ザツな旅 (クリス)
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志摩リン(1)

シャミ子が悪いんだよ

要望が多かったんで百合ルート投稿します。たぶんクリキャン以降の話です




 

 

 

 わたしには最近気になっている奴がいる。

 

 そいつはちっこくて、ビビリでヘタレで、距離感ガバガバで、それでいてすごく優しくて、なんていうか変な奴だ。

 

 人気のない図書室の貸し出しカウンターで、へんちくりんな本を読みながら向こうのテーブルで間抜け面を晒して寝ている奴をチラ見する。

 

「めっちゃ寝てるし」

 

 椅子からずり落ちそうになりながら、涎を垂らして寝ているのは山中双葉。ひょんなことから知り合った変な奴。

 

 まあ恥ずかしいから本人には言わないけど、わたしは親友だと思っている。

 

 なんとなく気になって席を立って双葉に近づく。

 

 口をあんぐりと開けて眠りこける双葉の顔を覗き込む。

 

「こいつ、意外と顔整ってるんだよな」

 

 風が吹けば吹き飛びそうなちっこい身体。

 

 最近さらさらになった灰色がかった黒髪。

 

 今は閉じられているけど、琥珀色の綺麗な瞳。

 

「睫毛なげー」

 

 サイズのあってない赤ぶち眼鏡と態度のせいで普段は意識が向かないけど、双葉はかなり美人だ。

 

 成長したらきっと桜さんみたいに美人になるだろう。

 

「おきろー風邪引くぞー」

 

 指で白い頬をつつく。指先にぷにぷにとした感触が伝わる。

 

「ほっぺ、やわらけー」

 

 なでしこのほっぺが餅ならこいつのほっぺはマシュマロだ。なんだかくせになりそうだ。

 

「うぉっ」

 

 いきなり双葉の顔がピクっと動き慌てて指を離す。やばい、起こしちゃったか?

 

「むむむ、すぅ……」

 

「びっくりしたぁ」

 

 よかった、まだ寝てるみたいだ。ほっぺをつついてるところなんてバレたら恥ずかしくて死ねる。

 

「首丸出しだし」

 

 双葉はこの辺の高校の女子にしては珍しくマフラーの類をしない。たぶんバイクに乗っているからなんだろう。

 

 図書室はストーブを炊いているとはいえ窓も多く冷えやすい。双葉が丈夫なのはよく知っているけど、ちょっと心配になってくる。

 

「ったく、しょうがないなあ」

 

 自分の首に巻いているマフラーを外して双葉の細い首に巻いてやる。さっきから散々いじってるのに一向に起きる気配がない。

 

「無防備すぎんだろ」

 

 こんなんで野宿してるっていうんだから心配になってくる。

 

「襲われてもしらねーぞ」

 

 双葉はいつもフラフラしていてなんていうか見ていて危なっかしい。

 

 ヘタレなくせに行動力だけは妙にあって、目を離すとすぐにどっかに行ってしまう。

 

 この前なんていきなり大阪からライン送ってきて本当にびっくりした。こいつ基本的に事後報告ばっかりなんだよなあ。それじゃ意味ないっての。

 

 双葉を見ているとお母さんがわたしを心配する気持ちがよくわかる気がする。

 

「それにしても、ほんと黙ってれば美人だよなあこいつ」 

 

 前に廊下を歩いてる時、男子が双葉のことを噂しているのを聞いたことがある。

 

 野クルのメンバーはみんな顔がいいから密かに話題になってるのは知ってたけど、ちょっともやもやした。

 

「何も知らないくせに……」

 

 小さいころに親が離婚して家にも学校にも居場所がなく、ずっと一人ぼっちで生きてきたという双葉。

 

 時折昔のことを話す時の、あの寂しそうな笑顔を見るたびに胸が苦しくなる。

 

 冷静に考えてみれば、中学生で50キロも歩いて野宿するなんて、家出以外の何ものでもない。

 

 キャンプみたいな遊びじゃない。双葉にとっての旅は文字通り生きるための手段だったんだろう。

 

 あの寂しそうな笑顔を見ると、いつか旅に出たっきり帰ってこないんじゃないかって不安になる。

 

「人が心配しているっていうのに、呑気な奴だぜまったく」

 

 人が心配している横でくぅくぅと可愛らしいいびきをかく双葉にむかっときてほっぺをつつく。

 

 わたしの指が双葉のほほをつつくたびにムニムニと動いて、なんだか悪いことをしているみたいで妙にドキドキしてくる。

 

「こいつ、ほんとに起きないな……」

 

 寝る直前、ゲームやってたせいで眠いって言ってたけど、どんだけやってたんだ?

 

 あとで説教だな。

 

 なでしこだってここまでされれば起きるだろう。そう思うとなんだか悪戯心が芽生えてきた。

 

 エスカレートする感情に身を任せ頬をつついていた指をぷるぷるした唇に持っていく。

 

「うわ、やわらか……」

 

 まるで水羊羹みたいにやわらかい唇に思わずどきりとする。

 

「ほんと、どうしたんだろわたし……」

 

 普段だったらこんなこと死んでもやらない。こんなこと斉藤にもしたことがない。というかむしろされる側だ。

 

「斉藤もこんな気持ちでいじってたのか? でもあいつ髪だしなあ」

 

 いざ自分がする側に立ってみると、なんというか変な背徳感に襲われる。

 

 きっとこいつがあんまりにも無防備なのがいけなんだ。わたしは悪くない。

 

「ふ、双葉が悪いんだからな」

 

 そう、全部こいつが悪いんだ。さっきから妙にどきどきするのも、ほっぺに悪戯するのをやめられないのも、全部全部こいつのせいだ。

 

「……もうちょっと近づいてみるか」

 

 自分の口から、自分の声とは思えないくらい低い声が漏れた。

 

 それはまさに悪魔の囁きだった。

 

 未だに眠りこけている双葉の人形のような顔に自分の顔を近づけていく。

 

 鼻から出た吐息がわたしの顔にあたる。心臓がバクバクして抑えられない。

 

 1ミリ、また1ミリと顔が近づいていく。もう視界のほとんどが双葉の顔で埋め尽くされている。

 

 長い睫毛、眼鏡のレンズでちょっとだけ歪んで見える二重の瞼、マシュマロのように白くてもちもちの頬。

 

 そして、ぷるぷるした唇。

 

 思わず唾を飲み込む。なぜかそうしたくてしかたがなかった。

 

 人一倍優しくて、面倒見がよくて、気配りが上手で、ヘタレなくせに変なところだけかっこよくて、それでいてどこか危なっかしくてほっとけない、わたしの大好きな友達が今、目の前にいて、わたしに全てを曝け出している。

 

 わたしがなにもしないと心の底から信じきっている。背徳感と罪悪感が混ざり合って頭が沸騰しそうになる。

 

 心臓の高鳴りが止まらない。自分の顔に熱がこもっていくのがよくわかる。

 

 顔をちょっと傾ける。なんとなくそうしないと鼻がぶつかりそうだと思ったからだ。

 

 双葉とわたしの距離はもう5ミリもない。どっちかがちょっとでもうごいたらぶつかってしまうだろう。

 

 なにがとは言わない。この姿勢で真っ先に触れるものなんて一つしかない。

 

 これから何が起きてもそれはきっと不可抗力だ。こんなに近いんだ。何が起きたって不思議じゃない。

 

 だからわたしは悪くない。全部、全部双葉が悪いんだ。

 

 あと4ミリ。あと3ミリ。あと2ミリ。

 

 あと──

 

「リンちゃーん!!」

 

「ぶふぉっ!?」

 

 突然聞こえてきた第三者の声に猛烈な勢いで身体をのけぞらせる。この声、やばいなでしこだ。

 

 見られた? 見られたのか!?

 

「へぇ? どうしたの? そんなに息荒くして」

 

「な、ななんでもない。ど、どうしたのなでしこ」

 

「今日は野クルの集まりないから、リンちゃんとお話しようかなって思って」

 

「ほっ……」

 

 よかった。見られてない。見られてたら冗談抜きで本当にやばかった。

 

 わたしが双葉に……あ、あんなことしようとしてたなんて。なでしこには絶対に知られたくない。

 

 ていうか何やってんだわたし。あんなの、ま、まるでキスじゃないか……

 

「あ、双葉ちゃんもいたんだ。って、すっごい寝てる」

 

「そ、そろそろ閉めたいから起こそうと思ったんだけど、ぜんぜん起きなくてさ」

 

 熱くなった顔を見られないように逸らしながら必死に話を取り繕う。

 

「昨日遊びに行った時、ずっとゲームしてたって言ってたし、そのせいかも」

 

「え、それって双葉の家に?」

 

 なでしこがふとこぼしたセリフに、わたしはなぜだか心臓が締め付けられるような錯覚を覚えた。

 

「うん。あ、リンちゃん聞いて聞いて! 双葉ちゃんね、昨日オムライス作ってくれたんだよ! しかもコックさんが作るみたいなナイフでパカーってするやつ! すっごくない!」

 

「へぇ、そう、なんだ……」

 

 わたしの知らない双葉のことを楽しそうに語るなでしこを見て、なぜだか急に胸がモヤモヤしてきた。

 

「双葉ちゃんのお家のキッチンすごいんだよ。シンクとかコンロとかもうすんごいおっきくて、道具とかも全部ピッカピカでね」

 

「う、うん」

 

「家の鍵も暗証番号だしライトとか全部声でやるんだよ! なんか最先端って感じで憧れちゃうよねー」

 

 わたしの知らない双葉を楽しそうに語るなでしこ。

 

 知らない。双葉がオムライスが得意なんて。

 

 知らない。双葉の家の台所のレイアウトなんて。

 

 知らない。知らない。知らない。

 

 心のモヤモヤがどんどん大きくなっていく。なんだこれ、知らない、こんな気持ち。

 

 なでしこだって大事な友達のはずなのに、双葉のことを楽しそうに話すなでしこにどうしようもなく嫉妬する自分がいる。

 

 わたしだって双葉と仲良くしたいのに、わたしだって双葉の料理を食べてみたいのに、なんでなでしこばっかりいい思いをしているんだろう。

 

 すごくもやもやする。

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

「リンちゃん大丈夫?」

 

「おわっ!?」

 

 こいつ、いきなり額に手を当てるやつがいるかよ。めっちゃビビったわ。

 

 いや、ぼうっとしてたのはわたしか。廊下の冷気で冷やされた手がわたしの火照った思考を冷ましていく。

 

「なんか顔色悪いよ?」

 

「あ、うん、べつに、ここ寒いし冷えたんじゃないかな」

 

「そっか、でも無理しちゃダメだからね」

 

「うん……」

 

 なでしこの笑顔でおかしくなっていた思考が元に戻っていく。わたし今めっちゃ嫌なこと考えてた。

 

 なでしこは何も悪いことなんてしてない。ただ友達と遊んでいただけだ。

 

 だというのにわたしは勝手に嫉妬して……なんてやな奴なんだろう。最低だわたし。

 

 どっかのバカみたいに頬を叩いて気を引き締める。

 

「ありがとなでしこ。もう大丈夫だよ」 

 

 さて、と。気を取り直して双葉を見る。あれだけ目の前で騒いだっていうのに、こいつは相変わらず間抜け面で寝ている。

 

「すっごい寝てるね。あ、リンちゃんのマフラーだ」

 

「うん、風邪引かれたらやだし、巻いといた」

 

 わたしがそう言うと、なでしこはにっこりと笑った。

 

「ふふふ、リンちゃんってやっぱり双葉ちゃんのこと大好きだよね」

 

 なでしこの言葉に一瞬ドキリとする。バレたのかと思ったけど、こいつのことだから言葉通りの意味だろう。

 

「……まあ、その、嫌いじゃない」

 

 嘘だ。本当は独り占めしたいと思っている。

 

 なでしこと双葉の三人でやるキャンプも好きだけど、本当だったら双葉ともっと二人きりでキャンプに行きたい。

 

 でも、それを言ったら恥ずかしくて死ねるから絶対に言わん。

 

「素直じゃないなーリンちゃんは。ダメだよ、照れ隠しばっかりしてたら」

 

 だけど、精一杯の照れ隠しも、なでしこにはお見通しのようで、見透かしたかのような笑顔で諭される。

 

 自分の気持ちに素直になる、か……

 

 双葉の顔を見る。むにゃむにゃと寝言にもならない唸り声を漏らしながら眠りこけている。

 

「可愛いな……」

 

 そうつぶやくと、急に今の今まで渦巻いていた感情が腑に落ちたような気がした。

 

 たぶん、わたしはこいつのことが好きなんだ。

 

 ちっこくて、ヘタレで、距離感ガバガバで、可愛くて、優しくて、気配り上手で、たまに寂しそうな顔をするこいつのことがきっとわたしは好きなんだろう。

 

「そっか……」

 

「どしたの? リンちゃん」

 

「ううん、なんでもない」

 

 けど、この気持ちは心の底にしまいこんでおくことにする。

 

 わたしと双葉はあくまで友達。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 わたしと双葉は友達どうし。どう頑張ったって、女どうしじゃそれ以上の関係にはなれない。

 

 だからこの気持ちは双葉には秘密。多くは望まない。たまに二人きりでキャンプに行ってくれればそれでいい。

 

「あ、そうだ! リンちゃん今日暇?」

 

「まあ、なんもないけど……」

 

「だったら今日二人で双葉ちゃんのお家遊びにいかない?」

 

「おい、勝手に決めるなよ。本人寝てるだろ」

 

「えぇ? いいよ〜」

 

「おわっ!? 起きてたのかよ!」

 

 こいついつ起きたんだ? まさか寝たふりとかじゃないだろな。

 

 いや、違うか。さすがにあの距離で寝たふりしてたらわたしが気づく。

 

「あれ、マフラー巻いてある。リンが巻いてくれたの?」

 

「風邪引いたらあれだし、一応」

 

「そっか、ありがと〜リン」

 

「お、おう……」

 

 にっこりと笑う双葉に思わず顔を背ける。

 

 あぁ、さっきあんなことしちゃったからなんか調子狂う! なんであんなことしたんだわたしー!

 

「じゃあボクの家に集合ね。リン、なでしこ、なにか食べたいものある?」

 

「あるある! わたしハンバーグ食べたい!」

 

「いいよー! じゃあ一緒に作ろっか」

 

「おー!」

 

 いつものようにはしゃぎだすなでしこと双葉に毒気を抜かれる。

 

 双葉のことを独占したいって気持ちは嘘じゃないけど、なでしこと双葉の三人で過ごす時間が好きなのも嘘じゃない。

 

 だけど──

 

「じゃあ帰ろっか。わたし後ろ走るから先導お願い」

 

「はーい、ボクに任せてー!」

 

「あ、リンちゃんと双葉ちゃんだけずるい! わたしも一緒にかえるー!」

 

「いやお前電車だろ」

 

「自転車でついてくもん!」

 

「事故るわ」

 

「あははは」

 

 なでしこには悪いけど、双葉の後ろを走るのはぜったいに譲らない。それはわたしのポジションだ。

 

 なでしこの幼馴染にも譲らない。千明にもあおいにも絶対に譲らない。

 

 こいつの隣を走るのはわたしだけでいい。わたしだけがいい。

 

「じゃ双葉、行こっか」

 

 夕暮れの図書室。双葉の手を取って歩き出す。なでしこはもうとっくの昔に走り出してしまった。本当に元気なやつだ。

 

 まだまだ寒い廊下にわたしと双葉の足音がこだます。

 

「そうだ、帰りにスーパー寄ってこうよ。あおいのバイト先でいいよね」

 

「うん、そうだね……ところでリン」

 

「なに?」

 

「なんで、ボクの手握ってるの?」

 

 双葉に言われて視線を下に持っていく。わたしの手が双葉の手を握っていた。

 

 それはもうがっちりと握っていた。

 

「な、ななっ」

 

 しまった。つい無意識で握ってしまった。

 

 見た目に反して意外とごつごつしてんのなこいつの手。って違う!

 

 手のひらで双葉の温かさを感じていると、自然とさっきの光景が脳裏に蘇っていく。

 

 だから違うって!

 

「リンって手冷たいんだね。えへへ、ちょっと気持ちいかも」

 

 満面の笑みでそういう双葉。握りつぶされたかのように心臓が締め付けられる。

 

 まるで燃え盛る焚き火にバケツで水をかけたかのように顔が熱くなっていくのがわかった。

 

「……う、うぅ」

 

「どうしたの? リン」

 

「……な、なんでもない。帰ろう」

 

 燃えるように熱い顔をごまかすために下を向いて手はにぎったまま歩き出す。

 

「リン、なんかニヤニヤしてない?」

 

「し、してない! いいから早くいくぞ!」

 

 言葉とは裏腹に足取りはいつもより遅い。こうしておけば長く双葉と手を繋ぐことができる。

 

 わたしって、いつからこんな打算的な人間になったんだろう。

 

 それもこれも、全部双葉がいけないんだ。

 

 無邪気な笑顔と優しさでずけずけと人の大事な部分に入り込んで、その気にさせたこいつが悪い。

 

 一人でよかったのに、一人が好きだったのに、いつの間にかとなりにこいつがいないのが寂しくてしかたなくなってしまった。

 

 独り占めしたいと、思ってしまった。

 

「……双葉が悪いんだからな」

 

 自分に言い聞かせるように小声で呟く。

 

「え? なにか言った?」

 

「なにもー!」

 

 多くは望まない。

 

 双葉がいて、なでしこがいる今の居心地のよさを手放す気にはなれない。

 

 双葉がわたしを大事な友達だと思ってくれているなら、わたしも双葉のことを友達だと思う。

 

 それ以上を望んでしまったら、きっとこの関係は終わってしまう。だからこの気持ちは心の奥底にしまっておく。

 

 心がぎゅっと締め付けられる。その痛みに必死に蓋をする。

 

「珍しいね、リンが手握ってくれるなんて」

 

「たまにはいいだろ。友達なんだし……」

 

「えへへ、なんかいいね。こういうの」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 だから、もう少しだけこのままでいさせてよ、双葉。




なでリン至上主義の方ごめんなさい。


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志摩リン(2)

 

 

 

 

 

 誰もいない図書室のカウンターで静かに本のページを捲る。

 

 冬休みが終わって三学期。わたしがあいつに対する気持ちを自覚して一ヶ月。

 

 なにかが起きるわけでもなく、いつもどおりの平穏な日常が過ぎていく。

 

 野クルは相変わらずキャンプ三昧だし、双葉も相変わらずキャンプに行ったり本人曰く近場(ぜんぜん近場じゃねえ)にツーリングに繰り出している。

 

 ただ、あいつが送ってくる写真にテントが映ることが多くなって、わたしは少し安心している。

 

 双葉が語る旅の話には、必ずと言っていいほど危ない目にあったエピソードが混じっている。

 

 低体温症になりかけて死にかけただの、炎天下で水が尽きてプチ熱中症になっただの、寝ようと思ったところがホームレスの寝床だっただの、枚挙にいとまがない。

 

 双葉は笑いながら話すけど、聞いてるこっちは気が気がじゃない。

 

 一度だけ、あいつが旅に行ったきり帰らなくなった夢を見たことがある。

 

 なんで帰ってこれなくなったのかは覚えてないけど、すごく悲しくて、すごく怖い夢だったのはよく覚えている。

 

 その時は、もう高校生だっていうのに、年甲斐もなく大泣きしてしまった。思い出すと今でも顔から火が吹きそうになる。

 

 で、そんな夢を見た日。当の本人に大阪がいかに近場なのかとかいう頭に廃油でもつまってるじゃないかっていう話を力説されて、思わずキレそうになったわたしは悪くないと思う。

 

 あいつの距離感ほんとにどうなってるんだよ。大阪が近場なわけないだろ。ちょっとは疑問に思えよ。頭2ストかよ。

 

「……ったく、人の気も知らないで」

 

「誰の気も知らないで?」

 

「おわぁっ!?」

 

 カウンターの下から黒い影がにゅるりと出てきて思わずのけぞる。 

 

「って、斉藤か。ビビらせんなよ」

 

「だってリン話しかけても全然反応してくれなかったじゃん」

 

「え、マジ?」

 

「うん、さっきからずっと後ろでテレパシー送ってたのにリンったら全然気づいてくれないの」

 

「気づくわけねえだろ」

 

 また謎設定作ってやがるし。なんだよテレパシーって。

 

 知り合ってけっこうな時間がたったけど、こいつのこういうところは全く理解できない。

 

「で、どうしたの? さっきからため息ばっかついてるよ」

 

「そんな前から見てたのかよ……べつに、なんでもない」

 

 あいつのことを考えて物思いにふけっていたなんて言ったらなにされるかわからんから絶対に言わん。

 

 とくにこいつには。このおふざけ魔神には絶対にだ。

 

「こういう場面でなんでもないって、逆にありますって言ってるようなもんだよね」

 

「うっ……」

 

 痛いところをつかれて押し黙る。こいつの言ったとおり。こういう場面でこんな反応をすればなにかありますって言ってるようなものだ。

 

「もしかして、双葉ちゃんのこと?」

 

「なっ、なななんで斉藤が知ってんだよ!」

 

「あ、やっぱり〜」

 

「しまっ!?」

 

 斉藤がしてやったりと言った感じでニンマリと笑う。こ、こいつカマかけやがった。

 

「……なんでわかった?」

 

「だって、最近リン口を開けば双葉ちゃん双葉ちゃんって、そればっかりじゃん」

 

「え、そうだったっけ?」

 

 斉藤の言葉に最近の言動を思い返してみる。

 

 言われてみればたしかに、双葉のことばっかり話していたような……いやまて、やっぱり話してないぞ。

 

「うーん、どっちでしょー?」

 

 ……もういいわ。こいつに真面目に付き合ってると疲れるだけだわ。

 

「で、いつ告白するの?」

 

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」

 

 口からどうやって発音したのかわからない奇声が飛び出す。

 

 いきなり特大の地雷ぶっ込んできやがったぞ! さ、さっきからこいつなんなんだよー!

 

「わ、わたしが双葉に……こ、告白なんて、するわけねえだろ!」

 

「あはは、やっぱり〜」

 

「だから、おまっ! 双葉はただの友達だって言ってんだろ!」

 

 ただの友達。自分で言った言葉なのに、胸がズキズキと痛んでしかたない。

 

 ただの友達。本気でそう思えたらどれだけ幸せだっただろう。

 

「も〜 またそうやってムキになって。だめだよ、自分に嘘ついちゃ」

 

 こいつもなでしこみたいなこと言うんだな。でも、含まれる意味がだいぶ違う。

 

 けど、そんなこと言われたって、どうすりゃいいんだよ……

 

 わたしだって本当は双葉の近くにいたいに決まってる。

 

 友達以上の関係になりたいと思ってるし、友達どうしじゃ絶対できないことだってしたいと思ってる。

 

 でもだめだ。

  

 わたしと双葉は女どうしで、ただの友達で、どう頑張ってもそれ以上にはなれないのに、なんで今さらそんなこと言うんだよ……

 

「だ、だから、双葉とはなんともないっていうか……」

 

 ズキズキ、ズキズキ。心が痛い。

 

 嘘でごまかすたびに心の中のわたしが悲鳴をあげる。

 

 こんなにつらいなら、こんなに苦しいなら、こんな気持ち知りたくなかった。恋なんてしたくなかった。

 

 痛い、辛い、苦しい。双葉、助けてよ……

 

「まあ、リンがそれでいいならいいんだけどさ。それでいいの?」

 

「いいって……?」

 

「とられちゃうよ、双葉ちゃん」

 

 そう言って斉藤は窓の向こうを指さした。指先を目で追う。

 

「なっ!?」

 

 そして、その先にあった光景に目を見開いた。

 

 中庭の一角、向かい側の校舎の壁際で、双葉と見知らぬ男子生徒が話していた。

 

 遠いから表情はわからないけど、あれはどう考えたって、そういうことだろう。

 

 なんで、どうして? 嘘だろ? 

 

「ちょっと行ってくる!」

 

 気がつけば椅子から立ち上がって廊下に向かって駆け出していた。

 

「気をつけてね〜」

 

 斉藤の言葉に耳もかさず、がむしゃらに走り続ける。

 

 心の底にしまっておくと決めていた感情がぶくぶくと沸騰して、頭が激情でいっぱいになる。

 

 上履きも履き替えずに中庭を横断する渡り廊下から飛び出して、双葉のところに一直線に向かう。

 

「ふた、双葉!!」

 

「あ、リン。どうしたの? そんな慌てて」

 

 いきなり走ったせいで荒くなった息を整えながらあたりを見回す。

 

 さっきまでいた男子の姿を見えなくなっていた。

 

 よかった……

 

「すっごい走ってきたけど、もしかしてなにかあった?」

 

 膝をついて息を整えるわたしの顔を、双葉が心配そうに下から覗き込んでくる。

 

 琥珀色の大きな瞳が日の光を反射してキラキラと輝く。

 

 綺麗だな……って違う。

 

「えっと……その、図書室で双葉が男の人と、話してるの、見たから、ちょっと、気になって……」

 

 しどろもどろな会話。まるでわたしと知り合ったばかりの時の双葉みたいな話し方。

 

 こんなんじゃ動揺してるって言ってるようなもんじゃないか。

 

 落ち着けわたし、双葉はただの友達。

 

 ただの、友達、なんだから……

 

「そっか、見てたんだ……」

 

 双葉がばつの悪そうな顔で頬をかく。

 

「なに、話してたの?」

 

 わたしが聞くと、双葉はちょっと困ったように眉をひそめた。

 

「うんとね、なんか、告白? されちゃったみたい。あはは、びっくりだよ」

 

 告白。その言葉を聞いた途端、崖から真っ逆さまに落ちるような感覚に襲われた。

 

 やっぱ、そうだよな。

 

 あんな人気のないところで話すことなんて、それくらいしかないもんな……

 

「それで……どう、答えたの?」

 

 まるで地の底から這い出たゾンビみたいな声。けど、それは間違いなく自分の喉から出ていた。

 

「リン、なんか顔怖いよ?」

 

「答えてよ」

 

 一歩踏み出す。双葉が後退りする。

 

「ちょ、ほんとにどうしたのリン?」

 

「いいから答えてよ」

 

 また一歩、踏み出す。

 

「え、えっと、こ、こういうのってあんまり人に言いふらさないほうがいいと思うなーって」

 

「べつに、恋バナなんて女子なら誰でもするでしょ? まあ、双葉には経験ないかもしれないけどさ」

 

「そうだね! ボクぼっちだもんね!」

 

 またぼっちって言った。もう違うだろって何回も言ってるのにまだ言うのか。

 

 ちょっと、お仕置きだな。

 

 一気に詰め寄る。後退る双葉を壁に追い込む。

 

「り、リン!?」

 

 わたしよりもちょっと低い位置にある双葉の頭の横に自分の手を置く。

 

 俗に言う壁ドンとかいう状態。

 

 テレビで紹介されてた時はバカじゃねえのって思ってたけど、まさか自分がするはめになるなんてな。

 

「わたしには言いたくないの?」

 

 鼻と鼻が触れ合うくらいの近さで双葉をまっすぐ見つめる。

 

 長い睫毛、ちょっと垂れ気味のくりくりした瞳。真っ赤になった頬。

 

 ほんと、かわいいなこいつ。

 

「え、えと、えとえと」

 

 わたしの突然の行動に慌てふためく双葉に、嗜虐心がくすぐられる。

 

 斉藤とかなでしことか、いつもはされる側だけど、双葉相手にはわたしはする側に回れる。

 

「……ねぇ」

 

 双葉のピンと硬直した手を掴んで、顔をぐいっと近づけ耳元で囁く。双葉の肩がびくりと震える。

 

「答えてよ」

 

「ひゃっ!?」

 

 真っ赤に染まった小さな耳に息を吹きかけるように囁く。

 

 わたしのほうが大きいからこそできる行為。

 

 ゾクゾクと、身体の奥から得体の知れない快感が湧き上がってくる。

 

「双葉」

 

 逃げられないように双葉の足の間に足を差し込む。タイツとタイツがつるつると擦れ合う。

 

「ひゃうっ、り、リン!? あ、あし、当たって、あ、あのあの……う、うぅ」

 

 大好きな友達を追い詰めるという優越感と背徳感。

 

 胸が熱くてしかたない。これやばい、癖になりそう。

 

「それとも、わたしじゃだめ?」

 

 それは、どういう意味でのだめ、だったのだろうか。

 

 自分でもよくわからないひと言。だけど、双葉には通じたようだ。強張っていた肩から力が抜けていくのがわかった。

 

 耳元に近づけていた顔を引き離す。

 

 壁ドンした時から赤かった双葉の顔は、今じゃもう焚き火みたいに真っ赤になっていた。

 

「……えっと、告白なら断ったよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、身体の力がどっと抜ける気がした。知らない間にすごい力んでたみたいだ。

 

 そっか、断ったのか……よかった。

 

 どうせ付き合えるわけないのに、妙に安心してしまう。

 

「なんで断ったの?」

 

 本当は理由なんてどうでもいいけど、一応体裁を保つため聞いておこう。

 

「え、そ、それも言わなきゃダメ?」

 

「ダメ」

 

 もう一度顔を近づけて耳元で囁くと、双葉の肩がまたぶるりと震えた。

 

 やばい、双葉敏感すぎるだろ。

 

 これ、やばい。なにがやばいのかわからないけど、とにかくやばい。

 

 身体の奥からなにかが湧き上がってくる。背徳感とか、優越感じゃない。もっとこう、根源的ななにかだ。

 

「それとも、わたしには言いたくないの?」

 

 顔を見ながらそう言うと、双葉は目を潤ませて、寂しそうな、それでいてどこか嬉しそうな顔をした。

 

 なんでそんな顔するんだよ……そんな、まるで誰か好きな人がいるみたいな……

 

「だ、だって……」

 

 もしかして……

 

 目の前が真っ暗になった気がした。

 

 いや、まだ決まってない。まだなにも言ってない。まだなにも聞いてない。

 

「ボクね……」

 

 本能が告げる。これ以上は聞いちゃいけない、と。

 

「双、葉?」

 

 いやだ。聞きたくない。

 

 いやだいやだいやだいやだいや──

 

「他に、好きな人がいるんだ」

 

 あっ……

 

 他に、好きな人がいる。

 

 頭の中で双葉の言葉が何度も何度も反響する。

 

 好きな人がいる。

 

 好きな人がいる。

 

 好きな、人がいる。

 

「あっ……そ、そうなんだ……」

 

 口が動いたのは、まさに奇跡だった。

 

 熱に浮かされていた頭が、バケツで水をかけられたかのように冷えていく。

 

 身体に力が入らなくなって、双葉の手を離してしまう。

 

 音も、寒さも、光も、なにも感じない。真っ暗で、静かで、何もない世界に落ちていく。

 

 双葉には、好きな人がいた。

 

 こいつはこういう場面で嘘をいう奴じゃない。だから、きっと本当なんだろう。

 

 そりゃ、告白も断るよな……

 

