのではないかと、悩んでいる日々があった。他人と違うことを、普通ではないことを後悔したことは数え切れない。だが、それでもいいと思い直した。大人になる前に居辛くなって故郷は早々に離れたのだが、一人で生きていくことはきっと可能なのだと。私自身が証明してやろうとさえ思っていた」

 

 カールはパールの顔を見て、珍しくにこりと笑って見せた。

 

 「だけど、君に会えて嬉しかった。やはり私は、誰かに認められたかったんだ。忌み嫌うことなく素直に話してくれたことが本当に嬉しかった。ありがとう」

 「何をバカなことを……礼を言うほどのことではないだろう。おれが気に入ったから一緒に居ただけだ。お前に好かれようと思ってしたことじゃない」

 「それが嬉しかったんだ。君にとっては大したことじゃなくても、おれにとっては、人生観が変わるほど大きな出来事だった」

 「フン……」

 

 嘆息したパールは、子供のようだと思う無邪気な笑顔で喜ぶカールを見て、馬鹿にしようとはしないとはいえ、大層なことを言うと考えていた。

 当たり前のことに礼を言われて、どうしていればいいものやらわからない。

 居心地の悪さを感じて、話を変えるためにもパールがにやりと笑って言った。

 

 「まあ、今はそうでもいずれは当たり前のことになる。おれと一緒に来て仲間になれば、今までそう思っていたことさえ忘れるだろう。海賊は忙しいぞ」

 「忘れないさ。この感動は」

 「お前はいちいち大げさな奴だな。それに時折恥ずかしい奴だ」

 

 否定はせずにカールは笑い、パールもまた呆れてはいたがそんな彼を認めていた。

 どう思っていようと、旅は途中で、これからも続く。

 道中のある日の出来事だった。

 

 二人の航海はそれからも続いて、仲間を探してあちこちを巡る。しかし残念なことに方向音痴が変わることはなく、一度訪れた場所を再訪するのも珍しくない。そしていつの間にか自分がどこに居るのかわからなくなるのは日常茶飯事だった。

 幸いにして、出会った人々の親切や船から行う釣り、偶然にも島に辿り着くなどによって飢えることはなかったものの、あまりにも時間がかかったのは確かだ。

 

 パールの仲間を見つけて、その仲間にしてもらうということは、自身も海賊になるということ。

 後になって気付いたカールだが、それを拒否しようとはしなかった。

 ただ仲間ができることが嬉しかったからだ。たとえ仲間が世に嫌われる海賊であったとしても、自らを認めてくれるパールが居るのなら拒否感はない。

 

 「私は争いが嫌いだ。誰かに嫌われるのも、敵意を持たれるのも、暴力も好きではない。他人の感情に感化されて暴力を振るって、私が勝ったとしても、気分は晴れない。可能ならば誰とも争いたくはないし、誰とでも仲良くしたいと思っている」

 

 決意を語るカールは自らの生き方を決めようとしていたようだ。

 その語りには力があった。

 

 「だから私はこの実を食べた時、守るために力を使いたいと思った。自分のためではなく、誰かを傷つけるためではなく、戦わなければならないのなら守るために戦いたい。たとえそのために誰かを傷つけることになったとしても、自分以外の誰かを守れるのならば躊躇わない。だから私は海賊になるのも平気だ」

 「素晴らしい考えだ、カール。守りは何よりも優先される。無傷こそ最強の証。おれたちこそが盾男で、伊達男だ。いぶし銀だろ?」

 

 意気投合した二人は旅を続けて、パールの仲間を探し続けた。しかし中々見つからず、いつまで経っても出会うことができない。

 彼らの旅路にはいくつもの苦難があった。

 

 航路を見失い、大きな山を越えると大きなクジラに出会い、岬で出会った花みたいなおっさんと酒を酌み交わした後、海に出ると目まぐるしく変わる天候に見舞われた。大きな損害を受けて船が難破する羽目になったのである。

 彼らは通りかかった船に助けてもらったのだが、運悪くその相手が海賊であり、いつかと同じく手錠をかけられて捕まってしまった。

 

 その際に海賊たちとの会話でようやく気付いたことがある。

 カールは隣に座るパールへ向けて尋ねた。

 

 「ひょっとしてここは、グランドラインなのではないか?」

 

 以前に少しだけ入ったことがあるパールはしばし考え、目が飛び出さんほどに驚愕した。

 反応を見る限り、どうやら間違いないらしい。

 果たして仲間は見つかるのだろうかと、カールは不安を抱いていた。

 



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これもまた運命的な出会いである

 船が炎に包まれていた。

 巨大な帆船はある夜の突然の襲撃によって、逃げ場がないほど炎による破壊が進んでおり、やがては海の藻屑と化すだろうことは想像も容易い。

 広大な海で浮かび上がるような光景はどこか美しく、しかし誰かに目撃されることはない。近くに島もない大海原で、隣接した帆船以外に目撃者は居なかった。

 

 “処刑人ロシオ”と言えば、知る者は恐れて震え上がるほど残忍な海賊であった。これまでに数々の悪事を働いて、かけられた懸賞金は4200万ベリー。絞首刑をモチーフとした海賊旗を見たならばたとえ月のない夜であっても攻撃しようとは思わないだろう。

 それがこの日は違っていた。突然の攻撃で船はすでにボロボロだった。

 

 「くそっ! 一体何が起きてやがんだ!」

 「船長!? もう無理ですぅ~!?」

 

 不可思議な状況だった。

 砲撃によって船体に穴を開けられた後、暗闇から現れて船を寄せ、船員が乗り込んできて甲板で戦闘を繰り広げた。その間に船の中から火を点けられ、いつの間にか取り返しがつかないほど燃え広がり、逃げ出す船員が後を絶たず、助かる見込みもなく海へ飛び込んでいく。

 

 怒るロシオはいまだ逃げようとはしていなかった。襲撃してきた敵を始末しなければ逃げることなどできるはずもない。

 彼の前にはにやりと笑う敵が立っていた。

 

 赤く燃えるような逆立つ髪を持つ男だ。凶悪そうな顔で笑っている。

 周囲の炎など物ともしない様子で、両手に敵から奪った武器をくっつけて、一回り大きな腕にして拳を作っていた。

 数名の仲間が残り、ほとんどは自分の船に退避して炎が移らないよう移動していて、どうやら助けを求めるロシオの仲間を拾っているようだ。

 

 噂は聞いている。話題のルーキーの一人、ユースタス・“キャプテン”・キッド。

 話し合いなど不可能な、戦闘と破壊を好む利かん坊。

 この状況を見れば噂は間違っていなかったのだとよくわかる。奇襲から始まり、まだ反抗するつもりのロシオを見て手加減しようなどとは微塵も思っていなさそうだ。

 

 「てめぇ……このイカレ野郎が。正気かよ」

 「おい、勘違いすんな。火はおれのもんじゃねぇ。お前が持ってる宝を頂こうと襲っただけなのに宝ごと燃やすはずねぇだろう」

 「どっちでも同じだ! てめぇのせいで、おれの船はもうどうしようもねぇ……!」

 

 近頃つくづくついていない。

 つい最近、とある海賊に負けて見限った部下がずいぶん離れていったばかりであり、その時も奇襲同然に攻撃されたわけで、右手の甲には刃を突き立てた跡が残っている。

 こんなことばかりだと嫌気が差し、船を燃やされて自暴自棄にもなっていたのだろう。目を血走らせながら懐に隠していたナイフを取り出して、切っ先をキッドに向けた。

 

 「クソがァ! こうなりゃおれが殺されてもてめぇだけは殺してやる!」

 「おい、お前こそ正気か? そんなもんでおれを殺せると思ってんのかよ」

 「うるせぇ! うおおあああああっ!!」

 

 怒声を発しながらロシオが走って向かってきた。

 キッドはその場を動かず、しかしロシオが持っていたナイフが独りでに宙を飛び、奪われるようにしてキッドの眼前へ運ばれる。ロシオが驚愕した直後、キッドの目と鼻の先でぴたりと止まり、反転して、今度は射出されたかのように飛び出した。

 独りでに動くナイフに翻弄され、冷静に状況を判断できなかったロシオは呆然とし、気付いた時には肩にナイフが刺さっていて痛みで呻く。その場に跪き、彼は動かなくなった。

 

 容赦はない。キッドは素早く駆けて跪いたロシオに向けて拳を振り上げて、叩きつける。奪った武器を纏ったその一撃は硬い音を奏で、甲板に穴が開くほど強くロシオの顔を殴り抜いた。

 一撃で気絶させた後、最初から眼中にないと言いたげにキッドは顔を上げる。

 

 なぜ火が放たれたのか。甲板で暴れている大男を見ればあれがそうなのだろうと察する。

 大きな燃える盾を装備して、火を点けた小さな玉をあちこちに投げていた。

 それを止めようともう一人の大男が飛びかかり、鼻血を流している男の顔を殴り、ようやく気絶させたようでどしんと倒れる。

 

 やっと暴走するパールを止められたカールが振り返った。

 申し訳なさそうな表情でキッドを見つめ、燃え盛る炎に囲まれていても平然としながら、何を言うのかと思えば頭を下げて謝ってくる。

 

 「すまない、火を点けたのは彼なんだ。パールはジャングル育ちで、危険を察すると火を点けて身を守ろうとする癖がある。船が揺れた時に顔をぶつけて鼻血を流してしまったんだ。一度暴れ出すと中々落ち着かないので気絶させる必要があって――」

 「てめぇは誰だ? こいつらの仲間か?」

 

 気絶したロシオの体に足を置いて、キッドが尋ねる。

 状況から勝敗を察したカールだったが動揺はなく、素直に答えた。

 

 「いや、仲間ではない。我々はただ旅をしていた。船が半壊して困っていた時に助けてもらったと思ったら、そのまま捕まってしまったのだ。騙し討ちのような状況で何もできなくてな」

 「敵じゃねぇようだが間抜けか。物資を台無しにしやがって」

 「キッド。そろそろ退くぞ。いい加減この船も限界だ」

 

 つまらなそうに呟いたキッドの隣、仮面を着けた男、キラーが進言して踵を返す。

 燃える船体はいよいよ人が居られる状況ではなかった。ここが引き際。敵は倒した上、お宝を含む物資を略奪することはできない。

 キラーが言う通りだと判断したのだが、その前にキッドは倒れたままだったロシオの首を掴み、片腕で持ち上げる。

 

 命を奪うつもりはない。だが彼が敗者となったのは確か。

 船と仲間を奪ったからには、その礼に助けてやろうと思ったのだ。しかしその方法を選んでやるほど優しい男ではないため、にやりと笑って能力を行使した。

 

 「反発(リペル)!」

 

 右腕に纏わりついていた武器による腕が、ロシオを掴んだまま撃ち出された。空へ向けて放たれた腕とロシオは見る見るうちに遠ざかっていき、すぐに夜の闇に紛れて見えなくなる。

 果たして陸地に辿り着くのか。それともその前に能力の圏外になって海へ落ちるのか。

 どちらであっても興味はない。

 踵を返したキッドは自身の船へ跳び移り、炎と共に崩れ落ちていく船を離れた。

 

 「結局収穫はなしか。あいつもただの小物だった。張り合いがねぇ」

 「その件だがキッド」

 

 燃える船が沈んでいくのを眺めていたキッドへキラーが話しかける。隣に立って報告を済ませようとしている様子だ。

 キラーは実質的に副船長の地位にあり、キッドの幼馴染にして右腕を務める。頭に血が昇って暴れ出す傾向にあるキッドを冷静に抑え、頭脳労働を得意とし、時には冷徹なまでに敵を切り刻む“殺戮武人”と化す。キッドもまたキラーを信頼して多くを任せていた。

 

 彼らの背後では助けを求め、海から引き上げたロシオの仲間たちが甲板に座っている。

 従うのならば仲間にし、逆らうのならばここで捨てていく。そう言えば大半がキッドに従うことを選択して、腕が立つかは別として、労働力は増えつつあった。

 

 その中に気になる存在が居る。

 無視できるはずもなく、キラーはキッドへ相談しようとしていたのだ。

 

 「奴の仲間を引き上げた。強い奴はほとんど居ないが、まあ別にいい。追々考えるとして、問題はさっきの二人組だ」

 「二人組?」

 「あの船を燃やした奴らだ」

 

 キッドが振り向いて確認する。

 カールと気絶したパールが彼より先に船を移っていた。確かにあの状況ではそうした行動は不思議ではないとはいえ、思わず眉をひそめる。

 

 「あいつらは誰だ?」

 「少なくとも賞金首ではない。だが、他の奴らとは違う。使えそうだぞ」

 「本気か? どこの誰ともしれねぇ小物だろ」

 「名が売れていなくても使える連中は居る。戦力を補強しておくのも悪くないだろう」

 

 キッドはいぶかしげな顔をしていたのだが、キラーは見知らぬ二人組を仲間にすることに乗り気のようだった。

 確かに今後、グランドラインで名を上げて格上の強者たちに挑むのなら、強い仲間は欲しい。しかしあの二人が強いと決まったわけではない。むしろ不安の方が大きかった。一人はやけになって放火するような奴で、相棒もその特性を知りながら止め切れていなかったのだ。

 

 「責任はおれがとる。想像ほどじゃなくても素材によっては少し鍛えればものになる可能性も捨てきれない。どうだ?」

 「お前がそこまで言うのか……どこでそう思った」

 「勘だ。だが、外れているとは思わない」

 「どうだかな……」

 

 振り向いてキッドが歩き出した。

 大の字になって気絶しているパールの隣に、カールが居る。彼の鼻血を拭ってやり、万が一すぐに起きても流血していないと伝えるためだ。

 カールは近付いてくるキッドに気付いて振り返り、拳が握られた瞬間を視認する。

 

 何も言わずにパンチが繰り出された。体勢を変えず、咄嗟に右腕を上げたカールは盾に変化させた腕で受け止め、ガインッと人体とは思えない音を聞く。

 キッドは表情を変え、多少苛立ちを滲ませて左の拳も握った。

 

 掲げた右腕を掬いあげるように拳を当て、キッドはさらに攻撃を行った。

 前へ踏み込み、カール自身はパールの体を踏まないように後退して、両腕を盾に変えてキッドの拳を正面から受け止める。しかし彼を傷つけないようにとの気遣いがあったのか、可能な限り避けたいという意思で後ろへ足を運んでいた。

 後退するカールが逃げようとしているのだと判断し、キッドは意地になって追いかける。明らかに人体とは異なる感触の腕を殴りつけ、彼を倒そうとしたのだができない。

 思い切り右ストレートを打ち込んだ後、ようやく止まった時、彼の拳からは血が流れていた。

 

 「待ってくれ。私は君たちと戦いたいわけじゃない。ただ旅をしていただけなんだ。そしてついでに海賊に捕まっていた」

 「……フン」

 

 血が流れた手の甲をぺろりと舐めて、振り返ったキッドはキラーへ視線を投げる。

 

 「確かに使えそうだ。いいだろう。キラー、詳しいことは任せるぞ」

 「ああ。いつもそうだ」

 

 傷ついたとはいえ、キッドは上機嫌そうだ。

 船内に入ろうとする彼を見送り、沈黙を保つカールはしばしそのまま動かなかった。すると歩み寄ってきたキラーが語りかけ、ようやく盾にした腕を下ろす。

 

 「合格だそうだ。気難しいし暴れがちだが、上手く付き合えばいい奴だぞ」

 「そうなのか。それはよかった……で、合格とは?」

 

 不思議そうにするカールは状況を理解していないらしく、察しが悪いのかもしれない。

 実力と能力はともかく、ひょっとすると面倒な人材が増えた可能性もある。

 やれやれと言いたげに嘆息してから、キラーは事情を説明し始めた。

 



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金獅子海賊団に幹部が居たら
嬉々対々


 森がざわめいていた。

 枝と葉を揺らす風は穏やかだが何かを告げるように、辺りを包む音を奏で、鳥たちは一斉に空へ羽ばたき、動物たちは肉を食うか草を食うかを問わずに肩を並べて走る。

 まるで何かから逃げるかのようだ。

 空を見上げたゴールド・ロジャーは、厚い雲に覆われた灰色の曇天を見る。

 

 久しい。最初に浮かんだのはその一言だ。前に会ったのはいつだったか。

 森のざわめきには仲間たちも気付いていて、自然と武器を持つ者は多い。

 すでに風が来ている。逃げる隙はない。

 

 「ロジャー、客だぞ」

 「ああ。今日は唐突だな」

 

 自らも剣を抜いたロジャーは風が来る方向を眺める。その顔には笑みが浮かんでいた。

 

 「決着をつけようってのか? 舵輪が刺さったって聞いたのによ」

 

 戦意が滾り、力は全身に伝わっていた。

 こういった状況下のロジャーは人ではなく鬼に変わる。およそ人とは思えぬ戦闘力、覚悟の違いがこれまで数々の逸話を作り出していた。

 そんな彼を敵と見定める者は居る。ほんの一握りの強者とはいえ、忘れるはずもない。

 

 そいつは空からやってきた。

 一体どこから現れたのか、激突を恐れずに地面へ向かって猛烈な勢いで降ってくる。

 ロジャーは身構え、剣を握った手に力を込めた。

 

 やはり想像した通りの人物。足に届くほど長い金髪に、細かな意匠が施された和装、何より目につく頭に刺さった舵輪は鶏冠のようにも思える。

 両手に握った短剣にはこれでもかと覇気が纏われていた。

 空を飛ぶのは悪魔の実による能力。その影響は自身だけでなく周囲にまで及ぶ。

 間違いなく並み居る海賊の中で抜きんでた強者。ロジャーと同等の相手だ。

 

 「ジハハハハ!」

 「よぉし、やるか!」

 

 接近の後に一瞬、武器を振るった両者の間で、見えない何かがぶつかった。

 攻撃は拮抗し、どちらが押されることもなく互角に押し合う。

 ついには力の行き場を失くし、爆発するような風が駆けた。それでも両者が態勢を崩す様子は見られず、一人は空に、一人は大地に身を置いて対峙する。

 

 「今日こそお前の首をもらいに来たぞ。ロジャー!」

 「懲りもしねぇでよく来たな。おめぇにおれは殺せねぇよシキ」

 「今日は舞台が違う。天候に助けてもらえると思うな」

 「似合ってるじゃねぇか。その頭の鶏冠は」

 

 どちらも口角を大きく上げた。

 次の瞬間には同時に剣を振っていて、振り切る前に何もない空中で激突し、両者の間で再び暴風が巻き起こる。

 互いに睨み合い、遠慮のない殺意をぶつけ合った。

 

 「てめぇへの借りはこれだけじゃねぇんだ。おれに従わねぇなら殺すまで」

 「おめぇとおれとじゃ生き方が違う。支配にゃ興味がねぇんだ。自由にやれるならそれでいい」

 「そういうところが、心底嫌いだ!」

 

 二人の戦いが始まった。

 船長同士の戦闘は余波が凄まじく、風圧だけで木々を薙ぎ倒し、地面がめくれあがっていとも簡単に地形が変わる。

 

 ゴールド・ロジャーと“金獅子”のシキ。世間ではライバルとも称される二人が戦い始めるとすぐさまその仲間たちも集まってくる。

 ロジャーの仲間であり、副船長でもあるシルバーズ・レイリーが指揮を執ろうと剣を抜いた。

 どうせロジャーは指示など出さず、いつものように嬉々として戦うのだろうと思っていたら、やはりその通りだ。こうしたタイミングで苦労するのは大抵彼なのである。

 

 「さて、我々も行こうか」

 「レイリーさん! 相手金獅子だって!? 逃げよう!」

 「諦めろバギー。ロジャーがああだ、逃げられねぇよ」

 「そんなぁ~!?」

 

 騒ぐバギーを押しのけて、両手に斧を持ったスコッパー・ギャバンが前へ出た。

 武器を掲げた男たちが大勢駆けてくる。

 対するロジャー海賊団も負けじと武器を手にし、迎え撃った。

 

 「行くぞォ! ロジャー海賊団を討ち破れェ!」

 「怯むなよ! かかれェ!」

 

 ギャバンの号令に伴い、怒声を上げながら両軍団が激突する。敵味方入り乱れる乱闘になるが規模は凄まじく、攻撃の一つ一つが強烈で、辺りへの影響は計り知れないものだった。

 海の皇帝とも称される一味同士の激突に、島は悲鳴を上げていた。

 

 ロジャーとシキの戦いを脇に見ながら、レイリーは敵の集団の後方に幹部を発見する。

 今はまだ大人しいようだが、暴れ出せば面倒だ。かといって彼女は自ら進んで戦いに参加する性格でないことも知っているため、果たして手を出すべきかどうか。

 同じことを考えたのだろう、自分より体格のいい大男を力尽くで投げ飛ばし、ギャバンが同じ人物を見つけてレイリーに声をかけた。

 

 「まだ動かないな」

 「ああ。いつもと変わらん」

 「だが急に襲ってくるぞ。前もそうだった」

 「仕方ない。こちらから仕掛けるか」

 

 見つけたからには放っておくのもまずいと判断して、レイリーが前へ踏み出す。切りかかってくる敵は華麗な動作で素早く切り捨て、その歩みは優雅なものだ。

 見つけていたのは相手も同じだった。レイリーが動き出したのを見て露骨に嫌そうな顔をする。

 いっそのこと逃げようかとも考えるのだが、残念ながら近くに部下が居てできなかった。

 

 「リードさん! “冥王”レイリーですぜ! ロジャーの右腕!」

 「そうだな。お前が行け」

 「よっしゃあ! ……はあっ!? いやいやいや!? 無理無理無理!」

 

 後方に居たおかげでそれなりに距離があった。攻撃を仕掛けてもレイリーの歩みを止められる者が居ないため、次々に部下が斬られて倒れるのだが、動揺は見られない。しかも戦うつもりまでなさそうなのだから、偶然傍に居た部下の一人が驚愕するのも無理はなかった。

 

 リードは古くからシキの仲間で幹部を務める、名の売れた海賊である。

 背まで届く赤い髪を靡かせ、海賊然とした黒い厚手のコートを身に着けており、その下には胸元を隠すビキニのみ。下半身は足首まで隠すズボンを履いて、数個のベルトにサーベルやいくつかのピストルを差している。

 赤い瞳でレイリーを見据え、慌てることもなく冷静に腕を組んだままだ。

 

 ロジャーとシキが戦う際、彼女は大抵後方から指揮を執ることに集中する。見方を変えれば面倒だと言わんばかりに観戦している。

 それでいて、皆が疲れ始める頃、佳境に入ってから突然飛び込んできて激しい攻撃を開始するという経験が何度もあった。確実に勝てるタイミングを待っているのだ。

 それを防ごうとしているのだろう。レイリーの目的に気付き、リードは表情を歪める。

 状況が変わっても戦いたくないと駄々をこねるのは、何も自信がないわけではなく、相手が強いと戦闘が長引くためにめんどくさいと考えるためだ。

 

 「あー嫌だ嫌だ。黙って向こうでやってりゃいいのに。おれの手を煩わせるなよ」

 「ちょっとリードさん! 来ますぜ!?」

 「うるせぇな。わかったよ」

 

 渋々といった顔でリードが歩き出した。サーベルを抜き、正面からレイリーへ接近する。

 周囲では部下たちの激しい戦闘が繰り広げられていて、いつ流れ弾が飛んできても、死角から襲われてもおかしくない状況だが、二人の歩みは悠然として余裕があった。

 一切の怪我もなく接近を終えて、二人は同時に剣を振り上げる。

 

 「お前にはこれまで散々煮え湯を飲まされた」

 「バカ。それはこっちも同じだ」

 

 二人の衝突は、船長たちと全く同じだった。

 剣を振り抜くその前に、刃が届かない距離だというのに何もない空中で激突し、生じた暴風が周囲で戦っていた大の男たちを吹き飛ばす。

 

 卓越した武装色の覇気は己の体を離れ、放たれたかのように物体へ届き、破壊する。時として表面ではなく内部のみを攻撃することさえ可能で、決して珍しい力ではないが、困難な技であった。

 力は同等。レイリーは笑い、リードはしかめっ面になる。

 彼の後方にはギャバンも控えていた。二人の攻撃の余波を浴び、怯むどころか嬉々としており、何なら今からでも参加しようかとうずうずしている。

 ロジャー海賊団は層が厚い。だから正面衝突は時間がかかるのだ。

 

 「時間かけてる場合じゃねぇんだな。悪いけど」

 「フフ。そう簡単には負けんぞ」

 「負けたことねぇだろ。うざったいことに」

 

 表情こそ優れないが、今度はリードが飛び出すように前へ駆けて接近し、サーベルが届く距離に入ると大上段から振り下ろす。レイリーは振り上げる軌道でその刃を受け止めた。

 接触の瞬間、再び凄まじい衝撃。

 立っている二人は涼しい顔だが周囲はそうもいかず、近くに居た男たちが飛んでいく。そんな光景の最中に、リードは静かに伸ばした左手をレイリーに向けた。

 

 掌の中央、ぽっかりと穴が開いていて、そこから鋭い銃声と共に銃弾が発射された。

 レイリーは冷静に首を動かすだけでそれを避け、銃弾は直線状にあった木の幹に刺さる。

 至近距離からの奇襲。しかも能力を使っている。

 ただし、その能力は初めて見るものだった。

 

 次の攻撃のため、着地した後で姿勢を変えるリードを見て、レイリーは咄嗟に後ろへ跳んだ。

 何も考えなしに隙を晒す相手ではない。次の攻撃は間違いなくまずい。そう考えているとリードがわずかに微笑んでいるのに気付いた。

 

 「お前は聡いけど、他の奴はどうかな?」

 「やれやれ……狙うのなら私だけにしてほしいのだが」

 「もう遅い」

 

 ぐるりと回転させると同時、コートの前面を開いて、晒されていた素肌から無数の銃弾が一斉に発射される。体の回転に合わせて広範囲に攻撃を仕掛けられた。

 レイリーやギャバンは己の武器で銃弾を斬り捨て、或いは叩き落として無事だったが、回避できなかった部下たちが一斉に倒れる。そうなっても仕方ない一撃だった。

 

 体を止めたリードは今度こそはっきりと笑っており、勝ち誇る様子だ。

 呆れたレイリーとギャバンは肩を並べて、倒れた仲間たちの傍で武器を構え直す。こういうことがあるから見逃せない。残念ながら先手を打たれてしまったようだ。

 

 「毎回毎回よくやるぜ」

 「ああ。それはロジャーとシキにも言えるがな」

 「待て待て待てェ! ずるいぞお前ら! おれの居ねぇ隙に!」

 

 早くリードを止めなければ。そう思う二人が彼女に注意を向けている間に、後方から慌ただしい足音と大声が聞こえてきた。

 ああ、忘れていた。咄嗟に思い出す。

 真っ先に島に上陸して、冒険のために駆け出して行ったのが一人。シャンクスが同行したはずなので放っておいたのだがよほど遠くまで行っていたのだろう、ようやく合流だ。

 

 「おでんか」

 「すっかり忘れてたぜ。そういや静かだったな」

 「わはははは! 敵はどこだ!? おれが相手になるぞ!」

 

 リードは特徴的な髪型の大男が、両手に刀を握って飛び込んできたのを目撃した。

 そう言えば噂は聞いている。白ひげ海賊団に加入したワノ国の侍が、何の因果かロジャーの船に乗り込んで一緒に航海していると。

 さほど興味はなかったが、なるほど、目立つ風貌に大した覇気だ。

 面倒そうに舌打ちをして、リードは剣を振り上げた。

 

 「嫌になるぜ。ただでさえ一人一人強いってのによ」

 「お? お前がそうか。強そうだな」

 

 ぐっと強く力を入れて握れば、刀身が黒く染まっていき、覇気によって硬化される。

 両者の得物は風を斬るほど素早く振るわれて正面から衝突した。

 大気が震え、激しい余波が辺りへ駆け抜けていく。しかしおでんの強烈な一撃は、リードの細腕によって易々と受け止められていた。

 

 「大した女だ、押しきれんとは……!」

 「そりゃどうも。お前も大したもんだぜ」

 

 斬り払い、距離を取ってからすぐにおでんが再び跳びかかった。しかし衝突を拒んだリードは後ろへ跳ぶと逃げ出して、敢えて対峙を避けた。

 何も斬れずに着地したおでんはきょとんとしてしまい、不満そうに顔を歪める。

 

 「おい! なぜ逃げる!? お前は強いだろう!」

 「強かろうが弱かろうが、こっちはそもそも真面目に戦うつもりなんかないんだ。それにお前には先約が入ってんだよ。親分!」

 

 リードが鋭く叫んだ瞬間、おでんの背筋にぞくりと悪寒が走った。

 考えもせず咄嗟に動いたのは、生きようとする本能に突き動かされたからだ。振り上げた二本の刀は頭上からの攻撃を受け止め、刀身が甲高く鳴き、腕だけでなく全身が震える。

 急降下して空から現れたのは金獅子のシキその人だった。噂には聞いている。ロジャーと互角に戦える数少ない強者。その男が今、笑みを浮かべて眼前に浮遊していた。

 

 「お前か。侍」

 「おっ!? そういうお前は、金獅子のシキだな」

 「おでん、そいつは強いぞ」

 「わははは! 望むところだ!」

 

 おでんは二刀を構えた。

 都合のいいことに、刀身の長さこそ違えど相手も二刀。力比べは心が躍る。

 

 「おでん二刀流……! 桃源白滝(とうげんしらたき)!」

 

 覇気を流し込んだ名刀が二本。かつては山より巨大な猪を両断した技。渾身の一撃を叩き込んだおでんはしかし、目を見開いた。

 シキも同様に己の得物へ覇気を流し込み、正面から耐えて見せたのだ。武器を破壊するどころか刃毀れ一つしていない。しかもシキは笑っている。

 全力の一撃を受けて平然としていた彼は攻撃せずに両腕を大きく広げた。

 

 「今度はこっちの番だ」

 

 低く、雄々しい声で、どこか嬉しそうに呟かれた声は不思議と鮮明に聞き取れた。

 攻撃が来ると思って身構えたおでんだが、直後、足元が揺れたかと思うと足場が浮いた。彼の足元の地面だけが円形に切り取られて空へ高く舞いあげられてしまったのである。咄嗟の反応でおでんは落ちないようにとバランスを取り、シキが望む通りにまんまと空中へ連れ出されてしまった。

 

 シキはフワフワの実の“浮遊人間”である。鍛えられたその能力は己の手で対象に触れずとも自らの支配下に置き、重力を無視して空を浮遊することができる。

 小さな足場に乗ったまま、空へ運ばれたおでんはシキのテリトリーで対峙することとなった。

 

 恐れてはいない。これほどの強者に会って興奮しないはずもなかった。

 おでんは嬉々としてシキに向き合うつもりであり、一切の恐れを抱いていない。

 空こそが自らの主戦場だとでも言うかのように、浮遊どころか自由自在に飛行するシキは策を弄することもなく真正面から突っ込んでくる。おでんは二刀を構え、受け止める気概で居た。しかし同時に、シキの能力によって巻き上げられた大地が細かく粉砕され、新たに獅子の顔を模ったのを見てぎょっとする。

 

 「そんなこともできんのか!?」

 「ジハハハ! 宴は始まったばかりだ! 楽しんでいけェ!」

 「うおおおおっ――!?」

 

 上空で轟音が響き、パラパラと細かな土が降ってくる。

 手と足を止めて眺めていたリードは視線を下ろした。

 上で楽しそうなのは結構だが、組織のトップであるシキが向こうへ行ってしまうと、必然的に相手が見つからずに自由になってしまう男が居る。その男は今、リードを見つけたところだ。

 上機嫌そうに笑いながら歩いてきて、肩には数人の部下をまとめて斬った剣を担いでいた。

 

 「わはははは! シキの野郎もおでんを気に入ったか。あいつは面白ェ奴だからな」

 「そりゃ結構だがな。あの人が侍に気を取られてるとおれが困るんだよ。なんせ、お前の相手をする奴が居なくなるからな」

 「なぁに、お前が居るじゃねぇか。どうだリード? おれの仲間にならねぇか」

 「なるわけねぇだろ。言っとくがおれは、自分が思うより親分を気に入ってんだぜ?」

 「わっはっは! おれもだ」

 

 相手を失ったロジャーが剣を握り直して駆けてくる。

 無視して逃げてもいいが、残念ながら彼の覇気は逃げた自分にも届くだろう。

 仕方なく、本意とは違っていたとはいえ、リードは自らも剣を振って彼と覇気をぶつけ合った。

 



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右腕左腕

 「前から思ってたが、あんたはロジャーに拘り過ぎなんだ」

 

 要塞かと見紛うほどの巨大な帆船の船室にて、リードは飽き飽きした顔でため息をついた。

 金獅子のシキと言えば、ゴールド・ロジャーとは切っても切り離せない間柄にある。数え切れないほどロジャーと戦い、どちらが死ぬこともなく決着がつかぬまま今日も生きているのだ。二人の関係は伝説的に扱われており、肩を並べることのないライバルであると語られていた。

 

 世間は彼らの関係、数々の激闘、伝説的な逸話を楽しんでいる様子だが、傍で見ている人間にしてみれば嫌気が差すほど拘り過ぎているのだと思う。

 確かにロジャーは大敵だ。だが本来ならば今頃はシキが世界を獲っていてもおかしくない。

 

 「あんたは何事にも慎重過ぎる。兵力も武器も金もロジャーよりこっちの方が上だ。向こうの方が粒は揃ってるだろうが、潰す方法はいくらでもあるはずだぜ? 正面からかち合って長引かせるだけ無駄な時間だろ」

 「そう言う気持ちはわかるがな、奴だけは特別なんだ。この手で直接殺してやりてぇってのも愛情だろ?」

 「ずいぶん歪んでるけどな」

 「若ぇ頃から同じ時代をやってきた。色々あったが執着がある。この舵輪の礼もあるんで奴だけはおれの手で仕留めてぇんだ」

 

 そう言うとシキは壁に掛けてある鏡を覗き込んだ。

 頭には舵輪が刺さっている。深くめり込んでしまい、手術をすれば命に関わるらしいのでそのままにしていた。

 

 以前ロジャーと海戦を行った際、艦隊を率いるシキに対してロジャーの船は一隻。勝利は確実かと思われたが、急な天候の変化により嵐に見舞われ、その最中、壊れた一隻の船から半壊した舵輪が飛んできて、どういうわけかシキの頭へ狙い澄ましたかのようにめり込んだのである。

 以来、シキは鶏の鶏冠を持つかのような外見に変化していた。今は慣れたが、最初は枕さえ使えないため眠るのに苦労したものだ。

 

 あの時の戦いは引き分け。というより結果が得られず互いに撤退することとなった。

 他の誰を放置しても構わないが、ロジャーとだけは決着をつけなければならない。だから拘り過ぎていると指摘されるわけだが、シキの考えに変化はなかった。

 リードは嘆息し、何かのミスに繋がらなければいいがと思案する。

 

 「なあに、奴を殺せば世界はいつでも獲れる。最後に勝つのはおれだ……あれ? あそこにニワトリが居る!?」

 「それおめぇだろうが!」

 

 鏡を見ていたシキが唐突に驚愕した。

 すかさずDr.インディゴがシキの頭を叩いて大声を出す。

 

 「ハイっ!」

 「いやぁ……」

 

 直後には二人でお決まりのポーズを取っていて、リードは何も言えずに微妙な顔をした。

 冷静になり、腕を下ろした二人は不満げである。

 何にしてもシキの片側が空いている。せっかくDr.インディゴがポーズを取っているのだから、シンメトリーにリードが同じポーズを取ればもっと決まるはず。しかし彼女は頑としてそうしない。数年前から現在も続く二人の大きな不満だった。

 

 「おいリード。お前は他の連中と違って使える女だ。女好きが玉に瑕だが、強い上に頭が回る。度胸もあるしな。正直おれはお前が部下でよかったと心から思ってるさ」

 「ああ、そりゃどうも。おれもあんたが親分でよかったと思ってるよ。それを除いて」

 

 至極真剣な表情でシキが語り出した。

 一体これで何度目なのか。真面目に聞くつもりもなく、リードはソファに尻を埋め、両脇に水着姿の美しい女たちを侍らせて、視線など一切迷わずにシキから外して彼女たちに構う。

 彼女自身も強く美しい女性だが、興味の対象は男性ではなく女性だった。これまで軟派にあちこちへ手を出してトラブルになった経験は数知れず。しかしそれでも懲りずに女たちを同時に手篭めにしようと精を出している。

 シキはそれをひとまず認めていたが、それ以上に認められないのがポーズの件だ。

 

 「Dr.インディゴが科学力とおれの計画を一手にまとめ、お前が海賊行為の実務と戦力拡大を取りまとめる。言わばお前ら二人がおれの両腕だ。だから、もう何度も言ってるが、お前ら二人が同時にこのポーズを取っておれの権威が伝わるってもんだろう」

