史実はラノベよりも奇なり ~歴史短編集~ (ロッシーニ)
しおりを挟む

体力なくて喧嘩もからっきし弱い僕が突然英雄の後継者に指名されて皇帝になっちゃうお話
前編 ~英雄の死~


☆登場人物

◯オクタウィアヌス(アウグストゥス)
主人公。体力がない。喧嘩弱い。軍才なし。病弱。中性的な顔したイケメン。
◯アグリッパ
オクタウィアヌスの親友。軍人。苦手な軍事は彼に丸投げ。

◯カエサル
稀代の英雄。オクタウィアヌスの大叔父。何故か実績のないオクタウィアヌスを自身の後継者に指命する。

◯アントニウス
カエサル派No.2。キケロに「身体も頭も剣闘士並み」と評される程、ステータス武力偏重のマッチョマン。
◯クレオパトラ
プトレマイオス朝エジプトの女王。絶世の美女にして、おっそろしい悪女。

◯キケロ
元老院議員。史上最高の随筆家にして、イチャモンをつけさせたら天下一の弁舌家。



「何だって! 大叔父様が…カエサル様が、殺された!」

 

紀元前44年。

オクタウィアヌスがカエサル暗殺の報せを聞いたのは、遊学先であるギリシャ西岸・アポロニアでのことだった。

 

オクタウィアヌスはその端正な顔立ちを怒りと悩みで歪ませながら思案する。

 

僕に遊学を命じたのは他でもない大叔父様だ。

もしかして、大叔父様は殺されるのを予見して僕を逃がしたのか…!?

でも、なぜガリアを制し、グラックス兄弟の改革失敗以降の混乱を治めた英雄である大叔父様が殺されなくてはならないんだ…。

 

 

「暗殺の下手人は誰だ? わかっているのか?」

そう問うと、カエサル暗殺の報を知らせにきた下僕は肩で息をしながら応えた。

「元老院派の連中十数名…あとコチラの陣営からの裏切り者も…。主犯を挙げるなら、カッシウス・ロンギヌスとマルクス・ブルータス…。デキムス・ブルータスやスルピチウス・ガルバも関与しています。」

 

「元老院派の奴ら…カエサル様に命を助けられておいて…。恩を仇で返すのか!」

と憤慨したのはオクタウィアヌスのギリシャ遊学に随行していた親友・アグリッパである。

 

彼は女性的な顔で線も細いオクタウィアヌスとは正反対に顔の彫りが深く筋骨隆々の軍人だ。真っ直ぐな正義感を持つこの男は恩人の死を知って目に涙を浮かべ、身体を震わせている。

 

それに比べると、カエサルの遠縁でもあるオクタウィアヌスは少し冷静であったと言っていい。

静かに、ため息をつき、呟く。

 

「共和制ローマは独裁者を決して許さない…。それが例え、英雄カエサルであってもか…。」

 

--------------------

 

オクタウィアヌスは幼い頃に父を亡くしている。母はその後まもなく再婚するが、そのころのローマでは再婚先に前夫との子は連れていかないのが普通であった。その為、オクタウィアヌスは姉のオクタウィアと共に祖母のユリアに預けられることとなった。

 

そのユリアの兄が、カエサルなのである。当時のカエサルは丁度ガリア遠征を行っていた頃で、ほとんどローマに帰ってくることはなかった。だから、オクタウィアヌスは大叔父・カエサルの事をそこまで理解していた訳ではない。やたら陽気な親戚の面白おじさん。その程度の認識であった。

 

 

オクタウィアヌスがカエサルの偉大さを思い知るのは紀元前49年。オクタウィアヌスがカエサル家に引き取られてから二年後のことだった。不可能と言われたガリア平定を成し遂げたカエサルは、その影響力を恐れられた。敵対する元老院派はカエサルの同盟相手であり、彼を上回る軍事的天才と言われていたポンペイウスを籠絡。ローマに帰る前に武装を解除するよう圧力をかけてきたのだ。

 

何か企みがあるのは間違いない。命令通りに軍を解散して丸腰で帰れば、どんな危険があるかわからない。かといって、軍を率いて戻れば、いわば朝敵。

 

カエサルは迷った挙げ句、軍を率いてガリアとローマの国境たるルビコンを渡河した。

カエサルの有名な「サイは投げられた」というセリフはこの時発せられたものである。

 

そしてローマ内戦が始まった。

 

その結果、カエサルは苦戦を重ねながらも、不利を覆して勝利した。ガリア遠征に続き、カエサルはまたも奇跡を起こしたのである。ローマは熱狂した。カエサルは正にローマの英雄、最高権力者となったのである。

 

さて、問題になったのは敵であった元老院派の処遇であった。最大のライバル、ポンペイウスは亡命先で暗殺されていたが、カッシウス・ロンギヌスやカエサルの愛人の息子でもあったマルクス・ブルータスは投降し処分を待つ身になっていた。

 

カエサルは、彼らを無条件に赦した。命を助けるどころか、議員としての立場を保障し、自身を批判することすらも許した。

 

後、彼らに暗殺されることを考えると、カエサルは甘かったのかもしれない。だが、この寛容さ、ローマでいうところの「クレメンティア」がカエサルの強みでもあった。

 

このローマ内戦より以前、ガリア遠征でもカエサルは同じように振る舞っていた。戦場では勇敢に戦いながら、一度戦闘が終われば、カエサルは倒した敵を決して殺さなかった。自分を苦しめた相手ほど、その能力を称え、認め、一部では統治も任せた。時に共に酒を酌み交わし、そして仲間になった。カエサルがほとんどの元老院議員を敵に回しても勝てたのは、遠征先で得た仲間の存在によるところが大きかった。

 

英雄となったカエサルだったが、その戦いは終わらない。

紀元前46年。スペインにいるポンペイウス派残党を討つヒスパニア遠征が起きる。

 

オクタウィアヌスはこの戦いに従軍することになった。指揮官たるカエサルがそれを望み、是非にと乞うたのだ。祖母・ユリアと姉・オクタウィアは大反対した。

 

特に、オクタウィアは

「従軍を止めないなら死んでやる」

と言いながら泣きわめいたほどだった。

 

病弱で、黙っていれば女性と見間違うほど線が細い。どこか自身無さげでいつも人の影に隠れている。そんな16歳の少年が屈強な男たちに囲まれながら戦場で活躍する様など、家族ですら想像できなかった。

 

「アンタなんか、戦場に出たら2~3秒持たずにすぐ死んじゃうんだから止めときなさい!」

「アンタ、可愛いから捕まったらオカマを掘られて一生慰みモノにされるわよ」

 

カエサルから声がかかってから、出立の日までオクタウィアヌスは毎日姉に脅しをかけられたが、最終的には自分で従軍を決めた。男児たるもの、いくら非力でも一度は英雄に憧れるものだ。カエサルはローマ中の少年の憧れであり、オクタウィアヌスに至っては、それが大叔父なのだ。そんな人物に声をかけられて断れるはずがない。

 

 

カエサル様が直接誘ってくれた…。

僕はあの英雄に才能を見込まれているんじゃないだろうか…。

だとすると、もしかしたら、いつもは非力だけど戦場に出たらいきなり闇の力が覚醒して、とんでもない力が出せる可能性もあるな…。

 

抑えようとしても抑えきれない期待を胸にオクタウィアヌスは出立までの日々を過ごしていた。

 

--------------------

 

正しかったのは、どちらかと言えば姉・オクタウィアの方だった。オクタウィアヌスの力は覚醒せず、自分でもビックリするくらい、この戦場で活躍しなかった。

 

兵を率いれば、味方が勝っていても彼の部隊のみは連戦連敗。剣も弓もまるで扱えず。なんなら軍について歩くだけで精一杯。疫病に倒れることもあった。

 

でも、不思議と死にはしなかった。一度、船が難破して敵陣に取り残されたことがあったが、ここでも残った少数の味方をまとめて脱出し、無事軍に合流することができた。

 

オクタウィアヌスが軍に戻るとカエサルが声をかけてきた。

 

「いやー、お前、今度こそ死んだかと思ったよー。だってオレ、ユリアとオクタウィアになんて言い訳しようか考えてたもん。」

「あ、えっと、ご心配をおかけしてすみません…。」

「でも、よくやったよ」

「え?」

「だって、お前死ななかったじゃん」

「えぇ、まぁ。でも、それだけです…。もうボロボロです。」

「どんなに不恰好だろうが、ボロボロだろうが、死なないのは大事なんだよ。だってオレ、ポンペイウスに負けまくったもん。負けまくったけど、最期に一回大勝利で今、独裁官(ディクタトル)よ。」

「そういうものですかね…」

「そういうものだよ。もしかしたら、それがお前の才能なのかもな」

 

カエサルの言葉には、人を勇気づける説得力があった。それ故、戦場で散々だったオクタウィアヌスも必要以上に自信を失うことはなかった。

 

その後、カエサルはオクタウィアヌスに副官としてアグリッパを紹介してくれた。名家の出身ではないが、ムンダの戦いで大活躍していたオクタウィアヌスと同世代の軍人だった。

 

カエサルが行ったこの人選は絶妙だった。アグリッパはその軍事的才能でオクタウィアヌスの苦手を期待以上に補った。だが、性格上、主人であるオクタウィアヌスの上に立とうとするような人間ではないし、家柄が低いのでムダに担ぎ上げようという者もいない。

 

戦いは得意だが、実直で政治的な駆け引きは得意でなく、家柄というバックボーンがあるわけでもないアグリッパ。彼にとっても、カエサルの親戚で危機回避が得意なオクタウィアヌスは必要不可欠な存在だ。

二人は互いに信頼し合い、この後、共に歩んでいくことになるのだった。

 

 

--------------------

 

「死んでんじゃねぇよ…あのジジイ…。」

そう呟くオクタウィアヌス。

「卑怯だ! 寄ってたかって…。カエサル様はあんな恩知らずな奴ら、なぜ助けたんだ!」

 

アグリッパはカエサルがローマ内戦の後、元老院派を処刑しなかったことを言っている。

 

「確かに、そうすればもう少し長生きはできたかもしれない…。でも、それをしなかったからこそ、カエサル様は英雄だったんだろう…。」

「え?」

感情が昂ったアグリッパはオクタウィアヌスの言ったことをよく理解できなかった。

 

寛容(クレメンティア)だよ。それがあったからこそカエサル様は強いだけでなく、人から愛された…。本望…だったかもしれないな。」

 

紀元前201年に終結した第二次ポエニ戦争以降、ローマは地中海世界における覇権を獲得した。そのローマ軍の強さの秘密はクレメンティアにあったとされる。奢らず、様々な文化を受け入れ、優れたものを採用する。敵であったハンニバルの戦術すら徹底的に研究し、時に取り入れた。それがポエニ戦争勝利の原動力であった。

 

だが、ローマが世界一の国家となった後、人々は慢心し、欲望を剥き出しにした。周辺諸国を属州化し、住民は奴隷として売り飛ばした。ローマ市内でも貧富の差が広がり、金持ちが貧民を虐げるようになった。極めつけは、紀元前149年の第三次ポエニ戦争である。ローマは既に力の差が歴然となっていたカルタゴに再度攻め込んだ。その際、元老院はカルタゴだけでなくその全領土の破壊を命じ、街は17日間燃え続けた。そして、この地を不毛の大地と化する為、田畑には塩が撒かれたという。そこに、かつてローマの美徳であった寛容さは微塵も存在しなかった。

 

オクタウィアヌスはカエサルがそれを憂い、いつかローマを在りし日の姿に戻すことを望んでいたことを知っていた。だから、カエサルは自分の身を犠牲にしてもそれを貫いたのだ。オクタウィアヌスはそう思った。

 

「よく落ち着いていられるな。お前、あんなにカエサル様に憧れてたじゃん。」

オクタウィアヌスはアグリッパの言葉を鼻で笑った。

「落ち着いてる? それは僕のことを言っているのか、アグリッパ? 腸煮えくり反ってるよ。だから今、敵にどうやって罪を償わせようか考えてるんじゃないか。」

 

メッセンジャー役を務める下僕は言った

「カエサル様の遺言があります…!」

二人は話すのを止めてそれを一言一句聞き漏らさないようにしようとした。これにより、二人の今後の行動が決まるかもしれない。

 

「一、カエサル所有の資産の四分の三はガイウス・オクタウィアヌスに遺す!

二、第一相続人オクタウィアヌスが相続を辞退した場合、デキムス・ブルータスに帰す!

三、オクタウィアヌスが相続した場合の遺言執行人として、デキムス・ブルータスとマルクス・アントニウスを指名する!

四、第一相続人はカエサルの養子となり、息子となった彼はカエサルの名前を継承する!

五、首都在住のローマ市民には、一人につき300セステルティウスずつ贈り、テヴェレ西岸の庭園も市民たちに寄贈する。その実行者は第一相続人とする!」

 

オクタウィアヌスとアグリッパ。二人は絶句した。そしてしばらくして落ち着いてから話し出した。

「これってつまり…」

「僕が…カエサルの後継者ということか…!?」

「ど、どうする…?」

「どうするって…なぁ…」

 

オクタウィアヌスは、俄に信じがたいとおもっていた。カエサル軍団には歴戦の勇士が勢揃いしているのだ。それこそ、遺言でも名前が出たアントニウスやデキムス・ブルータスなどはカエサルの右腕、左腕と言ってもよい存在だ。

そんな中で、大した手柄も立てたことがない自分が後継者だなんて、話が上手すぎないだろうか。それこそ、ラノベだ。

とはいえ、遥々ギリシャまでやってきたこの下僕が嘘を言うとも思えない。

 

「とにかく、ローマに帰ろう」

オクタウィアヌスは決断した。

 

「でも、たぶん今のローマは反カエサル派の天下だぞ。ここで軍団を作って力を蓄えるって手も…」

「僕らは18歳の若造だぞ。誰も知らないギリシャで軍団を募って誰が従ってくれるっていうんだい? それならまだローマに戻った方がいい。たった今、僕はカエサルの息子になったんだ。ローマのカエサル派を頼ろう」

 

アグリッパは頷いた。

「わかった。じゃあ、一刻も早く出立の準備に取りかかろう。」

 

二人は足を宿に向ける。

オクタウィアヌスは思った。

 

クレメンティア…。

 

義父・カエサルの政治的信念であったこの概念を自分が引き継ぐことはできないだろう。自分はあんなに強くない。あんなに人から愛されることもなければ、あんなに人を信じることもできない。きっと、他の戦い方が必要だ。

 

それを、ローマに着くまでの旅路で考えなくてはならない。

オクタウィアヌスは拳を握りしめた。

 

--------------------

 

オクタウィアヌスとアグリッパがアポロニアを発した頃。カエサルの遺言はローマでも公開されていた。

多くの市民たちの感想は「ガイウス・オクタウィアヌス、誰だそれ?」であった。

 

ローマの政界は恐ろしく年功序列だ。議員になるには17歳以上からできる軍務を10年間経験し、重要役職を経た上でなければならない。軍務につける年を越えたばかりの18歳であるオクタウィアヌスには、まず政治に携わる権利がない。彼は、市民の間ではカエサルの後継者の候補ですらなかった。

 

そういった感想を抱いたのは、一般の市民だけではない。カエサルに近しい人間も同様であった。

 

マルクス・アントニウスは激怒した。カエサルの後継者には自らが相応しい。そう考えていたからだ。アントニウスは、カエサルの右腕と呼ばれた男で、特にカエサルがポンペイウスを破ったファルサロスの戦いにおいては大きな功績があった。殊、戦闘に関して言えばカエサルと同等、もしくはそれ以上の力を有していたといっていい。平時の政治は不得意で、この時代一の随筆家であったキケロからは「頭も身体も剣闘士並み」と評されたりもしたが、それでもその功績の大きさから、名実ともにカエサル派No.2との評価を受けていたのは間違いない。カエサル本人と共に執政官(コンスル)に任命されたのは、その証でもあると言っていい。

 

後継者が自分でなくとも、ガリアやローマ内戦で共に戦った優秀な仲間の中からそれが選ばれるなら、まだ納得はできた。

 

だが、アントニウスが「ガイウス・オクタウィアヌス」という名を聞いて、彼のことを思い出せたのは、

「それ、誰だっけ? 俺たちの中にはそんな奴いないぞ…何かの暗号か?」

などと小一時間考えた後のことだった。

 

そう言えば、ヒスパニア遠征に従軍したカエサルの遠い親戚がいた。思い出せてスッキリしたのは一瞬で、その後すぐに怒りが沸いてきた。アイツに何の功績がある。軍務について一年程の新参じゃないか。そこで何らかの才能を見せた訳でもない。戦場ではまるで役立たず。挙げ句、敵に包囲されて死にかけてたじゃないか。

 

 

オクタウィアヌスは後継者に相応しくない。

 

そう考えたアントニウスは、カエサルの遺言によって課せられたオクタウィアヌスの後見人としての役割を放棄。オクタウィアヌスに渡るべきカエサルの財産を着服してしまった。

 

--------------------

 

もう一人、遺言を聞いて激怒した者がいる。プトレマイオス朝エジプトの女王・クレオパトラ7世だった。

 

彼女は、ファルサロスの戦いの直前にカエサルと出会い、彼の愛人となっていた。彼女とカエサルの間にはカエサリオンという名の男児がおり、この子がカエサル唯一の男児でもあった。

クレオパトラもまた、オクタウィアヌスなど後継者には相応しくなく、このカエサリオンこそがカエサルの後継者に相応しいと考えていた。

 

血の繋がりを異常な程に重視するプトレマイオス朝エジプトの出身である彼女の感覚では、実子にその地位が受け継がれないなどということは、侮辱でしかない。

だが、それ以上に、絶世の美女と呼ばれた彼女は、自分に夢中になったカエサルが必ずカエサリオンを後継者にすると思っていた。

 

カエサル程の男が、そこまで自分に夢中になっていて、意のままになると根拠なく確信する辺り、もしかすると、本当に魅了されていたのは彼女の方なのかもしれないが、プライドの高い彼女はそれを認めない。

 

カエサリオンの誕生以降、彼女はローマに移り住んでいたが、遺言を聞くと、怒りのあまりエジプトへ帰って行ってしまった。

 

その為、オクタウィアヌスと彼女が対峙するのは、もう少し後のことになる。

 

--------------------

 

ローマに戻ったオクタウィアヌスとアグリッパを待っていたのは絶望であった。

 

まず、得られるはずだったカエサルの財産が着服されてしまったのは前述した通り。更に、あろうことか、アントニウスを首魁とする旧カエサル派は暗殺犯たちと手を結んだのだ。

 

これは、遺言への反発と対抗心に端を発したものだった。暗殺犯たちは最大の政敵を排除していたものの、法を犯し英雄を殺したことで市民の支持は失っていた。そんな落ち度のある者たちは、権力さえ得てしまえば、あとでどうにでもなる。そうなると、アントニウスらにとって邪魔なのは彼らではなく、カエサルから正当後継者と認められたオクタウィアヌスの方だったのである。

 

「なぁ、どうするよ」

アグリッパは例によってオクタウィアヌスに尋ねた。相次ぐ事態の急変に、もう、自分の頭で考えられない。そんな気分だった。

 

「そうだな、じゃあ、あの人に会いに行こう」

オクタウィアヌスがそう言って足を運んだのは、キケロの家であった。

 

キケロはこの時代はもとい、史上稀にみる文筆家ということで知られているが、その言語能力を駆使して政治家としても活躍した人物だ。共和制の守護者と言われ、とにかく議会と法を重視した。だが、清廉潔白という訳ではなく、法を守る為ならば法を犯すことも肯定する、といったタイプの頑固者でもあった。彼は、常識に囚われない改革者であるカエサルとは相性が悪かった。だから、彼は反カエサル派の急先鋒でもあり、二人は議会において常に意見を戦わせていた。

 

もし、絶対権力者となったカエサルに比肩する存在があるとすれば、彼をおいて他にはいない。そう言わしめる存在であったキケロも、カエサル暗殺後の政権からは距離を置かれ、孤立していた。

 

カエサル暗殺事件によって誰もが痛手を負っていた。アントニウスらカエサル派はカリスマを失ったし、暗殺犯たちが市民の支持を得られず非難を浴びたのは前述の通りだ。キケロ一人だけがノーダメージだった。彼は、反カエサル派でありながら、暗殺に直接関わっていなかったので、市民からのバッシングの対象にはなっていなかったのだ。カエサルに匹敵する実力者がノーダメージで残っている事実は、政権奪取を目論むアントニウスらにとって、恐怖でしかなかった。キケロはオクタウィアヌスと並んで彼らの政敵となり、本来打倒すべき暗殺犯らと組んででも排除したい目の上のタンコブとなっていた。

 

敵の敵は味方。とはいえ、キケロは元々反カエサル派の急先鋒だ。今は政権と距離があるが、カエサル暗殺の直後には暗殺犯たちを称賛する言葉を送ったという。そう簡単に仲良くできる相手ではない。

 

通された客間でキケロを待つ間、オクタウィアヌスとアグリッパは軽く言い合いをした。

 

「おい、ガイウス。本当にキケロと手を組むつもりかよ。」

「そうでなかったら、ここには来ないよ。」

「あのキケロの奴、カエサル様を何度邪魔したことか…」

「でも、議会を離れると義父上とキケロは仲良かったらしいよ。結構有名な話じゃないか。」

「それでも納得いかないな…。アイツ、亡くなったカエサル様をコケにしたって言うし。大恩あるカエサル様への侮辱は許せないよ。」

「アグリッパ、大恩あるカエサル様がキケロを潰せって言ったかい? そんなこと言ってないだろ。カエサル様が言ったのは、僕を後継者にしろってことさ。そして、それを叶える為に、今は彼の力が必要なんだ。わかってくれよ。」

「うーん…。オレがわかっても、市民たちは支持してくれるだろうか。」

「それはやりようさ。少なくとも、アントニウスらは暗殺犯たちと組んだんだ。僕らがキケロと組むことだってあるだろう。」

 

大理石で作られた入口のドアが開いた。

「よく来ましたな。若きオクタウィアヌスよ」

 

そう言いながら、年老いた男が部屋に入っていた。フサフサの白髪を靡かせた老紳士。若い頃はさぞかし男前であっただろう、という印象だが、鼻の頭に小さな窪みがあり、それだけが特徴的だ。

 

ローマ一の随筆家にして弁舌家。

マルクス・トゥッリウス・キケロである。

 

「キケロ様。お待ちしておりました。」

オクタウィアヌスが年長組に対する礼をとると、キケロは椅子に腰かけた後、徐に手を叩き始めた。

 

「素晴らしい。あなたは本当に賢い人だ」

オクタウィアヌスとアグリッパは、突然の行動にやや意表を突かれた

 

「私の考えが、わかるのですか? 今会ったばかりだと言うのに。」

キケロは頷く

「ええ。手に取るように。だが、それはあなたが聡明であるからだ。」

「と、言いますと?」

「簡単なこと。私には、感情で動く獣のような輩の考えはわからない。何故なら、考えがないからだ。だが、あなたのことはよくわかる。私のところに来たことがその証明です。」

 

キケロは静かに微笑み、オクタウィアヌスも笑みを返す。二人の間には通じ合うものがあったが、アグリッパにはそれが分からなかった。キョロキョロ二人の顔を交互に見る様子を見て、キケロは説明を始めた。

 

「今、ローマの議会はアントニウスらと暗殺犯たちが牛耳っています。私も、あなたたちもそこからは疎外された存在だ。」

「まぁ、残念ですが、その通りですね。」

「だが何故、本来反目するはずの彼らが手を組んだのか、といえば、我々を恐れているからです。私はそもそも議会では彼らより力を持っていたし、あなたはカエサルから直々に後継者指名を受けた。」

 

アグリッパが立ち上がる

「あ、そうか! 奴らの恐れる我々が力を合わせれば正に百人力! アントニウスらも暗殺犯らも敵ではない、ということですね!」

 

キケロは顔をしかめた。間違いではないが、自分の考えはそう簡単ではない。素直にイエスと言うのはプライドが許さない。そんな様子だった。アグリッパの言葉には反応せずに続ける。

 

「オクタウィアヌス少年、まず、あなたは元老院議員になりなさい。」

「オクタウィアヌスはまだ議員になれる年齢ではありませんよ?」

 

アグリッパの問いをキケロは一笑に付した

「私がしてあげましょう。」

「え?」

「驚くことはないよ、アグリッパ君。オクタウィアヌス君は正にそれを頼みに来たのだから」

 

「え、そうなの?」

アグリッパがオクタウィアヌスの顔を見ると、オクタウィアヌスは苦笑いしながら頷いた

 

「さすがキケロ様です。何でもお見通しなのですね」

「え…本気かよ…」

 

アグリッパは大いに戸惑い、キケロに問うた

「でも、どうするつもりですか? 先程も申し上げましたが、年少の者は公職につけない決まりです。ポエニ戦争で活躍したスキピオは例外ですが、彼でさえもこんなに若くはなかった。いくらカエサルの後継者でも、そんなことできますか?」

 

「普通はできない。だが、オクタウィアヌス。だからこそ、あなたは私を頼った。そうでしょう? イチャモンをつけさせたら天下一と言われる私の弁舌であなたを必ず議会に参加させてみせましょう。」

「よろしくお願いいたします。」

 

オクタウィアヌスは暢気な笑みを浮かべている。

 

「で、我々は何をすればよいのでしょう…」

アグリッパはあまりにも簡単に終わった、この会談の内容に不安を覚えていた。そこまでしてくれる見返りは何だろうか、と。

 

「何もしなくてよい。あなた方は議会に行ける日をじっと待っていれば良いのだ 」

「でも…」

「話が上手すぎるかな?」

 

キケロに図星を突かれたアグリッパは肩をビクッと震わせた。

 

「私は、君たちに何かしてほしい訳ではない。私が、何かをするためにあなた方の存在が必要なのだ。」

「その、何か、とは…?」

 

キケロはため息をつく

「企みを直接口に出させるのは無粋ですよ」

などと言いながら、それでもオクタウィアヌス、アグリッパ両名の協力が必要だと判断したのだろう。

 

「アントニウスの弾劾。」

キケロはそう口にした。

 

--------------------

 

キケロの家を出た二人。

アグリッパはオクタウィアヌスに問いかける。

 

「なぁ、結局、分からなかったんだけど、キケロは何故オレたちの力を必要としているんだ? 彼の弁舌なら、アントニウスの弾劾くらい、一人でもできるだろ?」

「キケロ様はアントニウスが怖いのさ」

「そうか? 何かを怖れるような人には見えないが…。」

「キケロ様にはアントニウスの行動が読めないんだよ。彼は獣だから。」

 

「あぁ、確か、さっきそんなようなこと言ってたな」

とアグリッパは思い出す。

 

「カエサル様亡き今、議会でキケロ様に敵う者はいない。だが、暗殺犯らによって、既にローマの法は犯された。議論と政治工作で敵わないと見れば、アントニウスらが報復を口実に武力で政権奪取してもおかしくない。キケロ様はそれを怖れているのさ」

「ま、あの人、完全に文人だものな。喧嘩じゃアントニウスには敵わない。」

 

「そこで、僕らの登場って訳さ。」

「何故、そうなる?」

「アントニウスは僕らに直接は手を出せないよ」

「カエサルの後継者だから?」

「そうだね。アントニウスが議会で優位を保てているのはカエサル派だからだよ。その彼が僕を殺せるかい? 僕が跡を継ぐのは他ならぬカエサルの意思なのに。彼が僕らに出来るのはせいぜい遺産を着服したり、除け者にすることくらいだ。それですら、評判がよくない。」

 

「でも、あんまりキケロに接近しすぎるのは良くないと思うぜ」

「何故だい?」

「だって、今は政権と距離があるけど、キケロは思想的に元々暗殺犯側なんだ。もしお前が議員になれても、アントニウスらを排除したら残るカエサル派はお前だけ。完全に孤立するぞ」

 

オクタウィアヌスは人差し指を立てて頷いた

「そうそう。キケロ様の狙いは、たぶんそれだと思う。」

 

暢気なオクタウィアヌスに対してアグリッパは叫んだ

「お前、笑ってる場合じゃないだろ! ヘタしたら殺されるぞ!」

 

「大丈夫さ」

オクタウィアヌスは冷静に沈んだ声で言った

「たぶん、この後、僕はアントニウスと結ぶことになるだろう。そして、キケロは死ぬ。きっとそうなる。」

 

何か、この男には他人と違う景色がみえているらしい。前から、賢い男なのはわかっていた。若いとはいえ、アグリッパも一廉の武人。恩人の頼みでも、何の才もない男の風下に立とうとは思わない。アグリッパは彼の柔軟な発想力を非常に高く買っていた。

 

能力の高さ、というモノは時に人に恐れを抱かせる。アントニウスの武力やキケロの弁舌はその主たる例であるし、カエサルのカリスマ的魅力も敵対する人々にとってはそうだったのだろう。だから彼は殺されたのだ。

 

だが、アグリッパの見たところ、オクタウィアヌスの賢さには、いつもどこか悪戯っぽい愛嬌があった。彼のズル賢さにしてやられることがあっても本気で恨む者はいない。それがオクタウィアヌスの魅力であり、才能だ。アグリッパはそんな風に捉えていたし、親友と認めるまで心を許した理由の一つでもあった。

 

友として、アグリッパが愛したガイウス・オクタウィアヌスのそんな一面が、政治という舞台を得たことにより、禍々しく姿を変えつつある。狡猾、冷静、残忍、偽善、聡明。その全てに似ていながら、どれにも当てはまることがない、底知れぬ才能の開花。アグリッパは彼の中にその萌芽を見たのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

中編 ~プロスクリプティオ~

オクタウィアヌスは、キケロの言う通り、何もしなかった。ただし、何もしなかった、というのは今、ローマ中の議員が夢中になっている、政治的多数派工作において、という意味だ。

 

オクタウィアヌスがやるべきことはその他にもある。カエサルの後継者たる彼が行うべきは、その意思を継ぐこと。具体的に言えば、遺言の実行である。

 

さて、カエサルの遺言の中でオクタウィアヌスが行うように、と名指しされたものがあった。それは『首都在住のローマ市民には、一人につき300セステルティウスずつ贈り、テヴェレ西岸の庭園も市民たちに寄贈する。』というものである。後者は引き継いだものをそのまま市民に解放すれば良いので何とかなるが、前者が難しい。当然、若いオクタウィアヌスにそんな金はない。本来、その為の財源になるのはカエサルの遺産だったはずだが、アントニウスに差し押さえられてしまっている。

 

この遺言はオクタウィアヌスが自分の遺産を使って市民から支持を得られるように、というカエサルの親心であったが、それを成就させないようにする、というのが後見人に指名されたアントニウスの思惑だった。

 

だが、オクタウィアヌスはその思惑をいとも簡単に越えて、その遺言を実行した。借金をしたのである。

 

ローマ市民は熱狂した。莫大な借金をしてまで英雄の遺言を守ろうとする若き正統後継者と、その健気な若者から財産を着服するムサイ男。どちらが支持されるかは明白である。

 

特に、カエサル軍団の一般兵からの支持は熱烈だった。カエサルもまた、莫大な借金をして兵士たちに給与を支払ったという逸話がある。彼らはオクタウィアヌスに亡きカエサルの姿を重ね合わせたのである。

 

そんな風な状況だったから、オクタウィアヌスの元老院入りは簡単であった。ちょうど、カエサルの側近でありながら、暗殺事件に参加したデキムス・ブルータスがアントニウスの陰謀によって元老院と対立し武力衝突間近か、という時期だったから軍団を持つことも許された。

 

その実現の為に、キケロは議会で熱弁をふるったが、おそらくそこまでしなくても、結果は同じだっただろう。

 

キケロは弁舌が得意なだけでなく、好きだった。

自信を持っていたし、それをしている自分に酔ってしまうようなところもあったから、オクタウィアヌスにいかにも

「私のお陰で議員になれてよかったですね」

と言わんばかりの態度で接してきた。

 

アグリッパはそれが鼻についたが、オクタウィアヌスはしっかり畏敬の念を込めて礼をとっていた。

 

「お前、よくそんな殊勝な態度とれるよな。」

ある日、アグリッパはオクタウィアヌスに言った。

 

だが、彼は笑顔だった。

「あぁ、アグリッパがキケロ様を気にくわないと思ってるのはわかるんだけどさ。僕は結構好きなんだよな。彼の書く文章は素晴らしいよ。真に国を憂う人だと思う。」

「そうか…? でも、キケロはアントニウスを弾劾することでドンドン評価を上げている。ガイウス、お前を盾に使ってだ。そうだ、お前、自分でアントニウスを批判したらいいんじゃないのか? 議会に参加出来るようになったんだし、もうキケロに頼る必要なんかないだろう。」

 

オクタウィアヌスは首を傾げた

「え? ダメだよ。それじゃあ僕がアントニウスに嫌われちゃうじゃないか。」

 

--------------------

 

キケロによるアントニウスへの弾劾は連日続いた。その数、14回。議論で彼に敵う者はいない。

アントニウスは苦悩した。このままでは、議会を追われてしまうし、そうして支持基盤を失えば命すら危うい。

 

オクタウィアヌスが護衛のアグリッパを伴いアントニウスを訪ねたのは、そんな頃だった。

 

「僕たち、手を組みませんか?」

 

オクタウィアヌスの言葉にアントニウスは度肝を抜かれた

「お前…なに言ってやがる! お前は俺を弾劾するキケロの手下だろうが!」

「イヤだなぁ。キケロは養父上を批判し、当初は暗殺も支持していたんですよ。カエサルの意思を継ぐ、僕と思想が一致するはずないじゃないですか。」

「ぬかせ、小僧! 何が、"カエサルの意思を継ぐ"だ。ならば、なぜキケロなどと一緒に我々カエサル派を攻撃するんだ!」

 

オクタウィアヌスはショボくれた様子で下を向く。

「そりゃあ、僕だってカエサル派と組みたかった。と、言うか仲間に入れて欲しかった。でも、アントニウスさんがあまりに僕を敵視するから身を守るために、とりあえずあのようにするしかなかったんじゃないですか。」

 

そこを突かれるとアントニウスも痛い。

少し言葉のトーンを弱めた。

 

「なら、何故今更俺と組もうってんだ?お前は俺を憎んでいるだろう」

「アントニウスさんが僕にしたことは、誤解の結果だと思っています。僕はカエサルの後継者になったって、あなた方を蹴落とす気はないんだ。僕が望むのはカエサルの意思を継ぐことだけ。でも、キケロではその助けにはならないでしょう。僕が共に闘うべきは、亡きカエサルと共に戦ったあなたたちなのです! だから、今、あなたに倒れられては困るのです。」

 

アントニウスは迷った。

オクタウィアヌスの提案は確かに渡りに船とも言うべき考えだ。でも、何か確証が欲しい。アントニウスはオクタウィアヌスの顔を改めて眺めた。

 

真っ直ぐな目をしている。

気にくわないな、と思った。アントニウスもまた、カエサルを崇拝する一人ではあった。だがそれは、カエサルの政治家として、戦士として、男としての強さと手にした権力に惹かれたものであり、アントニウスが彼の思想を理解することは終生なかった。

 

カエサルを継ぐということは、彼の力を継ぐことである。

そう理解していたアントニウスには、カエサルの改革精神を真っ直ぐに語る少年が眩しすぎる。

 

自分の隣に立つ者にはもう少し濁った目をしてもらわないと困る。そうでないと、自分の強欲さがあまりにも目立ってしまうから。意識せずともそう考えたアントニウスは懐にしまっていたリストを取り出した。

 

「これは?」

「俺が議会を掌握したら殺そうと思っていた人間のリストだよ」

 

アントニウスの顔は紅潮していた。キケロに連日批判される日々の中、屈辱にまみれながらこんなものを作っていた事実を、少年に知られてしまうのが堪らなく恥ずかしかったのだ。

だが、それでもアントニウスにとっては避けて通れない儀式だった。

 

「うわぁ、メチャクチャたくさんいますね」

「300人までは数えたがそれより後は数えていない…」

 

アントニウスはニヤリと口元を弛ませた

「オクタウィアヌスよ、お前がこのリストに同意するというなら、俺はお前と組もう。」

 

理想を語るだけなら、誰でもできる。自分が手を汚してまでそれを貫く覚悟はあるのか。アントニウスはやや意地悪な気持ちでオクタウィアヌスを試したのだが、少年の返事はあっけらかんとしていた

 

「いいですよー。」

 

あまりにもあっさりとしていたので、アントニウスは少し焦った。

 

コイツ、本当にこのリストの意味を理解して言っているのか。

そう思ったのだ

 

「お前…正気か!? リストの一番上を見てみろ。」

そこには勿論、キケロの名があった。

 

「こういう事になったのは残念です。僕は彼を嫌いじゃなかった…。ただ、僕がアントニウスさんと同盟する以上、早かれ遅かれ、彼とは殺し合いになると思っていました。それが思っていたタイミングよりずっと早かったというのは確かですが…。でも、こうなったら先手必勝ですよね。さすがアントニウス殿。カエサル軍団一の将軍だ。」

 

「気に入ったぜ、お前も相当な悪人じゃねーか!」

アントニウスは声高らかに笑った。この如何にも清廉潔白な少年にもこんな腹黒い一面があったのだ、と安心して笑ったのだ。

 

 

アグリッパはオクタウィアヌスとアントニウスのやり取りを黙って見ていた。今日の彼は護衛という任務を明確に仰せつかっていたので、それ以上でしゃばらないようにしていた。アグリッパとは、そういう分をわきまえた男なのである。

 

だが、アグリッパは、黙って見ながら思うのだ。アントニウスは、オクタウィアヌスの真の恐ろしさを見逃してしまった、と。オクタウィアヌスはいつからこの絵図を描いていたのだろうか。ずっと行動を共にしていたアグリッパにさえ正確にはわからない。

 

オクタウィアヌスはキケロの助力により晴れて元老院議員になった訳だが、その後、特に目立った行動は起こさなかった。演説台で熱弁をふるうのは常にキケロの役目であり、オクタウィアヌスがしていたのは、それを裏手で誉め称えることくらいだ。

 

更に高まっていくキケロの名声と薄くなるオクタウィアヌスの存在感。動かないオクタウィアヌスを見て、アグリッパはもどかしさを感じていた。

 

だが、この時のオクタウィアヌスは『何もしていなかった』のではない。『何もしないということをしていた』と言った方がニュアンスとして近い。

 

キケロはオクタウィアヌスを安全保障の後ろ楯にしたつもりだった。だが、実はオクタウィアヌスによって憎悪の矢面に立たされていたのだ。キケロの攻撃により、アントニウスは窮地に追い込まれると同時に彼を憎むようになる。そうなるのを待って、オクタウィアヌスはアントニウスに手を差しのべた。渡りに船、地獄に仏であっただろう。もしくは、地獄に現れたのが悪魔であったとしても、それにすがり付かなくてはならない状況だったかもしれない。

 

そして、オクタウィアヌスがダメ押しとして用意したのが、キケロの命というカードだ。

アントニウスにとって、このカエサルの正統後継者は自身の正統性を脅かす邪魔者であるし、キケロに与する敵でもあった。状況が状況とはいえ、強情なアントニウスがオクタウィアヌスを拒絶する可能性は僅かながらある。

 

だから、オクタウィアヌスはアントニウスが憎悪するキケロの首を手土産にした。これにアントニウスは飛びつくしかない。

 

自分は恨まれることはなく、対立する政治思想を排除し、手を結びたかった勢力からの協力を得る。この瞬間、オクタウィアヌスがローマに帰ってからの一連の行動は結実したのである。

 

--------------------

 

紀元前43年。オクタウィアヌスとアントニウスは同盟した。

そこへ調整役としてカエサル派の有力文官レピドゥスが加わり第二次三頭政治が始まった。

 

「良かった。これで旧カエサル派が一枚岩となって、共和派と戦える。私にとってカエサルが父なら、ずっと彼と共に戦ってきた軍団の皆さんは兄の様な存在です」

 

オクタウィアヌスはそう言い、その筆頭であったアントニウスには実際に兄になるように求めた。前夫と死別していた姉・オクタウィアとの結婚を提案したのである。アントニウスはそれに応じた。オクタウィアは美人であったし、ローマにおける女性の理想像を写し出したような献身的な妻でもあった。武骨で雄々しい軍人であるアントニウスとは相性がよく、政略結婚でありながらも夫婦関係は良好だった。

そして、その関係が続いている間は、三頭政治も安泰であった。

 

さて、三頭政治が成立し、彼らを筆頭とした旧カエサル派が最初に行ったのは、共和派の粛清であった。

 

歴史はそれをプロスクリプティオと呼ぶ。

凄惨な虐殺であった。アントニウスが起案し三頭政治によって可決された処刑リストはローマ中に公表される。リストに載った者は賞金首のように扱われ、その者を殺したり、情報提供した者には多額の報酬が与えられた。その数、少なく見ても2300人以上にのぼる。当然、共和派の面々は一目散に逃げ出した。ローマ市内、もといイタリア半島に彼らの居場所はない。

なるべく、できる限り遠くへ。カエサル暗殺の主犯であったカッシウス・ロンギヌスやマルクス・ブルータスは東方へと逃げた。

 

 

キケロは動けなかった。

負けた。

 

立ち上がることすら困難に感じる程の敗北感が彼を支配した。それは、オクタウィアヌスに対しての感情ではないし、ましてやアントニウスに対する感情でもない。キケロはユリウス・カエサルに対してその感情を抱いたのであった。

 

キケロは、彼が後継者に指名したオクタウィアヌスという青年を気に入っていた。利発で礼儀正しくもある。そして何より、真に国を想っている。

 

キケロにとって、国を想い身を犠牲に出来る者は皆同様に友である。それは政治的に対立する者ですら例外ではなくカエサルとも一旦政治を離れれば共に酒を酌み交わす仲だった。

キケロは、大した準備もないまま、カエサルの後継者に指名されたにも関わらず、使命感に燃え危険を承知で帰国したオクタウィアヌスにも同じような感情を抱いた。

彼は財産を着服されて困窮し、自分に助けを求めてはいるが、元々カエサルに近い人間だ。政治的思想は真逆だろう。ここで助ければいつかは対立するだろうし、彼が政治家として大きく育った暁には、自分は刺されて命を落とすかもしれない。

 

そこまでわかっていながら、彼はオクタウィアヌスを助ける道を選んだ。勿論、自己利益の為でもあったが、何よりキケロはこの孫ほど年の離れた少年の成長を楽しみにしていた。そして、いつか殺される日を待ち望んでいる感さえあった。

 

だから、アントニウスへの弾劾に際しては、議会で年上の議員に囲まれ大人しくしている彼に対し『議会ではこう振る舞うのだ』『演説とはこうやるものだ』ということを示そうと、いつもに増して張り切って臨んでいる自分がいた。

 

愚かだった。

そんなこと、オクタウィアヌスには余計なお世話、いや、そんな自分の感情すら予見した上で策略を練っていたのかもしれない。

 

オクタウィアヌスは雛鳥ではない。

既に成熟した鷲であった。

 

彼は、私心なく国を想いながら、邪魔になれば恩のある人物でも容赦なく命を奪う覚悟を持っていた。そして、機が熟すまではそれを隠し通す慎重さ…というよりも、あんないい人がそんなことを考えるはずがないと周囲の者に思わせる才能があった。おそらく、計画が実行された後でもオクタウィアヌスを本気で憎む者はいない。きっと多くの人は「アントニウスやレピドゥスに唆されたのだ」とか「余程深い事情があったのだろう」と同情するに違いないのだ。

謀略を張り巡らせ時に冷徹な手を下しながら、人々に愛される。そのことにかけて、彼には異常な程才能があった。

 

そして、キケロはカエサルの慧眼に戦慄するのだ。

カエサルは分かりやすい男だった。彼は自分の考えが伝わらないことは人に不信感を与えると知っていたから、持論を説明することに対しての労力と工夫を惜しまなかった。それが、多くの層から支持を得られた理由でもある。

だが、何故ガイウス・オクタウィアヌスを後継者にしたのか、それだけがわからない。だからこそアントニウスは遺産の引渡しを拒否したし、クレオパトラ7世はカエサルの実子を連れてエジプトへ帰ってしまったのだ。

キケロは、オクタウィアヌスと行動を共にしながら、自分だけがそれを理解していると思っていた。

 

だが、ここにきて分からなくなってしまった。

 

キケロは結局のところ、彼を単に前途有望な若者であるとしか捉えていなかった。

オクタウィアヌスは、底が知れない。

カエサルはこの病弱で控えめな少年の中に眠る禍々しい才能に気づいていたのだろうか。カエサルは彼の本質を見抜き、キケロは見抜けなかった。

 

完全なる敗北。

キケロは終生のライバルと見込んだ相手に対して初めて負けを認めたのだった。

 

紀元前43年12月7日。キケロは死んだ。

 

彼を追っ手から守って戦うと申し出た奴隷たちに対して

「無駄なことはせず逃げろ」

と伝えた上での死であった。

 

--------------------

 

この後、紀元前42年10月にフィリッピの戦いが起きる。

 

三頭政治とロンギヌス、マルクス・ブルータスら暗殺犯との戦いである。オクタウィアヌスは例のごとく病に倒れ活躍しなかった。三頭政治側がこの戦いに勝てたのは、アントニウスの武功によるところが大きい。

 

何にせよ、ロンギヌスとブルータスは死に、彼らはカエサルの敵をとることに成功したのだった。

 

戦いは続いていた。

カエサル暗殺の首謀者たちは死んだが、まだ三頭政治への反対派は残っている。三頭官はそれぞれアントニウスが東方、オクタウィアヌスは西方、レピドゥスはアフリカを担当して、その討伐を開始した。

 

だが、所詮残党狩りである。

その間、ファルサロスの戦いやフィリッピの戦いのような雌雄を決する戦は起きなかった。グラックス兄弟の改革失敗に始まる内乱の一世紀の中では比較的平穏な時代であったと言っていい。

 

そう言えば、紀元前36年にレピドゥスの軍が伸長著しいオクタウィアヌスを恐れて襲ってきたが、三頭官の中で最も影が薄いレピドゥスのことなどはどうでもよい。軍を率いるアグリッパが見事に撃退した。

 

オクタウィアヌスはレピドゥスを殺さず地位を奪うのみに止めた。寛容なのではない。どうでもいいからだ。

 

前述した通り、オクタウィアヌスは必要とあらば恩ある者でも殺す覚悟を持っている。だが、自分を追い込む程の実力がない者は殺さない。無用に人を殺して、恨みを買ったり、必要以上に怖れられたりということをオクタウィアヌスは良しとしなかった。キケロが殺されて、レピドゥスが死ななかった理由はここにある。

オクタウィアヌスのその判断もあり、レピドゥス事件は穏便に解決した。

 

ローマの平穏はまだしばらく続く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後編 ~アウグストゥスVSクレオパトラ~

クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、平穏は続いていたのかもしれない。

 

紀元前32年。アントニウスはオクタウィアヌスの姉・オクタウィアに一方的な離縁を突きつけた。東方の大国パルティアを攻める為の根拠地として立ち寄ったエジプトの地で女王クレオパトラ7世に魅了されたと言うのだ。

 

クレオパトラは絶世の美女だと言われる。

だが、ただ美人というなら、オクタウィアだって相当なものである。では、アントニウスがオクタウィアヌスとの同盟を破棄してまで彼女を求めた理由は何なのか。

 

アントニウスにとってクレオパトラはただの女ではなかった。

 

クレオパトラはカエサルの愛人であった。カエサルの側近だったアントニウスもその時代の彼女と会ったことがある。カエサルの強さに憧れ続けた平民出身の彼は、美しく誇り高い女王とそれをモノにしたカリスマの姿に何を思っただろうか。

 

いつか、自分もあんな風になってみせる。

 

時は経ち、アントニウスはオクタウィアヌスとローマを二分する存在になった。クレオパトラを手に入れることは、アントニウスの成長と力の証明でもあったのだ。

 

--------------------

 

「アントニウスは我が姉を侮辱した! しかし何よりも! ローマの兵の命を糧にして得た土地をクレオパトラに献上したという!これはもはや私とアントニウスではなく、ローマとエジプトの戦いなのだ!」

 

「珍しいな。お前が演説なんて。」

アグリッパは市民に対しての演説を終えたオクタウィアヌスにそう言った。

 

「まぁね。たまにはこういうこともしないと。アントニウスを倒せば義父上の目指した寡頭制は完成する。ここが勝負どころさ。」

口許が弛んでいる。

 

「ガイウス。お前、何か楽しそうだ」

 

アグリッパが言うと、オクタウィアヌスは

「いけないな…」

と首を何度か振った。

 

「義父が目指したのは独裁だ。彼を引き継いだ僕もそれを目指していたけど、姉とアントニウスは上手く行っていた…。」

「ああ、幸せそうだったな」

「だから僕はアントニウスと妥協して二人で政治を担うしかないと思っていた。こんなチャンス、もうないと思っていた…。」

 

「でも、それがやってきたか…。闘るんだな、アントニウスと」

「あぁ。決心したけど、緊張するな。自分がリーダーになって戦うのは初めてだ」

 

「ガイウス、お前はすごい男だよ」

「え?」

「確かにお前に戦闘の才能はない。何度戦場で情けない姿を見たことか…」

「これからって時に何でそんなこと言うかな…」

「だが、お前は戦争には負けない。見ただろ、演説会場にいた市民たちの目を。今や、ローマ中がお前の味方だ。彼らはお前のためなら命も惜しまないだろう」

 

オクタウィアヌスはアグリッパの胸を叩く

 

「いくら市民がその気になっても、兵を率いるのは将軍だぞ。ここから先、僕は口を出さない。いいように使ってくれ。勝つために必要な物は何でも用意しよう。頼んだ、アグリッパ。ローマの命運を君にあずける。」

「あぁ。勝ってみせるさ。ローマの為に」

 

アグリッパはオクタウィアヌスを勝たせることに生涯を捧げる決意だった。何故そこまでこの男に入れ込んだのか。

 

初めは、英雄カエサルからの命を守ろうという使命感からだった。だが、それは次第に友情に変わる。陰謀渦巻く政界で百戦錬磨の大人たちと渡り合う友人の力に少しでもなれないか。そう思っていた。そして、更に時を経て、ローマを託せる人間は彼しかいないと思うようになっていた。アグリッパはローマの為に彼を勝たせるのだ。

 

共和制は腐敗した。腐った納屋は打ち壊さなければならない。それをしようとしたのがユリウス・カエサルだった。だが、彼は凶刃に倒れた。腐った納屋でも、そこに寄生し続けたい者がいるのだ。

オクタウィアヌスにカエサルほどの剛腕はない。だが、彼ならば、誰にも気づかれず、恨まれず、音もたてずに共和制を解体できる。そしてその上に新しい時代を築くだろう。

 

私心なくそれを実行できるのが、ガイウス・オクタウィアヌス、その人なのだ。

 

--------------------

 

紀元前31年。アグリッパ率いるローマ軍とプトレマイオス朝エジプト・アントニウス連合軍の間にアクティウムの海戦が起こった。

 

この時点で既に地中海世界最強と言われたローマ軍だが、海上戦力ではエジプトに劣った。だが、それでもアグリッパは戦場に海を選んだ。

アントニウスは強い。カエサルと共に戦い続けてきた彼は陸上ならばローマ最強であろう。いくらカエサルに軍才を見いだされたアグリッパでも分が悪い。

だが、海戦ならばどうか。アグリッパは三頭政治下で行われたセクトゥス・ポンペイウスとのナウロクス沖の戦いで圧勝するなど陸軍国家・ローマの中では海戦の得意な武将であった。

場所が海ならば自分とアントニウスは互角に戦える。アグリッパはそう見積もった。

 

そして理由はもう一つ。敵の持つ海上戦力は半分以上がアントニウス直属の部隊ではなく、エジプトのモノだ。おそらく、誇り高い…悪く言えば傲慢な女王であるクレオパトラはこの雌雄を決する戦場にも出てくるであろう。アントニウスは軍の指揮官だが、クレオパトラは一国の女王であり、権限も大きい。そうなれば、エジプト軍はアントニウスよりクレオパトラの判断に従わざるを得ない。

彼女は頭がよく、魔性を武器に使う恐ろしい女だが、戦場では素人だ。素人が戦場で戦術に口を出すべきではない。だが、クレオパトラはそれを我慢できないだろう。

それが、オクタウィアヌスとの違いだ。

 

我々の大将を見よ。今度の戦いの大きさ故、戦場には出てきたが、アグリッパを信じて全権を託した。

そして自分は例の虚弱体質を発動し、船酔いになって船の中で寝込んでしまった。

 

「やっぱ向いてないわー。これなら陸で待ってても一緒だったわー。アグリッパー、あとはどうにかしてくれー」

 

その声は今から戦場に向かう兵士たちには絶対に聞かせたくないと思う程情けないモノだったが、この弱さをさらけ出せることがオクタウィアヌスの武器でもあったのだ。

 

狭い湾での戦いになった。前半はアントニウスが戦いを有利に進める。アントニウスの武将としての強みは自信家であることだ。不利な戦場だろうが、女に骨抜きにされていようが、アントニウスは揺るがない。実際、戦力は五分であり、どちらに転ぶか分からない戦いであったが、アントニウスは絶対に勝てる、自分ならお前たちを勝たせられるということを自軍に説いて回った。アントニウスの自信は兵士たちに伝播して、序盤の猛攻撃につながった。

 

アグリッパにはそんな自信はない。あったところで、アントニウスの方が実績は上だ。兵士たちが信じてついてきてくれるとは限らない。

アグリッパは計算型の武将だ。戦いの前に綿密なプランを立てて、戦場ではそれを実行するだけの状態にしておくタイプだ。当然、この戦いにもそれを持って挑んでいる。彼は必死に防戦しながら攻撃のプランを実行できる機会をじっと待っていた。

 

一方、アントニウスは直感型だ。戦う前は大まかにしかプランを決めず、現場に立ってから状況を判断していく。戦場に吹く風を感じて、状況に柔軟に対応することで、綿密に練られた計画を打破する。それは時に奇跡としか言えない勝利を呼び込むこともある。アントニウスは優れた武将であり、そうした決断を何度も繰り返して戦場で生き残ってきた。だが、アグリッパは強敵だ。奇跡を起こすためにはより高いレベルの決断が求められる。クレオパトラに魅了された今の彼に奇跡を呼ぶ程の判断力が残っていたか。

 

戦いが始まり数時間たつと、風の向きが変わった。東風が北風へ。アグリッパの軍を後押しするカタチになった。アグリッパはこの時を待っていた。エジプト船には大型船が多く、ローマ軍には小型船が多かった。船の防御力よりも機動力をとったアグリッパの軍は、風向きの有利を生かしてエジプト船を素早く取り囲み、次々沈めていく。

 

自信家のアントニウスは動じない。戦場で不利になることはこれまでに何度もあった。こういう時は先程アグリッパがしていたように、必死に耐えながら次のチャンスを待つのだ。

だが、クレオパトラは動じてしまった。彼女は味方の不利を悟るやいなや、自身の指揮下にある船団を連れて戦場からの離脱を始めてしまった。これがこの戦いにおける決定打だった。

敵の攻勢には冷静だったアントニウスが、彼女の戦線離脱には動揺してしまった。

彼は指揮下の船団に指示を出すこともなく、クレオパトラを追った。その姿はまるで、散々貢いだバンドマンに見捨てられた愚かな女のようであり、親とはぐれたアヒルのようでもあった。

 

指揮官のいない戦場に取り残された船団と知将アグリッパのローマ軍。この戦いの勝負は決した。

 

--------------------

 

クレオパトラは、戦争そのものはまだ終わっていないと思っていた。アクティウムでさっさと逃げてしまったこともあり、手元にはまだ兵士が残っていたのだ。だから、リビアの東部、キレナイカに上陸したというアントニウスへ檄文を送り続けた。

 

今すぐアレクサンドリアへ戻るのだ、そして体勢を立て直しオクタウィアヌスを迎え撃つのだと。

 

アントニウスは応じなかった。

終わった。

アントニウスはそう感じていたのだ。

 

エジプトへ戻ればまだ兵はいる。だが、その豪胆さで人を惹き付けていたアントニウスにとって、恋人の尻尾を追いかけて戦場から離脱し、20歳以上年下の若造に負けたことは致命的だった。心あるものは、皆アントニウスの下を離れた。アントニウスも古くからの仲間が自分の下を去り、ようやく自らの愚かさに気がついた。戦士として、漢としての彼は終わった。

 

失意の中、アントニウスは自ら命を絶つことになる。アクティウムの海戦からおよそ一年。彼がクレオパトラの死を知ってからのことだ。

 

尤も、彼が聞いたのは誤報でその時点でクレオパトラは生きていた。

ただ、早かれ遅かれ結果は同じであっただろう。

 

--------------------

 

クレオパトラに会いに行く。

オクタウィアヌスはアグリッパにそう宣言した。

 

「大丈夫なのか? 」

「何がだい?」

オクタウィアヌスは首をかしげている。

 

「だって、クレオパトラはカエサル様やアントニウスを骨抜きにした毒婦だぞ。それに一人で会いに行くって…まさかお前…」

オクタウィアヌスは慌てて否定した

「まさか、まさか! 別に下心とかじゃないよ。僕が愛するのは妻・リウィアだけさ。」

「じゃあ、オレもついていくよ。お前が骨抜きにされたら困る」

「ならないよ。僕ってホラ、イケメンだし。女には困らないんだ」

「ふーん」

 

アグリッパはオクタウィアヌスの端正な顔を疑いの眼差しで見つめた。アグリッパは、この男がイケメンでありながら恋愛事には滅法奥手なことを知っている。自分の本音を晒さない人間は恋愛には向かない。

 

「ぐぬぬ…」

と、オクタウィアヌスは歯ぎしりしてから言った。

 

「だいたい、アントニウスは文字通り骨抜きだったが、養父上はそこまで堕ちてはないだろう。クレオパトラなんて大したことないさ。」

「うーん、異国の女王を愛人にして私生児つくっちゃう時点でマズイと思うけどね」

 

「私生児…。あ、カエサリオン。彼のこともあったな。」

としばらく考えた後、やはりこう言った。

 

「何にせよ、クレオパトラには僕一人で会う」

「だから何で!」

「絶対に暴言吐かれるから。アイツ、頭の回転良さそうだもの。女に口論で負けるのを部下に見せられない。」

 

--------------------

 

アレクサンドリアの王宮。

オクタウィアヌスはクレオパトラが待つ部屋に入った。

 

エジプトはローマ軍により既に武装解除させられている。だだっ広い部屋の奥に玉座だけが鎮座しており、その横に贈答品らしきイチジクの置いてある台があった。

クレオパトラはそんなポツンとした玉座に腰かけていた。

 

エジプト女王の正装姿だった。目は大きくルビーのような輝きを放ち、鼻はスッキリと高い。

更に、肌は細胞の一つ一つが雪の結晶であるかのようにきめ細かく、現在、40歳だというが、10代、20代の肌だと言われてもわからないほどだ。

なるほど、背筋がゾクゾクとするほどに美しい。

 

しかし意外だな、とオクタウィアヌスは思った。

これまでクレオパトラが追い込まれた時にしてきたのは、権力者を誘惑してその懐に潜り込むことだ。その為にクレオパトラは運命の出会いを演出する。例えば、カエサルの時は荷物の絨毯にくるまって部屋に忍び込んできたというし、アントニウスの時は大船団を用い海上で華やかに歓待を行ったという。

 

この毒婦には何があっても心を許すまい。

そう警戒していたのだが、特に何も起きる気配はない。

 

「私をどうするつもりだ?」

クレオパトラは透き通った美しい声をしていた。アントニウスらと同様、オクタウィアヌスとて男の部分を刺激されなかった訳ではない。だが、それと同時に彼は彼女を脅威に感じていた。この容貌とこの声で彼女は男たちを狂わせたのだ。

 

「戦いはあのような結果に終わったが、あなたはエジプトの女王だ。悪いようにはしない。あなたを、ローマへ客分としてお連れしよう」

 

クレオパトラは鼻で笑った

 

「嘘をつけ。私をローマ中引き回してから処刑するつもりだろう。」

「そんなことはない。十分にもてなそう」

「いや、お前は私を殺す。そういう人間だ。」

「初めて会ったのに、随分な言い様ですね。」

「会わなくても、戦相手だったんだ。知ってはいる。」

「それで、私の何かが分かりましたか?」

「お前は、臆病者だ」

 

クレオパトラはニヤリと笑った

「お前は今、誰の目の前にいる? 絶世の美女、エジプト女王クレオパトラだぞ。お前は、私が欲しくないのか?」

 

確かに言うだけの事はある美貌だが、この期に及んで、この言いぐさ。ものすごい自信だ。オクタウィアヌスは珍しく腹が立ってきた。

 

「毒婦め。僕に色仕掛けは通じない。アントニウス程愚かじゃないんだ。」

「では、お前の養父、カエサルも愚かか?」

 

オクタウィアヌスは言い返せない。クレオパトラは続けた

 

「カエサルやアントニウスは戦場だけでなく、女に対しても勇敢だった。欲しい女が敵だったら、何とか自分に惚れさせるんだ。お前はそういうことをしない。童貞ボウヤ、お前は私が怖いんだ」

「ど、童貞じゃねーし! 結婚してるし!」

 

「毒を飲み干す勇気がない男なら、私にとっては同じこと…」

クレオパトラは更に続けた

「お前は臆病だ。だから脅威になる者は徹底的に排除する。キケロもロンギヌスもアントニウスもお前は殺した。今度は私も殺すんだ。しかも、周囲にはいい人だと思われながらな。オクタウィアヌス。お前、ローマの市民には随分優しいそうじゃないか。富をもたず、何の力もなく、野望もない、そういう市民には。」

 

「何が言いたい!」

オクタウィアヌスが叫ぶと、クレオパトラはため息をついた

「すまないな。これは全て負け惜しみだ。」

「え?」

「私はエジプトの女王だ。国を治める為には民に対して富を、力を、権威を見せつけ屈服させるしかなかった。だが、お前は違う。自分がいかにも弱い人間であると見せかけ…まぁ、実際そういうところもあるのやも知れんが…野望は語らず、笑顔を振り撒き、協力を求め、人から愛される。これからの時代はお前のような者が世を治めるのやもしれん。認めたくはないがな。」

 

少しの時間、二人の間に沈黙が流れた。そしてクレオパトラは微笑んだ。先程までの気高い美しさとは違う、まるで母親のような愛のある微笑だった

 

「もしも、黄泉の世界というものがあるのなら、私はそこからお前がどうなるか見届けよう…。あぁ、私にもう少し時間があれば…。私は、お前のような男を惚れさせてみたかった。」

 

クレオパトラは玉座の横に置いてあった贈答品のイチジクの実の山の奥から何か細長いモノを取り出した。ゾワゾワと蠢いている。蛇だった。現代で言うところのアスプコブラ。猛毒を持つがエジプトでは神の使いともされている。クレオパトラはそれに胸を噛ませ、苦しみだし、やがて死んだ。

 

オクタウィアヌスは驚きはしたが特に助けも呼ばなかった。これで、『オクタウィアヌスは丁重に扱おうとしたのに、女王はそれを拒んで自殺した』という事実が残る。わざわざ処刑して、また一騒動起こすより、このまま死んでくれた方が都合がいい。

いや、この結果を残したこと自体がクレオパトラの皮肉なのかもしれない。

 

会談は最高の結果に終わった。しかし、オクタウィアヌスの胸には、えも言えぬ敗北感が残った。

 

--------------------

 

オクタウィアヌスはローマに凱旋した。

市民は歓喜していた。

ローマの内戦が遂に終わったのだ。

 

オクタウィアヌスはヤヌス神殿の扉を閉めさせた。ヤヌスはローマ神話における戦いの神であり、その神殿の扉が開いている時、ローマは戦争状態にあることを示す。

紀元前133年に始まる内乱の一世紀においてこの門が閉じたのは僅か半年。カエサルがムンダの戦いを終えた後の半年のみである。その後、すぐにカエサルが暗殺されて門は再び開いた。

 

だが、オクタウィアヌスによって内乱の一世紀は終わりを告げた。市民にとっては久しぶりの歓喜である。閉じていく門を見ながらアグリッパは呟いた

 

「これで終わったんだな」

「まだ終わらないさ」

と、オクタウィアヌスは言う

 

「戦争は終わったけど、議会ではまだ各勢力がシノギを削っているんだ。また、戦い。政治だって戦いさ。」

 

「ところで…」

アグリッパはクレオパトラとの会見以降、気になっていたことをオクタウィアヌスにぶつけた

 

「クレオパトラの子供たちの中に、カエサル様の遺児がいただろ?」

「カエサリオン…」

「彼はどうしたんだ?」

 

オクタウィアヌスは

「死んだ。」

とだけ答えたが、たぶん殺したのだろう。

アグリッパはそう悟った。

 

「そうか。死んだのか」

「アグリッパ、僕が憎いかい?」

「え?」

「だって、僕は君の恩人であるカエサルの子を殺したんだ」

 

オクタウィアヌスは、何か遠くを見つめている。

オクタウィアヌスは自分でも戸惑っているのかもしれないな、とアグリッパは思った。元来、賢く人懐っこいだけだった少年はカエサルの遺言によって政治と戦いの舞台へ上がることになってしまった。

その遺言により、もしかしたら一生眠ったままだったかもしれない彼の才能は目覚めた。彼は多くのことを成し遂げたが、その途中、多くの政敵を滅ぼした。当初ここまでのことをやるつもりだったのだろうか。たぶん、そうではない。時代の転換期の大きな渦のなかで必死に考えてもがいていたら、ここまで来ていただけだ。それはアグリッパも同じだ

 

「義兄弟を殺さなくてはならなかったお前に同情こそすれど、恨む訳ないさ」

「そういうものかな」

「あぁ…」

 

この後、オクタウィアヌスがローマの第一人者、アウグストゥスと名を代えてからも、アグリッパは彼と共に歩んでいくことになる。

男児に恵まれなかったアウグストゥスは自身の娘ユリアをアグリッパと結婚させて後継を託した。この夫婦は子宝には恵まれたものの、この時代、子供の死亡率は高く、男児はみな早世した。結局、アウグストゥスの後継は妻リウィアの連れ子のティベリウスとなるが、その後、アグリッパ・ユリア夫妻の女児・アグリッピーナの子が皇帝の血筋を紡いでいく。

 

 

ローマの街は歓喜に沸いている。オクタウィアヌスの名を皆が叫ぶ中、彼は軍の指揮権を返上した。市民は彼の謙虚さに感激し、独裁を警戒していた議会も彼に心を許した。そうして彼は人々から望まれて軍の最高司令官(インペラトル)に就任した。

この後も、市民・議会の双方が望んで彼に権限が集中するようになっていく。

共和制ローマは滅んだ。こうして、本人は生涯それを名乗ることはなかったが、ローマ皇帝アウグストゥスは誕生したのである。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皇帝は男の娘
前編 ~太陽の子 皇帝ヘリオガバルス爆誕!~


※そんなに直接的表現をしたつもりないのでR-18はつけてないですが、多少そんな場面があります。まあ、史実でもヘリオガバルスってそういう人なので。

☆登場人物

◯ヘリオガバルス
シリアで祭司をしていたら、ある日、ひょんなことからローマ皇帝になることに!
天下無双、唯一無二のHENTAI男の娘皇帝がここに誕生する!