 一歩、また一歩と、詰めていた距離を離す。

 

 冷静になった頭が双葉の目尻に滲んだ涙をとらえた。

 

 ちょっと悪いことしちゃったな。あんな壁まで追い詰めて、動けなくして……ほんと最低だなわたし。

 

「ごめん、双葉。怖かったよね? 眼鏡外して?」

 

「え? あ、うん」

 

 ハンカチを出して目元の涙をぬぐってやる。

 

 こんなもっともらしい言い訳までして双葉に触れようとする自分に心底嫌気がさす。

 

 でも、しょうがないだろ。好きになっちゃったんだから。

 

 もう叶わないなら、せめて友達のふりくらいさせてよ……

 

「り、リン、ボクね……えっと、その……」

 

 顔を赤らめもじもじしながら必死に言葉を紡ごうとする双葉。よくみるとちょっとにやついてる。

 

 こんなことされたのに、なんでそんな嬉しそうなんだよ。

 

 勘違いするだろ。するぞ、ほんとに勘違いするぞ。

 

 思いだせ、こいつには好きな奴がいるんだ。たんにぼっちが長すぎてスキンシップに飢えてるだけなんだ。

 

 きっとそうだ。そうに決まっている。

 

「えっと……えっと……り、り、りり……う、うぅ、やっぱ無理だよぉ……」

 

「り? いいよ。無理して言わなくて」

 

 暴走しかけた思考を理性で押し止める。

 

 これ以上こいつに思わせぶりな態度をされたら、きっとわたしは暴走してしまう。

 

「男子に詰め寄られて、怖がってないかって心配してただけだからさ。なんでもないならいいよそれで」

 

 見え見えの嘘をつく。

 

 どこの世界に壁ドンして足まで差し込んで心配する奴がいるんだよ。自分で言っててツッコミどころだらけだよ。

 

 でも、こいつは信じるんだろうな。アホだし。

 

「あ、うん。ありがと。でも、良い人そうだったし、そんなに悪く言わないであげてね?」

 

 双葉、悪いけどそれ無理。

 

 真冬に軽装備でキャンプして低体温症で病院送りにされろって思ってる。口には出さないけど。

 

「双葉はもう少し警戒心もてっての。無防備にもほどがあるだろ」

 

 そんなんだからわたしにキスされそうになったり壁ドンされるんだぞ。

 

 って、言えたらどれだけよかっただろうか。

 

「う、なんかごめん」

 

「もういいよ。でも、本当に気をつけてね」

 

「うん……ありがと。ボク、そろそろ帰るね」

 

「あ、引き止めてごめん」

 

「気にしてないよ! ボクもリンと話せて嬉しかったし。じゃーねー!」

 

「あ、うん」

 

 顔を真っ赤に染めたまま、双葉は顔を両手で覆って駆け足で去っていく。

 

 だから、そういう勘違いするようなこと言うなっての……

 

 期待しちゃうだろ……

 

「でも、好きな奴いるんだよな……」

 

 どんな奴なんだろう。

 

 双葉とはほとんど毎日話してるけど、そんな話は聞いたことがない。

 

 もしクラスでそういうやつがいたらなでしこあたりが無自覚に告げ口するだろうし……

 

「そっか、好きな奴いるんだな……」

 

 もし双葉がそいつと付き合ったら、どうするんだろうな。

 

 あいつのことだから、けっこう甘えるんだろうな。

 

 抱きしめたり、するんだろうな……

 

 キスとかも、するんだろうな……

 

「あ、あれ?」

 

 突然、視界が滲み出した。

 

 雨なんて降ってないはずなのに、景色が滲んで何も見えない。

 

 いや、わかってる。これは雨なんかじゃない。

 

「なんで……ないたって……しょうがないだろ……」

 

 泣けばあいつがわたしのものになるのか? 違うだろ。

 

 絶対に叶わないって、最初からわかってただろ。

 

 わかってて、恋したはずだろ。

 

 だから、泣きやめよ……泣き止んでよ……

 

「うぐ……ぐす……ふたばぁ……」

 

 誰もいない中庭で、一人で泣き続ける。止まれと思うたびに涙があふれていく。

 

「うぇ……ふたばぁ……やだよぉ……」

 

 ポロポロと冷たい涙が溢れ、頬を伝って地面にシミを作っていく。

 

 生まれて初めて本気で恋をした。

 

 知り合ってまだ一年も経ってない短い付き合い。

 

 だけど、わたしの人生を塗り替えるには、それで十分だった。

 

 叶わないと知ってても、それでもいいと思ってた。

 

 一緒にいられれば、それだけでよかった。

 

 ずっと隣で笑ってくれれば、それだけで満足だった。

 

 そう思ってたのに、心のどこかで願ってしまった。

 

 だけど、それはもう二度と叶わない。

 

 心の中の双葉がどんどん遠ざかっていく。

 

「やだよぉ……おいてかないでよぉ……ふたばぁ……」

 

 ただひたすら泣き続ける。

 

 そうするしか、今のわたしにはできなかった。

 

「リン……」

 

「さい、とぉ?」

 

 ぐずぐずに崩れた視界の中で、見覚えのある腐れ縁の影を見た。

 

 泣いてるところを見られてしまった。理性が泣きやめと言っても感情がそれを拒否する。

 

「……リン」

 

 気がつけば、突然視界が真っ暗になって、暖かさに包まれる。

 

 遅れて聞こえてきた心臓の鼓動が、自分が抱きしめられたということを教えてくれた。

 

「大好きなんだね、双葉ちゃんのことが」

 

「……うん」

 

 もう言い訳のしようがない。

 

 諦めて白状することにした。こいつならきっと悪いようにはしないだろう。

 

 長い付き合いだし、それくらいは信用している。

 

「初めて、だったんだ……誰かを好きになったの……」

 

「そっか……」

 

「でもさ、やっぱダメだった……」

 

 認めたくないけど、本人の口から聞いてしまった。

 

 あんな嬉しそうな顔、初めて見た。

 

 色づいた頬、潤んだ瞳。わたしに向けられたものじゃないと知ってても、見惚れざるをえなかった。

 

 たぶん、惚れた弱みってやつなんだろうな。

 

 でも、それがわたしにむけられることはない。

 

「ふられちゃった?」

 

「……好きな人がいるって」

 

 あの笑顔も、あの瞳も、全部他の知らない奴に取られてしまった。

 

 どうして、もっと早く会えなかったんだろう。

 

 もっと早く知り合ってれば、もっと早く友達になってれば、もしかしたらわたしにもチャンスはあったのかもしれないのに。

 

 もう、全ては後の祭りだ。

 

「そっか……リンは聞いたの? 誰が好きなのかって」

 

「聞いてない……」

 

「……ちなみに聞くけど、告白は?」

 

「……してない」

 

「え!? 告白もしないで勝手にふられたって思いこんで泣いてるの? リン、バカなの?」

 

「おまえなー!」

 

 わたしの頭をかかえるようにして抱きしめていた斉藤をつきはなす。

 

 言っていいことと悪いことがあるだろ! なんだよ、ちょっとは良いところあるなって思ったのに!

 

「だって! あいつは女でただの友達で! どう頑張ったって、それ以上にはなれないだろ!」

 

「そう? 今時そういうの珍しくないよ?」

 

「だけど! あいつがそうだって決まったわけじゃないだろ!」

 

「聞いてもないのに?」

 

「うぐっ……」

 

 さっきからなんなんだよ。人の痛いところばっかりつきやがって。

 

 そんなのわたしだってわかってるに決まってるだろ。

 

「怖いんだよ……告白して、ふられて、そのあとどんな顔して会えばいいんだよ……」

 

 わたしは今の関係が大好きだ。

 

 双葉がいて、なでしこがいて、斉藤がいて、千明とあおいがいて、鳥羽先生がいて、一人でキャンプしたり、みんなでキャンプしたり。

 

 どれだけ距離が離れていても、心はつがなっている。そんな今の関係が大好きだ。

 

「わたしのわがままで壊したくないんだよ……」

 

「……リンはほんとに優しいね。でも、それでリンは本当に幸せなの? 違うよね?」

 

「わかってる。わかってるよ……でも、どうすればいいんだよ」

 

「それはリンが一番よくわかってるよね?」

 

 斉藤の言うとおり、このどっちつかずな状況をどうにかする方法はわたしが一番理解している。

 

 想いを伝える。これしかこの荒れ狂う感情をどうにかする方法はない。

 

「でも、怖いよ……」

 

 もし拒絶されたら、わたしはきっと立ち直れない。

 

 今はまだなんとかなる。淡い希望を抱いて、叶いもしない望みを抱いて生き続ければいい。

 

 友情を笠にきて、自分の欲望を叶えようとしているはしたない女だということがバレてしまったら、わたしはきっと生きていけない。 

 

「すっごいしかめっつらしてるところ悪いんだけど、たぶんリンが思ってるようなことにはならないと思うな〜」

 

「……なんで、そんなこと言えるんだよ」

 

 さっきからなんなんだよ。さも知ったような口ぶりで、あることないこと言いやがって。

 

「ふっふっふ、ひみつ〜」

 

 イラッ。思わず手が出そうになってすんでで堪える。

 

「お前、あとで覚えとけよー」

 

「……その分だと、ちょっとは元気でたみたいだね」

 

 さっきまでのおちゃらけた表情とは打って変わって、どこか安心した顔で斉藤は言った。

 

 もしかして、わたしを元気づけるためにわざと……

 

「斉藤……」

 

「あ、告白したら結果教えてね〜」

 

 あ、やっぱ違うわ。

 

 こいつ、自分の愉悦を満たすことしか考えないわ。

 

 もし告白に成功してもこいつにだけは絶対に教えてやらん。

 

 ていうか、わたしもなに成功する前提で考えてるんだよ!

 

 あぁー! もう全部双葉が悪いんだー! 全部全部双葉のせいだ!

 

 ピコン!

 

「ん、誰?」

 

 スマホを出す。

 

 メッセージはわたしが今一番頭を悩ませている奴からだった。

 

 

 

 

 

双葉:リン、今度の土曜日、二人きりでキャンプ行きたいんだけど……どうかな?

 

双葉:えっと……できればみんなには内緒で

 

 

 

 

 

 これは、期待してもいいのか?




告白してきた男子は、斉藤さんが後日始末しました。
嘘です


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志摩リン(3)

ネタバレ:双葉が理解(わから)せられます。


 

 

 

 

 

 土曜日。待ちに待った二人っきりのキャンプの日。

 

 わたしは、家の前で双葉が来るのを今かいまかと待っていた。

 

「早くこないかな……」

 

 ちょっと前までならただ楽しみなだけだった。

 

 だけど、もう違う。もうなにもかもが変わってしまった。

 

 長野に行った時も浜松に行った時もなにも思わなかった。けど今は心臓がバクバクしてしかたがない。

 

 キャンプ、しかも二人きり。まだまだこの時期は人がいない。いつもの場所でキャンプすればきっと貸切状態だ。

 

 誰もいないキャンプ場で好きな人と二人きり。

 

「やばい……ちょう嬉しい……」

 

 斉藤の言葉を信じるわけじゃないけど、ちょっとは前向きに考えられるようになってきた。

 

 仮に双葉がそういうつもりで誘ったわけじゃなかったとしても、どっちにしろ二人きりでキャンプができる。

 

「どっちに転んでも、メリットしかないぞ!」

 

 ちょっと前まで双葉のことでずっとネガティブだったのに、即物的な自分にほとほと呆れる。

 

 でも、しょうがないだろ。好きな人とデートできるんだから。

 

 まあ、向こうがデートと思ってるかはわからないけどな。

 

 あいつ、ずっとぼっちだったせいでいろいろ距離感バグってるんだよなあ。

 

 スキンシップは当たり前、口を開けば大好き大好き。こっちがどれだけ恥ずかしがってもお構いなし。

 

 そのたびにこっちは気が気がじゃないってのに。ほんと、勘違いするぞ。

 

「はぁ、大丈夫かな。わたし」

 

 深くため息をついたその時だった。遠くのほうから聞き慣れたエンジンの音が聞こえてきた。

 

 来た!

 

 はやる気持ちを抑えて音がするほうを見る。小さなヘッドライト、細いタイヤ、ビーノよりもずっと低いハンドル。

 

 ヘルメットにゴーグル、白いネックウォーマー。間違いない、双葉だ。

 

「おまたせー」

 

 双葉が手を振りながらわたしの前で停止。思い切り空ぶかししてからエンジンを止めた。

 

 焦げた油の匂い。嗅ぎなれた双葉の匂い。わたしの好きな人はいつもオイルの匂いとともにやってくる。

 

「ごめんまった?」

 

 バイクから降りてヘルメット脱ぐ双葉。たぶん適当に被ったんだろう。髪があちこち跳ねていた。

 

「ううん、大丈夫。てか髪ぼっさぼさじゃん」

 

 両手を伸ばして跳ねていた髪を梳かしてあげる。

 

「あっ……ありがと、えへへ」

 

 頬を赤く染めて嬉しそうに微笑む双葉。だから、そういう勘違いするような表情するなっての……

 

「ヘルメット雑に被るからこうなるんだよ」

 

 やばい、めっちゃサラサラ。

 

 ちょっと前まで雨に濡れた野良犬みたいにボサボサだったのに、なにしたらこうなるんだ?

 

「……はい、こんなんでいいでしょ」

 

「あ、うん、ありがと」

 

 名残惜しいと思う気持ちに蓋をして手を離す。一歩下がって改めて双葉の格好を見る。

 

「双葉、服いつもと全然違うね」

 

「あ、わかった? えへへ、そうなんだー」

 

 上はいつものワークマンのジャケットじゃなくて、赤いレザーのライダース。

 

 ワインレッドが白い肌をより際立たせてすごい似合っていた。

 

 下はダボっとしたズボン(下にジャージ履いてるらしい。信じらんねえ)からボアのついた焦茶のショートパンツへと大胆にイメチェン。

 

 バイクでほどよく筋肉のついた足は、登山用らしい厚手のタイツで覆われていて、てかった布地がちょっとだけ艶かしかった。

 

 って、なに考え込んでんだわたし。あやうく煩悩にやられるところだった。

 

「だんだんあったかくなってきたし、ちょっとは女の子らしいかっこしたほうがいいかなーって。どうかな?」

 

「ま、まあいいんじゃない? かわいいと思うよ」

 

「そっか〜 えへへ」

 

 だから、顔を赤くてそんな顔で笑うなよ……

 

 そんなに好きな奴にアピールしたいのかよ……わたしじゃだめなのかよ……

 

「でもなんでいきなり? お洒落とかあんまり興味なさそうだったのに」

 

「ほら、ボクの周りってみんなオシャレな人ばっかじゃん。いいかげん気になってきてさ」

 

「まあ、たしかに」

 

 野クルの面々とかは、実際かなりお洒落だと思う。

 

 なでしこやあおいは言うまでもなく、あのガサツな千明ですら私服はけっこう可愛らしいのを着ている。

 

 その中で、双葉だけは毎度毎度プライドをかなぐり捨てた実用一点張りの服装をしていてちょっと安心してたのは内緒だ。

 

 わたしも自転車から原付に乗り換えてから、服装がどんどん男っぽくなっちゃったから親近感が湧く。

 

 でも、それは今までの話。今の双葉は、はっきり言ってめちゃめちゃ可愛かった。

 

「まあ、いいんじゃない? でも、寒くないの?」

 

 2月になったとはいえ、まだまだ冬は終わらない。

 

 1月に比べればかなりあったかくなったけど、それでもこんな格好でバイクに乗れるほど、暖かくはなかった。

 

 かわいいけど、正直ちょっと心配だ。

 

「あ、こう見えてこれ裏がもこもこだからすごいあったかいんだよー ちゃんと下にダウンも着てるしね。ほら」

 

「おわっ!?」

 

 ジャケットの裾をめくって腹を見せてくる。ジャケットの中に隠されたインナーに覆われた細いウエストがチラチラと思考にノイズを走らせる。

 

 なんてことない動きのはずなのに妙にドキドキしてしまう。こいつ、わざとやってんのか?

 

 撫でるぞ。撫でまわすぞ。ほんとに。

 

「わかったから、いちいち見せなくていいわ。けど、タイツはあんまよくないんじゃない?」

 

 熱くなりかけた思考に蓋をして話題を切り替える。

 

 そう、こいつあろうことかタイツでバイクに乗ってきたのだ。なに考えてんだ。転んだらどうするんだ。

 

 かわいいけど、やっぱダメだろ。

 

「あはは、やっぱそうだよね〜 でも、ボクかわいいズボンとかあんま持ってなくてさ」

 

 そもそも、キャンプに行くだけでそこまで気合入れてお洒落する理由がわからん。

 

「あ、あのさ双葉」

 

 もしかして、わたしのためにそんな格好をしてきてくれたの? 

 

 なんてセリフが喉から出かかってすんでで止める。

 

 勘違いすんなわたし。こいつには他に好きな奴がいるんだ……

 

「よかったら、今度一緒に買いに行く? わたしも新しい服ほしかったしさ」

 

 当然そんなことはない。次から次へと服を買い足せるほど、お金もクローゼットにも余裕はない。

 

 双葉はぼっちとか言ってるわりには友達が多い。油断しているとすぐにスケジュールが埋まる。

 

 クラスも違う。同じ部活にも入ってない。ただの友達でしかない双葉を繋ぎ止めておくためには、これくらいしないといけなかった。

 

「うん! 今度一緒にいこ! 約束だよー!」

 

 嬉しそうな双葉の笑顔。

 

 服はいつも一人で買っていた。でも、双葉と一緒ならなんだって楽しいに違いない。

 

「それじゃ、そろそろ行こっか」

 

「んー」

 

 いつものようにお互いに頷きヘッドセットとヘルメットと身につける。

 

 双葉がキックペダルを蹴るとマフラーから白い煙りがもくもくと立ち込めた。

 

 わたしもビーノのセルスイッチを押す。49ccのエンジンがトコトコと物静かに動き始める。

 

『じゃあ、先に行くね』

 

「うぃー」

 

 いつもどおりのやりとり、いつもどおりの光景。

 

「ふふっ」

 

 だけど、わたしはそれがすごく嬉しかった。

 

 また、双葉の後ろを走れる。そう思うと思わず口から笑い声がこぼれた。

 

『なにか言った?』

 

「なんにもー」

 

 赤いテールランプを追ってスロットルを捻る。ゆっくりと走り出すビーノ。

 

 向かう先は本栖湖。わたしたちの思い出の場所。

 

 

 

 

 

「うーん! 本栖湖だぁー!」

 

 湖畔の波打ち際で、双葉が両手をピンと伸ばしながら叫んだ。

 

 水面で反射した太陽が双葉の顔をキラキラと照らす。

 

「恥ずかしいからあんましゃぐなよ」

 

「ふひひ、はーい」

 

 ほんとにわかってるのか? まだ事務所に人いるんだぞ? こいつ、だんだんなでしこみたいになってきてないか?

 

 最初はもっとオドオドして気弱そうな感じだったのに、今じゃ天真爛漫って言葉を絵に描いたみたいな性格だ。

 

 まあ、たぶんこっちが素なんだろうな。あの時の暗い双葉と、今の明るい双葉、どっちがいいかなんて言うまでもない。

 

 もっと、もっと笑っててほしい。その笑顔をわたしにみせてほしい。

 

「じゃ、わたしテント張るから。双葉薪集めてきてよ」

 

「え? ボクもテント出すよ」

 

「一つでよくない? 時間もったいないじゃん」

 

「そ、そっかなー? うん、わかった」

 

 もっともらしいことを言って、言いくるめる。

 

 もちろん本心じゃない。ただ一緒にいたいから、それだけの理由で嘘をつく。

 

 そんな言い訳をしないと、近づけない自分が嫌になる。わたしだって、本当だったらなでしこや双葉みたいに素直になりたい。

 

 大好きって、なんのためらいもなく言いたい。でも、わたしにはできない。

 

 だからわたしは嘘をつく。それが本当に嫌になる。

 

 でもそれでいい。双葉と一緒にいれるなら。

 

「じゃ、行ってくるね」

 

「うぃー……はぁ」

 

 林のほうに消えていく双葉を眺め、ため息を吐く。さっきから調子が狂いっぱなしだ。

 

 二人でキャンプなんて今まで何回もしてきた。風呂だって何回も一緒に入った。

 

 なのに、ただ一緒にキャンプするのが、今まで何度もしてきたことが、こんなにも難しく感じる。

 

「全部双葉が悪いんだ……」

 

 好きな奴がいるくせに、思わせぶりな態度をとって、ドキドキさせてくるあいつがいけないんだ。

 

 だからわたしは悪くない。こんな気持ちにさせる、あいつがいけないんだ……

 

「さーて、テント張りますか」

 

 晴れわたる本栖湖。空の真上で耀く太陽が、湖畔のキャンプ場を優しく暖める。

 

 今日はきっと良いキャンプになるだろう。

 

 

 

 

 

 ページを捲る。

 

 パチンと、焚き火にくべられた薪がはぜる。肌を焦すような熱気が、冷えた身体を暖める。

 

 やっぱりわたしは焚き火が好きだ。となりに双葉がいるならなおさら。

 

「あったかいね〜」

 

「……うん」

 

 焚き火にあたりながら、二人でぼんやりと湖を眺める。

 

 なにか話すわけでもなく、遊ぶわけでもなく、ただ二人でなにもしない時間を共有する。

 

「……いいよね、こういうの」

 

「……わかる」

 

 でも、わたしはこのなにもしない時間が大好きだ。騒ぐのも楽しい、遊ぶのも楽しい。

 

 けど、この静かな時間だって、同じくらい好きだ。それは、双葉もおんなじ気持ちなんだろう。

 

 ソロキャンともグルキャンとも違う。二人だけの贅沢な時間。

 

 こいつはわたしよりもずっといろんなところを旅してきている。

 

 一人の時間の使い方は、きっとわたしなんかよりもよっぽど熟知してるんだろうな。

 

「そういえば、もう2月なんだよな」

 

「そうだね。なんか、すっごいあっという間だった気がする」

 

「それわかる」

 

 去年は本当にいろんなことがあった。

 

 本栖湖でなでしこと双葉と出会い、一緒にキャンプして、自分でも信じられないくらい仲良くなって、なにもかもが楽しかった。

 

 そして、初めて恋をした。本気で好きって思える人に出会えた。

 

 目に映る全てが色鮮やかに輝いた。

 

 でも、その人は他に好きな人がいて、今わたしのとなりで楽しそうに焚き火を眺めている。

 

 手を伸ばせば届く距離にいるのに、途方もなく遠くに感じる。

 

「えへへ、マシュマロ焼いちゃお〜」

 

 この楽しそうな横顔も、いつかわたしのもとから離れていく。

 

「あち、あちち、おいひい〜」

 

 おいしそうにマシュマロを食べる姿もあと少しで見れなくなる。

 

 わたしじゃない、他の誰かのものになってしまう。

 

「……わたしもちょうだい。食べかけでいいからさ」

 

 それが我慢できなくて、意味がないと知っていてもそう言わずにはいられなかった。

 

「いいお〜 ふぁーい」

 

 横から差し出された食べかけのマシュマロを首を伸ばして頬張る。焦げたメレンゲと砂糖の甘さが口の中に広がる。

 

「……おいしい」

 

「やっぱ焚き火といったらマシュマロだよね〜」

 

「……うん、だね」

 

「あ、マシュマロで思い出したけどさ、もうすぐバレンタインデーだよね」

 

「そうだっけ? あ、そっかもうすぐ14日か」

 

 バレンタインデーなんて、お母さんと斉藤からチョコ(十円)をもらうだけの日だったから、意識なんてしてなかったけど、もうそんな時期なんだな。

 

「……双葉も、誰かに渡すの?」

 

 わたしが聞くと、双葉が恥ずかしそうに小さくうなずいた。小さな耳が真っ赤に染まっていた。

 

 やっぱ、そうだよな。好きな奴がいるんだ。チョコくらい渡すよな……

 

 いいな……

 

「リンもさ……誰かにわたすの?」

 

「わたしは、とくにわたさないかな。べつに、好きな奴とかいないし」

 

 好きな奴なんていない。

 

 好きな奴なんていない。

 

 好きな奴なんていない。

 

 心が引き裂かれる。痛くて苦しくて、思わず泣きそうになる。

 

 好きな奴がいないなんて、嘘だ。好きな人ならいる。今目の前に、手を伸ばせば届く距離にいる。

 

 だけど、それはできない。わたしのわがままで双葉を困らせるわけにはいかない。

 

「えへへ、そうなんだ〜 いないんだ〜」

 

 だからなんでそんなに嬉しそうなんだよ……

 

 そんな顔されたら、期待しちゃうだろが……

 

 どうせ叶わないって、わかってるのに……期待、しちゃうだろ……

 

「……そろそろご飯にする?」

 

 ごまかすために話題を変える。

 

 いつの間にか太陽もずいぶんと西に傾いていた。もう1時間もすればここも真っ暗になる。

 

「だね。暗くなる前に作っちゃおうっか」

 

 チェックインの時間は過ぎている。今夜はもう誰も来ない。わたしと双葉の二人きりの時間。

 

 わたしが期待するようなことなんて起こるわけないのに、心のどこかで期待してしまう自分がいる。

 

 なんて未練がましい女なんだろうな、わたしって。

 

 でも、しょうがないだろ。好きになっちゃったんだから

 

 だから……

 

「よーし! おいしいキャンプご飯作るぞー!」

 

「……おー」

 

 せめて、友達のフリくらいはさせてよ。

 

 

 

 

 

 

「おいしかったね〜」

 

「……うん、めっちゃうまかった」

 

 真っ暗になった本栖湖で、持ってきたシートの上に座ってブランケットにくるまる。

 

 焚き火にあたりながらさっき食べたキャンプご飯の感想を言い合う。

 

 適当にレシピ本からピックアップしてきただけのご飯だったけど、びっくりするくらいおいしかった。

 

 たぶん、双葉と一緒に作ったからなんだろうな。

 

「コーヒーでも淹れる?」

 

「眠れなくなってもしらないぞ」

 

「たまには二人で夜更かししよーよ」

 

 こいつ、またそうやって……でも、どうせ明日も休みだしいいか。

 

「……しょーがないなあ」

 

 誘惑に負けて、コーヒーを頼む。こんな時間に飲んだらきっと夜中まで眠れないだろうな。

 

 大丈夫かな、わたし。まあいいや。なにかあっても双葉のせいだ。

 

「じゃ、ちょっと待っててね〜」

 

 はにかんだ双葉が慣れた動きでコーヒーの準備をしていく。静かな湖畔にガリガリと豆を挽く音がこだます。

 

 あっという間に準備が終わって、コポコポとコーヒーを注ぐ音がしておいしそうな匂いが周囲に漂う。

 

「はい、どーぞ」

 

「ありがと……いただきます」

 

 マグカップに注がれたコーヒーをゆっくりとすする。

 

「……おいしい」

 

 わたしの知っているコーヒーと違って、双葉の淹れるコーヒーはブラックなのに全然苦くない。

 

 かといって薄いわけじゃなくて、しっかりとコーヒーの香りと旨味も感じる。

 

 贔屓目を抜きにしても、双葉の淹れるコーヒーは本当においしい。野クルの奴らが気にいるのもよくわかる。

 

「……うーん、ちょっとお湯の温度高かったかなあ」

 

「これで納得いかないのか……」

 

 どんだけ凝り性なんだよ。もういっそのこと大人になったら喫茶店でも開けばいいのに。

 

「ま、いっか。おいしいし」

 

「いいのかよ」

 

 二人でコーヒーを飲む。2月の本栖湖の空はよく晴れていて、月が富士山を綺麗に照らしていた。

 

「……もうすぐ春だね」

 

「まだまだ寒いけどね」

 

 本当に暖かくなるのは4月に入ってからだ。それまではまだまだ冬のような寒さが続く。

 

 でも、こうしてブランケットにくるまるのも、もうすぐ終わりだと思うとなんだか感慨深かった。

 

「3月になったらみんなで伊豆行って、そしたら2年生。ちょっと前まで秋だ冬だって騒いでたのに、もう春だよ。なんか、不思議」

 

「それだけ楽しかったってことでしょ」

 

 いつもならキャンプは冬で終わりだけど、今年はもうちょっと長くやってもいいかもしれない。

 

 あいつらがいるってのもあるし、なにより双葉がいる。こいつのことだから夏休みになったら北海道行くとか言い出しそうだ。

 

「春が来て、そしたらすぐ夏になって……今度の夏休みどこ行こーかな。北海道とか行っちゃおうかな」

 

 って思ったらほんとに北海道でてきたし。ったく、こいつほんとに懲りないやつだな。人の気も知らないで。

 

「けど、みんなとキャンプも行きたいしなー」

 

「えー夏やだよ」

 

 虫湧くし人多いしろくなことがない。やっぱりキャンプは冬が一番だ。

 

「じゃあキャンプじゃなくてツーリングにする? ゲストハウスとかならキャンプ場と同じくらいの値段で泊まれるよ」

 

「……まあ、それなら」

 

「やったー! リンと夏休みにツーリングだー!」

 

「ふふ、まだだいぶ先のことじゃん」

 

 その時まで、わたしと双葉は友達でいられているのかな。もし、双葉が好きな奴とくっついたりしたら……

 

 首を振って暗くなった思考をかき消す。

 

「どうしたの?」

 

「な、なんでもない」

 

 灯がなくて助かった。もし明るかったら落ち込んだ顔を見られてしまうところだった。

 

「そっか……それでさ、来年になってもそのまた来年になっても、ずっとみんなで一緒にキャンプしたいなあ」

 

「みんなで……」

 

 心が軋む。双葉はただ当たり前の望みを言っているだけ。それはわかってる。

 

 わたしだってあいつらとはずっと付き合っていきたい。

 

 なでしことも斉藤とも千明ともあおいとも、ずっと一緒にいたいと思っている。

 

 でも、わたしが一番一緒にいたいのは、他でもない双葉なんだ。

 

 双葉、そこは嘘でもわたしと一緒って言ってほしかったな……

 

 心にどす黒いもやがかかっていく。行き場のない嫉妬心が心を覆い尽くしていく。

 

「そ、それでね、リンともずっと……ずっとずっと一緒にいたいなって……」

 

「ふた……ば?」

 

 気のせいか? 今、わたしとずっと一緒にいたいって、言わなかったか?

