少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─ (嵐牛)
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序章:昼行燈を灯すのは
1話


 チチチとどこかで小鳥が鳴き、その(さえず)りに呼ばれるように欠伸(あくび)が口から顔を出す。

 桜の盛りは過ぎたものの季節の盛り、空に浮かんだ太陽はその輝きからは連想できない程に穏やかな陽気を地上へと振りまいている。

 春風の温もりと共に運ばれてきた芝の香りが、今やるべき全てのタスクを放り出して柔らかなターフに寝転がれと胸ぐらを掴んでくるようだった。

 隙あらば指先を這わせてくる睡魔の誘惑を、いかんいかん、と頬を叩いて振り払う。

 ヒリヒリした痛みに幾ばくか覚醒した意識で男は広大な敷地を持つ校庭を─────単に運動するための砂のグラウンドとは違う、1つの使用目的だけに特化した作りの芝のコースを見下ろした。

 

 走ること。

 その為に作られた緑色の道を、『少女たち』が駆け抜けていく。

 頭頂付近から生えた人間のそれとは異なる形状の耳と、腰から靡く人間には備わっていない流麗な尾。

 そんな異なる種族の特徴と共に、彼女らは掛け声に合わせて走る。

 ()()()()()()()()()()()()()という、異なる種族の証明たる走力で。

 

 

 人間とは少しだけ異なる存在───『ウマ娘』。

 時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る運命を背負った少女たち。

 そしてここはそんな彼女らが他の誰よりも速くレースを駆け抜けるべく通う、"己の脚を鍛えるために日本各地に存在する学園"・・・・・・その中でも最大規模、およそ2000人超の生徒を擁する『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』、通称『トレセン学園』。

 『走り、競うこと』を至上とする数多くのウマ娘が憧れ、才能を見込まれたウマ娘だけがその門戸を潜り、同じだけの数のウマ娘が夢破れて涙と共に去り─────そして一握りのウマ娘が栄光と威光を掴み取る戦場である。

 

 そして戦場たる学園に在籍する彼女らを鍛え導く存在、『トレーナー』。

 春の日和に瞼を(しばたた)かせていた男は、その肩書きを持つ者の1人だった。

 昨日は充分に寝たはずなんだがなあ、と首を捻っていると、ハッハッハと快活な笑い声が近付いてきた。

 欠伸をしていたトレーナーの同僚だ。

 彼は鳴らしていた靴音を男の隣で止め、揶揄うように顔を覗き込む。

 

 「よう、()()()()。眠たそうじゃないか。そんなのでまともに品評が出来るのか?」

 

 「・・・・・・古賀(こが)か。誰がチカミチだ」

 

 「はっはっ、悪い悪い」

 

 散々前からやめろと言い続けているはずの、()()()()()()()()()()()()()()()をトレーナーは吐き捨てる。

 その呼び名は、トレーナーのウマ娘の育成方針によるものだった。

 ウマ娘の性質を正確に把握した上で組み上げる、効率を徹底したトレーニングメニュー。

 その効率主義は『重賞の常連だろうと使えるレースは全て使う』という時代の常識すら捨て、担当ウマ娘の目標のみを見据えたレースのローテーションを組むまでに至る。

 無駄は排する。目指すは常に最短距離。

 だから、『近道(チカミチ)』。

 難色を示す本人とは裏腹に、彼をそう呼ぶ者は絶えない。

 それは常にウマ娘を第一に想う彼の姿勢と、確かな手腕に対する敬意を込めた渾名(あだな)だからだ。

 

 「しかしどうだ。今年の新入生は中々粒揃いじゃないか?」

 

 「ああ。特にあの黒鹿毛と・・・・・・鹿毛の2人だ」

 

 そう言って2人はグラウンドを見下ろす。

 今は体育の授業中で、新入生がレースで走るための基礎的な力を培うためのトレーニングを行なっていた。

 レースをしている訳ではない。

 本番に近いコンディションのコースと集団の中で走るというレースの空気に慣れる為に、十数人が纏まって走るのだ。

 なので着順での争いがある訳ではないのだが、その中でも抜きん出ている者・・・・・・・・・、早くも才能の片鱗を見せている者はやはり存在している。

 先頭とその付近を走る黒鹿毛と鹿毛の2人の目には、競走ではないと説明されていてもなお闘争心が燃えていた。

 

 「『ウメノチカラ』と『カネケヤキ』か。今年の目玉はこの2人かな。入試の時の時計もいいし、スカウトには苦労しそうだ」

 

 「『バリモスニセイ』あたりも傑物だが、やっぱり俺はそのどっちかを担当したいな。あの才能を自分が花開かせるなんて胸が躍るじゃないか」

 

 「そうか。じゃあ俺とは競合相手になるかもな?」

 

 「あっお前、まさか2人とも狙ってるのかこの業突く張りめ。まだ足らんのか、去年あれだけの成果を挙げておいて───────・・・・・・・・・・・・、・・・・・・すまん」

 

 「・・・・・・気にするな、分かってる。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう答えた男は、しかし握った手に力が入るのを抑えられなかった。

 古賀に悪意があった訳ではない。事実、このトレーナーは担当したウマ娘の経歴を誇るべき戦績で彩ってみせたのだ。

 ただしその結末が、彼にとっては余りにも苦く苦しいもので終わってしまっただけで。

 彼の指の圧に押されてくしゃりと紙が歪むのを見て古賀は目を伏せる。

 

 「気にしてはいないよ。だからお前が気に病むな」

 

 「ああ、ありがとう。俺はもう行くよ。・・・・・・本当にすまない」

 

 (・・・・・・今度酒でも奢らせるか)

 

 悄気(しょげ)た様子で立ち去った古賀に、トレーナーはやれやれと頭を掻いた。

 あれは気のいい男だ、わざとでは無くとも人の傷に触れてしまえばずっと気に病み続けてしまう。

 ならば何でもいいから適当に詫びの形でも取らせてやった方がいいだろう。

 これは自分が抱えていればいいものだ。他者に腫れ物として扱われたいとは思わない。

 

 気を取り直し、改めて新入生を観察する。

 似通った姿形でヒトを優に超える身体能力ばかりが目立つが、同時に彼女らの性質にはガラス細工のように繊細な部分がある。

 その内の1つは、環境の変化にヒト以上に敏感であること。

 新たな環境、初めて経験する訓練。そしてそこかしこに立って自分たちを見定める、これからの自分のレース人生を左右するトレーナーたち。

 緊張が高まる数多くのファクターに見舞われ、運動量以上に疲弊しているようだった。

 最後の組が走り終わっても、まだ最初に走った者たちは息が整っていない。

 

 これから彼女らはクールダウンの方法を教わる。

 トレーナーが着くか『チーム』に所属するか、レースのための本格的な訓練が課されるまでに、新入生たちは徹底的に自己管理のノウハウを叩き込まれる。

 最も重要で、しかし地味な講義。

 それ故に資質の多寡が聞く姿勢に出たりもする。

 普通に聞いている者や退屈そうにしている者、疲労に押されて半ば聞き流している者・・・・・・、あるいは真剣な顔で傾聴している一部の者。

 そういう所も判断材料としてトレーナー達はこれぞと見込んだウマ娘にアタックをかけるのだ。

 無論それはチカミチと呼ばれたトレーナーとて例外ではなく、首から下げた遠眼鏡を覗き込んで彼女らの様子を観察している。

 

 そんな時だった。

 

 「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 妙な生徒がいた。

 ウメノチカラでもカネケヤキでもバリモスニセイでもない、()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()

 思わず彼女を観察し続けている内に講義は終わり、ストレッチを実践した後に授業は終わりとなった。

 周囲のウマ娘の様子と彼女の様子とを見比べて、また彼は首を捻った。

 

 

 

 次の日の体育の授業はダートコースを使ったマラソンだった。

 目的はもちろん基礎的なスタミナを身につける事だが、どの辺りで失速ないしはバテるかで自分の大体の脚質が明らかになったりもする。

 早い内に疲労で下がれば短距離(スプリンター)

 長くペースを保てれば中・長距離(ステイヤー)

 どちらが優れているという話ではないが、短距離路線のレースが軽視されている現状、スプリンターを望まないウマ娘は訓練を重ねて自らの脚質を改造していくことになる。

 

 その鹿毛のウマ娘は、集団の最後方にいた。

 皆が乱れる息を押し真剣な顔でペースを保とうとしている中、彼女ひとりだけがいかにも『仕方無しに走ってます』といった風情でぽてぽてと集団に着いていっている。

 

 そして授業は終わった。

 時間にすれば1時間程度の持久走だが、不慣れな土のコースが身体にかける負担は並大抵ではない。

 みんなが大きく肩を揺らして喘鳴を漏らす中、やはり他のトレーナーたちの注目はきのう古賀との会話で名前が挙がった2人を中心とした先頭集団のウマ娘に集まっている。

 しかし『近道』と呼ばれるトレーナーの視線の先にあったのは疲労の只中でも背筋を伸ばす彼女らではなく、最後方を走っていた鹿毛のウマ娘だった。

 

 その後も彼は、彼女が履修する全てのトレーニングを見学し続けた。

 鹿毛の彼女は、いつだって最後方を走っていた。

 

 

 そして少々の時が流れる。

 体育の授業が基礎トレーニングに加えてコーナーの曲がり方や折り合いの付け方などを学ぶ『コース追い』やスピードを鍛える筋力トレーニングが始まり、やがてトレーナー達の目に止まるための選抜レースが話題に上り始めた時、彼は行動を起こした。

 褒められた行為ではない。

 それどころかマナー違反と謗られるような、不文律を犯す行いだ。

 それを自覚しつつも、彼は足を止めることはなかった。

 

 「わかった。ありがとう」

 

 「いえいえ。見つかるといいですね」

 

 昼食後の休憩時間、彼女のクラスを訪ねたが空振り。

 彼女がいそうな場所を教えてくれた生徒に礼を言って教室を出た後、教室内で(にわか)にヒソヒソ話が発生した。

 ─────なぜ練習でまったく目立たない彼女にトレーナーが会いにくるのか?

 そんな事には委細構わず、トレーナーは教えてもらった場所に足を運んだ。

 彼女は自由時間には大体そこにいるらしい。

 そうでなければまた機会を改める気でいたが、どうやらその必要はなさそうだ。

 

 目当ての鹿毛のウマ娘は、日当たりのいい芝生の上で彼女はうたた寝をしていた。

 春眠暁を覚えずを地でいく気持ち良さそうな顔で目を閉じている様に、声をかけるかどうか、というか起こしてまで話しかけていいものか若干迷ったトレーナーだがその時、ぱちりと彼女の目が開いた。

 横目で自分の姿を確認した後、回るように動いた彼女の耳もこちらを向く。

 ────自分が来るのを知っていたのか?

 そう思うくらいに彼女の動作にはゆとりがあった。

 むくりと起き上がった鹿毛のウマ娘は芝生に胡座をかき、のんびりとトレーナーを見上げて言う。

 

 「そのバッジ、トレーナーさん?」

 

 耳を立ててこちらを注視する鹿毛のウマ娘。

 興味や注意を示すウマ娘の()()だ。表情からして悪い感情を抱かれている訳ではないらしい。

 内心で安堵しているトレーナーに、彼女はぱたぱたと手を振りながら飄々と嘯いた。

 

 「生憎だけど鹿毛違いさ。あたしはカネケヤキじゃないよ」

 

 「いや、彼女目当てじゃなくて」

 

 「冗談だよ。いつもあたしを見てた人だろ?」

 

 「・・・・・・気付いてたのか?」

 

 「そりゃあれだけジッと見られたらね。たぶん最初の授業の時からあたしを見てなかった?」

 

 何でもない風なその言葉にトレーナーは思わず仰け反った。

 カマを掛けている風でもない、半ば確信しているような物言い。

 あれだけあちこちに立っていたトレーナー達の中から、自分の視線に気付いていたというのだ。

 慣れない環境に初めての指導、生徒全員が疲れ果てたトレーニングの最中に、そこまで周りの様子を見る余裕が果たしてあったのだろうか?

 

 

 ─────いや、あったのだろう。

 彼女ならそれができたのだろう。

 何故ならトレーニングのあと皆が疲労困憊で肩で息をしている中で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ごくり、と緊張に思わず唾を呑む。

 確信があった。

 今年の新入生の中には確かに煌びやかな主役がいる。

 だが今は姿を隠しているこのウマ娘は、間違いなく彼女ら全てを飲み込む台風の目となるだろう、と。

 

 トレーナーのその表情に何を見たか、ニィ、と彼女は笑うように口角を曲げた。

 立ち上がってスカートの土と葉を払い、彼女は高く持ち上げた尻尾を揺らして彼の元へと歩み寄る。

 

 挑むような強さや噛み付くような凶暴さでもない。

 まるで己という存在を使って相手を試すような。

 彼女の名乗りが無意識に孕む空気には、そんな圧があった。

 

 

 

 

 

 

 「あたしはシンザン。あんたは?」

 

 



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2話

 鹿毛の長髪と、前髪に白い流星。

 『シンザン』と名乗ったそのウマ娘は、気圧された様子のトレーナーを不敵な表情で見上げていた。

 

 

     ◆

 

 

 「へえー、開業してるんだ。思えば身近な割によく知らない世界だけど、それって大変なんじゃない?」

 

 「兄貴がいるとはいえ親父も若くはないからな。万が一があるから勤務してくれた方が安心できるんだけど、なにぶん頑固で」

 

 自己紹介を終えた後、お話聞かせてよというシンザンの誘いでトレーナーはベンチに腰掛けてとりとめのない雑談をしていた。

 自分の名前を聞かれた時のまるで下から物理的に持ち上げられるような気迫には圧されたが、トレーナーの話に興味深そうに足をぷらぷらさせている姿は年相応の少女に見える。

 

 「けどそんな遠目からどの娘がどれだけやるかなんて分かるもんなんだね。あたし何人か凄いのがいるって事しか分かんなかったよ。後はせいぜい自分が一番かわいいって事くらい」

 

 「その辺りは経験則と勘だな。もちろん肉の付き方や体格を見なきゃ詳しいところは分からないけど、君は1人だけ平然としてたから分かりやすかった」

 

 「やーん。エッチ」

 

 「バテてなかったからっつってんだろ」

 

 自分の身体を抱えてくねくねしてみせるシンザンに割とガチめの突っ込みを入れるトレーナー。

 この様子だと最初に見せたあの圧力は現段階の彼女の実力を示すものではなく、あくまでも潜在能力の片鱗であるらしい。

 ─────花開かせてみたい。

 むくれた顔を作ってみせる彼女を見ながらそんなことを考えていた時、ふと思い当たったらしいシンザンが、トレーナーの顔を下から覗き込むようにして尋ねた。

 

 「けど身体付きが大事っていうのなら、なんであたしに目を付けたのかね? 自分で言うのもなんだけど、あたし小さい方だよ?

 スタミナがあるから疲れてなかったんじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「体格は確かに大切だが、俺はあまり重視しない。大切なのはそこに詰まった『密度』だと考えている。

 入学式の日に壇上に立っていた彼女を見ただろう? 君よりも小さい身体で、素晴らしい成績を残したあのウマ娘を」

 

 「確かに。密度ねえ・・・・・・」

 

 「それにね」

 

 大きさよりも密度が大事と聞いて自分の(トモ)を掌でぎゅむぎゅむし始めたシンザンに、トレーナーはにやりと笑ってみせる。

 本人としてはしたり顔のつもりだったようだが、後々の彼女が語って曰く、それは実に、実に悪そうな顔であったという。

 

 

 「少なくとも良い顔はしておくべき『トレーナー』の前でそういう事を飄々と言ってみせた時点で、君の自信家っぷりはよく理解できたよ」

 

 

 「・・・・・・・・・へえ?」

 

 彼女は否定も肯定もしなかった。

 揶揄(からか)うようなトレーナーの言葉にシンザンは目を細めてにんまりと笑い返す。

 互いに腹の内で(はかりごと)を楽しむような空気に、ほんの少しだけさっき彼女が見せた迫力が顔を覗かせたような気がした。

 悪い沈黙をしばし楽しんだ後、さて、と声で区切りをつけてトレーナーはベンチから立ち上がる。

 

 「もう行くの?」

 

 「ああ。実は選抜レース前に目当てのウマ娘に粉をかけるのはマナー違反でね。だからこの事について何か聞かれたら、勧誘されてた訳じゃないと言ってくれると助かる」

 

 「あんたも大概肝が太いね。スカウト目的でしたって言ってるようなもんだよそれ」

 

 「アプローチをかけた訳じゃない。嘘は言ってないだろう?」

 

 呆れたようなシンザンを尻目に手を振りながら立ち去っていくトレーナー。

 まあ実際、嘘は言っていない。ここまでの会話の中で、彼は『担当になってくれ』とは一言も言っていないのだから。

 ただ、言われた側(シンザン)としてはどうだろう。

 常日頃から振るわず目立ちもしない(じぶん)を相手に、『俺は君の素晴らしさを分かってる』だなんて─────()()()()()()()()()()()()()()()

 あの男がタラシの(たぐい)なのかそれとも無自覚なのか。都会は凄いところだね、とトレーナーの背中を見送っていた時、ふと思い出したように彼はシンザンの方を振り返った。

 

 「そうだ。最後にいいかな」

 

 「?」

 

 

 「たぶん君が1番かわいいって事は無いと思う」

 

 「とっとと失せろこの野郎」

 

 

 

 

 トレセン学園は寮制の学園だ。

 一部自宅から通う者もいたりはするが、基本的に彼女らは敷地内の宿舎それぞれの部屋に2人1組のルームシェアで住み込むことになる。

 栗東(りっとう)寮と美浦(みほ)寮、道路を挟んで向かい合うように建っている宿舎のうち、シンザンが入寮しているのは西側の栗東寮だった。

 窓から覗く空はもう茜色が傾こうとしている時、宿舎の一室のドアががちゃりと音を立てて開く。

 姿を見せたのは目つきの鋭い黒鹿毛。いの一番に彼女の目に入ってきたのは、ベッドに寝そべっているシンザンだった。

 

 「よう、ウメ。おかえり」

 

 「ただいま。・・・・・・本当に呑気だな、お前は」

 

 シンザンに()()と呼ばれた黒鹿毛、ウメノチカラはやれやれとベッドに鞄を放り投げる。

 彼女が吐き出す息に疲労が混ざっているのをシンザンは感じた。

 

 「そっちは自主トレ上がりかい? 頑張るね、今の時点でも問題なくデビューできるって言われてんのに」

 

 「デビューはゴールじゃない。その先を走り抜けるなら気は抜けん。・・・・・・打算的な話だが、そういう姿勢を見せれば有力なトレーナーの目に留まりやすくもなるだろうしな」

 

 「けっ。トレーナーなんてもんはね、あたしらの身体しか見てないんだ。身体目当てなんだよ。失礼な奴だよ全く」

 

 「今日一日で何があったお前」

 

 そりゃ身体目当てだろ競走ウマ娘だぞ、というウメノチカラの至極真っ当な指摘にもシンザンは頷かない。

 よもやこいつトレーナーに色仕掛けでもしたんじゃないだろうな、というひどい邪推まで成立してしまうが、こいつに限ってそれはないなと思い直す。

 トレーニングでずっとクラス最下位にも関わらず彼女のボサッとした態度は変化しない。

 呑気の象徴としての地位を確立しているこの性格が、色仕掛けなんて切羽詰まった真似をするとは到底思えなかった。

 ともあれ・・・・・・曲がりなりにもこの学園に在籍する者として色々とだらけきったこの態度は、他人事ながら苛立ちが募るのも事実。

 言葉の端に険が混ざるのを自覚しつつも、ウメノチカラはシンザンに真っ直ぐに忠告した。

 

 「顔見せの時にハク寮長からも話は聞いたろう。デビューしても未勝利のまま終わるウマ娘も、トレーナーが付かずデビューすら出来ずに終わるウマ娘だっているんだ。

 ・・・・・・日頃の様子からして、まずお前は危機感を抱かないと不味い立場だと思うがな」

 

 「大丈夫だよ」

 

 やさぐれつつ腰蓑を巻いた黒人を模した空気で膨らませるタイプのビニール人形を脚に抱き着かせ遊んでいた彼女は、妙にハッキリと断言した。

 呑気とはいえ流石に迷いなく言い切られるとは思わず鼻白んだウメノチカラにシンザンが返した言葉は、しかしいつものようにのんびりとしたものだった。

 

 「どうにかなる。目処(めど)は立った」

 

 ・・・・・・これだ。

 とぼけた風に振る舞いながら、こいつは時折こういう目をする。

 理由もなく根拠もなく、安全させるような信頼もない。だけど()()()()()()()()()()()()()()と腕尽くで黙らせてくる問答無用の圧。

 穏やかな森の木陰から凶悪な獣の唸り声が聴こえてきたような不意打ちの悪寒を、ウメノチカラは何度か味わっている。

 

 「・・・・・・勝手にしろ」

 

 そう吐き捨てて彼女は身体を投げ出すように椅子に腰掛けた。

 まるで自分にとって取るに足らないはずの者に気圧されたという事実を、虚勢を張って誤魔化すように。

 

 

     ◆

 

 

 選抜レース前に有力なウマ娘に粉をかけるのはマナー違反という暗黙のルールは有力なトレーナー達が優れた生徒を独占するのを防ぐためのものだが、生徒の側にそういう不文律は存在しない。

 むしろ彼女らは来たる選抜レースに向けて在籍しているトレーナーを調べ上げ、積極的に行動を起こす。

 ストレートに自分をスカウトしてくれと拝む者や、日頃の練習に対する姿勢や結果でアピールする者。

 走りについてあれこれ質問して向上心で自らを売り込む者もいるため、これにどう答えるかはトレーナー側の重要なアピールポイントになり得る。

 そして言うまでもなく1番人気は有名なウマ娘を担当した実績のあるトレーナーだが、日頃のトレーニングが振るわない者は誰彼かまわずアタックをかけたりするので、意外にも訪れる機会は平等だったりするのだが。

 

 「何人か纏めてスカウトしようとしてるトレーナーさんもいるみたいだけど、あんたもそうするのかい?」

 

 「いや、俺は1人だけにするつもりだよ。俺のやり方だとあまり大人数は見れないからね」

 

 いつものようにシンザンは校舎裏の芝生の上、大きく枝葉を広げる木陰の下に寝そべっていた。

 誰も彼もが目当てのトレーナーの元に足繁(あししげ)く通う休み時間に、彼女だけが普段と変わらない。

 道すがらそこに立ち寄ったトレーナーは彼女とニ・三言ほど言葉を交わしてトレーナー室に向かった。

 

 「やあトレーナーさん。モテるねえ」

 

 「君も加わるかい?」

 

 「あたしはいいや」

 

 ある時はそんな軽口を叩いた。

 自分を売り込んでくるウマ娘たちに囲まれて団子になったトレーナーをからかったシンザンは、トレーナーの笑い混じりの誘いには乗らなかった。

 熱心にアピールされながら去っていくトレーナーの少女たちの身体に埋もれたトレーナーの背中を、シンザンはぱたぱたと手を振って見送った。

 

 「『チカミチ』ってトレーナーさんの事?」

 

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 またある時はどこぞの誰ぞにいらないことを吹き込まれていたりもした。

 トレーナーはノーコメントを貫いた。

 昼休みに校舎裏に立ち寄るのはある種の日課になっていた。

 

 そして来たる日が差し迫り、ウマ娘たちの緊張も目に見えて高まってきたある日。

 いくらなんでも焦る様子が無さすぎるシンザンに、トレーナーはこんな事を聞いた。

 

 「君は誰かにアピールしたりしないのか?」

 

 「もうしたよ」

 

 そっか、と。

 それだけ言ってトレーナーは校舎裏の庭を去る。

 その日が訪れるまでの間、これが2人の最後の会話になった。

 ──────やがてその日は訪れる。

 年に4回行われる選抜レース、その1回目。

 彼女らの運命が、いよいよ回り始めた。

 

 

     ◆

 

 

 選抜レースとは、まだチームに所属していないウマ娘のみがエントリーできるレースだ。

 期待度の高いウマ娘はこの時点で多くのファンが見届けに来ることもあり、開催の規模は学内のそれとは思えない程に大きい。

 彼女らはトレセン学園の一大行事となっているこのレースで実力を示し、観戦に来ているトレーナーにスカウトされることを目指す。

 ここで残した成績によって今後の運命が決まると言っても過言ではない重大なイベントなのだ。

 そしてまた一戦、注目度の高いウマ娘が出走するレースが始まろうとしていた。

 

 「──────来たぞ! ウメノチカラだ!」

 

 ゲート前で身体を(ほぐ)している彼女を見て、観客やトレーナーたちのテンションが一気に上昇した。

 入念なウォームアップを終えコンディションをトップギアに調整した彼女の鋭い眼差しは、今回の選抜レースに向ける意気込みを何よりも雄弁に語っている。

 誰が見ても絶好調と分かるその様子に、それを観戦していた鹿毛のウマ娘が穏やかに笑う。

 

 「ふふ。ウメちゃん、やっぱり大注目ですね」

 

 「有名にもなるでしょう。トレーニングで出す時計(タイム)は貴女と並んでトップですから」

 

 おっとりとした言葉に冷静な調子で返したのは同じく鹿毛のウマ娘だ。

 髪の色は同じでも人に与える印象は随分と違う。

 かたや大人びた柔らかさのある少女で、かたや硬い表情のいかにも真面目そうな少女。

 性質が真逆な2人のウマ娘が、隣同士並んでコースを見下ろしている。

 

 「順当にいけばチカラさんが1着でしょう。彼女と競れるだけの選手が複数いれば()()もあるでしょうが、私も貴女も出走したのは別のレースですから」

 

 「リセイちゃんはやっぱり冷静ですね。レースではあんなに熱いのに、まるで別人みたいです」

 

 「・・・・・・バリモスニセイです。そんな呼び方するの貴女だけですよ、ケヤキさん」

 

 拒否するまでには至らないが半目になるバリモスニセイに、あらあらと微笑むカネケヤキ。

 バリモスニセイの予想に反対意見を述べないあたり、彼女もバリモスニセイと同じ結果になると考えているようだ。

 『このレースの主役はウメノチカラ』。

 この2人に限らず、見物人の多くがそう認識しており─────『彼女』もまた、他の誰の眼中にも写っていないウマ娘だった。

 

 「・・・・・・・・・・・・、」

 

 ウメノチカラはちらりと横の様子を見る。

 一様に緊張感を漂わせている出走者たちの中で、『彼女』だけが逆に異彩を放っていた。

 ─────シンザンだ。

 のんびりとストレッチをしているその顔に、緊張の一切は見られない。それどころかウメノチカラの視線に気付いて手を振ったりしている。

 あれから色々と忠告はしたが、結局ここに至るまで彼女が焦る様子は無かった。

 自分の運命が決まるこのレースで、なおも呑気な顔をぶら下げている。

 

 ならもういい。知ったことか。

 

 失望を通り過ぎた無関心でウメノチカラは鼻息を鳴らす。

 何を考えているのか知らないが、ここまで熱を重ねてこなかった者に振り向く女神はいない。こいつは今日それを思い知るだろう。

 自分はただ、ここまで重ねてきたものを全て出し切るまでだ。

 

 (大事な一戦。・・・・・・必ず勝つ)

 

 『それでは選抜レース第4走目を開始します! 出走者の皆様はゲートに入って下さい!』

 

 開始の合図。

 いよいよ出走者たちがゲートの中に収まった。

 ウマ娘が本能的に嫌う閉所の中、ルーキー達が緊張と集中の折り合いを付ける最後の猶予。

 スタートに向けて集中力を尖らせる彼女らが見据えるのは、間もなく解放されるゲートの向こうに伸びるターフの道のみ。

 いくつもの駆け引きが行われるレースの中で、この時だけは全員が己のみに意識を向ける。

 

 だから、彼女のことをトレーナーだけが見ていた。

 

 ゲートから覗く顔に強張りはない。

 集中を極めたその意識の中に他者への関心など存在しないのだろう。

 静かに揺らがず、ただ己がやるべき事のみを見据えた佇まいには、『自分は出来る』という圧倒的な自負がある。

 同じゲートの中で同じように構えておきながら、彼女だけが森の泉のように静謐だった。

 

 「・・・・・・・・・競走ウマ娘の理想だな」

 

 トレーナーは思わずそう(こぼ)した。

 あそこからどんな走りを見せてくれるのか、彼女はもしかして自分の予想を遥かに上回る傑物なのではないか、とも。

 彼女が予想以上に予想以上なものを見せてくれそうな予感に、彼は思わず身を乗り出していた。

 

 ただし。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ガシャン!!!!

 とうとうゲートが開く。

 一斉に飛び出したウマ娘たちが地面を蹴り、我先に好位置を奪わんと2歩目を踏み出そうとした時。

 それは起こった。

 

 「え」

 

 ウメノチカラの口から声が漏れる。

 出走者たちも見物人も、それを見ていた全員がポカンと口を開けた。

 彼女は1人を除いて誰の眼中にも無かった。

 1人を除いて、誰も彼女を見ていなかった。

 そうなっても仕方ない位に実力が無く、そうなる位に目立たない。

 そのはずだ。

 そのはずだったのだ。

 

 

 地面を蹴る音は一際大きい。

 まるで自分でゲートを押し開けたかのように滑らかに、まるで助走を付けたかのような初速で彼女は一気に前に出る。

 

 このレースの出走者たちがスタートしてから最初に見たものは、開幕から大きく先頭に躍り出たシンザンの背中だった。



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3話

 

 「!? おい何だあのスタートダッシュ!」

 

 「開幕で2バ身は離したぞ! あんなスタートが巧いウマ娘いたか!?」

 

 どよめく観衆。

 1番人気のウマ娘を尻目に先頭に立って走るシンザンの姿にあちこちから驚愕の声が上がるが、何より気が動転しているのは他の出走者だ。

 こうなると事前に立てていた作戦は総崩れになる。

 普段から優れた結果を出しているウメノチカラを警戒していたのに、警戒の端にも入れていなかった()()()()()のデータなど把握している訳がない。

 あくまでも対ウメノチカラの策を立てていた彼女らは、ここに来て想定外の対応を強いられた。

 

 「このっ・・・・・・!」

 

 「行かせない!!」

 

 前を走るシンザンに何人かが並びかけてきた。

 レースはまだ序盤も序盤。本来ならまだ展開を窺うべき場面なのだが授業外での初めての実戦、それも今後が懸かった選抜レースだ。

 『こいつには負けられない』という焦りに押された者は早くもペースを上げてシンザンを追い抜かす。

 ここで落ち着いて様子を見ることを選んだウマ娘はなかなか冷静だろう。最初こそ動揺を見せていたが、ウメノチカラもまたその中の1人だった。

 

 (脚を溜めておかなきゃならん)

 

 先行策のベストポジションはシンザンに奪われた。

 距離が伸びる外を回るにも、バ群をくぐって内に潜るにも────勝負所でより多くの体力を消費する。

 ならば少し後ろで全体が見えるポジションに付け、最良の仕掛け時とルート選択を見極めるが最良。

 幸い負けん気が強い者が早い段階でシンザンに仕掛けにいった。これで仕掛けた側もシンザンも互いに削り合うだろう。

 後は脚を消耗した彼女らを最終直線で抜けばいい。

 自分ならそれが出来る。

 その為にこの中の誰よりも努力してきた。

 たとえスタートで遅れを取ろうとも・・・・・・

 

 (・・・・・・怠けた奴に、負けはしない)

 

 第1・第2コーナーを回って向こう正面の直線、レースは淀み無く進んでいく。

 現在ウメノチカラは5番手でシンザンは4番手。

 勝ちに(はや)って飛ばし過ぎた者は辛そうな顔をして徐々に速度を落としつつある。

 そろそろ(しお)だ、とウメノチカラは判断した。

 こうなるともう彼女らにルートを変更するだけの力はない。そのまま沈んで終わりだろう。

 その予想通り、第3コーナーに差し掛かったあたりで先頭から3人が後ろに下がり始めた。

 そうなるとシンザンとウメノチカラの順位は自動的に繰り上がり・・・・・・そして、彼女らが走っていたスペースが空く。

 

 「ここだっ!!」

 

 第4コーナー手前、彼女は速度を上げた。

 沈んでいく者と入れ違うように空いた内側のスペースに潜り込み、最も走行距離の短い内ラチ沿いにコースを取る。

 前にいたシンザンを内側から抜き去り、ウメノチカラは一気に先頭に躍り出る。

 

 「おお、ウメノチカラが出たぞ!」

 

 「仕掛けるのが早い! 大丈夫か!?」

 

 (問題ない! ()()()ように鍛えてきた!)

 

 歓声に紛れて聞こえた懸念に心の中で叫び返す。

 コーナーは重心の制御が必要なため体力の消費が大きい・・・・・・そこで加速するとなれば尚更だ。

 しかし、レースの序盤で焦らずに残した脚がここで活きていた。

 消耗の具合は想定内。

 ここからは選抜レースと同じコースで、何度も走った練習通りのペースでいける。

 

 つまり。ここからスパートが掛けれる。

 

 「絶対に──────勝つ!!」

 

 最終直線、ウメノチカラが一気に加速する。

 体力が削れた者はもちろん後方で四苦八苦していた者は追いかける事すら出来ず、そうでない者も追い付かない。

 単純に努力の差。あるいは才能の違い。

 重ねたものと立つ場所の差は、そのまま彼女と後続との差になった。

 

 「「「むっ、無理ぃぃいいい〜!!」」」

 

 後ろを走る者たちから弱音が漏れる。

 彼女らが追い縋ることを諦める程にウメノチカラの走りは強かった。

 ─────いける。

 そう確信したウメノチカラはさらに強く踏み込んでいく。

 ここで大きく差をつけて1着になれば、それだけ実力のあるトレーナーの目に留まる。

 そうなれば自分はより高い所へ行ける。

 デビュー前から受けてきた期待を肩透かしなどで終わらせる気は毛頭ない。

 まずはこの一戦、必ず勝利を─────

 

 「ッッッ!!??」

 

 振り向いた。

 振り落としたと思っていたはずの足音が1つ、すぐ後ろから聞こえる。

 その鹿毛のウマ娘は後ろに下がる事もなくウメノチカラのすぐ後ろを追随している。

 何故? ウメノチカラの頭に疑問符が浮かぶ。

 食らいついてくる奴はいるにせよ、どうしてお前が食らいついてくる?

 

 なあ、シンザン。

 どうしてお前がそこにいる?

 

 「見ろ、1人競りかけてきてるぞ! スタートがめちゃくちゃ巧かった娘だ!」

 

 「けどウメノチカラもまた加速した、先頭は譲らない!!」

 

 間もなく残り600メートル、レースは2人の一騎打ちの様相を呈していた。

 逃げるウメノチカラと追うシンザン。鎬を削る彼女らに沸き立つ周囲に反して、ウメノチカラの表情に余裕はない。

 スパートをかけた終盤でさらに加速できたのは脚を残す彼女の作戦が上手く機能したからで、他の相手ならこのダメ押しで押し切れただろう。

 

 しかしシンザンは離れない。

 ウメノチカラのすぐ後ろを、付かず離れず一定の距離を保って追いかけてくる。

 

 「く・・・・・・ッッ!?」

 

 加速してもまだ離れない、それはつまり向こうも加速を残していたということ。

 こうなると小細工なし、ゴール板を越えるまでトップスピードを維持できるかという勝負になる。

 レースの中でも最も辛い、ウマ娘自身のメンタル・・・・・・勝負根性が問われる時間。

 歯を食い縛ったウメノチカラが、必死の形相で芝を蹴る。

 残り400メートル。

 後ろのシンザンはまだ並んでこない。

 いま彼女がどこにいるか確かめる余裕はない。

 呼吸が動きに追いつかなくなってきた。

 

 残り200メートル。

 呼吸ができない。身体が重い。

 エネルギーは底を突き、精神が肉体を駆っている。

 

 残り100メートル。

 苦しい! 苦しい!

 アイツはどこだ!!

 早く、早く早く早く!!

 アイツに追い抜かされる前に!!

 私にゴール板を越えさせてくれ!!!

 

 「あああああぁぁぁぁああぁああッッ!!!」

 

 叫び、そして走り抜ける。

 どちらが先頭かはもう考えていられなかった。

 ゴール板を越えた瞬間に限界を迎え、息も絶え絶えに速度を落とすウメノチカラ。

 力尽きて転ばないようにするので精一杯。出し尽くして空っぽになった彼女の中に、スピーカーから響いたその声は何よりも強く響き渡った。

 

 『ゴーーールイン! ウメノチカラ1着! ウメノチカラ1着であります!!

 およそ1バ身離れて、2着はシンザン!!』

 

 わああああああああっっ!!と歓声が上がる。

 ─────勝った。自分が勝ったのだ。

 快哉を上げたいが呼吸が保たない。拳を掲げたいが腕すら上がらない。まったく警戒していなかった相手に精魂尽き果てるまで走らされてしまった。

 熱の灯らない昼行灯(ひるあんどん)とばかり思っていた者がよもやここまでの力を秘めていようとは・・・・・・。

 喜びの表現すらままならない彼女の元に、感極まった顔をしたトレーナーたちが休ませる間もなく押し寄せる。

 

 「流石だウメノチカラ! その素晴らしい才能をぜひ僕に磨かせてほしい!!」

 

 「実はあなたに最適のトレーニングメニューをもう考えてあるの! これを見れば私が相応しいと分かるはずよ!」

 

 「いいや、俺の所に来い! あの勝負根性は間違いなく俺と気が合うぜ!?」

 

 「ぜぇ、ヒュぅ、ちょ、ちょっと、待、」

 

 勝利の後に思い描いた通りの構図だが、いかんせん物を考える余裕がなかった。

 頼むからまともに頭が回る時に話をさせて欲しい。いま何より自分が欲しいものは秋波(しゅうは)ではなく酸素だ。

 若干掛かり気味のトレーナーたちに囲まれつつ肩で息をするウメノチカラは、彼らの身体の隙間から最後まで自分に食らいついてきた鹿毛のウマ娘がどこかに走っていくのを見た。

 ・・・・・・奴については、評価を変えねばならないな。

 酸素が足りない頭でそんな事を考えたウメノチカラが無意識のうちに抱いた違和感の正体に気付くのは、もう少し後のことだ。

 

 

 

 「あの、ケヤキさん。チカラさん勝ちましたよね」

 

 「ええ、リセイちゃん。鬼気迫る走りでした」

 

 「その走りにシンザンは着いていったんですよね」

 

 「はい。全く予想外でした。追い抜かすことは叶いませんでしたが、彼女の走りも素晴らしかったです」

 

 「ですよね」

 

 その光景を見下ろしていたバリモスニセイは鋭い眼を丸く見開き、カネケヤキは背筋に冷たい汗を伝わせる。

 2人は静かに息を呑んでいた。

 それだけ彼女らが見たものは信じ難いものだった。

 実力と前評判、共に1番人気のウメノチカラが見せた死力の激走。抜かせないにせよそれに着いていったのなら同じくらい消耗してしかるべきなのだ。

 そうでなければ、おかしいのに。

 

 「・・・・・・なら、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 「素晴らしいスタートだった。勝利に必要だった最後の一押しを発揮できるだけの力、私なら君に与えられるだろう。どうかな?」

 

 そして1着のウメノチカラ程ではないにせよシンザンも注目を集めていた。

 大方の予想を裏切るスタートダッシュからウメノチカラの走りに着いていった走力。自分の全てを出し切った勝負で『もしも』は無粋ではあるが、『もしも』彼女のタイムがあと1秒速ければを考える者もいる。

 そもそもタイムを1秒縮めること自体にまず大変な努力を必要とするのだが、自分ならそれを実現させられるという自信を持つベテランが彼女に声をかける訳だ。

 いつぞや彼女がウメノチカラに言った『目処は立った』というセリフが実現した形になっているが、しかし彼女が言った()()はいま自分を囲んでいるトレーナーたちではない。

 シンザンは耳と顔で周囲をくるくると見回し、そして見付けた。

 ちょ、ちょっと、と呼び止めようとするトレーナーたちに目線すらくれずシンザンは一直線に『彼』の元へと向かい、呆れたような彼の前でにたりと笑ってみせる。

 

 「どうよトレーナーさん。あたしの走りは?」

 

 「不完全燃焼だよ。そこまで体力残ってるならもっと早くスパートするとか出来たんじゃないか?」

 

 「()()()()()()()()()()()()()()、わざわざ1着を獲る必要は無いだろ。体裁としてとりあえず悪くない結果も出したしね」

 

 「呆れたね。俺が君を選ぶと確信してるのか?」

 

 「何だ白々しい。あたしが自分から来ると分かってたからあんたは遠巻きに眺めてたんだろうよ」

 

 そう言ってニタニタと笑い合う。

 もうお互いがどんな(はら)をしているか理解している以上、()()はこれで充分だった。

 ポカンと口を開けてこちらを見ている者たちの視線の先で、2人はどちらからともなく手を差し出した。

 

 

 「()()()()()()()()、トレーナーさん」

 

 「ああ。()()を後悔はさせないさ」

 

 

 人間とウマ娘。似て非なる種族。

 彼らが1つになる時は慕情で心を重ねた時か────あるいは、同じ野望を抱いた時か。

 どちらにせよ2人が同じ方向を向いているのは確かな事だ。

 『近道』と呼ばれたトレーナーと、シンザンという(いま)だ未知数のウマ娘。

 

 2人の3年間が、始まる。

 

 

 

 

 

 

     ◆

 

 

 「そういえば、少し気になってたんだけど」

 

 「んん?」

 

 その日の内に担当契約を結び、トレーナー室でこれからのトレーニング方針についてミーティングをしていた時、トレーナーはふと思い出したようにシンザンに問うた。

 

 「選抜レースの後でさ、『わざわざ目立つ事はない』とか言ってただろ?