◯ユリア・メサ
ヘリオガバルスの祖母。ヘリオガバルス陣営の黒幕にしてシリアのやり手ババア。
◯ユリア・ソエミアデ
ヘリオガバルスの母。贅沢が大好きで権力欲が強い。
◯ユリア・ママエア
メサの次女。ソエミアデの妹。この人も権力志向。
◯アレクサンデル
ママエアの息子。もう一人の皇帝候補。優等生的性格。

◯ガンニュス
ヘリオガバルス軍の総司令官を務める、多方面で知識豊富なギリシャ型知識人。ヘリオガバルスの家庭教師でユリア・ソエミアデの愛人。
◯エウティキアヌス
思い込みの激しいマッチョ軍人。マクリヌスを裏切りヘリオガバルスに協力する。

◯マクリヌス
暴君カラカラと変態ヘリオガバルスの間に挟まれた地味皇帝。軍人出身の割に軍事的才能はないが法律や経済には詳しい。


人類共通の敵が死んだ。

帝政ローマ第21代皇帝ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス、通称カラカラ帝のことである。

母親の目の前で弟を殺して権力を握ると、自身の人気取りの為だけに後のローマ滅亡の原因ともされるアントニヌス勅令を出し、更には支持基盤である軍団の給料を上げに上げ、財政を破綻させた。

最悪な皇帝の最期は最悪なものであった。エデッサを出て南のカルラエ近郊の神殿に向かおうとする途中、軍列を止め、道端で放尿している所を、自らの護衛たる近衛兵に後ろから刺殺されたのだ。

 

次の皇帝は近衛隊長官のマクリヌスであった。

彼は前帝の暴政を正そうとし、特にカラカラ帝により壊滅的状態にあった国庫の改善には心を砕いた。

上がりすぎていた兵団の給料を引き下げ、金のかかる戦争は極力回避し、周辺諸国家に対しては軍事でなく外交と賠償で対応した。

 

だが、人は欲に弱い。正しいことというのは、人に利益をもたらして初めて評価される。兵士たちは、節制してゆっくりと経済を回復しローマ全体で豊かになることよりも、戦功をたて他国から奪いとり大金を得ることを好んだ。

カラカラ時代、優遇されていた兵団はマクリヌスに不満を抱いた。そして過激な連中からは、マクリヌス討つべしとの声もあがる。そんな時代の出来事であった。

 

--------------------

 

シリアの地にユリア・メサという女がいた。この時、52歳。彼女の家はエル・ガバルという土着の神を祀る祭司の家である。

ローマでは信仰の自由が保障されているが、かといってローマの中心地で異国の神が尊ばれる訳はない。本来であれば、彼女の一生は帝国の権力とは関わりのないものだったはずだ。

 

彼女の妹が、ユリア・ドムナという。この女が、のちのローマ皇帝セプティミウス・セウェルスと結婚した。

俄には信じがたいが、セプティミウスは占星術に頼ってこの結婚を決めたという。彼女の家柄などは知らず、占星術士の「この女の夫になる者は王になる者である」という言葉をそのまま信じて結婚を申し込んだらしい。

現代人からするとよく分からない、おそらく当時から見ても相当変わった価値観であることは間違いない。ただ、ローマでそれなりの地位にあり、出世を望む者がシリアの祭司の娘を妻にむかえることは、それ以上に変わった価値観であった為、当時の人々からすると、それも信じるに値する話ではあった。

 

実際、セプティミウスは彼女と結婚して皇帝になった。しかも、彼女の役割は単に皇帝の妻という訳ではなかった。

非常に教養豊かでギリシャ文化について学者と語り合うことを趣味としていた彼女を成り上がり者であったセプティミウスは常に必要とした。戦場にも外交の場にも連れていき、頻繁に助言を求めたという。

その幸運の女神ともいうべき良妻から生まれた子どもが後、最悪の皇帝だと言われたカラカラ帝と彼と殺し合いを演じたゲタだというのは、なんとも皮肉である。

 

ユリア・ドムナはセプティミウスが死去し、カラカラが皇帝となってからも、彼の諌め役になるなど重要な役を担ったが、カラカラが暗殺され、マクリヌスが皇帝になると幽閉され、やがてその先で病死した。

 

話を姉のユリア・メサに戻す。娘が権力者と結婚するとその一族ごと取り立てられるというのは、古今東西よくある話で、この土着の太陽神を祀る一家も同様であった。ユリア・メサも一時はローマ本国で役を得ていたが、前述のカラカラ暗殺により、シリアに帰るしかなくなっていた。

 

普通なら、彼女は徐々に人々から忘れ去られたはずだ。だが、シリアにいる彼女を訪ねる者は多かった。

理由としては、まず、一つ。この時期、パルティアに対抗するため、ローマの軍事力が東方に集中していたことがあげられる。

彼女の住んでいたエメサ(現ホムス)の街は地中海とメソポタミアをつなぐ重要都市で、どの都市に配属になってもローマから東方へやってくる時に通り道になる都市だった。

 

そして、もう一つ。軍におけるカラカラ帝の人気が挙げられる。

カラカラは在位時から一般市民や元老院からは評判のいい皇帝ではなかったが、軍部でのみ異様に人気があった。それは、彼の粗暴な性格が軍の一部では"勇敢"だととられていたこともあるし、そんな性格からくる支持基盤の脆弱さを補う為に軍を優遇したこともある。

ただ、何よりも現皇帝であるマクリヌスの人気のなさがカラカラの評価を上げる最大の理由であった。

彼がローマの財政を健全化しようと軍への異常な優遇を正したことは前述した。そもそも異常だったものが元通りになっただけなのだが、一度贅沢を覚えた軍団はそれに満足できなかった。そうして、軍人たちによるカラカラ帝の美化が始まった。

 

あの時代は良かった。軍が尊敬を受けていた。マクリヌスは卑怯者だ。皇帝が用を足している時に後ろから切りつけるなど、言語道断。男なら正面きって勝負しろ。マクリヌス、ローマ軍人にあらず。

 

兵士たちの間で次第にそんな風潮が広まっていく。それが、軍人たちのユリア・メサ詣でにつながった。エメサを通行する際に尊敬すべきカラカラ帝の親類の家を訪問しよう。そんなことが俄なブームになっていった。

 

--------------------

 

思い込みというのは恐ろしい。

日々やってくる軍人たちの話を聞きながら、ユリア・メサはそう思った。

 

親類の贔屓目を持ってしても、カラカラの治世が良いものだったとは思わない。生前、いくら軍から人気があったといえども元々があの器量だ。せいぜい山賊の棟梁くらいの慕われ方であったと思う。

彼はスキピオやカエサルではない。

だが、ここにくる軍人たちは皆、これでもかと言うくらいカラカラを褒め称えるではないか。

 

それはおそらく、マクリヌスへの不満からくるものであると、ユリア・メサは見抜いていた。

カラカラが本来どういう人間であったかなど、皆、どうでもいいに違いない。軍が財政削減の対象とされ、軽視されることに失望し、何か懐かしむ対象が欲しいだけなのだ。

カラカラ帝の実像などどうでもいいというのは、彼の叔母にあたるユリア・メサにとっても同じだった。カラカラの名声が高まるこの機会。どうにか上手く利用出来まいか。彼女の脳裏には、そんな企みが行き交っていた。

 

カラカラには子息がない。

カラカラの死の直後から「暗殺に関わったのではないか」、また最近では「暗殺の首謀者だったに違いない」と言われながら、割りとすんなりマクリヌスが政権No.2から皇帝に昇格できたのには、そんな都合もあった。

ではもし、カラカラに男児がいたらどうだろうか。ユリア・メサはそのように考えた。

 

 

ヴァレリウス・エウティキアヌスという男がユリア・メサを訪ねてきたのはそんな折であった。

この男もまた、ローマ軍人であり、第二軍団パルティカの司令官であった。現在のパルティカは元々セプティミウス・セウェルスがパルティア遠征の為に編成した部隊だ。よって息子のカラカラとも関係性が近い。カラカラ派、そう言っていい人材が揃っている。

 

従者を一人伴ってやってきたエウティキアヌスは軍が置かれている苦境をメサに対して訴えていた。

 

「軍はローマの象徴であり誇りです、軍の充実なくしてローマの繁栄はありえない! マクリヌス様は軍人出身なのにそのことを理解していないのです。聡明なカラカラ帝はよく理解しておられた…。その、カラカラ帝がああも無惨な亡くなり方を…。この悲しみを、怒りを、言い表す言葉が私にはありません。」

 

エウティキアヌスの目には涙が浮かんでいる。今までたくさんの軍人がメサの元を訪ねてきたが、この男のカラカラへの忠誠と情熱には特別凄まじいものがある。

いつもながら、何故あのカラカラがそこまで評価されるのか、メサには不思議でたまらなかった。別人の話をされているのではないかという感覚にすら陥ったが、この入れ込みようは使えそうだ。この男になら、自分の企みを話してみてもいいかもしれない。そう思った。

 

「あなたに会わせたい者がいる」

そう言ってメサが部屋に連れてきたのは、一人の少年であった。髪はやや鹿毛色を帯びたブロンド。肌が白く、やや青みがかった大きな目をしている。容貌だけ見ると少女のように見えなくもないが、この一家が祀る太陽神・エル・ガバルの祭司の格好をしているので男子だろう。

 

「彼は?」

エウティキアヌスが問うのでメサは

「ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス。この辺ではヘリオガバルスとも呼ばれているよ。」

と彼の名前を教えたが、聞きたかったのはそういうことではないらしい。

 

不思議そうな顔で言葉の続きを待っているようなので、更に詳しく説明した。

「ヘリオガバルスってのは太陽神の祭司って意味でね。コイツは私の二人いる娘の姉の方、ユリア・ソエミアデの息子なのさ。」

「なるほど。御当家の跡取りという訳ですか…。」

「あぁ。私は、この子が平穏に暮らせるなら、それでもいいと思っていたんだよ。」

「と、言いますと?」

「政治だのなんだのにヘタに首突っ込めば危険なメにしか遇わない。私たちはカラカラの時に思いしったのさ」

「メサ様…一体何をおっしゃろうとされているので…。」

 

メサは核心に迫った

「実はこの子、カラカラの隠し子なのさ」

 

「な、なんだってー!」

エウティキアヌスと従者は同時に声を上げた。絶句する二人に対してメサは語り続けた。

 

「カラカラはソエミアデをいたく気に入っていてね。それでソエミアデの方も断りきれず、姦通したのさ。それで、出来た子がコイツだよ。ま、ヘリオガバルスの平穏な将来とソエミアデの名誉を考えたら黙っていた方が良かったんだけどね…」

 

「では、何故私にそれを…」

「お前が真に国を憂う軍人だと見込んだのさ。権力を打ち倒すには大義名分が必要だ。エウティキアヌスよ。もし、仮にお前がローマの変革を望むなら、前帝の息子、このヘリオガバルスの身を預けようぞ。」

 

エウティキアヌスは目を見開いた。

要するに、ユリア・メサは、この少年を担いでマクリヌスへ反乱を起こせと言っているのだ。

 

ちなみに、ヘリオガバルスがカラカラの隠し子だというのは、ユリア・メサの嘘である。

実際は、今までもそう思われていた通り、ヘリオガバルスはソエミアデと既に亡くなった夫・元老院議員マルケルスとの子である。

誰だって少し考えればわかるが事実無根。全くの大嘘であった。

 

だが、人という生き物は自分にとって都合のいいことを真実だと思いたがる生き物だ。そして、都合が悪いことは全て嘘であればいいと思っている。だから、ローマ軍人にとっては、パルティアに戦争で負けたとか、軍事費が削られたとか。軍を優遇してくれた皇帝が暗殺された上に世継ぎがいないとか、その代わりに軍を軽視するヤツが皇帝になったとか。そんなことは全て嘘であるべきなのだ。

 

エウティキアヌスは、この提案に必ず乗ってくる。ユリア・メサには確信があった。

 

エウティキアヌスはしばらく黙ってヘリオガバルスの顔を見つめていたが、やがて言った

 

「ふむ…。そう言われると、この少年…いや、ヘリオガバルス様には、カラカラ帝と何か似たモノを感じますな」

 

ユリア・メサは笑いをこらえた。あの気性が荒い暴君のカラカラと、まるで少女のような美少年であるヘリオガバルスのどこに共通点があろうか。だが、流れはいい。ユリア・メサは黙ってエウティキアヌスに話をさせた。

 

「何というか、パッと見は違うんだけど、瞳の奥の輝きというか何というか…何か、何か感じるんですよね。わかるかな…。わかる人にはわかると思うんだけど…なぁ。」

 

エウティキアヌスは振り返って従者にも同意を求める

 

「あぁ…わかります。何つーか、空気感? 覇王の気みたいな。皇帝になる人ってそういうのありますよね?」

「覇王色的な?」

「そうそう、それです」

「あー、わかる。ヘリオガバルス様には何かそういったモノを感じるわ。」

「そこを行くとマクリヌス様…いや、敢えて言おう。マクリヌスって…」

「地味~!」

「そうそう、地味なんですわ」

「チマチマ軍事費削ってさー。節約してさー。皇帝のやることじゃないわ、アレはさ。」

 

 

そして、エウティキアヌスは背筋をピッと伸ばした

 

「メサ様。そしてヘリオガバルス様。このエウティキアヌス。悪帝マクリヌスを見事打ち倒してご覧にいれます」

 

--------------------

 

「お婆様、一体どういうことなのです! 僕は、カラカラ帝の息子でお父様とお母様の子どもではないのですか!」

 

ヘリオガバルスが祖母、ユリア・メサをそう問い詰めたのはエウティキアヌスが訪ねてきた日の晩だった。

メサは自身の計画を事前にヘリオガバルスに話してはいなかった。つまり、ヘリオガバルスもメサの作り上げた新しい『真実』をエウティキアヌスと同じタイミングで知ったことになる。

 

「そんなこと、どうだっていいじゃないか。お前は黙って大人の言うことを聞いていればいい。そうすれば皇帝になれるんだから。」

 

メサにとってはそうなのだが、まだ14歳の少年にはそれが飲み込めない。この純粋で敬虔な祭司には、自らが高い地位を得ることよりも真実を知ることの方が大事なのであった。

 

ヘリオガバルスは目に涙を浮かべながらメサを見つめた

年少ながらヘリオガバルスにはある種の魔性がある。非情なリアリストであるメサですら、この美少年のすがるような円らな瞳に見られると、つい情が沸いてきてしまう。

 

これはいかんな、とメサは席を立つ。

「お婆様、どこへ!」

メサはヘリオガバルスの叫びには答えなかった。

「ソエミアデ、後はあんたに任せる。」

とヘリオガバルスの傍らで心配そうな表情を浮かべていた母、ユリア・ソエミアデに一言言って部屋を出た。

 

ソエミアデは先程から、いかにも深刻そうな顔をしているが、自分の邪魔はしない。メサにはその確信があった。

ソエミアデは、セプティミウス帝やカラカラ帝の親類となったことで一族が得た栄光を知っている。表情だけは優しい母の顔をしているが、一度覚えた贅沢は忘れられるものではない。我が子への愛情と権力を天秤にかけた時、この女は必ず後者を選択するに決まっているのだ。

 

「お母様…僕は…お父様の子ではないのですか?」

ユリア・ソエミアデはヘリオガバルスを抱き締めた

 

「ヘリオガバルス…あなたはこれから、父の子でも母の子でもないと思いなさい」

「え? そんな…」

「あなたは太陽の子なのです。エル・ガバルの化身として、皇帝として。ローマ帝国を、そして世界を支配するのです。」

 

ヘリオガバルスの身体に伝わる母のぬくもり。

それとは裏腹に彼女の発する言葉には背筋が凍りつくような影が潜んでいた。

 

--------------------

 

マクリヌス打倒の兵があがった。

エメサにカラカラ帝のご落胤がいる。その噂は瞬く間に広まり、既にいくつかの軍団が味方になっていた。

その中にはカエサルがガリア遠征の為に編成したのが始まりだという伝統の第三軍団ガッリカも含まれる。

 

集まった軍団の総指揮はガンニュスという男がとっている。この男はユリア・ソエミアデの愛人で、かつヘリオガバルスの家庭教師を務めている。

所謂、ギリシャ風の知識人というヤツで、軍事も含めて多方面に幅広い知識を持った人物ではあるが、逆を言えば何が専門と言う訳でもない。何故このような人物が総司令官に選ばれたかと言えば、今まで祭司として育ち、軍とはまるで繋がりのなかったヘリオガバルスのことを唯一よく知っていたからに他ならない。

 

マクリヌスはヘリオガバルスらの反乱を鎮圧するため第二軍団パルティカを投入したが、これは前述のエウティキアヌスが司令官を務める部隊である。ガンニュスの軍と遭遇するとこれを攻めずに合流してしまった。

 

西暦218年6月。決戦の場所はアンティオキアとなった。

複数の軍団の裏切りにより、兵員の数ではヘリオガバルス軍の方が多かったが、戦闘を優勢に進めたのはマクリヌス軍の方だった。

 

指揮官の差であったと言ってよい。

マクリヌスも軍才に恵まれた方ではないが、職業軍人ではある。兵法に無知ではないが本来学者で実戦経験の不足したガンニュスとはやはり格が違う。

 

反乱軍は圧され、一部では潰走が始まろうとしていた。

ヘリオガバルスは軍中にある。傍らにはユリア・メサとユリア・ソエミアデ、そしてガンニュスも一緒だ。

守備網を突破した者がいるのか、遠くに敵軍の騎兵が2騎ほど突っ込んでくるのが見えた。それによってヘリオガバルスの近衛兵が数人討ち取られたが、それでもまだこの一帯にはヘリオガバルスの兵の方が多い。騎兵は囲まれ、馬から引きずり降ろされて刺殺された。ヘリオガバルスはここで初めて人が殺される様を見た。

 

「ここは、危険ですね…。」

ガンニュスが言った。今の兵は何とか討ち取れたが、守備網が完全に破られる時も近い。そう判断したのだ。

 

「チッ、役立たず共が!」

ユリア・メサは地団駄を踏んだ。

 

「さぁ、ヘリオガバルス様! 早く!」

ガンニュスは一向に動こうとしないヘリオガバルスの腕を掴んで立ち上がらせようとした。ガンニュスはヘリオガバルスが恐怖のあまり、腰を抜かしてしまったのだと思ったのだ。

 

だが、ヘリオガバルスは怯えていたのではない。

 

彼は兵たちの殺し合いを見ながら、ただ

「僕は一体誰なんだろう」

ということを考えていた。

 

ずっと、自分は死んだ元老院議員のマルケルスとユリア・ソエミアデの息子で太陽神エル・ガバルの祭司なのだと思ってきた。

だが、祖母は自分を「ローマ皇帝の息子」だと言い、母は「太陽神の化身」なのだという。父の死によって弱冠14歳ながらエメサの街の司祭となったヘリオガバルスはこれまでも街中から親しみのある尊敬を受けてはきたが、やはり周囲の大人たちからは子ども扱いである。特に家庭教師のガンニュスや先代や先々代の時代を知る老人などからはアドバイス染みたお説教を聞かされることもあった。

だが、祖母が急に自分のことをカラカラ帝のご落胤だと言い出してからはそういったこともなくなった。それどころか大人たちが皆、片膝をつき、忠誠を誓い、命すら懸けると言う。

 

今、先程も話したこともない近衛兵団員が自分を守るために命を落とした。

自分は今までと変わらない子どものままのつもりなのに、周囲からの扱いはガラリと変わってしまった。

 

一体、自分は何者なのか。

 

「ヘリオガバルス、さぁ、逃げるのです」

ガンニュスが声をかけても動かないヘリオガバルスに、今度はユリア・ソエミアデが言った。

 

「お母様…僕は本当に太陽の子なのでしょうか」

ソエミアデはヘリオガバルスの問いにそんなことを今言っている場合か、とばかりの早口で答えた

「そうです、そうですとも。だから、あなたは、こんなところで死ぬ訳にはいかないのです。」

 

それを聞き、ヘリオガバルスは立ち上がった。

だが、それは逃げる為ではなかった。

 

「もし、本当に僕が太陽神の化身なら、僕は世界を統べる者…。ここで死ぬわけにいかない…いや、僕はこんなところで死なないはずだ。」

 

ヘリオガバルスは剣を抜き、敵軍団が待つ方向へ向かって走り出した。

 

「へ、ヘリオガバルス様! 何を!」

呆気にとられ一瞬遅れたがガンニュスがヘリオガバルスの後を追って走り出すと、更に護衛についていた近衛兵団の兵たちも続く。

 

ヘリオガバルスが何を考えてこんな行動に至ったのかガンニュスには予想もつかなかったが、彼は力の限り叫んだ

 

「皆の者、皇帝に続け! いや、幼帝の後に続くことを恥と思え! 兵士たちよ、自らが臆病者ではないと示したいなら、剣をとり皇帝の進む道を切り開け! 勇敢な皇帝を決して死なせるな!」

 

こんな戦い方は机上で戦争を学んだガンニュスの常識にはなかった。でも、こうでも言うしかなかった。

 

総司令官からするとたぶんに苦し紛れの作戦行動ではあったのだが、勢いは時に戦略を上回る。

ヘリオガバルスの突進に感化された兵たちは命を惜しまず我先にと敵陣に突っ込んでいった。

そして、それはやがて大きなうねりとなってマクリヌスに迫っていく。

 

冷静に考えれば、こんな陣形も戦術も無視した突撃の勢いが長く続くはずはないのだが、慎重すぎるくらい慎重な性格のマクリヌスは戦場から逃げ出した。

マクリヌスからすると、ここは一度退いて体制を立て直した方が確実に勝利を掴めるという考えだったのかもしれないが、こういったところがマクリヌスが軍団から好かれない要因であった。

 

完全に負けが決まった後なら敗走もやむを得ないが、まだ勝ち目がある内に兵を退くなんてあり得ない。

こんなことを繰り返していては兵士たちがすぐに逃げ出すことを覚えてしまうから、軍団は弱体化する。いくら逃げようが、今、ここで勝つ気がない軍団に次なんてないのだ。

 

一般兵から軍団長クラスまで、軍事を多少知っている人間ならそう考えるのが当たり前だったので、マクリヌスの決断は全く支持されなかった。

逃げるマクリヌスについてくる者はほとんどいなかった。

将兵たちは皆、武器を捨てて戦うことをやめた。それどころかヘリオガバルスの兵と抱擁を交わしローマ軍の同士討ちを避けられたことを祝う者さえあったという。

 

逃げたマクリヌスはローマにたどり着く前に死んだ。

小アジアのピティニア属州にて街道警備の兵士たちに捕らえられて殺されたのだ。結局、兵団に裏切られての死であった。

マクリヌスは軍人出身で元老院に籍を置いたことのない皇帝であったが、その経歴とは裏腹に法律や経済の知識があり、堅実な男であった。この前後の皇帝たちと比べると非常に良心的な人物であったと言ってもいいだろう。

だが、この時代のローマを治めるには勇気が足りなかった。それだけが足りなかった故に全ての味方に見捨てられ、挙げ句命を落とすことになったのであった。

 

こうして、新たなる皇帝・ヘリオガバルスは誕生した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

中編 ~HENTAI~

エメサの街はお祭り騒ぎだった。

ヘリオガバルス、この時14歳。若き皇帝の誕生である。

 

何よりこの皇帝は東方(オリエント)出身だ。今まで、ローマ本国以外でもスペイン出身のハドリアヌス帝や北アフリカ出身のセプティミウス・セウェルス帝がいたが、東方出身の皇帝はいなかった。つまり、ヘリオガバルスはローマ皇帝としては初の東方出身者となる。

 

東方(オリエント)は歴史を辿ればローマ本国よりも先に文明が築かれた場所であり、西方(オチデント)とは違った文化がある。ヘリオガバルス皇帝擁立の首謀者であるユリア・メサやユリア・ソエミアデはローマをこうした東方の文化で染め上げることこそ、一族が帝国を支配した証であると考えた。

 

既に政治の実権はメサらの手にあるが、ヘリオガバルスが正式にローマ皇帝になるには、本国へ行き、元老院の承認を受けなくてはならない。西方的な考え方でいけば、今はまずいち早くそれをとりつけ、一種の社会契約を結ぶこと。要は、国家の公認を受けたという既成事実を作るべきなのだが、東方出身のメサらは違った考え方をした。

 

東方では『公認』を得ることにはそこまでこだわらない。それより大事なのは『権威』だ。

新たなる皇帝ヘリオガバルスがローマ本国の市民の前に現れる時には、まるで神が舞い降りたかのような姿でなくてはならない。

 

その為、ユリア・メサは宮廷人や神官、楽士などを加えた大行列を組織し、これと共にヘリオガバルスをローマまで行進させた。

 

しかもこの集団の最後尾には常に奴隷6人に担がれた大きな輿がいる。誰か高貴な人でも乗っているのかと思えばそうではない。乗っているのは大きな黒い岩であった。大昔に空から降ってきたという言い伝えのある岩で、エメサの太陽神信仰の象徴、御神体となっているものだった。おそらく、隕石か何かだったのだろうが、当時の人にとっては神が空から落としたものであるとしか思えなかったのだろう。

 

何にせよ、この岩が進むスピードに合わせながら数百人が一度に移動するのである。非常にゆっくりとした行幸となった。

 

--------------------

 

それにしても遅い。

先行してローマ入りし、皇帝が来るまで政務の代理や元老院相手の政治工作を行っていたガンニュスはそう思った。

 

アンティオキアでの勝利が218年6月。その年の終わりになってもヘリオガバルス一行がニコメディア(現イズミット、イスタンブールの85㎞手前)より先に進んだという知らせが届かない。いくら東方式の行幸に時間がかかると言えども、まだ欧州入りもしていないというのはさすがに遅すぎる。

 

東方出身のガンニュスですらそう思うのだ。本国の議員や市民からは皇帝が旅の途中で病を得たのだとか、暗殺されたのだとか不穏な噂も聞こえるようになってきていた。

 

これでは、皇帝が本国入りする前に地盤が怪しくなってしまう。ガンニュスはヘリオガバルス一行が通る予定の道をそのまま引き返し彼に会いに行くことにした。

 

さすがにニコメディアはもう発しているだろう。

 

ガンニュスはそう考えていたので行く先々で

「皇帝の一行が来ていないか」

ということを聞きながら進んでいた。

 

あれだけ大人数の行幸なのだから、当然かなり目立つ。少し離れた場所にいても噂は聞こえているだろう。簡単に居場所はわかるはずだ。ガンニュスはそうタカをくくっていたが、彼がヘリオガバルスの現在地を知ることができたのは結局、ボスポラス海峡を越え、ビザンティオン(現イスタンブール)に至ってからであった。

 

なんと未だニコメディアにいるという。

 

まさか、ローマ本国での噂通り、本当に皇帝の身に異変があったのではあるまいか。不安を感じたガンニュスは早馬を走らせて一路ニコメディアに向かった。

 

ヘリオガバルスらの宿につくとガンニュスは見張りの下僕に対して、すぐに皇帝に合わせてほしいと要求した。

 

下僕は頭をかきながら

「いやぁ、皇帝は宴の最中でして…。お会いになるなら終わってからの方が…」

と言う。何かバツが悪そうだ。

 

「皇帝の身には何事もないのだな?」

「はい。それは勿論。元気すぎるくらいお元気でして…」

「では、宴の最中だろうが、お会いして何が悪い。私はヘリオガバルス様一の臣下。それに父親(のようなもの)でもある。」

「それは…」

「もうよい。入るぞ」

 

下僕の忠告を無視してヘリオガバルスのいる部屋に入ったガンニュスは醜悪な光景を見た。

 

部屋中に並ぶ大量の酒と馳走。部屋の中央にある舞台では半裸の女たちが淫らな舞いを舞っている。その舞台の下には一際汚い奴隷が集まっており、踊り子を見ながら興奮し皆一様にピョンピョンと跳ねている。見せ物は舞いそのものより、奴隷たちで、その滑稽さを笑うものなのだろう。

ヘリオガバルスは玉座に腰掛け、全裸でそれを眺めていた。その周囲にはこれまた全裸の美女と美少年が4~5人ずついる。別にヘリオガバルスに尽くす為にいるのではないようで、馳走を喰らいながらヘリオガバルスの傍らに侍る者もあれば、皇帝そってのけで性交に耽っている者もいる。それぞれ好きに過ごしている印象だ。

 

「ヘリオガバルス様!」

ガンニュスは入口でそう叫んでからヘリオガバルスの下へ駆け寄った。酒が入っているのかヘリオガバルスは虚ろな目をしている。

 

「おお、ガンニュス…。ローマに居たのではないのかい?」

「ヘリオガバルス様がなかなかローマへいらっしゃらないので、何かあったのではないかと様子を見に来たのです!」

「そうか…。ご苦労。見ての通り、健康だ。ガンニュス、お前はローマへ帰り政務に励むように」

 

ヘリオガバルスがすぐにガンニュスから目を反らし、興味深そうに見せ物を見始めたのでガンニュスはまた大きな声を出した

 

「ヘリオガバルス様! 政務は本来あなたの仕事です! その為にローマへ向かっていたのでしょう? こんなところで何をしているのです!」

「いいじゃないか、政務なんて。どうせお婆様やお母様が全てを決めて、ガンニュス、お前が実行するのだろう。僕がいることに何の価値がある?」

「いらっしゃるだけで価値がある。あなたはそういう存在だ」

「そんなことより僕はここで人間とは何かを考えたいんだ」

「こんな怠惰で淫らな生活をすることで、それが、わかりますか?」

 

ガンニュスは冷たい声を出した。

皇帝はまだ14歳だ。自分が離れている間、誰に悪い教えを受けたのかわからないが、尤もらしいことを言って、欲に溺れる自らを正当化しているだけだ。そう決めつけていた。

 

「だって、みんな嘘つきじゃないか。世間の連中は皆、嘘つきだ。」

「何を言ってらっしゃるのですか?」

「僕はここが落ち着くんだ。皆、嘘をついている。外の世界じゃ正義の為だとか、市民の為だとか、皇帝の為だとか綺麗事を言って、本当は自分のために殺し合いをする人間がたくさんいる。狂気の沙汰だ。その点、ここは最高だよ。皆、美味しいものを食べてお酒を飲んで、色欲に溺れて、他の者に働かせて自分は怠惰に暮らすんだ。正直者ばかり。皆、本能のままに楽しむんだ。」

 

「皇帝陛下、こんな若いウチから欲に溺れていてはいけません。きっと後々後悔されます」

 

「信用できない。お前だって嘘つきだからだ」

「私がいつ、嘘をつきましたか?」

「お前はいかにも正しそうな理屈を押し付けてくる。だが、そもそもお前は僕の家庭教師の分際で母の愛人じゃないか。未亡人の母を肉欲に溺れさせ、学者風情のお前は権力をつかんだ。お前のどこが正しい人間なんだ。僕に説教したいなら、本当に正しい人間になってからにしろ。」

 

ガンニュスはため息をついた。

 

「私がソエミアデ様の側にあるのはただ貴女への愛のみが理由です。私が政務を行うのは、ソエミアデ様やメサ様の信任を受けたからにすぎません。私はそのお心に応える為、私心なく政治を行っているつもりです。」

 

更に続けた

 

「それに、もし仮に私が正しい人間でなかったとしても、あなたは正しくあらなければなりません。ヘリオガバルス様、あなたはローマ皇帝なのですから」

「ガンニュス、では、最後に一つ聞きたい。僕は誰だ?」

 

ガンニュスにはヘリオガバルスの言葉の深意がわからない。

「誰…どういう意味でしょう?」

 

「だから、わからないんだよ! 僕は誰だ! ローマ皇帝なのか? エル・ガバルの神官なのか? マルケルスの息子なのか? カラカラ帝の息子なのか? それとも誰の子でもない太陽の子なのか? 何が嘘で何が本当なんだ? わからないんだよ!」

 

「ヘリオガバルス様、それを知ることに意味がありますか? あなたは今、皇帝でありそれが事実なのです」

 

「意味? あるさ! だって、皆が僕の為だって…僕を皇帝にする為だって、それが正しいことなんだって言って戦争を起こしたんだ! 僕が僕を知らないのに! 訳のわからない、本当はあるのかどうかさえわからない理由の為に戦が起きてたくさん人が死んだんだぞ! 何でお前たちはそれで平気なんだ! 狂っている! お前は狂人だ! ガンニュス! お婆様も、お母様も、兵士たちも皆そうだ!」

 

「ヘリオガバルス様、落ち着いてください。あなたなら何が正しいかわかるはずだ」

 

「うるさい! 何で狂人のお前が正しいと思うことをしなきゃいけないんだ! 何で権力の為に人を殺すことが正しくて、本能に忠実になることが悪いんだ!」

 

そしてヘリオガバルスはガンニュスのことを指差しながら言った

 

「死ね、ガンニュス。お前は大嘘つきだ。僕は僕の欲望にしたがって、正直に生きる。」

 

218年の冬。ガンニュスはニコメディアにて暗殺された。

ヘリオガバルスはその後もしばらくニコメディアに滞在するが、やがて飽きて前進を再開した。

 

一行がローマに到着したのは、219年9月のことである。

 

--------------------

 

ローマの街を異様な行進が練り歩いた。

ローマでは珍しいオリエント風の衣装に身を包んだ集団。そして、最後尾には例の黒い岩の乗った輿がいる。

物珍しさから多くの見物人が集まったが、その評判は高いものとは言えなかった。

 

その要因はヘリオガバルスの出で立ちにあった。地面に届きそうな長袖を支える紫色の地に錦糸をあしらった司祭服を着用し、ネックレスや腕輪など豪奢な装身具をほどこした衣装。

本来女性が身につけるものである。

これらはエル・ガバルの両性具有的な神性を象徴するのものなのだが、国家の第一人者たる皇帝が女装で民衆の前に立つなど雄々しさを美徳とするローマ人にとっては異常な光景でしかなかった。

 

それだけならば、異国の文化、個人の趣味で片付けられないこともない。だが、決定的に評判が悪かったのは、ヘリオガバルスの頭上にある王冠であった。

 

ローマではいくら皇帝でも王冠はかぶらない。それを模した月桂冠をかぶるのが伝統であった。

ローマは元々が共和制の国であり、独裁者を拒絶する文化がある。この時代のローマ皇帝は、どんなに大きな力を持っていても、建前上は君主ではなく、第一市民(プリンケプス)と呼ばれ、あくまで元老院の筆頭者という扱いだ。

それはその昔、英雄だったカエサルが殺された理由でもあり、そこと上手く付き合ったアウグストゥスが初代皇帝となり得た理由でもあった。

この元々第一市民だった存在がローマの滅亡後、他の民族に継承され、時代が下ると、それを引き継いだ神聖ローマやロシアではそれぞれの民族の文化に合わせて専制君主的な皇帝も多く誕生したことから、現代では言葉のイメージが変わってしまっているが、とにかくこの時点ではまだ皇帝はそういった存在ではなかった。

 

そうした中で、新たな皇帝ヘリオガバルスが王冠を頭上に頂いていたという事実はローマ人の文化を著しく否定するものであり、多くの市民たちが抱く自国家への理想像を破壊するものであった。

 

--------------------

 

ヘリオガバルスの市民に対する御披露目は、文化の違いを読めなかったユリア・メサの失敗と言ってよい。

あるいは、幅広い知識を持ったブレーン・ガンニュスを失った弊害でもあった。

 

だが、マクリヌス打倒の黒幕でもあるユリア・メサはやはりやり手である。

 

その反省を生かし、元老院に対して

「ヘリオガバルスはアウレリウス帝の政治を継ぐ者である」

と盛んに喧伝した。

 

それはつまり、元老院を尊重した政治を行うと宣言したのと同じ意味になる。元老院の議員たちもローマの市民たちもヘリオガバルスは傀儡で政治的意思決定権はメサやソエミアデが握っていることを知っている。

ヘリオガバルス本人が女装癖のある変態だろうが、ローマの文化を理解できない無知な小僧だろうが、黒幕のメサらがそう考えているなら、かまうまい。

 

多くの人がそう考えたことから、新皇帝ローマ到着後の騒ぎは次第に沈静化していった。

 

--------------------

 

皇帝になったことで、ヘリオガバルスは名を改めた。

 

前述したように、ヘリオガバルスというのは愛称である。

彼の本名を『ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス』と言った。新たな名前は『カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス』である。

 

『カエサル』は英雄ユリウス・カエサルから、『マルクス・アウレリウス・アントニヌス』はメサが政治を引き継ぐと宣言したアウレリウス帝の名をそのまま。なお、カラカラ帝もこの名を名乗っていたことがある。そして『アウグストゥス』は初代皇帝アウグストゥスからとっている。

『ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス』という名は影も形もない。そのような人間はどこかへ消えてしまったかのようだった。

 

なお、本作では便宜上、この後も彼の呼称はヘリオガバルスとする。

 

ヘリオガバルス自身も、偉大な人物なのか何なのか知らないが、自分が会ったこともないどこかの誰かの名をくっつけただけであるこの名前を嫌った。周囲の者には相変わらず自分を『ヘリオガバルス』と呼ばせ、『アウグストゥス』の呼称を使うのは議会など正式な場所でだけだった。

 

 

220年、ヘリオガバルスは最初の結婚をすることになった。相手はコルネリア・パウラという裕福なシリア系ローマ人の娘であった。だが、この結婚は一年ともたなかった。「ヘリオガバルス様の性的倒錯に耐えられない」とコルネリアが周囲の人間に泣きついた為だった。

皇帝の妻という貴族の娘でもなかなかなれない地位を手にしていたにも関わらず、彼女がこのような行動に出たあたりにヘリオガバルスの異常性が窺える。

 

メサはコルネリアの訴えに理解を示し、離婚を受け入れはしたが、ヘリオガバルスを咎めるようなことはしなかった。政務が忙しくなっていたので、ヘリオガバルスの変態性について本人と語らい説得する暇など彼女にはなかったのだ。

また、ヘリオガバルスが性交渉に夢中になり、頭をすっからかんにしているなら、その方が都合がよいという思いも少なからずあった。幼帝が成長して自我を持ったが故に実権を持つ親類を排除しようとするなどというのは、よくある話だ。あのヘリオガバルスならそれもあるまい、とメサは安堵したのである。

 

母のソエミアデもメサとほぼ同様の様子であった。

彼女は愛人であったガンニュスを暗殺した首謀者がヘリオガバルスだとは知らない。いや、その可能性を考慮しつつも考えないようにしていた。彼の人間性がどうだろうが、息子のヘリオガバルスが皇帝でいる間は自分は裕福でいられる。だから彼女はヘリオガバルスの異常性に対して見ないフリをした。

そして、時折ガンニュスを思い出しては

「あんな優秀で良識ある人を誰が恨んで殺したのでしょう」

と呟き涙を流し、それでも政治に口を出しながら、新しい愛人と共に贅沢な暮らしを楽しんでいた。

 

--------------------

 

「惜しいことをした」

ヘリオガバルスはそう思っていた。

 

女ならいくらでも手に入る。だが、妻という存在は遊女や愛人とはまた違った風情がある。

もう少し、丁寧に扱ってやっても良かっただろうか。

いや、結局あの女は自分の妻に相応しい女ではなかったのだ。

 

そう考えたヘリオガバルスは、メサに新たな妻を用意してほしいとせがんだが、

「今、忙しくてそれどころではないし、あんなカタチで離婚してすぐに新しい妻を娶るのは印象が良くないから、しばらく大人しくしていろ」

と一蹴されてしまった。

 

ならば、自分で妻を探すしかない。

そこでヘリオガバルスの脳裏に浮かんだのが、アクィリア・セウェラという女だった。

 

ローマ政治の中心街、フォロ・ロマーノの奥にウェスタ神殿という建造物がある。この神殿はその名の通りローマにおける竈の女神、そこから転じて家庭や結婚の守護神とも言われるウェスタ神を祀る神殿である。ウェスタには数多の神々からの求婚を断り永遠の処女を誓ったという伝説がある。

神殿に仕える巫女は、ウェスタの伝説にちなんで30歳まで処女を守らなければならない。彼女らは長い禁欲生活を強いられる訳だが、同時に神聖な者であるともされ、地位は高く、様々な特権も持っていた。

そして勿論、それだけに掟を犯すことは重罪であった。古い信仰によれば、掟を破った巫女はローマ市内に生き埋めにされるべし、との言い伝えもある。それが、ローマ法では許されておらず、刑罰が伝承通りに実行されたことがない事実こそ、この時代既に聖教分離の概念を持っていたローマの文明の凄みなのだが、とはいえ掟を犯すことが重罪であり大事なのは間違いない。

アクィリア・セウェラはそのウェスタの巫女の一人だった。

 

ヘリオガバルスは以前、神殿を訪れた際にアクィリアを気に入り、その辺にいる女と同じように手込めにしようとした。

だが、いつもヘリオガバルスの悪事に対して見て見ぬフリをしている従者たちが、この時ばかりは

「それだけはお止めください!」

と力ずくで止めたので、行為を断念したという事があった。

 

新しい妻には彼女がいい。

ヘリオガバルスはそう思った。

 

ある夜、ヘリオガバルスは従者も着けずにウェスタ神殿の裏手にある巫女たちの家を訪問すると、アクィリアを見つけ出して力強くで犯した。

 

アクィリアはヘリオガバルスと結婚することにした。どんなカタチであれ、神から仰せつかった掟を破った者は罰せられる。彼女が身を守る方法は皇帝と結婚しその庇護下に入るしかなかったのである。

 

--------------------

 

アクィリアの心配とは裏腹に彼女に対する同情の声が市民からあがった。

 

メサはヘリオガバルスとアクィリアを離婚させ、アンニア・ファウスティナという女性と新たに結婚させた。この女には既に夫がいたが、ヘリオガバルスは全うな結婚では満足できないのだろうとメサがわざわざ夫と引き離す荒業を使って連れてきた。

アンニアは美人で有名な女性でもあったので、ヘリオガバルスは初めこれを喜んだ。

だが、アウレリウス帝の親類で年上でもある彼女はなかなかヘリオガバルスの思い通りにならない存在であった。

つまらなくなり、数ヶ月で離縁した。

メサらにも黙って行った離縁であったので、後からヨリを戻せと説得されたが、一旦別れた後はアンニアの方にもそのつもりがなくなっていたので、メサはそれを断念するしかなかった。

 

その後、ヘリオガバルスは短い間しか結婚生活を送る事ができなかったアクィリアが恋しくなり再婚したが、ヘリオガバルスの彼女への強い想いというのは、仲を引き裂かれたことへの反発心や簡単に手に入らないものへの憧れから来るものであった。

この頃になると、ヘリオガバルスを本気で止めようとする者も少なくなっていたのでヘリオガバルスは以前ほど彼女に対してトキメキを感じなくなっていた。結局この結婚も数ヶ月しかもたなかった。

 

--------------------

 

そして、ヘリオガバルスは5度目の結婚を発表した。金髪の奴隷ヒエロクレスの妻になるというのだ。念のため記すが、ヘリオガバルスが妻になる、ということは当然相手は男である。

 

元々ヘリオガバルスは公衆の面前に女装で出ることもあるような人物だから、同性愛の嗜好があることは一般に知られないまでも、何となく予測がつくことだった。

同性愛そのものは否定されていない。ローマにその風習はなかったが、ローマ人が尊敬するギリシャの文化ではそれが行われてきた歴史があった為、非難される類いのものではなかった。かといって堂々と宣言するようなものではないし、しかも、奴隷の妻になるという発想は常軌を逸している。

ローマは父権が強い国だ。つまり、女性が結婚するということはある種、女性がその家に入り、夫に仕えることを意味している。その価値観で見るならば、ヘリオガバルスが奴隷のヒエロクレスの妻になるということは、ローマ皇帝が奴隷に仕えるということだった。

 

しかも、ヘリオガバルスのピークに達した欲望は単に妻として振る舞うだけでは満たされなかった。

 

この時期、ヘリオガバルスが行った変態的行動は挙げていけばキリがないが、最も好んだのは、自ら売春婦となることだ。

最初は金髪のカツラをつけ、化粧をして酒場に繰り出し客をとったが、そのうち宮殿内に自らの娼館を作り、そこで客をとりだした。

何故、わざわざ神聖な宮殿内でそのようなことを始めたかと言えば、夫・ヒエロクレスにその不貞を見せつける為だった。

ヘリオガバルスは夫に不貞を咎められ、罵倒と暴行を受けることに快感を覚えていた。

一際、ひどい殴打を受けた次の日などは部下から顔に青アザが出来ていることを指摘されると

「そうか! そんなにひどいのか!」

と言いながら顔を赤らめ悦楽の表情を浮かべたという。

 

宮殿には連日ヘリオガバルスの甲高い歓喜の悲鳴が響いた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい! ふしだらな女でごめんなさぁいぃぃぃ!」

「あぁぁぁあぁ! 僕、犯されてるぅ! 皇帝なのにぃぃぃ! いいように犯されちゃってるぅぅ!」

「気持ちぃぃ! 僕、『カエサル』で『アウグストゥス』なのに! 『アウレリウス』の後継者で『カラカラ』の息子なのに! 娘になって感じちゃってるよぉ!!」

 

常人には理解しがたいことかもしれないが、彼にとっては至極の快感だった。

もしかすると、ヘリオガバルスの潜在意識にはローマという国を辱しめたいという想いがあったのかもしれない。

父性を象徴とするローマという国において女装を好むことも、ウェスタの処女を無理やり犯し妻とすることも。そして何よりローマの代表者たる皇帝を名実共にふしだらな女の身に堕とし、奴隷に罵倒・暴行させることも。全てはローマの文化と伝統と誇りを踏みにじることだ。

 

14歳という多感な時期、突然東方の神官から皇帝にされた。周囲から尊敬を受け穏やかに過ごしていたエメサから、権謀術数渦巻くローマにやってきて生活も立場も何もかもが変わった。そうした境遇への違和感と反発が今のヘリオガバルスを作ったのである。

本来であれば、周囲の大人が彼を叱り、全うな道へ戻してやるのが教育だ。だが、皇帝になった彼に対して周りの世話をする部下たちは言うことを聞くことしかしない。また、祖母も母も権力に溺れ本当の意味で彼のことを思ってはいなかった。唯一彼を叱ったガンニュスはヘリオガバルスが権力を持つが故に排除できてしまった。

 

もはや、彼の変態性欲を止められる者はいなくなっていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後編 ~ダムナティオ・メモリアエ~

 

ダメだコイツ、そろそろ何とかしないと。

ユリア・メサはそう思った。

 

ヘリオガバルスが政治に興味を示さず遊びに夢中になっていてくれる分にはよかった。御輿は軽くてバカがよいという言葉の通り、実権を握るメサとしては都合がいい。だが、前述したようにヘリオガバルスがやっていたのは、ローマという国を辱しめる行為だ。市民からも議員からも、段々と反発の声が大きくなってきた。

 

そこで、メサは、もう一人の娘でユリア・ソエミアデの妹。ユリア・ママエアとその息子アレクサンデルをシリアからローマに呼び寄せることにした。

アレクサンデルをヘリオガバルスに次ぐ副帝とする為だ。

 

ヘリオガバルスはいい顔をしなかった。

理由は勿論、皇帝の仕事を一人でこなして行きたいからなどという殊勝なものではない。単に、唯一無二の存在でなくなることに未練があったのだ。

 

そんなヘリオガバルスをメサは

「副帝がつくということは公務が半分になるということだ。お前が嫌がっていた政務やローマの神々への儀式などは全てアレクサンデルに任せておけ。お前はエル・ガバルの儀式だけやって後は遊んでいればよいではないか」

と説得した。

 

ヘリオガバルスも何か怪しげな雰囲気を感じとってはいたが、メサの言ったことは確かに魅力的だった。

こうして、ヘリオガバルスもアレクサンデルを副帝として認めることになった。

 

--------------------

 

さて、ここまでヘリオガバルスの問題行動として、性的な倒錯のみを述べてきたが、それは彼の悪行の一部に過ぎない。

その他にも彼は、饗宴に来た客にレプリカの料理を振る舞い自分はそれを尻目に本物の料理を食べる。酔いつぶれた客を部屋に閉じ込め夜中にペットの猛獣を入れる、など悪趣味な悪戯をするのが好きだった。

 

アレクサンデルが副帝となり数週間たったある日のこと。

ヘリオガバルスは戦車競技を観戦する群衆の中に、何百もの蛇を放つという悪戯を思いつき、実行した。

勿論、毒などあったらたまったものではないので、その場にいた人は皆逃げていった。

 

だが、その後、誰も来ない。

 

いつもなら、今はローマ市内の治安維持を担当しているエウティキアヌスや彼をはじめとした部下たちがやってきて、半分ヘリオガバルスがやったものとわかっていながらも安全確認をしたり、それが悪戯だとわかった後は「皇帝陛下には困りましたな」と言っていく。

 

ヘリオガバルスはそんな彼らの弱った顔を見るのが大好きだった。だが、この日は、それがなかった。あまりに退屈なのでそこから小一時間その場で待ってみたがそれでも誰も来なかった。

このことで、ヘリオガバルスは段々と自分が周囲の人々から無視される存在になっていると知ったのである。

 

--------------------

 

良くも悪くも存在感の薄れるヘリオガバルスとは反対に副帝アレクサンデルの評判は上々である。理由は真面目だから、の一言に尽きる。

 

ユリア・メサはマクリヌス打倒の際、新皇帝の候補としてヘリオガバルスとアレクサンデル、二人の孫がいるにも関わらず、決起の旗頭としてはヘリオガバルスを選択した。少なくともあの時点で、メサは二人を比較すればヘリオガバルスの方に特別な才能を感じていた。ヘリオガバルスはとにかく容貌が良かったし、アンティオキアの戦いで見せたような思いきりの良さもあった。

 

もしかしたら、思っていた以上に大器だったのかもしれない。

メサは今になってそう思うことがある。

確かに彼は非常識だが、常軌を逸した行動をとれるのはある意味で才能だ。彼がエル・ガバルの祭司としてでなく、初めから皇帝になるべき人物として、しかるべき教育を受け育っていたらどういう人間になっていたのだろうか。決して飼い慣らすことのできない虎をムリヤリ檻に閉じ込めたが故にあんな風に育ったのではないだろうか。育て方を誤り才能を潰した。

メサは後悔もしていたが、ああなってしまってはもう遅い、とある種、割りきっていた。その割り切りができるところが彼女のやり手ババアたる由縁である。

 

ヘリオガバルスに比べると、アレクサンデルは特に何かが優れている人物ではない。だが、平凡故にメサの操り人形としてはヘリオガバルスよりも向いている。

いくら大器であっても壊れてしまった器をいつまでも使っていく訳にはいかない。

セウェルス朝の、バッシアヌス家の天下を存続していくならば、もうこの平凡な副帝をメサや母親のママエアが支えていくしかないのだ。

そして、実際にその統治体制は派手さはないものの堅実に機能しだしていた。

アレクサンデルはこの時14歳。ヘリオガバルスのような美少年でもなければ学問や武芸が特別優秀な訳でもない。普通の成長過程の、読書好きで大人しい子どもである。だが、周囲の人間にはその普通さがウケた。祖母や母。そして新しく部下になった大人たちの言うことをよく聞き礼儀正しく接した。ヘリオガバルスの奇行に疲れはてた人々…特に直接それを処理していた役人たちはアレクサンデルとその統治体制を歓迎したのである。

 

--------------------

 

ヘリオガバルスは実質名誉職に追いやられたと言っていい。

悪戯をしても性的倒錯に走っても無視され、一人宮殿内で悶々とする日々が続いた。

 

前述の通り、彼には潜在的にローマの文化と誇りを汚したい感情があった。ただ一人、ローマの象徴たる皇帝が淫らで情けない女としての姿を晒すことで性的な満足を得ていたのである。そうすることで、カエサルもアウグストゥスもウェスタもユピテルもローマ法も元老院も、その全てを汚し、貶めることに彼の快楽があった。

副帝アレクサンデルが実質的な皇帝となり、本来の皇帝である自分がどうでもいい存在だと思われてしまっては、どんなに恥ずかしいことをしても悦びは半減してしまう。ヘリオガバルスにとっては、ローマ人が大切にしているものを汚すからこそ価値があった。

 

そんなヘリオガバルスの下に母ユリア・ソエミアデが訪れた。彼女もまた、副帝アレクサンデルの存在を疎ましく思っていた。

ヘリオガバルスがダメだとなったら、皇帝の首を他の孫にすげ替えればよかったメサとは違い、ソエミアデにとっては息子は一人しかいない。ヘリオガバルスが皇帝でなくても甥っ子が皇帝なら彼女の望み通りの裕福な暮らしは十分できるのだが、権力欲の強いこの女はそれに我慢がならなかった。

 

「ヘリオガバルス、私、悪戯を思いつきました。一緒にやりませんか?」

 

ソエミアデの言葉にヘリオガバルスは身を乗り出した。母からこのような提案があるとは思わなかったからだ。久し振りに面白くなるかもしれない。そんな期待をした。

 

「お母様、それは一体どんな悪戯なのですか?」

ユリア・ソエミアデは冷たく笑った

「私たち二人でアレクサンデルを殺すんです」

 

--------------------

 

ヘリオガバルスは特に親しい近衛兵に命じてアレクサンデルを捕らえさせ、彼を牢に入れた。

母・ソエミアデからの指示は「殺せ」であったが、ヘリオガバルスにそこまでする気はなかった。ソエミアデの目的は副帝を殺害しヘリオガバルスの権威を脅かす者の存在を抹消することだったが、当の本人はまた、今まで通り人々が自分に注目するようになれば良いくらいにしか考えていなかった。

 

ヘリオガバルスは甘かった。権力闘争の恐ろしさを知らず捕らえた従弟をすぐ殺さなかったこともそうだが、ローマの文化と伝統を尽く破壊し傷つけた自分に対する人々の憎悪を甘く見ていた。

 

ヘリオガバルスはアレクサンデルが急にいなくなり人々が騒ぎはじめると頃合いを見計らい、フォロ・ロマーノの演説会場に人を集めて

「アレクサンデルは急な病気で亡くなった」

と公表した。

 

「ふざけるな!」

「お前が殺したんだろう!」

 

ヘリオガバルスの耳に聴衆からの心地よいヤジが聞こえてきた。副帝が急にいなくなって病死だなんておかしいし、そもそも誰もアレクサンデルの居場所を掴めないのに対立しているヘリオガバルスだけがそれを知っているのが不可解だ。もし本当にアレクサンデルが死んでいるなら、それがヘリオガバルスの仕業だというのは、誰がどう見ても明らかである。

そして、ヘリオガバルス自身それが分かるように事を運んでいた。

 

ヘリオガバルスは喜びを感じていた。また、人々が自分に注目している。これでまた楽しい毎日が戻ってくるだろう。

 

ヘリオガバルスが目を瞑り、その感慨に浸っていると、急に身体がふわっと浮き上がるような感覚に襲われた。

何が起きたのか、と見てみると、目の前には恐ろしい風景が広がっていた。

 

怒り狂った聴衆が演説会場に雪崩れ込み、ヘリオガバルスの身体に掴みかかってきていた。そして聴衆の中でも体格の良い男数人がヘリオガバルスを取り押さえて身体を持ち上げる

 

「そのままテヴェレ川まで連れていけ!」

一人がそう叫ぶと、群衆は皆一様に

「そうだ、そうだ!」

と同意した。

 

テヴェレ川というのは罪人が死体を棄てられる慣習のあった川である。ここまできてヘリオガバルスはやっと事態の深刻さに気づいた。

 

「違う、違う! これは悪戯なんだ! アレクサンデルが死んだというのは嘘なんだ! 彼は宮殿の牢の中で生きている! だから、離してくれ!」

 

民衆たちは信じなかった。人は自分に都合の良いことを信じたがる。

ローマを愛する者にとって、国家の伝統を尽く汚してくれたこの変態皇帝は八つ裂きにしたくて堪らない存在であった。やっとヘリオガバルスを殺す口実ができたのだ。

集まった人々にとって追い込まれた皇帝の言葉など聞くに値しない戯言でしかなかった。

 

ヘリオガバルスがテヴェレ川に運ばれる途中、

「ヘリオガバルスを、息子を返して!」

と必死に叫びながらユリア・ソエミアデが群衆の中に突っ込んできた。

 

彼女が浮かべる表情は同じ必死でも、子を守ろうとする親の愛情からくる必死さではなく、自分の権力の源泉となっていた物にしがみつこうとする鬼のような必死さであった。

ソエミアデもヘリオガバルスと同じように民衆に捕られた。

 

二人は衣服を脱がされて辱しめられた後、四方八方から殴られ、切り刻まれて死んだ。そして、ズタズタになった死体はローマの伝統と慣習に従いテヴェレ川に投げ棄てられた。

 

--------------------

 

ユリア・メサは二人の死の報を聞くと

「そうか…死んだかい。可愛そうに」

と呟いた。

 

非情なメサではあるが、ヘリオガバルスを殺すつもりはなかった。全ては彼女の野望から出た嘘から始まっている。ヘリオガバルスをああしたのは自分である。メサにもその自覚はあったであろう。しかし、ユリア・メサはその思いを胸の奥にしまい込んだ。

 

人は自分に都合の良いことを信じ、都合の悪いことは嘘だと思いたがる。

誇り高いローマの伝統を愛する市民たちにとって、ローマの歴史にこのような変態皇帝が存在したことは都合の悪い真実であり、嘘でなくてはならないことだった。そして、その雄々しさと勇敢さを代表する軍団が淫らな女であることを望んだヘリオガバルスをほんの一時でも支持して帝位につけたなど、あってはならないことだった。

 

ユリア・メサはヘリオガバルスとユリア・ソエミアデの二人をダムナティオ・メモリアエに処することを元老院に提案。そして、それは即日可決された。

 

ダムナティオ・メモリアエ。

つまりは記憶の破壊処置である。

 

翌日から二人に関する記録や痕跡がローマ市内から尽く破壊、抹消された。そして、そんな騒ぎが収まると数日後にはその名を口にするものもいなくなり、人々が悪帝のことを思い出すこともなくなった。

 

皇帝ヘリオガバルス。

まるで、その存在は嘘であったかのようだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

源平合戦に参加したけど天狗に教わった兵法使ったら無双できた件
その1 ~天狗になりたい!~


☆登場人物紹介-その1-

○源義経
平治の乱で敗れた源義朝の九男。預けられた鞍馬山で天狗から武芸を習い、源平合戦ではその力で無双する。ただし、政治的センスは皆無。と、いうか政治に興味がない。
○鞍馬山僧正坊
義経に武芸を教えた天狗。天狗道を日本のポップカルチャーとして定着させる夢がある。

○源義朝
頼朝、範頼、義経らの父。彼が平清盛に敗れたことで京都の源氏は壊滅。平家が繁栄を謳歌することに。子だくさん。
○源頼朝
源義朝の三男。二人の兄が平治の乱で戦死したので、河内源氏の棟梁に。政治的には天才だが、それ故、義経とは気が合わない。
○梶原景時
義経軍の軍監。上司への報・連・相が得意なサラリーマン的武将。

○木曽(源)義仲
木曽源氏の棟梁。ワイルドな性格。同じ源氏だが、義朝の長男・義平に父を殺されており、義朝系とは因縁あり。

○藤原秀衝
奥州藤原氏の棟梁。義経を高く買う。
○藤原泰衝
秀衝の次男。次男だけど、母の身分の関係で嫡男という微妙な立場。



平安時代後期。貴族たちが優雅に遊ぶ雅な時代は終わりを迎えた。

徐々に激化する力を持った貴族たちの争いは朝廷内での権謀術数に止まらず、ついには各地で武力衝突を頻発させるようになっていく。それは貴族の世のピークであると同時に、その終わりの始まりでもあった。

政治が乱れると、武力を持ったものが歴史の表舞台に駆け上がってくるのは古今東西変わらない。この日本においても武家の台頭が始まったのである。

 

そして、そこから大きく名をあげたのが、清和源氏と桓武平氏の二流派であり、その対立が絶頂に達したのが1160年1月に起きた平治の乱であった。

 

結果は、源氏側の歴史的大敗であったと言ってよい。当初は、清盛ら平氏の指導者層が熊野詣に出掛けた隙を見て電撃的にクーデターを起こした清和源氏の義朝が事を優位に進めていた。だが、一度は幽閉に成功した二条天皇と後白河上皇の身柄を平氏側に押えられると形成は逆転。京都・六波羅での合戦に敗れると義朝は地盤のある関東へ向けて落ちのびようとするが、途中で家臣の裏切りにあって死亡した。

 

さて、源義朝は平清盛よりも5つ程若い。享年は37歳である。清和源氏という日本を二分する武家の棟梁としてはまだ若い。

英雄色を好むの言葉通りと言っていいのか、この年で彼には9人の男児がいた。この平治の乱にもその内何人かが出陣しているが、当然、彼らは義朝よりも更に若い。長男の義平が20歳。この時、初陣だった三男の頼朝は13歳だ。そして、勿論まだ出陣などしていないが、源九郎牛若丸こと後の義経はまだ1歳に満たない赤ん坊であった。

 

敗戦後も戦闘意欲満々で都に潜み、度々清盛らの命を狙っていた義平は処刑され、次男の朝長は落武者狩りにあった際の傷が元で亡くなっていたが、三男・頼朝以下の子どもたちの命は、その幼さ故に助けられる事となった。

源頼朝は伊豆へ流罪。他の兄弟たちも散り散りになっていった。そして末っ子だった義経は11歳まで生母の常磐御前の下で育つも、その後は鞍馬寺に預けられ僧としての修行に励むこととなった。

 

--------------------

 

さて、義経(この時の名は遮那王)はつい先程記した様に、鞍馬寺で『僧としての修行に励むことになった』訳だが、それは周囲の者が勝手に決めたことであり、 当の本人はそんなものには全く興味がなかった。

修行を抜け出しては山中に繰り出して、木から木へ飛び移って遊んだり、鳥や獣を狩ったりすることを好んだ。

 

義経は自分の父親を知らない。

敵討ちが美談とされる時代背景の中で父親が時の絶対権力者・平清盛に敗れ殺された源義朝であると知ることがどれほど難儀なことかわかっているから、誰もそれを教えたがらなかったのだ。

それでも勝手にそんな武芸の真似事のような遊びを自分で考えて始めてしまうものだから、いつも寺からいなくなった義経を探しにくる僧侶たちは時折「やはり血は争えませんなぁ…」などと口を滑らせてしまうのである。

 

そんな日々を過ごしていたある日のことである。

いつものように、山中を彷徨いていると、木々の間にド派手な赤い着物を着た男の後ろ姿が見えた。法衣の形状から見て、修験者のようでもあるが、あんな奇妙な色の衣装はこの近くでは見ない。

 

たぶん、この山の者ではない。怪しいな、と感じた義経は近くに落ちていた太い木の枝を手にとった。

何者かわからないから、とりあえずコレでぶん殴って気絶させた上で縛り上げて話を聞こう。

そう思った義経は早速気配を殺しながら男に近づいていき、後ろから殴りかかったが、男はその瞬間に高く跳び跳ねて攻撃をかわした。

 

どこへいった?

義経が左右をキョロキョロしながら、視界から消えた男を探していると

「いきなり何するんだ、お前!」

と上の方から声がかかった。

 

義経が見上げると、男は高さ10mはあろうかという木の上にいた。どうやら、一瞬で地面からあそこまで飛び移ったらしい。明らかに人間技ではないが、普段からそのような遊びを行っていた義経からすると、恐れより先に尊敬の念がわいた。

 

「ごめんなさい、なんか怪しかったからとりあえず殴っておこうと思って。」

ペコッと頭を下げる義経。

 

男は木から飛び降りて義経の正面に立つと

「キミ、そういう乱暴なのホントにやめた方がいいよ」

と注意した。

だが、義経は男が忠告した内容よりも、男の容貌の方に気をとられた。

 

「うおぉ…」

思わずそんな声も出てきてしまう。

 

真っ赤な顔をしている。赤すぎて先程『ド派手な赤』と表現した法衣が朱色に見えてくるくらいに赤い。背中には羽のようなものがついている。更に、つり上がった眉と鋭い目。そして何より鼻が筒のように長い。

 

「あ、鼻長いっすね」

「お前さぁ。鼻、長いって言うと何か聞こえ方悪いじゃん。鼻、高いとか言えよ。てか、初対面の人の容姿イチイチ指摘すんな。行儀悪いぞ。」

「スミマセン。ところで、あなた何者ですか?」

「イヤ、普通こういう時ってさ。いきなり人に殴りかかった方から自己紹介するべきなんじゃね?」

 

なかなか礼儀にうるさい人らしい。

そう悟った義経は言うとおりにすることにした。

 

「僕、遮那王って言います。」

「寺の稚児か?」

「そうですね」

「寺の稚児が何でこんなトコ彷徨いてんだよ。修行とかないの?」

「修行、ありますけどつまらないです。」

「あ、抜け出してきたのね。まぁ、確かにあんなものが楽しいはずはないな。」

 

男は何やら物思いに耽っているようだ。

しばらく黙っているので、今度は義経から男に聞いた。

 

「あなた、スゴいですね」

「何が?」

「さっきの、地面から一っ飛びで木の上に飛び移るヤツですよ」

「あぁ…まぁ、天狗的にはあのくらい普通だけどね」

「ん? 天狗?」

「うん。見ての通りよ。オレ、天狗だからね」

「えぇ! あなた天狗なんですか!?」

 

義経は思わず大声を出した。

天狗を名乗った男は手のひらをヒラヒラさせ

「オイオイ、あんま大きい声だすな。天狗ってお前らより耳いいんだからさ。うるさいの何のって…」

と言って続けた

 

「天狗って…そんな驚くことか? てか、もしかして天狗って知らない? 最近の若い子、天狗知らない?」

「イヤ、天狗…知ってるには知ってますけど…。ホントにいるのは知らなかったです。」

「あぁ、そういう感じね。天狗も最近少ないからねぇ」

「まさか、妖怪と会えるなんて思わなかったです」

 

義経が言うと、天狗はまたもその言葉に敏感に反応した

 

「あんまりさぁ、天狗を妖怪として見ないで欲しいんだよね」

「では、何と…」

「まぁ。ちょっとした異民族程度に捉えてくれればいいのよ。そうだなぁ、蝦夷とか隼人とかいるじゃん。ああいう感じで。」

「そういうものですかね?」

 

「そうそう。数少ないからさ。俺だって会ったことある同胞って片手で数えられるくらいだし…。なーんか遠く感じちゃうのかもしれないけど、本来天狗ってそういうものじゃないからね。」

「そうなんですか?」

「うん。天狗ってさ、本来は…大衆的なモノだと思うんだよね。だから、大和民族の皆さんにはね、もうちょっと天狗を身近なモノとして捉えて欲しい。要は、ポップカルチャーなんだよね、天狗って。」

「はぁ…」

 

義経は天狗による難しい天狗論を語られて目を点にした。

 

「あ、オレとした事が…子ども相手に語りすぎてしまったぜ…」

 

天狗は少し恥ずかしくなったようで、頭をかきながら顔を紅潮させた(元から赤いので義経の目にはよくわからなかったが)。

 

「まぁ、いいや。お前、早いとこ寺に帰れよ。そろそろ今日は日が暮れる。」

「あの…明日も会えませんかね?」

 

天狗は首を捻った。

「会ってどうするんだよ? 明日も寺の修行あるだろうし。お前、またサボるの? 良くないと思うよ?」

 

義経は下を向き、シュンとしながは答える

「僕、お坊さんには向いてないと思うんです。じっとしてるのとか苦手で…。集中力がないんだと思います…。」

「そうかー。それは辛いなー。」

「でも、今日、あなたの技を見て思ったんです。僕、お寺の修行より天狗の修行がしたいです!」

 

少年の純粋な瞳を見て天狗は悩んだ。

おそらく、この子の親も何か考えがあってこの子をお寺に入れたに違いない。それを聞かないで天狗道に入れてよいものだろうか。だが、見たところこの子には才能がある。自分に襲いかかってきたときの身のこなしは、とても大和民族の子どもとは思えなかった。向いてない、好きでない事をずっと続けていくより、こちらの方が芽が出る可能性は高いのではないだろうか。

そしてなにより、天狗には天狗道を大衆的文化として日本に根付かせるという大願がある。それには、こういった若い子どもたちに技を教え、徐々に広めていくことが重要なのではないか。

 

それら全てを考慮した上で天狗は答えた。

 

「わかった。オレは一日おきにここに現れる。もう一日はお寺の修行もしっかりやるんだ。そうしたらオレはお前にみっちり稽古をつけてやる。」

 

--------------------

 

「こちらに亡き源義朝殿の末子、源九郎牛若丸殿がいらっしゃるとお聞きしました。是非お会いしたい」

 

鞍馬寺にやってきた西光という僧侶がそう話したのは、義経が寺に預けられてから3年の後。1174年初めのことだった。傍らに多田行綱という武将も一緒だった。

 

二人とも官位を持ったいわば貴人だ。現在の朝廷においては主流派ではないが、それでも無下に扱う訳にはいかない。二人は境内に通され、住職と話をすることになった。

 

「そのような者はおりませぬ。」

住職はそれ一本で通そうとしているが、西光はあきらめない。

「しかし、私は聞いたのです。これは信頼できる筋からの情報ですぞ。どうか、お会いしたい。」

 

住職はため息をついた

「先程から申す通り、そのような者はおりませぬ。また、もし仮にいたとしても仏門に入ったものは、皆、御仏の子であると思っております故、義朝殿の子だ、誰の子だということはないのです」

 

住職としては、もしいたとしても会わせる気はないと、拒絶を示したつもりだったのだが、二人は

「やはりここにいらっしゃるのですな!」

と色めき立った。

 

面倒なことになったので、住職は少し話題をずらしてみることにした。

 

「ところで、西光殿、行綱殿。お二人は、もしここに牛若丸様がいらっしゃるとして、彼に会ってどうするおつもりですかな? 」

「なぁに、源氏所縁の人々を集めて、時折宴など開いておりますので、牛若丸様も参加なされてはどうかと誘いに来たのですよ。皆、幼かった牛若丸様がどのように成長なされているか、気に掛けているのです」

と答えたのは多田行綱の方だ。

 

「ほぉ、少し妙な気が致しますな」

 

確かに、妙なのである。

この二人の内、まず西光についてであるが、この男は平治の乱で義朝らに討ち取られた信西の息子だ。要するに義朝とは敵対関係。生前、親しかったはずもない。

また、多田行綱も源氏の系譜にあたる人物ではあるが、平治の乱では義朝と敵対した。

ならば何故、今さらこの二人が義朝所縁の人々らと誼を結ぼうというのか。

住職には、何やら怪しい陰謀があるとしか思えないのである。

 

「まぁ、何度言われてもいないものは出せませぬ。とにかく、今日のところはお引き取り下さいませ。」

 

--------------------

 

「あの住職の言い草は…おそらく、アソコにいるな。源九郎。」

住職に寺から追い返された帰路、多田行綱はそう言った。

 

西光はため息をつく

「あの住職、とりつくシマもない。」

「なぁ、どうする?」

「どうするって…今は居場所が知れただけでも十分でしょう。陰謀とは、気心知れたもの同士、時間をかけて練るものです」

 

西光はニタリと笑う。

 

 

この二人は平治の乱の勝者ではあったが、その後の朝廷内では非主流派であった。

平治の乱というのは、よく源氏と平氏の戦いである、という風に説明をされるが、その激突の裏にはニ派に別れた貴族・皇族の争いがある。

 

その派閥とは一方が

『後白河上皇を中心とする院政派』

でありメンバーは後白河上皇、信西、藤原忠通など。

そしてもう一方が

『二条天皇を中心とする新政派』

でメンバーは二条天皇、藤原信頼、藤原惟方などである。

 

このニ派閥はライバルを牽制、もしくは掃討するためにそれぞれが武力を欲し、その際、院政派と組んだのが平氏で新政派と組んだのが源氏だった。

 

前述の通り、戦いの結果『院政派&平氏連合軍』が勝利する訳だが、一度戦いが終わると、勝利した派閥が分裂を始めてまた新しい争いが始まる、というのは歴史上よくある話である。

 

そして、例のごとく平治の乱からしばらく経つと、朝廷内では『院政派&平氏連合』だった集団が『院政派貴族』と『平氏』に別れて暗闘を始めた。

 

この争いに関しては平氏が優勢、いや、圧倒している。

軍事的なライバルだった源義朝を直接自らの手で打倒したこと、娘の建礼門院徳子が高倉天皇の后となったこと、日宋貿易の成功によって巨万の富を稼ぎだしたこと。

それら全てが上手く作用して、平清盛は1167年に律令官制の最高官である太政大臣にまで任じられていた。

清盛が絶対的権力を手にしたことにより、その一族が重要役職に登用され始め、また、非平氏は政権中枢から駆逐された。

まさに、平家に有らずんば人にあらず、という状態である。

 

さて、平治の乱では勝利したものの、西光、多田行綱の二人も非平氏。政治の中央から叩き出された立場だ。

戦いには勝ったのに甘い汁の一滴も吸うことができていない。当然、不満である。

 

本当なら今すぐにでも清盛を叩き潰して政権をひっくり返してやりたいところだが、そのようなこと、できるはずもない。

二人は、今はまず、力を蓄えることが必要だと踏んだ。来るべき決起の日の為に、反平氏のコミュニティを形成しておくこと。それが二人の狙いであり、義経はその旗頭になれないかと期待されたのである。

 

義経への勧誘は一先ず失敗したが、慌てることはない。旗頭になれそうな人間は他にもいるし、時間もある。無理に誘って、誰かに目をつけられる方が面倒だ。

そう思い、二人は都へ帰っていったのだ。

 

 

なお、この企みは3年程の後、鹿ヶ谷の陰謀事件として平清盛の知るところとなり、首謀者である西光らは島流しに処された。

計画としては、長い時間をかけ、旗頭として後白河上皇まで抱き込み、決起まであと一歩というところまで進んでいた。

 

それが何故頓挫したかと言えば、決起直前、清盛の長男・平重盛の軍勢と比叡山僧兵との衝突を目撃した多田行綱が平家軍のあまりにも苛烈な攻撃にビビってしまい、

「このままでは必ず負ける。何とか自分だけでも助かろう」

と清盛に計画を密告してしまった為である。

 

多田行綱とて、それなりの経験を積んだ武将である。その彼を絶望させる程、政治力でも武力でも平氏の勢いは圧倒的なのであった。

 

--------------------

 

さて、話を1174年、後の義経こと遮那王に戻す。

 

彼は鞍馬寺に二人の来訪者があったことを天狗から聞いた。鞍馬天狗曰く、天狗の耳はすごく良いから、耳を澄ませば鞍馬山の中で起こったことはだいたいわかるらしい。

 

「へぇ。何か怪しい人たちですね。あんまり関わりたくないなぁ。僧正坊さんは、どう思いますか?」

 

僧正坊というのは鞍馬天狗の個人名である。

義経は、初め彼を『鞍馬天狗さん』と呼んでいた。特に本人から文句もなかったので、しばらくそのままにしていたが、ある日「それって何かおかしくない?」と気がついた。

以前、本人が言っていたように『天狗』というのが民族名に相当する物なのだとしたら、『鞍馬天狗さん』という呼び名は現代風に例えれば東京に住んでいる人を『東京・大和民族さん』と言っているのと同じになる。

「名前…あるけど…。鞍馬天狗でいいよ、別に。天狗ってあんま個人名使わないから。面倒くさい。だって大和民族ほど数多くないからね? 鞍馬の天狗って言ったらオレだよ。すぐわかるじゃーん」

と本人は言っていたが、しつこく聞いて結局、鞍馬山僧正坊、というのが彼の名前だとわかった。

 

僧正坊は顎に手を当ててしばらく考えた後、言った

 

「うーん、だいぶ怪しいとは思うけどねー。でも最終的にはお前の気持ち次第なんじゃないの?」

「え? 僕のですか?」

「ん? そうだよ? だって、ほら。アイツら、お前のこと呼びに来たんだし。」

「ん? 僕を?」

「え?」

「え?」

 

そんな「え?」の応酬を数回続けた後、僧正坊は目に右手を当て天を仰いだ

 

「あちゃあ、もしかして知らなかった?」

「だから、何をですか?」

「あのー、だからさ。アイツらが探してる源義朝の九男ってお前のことなんだよ」

「え…あ、そうなんですか? 知らなかったです」

 

「うーん、ごめん。昨日、住職がそう話してるの聞いちゃってさぁ…。そういうつもりなかったんだけど…急に言っちゃってゴメンな…。こういうの聞くなら、心の準備とかいるよね。なんか、なんかもう知ってるだろみたいな気になってたわ…。先入観ってか。」

 

「いや、でもなんか良かったです。僕、昔から父のこと知らなくて。しっかり聞いてたら結構ショックだったかもしれないです。なんか不意打ちで聞いちゃったんで、いい感じに拍子抜けと言いますか…。」

「あ、本当…そりゃ良かった」

 

二人は顔を見合わせて笑っていたが、しばらくすると真剣な表情になった。

 

「…で、遮那王。実際のところどうなのよ? 平家打倒、父の敵討ち、やりたいのか?」

「正直、会ったこともない父なので、急に言われて復讐だの敵討ちだの言われてもピンと来ないですよ。でも、面白そうだと思いました。」

 

「面白い?」

「ええ。僕、この先のこと、悩んでたんですよ。僧正坊さんと一緒に天狗の修行をするようになって、僕やっぱりお寺の仕事よりコッチの方が好きだし向いてるなって思ってたんです。でも、今の生活じゃ天狗道を生かせる場所なんてないし…。でも、武士になって平家打倒を目指すなら、天狗道、生かせると思いませんか?」

 

「ふむ…それもそうだな」

 

僧正坊はしばらく黙った後、徐に義経の顔面に向かって拳を繰り出した。驚きながらも情景反射的にそれを受けとめた義経を見て

「うん。素晴らしい反応だ」

と微笑んだ。

 

「遮那王、お前、この山を降りろ。」

「え?」

「本気で平家打倒を目指すなら、俗世間のことも、もっと学ばないとダメだ。仲間が必要になるからな。だから、お前は山を降りて、俗世の人と一緒に暮らせ」

「でも、僕は僧正坊さんにもっと教えてもらいたいことが…」

「いや、今の拳を受け止められるなら、オレからお前に教えることはもうないよ」

「そんな…僧正坊さんは、僕なんかよりもっと強いじゃないですか!」

 

「教えることがないというか…これで十分だと言った方がいいだろう。お前には天狗道の中で基礎になる武術と兵法は既に教えた。これから先は霊術の修行になる訳だが…それは覚えない方がいい」

 

「なんで!」

 

「人智を越えた力を持つことになるからだ。かつてお前が天狗を妖怪の類いだと思っていた通り、人は理解出来ないモノや強すぎる力に恐れを抱く。お前が平家を倒すため、人として生きていくつもりなら、それは邪魔になる。それよりも、学ぶことがあるはずだ」

 

--------------------

 

義経が自分の父親のことを知ってから、数日が過ぎた。考え抜いた末、義経は山を降りることを決意した。

理由は、面白そうだから、の一言に尽きる。

寺の修行にしろ、天狗の修行にしろ、修行の為の修行を続けていくより、今まで覚えたことを何かに生かすことに興味が湧いたのだ。

 

ある日の真夜中、義経が出立の為に荷物をまとめていると、後方の襖が開く音がした。

 

「遮那王殿、随分大きな荷物をお持ちで。どこか、お出かけですかな?」

声のするところに立っていたのは住職だった

 

「あ、えっと。ソロキャンプに行こうかと…」

「こんな山の中に住んでいるのに、まだキャンプがしたいですか…?」

 

住職は一旦義経の嘘に乗るような様子を見せたが、ため息をついて話し出した。

 

「この前の客人のこと…遮那王殿のお父様のこと、誰かに聞いたのですかな?」

 

全てお見通しと言った様子だったので、義経も

「はい、まぁ…」

と頷くしかなかった。

 

「あの二人は、少し慎重さに欠けるかと思いますが、それでも彼らの計画に乗りますか?」

「いえ。私にはまだ平家と戦うだけの力がありません。でも、いつかは…そう思っています。だから、山から降りて、俗世間のことを学び、自分の軍を作りたいのです。」

 

「なるほど…。それならば、まぁ、好きにしたらよろしいでしょう。いつかそんな日が来ると思ってはおりました」

「ご住職様…」

 

「ですが、一体どこへ行くつもりですか? 行くあてはおありで?」

「それは…とりあえず一度、夜の五条大橋へ行くのだけは決めてありますが…」

それは僧正坊に言われたことだった。

「それより先は?」

 

「…それがまだ何も…」

義経は苦笑いした。

 

そう言えば、未来のことばかり考えて、今日明日の寝床や飯のことは何も決めていなかった。

 

「ずっと都にいるのはお勧めできません。平氏の天下ですからね。素性が割れたら死罪です。奥州(東北地方)に行かれるのが良いでしょう」

「奥州ですか…?」

 

義経は首を捻った。何か、縁があっただろうか。心当たりがない。

 

「もし、あなたが真実を知り、平氏を戦うことを望むなら、奥州藤原氏を頼るようにと。あなたをここに預けられた時、一条長成様(母・常磐御前の再婚相手)がおっしゃってらっしゃいました。」

 

「長成様が…!」

 

「奥州藤原氏の当主・藤原秀衡様のご舅にあたる藤原基成様という方と親類の縁があり、必ず力になってくださるであろう、とのことでした。長成様はあの時から、あなたの将来を見据えていたのですね。遮那王殿は、良いお養父上をお持ちになりました。」

 

義経は大きく頷いた

「はい。源義朝、一条長成、そしてご住職…。私は、素晴らしい父を三人も持ちました。私は幸せ者です!」

 

--------------------

 

さて、義経は山を下り、京都・五条大橋までやってきた。

今は、昼である。人通りも多く何か変わった様子もない。何故、僧正坊はわざわざこんなところへ来るように言ったのだろうか。義経にはわからなかった。

 

だが、通行人を一人捕まえて聞いてみたところ、面白いことがわかった。近頃、夜中にここを通ると、暴漢が出るらしい。

しかもその男、武芸に達者な者を探しており、そうした者を倒す度、証拠に相手の刀を盗って行って喜んでいるらしい。

何を考えているのかよくわからないが、なかなか厄介なヤツだ。義経はそう思ったが、それと同時にこれは自分の武芸を試すよい機会なのではないか、とも思った。

 

義経は僧正坊と共にずっと稽古をしてはきたが、習った武芸で試合をしたことはなかった。一体、俗世間において自分の武芸はどれ程のモノなのか。相手から襲ってきてくれるなら好都合。ここは一つ腕試しといこう。義経はそう思い、夜中にまたここに来ることにした。

 

 

この日は満月であった。月明かりが橋を照らす。

昼と違って、人通りはない。きっと、恐ろしい噂が人を遠ざけているのだろう。

 

義経は橋の欄干に腰をかけて暴漢を待っていた。

ニ刻(4時間)程待っただろうか。昼の通行人の怖がりようから、夜、この橋に近づいたらすぐに襲われるような事を想像していたが、どうやらそうではないらしい。

 

季節は現代でいう3月上旬だ。まだ夜は冷える。

今日は諦めてそろそろ帰ろうか。

そんな風に考え出した時、丁度その男は現れた。

 

身長190cmほどはあろうかという大男だ。白と黒の法衣を身にまとっている。

 

「おい、ボウズ。夜、この橋に来ると危ないって誰か教えてくれなかったのか?」

「危ないから来たんですよ。僕、武芸を試したくって。相手して下さい。」

「ふん、下らん。オレは武芸の達人を探している。倒しても何の強さの証明にもならん貴様と戦うことなどに興味はない。」

「まぁ、そう言わずに。」

「黙れ。オレは、ガキの来るところじゃないから早く帰れと言いに来ただけだ」

「ええー。ひどいなぁ」

 

義経は口を尖らせた。

義経はこの年、15歳だが、小柄で童顔なので、この大男からすると、余計に幼く見えていたのだろう。

 

それにしても、この大男。なかなか強そうだ。

これ程の使い手と手合わせできる機会はそうないだろう。逃したくない。

 

そう思った義経は橋の欄干に立ってから高く飛び、大男の頭を踏み台にしてから反対側の欄干に飛び移った。

 

「相手して下さいよ」

挑発であった。

 

「おのれ、小僧。ワシを怒らせたことを後悔するぞ」

男が背中に背負った薙刀を取り出し構えるので、義経も腰から木刀を取り出して構える。

 

「貴様、真剣は持っておらんのか?」

「あぁ。宿に置いてきました。殺すつもりは無いんで」

 

格下と見た相手にそのようなことを言われて逆上した大男は勢い良く義経に襲いかかってきた。

特別に拵えたものなのか、通常のものより二倍程大きい薙刀を素早く動かしながら義経の足下を執拗に狙ってくる。怪力のなせる技だろう。

しかし、義経はそれらを全てかわして見せた。

 

「貴様ぁ! チョコマカとしおってからに!」

大男の顔に次第に焦りの色が浮かんでくる。段々と攻撃が雑になり、大振りになったところで、義経は高く飛び、大男が持つ薙刀の切っ先の上に立ってみせた。

 

「バカな…!」

男が驚いている隙に義経は薙刀を踏み台にして更に高く飛び、落下の勢いを使って大男の頭に木刀で一撃を加えて見せた。

攻撃をモロに受けた男はその場に崩れ落ちる。

 

「あー、大丈夫ですかぁ? おじさん結構強いからあまり手加減出来なくて…。」

義経は心配して手を差しのべるが、大男はそれを振り払い、フラフラしながらも自力で立ち上がった。この男なりのプライドなのだろう。

 

「まだやるんですか?」

義経は強烈な一撃を食らっても、まだ立ち上がる男の体力に驚いて言ったが、男の方も限界だったようで

「いや、オレの負けだ。」

と言った。

 

「オレの名は、武蔵坊弁慶という。お前、ただのガキだとは思えない。一体、何者だ…?」

 

義経は迷った。

平氏一門が支配するこの京都で自分の素性を明かすのは危険だ。でも、大の男が、負けを認めて頭を垂れながら名を聞いてきているのだ。無視したり、嘘を教えるのは失礼だろう。

 

「源義朝が九男。源義経。」

義経が、寺を出る直前に元服し、改まった名を名乗ると、弁慶と名乗った大男は両膝を地面について義経に言った。

 

「そなたの武芸、恐れ入った! また、あの源義朝殿のご子息だとするならば、なおのこと申し分なし! 私を、あなたの家臣にして頂きたい!」

 

 

この出会いは、義経にとって非常に重要なものとなった。義経に最期の時まで使える家臣が出来たと共に、義経はこの弁慶の手引きで京都に商いでやってきていた金売金次という男と出会うことになる。

義経と弁慶は金次の道案内に頼り、奥州へ向かうことになったのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その2 ~頼朝出陣~

登場人物紹介-その2-

○弁慶
怪力自慢の破戒僧。義経との決闘の後、部下になる
○伊勢義盛
元盗賊で弓の名手。義経が東北に向かう途中、部下になる。

○北条政子
頼朝の妻。すんごく気が強い性格。

○多田行綱
摂津源氏多田党の棟梁。平重盛の軍勢に恐れをなし反乱を密告した実績から、「ビビり」と呼ばれる。

○平清盛
源義朝を倒し平家に栄華をもたらした武将。頼朝及び義経とは直接矛を交える前に病死。
○平維盛
平清盛の孫で平重盛の子。イケメンすぎる故、周囲から過度に持ち上げられる傾向あり。


平家の権勢は止まることを知らない。

1179年に清盛の後を継ぐはずだった長男の平重盛が病没するが、短期的に考えれば、彼の死によりその勢いは更に加速したと言ってよい。

重盛という諌め役を失った清盛は遂に後白河上皇とも激突。所謂、治承三年の政変が起こり清盛は軍勢を率いて京都を制圧。後白河上皇を幽閉、院政を停止させ、いまや清盛は上皇・天皇すら越える権力者となっていた。

 

当然、そんな状況に不満を持つ者もいる。

後白河上皇の第三皇子・以仁王もそうであった。

 

以仁王は治承三年の政変の際に長年知行してきた城興寺領を没収され、その不満はピークに達していた。その為、彼は、保元・平治の乱では清盛方につき信頼を得ながらも、清盛の三男・宗盛との軋轢によって、ここに来て同じく我慢が限界に達した源頼政と結託し、クーデターを計画したのである。

この計画は準備が充分に整わない内に情報が漏れたことにより、京都・宇治での合戦に敗れ源頼政、以仁王共に討死。

初期段階で鎮圧されてしまった。

 

だが、決起にあたり、以仁王は平氏に敗れて日本各地に散らばった源氏の縁者たちに平家追討を呼び掛ける令旨を下していた。

 

本来ならば、その各地の源氏勢が令旨に呼応して挙兵するタイミングで以仁王も決起するはずだったところ、それが届く頃、既に彼は敗死していた。

とはいえ、以仁王が死んだところで、平氏への不満がどこかへ消えてしまう訳ではない。

 

以仁王の令旨をもって大義名分とし、各地で源氏による平家追討の兵が挙がったのである。

 

--------------------

 

源義朝の三男・源頼朝は平治の乱の後、流されて伊豆にいた。

彼は賢い男である。この後の事を考えると天才的であったとも言っていいが、この時点でどれだけの人がそれに気づいていたかはわからない。

 

だが、父・義朝は彼のことを非常に高く買っており、他の兄弟に比べ依怙贔屓が過ぎるくらいに愛した。

長男の義平や次男の朝長も逸材とは言われていたが、彼らは父に似た荒武者である。義朝がそれぞれ遊女と地方豪族の娘に生ませた二人の兄とは違い、頼朝の母は貴族の娘で正妻だ。頼朝はそんな母から都の優雅な文化を学び、上流階級のしきたりと教養を身に付けながら育ってきた。

要するに、力自慢ばかりが揃った源氏一族の中で、頼朝は毛色の違う人材だったのだ。

 

周囲にいる貴族たちは

「アソコの家は筋肉バカばかりだからなー。都ではそのくらい普通ですけど?」

と、義朝の親バカを鼻で笑っていたが、後の世から見れば、義朝の慧眼であったようにも思える。

そして、そんな慧眼を持った人物が伊豆にもいた。頼朝の妻、北条政子である。

 

 