 

 恐る恐る双葉の顔を見る。

 

 その顔は焚き火に照らされているだけじゃ説明できないくらい真っ赤になっていた。

 

 緊張しているのか、琥珀色の綺麗な目が忙しなくキョロキョロと動く。

 

「え、えっとね……ボクね……」

 

 もしかして……わたしは、胸が高鳴るのをはっきりと感じた。

 

 もしかして、双葉もわたしのことを……

 

 いや、そんなわけないか。そんな、都合のいいこと、起きるわけないよな。

 

「えっと、えっと……あ、そうだ!」

 

 しどろもどろだった双葉がなにかを思い出したかのように立ち上がり、荷物を置いてあるところに歩いていく。

 

 しばらくすると手になにか箱のようなものを持って戻ってきた。

 

 そしてわたしの前に座り、まっすぐわたしを見据える。

 

 やっぱりこいつの目綺麗だな……

 

「これあげる!」

 

 勢いよく差し出された箱を受け取る。化粧箱だ。なにが入ってるんだろう。

 

「え、どうしたのこれ?」

 

「ちょっと早いけど、バレンタインのプレゼント!」

 

「プレゼント? え、くれるの?」

 

 好きな人からの思わぬサプライズに、顔がいっきににやけそうになる。

 

 プレゼントっていうくらいだから、多分チョコレートとかじゃないんだろうな。

 

「あったかい時用のバイクの手袋! 春になったらこれで一緒にツーリングしよ?」

 

 やばい……すっごい嬉しい……

 

「そ、そっか……あ、ありがと」

 

「リン! 大好きだよ! これからも、ずっと友達でいようね!」

 

 ……

 

 ……………

 

 …………………

 

 ずっと友達でいようね。

 

 ずっと、友達でいようね……

 

 ずっと、友達で、いようね……

 

 友達で、友達で、友達で……

 

「…………よ」

 

「り、リン? どうしたの?」

 

 心配そうにわたしの顔を覗きこむ双葉。

 

 その、混じり気のない善意にわたしの中にあるなにかが音を立てて切れた。

 

「いい加減にしてよっ!!」

 

「え!? ひゃ!?」

 

 頭が真っ白になる。

 

 気がつけば双葉の手首をつかんでシートに押し倒していた。

 

 寒気のする本栖湖。焚き火がパチパチとまるでわたしの心のように燃え盛る。

 

「り、リン?」

 

 両手の間に収まった双葉の顔を見つめる。突然こんなことされたのに、1ミリも怖がってない。

 

 ただとまどっているだけ。わたしがなにもしないと信じきっている。

 

「どうしたの? なにかあったの?」

 

 双葉がわたしの頬に手を伸ばす。こんな時でもあったかい手が頬をじんわり温める。

 

 本当に、本当に、いつもいつもわたしのことをそうやって!

 

「そういうこと、誰にでもしてるの?」

 

「だ、誰にでもって……え、ど、どういうこと?」

 

「どうせ、みんなにも大好き大好きって、言いまくってるんだろ!」

 

 こんなこと言いたくないのに、感情が抑えられない。

 

 双葉はずっとひとりぼっちだった。

 

 やっと友達ができて、すごく嬉しそうなのはずっと見てきたからよくわかる。

 

 ただ人よりも素直なだけ、たぶらかそうとか、そんな酷いことは微塵も考えてない。

 

 ひどいことを、言っている。最低なことを言っている。

 

 でも、止められない。

 

「他に、好きな奴がいるくせに!!」

 

 じわじわと視界が滲んでいく。目に映る双葉の顔がどんどんぼやけていく。

 

「わたしが、どれだけ好きかも知らないくせに!!」

 

 人が人を好きなるには、もっと劇的ななにかがあると、ずっと思っていた。

 

 だけど、それは違った。

 

 他愛もない日常。他愛もない生活。延々と続く毎日。

 

 そんな当たり前の中に双葉はいた。 

 

 いつものように図書室で会って、なんてことない話しをして、たまに一緒に帰る。

 

 家に帰って電話したり、遊んだり、たまにはキャンプをしたり……

 

 気がつけば、双葉がいるのが当たり前になっていて、それ以外の生活は考えられなくなっていた。

 

 ずっと一緒にいたいと思った。ずっと隣で笑顔を見ていたいと思った。

 

 誰かを好きなるってことの本当の意味を知った。

 

 なのにこいつは……いつもいつも!

 

「好きでもないなら優しくすんな!! どうでもいいと思ってるなら大好きなんて言うなよ! そんな顔で笑うなよぉ!」

 

「リン……」

 

 泣きながら双葉の胸に顔を埋める。胸の小さな鼓動を感じる。

 

「リン……ごめんね」

 

 やっぱり、わたしは双葉が好きだ。こんなことで諦めたくない。

 

 双葉が好きで、もうこいつのことしか考えられない。

 

 双葉が好きなやつなんかよりも、わたしのほうがずっとずっと双葉のことを好きに決まってる。

 

 ずっと笑顔にできる。

 

 ずっと幸せにできる。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 もう、逃さない。

 

 

 

 

 

「……双葉が、悪いんだからな」

 

 悪魔の呪文を唱える。わたしの中のなにかが目を覚ます。

 

 埋めていた顔を起こし、這うように耳元に近づける。

 

 耳の付け根に息を吹きかけると、双葉の身体がびくりと震えた。

 

「ひゃっ!? り、リン、や、やめ」

 

 セリフと声色が、まるで合ってない。

 

 わたしには、双葉がもっとしてくれって言っているようにしか聞こえなかった。

 

 やっぱり、こいつわたしのこと好きなんじゃないの?

 

「やだ」

 

 逃げられないように双葉の足に自分の足を絡ませる。

 

 ズボンとタイツが触れると、双葉の足がびくりと震えた。

 

「ねぇ、本当は誰が好きなの?」

 

 耳元で囁く。

 

 前からずっと疑問に思っていた。

 

 好きって言うわりには誰もその相手のことを知らない。

 

 そしてわたしが詰め寄った時の満更でもなさそうな表情。そして、今の反応。

 

「それとも、わたしには言えないの?」

 

 ジャケットの隙間に手を入れて細いウエストを抱く。

 

 ずっとバイクに乗っているからか、意外と引き締まっていて、絶妙に触り心地がいい。

 

 やばい、これずっと抱いてたい。

 

「り、リン? あ、あの手が、お腹にあたって……んん!」

 

 ちょっと強く撫でると腰がびくりと震えた。

 

「双葉、もしかして気持ちいいの?」

 

「そ、そんなっ、こと! ひゃぅっ!?」

 

 耳たぶを甘噛みして追い討ちをかける。

 

 抱きしめた小さな身体が強張って跳ねる。こんな小さな身体で無茶な遠出ばっかりしてるのか。

 

 もしなにかあったらどうすんだよ……

 

 お仕置き、しないとな……

 

 双葉が他の誰かを好きなら、わたし以外を見れないようにすればいい。

 

 わたしが双葉をどれだけ好きなのか、わからせてやればいい。

 

 どうしてこんな簡単なことに気がつかなったんだろう。

 

 わたし、ほんとバカだな。

 

「だから、答えてよ」

 

 耳の付け根、たぶん双葉はここが一番弱い。

 

 息を吹きかけるように囁くと、案の定双葉の肩がびくりと震えた。

 

 ほんと、敏感すぎるだろ。そんなんだからわたしにいいようにされるんだぞ。

 

「ただの、友達なんでしょ?」

 

「え、えっと、えとえと」

 

 顔を上げて双葉の瞳を見つめる。

 

 潤んで涙目になった瞳。

 

 首筋まで真っ赤になった顔。

 

 汗ばんだ額。

 

 荒い呼吸。

 

 吸い付きたくなるような唇。

 

 もう、答えは出てるようなもんだよね。

 

「ねぇ、答えてよ」

 

 双葉の目がキョロキョロを逃げ場を探して泳ぐ。

 

「誰が、好きなの?」

 

 でも、わたしの目がそれを逃さない。

 

「あ、あの、あ、あ、あの……」

 

 やがて観念したのか、双葉の身体から力が抜けた。

 

「……きです」

 

「ごめん、聞こえなかった。もう一回言って?」

 

「……好きです」

 

 崖があったら飛び降りるんじゃないかってくらい、恥ずかしそうな双葉がわたしの目を見ながらボソリとつぶやいた。

 

 そっか……好きな人って、わたしのことだったんだ。

 

 そっか……

 

 これやばいな。気抜くとすぐ顔がにやける。

 

 でも、まだ許さない。

 

 わたしの心をさんざん弄んだ仕返しがすんでない。

 

 あれだけ泣かせて悩ませたのに、双葉だけなぁなぁで告白なんてさせない。

 

「それで、誰が好きなの?」

 

「え!? い、言わなきゃダメ?」

 

「ダメ」

 

 耳元で囁く。絡ませた足がびくりと震えた。

 

 それが全てわたしに向けられていると知った今、嬉しさと興奮で頭がおかしくなりそうになる。

 

「教えてよ……誰が、好きなの?」

 

「…………リン」

 

 双葉の口から、その名前を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねそうになるほどの喜びが全身を包んだ。

 

「もう一回」

 

「リンが好き」

 

「もう、一回」

 

「リンが好きですー!」

 

 頭が真っ白になる。

 

 双葉の言葉が頭の中で跳ね返って反響して際限なく大きくなっていく。

 

 双葉はわたしが好き。

 

 双葉は、わたしが好き。

 

 双葉は、わたしが、大好き!

 

 もう我慢なんてできない!

 

「双葉」

 

「え、な、なに──」

 

 半開きになった双葉の唇にわたしの唇を重ねる。

 

 初めてのキスはコーヒーの味がした。

 

「……ん、んぅ」

 

 口を覆う柔らく温かい感触。

 

 ビリビリとした電流が身体中を駆け巡って、自分がなにをしているかすら考えられなくなる。

 

「……ん」

 

 やばい……これ、めっちゃ幸せ……

 

 いつのまにかわたしの腰に手を回していた双葉と抱き合って、ひたすらお互いの唇を合わせる。

 

 ずっと好きだった相手と初めてのキス。

 

 涙が出るくらいに嬉しくて、ただそれしか考えられなくなる。

 

 でも、いい加減息ができなくなってきた。

 

「……ふた、ば」

 

「り、りん……」

 

 お互いに見つめ合って肩で息をする。頭の中はもう双葉のことでいっぱいだった。

 

 だめだ。こんなんじゃ全然足りない。

 

「ん……」

 

 今度はもっと深く、強く、お互いの舌を絡めてキスをする。

 

 舌と唾液が混じり合う。嬉しい、ただ嬉しい。幸せ……

 

「ふたばぁ……んっ!」

 

 息を吸ってからもう一度唇を求める。つかんでいた手首を離し、指を絡めて握りあう。

 

 唇を吸うたびに握られた手に力がこもる。

 

 やばい、こんなの知ったらもう戻れなくなる。

 

 止まらない。止められない。たりない、こんなのじゃたりない。

 

 もっと、もっと、もっとしたい……

 

 もっと双葉がほしい……

 

「テント、行こ?」

 

「……うん」

 

 耳まで真っ赤に染め、期待に満ちた眼差しでわたしを見つめる双葉。

 

 唾液で濡れた唇が艶かしく光る。

 

 ブツリ。頭の中でなにかが切れる音がした。

 

 コーヒーを飲んで正解だった。今夜はきっと長い夜になるに違いない。

 

 

 

 

 

「……さむ」

 

 肌寒いテントの中で目が覚める。いつの間にか寝てしまったみたいだ。

 

 テントの向こうはすっかり明るくなっていた。

 

「あれ……昨日なにしてたんだっけ……」

 

 たしか双葉とコーヒー飲んでそれから……

 

 あ、思い出した。

 

「……うん」

 

 不意に横でなにかがピクリと動いた。

 

 恐る恐る首を向ける。あどけない顔で眠りこける双葉がそこにはいた。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 シュラフこそ被ってるけど、隙間から見える格好はほとんど裸同然だった。

 

 あたりを見回す。よく見ると、ズボンやらシャツやらが散乱している。

 

 その中には当然のようにわたしの服も混ざっていた。

 

「……や、やっちまった」

 

 思わず手で顔を覆い隠す。寝ぼけていた頭が本栖湖の冷気で覚醒し、昨日の記憶をどんどん掘り起こしていく。

 

 すごかったな双葉、あんな声出して……って違う!

 

「ど、どどどうしよ」

 

 テントの中で、あ、あんなことして! だ、誰にも見られてないよな!

 

 ていいうかわたしもよく見たらシャツしか着てないし!

 

「あ、でもいいのか? どっちにしろお互い好きなんだし……いや、でも」

 

 ピコン!

 

「おわっ!?」

 

 スマホがなってびくりと飛び跳ねる。誰だよこんな朝から。

 

斉藤:ゆうべはお楽しみでしたね

 

リン:やかましいわ

 

斉藤:ふっふっふ、その様子だとうまくいったみたいだね〜

 

リン:……まぁ、その、うん

 

斉藤:そっか〜 実はね、わたし前から双葉ちゃんから相談受けてたんだ。なんとかなってほんとよかったよ〜

 

リン:やっぱおまえ全部知ってたじゃねえか

 

斉藤:知らないなんてひと言も言ってないもーん

 

リン:もういいよ。なんか、いろいろありがと

 

斉藤:気にしなくていいよ〜 いっぱい楽しませてもらったからね〜

 

リン:やっぱ死ね

 

 スマホをしまう。なんていうか、全部斉藤の掌の上だったんじゃないかって気がしてきた。

 

 思い返してみれば、双葉が男子に告白された時からおかしなことだらけだった。

 

 あの時はパニックになって頭が回らなかったけど、よくよく考えてみればいくらなんでもタイミングが良すぎる。

 

 それも斉藤の差し金と考えれば納得がいく。あいつ、やっぱりろくでもねえやつだわ。

 

 でも、おかげでここまでこれたんだからちょっとは感謝してやろうかな……

 

「おーい、おきろー」

 

 顔を近づけて未だに気持ちよさそに寝ている双葉の頬をつつく。

 

 前と違って罪悪感なんて一切ない。

 

 だってもうそれ以上のことしたし……

 

 でも、これはこれで好きなんだよなあ。

 

「キスするぞー」

 

 顔をどんどん近づける。べつに起きてる時にすればいいんだけど、なんとなく寝ている双葉にしたくなった。

 

「それは起きてる時にしてほしいなぁ」

 

「おわっ!?」

 

 こいつ、起きてたのか! もしかして、狸寝入りしてたのか?

 

「いつから起きてたの?」

 

「えっとね、き、キスするぞーってところから」

 

「なんだ、起きたばっかか」

 

 双葉がもぞもぞとシュラフから起き上がる。案の定シャツしか着てなかった。

 

 やっぱ、夢じゃないんだよな……

 

「えへへ、すごいことしちゃったね。ボクたち」

 

「あ、うん……」

 

 昨日のことを思い出すと、それだけで嬉しさとか恥ずかしさとかが込み上げて叫びそうになる。

 

「わたしたち、付き合ってるってことでいいのかな?」

 

「……そうなんじゃないかな? よくわかんないけど」

 

「ふふ、なにそれ」

 

「だってしょーがないだろー! 人と付き合ったことなんてないんだからさー!」

 

「わ、わたしだってそうだし!」

 

 付き合って初日であんなことまでして、冷静に考えてかなりやばい気がするけど、それはもう考えないようにしておこう。

 

 でないと恥ずかしくて死ねる。

 

「な、ならさ……もう一回たしかめてみる?」

 

「た、たしかめるって、どうやって?」

 

 わたしが聞くと、双葉はもじもじと恥ずかしそうに顔を俯かせた。

 

 やっぱ、こいつかわいすぎだろ。

 

「そ、その……キス、とか」

 

「……する?」

 

「……おねがいします」

 

 双葉の言葉に無言でうなずき、細い首筋に手を伸ばす。

 

 顔をゆっくりと近づける。双葉の綺麗な顔がどんどん近づく。

 

「双葉、好きだよ」

 

「……ボクも大好き」

 

 恋人とする初めての朝のキスは、やっぱりコーヒーの味がした。




一応リン編完結です。次からは別の話になります。

感想で抜き取ったページを寄越せと言われそうなので書いておきました。

例によってそういうシーンなので気になる方は自己責任で作者の作品一覧【https://syosetu.org/user/3567/】からどうぞ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


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各務原なでしこ 志摩リン(1)

お待たせしました。今回はなでリンサンドです


 

 

 

 

 

 最近、なでしことリンの様子がおかしい。

 

 ボクがそのことに気がついたのは、本当につい最近のことだ。

 

 まあ、おかしいと言っても別に仲が悪いとか、どこかよそよそしいとか、そういうのじゃない。

 

 むしろ逆だ。仲が、良すぎるのだ。

 

「リンちゃん、あーん」

 

 なでしこが弁当箱から唐揚げを摘んでリンに差し出す。いわゆる「あーん」だ。

 

「だ、誰かに見られたらどうすんだよ……あ、あーん」

 

 とかいいつつもなんだかんだいって満更じゃなさそうなリン。

 

「あむ……うま」

 

 リンの頬に色が差す。

 

 もちろんおいしいからなんだろうけど、それだけじゃないように見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。

 

「でしょー! ちゃんと冷めてもおいしいように工夫したんだ〜」

 

「へぇ、今度遊びに行った時教えてよ」

 

「うん! えへへ、リンちゃんとお料理デート、たのしみだな〜」

 

「で、デートって……」

 

 頬を赤らめるリン。かわいいなあ。

 

 側から見たらまるで付き合ってるんじゃないかってくらいのいちゃつきっぷり。

 

「あ、双葉」

 

「え、なに?」

 

「あ、あーん」

 

「ボクの左」に座っているリンが卵焼きを差し出す。

 

 ちょっと形が歪。たぶん、リンが作ったんだろう。ほのかに出汁の香りがする。だし巻き卵かな。

 

「あむ……おいしー!」

 

「そ、そっか、これ自分で作ったんだ……ふふ」

 

 なんかすっごい嬉しそうな笑みを浮かべるリン。その笑顔があんまりにも綺麗で、思わずドキっとする。

 

「あっ、わたしもわたしも!」

 

「はいはい、あ、あーん」

 

「あーん! ん〜!

 

「ボクの右」に座っているなでしこが、ボクを挟むようにしてリンの差し出す卵焼きにぱくつく。

 

 幸せそうななでしこを見ると、ボクも心がぽかぽかしてくる。やっぱり仲がいいのが一番だよね! 

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

「ってちがーう!」

 

 がばりと立ち上がる。なにがだよねだよ! どう考えてもおかしいでしょ!

 

「ふ、双葉ちゃんどうしたの!?」

 

「大丈夫? 双葉」

 

 突然立ち上がったボクを心配するなでしことリン。二人の目には純粋な心配の色しかない。

 

 二人のこういうところ本当に大好き。

 

「心配してくれてありがとー! でもね、ちょっと待とうよ」

 

「あ、双葉ちゃん唐揚げあーん」

 

「あーん……これおいしい〜!」

 

 冷めてるのにジューシーで、醤油とニンニクと鶏肉が絶妙なハーモニーを奏でる。こんなのいくらでも食べれちゃうよー

 

「だからちがーう!」

 

「さっきからどうしたの?」

 

「どうしたもこうしたも、なんで二人して毎回毎回ボクのこと挟むんだよぉ!」

 

 4月に入ってからもうこれで10回目だ。

 

 ボクもボクだよ。なんで10回も繰り返してるのにつっこまないんだよ! いくらなんでもボッチ拗らせすぎでしょ! 

 

「え、今更?」

 

「もしかしてやだった? えへへ、ごめんね」

 

 悲しそうな笑みを浮かべて謝るなでしこに、心が締め付けられる。違う。ボクはなでしこのこんな顔を見たくて言ったんだじゃない。

 

「そ、そんなことないよ! なでしこもリンも大好きだよ! でも、なんていうか──」

 

「わーい! わたしも双葉ちゃんのこと大好きー!」

 

 がばりとなでしこが抱きついてくる。あったかくて柔らかくて、なんだか心地よくなって顔がにやけてくる。

 

「双葉ちゃん髪の毛さらさら〜」

 

 なでしこに優しく撫でられて嬉しさと気持ちよさで頭がいっぱいになる。

 

「えへへ〜」

 

 大好きな友達に抱っこされてなでられて、耐えられる奴がいたら見てみたいよ〜 

 

「わ、わたしも……」

 

 さわさわと、別の手が頭を撫でてくる。この指、リンのだ。こっちもこっちで気持ちいいなあ。

 

「えへへ、もっとして〜」

 

 

 二人とも大好き〜

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 あれ?

 

 

 

 

 

「双葉、このズボンとか似合うんじゃない? なでしこもそう思うよね」

 

「うんうん! あっ、リンちゃんリンちゃん! このワンピースリンちゃんに絶対似合うと思うんだ〜」

 

「え、派手すぎるだろ……でも、なでしこが言うならちょっと着てみる。双葉、試着室行こ」

 

「あ、うん……」

 

 さも当たり前のように手を握ってボクを引っ張るリン。ちなみにこれで四回目である。リンの手すべすべして気持ちいなぁ〜

 

 春うららかな土曜日。

 

 今日は全員バイトもなく、久しぶりに三人でキャンプ……ではなく甲府のショッピングモールでお買い物。

 

 春夏用の服を買いたいとリンに誘われのこのこやって来たボクを待っていたのは、なでしことリンによる怒涛の着せ替え地獄だった。

 

「けっこう混んでるね」

 

 リンの視線の先には人でごった返した試着コーナー 地元じゃまずお目にかかれない人の量に思わずたじろぐ。

 

「あ、あそこ空いてるよ。リン先行きなよ」

 

「……広いし二人で行こうよ。時間もったいないじゃん」

 

「え!? ふ、二人で?」

 

 それって、リンと一緒に着替えるってことじゃ……どうしよ、なんか妙にドキドキするんだけど。 

 

「こ、混んでるんだからしかたないだろ。うん、しかたない」

 

「あ、ちょ」

 

 手を引っ張られて試着室に連れ込まれる。ほ、ほんとに入っちゃった……

 

「どうしたの? 着替えないの?」

 

 リンはすでにズボンを脱いでいてシャツと下着だけになっていた。

 

 ほんと手際いいなこのソロキャンガールは!

 

 リンがこっちを見ているせいで、シャツの隙間からおへそとか肌がチラチラ見えて……

 

「双葉?」

 

 って! 何考えてんのボク! 落ち着け落ち着け……びーくーる。

 

「あ、いや、その……や、やじゃないの? こんな狭いところで二人一緒にって」

 

 ボクたちが入っている試着室は、よくある一人用の狭い試着室じゃなくて寝転がれるくらいの広さのところだけど、それでも二人で入るような場所じゃない。

 

「やって……どういうこと?」

 

 ボクの言葉にリンの目の色が変わる。あ、やばいスイッチ入れちゃった。

 

「わたしと一緒にいるのが、やだってこと?」

 

 ぺたぺたと一歩ずつ近づいてくるリン。まただ。またくる! 

 

「ひゃ、そ、そうじゃなくって……」

 

 壁際に追い詰められ、左手がドンと壁に置かれる。つまり殴らないほうの壁ドン。

 

「じゃあ、なんなの?」

 

 体勢が悪くて見上げる形になってしまう。リンってこうしてみると本当に美人だよなあ。

 

 かっこよくて、かわいくて、なんかもう反則だよね……だからそうじゃない。

 

「え、えーと、あ、あの」

 

 澄んだ瞳で見つめられて顔が熱くなっていく。長い黒髪が視界の端にチラつく。

 

「わたしは双葉のこと好き、だよ」

 

「ぼ、ボクも大好きだけど……」

 

「……じゃあ、べつによくない? 友達どうしならこれくらい普通だよ」

 

 そう言ってリンがボクの顎に手を添える。ひんやりとした手が顎の裏ピトッとあたってすごく気持ちがいい。

 

 なんか、すっごいぼうっとする。

 

「り、リン……」

 

 最近のリンは二人きりになるといつもこうだ。本当にどうしちゃったんだろう。

 

「双葉、髪になんかついてるよ」

 

「え、ほんと──ひゃ!?」

 

 ボクが髪に意識をやった途端。首筋になにかぴとっとした感触がして身体がびくりと震える。

 

「どうしたの? 双葉」

 

「い、今首にピトッって」

 

「……それって、こんな感じだった?」

 

 リンが怪しげに微笑むと、顔をボクの首筋に埋めた。

 

「ひゃっ、り、リンなにしてっ!?」

 

 また首筋に柔らかくて温かい感触が伝わって思わず身震いする。

 

 しかもそれに加えてリンの髪のサラサラした感触とか匂いとか、温かさとかが合わさって頭が真っ白になる。

 

「だ、だめだよ……こんなところで……んっ!?」

 

 吸い付くような感触がして冷たい水滴が顔に落ちた時のようにびくりと震える。

 

 リンがこう言うことをするようになったのはこれが初めてじゃない。

 

 いつからかは忘れちゃったけど、たぶんなでしこと異常に仲良くなりだしたころだった気がする。

 

 初めては図書室だった。いきなり壁に追い詰められて今みたいにされた。正直すごい気持ちよかった。

 

「り、リン、ほんとにこれ以上は」

 

 ボクの懇願が通じたのか、ボクの首筋から顔を離す。

 

「もういいよ」

 

 そう言って小さく舌なめずりをするリン。そんなリンの顔は普段の様子からじゃ想像もできないくらい色っぽくて思わずドキリとしてしまう。

 

「あっ……」

 

 なんでドキリとしたのかも理解できず、曖昧に返事をすることしかできない。

 

 本当に、最近のリン様子が変だよぉ……

 

 もっとしてほしいと思ったのは、きっと気の迷いかなにかだ。

 

 だって、そんなのまるで……

 

「じゃ、着替えよっか」

 

「あ、うん」

 

 ぼうっとした頭のままズボンを試着する。

 

 あ、かわいい。買っちゃお。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 フードコートのテーブルに突っ伏してため息をつく。

 

 べつになにか嫌なことがあったわけじゃないけど、今は無性にため息をつきたくてしかたがない。

 

「ほんと、最近の二人どうしちゃったんだろ……」

 

「どうしたの? 双葉ちゃん」

 

「……なでしこ」

 

 顔を上げるとなでしこが心配そうにボクを見ていた。手に持ったたこ焼きがおいしそうに湯気をたてている。

 

「リンは?」

 

「リンちゃんなら今ご飯注文しに並んでるよ」

 

 なでしこがそう言いながら当然のようにボクの横に座る。あ、うん、知ってた。

 

「双葉ちゃん! あーん!」

 

 なでしこが満面の笑みを浮かべながらたこ焼きを差し出してくる。やっぱなでしこは癒しだよ。

 

「あーん」

 

 熱々のたこ焼きを火傷しないように転がしながら食べる。焼きたてのたこ焼きは外はサクサクで中はふわふわでとってもおいしい。

 

「うん! おいしい〜」

 

「だよね〜 ここのたこ焼きすごいおいしいよね」

 

 そう言ってなでしこがわたしもわたしもーと言いながら口を雛鳥のように開ける。

 

「あーん」

 

 いつもどおりのやり取りに朗らかな気持ちになりながらなでしこの口の中にたこ焼きを放り込む。

 

「ん〜!」

 

 ほんと、この子っておいしそうに食べるよなー 見てるこっちも嬉しくなってくる。

 

「こんなにおいしいなら、もっと買ってくればよかったな〜 あ、双葉ちゃん」

 

「え、なに──」

 

 なでしこの顔がいきなりどアップになって唇の端になにか湿った感覚が走る。

 

「えへへ、口の横にソースついてたからなめちゃった」

 

 え、今ボク、なでしこになめられたの? 

 

 まって、ちょっとまって。全然状況がわからないんだけど。

 

「あ、双葉ちゃん顔真っ赤になってる〜」

 

「え、あ、うん……」

 

 頭がパンク状態でもうなにがなんだかわからない。リンといいなでしこといい最近へんだよー!

 

 そ、そうだ。今はリンもいないし、今日こそ聞かないと。

 

「な、なでしこ」

 

「どうしたの?」

 

「さ、最近リンとすっごい仲いいよね」

 

「えへへ〜 そう見える?」

 

 ボクが聞くと、なでしこはもうそれはそれは嬉しそうにはにかんだ。

 

「う、うん。な、なんかあったの?」

 

「ううん、なんにもないよ。わたしはリンちゃんが大好きで、リンちゃんもわたしが大好きってだけだよ〜」

 

 それは、どう言う意味の大好き、なんだろうか。

 

 なでしこのことだから、本当に言葉どおりの意味なんだろうけど、なんだかべつの意味に聞こえるのは気のせいなんだろうか。

 

「あ、うん。そっか」

 

 そんななでしこを見ていると、心にちょっとだけ痛みが走る。

 

 なにも変わってないはずなのに、なぜだか二人が遠くに行ってしまったような気がした。

 

「でもね、わたし双葉ちゃんのことも大好きなんだー 双葉ちゃんはわたしのこと好き?」

 

「え、あ、うん大好きだ──」

 

 ボクが言い切る前に身体に衝撃が走る。よく見るとなでしこがボクに抱きついていた。

 

「わたしも双葉ちゃんのこと大好きだよー!」

 

「え、えへへ」

 

 やばい、なんかめっちゃ嬉しい。心がすごいぽかぽかする。

 

「……あれ? 双葉ちゃん、首に……あっ」

 

「なでしこ?」

 

 抱きついたなでしこがなにか言いかけてやめた。どうしたんだろう。ボクの首になにかついてたのかな。

 

「……へぇ、そっかー リンちゃんずるいなぁー」

 

「な、なでしこ?」

 

 いつもよりずっと低い声でボソリとつぶやくもんだから、正直すごい怖かった。

 

 しかも気のせいかな? 今リンって言ってたような……

 

「ううん、なんでもないよー」

 

 そう言ってなでしこがボクから離れる。ちょっと名残惜しいって思ったのはたぶん気のせいだと思いたい。

 

「それでね、わたしリンちゃんと話し合って決めたことがあるんだー」

 

 口調はいつもどおりなのに、なぜだかなでしこの顔がすごく大人っぽく見えた。

 

「き、決めたこと?」

 

 いったいなんだろうか。気になってなでしこの顔が見たいけど、抱きしめられているせいでよく見えない。

 

「うん。でもまだ秘密にしとくね」

 

「い、言ってよー! 気になるじゃんかー!」

 

「まだ秘密だもーん!」

 

 このあと、リンが戻って来るまで根気強く聞き続けたけど、けっきょくなでしこはその秘密とやらを最後まで教えてくれることはなかった。

 

 

 

 

 

「はぁ〜」

 

 いつものように本を返すために図書室へ続く廊下を歩く。

 

 けど、いつもと違ってボクの足はちっとも前に進まない。

 

 理由はもちろんあの二人のせいだ。なんどもなんどもやり込められているけど、やっぱりどう考えてもおかしい。

 

「もしかして、なでしことリンって……」

 

 ひと昔前のラノベの主人公でもないし、あれほど様子が変わったらボクだってわかる。

 

 リンとなでしこの仲がいいのは前からだけど、その仲はあくまで友達であり、お互いに常に一定の距離をおいた感じだった。

 

 もちろん距離をおいてるというわけじゃなくて、親しき仲にも礼儀ありみたいな、そんな距離感だった。

 

「やっぱ、そういうことだよね……」

 

 この前、リンとなでしこが手を繋いで下校しているのをビーちゃんに乗りながら見かけた。

 

 友達どうしなら手を繋ぐことも珍しくない。ボクもよくつなぐしね。でも、恋人繋ぎはしないでしょ。

 

 ゴーグル越しでもはっきりわかるくらいがっしりと恋人繋ぎしていた。

 

 しかもなんかお互いに顔が赤くなってたし、まるでできたてほやほやのカップルってかんじ。

 

 そこまでされたらボクだってわかる。まだ聞いたわけじゃないからあれだけど、どう考えてもそういうことだろう。

 

「まあ、別に、いいけどさ……」

 

 恋愛なんてしたことないけど、そういうのに忌避感があるわけでもないし、二人が仲良くなる分には大歓迎だ。

 

「って、思ってたんだけどなあ……」

 

 二人がボクを置き去りにして仲良くしてるのを見ると、なぜだかモヤモヤとした得体の知れない感情がボクの心を包み込む。

 

 ずっとボッチだったから嫉妬してるのかな。でも、嫉妬っていうか、どっちかっていうと間に入れてほしいっていうか……

 

「って、なに考えてるんだボク!」

 

 立ち止まって頭をぶんぶん振る。好きあってる二人の間に入ってどうこうなんて、そんなの最低な考えじゃないか!