 それが()()()()()()()()()()みたいに聞こえてね。

 ウメノチカラとは同室らしいけど、彼女も素晴らしい才能に努力を重ねてる娘だ。大抵のウマ娘には負けないと思う。

 そんな彼女にそこまで勝つ自信があったのか?」

 

 「うーん、自信っていうかね。何でだろうね」

 

 自信は強さに繋がるが、行き過ぎた自信は傲慢に変わる。それはともすれば向上心を停滞させ、己を殺す毒になり得るだろう。

 トレーナーがそう尋ねたのは、彼女が自滅に陥らないために戒める意図があってのものだったのだが。

 

 「そりゃウメノチカラだって強いし。そういう肩肘張ってるようなのじゃなくて、自然にそう思ってるっていうかさ。根拠なんて無いもんだから、あんまり良くない事かもしれないとは思ってるんだけどね」

 

 ────トレーナーのその忠告は、どれほど過去に与えられれば彼女に影響を与えただろう。

 自分が1番だ、という自信。

 誰も自分に勝てはしない、という傲慢。

 彼女が抱いていたのはそういう所を通り過ぎた、『そういうもの』であるという『認識』だった。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 てへへ、と恥ずかしそうにはにかんで頭を掻くシンザンに、トレーナーは初めて彼女に会った時と同じものを感じた。

 新人の(いき)がりと一笑に付すのは簡単だ。

 だが全力を出さないまま名実併せ持つ1番人気を気力の底まで追い詰めた事実が、彼女の言葉に不気味な説得力を持たせている。

 ・・・・・・彼女の『これ』は劇薬だ。

 己を錆びつかせる猛毒にも、己を強く育てる妙薬にもなる。

 それがどちらに変わるかは自分にかかっている。

 

 ─────腕が鳴るじゃないか。

 

 一瞬呑まれそうになった自分に喝を入れ、トレーナーは腹の内に対抗心にも似た炎を燃やしていた。



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大山動かず獅子一頭
4話


 「よーしストップ! いいタイムだ!!」

 

 目の前をヒト型の疾風が駆け抜けると同時にストップウォッチを停止。

 そこに示された数字を見たトレーナーが快哉を上げ、2,000メートルを駆け抜けたウメノチカラは大きく息をついた。

 大人数で共有するためのバケツみたいなサイズの水筒から浴びるように水を飲み、熱された身体を潤していく。

 バインダーに挟まれた記録用紙に書き込まれたタイムは、デビュー前のウマ娘としてはかなり優秀なものだった。

 

 ウメノチカラだけではない。

 学園内のトレーニングジムでバーベルスクワットを行っているバリモスニセイは、自分のトレーナーだけでなく周囲のウマ娘の視線すら(さら)っていた。

 棒の両端に付いているウエイトは人間はもちろん、人間という種族よりも遥かに高い身体能力を持つウマ娘にすら使用を躊躇わせる積載量。

 ある程度の基礎は体育の授業で作られているとはいえ、重量も回数もデビュー前のウマ娘が行うような回数ではなかった。

 

 カネケヤキは徹底的にスタミナを鍛えていた。

 長さ50メートルのプールをもはや何往復目か、彼女より遅く始めた者が彼女より早く切り上げることを数度繰り返して、ようやく彼女はプールから上がる。

 髪から水を滴らせてクールダウンのストレッチ。脚の調子を確かめるように筋肉を伸ばし、大丈夫ですね、と呟いた。

 

 「どうした。気合が入ってるじゃないか」

 

 疲労に侵されながらも衰えない気迫に、感心した彼女らのトレーナーは一様にそんな賛辞を贈る。

 それに対する彼女らの言葉もまた、判で押したかのように決まっていた。

 

 「・・・・・・舐めてかかれない奴がいるんです」

 

 睨むように空を見つめ、口を揃えてこう返す。

 早くもライバルが出来たのかと良い兆候に顔を綻ばせるトレーナーたちは、自分の担当がライバル視しているだろうウマ娘の顔を思い浮かべた。

 少し前ならそこにあの鹿毛のウマ娘を思い浮かべることもあっただろうし、事実ウメノチカラたちも『彼女』を仮想敵としてトレーニングしていた。

 だが、今となっては彼女を強敵として見ている者はほぼいなくなっていた。

 何故なのか?

 確かに1着ではないにせよ、彼女もまた優れた走りを見せたのに──────

 

 「・・・・・・・・・なあ、シンザン。走らないか」

 

 「んぇぇぇえええ」

 

 「汚い鳴き声だなぁ・・・・・・」

 

 言語か否かで言えばギリ獣の側に判定される音を喉から発するシンザンに、トレーナーは呆れを通り越した感嘆の呟きを漏らした。

 担当契約を結んでから1ヶ月。

 指摘も指導も何のその。初夏の日差しを浴びながら、今日もシンザンはいつものように芝をぽてぽてと走っていた。

 

 

 気性難とは違うが特殊なタイプのウマ娘だということは分かっていたが、よもやここに至っても走らないとは思わなかった。

 

 授業は手を抜き、選抜レースですら抑え、自分と契約を結んでからもこの調子。

 あるいは相手がいないと気が乗らない闘争心ありきの性格なのかと他のウマ娘に併走を頼んだこともあるが、それでも未勝利のウマ娘に遅れを取るレベルで走らない。

 競走バとは何ぞやと思わなくもないが、一癖あることを理解していた上で担当契約を結んだ以上、これをどうにかしてどうにかするのが自分の務めである。

 

 「うう。ちょっと一息入れていいかい」

 

 「ああ、ちゃんと水分も取るんだぞ。今日は日差しが強いからな。まだ本格的に暑くなる前だけど油断はしちゃいけない」

 

 疲れたというよりは気晴らしがしたそうなシンザンの要求をトレーナーは2つ返事で通す。心と身体がチグハグな状態で走らせるよりは逐次気分のリセットを図った方が良い。

 はーい、と返事をして水筒の中身を幾分か喉に通したシンザンは、何やら考え込んでいる様子のトレーナーに雑談を投げかける。

 

 「けど、トレーナーさんが思ってたより優しくて少しビックリしてるよ。なんとなくトレーニングって『水を飲むと心が鍛えられない』みたいな事を言われるイメージだったけど」

 

 「最近まではそうだったんだが、耐えられなくなったウマ娘たちが地方のトレセンで学生運動じみた決起を起こして大事(おおごと)になったんだ。

 もともとスポーツ医学の最先端を取り入れてる中央(ここ)じゃ懐疑的な風潮だったけど、それを期にその手の根性論は完全に否定する立場に立ってるよ」

 

 「学生運動かあ。そういえば2年か3年前くらいにデカいのやってたね。ラジオで聞いた覚えがあるよ。・・・・・・芝の外は大騒ぎだ」

 

 「この国も過渡期なんだろう。声を上げてる誰の主張が正しいのかは分からないが、今を少しでも良くしようって気持ちはきっと明るい未来を生むさ。

 ・・・・・・『自由に水を飲ませろ』って願いを通した彼女たちのお陰で、今お前たちが健康にトレーニングできてるみたいにな」

 

 ファイトー、ファイトー、という掛け声の群れが聞こえてくる。

 先の選抜レースで残念ながらトレーナーから声が掛からなかったウマ娘たちが、教官の指導の元で集団トレーニングを行なっているのだ。

 少しだけ締め付けられるような顔をしている彼女たちの未来を掴まんとする気持ちも、いつかは明るい未来を生むのだろうか。

 少しだけ次の季節の熱を感じるようになった風が髪を撫でた時、トレーナーは区切るようにパンと手を叩く。

 

 「はい、時間稼ぎはここまで。ラスト3本」

 

 「バレてるかあ・・・・・・」

 

 締めるところは締める。

 流石に『やだ』という訳にはいかず、ちぇっ、と唇を尖らせてシンザンは再び走り始めた。

 

 

     ◆

 

 

 「ようチカミチ。()()の調子はどうだ?」

 

 昼休み、昼食の時間。

 からかうように肩を組んできた古賀の脇腹に肘鉄を入れて黙らせた。

 

 シンザンならぬ『新参(シンザン)』。

 いま彼女は、揶揄いの意味でそう呼ばれている。

 若いながら実力は本物と名高い彼が抜群のスタートを切り好走したシンザンと契約を結んだ事は、トレーナーの間でかなり話題になった。

 彼の指導と彼女の資質が合わされば、あるいは前回の栄光が再現されるのでは─────そう考える者も少なくなく、トレーニングが始まった当初は2人を警戒して彼らの様子を見に来る者も多かった。

 ・・・・・・・・・だが、当のシンザンがあの調子である。

 最初の方こそトレーナーがどう矯正していくか見守られていたが、まだ1ヶ月とはいえ変化の兆しも見られない。

 そして他のトレーナーたちは呆れて見に来なくなり、彼女の走らなさは広く知られるところとなった。

 

 「上機嫌だな、古賀。まだウメノチカラを射止めた喜びが抜けてないのか」

 

 「いてて、冗談だ、冗談。分かってるさ、お前の手腕を疑っちゃいない」

 

 トレーに乗った定食を前に、気心知れた者同士2人は隣並んで座っている。

 頂きますの唱和の後、ほくほくと湯気を立てる焼き鮭を箸でほぐしながら古賀はトレーナーに愚痴るようにぼやいた。

 

 「けど、早いところ矯正するなり結果を出すなりして欲しいのは事実なんだがな。どうせそっちの耳にも届いてるだろうから言うが、友達が()()()()()なんて笑われてるのは気分が悪い」

 

 「言わせておけばいいさ。結果を出せば黙る」

 

 「相変わらず自信家ね。変わってなさそうでよかったわ」

 

 「おう、桐生院(きりゅういん)さん」

 

 そう言ったのは黒髪を後ろで束ねた妙齢の女性だった。古賀に桐生院と呼ばれた彼女は彼らの前の席に座り、小鉢に卵を割りながら冷静な口調で指摘する。

 

 「とはいえ、私から見ても彼女の()()()は少々目に余るわ。結果を出すにせよ矯正は必須だと思うけれど、何とかする手立てはあるの?」

 

 「まずは性格を細かい所まで掴むところからかな。なんていうか、アイツの場合は怠け癖とは違うと思うんだよ。トレーニングには欠かさず来るし、手を抜きはしてもメニューそのものはきちんと消化するから」

 

 「手を抜くのなら怠け癖なのではなくて?」

 

 「いや、筋力トレーニングとかきちんとやるんだよ。ランニングみたいにゆっくりやって楽をするっていうのが出来ないからだと思う。要領よくサボってるのかとも思ったけど、『気乗りしません』って顔に出るのは走る時だけなんだよなぁ・・・・・・」

 

 「・・・・・・ここ走るための学園だよな?」

 

 「少し気難しい娘なのかしら。ウマ娘の気性はそれぞれだけど、ま、精々油断はしない事ね」

 

 啜っていた味噌汁の椀を置き、桐生院は怜悧な眼差しをトレーナーに向ける。

 彼らは友人だ。そしてライバル同士だ。

 気遣いこそすれど、相手がもたついているのならこれ幸いと置いていくのみ。

 可能性と古賀の口元にはもう、さっきまでの友好的な笑みはなかった。

 

 「周りは貴方達を揶揄ってるみたいだけど。貴方が鍛えた娘を相手にカネケヤキに気を緩めさせる気はないわよ、私は」

 

 「同感だ。せいぜい今のうちに差をつけるさ」

 

 ピリッ、と3人の間に電流が走る。

 才能による猶予はそうない。

 代々優れたトレーナーを輩出する名家の子女に、負けん気の強い叩き上げ。彼らもまた、この学園では名を馳せる名トレーナーなのだ。

 彼らの圧を一身に受け、『近道』は脳内で考えを巡らせる。

 

 (メニューを工夫してやる気が出る方向に誘導しようと考えてたけど、本人に直接聞いた方がいいな)

 

 ()()()()()()()()()()、と。

 ウマ娘の気性を重んじる故の方針を、彼は一気に転換する事に決めた。

 この場合は分析のために様子を見ていたから遅れたのであって最初からそうすればよかった、とも言えるのだろうが・・・・・・

 古賀と桐生院は、分析して理解する性質に同居するこの思い切りの良さこそを警戒しているのかもしれなかった。

 

 

 

 走るのが気乗りしない様子とはいえ、走る訓練から『走る』という項目を除外するなど有り得ない。

 シンザンは今頃ウォーミングアップをしている頃かな、と今後のメニューをどう変更していくかを思いながらトレーナーはトレーニングへと向かう。

 どうも彼女の場合これまでのトレーニングの定石は捨てて考えねばならないようだ。

 今までの経験則から使えそうな部分を抽出して組み合わせるか、それとも新たな文献を────

 

 「ん?」

 

 見慣れない顔があった。

 手元には手帳とペン。いかにも報道関係の出立ちをしているが、その男は少々見逃せないものを持っていた。

 首から下げた一眼レフだ。

 少しだけ厳しい顔になったトレーナーは、横から少しだけ強く彼の肩を掴む。

 

 「失礼。記者の方ですか? 写真を撮るなら許可を得てからでお願いします」

 

 「ん。ああ失礼、分かってますよ。職業柄ね、持ってないと落ち着かないもんで─────」

 

 そう言って中年の男は振り向き、トレーナーの顔を見て少しだけ目を丸くした。

 彼の顔を見たトレーナーもまた同じようなものだった。中年の肩から手を離し、顰めていた眉からも力が抜ける。

 

 「やあ何だ、あんたでしたか。お久し振りです」

 

 「そっちこそ沢樫さんでしたか。体型が変わってるので気付きませんでしたよ」

 

 「放っときなさいよ」

 

 どうやら前に会った時と比べて恰幅がよくなったらしい体格をいじられて渋面する沢樫。

 2人の間にはそれなりの交流があるらしく、警戒で一瞬だけ張り詰めた雰囲気も消えて砕けた口調で話をしている。

 沢樫の方は仕事でここに来ているらしい。

 

 「まだデビューする前から取材ですか。『月刊トゥインクル』も熱心ですね」

 

 「今年は早くも話題になってるウマ娘が多くてね。

 古賀(こが)篤史(あつし)トレーナーのウメノチカラ。

 桐生院(きりゅういん)(みどり)トレーナーのカネケヤキ。

 そしてあんたがどんなウマ娘を見出すか、我々も注目していましたが・・・・・・・・・、予想外でしたよ。悪い意味でね」

 

 「・・・・・・・・・」

 

 「身体つきは平凡で体育の成績も悪い。選抜レースじゃ良い結果を出したかもしれないが、その後のトレーニングも不真面目極まっており、ハッキリ言って中央を舐めているとしか思えない。

 トレーナーは昨年の輝かしい成果に目が眩み、こんなウマ娘でも自分なら大成させられると錯覚したのではないか・・・・・・」

 

 トレーナーの表情は変わらない。

 そういうやっかみなら何度も耳に入ってきているし、それに返す言葉など決まり切っているからだ。

 『好きに言えばいい』。

 『これからの結果を見ればお前も黙る』。

 そう返そうとして口を開きかけたが、それよりも先に沢樫はこう続けた。

 

 「・・・・・・ま、以上がさる評論家の意見ですわ」

 

 「あなたは違うと?」

 

 「勿論。前回あんたが育てたウマ娘を見てたら、体格の小ささにケチは付けられませんな」

 

 くくく、と沢樫は喉で笑う。

 

 「あんたと担当が送った3年間を取材して自分は確信してますよ、この男は今回も絶対に成果を上げるってね。『見出された才能、栄光の手腕』・・・・・・いい見出しじゃあないですか」

 

 「ずいぶん贔屓してくれますね」

 

 「その頃からのファンだもんで。記者としての確信と信頼を以って・・・・・・この沢樫(さわがし)静夫(しずお)、今後もあんた達を追いかけますとも」

 

 それでは自分はこれで、と沢樫は去っていくが、途中トレーニング中のウマ娘を見てカメラを構えそうになり、いかんいかんとカメラを手放している。

 記者の本能と理性が若干拮抗しているらしい。

 大丈夫かな、とやや不安になりつつその背中を見送っていた時、コースの方から自分に声がかかった。

 

 「おーい、トレーナーさん。アップ終わったよう」

 

 「ああ分かった。今行く」

 

 雑談で待たせては悪い。トレーナーは小走りで担当ウマ娘の元へと向かう。

 ウォームアップでは普通に走るんだよなぁ、とやはり話を聞くことの重要さを再認識しながらトレーナーは今日のメニューをざっくりと説明。

 いざ走ろうとなったその時に、シンザンは沢樫が消えた方を見ながらトレーナーに尋ねた。

 

 「さっきの人、友達?」

 

 「知り合いの記者だよ。過去に彼の取材を受けてたんだけど今回も取材する気みたいだから、これからシンザンも話す時があるんじゃないかな」

 

 「え、記者さん。じゃあ谷啓と知り合いだろ。会いたいって伝えといてよ」

 

 「な訳ないだろ芸能無関係の月刊誌の記者だぞ。知り合いだったとしてもまずそんな願いは通らないよ」

 

 「嘘だあ。東京は有名人と仲良くなれる街だって聞いたよあたしは」

 

 「まずそのお上りさんみたいな幻想を捨てなさい」

 

 ガチョーン、と芸の物真似をしながらぶーぶー言うシンザンに、ほらほら走れと背中を叩く。彼女は唇を尖らせながらトレーニングを開始した。

 このノリとペースを許してくれている時点でトレーナーは思ったよりというか大分優しいのだが、彼女はその点に関しては()()()()()と向こうも分かった上で契約したんだからええやろの精神で流している。

 相変わらずのスローペースで流しながら彼女はちらりと自分の足を見て、

 

 「・・・・・・まだ、保つね」

 

 ぽつり、とそう呟く。

 地面を蹴る音と掛け声に掻き消され、彼女のその声がトレーナーに届く事は無かった。

 



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5話

 そしてトレーニング終わり、内容のフィードバックの時間。

 トレーナーに走るのが気乗りしない理由を問われたシンザンは、うーん、と腕組みをして天井を仰ぐ。

 叱責と捉えられ萎縮されるのは好ましくなかったが幸いにして(?)彼女にその様子はない。反省してんのかと思わなくもなかったが、こういう質問にも率直に答えてくれる彼女の図太さはトレーナーとしては有り難いものであった。

 

 「自分でもよく分かんないんだけどね。なんかね。なーんか気持ちが乗らないんだよ」

 

 「うん。それは見てて分かる」

 

 「なんかこう、真面目にやらなきゃとは思うんだけど、『真面目にやってもなあ』って気持ちが出てくるっていうかさ。

 やる意味あるのかなって考えちゃって、そんでダレちゃうんだ。

 お前ここに何しに来てるんだ、って言われると返す言葉がないんだけどねえ。どうにもなんなくて」

 

 流石にまずい事を言っている自覚はあるのか、シンザンはどこかバツが悪そうにしていた。

 その言葉だけ聞けばただの不真面目だが・・・・・・

 トレーナーはしばし思考の海に沈む。

 ─────これが字面通り『しなくても勝てるから訓練など無駄だ』という意味なら、そもそもトレーニングに来ることすらしないだろう。

 そしてあの選抜レースでも自分がセッティングした併走でも手を抜かず勝ちに行ったはずだ。相手に勝たねば『訓練は無駄』という主張は通らないのだから。

 シンザンの答えをそのまま捉えたら、彼女の行動にはいくつか矛盾が生じる。

 仮説を組み上げたトレーナーは意識を浮上させ、いくつかの不明点をシンザンに投げかけた。

 

 「・・・・・・ウォームアップじゃ普通に走るし、他のメニューは別に怠けないよな?」

 

 「あれはただの準備運動だし、トレーニングそのものが面倒な訳じゃないんだよ」

 

 「選抜レースもそこそこ真面目だったよな」

 

 「流石に自分をスカウトする男の前で不真面目な走りをするのはね。あんたと知り合ってなきゃ目立つために1着を獲りに行ってたけど」

 

 「併走は気乗りしなかった、と」

 

 「そこで本気を出したところでねぇ・・・・・・」

 

 

 理解(わか)った気がする。

 これが正解かは確認してみなければ分からないが、少なくともこの仮説なら彼女の答えの全てに矛盾なく説明がつく。

 彼が何かの答えに行き着いたのを察して姿勢を正したシンザンに、トレーナーは下から窺うように自分の中で組み上げた彼女の核心を口にした。

 

 「・・・・・・・・・もしかしてさ。『明確な利益や名誉がないと走る気が起きない』って話なのか?」

 

 

 

 

 「それ聞いて『それだーーー!!』って叫んじゃって。トレーナーさん引っくり返っちゃってね」

 

 「それだじゃない。実績も態度も何もかもがそのモチベーションに噛み合ってないんだよ」

 

 「早いうちに明らかになってよかった、と前向きに捉えるべきなのでしょうか・・・・・・」

 

 宿舎への帰り道、シンザンの話に聞いていた全員がこめかみに指を添えた。

 栗東のシンザンとウメノチカラに、美浦のカネケヤキとバリモスニセイ。それぞれクラスや宿舎が違う彼女らは誰が言い出すでもなく集まって帰り、ひととき今日一日のあれこれを語り合う。

 専らの話題はトレーニングのあれこれだが、周囲と比べて色々とズレているシンザンも割と話題の槍玉に上がる。

 主に3人からの総ツッコミという形で、だが。

 

 「だけどシンちゃんは自分を分かってくれる人に出会えたんですねぇ。私のトレーナーさんもよくシンちゃんのトレーナーさんの話をしてるんですよ」

 

 「私のトレーナーもです。事あるごとにあいつに対する警戒は解くなと」

 

 「私もだ。他に警戒すべき奴は勿論いるが、特別お前を・・・・・・、というかお前のトレーナーを睨んでるように思う」

 

 「へえ。トレーナーさん凄い人なのかね」

 

 「「「 えっ? 」」」

 

 3人が口を揃えて音を発した。

 知らないんですか?と驚いているカネケヤキに呆気に取られたバリモスニセイ、何言ってんだこいつと引いてすらいるウメノチカラ。

 なぜそんな顔をされるのか分からないシンザンはただ首を傾げるばかりだった。

 そんな彼女を見て真実を教えようと口を開こうとしたバリモスニセイだが、その言葉はウメノチカラに口を塞がれて止められた。

 

 「(チカラさん?)」

 

 「(放っておけ、どうせそう遠くない内に知るだろう。せいぜい驚かされればいい)」

 

 「ちぇっ、何だい何だい。あたしだけ除け者かい」

 

 「これについてはその、知らなかったシンちゃんがびっくりというか・・・・・・」

 

 緩やかに3対1の構図だった。

 自分としては正直『誰がトレーナーになっても自分は勝つ』くらいの心構えでいたのだが、しかしこのまま3人から気の毒な子みたいな扱いをされるのも癪なので明日トレーナーに直接聞こうとシンザンは決意した。

 

 「まああたしのトレーナーさんがどんな人であれ、だよ。選抜レースから2ヶ月経ったけど皆どうだい。自分のトレーナーさんとは上手くやれてるのかい」

 

 「そうですね。要求したトレーニング強度が無茶だと言われますが、私の意思を最大限に尊重して下さっています。本当に駄目な時は止めて下さいますし」

 

 「同じく、です。あの人の知識の深さに驚かされるばかりで」

 

 「負けん気が強い人だからな。トレーナーとしてだけでなく、そういう所も個人として気が合うと思っている。・・・・・・そういうお前はどうなんだ、シンザン」

 

 「うん?」

 

 「お前の()()()()()はもう有名な話だ。選抜レースでこそ悪くない結果は残したが、なぜあんな不真面目な奴がスカウトされて自分は声を掛けられなかったのかという奴もいる。

 正直私はトレーナーのお前に対する警戒すら疑問に感じ始めてるぞ。

 悪評を伝える伝書鳩になぞなりたくは無いが・・・・・・今のお前を担当したいというトレーナーなどいるまい。今のトレーナーに愛想を尽かされたら、その時点でお前は()()()だ」

 

 「優しいんですねぇ」

 

 「誰が!!」

 

 くすくす笑うカネケヤキに噛み付くウメノチカラ。

 よほど指摘されたくなかった所だったのか切れ長の瞳をかっ(ぴら)いて歯を剥いている彼女に、何だかんだ良い奴なんだよね、とシンザンは少しだけ笑った。

 

 「ありがとうね、ウメ」

 

 「やかましい。気を遣った訳じゃない」

 

 「知ってる。それについては大丈夫だよ。もしそういう事を言われたら、あたしはトレーナーさんの言葉をそのまま伝えるからさ」

 

 「トレーナーの言葉? 何だそれは─────」

 

 

 

 「言わせておけ。結果を見れば全員黙る」

 

 

 

 「・・・・・・・・・、」

 

 「ってな具合にね。結果を出す前から封殺できるから便利なもんだよ」

 

 からからと笑うシンザンに息を呑む3人。

 ただの引用では到底発し得ない言葉の重さ。

 つまり彼女のトレーナーは確信しているのだ。

 シンザンというウマ娘はそれが出来るだけの力を秘めていると。

 また彼女自身も、黙らせられるだけの結果を自分は出せると────揺るぎなく信じている。

 言葉で語る意味はない。

 脚で語ればそれでいい。

 ・・・・・・実に気が合うコンビと言える。

 綺麗に黙らされた3人を見て、シンザンはまた面白そうに笑っていた。

 

 

     ◆

 

 

 「ん・・・・・・、んぅ・・・・・・」

 

 トレーナー室に少女の呻き声が小さく響く。

 微かに布の擦れる音。衣擦れに混ざる少しだけ質感の異なる柔らかな音は、押し付けられた肌と肌が擦れる音に相違ない。

 ごつごつと骨張った男の指がその柔肌に埋もれる度に少女は小さく息を漏らした。

 頭頂部から伸びた耳をぱたぱたと振りながら、ズレた眼鏡を戻しつつ少女は男に問いかける。

 

 「・・・・・・彼女の様子はどうですか?」

 

 「相変わらず良し悪しの所感は率直に答えてくれるからやりやすいよ。性格に沿ってトレーニングメニューは暫定的に組み直したから、後は調整かな」

 

 「ふふ。やりやすい娘は、ふっ、走りを怠けることなんて、ないでしょうに・・・・・・ん・・・・・・」

 

 「まあ色んな性格の娘がいるからな。手のかかる子ほど何とやらだ」

 

 「あら? それでは私は、可愛くは、はぁっ・・・・・・、無かったですか?」

 

 「いやそういう意味じゃないよ」

 

 知ってますよ、と。

 自分の上に被さる男を困らせてやった事に、赤らんだ顔の少女は悪戯な顔で微笑んだ。

 ・・・・・・ウマ娘は耳がいい。

 この時彼女は1つの足音がこちらに近付いてくることに気付いていたし、この時間にここを訪ねる人物にも見当がついていた。

 だからその事を男に教えなかったのは、()()に対する小さな悪戯心である。

 

 その日、シンザンは朝練が始まるいつもの時間より早めにトレーナー室を訪れていた。

 たまたま朝早くに起きただけなので別に早く向かう必要もないのだが、丁度いいから昨日ウメノチカラたちに呆れられた事についてトレーナーと話そうと思ったからである。

 彼女らの雰囲気からするに何やら凄い人物らしい。

 お互い完全にフィーリングで選んだものと思っていたが、もしかすると向こうは何かしらを見出した上で自分を選んだのだろうか?

 だとすると自分の()()()()()()()にもある程度の説得力が付いてくれるのだが。

 そんな事を考えながらトレーナー室のドアノブに手をかけようとした時、ドア越しに音をキャッチしたシンザンの耳がピクリと震えた。

 

 トレーナー室から艶っぽい声が聞こえる。

 しかも自分と歳が近そうな女の子の声で。

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ドアに頬をくっつけ、ピトッと耳をドアに当てる。

 聞き間違いではなかった。

 音を立てないようにノブを回して少しだけドアを開け、細い隙間からそっと中の様子を窺う。

 

 

 自分のトレーナーがソファの上で、自分と同じ制服を着たウマ娘の下半身に乗っかっていた。

 

 

 「あれ? シンz」

 

 「どっせいっっっ!!!!!!」

 

 ドアを開けて突入、掛け声1発。

 栗毛の少女が声を発する間もトレーナーが何か弁解できる程の間もなく、シンザンの剛腕にトレーナーが()()()()()()()

 初夏の朝、爽やかな空気の中。トレセン学園の片隅に、悲鳴と愉快な破壊音が響き渡ったのであった。

 

 

 「マッサージぃ?」

 

 「うん、マッサージ。ただマッサージしてただけだから。(やま)しい事じゃないから本当に」

 

 満身創痍である。

 ちゃぶ台返しのようにブン投げられ天井に激突したトレーナーは蛍光灯の破片と共に床に落下。

 悶絶しているところに『ウメ達が言ってたのはこれかぁぁああ!!』と追い討ちをかけようとしたところで栗毛のウマ娘に羽交い締めにされて止められた。

 違う違うそうじゃないと荒ぶるシンザンを宥めたところで、大惨事の室内でようやっと誤解を解く事が出来たらしい。

 とはいえ怒りは鎮まっていないようで、男と栗毛の前で鹿毛は未だ憮然として腕を組んでいる。

 

 「だとしてもあたしが途中で割り込んでなかったらどうなってたのかね。都会の男はいつだってあわよくばを狙ってるってお母ちゃんが言ってたからね」

 

 「お母ちゃんの格言もいいけど少しは俺の倫理観も信じてくれ・・・・・・。ウマ娘相手にあわよくばを狙うトレーナーはヤバいだろ・・・・・・」

 

 「言い訳したところで事実は変わらないね。

 しかも相手がよりによって()()()ときた!

 良くないと思うねえ! 神聖な学び舎でねえ!

 ああいうねえ!! エッチな事はねえ!!!」

 

 「思いの他初心(うぶ)なんですね」

 

 「きーっ!!」

 

 栗毛からの想定外の奇襲だった。

 まさかの2対1である。昨日から自分の味方が1人もいない哀しい事実にキレかかるシンザンだが、対照的に栗毛の方は穏やかなものだった。

 眼鏡の向こうの目を細め、初々しい反応を楽しむようにくすくすと笑う。

 事実として歳下ではあるのだが、普段どちらかと言えば周りをたじろがせる側のシンザンが彼女の前では随分と幼く見えた。

 

 「諸々事情がありまして、彼には時折こうして脚を(ほぐ)してもらっているんです。心配しなくても大丈夫ですよ? 貴女が想像しているような事は何も起きていませんから」

 

 「・・・・・・まあ、本人がそう言うのなら。それにしてもねえ・・・・・・」

 

 こう穏やかに諭されるとこれ以上騒ぎようがない。

 ホッとした様子のトレーナーをジトッと睨みつつシンザンは改めて目の前に座るウマ娘を見る。

 栗毛だ。そして自分よりも体格が小さい。

 見間違えようもなかった。

 まさか早起きがこんな展開を招こうとは────何とも形容し難い顔でシンザンは頭を掻いた。

 

 「まさかこんな所で話す機会ができるとは思ってなかったよ。・・・・・・・・・生徒会長の剃刀(かみそり)さん」

 

 もちろん名前は知っている。

 成し遂げたものに敬意を込めて、シンザンは最初に彼女を肩書きと渾名(あだな)を合わせて呼んだのだ。

 それが伝わってか伝わらずか─────

 小さな身体の栗毛の彼女は、嬉しそうに胸の前で手を合わせる。

 

 

 

 「はいはい、そうです。私は剃刀(かみそり)

 ─────生徒会長のコダマです♪」

 

 

 

 引き継ぐように彼女はそう名乗る。

 時代を(おこ)した英雄は綻ぶように笑い、遊ぶようにシンザンの言葉を繰り返した。



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6話

 『コダマ』。

 3年前の『年度代表ウマ娘』にして『最優秀クラシック級ウマ娘』、そしてトレセン学園の生徒会長。

 無敗の7連勝で皐月賞と日本ダービーのクラシック二冠を獲得し、ファンだけでなくその外にまで大きな話題を呼んだことはまだ記憶に新しい。

 そして戦績だけではない。『剃刀』と謳われたその脚であまり火の強くなかった競走バのブームを巻き起こした、まさに今の時代を象徴するウマ娘だ。

 こうして言葉を交わしてもまだどこか現実感が湧いてこない。

 テレビの向こうにいた白黒の大スターが今、色のついた姿で自分の前で微笑んでいるのだ。

 

 「・・・・・・入学式で見たとはいえ、こうして目の前にいるとビックリだね。まさかトレーナーさん繋がりでこんな有名人と関わることになるとは」

 

 「俺に谷啓に会わせろって言った奴のセリフか?」

 

 「黙らっしゃい」

 

 「ふふ、そこまで軽口に話せるなら信頼関係は良好みたいですね。どういう経緯でトレーナーさんと芸能界が繋がったのかは非常に気になりますが・・・・・・」

 

 2人のやりとりを微笑ましそうに眺めるコダマ。

 奇妙な心持ちだった。

 こんなに柔らかく人当たりのよさそうな女が─────いざレースになって芝に立つと、あんな鬼気迫る(かお)で走るのだ。

 もしや双子かそっくりさんか何かなのでは、とシンザンが思い始めていた時、コダマが思わぬことを言った。

 

 「()()()()()()()。まだ時間に余裕がありましたら、少しだけシンザンさんと2人だけにして頂けませんか? 騒がしい初対面にはなってしまいましたが、ちょうど彼女と話したかったんです」

 

 「えっ」

 

 「ああ、朝練が始まるまでなら大丈夫だよ。それまででよければゆっくり話してて」

 

 トレーナーは平然と了承したが、眼を丸くしたのはシンザンの方だ。

 自分も1度は話してみたいと思ってはいたが、まさかこんな形でそれが実現するとは全く思っていなかったのだ。

 向こうが自分のトレーナーと関わりがある理由も、自分と話したがっている理由も何も分からない。

 それじゃ先に出てるから、とトレーナーがドアの向こうに消え、室内にはコダマとシンザンだけが残される。もしや自分は知らないうちに何かをやらかしてしまったのかと緊張し始めたシンザンだが、コダマは穏やかな空気を纏ったままだった。

 

 「私は以前からあなたの話を聞いていましたが、こうして直接お話しするのは初めてですね」

 

 「え。ああうん、そうだね」

 

 「入学してから2ヶ月ですが、もう学園での日々は慣れましたか? この時期になると、選抜レースの結果や家族と離れている事などで心細さを覚える子もいるんです」

 

 「そこは大丈夫かな。結果は手に入れたし、仲のいい友達もいるしね」

 

 「それはよかったです。もしも何か悩みや不安が出来たら、気軽に生徒会室に来てくださいね。いつでも相談に乗りますから」

 

 生徒会長らしい優しく頼もしい言葉だ。

 悩みや不安ではないが、さっきからずっと気になっていた事ならある。

 ともすれば危うい事情が出てきそうで聞く事が躊躇われたがあまり放置するのもトレーナーとの信頼関係に関わってきそうなので、シンザンは思い切って踏み込んだ。

 

 「・・・・・・その、さ。トレーナーさんとはどういう知り合いなんだい? 何かしら事情ありきとはいえ、(トモ)のマッサージって専門の人の仕事じゃないのかな」

 

 「あら。聞いていなかったんですね」

 

 少しだけ意外そうにコダマは目を丸くした。

 聞いていない方が不思議だということは後ろ暗い何かは無さそうだ。

 ひとまずはホッと胸を撫で下ろしたシンザンだったが、続く彼女の言葉には驚愕を禁じ得なかった。

 

 

 

 「あの(ひと)()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 「・・・・・・、!? え!? そうなの!?」

 

 「そうなんです」

 

 思わず身を乗り出すシンザン。

 成程これは知らない方がおかしい─────カネケヤキ達が言っていたのはこれだったのだ。

 二冠ウマ娘・生徒会長コダマの活躍を支えた名トレーナー、それが彼。自分がまさかの人物に見初められていたことをようやく理解したシンザンに、コダマは滔々と話を進めていく。

 

 「だから私には、あなたが彼に選ばれた理由が何となく分かるんです。

 あなたの様子は彼を経由して聞いていましたし、選抜レースでの走りも見ていました。

 他者に揺らがない自意識と、決して大きくはない身体に備わった比類なき脚。

 ・・・・・・似ていたんでしょう。私と同じ種類の才能を、彼はあなたに見出したんだと思います」

 

 何だか自画自賛みたいになっちゃいましたね、と。

 恥ずかしそうに肩を竦めるコダマを前に、シンザンは噛み締めるように目を細めた。

 じんわりと胸に染み出してきたのは純粋な喜び。

 コダマが言った言葉の意味に、彼女は少しだけ頬を緩ませた。

 

 「・・・・・・そう言ってもらえるなら嬉しいね。テレビの向こうにいた憧れに認められるなら、あたしもここに来た甲斐がある」

 

 「私が憧れ、ですか?」

 

 「あたしに限らない。ここにいる奴は皆、大なり小なりあんたの背中を追いかけてるよ。

 今の時代はあんたが創った。

 元からいた奴もそうでない奴も、みんな巻き込んで燃え上がらせちまったあんたを見て─────あたしは学園の門を叩いたんだ。

 ・・・・・・今度は、自分が()()()()()()と思ってさ」

 

 「それは、今の私の状況を知っても、ですか?」

 

 「知ってる。・・・・・・()()()()()()()()()()()()()

 

 面映そうな顔を少しだけ俯けるコダマ。

 シンザンはそれを見た上で彼女の言葉を肯定した。

 それを聞いたコダマは、安心したように自分の脚を軽く(さす)る。

 

 ─────屈腱炎(くっけんえん)

 別名、『ウマ娘の癌』。

 レースに生きるウマ娘たちをしばしば絶望に叩き落とす病だ。

 物理的刺激で腱の繊維が切れる・上昇しすぎた体温で腱の組織が変性することが原因となる性質上、優秀なウマ娘ほど発症しやすいというもので・・・・・・・・・彼女(コダマ)もまた、その病に侵されたウマ娘だった。

 日本ダービーの後で思うような結果の出せない不振の秋に、追い討ちをかけるように屈腱炎を発症。

 休養の後に落ち着きを見せたと思った矢先、天皇賞を前にして症状が再発するという、日本を沸かせた二冠の栄光から叩き落とされるかのような仕打ちを彼女は味わっている。

 『新幹線(こだま)どころか各駅停車にも劣る』という散々な批評をシンザンは雑誌で見た事があった。

 

 「だけど、あんたは最後の最後で大舞台を制した。聴いてるだろ? あの宝塚記念・・・・・・全員があのラストランで上げた大歓声。

 不屈の意味はあんたで学んだ。憧れるには充分さ」

 

 「ありがとうございます。復活の証明、有終の美だと讃えてくださる方は多かったですが、しかしこうして真正面から言われると・・・・・・面映いというか、恥ずかしいですね・・・・・・」

 

 頬を染めてはにかむコダマ。

 憧れの存在が見せたそう見る機会のない顔に、不覚にもシンザンはときめいてしまった。

 まだ『尊い』はおろか『萌え』という表現も存在しないこの時代、形容し難い疼きにギュッと顔のパーツを中心に寄せて下唇を噛んでいたシンザンだったが、直後にふわふわした感情は墜落する事となる。

 

 「だけど、あのひとは引きずり続けた」

 

 ピリッ、とコダマの空気が僅かに変わった。

 

 「私はこの脚をレースに使い切ったことに後悔はありませんし、あのひとも私の意志に応えて全力を尽くしてくれました。

 だというのに『ああすれば防げたんじゃないのか』、『こうすれば症状は抑えられたんじゃないか』といつまでもいつまでも。口に出さなければ気付かれないと思っているんでしょうか?

 こっちは形だけでも償いになるように、必要でもない脚のマッサージを態々(わざわざ)させているというのに」

 

 「・・・・・・・・・、」

 

 「シンザンさん」

 

 静かな、しかし純粋な怒りだった。

 彼女とトレーナーの重ねてきた年月が含ませる言葉の重みは口を挟むことを許さない。

 10秒前との落差に気圧されて動けなくなっているシンザンに、コダマはそっと自分の手を差し出した。

 

 「トレーナーとは傲慢なものです。

 2人で精一杯努力して、暗闇のなか手探りで掴んできた()()を、『もしも』を重ねて神様の視点で眺めるのが大好きな人たちです。

 ・・・・・・信頼する人をそんないじけ虫にしたくなければ、どんな状態でも結果を出すしかありません。

 だから────どうか勝ち続けてください。

 あなたたちが残した歴史に、もしもの余地が入らないくらいに」

 

 「・・・・・・言われるまでもないさ」

 

 愛憎半々って感じかね─────

 コダマの気迫に、そんなメロドラマみたいな感想を抱きながらシンザンは彼女の手を握り返す。

 『勝ち続ける』。言われるまでもない。こっちはそのつもりでここに来ているのだ。

 しかし自分は勝つ気しかしていないので問題ないが、もしトレーナーと自分が組まなかったら他の生徒がこの圧を喰らったのだろうか?