 「いい歳こいたおっさんの悪ふざけに付き合ってられるか。そもそもつまんねぇんだよ」

 「まったく……お前とは笑いのツボだけは合わねぇな。何年経っても」

 「合ってたまるか」

 

 呆れたリードは冷たく言い切り、自身は傍らの美女たちに甘えた声を出し、頭を預けて至福の一時を楽しんでいる。そんな姿も珍しくないためシキは何も言わなかった。

 笑いに関する意見さえ合えば一つも文句のない相手なのだが、改めるつもりのないリードには開いた口も塞がらない。人生は上手くいかないものだ。

 

 複雑な気持ちを入れ替えるためシキはDr.インディゴへ話しかける。

 科学者である彼は持ち前の卓越した技術でシキの支えとなり、自ら戦場へ立つことは少ないが有事の際には戦闘さえこなす優れ者だ。何より笑いのツボが合う。

 

 「Dr.インディゴ。例の計画はどうなってる」

 「えーっと、調査は進んでおりまして、結構いい感じに使えそうだという話です」

 「問題はあるか?」

 「強いて言うなら時間でしょうか。上手く利用できれば動物たちをある程度操ることはできるかもしれません。まとまった研究の時間さえあれば」

 

 答えた後でDr.インディゴは首を傾げる。

 

 「しかし、本当に進めるおつもりですか? あの島は確かに特殊な環境と植物がありますけど前半の海ですよ。新世界ならともかく、勝手が悪いような」

 「前半だからこそ意味がある。おれの支配は新世界のみに留まるものじゃねぇ。全ての海を掌握することが最終目標だ。秘境と呼ばれたあの島なら早々気付かれるものでもあるまい。水面下で計画を進展させ、形を成した後、動く」

 「おれは反対してるぞ」

 

 一人の女に膝枕をしてもらって横になり、もう一人の女に脚をマッサージしてもらっているだらしない姿のリードが口を挟んだ。

 計画については前々から聞かされていたが、彼女はその気になれずにいるようだ。

 

 「あんたは計画に時間をかけ過ぎる。慎重とも忍耐強いとも言えるがもっとバカになって動いてみりゃ簡単に結果が手に入るんだ。変な動物を兵力にとか、んなことしなくてもあんたの名前があれば兵力は集められるしナワバリも広げられる」

 「お前はロマンってもんがわからねぇようだな」

 「ロマンで支配ができるなら何も言わねぇよ。実務はおれだぞ」

 

 飽き飽きしていると言いたげな顔でリードは嘆息した。

 シキに恭順し、それなりに美味い汁を吸い、世界中の美女を集めて自分のためだけのハーレムランドを建設すると豪語している彼女は功を急いている様子もあり、他の海賊が名を上げている現状を良しとしていなかった。

 シキがその気になれば今よりも影響力は強く、ナワバリも多いはずで、本人の実力や名声を考慮すれば満足できない状況なのである。

 

 彼女がそう言ってもシキは折れず、考えを改めるつもりはない様子だ。

 計画は数年、数十年先まで考慮して立てられている。その多くがDr.インディゴを責任者として動いていて、どれほど時間を使ってもシキは待てるようだった。

 

 「新世界は激戦地だが、だからこそ前半は手薄だ。ロジャーも白ひげも手を伸ばさねぇ海があるならおれが頂こうってだけの話だ。何が不満だ?」

 「時間がかかり過ぎなんだ。あんたはいつも遅い。ロジャーを殺したいならいっそのことリンリンと組んだらどうだ? もしくは白ひげでもいい」

 「それじゃ面白くねぇだろう。それに白ひげもリンリンもおれとは組まねぇよ。リンブルなら話は別だろうが」

 「目的が一致した時だけな……こんな退屈な睨み合いがいつまで続くんだか」

 

 女たちに体を預けたリードが目を閉じる。

 力は得たが、大物になると世界に対する影響も大きく、睨み合いが多くなる。漁夫の利を得ようと狙っている輩が多いからであろう。そんなものを恐れるシキではないが、そもそも待つことが得意な彼は現状に焦っていない。

 結果を求めるのはリードばかりか。シキは軽快に笑っていた。

 

 「ジハハハハ。そう焦るな。計画が実を結べば世界中の海がおれの物になる。お前のバカみてぇな野望もきっと叶うだろうよ。いつものように振られなきゃな」

 「うるせーやい」

 

 膝枕を貸している女の手を取り、目元へ運んで顔を隠した。

 男に興味はないがシキは好きだ。彼についてきたことを後悔していない。しかし互いの価値観が一致しているとは言い難く、共感しているわけでもないのだろう。時として意見が合わずに時間の流れが緩慢になる瞬間があった。

 

 世界を獲ると彼は言った。しかし今はまだ獲れていない。

 こんな調子で一体いつになるのか。

 閉塞感を感じずにはいられず、リードは退屈で仕方なかった。

 



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急転直下

 リードはシキに比べて若い。ずいぶん歳が離れているという印象だった。

 そもそも、彼女は自身の正確な年齢を知らない。大体この辺だろうと予想は立てられるが、自分がどうやって生まれたのか、両親はどんな人物であったか、多くのことを知らないままだ。

 

 政府の支配が及ばない無法地帯。地獄とさえ称されたそこが彼女の故郷だった。

 人が死ぬのは当たり前。息絶えた骸が建物の角で放置されており、腐臭を放って気付いて欲しそうに沈黙していて、蝿の羽音に嫌気が差した。

 食べる物は満足に手に入らず、物々交換か、誰かから奪うか、死んだ他人から盗むしかない。聞いた話では死人の肉を食って生き延びた人間も居るらしい。

 まだ幼く、当時の記憶はおぼろげであったが、到底忘れられるものではなかった。

 

 そこへ現れた海賊。

 金獅子のシキは彼女にとって羨望の象徴であった。

 美しい衣服に身を包み、振るう力は太刀打ちできる者などなく、圧倒的なカリスマ性で無法地帯であった島を自らのナワバリにして見せた。

 飢え死に寸前だった子供が、自らも海賊になろうと決意するのは無理もない状況だ。

 

 シキに育てられたと言っても過言ではないリードは彼を尊敬している。海賊になったのも彼の姿に憧れたからこそであり、服も食事も野望も与えられて、生活を楽しむようになった。

 成長し、大人になったとはいえ若くして幹部に位置するようになったのは、女性だったからでも幼い頃から知っているからでもない。彼女の実力が認められたからだ。

 

 なんでもわかる、とは言わないが、シキの多くを理解したつもりでいた。

 だから報告を受けた時、部下に対してよくやったと褒めてやったのだ。

 自分より先にシキの耳に入っていればどうなっていたか。肝を冷やしたものだ。

 

 「親分。ロジャーが捕まった」

 

 船内、広大な空間で、大勢の部下が見ている前でそう言った。

 シキは背中を向けていて、リードの発言に対して数秒何も言わず、静かだった。その静けさが恐ろしく、部下が息を呑む一瞬、ああ、そうだろうなとリードは思う。

 ロジャーに対する執着は人一倍だったはずだ。長く戦い、ライバルだった白ひげにも勝る部分だろうと思う。シキとロジャーと言えば有名な間柄だった。

 

 ゆっくりと振り向いた時、表情は無く、しかしその目には激情が宿されていた。おそらく他の部下が言っていたならすぐさまピストルを抜いていただろう。或いは剣を振り抜くか、殴り飛ばしていたとしてもおかしくない。

 荒れ狂う感情を抱くシキと見つめ合い、リードは厳しい表情で居る。

 

 「海軍にか?」

 「そうだ」

 「あり得るはずがねぇ。ガープか? それとも……センゴクか? 両方動いたところであいつが負けるわけねぇんだ。捕まるはずがねぇ」

 「親分。前に聞いたはずだ。ロジャーは不治の病だった。多分自首したんだろうよ」

 

 リードは数週間前の出来事を思い出す。

 シキがナワバリにしている島へ突然ロジャーが一人で現れて、急いで駆け付けたシキが戦闘を始めようかと剣を手にした時、彼は剣ではなく酒瓶を取りだした。

 「飲もう!」と言って始めた宴は、思い返せば二人で飲む最後の酒だと確信していたのだろう。

 

 最後の最後まで敵のままであり続けたが、だからこそわかり合えたものもあって、別れを済ませるためにわざわざ足を運んだのだ。

 ロジャーはグランドライン最後の島へ辿り着いたこと、詳細こそ語らなかったが、ひどく面白いものを見たと告げていた。シキはそんな物に興味を示さず、死期が迫っていることを改めて聞かされても「手を組もう」と誘い続けたが、彼は最後まで断り続けた。

 若い頃から何度も殺し合い、時には酒を酌み交わし、状況に促されて仕方なく手を組んだこともほんの数度だがあった。

 意外にも律義で気のいい男だったとリードは振り返る。

 

 処刑されることはすでに決まっているのだろう。海軍がこの好機を逃すはずがない。ロジャーが逮捕されるとは思えないが、自首したところで真実を素直に伝えるはずもなく、世間には逮捕したのだと言い切って、海軍の手柄として報じれば影響力を増すことができる。

 誰が考えた筋書きかは知らないが、いつものやり口だ。

 ロジャーの伝説が終わるのかと思うと寂しくなる。

 

 「バカな奴だ。おれに手を貸せば全世界を掌握できた」

 

 顔を背けたシキは、意外にも冷静な声色で呟く。

 怒りに任せて飛び出していくかと予想していたものの、最後の酒宴がそうさせたのか、様子がおかしいのは間違いないが冷静で居ようと努めている。

 

 長い付き合いになるとはいえ、彼の心情を全て窺い知ることはできない。自ら話して聞かせることもあれば言いたくないこともあるのだろう。

 どちらにせよ、海軍に捕まったというならロジャーの死は確実だ。

 病死でなかっただけマシと見るべきか、それとも。

 

 「あの時、おれの手で殺しておくんだった」

 

 そう考えるだろうと想像していた。

 再び全身から怒りの念が噴出し、まるでマグマのように熱くぐつぐつしているそれは他者が簡単に止められるものではない。それは長く苦楽を共にしたリードや、部屋の隅でおちゃらけることもなく黙っているDr.インディゴであっても同じだ。

 止めなければと思う反面、今のシキは数秒先の行動さえ読めない。

 

 「取り返しに行こうなんて思わないでくれよ。どの道ロジャーは先が短い。あんたが殺したって何が変わるわけでもない。これはあいつの判断だ」

 

 シキは黙り込む。だが決して納得した様子ではない。

 

 「あいつは海賊王になった。世間がそう呼んだだけだが、最後の島に辿り着いたのは事実。だけどおれたちの目的はそもそも違っていたはずだ。世界中の海を獲る。そうだろ?」

 「海賊王……? 何が王だ。くだらねぇ」

 

 唐突にシキが動き出した。振り返って歩き出し、リードの傍らを通り抜けて外へ出ようとする。天井のない場所へ出れば、否、彼の能力ならば船内に居ても自在に移動できる。船を丸ごと能力で持ち上げて飛行させてしまえばいいだけなのだから。

 そうせずに外へ出ようとしたのは、冷静だったのかはたまたやけか。

 背を見せるシキは直立するリードに告げる。

 

 「ついて来いリード」

 

 やはり我慢できなかったのか、多くを言わずにシキは出発した。

 リードを同行させたのは理性を失ってはいなかったのか。不幸中の幸いだったと言える。彼女が居ればなんとかなるだろうと、見送る部下たちはどこか安堵を覚えていた。

 

 数刻後、海軍本部が君臨するマリンフォードの上空に、シキとリードの姿があった。

 海兵たちはすでに接近に気付いていたが、あまりの覇気に攻撃を仕掛けられずにいる。

 しばしの間、空から要塞を見下ろした後、背中にリードを乗せたまま、攻撃を行おうとはせずにゆっくりとシキが降りてきた。

 港には迎撃のためだろう、古い仲であるガープとセンゴクが待ち構えていた。

 

 「ロジャーが捕まったそうだな」

 「ああ……」

 「嘘をつくな。自首だろう。あいつがお前らに捕まるはずがねぇんだ」

 

 肌に刺さるかの如く感じるプレッシャー。相当な怒りを抱えているのが一目で伝わった。

 その気になれば武装している海兵全てを気絶させられそうな、かつてないほどに強烈な覇気を感じており、唯一対抗できるだろう二人は平然としながら、彼の心中を察するかのように厳しい表情で聞いている。

 

 「殺してやりてぇほど憎らしいが、同時におれが認めた数少ない男でもある。いくらお前らでも捕まえられるはずがねぇだろ」

 「どう言おうと、結果は同じだ。ロジャーの処刑はすでに決定している」

 「待てセンゴク……こいつは特別だった。ロジャーとは敵だが理解者でもある」

 「自分の手で殺しに来たか? 悪いがお前には渡せん。この話は海軍が預かった」

 

 ガープは思うところある様子でシキの話に耳を傾けようとする態度を見せたが、センゴクは厳しく己を律し、海兵として、ロジャーやシキと何度となく殺し合いをした仲として、突然の来訪に対しても毅然とした言葉を投げかけた。

 

 天気が悪い。

 曇天が空を覆い、雨が降ろうとしていた。

 

 雷鳴が轟き始める頃、シキは道を塞ぐように立ち塞がる二人を睨みつけて、己を落ち着けるために深く息を吐き出した。

 この場にリードが居てよかった。それは事情を知る誰もが思ったことだろう。

 彼女がこの場に居なければ、今頃は二人と戦闘を始めていたはずだ。

 

 「あいつはどこで死ぬ……?」

 「奴の生まれ故郷、“東の海(イーストブルー)”のローグタウンだ」

 「イーストブルー……!? ロジャーはおれや白ひげと渡り合った男だ。あいつの伝説が、最弱の海で終わるのか……!」

 「イーストブルーは平和の象徴。ロジャーの死は多くの海賊の心をへし折るだろう」

 「奴の死は今の海賊時代を終わらせる」

 「ふざけんなァ! そりゃああのくそったれに対する最後の侮辱だよなァ!」

 

 シキが身を乗り出した時、ぐっと力を加えられたのを感じて、リードが肩を握っていることに今更気付いた。一瞬呆けた顔になり、彼女の意思を理解する。

 雷鳴が轟き、シキの怒気がかき消されていた。

 彼は激情を胸に溜め込んだまま、声を小さくして二人へ言う。

 

 「海賊の時代が終わるだと? あいつがそんなやわな奴じゃねぇことは知ってるはずだ。おれは再び戻ってくるぞ……全ての海と平和ボケした間抜けどもに恐怖を思い出させてやる」

 

 ふわりと体が浮かび上がり、背にはリードを乗せて、シキの体は徐々に離れていった。

 このままここに居れば誰も無事では済まなくなる。

 シキは何もせずにマリンフォードを去り、噂の一つも立てずにどこかへ姿を消した。

 

 この後、イーストブルーのローグタウンで、“海賊王”ゴールド・ロジャーは処刑された。

 命を落とすその間際、刃を向けられてなお笑っていたかの男は、集まった観衆たちに対してかつてと変わらぬ様子で叫んだ。

 「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやる。探せ! この世のすべてをそこに置いてきた!」

 彼の言葉は人々を海へ駆り立て、海軍の思惑とは裏腹に、多くの海賊を生みだし、想像だにしなかった新時代を作り出した。

 

 海賊王の死が、かつての海を超える熱狂を生みだす。

 世はまさに“大海賊時代”である。

 



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計画始動まで……

 「例の計画を始動させる時が来た」

 

 久々にシキの下へ訪れたリードは塔のように高くそびえる島から、空へ浮かべられた大きな島を眺めた。あれもシキの能力なのだろう。知ってはいたが相変わらず馬鹿げた能力だ。

 どうやらシキは前半の海に新たな拠点を置くことに決めたようで、最初に聞かされた時は何をバカなことを思ったものだが、この様子を見ると本気のようだ。

 

 「前々から進めていた調査の結果を報告します。どうやらこの島にある植物は動物に与える影響が大きいようで、その効力を制御することができれば効果的に利用することができそうです。そもそもここの動物は体が頑丈で獰猛性も高く、薬品を精製し、肉体に投与してさらに強くすることができれば歴史上類を見ない生物兵器に――」

 「詳しいことは後でいい。実用化できるまで何年かかる」

 「えーっと、そうですねぇ……およそ20年」

 

 気が遠くなる話だ。シキは本気で待つつもりらしい。

 リードは頭を抱えて、とても付き合いきれないと即座に判断を下した。

 

 「そういうわけだ。おれはしばらく姿を消す。時には演出ってやつが必要だろう」

 「それ、本当に必要なんだろうな?」

 「ロジャーの死で海賊を名乗る生ぬるいバカどもが増えやがった。今しばらくは見逃してやる。おれの計画が実を結んだ時、奴らは恐怖で震え上がることになるだろう。おれたちがしていたのはただの海賊ごっこだった、とな」

 「あんたはそういう回りくどいのが好きだな。おれはもっと直接的な方が好きだが」

 

 理解はするが納得はしていない様子だ。

 がしがしと荒々しく髪を掻いて、リードは決断する。というより以前から決めていた。おそらくこう言うだろうとも予想していて、自分はどう行動するかを決める必要があったのだ。

 

 「20年……ずいぶん時間がかかるな」

 「だがそれ相応の価値はある」

 「あんたは姿を消すんだろ? その間、おれは好きにやらせてもらうぜ」

 

 言い切った彼女の顔を見ると柔らかい笑みがあった。

 シキは些か驚いた様子だったとはいえ、予想もできていたのだろう。リードの提案を拒みはせずにすんなりと受け入れていた。

 

 「金獅子の名を落とさせるわけにはいかねぇだろ。おれが動いてりゃ、世間の奴らもあんたが死んだとは思わねぇはずだ。そっちの方が性に合うしな」

 「相変わらず堪え性のねぇ奴だ。まあいい。好きにしろ」

 「そうするさ。あんたが居ないんだ。こんなチャンスもないからな」

 

 その言動や態度、上機嫌な表情から考えずともわかる。

 近々戦争が起こるのだろう。

 しばし姿を消すと決めた以上、金獅子海賊団の動向は傍観者として楽しむ。リードがこれから何をしでかすのか、わかっている部分もあるが純粋に期待してもいた。

 こんな心境になれたのも、ロジャーの死からしばらく、ようやく立ち直ったからだ。

 

 「20年後。おれは再び現れる。それまではお前のやり方で進めていけ」

 「わかってるよ。後で文句言うなよ」

 

 ふっと笑ったシキを見て、今度はリードが笑みを消した。言わねばならないことがある。

 

 「それと、計画の内容も時間をかけるのも別にいいが……ロジャーに拘り過ぎるなよ。おれたちはいずれ世界中の海を支配するんだ。あんたが昔言った、おれたちの野望だ。一時の感情に振り回されて、ゆくゆくは何があるのかを忘れるな」

 「おれがそんなミスをするとでも思ってんのか?」

 「おれが止めなきゃ、あんたはガープとセンゴクに襲い掛かって返り討ちに遭ってた。今も自由で居られることに感謝しろよ」

 「あいつらに負けるだと? バカなことを」

 「あの時のあんたは冷静じゃなかった。マリンフォードを沈めることはできるだろうが、あの二人に拘って島を浮かすことなんざ思いつかなかっただろうさ」

 

 リードは真剣な表情だった。

 何かを感じたシキも真正面から彼女を見据え、思案する。

 

 「約束してくれ。おれたちの野望を成就させるって」

 「当然だ。忘れたことはない」

 「だったら言ってくれよ。イーストブルーは後回しだ。立ち塞がる敵は山ほど居る。今度こそ本気で世界を獲りに行くって言ってくれ」

 

 当初の予定では、計画の始動はイーストブルーのローグタウン、海賊王が死んだ町を手始めに滅ぼすつもりだった。しかしそうであろうと悟っていたリードはそれを拒んだ。

 目的はロジャーではなく世界を相手にすること。

 彼女が憧れた大海賊は、こんな程度で躓くような男ではない。怒りに目が曇って敗者になるほど弱くないはずだ。そう願っていた。

 

 静かながらもリードの必死な訴えが響いたのか、シキは小さく頷いた。

 海賊、海軍、世界政府。世界の支配者になるのなら障害は多い。それら全てを打ち負かして勝者になるべく彼らは戦ってきたのだ。

 

 「わかった……攻撃目標は変更する。イーストブルーは後回しだ」

 「ああ……」

 

 リードは頷き、意思を同じくする。

 その時、彼女はほんの一瞬、思い悩んだ。

 言うべきか黙っておくべきか。考えはしたが答えは決まっていた。ただ少し不安がよぎって躊躇いを覚えただけに過ぎない。

 

 「本人が言ったから間違いない情報だと思うが、多分あんたは知らないだろう」

 「なんだ?」

 「おれはロジャーと話した。ガープに交渉してな」

 

 シキが目を見開いた。その後に聞いた言葉でさらに驚愕することになる。

 

 「ロジャーに子供が居るらしい」

 

 想像もしなかった話だった。

 時間はある。きっと彼は動くだろうと思う。

 それもまた面白いかもしれないと、リードは固まるシキを見て笑った。

 



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最初の仲間を間違えたら
これまでの振り返り


 その昔、僕は海賊をやっていた。

 幼い頃住んでいた島に海賊が現れて、一目でそれとわかる連中と船だったけど、意外にも友好的な彼らは島民たちと親しげに話していた。想像とは違ったけれど、彼らが海賊であることは間違いなくて、小さな島の冒険に飽き飽きしていた僕は名案を思いついたのだ。

 

 海賊たちの船にこっそり乗り込み、海へ出る。そして広い海を冒険しよう。そう思い立ってすぐに船へ忍び込んで、僕は海賊たちが出航するのを待った。

 計画は思い通りに進んで、彼らは船底に隠れていた僕に気付くことなく出航する。

 すぐに見つかることにはなるんだけど、その後のことまで考えていなくてあの時は焦った。でも結局は想像もしなかった、理想としていた展開になったんだ。

 

 船長が僕を仲間として連れていくことを決めた。

 島に戻るのも面倒だったんだろうし、大したこととは思わなかったんだろう。形だけ見れば立派な人攫いなのだけど、僕の意思で乗り込んだから文句は言えない。

 

 それに文句なんてなかった。

 海賊として広い海を冒険する。なんて素敵な生き方だろう。

 僕は考えもせずに仲間として迎え入れてくれた船長に多大な感謝をしたし、変人で時として苛烈な彼を尊敬するようになったのは仕方のないことだ。

 仲間たちは当初こそ不満の声を上げていたけど、船長は絶対だったようで、仕方なく受け入れてからしばらくして、子供というのは得なもので、素直に僕のことを認めてくれた。

 

 当時、何もできない子供だった僕に役職などあるはずがなく、子供だからと言って容赦してもらえる環境でもない。

 雑用として、できる仕事はなんでも教え込まれた。

 良い見方をすれば将来性を期待されていたんだろう。悪く言えばみんなにとっての面倒事を全部こっちに回された。

 

 船の動かし方。航海術。料理に船の修繕、武器の手入れ、掃除に、マッサージ。

 特に船長からは色々と教わった。喧嘩の仕方、脅し方、的確に手早く人間を殺す方法。爆弾で派手に破壊するのが好きだったから爆弾の作り方や陽動を含む効率的な利用方法も。

 あの人は気まぐれで、子供よりよっぽどわがままで、世間からはイカレていると言われていた。人間の心理について理解が深くて、自分より強い相手でも恐怖せずに襲いかかったし、卑怯と言われるのはむしろ褒め言葉。ありとあらゆる方法で勝利をもぎ取った。支配を嫌い、自由を好んで、その一方で海賊王に憧れるような無邪気さみたいな部分もあった。

 船長の機嫌の取り方は自分でも優れていたと思う。長い経験で唯一自分で編み出した技だ。

 

 当初の僕はただの子供で、足手まといで、ずいぶん役立たずだったと思う。

 子供だからというだけで可愛がってももらえたけど、それなりに実力行使の叱責もあった。

 相手は海賊。喧嘩代わりに殴られる痛みに慣れることができてよかったわけだ。

 

 偶然手に入れた悪魔の実を、満場一致で僕に食べさせようと決められたのは、そういった様々な理由が重なったからなのだと思う。

 足手まといで、役立たずで、可愛がられて、ただの子供だから。実の内容は知らないままだったけど誰も躊躇わずに僕に差し出し、僕も喜んで素直に食べた。

 

 悪魔の実の能力者になって、さあ、これからみんなの役に立てると思った矢先。

 一味が全滅したのは、海が荒れ狂う夜のことだった。

 

 後になってあの場所が年中霧に包まれている“魔の三角地帯(フロリアン・トライアングル)”だったのだと知って、仕方ないと自分に言い聞かせるようになった。

 船長は常々言っていた。

 海賊なんて稼業をやっているといつ死ぬかわからないし、いつどこで死んだとしても、それがそいつの実力。復讐なんてつまらないものにしがみつく必要はない。失いたくないなら、きちんと自分の力で守れ。

 僕は守れなかった。だからなのか、復讐しようとも思えなかった。

 

 海賊として、あの仲間と一緒に航海することが全てだった僕は、唯一の生き残りになってもどう生きればいいのかがわからなくなり、しばらく人形みたいに黙って過ごしていた。助けてもらったけどベッドから動かず、いっそ死のうかと思ったことも何度かある。

 それを許さなかったのが僕を拾った人物、サー・クロコダイルだった。

 

 生きる目的を失った僕は彼の仕事を手伝い始める。

 秘密結社バロックワークスを大きくするためにグランドラインのあちこちを巡り、エージェントを集めて色んなコネを作った。

 その一方で、アラバスタに反乱を起こすため、旅人を装いながら反乱の種を撒く。

 コーザと知り合い、行商人だと自己紹介して、あれこれ吹き込んだのもそのためだった。

 

 数年、仕事に熱中する。

 当時の僕は思考を放棄していて、考える時間を潰すために敢えて忙殺されていたのだろう。

 いつしか過去の出来事を忘れようとさえして、何も感じずに動き続けていた。

 

 色々と思い出してしまったのは、ひとえにコーザと出会ったせいだ。反乱を起こして祖国を襲われるために近付いたのに、彼と話している間に、友達として心配されて、自分自身について考える時間を作ってしまった。

 その結果、今の生き方は自分の望むものではないのだと気付いてしまった。

 やっぱり僕は海賊として生き、いつか死ぬ時も海賊として死にたい。でもかつての仲間たちはもう居ない。そしてボスと呼び慕った僕の師であるクロコダイルは、秘密結社を率いてはいても海賊行為は働いていなかった。作戦のために敢えて離れていたのである。

 全部投げ捨てて故郷へ帰ろう。そう決めたのはほとんど弾みだった。

 

 考えることに嫌気が差して、思い出せば胸が痛んで、何もかも嫌になってしまった。

 故郷へ帰ってのんびりしてみれば事情が変わるかもしれない。そう思って試してみようと決めたわけである。

 突発的に出てきたけど後悔はなかった。止められなかったし、今後の展開も想像しない。

 

 振り返ってみれば、あの頃は結構ギリギリだったのかもしれない。特に脈絡もなく行動していた上に過去の記憶もおぼろげになっていたから、危うかったのだと思う。

 自分のことながらよく生きてたもんだ。

 

 イーストブルーに戻った僕は、後にまた海賊を始めることになる。

 小舟で旅をしていて、大きな渦潮に巻き込まれて、気付いたら無人島で打ち上げられていた。そこで海賊志望の彼に出会ったのだ。

 麦わら帽子をかぶって、太陽のような笑顔で、彼自身が輝きを放つかのような。数年に渡って嘘の中で生きていた僕が目を逸らしたくなるほど眩しい存在。

 無人島だったから、島を脱出するまではと思って自然と一緒に行動したのだけれど、多分それがいけなかった。

 

 「お前、おれの仲間になれ!」

 

 何も悩んでいない純粋な笑顔でそんなことを言い出して、一歩も譲らずに言い続けた。

 僕が何度断っても諦めず、むしろお前が諦めろとまで言い出して、結局は根負けして、一日中言われ続けたせいでその通りにすることになってしまった。

 

 後になって、あの時の決断は間違いではなかったのだと思う。

 根負けしたからとか、しつこいからとか、言い訳をすることは簡単だ。だけど本音は覆らない。

 僕はあの瞬間、きっと、どうしようもなく彼に惹かれていた。考えるのは決して得意そうではないけれど、だからこそその言葉に嘘がないことはわかったし、バカみたいな夢を掲げていても、死すら恐れない相応の覚悟も感じ取れた。

 あの日、確かに僕は負けたのだ。でもそれは根負けとかではない。彼の決意に敵わなかった。

 

 もう一度海賊になると決めて、実際に出航した。

 頼りないけど頼りになる船長と共に。

 かつての冒険も徐々に思い出していって、再び生きる目的を手に入れた。

 

 以前、船長は海賊王になるのだと言っていた。結局それは叶わなかったけど、僕はまだ諦めなくてもいいらしい。

 朝日を浴びた無人島の砂浜、向かい合って話して、決断した。

 僕が彼を海賊の王にする。そのために一緒に海へ出て旅をする。“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”を手に入れるために。

 

 旅に出た僕らは島から島へ旅をする内、様々な経験をして、一人ずつ仲間を増やしていった。

 みんな個性的でたまに面倒。だけど気のいい連中だ。

 

 強いけど重度の方向音痴な剣士。

 可愛いしきれいだけどお金にはがめつい航海士。

 嘘が得意でちょっぴりへっぴり腰な狙撃手。

 女好きで男の扱いが雑なコック。

 トナカイなのにタヌキみたいな船医。

 昔の同僚でミステリアスだけど意外と愉快な考古学者。

 腕はいいけど変態で変態な船大工。

 昔の仲間が壊滅する寸前、船に拾って以来の仲間、一度死んだ骸骨の音楽家。

 

 まだ人数は少ないけど、同じ船で一緒に居ると自然と笑顔になる。そんな間柄。

 家族とは違う。でもそもそも血の繋がった両親が居なかった僕には正しい家族の形なんてわからないままだし、それに等しいくらい、いや、それよりも大事な存在であることは間違いない。

 今度こそ、と心から思うのだ。

 

 僕らの冒険はまだ続いている。

 ゴーイングメリー号の意思を継いだ船、サウザンドサニー号に乗って、今日も海を進んでいた。

 



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海賊的資金稼ぎ

 石畳が美しく並ぶ豪勢な町で、奇妙な一団が歩いていた。

 顔を隠そうとしているのは間違いないのだが、革のハットを目深にかぶり、首の下には後に口元を隠すであろうスカーフがあって、体型を隠すかのように大きなマントを着ている。さらに目元はすでに丸や四角のサングラスをかけて隠していた。

 身長も体格も様々な人物が四人。澄ました顔で通りの真ん中を歩いている。

 視線を集めても平気だ、と言いたげな態度が見て取れたが一部は不安そうだった。

 

 「おい、本当に大丈夫なのか?」

 「平気だって。作戦はちゃんと考えてある」

 「お前の作戦は大体が血みどろか爆破が絡むんだ。誰が安心できるか」

 「今回は違うよ。先にロビンが入って調べてあるんだから。速やかに飛び込んで金を奪って、裏口にはチョッパーとブルックが馬車を用意して待ってるから、みんなで乗り込んで港まで行けば、船で島の外まで逃げられる。完璧だ」

 「お前は大事なことを忘れてるみたいだな」

 

 ハットとサングラスで変装している鼻の長い男が、同じ変装をしているくすんだ金髪の少年に詰め寄っていた。歩くのはやめないが文句を言っているのは明らかであり、徐々に目的地へ近付いているのを不安に感じている。

 町の人から注目を集めているのも良い状況ではない。まずいことをしでかそうとしているとしか思えなかった。

 

 「そのロビンが持ってきた情報だから間違いない。おれたちがこれから襲おうとしてるのは、裏社会の要人が利用する銀行なんだぞ。そんなとこから悪い奴の金を奪ったら間違いなくおれたちが標的にされる。これからの航海、いつどこで誰に襲われるかわからねぇんだぞ」

 「それもそうだね」

 「わかってんのかキリ? おーい、もしもーし」

 「もちろん。ちゃんとわかってるよ」

 

 くすんだ色の金髪の少年は笑顔で答えた。

 微笑みとは大抵好意的に受け止められる表情のはずなのだが、彼に限ってはそうではない。まずいことを考えている時ほど楽しそうに微笑んでいるのだから性質が悪い。

 大きく肩を落とした鼻の長い男は尚も説得しようとした。

 

 「裏社会っつってもどこの誰が関わってるのかはわからねぇ。でもやべぇことは確かだ。今からでも遅くないぞ? もうちょっと真面目に地道に稼ごう」

 「エニエス・ロビーを襲っておいて何を今更」

 「あれはロビンを助けるためじゃねぇか。不可抗力だ」

 「あれ? あの時ウソップは居なかったんじゃなかったっけ? 一緒に居たのはそげキングのはずなんだけど」

 「うっ!? あ、ああそうだ。あれはそげキングで、おれは行ってなかった。ロビンが危ないならおれも間違いなく行ってたけどな」

 「まだ引っ張ってんのか」

 

 二人のやり取りを聞いていた緑髪の青年が呆れた様子で呟く。

 サングラスこそかけているものの、帽子をかぶっていない彼は腰に三本の刀を差し、目立つ風貌であからさまに注目を集めている。一際、腰にある刀についてひそひそと囁かれていた。

 

 一番後ろを歩いていた、麦わら帽子をかぶった少年がしししと笑う。仲間たちのやり取りを楽しそうに見ていて止める気配はなかった。

 彼だけは変装が中途半端で、最も隠さなければならない帽子は拘りがあるのか、片時も手放そうとはせず、サングラスとマントを身に着けている一方、その下の服装はいつも通りであるため、足には草履を履いて歩く度にぺたぺたと間抜けな音を鳴らしている。

 

 果たしてこんな面子で成功するのか。

 メンバーを選ぶ際にも一悶着あったのだ。本来は麦わら帽子の彼は船で逃走準備をしてもらいたかったのだが駄々をこね、本人の意向で現場に出ることになったのである。

 この時点で失敗する。鼻の長い男はそう信じ込んでいた。

 

 もし最後尾に居るのがサイボーグのアニキであったならば。そう考えずにはいられない。

 そう考えている間にも気付けば銀行の前に到着していて、もはや止める暇などなかったのだ。

 

 「さあ着いた。行こう」

 「心配ないよウソップ。なんとかなるって」

 「ハァ~……お前らはほんとにこういう、能天気というか楽観的というか」

 

 今更止めるのは無理だ。彼らはどうあっても実行する。

 仕方なく納得して、よしっと気合いを入れた鼻の長い男もついに覚悟を決めた。

 四人は一斉に銀行へ踏み込み、どかどかと荒々しくカウンターへ歩み寄る。

 

 「静かにしろ! おれたちは銀行強盗だ! 全員手を上げて隅に行け!」

 「いいねウソップ。その調子」

 「急げ~! 早くしろ~!」

 

 四人の内、三人がピストルを持って客や職員に銃口を向け、緑髪の男だけが刀を抜いていた。

 店内は騒然として、悲鳴を上げた客はすぐに言われた通りに壁際へ移動し、恐怖で震えながら座り込むのだが、職員は警戒しながらゆっくり動いて武器を取ろうとしている。

 その時、麦わら帽子をかぶった少年が引き金を引き、銃声が響いた。

 

 「あっ!? やべぇ!?」

 「バカッ!? ほんとに撃つんじゃねぇよ! 当たったらどうすんだ!」

 

 放たれた銃弾は窓ガラスを破ってどこかへ消えた。

 銃の扱いに慣れておらず、単に謝って発砲してしまっただけなのだが、他人にはそう見えない。

 大勢の客は悲鳴を発して頭を下げ、職員は慌てて両手を上げた。

 

 大きな銀行だった。エントランスからして天井が高く、奥へ進むと大人数を捌けるようにとカウンターがいくつもあり、日頃から忙しいのだろう、その規模に見合った大勢の客が集まっていてひどく騒がしい。

 手を上げた銀行員たちは立ったままで動けなくなり、カウンターに近付いた金髪の少年が荒々しく鞄を置くと、サングラス越しに見つめられてわずかに震えた。

 

 「余分な血は流さずに済ませたいんだ。全員腹這いになって。動いたらまず足を撃つ」

 

 銃口を突き付けて一人ずつ言うことを聞かせて、腹這いにさせた。

 その後でカウンターを飛び越えた少年は辺りを散策し、同時に鼻の長い男へ指示を出す。

 

 「大金を納めてるのは多分奥だ。回収よろしく」

 「あぁ~すげぇ悪者の気分だ。おい、手伝え」

 「今更だろ。相手がマフィアなだけマシだ」

 