 

『双葉ちゃん、大好き!』

 

 なでしこに抱きしめられた時の感触を思い出す。柔らかくてあったかくて、心がぽかぽかして……

 

『わたしは双葉のこと好き、だよ』

 

 この前買い物に行った時、リンめっちゃいい匂いしたなぁ。もっとしてほしかったな……

 

「だからちがーう!」

 

 あられもない妄想が頭をよぎり思わず頭をかきむしる。

 

 さっきからなんなんだよー! こんなのまるでボクが二人をす、好きみたいじゃないかー! 

 

 ボクは二人のことが大好きだけど、それは友達として大好きって意味であって、断じてそういう邪な気持ちじゃない!

 

 ……ないよね?

 

「……いい加減図書室行こ」

 

 早く行かないとリンが図書室閉めちゃう。オレンジに染まる廊下を足速にかけていく。

 

 早くリンに会いたいな。そんなことを思った。

 

 なんで思ったのかは、よくわからなかった。

 

 

 

 

 

「よかったまだ開いてる」

 

 扉の前に立って取っ手に手をかける。

 

『ほ、ほんとにここでするの?』

 

 リンの声がして反射的に指を引っ込める。

 

 って、なんで引っ込めたんだろ。べつにいいじゃん。でも、なんかリンの声様子が変だったような……

 

『だ、誰かに見られたらどうすんだよ……』

 

『大丈夫だよ〜 リンちゃん』

 

 なでしこもいるみたいだ。二人なにかこそこそしてるみたいだけど、なにしてるんだろ。

 

 ちょっとだけ悪い好奇心が芽生え、音を立てないように扉をほんの少しだけ開く。

 

「なにしてるんだろ二人で……」

 

 狭い隙間から中を覗き込む。オレンジ色に染まる図書室で、なでしことリンがお互いに腰に手をやりながら見つめあっていた。

 

 え、どういうこと? なんで二人が抱き合ってるの?

 

『リンちゃん、好きだよ』

 

『……わたしも好き』

 

 抱き合ってお互いに見つめ合うなでしことリン。

 

 普段の様子からじゃ想像もできないような色っぽい声と顔でお互いに好きと言い合う二人。

 

 これって、どうみてもそういうことだよね! 

 

 え、もしかして、しちゃうの!? ここでキスしちゃうの!?

 

『なでしこ……目、瞑って』

 

『……いいよ、リンちゃん』

 

 二人の顔が近づく。

 

 1センチ、また1センチとなでしことリンは顔を寄せていく。ほ、ほんとにしちゃうんだ……

 

 二人の顔が重なったのは、それからすぐのことだった。

 

『……んっ、なでひこ……』

 

『んっ、りん、ひゃん……』

 

 まるで貪るようにキスするなでしことリン。

 

「あ、あわわ、あわわわ」

 

 と、図書室で、ふ、二人で、き、キキキスなんて! 

 

 仲良いのは知ってたけど、やっぱりそうなのか! やっぱりそうだったのか!

 

「ど、どどどうしよ」

 

 図書室入る? いや、入れるわけないじゃん。バカなの?

 

『……んっ。なでしこ、やっぱり双葉のこと……』

 

『うん、わかってるよリンちゃん』

 

 え、なんかボクのこと話始めたんだけど。わたしたち、付き合い始めましたって言われちゃうの!? 

 

 いや、べつにいいんだけど! 全然いいんだけど!

 

 でもちょっと寂しいなって、ボクも入れてほしいなって。

 

 って、さっきからなに考えてんだ! 間に入れてほしいって、頭おかしいんじゃないの! 

 

「う、うわぁぁぁぁぁっ!?」

 

 情けない声を出して逃走する。クソザコメンタルの元ボッチにあの光景は刺激が強すぎるよー!

 

「二人のばかー! ばーかばーか! ……えっと、えと、ばーか!」

 

 なんでかわからないけどとにかく嫌な気持ちになってあらんかぎりの罵倒を叫ぶ。

 

 もー! 明日学校休むー!! ズル休みしちゃうもんねー! 

 

 お見舞い来たって入れて……いや、それはひどいからやめよう。

 

 とにかく! 一旦二人から少し距離を取ろう! でないと、ほんとに頭パンクしちゃうよー!

 

 桜舞い散る春の本栖高校。一人のクソザコの悲鳴が空に吸い込まれていったりいかなかったりした。

 



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各務原なでしこ 志摩リン(2)

お待たせしました


 

 

 

 

 

「38度2分……」

 

 体温計に表示された温度を見て深いため息をつく。

 

 なでしことリンのあんな姿を見てしまってから一夜明けた。

 

 胸のモヤモヤが治らないまま朝を迎えたわけなんだけど、なんだか妙に身体がだるい。

 

 まさかとは思いつつも試しに体温を測ってみたところ、こんな体温になっていた。

 

 頭がぼんやりして全然回らない。サボろうかなとは思っていたけど本当に休まなきゃいけないことになるとは。

 

 とりあえず学校に連絡入れてあとは寝ておこう。

 

「風邪引いたのなんていつぶりだろうな………」

 

 少なくともすごい久しぶりなのはたしかだ。あの時は一人でなんとかしたっけ。

 

 家に一人きりなのはいつものことなのに、なんだかすごく心細かった。

 

「なでしことリンに会いたいな……」

 

 一人きりの家で、ボクのつぶやきが誰にも聞かれることなく吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ボクの荒い息が暗い部屋の中にこだます。

 

 あれから何時間たったんだろうか。眠れもせず起き上がることもできず、ただ辛い時間だけが過ぎていく。

 

「うぅ、頭痛いよぉ……」

 

 息をするたびに頭をハンマーで殴られたみたいに頭痛がする。一応風邪薬はなんとか飲んだけど全然効いてる気がしない。

 

 これは本格的に拗らせてしまったみたいだ。

 

 こんな時になでしことリンがいたらどれだけ心強かったか。でもわざわざ来てくれなんて言えるわけがないしなぁ……

 

「寂しいな……」

 

 こうして誰もいない家で一人きりだと、嫌でも昔を思い出してしまう。

 

 お父さんがいなくなってしまって、お母さんも家にあまりいられなくなってしまって一人ぼっちになった昔のボク。

 

 寂しくて悲しくて、けどどうすることもできなくて泣きながらご飯を食べたこともあった。

 

 誰かが悪いわけじゃない。でも、そんな理屈で心にぽっかり開いた穴をどうにかできるんだったらボクはボッチじゃなかった。

 

「寂しいな……」

 

 天井を見つめながらつぶやく。

 

「寂しいよぉ……」

 

 なんだか視界が滲んできた。目が燃えるように熱くなって目尻から涙がこぼれる。

 

 二人に会いたいなぁ……

 

 暗くなっていく世界の中で二人の大好きな友だちのことを考える。

 

 たぶんだけど、ボクはきっとなでしことリンのことが好きなんだろう。けどその好きは友だちとしての好きじゃない。

 

 ただの友だちのはずなのに、それだけじゃ物足りなくなってしまった。その先に行きたいと思った。

 

 思ってしまった。

 

 一度に二人の子を、それも付き合っている子たちを好きになるなんて、どうかしてるよボク……

 

「寂しいなぁ……さびしいよぉ……」

 

 どんどん世界が暗くなっていく。意識がぐるぐると回りながら沈んでいく。

 

 もうなにも考えることができない。

もうなにも考えたくない。

 

「──! ──ちゃん!」

 

 滲んだ視界に桜色のなにかが映ったような気がしたけど、今のボクにはそれがなんなのか確かめることすらできなかった。

 

 落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 ふと、歌が聞こえた。

 

「……ん?」

 

 それが鼻歌だと認識した瞬間、ぼんやりとしていた意識がだんだんと形になっていった。

 

 そうか、ボクあのあと寝ちゃったんだ。どれだけ寝ていたのかわからないけど、身体はさっきよりもずっと楽になっていた。

 

 不意に横で雑巾を絞った時のような音が聞こえた。もしかして、誰かいるの?

 

 恐る恐る目を開ける。焦点の合わない視界に桜色の人影が映った。

 

「あ、双葉ちゃん目が覚めたんだね」

 

 聞き覚えのある優しい声。ボクはこの声を知っている。

 

「……なでしこ?」

 

「うん、そうだよ。ごめんね双葉ちゃん、ちょっと汗拭くね」

 

 ボクが返事をする前に首筋に冷たいなにかが当てられた。この濡れた感触。きっとタオルだ。

 

「双葉ちゃん、気持ちいい?」

 

「う、うん……」

 

 首筋と顔を優しく拭かれまとわりついていた汗の気色悪い感覚が消えていく。

 

「な、なんで部屋にいるの?」

 

 自慢じゃないけどボクの家のセキュリティーはけっこう厳重だと思う。

 

 玄関のドアはオートロックで暗証番号を入れないと絶対に開けられないようになっている。

 

 閉め忘れたなんてことはそもそもありえない。

 

「ごめんね勝手に入っちゃって。前に双葉ちゃんが玄関開ける時に番号入れてるの見て覚えちゃったんだ」

 

「あっ……」

 

 そういえば一緒に家に入る時、とくに番号隠したりしてなかったな。ボクの家になでしこが来るのは珍しいことじゃないし、そりゃ覚えるか。

 

 一人で納得しながら辺りを見回す。閉められていたカーテンはいつの間にか開けられていて窓から青い空が見えていた。

 

 あれ、青い空?

 

「そういえば、今何時?」

 

 もう春とはいえ放課後になったらそれなりに日は沈む。窓から見える空がオレンジならともかく、青いのはどう考えてもおかしい。

 

「えっと……1時だよ」

 

「えっ! 学校はどうしたの?」

 

 なでしこから告げられた時間に驚く。

 

 今日はいたって普通に日課だったはず。本当ならこんな時間になでしこがいるのはありえないのだ。

 

「えへへ、先生に事情話して早退してきちゃった。リンちゃんも学校終わったらお見舞い来るって言ってたよ」

 

 あ、リンも来てくれるんだ……

 

 いや違う。そうじゃない。嬉しいけど今はそれどころじゃない。

 

「だ、ダメだよなでしこ。ちゃんと学校行かなきゃ」

 

「学校なんかより双葉ちゃんのほうが大事だもん!」

 

「え、あ、うん……」

 

 なでしこらしくない強い否定の言葉に思わずびっくりする。口調こそいつもどおりだけど、その目はどこまでも真剣だった。

 

 目を見ればわかる。この子は本気で学校よりもボクのことを大事だと思ってくれているのだ。

 

「そ、そっか……変なこと言ってごめん」

 

「そんなことないよ。双葉ちゃんが言ってることもわかるもん。わたしも最初はお母さんに頼んで様子見に行ってもらおうかなって思ったよ」

 

 新しく絞ったタオルをボクの額に乗せてくれる。火照った頭が濡れタオルで冷やされてなんとも気持ちがいい。

 

「でもね、双葉ちゃんが一人で辛い思いしてるのに一人になんてできないよ」

 

 そう言って、なでしこがにっこりと笑った。その言葉に去年なでしこが初めてボクの家にきた時のことを思い出す。

 

 もう絶対に一人にしない。なでしこはあの時泣きながらボクに言ってくれた。

 

 あの言葉、覚えててくれたんだ……

 

「ありがと……」

 

 嬉しいとも恥ずかしいとも言えない、言葉にできない感情で心がごっちゃになって頭がおかしくなりそうになる。

 

 やばい、なでしこの顔直視できないよぉ……

 

「双葉ちゃん、顔赤くなってるけど大丈夫?」

 

 目と鼻の先になでしこの顔が近づく。

 

「え!? あ、うん、全然大丈夫……いや、べつに大丈夫じゃあないのか?」 

 

 寝る前に比べたらだいぶ元気になってるけど、たぶんまだ熱は下がってないだろうし。

 

 まあある意味じゃ大丈夫じゃなかったけどさ……なでしこなんかいい匂いしたな……

 

「そうだ。双葉ちゃん。ご飯、食べられそう?」

 

 なでしこに言われてハッとする。そういえば今日は水しか飲んでないな。

 

 そのことを思い出すと途端にお腹が空いてきた。と、同時にお腹が間抜けな音を鳴らす。

 

 お腹の音を肯定を受け取ったのか、なでしこがにっこりと笑って立ち上がる。

 

「ちょっと待ってて! 今おかゆ作ってくるよ!」

 

 そう言って、なでしこがドアの向こうに消えていった。

 

 再び静まりかえる部屋。けど、状況は同じはずなのに寝る前に感じた寂しさは綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「えへへ……」

 

 布団を押し上げて顔を覆い隠す。きっと今のボクの顔はものすごいだらしないことになってるんだろうな。

 

 でもしょうがないよね。だってこんなに嬉しいんだもん。

 

「ふへ、ふへへ……」

 

 やっぱ、ボクなでしこのこと大好きだな……

 

 改めてそう思うボクなのであった。

 

 

 

 

「おいしかった? 双葉ちゃん」

 

「うん! すっごいおいしかった!」

 

 なでしこに作ってもらった卵粥を食べ終えて(全部食べさせてもらったのはたぶんどうでもいいことだと思う)ひと息つく。

 

「顔色、良くなったね。よかった〜」

 

 ボクの顔を覗き込んだなでしこがにっこりと笑った。たしかに、さっきと比べるとずいぶんと気分も良くなった。

 

「なでしこのおかげだよ。本当にありがとね」

 

「えへへ、どういたしましてだよ〜」

 

 屈託のないなでしこの笑顔を見ていると、なんだか急に瞼が重くなってきた。

 

「もしかして双葉ちゃん眠いの?」

 

「うん……たぶんそうだと思う」

 

 お腹がいっぱいになったからってのもあるだろうし、なにより安心したっていうのが大きいんだと思う。

 

「ごめん、ちょっと寝るね」

 

 眼鏡を外して起こしていた上半身をベッドに沈める。

 

 ぽふんとマットレスに身体が沈み込んで気持ちのいい感触が身体を包む。意識がどんどん薄れていく。なんだか今ならいい夢が見れそうだ。

 

 そんな時だった。

 

「ふぁ〜 なんだかわたしも眠くなってきちゃったよー」

 

 横からそんな声がして掛け布団がモゾモゾと動き出す。そして、視界っぱいにちょっとだけボヤけたなでしこの顔が映った。

 

「な、なでしこ!?」

 

 突然の出来事に眠気が一気に吹っ飛ぶ。え、ど、どういうことなの? 

 

「双葉ちゃん、一緒に寝ていい?」

 

「布団に入りながら言うセリフじゃないと思うなあ」

 

「えへへ」

 

 まあいいんだけどさ。でも、なんていうか……

 

「双葉ちゃん、まつ毛すごい長いんだね〜」

 

 か、顔が近い! 

 

 ちょっと頭を動かせば鼻と鼻がぶつかるくらいの超至近距離にいるせいでなでしこの綺麗な顔を直視しないといけない。

 

 なでしこの目、近くで見るとすごい綺麗だな……って、違う違う!

 

「双葉ちゃんの身体あったかいね」

 

「だ、ダメだよ。風邪うつっちゃうよ!」

 

「わたし双葉ちゃんになら、うつされてもいいよ」

 

 あまりにもあっけらかんとした言いように絶句する。なんで、ここまでしてくれるんだろう。  

 

 ボクたちはただの友だちなのに。

 

「……ねえ、なんでそこまでしてくれるの?」

 

 絞り出すようにたずねる。長い沈黙のあと、なでしこは口を開いた。

 

「だって……わたし双葉ちゃんのこと好きだもん」

 

 その一言はあまりにも唐突だった。

 

 唐突すぎて、なでしこがなにを言ったのかを理解するまでに時間がかかってしまった。

 

「ぼ、ボクもなでしこのこと、す、好きだよ」

 

 内心の動揺を悟られないように必死に取り繕おうとするけど、口から出る言葉はたどたどしくて誰の目から見ても動揺しているのが丸わかりだった。

 

 だって、ボクのことを好きだというなでしこの顔は、いつもと違ってあまりにも綺麗だったから。

 

「えへへ、ありがと双葉ちゃん。でもね、わたしが言ってる好きは、そういう好きじゃないんだ」

 

「……え?」

 

 一瞬頭が真っ白になる。そういう好きじゃない。つまり、そういうことだ。

 

 な、なでしこがボクのこと好き!?

 

「って、なに言ってるの! なでしこリンと付き合ってるんでしょ!」

 

 嬉しいって感情で頭が埋め尽くされそうになったけど、リンのことを思い出してなんとか踏みとどまる。 

 

「あ、やっぱりバレちゃってたんだ〜」

 

「たんだ〜じゃないって!」

 

 照れたように頭をかくなでしこに風邪を引いていることも忘れて大声をだしてしまう。

 

「だ、ダメだよ! 浮気なんてしちゃ!」

 

 なでしこが好きって言ってくれるのはすごく嬉しい。正直今でも顔がにやけそうになるのを抑えるのに必死だ。

 

 けど、手放しで喜べない。だってなでしこはすでにリンと付き合っているからだ。

 

 だから、こんなことは間違っている。

 

「浮気じゃないよ。だってリンちゃんも知ってるもん」

 

「え? 知ってるってなにを?」

 

「わたしが双葉ちゃんのことも好きなの」

 

「……そうなの?」

 

 なんか話が変な方向に行ってる気がしてならない。リンもなんで知ってるのになにも言ってこないんだろう。

 

「それでね聞いて聞いて! リンちゃんもね、双葉ちゃんのこと大好きなんだって!」

 

「え、あ、うん、そっか……」

 

 ダメだ。さっきから話にまったくついていけない。いったいどういうことなの? 

 

 なでしこはリンのことが好きで、だけどボクのことも好きで、そしてリンもボクのことが……す、好きらしい。

 

 まあ思い当たる節がないと言ったら嘘になる。リン4月に入ってから異常にスキンシップするようになってきた。

 

 え、あれってそういうことなの? ダメだ。全然わからない。

 

「双葉ちゃんの身体、あったかいな〜」

 

「ひゃ、な、なでしこ!?」

 

 頭の中でぐるぐると自問自答してると、突然ボクのお腹になでしこが手を回してきた。

 

「あ、双葉ちゃん赤くなってる。かわいい〜」

 

「え、あ、うぅ……」

 

 左手で頭を撫でながらささやかれなにも言い返すことができない。ボク、さっきからなでしこにされるがままだなあ。

 

「双葉ちゃんは、わたしのこと好き?」

 

 ささくような質問が頭の中で反響してゾクゾクとしたよくわからない感覚に襲われる。

 

「す、好き……」

 

 その感覚をなんとか言葉に絞り出そうとしても、出てくる言葉はひどくつたない。

 

「好きって、どっちの好き?」

 

「え、い、言わなきゃダメ?」

 

「だーめ」

 

 頭をぐっと引き寄せられて耳元でなでしこがささやく。吐息が当たって肩がびくりと震えてしまう。

 

 本当に言っちゃっていいんだろうか。頭の中に残ったわずかな理性がそう告げる。

 

 ……まあいっか。

 

「えっと、なでしこと同じ……す、好き──」

 

「わたしも双葉ちゃんのこと大好きー!」

 

 ボクが全部言い切る前になでしこが上から覆いかぶさるように抱きついてくる。

 

 柔らかい身体の感触、甘い匂い。なんだこれ……頭がくらくらする……

 

 でもなんかすっごい幸せ。

 

「双葉ちゃん……」

 

 なでしこが身体を少し起こしてボクの目をまっすぐ見つめた。そうやって見つめ合ったまま心地のいい沈黙が流れる。

 

「……いいよね?」

 

 なんとなく、雰囲気が変わったのだけはわかった。たぶん、そういうことなんだろう。

 

 小さくうなずく。ボクの返事に優しく微笑むなでしこ。顔がゆっくり近づいてくる。

 

 初めてのキスはお粥の味がした。

 

 

 

 

 

「で、わたしに抜け駆けして勝手にキスしたと」

 

 ボクの横で寝ているリンがそう言った。

 

「えへへ、双葉ちゃんがかわいすぎてつい」

 

 そして、これまた同じようにボクの横で寝ているなでしこがそう言った。

 

 この状況はどう説明すればいいんだろうか。挟まれているってこと?

 

「えへへじゃねえよ」

 

 あのキスから少ししてリンもボクの家にやってきた。そして気がつけばこうなっていた。正直展開が早すぎてついていけない。

 

「だってリンちゃんばっかりずるいんだもん! わたし知ってるんだよ! この前3人でショッピングモール行った時にリンちゃんが双葉ちゃんにキスマークつけたの」

 

「なっ!? し、知ってたのかよ」

 

 え、ボクそんなものつけられてたの。全然気が付かなかった。

 

「て、ていうかなんで二人ともボクのベッドで寝てるの?」

 

「え、今さら?」

 

 なに言ってんのみたいな感じで言わないでほしい。聞いてるこっちがおかしいみたいじゃないか。

 

「そ、それでさ双葉はなでしこの告白受けたんだよね」

 

「そ、そうだよ」

 

「ふぅーん」

 

 右から聞こえるリンの声がなんだか怖い。ほんと、どうしてこんなことになってるんだろう。

 

 ボクはいったいなにを間違えたんだろうか。誰か説明してほしい。

 

「双葉、こっち見て」

 

「あ、うんっ!?」

 

 振り向いた瞬間、リンの顔がドアップになって唇に暖かくて柔らかい感触が押し付けられる。

 

 ぼ、ボク今リンにキスされてるの!?

 

「んっ……んんっ!」

 

 なでしこよりも激しいリンのキスに頭が真っ白になる。やばい、これ好き……

 

 リンはたっぷり30秒ほどキスしたあと、ようやく顔を離してくれた。お互いに肩で息をしながら見つめ合う。

 

「わたしも双葉のこと好きだから」

 

「わたしも双葉ちゃんのこと、大好き」

 

 なでしこが背中から覆いかぶさって耳元でささやく。

 

 大好きな二人に挟まれてキスされて好きってささやかれて……な、なんだこれ……

 

 真っ白になって全然考えることができない。頭の中を幸せの文字が埋め尽くす。

 

 3人で付き合うとか、ボクばっかり好き勝手されてるなあとか、いろいろ考えなきゃいけないことがあるはずだったけど、もうどっかにいってしまった。 

 

 なんか、もうめんどくさいからいいや。

 

「双葉ちゃんの身体、やっぱあったかいね〜」

 

 あったかい?

 

 そういえばさっきからなでしこが同じことばかり言ってるけどどうしてだろう。

 

 ……あっ

 

「ボク、風邪ひいてるんだった……」

 

 このあとめちゃくちゃ3人で風邪ひいた。




(えっちなのは)ないです

なでリン編はこれでおしまいです。次からは別の話になります。


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土岐綾乃(1)

お待たせしました。今回から綾乃編です。

※ちょっとだけセンシティブな表現があります。


 

 

 

 

 

 たぶん一目惚れ、ってやつだったんだと思う。

 

 あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。

 

 大好きな友だちが突然遠くに行ってしまい、心にぽっかりと穴が空いたわたしの前に突然現れたあの子。

 

 浜名湖の夜景に照らされた横顔が、あまりにも綺麗で、もしかして寂しすぎて幻でも見ているんじゃないかと思った。

 

 きっと、そのときから心のどこかで意識してたんだと思う。今ならわかる。

 

 こうして、わたし……土岐綾乃は山中双葉と友だちになった。

 

 双葉はわたしにいろんなものを教えてくれた。見たこともないような世界を見せてくれた。

 

 大好きな友だちにまた会わせてくれた。

 

 双葉と友だちになって、わたしの世界はキラキラと光り輝くようになった。

 

 会うたびにわたしは双葉のことが大好きになった。

 

 だから「友だち」から「好きな人」に変わってもわたしはそこまで驚かなった。

 

 だって、初めて会った時からわたしは双葉が好きだったんだもん。

 

 けど、あの子のまわりにはかわいい子がたくさんいる。

 

 なでしこにリンちゃん、あおいちゃんやアキちゃん、それに恵那ちゃんも。

 

 みんなわたしなんかよりもかわいい子ばっかりで、中にはあきらかに双葉のことを意識してそうな子も。

 

 とくにリンちゃんとか。あとリンちゃんとか、それとリンちゃんとか。

 

 正直わたしはあんまりかわいくない。

 

 なでしこみたいな愛くるしさもないし、リンちゃんみたいに美人でもない。

 

 あの子たちがちょっとでもその気になれば、双葉はほいほいついて行っちゃうだろう。だってびっくりするくらいちょろいし。 

 

 それでわたしは考えた。

 

 簡単な話だ。誰かに取られそうなら、取られる前に取っちゃえばいい。

 

 どんな手段を使っても、双葉をわたしのものにしちゃえばいい。そうすればもう誰にも取られたりなんてしない。

 

 恋愛と戦争では手段を選ばない。双葉と見たアニメでもそんなことを言ってた人がいた。

 

 だからさ、双葉。もう逃さないからね。

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそーさま。はぁ、おいしかった」

 

「ふふ、どういたしまして」

 

「いつもありがとー 双葉」

 

 わたしは空になったお皿を前にして、いつものようにお礼を言った。

 

「ごめんね、双葉にばっかり作らせて」

 

「気にしなくていいよ。料理好きだもん。それに、綾乃が食べてる姿見るの好きだしさ。だっておいしそうに食べてくれるし」

 

 そう言ってすごく優しい顔で微笑む。まったく、この子はいつもいつも……もう、そういうとこだぞー 

 

「だって双葉の料理すっごいおいしいんだもん。双葉がわたしのお嫁さんだった最高なのになー」

 

「はいはい」

 

 半ば本気で言った言葉をスルーされ、ちょっと落ち込む。

 

 でもしょうがない。だってどう考えたって冗談にしか聞こえないもん。

 

 ……わたしが本気で言ってるって知ったら、この子どんな顔するんだろ。

 

「じゃあわたしお皿片付けるから、双葉は先にお風呂入ってて」

 

「はーい」

 

 お風呂の準備を始めた双葉を横目にわたしは晩ご飯の後片付けに取り掛かった。

 

 双葉が作って、わたしが片付ける。そして、片付けている間に双葉がお風呂に入る。

 

 それがここ数ヶ月のわたしと双葉の習慣だった。

 

 浜名湖でわたしと双葉が出会ってから2年と少し。わたしと双葉は東京にある大学に通うために一緒のアパートに住んでいた。

 

 いわゆるルームシェアっていうやつだ。そう、高1のとき浜名湖で約束したあの話だ。

 

 双葉はあの約束をちゃんと覚えていてくれた。そして、受験シーズンが始まったころ、わたしにルームシェアの話を持ちかけてくれた。

 

 恥ずかしそうに、もじもじしながら提案する双葉に二つ返事で飛びついたのはいうまでもない。

 

 だって、好きな人と一緒に暮らせるまたとないチャンスだもん。向こうはそんなつもりで言ったんじゃないだろうけどね。

 

 ルームシェアの話を進める時にリンちゃんと大喧嘩するハプニングがあったけど、今では3人でツーリングするくらいには仲良くできている。

 

 と、これが今のわたしの状況。正直、うまくいきすぎてびっくりしている。

 

 というか、いくらなんでも双葉ちょろすぎる。

 

 だって、あの子がルームシェアの話をもちかけてきたのだって、わたしが前日にアパートの入居先の話をしてからだし、毎日料理を作ってくれるのだって、わたしと一緒に暮らしはじめたころに、わたしが双葉の料理を毎日食べたいって言ったからだ。

 

 今さっきお風呂に行かせたのだって、そうすればわたしがあとから一緒にお風呂に入れるから。

 

 と、そうこうしているうちに最後のお皿を洗い終わった。

 

「双葉のところ行こーっと」

 

 ほんと、ちょろすぎるよ。そんなんだからわたしみたいな悪い子に騙されちゃうんだよ。

 

 でもしょうがないよね。その気にさせた双葉が悪いんだもん。

 

 

 

 

 

「はい終わり」

 

「ん、ありがとね」

 

 使い終わったドライヤーを片付けて、双葉のホカホカの髪を指で梳く。

 

「双葉、髪だいぶ伸びたんじゃない?」

 

 初めて会ったころはもっと短くてボサボサだった髪も、今じゃすっかりサラサラロングヘアーだ。

 

「だよね。そろそろ切ったほうがいいかなー」

 

「えーもったいないよ。綺麗なのに」

 

 そう言いながら、ちゃぶ台に肘をついてゲームをしている双葉の髪をいじる。

 

「なにしてんの?」

 

「髪で遊んでる」

 

「あんまり変な髪にしないでよー」

 

「おーこの綾乃さんに任せときなー」

 

 今日はどうしよっかな。そうだ。おさげのお団子にしよっと。

 

 思いついたら即実行。髪を二つの束に分けてお団子にしていく。

 

 まだほのかに暖かい双葉の髪から、シャンプーの香りが漂う。

 

 バレないようにそっと顔をうなじに近づける。わたしと同じシャンプーの匂い……

 

「双葉の髪、いい匂いだね」

 

「綾乃も同じシャンプー使ってるじゃん」

 

「そーだけどさー そうじゃないっていうか」

 

「なにそれ?」

 

「んー? ひみつー」

 

 だって言えるわけないじゃん。好きな子と同じシャンプー使ってることに喜んでるなんて。

 

 そうこうしているうちに髪を結い終える。

 

「できたー」

 

「んーありがと」

 

「なんかてきとー」

 

 双葉は我関せずといった様子でずっとゲームのコントローラーをピコピコしながら、なんかキモいなめくじみたいな敵と戦っている。

 

「……なに、そのキモい奴」

 

「かわいいよねー うにょうにょしてて」

 

「思いっきり斬り付けてんじゃん」

 

 血ドバドバ出てるし。主人公なんかカリフラワーの化け物だし、相変わらず双葉の趣味はよくわからない。

 

 この前も音楽聴いてるのかなと思ってイヤホン貸してもらったらバイクのエンジン音だったし。やっぱ双葉って、ちょっと……いや相当変わってるよなあ。

 

「やっぱ神秘マン火力ないなー」

 

 お風呂から上がってからゲームに夢中の双葉。一緒に暮らしはじめてから、いつもこんな感じだ。

 

 ゲームが好きだってのは知ってたけど、ここまで好きだなんて知らなかった。

 

「双葉ー わたしの髪も結んでー」

 

「うーん、あとでねー」

 

 構ってほしくて言った言葉は、適当に流される。本当に集中してるみたいだ。

 

 双葉の知らない一面を知れて嬉しいと思う反面、構ってくれないことに不満を覚える。

 

 ねぇ、こっち見てよ。それとも、わたしよりも、そのキモいなめくじのほうが好きなの?