 それはちょっと可哀想だね─────とりとめもなくそんな『もしも』を考えていた時、コダマの手を握っていた自分の手に圧力がかかる。

 握る力が強くなっている。

 今度はなんだとやや身構えたシンザンに、コダマはぽつりと話しかけた。

 

 「先程も言いましたが、あなたの話はトレーナーさんから聞いています。・・・・・・間違いなく素晴らしい素質を持ってはいるが、どうにも練習の態度に問題がある、と」

 

 冷や汗が出た。

 不味い。この流れは非常に不味い。

 この話の流れでこの話題に触れたということは、これから洒落にならない詰め方をされる。

 及び腰になったシンザンだがしかしコダマの口調は穏やかなままで、そして手の力は緩まないままだ。

 

 「そこについては何も言いません。気性はウマ娘それぞれですし、あの人はそれに沿ったトレーニングメニューを組む。少なくともあなたが怠けることはないでしょう」

 

 「う、うん。真面目だよ。サボってなんかないよ」

 

 「ですが周囲は正直なものです。人はあなたを()()と呼ばわり、あの人を『ハズレを掴んだ』と笑う。

 結果で語るのはあの人の流儀ですが、その過程で侮られるのに無頓着なのは相変わらずですね。

 そして今その嘲笑を(そそ)げるのは、彼の流儀で鍛えられたあなたをおいて他にいません。なので」

 

 みしり、と手の中で音がする。

 コダマの両手で包むように握られたシンザンの手の骨が軋んでいるのだ。

 まるでその言葉を、痛みによって相手に刻もうとするかのように。

 眼鏡の奥の目を細め、口元だけの微笑みを浮かべつつ彼女は言った。

 

 「あの人の名に泥を塗らない走りを───どうか、お願い致しますね」

 

 

     ◆

 

 

 腕時計を見る。朝練が始まる時間。

 トレーナー室を見るとちょうどドアが開き、シンザンと自分に一礼したコダマは校舎へと戻っていく。

 ────脚の症状は落ち着いてるな。

 彼女の歩様を見て安心しているトレーナーの元に、ぷらぷらと右手を振りながらシンザンがやってきた。

 

 「時間ピッタリだ。何を話してたんだ?」

 

 「あの人をよろしくお願いします、だって。生徒会長のトレーナーやってたなら言ってよ、あたし恥かいたじゃないか」

 

 「え、手前味噌だけど有名な方だから知ってると思ってた。本当にトレーナーの下調べもしてなかったのか・・・・・・」

 

 「誰がトレーナーでも勝つって思ってたからね。それであんたを引き当てたんだからやっぱりあたしは()()()()よ」

 

 「すごい自己肯定感だ」

 

 感嘆した様子のトレーナー。

 自分という存在をどっしりと中心に据えた彼女の在り方には驚かされるばかりだ。

 ゲート内での様子から読み取れた通りメンタルが非常に強い・・・・・・というか、『自分』以外の要素を意識的に自分の中から排するのが上手いというべきか。

 いずれにせよそこから発揮される集中力は強い武器になるだろう。

 

 「さて、シンザン。今日からトレーニングのメニューを変更する」

 

 「うん?」

 

 「これからは筋力トレーニングとスタミナの増強を重点的に行う。心肺機能の強化でプールを使うことも多くなるから水着の用意は忘れないように。走りは理想的なフォームを徹底的に覚えていこう。速度は出さなくていいから、丁寧な形で走るんだ」

 

 ・・・・・・・・・、と。

 何でもないように伝えられたその内容に、シンザンは少しだけ呆気に取られた。

 自分を変えようとするのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自主トレのメニューについてああでもないこうでもないと悩むルームメイトを見ているため、メニューを組むにも正確な知識と少なくない労力が必要なのは理解している。

 それを走らない自分に合わせて、こうもあっさりと変更してのけたのだ。

 

 「どうしたんだ?」

 

 「いや。コダマさんの言う通りだと思ってさ」

 

 「え、俺の話してたの? なんて言ってたの、ねえちょっと気になるんだけど」

 

 「・・・・・・大した事じゃないさ。あんたに憧れてここに来ましたって言ったら、あの人が私を育てたんですって返ってきただけだよ」

 

 「なんだ、お前コダマに憧れてたのか? それなら早く言ってくれよ、もっと早くに会わせてやれたのに。

 まあ何を話してたのかは分からないけど・・・・・・どうだった。『憧れの先輩』と話してみて」

 

 「んー、そうだね・・・・・・」

 

 期待するように弾むトレーナーの声。

 シンザンは少しだけ考える素振(そぶ)りをして見せて。

 重く厳かな声で、ぼそりと呟く様に言った。

 

 

 

 

 

 「あの女すっげえ怖い」

 

 「わかる」



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7話

 コダマ「トレーナーは傲慢なものです」

 コダマ「特にお前」





 さて、トレーニングのメニューを変更したからには『これからはこれで頑張ろう』で終わらせる訳にはいかない。肝心なのはそこからのフィードバックを通してさらに最適な形を探っていくことだ。

 ウマ娘の気性と才能を繋ぐためには実際にトレーニングを行うウマ娘の詳細な所感が不可欠。

 このトレーナーには何でも意見した方がいいことを理解したシンザンもより忌憚のない意見を言うようになった。

 そのせいで

 『やっぱ目的が無いとどうも気分が締まらないね』

 『 "速く走るため "じゃ駄目なのか?』

 『それは "サボらないため " の目的だから』

 というトレーナーが頭を抱えた会話が発生したりもしたが、良くも悪くも遠慮が無くなった証拠だろう。

 とはいえ正確なフォームは身体的な素質ではなく努力のみによって身につくものであり、それを言われるでもなく理解していたシンザンの態度は今までに比べればずっと真剣だった。

 暫定的に変更されたメニューは、総合的には概ね良好な改善だったと言える。

 

 そこから更に3ヶ月ほど経ち、季節は夏。

 基本的に暑さが苦手なウマ娘のために屋内でのトレーニングが増える時期の、ある日のミーティングの終わり際。

 晩御飯なに食べようと考え始めていたシンザンに、トレーナーは一段と真剣な声でこう言った。

 

 

 「────メイクデビューの話をしよう」

 

 

 晩飯のことなど吹っ飛んだ。

 いよいよ来た。

 競走バとして芝を駆ける初めての舞台。

 時期的にそろそろ話に上るかと思っていたがやはり具体的な話が始まると実感が湧くようで、シンザンは見るからにワクワクし始めていた。

 トレーナーはシンザンの前に様々なメモが書かれたレースのスケジュール表を出し、その中のひとつをペンで指し示した。

 

 「11月の10日に行われる『デビュー戦』。そこをお前のレースの始まりにしたいと思ってる」

 

 「分かった。ただの興味で聞くけど、その時期にした理由は?」

 

 「訓練の進行具合と、単純に気候が良いからだよ。身体を動かすには丁度いい気温だし、ある程度力はついたはずの時期だからな」

 

 「ついた()()? なんでそんな自信無さげなのさ」

 

 「今の実力すら不透明だからだよ。お前ちっとも走らないから正確な指標が分からないんだ・・・・・・」

 

 目線を逸らして口笛を吹くシンザン。

 改める気がなさそうというか、やはり『自分はこう』という柱を傾ける気はないらしい。

 しかし最近では『あのコダマのトレーナーなら大丈夫でしょ』みたいな呑気さも目立つようになってきた気がしなくもないので、もうコダマを通じて叱ってもらおうかなどとトレーナーが考えている事をシンザンは知らない。

 ともあれそれは最終手段として温存しておくことを決めながら、トレーナーはやや厳しい口調でシンザンに警告する。

 

 「・・・・・・だが、同じ理由でこの時期にデビュー戦を定めるウマ娘は多い。それに11月というのはデビューには比較的早い時期でな。つまり実力に自信があるウマ娘たちが出走してくるんだ。

 舐めてかかると痛い目を見るぞ」

 

 「それはあたしよりも周りの娘に言うべきだね。宣言しとくよ。あたしはそのメイクデビューで、4バ身は離して勝つ」

 

 油断させないために言ったのだが、その忠告は届いているのかいないのか。

 結果で語ってみせるというトレーナーの方針通りに皮肉にも従う形だ。

 何でもなさそうな顔でさらりと放たれた言葉に、いい加減慣れたつもりでいたトレーナーも少しだけ彼女を自信過剰であると感じた。

 1バ身がおよそウマ娘1人分の距離。

 言葉にすると大したものではないように感じるかもしれないが、追い抜かす側の脚の具合によっては絶望の距離になり得る長さだ。

 それを4つ分。もう圧勝と言っていい差である。

 

 「異存が無いならその日に合わせてスケジュールを組もう。トレーニングもその日に狙いを定めて行っていくぞ」

 

 ん、お願いね、と。

 首を縦に振った彼女には気負いも不安な様子もなく、ただ自分の初陣が決まった高揚のみがある。

 自分が負ける可能性を露ほども考えていない。

 しかしその自信に結果を伴わせるのが自分の仕事。

 そのためにはある程度()()()()()必要が出てくる。

 ─────どのみち気乗りしないからといって、避けて通らせる訳にはいかないのだ。

 

 

 『ラップ走』というトレーニングがある。

 ラップタイムを一定に保ちつつコースを何周も走るという、レースを走る上で欠かせない訓練だ。

 マラソンと何が違うのかといえば、これは体力よりも()()()()を鍛えるトレーニングだという点だ。

 『このペースで走るとタイムはこのくらい』。

 『今の速度は普段よりも速い・遅い』。

 この感覚はレースでの駆け引きに非常に重要で、これを疎かにすると容易に()()()か術中に嵌まる。

 他人のペースや策略に振り回されて自分の走りが出来なくなると言えば分かりやすいだろう。

 それを防ぐため・あるいはフェイントなどの小技の精度を上げるために、ウマ娘たちは長く何周も走り続けて自分のペースを固めていくのだ。

 

 ここまで説明すれば大体察しはつくだろうが、シンザンはこのトレーニングが大嫌いである。

 

 『この回数までやる』というハッキリした目標がある筋トレなどとは違う、曖昧で長丁場なランニング。

 息切れ知らずのスタミナを持ちながらマラソンで最後方をぽてぽて走っている事から推して知るべし。

 ペースを保つくらいはやるが、速度を上げて速いラップを刻み続けるとなると途端に「んぇぇぇえええ」と鳴き声を上げる。

 しかし実感できる名誉や実利がゴールにないとやる気にならないというニュービーにあるまじきモチベーションも、この時ばかりは優先してはもらえない。

 周回を繰り返し蓄積していく疲労の中においても正確に時計を刻む脚と感覚を手に入れることは競技者として必須なのだ。

 ・・・・・・とはいえ「いいからやれ」と締め付けたとて、本人にやる気がなければ身に付こうはずもなし。

 いかにして彼女にやる気を出させるかは、トレーナーの目下の悩みどころだった。

 

 『まずは1ハロン13秒、その次は12〜12.9。

 そこからハイペースの11.9〜11.5秒を正確に。

 11.4秒あたりがラストスパート手前くらいだ。

 遅いペースから身体に覚えさせよう。

 いくら嫌いで好みじゃなくとも、これを蔑ろにしてレースの勝利はあり得ない』

 

 『うへえ・・・・・・』

 

 いつも通りの指示に拒否は示さないものの、いつも通りに肩を落とすシンザン。

 そしてこの時、トレーナーはふと考えた。

 

 ─────このトレーニングも目に見える実利があれば真面目にやるのか?

 

 試してみる価値は大いにある。

 実行するなら早い程いい。

 だから彼はこう言った。

 

 

 『このペースを覚えて1週間維持できたら、街に出かけて色々と奢ってやろう』

 

 

 そんな会話をしたのが少し前の話で。

 

 「ほい、約束通りだ。(たが)えはナシだよ」

 

 「お前さあ!!!!」

 

 指定したラップタイムの記憶と継続。

 ご褒美のにんじんを目の前に垂らされたシンザンは、今までのグダグダは何だったんだと言いたくなるような真剣さで課題をクリアしてしまった。

 したり顔で腕組みをするシンザンに、目論みが成功したはずのトレーナーはひどく腑に落ちない顔でやり切れない思いの丈を叫ぶのだった。

 

 

     ◆

 

 

 そして休日。

 オフの日が重なる日に予定を合わせた2人は、トレーナー寮の駐車場の前で待ち合わせていた。

 言質を取って調子こいているシンザンが人の財布でいろいろ買い込む事が予想されたため、荷物を乗せるために車での行脚である。

 すっかり暑くなったなぁ、と手で顔を仰ぎつつ春風に眠気を感じていた頃を懐かしんでいた時、予定の時間通りに彼女はやってきた。

 

 「やあやあ、お待たせ。約束より早く到着してるとは殊勝だね」

 

 「暑いけど足が相手を待たせる訳にもいかないしな。とはいえもう少し待たされると思ってたけど」

 

 「化粧する身だから準備は早めにしとかないとね。別にスッピンでもよかったんだけど、ウメに『鹿か!!』って怒られちゃって」

 

 「まあ男で言えば『髭を整えずに遊びに行きます』みたいな話ではあるからな・・・・・・」

 

 幼い頃は家族で出かける前に延々とドレッサーの前で格闘する母親に地団駄を踏んだものだが、あんな大変な作業が身嗜みのマナーになっている女性は大変なのだなと他人事ながら今になって思う。

 とはいえ、たとえ薄化粧でもバッチリメイクした人間の女性に劣らない辺り彼女たちは相当恵まれているのだろう。

 例外なく見目麗しい容姿である事もウマ娘の特徴である。

 果たしてそのせいなのか分からないが、そもそも化粧品そのものを大して持ってないからね、と宣っている辺り、シンザンはかなり見た目に無頓着らしい。

 

 「それじゃ行こうか。欲しい物を揃える日だと思ってたから特にプランは立ててないけど、まずは何から揃えたい?」

 

 「蹄鉄!」

 

 「了解」

 

 元気よく色気の無い返事をしたシンザンを助手席に乗せ、彼はエンジンを始動させる。

 中央のトレーナーになったばかりの頃に景気付けに奮発した、今となってはやや型落ちの愛車(クラウン)

 鮮やかな水色に塗装された4輪の箱が、己と同等の速度で駆ける生物を乗せて府中の街へと繰り出していった。

 

 「ありゃ、こっち行くの? 用品店なら別の方向にあるけど」

 

 「そこじゃなくてもっと大きい所に行く。少し距離はあるけど品揃えは一気に良くなるぞ」

 

 「へえ。じゃあ次からそこまで行ってみようかな」

 

 「ウマ娘でもこの距離を走るのは骨じゃないか?」

 

 「じゃあまたラップ走やって連れて来てもらおう」

 

 「奢りもセットで考えてないだろうな」

 

 よくない条件付けが発生したかもしれない。

 今後も嫌いな訓練に対してご褒美を用意させようとするシンザンをトレーナーは早めに牽制しておいた。

 いいじゃんケチ、と酷く肝の太い反抗をしてきたシンザンを軽く車体を蛇行させて黙らせつつ、トレーナーは横目で彼女を見た。

 

 (しかしなあ・・・・・・)

 

 シンザンを物で釣ろうとしたのがおよそ2週間前。

 今に至るまでの約14日間、シンザンは最初の1週間で速度と時間の感覚を掴み、残りの1週間でそれを維持し続けた。

 要するに─────真面目にやれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 トレーナーとしてトレセン学園の門を叩いてそれなりに経つが、見たことも聞いたこともない飲み込みの早さだ。

 自信過剰とすら言えるような自負と自意識を、まるで裏付けるように明らかになっていく走りのセンス。

 氷山の一角の才能でこの輝き、果たしてそれが全て表に出てきたのなら、その走りはいったいどんなものになってしまうのだろうか─────

 

 (・・・・・・末恐ろしいな、まったく)

 

 「あ、そうだ。特にプランは無いって言ってたけどそんなんじゃ困るよ。買い物以外にもあちこち遊びに連れてってくれなきゃ承知しないからね」

 

 「どうした。『奢る』の拡大解釈が過ぎるぞ」

 

 「土産話求められたら困るからだよ。あたしウメたちに『トレーナーさんが本気で計画したデートに連れてってもらう』って吹いて来てるんだから」

 

 「なんて事してんだよお前」

 

 

 

 

 そして到着したスポーツ用品店。

 レースを走るウマ娘の為のあれこれを取り揃えたコーナーの入り口で、シンザンは「ふへえ」と声とも吐息ともつかない音を発した。

 普段から自分が使っていた店とは段違いの広さだ。

 そしてトレーナーの言う通り、インナーやシューズ、果てはその中敷きに至るまで選り取り見取り。

 この中からさらに自分に合うものを選ぶのだろうが、果たしてどれがどれなのやら。思考が『なんだかすごい』で止まったまま勝手知ったるトレーナーに蹄鉄が陳列されたコーナーに連れられ、ずらりと並ぶ『Ω』の形の前で彼に問いかけられた。

 

 「とりあえず蹄鉄だったな。訓練用とかレース用とか種類は色々とあるけど、どんなのが欲しいんだ?」

 

 「あ。えーと、頑丈なやつ。重くてもいいからとにかく頑丈なやつ」

 

 「頑丈なやつか。じゃあ・・・・・・これかな」

 

 シンザンのリクエストにトレーナーはさして悩む様子もなく歩き始め、そして1つの蹄鉄を手に取った。

 それを手渡されたシンザンはパッケージに記された会社のロゴを見て、僅かに目を丸くした。

 

 「あれ。これって」

 

 「見たことあるマークだろ? この会社がレースの業界に参入してきた時は驚いたけど、信頼できるものを作ってくれてるよ」

 

 そんなことを言いながらトレーナーは用途に合わせてあれもこれもと見繕う。

 無作為に商品に手を伸ばしているように見えるが、そこに記されているロゴはどれも同じものだった。

 

 「蹄鉄ならどこのメーカーも作ってるけどな。他のと比べて割高ではあるけど・・・・・・品質も含めるなら、ヒンドスタン重工製のが1番だ」

 

 後はこれかな、と再び蹄鉄に手を伸ばすトレーナー。シンザンを差し置いて1番買い物を楽しんでいそうな風情だが、これもまたトレーナーの(さが)なのかもしれない。

 そんな時、どむん、と身体の横から衝撃。

 慌ててたたらを踏んで転倒を免れたトレーナーは、一体なんだと衝撃のあった方向を見る。

 シンザンだ。

 何故かシンザンが横から身体をぶつけてきたのだ。

 

 「・・・・・・し、シンザン? どうした?」

 

 「ん?」

 

 どむん。

 

 「シンザン? シンザン??」

 

 「んん?」

 

 どむん。

 どむん。

 

 「シンザンさーん?? シンザン様ー???」

 

 「んー? ふふふ」

 

 どむん、どむん、と。

 トレーナーに聞かれても理由を明かさないまま、シンザンは何かの気が収まるまでトレーナーに身体ごとぶつかり続けた。

 トレーナーは持っていた蹄鉄ごと転んだ。



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8話

 マンハッタンカフェ2人来ました。


 「・・・・・・アレだな。本当に容赦が無いな。お前は」

 

 「いいじゃん、大切に使うからさ」

 

 椅子の横に紙袋ふたつ。

 そこには服や化粧品など、女性の財布の痛め所がみっちりと収まっている。

 外見には無頓着そうだから安く済むかなとトレーナーは考えていたのだが、用品店から百貨店に移動し、到着した直後にシンザンは化粧品売り場に直行。

 「どうして・・・・・・」と呆然とするトレーナーの前で彼女は実に楽しそうに化粧品売り場と洋服のコーナーを練り歩き、あれもこれもとホクホク顔で商品を手に取っていった。

 ともあれ買い物がひと段落ついたので、今は百貨店内の食堂で昼食を取っている所である。

 

 「けどトレーナーさん、これだけ買い込んでもやめろって言わない辺りかなり()()()()よね。どうでしょう旦那、次は貴金属店でも」

 

 「どうでしょうじゃない揉み手をするな」

 

 「流石に冗談だよ。けど、ちょっと気になってはいるけどね・・・・・・この人、本当にあたしに尽くすなあ、って」

 

 じいっ、とトレーナーを見つめるシンザン。

 彼女が言っているのは普段の彼の様子であり、つい先刻のショッピングの話でもある。

 シンザンが買ってもらったのはトレーナーが選んだ蹄鉄と、やはり耐久性重視のシューズだ。

 しかし彼はその他にもレース用のアルミ製のものや訓練用に重量を増加させた鉛製の特殊蹄鉄、膝を保護するサポーターなどを複数買い込んでいる。

 全てシンザンの為のものだ。彼が個人的に利用するものは1つもない。

 カツ丼をかつかつと掻き込みながらトレーナーは何でもないように言った。

 

 「他と比べてどうなのかは知らないけど、トレーナーっていうのは大体そういうものだろう。ウマ娘のコンディションや足回りの管理も仕事の内だ」

 

 「あん? 休日のお出かけに仕事を持ち込んでんじゃないよ。くらえこの野郎」

 

 「尻尾を入れるな!!」

 

 食べかけのカツ丼にエビフライの残骸を箸で投げ込まれそうになったトレーナーが慌ててどんぶりを死守した。

 周囲の視線を集めつつわちゃわちゃしながら2人は昼食を終え、行き当たりばったりのお出かけの次の予定を話し合う。

 

 「で、ここから先は完全に無計画なんだが。遊びに行くならどこがいい?」

 

 「浅草がいいねえ。おいしい露店がいっぱい並んでるそうじゃないか」

 

 「いいけどまだ食べるのか? 実のところ体重の管理もトレーナーの役目だったりするんだが・・・・・・」

 

 「当たり前だね。この程度の量でウマ娘が満足できるとでも思ってんのかい。そんでその後はそうだね、映画でも見に行こうよ」

 

 「門限ギリギリまで人の財布で遊ぶ気だなキサマ」

 

 「もちろん」

 

 悪びれる様子は全く無い。

 頬杖をついてにたりと笑い、純度100パーセントの確信を持って自分の正しさを口にする。

 

 「あたしはね。それだけやっていい価値のあるオンナだよ」

 

 己の価値を疑わない自信。

 相手もその価値に相応しく動くだろうという傲慢。

 思い返せば自分は初対面からでも垣間見えた彼女のこういう自意識に惹きつけられたのかもしれないなと考えつつ、トレーナーは今月は少し慎ましく生活することを決めるのだった。

 

 

     ◆

 

 

 「ホリーはさ。幸せになれるチャンスは何度かあったんだよね」

 

 夜に光る街灯、学園へと帰る車の中。

 助手席に座るシンザンは中空に記憶の映像を再上映させながら、考え込むように映画の感想を口にしていた。

 

 「元旦那が迎えに来た時と、念願叶って富豪と結婚するところまで漕ぎ着けた時。

 だけど2回とも自分の行いでダメになった。夢を掴もうとする手で自分の首を絞めちまったんだね」

 

 「『君はもう自分で作った檻の中に入っている』ってポールの言葉が全てだったな。彼のプロポーズを『檻に入れられるのは嫌』と言って断ったホリーの言う『檻』が何なのかは考える余地は大いにある」

 

 「そりゃ『不自由』じゃないかい? 終始玉の輿に乗りたくて頑張ってたんだから、売れない作家の妻なんて遊べない身分は嫌だろうよ」

 

 「俺もそう思うんだが、ポールとホリーとで『不自由』の意味が違うんだろうな。

 金で兄を呼び戻してメキシコで暮らすのが夢という割に、兄がもうすぐ除隊するからまた一緒に暮らそうと迎えに来た元旦那を拒んだ。

 狙ってた富豪の結婚を知ればさっさと相手を切り替えるドライな性格かと思えば、別の富豪のホセとの結婚に向けて勉強してる時は幸せそうだった。

 ホリーの言う『檻』はシンザンの言う不自由の意味で合ってると思うけど、ポールは彼女のそういう気質を『檻』と表現したのかも知れない」

 

 「・・・・・・そういやホリー、元旦那が乗ったバスを見送る時も泣きそうになってたね。

 考えてみればどっちつかずというか場当たり的というか、その場その場の気分で動いて後から後悔してる感じというか。

 束縛とは無縁の自由な女に見えたけど、確かに立ち位置はずっと変えられないままだった。ずっと同じ場所をウロウロしてるだけで」

 

 「そんな自分をずっと変わらず愛してくれたポールはホリーにとって救いだっただろうな。『静かな気分になれる場所で暮らす』って夢はすぐ隣にあったと考えるとロマンチックじゃないか」

 

 「そうだねえ。・・・・・・トレーナーさん、何だかんだであたしより楽しんでないかい?」

 

 「・・・・・・まあ、映画とかあまり見る事もなくて・・・・・・」

 

 顔を覗き込んでくるシンザンから気恥ずかしそうに顔を背けるトレーナー。

 彼は二の腕をつついてくるシンザンの肘を払い、咳払いをして誤魔化すように彼女に聞く。

 

 「俺はともかくとしてだ。お前はどうだ。リフレッシュにはなったか?」

 

 「ん、合格。楽しかった。トレーニング頑張ったらまた連れて来てよ」

 

 「ご褒美が安直過ぎたかなぁ・・・・・・」

 

 今度はもっと条件をキツくするぞ、と。

 助手席から飛んでくるブーイングを左から右へと受け流し、日の沈んだ街をクラウンが駆ける。

 休日はお終い。

 明日からはまた、2人で勝利に向けて訓練を続けるのだ。

 

 

 

 「・・・・・・危ない。門限ギリギリだ」

 

 「おかしいね、ちゃんと余裕みて帰ってたはずなのに。夜の街が新鮮であちこち遠回りさせたくらいじゃこうはならないよ」

 

 「原因はそれだよ間違いなく」

 

 最後までシンザンに振り回された休日だった。

 何だかんだで自分も楽しんではいたが、門限過ぎまで担当ウマ娘を学外に連れ出しているトレーナーは流石に問題になる。トレーナー寮に戻らず栗東寮の前に車をつけたトレーナーは、急いでトランクから荷物を引き摺り出してシンザンに持たせた。

 

 「はい。これで全部だな? 忘れ物をしたら渡すのは明日になるぞ」

 

 「えー、これあたしが持つの? トレーナーさんが持って上がってよ。男の人でしょ」

 

 「やかましい。厚かましさに拍車を掛けるな。お前の力で運んだ方が間違いなく早いし、だいいち学生宿舎はトレーナー立ち入り禁止だ」

 

 唇を尖らせるシンザンの頭にチョップを入れる。

 それじゃあまた明日、と別れを告げ、さて戻ったら事務仕事を少し片付けるかと車に乗り込もうとした時、パタパタと駆けてくる足音があった。

 そちらを振り返れば、宿舎の玄関口から駆け寄ってきていたのは黒鹿毛のウマ娘だった。

 

 「ハク寮長?」

 

 「ハクショウ。どうした」

 

 「シンザンのトレーナーさん? ちょうど良かった。実は学園に電話があって・・・・・・」

 

 そしてハクショウからの言伝(ことづて)を聞いたトレーナーは、車に乗り込んで再びエンジンを始動させる。

 向かう先は住処であるトレーナー寮ではない。

 シンザンを送り届けたその足で、トレーナーは再び夜の街へと車を転がしていった。

 

 

     ◆

 

 

 脱力した人間の身体は本当に重い。

 この役回りを受け持つ度にそれを実感する。

 「ほら、水は飲ませたから持って帰って」と気遣わしげな女将に代金を立て替え、カウンター席に突っ伏した男に肩を貸し、強引に引き上げるように立たせてヨタヨタと店の出入り口を潜る。

 温い熱を孕んだ夜風と体温が上昇している『荷物』という中々に不快指数が高い組み合わせにやや辟易しつつも入口前に停めた車に戻ろうとして、

 

 「ふへえ・・・・・・。流石に疲れたね・・・・・・」

 

 肩で息をしている担当ウマ娘を見付けた。

 流石に閉口するトレーナー。

 忘れ物か届け物か、少し考えてみても理由が思い当たらないので、彼は直接聞く事にした。

 

 「・・・・・・シンザン。何でここにいるんだ」

 

 「見ての通りだよ。追いかけてきたからさ」

 

 「方法の話じゃない。目的の話だ」

 

 「そんな顔して出て行った理由が知りたくてね。せっかく楽しい気分で1日が終わろうって時に、あんな湿気(しけ)た顔で消えられちゃ堪ったもんじゃない」

 

 言葉そのものに怒気はなく、少しだけ()()()が過ぎた子供を問い質すような硬く静かな声。

 しかし彼女にとっては余程承服し難いものだったのだろう。その答えを聞くために門限やその他を振り切ってここまで追いかけてきたのだから。

 ・・・・・・ただ、話す気はない。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 一緒に送るから乗れ、と質問には答えず促そうとした時、肩を貸していた男がふらふらと歩き出した。

 

 そして男は前にいたシンザンの両肩を掴み、自重を支えきれず崩れ落ちるように両膝をつく。

 彼女の鼻が自分の前で(くずお)れた男から感じたのは、強いアルコールの匂いだった。

 

 「ん、んん?」

 

 「済まない・・・・・・。本当に済まない・・・・・・」

 

 戸惑うシンザン。

 男が泥酔している事は容易に理解できるが、自分が謝罪を受けている理由が分からない。何故なら自分は、この男とは間違いなく初対面だからだ。

 それを見ていたトレーナーは溜め息を吐き、男をシンザンから剥がして再び肩を貸して立ち上がらせる。

 

 「・・・・・・違うぞ、よく見ろ。そいつはあの娘じゃない。送るから大人しく乗ってくれ」

 

 「うう・・・・・・」

 

 「ほら、シンザンも後ろに乗れ。門限も過ぎてるんだ、帰りも走るのは嫌だろ」

 

 「え。あ、うん・・・・・・?」

 

 泥酔した男を助手席に放り込み、シンザンも疑問が解消されないまま後部座席に乗り込んだ。

 問い質すタイミングを完全に逸し、次の機会も訪れないままクラウンは再び彼女らを運んでいく。

 意識が朦朧としている助手席の男は、蚊の鳴くような声で尚も謝り続けていた。

 

 そして学園に到着した時、シンザンは少しだけ目を丸くするようなものを見た。

 泥酔した男をどこに送り届けるのかと思いきやトレーナーは学園に直行。トレーナー寮の駐車場に車を停め、そのまま男を助手席から引き摺り出したのだ。

 

 「シンザン、悪いが宿舎へは歩いて帰ってくれ。少しこいつの世話をしなきゃならないからな」

 

 「あ、うん・・・・・・トレーナーなんだね。その人も」

 

 「ああ。俺の後輩だよ・・・・・・、っと」

 

 肩を貸して立ち上がらせようとしたトレーナーが手を滑らせ、男が地面に尻餅をつく。

 いや、トレーナーが手を滑らせたのではない。

 泥酔している男が、自分の意思でトレーナーの手を振り払ったのだ。

 

 「・・・・・・いいんです。放っといて下さい」

 

 「良くない。ほら立て」

 

 「おれはここにいていい奴じゃない」

 

 「馬鹿言うんじゃない。帰るぞ、もうすぐそこだから。シンザン、お前もさっさと帰りな」

 

 「え、でも大丈夫? あたしも手伝った方が」

 

 「いいから。ほら早く行け」

 

 「俺のせいだ。俺のせいなんだ」

 

 「ああもう、行くぞ。話なら聞くから─────」

 

 

 

 「だって!! 俺は勝たせられなかった!!!」

 

 

 

 男が吼えた。

 会話も成り立たない程に混濁し虚に呟くようだった彼の発した絶叫に、シンザンは思わず耳を手で倒して塞ぐ。回避したかった状況に陥ってしまったトレーナーは手で顔を覆っていた。

 

 「周りに劣らない才能があったはずなのに!!

 あの娘は誰よりも勝ぢだいと願っていだのに!!

 俺が潰じだ!! 俺があの娘の夢を潰じだッ!!!」

 

 「そんな事はない。お前は頑張ってたよ」

 

 「ぞんなの何の意味もないっ!!

 勝ぢに繋がらなぎゃドレーナーの意味がないっ!!

 俺はあの娘に何もでぎながっだんだ!!

 俺にもっど知識が!実力があればッッ!!

 俺の所為で!! 俺のせいで!!

 おれのせいでぇぇええエエエエッッッ!!!」

 

 ・・・・・・涙も涎も、鼻水も。

 顔から出せる液体すべてを滝のように垂れ流しながら泥酔した男は泣き叫ぶ。

 鬱屈とした全てを爆発させるような慟哭に、シンザンは全てを理解した。

 

 「トレーナーさん。この人が担当してた娘は」

 

 「お察しの通りだ。勝てないまま引退したんだよ」

 

 諦めたようにトレーナーは答えた。

 

 「あの店は前から何人も自棄(やけ)を起こした奴の相手をしてくれててな。知り合いがそうなる度に俺が迎えに行ってたら、いつの間にか俺が回収する係みたいになっちゃって」

 

 「ああ、それでトレーナーさんの所に伝言がいったんだね」

 

 僅かな沈黙。

 何かを言おうとして躊躇っている気配を感じて、シンザンはじっとトレーナーの行動を待つ。

 ────そうだな。もう見せちゃったしな、と。

 そして吐くような勢いで泣き続けている男の前で、トレーナーはぽつりと彼女に問いかけた。

 

 「シンザン。俺たちトレーナーがどんな時に死ぬか知ってるか?」

 

 「・・・・・・結果を残せなかった時?」

 

 「そこまで曖昧じゃないさ」

 

 「担当したウマ娘が勝てずに終わった時?」

 

 「正解はしてる。けどそれだけじゃない」

 

 「・・・・・・・・・そのウマ娘に、『お前のせいで勝てなかったんだ』って罵られた時」

 

 「正直それならまだマシだ」

 

 罵倒すらまだ良い方。

 そうなるともう考えつくものがない。

 何も答えが浮かばなくなったシンザンに、トレーナーはどこか遠い目をしてこう言った。

 

 

 「正解はな。勝たせられなかったウマ娘に、泣きながら『勝てなくてごめんなさい』って謝られた時だ」

 

 

 無言があった。

 空っぽの夜空に、男の号泣がただ響いている。

 

 「"トレーナーにとっては長いキャリアの一部だが、ウマ娘にとっては一生に一度"。

 そんなプレッシャーの差を皮肉る言葉があるけどな。俺たちトレーナーは、その『一生に一度』をいくつもいくつも背負っていくんだ。

 しんどいぞ、自分の通ってきた道が夢破れて泣く姿で満たされていくのは。

 良くて1勝・・・・・・まして未勝利、未出走のまま終わるウマ娘が大半を占めるこの世界じゃ尚更な」

 

 「・・・・・・・・・・・・、」

 

 「初めての奴も乗り越えた奴も、毎年何人かが()()()()辛さに耐えられなくなってトレーナーを辞める。

 何も思わないようにすればいいなんて言うトレーナーもいるが、敗北の先を考えない奴に担当ウマ娘は勝たせられない。

 だから、どうか迷惑に思ってやらないでくれ。

 形はどうあれこうして爆発させられる奴は、きっといいトレーナーに育つから」

 

 ほら、だからもう行くぞ、と。

 少し強引に男を担ぎ上げたトレーナーはそのまま宿舎へと歩いていく。

 その言葉はシンザンに対する説明というよりは、心が折れかけている男への激励だったのだろう。

 背を向けて去っていくその背中に、シンザンは思わず声をかけていた。

 

 「トレーナーさん」

 

 「ん?」

 

 「トレーナーさんも、そんな風になったのかい?」

 

 「ああ。そうだよ」

 

 答えは少しの間もなく返ってきた。

 その声は過去の傷を思い出すように小さくて。

 トレーナーとはただ自分達を育てる存在ではなく過去に幾つもの悔恨を乗り越えてきた人間であることを、彼女はこの時、初めて意識した。

 

 

 

 「今も夢に見る」

 

 

 

 

 

 

 『シンザンさん。トレーナーとは傲慢なものです。2人で精一杯努力して、暗闇のなか手探りで掴んできた最善を、「もしも」を重ねて神様の視点で眺めるのが大好きな人たちです』。

 

 『信頼する人をそんないじけ虫にしたくなければ、どんな状態でも結果を出すしかありません』。

 

 『だから、どうか勝ち続けて下さい』。

 

 『あなたたちが残した歴史に、もしもの余地が入らないくらいに』。

 

 

 泣きじゃくる声が遠くなっていく。

 薄い月明かりに照らされた2つの背中が宿舎へと消えても、シンザンはしばらくトレーナーが去って行った方向を見つめている。

 駐車場のアスファルトを、男が流した涙や鼻水が黒く濡らしていた。

 

 

 

 

 「ようやく戻ったか。じきに門限だという時間にどこまで走って行ったんだ」

 

 がちゃりと部屋のドアが開く音に反応して、机に向かって授業の復習をしていたウメノチカラはそちらを見ずに小言をぶつける。

 トレーナーが走り去ったと同時に、荷物を放置しての謎の追跡。意味不明な門限破りはハクショウにも説教されただろうが、ウメノチカラにも文句を言う権利がある。

 

 「おい、私に礼の1つも言うべきだろう。お前が放置した荷物を持って上がったのは私だぞ」

 

 「ああ。ありがとね」

 

 ぞんざいな感謝だった。

 流石にもう一言二言も文句を言いたくなったウメノチカラは、少しの苛立ちと共にシンザンの方を見た。

 

 そして何も言えなくなった。

 

 彼女は何を見たのだろう。

 多くの荷物を抱えて返ってきたデートの帰りとは思えないような空気。トレーナーを追いかけていったその先で何があったのかは分からない。

 落ち込んだとも悲しんだとも違う。ただ彼女が何かを強く、深く決意したことが分かる。

 呑まれて二の句を継げなくなったウメノチカラに、シンザンは静かに口を開いた。

 

 「ねえウメ。ウメはさ、前に『自分は優れているという周囲の声に応えたい』って、『自分を送り出してくれた両親に報いたい』って言ってたよね」

 

 「あ、ああ」

 

 「あたしもね、決めた。今日決まった」

 

 どさり、とベッドに身を投げる。

 説明も無く、返答も求めていない。

 天井に輝くライトを何に見立てたか、シンザンは上に向かって手を伸ばし、そして強く握り締めた。

 

 

 「()()()()()()()()()()()()()

 あたしは絶対にあんな顔はさせない。

 あたしとの記憶に一片の染みも付かない位に─────あいつの経歴を、あたしのトロフィーで埋め尽くしてやる」

 

 

 生まれ持った才能があったからではなく。

 あるいは、その決意こそがシンザンというウマ娘の始まりだったのかもしれない。

 2人の絶望と過去の傷を見つめたこの日。

 彼女は天とここにはいない彼へと向けて、強く、強く宣誓した。

 



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9話

 それ以降シンザンはトレーニングに対する姿勢が少しだけ改善し、嫌いなメニューを行う際に上げる鳴き声も少しだけ緩和された。

 決意の割には表に反映された割合が少ないようにも感じる、他者から見れば気付かない程度のものだったが、それはトレーナーから見れば確かな成長の一歩であった。

 

 そしてまた少しばかりの時が流れる。

 季節は秋。残暑も消えた11月の10日。

 

 舞台は京都レース場。

 入学以来『新参』と揶揄(からか)われ続けた、推定大器のメイクデビューが始まる。

 

 

     ◆

 

 京都レース場の距離1,200。

 シンザンが初めて走るレースの条件はそれだ。

 1,200メートルは短距離に分類される長さであり持久力を持ち味とする彼女には噛み合わないように見えるが、メイクデビューで走る距離といえば凡そこんなところだ。

 初めての実戦でトレーニング通りのパフォーマンスを発揮する事は難しく、緊張やプレッシャーで速く走る事しか考えられなくなるウマ娘も少なくない。

 つまりこの位の距離は、ペース配分を意識できずとも走り抜けられはする長さなのだ。

 勝って門出となるか負けて未勝利戦へと突入するか、どちらになってもここで実戦の空気や感覚を掴んで次に繋げる。

 そしてパドック前の観客席最前列で始まりの時を待っているウマ娘たちは、いずれも無事に門出を終えた者達だ。

 

 「こうして見ていると妙な気持ちですね。シンちゃんのメイクデビューの日なのに、彼女がもうすぐそこに現れるって実感がまだ無くて」

 

 「気持ちは分かる。あいつは目立つ舞台に上がるイメージが何となく湧かないからな。気付けば飄々とそこにいる奴というか」

 

 ウメノチカラとカネケヤキ。

 それぞれ1週間前と先月にメイクデビューを迎え、共に1着を勝ち取って華々しくデビューを飾った2人だ。

 その傍らにはまだデビューを迎えてはいないが、1年生(ジュニア級)の中でも実力は確かだと(もく)されるバリモスニセイもいる。

 

 「控え室で話した時も緊張の欠片もありませんでした。流石に気が抜け過ぎているのではないかとも思いましたが、あのメンタルコントロールの巧さは私も本番前に身に付けたい所です」

 

 「そっか、リセイちゃんのメイクデビューは12月でしたね。ただあれはメンタルコントロールというか何というか・・・・・・」

 

 「あれはただ図太いだけだ。それに力を発揮するには適度な緊張は必要だ、リラックスしていれば良いという話でもない。トレーナーがそこを引き締めてくれればいいが」

 

 「チカちゃんがそう言っても『へーきへーき』って笑うだけでしたもんね。固くなるよりはいいかもしれないけど、少し心配です」

 

 「糠に釘だ。いい加減理解した、あいつは自分のペースでしか動かない・・・・・・というか私の名前をそう略す奴は初めてだ」

 

 『京都レース場、第3レース。出走するウマ娘たちの紹介です。1枠1番──────』

 

 「!始まりました」

 

 アナウンスが流れ、出走するウマ娘たちのお披露目が始まった。

 据え置かれた舞台の赤、開いたカーテンの向こうから名前を呼ばれたウマ娘が歩いてくる。

 彼女らの反応は十人十色だ。

 自信満々に胸を張っている者や緊張で硬くなっている者。初陣故にその時のコンディションが如実に動きに現れる。いずれも長年のレースファンから見れば初々しく微笑ましいものだ。

 初めて実戦の芝を踏む者たちのお披露目が進む。

 そして開かれた赤いカーテンの向こう、ウメノチカラたちが応援する鹿毛のウマ娘が現れた。

 

 『続いて3枠3番、シンザン。1番人気です』

 

 胸を張るでも緊張するでも無く。

 名前を呼ばれたシンザンが、てくてくと普段通りの歩様で登場した。

 身体のどこにも強張りが無いのはいいが、これからレースを走る者にしてはボサッとしているというか何というか。

 パドックでは『肩に掛けた上着を勢いよく脱いでみせる』というお決まりの所作があるのだが、シンザンはそれもまともにやらなかった。

 トレーナーにジェスチャーで指示されてようやく肩の上着を脱ぐが、派手に翻すどころか手に持ち直しただけ。

 この場の誰よりもやる気の感じられない彼女は、露骨に「ここ要る?」とでも言いたげな顔をしていた。

 

 『緊張はしていない様子ですが、あまりレースに気が入っていなさそうですね。出走前にコンディションをどこまで戻せるかが問題になりそうです』

 

 「枠番はかなり恵まれしたが・・・・・・パドックであそこまで面倒臭そうにしているウマ娘は初めて見ました。それでも1番人気なんですね」

 

 「選抜レースの印象が残っているんだろう。勝者こそ私だが、あのメンバーの中なら1番走りで()()()()()()のはアイツだからな」

 

 「とはいえ結果は分かりませんね。確かにあの時は2着ながらに圧倒されちゃいましたけど、その後はあまり真面目にトレーニングしていない様子しか知りませんから・・・・・・」

 

 ────うーん。こりゃ駄目かなあ。やってくれそうだと思ったんだけど。

 ────調整不足か? あの様子じゃ次の未勝利戦でリベンジする事になりそうだ。

 やはり周囲も期待の言葉より不安の声の方が多い。

 そんな騒めきもどこ吹く風でシンザンは再びカーテンの向こうへと消えていく。

 注目は次に現れた意気込みも露わなウマ娘に移り、シンザンの話題は調整失敗で片付けられてお終い。

 パドックでの紹介が終わり、ウマ娘たちは地下道を通っていよいよレース場へと向かう。

 皆が光差す出口へと歩いていく中で、あまりにもボンヤリしていたシンザンの様子をトレーナーが見に来ていた。

 

 「どうした。何かあったのか」

 

 「いやさ、パドックって必要かい? 走ってるところを見せれば充分じゃないか」

 

 「見に来てくれたファンへの挨拶だ。蔑ろにするんじゃない」

 

 「あと観客が少ない気がするねえ。あたしだよ? あたしがデビューするってのにだよ?」

 

 「・・・・・・デビュー戦はそんなもんだ。もっと沢山の声援が欲しければこれから勝ちを重ねるんだな」

 

 「はーい」

 

 結局は個人的な不満だったらしい。

 唇を尖らせて不承不承返事をしたシンザンに、心配の肩を透かされたトレーナーががくりと肩を落とす。

 ・・・・・・だが、彼女はこういう性格だった。

 やりたくない事はやりたくない。

 自分が高級であることを疑わない。

 ならば自分が今彼女にするべき事は、心配や励ましなどではないだろう。

 顔を上げたトレーナーは、彼女の顔を真っ直ぐに見据える。

 

 「シンザン」

 

 「うん?」

 

 

 「勝ってこい」

 

 「当然」

 

 

 くるりと軽快に背を向けてシンザンは歩き出す。

 勝負への不安も敗北への恐れもそこにはなく、どこまでも自然体な姿だ。

 図太いのはそうだろう。だが呑気とは違う。

 心乱れる理由が無いだけだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (そうそう。それでいいんだよ)

 

 喧騒が近付く。

 出口から差し込む光が強くなるにつれ、芝の匂いと空気の動きが強くなっていく。

 歩みを進める程に広がっていく四角く切り取られた風景は、音のない地下道からはどこか現実離れしたものに感じられた。

 しかし、そここそが現実。自分の戦場。

 パドックから続く地下の道、ひととき覚悟の猶予を与えてくれる出口から、彼女は初めての一歩を踏み出した。

 

 「あんたが見初めた女は、こんな初っ端で負けやしないんだから」

 

 そして視界が大きく開ける。

 今までは白黒で見ていた景色が、いま鮮やかに色付いて挑戦者たちを迎え入れている。

 観客達が今か今かと見守るターフ。

 夢へと至る階段の1歩目。この日より我こそ(さきがけ)たらんと心を燃やす者たちの戦場に今日、シンザンは降り立った。

 

 

 「ねえ。シンザンってあんたよね?」

 

 いよいよゲートインの時間が迫る。

 軽く身体をほぐしていたシンザンに出走者の1人であるウマ娘が話しかけてきたが、どうやらあまり友好的ではないらしい。気に入らないという感情が視線にありありと表れている。

 そして彼女はその感情を視線だけに留めておく気はないようだった。

 

 「何なのあの態度。みんなが今日デビューしようって時にどうしてあんな面倒臭さそうに出来るわけ」

 

 「んー?」

 

 「普段の練習もあまり真剣じゃないって話も聞くし、みんな努力してここにいるのに恥ずかしいと思わないの?」

 

 「んん」

 

 「聞いてる? ふざけてるの?」

 

 「ん」

 

 どんどん返答の文字数が減っていく。まるで小石にぶつかった程度にしか反応していない。

 格下と思っている相手に明確に流されている事に苛立ってか、彼女の言葉がだんだんと荒くなっていく。

 

 「・・・・・・本っ当、なんであんたなんかがあのトレーナーの担当になったのかしら」

 

 舌打ち混じりの暴言。

 そうだったとしてトレーナーが覚えているかは怪しいが、もしかすると彼女は選抜レース前に彼にアタックを掛けていたウマ娘たちの中の1人だったのかもしれない。

 恐らくはやっかみが多分に混じった彼女の毒は、反論がないのに背中を押されて加熱していく。

 

 「ま、今回のレースの結果であんたもトレーナーも目が覚めるでしょ。何ならレースが終わってあんたが契約解除された後、あたしが─────」

 

 「そりゃ無理な話だ」

 

 言い切った。

 無関心を貫いてきたシンザンの突然の断言に、暴言をシャットアウトされたウマ娘が面食らう。

 面倒だと切り捨てたのか、そうまでする価値も感じなかったか。どちらでも無かったにせよ、シンザンは彼女の事を眼中にも入れていなかったに違いない。

 何故ならこの時、シンザンが彼女の顔を見る事は最後まで無かったからだ。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 そしてファンファーレは鳴る。

 各ウマ娘がゲートに収まり、京都レース場は束の間の静寂に包まれた。

 今か、今か。まだなのか。

 密室で高まっていく緊張と焦燥を集中力で抑えようとする彼女らの中で、そのウマ娘だけが誰より深い所にいるとこの場の何人が気付いたのだろう。

 ─────自分とゲートとスタートダッシュ、それ以外の全ては無駄。

 その時の彼女に何かしらのインタビューをしたら、そんな返答をされるかもしれない。

 

 そして。

 

 『スタートしましたジュニア(クラス)デビュー戦、各ウマ娘一斉に走り出しました!』

 

 ゲートが開く。

 誰よりも早くシンザンが飛び出す。

 パドックでの気怠げな様子は不調ではなくただの自然体であっただけなのだと、その瞬間に見ていた全員が思い知らされた。

 

 『おっとシンザン早くも抜け出した!早くもハナを奪う素晴らしいスタートを切りました!』

 

 「やはりスタートが恐ろしく強い・・・・・・。選抜レースの時も見ましたが、更に磨きがかかっているようにも見えます」

 

 「集中力と足腰だ。悪い噂は多かったがトレーニングを怠っていた訳ではないらしい。いや、トレーナーが怠けさせなかったのか」

 

 「少なくともパドックの様子は不調じゃなかったみたいですね。メイクデビューであれをやられると凄く怖いです」

 

 『先頭シンザン、いい位置につけました。2バ身離れて5番ホシツキ。その後にアキサメとソリステスが続きます』

 

 ─────私の時と同じだ。

 レースの実況を聞きながらウメノチカラは状況を分析する。

 選抜レース以来シンザンと走った事はないが、序盤の状況はその時と似ている。

 あのスタートダッシュで先んじて好位置を奪い周囲に対応を強いるのだ。そして後半、位置取りをキープしつつ周囲が体力を消耗した潮を見て一気に末脚で交わす先行型。

 あの時の自分は何とか粘り勝ったが・・・・・・、あのレースには疑惑がある。

 

 (・・・・・・アイツが本気じゃなかった可能性)

 

 その真偽も今回のレースで明らかになるだろう。

 14人立てのデビュー戦、ウメノチカラは静かにレースの推移を見守っている。

 

 京都レース場はスタート直後に登り坂がある。

 抑えて登るのが定石のコースだが今回は短距離、下り坂に備えて逃げを打とうとしていたウマ娘たちは体力を消費してでもシンザンを追い越そうとする。

 第2コーナー過ぎで道は一度平坦に戻り、そして最終コーナーの下り坂でピッチが上がる。

 1,200メートルというハイペースな展開、早くもレースは終盤に差し掛かる。

 そこでシンザンに続いて2番手を進むウマ娘・ホシツキは虎視眈々と仕掛け所を狙っていた。

 

 (シンザンはここまで先頭、このペースで走っていたらラストスパートのタイミングで失速するはず。彼女を目印にペースを保てた私にはまだ脚が残ってる)

 

 そして2番手故に焦りなどの精神的な負荷も少ないために思考能力も冷静なまま。

 彼女の目にはターフにこれから進むべき進路が見えていた。

 加速して先頭を抜き去り、自分が最初にゴール板を踏むための道筋が。

 

 (位置取り良し、タイミング良し。仕掛ける!)