 鼻の長い男と緑髪の男が揃って奥の部屋へ入っていく。

 その間、待つことになった金髪の少年と麦わら帽子の少年は客と職員を見張ることになり、近くにある金を回収しながら、恐怖に包まれている状況下で平然としていた。

 

 「しっしっし。一回やってみたかったんだ、銀行強盗」

 「言っとくけどギリギリだからね。相手が裏社会の人間だからナミも承諾したんだし、こんなことしなきゃならないくらい貧乏ってことなんだから」

 「まあいいじゃねぇか。船に戻ったら肉食おう」

 「だからそれがエンゲル係数を……」

 

 ばたばたと慌ただしい足音が聞こえて、奥の部屋から鼻の長い男が戻ってきた。

 

 「地下に金庫室があったぞ! でも鍵が開けられねぇ!」

 「うーんナミの手が必要だったか。人選を間違えた」

 「どうすんだよ! 時間かけたらやべぇんだろ!」

 「仕方ない。プランBだ。こんなこともあろうかとちゃんと考えてあるよ」

 

 そう言って懐から子電伝虫を取り出した金髪の少年は通信を始めた。

 時を同じくして銀行の入り口から慌ただしく大勢の男たちが走ってきて、ずらりと一線に並ぶと銃を構える。身なりからして堅気ではない。

 どうやら、町の防衛を務めるマフィアに感付かれたようだ。

 麦わら帽子の少年がおっと楽しげにする反面、鼻の長い男は悲鳴を上げた。

 

 「気付かれたっ!?」

 「マフィアだ! 本物か?」

 「そこを動くな! 武器を捨てて投降しろ!」

 「海軍みたいなこと言うんだね。躊躇なしに撃てばいいのに」

 

 素知らぬ顔で彼らを確認しながら、相手を見つけた子電伝虫が通話を始める。金髪の少年は尚も冷静に会話を始めていた。

 

 「こちら突入班。地下の金庫の鍵が開かない。プランBに移行するよ」

 《了解よ。そうなるだろうと思って準備してた》

 「ついでにマフィアに気付かれたみたいで、今もう銃を向けられてる」

 《あらそう。気をつけて》

 

 簡単にやり取りを終えると通話を切った。

 懐へ子電伝虫を仕舞い、改めて現れたマフィアを眺める。

 律義に待って攻撃を仕掛けて来ない姿を見ると、やけに真面目だな、などと思う。しかしこちらが人質を取っているからだとすれば町民とそれなりの関係性があるのだろう。客や職員が居るせいで攻撃ができないのかもしれない。

 その態度からして、苦労しそうな相手は居ないと判断した。金髪の少年は微笑む。

 

 「さっさと武器を捨てろ!」

 「おい、どうすんだ!?」

 「プランBを用意しておいた。ロビンたちが動くし、こうなったらバレるのも時間の問題だ。だからルフィ、もういいよ」

 「ん?」

 「暴れていいよ。あいつら邪魔だから、適当に相手しといて」

 

 そう聞いて麦わら帽子をかぶった少年がにかっと笑った。

 持っていたピストルを捨てるや否や、大きく右足を振り上げ、思い切り振り回した。どう足掻いても届く距離ではないはずだったが、その足はまるでゴムの如く勢いよく伸びて、鞭を振り回すかのような蹴りを一列に並んでいたマフィアへぶち当てた。

 

 集まった人数が多いため、全員とはいかなかったが、たった一撃で多くの男たちが一度も発砲することもできずに気絶してしまった。

 辛うじて当たらなかった男たちはぽかんとして、恐怖に慄くように後ずさる。

 

 その時になって改めて外見の特徴に気付けた。

 まず目につく麦わら帽子、左目の下には傷跡があって、翻ったマントの下に見えたのは噂に聞いたことがある赤いシャツと膝丈のジーンズ、そして草履だ。

 まさかと思えば、つい最近になって世界的な事件を起こした海賊ではないか。

 どこかで誰かが思わず叫んだ。

 

 「麦わら帽子に目の下の傷……“麦わらのルフィ”!? 海賊だァ!?」

 

 言われた直後にはサングラスを捨ててしまって、ルフィは素顔を見せてにかっと笑った。

 拳を握って肩を回し、殴りかかる前に仲間へ振り返る。

 同じくサングラスを外して、スカーフを下ろしたくすんだ金髪の少年、キリが笑みを見せると許可を出した。

 

 「もう変装いいんだよな?」

 「しょうがないね。被害が出る前に頼むよ」

 「任せろ。ゴムゴムのォ~……」

 

 拳を握った両腕を高速で動かし、ルフィが予備動作に入った。

 驚愕から一転、攻撃に気付いて慌ててマフィアたちが一斉に銃を構えるのだが、あまりに遅い。

 先に攻撃を仕掛けたルフィの腕は男たちへ届くほど伸びて、すぐに縮み、再び伸びて次々に男たちを殴っていく。その速度に対応できる者は一人として居なかった。

 

 「銃乱打(ガトリング)~!!」

 「ぎゃあああああっ~!?」

 

 殴られた男たちが宙を舞っている。

 その光景を当然のものとして見るキリは振り返り、サングラスとスカーフを外した鼻の長い男、ウソップに目を向ける。予想通り彼は焦っていて、ルフィが負けるとは微塵も思っていないが早く逃げたそうにしていた。

 

 「顔がバレちまった……!? 早く逃げようぜ! プランBってなんだよ!」

 「すぐ来るよ」

 

 キリの呟きに反応するかのように轟音が聞こえた。地面が揺れたのも感じて、ウソップが思わず振り返るとおそらく地下だろうと気付く。

 仲間が何かをしたのだろう。しかし正体がわからず、ウソップがキリに問いかける。

 

 「何を仕掛けたんだよ!」

 「ロビンに頼んで、爆薬をちょっと」

 「やっぱりじゃねぇか!? でも、これで扉が開いたってことだよな」

 「いや、部屋ごと建物から取り外した、はず。壊れてないといいけど」

 「部屋を外した? ってことは……」

 「部屋ごと運ぼうって話」

 

 楽しげなキリを見つめてウソップは呆れていた。

 思いつきもしなかった発想だとはいえ、不思議と感心することができない。

 

 「おれはお前が本当にアホだと思う」

 「ありがとう」

 

 多くを語ることができないほどウソップは呆れてしまっていた。しかし結果が得られるのならそれでもいい。文句は後にしてしまおう。

 ウソップのそんな態度に気付いて、キリは指を伸ばした右腕を振り上げた。

 周囲にあった紙幣が独りでに宙を舞い、キリが用意していた鞄の中へ入っていく。ばさばさと舞うそれらはまるで生き物のようで、キリが指揮しているかのように見えた。

 

 近くにある紙幣は全て鞄に詰めて口を閉じ、一つは自分が、一つはウソップに投げ渡す。

 外で仲間たちが動いているのならいつまでも留まる理由はない。マフィアを殴っているルフィに振り返ってキリが声を大きくした。

 

 「ルフィ、そろそろ行くよ。金は頂いたからこの島を出る」

 「おう!」

 

 軽快に返事をしてルフィが戻ってくる。彼にも一つ鞄を投げ渡して、混乱するマフィアに背を向けて駆け出した。

 奥の部屋から地下へ降りて、爆発が起こった地点に到達する。

 そこではすでに鎖を繋いだ馬車で引っ張り、金庫室を丸ごと引きずり出そうとしていた。その前には刀を抜いた状態の緑髪の剣士、ゾロが立っている。

 

 驚いたのは鉄製の厚い扉が斬り裂かれて開いていたことだ。

 駆け付けた三人に気付いたゾロは呑気に呟く。

 

 「おう。斬っといたぞ。そうしたら爆発したんだが……こりゃなんだ?」

 「こぼれてるぞ」

 「言っておいた方がよかったかもしれない」

 「すげー! 金貨だー!」

 

 じゃらじゃらと地面に金貨をばら撒きながら、馬車に引かれる金庫室が動いている。

 キリとウソップが顔を見合わせた時、ゾロはまだ状況を理解できておらず、ルフィは子供のように喜んで落ちた金貨を拾っていた。

 



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いつも通りの失敗が成功

 海賊“麦わらの一味”が所有する船、サウザンドサニー号の芝生の甲板。

 航海士であるナミは心配そうな顔をして町を眺めていた。

 温暖な気候でそよそよとした風に吹かれ、だからだろうか、今日は軽装だ。オレンジ色の短い髪が風に揺れて、肩を出した薄手の服にミニスカート。すらりと伸びた脚は白い肌が眩しい。ただそこに立っているだけでも扇情的で美しい女性だ。

 

 傍らには目をハートにした挙動のおかしい鮮やかな金髪の男が居たが、あまり相手にするつもりはなかった。今はうるさい彼の声もまともに聞いていられない。

 とにかく心配で仕方がない。ため息をついてしまう。

 

 「どうしたんだいナミさん。そんなに悲しげな顔をして」

 「さっき……島の中で爆発する音が聞こえた」

 「ああ、確かに。だからって何も問題はないさ。あいつらの仕業なのは間違いないだろうけど、アホの男どもはともかくロビンちゃんが居るんだし、きっと上手くやってる」

 「本当にそう思う? そんなわけないじゃない。絶対に何かやらかしてるわよ」

 「いやぁ、強く否定はできねぇが……」

 

 そう間を置かずに町のあちこちから悲鳴や驚く声が聞こえてきた。

 小さくはない町なのに、端である港まで聞こえてくるということはよほど大きな出来事があったのだろう。ナミはさらに肩を落とした。

 ぐるぐる眉毛の金髪の男、サンジはナミを気遣って声をかけようとするのだが、それよりも早く大声で笑う海パンの男に邪魔されてしまう。

 

 「がっはっは! あいつら派手にやってるじゃないの。うちの一味はこうでねぇとな」

 「言ってる場合かよ。ナミさんの心労を考えもしねぇで」

 「まあそう言うな。どんだけ大騒ぎしようがあいつら上手くやってるさ。戻ってきた頃にはおれたちゃ大金持ちになってるだろう」

 「そんなに上手くいくならこれまでの苦労もなかったわよ」

 

 言いながらナミは待ち切れずに双眼鏡を手にした。

 坂の多い町だ。ひょっとしたら騒動の原因を知ることができるかもしれない。

 レンズを覗いてみると、予想通り、途端にその光景を目撃できた。

 

 メインストリートであろう大通りの坂を二台の馬車が死ぬ気で駆け下りていて、追われるかのように鎖で繋いだ金庫室が引き摺られている。

 馬車にはトナカイ人間であるチョッパーと、一度死んで白骨化してから蘇った骸骨、ブルックが御者として乗っている。引き摺られる巨大な金庫の上には黒髪の美女、ロビンを加えた四人の突入班が乗っていて、町を一部破壊しながら港へ向かってくるようだ。

 

 全員で決めた作戦については聞いていて、プランBについてもそれとなく聞かされていたが、ここまでの大事になるとは聞いていなかった。

 ナミは思わず憤りを覚える。

 町を壊して大事件になるだけならともかく、しっかりと遠方の光景を視認していたのだ。

 

 「何やってんのよあいつら!? 中身がばら撒かれてるじゃない!」

 「そっちなのか? ナミさん」

 「町の連中まで大騒ぎだな。そりゃそうか。金をばら撒きながら逃げてるんだから」

 

 道を削りながら金庫を引き摺ってどんどん降りてくる。ほとんど落下に近い。

 港へ到達するまで止めることができる者など一人として存在せず、踏み潰されないように死ぬ気で走る馬によって坂を降り切っても止まらなかった。

 

 やがて彼らはサウザンドサニー号が停泊する港までやってきた。

 思わず欄干から身を乗り出したナミは一同へ向けて怒声を飛ばす。

 一部はキリやルフィの能力によって回収していたものの、全てをこぼさずに逃げるのは難しく、町に置いてきた量があまりにも多過ぎる。

 楽しげな一同に反して、ナミだけは惜しいという気持ちを隠しきれなかったのだ。

 

 「何やってんのよあんたたち!」

 「見ろよナミ! 金貨に金の延べ棒だぞ!」

 「わかってるわよ! よくやったわ! でもこぼし過ぎ! 全部持ってきなさい!」

 「いやーゾロが扉斬っちまってたからさぁ」

 

 からからと笑うルフィは可能な限り回収してきた金貨と金の延べ棒、紙幣を詰めた鞄を詰めて船に乗り込む。

 一方で不満そうなゾロはキリを見やり、見られる彼は素知らぬ顔をしていた。

 

 「先に言わねぇからこうなるんだろうが」

 「ゾロが鉄なんか斬れるようになるからだよ」

 「どっちも問題よ! あんたたちの取り分は減らしておくから」

 「怒ってるじゃないか」

 「お前のせいだろ」

 

 怒るナミを見てキリは機嫌を取ろうと思ったのだろうか。右腕を伸ばして指を振るうと紙切れが幾重にも重なって動き、宙へ躍り出るとサニー号の真上へ移動した。

 ぱちんと指を鳴らすと、甲板へ無数の金貨や延べ棒、紙幣が降ってきた。

 

 「まあそう言わずに。収穫は大きなものだったんだから」

 「きゃ~っ!? やるじゃないキリ! だから好きよ!」

 「何をォ!? おれの方が好きだぜナミすわぁ~ん!」

 「アホか」

 「あぁっ!?」

 

 騒ぎ出すサンジと、彼を冷めた目で見るゾロの喧嘩が始まりそうだったが、多くの仲間はそれを気にせずに乗船しようと動いていた。

 協力してもらった二頭の馬に語りかけるチョッパーは、動物でありながら人間の言葉を操り、また動物と話すこともできる。それでいて医者でもあった。ぜーぜー言いながらも彼らに怪我がないことを確認して、体を撫でてやりながら感謝している。

 

 「ありがとな。お前たちのおかげで無事に逃げられた」

 「いやー素晴らしい走りでした。私、驚いて目玉が飛び出るかと思いましたよ。目玉……骨だからないんですけどー! ヨホホホッ!」

 「怖ぇよお前!?」

 

 スカルジョークを飛ばしているブルックが上機嫌である一方、チョッパーが驚いていた。

 冷静に二人のやり取りを見ていたロビンはぽつりと呟く。

 

 「本当に驚いて目玉が飛び出した場合、もう一度はめ込めるのかしら。神経を繋いだり、大変だと思うのだけれど」

 「飛び出させないことに務めればいいんじゃない?」

 「それもそうね。気をつけましょう」

 

 奪ってきた金品を全て運んで船に乗り込もうとするキリが言うと、ロビンはあっさりと同意して思考を打ち切り、自身も船に乗り込む。

 続々と船に戻ると、喜ぶナミが金を手で掬い、宙へ放り投げてシャワーのように浴びている。

 富豪のような悪趣味な遊びだが、長らく資金不足に悩まされていたから仕方ないのだろう。ほとんどの仲間が彼女をそっとしておき、参加したのはルフィとチョッパーだけだ。

 

 ぱんぱんに膨らんだ鞄を下ろして、ウソップが疲れた様子で座り込んだ。

 当初の予定ではもっとスマートに盗んで逃げるはずだった。しかし蓋を開けてみれば、結局はいつも通りのドタバタ劇であり、決してスマートではない。

 やれやれと言いたげなウソップを見てフランキーが声をかける。

 

 「よくやったじゃねぇか。大収穫だ」

 「まあ一応なんとかなったけどよ……次からおれは援護に回るからな。金庫に乗ってスキーなんて一回だけでいい」

 「いい経験をしたな。次こそはおれも突入班に入るぞ」

 

 言いながらフランキーはサンジやゾロやロビンの協力を得て、錨を上げて帆を張り、サニー号を動かし始める。

 すぐに追手がやってくるだろう。その前に島を離れなければならない。

 フランキーは舵輪を握ると、ナミたちと共に遊び呆けるルフィへ声をかけた。

 

 船長は彼だ。

 やはり号令はルフィがしなければ締まらない。

 

 「アウッ! おいルフィ! もう出るぞ! この島には居られねぇ!」

 「お、そうだな。野郎どもォ! 出航だァ! 逃げろ~!」

 

 大声で返事をする仲間たちを乗せて、サウザンドサニー号は速やかに島を離れた。

 追手のマフィアたちが港に着いた頃には船は遠く、銃を撃っても届かない。結果は歴然とした海賊の勝利である。

 

 甲板に広げられた金は風で飛ばされないようにと全員の手で集められた。

 一つずつ丁寧に数えるナミはひどく嬉しそうで、まさに至福の一時。

 お金が好きと豪語する他、一味は大食漢が多いため食費が嵩み、彼女が管理しなければあっという間に金が底を着いてしまう。本人の楽しみのためである一方、一味のためでもある。

 

 珍しいほどに大量の金に囲まれて、幸せそうなナミを見ながらも、わくわくする様子のルフィが傍に座っていた。

 彼が考えていることは考えずともわかる。

 一味の資金を一手に管理するナミは、お小遣いと称して分け前を彼らに渡しており、どのように使われるのかまでは詮索しないがルフィの場合は大抵買い食いで消えていくのを知っている。底無しの胃袋なのだから時には金が足りないというのに食べ続けることまである、困った男だ。

 

 「言っておくけどルフィ、お金をこぼして来たのは忘れてないから。確かに収入は多いけど、本当はこれ以上だったのよ。罰金としてお小遣いから引いておくからね」

 「え~っ!? こんなにあるのにか!?」

 「あんたの場合はお小遣いだけじゃなくて毎日の食費もバカにならないんだから。食べ物を自分で獲ってくるならもう少し考えるわよ」

 「ん~じゃあしょうがねぇか。よし、釣りしよう。チョッパー、ウソップ、釣りしよう!」

 「おー!」

 「あ~おれはパスだ。ちょっと休憩……」

 

 疲れた様子のウソップは寝そべって動かず、ルフィとチョッパーが元気に駆け出した。

 どたばたと準備に走る彼らを見た後、嬉しそうに総額を確認しようとするナミを眺めて、ロビンはいつもと変わらぬ表情で冷静に呟く。

 不安はないが、今後の展開は想像がつく。仲間たちのために言わずにはいられなかったようだ。

 

 「こんなにたくさんのお金を盗んで……きっと裏社会の要人に狙われるわね。平気かしら」

 「なんとかなるよ。裏社会との付き合い方はよく知ってるでしょ? お互いに」

 

 ごろりと横になって四肢を投げ出し、ウソップ以上にだらしない姿で寝そべるキリが答えた。彼に目を向けてみると何を心配するでもなく微笑んでいるのを確認する。

 作戦の立案や情報収集においては頼りになる彼だが、平時は味方に頼ってばかりいるほどやる気に欠けていて、時としてその作戦も正面突破や町の破壊を厭わないものであり、悪人とも言い切れないが決して善人ではなかった。

 

 裏社会を渡り歩いた経験の影響は色濃く、それはロビンも同じだった。

 大切な仲間を見つけて、手放したくないと抵抗してしまった今、もう彼らを失ってしまうのは心底嫌だと思う。ロビンもまた同じ想いでにこりと微笑む。

 

 「ええ、そうね」

 「大丈夫さ。みんな強いからなんとかなる」

 「おいキリ、そのみんなにおれを入れるな。おれは援護が花道。援護なら強いが直接対決はできるだけ避けたい。次から作戦はおれが決める。いいな?」

 「いいけど、ルフィが従うとは限らないよ」

 「それなんだよなぁ……お前が従うとも思えねぇしな」

 「僕は従うよ。キャプテン・ウソップが望むのなら」

 「嘘つけ」

 

 寝転んだままだらだらしている二人のやり取りを聞きながら、ロビンは船の上を見回した。

 金の勘定に忙しいナミ。そんな彼女を手伝おうとしてやんわり断られるサンジ。早速生き生きと釣りを始めたルフィとチョッパー。舵輪を握るフランキーは船の操作を一手に引き受けて、ゾロは離れた位置で腕立て伏せなど始めていて、騒がしいみんなをまとめるかのように、疲れを癒そうとブルックがバイオリンを弾いている。

 

 まとまりがないが気のいい連中で、普段はこんな調子で好き勝手にしていても、有事の際には驚くほどに力を合わせて大事を成す。

 以前にロビンを救った時もそうだった。

 彼女は肩の力を抜き、勘定を楽しむナミのサポートを務めようと能力を行使するのだった。

 



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これからの展望

 「そうして、昔の仲間をまた仲間にして、新世界入りを目指してシャボンディ諸島を目指した」

 

 キリは呑気な声で話していた。

 じゃらりと揺れる音を気にせず、趣味ではない服にもすっかり慣れたのか、地獄を思わせる熱い釜茹でに比べればどれほどマシだろうと、足を伸ばしてだらしなく寝転んでいる。

 枕にしようと膝を奪い、安堵している様子で目を閉じていた。

 

 「ところが、シャボンディでも大きな事件が起こって……というより、うちの船長が勢いで起こしたんだけど。まあ仕方ない状況だったから責めるつもりはない。でも、そのきっかけが大変な事態になって、後々この状況になってるのも間違いない」

 「言いたいなら言え。何があった?」

 「天竜人を殴ったんだ。それで海軍も見て見ぬふりはできなくなって、黄猿が島に来た。そこまでも結構な状況だけど、問題はバーソロミュー・くまだった」

 

 聞き手の男はほう、と反応する。

 話の展開が読めたのか、それともただ意外だったのか、どちらにせよ興味を持って聞いていた。話の腰を折るような真似はしなかった。

 

 「戦ったんだけど敵わなくて、みんなニキュニキュの実で弾き飛ばされた。多分、別の島まで。どこに行ったかは見てないけど僕がそうだったから同じだと思う」

 「それが妙じゃねぇか。殺そうと思えば殺せたはずだ。なぜわざわざ逃がすような真似を」

 「案外、生かしたまま逃がしたかったんじゃない? 僕が飛ばされた島も本来は外部から人が来られないような場所だったらしいし」

 

 身じろぎする度に鎖の音がする。

 冷たい空気に満たされた空虚な部屋。広大なその場所は誰もが沈黙を保っていた。

 重々しい雰囲気の中、時折聞こえてくる鎖の音こそ彼らが生きている証明に感じられる。

 

 「運が悪かったとでも?」

 「そう。その環境を利用しようとした連中が島を支配していて、島民がなんとか助けを求めると海軍がやってきた。悪者を掃討し終わって、さあ帰ろうって時に僕が飛んできたんだ。くまに負けた後だったから傷だらけで逃げることもできないし、相手も悪かった。そのまま捕まって、忙しいからってあんまり考えてももらえずにここに」

 「フン……大体わかった」

 

 そう言ったクロコダイルは図々しくも彼の膝を勝手に占領し、頭を乗せて横になり、だらけているキリを見下ろした。

 彼の態度に文句をつけることもなく、見る者が見れば驚愕する姿だが、クロコダイル自身は怒りを感じさせるどころか口角を上げた。

 

 「悪運も尽きたようだな。ここから出るのは不可能だそうだぞ」

 「いやぁ、まだ諦めてないよ。自分じゃ最悪の状況だと思ってても、長い目で見れば案外そうでもないかもしれない」

 「希望の薄い可能性だろう」

 「諦めるよりは立派さ」

 

 彼らがそう話すその場所は、暗い牢獄の中だった。

 一度入れば二度と外には出られない、大監獄“インペルダウン”。数々の仕掛けと屈強な看守たちによって歴史上誰一人として脱獄者を許していないこの場所は、多くの海賊や犯罪者たちを収監しており、世界的に名の知られた海賊も多い。

 中でもレベル1から始まる階層の一番下、レベル6は政府が存在を抹消したがるほどの大犯罪者が集められていて、異様な空気が漂っていた。

 

 インペルダウン入獄は仕方ないにしても、キリがレベル6へ入れられたのは偶然、或いは思考の余地がなかったからとも評される。

 確かに彼はエニエス・ロビー襲撃や、天竜人を殴打したルフィの仲間であり、億越えの賞金首であることを考えても世界的に知られた海賊ではあるが、いまだルーキーの域を出ず、伝説的と語られるほどの大物にはなっていないだろう。

 

 キリは自身がレベル6へ連れられた理由をすでに知っていた。

 少し離れた位置にある牢の一室。鎖に繋がれた青年の姿が見えている。

 ルフィの義兄弟、ポートガス・D・エース。政府は彼への対処で忙しいのだ。

 

 「エースが居るなら白ひげが助けに来ないかな。その機に乗じればなんとか」

 「無理だろうな。あいつは処刑される。連れ出されてマリンフォードへ向かうだろう。白ひげはそこを狙うはずだ」

 「全面戦争か。インペルダウンで混乱が起こってくれればなぁ」

 「チャンスがねぇわけじゃねぇさ。ここの連中も有能な奴ばかりじゃねぇ」

 

 不敵に笑うクロコダイルは脱獄不可能の獄中にあって諦めていないようだ。

 同じ心境であったキリも微笑み、今はまだその時ではないと目を閉じる。

 

 「お前さん、エースさんの弟の仲間か……」

 

 だらけていたキリがすぐに目を開いた。

 予想はできている。聞こえた声の主を探るために鉄格子の傍へ歩み寄った。

 目を向けた先、エースが囚われている牢に入れられている人物だ。

 

 「わしは、通り名で“海峡のジンベエ”などと呼ばれておる」

 「知ってるよ。有名人だ」

 

 ジンベエザメの魚人、大柄な体格と水色の肌、大きな牙を持つ、特徴的な外見だ。会ったことはなくとも手配書で確認したことがあった。

 ジンベエは動けない状態で首を捻り、少し離れた牢に居るキリを見ていた。

 王下七武海の一人で政府や海軍の味方であるはずの彼がなぜここに居るのか。気にしてはいたがしばらく冷静に話せる状況ではなかったため、ようやく知ることができそうだ。

 

 「どうして七武海のジンベエがここに?」

 「わしは白ひげの親父さんと関係が深かった。世話になったものでな。エースさんとも白ひげに加わる前にやり合ったことがあって……エースさんの処刑に反対した」

 

 噂には仁義に厚い男だと聞いている。そもそも彼は海賊嫌いの海賊として有名で、かといって政府や海軍に靡いているわけでもなく、義がまかり通っていないと感じればどこにでも噛みつく、非常に扱い辛い人物だと伝えられていた。

 よっぽど気に入らない出来事だったのだろう。しかし七武海という立場に執着するはずもないだろうとも予想できる噂は伝え聞いていて、さほど驚きはなかった。

 

 そこに居ることは知っていたが話しかけられるのは意外だった。

 キリが覗き込むとジンベエも可能な限り身を捩り、彼に興味を示す。その向こうに居るエースは沈黙を保つ一方、二人の会話を気にしている様子であった。

 

 「勝手ながら話は聞かせてもらった。災難じゃったな……」

 「まあね。でも仕方ないよ。捕まったのは僕が悪い」

 「お前さんらが言う通り、可能ならばエースさんが連れ出される前になんとかしたい。白ひげの親父さんに義理があり、そうでなくともわしの戦友。このまま死なすにはあまりに惜しい」

 「それは僕も同じだよ。うちのルフィが、エースとは義兄弟だからね」

 

 キリの言葉を聞いたジンベエはふっと笑った。

 対照的にエースは項垂れ、視線を下げて唇をきつく結ぶ。

 

 「ああ、エースさんから何度も聞かされた。イーストブルーに弟が居て、いずれ海賊になってグランドラインへ現れると」

 「妙な縁があってね。イーストブルーから一緒に来たんだ。たまたま無人島で顔を合わせて、半ば無理やり連れ出されて」

 「噂は聞いとる。頭の切れる副船長だとか」

 「船長が考えなしなだけだよ」

 「ハハ、そうか。お前さんは信用できそうじゃな」

 

 ジンベエは笑い、体に力が漲っているが意外なほど鎖が頑丈で身動きが取れない。

 当初は無理に逃げるつもりもなかった。牢に入れられた今、天下の大海賊“白ひげ”に任せればなんとかなるだろう。そう信じて静観するしかないと考えていた。だが、エースの処刑が迫り、海軍本部を有するマリンフォードを舞台として戦争が起こりかねない状況の中、白ひげが動くことの全世界への影響を考えれば、手をこまねいている場合ではない。

 今は一刻を争う。そしてこの場にエースの弟、ルフィの仲間が居るのなら、動かないという選択はなかった。

 

 「なんとかできるか? わしの力ならいくらでも貸そう」

 「なんとかしたいところだけど、手錠が着けられたままじゃどうにも」

 

 鉄格子の隙間から両腕を外へ出したキリは、じゃらりと揺れる鎖に繋がれた手錠を見せる。海楼石で作られたそれは能力者から能力を奪い、沈黙させる。海に滅法弱いカナヅチである彼らは海のエネルギーを発する石で簡単に封じられてしまうのだ。

 苦笑するキリの顔を見て、ううむと唸ったジンベエは言葉を詰まらせた。

 

 「確かに、このままではこちらの分が悪いか」

 「でしょ? 流石にちゃんとしてるよ。鍵も持ち歩いてないだろうし」

 「ううむ、そうか。本来ならわしがなんとかせねばならんのじゃが、海楼石は流石に硬い。引き千切るのは無理か……」

 「もうよせよジンベエ。おれなら平気だ」

 

 二人の会話に口を挟んでエースが発言した。

 項垂れたままで表情は窺えず、声色は淡々として感情を見せない。ジンベエとキリは咄嗟に口を閉ざして彼の声を聞いた。

 

 「今更じたばたしたって無駄だろ。この状況を受け入れる。おれはティーチに負けたんだ。このまま処刑されるとしても、自業自得の問題だ」

 「エースさん……親父さんは必ず動く。海軍との全面戦争になればもはやあんただけの問題じゃ済まされん。どちらが勝っても世界中に影響を及ぼすのは間違いない」

 

 見えないように表情を歪めるエースへ、ジンベエは強い声で毅然として言った。

 

 「それにわし個人の意思としても、あんたを死なせとうない。あんたは生きて、親父さんの死後も意志を継いでこの海を生きてほしい。老齢になったあの人もそれを望んでおるはずじゃ」

 「おれは満足してる……おめぇらに迷惑ばかりかけられねぇ」

 「エースさん、これはわしの意思。あんたにも白ひげにも強制されたものではない。わしは己の自由であんたを助けたいと思っておる」

 

 譲る気のないジンベエはキリへ目を向けた。

 相変わらず腕を外へ出したまま、背を丸めて立っている彼は、視線に気付いてにこりと笑う。

 

 「お前さんもそうであろう?」

 「うん。少ししか会ってないけどエースは好きだし、ルフィのためになるなら尚更だ」

 「そういうことじゃ。あんたはあんたの意思があるじゃろうが、わしらにも考えがある。力尽くでもない限りは止められんじゃろう」

 

 わははと豪快に笑うジンベエの傍、感情を隠すのは苦労する。

 きつく歯を食いしばったエースは必死に自分の気持ちを殺していた。

 喜びか、悲しみか、自分でもわからない。だが悔しくて堪らないのは確かだった。

 

 「さて、何か策を考えねばのう……」

 「手錠さえ外れれば早いんだけどね」

 

 猶予はあまり残されていない。

 思考を重ねるキリとジンベエであったが、難攻不落なインペルダウンに隙はなく、ただ時間だけが過ぎていく。

 そして、ついに恐れていた時がやってきた。

 



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オリ主だらけの頂上戦争
風雲急を告げる


 事態は急変していた。

 処刑されるポートガス・D・エースが護送されるために連れ出されてから、数時間と経たずに現れた軍艦は別の艦隊であり、緊張しているのは同じだが何やら様子が違っていた。

 先頭に立った中将は出迎えた看守に冷たく言い放つ。

 

 「レベル6へ案内して頂きたい」

 

 詳しい事情を説明する暇すら惜しむ男たちはずかずかと歩を進めた。看守長たちの指示を仰ぐ暇すら与えずに、彼らはエレベーターに乗り込み、下層へ向かう。

 連絡を受けた監獄署長、マゼランは先回りしてレベル6で待ち受けていた。

 

 殺気立つインペルダウンにおいてこれほどの緊張状態だったことはない。

 処刑されるポートガス・D・エースの護送に加え、初めて侵入者を許したのだ。すでに討伐済みで監獄の中に放り込まれているとはいえ、混乱は拭えず、いまだ落ち着かない。

 脱走した囚人がまだ捕えられていないという報告も入っている。そこへ現れたのが味方である海軍とはいえ目的のわからない一団だ。マゼランの表情は険しかった。

 

 「これほどの緊急事態に、どんなご用件ですか?」

 「囚人を解放する」

 「何を……」

 「金獅子が動いているとの情報が入った。我々はポートガス・D・エースの処刑に備え、白ひげとの全面戦争を想定しているのだ。今更同等の海賊を相手にするほどの余裕はない」

 

 先頭に立った厳めしい表情の男が話している。

 海軍将校ではあるが、他とは違う、厳しさや迫力を感じる。その態度や眼光は本当に味方なのかと疑ってしまうほどだ。

 余裕がない、というわけでもないのだろう。一切の隙を見せないといった態度で話す彼に、話の内容も合わせて、マゼランは眉間に皺を作った。

 

 「囚人を戦力にするおつもりですか?」

 「そうだ」

 「何をバカな。ここに居るのは存在を抹消された最も危険な海賊たちです。海軍の命令に従うはずがない。必ずや裏切ってあなたたちに危害を及ぼします」

 「そうならないためにこれがある。裏切り者に待っているのは死だ」

 

 背後に居た、おそらくは部下だろう将校が手に持った物を見せる。

 無骨な首輪のようだ。

 意味を理解して、マゼランはさらに厳しい態度を取った。

 

 「こんな物で本当に縛れるとお思いですか? ここに居るのは伝説級の海賊ばかり。これではすぐに奴らの自由を許してしまうことになる」

 「センゴク元帥はすでに納得してくださった。私が説得したからな」

 「元帥の同意という問題ではないのです。海軍に大きな危険をもたらします」

 「マゼラン殿。今回ばかりは事情が違う」

 

 佇まいを変えることなく中将が淡々と語る。

 

 「まさにその伝説級の海賊が必要なのだ。情報が本当ならば、我々は白ひげと金獅子、二つの伝説を相手にしなければならない。海軍も全戦力を集め、王下七武海も投入するが、確実ではない。ポートガス・D・エースはなんとしても処刑しなければならないのだ」

 「混乱を招くだけです。戦力になるとは思えません。海軍の崩壊に繋がるやも――」

 「心配はいらない。相手は白ひげと金獅子。多くの海賊に恨みを買っている」

 

 マゼランに一歩近付いた中将は自身よりも大きい彼を見上げ、顔を覗き込んだ。

 表情を変えることなく、暗い目で静かに告げる。

 

 「混乱は起きるだろう。だがこんなところで生かしておくよりも、混乱の中で死んでくれた方が君も助かるはずだ」

 「私は、そこまで非情になれませんな」

 「よくも言う。君はこの監獄に居る囚人をどれだけ殺してもいいと許可されている」

 

 中将はマゼランの傍を通り過ぎた。

 そしてレベル6“無限地獄”の広大な牢屋を見つめる。

 

 「これから始まるのは戦争だ。どんな結果であれ歴史に残るだろう。ならば、我々も手段を選んでいる場合ではないのだよ」

 「しかし……」

 「マゼラン殿。言い忘れていたがこれは相談ではなく決定だ。君がどう思おうと使える囚人は連れていく。世界政府の命令だ」

 

 言い終えるとすでにマゼランから意識は外れていた。

 中将は背面で手を組み、仁王立ちで胸を張って、務めて大声を張り上げる。

 巨大な空間に声は反響し、そのフロアに居た者ならば誰もがその声を聞いたはずだ。

 

 「未来を断たれた囚人ども。私は海軍本部中将、ブラックである。諸君らに一つ、提案をするためにここへ来た」

 

 牢の中に入っていた囚人たちはこぞって鉄格子へ近寄り、覗き込んで声の主を見ようとする。全員がその姿を捉えられたわけではないが、自己紹介を聞いて“正義”を背負ったコートを着ているのだろうと察することはできた。

 事情は大体把握している。最近になって収監されたばかりの大物、ポートガス・D・エースは天下の“白ひげ”の関係者。そのせいで近頃の獄内もずいぶん慌ただしかった。

 多くの人間が期待し、耳を傾ける。

 

 「我々は今、白ひげとの戦争に備えているところだ。奴は必ずポートガス・D・エースを取り戻しに現れる。海軍本部マリンフォードへ。しかしよからぬ噂を聞いた。金獅子が、動いていると」

 

 広大なフロアがどよめく。

 グランドラインの実情を知っていれば白ひげは予想できたが、思わぬビッグネームを聞いて心が躍らずにはいられない。一体これからどんな展開になるというのか。もはや海軍と白ひげだけの問題ではないのだとざわつき始める。

 

 ここまでの反応は予想通りだった。

 ブラック中将は冷静に牢屋を見回して、囚人たちの様子を見ながら話を続ける。

 