 

 ゲームの中の敵にすらやきもちを焼くなんて、どうかしてると思うけど思ってしまったものはしかたない。

 

 だって、好きなんだもん。だからかな。

 

「ねぇ、双葉」

 

「ひゃっ!?」

 

 気がつくとわたしは、双葉に後ろから抱きついていた。

 

「ちょ、な、なに?」

 

 驚く双葉を無視して胸にすっぽりと収まる背中に覆いかぶさり、お腹に手を回す。

 

 お風呂上がりのポカポカした身体を抱きしめると、胸の奥からゾワゾワとした心地良さがこみあげてくる。

 

「あったかいねー双葉」

 

 耳元でささやくと肩がびくりと震える。もう、ほんとかわいいなあ。

 

「や、やめ」

 

「だって双葉が構ってくれないんだもーん」

 

「あ、ご、ごめん」

 

 言いがかりをつけてるのはどう見たってわたしなのに、素直に謝ってくる双葉。

 

「ていうか、そ、その、近いよ」

 

「えーこのくらいのスキンシップ、友だちなら誰だってやってるよ」

 

 そう言いながら首筋に顔を埋める。うっすらと滲んだ汗とボディーソープの混じった匂いが鼻を突き抜けていく。

 

「そ、そうなの?」

 

「そーそー」

 

「そ、そうなんだ」

 

 こんなあからさまな嘘でもわたしを信じ切っている双葉は信じちゃう。

 

 もうほんと、だからわたしみたいな悪いやつに騙されちゃうんだよ?

 

「そんなんだからボッチなんだぞー 大学で友だちできたのー?」

 

「うぐっ……」

 

 肩がびくりと震える。図星だったみたい。まあ知ってたけどねー 双葉って基本クソザコだし。

 

「わたし学部違うんだから、ずっと一緒にはいられないんだからなー なんか気になる人とかいないのー?」 

 

 思ってもいないことを言う。

 

 恋人なんて作らなくていい。わたしだけ見てくれればいい。わたしだけを見てほしい。

 

「べ、べつに、ボクは綾乃がいればいいし……」

 

 まーたそうやって……

 

「ふぅん……そっかー」

 

 お腹に回していた腕が自然とこわばっていく。

 

 夏が近いこともあって、ほどよい弾力のあるお腹の感触がダイレクトに伝わってくる。

 

「うりゃ」

 

「ひゃっ」

 

 ぷにぷにのお腹をつまむと、心地よい悲鳴がわたしの耳をくすぐった。

 

 自分のことボクとか言ってるくせに、こういう悲鳴だけはやけに女の子っぽいんだよねえこの子。

 

「ダメだよ双葉、そんなこと言っちゃー」

 

 指で突いたり撫でたりしながら双葉をいじめていく。

 

「や、やめっ、変な声、でちゃう……」

 

「じゃあ、言わない?」

 

 だって、そんなこと言われたらわたしみたいな子は本気にしちゃうよ? きっと、後悔するよ?

 

「と、友だちとか自分から作ったことないし……」

 

「わたしと初めて会ったときみたいに言えばいいじゃん。双葉はかわいいし、普通にいい子なんだから、友だちでもなんでもいくらでもできるでしょ」

 

 友だちなんて作らなくていい。わたしだけを見てほしい。

 

 そんな本音に蓋をして、友だち思いの優しいルームメイトを演じる。そうすればずっと一緒にいられる。そう思って必死に演じる。

 

「か、かわいい……そ、そっかな。えへへ」

 

 嬉しそうに頬を染める双葉。

 

「もっと自信持てよー じゃないと、お仕置きちゃうぞー」

 

「お、お仕置き?」

 

「そ、たとえば……こんなふうにね」

 

 耳たぶにそっと噛み付く。

 

「えっ? うひゃっ!?」

 

 ちっこい肩が未だかつてないほどにびくりと震える。

 

「なにしてんのっ!?」

 

「みみたぶはんでるー」

 

 唇に感じる双葉の耳たぶは風呂上がりでは説明できないほどに熱く、軽く舌を添わすとかわいらしくびくりと跳ねた。

 

「どうしたのー双葉。身体あっついよ。熱でも、あるんじゃない?」

 

 耳の穴に息を吹きかける。肩がまたびくりと跳ねる。ああもう、ほんとにかわいなあ双葉。

 

「わたしが、たしかめてあげよっか」

 

 キャミソールの裾に手を突っ込み、お腹に直に触れる。うわ、すごい汗ばんでる。

 

「あ、あやの……ほ、ほんとに、や、やめっ、んっ!」

 

 甘ったるい声が双葉の喉から溢れる。このまま押し倒したら、どんな反応してくれるのかな?

 

「ほ、ほんとに、ほんとにやめっ!」

 

「わかった」

 

 身体を離し、抱きしめていた双葉を解放する。今日はこれくらいにしておいてあげよう。

 

 ていうか、これ以上は本当にやばい。主にわたしが。

 

「もう、ひどいよー!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 肩で息をしながら顔を真っ赤にしてプンスカ怒る双葉。

 

 ちょっと、やりすぎちゃったかな。べつにお酒とか飲んでないんだけどな。

 

 双葉の身体、柔らかかったなぁ……

 

「あーあ、双葉のことからかってたら汗かいちゃった。ちょっとシャワー浴びてくるねー」

 

「え? うん、わかった。て言うか、綾乃、顔めっちゃ赤くない?」

 

「えー 気のせいじゃないかな? じゃーねー」

 

「ふーん……」

 

 首をかしげながらゲームを再開する双葉を横目に、急ぎ足でバスルームに駆け込む。

 

「あ、危なかった……」

 

 ドアに背を預け、胸に手を当てる。案の定心臓がとんでもない勢いで脈打っていた。

 

 ほんと、やばいなーこれ。

 

 最初のころは同棲だーってテンション上がってたけど、こんなのがずっと続いたら本当にいつか我慢できなくなっちゃうよ。

 

 鈍い双葉のことだから、わたしの気持ちになんてまるで気づいてないと思う。

 

 さっきお風呂に入ったときだって、おっぱいガン見してたのに全然気づいてなかったしさ。

 

 あーもう! ほんと、無防備すぎるんだよー!

 

 ていうかなんなのあの反応。反則でしょ。襲ってくださいって言ってるようなもんじゃん。

 

 絶対言ってるよね。口に出してないだけで言ってるよね。あの子絶対好きだよねわたしのこと。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

「はぁ……やめよ」

 

 なんだか急に虚しくなってため息をつく。

 

 わかってる。わたしは友だち思いのルームメイトでしかない。あの子の一番にはなれない。

 

 ガサツで男っぽくて、全然かわいくない。胸だって大きくない。しかも双葉は女の子だ。

 

「……わたしが男の子だったらよかったのになぁ」

 

 なんでわたし女に生まれてきちゃったんだろ。

 

 わたしが男だったら、友だちを騙すような悪い子になんてならなくてすんだのになあ……

 

「好きだよ……双葉」

 

 唇に指をあてる。双葉の耳たぶ、柔らかかったなぁ……肌もすべすべで……いい匂いだったし……

 

 そういえば、双葉今なにしてるのかな。

 

 バスルームのドアをそっと開けてリビングを覗く。ヘッドホンをしてゲームに夢中みたいだ。

 

 さっきまであんな取り乱してたのに現金なやつだなー でも好都合だ。

 

「少しくらい、声出ちゃっても……バレないよね?」

 

 服を脱いで、お風呂場に入っていく。ちょっとだけ……ほんの少しだけ長くシャワーを浴びるだけ。

 

 ただ、それだけ。ほんとうに、それだけ。

 

 

 

 

 

 ハンドルを捻る。

 

 

 

 

 




用語解説

うにょうにょしててかわいいの
星の娘で検索♪検索♪

カリフラワーの化け物
※主人公です

神秘マン
啓蒙汁ブシャァ


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土岐綾乃(2)

 

 

 

 

 

 コップに突き刺したストローに口をつける。アイスティーに入れたガムシロの安っぽい甘さが口の中に広がった。

 

「アヤちゃんってさ」

 

「うん」

 

「もう双葉と付き合ってるの?」

 

「ぶふっ!?」

 

 飲んでいたアイスティーを盛大に噴き出す。

 

「うぉっ!?」

 

 そんなわたしに、およそひと月ぶりに再会した友だちが、その凛々しい顔を露骨に嫌そうにのけぞらせた。

 

「げほっ、げほっ!?」

 

 うぇ、気管に入っちゃったよー いきなりなんてこと言うんだこのソロキャンガールは。単刀直入にもほどがある。

 

「つ、付き合う? な、なんのことー?」

 

「いや、そのリアクションでその返しは無理があるだろ」

 

「うん、だよねー あはは」

 

 わたしがヘラヘラと笑うと、リンちゃんは額に手を当てて、呆れたようにため息をついた。

 

「その様子だと、告白もまだみたいだな」

 

「……はい。ていうか、なんで知ってるの? わたしが双葉のこと……好きって」

 

「あれだけ喧嘩しておいて気づかないほうが無理あるでしょ」

 

 わたしだってとブツブツつぶやくリンちゃん。冷や汗が一滴、頬を伝う。

 

「そ、そだねー」

 

 高校卒業間近の修羅場を思い出して思わず顔をしかめる。

 

 今じゃ笑い話だけどあのときは冗談抜きで本当にやばかった。正直今こうして仲良くできているのは奇跡だと思う。

 

「で、どうなの? したの?」

 

「してません」

 

「一緒に住んでるのに?」

 

「はい」

 

「今何ヶ月目だっけ?」

 

「……4ヶ月目」

 

「いつから好きなの?」

 

「こ、高校生のときから」

 

「ヘタレかよ」

 

「だってさー!」

 

 リンちゃんの情け容赦ない口撃に、おもわず立ち上がる。さっきからなんなんだよーこの子は!

 

「だって! 双葉めっちゃかわいいんだもん!」

 

 テーブルをバンと叩く。もーリンちゃったら! そんなんだからクール(笑)って言われるんだよ。

 

 まあ言ってるの主にわたしだけど。

 

「は?」

 

「そのなに言ってんだこいつみたいな目やめて」

 

「……いや、べつに思ってないけど……ていうか座ったら?」

 

 リンが気まずそうに目で合図する。あ、そうだ。ここ喫茶店だった。慌てて席に座る。うわぁ、はっず。

 

「で、双葉がなんなの? どうせ、今日呼び出したのだってその話でしょ?」

 

 わざわざバイクで来たんだぞと文句を言うリンちゃん。

 

 なんだろう、気のせいかな。最近輪をかけてわたしに対する対応が辛辣になっている気がするんだけど。

 

 ラインで惚気報告しまくってるせいかな?

 

「だから、双葉がかわいい──」

 

「もう聞いたよ」

 

「ご、ごめん。でもさーほんとにかわいいんだもん」

 

「ふぅーん」

 

「抱きついて耳たぶとか噛んだりすると顔真っ赤にしてビクビク震えてめっちゃかわいいし、身長とかもあったときからほとんど伸びてないからちっこいままだし、もう夏だからどんどん薄着になってるし、ぶっちゃけ……」

 

「ぶっちゃけ?」

 

「ムラムラする」

 

 思いのたけをぶちまける。こういうぶっちゃけた話ができるのも相手がリンちゃんだからこそだ。

 

「……帰っていい?」

 

「ごめん! ほんとにごめん! だから立ち上がらないで!」

 

「……はぁ、しょうがないなあ」

 

 帰ろうとしたリンちゃんを縋り付くよう制止すると、呆れ返った目でわたしを見ながらも席に戻ってくれた。

 

 ちょっとふざけすぎたかな。いいかげん真面目に話そう。

 

「それで、リンちゃんに聞きたいんだけどさー」

 

「うん」

 

「双葉って、女の子を好きな女の子ってどう思ってるのかな?」

 

 一抹の希望を託しリンちゃんにたずねる。あの3年間、いつも双葉と一緒にいたリンちゃんなら、もしかすると知っているかもしれない。

 

「……わたしが知るわけないだろ」

 

 けど、そんなわたしの淡い希望はリンちゃんに無慈悲に切り捨てられた。

 

「やっぱそっかー リンちゃんなら知ってるかなって思ってたんだけどな。双葉と付き合い長いしさ」

 

「べつにアヤちゃんも時期的には大して変わんないでしょ」

 

「そうだっけ?」

 

「ていうか、アヤちゃんのほうがあいつと友だちになったの早いんじゃないの?」

 

 言われてみればそんな気がする。あのころの双葉、めっちゃおどおどしてたっけ。懐かしいなあ。

 

「そうだなあ、あのときはキャンプとか旅に夢中で、わたしも含めてみんなそういうの全然眼中になかったし……」

 

「たしかに浮いた話とか一つも聞かなかったもんね。野クルの子たちみんなかわいいし、男子とかほっとかなかったと思うんだけどなー」

 

 クリキャンで初め会ったとき、みんなレベルが高くてびっくりしたのを覚えている。

 

「そういう話がなかったわけじゃないよ。あおいとかなでしことか、よく告白されてたし」

 

「へぇ、そうなんだ。それで、その……双葉は?」

 

 正直野クルの子たちのことはどうでもよかった。

 

 なでしこがかわいいのは昔から知ってるし、あおいちゃんもいろんな意味で男子の目を引きつけてやまなかっただろう。

 

 興味ないわけじゃないけど、今知りたいのは双葉のことだ。

 

「えっと……双葉も2年に上がってから何回か告られてたっけな。全部断ってたみたいだけど」

 

「ふ、ふぅーん……そっか」

 

 ほっと安堵のため息をつく、もうとっくの昔に誰かと付き合ってましたってなってたらとてもじゃないけど正気じゃいられなかった。

 

「ていうか、それこそ双葉に聞けばいいじゃん。一緒に住んでるんだから聞くチャンスいくらでもあるでしょ?」

 

 どこか恨みがましい目でわたしを見るリンちゃん。やっぱりまだあのときのこと根に持ってるのかなあ。自分でいうのもあれだけど、やってること完全に抜け駆けだもんね。

 

「距離が近すぎて聞きづらいっていうか……あ、あはは」

 

「ヘタレかよ」

 

 リンちゃん、それ2回目だよ……

 

「い、一応ね、アピールはしてるんだよ? 後ろから抱きついたり好きって言ったり、一緒に寝たりとか」

 

「双葉はアヤちゃんがそういう意味でしてるって知ってるの?」

 

「……い、いつか気づいてくれればいいかなーって」

 

「気づくわけないだろ。だって双葉だよ」

 

「あはは、だよねー……はぁ」

 

 わたしたちの間にある確固たる共通認識に、もう何度目になるかわからないため息が漏れ出る。

 

 ほんと、鈍感な子を好きになるのってこんなに大変なんだなあ。ていうか! 双葉も双葉だよ。なんであそこまでアピールしてるのに全然気づかないの! 

 

「そういえばさっき耳たぶ噛んだり抱きついたりって言ってたけどさ」

 

 リンちゃんがじとっとした目でわたしを見る。

 

「う、うん」

 

「それってつまりセクハラだよね」

 

「ぐっ……」

 

 痛いところをつかれる。そう、傍から見ればわたしのやっていることは紛うごとなきセクハラ。

 

 でもしょうがないじゃん! ずっと好きだった子とやっと一緒に暮らせるんだもん。あんなことやこんなこと、するに決まってるじゃん!

 

「その感じだと友だちならこのくらいのスキンシップ当たり前、とか言って言いくるめてそうだな」

 

「な、なんで知ってるのー!」

 

「おい」

 

「あっ」

 

 やばい、言っちゃった。口に手を当てて塞ぐけど、時すでに遅し。

 

「うわぁ……」

 

 リンちゃんドン引きしちゃってるじゃん。ただでさえ冷たかった視線が、今や液体窒素レベルまで冷え込んでいる。

 

 そりゃそーだよ。なにも知らない子を騙して毎日セクハラしてるって聞いたらそういう反応するに決まってるよね。

 

「2人のことだから、部外者のわたしが言っていいことじゃないかもしれないけど。そういうの、よくないと思うよ」

 

 ドン引きした表情から打って変わって、真剣な顔でリンちゃんはわたしに言った。

 

「……うん。リンちゃんの言うとおりだよね」

 

 改めて自分のしていることを突きつけられて、罪悪感が湧き起こる。

 

 なにも知らない子を友情で騙して自分の欲望を満たす。やっていることは恐ろしいまでに自分勝手。

 

 同性だからって言い訳はできない。本当になんて悪いやつなんだろう、わたしって。でも、しょうがないじゃん。好きになっちゃったんだもん……

 

「……まあ、でもいいんじゃない? それでも」

 

「え? リンちゃん?」

 

 思いもよらない言葉に思わずぽかんとする。もっと責められるものかと思ってた。

 

「正直アヤちゃんのやってることって最低だと思うけど、好きなんでしょ?」

 

「う、うん……」

 

 リンちゃんの容赦ない言葉に怖気付きながらも同意する。

 

「ならいいじゃん、それで」

 

「い、いいのかな?」

 

 恐る恐る聞くと、リンちゃんは頬に手をついて窓の外を眺めた。

 

「それに、双葉にも責任あるだろうしね」

 

 外を見るリンちゃんの目はどこかここではない遠くを見ているように思えた。やっぱりこの子も…… 

 

「ていうか! リンちゃんもわかるよね! そーだよ! 双葉も双葉だよ!」

 

 弱っていたわたしを、どう見たって無理してるのバレバレなのに頑張って励まそうとしてくれた。

 

 顔を真っ赤にして、目をキョロキョロさせ、しどろもどろになりながら、見ず知らずのわたしなんかのために必死になってくれた。

 

 旅の話をするあの子の横顔があんまりにも綺麗で、もっと見ていたいと思ってしまった。

 

 いろんなところに連れてってくれて、いろんな世界を見せてくれて、なでしこにもまた合わせてくれて……

 

 そんなの、好きになっちゃうに決まってるじゃん……

  

「わたし、やっぱ双葉のこと好きだな……」

 

 もう何度目になるかわからない恋の再確認。

 

 3年間。募るに募った恋愛感情は、わたしの心をまるでマグマのようにグラグラとかき回す。

 

「はいはい」

 

「リンちゃん、さっきからなんか妙に当たり強くない?」

 

「…………気のせいじゃない?」

 

「じゃあその間はなに?」

 

 あ、目逸らした。やっぱりあの時のこと絶対根にもってるよー!

 

「いいかげん告白しちゃいなよ。案外すんなりいくかもしれないじゃん」

 

「で、でもさ、わたし全然かわいくないしさ。男っぽくもないし、かといって女っぽくもないし……」

 

「ヘタレすぎる……」

 

 リンちゃんそれ3回目……

 

「リンちゃんはいいよねえ。イケメンでなおかつ美人だしさ」

 

「なんだそりゃ」

 

「そのまんまの意味だよー」

 

 スタイルもよくてスラっとしていて、かっこよくもかわいくも、自分の好きなようになれるこの子が本当にうらやましくてしかたない。

 

 ほんと、なんでわたしの周りってレベル高い人ばっかりなんだろ。わたしだって、そんなにブサイクじゃないと

思うんだけどなあ……

 

 やっぱ釣り合わないよなあ……

 

「わたしは隣に双葉がいてくれれば、それで満足かなー……あはは、なんちゃって」

 

 テーブルに突っ伏しておどける。実際今の生活にはそれなりに満足している。

 

 ただ、求めているものとはちょっと違うってだけ。

 

「あっそ」

 

 うーん、辛辣。

 

 でも、しょうがないか。こんなうじうじしてるところ見たら誰だって呆れる。

 

「あやちゃんは……本当にそれでいいの?」

 

 顔を見上げる。真剣な顔のリンちゃんがわたし見つめていた。

 

 本当に、これでいいの? かぁ。リンちゃんもきついこと聞くなあ。

 

 ずっと好きだった子と一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、同じベッドで寝て、嬉しくないわけがない。

 

 まるで家族みたいだ。

 

 そんなの……

 

「嫌に、決まってるじゃん……」

 

 押し隠していた本音が溢れ出る。

 

 このままなぁなぁにすれば、あの子はきっとずっと一緒にいてくれる

 

「仲のいい友だち」として、一緒にいてくれる。

 

 でも隣にいてくれる代わりに、本当に求めているものは永遠に手に入らない。

 

「なら……わかるよね? わたしの言いたいこと」

 

「……うん」

 

 いいかげん踏み出せ。リンちゃんはそう言ってる。わたしだってそう思っている。

 

 でも、ずっと好きで、やっと一緒になれて、それだけですごい幸せなのに、これ以上求めていいのかな?

 

 求めて拒絶されたら、わたしはどうすればいいんだろう。

 

 あの顔が嫌悪に染まるのを想像するだけで、とてつもない絶望に襲われる。

 

 だけど、このままでいいわけがない。

 

「じゃあ、わたしもう帰るね。なでしこがご飯作って待ってるだろうし」

 

 リンちゃんに言われて窓の外を見る。いつの間にか太陽はすっかり赤く染まっていた。

 

 わたしもそろそろ帰らないとまずいか。今日は双葉と一緒にご飯作るって約束してるし。

 

「わかった。ありがとね。いろいろ聞いてくれて」

 

「いいよ。友だちでしょ?」

 

 そう言ってリンちゃんは微笑んだ。

 

 こういうところがイケメンだよなあ。ほんと、ずるいなあ。こんなの勝てっこないじゃん。

 

「お代、ここに置いとくね。じゃ、また」

 

「うん、またね」

 

 立ち上がるリンちゃん。わたしももう少ししたら帰ろう。

 

「あ、そうだ」

 

「どーしたの?」

 

 

 

 

 

「わたし、まだ諦めてないから」

 

 耳元でボソッとささやかれた声にわたしが反応する前に、リンちゃんは足早に去っていった。

 

 グラスに入った氷がチャリンと音を立てて崩れる。

 

「……やっぱ、リンちゃんも好きじゃん」

 

 ズルしてアドバンテージ取って安心してたけど、これうかうかしてたら本当に取られちゃいそうだなあ。

 

 いい加減勇気出さないとダメってことか……

 

 ちょっとした心境の変化を感じながらストローを咥え、残ったアイスティーを飲む。

 

「……うっす」

 

 

 

 

 

 

 

 トントントン。玉ねぎをみじん切りする音が部屋の中にこだます。よし、こんなんでいいかなー

 

「双葉、できたよー」

 

「ありがと、じゃあボールの中入れといて」

 

「はーい」

 

 みじん切りにした玉ねぎをひき肉の入ったボールの中に流し込む。今日はハンバーグかな?

 

「それで、リンの様子どうだった?」

 

 ボールの中の具材を手でこねながら双葉が聞いてくる。

 

「うーん? 元気そうだったよー」

 

 さっきリンちゃんに言われた言葉が、頭の中でリフレインする。

 

 告白……どうしよっかな。

 

「そっか、よかった。最近あんまり連絡してなかったし、ちょっと心配だったんだよね」

 

「まー大丈夫でしょ。なでしこも一緒にいるんだしさ」

 

「それもそっか」

 

 わたしの言葉に双葉は懐かしそうに、それでいて少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

 そういえばなでしこのやつ元気にしてるかな。リンちゃんに迷惑かけてないといいんだけど。

 

「……こんなんでいいかな? 綾乃ー手伝ってー」

 

「いいよー なにすればいい?」

 

「ミートボール作りたいから、ひと口サイズで丸めて」

 

「はいよー」

 

 テーブルの上においたトレーに、2人で一緒にミートボールを作っていく。 

 

 2DKのアパートのそんなに広くない台所で作業するから、必然的に肩を寄せ合うことになる。

 

 Tシャツから伸びた白い腕が時折わたしの肩にぶつかる。こういうことになるんだったらパーカーなんて羽織らなきゃよかった。

 

 つけっぱなしのテレビが夜のニュースを垂れ流し、空いた窓から蝉のやかましい鳴き声と車の走り去る音が聞こえてくる。

 

 ここもすっかり暑くなったなあ。

 

「そーいえばさ、もうすぐ夏休みじゃん」

 

 ふと思ったことを口走る。

 

「だね。どっか行く? せっかくだし、遠く行こうよ」

 

「さんせー 行きたいとこある?」

 

「うーん、本州はほとんど行っちゃったし……沖縄とか?」

 

「沖縄!」

 

 双葉の口から漏れ出た素敵な言葉に思わずときめく。

 

 青い海、白い雲、そして水着。バカンスにこれ以上うってつけの場所なんてそうそうないだろう。

 

「行こ! 絶対行こ!」

 

「すっごい食いついてきた……でも、人いっぱいいそうだよね」

 

「いいよいいよ。どうせわたしたちバイクだし」

 

「それもそっか」

 

 飛行機なんて野暮な乗り物、使うわけがない。

 

 こんな考えが当たり前のように出てくるあたり、わたしも遠くまで来ちゃったなあ。

 

 それもこれも隣でせっせとミートボールをこねるちびっ子のせいだ。

 

「たしかフェリーあったよね。どこからだっけ?」

 

「名古屋じゃなかったっけ?」

 

「なんだ、じゃあすぐそこじゃん」

 

「だね」

 

「それじゃー決まり! 楽しみだなー あ、そうだ。水着買わないとね。今度一緒に行こーよ。双葉にお似合いのやつ選んであげる」

 

「えへへ、おねがいね」

 

「うん!」

 

 嬉しそうにはにかむ双葉に、わたしの心が飛び跳ねるように喜ぶ。

 

 2人でミートボールの数を増やしながらバカンスの予定を立てていく。楽しみだなぁ、双葉と沖縄。

 

「あ、そうだ! リンはどうする?」

 

「……え?」

 

 そんなふうに浮かれていたわたしは、双葉の口から出た名前にまるで水をかけられたかのように硬直した。

 

「どうしたの?」

 

「リンちゃんも……呼ぶの?」

 

 自分でもびっくりするくらい低い声だった。

 

「……ん? 行けたら一緒に行きたいなーって」

 

 双葉の言葉にリンちゃんが去り際に言った言葉がフラッシュバックする。

 

 あの子があんなことを言ったのは、わたしを焚きつけるためだっていうのはわかってる。

 

 でも……

 

「綾乃?」

 

「……2人きりじゃダメなの?」

 

「えっ?」

 

 双葉がきょとんとした顔でわたしを見る。この顔、本気でわかってない顔だ。

 

 わかってはいたけど、やっぱり傷つく。悪いのはわたしなのに、勝手に期待して勝手に傷ついて、ほんと馬鹿みたい。

 

「も、もしかして……リンと一緒に行きたくないの?」

 

「べつに、そういうわけじゃないけど……リンちゃんだってやりたいことあるだろうしさ。沖縄に行ったらすぐに帰ってこれないだろうし」

 

 ペラペラと言い訳がましい言葉が溢れ出る。2人で行きたい、そう言えばいいだけなのに、それが言えない。

 

 こんなんじゃリンちゃんにヘタレって言われたってしょうがないよね。

 

「え、でも……」

 

「でもなにも、ないよ!」

 

 叫び声に近い大声が口から溢れ出る。しまった……

 

 慌てて口をつぐむ。嫌な沈黙がわたしたちの間を満たす。

 

「ほんとにどうしたの? さっき喧嘩しちゃった、とか?」

 

「ち、違う!」

 

「じゃあ、どうして……」

 

 寂しそうに目を伏せる双葉。

 

 ねぇ、なんで気づいてくれないの? わたしは、あなたのことがこんなに好きなのに。

 

 そんなにリンちゃんのほうがいいの? ずっと一緒にいたから? リンちゃんのほうがかわいいから?

 

 ねえ双葉、わたしってそんなに魅力ないのかな? 髪だって毎日手入れしてるし、お肌のケアだってちゃんとしてるよ? 

 

 おっぱいはそんなに大きくないけど、スタイルにはけっこう自信あるんだよ?

 

 毎日お風呂で髪を洗ってあげてるのは誰? 髪を乾かしてあげてるのは誰? ご飯をおいしいって褒めてるのは誰? 

 

 それでも、他の子じゃないとダメなの? リンちゃんなんて、たまたま同じ高校だっただけじゃん。

 

 なんでわたしじゃダメなの!? なんでなんでなんで!?

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 違う。双葉はそんなこと思ってない。ただ単にリンちゃんとも行きたいと思ってるだけだ。

 

 リンちゃんだってなにも悪くない。悪いのは、勝手にやきもち焼いてるわたしだ。

 

 ほんと、かわいくないなあわたし。やっぱり、わたしじゃ一番になれないのかな……

 

「ねぇ、双葉」

 

「どうしたの? 綾乃」

 

 かわいらしい顔が、わたしを下から見つめる。眼鏡の奥のキラキラとした瞳が、わたしを見つめる。

 

 その瞬間、わたしの中にあるなにかが崩れたような気がした。

 

「……わたし、双葉のこと好きだよ」

 

 ゆっくりと、はっきりと、大きな声で言う。

 

 ついに、言ってしまった。ずっと隠していたことを。言い出せなかったことを。

 

 もう、後戻りはできない。

 

「……えっ?」

 

 双葉の目が大きく見開く。

 

 ほんとまつ毛長いなあ。驚いてる顔もかわいい。口とかまだ開けたままじゃん。

 

 そんなんじゃわたしにキスされちゃうよ。

 

「双葉……好き」

 

「え、えっ?」

 

 驚いて固まる双葉に、顔を近づけていく。

 

 テレビの音、蝉の音、車の音。やかましかったはずの夏の喧騒が嘘みたいに静まり返る。

 

 もうなにも聞こえない。なにも見えない。

 

 唇が近づく……あと少し、あとちょっとでわたしは双葉と……

 

「なーんてね!」

 

「……へっ?」

 

 顔をバッと離す。未だにフリーズしてる双葉が間の抜けた声を出す。

 

「じょーだんじょーだん! なにびっくりしちゃってるのー?」

 

「じょ、冗談? そ、そっか、冗談……冗談かぁ……」

 

 下を向いて顔を真っ赤にしてぶつぶつとつぶやく双葉。

 

 耳なんてもうペンキ塗ったんじゃないかってくらい真っ赤だ。もう、ほんとかわいいなあ……

 

「リンちゃんにはわたしが聞いとくから、早くご飯作っちゃおーよ。もうお腹すいちゃったよ」

 

「そ、そっか、そうだね。ご、ご飯作ろっか」

 

 そう言って、ざっと手を洗ってから、できあがったミートボールをフライパンで焼き始める双葉。

 

 肉の焼けるおいしいそうな匂いが部屋に立ち込める。

 

 ねえリンちゃん、あんなに真剣に相談に乗ってくれたのに、ひどいこと思ってごめんね。あとわたし、思ってた以上にヘタレだったみたい。

 

「あ、あのさ、綾乃」

 

 わたしが流しで手を洗っていると、横でフライパンをつつく双葉が、どこ

か言いにくそうにわたしを呼んだ。

 

「うん? なーに、双葉」

 

「……ご、ごめん。やっぱなんでもない」

 

 ぷいっと顔をフライパンに戻す。これ、嫌われちゃったかなぁ。

 

 そりゃそうだよね……

 

「ねぇ双葉、今日も一緒に寝ていい?」

 

 一抹の望みをこめていつものように聞く。答えなんてわかってるのにね。

 

「……ごめん、今日は暑いしさ、汗かくといけないから別々に寝よ?」

 

 予想通りの答え。髪に隠れて見えない顔はいったいどんな表情なんだろうか。

 

 見たいけど、見たらきっと後悔するんだろうな。

 

「うん、わかった。今日暑いもんね。また今度一緒に寝ようよ」

 

 傷ついた心を笑顔の仮面で覆いかくす。わたしは双葉の仲のいいルームメイト。

 

 それでいいじゃん。それ以上なにを求めるの?