 

 下り坂に差しかかりいよいよスパートを掛けるかという時、いの一番にホシツキは加速。まだハナを進むシンザンはその時、冷静に考えていた。

 

 今の自分のペース。

 それを基準にした周囲のペース。

 

 流石にバテている者はいなさそうだが、後ろのウマ娘はあまり速度が伸びてくる様子はない。スパートをかけるとしたらこの辺りだろうが、最初の登り坂で自分を抜かそうとして体力を使ってしまったのかもしれない。

 ─────ああ、なるほど。

 ─────こういう考え方に繋がるなら、ラップ走って大切だね。

 ちらりと後ろを確認。

 彼女らもいよいよ勝負を仕掛けにきた。

 しかし勝負所のペースアップにしては、まだ速度を一定に維持している自分に対する距離の詰まり方が遅い。

 2番手のウマ娘が迫って来ているが、彼女も相応に脚とスタミナが削られているのか。

 対する自分はどちらも充分に残っている。

 

 問題ない。千切れる。

 

 

 「よし。行くよ」

 

 

 一際強い呼気と共に踏み込む。

 2番手が並びかけてこようとしたゴール板まで残り600メートル地点。

 好位置で溜めていた脚を解き放ち、シンザンは一気に前へと躍り出た。

 

 「ちょっ・・・・・・!?」

 

 『シンザンいった、シンザンいった! 並びかけたホシツキを突き放し、シンザン驚愕の二枚腰!!』

 

 「おお、来たぞ!シンザンが来た!」

 

 「不調じゃなかったのか!? 先頭のままだぞ!」

 

 1番人気がとうとう動いた。

 後方のウマ娘も懸命に追うが彼女の背中はどんどん離れていく。並ばせるどころか詰める事も許さない圧倒的な走力。

 残り400を通過、13人のウマ娘が1人の背中に追い縋る。

 ハナを進む彼女の足音は一際大きかった。

 

 「速い! 選抜レースの時よりも!!」

 

 「なんて分厚い逃げ。これがシンちゃんの本気ですか・・・・・・!?」

 

 「シンザン・・・・・・シンザン!そうか、お前は!やはりお前はあの時は・・・・・・っ!!」

 

 『残り200メートル! 2バ身3バ身、2番手との距離がどんどん離れていく!

 現在先頭はシンザン、先頭はシンザン!!

 2番手のホシツキ懸命に追うが届かない!!

 脚色に衰えはありません! そして今─────

 

 

 

 ─────ゴールイン!! シンザン1着!!

 

 ()()()()()()()()()()()!!

 

 およそ()()()離れて2着ホシツキ───!!!』

 

 

 ─────先頭を行く鹿毛が誰よりも早くゴール板を駆け抜け、誰よりも早く脚を止める。

 自分の名を呼ぶ実況の叫び。弾む息を整え見れば、掲示板の1着の欄には自分の番号が表示されていた。

 自分の前には誰もいない。振り返れば自分以外の全員がいる。

 それら全てが自分の勝利を証明していた。

 

 全身を『味』が満たしていく。

 手に入ると望んで疑わなかったもの。

 望み通りに手に入ったそれ。

 自分のものだと最初から確信はしていても、こうして実際に手にしてみれば予想以上に・・・・・・・・・

 

 「・・・・・・・・・悪くないね」

 

 

 望外の喜びに自然と笑みが浮かんできた。

 ───黄金に彩る自分の道。

 その第一歩に、まず1つ。

 沸き上がる歓声、己の後ろを走った彼女らに、勝って戻ると誓った者に。

 我今来たると言わんばかりに、シンザンは拳を高々と空に突き上げた。



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10話

 『ジュニア(クラス)デビュー戦を制したのは1番人気シンザン、圧巻の4バ身差!強いとしか言えない走りで見事メイクデビューを飾りました!』

 

 「はっ、はぁっ、な、何なのよあの子・・・・・・」

 

 「不真面目なんじゃなかったの・・・・・・!?」

 

 膝に手を着き肩で息をするウマ娘たちが咀嚼しても中々飲み込めない結末を喘鳴と共に吐き出した。

 『逃げ』というものは難しい。

 高いスピードと豊富なスタミナが必要なのは勿論だが何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 レースの展開に左右されない・自分の走りが出来るという強みはあるが、それは裏を返せば『駆け引きの余地が(ほとん)ど無い』という事。

 先頭で逃げるペースを基準に後ろのウマ娘がペースを固定して脚を溜め、先頭が疲労したと見るやスパートをかけて差しに来る。

 余程のフィジカルか手練れでなければ捕まってしまうのが『逃げ』という作戦で─────、まだ戦略を練れる段階にある者がいないデビュー戦、モノを言ったのはシンザンのフィジカルだった。

 

 「へえ、あれが会長の言う『シンザン』か」

 

 観客席の高い場所から見下ろしながら、頬杖をつく鹿毛のウマ娘が面白くなさそうにボヤく。

 その隣には誰もが顔を知る栗毛のウマ娘・コダマが柔和に笑っていた。

 

 「随分と千切ったじゃねえか。デビュー戦アタマ差で負けたの思い出すなあ畜生」

 

 「そっか、リュウさんもメイクデビューはここでしたね。頼もしい後輩じゃないですか」

 

 「いやそうだけどよお。会長はどう思うんだ? 随分アイツを目にかけてるみてーだけども」

 

 「もちろん期待以上ですが・・・・・・それ以上にホッとしました。不真面目な態度で不甲斐ない結果を出された日にはと考えると、今日まで気が気ではなくて」

 

 うふふと笑うコダマに対して、『リュウさん』と呼ばれた鹿毛のウマ娘が顔を引き攣らせつつ彼女から若干の距離を取る。

 彼女は自分の脚を気に病み続ける元トレーナーを立ち直らせる役割を、彼が次にスカウトしたウマ娘・・・・・・つまり自分の後釜に求めているようだった。

 しかし時代を創ったこの二冠ウマ娘が求める最低水準は、即ち『自分と同じレベル』に他ならない。

 皆に優しい生徒会長にして()()()()()()()()()()()()()()の異名を持つコダマは、前線から退いてなお内面の気質に衰えを見せていなかった。

 

 「さて、早いですが移動しましょう。彼女には労いの言葉も掛けたいですし、まだ見るべきものも残っていますから」

 

 「へ? レース以外にチェックするもんあるか?」

 

 「ウイニングライブですよ。そこまで完璧にこなしてこそレースに生きるウマ娘なのですから」

 

 ほら早く早く、と。

 そう言ってコダマは席を立って観客席の出入り口に向かいつつ鹿毛のウマ娘に手招きをした。

 どうやらそこまでチェックされるらしい。そこいらの姑よりも重箱の隅をつつこうとしている。

 そこまでやるなら後釜に任せず自分でやればいいのにと思うが、彼女の中では明確な線引きが為されているのだろう。

 走りきった自分は此処(ここ)まで。

 過去から吹っ切らせられるのは、これからを走る者であると。

 

 「・・・・・・後輩がここまで圧かけられてんなら、オレもキッチリ見せるべきもん見せとかねえとな」

 

 よしっ!と。

 気持ちを締め直すように自分の両頬を手で打って、リュウフォーレルも立ち上がる。

 見据えるは月末、秋の盾。

 夢に見れども出走すら叶わぬ者が殆どの、最高峰の一角のレースだった。

 

 

     ◆

 

 

 「や。終わったよ、トレーナーさん」

 

 ガッツポーズもそこそこに即行で引き上げてきたシンザンがトレーナーの方へと駆けてきた。

 観客席とコースを隔てる(ラチ)に寄り掛かり、目を丸くしている彼に向けてにたりと笑う。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()。どうだい、これで安心しただろう」

 

 「ああ、正直驚いた。てっきり先行で走ると思ってたよ。初戦の逃げでここまで突き放すのは並大抵の事じゃない」

 

 「そのつもりだったけどね、周りのペースを見てたら緩めなくてもいけるなって。これでペース配分の感覚は身に付いたって事だし、もうラップ走やらなくていいだろ?」

 

 「継続だバカタレ」

 

 「んえぇぇえ」

 

 元より真面目とは言い難い練習態度の中でも特に萎えきるのがラップ走なのだが、よもや自分の勝利を盾に交渉を仕掛けてくるとは思わなかった。

 交渉を跳ね除けられてグダッと(ラチ)に溶けたシンザンに気持ちを切り替えさせるべくトレーナーは話題を変える。彼女にはまだ仕事が残っているのだ。

 

 「それよりこの後のウイニングライブだ。もちろん休憩はあるけど、シャワーだの化粧だのと詰まってるからそうのんびりは出来ないぞ。ダンスに関しては教官に任せて余り関わってないけど大丈夫か?」

 

 「ああ、そうだったそうだった。大丈夫、ちゃんと覚えて来てるよ。面倒だからセンターの振り付けしか練習してなかったけど」

 

 「怖いことを言うなぁ・・・・・・」

 

 もし1着を逃していたらどうするつもりだったんだろうか。

 他のポジションになっても踊れるように厳命しなければ・・・・・・知らぬ間に担当ウマ娘がステージ上であわや棒立ちという危機に直面していたことを知ったトレーナーの背筋にストレートな寒気が走る。

 さーて汗流そ、とさっさと歩いていくシンザンに続くようにトレーナーも控え室へと急いだ。

 鍛えて送り出すだけがトレーナーではない。

 レース後のクールダウンや脚のチェックなど、ウマ娘のあらゆるメンテナンスもトレーナーの役割だ。

 そして地下道を戻る道すがら、シンザンの前に立つ影が3つ。

 

 「・・・・・・お疲れ様です。凄まじい走りでした」

 

 「1着おめでとうございます。恥ずかしながら、シンちゃんがあそこまで強かったとは私も見抜けませんでした」

 

 「やあやあ、ありがとね。・・・・・・1人だけ労ってくれそうな雰囲気じゃあないみたいだけど」

 

 中央に仁王立ちして行手を阻むウメノチカラと、その両脇で彼女を宥めようとしているバリモスニセイとカネケヤキだ。

 実際、2人が腕を抑えていなければ彼女はシンザンに掴みかかっていただろう。ウメノチカラの瞳には、それだけの怒りと屈辱が赤々と燃えていた。

 その様子で何となく用件を察したシンザンに、ウメノチカラは理性の表面張力が限界に達している声で問うた。

 

 「端的に聞こう。なぜあの時は手を抜いた」

 

 「本気になる必要が無かったからね」

 

 怒りを猛らせる友の前。多少なり気圧されるか萎縮するような対面で、シンザンはあまりにもあっけらかんとそう答えた。

 

 「まあ縁に恵まれてね、あの時あたしはもうトレーナーが決まってるようなものだったんだよ。だから体裁として見栄えが悪くない順位を取っとけばよかったんだ。いらない所で疲れる必要はないだろ?」

 

 「勝負を舐めているのか?」

 

 「そんな事はないさ。ただあたしが戦うべきところはあそこじゃなかっただけ」

 

 「お前は─────」

 

 叫ぼうとして、やめた。

 勝負を愚弄する行いや1つ1つのレースに皆が懸けている想いを説いても、彼女には何ら意味がない。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 自分の物差しでものを言ったところで、彼女にとってのそれは自分と同じ大きさとは限らないのだ。

 強張っていた身体から力を抜く。

 ウメノチカラの胸に渦巻く怒りと屈辱は、ただ唯一共通していた価値観に向けて吐き出された。

 

 「─────・・・・・・次は負かす。完膚なきまでに」

 

 「うん。あたしが勝つよ」

 

 確信。規定事項であるような物言い。

 せっかく区切りが付きそうだった炎が再燃しそうになっているウメノチカラの横を通り過ぎゆくシンザンに、カネケヤキが思い出したように声を発する。

 

 「シンちゃん。レース前に何かあったんですか?」

 

 「?」

 

 「ほらその、レース前に何か言い争ってるようだったので。見たところ一方的に何かを言われていたみたいでしたが、あの子と何かあったのかなって」

 

 「あー、あの子ね。あの子、あの子・・・・・・」

 

 しばし口の中で呟いて記憶を辿るシンザン。

 時間にしておよそ5秒と少しだろうか。

 レース前に会話を交わした記憶から出走していたメンバーの顔を思い出し、そして()()()と笑ってこう言った。

 

 

 「()()()()()()()()()()()

 

 

 それで話を打ち切った。

 もちろんその理由はシンザンが最初から最後まで彼女の顔を見ていなかったからなのだが、顔を見ていたとしても彼女が覚えていたかは怪しい。そのレベルで無関心だった事は、何ら気にしていない彼女の口振りから容易に察せられる。

 そんじゃね、と軽く手を振って歩き去っていくシンザンに、3人は背筋に薄寒いものを走らせた。

 ───自分達は今、何か恐ろしいモノの片鱗と目を合わせたのではないか。

 遠ざかっていく足音に、3人は深淵に潜む化物の(いびき)を聴いたように感じた。

 

 そんな底知れない彼女も舞台で歌って踊るのだ。

 記念すべき初めてのウイニングライブ。

 先に1着を飾ったウメノチカラやカネケヤキの舞台を見ていたのもあってか、『自分が勝者である』という晴れ姿を全身で誇示できるウイニングライブに対するシンザンのモチベーションはパドックの時と比べれば遥かに意欲的だった。

 ・・・・・・この時までは、意欲的だったのだ。

 

 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 

 沈黙があった。

 ライブの衣装に着替えて化粧を施し、そして姿見の前に立ったシンザンと隣にいるトレーナーは一様に口を閉ざしている。

 シンザンはともかく、すぐ側で見ている自分が無言なのはマズいとトレーナーも理解しているのだろう。

 浮かんでくる感想に含まれる単語や文節たちに変換に変換を重ね、どうにかこうにか当たり障りない言葉に変えてトレーナーはシンザンに声をかけた。

 

 「その、似合ってる。いいと思うぞ? 華やかさとは違う魅力があるな。垢抜けない素朴な可愛さというか親しみを感じるというか、そう、安心感を覚えるというかさ・・・・・・」

 

 「濁さず正直に言ったらどうだい」

 

 「野暮ったいなぁ」

 

 「正直に言ってんじゃねえよ」

 

 予想以上に最短距離で特攻(ブッコ)まれた言葉のナイフにシンザンの乙女心が悲鳴を上げた。

 気遣いが辛くて正直に言えとはいったが、実際は言われずとも分かっているのだ。

 自分のボディラインはこうも平凡というかずんぐりむっくりとしていただろうか?

 普段は気にする事も無かったが、こういう華やかな衣装を着るとどうにも衣装が浮いてしまうようだ。

 流石にメイクには何の問題もないが、そのせいで尚のこと田舎者の背伸び感が出ているというか・・・・・・

 これで衆目の前で歌い踊れと言われると・・・・・・

 

 「トレーナーさん。あたし本当にコレで出なきゃ駄目かい。2着のホシツキって子と代わってもらうとか出来ないのかい」

 

 「お前センターの振り付けしか練習してないだろうが。それにウイニングライブってのは自分を応援してくれた人に対する感謝と礼儀だ。1番人気にまで推されたのなら尚更な」

 

 「でもさあ」

 

 「コダマがキレるぞ」

 

 反論が止まった。

 我儘を言っている自覚もあったのだろうが、彼女に怒られるのは流石に嫌だったらしい。彼女を『すっげえ怖い』と評したあの朝に何があったのだろう。

 だが出ずに済むなら出ずに済ませたいとはまだ考えているようで、頭頂部の耳は浮かない気分を反映してペタンと伏せられたままだ。

 

 「大丈夫、笑顔で歌って踊る姿は走りと負けない位に自分を輝かせてくれる。そもそも可愛くない訳じゃないんだ、野暮ったいと思う奴なんていないさ」

 

 「いま目の前にいるんだけど」

 

 「それに何より・・・・・・」

 

 「?」

 

 「・・・・・・俺が純粋に、歌って踊るシンザンを見たい。担当したウマ娘がセンターに立つ姿は、トレーナーにとっては何よりの誇りだからな」

 

 やはり沈黙。

 照れ臭いことを言ってみたが駄目か、とトレーナーが肩を落としそうになる。

 だがその時、それを聞いて伏せられたシンザンの耳がゆっくりと持ち上がっていくのを見た。

 ふーーーーーっ、と長く息を吐く姿は、うだうだ言っていた腹をようやく括ったという覚悟の証だった。

 

 「トレーナーさん。考えてみればウイニングライブで、舞台衣装じゃなくて別の服を着て踊ってるウマ娘がいるよね」

 

 「? ああ、それは『八大競走』後のウイニングライブだな。重賞レースの中でも特に最高峰とされるレースで、そこで3着以内に入ったウマ娘はその後の舞台で()()()()()()()を着るんだよ」

 

 「うん、だよね」

 

 切り替えるように首を振り、姿見から視線を切る。

 決意を宿した瞳で慣らすように肩を回す姿は、何ならレースの前よりも戦いに赴く風体をしている。

 突然の変貌に静かに驚いているトレーナーを尻目に、シンザンは控え室のドアを開けた。

 

 「─────このライブ終わったらすぐ一緒に考えるよ。あたしにバッチリ似合う衣装」

 

 

 

 

 そして始まった彼女が主役のステージ。

 見た目の野暮ったさから観客の意識を逸らすために、シンザンは覚えた歌を演歌の声と節回しで歌うという奇策に打って出た。

 当初は動揺していた観客たちだが予想だにしない彼女の美声に最終的には喝采を贈るに至り、観ていたコダマも「これはこれで」と頷いたとか何とか・・・・・・

 

 ともかく、シンザンは文句無しの圧勝でメイクデビューを飾った。

 彼女は翌月の『月間トゥインクル』の小欄に、ウメノチカラやカネケヤキと共に筆者の期待を添えて名前を記される事となる。

 『期待の新人』というウイニングライブの様子を交えて付けられたその称号が、今後どれだけ大きくなっていくのか。

 この時はまだ、誰も知らない。



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11話

 春に出会って夏に鍛え、秋に芽を出し冬になる。

 冷たい中空を吐息で白く彩りつつ、トレーナーはシンザンと出会ってからこれまでの事を思い返した。

 授業は手を抜き選抜レースですら抑え、契約を結んだ後のトレーニングもまあ真面目とは言い難い。

 そのくせ本番のレースでは他を圧倒する走りをするときている。

 

 あれからシンザンは2度のレースを制した。

 11月末のオープン戦を2と2/1バ身、12月中旬のジュニア級中距離特別をまたも4バ身。

 3日後に控えているオープン戦も問題はないだろう。ここまでの経過と結果を鑑みてトレーナーはそう確信している。

 

 ケチの付けようもない3連勝。

 担当したウマ娘に対するトレーナーの理解と試行錯誤の1年間、戦績を含めれば自分は上々と言っていい結果を出せたと思う。

 試行錯誤については長引きそうだが、今のところは順調だ。

 

 「トレーナーさん。なに物思いに耽ってるんだい」

 

 遠くを見つめているようなトレーナーの背中に声が投げかけられる。

 一緒に初詣にやってきたシンザンだ。

 厚手の上着を着込み、中身の暖かさを感じるように両手で紙コップを握って甘酒を啜っている。

 

 「ん。去年は色々あったなと」

 

 「ちょっと、あのくらいでボンヤリしてどうするんだい。今年は去年なんか比べ物にならないくらい色々と起こるんだから」

 

 「分かってるさ、いよいよお前も『クラシック級』だ。密度の高い1年になるぞ」

 

 「いいね。とうとう本格的に始まるって訳だ」

 

 言ってシンザンはちびちび味わってきた甘酒を一気に飲み干し、唇についた液体を舐め取りながら空の紙コップを握り潰す。

 ウマ娘の力で小さなボールになった容器をゴミ箱に放り投げる可能の目は、冬の寒気を押し退けるような熱に燃えていた。

 

 「しっかり神様に言っとかないとね。あたしの走りを見逃すな、ってさ」

 

 神に必勝を願うのではなく、己を見ていろと宣う。

 ここまで傲慢な態度で神前に立とうとする者はこの場では彼女をおいて他にないだろう。

 色々と爪痕を残したウイニングライブ後、現地に1泊してから学園に凱旋した日。ミーティングでレース内容の振り返りを終わらせた後に、いつかの夏の日のようにトレーナーは切り出した。

 

 『メイクデビューは果たした。これから挑戦する進路を決めよう』。

 

 クラシック級に上がり、なおかつ優れた結果を出したウマ娘の前に提示される二通りの道。

 重大な選択だが、シンザンは前々から自分の進む道を決めていたのだろう。

 彼女は、迷う事なく『クラシック路線』に進むことを宣言した。

 

 

 『桜花賞』。

 『皐月賞』。

 『オークス』。

 『日本ダービー』。

 『菊花賞』。

 『天皇賞(春)』に『天皇賞(秋)』、そして最後に『有記念』。

 特に結果が重要視される重賞レースの中でも別格の、出走の権利を得るだけでも栄誉とされるそれら8つのレースを合わせて『八大競走』と呼ぶ。

 中でもクラシック級のウマ娘のみが挑む事を許される5つのレース、その内の3つのレースから構成される2つの進路を彼女たちは選択することになる。

 

 皐月賞と日本ダービー、菊花賞で構成され、王道と呼ばれる『クラシック路線』。

 

 桜花賞とオークス、そして同じく菊花賞からなる『ティアラ路線』。

 

 全てに出走する事は出来ない。

 皐月賞と桜花賞、日本ダービーとオークスがそれぞれほぼ同時期に開催されるためだ。

 そしてシンザンが選んだクラシック路線は、王道と呼ばれるだけあってそれぞれのレースにこんな格言がある。

 『最も速いウマ娘が勝つ』皐月賞。

 『最も運のいいウマ娘が勝つ』日本ダービー。

 『最も強いウマ娘が勝つ』菊花賞。

 この全てを制した者は即ち、『最も速くて強くて運がいいウマ娘』と言えるだろう。

 その称号は自分にこそ相応しい、とシンザンは堂々と言ってのけた。

 

 ────『三冠ウマ娘』。

 日本のレースの歴史において過去に1人しか存在せず、コダマでも手が届かなかった、『最強』に最も近い称号。

 多くのウマ娘が夢に見て、そして挑戦の権利すら与えられず終わる至高の玉座を、シンザンは己の手の内にあってしかるべきものとしている。

 

 (・・・・・・シンザンが大きな怪我をしませんように)

 

 鈴と小銭の音を鳴らしてトレーナーは祈る。

 賽銭箱の前の長蛇の列。

 言動の割には意外にもトレーナーの横で小銭を投げてニ礼ニ拍手一礼をしたシンザンに少しだけ可愛げを感じたトレーナーは、軽い調子で彼女に聞いた。

 

 「何を祈ったんだ?」

 

 「トレーナーさんが日和りませんように」

 

 「・・・・・・・・・まだ根に持ってるのか。あの決定は日和った訳じゃないし、お前もそれに頷いただろ」

 

 「従うのと納得する事は別だね。喜ぶがいいよ、あんたの目論みは成功してるんだからさ」

 

 

     ◆

 

 

 事の発端は去年、2週間と少し前まで遡る。

 『朝日杯ジュニア級(ステークス)』。

 後に朝日杯フューチュリティステークスという名前で国際格付けの最上級に分類される、ジュニア級ウマ娘のチャンピオンを決める重賞レース。

 そこにウメノチカラとカネケヤキが出走したのだ。

 

 『らぁぁあああああッッッ!!』

 

 『やぁぁぁあああッッ!!!』

 

 ゴール板へと駆け抜ける彼女ら2人の雄叫びは、今も鮮明に思い出せる。

 ジュニア級ながら素晴らしい熱戦だった。

 14人立ての8枠14番、最も外枠という不利を背負ったウメノチカラが凄まじい負けん気を発揮。

 最終直線でカネケヤキと熾烈なデッドヒートを繰り広げ───ウメノチカラがアタマ差で勝利した。

 そしてこのレースを含め年に3勝をあげたウメノチカラはこの年の『最優秀ジュニア級ウマ娘』に選出され、先だって3勝していたカネケヤキにも惜しみない賞賛が注がれた。

 『彼女らはこの世代の両翼になるだろう』。

 そんな評価と期待は、彼女らの才能と実力に(たが)わぬものであるはずだ。

 

 問題は、トレーナーが出走資格を得ていたシンザンをこのレースに出走させなかった事。

 シンザンに出走させたジュニア級中距離特別は、その前日に開催されたレースなのである。

 

 『どういう事だい?』

 

 その決定を下されたシンザンは低い声で問うた。

 耳を後ろに絞って足で床を掻くように蹴るという、ウマ娘の()()の中でも最上級に不機嫌であることを示す危険信号を前にしてもトレーナーは怯まない。

 彼女がこのレベルで怒る事を覚悟していたからだ。

 

 『聞いたままだ、お前を朝日杯には出さない。それにこのレースは重賞でこそないがオープン戦よりも注目度は高いんだ、それで納得しろ』

 

 『目の前にある頂点から手を引けって? ()()()()? よりによってあんたが??』

 

 『ああ。これで話は終わりだ。また明日』

 

 蹴りすら飛んできそうな怒気を一身に受け、トレーナーはシンザンに背を向けてトレーナー室のドアノブに手を掛ける。

 ──────()()()()()

 クラシック路線に進むと聞いた彼がシンザンに対して思ったことはそれだった。

 確かに彼女には未だ計り知れない才能がある。

 しかしそれだけでは勝てない。

 時に執念は才能を刺し貫くということをトレーナーは知っている。

 まして野望に燃える者達が集う八大競走、生半(なまなか)な心構えでは到底──────

 

 『()()()ってんだろ』

 

 振り向いた。

 獲れて当然のトロフィーを見逃さねばならないという傲慢な憤りを勝利への執念に変換・代替させようという目論見をその場で看破されたトレーナーの顔が少しだけ引き攣る。

 いや、駄目だ。顔には出すな。

 見抜かれたことがバレたら、この作戦は台無しだ。

 

 『何のことだ?』

 

 『1年近く一緒にやってきてんだ、あんたの考えは大体分かる。まあ正直反抗はしにくいね。もしあたしが真剣にトレーニングやってたら、あんたもこういう判断はしなかっただろうし。

 分かったよ、あんたの決定に従う。この鬱憤は来年に叩き付ける事にするよ』

 

 決め打ちだ。もう誤魔化す余地もない。

 最早多くを語る必要すらないという確信でシンザンは自分の魂胆を見抜いてきた。

 この手のやり方は失敗すると信頼関係に響く可能性があるが、果たして彼女の心中は如何許(いかばか)りか。

 ぴしっとトレーナーを指差しながら、シンザンは突き付けるように念を押した。

 

 『ただしこれだけは覚えときな。あんたは自分の経歴に飾るトロフィーを、一個ふいにしたんだよ』

 

 

     ◆

 

 

 「あんなに強かった力道山も()()()の刃物に刺されて死んだ。トレーナーさんが言いたかったのってそういう事だろ?」

 

 「そのニュースを絡めるのはやめてくれ、結構ショックなんだよ・・・・・・。けどまあ、そういう事だ」

 

 代金を払って巫女さんからおみくじを貰いながら会話は続く。

 

 「実力者揃いのレースで物を言うのはここぞという所の勝負根性だ、ウメノチカラがいい見本だろう。

 刃物を振り回せとは言わないが、走りで殺すくらいの気迫がないと大事な所で圧し負ける。

 目論見通りになってるならいいけど、そういう渇望は普段から感じてないと結果には出にくいからな」

 

 「穏やかじゃないね。確かにあたしはウメやケヤキみたいな顔で走った事はないけど、結局は脚が速い方が勝つんじゃないのかい? ・・・・・・なに出た?」

 

 「凶」

 

 「何やってんだい縁起の悪い。あたしのあげるから上書きしなよ。ホラ、どうせ大吉だから」

 

 「どうせ、ってまだ開封前じゃないか。まず大吉とは限らな・・・・・・」

 

 大吉だった。

 うお、と目を丸くして自分を見るトレーナーに、シンザンはにやりとしたり顔をしてみせる。

 

 「凄いだろ。あたし生まれてこのかた大吉しか引いた事ないんだよ」

 

 「マジか、それは本当に凄いな。そういう話を聞くと本当にお前は何かを持ってるって感じるよ」

 

 「持ってるんだよ。おみくじの事が無くたって、あたしは自分の天運ってやつを信じてる」

 

 トレーナーが持っている凶と大吉2つのおみくじをひょいと取り上げ、重ねて折り畳んでおみくじ掛に結び付ける。

 絡まった2つの運勢を見てこれでよしと頷き、シンザンは戸惑っているトレーナーの背中を叩いて鷹揚に笑ってみせた。

 

 「だから多少の不運はあたしが吸い取ってやる。あんたはどっしり構えてな。あたしからの()()()だ」

 

 ・・・・・・・・・少しだけ自分を恥じた。

 自分はかつての至らなさを、自身の成長ではなく都合の良い曖昧な何かに求めようとした。

 しかし彼女は違う。

 都合の良い何かなんて必要ない。

 自分ならやれる、求めたものを必ず獲れると心の底から信じている。

 ならば、自分もそれに(なら)おう。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 身が引き締まるのは寒さの所為にしておこう。

 彼女を教え導くというのなら、堂々と胸を張って立つのは最低条件だと思うから。

 

 

 「お前が自分の天運を信じるなら、実力は俺が担当しよう。・・・・・・今年は厳しく行くぞ。シンザン」

 

 

 半目になった2人の口角が上へと曲がる。

 まるで出会った時の再現。相手を測るような沈黙をお互いにしばし楽しんでいた時、シンザンがふと思い当たったように大きく(まばた)きをした。

 頭上に「!」のマークを弾けさせながら顔を上げた彼女が、神社の一角にあるコーナーを目指してくるりと踵を返す。

 

 「あ、ちょっと待ってて。絵書いてくから」

 

 「なんだ、やっぱり願い事があるのか?」

 

 「覗いちゃ駄目だよ」

 

 簡単に釘を刺してからシンザンはぽてぽてと絵のコーナーへと走っていった。

 小銭を渡して五角形の木の板を受け取り、ペンで何事かの願い事を背中を丸めて書き込んでいる。

 大きくない体格でそんな姿勢をするものだから、上着のせいでよりずんぐりむっくりになっている背中が可愛らしく揺れていた。

 その様子を見ているトレーナーの心に小さな悪戯心が芽生える。

 ────こっそり背後から近付いて、シンザンの絵を覗いてやろう。

 例によって人間よりも鋭いウマ娘の感覚器官だが、神社に溢れる人々の喧騒や焚火の匂いは自分の接近を隠してくれるはずだ。

 ()()掛所(かけどころ)に願い事を書いた木の板をかけたシンザンの背中にそっと近付いて、頭越しに彼女の書いた絵を覗き込んでみる。

 

 

 

 『トレーニングが厳しくなりませんように』。

 

 

 

 「何卒(なにとぞ)・・・・・・!!」

 

 「おい。俺の目を見て言ってみろ」

 

 真剣な顔で手を合わせるシンザンの背後で、トレーナーのドスの効いた低音が響いた。

 『気質を鑑みて抑え目に組んでいた追い切りメニューをガッツリやらせる事に決めたトレーナー』vs『何としても正月は休みたいシンザン』。

 元旦から始まった小競り合いの結末は、その後トレセン学園のグラウンドに響いた汚い鳴き声から推して知るべしだろう。

 

 そして迎えた1月4日のオープン戦。

 特筆するような事は何もない。

 2着のハナビシに2バ身離して、息も乱さずにシンザンは勝った。

 ただそれだけの話だった。



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12話

 

 

 フラッシュバックというものを体験した事はあるだろうか。

 過去に受けた心的外傷が突然に、あるいはその時の経験と近似した光景がトリガーになって鮮明に思い出される現象の事だ。

 4日のオープン戦を終え、レース後の負担を考慮して流す程度のトレーニングを行なっている最中にトレーナーを襲ったものがそれに近い。

 

 「ぎゃふんっ!」

 

 柔らかな何かが引き裂かれる音。

 硬い何かが砕けて割れる音。

 人間の耳にも聞こえるような大きさのそれと共に、走っていたシンザンがターフの路にすっ転んだ。

 

 右脚を押さえ苦悶の表情で(うずくま)るコダマ。

 診断を下された彼女の絶望的な表情。

 もう走れなくなるかもしれない。

 視界が狭く暗くなっていくあの感覚と共に、目の前の光景に過去の記憶がいくつも重なり合っていく。

 

 「────────シンザンッッッ!!!」

 

 心と思考が悲痛な青に染まる。

 顔の色を失ったトレーナーが、引き裂かれるような声で名前を叫びながら芝に倒れる彼女へと駆け寄っていった。

 

 

 

 ウマ娘の大小様々な故障と隣り合わせな学園の性質上、トレセン学園の保健室に常駐する養護教諭には医療免許の所持が必須とされており、保健室も同様に応急処置より上に踏み込んだ医療行為が行える程度の設備が備えられている。

 つまるところ学園内に小さなを病院を抱えているのと同じなので大概の身体的なアクシデントはここで対応できるのだが、シンザンの身に起きた事は対応の範囲外だった。

 消毒液の匂いが漂う室内で、トレーナーはぽかんと口を開ける。

 

 「壊れただけ?? シューズと蹄鉄が??」

 

 「はい、腱の断裂や骨折は見られませんね。軽い打撲と擦り傷だけです」

 

 『どうした、どこをやった、どこが痛む』。追い詰められた顔で矢継ぎ早に聞かれて気圧されている様子を苦痛で声が出ないのだと判断したトレーナーが、シンザンを抱え上げて全速力で保健室に駆け込んだ。

 提携している病院に運び込んでくれと取り乱すトレーナーを落ち着かせ、ベッドに寝かされたシンザンを一通り診察した養護教諭の診断がそれだった。

 

 「軽傷で済んだのもゆっくり走っていたからでしょうね。とはいえ暫くは様子を見て、痛みが強くなったり長引くようなら病院にかかった方がいいでしょう」

 

 

 「寿命が縮んだ・・・・・・・・・」

 

 「何だかお騒がせしちゃったね。あたし自身も身体の方は大丈夫だと思うよ、うん」

 

 トレーナー室で上履きに履き替え申し訳なさそうに座っているシンザンの対面で、30分足らずの間で精魂尽き果てたトレーナーがデスクに突っ伏している。

 普段は何か問題が起きても冷静に考えて淡々と処理するような男がこうも取り乱す様を見て、彼がウマ娘の故障にどれだけ敏感になっているかをシンザンは初めて実感した。

 それでも1度は屈腱炎になったウマ娘にレースを全うさせた手腕は確かなものだと思うのだが、回復に腐心した期間とその後走れなくなったという事実はそれだけ辛いものだったのだろう。

 自分の方でも気を付けなければならないなと反省しているシンザンの前で、起き上がったトレーナーは壊れたシューズと蹄鉄を改めて検分する。

 

 「走ってる最中にシューズや蹄鉄が壊れる事はあるし、そういう場面を見たのは俺だって初めてじゃない。しかし・・・・・・」

 

 さっきまで自分が履いていた靴をまじまじと見つめられているシンザンがその手から靴をひったくってやろうかと考えつつある視線を受けながら、トレーナーは呻くように率直な感想を漏らした。

 

 

 「信じられない。こんな壊れ方は初めて見るぞ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 頑丈なものを選んだはずの蹄鉄は煎餅のように擦り減り、薄くなった真ん中で綺麗にへし折れている。

 シューズに至っては散々だった。

 ヒール部分には亀裂。最も動きが大きく負荷が掛かり、故に最も頑丈に作られているはずの部分が綺麗に引き裂かれている。軽く揺らすだけでぱかぱかと大口を開閉する腹話術の人形みたいになったシューズをシンザンに返し、呆れたように彼女に言う。

 

 「蹄鉄もシューズも痛み方が尋常じゃない。走ってる時の不具合も凄かっただろ。物持ちがいいタイプなのかもしれないけど、これはいくら何でも貧乏性ってもんだ」

 

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 「この間出かけた時に買い込んでおいて正解だったな。これからシューズや蹄鉄は違和感が出たらすぐに交換するように─────」

 

 「これで最後」

 

 「え?」 

 

 「買ってもらったシューズも蹄鉄もこれが最後」

 

 信じがたい言葉を聞いた気がした。

 唖然とするトレーナーに対してシンザンはばつが悪そうに顔を逸らす。決して安くはない物の数々をすぐに消費してしまった申し訳無さか、彼女の説明にはいつもの飄々とした図太さはなかった。

 

 

 「()()()()()()()()()()()()。あたし昔からこうなんだよ。どんなに優しく使っても、すぐに靴がダメになるんだ。交換しようとは思うんだけど、その度に買い直すのもキツくて」

 

 

 あの数のシューズと蹄鉄が、ものの数ヶ月で駄目になる。

 俄には信じがたい弁明だったがトレーナーの脳内でその瞬間、全てが繋がった。

 あのスタートダッシュが答えだ。

 ──────()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シューズが痛み方の割に汚れが少なかったのはそれだけ短い期間で寿命を迎えたからで、薄っぺらくなった蹄鉄はそれだけ交換をケチっていた証拠だろう。

 思い返してみれば出かけた時に服や化粧品を買い漁っていたのは、シューズや蹄鉄に財布を圧迫されていたからなのだ。

 蹄鉄やシューズは生徒自身で申請すれば経費で落ちる物品だが、彼女のペースでは不正利用の可能性有りと申請が通らなかったのだろう。

 親からの仕送りを含めてもカツカツだったのか。

 外見に無頓着なのではなく、金をそちらに回す余裕が無かっただけで。

 

 (となるとそうか・・・・・・。練習で走らないのもシューズと蹄鉄の摩耗を抑える為だったのか・・・・・・)

 

 「まあその、そういう訳でね? 断じて絵の話じゃないけどね。練習のメニューを軽ーく、軽ーくしてくれないかな? 特にラップ走をね、無くしてもらえたらなって。ホラあれ凄い走るから」

 

 (いやものぐさなだけだな・・・・・・)

 

 こんな状況なのに瞳に「あわよくば」が透けていた。靴が保たないという正当性に期待を込めてそわそわと尻尾を揺らしている。

 『練習そのものが面倒な訳ではない』とその口から聞いた覚えがあるのだが、果たして彼女の中で如何なる理屈が通っているのだろうか。

 それについても今後のために早いうちに解明しなければならないが─────

 

 それはもう少し後でいい。

 いま直ちに解決するべきは、彼女が十全にトレーニングするための環境を整える方法だ。

 

 

 「? トレーナーさ・・・・・・・・・、」

 

 黙り込んで反応が無くなったトレーナーの様子を伺おうとしたシンザンが、彼の顔を見て何かを察したように口を閉じる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 恐らくは自分に発生したアクシデントを再発させないための、いま自分を取り巻く問題を解決するための方法を模索しているのだ。

 寿命の短いシューズに蹄鉄に金銭的な問題、それら全ての問題を最短で結ぶ()()を。

 こうなったらこちらも集中を削ぐような事はしないほうがいい。

 トレーナーの言葉を黙って待つ事およそ2分。

 茫洋とした目に意識が戻り、思考の海から帰還したトレーナーは開口一番にシンザンに言い放った。

 

 「よし。お前の下半身を調べさせてくれ」

 

 「なに言ってんだいド助平!!」

 

 「違うそういう意味じゃない」

 

 思わず自分の両脚を抱いて叫んだシンザンに突っ込みを入れる声はどこまでも平坦だった。

 お前の言い方が悪かったんちゃうんかと微妙に腑に落ちない思いを抱えることになった彼女に、そうじゃなくてさ、とトレーナーは改めて自分の考えを話し始める。

 

 「覚えてるか? ほら、初めて会った時にウチの家業のこと話しただろ」

 

 「? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って話だろ。覚えてるけど・・・・・・」

 

 

 「そうだ。うちでお前(シンザン)専用の蹄鉄を作る」

 

 

 恐ろしく予想外の結論が出てきた。

 自分の足に合う蹄鉄を自分に合うように調整するのは当たり前の事だが、最初からそのウマ娘専用の蹄鉄をオーダーメイドする事例は未だ聞いたことがない。

 目を丸くしているシンザンの前で、トレーナーはさらに詳細な説明を続ける。

 

 「その為にお前の脚のサイズから筋力まで詳細な数字が欲しいんだ。だけどただ蹄鉄を改良すれば済む話じゃない。どんなに急いでも完成には1ヶ月、いや2ヶ月は掛かるだろう。

 だから今日のトレーニングは大事をとってここで終わらせて、身体に異常が無ければ明日ジムでデータを取りたい。いいか?」

 

 「う、うん。分かった。ちなみにその1、2ヶ月のトレーニングはどうすんの? まだ経費の申請が通るか分かんないし、靴と蹄鉄がないと・・・・・・」

 

 「やるとすれば水泳でスタミナを強化する位だな。筋トレについてはあまりサイズが変動すると試作品も作れないから、維持する程度に控えめに」

 

 「お、言ってみるもんだね。単純に水泳のメニューを増やすことになるのかな?」

 

 「明日までにメニューを作って渡すよ。俺も完成までそっちに付きっきりになるからシンザンには自主練してもらうようになる。難しい仕事を投げると親父と兄貴だけじゃ本業が回らなくなるからな」

 

 「・・・・・・それなら、自分で『今日は体調が悪いな』ってなった時は?」

 

 「休暇も自己判断に任せようじゃないか」

 

 「言ってみるもんだねえ!!」

 

 目を輝かせて尻尾を振るシンザン。

 この時点でもう真面目にやるかどうか怪しいのだが、如何なる意図があるのかトレーナーがそこについて言及する事はない。

 ただ一言だけ、彼女に次のレースに対する忠告するだけに留めた。

 

 「油断はするなよ。2ヶ月後のスプリングステークスは謂わば『皐月賞』前の腕試し、三冠を目指す強敵揃いだ。油断してると足元を掬われるぞ」

 

 「うんうん、分かってる。ちゃんとやるよ」

 

 その翌日、身体の異常は見られなかったシンザンは約束通りにトレーナーのデータ収集に付き合った。

 足のサイズや幅、(トモ)の太さや現時点での筋力に至るまで恐ろしく詳細なデータを収集されながら、シンザンはふと疑問に思う。

 

 ─────足のサイズは分かるけど、何で(トモ)のサイズや筋力まで調べられるんだろう?