 「奴の目的がなんなのかははっきりしていない。真偽も不明。白ひげを狙っているのか、海軍を滅ぼすつもりか。どちらにしても、白ひげはともかく、金獅子に対抗する術は用意していない。そこで我々は、ここに居る者から数名、戦力を補充しようと思う」

 

 わっと歓声が沸いた。無数に重なるそれらは地響きとなってインペルダウンを揺らす。深い海底にまで響いて魚たちが逃げ出すほどだ。

 少し前、エース収監や蛇姫ハンコックが訪問した時以上の騒音。しかしブラックは負けじと声を大きくして囚人たちへ伝える。

 

 「もちろんタダでとは言わない。檻を出るにあたって、諸君には首輪を着けてもらう。海軍を裏切れば即座に爆発し、着用した者を殺す。だが海軍に協力して勝利を収めた暁には、相応の恩赦を与えることを約束しよう。檻に閉じ込められた諸君が外へ出て、白ひげと金獅子に復讐する機会は今を逃せば二度と来ない。一生をここで過ごすか、海軍に力を貸してチャンスに賭けるか、諸君の選択はどっちだ!」

 

 怒号のような声がいくつも折り重なった。

 耳を塞いでも聞かずにはいられない大音量で囚人たちが叫んでいる。もはや誰の声を聞き取ることも不可能だ。

 そんな状況にあってブラックは雄々しく拳を振り上げた。

 

 「賛同する者は声を発して腕を掲げろ!」

 

 その通りにする囚人のなんと多いことか。あちこちの鉄格子から腕が伸びてきて、もはや暴動の様相で怒号が飛び交う。

 それを確認して、ブラックは大きく身を捻った。

 

 ぐるりと回転するかのように身を翻して、ブラックの全身から無数の銃弾が撃ち出される。

 四方八方、味方を避けて飛んだ銃弾はあらゆる場所へ到達し、時には兆弾を利用して届くはずのない場所へも届いて、うるさいほどの怒号が途切れた。

 一斉に倒れる音。後には静寂が残る。

 体のどこにも穴などなく、体を止めたブラックは小さく息を吐いた。

 

 突然の事態に、自らは被弾などなかったとはいえ、驚愕したマゼランは思わず一歩を踏み出す。

 確かにここに集められたのはいつ殺されてもおかしくない極悪の犯罪者たち。マゼラン自身も処刑と称して能力を使い、毒で死に至らしめることがある。しかし、ここまでの事態は初めてだ。

 今ので数十、下手をすれば数百が死んだ。呆気にとられて声さえ出ない。

 

 「なぜ……こんなことを」

 「平和は生半可な覚悟では実現しない」

 

 ブラックが振り返った。マゼランは彼の姿に恐怖すら覚える。

 

 「私が信じるのは“悪辣な正義”だ。平和のためならどんなことでもしてみせる」

 

 視線を合わせたのはほんの一瞬。すぐに外される。

 彼がマゼランに興味を持っていないのは明らかだった。味方であっても、仲間ではない。

 再び牢屋に視線を戻したブラックは状況を確認する。牢屋の中で倒れる人の体、地面を伝って外へ出てくる血液。そして無事な人間も居る。

 

 「伝説だと持て囃されても実力はピンキリだ。使える奴でなければ意味がない。今の攻撃で死ななかった奴から選出する。首輪を持ってこい」

 

 ブラックの指示で海兵たちが動き出す。

 参加を志願し、且つブラックが放った一発の銃弾を避け、生き残った者に首輪を嵌める。その後で手錠を外して牢屋から出した。

 

 続々と凶悪な囚人たちが出てくる。

 一方でブラックはとある牢屋へ近付き、中を覗き込んだ。

 両手両足に枷を着けられ、身動きできない状態で壁に張り付けられている大柄の魚人を見た。

 話さずとも答えはわかっていたが、念のためだ。

 

 「その状態では腕を上げることはできないな。お前はどうだ? 海峡のジンベエ。おそらくこれが最後のチャンスになる」

 「わしは白ひげの親父さんも、エースさんも裏切れん。外へ出せば、必ず裏切るぞ。それでもええなら何も言わんが」

 「残念だ。お前ほどの男はどうあっても味方にしたいところだが、方法はなさそうだな」

 

 淡々と言ってブラックは踵を返した。後悔など残さずに背が遠ざかっていく。

 少し前まで世界政府公認の海賊、“王下七武海”の一人であった男、ジンベエは黙って見送ることしかできなかった。強固な鎖がどれほど暴れても壊れないのはすでに試して知っていた。囚われている以上、もはや彼には何もできないのである。

 

 遠ざかるブラックの背を睨みつけていると、ふっと影が差し、視界を遮るように誰かが立った。牢屋から出てきた囚人の一人だ。

 十代の半ばから後半、まだ若い少年だ。彼もまた最近入ってきたばかり。ずいぶん大きな事件を起こしたようで、くすんだ色の金髪と、幼さを残す童顔が印象に残った。

 四肢を伸ばして体をほぐす彼はやれやれと言いたげに独り言を呟く。

 

 「あーやっと取れたよ。流石に何もないのは退屈だなぁ」

 「お前さん……どうするつもりじゃ?」

 

 思うところあってジンベエは思わず尋ねた。

 声をかけられてから目を合わせた少年は何も言わず、笑顔でぱちりとウインクをする。

 すぐに背を向けるとジンベエが囚われたままの牢屋を離れていった。

 その姿はすぐにレベル6を離れようと階段へ集う囚人たちの下へ加わる。

 

 すでに事態は起こってしまった。今更止めようがない。

 ジンベエは後悔するように項垂れ、せめてエースが無事であってほしいと、戦うことを封じられた今は願うことしかできなかった。

 



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開戦前

 「顔馴染みを思い出した……昔のな」

 

 ぽつりと呟かれた一言に視線を向け、真っ赤なマントを見た。

 皆、それぞれが所望する服装を与えられていた。囚人服では決戦に似合わない。その時ばかりは手錠を外されて、誰一人として暴れることなく着替え、再び海楼石で自由を奪われている。

 彼が身に着けたのは赤いマントともう少しだけ暗い色の赤いスーツだ。その外見はかつての威容を思い出させ、老齢でありながら凛々しくも背筋をぴんと伸ばして、紳士的な態度に感じられる。

 

 「髪の色だ。君のそれがよく似ている」

 「“リンブル”でしょ? 知り合いの海兵にも言われたよ」

 「会ったことは?」

 「ない。会いたいとも思わなかった。関係者かどうかもわからないし」

 「私はその可能性があると思っている」

 

 噂と昔に見た手配書の記憶が確かなら、彼は悪名高い海賊だ。

 “赤の伯爵”パトリック・レッドフィールド。かつて“海賊王”ゴールド・ロジャーたちと同じ時代を生きた海賊であり、仲間を持たずに一人で活動したという有名な噂がある。並み居る海賊団を相手に一人で大立ち回りを繰り広げ、ロジャーや白ひげ、金獅子など、いまだに恐れられている大物を相手に死闘を演じ、今も生き残っているのだから、彼もまた伝説の一人だった。

 

 インペルダウンに収監されたという情報が流れてもう数十年が経つ。尾ひれはひれをつける噂は数多く、実は捕まっていない彼は新世界のどこかで潜伏しているとか、四つの海へ逃れたとか、海軍との戦闘で深手を負ったために傷を癒して復讐の機会を窺っているとか、誰が考えたのかわからない物語はいくらでも聞くことができた。

 真相をレベル6で知ることができた時は驚いたものだが、興味を持った。どうやって捕まったのかを聞いてみたいという気持ちはある。

 

 キリは彼の隣に座って平然としていた。

 せっかくの機会だ。色んな人と話しておきたい。

 インペルダウンレベル6に収監されるような海賊と話す機会などそうないだろう。彼は海兵と伝説的な海賊に囲まれたこの状況を、少なからず楽しもうとしていた。

 

 「リンブルはある日、忽然と姿を消した。ロジャーの処刑から少し経った頃だ。その少し前には金獅子がどこかへ消えてしまった。ロジャーが死んだあの日、この海は確実に変わったのだ」

 「多くの海賊が海に出たのにね」

 「それもロジャーの死が影響したのだろう。というより、言葉か。やはりあの時代はロジャーが中心だったのだろうと思うよ」

 

 昔を懐かしむように、レッドの語り口は非常に穏やかだった。

 その表情を眺めたキリは沈黙を嫌がるように問いかける。

 

 「あなたが海軍に捕まったのもそのせい?」

 「振り返ればそうだったのかもししれない。ロジャー、金獅子、リンブル……かつての強敵であり戦友たちは皆去ってしまった。白ひげ、リンリン、カイドウ……残った者も多いが、張り合いがなくなってしまったのかな。ガープを呼び出し、私は自首した」

 「喪失感?」

 「なのだろうな。恋をしていたなどとは言うまいが、殺したいほど憎らしかった彼らが私の生きる理由にもなっていた。ロジャーの遺した宝を手に入れたいとは思わない。奴が消えた後の海で何をすればいいのかわからず、海賊王の称号も興味が沸かなかった」

 「よっぽどだったんだね。ロジャーの存在は」

 

 力を抜いて椅子の背もたれに体重を預ける。キリの態度は子供のそれで、レッドを恐れた様子は微塵も見せない。それもまたレッドに好感を抱かせたようだ。

 彼はにこりと笑い、昔の話を聞きたがっているのだろうと察して語り続ける。

 

 「かつて私は、シキやニューゲートと同じ船に乗っていた。長くは続かないだろうと思っていたが好奇心でな。事実最後には壊滅したのだが、その時もロジャーは恭順しなかったな。リンブルもそうだったか。奴はあの場に居合わせたのだが誰にも協力しなかった。死闘を繰り広げるロジャーやロックスを嘲笑い、好き勝手に暴れていた」

 「なんだか性質が悪そうだね」

 「気ままな奴で、自由を好んでいた。しかし気まぐれなところもあって、気に入らない奴が居ると日頃の敵と手を組んで誰とでも戦った。有名な話では、奴隷制度が気に入らずにシキと共に天竜人どもの住処を襲撃したこともある」

 

 賞賛するつもりで口笛を吹く。

 常軌を逸した行動に思えるものの、常人にできないことをやってのけなければ伝説の海賊とは謳われない。キリはその話を楽しんで聞いていた。

 

 金獅子率いる空飛ぶ船団による“マリージョア襲撃事件”と言えばあまりにも有名だ。神とも称されるほど数多の暴虐が許される天竜人が異様なまでに金獅子とリンブルに怯えるのは、かつて滅ぼされようかというほどの大損害を受けたからに他ならない。

 結局はサイファーポールの尽力により、滅ぼすとまではいかなかったが、彼らがありとあらゆる手を使って金獅子とリンブルに対抗しようと動き出したのはそれほど昔の話ではない。

 

 そんな大事件を起こせば、一目置かれて襲ってくる敵も居なくなるのか。

 物騒な考えでいるキリは参考にしようと思案していた。

 

 「楽しそうな時代だね。賑やかで危険で」

 「そうとも。私もそれなりに名を売った。刺激的で楽しかったよ」

 「リンブルとは手を組んだ?」

 「ああ、何度かな。奴は手を組むとなればどれほど遺恨があっても手を抜かない。時折裏切ることもあるから恨みも多く買っていたのだが」

 「ふーん」

 「君がリンブルの関係者なら、リンリンには気をつけろ。ずいぶん派手に盗んだようだ」

 

 笑うレッドに対してキリは肩をすくめる。そう言われても、関係者か否かも定かでない。髪の色だけで間違われたのではいい迷惑だ。

 しかしよく覚えている。獄内に居た時間が長いため、よほど退屈だったのだろう。相対的に過去の記憶が良い思い出に見えるのかもしれない。

 

 ふと気になってキリが尋ねてみた。

 相手が誰であるかなど考えない。たまたま居合わせた伝説的な海賊を相手に、知り合いの老人へ語りかけるかのような気軽さだった。

 

 「自由になったらこれからどうする?」

 「フッ、自由とは。生きて帰れる保証はないのだぞ」

 「死にはしないよ。大丈夫。何なら協力する?」

 「私とか? それも面白そうだ」

 

 ほくそ笑んだレッドは否定をしなかった。“孤高のレッド”と呼ばれるほど一人で活動し続けた男とは思えない。案外話がわかる相手なのかもしれない、と考える。

 もちろんブランクがあるとはいえ、海賊である以上は裏切りの可能性は常に付き纏い、安心できる関係ではない。しかし伝説的な海賊と手を組むという状況には夢やロマンが含まれていて、悪くないなどと思うのである。

 楽しげなキリは自らの考えを明かした。

 

 「ここだけの話、僕はエースに死んでほしくない。隙を窺って助けるつもりだ。首輪は海楼石さえなければすぐ抜け出せるし」

 「それについてだが、おかしいとは思わないか?」

 「何が?」

 

 レッドの疑問を耳にして空気の変化を悟る。彼の顔からは笑みが消えた。

 

 「この程度の首輪、覇気を使える我々は外すのに苦労しないだろう。海楼石の錠は今こそ着けられているがここまで逃げる隙がなかったわけではない。我々を脅威と見ているのならあまりに杜撰ではないかと思うのだ」

 「案外、逃げてほしいんじゃない?」

 「それが本当の目的のように思えてならない」

 「でも海軍がそうするはずもないから、あの中将の独断である可能性が高いよね」

 「少なくともセンゴクが認めたという話は嘘だろうな。でなければ、わざわざ奴が来て揉めるはずもない」

 

 視線を動かすと部屋の隅、入口付近でブラックとセンゴクが何かを話している。まず間違いなく囚人を連れ出したことで意見が割れているのだ。ブラックは厳めしい表情を崩さずに態度の軟化など微塵も感じられない。仏と言われたセンゴクも見るからに怒りを滲ませていた。

 厄介なのはどちらも一切退くつもりがなく、敵対するかのように剣呑な雰囲気を醸し出し、一向に話し合いが終わらないことであった。

 

 「今すぐ処刑されるかな」

 「そうなれば我々が協力しかねない。流石にそれほど馬鹿な真似はしないはずだ」

 「今の内に地盤固めとこうか。同盟組む?」

 「彼らがその気になるとは思えないな。おそらく我々で潰し合うだけだ」

 「黙ってた方が良さそうだね」

 「その方が有利になり得る」

 

 センゴクとブラックの話し合いは一旦落ち着いたらしく、監視のためにブラックは残り、忙しいのだろうセンゴクは部屋を出て行った。

 試してみる価値はあるかとキリは囚人を見回す。

 互いに会話などせず、沈黙を保って視線を合わせようとしない。

 

 顔も名前も知っている。噂でしかないが能力についても聞いていた。

 海軍を相手取るというのなら協力できるはずだ。

 彼の意思に気付いたレッドはほくそ笑み、理解しているだろうとは思いながら呟く。

 

 「無駄だぞ。協力するはずもない」

 「確かに、意固地そうだね」

 「奴はロジャーに勝つことができなかった。それが心残りで、ロジャーはもう居ない。癒えることのない傷を抱え続けている」

 「ずいぶん詳しいね。友達?」

 

 レッドは手錠を着けたままの手を上げる。掌を開き、キリはそこを注視した。

 

 「私は生まれつき見聞色の覇気が強くてな。鍛えた結果、他者に触れただけでその者の心情や特に強い記憶を読み取ることができる」

 「ふーん……それがよくわからないんだよな。覇気ってやつ? 鍛えられた時にそれだけは避けられてたみたいだから」

 「クロコダイルにか?」

 

 キリが驚きを隠せずわずかに表情を動かした。

 微笑むレッドは腕を下ろす。

 

 「モンキー・D・ルフィ。面白い船長を見つけたものだ」

 「いつの間に……」

 「君も、波乱の人生を送っているな」

 

 どうやら、すでに自分の人生の一部を盗み見られていたようだ。

 キリは呆れた様子で肩をすくめ、しかし文句を言おうとはしなかった。

 そもそも彼に敵うとも思っていない。戦うつもりもない。知られたところで何の問題がある。

 現時点での目的は至極簡単。エースを助けてマリンフォードから共に逃げ出し、インペルダウンに忍び込んだと聞かされたルフィと合流する。どうにか、としか今は言えないがそうすることだけは決めていた。

 

 反面、キリはレッドを心底信用しようとはしていなかった。

 知らぬ内に触れられて、記憶をかすめ取られていたと知って確信に変わる。穏やかな態度は海賊らしからぬほど紳士的だが、海賊として活動していた頃は頭脳派、策略に秀でた海賊であると有名だった。だからこそ一人で大物たちと戦えたのである。

 

 海軍と白ひげの戦争が始まるとすれば、間違いなく混乱は生まれるだろう。

 さて、どこで手を切るのか。

 レッドは当初からそのつもりだろうとキリは想像しており、彼も心積もりはあった。

 

 「心配するな。私は君と、君の船長を存外気に入っている。危害を加えるつもりはない」

 「どうだか」

 「手伝おうか?」

 

 キリとレッドは視線を合わせる。互いに微笑を湛えるが腹の底は見えない。だが現状、レッドが一枚上手だと思わざるを得なかった。

 触れるだけで記憶を見られるのなら、思考を読まれていたとしても不思議ではない。

 

 「海賊を信用できないのは当然。私はこの状況を楽しめればそれでいい。君と処刑予定のポートガス・D・エース、それにインペルダウンへ潜入したモンキー・D・ルフィ。生きて帰れるように手を貸してもいい」

 「見返りは?」

 「ふふ、混沌と騒乱。諸君が生きてこの海を荒らしてくれれば私にも恩恵があるというものだ」

 「じゃあ海賊に復帰するんだね。海賊王にでもなってみる?」

 「それも一興か」

 

 明確な返答は出さぬまま、どう判断するにせよ、彼は自分の意思で動くだろう。本当に生かしたいと思っているのなら約束などせずとも生還できるはず。

 キリは改めて気になる人物へ目を向けた。

 怒りを保つかのように黙り込む大男。彼は敢えて軍服を要求し、着用している。何か思い入れでもあるのだろうか。

 彼も参戦するのなら、荒れそうだな、などと呑気に考えていた。

 

 そういえばと思いだした。

 何も言わずに席を立った彼は移動し、別の人物へ近付く。

 彼は死にかけていた幼き日のキリを拾い、利用するためとはいえ育て、鍛えた人物である。周囲で見ている者が恐れるほど気楽に話しかけていた。

 

 「ボス。戦ったことあるんだっけ?」

 「フン、くだらねぇ話をしているようだな」

 

 隣に座って質問すれば、クロコダイルは呆れている様子を隠さなかった。

 視線で当事者を確認するが、遠い記憶で興味も持てない。新たな葉巻を口にした彼はキリに火を点けさせて、ふーっと煙を吐いてから答える。

 

 「昔の話だ。少しばかりな」

 「友達だったら話通せるかなって思ったんだけど」

 「聞くはずもねぇよ。あれは獣だ。海賊なんて自覚もねぇだろう。それに、友達じゃねぇ」

 「友達少ないもんね」

 「必要がねぇんだ。労働力は部下で十分」

 

 にこりと笑うキリに対して、クロコダイルが言った。

 

 「戻るなら今の内だぞ」

 「まさか。鞍替えは済んだ。あとは縁があると信じよう」

 「フン。おれは何も信じねぇよ」

 

 つまらなそうに呟いたクロコダイルに、キリは水が入ったコップを差し出した。

 まるで嫌がらせのようだ。

 クロコダイルの表情は険しかったが結局は受け取り、それを見てからせっかくだからと、キリは席を立ち、試しに件の人物へ近付いてみた。

 



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計画的大混乱

 エース連行から数時間後。

 インペルダウンではかつてない大混乱が巻き起こっていた。

 外部から侵入したモンキー・D・ルフィが獄内で暴れ回り、散々看守を戸惑わせた末、一度は監獄署長のマゼランに敗北したというのに、なぜか復活して戻ってきたのだ。

 

 そこからが大変だ。

 姿を現したルフィは一人ではなく、獄内で消えたはずの囚人、“オカマ王”イワンコフやイナズマを引き連れて囚人たちを解放し始めたのである。

 

 レベル6へ降りて囚人を解放した後、階段を駆け上がり、階層を上がるごとに味方を増やしながらレベル1へ向かっていた。全員で塊となって物量で押し、武装した看守たちであっても容易に止められるものではない。

 後ろからはマゼランが迫っていた。轟音が響き、徐々に気配が近付いている。急いでいるとはいえ看守たちの必死な足止めがあり、引き離すことができずにいた。

 

 「急げ急げ! エースが死んじまう!」

 「止まっちゃだめよ麦ちゃん! 走り続けて!」

 「マゼランには触れぬのが吉じゃ。時間がかかればそれだけ不利になる」

 

 ルフィの傍を走るMr.2・ボン・クレーとジンベエが声をかける。支えるように脇を固めた二人はさらに大勢の囚人に守られており、周囲は奇抜な格好をしたニューカマーたちが多く、あまりにも騒がしい集団と化していた。

 離れて後方にはイワンコフとイナズマが陣取り、背後の気配を気にしていた。

 

 「上も下も大パニックね。こうなったらいくらマゼランでも止められない。ヒーハー!」

 「当初の予定とは違ったが、我々にとっては好都合だったか」

 

 イワンコフはちらりと後ろを見る。

 最後尾、イワンコフたちの少し後ろに赤毛の女が走っている。タイミングはバッチリ。外から来たという彼女はあまりに有名で、尚且つ、手慣れていた。

 マゼランの歩みが遅れているのは彼女が足止めし、イナズマが道を塞いだおかげだ。

 彼女が駆け付けたことが行軍を速めているのは間違いない。

 

 剣を肩に担いで走っているリードは余裕綽々、楽しんでいるかのような笑顔であった。

 インペルダウンへ攻め込むなど心躍る大事件ではないか。

 金獅子海賊団の悪名を轟かせる展開に彼女は喜び、マゼランとも嬉々として戦ったのだ。

 

 「まさかこんな大物、突然来るだなんて思わなっキャブル!」

 「良い展開だな。最近じゃ珍しいくらいのバカ騒ぎだ」

 「果たして本当に良い展開かどうか……金獅子が動いているとなればただで済みそうにない」

 「も~考えてる暇はなっキャブルね! 勢いで行くわよ! マリンフォードへ!」

 「そうこなくっちゃ」

 

 心底楽しんでいる様子で笑ったリードは、おそらくマゼランが来るだろう後方の道へ、ほんのり光る蛍光色の玉を投げて落とした。

 Dr.インディゴが開発した武器は多岐に渡り、金属を溶かすほどの酸もあれば、物質に纏わりついて固定してしまう泡を作り出す物もあり、玉の色によって用途が異なる。

 インペルダウン内部にばら撒かれた物質はあちこちで明るい蛍光色の光を放っていた。壁を溶かしたり壁を作ったり、彼女が走る後方は非常にカラフルであった。

 

 彼女一人の犯行ではない。上へ昇る度、囚人と共に味方が増えていて、それら全員が金獅子海賊団の船員であることは間違いなかった。

 上の階層へ進むほどに看守の数は減っていき、レベル1に辿り着く頃には誰一人として敵らしき人間は見当たらず、走ってくるルフィたちが歓声を上げて迎えられる。

 

 気付けば大した苦労もなく上層へ到達していた。

 大勢の人間がなだれ込むように外へ出ていく。その波に加わりながら、ルフィは足を止めずに後方へ振り返るとイワンコフへ声をかけた。

 

 「イワちゃん! 後ろ来てるか!」

 「ヒーハー! まだ来てなっシブル! このまま一気に海へ――!」

 「毒の道(ベノムロード)!」

 

 大声が響いた直後、頭上に影が差した。

 イワンコフとイナズマが視線を上げた瞬間、見上げるほどの巨体を持つマゼランが自らの能力を利用し、撃ち出されるように飛び掛かってきたのである。

 面白いほど表情を崩して悲鳴を発するイワンコフやMr.2とは違い、やれやれと言いたげな様子でリードが剣を振るいながら振り返った。

 

 「えぇええええっ!? 来とるがなァ!?」

 「んぎゃああああ~っ!? マゼランよぉ~う!」

 「貴様らァ……!」

 「おいおい、せっかくのトラップを飛び越えるなよ」

 

 空中で全身から紫色でゼリー状の毒を分泌したマゼランは、着地を待たずに攻撃した。次から次に溢れてくる毒が竜の頭部を模り、首を伸ばして迫ってくるのである。

 リードは自身を狙う竜に向け、刃が届かない距離で剣を振るった。

 

 パンっと弾けるようにして竜の顔面が破壊され、毒が周囲へ飛び散った。

 幸いにして誰かに直撃することはなかったが、その毒の致死性は何度となく見せられている囚人たちは思わず悲鳴を発し、体力の限界さえ超えてさらに走る速度を速める。

 立ち止まったのはリードを除けばイワンコフとイナズマのみであり、それを見たルフィも咄嗟に立ち止まろうとしたものの、ジンベエが無理やり服を掴んで引っ張った。

 

 「止まるなルフィ君! 出口はすぐそこじゃ!」

 「でもイワちゃんとカニちゃんが……!」

 「心配いらん。あの三人ならばマゼランでも易々とは抜けん」

 

 ジンベエに諭され、出会ったばかりとはいえ、その自信に満ちた態度に感化されたか、ルフィは一瞬表情を歪めたが即座に切り替える。出口を目指し、迷いを振り切って走り出したのだ。

 出口は目の前。すでに多くの囚人が脱出していた。

 

 「コレニコ・リード……金獅子海賊団がなぜ囚人どもに手を貸す。ポートガス・D・エースはもうここには居ないぞ」

 「わかってるさ、そんなこと。正直に言えば少し遅れちまった。が、それはそれで利用できると思ったまでだ。おかげで楽しい時間になっただろう?」

 「貴様のせいで、どれほどの被害が出たと……」

 「おれには関係のねぇ話だ。守り手ならもっと備えとけよ、下痢野郎」

 

 リードが左の拳を突き出した。

 直接触れていないのに、腹部にはドンっと重い一撃がぶち当たり、マゼランの巨体が重力を無視するかのように吹き飛ばされる。開けっぱなしの扉がある牢に激突し、口からは血を吐いた。

 能力を使う暇すら与えない。今は先を急いでいたからだ。

 

 インペルダウンにおいて絶対的な強者であるはずのマゼランが膝を突く。衝撃的な光景のはずなのだがイワンコフとイナズマは驚いていなかった。

 金獅子の片腕と言われただけのことはあり、それが当然であろうと関心するばかりだ。

 

 「どうやらヴァターシたちは必要ないようね」

 「しかし、今は戦っている場合ではない」

 「わかってるよ。こいつを倒す必要性も感じねぇしな」

 

 イナズマが言う通り、リードは後追いをせずその場を立ち去ろうとする素振りを見せる。しかし跪いて動かないマゼランの異変を目の当たりにした時、ふと足を止めた。

 ボコボコと泡立つように体の内から溢れてくる毒液。紫色だった先程とは違い、今度は光を通さない赤色だった。異様な臭気と熱気に襲われ、むくりと立ち上がる所作も含めて不気味に感じる。三人は咄嗟に身構えて距離を取った。

 

 「毒の巨兵(ベノムデーモン)……“地獄の審判”」

 

 地獄という表現がよく似合う。

 赤色の毒は彼の体を中心に巨人の如き姿を模り、ドクロに似た顔で無機質に見下ろしてくる。足元を見れば毒が地面に染み込み、変色していた。硬い石を溶かすでもなく侵食していく様は強力な酸よりもよほど不気味に思える。

 あれは触れない方がいいだろう。三人がそう思うのは至極当然な反応だった。

 

 「これは禁じ手。貴様らを外へ出すわけにはいかん……!」

 「悪いがお前一人でどうにかできるもんでもねぇんだよ。下で仕留めとくべきだった」

 

 そう言ってリードは剣を納めてしまった。

 マゼランが眉間に皺を作り、瞬間的に怒りが沸き上がるのだが、目を見開くと同時にその怒りさえも忘れてしまう。

 

 出口の方から飛んでくる巨大な扉。壁のように二枚が連なって飛来し、咄嗟にマゼランが拳を振るうと毒の巨人がパンチを繰り出して破壊する。しかし攻撃は終わらず、周囲の物が独りでに空中へ浮かび上がり、次々に飛来して襲ってきた。

 マゼランは防御を考えずに拳を振るい、対処するのだが、一つ一つは小さくとも数が多い。ならば無視して前進しようと思えば、的確に毒の中に居るマゼランへ物体が激突してくる。毒の膜で速度が落ちるとはいえ、大したダメージにはならずとも非常に鬱陶しい。

 

 怒りに身を任せて大声で吠え、大股で前へ踏み出した時、地面が崩れた。

 毒のせいではない。確かに自身の毒が足場に与えていたダメージは大きいが、これは別の影響力によって足場が動いてしまい、マゼランを避けるように砕かれて砂のように細かくなる。

 落下する寸前、マゼランは自身の頭上、砂が集まって出来た獅子の顔を目撃した。

 

 「金獅子……!?」

 

 リードたちが最後に目撃したのは、空中に現れた巨大な獅子の頭にがぶりと噛みつかれ、下のフロアへ落とされていくマゼランの姿であった。

 その光景を見た後、三人は改めて出口へ向かう。急ぐために小走りであったが先程までの焦りは感じられず、余裕を持って日の光を浴びる。

 

 数隻による船団と、桟橋の先にはあらかじめ奪っておいた海軍の軍艦。囚人の多くはすでにそこへ乗船していた。ルフィやMr.2が手を振っている。

 リードは笑顔で空を見上げた。

 

 「遅いぞ。ロジャーの息子はもう居ねぇんだな?」

 「ああ。先に行っちまったってよ」

 「まあいい。それでこそ派手な喧嘩になるってもんだ。連中も待ってる頃だろうよ」

 

 しばらく姿を消していた割には衰えを感じさせず、妙に楽しそうな笑顔だった。

 やはりこうでなければならない。

 計略のために何年も身を隠したままなど、海賊艦隊の提督には似合わないだろう。これを機に本格的な活動を始められるのならば興奮を抑えられない展開だ。

 

 復帰の初戦が海軍と白ひげを相手取った戦争。

 なんて楽しい一時なのだろう。

 “金獅子”のシキがそうであるように、リードもまた楽しげな笑顔で船に乗り込んだ。

 

 「ジハハハハッ! 行くぞ野郎ども! 目的地はマリンフォード!」

 「おお~! あのニワトリ誰だ?」

 「お前さん、金獅子を知らんのか……しかしえらいことになった。正義の門は越えられるが、親父さんも無事では済まんぞ」

 

 軍艦に乗り込んで出航の時を待っていたルフィは闘志に溢れていた。

 義兄弟であるエースと捕縛されたと報じられた仲間を救うべく、七武海のハンコックに協力してもらい、単身インペルダウンに潜入して戦い続けること数時間。せっかくの奮闘も空しく二人はすでにこの場には居なかった。ならばもう行くしかない。

 無視できないほど大きな疲労も気合いで吹き飛ばして、彼は大声で拳を掲げていた。

 その隣では神妙な面持ちのジンベエと、同じく気合いを入れて回るMr.2が居た。

 

 「も~こうなったらしょうがないわ! 行くっきゃない! やるっきゃないわ麦ちゃん! 何がどうなっても兄貴と紙ちゃん救うわよ~! 一緒に!」

 「おぉし! 野郎どもォ! 出航だァ~!」

 「おい待て小僧。頭はおれだ。勝手にお前が仕切るんじゃねぇ」

 

 ふわりと甲板に舞い降りたシキがルフィへ目を向けた。振り向いた途端に視線が合うが、多大なやる気によって力が漲っているルフィは退くつもりがない。

 正面から対峙し、大声で張り合う。

 相手を選ぶつもりなど毛頭なかった

 

 「おれだって船長だ! お前なんか知るか!」

 「アホかお前は麦わらァ~!?」

 「誰に何を言ってるかわかってるのカネェ!?」

 

 ルフィが威勢よく指差したと同時、バギーとMr.3が飛びかかってきて彼を押さえ込んだ。

 知らぬ者の居ない大海賊である。その気になればここに居る全員を海の藻屑にできる、と二人は考えているのだろう。ルフィの非礼を非難して無理やり彼をふん縛ろうとしており、しかし本人の抵抗が激しくどたばたと転げまわっている。

 

 騒がしい三人を冷たい眼差しで捉えて、シキは肩をすくめていた。

 女性と化したニューカマーの腰に腕を回したリードが傍に立つと、視線を動かさず彼女に呟く。

 

 「これが新時代か? リード。ガキのお守りに付き合う気はねぇんだが」

 「そう言うなよ。ロジャーの船の下っ端に、麦わら帽子はガープの孫だ」

 「あぁ……忌々しいな」

 「殺すのは惜しい。これからさ。こいつらが世界を荒らすのは」

 

 シキが視線を動かす。

 普段と何が変わるでもなく、リードは女に現を抜かしていて、早くも口説こうとしている。元男であるか生来女であるかなど関係ないようだ。肉体が女であるならそれでいい。

 そんな片腕の姿を見て、シキは大きくため息をついた。

 

 何にせよ、準備はすでに整った。

 シキは空を掴み、何かを持ち上げるように右腕を上げる。

 軍艦、数隻の船団が海水を離れて浮遊し、空へ舞い上がったのである。

 

 空飛ぶ海賊、金獅子のシキに辿り着けない島などない。

 サイクロンでもない限り彼を止めるのは不可能だ。

 

 「まとめて決着をつけに行くぞ。ロジャーの息子も居ることだしな」

 

 にやりと笑って、シキは船団を動かし始めた。

 



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戦闘開始

 戦争が始まった。

 “白ひげ”エドワード・ニューゲートは現れ、マリンフォードを舞台として白ひげ海賊団と海軍の全面戦争が行われている。白ひげが息子と呼ぶ自身の部下を見捨てるはずもなく、こうなることはあらかじめ予想されていた。言わば予想通りの展開でしかない。

 それでも海兵の多くが不安を抱くのは、ブラック中将の独断が加えられたからに他ならない。

 

 「さぞかし気分がええじゃろうのう。囚人どもを使って戦場を掻き回して満足か?」

 

 大将“赤犬”サカズキは嫌悪感を隠そうともせずに呟いた。

 隣に立つブラックは戦場となる凍りついた湾内を眺め、ぴくりとも表情を変えずに返す。

 

 「あなたは気に入らないだろうと思っていました。しかし海軍の勝利は絶対に必要だ。どんな手段を用いてでも勝たなければならない」

 「それが言い訳の全てか?」

 「あなたも勝利を望んでいたはずだ」

 「海軍の面子に関わる! 貴様は海軍を信用できんのか」

 「金獅子が動いているという情報があります。白ひげだけならともかく、伝説を同時に相手にするのは得策ではないでしょう」

 

 サカズキは殺意を押し留めることなくブラックを見た。

 視線がかち合い、凄まじい緊張感が漂っている。

 戦地へ赴いた他の大将が居れば仲裁に入っただろう。しかし今は止める者が居ない。両者の意見が交わらないのも当然であった。

 

 「囚人であろうと海賊は海賊。わしは奴らの力を借りるつもりはない」

 「しかし連れ出してしまった。もう止められない」

 「この件を忘れるなよブラック。貴様が生きておれば処分は免れん」

 「心配はしていません。センゴク元帥にも伝えました。私はやるべきことをやり、間違いなく成功に導いている。現に奴らは白ひげに損害を与えているでしょう」

 

 腕で指し示して戦場へ目を向けさせた。

 サカズキはブラックと共に起こっている戦いへ目を向ける。

 

 大将“青雉”クザンの能力により、三日月状の湾内にある海面は凍り、マリンフォードを挟み込むようにして巨大な津波もまた氷となって壁の如くそびえ立っていた。

 開戦すると同時にその氷が足場となって戦場となり、激しい戦いが巻き起こっている。

 世界最強と噂される白ひげ海賊団に対抗して世界中から海兵が集められた。総力を集めた決戦は湾内のみに留まらず、傘下の海賊団が行う海戦にまで発展している。

 

 中でも目を引くのはブラックが連れ出した囚人、大柄の軍服を着た男だ。

 脇目も振らずに白ひげへ向けて突貫し、同じく白ひげを狙った大将“黄猿”ボルサリーノさえ邪魔だと言いたげに殴り飛ばして、本船“モビーディック号”の眼前へ到達していた。しかしそこで三番隊隊長ジョズと対峙している。

 

 ジョズが繰り出す拳はダイヤモンドに変化して硬く、さらに覇気が纏われている。

 ダグラス・バレットは正面から拳をぶつけ、打ち合った。

 相手の肉体がダイヤモンドであっても一歩も退かず、彼の拳には傷一つついていない。

 