 

「う、うん、そうだね」

 

 小さくうなずく双葉。

 

 ほんと、わたしってなんて悪いやつなんだろう。この後に及んでまだ友だちのつもりでいる。

 

 開けた窓、網戸の向こうに広がる夜の街に、ポツリポツリと雨が降る。

 

 早く窓閉めないと。そう思うわたしだった。




自分を悪人だと思いこんでいるただのヘタレ
vs
3年越しにばら撒いたフラグの回収に追われているクソザコ

ファイッ!!!


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土岐綾乃(3)

 

 

 

 

 

 ポツポツを通り越して、ザーザーと降りしきる雨。

 

 7月、梅雨真っ盛りのこの時期は毎日のように雨が降る。

 

「雨、やまないね」

 

 わたしの隣に座る双葉が、窓の向こうに広がる灰色の雨雲を眺めてそう言った。

 

「やまないねー」

 

 わたしはそう返しながらいつものように双葉の肩に頭を乗せようとして、すんでのところで我にかえった。

 

「綾乃?」

 

 首をかしげる双葉。湿気でちょっとボサっとしている髪がふわふわと揺れる。

 

「なんでもないよー あはは」

 

 いけないいけない。もうそういうことはしないって決めたんだ。

 

 あの夜から1週間がたった。今のところわたしと双葉の関係はなにも変わっていない、少なくとも表面上は。

 

 大学に通って、ご飯を食べて、なんてことない話をして、お風呂上がりの双葉の髪を乾かして、また次の日を迎える。

 

 そんないつも通りの平和な毎日。

 

 ただ一つ変わったことがあるとすれば、双葉に対する過剰なスキンシップをやめたことだろうか。

 

 今までさんざん好き勝手やってきたのに、なにを今さらと思わなくもない。

 

 けど、あれだけのことをしておいてなんのためらいもなく抱きつけるほどわたしの面の皮は厚くなかった。

 

 少しだけ開けた窓から入ってくる雨風の涼しさを肌で感じながらテレビに映ったホラー映画をぼんやりと眺める。

 

 今日は週末。本当だったらどこかに遊びに行きたい気分だけど、この大雨の中外に繰り出す勇気はわたしにはなかった。

 

「早く雨止まないかなー」

 

「来週いっぱいまで止まないみたいだよ」

 

「マジかー バイク乗れないじゃん」

 

 こんな憂鬱な気分のときはバイクに乗ってその辺を走るにかぎるんだけど、それすらできない。

 

 土砂降りの中を走ったことがないわけじゃないけど、そういうのはしかたなくやるものであって好き好んでやるようなことじゃない。

 

「あーあ、ビーちゃん錆びちゃってるだろうなあ」

 

 液晶を眺めながら双葉が憂鬱そうにぼやく。

 

「そういえばこの前もミラー磨いてたよね。古いんだから交換しちゃえばいいじゃん」

 

「あの角度が気に入ってるの」

 

「そういや自分で曲げたって言ってたっけ」

 

 ミラーなんて後ろが見えればいいじゃんって思うけど、相変わらずこの子のこだわりはよくわからない。

 

「ていうか、もう1人もちゃんと面倒見てあげないと拗ねちゃうんじゃない?」

 

 わたしはビーちゃんの隣で眠っているだろうもう一台のバイクを脳裏に描きながら言った。

 

「あの子はいいの。どうせ新しいし」

 

「ふぅん、まあなんでもいいけど」

 

 肩を並べてテレビを見ながらなんてことない話をする。雨ばっかりで憂鬱だけど、これはこれで悪くない。

 

 そんなことを考えながら2人でぼんやりとテレビを眺める。いつの間にか映画は主人公が襲われているシーンに入っていた。

 

「おー、CG気合い入ってるねー すごくない双葉……双葉?」

 

「……へっ? あ、う、うん、そだねー」

 

 わたしの言葉が耳にはいってないのか、しどろももどろな返答をする双葉。

 

 大きな音がなるたびにちっこい身体を縮こませて小さく悲鳴をあげている。

 

「ふぅーん……もしかして、怖い?」

 

「べ、べべつにそんなことないっ!?」

 

 怪物が飛びかかるシーンにびくりと飛び跳ねる。やっぱ怖がってるじゃん。

 

 強がっちゃって、かわいいなあ。

 

「手、握ってあげよっか?」

 

 ニヤニヤしながら双葉に聞く。

 

 わたしの提案に双葉はなにも言わずに膝の上で握りしめていた手をそっとソファのクッションに置いた。

 

 白くて綺麗な指。

 

 短く切り揃えられた爪はやすりで丁寧に磨かれていてツルンとした光沢を放っている。

 

 双葉の指、けっこう長いなあ。わたしの指を絡めたら、どんな感触なんだろう。

 

 高鳴る心臓の鼓動を感じながら自分の手を近づける。

 

「あはは、やっぱやめとくよ」

 

 伸ばしていた手をすっと差し戻す。そうだ。もう自分勝手なことしないって決めたんだ。

 

「実はさっきから手汗すごいんだよねー 双葉もやでしょ?」

 

「え? あ……うん」

 

 わたしがおちゃらけて言うと、双葉はどこか暗い表情で小さく返事し、膝を抱えてテレビを見始めた。

 

 眼鏡の奥のにある感情の読めない瞳の奥ではいったいどんなことを考えているんだろう。

 

 どうせ考えてもわからない。いいかげんテレビを見よう。

 

「……ないのに」

 

 視線をテレビに戻す瞬間、双葉がなにかつぶやいたような気がしたけど、雨の音とテレビの音でけっきょく何を言ってるのか聞き取ることはできなかった。

 

 

 

 

 

「ふぁぁ、寝よ」

 

 壁のスイッチを切る。電灯の灯りが消えてカーテンの隙間から差し込む街灯の灯りが部屋を薄暗く照らす。

 

 ブランケットを被りベッドに横になる。少しだけ開けた窓から聞こえる虫の鳴き声と、夜のひんやりした風が火照ったわたしの身体を涼しくしてくれた。

 

「明日バイトかぁー めんどいなぁ」

 

 どうせ明日も雨なんだから双葉と一緒にだらだらしたかった。あ、でも双葉もバイトだっけ。ダメじゃん。

 

「まぁ、いいや。寝よ」

 

 目を瞑る。一日中部屋でだらだらしてたせいか、正直全然眠くない。

 

 けど眠れないからって調子に乗って夜更かしとかすると明日が辛くなる。

 

「……双葉、あのときなんて言ってたのかな」

 

 昼間映画を見ていたときのことを思い出す。手を握ろうとしてやめたとき、双葉はなにかつぶやいていた。

 

 雨と映画の音で聞きとることはできなかったけど、なにか言っていたのだけははっきりと覚えている。

 

「やっぱ、気使わせちゃってるのかな」

 

 鈍い双葉だってここまでされればいい加減気づいていたっておかしくない。

 

「どうすればいいのかな……」

 

 考えを巡らしてもそれらしい答えは一向に見つからない。

 

「やっぱちゃんと言わないとダメだよね……」

 

 あのときなんでなあなあにしちゃったんだろう。

 

 わたしのバカ。あそこできっぱり言ってればこんなことにならなかったのに。

 

「はぁ……」

 

 ため息が漏れ出る。

 

 人を好きになるって、こんなに大変なことなんだなあ。わたしのお父さんとお母さんもこんなふうに悩んだりしたんだろうか。

 

「指、綺麗だったなぁ」

 

 バイクとかよく素手で整備してるせいかちょっと荒れてたけど、それでも白くて長くて綺麗な指だった。

 

 あの指で触られたり撫でられたりしたら、どんな気持ちになるのかな……

 

「……双葉、もう寝たかな?」

 

 耳を澄まして隣の部屋の物音を探る。とくに物音はしない。たぶん寝たんだろう。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから……」

 

 意を決して手を下に伸ばそうとした、その時だった。

 

 コンコン、突然ドアがノックされる。

 

「ひゃぁ!?」

 

『だ、大丈夫!?』

 

 間抜けな叫び声をあげてベッドから跳ね起きると、ドアの向こうで双葉の焦った声が聞こえた。

 

 お、起きてたんだ。危なかった……

 

『なんか叫び声聞こえたけど、なにかあった?』

 

「だ、大丈夫大丈夫。うとうとしててびっくりしただけだから」

 

『そっか……えっと、入ってもいい?』

 

「い、いいけど……」

 

 わたしが了承すると、ドアがゆっくりと開いて双葉が入ってきた。

 

 暗くてあまり見えないけど、顔を赤くしてモジモジした様子でわたしを見ている。

 

「ど、どうしたの?」

 

 わたしが聞くと、双葉はなにも答えずにこっちに歩いてきた。え、なにどういうこと?

 

「双葉?」

 

 するするとブランケットの中になにか暖かいものが入り込んできた。微かに香るシャンプーの匂いがわたしの鼻をくすぐった。

 

 薄暗いベッドの上で、あどけない表情を浮かべた双葉が下からわたしを見つめる。

 

「……一緒に寝ていい?」

 

「へっ? べ、べつにいいけど」

 

「そっか……えへへ、ありがと」

 

 しどろもどろになりながらも答えると、双葉はにへらと笑ってベッドに横になった。 

 

 本当にいきなりどうしたんだろう。ここ一週間別々に寝てたのに。なにか怖い夢でも……

 

 あっ、もしかして。

 

「昼間見た映画で怖くなっちゃった?」

 

 思い当たる節をぶつけてみる。というかそれしか考えられない。

 

「……ノーコメントで」

 

 やっぱ怖かったんだ。

 

「ふぅーん、そっかー あれけっこう怖かったもんねえ」

 

 普段あれだけボクのほうが年上だ年上だなんて言うくせに、こういうところはほんとに子供っぽいんだから。

 

「あたしらもうすぐ20歳だぞー お子ちゃまだなー双葉は」

 

「……うるさい」

 

 わたしがからかって言うと、双葉は拗ねたように寝返りを打ってわたしに背を向けた。

 

「ていうかいつも血が出るゲームでやってるのに、映画は怖いんだ」

 

 荒れ狂う心臓と動揺を悟られないように平静さを装ってたずねる。実際気になるっちゃ気になる。

 

 あんな気持ち悪い敵と戦えるのに映画は怖いっていうのが理解できない。

 

「やるのと見るのは違うんだよー」

 

「そんなもん?」

 

「そんなもん」

 

「ふぅーん」

 

 適当に相槌を打ちながらわたしも横になる。

 

 ちょっと下を向けば肩やうなじが目に入って正直気が気じゃない。

 

 しかもついさっきまであんなことをしようとしていたばかりだ。はっきり言って今のわたしには劇薬にひとしい。

 

 一週間前までは毎日のようにしていたのに心臓がバクバクと脈打って苦しくてしかたがない。

 

「やっぱり一緒に寝ると安心するね……」

 

「そ、そう? 暑苦しかったりしない?」

 

「べつに、大丈夫だよ。それにボク、綾乃と一緒に寝るの好きだから……」

 

 背中を向けているから顔は見えないけど、声を聞けば本心から言っているのがわかった。

 

 またそうやって……

 

 勘違いさせるようなことばっかり言ってると、いつか本当に後悔しちゃうよ?

 

「子供のころからいつも1人で寝てたからかな? 誰かがいてくれるだけで、すごくうれしいんだ……」

 

 だからその……双葉はそう言いながら寝返りを打ってわたしの胸元に顔を埋めた。

 

「また、前みたいに一緒に寝たいなって……」

 

「……いいに決まってるじゃん」

 

 わたしはそれだけ言って双葉の頭を優しく撫でた。断ることなんてできなかった。

 

 嘘ばっかりのわたしだけど、これだけは嘘偽りのない本心だった。

 

「そっか……えへへ、ありがと……」

 

 どこか舌足らずな笑い声。もう眠いのかな。寂しい思いさせちゃってごめんね。ゆっくりおやすみ。

 

「だいすき、だよ……あやの……」

 

 声が尻すぼみなっていく。やがて聞こえる小さな寝息。安心して寝ちゃったみたいだ。ほんと、子供なんだから。

 

「わたしも、好きだよ……」

 

 頭を抱きしめながらつぶやく。きっと聞いちゃいないだろう。

 

 試しに肩を少し揺すってみても返ってくるのは小さな寝息ばかり。好きな人がわたしの腕の中にいて、無防備に寝ている。

 

「好きだよ。双葉」

 

 起こさないように小さくつぶやく。

 

 シャンプーの匂いと少しばかりの汗の匂いを嗅ぐと、静まりかけていた欲望が再び鎌首をもたげるのがわかった。

 

「好きだよ……大好きだよ……ずっとずっと、好きだったんだよ?」

 

 溢れ出る感情に身体のコントロールがきかない。肩を押して仰向けに寝かせ、覆いかぶさるように抱きつく。

 

 素足を絡ませ、白い首筋に吸い付く。ボディソープと汗の味、好きな人の味……

 

「ごめん、ごめんね双葉」

 

 謝りながら頬や瞼に口付けする。

 

 そのたびにビリビリとした電流のような気持ちよさが身体を突き抜けていく。

 

 起きて、起きてよ双葉。起きてわたしのこと止めてよ。

 

 今、酷いことしてるんだよ? なんでそんなに安心した顔で寝てるの?

 

 ねえ、起きなきゃダメだよ。じゃないと、もっと酷いことしちゃうよ?

 

 それでも起きないっていうなら……

 

「もう、どうなっても知らないよ?」

 

 白い首筋にキスをする。

 

 明日のバイト遅刻しないといいけど……わたしは双葉に覆いかぶさりながらそんなことを考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

「雨、止まないなぁ……」

 

 相も変わらず降り続けている雨をソファーに座りながらぼんやりと眺める。

 

 あれからまた一週間が過ぎた。高校と違って、大学の夏休みは始まるのがちょっと早い。

 

 うちの大学もその例に漏れず、今日から夏休みだ。

 

「やっと夏休みだー!」

 

 解放感に包まれ思わず手足を伸ばす。これから約ひと月半の長いおやすみが始める。

 

 それだけでもテンションが上がるのに、8月になれば待ちに待った沖縄旅行が待っているのだ。

 

 好きな子と旅行。テンションが上がらないわけがない。

 

「しかも双葉と2人きり……」

 

 空気を読んでくれたのか、それとも本当に用事があるのか、リンちゃんは沖縄旅行の話を断った。

 

 今ごろはなでしこと仲良くキャンプの話でもしてるんだろうか。

 

 双葉は残念そうだったけど、わたしとしては好都合だ。我ながら性格悪いなって思うけど、そういうふうに生まれてきちゃったんだからしかたない。

 

「なんか嬉しそうだねー」

 

 台所から戻ってきた双葉が両手にコーヒーの注がれたマグカップを持ちながらわたしの隣に座った。

 

「はいどーぞ」

 

「ありがと」

 

 淹れたてのコーヒーを受け取り匂いを嗅いでからひと口。

 

 爽やかな苦味と香りが口の中に広がる。やっぱ双葉の淹れるコーヒーが一番おいしい。

 

「おいしいコーヒーを片手に優雅な夏休み……これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぼー!」

 

「あはは」

 

 ふざけるわたしに双葉も楽しそうに笑う。

 

「これで雨さえ止んでくれれば最高なんだけどなあ」

 

「ほんとになー」

 

 恨めしげに窓の外を眺める双葉にうなずく。

 

 今年の梅雨はちょっと長いみたいで、去年の今ごろなら気持ちのいい青空が広がっていただろう。

 

 暑いのは嫌いだけど、こうも雨が続くとさすがにうんざりしてくる。

 

「でも、ボクけっこう好きだけどね。こうやって雨の日にのんびりするのも。いつかテントの中で雨眺めてみたいなあ」

 

「それ片付け絶対地獄じゃん」

 

「だよねー」

 

 二人で笑いあう。こうして二人で過ごす時間がすごく幸せで、だからこそ切ない。

 

「ふぁぁ、ちょっと眠くなってきちゃったなあ」

 

 コーヒーを飲みながら大きなあくびをする双葉。瞬きの回数も心なしかいつもより増えている。

 

「まーた夜中までゲームやってたでしょ。健康に悪いぞー」

 

「だって全然いい装備手に入らなかったんだもん」

 

「はいはい、残念残念」

 

「うわ、めっちゃ他人事」

 

「そりゃそーでしょ」

 

 なんてことない世間話。5分もすればなにを話していたのか忘れるような、そんな無益な会話。

 

 でもそれが楽しい。きっと一人で上京していたらこんな充実した生活は送れなかっただろう。

 

 コーヒーをすする。そうだ。せっかくだしお菓子でも食べよっと。

 

「ちょっとお菓子取ってくる」

 

「……ふぁーい」

 

 眠そうにあくびする双葉にそう言って台所に向かう。

 

 そして、戸棚にしまってあるお菓子の袋を適当に取ってソファーに戻った。

 

「取ってきたよー……って、あれ?」

 

「……すぅ……すぅ」

 

 もう寝てるし。ほんの数十秒前まで起きてたのに。双葉ってほんと寝るの早いよなあ。

 

 ソファーに横になって気持ちよさそうに眠る双葉。雑に寝たせいか、Tシャツの裾が捲れて白いお腹が丸見えになってしまっている。

 

「そんなところで寝たら風邪引くぞー」

 

 顔の前にしゃがみこんで頬をつつく。やっぱ全然起きない。わずかに開いた口から小さな寝息が漏れる。

 

「ほんと……警戒心なさすぎでしょ」

 

 無防備に眠りこけているこの子を見ていると、ゾクゾクとした欲望が湧き起こってくるのを感じた。

 

「もうちょっとさ、人を見る目養ったほうがいいよー」

 

 だからわたしみたいな悪い奴にいいようにされちゃうんだよ? 

 

 でもしょうがないよね。双葉が無防備すぎるのがいけないんだよ。

 

 顔をゆっくりと近づける。今日はどうしよっかな……

 

「そういえば、まだキスしたことなかったっけ……」

 

 寝ている双葉にあれこれするようになってからも、唇にだけはキスはしなかった。

 

 わたしのつまらない意地が唇にキスをすることを拒んでいた。もっと酷いことだってしているのに、今さらなにをためらってるんだろ。

 

 でも、もういっかな。

 

「……ごめんね、双葉」

 

 謝りながら唇に顔を近づける。

 

 ほんのり桜色に色づいた綺麗な唇。そんな唇にわたしの唇が触れたら、いったいどんな気持ちになるんだろう。

 

 あと少し、あとちょっと……

 

 目を瞑る。

 

 

 

 

 

「……やっぱ、そうだったんだ」

 

 聞こえるはずのない声がした。

 

 慌てて目を開く。両目をしっかりと開いた双葉が、わたしをはっきりと見つめていた。

 

 全身の血の気が一気に引くのを感じた。

 

 え、嘘、なんで起きてるの……もしかして、寝たふり?

 

「綾乃、今なにしようとしてたの?」

 

 起き上がった双葉がどこか悲しそうな目でわたしを見る。

 

「ふ、双葉!? えっと、その、こ、これは! そ、そう! ゴミ取ろうとしてたの!」

 

 慌てて後退り、必死に言い訳を考える。そんなわたしの姿に双葉がさらに悲しそうな目をした。

 

「ボクの勘違いじゃなかったらさ、キスしようとしてたよね?」

 

「ち、ちがっ」

 

 言葉がでない。頭の中が真っ白になる。やばいやばいやばい! なにか、なにか言わないと!

 

「最近、なんかおかしいなって思ってたんだ。ボクが寝たあと、いつもこうしてたの?」

 

「そ、それは、その……」

 

「……綾乃?」

 

 怒っているわけでも、軽蔑しているわけでもなく、ただただ悲しそうに、それでいて寂しそうにわたしを見つめる。

 

 こんなとき、どうすればいいんだろう。

 

「ごめん!」

 

「あっ、綾乃!?」

 

 悩んだ末にわたしが選んだ選択は、逃走だった。

 

 引き止めようとする双葉を振り切って、部屋着のままサンダルだけ履いて玄関の外に飛び出す。

 

 ザーザーと降りしきる雨の中、濡れるのも気にせず走り続ける。

 

 ぐっしょりと濡れたシャツが肌に張り付く。

 

 見られた。ついに見られてしまった。わたしが双葉に酷いことをしてるのがバレてしまった。

 

 なんでわたしあんなことしちゃったんだろう。一緒にいられればそれだけでよかったのに!

 

 わたしが余計にほしがったから、全部台無しになっちゃじゃん!  

 

 双葉に嫌われる。大好きな人に嫌われれる。軽蔑される。

 

 大雨の中立ち止まり、膝を抱えてしゃがみ込む。

 

 大雨のせいなのか、それともわたしが泣いているせいなのか、視界が滲んでなにも見えない。

 

「もうやだよぉ……」

 

 誰もいない街の中で、ただ一人泣きづつける。終わっていく。わたしの恋が終わっていく。

 

 そう思ったそのときだった。

 

「綾乃!!」

 

 大雨の中、聞こえるはずのない声が聞こえた。

 

 ゆっくりと振り返る。

 

「よかった……いた……」

 

 肩で息をした双葉がわたしのうしろに立っていた。

 

「ふた、ば?」

 

 ゆっくりと立ち上がり双葉と対面する。

 

 もしかして、ここまで走って追いかけてきてくれたんだろうか。よっぽど必死だったのか、こんな大雨なのに傘もさしてないせいで髪も服もびしょ濡れだ。

 

「帰ろう? こんなところにいたら風邪引いちゃうよ?」

 

 荒みきった心に双葉の優しい言葉が染み渡る。 

 

「……帰れ、ないよ」

 

「どうして?」

 

「だって、双葉にあんなひどいことしてたのに……」

  

「気にしてないよ。えへへ、まあ、ちょっとびっくりしたけど」

 

 そう言って笑いながら頬をかく。なんでそんな平気でいられるの? わたし、あなたに酷いことしてたんだよ?

 

「わたしね……双葉のことが、好きだったんだ」

 

 摩耗しきった心が、覆い隠してい本音をこぼす。これ以上隠すことなんてわたしにはもう無理だった。

 

「それって……」

 

「……うん、そういう好き、だよ」

 

 わたしの告白に双葉の目が見開く。

 

「はじめてあったときからずっと……双葉にね、恋してたんだ」

 

 旅の話をするあなたが好きだった。

 

 ヘタレなくせに友だちのためならどこまでも優しくなれるあなたが好きだった。

 

 からかうと顔を真っ赤にして恥ずかしがるあなたが好きだった。

 

 ちっちゃいのに必死にバイクにしがみついて走る後ろ姿が好きだった。

 

 おいしそうにご飯を食べるあなたが好きだった。

 

 コーヒーを淹れる後ろ姿が好きだった。

 

 ずっとずっと、好きだった。大好きだった。

 

「……そっか」

 

「怒らないの?」

 

「なんで?」

 

「だって、ずっと騙してたんだよ? 本当は好きなのに、友だちのふりして一緒の部屋に住んで……騙してひどいことして……」

 

 謝ったところで到底許されることじゃない。だけど、謝らずにはいられなかった。

 

「毎日毎日、なにしてたか知ってる? 双葉ってば、全然起きないんだもん。もっとさ、警戒しないとダメだよ……」

 

 そうしないと心が本当にどうにかなってしまいそうだったから。

 

「ほんと、最低だよね……軽蔑したよね」

 

 視界が涙で滲んでいく。なにも見たくなくて目をぎゅっと閉じる。

 

 こんなに辛いなら恋なんてしなければよかった。出会わなければよかった。

 

 なんでもっと違う形で出会えなかったんだろう……

 

「でも大丈夫だよ? 2度と双葉の前に──」

 

 言おうとした言葉は、唇に当たる柔らかいなにかによって塞がれた。

 

 ……えっ、なにこれ? 

 

 恐る恐る目を開く。目の前に双葉がいた。唇に感じる柔らかく、甘い感触。

 

「……ん」

 

 これってもしかして……

 

 わたし……双葉にキス、されてるの? でも、どうして?

 

 予想だにしてなかった展開に頭がさっきまでとはまたべつの意味で真っ白になる。

 

 わけわかんないけど……でも、なんかこれ……

 

「……ふたっ、ん」

 

「あや、の……ん」

 

 すごい幸せ……

 

 大雨の中、抱き合ってキスをする。すごい、わたし本当に双葉とキスしちゃってるんだ。

 

 舌を絡ませ、吐息を混ぜ合いただひたすらキスに夢中になる。

 

 数十秒か、それとも数分か、時間の感覚すら忘れてしまうほどキスをしあったのち、双葉はわたしから離れた。

 

「えへへ……キス、しちゃったね」

 

 顔を真っ赤にした双葉が口元に指を当てながら嬉しそうに笑う。

 

 いつのまにか雨は止んでいて、雲の隙間からのぞいた太陽が雨に濡れた双葉の髪をキラキラと輝かせていた。

 

「ど、どういうこと?」

 

 恐る恐るたずねる。今のキスの意味はいったい。

 

 もしかして……双葉もわたしのことが……

 

 頭によぎった考えを振り払う。あんな酷いことしたのに、そんな都合のいい話があってたまるか。

 

「どっか行っちゃったら、やだよ……ずっと一緒にいてよぉ……」

 

 目尻に涙を滲ませ、懇願する姿はまるで縋り付いているようだった。

 

「ボクね、すっごい嬉しかったんだよ? 綾乃と一緒に暮らせて。一緒にお風呂入ってくれたり、髪乾かしてくれたり、添い寝してくれたり……まるで家族みたいで……」

 

 違う。わたしはそんなつもりでやったんだじゃない。

 

「だから、2度と会わないなんて……そんな、そんな悲しいこと言わないでよぉ……」

 

「でも……」

 

 わたしは友だちを騙した悪い奴で、そんな悪い奴がどんな顔して隣に居座るっていうんだろうか。

 

「ボクもね、綾乃に言わなきゃいけないことがあったんだ」

 

 姿勢を正し、わたしを正面から見据える双葉。

 

「好きです。付き合ってください」

 

 ゆっくりと、はっきりと、そして、大きな声でそう言った。

 

 ……ん? 今双葉なんて言ったんだろう。たしかこう言ったよね。

 

 好きです。付き合ってくださいって。

 

 好きです、付き合ってください。好きです、好きです……

 

「ええっ!?」

 

 事実を理解したと同時にわたしは驚きのあまり大声で叫んでしまった。

 

「ちょっ、声大きいよー!」

 

「で、でも! 好きって! 双葉が好きって! 付き合ってって!」

 

「そ、そんな何回も言わないでよー! ボクだって恥ずかしいんだよー!」

 

 顔を真っ赤にして腕をふりまわしながら恥ずかしがる双葉。

 

「ほ、ほんとにわたしのこと好きなの?」

 

「う、うん……」

 

「ライクじゃなくて?」

 

「……ら、ラブのほう、です」

 

 もじもじと胸元で指をいじりながら耳まで真っ赤にしてぼそりとつぶやく。

 

「い、いつから好きだったの?」

 

「い、一緒に暮らしはじめて、から……」

 

「えっ? それって本当?」

 

 わたしが聞くと双葉は小さく、本当に小さくうなずいた。

 

「さ、最初は、ただのルームシェアのつもりだったんだよ? でも、綾乃が毎日優しくしてくれて、毎日すっごく楽しくて、それがすごい嬉しくて……ずっと一緒にいたいなあって……」

 

 ずっと一緒にいたい……好きな子から言われた言葉に心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。

 

「それでね、この前冗談で告白されて、その時気づいたんだ」

 

 目を赤らめ、燃えるように真っ赤な頬を真紅のように赤く染め、双葉がわたしを見つめる。

 

「ボクはこの人が好きなんだなって……」

 

 そして双葉は言った。嘘をついてるわけでも、気を使って言っているわけでもない。

 

 本当の意味で、心の底からわたしのことが好きだと言ってくれている。

 

「本当に、わたしでいいの?」

 

 震える声で聞く。信じられない。というより、信じたくない。こんな都合のいいことがあっていいの?

 

 夢、とかじゃないの?

 

「綾乃でじゃなくて、綾乃がいいの」

 

「わたし、全然なでしこみたいにかわいくないよ? リンちゃんみたいにかっこよくもないよ?」

 

「全然そんなことないよ」

 

「酷いことしたよ?」

 

「気にしてないし、ていうかむしろ……嬉しかったっていうか……」

 

「そ、そっか」

 

 はにかみながら嬉しそうに話す双葉。

 

 気を使っているようには見えない。というか双葉はそんなに器用じゃない。嘘をついたらだいたいわかる。

 

 つまり本当。本心から言ってるってことだ。

 

 じゃあこれまでのわたしの苦悩っていったい……全部取り越し苦労だったってこと?