 

 まあ自分が知らないだけで蹄鉄のオーダーメイドはそれだけ精密にやるものなんだろうと自分で納得し、メニューを渡されて解放されたシンザンはそのままプールへと移動。

 指示されたメニューを消化するべくしばし水中を泳いでいたが、見ている者も会話する者もいない。途中で張り合いが無くなってプールから上がる。

 練習内容の半分も終わらせない内に本日分のトレーニングを切り上げたシンザンは、せっかくなので学園外に遊びに行く事にした。

 百貨店や服飾店などをあれこれ物色し、今度トレーナーと遊びに出た時にねだるものを頭の中にメモしてから帰宅。

 

 ─────やっぱりねえ、持つべき物は身体を労ってくれる優しいトレーナーだよ。

 

 のんびりとベッドに寝転がりながら、彼女は同室のウメノチカラにそう語ってみせたという。

 シンザンには案の定『サボり癖』がついた。

 そんなある日。

 

 「おい。お前のトレーナーが理事長室に呼ばれたようだが、何か心当たりはないのか?」

 

 お前に関わる何かではないのかと、シンザンはウメノチカラからそんな報告を聞いた。

 

 

     ◆

 

 

 「よく来たね」

 

 座ってくれ、と。

 理事長室の扉を開けたトレーナーを迎えたのは、つば広の帽子と空色のタイトなドレスを纏った暗褐色の髪の女性。その(かたわ)らには同じように帽子を被り、歳を感じさせぬ程に矍鑠(かくしゃく)とした、金色のロケットペンダントを首に掛けた眉雪(びせつ)の女性が立っている。

 応接用のテーブルとソファに通されたトレーナーは、自分の芯の部分が石のように固まっていくのを感じていた。

 あまり良い話をされる予感がしない。

 呼び出された時から感じていた予感は今も段々と膨れ上がっている。

 トレセン学園で3番目に怖い女がコダマなら、1番目と2番目は目の前にいる彼女達だ。

 ドレスの女性は眉雪の女性がテーブルに置いたお茶に口を付けるよりも早く、まるで天気の話でもするかのように切り出した。

 

 

 「今日ここにキミを呼んだのはね。キミには彼女ではなく、他のウマ娘を担当してほしいからなんだ」

 

 

 トレセン学園理事長・秋川さつき。

 そして理事長秘書・日聖(ひじり)ミツヱ。

 敬意と共に恐れられる学園の統治者は、トレーナーが重ねてきたものを実にあっさりと崩しに来た。



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13話

 「・・・・・・どういう事ですか」

 

 「そのままの意味だよ。キミには今年から他の生徒の担当になってほしい」

 

 硬い声で聞き返したトレーナーに秋川さつきは感情の読めない微笑みを湛えたまま繰り返すように答え、さらにその続きを口にした。

 

 「理想としては入学してきた新入生達も交えたチームを組んで欲しいかな。キミの基準だと加入するための合格ラインはかなり高くなるだろうけど、その辺の裁量は全面的に任せたいと思う」

 

 「そうじゃありません。なぜシンザンとの契約を解除しなければならないのかを聞いているんです」

 

 「分不相応だからさ。キミの優秀さは僕もよく知るところだ。慢性的なトレーナー不足に悩まされているこの状況で、芽の出そうにない種に水や肥料を回す余裕はないからね」

 

 「ご自身がいま何を(おっしゃ)ったか自覚していますか? 学園の長の言葉にしては余りにも冷酷すぎる。トレーナーとして到底納得することは出来ません」

 

 「()()()()()()()()()()()()()使()()()()()

 

 秋川さつきはそう断言した。

 何らかの根拠と確信を持った者の静かで強い語気。

 押し黙ったトレーナーの前で出されたお茶にようやく口を付けた秋川さつきの口元には、もうさっきまでの微笑みは無かった。

 

 「『もはや戦後ではない』。高度経済成長を迎え消費意欲の高まったこの国では、それほど一般的ではなかったウマ娘のレースにも高い注目が集まっている。

 それを成した第一のスターがコダマだ。

 ウマ娘としての容姿と競技者としての『脚の速さ』、偶然にも特急電車と同じ名前という『運の良さ』により得た知名度、そして不振と故障を乗り越え勝利を飾った『強さ』で灯されたこの火を、僕は大火に至るまで(おこ)さなければならない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 競走ウマ娘の世界を発展させて更に上へと押し上げるためには2人目の彼女が、大復興の象徴となる存在が必要なんだよ」

 

 「シンザンはそれ足り得ないと言うんですか」

 

 知らずトレーナーは身を乗り出していた。

 彼らは皆、担当したウマ娘が華々しい結果を残すことを願って彼女らを育て鍛える。そんな彼女らをたとえ直接的な言い回しでなくとも花開く器でないと言われて黙っていられようはずも無かった。

 

 「彼女のここまでの戦績を知らない訳ではないでしょう。デビュー戦含めて4連勝、それも最低でも2バ身離しての圧勝だ。同期の中でも特に優れた結果を出しているのに、何故そうまであなたは彼女を蔑ろにするんですか?」

 

 「勝てそうなレースを選んでいるだけでしょう」

 

 割って入ったのは日聖ミツヱだった。

 皺の刻まれた顔から覗く鋭い眼差しが、淡々と問い詰めるようにトレーナーに突き刺さる。

 

 「確かに数字を見れば優秀な成績と言えます。

 しかしその実情はどうですか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もし違うというのであれば、なぜ朝日杯に彼女を出走させなかったのですか? 彼女は先に挙げた2人ですら成し得ていない3連勝を誇っていたというのに」

 

 「彼女が今後勝ち続けるために必要なものを手に入れさせる為です。彼女らと走れなかった憤りは確実に次のレースで発揮される」

 

 「その憤っているはずの彼女は随分のんびりと過ごしているようですが、貴方は彼女の側を離れて何をしているのですか? 自主練のメニューを渡していないなどという事はないでしょうが、今の彼女にレースを走るに足る心構えがあるのかは甚だ疑問と言う他ない」

 

 「彼女が抱えている問題を解決するために動いている所です。休んでいるという事は彼女自身がそれを必要としているからでしょう。ここまでのレースのスケジュールを考えれば何らおかしな事ではない」

 

 「だとしてもこれまでの練習の態度は? お世辞にも真面目とは言い難いだろう。怠け癖を指導され続けて尚あの調子では早晩埋もれて消えるのがオチだと思うけれど。

 (もっと)も、キミが今まで何の指導もせず好き放題させていただけというのであれば話は変わってくるけどね」

 

 「あれは生来の気質です。言って矯正するよりもそれに沿う形でトレーニングさせた方が効率がいい」

 

 2人の指摘はどれも当然のものだ。

 トレーナーとてシンザンの手抜き癖に向き合う方法は模索している最中だし、客観的に見れば彼女らの意見の方に分があるのだろう。

 しかしだからといってハイそうですね分かりましたと受け入れられる訳がない。

 これまでの努力や結果を今になって黙らせつつある言葉で否定されたトレーナーは、苛立ちも顕に眉を吊り上げる。

 

 「お二人がシンザンを認めようとしない理由は分かりました。しかし自分は彼女のそういった面を含めた上での計画を立てているんです。その道半ばで素質無しと断じられるのは横暴が過ぎる」

 

 「・・・・・・・・・、」

 

 「理事長の理念は分かります。優秀であるという評価はありがたいですが、自分はシンザンの担当を降りるつもりはありません。チーム結成の件も含めてお断りさせて─────」

 

 

 「ああ言えばこう言うね。キミは」

 

 

 凍てついた。

 目を細めて一言、ただそれだけで周囲の温度が氷点下まで冷え込んだような錯覚に陥る。

 吐き出す言葉は冷気の如く。脊髄に氷柱を突き立てられたトレーナーに、白い(もや)すら見えるような吐息と共に薄氷の下の本性を剥き出した。

 

 「これが思い付きの提案だとでも思うのかい? 1人のウマ娘からトレーナーを奪う選択を直近の印象だけで決定したとでも?随分とこちらを無礼(なめ)てくれるね。

 全生徒の日頃の授業態度やトレーニングへの姿勢、全て把握した上での話に決まっているだろう」

 

 「だとしても」

 

 「確かにキミは優秀だ。彼女には光るものがあるのかもしれない。しかしそれを自ら磨こうとしない者に差し伸べる手はこの学園には存在しないんだよ。

 努力なんて大前提、そうして磨かれた才能が激突し続けて最後に最も煌びやかな宝石が残る。ここはそういう場所だろう。

 ・・・・・・分かるかな? そもそもこちらは()()()()が拒否を許される程の軽い命令は下してないんだよ」

 

 「──────、」

 

 「まあ、とはいえこちらの言葉の選択が誤解を与えたのも事実。言い方を変えようか」

 

 極地のように冷たく、氷山のように重い言葉。

 淡々と列挙される厳然たる事実は口を挟む余地など1つも与えられる事はなかった。

 瞳に暗く冷たい光を灯して口元を扇で隠した秋川さつきはどこまでも感情を排した判断を下す。

 一大組織の長として目的の達成を成す為には、個人の思いは些事に過ぎぬと。

 

 

 「辞令を出そう。1週間以内にシンザンとの担当契約を解消し、その後に新たにチームを発足させる事を命じる。尚そのチームにシンザンを在籍させる事は認められないものする」

 

 

 バンッッッ!!!と硬いものを強く叩く音。

 秋川さつきの命令を聞いたトレーナーが、目の前のテーブルを両手で叩いて立ち上がったのだ。

 僅かに眉を上げる秋川さつき。

 圧し潰すような氷の意思に反抗したのは、誇りを持ってこの場所に心血を注ぐ者の熱だった。

 

 

 「─────外すのなら俺を殺してからにしろ」

 

 

 低く唸るように突っぱねた。

 対極の温度を持つ2人の意志が理事長室内で対流を起こしている。

 扱い難そうなこの駒を()()()()()()()と双眸を細めて思案する秋川さつきの前で、トレーナーは一歩も退かずに彼女を睨み付けた。

 しばし膠着する空気。

 そんな中で風向きをトレーナーの方へと誘導したのは、意外にも日聖ミツヱだった。

 

 「機会を与えてみてはいかがですか?」

 

 「と言うと?」

 

 「シンザンの姿勢に問題があるのは事実ですが、そんな彼女を曲がりなりにも4連勝させている彼の評価は高い。良い結果を出しているコンビを強引に解消させたとなれば他のトレーナーや生徒達の不信に繋がる可能性もあるでしょう。

 勝ち続けているだけに周囲を納得させるだけの根拠が薄いのです。

 そして我々が下した決定に対して彼が勝ち星を盾にするのであれば─────、近く行われる大きなレースの結果で判断するのが妥当な折衷案かと」

 

 「・・・・・・成る程ね。黒星も合わせれば説得力は盤石になるし、結果を重んじる者同士それで決めた方が後腐れもない。それに僕の言う条件を満たすチームを結成させるには(いささ)か時期も早いから、機会を与える時間も丁度良くあるという訳だ」

 

 ふむ、と脳内の算盤を弾く秋川さつき。

 日聖ミツヱの案を採るかそれとも手っ取り早く処理するか、しばし合理と損得の勘定を計算して比較していた彼女は、宙を見ていた目をきょろりと眼前のトレーナーに向けた。

 

 「次のレースは決まっているのかな」

 

 「はい。3月の『スプリングステークス』です」

 

 「なら丁度いい。コダマを育てたキミの実績に免じて、こちらから少し歩み寄ろうじゃないか」

 

 閉じた扇で秋川さつきはトレーナーを指す。

 淡々と口からでる言葉はやはりさっきと同じように有無を言わさぬ冷たさと硬さだったが、トレーナーにとっては春と冬ほどの違いがあるものだった。

 

 「キミ達の処遇はそのレースの結果によって決めるものとする。そこで彼女が1着を獲ればキミと彼女のコンビは継続、そうならなければ僕の辞令に従ってもらおう。

 これが最大限の譲歩だ、これも拒否するというのであればこちらも粛々と強硬手段に移ろう」

 

 「(たが)えはありませんね?」

 

 「勿論。書面にでも起こそうか?」

 

 「いえ、結構です。貴女の言葉を信じましょう」

 

 「決まりだね。じゃあ話は終わりだ、戻っていいよ。・・・・・・誠実にいこうじゃないか。()()()()

 

 

 失礼します、と一礼して理事長室を出る。

 扉を閉めて2人の魔物が巣食う部屋から遠ざかることおよそ20歩と少し、トレーナーはぴたりと歩みを止める。緊張から解放された身体の機能が、ようやく自分の役割を思い出したのだ。

 

 「〜〜〜〜〜〜っ、ぶはっ!!! はっ、はァっ!」

 

 膝に手をついて必死に酸素を取り込むトレーナー。

 呼吸する事すら忘れていた。

 秋川さつきと日聖ミツヱ。2人と衝突する立場に立った時に感じる圧迫感たるや、終わってみるとよくぞここまで歯向かえたものだと自分の胆力を疑う。

 どんな才能と教育があればあんな氷山のような圧が出せるのか。『所詮は女と舐めてかかった横柄なスポンサーが(ことごと)く縮み上がって帰っていった』という逸話の真偽を実体験で証明してしまった。

 

 だが、自分はやり切った。

 譲れない一線は首の皮1枚で繋がったのだ。

 

 顔に張り付く冷や汗を拭い喘鳴を整える。

 勝てるだけの力が彼女にはある。ならば自分がやるべき事は、その力を可能な限り引き出す事だけ。

 ─────こんな道半ばで終わってたまるか。

 心を引き締めたトレーナーは、意地と矜持を胸に燃やして再び歩き出す。

 

 緊張からの解放感で意識に余裕が無かったからか。

 理事長室から出た瞬間、嗅いだ覚えのあるシャンプーの香りが鼻を(よぎ)った事に、トレーナーが気付く事はなかった。

 

 

 

 「あなたは優しいね」

 

 トレーナーが退室した後、秋川さつきは隣に立つ日聖ミツヱにそう言った。

 

 「我ながら目的以外が見えなくなりがちで困る。今でさえ氷の女と言われているのに、貴女がいなければ僕は今ごろ雪女とでも呼ばれているかもしれない」

 

 「差し出がましい真似だったでしょうか」

 

 「いや、助かったよ。僕にとっても彼にとってもベストの提案をしてくれたと思う。だけど、僕とあなたでは少しだけ考えにズレがあるようだ」

 

 日聖ミツヱの目をじっと見つめる秋川さつき。

 しかしそれは上司としての訓戒ではない。

 同じ視座に立つ者としての意見を述べ、また相手にもそれを求めるという議論に近しいものだった。

 

 「あなたがウマ娘とトレーナーの繋がりを尊重する理由は理解している。だけどもうあなたが経験した悲しい時代は終わったし、ご友人が味わった悲痛な別れももう無いんだ。

 追い風が吹く時代だからこそ僕たちに緩みは許されない。危機感と焦燥という、最も強く闘争心を駆り立てる感情を忘れさせてはならないんだよ」

 

 「負の要因が力を生むという主張に対しては議論の余地があるでしょう。しかし私は優しさから彼に機会を与える事を進言したのではありません」

 

 「つまり?」

 

 「憂いを晴らして勇気を与える。暗い時代にも光を灯す。たとえその結末が辛苦に満ちたものになろうとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 貴女の理念と最後通牒を受けてなお噛み付いた彼の覚悟で、シンザンがそのように変わる可能性もあるいはゼロではないと考えたのです」

 

 「そうならなければ?」

 

 「あのトレーナーはシンザンには過ぎた導き手だった。それまでの話です」

 

 淡々とそう答えた日聖ミツヱに、秋川さつきはくつくつと喉を鳴らして笑う。

 合理的ではないだろうが、本当に優しさとは違う。ただ可能性としてあるかもしれない取りこぼしを拾っただけ。

 結局、考えの方向性は同じなのだ。

 それを改めて理解した秋川さつきは、扇を懐に仕舞いながら揶揄うように己の秘書に言う。

 

 「ミツヱさん。あなたも大概()()()(ひと)だ」

 

 「私も伊達に(しわ)を刻んでいませんよ。・・・・・・ともあれ、自覚するべきです。

 結果がものを言う世界においても、第三者はその過程も評価の対象にしているという事。

 相手が自分を尊重しているという事は、相手は自身を蔑ろにしているという事。

 そして、自分の自由の代償を背負うのが自分であるとは限らない事を」

 

 「? ・・・・・・さあ、懸案にも解決の目処が立ったし、仕事を片付けよう。そろそろ僕も一息入れる時間が欲しいからね」

 

 「かしこまりました」

 

 自分ではなくここにはいない誰かに言い聞かせるような日聖ミツヱの言葉をひとまず流し、秋川さつきは仕事に戻る。

 ─────盗み聞きしたのはただの好奇心だった。

 理事長室の出入り口、両開きの扉の出口側。

 トレーナーが押し開けた扉の影に隠れるように縮こまったシンザンが、耳を伏せて俯いていた。

 

 

     ◆

 

 

 「シンザン。俺にも仕事というものがあってな」

 

 「いいじゃん。担当ウマ娘のコンディションの管理も仕事の内って前に言ってただろ」

 

 「同じ時に『お出かけに仕事を持ち込むな』ってお前に言われた覚えがあるんだが」

 

 「それはそれ。これはこれ」

 

 「あ、はい」

 

 『気分転換したいから散歩に付き合え』。

 唐突にそう言われてトレーナー室から引き摺り出されたトレーナーは、シンザンと2人並んで河川敷の道を歩いていた。

 ・・・・・・が、駆り出されて以降会話がない。

 てっきり前回のように無限のホスピタリティ精神を要求してくるものと考えていたのだが、今回はいやに静かというか何というか。

 しおらしい。

 そうだ、()()()()()()()

 いつもより耳が倒れており、何かを言い淀むように頭を動かしている。

 

 (何か相談したい事があるのか・・・・・・?)

 

 少しずつそんな疑念が鎌首をもたげてくる。

 彼女が腹を括って言い出すのを待つべきかそれとも自分から聞いてみるべきか、逡巡している内に先に口を開いたのはシンザンの方だった。

 

 「トレーナーさんはさ。後悔とかしたりする?」

 

 「後悔?」

 

 「そのー、さ。ああしとけば良かったとか、こうするんじゃ無かったとか、そういう。小さいのじゃなくて、そこそこ大きめのやつ」

 

 「そんなのは多かれ少なかれ誰でも抱えてるものだと思うけど、本当にどうしたんだ? 俺の勘だけど、お前が聞きたいことってもっと具体的な、『何を後悔してるか』って話じゃないか?」

 

 シンザンの言葉が僅かに止まる。

 伏せられた目線がトレーナーの目と合わさる事はない。少しの沈黙が流れた後、彼女の口から出てきた言葉にトレーナーは思わず息を呑んでいた。

 

 

 「・・・・・・あたしを担当にした事、後悔してる?」

 

 

 余りにも。余りにも()()()()()言葉。

 自分に対して絶対の自信と価値を自負する彼女らしからぬ弱気な問いかけに、トレーナーは肯定と否定の選択肢が頭から消えた。

 

 「・・・・・・本当にどうしたんだ。急に」

 

 「()()()()()()()()()()()()()んだけどね。自分を尊重してくれる人は自身をほったらかしにしてるとか色々聞いちゃって。それにトレーナーさん自身も、えーと、あたしが真面目じゃないせいであれこれ言われてるみたいだしさ。

 ()()()()()()()()()()()、偉い人がトレーナーさんとあたしの契約を解消させようとしてるなんて話も耳に入ってきちゃったし」 

 

 「・・・・・・・・・・・・、」

 

 「ウメからも散々言われた事だけどさ。今のあたしって、あんたの優しさでレースに出れてるようなもんなんだよね。あたし自身がどうにもならない所をあんたは受け入れてくれてるけど、周りはそうじゃないんだよ。

 あんたにしたって、あたしがもっと真面目に練習してくれたらとは間違いなく思ってるだろうしさ」

 

 そう言ってシンザンはトレーナーの目を見た。

 いつかトレーナーが飲み込まれそうになった彼女の瞳に宿る光が、今は不安げに揺れている。

 きっと否定してくれると信じていて、だけどどこかで疑ってしまっていて。これからもこの人に頼って許されるのか悩んでいるその姿は、ちゃんと年相応の少女に見えた。

 

 

 

 「トレーナーさん。もっと手の掛からない真面目なウマ娘を捕まえれば良かったって、そう思った事はないって心から言い切れる?」

 

 「まあマジで手が掛かるなコイツとは思ってる」

 

 「オイ」

 

 想像以上に直で返ってきた。

 余りにも悪びれる様子のないトレーナーの態度にビックリするほど低い声が出たシンザンを他所に、トレーナーは『何だそんな事か』と安心すらしていそうな顔をしていた。

 

 「前も言ったかどうかは忘れたけど、気性はウマ娘それぞれだ。確かに真面目な子ならトレーニングはやりやすいけど、気難しい子だって方向性を噛み合わせれば爆発的に伸びるんだ。一概にどれが優れてるなんて結論は出ないよ」

 

 「そりゃ手抜き癖のあたしにも当てはまるのかい?」

 

 「事実として今まで勝ってきてるだろ? そしてこれから先もずっと勝たせ続けてみせる。お前とならそれが出来ると思ってるし、その確信はお前の走りを見た時から今までずっと変わらない」

 

 いつになく小さくなっている彼女の背中を、トレーナーの手のひらが強めに叩く。

 いかにも男らしい粗雑な励ましだが、そこから伝わる力は何よりの説得力として働きかけるだろう。

 この人になら寄りかかっても大丈夫だという、何より原始的な安心感として。

 

 「揺らぐな、シンザン。自分の強さと価値をあそこまで強く信じられるのなら、俺の事くらい同じだけ信じてみせろ」

 

 シンザンは少しだけ目を丸くしてトレーナーを見て、ぷいと顔を逸らした。

 言葉に対する返答はない。

 まさか何か言葉を間違えてしまったのかとトレーナーが不安になり始めたそんな時、どむんっ、と身体の横から衝撃。

 いつかと同じ展開だった。

 また何故か横から身体をぶつけてきたシンザンに、説明を求めるようにトレーナーは話しかける。

 

 「あの、シンザン? 今度は何だ?」

 

 「ん?」

 

 もう一回。どむんっ。

 軽くぶつかってくるだけでも、ウマ娘の膂力の前にトレーナーは簡単にたたらを踏んだ。

 

 「ちょ、シンザン強い。前回よりも力が強い」

 

 「んん?」

 

 もう1回、もう1回。

 立て続けに弾かれるトレーナーがどんどん道の脇へと追いやられていく。

 

 「シンザンさーん?? シンザン様ー???」

 

 「んー? ふふ、ふふふっ」

 

 行動の理由は相変わらず明かさないままだった。

 何かの気が収まるまで彼女はトレーナーに身体ごとぶつかり続け、最終的にトレーナーは河川敷から転がり落ちた。

 ひどく腑に落ちない表情で草の生えた斜面にひっくり返っているトレーナーを、シンザンはしゃがんで見下ろしている。

 気弱な姿はどこにもない。

 瞳と表情に決して揺れない自信を宿した、いつも通りの彼女の姿だった。

 

 「もう大丈夫。心配いらないよ」

 

 ありがとね、と。

 憂いは晴れた。光は灯った。

 ならば、後は走るだけ。

 ニコニコと笑う彼女に、トレーナーは草まみれで転がったまま親指を立てて返事をした。

 

 

 

 そして2ヶ月後、その時は来た。

 

 3月29日『スプリングステークス』。

 

 彼女たちの命運が懸かった、未来を決める大一番。

 

 シンザンにとって初めての重賞で、そして彼女とウメノチカラが初めて激突するレースだった。



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14話

     ◆

 

 

 3月29日、東京レース場。バ場状態は良。

 晴れ渡る空の下に押しかけた大勢の観客達の騒めきが春風に乗って流れていく。

 今日のスプリングステークスは4月に開催される八大競走『皐月賞』に挑む前の腕試し、つまりウマ娘たちが世代の主役に名乗りを上げるレースだ。これから本格的なクラシック級で走る彼女たちを応援するファンの注目度も高い。

 出走するウマ娘達が三々五々にストレッチをしているパドックの周囲に集った観客達は、銘々に誰が勝利を掴むかの話で盛り上がっている。

 

 「やあ。お前は誰が勝つと思う?」

 

 「そりゃやっぱりブルタカチホさ。メイクデビューから3連勝、弥生賞じゃ2着だけどアタマ差だ。練習内容も好調って話だし、今回は彼女で決まりだよ」

 

 「俺はウメノチカラだと思うな。順位の浮き沈みは激しいけど朝日杯での走りは本物だよ。あの負けん気は絶対に一着を獲ってくれるさ」

 

 「私なんかはトキノパレード辺りが─────」

 

 ああでもないこうでもないと各々の知識と勘で誰が勝者となるのかを議論する観客達。これから始まる勝負への期待と興奮か、彼らの声はどこか陽気に弾んでいるようだった。

 大勢に推されているファン人気の高いウマ娘は大勢の口からその名前が出てくるし、そうなれば必然その声はパドックのウマ娘に届く。

 自分を応援してくれている人がいる。その実感はウマ娘にとって最大の力になる。

 どこかから自分の名前が聞こえてきてひっそりと笑みを深める者もいれば、応援してくれたのが誰かが分かればそちらに笑顔で手を振る者もいた。

 観客の側にもこういう小さな触れ合いからファンと呼べる程レースに入れ込む者も多数存在するのだが、同時刻、学園で紅茶を啜っている彼女は、少なくとも今はその情緒からは切り離されていた。

 

 「流石にスプリングステークス。皆いい表情をしているね」

 

 画面越しだとよく分からないけど、と。

 最適な温度で淹れられた茶葉の香りを楽しみながら、秋川さつきはテレビの前に座っていた。

 

 「連勝中だけにシンザンもクラシック級の注目株ではあるけど、彼女以上に調子を上げている実力者は何人もいるし、まあ彼との賭けは僕の勝ちだろう。

 あの後も彼女はろくにトレーニングをしなかったようだしね」

 

 「初めての重賞レースというのも少なからずメンタルに影響を与えそうです。参考までに貴女の見立てでは誰が1着になると思いますか?」

 

 「ウメノチカラかな」

 

 斜め後ろに控えている日聖ミツヱの問いかけに、秋川さつきは少しの間も置かずに即答した。

 

 「彼女はメイクデビュー後のジュニア級特別で、シンザンへの対抗心が空回りして11着と大敗した。

 その後のオープン戦と朝日杯で勝利した後は弥生賞で8着と凡走。

 つまり彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして前走のオープン戦ではキッチリと1位を獲り、コンディションを最高の状態に持っていっている。かなりの好走が期待できるね」

 

 「成る程、理解しました。しかしその理由にはかなり好意的な解釈が含まれているような気もしますが」

 

 「否定は出来ないけれどそうするだけの信頼はあるよ。彼女は実直だ、経験した全てを吸収しようという姿勢がある。彼女のトレーナーも彼女の負けん気をよく理解して教導しているしね」

 

 そう言って紅茶を口に含む。

 彼女の言葉に納得した様子の日聖ミツヱを振り返りながら見上げつつ、好奇心を胸に芽生えさせた秋川さつきは逆に彼女に問いかけた。

 

 「あなたの予想も聞きたいな。全く違う視点や判断基準を持つあなたなら、僕の予想とはまた違った結論に至るだろう。あなたは誰が勝つと思う?」

 

 四角い画面の向こうでは出走者たちが入れ替わり立ち替わりパドックに立ち、今日の意気込みとコンディションを立ち振る舞いで表している。

 彼女の目に映ったのはその中の1人だった。

 パドックに現れてお決まりの動作をして、そしてパドックを去っていく、何の変哲もないウマ娘。

 その後パドックに現れた何人かを見てしばし黙考した後、日聖ミツヱは静かに口を開いた。

 

 「私は──────」

 

 

     ◆

 

 

 「ねえ。『シンザン』って君だよね」

 

 シンザンがパドックの裏に控えて自分の順番を待っていた時、不意にそう話しかけられた。

 何の用だろうとそちらを見れば、そこにいたのは顔見せを終えて戻ってきた黒鹿毛のウマ娘。枠番で言えばシンザンより1つ前に位置している彼女は、シンザンに気さくに笑いかけてきた。

 

 「話すのは初めてだね。アナウンサーも言ってたけど、私、ヤマニンスーパー。よろしく」

 

 「ん、よろしく。急にどうしたんだい?」

 

 「いやさ、お互い人気が低いから少し親近感湧いちゃってさ。君はここまでの戦績もいいみたいだから、この人気についてはどう思ってるのかなって」

 

 「うーん。確かに今までは1番人気とか2番人気になってたけど、特に何も思わないねえ。どうせ最後にはあたしが1番だって気付くんだし」

 

 「あははっ、強いね君! まあそういう私は『そうでもない』んだけどさ。ここまでの戦績も特筆するようなものは無いし、特段トレーニングの調子が良かった訳でもないから。だから8番人気って結果は妥当ではあるんだけどさ」

 

 あはは、と軽く笑うヤマニンスーパー。

 自分の立ち位置を諧謔的に話してみせる彼女に対して、結局何が言いたいんだろうと疑問に思い始めた時、彼女は糸のように細く目を開いた。

 

 

 「腹が立つよね。どいつもこいつも」

 

 

 形だけは笑みに似る。

 しかしその表情に明るいものはない。

 薄く吐くように滑り出てきた言葉は、春の陽気を掻き消すような寒気に満ちていた。

 

 「誰も私の名前を呼ばない。名前が出たと思えば『厳しそう』とか『勝てないだろう』とかさ。私の何を知ってるんだろうね? それを決めるのは他人じゃなくて私だっていうのに」

 

 笑わない笑みのまま彼女は肩を竦めた。

 動作の雰囲気の軽さに反して彼女の腹には黒いものが燃えている。フレンドリーな初会から直滑降するような急激な落差に軽く仰け反るシンザンだが、ヤマニンスーパーにそれを気にした様子は無い。

 

 「最後に結果で分からせればいいっていうのは心底同意だよ。人気の序列は絶対じゃない、他人が決めたただの数字。私は私より上にいる奴を、皆から望まれてる奴を全員食ってやるつもりでいるからさ。もちろん君も含めてね」

 

 単にパドックの順番が自分の次だったからなのか、あるいは勝つのは自分だという平然とした自意識を感じ取ったのか。

 自分より人気のあるウマ娘も多くいる中で彼女が何故それをシンザンに言ったのかは分からないが、皐月賞を見据えて意気込む面々の中でただ1人平静な顔をしていたのが逆に目立っていたのかもしれない。

 言いたいことを全て言い切ったヤマニンスーパーは、歩き去るすれ違いざまにシンザンの肩をポンと叩いた。

 

 「お互い頑張ろ。以上。宣戦布告でした」

 

 

 

 「・・・・・・ふへえ」

 

 解放されたシンザンの口から無意味な息が漏れる。

 メイクデビュー後にウメノチカラに迫られた時とは違う、怒りではなく憎しみに近しい感情の矢印。

 ふと感覚に違和感を覚えて自分の腕を見る。

 皮膚が粟立っていた。

 ヤマニンスーパーに()()()()()のだと気付く。

 

 (ああ。トレーナーさんが言ってたのはこれかい)

 

 腕を摩って鳥肌を消しながらそう思う。

 勝利への執念。格上を殺し得る刃。

 あれを自分に手に入れさせる為にトレーナーは腐心しているのだ。

 向けられた(きっさき)、その鋭さは、掴めたはずの頂点を見送る事になった自分の鬱憤とどちらが上か。

 彼女の牙は言葉通りに自分を食らう力を持っているのだろうか──────

 

 

 「うん。どうという事はないかな」

 

 

 『続いて3枠3番、シンザン。6番人気です』

 

 彼女の炎に確かに波立たされた自分の心にその答えを求めたシンザンは、ただ一言だけ結論を残してパドックへと歩みを進める。

 『連勝はここで止まる』。『この面子に休み明けで勝つのは不可能だ』。漏れ聞こえてくるそんな声。

 誰も自分の勝利を想像していない。

 初めての東京レース場。初めての重賞。

 緊張は、無かった。

 

 

 「パドックじゃ驚きましたよ」

 

 パドックでの紹介を見届け、観客席の最前列でレースの開始を待っているトレーナーの横で、一眼レフのシャッターを鳴らしながら沢樫(さわがし)静夫(しずお)が問いかける。

 

 「初めてのレース場に初めての重賞だというのに、まるで(ヌシ)のような落ち着きっぷりだ。トレーナーの目線から彼女の調子は如何(いかが)です?」

 

 「いつも通りですよ。場所や状況に左右されないメンタルの太さは彼女の強力な長所です」

 

 「成る程、環境の変化に敏感なウマ娘にとってその強みは大きいですな。・・・・・・しかし、今日という日に『いつも通り』というのは大丈夫なんですかい?」

 

 含みを持った言い回しをした沢樫の口調は厳しい。

 記者として長年レースに関わってきた彼の知識と分析力は、シンザンが苦境に立たされていることを誰に聞かずとも理解しているのだ。

 自分が分かっているのならお前も分かっているはずだろうと言わんばかりに、それに対する答えを求めるように沢樫は言葉を続けた。

 

 「このレースは謂わば皐月賞の前哨戦、強力なライバル達もコンディションを上げて挑んでくる。トレーニングもほぼやらず前走からの2ヶ月間の殆どを休養に充てたのであれば、シンザンさんは最低でも絶好調でなければならない。

 それにその筋の噂によれば・・・・・・何でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「・・・・・・あなたの耳の良さの詳細には触れないとして、休ませてばかりだった訳ではありませんよ。

 それにシンザンは特殊なタイプだ。必ずしも追い切りを必要とせず、自分自身のペースを保つ事でコンディションを維持するんです」

 

 話を聞きながら手帳にメモを走らせる沢樫。

 トレーナーはただ真っ直ぐにゲートに収まっていく出走者たちを見つめていた。

 知らず知らず握り締めた拳。

 緊張に少しだけ震えた声は、この喧騒の中では流石にウマ娘の耳にも届かない。

 ただ彼は自分に言い聞かせるように、殊更に強く言い切った。

 

 「状態は最高。ならば勝ち切れる。・・・・・・自分はそう信じています」

 

 

 「シンザン」

 

 ゲート入り直前、ウメノチカラに声を掛けられた。

 真正面に立ち塞がって腕組みをし、闘志の炎を瞳に滾らせている。

 眉間の皺や引き結ばれた唇、険しい表情と相まってさながら仁王像の風情だった。

 ブルタカチホに続く2番人気という本命に推されている彼女は、ここに来てもまだ平然とした顔をしているシンザンを射殺す強さで睨む。

 

 「お前のメイクデビューからずっとこの時を待ち焦がれた。お前に勝ちを譲られたことを知った屈辱、今まで忘れたことはない」

 

 「あたしもさ。朝日杯を見送った時から、あんた達に勝ちたくてしょうがなかった。だけどどうかね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 「言われずとも分かっている。私は実力者たち全員を相手に1着を獲るために鍛えてきた。

 私の復讐とはその結果として付随するものに過ぎないが、そこには何よりの意義がある」

 

 そう言ってウメノチカラは目線を切る。

 突き付けられた言葉は過去に地下道で口にしたものと同じだが、込められた熱量に一切の衰えはない。

 ゲートに向かう彼女の背中には、確かに執念の鬼が見えた。

 

 「手を抜く余裕は与えない───お前を負かすぞ。宣言通りに」

 

 

 『全ての出走者がゲートに収まりました。第13回スプリングステークス、いよいよ始まりの時が迫っております』

 

 ちらりと隣を見る。

 ヤマニンスーパーが静かにその瞬間を待っていた。

 逆側を見る。

 一つ飛ばした隣の隣には気迫を放つウメノチカラ、その向こう側の観客席に自分のトレーナーが見えた。

 表情が固い。

 彼は理事長との賭けをシンザンに打ち明けてはいないが、シンザンがそれを盗み聞きしていた事を知らない。彼女のペースに不安要素を入れないための配慮なのだろうが、シンザンとしては要らぬ心配だった。

 何故なら自分の不安など、あの日の河川敷で全て取り払われてしまっているのだから。

 シンザンは小さく笑みを浮かべて正面に向き直り、そして感情の波と表情が消える。

 いつもの集中、極限のコンセントレーション。

 違う事と言えば、意識をレースに向ける直前に少しだけ独り言を呟いた事くらい。

 

 

 「楽に待ってなよ。いつもみたいに勝つからさ」

 

 

 『スタートです! 各ウマ娘一斉に走り出しました、シンザン非常に良い走り出し!! 早くも先団の好位置に取りついた!!』



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15話

 歓声と共にレースは始まった。

 一斉にゲートから弾き出されたウマ娘達がターフに無数の跡を刻んでいくが、この時早くも予期せぬアクシデントが発生していた。

 タイミングの違いはあれど皆が淀みなく走り出す中で、1人のウマ娘がゲートから出た瞬間にもつれるようによろめいた。

 

 「きゃ・・・・・・っ!?」

 

 『おっと4番人気トキノパレード少し出遅れた、やや後方からのレースであります! 気負いのせいか否か全体的にバラついたスタートですがハナを奪ったのはブルタカチホ! 先頭を軽快に飛ばしていく!』

 

 これはついている。

 実況を聞いたブルタカチホは心の中でガッツポーズをした。

 スタートが遅れれば集団に追い付くまでにより体力を消耗し、そこから良いポジションを確保するのも難しくなる。

 更に全体的にスタートがバラついていた────出遅れが多発していたという事は、それだけ多くのウマ娘から精神的なゆとりが削がれていたと考えていい。

 だからブルタカチホは咄嗟に逃げを打ったのだ。

 出遅れた者たちで後方のポジション争いは激化するだろう。そんな中で序盤から先頭を飛ばしていく者を見れば、彼女らはより焦って脚を消耗してくれるかもしれない。大切なレースの初手で躓くというミスの大きさを考えれば充分に期待していいレベルだ。

 ただし、そのまま他のメンバーを振り捨ててゴールという青写真を描くにはまだ早い。

 チラリと後ろを振り返れば、出遅れなかった者たちの視線がしっかりと自分に突き刺さっている。

 2番人気のウメノチカラや3番人気のアスカなど安定した実力者たちがしっかりと追走してきている中で、彼女の目には1人の鹿毛のウマ娘が異質に映っていた。

 

 (シンザン。やはり油断出来ませんね)

 

 話に聞くだけで実際に見るのは初めてだったが、同じ出走者として見る彼女のスタートの上手さは凄まじいものだった。

 トレーナーや先輩の話によれば、スタートが上手いウマ娘とは()()()()()ウマ娘であるらしい。

 闘争心に逸り過ぎても体勢が整わない。

 かといって呑気なだけでは反応が遅れる。

 閉所への苦手意識と勝負に対する闘争心、2つの本能を上手く制御して集中力を保てるウマ娘がゲートに、ひいてはレースに強いのだという。

 その観点から見ればシンザンは抜群に強い。

 パドックでの落ち着きっぷりからのこのスタートは、彼女が泰然と構えつつも高い闘争心を保っている証拠。

 故に彼女は冷静に考えているはずだ。

 自分がどこをどう通ってどのタイミングで脚を使うべきか、自分が勝つための道筋を。

 

 他に目立った強者がいなかったとはいえ4連勝を記録しているシンザンのフィジカルに、朝日杯で大外枠というハンデを背負いながらも1番人気のカネケヤキを退け勝利したウメノチカラの末脚。

 あとは阪神ジュニア級(ステークス)2着の実力者アスカ、他も油断はならないが目下の脅威はこの3つ。

 序盤にスタートに失敗した者たちも、遅れを取り戻すためにペースを上げてきた。

 

 「あーもう最悪、サイアクッ!」

 

 「待てこらぁっ!!」

 

 叫んだのはジュセンとアイエルオー。

 その他の後発組も得意のポジションに着こうと続々と先行したウマ娘たちに追い付いてきた。

 ブルタカチホと2番手との差も縮まってきたが、今のまま逃げに固執する必要はない。

 ポジショニングにさえ気をつけていれば、この段階で抜かしてくれても大いに結構。背後の様子を確認した彼女は少しずつ脚色を緩めていく。

 良い位置と順位を保てている以上、脚を残しておくためにはここで余計な力を使う訳にはいかなかった。

 

 

 「皆焦ってますな。流石に『皐月賞』のトライアルレース、実力者揃いながら気負っている子が多い。これは荒れそうだ」

 

 「その点は安心して見ていられますよ。シンザンにはプレッシャーを受け止める大きな度量がある。少なくとも自分の走りを乱される事はないでしょう」

 

 バラついたスタートを見て難しい声を出した沢樫とトレーナーはそんな会話をしていた。

 第2コーナーを過ぎた直線でペースを上げ先頭に立った栗毛のウマ娘を見て、トレーナーも同じくらい難しい声色で状況を分析する。

 

 「とはいえ油断は出来ません。いま先頭の彼女・・・・・・ブルタカチホは実にクレバーにレースを進めていますよ。さすが弥生賞でほぼ同着1位なだけはある。彼女は今、後ろを確認して作戦を逃げに変えた」

 

 「ああ、彼女には取材しましたよ。用心深く殆ど答えてはもらえませんでしたが、相当作戦を練っているようですな。果たしてあのまま逃げ切りを狙っているのかどうかも・・・・・・」

 

 『後方のウマ娘達がペースを上げ中段が詰まって参りました! 現在先頭はブルタカチホ、2バ身開いて2番手はアスカ! ほぼ横に並んでウメノチカラとホマレライサン、5番手シンザンここにいた!