 拳と覇気の衝突で周囲に衝撃波が走り、足元の分厚い氷にはいとも簡単にひびが入った。

 バレットは楽しくて仕方がないといった様子で笑い、尚も拳を振り上げる。

 ここで退けば間違いなく彼は白ひげを襲うだろう。親父と慕う男を庇い、ジョズは縫いつけられたかのようにその場へ仁王立ちして受けて立った。

 両者の殴り合いは凄まじい迫力で、味方も敵も慌てて離れていく。

 

 「ダグラス・バレット。生きてたのかよい」

 「ロジャーの忘れ形見だ……厄介なもんを残していきやがった」

 

 船の上から観戦していた白ひげと、一番隊隊長のマルコは表情が優れなかった。

 バレットを含め、戦場の各所に妙な顔ぶれがある。数は多くないが、懐かしいと感じる者がほとんどであり、どちらの味方かは知らないが戦闘に加わっているらしい。

 奇妙な状況だとマルコが唸った。

 

 「しかしどういう状況だ? 連中おそらくインペルダウンから出てきたんだろうが、海軍に協力するとも思えねぇ。何のためだ?」

 「海軍も一枚岩じゃねぇってことだ。こうなることはわかってただろう」

 「みんなお前を殺してぇのさ」

 

 声を聞いて、咄嗟に振り返ったのはマルコだけだった。

 さらさらと宙を舞う砂が人の形を模り、真っ先にギラリと光る鉤爪が現れる。その後に顔が現れて白ひげの首を狙っていた。

 反応は素早く、躊躇いはない。

 マルコの蹴りが振り下ろされる鉤爪を蹴りつけ、衝撃を受けたクロコダイルは距離を取った。

 

 「もう出てきたのかワニ小僧。おめぇの罪はそんなに軽かったのか?」

 「有り難いことに、お前の首を獲るチャンスをくれるって話だ。ロジャーの息子も殺したいだろうがお前をおびき出したかったんだろうよ」

 「グララララ……」

 「それでこの状況か? ずいぶんとまぁ恨まれてんだな、親父は」

 

 同じ時代を生きた者たちが暴れているのだ。マルコはため息をついた。

 ジョズと戦うバレットに、海賊も海軍も見境なく攻撃するバーンディ・ワールド、姿を現したが戦況を見ているパトリック・レッドフィールドと、二人の前に立ったクロコダイル。

 個人で数百、数千の敵を薙ぎ払う戦力である。彼らが一つの戦場に集まっているのは実力を知る者なら奇跡にも等しいだろう。

 

 同窓会にしてはやり過ぎだ。おかげで戦況は早くも混乱している。

 特に敵味方を選ばないバレットとワールドの存在は大きく、どちらにも甚大な被害をもたらす。

 なぜこの戦場に参加させたのかを疑問視して、マルコはクロコダイルに目を向けた。

 

 「お前もその口か? 親父には遺恨があるもんなぁ」

 「ああ、今すぐ殺してやりてぇと思ってる……だが連中の思い通りになるのも癪だな」

 

 にやりと笑うクロコダイルに意外そうな視線が向けられた。初撃がそうであったように、いつ攻撃してきてもおかしくない相手なのにそうする様子がない。

 決して親しくという態度ではなかったが、昔を思えば意外なほど素直だった。

 

 「話し合う余地はありそうだな」

 「すっかり大人しいじゃねぇか。地獄の煮え湯も多少は堪えたか」

 「だったらてめぇを殺そうとはしねぇよ。いずれその首はもらう。その前にあいつを喜ばせたくねぇだけだ」

 

 激しい戦闘が期待されたはずだが、クロコダイルは敢えてそうしなかった。

 彼にはすでに首輪がなく、自力で外された後だった。

 

 バレットにせよ、ワールドにせよ、レッドフィールドにせよ、爆発して命を奪うという首輪は外されている。海軍の仕業ではない。誰しもが自力で外したのだ。

 能力者が多く、能力が判明している他、覇気使いであることまで知られていた。こうなることは初めから決まっていたようなものである。

 それなのに強行したブラックを信用できるはずもなく、状況を確認したサカズキは怒った。

 

 「こうなることはわかっておったはずじゃ。貴様の独断で、味方にどれほど危機をもたらしとると思っちょる」

 「私の意思は伝わるはずです。奴らが居るから勝つことができる。望まれていたのは殲滅のはずではありませんか?」

 「海賊の手を借りるのが気に入らん!」

 

 サカズキは受け入れようとはしなかったのだが、すでに開戦した今、対応するには遅い。

 せめてこの戦いの中で共倒れになってくれればと考えるばかり。

 サカズキが口を閉ざした後もブラックは念を押すように言う。

 

 「私には戦局が見えています。センゴク元帥にも見えていない戦局が。ご安心を」

 

 同じ頃、戦場にも出ずに首輪を外し、海軍本部に侵入していたキリは鍵を手に入れた。

 幾分時間はかかったが問題はない。潜入を得意としている他、偶然見られた場合にも彼が海兵を斬り捨てている。ずいぶん強引だとは思うが敵対している以上は仕方ないことだろう。

 そもそも、彼らが爆発するような首輪を着けて脅迫していたのだ。立場や階級がどうあれ、気付かない内に斬られていても文句は言えないはずだ。

 

 用無しとなった首輪を念のために遠くへ放り投げておき、ようやく安全を手に入れた。

 右手で首を撫でた“雨のシリュウ”はキリに視線を寄こす。

 まるで獲物を見定めるかのような視線だったが、目の前の少年は気付いていないかのような呑気な顔で笑っている。

 

 「とりあえずこれで即死はなさそうだね。貸しってことでいい?」

 「ああ、そうだな……斬ってほしい奴は居るか? 今は気分が良い。誰でも斬ってやるぞ」

 

 腕が疼く。

 彼は長い間、インペルダウンの職員でありながらレベル6に幽閉されていた。自らの行動を問題視された自業自得であったが、ようやく自由を得た今、誰かを斬りたくて仕方ない。

 

 キリを見ていると勝手に動くかのように左手が刀の鞘を握っている。

 試し斬りをしようかと何度思ったことか。しかしそれは堪えて、シリュウは今しばらく彼を生かしておくことにした。

 どうやら使える人材のようだ。味方でもない人間に警戒心を感じさせずに近付き、そんな必要もなかったと言えばそれまでだが、わざわざ鍵を探して解放してやるのは十分にイカレている。もう少し様子を見ようと決心したのはただの親切とは言えないその態度を見たからだ。

 

 どうやらシリュウの言葉を真に受けたらしい様子のキリは笑みを深めた。実力差に気付いていないとしか思えない態度に素直な感情表現。本当に海賊なのかと思うが、これが油断を誘うために意図して行っているのだとすれば大したものだ。

 試してみたい衝動を抑えながら、シリュウはキリの話を聞いた。

 

 「ありがとう。それなら、僕はこれからエースを助けに行くから、邪魔する奴は全員斬ってよ。外は混乱してるだろうけどエースの傍は敵が多い」

 「“火拳”のエースか……関係者か?」

 「友達だよ。死なせるには惜しい」

 

 言ってキリはあっさり背中を見せて外へ向かおうとした。

 葉巻の煙が視線を阻害する。

 隙だらけの背中。警戒していない。いつでも斬れる。

 考えるでもなく右手を刀の柄へ伸ばそうとしたシリュウだったが、ぴたりと止めた。

 

 気配だ。こちらに近付いてくる。

 新たな獲物が来たのならと、シリュウの注意はそちらへ向けられる。

 ちょうどキリの正面、外へ通じる道から現れたのは長い黒髪を垂らす絶世の美女だった。

 

 「そこの男。そなた、ルフィの仲間か?」

 

 九蛇の蛇姫、ハンコックは王下七武海の一員である。

 インペルダウンの牢の中で一度見て、その直後、エースからルフィがインペルダウンに潜入していることを聞かされた。どうやってと考えて、可能性の低い案として一応考慮していたとはいえ、どうやら当たっていると思えたのはたった今だ。

 

 キリは海兵の目がないのを確認して頷き、彼の態度を見て考えを変えたのだろう、シリュウも得物から手を離す。

 ふうと息を吐いて、決して喜ばしい表情ではないがハンコックが近付いてきた。

 

 離れている間に何があったのだろう。

 バーソロミュー・くまに敗北した際に仲間は離れ離れになった。その間にルフィは彼女に会い、何かがあって協力が得られたのだろうか。

 想像するしかないが考えても仕方ない。

 思考を振り払ったキリは目の前に立ったハンコックの顔を見上げた。彼女の視線と表情には強い怒りが感じられ、はて、何をしただろうと考える。

 

 「そなた、なぜここに居る? ルフィはそなたとエースを助けるためにインペルダウンへ入ったのだぞ」

 「ああ、やっぱり……じゃあ手引きはあなたが?」

 「口外するな。九蛇に危機を及ぼすようならルフィの仲間とて許しはしない」

 「わかってるよ。ありがとう、ルフィのわがまま聞いてくれて」

 

 キリの反応にハンコックは困った様子を見せ、しかし取りつく島もなくそっぽを向く。

 よからぬ予感がするものの、ひとまず敵ではなさそうだと判断し、キリは笑顔を見せた。

 

 「ルフィのことなら大丈夫だ。心配しなくても生きて出てくる。だけど、エースの処刑は多分一分一秒を争う。もしルフィが間に合わない場合、僕がエースを助けないと。ちょうどいいタイミングがあったからそのために出てきたんだ」

 「ルフィはやはりまだインペルダウンか……あぁ、心配じゃ。やはりわらわが助けに行った方がよいのでは……」

 「平気だって。殺したって死なないような人なんだから、その内出てくるよ」

 「その内ではわからぬ! いつじゃ! ルフィはいつわらわに会える!」

 「いつと言われても、数分後か、数日後か、数年後か。流石にそこまではわからないけど」

 

 ハンコックは勢いよくキリに背を向けて、うろうろと所在なく歩き始める。同じところをぐるぐる回るのはよほど落ち着かない様子だ。

 キリとシリュウは呆気にとられた様子でその歩行を見ていた。

 

 「ああ、ルフィが心配じゃ。あの海流には正義の門もある。やはりわらわが迎えに行った方が確実に助けだせるのでは……そう、それこそが妻の務め! いやしかし、にょん婆は妻たる者は待つのも務めと言っておったが……ううむ」

 「何かあったのは間違いなさそうだ。ルフィも隅に置けないな」

 「人間嫌いの蛇姫がこんな奴だったとは。まあ、別に構わんが」

 

 待ちきれない様子で、シリュウは刀から手を離さなかった。柄を握ることこそなかったとはいえ隙あらば攻撃を仕掛けていただろう。戦意は隠し切れていない。

 その様子に気付いていたキリはちらりと確認し、自身に刃を向けられる前に早く手を打とうと思案していて、何も気付いていない顔で彼の隣に立っていた。

 気付かないのはルフィのことしか考えていないハンコックだけであった。

 



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表裏

 それは唐突にやってきた。

 最初に気付いたのは処刑台に拘束されていたエースの隣に立つセンゴクだ。妙な気配を感じて空を見上げると、凄まじい速度で船が向かってくる。その挙動には見覚えがあった。

 何の因果か、海軍が所有する軍艦だ。しかし味方であるはずがない。

 予想した通り、軍艦の傍らには昔の顔馴染みが浮いていた。

 

 かつての強敵、金獅子のシキが現れたのだ。

 果たして何十年ぶりの登場か。いずれ動くだろうと予想していたが、白ひげ海賊団との戦いの最中という最悪のタイミングでは、驚きを隠すことができない。

 センゴクが見る彼の姿はやけに上機嫌で、これ以上ないというほど楽しげだった。

 

 「ジハハハハ! センゴク! ガープ! 久しいな!」

 「シキ……まさか本当に現れるとは。これもお前の計画の一部か?」

 「そういうことだ。てめぇらが言う退屈な時代に喧嘩を売りに来た。いつぞやの礼もしなきゃならねぇしな」

 

 金獅子海賊団の船団はすでに海戦へ参加しており、高く燃え上がる爆炎が遠くに見えた。

 シキが引き連れるのはインペルダウンを脱獄した囚人たちを乗せた軍艦が一隻。それだけとも言えるが、大きな船を持ち上げて運ぶその光景はそれだけで脅威である。

 

 「まだロジャーに拘っているのか? 奴は死んだ。お前ももう大人しくしていろ」

 「つまらねぇことを言うな。元々おれとお前らは水と油。わかり合えるはずもねぇんだ」

 

 シキは凶悪な笑みを浮かべて右腕を振り下ろした。

 悲鳴を発する巨大な軍艦が空から降ってきて、開戦の兆しが与えられる。

 

 「せいぜい楽しめよ! 滅ぼされないように気をつけてな! ジハハハハッ!」

 

 狙いはエースが居る処刑台であった。衝突すれば人間など簡単に押し潰してしまうだろう軍艦が猛スピードで迫ってきて、助けるつもりなのか殺すつもりなのか、センゴクが険しい顔をするほどの躊躇の無さだった。しかし一方でうろたえてはいない。

 迫る軍艦を視認した後、高く飛び上がった人影が飛び込んできて、武装色の覇気で硬化された拳を思い切り振り抜いたのだ。そうするだろうと思ってセンゴクは何もしなかった。

 

 「ぬうぇい!!」

 

 言ってみればただのパンチ。しかしこれが強力だ。

 凄まじい衝撃が船首から船尾まで全体を駆け抜けて、ただの一撃で、爆発するように全てがバラバラになるほど破壊してしまう。

 乗組員たちは宙へ投げ出され、悲鳴はさらに大きく響いた。

 軍艦が空を飛ぶより、射出されるかのように突撃したりするより恐ろしい。パンチ一発で軍艦が粉々になったのだ。海賊たちは落下しながら口々に叫んでいる。

 

 「ぎゃああああ~!? バケモンだァ~!?」

 「拳で軍艦が全損だガネ~!?」

 「すげぇええええっ!? じいちゃん怖ぇええっ!」

 「んが~っはっはっは! 流石は海軍の英雄ねいっ! え!? っていうか落ちとるがなァ~!?」

 

 騒がしい様子で大勢の人間がぽろぽろと落ちていく。

 白ひげ海賊団ですら到達していなかった島内へ着地し、少なからず失敗してひっくり返っている者も居たとはいえ、命を落とした者は一人として居ない。

 周囲を海兵に取り囲まれた状況の中、彼らは最前線に立った。

 

 顔を上げたルフィは処刑台に居るエースを目撃する。

 それは相手も同じことで、エースは驚愕した顔でルフィを見ていた。

 長い戦いだったがようやく救うことができる。ルフィは思わず大きく手を振った。

 

 「エース~!! やっと会えた!」

 「あの、バカ野郎……!」

 

 無事だったことに安堵を覚える反面、自身が捕まったことで危険な目に遭わせたことへの自責の念を覚える。親父と慕う白ひげや仲間たちだけでなく、弟までも。エースは悔しそうに俯き、言いようのない感情を抱えて必死に歯を食いしばった。

 もはやどうすることもできない。今更この事態は彼一人では止められないのだ。

 今の彼には、この戦場を眺めることしかできなかった。

 

 「役者は揃った。さあ、始めるか」

 「そう易々と奪えると思うな。隠れていたお前と違ってこっちは現役だ」

 「おれをそこらの雑魚と一緒にするなよガープ。その気になりゃ、この島ごと滅ぼすことも難しくねぇんだ。おれが来た時点でこの島はおれの支配下にある!」

 

 両手に刃渡りの短い剣を持ち、宣戦布告を終えたシキはガープと睨み合っていた。

 老いたとはいえ前時代を代表するほどの強者である。

 シキは躊躇わず、嬉々としてガープに向かって突進を仕掛け、ガープもまた両の拳を握って正面から迎え撃った。

 

 「せっかくの再戦だ! 簡単に死んでくれるなよ!」

 「またハエみたいに叩き落としてくれる! 金獅子ィ!」

 

 処刑台のすぐ傍で、シキとガープの戦いが始まった。

 余波は強風となって肌を撫で、センゴクは珍しく焦りを見せる。

 これほどの事態は想定していない。シキが現れるという噂はブラック中将が一人で口にしていたものであり、確定的な情報は何一つとしてなく、何より金獅子のシキについては自分たちの方がよく理解していると思い込んでいた。

 シキは計画的で慎重、且つ大胆であり、用心深い海賊。何かを企んで姿を消したのなら計画を成就させるまで表舞台には戻らない。そう思っていた。

 

 完全な不意打ちであった。

 戦況は困窮を極め、特に島内へ入られたのがまずい。

 ルフィたちはすでに処刑台を目前にしており、早くもエースに手が届きそうだ。

 

 目視で状況を確認したルフィはすかさず拳を握った。どんな状況であれ、海兵に取り囲まれているのなら戦わないわけにはいかない。

 何より目的はエースの下へ辿り着き、助けること。

 周囲ではMr.2とジンベエが身構え、珍しく支援するようにMr.1が傍へやってきて、サポートに従事するだろうイナズマが両腕を鋏に変え、顔面を巨大化させたイワンコフが大声を発し、現在地と状況に驚愕するバギーとMr.3が悲鳴を上げた。

 

 戦争に備えて武装し、心の準備も終えていた海兵たちだが、動揺は隠しきれないほど大きい。

 もはや収拾などつくはずもないが、混乱はお手の物。ルフィが真っ先にきっかけを作った。

 

 「あとはエースを助けるだけだ! おれはエースのとこに行く! 他は任せた!」

 「ジョーダンじゃな~いわよーう! 言われるまでもないわぁ~ん!」

 「できる限り援護しよう。油断するな、ここは敵地の中心じゃ」

 

 ルフィが駆け出すと堰を切ったように全員が動き出した。

 エースを救うことを優先する者、ただ暴れたいだけの囚人、バギーに従う姿勢を見せる信奉者たちなど内訳は様々であったが、海兵に包囲された危機的状況でじっとしていられるはずもない。

 崩壊した軍艦の残骸と共に、完全に包囲された状態であったが、放射状へ広がってまるで津波のように海兵たちを呑み込んでいった。

 

 真っ先に動き出したルフィを待ち受けるかの如く、前方で敵を斬り捨てたリードが振り向いて、笑顔で手を振っていた。

 船に同乗していた短い間、話した時間はわずかだが有益な一時だったらしい。

 男には興味を示さない人間にしては珍しく、ルフィを気に入った様子のリードは先鋒を務める。

 

 「来い麦わら。道を作ってやる。ロジャーの息子を救ってやりな」

 「ありがとう! あ、お前エースのそれ知ってんのか?」

 「人の口に戸は立てられねぇ。噂はどこでも巡るもんさ」

 

 平静を取り戻す暇さえないものの、海兵たちは海賊を進ませまいと殺到してくる。数え切れないほどの人の群れをリードは剣の一振るいで吹き飛ばし、簡単に道を作っていた。

 それでも右から左から敵が迫るため、戦わずに済むというわけでもなかったが、十分に体力を温存できていたルフィたちも応戦が可能だ。

 

 このまま処刑台まで行けると思った頃、どこからともなく長身の男が降ってきた。

 着地と同時に足場が凍り、辺りに冷気が漂う。

 道を塞がれ、足を止めたリードは仕方なさそうに対峙した。

 

 大将“青雉”クザンは久方ぶりに顔を合わせたリードを視認し、その背後でルフィが海兵を殴りつけるのを見て、やれやれと言いたげに嘆息する。

 伝説の一味に話題のルーキー、さらには元七武海や革命軍幹部、秘密結社バロックワークスの構成員まで揃って、なんとも騒がしい一団だ。この上でさらに火拳のエースが解放されては誰にも止められなくなる。

 

 「こんな時に面倒を持ち込むなよ。悪いけど、帰ってくれるか」

 「そりゃ無理だな。おれお前ら嫌いなんだ」

 「ううん、直接言われるとどうにも傷つくもんだな、これは」

 

 差し出した両手から冷気が噴き出して、体の前で大きな氷の球体を作り出した。放たれたそれは直線的に向かってきて、リードが剣を振り下ろすと両断する。きれいに二つへ斬り裂かれた氷は地面に激突するとあっさり割れ、戦っていたルフィがわっと声を出した。

 クザンは氷と冷気を操る能力者。厄介だが、覇気使いであるリードは微塵も怯まない。

 ここはルフィに任せずに自分が相手をした方がいいだろうと、前へ踏み込んだ。

 

 リードが振るう剣からは斬撃のみが飛ばされて、避けたクザンは氷の槍を飛ばす。

 両者の戦いに巻き込まれぬよう、素早く傍を駆け抜けたルフィが再びエースの下へ向かう。周囲には数え切れないほど敵が居て、ほんの数歩進むだけですぐに海軍将校に取り囲まれるが、Mr.2とジンベエの助力もあって足を止める瞬間などなかった。

 

 「ハァ、こいつらみんな強ぇな……」

 「白ひげの親父さんに備えて戦力を集めた海軍本部じゃ。それも当然。じゃが、わしらが前線に来たことで海軍の戦力を分断できておる」

 

 先を急ぎ、走って、戦いながら時折振り返るジンベエは戦況の確認を怠らなかった。

 どうやら凍った海の上が白ひげ海賊団との主戦場になっているらしく、乱入した金獅子と囚人一派は彼らの頭上を飛び越えて懐へ飛び込み、戦局をかき乱している。

 シキの助力があってよかった。今は心底そう思い、後のことは気にせずに駆ける。

 

 「行けるぞルフィ君! 走れ! エースさんを助ければさらに白ひげ海賊団の有利になる!」

 「おおっ! 当たり前だ!」

 「振り返るな! 後ろのことはわしらがやる!」

 「まっかせなさーい! 麦ちゃん、かっ飛んじまいなさいよ!」

 

 ルフィはゴムの四肢を伸ばして振り回し、海軍将校であろうと兵士であろうと、殴り飛ばして踏み越えて足を止めずに進んでくる。

 処刑台の真下、高所から見下ろしていたサカズキは怒りを隠し切れてはいなかった。

 ボルサリーノとクザンが動いた後でもその場を動かず、隣に立つブラックを監視していた。彼はシキの乱入を見ても動かず、しかし、事前に言っていた通りの展開になっている。

 

 「貴様が警告していた通りの展開になったというわけか……」

 

 その事実だけを見れば、確かに海軍のためを思っての行動に見えるかもしれない。だがサカズキはなぜか腑に落ちず、釈然としない気持ちで居る。

 確証はない。勘が囁いているのだ。長年海賊を悪と断じてきた経験が、不思議とその男の傍から離れられなくさせていた。

 サカズキがブラックに目を向けると、彼は戦場を眺めて動かない。

 

 「これが貴様の想定した状況か? 金獅子の襲撃を、どうやって悟った?」

 

 ゆっくりと振り向いたブラックの顔に、サカズキはどうしようもなく嫌な予感を覚えた。

 

 「この光景が見たかった……ずっと」

 

 サカズキが目を見開いたのは、彼の全身が光を放ち、服を貫くことなく肌から無数の銃弾を撃ち出したからである。

 ウテウテの実の“発砲人間”。肉体に取り込んだ銃弾をピストルを介さず、どこからでもピストルから撃ち出すのと同じ速度で撃ち出すことができるという。或いは、ピストルの発射速度を超えることはたった今この瞬間に実証されたのだろう。

 

 本当の実力を隠していたのだ。

 それどころか、素性も、真意も、何もかも隠して海兵のふりをしていた。

 裏切り者だと悟り、咄嗟に能力と覇気を使ったとはいえ、体の一部は銃弾に撃ち抜かれ、身を投げ出した動作のまま落下していくサカズキは怒りを滾らせる。

 

 「貴様ァ……! こん裏切りもんがァ!!」

 「裏切りとは失礼な。私は初めから、金獅子のシキにのみ忠誠を誓ったのだ」

 

 追撃のため左手を伸ばして、自らも飛び降り、落ちながらガトリング銃のように連続して銃弾が撃ち出された。落下する最中だったサカズキは能力を使用し、全身をマグマに変えて避け、地面に着地すると即座に拳を握った。

 頭上からやってくるブラックにパンチを繰り出す。しかしその背後、いつの間にか近くまで来ていたリードが気まぐれに剣を振り上げた。

 

 「後処理の手間が省けるわい……! 貴様はわしが処刑する!」

 「できるものならばどうぞ」

 「おいおい、熱くなるなよ。いい大人がみっともない」

 

 巨大化したマグマの拳によるパンチは武装色の覇気で弾かれ、背後から同じく覇気による衝撃波を受けたサカズキは吹き飛ばされて、姿勢を整える暇もなく壁に激突する。

 着地したブラックはすぐさま手を向けて照準を合わせ、リードは彼へ気安く声をかけた。

 

 「お勤めご苦労。もう海軍勤めは終わりか?」

 「ああ。そろそろ潮時だと思っていた。海軍の情報を流せないのは痛いが、シキ様が本格的に動くならもう必要ないだろう」

 「様はやめろよ。気持ち悪ィ」

 「お前こそ、提督に対して気安い態度を取るな」

 

 サカズキが立ち上がった後も、二人の意思が合わさることはなく、剣呑にさえ感じられるやり取りのままで背を向けた。

 ブラックはサカズキから目を離さず、リードはあっさりとその場を離れていく。

 

 「ハッ。相変わらずお前の態度は気持ち悪ぃな。親分は喜ぶだろうぜ。従順なブラックちゃんが漫才の手伝いしてくれるだろうからな」

 「これだけは言っておくが、私は漫才やコントが好きだ」

 「マジかよ……居辛くなるぜ」

 

 両腕のみならず体の大部分をマグマに変化させて、サカズキが睨みつけていた。

 静かに腕を上げるブラックは不敵な笑みを浮かべる。

 

 「それと、お前のことは前々から殺したかった。サカズキ大将」

 「おんどれェ……! 海軍の面汚しが。金獅子諸共焼き切っちゃるわい!」

 

 両者の激突により、内陸での戦いがさらに激しくなる。

 ルフィたちは着実にエースへ近付いていて、快進撃を止めるには兵が足りない。

 混沌とした戦場は、少なくとも海軍にとってはさらに困窮を極めつつあった。

 



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逆転の兆し

 「おのれ金獅子、最悪のタイミングだ……!」

 

 苛立たしげに呟いたセンゴクは処刑台に立ち、広大な戦場を眺めて歯噛みする。

 海中から湾内に現れるという暴挙は許したものの、白ひげ海賊団のみを相手にしていたならば実行可能な策がいくつもあった。しかし金獅子が乱入し、海も湾内の氷も飛び越えて島内にまで踏み込まれたことで後手に回ってしまう。

 

 彼の登場が何もかもを狂わせている。

 わざわざインペルダウンから囚人を引き連れて、戦力の補強も済ませての行動だ。

 いつから、どこまで計画していたのかは知らないが、考えもせず突っ込む男ではない。

 

 「ロジャーの息子だと知っていたのか……? 何にせよ、このままでは戦力が足りん。だからといって七武海どもでは――」

 

 センゴクは縋るような想いで視線を動かした。しかしそれに応える者は居なかった。

 集められた政府公認の海賊“王下七武海”の面々は、各々が自らの私利私欲のために動き、当初から海軍の命令に従うつもりなどないのである。

 そうだろうとは予想していたが、すでにどこかへ消えているのを確認して、センゴクは即座に次なる作戦を構築しようと頭を働かせた。

 

 「ええい、やはり奴らを当てにするのは間違いだったか……! 仕方あるまい。時期尚早だが後詰めを出すしかないか」

 

 懐から子電伝虫を取り出して指示を出そうとした折、センゴクは気配を感じて目を見開き、取り出す前に咄嗟に振り返りながら右腕を上げた。

 武装色の覇気で硬化した右腕に鋭い斬撃が当たり、硬い音を奏でる。

 悲鳴を発して倒れる海兵が二人。エースを処刑するため、傍らに控えていた二人が切り捨てられていたのだ。

 

 抜いたはずの刀は一瞬にして鞘に納められている。

 その所作、太刀筋、鍔が鞘に触れて立てる音まで覚えがあった。

 首を狙った一撃を防いだ後、センゴクが見たのは、やはり想像した通りの人物だ。

 

 雨のシリュウは今、確実にセンゴクの命を奪おうと首筋に刃を突き立て、防がなければ首を斬り落とされていたに違いない。現にエースの傍らには二人、手遅れであろう体が転がっている。おそらく本人は何が起こったのかさえ理解できていないのだろう。それほどの早業だ。

 センゴクとシリュウが視線を合わせた時、次の一手を仕掛ける準備を終えていた。

 

 「シリュウ……! やはり貴様はそのつもりか!」

 「腕が疼いて仕方ねぇんで、あんたも斬ってみたかった」

 

 目にも止まらぬ居合抜き。風を切る音が遅れるほど速く、刃が空を薙ぐ。しかしセンゴクは的確に軌跡を見切って頭を下げて避けた。

 両者が本格的に対峙した時、乱入するように処刑台の階段を駆け上がってもう一人来た。

 

 ばさばさと騒がしく、やってきたのは小さな紙片が折り重なってできた壁だ。

 反応できたはずの二人は、しかし隙を見せれば対峙している目の前の相手にやられると悟っていたため、迫りくる壁には反応できずに睨み合うしかなかった。

 素早く駆けてきた紙の壁は二人を強く押し出し、宙へ投げ出す。外傷は欠片も与えられず、処刑台から突き出してただ遠ざけられただけだ。

 

 「紙使い……!」

 「おいおい、おれまでか」

 「どうせ後で斬られるだろうし、先にこっちから仕掛けないと」

 

 落下していくセンゴクとシリュウを見て、にこりと笑いかけたキリは壁のように連なっていた紙をバラバラに分解し、自らの下へ引き寄せる。

 ペラペラの実を食べた“紙人間”である彼は自身の体を紙に変化させるだけでなく、長期間の鍛錬によって周囲の紙を操作する術を会得していた。

 あの二人に勝つことはできないだろうがエースを助けるのは不可能ではない。

 押し出した二人からすぐに視線を外し、改めてエースへ向き合った。

 

 「やあエース。牢獄ぶりだね」

 「バカ野郎、お前も来ちまったのか……」

 「ルフィの話を聞いて、二手に分かれた方が効率的だと思ってさ」

 「あ~っ!? キリィ! お前そんなとこに居たのか!」

 

 処刑台前の広場で戦うルフィが大声を発した。

 彼を見下ろしたキリは手を上げて返事をし、先を急ぐため、話す暇を惜しんでエースの背後へ膝をついた。

 海楼石の手錠さえ外せば、エースは解放されて大きな戦力になる。

 鍵はある。要塞の中へ侵入し、探して入手しておいたからだ。

 

 「とりあえず外すよ。そうすればみんなひとまず安心――」

 

 取り出した鍵を手錠の鍵穴へ差し込もうとした瞬間だった。

 ピカッと眩い光が視界の端に見えたかと思えば、気付いた時には目の前に足があり、反応できない速度の中で黄色いスーツの裾を視認する。

 

 光の速さで顔面を蹴られて、キリの体は飛んだ。真っ直ぐに宙を進んで町に突っ込み、立っていた家屋の壁を頭から破壊して姿を消す。その速度は本人のみならず見ていた人間も何が起きたのかを理解できない様相だった。

 エースの傍ら、処刑台に立っていたのは大将“黄猿”ボルサリーノであり、白ひげ海賊団と戦っていたはずの彼がいつの間にか現れていた。

 

 「それは流石にまずいでしょ~。逃がさないでほしいなぁ~」

 

 人差し指でキリが姿を消した家屋を指差したボルサリーノは、指先を光らせ、そこからレーザーの如く光を撃ち出そうとしていた。

 それよりも早く背後から飛んできた刃が彼の胴体を斬り裂いて、両断されたボルサリーノは上半身が地面に落ちていく最中、さらさらと動く砂を見た。

 

 「オォ~……?」

 「余計なことするんじゃねぇよ」

 

 突如、処刑台の上に砂嵐が発生した。竜巻のように強風を巻き上げ、砂を撒き散らすその存在は悪魔の実の能力によるものであることは明らかだ。

 激しい砂嵐の中、エースは傍らに立つクロコダイルを見上げて、さらにその少し前方には傷一つついていない姿のボルサリーノを見る。

 

 元王下七武海にしてインペルダウンから抜け出した囚人。味方であるはずがない。

 ボルサリーノはすでに臨戦態勢であったが、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、いつも通りながら呆れた口調でクロコダイルに言い放った。

 

 「困るねェ~。こうも強い砂嵐の中じゃ、光が散って仕方ない」

 「だったらとっとと失せろ。おれの前に立つんじゃねぇよ」

 

 言うや否や腕を振り、砂の刃がボルサリーノの体を切り刻んだ。分断された体のパーツがぼとぼと落ちるのだが、平気な顔をしている彼は光になって元の姿に戻る。

 自然系(ロギア)のピカピカの実を食べた“光人間”は全身が光で構成されているため、ダメージを与えることが難しい。おまけに覇気使いであるため急な奇襲をも回避する。ただし環境がそうさせるのか、光を分散させる砂埃の中ではずいぶんと居辛そうだった。

 

 「んん~困ったねぇ。これは相手が悪そうだ。ちょっと退かせてもらおうか」

 

 そう言って処刑台から後ろ向きで飛び降り、自らの意思で落下していく。

 砂嵐を出ると眼下ではシリュウがセンゴクに襲い掛かり、そのすぐ傍でガープがシキの攻撃を回避すべく、飛んでくる物体を全て拳で殴り飛ばしていた。

 騒がしい戦場だ。混乱を極めている。

 

 仕方なさそうに移動したボルサリーノの速度はまさに光。瞬きさえ許さぬほど瞬間的に別の場所へ移っていて、地面に立って処刑台を見上げる。

 人差し指を伸ばすと、指先に強い光が灯った。

 

 「それなら、処刑台ごと吹き飛ばすしかないよねぇ~……」

 「ン~ナ! HELL(ヘル) WINK(ウィ~ンク)!!」

 「ん~……?」

 

 処刑台を狙ったボルサリーノに、側面から彼を狙ったイワンコフがウィンクをする。ただ目を閉じただけのその行動で凄まじい衝撃波が生まれ、空を薙いでボルサリーノに激突した。不思議と彼の体は光になって受け流せず、実体に直撃して勢いよく地面へ倒れる。

 地面への激突こそ光の体には痛みが生じないが、ボルサリーノはしばし倒れたままだった。

 

 「オォ~……イワンコフ~……」

 「ヒーハー! 勢いに乗るっきゃナッキャブル! このまま行くわよー!」

 

 勢いに乗る囚人たちはとにかくエースを目指している。

 集団を率いるリーダーも一人や二人ではなく、襲い来る敵を簡単に退ける強者がずらりと並んでいるのだ。彼らの勢いを崩すのは決して簡単ではない。

 

 砂嵐が消えた処刑台で、改めて戦場を見下ろすクロコダイルに、空中から語りかける男が居た。

 わざわざ見下ろすための位置へ移動した男を不機嫌そうに睨みつける。

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは王下七武海の一人であり、クロコダイルとはそりが合わず、特に嫌悪している海賊であった。

 似ている部分があることも同族嫌悪を引き起こさせたのだろう。他者に従える人間ではないことは互いに理解し合っていた。

 

 ドフラミンゴはこの混乱を楽しむかのように笑い、クロコダイルを見ていた。

 今すぐに彼を斬ることはできたが、クロコダイルは敢えて待ち、彼の言葉を聞く。

 

 「フッフッフ、上手くやったじゃねぇかワニ野郎。お前白ひげにつく気か? ずいぶん嫌ってると思ってたんだがな」

 「あのジジイは後で殺す。その前にてめぇらを仕留めようってだけだ」

 「丸くなったもんだ。お前とおれは気が合うと思ってんだが……今からでも遅くはねぇ。手を組まねぇか?」

 「お前とおれが? 部下にしてくれの間違いだろう」

 「白ひげが勝とうが政府が勝とうがおれにとっちゃどうでもいい話だ。だが金獅子まで乱入してきたんなら状況が違う。利用しねぇ手はねぇだろう?」

 

 にやりと笑って語りかけるドフラミンゴに対して、クロコダイルもにやりと笑った。

 

 「てめぇが喜ぶ顔なんざ見たくねぇよ。ここで消えてもらった方が有り難いな」

 「フッフッフ、捻くれた野郎だぜ。少しは改心して出てきたかと思ったら」

 「だったら出てきやしねぇよ。失せろ! フラミンゴ野郎!」

 

 再び砂嵐を発生させ、二人の姿が消える。

 敢えて内部に飛び込んだドフラミンゴはクロコダイルへ接近し、右手を振り下ろすと、指先から伸びた糸が斬り裂こうとするのだが、クロコダイルは左腕の鉤爪でそれらを払っていた。

 両者の戦いはクロコダイルが飛び退ったことで処刑台を離れ、移動しながら激闘を演じる。

 

 二人を見送った後、ひっそりと戻り、ひょっこり顔を出したキリが処刑台へ戻ってきた。

 顔を蹴られたはずなのだが平然とした態度で、鼻血を拭いた跡こそ残っているものの、足取りもしっかりとして傍まで歩いてくる。

 