伊豆に流された頼朝は、平治の乱で亡くなった源氏の武将とその郎党たちの冥福を祈る毎日を送っていた。

義朝の生前から実質的な嫡男であると目された頼朝だけに、流刑地でも平氏の縁者らによる厳しい監視がつけられたが、彼らも頼朝に対しては

「反乱の兆しなし。これは真面目で立派な男である。」

というような評価を下していた。

だが、実のところ、頼朝は虎視眈々と源氏再興の機会を窺っていた。

 

賢い彼は早まった行動はとらない。

遊興にふけることもなく、嫁をとることもせず、禁欲的な毎日を送って周りが十分に油断するのを待った。

 

そして20代になったころ、彼はこの地方の豪族の娘との婚姻を望むようになる。外戚関係となった一族から軍事的な後ろ楯を得ることが目的だ。

候補となるのは、伊東家、北条家、山木家と言った辺りであったが、従者の調べにより、この内、伊東家と北条家にふさわしい年頃の娘がいることがわかった。頼朝は、更にその中から伊東家の当主・伊東祐親の三女・八重姫を選んだ。

監視役とその対象という間柄ながら、この数年で伊東祐親とは親しくなっていたし、その縁で八重姫のことは知っていた。頼朝としても、満更でない相手だったのである。

 

頼朝は、まず都の文化に則って八重姫に恋文を送った。この地方ではそれなりに力を持っている家の子どもとはいえ、八重姫は所詮、田舎娘である。

普段、真面目かつ紳士的で源氏特有の精強な肉体を持つ頼朝が紡ぐ、都で身に付けたのであろう貴族然とした、情熱的かつ繊細で雅やかな恋の詩にギャップ萌えし、とろけるくらい心を奪われてしまった。

 

義朝に9人の男児がいたように、源氏の血は精強で知られる。

すぐに子どもが出来、男児が誕生した。

 

頼朝と伊東家は親しい仲であったので、兄弟らはこれを喜び、子は千鶴丸と名付けられた。だが、伊東家当主の伊東祐親が都での勤めを終えて伊豆に帰ってくると状況は一変した。

 

都で平氏の権勢をまざまざと見せつけられてから帰国した祐親は頼朝と八重姫の仲を知ると、今にも卒倒しそうなくらいに青ざめた。

 

「源氏と…しかも義朝の嫡男・頼朝と親戚関係を持つなど言語道断!」

 

祐親は千鶴丸を海に投げ捨てて殺し、頼朝と娘を近づけないようにしてしまった。

 

 

頼朝の遅い初恋は終わった。

八重姫には夫として、千鶴丸には親として情が芽生えていたので、しばらくは落ちこんだ。だが、数ヵ月もすると、この行動は色恋の為でも、幸せな家庭を築く為でもなく、あくまで源氏再興の為のモノである、と思い出して再び活動に移った。

当然だが、もう伊東家との縁組は望めない。

残るは北条家である。

 

北条家当主・時政には二人の娘があった。

姉の方が政子、妹の方が時子という。

 

頼朝はまたも従者の手引きにより、事前に二人の顔を見る機会を持った。時子は地味な印象で、政子は一定の美形だが性格がキツそうでおしとやかな女性を好む頼朝のタイプではなかった。

やや残念ではあったが、頼朝はもう好みで妻を選ぶのは止めにしようとも思っていた。相手に入れ込んで失望するのは、八重姫の時に懲りていた。

正妻との結婚は家と家との政治的な結びつきによってするもので、色恋がしたいなら妾とするのが良い。

貴族的な割りきりを持って、頼朝は政子に恋文を送った。

相手は別にどちらでも良かったのだが、年上の姉が嫁に行く前に妹が行くのは気が引けるだろう、と思って姉を選んだのだった。

 

 

政子は奇妙な女だった。

都での作法によれば、夜這いの際、事が済むと寝物語といい、何やらロマンチックな話を男が女に聞かせるのが定番だ。

 

八重姫もこれで頼朝にメロメロになっていたので、学んだことを生かして政子にも同じことをしようと考えていたのだが、それが始まってしばらくすると政子は

「その話、つまらないですね」

と話を遮った。

 

八重姫との件で

「都で学んだテクニックを使えば、田舎娘なんて楽勝だ!」

と自信を得ていた頼朝は酷くショックを受けたが、政子はそんなことに構わず言った。

 

「頼朝殿は河内源氏の嫡子であらせられるのですよね?」

「あぁ。二人の兄が平治の乱で死んだから、そうなるな」

「ならば、貴族なんかの話よりも、武士の話を聞かせて下さい。源氏には鬼退治で有名な源頼光殿、八幡太郎義家殿、それにお父様の義朝殿…たくさんの武将がいるのでしょう?」

「女なのに、そんなことに興味があるのか?」

「申し訳ありません。私、田舎侍の娘ですので。」

 

それからと言うもの、頼朝は政子に会う度に先祖の話や自身が体験した平治の乱の話、それから書物で学んだ大陸の兵法の話などを聞かせた。

政子は毎度それを楽しそうに聞いている。

そして、頼朝自身、そうしている時、女を満足させる為ではなく、自分自身が夢中になって話をしていることに気がついた。

 

やはり、いくらお上品に振る舞っても自分は貴族ではない。源氏の武者なのだ。

頼朝は政子といる間、大人しい流罪人でも、都育ちの色男でもない本当の自分に戻れる気がしていた。

 

 

さて、北条家でも伊東家で起こった事と、ほぼ同じ事が起こった。

 

都での勤めから帰って来た北条時政が政子と頼朝の仲を知ると

「今すぐ別れろ!」

と言い出したのだ。

 

だが、伊東家と北条家では娘の気性が違った。

 

「何故、頼朝様と夫婦になってはいけないのですか!」

「婚姻とは、家と家との繋がりでするものだ! お前の意思だけでは決められん!」

「頼朝様は河内源氏の棟梁であらせられます! 家とのご縁というなら、これ程よい縁はないではないですか!」

「源氏は終わった! 今は平氏の天下よ! お前は都を見たことがないから、そんなことを言うのだ」

「父上は二言目には『都では』などと言う! 都で雅に過ごす平家に何が出来ますか! 頼朝様は今に勇ましい坂東武者をまとめあげて、平氏を打ち倒すでしょう!」

「なっ…平氏に、清盛様に弓を引くというのか! 冗談でもそんなこと言うのは許されんぞ!」

「頼朝様は、それを実現するだけの器量を備えたお方です!」

「お前は騙されているのだ! お父さんはそんな結婚許しません!」

 

そんな、大喧嘩をしていると、横から政子の弟、時政の次男である北条義時が口を挟んできた。

 

「父上、もうよいではないですか。姉上の好きにさせてあげましょう」

「義時! お前までそんなことを言うのか!」

「だって、今の見たでしょう。こんな気の強い女、他に嫁の貰い手がないんだから、頼朝殿にもらってもらいましょうよ。確かに源氏の棟梁でもなければ、この人の相手は務まらないかもしれません。」

 

こうして、二人は結ばれ、1178年には長女をもうけている。

 

 

そんな頼朝のもとに以仁王の令旨が届いたのは1180年春のことだった。慎重な頼朝は挙兵の決断を下すことを随分迷っていたが、これを機に源氏の残党を平氏が掃討する計画を立てていると聞くと、遂に挙兵に至った。

 

北条氏を主力に平氏方の山木家を奇襲して初戦は勝利したが、続く石橋山合戦では合流予定だった三浦、和田一族との合流に失敗し、伊東・大庭氏連合軍に敗北を喫した。

頼朝軍は北条時政の長男・宗時が討たれるなど手痛いダメージを被ることになった。

敗れた頼朝は、しとどの窟に身を隠すが、平氏方の梶原景時という武将に見つかってしまう。しかし、この時景時は源氏に味方して頼朝を見逃した。これにより、その後、家臣団の一員となった梶原景時は頼朝から全幅の信頼を得ることになった。

さて、梶原景時のとりなしによって九死に一生を得た頼朝は房総半島に渡り、元々合流予定の三浦氏・和田氏。更に千葉氏及び上総氏と合流。そして、甲斐では甲斐源氏の武田信義と同盟する。

 

これら全ての合流を終えると頼朝の軍勢は総勢2万人程に膨れ上がっていた。

 

--------------------

 

源氏軍の進撃に対して平家は平重盛の長男・平維盛を大将とする追討軍を組織した。両軍相まみえたのは現在の静岡県。富士川の近くであった。

 

平維盛はイラだっていた。

どいつもこいつも人に期待するだけ期待して、何も手伝おうとしない。

 

昨年、父・重盛が死んだ。

平家の実質的な総大将が祖父・平清盛であるというのは誰もが知るところではあったが、清盛は1168年に病を患ったのを境に仏門にはいっていたので、それ以降は名目上、平家の棟梁は平重盛となっていた。

重盛は頭がよく冷静で人格者でもあった。その為、重盛が清盛の跡を継ぐことに文句を言う者などいなかった。何なら、朝廷の公家衆などはカッとなりやすく強権的な清盛には早いところ実態としても引退してもらって全ての政権運営を重盛に任せたいと思っていたくらいだ。

 

その重盛が病死した。

誰もが認めた清盛の跡継ぎがいなくなり、その後継が問題になるようになった。清盛は次の棟梁に自身の三男・平宗盛を指名した。この男は武芸にも芸術にも秀でたところのない凡庸な人間であった。父・清盛に対してもほとんど言いなりであり、諌め役を失った清盛は治承三年の政変のようなクーデターすら起こすようになっていた。

 

そのように平家政権が暴走し、清盛、宗盛に対する不満が高まる中で期待をかけられたのが平維盛であった。

維盛は当時20歳と平家の棟梁になるにはまだ若かったことから跡継ぎから外されていたが、元々嫡流だった重盛の長男であり、後継者としての資格は十分にある。

しかも、彼は美貌の貴公子であり、舞踊の天才であった。後白河法皇50歳の祝賀では、烏帽子に桜と梅の枝を挿して「青海波」を舞い、あまりの美しさから光源氏の再来とまで言われた。

 

そんな維盛が源氏追討の総大将に任命された。これは清盛の期待の現れであったと言っていい。もしかすると清盛は宗盛を中継ぎに維盛を後継者にと考えていたのかもしれない。

元は重盛系が嫡流とはいえ、一度宗盛を棟梁にした以上、それを廃するには何らかの大義名分が必要だ。

維盛に武功を立て、名実共に後継に相応しいと認められる存在になってほしい。

清盛だけでなく、都では誰もがそう望んでいたから維盛が出陣する際には大声援のもとに送り出されていた。

 

だが、富士川に着陣する頃には維盛はこれ以上ない窮地に立たされていた。相対する源氏に対して、明らかに準備が不足しているのである。

まず、軍の出立が遅れた。維盛は以仁王の令旨に基づいて源氏が各地で次々に挙兵する状況を見て一日でも早く出発して敵を叩くべきだと主張したが、受け入れられなかった。

 

年上の参謀たちが皆揃って

「大安吉日を待って出発するべきである」

と主張したのだ。

 

勿論この時代の人々は現代人からは考えられないくらい様々なしきたりに従って暮らしているので、当時の感覚としては参謀たちの意見も理解できない話ではなかった。

だが、しきたりと戦の勝敗でどちらを選ぶのか。自分たちを貴族でなく武士だと思っているならば、答えは一つのはずだった。

 

「お前らは武士ではない!」

維盛がいくら罵っても

「これだから若い人は…。しきたりとか礼儀とか知らないの?」

と受け入れられず、結局本来出撃できる日から5日程待ってからの出発となった。

 

その間、源氏は着実に力を増している。

そして、更なる不幸が維盛を襲った。

 

西国を中心に起きた養和の飢饉によって兵糧が極端に不足していたのだ。

維盛は都の一門衆に兵糧の援助を依頼したが、

「どこも飢饉で米がない」

との返答で物資は送られて来なかった。

 

大飢饉とは言っても、その本格的な到来は次年であり、この時点ではまだ餓死者が出る程ではない。維盛も都の平氏一門や貴族が未だそれなりの食生活を送っていると知っている。要はそいつらが多少ひもじい思いをすれば、それだけで兵糧は賄えるはずなのだ。

結局、自分を送り出した連中には自らが苦労をしてまで勝つ気がない。何となく見てくれがいい期待できそうな若者を送り出せば、勝手に事態を全て解決してくれる気になっていて、「頑張れ」と言ったり思ったりするだけで十分なサポートをしたつもりになっている。そういう奴らに限って期待していた結果を出してもらえなかった時には「裏切られた!」と喚きたてるのだ。

維盛は憤りを感じていた。

 

兵糧の不足とこの軍団の先行きへの不安から維盛の軍からは離脱者が続出した。そして、京都を出るとき3万いた軍勢は富士川に着く頃には4000人程になっていた。

 

 

富士川の下流は湿地帯である。

維盛軍は沼地の手前に陣を張った。

 

陣中では、参謀役の伊藤忠清が

「源氏軍の軍勢は2万人だという。我が軍は4000人。戦力差が大きすぎる」

と頻りに撤退を主張していた。

 

確かにその通りだが、大安吉日を出陣の日にすることに、こだわって時間を浪費したお前の言動も、この体たらくの原因の一つであろう、と思うと維盛は腹が立ってその言葉に素直に従うことができなかった。

 

 

ある日の夜である。維盛が陣中で寝ていると、何だか外が騒がしい。

近くの者に何事かと聞くと

「夜襲です!」

と言う。

 

敵の姿は見えなかったが、何分、味方がパニック状態だ。本当に今、ここを奇襲されたら戦える状態ではない。維盛は撤退を決断した。

 

維盛が後から話を聞くと、直接敵との交戦が始まった訳ではなく、誰かがただ水鳥の群れが飛び立つ音に驚いて「夜襲ではないか」と言ったが為に陣中でそんな噂が立ち、次第にパニックが広まったのだという。

 

維盛は頭を抱えた。

 

とはいえ、水鳥が飛び立ったのは、甲斐源氏の武田信義が実際に夜襲をかけようと動いていたのが原因だったので、奇襲を察知して早めに撤退したという判断だけ見れば、維盛のとった行動は決して間違いではない。

だが、兼ねてからの兵糧不足などにより、3万いた軍勢は維盛が都に辿り着く頃には数十騎に減っていた。結果だけ見れば、大惨敗を喫したのと同じである。

 

それを受けてなのか、それとも蔓延する反平氏的な感情からなのか。あるいは、イケメンへの僻みもあったかもしれない。水鳥の件は誇張されて全国に広がり、維盛は嘲笑の対象になった。清盛からも激しい叱責を受け、この後、維盛は失脚したのである。

 

 

そして、その後、半年も経たない間に清盛が死んだ。熱病におかされてのことであった。

 

「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」

 

それが最期の言葉であった。貴族化し武士としての本分を忘れていく平家一門に憂いと憤りを感じての言葉であった。

維盛への叱責も彼個人への言葉というよりは、一門全体へのイラだちという側面が強かったであろう。

 

--------------------

 

「信義殿、よくご無事で。その様子ですと、上手く行ったようですな」

 

頼朝は富士川での夜襲を終えて帰陣した武田信義にそう声をかけたが、信義は首を横に振った。

 

「いや…敵兵は一人も倒せなかった。」

「え? でも、信義殿も家臣たちも皆、無傷で帰って来ているように見えますが…」

「逃げちゃった。」

「え?」

「平氏の奴ら、戦う前に鳥が飛び立つ音に驚いて逃げちゃった。」

「え? 何それ? 何それ?」

「わかんない。でも、ビビって勝手に逃げちゃった。」

 

「ぷっ」

「ぷっ」

「ギャハハハハ!」

 

「あー、お腹痛い、お腹痛い!」

「維盛とか、すっごい出来る奴って噂だったから、ぶっちゃけコッチもちょっとビビってたのに…!」

「何だよ、アイツ、顔だけじゃん! 無能イケメン!」

「イケメンが恥をかいて、今日もメシが旨い!」

 

源氏の陣中で諸将が大爆笑していると、見張りに出ていた土肥実平という武将が本陣に帰ってきた。

頼朝は実平の顔を見て言った

 

「あぁ…実平。ヒヒッ! ごめん、今メチャクチャ笑える話してた。ぷっ。実平も聞きたい?」

「…。それほど笑える話なら気にはなりますので後程。」

 

実平はそう話した後、報告を始めた。

 

「見張りをしていたところ、頼朝様に是非お会いしたいという者がやってきまして…」

「何者だ?」

「20騎ほど引き連れていますが、それが随分若い男なのです。」

「軍への志願者か? 実平の隊に加えてやれば良いのではないか?」

「もし、そうならそれでも良いのですが。気になることを言っておりまして。」

「何と?」

 

「『奥州から来た』『僕は頼朝様の弟です』などと言っております。」

「ほう。そのような事を…」

「まぁ、有名になると親戚が増えるというのはどうやら本当の様で。ここ数日、頼朝様の縁者を名乗る者がひっきりなしに訪ねてきて軍に加えてほしいと言うので、わざわざ報告するのもどうかと思ったのですが…。その若者、何か話が具体的で信憑性があるというか。気になるのです。」

 

頼朝は、しばらく顎に手をあてて考えた後、思いついた。

 

「奥州…弟…あ、牛若丸か!」

 

--------------------

 

以仁王の令旨は奥州にいる義経の元へも届いていた。

 

決起にはやる義経の庇護者となっていた藤原秀衝は

「まだ時が熟していない」

とそんな彼を強く引き留めた。

 

義経は奥州に至るまでの旅路で弁慶、伊勢義盛などの仲間を得ていたが、奥州藤原氏の協力が得られないなら、手持ちの軍勢は十騎に満たない。

 

諦めよう。

そう思っていたのだが、伊豆にいる兄・頼朝が挙兵したと聞いて事態は変わった。

自ら挙兵できなくても、河内源氏の嫡子が兵を挙げたならそれに加わり平家打倒を目指せば良いではないか。

 

秀衝はこれに対しても引き留めを行うが、奥州藤原家の軍を使う訳でもないので、義経が血の繋がりがある兄と一緒に戦うと言うなら最終的には止めようがない。

結局、家臣の中から佐藤継信・忠信兄弟をはじめ、義経を慕う者十数人をつけて送り出してやった。

そして、義経が頼朝の軍に追いつき合流できたのが、富士川下流でのことだった。

 

 

対面すると、頼朝は後三年の役で源義家が苦戦していた時、その弟の義光が官職を投げうって駆けつけた故事を引いて、義経の手を取って涙を流した。

平治の乱の時、義経は1歳に満たない赤ん坊であった。だから、義経にとって頼朝は見たことのない兄であった。また、頼朝にとっても、そんな年の赤子が成長した姿を見たって一体誰なんだか本当のところはわからないであろう。

 

でも、頼朝は泣いていた。

義経は11歳で生き別れた母以外には肉親を知らない。肉親だというだけで先程まで顔も知らなかった人間の為に泣けるのか。血の繋がりと言うものはそれほどまでに価値があるのか。不思議に思ったが、何だか悪い気はしない。むしろ、他人が持っていて自分になかった大切な物をやっと自分も手に入れたのだ、という気分になっていた。

 

「よし、兄上! この義経が、天狗兵法で平家を一網打尽にしてご覧に入れましょう! さぁ、行きましょう! いざ、西国へ!」

 

義経は胸が熱くなってそう叫んだが、頼朝は急にドライに言った

 

「え? 西国へはまだ行かないよ?」

「え?」

「だって、関東にもまだ源氏に従わない勢力がいるからね。西国へ向かうのは佐竹や志田を討ってからだよ。」

 

頼朝は、政治を知らない義経とは反対に、非常に思慮深い男だ。この後、鎌倉を本拠地にして関東の平定に約3年かけることになる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その3 ~旭将軍・義仲の落日~

 

義経は暇をしていた。

頼朝が関東を平定する3年間、勿論、何もしていなかった訳ではないが、この頃の義経の主な任務は合戦に挑む頼朝の御家人衆に着いて歩き、ただその様子を見学するというものであった。

いわば、武将見習いである。

 

確かに戦の経験がない義経にそうした勉強をさせるのは、当然のことなのだが、天狗兵法を学んだ義経にとっては、その辺りの武将が使う一般的な兵法など、見ていても退屈なだけであった。

早く部隊の指揮をとりたい、むしろ自分の足で戦場を駆け回りたい。そんな気持ちが義経の中で段々と大きくなっていった。

 

--------------------

 

義経が退屈している間、彼が夢見ていたような大活躍をする武将がいた。

 

木曽義仲である。又の名を源義仲。

つまり、彼も源氏の一族にあたる人物だ。東国の源氏が河内源氏の棟梁・頼朝の下に集結する中で彼は頼朝とは別行動をとり、平家の打倒を目指していた。

 

それもそのはず。

彼は源氏の血筋でありながら、頼朝とはどちらかといえば敵対する立場であったのだ。彼が義朝系の一族とは区別され、源義仲ではなく木曽義仲と呼ばれることが多いのにも、このあたりに理由がある。

 

 

頼朝・義経兄弟の祖父を源為義という。彼は源氏の中でも特筆して子沢山で50人近い子がいたが、その内有力なのが長男の義朝と次男の義賢であった。

この義朝が既にお馴染みの通り、頼朝・義経兄弟の父にあたり、次男の義賢が義仲の父である。つまり、兄弟と義仲は従兄弟にあたる。

 

では何故、この近しい親類同士が対立するのかと言えば、それは父の代からの因縁によるものだ。

若くして優秀な武将であった義朝は1154年に朝廷から右馬助に任じられるのだが、これは検非違使である父・為義の官位を越えるものであった。なおかつ、この二つの役職は職域的に被るところもあったので、子が親の上司になるようなカタチにもなった。

これにより為義・義朝親子による一族内での主導権争いが勃発。その報復として為義は義朝を廃嫡。次男の義賢を嫡子としてしまった。

 

これに憤った人物がいる。義朝の長男・義平である。

当時15歳にして既に大人のような体格をしていた彼は、少数の手勢を率いて義賢の屋敷を強襲。義賢とそれに与する秩父氏の秩父重隆を討ち取ってしまった。

 

この戦いはその後、大蔵合戦と呼ばれるようになり、弱冠15歳にして単独で有力武将を討ちとった『鎌倉悪源太義平』の名が天下に轟くようになる訳だが、反対に義賢系の一族からすればそんなガキに当主を討たれたのだから屈辱でしかない。

 

当時2歳であった駒王丸こと後の義仲には、当初義平による殺害命令が出されていたが、義朝系、義賢系双方と縁があった斎藤実盛という武将のとりなしで信濃国の豪族・中原兼遠に預けられ養育されることになった。

なお、この中原兼遠の子どもの中に義平の親友かつ忠臣となる樋口兼光、今井兼平、そして巴御前がいる。

 

 

さて、以仁王の令旨を受けて挙兵した義仲の進撃は正に破竹の勢いであった。他の源氏勢力との争いを避けて平氏の根城である北陸道へ出ると、巧妙に退却しながら得意の山岳戦に持ち込み倶利伽羅峠にて平氏総勢10万の兵をおよそ半数の兵で破り軍を進めた。

 

なお、倶利伽羅峠の戦いの後、義仲は平氏を追撃。加賀国篠原にてその背中を捕らえた義仲軍は残る平氏4万の軍をまたも5000程度の兵でメタメタに撃ち破ったという。

その際、平家の兵が裸足で逃げ出す中で、ただ一人勇猛果敢に戦う老将がいた。見事な戦いぶりに木曽方の武将・手塚光盛が名を訊ねたが名乗らなかった為、一騎討ちに及び討ち取ったのだが、光盛がその首を持ち帰り義仲に見せたところ、それが斎藤実盛だということがわかった。

平治の乱の後は平氏側に立場を変えていたが、大蔵合戦の後、義仲の命を救った恩人である。素性を明かせば義仲は実盛を助けたであろうが、一度源氏から平氏へ立場を変えた手前、これ以上変節を重ねて命を長らえるのは恥だと考えたのであろう。

 

義仲は泣いた。

恩人を討った悲しみと、その恩人の潔い死に様に対する感動で、泣いたのだ。人目を憚らず、ワンワンと子どものように泣いたという。

 

義仲とは、つまりこういう男であった。

思慮深い頼朝とも、無垢な義経ともタイプが違う。平将門以来、武士勃興の時代に生きる武人たちが理想とした漢の中の漢。それを体現したのが、木曽義仲という人間であった。

 

話が逸れたが、何にせよ。

義仲にしてみれば、平家よりもむしろ義朝系嫡流にあたる頼朝との方が因縁深い。彼が平家を追討する目的は父・義賢が被った「15歳のガキに負けた弱い武将」との評判を覆し一族に名誉を取り戻すことにあったと言ってもいい。

そして、平家を散々に撃ち破って、京に入り「旭将軍」と呼ばれるようになった彼の目的と歴史的な役割は、それによって終わりを迎えようとしていた。

 

 

義経は、木曽義仲が京都に入ったという話を鎌倉の屋敷で知った。義仲という男は凄まじい強さで、倶利伽羅峠では平氏軍に対して、角に松明をつけた猛牛を放ち、崖から突き落としたという。

 

天狗の兵法に似たやり方だと思った。

 

「…面白い。」

 

義経は義仲の戦いぶりに関して書かれた報告の書を読みながら何度もそう呟くのだった。

 

-------------------

 

義仲の進撃を前に、平家は戦わず西へと逃れた。都落ちしてなお、自身らの正統性を確保する為、清盛が即位させた安徳天皇と幽閉中の後白河法皇、両方を連れていくはずだったのが、危機を察知した後白河法皇が巧みに脱出し身を隠したので連れていけるのは安徳天皇のみとなった。

平氏は安徳天皇と天皇即位に必要な三種の神器を携えて一旦大宰府を経由した後、屋島に移って京都を奪還する機会を窺うことになった。

 

義仲は北陸から京都へ向かう道中で隠れていた後白河法皇の身柄を確保。法皇を伴い華々しく入京した。

貴族化した平氏とは真逆の猛々しいその姿に人々は魅了され、彼のことを『旭将軍』と呼んだ。

 

 

当初、独裁的な平家を都から追い払ったことで歓迎された義仲の軍だが、しばらくすると平家よりも更に忌み嫌われる存在になっていった。

義仲配下の兵たちが都で略奪を働くようになっていたのである。

 

貴族たちから見ると粗暴な義仲とて、兵士たちの乱暴狼藉に全く心を痛めなかった訳ではない。いちおう、兵士たちへ略奪を禁じ、破った者は死罪にするという御布令を出している。

だが、略奪は止まらなかったし、義仲もそれをある程度は黙認せざるを得なかった。

 

理由の一つには前述した西国における飢饉の影響がある。そのピークは1181年であり、この時点では既に峠を越えてはいたが、それでも京都に大軍勢を養うだけの食糧はない。

略奪するなと命令するのは簡単だが、では兵たちは明日から何を食べて生きていけばよいのか。

 

そして、もっと広い視野で、何故軍の統率がそこまで乱れてしまったのかという観点から見ると、それは、義仲が兵たちに新たな目標を提示出来なかったことが大きい。

義仲の父・義賢の汚名をそそぐ為にその強さを示す、という目的意識を持った木曽源氏にとって、権勢を誇った平氏を蹴散らし、各地で挙兵した源氏の中でも一番乗りで上洛したことは、一つ大きな成功であった。

だが、義仲はその先のプランを持っていない。都を制圧し政権をとったとして、どういった政治をしていけばよいのか、まず義仲自身わかっていないのだ。

 

やるべきことがまるでない訳ではない。まだ、平家追討の院旨は出たままだ。

だが、平氏は四国の屋島(高松市)へ逃げている。平氏を追うなら、まず海を渡らなければならないが、山育ちの義仲以下、木曽源氏には海戦の経験がない。と、いうか、彼らはそもそも海を見たことがない。

対して平氏は貿易で財を築いたこともあり、海戦や操舵の経験が豊富だ。いくら平家が弱っていても、場所が海なら形勢は逆転する。

 

それならば、まずは都を含む広大になった領地の経営に力を入れること。

そして、瀬戸内海沿岸にしか勢力圏のなくなった平氏に経済力で差をつけて大軍を組織するのが定石だが、そうなるとまた、義仲の政治的なビジョンの無さが問題になるのである。

 

義仲の軍は東国の頼朝に背後を脅かされながら、勝ち目のない海戦に行っては帰りということを続けるしかなくなっていた。

元々荒くれ者の兵たちがそんな毎日に満足出来るはずもなく、彼らは都の民に乱暴狼藉を働くことでしかフラストレーションを解消する手段をなくしていた。

 

--------------------

 

一方、頼朝は1183年3月の野木宮合戦で勝利して関東をほぼ手中におさめていた。

 

地盤をしっかりと固めた頼朝は得た領土の中から御家人たちに報奨を与えることにした。家臣たちの挙兵以来の労に酬いたカタチになる。

特筆すべきは、この際、武将見習いであった義経や、彼より少し遅れて陣に加わった義朝の六男・範頼にはそれがほとんど与えられなかったことだ。

 

律儀な考え方の範頼は

「私は源氏の一門なのに報奨を頂けなかった…。兄上は余程私の働きに不満があるに違いない」

などと青ざめていたが、そういうことではなく、要はこれが頼朝の国家運営に対するビジョンなのだ。

 

国家は武家の棟梁と御家人たちによるご恩と奉公の関係で運営される。報奨のタカは血筋では決まらない。家臣の立てた戦功と忠節のみによって決まる。

今回の報奨はいわば頼朝がこれからの国家のあり方を示す為、やや極端にそれを実行したものだった。

だから頼朝に挙兵から協力した北条や佐々木、土肥といった辺りが厚遇され、血が繋がっていても比較的に新参で手柄の少ない範頼・義経はあえて冷遇された。

 

義経配下の伊勢義盛や佐藤兄弟は

「何故、御家人衆があれだけ褒美をもらえて、弟の義経様には何もないのだ!」

と憤っていたが、当の義経本人はそんなこと気にも留めていなかった。

 

もし、今の生活に不満があるとすれば、ただ戦いの場が与えられないことだけだった。

 

--------------------

 

さて、1183年秋。

頼朝に義仲追討の院宣が下った。朝廷も義仲軍の乱暴に見てみぬフリが出来なくなっていたのだ。

 

頼朝はただでは動かなかった。

 

頼朝は院からの知らせに対して

「行きたいのはヤマヤマなんだけど、行ったら、藤原秀衝など他の勢力が背後をついてくるかもしれないからなぁー。せめて朝廷が我々の関東支配権へのお墨付きをくれたら安心なのになぁー」

という書状を送り返した。

 

都が荒れ放題になっている現状に頭を悩ます後白河法皇はこれを飲むしかない。こうして頼朝は朝廷に、自身の東国支配を公認させ、更に官位を平治の乱の前の位まで戻すことを約束させてから出兵を決断した。

 

遠征軍の大将は源範頼と源義経である。

関東地方での戦では地元の豪族である御家人たちを大将としても使っていた。だが、京へ攻め上がり、同じ源氏の義仲や平氏と戦うのに際しては、彼らが大将ではネームバリューとして弱い。やはりそのポジションには源氏の名を持つ武将が必要になったのだ。

 

義経は歓喜した。

今までやってきた武芸の修行も、鞍馬山を降りたのも、奥州で潜伏したのも、兄・頼朝の下へとやってきたのも。義経がいままでしてきた行動の全てはこの時の為にあった。

 

--------------------

 

義仲の軍と範頼・義経軍がぶつかったのは1184年1月のことであった。

 

義仲はその数日前まで関東勢が都へ迫っていることを知らなかった。その為、また平家軍を攻撃する為、屋島へ出撃しようとしている最中だったのだが、知らせを聞いて急ぎ京都へ引き返してきた。

 

京都は交通の中心であり、都市機能に特化した街であるため、一度接近してしまえば、攻めやすく守りにくい地域だ。

その為、最終的な防衛ラインは京都市外の淀川(宇治川)であり、守るのは瀬田橋と宇治橋になる。義仲はその二つの橋にそれぞれ陣を引いた。

 

攻め手側の範頼・義経の関東勢は軍を二つに分けることにした。範頼が瀬田橋、義経が宇治橋を担当する。そして、そこにそれぞれ軍監として和田義盛、梶原景時が着けられた。義盛が範頼軍、景時が義経軍を担当する。

 

義経軍が宇治橋に到着すると、戦上手の義仲軍は橋の底板を外して待ち構えていた。これでは橋は渡れない。

 

「舟を用意しましょう」

と梶原景時が言ったが、義経は

「うーん、別にそれはいいや」

とそれを断ってしまった。景時は激怒した。

 

景時は頼朝の意向をよく理解している。

この度の戦で義経が大将になったのは源氏のネームバリューが必要だったからだ。だから実質的な大将は軍監の自分であり、お飾りの大将はハイハイと自分の言うことを聴くものだと思っている。

 

「では、どうされるおつもりなのですか?」

「だって、僕ら2万人以上いるんだよ? 皆で渡れるだけの舟なんか用意してたら何日かかるのさ。それより、この川、浅いところないのかな? そこから押し渡ろうよ」

 

景時は義経の言葉を鼻で笑った。

「素人がッ!」

そう思ったのだ。

 

この宇治川は現代でいうところの一級河川。とてもムリヤリ渡れるような川には見えなかった。しかも季節は1月。雪解け水で増水している。

 

「義経殿、それは無謀です。戦とは早ければ良いものではありません。慎重に準備を重ねて勝てるようにしてから挑まねばなりません」

「えー。そんなぁ。」

 

速ければ速いほどいい。

義経はそう思った。義経にとっては、速さこそが戦で最も大切なことであった。速く動いて虚を突くこと、相手に考える隙を与えないこと。それが天狗兵法の極意なのである。

 

義経と景時が揉めていると、軍中にいた畠山重忠という武将が

「そう言えば、以仁王が令旨を出した時にもここで戦いがありましたが、この辺りに浅瀬があって、平氏はこの川、渡ってましたね」

と言い出した。

 

「やっぱりね。じゃあやってみようよ」

 

畠山重忠と義経らが準備をしようとすると梶原景時が

「重忠! 軍監は私だ、邪魔をするな!」

と叫んだ。

このまま案が通ってしまえば景時は面目が潰れてしまう。

 

そんな景時を

「まぁ、いいじゃない」

と諌めたのは息子の梶原景季であった。

 

そして

「僕は義経殿の案、面白そうだと思うよ。じゃ、先陣はもらった!」

と馬を走らせて川へ突っ込んで行ってしまった。

そこへ頼朝の旗揚げから関東軍に参加する佐々木高綱が続き、その後は続々と兵士たちが川へ入っていった。

 

せっかく橋を容易に渡れないようにして待っていた木曽勢は想定していなかった位置からの渡川に混乱し、あっという間に潰走した。

 

 

京都で防衛戦はできない。宇治橋が突破されたと知った義仲は遂に都落ちを決意した。

だが、ただで逃げる訳にはいかない。義仲が考えたことは平家と同じである。この少し前に揉めて幽閉していた後白河法皇の身柄を拉致してから逃げようとしたのだ。

しかし、義経の軍は速かった。途中で味方をいくらか置いてけぼりにしながら全力で駆けてきた義経の軍は義仲が六条に来るよりも先に到着し後白河法皇の身柄を確保したのである。

 

そうして、後白河法皇の身柄をエサに平家と連携するという手段が潰えた義仲の耳に、宇治橋に続き瀬田橋も突破されたという報が届いた。瀬田橋を守っていた今井兼平は退却したという。

南からは義経、東からは範頼が迫っている。平家のいる西側に逃れることも最早できない。

 

この時、北へ逃げていれば、義仲はもう少し長生きできたかもしれない。だが、彼は東に進むことを選んだ。

 

共に中原兼遠の下で育ち

「我ら義兄弟、生まれた日は違えども死する日、死する場所は同じである!」

と誓い合った仲の今井兼平がいるからだ。

 

「兼平のところへ行こう。どうせ死ぬなら、アイツと共に…」

義仲は同じく中原兼遠の下で育った親友、戦友かつ最愛の人である巴御前に声をかけて東へ向かった。

 

義仲、巴御前、今井兼平の三人は大津で再会した。

そして総勢300人となった義仲の軍は敵中突破を図り追っ手の甲斐源氏軍の中に突っ込んで行った。

 

無謀な突撃であった。

それでも義仲は甲斐源氏、そして続く土肥実平の軍の包囲網を突破。残り5騎になりながらも生きていた。

 

その5騎の中には巴と兼平もいる。

「お前たち、本当にスゴいな。」

義仲が声をかけると兼平は微笑み、巴は

「このくらい朝飯前だ!」

と誇らしげに言った。

 

「見事だ…」

そう微笑んでから、義仲は巴の方を向いた

 

「なぁ、巴…お前はここで逃げろ。」

「え…何で、何で今さらそんなことを言うのですか! 私だって、死ぬなら義仲様や兄上と一緒に死にたい!」

 

「いいから、もう着いてくるな。女のお前まで死ぬことはない。ここから先は、男の世界なんだよ」

「何ですか、それ。義仲様も兄上も昔からそうです。そんなこと言って私を仲間外れにして…。『男のナントカ』って言えばカッコいいとか思ってます? 別にカッコよくないですよ。」

「なっ、何言ってやがる! メチャクチャカッコいいだろうが!」

 

義仲が言い負かされそうになっているので、兼平が助け船を出した

 

「なぁ、巴。オレの親友の気持ちをわかってやってくれ。愛した女に死なれたくない、それだけなんだ」

「…。それなら、直接言ってくれれば良いのに。」

「それをあえて言わないのが、男の美学なんだよ。」

 

「へ? 今、何て」

「だから、それが、男の美学なんだよ。」

 

巴は吹き出した

 

「ぷっ、ダサッ!」

「はぁ!? メチャクチャカッコいいだろうが!」

 

義仲と兼平が同時に叫んだのを見て微笑んだ後、巴は駆け出した。

そして丁度やってきた関東勢の追っ手2名の首をハネてから山中に消えていった。

 

そしてしばらくすると、巴にやられた2名に続いて追っ手がやってきた。その数、数千。

 

義仲は兼平に問いかける。

 

「勝てると思うか?」

「敵が多いな…一対一なら負ける気がしないんだが…」

「オレもだ」

「なら、死ぬまでにどちらが多く敵を倒せるか競争しよう」

「久しぶりだな、そういうの。よし、兼平には負けんぞ! 」

「あの世にいったら答え合わせをするから、しっかり倒した数かぞえておけよ!」

 

そうして二人は敵軍の中へ突っ込んでいった。

 

 

こうして、旭将軍・木曽義仲は死んだ。

豪快な武勇で鳴らしたこの男は、愛と友情に生き、そして死んだのである。

それは平安中期から後期にかけて武家勃興の時代、多くの強者たちが憧れ、理想とした姿の典型例であり、究極系でもあった。

 

だが、その時代が終わろうとしている。

平安時代、政治を行うのは貴族であり、武士は彼らの権力闘争の道具でしかなかった。要するに武士は戦うことだけを考えていればよかった。

だが、これから向かっていくのは武家が自立し、自らの手で政権運営をしていく時代だ。

良くも悪くも平安時代後期の武士であった義仲は終わろうとしている時代の遺物として、朽ち果てていく運命だったのかもしれない。

 

--------------------

 

義仲のもう一人の義兄弟である樋口兼光は京都にて木曽勢の中では最後まで奮戦していたが、やがて力尽きて義経に捕らえられた。

 

配下の武士たちが戦いぶりに感動し、

「こんな立派な武人を殺してはならない」

と言うので、義経は手紙に詳細を記して頼朝に兼光の助命を嘆願した。

 

だが頼朝は

「そんな強敵なら余計に生かしておけないな」

と死罪の命令を出してしまった。

 

義経も武士のロマンを理解しない人間ではあるが、それ以上に源頼朝は今までの時代にいない、新しいタイプの武士だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その4 ~真・義経無双~

三つ巴の内の一角、木曽が敗れて戦いは源氏と平氏の一騎討ちとなった。

頼朝と義仲が争う間、平家は少しずつ力を盛り返している。本拠地である屋島から出て、かつて清盛が築いた街、福原(神戸)を再建。更にその防衛拠点となる一ノ谷に城を構え、京都奪回へ動きだそうとしていた。

 

福原は京都に近い。これを直ちに叩くため、義経・範頼の両大将と梶原景時・和田義盛の両軍監を中心に関東勢有力者による軍義が開かれた。

 

福原は要害の地である。まず、南側は海、北側は山になっている。瀬戸内海の制海権が平氏にある為に南側からは攻められず、北側の斜面はほとんどが崖のように険しい。細い山路が一本あるだけなので大勢で通り抜けることはできない。よって大軍が出入りできるのは東西二方向しかないが、西側では一ノ谷の砦が侵入者の行く手を阻む。

 

本隊は範頼隊。5万を率いて福原を唯一地形的に攻めやすい東側から攻める。ここには平家も人数を割いてくるであろうから、関東軍も主力を投入することになった。

一方、義経は搦め手を担当。1万で北側の山路を回り込み、西側から一ノ谷を攻めることになった。

 

ここで、一つ論争が起きる。

義経が2日はかかる一ノ谷までの道のりを1日で行軍すると言い出したのだ。

 

「そんな無茶な行軍にはついていけない!」

 

梶原景時がそういったので、義経が

「あぁ。みんな、無理にやらなくてもいいよ。僕のスピードについて来れる体力のある人だけついてくればいいからさぁ」

と言うと、義経軍に入る予定だった者は皆、ついてくると言い出した。

 

ノロマ、体力がない、ヘタレ。そう思われることは武人としてのプライドが許さなかったのだ。

ただ、景時だけは頑として意見を曲げなかったので、景時は範頼の隊につき、代わりの軍監役を土肥実平が務めることになった。

 

--------------------

 

「天狗ならこの道は1日かからずに駆け抜けることができる! 天狗にできて、勇敢な関東武士団にそれができない訳がない、皆の者、行くぞ!」

 

その掛け声を合図に、義経の搦め手軍は猛スピードで行軍を開始した。辺りが暗くなってもその速さは衰えず、周りの民家を燃やして明かりにしながら進んだ。

 

義経のこの行動には周りの武将もドン引きしていたが、本人は

「ホントは天狗火を使うところなんだけど、僕、使えないんだ。霊術は教えてもらえなかったからさぁ…。だから仕方ないよね!」

と悪びれる様子がなかった。

 

夜が深まる頃には三草山というところについた。

ここには、回り込んで西側を攻める源氏を警戒して平資盛(重盛の次男)という武将が配置されていたが、全く予期しない夜襲だったので、まともに戦いもせずに撤退していった。

 

これを受けて義経は部隊を更に二つに分けた。

土肥実平に7000の兵を預け、明石を経由して西側から攻める隊とした。そして自身は残りを率いて山中に入っていこうとする。

 

「あの、本当にいいんですか?」

土肥実平が言った。

「何が?」

義経が不思議そうなので、実平は続けた

 

「普通、大将が兵の多い方を率います。もし伏兵を使いたいなら、私がそちらを受け持ちましょうか?」

「あぁ。いいの、いいの。僕は普通のことしないから。」

「え?」

「奇抜なことをして敵を欺く。それが天狗兵法の基本さ。」

 

義経の別動隊は弁慶の見つけてきた地元の子どもの案内で険しい山中を進んでいた。

そして夜が明ける頃、一行は一ノ谷をのぞく険しい坂道に差し掛かった。その地を鵯越という。

 

「ここから一ノ谷を攻めよう。」

義経がそういうと、軍の中から多田行綱という武将が出てきて

「いや、ムリでしょう」

と言い出した。

 

以前、鹿ヶ谷の陰謀事件の際、平氏にビビって計画を漏らした多田源氏の武将である。以仁王の令旨で各地の源氏が挙兵するのを見て、彼もまた平氏に反旗を翻していたのである。

 

義経は首をひねった。

 

「何で?」

「こんな急な崖は降れません」

「そうかな? 天狗なら行けるよ?」

「知りませんよ、そんなこと。」

「なんかさっき地元の人に聞いたら、鹿はここ降るらしいよ」

「で? オレたち乗ってんの馬だし。鹿じゃないじゃん」

「鹿が行けるなら、きっと馬も行けるよ。」

 

そんなやりとりをしていると、義経の背後辺りで、武蔵坊弁慶と伊勢義盛が私語を始めた

 

「あれ、あれって多田行綱だよね」

「そうだな。」

「アイツって鹿ヶ谷の陰謀チクったヤツだよね」

「そうそう。重盛の軍にビビったらしい」

「崖降れないとか、もしかして、またビビってんのかな?」

「そうでしょ。だって見てみろよ、あの顔。チョービビり顔じゃん」

「やば…メッチャビビってんじゃん。」

「ぷっ…チョー臆病者じゃん」

 

多田行綱にもそれが聞こえてしまったらしい。行綱は段々涙目になってきた。

 

「ち、違うもん。ビビってないもん。」

「え? でも涙目だけど?」

「ち、違うもん…ぴえーん。」

 

行綱が泣いてしまったので、義経は仕方なく言った。

 

「ま、まぁ。こんなたくさんで崖を降るのは逆に危ないかもしれませんね。こちらは100騎ほどあれば十分ですから、行綱殿は残りを率いて夢野口を攻めて下さい。」

 

 

前述したが、福原には攻め口が3ヶ所あった。

まずは東側、範頼が攻めている生田口。ここがこの合戦、一番の激戦区だ。源氏も人員の大半を割いているが、平家側も平知盛、平重衝という名将が指揮をとっており一進一退となっている。

次に西側、塩屋口。こちらには義経と分かれた土肥実平の軍が向かったが、平家が築いた一ノ谷の砦があるため突破困難だ。

そして北の夢野口。こちらは細い山路で大軍の行軍には向かない。当初、源氏側としては使う予定がなかった入口だが、義経の指示によって多田行綱が攻めている。だが、地形上、如何せん一度に攻められる兵数が少なく、源氏は苦戦を強いられている。

 

どこも戦線が膠着している中で、義経隊の70騎程が北側にそびえ立つ崖を降って突如、福原市外に現れた。ちなみに、30騎ほどは崖を下りる際に途中で脱落している。

 

本来、現れることのない場所からの敵の出現に平家は混乱した。

まず、一番近くにいた夢野口の平通盛隊が潰走。続いて塩屋口を守る平忠度隊も大将が源氏方の岡部忠澄に首をハネられる程の総崩れとなった。残る生田口では平知盛、平重衝の両将が奮戦していたが夢野口、塩屋口での惨敗を聞いて退却を選択するしかなくなっていた。

この際、夢野口への援軍に向かおうとしていた関係で逃げ遅れた平重衝が源氏方の梶原景季に捕縛された。これにより、平家は名将をまた一人失ったのである。

 

--------------------

 

源氏の、文句のつけようがない大勝利だった。

彼らは攻め落とすのに数ヶ月はかかるのではないかと言われた要害の地・福原をほぼ1日で攻略してみせたのだ。

 

その立役者は見事、鵯越の逆落としを成功させた義経になる訳だが、鎌倉でその報を聞いた頼朝の感想は

「義経、アイツなにやってんの?」

であった。

 

頼朝からすれば、長期戦の準備は十分してきたつもりだった。

その為に飢饉を避けて西国への侵攻を3年も遅らせ、その間、関東の平定に専念し兵站補給地と背後の安全を確保した。

もし相手の守りが崩せなければ、ある程度、相手にダメージを与えて、負けないタイミングで撤退すればよかったのだ。勝ちきれなければ、また攻めればいいだけなのだから。

むしろ、そんなリスキーな奇襲を仕掛けて失敗していたら、この3年間の努力が無駄になってしまうところであった。

実際、義経は100騎程で崖を降り戦局を変えたというが、残りの9900騎は頼朝に許可もとらずに部下に任せて、悪く言えば放置している。もしかすると、源氏はここで義経隊一万の兵を丸々失う可能性もあったわけだ。

 

勝利に水を差して士気を下げる訳にはいかないので、その不満を口に出すことは出来なかったが、本当は義経を京都から呼び出して怒鳴り散らしたいくらいの気持ちであった。

 

義経が頼朝の不興をかった理由として、一つにはそうした戦略性の違いがあったが、もう一つに、頼朝が現地の様子を知る為の情報源にしていた媒体が梶原景時作成の報告書であったことが挙げられる。

 

梶原景時は報告書を作ることが、この時代の武士としては異様に得意であった。他の武将、例えば義経や範頼が合戦の報告として頼朝にあげるのは、せいぜい「どこで、誰が、勝ちました(負けました)」という程度の文だった。

あるいは褒美を得るために自分の手柄だけを延々と書き綴る者はいたが…。

 

だが景時は違った。

彼が作成する報告というのは、どの攻め口で何人と何人がぶつかり、双方どの程度の損害がありどちらが勝ったか。相手方の主だった武将は誰で誰が討ち取ったのか、あるいは、どこへ逃げたか。味方の諸将はそれぞれどのような振る舞いをしていたか…など戦場の様子を己の知る限り最大限事細かに記したものだった。

 

頼朝はこれをいたく喜び、頼りにするようになった。

御家人たちに戦場での働きによって適切な報奨や罰を与えて国家を運営していこうと考える頼朝にとって、現地の情報を細かく知ることは必要不可欠なことであった。

戦場で活躍することを大前提としつつ、頼朝が作る新しい世の中には、景時のように事務能力に優れ、キチンと上司に「報告・連絡・相談」をしてくれる人材が求められていた。

 

とはいえ、報告書というのは人が作るものなので、どうしても作成者の主観というフィルターがかかったものになってしまう。景時は事ある度に義経と戦術論で対立していた。意図的かどうかは別として、作成する書類の内容はどう考えても好意的にはならない。

 

そんな景時の報告書を見て万事を判断していくものだから、頼朝の義経への心証は自然、良いものにはならなかった。

 

--------------------

 

義経は干されていた。

 

一部例外として、小規模な反乱の鎮圧の任務はあったが、一ノ谷から一年。義経に平家討伐の為の出撃命令が下ることはなかった。大戦果を挙げた武将に対する扱いとしては異例である。

 

表向きの理由は義経が頼朝に無断で後白河法皇から官位を受けたことだとされた。

確かに、朝廷から独立し東国で武家政権を樹立することを目指す頼朝からすれば、それも面白いことではない。

だが、この時期に任官された武将は他にもいる。立場の違いはあれど、彼らが警告程度の処罰で済まされ、早々に戦線復帰していることを考えると、義経への罰だけが異様に厳しい。

義経が起用されなかったのは、頼朝が義経を敵以上に怖れていたからだ。

 

義経の戦い方は頼朝からすれば無鉄砲すぎた。宇治川、一ノ谷では上手く行ったが、今後も同様に上手くいくとは限らない。いつか取り返しのつかないくらい大きな失敗をするのではないか。頼朝にはどうしてもそう思えてならない。

 

義経が頼朝の政治的な戦略を理解出来なかったのと同じく、頼朝も義経の戦術的天才性を理解出来てはいなかった。

義経は、この時点での戦術的常識では異常なほど、自身の部隊に機動力と相手の虚をつく意外性を求めた。

それらを駆使して相手が守備を堅めきらない内に撃破しようというのが義経の言うところの天狗兵法の真髄だ。

 

ここまでの歴史上、そうした例が全くなかった訳ではない。

だがそれは、時たま現れる戦術的天才が己の判断のみでやることだった。

 

世界史的に言えば、この後、モンゴル帝国が似たやり方で世界を席巻していくが、平野が少なく騎馬の機動性を十分生かしづらい日本ではその発展が遅れた。

日本でそれが組織として行う戦術的なオプションの一つとして受け入れられるには戦国時代を待たなくてはならない。そう考えると、義経の考え方は日本史上、異様に進んでいた。正に世界史クラスの指揮官であったと言って差し支えない。

 

だが見方を変えれば、義経の発想はこの時代の日本においては早すぎた。自分達の体制が多少危うい状態でもとにかく速く攻めようとする義経の兵法は、何事にも準備を欠かさない性格の頼朝には、なお理解し難かったであろう。

だが、義経からすると、相手が防備を堅めきったところに攻めていく方が危険なのだ。

 

結局のところ、自分達が準備をすることをとるか、相手に準備をさせないことをとるか。

その二択の違いなのだが、双方共にそこが考え方の根っこになる部分であり、それが極端に行動に出ていたので、兄弟の溝は深まるばかりなのであった。

ホンの少しの違いが、血の繋がった二人の天才のすれ違いを生んだ。

もしも、天才的な政治家である頼朝が義経の戦術の才能に理解を示しその力が存分に発揮できるようサポートしていたなら。

もしも、天才的な戦術家である義経に頼朝の政治的判断の意図をもう少し深く考える力があったなら。

そして、双方がもう少しお互いの考えに関心を持てていたなら。

どれほど強い軍団が出来上がっていたのだろうか。

だが、それは後世に生きる我々の想像でしかない。

 

--------------------

 

平家を追うのは範頼軍だ。

以前、木曽義仲の軍が海戦の経験不足から、屋島にいる平家を追撃できなかったが、その点では頼朝の関東武士団もそこまで変わらない。

 

直接、屋島を狙うのは難しい。

そう判断した頼朝は山陽道沿いを平定しながら長門国に入り、最終的に平家の拠点がある彦島を墜として屋島を瀬戸内海で孤立させようと目論んだ。

 

範頼は3万の軍勢を率いて山陽道を西へ進む。

当初の行軍は順調であったが、備中国・藤戸の戦いで平行盛率いる平家軍に苦戦すると、その後、瀬戸内海交通を握る平氏に兵站路を脅かされるようになった。

西に進むにつれて兵站が枯渇するようになり、範頼の軍の中では厭戦ムードが高まっていく。

 

しまいには軍団のNo.2、軍監の和田義盛まで

「鎌倉へ帰りたい」

などと口走るようになってしまった。

 

それでも中国地方を下関までおさえ、更に回り込んで北部九州を支配領域に組み込むまではしたものの、この状態で苦手な海戦に挑むことは不可能であると範頼は判断した。

 

そうして、範頼は頼朝に書状をしたためた。

 

「山陽道、北部九州はおさえ、平家を孤立させるという目的は果たしました。しかし、彦島の砦を攻略するには至らず、また、兵糧不足でこの包囲も長くは維持できません。願わくば、畿内の軍で屋島を攻撃し、包囲を継続できている間に平家と決着をつけて頂きたい。」

 

 

「なかなか無茶なことを言う」

範頼からの文を読んで頼朝はため息をついた。

 

屋島を直接叩くのが難しいから先に山陽道~九州までを範頼に平定させようとしたのだ。これでは結局、平家が弱りきる前に屋島を攻めなくてはならないことになる。

 

だが、こうなった以上、攻めるなら今なのも事実だ。

今なら、屋島さえ陥落すれば、平家の逃げ場はない。包囲が解けてしまった後で逃げ回られては二度手間、三度手間である。

 

頼朝はため息をついて呟いた。

「義経か…」

 

平家を潰す千載一遇の機会である。

不利な海戦で屋島を墜とせる指揮官が他にいるだろうか。頼朝がいくら考えても他の答えは浮かばなかった。

 

--------------------

 

「屋島の平家を追討せよ」

 

頼朝からその命が下ると義経は張り切って準備を始めた。

河内源氏にまともな水軍がないのは前述の通りなので、始めは畿内の水軍に協力を依頼することから始めた。

 

義経が直接交渉すると、割とすんなり渡辺党、熊野水軍といった地元水軍の協力を獲得できた。

本来、義経は口が達者な男ではない。それでも交渉で結果を残せたのは、一ノ谷での派手な奇襲のお陰で義経の名が知れ渡っていた為だ。

「コイツについていけば勝ち馬に乗れるだろう」

水軍の棟梁たちはそんなイメージを持った。

 

義経はそれら水軍の舟を現在の大阪市。渡辺党の本拠地でもある淀川河口の渡辺津に集めた。

ここで関東の武士団を舟に乗せ、四国へ向けて出発しようという手筈である。

 

その日は、波が高かった。

義経らは知る由もないが、西からやってくる暴風雨の影響である。

 

関東の武士達は三浦半島や房総半島で活動していた一部を除いて海に出たことがない。

「このまま海に出たら沈んでしまうのではないか。」

そんな事を言い出す者がいて、軍全体に不安が広がっていった。

 

「皆の者、動じるな! 舟に逆櫓をつければ良いのだ、そうすればいざと言う時は戻って来れる!」

梶原景時がそう言った。

 

「どういうことですか?」

「逆櫓というのは、舟の進退を自由にするためのモノですよ。舟の前方に取り付けるのです。」

 

景時は自慢気に答えたが、義経は逆櫓とは何かを聞きたかったのではない。それは知っている。どういう気持ちでそれをつけようと言っているのかを聞きたかったのだ。

 

「そんなものをつけて始めから退却することを考えていたら、皆、臆病風に吹かれてまともに戦えなくなりますよ。」

「これはいけません、義経殿。真に戦いに優れた武将というのは進む時には進み、退く時には退く者です。」

「では、仮に、逆櫓を舟に取りつけるとして…。全部の舟につけ終わるまでに、どれくらいの時間がかかるんでしょう?」

 

「どのぐらいかかるんだ?」

 

景時は舟戦をする上での一般常識として逆櫓の問題を言い出した訳だが、実際にどのようにするのか細かい作業の手順までは知らない。

近くにいた渡辺党の渡辺(つがう)に義経の質問をそのままぶつけた。

 

「そうですね…。難しい作業ではないですが、この大軍を運ぶ舟、全てに取りつけるとなると…。2、3日は時間を頂きたいですね。」

「遅いです。それでは、平氏も我々の行動に気づいて守りを堅めてしまう…。」

「と、言われましても…。これだけ人員がいたって結局作業ができるのは我々水軍衆だけですからね。それなりに時間は頂かないと…」

「だが、それでは、遅いんだ!」

 

梶原景時が言う

「何をそんなに奇襲にこだわっているのですか! 相手が守りを堅めるなら、こちらも堂々と名乗りをあげ一騎討ちを挑むまでのこと! それとも義経殿は我々関東武士の武勇を信用できないと申されるのか!」

 

義経からすれば、論点が全くズレている。その為、義経はそれを半ば無視した。

 

「まぁ、いいや。出発は明日にしましょう。逆櫓はそれまでにつけられる分だけということで。」

「ですから、それはあまりにも無鉄砲!」

 

「ま、今回もついて来られる人だけついてくればいいですから。絶対上手くいきますよ。」

 

--------------------

 

その夜、渡辺津にて、水軍衆による夜を徹しての作業が行われていた。

出立は明朝に決まった。それまでに一艘でも多くの舟に逆櫓を取りつけなければならない。

 

だが、作業をしている内に、段々と天候が悪化してきた。昼間から高かった波が更に高くなり、雨が降り、風も出てきた。

 

「これは、明日の出発はムリだな」

作業を進めながら、誰かが言った。

 

これだけ海が荒れれば、いくら何でも海に出ると言い出すヤツはいないだろう。海に慣れた水軍衆がそう思うのだから、関東の武士なら尚更なはずだ。

そして、水軍衆たちは少しホッとしていた。これで出発が1日遅れれば、その分、逆櫓を取りつける作業をする時間も1日稼げる。

 

雨が強くなってきて、灯りの松明の火が消えるのも時間の問題になってきた。作業も再び日が昇るまでは難しい。

皆、寝ていなかったので、チラホラと休憩をとりだした、そんな時だった。

 

義経と弁慶以下、義経直属の武士たちが武装して、この作業場に現れたのだ。

 

「義経様、いかがなされましたか? 出発の時間はまだですが…。」

渡辺党の渡辺番が寄っていって声をかけた。

 

「波と風の様子を見にきたんですよ」

「あぁ、見ての通り。ヒドいもんです」

「ん? すごくいい風ですよ」

「え?」

 

渡辺番は首を傾げた。

一番出陣を待ち望んでいるであろうこの人が、嵐を喜ぶとは何事か。この天候では舟は出せない。何か、大きな勘違いをしているのではなかろうか。心配になって、番は言った

 

「これでは、明日の出航はムリですね。中止ですか?」

「今から出ます」

「え?今って?」

「今の今。たった今です。」

「な、何をおっしゃっているのですか!? 今、舟を出すのは危険です!」

「確かに、安全ではないかもしれない。でも、この強い風…四国の方に向いて吹いている。今なら、物凄く速く向こうにつけますよね?」

 

悪天候で舟は出せないという前提があったので、考えてもみなかったが、確かにその通りではある。何も考えずに言っている訳ではないらしい。番は感心した。

 

「義経様は風をよめるのですね」

「まぁ。水軍のみんなには劣るだろうけど。自然の移り変わりを予測する術も、天狗兵法の中にあるからね」

「て、天狗…?」

「うん。天狗」

「 まぁ、では、何か考えがあっておっしゃっているのでしょうが、危険には変わりないですよ。逆櫓も結局まだ一部にしかつけられていません。」

 

「それは昼間も言った通りさ。僕は行く。ついて来られる人だけついてくれば十分さ。」

 

--------------------

 

義経についてくる者は少なかった。

 

一ノ谷の時の行軍もかなり無理があったが、あれは陸でのことだった。今度は、ほとんどの兵にとって不慣れな海だ。嵐の中出ていって舟が転覆でもしてしまえばお仕舞いだ。

宇治川、一ノ谷での義経の戦いぶりは知れ渡っており、源氏勢の中には彼の一種、魔術的な手腕に期待して従軍していた者も多かったが、いざそれをやるとなると腰の退ける者がほとんどだ。

 

当初、屋島へ一緒に侵攻するはずだった兵の数が2万人程度。ついてきたのが150騎。あまりに少ない。

それでも、義経は十分だと思っていた。寡兵でも、相手を混乱させ、隙を突けば勝てる。イヤなのは、味方の意思統一ができず、軍全体の行動に迷いが出ることだ。

今、いるのは自分の戦術を信頼し最後までついてくると心に決めた者たちだ。

 

義経は舟を出す直前、直属の部下たちに

「他家の者には、ムリについて来なくていいと言った。みんなだって一緒だ。僕の郎党だからと言って、ついてくる必要はない。迷っているなら残れ。一緒に来なかったからと言って、そのことを責めたりするつもりはないから。」

と念を押した。

 

すると弁慶が

「某は、いつぞや五条の橋で手合わせした時からずっと義経様を天下無双の強者であると思っています。義経様が負けるはずがありません。我々はただ、お力添え致すまで。」

と言った。

 

他の郎党たちも

「そうだ、そうだ」

と口々に続く。

 

迷いながら、疑いながら進む2万の兵より、ただ一つの事を信じて突き進む150人の方が強い。

 

この戦、勝てる。

義経は確信した。

 

--------------------

 

出航する頃には凄まじい強風になっていた。だが、義経の読み通り風向きは悪くない。本来、渡辺津から屋島までは舟で3日ほどかかる予定であったが、義経たちは1日で四国までたどり着いた。

 

舟の数にすると5艘という寡兵であるため、屋島に直接上陸戦を仕掛けるのは、あまりに不利である。

平家側に気づかれないよう、屋島からはあえて距離をとり、阿波国・勝浦に上陸した。

 

義経ら150騎はまず、最も近い平家の拠点である桜庭良遠(田口成良の弟)の桜間館を襲って、これを打ち破った。

その後、屋島へ向けて急ぎ進軍。途中、丹生に至った際に、源義経は、自身が率いる軍が寡兵であることを悟られないようにするために軍を2つに分けた。

そして、屋島を挟み込む形で民家に火をかけて煙をあげ、巧妙に大軍に見せながら、それぞれが屋島に向かった。

 

平家は大慌てだ。

源氏はまだ渡辺津にいると思っているし、だいたい陸から攻めてくるとも思っていない。守りの体制が整わない平家は状況確認をしつつ、いつでも逃げられるよう舟に乗り込む訳だが、義経はそれを追撃はしない。彼の狙いは別のところにあった。

 

屋島はその通り、島ではあるが、どちらかといえば中洲に近い地形で陸と距離が近く、周囲も干潮時は馬でも渡れる程度の浅瀬だ。

その為、義経は平家一門が湊に向かった隙を突き、屋島に侵入。安徳天皇の内裏や平家の館、砦に火を放ち、屋島の拠点としての機能を奪ってしまった。

これで、平家はもう屋島にはいられない。

 

歴史上、あまりにも有名な屋島の戦いだが、勝負の趨勢はまともな武力衝突もない内に決してしまった。

平家側もしばらくすると、想定したより源氏の兵の数が少ないことには気づくのだが、手遅れである。

 

苦し紛れに舟に扇を立てて

「これを射落としてみろ」

などと挑発することしかできない。

 

これも源氏方の那須与一によって見事、打ち落とされた。

しかも、与一の妙技に「敵ながら天晴れ」ということで、平家の老兵が一人、船上で舞いを舞うのだが、義経は与一に命じてこの老兵を射殺させた。

 

義経はこの時代によく見られる戦の作法などには全く興味がなかった。だから、相手を讃える老人の心意気さえも挑発に使った。

これは現代的に例えれば、サッカーで怪我人が出た際にピッチの外に出したボールを相手に返さなかったり、野球で大幅にリードしているのに盗塁をしかけたりするようなものだ。

明確なルールではないが、スポーツマンシップには反していると言える。

 

怒った平氏の何名かが舟から降り、刀を抜いて向かってきたが、何ぶん、足場の悪い浅瀬から陸へ向かってくるのだ。源氏勢が弓を射て、陸に上がってくる前に全員射殺してしまった。

 

平家側は義経隊が待ち構える陸地には上がれず、また、上がったところで生活の場や防衛拠点は全て義経に焼き払われてしまっている。更にいえば、平氏側からすると、梶原景時が率いる源氏水軍の本体がいつ屋島に現れるかもわからない。

 

平家の軍事的指揮官である平知盛は苦々しく唇を噛みながらも決断した。

 

「屋島は放棄して、彦島へ向かう」

 

こうして、平家は最後の拠点となった彦島へ向かった。彦島に近い陸地である九州北部や下関は範頼隊が既に占拠しており、平氏にはもうこれ以上の逃げ場はない。

 

次が最後の戦いになる。

この戦に関わる誰もがそう理解していた。

 

 

義経が屋島で勝利してから丁度3日後、梶原景時が率いる源氏の本体が屋島にやってきた。

予定通り、嵐が過ぎるのをまってから渡辺津を出航してきたのだ。

 

彼らが屋島に到着すると平家の姿はもうそこにはなく、焼き払われた拠点の跡があるのみだった。

梶原景時は、嵐の中出ていった義経がどこかで遭難し屋島に着いていないのではないかと疑っていたし、辿り着けたとしても、あの寡兵では平家軍と戦っても返り討ちに合うだけだろうと思っていた。

だから、景時は目の前に広がっている屋島の現状を見ても、一体何が起こったのか想像がつかない。

 

しばらくして、源氏本体が到着したという報せを聞いた義経が浜に出迎えにやってきた。景時は開口一番に言った。

 

「義経殿! 平氏の軍勢は一体どこへ行ったのですか!」

「あぁ。スミマセン…」

「『スミマセン』!? こ、今度は一体何をやらかしたのですか! 他の者たちはどうしたのです! 全員ヤられてしまったのですか!」

「スミマセン…。合戦には勝ったのですが、取り逃がしてしまって…平氏は彦島へ向かったと思います」

 

「勝った…?」

「いちおう勝ちました…でも…もしかしたら、こんなんじゃ勝った内に入らないかもしれませんね…。拠点は破壊出来ましたけど、打ち取れた数はそんなに多くなかったし…こちらも佐藤継信を失いました」

「か、勝った…あの人数で勝ったと言うのですか! 一体、一体どうやって!?」

 

梶原景時はあんぐりと口を開けている。

何だか会話が噛み合わない。

義経はそう思って頭をかいた

 

「あれ? また僕、なんかやっちゃいました?」

 

--------------------

 

義経は供養を捧げてから屋島を出た。

義経が奥州を出る際に藤原秀衝がつけてくれた郎党の佐藤兄弟の内、兄の継信が屋島にて戦死していたのだ。前述の通り、戦闘自体は呆気なく終わったのだが、平家が逃げる間際、弓の名手・平教経が義経を狙った際、彼は身を呈して主人を庇って死んだのだ。

義経はこれを一生の不覚とした。彼を弔いたい。そんな思いから、義経は次の合戦では自分が先陣を切ると源氏一同に宣言した。

例によって、梶原景時が、大将が先陣を務めるなど聞いたことがない。部下の中にも手柄を立てたい者がいるのだから、ここは譲ってやるべきと主張したのだが、義経は譲らなかった。

 

 

1185年3月。檀ノ浦の戦いが幕を開けた。

周防国から彦島に向かってくる義経の源氏水軍に対して、平氏は湊に籠らず迎え撃つ策をとった。

 

丁度、潮の流れが彦島側から向かってくる源氏の方へ流れ始める時間帯であった。平氏としては、その間に短期で決着をつけようというつもりである。

 

何度も書いているように、海戦は平氏の得意分野で源氏の苦手分野だ。この頃になると、瀬戸内海沿岸の海賊を味方につけて数の上では源氏の舟の方が多くなっていたが、操舵の熟練度に勝り、海流も味方につけた平氏は源氏をグイグイと圧していく。

 

先陣で突っ込んで行った為、義経の乗った舟も度々襲われた。それを強者揃いの郎党たちが次々切り伏せていく訳だが、ピンチには変わりがない。

 

潮の流れが変われば勝てる。

それが源氏軍の共通認識であったが、果たしてそれまで戦線をもたせる事ができるだろうか。

皆が不安に思い始めた頃、義経は言った。

 

「そうだ、舟の漕ぎ手を狙って攻撃しよう」

「いいんですか?」

義経郎党の弓の名手・伊勢義盛はギョっとして言った。

 

「え? ダメなの?」

「ダメではありませんが…普通、やりませんね…」

「なんで?」

 

何故だろう。

伊勢義盛は考えたが思いつかなかった。

 

この時代、「戦い」というのは、つまり剣を振るって相手と斬り合ったり、弓を射て相手を射殺すことをいっていた。

その考えでいくと、今、「戦い」をしているのは武装して舟に乗り込み斬り合い、射ち合いをしている武士だけで、舟を漕いでいる人は非戦闘員であるということになる。

だから、この時代の武士にとっては、例え戦場であっても舟の漕ぎ手を殺すことは、感覚として戦闘ではなく殺人に近い行為であった。

 

だが、義経の考えでは機動力は部隊の最も重要な戦闘能力だ。それは一ノ谷でも屋島でもそうだった。

そして、今、平家に圧されているのも彼らが潮の流れを味方につけて機動力を増しているからだ。

 

この時代の戦いは個人の武勇を中心に考えるのが一般的で、機動力で相手を撹乱したりといった考えはほとんどの武士が持っていなかった。

では何故、今、平氏がこのような戦い方を選択しているのか。

海戦ではそのようにするのが普通なのか、それとも今までの義経の戦いぶりを見て平家側の指揮官・知盛にも何か感じるところがあったのか。

義経には知る由もない。

 

何にせよ、この戦況では義経得意の機動戦に持ち込むのは困難であった。

ならば、相手の機動力を削ろう。

それが義経の考えだった。

 

やや戸惑いながらも忠臣である伊勢義盛は全軍にそれを伝達した。しかし、やはり、戸惑う者が多かったので、義経配下の義盛や弁慶が率先してやって見せると、やっと他の源氏の武士たちも従うようになった。

 

平家の軍が機動力を失うと、戦況は互角となり、長期戦になった。そうすると、やがて潮の流れは変わる。元々数で劣る平家が舟の漕ぎ手を失い、海流の有利も失えば、あとは最早壊滅するだけである。

平家の武士も、女たちも、そして安徳天皇も次々に海中へ姿を消した。

 

 

そんな中、平教経は奮戦していた。屋島で佐藤継信を射殺した弓の名手である。

 

教経は

「身投げはしない、死ぬなら戦って死ぬ」

と決めていた。

 

舟を本来戦闘員である部下に漕がせては源氏の舟に近づき乗り移って戦い、自分を倒せる程の猛者を探すのだが、腕っぷしでは平家一とも言われる教経だ。なかなか死に場が見つからない。

 

そんな中、教経は源氏の舟に相手の大将の姿を見つけた。

「源義経だな! 私は平教経だ! 尋常に勝負しろ!」

「えっ? イヤですよ」

 

義経は断った。

義経からすると、ここで教経と一対一で勝負することに意義を見いだせなかった。

義経も武術で勝負をするのは嫌いではない。

だが、己の最期を華々しく飾ろうとする教経とでは熱量が違った。

 

相手の事も自分の事も一廉の武士だと認めるなら、普通はその心意気を理解して勝負に応じる。そこに胸を熱くする、というのが、この時代の考え方だが、義経は違った。

義経は、樋口兼光の助命を嘆願したり、佐藤継信の弔いの為に先陣を志願したりと、必ずしも無感動な男ではない。だが、戦場においては人の感情よりも効率や損得を重視した。

 

だから、梶原景時が常識的に言えば無茶に思える義経の作戦に対して諫言をしても、自分の作戦の方が効率良く結果が出せると思えば、大した説明もなく相手の意見を退けてしまう。

そこに相手の面子やプライドに対する配慮はない。

政治の場と戦いの場で発揮する場所の違いはあるが、そこは兄の頼朝との共通点かもしれない。

そして、そんな義経だから、平教経の最期を飾る決闘の申しでも断ってしまうのだ。

 

義経からすると既に勝負はついている。源氏の勝ちだ。

平家の勝ち戦なら、手柄を得る為に最後まで少しでも多くの首を狙うというのはわかる。だが、負け戦なのだからたくさん相手を殺したところで罪が重くなることはあっても得になることはない。

教経も早く身を投げるか、大人しく捕縛されるか選べばいいのだ。

何故、ここで自分が命を賭けてまで相手をしてやらなければいいのか。義経にはわからなかった。

 

「あ、そう言えば佐藤某と言ったか…屋島で死んだ、イヤ、俺が殺してやったお前の郎党、弱かったなぁ! 死ぬ時も無様に痛がってたぞ! とても武人とは思えない弱虫だ! やーい!」

決闘を断られた教経は大きな声で叫んだ。

 

義経は、自らの為に命を落とした忠臣を罵られて腹が立った。

だが同時に、挑発だな、とも思った。

そして、ここでも効率的に考えるのである。

 

確かに腹は立つ。自ら殺してやりたい衝動にも駆られる。だが、相手は自分と勝負がしたくてあんな挑発をしているのだ。

では、今、平教経が一番悔しがる仕返しの方法はなんだろうか。

 

「よし、逃げてやる」

義経は浮かんでいる舟の上をピョンピョンと跳び移り、教経の前から姿を消した。

 

普通、この時代の重い甲冑をつけながら、そんな事ができる人間はいない。

 

平教経は追うのを諦めて

「畜生!」

と大きな声で叫んだ。

 

そしてしばらく呆然としていると、大将首を狙って源氏の雑兵が二人ほど教経に近づいて来た。

 

教経は

「雑魚がぁ! 貴様ら何ぞに俺の首はやらん!」

と叫び、その二人の首を両脇に抱えると、そのまま海へと飛び込んだ。

 

 

こうして、源氏と平氏の戦いは終わった。

同時に、武人と武人が互いに矛を合わせて武勇を競い、高め合う。そんな時代も終わろうとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その5 ~兵どもが夢の跡~

1185年5月。義経は鎌倉郊外の腰越にいた。

檀ノ浦で平家を滅ぼした後、相手方大将の平宗盛を鎌倉まで護送していたのだが、頼朝は義経が鎌倉に入ることを許可しなかった。

原因は無断で後白河法皇から任官したこと、梶原景時から義経の驕慢と専横を訴える書状が届いたこと、頼朝が義経の強さと名声を怖れたから、など様々に言われるが本当のところは頼朝にしかわからない。

義経が一ノ谷や屋島で梶原景時に作戦を十分理解が得られるまで説明しなかったように、この兄弟はそれぞれの分野で類い稀な才能を持ちながら、人に考えを説明することを嫌うところがあった。

その時代の常識から進みすぎた考えは人に理解されない事が多い。その為、2人は物事を言葉よりも結果で示すことを好んだ。

この頼朝の、平家討伐の英雄である義経をあえて冷遇するという対応にも何らかの意味があるはずなのだが、その答えは頼朝の頭の中にしかない。

 

腰越から先に進めず、頼朝と直接合うことも許されない義経には、勿論頼朝の考えがわからない。何故このような事になるのか、という悲痛な手紙を頼朝に送っているが、それへの返事もなかった。

 

この時期、義経は生きる意味を無くしていた。

元々は、天狗に習った武芸を平家打倒の為に役立てようと山から降りてきたのだ。敵を全て倒してしまった今、自分はどのように生きていけばいいのか。全てを達成したはずなのに、何かが足りない。義経は胸中、何かポッカリと穴が空いてしまったような感覚を覚えていた。

兄であり、上司でもある頼朝に聞けば何かわかる気がしたが、彼に会うことは叶わない。ならば、せめて今まで生きてきた事の証として平氏討伐の功績くらいは認めて欲しかったが、頼朝はそれすらしない。

 

だから、やむ無く腰越から京都に戻った際、

後白河法皇が

「そんなにヒドイ兄の言うことを聞く必要はない。」

と頼朝追討の院宣を義経に出してきた時も黙ってそれを受け取ってしまった。

 

後白河法皇が関東で独立しようとする頼朝を好ましく思っていないのはわかっていたし、手持ちの戦力では圧倒的な組織力を持つ関東武士団に敵わないのもわかっていた。

 

それでも、義経は戦うことを選んだ。

自分が戦いの中に身を置かないと生きていけない人間だということに気づき始めていたからだ。

 

 

義経と弁慶、伊勢義盛はじめその郎党たちは、頼朝追討への協力要請に反応があった豊後国の緒方氏を頼り九州へ航ろうとするが、途中で嵐に見舞われ舟は難破してしまった。

その為、一行は離散して、それぞれ各地に潜伏することになった。その後、無事に合流できたのは弁慶、亀井重清、鈴木三郎重家、鷲尾三郎義久など十数名のみ。伊勢義盛や佐藤忠信は鎌倉方の追手に見つかって殺された。

 

こうなると、義経が頼れるのは鞍馬山を出てから数年間身を寄せた奥州藤原氏のみとなる。こうして、九州へ行こうとしていた義経一行は当時の日本の南端から北端への険しい旅路を進むことになったのである。

 

--------------------

 

頼朝は、義経からの所謂、腰越状を読んでため息をついた。義経の言うことに間違いはない。

 

だが、義経が自身の生きる道を見つけられなかったのと同じように、頼朝も彼を生かす道を見つけられずにいた。

義経の戦闘の才能は本物だ。頼朝は伊豆での流罪中、膨大な量の史書を読み、様々な武将のことを学んできたが、その中にも義経に匹敵する才能の持ち主はほとんどいなかった。少なくとも、日本においてはここまでの歴史上最強と言っていい。

もし、彼と比肩する者がいるとすれば、それは韓信や李靖と言った大陸の武将になるだろう。

 