 ヤマニンシロと入れ替わって6番手はアカネオーザ─────』

 

 「そろそろですな」

 

 ウマ娘達の順位を実況が振り返っていく中で、2人は彼女らが駆けていくコースの先を見ている。

 そこにあるのは芝の坂道。

 どこのレース場にもあるコースの起伏だが、ここ東京レース場の坂道はかなり厳しい作りになっている。

 走ることそれ自体を否定するような2つの障害だ。

 

 「ええ。東京レース場の最初の洗礼です」

 

 今日という日を見据えて作戦を立てたウマ娘は、この坂道の攻略に随分と頭を悩ませただろう。

 そう頷いたトレーナーの視線の先で、ウマ娘たちの前に1つ目の難関が聳え立っていた。

 

 『さあ向正面第3コーナー手前、各ウマ娘たちが最初の坂に差し掛かりました!』

 

 「ふっ・・・・・・!」

 

 鋭い呼気と共にウメノチカラは坂道での最初の一歩を踏み込んだ。

 歩幅は小さくして脚の回転を上げる。

 『ピッチ走法』という加速力に優れ上り坂でも速度を落とさない走り方なのだが、脚を多く動かすぶん体力の消耗が大きい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 下りなら楽というのは嘘だ。脚にかかる体重の負担は上りを上回る。

 ここをどう攻略するかはそのまま勝敗に影響するだろう。何せ越えなくてはならない上り坂は、これ1つきりではないのだから。

 

 (いかんな。意識し過ぎている)

 

 後ろを振り返っていたウメノチカラは視線を戻して自省した。

 見るべき後続の様子よりも先にシンザンの位置を確認してしまったからだ。

 後続はペースを上げて追いつこうとしている。

 ハナを進むブルタカチホも流石にこの坂で脚を緩めており、結果として自分との差は縮まっていた。

 全体的にバ群が固まってきている。このままいけばコーナーでバ群が団子状態になるかもしれない。

 

 (となれば今の好位置はキープしておきたい)

 

 東京レース場の直線は長く幅も広い。上手く外に持ち出す事が出来れば開けたコースを憂いなく走れる。

 坂を登り切り第3コーナーに入る下り坂に入ったウメノチカラは後続の様子を確認しつつ内側へと舵を切り、最も距離を節約できる経済コースに近い場所を抑え気味に走る。

 前との差を詰めつつポジションを維持するために速度を緩めず坂を登った分の体力消費をここで賄おうという狙いだ。

 他の者も坂道でスピードダウンするため、抑えてスタミナを節約する余裕はある。

 ─────このコーナーは距離と体力を節約し、第4コーナー終わりから外に持ち出して仕掛ける。

 ここまではまずまずの調子でレースを進めている。余程のアクシデントが無ければ良い形でラストスパートに入れるだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分の後方、実況によれば5番手を追走しているらしい鹿毛のウマ娘が、自分の中でジワジワと存在感を増していくようだった。

 

 芝1,800メートル、残す距離はあと三分の一。

 八大競走に向けたマイル戦は一気に加速する。

 

 『第4コーナーを回って直線に入りました! 先頭は依然ブルタカチホ! アスカが徐々に進出を開始、ウメノチカラは外を回る! 東京レース場最大の関門に向けて各ウマ娘一斉にスパートをかけました!!』

 

 いよいよ勝負所が近い。

 坂を上り下りしつつ1,400メートルを駆け抜けた脚に襲いかかるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これが最後の、そして最大の難所。

 ただ一周するだけでも急な坂道を2度も越えなければならない、何よりもタフネスを要求されるのがこの東京レース場なのだ。

 脚の具合はどうだ。体力はどうか。

 今の状態で前を抜けるか?

 そう己に問いかけて、そして答えは瞬時に返る。

 

 問題ない。行ってみせると。

 

 「貰うぞ、一着・・・・・・!!」

 

 「行かせない!!」

 

 ウメノチカラとアスカ、好位置で脚を溜めていた2人が一気に速度を上げる。

 標的は未だ先頭のブルタカチホ。

 仕掛けたウメノチカラに呼応して加速したアスカに追い立てられるように彼女も速度を上げた。

 目指す先は500メートル先のゴール板、その手前に立ちはだかる急坂の関門。

 相手に先んじる事を目標とするレースにおいてもそこを通る瞬間だけは自分との戦いになるだろう。

 いよいよ来たる試練に向けて、彼女たちは己の脚と心臓を破裂させる覚悟を決める。

 脇目は振らない。

 ただ前だけを見て彼女らは走る。

 ブルタカチホやウメノチカラがそれに気付いたのは、猛烈な勢いで迫ってくる足音が聞こえたからだ。

 

 

 

 『いいか。このレース場には難所が2つある。第3コーナー前の上り下りと、ラスト400メートルから始まる上り坂だ』

 

 『どちらも2メートルの高低差がある急坂だ、普通に駆け上がるのは難しい。ピッチ走法を使って上るのが無難だな。

 学園内に東京レース場を再現したコースがあるから、邪魔にならないよう人が少なくなった時間にコースを歩くなりして走りのイメージを固めるといい。蹄鉄無しに走るのは危険だぞ』

 

 『がっつりスタミナを持っていかれる関門が2ヶ所もある以上、どこを走るかは体力の残り方に大きく関わってくる。それを理解して気をつけて走っても大概のウマ娘はこの最後の上り坂で一杯になるんだ。

 だから注意すべきは「位置取り」と「ルート選択」。全員が同じようにロスを減らそうとする中で最善を勝ち取り続けるのは難しいだろうけど・・・・・・』

 

 『そこを誤らなければ、最終直線─────お前のスタミナと足腰でブチ抜けるはずだ』

 

 

 2ヶ月前、そんなアドバイスと共に「どれだけ役に立つかは分からないけれど」と手渡された資料の分厚さには驚いたものだった。

 まずは直線やコーナーの長さ、勾配の長さや角度などが詳細に記された東京レース場の図解に書き込まれたどう上ってどう曲がるかの注釈の群れ。

 加えて出走者全員の現時点での走り方や特徴から導き出したいくつものレースの展開予想と、それに合わせたいくつもの自分のレースプランなどなど。

 トレーニングを手放さねばならない程の案件に手をつけていながらこれだけの情報を纏めるのにどれだけの労力と負担があったのか、自分が想像できる日は来ないのかもしれない。

 

 ならば報いなければならない。

 他の何より勝利を望む彼に応えねばならない。

 しかしそれにもう1つ。勝利を勝ち取るモチベーションに、恩義に負けない位に燃える想いを付け加えるとするのなら。

 

 「手前(てめえ)(めくら)を教えてやるよ」

 

 

 憎い(かたき)を踏み潰すように。

 蹄鉄を噛ませた芝の道を、シンザンは全力で後ろへと蹴り飛ばした。

 

 

 残り400メートル地点を通過、いよいよ最後の上り坂。肩を併せてブルタカチホに迫っていたウメノチカラとアスカの横を、鹿毛のウマ娘が抜き去った。

 大きな足音だ。それに見合う大きな加速だ。

 目を見開いた2人を一顧だにせず彼女は背中を着実に遠ざからせていく。

 外から見ていた観客達も驚愕するような末脚、その主の名は実況の口から飛び出してきた。

 

 ただし。

 実況が叫んだ名前は、ウメノチカラ達の目を見開かせたのは、彼女1人だけではない。

 

 

 「ねえ。私の名前忘れてたでしょ」

 

 

 特定の誰かに向けたものではないのだろう。

 しかしその一言は、一塊になって響き渡る足音の中でも静かに耳に滑り込んできた。

 

 『ここで来た、ここでシンザン上がって参りました! ウメノチカラとアスカを交わして6番人気シンザンは現在2番手!!

 そしてその後ろをヤマニンスーパー追走!!

 ()()()()()()()()()()!!!

 飛び出した2人が東京レース場の上り坂を力強く駆け上がっていきます!!』

 

 

 ─────言ったはずだよ、全員食うって。

 レース前の言葉を実現するかのように。

 静かに牙を研いでいた伏兵が、今こそ大物喰らいを成し遂げんと反骨精神の(こうべ)を上げた。



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16話

 「ヤマニンスーパー!? 8番人気の娘か!?」

 

 「凄い走りだ、これはもしかするぞ!」

 

 「だけど見ろ、シンザンだ! それでも────先頭に立ったのはシンザンだ!!」

 

 登り坂に入ると同時に、ハナを進んでいたブルタカチホをシンザンが交わす。

 歩幅を狭めて足の回転を速く。登り坂で速度を落とさないために誰もが使うピッチ走のテクニックだが、この急坂で速度を落とさないどころか加速していく彼女の走りにブルタカチホは目を剥いた。

 本当に最初の坂を越えた後なのかと疑うような足の回転数。

 戦略通りに脚を残せたのかそれとも元々のスタミナが潤沢なのか、どちらにせよ他の者から見れば絶望のスパートだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 同じようにブルタカチホを交わしてシンザンの背中を追う。

 そしてブルタカチホに迫る危機はまだ終わらない。彼女の背中のすぐ後ろには、ウメノチカラとアスカが肉薄しているからだ。

 

 「くうう・・・・・・ッッ」

 

 殆ど肩を並べて走っている2人がとうとうブルタカチホを追い抜かす。彼女も懸命に差し返そうとするが、その脚は骨が鉛に差し代わったかのように重い。

 もっと早く、もっと速く。焦げ付くような焦燥にも鍛えてきたはずの脚は応えてくれなかった。

 ───東京レース場の最後の関門、心臓破りの坂。

 大概のウマ娘はここで一杯になる。

 1番人気にまで推されたブルタカチホも、それは例外では無かった。

 

 「くっそぉぉぉおおぉぉおおおお!!!!」

 

 もう自分が先頭に追いつけない事を理解した彼女の口から、気位の全てを捨て去った咬牙切歯の叫びが飛び出す。

 実力が足りなかった訳ではないだろう。

 作戦の穴か分析ミスか、想定外の小さなほつれで結果が狂う。それがレースというものなのだ。

 それでも今の最良を目指して走るブルタカチホの横を、7番人気のツキホマレが追い抜いていった。

 

 そして残り200メートル手前で登り坂が終わる。

 ゴール板に向けての僅かな直線、先頭はシンザン。

 平坦な道に足を付けた彼女は身体を低く沈め、2着以下を引き離すために更に加速した。

 ウメノチカラとアスカは交わした。

 ブルタカチホも引き離した。

 だけど足音が1つ、意地でも遠ざかっていかない。

 全員食ってやると言い放った彼女の執念が本物であったことを、シンザンはハッキリと理解した。

 

 『さあ残り200メートル抜け出したのはシンザン! そしてヤマニンスーパーが先頭のシンザンを追いかける!! ヤマニンスーパー差し切れるのか、シンザンとの差は1バ身!!!』

 

 「ぅぁぁぁあああああああッッッ!!!」

 

 吼えたのはヤマニンスーパー。

 必死の形相で身体に鞭打って先頭の背中を追う。

 ちらりと後ろを見たシンザンは、追いかけてくるヤマニンスーパーの様子をハッキリと認識した。

 フォームは疲労に崩れる寸前、口を割って走る様は2度の坂道に彼女の体力が底を尽きかけているのを如実に示している。

 それでも火はまだ消えていない。

 細胞の一粒まで燃やし尽くすような執念がシンザンの背中を炙っていた。

 

 「いけるか!? 差せるかヤマニンスーパー!?」

 

 「いや駄目だ!! シンザンが全然バテてない!!」

 

 『ゴールまで残り僅か、先頭は依然としてシンザン! 3番手争いはウメノチカラとアスカがほとんど横並び!! ヤマニンスーパー根性を見せるがどうだ!? 先頭には届かないか!?』

 

 (・・・・・・これ程か)

 

 遠い。

 先頭までの、宿敵までの距離が絶望的に遠い。

 1番前を走っているシンザンの背中に、ウメノチカラは必死の思いで手を伸ばす。

 晴らせなかった怒りが腹の底で地団駄を踏んだ。

 気合いや決意ではどうにもならないゴール前、自分と彼女の間に3バ身という絶対の距離が冷酷な真実として横たわっている。

 

 (これ程の差が、今の私とあいつの間にはここまでの差があるというのか・・・・・・!!!)

 

 少しだけ振り向いた背後には様々な顔が見えた。

 必死の形相で追ってくるヤマニンスーパーに悔しさに叫び出しそうなウメノチカラ、その隣で彼女だけでも抜かそうと歯を食いしばるアスカ。

 どれだけ皆が勝とうとしていたかが分かる。

 どれだけ悔しいのかは分からない。

 勝利に向ける彼女らの想いは、あるいは自分より強かったのかもしれない。

 そしてシンザンは自分の後ろから目線を切った。

 自分は今から、自分の理由に基づいて彼女らの想いを踏み潰す。

 ただ目の前にあるラインだけを見据えて、シンザンは彼女らの執念を振り切った。

 

 

 「あたし、まだあいつを笑わせてないからさ」

 

 

 『シンザン先頭で今───ゴールイン!!

 およそ2分の1バ身差でヤマニンスーパー2着、3バ身離れて3着はウメノチカラ!!! ほとんど並んでいたアスカはアタマ差で4着!!

 1着はシンザン!!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 着差以上の実力を遺憾なく見せつけました!!!』

 

 

 番狂わせであった。

 観客席から大歓声が上がる。

 正に下評が覆された賞賛の嵐はどよめきにも似ていた。

 先頭でゴール板を踏んだシンザンは力を抜いて速度を緩め、後続とぶつからないようにメインスタンド側に退く。息も絶え絶えなヤマニンスーパーが力尽きるように芝に転がった。

 1バ身にも満たない着差。

 あるいは届いていたかもしれない距離。

 しかし届かなかった───全身全霊を以てしても。

 悔しさに食い縛った歯の隙間から喘鳴を漏らす彼女の耳に、しかしその声は届いていた。

 

 「凄かったぞヤマニンスーパー!!」

 

 「ウメノチカラにもアスカにも勝っちまったぞ! 2着でも大金星だ大金星!!」

 

 「頑張った頑張った! また次がある!!」

 

 自分の名前を呼んでいる。

 さっきまで自分を見てもいなかった奴らが、口々に自分を称えている。

 ヤマニンスーパーは燃料切れの身体を動かしてノロノロと立ち上がった。

 そして酸素の足りない肺腑で叫ぶ。

 勝利には力及ばずとも、確かに自分が見返してやった者たちへ。

 

 「ゲホッ、あんた達! 次こそ、見てなよ! ────次の、『皐月賞』!! はぁ、絶対、あたしが! 1着獲るんだから!!」

 

 

 「覚えてなさいよ。次は絶対、アタシがアンタをブチ抜くからね!」

 

 「・・・・・・ああ。受けて立とう」

 

 アタマ差で負かしたアスカからの宣戦布告に応えつつ、ウメノチカラは拳を握り締める。

 あの時のシンザンが本気では無かったのは分かっていた。分かっていたが、しかし────これ程とは。

 勝ちを獲りに来たシンザンがこれ程のものだとは!

 ウメノチカラは歯を食い縛り、煮湯のような敗北を胃袋に飲み下す。

 人気の序列は必ずしも実力と一致しない。

 シンザンは今の自分より強く、ヤマニンスーパーにも自分を負かすだけの力があった。それが事実だ。

 ウメノチカラは観客席の最前列にいた古賀(トレーナー)に苦い顔で結果を報告する。

 

 「申し訳ありません。1着を逃しました」

 

 「謝るな、お前は良く走ったじゃねえか。それに言っちまえばよ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。文句無しの結果だろ?」

 

 「・・・・・・・・・・・・、」

 

 「ま、納得いかねえよな。()()()

 

 眉根を寄せたウメノチカラに、古賀は思い切り歯を剥き出して威嚇するように笑ってみせる。

 ウメノチカラと同じ悔しさを感じているのだ。

 観客席の柵越しに彼女の両肩に叩くように手を置いた古賀は、胸を殴るように強い語気で彼女に言った。

 

 「獲るぞ『皐月賞』。俺達を負かした奴らに纏めてリベンジしてやろうじゃねえか」

 

 息が詰まるようだった。

 この大切な舞台で理解する。負けん気の強さで自分に売り込んできた彼は、本当に実際に走る自分と何ら変わらぬ覚悟と熱量を持っているのだ。

 ─────獲れる。この人となら。

 悔しさと確信を決意に変えて、ウメノチカラは力強く首を縦に振った。

 

 

 「やりました、やってくれましたな!! あんたの目と手腕は確かだった、この走りの強さは並大抵じゃあない!!早速インタビューさせてもらいましょうか、このレースで発揮された彼女の強みとはズバリ何でしょう!?」

 

 「ぜ、前面に出ていたのはやはり彼女自身のフィジカルで・・・・・・いや待って下さいこれは・・・・・・!!」

 

 腹を揺らしてはしゃぐ沢樫の横で、トレーナーはいつもの冷静さを失っていた。

 スプリングステークスとは5着以内に入ったウマ娘に『皐月賞』の優先出走権が与えられるトライアルレース。つまりこれでシンザンの三冠に向けた挑戦は盤石になった。

 だがトレーナーが昂っている理由はそれではない。

 心底からその走りに震えたのだ。

 2着との着差は2分の1バ身、数字で見れば差し切られていてもおかしくない距離。

 だがこのレースでそうなる事は有り得なかっただろうと確信がある。

 何故なら精魂尽き果てたヤマニンスーパーに対して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 強い。思った通りに、思った以上に。

 

 ──────()()()()()()()()

 

 未だ彼女を測り間違えていたという事実に、トレーナーの脳裏にある種大それた予感が浮かぶ。

 

 「トレーナーさん」

 

 シンザンが近寄ってきた。

 観客席の柵に腕と顎を乗せて、やはり最前列にいるトレーナーに薄く笑いながら問いかける。

 

 「勝ったよ。見てくれてたかい?」

 

 「・・・・・・ああ。見てたよ」

 

 「あたしが負けると思ってたかい?」

 

 「緊張はしてた。けど勝つと信じてたよ」

 

 「安心したかい?」

 

 「ああ。座り込んでしまいそうだ」

 

 「トレーナーさん」

 

 もう1度シンザンは彼を呼んだ。

 自分の後方斜め上を指差した彼女に少しだけ首を傾げた彼だが、直後に彼女が示しているものが何かを理解する。

 彼女が指しているのはモノではない。指差す方向に渦巻いている空気。

 分かりきった事をその口から言わせようとする彼女は、悪戯っぽさを含ませてトレーナーに問いかける。

 

 

 「あたしは強いだろ?」

 

 

 歓声はまだ止んでいなかった。

 興奮の叫びと口々にシンザンを褒め称える声が渦を巻き、奔流となって思わず振り向いたトレーナーの身体を叩いて飲み込む。

 凡百の言葉を圧し潰す問答無用の説得力に1つの答えしか許さぬと胸倉を掴まれる感覚に、トレーナーは思わず口角を緩めていた。

 

 「──────ああ。強いとも」

 

 彼は笑った。

 自分の走りで確かに笑わせた。

 自分の往く道を守り抜き、気に入らない奴の鼻っ柱を叩き折って、そして掲げた決意を叶えた。

 自分は全てを()()()()()

 全てを思うようにしたシンザンは、胸を満たす満足感ににんまりと笑みを浮かべるのだった。

 

 

 『それにしても波乱の展開となりました第13回スプリングステークス!

 シンザンにヤマニンスーパーにツキホマレ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という荒れ具合!! どうなる今年のクラシック戦線!?

 只事ではない何かを予感させるレースに期待が今から高まってまいりました──────!!』

 

 

     ◆

 

 

 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」」

 

 ところ変わってトレセン学園。

 テレビの前でそのレースを見ていた秋川さつきはあんぐりと口を開けていた。

 日頃の冷たく静まった様子からは想像もつかない愉快な表情だが、口に手を当て目を見開いている日聖ミツヱも大概レアな表情をしている。

 やがて頭の整理をつけた秋川さつきは、考え込むように視線を落としてブツブツと口の中で呟き始めた。

 

 「(周りの娘が弱かったというのは有り得ない。これはシンザンにとって確かに休み明けのレースだったはず。調子を維持する運動もせずどうやって身体やレース勘の鈍りを・・・・・・、いや完全に休息を取ったのがむしろ良かったのか・・・・・・? 身体的問題とやらがそれで解決されて・・・・・・)」

 

 しばし頭を回していた彼女だが、やがて思考を打ち切るようにソファの背もたれに身体を預けた。

 難しい顔をして唸った後、斜め後ろに控えている自分の秘書に独り言のように口を開く。

 

 「僕が予想したウメノチカラは3着。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。共にいい線は行ったが、勝ったのはシンザンだった。

 しかし何故あなたはヤマニンスーパーが1着だと?」

 

 「目です。感覚的な話になりますが、全員を食らってやろうという執念が画面越しでも彼女の目から伝わりました。ああなった者は恐ろしく強いのです。・・・・・・シンザンはそれを上回りましたが」

 

 「成る程、正に僕とは別種の物差しだ。・・・・・・そして僕もあなたも、彼女を自分の物差しで測ることは出来なかったという事か」

 

 はぁ、と秋川さつきは溜息を吐く。

 

 「彼の目は正しかった。理屈の捏ねようもなく彼女は強かった。才能を発掘する為にも彼にはチームを組んで欲しかったが・・・・・・認めざるを得ない。彼との賭けは、僕の負けだ」

 

 「正式な書面に起こしていない以上、立場を使って反故にする事も可能ですが」

 

 「鹿にしないでくれ、僕にも美徳というものがあるんだ。分かって言っているだろう」

 

 信頼する右腕から意地悪を言われた秋川さつきが日聖ミツヱを半目で睨む。

 それはそれとして()()()()()

 秋川さつきは口元に扇を当てて考える。

 『シンザンとのコンビを解消させて彼に新たなチームを発足させる』。その目論見が失敗に終わった以上、次善の施策をせねばならない。

 チームの発足はどうしても必要な事だ。

 しかしチームの発足を許可できる程に実力のあるトレーナーはそう多くないし、そのトレーナー達もチームを持つ事を望むとは限らない。1人に集中した方が良い結果を残してやれると考える者は多いのだ。

 1番の()()がシンザンとのコンビを継続する事になった以上、他の人材をどう『その気』にさせるべきか─────・・・・・・

 

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 ぱちり、と目を開く秋川さつき。

 しばし脳内で浮かんだプランを反芻した後、彼女はソファから(おもむろ)に立ち上がった。

 何かのアクションを感じ取り命令を待つ日聖ミツヱに、秋川さつきは端的に指示を飛ばした。

 

 「府中に向かう。車を回してくれ」

 

 

     ◆

 

 

 「いや、大盛況だったね。重賞に勝つってこんなに持ち上げられるもんなんだ」

 

 「持ち上げられるとも。特に無敗の5連勝でスプリングステークスを勝つなんて凄まじい事だぞ」

 

 ウイニングライブでこぶしを唸らせ、沢樫が騒ぎまくっていたインタビューも大盛況。

 全てが上手く幕を下ろして上機嫌なシンザンとトレーナーは、楽しそうな声を車内に弾ませながら一泊するホテルへと向かっていた。

 トレーナーもいつになく饒舌にシンザンを褒めているが、彼としては最も胃の痛かった問題が最良の形で解決したのだ。気が大きくなるのは当然と言える。

 

 「でもシンザン。ウィナーズサークルのインタビュー、何であんなに蹄鉄の話をしてたんだ? 俺のイチオシというのはともかく会社の名前まで出して、あれじゃまるで営業だぞ」

 

 「んー? ちょっとね。しかしワクワクするね。次は無敗の6連勝で皐月賞を獲るんだよ? 今日以上の拍手喝采を浴びるんだ。トレーナーさんも楽しみだろ」

 

 「ああ、もうビッグマウスとは言えないな。そんな記録はコダマ以外に見たこと痛って何で蹴ったお前」

 

 「自分で考えなよ」

 

 そして駐車場に辿り着いた彼らが車から降りてホテルに入ろうとした時、自分達の前に現れた2つの人影にトレーナーは思わず硬直した。

 秋川さつきに日聖ミツヱ。

 学園にいるはずのツートップがそこにいた。

 思わずシンザンに被さるように前に出たトレーナーは硬い声で彼女らに問う。

 

 「・・・・・・わざわざここまで何の御用でしょうか」

 

 「そう警戒しないでくれ、悪い知らせを持ってきた訳じゃない。ただ私達は言動に対する筋を通しに来ただけだよ」

 

 そう言って秋川さつきと日聖ミツヱは頭を下げた。

 ただ首を前に倒すのではない。腰を直角に曲げる、謝罪としては最大限の謝意を示す所作だ。

 思わず仰け反ったトレーナーに対して、秋川さつきは静かな声で廉頗負荊(れんぱふけい)を口にした。

 

 「申し訳ない。私は目が見えていなかった。彼女が、シンザンがこれ程の大物だと・・・・・・私は全く考えていなかった」

 

 「あれえ? 頭が随分と低い位置にあるね。目が見えなくて足元が覚束無いのかい? もっと下げた方がよく見えるんじゃないのかい」

 

 「お前は事情も知らないのに何でそう煽れるんだ」

 

 顎を上げて台本でも用意していたのかというような舌鋒を振りかざすシンザンを逆に諌めるトレーナー。

 何も言い返せず黙るしかない立場ではあるが2人の手の指がピクリと震えるのを、彼は背筋が凍る思いで見ていた。

 「帽子も脱げよつむじが見えないだろ」とすら言いかけたシンザンの口をトレーナーが大慌てで塞いだ時、頭を上げた秋川さつきが気を取り直すように咳払いする。

 

 「それともう1つ。君は僕との賭けに勝利した訳だが、ここで僕から1つ提案があるんだ」

 

 「提案、ですか?」

 

 「うん」

 

 トレーナーのオウム返しを端的に肯定した秋川さつきは広げた扇で口元を隠す。そしてトレーナーを流し目で窺いつつ、彼女は飄々と言ってのけた。

 

 「新入生を交えたチームを組んでみる気はないかい? 加入の合格ラインの設定は君に一任するよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ」

 

 ・・・・・・図太い。あのやり取りの後でこの台詞。

 向こうも本気で引き受けてもらえるとは考えていないだろうが、取れる選択肢は全て拾おうという行動力を感じる。

 この女性が若くして学園のトップに立てている理由をトレーナーはまた1つ垣間見た気がした。

 返事は変わらない。

 言った通りに辞退させて頂く。

 チームは組まず今後もシンザンとのマンツーマンを続けていく意思を伝えようとしたその口は、しかしシンザンによって遮られた。

 

 「悪いね。そいつは無理ってもんだ」

 

 横からトレーナーの襟首を掴んだシンザンが、ぐいっと服を引っ張ってトレーナーを自分に近付ける。

 いきなり身長より低い位置に引っ張られてよろめくトレーナー。

 くっつくような近さまで彼を隣に引き寄せた彼女は、勝ち誇るような顔で学園の理事長とその秘書に言い放った。

 

 

 「他が割って入る隙間は無いよ。何せこいつ、あたしにゾッコンなもんで」

 

 

 

 

 

 前哨戦は斯くして終わる。

 勝利を掲げた唯一人と煮湯を飲んだ他全て。

 感じた全てを胸に秘め、見据える先は4月の舞台。

 『桜花賞』と『皐月賞』。

 全ての競走ウマ娘が焦がれる八つのレース─────まずはその2つが、闘志を燃やす彼女らを迎え入れようとしていた。



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梅と欅は深山に在り
17話 : 皐月の桜は卯月に開く


 目の前にあるのは酒である。

 そして彩の良い肴である。

 古今東西で祝いの席の定番といえば凡そこれだろうが、居酒屋の座敷に座る彼ら4人の前に並んだそれらは中々に豪勢なものだった。

 有名な銘柄の酒がどどんとテーブルに並び、いくつもの皿に盛られた料理から漂う香りはどれも只事ではない酒との相性を予感させる。

 前述の通りこれは祝いの席である。

 とあるウマ娘の劇的な勝利と同僚たちの躍進を祝う、実にめでたい酒の席である。

 

 「・・・・・・えー、それでは僭越ながら自分が音頭を取らせて頂きます」

 

 酒と料理が出揃ったタイミングで、4人の内の1人がこほん、と1つ咳払いをしてから慇懃な口調で切り出した。

 他の3人の注目が集まったのを確認してから彼はグラスを3人の前に掲げ、用意していた祝辞を述べる。

 

 「我が担当ウマ娘シンザンのスプリング(ステークス)勝利、並びにチーム《スピカ》《リギル》《カノープス》の発足を祝しまして─────乾杯!!」

 

 それに応える者は誰もいない。乾杯の声が返ってくることも、グラスとグラスがぶつかる音も何もない。

 ただ他の客から聞こえて来る笑い声や喧騒が彼らを虚しく包んでいた。

 3人はジトッとした半目の視線で空回りしている彼を睨みつつ、口を揃えて同じ内容の文句を垂れる。

 

 

 「「「お前(貴方)の皺寄せを食らってるんだが(だけど)?」」」

 

 「正直すまんかったと思っている」

 

 

 同僚の友人たちに率直に頭を下げるトレーナー。

 誰にとっても良い報せによる集まりであるはずのささやかな宴会は、びっくりするほどの居心地の悪さから始まった。

 

 

 トレーナーによるチームの発足。

 それは複数のウマ娘を担当してもトレーニングの質を落とさないだろうと見込まれた者にのみ許可が降りる、謂わば『敏腕』という学園理事長からのお墨付きだ。

 チームを立ち上げれば未所属の有望株に対して顔が売れる・大掛かりな施設を優先的に予約できるようになる・給金が相応に増えるなど公私共に恩恵が増えるし、自分の経歴にも箔がつく。

 もちろん仕事の量も大きく増えるが、それらを理由に『トレーナー』という職に就く者として自分のチームを発足させることを夢見る者も多い。

 

 じゃあ何で彼らが渋い顔をしているのかというと、そのチームの発足が自分の意思ではなく、このトレーナーの行動の結末が被弾した結果である為だ。

 

 賭けに勝利してシンザンとの二人三脚の続行を勝ち取った彼だが、秋川さつきの思惑はそこでは止まらなかった。

 彼女はあの日の翌日にはここにいる3人・・・・・・古賀や桐生院らを呼び出して、()()()()()()()()()()()()()()()

 そもそもにおいてトレセン学園は慢性的なトレーナー不足。『彼に断られた以上、君たちにやってもらわないと行き場のない生徒たちが溢れてしまう』という理事長の言い分は理解できる。

 できるのだがシンザンのトレーナーが突っぱねたお鉢を受け取るという立ち位置は気に食わないし、何より担当ウマ娘がこれから本格的にクラシック戦線に挑もうという時期に普段のペースが乱れかねない状況になるのは望ましくない。

 それを理由に断ろうとした瞬間に、秋川さつきが

 

 『そうそう、彼は断りはすれど出来ないとは言わなかったよ』

 

 などと煽ったものだからさあ大変、ライバル視している者と比較され意地でも断れなくなった彼らは無事に各々の新チームを発足する運びとなった。

 人選の基準は『チームを組むに値する実力』かつ『彼に対抗意識を持つ』者。

 秋川さつきはシンザンのトレーナーという逃した本命を利用して、他の優秀な候補者達を思う通りに動かしたのである。

 

 「そりゃ必要なのは分かってたからいつかはと思ってはいたけどな。お前が駄目だったから俺達みたいな流れが気に食わん」

 

 「というかシンザンとの契約は続行されたのだから貴方もチームを組めばよかったでしょう。いつまでマンツーマン指導を続ける気なのよ」

 

 「ついでに自分の担当の成績まで祝辞に突っ込みやがったのも腹立ちますね」

 

 「祝いの席でここまで責められる事あるか???」

 

 「とはいえ、だ。ウメノチカラが負けたのは業腹だが、あの女王の鼻を明かすとはやるじゃないか」

 

 皮肉そうに頰肉を曲げて笑いトレーナーを称賛した古賀は、そこから打って変わって難しい顔で唸りつつ髭の残る顎を撫でる。

 

 「今回の件で改めて感じたが、やはり彼女の采配は人情に欠ける。トップとして有能には違いないが、俺は好かんな」

 

 「素質と実力に見合った相手を。理事長の方針に間違いは無いんでしょうけど、古賀(あなた)みたいなトレーナーとの相性は悪いでしょうね。よく結果で判断させるまで譲歩を引き出せたものだわ」

 

 「日聖さんが助け舟を出してくれただけだよ。後はシンザンが勝っただけ。俺は何もしていない」

 

 「何もしてねェ奴が勝たせられる程甘いレースじゃねェでしょうに。相変わらず嫌味な位に謙虚ですね」

 

 胡散臭そうな物言いをしたのは古賀でも桐生院でもない、髪を茶に染めたピアスの男だった。そしてこの4人の中では1番若い。

 頬杖をついて面白くなさそうな顔をしている彼の顔を覗き見ながら、古賀は面白そうに相好を崩す。

 

 「佐竹(さたけ)よ、とうとうお前もチームを組んでいいだけの実力と認められたか。お前の同期の中じゃ1番の出世頭だな」

 

 「組まされただけですよ。そりゃ認められるのは嫌じゃないし、やるからにはしっかりやりますけど。やっぱこういうのは自分の意思で立ち上げたいです」

 

 「先輩先輩って後ろを着いて来てたお前がなあ」

 

 「古賀さん!!!」

 

 「ともあれ、よ」

 

 意地の悪い先輩に揶揄われている後輩を助けるように桐生院は話を切り替えた。

 

 「やるべき事は増えるけれど、まずは今年の選抜レースに目を光らせましょう。より身近に親しい競争相手が出来ればウマ娘たちの闘争心も上がるわ。変わった環境を活かせるかは私達次第よ」

 

 「そうだな。環境を活かすと言えば、皆はどんな方針でチームを作るんだ? 元々の担当ウマ娘もいるし、今やってる方針に合わせると思うけど」

 

 「・・・・・・そうね。《リギル》は統率を主眼に置いたチームにするわ。カネケヤキにもそれが合っているでしょう。状態の把握も故障の予防も、それがあってこそ行えるものだから」

 

 「モットーは自由に走ること! それが俺のチーム《スピカ》だ。好きな走りがあってこそ『それで勝ちたい』って気持ちが生まれるってもんだろ?」

 

 「そうですね・・・・・・《カノープス》もまァ、のびのびやれるチームに出来たらと思いますよ。うちのニセイはハードトレーニングが好きですけど、そういう奴もそうじゃない奴も、自分の目標が掴めるように」

 

 

 チームの結成は確かに上司の命令だっただろう。

 しかし彼らは既にこれからの展望を描いている。

 夢に燃えるウマ娘を支えて同じ時間を駆け抜ける事が、彼らが単純に好きなのだ。

 彼らはチームという環境を利用して、さらにウマ娘たちを強く育て上げるだろう。

 乾杯の音頭の後だというのに目の前の酒と料理に手を付けず鍛錬の自由と規律の是非を論じ始めた同僚たちを見て、トレーナーはそう確信した。

 ─────この2年間、気を抜けないな。

 内心でそのプレッシャーを楽しく感じているのを自覚しつつ、トレーナーは改めて咳払いをした。

 料理も酒も出された内に味わうべきだろう。

 議論を交わすのは良い事だが今は祝い楽しむべき席であることを思い出させるべく、トレーナーは改めてグラスを掲げた。

 

 「えー、それでは改めて全チームの躍進と・・・・・・それら全てを薙ぎ払う予定のシンザンに乾杯!!」

 

 「「この野郎!!!」」

 

 

     ◆

 

 

 無敗のままでスプリングステークスを勝利。

 自身の強さを遺憾無く見せつけ学園に凱旋したシンザンは大きな注目を集めた。

 元よりものぐさという悪評を持ちながら連勝を保っていたためクラスメイトから特異な目を向けられてはいたが、今回の勝利で一気に『本物』であるという評価が広まったのだ。

 そして「まああたしだからね」とバチバチに調子こいたコメントで学園紙の一面を飾った彼女は、来月の皐月賞に向けて1番の注目株になったのである。

 

 「だからさ、調子こいてる訳じゃないんだよ。ただ『空は青いよね』とか『夏は暑いよね』とか、そういったレベルの話をあたしはしてるんだよ。そういう当たり前の話を」

 

 「なあ、へし折っていいかその鼻っ柱を。今ここで。物理的に」

 

 「落ち着いて下さい」

 

 昼休み、食堂。

 味噌汁を啜りながらそうのたまったシンザンに握った箸を折りかけているウメノチカラをバリモスニセイが押し留めた。

 とはいえ自分を負かした相手がそれを目の前で「当たり前」などと言えば競技者として頭に血が昇るのは当然だろう。額に青筋を浮かべていたウメノチカラは、未だ冷めやらぬ悔しさを外に逃すように息を長く吐き出した。

 

 「・・・・・・分かっている。あの段階での私はシンザンに及ばなかった、それが現実だ。その台詞も差し支えない位の強さがあった事は認めざるを得ん」

 

 「自分は観ている立場でしたが、あの走りは圧巻でしたね。全員が歯を食い縛る中でただ1人悠々としていました。あのフィジカルは自信の裏打ちには充分でしょう」

 

 「ふふふ。では私は強力なライバルを回避できてラッキーなのかもしれませんね?」

 

 そう言ってのほほんと微笑んだのはカネケヤキだ。

 自分と当たるのを回避できるという意味が分からず首を傾げていたシンザンだが、その言葉の根拠となる自分と彼女の違いにそこで思い当たる。

 

 「あ、そっか。ケヤキはティアラ路線だったね」

 

 「ええ。この中では1人だけ違う道ですね。リセイちゃんも王道路線ですから」

 

 「王道路線は『強さ』、ティアラ路線は『華やかさ』というイメージがありますね。自分は強さの証明としてこの路線に進みましたが、ケヤキさんはどうしてティアラ路線に・・・・・・ああいや、ティアラ路線を軽視している訳ではなく!」

 

 「大丈夫です、誰もそう捉えてはいませんよ。そうですね、一言で言えば・・・・・・『憧れ』、でしょうか」

 

 「憧れ?」

 

 「はい。私の祖母はフランスでレースを走っていたウマ娘なんです。祖母とは幼い頃に話した記憶があるだけですが───何でも、()()()()()()()()()

 

 「「がっ、凱旋門賞を!?!?」」

 

 ウメノチカラとバリモスニセイが思わず叫んで身を乗り出した。

 凱旋門賞─────世界のレースの中でも最高峰とされるレースの中の1つ。レースを走るウマ娘達の憧れ。それを獲った者がごく近い者の身内にいるのだ、仰天するに決まっている。

 そんな彼女らの反応に親しみを感じるのか、カネケヤキはうんうんと頷きながら話を続けた。

 

 「物心ついた時にふと調べてみたら他にも大きなレースをいくつも勝ってた本当に凄いウマ娘だったみたいで、私も凄く驚いたんです。

 元々レースの世界を夢見ていたのですが、その夢が明確に目標に変わったのはその時でした」

 

 目を閉じて胸に手を当てる。

 いま口にしている事は、その奥に秘めている大切なものである事を自らに確認させるかのように。

 (たお)やかに動く唇が紡ぎ出した言葉は、他の全てを雑音として封じるような静かな力に充ち満ちていた。

 

 

 「祖母が走っていたフランス、凱旋門の聳えるパリは『花の都』と呼ばれます。だから私は『華やかである』と言われるティアラ路線を選びました。

 そこで大きな結果を残せば、海を越えて祖母に届くかもしれないから。

 ─────あなたに憧れた孫娘が、こんなにも立派になりました。と」

 

 

 

 「・・・・・・学園の食堂でこんな空気になるかね」

 

 「「シンザン(さん)ッ!!!」」

 

 「流石に揺らいではくれませんねえ」

 

 全員が押し黙る中でぼそりと呟いたシンザンにカネケヤキ以外の全員が噛み付いた。当のカネケヤキは頬に手を当てて優雅な所作で微笑んでいる。

 空気が読めなかったのか意図的に読まなかったのか、カネケヤキの側に傾きかけた空気をリセットしたシンザンは、さっきまでとは打って変わって真剣な眼差しをカネケヤキに向ける。

 

 「確かにどれだけ大切な理由かは伝わったけど、あたしを回避できてラッキーなんて笑ってはいられないよ。ウメもニセイもここにいる全員、どう転ぼうが()()()でぶつかる事になるんだから」

 

 「ええ、言われるまでもありません。そして言うまでもなく─────私はここにいる誰よりも()()になってみせるつもりです」

 

 火花が散った。

 シンザンとカネケヤキだけではない、ウメノチカラとバリモスニセイの眼光も4人の座る中間地点で衝突している。

 俄に殺気立つ食堂の一角、異変を察知してトーンダウンしていく周囲の雑談にこれ以上は昼食時に相応しくないと感じてか、今度はカネケヤキが場の空気を変えた。

 

 「そういえば。そろそろですね、『勝負服』」

 

 「ああ、確かに。あちらの会社とデザイン案のやり取りはしたが、やはり現物として仕上がってるのを早く見てみたいな」

 