 エースが声をかける前に鍵穴へ鍵が差し込まれていた。

 にこやかな顔でなぜか楽しげなキリは、あっけらかんと手錠を外してしまう。

 

 「いやぁもう、入れ替わり立ち替わり、みんな激しいね。でも長引くのも嫌だし」

 

 取った手錠は敢えて投げ捨てて、咄嗟に傍を離れてキリは道を示すように手を伸ばした。

 

 「行こうエース。まだ死ぬのは早いよ。大暴れしよう」

 

 離れておいてよかったと改めて思う。

 瞬間、処刑台には存在を誇示するかのような火柱が天高く上がり、眩い光を放った。

 



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解放と乱入、荒れる戦局

 幾度となく刃を交えて数分。戦況は変化せず、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 海面を凍らされた湾内へ踏み込んだジュラキュール・ミホークは、白ひげ海賊団五番隊隊長のビスタと剣を合わせており、どちらも世界的に名の知られた剣豪であるため、勝負がつかずにいる。

 

 金獅子の乱入の後、島内の状況が一気に変化しているのは理解している。可能ならばそちらにも注意を割きたいところではあったが、ビスタが相手ではそれもできない。

 鍔迫り合いを行い、視線を合わせた時、互いに意思は同じだったようだ。

 混乱した状況だからこそ、周囲が気になって仕方ない。考えは同じだった。

 

 「勝負を預けるか?」

 「そうした方が、互いのためだな」

 

 弾かれるようにして同時に剣を引き、踵を返したビスタは白ひげ海賊団の本船へ向かう。

 金獅子の乱入など物ともせず、世界最強と噂される白ひげを討とうと、先程からバレットが執拗な攻撃を繰り返している。隊長であるジョズでさえも止められずに、マルコが参戦し、それでもピンピンしているために隊長たちが集まり始めていた。

 白ひげを気遣うような素振りに何かを感じつつ、ミホークもまた踵を返した。

 

 島内での戦闘は激しさを増していて、大勢の人間が入り乱れ、冷静さを欠いた戦況だ。どうやら指揮官であるセンゴクが戦場に引っ張り込まれ、三人の大将が強敵と対峙し、シキはガープと互角の戦闘を繰り広げていて、あまりにも手が足りない。

 では七武海はと言えば、ミホークも含めて多くが協力的ではなかった。

 

 ドフラミンゴはクロコダイルと戦っており、モリアは並の巨人の数倍は大きい巨人、オーズJr.に執心して白ひげ海賊団と戦闘していて、いつの間にか姿を消した後、再び現れているハンコックはルフィの傍へ駆け寄っていた。しかし攻撃を仕掛けずに微笑んでいるのが妙な姿だ。くまはバギーにけしかけられた囚人たちと戦い、足止めされている。

 戦力の大半が島内に集っている。

 果たしてこれを有利と呼ぶべきか不利と判断すべきか。

 

 一方で白ひげ海賊団も暇なわけではない。

 暴れ続けるダグラス・バレットとバーンディ・ワールドの相手に忙しなく、静観を決め込んでいるパトリック・レッドフィールドが参加しないおかげでどうにか互角を演じていた。

 

 鍵は、やはりポートガス・D・エース。

 彼を処刑するか、或いは解放するかで士気は大きく傾き、戦況が変わる。

 ミホークは“鷹の目”と称される鋭い眼で処刑台を捉えた。

 いつの間にか、気付けばそこには話題のルーキーが立っていて、手錠を投げ捨てたのが見えた。

 

 直後、高く火柱が上がる。

 処刑台が燃え、炎の塊が広場へ落ちた。

 ポートガス・D・エースが解放されたのだ。封じられていたメラメラの能力が発揮され、着地と同時に広範囲へ炎が走る。海兵はまさかと目を疑い、元囚人たちはわけもわからず大声を上げた。どうなるにせよ、戦場の空気が変わった瞬間を目の当たりにしたのである。

 

 「戦局が変わったか……さて、どうする」

 

 見定めることにしたミホークは剣を背中に納め、ひとまずは手を出すのをやめる。

 戦闘開始からそう経たず、海軍が金獅子への対策を講じるよりも前にエースが解放されて、果たしてこの戦闘の行く末はどうなるのか。

 少なくとも、湾内も島内もただでは済まないだろうとミホークは予想していた。

 

 地を這う炎が駆け、油断していなかったはずの海兵たちをまとめて吹き飛ばした。

 呆然と突っ立っていたルフィの周囲が炎と熱気で包まれる。

 ルフィの目の前で炎が人の形になり、やがてそれは、彼の兄になった。

 

 「バカ野郎……! おれにはおれの冒険があるんだ。お前に助けてもらう必要なんかねぇぞ」

 「あ、はは……」

 「お前はいつもそうだ。おれが何言っても、いつもいつも、無茶ばっかりしやがって!」

 「エース~!」

 

 目の前に現れたエースを見て、ルフィは堪らず拳を掲げて喜びを露わにした。

 傍に居たジンベエはほっとした顔を見せ、Mr.2は喜びの声を上げながら片足で回る。

 少し遅れて落ちてきたキリも合流して、状況は整い、周囲に立つ海兵に対して身構えた。

 

 「エースさん……! こうも上手く助けられるとは」

 「んが~っはっはっは! やるじゃなーい紙ちゃん! ナイスよ~ん!」

 「キリも無事だった! しっしっし! あとは逃げるだけだ!」

 「ふぅ、どうにかなった。危うく死ぬとこだったよ」

 

 海兵たちに動揺が広がり、あちこちから怒号が飛び交っている。

 その中心地と言える場所でエースは笑っていた。指先に炎を灯し、武器を持って睨みつけてくる大勢の海兵に囲まれていても、恐れる様子は微塵も見せなかった。

 

 「わりぃ、迷惑かけた」

 「いや、わしこそ力になれんかった。じゃが細かいことは後にしよう。まずは生きてこの島を出ることじゃ」

 「ああ、わかってる」

 「無理はしないでよ。ルフィだけでも手一杯なんだから」

 

 並の兵士では太刀打ちできないだろうと、海軍将校が一斉に動き出し、エースを討ち取らんと襲い掛かってきた。

 まるで姿が掻き消えるように移動して、直後には目の前に立っていた。

 余裕綽々といった様子のエースが真っ先に動いて拳を突き出す。

 

 「親父と合流する! ついて来いルフィ! 切り開くぞ!」

 「おぉーし!」

 

 エースの解放と加勢は見る間に戦局を変える。

 たとえ覇気を習得した中将であろうとも、覇気に加えてメラメラの能力を持つエースを捉えることは容易ではない。それどころかインペルダウンの脱獄者たちが陽気に暴れていて、どう転んでも収集などつかなかった。

 頼みの綱の三大将やガープは金獅子海賊団と交戦中、センゴクもまた元は味方であったはずの雨のシリュウに襲われて手間取っている。

 

 このまま火拳のエースは逃げ延びるのか。

 俯瞰していたミホークは不可解な気配に気付き、空を見上げた。

 直後には雲の下から雷が降ってくる。

 

 突如としてマリンフォードの広場に落ちて、雷は人の形を作っていた。バチバチと音を立てながら徐々に様子が変わっていき、人としての色を得る。

 ミホークは遠方からでもその姿を視認していた。

 雷の能力者について噂を聞いたことはない。存在してもおかしくはないとはいえ、ロギアでありながら無名は少し気になる。

 

 さらにミホークは視線を上げ、空を歩いている仮面の少年を見やった。

 浮遊とは違い、立っていることはできないのか、同じ場所をぐるぐる回っている。あれも能力者で間違いない。おそらくは超人系(パラミシア)だろう。

 ともあれ、今気になるのは広場に乱入した雷の男だ。

 

 黄金の棒を肩にかけて立つエネルは、楽しげな様子で笑っていた。

 空から見下ろしてすでに見つけている。

 空島の戦いにおいて自らを殴り飛ばした麦わら帽子の男、マクシムを破壊しようといくつもの爆弾を放り投げていた紙の男、海軍基地で無遠慮に殴りつけた海軍の老兵。

 ここには復讐したい相手が揃っている。

 それだけでなく海賊と海軍がぶつかる激戦地だ。

 獲物ばかりだと喜び、エネルは全身からゴロゴロと雷鳴を轟かせた。

 

 「ヤハハ、ここならば相応しいだろう。神の降臨を知らせてやる」

 

 全身から放たれた雷は全方位へ攻撃を行い、留まることなく人々を貫いて駆け抜けた。

 攻撃の余波が消えた直後、彼の体は一瞬にして掻き消え、目にも止まらぬ速度で移動する。その間も無作為にあちこちへ雷を飛ばし、高速で駆ける矢の如く、海兵も囚人も問わずに次々貫きながら本命は別にあった。

 

 エネルは雷に変質した右腕を前方へ伸ばした。直進すれば忌々しき麦わら帽子の男、ルフィを直撃するはずであったのだが、その前に炎の塊が立ちはだかる。

 炎と雷が激突し、眉をひそめたエネルは足を止めた。

 

 「あ! あいつ、耳たぶ!」

 「わりぃな。弟なんだ。手出し無用で頼む」

 「知ったことか。我は神なり」

 

 エースとエネルが互いに腕を突き出して、炎と雷がぶつかって強烈な閃光を生み出す。

 雷鳴が轟き、火の粉が意図的にあちこちへ巻かれ、戦場はさらに混沌としていく。

 さらにミホークは、遠目に見ていた空に居た少年が落下してくるのを目撃した。

 

 テクテクの実を食べて場所を選ばず歩くことができるルースは、修行の結果、海面でも空中でも足場にして歩くことができる。ただしあくまでも歩く能力であるため、走り出せば足場を失って落ちてしまう。用途さえ守れば便利である反面、速度はある程度制限される能力だ。

 地面に着地する前に歩き出し、落下の衝撃を膝に受けることなく、彼もまた無機質な仮面で顔を隠したまま戦場へ入り込む。

 

 明確な意図があった。攻撃の意思を目視したからだ。

 彼は強力な武装色の覇気を使い、戦闘中の囚人と海兵を襲う。背後、側面、或いは正面でも構わずに攻撃を行って吹き飛ばしている。

 果たしてどんな理由があるのか。何にせよ、混乱をもたらす者でしかない。

 

 「新たな脅威か。それもまた面白い」

 

 ミホークは悠然と歩き出した。

 剣を抜くことなく激しい戦場をくぐり抜けて、決して急ぐ様子を見せず、一定の歩調で進む。

 右や左で次々に誰かが倒れていくが、興味を見せる瞬間は一度としてない。

 ようやく背後に納めた剣へ手を伸ばしたのは正面にルースの姿を捉えた時だ。戦闘中だった彼はミホークの接近に気付き、思わず鞄からナイフを取り出す。

 

 「噂は聞いている。賞金稼ぎだな」

 

 名と姿を覚えているということは彼を強者と認めているのだ。

 ミホークが刃の届かぬ距離から剣を振り抜く。尋常ならざる強烈な斬撃が空を飛び、直進してくる様を見てルースはナイフを振り上げた。

 覇気を纏ったナイフが飛ぶ斬撃を受け流し、跳ね上げて、尚も飛んでいくそれは処刑台を、さらにその先にある海軍本部の建物を斬り裂く。

 思わぬ甚大な被害であったが、慌ただしい現状では気にする者は一人として居なかった。

 

 ミホークは歩調を変えずに歩いて進み、次の攻撃を行おうと剣を振り上げる。

 今度は刃が届く距離に入ってから振り下ろし、再度ナイフを振り上げるルースと直に打ち合う。けたたましい音が鳴り響き、覇気の激突によって凄まじい衝撃が周囲へ広がった。

 

 噂通りか、それ以上。

 彼を認めたミホークは尚も攻撃して腕を試し、ルースも仕方なく付き合う。

 二人の衝突は周囲へも大きな影響を及ぼしていた。力のある海軍中将であっても世界一の剣豪たるミホークの斬撃はただでは済まず、余波を浴びないようにと距離を取り、それほど素早い判断ができない海兵は巻き込まれている。

 

 ますます混乱が広まりつつある。そんなタイミングで再び彼が現れた。バリッと音がしたかと思えばすでにルースの傍に居て、楽しげな様子で棒を回している。

 速いだけに、戦場を引っ掻き回すのもお手の物か。

 混乱を好むエネルはミホークを見ながら、雷を変えた腕を空へ伸ばした。

 

 「何をしている。私の所有物だぞ」

 「単なる腕試しだ」

 「強いだろう? わかったらさっさと退場するがいい。神の裁き(エル・トール)!」

 

 頭上から強い光が差したかと思えば、極太の柱のような雷が降ってきた。

 ミホークは後ろへ大きく跳んで回避する。

 早くもエネルは次なる攻撃を繰り出しており、しかしその対象はミホークではなく周囲で戦っている見知らぬ人々だった。彼らの攻撃は敵も味方もなく襲いかかる。矢か槍か、縦横無尽にどこまでも伸びる雷は的確に人間のみを貫いていた。

 

 彼らの乱入でさらに戦況が変わろうとしている。

 何の前触れもなく現れて、目的もわからぬまま襲われているが、果たして何者なのか。誰も理解できないままに大勢の人間が倒れていく。

 

 「ヤハハハハ! 神の恐ろしさを知れ!」

 「実力はともかく、乱戦は得意か。あの能力では容易には止められまい」

 

 エネルの行動を止める者はなく、雷の速度であっという間に攻撃の範囲から消えてしまい、次の瞬間にはまた別の場所から雷を降らせる。

 一対一で戦ったのならミホークは彼を斬れると判断していたが、人が多く入り乱れる乱戦では格好の餌場といったところだろう。

 止められるような強者は手が空いていない。戦場は荒れる一方だ。

 

 「もはや止めようがない……火拳のエースは生還する」

 

 状況を見極め、ミホークは誰に言うでもなく断言した。

 囚人の解放。金獅子の襲来。エネルの乱入。いくつもイレギュラーが重なったことにより、海軍が甚大な被害を受けるのは間違いない。

 これほど荒れた戦場では誰が勝ち、誰が負けるか、もはや予想はつかない。しかしただ一つ言えることはおそらく火拳のエースが死ぬことはないだろう。

 

 金獅子の乱入を引き起こしたのは間違いなく彼の存在だ。

 “海賊王”ゴールド・ロジャーの実子。

 シキが執着しないはずもなく、この場に現れたのは必然だったと言える。

 

 「明日の海がどうなるか、もはや誰にも想像できない……」

 

 ミホークは騒がしい戦場を眺めて、誰に振るうでもない剣を握って立ち尽くした。

 



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終戦

 「波乱は起こったが、誰もが予想だにしないものだった」

 

 酒が注がれたお猪口を傾けて、喉を潤して一息つく。

 シルバーズ・レイリーはマリンフォードからリアルタイムで送信される映像を眺めて、静かに、ただ現実を受け止めて楽しむように呟いた。

 彼の傍らにはシャッキーが座っていて、自らは半ばほど減った酒瓶を握っていた。

 

 「いや、奴だけは予想していたのかもな。今回は金獅子の一人勝ちか」

 「この海はどうなるのかしら」

 「希望が生き延び、前時代の英雄が死に損ない、新時代はすぐそこまで来ている。そして最後の海へ集まるのだろう。我々の時代を超える戦争が始まる」

 「今も彼が生きていたらきっと喜んで参加するでしょうね」

 「ははは、そうだな。嬉々として飛び込んでいっただろう。私の言うことなど聞かずに」

 

 今回ばかりは量を決めていた。徳利に残っていた最後の酒をお猪口へ注いで、景気付けるために勢いよく飲み干す。

 そうして、レイリーは傍らに置いていた剣を手に取り、立ち上がった。

 

 「行くの?」

 「ああ。幸か不幸か、新時代の旗手が生き残った。前時代を生きた老兵の最後のお節介だ。彼を送り出してやろうと思う。存分に鍛えてからな」

 「そう」

 

 驚くことなくあっさり返して、シャッキーは口角を上げた。

 

 「あなたも変わらないわ。彼と同じ顔してる」

 「ふふ、そうか」

 「いいわよ。楽しんできて。私もモンキーちゃん好きだし」

 

 レイリーは軽く手を上げて早々に歩き出した。

 しばしその背を見送った後、座ったままだったシャッキーは映し出される映像に視線を戻す。

 マリンフォードで始まった戦争は、ようやく終結しようとしていた。

 

 目まぐるしく状況が変わり、次々に人が倒れていき、その体を踏み越えて前へ進み、激しさを増す一方だった戦いがようやく止まった。

 一体どれほどの声が消えたのを聞いただろう。今思い出しても寒気がする。

 咄嗟に動いていたコビーは目の前の状況を改めて理解して、呆気にとられた。

 

 突き出されたのは巨大なマグマの拳。

 それを止めたのは、海賊が持つサーベル。

 今まさに命を奪われようとしていたコビーを守ったのは赤い髪の男で、あまりにも唐突に現れた大海賊の姿を捉えて、気を失うことすら忘れてへたり込んだ。

 

 見上げた人物は間違いなく“四皇”赤髪のシャンクス。

 戦場に乱入した彼に気付いて手が止まり、人々はコビーと同じく動けなくなっていた。

 

 「赤髪ィ……!」

 「これ以上やっても意味はない。まだやる気ならおれたちが相手をしよう」

 

 剣を払って拳を打ち返し、しかしそれ以上の攻撃は行わず、シャンクスは剣を下ろした。

 互いの実力を考えても、疲弊した状態で正面からぶつかるのはまずい。今にも動き出しそうな怒気を感じさせたとはいえ、冷静さは失っていなかったサカズキは動きを止めた。

 

 戦争は最終局面を迎えている。誰もがそう理解していた時に現れた赤髪海賊団は、新世界の海に君臨する海賊の皇帝の一人。全戦力を投入した海軍であっても疲弊し過ぎており、勝機を感じられる状況ではない。

 それは誰しもが理解できたはずだ。

 シャンクス、及び彼の仲間たちは堂々と姿を現しただけで、瞬く間に戦場を支配したのだ。

 

 「センゴク、手を引け。おれは白ひげには加担しないが、まだ戦おうとする奴らはまとめて相手にしてやる。これ以上の被害は望んでいないだろう」

 「赤髪ィ……!? ルフィを海賊の道に引きずり込んだ男か」

 「よせ、ガープ。おれも不服だが……ここまでだ」

 

 戦闘に参加し、上半身は裸になって、血が少なからず流れ、いまだ余力を感じさせるが状況を理解したセンゴクはガープを押し留める。

 本音と現状を判断する行為は違う。部下のため、海軍という組織のため、この場は英断する必要があった。

 目的を果たせなかった海軍は敗北したのだ。

 

 「白ひげ、金獅子、インペルダウンレベル6の囚人たちに加えて赤髪が相手となれば、我々の全滅は免れない。本意ではないだろうがここが限界だ」

 「フン、忌々しいのう。特にあいつがその引き金になったのが腹が立つ」

 「お前の個人的な感情はいい。この戦争は、終わりだ」

 

 センゴクの宣言は決して大きな声ではなかった。だが不思議と張り詰めた空気が漂う戦場に広く伝播していき、敵も味方もなく人々が手を下ろした。

 納得していない者は多く、歯がゆい想いを隠しきれない。シャンクスの目の前に立つサカズキなどが分かりやすい例だ。全身から殺気と怒気を発していて隠すつもりもなく、握られたマグマの拳はいまだ解かれていない。その反面、海軍の現状を理解してもいて、揃いに揃った海賊たちをこの場で打ち滅ぼすことができないのもわかっている。

 

 おそらくサカズキはこれ以上の攻撃を行わない。

 顔を動かしたシャンクスは異なる人物に視線を向けた。

 眼差しに鋭さが増し、一切の油断なく、皇帝と呼ばれても敵意を隠そうとはしなかった。

 

 「お前はどうする? 黒ひげ」

 「いやぁ、ここで退いとこう。こっちも色々予定が狂っちまってな。今ここでお前とやり合っても勝ち目はねぇ」

 

 シャンクスよりわずかに先んじて乱入した海賊、“黒ひげ”マーシャル・D・ティーチ。

 インペルダウンから連れ出したという囚人を連れており、何かしらの目的があって戦場に紛れ込んだようだが、彼らの企みはどうやら失敗したらしい。戦闘による負傷以外は得られた物がなく、しかし落胆してもいなくてやれやれといった態度である。

 

 「これだけの強者が集まって生き残っただけでも上々だろう。なあに、戦力は手に入れた。これからまだ名を上げる方法はいくらでもあるさ」

 「おれとしては、このままお前を野放しにしておきたくはないが」

 「ゼハハハハ、ならお前からかかってくるか? それも本意じゃねぇだろう。後ろの奴がお前を殺したくてうずうずしてるぜ」

 

 言われた通り、シャンクスと対峙しているサカズキは今もまだ彼を狙っており、確実に仕留められる隙があればいつでも襲い掛かるだろう。しかしその殺意はシャンクスにのみ向けられているわけではなく、海賊を名乗る者とそれに与する者、それら全てが対象に成り得る。

 今は糸がピンと張りつめた状態。誰かが手を出せば再び激しい戦闘が始まる。そして疲弊した空気の中でそれができる奴は居ない。ティーチはそう判断していた。

 

 退くチャンスはここしかない。

 計画は立て直せばいい。次のチャンスはまた待てばいい。しかし死んでは元も子もない。

 ティーチは後悔を残さずに去ろうとする。

 踵を返す直前、目に留まった相手へ笑いかけ、反応をわかっていながら声をかけた。

 

 「なあエース、おめぇとサッチのことは悪かったと思ってんだ。それは嘘じゃねぇ。だがこれが海賊ってやつだ。おれはおめぇをいつでも受け入れるぜ」

 「黙れ。今回だけだ……おれがお前を見逃すのは」

 

 エースはティーチを睨みつけて拳を握り、上げそうになる腕を必死に抑えて答えていた。

 

 「お前の首は必ずおれが獲る」

 「おっかねぇな。お前らとはまた新世界で会うだろう。麦わらによろしくな」

 

 笑い声を響かせながら、ティーチは号令をかけ、8人の仲間たちと共に去っていく。

 その背を見送る他に手立てはなく、立場を問わずに多くの者が静観していた。

 

 戦闘が継続できないというのなら海賊の傍に居る必要はない。腹が立って仕方ないのだろう、踵を返したサカズキは荒い足取りで離れていく。

 代わりにというわけではないが、シャンクスの前には一人の大男が立った。

 

 “四皇”の一人であり、世界最強の男とも言われる“白ひげ”エドワード・ニューゲート。

 本来、四皇同士が接触することは世界の危機とされている。しかもその二人は以前にも接触が報告されていた。もしかするとこのためだったのか。そう思う海兵が多かったとはいえ、対処をした上での乱入であり、止められたはずだとは思えない状況である。

 疲弊した白ひげはしかしそう感じさせず、険しい表情でシャンクスを見下ろす。

 

 「ハナッタレがおれの戦いに水を差しやがって。おめぇにケツを拭われるほど落ちぶれたつもりはねぇぞ。それとも手柄だけ奪いに来たか?」

 「すまない。あんたに恥をかかせることになるのはわかってた。だが流石に看過できない問題があったからな。おれはおれの自由でここへ来た」

 「フン……ティーチか?」

 「予想とは多少違ったが意味はあった。気に入らないならおれと戦うか?」

 「粋がるな。おめぇにそこまでの興味はねぇよ」

 

 白ひげが視線を動かした先にはエースが居た。

 表情は暗いが、生きている。処刑を免れて戦争を生き残ったのだ。

 死に損なったことに何も思わないではないものの、ひとまずは安堵する。

 

 「おれの息子は生き延びたか……だが多くの犠牲もあった」

 「それもあいつらの自由意思だよい。まずは治療だ。あんたの体は限界だろ」

 

 歩み寄ってきたマルコに促され、仕方なさそうに白ひげは自らの船へ向かって歩き出す。

 その後、マルコがエースへ声をかけた。

 

 「エース! お前も来い! 戦争は終わった!」

 「ああ……」

 

 返事をしながらもエースは動けずにいた。

 自身は生き延びた。だが彼が捕まったことで戦争が始まり、多くの仲間が倒れ、その上、自らの意思で動いたとはいえ、わざわざ首を突っ込んできた弟が深い傷を負ったのである。

 今頃はもう治療を終えているだろうか。いや、そんなにすぐ終えるほど浅くはないはず。

 本人を見て状況を確認することはできない。潜水艦に乗って、すでに島を離れていた。

 

 エースは視線を動かせずにいた。

 荒れ果てた大地に尻を置き、膝を抱えて動かないキリが居る。

 彼が頬を殴って止めなければ、おそらくエースはサカズキから逃げず、たとえ命を失うことになろうとも戦っていただろう。しかしその一瞬の隙でルフィが狙われてしまった。

 

 彼らは、守れなかったのだ。守る必要がないくらい強くなった一方、守りたいと強く思っていた相手を目の前で傷つけられてしまった。そして一歩間違えれば死んでいたかもしれない。治療を頼んだとはいえ、まだ安心はできない。

 

 ショックは大きかったのだろう。戦争が終わっても、キリはその場を動けなかった。

 いつの間にか傍らにはクロコダイルが立っており、何を言うでもなくそこに居た。

 

 戦争の痛みは大きく、マリンフォードの大地に刻まれた傷のように、忘れることができないだろう記憶が脳裏に残っていた。

 仲間を失った者。救えなかった者。託された者。希望を見出した者。そこでは立場や力量に関わらず等しく扱われ、皮肉にも誰もが平等であった。

 誰しもに傷が残り、何かを大きく変えてしまう混沌とした場所だった。

 終わった後でも渇いた空気は変えられず、その地に立って浴びていた者は言いようのない何かを抱えて感じていた。

 

 辺りの状況を見て、ふむと頷いたエネルは、一人だけ呑気な顔をしている。

 流石に強者ばかりの戦場とあって無傷ではいられなかった。しかし傍らに立つ少年、ルースの尽力もあって激しい戦争の中で生き残り、自分の足で立って背筋を伸ばしていられる程度には余力を残している。

 辺りを包む疲弊した雰囲気とは裏腹に、彼らだけは普段の態度を崩していなかった。

 

 「終わった雰囲気を醸し出しているが、攻撃してもいいのか? 今なら仕留められそうだが」

 「流石に空気は読もうよ。もうみんな終わりって感じ出してるよ」

 「知ったことか。私がよしと言えば攻撃してもよいのだ」

 「嫌われるよ?」

 「嫌われても立場は変わらん。我は神なり」

 「ちょっとヴァナータたち」

 

 声をかけられて二人は同時に振り向いた。そこには奇抜な格好の人物が居る。

 同じ戦場に居た以上、視界に入る機会は何度もあった。しかしこの数回の中で理解できた試しは一度としてない。男か女かもわからない格好の上に顔が巨大化したり小さくなったり、男になったり女になったり、ウィンクで人を弾き飛ばしたりぐるぐる回ったりしていた。理解し難いおかしな奴であることだけは間違いない。

 

 変な奴に目をつけられた、と衝撃を受けるルースは、自らの隣に立つエネルも十分に変な奴だという事実を失念していて、さらに仮面で素顔を隠す自身も十分に変な奴だと思われているとは全く気付いていなかった。

 ともかく、無視をするわけにはいかずに向き合う。

 

 周囲の空気から浮くかのように、全く疲労を感じさせず、怪我はあれども元気にピンピンしているイワンコフは腰に手を当てて仁王立ちし、覗き込んできた。

 背後には寂しげにくるくる回るMr.2、疲弊しながら優雅に立つイナズマ、そしてなぜか声をかけられたシリュウが並んでいる。

 どうやら二人も目をかけられたらしい。

 呆気にとられるエネルとルースへ、イワンコフはにっと笑いかけた。

 

 「海賊でも海軍でもないのにこの場に居合わせ、生き残った。面白いじゃない。ヴァナタたち、ヴァターシの話を聞いてみない? 多分損はさせないわ」

 「フン……まあいい。興が削がれた。ここまでにしておいてやろう。それよりも、お前は男か女かどっちだ?」

 「男か女か、そんなのはどっちでもいいじゃなーい! これが新人類(ニューカマー)! ヒーハー!」

 「おい、通訳をしろ」

 「僕にだってわからないよ」

 

 困惑するエネルとルースは顔を見合わせるものの、なんとなく聞いてみることにした。

 マリンフォードを去る際、イワンコフについて行ったのである。

 

 戦争は終わった。

 参加した者に決して忘れられない大きな痛みと傷を残し、世界中の人間に衝撃を与えて、これから始まるであろう危険な事態を予感させて。

 

 まだ形が残っているのが奇跡であろう。戦闘の余波を受けて海軍本部の要塞が半壊しており、それはマリンフォードの町も島も同じだ。よくぞ形を残していたと改めて思う。

 空に浮かび、島を見渡すシキは長らく沈黙していた。

 距離はあるが足元にリードがやってきて、遠くを眺める彼へ言う。

 

 「思い通りにはなったか?」

 「さあ……どうだろうな」

 

 少し遅れてブラックが到着し、頭上に浮かぶシキをリードと挟むようにして立つ。

 

 「これからはあなたの時代です。海賊の支配はこれから始まる」

 「当然のことを言うんじゃねぇよ。おれの計画は始まったばかりだ」

 

 ふわりと地面に降り立ち、両脇に信頼を置く部下を連れて、シキは笑った。

 間違いなく今日は世界が変わった日だ。

 そのきっかけは数多く、エースを捕えたティーチであり、エースの処刑を決めた海軍であり、それをきっかけに海軍との全面戦争に乗り出した白ひげであり、好機と睨んで乱入したシキであり、本人の意思はどうあれ、全てに関わるエースでもある。

 いずれにせよ、今日と明日とで海は違う。彼にとっては記念的な出来事だった。

 

 「退屈な睨み合いは終わりだ。世界を獲りに行くぞ」

 「待ってました」

 「シキ様の御心のままに」

 「気持ちわりぃ喋り方してんなよ、海軍上がり」

 「海軍上がりではない。金獅子海賊団生まれの海軍育ちだ」

 「ジハハハ」

 

 地に足を着けて歩き出す。

 その歩みを止めさせようとはせず、センゴクとガープが見送ろうとしていた。

 ライバルであると同時に戦友のようでもある。久しい再会だった。互いに歳を取り、二十年ぶりに殴り合ったが決着はつかず。何も思わないわけでもない。

 ガープが遠ざかろうとするシキの背へ声をかける。

 

 「行くのか?」

 「ああ。止めに来るか?」

 「さてな……わしの本音としては若いもんに任せたいところだが、どうじゃ。お前も引退して若いもんに任せてみては。そしたらわしらが出張る必要もなくなる」

 「おれがそうすると思うか?」

 「いいや。なら、仕方ないのう」

 

 一度も振り返らずに去り、シキと空飛ぶ船団はマリンフォードを後にした。

 世界に与えた影響は大きく、また海軍が敗北したという事実は市民を不安にさせ、一部の者たちには熱狂と大興奮を与えた。

 こうして、後に“マリンフォード頂上戦争”と呼ばれた戦いが幕を閉じたのである。

 



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海賊情勢と海軍決闘

 頂上戦争の内容はすぐさま報道された。

 情報は瞬く間に世界各地へ届けられ、海賊王誕生以来の大きな熱狂を生み出す。

 

 「ビッグ・ニュースだ! 各地へ記者を送れ! これから続けてニュースが来る!」

 

 世界経済新聞社の社長、“ビッグ・ニュース”モルガンズは興奮していた。

 時代の変わり目を見たのだ。長らく白ひげこそが海賊王に最も近い位置にあり、玉座に座ることなくその前に陣取っていたと語られている。その位置を揺るがす大事件こそマリンフォード頂上戦争であって、金獅子の復活、インペルダウンから囚人が大量に放出された一件、何よりもかつて白ひげのライバルであった海賊王ゴールド・ロジャーの息子であるエースが生きて救出されたこと。何もかもがビッグ・ニュースで、これを機に海賊の世界は一変するだろう。

 

 結果だけを見ればエースの救出に成功し、海軍は敗北、白ひげ側の勝利と言えるだろう。しかし全盛期の力を保持していたならばマリンフォードを沈めることさえできたはず。

 白ひげにかつての力はない。その事実が知れ渡った戦いでもあった。

 

 これから人々は嬉々として海へ出るであろう。

 万が一にも白ひげを討ち取ることができたのなら。そう考えて動き出す者は多く、それさえも超えて海賊王に野望を抱く者も少なくない。

 大航海時代が始まった頃を彷彿とさせる、全世界の人間が色めき立つ熱狂が舞い戻った。

 

 世界情勢が荒れるこの機を逃して報道屋を名乗れるはずもない。

 モルガンズは心底喜んでいた。

 これで次々にビッグ・ニュースを入手できる。彼は狂喜して社員たちの尻を叩いていた。

 

 「注目株は多いぞ! 四皇の動向に加えて金獅子も探れ! それからインペルダウン大脱獄の主犯格、麦わらのルフィの消息を追え! 助けたのは“死の外科医”トラファルガー・ローだ!」

 「トラファルガー・ローの船は潜水艦で、海中を移動して姿を消したとか……!」

 「その後の足取りを探れってことだ! 前半も後半も漏らさず探せ! それから戦争に関わったロジャーの関係者も見逃せない! 息子のポートガス・D・エース! 当時見習いだった“赤髪”のシャンクスと“道化”のバギー! 途中で降りたダグラス・バレット!」

 「道化のバギーには政府の接触があった模様です。赤髪は白ひげから離れて新世界へ戻り、戦争の直後、ダグラス・バレットは姿を消しました。それから、革命軍についてですが」

 

 社員の報告を聞きながらモルガンズはうずうずしていた。

 血が騒ぐ。大きな事件はもちろん、付随するようにしてこれから起こる事件を想えば、体が勝手に動き出してしまいそうだ。

 そんな社長の悪癖をしっかりと見ながら無視をして、社員は冷静に報告する。

 

 「インペルダウンの獄内で消息を絶っていたイワンコフとイナズマが再度現れ、同じく獄内から連れ出された雨のシリュウ、さらに戦争に乱入した賞金稼ぎと謎の雷男を連れていきました。おそらく革命軍のドラゴンに会うつもりでしょう」

 「奴らの本拠地はまだわかっていない。なんとか追えんものか……」

 「社長! 新情報です!」

 

 扉を蹴破るかのような勢いで開けて社員が飛び込んできた。

 新情報、続報、スクープ、ビッグ・ニュース。モルガンズが好きな言葉だ。こうした状況ではより期待値が高まる。

 ぐるりと振り返ったモルガンズは目を輝かせて社員を見つめた。

 

 「新世界入りした“黒ひげ”が“白ひげ”のナワバリを襲撃しました!」

 「そら来た! 早速動いたぞ!」

 「どうやら奪う物を奪って、駆け付けた白ひげ傘下の海賊団を倒して逃げたそうです」

 「今回は小競り合いか。だが黒ひげは幼少の頃から白ひげ海賊団に所属していた。白ひげのナワバリについては熟知しているはず。今後も同様の動きが多くなるぞ」

 

 予想通り、動き出す海賊が居た。

 事態の変化に目敏く気付いてモルガンズは思わず拳を握る。

 人よりも大きな鳥である彼が持つのは手というよりも翼なのだが、器用に握って、さも当然と言わんばかりに平然と二本足で立っている。

 力を入れるモルガンズにまたも新情報が届けられた。

 

 「社長! 大変です!」

 「どうした!? 次は誰だ!」

 「“世界の破壊者”バーンディ・ワールドが百獣海賊団に迎えられました! カイドウ側から接触があった模様です!」

 「なんだと!? まさか、あの伝説的な“ロックス”の再来か!? こいつはビッグ・ニュース!」

 

 モルガンズが大興奮している頃、グランドライン後半、新世界某所。

 かつてワールド海賊団を率いた船長、バーンディ・ワールドは名も知らぬ部下に引き連れられ、四皇の一人であるカイドウと対峙していた。

 

 「目的は復讐か? 何もかも破壊したいんだろう。おれと一緒に来い。いずれ白ひげのジジイを超える世界最高の戦争を起こしてやる」

 「おれは誰も信用しねぇ。仲間はいらねぇんだ。ただ、破壊するだけだ」

 「ウォロロロロ。それでいい」

 

 かつての伝説を再度演じるかのような兆候。

 興奮するモルガンズに、状況を理解できない社員が恐る恐る問いかける。

 

 「社長、ロックスというのは一体……?」

 「かつて確かに存在し、だが政府によって抹消された海賊団があった。今回の戦争では姿を消したはずの元クルーたちが続々と姿を現している。そしてロジャーの関係者だ。たとえ政府が止めようとしても今回ばかりは抑えられない」

 