惜しいな。

頼朝はそう思った。

 

もし仮に、頼朝が日本を治めた後、大陸へ渡り世界制覇を狙うとでも言えば、義経はそこで大活躍をしてくれただろう。

でも、慎重な頼朝はそのようなことを考えない。

 

朝廷の後白河法皇や貴族たちだって武家勢力に奪われた実権を取り返そうと虎視眈々と狙っているのだ。戦争の次は、政争が待っている。他のことに手を出している場合ではないのだ。

要するに、外国へ派兵したりできる程、日本の中央集権化はまだ進んでいない。もっと言えば、社会の成熟度が義経という才能を受け入れられるまでに達していない。

 

自身もまた、政治という分野での天才である頼朝は言葉で言えずとも、感覚的にそのことをわかっていた。そして、そんなチートな才能を手ぶらで遊ばせておく危険性も承知していた。

おそらく、後白河法皇などは既に義経を利用することを思いついている。

 

自分が使えないなら、殺すしかない。

 

1185年秋。頼朝は全国に守護と地頭を設置。義経を捕まえる為、全国に包囲網を張ったのだった。

 

--------------------

 

1189年の初め、頼朝のもとに義経が奥州藤原氏の庇護下に入ったという知らせが届いた。今すぐに何か策を講じなくてはならない。頼朝は焦った。それは頼朝が一番怖れていたことであったからだ。

 

義経を利用して鎌倉幕府に対抗しようとする勢力がいるとすれば、それは朝廷か奥州藤原氏である。

しかし、朝廷に対しては既に楔は打ち込んである。朝廷という組織は、院宣や勅令を出して全国の武士に決起を促すことはできるが、自分たちが直接動かせる武力はほとんど持っていない。

だから命令された側にやる気がなければ「今、事情があって出兵できない」と断られたり、士気が低くカタチだけの出兵になったりすることもある。

 

それを前提とした上で、今、朝廷が頼朝追討の院宣を出したら武士たちは、それに従うだろうか。全国の武家の利益を代表する存在である頼朝は朝廷と武力衝突ということになれば、武士達は朝廷よりも幕府に味方する。負けはしないと読んでいた。

 

問題は、日本の武家の中で唯一頼朝のコントロールが効かない奥州藤原氏だ。

振り返ってみると、彼らは義経がいなかった場合の頼朝そのものだ。頼朝も、当初はこんなに早く平家を打倒できるとは思っていなかった。

それが可能だったのは偏に義経がいたからであって、それがなければ、西国を平氏、関東甲信越を源氏、東北を奥州藤原氏が治める割拠の時代がしばらく続くと予想していた。

奥州藤原氏は源氏と平氏が戦う間、戦いには関わらず、地盤固めに専念し、頼朝が義仲追討の前に関東で着いていたような、その地方をまとめる棟梁の地位を確固たるものにしている。

そこに義経が加わってしまうとしたら、今の頼朝と奥州藤原氏のパワーバランスが逆転してもおかしくはない。頼朝は大きな危機感を覚えていた。

 

ただ、つけ入る隙があるとすれば、ここ数年で藤原秀衝が死に、奥州藤原氏の棟梁が交代していることだろう。

頼朝はそう思った。

 

三代目当主の藤原秀衝は義経が源平合戦で武功を立てる前から彼のことをいたく買っていたようで、過去には養子に迎えて後継ぎにしたいと言ったこともあるそうだが、その息子・泰衝は彼をどう思っているだろうか。

秀衝からそうした発言が出るということは、反対に泰衝を始め、実の子ども達のことはあまり評価していなかったということだ。泰衝の立場から見て義経はどのように見えるのか。

義経と奥州藤原氏の仲を裂くとすれば、その辺りに隙がある。

 

そこで頼朝は朝廷を介して藤原泰衝に義経を追討するように圧力をかけることにした。

 

--------------------

 

藤原秀衝には6人の男児があった。長男が国衡、次男が泰衡。以下、忠衡、高衡、通衡、頼衡と続く。

 

秀衝の後の当主となった泰衝は次男だが、長男・国衝の母親が蝦夷の女で身分が極端に低かった為、奥州藤原氏の棟梁の座におさまった。

 

長男の国衝は武勇に優れた人物で周囲からも人望があった。

泰衝も決して愚鈍な人物ではなかったが、立場上、兄と比べられてしまうことが多く、父の秀衝も泰衝には厳しくあたった。

 

おそらく、心の底では秀衝も国衝を後継ぎにしたかったのではないか、と泰衝は思う。

 

だが、秀衝にそれは出来ない。

奥州藤原氏は藤原摂関家の末裔を自称しているが、実際のところ、かなり怪しい。もし、自称している家系図が本当だとしても傍流が東北に流れてきて、それが蝦夷の末裔である現地豪族の血と混じりあって現在に至っている訳だ。

だから都にいる本流の藤原家からすれば自分たちを同族だなんて思っていないに違いない。

 

秀衝はそんな自分の出自にコンプレックスを持っている。

だから、京都の血にこだわり、藤原北家の本流に近い藤原基成の娘に生ませた泰衝に跡を継がせようとしているのだ。

もしかすると、継がせようとしている、という言い方よりも継がせなくてはならない、という強迫観念に駆られていると言った方が近いのかもしれない。

 

泰衝は一度、国衝よりも武芸の出来が悪かったのを罵られ

「何故、後継ぎのお前がこの程度なのだ!」

と嘆く父に

「では血の事など気にせず、兄上を後継ぎにされたらいかがでしょう。それでお家の安定が図れるなら些細な問題ではありませんか」

と言った事がある。

 

泰衝も、兄の方が明らかに優れているのにこれ以上期待をかけるのはやめて欲しいと思っていた。当てつけなどではなく、真面目な発言だったのだが、それを聞いた父からは、次の瞬間から酷い折檻を受けた。

要するに、秀衝は後継問題に関してそれくらい拗れた感情を抱いている。

 

秀衝は世継ぎになれない国衝の代わりとなる後継者には、ただ優秀なだけでなく、何か特別な才能を期待しているらしい。泰衝にはそう見えた。

 

 

そんな藤原家の人々の前に現れたのが、源義経という男だった。

秀衝の舅、泰衝の母方の祖父にあたる藤原基成の遠縁に一条長成という人物がいて、彼の娶った常磐御前という女の連れ子らしい。

この男が普通でなかったのは、母親である常磐御前の前の夫が平治の乱で敗れた源義朝でその九男であるということだった。平治の乱の後、鞍馬寺に入れられて僧になる予定だったが、父の敵討ちの為に抜け出してきて、何人かの郎党と共に奥州へ身を寄せたのだという。

義理の縁まで辿っていけばいちおう親戚にはあたるが、そこまで行けば他人、要は単なる居候である。

 

本来であれば、他人である彼は屋敷の隅っこに部屋でも借りて、一族の者の邪魔にならないよう慎ましやかに過ごすはずだったが、たまたま年齢が泰衝ら兄弟と近く同世代であったので、一緒に武芸や学問をすることになった。

 

そして、兄弟たちも、教育を担当する一門の者も、皆が度肝を抜かれた。

義経は武芸をさせれば異様に達者で曲芸のような動きを見せるし、兵学においても一門の誰が考えても思いつかない魔法のような策をいくつも編みだし提案していた。

 

正に天才である。

弟たちは皆、彼を慕い、兄の国衝も一目置いているようだった。

 

そして、父・秀衝は義経を少し異様なくらい気に入っていた。

何とか養子に迎えて跡取りに出来ないか。泰衝は父が義経に関してそう家臣たちに話しているのを見たことがある。

 

「また、ご冗談を」

家臣たちは笑っていたが、たぶん父は本気だろう。

 

何故なら、その時の秀衝の目は以前、

「国衝を後継ぎにしたらいい」

と言った泰衝を折檻した時と全く同じだったからだ。

あの時と違い、口元だけは笑っていたが、その目は、やはりあの時と同じ何かに執着するような血走った目であった。

 

気持ちが悪い。

泰衝は心底そう思った。

 

父が後継ぎに何か特別なものを求め執着しているのはわかっているが、義経など、直接血のつながりがない他人ではないか。

それとも、そんなに都の人間がいいのか。

おそらく父は己の血を残す事よりも、一族に流れる蝦夷の血を絶やす事に執着している。

 

蝦夷で何が悪いのか。蝦夷なら蝦夷で仕方がないではないか。

泰衝はそう思う。

仮に都でどう言われていようが、自分たちが蝦夷であるなら、そう生きるしかない。何か自分たちとは違ったものになってしまうのなら、もうそれは一族が絶えてしまったのと同じではないか。

 

 

義経はその後、兄の頼朝が挙兵した際に共に戦うと言って奥州を出ていったが、2年程前にまた奥州に帰って来ていた。

戦功は立てたが、頼朝の不興を買い、またも追われる身となった為、再び奥州に身を寄せたのだ。不幸な境遇に誰もが同情したが、秀衝は大喜びであった。

そして、その時に遺言を書きかえたようだ。

 

そこから一年弱で秀衝は死んだ。遺言の内容はこうだった。

 

一、奥州藤原氏は義経を大将軍として国務にあたらせる。国難には義経、国衝、泰衝の三人が同志となり迎え撃つこと。

一、国衝と泰衝は養子縁組し、国衝が親、泰衝が子となる。

一、国衝は未亡人となる我が正妻(泰衝らの母)を妻として娶る。」

 

泰衝は怒りと失望を覚えた。

まず、前述した理由から義経が大将軍だなんてあり得ない。

 

ハッキリとは書かれていないが、他人に実子と同じレベルの権限を持たせて、実質当主にしろということだ。

そして残りの二つは長男・国衝の地位を強化するものだ。しかも泰衝の母を国衝の妻にするなどかなり強引な手法を使ってまで、それをしようとしている。

 

おそらく、義経に大きな権限を持たせる内容の遺言を見れば後継者である泰衝が不満を抱くことを見越したのだろう。

「当主・泰衝vs大将軍・義経」の構図にはせず、そこに同等の実力者として国衝を加える事で一族の中で三竦みの状態を作り、泰衝の暴発を防ごうとしているのだ。

 

死ぬ間際の事とはいえ、やっていることが普通ではない。

泰衝にはそう見えた。

 

こんなことをしてまで義経に権力を持たせたいのか。

そんなに自分たちの血が穢らわしいと思うなら、こんな一族自ら滅びてしまえばいい。

泰衝はそうとすら思うのだ。

 

 

そんな泰衝の元へ義経追討の院宣が届いた。

 

泰衝は兄弟たちを集めて

「義経を討つ」

と宣言した。

 

すると、義経を慕う三男・忠衡を始めとする弟たちは

「それは父の遺言に背くことになりますから、出来ません」

「義経殿と共に朝廷や源頼朝と戦いましょう!」

と反発した。

 

泰衝は

「院の命令なのだ」

の一点張りでそれらの意見を強硬に退けた後、最後は国衝に聞いた。

 

「兄者…いや、養父上はどうだ? 院の命令に背いてまで他人の義経を守るかい?」

国衝は天を仰いで言った。

「私は、当主の意見に従おう」

 

勝った。

泰衝はそう確信した。

 

泰衝は国衝の律儀な性格をよく知っている。だから、彼に意見を聞けばそう言うだろうとは思っていた。

だが、実のところ、内心、ヒヤヒヤしていた。秀衝が家内に作った三竦みの内の一人、国衝が万が一、義経の味方をすると言えば泰衝は一気に窮地に陥るところであった。だが、これで義経を倒すことが出来る。

泰衝は歓喜した。

 

泰衝は、義経の殺害に反対した三男・忠衡、五男・通衡、六男・頼衡をその日の内に幽閉。

義経に情報が漏れない内に軍を出動させ、衣川の義経邸に向けて出撃した。

 

--------------------

 

「来たか…」

「そのようですな」

「泰衝殿の命令かな?」

「聞いてみなければわかりませんが…おそらくそうでしょう」

 

ある夜、迫りくる軍の足音を聞き、義経と弁慶は顔を見合せて、そう言った。義経はいつか泰衝から襲撃されるだろうと予感していた。

 

藤原秀衝が義経に注ぐ愛情は特別なものであった。

彼が死んでしまえば、当然、当主も代わるが、その後、義経の扱いがどうなるかはわからない。

秀衝は並外れた将である義経に軍を預けて鎌倉に対抗させる気であった。

だが、泰衝はどうだろうか。

 

彼の軍才の無さを共に兵学を学んだ経験のある義経はよくわかっている。

義経に言わせれば、兵学という学問のそもそもの考え方自体が間違っているので、そんなモノを学んだところで天狗の兵法に敵うわけがないのだが、それを差し引いたとしても泰衝は弱かった。

それに、奥州藤原氏は源平の戦の際にも中立を貫いたので、泰衝にはまともに軍を率いた経験もない。経験豊富な関東武士団の相手にはならないだろう。

 

泰衝がその辺りを自覚していれば、鎌倉幕府との和解の道を探るはずだ。そして、友好あるいは服従の証として領内に匿っている義経の首を差し出すということは十分あり得る話だった。

 

「軍才豊かな国衝殿と同盟し、泰衝を廃してしまいましょう。」

 

義経は弁慶から一度、その提案を受けたことがある。確かに、国衝が当主になるなら鎌倉に対抗することもできる。

だが、義経は気が乗らなかった。義経には陰湿な権謀術数や暗殺などを用いて政敵を葬り、それを良しとすることが理解できなかった。

 

彼の考えでは、もし決着を着けなくてはならない相手がいるならば、兵を率いて戦場でぶつかるか、一対一で決闘でもするしかなかった。

そして、泰衝ではその相手にはならない。

だから、義経はこの新たな当主を敵として引きずり降ろすよりも、もっと自分を信頼して物事を任せてくれるよう嘆願することにした。

 

その為に義経は足しげく彼のもとに通い、鎌倉方を仮想敵として

「こう戦えば勝てます」

という戦術論を何度も説いた。

軍才に自信のない当主に勝ち筋を見せて戦う気を起こしてもらおうという考えだ。

 

だが、義経の不幸は、泰衝が自分に対して抱く感情をまるで理解していないことだった。

義経の思考は相変わらず戦が中心で、泰衝を取り巻く複雑な後継ぎ問題や生育環境を考慮して彼が感じていることを理解できなかった。と、いうよりも、気持ちを理解できたとしても、その感情が政治的な判断に繋がるという因果関係が理解できていないと言った方が近いかもしれない。

 

何にせよ、義経に連日、戦術論を説かれた泰衝は義経に反発を覚えた。

自身がこれ以上ないほど劣等感を抱く相手が事あるごとに、ああしろ、こうしろと言ってくるのである。

泰衝が義経に抱く憎しみは募っていくばかりであった。

 

義経はそれを理解していない。

だから、泰衝がとうとう兵を差し向けて来た時、義経の胸には

「しまったな」

という後悔の念が浮かんだが、それは

「しまった、泰衝殿にもっとたくさん戦術を教えてあげればわかってもらえたはずなのに…」

という的外れな後悔だった。

 

弁慶は

「迎え撃ちましょう」

と言ったが、義経は首を横に振る。

 

自害する、という意思表示だった。

 

今まで追手が迫ってきても武勇と戦術を駆使して、それを撃退してきた義経一行であったが、いくら敵を倒しても、ここを追われれば、いよいよ行くあてがない。

 

惨めに逃れて山中で行き倒れるよりは、ここで死のう。

義経は決心したのであった。

 

弁慶は涙を流しながら額を床に着けた。

「承知いたしました。では、我々が時間を稼ぎましょう」

「うん。任せた。」

 

義経は弁慶に言った後、残った郎党10人に呼びかけた

「みんな、最期の決闘だ。大暴れして来い!」

「おう!」

そうして、弁慶以下、亀井重清、鈴木三郎重家らは屋敷から出ていった。

 

彼らは一人も逃げず、歴史に残る大立回りを演じた後、一人残らず討死した。

 

義経はその昔、鞍馬天狗・僧正坊に聞いた言葉を思い出していた。

 

「人は強すぎる力に怖れを抱く」

そういうことなのかもしれない。結局、自分の武術と兵法を全面的に理解して必要としてくれる人には出会えなかった。

僧正坊はあの時、そう言って霊術を教えるのを断ったが、どうせこうなるなら、霊術も教えてもらえば良かった。

 

使ってみたかったな、霊術…。

義経はぼーっとそんなことを考えた後、館に火を放った。

 

そして正妻と4歳の女児を殺害してから、自らも自害した。31歳であった。

 

--------------------

 

この後、藤原泰衝は義経の粛清に反対した弟たちを誅殺し、源頼朝に義経の首を差し出したものの許されなかった。頼朝は泰衝が義経を殺すのを待っていたのだ。

 

これで、怖れるものはない。

義経を巡る粛清劇で重要人物を多数亡くした奥州藤原氏は頼朝が自ら大将となった鎌倉幕府軍の前になす術もなく敗れた。

 

結局、頼朝も泰衝も義経を扱いきれなかった。義経という器を受け止めるには、この時代の日本という国は小さすぎた。

だが、義経の兵法は決して間違ってはいなかった。

 

この後、義経と同じように機動力に特化した戦術でチンギス・ハーンのモンゴル帝国が世界を支配していくことになるのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

義経だけど転生したらモンゴルにいた件
前編 ~楽しい草原戦記~


義経編のオマケみたいなお話です。(読んでなくても問題はない)


1162年のモンゴル高原に一つの命が生まれた。

モンゴル族の長・イェスゲイと妻のホエルンとの間に誕生した、その丸々と太った赤ん坊は、イェスゲイによりテムジンと名付けられた。

 

「鉄の人」を表す力強い名前だが、その由来はイェスゲイ自身が戦い、捕らえて処刑したタタール族の首長の名前だという。

 

「強敵を倒した記念に息子の名前に、アイツの名前そのままつけちゃうぜぇ!!」

というDQNな名前の由来を聞いた途端、赤ん坊はますます大きな声で泣き出した。

 

「そんな変な名前やめてくれ!」

と思ったからだ。

 

なんと、この赤ん坊には既に自我が芽生えていた。赤ん坊は前世の記憶と知識を持つ転生者だったのだ。

 

前世の名を源義経という。そう、あの一ノ谷、屋島、檀ノ浦と、日本の歴史に燦然と輝く戦果をあげた源義経である。

義経は、対立した兄・頼朝から逃れる為に身を寄せた奥州の地にて、藤原泰衝の裏切りに合い死亡した。

その後、フワフワとした魂となり、いくつかの次元を彷徨った後、このモンゴル高原にたどり着いた。

そして、草原の中で新たな母・ホエルンの姿を見つけると、魂が吸い寄せられ、いつの間にか彼女の胎内にいた子どもに宿っていた。

 

義経には、転生というものの仕組みがよくわからない。(後から知ったことだが)どうやら義経が死んだ時から時代も少し遡っているらしい。

 

彼自身も戸惑っていたが、とにかく、このテムジンという名前にはなりたくない。転生したこの場において、それがまず一番の優先事項だった。

 

「そんな名前やめてくれ! 僕は義経だ!」

そう叫ぼうとしたが、泣き声をあげることしか出来ない。

 

鞍馬山の住職によると、釈迦は生まれた瞬間に言葉を話し

「天上天下唯我独尊」

と言ったらしいが、どうやら、転生者は釈迦とは違う。

天地がひっくり返ろうが、転生などという摩訶不思議な出来事がおきようが、どうしても赤ん坊とはそういうものらしい。

 

テムジンとなった旧義経が大声で泣くとイェスゲイは

「おお! この名前を気に入ったか! 大きな声を出して喜んでいるぞ!」

と呑気に言った。

 

---------------------

 

いきなりハプニングに見舞われた訳だが、彼はスクスクと成長した。旧義経ことテムジンは、モンゴル族の生活が気に入っていた。(自身の名前以外だが。)

 

モンゴル族は一つの場所に定住しない。豊かな牧草地を求め移動しながら暮らし、適当な場所につくとゲルというテントを張りしばらく過ごす。そして、資源が足りなくなると、また部族ごとにまとまって移動する。

食糧に関しては、家畜から乳を採ったり、それを原料としてチーズを作るなどするが、勿論それだけだと足りないので、狩りをする。

 

狩りは、部族の男たちが協力し馬で獲物を追いかけて行う。その為、モンゴルに生まれた男児は物心がつくのとほぼ同時期に騎乗を覚える。

 

新しい身体…つまりテムジンの身体は前の義経の身体よりも一回り以上大きく何をするにも感覚が違ったが、前世、騎兵を使った奇襲を得意とした記憶が残っているのか、騎乗は部族の誰よりも上手くこなした。

また、狩りに欠かせない弓の技術も同様だ。前世ではセンスがあっても身体が小さく力が弱かったので、矢が敵まで届かず、嘲笑を受けることもあった。だが、テムジンは違う。

今の身体には彼のセンスを生かすパワーが十分に備わっており、矢は百発百中を誇った。

テムジンはそれが嬉しくてたまらない。

 

そして、何より楽しいのは略奪と戦争だ。遊牧生活は、飢饉などの異常事態を除けば概ね一年の内に一定の収入を保証してくれる農耕生活とは違う。自分たちに足りないモノや欲しいモノがある時は他の部族から奪い取る。食糧、土地、道具、女…。その全てが略奪の対象だった。

 

一見、恐ろしい世界のようにも思えるが、テムジンには居心地が良かった。前世では兄・頼朝や後白河法皇の政治的な謀略に随分と翻弄された。力こそ全て。それは、テムジンにも非常に分かりやすい草原の真理であった。

 

--------------------

 

悲劇は、テムジンが9歳の時に起きた。

父・イェスゲイがタタール族の罠にかかり毒殺されたのである。罠、とはいっても非常に単純である。

 

遊牧民には、滞在する土地に他の部族が通りかかると、その長を招いて歓待する風習がある。イェスゲイはタタール族に招かれて彼らの住居へ赴き、そこで酒に毒薬を盛られた。

 

タタール族というのは、以前、イェスゲイと争ったことのある部族だった。

それこそ、テムジンの名前の由来になったあの、「テムジン将軍」がいた部族でもある。

 

いくら、通り掛かりの部族と酒を酌み交わすのが遊牧民の慣習でも、それは友好の証として行われるものであり、敵対する部族のところにノコノコやっていくバカは滅多にいない。

 

イェスゲイは何故かそれをして殺されてしまった。

相手を舐めていたか、それとも逆に余程信じていたか、どちらかだろう。

 

おそらく後者である、とテムジンは考えていた。

息子の名前に自らぶっ殺した将軍の名前をつけるような親父のことだ。一度殴り合えば、ドラゴンボールか、あるいは、どこかのヤンキーマンガのように相手と分かりあえると思っていたのではないだろうか。

 

何にせよ、モンゴル族の長・イェスゲイは死んだ。

こうして、テムジンがモンゴル部族の長になることになった訳だが、部族内の有力者だったタイチウト氏族のタルグタイ・キリルトクがテムジンの下を離れ独立すると言い出すと、ほとんどの者はそちらの方についていった。

 

力が全ての草原において、偉大な父を失った9歳の首長についてくる者はいなかった。

 

「裏切り者どもめ!」

母や兄弟たちは悲しみ怒ったが、テムジンは落ち着いていた。

 

人は権力や立場の為に簡単に人を裏切るものだと、前世で思い知っていたからだ。確かに彼らの行動は美しくないが、モンゴル高原の社会構造上、そういう判断をするのも仕方がないとも思っていた。

 

テムジンたち家族はタルグタイが送ってくる刺客から逃れながら、各地を転々と暮らすことになった。その生活は貧しく遊牧民が普段口にしない魚や野草を食べて暮らす毎日だった。

 

時にタルグタイの追手に追い込まれることもあったがスルドス氏のソルカン・シラやその息子チラウン、またモンゴル部ジャダラン氏族長のジャムカに助けられて、何とか命を拾った。

 

--------------------

 

テムジンはそれでもその武勇によってコツコツと名声を高め、1180年の18歳になる頃には一介の族長として、並みの部族には負けない勢力を持つようになっていた。

 

テムジンの部族がメルキト族に襲われたのは、そんな折であった。

 

略奪である。

食糧や財宝は勿論、テムジンの妻・ボルテまでもが奪われた。

 

テムジンは怒りに震えた。

ボルテは父・イェスゲイが存命でテムジンがまだ大部族の後継者と見なされていた頃からの許嫁であった。

 

本来ならイェスゲイが死に、テムジンが落ちぶれた今、約束を反故にされてもおかしくなかったところ、ボルテは

「愛する人と暮らせるならそれでもいい」

と言ってテムジンと婚姻を結んだ。

 

そんな愛すべき妻が拐われたのだ。テムジンの怒りは最高潮に達していた。

 

そして更にいえば、女も略奪の対象になる遊牧民にとって、首長の妻を奪うという行為は、その部族に対する最大級の侮辱である。捨てておけば、テムジン個人だけでなく、部族全体が舐められる。

メルキト族は大部族でテムジンの部族が単体で敵う相手ではないが、それでもテムジンは決起することを決めた。

 

テムジンが出陣の準備をしていると、ジャダラン氏族のジャムカがやってきた。

 

「加勢するぞ! テムジン!」

ジャムカの力強い声を聞いて、テムジンは勝利を確信した。

 

彼らはテムジンの逃亡生活中に出会った。

短い間ではあったが、近隣の地区に滞在した二人は、双方ともに武術や兵法談義が大好きであり、そうした交流を重ねる中で互いの才能を認めあった仲であった。

 

彼らが出会った当時は、お互いに小さな部族の若い当主で、手持ちの兵もメルキトやタタールとは比べ物にならない程少なかった。

その為、大きな部族に牧草地を譲れと命じられたら、その場を立ち去り、新たな居場所を探さなければならない立場である。

彼らが出会ってしばらくすると、二人のいた地域にも案の定、大部族がやってきたので、二人の部族は追い出され、離れ離れにならざるを得なかった。

 

その際に二人は盟友の契りを交わした。

今は小規模な軍団しか持っていないが、タタールやメルキトと同程度の軍団があれば、その指揮で負けることは決してない。

そう互いに評価しあう二人は、次に合うときまでに、それぞれの軍団を大きく成長させることを約束して別れた。そうして、再会したあかつきには、二人で力を合わせて、モンゴル高原を支配する。そんな夢を思い描いていた。

 

ジャムカはジャムカで、メルキト族との間には争いを持っていた。その為、テムジンがメルキト族討伐の準備を進めていると聞くと、「テムジンと一緒に戦える」と大喜びでやってきたという訳だ。

 

とはいえ、ジャムカは慎重だった。

 

決起にはやるテムジンに対して、

「二つの部族を合わせても、まだメルキト族には敵わない。ケレイト族のトオリル・カンを頼ろう。」

と言った。

 

ケレイト族というのは、当時勢いの強かった遊牧民の一派で、ネストリウス派キリスト教を信仰する部族だ。

その首長、トオリル・カンはテムジンの父・イェスゲイの盟友でもあった人物でテムジンとも面識がある。

 

父・イェスゲイから引き継いだキヤト氏族(テムジンと兄弟たちの一族)の再興とモンゴル部族の再統一への願いから、どんなに苦しくても他の部族の下につく事のなかったテムジンだが、今はボルテのこともある。

テムジンは意地を捨て、トオリルに帰順した。

 

トオリルの亡き父・イェスゲイへの気遣いからか、名目上は同盟関係ということになっていたが、力関係から言えば、まさしくその言葉が相応しい。

 

とにかく、テムジンはメルキト族を追い払い、ボルテを奪還することに成功した。

トオリルの持つケレイト族の大軍勢は、軍を預かったテムジンとジャムカの巧みな指揮によってメルキト族を散々に打ち破ったのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後編 ~さよなら、義経~

妻を取り戻して一安心したテムジンは、その後、しばらくトオリルの支配下の一氏族長として地味に過ごした。

 

それにも関わらず、テムジンには名声が集まり、次第にいつしか、トオリル幕下の遊牧民たちの間から

「トオリルから独立して自分たちのリーダーになってほしい」

との声があがるようになっていった。

 

メルキト族と対戦した時まで、テムジンは自分たちの氏族の再興を夢見て、あえて誰の指揮下にも入らず、単独で行動していた。その為、他部族との交流が少なく、テムジンのことを知る人間も少なかった。

ここにきて、モンゴル高原随一の勢力であるトオリルの指揮下に入ったことで、テムジンの指揮能力の高さが広く知られるようになったのだ。

 

それを見て焦ったのはジャムカであった。

ジャムカは、自分の戦の才能を信じている。天下に並ぶものはそういないだろう。もし、それがいるとすれば、テムジンのみ。その認識は、盟友の契りを結んだあの日から変わっていない。

 

あの頃、ジャムカとテムジンは

「二人で協力してモンゴル高原の覇権をとろう」

と誓いあった。

 

だが、ジャムカはそれが不可能であると悟りつつあった。

おそらくあのセリフは、自分たちがまだ弱く、強大な敵を力を合わせて打ち倒す必要があった、あの頃だから言えたのだ。敵を一つ一つ倒していき、自分たちが力をつければつけるほど、その頂点に立てるのはただ一人だけだという事実が見えてくる。

そして、己の力を信じるテムジンとジャムカは、互いに誰かの下につかえるつもりはない。

 

もし戦うなら、テムジンと自分の指揮能力は概ね互角だろう。ならば、あとは軍勢の数がモノをいう。

 

兵を増やすために自分に従う者を増やさなくてはならない。

そう思ったジャムカは自分の力を誇示するようになった。

 

対立するものがあれば、敵味方問わず力で押さえつけ、罪を犯した者がいれば残虐に処刑した。

しかし、それは逆効果で、ジャムカの行いを見た仲間たちは、次々にジャムカの下を去っていった。

 

その点でテムジンは人を支配することには、そこまで感心がない。戦のことは仲間に対して適切にアドバイスをするし、逆に戦以外のことについてはおおらかで物事を人に任せることも多かった。

ある世界ではいい加減、考え無しだと言われてしまうテムジンの性格だが、縛られることを嫌う遊牧民たちには適していた。

そして、皆がテムジンについていくことを望んだ。

 

 

ジャムカが、テムジン独立の噂を聞いたのは、その頃だった。

 

ある氏族長から

「テムジンがトオリルからの独立を目指しているらしい。親友のお前は、当然ついていくよな?」

と言われたのだ。

 

ジャムカが、テムジンについていく。

当然のように言われたことが、ジャムカのプライドを傷つけた。

 

テムジンと自分の才気は互角のはずだ。なのに、何故テムジンの周りばかりに人が集まるのか。

ジャムカにはわからなかった。

 

結果、テムジンもジャムカもトオリルから半独立するようなかたちになった。

ジャムカと袂を別たなくてはならなかったことは、テムジンの心に深い傷を与えた。

 

何か、前世にて、富士川で涙の再会を果たした兄と分かり合うことが出来なかった時のことが思い出された。

 

前世では、

「兄には戦のことがわからないのだ」

とその理不尽さを互いの専門分野のせいにしていた。

 

だが、ジャムカはテムジンが前世で遂に出会えなかった、戦のことを自分と同じ次元で語り合える人物であり、何があってもバラバラになるなどない心の友だと思っていた。

そんな彼とも最終的に決裂してしまうということは、もしかしたら、どこへ行こうが人とはそういうものなのかもしれない。

 

テムジンはいたく失望を覚えた。それと同時に、前世で何故、兄が自分を殺そうとしたかが、やっと分かった気がした。結局のところ、両雄は並び立たないのである。

 

--------------------

 

モンゴル高原の多くの部族は、トオリル・カン、ジャムカ、テムジン、それにタタール族の四つの陣営のどれかに属するようになった。

 

しばらくの間、この四つの勢力が均衡を保ち、武力衝突のない期間が続いたが、平和は些細なことから崩れた。

 

ジャムカの弟・タイチャルが、テムジンの部下ジュチ・ダルマラの飼っている馬を群れごと盗んだため、ジュチに射殺される事件がおこったのである。

 

馬は草原において最も重要な財産だ。しかもそれを群れごと盗んだというのだから、殺されても仕方がない。

むしろ、タイチャルが何故、有力者の部下相手にそんなことをしたのかの方が不可解だ。

 

ジャムカがけしかけたのではないか。

テムジンはそう予想した。

 

ジャムカはテムジンとの間に争いを求めている。何か、戦うきっかけを見つけるため、弟に命じて挑発させたのではないか。

尤も、タイチャルの行動は明らかにやりすぎで、殺されても誰も同情しなかった。このような結果になったのは予想外のはずだ。

おそらく、ジャムカが命じたのは「テムジン陣営を挑発しろ」だけでその内容はタイチャルに任せていたのだろう。

 

この争いをきっかけに十三翼の戦いが始まった。

兵数は互いに三万と互角。だが、大義名分はテムジン側にあり、兵たちの士気は高い。

それでも、テムジンは敗れた。

 

この敗戦は、テムジンにとって非常に受け入れがたいものだった。彼は、前世においては、常勝であり、最期となった衣川でも味方の裏切りで騙し討ちにあっただけだ。

この草原に転生してからは何度か敗戦も経験したが、それは相手が圧倒的な多数であった場合に限る。

自分が相手と同数の兵を持ち、単純な武勇と兵法の対決になった場合に、敗戦を喫するのは、初めてだった。

 

己の兵法に絶対の自身を持つテムジンにとって、この敗戦は受け入れがたいものだった。

それ故か、テムジンが後に、この戦いに関する情報を記録からほぼ抹消しているので、戦闘の詳細はわからない。確かなのは、テムジンが敗北した事と、ジャムカがこの勝利によって逆に人々の支持を失ってしまったことだ。

 

 

ジャムカは、十三翼の戦いで捕らえたテムジン陣営の氏族の長を70人ほど、生きたまま釜茹でにした。

ジャムカは、人を従わせる原動力は恐怖であると信じていた。

それは、間違いではない。特にこの草原ではそうだ。賢い彼はそのことをよく知っている。

 

だが、それを実際に行うにはジャムカの神経は繊細すぎた。

恐怖で人を縛るのに必要なのは、己の所業に疑問を感じながら心を殺して作業的に人を殺めていくことではない。

それに必要なのは、敵対した相手を心から憎み、蔑み、罵倒し、散々に弄んだ上で笑いながら始末することだった。

 

ジャムカがやったことはあまりにも中途半端であり、虐殺に対する反発は生まれど、その蛮勇に惹かれる者はいなかった。

その後、ジャムカについていた氏族長たちはその庇護下を離れ、テムジンなど他の部族長に遣えるようになる。

 

--------------------

 

この十三翼の戦いによってモンゴル高原の勢力図は変化した。1196年。他の勢力から頭一つ実力が飛び出ることになったテムジンのキヤト氏族とトオリルのケレイト族は互いに手を組むことになり、キヤト・ケレイト連合軍として、ウルジャ河の戦いでタタール族を破ると、残る敵はジャムカのみとなった。

 

1201年。テムジンのキヤト氏族、トオリルのケレイト族、ジャムカのジャダラン氏族。この三大勢力の中で孤立したジャムカはモンゴル高原にいる残りの勢力、タイチウト氏族、オイラート族 、ナイマン族など11の部族を糾合し、軍事連合を作り上げた。

 

両軍はコイテンの地で激突した。

それぞれ、トオリルはジャムカの本隊と戦い、テムジンは、タイチウト氏族を主力とする隊と戦うことになった。

 

ジャムカを倒せるのは自分だけだ。

そんな思いもあったが、テムジンが対戦するタイチウト氏族はその昔、父のイェスゲイが死んだ際、テムジンたちを見捨てて独立したタルグタイ・キリルトクに率いられる部族であり、コチラはコチラで因縁の相手だ。相手にとって不足はない。

 

戦いは激戦となった。テムジンは自慢の兵法を使い、あの手この手でタイチウト氏族軍の守備を崩そうとしたが、なかなか上手くいかない。相手も必死だった。

 

タルグタイたちには、テムジンを裏切った過去がある。テムジンは自分たちを恨んでいるはずだ。

この戦に負けたらどんな仕打ちが待っているだろうかわからない。

 

そんな思いが、彼らの抵抗をより強固なものにしていた。

テムジンは、前世での活躍よろしく、自らも突撃を繰り返したが、途中、相手の毒矢が首筋をかすめて出血する重症を負った。

 

やがて気を失い、テントにはこびこまれたテムジンを部下のジェルメが必死に看病し、一晩中毒を吸出し続けたことで、テムジンは一命を取り留めたが、これはテムジンの生涯の中でも一番の危機だと言ってよい出来事だった。

 

死すら覚悟する大ピンチに陥ったテムジンだったが、その勇気と気迫は無駄ではなかった。

 

テムジンの武勇を間近に見て、タイチウト氏族軍の中から、

「彼につかえたい」

と投降してくる者があったのだ。

 

一人はソルカン・シラ。

彼はタイチウト氏族の一員でありながら、逃亡生活中、テムジンの境遇に同情して彼を匿った経験のある男だ。

テムジンは彼を歓迎した。

 

もう一人は、ジルグアダイという若い族長だった。

童顔で少年のようでもあるが、タイチウト氏族の中では有名な猛将だという。

 

彼らが帰順する際、テムジンは

「お前たちの部下に昨日、山の上から矢を射って僕の首を傷つけた男はいるか?」

と二人に尋ねた。

 

強力な援軍となり得る彼らが自分に味方するというなら断る理由がないが、自分を危うく死の淵まで追いやった兵だけは殺しておかないと示しがつかないと思ったのだ。

正確に言えば、本気で殺そうと思っていた訳ではない。

 

テムジンを狙った弓兵はかなりの腕前を持っていた。だから、もし、二人の族長の部下の中に当該の兵がいても、優秀な部下を失いたくない彼らが部下を差し出すはずがないと思っていた。

犯人を探すフリをして、自分の命を狙った相手を許した訳ではないことを示せれば十分というのが、テムジンの考えだった。

 

しかし、犯人は呆気なく見つかった。

 

「それ、私ですね」

そう言ったのはジルグアダイだった。

 

「本当か!?」

テムジンは驚いた。

部下か誰かを庇って言っているのではないかと思ったからだ。

 

横にいたソルカン・シラは呆れ顔だった。

しらばっくれていれば適当なところで終わったものを、とでも言いたげだ。

 

「テムジン…いや、テムジン様。ジルグアダイは類い稀な弓の名手。嘘ではないと思います。」

 

それを聞いて、試しにジルグアタイに矢を射らせてみると、 彼は遠くの的をいとも簡単に射ぬいて見せてからこう言った。

 

「もし、私をご助命頂き、隊長の地位につけて下されば、この腕をテムジン様のお役に立てて見せましょう。」

 

面白い男だ。テムジンはそう思った。

黙っていれば安全なところをわざわざ名乗り出て自分の実力をアピールする。

テムジンはこのジルグアダイに矢を意味するジェベという新しい名前を与えて配下とした。

ジェベは後にジェルメやその弟・スブタイと共にチンギスの四狗に数えられる名将となるが、それはまた別の話である。

 

新たな配下を手に入れたテムジンはその勢いのままにタイチウト氏族の軍を打ち破り勝利した。

また、それと同時にトオリルのケレイト族もジャムカのジャダラン氏族を破った。

 

この結果はテムジンにとって衝撃だった。

もしも、彼らが扱っているのが心のない単なる駒であったならジャムカが負けることはなかったであろう。だが、ジャムカは既に人心を失っていた。それ故、彼は負けたのである。

 

--------------------

 

ジャムカは落ちのびた。

その後は、テムジンを倒すことだけが生き甲斐になったかの如く、草原内の様々な部族を唆し決起させて度々テムジンに挑戦したが、その度に敗れた。

 

その内、残る部下は5~6人となり、最早、軍団ではなく盗賊団のような集団の頭目という立場にまで身をやつしたが、最終的には残った部下にすら裏切られてテムジンの前に突きだされることになった。

 

テムジンは、まずジャムカを差し出した彼の部下を殺した。

「私利私欲で主人を差し出すなど卑劣極まりない」というのがテムジンの言い分だ。

 

テムジンは彼らの始末を終えてから、ジャムカと再会した。

 

「僕たちは互いに誰かの下につくことを良しとせず、何度も戦ったが、これで勝負はついた。僕の部下になってほしい。昔、誓いあったように一緒にモンゴル高原の…いや、世界の覇権を掴もう」

 

テムジンはそう言ったが、ジャムカはその申し出を断った。

 

「いや、君は僕を必要とはしないよ。」

「そんなことはない!」

「いや…と、いうか、僕が君に値しないと言うべきか…」

 

「どういうことだい?」

「僕は、戦場に立って駆け回り相手を打ち倒すことには、自信がある。それに関しては君にだって負けない。そう思っている…。」

「そうだとも! だから力を貸してくれ! 僕と君が手を組めばどんな敵だって…」

 

ジャムカはテムジンの言葉を

「これからは、戦って相手を倒せばいいだけじゃないんだよ、テムジン。」

と言い制止して諭した

 

「戦場でいかに強くても、僕は人の心をつかめなかった。だから負けたんだ。だけど、君はどうだい? 今、モンゴル高原の遊牧民が次々に君のもとに集まって来ている。 率いる兵や養う人間の数も増えた。その全ての人の心をつかんで長として尊敬され続ける自信があるかい?」

 

テムジンは言葉が出てこなかった。

そんなことを考えたこともなかったからだ。彼にとっては、戦場で相手を討ち果たすことだけが全てであった。テムジンには、前世と比べて政治的な柵の少ないこの世界が気持ちよく、自由を謳歌し戦いで活躍する自分に酔いしれているところもあった。

急に聞かれても、正直わからないところだ。

 

テムジンのそんな様子を見てとったのだろう。ジャムカは答えを待たずに続けた。

 

「皮肉じゃないんだ。君に必要になることだ、よく聞いてくれ。今までは、黙っていれば、みんなが勝手についてきてくれただろう? それが何故だかわかるかい?」

「…じ、実力?」

 

「うん、それはあるだろう。だが、さっきも言ったが武勇だけなら僕だって負けはしない。結局のところ、君が支持を得たのは、『ジャムカよりマシだったから』に過ぎない。そんな君は、僕という敵を失ったらどうなるだろうか」

 

「それは…」

 

「テムジン。君は、一緒に戦場を駆け回ってくれる友を隣に置きたいのだろう。でも、君がこれから草原の覇者として生き残るつもりなら、君の側に必要なのは、そういう人間じゃない。」

「じゃあ、どういう…」

「君に賛同し、手足となる者を側に置け。君が命じて、君が皆を動かすんだ」

 

「そんなこと、僕には…」

「できないかい? やるんだ。そうでなければ、君の率いる部族ごと誰かに食い殺されるだけだ。特に、僕を生かしておくなんて、もっての他だぞ。言っておくが、今の僕は強い。君に負けたことで、真理に気づいたからだ。殺すなら、今しかないぞ」

 

「でも…」

「僕を殺せ、テムジン。それが君の大ハーンとしての第一歩になるだろう」

 

 

テムジンは、結局数回に渡る説得に応じなかったジャムカを殺すことになった。

その処刑方法は袋詰めにしてそれを馬で上から踏みつけて殺すというもので、一見残虐にも思えるが、これが当時のモンゴルでは貴人に対する処刑法であった。

テムジンは、何度も戦ったジャムカを敵としてではなく、友として葬ったのであった。

 

 

この後、テムジンとその子孫たちはユーラシア大陸を尽く蹂躙する。そして、モンゴル帝国が陸地面積でいえば、世界史上の最大版図を築く大国になることは周知の事実であるが、それを語る前に、この物語は終わろうと思う。

ここから先、テムジンの中にある、源義経の転生者としての一面は徐々に薄らぎ、やがて消滅していくことになるからだ。

 

ジャムカ処刑の後、既に同盟関係にあったトオリルことオン・カンも打倒していたテムジンは名実ともにモンゴル高原の遊牧民のトップに立つ。

 

彼はジャムカの助言に従い、戦には強いがまとまりのなかったモンゴル民族に、規則を与え、軍の制度も整えた。そして、征服した土地にあった優れた文化や政治的な制度は次々に取り入れて国をより豊かで強大なものにしていった。

 

そこに、戦場では無双の実力を誇るも政治には無関心で英雄でありながら時代の敗者となった、あの源義経は存在しない。

彼はこの先、名実ともに、偉大なるモンゴルの大ハーン、チンギスとして世界史上に君臨していくことになるのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宮殿を追放された僕は要塞都市を攻略して大嫌いな先生に復讐する
その1 ~皇帝(スルタン)失格!?~


☆登場人物紹介

○メフメト2世
「英雄になりたい願望」を持つ中二病少年。父の意向によって弱冠12歳で皇帝(スルタン)になるが…。理想主義で現実が思い通りいかないとブチギレがち。
○チャンダルル・ハリル・パシャ
オスマン帝国の大宰相。ムラト2世の命によりメフメト2世の教育係に。メフメトからは先生(ラーラ)と呼ばれる。

○ムラト2世
メフメト2世の父。思慮深く有能だが、反面、イスラム神秘主義(スーフィズム)にハマるデンパ系。

○シェハーベッディン・シャーヒン・パシャ
陰謀が大好きな宦官長。
○ザガノス・パシャ
オスマン帝国宰相。メフメト政権の軍事担当。と、いうか軍事しかできない。

○ウルバン
ハンガリー人大砲技師。「ウルバン砲」というトンデモ兵器を発明する。



オスマン帝国にムラト2世という皇帝(スルタン)がいる。

この皇帝は有能なデンパであった。

 

オスマン帝国は、元々小アジアのアナトリア高原に住むテュルク系遊牧民が小君主の連合体として興した。

小君主とは言っても遊牧民である。彼らの中には明確に領土という概念を持たない者もいる。

例えば、イスラム諸勢力と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の境目となるこのアナトリア地方には非ムスリムに対する侵略的な宗教戦争…所謂ジハードに伴う、あるいはそれを名目とした財産狩りや奴隷狩りなどの掠奪遠征に従事する集団・ガーズィーが存在した。

 

オスマン帝国の初代皇帝であるオスマン一世もこうした部族の中から出た人物ではないかと言われている。

実は、このオスマン一世に関する記録は、現在、ほとんど残っていない。その為、彼がどういった人間なのかはよくわからないのだが、後に西洋世界を震撼させる偉大なオスマン帝国初代の言葉や行動を後世に残そうという発想が本人にも部下にもない辺りが、彼がお行儀のよい小君主ではなくそうした武装集団の頭目であったのだろうと言われる由縁の一つにもなっている。

 

その後、1326年に即位した2代目皇帝オルハン1世がオスマン帝国の実質的な建国者であると言われている。彼が領内の貨幣制度や法令を定めて国の形を整えると、その後、オスマン帝国は順調に領土を広げていった。周辺国家との戦闘に尽く勝利し、古代ローマ帝国を始祖とし1000年以上の歴史を持つ東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の領土もほとんど削り取ってしまった。

残る東ローマ領は帝都コンスタンティノープルとペロポネソス半島の一部のみ。それさえ落とせば東方(オリエント)におけるキリスト教勢力最後の牙城は崩れ、聖戦(ジハード)に勝利したオスマン帝国の地位はイスラム世界において不動のものになる。

 

このように世界を掌握するまであと一歩と迫ったところで、オスマン帝国は一度存亡の危機に瀕した。

第4代皇帝・バヤジット1世の時代、中央アジアを支配していたティムール朝との間にアンカラの戦いが起き、オスマン帝国はこの戦いで、皇帝が捕虜となるほどの大敗を喫したのだ。

バヤジット1世は決して愚鈍な皇帝ではなかった。キリスト教諸国家や十字軍との戦闘では、その巧みな用兵で勝利を重ね「稲妻」との異名を名付けられるほどの名君だった。

 

そんな彼が何故屈辱的な大敗を喫したのか。

相手が強敵ティムールであったこともあるが、オスマン帝国はその直前までビザンツの"要塞都市"コンスタンティノープルに対する包囲戦を7年に渡って続けており、その影響から財政は徐々に傾き、兵士たちも疲れきっていた。アンカラの戦いはそんな時分に起きていたのだ。

 

ティムールはオスマン帝国を滅ぼすことまではしなかったが、バヤジット1世はティムール朝の捕虜として死んだ。一説には獄中での扱いが良くなかった為、病にかかったとも言われる。

バヤジット1世が指導者(カリフ)から認められた皇帝(スルタン)であったが故、同じイスラム教徒のティムールとしては公に処刑することができなかったようだ。

 

何にせよ、バヤジット1世が国に戻らぬまま死去したことで、皇子たちによる後継者争いが勃発した。このまま、オスマン帝国は分裂し、元の武装集団の寄せ集めに戻ってしまうのではないか。

そう思われたが、オスマン帝国はそこから復活した。

皇子の一人、メフメト1世が国を再統一し、そしてその子、冒頭で有能なデンパと紹介したムラト2世との二代で国の勢力圏をアンカラの戦いの前に近い広さにまで戻していた。

 

ムラト2世は判断能力に優れた皇帝であった。

1422年。彼が即位した直後のオスマン帝国は東ローマと戦争状態に突入した。征服が目的ではなく、ビザンツ帝国がオスマン帝国の分断を狙い、ムラト2世とは別に皇位継承者を名乗るものを匿った為だ。

ムラト2世はこの皇位継承者を偽ムスタファ(メフメト1世の弟ムスタファを自称していた)と呼んで彼のいるコンスタンティノープルに包囲戦を仕掛けたのである。

 

ムラト2世が仕掛けた攻囲陣はかつてのバヤジット1世の失敗に学び、より強固なものとなっていた。

その気になれば、街を陥落させられたかもしれない。

だが、それでもムラト2世は途中で攻撃を止めて外交交渉でこれを解決した。賢明なムラト2世はこの要塞都市を陥落させることの困難さを知っていた。

 

コンスタンティノープルは東南北の三方が海に囲まれており、陸上から侵入可能なのは唯一西方のみだが、そこには難攻不落のテオドシウス城壁が聳え立っている。

この城壁は5世紀初頭に建造されたもので内壁・外壁・胸壁と三重構造になっており、内壁の高さは8-12m、厚さ5m、外壁は高さ8.5m、厚さは10m。胸壁も高さが2mあった。また、その胸壁の外側に幅約20m、深さ6mの壕があり、これを越えて都市に侵入するのは正に至難である。

 

では、東南北の海からの侵入はどうかというところだが、これも容易ではない。

まず、海岸線の周囲20㎞にはテオドシウス城壁よりは簡素であるものの、城壁が巡らされている。海からの侵入者は岸に船を接舷し、壁を乗り越えて侵入を図る訳だが、東、南のマルマラ海に面する海域は潮の流れが激しく接舷が困難になっている。

ビザンツ軍の抵抗を受けながら上陸を行うのはほぼ不可能と言っていい。

 

残す侵入方法は、北側・金角湾からの上陸だ。確かにそこは海流も穏やかで城壁も一重にしかない、防衛上の弱点と言える場所ではあった。だが、この湾には有事に太い鎖で出入口を封鎖できる仕組みがあった。こうなると、船は一隻も湾に入り込めなくなる。

 

この時点でオスマンとビザンツの力の差は歴然だ。

犠牲を覚悟で力攻めをするか、長期間の兵糧攻めをすれば、もしかすると落とせなくはなかったのかもしれない。

だが、ムラト2世はそれをして悪戯に国力を消耗することを良しとしなかった。

もしそうなれば、国内から造反者が出るかもしれないし、隣国が国土を狙ってくるかもしれない。彼はバヤジット1世と同じ轍は踏まなかった。

 

 

 

そんなムラト2世が大宰相チャンダルル・ハリル・パシャの元を訪ねたのは1444年初夏のことだ。

 

「ハリル・パシャよ、コンスタンティノープルの様子はどうだ?」

 

ムラトは開口一番にそう言った。

コンスタンティノープルは国際都市である。ヨーロッパとアジアを繋ぐ玄関口として地中海貿易に従事するビザンツ、ヴェネツィア、ジェノア、スペインなどの船がひっきりなしに出入りする。

 

こうした国々との貿易がもたらす利益は大きい。

オスマン帝国もムラトによるコンスタンティノープル包囲が明けて以降は、宗教・宗派の違いを越え、この街の国際秩序と共存する道を選んでいる。

 

コンスタンティノープルを知ることは世界を知ることだ。

そして、チャンダルル・ハリル・パシャはコンスタンティノープル外交の責任者でもある。

 

その為、出会い頭にムラトが発した言葉が2人の間では挨拶代わりになっていた。

 

「ヨーロッパ方面ではキナ臭い噂も聞こえてきますが、我が国を取り巻く環境は平和そのもの。何もかも、皇帝陛下の賢明なご判断の積み重ねの結果でございます」

「そうか…」

 

ムラトは呟いた後、窓の外を見て遠い目で見た。

 

「だが、それは私の判断などではない。このオスマンが平和なのだとしたら、それは何もかもが、(アッラー)のご加護によるものだ」

 

うわぁ…出たよ。

ハリル・パシャはそう思い頭を抱えた。

ハリル・パシャはムラトの聡明さを尊敬し、主君として愛してもいたが、同時にとても面倒な人だとも思っていた。

ムラトがこうした様子を見せる時は、だいたいロクなことを言い出さない。

 

「ハリル・パシャよ、私は引退する」

「また、それか。ダリぃ~」

 

ムラトは在位中、度々引退を口にした。

それは、彼がイスラム神秘主義(スーフィズム)に凝っていたことに由来する。

イスラム神秘主義とは、イスラム教の世俗化・形式化を批判する改革の中から生まれた実践形態の一つであり、修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中で神と一体化することを説くものだ。

おそらく、聡明な読者の皆様でも何を言われているのかサッパリわからないと思うが、要するに、これを極める為には世俗の権威とは距離を置き修行に没頭しなくてはならない。皇帝などはもっての他だ。

 

それでも、世界有数の大国に成長しつつあるオスマン帝国の皇帝位を簡単に手放そうとするなんて、この人はちょっとおかしいんじゃないか。

ハリル・パシャにはそうとしか思えない。

そして、この有能な皇帝に今、退位されるのは帝国の存亡にも関わる。

 

「陛下、辞められては困ります。あなた以上に皇帝に相応しい方を私は知りません。それに、今、退位されても代わりがいないではありませんか。」

「跡継ぎならメフメトがいる。」

 

「メフメト様に皇帝はまだ早いですよ」

「いや、皇帝位に若さは関係ない。」

「そうは言ってもメフメト様は12歳ですよ。」

「大丈夫。いけるって。なんか神もそう言ってる気がする」

 

「は? 気がするだけで退位すんな」

「私が神秘主義を極めたら、気がするだけじゃなくて、もっとハッキリ神の考えがわかるようになると思う。だから引退して修行する」

 

なんだコイツ、ああ言えばこう言いやがって。

とりあえず辞めたいだけなんじゃねぇの?

偉大なオスマン帝国をブラック企業扱いすんな。

 

と、いら立つハリル・パシャにムラトは聞いた

 

「メフメトは皇帝の器ではないか?」

 

ムラトに反論するならここは、器でない、と答えるのが正しい。だが、ハリル・パシャは心の底では尊敬している皇帝に嘘はつけなかった。

それに、ハリルはメフメトの教育係も兼ねている。ムラトが実際そう言うかはわからないが、もし皇子の出来が悪いならハリルがもっと努力せよ、となるのが道理なのだ。

 

「…優秀ですね。あの年にしては。」

「ならば、良いではないか。」

「ですが、若い。あまりに若い。」

「皇帝に年齢は関係ないと、今言ったばかりだか。」

「ならば、若い、ではなく、まだ青い、と申し上げましょう。」

 

ムラトにはイメージがつかないらしく、首をひねった。

 

「どういうことだ?」

「なんと言えばよいのか…皇子はたぶん、中二病なのです」

「中二…メフメトは12歳。現代風に言うと中一の年だが、一年ズレるのがそんなに問題なのか?」

 

「そうではなく…例えばメフメト様は、過去の英雄、アレクサンダー大王やカエサルに、やたらと憧れを抱いているのです」

「それが悪いことなのか? 多くの人は尊敬すべき先人の言動を見習い、自分もそうなるようにせよ、と教えを受けて育つものではないか? 良いことのように思うが。」

 

「うーん、メフメト様のは、そういう先人の教えを謙虚に学ぼうというのとは、ちょっと違うんですよね」

「どういう事だ? 人間を尊敬できるなんて、私はメフメトが羨ましい。私が偉大だと思うのは神だけだ」

 

「神、神ってうるせぇなぁ…。」

ハリルは舌打ちしてから続けた。

「中二病ってのはですね、もうちょい嫌な感じの…。皇子にはまだ、大人になりつつある時期のプライドの高さと子どもっぽい空想が入り混じったような…。ちゃんとした大人から見ると、恥ずかしいな、愚かだな、青臭いな、と思ってしまう言動が多々見られるんですよ。」

 

「と、言うと?」

「そうですね。皇子の場合は歴史オタなので、例えばアレクサンダー大王の伝記を読んだら、あたかも自分が大王のような特別な人間になったような気分になって、調子こいた行動をとってしまうんです。あと、ちなみに、アニメオタの場合は自分が邪王炎殺拳の使い手だと勘違いします。」

 

「なるほど。自分が英雄だと思い込む。神と一体化することと似ているな」

 

そう言われると、この親子は似た者同士なのかもしれない。

だが、大きく違うのは、ムラトが一体化の対象としているのは神であり、現世から離れてそれを達成しようとしているのに対し、メフメトが対象としているのは実在の人物で、帝国の軍勢を用いそれをしようとしている事だ。

 

メフメトの嗜好は国家を危うくする。ハリルにはそう思えてならない。

 

「とにかく、私は反対です。皇子が成人するまで待って下さい。」

「そうか…。ハリル・パシャがそこまで言うか。」

 

「わかって頂けましたか。」

ハリルはほっと胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、ムラトはとんでもない事を言った。

 

「よし、では私はメフメトに譲位することにする。」

「はぁ!? へ、陛下…? 今の話…聞いてました?」

 

「あぁ。聞いていた。」

「聞いていて何でその判断になるんですか!?」

「私はずっと聞いていたぞ。神の声をな。神は譲位しろと言っている。」

「おぉぉ…マ、マジかこの人…」

 

--------------------

 

結局、本人たちの意向によりムラト2世からメフメト2世への譲位が決まった。現任者は一刻も早く退位したがり、後継者は一刻も早く即位したがったのだ。

 

ハリル・パシャはメフメト2世即位の準備を進めている。納得していない仕事ほど疲労を伴うモノはない。ハリル・パシャは日々、眠たい目を擦りながら膨大な書類に目を通し、部下に指示を出している。

 

そんなオスマン帝国が危機に瀕したのは、メフメトの即位も数日後に迫った1444年11月のことだった。

ハンガリー・ポーランドを中心とした欧州諸国家が連合を組み、オスマン領に兵を進めてきたのである。

 

この欧州諸国家の連合をヴァルナ十字軍というが、オスマン帝国と彼らは半年ほど前に和睦していた。ムラトの譲位宣言も彼らとの「セゲトの和約」が成り、当面の平和が確保されたからこそなされたものであったのだが、ヴァルナ十字軍はそれを早くも破ってきた。

幼帝の即位を聞きつけてのことだろう。ハリルは伝令を聞いてそう思った。

 

さて、こうなった以上、早速この事を皇帝に伝えて戦争準備に入らなくてはならない訳だが、ハリルは迷った。

まだ正式な即位も済んでいないメフメトのところへ行くべきか、それとも、もう既に半ば引退したつもりで毎日、神秘主義の祈り、回転舞踊(セマー)ばかりしているムラトのところへ行くべきなのか。

 

迷った挙げ句、ハリルは先にメフメトの元を訪ねることにした。

 

 

ハリル・パシャが部屋に入ると、そこにはメフメトの他に2人の宰相と数人の軍団長がいた。

 

メフメトは既に甲冑を身にまとい、戦闘体勢になっている。色白で容姿端麗な彼の聖戦士(ムジャーヒディーン)姿は美しく、見る者を惹き付けるような魅力があるが、それでも線の細さは隠せない。

彼がこの先、成長し大人の男になれば、勇ましい、神々しい印象にもなるのだろう。

だが、育ての親でもあるハリルからすれば特に、今はまだ、可愛らしいと言った方が印象として近い。

 

部屋の奥のメフメトの傍らには宦官長のシェハーベッディン・シャーヒン・パシャが控え、中央では武闘派の宰相ザガノス・パシャが何やら軍団長たちを鼓舞する演説を行っている。

 

先生(ラーラ)! よくお越し下さいました!」

 

メフメトはそう叫んでハリルのいる入口付近まで駆け寄ってきた。先生(ラーラ)というのが、ハリルに対するメフメト特有の呼称だった。

 

ハリルが教育係に任じられた時、ムラト2世はメフメトに

「以後、ハリル・パシャを師と仰ぎ、彼の言うことを必ず守るように」

と言いつけた。

 

「その様子ですと、既にハンガリーのことはお聞きですね。」

「ええ。素晴らしい。」

「素晴らしい…?」

「僕の即位直後、早速ヴァルナ十字軍が攻めてきた…。これは、この敵を打ち倒し、世界制覇の第一歩にせよという、神の思し召しに違いありません!」

 

下衆め。

ハリルはそう思った。

 

メフメトに取り入ろうとするシェハーベッディン・シャーヒン・パシャとオツムの弱いザガノス・パシャに対してである。

 

目にかかる長い髪を持つ見るからに怪しげな男、シェハーベッディンは中二病に犯されたメフメトが何を言えば喜ぶのか理解していた。先程のメフメトの言葉も彼の受け売りに違いない。

 

ムラト2世よりも、メフメトのところに先に来て本当に良かった。早く彼らを止めなければ恐ろしいことになっていたかもしれない。

ハリルは胸を撫で下ろした。

安定志向のムラト2世には目立った軍事的功績がない。ビザンツ帝国とのコンスタンティノープル包囲戦でも、半年前のヴァルナ十字軍との戦いでも、ある程度は戦うが、その後、講和の道を選んでいた。

 

オスマン帝国の国力をもってすれば総力戦では負けないのに。

そう疑問を呈する者もいた。

だが、それがティムール朝に破れて一時消滅寸前まで追いつめられた帝国を安定させたのも確かだ。

陰謀好きのシェハーベッディンは落ち着いたムラトとは気が合わず、前政権下でそこまで重用されなかった。彼はメフメトに取り入った上で軍事的な成果を立てさせ、それに乗じて自らの地位を向上させたいのだろう。

そこに、オスマン帝国やそこに住まう人々に対する愛や配慮などはない。ただ、強い自己顕示欲があるだけだ。

それを12歳の幼帝を使って満たそうとしている。

 

そして、もう一人メフメトに近い宰相であるザガノスは勇猛果敢だが、それだけだ。

戦場で兵を指揮させれば有能でも、思慮の深さという意味では12歳の皇帝と同じか、それ以下しかない。敵の襲来に対し、少年と一緒に盛り上がり、浮き足だっている。皇帝を補佐する宰相の役割が何なのか理解していないのだろう。

 

「まだ戦うと決まった訳ではありませんよ。メフメト皇子。」

 

ハリルは、この正式な即位をまだ迎えていない少年をあえてそう呼んだ。

 

「え、何故…!?」

「相手が何故兵を進めてきたのか話も聞いていないではありませんか。場合によっては和平もありえます。」

 

「臆病風に吹かれたのか、ハリル大宰相! 戦う前から和平など語るべきではない!」

 

そう大声を出したのはザガノスだ。

 

「戦争には金がかかります。出来ればやらないに越したことはありません。」

「笑止! 金を理由に敵に背を向けるなどあってはならぬ事! 帝国の名誉は金に変えられん!」

「いいですか、戦争に勝っても、金のない貧乏国家に名誉はありません。」

「何!?」

「だいたい、ザガノス・パシャ。あなたは戦争にいくら金がかかって、それがどこから捻出されているか、わかっているのですか?」

 

「ぐっ…ぬ…」

とうなり声をあげてザガノスは言葉を失った。

 

金勘定は、武骨なザガノスの専門ではない。もしかすると、彼よりもっと下級の官僚の方が詳しいかもしれないくらいだ。

 

ハリルはわざと大きな声を出しながらため息をついた。

 

「まったく、あなたはそんな事も知らずに国全体を戦争に巻き込もうとしていたのですか。」

「うっ…」

 

「先生、でも僕は!」

「『でも僕は』、何ですか?」

ハリルはザガノスの援護をしようとしたメフメトのことを冷たい目で睨み付けた。

怯んだのかメフメトは、やや語気が弱い

 

「僕が皇帝なのですから、それは僕が決めます…」

「即位式は終わっていません。皇帝は、まだムラト様ですよ」

 

ハリルはゆっくりと丁寧に言った。それは最早、一国の宰相が皇帝にモノを申す時の言い方ではない。母親が悪さをした子どもを諭す時のような言い方だった。

 

メフメトが沈黙すると、ハリルはシェハーベッディンに言った。

 

「今後の対応は、ムラト様と相談の上で、私が指示を出します。あなたもよろしいですね」

 

シェハーベッディンは苦々しい表情をしたが、頷いて了承を示した。ハリルの理論に一理ある、分が悪いと判断したのだろう。

 

「無論、皇帝の仰せのままに致しましょう。」

 

--------------------

 

 

ハリルは珍しく神に感謝した。あと、数日ヴァルナ十字軍の進攻が遅れてメフメトが即位した後であれば状況は変わっていたはずだ。

 

ハリルがヴァルナ十字軍の襲来を報告すると、ムラトは自ら指揮をとることを決めた。相手の指揮官がハンガリー貴族のフニャディ・ヤーノシュだと知ったからだ。

このヤーノシュは半年前の戦闘でもオスマン帝国を相手に戦況を優位に進めた名将だ。

まだ、メフメトには荷が重い。

ハリルと同様にムラト2世もそう判断した。

 

1444年11月。ヴァルナの戦いが起きる。

激戦となったが、最終的にはオスマン帝国が勝利した。十字軍の騎兵による猛攻に序盤こそ苦戦したが、それを受けて敵をヴァルナ湖近くの湿地帯に誘き寄せると、馬が足をとられたところで、オスマン軍の近衛兵兼軽火器歩兵イェニチェリが容赦なく発砲。十字軍の騎兵を射殺していった。

ハリルはこの戦いの後、ムラトに留任を強く要請したが、彼はそれを拒否してメフメトに譲位した。

 

即位すると、英雄に憧れる少年メフメトは側近たちに唆されて戦争の準備を始めた。

攻撃目標は、「稲妻」ことバヤジット1世も父・ムラト2世も落とせなかったビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルである。メフメトは不可能と思われた要塞都市の攻略を果たすことで自らの名声を確立しようと考えたのだった。

 

しかし、ここで想定外の出来事が起こった。

ヴァルナの戦いで勝利の立役者となった軍団・イェニチェリが賃上げを要求しビザンツとの戦闘を拒否したのだ。

 

メフメトは彼らの前で激昂した。

「皇帝の言うことは絶対だぞ、何故、お前らは僕の言うことを聞かないんだ!」

と。

 

それに関してはメフメトの認識が甘いと言わざるを得ない。

元々ガーズィーという略奪集団を母体としていたオスマン帝国の軍には、自らの損得を勘定して働く気風があった。

アレクサンダー大王やカエサルの部下たちがそうであったように、もし、それを越えた忠誠を兵士たちに求めるのだとすれば、彼らに何らかの恩を感じさせるか、自らの能力の高さを示す必要があったが、年少で即位したばかりのメフメトにはそれがない。

能力そのものがない、というよりも兵士たちがそれを判断する時間も与えないまま事を進めてしまっている。正に時期尚早なのである。

 

元来、短気なメフメトは

「金ならやる! コンスタンティノープルを攻略したら、そこからいくらでも略奪すればいいだろう!」

と言ったが兵士たちは聞く耳を持たない。それどころか、メフメトの発言を鼻で笑っていた。

 

新しい皇帝は勝てる前提で話をしているが、あんなガキに世界一堅固な都市・コンスタンティノープルが落とせる訳がない。略奪しろ、と言うことは負ければ報酬はゼロになる訳だ。先に金をくれればまだしも、こんな無謀な計画に命はかけられない。

つまるところ、メフメトはイェニチェリにナメられていた。

 

「ふざけるな! 誰か何とかしろ! 役立たず共め!」

メフメトは側近たちに当たり散らした。しかし、それは何も解決しない。

ザガノスは地団駄を踏み、シェハーベッディンはブツブツと呟きながら天を仰ぐばかりだ。

 

そこへ、ハリル・パシャがやってきた。

彼の姿を見るとメフメトは喚くのをやめて、叱られた子どものように下を向いた。

 

気性の荒いメフメトだが、彼には弱い。

ハリルはこの国で最も優秀な宰相だ。プライドが高く才気走ったメフメトも彼にだけは敵わない。それが悔しくて堪らないが、かといって何を言っても正論で言い返されてしまう。そんな力の差がメフメトを卑屈にしていた。

 

「戦争の準備は順調ですか?」

ハリルの問いにメフメトは言葉を詰まらせた。ハリルがコンスタンティノープルへの攻撃には反対なのを知っていたからだ。

 

ほら、私の言った通り上手くいかなかったでしょう。

そう言われることを思い浮かべると、身体が熱くなり、顔面が紅潮してくる。

 

「まぁ、イェニチェリが何かと邪魔をしてきますが、彼ら無しでも勝てるでしょう」

メフメトの精一杯の強がりだった。

 

「コンスタンティノープルは簡単に落ちる都市ではありません。ただでさえ困難なのにイェニチェリ無しでは攻略など夢のまた夢。私はそう思います」

「それは…」

「陛下、本当にイェニチェリなしで勝てるとお思いですか? もし、そうなら私は陛下の教育を誤りました。その程度の見立ても教えられなかった兵学の教師を処分して、もっと良い教師を連れて来ましょう。」

 

メフメトは膝をつき床を拳で叩いた

「くそっ!」

 

そして、ハリルに弱々しく言った

「先生、僕はどのようにしたら良いのでしょう。」

「陛下、あなたは退位しなさい。」

 

「無礼者! そのような発言、いくらハリル宰相と言えど許されませんぞ!」

 

ハリルの言葉にザガノスが情景反射的に反応したが、メフメトはそれを

「黙れ、ザガノス! 僕は先生に聞いているんだ!」

と制した。

 

メフメトにとってハリルは、イエスマンだらけの宮中において唯一自分に意見する目の上のたん瘤のような存在だ。

だが、それと同時に自分の力では解決できない問題を頭を下げて聞く程、能力を認められるたった一人の人物でもあった。

 

ハリルは続ける。

「イェニチェリは味方にすれば心強いですが、皇帝との距離が近い分、その気になればいつでも命を狙える、扱いの難しい集団です。そして、一度皇帝を侮った以上、しばらくは言うことを聞かないでしょう。」

 

「そんな…」

「ムラト2世に復位して頂きましょう。イェニチェリを今の規模まで拡充したのは、あのお方です。イェニチェリとの関係性もよい。それなら彼らも矛を収めるでしょう。」

 

「父は、嫌がるでしょう」

「頭を下げましょう。私も下げますが、あなたも下げるのですよ」

 

メフメトは唇を噛んだ。

ずっと英雄になりたかった。本当なら泣き叫んででもすがりつきたい帝位だ。それを父とはいえ、人に頭を下げて手放すのである。屈辱。それ以外の何物でもない。

 

「イェニチェリに反乱をたきつけたのは、ハリル・パシャ、あなたか?」

 

シェハーベッディンが言うと、ハリルはややバツが悪そうではあったが

「ええ。できればメフメト様に見破って頂きたかったのですが。」

と言って頷いた。

 

「そんなバカな!」

メフメトは目を見開いた。

 

ハリルはメフメトの教育係で厳しいことも言う人物だが、それでもこの国の大宰相でありメフメトの治世において最重要と見なされる人物だ。

そのハリル・パシャが何故自分を裏切るようなマネをするのか。メフメトには意味がわからない。

 

「イェニチェリは私がチャンダルル家の財産を使って買収しました。」

 

ハリルの出身であるチャンダルル家は代々宰相を出す名門である。ハリルには皇帝と同等の財産があり、メフメトとは比べ物にならない程の実績を持っている。

 

確かにその気になれば、イェニチェリを懐柔することもできるだろう。

 

「だから、先生! 何故あなたがそんなことをするんだ!」

「結局、今のメフメト様にはその程度の人望しかないということですよ。時期尚早、そういうことです。」

 

「それはどういう…」

「おそらく、私がこのような事をしなくても、戦争に負ければ同じような事になったでしょう。そして、この戦争には必ず負ける」

 

「そんなの、やってみなくてはわからない!」

「いいえ、わかります。少々賄賂を贈っただけで裏切るような軍団しか持っていないのに、どうやって勝つ気ですか?」

 

何もかも、ハリル・パシャの言う通りであった。

メフメトは自分の未熟さをこれでもかというくらいハリルに暴かれてしまった。床に座り込んでいたメフメトは今度は仰向けになった。

 

「先生、僕はどうしたらいい?」

「ですから、ムラト様に復位をお願いしましょう」

「そこまではわかっています。その先は?」

「エディルネからは離れた方が良いでしょう。あくまでお父様の復位ですから、皇位継承権が誰かに移った訳ではないにせよ、他の勢力が狙ってこないとも限らない。そうですね、ムラト様が復位すればマニサの別邸が空くことになりますから、そこで過ごされたらいかがでしょう。」

 

「それから?」

 

メフメトがハリルに求めていたのは、これからどのように生活していくか、ということではなかった。

皇帝として、絶対権力者として返り咲く為に、そして英雄になる為に、自分に足りないものは何なのか、何を身につければ良いのかということだった。

 

ハリルは

「なるほど…」

と呟いた。

意図は通じているらしい。

 

「まず、人を知ること。自分に都合の良いことを言う人間が必ずしも優れた人物であるとは限りません。真に信ずるに値する人間とはどういう者なのか、じっくり考え、見極めるとよいでしょう。」

 

更に続ける。

 

「そして、勉学に励みなさい。大好きな歴史を学ぶのも良いでしょう。ですが、英雄も人間です。完璧ではない。アレクサンダーの王国が彼の死後どうなったのか。カエサルが何故殺されたのか。彼らの失敗を知り、それを乗り越えた時、あなたは歴史上の英雄を越えた真の英雄になれるでしょう。」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その2 ~メフメト2世の野望~

1451年2月。ムラト2世が崩御した。享年は47歳。死因はアルコール中毒だと言われている。

 

ムラト2世はデンパだった。

だが、それは裏を返せば他人が感じられない微細な事象を感じることができる繊細さの現れであったとも言える。そんな彼にとって、帝国内のあらゆる事柄に気を配り、時には命の奪い合いも伴う皇帝という立場はどれだけ神経を削るモノだったのであろうか。

彼が宗教に救いを求めて俗世間から離れたがっていたのも、そんな一面からだったのかもしれない。

 

そんなムラト2世をハリルは皇帝位に引き留め続けた。宗教に没頭することを許されなかったムラトはイスラムの教えに反して年々段々と酒量を増やし、更には若い妾を娶って女色に耽るようになった。

ムラトはそうすることでしか、現実から逃れる術を知らなかった。

 

ムラトは酒色に溺れて完全に政務がとれなくなる前に突然、倒れて死んだ。結局、本人の希望とは正反対に、即位後、政務から離れる時間はほとんどないままだった。

 

私が殺したようなものだな。

 

ハリル・パシャには感じ入るところもあったが、偉大な皇帝の死をずっと悲しんでいる訳にはいかないのが、帝国とそこに遣える宰相たちの定めである。

 

皇位を誰が継ぐか。それが問題になるからだ。

普通なら、マニサにいる嫡男のメフメトが継ぐのが順当であるが、オスマン帝国には皇位の継承に関しての明確なルールが存在しない。

 

そうなると、自然、権謀術数を用いるにしろ、武力を行使するにしろ、皇帝の死後の数日で上手く立ち回った者が次期皇帝となる。

 

メフメトの他に皇位継承者として有力な者にアフメトという者がいた。これは、ムラトが晩年寵愛した妾に生ませた子どもで、以前メフメトが即位した年齢にも満たない幼児である。

だが、それ故、周囲の大臣たちからすれば操りやすくもあり、特に前皇帝と距離が近かった大臣たちは皆、アフメトの即位を望んだ。

 

彼らからすれば、以前、玉座から追放したメフメトが復位することは恐怖でしかない。

あの乱暴で我儘な皇子が権力を取り戻せば、どんな報復を受けるのか。わかったものではない。

ハリルはメフメトの養育係であったが、それと同時に追放の首謀者でもある。宮中では、いわば、ムラト派の一員。それどころか、そのリーダーだと思われている。

 

ムラト2世の死を知ることができた数少ない側近の内、ハリルと最も親しいイズハク・パシャは

「一刻も早くアフメト様の擁立で宮中を固めよう」

と持ち掛けてきたが、ハリルはそれに即答できなかった。

 

確かに、メフメトが復位すれば、自分の立場と命が危ういのはわかっている。

だが、一度退位した際、メフメトが見せた態度がどうしても目に浮かぶ。

 

彼は真の英雄になることを望み、その為にすることをハリルから聞いて首都エディルネから去った。

ハリルはそれからの彼を書状のやり取りや部下からの報告でしか知らない。だが、屈辱に打ちひしがれながら、陰謀の首謀者たるハリルに頭を下げてまで英雄を目指す、その執着にも似た向上心。何か胸に迫るものがあった。

 

男子、三日会わざれば刮目して見よ。

遠く中国にはそのような言葉があるらしい。

 

それならば、メフメトはこの数年間でどのように変わっているだろうか。この国始まって以来の優れた君主になれる人物に変貌しているのではないか。いや、それこそアレクサンダー大王のような世界史的英雄になれる器なのではないか。

そのことを考えると、昔、もっと現実を見るようにと、彼に説教したのが嘘のように、想像が止まらない。

 

ハリルはメフメトに対して書状を起こした。

 

ムラト2世が崩御した。

それ以外のことは何も書いていない。

 

起こっている事実は伝えた。そこから何をするかは、彼次第だ。

 

もし、メフメトがハリルの期待通りの人物に成長しているなら、首都・エディルネから約700㎞離れたマニサからでも、争いを勝ち抜き皇帝位を自らのモノにすることだろう。

 

---------------------

 

あの派手好きな皇子のことだ、宮殿から片田舎に追いやられて、きっと退屈するだろう。

メフメトが退位させられマニサへ飛ばされた後、誰もがそう心配していたが、実際のメフメトは毎日寝る暇もない程忙しく過ごしていた。

 

朝、日も昇りきらぬ内に起きてきて小姓に本を読ませながら朝食をとり、午前中は経済、政治、歴史などあらゆる項目について家庭教師からの講義を受ける。

そして、午後になると数人の供回りを連れ外に出て武芸の稽古や兵術の演習を日が沈むまで行った。

 