 「そう考えると少し浮き足立ってしまいますね。自分も早くそれを纏ってレースを走りたいものです」

 

 「本当に楽しみだね、あたし舞台衣装好きじゃないから・・・・・・あ、そうだ。そろそろと言えばさ。今日のトレーニング前に皆ちょっと顔貸してよ」

 

 「? あ、そうか。完成したんだな」

 

 少し考えた後で察しがついたウメノチカラに、シンザンはぐっと親指を立てた。

 

 

 

 トレーナーが自分専用の蹄鉄を自作している。

 その話はシンザンが幾度となく話題に出していたためウメノチカラ達も知っていた。

 トレーナーが担当ウマ娘の蹄鉄を作るという聞いたこともない事例に大層驚いた彼女らは完成したら是非見せてほしいとシンザンに頼み、彼女もこれを快諾。

 シンザンにとってはおよそ2ヶ月という長期を費やして作られた、トレーナーからの丹精込めた贈り物ということになる。

 とはいえ、受け取るところから見せられるとは流石に思っていなかった。

 

 「何故受け取る場所が駐車場なんだ?」

 

 「さあ? トレーナーさんがここで待てって」

 

 この後のトレーニングに備え運動着に着替えた4人は、シンザンのトレーナーが指定した駐車場で待機していた。

 蹄鉄を受け取るにしては妙な場所の指定だが、シンザンが何かを疑問に思っている様子はない。

 それどころかぴこぴこと耳は揺れ、尾は左右に振られている。

 全て無意識だろう。

 心の動きを素直に表に出しているシンザンのそれらを見て、3人は生暖かい眼差しで彼女を眺めていた。

 

 「(すごく自慢したかったんでしょうねえ)」

 

 「(だな)」

 

 「(ですね)」

 

 「おーい。待たせたな」

 

 そしてトレーナーは現れた。

 なぜかクレーンの着いた軽トラに乗っている彼はそのまま駐車場の空きスペースに駐車、降りてきて何故かそこにいるウメノチカラたちに首を傾げた。

 

 「ん? ウメノチカラにカネケヤキ、それにバリモスニセイじゃないか。どうしてここに?」

 

 「シンザンに集められました。あなたが作った蹄鉄を見せてやろうと」

 

 「そうか、そんなに大したものじゃないけど・・・・・・シンザン。蹄鉄は荷台に積んであるから降ろしてくれないか。クレーンを使うのも手間だ」

 

 「え? うん・・・・・・?」

 

 蹄鉄とクレーンという単語が繋がらず、とりあえず言われるまま荷台に上がったシンザンの目の前にあったのは、頑丈なパレットに結束された何かだった。

 これは何だ、少なくとも蹄鉄じゃないぞと思いながらもとりあえず荷台から『それ』を降ろす。

 ウマ娘の力を以てしてもかなり重いと感じる重量を持つ謎の代物だった。

 

 「トレーナーさん、これなに?」

 

 「()()()()。解いてみろ」

 

 疑問が解消されないままシンザンは結束を引き千切って梱包を解き、布と金属がくっついて出来ているらしいそれの全貌を明らかにする。

 

 

 ()()()()()()

 頑丈な革や布を強固に縫製して作られたそれに、いくつもの金属製のパーツで構成されている。

 蹄鉄じゃないのかと困惑し、引っくり返して靴底を見れば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 補強の役割を果たしているのか『Ω』の形の真ん中のスペースにはT字型のブリッジが張られ、爪先の部分は金属製のカバーに覆われている。

 そして(すね)脹脛(ふくらはぎ)の部分に取り付けられたこの金属が本当に重たい。いったい何で出来ているのかそもそも何の役割があるのか。

 疑問符の洪水に脳内を押し流されているシンザンに、トレーナーが意気揚々と解説を始めた。

 

 「まず蹄鉄の内側にブリッジが張られてるだろ? それは補強の為だ。蹄鉄自体も素材を選び抜き分厚くした事で衝撃や摩耗にも強い。

 そして爪先を金属でカバーすることで最も力のかかる部分を頑強に保護してある。関節の可動域との兼ね合いには本当に気を使ったぞ。

 さらにブーツの部分もあちこちの会社を当たって特別に頑丈な革を─────」

 

 「え、トレーナーさんトレーナーさん。これってこのブーツそのものを含めて1つの蹄鉄ってこと??」

 

 「そういう事だ。早速履いて歩いてみてくれ」

 

 いそいそと急かしてくるトレーナーに従い、シンザンは未だ心の整理がつかないままその蹄鉄(ブーツ)を履いた。

 なるほど足や(トモ)のサイズを入念に測られただけあってピッタリと自分に馴染むサイズになっている。

 ただ、重い。

 本っ当に、重い。

 脚力自慢の自分でも重い。

 よいしょ、と1歩前に歩いてみると、()()()()()、とロボットみたいなとんでもない音が鳴った。

 

 「違和感はあるか?」

 

 「重いんだけど」

 

 「重いだけなら問題ないな」

 

 「これさ。蹄鉄と爪先の部分は分かるんだけどこれ、(すね)脹脛(ふくらはぎ)のとこに付いてるごっつい金属。これ何の為に着いてるの」

 

 「それは単なる重りだ」

 

 「は???」

 

 「シンザン。俺はずっと考えていたんだ。トレーニングで走りたがらないお前を、どうすれば上手く鍛えられるのか」

 

 ぽかんと口を開けて絶句するシンザンに、トレーナーはしみじみと語り始める。

 

 「不真面目なトレーニングで勝てるほどレースは甘くない。ご褒美で釣ってもその場凌ぎにしかならない。根本的な解決策を俺はずっと考えていた」

 

 シンザンの耳と尻尾の動きが止まった。

 

 「あの事故が起きたのはそんな時だ。脚力に道具がついていけないと判明した時、ただ蹄鉄が壊れただけならこの考えには至らなかった。靴も一緒に壊れたのを見て、まず蹄鉄と靴を一体化させる方法を思い付いたんだ」

 

 シンザンの耳がぺたりと倒れた。

 

 「そこからは・・・・・・ハハ・・・・・・天啓という他ないな。蹄鉄と靴を合体させて、やはり重量が(かさ)むという問題にぶち当たった時、俺の頭に電流が走ったんだ。

 ─────いっそこれを逆に滅茶苦茶に重たくして、ウェイトトレーニングを兼ねさせれば全てが片付くんじゃないか? ってさ」

 

 シンザンが尻尾を脚の間に挟んだ。

 

 「これが『答え』だ。特別に頑丈に使った蹄鉄と靴を一体化させる事で全体的な強度を底上げし、さらに重量を限界まで度外視する事で足腰の鍛錬も同時に行う正に一石二鳥の『最適解』。

 足の筋力を測ったのは元々重くなる事が予想されたからだけど、ここまで役に立つデータになるとは予想してなかったな」

 

 滔々と語るトレーナーに言葉を失うシンザン。

 何歩か後ろに下がりながらその様子を見ていたウメノチカラにカネケヤキ、バリモスニセイはそこで3人同時に理解した。

 自分達はウマ娘とトレーナーとの心温まるやり取りではなく、友達が処刑される瞬間を目の当たりにしているのだと。

 

 胸を満たす感情の落差は如何程のものだろう。

 それでも何かを訴えようと口をぱくぱくさせているシンザンに、トレーナーは春風のような爽やかさで言い切った。

 

 「よし。じゃあ今日からそれを履いて、早速トレーニングを始めようか」

 

 

 

 

 

 ─────ウメぇ。ウメぇ。あいつオニだあ。

 

 その日の晩。

 バッキバキになった全身をうつ伏せにベッドに横たえてめそめそと訴えるシンザンを、ウメノチカラは哀れみの眼差しで見つめていた。



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18話

バリモスニセイのヒミツ①
実は、威嚇してくるカマキリを眺め続けて遅刻した事がある。





 「ふう・・・・・・」

 

 仕事は一段落したがもう外は暗い。

 新しい蹄鉄を導入してからの訓練のデータとフィードバックを纏めた紙の束から目を離し、椅子の背もたれに寄りかかって固まった脊柱をバキバキと鳴らす。

 トレーニングに無茶は厳禁。

 それでもウマ娘に無茶を要求するのであれば、無茶を通せるようウマ娘の心身を修復するのがトレーナーの役目だ。

 特殊な蹄鉄を用いた超高負荷の訓練。

 過去に例のないやり方だが、実行する以上は絶対に怪我をさせる訳にはいかない。

 疲労の溜まり方や負荷のかかり方、それらに対する適切なケアなど考える事はごまんとある。

 

 (ウォームアップとクールダウンのストレッチはもっと長めに。アイシングは必須、氷嚢と氷をもっと多く確保。疲労の残り方によってはマッサージも必要だが・・・・・・)

 

 何となく嫌がられそうなんだよなぁ、と天井に激突する高さまでぶん投げられた記憶を思い出しながら考える。

 コダマがレースを引退してから担当を取らずひたすらウマ娘の故障とケアについて学び直していた時期に習得した技術なので素人という訳でもないのだが、他人に触れられる事に抵抗があるのなら、自分で行える(トモ)のマッサージを教えるという手もあるか。

 

 「コダマにはお墨付きを貰ったんだけどなぁ」

 

 「私が何ですか?」

 

 「うわっ」

 

 急に後ろから声を掛けられたトレーナーが椅子の上で僅かに跳ねる。

 自分以外はいないはずなのにと肝を冷やしたが何の事はない、単にコダマがいつの間にかトレーナー室に入ってきていただけだ。

 何やら大切に梱包された箱を手に持っている彼女が、やや呆れたように口を開く。

 

 「コダマか。どうした、こんな時間に」

 

 「大レースが近付くとやる事が増えるもので。それにしてもまた突飛な事をしているみたいですね。シンザンさんから私に陳情が来ましたよ? あの鬼畜生を何とかしてくれと」

 

 「心外だな。まさに今こうしてトレーニング内容の見直しと故障の予防に腐心してるっていうのに。・・・・・・何とかしに来たの?」

 

 「そういう事では無いと思うんです。・・・・・・『いつでも相談に来てください』とだけ言っておきました」

 

 要するに生徒会としては様々な方針のトレーナーが在籍するこの学園でこれを問題扱いする気はないという意思決定が下されたらしい。

 見方によってはひどい癒着である。

 とはいえこうして自分の元に報告が来た以上動いていない訳ではないのだが、明日はヘソを曲げていそうだな、とトレーナーは愕然とするシンザンの顔を思い浮かべた。

 そんな彼の机に山と積まれたスポーツ医学の資料や論文を見て、コダマは面白くなさそうに息を吐く。

 

 「あなたも随分と変わりましたね。落ち着いたというか可愛げが無くなったというか。ダービー前に私の脚が不調になった時あちこちの神社に願掛けして回ってたあなたはどこへやら」

 

 「やめてくれコダマ。その思い出話は俺に効く」

 

 「第一こだまの一号車の1番前に」

 

 「あああああ」

 

 テンパっていた頃の験担ぎの記憶をほじくられて頭を抱えるトレーナーをころころと笑うコダマ。

 居残り仕事をしていたトレーナーを一通りからかって満足したコダマは、とりあえず生徒からの陳情を受け取った生徒会長として話に挙げられた彼の話を聞く事にした。

 

 「昔と比べてどうかはさておいても、シンザンさんについては私も少しちぐはぐに感じますね。怪我をさせないように腐心していると思えば怪我をしかねない強度のトレーニングを課していますし、どんな方針で彼女を育てようとしているんです?」

 

 「・・・・・・ウマ娘が最も伸びる選択肢を採る。目標を叶える最適解を探る。今も昔もそれだけだ」

 

 そう言って彼は手元の紙を一枚手に取った。

 他のトレーナーと比べて明らかに記録量が多い彼がデータを元に参照した、様々な資料の集合知。

 それを他のトレーナーが見たとしても、果たして何かの参考になるかは怪しいだろう。

 何故ならそこに記された情報や分析は、あまりにも1人のウマ娘の為に特化されているからだ。

 

 「シンザンの場合は今のところアレが最適。そのリスクはトレーナーが摘む。俺じゃなくても当たり前のこと─────ちぐはぐな事なんて何もない」

 

 

 「・・・・・・そうでしたね、()()()()()()。あなたは何も変わっていない」

 

 「だからその呼び方はやめろ」

 

 紙の山をファイルに纏めつつ、本名に掠りもしていない呼び名に背中越しに文句を言ったトレーナーは柔らかなコダマの笑みを見ていない。

 そこで彼はふと本題を忘れている事に気が付いた。

 コダマが部屋に入ってから箱を抱えたままである。

 

 「そうだ忘れてた。その箱はどうしたんだ?」

 

 「ああ、そうでした。届け物ですよ。本当なら明日渡す予定のものなのですが、トレーナー室の電気が点いていたので、ついでに届けてしまおうかと」

 

 届け物? と。

 特に何かを注文した覚えもなく首を傾げたトレーナーだが、直後に思い当たって椅子から立ち上がる。

 いや、覚えはあった。確かに注文していた。

 これを受け取る時の『トレーナー』の高揚はウマ娘にも負けていないと彼は思っている。

 数年前と変わらず目を輝かせている彼の姿を、コダマは可笑そうに眺めていた。

 

 「─────来たか」

 

 

     ◆

 

 

 シンザンがトレーニングに来ない。

 正確にはロッカールームから出てこない。

 トレーニング前に軽い打ち合わせをしたのでサボる意思は無さそうだったのだが、何が彼女を閉じ籠らせているのだろう。

 

 「シンザン? ・・・・・・シンザン?」

 

 とりあえずドアをノックして呼びかける。

 返答はない。そして他の生徒の声もしない。

 どうやら他の生徒が着替え中という事もなさそうだし、万が一の異常事態に見舞われていれば一大事だ。

 若干の不安を感じながらロッカールームのドアを開けると、そこには特製の蹄鉄(ブーツ)を前に腕組みをしている運動着のシンザンがいた。

 

 「シンザン。どうしたんだ」

 

 「うるさいよ汚職トレーナーめ。生徒会と組んで担当ウマ娘をいじめる気分はどうだい」

 

 「なんだコダマに続いて人聞きの悪い。これまでを踏まえてトレーニングメニューを調整したと言ったじゃないか」

 

 「それだってどうせ楽なメニューに変更してくれた訳じゃないんだろ。あたしはもっと伸び伸びとトレーニングがしたいんだよ。だのに何だってんだいこの蹄鉄という名の足枷は」

 

 「蹄鉄という名の蹄鉄だぞ」

 

 「はーーーーもうやる気ない。絶不調だ絶不調。トレーニングしてほしけりゃあたしの機嫌を取るんだね。具体的にはあたしを遊びに連れて行くんだよ。さあ奢れ。やれ奢れ」

 

 予想はしていたが予想以上にヘソを曲げていた。

 何だかんだでサボらないウマ娘なのだが、どうやらあの期待とガッカリの落差が尾を引いているようだ。

 確かに手抜き癖に対する意趣返し的な意図が無かったと言えば嘘になるが、あのサプライズプレゼントは何というか思っていたのと違ったらしい。

 これは別途ケアが必要だなぁと考えつつも、トレーナーはひとまず今日を乗り切れるだけの手札を切った。

 

 「それはまた別の日に行くとして、今日は間違いなくやる気が出るプレゼントがあるぞ。何だと思う?」

 

 「土地かい?」

 

 「ふざけろ」

 

 「じゃあ何だい」

 

 彼の口から出てくる『プレゼント』という単語を信用していないらしい。猜疑に満ち満ちた眼差しを向けてくるシンザンに、トレーナーは自信に満ちた顔で一抱えの箱を差し出した。

 

 

 「昨日届いた。『勝負服』だ」

 

 「先に言いなよそういうのはさ!!」

 

 

 

 

 

 『勝負服』。

 八大競走に出走するウマ娘のみが着用を許される、一人一品オーダーメイドの特別衣装だ。

 どのウマ娘も具体的にデザイン案を練り始めるのはメイクデビュー後。

 随分と気が早い話に思えるが、その位から考えないとメーカーとのやり取りや製作が間に合わないのだ。

 だが、八大競走に出走するための条件は厳しい。

 デザイン案を考えても、それが形にならないままで終わるウマ娘が大多数。

 故に『勝負服』とは、着れるだけでも強者の証。

 そしてそれを身に纏って勝利を掴み、舞台の中心最前列に立つことは、競走ウマ娘の最大の名誉である。

 

 『おお、見なよトレーナーさん。和服だ和服。あたし達で考えた通りだ』

 

 『いいじゃないか。丁寧に作り込まれてる・・・・・・今更だけど和服って1人で着れるのか?』

 

 『教わればすぐだよ。あたしは着れる』

 

 楽しみにしていた届け物にシンザンは一気に機嫌が上向いた。

 その上『今日は皐月賞と桜花賞に出るウマ娘の写真撮影や取材があるからトレーニングは少ないぞ』と付け加えればもう何をか言わんやである。

 わくわくしながら着替えている彼女をロッカールームに残し、トレーナーはグラウンドで彼女が現れるのを待っている。

 ─────勝負服が届いた。

 この知らせに目を輝かせる担当ウマ娘を見るのは、実力あるトレーナーの特権だろう。

 

 「やあやあ、待たせたね」

 

 背後から呼びかけられ、トレーナーは期待に胸を膨らませて後ろを向く。勝負服を着た担当ウマ娘に心躍らないトレーナーはいない。

 そしてそこに立っていたのは、期待通りに期待以上の立ち姿だった。

 

 

 シンザンの勝負服。

 そのデザインは一言で言えば、紋付袴(もんつきはかま)のようなデザインだった。

 真紅に染められた長着に、(たけ)を膝の半ばで切り落とされた袴。そこから露出した脚を覆うブーツには、紐や(びょう)が飾るように打ち込まれていた。

 純白の羽織紐が真紅の長着と黒い羽織に映える。

 洋風の要素もアクセントとして織り込まれ、腰に巻かれているのは角帯ではなく太いベルトだった。

 そして最も目立つのは、彼女の纏う丈の長い羽織(はおり)

 ()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 質実剛健、そんな印象。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()が、シンザンそのものの飾らない美しさをそのまま表現しているようだった。

 

 「さあどうだいトレーナーさん。見たかっただろ、あたしだけの勝負服だ。感想を言ってみなよ」

 

 「ああ、本当に似合ってる。貫禄が凄いな。貫禄が凄い。貫禄が・・・・・・貫禄が凄い」

 

 「めかしこんだ女の子を前に何だいその感想は」

 

 「いや似合ってるのは勿論なんだけど、本当にその印象が殴りかかって来るんだよ。何だろうな・・・・・・その服を着た途端、シンザンの存在感に圧倒されるというか・・・・・・」

 

 何やら不満気なシンザンだが、トレーナーとしてもそれが嘘偽りのない感想だった。

 勝負服にはウマ娘の目標や信念、人となりといった事などもデザインの材料として盛り込まれる。

 つまり勝負服とはそのウマ娘をより強く表す象徴であり、それによってシンザンという存在の強度が大きく増したようにトレーナーは感じたのだ。

 そう、それはまるで、眼前に聳え立つ大きな山を見上げるように。

 

 「背中の紋様、松がモチーフだよな。いつも着けてる耳飾りといい、松が好きなのか?」

 

 「ん、まあね。思い出というか思い入れがあって」

 

 飾りの着いた右耳をパタパタ動かすシンザン。

 思い入れを身に纏うのは勝負服の常だが、勝負服にまで刻むモチーフへの思い入れは相当に強い。詳しい理由は分からないが、トレーナーはシンザンのルーツの一端に触れたように感じた。

 

 「そうだ、今日取材や写真撮影があるって言ってたよね。 て事は他の皆にももう勝負服が届いてるのかい?」

 

 「そのはずだ。もうお前と同じように袖を通して出てきてるんじゃないかな。あ、ほら」

 

 そんな事を話していた時、ちょうどシンザンの友人達がグラウンドに現れた。

 遠目からでも初めての勝負服に浮き足立っているのが分かる。

 その姿を遠目から確認し合った彼女たちが、お互いの元に一斉に走り出して集合した。

 

 「やあ、皆も届いたんだねえ! ウメもケヤキもニセイも綺麗じゃないか!」

 

 「ああ、思っていたよりもずっと良い出来だ。良いな・・・・・・うん、良い」

 

 「不思議な高揚ですね。今にも踊り出しちゃいそうです!」

 

 「これを着れば自分は誰にも負けない、そんな気になります。胸の内から自信が湧いてくるような・・・・・・!」

 

 俄に(かしま)しさが増すグラウンドの一角。

 己を象徴する衣装を纏った親しい友らの姿は、シンザンにこれから始まる新たな舞台の到来を赫赫と感じさせた。

 

 ウメノチカラの勝負服は、赤色の下地に梅の木が描かれた金縁の着物を片肌脱ぎにして、胸に晒布(さらし)を巻いた和装のデザインだった。

 黒いレギンスに首に巻かれた赤い刻刻(ぎざぎざ)模様の黄色いスカーフと相まって、型破りというか博徒のような鋭いイメージを感じさせる。

 

 カネケヤキは首回りから袖ぐりの下まで斜めに大きくカットされた、袖のない紫色のドレス。

 胸元に幾重にもあしらわれた黄色の薄いレースや散りばめられた色とりどりの装飾品は彼女がこうありたいと語った華やかさの表れだろうか。

 

 バリモスニセイはまるで歌劇団の装いだった。

 肩章(エポレット)の付いたパンツスタイルの空色の勝負服。

 純白の手袋と首飾り(ジャボ)、金の刺繍が施されたジャケットは、まさに舞台で謳う西洋の王子のようであった。

 

 「いやあ雰囲気変わるもんだねえ・・・・・・。ニセイとケヤキなんかご覧よ、2人並ぶとまるで貴族のアベックじゃないかい」

 

 「和装と洋装で綺麗に分かれましたね。チカラさんはかなり(かぶ)いてて驚きました」

 

 「最初はもう少し落ち着いたデザインを考えていたんだがな・・・・・・。これを着て走る事を考えるとどんどん熱が上がってしまって・・・・・・」

 

 「チカちゃんらしいですね。負けん気の強いチカちゃんにピッタリだと思いますよ」

 

 「ちょいと、あたしにも何か感想をおくれよ。あのおたんこにんじん『貫禄が凄い』としか言わないからさ。ほれほれ」

 

 そう言ってひらひらと袖を揺らすシンザン。

 自分の勝負服を纏い期待に瞳を輝かせている彼女の姿をじっと見つめた3人は同時に口を開き、異口同音に同じことを言った。

 

 「「「 貫禄が凄い(です)」」」

 

 「あんたらの辞書にはそれしか無いのかい!!!」

 

 

 

 

 「綺麗だなあ」

 

 「ああ」

 

 感慨深そうな古賀の言葉に、トレーナーは心からの同意を込めて頷いた。

 グラウンドのあちこちから弾む足取りで現れる、勝負服を着たウマ娘。

 色とりどりの装いが芝の上で踊る様は、春に芽吹いた花と蝶を思わせた。

 彼女らはここから羽ばたくのだ。

 ただ一つしか空席のない大空へと一斉に。

 ─────クラシックの激戦がいよいよ始まる。

 腹の底から上ってくる実感に、トレーナー達は慣れ親しんだ緊張感を全身で感じていた。



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19話

 「1人だけ! 結局1人だけだったねえ! あたしを可愛いとか綺麗とか言ってくれたのはねえ!!」

 

 「しかもかなりの誘導尋問を駆使してな」

 

 『月刊トゥインクル』を始めとした記者達による桜花賞・皐月賞の出走者に対するインタビューや勝負服を着ての集合写真、トレーニングの様子の写真撮影など全てのスケジュールを終えた帰り道。鼻息荒く憤慨しているシンザンにウメノチカラが軽く笑った。

 「貫禄」「迫力」「威風堂々」。

 勝負服を纏った彼女ら全体を称した褒め言葉を除けば、それらが最も多くシンザンを表現するために使われた言葉である。

 女の子として言われて嬉しい褒め言葉は貰えなかった上に、和服という方向性は同じなはずのウメノチカラが「綺麗」「格好良い」と言われていたのだから堪らない。

 もちろん褒め言葉は褒め言葉として遠慮なく頂戴したが、何というかどこか繊細なところが満たされていないのである。

 

 「ま、まあまあ。『背中から撮らせてくれ』って頼まれてたのもシンちゃんだけだったじゃないですか。シンちゃんだけの魅力だと思いますよ」

 

 「でも可愛いポーズをしたら『あ、そういうのじゃなくて』と断られてましたね。沢樫さんと言いましたか、人間のあんな真顔初めて見ました」

 

 「うるさいねえ思い出させるんじゃないよ! あと前から言いたかったけどケヤキ、あたしの事シンちゃんて呼ぶのお婆ちゃん以外だとあんただけだからね!」

 

 「そもそも服の方向性が可愛いや綺麗とは違うだろうお前のは・・・・・・」

 

 「きーっ!!」

 

 騒々しい声を夕暮れの空に響かせて4人は歩く。

 最初に気付いたのはシンザンだった。

 怒り疲れてふと視線を上げると、見えるはずの景色が違う。

 そこにあるのは栗東と美浦の2つの寮に挟まれたいつもの道ではない。

 いま自分達がいるのは、トレセン学園を象徴する三女神像が鎮座する中央広場だった。

 

 「・・・・・・あれ。あたし達何でここに来たの?」

 

 「ん? ・・・・・・本当だ。確かに寮に帰ろうとしていた筈なんだが」

 

 「不思議です。足が勝手にここに向いたような」

 

 「あら、あそこにいるのって・・・・・・」

 

 カネケヤキが示す先は三女神像の前。

 栗毛のロングヘアを背中で緩い三つ編みで束ねた眼鏡のウマ娘が、静かに目を閉じて手を合わせている。

 彼女は三女神像の前で何かを祈っていた。

 やがて目を開けた彼女はそこにいた4人を見つけて柔らかく口角を上げる。

 

 「生徒会長?」

 

 「シンザンさん。それにウメノチカラさんにカネケヤキさん、バリモスニセイさんも。取材や撮影お疲れ様でした」

 

 「当然の勤めです。会長はどうしてここに?」

 

 「そうですね。私は習慣というか・・・・・・年ごとの儀礼、のようなものでしょうか」

 

 そう言ってコダマは水瓶を担いで背中合わせに立つ3人の女神の像を見上げる。

 ─────『三女神像』。

 ウマ娘を常に見守り、導くと言われる三柱の神々。

 あるいは全てのウマ娘の始祖であるとも。

 学園創立からそこに立っているらしい石造りの偶像は、今も変わらない姿で生徒達を見守っていた。

 

 「トゥインクル・シリーズを走り抜けたウマ娘がこの像の前で想いを託し、これから走り始めるウマ娘がそれを受け取り力に変える。

 私もこの時期に想いを受け取り、前線を退いてからは毎年こうして想いを託し続けているんです」

 

 「想いを受け取る、ねえ。つまり気の持ちようじゃないのかい? 拝んで強くなるならトレーナーさんあたしにずっとここで座禅組ませてると思うし」

 

 「ふふ、有り得ますね。しかしただの気の持ちようでしかないのなら、この伝統はここまで続いてはいないと思いますよ?どうでしょう皆さん、ついでにここで祈っていかれては。もしかしたら知っている誰かの想いが届くかもしれませんよ」

 

 「新鮮なの頂戴(ちょうだい)よ。祈りたてホヤホヤの奴」

 

 魚を買いに来たような台詞を吐いたシンザンの後頭部をウメノチカラ達が一斉に(はた)いた。

 叩かれた場所を(さす)るシンザンの文句をスルーして、3人はさっさと目を閉じて手を合わせてしまった。

 ぞんざいな扱いに唇を尖らせたシンザンも、3人に倣って目を瞑って手を合わせる。

 くれるなら頂戴。あたしの(みち)に足りる程。

 図々しさを隠さずに彼女は心で両手を伸ばす。

 

 「続くものには意味がある。私も初めて想いを受け取ったのは皆さんと同じ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 すぐそばにいるはずのコダマの声が、随分と遠くから聞こえた気がした。

 

 

 

 何も無い場所にいた。

 天地も左右もない暗闇の中、自分の前方に眩い光がある。

 あれは何か。出口だろうか。

 そう思ったその時、背後から駆けて来た2人のウマ娘が流星のような光の線と共に自分を追い抜いていく。

 あれは誰なんだろう。どこかで見たような。

 走り抜けていった2人が光の中に消える寸前、片方がこちらを振り向いた。

 よく知っている顔だった。

 よく知っている微笑みだった。

 そうだ。あれは。

 

 『───コダマさん──────?』

 

 知らない内に自分も走り出していた。

 自分もあそこへ、光の先へ。

 2人に導かれるように、自分も暗闇の中の輝きに向かって走り出していった。

 

 

 

 「──────・・・・・・、」

 

 目を開いた。

 狐につままれたような顔でシンザンはぱちくりと目を(しばたた)かせる。

 他の3人も同じような顔をしていた。

 無言のまましばし互いの顔を見つめ合っていた4人は、誰ともなく口を開いて問いかけた。

 

 「見た?」

 

 「見た」

 

 「見ました」

 

 「え、夢? いまの夢??」

 

 夢なのだろう。きっと夢だったのだろう。

 しかし夢だというのなら、今この胸を満たす暖かさは何なのか。四肢の先まで溢れるこの力は何なのか。

 想いを託し、想いを受け取る。

 身に受けた今でも信じ難いが、話半分でしか受け取っていなかった儀礼は確かな真実だった。

 もはや不思議だ何だはどうでもいい。

 先人から更なる力を得た手応えに、ウメノチカラはぐっと拳を握る。

 

 「・・・・・・帰るのは後だ。受け取ったこの力がどれ程のものか、すぐにでも確かめたい!」

 

 「私も少しだけ走ります! こんなのを貰ってしまってはじっとなんてしてられません!」

 

 「自分もそうします。ここ最近勝ちきれないレースが続いているので、打開の契機になるかも。シンザンさんはどうしますか?」

 

 「あたしかい?」

 

 話を振ってみたバリモスニセイだが、シンザンも参加するだろう事はもう全員が察していた。

 何故なら彼女もまた、自分が受け取った想いと力に震えながら目を輝かせているからだ。

 あるいは今から見れるのかも知れない。練習だとトコトン走らない彼女が、心のまま全力で走る姿が。

 昂る心を拳に握り、シンザンは友人達と優しく見守るコダマに対して力強く宣言した。

 

 「みんな頑張れ・・・・・・! あたしは帰るよ・・・・・・!」

 

 全員がその場でズッコケた。

 マジかよコイツという4人分の視線を背中に突き刺されつつ、トレーナーさんに見つかったらアレ履かされるからね、と素知らぬ顔のシンザンは弾むような足取りで家路へと駆けていく。

 『人生で1番の快眠だった』。

 翌朝起床したベッドで朗らかにそう言い放った彼女を、ウメノチカラは言葉もなく眺めていた。

 

 

 

 

 「お疲れ様。今日はここまでにしましょう」

 

 「はぁ、ハァ、分かりました・・・・・・。タイムはどうでしたか?」

 

 「上出来ね。最後の追い切りでこの仕上がりならベストの状態で臨めるでしょう」

 

 日の暮れたグラウンド。

 荒い息で汗を拭うカネケヤキの問いかけに、桐生院翠は満足げにそう答えた。

 一先(ひとま)ずはコンディションが好調。無論ほかの出走者たちも仕上げてくるだろうが、少なくとも自分は万全の状態でレースに臨むことが出来る。

 ならば懸念するべきは─────

 カネケヤキは片足の爪先を地面に立ててぐりぐりと確かめるように足首を回す。それを見た桐生院は途端に不安そうな顔をしてカネケヤキに駆け寄った。

 

 「どうしたの? 足首が痛むかしら?」

 

 「いえ、大丈夫です。少しだけ調子を確かめただけなので」

 

 「そう、ならよかった。違和感を感じたらすぐに報告してちょうだい」

 

 分かりましたと頷いてカネケヤキはクールダウンのストレッチを始めた。

 身体を伸ばして脚を(ほぐ)す。疲労に硬直した部位を念入りに、念入りに。固く割れやすい乾いた粘土を柔らかく伸ばしていくように。

 今のところ問題は無い。

 大切なクラシックの冠をまず1つ、全身全霊で獲りに行ける。

 いつもの4人、先駆けは自分。

 温い夜風に鹿毛を揺らして、彼女は強い決意を拳の中に握り込んだ。

 

 

 季節は春。舞台は阪神。

 

 入学式を終えた4月の5日。

 

 『桜花賞』が、始まる。

 

 

     ◆

 

 

 芝状態は稍重。

 あまり天気に恵まれなかった阪神レース場のパドックに、大勢の観客が詰めかけている。

 八大競走が1つ『桜花賞』、走行距離は1,600。

 クラシック最前線を飾る最初のレースの盛り上がりは平時のオープン戦の比ではない。記者や元々のレースファンはもちろん高まる話題に興味を持って初めて見に来たご新規さんまで、様々な種類の熱い注目が出走者たちに注がれていた。

 

 「にしても23人立てかあ。聞いた時も驚いたけど、こうして見るとほんとうに多いね。下手なオープン戦の3倍は出走してるよ」

 

 「バ群に呑まれるとかなり辛いでしょうね。位置取り争いが熾烈になりそうです。『皐月賞』も24人立てになるので、自分達も他人事ではありませんが」

 

 「そう考えると私達クラシック路線は幸運だな。この人数のレースがどんな風に流れるかを事前に見ておける」

 

 パドックの観客席の最前列、これまで経験した事のない数の出走者に驚くシンザンと冷静な分析を加えるバリモスニセイ。

 この『桜花賞』は彼女ら3人が出走登録している王道路線の『皐月賞』よりも先に行われるため、ウメノチカラはそれを利用して自分のレースに役立てようと目論んでいた。

 友達が出走する一大レース。

 彼女らが応援しているのは勿論カネケヤキだが、無論勝利への道は高く険しい。

 その最大の障壁が今、紫と臙脂色の勝負服をひらめかせてパドックに上がってきた。

 

 『4枠10番、プリマドンナ。1番人気です』

 

 「強敵だな。下手をすればこのレース、彼女の独壇場にもなりかねんぞ」

 

 「え。あの子そんな強いの」

 

 「あの、シンザンさん。いい加減余計なお世話とは思いますが、有力な選手のデータは把握しておいた方がいいかと・・・・・・」

 

 そんなのトレーナーさんがやってくれるし、と膨れっ面のシンザン。

 クラシック期突入から4ヶ月、今更にも程がある指摘をする事になったバリモスニセイは深刻そうな声を出しているが、ウメノチカラは同室故にこういった事が多いのか慣れた様子で解説する。

 

 「『阪神ジュニア級ステークス』の優勝者だよ。去年の12月に私とケヤキが戦った朝日杯があるだろう、あれと(つい)になるレースだ。

 それにここまでの戦績は9戦7勝と凄まじい。

 連勝記録こそ途中で途切れているが、彼女の勝ち星の数はお前よりも上なんだ。

 これだけでも彼女の強さは分かると思うが、このレースにおける恐ろしさはもっと深い所にある」

 

 「深いところ??」

 

 「シンザンさん。阪神ジュニア級(ステークス)のレース条件は分かりますか?」

 

 「んええ、あたしあんたらが出たレースしかチェックしてないんだけど・・・・・・えーと、確か朝日杯とそう変わらなかったよね?

 1,600の右回りで、違うのは中山じゃなくて阪神レース場って位で・・・・・・あー・・・・・・」

 

 シンザンが気付いた。

 ウメノチカラから説明を引き継いだバリモスニセイが、硬い声でその解説の続きを述べる。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 さらに彼女は優勝したその阪神ジュニア級ステークスでレコードタイムを叩き出している。

 つまりこのレース、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかも前走の同条件のオープン戦で不良バ場にも慣れたとすれば・・・・・・」

 

 「いや、大丈夫だと思うけどね」

 

 もはや彼女に死角はない。

 そう言おうとしたバリモスニセイを遮るようにシンザンはプリマドンナの有利を否定した。

 自信を漲らせてパドックから退くプリマドンナと入れ替わって現れたのは、紫のドレスに身を包んだ鹿毛のウマ娘。

 指先にまで気品を漂わせるその立ち姿に一瞬、その場の全員が目を奪われた。

 

 「あの目を見なよ。ヤマニンスーパーと同じ色だ」

 

 『4枠11番、カネケヤキ。4番人気です』

 

 6着、4着、2着。

 あれがここ最近勝利から遠ざかり、4番人気まで身を落としたウマ娘と言われて誰が信じようか。

 まるでそこがレースのパドックではなく、パリ・コレクションのランウェイと錯覚するような。

 言葉無くして己の力を雄弁に語り、鮮烈な印象を残して彼女は毅然と舞台を退いていった。

 

 

 

 

 「ご機嫌よう、カネケヤキさん」

 

 プリマドンナの枠番は10でカネケヤキは11、ゲートに入ると隣同士になる。

 いち早くゲートインしてその時を待っていたカネケヤキは、隣に収まった彼女にそう話しかけられた。

 

 「どうしましたか? プリマドンナさん」

 

 「遅ればせながらご挨拶をと。(わたくし)、前々からこのレースにおける1番の強敵は貴女であると確信しておりましたのよ。人気の優劣ではない、パドックで見せた貴女の気位に敬意を表して・・・・・・良いレースにしましょう」

 

 「・・・・・・残念ですが、そのお願いは聞けません」

 

 予想外の返答に目を丸くするプリマドンナ。

 カネケヤキの視線は真っ直ぐ前に向けられている。

 見据えるはゴール。トロフィーを掲げる己の姿。

 なりたい自分に成るために、勝利を誓った者の目だった。

 

 「良いレースとは勝つ側の言葉。そして私はこのレースで、その言葉を私以外が使う事を許す気は全くありませんから」

 

 『クラシック戦線の幕開け「桜花賞」、 咲き誇る桜が女王の誕生を待ち望む! 勝利を祝う花吹雪は誰の頭上に舞い踊るのか!?

 各ウマ娘ゲートイン完了、体勢整いました────

 ───────スタートです!!』



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20話

 一斉に走り出した。

 どのウマ娘も出遅れの無い綺麗なスタートだ。それだけで桜花賞のレベルの高さが窺い知れるが、同時にこのレースが求めてくるレベルの高さを全員が知ることにもなる。

 出遅れがないという事はバ群が固まるという事。

 23人立ての大レース、熾烈なポジション争いを繰り広げつつウマ娘たちは最初のカーブへと殺到する。

 

 『各ウマ娘一斉に第2コーナーに向かう! 激しい先行争い、まず真ん中からプリマドンナ! その内と外にフラワーウッドとブランドライトが続いております! 大外を回りましてマスワカ、6番手にはカネケヤキ!!』

 

 「先頭はプリマドンナか。流石にスタートも上手いな。いち早くハナに立ってポジションを奪った」

 

 「だけどケヤキさんも負けていません。先行策の位置取りとしては理想的なポジションです。あの場所なら先頭を狙いつつ様子を窺える」

 

 「がんばれー」

 

 『第2コーナーを回って向こう正面に向かいます! 早いペースのレース展開でプリマドンナが2番手以降を引き連れて第3コーナーへと───』

 

 「やあああっ!」

 

 歓声と分析、呑気な応援が渾然となった阪神レース場、実況を遮るように1人のウマ娘が加速した。

 先頭争いをしていたプリマドンナとブランドライト、そしてフラワーウッド。

 レースはまだ序盤。しかしそこでフラワーウッドがプリマドンナからハナを奪った。

 仕掛けるには早いかというタイミングだが、比較的距離の短いマイル戦ならばそうおかしな判断ではない。相手のルートを塞ぐかペースを乱すか、距離が短く体力が温存しやすいぶん駆け引きの密度が跳ね上がるからだ。

 

 (なるほど、私を先頭に置くことを危険視しましたか・・・・・・、!?)

 

 2番手に下がったプリマドンナがフラワーウッドの意図を考える。

 まだ順位は悪くない。ここで焦ってくれるなら後半で差し返すのは容易だろう。そう考えていたがしかしその時、プリマドンナの後ろからさらに複数の足音が急速に迫り、そして追い抜いていったのだ。

 

 『内からオーヒメ、外からはマスワカ! インコースからフラミンゴが良い位置に上がって参りました! その後テルクインにカネケヤキ、外にはヤマニンルビーであります!!』

 

 フラワーウッドに釣られてかそれとも他の理由があるのか、予想外の動きに目を丸くしているプリマドンナが一斉に速度を上げてきた出走者たちに交わされていく。

 そして上がってきたのは実況に名前を呼ばれた彼女達だけではない。呼応するようにミスミー、アムビジョン達が前に出て、プリマドンナは一気に中団以下まで呑み込まれてしまった。

 

 「流れが変わった! フラワーウッドさんに触発されたんでしょうか、あそこまで呑まれると抜けるのは難しいですよ」

 

 「プリマドンナは反応が遅れたように見えるな。あそこまで一気に動かれたら無理もないが、しかし随分と動きが同期していたような・・・・・・」

 

 「そうだね。釣られたっていうか揃ったって感じに見えた」

 

 ここまでがんばれーとしか口に出していなかったシンザンが唐突にはっきりと意味のある事を言った。

 思わず注目するウメノチカラとバリモスニセイ。

 柵に寄りかかって前髪を弄りつつ、シンザンは気の抜けた声で駆け抜けていく同朋達に目を細めていた。

 

 「なーんだろうね。最初に抜けたフラワーウッドも加速してきたその他の子も、みんなプリマドンナを見てた気がするんだよねえ」

 

 

 「行かせないから・・・・・・っ!」

 

 「前には出してあげないよ!」

 

 「「 ひーん・・・・・・! 」」

 

 そんな台詞を吐くミスミーとフラミンゴ。

 大差で最後方をぽつんと2人走っているミンドクインとニホンピローの悲鳴がか細く響いている。

 シンザンの読みは当たっていた。

 9戦7勝、阪神ジュニア級(ステークス)レコードホルダー『プリマドンナ』。

 1番人気まで推されるに相応しいウマ娘。そんな彼女が他の出走者にマークされない訳がない。

 軽快に先頭を行く彼女に危機感を抱いて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがプリマドンナを背後から襲った大顎の正体だった。

 レースに絶対はない。

 例えそれが偶然であろうと、幾重にも重なった意図に絡まってしまえば勝利は手堅いと思われている者ですら容易に窮地に追い込まれる。

 その()()()や結び目に絡まりたくなければ冷静な思考と戦況を俯瞰する視点、その2つを常に働かせ続ける他ないのだ。

 そう、例えば彼女のように。

 皆がプリマドンナに注意を偏らせて動いている中で、彼女だけが自分の勝利に向けた最善を積み重ねていた。

 

 『第3コーナーに入りました先頭は7番人気フラワーウッド! 内側に2番手オーヒメ、3番手はマスワカであります!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()!! 先頭集団が一塊になって第4コーナーに差し掛かる!!』

 

 再びスタンド前に現れたウマ娘を歓声が出迎える。

 名前を呼ばれたフラワーウッドにオーヒメ、マスワカにカネケヤキがほぼ一団となってカーブを曲がる。

 ゴールまで残り400メートルを切った。

 脚に力を込めて姿勢を低く。

 一斉にスパートを始めたウマ娘の中で、先団の真ん中から飛び出してきた1人の鹿毛のウマ娘。

 紫色のドレスを翻し、白い長手袋を煌めかせて彼女は誰よりも先頭に躍り出る。

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()!! じわりじわりと後続を引き離していく! 他のウマ娘は差し返せるか、残り300メートル正念場!!』

 

 (抜け出せない! このままでは!!)