 

「わたし、双葉と付き合っていいの?」

 

「あ、綾乃がよかったら……」

 

「エッチなことしていいの?」

 

「う、うん……」

 

 わたしのデリカシーのない質問にも顔を真っ赤にして消えそうな声でうなずく。

 

「し、していいけど……で、できれば、やさしく」

 

 あ、かわいい。ごめん、無理。

 

「ほ、ほんとに? ほんとにほんとに!?」

 

「ほんとにほんとー!!」

 

 そっか……わたし、双葉と付き合っていいんだ。好きでいて、いいんだ。 

 

 そっか……そっか。

 

 視界が滲んでいく。でも、その意味はさっきとはまるで違うのは、言うまでもなかった。

 

「ねえ、双葉」

 

 涙を拭い改めて名前を呼ぶ。

 

「なに? 綾乃」

 

「抱っこしていい?」

 

 小さくうなずく双葉。そのままなにも言わずにこっちに歩いてくる。

 

 そのいじらしい仕草に胸の高鳴りを感じながらそっと抱きしめた。

 

 双葉の身体、すっごい熱い……心臓もすごいバクバクしている。そっか、双葉も怖いんだ。

 

 なら、わたしが慰めてあげないとね。

 

「キス、していい?」

 

 わたしが聞くと双葉はなにも言わずに目を閉じた。壊してしまわないようにそっと口付けする。

 

 2回目のキスはコーヒーと雨の匂いがした。

 

「双葉、好きだよ」

 

「ボクも、好きだよ」

 

 見つめ合い、もう一度キスをするために顔を近づける。

 

「……くしゅん」

 

 けど、キスの直前に双葉が横を向いて小さくくしゃみをした。

 

「寒いの?」

 

「だって、びしょ濡れだし」

 

 そうだ。忘れてたけどお互いびしょ濡れだったんだ。

 

 ってよく見たら双葉ブラ透けてるし。ていうかあれわたしがこの前選んであげたやつじゃん。

 

 肌とか全部透けちゃってるし……ほんと、かわいいなあ……

 

 あ、そっか。そういえば、もう我慢しなくていいんだよね。

 

「……じゃあ、さ」

 

 目をじっと見つめる。潤んだ瞳がわたしの瞳を見つめ返す。

 

「……わたしが暖めてあげよっか?」

 

 耳元でささやく。抱きしめた肩がびくりと震えた。

 

「どうする?」

 

 わたしの提案に、双葉はなにも言わずしばらく考えこむようにうつむいたあと、小さく、ほんとうに小さくうなずいた。

 

「えへへ、そっか……」

 

 そんな恋人が愛おしくて、わたしはまた優しくキスをするのであった。

 

 晴れた空。暖かい日差しが濡れたわたしたちを照らし出す。そんな昼下がりの出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

「「海だぁー!!」」

 

 雲一つない澄み渡る青空の下、どこまでも広がる透き通った海を前に思わず2人で叫ぶ。

 

 かたわらのビーちゃんとエイプもどこか得意気にしているような気がした。

 

「やっとついたぁー!」

 

「疲れたよー! 双葉ー」

 

 そう言いながら恋人の背中に抱きつく。

 

 ずっとバイクに乗ってるからお互いちょっと汗臭かったけど、そんなの気にもならなかった。

 

「ここに来るまでに5日かかったもんね」

 

「双葉が鹿児島からフェリー乗ろうとか言い出さなかったらもっと早くついてたんだよなー」

 

 名古屋からフェリー乗るつもりだったのに、なにを血迷ったのか鹿児島までいく羽目になった。しかも原付で。 

 

「綾乃だってノリノリだったくせに」

 

「聞こえなーい聞こえなーい」

 

「はいはい、あと暑いから離れて」

 

「やだー」

 

 肩から回した手に力をこめて、より強く抱きしめる。

 

「……もう、しょうがないなあ」

 

 そう言って双葉はわたしの上から手をぎゅっと握ってくれた。

 

 大好きな恋人といつもどおりのくだらないやり取り。どこに行ってもわたしたちのやることは変わらないみたいだ。

 

 バイクに乗って、遠くに行って、綺麗な景色を見て、おいしいものを食べる。

 

 最近はそれにいちゃいちゃするのが加わったけど、それはまあ置いておく。

 

「これからどうする?」

 

「そーだなあ、このまま泳ぎたい気分だけど、まずは泊まるとこ決めよっか」

 

「だねー なんかいいキャンプ場ないかなー」

 

「それもいいけどさ……」

 

 肩から回していた手を腰に持っていく。

 

「どうせなら、ホテルにしない?」

 

 ニヤリと笑いながら耳元でささやく。小さな肩がびくりと震える。

 

「久しぶりに双葉成分補充したいなーって」

 

「え、あ……う、うん」

 

 含ませた意味を理解したのか、耳を真っ赤にして小さくうなずく双葉。

 

「……ぃ、ぃぃょ」

 

 あーもう! ほんとわたしの恋人かわいいすぎでしょ。

 

「そーと決まればしゅっぱーつ!」

 

 ヘルメットを被り、シートに跨る。

 

 キックペダルを蹴り飛ばせばイプのエンジンがぶるぶると唸り始めた。

 

 せっかくこんな綺麗なところに来たんだ。のんびり走っていこう。

 

 でも、その前にっと。

 

「あ、双葉、こっち向いて」

 

「うん、なあに?」

 

 シートから降りてバイクに乗った双葉に近づく。

 

「ねえ、ちゅーしよ」

 

「今ヘルメット被ったばっかなんだけど……」

 

 じとっとした目でわたしを見る双葉。そういえばそうだった。

 

「あ、そっか。じゃあ……」

 

 双葉のヘルメットに手を当てて、顔をそっと近づける。

 

 コツン。晴わたる青空の下、青と白のヘルメットがぶつかった。今はこれで我慢。

 

「大好きだよ」

 

「……ふふ、ボクも大好きだよ」

 

「うーん、惜しい! 90点」

 

 残りの10点はなんなんだとぼやく双葉を横目にバイクに跨る。さあ、出発だ! 

 

 クラッチを握りギアを上げる。アクセルを煽り走り出す。

 

 燃え盛るような夏空の下、わたしたちは走り出す。

 

 ここに来るまで本当にいろいろあったけど、わたしは今最高に幸せだった。

 

 ずっと一緒にいようね。双葉。




土岐綾乃編完結です。

抜き取ったページは作品一覧からどうぞ(R18注意)
https://syosetu.org/user/3567/

次回は番外編ではなく、予告していたおまけを本編に投稿します。

ではまた。


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山中双葉(1)

おまたせしました。総受け百合ハーレム編です。


 

 

 

 

 ボクは、正直言ってあまりできた人間じゃないと自分では思っている。

 

 基本的にクソザコだし、成績は良くてもおっちょこちょい。少し前までは友だちすら1人もいなかった。

 

 でも、そんなボクにも友だちができた。それもたくさんの友だちだ。

 

 みんなすごく優しくて、すごくいい子で、ボクなんかよりもずっとずっとできた人たちで、ボクはそんなみんなが大好きで、大好きでしかたがなかった。

 

 だからボクは大好きなみんなともっともっと仲良くなりたかった。

 

 ずっとボッチだったから、うまくいかない時もあったけど、それでもボクなりに自分の気持ちを素直にみんなに伝えた。

 

 そのおかげかはわからないけど、みんなとは会ったときよりもずっと仲良くなれたと思っている。

 

 ただ、時よりボクは思う。

 

 

 

 

 

 なんか思ってたのと違う、と。

 

 

 

 

 

 

「……んっ」

 

 ストーブが必需品になり、木々の葉が鮮やかに色づき始める季節。

 

 窓の外から微かに聞こえる生徒たちの談笑する声と、カラスの間伸びした鳴き声がこだまする放課後の図書室で、ボクはリンにキスをされていた。

 

「んっ……」

 

 柔らかい唇が、ボクの唇をまるで貪るように奪っていく。

 

 リンの長いまつ毛が視界いっぱいに広がる。リンって近くで見ると、本当に美人だなあ。

 

 酸欠気味の思考の中、そんなことを考えた。

 

「ふた、ばぁ……」

 

 細い腕が、ボクの首筋に回される。甘ったるい匂いがボクの脳の思考力を奪っていく。

 

「んっ……んんっ」

 

 くるしい……きもちいい……

 

 もっと、してほしい……

 

 蕩けきった思考の中、行き場を失って固まっていた腕をリンの背中に持って──

 

 って、ちがーう! なにが『もっとしてほしい』だよぉ!

 

 ちょっと名残惜しいと思っている思考に必死に蓋をしながらリンの肩を離す。

 

 唇と唇が離れ、繋がった唾液が赤い夕陽に照らされて銀色に輝く。

 

「……ごめん、くるしかった?」

 

「そんなことないよ! むしろ気持ちよかったっていうか…………じゃなーい!」

 

 座っていた椅子から勢いよく立ち上がる。反動で椅子が床の上を滑っていく。

 

「どうしたの? 双葉」

 

 不思議そうに首を傾げるリン。さっきまでずっとキスしていたからか、息を荒げて顔を真っ赤に染める姿がやけに色っぽくて……じゃない。

 

「どうしたもこうしたもないよー! なんでボク、リンにキスされてるのさー!」

 

「なんでって……そんなの……」

 

 椅子に座ったままのリンが唇に手を当てながらわかってるくせにと言いたげにボクを下から覗き込む。

 

「ふ、双葉のことがす、好きだからに決まってるじゃん……」

 

「あ、うん……あ、ありがと……」

 

 普段の照れ屋なリンからは想像もできないほど真っ直ぐな気持ちをぶつけられて、思わず真顔で返事をしてしまう。

 

 そっか、リン、ボクのこと好きなんだ……

 

「……えへへ」

 

 ……なにが『えへへ』だよ。

 

 めっちゃ喜んじゃってるじゃん。ニッコニコだよボク。

 

 いや、たしかに嬉しいけど……だから違う。リンの唇、ぷるぷるだったな……そうじゃない!

 

 もっとしてほしかったな……

 

「うがぁぁぁ!!」

 

 ピンク色に染まりかけた心に絶望して、図書室を歩き回りながら頭をかき回す。

 

 リンはここ最近、ずっとこんな調子だ。

 

 お互いすごく仲がよかったとは思っているけど、あくまでボクとリンは友だちでしかなかったはず。

 

 それなのにいったいどこで歯車がズレたのか、気がつくと、リンはことあるたびにボクにキスをしてくるようになった。

 

 ちなみに今日は金曜日で、さっきのキスは今週で5回目だ。

 

 もはや仲がいいとかそういうレベルを通り越してる。どう考えたって異常だ。

 

 でも、ちょっと嬉しかったり……

 

「はっ!? リンは友だち、リンは友だち……」

 

 頭をかきながら、おかしくなりかけていた思考を元に戻す。

 

「あ、おい! そんな頭かいたら……」

 

「友だち友だち……」

 

「双葉!」

 

「リンはとも──ひゃぁ!?」

 

 頭をかいていた手ががっと掴まれた。

 

 右手は上に、左手は腰に。そうやって両腕を拘束され、いつの間にか目の前にあった本棚にドンと背中を押しつけられる。

 

「り、リン?」

 

「そんなかきむしって、もし怪我したらどうすんだよ」

 

「ご、ごめん」

 

 思いのほか真剣な眼差しに反射的に謝ってしまう。

 

 けど、よくよく考えてみればボクがこんなことになってるのって、リンのせいな気が……

 

 ていうかこの体勢、かなりまずい気が……本棚を背に壁ドン、いや棚ドン状態? どっちでもいいけど、とにかくまずい気がする。早く脱出しなきゃ。

 

「も、もうしないから、手離してほしいなぁって」

 

「やだ」

 

「な、なんでだよー!」

 

 親友に本気で壁ドンされるとかいう意味不明な状況に思わず目尻から涙が出てくる。

 

「だって双葉、目離すとすぐどっか行っちゃうだろ」

 

「だ、だからって物理的に拘束しなくてもいいような……」

 

 ボクの抗議も虚しく、リンが顔と身体をどんどん近づけてくる。

 

「ち、近いってリン」

 

 拘束されていた手は、いつの間にか指を絡めてきつく握られちょっとやそっとの力じゃびくともしない。

 

 震える足の隙間にリンの足が差し込まれ、身体と身体が密着する。

 

 高1のときからちっとも背が伸びてないボクと、だんだんと背の伸びはじめたリンとでは、力の差がまるで違う。

 

 逃げること叶わず、リンになすすべもなく拘束される。 

 

「り、リン! ち、近いっんんっ!?」

 

 首筋に顔を埋められ、思わず口から変な声が漏れ出る。

 

「いつも思ってたけど、双葉っていい匂いだよね」

 

 少しだけ低い心地のいい声が、耳から脳に染み込んでいく。

 

「わたし、好きだな。双葉の匂い」

 

 首筋に顔を埋めたリンが、まるで匂いを嗅ぐかのように鼻を吸っていく。

 

「な、なにして……ゃ……だ、ダメ……んっ!」

 

 やわらかく、湿り気のあるなにかが、ボクの首筋を吸っていく。

 

「好きだよ……双葉」

 

 やばい、頭ぼうっとする。なにも考えられない……

 

「双葉は……わたしのこと好き?」

 

「う、うん……で、でも」

 

 でも……あれ? なんて言おうとしたんだっけ。

 

「じゃあ、それでいいじゃん」

 

 ささやき声。耳がゾワゾワして背中にゾクゾクと得体の知れない感覚が走る。

 

 セーラー服の裾からすらっとした指が差し込まれ、キャミソール越しにボクのお腹を撫でていく。

 

 タイツとタイツが擦れ合う。もどかしくて、気持ちよくて……

 

「いいよね? 双葉」

 

「……ぇ? ……ぅ、うん」

 

 なにが、いいよね? なんだろう。頭がぼんやりしてなにも考えられない。

 

 ただされるがまま、ぼうっと夕暮れの図書室を眺める。

 

 本、カウンター、時計……

 

 時計……時計……時間……あっ。

 

「そうだ! バイト!」

 

「うぉっ!?」

 

 突然大声を上げたボクにリンが驚いて離れる。

 

「い、いきなり大声出すなよ」

 

「ご、ごめん! 今日バイトだったの忘れてた! もう行くね! また来週!」

 

「あ、おい!」

 

 パタパタと駆け足でテーブルに戻り、置きっぱなしにしていたリュックサックを背負って図書室をあとにする。

 

「ああもう! ボクどうしちゃったんだよー!」

 

 どうかしてるよボク。と、友だちとあんな……え、えっちなことして! 

 

 リンもリンだよー! ほんと最近どうしちゃったんだよぉ! 

 

「リン、いい匂いだったなぁ……えへへ」

 

 だから違うって!

 

 

 

 

 

 

「って、ことがあったんだよー!」

 

「……なんちゅうか、お疲れ様やったな」

 

 コンビニの窓から漏れる蛍光灯の青白い光があおいを照らす。

 

「話まとめるで。ようは最近リンちゃんにむっちゃアプローチされとって困っとるちゅうことやな」

 

「うん、そうなんだ……あむ」

 

 コンビニで買ったあんまんをかじりながら、ボクの支離滅裂な言葉をうまいこと要約してくれたあおいにうなずく。

 

 やっぱ寒い時期のバイト帰りはあんまんにかぎる。

 

「双葉ちゃんは、どう思っとるん? リンちゃんのこと」

 

「どうって……そんなの、好きに決まってるじゃん……」

 

 ボクはリンのことが大好きだ。それは間違いない。夕方の時みたいなことがあったって、それは変わらない。

 

「でも、ボクたち……ただの友だちだし……女の子同士だし……」

 

「そない気にせんでもええんとちゃう? べつに嫌やないんやろ?」

 

 ステンレスの車止めに腰かけたあおいの言葉に静かにうなずく。

 

「け、けど……なんでボクなんか……だって、ボク全然かわいくないし、リンみたいに美人じゃないし……」

 

 リンがボクをそういう意味で好きということはもはや明白だ。

 

 正直なところ嫌じゃない。お母さん意外の人からここまで好意を向けられるのなんて生まれて初めてだし、キスだってそこまで嫌じゃなかった。

 

 だけど、相手がボクじゃあ役不足もいいところだ。

 

 しょせんボクは元を正せばクソザコボッチ。リンには釣り合うとは思えない。

 

「双葉ちゃん」

 

「なに? あお──」

 

「てい」

 

「あぅ!?」

 

 額にバチンと衝撃が加わって、思わず額を手で押さえる。痛い、デコピンされた……

 

「次そないなことゆうたらもっと痛くするで」

 

「うぅ、ごめんなさい」

 

「はぁ……双葉ちゃんって、昔っからちょいちょいネガティブよなぁ。そうゆうの、うちあんまようないと思うで」

 

「う、うん……ごめん、ありがと」

 

 みんなと友だちになってから、だいぶポジティブになったとは思っているけど、やっぱりボクはボクのままだ。

 

「まあでも、リンちゃんがそない肉食系やったとは……ほんま人は見かけによらんなぁ」

 

「ほんとだよぉ……」

 

 最初はちょっと距離近くない? くらいの感じだった。

 

 だけどいつの間にか距離がどんどん狭まってきて、気がつけばキスされるようになって、日に日に行為がエスカレートしている。

 

 リンは平然としているけど、されているこっちは気が気じゃない。

 

 リンは美人だし、いい匂いするし、優しいし、かっこいい。

 

 そんな子にキスされたり抱きしめられたりするんだから、ボクのクソザコメンタルはもうパンク寸前だ。

 

「ボク、どうすればいいのかなぁ?」

 

「本当に困っとるんやったら言うしかないやろな。リンちゃんだって、そんな強情やないやろうし」

 

「ううん、そうじゃないんだあおい」

 

 あおいの提案に首を振る。たしかに困っていることは事実だけど、それはそこまで重要じゃないのだ。

 

「どゆことなん?」

 

「ボク、リンがなんであそこまでしてくるのか全然わかってあげられなくて、リンがここまで思ってくれてるのに、ボクなんにも返せてなくて……それが、なんかすごくやで……」

 

 ボクは、ただリンと友だちになりたかっただけだった。だたそれだけだった。

 

 リンもそんなボクを友だちだと思ってくれていると勘違いしていた。

 

 でも実際は違ったわけで、そんな強い感情を向けられた経験なんてないから、どうすればいいのか全然わからない。

 

「双葉ちゃん……」

 

「えへへ、ごめんね。変なこと言って。あおいだけだよ、こういうの言えるの」

 

 いつも気遣ってくれて、ダメなところはダメと言ってくれて、ボクはそういうあおいが大好きだ。

 

「ありがと、あおい。大好きだよ」

 

「わたしも、双葉ちゃんのこと大好きやでー」

 

 ちょっと顔を赤くしたあおいが、嬉しそうに笑いながら、ボクに身体を近づけてくる。

 

「もがっ!?」

 

 突如真っ暗になる視界。暖かく、ふかふかしたなにかに包まれる。

 

「よしよし、双葉ちゃんはほんまええ子やな」

 

 がっちりと頭をホールドされ、あおいの大きな胸に押し潰されるような形で抱きしめられる。

 

「けど、あんま気負いすぎたらあかんで」

 

 頭をポンポンと撫でられ優しい言葉をかけられると、心がどんどんぽかぽかしてくるのがわかった。

 

 あったかくて気持ちいい……できることならずっとこうされていたい。

 

 けど……

 

「むぐっ!? むぐぐっ!?」

 

 息ができない! く、苦しい! ていうか、ボク冷静に考えたらあおいの胸に顔押し付けてるんだけど!

 

「むー! むー!」

 

「あーもう、双葉ちゃんほんまちっこくてかわええなぁ」

 

 あおいの背中をパンパンと叩き、解放を要求するも、聞いてないのか聞く気がないのか、余計に力を込められる始末。

 

「ふふっ、双葉ちゃん耳真っ赤やん。もしかして照れとるん? べつに女の子どうしなんやし、気にせんでええのに」

 

「むー!」

 

 違う、そうじゃない。

 

「な、なあ? 一回だけでええからうちのことお姉ちゃんって呼んでくれへん?」

 

 ……あおいの心臓、なんでこんなバクバク鳴ってるんだろう。心なしか、身体もさっきよりも熱い気が……

 

「な? 双葉ちゃん」

 

 そう言って、あおいはボクを5分ほど抱きしめ続けるのであった。

 

 

 

 

 

「あ、あはあ……ご、ごめんなぁ」

 

「むー!」

 

 橋の上で、ビーちゃんを押しながらあおいに抗議の視線を送る。

 

 まさか相談したら窒息するまで抱きしめられるとは思ってなかった。

 

 絶対に許さない。

 

「こ、今度コンビニスイーツ奢るからそれで許してくれへん?」

 

「え! ほんと!? 全然気にしないから大丈夫だよ!」

 

「あ、ありがとなぁ…………ちょっろ」

 

 やったやった。なに買ってもらおっかなー

 

「ふふっ、まあでも、ちょっとは元気になったみたいやな」

 

「うん、おかげさまで。また、なにかあったら相談に乗ってくれてもいいかな?」

 

「もちろんやでー! うちでよかったらじゃんじゃん頼ってくれてええからな!」

 

「えへへ、ありがと」

 

 あおいの100パーセント混じり気のない善意に思わず顔が笑顔になっていく。

 

 ほんと、いい友だちだよなあ、あおいって。ボクにはもったいないくらいだよ。

 

 改めてボクの友だちの素晴らしさを噛み締めているうちに、橋の出口に差し掛かった。

 

「おわかれやな。またなんかあったらゆうんやでー」

 

「うん! またねあおい」

 

 そう言って、ビーちゃんのエンジンをかける。よし、あおいから元気ももらったことだし、これから頑張っていこう!

 

「あ、双葉ちゃん」

 

「どうしたの? あお──」

 

 目の前に、あおいの顔が近づく。唇の端を湿り気のあるなにかがなめていく。

 

「あ、あおい?」

 

「ふふっ、口にあんまんのカスついとったでー」

 

「え? あ、う、うん。ありがと」

 

 耳まで真っ赤に染めて唇に手をあてながら、嬉しそうにボクを見るあおい。

 

 えっ? 気のせいじゃなかったら、ボク、今あおいにキス、されなかった? 

 

「……なあ双葉ちゃん」

 

「う、うん」

 

「うちが双葉ちゃんのこと好きってゆうたら、どないする?」

 

「えっ?」

 

「なんて、うそやで。ほなまたなー!」

 

「あ、あおい!」

 

 ボクの静止を振り切って、ロードバイクに乗って走り去っていくあおい。秋口の冷たい風が、熱っぽい頬を冷やしていく。

 

「えぇ……」

 

 うそだと言ったあおいの顔が脳裏に浮かぶ。あの目、どう考えてもうそついてるときの目じゃなかったような……

 

 ってことは、本当に? いや、そんな馬鹿な……

 

「どうしよ……」

 

 途方にくれたボクのつぶやきが、秋の空に溶けていく。

 

 

 

 

 

 ボクは知らなかった。これが、これから先起こる受難の始まりでしかないことに……




こんな感じでアホアホなノリで書いていく予定です。


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山中双葉(2)

※本編とは一切これっぽっちも全く微塵も1ミリも関係ありません。


 

 

 

 

 

 あおいがボクのことを好きなのかもしれない。その一文が頭の中をぐるぐると周り続ける。

 

「でね、リンちゃんがね──」

 

 バイト帰り、わかれ際にあおいに言われた言葉。

 

 いつもみたいにボクをからかっただけだとは思うけど、もし本当だったらボクはどうすればいいんだろうか。

 

「聞いてよ双葉ちゃん──」

 

 ただでさえリンとの関係が解決してないというのに、これ以上トラブルが増えたら完全にキャパオーバーしてしまう。

 

 ほんと、こんなクソザコのボクにみんなはいったいなにを求めてるっていうんだろうか。

 

 だいたいボクなんて取り柄といったらバイクくらいしかない。リンやあおいだったらもっとふさわしい──

 

「双葉ちゃん?」

 

「ひゃん?」

 

 突如視界になでしこの顔がドアップで飛び込んできて、反射的に顔がのけぞった。

 

 そうだった。ボク今家に突撃してきたなでしこと一緒にお鍋食べてたんだ。

 

「だ、大丈夫? お鍋、もしかしておいしくなかった?」

 

 こたつで暖まっているなでしこが、ボクを心配そうに見つめる。

 

「そんなことないよ! すっごいおいしかった。ちょっとぼうっとしてただけ」

 

「そっか、それならいいんだけど。もしかしてなにか悩み事あるのかなって」

 

「ど、どうしてそう思ったの?」

 

 悩みごとと言われ、思わずドキリとする。

 

「それは……あれ? なんでだっけ?」

 

「いやボクに聞かれても……」

 

 たぶん無意識でボクの変化を感じ取っていたってところだろうか。相変わらず鋭い。

 

 この察しのよさに救われたときもあったけど、今は正直気づかないでほしいと思うのはわがままだろうか。

 

「なにもないならいいんだ。でも、もしなにかあったらなんでも言ってね!」

 

「うん、ありがと」

 

 ボクが言うと、なでしこはにっこりと笑ってうなずいた。ほんと、いい子だよなあ。

 

「……そういえば双葉ちゃん、最近リンちゃんとどう?」

 

「どうって? ふ、普通に仲いいけど……」

 

 具体的にいうとキスされるくらいには。

 

「いきなりどうしたの?」

 

「えっとね、最近リンちゃんと双葉ちゃんの様子が変わったなあって思って」

 

「そ、そっかな? 気のせいじゃない?」

 

 もしかしてリンにキスされまくってるの見られたんだろうか。それはちょっとまずい。どう言い訳しよう。

 

「……あれ?」

 

 必死に言い訳を考えていたボクは、なでしこがこっちをじいっと見つめていることに気がついて我に帰った。

 

「双葉ちゃん、首になんか跡ついてるね」

 

「えっ、跡?」

 

 スマホを鏡がわりにして自分の首を写す。たしかに赤い虫刺されみたいな跡が首についている。

 

「ほんとだ。虫にでも刺され……あっ」

 

「ん?」

 

 そういえば、ボク夕方に図書室でリンに……

 

 その瞬間、必死に蓋をしていた記憶が溢れ出した。

 

 リンの潤んだ瞳、熱い吐息、唇のやわらかさ……やばい、思い出すとどんどん恥ずかしくなってきた。

 

「双葉ちゃん? 大丈夫? 顔すっごい赤いよ」

 

「へ? あ、うん、な、なんでもないよー えへへ」

 

「ほんとに? も、もしかして風邪ひいちゃってたりして!」

 

 それだけ言うと、なでしこがおもむろにボクに顔を近づけてきた。

 

 ほんのりと桜色に染まった柔らかそうな頬、プルプルの唇、長いまつ毛に綺麗な瞳。こうしてみると、なでしこもすごい美人だよなあ……って、違う!

 

「あ、あわわ、ち、近いよなでしこ!」

 

 見慣れている顔のはずなのに、あんなことがあったせいかやけに気恥ずかしい。

 

「うん? ちょっと熱測るだけだよ?」

 

「へ? 熱? あ、そっか、熱測るだけか。てっきりボク……」

 

「てっきり?」

 

「な、なんでもない! なんでもないよー!」

 

 危なかった。うっかりキスされるんじゃないかって言うところだった。

 

「むむむ、怪しい」

 

 なでしこの疑惑の眼差しがボクを射抜く。そんなふうに見つめられると余計に恥ずかしくなってくる。

 

「ほ、ほんと、なんでもないって! こたつがちょっと熱かっただけだよ!」

 

「ふぅーん……」

 

 にゅっと伸びる手がボクの頭を掴む。コツンと当たる額。か、顔が近い、それになんだかちょっといい匂いもする。

 

「熱は……なさそうだね。よかったぁ〜」

 

「う、うん。だからもう離れてくれると嬉しいなあって」

 

 や、やばい、なでしこってこんなかわいかったっけ? 再び沸き起こる恥ずかしさに、顔が熱くなっていく。

 

「双葉ちゃん顔真っ赤。もしかして照れてる? もう、女の子どうしなんだから気にしなくていいのに」

 

「で、でもぉ……」

 

 桜さんに似た透き通った瞳がボクを見つめる。

 

「あれ? この匂い……」

 

「え? なに──ひゃ!?」

 

 唐突に訪れた刺激に思わず悲鳴が漏れた。

 

 悲鳴の理由はすぐにわかった。なでしこが突然ボクの首筋に鼻を突っ込んで、すんすんと匂いを嗅いでいたのだ。

 

「ひゃ、な、なでしこ、く、くすぐったいよぉ」

 

 吐息が敏感な首筋にあたりゾクゾクとした変な感覚が背中を走っていく。

 

「この匂い、やっぱり……」

 

 やっぱりってなに!  

 

「へぇ、そっかぁ……リンちゃんったら、ずるいよもう」

 

「り、リン?」

 

 な、なんでリンの名前が出てきたの? ま、まさかバレた? もしかしてあおいが……いや、そんなわけないか。

 

「2人で一緒にって、約束したのに……」

 

「ふ、2人? さ、さっきからなに言って──」

 

 ボクは最後まで言い切ることができなかった。

 

 なぜなら、話そうとしたボクの口はなでしこの口でふさがれてしまったからだ。

 

「……んっ」

 

 唇に当たる甘い感触。ボクはこの感触をよく知っている。だって何度も何度もされたからだ。

 

 ボクはなでしこにキスをされていた。反射的に瞑ってしまっていた目を開ける。

 

「ふた、ば、ちゃん……んっ」

 

 うん、思いっきりキスされてる、それもなでしこに。

 

 鼻と口からから漏れる吐息と、唇に感じる甘い刺激、そしてリンとはまた違う甘い匂いがボクの頭をぐちゃぐちゃにかき回していく。 

 

 なんでボク、なでしこにキスされてるんだろうか。

 

 と、とにかくや、やめさせなきゃ……

 

「な、なでし……はな、んっ、んんっ!?」

 

 肩を掴んで離そうとしても、驚異的な力によって1ミリも離すことができない。

 

 絨毯にぽふんと押し倒され、口の中ににゅるりと入ってくる舌が、ボクの口の中を貪っていく。

 

 ビリビリとした甘い電流のような気持ちよさと、ふつふつと湧き上がってくる多幸感が、頭をくらくらと酔わせていく。

 

「ん……んふ……」

 

 強張っていた身体の力が抜け、ただされるがままにキスされる。

 

 気持ちいい……ポカポカする……なにも考えられない……

 

「……ぷはぁ!」

 

 数十秒か、あるいは数分か、時を忘れるほどキスをされたあと、なでしこはボクを解放した。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 腰が抜け、身体を起こすことができない。そんなボクを馬乗りになったなでしこが、見たこともないような表情で見つめる。

 

「えへへ、双葉ちゃんの味だぁ」

 

 唇の周りについた涎を指でなめながら、なでしこが嬉しそうに言った。

 

「……な、なんでぇ?」

 

 未だにクラクラする頭を必死に動かして、なでしこを問い詰める。

 

 ボク、今なでしこにキスされたよね。なんで? どうして? 意味がまったくわからない。いくらなんでも唐突すぎる。

 

 ま、まさか……脳裏によぎった最悪の想像に血の気が引いていく。まさか、なでしこもなの? 