食事以外には特に休みもとらず、ぶっ通しで活動し続けるので、これだけやれば、普通はあと寝るだけといったところだが、メフメトはそこから毎晩淫蕩に耽った。

いくらメフメトが若いとは言っても、その激しさは常軌を逸していた。

まず、当時のイスラム国家の風習として相手の男女は問わなかった。 そして、一晩に復数人を相手にするのが普通で、相手が疲れ果てたら、また次の相手を呼んで寝室に入れてを繰り返し、それが夜更けまで続く。

 

それでいて翌朝は、また早朝に起きてくるものだから、家臣たちは皆、

「皇子は一体いつ眠っているのだろう?」

と疑問に思っていた。

 

だが、メフメトはこの生活に疲労など感じたことはなかった。

本来なら今頃、オスマン帝国の皇帝として世界制覇に乗り出しているはずだったのだ。

 

それに比べれば、今の生活などぬるま湯以外の何でもない。

彼の押し込められた覇道へのエネルギーは、常に暴発寸前で、向かう先を欲していた。

 

敵を滅ぼし、蹂躙し、支配し、犯す。メフメトはその日が来るのを今か今かと待ちわびていた。

 

 

だから、ハリル・パシャからムラト2世の訃報が届いた際、メフメトは歓喜の声をあげた。

部屋中を飛び回って狂喜するメフメトの姿は周囲は、とても実の親を亡くしたようには見えなかったことだろう。

 

報せは夜中に届いた。

メフメトはその日、3人目の女を抱いている最中だったが、一通り喜び終わると、小姓に馬を用意する様に言いつけて、まともに服も着ないまま部屋の外へ出ていった。

 

そして、マニサにも同行した腹心のザガノス・パシャとシェハーベッディン・パシャの部屋をそれぞれ訪ね、叩き起こすと、言った。

 

「栄光を掴みたいならば、今すぐ僕に着いてこい!」

 

ずっとこの日を待ち望んでいたメフメトには、今、自分が何をするべきなのか全てわかっていた。

メフメトは途中で馬を乗り換えながら、ほぼ不眠でエディルネに辿り着くと、まず自らの財産の大半を費やしてイェニチェリにボーナスを支払い、支持を取りつけた。

 

あまりの大盤振る舞いにザガノスが

「さすがに払いすぎです!」

と諌めてきたが、メフメトは

「今は金くらいくれてやれ! 国そのものを手に入れてしてしまえば、いくらでも元はとれるんだ!」

と言って聞かなかった。

 

そしてメフメトは前政権の宰相たちを宮殿に緊急召集した。メフメトは彼らを呼びに行く役割を武装したイェニチェリの軍団員に任せた。勿論、脅しである。アフメト支持に回っていた宰相たちもこれには従わざるを得ない。

 

 

メフメトが用意した大部屋に大臣たちが集まり、次々に着席する中、ハリル・パシャやイズハク・パシャら数名のムラト派宰相たちは部屋の片隅で固まって、立っていた。

 

ハリルのように複雑な立場の者もいるが、基本的に彼らの派閥はアフメトを支持している。

もし、メフメトが既に帝国の軍事力を掌握し、武力を背景に政権を奪取しようとしているなら、最早宮殿の会議場に自分たちの席はない。

そう思っていたのだ。

 

一通り面子が揃うと、シェハーベッディンがメフメトを部屋に連れてきた。

ハリルが皇子の姿を見たのは実に5年ぶりである。色白い肌と整った顔立ちはそのまま、身体は強く逞しく成長している。

 

メフメトは席に着くと

「皆さん、お久しぶりです」

と軽く挨拶した後、

「さて、早速、皆さんにお話しなくてはならないことがあります」

と前置きした。

 

一体、何を話すのか。

一同が固唾を飲んで見守る中、メフメトは言った。

 

「我が義弟・アフメトが死にました。」

 

口元が弛んでいる。メフメトが殺したのだと、誰もがわかるような態度だ。むしろ、わからせようとしているのかもしれない。

 

「そんな! バカな…バカな…」

 

イズハク・パシャがそう呟いているのがハリルの耳に聞こえてきた。

この後、メフメトがイスラム法学者(ウラマー)たちに「秩序の為の兄弟殺しは合法」という見解を出させるので、オスマン帝国では皇帝の兄弟殺しが慣習となっていくが、この時はまだ一般的ではない。

自らの地位の為にあんな幼い弟を殺すのか。

イズハクには信じられなかったのだろう。

 

「何でも、浴室で溺死していたそうです。いやぁ、父に続いて義弟まで…。不幸というのは続くものですね。これは一層、国家の為、皆さんに協力してもらわなくてはなりません。」

 

メフメトが浮かべる笑顔には、激情に任せて力を振るおうとする、かつての幼帝の面影はなかった。

 

「素晴らしい…」

ハリルは自分が育てた青年の成長に感動を覚えた。

 

報せを受けてからここに至るまでの行動の迅速さとそれを可能にした決断力。誰を味方につけるべきか見分ける判断力、幼い子どもすら殺す非情さ。そして、本心を隠し笑顔を振り撒く慎重さ。メフメトには皇帝に必要な全てが備わっているように思えた。

 

これで悔いはない。

ハリルはそう思った。

 

おそらく自分は殺されるが、それで良い。堅実なムラト2世にはない野心を持ち、悪魔的な策謀力を身につけて帰って来たこの新たな皇帝の下で帝国はより強大になるだろう。

願わくば、その様を見届けたかったが、それは贅沢というものだ。ムラト2世と共に地盤を固め、新たな皇帝を育て上げた。これから更に偉大なものとなる帝国の歴史の礎を築けたのだ。

なんと光栄なことであろうか。

 

ハリルが感慨に耽っていると、メフメトが

「おや?」

と声をあげた。

 

「先生、何故そんな隅にいらっしゃるのですか?」

 

先生…自分のことか。

ハリルは気づくのが少し遅れた。

 

皇帝となったメフメトが、一度彼を追放した自分をまだそう呼ぶと思っていなかったのだ

 

「しかし、私は…」

「大宰相のあなたがそんなところにいては会議が始まりません。早くこちらにいらして下さい。」

 

--------------------

 

この場でメフメトは皇帝として承認された。

ハリルらの留任も同様だ。

 

皇帝は変わったが、帝国の組織に大きな変動はないらしい。この新たな皇帝が元来持つ気性の荒らさと一度退位させられた経緯を知る者たちは、これから大粛清祭りが開催されるものだと思い込んでいたので皆、胸を撫で下ろし、会議が終わると皇帝と神に感謝して明日も命がある喜びを噛み締めながら帰っていった。

 

ハリルは会議が終わった後もそのまま動かなかった。部屋にはメフメトとハリル・パシャ、あとは腹心のシェハーベッディンとザガノスを残すのみとなったが、メフメトはその腹心2人に対し先に部屋に戻るようにと命じた。

2人は、特にシェハーベッディンはそれを聞き不服そうな表情を浮かべた。2人はメフメトとハリルの特別な間柄を知っている。だが、それ故にその仲裂きたいと思っているし、既にそれは済んだとも思っていた。もっと言えば皆が怖れた大粛清をこの2人だけは怖れていなかったし、むしろメフメトがそれを行って自分たちを空いた高いポストに登用してくれることを期待していた。

 

それもせず、皇帝即位の直後に左遷先まで連れ添った自分たちとでなく、その左遷を行った張本人と何を相談する事があるのか。そんなところだろう。

だが、メフメト皇子改めオスマン帝国第7代皇帝メフメト2世の命令である。2人は部屋を出ていった。

 

「見事でしたね」

ハリルが言うとメフメトは首を傾げた

「何のことです?」

「ムラト2世崩御の後、いち速くマニサから舞い戻って政敵を倒し、皇位につかれた。その手際ですよ。」

「いえ、全て先生の教えの通り行動しただけですよ」

 

「まず始めにイェニチェリを買収したのは、カエサルやアウグストゥスを真似たのですね」

「ええ。権力を奪取するにはまず軍事力を握ること。そして、他人に無条件についてくる人間などいない。人間は従うことで自分に利益をもたらしてくれると示した人間についていくんだ」

 

「なるほど。だから彼らに分かりやすく金を掴ませた。素晴らしい解釈です。英雄の勇ましさだけでなく、現実主義な面も学んだと。」

「そうです。だから、僕は先生の言った通りのことを学んだだけなのです。」

 

詭弁だな。

メフメトを幼い頃から知るハリルにはそれがなんとなくわかった。

だが、だからと言って、彼がそこから何をしようとしているかまではわからない。

 

「私は、何故生かされたのでしょう。」

「どういうことです?」

「私は、殺されるのかと思っていました。」

「先生、あなたは大宰相ですよ? 僕がそんなことする訳ないじゃないですか」

 

「いや、あなたはやる。」

「嫌だなぁ…先生には僕がそんなヒドイ人間に見えているのですか?」

 

「見えますし、そうであるべきだ」

「と、言うと?」

「皇位簒奪の可能性がある者は全て殺しておく、というのがあなたの計画でしょう? その為に幼い義弟まで殺したんだ。私も殺しておくべきでしょう」

「先生は皇族じゃない。継承権がないではないですか」

 

「でも、チャンダルル家の財力をもってすれば軍団の買収も可能であることは以前、示したはず。少しでも地位を脅かす可能性がある者は全て殺しておかないと、あそこで非情になった意味がない。あまりにも中途半端…。」

 

メフメトは微笑んだ。

 

「さすが先生。あなたに隠し事はできませんね。実は僕も、先生を殺すかどうか迷ったんですよ」

「やはり…それで、結論は?」

「殺せない。あなたは、僕に必要な人だ」

 

「…詭弁ですか?」

「そうではありません。ただ国を治めて、領土を増やすだけなら、僕だけで、できるかもしれない。でも、それでは満足できない。」

 

「何か、望みがあるのですね」

「ああ。僕は、ローマ皇帝になる」

 

妙な言い種だった。

イスラム教スンニ派を国教とするオスマン帝国の皇帝が、キリスト教世界の頂点たるローマ皇帝になるとは、どういうことだろうか。まさか改宗するつもりでもないだろう。

 

ハリルが釈然としない様子でいると、それを察してメフメトは続けた

 

「なに、例え話ですよ。僕はムスリムの世界だけに留まるつもりはない。僕はね、先生。相手が異教徒だろうが、どこかの蛮族だろうが、誰もがひれ伏すほどの栄光を求めているんだ。」

 

メフメトは鋭い目線でハリルを見ている。

背筋に寒気が走った。この感覚がどこから来るものなのかは、ハリル本人にもわからない。

暴君への恐怖や主君が冒そうとする無謀への嫌悪のようにも思えるし、新しく始まろうとする時代への興奮であるようにも思える。

 

「問題は、どのようにそれを示すかですね。」

 

ハリルの言葉にメフメトはゆっくりと頷いた。

 

「コンスタンティノープルを攻める。」

 

それが、追放前、メフメトの悲願であったことは知っている。

だが、大人になり現実を見ることを覚えたメフメトの口から、まだその言葉が出てくるとは思わなかった。

 

宰相として彼を諌めなくてはならない。

だが、今のメフメトが発する言葉にはただの無謀では片付けられない感動がある。

何か冒険小説の序章を読んでいるような高揚感を覚えた。

 

「メフメト様。それはあまりにも…。陛下もあの都市の守りの固さを知らないはずはないでしょう?」

 

そう言いながら、ハリルは心のどこかでメフメトの反駁を待っていた。

 

「知っている。不可能を可能にするために、先生に働いてもらいたいのです。」

「しかし…」

「あなたに選択権はないはずだ」

 

メフメトの言う通りであった。

今、メフメトに逆らったところで味方はいない。先ほどまでアフメトを皇帝に立てようとしていたムラト派の面々は怖れていた粛清を免れたことで満足している。今さら事を荒立てて自分の身を危険に晒したくもないだろう。

 

人の意気地と言うのは不思議なものだ。

ハリルはそう思った。

 

ハリルはメフメトの器の大きさを信じ、命を捨てる覚悟で過去に一悶着あったメフメトを後押ししたのだ。

それなのに、一度命を救われ、覚悟が揺らぐと、もう一度勇気を出すことが何とも難しい。

そして、何より、ハリル自身が自分の逃げ道を完璧に塞いだメフメトの手際に感心してしまっていた。

 

この皇帝には逆らえない。

ハリルは本能的にそう察した。

 

「わかりました。陛下のおっしゃる通りに致しましょう。」

 

--------------------

 

メフメトはコンスタンティノープル攻略の準備に取り掛かった。

1452年4月からはボスポラス海峡の近郊に砦の建造を始める。

 

メフメトはこれに関する作業を各宰相に分担して競争させるようなカタチで行わせた。この砦がコンスタンティノープル攻撃のためのモノだと知っているのはハリルだけで、他の宰相には建造の目的を説明していない。

ただ、早く正確に作業を行った者には褒美を、遅かったり作業の完成度の低かった者には処罰を与えるとだけ言った。

 

そして、それは極端なまでに宣言通り行われた。

私財を投じて堅固な砦を築いたハリルには莫大な宝物が与えられ、作業の遅かった者、例えば旧ムラト派のイズハク・パシャなどには激しい叱責と暴力。そして追加の作業が与えられた。

 

つまり、メフメトは宰相たちを試していた。この後、宰相たちはメフメトに対して個人的にどういった感情を抱いていようが、盲目的に従うようになる。

 

 

エディルネの宮殿にウルバンというハンガリー人技師が訪ねてきたのも、この頃であった。

 

この男曰く、

「自分ならコンスタンティノープルの城壁を破壊するほど強力な大砲を製造できる」

とのことである。

 

当初、配下たちはこの男の汚ならしい身なりと突飛な内容の話からウルバンを不審者と判断して追い払おうとした。

そもそも、この時点でメフメトはビザンツ攻略の意図を公にしていない。

ウルバンが「テオドシウス城壁すら吹っ飛ばせる」という言葉を自身の商品の宣伝文句にしたのはあくまでオスマン帝国がビザンツから見て異教の国であったこと、また、かつて自分がビザンツに遣えていた経験から事実としてそれが可能であろうと自信を持っていたからであった。

 

要するに、オスマン帝国が国策として、それを必要としているかどうかはウルバンの計算には入っていない。

ウルバンの頭の中にあったのは、ビザンツでは必要とされなかった自身の技術を誰かに必要としてもらいたいという思いだけであった。だが、結果は同じであったと言ってよい。

 

まず、あの堅固な城壁を崩せる大砲が本当に作れるのか自体怪しいし、もしそれが事実だとしてもビザンツとの関係が良好な今、そんなものは無用の長物だ。

宮殿の門番たちはそう思い、ウルバンを門前払いにしたのだ。

 

だが、その情報が宦官長シェハーベッディンの耳に入ったことによって事態は変わった。

彼はビザンツ攻略の意図をメフメトから直接聞いた訳ではない。だが、それがメフメトの悲願であり、他人からみればやや異常なくらい興味を示す事柄なのは知っていた。

 

常識的にそんな強力な大砲があるとは想像しづらいが、もし本当にそれが存在し、みすみすそれを逃したのだとしたら、メフメトは怒り狂うだろう。

そして現状、まともに話も聞かずにその技師を追い返してしまっているのだから、話の真偽を確かめようもない。

 

もし、技師の話が嘘や誇大広告なのだとしても皇帝本人に確かめてもらった方が納得いくだろう。

 

シェハーベッディンはそう思い、一度追い返したハンガリー人技師を配下数百人を動員して探しだし、メフメトに謁見させることにした。

 

--------------------

 

シェハーベッディンは青ざめた表情で頭を抱えた。ハンガリー人技師・ウルバンをメフメトに引き合わせたはいいが、ウルバンの大砲はヒドイ代物だった。

 

その全長8m以上、直径約75cmという巨大な砲は確かに重さ550kgの弾を1.6km先まで飛ばす程の力があったが、その威力故に反動で狙いが定まらない。

 

試し打ちをさせてみたところ、射程距離まで弾が届く頃には目標を1㎞近く外した。更に言えば1回発射してから次の発射までに3時間かかるし、射撃の反動が元で6週間使うと大砲が壊れるという。しかも、費用も恐ろしく高い。

 

メフメトにウルバンの失敗を見せつけて大砲の入手を諦めさせるという計画を立てたシェハーベッディンだが、さすがにこれ程ヒドイとなると話は別だ。

この大砲技師を連れてきたこと自体の責任を問われても不思議ではない。

 

ウルバンは皇帝への謁見の為にシェハーベッディンが与えてやったオスマン帝国の正装姿で胸を張り、

「どうです? 私の大砲の威力は素晴らしいでしょう!」

と誇らしげな態度をとっている。

 

どうやら、この男は大砲の威力を高めることにしか興味がなく、その大砲が実用的なのかどうかといったことは考えていないらしい。

科学者や技術者にはたまにそのような人間がいるが、彼はその傾向が極端であった。

 

ウルバンはビザンツ時代、この大砲の大量生産を皇帝にしつこく要求したところ、牢に入れられたことがあるらしい。

 

シェハーベッディンはその話を聞き

「何もそこまでしなくても…」

と同情していたが、今やっと彼らの気持ちがわかった。

 

こんな物の為に皇帝に時間を使わせてしまった。

私の評価が落ちてしまうではないか。

 

シェハーベッディンは心底腹がたった。

 

「も、申し訳ありません、皇帝陛下。こんな下らない物ばかり作る奴は牢につないでしまいましょう…いや、むしろ首をはねてしまった方が世の中の為かもしれません」

「いや、あの大砲を買おう。」

「えっ? そんなお戯れを…」

 

シェハーベッディンはメフメトの顔を覗き込んだが、彼の表情は真剣そのものであった。

 

「それと、あのハンガリー人に家と仕事場を用意してやれ」

「陛下、 まさか…」

 

「ああ。ウルバンを召し抱える。そしてあの砲をもっと生産するんだ」

 

--------------------

 

チャンダルル・ハリル・パシャがメフメトを訪ねたのは、その日の夕方だ。莫大な費用を伴うウルバン砲の製造を命じたメフメトの真意を確かめるためだ。

 

「随分、高い買い物をされたようですね」

「ウルバンのことですか?」

 

「何でも、聞くところによると、例の大砲、威力は凄まじいが的にほとんど当たらないという…。」

「先生は、金が勿体ないと思いますか?」

「率直に申し上げれば、その通りです。」

「ならば、コンスタンティノープルと引き換えならどうでしょう?」

 

「…。それは占領後の経営の仕方にもよりますが…。ですが、何よりあの砲で本当にあの城壁を突破できますか?」

「僕はね、必ずしも大砲で城壁を壊す必要はないと思っているんですよ。」

「では、何のために?」

「確かに、ウルバン砲の命中率は低い。だが、当たる可能性もゼロではない。それが重要だ。ビザンツの国民たちに破壊力を見せつけて、『もしも、あの弾が飛んできたら、どうしよう』そう相手に思わせることができれば、それでいいんです。」

 

メフメトはニヤリと笑った。

ハリルは背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

この男は恐怖で相手を服従させることを楽しんでいる。

 

凄まじい支配欲。

 

ムラト2世統治下で穏健に国を運営してきたハリルからすれば、異常だとすら思える。

 

我ながら、とんでもない人間を育ててしまったものだ。

それを喜ぶべきなのか、後悔すべきなのか、ハリルには、まだわからない。

 

「先生は僕を止めますか?」

メフメトの問いに対して、ハリルは首を横に振った。

 

「いえ、皇帝の仰せのままに致しましょう。」

 




前、中、後編の三編で行こうと思いましたが、その1~その4までに変更しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その3 ~鉄壁のコンスタンティノープル~

1453年4月。メフメトは約10万の兵でコンスタンティノープルを包囲した。

 

ビザンツ帝国が期待した西欧キリスト教国からの援軍はヴェネチアが艦隊の派遣を約束したのと、ジェノヴァが義勇軍を送ってきたのみで、その他からはない。

それらの国々は異教徒との争いよりも、近隣のキリスト教国同士の小競り合いに忙しい。

同じキリスト教でも宗派の違うビザンツに派兵を行う余裕と気概のある国はほとんどなかったのだ。

 

何とか工面し、集まった兵はおよそ7000人程である。オスマンの大軍に対抗するにはあまりに少ない。

 

だが、ビザンツの人々はそれでも希望を失ってはいなかった。

ハリル・パシャが使者としてコンスタンティノープルの宮殿に最後通牒を突きつけに来た時も、ビザンツ皇帝コンスタンティノス11世は「降伏せずに戦う」と言ってのけた。

1000年以上続いた帝国の誇りとその間、敵の攻撃を幾度となく跳ね返してきた要塞都市に対する自信がそうさせたのだ。

 

メフメトはコンスタンティノープルの西側にウルバン砲を含む大砲60門を配置した。つまり、メフメトは陸上からテオドシウス城壁を越えてコンスタンティノープル市街へ侵入する作戦をたてたのである。

 

ハリル・パシャがコンスタンティノス11世からの最後通牒に対する返書を持ち帰ってきてから程なくして、オスマン軍はウルバン砲による攻撃を開始した。

その威力は凄まじく、あの難攻不落のテオドシウス城壁の一部を破壊することさえあった。

だが、それでも城壁を突破するには至らない。

 

ここでウルバン砲の弱点が問題になったのである。

ウルバン砲は一度打つと次の弾を装填するまでに3時間程を要する。砲身が熱を帯びてしまい、すぐに次弾を打つと破損してしまう為、油をかけてゆっくりと冷却する必要があった。

 

ビザンツ帝国の工兵たちはその時間を利用し、土嚢を積み上げて瞬く間に城壁を修復してしまった。

いくら、ある程度は時間があると言っても、オスマンの大砲は一門ではないし、また、大砲だけが武器であるはずもない。いつあるのかわからない敵の攻撃に気を配り、恐怖と戦いながら修繕作業を行う訳だから、その手際は見事と言うしかない。

 

 

「これ以上の砲撃は無駄でしょう。」

 

攻撃を始めてから数日経ったある日の晩、食事を摂るメフメト2世の元を訪れたハリル・パシャがそう言った。

 

ハリルが来た時、メフメトは一人だった。

通常、オスマン皇帝は、戦場では、兵たちと共に食事を摂る。それがオスマン帝国がガーズィーという武装集団で皇帝がその頭目であった頃からの慣わしだ。

 

もし、本来、自己利益主義なオスマンの兵たちが損得を越えた忠誠を主君に誓うなら、こうした仲間意識から入るのが普通だった。

 

自分達は皇帝と同じ釜の飯を食べている。

イェニチェリなどはこれを誇りと思い、軍旗の代わりに鍋やスプーンを掲げながら行軍した。

だが、メフメトは頑なにそれを拒んだ。

 

彼らは自分に金を要求した。だから金で忠誠を買ったのだ。金銭以外は何も与えまい。

 

それがメフメトの軍団に対するケジメなのであった。

 

メフメトは孤独だった。そして動揺していた。スプーンを握る手が本人の意思とは関係なく震える。

 

この戦いはメフメト一世一代の大決戦だ。敗れればかつてハリルが忠告した通り、誰もメフメトの言うことを聞かなくなり、帝国の命運も尽きるだろう。

 

「陛下、ご決断を」

口ごもるメフメトにハリルが言った

 

「何を動じていらっしゃるのですか。陛下はこのくらいの事はわかっていたはず。ウルバンを召し抱えた際、『必ずしも大砲で城壁を破壊する必要はない。これは相手を恐怖させ戦意を打ち砕く為のものだ』と他ならぬ陛下が言ったのを私は覚えています。確かにビザンツ兵の勇敢さは想像以上でした。でも、前線の兵というのはどこでもそういうモノです。城壁の中まで同じかどうかはわからない。」

 

「しかし、先生…」

 

「陛下、あなたはもう少年ではない。男児たるもの、皇帝ならば尚更。一度やると決めたらやり抜くものです。陛下は何も怖れず、迷わず、我々宰相に、そして兵士たちに、命を下せば良いのです。」

 

--------------------

 

メフメトはテオドシウス城壁の防御力を少しでも削ぐため、三重壁の一番外、胸壁の手前にある壕を土で埋めることにした。

単純な作業のようにも思えるが、事はそう簡単ではない。城壁のすぐ前まで近寄って行う訳だからビザンツ軍からの激しい抵抗とそれによる多大な犠牲が予想される。

 

メフメトはこの作業に非正規軍団を投入することにした。

非正規軍団というのは、セルビアなどオスマン帝国の圧力に屈したキリスト教国から徴収した兵を中心とする軍団である。メフメトからすれば、丁度いい捨て駒だ。

 

とはいえ、力で従わされて、大きな枠で言えば同胞とも言えるビザンツとムリヤリ戦わされる彼らの士気は低い。

非正規軍団はイェニチェリに背後から銃で狙われながら渋々進軍していった。

 

そんなオスマン非正規軍団をきらびやかな甲冑を身に纏ったビザンツ兵たちが城壁の上から矢で狙った。

そして、弓の他、もう一つビザンツ側の武器になっていたのがギリシャ火薬だ。

 

ビザンツ国内にしかない秘伝の薬剤であり、オスマン軍は戦場で猛威をふるっている状態以外、それについて知る由もないが、普段はジェルのような形状をしている。

今でいう焼夷弾の一種であり、一旦火をつければ、水をかけても消えず、むしろ燃え広がる性質を持っていた。液状であるため、様々な使い方をされ、筒状の(ふいご)を使って火炎放射器のように使ったり、樽につめて火炎瓶のように使われたりした。

 

オスマン非正規軍団の兵たちはそれらを駆使した猛攻の前に次々倒れていった。

 

ビザンツの弓兵たちは皆、背筋を伸ばし堂々とした姿勢で矢を射ている。また、火器兵も勇猛果敢に身を乗り出して敵を焼き払おうとする。

どの兵も死の恐怖など微塵も感じていないようだ。

 

美しい。

 

前線近くまで出て来て戦いの様子を見ていたメフメトはそう思った。そんな敵兵に比べて自陣営の兵たちはどうか。督戦隊に促されイヤイヤ戦場にやってきて、恐怖と苦痛に歪んだ表情で泥にまみれながら死んでいく。なんと醜いことか。

 

メフメトは傍らにいたハリルに問うた。

「先生、なぜビザンツの兵たちは滅亡寸前の国の為にあそこまで誇り高く戦えるのでしょう?」

 

「あの中にビザンツの兵、というのは、ほぼいないでしょう。今のビザンツに常備兵を養う余裕はない。彼らのほとんどはこの戦いの為に雇われた傭兵です」

 

「それならば、尚更不思議です。同じ外国人同士なのに、なぜあそこまで士気に差が出るのでしょう。」

 

「コンスタンティノープルは世界における東西の分岐点。そこには富がある。そして、歴史がある。ビザンツ帝国の始まりをいつとすべきなのかは私にも分かりません。ギリシャに文明が築かれた頃なのか、共和制ローマができた頃なのか。それともローマ帝国が東西に分裂した頃なのか。確かなのは、いずれにしても1000年以上の歴史があることです。その間、人々はこの街で学び、働き、遊び、寝食を共にしてきた。そして、共に笑い、泣き、彼らの文化を築き上げてきたのです。」

 

「1000年…想像もつかないな」

 

そう言ってメフメトは聳え立つテオドシウス城壁を見た。

ムスリム世界は、そしてオスマン帝国は、ギリシャやローマの文明に比べると、まだ成立して日が浅く若い。

彼らの紡いできた時の長さは、歴オタであるメフメトでも容易に想像できない。

 

「でも、きっと、彼らには分かるのです。あの街の持つ歴史の長さと大切さが。そして、それを守るために戦うことの名誉も。」

 

何かを守るため、自らの正義の為に戦う集団は強い。

幼い頃、自分が持ちたいと思っていた軍団は、あの敵のような軍団だった。そんなことを思いながら、メフメトはハリルに言った。

 

「僕たちの国も、いずれあのようになれるだろうか。」

「それは陛下のお心と、この戦いの行方次第でありましょう。」

 

この日、オスマン帝国の攻撃は失敗に終わった。

 

--------------------

 

コンスタンティノープルは東南北が海に囲まれている。

前述したが、海流の関係でマルマラ海に面する南側と東側の岸には船を接舷できない。都市を攻撃するにしても、補給品などを届けるにしても、残る北側、金角湾に面した岸から行うしかないのであるが、この湾の入口には鎖を繋いで船の通行を防ぐ装置があった。

 

勿論、オスマン艦隊が到着する頃には既に湾の入口は閉じられている。その為、オスマン海軍の将・バルトグルは湾内への侵入を諦め、コンスタンティノープル西側から攻める陸上部隊のサポートに徹することにした。

金角湾の入口を150隻からなる艦隊を用いて海上封鎖し、都市への補給船も自分達と同じように湾に入れないようにしたのだ。

 

そんなコンスタンティノープル近海に4隻の敵艦が近づいているとの報せが届いたのは、陸上で非正規軍団による攻撃が失敗したのと、ほぼ同じ頃であった。

敵艦の内訳はジェノヴァの補給艦3隻とその護衛となるビザンツの戦艦1隻。

 

メフメトはバルトグルに即時発艦を命令。

「今日が新生オスマン海軍の初陣だ。威信にかけて必ず敵艦隊を撃滅しろ!」

と檄を飛ばした。

 

オスマン艦隊はこの戦いの為、大幅に増強されていた。

メフメトが自らの艦隊を『新生オスマン海軍』と呼んだのもそれ故だ。

 

オスマン帝国は既に何度か触れたように武装略奪集団ガーズィーを始祖とする。一種の山賊や馬賊にあたる集団であり、創成期において主力になったのはスィパーヒーという騎兵隊だ。

その為、オスマン帝国は陸軍国家として勃興し海軍の発達はやや遅れた。

 

陸ならキリスト教国家を圧倒するオスマン軍も海上ではそうもいかない。特に、海洋国家であるヴェネツィアやジェノヴァと比べると船の操舵技術に雲泥の差がある。

それ故、オスマンの軍人にとって提督は閑職であり、海軍にはロクな人材がいなかった。

 

だが、四方の内、三方を海に囲まれたコンスタンティノープルの攻略には海軍の増強が欠かせない。

そう考えたメフメトは騎兵隊から最も優れた将軍の一人であったバルトグルを引き抜いて、その任にあたらせた。

 

そして、バルトグルはメフメトの期待にここまでよく応えた。海戦の技術では敵わないと見たバルトグルはとにかく人と船の材料をかき集め、150隻からなる大船団を組織したのだった。

 

だが、実際の戦闘となると、オスマンの大艦隊はたった4隻の敵にまるで歯が立たなかった。

コンスタンティノープル近海に現れたジェノヴァ船は追いかけてくるオスマン船の間を自由自在に動き回り、金角湾の入口までたどり着いた。ジェノヴァ船が近づくと、ビザンツ軍は入口に取りつけられた鎖を一時的に取り外して、彼らを迎え入れる。

こうして、3隻のジェノヴァ船はまんまと金角湾に侵入し、物資の補給に成功した。

 

残る1隻、ビザンツの戦艦はジェノヴァの船よりは操舵技術が劣り、また、護衛艦なので闇雲に逃げる訳にもいかず、この大艦隊を相手にするのはさすがに苦労している様子だった。

だが、この船にはギリシャ火薬が配備されている。例の鞴の仕組みを利用した火炎放射器は火力でオスマンの火矢を圧倒し、海上に撒き散らされた火薬は水面でも燃え広がりオスマン船を炎で包んだ。ビザンツ船も苦労しつつ、オスマン海軍にそれ以上の痛手を与えて金角湾に逃げ込むことに成功した。

 

最後の一隻が湾に入った途端、沿岸にいたビザンツ軍から大きな歓声があがった。

4隻が150隻に勝ったのだ。それならば、7000の兵で10万人のオスマン軍にも勝つこともできる。

 

この海戦の勝利は瞬く間にコンスタンティノープル市内に広まり敵中に孤立したビザンツの市民たちに勇気と希望を与えた。この瞬間、メフメトの、ウルバン砲による『恐怖でビザンツ人を支配して降伏に追い込む』という計画は破綻したのである。

 

---------------------

 

「バカ野郎! お前の海軍にどれだけ金を使ったと思っている! この役立たずめ!」

 

メフメトはそう叫び、戦場から敗軍の将として戻ったバルトグルを激しく殴打した。

 

「皇帝陛下、どうかお許しを…」

 

メフメトはそんなバルトグルの命乞いにも腹が立っていた。つい先日、ビザンツ兵たちの勇敢な戦いぶりを見た後であっただけに、余計に感情が昂った。なぜ、自分たちの兵はあの美しい敵兵と比べてこんなにもみすぼらしいのか。

 

敗因はわかっている。ヴェネツィアやジェノヴァの船乗りたちは生まれたときから生活の必須技術として船の漕ぎ方や天候の読み方を学び、終生それを生業としながら生きる。

そこが、航海技術を戦争の為の手段としか捉えていないオスマン人たちとの決定的な違いだ。

 

ヴェネツィア、ジェノヴァ両国の人々にとってのそれは、祖先たちが長年紡いできた伝統であり、彼ら一人一人の一部である。もし、仮にそれを失うとすれば手足の内の一本をもがれるのと同じような痛みを伴う、そのようなものであった。

それは例えば、物心つくとすぐに騎乗を覚え、草原で獲物を追いかけながら暮らすモンゴルの遊牧民に欧州の農耕民が騎馬戦で敵わなかったのに似ている。

あるいは現代風に言えば、サッカーで、立ち上がってすぐにボールを蹴りはじめ、数人集まればパス回しをして遊び、ほとんどの人がどこかしらのチームのサポーターだというブラジルの人々に、多くが習い事としてそれを始める日本人が敵わないのと同じような原理だ。

 

ヴェネツィアやジェノヴァには、この時点でのオスマン帝国がいくら金を積み大船団を作り上げても覆せない航海の文化と誇りがあった。

では、まだそうした積み上げの少ない新興国家であるオスマン帝国にできることは何なのか。自分たちとは、自分が率いるこの集団とは何者なのか。

初めて敵対的に外国と向き合ったこの若い君主には、それに対する答えが見いだせない。ただ、拳を振るうことで鬱憤を晴らそうとすることしかできなかった。

 

一方的に殴られるバルトグルを周囲にいた宰相たちは哀れみの目で見た。

失敗すれば、自分たちもあのように殴られた挙げ句、首を切られるのだろう。

誰もがそう思い恐怖に駆られた。

 

 

そんな時、室内に乾いた音が響いた。

メフメトの頬にジンジンとした痛みが伝わる。殴られ続けて横たわるバルトグルの他、目の前にいたのはハリル・パシャだ。

 

ハリルがメフメトに平手を食らわせたのだ。

 

ハリル・パシャのこの行動には、叩かれたメフメト、周囲にいた宰相たち、助けられたバルトグルを含め、その場の一同呆気にとられた。いくらメフメトを幼少期から知る先代からの大宰相でも、皇帝に対してこのような行いが許されるはずはない。

 

「こ、皇帝陛下に対して何たる振る舞い! いくらハリル・パシャでも許されませんぞ!」

 

そう叫んで剣を抜くザガノス・パシャをメフメトは右手を差し出して制した。そして、ハリル・パシャのことをジッと見つめる。沈黙、というカタチで発言を許可されたハリルは言った

 

「もう良いでしょう。これ以上の暴力は陛下の品位を下げるのみです。」

「だが、敗戦の責任は問わなければならない!」

「バルトグルは元々騎兵隊長。その彼の才を買って海軍提督にしたのは陛下ご自身でしょう。バルトグルはここまでよくやりました。彼でなければこれ程の大船団は組織できなかった。一旦、戦場に出れば時の運もある。陛下、私はバルトグルの助命を嘆願します。」

 

「くそっ!」

 

メフメトは地面を叩いた。ハリルの言うことは全て正論だった。言うとおりにするしかない。

それは、メフメトに、ハリルの正論に言いくるめられ、従うしかなかった幼少期を思い出させた。

 

うなだれる皇帝にハリルは言った

「ビザンツの兵はよく統率がとれています。敵は7000の兵しかいないなら、それしかいないなりに、弱点を隠し、強みを生かすような戦略をたてているからです。陛下、我々もそのように戦うのです。そもそも兵数も装備も我々の方が多いのです。そうすれば、負けることはないでしょう。」

 

結局、バルトグルの助命以外は何も決まらぬまま、その場は散会となった。

その後、二人きりになったタイミングを見計らってメフメトはハリルに対して臣下のように頭を下げた。

 

「先生、ご助言ありがとうございます。」

「いえ、私こそ出過ぎたマネを致しました」

「そんなことはありません。あのまま激情に駆られてバルトグルを殺していたら、私は兵士たちの信頼を失っていたことでしょう…。本当によかった…」

 

「よかった?」

「ええ。先生が未だ大宰相としてご健在で、本当によかった」

 

メフメトは珍しく笑顔を見せてそう言った。

 

---------------------

 

艦隊での戦いに敗北した後から数日間、メフメトは軍議にも姿を見せず、一人物思いに耽っていた。

 

1000年以上の歴史を持つビザンツ帝国の持つ権威やヴェネツィア、ジェノヴァが人々の生活の結果として紡いできた海の文化に対抗しうる、オスマン帝国の武器とは、伝統とは何か。

 

メフメト2世は、それをせいぜい150年前に略奪集団から勃興したオスマン帝国の歴史の中から探し出さなくてはならない。新興国のそれは、敵国に比べると、あまりにも短い。

メフメトの思案は混迷を極めた。

 

 

そんなメフメトが、右手にスプーンだけを持ってイェニチェリたちの元を訪れたのは、ある日の晩の事だった。

イェニチェリたちは食事中である。オスマン帝国の皇帝は、通常、戦地にあっては、「同じ釜の飯を食う仲間」として兵たちと共に食事を摂る慣習があるが、メフメトは彼らの忠誠を金で買ったケジメとして、決して食事を共にすることはなかった。

それは前述の通りである。

 

一人の兵がメフメトの前に進み出て、

「食事がお口に合わなかったでしょうか?」

と尋ねた。

 

メフメトの食事の流儀はイェニチェリの兵たちも勿論よく知っている。

気難しい皇帝が、わざわざこんな時間にやってくるのだから、何か文句でもあるのだろう、と思ったのだ。

 

また無茶を言われるのか。

癇癪を起こして兵を殴ったり、首をはねたりしなければ良いが…。

 

兵たちが緊張した面もちでメフメトの言葉を待っていると、彼の口から意外な言葉が出た。

 

「僕も、皆と一緒に食事を摂らせてもらえないだろうか」

「え? も、勿論それは歓迎しますが…陛下、良いのですか?」

 

「ああ。これが、オスマンの伝統なのだろう? 僕を、みんなの仲間にしてくれ。」

 

プライドの高い皇帝はそう言って頭を下げた。

その瞬間、兵たちから歓声があがる。

 

「陛下! どうぞ、こちらへ!」

「我らの皇帝の為に、もっと、もっとメシを持ってこい!」

 

そんな声が響く。

その日、イェニチェリたちの陣内は大宴会となった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その4 ~艦隊山越え~

ここで、この戦いにおける海洋都市国家・ジェノヴァの態度について説明しておきたい。

ここまでの記述と矛盾するようだが、ジェノヴァは中立国であった。

 

元来、ビザンツ帝国とジェノヴァの関係は非常に良好であった。

それは1204年にコンスタンティノープルが第4回十字軍に占領された際、ジェノヴァがビザンツの亡命政権ニカイア帝国と結んで都市の奪還に協力したことに始まり、その見返りとしてジェノヴァはコンスタンティノープルを経由した貿易に関してあらゆる優先権を持っていた。

 

何度も言うように、コンスタンティノープルは洋の東西を結ぶ分岐点であると共に、地中海から黒海に出る出口でもある。

古くから都が置かれたこの都市は国際的な交通の要衝だ。

 

ジェノヴァは他の地中海海洋国家にはないこの権利を生かして拡大していき、ライバルのヴェネツィアに対しても若干の優位を保った。

特に黒海航路の貿易利権を独占していたことは大きい。

 

富の源泉たるコンスタンティノープルがイスラム国家の手に落ちることはジェノヴァにとっても自国家の経営を揺るがす程のダメージだ。

本来であれば、ジェノヴァは全力でもってビザンツを支援しなければならないのだが、これに関してはジェノヴァ人の中でも意見が一致しなかった。

 

この頃になると、オスマン帝国の強大化もビザンツ帝国の弱体化も双方ともに抑えがたい状況になっていた。

例え、今回の防衛に成功したとして、ビザンツの滅亡は既に時間の問題だ。そして、それを成すのはオスマン帝国であろう。

それならば、既に風前の灯となった同盟国に協力するよりも、オスマン側について今後もコンスタンティノープルにおける貿易の優先権を保証してもらってはどうか。

 

ジェノヴァ人たちの中にはそんな意見を持つ者もいた。

とはいえ、本土がイタリア半島にあり、周囲をキリスト教国に囲まれたジェノヴァがそのように大胆な行動を起こすことは、やはり現実的ではない。

やれば、本国が周辺国から袋叩きにされる。

 

結局、自らもキリスト教徒であるジェノヴァの人々は中立を宣言しながらも通常の「商い」を名目とした物資補給などでビザンツに消極的な支援を行うことを決めた。

 

オスマン側もこの欺瞞を見破りながら、ジェノヴァの中立を承認した。陸ではともかく、海においてのジェノヴァは大変な脅威だ。積極的に攻撃してこないなら、それだけでありがたい。

 

先日、ジェノヴァの輸送艦隊とバルトグルの艦隊の間に争いがあったが、ジェノヴァ船が戦闘を一隻のビザンツ船にほぼ任せて逃げに徹していたのも、その中立の為であるし、バルトグルが150隻もの船団を持ちながら敵艦隊を取り逃がしてしまったのも、その関係維持の為、ジェノヴァ船を撃沈せず拿捕することにこだわっていたことが原因の一つであった。

 

 

さて、コンスタンティノープルから金角湾を挟んで反対側、湾の北岸にガラタ自治区と呼ばれる地域がある。湾を挟んでコンスタンティノープルに隣接するこの地域はコンスタンティノープルで貿易に従事するジェノヴァ人たちの居住区であった。

オスマン帝国が苦しめられている金角湾の封鎖はコンスタンティノープルの市内と、このガラタ自治区にある監視塔を太い鎖でつなぐことによって行われている。

 

守りの堅いコンスタンティノープルを攻略するにはやはり防衛上の弱点である金角湾からの上陸しかない。そして、それには湾を封鎖する鎖が邪魔だ。

鎖をつなぐ監視塔を陸上から襲い、鎖を取り外してしまおう。と、いう作戦は、戦線が膠着した後、何度かオスマン軍の陣中でも検討された。

 

だが、それはその度に断念された。

鎖をつなぐ二つの監視塔の内、コンスタンティノープル市内にある方は、当然破壊不可能だ。そうなると、必然的に攻撃目標はジェノヴァ人たちの住むガラタ自治区となる。

要するに、この作戦はジェノヴァとの協定を一方的に破棄して、まずガラタを攻め落とそうとするものだった。

 

これを実行する場合におけるオスマン側の懸念事項としては、正式に敵国となったジェノヴァ本国が大艦隊を差し向けてきて、今より更に都市の攻略が困難になるのではないか、ということがあった。

それ故、この作戦を提案する者はこぞって、監視塔を破壊したら間髪入れずに総攻撃を仕掛け、ジェノヴァ本国の艦隊が到着するより早く、一気にコンスタンティノープルを占領するということを言う訳だが、事はそう簡単ではない。

 

仮にその作戦でコンスタンティノープルの占領が成功しビザンツ帝国が滅び去ったとして、敵対したジェノヴァとの争いが終わるとは限らない。

そうなれば、せっかく手に入れたコンスタンティノープルからの航路はジェノヴァに脅かされ、貿易は妨害され続けることになる。

 

オスマン帝国は、ウルバン砲の鋳造や大艦隊の編成など、この戦いに多大な投資を行ってきた。それは、今後、コンスタンティノープルの都市経営で賄う予定であり、貿易はその柱だ。

それができなければオスマン帝国は財政破綻することになる。

 

そう考えると、ガラタ自治区への攻撃などそう気軽にできるものではない。

メフメトは、それらの事情を全て考慮した上で要塞都市攻略の計画をたてなくてはならない。

 

メフメトは、軍事作戦の計画立案に優れたザガノス・パシャを自分の下に呼び寄せた。そして、翌日、日が昇り始める頃まで長い時間をかけて、恐るべき計画を作り上げた。

 

 

戦史上名高い、オスマン艦隊の山越えである。

 

作戦は、ガラタ自治区のある、コンスタンティノープルから見て金角湾を挟んだ反対側の陸地を使って行われる。

ガラタを避け、その5km程北の海岸から、湾の遥か奥の方に向かって山を切り開き、更には開いた道に油を塗った丸太を敷き詰めて、輸送用のローラーを作る。

そして陸地に引き上げた船団をその上に乗せて運び、金角湾に浮かべるというものだ。

 

歴史上、稀にみる大作戦である。

誰もが、不可能だと思った。

 

ここまでメフメトに助言を与えてきたハリル・パシャもこの作戦には反対の意を示したが、結局作戦は実行されることになった。

 

現場の兵士たちから

「なんとしても、皇帝がたてた作戦を実行したい」

という声が多数あがったからだ。

 

オスマンの兵士たちは、「同じ釜の飯を食う仲間」になった若者を自分たちの皇帝として認めて忠誠を示すようになっていた。

 

何日間かかけて土木工事を行った後、艦隊の陸あげは、夜闇に乗じて行われた。

作戦は順調に進んだ。キリスト教国側もオスマン軍が何やら大規模な工事をしていることには気づいていたが、多勢に無勢のビザンツ軍にそれを妨害する余裕はない。

そして、よもや、艦隊が山を越えてやってくるなどと言うことは誰も考えていない。

 

ビザンツの人々はある朝、突然金角湾に現れたオスマン艦隊に対して、膝を折り、うなだれた。

 

それでも、コンスタンティノープルの守りは堅い。

ほとんど最後まで、金角湾からの上陸を許した訳ではなかった。

 

だが、守る戦線が一つ増えたことで、それぞれの戦線から少しずつ兵が引き抜かれて、金角湾沿岸の守備に回された。それによって、一人一人が戦線を守る時間と範囲も少しずつ延びた。

全て、少しずつではあった。

だが、その少しずつは既に全力で敵を防いできたビザンツ兵たちにとっては、命取りになるものだった。

 

守備担当時間中の居眠りや兵糧のつまみ食いなど、下らぬ軍規違反が増えた。そして、辛い状況の中でも誇りを持って戦っていると自負する者たちの中には、そうしたちょっとした違反を許せなくなる者が増え、味方同士の諍いが絶えなくなっていった。

メフメト2世の執念は、着実に、そして確実にビザンツ兵たちの集中力と誇りを削いでいったのである。

 

ビザンツの守備網は、街の西側、難攻不落と言われたテオドシウス城壁から崩れた。なんと、守備兵が通用門の鍵を閉め忘れて第一の門が突破されると、そこから雪崩式に守備が崩壊していったのだという。

この鍵の閉め忘れを後世「世紀の盆ミスだ」と言う人もいれば、「実は敵に寝返った兵が鍵を開けてオスマン軍を通したのだ」と言う人もいる。

だが、どちらにせよ、それは守備兵たちの精神の消耗がもたらした事態であった。

 

オスマン兵が街になだれ込んでくると、既に心を打ち砕かれていたビザンツ兵たちは一斉にコンスタンティノープルからの脱出をはかった。

自身を守る兵もいなくなり、この国、最後の皇帝となることが決まったコンスタンティノス11世は、自ら剣を抜いてオスマン兵の大軍の中に突っ込んで行った。

彼は自害を禁じたキリスト教の教えに殉じ、敵兵に殺されるまで戦うことを選んだのだった。

 

コンスタンティノス11世の遺体は見つからなかった。

おそらく乱戦の中で切り刻まれ判別不可能となったのだろうが、生存説もある。真相は不明だ。

 

メフメトは判別不能な遺体の内、最も高価な衣装を身につけていたモノをビザンツ皇帝・コンスタンティノスだと断定し、市内に数日間晒した。

 

彼と直接会談したことのあるハリル・パシャは体格などの違いから

「おそらく、あの遺体はビザンツ皇帝のものではないだろう」

と思っていたが、それをわざわざ語ることはしなかった。

 

ビザンツ帝国は滅亡し、古代ローマの時代から続く由緒ある皇帝の地位は消滅したのだ。

これからこの街を支配するオスマン帝国は、新興国ながら、以前、数十年の間だけこの地を支配した第4回十字軍のラテン帝国のような基盤の弱い国ではない。

もし、彼が生きていても、その生涯の内にこの地を取り返す希望はほとんどない。

それは既に存在価値を失った元皇帝、一個人である。

 

きっと、時代と共に忘れ去られる運命だ。

 

 

コンスタンティノス11世の遺体(仮)は、数日間晒されたものの、その後はメフメト2世により最上級の栄誉をもって埋葬された。

メフメトはその苛烈な性格とは裏腹に敗者にそれ以上、ムチ打つようなマネをしなかった。

 

これにより、メフメトは「弱国を征服した隣国の王」ではなく「千年帝国ビザンツの皇帝(アウグストス)を超えた偉大な皇帝(スルタン)」となることに成功したのだった。

 

---------------------

 

メフメト2世の命によりチャンダルル・ハリル・パシャが牢に囚われたのは、コンスタンティノープル攻略の翌日のことだった。

罪状は「ビザンツに内通した罪」だとのことだが、ハリル・パシャには心当たりがない。

 

外交担当として何度かビザンツの使者に会っていたことか、艦隊山越えに反対したことを誰かが皇帝に対して大袈裟に讒言でもしたのだろうか。

何にせよ、メフメトの裁断が下るのを待つより他ない。

 

その日の晩、ハリルが囚われた地下牢にメフメトがやってきた。

 

供回りは連れず、一人であった。

ハリルは妙だな、と思った。

 

もしこの状況が誰かの讒言で引き起こされたものなのだとしたら、必ずその讒言を行った者がついてくるはずだ。

何故なら、その者からすれば、自分のコントロールが効かない状況でメフメトとハリルが会談し、讒言した内容の誤解を解いてしまうと、マズイからだ。

 

「チャンダルル・ハリル・パシャよ、牢の中の居心地はどうだ?」

メフメトの口元が弛んでいる。そして、彼はハリルのことをいつものように先生とは呼ばなかった。

 

その様子を見て、ハリルは察した。

「この状況は、全て陛下がお望みになったのですか?」

「そうだ」

「一体、何故!?」

「ハリル・パシャ、お前が、お前が僕の帝位を奪ったからだ! 覚えていないとは言わせないぞ!」

 

「それは…陛下が12歳の時のことを仰っていますか?」

「それ以外に何がある! あんな屈辱、2度も3度もあってたまるか!」

 

ハリルは愕然とした。確かにハリルはそのことで一度、死をも覚悟した。だが、メフメト復位の時に裁かれなかったことで、その罪は既に許されたものだと思い込んでいた。

 

「ずっとこの時を待っていた! 僕は栄光を掴んだ! 今ならもう誰も僕に逆らうことは出来ない!やっと、やっとお前に復讐出来るんだ!」

 

メフメトの血走った目の奥には尋常でない執念が見え隠れしていた。ハリルはその目に対して、ある感情を抱いていた。

それは、メフメトへの畏敬の念である。

 

「ハリル・パシャ。お前は昔、僕の夢を否定したな。だが、今のお前は僕のことをどう思う?」

 

素晴らしいとしか言いようがないじゃないか。

ハリル・パシャはそう思った。

 

今、ハリルの目の前にいる男は、かつての大海を知らず、栄光を夢見て無謀な冒険に打って出ようとしていた井の中の蛙ではない。

この若者は、いくら否定されても志を曲げず、遂にはその夢物語を現実のものにしてまった。

彼はもう、英雄に憧れる少年ではない。彼こそが、真の英雄なのだ。

 

「陛下は素晴らしい…最高の皇帝として、後世まで語り継がれることになるでしょう」

「そうか…。あなたほどの人がそう言うなら、きっとそうなのだろうな。」

 

メフメトは満足したように天を仰ぐと、更に続けた

 

「ところで、ハリル・パシャ。お前は僕のことを一番良く知っていると思っているだろう?」

 

口にした覚えはないが、その通りである。ハリルは先代のムラト2世からメフメトの教育係に任じられ、誰よりも長く、近くでその成長を見てきた。

 

「だが、それは逆もまた然り。ハリル・パシャ、僕もお前の事を一番良く知っているんだ。」

「それは…そうかもしれません…」

「ハリル・パシャ、お前は堅実なムラト2世の下で働きながら、実のところ、世界を支配するような英雄に仕えることを夢見ていたはずだ。そうだろう?」

 

ハリルは、胸を貫かれるような衝撃を受けた。

宰相の役割は、現実に基づいた助言を行い国家を安定させることだ。そうした認識と使命感から、ずっと圧し殺してきたハリルの想いを、メフメトは言い当てた。

 

ハリルは赤面した。隠していた恋心を意中の相手に打ち明けた乙女のような、悦びと恥ずかしさの入り交じった心境であった。

 

「ハリル・パシャ、お前は僕に仕えたいか?」

「は、はい、勿論! あなたは、私が望んだ、真の英雄そのものです!」

 

ハリルは思わず叫んだ。

 

「だが、それは許さない」

「そんな…!」

 

肩をビクッと震わせてから、ハリルが餌を目の前で取り上げられた犬のような失望を表情に浮かべると、メフメトは噴き出し、それを嘲笑した。

 

「それはそうだろう。当たり前じゃないか。一体、何のためにここまでやったと思っている?」

「弟を殺して宮殿に舞い戻ったのも、大金をかけてウルバン砲を鋳造したのも、イェニチェリに頭を下げたのも、艦隊で山を越えたのも…。全て私への復讐の為だったのですか?」

 

「そうだ! 僕が英雄になったのは夢の為だけじゃない、お前に復讐するためだ! どうだ、無念だろう!」

 

ハリルは、たった一人への報復の為にここまでやったメフメトの行いを、下らないとは思わない。

むしろ、たったそれだけのことをここまで金と時間と精神力をかけて実現する、皇帝にスケールの大きさに感服していた。

 

「ハリル・パシャ…いや、お前の事はただのハリルと呼ぼう。どうせ、明日には裁定が下り、お前は宰相(パシャ)ではなくなるんだ」

 

ハリルはこの言葉に手足をもがれるような痛みを感じた。自分が育て上げた理想の君主に、仕えることができない。その実感が急に襲ってきた。

ハリルはメフメト2世に向かい、地に手をつけて頭を下げた。本来、神に祈りを捧げる際の姿勢である

 

「あなたは、あなたは素晴らしい! どうか、どうかこれからも私をあなたに仕えさせて下さい! お願いします!」

 

「断る…」

 

メフメトは冷たく言った。

ハリルの目からは涙がこぼれだした。

 

「お願いします! お願いします!」

「何だ? お前は皇帝に逆らっておきながら、まだ宰相職を望むのか。何て強欲な男だ」

 

「宰相でなくても良いのです、宰相なんてとんでもない! あなたの為ならば、何でもする! 一兵卒で…いや、下僕でいい。下僕でいいから仕えさせて下さい!」

 

メフメトは声高らかに笑った

 

「そうか、そうか。ハリルよ、もっと頼むといい。僕の気が変わるかもしれないぞ。」

 

地下牢には、一晩中、ハリルの懇願とメフメトの笑い声が響いていた。

 

 

それから、ほどなくしてハリルの刑は執行された。

メフメトは涙を流した。

 

その涙が、復讐の悲願を達成した感激からくるモノなのか、父に等しい宰相を殺した悲しみからくるモノなのかは、メフメト本人にもわからない。

確かなのは、メフメトが、これで自分は一人の自立した大人になったと思ったことだ。

彼が、それを実感したのは、復位した時よりも、コンスタンティノープルを陥落させた時よりも、その瞬間であった。

 

 

この後もメフメト2世は数々の戦争を起こして多くの領土を獲得し、征服王の名と呼ばれるようになる。

周辺諸国を怯えあがらせる、世界に冠たるオスマン帝国。

その最盛期がこの男によって始まったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アリーには負ける理由がわからない
その1 ~イスラム世界のクライシス~


イスラム教の開祖ムハンマドの従兄弟にして、イスラム教シーア派の創始者とも言えるアリー・イブン・アビー・ターリブを主人公とした小説(フィクション)です。

この辺りの時代はスンニ派とシーア派で解釈の違いもあって何が正しいのか判然としないのですが、制作の出発点が「シーア派ってなんだ?」「シーア派ではどうしてアリーが尊敬されているの?」なので、シーア派寄りの見方を採用したところが多いです。また、小説なので勿論オリジナル要素も入ります。

日本語で書く分にはそんなに問題ないかなと思っているのですが、予防線を張っておきます。



632年6月8日。

アラビア半島はメディナにある預言者ムハンマドの邸宅に4人の男が集っていた。

 

日が落ち始めて部屋の中が暗くなってきたので、先ほど部屋に灯りを灯した。その、灯りの炎がチラチラと頻りに揺れる。

集まった4人の内の1人、ウスマーンが頭を抱え、

「どうしよう、どうしよう…」

と呟きながら部屋中をウロウロしているからだ。

 

「ウスマーン! 動じるな、情けない! ムハンマド様が、神の使徒が死ぬはずなんてないんだ!」

 

そう怒鳴ったのはウマルである。

普段から人に対して高圧的に接するところのある男だが、人に動じるなと言いながら大声を出すあたり、この男もなかなか正気ではない。

かなり年下のウマルに怒鳴られたウスマーンは、肩をビクッと震わせて立ち止まった。

 

「悪かった…ウマル、すまない…でも…」

 

ウスマーンが言いかけたところで、部屋の奥から

「お前たち、少しは静かにしろ。預言者のお身体に障る…」

とアブー・バクルが声をかけた。

 

痛いところを突かれたウマルとウスマーンは共に苦虫を噛んだような表情で下を向いた。

 

 

全ムスリムの悲願、西暦630年のメッカ制圧から2年後。

イスラム教創始者にして預言者のムハンマドは死の間際にいた。創業者の死はあらゆる組織にとって最大の危機である。イスラム教はキリスト教などとは違い、創業者を神聖視しない。

いくら信徒にとって偉大であろうと、本人が自分は人間であると宣言している以上、死は確実に訪れるもののはずだが、信徒たちは今まで誰もそのことを考えようとしなかった。

 

そんなことがあってはならない。だから言ってもいけないし、考えることすら悪である。

あまりにも大きすぎるムハンマドの存在が信徒たちの間にそうした風潮を作り上げていた。

 

今まで、誰も想像したことがないクライシスが始まろうとしている。

その不安は信者の中でも中枢メンバーにあたるとして集められた4人も同じである。

 

その中でもアブー・バクルはまだ落ち着いていた。

頭がズキズキと痛むようなストレスを抱えつつも、ウスマーンのように不安を表に出したり、ウマルのように現実を否定したくてカリカリしたりもしない。

それは、彼の年齢と経験の成せる業であった訳だが、その彼ですら、感心させる態度をとる者がいた。

 

アブー・バクルは部屋の入口付近を指差し、ウマル、ウスマーンに言った。

 

「お前たち、アリーを見ろ。立派じゃないか。」

 

アブー・バクルの指すところで、1人瞑想していたのがアリー・イブン・アビー・ターリブだ。単にアリーと言った方が通りが良いだろうか。

 

アリーはムハンマドの叔父のアブー・ターリブの息子…要は従弟である。

幼くして親を亡くしたムハンマドは、このアブー・ターリブに引き取られて養育された。

その後、ムハンマドが成人し、女豪商ハディージャと結婚して富を築いた頃、今度は反対にアブー・ターリブの家が没落していた。

何でも、このアブー・ターリブは史上稀に見る親切者であり、周囲の人を助ける為に自身の財産を使い尽くしてしまったらしい。

あまりにも人が善すぎる。

そうバカにする者もいたが、ムハンマドは困窮した自分を拾い育ててくれた叔父の過去の行動に感謝し、また、その清廉潔白な人柄を尊敬した。

そして、今度は自分がアブー・ターリブを助けて息子であるアリーを養育した。

だからムハンマドとアリーは、親子の様な関係でもあり、また同じアブー・ターリブを親とする兄弟とも言えた。

 

更に言えば。

アリーはこの時、32歳で集まった4人の中では最も若いが、最初にイスラム教に入信した人物でもある。

なお、信徒全体で言えば、1人目の信者はムハンマド最初の妻・ハディージャでアリーはその次となるが、彼女は既にこの世を去っている。

要するにアリーは存命の人物の中では最も古いイスラム信者だということだ。

 

クッキリとした顔立ちをした美形で何か気品を感じさせるこの男は軍事指揮官としても優秀でメッカ制圧までの戦いで、いくつもの戦果をたてた。肉親として、部下として、ムハンマドに最も愛された男だと言ってもよい。

 

多くのムスリムは、ムハンマドの死という事態を、希望的観測のもとにまだまだ先のことである、と捉えていたから、同じ初期からのムスリムでも62歳になっていたムハンマドと同世代のアブー・バクルやウスマーンより若いアリーこそムハンマドの後継者に相応しいと考えていた。

 

ウマルは、アブー・バクルがアリーを褒めることが気にくわない。舌打ちした後、アリーを鋭く睨んだ。

 

ウマルがイスラム教徒になったのは、後程、説明する聖遷(ヒジュラ)の少し前であり、彼は4人の中では後発のムスリムである。

彼の属するクライシュ族アディー家は元々ウマイヤ家と並んでイスラムに敵対する勢力の筆頭であり、彼自身、ムハンマドの暗殺を計画したことがあるくらいだ。だが、一族の禁を破って改宗した妹からクルアーンの一節を聞いたことで突然教えに目覚めた彼はたちまち最も熱心な信者になった。

血気盛んな彼はムハンマドを讃え、敵対者には挑発的なセリフを吐き、時には軍勢を率いて叩き潰した。

後発でありながら彼がこの4人のメンバーに入っているのは、その信仰心と行動力によるところが大きい。

 

また、もう一つの重要なファクターは彼がアディー家の人間であることだ。

前述の通り、クライシュ族の有力家系であるアディー家やウマイヤ家はイスラム共同体(ウンマ)の最も強力な敵対者であり、ムハンマドがメッカに帰還するまでに何度も矛を交えた相手でもあった。

だが、ムハンマドが本来望むのは、彼らが(アッラー)の教えを信じることであり、殺し合いをすることではない。

その為、ムハンマドはメッカ入城の前に有力家系出身の信徒ウマルとウスマーンを使って彼らと和解したのだ。

 

その後、ウマルはクライシュ族全体を抑える重要な役割を担うことになった。

本当なら入信が早くて年長でもあるウスマーンがその役を担うべきだが、彼には求心力という面で不安がある。

彼も信仰に熱心な男ではあったが、それはウマルの様なムハンマドに対する狂信的な崇拝といった類いのものではなく、進んで喜捨(寄付)を行い儀礼と戒律を守って暮らすような信仰に対する真面目さといったもので、やや趣が違っていた。

ただ、ウマルの強硬路線だけでも反発が出るから、場面に分けて両方が重用され、二人三脚でクライシュ族を治めるカタチになっていた。

 

ウマルはフンと鼻で笑った。

「ムハンマド様が苦しんでおられるというのに平然としているとは…。薄情な男だ、アリー。」

 

アリーは瞑想をやめてため息をついた。

困ったものだ、そう思ったのだ。

 

アリーより7つほど年上のウマルはアリーに対して強烈なライバル意識を持っていた。

それは次世代のムスリムを担う者として、というのもあるが、結局のところ、信仰心では誰にも負けないと思っているウマルはアリーがムハンマドに高く評価されていることが気にくわないのだ。

 

「騒いで預言者が回復するならそうしよう。だが、そういう訳でもあるまい。そんなことより、私たちはこれからのことを考えに集まったのではないのか?」

「これから?」

「そうだ。ムハンマドの死後のことを、決めなくてはならないだろう。」

「貴様! バカをいうな、ムハンマドは死なん!」

 

アリーは眉をひそめて、あからさまにイヤそうな顔をした。

アリーにはウマルが持つムハンマドに対する個人崇拝のようなものが理解出来ない。

勿論、誰にも話したことはないが、実のところアリーはムハンマドが天使ジブリールから教えを授かったとか、そういった類いの話の信憑性はかなり怪しいと思っている。

ムハンマドが預言者でなく、ただの商人であった頃から知っているアリーからすれば、イスラムの教えにある数々の戒律はいかにもムハンマドが考えそうな内容であった。

 

喜捨(ザカード)を行い貧しい者を助けること、ラマダーン月に断食(サウム)を行い貧しさを分け合うこと、同じ教えを信じる共同体全体を家族のように扱うこと。

 

貧困に喘ぐ中でアブー・ターリブの親切に救われて成長し、アブー・ターリブが転落した時に今度はムハンマドが彼を助ける。 そのような経験をしてきたムハンマドは、それを社会の理想像として考え、広めようとしたのではなかろうか。

天使云々は、人々を振り向かせる為の方便であるか、かといって正直者(アミーン)のアダ名のあったくらい真っ直ぐな彼が嘘をつくとも思えないから、社会の変革を強く願うあまり幻覚でも見るようになったのか、そのどちらかではないか。

 

何にせよ、ムハンマドが説く教えは正しいものであると思うから、その辺りにはあえて触れずにここまでやってきたが、それでもウマルの様な考えには共感できない。

 

ムハンマド自身を神のように崇拝することは

「自分は神ではなく預言者であり、あくまで人間である」

と常々言い、1人の人間として不平等な社会を変えようとしていた彼への侮辱であるとすら思う。

 

「ウマル、私も彼の回復を心から願っている。だが、ムハンマドは神ではない。人間である以上、必ずその時は来るのだ。」

「嘘だ、そんなはずはない…! 預言者は…ムハンマドは!」

 

ウマルが言いかけたところで、女が1人部屋に入ってきた。

ムハンマドの3番目にして最愛の妻、アーイシャである。

後述するが、若くしてムハンマドに嫁いでおり、この時、18歳。小柄で童顔なので、年齢以上に若く…いや、むしろ幼く見える。

 

アーイシャはムハンマドからただ1人病床に侍ることを許されて寝室の中にいた。

そのアーイシャが部屋から出てきた。と、いうことは、それが良いものにせよ悪いものにせよ、ムハンマドの身に何か異変があったのだ。

 

「アーイシャ、ムハンマドの…預言者の具合はどうだ…?」

彼女の父でもあるアブー・バクルが聞くと、アーイシャの目から大粒の涙がこぼれだした。

「ムハンマド様は、たった今、お亡くなりになりました…!」

それを聞くと、ムハンマドの古い友人でもあるアブー・バクルは

「そうか…そうか…」

と呟きながら肩を落としさめざめと泣いた。

 

それぞれ表現の仕方は違えど、カリスマを失ったことによる悲しみは他の者も同様で、ウスマーンは青ざめてその場にヘタレこみ、ウマルは慟哭した。

アリーもその場に跪き天を仰いだ。アリーにとってムハンマドは父であり、兄であり、戦友であり、指導者であった。ムハンマドはアリーのほとんど全てだと言ってもよい。

アリーは胸に大きな穴があいてしまったような喪失感を覚えた。

 

 

その後、少し落ち着いたので、全員でムハンマドの亡骸を見に寝室に入ったが、それを見たところで、また全員が動揺して泣いたり、茫然自失として、言葉を発することが出来なくなった。

 

それから、全員無言のまま、しばらく時が過ぎた。

朝日が昇り始め辺りが薄暗くなってきた頃、何かを思い出したかのようにアブー・バクルが言った。

 

「アーイシャ。ムハンマドは、最期に何か言っていたかい?」

「皆、教義と慣行(スンナ)に従うようにと…」

「他には、何か言っていなかったか?」

 

アブー・バクルが聞きたいのは、今後のことについてだ。

教徒たちは道標をなくしてしまった。これからどうしたら良いのか、ムハンマドからの指示が欲しいのだ。

 

それに対してアーイシャはしばらく沈黙した後、ポツリと言った。

 

「言っていました…後継者のことです。」

それを聞き、一同は身を乗り出した。

 

悲しみにうちひしがれる信徒たちにとってはやや気の早い話ではあったが、同時に最も気になる事項でもあった。

固唾を飲んで言葉を待つ一同にアーイシャは言った

 

「後継者…つまり預言者の代理となる者は、有力者同士の選挙で決めるように、と。」

「それは、本当か!」

 

アブー・バクルは驚いているようだった。

それもそうだろう。多くの者は、ムハンマドがアリー以外を後継者にする可能性などないと思っていたからだ。

 

後継ぎとしてこれ以上ない人物がいるのに何故わざわざ選挙などするのか。

ムハンマドが既にこの世にいない以上、彼の本意はわからない。

 

 

 




登場人物紹介は「その2」「その3」の冒頭にて。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その2 ~預言者・ムハンマドの栄光~

登場人物紹介(その1)

○アリー
本作の主人公。イスラム教創始者・ムハンマドの従兄弟、義兄弟、娘婿。最も近くでムハンマドから学んだ存在で、彼の教えを守ろうとする気持ちは人一倍。ただ、その正義感ゆえに融通が効かないので勝手に恨まれたり、罠に掛けられることもある。
○アシュタル
アリーの親友にして右腕。優れた軍人でもある。アリーのことを誰よりも信頼するが、その石頭には悩まされている。

○ムハンマド
イスラム世界における最大最後の預言者。本作では、預言者というよりも、宗教改革者として扱っています。
○アーイシャ
ムハンマド3番目の妻。ムハンマドにとって最愛の妻と言われている。結婚したのが8歳でムハンマドとの死別が18歳。気が強く、お転婆気質がある。過去のイザコザからアリーとは不仲。

○アブー・バクル
ムハンマドの親友で最初期からのイスラム信者。初代カリフとなる。アーイシャの父でもある。
○ウマル
2代目カリフ。狂信的なイスラム教徒。自らが最も熱心な信者である、との自負からアリーにライバル意識を持つ。苛烈な性格。
○ウスマーン
3代目カリフ。信仰に対しては非常に真面目だが、気弱な性格。支持基盤となる出身家系ウマイヤ家の専横を許す。



アラビア半島はメッカにクライシュ族ハーシム家のムハンマドという男がいる。

この時代にはしばしば見られることではあるが、この男は過酷な環境の下に生まれた。

 

父アブド・アッラーフは彼が誕生する数か月前に死に、母のアーミナも彼が幼い頃に没した。

現代から見ればハーシム家はヨルダン王家などに名が残る著名な家系であるが、その発展はムハンマドを輩出したことに始まるので、彼が幼少であるこの時点では傍流であり決して裕福な家ではない。

経済的に困窮したムハンマドに手を差しのべようとする者は親戚にもほとんどいなかったが、ただ1人、叔父のアブー・ターリブが手を挙げた。その為、ムハンマドは彼に引き取られて養育されることになる。

 

ムハンマドにとって不幸中の幸いだったのは、この叔父が稀に見る人格者であり、ムハンマドをまるで我が子のように愛して側に置いたことだろう。

この時、ムハンマドが抱いた叔父への感謝の念は、この後、彼が開く宗教の教義にも大いに影響を与えている。

 

クライシュ族というのは主に、アラビア半島の砂漠地帯を行き来して商売することを生業とする一族であり、アブー・ターリブもこの例に漏れない。

 

彼の商隊(キャラバン)で商売を学んでいたムハンマドに転機が訪れたのは25歳の時である。

豪商の未亡人にして、夫に先立たれてからは自らも女豪商となった遠縁のハディージャと結婚することになったのだ。

 

イスラム関連の資料によると、この結婚はハディージャがムハンマドの誠実な人柄を認めて申し込んだということになっているが、果たしてそれだけだろうか。

現代の結婚式でも新郎新婦の結婚までの経緯として

「互いの誠実な人柄に惹かれ…」

などという説明が入ったりするが、誠実さだけでお金持ちと結婚できるなら婚活パーティーの類いなど流行らないのである。

 

ほとんどの宗派でムハンマドの姿を描くことは禁止されているので、その容貌がどのようなものだったのかはわからないが、もしかするとムハンマドはなかなかのイケメンだったのかもしれない。

あるいは、ハディージャがこの時点のムハンマドに対して、後の大宗教家としての素養を見いだし、商人らしく、そこに投資することにしたか。

もしそうだとしたら、ハディージャの投資は大成功であったということになる。

 

二人の夫婦仲は睦まじいものでムハンマドは裕福で幸せな日々を過ごしていたが、それでも何か満たされないものがあったらしい。

どのような悩みを抱えていたのかは、本人から具体的な言及がないのでわからないが、貧しい暮らしを知っている男なだけに、それと現状の裕福な暮らしとの間のギャップから社会の矛盾のようなものを感じてしまったのかもしれない。

結婚してからしばらくすると、ヒラー山の洞窟で瞑想する時間が増えた。

 

そして西暦610年6月。その日はやってきた。いつものように洞窟で瞑想するムハンマドの耳に何者かが語りかけてきたのだ。

 

「読め…!」

 

字が読めないムハンマドはその旨を説明したが、それでも声は

「読め…!」

と語りかけてくる。

 

そしてムハンマドが読むべき内容を伝えてきた。

 

「創造なされた汝の主の御名によって。彼は凝血から人間を創られた。汝の主は最も尊貴なお方、彼は筆によってお教えになったお方、人間に未知なることをお教えになった」

 

復唱すると、声の主は立ち去ったが、恐怖を感じたムハンマドは慌てて洞窟を立ち去り、家に帰って妻のハディージャにそのことを話した。

 

普通なら

「アンタ何言ってんの?」

と一蹴されそうなものだが、ハディージャは違った。

元よりムハンマドの才能を高く買っていた彼女からすれば「ついにこの時が来た」という心境だったのではなかろうか。

 

ムハンマドは家に帰ってからも恐怖に震えて頭から布をかぶり耳を塞いでいたが、その間、ムハンマドにはずっと洞窟で出会った訪問者の声が聞こえていた。

 

「衣にくるまる者よ、立ち上がり、警告せよ。そして、汝の主を讃えよ」

 

そんな風だから、ムハンマドはそれから数日たっても家の外に出ることができなかった。

 

聡明なムハンマドのこの怯えようは、ただ事ではない。やはり、何か不思議なことが起きたに違いない。

そう確信したハディージャはネストリウス派キリスト教の修道僧、ワラカ・イブン・ナウファルにその事を相談した。

すると、ワラカはムハンマドの目の前に現れたのは天使ジブリールであり、ムハンマドが神の啓示を受けたのではないか、という見解を示した。

 

それからというもの、ジブリールは度々ムハンマドの目の前に現れて教えを授けていくのであった。

そして、その教えの数々が、後のイスラム教の教義になっていくのである。

 

そうは言えど、

「神の教えを授かった」

という話を聞いて、誰がそれを信じるだろうか。

 

大多数の人は信じないだろうが、それでもムハンマドは幸せな方だった。彼の素養を買っていた妻のハディージャは即座に彼を信じて最初のムスリムとなった。

 

また、冒頭に出てきた従弟のアリー、ムハンマドに遣える解放奴隷のザイド、親友のアブー・バクルらが順に入信していき、少ない人数ながらも同じ信徒の共同体を形成することができた。

 

開教当初、信者をごく親しい者だけに限り、布教に積極的ではなかったムハンマドも、彼らからの熱烈な支持を得て自身の教義に確信を持ったのか、614年頃を機に盛んに布教を始めた。

これにより初めてイスラム教の教えは衆目に晒されることになったのだが、ここで一つ問題が起きた。

 

教義の一つ、偶像崇拝の禁止についてである。

この時期のアラビア半島にはいくつかの宗教が混在していたが、メッカ近郊では主に土着の多神教が信仰されており、特にメッカ市内のカーバ宮殿には多神教の神々を象った像が多数奉られていた。

そして、メッカはそのカーバ宮殿を訪問するために多くの人が訪れる商業地帯として発展した都市でもあった。

 

要するに、ムハンマドが説くイスラムの教えは自分たちの部族の信仰を否定し、かつ、経済基盤をも破壊しかねない内容のものでもあった。

 

だが…これを言ってしまうと先ほどまで述べていた天使ジブリールが云々という話を否定してしまうようでもあるが…イスラム教の勃興を既存の宗教の改革運動の一つであると捉えると、イスラムがこうした教えを行うのにも理由がある。

 

ムハンマドがジブリールのことを言い出した時、ハディージャが相談しに行ったのがネストリウス派キリスト教の修道僧であったことからもわかるように、成立に際してイスラム教はキリスト教の影響を強く受けている。

また、そのキリスト教の元になったのがユダヤ教だ。

 

イスラム教というものはユダヤ教やキリスト教に対するカウンターとして生まれ、広まったと言っても過言ではないだろう。

 

三宗教の内、始めに生まれたのはユダヤ教であるが、その特徴は強い選民思想だ。

ユダヤ人たちのこうした意識はエジプトや新バビロニア王国で奴隷として過酷な暮らしを強いられたユダヤ人たちの中で

「信仰さえ守り抜けばいつか神から選ばれし民である自分たちには救いがもたらされる」

という考えが広まっていったことにより生まれた。

 

選民思想というと、他者に対する敵愾心を煽るいかにも邪悪な物であると思われがちであるが、それはユダヤ人たちが過酷な日々を生き抜くために生み出した希望でもあり、踏みにじられた民族的誇りを唯一見いだす方法でもあった。

その為、彼らの中でその思想は代々重要視されるものであった。

 

だが、

「自分たちは選ばれし民・ユダヤ人だから救われる」

という考え方は、別の見方をすれば、

「ユダヤ人以外の者は救われない」

という考えになる。

 

そこに異を唱えたのがイエス・キリストだ。

イエスは神の救いは決してユダヤに生まれた者だけにもたらされる物ではない、ユダヤ人かどうかは関係なく、神の教えを守り、日々を懸命に生きる者には必ず救いがもたらされるであろう、と主張した。

よく言われる「信じる者は救われる」というのはそういう意味で、イエスは望む者には洗礼を施し信徒とした。

 

イエスや彼を信じる者たちによれば、そうすることであらゆる人に救いをもたらすことができるという。

だが、キリスト教も誕生から約600年が経ち、その教義には変化が生じていた。

 

それらの問題を解決しようとするのが、イスラム教だ。

その教義の特徴には、平等性と神の言葉に対する服従性があげられる。

 

ユダヤ教は選民思想を持つ宗教なので、その教義がユダヤの枠を越えて多くの人に受け入れられることはない。むしろ、ユダヤ人たち自身が布教の必要性を感じていないと言った方が正しいか。

とにかく、ユダヤ教が全人類に対して平等に救いをもたらすことができる教えかと考えた時、ユダヤ教はそれに応えることを主眼においた宗教ではなかった。

 