 くつくつと笑う彼はいつにも増して様子がおかしい。

 ロックスという名は、知る人ぞ知る稀少な情報であり、努めて秘匿されているのが現状だ。世代にもよるが知らないとしてもおかしくはない。

 事情を知らない記者たちは、ニュースが欲し過ぎてついにおかしくなったかと、自らの社長を見つめて不安そうにしていた。

 

 「さあ、まだまだあるはずだぞ! もっとビッグ・ニュースを持ってこい! あらゆる情報と世間の熱狂は我が社が独占する!」

 「社長! 新世界で活動再開した金獅子が四皇のナワバリへ侵攻を開始しました! 相手を選ばず同時に攻撃を行っています!」

 「やはり動いたな。これであの海に“安泰”というものはなくなった」

 「社長! パトリック・レッドフィールドが現れました! 前半の海、シャボンディ諸島に!」

 「何っ!? 前半!? これはビッグ・ニュース……! 目的と次の行動が読めないぞ」

 

 言いながらも恐怖は微塵も感じていない様子で、モルガンズは興奮に打ち震えている。

 会社を包む熱気が冷めやらぬ様子の中、さらに慌てた様子の社員が駆け付けた。

 

 「社長!」

 「今度はどうした? どんなビッグ・ニュースだ?」

 「し、新世界で――!」

 

 

 *

 

 

 その土地は、雪が降る気候ではなかった。

 その海は、巻き上がる炎に包まれてはいなかった。

 そしてその島は、凍えるほどの冷気と肌を焦がすほどの熱気に覆われてなどいなかったのだ。

 

 そこは政府によって立ち入り禁止に指定されていた無人島で、誰も訪れることがなかった。だからこそ決戦の場に選ばれたのである。

 島内には二人の人影。燃える炎と地面に突き刺さった氷の向こう、互いに睨み合っている。

 すでに何日が経過したのか。戦闘はいまだ終わる気配がなかった。

 

 向き合うのは大将“赤犬”と大将“青雉”。

 互いに海軍を率いる立場にある二人は、次期海軍元帥の座を決める際に意見が対立し、雌雄を決そうとしている。

 実力は拮抗しており、頂上戦争からそう時間を置かず、急いでいる印象すらあった。

 戦争の余韻すら消えぬまま、二人は自らの命を賭けて死闘を演じている。

 

 爆発的に巨大化したマグマの拳を握り、サカズキが地面を殴った。熱が伝わり、一瞬で沸騰した地面は彼の能力の影響を浴びて、瞬く間にマグマへ変貌していく。

 数十メートル前方、立ち尽くしていたクザンの下へ一直線に大地を走るマグマが迫った。

 

 静かに足を上げ、クザンが地面を強く踏み抜き、周囲の大地が一瞬にして凍りつく。

 漂う冷気と迫りくるマグマが激突して、視界は吹き上がる蒸気に覆われた。

 間髪入れずにクザンは右手を伸ばす。全身が氷に変質すると、右腕から送り出された冷気が空気中の水分を凍りつかせ、翼を広げた巨大な鳥の形を模る。

 

 地面を滑らせるようにして氷の鳥が直進していく。

 拳を握り、待ち受けたサカズキは相手の攻撃が辿り着く前に、爆発的に大きくなったマグマの拳を前方へ打ち出した。

 氷の鳥は一瞬で破壊され、蒸発させてしまう。

 互いの間を濃厚な蒸気が覆ったが、サカズキは気配を感じ取って視線を上げた。

 視認することは難しい蒸気の向こう、わずかに影が見える。

 

 空に跳び上がったクザンは空気を凝固させ、多数の氷を生み出していた。頭上には山かと見紛うほどの巨大な塊、周囲には無数の槍。右手を振り下ろし、それらを一斉に射出する。

 流石に表情を険しくしたサカズキは、マグマに変えた両腕を空へ向けた。

 

 「流星火山……!」

 

 マグマの拳が無数に空へ撃ち出される。

 両腕から砲弾の如く、次々と拳が放たれていき、巨大な氷塊も間を縫うように飛ぶ槍も悉くを破壊し、一瞬にして蒸発させる。それだけに留まらず、空から降り注ぐマグマは大地を焼き、辺りを包む炎と熱気が景色を歪ませる。

 

 強烈な熱気に包まれたのも一瞬。攻撃を上手く避けて、落下してきたクザンが着地すると同時、マグマと炎に包まれていた大地が瞬きする間もなく氷に覆われ、冷気に包まれる。

 状況は一向に変わらず、再び元通りだ。

 

 クザンの背後には巨大なつららが何本も地面から生えていて、サカズキの背後には燃え盛る炎と沼のように溜まったマグマが存在していた。

 互いの能力が島の風景さえ変えてしまい、ダメージは今もなお継続している。

 己のナワバリを保持するかのように、対峙したその時から一線を越えさせることはない。

 睨み合う二人はもはや話し合おうなどという思考は一切持ち合わせなかった。勝者が海軍元帥の座に就き、海軍全体の動向を決定する。求めるものは勝利のみ。

 

 再び同時に動き出した。

 クザンが両腕を前へ伸ばせば、巨大なつららが地面から生えて前進していく。

 サカズキが地面を踏み抜くと、辺り一帯がマグマに変わり、つららを破壊して拳を放つ。

 巨大な爆発。それでもどちらかが倒れることはなく、更なる氷とマグマが宙を舞い、激突する度に島中が揺れるかのような衝撃が走った。

 

 実力は拮抗しており、どちらも手を抜かず、敗者には命の保証さえない。覚悟の上で全力の攻撃を繰り出している。

 二人の戦闘は尚も激化し、数日を経ても終わる兆候など感じさせない。

 忘れられた島の内部で巨大な爆発が起こり、近付ける者は一人として居なかった。

 

 所変わって海軍本部。

 半壊した要塞の再建が進められる一室で、海軍元帥のセンゴクは報告を聞いていた。

 次期元帥を決める決闘はいまだ終わっていない。報告を受けて厳めしい表情をしていた。

 

 「まだ終わりませんか。あの二人は」

 

 執務室を訪れていたボルサリーノが尋ねる。

 顔を上げたセンゴクはため息をついた。

 

 「しばらくかかりそうだな」

 「どっちも強情ですからねぇ~。今までよく何もなかったもんです」

 「選択を誤ったとは思いたくないが、どちらが勝っても海軍に残るのは一人だろうな。今更だがお前の意思はどうだ? 二人を仲裁して元帥になる気はないか?」

 「いやぁ~遠慮しときますよ。今更にしても前もってにしても、あの二人を従えて海軍を動かすのは至難の業でしょ~」

 「そうだな……私も少なからず苦労があった。優秀であることに変わりはないのだが」

 

 やれやれと言いたげなセンゴクを労うようにボルサリーノは穏やかに話す。

 

 「どっちも頑固ですからねぇ~。あの二人を慕う海兵が多い反面、困ってる連中もそれなりには居ますから」

 「私はどちらに任せても今後の海軍は安泰だと考えている。だが穏便に進められずにこうなった以上、どちらかを失うことになる。大きな損失だ」

 「改革が必要ですか」

 「どの道海賊の世界も変わる。あの時ポートガス・D・エースだけでも処刑できていれば、或いは状況が変わっていたかもしれんが」

 

 センゴクがため息をつく。

 気苦労が多いのだろうと察している。元帥の座は海軍のトップである一方、世界政府や市民の間で板挟みとなり、なんでも思い通りにできる立場ではない。むしろ元帥よりも大将、大将よりも中将の地位に居た方が自由に行動できるほどである。

 様々な武功を立てたガープが大将の座にさえ就かず、昇進を蹴って中将で居続けるのも、その地位が最も自由に行動できると判断してのことだった。

 

 ボルサリーノもまた三大将の一人であり、責任ある立場だ。その一方で天竜人に体よく利用される場面もあって、つい先日、麦わらのルフィが天竜人を殴った一件でシャボンディ諸島に呼び出されたのも、海軍の意思というより政府や天竜人に利用された結果だ。

 彼がため息をつく理由や心情にも理解を示している様子であった。

 

 「済んだことを悔やんでも仕方ないでしょ~。それに今回は相手が悪かった」

 「金獅子か……海軍内部も一枚岩ではない。同様の件がこれだけとは限らないのだ」

 「イーストブルーですか。確か、麦わらが関わってましたよねぇ~」

 「今思えば、あの頃に止めることができていればここまでの事態にはならなかったというのに。いや、今更悔やんでも仕方ない」

 

 ため息を堪えてううむと唸り、そう言いながらもセンゴクはじとりとした視線を横へ動かす。

 

 「お前の教育が間違っていなければ……」

 「ぶわっはっは! 流石わしの孫!」

 

 ガープはいつも通りに何を心配することもなく、上機嫌に笑っていた。

 頭を抱えるセンゴクであったが彼との付き合いは長い。そうした態度も当たり前に思えて、強く言い聞かせて振る舞いを変えさせようとも思わなかった。

 

 「笑っている場合か。まったく……これから苦労することになるぞ」

 「なあに、いつの時代も何かが起こる。わしらの時代も海賊王の誕生を止められんかった。わしらが退いた次の時代も間違いなく何かが起こる。願わくばルフィを海賊の道に引きずり込んだ赤髪をわしの手で捕えたいところだが」

 「麦わらの件はお前の教育がもう少しまともなら回避できたことだ。やれやれ……」

 

 豪快に笑うガープは気にせず、センゴクは顔つきを変える。

 頂上戦争の敗北は大きな転機だった。海軍は変わる必要がある。そのためにセンゴクは元帥の座を後進に譲ることを決意したのだが、だからといって隠居している暇ではなさそうだ。

 何をともなく中空に目を向けて、先を見据えて彼は自らに言い聞かせるように呟いた。

 

 「何にしても、内外を問わずに警戒を強化する必要がある。赤犬、青雉、どちらが勝とうともおそらくやるべきことは同じだ。我々も手をこまねいている場合ではない」

 「オォ~……忙しくなりそうですねぇ~」

 「仕方ないのう。そうじゃ、ルフィとエースを見つけて今度こそ海兵にすれば――」

 「今更どうにかできるものか、バカっ!」

 

 センゴクが発した咄嗟の一言をきっかけとして、センゴクとガープは子供のような言い合いを始めてしまう。古い付き合いであったが度々そうたい姿は目にすることがあった。

 光の速度でも回避できなかったボルサリーノは退出する暇を見出せぬまま、しばし二人の幼稚な口喧嘩を眺めていた。

 



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再起を誓って

 まるで稲妻のような衝撃だった。

 突然の襲撃と、今までに類を見ない凄まじい規模の戦闘。大地は抉れ、周囲の建物が悉く破壊されており、騒音は一秒たりとも収まることはない。

 

 盾を装備した巨体が凄まじい速度で飛んできた。まるでそれは、ピストルが放った銃弾の如く、重力に逆らうようにして真っ直ぐの軌道で飛来している。

 避ける暇などなく、防ぎようもない。

 たかが盾でも巨大で、それなりの速度があれば、ただの体当たりでも十分に威力がある。

 

 「パール・“反発(リペル)”・特大プレゼ~ント!」

 「ぎゃああああっ!?」

 

 ただの突進、しかしそれだけで大勢の人間がまとめて吹き飛ばされ、また一つの石造りの建物が破壊された。

 耐え切れずに屈強な男たちが倒れたそこで、むくりと巨体が起き上がり、両腕を掲げる。

 丸い盾を高々と掲げて、まるで自分の力を誇示するかのようだった。

 

 「ハ~ッハッハ! てっぺき! よって無敵! やはりおれの盾は最強だ!」

 「ううむ、やはりあれは強いな。生身の盾より金属の盾の方が強いのか……?」

 

 高らかに笑うパールを眺めて、難しい顔をするカールが呟く。

 馬鹿馬鹿しい光景に見えるのだがどちらも至って真面目であるらしい。

 嘆息するキラーは、血ぶりをした後で両腕の籠手に刃を仕舞い、辺りを見回す。

 

 どうやら後はキッドが相手にしている男だけのようだ。引き寄せた金属が宙を舞って、右腕に纏わせると巨大な拳を作り出し、頭上から叩き潰すように振り下ろす。

 相手は避け切れずに眺めるだけで、気付いた時にはすでに終わっていた。

 ずずんと重い音が轟き、衝撃で地面を深く陥没させて、腕を上げた時にはすでに相手は血だらけになって倒れていた。

 

 戦闘は終了した。

 崩壊した町に佇み、倒れた敵の一団を眺める。

 パールとカールは上機嫌な様子だが、キッドは苛立ちを隠せない表情であり、キラーが歩み寄るとその感情を隠しもせずに吐露した。

 

 「こんなもんか……? 新世界のレベルってのは」

 「ここはまだ入り口だ。警備が手薄でも不思議ではない」

 「フン、どうだかな。こんな程度だってんならビッグ・マム海賊団も大したことはねぇぜ」

 

 彼らが攻撃した島には海賊旗が掲げられていた。

 世界で知らない者は居ない四皇の一角、ビッグ・マム海賊団。おそらくはナワバリだったのか、契約していた島だったのだろう。そこに手を出せばタダでは済まないことは誰しもが理解できる。それなのに彼らは躊躇うことなく攻撃を行い、町を破壊したのだ。

 

 警備の兵はすでに倒した。ビッグ・マム海賊団にもこのことは伝わっているはず。

 恐れることはない。

 海賊王を目指すのならば四皇を超える必要がある。当初から敵対する意思しかない。

 

 「て、てめぇら終わったな……相手が誰だか、わかってんだろうな」

 

 倒れた男の一人が弱々しい声で呟いた。

 キッドが目を向けると、すでに倒した相手が言っている。相手にする価値もないと思うのだが、聞こえる距離であるため素直に耳を傾けた。

 

 「すでに報告はママへ伝えられている……ここにもすぐにやってくるぞ、お前らを殺すための幹部連中が」

 「ほう、そりゃ有り難い。探しに行く手間が省けるな」

 「ハッ……イカレてやがる」

 「おいパール。火を貸せ」

 「うん? 身の危険は感じていないが?」

 

 言われた通り、手に装備した盾をぶつけ合わせて火花を作り、パールはカールが放り投げた玉に火を点ける。

 後は特にすることもない。

 腕を伸ばしたキッドが玉を操り、空へ向けて撃ち出す。壊れることなく立っていた建物の屋上に掲げられていた海賊旗へ直撃し、瞬く間に燃え上がらせた。

 

 海賊旗を燃やす行為は敵対意思の表明であり、宣戦布告を意味する。

 今、キッドは四皇ビッグ・マム海賊団に喧嘩を売ったのだ。

 血だらけで倒れる男はけらけらと笑い、やがて気を失って倒れると沈黙する。

 

 轟々と燃える火は夜の闇を切り裂いていた。

 頭上を見上げるパールとカールは笑みを浮かべて、緊張感もなく見惚れている。

 

 「うむ、きれいだな」

 「ああ、まったくだ」

 「あいつらはわかっているのかいないのか……いいのか? キッド」

 「何がだ」

 「ビッグ・マムへの宣戦布告だ。最初の標的を定めたと考えていいんだな?」

 「なあに、どうせ全員ぶちのめすんだ。誰が最初で、誰が最後でもいい。チャンスがあれば誰が相手だろうと潰す。それだけだ」

 「そんなことだろうと思ったが……まあいい」

 

 意思は同じである。キラーは驚きもせずにキッドの意見を受け入れた。

 

 「あの戦争はただのきっかけだった。ようやくこれから始まるんだ、王の座を巡った海賊同士の競争が。今に他の連中も動き始めるぞ」

 「ああ。だが、麦わらの一味は」

 「いずれ戻るだろう。戻らねぇんなら障害が減るだけだ」

 「炎は神聖な気持ちになるな」

 「よし、キャンプファイヤーをするか」

 

 キッドとキラーはこれから始まる苛烈な時代を想い、静かに戦意を高めていた。

 カールとパールは燃える海賊旗を眺めて穏やかな気持ちになり、これから一休みする際には大きく火を焚いてキャンプファイヤーを作ろうなどと考えていた。

 

 興を削がれた気になり、キッドとキラーは同時にため息をつく。

 何にしても、事態はすでに動き出したのだ。それは目で見ずとも感じている。

 

 時を同じくして動き出した新時代の海賊たちは、同じ時期に新世界入りを果たしていた。

 意気揚々と海へ漕ぎ出す者、機会を待つ者、自ら四皇の部下になろうとする者。各自の行動は様々であったが目指すものは総じて大きい。

 新世界に入ったからには四皇を避けて通ることはできない。覚悟のない者など、“超新星”と呼ばれた彼らには一人として居なかった。

 

 一方で、敢えて新世界入りを先延ばしにした者たちが居る。

 大事件を起こした麦わらの一味、船長のモンキー・D・ルフィは頂上戦争の参加の後、自らの意思で再びマリンフォードへ現れ、奇妙な行動を取った上で瞬く間に姿を消した。

 その行動にはあるメッセージが込められており、密かに仲間たちへ伝えられたのだ。

 

 「僕らは3日後にシャボンディ諸島で落ち合うことを約束していた。だけどそれができる状況ではないし、新世界で生きるためには修行が必要だ。だから“3D”を消して“2Y”」

 

 冷静に語るキリに目を向けて、トラファルガー・ローは静かに説明を聞いていた。

 

 「2年後、僕らはシャボンディ諸島で集合する」

 「そのためにわざわざマリンフォードへ? 相変わらずお前らの船長はイカレてるな」

 「ルフィの案じゃないよ。カモフラージュのための黙祷や16点鐘なんてまず思いつかない」

 「シルバーズ・レイリー……か」

 

 ローは数日前の出来事を思い出す。

 頂上戦争の終盤、突如として海中からマリンフォードへ現れたハートの海賊団は、サカズキの攻撃で傷を受けたルフィの身柄を引き取り、脱出した。ルフィを治療して生かしたのは船長でありながら船医でもある、他ならぬローであった。

 

 一歩間違えればどうなっていたことか。ローが駆け付けたのは麦わらの一味にとっては有り難いことだった。反面、彼の目的もよくわかっていない。

 いずれ敵になる相手をなぜ助けたのか、それはキリにもわかっていなかった。

 

 「利用価値があると判断したまでだ。それにおれは、これでも殺しは好きじゃない」

 

 素っ気なくそう告げて、それきり詳しい説明をしようとはしなかった。

 ただの気まぐれか、算段があってか。どちらにせよ構わない。

 キリはしばらくの間、礼の意味も込めてローが率いるハートの海賊団と行動を共にすることを決めて船に乗り込んだ。

 彼らの潜水艦、ポーラータング号はすでに出航しており、キリはその甲板に居る。

 

 「お前はいいのか?」

 「修行のことならなんとかなるよ。君たちと行動して、日常的に戦っていれば自然と強くもなるだろうし」

 「おれが言いたいのはそういうことじゃねぇ。麦わら屋のことだ」

 

 空が青く晴れ渡り、波は穏やかで、海がキラキラと輝く日のことだった。

 海を眺めていたキリは背を向けたままローの声を聞いている。

 

 「ルフィのことは大丈夫。レイリーが修行を見てくれるし、七武海のハンコックがずいぶん気に掛けてくれるみたいだった」

 「目覚めてから、まだ会ってねぇんだろう?」

 「うん」

 

 以前に出会った時とは印象が違い、やけに静かだと感じる。

 思うところがあったのだろう。それほど激しく、ひどい戦争だった。

 当事者の一人であり、ルフィが死にかけたその場に居合わせたというのなら、彼とて今のままでは居られないはずなのだ。

 

 「あの日、僕はルフィを守れなかった。ほんの少しでも何かが違っていればきっと死んでいた。単純に力が足りなかったんだ」

 「だろうな。あそこには世界中から強い奴だけが集まっていた。お前がそのレベルに達していなかったってことだろ」

 「そうだね。だから、言い訳が通じるような場所じゃないんだ。死なせたくないなら何が何でも守らなきゃならない。たとえどんな手を使ってでも」

 

 覚悟を感じる声だった。

 思えばルフィが目覚める前にハートの海賊団と共に女ヶ島(にょうがしま)を離れたのも、決意を鈍らせないための行動だったのかもしれない。

 振り向いたキリは晴れやかな笑みを浮かべていた。

 

 「あの時、レイリーにも言ったんだ。もう手加減はしない」

 

 その日、その言葉を聞いたレイリーはわずかに寂しげな顔をしていて、何を考えていたにしても彼が選んだ道を認めて送り出したのだろう。奇妙な空気をローは覚えている。

 立場は同じ副船長で、互いに選んだ仲間も歩んだ道も違う。しかし思えばあの瞬間、二人の道は決定的に違えたのだろうと改めて思う。

 

 ローはそんな彼を好意的に見ていた。

 以前の印象で言えば、麦わらのルフィは考えなしの負けず嫌い。どこかで野たれ死んでいても驚きはしない。しかしその行動力と爆発力を認めてもいる。

 一方で同時期に出会ったキリは態度こそ問題だが、思考は冷静によく働き、時として手段を選ばずに冷酷な判断さえ下すことができる。

 彼を船に乗せる判断をしたのも、後のためであると同時に彼を認めてもいたからだ。

 

 のほほんと力が抜けていた彼は今、どこかぴんと張り詰めた空気に身を包まれ、以前よりも冷たい印象を覚える。果たして吉と出るか凶と出るか。

 試してみなければわからない。そして試してみたいと思っている。

 

 ハートの海賊団は機会を窺うため、新世界入りを先延ばしにしていた。

 それは自分たちのためである一方で、新たに乗り込んだキリのためでもある。

 最初の目的として、彼らはさらに名を上げることを望んでいた。

 麦わらの一味が忽然と消えた海で、事態は着実に動き始めようとしていたのだ。

 



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ルッキング・フォー・ザ・トゥルース
目が覚めたら……


 燦々と照る太陽。

 穏やかな海。

 日を浴びて喜ぶ青々とした植物たち。

 遠くからは子供たちがはしゃぐ声が聞こえてくる。

 

 これを平和と呼ぶのか。争いのない風景を見て思う。

 小さな島は戦争とは無縁に生活を送っていた。

 彼らが育った環境とは異なる。それ故に初めは戸惑いも大きかった。

 

 エニエス・ロビーでの手痛い敗戦の後、“海列車”が通る線路を歩いていた時、通りかかった船に乗せてもらって、偶然にもこの島へ着いた。

 今にして思えばそれも偶然ではなく必然だったのだろうと思うが、当時はその出来事が救いに思えたし、奇跡のようだとさえ思った。

 死に瀕していた彼らは治療され、助けられた。

 それ以来、ここに居る。

 

 一周するのに苦労しない程度の円形の島。崖に囲まれた外周は森に覆われてもいて、中央部に位置する小さな集落は外からは視認できないだろう。しかも近付いたところで高い岸壁は簡単に登れるものではなく、壁の亀裂の先に内陸へ続く秘密の入り口があるのだが、気付いたところで入るのは簡単ではない。体感では大きくとも帆船が通れるほどのサイズではないのだ。

 小舟に乗ってくぐったところで、その先にはわずかな砂浜とまた岸壁があり、島内に上陸しようと思えばどうしたって険しい壁を登らなければならない。隠されている秘密の入り口に気付かない限りは。

 

 外から他者が来ないこの島は至って平和そのものだ。

 島民たちは穏やかな暮らしを享受していて、しかしおそらく、只者ではないのだろう。

 丘の上から町を眺め、子供たちと遊んでやる仲間たちを眺める。

 

 お礼をしていた。

 命を助けてもらった割にはそう大した行動ではないが、子供たちの遊び相手や、動くのに難儀している老人たちの世話をしてやっている。

 キリンの首をすべり台代わりに子供たちを遊ばせてやり、森へ仕事に行く者たちをドアで送り、多少仰々しいが舞いを見せて老人たちを楽しませてもいる。

 他にも木こりの仕事を手伝ったり、赤ん坊の面倒を看たりと、できることはなんでもやった。

 暗殺とはあまりにも違う内容だ。

 

 一番最後に起きたロブ・ルッチは自分のために彼らが働いていることを察している。

 仏頂面で表情を動かさず、ただ静かに遠くの光景を眺めるだけだが、何も思っていないわけではなさそうだ。しかしそれを誰かに伝える気もない。

 頬を撫でる風に身を委ねながら、突っ立ったまましばらく動かなかった。

 

 背後から足音が聞こえる。誰かが近付いていた。

 相手もそれとなく察している。

 彼らを助け、身柄を保護していた女性。振り返ることなくその声を聞いた。

 

 「いいところでしょう? 私も創設に関わった町なの。平穏で静かで、住民はみんな仲が良い。まさに理想郷のような場所よ」

 

 おそらく先程と同じように微笑んでいるのだろう。ふわりと優しい声。

 この土地の代表を務めるという老婆は、丘の上にある古びた教会に住んでいた。

 髪は色素が薄くなって灰色になり、顔には深く皺が入り、穏やかな雰囲気を湛えている。しかし年老いたと侮るなかれ、背筋はまっすぐ伸びたままで、健康的な所作は若者と比べてもまるで遅れを取らず、何より他者を見下ろす身長は5メートルにも達した。

 

 一見すれば少し身長が高いだけの優しい老婆。しかし彼女が只者ではないだろうことは、目覚めたばかりのルッチにも伝わっていた。

 彼女が隣に立つのを許して、同じ景色を眺める。

 

 「あなたは素敵な仲間に恵まれたわね。あなたを助けるために彼らはよく働いてくれたわ。私もあなたたちには感謝しているの」

 「働くか……あんな姿は初めて見る。おれたちの役目とは違っているからな」

 「仕方のないことよ。闇の世界を生きてきたんでしょう? あなたたちがこれまでしてきた仕事も決して無駄なことじゃない。暗殺は立派な職務だもの」

 

 仲間たちが教えたのか。いや、そうは思わない。おそらく初めから知っていたのだろう。知っていて現れて、知った上で命を助けた。

 ルッチは無表情を崩さずに前を向いている。

 

 「だけどねロブ・ルッチ。振るう力には責任が伴う。何も考えずに殺しているだけでは犯罪者と何も変わりないのよ。暗殺とは、世の均衡を保つためになければならない。他人の指示に従って殺しているだけでは素敵な暗殺とは言えないわ」

 「おれは正義によって任務を遂行している。“闇の正義”の名の下に」

 「いいえ、あなたは闇の正義を言い訳にして殺しを楽しんでいるに過ぎない。政府に従っているだけでは正義は遂行できないわ」

 

 老婆がこちらを見つめてくる。それでもルッチは視線を動かさなかった。

 彼女が何者なのか、実のところ興味はない。

 静かに語るその口調、徐々に明かされるその思考、興味を持ったのは確かだった。だが信用するに値しないと判断しており、出会ったばかりの彼女に恭順する意思はない。

 

 「平和とは、“拮抗”の上に成り立つものよ。正義ばかりではいけない、悪ばかりではいけない。両者が上手く共存することによって平和は守られる。政府はそれがわかっていないのよ。正義の氾濫ばかり望んで、平和を作ることができていない」

 「悪を認めるつもりか?」

 「ええそうよ。悪があるから正義が存在する。正義があるから悪が存在する。両社は背中合わせに互いを支えていて、どちらかだけでは成立しないの」

 

 老婆の語り口には異様な熱があった。だが静かでもあり、無関心でもある。

 不思議だ。素直にそう思う。かといって惹かれているわけではない。

 

 「神童と謳われた実力は確かなようだけど、あなたはまだ完成していない。今回の敗戦がその証左でもあったようね。あなたはもっと強くなれるわ。でもそのためには生まれ変わる必要がある。殺しの理由を政府に求めるのはやめなさい」

 「求めてなどいない。おれはおれの意思で行動している。力こそが絶対であり、平和は強者が作らなければならない。弱者は平和の邪魔になるだけだ」

 「それも政府の洗脳教育で得たもの。あなた自身の意思だと思い込んでいるだけ。政府に対する邪魔者を消すために教え込まれたに過ぎない」

 「お前こそ、おれを洗脳して利用しようというつもりではないのか?」

 「利用するというのは否めない。言ったでしょう? 平和を作るには正義と悪が拮抗していなければならない。あなたたちには力と素質がある。手伝いをしてほしいのよ」

 

 初めてルッチが老婆を見た。

 身長は高く、見上げる形になり、言動とは裏腹に優しく微笑んでいる。

 得体の知れない存在ではあるが嘘をついていないのは確かだろう。理解こそしないが、全てを馬鹿馬鹿しいと切り捨てるのももったいない。

 

 「どうやらおれたちは政府に切り捨てられたようだ。あのバカが親の権力を使ったんだろう。このままでは居場所はない」

 「あなたは血を求めている。だけど殺しには理由が必要よ。でなければあなたが敵対していた海賊と同じになってしまう」

 「だがおれは、お前と同じになるつもりもない」

 「同じである必要はないわ。私は正義と悪の拮抗を作り出し、世の平和を作りたい。あなたたちには戦う理由と更なる力が必要。利用するならお互いにというだけよ」

 「全てを明かしたわけではないだろう。別に教えろとも言わんがな」

 「手を組めばいずれ知ることよ。慌てる必要はないわ、ロブ・ルッチ。力をつけることも復讐もいずれ成せるものばかり」

 

 老婆から顔を背けて、ルッチは再び町を眺めた。

 信用するつもりはなかった。だがこのまま背いて利があるものか。

 利用するならお互いに。提案されたことが癪だが、思考は巡る。

 

 「私は光と闇、両方に身を置いている。あなたたちにもそうなってほしいのよ。海賊の力が増せば政府の力が増し、政府の暴虐が過ぎれば死ぬ人間が増える。そんな均衡こそ理想」

 「話はわかった。おれたちを助け、ここへ連れてきた理由もな」

 

 ルッチが体の向きを変えて老婆を正面に見据える。

 老婆も応じて対峙した。

 

 「おれたちが拒めば、どうするつもりだ?」

 「何もしないわ。ただこの島からは出ていってもらう」

 「それは別に構わん。だがおれは確かめずにはいられないな」

 「何を?」

 

 そう言ったルッチの姿が見る見るうちに変わっていく。身長は高くなり、肩幅は大きく、筋肉の盛り上がりを見せて表皮が変わる。

 気付けばそこに立っていたのは、豹のような外見になって二本足で立つ人間だった。

 それでも老婆より背丈は低いがルッチは喉を鳴らして好戦的な構えを取る。

 

 「お前はおれより強いようだな。素性がどうあれ、政府から離れた今のおれを従えられる者は誰一人として居ない。手を組むというなら、納得させられるだけの力をおれに見せろ」

 「あなたは根っからの戦闘狂のようね……」

 「権力だけの馬鹿に従うのはもう懲り懲りだ。こうなった以上、迷いはない」

 

 老婆はふっと微笑んだだけだった。動く様子も、逃げる様子も見られない。

 それでもルッチは油断などしておらず、見誤ってもいない。年老いたその姿であってもこの女は自分よりも強いのだ。そう判断して持てる力を全て使おうと努めていた。

 

 やがてルッチが動き出した。

 視界から姿が掻き消えるほどのスピードで駆ける。

 限られた人間にしか扱えない卓越した戦闘の技、“六式”の一つ“(ソル)”だ。油断なく動いたルッチは長引けば不利と判断し、一瞬で最大の技を叩き込もうと接近した。

 

 そのルッチが吹き飛ばされた。老婆は正面に彼の姿を捉え、右腕を突き出すと掌を向け、触れていないのに凄まじい衝撃が腹部を突き抜ける。

 血は出ていない。だが彼を負かした男をも超える、今まで受けたことのない衝撃。

 受け身を取る余裕さえなく、ルッチは何もない丘を転げ回り、ようやく体が止まった時には倒れ伏していて吐血していた。

 病み上がりだというのに手加減はなく、下手をすれば死んでいたかもしれない。

 

 「それが限界ではないわ、ロブ・ルッチ。あなたはまだまだ強くなる。だけど覚悟が足りていない今の状態では、私を倒すのは無理そうね」

 

 ひどく痛む体を必死に動かし、顔を上げて、遠く離れた老婆の姿を確認する。

 何をしたのかもわからない。ただ掌を思い切り前に出した。それだけに見えた。何か理由があるはずだと考えるのだが、体は動かず、戦闘は続けられそうにない。

 たったの一撃。恥ずかしくなるほどの惨敗だった。

 

 「世界は広いわ。闇の中から外へ出て、敗北を知り、勝利を知り、広く理解しなさい。あなたたちの戦いはそこから始まるのよ」

 

 言い返すことも考えたが、意識を保てたのはそこまでだ。

 ルッチは再び意識を手放し、深い眠りに就いた。

 



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災難にようこそ

 燃え盛る町の中、多くの人々が逃げ惑っている。

 港を目指して走るのだが、ともすれば大きな炎が目の前に現れ、崩れ落ちる建物が道を塞いで通れなくしてしまう。或いは崩れた家屋の一部が頭上から降ってきて、驚愕して立ち止まってしまう人々が押し潰されそうになっていた。

 

 強く地面を蹴りつけ、弾丸の如く駆け付けて、破壊するのではなくただ押す。一人の青年が落下する残骸に激突して押しのけ、今まさに押し潰されようとしていた町民を助けた。

 彼らは安堵し、口々に感謝の念を告げて、同時に不安から助けを求める怒声を飛ばす。

 

 「みなさん落ち着いて! 海軍の船へ向かってください! 港はすぐそこです! 慌てずに海兵の先導に従って!」

 

 ぞろぞろと駆け付けた海兵が、怪我をしたり、動けない町民に手を貸して、周囲の炎から守るようにして進んでいく。

 彼らを見送って、その場に残った若き海兵は町を見回した。

 

 一体、何が起こったというのか。

 夜の暗闇に包まれたその町は何の前触れもなく炎に包まれている。戦っている人々が居て、彼らによるものだろうとは思うが理由は知れないまま。

 原因や戦闘の結末も気になるが、今は一刻も早く市民を逃がさなければ。

 

 立ち止まったコビーの下へ、ヘルメッポが駆け寄った。

 同様に町を見渡して呆然としている。

 

 「ひでぇ状況だ……何がどうなってんだよ」

 「わからない。ただ、本当に彼らがやったことかどうかも」

 「これが今の世界の現状だってことだろ。海賊が関わってるのは間違いねぇんだ」

 

 険しい表情で告げたヘルメッポは、戦闘を続ける海賊を一瞥して、すぐに視線を外した。今は市民を優先する。友達でもあるが上司でもあるコビーがそう決めたのだ。駆け出して取り残されている町民を探しに向かった。

 困惑している様子のコビーも海賊の姿を確認した後、その場を離れる。

 市民を無事に逃がせた後、状況が落ち着いていなかったら、彼らを止めなければならない。そう考えながら市民の下へ向かう。

 

 燃え盛る町並みの中、激しい戦闘が繰り広げられていた。

 大勢の人間が入り乱れる戦場は誰が味方で誰が敵か、ともすればわからなくもなるのだが、誰しもが自らの勝利を狙って動いているのは変わりない。チャンスがあれば協力するように攻撃を行うものの、隙を見つければ一度は肩を並べた相手でも貪欲に命を取りに行く。

 

 地面が割れるほど強く着地し、バネの両脚が力を溜め、視認できないほど速く跳んだ。周囲にある足場を次々に蹴ってあちこちへ跳び、その姿を目視することは難しい。

 飛んだ勢いを利用して、接近すると同時に強烈なパンチを繰り出す。

 

 「スプリング狙撃(スナイプ)!」

 「ん~なんの! よよよいっ!」

 

 顔に隈取を入れた大男が錫杖を構えて受け止める。

 ざわざわと怪しげに動く長い髪が伸びて、おそらくは攻撃なのだろう、危険だと察したバネの男が瞬く間に跳んで距離を取った。

 地面に着地して相手の出方を窺えば、やけに特徴が強い喋りをする大男は自ら接近する。

 

 まるでビリヤードのよう。錫杖を構えて見るからに突きを狙っている。それだけならば避けるのは容易だが、異様なのは髪の毛の動きだ。

 人間の手の形になり、指を一本だけ伸ばしていて、それらが一斉に襲ってくるのを見た。

 

 「よよいっ! 今度はこちらからァ! 指銃(シガン)“Q”と獅子指銃を~、あっご覧あれェ!」

 「おかしな体しやがって……てめぇの技には興味ねぇよ」

 

 バネの男の姿がまたしても掻き消える。その直後に数多の攻撃が地面を突いて、穴を開けるどころか激しく破壊した。

 いつの間にかバネの男は背後へ回り込んでいて、まだ崩れていなかった石造りの壁を蹴って再び飛び出し、迷わずに襲いかかる。

 その攻撃にも気付いていて、咄嗟に長い髪がばさりと広がった。

 

 クマドリは“生命帰還”という技により、髪の毛の一本一本にまで自らの意思を伝え、手や足を動かすのと相違なく操ることができる。

 伸ばされた髪は高速で飛んでくる男を的確に捕まえた。

 四肢を縛り付けて体を回転させ、地面に叩きつける。その瞬間、確実に動きが止まった。

 