 

 焦燥するプリマドンナ。

 しかし前方への道は一向に開けない。

 息切れで速度が上がらず、かつ自分よりトップスピードに劣る者たちに囲まれて彼女は下げられた順位を上げられずにいる。

 厄介なライバルが縛り付けられているその間に先頭のカネケヤキを追い抜きにかかるフラミンゴとヤマニンルビー。

 だが届かない。

 レース開始前にプリマドンナが言っていた事は皮肉にも正しかった。

 皆がプリマドンナという大きな敵に釘付けになっている間に、彼女だけが己の走りを最良の形で完遂したからだ。

 

 (どうして今まで見えていなかった? 私は、私達は! 決して気を抜いてはいけない相手から目を離してしまった!!)

 

 

 ─────You may want to get her back(彼女を捕まえたいんでしょう?).

 

 

 『ゴールまで残り200メートル! 2番手争いはフラミンゴとオーヒメ! 外から突っ込んできたヤマニンルビー必死に追うが届かないッ!』

 

 

 ─────That's why you cannot have it all(だからこそそんな事はさせない).

 

 

 「勝つのは前提。その上で汗と泥に塗れるレースに理想たる『華やかさ』を体現するものがあるならば」

 

 

 ─────Have it all(ぜんぶ叶えてやる). Have it all(全て手に入れてやる).

 

 Have it all all all.....(全部、全部、全部を)──────

 

 

 「それは────『勝ち方』に他ならない!!」

 

 

 『ゴーーーールイン!! 先頭はカネケヤキ!()()()()()()()()()()()()()!! ライバル達を退けて、見事桜の道を駆け抜けた─────っっ!!』

 

 紫と黄のドレスが躍り、大歓声が上がる。

 誰よりも速くゴール板を駆け抜けたウマ娘の名を実況が高らかに謳い上げた。

 第24回桜花賞。

 勝利を飾った鹿毛の彼女は観客席に向けて優雅に一礼をする。

 弥生に咲いた桜の頭飾り(ティアラ)は、カネケヤキの頭上に戴かれる事となった。

 

 『2バ身離れて2着はフラミンゴ、僅差でヤマニンルビー3着! 美しい走りでしたカネケヤキ! クラシック最初の八大競走「桜花賞」、今年の桜の女王の玉座は彼女が勝ち取りました!!』

 

 『迷いの無いレース運びでしたね。常に状況を俯瞰してベストの選択をし続けた結果だと思います』

 

 「いや強かったなカネケヤキは! それにこう何というか、華やかというか!」

 

 「ああ。次のレースが楽しみだ」

 

 「・・・・・・今のレースはどう見る?」

 

 「そうだな。徹頭徹尾()()()()()()に荒らされた展開だったんじゃないか」

 

 ライバルのレースは当然見に来ている。

 観客達が口々にカネケヤキを褒め称える中、古賀に聞かれたトレーナーはそう答えた。

 

 「プリマドンナは間違いなく優勝候補の筆頭だった。カネケヤキが劣っている訳じゃないが、プリマドンナが勝つ可能性はかなり高かっただろうな。

 だが、それだけに彼女を警戒するウマ娘は多かった・・・・・・いや、()()()()()()

 彼女に対する警戒と牽制の数がこういった展開を生み出したんだろう」

 

 「ウマ娘達の心が作り上げた、まさに姿無き魔物だな。その点カネケヤキは本当に見事だった。あの動きの迷いの無さ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あるいは桐生院さんが立てた作戦という事もあり得るが、いずれにせよそれを実行できたのはあの子自身の強さだな」

 

 「この大人数でのスタートから難敵をマークできる位置に着く巧さと、そのマークを切ってタイミング良く仕掛ける果断さ。そして他のウマ娘を引き離す走り。・・・・・・頭の痛いライバルだよ、本当に」

 

 逆にプリマドンナの敗因を考えるなら、恐らくは出走者の多さが1番に挙げられるだろう。

 もしかすると彼女は未知の人数が出走しているこのレースを、普段のオープン戦と同じように走ってしまったのかもしれない。

 人数が増えればマークしてくる敵も増える。1番人気まで推される実力があるなら尚更だ。そこにいつものように振り切る感覚で走っているところに想像を大きく超える人数からのマークが入ってしまい対応が遅れたのではないか?

 それが真実であるかどうかは、本人に聞かねば分からないが。

 

 「カネケヤキ!」

 

 控え室に戻る地下道、トレーナーである桐生院翠が駆け寄ってくる。

 

 「よくやったわ。非の打ち所がないレースだった。『桜花賞』1着、素晴らしい結果よ」

 

 「ありがとうございます。だけど私の目標には、私の理想にはまだ足りません。もっと、もっと走りを突き詰めなければ」

 

 「流石ね。だけど焦っては駄目よ」

 

 一歩ずつ確実に進んでいきましょう、と。

 焦るなという言葉が自分の何を指しているかを理解しているカネケヤキはその言葉には答えない。

 隠していたつもりの焦燥を見抜かれて思わず息を詰まらせた彼女の肩に、桐生院は優しく手を置いた。

 

 「まずはインタビューとウイニングライブからね。・・・・・・お疲れ様。おめでとう」

 

 その言葉でようやく力が抜けたらしい。

 強張っていた肩の力を抜いてようやく込み上げてきた勝利の実感と喜びに、はい、とカネケヤキは花が綻ぶように笑った。

 

 写真撮影にインタビュー。

 八大競走の勝者に対して行われるそれらの規模はオープン戦の比ではない。

 トロフィーを手に笑うカネケヤキを囲む大勢のカメラマンがシャッターを切り続け、記者達は何本ものマイクを向ける。

 見事な走りを見せてくれた今年度の桜の女王を前に、彼らも興奮を隠しきれないようであった。

 

 「おめでとうございますカネケヤキさん! 今のお気持ちは!?」

 

 「はい、とても嬉しいです。強力なライバル達を相手に抜け出す事ができたのは、トレーナーさんとのトレーニングが実を結んだお陰です」

 

 「今回のレースで危機感を覚えた所は!?」

 

 「そうですね、やはりプリマドンナさんが先頭を走っていた時でしょうか。彼女をどう捕らえるかは大きな問題でしたが、冷静に周囲を見れた事が勝因に大きく関わっていると思います」

 

 「知ってる? ケヤキの使ってる蹄鉄ね、あたしが使ってるのと同じやつなんだよ。いいかい、ヒンドスタン重工だよ。ヒンドスタン重工製のやつだよ。あたしのトレーナーさんもイチオシの品質だよ」

 

 近場にいた記者を捕まえて絡んでいたシンザンをウメノチカラとバリモスニセイがヘッドロックで連行していった。

 んええええ、と悲鳴が遠ざかっていくのを何人かのカメラマンがパシャパシャと撮影している様子にカネケヤキはころころと笑う。

 

 「・・・・・・え、ええと、いま連れ去られていったシンザンさん達は皆クラシック路線という事で。カネケヤキさんとは違う路線ですが、彼女らに対して何か考える事はありますか?」

 

 「うふふ、そうですね。シンちゃんもチカちゃんもリセイちゃんも、同期の中ではトップクラスの実力者だと私は思っています。

 なので3つ目を獲るレースは、とても熾烈な戦いになるでしょうね」

 

 「! 3つ目、という事は・・・・・・!!」

 

 「はい」

 

 期待に満ちた記者達に、カネケヤキは真剣な眼差しを返す。

 白い長手袋を纏った手のひらを胸に当て、撤回の利かない目と耳の群れを相手に彼女は力強く宣言した。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()。1つ目は今日獲りました。残るは『オークス』、そしてその次はクラシック路線と激突する『菊花賞』。

 この宣言の証明として次の舞台(オークス)では────必ずや今日以上の走りをしてみせましょう」

 

 その場の全員が湧き上がった。

 一斉に切られたカメラのシャッター音が爆発的なボリュームとなって炸裂し、会見の席は加熱した空気の中で幕を閉じた。

 ─────そして今度は、勝者の舞台が始まる。

 汗を落として化粧を直し、勝負服姿で開始を待つカネケヤキの背後から、バックダンサー用の舞台衣装を纏ったウマ娘が声を掛けてきた。

 

 「おめでとうございます、カネケヤキさん。7着という結果に終わってしまっては、賞賛の言葉も格好が付きませんわね」

 

 「いいえ。このレースは誰が勝っても、それこそあなたの・・・・・・プリマドンナさんの完勝に終わってもおかしくありませんでした。

 しかし私はこれから更に強くなる。次にまた戦う時は、今日とは別物になった私を見せる事ができるでしょう」

 

 「次に戦う時、ですか。残念ながら、それは随分と先の話になりそうですのよ」

 

 それはどういう・・・・・・、と問いかけようとした時に気がついた。

 プリマドンナの舞台衣装、その太腿の部分に普通では身に付けない装飾があった。その装飾は何かゴツゴツとしたものの上に巻かれているようで、彼女の脚線とは合わない歪な押し上げられ方をしていた。

 あの装飾の下には何があるのだろう? まるで何かの器具が取り付けられているような─────

 

 「ッッッ!? あなた脚が─────」

 

 「医師とトレーナーさんには止められました。ですがライブから抜ける気は絶対にございませんわ」

 

 血相を変えたカネケヤキをプリマドンナは確たる強さで抑え込んだ。

 まだライトに照らされる前の暗闇の舞台を見つめ、プリマドンナは狼狽えるカネケヤキに静かに語る。

 

 「ウイニングライブとは応援して下さった皆様に感謝を伝える場。そして敗れた者達が勝者を讃え、悔しさを力に変える為の儀式ですわ。

 (わたくし)は皆様の期待に応える事が出来なかった。そして脚が治った後、これまでのような強い走りが出来る保証もない。

 だから私はこの舞台に立たなければならないのです。それが競走ウマ娘としての私の意地」

 

 カネケヤキの息が詰まる。

 今の彼女とレース前に相対していたら、カネケヤキは気圧されたまま敗北を喫していたかもしれない。

 大きなものを失ってなお胸の底に鈍く輝くプリマドンナの黒鉄のような覚悟は、それ程までに堅く、重たいものだった。

 

 「カネケヤキさん、貴女は前を向いて歌いなさい。(わたくし)はその後ろで貴女を讃えます。叶わなかった私の願いを、勝手ながら背負って頂きましょう。

 ────次は『オークス』。トリプルティアラの2つ目を、必ずや獲得して下さいませ」

 

 

 そして歓声が上がる。

 幾人ものバックダンサーの前で色とりどりのライトに照らされたヤマニンルビーとフラミンゴ、そしてカネケヤキが踊っていた。

 勝負服を来て歌い踊る栄誉を勝ち取った上位3人。

 彼女らの前には自分達を讃える者達が、後ろには悔しさを噛み締めた者達がいる。

 そして、襲う苦痛を押して笑顔で躍る彼女が。

 

 自分は背負った。

 彼らの声援を。彼女の想いを。

 次も頑張れ、勝ってくれと自分に願いをかける者達に、任せてくれと答える為に。

 八大競走『桜花賞』の勝者、選ばれた者しか歌えない曲を、カネケヤキは強く、高らかに歌い上げた。

 

 

 「そうか。これが八大競走の舞台か」

 

 躍るライトに響く歌声。

 大喝采を浴びるステージを見据えながら、ウメノチカラは腕組みした手に力を込める。

 

 「ケヤキの応援に来て本当に良かった。この空気を肌で感じられた事には値千金の価値がある」

 

 「応援していた者が最前列の真ん中で歌う姿は昂りますね。何千ものこれに囲まれて歌うケヤキさんは本当に栄誉でしょう」

 

 「全くだね、あの気の入った歌い様を見なよ。今までのウイニングライブの比じゃあない。あれが勝者だ。あれが勝ち取った奴の晴れ姿って訳なんだ」

 

 眩しいものを見るように目を細めてしみじみと感じ入るシンザン。

 しかしそこにある想いは遠く眺める憧れではなく、いずれ手に入るものに対する待望。

 まるで注文した極上の料理がテーブルに出されるのを待つような心持ちで、彼女は酷くゆったりと(うそぶ)いた。

 

 「(たぎ)るじゃないか。考えてもみてごらんよ。今日の2週間後には、あたしがあそこに立ってるんだ」

 

 他2人が目線を研いで沈黙する。

 同じ競技者、同じ路線に進んだ者としては全霊を以て否定せねばならない物言いなのだ。心に反抗心が生まれるのは当然だろう。

 しかしシンザンがこういう物言いをした時に真っ先に嗜めるか噛みつき返すのはウメノチカラなのだが、今回はそうではなかった。

 

 「シンザンさん。その物言いは少々・・・・・・、驕りと過信が過ぎるのでは?」

 

 バリモスニセイだった。

 てっきりウメノチカラが差し返してくると思っていたシンザンが僅かに目を丸くするが、そのすぐ後にはいつもの不敵な表情に戻っている。

 

 「驕り? 過信? いいじゃないか。自分が勝つ事を自分で確信しないでどうするんだい」

 

 「はい、それも正しい考えだと思います。地に着いていないその足を(すく)おうという者がいない限りは」

 

 「どうかね。そもそも掬える奴がいるのかい? 浮いてるらしいあたしの足を」

 

 「少なくともここに─────」

 

 「2人とも落ち着け」

 

 間に割って入ったウメノチカラが2人の肩を叩いて嗜める。

 バリモスニセイよりも割と強めに叩かれて文句ありげなシンザンの視線を華麗にスルーしつつ、彼女は友人の歌う舞台を見つめていた。

 

 「火花を散らすのはここじゃなくていいだろう。私も言いたい事はあるが、今は祝わないか。最初の大舞台を見事に先駆けた、私達の友達を」

 

 そう言ってウメノチカラは2人の視線を前へと促す。

 堂々と舞い、高らかに歌う。己の象徴たる服を纏い、何万という憧れと賞賛を一身に受けるその姿。

 誰より華やかなカネケヤキのその在り様に彼女達は目を奪われた。

 主役の位置で光り輝く彼女に、自分の姿を重ね合わせながら。



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21話

 そして翌日紙面を賑わせたのは『カネケヤキの桜花賞制覇』と『プリマドンナの負傷・復帰時期未定』の2つの見出し。

 鮮烈に明暗の分かれた2つの報せは、クラシック戦線の栄華と過酷さを何よりも鮮烈にウマ娘達に思い知らせる事となった。

 勝者と敗者、苦難の足枷。残酷なコントラストに彩られたバトンは、そして王道路線の選択者たちに受け渡された。

 奮い立つ者に恐れる者。

 抱いた感情はウマ娘それぞれだろうが、よもや「面倒臭い」と感じている者は流石にいるまい。

 

 『はいワン・ツー・ターン! 笑顔が固い! 動きが緩慢!! 指の先まで気を抜かないっ!!』

 

 『んぇぇぇええええ!!!』

 

 「今日も汚いなぁ・・・・・・」

 

 いた。

 ダンスレッスン用の教室から漏れ聞こえてきたシンザンの鳴き声に、ドアの前まで様子を見に来たトレーナーは1つ頷いてその場を去る。

 前にセンターの振り付けしか練習していない事をトレーナーが咎めたにも関わらず、それを改善する気配が無いことをコーチから伝えられたトレーナーがとうとうコダマにタレ込んだのだ。

 今はバックダンス用の振り付け、要するにレースの結果が4着以下に終わった時のポジションを教わっているらしい。

 彼女は自分が『無駄』と感じた事をしない。

 一生踊る事のない振り付けを覚える意味が分からないと頑なだったシンザンだが、()()()()()()()()()()()というコダマとの個人面談に屈してこうしてトレーニング後に遅れを取り戻すためのマンツーマンの折檻(レッスン)を受けているという訳だ。

 そして開催まで2週間を切った大舞台を前にトレーナー室で追い切りメニューの調整をしていたところ、ノックもなくそこそこ大きな音でドアを開けて入ってきたウマ娘がいた。

 誰あろうシンザンである。

 普段はレッスンが終わるとぐったりと寮へ直帰するそうだが、そろそろ腹に据えかねるらしい。

 つかつかとトレーナーに近付いてきたシンザンは、何とかやり過ごせないかなあと気付かないふりをする彼の肩を掴んで振り向かせる。

 

 「トレーナーさん。すぐにコダマさんにもうレッスンは必要ないって言いな。負けた時の想定なんてあたしにゃやる必要も意義もないだろうがよ」

 

 「無茶を言うな。怒られたのは俺だって同じだぞ。自主性に任せるのはいいが1歩間違えれば放置と変わらないって。それも5つ以上歳下の()から」

 

 「あんた正月に言っただろ。忘れたとは言わせないよ。『お前が自分の天運を信じるなら、実力は俺が担当する』って。・・・・・・あんたが担当したあたしの実力は、3着にも入れないかもしれない程度でしかないってのかい?」

 

 ・・・・・・非常にシリアスな物言いだが、問題の根っこが「もうレッスンやりたくない」なのだから締まらない話である。

 非常に微妙な顔をしていたトレーナーだったが、しかしそれを言質に取る論法で来るのなら引く訳にはいかない。

 ずいっと顔を寄せて詰めてきていたシンザンに逸らしていた目線を合わせ、トレーナーは冷たい石のような声で彼女に突きつける。

 

 「お前達はプロだ。ファンの方々がお前達に最高の姿を望んでいるのなら、走りでもライブでもその期待に足るものを魅せる義務がある。

 そこに綻びがあってはならない。競走ウマ娘だけじゃない、どんな場所に立ってもその場所での最高をいつでも発揮してみせるのが一流というものだ」

 

 「発揮するに決まってるだろ。だからこんな無駄な事させんなって話をしてんだよあたしは」

 

 「その傲慢さはお前の強さだ。だがそれは少し踏み外せば怠慢に変わる。お前のように()()()()()()()()()()()()が『私は違う』と嘯きながら沈んでいくのを俺は何度も見てきたぞ。

 お前がどれだけ『自分は別だ』と考えていて、たとえそれが事実だとしても────俺が担当する実力に、そんな弛みは許さない」

 

 『驕ること』と『舐めること』は違う。

 舐めた言動は内面を腐らせ、腐った内面は言動を変えるのだ、と。

 今まで自分の気性を尊重してきたトレーナーの初めての説教にシンザンは思わず怯んだようだった。

 シンザンを聞かせる体勢にしたところで、トレーナーは彼女の要求に対する答えを整然と述べた。

 

 「無駄だ何だの話をするなら、サボった結果こんな状況になる方がよっぽど無駄だろう。ダンスが仕上がればコダマのレッスンも終わる、真面目にやってさっさと仕上げなさい。幸いお前は要領が良いんだから」

 

 「・・・・・・はーい」

 

 少なくとも反論は無いらしい。しかしやはり不満は残るのか不承不承といった様子で唇を尖らせるシンザンに、トレーナーは少しばかりのフォローを入れる。

 

 「もし不満ならそうだな、これからもレースに勝ってセンターに立ち続けてくれ。それを最後まで貫き続けたのなら、俺はお前に誠心誠意頭を下げよう」

 

 「言ったね?」

 

 部屋を出ようとしていたシンザンが足を止める。

 歩く途中で急停止して片脚立ちで仰け反るようにして上半身をトレーナー室に留めた彼女は、気に食わない目の前の男をジトッとした眼差しで睨みながら人差し指を向けた。

 

 「吐いた唾呑むんじゃないよ。この大舞台でまず1回、()()()()()()()を見せてやるからね」

 

 そんな台詞を残してドアが閉まった。

 期待してるよとドア越しに言葉を投げたトレーナーはちらりと時計の時刻を確認する。

 もう寮の門限が近い。自由に出来る時間がないというのは確かに彼女には自業自得とはいえかなりのストレスだろう。これを機に今後のレッスンはサボらずやってくれるといいのだが。

 さて、とトレーナーは仕切り直すように机に向き直る。

 弛みは許さないと言ったからには自分も気を抜いていられない。

 センターに立ち続けた彼女に頭を下げるのは、ひいては自分の理想・目標になるのだから。

 

 「・・・・・・火を着けるのが上手いねえ。相変わらず」

 

 口角を面白そうに曲げながらそう独り()ちる。

 来たるその日まで1週間と少し。

 ここ最近よりは軽い足取りで、シンザンは日の沈みかけた寮までの帰り道を歩いていった。

 

 

 

 

 「よう。担当の調整の具合はどうだ?」

 

 「上々だ。コンディションに懸念すべき点はない」

 

 「自分もやれる事は全部やりました。後はあいつを信じるだけです」

 

 (まばら)に降る雨の中、雨具を着た男3人が言葉少なに会話を交わす。

 普段は友人。レースではライバル。

 その関係はウマ娘だけに止まらない。大一番を前に力を尽くすのは彼女らのトレーナーとて同じ事。

 パドックに現れた1枠1番のウマ娘、自分の担当の前に立ち塞がる強敵の1人を、トレーナー達は鋭い面持ちで見据えていた。

 

 4月19日『皐月賞』。

 ティアラ路線の桜花賞に続く、()()()()()()()()

 『最強』の座を夢に抱いて心を燃やすウマ娘たちが刃を交わらせる最初の舞台が、とうとう幕を開けた。

 

 

     ◆

 

 

 「いやあ、初めて勝負服を着たウマ娘が上がるパドックはやっぱいいもんだな! 張り切ってるのがこっちにまで伝わってくる」

 

 「ああ、誰が勝つか全く予想がつかん。あの気迫は全員に可能性があるだろう。人気は低いがバリモスニセイもひょっとするかもしれないぞ」

 

 「13番人気は流石に無いだろ。メイクデビュー以降勝ち切れてない勝負ばかりだし、やっぱりここはシンザンで決まりだよ」

 

 「ちょっとアイツしばいていいっスか」

 

 「落ち着け莫迦(ばか)もん」

 

 聞こえてきた会話の主に舌打ちと共に詰め寄ろうとした佐竹を古賀が止めた。

 ギャラリーが増えれば口さがない者も多くなる。そういう相手への対処法を身に付けるのもトレーナーの通過儀礼のようなものだが、腕はあっても学園のトレーナーの中ではほぼ最年少の佐竹はまだ精神的な未熟さが残っているようだった。

 

 「後は信じるだけと自分で言ったろう。目に物見せるのは彼女の役割だ、熱くならずに構えてろ」

 

 「・・・・・・はいッス」

 

 「分かればいい。とはいえ気に食わない気持ちはよく分かるぞ? もうどこで聞いても、この皐月賞はシンザンの話で持ちきりだ」

 

 皮肉げな顔で周囲を見渡す古賀。

 声が集まって一塊となった音の中からでも『シンザン』という名前は聞こえてきた。

 ここまで無敗の5連勝、破竹の勢いでスプリング(ステークス)を制した今最も勢いのあるウマ娘。かつて『新参(シンザン)』と揶揄されていたとは思えない程の注目を集めており、レース前から盛り上がっていた彼女の評判は先程のパドックでさらに話題に上る事になった。

 例えばシンザンに対して前走のスプリング(ステークス)のリベンジに燃えるウメノチカラ。

 例えば13番人気という下評をこの大一番で引っ繰り返し己の力を証明せんとするバリモスニセイ。

 誰も彼もが眼光と立ち姿で気炎を吐くパドックで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 勝負服姿でのっそりと現れたと思えば降り始めた春の小雨の風情を楽しむように空を見上げ、そして思い出したように観客たちにゆるゆると手を振り、適当に腕組みのポーズをしてみせてからのっそりと退場していった。

 『・・・・・・牛か?』

 あまりにも落ち着き払ったその様子に、観客の誰かがそう呟くほどだったという。

 

 「あそこまでパドックで異彩を放つウマ娘はいない。少なからず緊張するものなのに、あの肝の太さは大したもんだ」

 

 「あれは自分が勝つのが既定路線と思ってるやつのリラックスですよ。・・・・・・前から気になってたんですが、レース前に一体なんて声を掛けてるんですか?」

 

 そう聞かれたトレーナーは思い出す。

 パドックに上がる前、控え室のイスで鼻歌でも歌いそうなほどにゆったりとしていたシンザンの様子。

 強張りは無く緩んでいる訳でもない、ベストパフォーマンスを確信できるコンディションだった。

 もはや自分が気を揉む事はなく、ただ「行ってこい」と送り出すのみと思われたその時、シンザンの方からトレーナーに会話を持ちかけたのだ。

 

 『トレーナーさん。そういやあたし、前から気になってる事があってさ』

 

 『っ、どうした?』

 

 思わず身構えた。

 シンザンの気になっている事というのが何かは分からないが、もし質問の答え方によってはレース直前にブレが生じるかもと考えると気楽ではいられない。

 自分よりも神経質になっているトレーナーに対して、シンザンが問いかけた心の(しこり)とは──────

 

 

 『なんで4月(卯月)にやるのに「皐月」賞なんだい?』

 

 『創設された当初から2回名前が変わって今の「皐月賞」になったんだが、レースが初めて開催されたのが4月の事でだな・・・・・・』

 

 

 「・・・・・・普段通りの雑談だよ。元々あいつが図太すぎるだけだ。俺は何もしていない」

 

 またそれだ、と言いたげな佐竹の不満顔。

 もしやその雑談の内容と言葉選びに秘密があるのではと更に探りに行く姿勢になっている彼だが、そう答えたトレーナーの目がどこか遠くを眺めているのを古賀だけは理解していた。

 

 

 (成る程、こりゃいい。一足先にケヤキが感じたのはこれだった訳だ)

 

 隙間なくひしめく観客の数。

 色とりどりの己の象徴を纏った出走者達。

 そして胸を満たす高揚。

 挙げる全てが普段とは別格、オープン戦とは比にならない『八大競走』の熱気を、シンザンは小雨に立ち上る芝と土の匂いと一緒に胸一杯に吸い込んだ。

 特に『勝負服』だ。

 これを全員が着ているというのがいい。

 着ているだけで溢れるこの全能感を全員が感じているのが最高だ。

 そんな奴らと一緒に走れば自分は絶対に楽しい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 期待に胸を躍らせながら、シンザンは共に走る友人2人に朗らかに声をかけた。

 

 「ウメもニセイも難しい顔してんじゃないよ。せっかくの舞台だ、思い切り楽しもうじゃないか!」

 

 

 

 その言葉にどう答えたか、2人は覚えていない。

 ああとかうんとか、そんな返事をした気がする。

 頭に残らなかったのだ。

 前に1度見たはずの姿。紋付袴にも似た己の象徴を纏ったシンザンが一瞬、()()()()(おお)()()()()()()()



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22話

 『さあどのウマ娘も気合十分、続々とゲートに収まっていきます。見事期待に応えるか1番人気シンザン! 飛ぶ鳥を落とすか2番人気アスカ! 4連勝目を飾れるか3番人気クリベイ! 最も注目を浴びる彼女達はどんな走りを見せてくれるのか!』

 

 弾倉に装填されていく色とりどりの弾丸。

 銀色の箱に収まったバリモスニセイは胸に手を当てて大きく深呼吸をした。

 思えばシンザンと激突するのはこれが初めてだ。

 今やクラシック戦線の先頭に立つ彼女。甘く見積もれる訳がない。自分を含めてこのレースに出走する者全員、大なり小なり彼女のマークや対策を考えているだろう。

 

 (覚悟を決めて、それでも気圧された)

 

 気負い一つ無い立ち姿。

 八大競走という大舞台でああも肩の力を抜いて笑える肝の太さに、バリモスニセイは一瞬呑まれた。

 先のスプリングステークスで彼女と戦ったウメノチカラも感じたのだろうか。その意図無くして放たれる、圧倒的なサイズ差にも似た威圧感を。

 

 「ふんっ!」

 

 乾いた音が別々のゲートから2つ同時に響く。

 ウメノチカラとバリモスニセイが己に喝を入れる為に自分の頬を両手で挟むように打ったのだ。

 離れているのに行動が被った気恥ずかしさに僅かに頬の赤みが増すが、しかしそれが逆に緊張を解きほぐす切っ掛けになった。

 相手が強いのも強い相手に気圧されるのも、()()()()()()()()()()()()

 その中でどこまで自分を貫けるか。走りも心も、レースにおいてはそれが全てだ。

 ゲートの中で決意を抱き、滾る心を前の足に込めてウマ娘達はその時を待つ。

 今か。まだか。もう来るか。

 撃鉄に叩かれるその時を闘志の炸薬は今や遅しと待っている。

 『今度こそ勝つ』。

 『リベンジを果たす』。

 真の実力を示さんとするバリモスニセイに前走のリベンジを望むウメノチカラ。

 視界を占める鈍色の扉を睨む彼女らの中でただ1人、紋付羽織を纏った鹿毛が楽しそうに笑っていた。

 

 『ゲートイン完了しました第24回「皐月賞」、体勢整いまして─────今スタートです!

 各ウマ娘綺麗なスタートを切りました! 最初の先行争いはガルカチドリとバリモスニセイ、続いて3番手はウメノチカラ、1番人気シンザンは4番手!

 その後ろにアスカという体勢であります!』

 

 歓声と共にゲートからウマ娘達が飛び出した。

 ミスなく飛び出した24人は束の間だけ綺麗な横並びになり、そして各々の作戦によってそのラインは大きく崩れていく。

 逃げや先行を打つ者は前、差しは中段。後半の追い込みに懸ける者や判断の遅れた者は後方へ。

 間を空けずに形を変えて足音を轟かせるバ群は1匹の単細胞生物のようにも見えた。

 

 「バリモスニセイは逃げを打ったか。バ群に呑まれないメリットはあるが、あまりガルカチドリとの削り合いが長引くと不利だな」

 

 「問題ありませんよ。ニセイの粘り強さは目を見張るものがある。先に潰れるのは向こうの方です」

 

 『さあハナを奪い合うバリモスニセイとガルカチドリに引っ張られて集団が第2コーナーへと殺到する! ファイトモアとアスカがインコースから上がってきた、シンザンは変わらず好位置をキープ。

 ニューキヨタケ、キオー、ハナビシ、ダイセイオーと続いてマルサキング、ヤマニンスーパーは中団の位置につけております!』

 

 「・・・・・・っ、」

 

 ガルカチドリの頬に早くも汗が伝う。

 他のウマ娘と作戦が被るのはよくある事だ。この大人数で紛れないように早々に先頭に立とうと考える者がいるのは別にいい。

 問題は隣の彼女にどれだけ付き合うか。隣を走るバリモスニセイとの先頭争いをまだ続けるべきかだ。

 

 (このペースのまま先頭まで走り切れるって言わんばかりだな)

 

 このまま張り合うか、先頭を譲るか。

 すぐ近くを走る自分に目線もくれない自信満々のバリモスニセイの走りに、ガルカチドリは脳内に選択肢を巡らせる。

 ─────恐らくはペースを緩めた方がいい。

 このペースが続けば後半には失速は免れないし、逃げたウマ娘を標的にしようと考える者は多いはずだ。

 体力は残しつつ付かず離れずの位置で他のウマ娘と一緒にせっついて消耗させるのが賢い選択だろう。

 しかし、だ。

 

 「んなせせこましいマネしてらんねえよなあ!?」

 

 「!」

 

 ガルカチドリはそれを否定。

 獰猛に叫んで彼女はバリモスニセイに競りかける。

 13番人気の彼女と15番人気の自分、何の因果か同じ境遇・同じ方法で実力を示そうとした者同士。

 鏡に映った自分を相手に退くことを彼女の闘争心が許さなかった。

 第2コーナーを過ぎた直線に入ってガルカチドリは少しだけ後ろの様子を確認し、煮える頭の冷静な部分で思う。

 最初に抜け出すことが出来てよかった。

 この天候でバ群に呑まれたら危なかったな、と。

 

 「・・・・・・雨か。小雨とはいえ雨粒や蹴られた水が目に入ったら面倒だな」

 

 そうトレーナーは呟いた。

 レースは流れて向こう正面、第3コーナー前の上り坂に差し掛かろうというところ。

 3番手の位置で巡航していたウメノチカラは改めて周囲の様子を確認する。

 依然としてバリモスニセイとガルカチドリの先頭争いは続いており、ここからでは見え難いが実況の声から判断すると3番人気のクリベイはツキホマレにアカネオーザと共に後方にいるようだ。

 

 (そして振り返っても見えない辺りアスカは中団の内側か。他の奴らの居所も大体把握できたが・・・・・・)

 

 前走で自分をブチ抜くと宣言してきたウマ娘の存在を少しだけ気にしつつ脳内に戦場の俯瞰図を描くウメノチカラ。

 しかし何より気にかかるのは、自分のすぐ後ろにいる4番手の彼女である。

 

 (シンザンめ。絶好の位置で張り付いてくる)

 

 絶好のスタートからここまで彼女のレース運びに一切の淀みがない。誰よりも先んじて好位置を確保したシンザンは、そのままウメノチカラをマークする形で4番手をキープし続けている。

 視線に気付いて返事をするように眉を上げたシンザンに、ウメノチカラは気に入らないとばかりに鼻息を鳴らして再び前を向いた。

 しかしそんなシンザンを同じようにマークしているウマ娘が1人いる。

 明確に自分に合わせたペースの足音を近くから聞いたシンザンがちらりと後ろを見れば、そこにはよく見知った黒鹿毛がいた。

 

 (ヤマニンスーパー)

 

 執念の眼差しを背中に受けつつシンザンは走る。

 ────普通は中山レース場で行われるこの『皐月賞』、今年の開催は予定が変更されここ東京レース場での開催になっている。

 そう、東京レース場。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ヤマニンスーパーにとっては2度目の場所。人数や天候は違えど奇しくも前走の再現となったこのレースは、彼女にとってノウハウを蓄積した上で臨むリベンジとなる。

 

 「今度は貰うよ」

 

 余計な息は使わず口の動きだけでそう布告するヤマニンスーパー。

 坂を駆け上るフォームとリズムに乱れはなく、前走の経験を遺憾無く実力に変換したことを示していた。

 スプリング(ステークス)ではピッチ走法で走った上り坂をシンザンも同じように上っていく。

 ただ1つ前回と違う点を挙げるとするのなら・・・・・・

 

 (ありがとねトレーナーさん。あんたのお陰で脚が軽いよ)

 

 ちっとも感謝してなさそうな顔でシンザンは軽快に脚を回して上っていく。

 ここまで脚に履いてきた重りに比べれば、この程度の坂の負担なんて大したものではなかった。

 

 そして上り坂が終わって第3コーナーの下り坂に差し掛かかり、いよいよ正念場が目前に迫ってくる。

 今を機と見るかまだ抑えるか。最良の仕掛け所を見極めんと各々が神経を尖らせて俄にペースが上がり始める頃、とうとう1人目が動いた。

 

 「ここ、かな・・・・・・!?」

 

 『ニューキヨタケがここで仕掛けた! ペースを上げて3番手まで追い上げてくる! それに呼応するように他のウマ娘達の動きも活発になって参りました!』

 

 「「うおぉおーーーーっ!!」」

 

 ニューキヨタケに触発されたように何人かのウマ娘がスパートをかけた。

 シンザンの背後でぐっと姿勢を落としたファイトモアとタケシが咆哮を上げ、その気迫に尻を蹴飛ばされた後続が慌てたように勝負に出始めた。

 第3コーナーを過ぎた辺りで脚を伸ばしてきたダイセイオーがシンザンを追い抜かしてウメノチカラに接近、3番手を争うグループに入ってきた。

 しかしシンザンはまだ動かない。

 アスカはサンダイアルの側、中団やや前方で不気味に息を潜めている。

 

 「はっ、はっ、ハァッ、くっそぉ・・・・・・!」

 

 息を切らしてゆっくり引き摺られるように順位を落としていくガルカチドリ。

 先頭争いから脱落してしまったのだ。理由は単純なスタミナ切れ。ハイペースでハナを奪い合った影響がここで現れた。

 しかしここに『彼女』の姿がない。

 彼女と熾烈な先頭争いをしていた者の姿がない。

 ()()()()()()()()()()()()!!

 

 「このペースで走って、削り合ってっ・・・・・・まだ余裕があんのかよテメェえええっっ!!」

 

 追い縋る声も置き去りにされていくコーナー中間。

 逃げ切りを策す先行勢と追い込みを図る後続の熾烈な戦火が燃え上がる中、必然の(かげ)りを見せ始めた者がいた。

 ガルカチドリを競り落としたバリモスニセイだ。

 スタミナの枯渇は逃げの常。あの削り合いを制してなお先頭に立つ粘り強い走りは驚嘆の一言だが、スタートからここまで続いた衝突に消耗していない訳がない。

 己の脚が徐々に鉛に変化していくのを彼女はじわりじわりと感じ始めていた。

 

 (流石にキツい。だけどまだいける)

 

 気合を入れ直すように大きく息を吸い込み、バリモスニセイは鈍っていく脚に鞭を入れた。

 脚の残りはもう少ない。しかしまだ使える。

 ならば最後まで出し切るだけだ。

 たとえどれだけ消耗しても、最悪ゴール板を越えた後で倒れたとしても。

 

 「先にゴールすれば──────私の勝ちだ!」

 

 「そうだね。あたしの勝ちだよ」

 

 

 するり、と。

 そんな声がすぐ近くから聞こえてきた。

 思わず振り向くと確かにそこに彼女がいた。

 後ろから仕掛けてきた者らを振り切って、いつの間にかウメノチカラや自分より先に仕掛けたニューキヨタケすら抜き去って、()()()()()()()()()()

 

 『バリモスニセイの脚がやや鈍ったか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 第4コーナー中間でシンザンが5番手から一気に先頭を捕まえにかかる!!』

 

 シンザンがここで起動した。

 好位置で機を伺い続け、他のウマ娘が勝負を仕掛ける中でもじっと押さえ続けてから解き放たれた末脚。

 同時に仕掛けたはずのツキホマレはまるで彼女に届く気配を見せなかった。

 第4コーナーの終わり。

 ラストスパートに向けて固まっていたバ群が横に広がり、ウマ娘達の最後の力走が始まる。

 1番人気に予期せぬ伏兵、期待通りの実力者。

 逃げ切るか差し切るか、最終直線の最前線にまず躍り出たのは、奇しくもあの日三女神像の前で想いを受け取った者達だった。

 

 『並んできた! シンザンがバリモスニセイに並んで参りました! そして後方からはウメノチカラが先頭へと襲いかかります!!』

 

 「おおおおっ! シンザンが来たぞ!」

 

 「頑張れバリモスー! 押し切れーッ!!」

 

 「ウメノチカラぁあ──────ッッ!!」

 

 観客のボルテージが一気に上昇した。

 彼らが叫ぶ自分の名前に背中を叩かれるようにスパートを掛けた彼女らは正しく疾風となってターフを駆け抜けていく。

 ウメノチカラの後ろを走るツキホマレとナスノカゼは彼女らの背中を歯を食い縛って睨みつけていた。

 速度か体力か戦略か、仕掛けたタイミングは同じなのに開いていくこの差が煮え滾るように悔しかった。

 

 「逃さないわよウメノチカラ」

 

 そしてそんな彼女らを飛ぶように追い越していく影がひとつ。

 束ねた鹿毛を靡かせて、空飛ぶ鳥のような軽快さで彼女は中団から伸び上がってきた。

 

 「言った通りにアンタをブチ抜いて! そのまま1着も攫ってやるんだから!!」

 

 『シンザンがバリモスニセイを交わして残り400! ()()()()()()()()()()()()()()()()!! 中団から抜け出たアスカが一気に先団へと飛び込んで参りました!!』

 

 「まだだニセイ! お前なら差し返せる!!」

 

 「気張り所だぞウメ─────ッッ!!」

 

 身を乗り出す佐竹に拳を振り上げて叫ぶ古賀。

 それに応えるようにバリモスニセイはインコースで粘り、ウメノチカラも懸命に食い下がる。そしてそこに突っ込んでくるアスカ。

 勝負は未だ分からない。

 自分は何と言うべきだろうか。

 「勝ちたい」でも「勝ってやる」でもなく、ただ「勝ってくる」とだけ言って控え室から出た彼女に向けて『勝て』と言うのは違う気がした。

 ならば自分も彼女の勝利に対する確信に倣おう。

 前のようにただ「勝ってこい」と言おう。

 叫ぶ言葉が観客達の声援に負けないようにトレーナーは大きく息を吸い込んで、

 

 「シンザ──────」

 

 言葉が出なかった。

 黒い羽織に真紅の長着、悠々と先頭を走る彼女が。

 必死の形相で追い縋ってくる者を背に目の前を通り過ぎたその姿が一瞬、自分の視界が絵画になったかと思う程に完成されて見えたから。

 

 (まだだ、まだ終わりじゃない!!)

 

 (諦めません! 絶対に!!)

 

 (アタシが勝つ。アタシが勝つ!!)

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ウメノチカラとバリモスニセイが懸命に食い下がる!

 飛んできたアスカがウメノチカラを交わして外から急接近しかしシンザンは余裕充分!!

 届くか! 届くか! いやこれはもう届かない!!

 先頭はシンザン、先頭はシンザン!!

 栄光のゴールはすぐそこでありますッッ!!』

 

 ふざけるな。

 尚も勝利を諦めず走っている者にとってシンザンの勝利が、つまり自分の敗北が確定したようなその実況はどれほど腹立たしいものだっただろう。

 しかしどれだけ追ってももう届かない。

 宣言通りに彼女は勝つ。

 小雨降り(しき)る府中の芝。触れる事も叶わないその後ろ髪の向こう側で、彼女は確かに笑っていた。

 そして────────

 

 

 『───ゴールイン!! ()()()()()()、1バ身弱離れて2着はアスカ!!シンザン堂々と勝ちました!!

 これで無敗の6連勝!! 負け無しの戦績にクラシックの冠がまず1つ─────ッッ!!!』

 

 

 決着。

 実況の叫びに観客達は拳を上げて歓声を上げる。

 見事1番人気に応えてみせたシンザンの実績に違わぬ実力に全員が惜しみない賞賛を送った。

 大記録に沸き上がるレース場の芝の上、先頭を逃した者達は敗北の味に歯噛みしながらも恐るべきライバルの背中を睨み付けている。

 殺意すら込もったその視線の中には今はまだそう大きくない、しかし確かな畏怖があった。

 それだけ彼女が強かったのだ。

 第4コーナーで一気に伸びて前の数人を纏めて抜き去り、追い込んでくる後続をそのまま楽々と押さえ込んでしまった断ち切るが如きその脚が。

 

 『クラシック三冠を手に入れる』。

 かつて彼女はそう言った。

 それは誰もが夢に見て、挑む権利すら掴めずに終わる『最強』に最も近い称号。

 その戦場は彼女と同じように豪語した者が苦杯を飲んで夢破れてきた、豪傑達の百鬼夜行。

 

 ─────だけど、これは。

 

 ─────もしかすると。本当に。

 

 勝利した側は拳を上げて、負けた側は拳を震わす。

 そんな単純な図式の中、自分を見ながら拳を天に突き上げるシンザンに対してただ1人、トレーナーは高揚に震える拳を押さえ込んでいた。



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