次にキリスト教であるが、これは全ての人に対する無償の愛(アガペー)を説くものであり、平等性というところには気が配られている。

だがローマ帝国の国教となって以来、権力との距離が近くなりすぎたのか、その時々の権力者の都合が良いように教義は変容してしまった。

モーセの十戒で偶像崇拝は明確に否定されているのに聖像などを用いた布教を行っていたし、325年のニケーア公会議ではあくまで預言者の一人という扱いだったイエス・キリストを神と同質の存在であるとする決議を出してしまっていた。アブラハムもモーセも神ではないのにである。

 

そこでイスラム教では神の言葉を決して歪めてはならないということが強調される。

神はアッラーをおいて他になし。

それ以外を崇拝することは許されない。いくら偉大でもムハンマドは神ではない。あくまで『最大最後の預言者』なのだ。

 

イスラム教のこうした教えはアラビア半島の多神教を信じる人々にとっても大変不都合なものである。

何故なら、一神教でも多神教でもそれが権力と結びつけば少なからず教義が政治利用されたり、都合良く歪められたりすることは免れない。メッカの有力者たちの多神教に対する姿勢も大いにそれに当てはまる。

 

そんな風だからイスラム教は信者が増えるにつれて、次第に警戒されるようになっていった。

最初の内は豪商であり最初の信者でもある妻のハディージャやハーシム家の家長である育ての父アブー・ターリブが庇護者となっていたので、クライシュ族の有力者たちに圧力をかけられながらも危険に晒されることはなかったが、619年にその二人が相次いで死んだ。

 

教えを受け入れようとしない者たちから直接的に迫害を受けることとなったムハンマドは、メッカを去り、およそ350㎞北にあるメディナへ移住することにした。

 

メッカ周辺で信じられていた多神教とイスラム教とではさすがに世界観が違いすぎた。

メディナであれば、住民の多くがユダヤ教やキリスト教などの一神教を信仰している。

イスラム教というのは、そもそも、それらの宗教をムハンマドなりに改良したもの(あるいは、クルアーンの内容を信じるなら、人間が変容させてしまった神の教えを天使ジブリールが正しに来たもの)である。

そうした土地でイスラムを布教することは、謂わば彼らの信仰に真っ向から対抗することとも言えるのだが、それでも彼らとならば少なくとも信仰の出発点、基礎の部分は共通している。

 

考え方が土台から違う人々よりも、彼らからの方が理解を得やすいかもしれない。

そして、口に出さなくても、ある程度真剣に教えを学んでいる者ならば、現状の一神教の教義に多くの矛盾があることはわかっているはずだ。

ならば、新しい教えを説き、彼らの背中を押してやれば良い。メディナでも既得権益者が布教を邪魔してくるかもしれないが、住民の熱烈な支持があれば、それも押しきれるはずだ。

ムハンマドはそう考えた。

 

このムハンマドがムスリムの拠点をメッカからメディナに移した行動を聖遷(ヒジュラ)というが、これには苦難が伴った。

ムハンマドはまず信徒たちを先に逃がして、自分は後からメッカを脱出する計画をたてた。

 

これは概ね上手くいき、メッカに残るのはムハンマドの家族とごく親しい友人のみとなった。

具体的に言えば、ムハンマド、ハディージャの死後に再婚した二番目の妻のサウダ、娘のファーティマ、アリー、そして後に三番目の妻になるアーイシャを含んだアブー・バクルの家族たちである。

 

信徒たちの脱出は秘密裏に行われていたが、自分たちを後回しにした為、ムハンマドが脱出を計ろうとするころには、メッカを支配するクライシュ族の有力者たちも異変に気づきだしていた。

 

近頃、ムハンマドの信奉者たちが街から姿を消している。

ムハンマドの側近、アブー・バクルは最近早足のラクダを買ったらしい。

ムハンマドも近々街を出るつもりだろう。

外部の勢力と結託し、何か良からぬことでも考えているのではあるまいか。疑わしきは罰せよ。

 

そんなことを考えたクライシュ族の有力者たちは最も力を持つウマイヤ家のアブー・スフヤーンを中心に暗殺団を組織してムハンマドの元へとさしむけた。

ムハンマドらはそれを察知して逃避行を始め、途中、何度か追い詰められながらも何とかメディナにたどり着いた。

 

なお、この時、アリーは一行の囮となる為に一人メッカに残留している。

死をも覚悟しての行動であり、事実、アリーは敵に見つかってしまうのだが、ハーシム家前家長の息子であり、まだ若いアリーを殺せなかったのか、有力者たちは彼のことは放免して命を助けている。

その為、アリーは後からムハンマドを追いメディナで彼と再会することができた。

 

 

ムハンマドはメディナで歓迎を受けた。先行してメディナに入った信徒たちによって既にイスラムの教えは広まりつつあったのだ 。

 

「もうじき預言者がメディナにやってくる!」

 

そのような謳い文句も宣伝になったかもしれない。

そう考えると、信者を先にメディナに行かせ、自分はアリーを除き最後までメッカに残ったムハンマドの判断は大正解である。

 

ここで多くの信者を獲得したことでイスラム共同体(ウンマ)は拡大し、アラビア半島における一大勢力を持つに至った。

 

メッカから逃げたムハンマドがメディナで力をつけている。

その噂は当然、メッカにも伝わった。

 

それを警戒したメッカの支配者たちは、メディナ周辺の商隊ルートを封鎖して街を経済的に孤立させるように動いた。

 

卑劣な行為に怒り狂う信者たちをムハンマドは当初

「挑発にのってはいけない」

と戒めていたが、封鎖がしばらく続くと、困窮したメディナの非ムスリムから不満の声が漏れ始めた。

 

特に、ユダヤ教徒は信者をイスラムに数多く奪われていたことから彼らのことを良く思っておらず、メッカに通じて盛んに煽動を行い、メディナの非ムスリム勢力統合を計ろうとしていたという。

 

このままでは、苦労して手に入れたメディナの地盤が危うくなってしまう。

そこで、ムハンマドは軍を組織して遊撃戦を開始した。

 

メッカの商隊をゲリラ的に奇襲して物資を奪い、略奪品をメディナに持ち帰り、街を潤わせる。

勿論、それに対してメッカも黙ってはいない。

互いに対抗しあって徐々に率いる軍勢が増えていったことで、戦いは略奪の仕掛け合い、あるいは略奪とその取り締まりではなく、メッカとメディナの戦争の様相を呈するようになっていった。

 

その対立が一つの頂点に達したのが、624年3月バドルの戦いであった。約300人のイスラム軍と約1000人のメッカ軍が対決し、イスラム軍が数的不利を覆して勝利。

 

この勝利を皮切りにムハンマドの軍勢はメッカと互角に渡り合うようになり、そして630年、遂にメッカの攻略に成功したのだった。

 

--------------------

 

ムハンマドは、メッカの制圧という悲願の達成から僅か2年で永眠した。

 

彼は稀代のカリスマであるにも関わらず、まるで、役目が終わったらサッサと舞台から降りる端役俳優のような謙虚さでこの世を去ってしまった。

ここに至るまでの苦難を考えれば、その最期はあまりにも呆気ない。

 

本当なら、むしろ、これからであったはずだ。

敵を倒すことは目的ではない。

イスラムの教えを基盤にした世直しで人々の暮らしと心を救済することが、彼の真の望みであった。

やっと、願いに手が届くところまで来たところで、彼は死んでしまった。

 

アリーは、どうしても、その事実を受け入れられないでいる。

 

受け入れられないのは、それだけではない。

ムハンマドが自分を後継者に指名しなかった事もだ。

 

後継者を有力者同士の選挙で決めるというのは、一見非常に公平な方法にも思えるが、そうなればアリーが「預言者代理(カリフ)」に選ばれる可能性は限りなく低い。

 

この場合、「有力者同士」というのがポイントで、アリーは一般信者からの人気は高いが、ムスリムの長老たちからはまだ若造であると見られている。

それを自覚しているからこそ、アリーは失望していたのだ。

 

だが、

「まぁ、いいさ」

とアリーは思うことにした。

実際、遺言を聞いてから数時間、何度もそのように呟いた。

 

アリーは別に、地位や名声が欲しかった訳ではない。

ただ、ムハンマドに自分を頼りにしていて欲しかっただけだ。

ムハンマドが直接指名してくれなかった以上、あとは誰が預言者代理(カリフ)になっても同じことだ。

 

そんな風に思ってアリーはまた

「まぁ、いいさ」

と呟くのだ。




本作ですが、「その1」~「その7」までで完結になります。
当初は詰め込んで1~4までにするつもりだったのですが、1ページが長くなりすぎると読みづらいと思い、キリの良いところで分割しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その3 ~後継者たちの迷走~

登場人物(その2)

○ムアーウィヤ
シリア総督にしてウマイヤ家当主。元々イスラムの敵対者であり、信仰心も薄いが、自身の権力の為にカリフ位を望む。悪知恵の豊富さが誇り。
○マルワーン
ウマイヤ家出身のウスマーン政権のNo.2。ウスマーンを傀儡にして自家への便宜を図る。目的の為には手段を選ばない冷徹さを持つ。

○タルハ
アブー・バクルの従兄弟。アブー・バクル亡き後のタイム家有力者。お洒落で社交的で商才がある。
○ズバイル
アブー・バクルの娘婿。アブー・バクル亡き後のタイム家有力者。優柔不断な性格だが戦場での強さはピカイチ。

○ヤースィル
アリーに加勢した最初期からの信者。90歳を越えても現役で戦い続ける老兵。


ムハンマドの死から数時間がたち、遺体の洗体などすぐにしなければならないことが終わると、ムハンマドの容態悪化を聞いて急いで駆けつけてきた4人の信徒たちは身支度を整える為に一度自宅へ帰ろうとしたのだが、ムハンマドの妻アーイシャはその中でアリーだけを呼び止めた

 

「アリー、あなたも帰ってしまうの?」

「…まぁ、そうだな。何の支度もないままここへ来てしまったし」

「お願い、アリー。あなたはここに残って。私を一人にしないで、家族じゃない。」

 

アーイシャはその幼い瞳でアリーを見つめた。

アリーは意外に思った。

アーイシャが自分のことを家族と呼ぶなんて思っていなかったからだ。

 

アーイシャはアブー・バクルの娘でムハンマド3人目の妻だ。

ムハンマドには生涯で11人の妻がいたが、アーイシャ以外は皆、夫に先立たれた寡婦である。

 

そこから既に亡くなったハディージャを除けば、あとは正式な結婚というよりは、困窮した未亡人に対する救済という意味合いが強い。初婚だったのはアーイシャのみだ。

だから、アーイシャはムハンマドの妻の中でも特別視され、愛された。

最愛の妻であった、と多くの人は言う。

 

そのアーイシャとアリーの関係はかなり険悪だ。

対立のきっかけは共同体(ウンマ)とメッカ有力者が戦争をしている頃、アーイシャに不義密通の疑いがかかったことだ。

 

アリーはムハンマドにアーイシャとの離縁を勧めた。

当時のアラブ人の慣習からすれば、夫以外の男と一夜を過ごした妻は離縁されるのが普通で、最悪を言えば四方から石を投げつけられて殺されることすらあった。

要するに、この頃の価値観では、妻による不義密通は重罪であり、許容の範囲を越えている。

イスラム世界では一夫多妻制が許容されるが、それにはそれぞれの妻を平等に扱うことが必要とされている。

ムハンマドがここでアーイシャを許すことは、全ての妻に不義密通という重罪を許容することでもある。

そうなれば、ムハンマドの威厳は保てず求心力は低下するだろう。

特にメッカとの戦争をしている今、それは避けなくてはならない。

 

他の側近たちが不信感を抱きつつもムハンマドとアブー・バクルに遠慮してアーイシャと離縁するように言い出せない中で、アリーのみがそれを進言した。

アリーからすればムスリム全体のことを考えた上で勇気ある告発を行った訳だ。

更に言えば、その行動には

「このまま教徒たちがヒートアップすれば事実はどうあれ、本当にアーイシャを殺さないと面目が立たなくなってしまう。その前に離縁して、蟄居にでもすれば少なくとも命まではとられないだろう」

というアーイシャへの気づかいも含まれていたのだが、身を守るのに必死になっている若いアーイシャに、それを理解しろというのは酷だった。

 

結局、ムハンマド自身が

「アーイシャの不義密通の事実はなかった、という神のお告げがあった」

との声明を出したことで事態は終息した。

 

アーイシャは助かり、アリーも公明正大な男であるとムスリム内での評判が高まった訳だが、その事件は2人の間に遺恨を残した。

それ以来、2人は滅多に言葉をかわすことのない仲になっている。

 

2人が対立する直接的なきっかけはその不義密通の一件だったが、そもそもアリーとアーイシャはムハンマドの愛を奪い合うライバル同士であったという見方もできるだろう。

 

僅か8歳で嫁いだアーイシャと預言者ムハンマドは夫婦でありながら、その関係性はお転婆な娘とそれを時に窘め、時に可愛がる父親のようであった。そういう意味でアーイシャはムハンマドの妻であり娘でもある。

一方、前述の経緯からムハンマドとは義兄弟の関係にあるアリーは、成人してからムハンマドの実娘ファーティマを娶っている。つまり、アリーはムハンマドの弟であり息子でもあった。

 

2人はそれぞれ他の誰よりもムハンマドに愛された。だが、アーイシャにはムハンマドと共に戦場で死線をくぐることはできない。また、アリーにはムハンマドの妻になることはできない。結局彼の最期を看取ったのもアーイシャだった。

共にムハンマドを敬愛する2人には互いに対するコンプレックスがあった。それが2人の間柄を複雑なものにしている。

 

 

そのアーイシャがアリーを家族と呼び、ここに残って欲しいと懇願している。

 

ムハンマドはムスリム全体を家族として愛し助け合うように説いた。もし、血はつながらなくとも実の家族であるアリーとアーイシャがわかり合えないのだとしたら、他の何を救えるのか。

これを機に関係を修復してもよいのかもしれない。

 

アリーは幼さの残るアーイシャの不安げな表情を見てそう思った。

確かに今、この18歳にして未亡人になった少女を1人置いていくのは、あまりにも不憫だろう。

 

「わかった。私は一先ずここに残り、みんなが帰って来てから出発するとしよう」

 

---------------------

 

さて、アリーは先ほどアーイシャと約束した通り、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンが身支度をして戻ってくるのを確認してからムハンマドの家を出た。

 

そして、自らも一旦自宅に帰って一寝入りした後、身支度をしてムハンマドの家に戻ると、そこには大きな人だかりができていた。

 

ムハンマドの死が信者たちに知れてしまったのであろうか。

何にせよ、あれだけ人が集まると中にはいるのにも一苦労しそうだ。

 

アリーが呆然と立ち尽くしていると、その人だかりの中から、2人、アリーの方へ向かって駆けてくる。

 

その内、1人はイブン・アッバース。

豊かに髭を蓄えたこの老人はアリーの父アブー・ターリブの兄弟…つまりはムハンマドとアリーの叔父にあたる。

ちなみに、彼の曾孫が後にアッバース朝という国をたてることになるサッファーフことアブー・アル=アッバースなのだが、それはまた別の話だ。

 

もう1人はマリク・イブン・アシュタル。

この人はアリーと同世代の友人で武勇に優れた男だ。

 

2人とも何やら、しきりに

「大変だ、大変だ」

と騒いでいる。

 

「2人とも、そう騒ぐな。私はわかっているから」

アリーは2人がムハンマドの死を自分に知らせようとしているのだと思った。

 

「アリー、そうじゃない、ムハンマドのことは、そりゃあお前は知っているだろう」

 

アシュタルがそう言うのでアリーは首を傾げた

 

「違う…? じゃあどうしてそんなに慌てているんだ?」

「ムハンマドの後継者…預言者代理(カリフ)がアブー・バクルに決まったって言うんだ!」

「そんなバカな! 預言者代理(カリフ)は有力者同士の選挙で決めろというのが預言者の遺言だぞ!」

「だから、ウマルたちが、お前のいない間に長老たちを集めて採決してしまったんだ!」

「一体…どうなっているんだ…?」

 

アリーが呟くとイブン・アッバースが説明した。

 

「ワシにも、ワシがここにくるまでの経緯はよくわからん。じゃが、何にせよ、ウマルとウスマーンが随分と急いだ風に長老衆にとにかく早く集まれと声をかけていて、そこへワシも呼ばれたんじゃ。それでここまでやってきたら、そこでいきなりムハンマドの死と有力者による預言者代理(カリフ)選出について聞かされたんじゃ。」

 

「ウマルとウスマーンがそんなことを…」

 

「ワシは有力者同士の選挙だというなら、アリーが来るまで待つべきだと言ったんじゃが…。ウマイヤ家の者も長老たちもとにかくお前を後継者にしたくないらしい。何人か反対する者もいたが、ほとんどの者は今すぐに決めなくてはならないと言って、強行採決してしまったんじゃ。」

 

「そんな…」

「みんな、お前の血筋と能力に嫉妬しているんだ」

 

アリーはがっくりと肩を落とす。

 

「私は今まで、ムハンマドの教義に忠実に行動してきたつもりなのだが…何故だか、随分と嫌われてしまったな…」

「気にするな、アリー。心にヤマしいことがある者ほど、清廉潔白な者が上に立つことを怖れる。自分たちが甘い汁を吸えなくなると思っているんだ」

 

イブン・アッバースはそうアリーを励ましたが、それで気が楽になる訳でもない。

 

アリーは地位や名誉を求めている訳ではない。

彼が最も怖れるのは、ムハンマドが作り上げた共同体が権力闘争の対象となり、その結果、教義がねじ曲げられていくことだった。

 

それを防ぐ為には、誰が何のためにこんなことをするのか、正確に把握する必要がある。

だからアリーはムハンマドの死から今までのことを必死に思い出して事態の全体像をつかもうとしている。

 

アリーがいない間にカリフを選出するように、さかんに運動したのは、ウマルとウスマーン、つまりクライシュ族有力家系の2人だということだが、では何故、カリフに選ばれたのは、その2人のどちらかでなくアブー・バクルなのか。

 

まず一つ考えられるのは、この行動がアディー家、ウマイヤ家の政権奪取ではないと示すため。

ウスマーンは最初期からのイスラム信者でウマルは最も過激な信者であるから、今さらムハンマドの教義への忠誠を疑う者はいない。だが、アディー家やウマイヤ家そのものとなると話は別だ。

 

特にウスマーンのウマイヤ家は中心人物のアブー・スフヤーンに引っ張られるカタチでほとんど最後までイスラム共同体(ウンマ)に抵抗していた。

 

そのアブー・スフヤーンもメッカ制圧の直前にムスリムと妥協し、そのお陰で今でも高い地位を保っているが、ムスリムの中には

「どの面下げて、デカイ顔してるんだ?」

との意見も多い。

 

そんなウマイヤ家が政権を奪ったのだとしたら、当然反発も出る。2人からすれば、そう見られるのはマズイはずだ。

 

もう一つ、アブー・バクルをカリフにする目的としては、アーイシャの取り込みが考えられる。

前述の通り、アブー・バクルはアーイシャの父親だ。

彼がカリフになってアーイシャに損はない。

 

元々関係が悪かったアリーを後継者にしたくない彼女は、クライシュ有力家系の2人から

「アブー・バクルを預言者代理(カリフ)に」

と提案をされれば喜んで賛同するだろう。

 

そう考えると、身支度をするため一度家に帰ろうとした時にアーイシャがアリーを引き留めたのも不自然であったように感じる。

 

彼女は他の3人とアリーを引き離して別行動させた上でウマルらと共に工作活動をしたのだ。

 

その場合、首謀者はアーイシャか。

そもそも論、唯一ムハンマドの最期を看取った彼女なら遺言も捏造できる。

本当にムハンマドが後継者を選挙で選べと言ったのか。

穿った見方をすれば、それすらも怪しくなってくる。

 

要するに。現在、ムスリム内の派閥としてアブー・バクル派、クライシュ族派、アリー派の三派があるとしたら、アリー排斥のため、アブー・バクル派とクライシュ派が手を組んだということだ。

 

首謀者はクライシュ派のウマルか、もしくはアブー・バクル派のアーイシャだろうが、アブー・バクルやウスマーンも消極的にせよ彼らの意見に賛同して行動を共にしている訳だ。

 

「アリー、決起しよう! 奴ら、なんて汚い!」

アシュタルが拳に力を込めて言った。

アリーも同じ思いではある。

 

ムハンマドの教義は信徒同士を家族とする。

その家族の中で騙し合いすることなど、あってはならないはずだ。

 

だが、これ以上の権力闘争は避けなくてはならない。

それこそムハンマドの意思に背くことだろう。

アリーは唇を噛んで気持ちを圧し殺した。

 

「落ち着け、アシュタル。アブー・バクルはそんなに悪い男じゃない。」

「でも、お前を陥れたじゃないか」

「問題は誰が預言者代理(カリフ)になるかじゃない。ムハンマド亡き後、我々ムスリムがどのように歩んでいくか、それが問題だろう?」

「アブー・バクルにその方法が示せるとでも?」

「それができるかどうか、見てみようじゃないか。」

「では、もし、アブー・バクルの統治がムハンマドの意思に逆らうものであったなら…?」

 

「その時は…いや、そうならないように、まずはアブー・バクルの健闘を祈ろう。」

 

---------------------

 

ムハンマドというカリスマを失った直後の混乱期であったことを考えれば、アブー・バクルの統治は満点に近いものだった。

 

ムハンマドの死後、イスラム共同体(ウンマ)の領土にはムハンマドの後釜を狙ってか預言者を自称する者が乱立し、武装蜂起が多発した。

 

アブー・バクルはまずこれらの反乱に対処しなければならなかった。アブー・バクルの側近にはこれだけの反乱に対応できる者がいない。

 

ウンマの中で優れた将軍といえば、真っ先にアリーが浮かぶが、アブー・バクルは彼を起用しなかった。

このタイミングでアリーに戦力を持たせることを嫌ったのだろう。

 

仮に反乱が頻発する最中、アリーまでもが反旗を翻せば、アブー・バクルはひとたまりもない。

 

アブー・バクルの性格上、アリーの人間性を疑っている訳ではないだろうが、それでもアリーにはそれを起こすだけの動機と実力がある。

だから、アリーに兵を預けることはできない。

 

そこで、アブー・バクルはハーリド・イブン・アル=ワリード将軍を起用した。

彼は元々クライシュ族の将軍でメッカとメディナの戦争中には何度もアリーやムハンマドと交戦し、苦戦させた。

謂わば、ウンマの将軍たちのライバルのような男だ。

ムハンマドがメッカ入城を果たすと、彼は改宗しイスラム陣営の将軍になっていたが、その過去故に人望がある方ではない。

 

アブー・バクルは彼を

「実力はあるが、兵からの信頼に欠けて反乱を主導できる人物ではない」

と判断して起用した。

 

そして、その采配は見事にあたった。

抜擢に奮起したハーリドは兵を鼓舞して、次々に内乱を鎮圧。

それにより、アブー・バクルの時代、ウンマはアラビア半島を再統一することに成功した。

 

 

更にアブー・バクルの功績をもう一つ挙げるなら、聖典(クルアーン)の編纂を始めたことであろう。

 

当初、ムハンマドの教えは彼が文盲であったことから文書として書き残されることはなく信徒たちの暗記によって記憶され、口伝されていた。

そんな中、度重なって戦いが起こり、ムハンマドの教えを暗唱できる人材が数多く失われてしまった。

 

そこで、アブー・バクルはムハンマドの個人秘書を務めていたザイド・イブン=サービトに命じてイスラムの教えを一冊の経典としてまとめることにしたのだ。

 

結局、制作には長い月日がかかり、完成するのは第3代カリフの時代になるが、それでも、この事業を開始したアブー・バクルの功績は大きい。

 

この時から、今日まで、このクルアーンはムハンマドの言葉そのものとして扱われることになる。

これによって、ムハンマドの教えは読む者によっての解釈の違いをはらみつつも、しっかりと今日に伝わることになったのである。

 

このように、アブー・バクルの統治は善政であった。

 

アリーもそれは感じていたようで、三大派閥の内の一角・ウマイヤ家の長でナジュラーン知事であるアブー・スフヤーンがアブー・バクル打倒の為の同盟を提案してきた際には

「全イスラムの為に全力を尽くすアブー・バクルを倒すため、改宗の遅れたあなたと同盟するようでは信義がたたない」

とこれを一蹴している。

 

 

だが、そんなアブー・バクルの治世は彼の病死により、たったの2年で終わりを迎えた。

アブー・バクルはムハンマドと同世代の友人である。カリフになった時点で、いつ体調を崩してもおかしくない年齢ではあった。

だが、ウンマ全体のことを考えた時に、それはあまりにも早い死であった。

もしかすると、偉大な友の後を継ぎ共同体を支えることへのプレッシャーが彼の死を早めたのかもしれない。

そう考えると、いかに善政を敷こうが、彼に指導者としての器はなかった、とも言える。

 

--------------------

 

2代目のカリフは、アブー・バクルの遺言によって決まった。アディー家のウマルである。

 

初代のアブー・バクルがハッキリと意思表明していた為、後任者の選定自体はすぐに終わったが、その情報が公表されるのと同時にウンマの内部からは多くの不満が聞こえてきた。

 

その理由の一つは、ウマルが支持基盤とするクライシュ族有力家系、アディー家やウマイヤ家そのものに対する不信だ。

 

クライシュ族有力家系の中には、ウマルやウスマーンなど、ヒジュラ以前の時期からイスラムに入信している者もいたが、それらの家系の本体は長らくウンマと敵対関係にあった。

 

ムハンマドはメッカに入城した際にこの地域で慣習になっていた「血の報復」の制度を改めてクライシュ族の者たちを許したが、それ故に彼らは力を失わずいまだ強い勢力を保っている。

 

今ではアディー家やウマイヤ家の者たちもほとんどが改宗してムスリムになっているが、きっと腹の中では面白くないに決まっている。

 

そんなウンマの人々が抱く疑いがウマルに対する不満に繋がっている。

 

そしてもう一つ、ウマルのカリフ就任が不安視される要因は、彼自身の苛烈な性格だ。

名家の貴公子として生まれた彼は、自分の考えや行動に対して疑問を持つということを知らない。

彼の考えでは、自分はいつも正しく他人の間違った行動を正すためなら、正義の為にどんな残忍なことをしても構わなかった。

それ故に、ウマルがムハンマドの教えを受け入れてイスラムに改宗した時、その報せは驚きをもって伝えられたが、それ以降、彼の行動は激しさを増した。

 

行動のエネルギー源を自分への自信からムハンマドの宗教への狂ったような信仰心に変えた彼は行動原理に対する更なる確信を得たが如く暴れまわった。

 

ウマルと対メッカ戦争で共に戦った者たちは彼が戦場でどれだけ残忍な振る舞いを見せたかを知っている。

味方ならば頼もしいが、それが、敵となったらどうなるか。

既にメッカ有力家系の後ろ楯を持つ彼に更なる権力を握らせるのは危険である。

そう考える者は多い。

 

その功績からムハンマドはウマルを高く評価したが、彼の苛烈さを抑え上手く使えるのもまたムハンマドだけだった。そのムハンマドがいない今、一体、誰がウマルを制御するのか。

 

そうだ、アリーがいるじゃないか。

それがウマルに対する反対派の人々に浮かんだ答えであった。

 

ウマルに匹敵する武勇を持つムハンマドの義兄弟。

彼にはウマルにはない公平さと人望がある。

そもそも、初代のカリフからしてアブー・バクルなどではなく、彼こそが相応しかったのだ!

 

そんな想いからアリーの下に詰めかけた人々の内、ある者は

「皆の意見を聞かず、アブー・バクルの遺言だけで決められた後継者は無効である。公平な選挙で決め直すようクライシュ族有力家系の連中に訴えるのだ!」

と言い、またある者は

「これはアディー家による簒奪である。今すぐ決起して奪われたカリフの座をムハンマドの一族の下へ取り戻すのだ!」

と言った。

 

アリーとて、この相続に対して言いたいことはある。

アブー・バクルは律儀な男であった。だからこそ、アブー・バクルは自身のカリフ就任に大きな役割を果たしたウマルへの恩義を忘れず、彼に後任を託したのであろう。

だが、そうだとすれば、それは本当の意味での律儀さ、誠実さなのだろうか。

ムハンマドの後継者が果たすべき信義とは、自分の個人的な地位向上に貢献してくれた人物に対して便宜をはかることではなく、開祖の教えをひたすらに守り抜くことではないか。

 

そういう意味で、アリーはアブー・バクルの行動に疑問を懐かざるを得ない。

 

とは言えど。

だからと言ってウマルにカリフの資格がないとは言いきれない。

アリーはそう考えていた。

 

気性の荒らさはあれど、ウマルには能力と強い信仰心がある。

もしアブー・バクルがウマルのそうした部分を重要視して高く評価していたのだとしたらどうか。

必ずしも私情によって決まった後継者だとは言えないだろう。

 

だからアリーはここでも過激な行動に走ろうとする者たちを諌めた。

 

そんなアリーを見て、一部の者は彼の下を去った。

 

「アリーはいつも如何にも正しいようなことを言うが、結局のところムハンマドの教えが犯されそうになっても行動を起こそうとしない臆病者じゃないか」

と言うのが彼らの言い分だ。

 

アリーのことをよく知る者は

「彼らこそアリーの深い考えを理解できない愚か者だ」

と憤ったが、結局のところ、それがアリーの限界でもある。

 

集団のトップに立つ者は、常に自分の立場を明確にしなければならない。そして、懐いた考えの為に、時には迷っている人やどっちつかずの人を説得し、時には敵対する者を排除する。

そうして、集団を目的の達成へと導く者こそが、真の指導者なのだ。

 

アリーの人間性はそうではなかった。

彼は、自分の立場だけではモノを考えない。

 

自分の立場、相手の立場、周囲の環境、神の理…。アリーは、森羅万象を包括した上で物事の答えを出そうとする。

 

そして、敵対するかもしれない相手に対しても決定的に対立する前に、時間をかけて、その考えの深淵を探る。

 

アリーの生き方、考え方は指導者というよりも、哲学者に近い。

 

どちらが、良いとも悪いとも言えない。

だが、如何に崇高な考えを持っていようが、闘争に有利なのは、圧倒的に指導者の才がある者なことは、明らかである。

 

---------------------

 

アリーの見込み通り、ウマルの治世はそんなに悪いモノではなかった。

 

ウマルは持ち前の武勇を生かして多方面に遠征軍を派遣。

近隣の強国ササン朝やビザンツ帝国を散々に撃ち破り、東は現在のアフガニスタン、西はアルジェリアにまでウンマの領土は拡大した。

 

ウマルはまだ若い。

このままウマル統治の下、ウンマも安定するかと思われたが、彼の治世の終わりは突然やってきた。

 

644年11月、ウマルはメディナのモスクで礼拝をしている最中に、ペルシア人の奴隷によって刺殺された。

殺害の動機は個人的な恨みであったという。

結果論、彼の苛烈な性格が祟ってしまったということだろう。

 

ウマルはすぐには死なず、襲撃の後、3日ほど生きた。その間、彼は後継者について次のように遺言した。

 

選挙を行い

ウスマーン、

アリー、

タルハ・イブン・ウバイドゥッラー(アブー・バクルの従兄弟。以下、タルハ)、

アッ=ズバイル・イブン・アル=アッワーム(アブー・バクルの娘婿。以下、ズバイル)、

アブドゥッ=ラフマーン・イブン・アウフ(初期信者。将軍)、

サアド・イブン・アビーワッカース(ウマル忠臣。将軍)

の中から次期カリフを選出するように。

 

そうして、第3代カリフになったのはウスマーンであった。

 

アリーも最後の候補にまで残っていたが、最終的には落選した。

 

ウマイヤ家やアーイシャによるアリーへの反対運動があったのは確かだが、何よりも、それらウンマ有力者たちによる政治的活動を目の当たりにしたアリーは彼らとの権力闘争に嫌気がさしていた。

 

この頃になると、アリー自身、カリフ就任に積極的ではなかったのである。

 

穏和なウスマーンが当選したのには、先代カリフの苛烈さへの反省もあっただろう。

だが意外にもウンマの政治は彼の代から乱れる。

ウスマーンがウンマ内の要職をウマイヤ家の一族で固め始め、更には彼らに国庫から報酬を渡すようになっていったのだ。

 

その気性から多くの者に警戒された2代目カリフのウマルだが、実のところ、彼は非常に平等な男であった。誰に対しても等しく傲慢だったのである。

 

だから、ウマルはアディー家の者が職の斡旋などを求めてきても

「お前たちはムハンマドの教えを信じようとしなかったじゃないか。戦で負けてようやく預言者の正しさに気づいたようだが、私に言わせれば遅すぎる。本来、一族まとめて殺されても仕方のないところを預言者の慈悲によって生かされていることを忘れるな! 愚かしい不信心者よ、お前たちは一生栄達など望まず、いち早く教えに目覚めた者に従って慎ましやかに生きろ! この大バカが!!」

といった主旨のことを言って追い払っていたのである。

 

だが、ウスマーンは違った。

彼は穏和過ぎた。臆病であったと言い換えてもよい。

 

ウスマーンはウマイヤ家の人々の頼みを無視することで、自らの支持基盤を失うことを怖れた。

また、そこから転じて人に恨まれてウマルのように暗殺されることを怖れた。

その結果、ウスマーンは最も怖れて逃れようとした結末を迎えた。

 

656年6月。

ウマイヤ家の専横に不満を懐いたウンマの兵たちがカリフの交代を求めてウスマーンの邸宅を取り囲んだのだ。

 

この事態に、教友たちはアリーに対して兵の説得を依頼した。

アリーはこの時既に56歳。

 

表舞台に立つことよりも、宗教家として敬虔に暮らすことを望んでいたが、権力欲にまみれた者には到底任せられない仕事である。

 

アリーはまず兵士たちに対しては、

「ウスマーンに改革を約束させるので、そのあかつきには彼を解放するように」

と説得した。

 

そして、次にウスマーンの下を訪ねて専横を非難し、

「兵たちの前でこれまでの政治を改める旨を誓うのだ」

と助言した。

 

だが、恐怖におののくウスマーンはアリーが指摘する事実をなかなか認めようとはしなかった。

 

非があれば殺される。だからそれを認める訳にはいかない。

彼は、どうやらそんな精神状態に陥っていたらしい。

 

「私の心に一切の私心はない! ずっと、ずっと…私は誰よりも長くムハンマドの教えの信奉者だった! それは、お前も知っているだろう!」

 

ウスマーンは部屋の隅で身を屈めながら叫んだ。

80代に突入しイスラムの長老となった男が恥も外聞も捨てて必死になる姿が、アリーの目には非常にみすぼらしいモノに見えた。

 

これまでアリーはウスマーンのことを頼りにしたことはなかった。だがそれでも、それなりに親しみを持って接してきたつもりであった。

彼は人として悪い人間ではないのだ。

 

しかし、アリーは今のウスマーンに対しては軽蔑に近い感情を覚えている。

 

それでも、なんとか彼が我を取り戻せるように、落ち着いた声を作って言った。

 

「ウスマーン、貴方なりに何か考えがあったのかもしれないが、結局のところ貴方の人事は皆の支持を得られていないんだ。それを改めると誓わなければ、彼らは矛をおさめない」

「私の人事…ウマイヤ家の者を重役につけたことか?」

「そうだ。彼らはそう言っている」

 

「それをしたのは…私だけじゃない…。」

「と、いうと?」

「そうだ、ムアーウィヤ…ムアーウィヤをシリアの総督(アミール)にしたのはウマルだぞ! アイツだって有力家系に贔屓をしているじゃないか! なのに、何で私だけこんなメに遇うんだ!」

 

ムアーウィヤというのは、ムハンマドに最後まで反対したウマイヤ家の中心人物アブー・スフヤーンの息子である。

ムハンマドがメッカを征服した後、降伏した父にしたがって教徒になったが、彼が心の底でムハンマドの教えを信じていないだろうことは明白であった。

 

彼がシリア総督に就任した時、多くの信徒から反対意見があったことはウスマーンが指摘する通りである。

実際、最近、特に専横が激しいと信徒たちの間で噂されている。

ムアーウィヤはウマルのアディー家の者ではないが、支持基盤となるクライシュ有力家系の出身者ではある。

 

ウマルだって自己利益の為の人事を行っているではないか。

自分だけがこうなるのは不公平だ。

 

そう言いたかったようだ

「確かに、彼は清廉潔白とは言えない…。」

「そうだ、そうだろう!?」

 

「だが実力はある。実際、他国との戦争では武功を立てているだろう? つまり、ウマルの判断は正しかったということだ」

「なら何で、私が同じようにムアーウィヤを使うと兵士たちは文句を言う! 私は彼を使い続けているだけなのに、何故だ!」

「ウマルはしっかり彼をコントロールした。禁じられた行為をすれば説教し、厳しく処罰していた。あなたの場合は親族を贔屓するあまり、共同体が弱くなった。事実、ムアーウィヤが横暴を働くようになったのはウマルの死後、貴方がカリフとなってからだ」

「でも、そうするしか…そうするしかなかったんだ…奴ら逆らえば何をするかわからない!」

「今こそ、それを改めるんだ」

 

「だけど、それをしたら殺される…! 私のしていることはウマルとそんなに変わらないはずなんだ!」

「もし、そうだとしても、ウマルだって殺されただろう!」

アリーがそれを言うとウスマーンは沈黙した。

 

そして、しばらくしてから

「私はどうすればいい?」

とアリーに尋ねてきた。

 

「私はウマルの治世が悪政だったとは思わない。だが、彼は殺された。彼は常に自分が一番で人の心を見ず、能力しか見なかった。だから、その因果で殺されたんだ。」

「嫌だ! 私は死にたくない!」

 

「ウスマーン、ムハンマドの教えに立ち返ろう。共同体(ウンマ)は家族だ。誰かだけが得をして誰かだけが損をするようではいけない。誰かだけが思いやられ、誰かだけが見捨てられるようでもいけない」

「家族…」

「ウスマーン、自分の心に従い成すべきことを成すべきだ。正しいことをする者を(アッラー)は見捨てない」

 

ウスマーンは、アリーの説得に応じ、邸宅を取り囲んだ兵士たちに対して政治の改善を誓った。

 

詳しい演説の内容までは伝わっていないが、それは感動的なモノであったという。

ウスマーンは泣いていた。彼の言葉を聞いた多くの民衆たちも泣いていた。

 

だが、ウスマーンはそれを数日で取り消すこととなった。

騒動の内容と結末を知ったシリア総督のムアーウィヤやウスマーンの個人秘書兼見張り役だったマルワーンというウマイヤ家の若者が発言を撤回するよう圧力をかけてきたからだ。

すっかり弱気になっていた哀れな老人ウスマーンは彼らの言うがままになった。

 

そして、民衆は再びウスマーンの邸宅を囲んだ。

先日の誓いが感動的なモノであっただけに、裏切られた時の怒りも凄まじいものだった。

 

そして、今度はウスマーンがどう弁明しても民衆たちは聞く耳を持たなかった。

兵士たちはウスマーンの邸宅に押し入り、彼の身体を切り刻んで殺した。

なお、一番最初に彼に斬りかかったのはアブー・バクルの息子ムハンマド・イブン・アビ・バクルだったという。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その4 ~アーイシャ、立つ~

ウスマーンが死んだ後、支持者たちが一斉にアリーの下へ押し寄せた。アリーにカリフ就任を求める為である。

 

アリーは彼らの求めを固辞した。アリーが最早政治には興味がなく、一宗教家として生きることを望んでいたことは前述した。

また、ウスマーンと反乱者との折衝に失敗したこのタイミングで自らがカリフの地位につくことは信義に反するとも考えていた。

 

そんなアリーに古くからの親友マリク・イブン・アシュタルが語りかける。

 

「卑怯だぞ、アリー!」

「卑怯とはどういうことだ?」

「ウスマーンはお前のせいで死んだ。」

「それは…」

 

「いいか、オレはお前が反乱者の説得に失敗したことを言っているんじゃない。だが、そもそも、カリフには預言者に最も近いお前がなるべきだったんだ。 お前が責任から逃れ、隠遁し、自己満足の信仰を続けているから、俗物が権力を握り、挙げ句、信徒の血が流れるんだ! やれ、アリー! もうお前がやるしかないんだ!」

 

アシュタルの言うことは、尤もだった。

アリー自身、ウスマーンに自分の成すべきことを行えと説教した以上、自らもそのように振る舞わなくてはならない。

 

アリーはようやく首を縦に振った

「アシュタル、お前の意思はわかった」

「では、カリフになるんだな!」

「だが、それを私とお前だけで決めることはできない…」

「じゃあどうする? ムアーウィヤにでも相談するかい?」

 

アシュタルがウマイヤ家当主の名前を出すと、アリーは苦々しい顔をした。

 

「これまでの成り行き上、彼らとは敵対せざるを得ないだろうな。」

「じゃあもう反発されるのは覚悟して、この場で勝手にカリフを宣言するしかないだろう?」

「いや…タルハとズバイルの話を聞きたい」

 

アリーが名を出したのは、初代カリフのアブー・バクルに近い2人である。それぞれタルハはアブー・バクルの従兄弟、ズバイルは娘婿であり、前者は商才、後者は武勇に恵まれた有力な信者であった。

 

要するに、アリーの考えは、ウマイヤ家との敵対は避けられないがアブー・バクルの派閥は味方につけたい、ということだった。

 

前出したが、この時、ウンマ内の有力派閥が3つあった。

 

まず一つはアリーの派閥。

これは、かつてムハンマドを有したハーシム家に加えて、アリー個人を慕って集まってきた人々…特に聖遷(ヒジュラ)以降メディナで信者になった者を中心としている。

既にウンマが巨大化してから信徒になった者たちはムハンマドを直接知らないから、教友の中でも預言者に近いアリーを尊敬の対象にした。単純な信徒の数で言えば最も多いが、ただ純粋に教えを学びたいという人が多い為、戦いになった場合の動員数や戦闘力はそう高くない。

 

次にウマイヤ家の派閥。

この時期になるとウスマーン政権下での専横でウマイヤ家が断トツに力をつけていたが、要するに元のメッカ有力者の派閥である。ムハンマドとは対立して戦闘を繰り返したが、メッカ征服後、命を助けられる代わりに改宗した者とその子息たちが中心となっている。

それでも若い世代にはイスラムの考え方が根づいているが、元が半強制的に改宗に応じた者の集団なので、基本的に信仰心は薄い。ムアーウィヤを筆頭にカリフの座を狙う者も多いが、それはかつてこの派閥から出たウマルの様な、自らが最も敬虔な信者である、という自負からではなく、既に既得権益化したその地位を狙って、という側面が強い。

ウマルやウスマーンが彼らを周辺国との戦闘に使っていたので、戦闘経験豊富な集団でもある。

 

そして、最後にアブー・バクルの派閥だ。

元はムハンマドの親友にして秘書官、その後は初代カリフになったアブー・バクルを中心とした集団だが、彼はもういない。それが今日まで一定の勢力を保つのは、彼の娘で事実上ムハンマドの正妻であったアーイシャが大きな影響力を持って健在だからだ。

つまりは、外戚勢力。今はアブー・バクル派というよりタイム家(彼らの出身家系)の派閥と言った方が良いだろう。

数は多くないが古くからの教友が多く、タルハとズバイルもそれぞれその一人である。

 

「タルハとズバイルなら、来ていたぞ!」

集まった群衆の中から誰かが叫んだ。

 

すると、人波をかき分けてアリーのいる場所へ進み出て来る者がいた。話題の人、タルハとズバイルである。

2人ともアリーより少し年上でこの時60代に差し掛かっていた。

 

ウェーブのかかった髪で涼やかな目元をしているのがタルハ。

若い頃はイケメンとして有名で、禁欲的なイスラムの信者でありながら数々浮き名を流した。サフラン染めの服を着て右手の中指に金色の指輪をしたお洒落な格好にプレイボーイの名残がある。

 

その隣がズバイル。目が小さくのっぺりとした顔立ちだ。

優柔不断な性格が顔に出ている、という風によく人から言われているが、本人もそれは自覚しているようだ。

エジプト征服の戦功により当時のカリフ、ウマルから総督に任じられた際、

「自分は命じる側であるより命じられていた方が本領を発揮できるから」

と断固拒否したのは有名だ。

そんな男が戦場では魔王のように強いのだから面白い。

 

武勇に優れるが陰気で無口なズバイルと荒事は苦手だが社交的で交渉事が得意なタルハ。彼らはいつも2人組で行動して弱点をカバーし合っている。

 

「お前たち、何のためにこんなところにいる!」

アシュタルがただでさえ厳つい顔を最大級に歪ませながら言った。他派閥に属する2人が支持者に紛れてアリーの邸宅にいることを警戒しているのだ。

 

「何のためって…なぁ…」

ズバイルがタルハに目配せする。

彼はこういう場面で何かを言える人間ではない。

この場はタルハに任せる。

そういう意味だ。

 

「何のためって人聞き悪いなぁ。」

「だが、怪しいじゃないか。支持者の中に隠れて盗み聞きしてたんだろう」

 

アシュタルは鋭い眼光をタルハに向けた。

愚直なアシュタルからすると、タルハのような男は軽口で相手を丸め込もうとする油断ならないタイプなのだ。

タルハはアシュタルに両手のひらを見せて敵意がないことを示す

 

「オイオイ、それはヒドイ誤解だな。俺たちは支持者の中に隠れてたんじゃない。」

「じゃあ何してたんだよ」

「支持者が支持者の群れの中にいて何が悪いんだ?」

「つまり…?」

「俺たちもアリーのカリフ就任を支持するってことさ」

「そんなバカな…!」

 

タイム家の派閥に属する教友の発言にアシュタルは驚いてしばらく言葉を失った。

タルハとズバイルもカリフの有力候補であった。もし、タイム家が政権奪取できるなら、それも現実のモノになるであろう。その彼らが権利を放棄してアリーを支持するという。

 

アリー本人も意外に思った。

そして、彼の真意を知るために次の言葉を待った。

 

「そんなびっくりしなくてもいいだろう?」

「だが、お前たちの後ろ楯…アーイシャはアリーを嫌っているはずだ」

 

アシュタルは混乱しているようで、やや早口であった。

 

「鋭いね、さすがアシュタル将軍。嘘をついても信用を失うだけだから言うが、実は、この事はアーイシャにはまだ言っていない。」

「なるほど。お前たちの独断という訳か。」

 

 

それならまだ納得できる。そういう意味でアシュタルとアリーは目を見合わせた。

 

「俺たちの仲間には…何だその、カリフになれる人間がいないんだ」

「お前たち2人のどちらかじゃダメなのか?」

「バカ言っちゃいけない。と、いうかバカにしてんのか?」

「何がだ?」

「俺にもズバイルにもその器はない。お前たちもそれはよくご存知なはずだ。」

「…すまない。自覚があるとは思っていなかった」

 

「まぁ、いいさ。自覚してるってことは、俺たちはお前らが思っているよりずっと賢いということさ。どうだい、見直したろ?」

 

タルハはわざと明るく言ってから、ややトーンを落とした。

 

「まぁ、アーイシャが男であったらな、と思ったことはあるよ。それだったら俺は彼女を推しただろう。」

 

「で、お前たちがアリーを支持するのは何故だ? 自陣営に候補者がいないのはアリーを支持する理由にはならない。他の人間を支持したっていいし、静観を決め込んでもいい。色んな方法があるはずだ」

 

「なに、ウマイヤ家にカリフの座を渡したくないだけさ。」

「お前ら、アイツらのことそんなに嫌いだったか?」

「勿論。て、いうか敬虔なイスラム教徒なら奴らのことは嫌いであるべきだ。アイツら、ムスリムじゃない。」

 

タルハが言っているのは、ウマイヤ家の派閥を構成するメッカ有力者たちのほとんどが、ムハンマドのメッカ征服の後に改宗したという事実についてだ。

 

「慈悲深い預言者は彼らのことを許したが…正直、俺はあの時、彼らをメッカから追い出すべきだったと思う…。」

 

寛容性を重視するアリーはその話に賛同しないだろう。そう思い、アシュタルはアリーの顔色を窺ったが、彼はまだ真剣な顔をしてタルハの話を聞いている。

今のところ、同盟を破談にする程の意見の相違ではないということだろう。

タルハは更に熱を込めて話す。

 

「最悪、コッチの邪魔さえしなければ、信仰がカタチだけになるのはいいさ。敗れたとはいえ、奴らにだって信じるモノくらいあるだろう。だが、俺たちが気に入らないのは信仰心もない輩が権力だけを求めてウンマを私物化することだ。」

「つまり、ウマイヤ家…ムアーウィヤよりはアリーの方がいいってことだな?」

「その言い方だと好感度が悪いな…まぁ、今いる候補の中で一番才覚があって道徳的だからアリーを支持するってことさ」

 

「どうする、アリー?」

アシュタルはそこまで聞いてからアリーに問うた。

彼はコクりと頷いた。

「わかった、協力しよう。そもそも私たちはアーイシャの不義の件で仲違いがあっただけで(アッラー)を信じる心は同じはずだ」

 

---------------------

 

アリーに対する忠誠の誓い(バイア)を行ったタルハとズバイルはアーイシャの家へ足を向けた。

歩きながら、まずズバイルが言った。

 

「いやぁ、それにしてもアリーがカリフになってくれて本当に良かったよ」

「ああ。ホントにそうだな。二代連続で暗殺だものな。」

「あれだけの重責を背負いながら、恨まれて殺される…。」

「割に合わない仕事だよ。カリフってのはさ」

 

「やっぱり、権力は程よく持つに限るよ。」

「ああ。甘い汁だけ吸わせてもらって責任をとらないポジションこそ最高だ。」

 

2人がそんなことを言いながら、アーイシャの家を訪ねると、彼女は扉の前で腕組みをしながら待っていた。

そして、2人を激しく睨み付けて言う。

 

「アリーがカリフになったというのは本当ですか!?」

もう知っているとは。何たる地獄耳か。

2人は驚いた。

 

ズバイルがまたしても固まってしまったのでタルハが答えた。

 

「ああ。その通り。今、新カリフに忠誠の誓い(バイア)をしてきたところさ」

「何故?」

「何故、というと?」

「何故、アリーなどをカリフと認めたのですか?」

 

「そりゃあ、アリーがカリフに相応しいと思うからさ。アリーは人望があるし、信仰心も人一倍だ。」

「ウンマの中に人望と信仰心がある者はアリーだけなのですか?」

「難しい質問だな、お前が何を言いたいのか、さっぱりわからない。」

 

アーイシャはそこで急に大声を出した。

 

「どうして! あなた方は自分こそが一番の信仰者であると思わないのですか! 信仰に対して一心不乱に取り組んでいたら、誰もが自分が一番であると思うはずです! なのに、何故あなた達はそれを言えないのですか!」

「アーイシャ、何を言う。俺たちだって(アッラー)の教えに真摯に向き合ってきた。だが、謙虚さは大切だ。アリーを認めて何が悪い?」

 

ここまで来て、やっとズバイルが口を開いた

 

「そうだ、アーイシャ。お前の言っていることはメチャクチャだ。みんなが自分を一番の信仰者だと思ってカリフになりたがったら大変なことになるぞ!」

「それでも私は私が一番の信者であると証明したい!」

 

2人はアーイシャの発言を聞いて顔を見合わせた。

そして、タルハはおそるおそるゆっくりとアーイシャに問いかけた

 

「アーイシャ、お前…まさか、自分がカリフになろうってんじゃないよな…?」

「なりたいですよ!」

と吐き出すように即答したアーイシャを宥めるようにタルハは続けた。

 

「アーイシャ、それはいけない。」

「何故?」

「神の言葉だ。お前も知っているだろう。『女は従順に、夫の不在中を守る。』だ」

 

「それは知っています。」

「ならカリフになるなどと望んではいけない。大人しく…」

「嫌ですよ。正しくは『男は女の擁護者である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に不在中を守る。』でしょう?」

 

「少し省略しただけだろう、何が違う!? お前は暗記力比べでもしたいのか!?」

「見解に相違がありますね。」

「どういうことだ?」

 

「神は、男が女の庇護者になるから、庇護される者は従順に家を守れと仰っているのですよ。でも、今の私が誰に庇護されていると言うのでしょう。」

「それは…」

「私はムハンマドの妻ですが、彼はもう亡くなって、私に庇護者と呼べる人はいない。そして、今の私には財と影響力がある。その気になれば、むしろその辺のオッサンより余程多くの者を養うことができるし、より多くの兵を集めることもできるのですよ。」

 

「わかったけど、しかし、お前はカリフなんかになってどうするつもりなんだ!」

「決まっています。ウマイヤ家を打倒して神の正しい教えを守るのです!」

「そんな面倒で危険なこと…アリーに任せておけばいいんだよ!」

 

タルハの口から本音がこぼれたところで、アーイシャは顔と頭を布で覆って表に出た。

 

「アーイシャ! どこへ行くつもりだ!」

ズバイルが叫ぶとアーイシャは留まっていたラクダに跨がり言った。

 

「ムハンマドの教えを自ら身をもって成す者こそが真の信徒です! 私はそれを人任せになどしない! 私は支持者を募ります。もし、自分が正しい人間であるという自負があるなら、あなた達もわたしについて来なさい!」

 

ラクダを走らせたアーイシャを追うようにタルハも走り出すが、ズバイルがそれを引き留めた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

「何だよ!」

「どこへ行くんだ!」

「知らん! アーイシャの行くところに着いていくんだよ!」

「それは、アーイシャを支持するってことか? 俺たち、アリーに忠誠を誓ってしまったぞ!」

「あぁ!? 俺があのじゃじゃ馬を支持するかどうかはわからん!」

「えぇ!?」

「だが、俺は勝ち馬に乗りたい! あのアーイシャが、ムハンマドの妻が動くんだ。情勢がひっくり返るかもしれん! 俺はアーイシャに賭けるぞ!」

 

そう言い、タルハも急ぎ小屋にいたラクダに乗って駆けて行ってしまった。

 

「そんなぁ…」

置いてけぼりになったズバイルも少し遅れてラクダを確保し、2人の走り去った方向へと向かっていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その5 ~ラクダの戦い~

アリーはカリフ就任後すぐ、現在のイラクにあるクーファに居場所を移した。この地はウマイヤ家に軍事基地として利用された重要都市だが、彼らの支配が暴政であった為にウマイヤ家に反発する者が多かった。

ここを拠点に軍団を作り、ムアーウィアの本拠地であるダマスカスへ向けて進軍しようという算段である。

 

そのクーファから500㎞ほどの距離にある軍事都市バスラが敵軍に奪われた。

アリーがその知らせを受け取ったのは656年12月のことだ。

 

しかも、相手はアリーが敵であると認識していたウマイヤ家の手の者ではなく、アーイシャ、タルハ、ズバイルからなるタイム家派であるとのことだった。

 

その報せを聞いたときアシュタルは

「あのお調子者どもめ! やっぱり裏切りやがったか!」

と足下にあった物を全て蹴飛ばしながら怒ったが、アリーはただただ彼らの行動に驚いて絶句した。

 

アリーの考えでは、一度忠誠の誓い(バイア)を行った者が、その対象に反旗を翻すことなどあり得ない。

一度、公に自らの意思を表明した以上、こんなにも早く態度を変えるなんて、恥ずべきことなのだ。

もしも、彼らが権力欲しさにこんなことをしているなら逆効果だ。

集団の長とは最も倫理的に優れた者がなるべきモノで、このような行いは自ら地位を手放すことと同義である。

 

尤も、タルハやズバイルの考えはそうではないし、アシュタルは遺憾にもそういう人間がいることを知っているから彼らを疑っていた訳なのだが、とにかくアリーの考えではそうなのだ。

 

アリーには何が何だかさっぱりわからない。

しかも、アーイシャらは兵を集める際の大義名分として「ウスマーン暗殺に対する血の復讐」を喧伝しているという。

 

確かにアリーはウスマーン暗殺犯たちの罪を不問にした。

それだけを見れば、アリー自身もウスマーンの暗殺に何らかの関与があったと疑われても仕方がないのかもしれない。

だが、それは襲撃に参加したアブー・バクルの息子、ムハンマド・イブン・アビ・バクルの命を助ける為に行ったことだ。

それはつまり、アーイシャらアブー・バクルの派閥との同盟の為でもある。それなのに彼女らはウスマーン暗殺への報復を名目にアリーの打倒を進めようとしている。

 

何たる裏切りであろうか。

アリーの頭の中をそのような考えが駆け巡ったが、それでも彼はそれを言葉として発することはなかった。

そんな浅ましいことをする人間がいるはずがない。

アリーの根底にあるそんな考えが、彼らを悪人と断ずることを妨害していた。

 

だが、事が事がである以上、事態には対応するしかない。

アリーはウマイヤ家に対抗するために集めた自分の軍に命を下し、バスラ方面へ向けて出発した。

 

---------------------

 

アリー軍とタイム家の軍はバスラ郊外のワーディー・サブアで対峙した。最終的な軍事衝突を避けるため、両軍の大将と副将は互いの陣の中間にある砂漠地帯で会見を行った。

 

「タルハ、それにズバイル! 忠誠の誓い(バイア)しながら裏切るとは何事だ! 恥ずかしいとは思わないのか!」

 

ラクダの上からアリーが叫ぶとタルハが応じる

「アリー! お前に誓った忠誠は強制されたものだ! ムハンマドの妻、アーイシャ様と初代カリフ、アブー・バクル様の血縁たる我らが貴様などに心から忠誠を誓うはずがないだろう! よって裏切った覚えなどない!」

 

「なんと下劣な!」

と思わず口走るアシュタル。

気持ちは同じであったが、アリーは彼を制して言った

 

「タルハ、それはお前らしくない。いや、ムスリムらしくないと言うべきか。」

「何だと!?」

「お前は強制されたら、正しくないことでも受け入れてしまうのか? 我々、イスラムの信者はそうではなかったはずだ。始めにムハンマドが教えを説き始めた時、メッカの人々は皆、彼を嘘つき呼ばわりした。しかし、私たちはバカにされようが、迫害されようが、神の教えの正しさを信じて今日まで戦い抜いてきた。だからこそ今があるのだ、違うか!」

 

「それは…」

「ずっとムハンマドの魂と共に戦ってきたお前たちが、強制されたから妥協してバイアを行ったというのか!? 自分の意思に反する行いをしたと言うのか!? 今の発言は嘘だと言え、気の迷いだと言え、今ならまだ引き返せるぞ!」

「だが、だがオレは…戦うぞ…」

 

タルハが言い返せなくなっているようなのでアリーは

「ズバイル!」

と叫び、今度は彼に語りかけた。

 

「ズバイル、さっきから黙っているが、お前はどう思っているんだ。」

「オ、オレか!?」

 

ズバイルが驚いて急に背中をピンと伸ばしたので、手綱をひかれたと思ったラクダが足ぶみを始めた。ズバイルは慌ててラクダの胴をさすってそれをなだめる。

ラクダが落ち着くのを待って、アリーは言う

 

「そうだ。兵を率いるのはお前だろう? 直接戦う人間の話も聞いておきたい。」

「オ、オレは上に従って戦う。これまでもずっとそうだったからな!」

「では、今のお前にとっての上とは誰だ?」

 

「何…どういうことだ?」

「なるほど、お前は今まで長い間自らの主に忠実に働いてきた。それは私も認めるところだ。」

「そうだろう!」

「しかし、今、お前の主は誰なんだ? 過去にはムハンマドやアブー・バクルであったのかもしれない。だが、彼らの死後は? 誰に従う?」

 

「だ、誰と言われてもだな…そう簡単に決められることでは…」

「バイアしたのだから、私に従うべきではないか?」

「そ、それも一理あるにはあるが…」

「仮にお前が私をカリフとして相応しい人間だと思わないなら、まぁ、それでもよい。だが、その先お前はどうする? 誰に従う? アーイシャか? タルハか? それともムアーウィヤやマルワーンか?」

 

「だから簡単には…」

「決断しなければ、流されるだけだ。主に対してただひたすらに従うのがお前の美徳であるならば、それもよい。だが、それでも誰に従うのかはお前自身が選ばなくてはならない。どうするつもりなんだ?」

 

ズバイルもタルハも、最早何も言えない。交渉はここで終わった。

最後にアリーは2人に言った。

 

「お前たちだけで進退を決められないなら、持ち帰ってアーイシャや他の仲間と相談でもして決めるといい。私は、本来お前たちと争う理由はないと思っている。ムハンマドの下、共に戦った仲間の賢明な判断を待っている。だが、お前たちが私の前に立ち塞がるなら、相手になろう。悪いが、私は今から自分が行こうとしている道を信じている。お前たちは、自分の道を信じられているか?」

 

---------------------

 

「なぁ、考えてみたんだが、やっぱりこの挙兵に大義はない…。止めにしないか…。」

アリーとの会見を終え、自軍の本営に帰るとズバイルは開口一番そう言った。

その場にいたのは、タルハとアーイシャ。それにズバイルの息子アブドゥッラー・イブン・アッ=ズバイル、そしてウスマーンの補佐役兼見張り役でもあったウマイヤ家のマルワーンである。

マルワーンは勿論、ウマイヤ家の派閥に属する人物だが、アーイシャらの挙兵を聞きつけて援軍に来ていた。彼は本来どちらの味方でもないが、このタイム家派vsアリー派の対立においては、既にカリフの地位を得たアリーの打倒を優先したのである。

 

ズバイルの発言を聞いてもタルハは驚かなかった。会見に同席していた彼は責任上、口には出せないもののズバイルと同じ気持ちであった。

だが、他の3人からすれば、とんでもない話である。

 

「それは話が違うぞ!」

最初に声をあげたのはマルワーンだった。今回の出陣は彼にとっては周囲の反対を押しきってのモノなのだ。

 

実のところ、ウマイヤ家の人々の大半はウスマーン暗殺を主導したのはタイム家の勢力だと思っている。

それは、事件にムハンマド・イブン・アビ・バクルが参加していたことでも明らかである。また直情的なアーイシャはよくウスマーンの治世に対する不満を公に発していた。

だから、アーイシャら勢力の中枢が直接手を下した訳ではないにせよ、少なくとも間接的に預言者の妻の言葉が民衆を蜂起させウスマーンを死に至らしめるのにつながったのは間違いない。

それは、アリーが事を荒立てるのを好まず、直接的に政権批判をしなかったのとは対照的だ。

 

そんな経緯から、この戦に関してウマイヤ家の主流な意見は、まずはカリフでもあるアリーに協力して賊軍たるタイム家を倒した後にアリーの政権内でメッカ有力部族の権益拡大を考えるというものだった。

 

だが、マルワーンの意見は違った。

ウスマーン側近として長く権力の近くにあった彼は一度権限を握ってしまえば行動に対する理由付けなど後でどうとでもできることをよく知っていた。

だから彼はまず最初にタイム家と協力して最も強いアリーを倒すのだと主張し、一族の者の制止も聞かずにムリヤリいくらかの兵を引き抜いてここワーディー・サブアまでやってきていた。

今さら戦わないなどと言われたら立場がないのである。

 

「オレはアンタらが戦うと言うからここに来たんだ! アリーと話して気が変わったのか!? もしそうなら重大な裏切りだ!」

「そうではない…。だが、そもそもオレにはアリーの何がいけないのかわからないんだ…。殺し合いをするほどの意見の対立が我々の間にあるのだろうか…。改めて選挙をやったらいいのではないだろうか。」

「アリーはウスマーン暗殺犯だろうが!」

「…。ウスマーンを殺したのはアリーじゃない…。殺したのはむしろ…」

 

ズバイルの言葉を遮り

「それ以上言うな!」

と叫んだのはズバイルの息子アブドゥッラーだった。

 

「オレたちだってわかってる! ウスマーン暗殺がオレたちの扇動の結果だってことも、この戦がアーイシャ様の個人的感情から発生していることも!」

 

「なんですって!」

とアーイシャがヒステリックに反応したがアブドゥッラーは無視して続けた

 

「 たぶん、道理で言ったらアリーが正しいよ、ヤツはいつでもそうさ、腹立たしいくらい正しいことしか言わない堅物だ。でもオレたちは動きだしてしまった! アーイシャ様や親父を慕う連中を何万人も巻き込んでだ! オレだって家族を見捨てる訳にはいかない、親父がやるっていうからついて来たんだ! だから全ての元凶たるウマイヤ家の協力まで仰いでいるんだろう! 今さら退くなんて許されない! 」

 

アブドゥッラーの熱弁により、タイム家派閥の行動は決まった。ズバイルは、また周囲に流されていくことになったのである。

 

何故、こんなことになってしまったんだ…。

と、ズバイルは頭を抱えた。

 

ズバイルは、正しさとは、正しい人に従う事だと思ってきた。だが、この戦いの場において、正しい人とは誰なのか。ズバイルにはわからない。

強いて言えば、アリーの言っていることが一番的を射ているような気がしたので、彼に従っておくべきだったのだろうか。だが、そうなるとタルハやアーイシャは間違っているということになる。ズバイルには、ずっと行動を共にしてきた彼らがそんなに悪い人間だとも思えない。

 

「ああ、預言者がいてくれたら。」

 

ズバイルはそう呟いた。ムハンマドはいつも正しかった。神の声を聞き、いつも正解を与えてくれた。そして、自分はそこに向かって精一杯努力するだけでよかった。

 

正解がわからないことが、迷うことが、こんなに苦しいなんて知らなかった。

 

ズバイルはそう思って一人さめざめと泣いた。

 

---------------------

 

こうして、タイム家派vsアリー派の対決、ラクダの戦いが始まった。この戦いの名はラクダに乗って自ら参戦したアーイシャの勇姿が由来となっている。

だが、勿論、戦争に関しては素人の彼女自身が指揮をとった訳はなく、全軍を任されたのは実績豊富なズバイルであった。

 

兵数としては、タイム家側が3万、アリー派側が2万である。ウマイヤ家からの援軍を得ているタイム家派が数の上では有利であった。

 

だが、結論から言えば、タイム派は敗れた。

そうなった原因はハッキリとしないが、端的に言えば、指揮官の戦いにかける決意の差であったと言えないだろうか。

 

アリーの軍は彼らのリーダーのカリフ位を守るため、一心不乱に戦った。だが、タイム家の派閥にはまともな大義名分がない。

いちおう、ウスマーン暗殺の黒幕であるアリーを成敗するという目標を掲げてはいるが、それが単なる噂話、あるいは大嘘であることは誰もが知っている。

そして、迷える総指揮官ズバイルはそんな兵士たちが自信を持って戦えるだけの正義を彼らに与えることができなかった。

 

戦いは早朝から始まった。

しばらくは一進一退が続くものの、迷いを振りきらんが如く奮戦していたタルハが戦場で倒れると、総指揮官ズバイルを守る軍団も壊滅。ズバイルは退却を試みるもその途中で討たれた。これにより、全軍総崩れとなり、マルワーン、アブドゥッラーは敗走した。

 

そんな中、ただ一人、アーイシャだけがアリーの本軍へ向けて決死の突撃をかけた。

鬼気迫る突破で彼女のラクダはアリーの目前まで迫ったが、寸前のところでアリー配下の兵に止められた。興奮状態にあった兵士たちはアーイシャのラクダの足を傷つけて動きを止めた後、彼女にトドメを刺そうとしたがアリーはそれを固く禁じた。

 

「殺すな! 勇敢に戦った信者の母に敬意を示せ!」

アリーの指示に従い、アーイシャは取り押さえられ、アリー軍の本陣へと連行された。

 

---------------------

 

夜が更けた頃、アリーは事態が落ち着くのを待ってアーイシャと会見した。

 

陣に点る灯りの真ん中にアーイシャはヘタリ込んでいる。

彼女の傍らにはズバイル、タルハ両名の遺体が横たわっていた。

 

彼らが戦死したのは聞いていたが、遺体はまだ見ていなかったので、アリーはまずそちらの方に目がいった。ズバイルは何かから解放されたように安らかな表情で眠っているが、タルハの遺体には太ももの辺りから多量に出血した跡がある。かなり苦しんで死んだ様で表情もかなり歪んでいる。

 

思わず目を伏せたアリーの様子を察してアーイシャがポツリと言った。

 

「マルワーンに殺されたんです」

「何?」

「タルハのことですよ。逃げる途中、マルワーンに矢で射られたのです。」

「何故そんなことを? マルワーンはお前たちと連携していたのではないのか?」

「それはマルワーンに聞いてみないとわかりません。でも、想像はつきますね」

 

アーイシャはそう言い鼻で笑った。その嘲笑はアリーに対するモノでもなければ、タルハやマルワーンに対するモノではなく、自分自身に対するモノだった。

 

「私はまんまと騙されたのです。マルワーンはウスマーン暗殺の黒幕があなたではないと知っていたのでしょう。」

「当たり前だろう。私は彼と反乱者の仲介すらしていたのだ!」

「ええ。そんなこと、誰もが知っている。でも、彼は自ら私たちの下へやってきて味方になると言った。アリー、あなたを葬るためです。そして、私たちは、利害の一致する彼を信じた。」

 

「何故そんな…」

「アリー、あなたは正しく、そして強い。だから多くの人にとって邪魔なのです」

 

アリーにはその理屈がわからない。アリーの考えでは正しい行いをする人は必ず皆に認められるモノなのだ。

 

アリーのキョトンとした表情を見てアーイシャは

「まぁ、いいでしょう」

とため息をついた。

この男にはいくら説明してもわからないだろう。

そう判断したのだ。

 

「マルワーンはあなたを倒すために私たちを利用しようとしたのです。でも、彼は内心、私たちのことを激しく憎んでいた。彼の傀儡であったウスマーンの殺害は私たちの仕業だと思っていたからです。そして、それは実際そうでした」

 

「意外だな、認めるのか。」

「殺害する意図はありませんでした。でも、ウスマーンを引きずり降ろそうと民衆を扇動した結果がああなったのだから、ウマイヤ家の人々にとっては同じことかもしれません。」

「それでもタルハへの攻撃は許しがたい…。一度は手を組んだを殺すとは…信じられない。」

 

「彼にとっては必要な殺しでした。マルワーンは一族の反対を押しきって我々に加勢していましたからね。負けて帰ったのではたとえ無事ダマスカスに辿り着いても立場がありません。だから、苦し紛れにウスマーン暗殺の扇動者としてタルハを殺して逃げたのでしょう。ウマイヤ家の大半はあなたより私たちを憎んでいる。そうすれば、なんとか面目は立ちますからね。」

 

「なんで、そう自分本位なんだ…! くそっ! 神の教えはそうではなかったはずだ!」

 

アリーは涙ぐみながらタルハとズバイルの遺体の足下に膝まづいた。

 

そして

「アーイシャ!」

と声をあげる。

 

アーイシャは目を静かに閉じた。自らの政敵から死の宣告を受けることを覚悟したからだ。

 

しかし、彼の口から出たのは

「すまなかった…」

という謝罪の言葉だった。

 

「負けたのは、私ですよ?」

とアーイシャら首をかしげた。

 

「勝ち負けじゃない。たくさんの同胞が死んだ。私が、お前を信じなかったばかりにだ。」

「何を言っているのです?」

「お前は不義密通など働いていない」

 

アリーはまだムハンマドが存命であった時のことを言った。遡っていけば、アリーとアーイシャの対立がそこから始まったのは間違いない。

 

「今さらそんなこと…どうでもいいじゃないですか。」

「いいはずがない! もし仮にお前が罪を犯していたのだとしても、あの時、私はお前を信じなくてはいけなかった! 幼くして預言者の妻となったお前の背負ったモノの重さを理解してやらなくてはいけなかった! ムスリムの、ムハンマドの家族として!」

 

そう言って項垂れるアリーの肩に、アーイシャはそっと手を置いた。

 

「アリー、もういいのです。家族であるあなたを恨み、ウマイヤの者を信じた私が愚かだったのです。」

 

こうして、ラクダの戦いは終結した。

アーイシャはこの後、678年まで生きることになる。敗戦後もなお、信者たちの尊敬を受ける存在として影響力を保持し続けるが、ここから死ぬまでの間、権力闘争に参加することはなかった。

 

アーイシャはこの戦いに参加するまでのアリーのように宗教家として生きることを選んだのである。ムハンマドを直接知る人間として最も長く生きたアーイシャは終生その教えを語り続け、信者たちの母と呼ばれるようになった。

 

一方、アリーの戦いは終わらない。

アリーにとってこのラクダの戦いはできれば避けたい戦闘であった。

 

本当の敵はダマスカスにいる。

第3代カリフ・ウスマーンを操り政権を牛耳ったマルワーンにウマイヤ家の首魁ムアーウィヤ。

 

ムハンマドが作り上げた教義と共同体をねじ曲げ私有化しようとする者こそアリーが戦わなくてはならない相手なのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その6 ~正義の果てる時~

ラクダの戦いの後、アリーは拠点としたクーファに4ヶ月ほど滞在した。ウマイヤ家との戦闘準備をする為である。

それと平行し、アリーはダマスカスのウマイヤ家に何度も講和の使者を送ったが、良い返事は返ってこなかった。

 

ムアーウィヤ曰く、

「とにもかくにも、まずウスマーン暗殺の実行犯を処刑せよ。話はそれからだ」

とのことなのだ。

 

確かに、現在、暗殺犯たちはアリーの陣営に加わっている。

ラクダの戦い直前、タイム家派との同盟の為、アリーは彼らを無罪放免にした。その後、タイム家が暗殺犯の処分を大義名分にしてアリーと対立したので、彼らはタイム家派に戻ることができなくなり、アリーの下に留まることになった。

 

アリーからすれば、相手が暗殺犯だろうが何だろうが、一度命を助けると約束した相手なのである。

それを裏切ることはできない。

 

それに、アリーは彼らとしばらく行動を共にしたことで、その主張せんとするところを理解していた。

確かにウスマーンへの凶行は許しがたいが、彼らは単なる暴徒ではない。彼らには彼らなりに立ち上がる理由があった。

 

ウマイヤ家による専横を打破したい。

 

その主張を為政者が聞かなかったから暗殺犯たちは力に頼るしかなかったのだ。今また、彼らの話を聞かないまま処罰を下してしまっては同じことの繰り返しになる。

 

まずはムアーウィヤやマルワーンが暗殺犯らと対話すること。

アリーはそのように考えていたので、ウマイヤ家との交渉は不調に終わった。

 

ムアーウィヤ、マルワーンからすれば、暗殺犯たちが公の場でウマイヤ家への不満を表明すること自体を防ぎたかった。

その前に彼らを犯罪者として裁きたいのである。

アリーはとにかく、その辺りの小ズルい思惑がよく理解できない男だった。

 

最終的にアリーは何とか大勢の信徒を巻き込んでの殺し合いだけは避けられないかと、ムアーウィヤに

「一対一の決闘で新カリフを決めよう」

という提案すらしているが、ウマイヤ家の当主はそれを一笑に付した。

 

これにより、アリーとムアーウィヤは戦う以外の道を失ったのである。

 

---------------------

 

657年5月、アリーはイラクとヒジャーズから召集した9万の軍を率いてクーファを発し、ティグリス川の西岸沿いに北上した。そして、砂漠地帯を横断してイラク北部のラッカにてユーフラテス川を渡り、ムアーウィアが陣を構えたアレッポ東方のユーフラテス川西岸、スィッフィーンにたどり着いた。

 

戦いは水場を巡る攻防から始まった。

アリーの軍がスィッフィーンについた時、既にムアーウィヤは副将のアムル・イブン・アル=アースを使いユーフラテス河岸を占拠してアリーの軍が飲み水を確保できないようにしていた。

 

実はこの時、まだ両軍は完全に決裂していた訳ではない。

陣を敷いてにらみ合い、いつ戦いが始まってもおかしくない状態ではあったが、アリーは和平に向けた最後の希望を信じ、ムアーウィヤに直接交渉を持ちかけていた。

 

それ故、交渉中は水場を平等に使わせて欲しい、というのがアリーが持ちかけた最初の取引であったのだが、ムアーウィヤはバカにした態度でこれを拒否した。

 

アリーがムアーウィヤらの小ズルい考え方を解さないように、ムアーウィヤにもアリーの真っ直ぐすぎる考え方がわからない。ムアーウィヤにはアリーが、正義の味方を信じる世間知らずな少年のように見えていた。

 

いい年こいて、青すぎる。アリーは一体なぜ自分が先に水場を押さえたか、わかっていないのだろうか。

ムアーウィヤは呆れてしまった。

 

ムアーウィヤが考えているのは戦闘になった時のことだけではない。渇きによってアリーが音をあげて、譲歩してきたり、兵を退いたりするのを待っているのだ。

勿論、実際に戦闘になった場合でも有利に事を運ぶことができるから、それが示威的行為にもなる訳だ。

要するに、ムアーウィヤにとっては水場を押さえるということ自体が交渉の一貫なのだ。

 

だから

「まずは水場を分け合ってフェアな条件の下で交渉を進めよう!」

というアリーの提案そのものが、既にムアーウィヤにとってはフェアではない。

水場を共有したいなら、まずはソチラからそれに値するだけの譲歩をしてこい、という訳だ。

 

ムアーウィヤは呆れると同時に気分を害した。

「え? そんなズルいことする人、いるの? 考えてもみなかったよ。」

というアリーの態度にひどい侮辱を受けたような気がしたからだ。

 

ムアーウィヤは戦場における最善手をとったつもりであった。

もっと言えば、

「どうだアリー、これで手も足も出まい!」

と、悪知恵の源泉たる自らの頭脳を誇らしく思いながら待ち構えていた。

なのに、あまりに純粋なアリーの言動のせいで恥をかかされてしまった。

 

あの野郎、マジで許せねぇ。

そう思ったムアーウィヤはアリーの交渉を黙殺することに決めた。

 

---------------------

 

ムアーウィヤからの返事はこなかった。

彼は何故、こうも争いたがるのか。アリーにはそれがどうしてもわからない。

だが、とにもかくにも、飲み水を確保できなければ兵を退くより他に道はない。アリーはムアーウィヤの沈黙を宣戦の布告ととった。

 

アリーがアシュタルに命じてウマイヤ軍のアル=アースが守るユーフラテス河岸に攻撃をしかけると、ウマイヤの軍はたちまち壊乱した。

彼らはアリー軍が不利な条件の中、攻勢に出てくるとは思っていなかったのである。

 

水場の支配権はアリーの手に移った。

そこでムアーウィヤはアリーに水場の共同利用を申し出た。謂わば、意趣返しである。

 

お前は、コチラが確保した水場を簡単に使わせろなどと言ってくれたが、立場が反対になった時、お前は敵に権利を譲ることができるのか。と、いうことだ。

 

アリーの軍に加わっていた諸将、アシュタルやアンマール・イブン・ヤースィル、アブドゥッラー・イブン・アッバース(前出したムハンマドとアリーの叔父、アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの息子。)らは水場の共同利用に反対した。

 