 バネの男が咄嗟に飛び起きると、すでに眼前まで攻撃が迫っていた。

 先程と同様、ビリヤードのように錫杖を突き出そうとしている。咄嗟に避けようとしたが髪の毛が四肢に絡みついており、動けない。

 

 「(やな)(ぎん)(じょう)!!」

 

 強引に体を動かした瞬間、左肩に風穴が開いた。直後に激痛。血が溢れ出る。

 獣のように吠えた男は考えもせず地面を蹴り、バネの張力を使ってその場を離れる。四肢を髪で縛られたままだったため、クマドリを無理やり連れ回す結果となって、二人揃って頭から石造りの壁を破って建物の中へ飛び込む羽目となった。

 

 転がるような着地によって髪による拘束が解かれる。

 すかさず激痛が走る肩を手で押さえ、敵を睨みつけた。

 どうやら攻撃を緩めるつもりはないらしく、火に包まれる状況の中、錫杖に火が纏われる。

 

 「いよ~っ! これにて終局! 獅子樺蕪(シシカバブ)にてとどめを刺そうぞ!」

 「クソが……!」

 

 火を纏った錫杖で先程の突きを繰り出すつもりらしい。

 なんとしても避ける。そしてあの馬鹿面を殴りつけてやる。バネの男がそう思っていた時、突然地面が揺れて、体が宙へ浮いた。

 理解できずに床を転がり、炎に巻かれながらも二人は揃って落下していく。

 

 彼らが居た建物が空へ持ち上げられていたのだ。巨人が居たのではない。巨大なサークルの内部であったがために、指を軽く振った男の能力で建物が重力を無視して宙を舞っていたのである。

 指が振り下ろされると、二人が居る建物も勢いよく落下する。

 地面に接触する寸前、体勢を立て直した二人はほぼ同時に外へ飛び出し、振り下ろされた建物は激突して粉々になった。

 

 着地した直後も落ち着く暇はなく、あまりにも異様な光景を目にした。

 轟々と燃える炎、残骸となった元建物、攻撃に使われた銃弾や砲弾、ありとあらゆる物が空に浮かべられている。指を振れば泳ぐように飛んで、誰かの意思に従えられていた。

 

 ベラミーは肩を押さえながらその人物を見つける。

 サークルの中で腕を掲げて指を振り、全てを支配するかの如く、指揮を執っている。

 

 「トラファルガー・ロー……お前のことは聞いてるぞ」

 

 バネに変えた両脚を縮めて力を溜めた後、足場を破壊して高速で跳び出す。

 真っ直ぐに接近し、握った拳を突き出そうとした。

 目的の男へ辿り着くその直前、頭上から降ってきた人間がベラミーを足蹴にして、彼の上に着地するようにして地面へ叩きつけた。石畳が壊れて陥没するほど強い衝撃を受け、折れた骨は数本では済まないだろう。ベラミーは動けなくなった。

 

 件の人物はあっさりと体の上から退き、代わりに目的の男が歩み寄ってくる。

 激しい痛みは無視できなかったが意識ははっきりしていた。ベラミーは必死に歯を食いしばって痛みに耐えながら視線を上げる。

 

 冷酷な目。冷たい視線だ。

 一方で彼が憧れた男とは何かが違っており、だから袂を分かったのだろう。

 激しい怒りを滲ませるベラミーであったがやはり動けずにいる。それでも無理に体を起こそうと腕を突っ張るのだが、痛みは増すばかりだった。

 

 「ぐうっ、うおおおっ……! おれはお前とは違うぞ……あの人を、尊敬してる」

 「興味ねぇよ。どうせお前も脱落だ」

 

 全身に強い衝撃が走った。しかし痛みはない。

 ハッとして胸に手を触れてみると、心臓があるであろう場所、左胸に風穴が開いている。血は流れていない。

 そこにあるはずの心臓が消えていて、それなのに彼は生きていた。

 見れば目の前に立った男の手の中にドクドクと鼓動を続ける心臓が握られている。

 

 不思議とその光景を見るとくらくらしてきた。

 “死の外科医”トラファルガー・ロー。他人の心臓を奪うイカレた医者。

 噂に聞いていた通りの異常者だ。意識を失う寸前、ベラミーはその光景を目に焼き付けた。

 

 「お前……おれの心臓を……!」

 

 体から力が抜けて倒れる。

 しばしその姿を見下ろしていたローだが、興味を失うと視線を外した。

 対峙するのは見知らぬ集団。いまだ退くつもりはないらしい。海軍、海賊、その他の乱入もある騒がしい島だが、戦闘をまだ続けたいようだった。

 

 「ここらで手打ちにしてやってもいいんだが、お前らはそのつもりがないらしいな」

 

 グルルルル、と喉を鳴らす音。周囲の轟音にも負けずよく聞こえる。

 強い者ばかりが揃っている。豹と狼、人間とはいえ、燃え上がる炎が作る影が見せた特徴からして牛と獅子といったところだろうか。

 

 状況からして、町に火を放ったのは彼らだ。

 海賊が押しかけた混乱の中で、さらに事態を大きくすべく、誰にも知られず闇の中から現れた。

 絶対的な悪。まさにそんな表現が相応しい。

 ローの態度を見ても手を引くつもりはまるでなく、今もなお戦いを待ち望んでいる。

 

 手にしていた心臓を背後にやってきた部下へ投げ渡し、ついでに倒れているベラミーも避難させるよう言いつけて、ツナギを着た白クマと二人の男が運んで離れていく。

 ローの他にはベラミーを倒した人物が残り、コートに付いたフードを目深にかぶって何も離さない彼と共に対峙する。

 規格外の長刀の柄を握って、ローは冷たく言い放った。

 

 「こういう状況にはガキの頃から慣れてる。戦争も弾圧も、町に火が点けられるのも。だがおれはこれでも殺しはやらねぇんだ。まだやるって言うなら相手してやる」

 「暗殺は世界に必要な職務だ。今日、この島で二人の男が死んだ」

 「二人どころとは思えねぇが……後悔するはずもねぇよな」

 

 すらりと抜かれた刀身が、燃える炎を映して怪しく輝く。

 ローの態度を目にした豹は全身に力を巡らせた。

 戦いが楽しくて仕方ない。多くを語らずともそう言っているように見える。

 

 「正義だけでも、悪だけでも、人の世は成立することができない。どちらもあって世界は巡る」

 「それが自分の行動を肯定する言い訳か? おれにはお前が世のため人のため動くような輩には見えねぇが」

 「結果が同じならそれでいい。実際のところ、おれも世界の流れには興味がない。他人を縛り付けることはどれほど力があってもできはしないのだ。おれはただバランスを取るためだけに任務を遂行する」

 

 そう言って豹の力を体現する大男、ルッチは前へ進み出た。

 うざったいほどの血の匂い。相手の強さを肌で感じればそれも当然か。

 忌々しそうに見ながら、ローは彼らを敵と認識する。

 

 「お前と正義について論じるつもりはねぇが、気に入らねぇのは確かだな」

 「それでいい。四の五の言わずにまずは戦え」

 

 言い終えると同時、ルッチの姿が掻き消えた。

 常人では視認することさえできないスピードで移動している。しかしローには見えていて、正確に気配の動きを感じ取ってもいた。

 

 左手の人差し指を伸ばして、タクトを振るうように上げられる。

 地面の一部が抉れて浮遊し、巨大な岩石となってローの右側面に飛んでいく。

 ルッチは己の拳でその岩を壊して現れた。牙をむき出しにして咆哮を上げ、獣の筋力を用いる拳で殴りかかった。

 本来ならば避けられない距離とスピード。しかしローの姿は消え、ルッチの拳は岩を砕く。

 

 「改造自在人間……だったな。お前は」

 「お前がどれだけ速かろうがおれには関係ねぇ」

 

 剣を振り抜こうとしている姿に気付き、ルッチは跳んだ。

 振るわれた刃は刀身の長さにかかわらず、軌道の先にあった物を両断する。今、ただの一太刀で数軒の家屋が炎ごと断ち切られた。

 サークル内部は彼の支配下。噂に聞いた通りの能力だ。

 

 ルッチは恐れずに接近する。空を蹴りつけ、不規則な軌道で、瞬きする暇すら許さないほど素早く腕が届く距離まで詰める。

 腕を伸ばして、ローは動かず、確実に当たる距離だった。

 突如としてばさばさと紙が現れ、壁のように連なり、渾身の一撃が受け止められる。ただの紙にしか見えないそれは鉄のように硬く、ルッチの攻撃を受け止めると瞬く間に姿を変える。

 

 無数に折り重なって硬化し、ありとあらゆる攻撃を行う悪魔の実の能力。

 以前にも見た技だ。

 ルッチは首を伸ばして牙を向ける蛇の頭を掴み、しかし直後、視界に入った刃を避けた。

 

 屈んだ一瞬、頭上を長大な剣の刀身が通り過ぎていく。

 白いコートを身に着け、フードを目深にかぶった人物だ。顔を見ることこそ叶わなかったが誰であるのかは瞬時に理解する。

 咄嗟にルッチは反撃を試みるものの、彼が立っていた地面が浮遊したため、即座に移動する。

 

 距離を取って改めて見る。

 なんということか、やけに強そうな二人ではないか。

 燃え盛る家屋をいくつも空に浮かべて、意思を持つかのように動く無数の紙切れは、まるで触手のようにコートから伸びて攻撃の時を待っている。

 悪魔の実の能力はこれだから面白い。

 久しく感じていなかった戦闘の興奮を覚えて、ルッチは身構えた。

 

 「今日はいい日だ。バカ親子が消えて、貴様らのような強者に会えた」

 

 姿が消える。その直後、ローが振り下ろした刀を硬化した腕で受け止めていた。

 ルッチは笑い、攻撃を受け止めても退くことはせず、さらに前進する。

 強引に、力尽くで触れ合った刃を押しやり、人差し指だけを伸ばして腕を突き出す。ピストルから放たれた銃弾の如く、指で刺突を行う六式の一つ“指銃(シガン)”。その攻撃さえローはあっさりと避けてしまい、すかさず反撃を行った。

 

 もう一人の人物と仲間たちも動き出し、戦闘は途端に乱戦となる。

 血沸き肉躍る歓喜の一時。

 彼らは戦いを望み、まさに願った通りの状況に身を置いている。

 

 “闇の正義”は完全なる形と成った。

 平和は拮抗によって生まれる。平和のために必要な犠牲があり、平和を阻害する力は取り除く必要がある。それら両方をコントロールするのだ。

 闇の中から世界を動かす。彼らは、自らの仕事に遣り甲斐を覚えていた。

 



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さあ、始めよう

 広大な館の中へ招かれて、正装であろう白い装束に身を包んで、眼前に立った。

 ステューシーは前方の三人に目を向けて微笑みを湛える。

 思えば顔を合わせるのは初めてだ。しかし情報は伝え聞いていて、彼らが元CP9であったこと、権力にかまけて抹消されたこと、その流れで彼女に拾われたことも知っている。

 

 彼女の下で修行をしたのだと聞いている。すでに覇気は会得しているようで、CP9になる前から六式も体得している。

 後はサイファーポールとしての資質だが、ここまで辿りつけた事実が十分だと証明している。

 

 認めざるを得ない。というよりステューシー自身は初めから乗り気だった。

 暗殺対象にさえ指定された元CP9のメンバーを、世界を諜報する機関サイファーポール最高峰、CP0のエージェントとして登用する。反対も多かったが内部のごたごたも済んで今は文句を言う者も黙ってしまった。少なくともしばらくは誰も手を出せないだろう。

 この状況を好んでいるステューシーは自分の下に来た三人を迎え入れるつもりだった。

 

 「いらっしゃい。よく来たわね。予想はしていたけど……ここまで来られてよかった」

 「ずいぶん遠回りをした。事情が事情とはいえ、面倒なことをしてくれる」

 「あなたがステューシーさんですね?」

 「ええ、そうよ。マダム・ポウラから聞いているわ。あなたたちを歓迎する」

 

 にこりと微笑むステューシーに、豊満な胸の谷間から写真を取り出したカリファは、彼女の前にあるテーブルへ投げるように広げた。

 右手で眼鏡の位置を正して、カリファは冷静に告げる。

 

 「ターゲットは排除しました。証拠が欲しいならお墓の位置を教えますが」

 「いいえ、結構よ。ありがとう」

 「以前からこういうことを?」

 「私の判断じゃないわ。マダム・ポウラの意思よ。私はただほんの少しお手伝いしているだけ。バランスを保つのが彼女の好みなの」

 

 写真の一枚を拾って確認する。

 依頼したのは裏社会で名を馳せた要人の排除。近頃は海賊社会の情勢に紛れて、何やら怪しい動きを見せていた。時としてそれが政府の利になることもあるものの、そうでなければ余計なことはするなと釘を刺す必要がある。これで彼らが在籍した組織は後継者争いで揉め始め、仮にそうならずとも危険な橋を渡ることになるのだと理解したことだろう。

 

 常人には困難な任務。しかし彼らには簡単だったのだろうと予想する。敢えて隠れていた彼女を見つけ出すのも、辟易とした態度とは裏腹にさほど苦労はなかったはずだ。

 ステューシーは無用になった写真を手放し、三人に笑いかける。

 

 「合格よ。あなたたちを歓迎するわ。ひとまずは私の部下ということで動いてもらう。もちろん表向きはという意味ね」

 「任務を与えるのはマダム、ということですね」

 「その方が動きやすいでしょう? 私はまだあなたたちの信頼を勝ち取っていないし、歓楽街の女王と呼ばれていてね、あまり目を離すわけにもいかないの」

 「チャパパァ、噂ではジャブラがある女に入れ込んでいるらしい」

 

 唐突に喋り出したフクロウが入手したばかりの情報を明かす。

 カリファは目敏く見咎め、ジッパーになっている彼の口を手ずから閉じた。

 

 「口を閉じていなさいフクロウ。あなたが喋ると情報漏洩になる」

 「見くびるなよ。おれだって言っていいことと悪いことは――」

 「ここに来るまでも一騒動あったわ。あなたが暗殺のことを組織の人間に喋ってしまったから」

 「むぐむぐっ、うぅ~」

 

 無理やり閉じられはしたが喋り足りないのか、フクロウは口を開こうとして、カリファがそれを許さずにジッパーを押さえる。

 二人の攻防は静かに続き、いつものやり取りだ。相手にしなくともいいのだろう。

 残った一人であるカクが代わりに口を開き、ステューシーに向き合った。

 

 「異論はない。わしらは表でバランスを整える。そういう手筈じゃな?」

 「ええ。マダムに従う限りはね」

 「別に今更逆らおうとも思わん。どういう思想であれ、わしらが強くなったことは事実。一部ではあるがこうして戻ることもできた」

 「他のお友達は?」

 「闇の世界で生きるそうじゃ。血の気が多いんじゃろうな」

 「ふふ。それも素敵なことよ」

 

 攻防が済んだようで、口を閉じたフクロウとカリファも再びステューシーに向き直る。

 カクも加えて三人。新しい戦力を手に入れた。

 サイファーポールは世界を監視する者。世界政府に仇成す者を見過ごすわけにはいかない。

 そのための使者としては、これ以上ないほどに優れた人材だろう。ステューシーは自身の下へ送られた彼らを見て満足げにしている。

 

 「今、世の中はひどく混乱しているわ。例の戦争がこの世界を丸ごと変えてしまった。便乗しようとしている人間も多いけれど、やっぱり主役は海賊よ。あなたたちにもすぐに動いてもらうことになると思う」

 「望むところじゃ。修行もすべり台役ももう飽きた」

 「任務があればすぐにでも」

 「でもマダム・ポウラは海賊と手を組むつもりだー。パトリック・レッドフィールドが訪ねてきたのを迎え入れてたからな」

 

 またしてもチャックを開けて喋ったフクロウの一言に、カクとカリファは表情を変えて、聞かされていなかった様子で眉間に皺を作っている。

 一方でステューシーは驚いておらず、あの人らしい、そう言いたげに微笑んだだけだった。

 

 

 *

 

 

 「物事にはコインのように表と裏がある。それがこの世の真理」

 「変わらんな、旧友」

 

 椅子に腰かけて足を組むレッドは笑みを浮かべて天井を見上げていた。

 古びた教会は今にも崩れ落ちそうなほど朽ちているが、物々しいその雰囲気とは裏腹に、意外な丈夫さで今日まで一度として崩れたことはない。

 そこは彼女のテリトリーだった。

 無数のコウモリが逆さになってあちこちにぶら下がっている中、一際大きな、人間よりも大きなコウモリが言葉を発して、悠然と話しかけてくる。

 

 「正義と悪の拮抗こそが重要よ。世界はバランスで出来ている。どちらかに傾き過ぎてしまえばバランスはあっという間に崩壊し、世界の崩壊を招く」

 「ああ、覚えているとも。その話は何度も聞かされた。飽き飽きするくらいに」

 「私たちは盤面に置かれた駒に過ぎないのよ、パト。それは今も昔も変わらないわ」

 「それはそうだろうよ。だが私たちは君の意思には従わない。駒は駒でも己の意思で動く。それもまた今も昔も変わらないものだ」

 

 コウモリの姿となったマダム・ポウラはくつくつと笑い声を響かせる。

 昔を懐かしんでいるようだ。彼女がそうすることは決して多くなかった。珍しい姿を見せるのも同じ時代を生きた男が目の前に現れたせいなのか。

 静かながらも上機嫌に、彼女は淡々とした声で語る。

 

 「かつての海賊王には手を焼いたわ。あの頃は忙しなかった。彼はバランスを崩す存在。手が負えなくなる前に消しておくべきだったと反省している」

 「君の価値観なら許されない存在であろうな。彼が世界に与えた影響はあまりにも大きい」

 「私の努力を嘲笑うかのようにね」

 「全てを操ることなどできんさ。君はどこか金獅子に似ている。この世の全てをコントロールして管理したがるが、人の意思などそう簡単に操れるものではあるまいよ」

 

 言いながらレッドは頬杖をついて、ばさりと翼を広げたポウラを見た。

 

 「あなたたち海賊とは違うわ。我々サイファーポールは世界貴族をも操れる。見下ろすことさえしない広大な世界を知らない彼らは知識を持たない愚物。耳元で囁いただけでいとも容易く意見を捻じ曲げる。己の意思を持たない置物よ」

 「全てが、というわけではないだろう」

 「あら、詳しいのね。けれど同じこと。海賊を悪と断じる彼らでは世界の均衡を守ることなどできるはずもない。私に言わせれば五老星も過去の遺物に過ぎないわ」

 「これはこれは、大きく出たものだ」

 

 掴んでいた柱をパッと離して、巨大なコウモリが降ってくる。

 上下を入れ替え、体勢を整えて、地面に着地した時にはすでに外見が変化していた。彼の前に現れたのは五メートルの身長を持つ老婆で、静かに歩いて接近してくる。

 目の前に立ち、ポウラは優しく微笑んだ。

 

 「私は常に時代に干渉してきた。これからもそれは変わらないわ。後継者を見つけたの。もう同じ轍は踏まない」

 「苦しい生き方だな。君に巻き込まれたことを可哀想に思う」

 「だけどあなたはここへ来た。共感は覚えずとも私を認めているからでしょう?」

 

 そっと差し出された手に、一匹のコウモリが運んできた物を受け取る。

 レッドの眼前にあったのはポウラの手に乗せられた悪魔の実だ。

 理由もなくここへ訪れたのではない。レッドが緩やかに口角を上げる。

 

 「今こそ世界は均衡を求めている。平和と暴力とが肩を並べて同じ歩幅で進み、どちらかが少し先へ行けば肩を掴んで止めてやる、そんな世界を作る必要があるの」

 「わかっているだろう? 私は自らの意思で動く。今まで通りに」

 「ええ、それで構わない。あなたが表舞台に立つこともまた、私の計算に含まれている。どう動こうと操ってみせるわ」

 「相変わらず恐ろしい」

 

 レッドの手が差し出された悪魔の実を掴んだ。

 確かに受け取り、用件が済んで立ち上がると教会を出ようとする。

 その間際、彼は足を止め、背中を見せたままでポウラへ告げた。

 

 「それと、私の呼び方についてだが。もうパトとは呼ばないでほしい」

 「見習い時代から唯一残ったものでしょう? 捨てるにしては今更じゃないかしら」

 「その名はくれてやったのだ。これからはそう……レッドとでも呼んでくれ」

 

 もぞもぞと赤いマントが動いて、背中を伝って肩に乗った動物が居る。タヌキだ。丸々としていて愛らしく、尻尾は万年筆のペン先に似て奇妙だ。

 察するものがあって、多くは聞かなかった。

 それでも黙ってはいられずに、ポウラは笑みを深めて尋ねる。

 

 「人間嫌いのあなたが仲間を見つけたの? それとも道具として扱うつもりかしら? 時は人を変えるものね」

 「それほど本気だということだ。今回はな」

 「海賊王にでもなるつもり?」

 「それも一興。しばらくは楽しむさ。老いたこの体でどこまで通用するかをな」

 

 レッドは再び歩き出して扉へと向かう。

 伸ばされた手がドアノブへ触れる頃、ポウラは最後のつもりで声をかけた。

 

 「一つだけ聞かせて。シャボンディ諸島では何をしたの?」

 「新時代の訪れを確認しただけだ。今はまだ動く時ではないと思ってな」

 「麦わらのルフィの船を守ることがただの確認? 感心しないわ」

 「ふふ、いずれわかる。備えておけよポウラ。いずれ止めようのない荒波がやってくるぞ」

 

 そう言い残して、バイバイと手を振るタヌキを肩に乗せたまま、レッドは外へ出た。

 久しく会っていなかった知り合い。時勢と共に変化したかと思えば、あまり変化はなく、やはり昔のようにどう動くのか読めないところがある。

 

 構わない。ポウラは閉じられた扉をじっと見つめていた。

 彼がどう動こうと、新時代がどんなものであろうと、自らは光と闇の狭間で世界を見る。

 平和を作るのは人間だ。しかし誰しもにできるわけではない。限られた人間にのみ世の中を動かすことができるのである。

 正義と悪、秩序と欲望、平和と混沌。人間の性を両方持ち得る人間にしかそれらを意のままに操ることはできない。

 

 我こそが正義の体現者。闇の正義を体現する者。ひいては世界の均衡を守る者である。

 そう信じて疑わず、ポウラは無数のコウモリに囲まれた闇の中で、穏やかに笑っていた。

 



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災難の坩堝へようこそ

 どかん、と石造りの壁が吹き飛んだ。

 多数の瓦礫と共に巨体が落下していき、受け身を取る余裕もなく地面に激突して転がる。揺れる錫杖の音が騒がしく、そんな些細な音が掻き消えるほどの炎が轟々と燃え上がっていた。

 血の塊を吐き出しながら、クマドリは顔を上げた。

 

 後を追うようにして落下してくる人の影。フードで顔を隠した男。白いコートから触手のように幾重にも連なった紙が伸びている。

 ここが終局。そう決めると敢えて待ち構えて対峙する。

 

 殴られた影響で鼻血を垂らして、服も所々が裂けて血が滴り、ダメージは少なくない。

 持てる力を全て込めて、この一撃で決める。

 錫杖を地面に叩きつけてしゃんっと鳴り、長い髪が独りでに蠢き始める。“生命帰還”を用いた彼の得意技だ。どれほど速くとも今度こそ逃さない。

 獣のような咆哮を上げてクマドリは触手のように動く髪を伸ばした。

 

 「よよよォい! もう逃がさん! “生命帰還”――!」

 

 伸びる髪よりもさらに速く、ブロック状に固められた紙が飛来し、クマドリの顔面に直撃した。まるで鉄かと思わんばかりの硬度であり、“鉄塊(テッカイ)”を用いる暇もなかったため、まともに受けて激痛が走ると怯んでしまう。

 次の一瞬には音もなく伸びた紙の触手が四肢を絡め取った。

 着地する素振りは至って冷静で、数本の触手だけがぐいんと大きく動いて、振り回したクマドリの体を燃え盛る家屋に叩きつけた。

 

 背筋を伸ばして立ち、辺りを見回す。そうする仕草は大したことをしていないと言いたげだ。

 突如、彼の背後で空間が歪み、円形のドアが開いた。

 異なる空間から現れたブルーノが腕を伸ばして少年に飛び掛かる。

 

 「空気開扉(エアドア)……!」

 

 体に触れさえすれば対象をドアに変えることができるドアドアの実。ブルーノが狙ったのは人体をドアに変えて行動不能にさせることだ。しかし伸ばされた手が触れる前、地面を十回以上蹴ってその場から消えるように移動する。

 目で追うことはできた。だが逃げるように距離が遠ざかり、追いつくのは容易ではない。

 

 異空間を出たブルーノが地面に足を置いた時、嫌な気配を感じた。

 身構えた状態で振り返ると、クマドリが叩き付けられた燃え盛る家屋が飛んでくる。紙の類は見られない。無理やり地面から引っこ抜いて飛ばされたらしい。

 

 咄嗟に“(ソル)”で回避したブルーノは、壁を突き破って内部から現れたクマドリを目撃した。

 勢いよく地面に激突して素早く転がり、髪や服に着いた火を消す。

 ブルーノは慌ただしいクマドリを冷静に眺めて、やけにリアクションと声が大きい彼を見るために完璧に足を止めていた。

 どうやら彼は大丈夫そうだ。見た目に反して十分過ぎるほどピンピンしている。

 

 「あぁつっ!? あつぅぅっ!? あぁ~あつぅっ!?」

 「元気そうだな……それより、(ソル)を使うとは。見よう見まねでやるのは二人目だ」

 

 ブルーノが見つめる先、件の人物が立っている。以前にも対峙したはずだが様子が違う。あの時には使えなかった(ソル)を会得している。

 そればかりか、厄介なのが紙を操る能力だ。鋭い攻撃、硬い防御、撹乱や陽動まで可能で相手の体勢を無理やり崩すことさえあっさりとこなしている。

 気を抜けばいつ命を落としてもおかしくはない。そんな相手だと認識していた。

 

 動かなかったブルーノはクマドリと共に攻撃を仕掛けようと考えていた。

 やがてクマドリがよよいと体を起こして傍に立つのだが、二人が動き出すよりも早く、一瞬で背後を取って攻撃を仕掛ける巨大な狼人間が居た。

 

 「もらったァ!」

 

 そう叫んで鋭い爪が伸びる手を振り下ろすのだが、白いコートがぞわりと動き、まるで傘のように彼の頭上を守って、硬い音を立てて爪を受け止めてしまう。

 舌打ちを一つ。すかさず蹴りを放つがこれもコートから無数の紙切れが伸び、盾の如く足を受け止めて防いでしまう。

 

 「ああちくしょう! たかが紙の分際で、いつまでもめんどくせェ!」

 

 ジャブラは怒りのあまり怒声を放った。

 意にも介さない少年は静かに反転し、自らのコートから伸びた束を掴むと、右手に剣を握って反撃に出る。ジャブラも応じないわけにはいかなかった。

 

 ただの紙だと侮ることはできない。彼の能力は周囲の紙切れを操り、武器を模って硬化し、鉄製の装備と相違ない状態で扱う。剣を振るえば敵を斬ることも可能だ。

 腕を差し出したジャブラは紙製とはいえ硬化された剣で斬りつけられる。しかし鉄塊(テッカイ)で受けたために傷一つつかず、硬質な音を響かせて弾き返した。

 そのままでは済まさず、返す刀で蹴りを放って、回避した少年を後ろに下がらせた。

 

 六式使いは彼だけではないが、彼だけが使える技能が存在する。

 習得できないのか、それともする気がないだけなのか、どちらにせよ修行を経た後でもその技を使うのはジャブラだけである。

 鉄塊(テッカイ)を使ったまま繰り出す“鉄塊拳法”。彼はそれを持ち出した。

 

 肉体を鉄に匹敵するほど硬化する鉄塊(テッカイ)は本来、使っている間はその場から一歩も動くことができなくなる。しかしその弱点を克服し、鉄塊(テッカイ)の硬度を保ったまま、防御のための硬度を攻撃に転用することができる。これこそが“鉄塊拳法”の真髄。

 加えて狼の身体能力だ。当たりさえすればタダでは済まない。

 強く踏み込み、接近を恐れず、前へ出て拳を突き出す。

 当たる寸前、しかし少年はひらりと避けた。

 

 「こっ、この野郎!? ひらひら、ふらふらと鬱陶しい! いい加減当たりやがれ!」

 

 怒りを感じるジャブラの攻撃は自然と大ぶりになっていた。拳を突き出し、蹴りを放ち、時には噛みつこうとするのだが最小限の動作で的確に避けられている。

 修行で心身を鍛えたはずだが、どうも彼は我を忘れる傾向にある。冷静にさえなれば強いのに感情の起伏が激しいのが難点だ。

 冷静に見ていたブルーノは参戦すべく、クマドリと共にしばし眺めた後に動き出す。

 

 「あれでは流石に当たらない。そろそろ手を貸すか」

 「よよい! 多勢に無勢だが卑怯と呼ぶなかれ! 許しておくれよ、天国のおっかさん!」

 

 先にクマドリが待ちきれない様子で駆け出した。相変わらず考えなしに突っ込んでいくものの、異常なタフネスとスタミナがそうした戦闘を良しとしている。

 錫杖を振り回しながら片足跳びで接近していくクマドリの後ろから、ブルーノは(ソル)で跳ぶ。

 

 正面にジャブラ。後方からクマドリ。側面にはブルーノ。

 一瞬にして囲んだ。同時に攻撃を行うべく呼吸を合わせる。

 三人は確実に捕まえたと判断し、攻撃の瞬間、自らの攻撃に全力を注ぎ込み、今までで最高の一撃を喰らわせようとする。しかしその時、少年もまた周囲の気配を感知し、ざわざわと動くコートを冷静に操っていた。

 

 「死ねェ!」

 「よよよい!」

 「逃がさん……!」

 

 一気にコートが広がりを見せると同時、大地を揺るがす爆発音が轟いた。

 戦闘中の四人の頭上に影が差し、巨大な塔が降ってくる。石造りではあるが一部に火を付着した状態で降ってきて、攻撃が触れる寸前、瞬時の判断で少年は逃げに徹した。

 全身が紙の如くぺらぺらになって、地面を滑るようにするりとジャブラの足元を抜ける。あまりの早業に三人も追えず、別の攻撃に気を取られたのも致命的だった。

 

 「トラファルガー・ローか……」

 「あ~これもうざってぇ! ルッチは何やってやがんだ!」

 

 (ソル)で離脱した三人は落下してくる塔を避けた。地面に激突して簡単に崩壊し、組み上げられていた石が雨のように辺りへ散っていく。

 着地した瞬間、ブルーノの顔に蹴りが迫り、咄嗟の判断で腕で受ける。

 瞬時に鉄塊(テッカイ)で受けたために押されることもなかった。腕を払い、どこからともなく現れた少年と改めて対峙する。

 

 動きは素早く、殺気も強い。おまけに逃げ足が速くて攻撃が多彩だ。

 強者であることもそうだが実に厄介な相手であることは疑いようもない。攻撃に防御に、強い覇気を感じてもいる。

 

 いまだ戦闘の決着は見えず、互いに攻め切れずに状況は膠着していた。

 三人で戦うブルーノたちを引き付け、尚も生きているのは評価せざるを得ないだろう。

 時に真っ向から戦い、時に逃げ、上手くいなされている気がする。しかし勝負を決めようと繰り出した攻撃も確認していて、この状況を良しとしていないのは相手も同じだ。

 

 ブルーノが思考を深めていた時、再び頭上で妙な影を見た。直後には辺りの残骸や炎が雨あられと降ってきて、彼らの居た足場は途端にひどい状態になる。

 的確に回避した三人と、対峙する少年もまた無事で、戦闘が中断される様子はない。

 空から降ってきたルッチと、彼と戦っていたローも着地して、ますます炎に巻かれる町中で足場はさらに悪くなり、状況はどんどん悪化している。だがどちらもやめるつもりはない。決着がつくまで退きそうにはなかった。

 

 「ルッチ! 邪魔が入らねぇようにちゃんと止めとけ!」

 「お前らこそ、まだ仕留められていないのか」

 「うるせぇ! ちょこまか逃げるから手間取ってるだけだ! 実力では勝ってる!」

 「とてもそうは思えんがな」

 

 人獣型の豹人間といった姿で、ルッチは自身の相手をしていたローではなく、フードで顔を隠そうとしているが正体はわかっている少年を見る。

 紙を操って戦う人間などそうはいまい。以前にも会った人物であるのは間違いなかった。

 感心するように、しかし冷たく、ルッチの呟きは彼に向けられていた。

 

 「お前の船長は死に損なったそうだな。感謝していたところだ。奴にはリベンジする必要があると思っていたところだからな」

 

 返答はない。ルッチに意識を向けているようだが待っても一向に声を発しない。

 そうしたままで済ますつもりなのだろう。

 別に構わない。この場での戦闘を続けるつもりであるならば、何を話そうが一言も発しまいがどちらでもいい。

 決着をつける。興味を持つのはそれだけだ。

 

 前傾姿勢でぎらりと爪を光らせ、接近するために足へ力を込めた瞬間、指を振ったローによってまたしても巨大な瓦礫が飛ばされてきた。

 もうその攻撃には飽きた。ルッチが拳で破壊しようと考えると、彼が駆ける前に割り込むようにして新たな人影が飛び込んでくる。

 

 (ソル)の速度で現れた彼は巨大な石の塊にそっと手を当て、砕くのではなく強く押して軌道を変え、遠ざけた。そうして誰にぶつかることもなく地面に落ちる。

 戦場の中心に降り立ったコビーは、睨み合う者たちに大声で叫ぶ。

 

 「もうやめてください! これ以上戦って何の意味があるんですか!?」

 

 それは、どちらにも向けられる言葉だった。

 一時戦闘が止まり、辺りを包む炎の音が静けさを強く感じさせる。

 恐れる様子はないが焦りを抱く態度で、コビーはルッチの姿を視認した。

 

 「ロブ・ルッチさんですね? あなたたちに関する話は聞いています。納得し難いことがあったのかもしれませんが、だからってこんなこと」

 「海兵……おれはすでに決断した。この行動はお前たち海軍にも利があるはずだ」

 「僕には、そうは思えません!」

 「市民を守るのが仕事である貴様ら海軍にはできないことがあるはずだ。おれたちが政府の敵を打ち倒せば、その恩恵は表立って行動を起こせない海軍にもある」

 「この町の惨状も、そのためには仕方ないと言うつもりですか……?」

 

 慌てて駆けつけてきたヘルメッポがコビーの傍に立つ。

 物々しい雰囲気だ。次に何が起こるのかは簡単に予想できる。

 概ね予想した通りに、途方もない戦意を醸し出すルッチはにやりと笑った。

 

 「何事にも犠牲は付き物だ。痛みがなければ人はいつまでも学ばない」

 「あなたが改めないと言うのなら、あなたを逮捕しなければなりません」

 「それも構わない。ただし、おれに勝てるのならだ」

 

 ルッチは拳を引くつもりがない。

 戦いは避けられそうにない。仕方なくコビーも覚悟を決める。

 雰囲気を察して、嫌そうな顔ではあったが、ヘルメッポもため息をつきつつ武器を取り出した。二本のククリ刀を両手に持って身構える。

 戦い始める、その間際。コビーは振り返って悲しげな顔で少年に目を向けた。

 

 「キリさん……あなたも、なぜ」

 「コビー、今更弱音はなしだぜ。こうなることはわかってたはずだ。友達だろうと恩人だろうとあいつだって海賊なんだ」

 

 問いかけても答えはなかった。沈黙して紙だけが動き、戦闘を中断する様子もない。

 それならば、海軍将校としてやるべきことは一つ。

 深く息を吐いて心を落ち着けると、改めて拳を握る。

 町と市民を守るため、この場は戦って状況を打開するしかなかった。

 

 「わかりました。あなたたちは僕が止めます」

 「やるしかねぇよな……!」

 

 ルッチが咆哮を上げて飛び掛かった。

 応じたコビーと激しい拳の応酬を演じて、空と言わず大地と言わず、ありとあらゆる場所で肉弾戦を繰り広げる。腕力こそルッチが勝っていたが、厳しい修行によって鍛えられたコビーも的確な防御と回避を織り交ぜ、互角の戦闘を継続させていた。

 

 駆け出したヘルメッポは狙ったわけでもなくクマドリと戦い始める。繰り出される錫杖をククリ刀で受け止め、身軽な動作で跳び回って反撃を行った。

 武器が衝突する音が響き渡り、何度となく攻防を繰り返す。

 

 見ているだけとはいかずに、やがてローも動き出し、ジャブラとブルーノも黙ってはいない。

 乱戦となって激しさは増していくばかりだった。

 



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