 

「えへへ、キス、しちゃったね」

 

「えぇ……」

 

「えへへぇ、双葉ちゃん、だーい好きだよー」

 

「う、うん、ボクも大好きだよ?」

 

「そっかぁ……えへへ、やったぁ」

 

 口元をだらしなく緩ませてボクに抱きついてくるなでしこの暖かさを感じながら必死に記憶をたどっていく。

 

 さすがに唐突すぎて意味がわからない。たしかにここ最近やけに距離が近かったような気はした。

 

 でも一緒にお風呂入るときにボクの身体洗いたがったりとか、泊まるときは寝袋で寝ていたはずなのにここ最近ずっと添い寝してたくらいで変な様子は……

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 思い当たる節、ありまくりじゃん。

 

 なにが『唐突すぎる』だよ。めっちゃ予兆あったじゃん。バカなのボク。

 

「ねーねー! 双葉ちゃんの口、ぷるぷるしててすっごい気持ちいいね!」

 

「う、うん、あ、ありがとう?」

 

「えへへぇ」

 

 ボクの言葉になでしこが笑う。花が咲くような笑顔とは、こういう笑顔のことを言うんだろうか。

 

 そんななでしこの笑顔がすごく綺麗で、かわいくて、いろいろ言おうと思っていたはずなのに、吹き飛んでいってしまう。

 

 ダメだ……なにか言わないと。

 

「ね! もう一回しよ!」

 

「え!? ちょ、まっ」

 

 腰の抜けたボクに抵抗できるわけもなく、再び押しつけられる唇。

 

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 

「んっ……っ……」

 

 そんなボクの考えは、波のように押し寄せる甘い快楽に押し流されていくのであった……

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 夕陽の差す校舎をとぼとぼと歩いていく。一歩一歩足を動かすたびに、荒れ狂う感情がため息となって溢れていく。

 

「今日もめっちゃキスされた……」

 

 なでしこにキスされたあの日から二日明けた月曜日。

 

 学校に登校したボクを待ち受けていたのは、なでしことリンによる怒涛のキス攻めだった。

 

 昼休みがはじまったと思ったら、顔を赤くした2人に保険室に連れ込まれベッドの上でひたすらキスをされた。

 

 抱きしめられ、撫でられ、ささやかれ、キスされ、ただひたすらに感情をぶつけていく2人に、ボクはなに一つ抵抗することができなかった。 

 

 2人で寄ってたかってあんなことして……もし見られたらどうするんだぉ。

 

「どうせならボクの家とかで思いっきり……」

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

「うがぁぁぁ!!」

 

 頭をかきむしりながら壁に頭を打ち付ける。

 

 なにが『家で思いっきり……』だよ! ボクはこんなピンク色の学園生活求めてないって! そりゃ2人のことは大好きだよ。でも、そうじゃないでしょ。

 

「もうみんなほんとにどうしちゃったんだよぉ」

 

 あおいもなんかやけに身体押し付けてきたし、挨拶すると顔赤くするし……あれでいつもどおりって思い込めるほどボク鈍感じゃないよぉ。

 

「誰だよぉ、こんな設定考えたやつぅ……」

 

 まるで出来の悪いネット小説みたいな状況に、目の前が真っ暗になったような感覚に陥る。

 

 いったいどこで、なにをどう間違えてしまったのだろうか。ボクはみんなと仲良くしたかっただけなのに……

 

「誰かに相談したほうがいいのかなぁ……」

 

 けど、相談したあおいがああなってるわけで……いやあれはたまたまあおいがそうだっただけで、他の人なら大丈夫なはず。

 

 たぶん、きっと、めいびー

 

 千明とか、恵那ならきっと平気なはずだよね。だって今日だっていつもどおりだったし。

 

「とりあえず千明に相談してみよっかな」

 

「あたしがどうかしたのか?」

 

「ぴゃぁぁ!?」

 

 突然横からかけられた声に、身体が反射的に飛び跳ねる。な、なに!? なんなのいったい!?

 

「お、おい、だ、大丈夫か?」

 

 眼鏡を指で押し上げながら千明が心配そうにこっちを見る。って、千明か……びっくりした。

 

「い、いきなり声かけないでよぉ」

 

「いや、壁に頭叩きつけて発狂してたら誰だって声かけるだろ」

 

「み、見てたの!?」

 

 ボクの問いにうなずく千明。

 

 さきほどの奇行を見られていたという事実に、顔が沸騰したかのように熱くなっていく。

 

「大丈夫か? 顔真っ赤だぞ。熱でもあんじゃねえの?」

 

 そう言いながらボクの額に手を当ててくる。ひんやりした手がちょっと気持ちいい。

 

「……熱はないみたいだな」

 

 眼鏡の奥の瞳が安心したように細められる。そんな普段どおりの様子に心が落ち着きを取り戻していく。

 

「な、なんだよ、人の顔じろじろ見て。て、照れるだろぉ……」

 

 額から手を離して、顔を赤くしながらソワソワする千明を見ていると、あることに気がついた。

 

「そういえば千明、髪型変えた?」

 

 ボクが気がついたことを言うと、千明が目を見開いた。

 

 今日はいつものボブカットと違って髪が軽くウェーブしていた。パーマでも当てたんだろうか。

 

 ふわふわした感じが普段の快活な感じとは違ってなんだかすごくかわいい。

 

「わ、わかるか? ちょっと試しにパーマ当ててみたんだけどよ、やっぱ似合わねえよなぁ」

 

 だってあたしだもんなーと頭をかく千明。たしかに見慣れない髪型だけど、似合わないなんてことはない。むしろすごく似合っている。

 

「そんなことないよ! すっごいかわいいと思う! 千明じゃないみたい!」

 

「そ、そっか……か、かわいいか……へへ、そう言われるとなんか照れちまうな」

 

 気恥ずかしそうに笑いながら髪を指でくるくると巻いていく千明。

 

「千明は普通にしてればかわいいんだから、もっとオシャレすればいいのに」

 

「へへっ、一言余計だっつうの」

 

 そう言って笑い合うボクだち。

 

 あんまりにもいつもどおりのやり取りに、ささくれだっていたボクの心が落ち着きを取り戻していく。

 

 そうそうこういうの。こういうのがやりたかったんだよ。ボクはみんなと普通に仲良くできればそれだけで十分なのだ。

 

 キスとか、キスとか、キスとか、そういうのは変なのは必要ないのだ。

 

「はあ、やっぱ千明と話してると落ち着くなあ」

 

 だからだろうか、気が付けばぽろっと本音が溢れていた。

 

「な、なんだよいきなり」

 

 いきなり変なことを言い出したボクに千明が目を丸くする。

 

「べつにー ボク、千明のこと大好きだなって思っただけ」

 

「はっ? えっ?」

 

 あの日、千明がベンチで1人泣いていたボクを見つけてくれたから、ボクは今こうしてここにいる。

 

 ボクが笑っていられるのも、たくさんの友だちに恵まれているのも、全部全部千明のおかげなのだ。

 

 いつもふざけてばっかで真面目とはほど遠い子だけど、ボクはこの子が本当はすごく優しい子だっていうことを知っている。

 

「ねえ千明」

 

 夕陽に染まる廊下で、ボクをじっと見つめる千明の手を取る。

 

「ありがと、あの時ボクと友だちになってくれて。大好きだよ」

 

 それだけ言って、にっこりと笑いかける。

 

「あっ、お、おう……」

 

 突然のことに固まった千明が顔を赤くしながら目をキョロキョロを忙しなく泳がす。

 

「大好き……大好きか……よしっ」

 

 しばらくすると、なにかを決意したように、千明がボクの目を見つめた。

 

「あ、あのさ……」

 

「うん? なあに?」

 

「あ、あたしも、双葉のこと、だ、だだ大好きだぜ」

 

 顔を真っ赤にして、いつになく真剣な口調で千明がボクに言う。

 

「うん! ボクも大好きだよー!」

 

 滅多に見れない素直な千明に、嬉しさが込み上げてくる。

 

「ほ、ほんとか? 嘘とかだったら泣くぞ!」

 

「ここで嘘つく必要ないじゃん。変な千明。ほんとに大好きだよ」

 

「そ、そっか……えへへ、だよな。わりぃな、変なこと聞いて」

 

 ボクの言葉に顔をリンゴのように真っ赤に染め、すごく嬉しそうに笑う千明。

 

 自分で言っておいてなんだけど、なんか恥ずかしくなってきた。昼間にあんなことがあったからだろうか。

 

 でも、どんなに恥ずかしくたって思ったことはちゃんと言わないとダメだ。そうしないと、いつか言えなくなったときに後悔する。

 

「で、でさぁ双葉……こ、このあと暇か?」

 

「とくになにもないけど、どうしたの?」

 

 あれ? いつもみたいにあだ名じゃないんだ……まあいっか。

 

「駅の近くに新しくカフェできたんだけどよ、よかったらこれから一緒に行かねえか? ケーキとかけっこううまいらしいぜ」

 

「ほんと!? 行く行く!」

 

「……ああ! じゃあ一緒に行こうぜ! 善は急げだ」

 

 そう言って、ボクの手を掴む千明。どんなお店なのかな、楽しみだな。

 

「……けどその前にっと」

 

 振り返る千明、引っ張られる身体。そして、唇に感じる柔らかい感触。

 

 千明にキスをされたと気づくのに、それほど時間はかからなかった……え? なんで?

 

「んっ……」

 

 たっぷりと唇どうしが触れ合ったあと、千明がボクから離れた。 

 

「へへっ、そんじゃこれからよろしくな!」

 

 唇に手を当てて、嬉しそうに頬を染める千明が、呆然とするボクを引っ張っていく。

 

「……え?」 

 

 

 

 

 

 え?




用語解説

パーマ千明
原作10巻41ページ参照。かわいい(小並感)


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山中双葉(3)

ハーレム編ラストです。


 

 

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

 月明かりの差し込む部屋の中、机に突っ伏して頭を抱える。

 

 千明と話していたら、なぜかキスされた。

 

 意味がわからないとかそういうレベルじゃない。しかもこれからよろしくなって、まるで恋人になったみたいな言い方して……

 

「あんな嬉しそうな千明、初めてみたな……」

 

 いつものいたずら好きっぽい笑みじゃなくて、心の底から喜んでいるような笑顔。ずっと一緒にいたからよくわかる。千明は本当に喜んでいた。

 

「まさか、千明もボクのこと、好きってこと?」

 

 じゃないとキスなんてしないよね。やっぱ、そういうことなのかな……

 

「みんな、ボクなんかのなにがいいんだろ……」

 

 ボクはできた人間じゃない。元ボッチだし、クソザコだし、ちっこいし、はっきり言ってダメ人間もいいところだ。

 

 そんなボクをなぜかみんなは好きだという。それが全然わからない。

 

「はぁ、明日からどうしよ」

 

 学校休んじゃおうかな。いや、そんなことしたらなでしこあたりが家に突撃してくるに決まってるか。

 

 それにみんなに心配させたくない。でもこれからどんな顔して会えばいいんだろう。

 

「はぁ……」

 

 八方塞がりと言わんばかりの状況に思わずため息が漏れる。

 

 みんなのことは大好きだ。それは今でも変わってない。だからこそ困っている。

 

 やめてくれって言えたらどれだけ楽だろう。きっとあの子たちなら言えばやめてくれるに違いない。

 

 でもそれを言ってみんなを悲しませたくない。だってボクはみんなが大好きで大好きでしかたないからだ。

 

「うぅ……なんでこうなるんだよぉ」

 

 ボクはただみんなと仲良くしたかっただけなのに……

 

 本当に困ったことになった。なにが困ってるって、ちょっと嬉しいって思ってる自分にだ。

 

 たぶんだけど、ボクは女の子が好きなんだと思う。

 

 今まで恋愛なんてまるで縁がなかったからわからなかったけど、きっとそうだ。

 

 ボクの友だちはみんなすごく美人ですごくかわいい。それに加えてすごく優しくて、すごくいい子でもある。

 

 そんな子たちに好きって言われてキスされて、嬉しくないわけがない。

 

 どうせなら、もっと滅茶苦茶にしてくれてもいいのに……

 

「……はっ!?」

 

 自分の考えていたことに戦慄する。みんなはただの友だち、そう、ただの友だち……

 

 ピコン!

 

「うひゃ!?」

 

 いきなり鳴り響いたスマホにびくりと驚く。いきなりなんだよぉ

 

「って、綾乃か」

 

 驚きつつもスマホを取る。

 

綾乃:最近どう?

 

双葉:元気だよー

 

綾乃:今電話大丈夫?

 

双葉:大丈夫だよー

 

 ボクの返信に既読がついた瞬間、綾乃から電話がかかってきた。そんなにボクと話したいことがあるのかな。

 

「もしもし?」

 

『お、出た出た。おひさー』

 

「うん、ひさしぶりー 最近どう? 元気にしてる?」

 

『うん、元気元気。相変わらずいろんなところ走り回ってる。あとで写真送るね』

 

「近いうちにまたどっか行こうよ。最近あんま会えてないしさ」

 

『さんせー この前は双葉が来てくれたし、今度はあたしがそっち行くよ』

 

「うん! 楽しみにしてる」

 

 いつもどおりのやりとりに心がほっとする。よかった。綾乃はいつもどおりだ。

 

『……でさ、最近どう?』

 

「ど、どうって?」

 

 いきなり声色が変わった綾乃に困惑する。

 

『わたし、なでしこから聞いちゃったんだよねー 双葉がリンちゃんとなでしことキスしたって。それって、本当?』

 

「……え? あ、うん。し、知ってたんだ」

 

『ふーん、そっか。キス、しちゃったんだ。まあ双葉かわいいもんね』

 

 今電話で話している子は、ほんとうにボクの友だちなんだろうか。そう思ってしまうくらい、綾乃の声は冷たかった。

 

「なんか、よくわかんないけど、みんなボクのことその……す、好きみたいでさ……」

 

『リンちゃんはなんとなく怪しいなーって思ってたけど、なでちゃんもかぁー』

 

「あ、綾乃?」

 

『え? ううん、なんでもないよーただの独り言だから』

 

「そ、そっか」

 

……あの言い方だと他にもいるっぽい? ほんとずるいなあ、みんな

 

 綾乃が電話の向こうで、小声でなにかぶつぶつ言っているけれど、いまいいち聞き取れない。

 

『ねえ双葉、次の金曜、家泊まっていい? なんかお悩みっぽいしこの綾乃さんが相談に乗ってしんぜよー』

 

「えっ? 本当に!? ありがとー! ちょうど綾乃にも相談しようかなって思ってたんだ」

 

『うんうん、()()()()聞いてあげる。じゃあまたなー』

 

 ブツりと消える電話。

 

 綾乃の頼もしい言葉に、心に活力が湧いてくる。やっぱり、持つべきものは友だちだ。

 

「よし! ずっとウジウジしてたってしかたない! ボクも頑張ってみんなを元に戻さなきゃ!」

 

 きっとみんなちょっと勘違いしてるだけなんだ。ずっと一緒だったから親愛と恋愛を勘違いしてるだけ。そうに違いない。

 

 だから、言えば絶対わかってくれるはず!

 

「よーし! 頑張るぞー!」

 

 

 

 

 

 と、意気込んでいたボクだったけど……

 

「な、なあ、イヌ子。さすがにやべえんじゃねえの?」

 

「大丈夫やろ。ここら辺人なんてこうへんし」

 

 薄暗い部室にあおいと千明の話声がこだまする。

 

 綾乃と電話した次の日、ボクは千明とあおいに部室に連れ込まれていた。

 

「あ、あのさ、あおい」

 

「うん? どないしたん双葉ちゃん」

 

 床に座り込んだボクをあおいが背中からぎゅっと抱きしめる。背中越しに感じる暖かい感触に顔が燃えるように熱くなるのがわかった。

 

「な、なんでボク、部室に連れ込まれてるの? 今日野クルないよね?」

 

「そんなん、双葉ちゃんとキスするために決まっとるやん」

 

「な、なんでぇ?」

 

「双葉ちゃんリンちゃんとなでしこちゃんとキスしとるんやろ? ほんまずるいわぁ、わたしらだって双葉ちゃんのこと好きなのに」

 

 あ、やっぱりあおいもボクのこと好きなんだ。って、そうじゃない。

 

「そ、そうだぞー! あいつらだけずるい! あたしらにもちょっとわけろ!」

 

「わ、わけるって、ボク物じゃないよぉ」

 

 意味がわからない。

 

 なんでなでしことキスしてるのがばれたのかはさておいて、そこからあおいと千明にキスされることになるのは、いくらなんでも話が飛躍しすぎている。

 

「双葉ちゃんが、悪いんやで」

 

 耳元であおいがささやく。熱い吐息があたり身体がびくりと震える。

 

「今ビクってした。ふふ、ほんまかわええなぁ。そんな反応されたら、わたしらだって本気になってまうでー」

 

「ゃ、やめっ……」

 

「あーむっ」

 

 耳たぶを優しく噛まれる。柔らかい唇が、ムニムニと耳たぶをほぐしていき、白い歯がコリコリと甘噛みしていく。

 

 こ、この展開はまずい。なんとかして離れないと……そんな思いとは裏腹に身体は動こうとしない。

 

「だ、だめ、ぼ、ぼく、へ、変な声、で、でちゃうよぉ……」

 

 き、きもちいい。もっと、してほしい……ち、違う、ボクそんなこと思ってない……

 

「ず、ずるいぞイヌ子だけ。じゃ、じゃああたしも……」

 

 正面に座る千明が、ボクにゆっくりと這い寄ってくる。

 

 ただでさえ、いっぱいいっぱいなのに千明にまでなにかされたらボクはどうなってしまうんだろうか。

 

 ごくりと唾を飲み込む。

 

「い、いくぞ……んっ」

 

 啄むように優しくキスをされる。

 

 まるで突き立てのお餅のようなほどよい弾力の唇。時折お互いの眼鏡がコツンコツンとあたる。

 

「……んっ……っ……れる」

 

 馬乗りになりキスをされ、後ろから抱きつかれ、耳や首筋にキスをされる。

 

「……ぁ、……ぅ……」

 

 考えていたことや、やろうとしていたことが前と後ろから与えられる快楽に押し流されていく。

 

「双葉ちゃん、むっちゃびくびくしとる。ふふっ、そない気持ちええんか?」

 

 なにも、考えられない。女の子どうしのキスって、なんでこんなに気持ちいいんだろう……

 

 しあわせ……ずっと、こうされていたい……もっと、してほしい……

 

「……すき……んっ……」

 

 はやく、やめさせなきゃ……

 

 あれ? やめさせるって、なにをだったっけ?

 

 ……もう、わかんないや。身体の力を抜き、身を委ねる。

 

 目を閉じる。

 

 

 

 

 

「ほな、また明日なー」

 

「じゃ、じゃあな!」

 

「えへへぇ、ばいばーい」

 

 壁にもたれながら、部室を去る2人に手を振る。

 

 静まり返った部室で、甘ったるい余韻に浸りながら虚空をぼんやりと眺める。

 

「きもちよかったなぁ……」

 

 前からキスされて、後ろからは抱きしめられて、かわいいとささやかれ、好きと言われ、嬉しくて、幸せて、それしか考えられないくて……

 

「もっと、してほしかったなぁ……」

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

「いや、まってまってまって」

 

 おかしくなっていた思考がまとまりを取り戻していく。

 

 なにが『もっとしてほしかったなあ』だよ! めっちゃ喜んじゃってるじゃん。全然拒否できてないじゃん。

 

「うがぁぁ! やめさせるって決めたのにー!」

 

 髪をぐしゃぐしゃにかき回しながら涙目になりながら叫ぶ。みんな寄ってたかってなんだなんだよぉ。

 

「とにかく、もうこんなはしたないこともうやめさせないと!」

 

 明日こそみんなに言おう。こんなことはやめようって。じゃないと、ボクがもたない。

 

 名残惜しいと思っているのは絶対に気のせいだ。

 

 立ち上がりながら、乱れたセーラー服を整えていく。うわ、お腹とか丸見えじゃん。

 

 そのときだった。

 

「ふっふっふ、お盛んですなぁ」

 

 突然前から聞こえてきた声に、ぎょっとして振り返る。

 

「見ちゃったよー」

 

「え、恵那?」

 

 部室のドアの隙間から、恵那がニヤニヤとこっちを見ていた。ま、まずい、見られた?

 

「ふぅーん、アキちゃんたち意外と大胆だねぇ。どう? 気持ちよかった?」

 

「うん、すっごく気持ちよかっ……って、なに言わせるんだよー!」

 

「うん、勝手に自爆しただけだよね?」

 

「あっ」

 

「あはは、双葉ったら変なのー」

 

 ボクが自分の失言に絶句している横で、恵那が部室に入ってくる。

 

「あーもう、髪ぐしゃぐしゃじゃん。ダメだよー女の子なんだから」

 

 そう言いながら、髪をクシで梳いていく恵那。なんていうか全然びっくりしている様子じゃない。

 

「ど、どこから見てた?」

 

「ほぼ最初っからだよー 双葉、すっごい気持ちよさそうだったねー」

 

「う、うぅ……」

 

 は、恥ずかしい。もはや醜態とかそんなレベルじゃない。部室であんなえっちなことして……しかもよりにもよって恵那に見られるなんて……

 

「だ、誰にも言わないでね」

 

「うん! もちろん言わないよ」

 

「ほっ……」

 

 恵那の言葉にため息をつく。見られたのはまずかったけど、恵那でよかった。他の生徒や先生に見られたら大問題になってたところだった。

 

「なんで、こんなことになっちゃったんだろうなあ……」

 

「そういえば、リンも双葉とキスしてるんだっけ? あ、なでしこちゃんもだったっけ?」

 

「うん……」

 

 ロッカーを背にしてへたり込むように座りながら恵那に言う。

 

 あれ? なんでリンとなでしことキスしてるって知ってるんだろう。まあいいか……

 

「みんなね、ボクのこと好きって言うんだ……」

 

「わお、モテモテだねぇ。モテ期ってやつじゃん」

 

 みんな人が変わったみたいにボクを求めてきて、恋愛のことなんて考えたこともなかったから、どうすればいいか全然わからない。

 

「もうわけわかんないよぉー」

 

「うーん、なんか大変そうだね」

 

 ボクの隣にしゃがんだ恵那が、顎に手を当てながらそう言った。

 

 ボクたちの中では一番客観的に物事を考えられるであろう恵那なら、きっとこの状況の打開策を教えてくれるはず。

 

「でも、それって双葉の自業自得だよね?」

 

「……へ?」

 

 自業、自得? ボクが? なんで?

 

「ど、どういうこと?」

 

「双葉って、ことあるごとにみんなに大好きーって言ってたり、抱きついたりしてたじゃん?」

 

「だって……みんなのこと大好きだったから……」

 

 大好きだったからもっと仲良くなりたくて自分なりにできることをした。ただそれだけだった。

 

「たぶん双葉はみんなと仲良くしたかっただけなんだろうけど、みんなはそれだけじゃ満足できなくなっちゃったんだよ。きっと」

 

 恵那はいったいなにを言っているんだろうか。それって、ボクがいけなかったってこと?

 

「ぼ、ボクはみんなと仲良くしたかっただけで……」

 

「仲良くなれたじゃん。キスするくらい」

 

「そ、そうじゃなくてー!」

 

「あ! もっとキス上手になりたいとか? 双葉ずっと受け身だもんねー」

 

「違うよー!」

 

 話が噛み合わない。

 

「でも、今はいいけどずっと受け身だとみんないつか飽きちゃうかもねー」 

 

「あ、飽きる?」

 

「無償の愛なんてしょせん幻想にすぎないのだよ。ふふっ、なーんてね」

 

 笑いながら恵那が言った言葉に、まるで足元が崩れ落ちるかのような衝撃を受ける。

 

「みんなは双葉が好きで好きでしかたないのに、肝心の本人がいやいやーってしてたら、どんなに好きでも飽きちゃうよねー」

 

 飽きる……嫌われる……みんなが離れていく……

 

「……そ、そんなのやだ!」

 

 最悪の未来が脳裏によぎり、思わず叫ぶ。

 

 みんなから嫌われるなんて、そんなの絶対嫌だ! やっと友だちができたのに、また1人になんてなりたくない。

 

 認めたくないけど本当はキスされたり好きって言われてすごく嬉しかった。でも、このままだと嫌われてしまうかもしれない。恵那はそう言う。

 

「ど、どうすればいいのかな!」

 

「うーん、まずはキスをもっと上手になるのが先かなー? 見てて思ったけど、双葉ってずっとされてるだけで自分からなんもしないよね。それってわたしどうかと思うな」

 

「き、キスのやり方なんて知らないよぉ」

 

 一年前まで恋愛はおろか友だち付き合いすらしたことなかったのに、キスのやり方なんて知ってるわけがない。

 

「……じゃあ、わたしで練習してみる?」

 

「れ、練習?」

 

 恵那の言葉に耳を疑う。

 

 けど、聞きただす前に床に置いたボクの手に、恵那の手が重なった。いつもと違うどこか艶かしい瞳がボクを見つめる。

 

「そ、練習。わたし、こう見えてもけっこうキス自信あるんだよー?」

 

 膝に手が置かれる。白くて長い綺麗な指が、ゆっくりとボクの太ももを這っていく。

 

 どんどんと近づいてくる恵那の顔。どこかデジャブを感じるやり取りに、これから起こるであろう出来事を想像する。

 

「知ってる? お互いが本気になったキスって、それだけですっごい気持ちいいんだよ?」

 

「そ、そうなの?」

 

「想像してみて……舌と舌が絡みあって、お互いに息ができなくなるまでキスし続けるところ」

 

 あと少し顔を動かせばキスしてしまうほどに恵那が近づく。熱い吐息がボクの唇を湿らす。

 

「息ができなくて苦しくて、でもやめられなくて、ずっとキスし続けるの」

 

「ぅ、うん……」

 

 耳元で囁かれる言葉に、頭がだんだんぼんやりとしてくる。心臓が飛び出そうなほどに脈打つ。

 

「指をね、こうやって絡ませて……身体と身体をくっつけて、匂いを混ぜ合わせてなにもかも一つにするの。それがね、すっごく気持ちいいんだよ?」

 

 ボクの手を握りながら絡みつくよう抱きつく恵那。匂いがする。シャンプーとは違う、恵那の匂いとしか言いようがない甘い匂い……

 

「息荒いね双葉。もしかして想像しちゃった? 双葉って、意外とえっちなんだね」

 

 頭がぼんやりとする。なにも考えられない。ボク、なに話してたんだっけ……思い出せない……

 

「してみたい?」

 

「ぇ……ぁ、ぅ、うん」

 

「じゃあ……練習、しちゃおっか」

 

 れんしゅう……練習……そうだ、練習しないと……

 

「そ、そっか……れ、練習なら、しかたないよね……」

 

 白い肌、綺麗な唇。長いまつ毛。ゆっくりと近づいてくる恵那の顔を目に焼き付ける。そうだ。これは練習……ただの練習。

 

「じゃ、じゃあ、するね?」

 

「……うん、来て」

 

 目を瞑り、顔を近づける。

 

「……んっ」

 

 唇が触れる。

 

 

 

 

 

 

「いや、なにしてんだよボクぅ……」

 

 リビングのソファーに顔を埋めながら自己嫌悪に浸る。

 

 恵那とキスしてから3日がたった。

 

 あれからみんなとの行為はエスカレートしていき、今じゃ隙あらば影に連れ込まれ、求められる毎日だ。

 

 朝にリンとキスをして、昼になでしことキスをして、放課後には千明とあおいにキスをされ、帰り際に恵那とキスをする。

 

 拒むことすらできず、ただされるがままに求められる。

 

 ちょっと違うのは最近はボクも抱き返したりするようになったことだろうか。

 

 たまに盛り上がりすぎて服を脱がされたりするときもあるけど、今のところキスだけですんでいる。

 

 学校には勉強をしにきたはずなのに、最近はキスをしに学校に行っているんじゃないかと思うくらいだ。

 

「きっとみんないつか飽きてしなくなるよね。うんうん、そうに決まってる」

 

 だからそれまでは、このままでいいよね。だって、しょうがないもんね。

 

「そういえば、今日綾乃来るんだっけ」

 

 時間的にはそろそろだろう。

 

 綾乃は、どうなんだろうか。まさか綾乃も? いや、そんなわけないか。

 

 ……でも、もしそうだったらボクはどうすればいいんだろう。

 

 ピンポーンと、チャイムがなる。どうやら来たみたいだ。玄関に駆け寄って、ドアを開ける。

 

「おひさー」

 

「こ、こんばんは……」

 

 目を見開く。綾乃とリンがボクを見ていた。

 

 顔を赤らめ、瞳を潤ませて、まるでなにかを期待するかのようにボクを見つめる2人。

 

「久しぶりー双葉!」

 

 ガバリと抱きつく綾乃。ずっとバイクで走ってきたから冷えてるはずなのに、やけに身体が熱いのは気のせいだろうか。

 

「昨日電話でリンちゃんと話してさー リンちゃんも泊まりたいんだって」

 

「い、いいかな? 双葉」

 

 顔を赤くして、モジモジとしながらボクに聞くリン。断るわけにもいかず、無言でうなずくボク。

 

「そーいえば双葉のお母さんって、今日いる?」

 

 ボクの背中に腕を回しながら、綾乃がたずねる。

 

 なんだかいつもよりも息が荒いのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。

 

 なにかすごく嫌な予感がする……

 

「い、いないけど、それがどうしたの?」

 

「ん? べつにー」

 

 綾乃が笑う。それはそれは楽しそうに笑う。

 

「じゃ、()()()()話そっか」

 

 耳元でささやかれた声、熱い吐息が耳をくすぐりゾクリと背筋が震える。

 

 うん……やっぱ、そうなんだ。まあ、わかってた。知ってたよ。どうせこうなるだろうって。

 

 きっと、これからボクは2人にいろいろされるんだろう。キスだけで終わってくれるといいんだけどなあ。

 

「たっぷり、お話、しよーね」

 

 そう言って、綾乃がボクにキスをする。ボクは、そんな綾乃の背中に黙って腕を回すのだった。

 

 

 

 

 

 それから先のことはあんまり覚えていない。

 

 気づいたら朝になっていて、3人で裸になって同じベッドに寝ていた。覚えているのはすごく幸せだったことだけ。

 

 けっきょく、ボクは誰1人拒むことができなかった。

 

 友情とか恋愛とか、そんな感情を通り越してボクはみんなが大好きで大好きでしょうがないからだ。

 

 きっとこれからもボクはみんなに求められ続けるんだろう。恵那の言葉を借りるなら、ボクが悪いってやつだ。

 

 でも、それでもいいかなって思ったりもする。本当に少しだけだけどね。

 

 時が経てばこの生活も終わる。永遠に続くわけじゃない。なら、その時までは少しくらい楽しんでもいいんじゃないだろうか。

 

 ボクはみんなが大好きで、みんなもボクが好き。なら、それでいいじゃないか。

 

 ちっとも終わる気がしないどころか、この先何年も続きそうな気がするのはきっと気のせいだと思いたい……

 

 ほんと、どうしてこうなったんだろう。いや、ほんとに。




これにてハーレム編完結です。
最後にアンケートで地味に人気の多かった桜さんを書いてガチ百合編はラストになると思います。
ちなみに次回はおまけ編を投稿する予定です。





それはそれとして抜き取ったシーンはこちらからどうぞ(※R18)
https://syosetu.org/novel/269338/


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