既に戦闘は始まっている。

コチラ側が共同利用を呼び掛けた時とは状況が変わっているではないか。

それに、交渉中ですらウマイヤ側はコチラが提案した同じ条件に応じなかった。そんな相手に慈悲を与えてやる必要はないはずだ。と、いうのが諸将たちの言い分であった。

 

だが、アリーは彼らの反対を押しきって水場を解放した。

クルアーンの中にあるジハードの理論によると、戦場で奮戦し殉教すれば死後の安寧が約束される。だが、いくら戦場にいても、そこで戦う前に干からびて死んだ場合はわからない。

 

アリーは預言者ではない。だから何をすれば殉教となるのか、正確なところはわからないが、仮に死ぬのだとしても互いに全力を尽くして戦えるカタチにしよう、というのがアリーの心づかいであった。

 

アシュタルは

「お前は甘すぎる! ムアーウィヤはそういうやり方が通用する相手ではない!」

と怒ったし、御年90歳ながら戦場に立つアンマール・ヤースィルは50代のアリーがまだ若く見えるらしく

「いやぁ、ワシにもそういう時代があったがのぅ…」

と何か含むところがあるように呟いた。

 

だが、それでも誰かがアリーを見捨てることはなかった。

結局のところ、そういうアリーだから、これだけの勇士たちがついていくのだ。

こうして、ユーフラテス河岸は両軍の中立地帯となった。

 

 

だが、アリーの好意を受けてもムアーウィヤは攻撃の手をゆるめようとはしなかった。

 

ムアーウィヤはアリーから向けられる善意を屈辱的に感じていた。

このウマイヤ家の当主は、策謀を張り巡らし敵対する相手を陥れることで、自身の有能さを確認し快感を得ようとする節がある。だが、アリーを相手にすると、それができない。いくら悪意のこもった策略を投げつけても、柳のようにかわされて、仕舞いには、善意のリボンをつけてそれを投げ返されてしまう。要するに、同じ土俵で戦ってもらえない。

 

ムアーウィヤは、これまで自分が一番得意だと誇りに思ってきた行為を否定されてしまったのだ。アイデンティティーを失ったムアーウィヤは、最早勝つしかない。

勝利という結果でしか自分の存在価値を否定した相手に一泡吹かせることはできないのだ。

 

そこから、ムハッラム月の休戦を挟み、ウマイヤ軍による総攻撃が始まった。

だが、この攻撃は精細を欠いていた。ウマイヤの兵士たちはアリーから水の提供を受けたことで、彼を心から憎むことができなくなっていた。

 

一方、アリーの軍は士気が高い。

これには、この戦いの始めにアリー軍の代表的な将軍の一人、アンマール・イブン・ヤースィルが戦死していた影響も大きい。

この90歳の老将は、ムハンマドから直接教えを受けた教友であり、老齢ながら今日まで現役で戦い続け、この戦いの直前にあったラクダの戦いでも一騎討ちで30歳以上年下の敵将を討ち取った猛将である。

この本来であれば過去の栄光を盾に椅子にふんぞりがえっていても許されそうな年齢の男が、敵軍の襲来を聞くと、いの一番に戦場へ飛び出して味方の盾となり、命を落としたのである。

 

彼の死はアリーの軍団にとっては大いなる失望ではあったが、アリーは逆に

「皆、アンマール・ヤースィルの魂を胸に勇敢に戦うのだ!」

と檄を飛ばして士気を高揚させることに成功した。

 

そしてアリーの軍はアシュタルを中心に奮戦し、ウマイヤ軍の陣の深くまで入り込んで行った。

 

---------------------

 

「何故だ!」

とムアーウィヤは叫びをあげた。

 

次々入る敗報を彼は俄に信じられないでいた。

ムアーウィヤの認識から言えば、戦とは謀が多ければ多いほど有利になるモノだ。

鬼謀の人である自分があのバカ正直なアリーに負けることなど、あり得ないのである。

 

ならば、戦が思うように進まない理由は何なのか。ムアーウィヤは必死に考えた。

 

兵の数であろうか。いや、違うとムアーウィヤは頭に浮かんだ考えを即座に否定した。

戦前の兵数予想ではウマイヤ側が12万でアリー側が9万程度。

それもそのはず。アリー軍はラクダの戦いで兵を削られている上に、ウマイヤ軍はアリーがそこで足踏みしている間も募兵を続けていた。数に差が出るのは当然だ。

だが、今のところ、アリーが伏兵を隠していたなどという情報もムアーウィヤには伝わってこないのにウマイヤ側は圧倒的に圧されている。

ならば、数の問題ではないのだろう。

 

それでは、兵を率いる将軍の差であろうか。

それも違うだろう、とムアーウィヤは思った。

アリー軍のアリー、アシュタルはムスリムの中でも指折りの名将であるが、アリー軍には他がいない。彼らに次ぐ存在であった長老のアンマール・ヤースィルもウマイヤ軍による最初の攻撃で命を落としたという。

ウマイヤ側の指揮官であるマルワーン、アル=アースは非常に優秀だ。2人合わせれば総合力はアシュタルにも負けないだろう。

そして、何より自分がいる。現場指揮官としてはともかく、総大将として自分がアリーに負ける要素はない。

要するにアリーの能力はその立場に相応しいモノではない、というのがムアーウィヤの考えだった。

確かに、アリーの言っていること、やっていることは倫理的にも、理論的にも正しいのだろう。一人間として他人から好かれるだろうし、宗教家として道を説き信徒たちから尊敬を得ることもできるはずだ。

だが、人の上に立つ者には別の能力が必要だ。相手を陥れるズル賢さや躊躇いなく人の命を奪う冷酷さ…そういった能力なら自分はアリーに負けないはずだ。

 

だから、単純計算して現場指揮官がアシュタルVSマルワーン&アル=アース、総大将がアリーVSムアーウィヤという構図であれば絶対に勝てるはずだ、とムアーウィヤは認識していた。

 

ここに至るまでの戦略、兵の数、将軍の力量全てで上回っているはずなのに、勝つことができない。

 

「おかしい! おかしい! そんなのおかしいじゃないか!」

ムアーウィヤはそう叫び、身体中をかきむしりながら地面をのたうちまわった。

 

一つ、ムアーウィヤが、敵に劣っているとするならば、それは正義である。ムアーウィヤ自身、それ自体は認めていたが、その正義というものが、謀略よりも冷酷さよりも大切なモノであるということはどうしても認めたくなかった。

 

ムアーウィヤは人に好かれず、尊敬もされない男だった。

正義を信じない人間だからそういう結果になっているのか、それとも、ずっとそうだったから正義を信じられなくなったのか。

それは彼自身にもわからない。

 

だが、それでも策略を駆使して競争相手を蹴落とし相手の上に立つことで己のプライドを保ってきたのがムアーウィヤだった。

だから、彼にはあの清廉潔白を絵に描いたようなアリーに負けることがどうしても我慢ならない。

今までの自分を全て否定されることになるからだ。

 

「イヤだ、イヤだ!」

 

ムアーウィヤはまるで子どものように泣きわめいた。

アリーは今まさに自分が最も大切にしてきたモノを奪い去ろうとしている。心底、腹が立つ。自分もアリーから大切なモノを奪い取ってやりたい。自分と同じ苦しみを味合わせてやりたい。そんな強い想いが、ムアーウィヤに悪魔的な閃きを与えた。

 

そうだ…。アリーの大切にしているもの…。それは、ムハンマドの、イスラムの教えだ。

 

それを思いついた瞬間、ムアーウィヤは今まで一度も感謝したことがなかった神に感謝した。

 

ムアーウィヤは俄に駆け出して近くにいた従者に問うた。

 

「おい、クルアーンはあるか?」

若い従者は怪訝な表情をした。

「ええ。陣に何冊か備えてありますよ」

「今すぐありったけ持ってこい!」

 

そうしてクルアーンを受け取るとムアーウィヤは一心不乱にクルアーンを1ページずつ引きちぎり始めた。

 

「何をするのです!」

若者たちはウマイヤ派でも少なからずクルアーンの神聖さを信じているので動揺しているようだったが、ムアーウィヤには関係ない。

 

「いいから、お前らもやれ! これで勝てるぞ!」

ムアーウィヤは満面の笑みで叫んだ。

 

---------------------

 

「前線の統率が乱れ、軍が壊乱寸前である。どうか前線に赴き、兵たちをなだめて欲しい」

 

合戦の総指揮をとっていたアリーに前線のアシュタルから報せが届いたのは戦闘が始まってから3日目の午後だった。

 

「この報せは、間違いではないな?」

アリーは報せを持ってきた伝令兵に問うた。

「勿論…です…。」

伝令兵は激しく息を切らせていた。必死に走ってきたに違いない。嘘であるはずもないだろう。

 

「そうだな…。済まない、下らんことを聞いた。」

とアリーはすぐに謝り、全力で任務を務めあげた兵を気遣った。

 

だが、もたらされた報せが情報の真偽を疑ってしまうぐらい意外なモノだったのは確かだ。

つい数時間前、いや数分前までアリーの軍は敵を圧倒しており勝利も目前だったのである。

 

アシュタルはアリーに助けを求めているが、彼もムスリムの中ではその名を知らぬ者はいない名将だ。

彼ですら指揮がとれないくらい現場が混乱しているというのなら、自分が行ったところで事態を収拾することができるのか。

アリーは不安を覚えていた。

 

敵が何か魔術的な奇策を放ったのだとしか思えない。

とにかく、前線へ行こう。

そう思った。

 

この短時間での逆転劇。

後方からつべこべと言ったところで挽回できないのは間違いない。

 

---------------------

 

前線に赴いたアリーはそこで恐ろしい光景を見た。

ウマイヤの軍が槍先に1ページずつ破かれたクルアーンを掲げ、聖句を連呼しながらアリー軍の陣に突撃しているのである。

 

ある者は神の力を恐れて逃げ出し、またある者は、逃げはしないが聖典に攻撃もできないと無抵抗に刺されて倒れた。それでも、なお戦おうとする者もいるが、隊列が乱れており効果的な攻撃が繰り出せないでいる。

 

混乱する戦場で、アリーはアシュタルを見つけて駆け寄った。

 

「アシュタル、これは一体どういうことだ?」

「どうって…見ての通りだ。奴ら、クルアーンを盾にしやがった!」

 

アリーは絶句した。

イスラム教徒にとっての、この出来事の衝撃を、現代日本人に伝えるには、どのように形容したら良いだろうか。

日本ではこれを鳥羽伏見の戦いの際の官軍の行いに例えることが多いように思う。錦の御旗を掲げて幕軍の戦意を喪失させた行為である。

あるいは、やられる側の心情を考えると踏み絵をさせられる隠れキリシタンの心境に近いのかもしれない。

 

神への冒涜。

ウマイヤ軍の行動はそう責められても仕方のないモノであるが、効果は抜群だった。

 

よく考えれば、攻撃するのはクルアーンではなくそれを掲げるただの人なのだから、何も戦うのに躊躇することはないのだが、アリーの兵士たちにはたちまち動揺が広がって行った。

攻撃するのが罰当たりだとかいう以前に、度を越えて卑劣な敵の振舞いに対する戸惑いもあったかもしれない。

 

「わからない…」

アリーはそう静かに呟いた。

 

「え?」

「このようなやり方で勝利して、ムアーウィヤは何をしたいのか…」

 

心底不思議そうに戦場を眺めるアリーにアシュタルはやや乱暴に言った。彼からすれば、今は考え事などしている場合ではないのである。

 

「そりゃ、自分の欲のため…権力をつかみたいんだよ!」

「このようなやり方で、権力をつかめるのか…?」

「やり方なんかどうだって…! 敵対者を全員殺せば自然にそうなるだろう!」

「だが、それでは信徒たちの尊敬は得られない…。ムアーウィヤは何を考えている…?」

 

アシュタルは

「あぁ…」

と声をあげて目を覆った。

 

アリーはきっと、人の上に立つ者は正しい行いをして人々から尊敬を受ける人間でなくてはならないと考えているのだろう。

その通りだとは思う。

だが、必ずそうなる、と思っているところにアリーの間違いがある。

 

世の中にはただひたすら我欲の為だけに地位を欲する人間もいれば、暴力に屈する人間や利に転ぶ人間もいるし、日寄見主義者もいる。

為政者の行いに納得がいかないからと言って、正しいことのために強者に逆らえる人間がどれだけいるのだろうか。

何を考えるにしても正義が最優先事項に来る思考回路をしたアリーには、それが全く理解できないのだろう。

 

アシュタルはイラだっていた。

彼からすれば、アリーがたった一言叫んでくれればいいのだ。

 

クルアーンなど、神の言葉など今は関係ない気にするな、と。

死にたくなければ戦え、自分の為に戦え、と。

 

今戦っている者は皆、アリーを慕って集まった兵である。

アリーが一言言えば皆、迷いを絶ちきれるのだ。

 

アシュタルは

「大バカ野郎! この石頭!」

と彼を罵りたかった。

 

だが、少し考えてやめた。

 

宗教家として生きようとしていた彼に再び剣をとらせたのは自分である。この敗けは、アリー自身の敗けではない。彼に惚れ込んだ自分の敗けなのだ。

 

この男のことは恨むまい。

アシュタルはそう思った。

 

もし恨むモノがあるとするならば、正義というモノの存在に少しでも期待してしまった自分の心であろう。

少しばかり、この男の生き方に感化されすぎていたのかもしれない。アリーならば、それを証明してくれると思ってしまっていた。

 

「だけど、後悔はないさ…」

アシュタルは戦場に吹く風の音にかきけされてしまうような小さな声で呟いた。

正義が果てていく。その様を見ても、アシュタルはまだこの男を信じていたかった。

 

説明することをあきらめたアシュタルは

「アリー、どうする?」

と問いかけた。

 

アリーはキョトンとしている。ムアーウィヤの狙いがわかっていない彼には、これからの行動を判断するのが難しいのだろう。

 

「どうする…とは…?」

「このまま戦うのか、それとも一旦退くのかだ。お前が決めるしかない。みんな、どうしたらいいかわからないんだよ」

 

結局、アリーは戦線を立て直すために一旦退却することにした。

 

そして、その夜にムアーウィヤから講和の使者がやってきた。

アリーの陣内で断固抗戦するか、話し合いをするかで意見が割れたが、アリーは後者を選んだ。

 

アリーはこの期に及んでなお、ムアーウィヤに良心が残っていることを信じていたのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その7 ~神託~

会談におけるムアーウィヤの態度はアリーを失望させるモノだった。

 

アリーがウマイヤ軍の槍先にクルアーンを掲げた行為を責めるとムアーウィヤは

「それは誤解だ。我々はクルアーンの下に平和を求めただけである。」

と白々しく言った。

 

 

それよりも重大であったのは、アリー軍の中で和平派と抗戦派で意見が割れて、派閥争いが起きてしまったことだ。

アリーは和平路線を基本としつつ、抗戦派が求める条件の主張が通るように慎重に交渉を進めていたが、両派の対立が深まる中で和平派のアシュアス・イブン=カイスがムアーウィヤ側と通じて強引に講和を結んでしまった。

 

これに憤った抗戦派はアリーの派閥から離脱して独自にハワーリジュ派を結成。

アリーは勢力を拡大し続けるウマイヤ家との戦いに加えて、身内から出たハワーリジュ派にも対処しなければならなくなり、勢力を著しく低下させることになった。

 

この後、アリーは658年7月、ナフラワーンにてハワーリジュ派の軍を破り首領であるアブドゥラー・イブン・ワハブ・アル・ラシブを殺害することに成功するが、ここからは暗闘になる。

 

スィッフィーンでは引き分けに持ち込んだもののアリーの強さを痛いほど思い知ったウマイヤ派も、ナフラワーンでの大敗で軍の戦闘能力を喪失したハワーリジュ派も最早アリーに真っ向勝負を挑んでくることがなくなったからだ。

だが、こうなるとアリーは弱かった。敵は、アリーの弱点を確実に突いてきたのである。

 

ナフラワーンの戦いの同年である658年。マリク・イブン・アシュタルが死んだ。

ウマイヤ派がアリー派の勢力圏であったエジプトを攻めるとの情報を受けて援軍に向かっていたところ、その道中で毒殺されたのである。無論、ウマイヤ派の謀略だ。

結局アシュタルの死後、エジプトは侵略されてしまう。

 

この結果を受け、ムアーウィヤは

「アリーはもはやその両腕を失った」

と歓喜したという。

 

そして勿論、アリーは失意に暮れた。

 

---------------------

 

神託、という概念がある。我々、現代日本人にはなかなか理解し難い言葉だが、簡単に言えば、神意を他に託し、くみ取ろうとすることをいう。

例えば、古代ローマにおいては戦いの吉兆を占う為に鶏を使った占いが行われたというし、古代日本では神憑りになったシャーマンが神の意思を民衆に伝達したという。

 

イスラム教において、神の言葉を聞ける存在はムハンマドだけであった。

根本に神の言葉を都合よくねじ曲げる権力者への反発があるイスラム教は、彼以降の預言者のことを認めない。

それ故、イスラム教においては神の意を推し測ろうという場合の一般的なやり方として、クルアーンなどの聖典の内容やムハンマドの生前の行動に照らし合わせて、その事象が神意に沿うのか信者たちで議論する方法がとられるようになった。

 

そして、これは謂わば外法であるが、神の意を知る方法がもう一つある。まず物事を実行し、その結果如何で、その事の善悪を判断するという方法だ。

これはつまり、自分達の行動が正しいのならば、神は決してそれを行う者を見捨てないであろう、という前提の下に事を起こす行為だ。

 

事実、唯一無二の正しい預言者であるムハンマドは当初、極小さな勢力しか持たなかったのにも関わらずメッカとの戦いに勝利してみせた。要するに、ムハンマドは神の声を聞き、その通り行動することで勝利という結果を得た訳だ。

だから、神の意を知ろうとする者はその逆を辿ろうとする。行動を起こし、その結果の成否により、神意を知ろうということだ。

 

イスラム神学の理屈に則った行為ではあるが、ムハンマドの死後は、それ以前と状況が違う。

ムハンマドがいれば、神意を知り勝利を確約された状況で戦いに臨むことができるが、今はそうではない。

もしも自分達の行動が神の意に沿わないモノであれば最悪、死が待っている。

即ちこれは、一種の賭けである。かなり追い込まれた集団が最後に自分達の正義を神に問う為の方法であった。

 

 

さて、結成間もないがハワーリジュ派は追い詰められている。

「勝てた戦を捨てて、相手に和を乞うことは、神の意思に逆らう行為だ!」

そう主張して飛び出したのはいいが、元々ウマイヤ派に対して数的不利だったアリー派から更に分派した少数派である。

ナフラワーンの戦いに敗れるといよいよ戦闘能力を喪失し、ウマイヤ派からもアリー派からも逃げ回りながら暮らすことになった。

 

追いつめられた彼らは神意を確かめることにした。

考えははこうだ。

 

アリーとムアーウィヤの双方に刺客を送り、成功すれば自分達が正義である。

その結果を知れば、きっとウマイヤ、アリー両派の人々も神意を得たのはハワーリジュ派であるということに気づき、自分達を信任することだろう。

 

浅はかな思考にも思えるが、破れかぶれになった集団とはそういうものだ。

 

---------------------

 

ハワーリジュ派によるムアーウィヤの暗殺は失敗した。

彼は常に暗殺を警戒して懐に武器を忍ばせていた。

 

尤も、彼が警戒していたのはアリー派の刺客のことであった。ハワーリジュ派とは力の差が大きすぎる。それは暗殺によりウマイヤ派の体制を揺さぶったところで覆せるモノではない。

ムアーウィヤは、暗殺者を捕らえた後、これを討伐の口実としてアリーを攻めようと画策していたので、犯人の素性を知り大いに驚いた。

 

一方、アリーが襲われたのは661年1月のことだった。

クーファの大モスクで祈祷中、ハワーリジュ派の刺客・アブド=アルラフマーン・イブン・ムルジャムに刃物で切りつけられたのである。

アリーは抵抗し、ムルジャムを退けることには成功したが、刃には毒が塗ってあった。2日間苦しんだ挙げ句、アリーは死んだ。

ムアーウィヤとは違いアリーは暗殺への警戒心が薄かった。そのような卑怯なやり方をしたりされたりという発想がそもそもなかった。これまでにも歴代カリフのウマルとウスマーンが暗殺されていたにも関わらずである。

結局、アリーは終生こういう男であった。

 

 

ハワーリジュ派はこの行動によって形勢が大きく動くことを期待したが、結局、彼らの立場は何も変わらなかったと言っていいだろう。

 

破れかぶれの集団というモノは、物事を0か100かで考えがちになる。ハワーリジュ派もそのような例に漏れず、彼らはムアーウィヤとアリーの暗殺について、成功か、否かの2択しか想定していなかったので、2人の内の1人は成功で1人は失敗という、この結果に混乱した。

 

だが、その後、アリーというライバルが消えたことでムアーウィヤは遂に野心をむき出しにして自らカリフを宣言。更にはカリフ位をウマイヤ家で世襲する意思を示した。

ウマイヤ家による王朝、ウマイヤ朝の誕生である。

 

結果論、元々ウマイヤ家の専横に憤りアリーを支援していたハワーリジュ派にとってこの暗殺は、よりマシな選択肢が消えて、より邪悪な者を残す最悪な結末となった。

それ故、ハワーリジュ派はこの後もウマイヤ家と敵対していくことになる。

 

一方、党首を殺害されたアリー派にも特にハワーリジュ派と合同しようというような動きはなかった。

ハワーリジュ派の理論では暗殺が成功した場合、殺された者の行動は間違っていたということになる。

 

つまり、アリーは間違っていた。

それが証明されたことでハワーリジュ派はアリー派が自分達のことを認めると期待していた。

だが、アリー派の人々はハワーリジュ派が言う神の裁定の結果を信じなかった。

 

よくアリー派とハワーリジュ派の分派原因は

「ウマイヤ家と和睦するかしないかで意見が別れた為」

であると説明される。

 

起きた出来事を追っていくと、なるほど、その通りである訳だが、根本的にはこの神託というものをどう捉えるかという考えの違いがあったのだと言える。

 

ハワーリジュ派は神託というものを非常に大きく捉えていた。

だからスィッフィーンの戦いでの和睦という、神による裁定の無視は、ハワーリジュ派にとっては、それによって派閥を割り、元の同志たちと抗争しようとするくらいに重大な違反行為なのであった。

 

だが、分派しなかった多くのアリー派は神の裁定よりもアリー個人を信任する人々であった。

彼らはアリーの勇敢さと清廉さを信頼してムハンマドの後継者、そして自分達の指導者になって欲しいと願ったのだ。

 

アリーが殺害された後、彼らの中には、これで希望は潰えた、とウマイヤ朝に帰順する者もいた。

ハワーリジュ派がアリー殺害の実行犯になったことによりウマイヤ朝の方がよりマシな選択肢になったことも要因の一つだろう。

 

だが、そうした離脱者も出る中で、アリー派そのものは残った。彼らは発足から常に少数派でありながらアリーへの尊敬を守り、彼の子孫たちを代々指導者(イマーム)とした。

そして、集団としての意志決定を必要とする時には、イマームこそが正しい教えを受け継いだムハンマドの後継者であるとして、裁定を託す事とした。

 

このアリー信奉者の集団が現地では「アリーの党派(シーア・アリー)」と呼ばれる。

因みに日本語ではよくシーア派と訳されているが、「シーア」というのが派閥という意味なので、シーア派というと「派閥派」という意味になってしまう。厳密に言えばこれは誤訳だ。

 

だが何にせよ、このシーア派が遠く日本にまで聞こえるイスラム2大派閥の一つとして今日まで機能している訳だ。

アリーの正義は今もシーア派の人々の心の中に生きている。

 

一方、この時ウマイヤ家の支配を受け入れた人々の党派は当時、「シーア・ムアーウィヤ」と呼ばれたが、次第にその呼び名は消えていき、スンニ派と呼ばれるようになった。

 

イマームの様な意志決定者を持たないスンニ派では、イスラム法学者が力を持った。何らかの決定が必要な際はクルアーンとムハンマドの生前の言動、即ち慣行(スンナ)に深い知識を持つ彼らが、これから起こす行動が神意に沿うものなのか話し合いを行うのだ。

12代目イマームの御隠れ(ガイバ)以降、シーア派でも盛んになる方法であるが、スンナ派では当初から特にこの過程を重視した。

 

なお、生前のムハンマドに最も近かった人物として、慣行(スンナ)を広めたのは、アーイシャだ。その為、スンニ派では彼女が特に尊敬される存在になっている。

 

要するに、スンニ派になった信者たちは、ウスマーンやムアーウィヤを尊敬していた訳ではない。あくまで、アリー個人よりもムハンマドの過去の言動を重要視しただけの話である。

 

むしろ、敬愛すべきムハンマドの親族を陥れたウマイヤ家を非難する声はスンニ派内部でも根強い。彼らの党派名が「スンニ派」になり、「シーア・ムアーウィヤ」の名が欠片も残らなかったところに信者たちの意識が垣間見えないだろうか。

 

 

正義と言うモノの事を考える時、それは争いの勝者が作り上げる掟や価値観のことだという話がある。

だが、このアリーとムアーウィヤの戦いを見た時にも、そう言えるだろうか。

確かにムアーウィヤが属するウマイヤ家は争いに勝利して権力を握った。

 

だが、その後に何が残っただろうか。

 

先の話をすると、ウマイヤ朝は750年に滅びる。

その治世は100年もたなかった。

 

一方、アリーは敗れた。

だが、彼への尊敬は永遠に続く。

 

正義とは何なのか。

 

アリー・イブン・アビー・ターリブの人生はそれを後世に示し続けている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

普通の国のタフマースブ
その1 ~イスマーイールの邪悪な輝き~


☆登場人物紹介(イスマーイール編)

○イスマーイール1世
12歳で挙兵し、サファヴィー朝を建国した天才児。とある西洋商人が「邪悪なほどに美しい」と表したほどの美形で、文学、宗教、軍事においても類い稀な才能を持つ。サファヴィー教団の信者達からは救世主(マフディー)として半ば神の如く崇拝されている。

○シャムス・アッディーン・ラヒージー
政争から逃れた幼きイスマーイールを匿ったギーラーン地方の有力者、カールキヤーによってイスマーイールに付けられた家庭教師。高名な詩作家でもあるがイスマーイールの才能には舌を巻く。サファヴィー朝建国後も秘書官としてイスマーイールに仕える。
○ドルミーシュ・ハーン・シャームルー
サファヴィー軍の両巨頭、右翼大将軍(アミール)にしてヘラート太守。
○ムハンマド・ハーン・ウスタージャールー
サファヴィー軍の両巨頭、左翼大将軍(アミール)にしてディヤルバキル太守。
○ベルーザ・ハーヌム
絶世の美女と言われるイスマーイールの妻。稀代の天才で超絶イケメンのイスマーイールにベタ惚れ。

○シャイバーニー・ハン
シャイバーニー朝建国者。ティムール朝を滅ぼしてイスマーイールのサファヴィー朝と対峙することになる。チンギス・ハーンの末裔である事を誇りにしている。

○セリム1世
オスマン帝国第9代皇帝。冷酷王(ヤヴズ)の異名があるほど残忍かつサディスティックな性格。ブサメン。
○ピリー・メフメト・パシャ
冷酷王セリムと壮麗王スレイマン、2代に渡って仕える大宰相。


本作では、16世紀から18世紀前半にかけてペルシャ地方(今のイランを中心とした地域)を支配したイスラム王朝、サファヴィー朝の2代目(シャー)・タフマースブ1世の人生を語っていく訳だが、その前に我々はサファヴィー朝の成立過程と彼の父でもある建国者のイスマーイール1世について知らなければならない。

そうでなければ、ラノベ主人公のようなスペックを備えた圧倒的カリスマが興したこの特殊な王朝を受け継いだタフマースブ1世の苦悩はわかりえない。

 

---------------------

 

サファヴィー朝の母体となったのはサファヴィー教団というイスラム教スンニ派に属する神秘主義教団である。

これは14世紀前半にカスピ海西南岸アゼルバイジャン地方のアルダビールでシャイフ=サフィー=アッディーンという人物が興した教団である。

 

この時代はムハンマドが唯一神(アッラー)のお告げを受けたとされる西暦610年より破竹の勢いで勢力を拡大させてきたイスラム諸国家にとっては苦難の時代であったと言える。

モンゴル帝国の西進である。これは1219年のチンギス・ハーンによるホラズム・シャー朝侵攻に始まり、次世代にも引き継がれた。

 

モンゴル鉄騎が馬蹄の蹂躙しうる限り西へ。

この方策に従ってモンゴル帝国は拡大を続けた。

ユーラシア大陸北部においては、キエフ・ルーシを屈服させ、ポーランドでは戦場となった地の通称を死体の山(ワールシュタット)と変えさせるほどの殺戮を繰り広げた。

 

これらのキリスト教国家では、常識を大きく越え、理不尽なまでの力を誇るモンゴル軍の襲来を神が与えた試練である、という風に言ったそうだが、元を辿れば同じ神を信仰する因果であろうか。中央アジアから中東に存在するイスラム教諸国家に対しても試練は平等に与えられた。

前述したホラズム朝を皮切りにアゼルバイジャンのイルデニス朝や暗殺教団の異名で知られるアムラートのニザール派、アナトリアのルーム・セルジューク朝、そしてイスラム世界に長く君臨したバクダード・アッバース朝までもが滅ぼされた。

 

人々は、そんな神の試練を克服するためにより強い信仰と指導者を求め始める。サファヴィー教団の勃興はそうした時代背景を受けてのものだった。

 

イスラム教は(アッラー)による本来の教えを重要視し、偶像への崇拝を嫌って、聖像の製作や個人への崇拝を禁止することに特徴があるが、その点でサファヴィー教団の教えは異色である。

アルダビールで興ったこの教団は代々ムハンマドやアリーの血をひく教主のカリスマ性を信仰の柱とし、歴代の教主たちは「アルダビールの聖者」と呼ばれ、半ば神のように崇拝されてきた。

 

イスマーイール1世の祖父でタフマースブ1世の曾祖父にあたるジュナイドの代からは更に先鋭化し、その教義には近隣地域に住まう遊牧民のシャーマニズム的要素のある信仰も取り入れられ、教えは更に神秘的かつ呪術的なものになっていった。

 

そうした動きにより、新たに信徒となった東アナトリアやアゼルバイジャン地方のトルコ系遊牧民たちは後にクズルバシュと呼ばれる武装集団を組織。教主の剣となり、盾となり教団の為に戦った。

そうした改革の成果もあってジュナイドの代にサファヴィー教団は急激に拡大し、サフィー家は単なる宗教団体の教主というだけでなくアルダビール周辺地域の君主としての役割を担うようになっていった。

 

 

このように、サファヴィー教団は確かに勢力を強めた。だが、それ故に受難した。それは、イエスやムハンマドがかつてそうであったように、新たな教えを広めようとする者にはついて回る運命なのかもしれない。

 

少し時代を遡るが、サファヴィー教団が成立してからしばらくした14世紀中盤頃からモンゴル帝国はその広大な領土を支えきれなくなり衰え始め、その後、アルダビールの一帯はモンゴル帝国の後継たるイルハン朝やティムール朝の支配下に入るが、いずれの支配も短命に終わった。

 

14世紀終盤、絶対的な支配者を欠く中で東部アナトリアと西部ペルシャにまたがるこの地域には武装した遊牧民が割拠し、やがて白羊朝と黒羊朝という2つの国がたった。

双方ともトルコ系遊牧民が興した国であり、いくつかの部族の連合という性格の強い国家であった。

 

勢力圏が重った2つの国家は、この地域の覇権をかけて、互いに競い領土を削りあった。

 

先述したサファヴィー教団の武装集団(ガーズィー)化はそんな時分に起きた。そして、小君主となっていたサフィー家は白羊朝と黒羊朝の争いに乗じて更に勢力を拡大させることを望み、2国家の内、白羊朝と強く結び付いた。イスマーイールの祖父でサファヴィー教団中興の祖であるジュナイド、また、その子ハイダルの妻は白羊朝の王女である。白羊朝にとってもムハンマド及びアリーの子孫であるサフィー家との同盟はただの軍事同盟以上のものであった。

 

1467年11月。白羊朝とサファヴィー教団は合同し黒羊朝の軍を急襲した。これにより黒羊朝五代目君主のジャハーン・シャーと跡取りの息子のムハマンディーは敗死。もう一人の息子、アブー・ユースフも捕らわれて両眼を抉られた。

この後、黒羊朝は再起をかけて何度か白羊朝に挑戦したが、この戦いの被害はあまりにも甚大であり、それは果たされなかった。数回にわたる決起の末、親戚の1人がインドに落ちのびた他は、黒羊朝の君主一族は全滅。黒羊朝の支配下にあった遊牧民部族は次々白羊朝に帰順していき、黒羊朝は白羊朝に吸収されるようなカタチで消滅した。

 

さて、黒羊朝に対して決定的な勝利をおさめた白羊朝の君主、ウズン・ハサンは名君であり、彼の存命中は白羊朝とサファヴィー教団の関係は良好であった。

しかし、彼が死ぬとそれは悪化する。

 

先述したようにサフィー家はムハンマドおよびアリーの子孫である。また、ハイダルの代に至るまでにササン朝王家や東ローマ皇帝とも親戚となっており、両国が滅んでからはサフィー家こそがこれらの王家の後継であると見る動きもあった。

これ以上ないほど高貴な血を持つサフィー家に対するアルダビール周辺の人々の信仰心は年を経るごとに強いものとなっていき、彼らが持つ武装集団であるクズルバシュもそれに比例して強大化した。

 

白羊朝は元々、遊牧民部族の連合体である。いくら名君ウズン・ハサンが内部を整えたとしても、そうした弛い統治体制しか持たない白羊朝にとって、サファヴィー教団の拡大は脅威であった。ウズン・ハサンは教団をうまく抑えていたが、彼の死後、サフィー家がどう動くかはわからない。

 

1488年。ウズン・ハサンの跡を継いだ次男のヤークーブはサフィー家への疑心を爆発させた。

サフィー家の軍団が領内を通過した際に無断で募兵を行ったとの理由で当主ハイダルを宮殿に呼びつけて、白羊朝に対する忠誠を改めて誓わせたのだ。

 

ハイダルからすれば、領内の通過は許可をとった正当なものである。それにヤークーブはハイダルが領内で募兵を行い人々を連れ去ったというが、ハイダルにその認識はない。彼らが教団への信仰心のあまり勝手についてきてしまったのだ。

 

ハイダルはそう説明したが、ヤークーブからすれば、むしろその「アルダビールの聖者」の権威こそが危険なのだ。会見はむしろヤークーブの猜疑心を強める結果となってしまった。

 

このままでは、潰される。

そう感じたハイダルは白羊朝に戦いを挑むことにした。

 

手始めにヤークーブの義兄弟ファルーク・ヤサールが支配する都市シャクヒーに対する包囲を行ったのだが、ヤークーブはそれに素早く対応して援軍を派遣。

その後、1488年1月29日にハイダルのサファヴィー軍とヤサール&ヤークーブの白羊朝軍がダルタナットで激突。サファヴィー軍はクズルバシュの死を恐れぬ突撃で奮戦するが、最終的には敗れ、ハイダルは戦死した。

 

ハイダルの決起は明らかに準備不足であり、反対にヤークーブの対応は異様なまでに早かった。もしかすると、ハイダルに対する一連の行動の全てがヤークーブによる謀略だったのかもしれない。そう考えると、ヤークーブという男は大した役者だ。

このまま彼がこの国を長く統治できれば、白羊朝も安泰であったかもしれないが、彼はその2年後、1490年に病死する。

その為、サファヴィー教団もそれ以上の追及を受けることはなく、やや勢力を削られたカタチにはなるが、ハイダルの長男スルターン・アリーが跡を継ぎ、アルダビールの聖者としての権威は保ったまま白羊朝の支配の中に留め置かれた。

 

ヤークーブの死後、白羊朝は支配者が定まらず、10年間に6人の君主が生まれることとなる。激しい政争の中でアルダビールの聖者が持つ影響力を求める権力者は多く、一時は以前のような勢力を盛り返すかとも思われた。だが、その権威故に戦いに巻き込まれてしまった、という見方もできる。

1494年、スルターン・アリーは権力闘争の中で殺害されてしまった。

 

その為、サフィー家の一族もサファヴィー教団の教徒たちも一時的に離散した。この時、スルターン・アリーに代わって新たに教主となったのが、彼の弟、当時7歳のイスマーイールなのであるが、彼もまた政争の激しい都市部に留まることはできなかった。

カスピ海南岸のギーラーン地方でカールキヤー・ミールザー・アリーという地方の有力者に保護されながら力を蓄えることになった。

 

サファヴィー教団はかなり異色の教団ではあるもののイスラム教スンニ派に属している。

それに対してカールキヤーはシーア派の信者であったが、彼はイスマーイールをシーア派の祖ともいえるアリーの末裔として、丁重に養育した。教師にはシャムス・アッディーン・ラヒージーというシーア派の優秀かつ頑固な学者をつけた。

スンニ派の教団指導者である少年にシーア派の学者をつけると言うことは一見とんでもない事のようにも思えるが、カールキヤーからすればこれは

「イスマーイール様に正しい教えを学んで頂けるように」

という最上級の善意から出た行動であった。

 

イスマーイールはそんな敬虔なシーア派教徒のもとで7年の歳月を過ごすことになる。

 

---------------------

 

「決起する」

イスマーイールがそう言い出したのは1499年。彼が12歳の時であった。

 

イスマーイールの師であるシャムス・アッディーン・ラヒージーは始め、彼の言葉を本気にしなかった。

イスマーイールの利発さも、彼の教団再興にかける想いの強さもよく知っている。しかし、彼はまだまだ子どもである。

歴史上、幼君は何人もいるが、その即位は、ほぼ全てが世襲か周囲に担がれてのモノだ。侮るつもりはないが、このような年齢の子どもが自らの意思で軍を動かし政権奪取しようとするハズがない、という先入観がシャムスの頭の中にはあった。

 

だからシャムスはイスマーイールの言葉を

「いつかこうしたい」

という将来に向けた希望であると捉えた。

謂わば、我々が近所の子どもの

「宇宙飛行士になりたい!」

という夢を聞いてやる時のような感覚である。

 

「いや、まったくその通りですな。イスマーイール様が成人された暁には必ずや兵を起こしサファヴィー教団の都・アルダビールを取り戻しましょう!」

 

そう言った後、シャムスはイスマーイールに優しく微笑みかけようとしたが、それをする間もなくイスマーイールは

「シャムス・アッディーン・ラヒージーよ…」

と静かに、再び語りかけてきた。

 

「私は決起する。白羊朝を討ち滅ぼすのだ」

先ほどよりもゆっくりと、だが力強く彼は言った。

年老いたシャムスの方が、彼に言い聞かされているようだった。

 

「イスマーイール様…それは本気なのですか…?」

「愚問だな。シャムスよ、思い出してみろ。私が今まで真実以外を口にしたことがあっただろうか?」

 

そう問いかけるイスマーイールは一種の異様な雰囲気を身にまとっていた。

この地域でも珍しいエメラルドのような澄んだ緑色の瞳に見つめられたシャムスの背筋にビリビリと電流を浴びたかのような衝撃が走る。

 

彼に従いたい。

 

多くの人がカリスマと呼ばれる人物に出会った時に覚える感覚が津波のように襲いかかってきたが、シャムスは溢れ出る感情をなんとか理性で抑え込もうとした。

 

冷静に考えて、現実的でないと思ったからだ。

 

「しかし、我々が持つ兵力では、あまりにも心許ない…」

「わかっている。クズルバシュに再集結を呼び掛けるのだ。」

「しかし、彼らは…」

 

サファヴィー教団に従っていた武装騎馬軍団クズルバシュ。

イスマーイールが挙兵するからと言って、今さら彼らが従うだろうか、というところにシャムスの懸念があった。

 

イスマーイールがアルダビールを離れた時、彼はまだ7歳だった。それから今まで、間近で彼を見てきたシャムスには、この少年が持つ特別な才気というものが理解できる。

だが、そのシャムスでも決起には時期早々だと感じたのだ。

 

イスマーイールがあの後、どのように成長しているのかも知らない彼らの援軍を期待して決起することが、どれだけ危険なことか。

何とかそれをイスマーイールに伝えなければならない。

シャムスが考えていると、イスマーイールが懐から紙を取り出した。

 

「これを、各地に散らばった信徒たちの元へ届けて欲しい」

 

シャムスは受け取り、書状の中身を確認した。そこには燃えたぎるようなイスラム書法で一編の詩が綴られていた。

 

 

我が名は(シャー)・イスマーイール、神の神秘なり。

これら全聖戦士(ガーズィー)の頭なり。

我が母はファーティマ。

我が父はアリー、そして我は十二イマームの長なり。

余はイスマーイール、この世に来たり。

余はアリーなり。アリーは余なり。

 

完全なる導師がきたぞ。全てのイマームなり。

聖戦士(ガーズィー)よ、歓喜せよ。預言者の封印は解けり。

真実の体現であるぞ。跪け。

サタンに従うな。アダムが衣を新たに纏ったぞ。

 

神が来たぞ。神が来たぞ。

救世主(マフディー)の時代が始まるぞ。

未来永劫の光が世にやってきたぞ。

 

 

シャムスはため息をついた。

感嘆のため息である。

 

イスマーイールに詩作の技法を教えたのはシャムスだ。だが、この詩の出来栄えは師のものを大きく上回る。

詩作においてのイスマーイールは一貫してシャムスの優秀な生徒であり、将来は詩人としても大成できるであろうという予感はあった。だが、この段階でこれほどのモノを書くことは、彼の師であるシャムスですら予想しえないことだった。

 

自分の眼は節穴であったのだろうか…。いや、違う。と、いうことに気づいてシャムスは身震いがした。

 

答えは詩の中にある。作中、彼は

「我が名は(シャー)・イスマーイール」

と名乗った後、段々と言葉を強めて行き、終盤には

「神がきたぞ」

というところまでたどり着く。

 

要するに、彼の精神は限りなく神に近づこうとしていた。

 

それは修行によって神との合一を図ろうとするイスラムの一派、神秘主義(スーフィズム)の極意のようにも思えるし、善行を貫こうとした指導者(イマーム)・アリーを神聖視するシーア派信仰の根源であるようにも思える。

 

イスラム教シーア派の祖・アリーはウマイヤ家による穢れた謀略と身内による卑怯な暗殺に敗れた。だが、正義はいつか必ず勝つ。いや、勝たねばならぬ。そうでなければ、世界は闇に包まれるであろう。アリーの子孫として、自らが正義を成す。そして、世界を光ある方へ導くのだ。

 

イスマーイールがその胸に抱く確信と決意が、彼の詩を聖人の域にまで一気に高めた。

このアゼルバイジャン語で綴られた美しい旋律の前には、最早、俗人の言葉など意味を成さない。シャムスはイスマーイールの前に跪いて言った。

 

「全ては救世主(マフディー)の仰せのままに」

 

---------------------

 

 

イスマーイールの情熱的な呼び掛けにクズルバシュたちは即座に反応した。アルダビールに集結した7000人は白羊朝政府に対しては「グルジアへの聖戦」を口実に北へ向けて進軍。

1500年3月には東アナトリアのエルジンジャンを占拠。そして12月にはアゼルバイジャン地方のシルバン・シャー国に進入する。

 

ここはイスマーイールの父・ハイダルが白羊朝の同盟国だったシルバン君候のファルーク・ヤサールに敗れて命を落とした場所でもある。ファルーク・ヤサールは未だに健在であり、イスマーイールはシルバン・シャー国の首都・シャマフ近郊のジャバーニー村で因縁の相手と激突することとなった。

 

数においてはやはりイスマーイールのサファヴィー軍は圧倒的に不利だった。それでも、アルダビールの聖者を代々半ば神として崇めた集団は、この時13歳の天才詩人・イスマーイールにより宗教的な情熱を大いに引き出されて、シルバン・シャーの軍団を撃破した。これによりファルーク・ヤサールは戦死した。

イスマーイールは教団の悲願であったハイダルの敵討ちをいとも簡単に達成して見せたのである。

 

さて、この時の白羊朝当主はアルヴァンドという男である。アルヴァンドはサファヴィー軍のシルバン占拠を聞くと、激怒して大軍を発した。

 

イスマーイールはグルジアへ進攻しようとしていたが、引き返し、1501年8月。両軍はアラクセス川渓谷、シャルールで激突した。

 

挙兵以来、国家元首レベルの相手とは初めての対戦である。浮き足立つ兵もいたが、イスマーイールはここでも

「我は魂の導き手である。私のためにその身を捧げよ」

との演説を行い、その言葉が兵士たちのスローガンになった。

 

何か特別な戦術を使った訳ではない。

だが、イスマーイールの言葉によりサファヴィーの兵士たちにもたらされた

救世主(マフディー)に従う自分達が負けるはずがない」

という意識は彼らに無限の力を発揮させた。

 

結果、この戦いでサファヴィー軍は圧勝。白羊朝の首都タブリーズをアッサリと占領することに成功した。

 

イスマーイールが王朝の樹立を宣言したのはこの時である。要するにサファヴィー朝の歴史はまさにその時から始まった訳だが、ここで一つサファヴィー朝にとってもその後のイスラム史にとっても重要な出来事が起きた。

イスマーイールによるサファヴィー教団のシーア派宣言である。

 

タブリーズの市民たちはアルヴァンドが敗走したことを聞くと、すぐさま新たな支配者イスマーイールを歓迎する式典の準備に入った。

白羊朝という国はそもそもが武装遊牧民の連合国家であり、支配者が土地に根づくという性質が弱い国家だ。更に言えば、彼らの前にこの地域を支配したモンゴル帝国の後継国家群もそうである。よって、この一帯における一般市民の民族的アイデンティティーは土地の支配者に頼ったモノではない。

 

では、この地域の人々が重要視するものは何なのかと問われれば、それは宗教ではなかろうか。

支配者となった遊牧民たちにも独自の信仰はあった。だが、その教義はイスラム教やキリスト教のように体系化され信者の末端にまで根づいたモノではなかった為に、後から帝国の領土に組み込んだ地域においては発展しなかった。

それ故、いくらモンゴル人たちが領主の首を切り、街を略奪しても、信仰は残った。むしろ、帝国が崩壊し(ウルス)のそれぞれが独立し始めると、モンゴル人支配者の方が領民たちの支持を得るために進んでイスラム教に改宗したくらいだ。

 

だからタブリーズの市民たちからすれば、既に弱体化していた自分達の支配者が街から追い出されたことなど屁でもない。むしろ高名なサファヴィー教団の教主が支配者になるなら良いではないか、というのが人々の意識にあった。

 

サファヴィー教団の教えが非常に独特なモノであるということは、既に触れた。アルダビールの聖者を半ば神の様に崇拝し、呪術的な儀式を用いる。

それでも、サファヴィー教団はイスラム教スンニ派がルーツであり、タブリーズ占拠の段階でもその看板は変わらない。

 

イスラム教スンニ派の意識からすれば、信者は皆、家族でもある。生活に多少の変化があっても、ある程度の節度で従ってさえいれば略奪されたり暴力を振るわれたりすることはあるまい、という安心感はあった。

 

だが、民衆の歓迎を受けながら入城したイスマーイールが国家の樹立と共に行ったのが、サファヴィー教団のシーア派宣言と領民たちへの改宗強制であった。

 

この態度にイスマーイールへの服従を決めていた市民及び役人たちは混乱した。国民の多くがソフトな神道及び仏教徒、あるいは無宗教である現代日本人には理解しがたいかもしれないが、イスラム教の中でもスンニ派とシーア派には教義の違いがある。

 

両派の成り立ちと分派の経緯については、この短編集内の別作品(『アリーには負ける理由がわからない』)を参考にされたい。あれはこの部分の説明がしたいが為に書いた。大変だった。

 

小さい様でいて複雑な違いなのだが、それをあえて簡単に言えば、ムハンマドの死後、権力闘争の末に政権を奪取したウマイヤ家の支配を許容したのがスンニ派で、絶対に認めずにムハンマドの義兄弟にして娘婿のアリーをリーダーとし、彼とその子孫の血を神聖視したのがシーア派だ。

 

アリーの人柄や行動が信仰に対して真摯で賛美されてしかるべきものであったことは、スンニ派の人々の多くも認めるところではある。

だが、スンニ派からすれば、シーア派のそれ以外を認めないというところが理解できない。また、シーア派信者のアリーを必要以上に神聖とする見方が「アッラー以外に神はなし」とするイスラムの理に違反している様に見えるのだ。

イスラム教もこの時点で成立から900年ほど経っている。クルアーンとハディース(ムハンマドの言行録)を元にイスラム法学者の解釈によって運営を行ってきたスンニ派と、法学者より指導者(イマーム)を法解釈の上位に置いたシーア派では教義にも多くの違いが出てきている。

 

スンニ派とシーア派をイスラム二大派閥とよくいうが、実際のところ、シーア派は常に少数派であった。ウマイヤ朝では当然弾圧され、その後に建ったアッバース朝では王朝の樹立に協力したにも関わらずスンニ派住民の支持を取りつける為に途中で切り捨てられた。

 

シーア派は異端である。

スンニ派住民の間にはそのような意識がある。

 

歴史上、シーア派は寡兵ながらその高い団結力と信仰心でファーティマ朝、ブワイフ朝などの王朝を建てたこともあるが、それも一時代、一地域内でのことだ。

なおかつ少数派を自認していた彼らは領内のスンニ派に対して改宗を迫ることはなかった。だいたい、イスラム教は異教徒に人頭税(ジズヤ)を払えと言うことはあったが、改宗を強要したことはない。

 

そういう意味でイスマーイールの改宗強制は異常な政策であった。

 

イスマーイールの宣言を聞く群衆の中に一人、勇気のある男がいた。男は周囲の者に

「自分は改宗に応じることはできない。信仰を隠すこともできるが、それは神に嘘をつくことである。あのイスマーイールとかいうガキに一言言ってやらなければならない」

と言った。

 

仲間たちは

「殺されるぞ、やめておけ!」

と諌めたが、男は

「これは私にとっての聖戦(ジハード)である」

と言ってイスマーイールの前に進み出て叫んだ。

 

「イスマーイールよ、若いお前にはわからないかもしれないが、この土地の信仰は代々スンニ派のモノなのである。この街の人々は武力を振りかざしても決してお前などには従わない!」

 

群衆の前に立つイスマーイールは笑った。

 

「ふむ。度胸のある男だ。気に入った。私と邸で話をしよう。」

 

そうして、男はイスマーイールと従者たちに連れられて行った。

仲間たちは悲しんだ。あの正直で勇敢な男がイスマーイールに殺されてしまうと思ったからだ。

 

だが、一晩して男は帰って来た。

仲間たちは歓喜して彼の家に集った。

 

あの頑固な男が意見を曲げるはずがない。生きて帰って来たということはイスマーイールがぐうの音も出ないくらいに言い負かして感服させたのだ、と思ったからだ。

 

だが、そこにいたのは仲間たちの知っている彼ではなかった。男はぽーっとした表情で

「イスマーイール様は素晴らしい。彼が言うのなら、シーア派の教えも正しいのかもしれない。」

と言うことを繰り返した。

 

コイツはそんな事を言う男じゃない。何か普通では想定できないほどの恐ろしい脅しをかけられたに違いない。

 

そう考えた仲間たちは男に

「イスマーイールの邸で何があった!」

と頻りに尋ねたが、彼はイスマーイールが如何に正しく素晴らしい人物かを語るばかりでマトモに回答しない。

 

「だから、具体的に何があったんだよ! 何をされた! 何を言われた!」

 

焦れた仲間の一人がそう問うと、男は

救世主(マフディー)の側で、そのお心に触れることができた…! この至上の喜びを言葉などという俗世間的なモノで表現しろというのか!」

と泣き崩れて言葉を発することが出来なくなった。

 

その噂が広まると、同時に

「イスマーイール1世、只者にあらず」

との評判も瞬く間に領内に広がった。

 

そして、イスマーイールがその後、何日間か連続で市内を行進し、市民への顔見せを一通り終えると、不思議と批判はなくなった。

 

イスマーイールはこの時、15歳である。全てを頭で考えられていた訳ではない。だが、彼には感覚的にわかっていた。

 

詩的な表現力に裏打ちされた自分の言葉には人を動かす力があることを。

そして、自分の容貌は人々が神聖視して服従したくなるほどに美しいものだということを。

 

先に「イスマーイール、只者にあらず」との風聞をたてておいたことでその神性は更に際立った。

 

この頃、タブリーズに居合わせた西洋商人は時代の転換点を目撃した衝撃と共にイスマーイールの風貌について次のように説明している。

 

「イスマーイール1世は、邪悪なほどに美しい」

 

自惚れる訳でもなく、驕る訳でもなく。

自分の持ち合わせた魅力を的確に評価して、それに相応しい振舞いができるところに、イスマーイールの宗教的な天才性が見てとれる。

 

そう考えると、イスマーイールが持ち出したシーア派への強制改宗も、ただ彼個人の信仰心に基づくモノではない様に思える。

アリーという聖者を熱狂的に支持し、幽隠(ガイバ)した隠れイマームが救世主(マフディー)として再臨することを信じるシーア派の教義はこれ以上なく高貴な血を持つイスマーイールの神性を高めるのに最適だった。

 

こうして、多くの信者を獲得し勢力を強めたイスマーイールのサファヴィー朝に対して、タブリーズを失って以降の白羊朝は著しく弱体化した。

 

その後、大した反撃もないまま、イスマーイールは1507年に白羊朝最後の砦マルディーンにてアルヴァンドを再び撃破すると翌年には長らくイスラム社会の中心であった重要都市・バクダードに入城。

 

ここに白羊朝は崩壊した。

 

 




イスマーイールの詩の参考文献は

永田雄三 羽田正『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』中央公論新社

です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その2 ~髑髏の盃~

アリーの後継者、十二イマームの再来たるイスマーイール1世は正義を為さなければならない。

 

イスマーイールがサファヴィー教団を率いて白羊朝を滅ぼした頃、時を同じくして中央アジアにはシャイバーニー朝が勃興していた。

ウズベク族のシャイバーニー・ハンは1495年にトランスオクシアナで覇権を握ると、1507年にはティムール朝を狙う。

後継者争いで揺れるティムール家はウズベク族を相手に為す術なく敗退。王都サマルカンドを奪われて一族は離散した。

 

そんなティムール家の一人、バディー・アッザマーンがタブリーズの宮殿に逃げ込んで来てイスマーイールに助けを乞うてきた。

 

「スンニ派のティムール朝を助ける義理などない。強敵シャイバーニー・ハンとの対決は避けるべきである。」

 

部下たちは口々に言ったが、正義の使者・イスマーイールは助けを求める者を無下にはしない。そしてむしろ、強敵という言葉に心を踊らせた。

 

「私が負けると思うか?」

イスマーイールは部下たちを集めて皆に問うた。

 

否、(シャー)・イスマーイールは必ず勝つ。

それが部下たち満場一致の意見であった。

 

理屈で考えれば、どちらが勝つとも言えないはずである。昨今、シャイバーニー朝の拡張には、サファヴィー朝のそれと同等の勢いがある。

 

だがそれでも、イスマーイールを知る者には、彼の敗北する様がまるで想像できないのであった。

 

---------------------

 

サファヴィー朝とシャイバーニー朝の間にメルヴの戦いが起こったのは1510年秋のことである。

 

戦いは、バディー・アッザマーンによる救援依頼という大義名分を得ているサファヴィー朝の敵領土侵入によって始まる。

これに対してシャイバーニー・ハンはメルヴでの籠城戦を選択した。

 

これは、サファヴィー側からすれば意外な作戦であった。

シャイバーニー朝は元々チンギス・ハーンの長男家が建てたジョチ・ウルスから独立した勢力であり、シャイバーニー・ハン自体、血筋をなぞっていけば、チンギス・ハーンにたどり着く。

それ故、シャイバーニー朝の主力をなすウズベク族は生粋の遊牧民族と言え、当然この戦いにおいても騎馬軍団での機動戦を仕掛けてくるものと思われていたのだ。

 

前述したように、サファヴィー朝のクズルバシュもテュルク系遊牧民を中心とする騎馬軍団だ。

彼らの信仰心に裏打ちされた死をも恐れぬ突撃は一種の異常性を孕んだものであるから、相手が普通の指揮官であれば、そうした狂信者たちとの対決を避けようとしたのだという見方も理解できる。

 

だが、シャイバーニー・ハンに限ってはそうしない、というのがドルミーシュ・ハーン・シャームルー、ムハンマド・ハーン・ウスタージャールーの両大将軍(アミール)をはじめとしたサファヴィー軍の参謀たちや直接矛を交えたバディー・アッザマーンの見方だった。

 

モンゴル系遊牧民にルーツがある騎馬民族というのは、騎乗の上手さと騎馬戦の強さに誇りを持っており、とにかくそれだけは他の奴らに負けたくないと思っているような連中なのだ。

ましてやシャイバーニー・ハンはチンギスの一族なのである。相手が強力な騎馬軍団だと知れば、むしろ躍起になって自分達の力を示しにかかる。それが彼らの行動パターンのはずだった。

 

全く不思議な事態が起きている。

サファヴィー側の参謀たちは戸惑った。今回は騎馬戦になる、という戦前の予想があったものだから、本格的な攻城戦の準備がない。

 

「このまま相手の土俵で戦うのは危険です。一度、タブリーズへ引き返し準備を整えましょう。」

 

イスマーイールの師にして現在は秘書官を勤めるシャムス・アッディーン・ラヒージーはそう進言したが、それに対してイスマーイールは慌てた様子も見せず

「まぁ、もう少し様子を見てもよいではないか」

と不適に微笑んだ。

 

そこから数日、イスマーイールはメルヴ近郊に留まる訳だが、その間、何をしていたのかと言えば、手紙を書いていた。

宛先はシャイバーニー・ハンである。

 

そこには

「外に出て来てマトモに戦う勇気がないのか? 腰抜けめ。」

「ウズベク族は馬に乗れないのか?」

というシャイバーニー・ハンの民族的なプライドを貶める個人批判や

「お前がここまで意気地のない男だとは知らなかった。チンギス・ハーンの子孫だとは思えない。いや、そもそもチンギス自体が言われているほど大した男ではないのかも知れないな。」

という父祖に対する侮辱が記されている。

 

イスマーイールは使者を送り、それを1日に複数回届けさせたが、帰って来た者はいなかった。

 

おそらく、手紙の内容があまりにもヒドく、そしてしつこいので怒ったシャイバーニー・ハンが全員の首を切ってしまったのだろう。

だが、それでもシャイバーニー・ハンが挑発に乗って城から打って出ることはなかった。

 

1週間ほどそれを続けると、イスマーイールは、

「シャイバーニー・ハンとは、なかなか我慢強い男であるな」

と感心した様子を見せて全軍に撤退を指示した。

 

---------------------

 

サファヴィー軍の撤退を聞き、シャイバーニー・ハンは歓喜した。やっとあのガキに目に物見せる事が出来る、と思ったからだ。

 

ここまで、概ねシャイバーニー・ハンの読み通りに事は進んでいた。

サファヴィー朝側はこちらの意図を読み、騎馬VS騎馬の戦いを想定しているだろう。だから裏をかいて籠城してやろう。そうすれば、長期戦の準備がないサファヴィー軍は背中を見せて撤退するはずだ。その時が反撃のチャンスになる。

 

この時、60代になろうかという年齢だったシャイバーニー・ハンはそうなる時を我慢強く待っていた。一つ、予想外があるとすれば、それはイスマーイール1世の行動である。

シャイバーニー・ハンをあらゆる角度から批判、侮辱する手紙をしつこく送ってきたのだ。しかも、その悪口は一つ一つがシャイバーニー・ハンの心にクリティカルヒットする非常に的確なモノであった。

 

籠城する相手に対して攻城側が挑発を行うことは、戦史上、よくあることだ。

シャイバーニー・ハンも敵がそうした行動に出ること自体は予測しており、多少のことで動じない心構えはできていた。だが、詩人、文筆家としても名高いイスマーイール1世が類い稀な文才をこの様に使ってくるとは思っていなかった。

 

シャイバーニー・ハンは我慢して、我慢して、我慢した。

イスマーイール1世はイスラム教徒として、これ以上ないほど高貴な血統の持ち主だという。だがそれは、このユーラシアの大地においては、チンギスの血をひくシャイバーニー・ハンとて同じことだ。草原の王者の末裔が約40歳も年下の若造に侮辱を受けたのである。

 

部下からは何度も

「この侮辱はさすがに度がすぎている! 打って出ましょう、これ以上の沈黙は誇りが許さない!」

と攻撃を進言された。

 

シャイバーニー・ハンも心は同じであったが、

「相手の大将はまだ若く、敵に対しても礼儀があるということを知らないのだ。過激なことをやってウケればいいと思っている迷惑YouTuberと同じであり、そんなヤツを相手にして作戦を崩してはならない」

と自らの気持ちに反して許可しなかった。

全ては反撃開始の時の為である。

 

そして、遂にサファヴィー軍が撤退を始めた。シャイバーニー・ハンが追撃を指示すると騎馬兵たちは飛び上がるような勢いで城を飛び出して行った。

 

---------------------

 

一般的に軍が戦場からの後退を余儀なくされる場合、それを行う軍団の戦闘能力は著しく低下している。

 

何故ならば。

 

まず、軍が撤退をするのには必ず理由がある。

戦闘で兵士を数多く失ってしまったとか、戦が長引いて物資が不足してしまったとか。あるいは自国で反乱が起こったということも考えられるだろう。とにかく、その軍は何らかの理由で戦線を維持できなくなっている。そうした状態にある軍が強いはずもない。

 

更に、軍団が撤退を始めれば、その瞬間から兵の士気も低下する。国家や軍の指導者は何か望みがあって戦争をする訳だが、基本的に前線で戦う一般兵はそうではない。戦闘が始まれば真っ先に犠牲になる彼らはほとんどが一刻も早く戦争が終わればいいと思っている。

もし仮に国家や主君への忠誠心が高く身を犠牲にすることを厭わないという兵がいたとしても、心の奥はおそらく同じで、例え負け戦でも自分が無事に故郷に帰れるとなれば必ず気が抜ける。

一度、家族に会える、家に帰れるということをイメージしてしまった兵には、事情が変わってもう一度戦えと言われても、それは難しい。

 

そして、最後は単純に陣形の問題だ。

相手に背を向けて逃げながら戦うのと、相手を追いかけながら前を向いて戦う場合、どちらが戦いやすいだろうか。おそらく、多少なりとも軍事に知識のある者なら、ほとんどの人が後者と答えるはずだ。

 

これらの理由から、撤退していく軍団とそれを追う軍団が戦闘になった場合、圧倒的に後者が有利となる。

 

 

シャイバーニー・ハンもサファヴィー朝の軍に対して、それを狙った。兵士たちも自分たちの圧倒的に有利な状況を知っているから、シャイバーニー・ハンから追撃の命が下ると、先を争う様にして自陣から出ていった。

 

シャイバーニー・ハンも

「ここが勝負どころだ!」

と兵たちの先頭に立って指揮をとる。

自身と父祖への侮辱に対する怒りもあっただろう。

 

追撃戦はスピードが命である。守備網の崩壊した相手を倒す絶好の機会。なんとしても逃げる敵に追いつき、相手の指揮系統を破壊してしまわなければならない。

そうすることで、軍の再編を余儀なくされた敵国に対し、その間、軍事・外交的に優位を保つことができるのだ。逆に、相手を無傷で帰還させてしまえばここでの勝利の意味も薄れてしまう。相手は素早く体制を建て直し、再び侵攻してくることだろう。

 

一兵卒からしても、手柄を立てる絶好機である。

相手を首だけにしてしまえば、その者が強かったか弱かったかなどわからない。弱った敵兵をなで斬りにして、とにかく多くの首をとって自身の手柄にするのだ。

その為には、敵と戦う前に、まず仲間に遅れをとってはならない。

 

そういった訳で、追撃戦においてはしばしば、隊列を保つことよりも行軍の速さが優先される。

この時のシャイバーニー朝の軍もそうだった。

 

だが、しかし。

シャイバーニー軍の先頭がサファヴィー軍に追いついた時、そこにいたのは、情けなく故郷に逃げ帰ろうとする敗残兵たちではなかった。サファヴィー軍は既に反転し、しっかりと陣形を整えて追手を待ち受けていたのだ。

 

偽装退却…!

 

そう気づいた時にはもう遅い。サファヴィー軍はシャイバーニー騎兵の姿を認めると、統率のとれた陣形を保ちながら一斉攻撃を開始した。

 

今度はシャイバーニー軍が追われる立場になる。

追撃の為、あえて隊列を崩していたシャイバーニー軍は組織だった反撃も出来ないままサファヴィー軍に押し潰されるカタチになった。

 

混乱する戦場の中で、前線まで出て来ていたシャイバーニー・ハンも討死した。歴史上、国家元首レベルの人物が会戦で討死する戦いというのは、意外と例が少ない。

サファヴィー朝にとってこれ以上ない結果、救世主(マフディー)・イスマーイール1世による完璧な勝利であった。

 

イスマーイールにはシャイバーニー・ハンが籠城を始めた段階からこの絵図が見えていた。

戦いの序盤、城に籠ったシャイバーニー軍を見て、サファヴィー軍の参謀たちは混乱した。

 

「何故だ、奴らは民族の誇りにかけて絶対に騎馬戦を仕掛けてくるはずなのに!」

 

実のところ、イスマーイールもそう思った。

だが、参謀たちとイスマーイールが決定的に違ったのは、誇りというモノの捉え方だろう。

 

参謀たちはシャイバーニー軍の行動を

「彼らは予想外にも、騎馬民族の誇りを捨てて籠城した」

と捉えた。

 

だが、イスマーイールは思うのだ。

仮にシャイバーニー・ハンが独自の見解から

「サファヴィー軍には敵わない」

と考え、会戦を回避しているとして。

 

誇りというモノは、そう簡単に捨て去れるモノだろうか。

いや、むしろ、簡単に曲げることの出来ない想いやあるべき姿のことを、そう呼ぶのではなかろうか。

 

そう考えた時に。

 

今は多少なりともコチラの実力への尊敬を持って策を弄しているのだろうが、彼らは勝負所で必ず騎馬戦を仕掛けてくるはずだ。イスマーイールはそう踏んだ。

 

だからこそ、イスマーイールは書状を送りシャイバーニー・ハンとウズベク族を中傷した。相手が誇りを捨て去ってしまっていれば、そんなことに意味はない。

だが、相手が逸る気持ちを抑え耐えている時だからこそ、このような古典的な方法にも意味が生まれる。

 

人には、欲求に対して我慢をすればするほど、縛りが解けた時に気持ちのタガが外れ、自分自身を制御出来なくなる傾向がある。

シャイバーニー・ハンや彼の兵士たちもそのような心境に陥った。

 

敵の侮辱に耐えながらチャンスを待ち、遂に反撃の機会が訪れた。その瞬間、彼らは我を忘れた。

散々に愚弄してくれた敵の若い君主を血祭りにあげて民族の誇りを示す。それ以外のことが考えられなくなった。

辿り着いた先に、相手の罠が待っていることなど、想像もしていなかったことだろう。

 

感覚の人であるイスマーイールにとって、兵法・用兵術の類いは必ずしも得意分野ではない。だが、一流の宗教家である彼は、物事の本質や相手の心理を直感的に読み取る能力に長けていた。

このメルヴの戦いにおいて彼は、約40歳も年上のシャイバーニー・ハンの考えを的確に予測し、見事、敵の作戦の裏をかいて見せたのだ。

 

シャイバーニー・ハンを討ち取ったという報告が最前線から入ると、サファヴィー朝本陣の中は俄に色めきたった。

皆が浮かれる中、ただ一人イスマーイールだけが真顔のままだった。

 

「シャイバーニー・ハン、誇り高い、素晴らしい敵だった…。」

「そうですかぁ? イスマーイール様にかかれば、あんなヤツ、楽勝ですよー!」

 

と部下たちは戦勝の喜びに浮かれているようである。イスマーイールはなおも表情を崩さない。

 

「誰か、シャイバーニー・ハンの首を持って来い。」

「いいですね、晒し首にでもしてやりましょう!」

「なるほど、俗人はそのようにするのか。」

「え?」

 

イスマーイールはそこまで話してやっと笑った。

 

「今宵は宴にしよう。英雄(チンギス)の血が流れる男の骨で一杯やりたい。」

 

その夜、イスマーイールはサファヴィー教団の儀礼に則り、シャイバーニー・ハンの髑髏を盃にして勝利の美酒を味わった。

 

---------------------

 

正義の使者を自認するイスマーイールはこの勝利の後、ヘラートに入城し、シャイバーニー朝の捕虜になっていたティムール朝の人民を解放してやった。

 

その中には、その後、インドに移ってムガル帝国を興すことになるバーブルの姉ハーンザーダもいたが、それはまた別の話だ。

 

シャイバーニー・ハンの死後もウズベク族はなお強く、1512年11月には新しい首長ウバイド・アッラー・スルターンに率いられてサファヴィー軍の猛将ナジーム・イサーニーの軍を打ち破ることすらあった。

だが、翌年の春にイスマーイールが親征を開始すると、彼らはそそくさと逃げる様に自領に引き返して行った。

要するに、イスマーイール1世の名はそれくらいウズベク族にとって恐怖の対象になっていた。

 

こうしてサファヴィー朝はかつて白羊朝の勢力圏だったペルシャ地方全土を制圧した。

 

タブリーズ占領の時と同じく、ヘラート、バグダードなどこの地域の重要都市でもイスマーイールは住民にシーア派改宗を強制した。

 

それにより一部の敬虔なスンニ派は街を出ていったが、イスマーイールのカリスマ性により、人々のそうした行動は最小限におさめられた。

この時のイスマーイールの政策が、ペルシャ地方をシーア派の一大拠点とし、それが今日まで続いている訳だ。

 

サファヴィー朝にイスマーイール1世あり。

その勇名が、世界に響き渡ろうとしている。

 




構成はその1~その6までです。
なお、その1~その3がイスマーイール編、その4~その6がタフマースブ編になる予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その3 ~救世主(マフディー)VS冷酷王(ヤヴズ)

カリスマの影響力は万里をも越える。

 

1499年、当時12歳にして国際舞台への鮮烈なデビューを飾り、地域の強国・白羊朝を滅ぼしたイスマーイール1世の評判は瞬く間にイスラム世界に広まった。

当時は当然、写真、TV中継、インターネット、それら全てがなく、支配者の実像は分かりにくい。

 

だが、だからこそ、人々は伝わってくる断片的な情報から想像した。

 

ムハンマドとアリー、更にササン朝王家やローマ皇帝家(コムネノス家)から受け継いだ高貴な血統、邪悪なほど美しいと評された容貌、常勝無敗を誇る軍事的才能、そして豊かな表現力でもって紡ぐ情熱的な詩の数々に呪術的な儀式を用いる神秘的なサファヴィー教団の教義…。

 

それらの噂は特に1453年にビザンツ帝国を滅ぼして世界最強国家になっていた隣国オスマン帝国の領内にいる被支配民族の心を刺激した。

イスマーイール1世こそ、唯一オスマン帝国に対抗しうる存在であり、我らを支配から解放してくれる救世主である。

そんな風潮が彼らの中で広がっていった。

 

実際、例えば戦勝後、自らに従った部下や異民族に対して与える報奨について、イスマーイールはかなり寛容であった。

サファヴィー朝以外の普通の国家にとって、部下に与える報奨の多寡というのは、非常に君主の頭を悩ませる問題だ。

それが働きに対して少なければ不満が出る。だが、多すぎるのも問題だ。積み重ねていけば、やがて君主と同等、あるいはそれ以上の力を持つ者が現れるかもしれない。

だから普通の国は大きい戦功を立てた部下に対しても、ある程度は報奨を渋る。または、力を持ちすぎる者が出ないように、制度で縛る。

 

だが、(シャー)への絶対的な忠誠心が国の基盤になっているサファヴィー朝のイスマーイールは部下や被支配民族からの反逆を恐れる必要がなかった。

だから、イスマーイールは常に報奨を弾んだ。

同じ理由で、もし報奨が少なくても不満は小さくて済んだであろうから、これは彼の性格の問題でもあるのだが、同時に王たる所以でもある。

 

自分の思っていた以上、あるいは他国では考えられないような高い報奨を与えられた部下たちは、イスマーイールというカリスマからの評価に感激して、なお彼に忠誠を誓った。

 

だから、隣国からその様子を見て、オスマン帝国の支配を受けた部族の人々は

(シャー)・イスマーイールは報酬をケチらない。彼に従い、功をたてれば自治が約束される」

と思った。

 

そうした訳で、特にオスマン帝国とサファヴィー朝の国境付近、東アナトリアには彼を崇拝し、自らその支配下に入ろうとするイスマーイールファンクラブが跋扈する状況になった。

 

そんな時分に起きたのが、サファヴィー朝とシャイバーニー朝によるメルヴの戦いであった。

 

イスマーイール1世の鮮やか過ぎる勝利。

 

それに魅せられたイスマーイールファンクラブの人々は

「早くイスマーイール様に従いたい、命令されたい、支配されたい」

という感情を遂に爆発させた。

 

1511年、シャー・クルの反乱である。

反乱のリーダーになったシャー・クルなる人物の出自は不明。だが、シャー・クルというのは『(シャー)の奴隷』という意味だ。要は、サファヴィー朝にシンパシーを持つ者であることは間違いない。

 

大規模な反乱になった。まず、皇帝バヤジット2世の皇子コルクトが鎮圧に赴いたが、あえなく敗退。次いで皇子アフメトが大宰相ハードゥム・アリ・パシャと共に出陣し、大宰相が戦死するという苦戦の末にようやく鎮圧した。

 

オスマン帝国首脳陣はこの反乱にはサファヴィー朝が直接関わっていると分析した。

根拠としては、まず一つに、反乱首謀者シャー・クルの出自が不明であったことが挙げられる。つまり、彼はオスマン帝国の支配が及ばない外国からやってきた人物なのではないか、そう推測されたのだ。

そして、もう一つの根拠はイスマーイールの人柄によるもので、正義の使者を自称する彼は自分自身を慕う者から助けを乞われれば断ることはしない。オスマン領内にいる自身の信奉者たちにも何らかの支援を与えていた可能性が高いだろう、と思われた。

 

状況証拠のみで確証はない。だが、何にせよオスマン帝国はサファヴィー朝を叩かなくてはならない。

イスマーイール1世本人にその意図があろうがなかろうが、このまま国内に彼の信奉者が増えれば、反乱が頻発し、国政は乱れる。

 

少し触れたが、当時のオスマン皇帝は聖者王バヤジット2世である。この人はその二つ名が示す通り非常に信仰熱心な皇帝であり、預言者の血をひくアルダビールの聖者の国に対しては融和的な態度で接していた。

苛烈な人物が多いオスマン皇帝の中では珍しく人格者として人民から尊敬を受ける現皇帝だが、この国家の危機に際しては特に軍部から、その外交政策を非難する声が大きくなっていった。

 

そこで登場するのがバヤジット2世の3男、後の冷酷王セリム1世である。

彼はサファヴィー朝に対する強硬論を掲げてイェニチェリの支持を取りつけると、クーデターで2人の兄アフメトとコルクトを排除し、一家諸共処刑。更に父バヤジット2世も退位させ、幽閉した。

なお、バヤジット2世はそこから数日で死んだ。

公式には病死と発表されるが、宮廷内ではセリムによる毒殺だと噂された。

 

セリム1世は1512年5月に即位した。

オスマン帝国はこれまで領土の獲得にあたっては同じイスラム教の国家よりも、西方のキリスト教国をターゲットにしてきた。だが、セリム1世は即位後にその方針を転換。ハンガリーなどと和睦して軍を東方に差し向けた。

 

勿論、サファヴィー朝に対抗するためである。同じイスラム国でも異端のシーア派ならば、話は別だ。

セリムは東部アナトリアに到着すると、まず役人及び住民たちの身辺調査を開始。結果、イスマーイールの信奉者であると疑われた者、なんと4万人を処刑した。

 

さて、こうなるとサファヴィー朝も動かざるを得なくなった。

実のところ、常勝無敵のイスマーイールもこれまでオスマン帝国との交戦だけは避けてきた。かの国はこの時代の世界最強国家である。

難攻不落のコンスタンティノープルを攻め落とし、偉大なローマ帝国の歴史を終わらせたオスマンの強さに衝撃を受けていたのは、なにも西洋諸国家だけではない。中東のイスラム諸国も同じであった。

 

だが、セリム1世が東アナトリアで殺した4万人は、実際に蜂起を計画していた者、所謂反乱者だけではない。少しでもサファヴィー朝やシーア派に好意を見せた者はその家族も含めて全員が異端の信奉者として殺されていた。

 

いくらオスマン領内での出来事とはいえ、これに正義の使者が憤りを感じないはずはない。

 

---------------------

 

オスマン軍とサファヴィー軍がぶつかるのは、1514年8月、現在のトルコ領、東部チャルディラーン平原でのことだった。

 

戦いの前日、オスマン軍の到着が近いことを知ったサファヴィー軍の陣では軍議が開かれた。

始めに(シャー)・イスマーイールに献策したのは、サファヴィー朝における西方最前線ディヤールバクル地方の太守を務めるムハンマド・ハーン・ウスタージャールーであった。

 

そのムハンマド・ハーンの言うところによると。

オスマン軍の主力はイェニチェリ軍団であり、彼らは主に銃や火砲を使う。よって、夜襲が有効である。視界の悪い夜ならば、そうそう自陣で発砲することはできない。狙いが定まらないし、悪ければ同士討ちが発生するからだ。欲を言えば、混乱に乗じ敵の火薬庫を探しだして、水浸しにしたい。そうすれば翌日から相手の火砲は使い物にならなくなる。

 

「なるほど…」

ムハンマド・ハーンの策を聞き、イスマーイールは呟いた。非常に合理的な策である。

相変わらず優秀な男だ、とイスマーイールは感心もした。

 

だが、この策には何かが足りないような気がしてならない。

イスマーイールはそう感じて考え込んだ。

 

すると、今度はヘラート太守のドルミーシュ・ハーン・シャームルーが発言した。

 

「ムハンマド・ハーンよ、お前は救世主(マフディー)にそのような戦い方をしろというのか?」

「そうだ、この策が最適であるように思う。何か問題があるか?」

「これは王と王との戦いだ。正々堂々と正面からぶつかりオスマン軍を打ち破らねば救世主(マフディー)の名が廃るであろうが!」

「お前はオスマン軍を知らないからそんな事を言うのだ!」

 

ムハンマド・ハーンは声を荒げた。

確かにドルミーシュ・ハーンは武勇に優れた男だが、それは主にサファヴィー朝の東方、シャイバーニー朝などの遊牧民国家との戦いで培ったモノである。

オスマン帝国も出自は遊牧民族だが、コンスタンティノープル攻略戦以降は火砲の充実を図った。

 

今までとは全く違う戦いをする相手なのだ。ここはオスマン軍をよく知る自分に従ってもらわないと困る。

そういう意味でムハンマド・ハーンは怒りを見せたのだ。

 

「2人とも、そこまでだ。」

イスマーイールは静かに2人を御し、ゆっくりと目を閉じて思案した。

 

部下の意見が対立した時は、それが決定的にならない内に自らが裁定を下す。

生まれついての君主であるイスマーイールにはそれが身についていた。

 

だが、物事の結論を出す、という作業は決して簡単ではない。その決断に、国家の全てが委ねられている。

確かに、ムハンマド・ハーンの策は非常に理にかなっている。だが、それに彼が何らかの欠落を感じたことも、また確かである。ドルミーシュ・ハーンの発した「王と王の戦い」という言葉がイスマーイールの心に引っ掛かっていた。

 

イスマーイールはこの対オスマン戦争において、ここまで焦土作戦をとっていた。世界最大の常備軍を持つオスマン帝国が動員した軍勢はこの時、約10万人。対するサファヴィー軍は4万である。いくらイスマーイールが英雄で、兵士や国民が彼の事を熱狂的に愛してもそれは覆しようのない国力の差であった。

 

だから、サファヴィー軍は一旦、オスマン領内深くに侵入してから、途中にある村々を焼き払いながら撤退を繰り返すことで相手の補給線を破壊しようとしていた。

率いる兵の数が多ければ、それだけ必要な食糧物資も多くなる。事実、敵陣中に放った間者によれば、オスマン軍は大いに苦しみ、兵からは不満も漏れている。兵士たちは最早、セリム1世の冷酷さに怯えて従っているだけだという。

そうしたこともあり、ここチャルディラーンで遂に戦いを挑もうとしている訳である。

 

今ここでまた奇襲を仕掛けるのか。

それは、王者として相応しい振舞いなのか。

その行動には、正義が足りない。

 

それが、イスマーイールの抱いた欠落感の正体であった。

 

イスマーイール1世は単なる理想主義者ではない。己の意地を突き通す為に現実を無視することの危険性もよくわかっている。

 

だが、しかし。

それと同時に彼には正義を為す必要があった。

これは一見矛盾するようであるが、そうではない。

 

彼には人生において、これまでも常に正しい振舞いをしてきた自負がある。

父祖の仇を討ち、弱者を助け、聖者アリーを信奉する。

正義を為し、そして、勝った。

 

その経験の繰り返しが、彼の特殊な思考回路を生んだ。

彼の中では「勝利の為に戦略を練ること」や「勝利の為に戦力を集めること」と「勝利の為に正義を為すこと」は全て現実的に同レベルで語れることなのである。

 

そして、実際、それはあながち的外れではない。

イスマーイールの王者の振舞いこそが、彼に信奉者を作り、命まで掛けさせた。彼らの忠誠心こそ、サファヴィー軍の強さの秘訣であると、イスマーイールは体感的に知っていた。

 

イスマーイールは決断した。

「明朝、日の出と共に総攻撃を開始する!」

 

「はっ!」

臣下一同はイスマーイールに礼をとった。

 

それは、意見を退けられたムハンマド・ハーンも例外ではない。

彼らにとって、イスマーイールの裁断は神の言葉に匹敵するほど重いのだ。

 

---------------------

 

夜明けと共に始まった戦いは激戦となり、昼になっても決着がつかなかった。怒涛の勢いで迫るサファヴィー軍のクズルバシュを前にオスマン軍の右翼は突き崩されてセリム1世は自らの護衛軍から人員を割いて戦線の補充にあたらせた。

 

だが、オスマン帝国が主力とする銃火器の恐ろしいところは、苦し紛れに放った偶発的な一発でも戦局を変えることができる点だ。

 

苦戦していたオスマン軍の右翼、要するにサファヴィー軍左翼の司令官はムハンマド・ハーンであった。

彼は自らの作戦を退けられながら、戦闘が始まれば誰よりも勇猛に攻撃を仕掛け、オスマン軍を圧倒する戦いを見せていた。そのムハンマド・ハーンが流れ弾に当たり、重症を負った。彼はその後、程なくして命を落とすことになる。

 

これで、形勢が変わった。

指揮官を失ったサファヴィー軍左翼は統率が乱れ、大いに崩された。そして、その余波は軍全体に及ぶ。

最も奮戦していた左翼が破れたことで、元々数で劣るサファヴィー軍は戦線を維持することができなくなった。

 

部下たちはここまで無敗の王者に対して、かける言葉がない。

そんな中、唯一アゼルバイジャンでの挙兵時から連れそうシャムス・アッディーン・ラヒージーが

救世主(マフディー)…撤退のご決断を…」

と進言した。

 

「シャムスよ、私は負けるのか?」

「…いえ、一度退く。ただそれだけです」

「私は、救世主ではなかったのか?」

 

この男にしては珍しく怖れの入り交じったような辿々しい言い方だった。シャムスは首を静かに横に振った

 

「いえ。あなたは正義の使者。だからこそ、ここで冷酷王セリムに負けることは許されないのです。命さえあれば、いくらでも巻き返しの機会はございましょう。だから、今は一旦退くのです。」

 

そこまで話したところで、イスマーイールたちのいる本陣に前線からドルミーシュ・ハーンが戻ってきた。彼は入ってくるなりイスマーイールの足下に跪いて泣き出した。

 

救世主(マフディー)! 申し訳ございません、救世主(マフディー)! 私が、私が会戦を主張したから、このような事になったのです! 私は(シャー)・イスマーイールの戦歴に傷をつけてしまった! 何と、何とお詫びしたら良いのかわかりませぬ!」

 

あまりの大泣きに周囲が呆気にとられる中、イスマーイールは彼の肩に手を置いて笑った。それはイスマーイールが時折見せる、あの見ている者をゾクゾクさせる儚なげな邪悪さをはらんだ笑みではなく、非常に人間らしい温かい微笑みだった。

 

「ドルミーシュ・ハーン、何もそんなに泣くことはあるまい。さぁ、撤退の準備をしよう。これ以上、私を慕ってくれる者たちの命を無駄にする訳にはいかないからな。」

 

---------------------

 

チャルディラーンでの敗北により、イスマーイール1世のサファヴィー軍は一度、タブリーズを放棄せざるを得なくなった。

この建国以来の首都は防衛網を再構築し、オスマン軍を待ち受けるには、国境に近すぎたのだ。

その為、オスマン軍は難なくタブリーズに入城し、逃げ遅れた人々は略奪の対象にされた。その中には王族も含まれイスマーイールの妻の内の1人、絶世の美女ベルーザ・ハーヌムもオスマン軍の捕虜になった。

 

イスマーイールは彼女を取り戻す為、屈辱に耐えて、セリムの武勇を賞賛する書状と高価な贈り物を送ったが、返ってきたのは殺された使者の首と身代金の増額を要求する手紙だけであった。

王族の身柄との交換だとしても、セリムの要求する金額は法外なモノである。

 

そもそも冷酷王には交渉する気などないのではないか。

サファヴィー朝の政府内ではそう言われた。

 

要求に屈すれば、敗戦間もないサファヴィー朝の国庫は破綻に追いやられるだろう。

それでも臣下たちはどうにか金を工面しようと奔走したが、イスマーイール本人が無理を悟って

「ベルーザは可哀想だが、国そのものには変えられない。」

と解放を断念し、オスマン帝国との交渉を停止した。

 

それを受けて冷酷王セリムは実に彼らしくその下卑た欲望を全開にした。イスマーイールの美しい妻を自らの妾にしようとしたのである。初めからそのつもりだったのかもしれない。

 

だが、ベルーザが

「あの邪悪なほど美しい世紀のイケメン・イスマーイール様の妻から、冷酷なブサメン王・セリム1世の妾になるなんて…最低! キモッ!」

「セリムって、ブサイクだからイケメンに嫉妬して、こんなことするんだわ…もしかして、思春期に好きな子をイケメンに奪われたとか?」

「うわぁ…そういうコンプレックスで性癖歪んじゃったんだぁ…キモ~イ! イヤー!」

とあまりに泣くので面白くなくなった。

 

嫌がられること自体は彼のサディスティックな嗜好から、そうズレてはいない。だが、セリムとしては、屈辱にまみれた王妃をムリヤリ…みたいなシチュエーションが欲しいのであって、面と向かってキモがられるのは、なんか違ったのである。

 

萎えた。

 

そんな訳で、イスマーイールの妻は、涙目のセリムが身分の低い部下を適当に見繕って娶らせることにした。

 

さて、そんな訳で、セリムからベルーザの輿入り斡旋を頼まれた宰相ピリー・メフメト・パシャはとあるグウタラな法学者(ウラマー)に彼女を嫁がせることにした。

 

ピリーにとってこれはさじ加減の難しい仕事になった。

セリム1世はコンプレックスであるブサメンいじりをされて不快感を感じている。だから彼女にあまり良い思いをさせる訳にはいかない。とはいえ、貧民の妻にするのはあまりにも不憫である。

 

出席の見込みのない役人くらいがちょうどいいか。

それがピリー・メフメト・パシャの判断だった。

 

その話を聞くと、当然、法学者(ウラマー)は大喜びした。

 

「やったー! こんなに怠け者な俺の家に元王妃が嫁に来た! もう最高! 何だろう、ラノベかな!?」

「いやぁ、しかし。セリム様がこのような性癖をお持ちだとは…イヤハヤ意外でしたな」

 

ピリー・メフメト・パシャが長い髭をいじりながら言うと、法学者(ウラマー)は首を傾げた。

 

「へ? どういうことだい?」

NTR(ネトラレ)ですよ」

「NTR!? いや、セリム様はドSだと聞いている。NTRされたのはイスマーイール1世なのでは?」

 

「私もそう聞いていた。だが、よく考えてみなされ。セリム様は、あのイケメンにベタ惚れの美しい女性がすぐ手に入るお立場だったのですぞ。」

「男として、特にドSならたまらん立場ですよね」

「ああ。セリム様は自らはブサメンでありながら…いや、ブサメンだからこそ面食いであらせられ、美女にはメがない。本当ならば、あの王妃のことは喉から手が出るほど欲しかったはず…。」

 

「そういえば、普段からセリム様のイケメンへの僻みには凄まじいモノがある。劣等感の解消の為には是非とも、彼女との婚姻が必要だったはず…。」

「だが、それをわざわざお前のような木っ端な役人に娶らす…これをNTRと言わず何と言おう。しかも、セリム様ご本人としてはもっと身分の低い相手でも良かったのだ。」

 

「しかし、それはただのNTRではない…かなり高度なNTRですよ?」

「あぁ。これこそ王者のNTRと言えよう。」

「さすが我が皇帝(スルタン)。この事は、皆に広めなくてはなりませんね」

 

このチャルディラーンの戦いの結果は、オスマン帝国がコンスタンティノープル攻略戦以降続けてきた銃火器による武装強化と、それを戦術的に活用したセリム1世の手腕の成果であると世界史では評価されている。

既に世界最強の称号をモノにしていたオスマン軍であるが、不敗の救世主(マフディー)イスマーイール1世という最強の挑戦者を跳ね返しチャンピオンベルトの防衛に成功したことで更なる名声を手に入れた。

そして、これまで冷酷さのみで語られてきたセリム1世も、その武勇と特殊性癖でもって世界に知られるようになっていく。

 

一方、ここまで無敗で拡張を続けてきたサファヴィー朝は建国以来、初めての危機を迎えることになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その4 ~サファヴィー朝の2代目~

☆登場人物紹介(タフマースブ編)

○タフマースブ1世
カリスマ君主・イスマーイール1世の後を継いだサファヴィー朝2代目(シャー)。顔も頭も悪くはないが、先代と比べられ部下たちには軽視されている。そんな生い立ちもあってか、自己評価が低く、厭世観が強い性格。
○タージュルー・ハーヌム
イスマーイールの妻②。タフマースブの母。オスマン帝国によるタブリーズ攻撃の際、なんとか街を脱出して助かった。タフマースブの即位後は彼のアドバイザー兼クズルバシュの抑え役を担う。

○チューハ・ソルターン・タッカルー
タフマースブ即位後すぐの権力闘争で権力を握ったディーヴ・ソルターンを追放して政権を獲得した
将軍(アミール)。タフマースブの事はナメている。
○ホセイン・ハーン・シャームルー
コロコロ変わるサファヴィー朝大将軍(アミール)の内の1人。
○ガーズィー・ジャハーン・ガズヴィーニー
タフマースブ唯一の忠臣。権力闘争の末、幽閉されていたが国家の危機に際し、牢を脱出。タフマースブの下へ舞い戻る。

○スレイマン1世
オスマン帝国第10代皇帝(スルタン)。オスマン帝国全盛期の皇帝であり、世界の覇者として君臨しているが、内面には孤独を抱えている。
○パルガル・イブラヒム・パシャ
スレイマンの親友として異例の早さで出世したオスマン帝国大宰相。誰よりもスレイマンを知る男だが、後継者問題においては対立がある。
○オラーマ・ソルターン・タッカルー
アゼルバイジャン地方の太守であったがタフマースブとの不和からサファヴィー朝を裏切りオスマン帝国に渡る。


この章からようやく主人公タフマースブ1世が登場する。

彼の父イスマーイール1世の記述にかなり長くかかってしまった。おそらく紙面の半分程度を使ったのではなかろうか。

 

「筆者、バランス考えろや」

と言われたら、それまでだが、これはあえてやっている、ということを念のため主張させて頂きたい。

要するに、イスマーイール1世とはそれだけ偉大で存在感のある人物なのだ。

 

もうコッチが主人公で良くないか?

そう思われるかもしれない。

 

そうなのである。

タフマースブ1世もそう思っていた。

 

自分は物語の主人公になれるような人間ではない。

彼はこれ以上ないほど高貴な血統を持つ王家に生まれながら終生自分をそんな風に評価していた。

 

タフマースブの物語の導入として、今しばらくイスマーイール1世生前のサファヴィー朝についての記述を許されたい。

 

 

タブリーズの占領に成功したオスマン軍だが、秋には街を放棄して自領に帰って行った。これにはチャルディラーン平原での激突の前にイスマーイールが行っていた焦土作戦の影響があって、オスマン領からの食糧運搬が上手くいかず、タブリーズでの越冬が困難になった為である。

 

だから、街が略奪され、イスマーイールの妻までもが奪われたのは前述の通りだが、それでもサファヴィー軍はタブリーズの街そのものを取り戻すことはできた。だが、エルジンジャン、クルディスタン、ディヤルバキル地方などの領地はオスマン帝国に譲らざるを得ない。

 

常勝無敗のイスマーイール1世は、この初めての敗戦以降、急速に神性を失って、酒色に耽り、政治を部下に任せきりになった、と言われる。

救世主イスマーイールの神々しいまでの輝きを見てきた人々の目にはそう映ったのかもしれない。

 

だが、きっと、彼の心はそうではない。

 

信徒たちの神でならなかった彼は、チャルディラーンでの敗戦により、やっと人間になることができた。あるいは、「オレ tueeeee!」なラノベ主人公であった少年が挫折と苦労を知り、真の意味で大人になったと言い変えてもよい。

 

大人になったイスマーイールは夢の世界から脱して、現実と向き合わなければならない。国境付近の情勢と国内の人心に常に気を配り、神経をすり減らした。酒や女に溺れる様になったのも、ストレスからだったのだろう。

イスマーイールの師にして最大の理解者であったシャムス・アッディーン・ラヒージーもチャルディラーンの後、しばらくして死んだ。

 

イスマーイールはミルザー・シャー・ホセインやジャラルディーン・モハマド・タブリジなど気に入ったクズルバシュの首長たちを酒席に招いてクダを巻き、全てを忘れる為に女を漁った。

 

例えるならば、昭和の上司。平成、令和ではアルハラ&セクハラ上司に認定されるところだ。彼の場合、超絶イケメンであったので、そうした印象は多少マシだったかもしれないが、それでもジ○ーラモみたいなちょい悪オヤジくらいにしかならない。

見ようによってはカッコいいのだろうが、信者たちが望む神の姿には、ほど遠い。

 

だが、そうした状況下でもイスマーイールが生きている間、サファヴィー朝の中で大きな反乱はなかった。

 

あの大敗の後でもサファヴィー朝の体制に大きな混乱がなかったという事実は、彼が大人としてのストレスを抱え、時に弱気になりながらも、随所に才覚を見せながら粘り強く国家を運営していたという事を示している。

 

---------------------

 

苦しみながらも懸命に国を引っ張ってきたイスマーイールだが、1520年を過ぎると時折、病床に伏せる様になる。

酒が祟ったのか、ストレスそのものが原因か。

何にせよ、彼の様に自身の天才性を駆使し、本能のままに突き進み成功してきた人間にとって、次々に降りかかる問題をゆっくり一つずつ解決していく作業は恐ろしく精神を消耗するモノだった。

 

サファヴィー朝の政治に混乱が生じ始めたのは、それからだった。

 

1523年、イスマーイールの側近ミルザー・シャー・ホセインがクズルバシュ内の争いによって殺された。

イスマーイールの副官兼飲み友だった彼は、かつての神童イスマーイールを崇拝する他のクズルバシュから見れば、救世主(マフディー)を堕落の道へと誘い込む君側の奸に見えたのかもしれない。イスマーイールも体調が万全であれば、当事者に何らかの処分を加えて事態の終息を図ったところであろうが、その頃、彼の具合はいよいよ悪くなっており、なんとか後任人事を考えるのが精一杯であった。

そして、翌年の1524年、事態の収拾がつかないままに彼は死ぬ。37歳だった。

 

 

後継者は長男のタフマースブである。僅か10歳。

母はタージュルー・ハーヌム。タブリーズ略奪の際にも命懸けで都市の脱出に成功した美しくも逞しい女性である。

ちなみに、この救出に貢献したのがミルザー・シャー・ホセインだった。彼がイスマーイールから信頼されたのは、その功績ゆえである。

 

タフマースブは、幼いが文武両道に優れた賢い子であった。美形で有名なイスマーイールとタージュルーの血をひくだけあって容姿も悪くない。だが、彼を見た者は皆、先代イスマーイールと比べてこう言った。

 

「タフマースブ様も悪くないんだけど、なんだか、こう…オーラが足りない…。なんか、この人に着いて行きたいってなる感じがないんだよなー!」

 

父がスゴいのはわかるが、オーラって何だよ…。

具体的に何が悪いのか教えてくれれば、コチラも直しようがあるものを…何故、そんな根拠のないもので否定されなくちゃいけないんだ…。

 

タフマースブはそんな劣等感を抱えながら、多感な時期を玉座で過ごすことになった。

 

既に何度も触れているが、サファヴィー軍の主力をなすのは騎馬軍団クズルバシュである。

サファヴィー教団を信仰するトルコ系遊牧民たちをこう呼ぶ訳だが、彼らの中にはいくつかの部族ごとに分かれた派閥があり、それぞれ仲が悪かった。

遊牧民とは元来そういうモノだが、それが教団の下で一つになり、イスマーイールがそのカリスマ性でもってまとめ上げていたのが彼らなのである。

 

イスマーイールが神性を失いかけた治世後半、既にその萌芽は見えつつあったが、彼の死後、クズルバシュ内での首位権争いがいよいよ激化した。

 

イスマーイール1世はミルザー・シャー・ホセインが死んだ後、建国時の大宰相アミール・ザカリヤの息子、ジャラルディーン・モハマド・タブリジを大宰相(ヴァズィール)に任命していた。

 

この人事には、イスマーイールの混乱した国政を安定させようという体制保守的な意図が見てとれるが、その願いとは裏腹に、彼はイスマーイールの死の直後に殺されてしまった。

 

犯人はクズルバシュの一派ルームルー族の男である。

この事件については、実行犯への罰はあったが、ルームルー族そのものへの処罰はなかった。国内を内戦状態にするような大規模な粛清を行えるほど、この国の体制は安定していない。

タフマースブの母、タージュルー・ハーヌムがそう判断したのだ。

 

この時期のタフマースブはとにかく軽視されていた。

天才イスマーイール1世ならともかく、10歳のタフマースブに政治的判断など任せられるはずがない。

部下の多くはそう思っていた。それは事実として決して間違いではないのだが、それでもカタチの上では幼君に対しても臣下の礼をとるのが普通の国だ。

だが、それすらしないのがこの時期のサファヴィー朝だった。

 

これにはカリスマ・イスマーイール1世を亡くした悲しみから、新しい君主を受け入れられないクズルバシュたちの心理が影響していたのであろう。

それを亡き君主の妻であり、彼の生前から国内の尊敬を得ていたタージュルー・ハーヌムがなんとか宥めて、国政を維持しているのがタフマースブ即位直後の状況だった。

 

タフマースブが幼少の為、国家の主導権は内政部門の第一人者である大宰相(ヴァズィール)や左軍、右軍の両大将軍(アミール)にある。

 

クズルバシュの有力首長たちはその座を求めて相争った。

タブリジが死んだ後は、彼の殺害によって力をつけたルムル族の大将軍(アミール)ディーヴ・ソルターン・ルームルーが実権を握るが、この男も1527年にはもう一人の大将軍(アミール)チューハ・ソルターン・タッカルーに倒される。

 

---------------------

 

さて、タフマースブ在位時、最初の危機が訪れたのは、1528年である。シャイバーニー朝の軍がサファヴィー領内に侵入し、ヘラートを包囲したのである。

 

シャイバーニー朝は1510年メルヴの戦いでシャイバーニー・ハンを失ったが、優秀な親族が後を引き継ぎ、強力であり続けた。この時の君主はアブー・サイードだが、実権を握るのは後の名君ウバイドゥッラーだ。

このシャイバーニー・ハンの甥は、1512年にサマルカンドのバーブルを攻撃して旧領を奪還すると、混乱するサファヴィー朝の情勢を見て、満を持し再戦を仕掛けてきたのである。

 

ヘラート救出戦の指揮をとるのは勿論、大将軍チューハ・ソルターンだが、彼は苦戦していた。

チンギスの系譜を継ぐシャイバーニー朝の騎馬軍団は強力だ。それに対してサファヴィー朝のクズルバシュは統率を失っている。それぞれが自部族のプライドと利益のみを追い求め、バラバラに行動している有り様で、いくら救援を送っても各個撃破されている状況だった。

 

「ヘラートの戦況はどうなっていますか?」

タブリーズの宮殿で、タフマースブがチューハ・ソルターンに尋ねると彼は

「うーん、まあまあっすね」

と頬をかぶった。

 

「負けてますよね」

「負けっつーか…、苦戦?」

 

即位から4年経ち、タフマースブは14歳になっている。最早、腹が立つこともない。

相変わらず舐められてるなあ、とタフマースブは自分に対する嘲笑すら浮かべた。

 

「苦戦ってこのまま行ったら負けるってことですよね?」

「でも、苦戦からの逆転ってあるじゃん?」

「ほう、じゃあここから巻き返す為の策があると?」

「…なんか、その。国がピンチに陥ることでみんなの心が一つになって奇跡が起きる的な…。」

「へぇ。では、あなた方、お互い協力する気があるんですね」

 

即位時、10歳で母や首長たちがやることを黙って見ていることしかできなかった少年も、14歳になり、彼らしていることの意味や意図がわかるようになってきた。

それと同時に、大人たちが抱える柵や社会の矛盾がバカバカしく思えてくるのも、この年代だ。大人たちは、それを反抗期と呼ぶ。

チューハ・ソルターンもタフマースブの発言や態度をその種のものだと捉えていた。

 

生意気な王である。

チューハ・ソルターンは中学生に対する生徒指導の様な気分で言った。

 

「ま、イスマーイール様がご健在であれば、王が一言言うだけで、皆の心がまとまったんでしょうな。でも、今はあのような素晴らしい君主がいないから、将軍は大変なのです。早くタフマースブ様にも立派な王になって頂きたいもんですわ。」

 

「僕は、イスマーイール1世にはなれない。」

「あきらめんな、信じれば必ずできる! できる、できる、できる!」

 

チューハ・ソルターンは夢をあきらめようとした生徒に対する熱血教師のテンションで言ったが、タフマースブの返答は実にドライだった。

 

「僕は父の様にはなれないけど、そんなことはどうでもいい。僕には策があるからだ。カタチはどうあれ、この国を救えれば、それでいい。」

「策ぅ? タフマースブ様がぁ?」

「ええ。少なくとも、性懲りもなく援軍を出して兵を浪費するより、ずっとマシな策が僕にはあります。」

 

そうして、タフマースブはチューハ・ソルターンを宮殿の地下倉庫に案内した。

倉庫の扉は固く鍵がかけられて三重に閉ざされている。

 

「タフマースブ様、いけません。ここは…イスマーイール様が決して開けるなと、言い残されていた開かずの倉庫のはず…。」

 

チューハ・ソルターンは先代への敬意を示して、先程までとは、打って変わって緊張感のある声で言った。タフマースブは頷いた。

 

「ええ。そして、後を引き継いだ王だけが、国難の際にのみ、扉を開けることを許されました。」

 

そう言い、タフマースブは鍵を開けて、倉庫の扉を開いた。そこにあったのは大量の大砲や銃である。

 

「これは…」

チューハ・ソルターンは圧倒されている。

 

「父が生前、あなた方クズルバシュには秘密でイラン人官僚たちに揃えさせた物です。今こそ、これを使いシャイバーニー軍を倒しましょう」

 

「しかし…」

チューハ・ソルターンは迷っている様だった。

クズルバシュは騎馬軍団である。オスマン帝国でも銃火器の導入以来、騎兵隊スィパーヒーの権限が削られて、銃火器歩兵イェニチェリが戦場で力を持つようになった。

それと同じことになるのをチューハ・ソルターンは恐れていた。

 

「タフマースブ様…あのね、これ、スゴいんだけど、今は止めときましょ、ね!」

「どうして?」

「それは…だって、ほら、私はいいんですけどー、他のクズルバシュの首長たちが反対するかもしれないし。」

「父の意向に反しますよ」

 

「えっ!」

タフマースブがイスマーイールの名を出すとチューハ・ソルターンは急にビシッと背筋を伸ばした。

 

「父は、オスマン帝国に敗れた後もずっと国のことを考えていた。自分を慕う者に酬いる為には何をしたら良いのかと。その為には、まず勝たなくてはならない。騎兵の時代は終わろうとしている。勝つには、火器だ。銃がいる。大砲がいる。父はそう考えた。」

「なら、イスマーイール様は何故今まで、ここにある武器を隠していたのですか。」

「自信がなかったんでしょうね。チャルディラーンの敗戦がなければ、あなた方は無条件に父に従ったでしょう。だが、不敗伝説が破れて、なお、あなた方の反発を招く様なことをして、信認が得られるか。それが不安だったのでしょう。」

 

「イスマーイール様が…不安…?」

チューハ・ソルターンの中ではイスマーイールと不安という二つの単語がどうも上手く結びつかなかった。

 

「だから父は待った。あなた方が追い込まれ、藁にでもすがり付きたくなる時を。」

「イスマーイール様がそのような事を…」

「さて、どうします? これ、使いますよね?」

「しかし…」

 

「じゃあ、このまま遊牧民族の誇りと共に玉砕でもしますか? それとも、そうだな。使わないのなら勿体ないし、あなたではない他の部族長にでも渡してしまおうか?」

 

「いや、それは! 使う、使います!」

 

タフマースブは笑った。

「喜んでください、チューハ・ソルターン。やはり、あなたは優秀だ。あなたの見立て通り、ピンチで皆が一つになりますよ。」

 

---------------------

 

タフマースブとチューハ・ソルターンがイスマーイールの遺した銃火砲を持って前線まで赴くと、現場は2人が認識していたよりも、更に切迫した状況であり、将たちは反発するどころか次々、新兵器に飛びついた。

 

そして、サファヴィー軍は砲撃を仕掛けてヘラートの攻囲陣を解くと、1528年9月。現在のアフガニスタン、ジャムで会戦に挑むことになった。

 

シャイバーニー軍はそれまで情報になかったサファヴィー軍の銃撃、砲撃に対しても果敢に攻めた。危険を犯しながらも騎馬軍団の機動性を生かして一気に接近戦に持ち込む事で対抗しようとしたが、タフマースブは大砲に車輪を付けて馬で牽引し機動力についても一定を確保。常に相手に対して一定の間隔を保ち、シャイバーニー軍を撃破した。

 

この後もシャイバーニー軍はサファヴィー朝との国境付近に度々現れて都市の略奪などを働くが、その度、サファヴィー軍は撃退に成功し、両国の力の差が覆ることは遂になかった。

 

そして、1530年、タフマースブは13歳の弟、バイラム・ミルザーをホラーサーン地方の太守に任命する。

 

「兄上、本当に大丈夫なのでしょうか?」

とバイラムは心配した。

 

先代のイスマーイールが兵士たちへの報酬を寛大に与えたのは、前述した通りである。

その為、これまでのサファヴィー朝では大きな戦いの後、奪った都市の太守になるのは前線で戦った将軍たちであることが多かった。

 

王族はあくまで王族。

バイラムがホラーサーンの太守になるということは、身体を張って戦った将軍たちの手柄を奪ってしまうカタチになる。

国の慣習と違った事をして、クズルバシュたちの反発を受けないだろうか、ということをバイラムは案じていた。

 

「大丈夫さ。」

とタフマースブは何食わぬ顔で言う。

 

「しかし、父上ならこうはしない。王から与えられた恩に報いようとするクズルバシュの死をも恐れぬ突進…。それが我が軍の強さであったはずです。」

「これからは銃や大砲を使う。離れて戦うから突進なんてしなくていいよ。」

「それはそうですが…」

「…というか、領地を与えてクズルバシュの首長たちが力を持ちすぎる事こそ恐れるべきだよ。彼らは僕を舐めているからね。」

 

「父上ならば、その様なこともなかったのでしょうか…」

 

「そうかもね。でも、まぁ、他の国では当たり前のこと…この国が特殊だったのさ。カリスマはもういない。サファヴィー朝は、普通の国に生まれ変わるんだ。」

 

---------------------

 

クズルバシュたちの争いは続いている。

 

ジャムの戦いの後、すぐに大将軍チューハ・ソルターンが死んだ。彼の出身であるタッカルー族との長年に渡る対立で知られるシャームルー族のホセイン・ハーンによる闇討ちに逢ったのである。

 

これは、明らかに違法なクーデターであったが、タフマースブはホセインが作った流れに乗った。

 

タッカルー族の有力将軍、太守たちに次々、罪を着せて処刑すると、無実を訴えて投降してきた一族に対しては

「お前たちには悪魔が憑いている」

などという根拠のない理由をつけて、これも処刑した。

しかも、女子供に至るまでである。

 

本来であれば、いくら(シャー)と言えども許されない行為だが、タフマースブは容赦なく、それを実行した。

 

王朝内の実権がタフマースブには無く、力を持ったクズルバシュの首長にあることは、この国の中枢にいる人間なら誰もが知っている。

タッカルー族の粛清自体はタフマースブが自発的に行ったことだが、実験を握ったホセイン・ハーン・シャームルーはそれを止めなかった。

 

(シャー)・タフマースブは何だかんだで、共にシャイバーニー朝を撃退したりと息の合っていたチューハ・ソルターンの暗殺にビビっている。だから、シャームルー族に忖度して、この様な事をするのだ。」

 

ホセイン・ハーンはその様に解釈していたし、他のクズルバシュたちもそうだった。タフマースブは部下たちに、またしてもナメられてしまったのである。

だが、それ故にいくら残虐なことをしても、恨まれるのは"黒幕"と目されたホセイン・ハーンであり、"傀儡"のタフマースブはバカにされようが、哀れに思われようが、人から恨まれる事はなかった。

 

タフマースブが厳しい粛清と処罰を繰り返す度に、ホセイン・ハーンにヘイトが集まった。

 

そして、1533年。

19歳になり、国内の不穏分子を軒並み片付けたタフマースブが満を持してホセイン・ハーンの討伐を口にすると、それに反対する者はいなかった。

 

ホセイン・ハーンを排除すると、いよいよ国内にタフマースブを押さえつけるモノはなくなった。

これにより即位以来、タフマースブは初めて政治の主導権を握ることになった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その5 ~覇者の憂鬱~

さて、ここで再びサファヴィー朝の隣国にして当時の世界最強国家、オスマン帝国の動きについて触れたい。

 

チャルディラーンの戦いでサファヴィー朝を破った"冷酷王"セリム1世は1520年に没した。

次なる皇帝(スルタン)は"壮麗王"スレイマン大帝。オスマン帝国最盛期の到来である。

 

哲学や芸術を好み、恋する者(ムヒッビー)の名で詩作を行う詩人でもあったスレイマンの関心は東方イスラム世界よりも、異文化の地である西方に向けられており、即位の直後から盛んに地中海や東欧への遠征が行われた。

1521年にハンガリー王国からベオグラードを奪い取ると、翌1522年のロドス包囲戦では聖ヨハネ騎士団からロドス島を奪う。続いて1526年には、モハーチの戦いでハンガリー王ラヨシュ2世を討ち取りハンガリー中央部を平定し、ハプスブルク家のオーストリア大公国と国境を接した。

 

そして、その集大成が、1529年の第一次ウィーン包囲である。結局、ウィーンの攻略自体には失敗するものの、当時の欧州最強国オーストリアがオスマン帝国に手も足も出ず、首都に引きこもることしか出来なかったという、この戦いは1453年メフメト2世のコンスタンティノープル攻略と並んでキリスト教社会に大きな衝撃を与える出来事となった。

 

オスマン帝国とオーストリアの戦いはこの後も続くが、オーストリアが決定的な会戦を避けて小競り合いばかりになり、戦争が長期化すると、スレイマンも妥協を考えるようになる。

そして、1533年7月、コンスタンティノープル条約によってオーストリア-オスマン戦争は終結。

オーストリアの息の根を止めることは叶わなかったが、元々はハンガリーの帰属を巡って起きた争いである。

条約では、ハンガリーの宗主国をオスマン帝国とする旨が取り決められたので、オスマン側の全面的な勝利であったと表現できるだろう。

 

そうしてバルカン半島からハンガリーを確保した後、スレイマンは進攻の矛先を東方へと変える。

 

サファヴィー朝は力を失っていたが、オスマン帝国からすると未だ油断ならない相手であった。

イスマーイール1世の死後も、東アナトリアに発生したイスマーイールファンクラブは健在である。彼らにとってイスマーイールは死んだのではない。お隠れ(ガイバ)したのだ。

だから、彼らは時折、オスマン帝国に対する反乱を起こしては、オスマン帝国からサファヴィー朝への帰属の変更を求めていた。

 

 

タフマースブは、そうしたオスマン帝国内にいるサファヴィー教団の信奉者たちを思いっきり見殺しにした。

 

むしろ、

「ちょっと余計な事すんのやめてくんないかぁ!?」

と半分キレ気味で彼らを見ていた。

 

タフマースブはやっと政権を握り、改革の真っ最中である。

彼にとって、今、オスマン帝国との衝突は最も避けたい事態だった。

 

タフマースブは、中央集権を推し進める為に建国の功臣及びその子孫たちの封土を削り、王族に与えた。そして、信仰のカタチも変えた。

 

このサファヴィー朝内部の宗教改革については、重要なのでしばらく見ていきたい。

これまで、サファヴィー朝で信仰されてきたのは、この教団国家特有の、後にクズルバシュ的シーア主義と呼ばれるモノだった。要するに、イスマーイールが布教していた教えのカタチであると言えば、話が早い。

 

イスラム教の開祖・ムハンマドとシーア派においてその正統後継者とされる聖者アリー。それに加えてギリシャ正教の総本山・千年帝国ビザンツ、ゾロアスター教で栄えたササン朝、直近この地域を支配した白羊朝の各王家。

その全ての血統を引き継ぐ究極の聖者、サファヴィー教団の教主をお隠れ(ガイバ)した指導者(イマーム)の再来、即ち救世主(マフディー)として信奉する。

そして、そのカリスマの下、遊牧民由来の呪術的な儀式を用いて戦意を高め、死をも恐れぬ突撃で邪悪な異端、異教徒を討ち滅ぼし、敵対者の髑髏で美酒を味わう。

 

そうした建国以来の信仰に基づく風習をタフマースブは廃止し、シーア派内部では多数派にあたり、教義に一定の柔軟性がある十二イマーム派を国教に認定した。

 

これには意図がある。

まず、第一の目的はタフマースブ自身のカリスマ性のなさをカバーする事だ。

クズルバシュ的シーア主義の実現には強烈な神性を持つリーダーが必要だが、現在のサファヴィー朝にはそれを叶えるだけのカリスマがいない。

 

つまり、自分はリーダーになれないと、タフマースブ自身が考えていた。

彼は決して愚鈍な男ではない。本人が自信を持ち、カリスマを演じきることさえできれば、祖父・ハイダル以前の教主たちと肩を並べることは出来たはずだ。

だが、タフマースブはそれをしなかった。

 

性格的な自己評価の低さもあるが、とにかく先代がイスマーイール1世であったという事が判断材料として大きい。

 

サファヴィー朝は既に一度、神を見てしまった。

イスマーイール1世の時代を目の当たりにした信者たちは、最早、自らの信仰の対象が普通の教主では満足できなくなっていた。そして、それはタフマースブだけがクリアすれば良い問題ではなく、この先、王朝が続いていけば三代目、四代目の君主にも降りかかる問題だ。

 

カリスマ性のインフレ化に歯止めをかける。

まず、これが一つ目の目的だった。

 

もう一つ、理由を言えば、タフマースブはシーア派の力をサファヴィー朝内部に結集すること考えていた。

クズルバシュ的シーア主義の信者たちは熱狂的であり、その信仰心は建国時には国家の柱でもあった訳だが、より多くの人に受け入れられ、教えを国内外に広めていく為には、その教義はいくらか先鋭的にすぎた。

 

要するに、サファヴィー教団の信者たちは外から見れば、ライト層を決して受け入れずニワカと罵倒するキモいオタク集団の様に見られていた。

しかも、それがスンニ派からだけでなく、同宗派のシーア派からもそうだったのだから、厄介だ。

 

イスマーイールが生きていた時はそれでも良かった。

自分たちがいくら少数派でもクズルバシュたちは救世主の神性を信じて従った。

だが、彼がいなくなり、クズルバシュにも以前のような忠誠心がなくなっている以上、サファヴィー朝が生き残るには、政治、経済、宗教のあらゆる分野で多数派を形成して力をつける必要があった。

 

シーア派自体、イスラム教全体で言えば少数派だが、それ故に、中東の各地域には支配者から迫害され、隠れて暮らすシーア派が存在する。それらの人々をサファヴィー朝に招き入れることで、サファヴィー朝はシーア派の代表国家として地位を築くことができる。

 

タフマースブはそう考えた。

 

だが、それをするには、先鋭的なクズルバシュ的シーア主義では都合が悪い。

そこでタフマースブは国教を多くのシーア派教徒からの妥協を得やすい十二イマーム派とする旨を発表したのである。

 

更に言えば、比較的に穏健派である十二イマーム派の教えはスンニ派からの理解も一定程度得られるであろう、との考えもあった。

つまり、これはスンニ派の大国・オスマン帝国に対する配慮でもあった訳だ。

 

当然、タフマースブの方針には反発もあった。

それは、まるで好きな漫画が実写化されてみたら、思っていたモノと違った時のオタクを思わせる激しいモノであったが、武力で政権を奪取できる実力者は既に粛清済みだ。

 

「タフマースブ1世はクズルバシュ的シーア主義を原作レイプしている!」

という声もあがったが、タフマースブは

「メジャー化するってことはこういう事なんだよ! 文句があるならかかってこい!」

と意に介さなかった。

 

だが、改革はまだ始まったばかりだ。

タフマースブのサファヴィー朝に力がつくまではまだまだ時間がかかる。

今、オスマン帝国とぶつかる様な事は避けなくてはならない。

 

そういう意味で、東アナトリアの信者たちの行動はタフマースブにとって最大の懸念事項なのであった。

 

---------------------

 

「オラーマ・ソルターン・タッカルーについて、どう思う?」

 

オスマン帝国皇帝(スルタン)・スレイマン1世が大宰相パルガル・イブラヒム・パシャに尋ねたのは、1533年。オスマン帝国とオーストリアの和睦が成ろうとしている頃だった。

 

金髪、碧眼、色白。パルガル・イブラヒム・パシャがオスマン帝国においては珍しい身体的特徴を持っているのは、彼が国際都市で生まれた混血児だからだろう。

イブラヒムはオスマン帝国ではありがちな奴隷出身の宮廷官僚だ。名前にもついている通り、元はギリシャにあるジェノヴァの植民都市・パルガの出身であり、子ども時代に海賊に誘拐され、奴隷としてマニサ宮殿に売られた。

 

非常に不幸な境遇にも思えるが、一方で彼は幸運でもあった。

前近代の欧州では、生まれついた身分によって将来の道がある程度、固定されている。

もし、街を襲った海賊に誘拐されていなければ、漁師の家に生まれた彼は、父と同じように毎朝、漁に出かけ、獲った魚を市場で売り捌いて一生を過ごしたことだろう。

 

だが、イブラヒムが放り込まれたオスマン帝国の宮廷奴隷の世界は良くも悪くも実力社会だ。

才能に恵まれない者は文字通りの奴隷として一生誰かの使い走りをやって生きるしかないが、眉目秀麗で勉学の覚えも良かったイブラヒムは皇子スレイマンの小姓に任じられ、日々ほとんどの時間を一緒に過ごす中で皇子の信頼を得た。

 

あまりの親密さに

「あの2人は恋愛関係らしい」

という噂すらたった程だ。

 

スレイマンが即位しても、その信頼は変わらない。

スレイマンは軍事・外交関連の重要事項を次々にイブラヒムに任せ、彼も期待に結果で応えた。

そして、前任のピリー・メフメト・パシャが亡くなると年上の宰相たちを差し置いて、官僚の最高位・オスマン帝国大宰相にまで上り詰めていた。

 

「オラーマ・ソルターン…、あの、サファヴィー朝から逃げてきた地方領主ですか…。」

 

賢いイブラヒムにしては、珍しく思い出すのに時間がかかった。スレイマンは意外そうな表情を浮かべつつ、頷いた。

 

「ああ、そうだ。どう思う?」

 

スレイマンもおよそトルコ人とは思えない顔つきだ。

現代トルコ人のような顔の濃さは感じられず、やや薄め。髪は黒髪に金髪が少し混じる。

 

オスマン皇帝家は、外戚の強大化を防ぐ為に奴隷に子を生ませることが多く、現在に至るまでに様々な人種の血が混じりあっている。

そしてスレイマンの場合、例外的に母親がクリミア・ハン国の王女であったので、タタール人の特徴がやや強く現れていた。(タタール人自体、トルコ系と東欧、ロシア系との混血だと言われるが。)

 

スレイマンは、その黒い瞳でイブラヒムをまっすぐ見た。

この頃、スレイマンとイブラヒムの仲には亀裂が入りはじめている。親密な仲だけに、事情が複雑に絡み合い、その理由を説明するのは難しいが、一つだけ挙げるなら、後継者問題での対立が大きい。

 

イブラヒムは、スレイマンがマヒデブランという女奴隷との間に成した長男ムスタファを次期皇帝に推していた。

スレイマンも当初、そのつもりであったが、最近になって気が変わった。

スレイマンは帝国が強大化し権力が強まるほど、その座を脅かされることを恐れるようになっていた。

 

優秀なムスタファが自分の地位を狙ってくるのではないか。

ここのところ、スレイマンはそんな猜疑心を抱くようになっていた。

 

実際、スレイマンの父・セリム1世は自分の親から武力で政権を奪取している。

オスマン帝国において、それは確実に起こり得ることなのだ。

 

スレイマンは心の支えを求めたが、忠臣かつ親友のイブラヒムは、自身も実力で成り上がった男なだけに、スレイマンが優秀なムスタファを排除しようとすることが理解できない。

 

この頃、スレイマンを癒したのは、女奴隷のヒュッレムだった。「快活」を意味する名を持つこの女は如何なる時もスレイマンを明るく励まして、その寵愛を掴んだ。

そして、そのうちにスレイマンは彼女との間にできた3人の皇子の内の誰かが皇帝位を継ぐことを望むようになっていった。

 

そんな溝の出来てしまった2人だが、殊、話題が軍事となると、スレイマンが相談出来る相手は他にいなかった。

 

ヒュッレムは賢い女だ。

だが、さすがに国防を女奴隷に任せることはできない。

皇子ムスタファは信用ならず、他の皇子は出来が悪いし、若すぎる。

他の有力宰相で言えば、娘婿でもあるリュステム・パシャ・オプコヴィッチがいるが、彼は能力が内政だけに特化しており、残念ながら軍事においてのみだが信頼に足らない。

結局、スレイマンが背中を預けて戦えるのは股肱の臣・イブラヒム・パシャだけなのだ。

 

「あまり、信頼してはならない男だと感じますね」

 

イブラヒムはスレイマンから質問のあったオラーマ・ソルターンについて、淡々とそう評した。

 

「ほう…なぜそう思う?」

「そもそも、祖国を裏切ってきた男ですから。色々とコチラに都合の良い事を言ってきますが、要は我々をけしかけようとしているのです。人としては信頼しない方が良いでしょう」

 

 

オラーマ・ソルターンについては、1531年、チューハ・ソルターン・タッカルーの暗殺時にまで遡る。

 

当時、アゼルバイジャンの州総督だったオラーマ・ソルターン・タッカルーは、同じ部族にありながらチューハの暗殺を大変喜んだ。

 

暗殺犯はタッカルー族の敵対部族、シャームルー族のホセイン・ハーン。

 

チューハの殺害には成功したが、密謀が明るみに出た以上、シャー・タフマースブはシャームルー族を政権から排除する。

そして、後任の大将軍は引き続きタッカルー族から選ばれることだろう。

そうなれば、自分にも可能性はある。今こそ、権力掌握のチャンス。

 

そう考えたオラーマ・ソルターンは7000名ともいわれる多数の支持者と共に宮廷に直参し、その後任を願い出た。

 

「ねぇ、ねぇ、次の大将軍はオレにして下さいよぉー!」

「反乱分子は全部始末しますからぁ!」

 

そうしつこく迫った結果、オラーマは主君からウザがられた。

更には前述した政治的判断もあり、タッカルー族は粛清されて同ポストには、あろうことか、ホセイン・ハーンが就任することになる。

 

この決定に反発したオラーマは、7000人の支持者と共に、アゼルバイジャンに戻ると見せかけて、王都を占拠し、タフマースブの駿馬やお抱えの女奴隷、宝物庫に収めてあった金などを略奪するという暴挙に出た。

 

事件発生当時イスファハーンでの冬営に入っていたタフマースブは、オラーマ謀反の知らせに激怒し、直ちにタブリーズに急行したが、既に彼は逃亡していた。

 

その後、オラーマはオスマン帝国に亡命し、スレイマンに対して熱心にイラン遠征勧めた。

 

「今の(シャー)は、全然大したことないっす。スレイマン様が攻めれば、泣きべそかきながら逃亡することでしょう!」

 

オラーマは、オスマン帝国の力を借りてタフマースブを葬り去れば、元の地位を取り戻せると考えたのだろう。

 

「クズだな」

 

イブラヒム・パシャはオラーマを見て、そんな印象を受けた。

一度仕えた主君を裏切り、それだけならまだしも、他国へ逃げて祖国を売り渡す。

そして、何より気に食わないのは、自らの利益の為だけに皇帝を煽て、へり下る、あの態度だ。

 

皇帝には、主君の為を想う心が伴わない者の、耳ざわりだけが良い言葉に惑わされず、忠臣を信頼して、正しい道を歩んで欲しい。

 

イブラヒムがこの時期に抱いていた、そんなスレイマンへの想いもオラーマへの嫌悪感につながっていた。

 

「オラーマとは、そこまで信じられない男か?」

「ええ。そう思いますね」

「そうか…。だが、彼は使える」

皇帝(スルタン)、まさか…!」

「サファヴィー朝を攻める。」

 

不敵に微笑むスレイマンに、イブラヒムはほとんど反射的に叫んだ。

 

皇帝(スルタン)! それはいけません! まだオーストリアとの戦いも終わっていない! いくら我々が強いと言っても、敵を作りすぎては…!」

 

スレイマンは、イブラヒムの言葉を半ば無視して、静かに続けた。

 

(シャー)・タフマースブは不幸な男だ。本来、味方であるはずの部下から信頼されず、裏切られ、命を狙われる。そうして国を滅ぼせば、暗君の汚名を残し、永遠に罵られ続ける。彼の屈辱と悲しみがわかるのは、同じく人の上に立つ者だけだろうな」

皇帝(スルタン)…」

「君主は、常に孤独だ…。たった一人、一人でいいから全てを理解してくれる友が欲しい。私の願いは、それだけなんだ」

 

イブラヒムは、大きくため息をついた。

 

世の中には、人たらし、と呼ばれる人種が存在する。

この皇帝もよく周囲からその様に呼ばれていたが、イブラヒムの見るところ、スレイマンのそれは、少し趣が異なる。

 

人たらし、というのは多くの場合、自分がどの様に行動すれば人から良く思われるのか知っていて、それを計算しながら動ける人間の様を指す。

そして、それがあまりに巧みで、ヤられる側も魂胆に気づきながら、それでもその人を嫌いになれず、思い通りになってしまう。

 

そんな時に人は、

「この人たらしめ~」

という言葉を発するのだ。

しかし、スレイマンにそんな計算はない。

 

この皇帝には、自分が人を愛するのと同様に人から愛されたいと思っている節がある。

 

要するに、この人はただただ人が好きなのだ。

何を甘ったれた事を、とイブラヒムは時々この主君に説教をたれたくなる。

 

そういえば、とイブラヒムが思い出すのは前任のピリー・メフメト・パシャのことだ。

彼は時折、スレイマンに対して、そのような小言を言っていた。勿論、表だってではない。極限られた人間のみの場でのことである。具体的に言えば、スレイマンとピリー・メフメト・パシャ2人だけ。もしそれに誰かが加わるとすれば、スレイマンの母ハフサ・ハトゥン。それかイブラヒムである。

 

親世代の2人に加えて、なぜイブラヒムがその場に入ることを許されたのかと言えば、ピリー亡き後の大宰相にはイブラヒムがなると、ピリー自身が予見していたからだろう。

 

お人好しのスレイマンは、経験豊富な老臣たちよりも親友のイブラヒムを選ぶ。

彼を幼少児から知るピリーは主君の性格を見事に見抜いていた。だから、ピリーは自らの行動でもって、スレイマンの欠点をイブラヒムに伝え、次期大宰相として、しっかり皇帝を支えるように促していたのだ。

 

だが、彼には悪いが自分にその任は果たせそうにない。

イブラヒムはそう思った。

 

そして、もう一点、ピリー・メフメト・パシャは本当の意味でこの主君のことを理解していないのだと思った。

 

潜在的に人との関係を欲するスレイマンがピリーに求めていた役割は、冷酷でおよそ人の親とは思えないセリム1世に代わる父親役であった。

だから、彼からであれば説教をされても素直に聞いたし、むしろ皇帝である自分に対して壁を作らず老臣が忌憚のない意見をぶつけてくる事を喜んでいる節すらあった。

 

だが、イブラヒムとスレイマンの関係性は趣旨が違う。

 

スレイマンがイブラヒムに求めるのは、常に気の合う無二の親友役、もしくは従順な弟役だった。

前者の意味ではこれまでずっとそうであった訳だが、前述の後継者問題で初めて意見が別れ、関係性は崩壊した。

 

今、問題になるのは後者の方だ。

見解を違えているのを承知で、なお彼に従うか。

 

それを選択する上で、誰よりも長い時間を共に過ごしてきたイブラヒムの心はスレイマンに近すぎたのかもしれない。

イブラヒムは、主君が選択を誤り国が危機に陥ることよりも、親友と弟を同時に失い彼の心が傷つく事を怖れた。

 

皇帝(スルタン)、私はあなたにとってのオラーマにはならない」

「では…」

 

「はい。軍を率い、見事サファヴィー朝を攻め滅ぼしてご覧にいれましょう。」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その6 ~防衛戦~

1534年6月。

シャー・タフマースブの下へ驚くべき来訪者がやってきた。その名をガーズィー・ジャハーン・ガズヴィーニーという。

 

この男について話すと、やや長い。

 

1524年5月、イスマーイールの病死に伴い、長男のタフマースプが2代目君主として就任する。

イスマーイール1世にとって最後の大宰相(ヴァズィール)だったジャラルディーン・モハマド・タブリジがその後にすぐに死ぬので、その際、母后タージュルー・ハーヌムが大宰相(ヴァズィール)に任命したのが、このガーズィー・ジャハーンだ。

 

ガーズィー・ジャハーンはイスラム法学者の家系出身だが、クズルバシュの首長たちと同じようにイスマーイール1世の狂信者として知られた。

だか、彼が他と違ったのは、初代君主の死後、信者の多くがタフマースブに魅力を感じず、権力闘争に走る中で、彼だけがタージュルー・ハーヌムとタフマースブに忠誠を尽くそうとしたことだ。

だが、勇敢さと勤勉さ、そして忠誠心でもって知られる彼は、その実直さ故に政治的闘争にはまるで向いていなかった。

 

ガーズィーは当時、大将軍だったディーヴ・ソルターンやチューハ・ソルターンとの権力闘争に敗れた末に紆余曲折を経て、西ギーラーン地方統治者のアミーラ・ドッバージにより幽閉されることになった。

 

ガーズィーとアミーラ・ドッバージは当時、親ウスタージャールー族ということで同じ派閥に属してはいたものの、信仰に関する問題で個人的には対立があった。

その為、この後の約10年間、ガーズィーはドッバージのラシュト居館にて、恥辱と虐待に晒されることになった。

 

タフマースブは、彼の行方を知らない。

正確に言うと、権力闘争に敗れた後、彼の身柄がドッバージの手に渡ったところまでは知っていた。

 

だが、その事をドッバージに尋ねても彼は

「何も知りましぇ~ん!」

とナメた態度でシラばっくれるばかりである。

 

珍しく自身への忠誠心を持つ臣下の事なだけにタフマースブは心を痛めが、2人の強烈な対立を知るタフマースブとしては、もうガーズィーは生きてはいまい、とも思った。

当時のクズルバシュに実権を握られたタフマースブには、自分の意思で動かせる軍団もない。

 

正直、彼の事は諦めていた。

だから、彼が帰って来た、と聞いたとき、タフマースブには喜びよりも先に、どんな顔で彼に会えば良いのだろうか、という不安の方が先にのしかかってきていた。

 

タブリーズ宮殿で彼と再会した時、

「よ、よく無事…」

と、開口一番に言いかけてタフマースブはやめた。

 

ガーズィー・ジャハーンは会見の前にタージュルー・ハーヌムから許可を得て椅子に座っている。ドッバージから受けた虐待により、膝を屈して臣下の礼をとるのが困難になっている為だ。

更には身体中、至るところにキズがある。

 

「よく、生きて帰ったな…。」

 

一度、見捨ててしまった臣下に対してタフマースブが後ろめたさを秘めながら労をねぎらうと、ガーズィーは

「タフマースブ様、ご立派になられた」

と一粒涙を流した。

 

そうだろうか。

タフマースブには実感がまるでない。

だが、ガーズィーの目にはそう見えていた。

 

彼はイスマーイールの死後、間もなく幽閉されてしまい、サファヴィー朝の混乱期にあたる10年を牢で過ごした。

 

その間、タフマースブには、何の実権もなく頼りない君主としてのイメージがついてしまったが、ガーズィーはそれを知らない。ガーズィーにとってタフマースブは未だ先代の輝かしい遺産であり、忠誠を誓うべき王である。

そして、長い幽閉生活を生ぬく心の支えでもあった。彼の中で、タフマースブが神格化されていたと言ってもよい。

それはまるで、バビロン捕囚によって奴隷化されたユダヤ人たちが強い信仰心によって苦難を乗り越えようとした心理の様でもある。

 

タフマースブは臣下たちから侮られ続けた男なだけあって、ガーズィーの態度にはかなり違和感を覚えた。

 

「あー、そう…?」

タフマースブがヒキ気味で言うと、ガーズィーは更に

「あぁ…声も大人になられた…!」

とまた涙ぐんだ。

 

調子が狂うな、とタフマースブは頭をかきながらガーズィーに問いかけた

 

「ところで、ガーズィー。今日はなぜここに?」

「と、言いますと?」

「いや、勿論、会いに来てくれたのは嬉しいよ。脱出してから真っ先に来てくれたんだろう?」

「当然でございます!」

「僕に対してそのようにしてくれるのは、あなただけだ。本当に感謝している」

「あぁ、なんと勿体なきお言葉…」

 

「だが、その足だ。逃げてくるのも大変だっただろう? 捕まったら殺される可能性もあった。なぜ今、危険を犯して逃亡したんです?」

 

タフマースブが問うと、ガーズィーは

「あっ! しまった!」

と叫び声をあげた。

 

「タフマースブ様の成長ぶりに感動しすぎて、忘れていました! 私は、大切な事を報せに来たのです!」

 

 

ガーズィー曰く。

オスマン帝国がサファヴィー朝への侵攻を開始しようとしている。それも、今までに何度かあった小競り合い規模の侵攻ではない。10万人規模の大軍勢を率いてだ。

 

先にも触れたが、大軍を維持することはどのような大国にも簡単なことではない。オスマン帝国がこのような大軍を編成するということは、つまり、遂にサファヴィー朝そのものを潰してしまおうと企んでいる訳だ。

しかも案内役はサファヴィー朝を裏切り、昨年オスマン帝国へ渡ったオラーマ・ソルターンが務めるらしい。

 

ガーズィーはそれを幽閉先であるドッバージの館で知った。

 

オスマン帝国大宰相イブラヒム・パシャはサファヴィー朝侵攻の手始めに国境付近の街を治める太守たちに降伏を促す書状を送っていた。それにより、手紙を受け取った者の内、ほとんどはオスマン帝国への臣従を決めた。

オスマン帝国が本気で侵攻してくれば、頼りないタフマースブ1世にそれを止める力はない。誰もがそう思っていた。

 

ドッバージもその1人である。ドッバージはその機密情報をあえてガーズィーに伝えた。嫌がらせの為である。

 

ドッバージは執念深く、嗜虐的な男だ。

父の代から続く宗教的対立とサファヴィー朝政権内における立場の差からガーズィーに強い憎しみと嫉妬心を懐くドッバージはガーズィーを虐めぬき、絶望の底に叩き落とした上で殺してやろうと思っていた。

だが、身体にどんな苦痛を与えてもガーズィーが根をあげることはなかった。それがドッバージによるガーズィー監禁が10年に渡る長い期間になった理由でもある。

 

ガーズィーがドッバージによる虐待を耐えることができたのは、前述の通り、彼がタフマースブへの強い忠誠心を心の支えにしていたからだ。ドッバージもそれを何となくわかっている。

 

だから、オスマン帝国の侵攻によりサファヴィー朝の崩壊とタフマースブの死が確実なモノになろうとしている今、そのことをガーズィーに報せて彼を絶望の淵に追い込もうとしたのである。

 

だが、ドッバージはガーズィーの忠誠心を甘く見ていた。そして、10年という監禁期間はあまりにも長かった。

 

オスマン侵攻の報せを聞いたガーズィーが心に抱いたのは

「ここから脱出して、タフマースブ様に何とかこの事を報せねば」

という思いだった。

 

そこで、ガーズィーはあるベテラン牢番を説得し、協力を得て幽閉先から脱出した。

牢番は当然、ドッバージの部下だが、身分の低い家臣と主君が言葉をかわす機会などほとんどない。10年も共に過ごせば、牢番が主より囚人の方に感情移入することもあり得ない話ではないのだ。

 

元々、王朝の大宰相(ヴァズィール)であり、主君への忠誠を頑固に貫くガーズィーはドッバージの下人たちにも陰ながら尊敬されていたので、通報されるどころかドッバージ家の様々な人に支援されるカタチで歩行することも不自由な身で、タブリーズにたどり着くことに成功したのだ。

 

 

ガーズィーからオスマン侵攻の報を聞いたタフマースブはしばらく思案した後、玉座から勢いよく立ち上がり言った。

 

「よし、決めたぞ!」

 

タフマースブの瞳はまっすぐ力強く、前だけを見つめている。その眼差しを見たガーズィーはタフマースブの並々ならぬ決意を受け取った。

 

「さすがタフマースブ様、決断されたのですな」

「あぁ。」

「では、早速、将軍たちを集め、迎撃の準備を…」

「迎撃はしない。」

 

「え?」

「当たり前だろう。オスマン軍との戦力差は歴然だ。」

 

ガーズィーはそれを聞き、慌てて首を横に振った

 

「タフマースブ様、いけません。一戦もせずに降伏とは…。ま、まさかその様な…。」

「降伏もしない。」

 

「では…どのように…」

 

ガーズィーが辿々しく問うと、タフマースブは目を見開いて叫んだ

 

「それは勿論…逃げるんだよォォォ!」

 

---------------------

 

1534年6月。オスマン軍は国境を越えた。

 

先鋒軍を率いるのはイブラヒム・パシャ。案内役をオラーマ・ソルターンが務める。

まず目指すは、国境の街ホイだ。オスマン軍は10万人を越える。

 

その堂々たる行進にオラーマは心を躍らせ、

「サファヴィー朝にこのような大軍はいない!」

「スレイマン大帝の本隊を待つまでもない、タフマースブは、ほんの数日で降伏することでしょう!」

とイブラヒムの側で頻りに騒いでいたが、ホイに程近い場所まで来ると、段々と無口になり、不安げな表情になってきた。

 

「どうしました、オラーマ・ソルターン。緊張しているのですか?」

 

イブラヒムは問うた。

かつて祖国に乱暴狼藉を働いて裏切ったオラーマである。まさか、そのような神経をしているハズあるまい、と思いながらも、あまりに不自然なオラーマの態度に、疑問を持たずにはいられなかった。

 

「おかしい…何故だ…」

オラーマは呟いた。

「何がおかしいのですか?」

「タフマースブが本当にホイを防衛するつもりがあるなら、もう敵の姿が見えていてもいいハズ…タフマースブは街を守る気がないのではないか…?」

 

オラーマの予感はあたった。

オスマン軍がホイに到着すると、街は既に廃墟であった。

 

「焦土作戦…弱ったな」とイブラヒムは頭をかく。

大軍を維持する為には休息及び補給の場所として街の占拠は欠かせない。

 

イブラヒムが後続の本隊に急ぎの文を送ると、スレイマンからの返答は

「慌てず予定通り、タブリーズへ向かうように」

とのことだった。

 

この返信に対しイブラヒムは

「さすが我が皇帝(スルタン)である」

と膝を打った。

 

殊、後継者問題に関してはスレイマンの判断能力に疑問を抱いていたイブラヒムだが、スレイマンの落ち着いた対応には安堵した。

 

敵がこうした戦法を用いることは計算済みということだろう。

やはり、皇帝の戦略眼に曇りはない。

ホイを攻略すれば、次なる目標は国境に近い首都タブリーズである。

 

イブラヒムは急ぎ、王都へ向かうことにした。

補給が果たせなかった以上、進軍に時間をかけるのは得策ではない。

 

皇帝への忠誠心が強い正規兵には

「我々が皇帝の手を煩わせずとも、タフマースブを打ち負かせる強者であると示すのだ!」と。

 

街を占領した後の略奪と強姦だけを楽しみについてきた雑兵たちには

「いくら腰抜けのタフマースブでも都を捨てることはない、本隊が到着する前にタブリーズを墜とせば、王都の宝は全てお前たちの物だ!」と。

 

それぞれ鼓舞して兵たちの足を急がせた。

 

---------------------

 

「タブリーズまで遮るモノは何もない。安心して進軍して欲しい」

 

前線のイブラヒムから報せを受けたスレイマンは

「さすが我が忠臣、我が盟友だ!」

と叫んだ。

 

スレイマンは、後継者問題で自身と関係を悪化させていたイブラヒム・パシャが偉業を成し遂げたことを喜んだ。

これで、彼を堂々と誉め称えることができる。軍事作戦の成功を共に喜び、褒美を与えれば関係を改善できるのではないか。

スレイマンには、そんな期待があった。

 

だが、タブリーズに到着したスレイマンを待ち受けていたのは、ホイと同様、またしても廃墟同然の街であった。

 

先着のイブラヒムと合流したスレイマンは彼の顔を見るなり

「これはどういう事なんだ!」

と叫んだ。

 

「見ての通りですよ…」

スレイマンには、イブラヒムの苦笑の意味がわからない。

 

「お前たちが、やったのか…?」

兵の略奪や火攻めでこうなったのではないか。

スレイマンはそう疑った。

 

「まさか。」

とイブラヒムは首を横に振り、失望した表情を浮かべた。

 

確かに下級兵に略奪を勧めはしたが、加減くらい知っている。それに、増援のアテがあるのに手柄を焦ってこれ以上、補給を困難にするような攻め方をするほど愚かでもない。

スレイマンが少しでも、その可能性を考えた事がイブラヒムにとっては屈辱だった。

 

「では、タフマースブは、また逃げたのか?」

「その通り。我々が来た時には、もうこの有り様です」

「バカな…」

 

まさか、首都を見捨てて逃げるとは。

同じ一国の主として、スレイマンにはタフマースブの判断が信じられなかった。

君主が侮られることは国家が侮られるのと同義である。そんな愚かな選択をするハズがない。

 

スレイマンはガズヴィーンに向かったというタフマースブへ急ぎ書状をしたためた。

 

「タフマースブよ、逃げるとは何事か。お前の父・イスマーイール1世は常に勇敢だった。この様な醜態を晒し、父祖に対して恥ずかしいとは思わないのか。さあ来い!戦おうではないか。父の無念を晴らしてみろ。戦わなければ勇敢さを示すことはできないぞ!」

 

スレイマンは、都の放棄を選んだタフマースブが実のところ、それをひどく恥じているのではないかと思っていた。それがマトモな君主の感覚だ。

だから、挑発して、若いタフマースブを戦場に引きずり出してやろうとしていた訳だ。

 

だが、それでもタフマースブがスレイマンの前に姿を現すことはなかった。返ってきたのは、スレイマンが送った書状の倍以上の文字が記された返書のみである。

 

その内容は、下記の次第である。

 

 

私は、あなた方とは戦わない。

以前、私たちの父は戦い、そして私の父イスマーイールが敗れた。その事について、私に『敵をとるべきだ』などと言う者もいる。あなたもその一人だが、その論は大間違いだ。

 

あなたは知らないかもしれないが、戦いの前の晩、(シャー)・イスマーイールの将軍(アミール)たちは重大な過失を犯した。

ドルミーシュ・ハーン・シャームルーとその他すべてのシャー・イスマーイールの将軍は朝まで夜通し酒を飲み、明け方に合戦をしたのだ。これはイスラム法に反する行いだ。

 

稀代の天才であったイスマーイール1世が敗れたのは神に逆らった為である。イスマーイールはオスマン帝国に敗れたのではなく、自分たち自身に敗れたのだ。

 

だから私は、あなた方を敵などとは思っていない。

チャルディラーンでの敗北は神罰であり、神からの試練であったのだ。

 

そう言えば、当時のタブリーズには酒場や賭博場、それに娼婦や男娼が春を売るいかがわしい店も多かったという。それをあなた方が略奪して打ち壊してくれたのだ。

感謝の気持ちは十万言を費やしても言い尽くせないほどである。

 

その年以来、チャルデラーンの戦いの逸話は語り継がれている。

私はドルミーシュ・ハーンを呪っている。

というのも、彼こそがシャー・イスマーイールを戦いへと引きずり込んだ人物であるからだ。

 

また、至高なる神は、異教徒を前にして逃げてはならないが、ムスリム同士で戦ってはならないとおっしゃった。要するに、ムスリム同士の戦いで逃げることは罪ではない。神が同士討ちを禁じ、逃げることを許可している。なぜ神の命令に背かねばならないのか。なぜ、わが身に火を放つような真似をせねばならないのか。

 

とにかく、私は神の命令に背くようなことはしない。無益な戦いをするのは気違いか酔っ払いに違いないし、そんな輩はいずれ我が身の破滅を思い知るであろう。

今や、神の御加護により、わが全軍は飲酒やあらゆる不法行為を避ける誓いを行っている。正しい信仰を行う我が国には、無闇やたらと戦いを好む貴国より、ずっと素晴らしい未来が待っている。

 

あなたも私の敵討ちの事など心配せず、正しい信仰の普及に心を砕くのが良いと思う。

 

なお、あなたからの書状とこの手紙の写しはガズヴィーンの街に張り出しておく。市民たちがどう反応するか気になるなら、軍を率いて見に来ると良い。

きっと面白いモノが見られるはずだ。

 

 

タフマースブの反論は現代人の我々からすれば、神などという非現実的なものの存在にかこつけた屁理屈の様に聞こえる。

この頃の感覚でもそういった面は大いにあったのだが、一方で当時のイスラム神学の理屈にはいちおう則った反論ではあり、アカデミックな一面を備えたものでもあった。

タフマースブにはイスマーイールの詩の様な読む者の感情を燃えたぎらせる文章を書くことはできない。だが、彼には冷静に相手を見極め、相手の論理の矛盾点を攻撃する能力があった。

 

大国の君主が格下に対して挑発を用いる場合、その根底には自らの立場に対する優越感と絶対的な自信がある。

タフマースブはそのことを知っていた。

 

他人を見下す人間ほどプライドが高く、反対に自分が貶められることには腹を立てる。相手が自分の思い通りになると思っているヤツのことは、逆に煽り返してやればいい。

そうすれば、正気を失うことだろう。

 

---------------------

 

タフマースブの読みは的中した。

 

タフマースブからの返書を読むと、スレイマンは怒りを見せ、すぐさまガズウィーンへの進撃を開始しようとした。皇帝としての強い矜持を持つスレイマンには、タフマースブの首都の放棄及び逃亡という行為がひどく醜いモノに見えていた。

 

国家を背負う責任者は常に正々堂々としていなければならない。それが世界の覇者たるオスマン皇帝スレイマン1世の哲学であったから、ある意味、彼は、ペルシャ地方の哀れな病人サファヴィー朝の臆病な王であるタフマースブを指導するつもりで書状を出していた。

「お前も私のように勇敢でなければならないぞ」ということである。

 

だが、タフマースブはそれを一笑に付し、イチイチ宗教的な屁理屈をつけながら否定してみせた。"生徒"からの思いもよらぬ反抗にスレイマンは怒りを感じたのである。

 

「おのれ、タフマースブ! 望み通り、今すぐガズヴィーンに攻め込んでやる!」

 

スレイマンはそう息を巻いたが、イブラヒム・パシャはそれを必死に止めた。

サファヴィー朝の焦土作戦により物資不足に陥った今の状態でザグロス山脈以東の敵地を攻撃する。それがどんなに危険なことか、イブラヒムは説いたのだ。

 

だが、それを言うとスレイマンは

「そんなことはわかっている!」

と余計に大きな声を出した。

 

「わかっているなら、何故そんな無謀な事を!」

 

私はあなたのオラーマにはならない。

出兵の前、主人にそう誓ったイブラヒムにも、これだけは譲れなかった。自分は皇帝の為を思って言っている。その自負もあり、イブラヒムもつられて声が大きくなった。

 

「私は皇帝なのだ、帝国には誇りがある!」

「誇り? それが何の役に立つと? 負けたら何にもなりません!」

「うるさい、私が背負ったモノの重みは、奴隷のお前にはわかるまい!」

 

それを言った瞬間、スレイマンは慌てて口をふさいだ。

思わず、この親友には決して言うまいと誓った言葉が口をついて出たからだ。

 

"奴隷"という言葉のことである。

 

スレイマンは、恐る恐るイブラヒムの顔を覗き込んだ。

彼は、先程までの感情が高ぶった赤ら顔とは打って変わってキョトンと立ち尽くしている。

 

イブラヒムからすれば、そんなことは承知の上だった。

オスマン帝国では、デウシルメという制度により、奴隷となった異教徒にも出世コースが用意されている。奴隷の子どもたちが抱く成り上がりへの渇望は凄まじくデウシルメは今まで数々の人材を権力の中枢へと送り出し、特にメフメト2世以降の皇帝は好んで奴隷を重用した。イブラヒムもその1人である。

 

だが、その事実は必ずしも奴隷そのものの地位向上を意味しない。かつて、メフメト2世は名家出身のチャンダルル・ハリル・パシャを排し、大宰相を宮廷奴隷出身のザガノス・パシャにすげ替えた。それは単なる個人的な信頼関係によるものではなく、皇帝の座を引きずり下ろされた経験を持つメフメト2世が皇帝家に匹敵する力を持つチャンダルル家を恐れた為だと言われている。

つまり、親戚やシンパがたくさんいる名家出身のイスラム法学者よりも、奴隷の方が、皇帝としては扱いやすかった。

 

仮に意見が対立しても、簡単に切り捨てることができる。

地位を失った奴隷に価値はない。その様な者に同情する者もいないので反乱を起こされる心配もない。

つまるところ、いくら高く評価されても、奴隷出身の官僚というのは、そういう存在であった。だから、イブラヒムもスレイマンから「奴隷」と呼ばれる事に違和感はない。

 

だが、先にそれ以上の関係性を求めてきたのは、スレイマンの方だ。彼はイブラヒムの事を兄弟と呼び、親友とも呼んだ。イブラヒムは、その言葉を額面通りに受けとる事がどんなに愚かしい事か、わかっていたつもりであった。

だが、「奴隷」という言葉を聞いた瞬間から、失望感が溢れ出して止まらない。知らずの内に、彼も何かに期待してしまっていたのだろう。

 

イブラヒムは深くため息をついて冷静さを取り戻そうとした。

 

皇帝(スルタン)、今一度申し上げます。今、ザグロス山脈以東を攻めるのは危険です。もし、どうしても撤退ができないというなら、先に山脈以西の地域を制圧し、補給線を確保してからに致しましょう。これが、私にできる最大限の譲歩です。」

 

---------------------

 

スレイマンはイブラヒムの条件を聞いてもなお、ガズヴィーン進軍の中止を決断することができず、イラン方面へと軍を進めるが、不幸な事に西暦1534年の冬は寒かった。

 

10月中旬、ソルターニーイェに差し掛かったところで早くも初雪が降る。こうなると、スレイマンにひたすら服従していたイブラヒム以外の将たちも進軍に対する懸念を示す様になり、結局、イラン方面を一旦あきらめ、ザグロス山脈以西のイラク方面を固めるイブラヒム案が採用となった。

 

その後、オスマン軍はダルゴズィーン 、ハマダーン、バグダードと進むが、ここで季節は11月末となった。

本格的な冬の到来である。相変わらず、サファヴィー朝の各都市は逃げに徹しており、街には大軍を養うだけの資源がない。

これ以上の進軍は不可能となり、オスマン軍は住民が立ち去り閑散としたバグダードで寂しく冬を越すことになった。

 

翌年4月になると、体制を立て直したオスマン軍は再び進軍を再開するが、この時もタフマースブは徹底した焦土作戦とゲリラ戦で対抗してオスマン軍の補給線を脅かし続けた。

 

その地味ではあるが、大軍の弱点をつく粘り強い戦法は物資や兵の命以上に、自立心の強いイェニチェリを始めとしたオスマン兵たちの戦意を着実に削り取っていった。

ミーアーネ 、ソルターニーイェ、ダルゴズィーンと進むがどこまで行ってもサファヴィー軍本隊の姿を確認することはできず、1535年8月。スレイマンは遂に帰国を決意した。

 

「シャー・タフマースブは精強なオスマン帝国軍に恐れをなして逃げ出した。結果、我々はイラクを征し、アッバース朝カリフの都をも手に入れた。オスマン帝国の大勝利である!」

 

スレイマンはダルゴズィーンにて兵士たちに向かい、声高らかに宣言した。

 

だが、遂に本格的な戦闘もできず、飢えと疲労だけを土産に帰国することになったオスマン軍の中に、勝利の実感がある者は誰一人いなかった。勿論、勝利宣言をしている本人も含めてである。

 

 

一方、タフマースブもガズヴィーンにてサファヴィー朝の勝利を宣言した。コチラの陣営にも勝利を心から喜んでいる者は少ない。

 

確かにオスマン軍を自領から追い出す事には成功した。

だが、自分たちの軍が行ったのは、逃亡とチマチマとした嫌がらせのみであり、その実態が勝利と程遠いモノであった事を誰もがわかっていた。

 

しかし、それでもタフマースブの心は晴れやかだった。

即位以降、彼は国内外から父の足下にも及ばぬ頼りない王であると評価され続け、常に誰かの顔色を窺いながら政務にあたってきた。

その彼が、オスマン帝国という強大な敵を目の前にして、自分の意思を貫き、それを撃退してみせたのである。勿論、タフマースブ自身、これがオスマン帝国に対する完全勝利であるとは思っていない。実際、オスマン帝国とサファヴィー朝はこの後も断続的に戦うことになり、対立は1555年のアマスィヤ条約の締結まで続く。

だが、この戦いはタフマースブにとっては紛れもない勝利なのだ。周囲からの低評価と、自らを卑下し続けた自分自身に対する勝利である。

 

この後もタフマースブはイスマーイール1世の時代を知る者にとっては物足りない王ではあったが、それでも自分たちのリーダーとするにあたって、妥協できる実力のある人物だという認識にはなった。権力争いの中でコロコロと代わり続けた大宰相の地位も忠臣ガーズィー・ジャハーン・ガズヴィーニーに固定され政権は安定した。

 

タフマースブは決して栄光ある王ではなかった。

だが、アレクサンドロスのマケドニア帝国やティムール朝の様にカリスマ的君主が死んだ後、瞬く間に崩壊していく国が歴史上、いくつも存在した中で、彼はなんとか国家を次世代へと繋いでみせた。

サファヴィー朝は彼の3代後、アッバース1世の時代に最盛期を迎え、その王都イスファハーンは、訪れた西洋人から「この街は世界の半分である」と評されるほど繁栄する。

それを考えた時、タフマースブの成した国土防衛の歴史的意義は大きい。

 

その一方で、タフマースブは晩年になると、周囲に対して強い猜疑心を持つようになり、結局、後継者を指名しないままに死ぬ。彼は、その不幸な生い立ちからか、自分の実力と自らの成した仕事の偉大さを終生信じることができなかった。不安定な政情の中で50年に渡って国家と地位を守り続けた絶対権力者でありながら、いつも何かの影に震えていたのである。

彼の人生が幸せなモノであったかどうかは、誰にもわからない。

 

だが、ペルシャの地において現代まで続くシーア派国家の礎は確かにこの時、築かれた。

本人の自己評価はさておき、この男もまた、現在へと続く歴史を創り上げた英雄の1人なのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。